ガンパレード・マーチ 山口防衛戦
榊 涼介
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(例)若宮|康光《やすみつ》
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一九四五年。
一九三九年に勃発した第二次世界大戦は、意外な形で終幕を迎えることとなった。
月と地球の間、二十四万qの距離に突如出現した黒い月。
それに続く、人類の天敵の出現である。人類の天敵、これを幻散という。
神話の時代の獣たちの名を与えられた、本来、我々の世界にありえない生物である。
幻のように現れ、身に蓄えられた栄養が尽きるまで戦い、死んで幻に帰る、ただ人を狩る人類の天敵。人はそれが何であるかを理解する前に、そして人類同士の戦いの決着を見る前に、まず自身の生存のために、天敵と戦うことを余儀なくされた。
それから五十年。戦いはまだ続いている。
一九九七年四月。仁川防衛戦。ユーラシア大陸最後の砦であった仁川要塞において、人類側は言葉も国籍の違いも乗り趨え、決死の抵抗を試みるも要塞は陥落。人類は四千万の死者を残してユーラシアから絶滅した。
……人類の生存圏は、南北アメリカ大陸と日本、アフリカ南部のみとなる。
自然休戦期、とは人類が名付けた幻獣軍の攻勢休止期間髪言う。ユーラシアから人類を駆逐した幻獣は、自然休戦期開け、ついに九州西部から日本に上陸。ここに人類と幻散の幾度日かの防衛戦争が開始された。
一九九八年、八代会戦。日本自衛軍は持てる戦力のすべてを動員し、限定的勝利を得るも、戦力の八割を喪失して無力化。戦略的には惨敗という結果に終わる。
事態を憂いた日本国政府は、一九九九年にふたつの法案を可決し、起死回生をはからんとした。
ひとつは幻獣の本州上陸を阻止するための拠点、熊本要塞の戦力増強。もうひとつは、十四歳から十七歳までの少年兵……学兵の強制召集であった。
そして――。
同 年三月。5121独立駆逐戦車小隊発足。
半島で自らの隊を全滅させた海軍陸戦隊中尉・善行忠孝は、戦争終結のために己のすべてを捧げることを決意。廃棄が決定されていた人型戦車・士魂号の持つ可能性に着目、自ら司令に就任して、学兵から成る試作実験機小隊を率いることとなる。
人型戦車・士魂号。それは全長八メートルに及ぶ二足歩行の巨人である。
新興の名族でしある芝村一族が持つバイオテクノロジーの粋と言うべき人工筋肉に全身を覆われ、国際条約で禁止されている生体脳――すなわち人の脳を制御中枢に組み込んだ計むべき生体兵器である。
あまりのコストの高さと、整備の複雑さ……稼働率の低さがネックとなり、軍はそれを持て余していたが、善行は天才的な事務能力を駆使して予算と必要な人員を遵得、同小隊の発足にこぎつけた。
当初は「捨て駒」としてしか考えられていなかった小隊は意外にも善戦、戦いを重ねるうちに速水厚志、芝村舞、壬生屋未央らエースパイロットを輩出。生ける伝説として戦場を駆けめぐった。さらに「整備の神様」原素子率いる整備班は驚異的な稼働率をもって士魂号登前線に送り出し、将兵の間で5121小隊は熊本最強の隊として認められるようになっていった。しかし、破局は徐々に近づきつつみった。
同 年五月六日――。
幻敵軍大攻勢。それは自然休戦期を四日後に準えた朝のことであった。
幻獣軍は戦線各地にて一斉に攻勢を開始、三ヵ月に及ぶ戦闘で疲弊していた人類側の戦線を蹂躙突破した。この青天の霹靂とも言うべき奇襲によって、人類側は全線に渡って退却、後には大壊走に陥った。
九州に展開していた学兵十万は、撤退する自衛軍の「捨て駒」として取り残され、各地で孤立し、空しくその屍をさらすこととなった。
この間、5121小隊は戦力温存をはかる上層部の撤退命令を無視し、各地を転戦。殿軍として学兵諸隊の撤退を支援、最後の最後まで幻獣と死闘を繰り広げた。
九州熊本戦に動員された学兵十万――。そのうち生きて本州に戻った者はその半数にも満たなかったと言われる。
善行は後に軍の査問において次のように発言している。
……彼らは生涯で最も貴重な時間を奪われ、戦場へと送られ、死んでゆきました。本来なら彼らは死ぬべき者たちではなかったのです。彼らの未来を奪い、死へと追いやった責任をいったい誰が取るのか?
九州を喪失した人類側は、関門海峡をはさんで幻獣とにらみ合いを続けることとなった。折しも自然休戦期に入り、人類側は安堵と不安の中、戦力の回復をはかる時間を得ていた。
学兵の膨大な犠牲に愕然とした政府首脳は、その解散を決意することとなる。とはいえ、5121小隊は「特例」として待機状態に置かれることとなった。
九州撤退から三ヵ月。
過酷な撤退戦を戦い抜いた5121小隊は、蛇の生殺しのような待機状態のまま、長い夏を迎えようとしていた。
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第一章 長い休暇
八月三日 一三三〇 下関・5121小隊駐屯所
一九九九年八月、下関――。
夏の強烈な日差しが校庭に降り注いでいた。
体操着を着た学兵たちがかけ声を上げてトラックを走っている。木々が生い茂るグラウンド土手には蝉の声がわんわんと鳴り響いていた。5121独立駆逐戦車小隊司令代理・瀬戸口隆之は木陰に寝そべって、懸命に走る学兵たちを目で追っていた。
先頭を走る若宮は、自衛軍風のかけ声をあげ、学兵たちを叱咤している。懐かしい光景だなと思いながら、日避けの麦わら相子を瀬戸口はずらして目を閉じた。
頬こ冷たい感触がした。身を起こすと、士魂号・重装甲単座型のパイロット、壬生屋未央が微笑みかけていた。手にはペットボトルを持っている。
「その麦わら帽子、ぜんぜん似合いませんね。やる気なさ全開って感じです」
「ははは。これで虫取り網でもあれば、だめだめ司令代理の完成ってか。……体の具合はどうだ?」
瀬戸口はそう言うと、傍らに日傘を置き、隣に姿勢良く正座している壬生屋に向き直った。
道着に赤い袴。髪は背まで伸ばして、赤いリボンを結んでいる。軍規違反もよいところだったが、本人は古武術の道場の家に生まれ、この格好を今でも正装と信じて断固として貫いている。
意地っ張りで古風で、しかも超のつくはど生まじめな少女だった。
三ヵ月前……五月の九州撤退戦の最終局面、壬生屋は瀕死の重傷を負って、ひと月ほど前に退院したばかりだった。
まだ完全に体が回復していないのか、重装甲が収められているハンガーに足を運んだ形跡はなかった。退院してからまだ一度も士魂号に乗っていないということだ。まあ、武道の達人である壬生屋なら自分の体のことはよく知っているはずだ、と瀬戸口は信頼していた。
「ええ、順調です。あの……冷やしこぶ茶と、生姜入り紅茶……どちらになさいます?」
「……うーん、難しい選択だな。じゃあ生姜入り紅茶を」
ふたりは並んで腰を下ろし、黙ってペットボトルに口をつけた。
話したいことはたくさんあった。しかし、何から、どう話していいものやら。そんな時、瀬戸口は沈黙を選ぶことにしていた。
あの苛酷な撤退戦の光景は瀬戸口の脳裏に深く刻まれていた。
士魂号のパイロットたちは、極限まで戦い挽けた。
速水、芝村、滝川、そして……壬生屋。四人のパイロットは疲労のあまり幽鬼のようになりながらも敵に向かっていった。当時司令であった善行忠孝も、オペレータとして作戦指示を伝える役目であった自分も、彼らに休息を命じることはできなかった。それだけ状況は切迫し、
彼らだけが頼みの綱だった。
そして俺は……瀬戸口は視線を宙にさまよわせた。壬生屋機大破の報を聞いて、狂った。壬生屋末央を失いたくなかった。結果として壬生屋は死の淵から生還し、俺はとうとう年貢を納めることになったわけだ。長い旅を終えたような気がした。
退院後、青白い顔をして現れた彼女を見て、俺はあっさり降参した。長期の入院で、壬生屋は体力を失い衰えてはいたが、心は成長を遂げたようだった。俺は壬生屋に、正直に自分の気持ちを伝えたが、彼女は静かに涙を流しただけだった。泣き終えると、飛び切りの笑顔で微笑んでくれた。以前より穏やかに、そして大人になったようだ。べたべたし過ぎないよう、俺との距離のとりかたを今は考えているようだ。
……元の不器用な壬生屋も懐かしいんだがな。瀬戸口は微笑を浮かべた。
ボランティアで学兵たちの訓練教官をかってでている5121小隊の戦車随伴歩兵《スカウト》・若宮|康光《やすみつ》の怒声が校庭中に響き渡る。5121小隊は、県の特例として新たに編成され補充された山口の学兵諸隊と同居していた。
「あの……質問してよろしいですか?」壬生屋が遠慮がちに口を開いた。
「うん?」
「隊に戻ってきた時、わたくし、びっくりしました。どうしてみんなばらばらにされちゃったんでしょう? 直接、司令代理の口から開きたくて」
「そのことか」
瀬戸口は麦わら帽子のひさしをあげた。
「試作実験機小隊……ああ、5121のことなんだが、実は上の方で俺たちをどう扱うか揉めているらしくてな」
「揉めて……」
「戦力としては極めて強力であることは実証された。これを複数つくって、来るべき幻獣の来襲に備えるという考えがひとつ。もうひとつの考えは、5121は特殊な成功例として、従来通りの戦車部隊を充実させる、という考えだな。まあ蛇足ながら、前者は芝村閥、後者は会津、薩摩といった連中だがね」「そうですか……」
壬生屋は小首を傾げた。芝村はわかるが、会津、薩摩と聞いてもピンと来ないようだ。
「軍の派閥が対立しているわけさ。確かに俺たちは大戦果をあげたが、戦線を支えたのは圧倒的多数の装輪式戦車だったろう?」
「ええ」
自分がパイロットとして乗ってきた士魂号――人型戦車が特殊な存在であることは壬生屋も理解している。地形踏破性の高さや武器のオプションが豊富なことなど長所は多いが、二足歩行の悲しさ、的が大きいという致命的な欠点がある。被弾し、機体を壊しては散々整備班長に嫌みを言われたものだ。
「どちらの言い分もあながちまちがってはいない。だから今のところ、俺たちは宙ぶらりん。遊ばせておくのはもったいないっていうんで、人材だけが出向という名目で引き抜かれているわけだ。善行さんは統幕予算委員会に引き抜かれたし、原さんは後継機の開発スタッフとして東京に出向いてるってわけ」
まったく、善行さんにはまいった、と瀬戸口は心の中でぼやいた。二階級特進、俺を万翼長として「留守を頼みます」だと。留守を頼むという言葉は、帰ってくるつもりがある人間が使うものだろう。
狩谷夏樹、中村光弘、岩田裕といった頼りになる整備の面々はそれぞれ教官として整備学校に出向しているし、複座型の芝村舞と速水厚志は岩国基地で「第二の試作実験機小隊」の編制を命じられている。茜大介は善行の推薦で海軍士官学校に、そして田代香織は自衛軍の看護学校に入学していた。
これだけごっそり隊員を失って、気の抜けた気分になるのもしょうがないだろう。それでも、と瀬戸口は気を取り直して壬生屋に笑いかけた。
「ま、どちらに転んでも5121が空中分解することはないから心配するな。速水と芝村もじきに帰ってくるさ。岩国にいる荒波中佐……じゃなかった大佐が人型戦車の戦闘群の総指揮を執るなんて素敵な噂もあることだし」
「……す、素敵ですね」
壬生屋は口許をほころばせ、くすくすと笑った。
荒波は善行とほぼ時を同じくして人型戦車を中核とする隊を立ち上げた自衛軍のエースだ。
た。ただし、性格は沈着な善行とは大きく異なる。自ら軽装甲に乗って転戦し、自分を大天才と称してはばからない。荒波大佐の愛機・赤い稲妻が部下を置き去りにして、高笑いを響かせながら敵の大群に一騎駆けする情景が浮かんでならなかった。
瀬戸口はあくびをすると大きく伸びをした。
「……にしても、退屈だな。滝川のやつ、どうしてる?」
「ハンガーで森さんと打ち合わせです。なんか邪魔しちゃ悪い気がして」
「ラブラブだな。よし、俺たちもやるか……」
ずささ、と後ずさる音。壬生屋の顔が耳たぶまで真っ赤になっている。
「や、や、やるって……。不謹慎な! 今は勤務中ですっ!」
「ははは。リハビリ訓練につき会ってやろうって言っているんだよ。まだ百パーセントの状態じゃないんだろ? 若宮たちと一緒に走るか」
「もう……意地悪なんだから!」
壬生屋は瀬戸口の背中を思いっきりどやしつけた。わっと悲鳴が上がり、瀬戸口の体は勢い良く土手を転がり、グラウンドに落ちて停まった。
「あ、すみません!」
「うんうん。壬生屋はこれでなくつちやな。おおーい、若宮、俺たちも合流するぞ!」
麦わら帽子をかぶりなおし瀬戸口が呼びかけると「おう」と若宮が手をあげた。
「後継機なんですけど、どうやら開発は順調みたいです。ただ、例によって量産できないのが難点だって、原さんが言ってました」
5121小隊整備班副主任の森精華と二番機パイロットの滝川陳平は、機体の前に腰を下ろして、仕事の話とも世間話とも男女の話とも判別しかねる会話をしていた。ふたりともヒマだった。森は整備班長を任され、戦わぬ機体のメンテナンスと、岩国の整備学校に出張教授をするぐらいだったし、滝川はいわゆる待機状態である。近くの小中学校にたまに講演を頼まれ、その時だけはしどろもどろに体験談を話して、最後にピースサインで記念接影に収まるといった日々だった。
「どんなんだろ、後継機って。かっこ悪かったち嫌だな!」
滝川はそう言うと二番機・軽装甲を見上げた。この世の中で一番格好良い機体だと滝川は思っている。そんな滝川を見て、森はくすりと笑った。そしてすぐに憂鬱な顔になった。
生体脳を優っている士魂号も悲しい兵器だけれど――。
後継機のことは原先輩から聞いている。森にとってはさらにおぞましいものだった。ホモ・サピエンスの登場と前後して滅び去ったホモ・ギガンテスという巨人をクローン再生して、その脳と内臓を取り去った抜け殻を骨格としている。
合理的な発想だが、人類学に造詣が深い森にとっては憂鬱な話だった。長年の眠りから覚めた巨人を人類は兵器として利用している。
「……どうしたんだよ?」滝川が心配そうに尋ねてきた。
顔を赤らめ、接近してくる。
「だめです」森はきっとした表情で右の拳を振り上げた。
「わ、悪ィ……」滝川は自らを恥じるように、頭を垂れた。
撤退戦の極限状況に置かれて、ふたりは互いをそういう関係と認めるようになったが、どちらも肝心なところは懸命に我慢をしていた。自制心を保つ、というよりは、あの戦いを思い出すたびに、「自分たちだけが」と思ってしまうのだ。
九州での戦いは、ふたりに大きな影を投げかけていた。十万の学兵のうち、半数が死んだ。
中には恋すらしたこともなく、その人生を終わらせた挙兵もいただろう。
そう、あの時からわたしは本当に滝川君を好きになった。撤退戦が終わってからしばらくして、ふたりはデートして、互いに見つめ会った。確かどこかの公園だった。
次の瞬間、滝川は顔を背け、「くそっ!」と吠えた。そして嗚咽を堪えながら、「まだ、だめだ」とつぶやいた。俺だけがこんないい思いしちや、死んだやつらが浮かばれねえと泣きながら。森にもこみ上げるものがあった。ふたりは子供のように、わんわんと声をあげて夜の公園で号泣した。不器用でナイーブなところはふたりとも共通していた。
「俺が(本能に)負けそうになったら、遠慮なくぶん殴ってくれ」
……以米、森は滝川を何度か殴っている。右ストレートが上手くなった。
「あー、急速接近!」
声がして、ふたりがばっと離れると、整備員の新井木勇美がけらけらと笑った。
「ばっきやろーそんなんじゃねえ。お、おまえこそ、若宮とラーメン食ってたって瀬戸口さんが言ってたぜ」
あはは。新井木は屈託なく笑った。
「僕と若宮は食欲つながりなの! 下関のラーメン屋さん、コンプリートしようって誓い合った仲なんだよ」
寂しいな、と新井木は内心で思った。
あの戦いを生き残ったことが嬉しかった。だからまあ、若宮あたりで妥協してやるかと思っていたのだが、若宮は変わった。
気軽に腕も組んでくれるし、ラーメン屋の梯子はしてくれるのだが、それだけだった。前にそれ以上の関係になろうと迫ったことがあるが、若宮は「すまん」と言ったきり、こわい目で空を見上げた。
その険しい表情に新井木は息を呑んだ。
「二三〇万――。なんの数字かわかるか? 民間人も含め九州戦で死んだ人間の数だ。その死に報いてやれずに俺はおめおめと生き延びた。俺は九州を奪達するまでは、おまえの気持ちに応えることはできん」
そう若宮は言った。脳味噌筋肉と思っていた若宮が、そんな思いを抱いていたのが新井木には衝撃だった。
そう、わたしは自分のことばっかり考えていた。それは決して悪いことではないけれど、若宮の決意に比べればみじめだ。そう思った。
だから今は友達以上、恋人未満の食欲つながりということにしている。以来、ふたりは何度も港に足を運んで、対岸を眺めるといった「デート」をしていた。その時の、別人のように引き締まった若宮の横顔が好きだった。
「なーんか退屈でさ。そういや瀬戸口さんと壬生屋さん、発展あるのかな」
まわりのカップルというカップルが新井木には「隣の芝生」に見えた。新井木の話題に案の定、滝川が乗ってきた。
「へっへっへ、甘いな。発展なんかじゃねえよ。もう完成だな、あれは」
「わ、わ、わ、そこまで言うのか、滝川は!」新井木は思わず顔を赤らゆた。
「うーん。おまえって欲望のかたまり! ふたりはつまりだな、精神的ってやつ? そこら辺で結ばれているのだ。前に来須《くるす》さんから聞いたんだよ、俺。門司《もじ》で俺たち、殿軍《しんがり》になって撤退援護をしたろ。あの時、重傷を負った壬生屋を助けに、瀬戸口さん、幻獣の体液まみれになって駆けつけできたって。幻獣だらけの中を突破してきたんだ」
「それ……はじめて聞いたよ」
新井木は白を見張った。整備班は後方に下がっていたから、戦闘の様子はわからなかった。
すごいロマンスだ。
「わたしもはじめて聞いたわ。なんか羨ましい……」
森が顔を赤らめて滝川を見つめた。滝川も顔を赤らめ、「そ、それぐらい俺だって……」と口ごもった。
「負け惜しみじゃないけど、俺だってやっていたぜ。あの時はみんな夢中だったから。死ぬ覚悟はしていたよ」
「うん……」
森は三ヵ月前から時が止まってしまったかのような錯覚に陥った。
わたしは時の変化に取り残されているな、と滝川を見つめた。そう、滝川君も。近頃、背中が寂しげに見える。わたしの……わたしたちの未来はどこにあるの? 森は久しぶりに東京の原先輩に愚痴を言いたい、と思った。
同 一国〇〇下関・巌流島砲台陣地
来須銀河は、岩流島[#ママ]砲台陣地のトーチカの真上に座り込んで、対岸を凝視していた。
対岸の門司市には敵影もなく、人の姿も見あたらない。破壊された港湾施設、瓦礫だけが、夏の光を浴びて輝いている。トーチカから突き出した一五五ミリカノンの砲身は、空しく敵影の見えぬ門司に向けられていた。
来須は水上バスに乗って、たまにこの陣地を訪れていた。そこで日がなレーザーライフルを傍らに横たえて時間を過ごす。はじめは怪しんでいた陣地の指揮官も、どこからか来須の正体を伝え聞いたらしく、時折、茶などを出してくれるようになった。
気配がして、来須は視線を対岸に向けたま言った。
「……石津か」
視線を移すと、薄手の水色のワンピースに麦わら帽子といった姿の石津がトーチカの下にたたずんでいた。砲台群のそこかしこから自衛軍の兵が身を乗り出して、戦場に降り立った妖精のような客を見物している。
石津萌は小隊の衛生官だった。
隊に配属されてきた当時は以前の部隊で酷いイジメに遭ったらしく、表情を失い、失語症に陥っていた。フランス人形のような繊細な顔立ちをした心優しい少女だったが、思うところがあるらしく、来須に自分を鍛えてくれと申し出てきた。
来須はたくましい腕を石津に伸ばし、そのまま石津を引き上げた。海風にワンピースがひるがえり、ざわめきが起こった。しかしふたりは周囲には気にもとめなかった。
「戦争はまだ終わってないが」
来須は石津の姿を見て、無表情に言った。確か戦争が終わったらワンピースを着て街を歩く、と石津は育言っていた。石津も無表情に来須を見上げた。
「……暑い……から」
「そうか」
来須は、はじめて口許をほころばせた。そういえば小隊には夏用の制服は用意されていなかった。石津の合理的な弁明に、来須はおかしみを感じて、口許をゆるめたままだった。
「プータを見送ってきた……の。神々……の戦いに……参戦してくるって」
「……戻るのか?」
「今回は……手伝いだけだから……すぐ」
「そうか」
そのままふたりは会話を交わすこともなく、関門海峡の海に沈む夕日を眺めた。
「来須、そろそろ最終便が出るぞつ!」
砲台の緒揮官が銃眼から顔を出して叫んだ。
来須は石津をうながすと、身を起こした。トーチカから身軽に飛び降りる。少し考えて、手を差し伸べると、石津はためらいなく身を預けてきた。
同 一四〇〇岩国基地
「ふむ。これが量産型か」
岩国基地の演習場の司令席に座った芝村舞は首を傾げて、光輝《こうき》号を見上げた。制御中枢を司るブラックボックスは取り除かれ、代わりに最新型の生体コンピュータを搭載している。栄光号と平行して開発が進められている人型戦車のプロトタイプだった。この機体の開発には芝村は人工筋肉のみ提供している。
武骨な士魂号に比べ、きれいな逆三角形の機体で、まるでアニメに出てくるロボットを連想させる。
「厚志、動かしてみよ」
演習視察用に張られているテントからメガホンを手に呼びかけると、光輝号はゆっくりと動き出した。微速前進。すぐに足を速めて、急旋回。腰を落としてジャイアントアサルトを構える。ジャイアントアサルトの二〇ミリ機関砲弾が次々と標的を破壊していった。
パイロット候補生の間から感嘆の声が洩れた。
「うん、まあまあ動くね」
光輝号の拡声器から速水厚志の声が聞こえた。
「足まわりはしっかりしているね。でも、反応速度はどうしても遅れる。これが量産型の限界なのかな?」
量産型、とは微妙な呼称だった。士魂号との決定的な違い、生体兵器かそうでないかを巧く目くらまししている。光輝号は明らかにロボットの類だ。
「ふむ。実戦投入に関してどう考える?」
「うーん、これだと近接戦闘は危ないよ。武装を充実させて、歩兵支援とかさ。そんな任務に向いていると思うよ」
厚志の感想に、舞は大きくうなずいた。確かに動きにキレがない。白兵戦の名手であった壬生屋未央の士魂号重装甲は決して軽快な機体ではなかったが、パイロットの技量と機体本来の性能によって、スペックをはるかに凌ぐ戦果をあげている。むろん、兵器というものはそれを扱う者しだいなわけだが、光輝号はどこかしら鈍重な印象だった。
「それにしても暑いよね――」
ハンガーから団扇をばたばたさせながら出てきた厚志は、三ヵ月前と比べると十センチ近く背が伸びていた。それまで染めていた色が落ちて、髪の色は本来の鮮やかなブルーになっている。頬は痩け、肩幅も広くなった。
そして、多くの死を見てきたそのまなざしはどこか深みを増していた。
制服のサイズが合わなくなったため、臨時に善行のものを借りている。下も膝丈までの短パンにゴム草履という少々難ありの格好だった。
「……厚志よ、ゴム草履だけはやめろ」
相変わらず5121の制服を律儀に着込んでいる舞が苦々しげに注意すると、厚志は声をあげて笑った。
「だって、暑いんだもん。舞こそもっと楽な格好しないと」
「現在、夏期戦用の制服を申請中だ」
「……ねえ、僕たち、いつになったら隊に戻れるんだろう? それとも新しい隊を作るって話、本当にできるのかい?」
厚志は舞の隣に腰を下ろして尋ねた。
舞はむっつりと不機嫌な顔で厚志を見つめた。
芝村舞は、新興の名族であり世界中の政財界、そして軍に絶大な影響力を持つ芝村一族の未姫だった。自ら学兵に志願して速水厚志と出会った。帝王教育という名の特権に守られてきた自分とはまったく別種の、野性の動物を思わせる少年だった。
にこやかな笑顔の裏には野生動物だけが持つしぶとさ、したたかさがあると思った。自分が初めてかけた言葉、「そなたはイタチに似ているな」とは誉め言葉のつもりだったが、速水厚志は何故だか困惑顔になったものだ。理由は未だにわからない。
舞は速水厚志を「手下」として、自分に足りないものを補おうと考えた。
芝村一族は目的のためには手段を選ばねやり口から、世間では嫌われ、恐れられていた。一族とはいえ、それは血縁によるつながりではなく、有能な、あるいは断固とした信念を持つ者だけが「芝村」姓を名乗ることを許される。これも一族の「常識」からすれば謎めいていて不気味だった。
芝村舞に足りないもの。それは一般人とのコミュニケーション能力だった。芝村というだけで一般の人々は心を閉ざし、嫌悪する。舞にしてもそれまで一般人との交流はほとんどなかったため、厚志を他の隊員との橋渡し役として使おうと考えたのだ。意外にも厚志はあっさりと「手下」に志願してくれた。
以来、ふたりは士魂号複座型突撃仕様の砲手と操縦手として、戦場を駆けめぐった。報われることの少ない苛酷な戦いが続いたが、才能は開花した。速水厚志が単なる手下から「カダヤ」に昇格するのに時間はかからなかった。
……生まれた場所も育った環境も天と地ほども異なるふたりだったが、ふたりは互いにふたりでひとりであることを認め会っていた。
不機嫌な顔で見つめられ、厚志は「ごめん」と謝った。
僕以上に、指揮官待遇の舞はイラだっているんだろう、と思った。
この三ヵ月、自分たちがやったことと言えば、えらいさん相手の人型戦車実演ショーと、全国各地での講演、そして自分から見ればカタツムリのような動きしかできない自衛軍のパイロットの訓練、指導だけだった。
まあ、岩国は花の香りが漂う静かで良い街だったから、何度も城址公園で舞とデートもとい野外訓練はできたけれど。
「あの機体ならば可能性はあるな」
そういう割には舞の表情はさえなかった。そうだよな……。厚志は舞に同情した。
「あれなら普通のパイロットでもそこそこ戦えるけど……たぶん、死ぬ人もたくさん出るよ。自分の体が覚えているステップワークを全開にして、あれだもの。近接戦闘が無理なら、普通の戦車や、自走砲でいいと思うしさ。微妙だな」
「むむむ」舞の表情が険しくなった。
「ごめん……」厚志はあわてて謝った。
「喉が乾いた。わたしほオレンジデリシャスティーだ。そなたも飲め」
気難しげな表情のまま舞が百円玉を二枚放ると、厚志は器用に受け止めた。
「パシリ、上等さ!」
厚志は身をひるがえすと、自販機に向け、駐け去った。
「誰かと思えば、君は芝村のプリンセスではないか」
冷やかすような声が聞こえて、荒波大佐が姿を現した。荒波は自衛軍の夏期軍装を、胸はだけて着込んでいる。金色のネックレスとプレートはどういう意味であろう?
「む、プリンセスはやめろ」
「はっはっは。失敬。……新設の隊について悩んでいるようだが、上の方針が決まらなければどうしようもない。もっと、くつろげ」
荒波は陽気に笑った。
佐官にしては若々しく、俳優のような二枚目顔をしている。善行より何才か上の二十代後半という。厚志の情報によれば基地の内外の女性たちの注目の的らしかった。
「これでも十分くつろいでいるつもりだ」
「うむ。だったらよし。君の『九州奪回戦』に関するレポートは読ませてもらったよ。一週間前に出した『九州回復・私案』と一緒にな」
「なんだと……」
あれは二ヵ月ほど前、統合幕僚監部の作戦課に舞が個人的に送ったものだ。何故、自分と同じ現場にいる荒波がそれを知っているのか?
「準竜師……あー、今は芝村少将からまわってきた。君の動静を見てくれ、とな。まあ、書かれていることに関しては俺も同じ意見だ。感想を言わせてもらえば、この三ヵ月、よく我慢してきたなってことさ」
荒波は口許に笑みを浮かべたまま、見透かすようなことを言ってきた。舞が不機敏に顔をしかめると、
「もっとも、耐えることは軍人に第一に要求されることだからな。褒め言葉にはならん。それだけ君が軍人の枠からはずれて見えるということだ」
と話を続けた。
「軍人の枠なぞと……そなたが言うな、そなたが! 歩兵師団に限っては九割が回復している。機械化師団は七割。そろそろ攻勢を開始すべきではないのか?」
舞はそう言って荒波をたこらみつけた。
「ははは。まともな軍人なら、その手の具申はとっくにしているさ。しかし、攻勢計画は実行に移されないだろう。中央の連中は喧嘩と調整の真っ最中だ。もう一度、横っ面を張られなければ目を覚まさんだろうな」
「……そなたはここで何をしているのだ?」
傍観者のような荒波の口調に、舞は腹立たしさを覚えた。荒波は自衛軍の「英雄」だ。中央に乗り込んで、論陣を張るぐらいはするべきだろう。
「俺は軍人と政治屋がごっちゃになったような連中が嫌いなのだ。だからここにいる。時に光輝号……あのオモチャのことだが、あれは俺が引き受けよう。どんくさい兵器はすべて俺によこせ」
「ふむ……?」
「俺のような大天才になるとな、ああいうオモチャにも活用法を見つけられるのだ。ありや銀とか香車とか、そんなもんだ。下手すると歩だな。君は飛車角通いに徹すればよい。……あと十機の光輝号がここに来る」
荒波の言葉に舞は耳を疑った。
「ああ、東京で訓練を受けたパイロットと一緒にな。芝村舞と速水厚志が、そんな連中の面倒を見ることもあるまい。どうだ、少しは俺を見直したか?」
「む、むむむ」
内心を見透かされたような気がして、舞は頬を紅潮させた。
「そ、その金色のネックレスはなんなのだ? 見苦しいぞ!」
こう皮肉を言うのが精一杯だった。
「このプレートには戦死した部下たちの名が刻んである。思えば可哀想な少女たちであった」
ぽかりと頭をはたく音がして、茶髪の少女が姿を現した。もうひとり、眼鏡をかけたおとなしげな少女が近づいてきた。
「だーれが戦死した可哀想な少女なんですか? まだ、生きてますっ!」
「こらこら田中、大佐の頭をなはたくとは何事だ?」
荒波が苦笑すると、茶髪の少女がまずったというように下を向いた。
「ご、ごめんなさい……けど、司令は芝村さんをからかいすぎ。そんなのいけないと思います! わたし……」
「あ、嫉妬モードに入ってる、田中」
別の少女が微笑んだ。確か……藤代とかいう少女だ。
「飲み物買ってきたよ! あれれ、どうしたんですか、大佐?」
厚志が愛想良く荒波に笑いかけた。
「ああ、芝村万翼長と語らっていたらな、俺の部下がジェラシーを起こしてな。大佐、わたしを、わたしだけを見て、とこうだ」
「わあ! さすがですね」厚志は荒波流の冗談には慣れている。
「誰もそんなこと言ってません!」
田中が顔を真っ赤にして抗議する。
「……そんなことより、工兵隊にはちゃんと指示したか? 潜ってみた結果は?」
荒波は急に真顔になると、田中を通り越して藤代を見た。
荒波隊では複座型電子戦仕様の操縦手兼オペレータをこなしていた落ち着いた雰囲気の少女だった。藤代は眼鏡を凡帳面になおすと、微笑んだ。
「ええ。できる限り協力すると。司令、工兵さんに人気あるんですね。工事現場をよく訪ねてきてくれたって」
「俺は土木が好きなのだ。だからおまえらの機体にも土木一号、二号と名付けた」
人型戦車小隊を率いていた頃の荒牧の戦術は一風変わっていた。司令自ら「ローテンシュトルム」と名付けた軽装甲に乗って、敵を振乱し、待ち伏せ地点に引き込んでいた。敵を十分に引き寄せたところで、地中を掘り抜き巧みに隠蔽された複座型二機――土木一号、二号のミサイルが敵を仕留めるというものだった。派手な陽動と待ち伏せ。荒波はこれを戦国の頃の薩摩軍の戦法にちなんで「釣《つ》り野伏《のぶせ》」と呼んでいた。
「はいはい……。複座型で田中と一緒に基地内から潜ってみたんですけど、天井高は十分です。一部、照明が欠けているところもありますが、そんなに大した問題ではありません。公園に出ると、砂袋を積んだ陣地に出ました。これ、工事の進捗状況です」
藤代は舞の前に置かれたテーブルに歩み寄ると、おもむろに岩国市の地図を広げた。基地を含めた市街図の上にトレーシングペーパーがかけられ、何やら地下鉄の路線画のような入り組んだ線が描かれている。
「青線が戦車用の地下通路です」
「四十パーセントというところだな。赤は歩兵専用か?」
「ええ。今、ありったけの資材を集めて拡張しているらしいんですけど」
舞はじっと地図に目を凝らすと、瞬時に理解した。
「なるほど。これなら立体的かつ、効果的な防衛ができるな。正規陣地の背後にまわって、敵の背後から効果的な打撃を与えることもできる」
そう言うと舞は興奮したように、オレンジデリジャスティーを喉に流し込んだ。
「あの……ここで戦争がはじまるんですか?」
厚志が首を傾げて荒波に尋ねた。荒波は、「ふ?」と皮肉に笑うと、肩をすくめた。
「それはまだわからんが、備えだけは、と思ってな。山陽道、岩国防衛ラインが破られれば、広島が真っ裸にされるぞ。広島の名産はなんだ、天才パイロット?」
「もみじ饅頭……かなぁ」
厚志が答えると、荒波は高笑いを響かせた。藤代も口に手をあててくすくすと笑っている。
舞は苦々しげに下を向いて、ぽかんとした顔をしているのは厚志と田中だけだった。
「この大たわけ! 広島といえば軍事産業の拠点ではないか! 船舶の四割、戦車の三割はここで造られている。シャシーに限って育えば六割が広島だ」
舞は顔を上げると、不出来な「カダヤ」に向かって怒鳴った。
「そんなゴム草履なぞはいているから脳内がぶったるむのだ!」
「……ごめん。けど、ゴム草履にやけにこだわるね、舞は。これ、涼しくていいんだよ。ほら、田中さんたちだって楽な格好してるし」
舞がきっと日目を向けると、田中は「てへへ」と恥ずかしげに笑った。自衛軍の夏期軍装の下は、裾を大胆に切り落としたジーンズに、ビーチサンダルを履いている。もっともらしいことを言っている藤代も似たようなものだった。荒波はわざとらしく胸元をはだけているし、なんだか自分だけが浮いている。こんな状況はまちがっている、と舞は思った。
「あの……ビーチサンダルなら売店で売ってますけど」
藤代が遠慮がちに言って、舞の鋭い視線に口をつぐんだ。
「わはは。藤代、プリンセスは常にフォーマルでなければならんのだ。あー、敵は必ず来るぞ。これは大天才の予言と考えてもらおう」
「……わたしも同じ意見だ」舞は忌々しげに荒波をにらみつけた。
「そろそろだぞ、プリンセス」
舞は唇を噛んだ。……荒波に対して恥ずかしかった。自分は上の気まぐれな命令に振り回されて、結果的になしのつぶての論文を書いてたことと「待機」状態を甘受していただけだ。
「ビーチサンダル、買いに行こうよ」
厚志の提案に、舞は思わずうなずいてしまった。
八月四日 〇九〇〇 5121小隊駐屯所
「わお……! 東原、五センチも背が伸びているぞ。奇跡だー」
瀬戸口は目を見開いた。
保健室の身長測定器で、瀬戸口は東原ののみの背丈をはかっていた。なんだか体がおっきくなったような気がするの、とせがまれてつき会ってやることにした。東原ののみはラボ……すなわち厚生省検疫課で人体改造の被験体にされたことから永久に八才の体のまま成長しないものと考えられていた。
ラボの存在はこの国に暗い影を落としていた。厚生省とは一種の隠れ蓑で、要は人間を生体兵器として改造する機関である。当初は主に政治犯の子供が送り込まれたが、組織が肥大した結果、今では一般市民の子弟にもその手を伸ばしていた。ごく普通の学園生活を送る子供たちが、ある日、クラスメートの席が空になっていることに気づき、教師からクラスメートの転校を告げられる。そんな光景が全国各地で見られていた。
「東原さん、おめでとう!……わたくし、みんなに知らせて参ります!」
付き添いの壬生屋は東原を祝福すると、草履の音を響かせて廊下を駆け去った。瀬戸口はその後ろ姿を見送りながら、ポケットからクラッカーを取り出すと糸を引いた。ボンと音がして東原の髪に色紙が張り付いた。
「えへへ。ののみ、とってもうれしいのよ」
「ああ、俺だって。このまま黒い月が消滅するんじゃないかってぐらいさ。待ってろよ、これからおめでとう会をやってやるからな」
瀬戸口はやさしげに、そして嬉しげに言った。何よりも東原に、曇天を割ってまばゆく太陽が輝くように、未来が確たるかたちをもって現れたことが嬉しかった。
どたどたとあわただしげな足音がして、滝川が、新井木が保健量に走り込んできた。次いで壬生屋とヨーコ、森、若宮。来須と石津も顔を出した。
「胴上げとかやるか?」
滝川が興奮した様子で提案した。
「お、それいいな。じゃあ校庭に出て、東原が満足するまでやってやろう。あー、来須と若宮はセーブするようにな。じゃないと東原が月まで飛んでいっちまう」
瀬戸口はお気に入りの麦わら帽子をかぶりなおして言った。
その時のことだった。校内に開き慣れた警報が流れた。西部方面軍のアナウンスだ。
「……萩《はぎ》市菊ヶ浜に幻獣が上陸しました。方面各隊は、所定の作戦要項に従って行動してください。繰り返します。萩市菊ヶ浜に幻獣が上陸しました。方面各隊は、所定の作戦要項に従って行動してください」
室内にピンと緊張した空気が張りつめ、沈黙が流れた。
「来たな」
瀬戸口が不敵な笑みを浮かべて言った。
「あちらさんからきやがった。瀬戸口さん、所定の作戦要項ってなんすか?」
滝川が尋ねると、瀬戸口は少し考えて、天井を見上げ言い放った。
「そんなものはない」
えっという顔で全員が瀬戸口を見た。「そんな無責任な……」森が茫然としてつぶやいた。
「ははは。ま、そんなに心配するな」
瀬戸口は普段通りのにこやかさで森に言った。
「俺たちは未だに善行――芝村元準竜師のラインの直属になっていてな。他に引き取り手がなかったってのが真相なんだがね。だから野放しってわけ」
瀬戸口の言葉を開いて、若宮はにやりと笑った。
「適当にやれってことだな」
「うん、良い言葉だ。俺たちは進撃部隊として、転戦することになる。……と、その前に散らばった連中を回収しないとな」
瀬戸口の平然とした態度に隊員たちは緊張を解いた。
「……あいつらだったら、今頃、あわててこちらに向かっているだろう」
来須が珍しく、長いセリフを吐いた。
そうこうして5121小隊の三ヵ月に及ぶ休暇は終わりを告げたのである。
八月四日 一一〇〇市ヶ谷・防衛省庁舎
東京、市ヶ谷――。
統合幕僚監部での予算枠をめぐる折衝は延々と続いていた。
国家予算の三割を占める巨額の予算を配分するための会議だった。敗戦の後だけに、それぞれの軍を代表する委員たちは必死だった。陸、海軍ともに一歩も譲らず、さらには派閥までもが加わって、少しでも有利な立場に立とうと九州での敗戦の責任のなすりつけあいに終始していた。海軍大佐・善行忠孝は自販機のコーヒーを飲みながら、近頃やけに本数が増えた埋草を吹かしていた。
「川鉄重工に]・甲型の発注が決まったらしいな。君の根回しかね?」
陸軍の制服を着た大佐が隣に立った。]・甲とは人型戦車・士魂号の後継機種として、戦自研……東京工廠《こうしょう》で開発が進められている機種である。善行は表情を消して、深々と煙を吸い込んだ。この話題はもうたくさんだった。軍需産業というのは、巨大な利権を生み出す。政・官・軍・財界を巻き込んだパワーゲームだった。
そんなことは、どこか別の芝村がやったことだろう。
川鉄は芝村資本であり、芝村閥の軍人なら当然の動きだ。それに……士魂号系統の人型戦車は軍事機密・企業機密のかたまりであり、芝村でしか製造することができない。政府が人型戦車の生産を決定した以上は、芝村系の企業に任せるしかなかった。対立派閥である会津閥は士魂号の後継機に先んじて光輝号を開発し、追い上げをはかろうとしているが、現役のパイロットの評判は芳しくなかった。
「その話は……たぶん別のラインかと。わたしは海軍ですから」
「論文、読んだよ。海兵団に人型戦車を配備する件について。興味深かった。機動力、強襲、そしてフレキシブルな部隊運用……だな」
自衛軍の海兵団もしくは海軍陸戦隊というのは、本来小さな所帯だった。旅団レベルの規模しかない。ただし、医療から補給まで、自己完結した機能を持つのは師団レベルの軍と同じだ。
人型戦車は、その汎用性……地形踏破性の高さから、海兵団に最適の兵器であると善行は論じていた。海軍の機動力を活用して、任意の地点から上陸、橋頭堡《きょうとうほ》を築く。こうした作戦を陸軍が行うには海陸の綿密な連携が必要となる。
その点、攻守とも局地的な作戦には海兵団は極めてフレキシビリティに富む、と。
隣に立つ大佐は会津の影響が強い人物だったが、政治屋ではなかった。微かななまりが東北人らしい質朴さを感じさせる。
善行は苦笑いを浮かべた。海兵団の拡大と装備増強のための予算を獲得するのが善行の今の仕事だった。陸戦は自分たちの専門とする陸軍とは当然、腹の探り会いになる。
「まあ、おとぎ話の類と考えていただければ。制式戦車の予算枠を削ってまで増強せよと主張しているわけではありませんから。牧島大佐」
「そういうことにしておこう」
牧島と呼ばれた大佐も苦笑してうなずいた。
政治というやつは厄介だな、と目で語っている。
「逆上陸をにらんでいるのかね? ならばわたしは君の考えを支持するが。九州失陥から三ヵ月が過ぎようとしているのに、えらいさんは未だに責任のなすりつけあいをしている。失地回復が最優先だというのに」
「機甲師団の定数が七割まで回復したそうですね。新型戦車の量産を陸軍さんがどこまで主張するか……?」
これは海軍、及び芝村閥の最大の懸念だった。海軍は芝村が圧倒的で、陸軍は会津、薩摩が優勢である。しかし、敏島はあっさりと否定してみせた。
「たぶん見送りになるだろうよ。工場に新たにラインをつくるのは現実的ではない。シャーシとパーツを規格化して生産のキャパを高めることが先決と、わたしは上を説得した。従来型のラインをフル稼働することが先決さ」
牧島はあけすけに言ってのけた。牧島は戦車畑の専門家だった。頻繁に工場に足を運んでは作業工程の改善を提案することから、企業にとっては厄介な軍人だった。
「確かに。会津さんはしかし納得しますかね」
「まあ、新しいオモチャを欲しがるのは軍人の性というやつだが、それは人型戦車あたりで満足してもらおう。ところで……」
牧島は紫煙を吐き出しながら、世間話でもするように言った。
「九州戦の英雄殿に教えを乞いたいんだが、逆上陸は現状で可能だろうか? 可能であるとすれば時期はいつになるだろう?」
善行は牧島の軍人らしい物言いに微笑んだ。これが佐官の雑談というものだ。
「逆上陸はコンセンサスさえとれれば今すぐにでも。ただし、今期は自衛軍オールキャストとなりますがね。残念ながら学兵の生き残りを再動員する必要もありますね」
「ふむ」牧島は考え込んだ。「橋頭壁の確保が鍵となるな。さらに兵姑を考えると頭が痛くなる。関門トンネルはすでに破壊されているからな」
「ええ、海軍が鍵となりますね。今から考えるとトンネルの爆破は惜しかった。せめて封鎖ぐらいにしておけば」
「ははは。英雄殿も後悔することがあるのか?」
「敗残の身を英雄と呼んで欲しくありませんね。わたしにも自尊心というものがあります」
「……すまん」
その時、柔らかな女性の声でアナウンスがあった。
「R十六分科会にご出席の皆様は、至急A4会議室までお顧いします……」
「山口県萩市に幻獣が上陸した。現在、現地守備隊が応戦中とのことだ」
中将の階級章をつけた議長の淡々とした言葉がかえって、事態の深刻さを伝えていた。端末に接続されたプロジェクターには県内の部隊配置図が映し出されている。日本海側・萩方面にはわずかに歩兵一個旅団が展開しているに過ぎない。
陸軍の制服を着た佐官が苦々しげに言った。
「海軍は何をやっていたのだ?」
「こちらは三ヵ月前の陸軍の撤退支援で戦力の三割を損失している。それゆえ大幅な予算増を主張していたところだ。陸軍さんも事情はわかっているだろう」
「もとはといえば陸軍の敗北の尻拭いで我々は打撃を受けることになった。我々を責めるのは筋違いというものだろう」
海軍側は言葉を連ねで反論する。
「問題をすりかえてもらっては困る。現時点で、最重要の警戒区域である日本海を警戒していた海軍は何をやっていたかという話をしている」
「……しかし妙ですね」
陸海の無意味な口喧嘩を無視し、許可を求めて善行は口を開いた。
「北岸に橋頭壁を築いたとしても、戦略目標は日本海治いには見当たりませんね。強いて言えば福井、富山の原発ですが、あまりにも違すぎる」
「わたしも同じ疑問を持っている。本州に上陸するとなれば、まず我が方の策源地である岩国、そして背後にある広島の軍需産業地帯を狙うだろう。このふたつを失えば、この国は半身不随に陥る。それにしても西部方面軍司令部は何をやっているのだ?」
牧島が同調して言った。
「これは陽動かと……」
善行は眼鏡を押し上げて静かに言った。そして刻一刻と変化してゆくプロジェクターの部隊配置に首を傾げた。
「現地部隊は混乱しているようですね」
善行はやおら席を立つと、議長に一礼して、胸ポケットから指揮棒を取り出した。その先端が萩市の西方に広がりつつある敵の橋頭壁を示した。
「現地軍は敵がでっちあげたニセの戦力目標を全力で撃退しようとしています。敵にとっても我々にとっても得たところでなんの益もない戦略拠点に」
「しかし……すみやかな水際殲滅は常道と考えるが」
陸軍の軍人が反論した。敵の九州上陸を許した轍を踏みたくない陸軍軍人の多くが賛同したが、牧島は腕組みをしたまま、
「やはり策源地とするには無意味な地域だ」
きっぱりと善行に同意した。
「私見では二十四時間以内に第二報が来る。敵は山陽道方面に堂々と上陸してくるだろう。そうなったらかなり厄介なことになる」
会津にも人材はいるな、と善行は思った。その通りだ。第二報が来る前に、現在の作戦を中止させ、山陽道を囲めねばならないだろう。
「しかし……惜しむらくは、ここが西部方面軍司令部でも作戦課でもなく、予算折衝の場であることですね。おそらく敵は……」
善行は苦笑して、指揮棒の先端をある一点に向けた。
「まさか……」誰かが絶句した。
「そう。誰もがまさかと思う。物量を利した正面からの蹂躙突破は幻獣の得意とする戦術です。これに奇襲の要素が加わって我々は九州で完敗しました」
「委員会は一時休止。わたしはこれより統幕本部に赴く。諸君らは別命あるまでそれぞれの業務に戻ってくれ」
議長は立ち上がると、ストレス過多か、めまいを起こしてふらついた。善行がすばやくその体を支えると、議長は善行に鋭い視線を注いだ。薩摩閥の軍人だったが、温厚で公正な性格から予算委員会のまとめ役に推された。
「……可能性はどれぐらいだ?」
善行は冷静にその視線を受け止めた。
「まず九十九パーセント。閣下、今は責任のなすりつけあいや派閥の利害を考えている状況ではありません。そのことをお忘れなく」
庁舎内に設けられたオフィスに戻ると、善行は深々と息を吐いた。そして端末に山口の戦術画面を映し出すと、じっと目を凝らした。
時間との勝負になるな。オトリに食いついた部隊をなんとしても引き剥がさないと。しかし、悲しいかな、軍政方面に転じた今の彼は一兵も持たぬ身だった。
さて、どう動くか……。
不意に廊下に怒声が響き渡った。警備の兵らが「これ以上、騒ぐと拘束するぞ」と脅す声が耳に入った。
「様子を」
善行が別室に待機している護衛兼秘書役の少尉に命じると、「はっ」と声がして足音は静かに遠ざかっていった。
栗色の髪に控えめなルージュを引いた少尉が困惑を露わに、善行の部屋に駆け込んできた。
普段は生真面目で冷静な女性だった。
「半ズボンの子供……いえ、海士の学生が暴れています! 護衛役なんでしょうか、赤い髪の女性が廊下に座り込んで、頑としてその場を動こうとしませんでした」
「それはまた……」善行は日を瞬き、二度三度と眼鏡をなおした。
「あの……ふたりとも大佐の元部下とかで。わたし、独断で……。念のために武器類の走査はして待たせてあります」
善行は、ふっと息を吐くと、
「たまには独断もよいものですよ。青木少尉、驚いたでしょう?」と笑った。
「部下というのは……本当なのでしょうか?」
「ええ、残念ながら」
そう言うと、善行はふたりをオフィスに通すようにと言った。半ズボンの海軍士官学校生と赤い髪の少女は悪びれずもせず入ってきて、物珍しげに室内を見回した。
「へへっ、善行司令もえらくなったもんだよなあ。秘書なんてついちやって。なあなあ、これ、一本、もらっていいかな」
看護学枚の制服を着た田代は来客用の煙草に手を伸ばそうとした。
「あなたは未成年でしょう。だめです」
善行はため息混じりに言った。青木少尉は混乱してその場に立ち尽くしている。
「善行司令、大チヤーンス! 敵が向こうから攻めてきてくれたっ! 僕はこの日を待っていたんだ!」
金髪、半ズボンの小柄な海士学生は、興奮し、嬉々として善行に詰め寄った。
「あの……やはり警備の兵を」
青木が不安げに言うと、善行は「ふうっ」とため息をついた。
「すみませんがコーヒーを」
「あ、はいっ!」青木は別室に戻ると、電話機をとった。
「……久しぶりですね」
善行はデスクに腰を下ろすと、ソファに座り込んだふたりに言った。
「ご無沙汰ってやつだな。にしても秘書さん、可愛いなあ。原さん対策、大丈夫か?」
田代はそう言うと足を組んでコーヒーをすすった。デスクの傍らに立つ青木は目を丸くして、その傍若無人な態度を見守っている。
田代香織は元からの部下ではなかった。喧嘩上等の問題児で現地の憲兵隊の大尉に頼まれて善行が引き受けることとなった。正規の教育を受けたわけではなかったが、整備に適正があり、すぐに整備班に馴染んだ。
「彼女は立派な軍人ですよ。田代看護生、少しは敬意を払いなさい」
善行は眼鏡を光らせて、田代をたしなめた。田代の顔が赤らんだ。
「ご、ごめん……そんなつもりじゃなかったんだ」
「それで用件は?」
「ふ。知れたこと。これまで僕が考え抜いてきた作戦を、一刻も早く司令にしらせようと思ったんだ」
茜が嬉しげに言った。茜大介。善行は心の中で苦笑した。飛び級で大学に進学した天才肌の少年だが、何故か学兵に志願し整備班に配属された。とはいえ田代とは逆に整備員の適正は最悪。わずか一日で田代に指揮車整備の担当を奪われ、以後は「無職」……遊軍の立場に甘んじてきた。
ただし、その頭脳には無限の可能性が秘められていることを善行は見抜いていた。今はまだ開花することはないだろうが、将来的には大きく化ける可能性がある。そのために善行は、希望に応じて茜を士官学校に推薦した。善行は時間が空いたときに、過去の戦史から設問をメールで送っていた。何故、ふたりが行動をともにしているのか? まあ、問題はないだろうと善行はあっさりと判断を停止した。
「敵上陸がそんなにこ蜂しいのですか?」
「ああ、僕の予想が的中したからね。山口は敵にとって死地になるよ。僕は攻めてこい攻めてこいと日頃から祈っていた。これ……」
茜は胸ポケットから記憶媒体を取り出すと、立ち上がり、デスクの上に置いた。善行はしばらく考えていたが、「青木少尉、プロジェクタの用意を」と言った。デスクの上に置かれた端末をプロジェクタにつなげ、データをロードすると、いきなり突撃行軍歌のメロディが流れ、山口県の地図が映し出された。
赤い矢印が日本海から、山陰側へと伸びる。
「上陸地点まではわからないけど、九州上陸のパターンと同じく、敵はまず陽動を試みると思うんだ。司令、これ合ってる?」
茜の表情が変わっている。その日は鋭利なと言えるほど知的な輝きを放っていた。
「ええ……」
「続いて主力が山陽道に上陸。物量に物を言わせて下関に上陸だな。海峡の幅は狭いところで七百メートルしかないからね。最も合理的さ」
友軍の青い矢印が山陰の敵と激突する効果音が流れ、その間にも下関から上陸した赤い矢印は山陽道を東進、岩国へと進撃していた。
「主戦場はここ、岩国。敵の戦略目標はその背後にある広島だよね!」
「……続けなさい」善行は静かにうながした。
「ここで三つの作戦案が考えられるよ。まず、岩国にありったけの兵力を集中して敵阻止なはかるベタな防衛戦。これを甲案とする」
茜はいつのまにか善行の端末を操作していた。ポップアップメニューから「ベタな甲案」なる項目をクリックすると、青、赤、互いに増援を繰り出し合って、最後に赤い矢印が線はどの細さになって消えでいった。
「なるほど」善行がうなずくと、茜は「ふ」と笑った。
「次は丙案。岩回を抜かれた場合の最悪のシナリオさ。広島の絶対死守が条件となるから、広大な広島平野で決戦になるね。たとえ勝ったとしても幻獣は山口に残り、自衛軍は八代会戦と同じような状況になる。だからオススメはこれっ! 乙案だよ」
「本日のオススメ定食・乙案」なる項目をクリックすると、画面上の矢印がクリアされた。山陽道を進む敵は同じだが、岩国に到達したとたんに、県央・山口市付近を起点として青い矢印が延々と伸びた赤い矢印の横鹿を攻撃しはじめた。
「背後からの一撃。これさ! 正面の友軍と戦っている敵の横腹にじわじわとボディ攻撃を加え続けるんだ。敵の増援を削る意味もあるけど、増援の遅延と寸断。このふたつが戦術的な目標となるね。岩国の頑張りしだいなんだけど、敵の増援が定期的に補充されないとなると、各個撃破と同じ効果が得られるよ! 結果として幻獣軍撃滅の戦略目標を達成できる」
善行の目に、混乱する赤い矢印が明滅して映った。
「……三十点のゲームソフトですね」善行は眼鏡を押し上げると、茜を見つめた。
「馬鹿な。これでパーフェクトなはずだ!」茜は真っ赤になって言い募った。
「現時点では机上の空論に過ぎません。まともな軍人なら尉官レベルでも同じような作戦を考える。それに、すでに現地軍は上陸した敵に食いついています。戦闘をはじめた以上、そう簡単には矛先を転じることはできません。仮に現在交戦中の部隊を転じれば追撃され、こちらが各個撃破される」
善行は冷静に、諭すように言った。
「それはそうだけど……」茜の勢いが鈍った。
「茜君……」
善行は一瞬、哀れむような表情を浮かべた。茜は真っ赤になって横を向いた。
「これは自然休戦期を無視した奇襲です。君の脳内では来るべき敵なんでしょうが、戦争は君の脳内で起こっているわけではない。こちらは後手後手にまわるでしょう」
奇襲という言葉に、茜ははっとなった。最も肝心なことが抜けていた。あの、九州撤退戦の苦い記憶がよみがえったようだ。三十点どころか、零点だ――。
「ただし、三十点の理由。なんらかの要因で我が軍が体勢を立て直すことができた場合、この構想は有効となるでしょう。下関、岩国の守備隊がどれだけ持ちこたえてくれるか、が鍵です。わたしの私案とつき会わせてみましょう。時間はありますか?」
善行に尋ねられ、茜は「あ、ああ……」とうなずいた。
「これから作戦を具体化していきます。青木少尉、資料を。それからこのことは内密に」
茫然と画面に見入っていた青木は、我に返ると、「はっ」と敬礼をした。
同 一一三〇 東十条・東京兵器|工廠《こうしょう》
ジャンペンが抜かれる音がして、東京兵器工廠内に歓声が響き渡った。
フラスコになみなみと注がれたジャンペンを差し出されて、5121小隊整備班長の原素子はにこやかに受け取った。こうしたセンスは嫌いではなかった。
「原さんの言ったとおりでした。最後の詰めを甘くすると、結果的に開発が遅れる、と。さすがに整備の神様と言われるだけのことはある」
技術者のひとりが感極まったように言った。
「やあねえ。遺伝子工学の天才が、気安く人を褒めるものじゃなくってよ。光輝号はロボット、この子は生体兵器。比べて焦る方がまちがっていたのね」
白衣姿の原は笑みを浮かべて、各分野の専門家の祝福を受けていた。原はにこやかに応じながら、ふと完成した試作機を一瞥した。]・甲と無粋な名称で呼ばれているが、これこそ士魂号の正統な後継者となるべき機体だ。
培養され、成長してすぐに脳と内臓を取り出された巨人の抜け殻は人工筋肉で補強され、制御系には生体脳が組み込まれている。国防色で塗装された巨人のレーダードームが微かに点滅したような気がした。原は真顔になった。
ええ、ここにいる天才君たちは科学者の皮をかぶった悪魔。感覚が麻痺して生体兵舞を開発することになんの痛みも感じていない。
原はスタッフの輪から離れ、巨人の足下に寄り真顔のままレーダードームを見上げた。
引き返せないところまで来たな、という感慨があった。戦争のために、科学という美名のもとに、世にもおぞましい手段で生まれた兵器。血にまみれた生体兵器。それがこの子だ。
「……大丈夫よ。わたしは地獄に堕ちるから」
原はそうつぶやくと、低い声で歌を歌いはじめた。
[#ここから2字下げ]
London Bridge is falling down,
Falling down, Falling down,
London Bridge is falling down,
My fair lady.
[#ここで字下げ終わり]
「はは、マザーグースですか? 人型戦車にも情操教育が必要ですか? 原さんらしいな」
培養工学のスタッフが話しかけてきた。原は歌を止めると、
「せっかくこの世に生まれてきたんだもの。祝ってあげなくちやね」
にこやかに言った。
「あー、皆さん、ご歓談中のところ申し訳ないが、重大なお知らせがあります。……本日未明、幻獣が山口に上陸しました」
工廠の責任者である少将が口を開いた。スタッフたちは赤い顔を一斉に少将に向けた。しかし、どの顔にも緊張は見られない。別世界の出来事という顔をしている。
「それで、戦況はどうなんです?」誰かが少将に尋ねた。
「まだなんとも。すみやかに]・甲型の試作機を実戦仕様に改装《かいそう》してください。わたしは甲型を戦場へ派遣すべく上に具申《ぐしん》してきました。……実戦を通じてデータを得るチャンスです」
実戦仕様と聞いてスタッフの間から笑い声が起こった。なんにもわかっていないな、という、優越感に満ちた笑いだった。
わかっていないのはあなたたちも同じよ。原は5121小隊の少年少女たちの緊張に張りつめた表情を思い浮かべた。あの戦争を皆、必死に戦った。そして……この機体にはあの子たちが乗ることになるだろう。災禍《せんか》を狩る少年と少女。たぶんあなたもあの子たちが気に入るはずよ。原は心の中で機体に語りかけた。
「武器さえあればすぐにでも戦えますよ。閣下」
「原中尉……?」
少将に名指しされて、原は大きくうなずいてみせた。
「それが人型戦車なんです。すぐに川鉄に連絡をとります。武装自体には大きな変更点はありませんから、実戦投入にはそう時間はかからないはずです」
原はきついまなざしで機体を見上げた。解放感とでも呼べるものが原の心を満たしていた。
わたしにも、あの子たちにも、そしてあなたにとっても故郷と言える場所。それが戦場だ。どこまでも。どこまでもあなたにつき会ってあげるわ――。
同 一一三〇 萩市菊ヶ浜
歩兵大隊手持ちのありとあらゆる砲火が、浜に集中していた。機関銃、迫撃砲、無反動砲、そしてなけなしの自走砲が一両。これはとある中隊長が機転をきかせて「廃棄寸前の」ブツをもらいうけできたものだった。
溜弾が浜に満ちた小型幻獣の大群に落下しては爆発する。浜は一時砲煙で視界不良に陥った。
「きたかぜゾンビ……む、うみかぜゾンビ、来ますっ!」
前線の陣地から連絡が入った。陣地とはいっても、念のためにと急造で造られた塹壕と砲座だけだった。浜を見下ろす位置に点在している。
「対空戦闘、用意」
大隊長は無線で指示を下したが、内心では舌打ちしていた。対空火器は高射機関砲が二門あるだけで、まともな装備はなきに等しかった。
「少佐殿、浜に張り付いた部隊を引きましょう。一方的に掃射されるだけです」
「水際で殲滅する。これは既定の方針である」
大隊長は血走った目で副官をにらみつけた。かつて九州への上陸を許したことは、自衛軍創設以来の屈辱だった。さらに劣勢を挽回しようと持てる限りの戦力をそそぎ込んだ決戦で、自衛軍は結果的に大敗を喫した。そして九州撤退戦での潰走。有能で問題意識を持った軍人はど「屈辱」には敏感だった。
「しかし……このままでは壊滅しますよ」
若い副官は、この石頭めという日で大隊長の視線を受け止めた。壊滅、という言葉を聞かされて大隊長は、動揺を顔に表した。
「市民の遭難はどうなっている?」
「国営鉄道の協力で広島方面へ向け、順次輸送しています。あとは遠坂観光のバスが一部避難民を引き受けると申し出ています」
「……わかった」大隊長は気難しげにうなずいた。
「主力を市内へ。敵を市内に引き込んで、遅滞作戦を行う」
「了解です。……こちら大隊本部。対空戦闘は中止。すべての部隊はただちに市内へ展開せよ。増援が来るまで我々は市を死守する」
副官が一秒でも惜しい、というように早口で指示を下した。
こうして山口戦の前哨戦と言うべき萩市攻防戦は幕を開けたのである。
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第二章 緒戦
八月四 一一三〇 5121小隊駐屯所
校庭にトレーラーと補給車のエンジン音が響き渡った。その中には装輪式戦車士魂号Lを改装した戦闘指揮車も含まれていた。
瀬戸口は戦闘指揮車のオペレータ席に東原とともについていた。
運転は石津が受け持っている。人手不足のため、銃手席には隊員の姿はなかった。
「……来須だ」
無愛想な顔がハッチ越しに現れて、瀬戸口はやれやれというように首を振った。
「これは陽動だぞ。じきにここに敵主力が上陸してくる」
「俺も同じ意見だ。しばらく辛抱するべきと思うが」若宮が同意して言った。
「まあ、そうなんだがね。俺たちは守備隊ではないだろう。残念ながら死守などという言葉は似合わないのさ。5121の本来の役目を思い出そうぜ」
瀬戸口はなんの緊張も感じられぬ声で言った。
「そうか」来須はあっさりと引き下がった。どうやらこちらの真意を確認するために声をかけたらしいと察して瀬戸口は苦笑した。
「はぎ市守備隊からぞうえんのようせい。敵はうみかぜゾンビ十五ほか中型げんじゆう六十を主力とするたいぐんだって」
それまで無心に無線に耳を澄ませていた東原が顔を上げた。
「うん。豪華な編成だ。守備隊にはちと強烈な相手だな」
他人事のように言う瀬戸口に、若宮のあきれたような声が聞こえた。
「尊行司令の物真似、ごくろうさんだな」
「あの……わたしたち、どこへ行くんでしょう?」
補給車の森から通信が入った。戦闘班とは違って、整備班の面々は非戦闘員だ。その口調は不安に満ちていた。
瀬戸口はふうっと息を吐くと、マイクを手に取った。
「とりあえず山口へ。……この地での戦いは山口を押さえた側が有利なのさ。下関からも萩からも等距離にあるだろう。だから大昔、幕府は長州藩にここに城を造らせず、わざわざ不便な萩に造らせたわけだ。まあ、安心してついてきてくれ」
「そんな話、はじめて聞きました。本当に、安心していいんですか?」
トレーラーの助手席に乗り込んでいる壬生屋がすぐに反応した。
「俺、難しいことはわからねえけど。瀬戸口さんってそんなジジくさいことよく知ってるよな。まるで見てきたみたい。学校で習ったことないぜ」
滝川のあきれたような声が響き渡った。石津が口許に手をあて笑っている。
「ははは。悪かったな、ジジくさくて。ま、幕末の頃、山口を押さえて内戦に勝った倒幕派の奇兵隊もその後、幕府と和解したから。教科音には大きくは載っていないのさ」
「なんか暗号みたいな話だよね。僕、だから歴史って嫌なんだよね」
新井木の声があっけらかんと響いた。新井木はこの三ヵ月、森にきっちりと鍛えられ、今は一番機・重装甲をメインで整備している。
「まあ、お兄さんに任せなさい。俺は善行さんが司令代理と見込んだ天才……ってのは誰かさんのセリフだったな」
瀬戸口は朗らかに笑った。
同一一五〇 市ヶ谷・防衛省庁舎
大きなくしゃみをして、茜は鼻をすすりあげた。
ビクリと身を震わせて田代が飛び上がった。
「脅かすな! おまえってけっこーオッサンくさいくしゃみするのな」
オツサンくさい、と言われて激しい勢いで善行の口述をタイピングしていた茜が画面から顔を上げた。
「この僕のどこがオッサンなんだ? 田代、邪魔だからコーヒーでも掩れてくれ!」
茜はイラだったように声を張り上げた。
「む……わ、わかったよ。太るから砂糖はなし、だったな。善行さんもどうだ?」
「……お願いします」
善行は目をしばたたいて田代の後ろ姿を見送った。
「どうしたのですか、彼女は。やけに素直ですね」
「ふ。ああ見えでも彼女は僕にメロメロでね。毎晩のように電話をかけてきて参るよ」
「メロメロ……」青木があきれたようにつぶやいた。
「まあそういうことにしておきましょう。……ああ、その項目。広島の第三戦車師団の一部を山口へ急派、と」
「あの……広島の防備が手薄になりませんか?」青木が遠慮がちに言った。
「わかってないな、少尉さん。この戦争に負けたら広島もおしまいなんだよ。第三は再編制を終えたばかりだから、今使える数少ない手駒なんだ」
茜がちっちっと指を振って小馬鹿にするように言った。これには少尉もさすがに不快げに眉をひそめた。
「岩国防衛ラインへの後詰めとして残すべきではないかと。差し出口、すみません大佐。わたし、将来は参謀教育を受けたいんです」
「知っています。だからあなたを秘書に指名したのです。謝ることはないですよ。岩国のことですが、軍はありったけの戦力をかき集めて防衛にあたるでしょう。実はあちらの基地から予算申請があり、市全体の要塞化が進められていましてね。岩国は絶対に落ちません。わたしは確信しています」
きっぱりと言われて、青木は黙り込んだ。
「それに戦車師団を防御にまわすなんて温すぎ。戦車師団は攻めてなんぼだ。少尉さんも一度現場を経験してみるといいよ」
調子に乗った茜にえらそうに言われて少尉の顔が紅潮した。ごつん、と音がして茜が悲鳴をあげた。田代がこわい顔で茜をにらみつけている。
「くそ! ネアンデルタール女め。今ので脳細胞が一億個は死滅したぞ!」
「変態半ズボンがパンピーを馬鹿にするんじゃねえ! 少尉さんもマジに考えているんだ。俺はおめーのそういうところ、治るまで修正してやるからな」
田代にすごまれて、茜は口をつぐんだ。「メロメロ……確かに」少尉が小さな声で言った。
「十分休憩後、再開します。ああ、青木少尉、これを」
善行は引き出しの鍵を開けると、一枚の地図を取り出した。青木少尉はそれを見て、茫然とした顔で善行を見た。
「こんな工事が・…」
「あなたもご存じの赤い嵐が、今では実質上の指揮を執っています。面白いでしょう? あの攻撃精神のかたまりのような人物の本質は、周到な防御思想の持ち主でもあるのですよ」
茜もコーヒーをすすりながら地図をのぞきこんだ。
「ふうん、なるはどな。これならそこそこ戦える!」
迷路のように入り組んだ歩兵用の地下通路には袋小路となっている箇所も多く存在する。小型幻獣を誘導して殲滅する発想だろう。
「彼曰く、パズルゲームの作家が友人にいるそうで。相当手の込んだつくりになっています」
「……勉強になります」
青木少尉の生まじめな返事に、「けっこう」と善行は澄ました顔で応じた。
同 一一五〇 調布・自衛軍整備学校分校
「人工筋肉の色を見分けろって? ふん、どうせ中村か岩田が言ったんだろう。それは個々人の整備スキルに依存する方法だ。そんなものはテスタを使って、筋肉組織の疲労度を調べれば済むことだ。ここではマニュアルをひと通り覚え、指示通りに動ける整備員を養成している。中村たちの言うことは遠い先の話だよ」
破損した士魂号の前で、十名ほどの生徒に囲まれて狩谷夏樹は淡々と説明を続けていた。
東京・調布に新設された人型戦車の整備員養成学校で狩谷は中村、岩田とともに教官を務めていた。狩谷は車椅子の身であることから、身軽に動くことができず、代わりに理論と人使いに長けていた。いわゆる秀才肌だったが、整備班長の原に最もその能力を信頼されていた。とはいえ、皮肉屋で辛辣な性格からリーダーとしては疑問符が付いた。原が小隊の整備班長に森を残して狩谷を教官として出向させたのはそんな理由があるからだろう。
それにしても中村と岩田にも困ったものだ、と狩谷は日頃から苦々しく思っていた。勘とスキルに頼りすぎる。ここではまず、ベテランのサポートをするパシリ要員の養成が目的なのに。
「温い! 温すぎる!」
ハンガー二階から声が飛んできた。狩谷は忌々しげに声の主を見上げた。
「テスタが故障していたらどうする? ぬしゃあ、温すぎる!」
「温いだと……」
狩谷は舌打ちした。案の定、中村がハンガーの二階から冷やかすようにこちらを見ている。
中村は狩谷とは対極を成す、熊本原産の職人肌の整備員だ。
「まず目を養うことばい。そこからはじめんと」
「わけのわからないことを言うな。君の方法論は古すぎる」
狩谷は憮然として、眼鏡を光らせた。古すぎる、と言われて中村は呵々と笑った。
「古くて上等! 温い養成をちんたらやるよりは、才能をまず発掘せんと。人型戦車の整備員は才能と職人芸の世界じゃ。こん中のひとりふたり残っていればよか」
「それじゃ困るんだ。今は僕の時間なんだから邪魔をしないでくれ! だいたい人工筋肉に関しては僕の担当だろう?」
「そんなん関係なか! 俺と岩田は壬生屋の一番機を整備してきて、散々苦労したものばいね。人工筋肉に関しちゃ俺らの方が蓄積があるつぞ!」
中村は唾を飛ばして反論した。
制御系その他の講義が中村と岩田の担当だったが、人型戦車整備の肝、最も故障しやすい個所が人工筋肉――時に膝、関節等の足まわりだった。
八メートルの巨人が暴れ回るには地球の重力は苛酷だ。人工筋肉に支えられていでも、筋組織の頻繋な交換が必要になる。
壬生屋の一番機は超硬度大太刀の二刀流での白兵戦を得意としていた。動きが激しく、当然、一戦ごとに足まわりの点検、そして交換が必要となる。二番機、支援型の軽装甲を担当していた狩谷はそれほど忙しい思いをしていたわけではなかった。だから自分たちの方が経験を積んでいるという自負が中村にはあるのだろう。
「担当は原さんが決めたんだからしかたないだろ? 君らの蓄積とやらは当然データ化され、僕も共有しているよ」
生徒たちは唖然としてふたりの言い合いを見守っている。たまに狩谷教官と中村教官、どちらを信じてよいか、混乱することがままあった。護義は狩谷の方がわかりやすいが、中村の方が面白く、楽しみながら実習を受けることができる。
あとは岩田教官だが……火器管制システムの講義中、しぶるパイロットに校庭で実弾射撃をさせた結果、近隣住民の苦情を受け、現在謹慎中である。それでもジャイアントアサルトの機関砲弾が、標的をずたずたに切り裂くのを目の当たりにして、生徒たちは戦争というものを実感することができた。
「ふっふっふ、相変わらずですね」
ハンガーの入り口に作業服の上に白衣を着た人影がたたずんだ。狩谷はがくりと頭を垂れて「消えろ」と言った。
どうしてこんな連中が僕と一緒なんだ? と狩谷は苛立ちを面に表した。こいつらが教官なんて冗談としか思えない。とっとと現場に復帰すればいいんだ。
「ノオオオ。人型戦車の整備道とはめくるめくステキ体験――皆さんは戦車ラブですかぁ?
この子はぁ、熊本の市街戦で敵の集中攻撃を受け亡くなりました。きっとナイスなパイロットが乗っていたんでしょうね、足まわりが疲労の魅みに達しています。感じることです、感じること。プロフェッサー狩谷、あなたの後ろにパイロットが立っていますよォ」
生徒たちの目が不安げに狩谷の後ろに注がれた。狩谷の顔が痙攣した。スパナを手にして、車椅子の身からは想像もできぬすばやさで投げつけた。ノオオオ、と奇声をあげて白衣の男は間一髪避ける。
「……岩田、おとなしく謹慎していろ。さもなければ警備員を呼ぶぞ」
「わたしはおとなしくしているのが嫌いなんですゥゥゥ! ヒマなんで、その機体のパイロットのことを調べてみました。安心なさい、狩谷君。まだ生きていますよ。案の定、エースでしたねえ」
だからそんなことは……と言おうとして、狩谷はふと機体を見た。まだコンクリートの破片がところどころについている。脱出する際も冷静さを保って、瓦礫の中に潜り込んで被弾を避けたんだろうな。ふとそんな情景が浮かんで、狩谷は首を振った。
「わかったよ。わかったから、詳しい話は君の授業でやってくれ」
苦笑を浮かべて、狩谷は再びテスタを手に取った。
「なっちゃん、大変や、大変……!」
少女の声がハンガー中に響き渡って、狩谷はため息をつき、こめかみに手をあてた。
「あ、ごめん。狩谷教官やった。教官殿、大変なんよ! 原さんから電話があって、幻獣が本州に上陸したって。戦争や、戦争……!」
声の主は狩谷に強引にくっついてきた事務官の加藤祭だった。同じ中学に通っていた時からバスケット部のエースであった狩谷に憧れ続け、彼が車椅子の身となってからも献身的に介護をしている。
彼女は事務の達人である善行から薫陶《くんとう》を受けていた。新設の学枚に加藤はうってつけの人材だった。予算を獲得し、必要な機材を魔法のように調達してきた。この、廃棄された機体も、パーツ再利用のために岩国基地に放置されていたものだが、加藤が気を利かして東京まで運ばせたものだった。
整備屋の仕事を間近に見てきた事務官ならではの仕事だった。
「本州の、どこだ?」
狩谷はテスタをデスクに置き、神経質に眼鏡に手をかけた。
「山口言うてた。それで、東十条の東京工廠に試作実験機があるらしいんよ。あとは狩谷君適当に、と原さん言うではった!」
加藤は興奮したようにまくしたてた。
どうして僕なんだ? 狩谷は苦い顔になって、「授業終了」と言った。
「試作実験織が完成したばいね。見てみたかあ」
生徒たちが去った後、中村が近づいてきて感慨深げに言った。その思いは皆、同じだった。
自分たちが必死に守り、整備しできた士魂号の後継機。最大級の軍事機密として、自衛軍の工廠で開発が進められていた。
狩谷とてその思いは同じだった。原さんが自分を名指ししたということは……。狩谷の沈黙に中村ら三人もつき合った。
「段取りを考えろ……ということだな」
狩谷がつぶやくと、中村が「うむ」とうなずいた。
「まず国定装備付きのトレーラー。これは学校のものが使えるな。次にトレーラー搭載までのパイロットの確保。三時間……いや、二時間以内に合流できる士魂号パイロットがいないか調べられるか、加藤?」
狩谷の顔つきが神経質なそれから、スポーツを楽しむ少年のものに変わっていた。作戦を考え、指示をくだすキャプテンの顔になっている。加藤は潤んだ目でしばらくその表情に見とれていたが、ふるっと首を振ると、「三十分」と言って走り去った。
「トレーラーで前線まで輸送するかね?」中村が口を開くと、狩谷は首を横に振った。
「時間がかかり過ぎる。善行さんに電話をして、鉄道輸送の手配をしてもらうよ。目的地は岩国でいいだろう。そこで小隊への合流を考えよう」
「おうよ」中村が満足げに漬け合った。
「パイロットが見つかったら場所に応じて、送迎の手段を考える。それまでは……身の回りの整理を」
「ふっふっふ。教官の仕事はどうするんですかぁ?」岩田が急に生き生きと段取りを考えはじめた狩谷を冷やかした。
「もうウンザリだよ」
狩谷は清々したように笑った。
同 一二三〇 山口市内
山口市には連隊規模の自衛軍が駐屯していた。
小隊が市内に入ると、野戦用の迷彩塗装を施された戦闘車両が縦隊を組んで萩方面をめざしてエンジン音を響かせていた。トラックには自衛軍の戦車随伴歩兵が乗り込んでいる。
片側一車線の狭い国道である。小隊の車両はハンドルを切って半ば歩道へと乗り上げ、自衛軍に道を議った。熊本戦の頃とは異なる戦闘車両の大群を、小隊員は興味深げに眺めていた。
確か九二式歩兵戦闘車だったか、先頭を走る一両のハッチが開き、中尉の階級車をつけた将校が顔を出し、声をかけてきた。
「費隊は?」
瀬戸口もハッチを開け、顔を出した。
「5121独立駆逐戦車小隊・瀬戸口万翼長です」
中尉はしばらく考えていたが、ほぼ同じ階級と気づき、生まじゆな表情で尋ねてきた。
「貴隊はどのような命令を受けていますか? 西部方面軍の司令部に問い合わせたそうなんですが、所定の作戦要項に従えの一点張りで。業を煮やした連隊長は萩守備隊の救援に赴くことを決断したそうです」
「司令部の機能が麻痺している、ということですね」
瀬戸口がにこやかに尋ね返すと、中尉は、はっとしたように口をつぐんだ。
「所定の作戦要項とやらは自衛軍にもないんですか?」
「それは……機密だ」
そう言うと中尉は敬礼してハッチを閉じた。遠ざかってゆく戦闘車両を見送って、瀬戸口は
「さて」と言葉を探した。
「とりあえず、小当たりに当たってみるか」
「とりあえず、が好きだな」若宮が冷やかした。
「適当、と、とりあえず、は俺のモットーだ。こちらは人型戦車とスーパー戦車随伴歩兵で構成されている小さな所帯だ。偵察がてら一撃を加えて離脱することは可能だろう」
しかし壬生屋は……瀬戸口はふと考えた。壬生屋は負傷後、まだ一度も重装甲に搭乗していなかった。この三ヵ月、滝川は何度か「実演ショー」をやっているから問題ないとしても、リハビリ中の壬生屋を頼るのは酷ではないのか?
「壬生屋、行けるか?」
直接声をかけると、トレーラーのドアが開き、ウォードレス姿の壬生屋が降り立った。元々華奢な体格だったが、長い入院生活を経て、どことなくはかなげに見える。どの機体、どのパイロットもそうだが、重装甲で被弾の可能性が高い白兵戦を戦う壬生屋にはより多くの集中力と反射神経が求められる。瀬戸口は一瞬、迷ったような表情を浮かべた。
「……わたくしがなんのためにここにいるとお考えですか?」
壬生屋が静かなまなざしでまっすぐに見つめてきた。
「もちろん……」
瀬戸口は口を開きかけ、視線を逸らした。そして若宮、来須と順に視線を合わせる。若宮は自分と同じくためらいの表情を浮かべたが、来須は微かにうなずいた。
しかし……となおも迷う瀬戸口に、来須は低い声で苦った。
「連れてゆくことはできる」
「わかった」
瀬戸口は迷いを振り払うように言うと、壬生屋に向き直った。
「無茶はするな。少しづつ勘を取り戻していくんだ」
くすりと、壬生屋は口に手をあてて笑った。意外な反応に瀬戸口が戸惑っていると、壬生屋はにこっと微笑んでみせた。
「出撃させるにせよ、させないにせよ、善行司令でしたら迷いはしません。瀬戸口さんこそ無茶はしないでくださいね」
「ははは。あっさりと司令代理の化けの皮がはがれたってところか。まあ、いいや。今の自衛軍を追尾する。状況を見て出撃するかどうかを決めよう」
同 一三三〇 館山海軍士官学校
館山海軍士官学校の門前に真っ赤なマセラツティが停まった。
何事かと目をしばたたく衛兵に、マセラッチィの車窓からパスが示された。首を傾げる衛兵に年かさの衛兵が詰め所から叫んだ。
「芝村パス……フリーパスだ」
そう指摘した衛兵は詰め所から出ると、凡帳面に敬礼を送った。もうひとりの衛兵もあわててそれに倣った。
「石塚教官を呼びだしてもらえないかしら」
ドライビング用のサングラスをかけた女はにこやかに笑うと、車線を大きくはみ出して無造作に駐車場に車を停めた。若い衛兵が校内に走り去った。
数分して、海兵団の制服を着た若い男が現れた。
「久しぶりね、石橋教官」
「……石塚です。勘弁してくださいよ、原さん」
石塚と名乗った教官は、教官というより学生と言ってもよいほど若かった。海兵団出身で善行の後輩にあたる。早くから熊本戦でパイロットとして活躍し、熊本城攻防戦で重傷を負って彼の戦争は終わった。善行の属していた海兵団――海軍陸戦隊は海軍の中でもせいぜいが旅団規模の小さな所帯だった。転属先もそうそうなく、陸海問わず人型戦車乗りなどレアであったため、とりあえず今は海軍士官学校で教官を務めている。
善行の紹介で、石塚とは何度か会っていた。
戦場を離れて半年近くになる石塚は、原の悪趣味な冗談に、やれやれという風に穏やかに糸目を細めて笑った。
「ほほほ。あなたってついついからかいたくなるのよね。得な性格じゃない?」
「……それでご用件は?」
石塚は真顔になって尋ねた。士魂号の後継機の開発に携わっている原が、わざわざ足を運ぶというのはよほどのことだ。
「あなた、新型機に乗りたくない?」原は単刀直入に切り出した。
「新型機って……完成したんですか? 難航していると聞きましたけど」
石塚は目を見開いて言った。そのまなざしには好奇の光が宿っている。原は声をあげて笑った。戦争嫌い、軍隊嫌いを善行と自分の前では公然と口にする石塚だが、彼の人型戦車への傾倒はマニアックとさえ言えた。
「反対派の皆さまへの目くらましね。あとは政治的な駆け引き。難航している開発が、スタッフの頑張りで予想より早く完成したってことにすれば、聞こえがいいでしょ?」
「なるほど……」
石塚は首を傾げた。その種の話題にはまったく興味がないようだった。戦場から離れて、日ごとに浮世離れしてゆく善行の後輩に原は一瞬、眉を曇らせた。戦場しか居場所がない人間を原は知っている。しかし原の知っている彼らは、それを平然と認め、自らを「災禍を狩る災禍」と言い放つ類の人種だ。石塚は彼らとは違う。
「搭乗するって言っても一瞬だけなんだけどね。トレーラーに積載するのを手伝って欲しいの。あなたに新型機のことを知っておいてもらいたい、ということもあるわ」
「ああ、そういうことなら」
石塚は得心したように徽笑んだ。
「そうと決まったらGOGO!」原は急かすように苦った。
「……ええ。ところでそのマセラツティ、どうしたんです?」
「研究所の駐車場に置きっぱなしだったんで拝借してきたのよ。なにこれ? まったく、運転しづらいったら」
原はこともなげに言い放った。原だったら空母や護衛艦だって拝借するだろう……。そんな表情を石塚は浮かべた。
「その……運転、僕が変わりますね。それで、行き先は……?」
同 一四〇〇 萩市近郊
萩方面から盛んに黒煙が立ち上っている。
道路上は県内各地から集まってきた戦闘車両群で渋滞していた。
山陽から北九州にかけての整備され拡張された道路とは異なり、とりたてて産業のない萩への道は一車線しかない名ばかりの国道だった。五十年に及ぶ戦争は、爪に火を灯すようなインフラ整備を国や自治体に余儀なくさせていた。
国道の周辺には寂れたドライブインやら飲食店がまばらに並んでいた。沿道の人々はとうの昔に見切りをつけたか、シャッターを下ろした店が目立った。
「萩市街……まで、あと三キロ」
石津がナビを見てぼそりと言った。砲声、銃声が殿々と空にこだまする。あの町でまさかな……。瀬戸口は武家屋敷の建ち並ぶ落ち着いた町のたたずまいを思い浮かべた。
「すぐ先にファミレスがあるな。そこの駐車場を拠点としよう」
瀬戸口が指示をすると、補給車とトレーラーからそれぞれ「了解」と返事があった。人型戦車なら路上を通行する必要はない。来須と若宮のふたりはそれぞれの士魂号に張り付いていれば済むことだ。
数分後、小隊は駐車場に車両を乗り入れた。森以下整備員が降りたって、人型戦車をジャッキアップし、最終点検をてきぱきと行った。瀬戸口もハッチを開け、地上に降り立った。気がつくと、自衛軍の戦闘車両が駐車場の反対側に停車しているのが見えた。本州に来てからちらほらと見かける対空戦車だった。士魂号Lすなわち装輪式戦車と比べると、小振りで軽快な印象を与える。車体からにょっきりと突き出している砲座が特徴的だった。
「九五式対空戦車だな。優れモンの二〇ミリ対空機関砲を装備している。シャシーは九二式歩兵戦闘車、九三式騎兵戦闘車と同じものだ。若宮の声がした。振り返ると、若宮がにやりと笑った。
「大丈夫か? なんだか薄ぼんやりした顔をしているぞ」
「ははは。やっぱりそう見えるか? どうもまだ戦争が起こったっていう現実感が薄くてな。感覚がなまっているらしいよ」
瀬戸口は苦笑すると、気に入りの麦わら帽子に手をやった。
「まずその帽子をなんとかしろ」
若宮が苦々しげに育った。
「帽子と戦争は関係ないだろう」
「……勝手にしろ。目的は威力偵察だったな。友軍が救援を求めてきたらどうする?」
若宮が尋ねると、瀬戸口は真顔になってしばらく考え込んだ。
「まだ戦力が整っていない。今回は自衛軍に主役を譲って目だたず騒がず。適当に敵を削って様子を見よう。……森、重装甲にジャイアントアサルトを!」
瀬戸口の唐突な命令に森は一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。白兵戦仕様の重装甲には定番というべきふた振りの超硬度大太刀を装着してあった。
「重装甲に……ですか?」
「ああ、壬生屋と滝川は河添付近に展開。市内に突入する中型幻獣を狙撃して適当に削ってもらう。聞こえたか、壬生屋。今回はチャンバラはなし、だ」一瞬、沈黙があった。補給車から整備員が大わらわでライフルを引き出している。ウォードレスを着た壬生屋はコックピットに乗ろうとした足を止めた。
「……わたくしが飛び道具を? おっしゃる意味がわかりません」
超硬度大太刀を使っての白兵戦に絶対的な自信を持っている壬生屋は戸惑っているようだ。
「代替機がないんだ。無理はできない。それとも壬生屋、狙撃に自信なかったかな?」
瀬戸口が冷やかすような表情で壬生屋を見上げた。壬生屋の顔に一瞬不安げな表情が浮かんだ。そして次の瞬間には顔を赤らめて叫んだ。
「ば、馬鹿にしないでくださいっ! 常在戦場。いざという時のために訓練は怠っていませんでした! わたくし、なんだってできます!」
そう気炎を吐くと、瀬戸口をにらみつけ、壬生屋はコックピットに乗り込んだ。
事件はそれから数分後に起こった。
コックピットのハッチが開き、壬生屋は地上に降り立ったかと思うと、うずくまって吐きはじめた。「壬生屋さん……?」森があわてて壬生屋に駆け寄った。整備員が見守る中、壬生屋はうずくまったまま必死で嗚咽を堪えていた。
瀬戸口は何が起こったかわからず、茫然と立ち尽くした。背中を激しく小突かれた。振り返ると来須が無表情に自分を見ていた。
「……壬生屋はまだ無理だ」
「無理って……来須、おまえ」
何か知っているのか、と言おうとして思い当たることがあった。
「あいつは一度死んでいる。……死の間際の恐怖を体が覚えている」
来須が言葉を継ぐと、瀬戸口は納得顔になった。三ヵ月前の光景が鮮明に浮かんでは消えた。
来須は一部始終を見ていたようだ。そして俺も。そう、壬生屋は一度、死んでいる。再び命を与えたのは、鈴原とかいう幻歓共生派の医師だった。
まいったな。瀬戸口は小さくつぶやいた。
「……まいった。俺としたことが、そんなことも気づいてやれなかった。まったくこの三ヵ月、俺は何をやっていたんだろうな」
来須ま瀬戸口の自嘲を無視するように、切って捨てるように首った。
「軽装甲と俺たちで行く。……瀬戸口。壬生屋はおまえに任せる」
「うむ。壬生屋はおまえの迫当だったはずだな」
若宮も同意すると、にやりと笑った。
森の肩に手をかけ、瀬戸口は大丈夫だと身振りで示してみせた。森は不安げな表情を浮かべながらも軽装甲の発進準備に走っていった。ヨーコだけが壬生屋の髪をやさしく撫でていた。
壬生屋の嗚咽が聞こえた。うずくまったまま泣き続ける壬生屋の横顔は悔しげに口許を引き結んでいた。瀬戸口は一瞬、足を止めたが、すぐに気を取り直したようにヨーコと壬生屋のもとに近づいた。
「ヨーコさん、ありがとう。持ち場へ」
瀬戸口が声をかけると、ヨーコは眉を曇らせうなずいた。
「壬生屋、立てるか?」
声をかけられて、壬生屋は立ち上がった。顔が涙で濡れている。瀬戸口を一瞥すると、申し訳なさそうに横を向いた。そして叫ぶように言い放った。
「……コックピットに入ると急にめまいと吐き気がして! け、けれど大丈夫です! 久しぶりなんで勘が戻っていないだけです! 少し休めば……」
「また乗れるようになるさ。今日のところは一回休み、かな」
瀬戸口はそう言うと壬生屋の髪にそっと触れた。しかし壬生屋はビクリと身を震わせると、後ずさり、瀬戸口をにらみつけた。
「本当に大丈夫なんです!」
「わかった。じゃあ司令代理としておまえさんに命令する。今日は出撃はなし、だ。指揮車銃手を担当してくれ。東原、石津……」
それまで成り行きを見守っていた東原と石津が駆け寄ると、それぞれ壬生屋の手を凋んだ。
壬生屋は衝動的に振り払おうとしたが、やがてはっとしたような顔で「ごめんなさい」とふたりに謝った。古武術の名手である自分が衝動に任せて動けば相手を傷つけかねないということを思い出したのだろう。
「とにかく落ち着け。たまには指揮車から戦況を考えるのも悪くはないぞ。自分がどのように動けばよいか、見えてくるからな」
瀬戸口が言葉を重ねると、東原も「未央ちゃん」と呼びかけた。
「あのね、むりはいけないのよ。きっとのれるようになるよ」
東原は泣きそうな顔で壬生屋を見上げている。
東原はその外見からマスコット的存在に見えるが、隊を支える柱のひとつだった。どんな時でも笑みを絶やさず頑張る姿は、隊員に勇気を与え続けてきた。そんな東原を心配させることは壬生屋の矜持が許さなかった。壬生屋はうつむいたまま、「ええ」とうなずいた。そして顔をあげると、東原と石津に笑いかけようとした。
「大丈夫……だから。わたし……には……わかるの」
石津がぼそりと言った。
「……本当に?」
石津の言葉には不思議な説得力がある。壬生屋は思わず尋ねていた。
石津はこっくりと首を縦に振ると、壬生屋を見つめて微笑んだ。滅多に見られぬ微笑だった。
「さあ、いこうよ!」
東原が元気よくうながすと、壬生屋はふたりに手を引かれるまま戦闘指揮車に乗り込んだ。
「うはあ、ひでえことになってるぜ。煙で町の様子がよく見えねえ!」
滝川から通信が入った。二番機は市の西部、河添町に陣取って、九二ミリライフルで中型幻獣を狙撃していた。遮蔽物を探すのは滝川の大の得意だった。狙撃しては位置を悟られぬよう身を隠す。軽装甲乗りとしては若干ベクトルの違う方向に進歩を遂げでいたが、それが滝川が見つけた戦い方だった。
「ああ、木造の建物が多いからな。屋敷街はどうだ?」
「燃えている。自衛軍は市役所周辺のビル街に防衛ラインを敷いているようだ」
若宮から報告が入った。来須と若宮は増援の自衛軍に追随し、市街に潜入していた。
「陽平ちゃん、うみかぜゾンビ一撃破!」
東原が声をあげた。滝川も心得ているな。瀬戸口は満足げに微笑んだ。
一体のスキュラよりも三体のうみかぜゾンビの方がこわい。特に対空戦闘に不向きな歩兵、戦車隊にとっては天敵と言うべき存在だった。削るなら空中の敵からと滝川は市街を機銃掃射しているうみかぜゾンビに標準を合わせていた。
「友軍戦車隊、市街に突入。ミノ、ゴルと戦闘に入った。支援する」
若宮の言葉に瀬戸口は「適当に」と念を押した。
古い記憶がよみがえっていた。まだ自分がこの世界をあてもなくさまよっていた存在であった頃のことだ。幕末、百二十年ほど前のことだ。彼は長州藩の武士だった。藩の内戦に巻き込まれ、高杉晋作らとともに戦った。萩は美しい城下町だった。花の香が漂う閑静な武家屋敷が続く町並みは灰燼《かいじん》に帰しているだろう。過去のひとつが永遠に失われた。
「状況はどうだ、滝川?」
瀬戸口が尋ねると、「やばい感じ」と返事が返ってきた。
「防衛ラインが蹂躙されています」
「来須、若宮?」
「友軍の戦車が側面から攻撃を加えているが、守備隊は二線級だな。幻獣とまともに戦った経験がないんだろう。……撤退をはじめた」
ヘリのローター音がひときわ高く響き、機銃の掃射音が聞こえた。瀬戸口はハッチを開け身を乗り出して上空をホバリングしている敵を視認した。
「うみかぜゾンビ十四! ちっくしよう、やりたい放題やってるぜ」
ビル陰に隠れている二番機からライフル弾が放たれた。一機のうみかぜゾンビが炎をあげて落下する。市役所方面の硝煙の中から一条のビームが放たれ、さらに一機が落ちていった。
来須のレーザーライフルだった。
来須と若宮は市役所付近のビルの屋上に身を清めていた。
市の中心部にはゴブリンをはじめ小型幻獣があふれ返り、延抗を挽ける孤立した歩兵陣地に殺到していた。幻歓の海の中に友軍の歩兵は呑み込まれ、白兵戦を挑む間もなく消えていった。
来須は時折、思い出したようにレーザーブイフルで上空のうみかぜゾンビを狙撃していた。
下手に連射して居場所を特定されたら厄介なことになる。可憐と呼ばれる四本腕の重ウォードレスを身にまとった若宮は、本来四丁の十二・七ミリ機銃で武装しているガンナーだったが、今は機銃を二丁に減らして、屋上の下の階で、時折迷い込んでくる小型幻獣を超硬度カトラスで始末していた。
駅のかなたからトラックのエンジン音が聞こえ、次々と遠ざかって行く。どうやら新たに到着した戦車隊に戦闘は任せ、撤退するつもりらしい。襲いかかってきたゴブリンを十匹ほど始末した後、若宮は屋上に顔を出した。
「駅前に布陣すると思ったが、支えきれんと判断したみたいだな」
来須は軽くうなずいた。給水塔の壁にもたれて、上空をうかがっていた。滝川の狙撃から一定の間を置いて、ゾンビを狙い撃ちしていた。
「緒戦で相当な損害を受けたろう。急造の陣地では無理だ」
来須は浜の方角を一瞥した。水際での迎撃は日本自衛軍の強迫観念とさえ言えた。海岸は敵にとって最悪の地形であり、対して味方は万全の準備を整え、陣地で迎撃することができる。
五十年以上前の対米戦から連綿と続く軍のタテマエだった。
火力が対等ならば当然のごとく成り立つ発想だったが、アメリカ軍の圧倒的な航空攻撃と艦砲射撃を受け、旧軍は敗退を重ねた。敵が幻獣に変わってからは、なおさらその強迫観念は強まった。人口密集地の多い本土では、寸土たりとも敵の侵入を許してはならない、と。この国の軍人の悲しいまでに切迫した思いを来須は知っていた。そのため被害が大きくなった。
聞き慣れぬ機関砲の音が聞こえて、一機のうみかぜゾンビが火を噴いた。市の西側から曳光弾が光の尾を引いて発射されていた。
増援の友軍はどうやら戦闘態勢を撃えたようだ。
「そろそろ引き上げるか?」
若宮が提案すると来須は黙ってうなずいた。「ミノ食い」と称されるふたりにとって、小型幻獣の群れを突破することはさほどの負担ではなかった。
「……なあ来須よ」
機銃をアームに装着しながら若宮はためらいがちに口を開いた。
「こんなかたちではじまっちまった戦いだ。俺たちは勝てるんだろうか?」
来須は軽く眉を上げた。ふっ。珍しく笑みを洩らした。
「俺はそのつもりだ。」
こともなげな言葉に、若宮はあっけにとられ、やがてぶっそうに笑った。
「そうだな。俺もそのつもりだ」
「わたくしも出撃します!」
気がつくと銃手席のハッチから壬生屋が身を乗り出していた。目前、ほんの数百メートル先で展開されている地獄を悔しげに見つめている。歩兵として出るつもりだろう。
「まだ、だめだ」瀬戸口は真顔になると壬生屋に向き直った。
「どうして……?」
「敵を発見したら即攻撃、というのが旧軍の教えだが、俺たちは隠しゴマだからな、決定的な瞬間のために戦力の充実と温存を考えないと」
瀬戸口の口調は淡々としたものだった。
「決定的な瞬間、ですか?」
「ああ、守備隊はともかく、じきに友軍が本気で敵をくい止めるだろう。ほら……」
瀬戸口が指す方角を見ると、数条の曳光弾が上空のうみかぜゾンビに吸い込まれていった。
「陸軍がやっと重い腰を上げた。新型の対空戦車だ」
九五式対空戦車は、熊本戦で敵の空中ユニットに散々に悩まされた経験から、既存の歩兵戦闘車のシャーシを流用して急遽開発された兵器である。構造がシンブルであることから量産され、山口にも相当数が配備されている。
一機、また一機とうみかぜゾンビが墜落してゆく。
「敵も編成を考えている。熊本じゃ戦闘ヘリ……きたかぜゾンビの大量投入はなかったろう?スキュラの護衛としてわずかに見られたぐらいだな」
「え、ええ……」壬生屡は不承不承うなずいた。
「たまにはじっくり観戦するのもパイロットにとっちゃ悪くはないぞ。おまえさんの二刀流があちらさんにどれほど通じるか?」
対空武装皆無の白兵戦仕様で暴れるためには、先に空の掃除が必要になる。壬生屋は上空を見上げながら考え込んでしまった。
「来須だ。防衛ライン壊滅。市の過半は制圧された……友軍戦車隊が代わって敵と交戦中」
来須からの通信に、瀬戸口は大きくうなずいた。
「敵増援は?」
「相当数の敵が上陸をはじめているようだ。友軍も新たに一個中隊が展開。戦線は膠着状態になるだろう」
来須は抑揚のない声で戦況を報告した。
「橋頭壁をつくられたってわけか」
「……これから戦線をはさんでの消耗戦になる。空を掃除してから帰投する」
すでに陽は西に大きく傾いていた。
夏の美しい夕暮れ空が戦場の業火に汚されていた。
萩の町は黒煙と炎に包まれ、砲声、銃声だけが鼓膜を圧するように響き渡っていた。その隙間を縫うように時折、蝉の声が旺盛に耳に飛び込んでくる。
瀬戸口らの目の前を増援の戦車随伴歩兵の部隊が通過していった。
彼らはフアミレスの百メートルほど先の道路の両側に展開すると、黙々と陣地を構築しはじめた。ナイフで塹壕を掘るようなまねはしない。ライナープレートと呼ばれる金属製の直径二メートルほどの円柱管を次々と埋め、円柱管で陣地を囲っている。円柱管のひとつひとつが機銃座になり、一〇五ミリ砲の直撃に耐えられるほどの強度を持っている。
さらに、セメント産業のお膝元だけあって、速乾性コンクリートのトーチカが工兵隊の手に
よってみるまに建設されて行く。さすがに自衛軍の陣地構築は入念で贅沢だった。
夜のうちに陣地を構築し、新たな防衛ラインを形成する方針らしい。軍曹に率いられた分隊が、指揮車に近づいてきた。
「ごくろうさまです」
軍曹は陽に焼けた顔をほころばせると、古参風の力みのない敬礼をした。瀬戸口も黙って敬礼を返した。
「あの建物に高射機関砲を設置したいのですが」
軍曹はファミレスの建物を指さした。
「別に断らなくてもいいですよ。こちらは一時的に駐車場に展開しているだけです」
瀬戸口はにこやかに軍曹の言葉を受けた。軍曹が部下に合図をすると、機関砲を抱えた部下は建物内に消えていった。
「厄介なことになりましたな」
軍曹は煙草を取り出すと火をつけた。瀬戸口にも勧めようとして学兵であることに気づき思いとどまった。
「市は制圧されました。じきに友軍が撤退してくるでしょう。……ここいらに防衛ラインをつくるんですか?」
瀬戸口が尋ねると、軍曹は苦笑した。
「現状、寄せ集めの部隊で支えるしかないわけでしてね。そちらさんは……」
軍曹は補給車のまわりに屯《たむろ》する整備員と、トレーラーに搭載された重装甲を物珍しげに見つめた。一般の兵にとっては異様な光景だろう。
「5121独立駆逐戦車小隊です」
隊名を聞かされて、軍曹は、ああという顔になった。
「防衛に参加を?」
「いえ、これから下関に戻ります。じきに本格的な攻勢がはじまりますよ。それまでに司令部のえらいさんが正気を取り戻してくれるといいんですがね」
瀬戸口の皮肉に軍曹は声をあげて笑った。
瀬戸口と自衛軍の軍曹とのやりとりを壬生屋は眺めていた。
瀬戸口さんはどうしたんだろう? もっともらしい説明は受けたけれど、やっていることはただ守備隊の壊滅を傍観していただけだ。壬生屋は首を傾げて瀬戸口の横顔を見つめた。責任ある立場になると人間が変わるんだろうか? 軍曹が去った後、瀬戸口は団扇を取り出してばたばたと扇いだ。
「それにしても暑いな」
「……やっぱり納得がいきません。まだ戦えるはずです!」
壬生屋はきっと瀬戸口をにらみつけた。
しかし瀬戸口は横顔を向けたまま、暮れてゆく空を見上げるばかりだった。
「何か思い違いしてやしないか?」不意に瀬戸口が口を開いた。
「え……?」
「俺たちは確かに熊本では活躍したさ。しかし戦線を支えていたのは俺たちじゃないぞ。おまえさんの脳内では自分ひとりで敵をくい止めたことになっているらしいけど。それは錯覚であり危険な妄想だ。あの撤退支援だって、死んでいった兵たちが一分でも一秒でも頑張ってくれたからやり遂げることができた」
壬生屋は、はっとして瀬戸口を見つめた。厳しい言葉だった。返す吉葉もなく、壬生屋は肩を落とした。出撃すると言い張ったものの、自信がなくなっていた。コックピットに座った瞬間に感じためまいと吐き気。耐えることは自分の取り柄だと思っていたのに、気がつくと逃げ出してぶざまに地面にうずくまっていた。
「けどまあ……」
壬生屋の不安を察したように、瀬戸口はにこっと笑ってみせた。
「じきに俺たちが本当に必要とされる時が来る。最も苛酷で最も危険な戦場で、俺たちは敵に致命的な打撃を与える。それには速水と芝村……複座型が必要だ。俺は半端な戦力で隊を消耗させたくないのさ」
「……少しだけわかりますけど」
言いくるめられているような気がしたが、壬生屋は小さな声で言った。速水と芝村の複座型が参戦すれば、隊の戦力は倍増する。これまでの戦いで身にしみて感じていた。
「まだ時間はあるさ。おまえさんも、自分に問いかけてみるんだ。自分は何をしたいのか? 自分は何をするべきか? 落ち着いて。素直になって。心に問いかけて」
瀬戸口の言葉はやさしく響いた。
「やっぱりその麦わら帽子、不謹慎です……」
壬生屋のささやかな反撃に、瀬戸口はうれしそうに笑った。
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第三章 波紋《はもん》
八月四日 一六〇〇 広島市内
仮設住宅のチャイムが鳴って区役所の職員と名乗る男が声をかけてきた。
なんだってこんな時にと、佐藤まみは不機嫌に玄関に出た。トレンディドラマ「愛のかたち」の最終回、ヒロインが難病から奇跡的に回復するところだった。本当に回復したのか、それとも彼女に思いを寄せる青年医師の願望のイメージシーンなのか、判別しかねていた。ポテトチップスをバリバリと囓りながら、佐藤は職員と向かい合った。
「召集です」
職員は気ぜわしく言うと、一通の封書を佐藤に手渡した。
召集って……。学兵は解散したんじゃなかったのか? 佐藤はぼんやりと封書を手にしたまま立ち尽くした。そんな佐藤を職員は気の毒そうに見つめた。
「わたしの立場から言えることではないのですが、幻獣が山口に上陸したそうです。御国のためによろしくお願いします」
そう言うと職員はそそくさと姿を消した。
隣の家で「え――っ!」とけたたましい声があがった。神崎め、大げさに驚くな。封書を開くと、明日六時に広島駅物資集積所に集合、装備その他を受領されたし、とあった。下段の但し書きには佐藤まみは千翼長として紅陵女子α小隊の再編成を行うべし、と。
出世したのか。これってやばそう、と佐藤は直感的に思った。
「どうしたの、まみ?」
母親の声がキッチンから聞こえてきた。佐藤一家は早くから疎開して、広島の仮設住宅に居を構えていた。
「召集だって……。また安い給料でこき使われることになっちゃった」
佐藤は元紅陵女子α小隊の隊長だった。α小隊は旧ソフトボール部のメンバーから成り立つ戦車隊で、佐藤はモコスと呼ばれる急造の突撃砲に搭乗して、幻獣撃破数五十を超える戦果をあげていた。
撤退戦後、九州で戦った学兵諸隊は解散し、彼女らは普通の高校生に戻った。ただ今の目標はソフトボール部の再建。放課後はフラワーショップ……平たく言えば植木屋さんに見込まれてアルバイトに精を出していた。元々体育会系だったから、隊員たちは満足していた。稼いだ金でソフトボール部の備品を買うことが目的だった。
「あら、大変。どうしましょう?」
あら、じゃないだろう。佐藤は忌々しげにキッチンに向かって叫んだ。
「母さんって緊張感なさ過ぎ! 戦争なの、戦争!」
「それはわかっているけど……。母さん、あんたを信用しているから。ウチの家系で戦争で死んだ人と髪の毛が不自由な人はいないの。だから大丈夫よ、きっと」
あっけらかんと言われて佐藤はがくりと頭を垂れた。こんな家庭で不良化しなかったわたしってえらいんじゃない? なにしろ熊本からヒイヒイ言いながら家にたどりついたら、「あら、生きてた」だもんな。
「姉さん、これこれ」
話を聞いていたらしい中学生の妹が、佐藤にあるものを手渡した。紅陵女子α小隊のマスコット、モグラのモグちゃんの人形だ。あまりに散文的な家族の反応に、佐藤は忌々しげに電話機をとった。
数分間待たされた後、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「ああ、佐藤さんか。どうしたの?」
以前、彼女たちを待機状態……事実上の死守命令から救ってくれた落合大尉の声だった。大尉が広島の情報センターに勤務している縁で何度かデートらしきものをしたが、子供扱いされるのが不満だった。
「わたし、召集されました」
どうだ、これで心配するだろうと佐藤は内心でほくそ笑んだ。案の定、沈黙があった。
「……学兵の再召集法案が明日、可決される。君は前倒しで優先的に召集されたというわけだ。待ってくれ、ええと……」
落合がキーボードをたたく音がした。
「君たちには六一式戦車改が二両支給される。モコスとは使い勝手が違うだろうが、なんとか慣れてくれ」
そうじゃなくて……。落合大尉は二枚目だけど、乙女心がわからんのよねと佐藤はため息をついた。笑い声が聞こえた。
「今のは僕流の冗談さ。君たちの……君の無事を祈っている。まだ時間はあるだろう。七時に鍛冶町交差点で待っているよ」
「え……お忙しいんじゃないんですか?」
佐藤が驚いて尋ねると、「一時間ぐらいは」と落合は言った。
「君のために割けるよ。飯でも食おう。それじゃ切るよ」
電話が切れた後、佐藤はガッツポーズをした。やった! 君のために割けるよ、だって!
ふふふ、これって愛の告白ちゃう? 隣の神崎を羨ましがらせてやろう。佐藤はサンダルをつっかけ外に出ようとしたが、思い直して部屋にミットを取りに戻った。
「それってさ、友達以上恋人未満だよね、まだ」
神崎の投げたボールがミットに吸い込まれた。相変わらず貧弱な音だ。どこがどうライジングポールなのか、バッテリーを組んで以来、佐藤は首を傾げてきた。ピッチャーとしての取り柄は、天然なんで打たれても落ち込まないことくらいだ。
そのセリフ、「愛のかたち」の脇役が使っていたじゃん。事務長に怒られる役のパシリ事務員と新人の看護婦さんのやりとりだ。脇役らしくてセリフも平凡なところがよかった。
「けど、君のためにって言ってくれたんだよ。これでまた野望に一歩近づいた!」
佐藤がポールを返すと、神崎はあきれたようにため息をついた。
「大尉には絶対本命がいるって。佐藤、背伸びし過ぎだよ。少しは妥協したら?」
そう言う神崎は、鈴木というオキアミ男とつき合っている。原隊が全滅し、何をまちがったか伝統ある紅陵女子の戦車隊に配属されてきた男だ。アホの化工でオキアミの研究をしていたとかで、世にもまずい自家製のオキアミパンを自慢げに持ち歩いている。あんなオキアミオタクのどこがよいのか、佐藤は理解に苦しんでいた。
「妥協するとオキアミ野郎になるわけ?」
佐藤が冷やかすと、伸びのあるボールが飛んできた。乾いた音があたりにこだました。
「ナイスボール! けど、あいつのどこがいいの? オタクだし顔だって並だしさ」
「うん……やさしい、ところかな」
佐藤の全身にぞわっと鳥肌が立った。神崎は顔を赤らめている。佐藤は白けて「やめやめ」と言った。
「あ、わたしそろそろ。植木屋さんに電話よろしくー!」
デートだ、デート! 何を着ていこうかな、と佐藤は軽い足取りで走り去った。
同 一六〇〇 広島市内
にしてもここは別世界だな。
橋爪はオートバイを走らせながら広島市内の様子を眺めた。幻獣が攻めてきたというのに市は平穏そのもので、近頃の軍需景気のためか市民の顔にも余裕が感じられる。かつて彼が守っていた熊本と比べでも民間の乗用車の数が多い。橋爪は自衛軍の制服を着て、軍用のオートバイの慣らし運転をしていた。学兵から自衛軍に横滑りして、高校の授業は通信教育で受けていた。軍というものは愚かなようでいながら、細かいデータだけは腐るほど持っている。橋爪の戦歴は何故かデータとして残っていたらしく、今では軍曹の階級章をつけていた。
「あの、スピード出しすぎ……と思うんですけど」
タンデムシートから声がかかった。小柄でやさしげな顔立ちをした少女だった。こちらは女子校の制服を着ている。
九州撤退の折りに出会った飯島衛生兵とは偶然、広島で再会してからなんとなくつき合いだした。基地にまで押し掛けてきてしつこいほどに「先生」の消息を尋ねてきたので、曖昧に応えているうちに食事をして、公園を散歩して……という仲になった。
ささやかでとりとめもないことを楽しそうに話す少女だった。今日、登校の途中でリスを見た、とかトレンディドラマの難病のヒロイン、顔色よすぎです、などと。
甘ったるいケーキみてえな性格だな、と橋爪は飯島と会うたびに思っている。それでもあの極限状況で衛生兵を務めていたほどの娘だ。中身は意外と骨がある。ショートケーキと思ってパクリとやったら歯が折れることまちがいなし……うん、我ながらいい表現じゃねえかと橋爪はにやりと笑った。
「ああ? バイクの慣らしは限界まで追いつめねえとだめなんだ。そんなことも知らねえのか?」
「けど、ドライブするっていうから……わたし、慣らしなんて知りません」
飯島はやんわりと反論してきた。
確かにドライブはまずかったな。ぶっちぎりで激走するからつき合え、ぐらいのこと言っとくべきだったかな? 不意に路上に人が転がった。橋爪は迷わず急ブレーキを踏んだ。Gを逃すため、ターンしてようやく停まった。
飯島はつしっかりと橋爪にしがみついていた。えらいぜ。少しでも腕を離したら、まず十メートルはすっ飛んでいたろう。
「馬鹿野郎! 道ばたでノンビリ寝ころんでるんじゃねえ!」
橋爪はバイクから降りると、路上に転がっている制服姿の学生の襟首を掴んで、二度三度と頬を張った。気絶しているらしく、ぐったりとなった学生をガードレール越しに歩道に投げ込んだ。十人ほどの学生が茫然としてその様子を見守っていた。
制服が異なることから、こいつは昔懐かし……橋爪は鋭い目で少ない側の学生を見た。眉が異様に太い引き締まった体つきの少年と目が会った。少年は鋭い視線で、橋爪の視線を受け止めた。こいつだな……。
「喧嘩上等もいいけどよ、事放るところだったぜ」
橋爪がぶっそうに目を細めて言うと、少年は、へっと笑った。
「ああ、悪かった、悪かった。けど、事故ってねえじゃん」
「……おまえさ、今のはたまたま運がよかっただけだぜ。反省ってやつが足りねえなあ」
橋爪は少年に一歩二歩歩み寄った。少年は両腕をぶらんと下げたまま橋爪を待ち受けている。
鳩尾に一発、と思ったが相手は予期しているようだった。
ふたりのにらみ合いを見て、彼らと喧嘩していた側の学生たちは仲間を抱えて逃げ去った。
残ったのは生意気な餓鬼と、ふたりの少女だけだった。ふたりとも可愛い顔立ちをしていたが、笑みを浮かべてふてぶてしく成り行きを見守っている。
「やめときなよ、ゲン。兵隊さんの言うことが正しいって。気合い込めて謝りなよ」
髪を束ねたモデルのような体型の少女が口を開いた。気合いって……。橋爪は思わず、ふっと笑いを洩らしてしまった。
「隙あり――」
不意にもうひとりの少女が意味もなくばく転したかと思うと、パンチを放ってきた。意味なしぼく転の間に橋爪は余裕でパンチを避けた。
「馬鹿か、おまえ?」
あきれて少女に向き直ると、少女は「エヘン」と胸を張った。
「人のこと馬鹿って言うと自分が馬鹿になるんだよ!」
まるでアニメの声優のような甘い声で少女は勝ち誇ったように言った。
橋爪はあきれて言集を失った。こちらは被害者だ。注意しているのにどうして「隙あり」になって、馬鹿女に胸を張られなきやいけないんだ?
「馬鹿女。こいつに下手に手を出すとぼこられるぜ。喧嘩慣れしてやがる」
ゲンと呼ばれた少年が苦々しげに言った。ゲンとやらも同じく、今の不条理な展開にあきれているようだ。
「あんたも危ないね。この人、プロだよ。まともな方の少女が冷やかすように言った。そして憮然となったゲンに代わって橋爪に向き直ると、「ごめんね」と頭を下げた。
「近頃忙しくて。ふたりとも脳みそ筋肉が治らないの」
「そ、そうか……」早いところ引き上げようと思った。橋爪がふと飯島を見ると、不安げに、しかしどこか不機嫌にこちらを見ている。不機嫌なショートケーキってのも嫌だ。橋爪は飯島に向かって手をあげた。
「スケジュールが詰まってるんだよ。今日はあと二件、かつあげピープルを成敗しないといけないの。天が呼ぶ、地が呼ぶ、嵐が呼ぶ! わたしたちって、実は正義の味方なんだよね!」
「ごめん、火焔。実はもう一件増えた」
まともな方の少女が手帳を取り出すと、ため息をついた。
「面倒くせえな。まとめてやっちまうか? 一人一殺ってやつよ。アタマを病院送りにすればしばらくヒマになるぜ」
橋爪はなんだかなーという顔で三人に背を向けた。
その時、エンジン音が響いて、橋爪と同じ制服を着た兵がバイクを停めた。
「橋爪軍曹。出動です!」
橋爪は表情を引き締めると、「おうよ」と返事をした。
「そろそろと思っていた。悪イな飯島。ドライブは終わりだ」
「また戦争ですか?」
飯島の表情も燐と引き締まった。ふたりはともに九州撤退戦の修羅場をくぐり抜けてきた。
もっとも飯島は早い段階で本土に生還することができたが。
バイクにまたがった橋爪に、飯島は追いすがるように尋ねてきた。
「あの、最後に本当のこと教えてください。鈴原先生はどうなさったんですか?」
橋爪は顔をしかめ、複雑な感情を押し隠した。まだ記憶が生々しかった。鈴原という医師が好きだった。が、その想いは遂げられることはなかった。
「無事だと思うぜ……先生はあちら側の人だったんだ。今まで隠していて悪かったな」
「そんな……」飯島は絶句した。
飯島にとって鈴原医師は憧れと尊敬の対象だ。鈴原の下で生き生きと働いていた飯島の姿を橋爪は覚えている。
「けどな、これだけは言っておく。あのオバサンはたくさんの兵隊を助けたろ? あちら側にも平和を望んでいる連中はいるんだ」
飯島は橋爪の確信に満ちた言葉を聞いて、「ええ」とうなずいた。
「俺は今でも先生を尊敬っつうか大したもんだと思っている。おまえも同じ気持ちのはずだ……なんて照れくさくて言えなかった。じゃあな」
橋爪は軽く手を挙げると、スターターをキックした。エンジン音が小気味よく響いた。
「ご無事で。それから……ありがとう。薫さん」
嫌いなファーストネームを呼ばれて、橋爪は一瞬硬直した。ショートケーキめ、言いやがる。
「おまえもな、ショートケーキ。帰ったらまたドライブしようぜ」
背を向けたままそう言い残すと、橋爪は走り去った。
「うーん、戦争かよ、戦争! ちっくしよう、俺もひと暴れしてえ!」
ゲンと呼ばれた少年が吠えると、まともな少女が蹴りを放った。鳩尾を押さえてうずくまるゲンに、少女は不機嫌に言った。
「あの子の気持ちも考えてあげなよ。……雷電も成長しているし、じきに出番は来るよ。わたしは戦争なんてごめんだけどね」
同 一六三〇 東京兵器工廠
工廠の敷地内に大型のトレーラーが停車した。
迫力のあるエンジン音に、何事かと研究員たちが姿を現した。
「ふうん。さすがは段取り君。ずいぶんと早かったじゃない?」
原は手を腰にあて、冷やかすような笑みでトレーラーを見上げた。後部座席のウィンドウが開き、狩谷が顔を出した。
「パイロットがまだです。館山に元パイロットがいたんで連絡を入れたんですが、外出中とのことで。しばらくはここで無駄に時間を過ごすことになりますね」
狩谷の顔に苛立ちが表れている。原は、ほほほと高笑いを響かせた。
「あんたたちの交渉だとぐずぐず言うと思ったから、わたしが現逮確保してきたわ」
原はどことなくぼんやりとした表情の男を振り返った。
「石塚中尉よ。どう、機体は動きそう?」
原が声をかけると、石塚はあきれたように首を横に振った。
「動くから僕を呼んだんでしょう? 仕様書を読んだんですが、士魂号に比べるとあらゆる点で洗練されていますね。それにしても何故、複座型なんですか?」
「基本デザインが一番難しいから。複座型をクリアすれば、あとはスムーズに行くでしょ」
「なるほど!」
石塚は日を見開き、感に堪えたように納得した。
加藤の調べではエースとのことだが、相当に人型戦車に入れ込んでいるな。狩谷は対象とは距離を置くタイプであったから、石塚の反応を冷ややかに眺めた。
「それでは、と。中村、岩田、あとはよろしく」
狩谷の声と同時に前席のドアが勢いよく開かれ、中村と岩田が降り立った。ふたりは原に軽く会釈をするとハンガーに走り去った。
ノオオオオ。案の定、岩田の絶叫が聞こえた。
「なあんてきれいな機体なんでしょう! ふふふ、脚まわりの強度が「二倍、と。人工筋肉もしなやかすべすべ。しかし培養が大変そうですね。量産できるんですかあ?」
「つべこべ言わんと、とっとと点検開始!」
中村の怒鳴り声が響いた。狩谷をはじめ全員がハンガー内に足を踏み入れると、ふたりは水を得た魚のように仕様書を走り読みしながら、機体の各部を点検していった。
開発陣が輪をつくってそんな様子を見守っていた。
「ええと……それじゃ乗り込んでいいですか?」
ウォードレスに着替えた石原がオットリと尋ねた。
「オッケーよ。ねえ、これに乗ったまま山口に行くなんて言わないでね」
「……ははは。どうも人型戦車に乗ると性格が変わるみたいで。けどまあ、あちらには優秀なパイロットがいるんでしょう? 複座型のふたり」
そう言うと石家はコックピットに身をすべらせた。
「……システムオールグリーン。視界正常。いつでもいけますよ」
しばらくして石塚の声が拡声器から響いてきた。原は自ら拡声器をとって、「トレーラーに」と短く言った。巨人がゆっくりと動き出した。見守っていた技術者、研究員から歓声が上がった。原は彼らを一瞥すると皮肉に笑った。
「どんな感じ?」
「うーん、まだなんとも。複座の重量感が伝わってきますが、スペックでは時速八十は出るんですよね?」
地響きをあげて出口に向かいながら、石塚は尋ねた。
「この子は簡単にぶっちぎるわよ」
「……あー、少し試しても……すみません」
石塚が謝ると、原は高笑いをあげた。
「トレーラー、ジャッキアップ。拘束具解放。石塚中尉、よろしくお願いします」
狩谷の冷静な声が響いた。新型機は寸分の狂いもなくトレーラーに収まった。ほっというため息がどこからか洩れた。
「原さんはこれからどないしますのん?」
それまで黙っていた加藤が口を開いた。石塚はすでにコックピットから降りていた。
「さあ、どうしようかしら、なんちやって。わたしはこれから善行さんを引っぽり出す。たぶん彼はこの戦いに必要なはずよ」
原はにこやかに、しかしきっぱりと育った。
「彼ら、生き生きとしてましたね」
貨物駅に向かうトレーラーを見送りながら、石塚はつぶやくように言った。原は「ええ」と複雑な表情で応えた。
「……人型戦車は人の運命を変えるわね。作る側も、それに乗って戦う側も。本当はね、この世に存在してはいけない兵器なの」
原がささやくように言うと、石塚は西日でまばゆく光る夏空を見上げた。
「幻獣を狩る死神。そしてパイロットも共鳴し、同化してゆく。あるいはその逆かもしれないわね。複座型に乗るふたりの居場所はね、戦場しかないのよ。戦場こそが我らが故郷、なんてね。姫さまが言っていたわ」
「……僕はそこまでは」石塚は真顔になった。
「ええ、あなたはある意味、幸運だったのかもね。ただね、自分をだましだまし生きていることが幸せかしらね……ごめん」
原は憂鬱な表情で謝った。石塚は「いえ」と首を振った。
「わたしも行くつもり。あの子を送り出した責任があるからね。たとえこの戦争がどうなってもわたしは最後まであの子と一緒にいるわ」
原は思い詰めたようなまなざしで、遠ざかってゆくトレーラーを見つめていた。
「原さん……?」石塚が呼びかけると、原は我に返ったように照れ笑いを浮かべた。
「わたしとしたことが、どうもあの子の毒気にあてられたみたい。鋼鉄のかたまりを相手にしている分には問題ないんだけど。……人型戦草はね」
「……しかしその人型戦車が僕の命を守ってくれたんです」
「そうね。あなたは何も知らなかった、で済むから。少しだけ羨ましい、かな?」
同 一七〇〇 岩田基地
「西部方面軍司令部は茫然自失。まともに機能しているとは思えん」
荒波の言葉に、舞は耳を疑った。茫然自失とは激しい表現だ。厚志とともに荒波の執務室に呼び出されて、開口一番、荒波はこう切り出した。
「しかし、敵が上陸した場合の作戦案は用意されていることと思うが?」
舞の指摘に荒波はにやりと笑った。
「いわゆる自然休戦期開けの作戦案はな。半年以上の時間が与えられ、下関、山口、岩屋、広島の各拠点は要塞化され、自衛軍の一騎当千のつわものが待ち受けている――などというおとぎ話だ。元々自然休戦期なるものは、人類側が勝手にそれが法則と思い込んでいたシロモノさ」
こう言われて舞は唇を噛んだ。その通りだ……!
幻獣のことなど何もわかっていないのに、人類は客観的な現実と願望を混同して対処してきた。自衛軍の参謀たちは敵の攻勢開始時期に関して勝手な期待を描いていたわけだ。
多くの人は自分が見たい現実だけを見る。結果、固定観念にとらわれ、それが裏切られると、そんなはずは、とか、こんなことはありえない、という混乱に陥る。ある意味、優れた軍人とはそんな「人らしさ」を捨て去った生き物なのだろう。
「うんうん、さすがは芝村のプリンセス。ことの深刻さを理解したようだな。理解したら、その後に行動だ。さて、不幸なことに岩国基地の司令官は急病で倒れたということになった。よって俺が岩国防衛の指揮を執ることになった。にしても……今の司令官は芝村らしい合理的な御仁だな。おまえがやれとあっさり席を譲ってくれたよ」
荒波の行動、とは岩国防衛の全権を掌握することにあったのかと舞はあらためて気づいた。
だめだ! わたしはだめになった、と舞は思った。退屈な任務に腐って、一般の軍人とコミュニケーションをとる努力を怠った。彼らの見ている「現実」を真剣に分析していれば、荒波と同じように現在の状況下でも平然としていられたろう。
「ええと……要するに5121小隊に戻れ、ということですよね?」
厚志が分析を省いて、思いっきり端的に言った。ふと厚志の横顔を見上げると、目が精悍に輝いていた。荒波は満足げにうなずいた。
「明日、俺は統幕から岩国最終防衛ライン司令官なるセンスレスな呼称を正式に拝命するって寸法さ。さすがに芝村閥らしい荒技だったがな」
「ふむ」舞は口許をきゅっと吊り上げた。
「勝手にやれ、ということだな」
「ま、俺からはなんとも言えん。夜のうちに移動しておけ。ご丁寧にも5121小隊から下関に戻っているとの報告があったよ」
瀬戸口にしては辛辣だな、と舞は口許をほころばせた。萩方面の戦線からさっさと離脱してきたことも辛辣なら、直接連絡をせずに荒波に報せてきたのも辛辣だ。
生意気にもわたしを試している。
わたしと厚志がどのような行動をとるか? 善行の人の悪さに似ているが、やつには面白がっているふしがある。戻ったら一発殴ってやるか……と考えているといつのまにか入室していた藤代に声をかけられた。
「あの……乗車を用意していますけど。それとこれ。衛星携帯です」
舞はキーと携帯を受け取ると、厚志に向き直った。舞の視線を待っていたように、厚志はにこりと笑った。
「下関の名物はふぐ……だったっけ?」
「たわけ」
折から執務室の電話がけたたましい音をたて、ふたりは荒波に敬礼をすると退出した。
「なんだと!」と、荒波の驚愕の声が聞こえたが、ふたりは構わず、藤代の後を迫った。
庁舎を出ると一台の軍用オートバイが用意されていた。舞と厚志は思わず顔を見合わせた。
「較滞が予想されるので、単車にしたんですけど。……何か?」
藤代が不安げに尋ねてきた。
「う、うむ。さすがに荒波の守り役である。正しい選択をしたと言える」
舞はきっと厚志をにらみつけた。
「そなた、単車の操縦……運転はできるか?」
「あ、そう言えば僕、免許持ってなかったよ。考えてみればさ、士魂号以外、操縦したことがなかった……」
なーにが考えてみれば、だ。もういい! わたしが動かしてみせる。人型戦車に比べれば単車などなにほどのこともなかろう。
眉間にしわを寄せる舞を見て、藤代は別のキーを渡した。
「む、なんだ?」
「スピードは落ちますけど、二五〇CCの方が安全です。それとも鉄道で……」
藤代の言葉に、舞の頬がひくひくと痙攣した。それでも転倒すれば骨折の危険がありそうな大排気量のオートバイから中型のものに視線を移した。
「これにしよう。あー、藤代。動くかどうか試してみる。そなたの率直な感想を……」
藤代はますます不安げな顔になった。
単車にまたがるとキーをひねり、舞は悠然と計器顆を見渡した。傍目には硬直しているようにしか見えなかったから、藤代は遠慮がちに声をかけた。
「スターターをキックするとエンジンが始動します。左のクラッチレバーでギヤをチェンジしながら、右スロットルで速度調節を」
「ふむ。わかっている」
そう言いながら、舞の目は必死でスタークーなるものを探しはじめた。
見かねた藤代が、「すみません」と言いながら申し訳なさそうに舞と代わると、エンジンを始動しスロットルを絞った。「走りはじめたらギヤをローからチェンジして……ギヤは人型戦事にもありますよね」と言いながら敷地内をゆっくりと走りはじめた。
「厚志、日に焼き付けておけ」
舞は言い捨てると、藤代の後を追うようにして走った。厚志も続いて、藤代のスロットル操作をじっくりと見定めた。
「こう、こうと……。なんとなくわかってきたよ、舞!」
「わたしもだ!」舞は対抗するように言い放った。
壊しそうだな。舞の不機嫌な表情をうかがって、厚志は微笑んだ。舞の本当の不機嫌と、嬉しい時の不機嫌が厚志にはわかる。
オートバイのことなど何ほどのこともない。どんな手段を使っても舞が目的地に到達することは厚志はわかっていた。高揚、という言葉を厚志は知らなかったが、5121小隊に戻れると開いて、厚志も高ぶりを覚えていた。
死んだような夏の平穏な日常から、小隊へ、戦場へ。そこは硝煙のにおいに満ち、一瞬の油断で生死が分かれる、厳しく荒涼とした世界だ。それでも戦場の風が懐かしかった。
こんなことは一度も舞に言ったことはなかった。
何故なら舞の理想は平和の実現にあるからだ。
戦うために戦うのではない。平和をもたらすために戦うのだなんて言われて、不機嫌な顔をされるのがオチだろう。まあ、不機嫌な顔も可愛いんだけど。待てよ、そう考えると、笑った顔も不機嫌な顔も、なんだっていいやということになる。
そうなんだけど――。厚志は急に嬉しくなって、
「オッケーだよ、舞。運転は完璧にマスターしたよ!」
らしからぬ自信たっぷりな言葉を口にした。
実際、厚志の日は藤代の腕、足、体のバランス、あらゆる動きを同時にとらえていた。どうしてそんなことができるのかは説明できないが、まあ、僕はそういう生き物なんだろう、と厚志はあっさりと割り切っていた。
……三十分後、ふたりは夜の自動車道を走っていた。僕は操縦手だから、と厚志はこの時だけは強情に言い張って、舞は不満顔で小銃を背負って後部座席にまたがった。
ゴーグルを借りてきてよかったな、とヘッドライトめがけて群がる羽虫の群を見ながら厚意は思った。慣れてみるとなかなか快適な乗り物だ。途中、多くの軍用車両を見た。どこかで事故が発生したらしく、渋滞し、車両の歩みは牛のようにのろかったが、厚志は車両の間をすり抜けて、教習所の教官を嘆かせるような巧みさで単車を走らせた。
「楽しいね、オートバイ! けど、全身が露出されているのがなんかむず痔いよね」
厚志はエンジン音に負けずに叫んでいた。
「ふむ。人型戦車は密閉されているからな。今、どれぐらいだ?」
「時速六十。これ以上出せるけど、露出しているとスピード感覚が違うよね」
厚志が答えると、舞は「ふむ」と納得したように言った。
「ねえ、本音を言っていいかな?」
これは楽しいや。厚志は単車の運転を楽しみながら思わず口走っていた。
「……実はさ、なんだかわくわくしているんだ。また士魂号に乗って戦えると思うと。基地でぼんやりしているより僕は戦場のが好きだ!」
沈軌があった。厚志は、しまったと後悔した。これはふたりの間での禁忌だった。
「あー、その平和のためになら……」
厚志が急いで付け足すと、背中に笑い声が響いた。舞が声をあげて笑っている? 声をあげて笑う舞を一度だけ知っているが、ずいぶん昔のことのような気がする。
「たわけ、たわけめ!……わたしもだ」
舞は笑いの発作を堪えながら、切れ切れに言葉を発した。
「もうよい。認めよう。我らは死をもたらす者。災禍を狩る災禍。絢爛豪華に舞踏し、笑って敵に死をもたらす者。わたしも戦場のにおいが懐かしくてたまらぬ!」
「あはは」
厚志も吹っ切れたように笑った。そう、僕だって必要とされているんだ! 元々僕は速水厚志という存在ですらなかった。本当の名などとうに忘れた。ラボでの生体実験から脱走し、自分を守る術だけを考えてきた。自分を守る術、とは殺しだ……。
「内に沈み込むな。そなたはわたしのカダヤであり、ともに災禍を狩る者だ」
「舞がそう言ってくれるなら。僕は全世界の敵を殺せるよ。すべての敵を殺せば、結果的に平和になるんだしさ」
舞は「ふん」と思いっきり鼻を鳴らした。そして冷静な声で厚志の耳元にささやいた。
「小隊に戻ったら軽々しくは本音とやらを言うな。そなたの本音もわたしも本音も、人がましくあろうとする者にとっては強すぎる」
舞の押し殺した声に、厚志は真顔に戻って「わかった」と言った。
「岩国の第二師団と二十四旅団を萩方面にまわせ、だと? 方面軍は狂っているとしか思えん」
荒波は西部方面軍の西本司令官の顔を思い浮かべた。軍政畑出身だ。九州戦では広島、山口を一大補給基地として円滑な物資輸送を可能にした。癖がなく、有能な官僚といったタイプだったが、有事の指導者には向いていないだろう。
九州を喪失した時点で進退伺いを出すべきだと荒波は考えていたが、階級社会の軍において出世は軍人の本能のようなものだった。ずるずると司令官の座に居座っていた。
中将が中国地方の全軍を指揮する立場となって、茫然自失しているのはわかる。しかし、よりによって岩国防衛の中核となる軍を転進させよ、とは――。
「悪い予感がしますですねえ」
視線を向けるとドアが開き岩田参謀がたたずんでいた。軍人の癖に耳にピアスをしている。
芝村一族に連なる家系の出で、従兄弟が5121小隊で整備兵をしているという。
「西本中将の考えではないでしょう。方面軍の作戦参謀の頭に虫がわいたか? さもなくばこれは何かのミステイクですゥ! そういうことにしておきましょう! そうしましょう!」
そう言うと岩田少佐は奇怪な決めポーズをとった。ヨガかと思ったが、彼に言わせるとリューンを意識し心身の清浄化をはかる、とのことで、この種の電波は荒波は苦手だ。
荒波は顔をしかめたが、彼の能力は保証済みだ。
芝村閥の根拠地のひとつである岩国基地で参謀を務めるだけあった。基地の司令官を病気に仕立て上げたのは岩田少佐の提案によるところが大きい。そして荒波の構想である市街の要塞化にあっさりと賛成してくれ、実務を取り仕切った。問題は周囲が彼の奇矯《ききょう》な言動についていけるかだ。
「わかったわかった。ザッツ・ミステイク、だな。聞かなかったことにしよう」
荒波も賛成した。萩での戦いはどう考えても戦略的な意味はない。ただ釣り餌が垂らされたため、近頃とんと餌に縁のなかった魚がそれに飛びついただけだ。
「イエース。それじゃそういうことで」
岩田少佐はもう一度決めポーズを見せると、消えるように部屋を去った。
同 一七〇〇 広島市内
西部方面軍の司令部では異変が起こっていた。
広島に駐屯する第三戦車師団作戦参謀・酒見少佐が不審に思ったのは方面司令部の反応だった。何度連絡をとっても「所定の作戦要項に従え、とのことです」と録音されたような女性の声が聞こえてくるばかりだった。所定の作戦はすでに無意味になっている。
確か司令官の秘書の中尉の声だったな、と思いながらも何ら行動を起こす気配のない方面軍司令部に、酒見は何度も連絡をとった。業を煮やして自ら司令部を尋ねたところ、門は閉ざされ、衛兵は「上からの命令です」の一点張りですべての訪問者をジャットアウトしていた。
念のために師団長から預かった「会津パス」を出すと、衛兵は首を傾げて「申し訳ありません」とそれすらも拒絶した。パスは内閣総理大臣から承認を受けた超法規的なものだった。とはいえ、衛兵ならその存在を知っているはずだ。
酒見は即刻、憲兵隊に連絡をとり、門前には武装した憲兵が駆けつけた。装甲車で強引に鉄扉を破ろうとする憲兵隊に銃撃が加えられた。
「少佐殿、下がってくださいっ!」
憲兵の声が聞こえ、武装解除された衛兵が数人の兵を巻き込んで自爆した。爆風で酒見は地面にたたきつけられた。
クーデターか? しかしなんのために……
混乱した顔を抱えて司令部に戻った酒見に、訪間客があった。訪問客は善行大佐と名乗り、美貌の整備将校を伴っていた。善行のことは知っていた。その論文にも日を通していた。
酒見からことのしだいを聞くと、善行は眼鏡を直して、
「方面軍司令部はすでに存在しませんね。言い換えれば壊滅しています」
冷静な口調で言った。
「その通り。近頃は幻獣共生派の漫透も巧みになってきましてねえ」
酒見がはっとして声の方角を見ると、灰色の髪の少年がたたずんでいた。いつのまに? 言葉を発しようとすると、善行が「一刻を争います。説明を」と遮った。
「幻獣共生派の実体は憲兵隊でも把握するのに苦労していましてね。主に生体兵器としてラボで改造され幻獣側に寝返った第五世代が中心と考えられてきたのですが、近頃ではごくごく希に幻獣側にも知性を持った寄生体型が現れるようです。幻獣の数からすれば、砂浜で落とした指輪を探すような希少種なのですが、これが厄介なことはわかりますね?」
なんのことやらわからず酒見が首を傾げると、少年は続けた。
「人間を殺してその体を乗っ取るというわけですよ。連中の識別法を、今、憲兵隊の鑑識課が必死に研究しているところでしてね」
「まさかそんなことが……」
「西本中将は死んでいるでしょう」
こともなげに言う少年を酒見は茫然として見つめた。
「時間が惜しいのです」
善行の冷静な声が響いた。
「第三戦車師団は方面軍司令部を制圧する必要があると考えます。今は一時間、いや三十分でも惜しい。責任はわたしがとります」
――言う言うと善行はホルスターから拳銃を取り出し、酒見の前に置いた。
「しかし……師団長をどう説得すれば?」
「何が起こったか、あなたも目の当たりにしたでしょう。憲兵隊本部からも連絡をとらせましょう。早急に方面軍司令部を制圧しなければ」
酒見は控え室に詰めていた幕僚をうながし、善行とともに師団長の執務室に向かった。
「ああ、これを……」
拳銃を返され、善行は澄ました顔でそれを受け取った。
「前途多難ねえ」
同行していた整備将校が善行に笑いかけた。
「まったく……同時に何冊もの小説を読んでいるような気分ですよ。めまいがします」
「方面軍司令部を制圧してからどうするの? 幻獣共生派ストーリーを全軍に発表しても混乱するだけだと思うけどね」
とんだ寄り道だというように原素子は言った。
「この女性は……?」参謀に尋ねられ、善行は同時並行処理の負荷過重にクラッシュしそうになっているコンピュータとはこんなものだろう、と瞬間思った。
「わたしの連れで、5121小隊の整備主任です。詳しくは後ほど」
「彼は……いなくなっている。何者です?」
「わたしにもわかりません。たぶん、その筋の人間かと。……実戦部隊の参謀殿には馴染みの薄い世界かもしれませんが、裏の戦争というものもあります」
善行は如何にも軍人らしい風貌の参謀を見つめて言った。
「嚢の戦争?」
「たとえばあなたが敵の立場だったら工作員を派遣してこの地の軍需工場を破壊しようと考えませんか? 最小限のリスクで最大の結果が得られる。にも拘わらず破壊工作は起こっていませんね。憲兵、警察……軍情報部、その他の有象無象、裏の戦争に携わっている者たちが未然に防いでいるのですよ」
「一分三十秒無駄にしたわ」
原が腕時計を見て酒見に、にっこりと微笑んだ。酒見は忌々しげに、「申し訳ない」と謝った。血相を変えた将官たちが廊下を足早に進むのを見て、誰もが道を譲った。
「……制庄後をどうするか?」
善行がふとつぶやくと、酒見も憂鬱に表情を曇らせた。
まったく、とんだ寄り道だと善行は思った。本当はそのまま岩国へ直行し、荒汲と打ち合わせを済ませてから5121小隊以下の指揮を執りたかった。
現地から一個大隊ほどを引き抜き、5121小隊を核とした戦闘団をつくる。そのために「首相のお墨付き」をもらって、方面軍司令部へ乗り込もうとしたのだが、広島駅に降り立ったとたん、例の少年に話しかけられた。
憲兵隊と方面軍司令部との間で戦闘が起こった、と。この件はまだ首相も知らないでしょうと言われて、少年に案内されるままに第二戦車師団の司令部に直行した。少年はある種のパスを善行に見せたが、それ以前に善行は少年を信じる気になった。話術の巧みさ、物腰、雰囲気からプロと判断した。考えてみれば、と善行は苦笑した。この国の裏の世界の住人たちは優秀だ。国民に息苦しさを感じさせずに、裏の戦争を戦っている。
その種の優秀な人々とはなるべく関わりたくないんだが、と考えていると袖を引っ張られた。
「芝村少将に丸投げすればいいでしょ」
原はにこやかに善行の顔をのぞきこんだ。そうだな。善行は思わず苦笑してしまった。
「今度ばかりは彼も苦労するでしょう」
たまには閣下に四苦八苦してもらうか、と考えるとほんの少し気が楽になった。
「何事だ? 血相を変えて」
師団長は執務室を埋めた人数の多さに目をしばたたいた。
「わたしの目の前で憲兵隊と方面軍司令部の間で戦闘が起こりました。……方面軍司令部は幻獣共生派に乗っ取られました。すみやかに部隊を出動させ、司令部を制圧すべきと考えます」
酒見参謀は表情を殺して淡々と語った。
話を聞くうちに師団長の顔色が変わった。
「至急、西本中将に連絡を」
師団長の秘書が電話をつなぐと、師団長は回線をオープンにした。
『西本です』
「ああ、やっと通じましたな」
師団長は安堵の表情を取り戻した。善行と酒見は顔を見合わせた。
「憲兵隊とそちらの間で戦闘行為があったようですが。事情をご説明願いたいのです」
『それなら問題は解決しています。司令部の中に幻獣共生派が浸透していた。現在、事態は収拾されました。……作戦案がようやくまとまったところです』
「少々、お待ちを……」
師団長は電話を保留にすると、参謀たちに向き直った。
「どうやらそういうことらしいな」
「しかし……」酒見は言葉に詰まった。
敵も一筋縄ではいかないな。善行は冷静な声で司令官に言った。
「統幕から来た善行です。続きをお聞かせ願えますか?」
「……君が善行大佐か。評判はかねがね」師団長は善行のことを知っているらしかった。再び回線をオープンにして先を促すと、西本の声が室内に流れた。
『萩の敵棒頭重を全力をあげて潰します。短期決戦ですな。このまま本土にへばりつかれて、消耗戦模様になるのは避けたい。このままでは山口の日本海側は幻獣の策源地になりますから』
「ふむ?」師団長は気難しげな顔になった。
『第三戦車師団はすみやかに萩方面に展開してください。お呼びだてしてすまんが、ことは急を要します。一時間後にこちらに来ていただけませんか?』師団長も酒見も、困惑の表情を浮かべていた。善行は師団長に向かってうなずいた。
「……あー、至急、幕僚を連れて向かいます」
電話を切った後、師団長はこわばった顔で善行を見た。
「妙だな」
「策源地とするにも価値が薄い。虎の子の第三が戦略的な価値のない局地的な戦闘に引きずり込まれることになります。西部方面軍の主力がすべてこの方面に展開するとなると……」
失礼、と断って善行はマジックを取り出し、作戦地図に大きな赤い矢印を描いた。下級の参謀が息を呑む気配がした。
「岩図の防衛ラインへの後ろ盾が消滅すると同時に、貴軍はまるごと包囲されることになります。壊滅しますよ」
「しかし、これは敵の限定的作戦とも考えられ……」
「考えられません!」
善行は珍しく語気を強くして遮った。そして「腹を決めろ」というように酒見を見た。
酒見は姿勢を正すと、師団長に向き直った。
「即刻、憲兵隊本部に連絡を。憲兵隊と共同して、方面軍司令部を制庄すべきと考えます。ご決断を、閣下」
同 二二〇〇 館山海軍士官学校
消灯後、茜はベッドから身を起こした。同室の学生は健やかに寝息をたてている。
善行から強制的に送還されたことが悔しかった。参謀教育をしてくれるというのなら、実戦経験こそ最良の教育じゃないか、と思っていた。
用具室から訓練に使うロープを手に入れ、ザックに食料他、必要なものを放り込んで消灯時間を待った。寮の生活は茜にとっては苦痛だった。それでも学校側は、茜の性格を考慮した上で、ルームメイトには新入生総代を務めた優等生を選んでくれた。
静かに窓を開けると月明かりが射し込んできた。三……四メートルはあるな。茜はベッドの足にロープを結びつけた。
「行くのか?」
不意にルームメイトの声が聞こえ、茜はビクリと身を震わせた。
「……必要なことなんだ」
やっとの思いでそれだけ言うと、ルームメイトは目を閉じたまま「うん」とうなずいた。
「と、止めないのか?」
ルームメイトは茜より年上で大人だった。何かと摩擦を起こしがちな茜を盾となってかばってくれた。
「将来の参謀長殿を止めることはできないさ。死ぬなよ」
「ふ。戻ったら土産話を楽しみにしていてくれ」
そう言うと茜はロープを窓から垂らし、一瞬、下界を見下ろし、立ち尽くした。
「しょうがないな……」
ルームメイトはベッドから起きあがると、ロッカーから皮手袋を取り
出し、茜に手渡した。
「これをはめて。バイク用のやつだ。これなら摩擦で火傷はしないだろう」
「……ありがとう」
茜は珍しく素直に礼を言うと、ロープを掴み窓から身を躍らせた。ずしん、という鈍い音を聞きながらルームメイトはかぶりを振ってベッドへと戻った。
地球の重力を呪いながら茜は尻をさすって身を起こした。衛兵の巡同時間は調べてある。あとは……しまった! これから肝心の塀を乗り越えなければならないじゃないか! 僕としたことが。茜は青ざめた。
「へっへっへ」
馬鹿にするような笑い声が聞こえた。くそ、なんでこいつが! 茜が声のした方角をにらむと、薮陰から田代が姿を現した。田代は5121小隊の制服を着込んで何やら重たげなザックを背負っている。
「なんで君がここにいるんだ?」
「ばっかやろ。おめーの性格はわかっているつもりだ。もしおめーが能天気に寝ていたら、ぶん殴って拉致するつもりだった」
「くそ、なーにがわかっているつもりだ! 天才の心は天才にしかわからないんだぞ」
「だって、俺たち他人じゃねーもん」
田代が冷やかすように言うと、茜は冷や汗を流して後ずさった。だからあれは……しきりに逃げ道を探そうとする茜に、田代は「ダーリン」と呼びかけた。
「くそ! 何がダーリンだ」
そう言いながらも、茜は田代が来てくれたことにほっとしていた。塀は下手をすると五メートルはある。田代はどうやって忍び込んできたのだろう?
「へへっ、俺は塀ってやつを見ると越えたくなるんだ。さ、行こうぜ。ああ、おめートロイからレーザー感知に引っかからないようにな」
「わ、わかっている……」
茜はネアンデルタール女め、と心の中で罵った。
同 二二00 5121小隊駐屯所
「どうやらすっかりハマったみたいだな。しきりに増援を求めている」
瀬戸口が無線機に耳を澄ましながら言った。小隊は下関の根拠地に戻っていた。隊員のほとんどが通信室に詰めていた。
「山口から一個旅団が増派されて、激職中とのことだ」
「残らなくてよかったのか?」若宮が口を開いた。
「前線の部隊はいつだって増援を要求するものさ。実際、勝っているか負けているかは今どきの戦争でもそうそう判断できないからな」
瀬戸口の言葉に若宮は納得したようにうなずいた。
「そういえば壬生屋は?」瀬戸口が尋ねると、森はとがめるような視線でにらんできた。
「ハンガーにいます。勘を取り戻すんだって、重装甲に」
「あいつらしいな。新井木、済まないが様子を見てきてくれ」
「へ……? 瀬戸口さん、自分で行かないの?」
新井木が意外というように目をぱちくりさせた。瀬戸口は肩をすくめた。
「俺は壬生屋に言うべきことは言った。長い間、現場から離れていてあいつは自信を失って気弱になっている。壬生屋を戦力として期待しないでいいなら俺はすっ飛んで行くさ。やさしい言葉でなぐさめてやればいいだけだからな。けど、そうじゃないだろ?」
こう言われて新井木は首を傾げて考え込んだ。
「うーん、僕だったらなぐさめて欲しいけどなあ」
「自分で乗り越えるしかないってことだ。あいつの商売は命を賭けた切った張っただからな。ハンパななぐさめはいかん。あー、その種の関係は一時お預けってわけだ」
若宮が心得たように説明した。それでも新井木は納得が行かない顔をしている。
「わたし……行く」
それまで部屋の隅でひっそりとたたずんでいた石津が唐突に口を開くと、廊下をばたばたと駆け去った。瀬戸口は微笑んで、その足音に耳を澄ませた。
「石津は変わったな」
お前か、とばかりに瀬戸口に視線を向けられて、来須は無表情に見つめ返した。
「この三ヵ月、衛生兵の講習に通っていた。フィールドワークは俺が教えた」
来須と石津は時間をつくっては、市郊外・四天司山辺の山野を駆けめぐっていた。衛生兵には戦闘員以上に体力と気力が求められる。負傷兵は常に前線にいる。下手をすると自分より体重の重い負傷者を背負って後方まで延々歩かなければならない。筋トレの苛酷さに石津が泣きながらバーベルを持ち上げている光景を瀬戸口は目撃していた。
だめ! コックピットに入るたびに吐き気がこみあげてくる。逃げ出しては戻るの躁り返しだった。こんな惨めでみっともない自分に壬生屋は腹が立ってならなかった。
どうして? わたしは士魂号に乗って戦えなければただの役立たずなのに!
わたしは堕落して臆病になった! 壬生屋は歯を食いしばると封印していた記憶を呼び覚ました。爆発と同時に熱風がコックピットに満ちた。体内に無数の針が乾けめぐっているような激痛。何が起こったのかわからず、自分は悲鳴をあげ泣き出した。わたしは死ぬのか? だったら早く楽に……ふっと意識がよぎったが、激痛は永遠に続くかと思われた。
気がつくと真っ白な天井が見えた。身動きすらままならず、鼻孔につんとくる薬品のにおいを感じた。そこが病院であることはしばらくしてわかった。四肢の感覚がなかった。助かったことの安堵よりも、自分の体がどうなっているのか、不安がこみあげてきた。
心細く、情けなく、壬生屋は静かに泣いた。
……壬生屋はぎゅっと自分の体を抱きしめた。頼むから、堪えて。ふらつく足取りで立ち上がると、再びコックピットに入ろうとした。
そっと肩に手を置く者があった。ウォードレス越しにでも温もりが伝わってきた。
振り向くと石津がたたずんでいた。いつもの無表情な上目遣いではなかった。穏やかなまなざしで微笑んでいた。
「自分を責め……ないで」
そう言われて壬生屋は、きっと石津をにらみつけた。言葉が自然に口について出た。
「なんにも分かっていない癖に! お節介は止のてくださいっ!」
士魂号のパイロットであり、人々を守る盾であることが自分の誇りだった。それを安全なところでぬくぬくしていた石津さんなんかに……と思ったところで、壬生屋は悔しげに横を向いた。恥を知れ! 石津さんだって精一杯自分の役割を果たしていた。わたしはなんということを考えるんだろう。
「ごめんなさい」
「ごめん……ね」
ふたりは同時に言葉を発していた。石津の手がすっと伸びて、壬生屋の類に触れた。血色を失った頬に石津の温もりが伝わった。
壬生屋の全身からこわばりが抜けていった。
「わたくしは士魂号に乗れなくなったらただのお荷物なんです……」
石津はまっすぐに壬生屋を見つめた。退院してから話したことはなかったが、石津さん、変わった? 姿勢がよくなり、全身に張りがある。武道の心得がある壬生屋にはわかる。
「壬生屋さんはいつだって……どんな時だって壬生屋さんなの。……心の傷は、みんなを守ってくれた勲章なの。きれいな……傷なの」
石津は微笑みながら淡々と言った。
「そんなこと……」
「壬生屋さんの想い……みんなの想いが傷を癒すわ。今は……焦らないで。心を静かにしていればいいと思うの」
壬生屋の心に余裕が生まれた。対人恐怖症だった石津さんがこれだけ自分のためにしゃべってくれている。
こわばった表情が崩れ、壬生屋は石津に微笑みかけた。
「ありがとう、石津さん。もう無理はしません」
そう言うと壬生屋は背を向けて、走り出した。まず、汚したハンガーの掃除をしなきや、とそのことで頭が一杯になった。
同 二二〇〇 広島駅
停車中、夜空に韻々と砲声と銃声がこだました。
何事かと狩谷が仮眠から覚ゆると、他の乗客……兵と軍属が立ち上がり、音のした方角に鈴なりになっていた。
「どうしたんだ? 方面軍司令部の方角から聞こえてくる」
将校のひとりが不審げにつぶやいた。司令部は市の郊外に広大な敷地を確保していた。爆発音がして、火の手があがり、明々と夜空を踊らした。
広島で降りる兵らが、鉄道警備の兵に事情を尋ねている様子が見てとれた。しかし警備の兵にもわからないらしく、首を振るばかりだった。
「戦車砲の音ばいね。こりゃーただごとではなかね」
ホームに出ていた中村が他人事のように言うと狩谷と加藤に駅弁とお茶を手渡した。こんな時に、と狩谷は顔をしかめたが、加藤は「わ、牛タン弁当だって!」と嬉しげに声をあげた。
「牡蛎の季節じゃないんで残念じゃっどん三次の牛も名物たい。千二百円」
「奢りじゃないんや?」
「パシリやってやっただけでありがたく思え。俺たち、東京からなんも食ってなか」
ふっ。狩谷は皮肉に笑った。確かに。あれはあれ。これはこれ、だ。なんの情報もない中で騒いでもエネルギーの無駄というものだろう。
軍内にアナウンスが泳れた。
「西部方面軍司令部が幻獣共生派に襲撃されました。現在、第三戦車師団をはじめ各隊が事態を収拾、共生派を掃討しているとのことです」
第三の名前を出すのはよけいだな、と狩谷は思った。事態は収拾されるだろうが、わざわざ大事件であることを明かしているようなものだ。
「ま、餅は餅屋。肝を据えてあわてず騒がずたいね」
中村は自分の席に戻ると、駅弁を開いて食べはじめた。貨車に積載されている新型機を見に行っていた岩田が戻ってきた。
「そういや、岩国にはおまえの従兄弟がいるんじゃろ?」
話を振られて、岩田は「ノオオ」と奇声を発した。車内の視線が一斉に集まった。
「あんなやつ、従兄弟でもなんでもありませんね。出世欲のかたまりですゥゥゥ! わたしのようなギャグセンスも持っていませんし。だめなやつです」
そう言うと岩田は立ち上がり、あされる乗客の前で定番ギャグ・バナナの皮ですべって転ぶパターンを演じはじめた。
同 二二三〇 西部方面軍司令部
司令部の兵たちは次々と武器を捨て投降をはじめた。何が起こったかわからず、茫然とした顔を第三師団の兵に向けている。
司令部の鉄扉は破壊され、敷地内には勧告を無視して砥抗した兵が煌々と灯された探照灯の下、横たわっていた。師団の兵も投降した兵も困惑の表情を隠すことができないでいる。それでも早めの勧告が効を奏して、ビル内に侵入した兵は抵抗らしい抵抗も受けず、司令官の執務室へと迫った。
言い出しっぺは君だぞ、と師団長に言われて、善行は突入部隊の指揮を執る酒見参謀とともに階段を駆け上がっていた。前後を古参の戦車随伴歩兵の小隊が固めている。何故か……原素子が同行しているのがミスマッチだった。
とはいえ、原の呼びかけは意外なことに司令部の兵らを落ち着かせた。
「抵抗しても死ぬだけよ。事情は後でわかるから、今は落ち着いて、気を静めてね」
原がこう呼びかけると、各部屋のドアが開き、次々と銃が投げ出された。将校たちは一様に「何が……」と口を開いたが、原ににこやかに輸されて黙り込んだ。
兵のひとりが執務室のドアに張り付き調べはじめた。
「トラップはありません」
酒見がうなずくと、ドアを蹴破って兵たちは執務室になだれ込んだ。部屋はもぬけの空だった。「まずいですね……」善行はうなるようにつぶやいた。
逃走に成功すれば西本は反撃に転じるだろう。これは一部軍人による反乱でありクーデターである、と。幻獣共生派の浸透は撃退したと言い抜けられて、中央はどちらが正しいか大混乱に陥るはずだ。共生派の思うつぼになる。
「ヘリポートですっ!」
兵のひとりが執務室に駆け込んできた。屋上の制圧はセオリーだ。制圧部隊が向かったところ、護衛の兵が屋上を固めており、現在、銃撃戦が行われているという。
「護衛の規模は?」酒見が尋ねた。
「七、八名といったところでしょうか。機銃を持っています」
「よし、全員、屋上へ」
そう言うと、率先して階段へと向かった。エレベータは念のために使用不能にしであった。
屋上に通じるドアを開けると、数名の憲兵が横たわり、師団の兵の遺体もあった。護衛の兵はヘリポート横の整備棟の真上に機銃座をつくってしきりに弾幕を張っていた。
「投降を呼びかけます」
酒見の言葉に善行は首を横に振った。ローター音が聞こえてきた。ヘリが始動をはじめた。
「零式を。構いません、機銃座を破壊してください」
零式とは零式直接支援火砲のことで、強力なミサイルを発射する対中型幻獣用の火器だ。
本来なら何者とも知れぬ大佐の言葉に従うことはなかったろうが、兵のひとりが横たわる仲間の遺体を見てうなずき、零式を担いで進み出た。機銃座は制圧部隊との銃撃戦に気をとられている。
ミサイルが発射され、爆発音とともに夜空に赤い炎が舞った。ヘリは爆風を受けながらもしぶとくローター音を響かせ、発進しようとしている。
機体に銃撃が加えられた。手をあげて降伏の意志を示したパイロットの頭を西本中将が拳銃で撃ち抜いた。善行はとっさにシグを引き抜くと、西本の腕を撃った。西本は拳銃を取り落とし、兵たちは機内から強引に西本を引き出した。
「何をする! おまえらは反乱軍か?」
西本は血相を変えて兵らを怒鳴りつけた。雲の上の人に一喝されて、兵らは中将から手を離した。西本に続いて、秘書の中尉が機内から姿を現した。
「どういうことです? 西部方面軍は貴官らを国家反逆罪で告発します」
秘書は落ち着き払っていた。国家反逆罪と聞いて、兵らの間に動揺が広がった。善行と酒見は独断なく相手を凝視した。確かになんら変わったところは見られなかった。
「大収穫ですね。僕らは運がいいですよ」
声がして善行らが振り返ると、数人の憲兵とともに灰色の髪の少年が微笑んでいた。しかし目は冷然と西本と秘書に注がれている。
「貴重な寄生型型二体。敵にとっては致命的な打撃ですね。間にあってよかった」
「拘束を……」
酒見が口を開くと、「距離をとって!」と少年が叫んだ。西本と秘書の額に亀裂が走り、中から拳大の物体が飛び出した。兵のひとりが悲鳴をあげた。善行が引き金を引くと、寄生体はすばやく弾を避け屋上のヘリポートから飛び降りようとした。
一条の炎がまばゆく善行の目の前を走った。火炎放射器? 高熟を浴びた寄生体の動きが止まった。憲兵が一体づつ銃撃を加えると、やがて寄生体は消滅していった。
「……恐ろしい敵だ。こんなやつらが」
酒見は悪夢でも見ていたかのように、ぶるっと首を振ると掌で汗をぬぐった。兵の何人かは地面にしゃがみ込んで吐いていた。
「うんうん。もっともな疑問です。しかし、これは希少種ですよ。寄生型で、知性を持ったこの事のタイプは滅多に現れません。我々にとっては大金星なんですがね」
そう言うと少年は、憲兵たちに目配せをした。憲兵はふたりの遺体を担ぎ上げると、足早に姿を消した。
「嫌なものを見てしまったわねえ」
原の声がして、善行は我に返った。悪夢だ。原の声がせめてもの救いだった。
原は不思議な笑みをたたえて、善行を見つめた。
「同じことを人もやっているけどね。嫌なものを見続けていると、感覚が麻痺するか、どんどんその記憶が成長して、しまいには狂うの」
「原さん……」
「どちらでも狂っていることに変わりはないけど。……善行さん、どうしてわたしを隊に戻してくれなかったの? わたし、限界越えちゃったんだけど?」
原はにこやかに善行に言った。新型機の開発の過程は善行も知っていた。心ある者なら即刻開発を中止するだろう。が、心ある者がこの戦争を指導して耐えきれるとは思えなかった。
芝村一族、人型戦車の開発に携わった開発陣から日本国首相まで。事情を知っているすべての人々が心に悪夢を抱えている。
「すぐに……」善行は原に向かって口走っていた。
「すぐに隊に戻りましょう! 酒見少佐、車両を都合していただきたいのですが」
酒見は茫然と突っ立っている兵に向かって「司令部前に車を」と命じた。命じられた兵は救われたようにその場を駈け去った。
「大佐、これからどうすれば……」そう言いかけて酒見は口を閉ざした。
参謀が口にする言葉ではなかった。
「……幻獣共生派の襲撃により西部方面軍司令官は死亡。方面軍司令部を占拠した共生派を掃討すべく師団は動いた。そういうことでしょう?……これを」
善行は名刺入れから一枚の名刺を差し出した
「遠坂財閥の若社長です。東京のキー局を芝村資本と共有しています。まずは統幕に報告を。その後、彼に状況を説明してすぐに媒体に展開をしてもらってください。ああ、憲兵隊との連絡も忘れずに」
名刺を受け取った酒見は目を瞬き、「媒体に……」と口ごもった。
「わたしの元部下です。慣れないことでしょうが、すぐにシナリオをつくって動かないと、事態はますます混乱しますよ」
「大佐殿にお願いしたいのですが……」
「統幕と遠坂氏に一報を入れます。申し訳ないが、わたしは急いでいます。酒見少佐、ひとつ忠告を。あなたは第三師団を背負っています。作戦を考えるだけが参謀では――」
善行は唐突に言葉を切ると、原の肩を抱き、歩み去った。
運転手付きの高級将官用の車だったが、善行は断って自らハンドルを握って山陽自動車道を走った。助手席では原がぐったりとシートにもたれている。
一刻も早く岩国へ。この戦いでは岩国が策源地となる。そして今となっては盟友と呼べる荒牧がいた。多少難ありの盟友だが、彼ならば自分の構想を理解してくれるだろう。
原の歌声が聞こえた。忙しい身だったが、なるべく時間を割いて会うようにしていた。会うたびに原は服を新調していた。中尉待遇の給与では手の届かないブランド品だった。その頃から奇矯な言動が目立つようになった。
善行以外には決して見せない原の苦悩がそこにあった。
「……狂っている場合ではありませんよ」
照明に照らされた車線を見つめながら善行は静かに原に語りかけた。原の歌声が止まった。
「何を言うかと思ったら。そういう慰め方ってないんじゃない?」
「慰めてなんていません。あなたにはなすべきことがある。そしてわたしにはあなたが必要です。……むろん公私ともに。こんな言い方しかできなくて申し訳ありません」
不意に視界を塞がれた。善行があわでてアクセルを緩めると、原の唇が重なってきた。ルージュの香りがした。
「な、何を! 危ないじゃないですか……!」
善行は車を路肩に停めると、息をついた。ほほほ。原の笑い声が陽気に響いた。
「わたしは高くつくわよ!」
善行は、はっとして原を見つめた。原の細く長い指が伸びて善行の眼鏡を奪った。今度は濃厚に舌を絡めてきた。しぶしぶ応じると、原は離れて善行をにらみつけた。
「だめ。人間失格! やる時はやらないと」
人間失格と言われても。抗議しようとして再び唇を塞がれた。今度は善行も積極的に応じた。
「ん、まあまあぬ。ところで黒貂《くろてん》の毛皮の在庫処分品があるんだけど。今、ショップにキープしてもらっているのね」
善行はがくりと肩を垂れた。安堵半分、またかという思いが半分だった。
「この戦争が終わったら……専んでプレゼントさせてもらいますよし
「ノンノン、戦争じゃなくて戦闘でしょ? 統幕の参謀さんはさすがに人が悪いわね」
原はにこやかに善行に笑いかけた。目に光が戻っている。黒貂の毛皮とやらがいくらするのか皆目見当がつかなかったが、善行はため息をついて「戦闘です」と言い直した。
ほほほほ。原の高笑いがこだました。
同 二二三五 広島・岩国間
広島駅を発車して、しばらく経ったところで列車は急停車した。車窓からは住宅と田畑が点在する地方都市の郊外の風景が見える。九州と違って、ここでは人の経済活動が営まれている。
田畑の空きスペースを利用した企業の看板が目立った。
「なにが、アーヴェインな香りが口に広がる、だ」
狩谷は看板のひとつに目を留めて苦々しげに言った。
「あ、遠坂君やー遠坂製菓のミッドナイト・スゥィーティ、売れてるんよ! タキシード似合うわあ、遠坂君」
加藤がめざとく狩谷の視線を迫って、声をあげた。
遠坂圭吾は遠坂財閥の御曹司だった。特別扱いを嫌って学兵に志願し、5121小隊に在籍していた頃は「若様」と呼ばれ、二番機・軽装甲の有能な整備員だった。
父親の介入によって除隊させられてから、彼は別の戦場で戦うことを決意した。一種のクーデターによって財閥の実権を掌握、一地方財閥として隙間産業での生き残りをはかる父親の方針を百八十度転換して芝村との提携を強めた。遠坂の指揮の下、財閥はメディア、そして物流方面で急成長を遂げつつあった。特に戦争報道に関しては、遠坂は異常なまでに熱心だった。
女性受けするニュースキャスターの採用、アニメ、映画への展開など、プロパガンダに堕ちる危険を冒してでも敢えて推し進めていた。
「CM代の節約か?」
「ちゃうちゃう! CMディレクタlから拝み倒されたらしいわ」
ふたりの目に、市民を満載したバスが国道を列をなして通り過ぎてゆくのが見えた。車体には遠坂観光とペイントされているが、観光客などではないことが遠目にもわかる。
「山陽本線広島・岩国凶間で一部線路が破壊されました。現在、爆発物処理班が全線に渡って走査中です。なお復旧には二時間を要するとのことです」
アナウンスが流れて、「むむむ」と中村がうなった。
「ぐずぐずしていられんばい。狩谷、トレーラーを下ろすっぞ」
「そうだな……」
ふたりが会話している間にも先を急ぐ兵が席を立って、貸車へと向かっていった。
「一キロ先に踏切がある。そこから山陽道に出られるはずだ」
狩谷は地図を開くと、中村に示した。原から渡された携帯無線が鳴った。
「狩谷君、今どこ?」原の声が聞こえた。
「広島を発ったところです。線路が破壊されているんで、トレーラーで岩国に向かいます。小隊は下関で戦っているみたいだけど、岩国でいいんですよね?」
「それでけっこう。岩国で合況しましょう」
原に代わって善行の声が聞こえた。
「了解しました。ところで広島で何かあったんですか?」
「詳細は後ほど」善行はそう言うと携帯無線を切った。
八月五日 二四〇〇 東京駅
すでに午前0時をまわっていた。
田代の用意したスクーターで東京駅にたどり着いたとたん、そこかしこから兵の視線を受けた。首都を守る第一師団の兵たちだった。5121小隊の制服を着た田代と、海士の制服に半ズボン姿の茜は場違いな存在だった。
「ええと……どうする? 正面突破か?」
田代の言葉を受けて、茜は不敵に笑った。
「ふ。もちろんさ。切符を買って堂々と向かおう。……待てよ、田代、金あるか?」
「……二千円ぐらいかな」
二千円と聞いて茜は肩を落とした。「解析用」のゲームソフトを買い過ぎて、帯の懐には五百円しかなかった。僕としたことが……。初歩的な失策、あるいは天才である自分の足を引っ張る「貨幣」なる存在を茜は忌々しく思った。
ふたりとも危険な雰囲気は発散していない。兵たちは珍獣でも見るように「切符代ぐらい用意しておけー」、「ばっきやろ、こーゆうことは男の責任だ」とやり会うふたりを見守った。
「身分証明書を」
憲兵が近づいてきて、ふたりはばたりと言い争いをやめた。街を歩くたびに士官学校の制服に半ズボン姿の茜は警察やら憲兵の職質を受ける。
茜と田代が黙って生徒手帳を見せると、憲兵は腰に吊した携帯用の端末で身分の照会をはじめた。
「ふむ、田代看護生は休暇を申請しているな。茜大介……君は相当な有名人だな」
軍曹の階級章を付けた憲兵はあきれ顔でつぶやいた。職質の際、反抗的態度が目立つため、茜は補導歴七回。そのたびに学校の教官が警察及び憲兵隊詰め所に出向いている。
「ふ。そう誉めないで欲しいね」
茜は澄ました顔で金髪をかき上げた。憲兵が苦笑した。
「服装は義務でなく趣味の領域に属する、と調書にあるな。海軍さんは自由と見える」
「そもそも外見で人を判断することが治安関係者としては失格だろ? 調べてみればわかるけど、海士での僕の成績はトップクラスだ。軍曹さんも将来の参謀総長に敬意を払うことだね」
茜はしゃあしゃあと言ってのけた。憲兵とのやりとりは慣れている。最後には自分の知性の輝きに圧倒されて、彼らは判断停止状態に陥る。その結果の補導、拘留だ。
「待てよ……」
茜の表情が何かを思いついたようにばっと輝いた。
「もしかして岩国方面に向かう憲兵隊っていない? 共生派対策で増派されるはずだ」
「……外出許可はとってあるのか?」
「ふたりぐらい混ぜてもどうってことないだろ? 僕は統幕の善行さんの下で参謀を務めなければならないんだ。戦況は予断を許さないよ」
まったく話がかみあっていない。憲兵はあきれて茜を見た。
「とりあえず詰め所へ。話はそこで聞こう」
「待ってくれ! 今は一刻を争うんだ! 僕が善行さんを補佐しなければ戦争は負ける! 状況は高度な次元で動いているんだ」
軍曹は唖然として、半ズボン姿の怪人を見つめた。
「また君か」
別の声がして憲兵大尉が現れた。ウンザリしたような、しかし半ば面白がっているような表情で茜の顔をのぞきこんだ。軍曹とは違って、どこかしらスマー卜な印象を与える。
「福島大尉。この少年をご存じで?」
福島と呼ばれた大尉は、苦笑してかぶりを振った。
「憲兵泣かせの茜大介。その筋ではけっこう有名だ。統幕の善行大佐に師事しているのは本当だ」
「師事……ですか?」
「参謀教育を受けているようだな。まあ、危険人物ではない」
大尉の言葉に耳を澄ませていた茜は、ここぞとばかり訴えた。
「その通り! 僕は国家の将来を真剣に憂いている。今、山口で起こっている戦闘に負ければ日本は滅びるよ! 大尉さんも知っての通り、僕は天才だ。統幕の善行さんが実戦部隊の指揮を執るというのに、僕が行かないのは国家の損失なんだ!」
大尉はやれやれという顔になった。気持ちはわかるが、という表情だ。その時、
「頼んます……!」
田代が声を張り上げた。田代は地面に膝を着くと、このとおりと頭を下げた。
「俺からもお願いします。こいつは今はただの変態半ズボンですが、将来、必ずひとかどの人物になります! 善行さんの下で戦争を体験させてやりたいんです!」
田代は頭を下げたまま訴えた。
「ば、馬鹿。恥ずかしいじゃないか!」
茜の傍若無人な表情が崩れて、顔を赤らめ気の毒なぐらい狼狽している。浪花節だ。見物している兵たちの間から笑い声が洩れた。
「俺の命を差しあげます! だからこいつのわがまま、聞いてやってくださいっ!」
大尉は堪えされず噴き出した。怜悧《れいり》な大尉が笑ったことから、そこかしこで爆笑が起こった。
「……まったく。彼女は君の恋人かね?」
大尉は、まいったというようにかぶりを振った。茜は怯んだように後ずさった。
「そ、そんなんじゃ……くそっ! 田代、もういいよ。君のそんな姿、見たくないぞ」
苛は半泣きの表情で、田代を見つめた。田代はいつもふてぶてしくないと……だめだ。
大尉はそんなふたりを観察していたが、やがて笑みを消して真顔になった。
「わかった。落としどころを考えよう。ああ、君、若い女性が土下座なんてやめなさい。……まず善行大佐に連絡をとる」
そう言うと、大尉は善行の衛星携帯の番号を検索し、話をはじめた。話し終えると、大尉はしきりに首を傾げてふたりに向き直った。
「妙だな。はじめは士官学校へ戻してくださいと言っていたんだが……面白そうじゃないと女性の声が聞こえたとたんに全責任は自分と茜君で取る、と前言を撤回してきた。何者だろう? 面白そうとはどういう意味だ?」
茜と田代は顔を見合わせ、にんまりと笑った。
「それ、整備の神様だよ! 善行さんは彼女がいないと何もできないんだ。人型戦車の隊は整備がいないとお手上げだからね」
茜の言葉に大尉は首を傾げながらも「そうか」と応じた。
「三番線ホームへ急いで。広島に向かう列車が十分後に出る。わたしから許可を受けたと言いなさい」
「やったー!」
茜が小躍りして飛び跳ねた。
「まったく、君には悩まされるよ。くれぐれも無茶はしないようにな。東京と違って広島の憲兵は殺気だっているぞ」
「わかっているさ! 迷える子羊のようにおとなしくしている」
ありとあらゆるあきれ顔に囲まれながらも、茜は胸を張って請け合った。
同 〇一一〇 広島・岩国間
山陽自動車道に乗り上げたとたん、大渋滞に巻き込まれた。
片側五車線の広々とした道路だが、戦闘車両やら兵員を乗せたトラックやらがひしめき、反対側には避難民を乗せた車両がひっきりなしに行き来していた。
渋滞の原因はウンザリするほどたくさんある。民間の乗用車ならともかく、巨大な戦闘車両が一台故障するだけでも二車線分は通行不能になる。幻獣共生派による破壊工作が頻発しているらしく、狩谷らが乗るトレーラーはすでに三時間を空費していた。
「こなくそ! こーなったら線路を走るばい」
ハンドルを握る中村が忌々しげに言った。狩谷は比較的空いている反対車線を見た。中央分離帯を乗り越えて踏切まで引き返す……だめだ。あの植え込みは一メートルはある。物理的に考えて、横転する確率はかなりなものになる。こんなことだったら線路の復旧を待つべきだったと狩谷は後悔した。
「無理だ。横転したら目も当てられないぞ。いい恥っさらしだ」
狩谷が冷静に言うと、中村も分離帯に目をやって「ぬう」とうなった。
「ねえねえ、なっちゃん。じゃなかった狩谷教官」
隣に座っている加藤が話しかけてきた。狩谷は気難しげな表情で加藤を見た。
「ウチも考えてみた。ウチらが運ぶのはトレーラーじゃなくて新型機なんよね? 発想を逆に考えればいいんとちゃう?」
こう言われて狩谷はこめかみに手をあてた。その通りだ……。段取りにこだわったあげく、手段と目的をはき違えていた。
「……なっちゃんでいいよ。ありがとうな、加藤。さっそく岩国基地に連絡をとる」
狩谷が礼を言うと、加藤はぱっと顔を輝かせて後部座席から身を乗り出し、前席の無線機のマイクを狩谷に手渡した。
「こちら5121独立駆逐戦車小隊整備班、狩谷千翼長です。事情がありまして、人型戦車のパイロットに連絡をとりたいのですが」
通信兵は「あ」と声をあげると、すぐに「少々お待ちください」と言った。
ほどなく「こちら藤代百翼長です」とやさしげな女性の声が聞こえてきた。
「新型機を搭載したトレーラーが渋滞に巻き込まれまして。これから現在地の座標を送ります。パイロットがいないんですよね」
それだけ言うと、藤代は心得たように、「一時間あれば」と言った。
「ヘリだと二十分で行けるよ! わたし行く」別の女性の声が割り込んできた。
「だめよ、あんたの操縦だと絶対事故るから」藤代と名乗った女性がやんわりと反論した。
「ヘリ……飛ばしてくれるんですか?」
狩谷は茫然として言った。なんだか破格だな、と思った。
「あはは。この基地の司令官は元エースパイロットなんですよ。ヘリでもジェット機でも……」
割り込んできた女性が楽しげに笑った。
同 〇一一五 岩国基地
深夜の岩国基地には煌々と探照灯が灯されていた。省電力が徹底し、闇の中に静まり返るわびしげな街とは対照的にそこだけが別世界のように輝いている。おびただしい羽虫が探照灯に群がるさまに、善行は戦争に疲弊した国の悲哀を感じた。大陸が持ちこたえていた頃は、特需景気でこの国は潤ったが、ユーラシアを喪失した頃から、年々経済状態は悪化していた。旧軍の時代にはこの国は二十万の軍を推持するのがやっとだった。それは現代でも変わっていない。むしろ旧軍の時代のレベルを維持しているのは奇跡的とさえ言えた。
そんなことを考えながら基地正門に車を止め、パス提示すと、衛兵が直立不動で敬礼をした。
監視棟を見ると、さりげなく機銃座の銃口がこちらを向いている。衛兵のよく手入れされた小銃を見て、「けっこう」と善行はうなずいた。
「荒波大佐に両会したいのですが」
善行は車を降りると衛兵にキーを渡した。助手席から降り立った原が「なにこの暑さ?」とぼやいて、扇子でばたばたと自分を扇いだ。
「は。ご案内します」
駐車場に車を停めに行った兵に代わって、詰め所から軍曹の階級章を付けた兵が出てきた。
二十代半ばぐらいの体力、判断力とも最もバランスのとれている年頃の兵だった。このクラスの兵を多く抱えている軍は強い。
「大佐は起きているんですか?」
善行は試しに質問をぶつけてみた。すると軍曹はにやりと笑って、「荒波大佐はいろいろな意味で忙しい方なのであります」と育った。
執務室のドアを開くと、荒波と見知らぬ将校が端末から顔を上げた。
「これはこれは。ご夫婦でお出ましかね」
ご夫婦と言われて、原は「やあねえ」と荒波をはたくまねをした。相変わらずだ。善行は苦笑するしかなかった。
「あら、岩田君がどうしてここに?」
原はもうひとりの将校に、にこやかに笑いかけた。
「ノオオオオ。あなたがあのベタギャグ使いの言っていた整備の神様ですかぁ! なあんてビュティフォーな人でしょう。今わたしはゆくるめくステキ体験をしているんですね!」
ささ、どうぞどうぞと席を勧められ、原は苦笑いしながら座った。
「こらこら若田少佐。話があるのはこちらの眼鏡君だぞ」
眼鏡君と呼ばれて、善行は苦笑を顔に張り付かせた。
「ええ、ええ、わかっています! 善行大佐、あなた、子供の頃、イジメられっ子じゃなかったですかあ」
岩田少佐に尋ねられて、「どちらでもありませんね」と善行はかぶりを振った。
軍人にぶつけるにはあまりに非礼で挑発的な質問である。岩田は抜け目なく善行を値踏みしようとしていた。
「君がこちらに向かっている途中、芝村少将が西部方面軍の司令官に収まったよ。どうも首相にパイプを持っている御仁がいるらしい」
荒波は笑って言った。
「それは幸か不幸か、というところですね」
善行は澄ました顔で眼鏡を押し上げた。
「俺は岩国最終防衛ラインの臨時司令官に就任した。君に関しては白紙ということだ。ま、自分で好きな絵を描いていいというわけさ。……広島では災難だったな」
「わたしは体よく利用されただけなんですがね」
「まあ、君は裏の連中にもマークされているというわけだ。頭の固い軍人であったら事態は深刻なことになっていたろう」
「終わったことです」原に、あれ、は思い出させたくなかった。
「さて、君の描く絵とやらを聞かせてもらおう」
おっと、すまんと謝って荒波は善行にソファを勧めた。善行は腰を下ろすと、胸ポケットを探ったが、原のきつい視線を受けて思いとどまった。
「山口市で5121を核とした戦隊を編成します。第三戦車師団から戦車大隊をひとつ拝借しました。そちらさんからも歩兵大隊をひとつ借り受けたいのです」
単行は淡々と、しかし一気に言ってのけた。
「ノオオ」岩田少佐が機械仕掛けの人形のように首を横に振った。
「こちらはぎりぎりの戦力ですゥ。撤退してくる兵を適当にかき集めてくださいな」
「かき集める核となる隊が欲しいのですよ。強引に敗兵を引っ張る役ですね。大隊が無理なら中隊でもけっこう。練度が高い隊であるなら。ああ、重迫撃砲は必須です」
善行の言葉に、岩田はしばらく考え込んだ。
「やりくりできるか?」荒波に言われて、「あれもダメ、これもダメ……」とぶつぶっつぶやきはじめた。
「憲兵隊じゃダメですかあ?」
「岩田君、じゃなかった少佐ってけちんぼなのねえ」原が唐突に口を開いた。
けちんぼと言われて岩田少佐は大げさにのけぞるまねをした。
「原さん、少佐は今、調整しているところです。口出しは無用に」
善行がやんわりとたしなめた。老兵といっても前線付近の憲兵は装備が充実している。装備さえかっさらえば悪くはないだろう。
「学兵の戦車連隊が明日、配備される予定なんですがねえ」
岩田少佐は天井を見上げて考え込んだ。
「だめです。善行さんの構想には力不足でしょうね。攻勢的任務を任せるにはデンジヤラス」
「くれるの? くれないの?」
善行の注意を無視して、原は迫った。どうやら5121の岩田とは違って、女性には弱いらしいと原の嗅覚が告げていた。
「ええい! 重迫撃砲小隊をひとつ。それと歩兵中隊をひとつあげましょう。穴埋めに広島から憲兵を動具します。荒波司令官、わたしはけちんぼなんかじゃありませんよね?」
子供のように言い募られて荒波は苦笑した。
「ああ、太っ腹だ。俺は学兵には極力野戦はさせたくないのだ。陣地戦の方がまだ技量不足を補えるからな」
「同意見です」善行は眼鏡を押し上げた。
宿舎の一室を借り受けると、善行はベッドに倒れ込んだ。頭の中がコンピュータ・チップの回路のように入り組んでいた。敵上陸の報告を聞いてから十時間あまり。電話をかけまくり、必要と思われる部署に足を運んで、それでも面倒なことは芝村少将に丸投げした。それから予想外のアクシデントがあり……また原素子を拒むことができなかった。
(順番に、順番に……)
善行は周囲の気配を確かめると、ベッドから身を起こし、胸ポケットから煙草を取り出した。
一瞬頭がくらっとしたが、すぐに肩の力が抜け、紫煙を吐き出していた。
当面の問題は戦闘集団の結成だ。第三師団には十分に恩を売ったお陰で一個大隊を獲得した。
とはいえ、彼が策源地と定めた山口を敵が見逃すだろうか? 萩方面が崩壊すれば状況はまた変化する。しかも敵にも知性体がいることをあらためて確認した。人類側は星の数ほどの敗北を経験しながら、幻獣のグロテスクな外見からどうしても敵の作戦能力を過小評価してしまう。
もし敵の作戦意図が山口占領にあり、長期戦にあるとしたら――。熊本要塞の二の舞となる。
とはいえ、その可能性は低いだろう。九州戦での奇襲の成功により、敵はその勢いを持続させようとするはずだ。
そして5121小隊。瀬戸口。指揮官としての能力、特に洞察力がありながら傍観者に留まろうとする。その殻から彼を引きずり出したい。だから敢えて連絡はとらずにいる。5121小隊は萩に張り付いているか? それとも? ……今はとにかく休むことだ。
「禁煙するって言ったじゃない!」
不意にとがめる声がして、善行はビクリと身を震わせた。いつのまにかドアが開け放たれ、原が不機嫌にドアを今さらながらノックした。
「……あー、考え事をする時にどうしても」
「わたしはそんなものなくても考え事できるわ! わざわざ毒物を摂取する合理的理由がどこにあるの? 本数増えているわね! キスされた時にニコチンの味がしたもの!」
「申し訳ないです」正確にはこちらがされたのだが。
善行はそう言うと、煙草をもみ消した。原は足音も荒く、窓に寄ると大きく開けはなった。
濃厚な緑の匂いを含んだ夜気が流れ込んできた。
「原さん、ここは女子寮ではありませんよ」
善行の思考回路がはたとそのことに気がついた。原は振り向くと、ほほほと笑った。
「野暮なことは言いっこなし。魚心あれば水心って言うじゃない?」
「……わたしは水心じゃないんですが」
これは危ない。どう逃げようか考えているところにヘリのローター音とともに聞き慣れた地響きがした。もしかして……。
身を乗り出して音のした方角に目を凝らす原の隣に並んで、ふたりは闇に沈んだ一点を凝視した。かなたに赤い点滅。新型機の複座型が大地を踏みしめるように近づいてくる。善行と原は顔を見合わせると、次の瞬間には外に飛び出していた。
複座型が静止すると同時に、ヘリが降下してきた。原さーん、と聞き覚えのある声がした。
ヘリの狭い窓から中村と岩田、加藤が身を乗り出して手を振っている。
「来た、来た、来た――!」
原は無邪気に叫ぶと、跳ね上がって手を振った。
跳ねるか? 善行の脳裏にふと十六歳の頃の原の面影がよぎった。あの頃の原は飛んだり跳ねたり、忙しい子だった。善行は心の中でその残影を惜しんだ。
「ご苦労さん、段取り君」
原が冷やかすように狩谷に言うと、狩谷は皮肉に笑った。
「疲れましたよ。少しは休ませてもらえるのかな? あー、善行司令、お久しぶりです。統幕の大佐がこんなところにいていいんですか?」
整備員の脳内では善行は後回しだ。善行は苦笑して眼鏡に手をやった。
「ま、それはおいおい。明朝、広島から部隊が到着するはずです。時間がかかるようでしたらここの部隊とともに山口に向かいます。適当に仮眠を」
「腹、ぺこぺこたい。食堂へ直行したか!」
「ふふふ、原さん、見て下さい。新しいギャグを開発しました」
「善行司令、5121の補給はどうなりますのん? 隊費の面倒は今、誰が……?」
皆がてんでにまくしたてて、善行はため息をつき、原はにこやかに笑った。
「詳しいことは明日。みんなとっとと仮眠をとって! それから中村君、あなたにはダイエットを命じます」
同 〇一三〇 岩国・下関間
ドライブインの食堂で舞は不機嫌な顔つきで焼きそばパンを頬張っていた。深夜にもかかわらず食堂は賑やかだった。小休止を命じられた若い自衛軍の制服姿が目立ち、軍用レーションだけでは足りないのか、カレーやらうどんやらを急いで腹に詰め込んでいた。
厚志はメロンパンを頬張りながら、それとなくあたりを観察した。距離の問題なのか、それとも部隊の質の問題なのか、本州に敵が上陸したというのに緊迫した雰囲気は感じられない。
むしろ食事にありついてほっとしている民間の長距離トラックの運転手の雰同気に似ている。
どうやら戦争は彼らにとってまだ現実ではないようだった。
旧式のウォードレスを着ている一団もいる。小銃は判で押したように九七式だ。幻獣との実戦経験がある隊は、たとえ盗んできてでも機関銃の一丁や二丁、贅沢を言えば携帯式ミサイルの類を装備しているはずだ。九七式だけでは生き残れないことを知っているからだ。たぶん……と厚志は考えた。萩に出撃した部隊の穴埋めとして派遣される部隊の人たちなんだろう。
「あんたら、自衛軍じゃねえな? どこの隊だ?」
声をかけられて、厚志はあらためて5121小隊の制服を着ていることに気づいた。しかもウォードレスはまだ着ていなかった。
声の主に厚志はにこっと微笑んでみせた。
「学兵です。下関の原隊に戻るところなんですけど」
「解散したんじゃなかったのか、学兵って?」
怪しむのは三十代に差し掛かろうとしている軍曹だった。厚志と同じく、彼らもこちらを観察していたようだ。
「例外もあるんです。僕は戦車隊だから待機状態になったんじゃないかなあ」
戦車隊と開いて、軍曹は、ほうという顔になった。
「学兵の戦車隊なんてあまり聞かねえなあ」
舞が焼きそばパンを食いちぎった。怒っている……。しょうがないなと厚志は真顔になって代わりに怒った。
「僕たちは九州で戦ってきました! 学兵の戦車隊が熊本要塞を支えてきたんですよ。ただ、テレビも新聞もあの戦争に無関心だった。知らなくて当然です!」
こんな感じでいいかなと思いながら、厚志は軍曹をにらみつけた。
「軍にとっても戦争を学兵任せにしていたなど、恥であろう。知らないはずだ。時に、そなたらの装備では死ぬぞ」
舞の冷静な声が食堂に響き渡った。わ、わ……! 厚志はあわてて舞を見た。舞は不機嫌を通り越して口許をきゅっと吊り上げて笑っている。
場の雰囲気が緊張した。舞の射るような視線を受けて、軍曹は黙り込んだ。
「重火器は? 戦車随伴歩兵は小型幻獣と戦うことが多いが、十倍、ことによったら百倍の敵と戦うことになるぞ。弾幕を張れぬ隊はすぐに肉薄され全滅する。それとも、ひとりで十匹以上のゴブリンを引き受けるか?」
舞は冷たく言い放った。
「ええと……それ、本当ですよ。たぶん、現地で支給されるのかな。あはは」
厚志は意味もなく笑うと、舞の手を引っ張って外に出た。
「たわけめ! 学兵の戦車隊なんて聞かぬ、だと? 何千人もの戦車兵が死んでいった!」
舞は憤然として叫んだ。
「二線級の部隊なんだろうね、きっと。まともな隊ならあんな無遠慮な口きかないよ。だからまあ、機嫌なおして」
厚志は単車にまたがると、エンジンを始動した。不愉快なのは同じだった。けれど舞があんなレベルの人間と言い争う姿は似合わないと思った。
「む……」
厚志の背に何かを感じたのか、舞はおとなしく後部座席にまたがった。
「あのレベルなら僕で十分だよ。君はもっと大きなものと喧嘩しないと」
深夜の山陽道を疾走しながら厚志は言った。
「……怒っているのか?」しばらくして舞が尋ねてきた。
「そうじゃないんだ。ただ、僕はじゃあなんのためにいるの? 君の足を引っ張ったり、くだらない喧嘩を仕掛けてくる相手を排除するためにいるつもりだけど」
厚志は知らずとがった声を出していた。
「ふむ。正論だ。謝罪する」舞は澄ました声で謝った。厚志は声をあげて笑った。
「けどなあ、君は欲張りだから。あれが君の敵なんだろう?」
厚志はわずかに頭を上げた。頭上には月の光を遮るように黒い月が浮かんでいた。幻獣の象徴だった。
「あれを全部やっつけないと戦争は終わらないもんね。だから、欲張り」
ぽかりと頭をはたかれた。
「我らはそういう定めに生まれてきた。ゆえに戦場を故郷とし、戦うのではないか。欲張りでけっこうだ」
「あはは」
軍用車両を何台か追い抜いた。百メートルほど先にタンクローリーが見えてきた。嫌だな……。追い抜くか? そう思ってスロットルを開けようとした瞬間、ぼっと音がして大気が震えた。厚志はとっさにギヤをチェンジしエンジンブレーキをかけると、Uターンして爆風を逃れようとした。だめだっ……! 車体がガードレールに接触し、火花を散らした。宙に投げ出された舞の姿が視界の隅を掠める。
厚志もためらわず、次の瞬間には宙に身を躍らせていた。
同 〇四〇〇 岩国基地
おびただしいエンジン音、キャタピラ音が深夜の空に鳴り響いた。善行が目を覚まし、音のした方角に目を凝らすと、遮光器で控えめにされたヘッドライトの光群が見えた。時間を確認すると午前四時を過ぎたところだった。
善行は急いで、ゲートを通過し停車した数両の戦闘車両のもとへ駆け寄った。探照灯に照らされて九二式歩兵戦闘車の鋭角的なフォルムが浮かび上がっている。第三戦車師団の「3」の数字を稲妻になぞらえた師団マークが見てとれた。先頭の一両は通常型と異なり、車体後部からアンテナを突き出している。
守備隊の兵に見守られる中、砲塔のハッチが開き、少佐の階級章をつけた佐官が姿を現し、地面に降り立った。
「第三戦車師団第四大隊の矢吹です」
矢吹と名乗った少佐は凡帳面に敬礼をした。旧軍では戦車兵は小柄な者が多かったそうだが、それは貧弱な車体に合わせてのことだろう。矢吹は堂々とした長身の三十代の佐官だった。善行も敬礼を返して、名乗った上で「ご苦労様です」と労った。
どこからか原の厳しい視線を感じたが、煙草を取り出すと矢吹に勧めた。ちょっとした雑談から相手の性格を掴む必要があると割り切った。矢吹は一本抜き出すと断って自ら火をつけ、深々と煙を吸い込んで空を見上げた。
「星がきれいですな」
「ええ」善行も煙草に火をつけ適当に相づちを打つと、矢吹は口許をゆるめた。
「わたしは元々天文学者志望でしてね。しかしまあ、軍人の家系に生まれたため、今ここにいるわけです。大佐殿は海軍さんと聞きましたが?」
互いに単なる雑談ではなかった。急遽、統幕の善行大佐の指揮下に入れと命じられ、一刻も早く岩国へ急げと言われて、矢吹は矢吹なりに急いで情報をかき集めたのだろう。
「海兵団です。商船大学から士官学校への横滑り組ですよ。熊本戦では人型戦車の小隊を率いていました」
「酒見が……酒見参謀が手配してくれた論文を車内で読ませていただきました。面白いですなあ、人型戦車は。自分の頭の硬さを痛感しましたよ」
酒見はよい人選をしてくれたなと善行は感謝した。すでに雑談から話は核心に近づいている。
「これより山口へ。山口を策源地として、強襲遊撃任務に就きます。主戦場へと向かう敵の側面を衝くわけですぬ。この基地からは歩兵一個中隊と迫撃砲小隊を持って行きます」
「了解しました」
矢吹は短く請け合った。
「ずいぶんと早いお着きだな。ああ、そう畏まらんでもよいぞ。俺がこの基地を預かる大天才の荒波である」
声がして、金ネックレスをちらつかせた荒波が岩田参謀とともに歩み寄ってきた。矢吹が敬礼をしようとすると、軽く手を振って制止した。
「矢吹家の多少難ありのサラブレッド。初めての実戦は不安だろうが、ここにいる眼鏡君に教わりたまえ」
「眼鏡君……」矢吹は思わずつぶやいた。
「ノオオオ。なんだか山口に行かせるのがもったいなくなってきましたです。フフフ、矢吹さん、ここに残れば将校食堂でステーキ食べ放題ですよ。代わりに明後日あたりから死ぬほど戦争ができますです。ザッツ・エキサイトオー!」
岩田参謀が興奮を露わにして叫んだ。矢吹は面食らって、黙り込んだ。
「その……この基地は……天才肌の人々が多いのですよ。まあ、岩国風ジョークと」
善行が柄にもなくとりなした。
「ノオオオオ! 従兄弟殿、強欲ですゥゥゥ。けちんぼだって原さんから聞きましたよ!」
暗がりから声がして、岩田が姿を現した。原と狩谷らの姿も見える。
「誰かと思えば一族の恥さらしのベタギャグ遣いではないですかあ! わたしはけちんぼなんかじゃありません!」
けちんぼ、ベタギャグ、とやり合う岩田と岩田を皆があっけにとられて見つめた。
「申し訳ない。質問があります。この基地は、岩国最終防衛ラインは……」
たまらず口を開きかけた矢吹に、善行は苦笑し、荒波は高笑いをあげてみせた。
「大丈夫です。私見ですが、荒波司令官は極めて防御思想が強いタイプの軍人であり……」
「そういうのって根は臆病っていうんじゃない?」
善行の言葉は原に遮られた。
「はっはっは、辛辣だな、腰高モデル体型のお嬢さん」
「あら……」
腰高モデル体型と言われて、原はまんざらでもない顔になった。
「眼鏡君からわたしに乗り換えるという案はどうかな? わたしは女性を大切にするぞ。週に三度は必ず食事に招待するし、記念日には豪華プレゼントだ。わたしは美女がみすみす不幸になるのを見るのが嫌でな」
荒波は冗談交じりに原と善行を見比べた。善行は苦笑を浮かべるしかなかった。狩谷はウンザリ顔になり、中村、岩田、加藤はくすくすと笑っている。矢吹少佐は、と言えば一刻も早くこの場を後にしたいという顔になっている。
「あいにく、わたしは薄幸の美女なのね。女を不幸にする男が好きなの」
原は気取った仕草で髪をかき上げ、言ってのけた。
「善行司令、頼みますから……。これが戦時の、午前四時に語る話題なんですか? ……とっととこの基地を逃げ出しませんか?」
なんで僕が言わなければいけないんだ、という顔で狩谷がようやく口を開いた。
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第四章 業火《ごうか》
八月五日 〇五〇〇 巌況島砲台陣地
関門海峡の空が白々と明け初めていた。
東の海が輝きに包まれ、明け方だけの涼しい風が吹いていた。上空には切れ切れに雲が流れている。ここ一ヵ月ほど、雨も降らず真夏日が続いていた。
巌流島第三砲台陣地の高野少尉は誰よりも早く起きることで有名だった。というより、長年不眠症に悩まされているといった方が正しいだろう。大柄なひげ面に似合わぬ、神経が細やかな性格が災いしている。
西部方面軍に赴任してきたとたん、九州総軍の大潰走がはじまり、高野は埠頭でなすすべもなく、引き上げてくる兵を見守るだけだった。わずか二日……。わずか二日の間に五万を越える将兵が失われたことに高野は衝撃を受けた。その後、軍は急ピッチで下関の要塞化をはかり、剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地であり、観光名所であったここ巌流島にもあっというまにトーチカ陣地が造られた。陣地造りは日本自衛軍の十八番である。鉄骨製のモノコック構造の骨組みに速乾性コンクリートが流し込まれ、工事はわずか一日で終わった。ここに一五五ミリ砲が据え付けられ、対岸の門司をにらんでいる。
砲台を中心に二基の機銃座が設けられ、これが通称・巌流島第三砲台陣地のすべてだった。
寝不足とは長年つき合ってきた悪友のようなものだ。そんなわけで、高野は歯を磨きながらトーチカを出て対岸の門司に視線を移して驚愕に日を見開いた。
「大変だ……」
他の砲台群からも同様に、驚愕のどよめきが聞こえた。対岸には獲物にたかるアリのように、びっしりと大小の幻獣の姿が見て取れた。空には遠目にもそれとわかるスキュラが巨大な姿を浮かべていた。はじめに火を噴いたのは、海峡を行き来する三十隻はどの無人警戒艇だった。
船舶と兵員の挽矢に悩む海軍が、「戦時標準船」として量産しているもので、トン数は海上保安庁の哨戒艇に近い。それでも戦車から流用した一二〇ミリ砲を一門搭載している。
下関市内に詰めている海軍のオペレータが発射スイッチを押したのだろう。一斉に発射された溜弾が次々と幻獣の群れの中に落下する。
大変だ! 高野は茫然と突っ立っている見張りの兵に向かって怒鳴った。
「とっととみんなをたたき起こせ! 砲戦用意!」
そう指示を下すと、自らもウォードレスに着替えに半地下式の陣地に駆け去った。
敵の反撃は悠然としたものだった。上空を遊弋するスキュラが長射程のレーザーで、一隻、また一隻と警戒艇を沈めてゆく。「砲撃準備整いました!」下士官が報告してきた。
「目標、スキュラ。機銃班は警戒態勢に移れ」
陣地内に振動が響き渡った。砲台の主役と言うべき一五五ミリ砲から放たれた徹甲弾が、徹かな放物線を描きスキュラに吸い込まれてゆく。一体のスキュラが炎に包まれ落下していった。
「よっしゃー!」歓声が響き渡った。
他の砲台も火を噴き出し、数体のスキュラが爆発し、墜落していく。
しかし高野の目は海面に釘付けになっていた。警戒艇が一掃された後、海面に異様な物体が姿を現していた。波に洗われ、その姿はしかとは見えない。これも幻獣か? 海面から浮上した岩礁にも見える。
その「岩礁」は、一体がタテ横百メートルほどの大きさで、海面に露出している部分は海亀の甲羅ほどのゆるやかな傾斜をなしている。友軍がスキュラ、門司に密集している幻獣の撃破に夢中になっている間に、壇ノ浦の幅七百メートルばかりの海峡を埋め尽くした。南に下った大瀬戸方面にも浮き橋が出現している。砲台の百メートルほど先を、岩礁を浮き橋代わりにしたゴブリンの大群が市内と橋で結ばれている彦島方面に駆け抜けて行く。悪夢だ。あまりに非現実的な光景に高野はごくりと喉を鳴らした。
「機銃班、ぼんやりするな! 撃てっ!」
二門の十二・七ミリ機関銃がゴブリンをなぎ倒して行くが、流れはいっこうに止まらず、かなたをミノタウロス、ゴルゴーンを満載した「岩礁」が彦島へとゆっくり移動してゆく。その数は――門司以外からも移動してきたのだろう――高野は一瞬数えることを放棄しようとしたが、思いとどまって冷静に推測数を弾き出した。
不吉な風切り音がして、敵の生体ミサイルが落下し、機銃チームを跡形もなく吹き飛ばした。
「岩礁」はなおも次々と浮上し、島に小型幻獣の大群が向かってきた。
「全員、地下へ! 急げ!」
隊員が押し合いへし合いトーチカへと退避した。高野は最後に駆け込むと鉄扉のハンドルを
まわして閉めた。他の砲台は――高野が双眼鏡をのぞき込むと、自分たちと同じように小型幻獣の強襲を受けている。幻獣の出現に愕然とし、冷静な状況判断も下せぬまま砲撃に気をとられていたため、トーチカへの浸透を許してしまった陣地がほとんどだった。
わずか数秒の判断の遅速が生死を分けた。以降、巌流島第三砲台は大海の中に浮かぶ小島のように、孤立した戦いを強いられることとなった。
同 〇五一〇 5121小隊駐屯所
海岸方面から砲声、銃声が韻々とこだまする中、市民は目を覚ました。数分遅れて、市内に警戒警報が響き渡った。
「壇ノ浦町及び彦島方面に敵が上陸しました。市民の皆さんはすみやかにシェルターに避難を行ってください」
市役所の職員かと思われる女性の棒読み調のアナウンスが各所に設けられたスピーカーから流れた。「えっ……?」ほどなく同じ女性の動揺した生の声を市民は聞いた。
「訂正します! 市民の皆さんはすみやかに各種交通機関を使用して避難をしてください。繰り返します。市民の皆さんは支給された避難用パスに従ってすみやかに避難してください」
避難用パス、とは市役所と軍が相談してどこそこの地区の住民は最寄りの駅から鉄道を、また駅から遠い地区の住民は用意されたバスを利用して、と決められた緊急避難用のパスである。
むろん、自家用車で避難することもできるが、乗用車を持っている市民はごく少数だった。
アナウンスは単なる空襲の類ではなく、本格的な攻勢であることを明らかに告げていた。
警報を聞きながら、通信室のソファに寝そべっていた瀬戸口はにやりと笑った。
「悪い予感、大的中というところだな」
通信室には若宮と来須が残っていた。他の隊員は、瀬戸口が言い含めて、学校の仮眠室で休ませてある。
「巌流島砲台陣地のほとんどがやられたらしい。第三砲台陣地の隊長から、敵の規模についての報告が続いている」
無線機に耳を澄ませていた若宮が口を開き、ボイスをオープンにした。
「……現在、我々はトーチカに龍もって抵抗を続けています。敵第一派の規模は大瀬戸方面スキュラ三十、中型幻獣二百五十。壇ノ浦方面もほぼ同規模です。小型幻獣はその二十倍と考えてよいでしょう」
高野とかいう少尉の切迫した声が聞こえた。
来須がむっつりとうなずいた。判断が速かった。各砲台はスキュラのレーザーやミノタウロス、ゴルゴーンの生体ミサイルをもってしても破壊が困離なはずだった。幻獣との戦闘に夢中になっていた砲台は、小型幻獣の浸透を受け、籠城もままならず填滅したのだろう。
「さて、これからどうする? 瀬戸口司令?」
若宮は強い視線を瀬戸口に向けて言った。
「正確には司令代理だ」瀬戸口も笑って切り返した。
「機動防御を行いつつ、山口へ撤退する。たぶん、そこで懐かしい連中と合流できるはずだ」
「……それもいいだろう」
来須は無表情に瀬戸口を見た。
「ひとつ意見具申をしたく思いますが? 司令代理殿」
若宮が真顔になると瀬戸口に向き直った。瀬戸口も「市民のことか」と笑みを消すと、考え込んだ。市役所のアナウンスの混乱ぶりからうかがえるように、民間人は泥縄式の避難をすることになった。軍も混乱しているだろうが、市民の混乱ぶりはその比ではないだろう。九州戦の時は疎開が進んでいたため、5121小隊に限っては純粋に戦闘部隊として機能した。
「すべてをカバーするのは無理だ。鉄道……山陽本線を守りつつ退こう。市民あっての軍だ、というのはタテマエなんだがな」
タテマエと言いながらも若宮の表情が本音であることを示していた。
「具体的には下関駅を喪失するまで、俺たちは踏みとどまることになる。どうだ?」
若宮が念を押すように瀬戸口の表情をうかがった。
軍が精魂を傾け、造った砲台群は奇襲の前になすすべもなく壊滅した。下関に残る軍は、歩兵一個師団に、各種独立支隊が少々。あとは虎の子の重砲群が霊鷺山の麓に展開している。
そこそこの戦力はあるが、市街は地獄と化すだろう。
下関は瀬戸口にとっても懐かしい町だった。とある剣客の肉体に宿っていた時、長州の過激派と言われる連中と知り合った町だ。
「俺たちは警察や消防隊じゃないんだがな。しかし、駅がどうなろうと適当なところで撤退命令を出す。忘れるな。俺たちはささやかなコマのひとつに過ぎないんだ」
瀬戸口の言葉に、若宮の顔が引き締まった。そんなことは承知で言っているという顔だ。
「瀬戸口……さん。面白く……ないわ」
はっとして振り向くと衛生兵用のウォードレス・テンダーFOXに着替えた石津がたたずんでいた。
「面白くないって言われてもな」
瀬戸口はかぶりを振ると、石津の勇ましい姿を見つめた。石津は確かに変わった。
「指揮車の運転手役がいなくなるぞ」
「ヨーコさん……に、お願いしたから。わたし……街に出る……わ」
「……馬鹿なことを」
瀬戸口はつぶやくと来須に視線を向けた。おまえが鍛えた結果がこれか? 熊本戦の頃は、互いの違いを乗り越えて結束し、敵を破り生き残ることが隊の総意だった。しかし今は……行き過ぎだ。それぞれが自分の目的を持ち、自分のルールに従って行動しようとしでいる。
司令代理なんて引き受けるんじゃなかった、と瀬戸口は激しく後悔した。俺はしょせんわき役だ。傍観者だ。慣れない立場になって面白くないのは当たりまえ、だ。
しかし、来須は無表情に瀬戸口の視線を受け止めると、石津に向かって「行け」と言った。
石津は三人に敬礼をすると駆け去った。
……石津の、はじめて見せる敬礼だった。
「やれやれ、みんな勝手なことを。司令代理は俺なんだがな。……下関駅へ。しばらくの間、敵さんをあしらってやろう」
しかたがない。瀬戸口は苦笑いを浮かべながら言った。
「あしらわれるのまちがいじゃないのか?」若宮が混ぜっ返すように笑った。
「石津さん、待って……!」
校門から出ようとする石津を呼び止める声があった。壬生屋だった。壬生屋は女性兵士用の久遠に身を包んで、手にはサブマシンガンを持っている。石津は日を瞬いた。
学校は市近郊の小高い丘にあり、すでに中心部に近い方角ではしきりに砲声と銃声がこだましている。ところどころで黒煙が上がり、明るみに満ちたブルーの空を焦がしている。
「悪いけど話、開かせてもらいました。わたしも行きます!」
壬生屋の顔は真剣だった。人一倍人型戦車のパイロットであることに誇りを持っていた壬生屋が必死に懇願していた。
「壬生屋……さん……にはやることがある……わ」
それは再び重装甲のパイロットとしてよみがえり、復帰することだろう。しかし壬生屋は、
「いいえ、いいえ!」と激しくかぶりを振った。
「わたしの心の声がそう言っているんです。無くしたものを取り戻せ、と」
「……そう」
しばらくして石津は微笑んだ。
「死ぬかもしれないけど……いいの?」
「……死ぬのはこわいです。けれど、わたしはじゃあなんのために生きているの? なんのためにパイロットの才能を与えられたの? 一度死にかけたぐらいでせっかく与えられた才能を封じ込めていいの? わたし、考えました」
「壬生屋」
声がかかった。来須がこちらに近づいてくる。緊張し、切迫した壬生屋の表情を見ると、来須はふっと口許をほころばせた。
「これを使え」来須は壬生屋の目の前にあるものを差し出した。
「あ、それは……」
壬生屋の目は来須の超硬度カトラスに釘付けになった。軍支給晶のカトラスとは刀身の長さも切れ味も異なる特注品だ。小太刀ほどの長さはあるだろう。
「ありがとうございます」
壬生屋は昔の武士が刀を受け取るように、古風な仕草でカトラスを受け取った。
「行く……わ」
石津はちらと来須を見た。来須は微かに口を動かした。「……ぬな」語尾だけが石津の後に続く壬生屋の耳に飛び込んできた。
同 〇五二〇 下関・彦島地区
彦島に上陸した幻獣の大群は、自衛軍の陣地を蹂躙しつつ連絡橋へと迫った。
大小の砲が上陸地点の狭い正面に集中し、無数の幻獣が消滅していった。しかしその勢いは止まらず、市内と結ばれている三本の橋付近では増援に駆けつけた自衛軍と幻獣との間で死闘が行われていた。
時間を稼げ――。これが兵らの共通した認識だった。一分でも一秒でも敵をくい止め、市民を避難させねばならなかった。橋を渡ってわずか一キロ先には下関駅がある。
とはいえ、圧倒的な物量を持つ敵の奇襲を受けた自衛軍各隊は、奮闘の後、次々と各個撃破されていった。
ミノタウロスのハンマーアームが彦島信金ビルの窓から銃撃を続けていた高射機関砲を粉砕した。ビルの三階は粉々に削られ、鉄骨がむき出しになった。
少しでも高所から敵を掃射しようと橋爪の小隊が三階に駆け登ると、ミノタウロスが背を見せ、移動を再開していた。屋上からは散発的に銃声が聞こえるが、どうやらミノタクロスは相手にする価値なしと判断したようだった。
屋上に上ると、分隊規模の兵が下界の港湾道路にあふれかえった小型幻敵を狙撃していた。
「お客さんはお断りだぜ」
橋爪らを見ると、軍曹の階級章を付けた兵が迷惑げに言った。
「あんまり目立つと標的にされる。下の機関砲分隊さんにもそう言ったんだがなあ」
ちっくしょう。橋爪は士官学校を出たばかりの小隊長に代わって軍曹をにらみつけた。肩には九州戦以来の九四式小隊機銃を抱えている。下士官の正論、というやつだ。しかし、橋爪は凄みを帯びたまなざしで軍曹に笑いかけた。
「だったらおめーらいらねえ。とっとと逃げればいいじゃねえか。隊長、命令を」
「あ、ああ……。戦闘をはじめてください」
橋爪はわざとらしく軍曹の隣に並んで、屋上の金網をニッパーで切り取った。そして膝までの高さの壁に小隊機銃を据え付けた。
射撃音と同時に派手に十二・七ミリ機銃弾の薬英が飛び散り、軍曹は顔色を変えた。
「ぼんやりしてねえで、戦争やろーぜ、戦争!」
橋爪が呼びかけると、隊員たちも橋爪に倣って、小銃を撃ちはじめた。橋爪の具申に従って
隊長が手配したもう一丁の小隊機銃も火を噴いた。
橋爪は要領よく、港湾通りを進撃する小型幻獣を掃射していった。
「隊長、手榴弾、手榴弾」
引き金を引き続けながら、橋爪は隊長をうながした。熊本での戦闘を経験した橋爪は、「とにかくガツガツ武器を集めてくださいよ」と日頃から隊長を教育している。素直な性格の隊長だった。律儀に書類操作やらあらゆる手段を駆使して武器をかき集めた。ために中隊では「強欲小隊」と陰口をたたかれるはめになった。
「ええと……、それじゃ投げますよ」
きゅっとスイッチをひねる音がして、隊長はペットボトル状の物体を下界に投げた。隊員もそれに倣ってスイッチをひねる。歩兵用のパイナップル型手榴弾ではなく、数倍の威力を持つ工具用のものだった。
大爆発が起こってまわりの建物から銃撃が止んだ。橋爪の視界から小型幻獣がきれいに消滅していた。
「くそったれ! おまえら勝手に死にやがれ?」
軍曹はそう言うと、仲間をうながして屋上から逃げ出した。はっはっは。橋爪は笑い声をあげて、「すぐに生体ミサイル来ますっ。俺たちも逃げましょうや」と言い放った。
すばやく機銃を肩にかけると、隊長の肩をボンとたたいて屋上から退避した。
路上に降り立った彼らの頭上で、生体ミサイルが大爆発を起こした。
にしても厄介なところに派遣されちまったな、と次のビルを探しながら橋爪は忌々しげに舌打ちした。妨害を受けながらもすでに幻獣は三本の橋を渡りはじめている。ここ彦島で戦い続けている自衛軍は孤立してしまったわけだ。
「隊長、次は変電所に」
橋爪はすぐ近くの頑丈な造りのビルを指さした。
隊長はうなずくと、にこりと微笑んだ。ビルに向かって走りながら隊長は言った。
「橋爪軍曹、僕らはここで死ぬことになるんでしょうね。君たちも覚悟を」
「まさかね。この程度の戦いで死にやしませんよ。敵に一撃を与えて、やばいなと思ったら姿をくらます。ネズミになったと考えりやいいんすよ」
「ははは、ネズミですか」隊長は声をあげて笑った。多少興奮気味だが、どうやら戦場の雰囲気に慣れてきたらしい。橋爪はにやりとぶっそうな笑みを返した。
「ま、そのために俺は隊長に思いつく限りの武器を集めてもらったわけっす。手榴弾を箱ごと持ち歩いている小隊なんてねーよ」
「僕たちは生き残れますか」
「たぶんね」
これで三度も配属された部隊が全滅してきた俺の悪運も終わりにしたい。そう思いながら橋爪はすばやく機銃の設置個所を探しはじゆた。
同 〇五四五 岩国・下関間
気がつくと高架下の草原に横たわっていた。
厚志は四肢の感触を確かめて慎重に身を起こした。朝露が服に染み込んで全身が湿っぽい。
厚志は昨夜の事故……気絶する直前までの記憶を反芻していた。深夜の山陽自動車道はあらゆる車両でごった返していた。それでも夜のうちに下関に到着しようと厚志は道を急いだ。
突如として百メートルほど前を走るタンクローリーが爆発した。閃光。爆風を避けようとすばやくエンジンブレーキをかけ、体重を移動してガードレールすれすれにUターンを試みた。
しかし避けされず、爆風の風圧に押し出されるように単車はガードレールに激突して、厚志と舞は二メートルほど下の草原に投げ出された。
宙に浮かびながら、とっさにスロットルから手を離したことが幸いした。運が悪ければバイクの下敷きになって足の一本は持っていかれたはずだ。後頭部がずきずきする。ちょっとした脳震盪を起こしていたらしい。
そうだ、舞は……! 足下にウーロン茶のペットボトルが投げ出された。見上げると、舞は澄ました顔で立っていた。
「怪我は?」
さすがだな、と思いながら厚志は一応尋ねた。厚志もそうだが、舞もナノ秒のうちに状況に対処する反射神経の持ち主だった。最善の着地姿勢をとったに違いない。
「わたしはなんともない。そなたは三時間失神していたぞ。脳に関してはわたしは専門家ではないゆぇ、動かすかどうか迷った。だいたいそなたが気絶などするから!」
舞は険しい顔で厚志をにらみつけた。
「時間を無為に過ごすはめになった」
「ごめん・…」厚志はしおらしく謝った。スピードを出しすぎていた。とっさの回避で死なずに済んだが、言い訳にはならなかった。
「共生派がまたぞろ出没しはじめたようだな。上はしばらく大渋滞であった。やっと流れがまともになったところだ」
「しつこいよねー」
「それが感想か? まったく……」
舞は険しい表情を繕おうとしたが、あきらめたらしく苦笑を浮かべた。共生派のゲリラ活動など眼中にないといった厚志の態度に滑稽味を感じたらしい。
さくりと草原を踏みしめる音がして、ふたりの憲兵がこちらに歩み寄ってきた。厚志と舞はペットボトルに口をつけながら彼らの様子を観察した。
「所属姓名を」
憲兵のひとりが尋ねてきた。もうひとりの憲兵は油断なくふたりを監視している。
「5121独立駆逐戦車小隊・芝村万翼長である。こちらは速水千翼長」
「どうも」
間の抜けた挨拶をしながら、厚志はくんと鼻音うごめかした。夏の草原の濃厚なにおいに交じって独特な硝塵のにおいがした。拳銃のものではない。ミサイルの噴射剤。飽きるほど嗅ぎ慣れたにおいだった。
「5121……君たちは人型戦車のパイロットかな?」
憲兵の質問に舞は微かに首を縦に振った。
「ええ、そうなんですよ。単車で下関に向かっていたら事故に遭っちやって。僕はピンピンしてますが、この子がかわいそうで」
厚志はさりげなく舞の細い肩に手をかけた。人前で肩に手をかけられ、この子、と言われて舞は怒りを宿した目で厚志をにらんだ。厚志はその視線を受け止め、真顔になるとわずかに目配せした。
(そうなのか……?)
厚志の意図を察した舞が、すぐに目で問いかけてきた。厚志の目に肯定の殺意が宿った。
「すみませーん。隊に連絡をとらないと。携帯無線を貸して欲しいんですけど」
厚志はすぐににこやかな表情に戻って憲兵に近づいた。
「ああ、それなら……」憲兵の次の動きは明らかだった。腰のホルスターに収めた拳銃を取り出すつもりだろう。
憲兵が身じろぎしたとたん、厚志はすばやく憲兵の拳銃を抜き出し、ためらいなく発射した。
銃声が背後からも聞こえて、一瞬、棒立ちになった憲兵がくたりと地面に這った。舞のシグ・ザウエルが火を噴いたのだ。
「普段から拳銃を携帯せよと忠告していたはずだ。どうする? 憲兵殺しだぞ」
舞は不機嫌に厚志に言った。
高架から数人の憲兵が飛び降りてきた。小銃を構え、ふたりを取り囲んだ。
「近頃の幻獣共生派は手の込んだ変装をする」
舞は冷静にふたつの死体を目で示すと、少尉の階級章をつけた憲兵に話しかけた。憲兵のひとりが死体をあらため、携帯無線を取り出し耳を澄ませた。
「引き親き山陽本線の破壊活動に当たれ、と。どう返事しますか?」
少尉の目が光った。
「了解、と。武器と爆薬の受け渡し地点を再確認したいと言ってくれ。これは君たちが……」
少尉は態度を和らげてふたりを見た。
「ミサイルの噴射剤のにおいがしたんですよ。タンクローリーを爆破した犯人ですかね?」
「……たぶん。しかし、それだけで」
少尉は言葉を失って厚志を見た。
「我らは九州で友軍の変装をした共生派と散々やり合ったからな。時に、頼みがある。下関に向かわねばならん。単車を貸してはくれまいか?」
下関、と聞いて少尉の表情が引き締まった。
「市内に敵がなだれ込んでいます。非常に危険な状況ですが」
厚志と舞は、はっとして顔を見合わせた。舞は腕を振り上げ、おもむろに厚志の頭をグーで殴った。
「わっ、何を……!」厚志は頭を押さえて地面にへたり込んだ。
「たわけ、たわけめ! そなたが寝ている間に状況が悪化した。我らは人型戦車のパイロットだ。一刻も早く戦場に駆けつけねばならん!」
同 〇九〇〇 下関・東大和町周辺
「だめだ。きりがねえ。次から次へと来やがる!」
滝川の軽装甲から通信が送られてきた。滝川は駅からおよそ五百メートルほど離れた港湾合同庁舎ビルの陰から、中型幻獣を狙撃していた。幅一キロ四方の狭い戦場だった。自衛軍の砲火も熾烈を極め、撃てば必ず当たる状況だったが、幻獣の大群は何かに憑かれたようにひたすら東をめざしていた。
「滝川機、ゴルゴーン一撃破」東原の声が指揮車内に響き撮った。
「引き続き、敵を削ってくれ。まだ市民の避難が終わっていないんだ」
戦闘指揮車は補給車とともに駅前ロータリーに展開していた。瀬戸口の耳に駅員のアナウンスが聞こえる。「避難パスの記載は問いません。近隣の皆さんは急いで駅へお顧いします。残り三便です。最終便は十一時二十五分に出発致します」
ロータリーに市民が殺到しては駅に吸い込まれてゆく。上空に不吉な音がして生体ミサイルがロータリーに落下した。ヒィー。悲鳴が尾を引いてこだました。怒号、号泣が聞こえ、瀬戸口は目をつぶった。
「なんでもいいから、ミノタウロスとゴルゴーンにミサイルを撃たせるな。滝川、おまえさんしかいないんだぞ」
瀬戸口は知らずとがった声を出していた。滝川に責任はないのはわかっている。二番機は狙撃位置についてからすでに十体の中型幻獣を葬っている。敵の注意を引いた、と思ったらすぐに移動し、ねばり強く戦っていた。
東原が顔をあげる気配がした。らしくないな、と瀬戸口は頭を掻いて東原に向け、にこっと笑ってみせた。
「十一時二十五分ってなんすか? まだ二時間以上ありますよ。
「ははは。黄色い稲妻が弱音を吐くんじゃない。ほんの二時間、だ。じきに複座型も駆けつけてくるだろう」
舞と厚志からの連絡がないことが気になっていた。まさか岩国でのうのうと時間を無駄にするふたりではないだろう。
「えっ、速水たち、来るんすか?」滝川の声が生気を帯びた。
「ああ、来るとも。何せよ、いいとこ取りのおふたりさんだからな。おまえさんがあわや、というところに颯爽と登場って筋書きだ」
沈黙があった。しばらくして、滝川は「ずるいよなあ」とぼやくように言ってきた。
「ヒーローになるチャンスだったのに。そっか……鉄剣突撃勲章まであと半分じゃないすか! あいつらが来るまでにクリアしないと主役を取られちまう」
「……ああ、名わき役という手もあるが、今の主役はおまえさんだぞ」
心配そうに瀬戸口を見上げる東原に、瀬戸口は笑いかけた。
「滝川は不器用だが、なすべきことがわかっている。一に生き残ること。どんなみっともなくても生き残っていれば任務を遂行できることを知っている。大丈夫だよ」
「陽平ちゃん、えらいよね」
瀬戸口の言葉に東原は安心したらしく、そう言うと戦術画面に視線を戻した。
そうだ。滝川は一番難ありのパイロットだったが、速水、芝村、壬生屋、三人の天才の背を律儀に、生まじめに追っていた。まるで忠実な猟犬のように。あのしぶとさは才能だなと瀬戸口は思った。
「フツーがいちばんつよいのよ」
瀬戸口の考えを知ってか知らずか、東原は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。その横顔に何気なく視線を移して、瀬戸口は目を瞬いた。
幼女のものではなかった。どこかハイティーンの女子の憂愁を宿している。ただ一機、孤独に戦う滝川の身を真剣に案じていた。
「東原、岩国に連絡を……いや、やめておこう」
「すまん。機体はハンガーか?」
不意に舞の声が飛び込んできた。来たな。瀬戸口は東原と顔を見合わせ、微笑んだ。
「遅刻だぞ。複座型は例のごとく新下関駅側の学校に。新井木が留守番をしている。寂しがっているから急げ。こちらの状況は……地獄の三丁目というところだ」
瀬戸口が冗談めかして言うと、「一時間……む、三十分で駆けつける!」舞は早口に言うと通信を切った。
大小の溜弾が幻獣の群れを吹き飛ばした。
ある意味、彦島から下関駅までの戦線は、格好の迎撃地点と言えた。狭い戦線にひしめき合った幻獣は、溜弾が着弾するたびに消滅を繰り返している。しかし小型幻獣の数は無限と思えるほど、すぐに戦線の空白は埋められる。
来須と若宮は戦線の維持と小型幻獣を自衛軍と砲兵に任せ、中型幻獣を丹念に片づけていた。
互いに道路を挟んで向かい合ったビルに登って合図をしあい、まず来須がレーザーライフルで幻数を狙撃する。敵の姿を求めて背を向けた幻獣に肉切り包丁と呼ばれた若宮の十二・七ミリ機銃四門が火を噴いた。
ゴルゴーンなら一度、ミノタウロスなら二度で爆発を起こす。中型幻獣を食う戦車随伴歩兵というのも珍しかったが、所属する隊の半数が整備員という打たれ弱い隊だった。ふたりは強く、オールマイティでなければならず、それなりの装備を揃え、スキルを養っていた。
「確かにきりがないな」
若宮が無線で話しかけてきた。どう答えればよい? 来須はこの種の会話が苦手だった。沈黙を守っていると、「しかし中型幻獣は無限じゃないな」と続けてきた。
葬った後、同じ地点に新手が登場するまで間があった。その間を長く保てるようになればそれだけ長く友軍が持ちこたえることができる。
「うむ」来須はしかたなく短く応えた。
「ところで石津のことは心配じゃないのか?」
十二・七ミリ機銃の掃射昔とともに若宮が再び話しかけてきた。ゴルゴーンが爆散し、強酸の飛沫が散った。来須はすばやく物陰に身を潜めた。
「……あれは大丈夫だ」
来須の目の端に、怯え、先ほどから集えている学兵の分隊が映っていた。学兵? 来須が視線を向けると、学兵たちの顔に緊張が走った。
「何をしている?」
来須が言葉を発すると、学兵のひとりがためらったあげく口を開いた。
「……こんなひどいとは思わなかったから」
なるほど、と来須は納得した。若宮が訓練している例のあれだ。要塞化が進められている山口県では、例外的な措置として学兵の志願を認めていた。九州戦の生き残りの学兵が、彼ら志願兵の教育を担当する場合が多かった。タカ派の知事が臨時に県教育委員会の管轄下に置くように動いていた。旧学兵に職を与える意味もあった。
志願するくらいだから元は気の荒い連中だったろう。しかし今は本物の戦争の中に身を置き、怯えた羊と化していた。
若宮が道路をはさんだ反対側のビルから合図を送ってきた。来須の目の前、二十メートルほどの距離にゴルゴーンの巨体が映った。来須は学兵のことを頭から追い出してレーザーライフルの引き金を引いた。頭部を貫通されたゴルゴーンの体が痙攣したかと思うと、来須の姿を探しはじめた。若宮の肉切り包丁が、重たげな音をたでてゴルゴーンの背を切り裂いた。爆発。
来須はとっさに伏せて熱風と強酸を避ける。
悲鳴があがった。来須が顔を上げると、先ほどの学兵が来須を見つめていた。
「あの……一緒にいていいですか?」
「隊長はどうした?」
「途中で敵に見つかって、俺たちを逃がそうとして……」
来須は微かにかぶりを振った。
「隊長を見殺しにして、おまえらはそこで震えているわけだ」
来須の淡々とした口調に、学兵たちは息を呑んだ。
「ここは危険だ。裏道沿いに駅へ向かえ。拾ってくれる部隊があるだろう。駅にたどり着けなかったら、それまでの運だ」
そう言うと来須は若宮に移動の合図を送った。敵にも知性はある。そろそろ狙撃地点を特定していると考えてよかった。
「一緒にいちゃだめですか、やっぱ……」未練げな声に来須は背を向けたまま応えた。
「俺と一緒にいるとまちがいなく死ぬ。後方に下がれ」
助けている余裕はなかった。今の自分もぎりぎりの状況で戦っている。九州を撤退した時と比べてもさらに悪い予感があった。壇ノ浦方面から市の中心部に進撃している敵は、そして防戦をしている友軍はどうなっているのか? 戦線が崩壊し、交通が遮断されれば市は完全な包囲下に置かれる。市民を巻き込んだ大殺戮がはじまるだろう。
学兵たちを残して、来須はビルを後にした。
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第五章 複座型参戦
八月五日 〇九一五 5121小隊駐屯所
急ブレーキをかけてオートバイが停まった。
ハンガーからウォードレスを着た小柄な姿が走り出てきて、飛び跳ねながら手を振ってきた。
「遅刻だよ、遅刻! 早く着替えて!」
そう言いながらも新井木の表情は嬉しげだった。
「すぐに発進できるか?」
舞が尋ねると、新井木は「バッチリ!」指でOKサインを出した。ウォードレスを急いで着ると、ふたりはコックピットにすべり込んだ。厚志は操縦席につくと、鼻孔一杯にコックピットのにおいを吸い込んだ。帰ってきたなー。自分と舞のにおいがした。巣穴に戻ったような安心感があった。
「神経接続オン。……厚志」
舞の声が聞こえてきた。「うん」返事をすると厚志はつかのまの眠りに落ちた。
「瀬戸口だ。聞こえているか? すぐに下関駅前ロータリーに。友軍がじりじりと押されて敵が三百メートル先に迫っている。列車が出るまでの時間を稼ぎたい」
グリブから覚めるとすぐに瀬戸口の声が聞こえてきた。相変わらずとぼけた口調だが、状況は深刻だ。砲声、銃声が鼓膜をしきりに刺激する。
三百メートルという距離の意味。これ以上接近されると砲兵は足止めの溜弾を撃つことができなくなる。それは厚志にも舞にも十分わかっていた。
「了解した。……新井木はどうする?」舞が短く応じた。
「テイクアウトしてくれ。事情はあとで説明するが、人手が足りん」
「新井木さん、一緒に行こう」
厚志は機体を誘導しようと拡声器を持っている新井木に呼びかけた。え? という顔になっている新井木に複座型は腕を伸ばして、掌に新井木を包み込んだ。
「わ、わ、わ。僕、遠慮したいな」
「どこに敵がいるかわからないじゃない? 僕たちと行った方が安全だよ」
そう言うと、厚志はアクセルを目一杯踏み込んだ。ほどなく山陽自動車道に出て、時速六十キロのスピードで増援に向かう戦闘車両の縦列を追い抜いた。
市内のそこかしこで黒煙が立ち上っていた。一瞬、視界を転じると、東の方角、元関門橋があった方面からひときわ激しい砲声が聞こえた。
「……大変なことになりそうだね。持ちこたえてくれるといいけど」
厚志が話しかけると、舞は足を伸ばして操継席を蹴った。
「山陽本線と自動車道を守らぬば市民に大量の犠牲が出る。無駄口をたたかんで急げ!」
「最高速度なんだけど……」
「き、気持ち悪いよー。胃がでんぐり返りそう」
新井木が泣き言を言ってきた。
「すぐに慣れるよ。なんだったら吐いちゃってもいいから」
拡声器をオンにして厚志がのんびりした口調で言うと、掌に包まれた新井木が「むきっ」と声をあげた。
「こーなったら吐いてやる、吐いてやる! げろげろにしちゃうから」
「あはは。新井木さんは元気いいよぬ。僕は好きだな、そういうの」
言った瞬間、またしても舞の蹴りが飛んできた。
「だから無駄口を……む」
「うん」
「二時の方角にスキュラを確認。新井木、覚悟しておけ」
複座型は自動車道を降りると、迂回するように友軍を掃射しているスキュラに接近した。
「嫌だ、嫌だよー。とっとと降ろして!」
「たわけ、下を見ろ!」
新井木は下を見て、ヒッと声をあげた。ゴブリンをはじめとする小型幻獣が路上にあふれかえっていた。複座型は小型幻獣を蹂躙しながら進んでいた。
「距離四百」厚志の声が真剣なものになった。
「まだまだっ!……よしっ」
複座型のジャイアントアサルトのガトリング機構が独特の音をたてて回転した。曳光弾が弧を描き、スキュラの側面に吸い込まれて行く。ほどなくスキュラが転回をはじめた。しかし複座型は手慣れたステップワークですでに敵の死角に入り込んで、接近していた。
柔らかな側面下腹部に二〇ミリ機関砲弾がたたき込まれる。ほどなくスキュラはぐずぐずと炎をあげて落下した。爆発が起こって、瓦礫が宙を舞った。
ウエエ。新井木がもどす声がした。
「ごめんごめん。けど、僕の操縦はよしな方なんだ。そんな乗り心地惹くないと思うけど」
厚志が笑いながら弁解をすると、「どこがっ!」新井木が憤然と叫んだ。
「壬生屋さんの重装甲なんてもっと大変だと思うよ。飛んだり跳ねたり」
厚志はふた振りの超硬度大太刀を引っ提げた重装甲が敵の真っ直中に突進して、鬼神のように暴れ回る光景を思い浮かべた。
「たわけ。無駄口を……」舞が不機嫌に言いかける声と新井木の声が重なった。
「壬生屋さん、ダメみたい。重装甲に乗れなくなっちゃったの」
新井木はしょんぼりした様子で言った。
「え……?」厚志が絶句すると、新井木は話を続けた。
「一ヵ月前に退院して。リハビリしていたみたいなんだけど、重装甲に乗ったと思ったら、すぐにコックピットから飛び出してきて。わたしにはよくわからないんだけど……死にかけたから体が嫌がっているのかもしれないって若宮が言っていた」
「ふむ。壬生屋はどうしている?」舞が冷静に尋ねた。
「石津さんと一緒に出かけちゃった」
出かけちゃったはないだろ、と思いながら厚志は壬生屋の心の傷を思いやった。自分は違うと言うこともできる。だから? 死の極限状態を体験していない者が何を言ってもまったく意味はないだろう。
ああ、そういえば僕にもあったな……。ラボ、すなわち政府公認の人体実験施設で、せっかく親しくなった友人が急に姿を消すことがままあった。「先生」は、新しい施設に移ったと言っていたが、厚志は施設に充満する濃厚な死のにおいを感じていた。
死ぬことがこわかった。だから殺されないために、手段を選んではいられなかった。厚志は狂った。気がつくと血だまりの中にいた。
「そうじゃないな。壬生屋さんは僕なんかとは違うな」
厚志がつぶやくと、シートに衝撃が走った。相変わらず大人げない舞の蹴りだったが、舞の言葉は冷静そのものだ。
「……そなたの心の闇が多くの命を救ってきた。それだけは忘れるな」
「うん……」
「何故、壬生屋を案ずることがある? えらそうに」
「えらそうになんて思ってないけど」厚志は憮然として言い返した。
「えらそうだ! じきに壬生屋は復括する。わたしはあいつを信じているぞ」
ふたりのやりとりを開いていた新井木が、おずおずと尋ねた。
「ええと……壬生屋さん、大丈夫ってことだよね?」
「ふっ。その通りだ」舞は徴かな笑みを洩らして言い切った。
「うん。そうだよね。僕も舞に賛成――」厚志は機嫌よく相づちを打った。
「あはは。調子いいなー。速水君って芝村さんの言うことならなんでも賛成なんだよね!」
新井木が陽気に笑って冷やかした。
「あは。どうやら僕はそういう仕組みになってるみたいだよ。僕は舞の手下だからさ」
「無駄口をたたかんで、急げ! ロータリーまであと何分だ?」
「十分あれば」
「それじゃGOGO!……うえ、やっぱり気持ち悪いな!」
新井木のげんなりした様子に、厚志は声をあげて笑った。
同 〇九三〇 下関・貴船《きふね》町周辺
砲撃の音に導かれるように、石津は小走りに駆けた。
その背を追いながら、壬生屋はあらためて石津の装備の物々しさに驚いていた。背には医薬品を詰め込んだ背嚢を背負って、ポシェット、腰回りにもこれでもかとこれも医薬品を詰め込んでいた。適当に選んだサブマシンガンと、カトラスだけの自分が恥ずかしくなった。
「あの……、石津さん。荷物、持ちましょうか?」
声をかけると、石津はペースを落とさずに背を向けたまま応えた。
「必要な時に……お願い……するわ」
石津は小隊主力とは異なる方角、壇ノ浦町方面をめざしていた。進むうちに、自衛軍の戦車随伴歩兵の姿を多く見かけるようになった。敗残兵ではない。損害を受けた隊が、相談して反撃のための再編成をはかっているようだ。兵の目つきと雰囲気でそれとわかる。
兵たちの好奇の目にさらされて、壬生屋は顔を赤らめた。石津がとある商店街の這ばたに屯する小隊規模の兵たちの前で足を止めた。そしてはじめて壬生屋を振り返った。
「壬生畢……さん」石津は頬を紅潮させ、訴えるように壬生屋を見つめた。
「あ……」壬生屋は納得というようにうなずいた。石津はシャイで会話が下手だ。
壬生屋は兵たちに向き直ると、凛とした表情で呼びかけた。
「負傷している方、いらっしゃいませんか? 手当致します」
「お娘さんたち、衛生兵なんか?」包帯で片目を覆った伍長が話しかけてきた。
石津はバックパックを下ろすと、無言で伍長の肩を掴んだ。
「ん……?」
「包帯、汚れている……変えないと」石津があっけにとられる伍長の包帯をはがすと、強酸を浴びた片目が露わになった。
壬生屋は思わず顔を背けたが、石津は丹念に火傷を消毒し、薬を塗った。火傷は感染症が一番こわい。まっさらな包帯を取り出すと、手品のようにすばやく包帯を巻き直した。
「これ……抗生物質」石津に錠剤を手渡され、伍長は片目を瞬いた。
「……驚いたな。こいつはホンモノだ。隊長!」
伍長が声をあげると、見物の兵をかき分け、中尉が姿を現した。
「重傷……の人は?」
石津が尋ねると、中尉は「二人」と答え、目で横たわっているふたりを示した。
「キメラの熱線……の人」石津はまたしても壬生屋を見た。
「あの、キメラの熱線にやられた人を先に手当します!」
石津に頼りにされて、壬生屋は少し嬉しくなった。
「手当ったって。腹を貫通している。助からんよ」
中尉の声を無視するように石津はウォードレスを脱がされた兵に屈み込むと、腹部に手をあてた。そしておもむろにメスを取り出した。
「おい、何をするんだ……!」中尉が不安げに叫んだ。
「わたくしたちを信じてもらいます! どうして手榴弾を……」
壬生屋は、きっとして中尉をにらみつけた。負傷兵の傍らには手摺弾が置かれてあった。
「どうせ助からん。連中に八つ裂きにされるぐらいなら」
自決用に手榴弾を渡した、と中尉は目で語った。
石津はモルヒネを打つと、ためらいなくメスを兵の肌にすべらせた。鮮血が石津の顔を濡らした。
「壬生屋……さん」呼びかけられて、壬生屋は石津の隣に屈んだ。テレビで見たことがある。
助手が必要なのだろう。
手袋と紺子を渡され、露わになった内蔵の一点を石津は指さした。
「ここを紺子で押さえていて」
壬生屋はごくりと唾を呑み込んだ。判断停止の状態のまま、言われるとおりにした。石津の指先がすばやく動いて、内蔵を縫合してゆく。鮮血が収まってきた。石津は再び傷口を縫合し閉じると、包帯を巻いた。
一介の衛生兵が手術をするなど、医療倫理を無視した明らかな犯罪行為だった。がフランス人形のように可愛らしい少女が発散する鬼気迫《ききせま》る雰囲気に兵らは圧倒され、口を開く者はいなかった。
「助かった……わ。……担架に乗せて後送」
鮮血をぬぐいもせず、石津は中尉を見上げた。「後送ったって……」担架もなければ、戦闘員を割くこともできない。
「そういやここら辺で救急車が走り回っていましたよ。誰か探してきてくれ」
はじめに手当を受けた伍長が口を開いた。
「俺……行ってきます」若い一等兵がそう言うと元気よく駆け去った。
もうひとりの負傷兵の傷は壬生屋にもわかった。両足が妙な方向に折れ曲がっている。モルヒネが切れたのだろう。うめき声が号泣に変わった。
「ちっくしよう。痛え、痛えよ! 誰か殺してくれ!」
「……こんなの傷に入りませんわ! 両足複雑骨折。わたくし、いささか心得があります」
わたしが言ったのか? 言ってしまってから壬生屋は顔を赤らめた。
「……鬱血……している。開く……わ」
折れた骨が動脈を損傷していることがある。石津は顔色も変えず、再びモルヒネを打つと鬱血している側の脚をメスで開き、血にまみれた傷口を持参した洗浄器で洗った。そして損傷箇所を特定すると出血を止めた。
壬生屋はその間に、固定具に使える板されを探した。
「あとは固定すればいいんですよね? わたくし、できます!」
近隣に待機している隊からも兵が集まって、ふたりの「お嬢さん」を見物している。
古武術の道場を開いている家に生まれたことから、骨折、骨接ぎなら慣れている。壬生屋はてきぱきと、丁寧に骨折箇所を固定した。下手な固定だと、治癒しても歩行に障害が残る。
「これでよし、と。石津さん……?」
張りのある声で壬生屋が呼びかけると、輸血用のパックを兵に固定して石津は徽笑んだ。
「助かった……みてえだな」骨折した兵が情けない声を出した。
「ふふふ、あなたは大げさなんです。こんなの傷に入らないと言ったでしょう! きちんと固定しましたからまた歩けるようになりますわ」
なんだかわたし、開き直っている――。厳しい言葉を浴びせながらも、壬生屋は兵に微笑んでみせた。
「傷の……軽い人」石津がささやいた。
「軽傷の方も手当致します! 行儀良く順番に並んでくださいね!」
壬生屋はよく通る声で兵の群れに呼びかけた。兵の列ができて、石津は要領よく兵らの手当をし続けた。
「救急車、つかまりました!」
若い一等兵が駆け込んできた。救急車がほどなく停車すると、ふたりの重傷者を収容した。
行き先は新下関駅とのことだった。
「あー、すまんがそちらのお嬢さん」
中尉がタオルを手に石津に話しかけた。
「顔についた血をぬぐってくれ。今のまんまじゃ人を食ったみたいだぞ」
最後のひとりの手当が終わったところで、場の空気が変わった。
兵たちは黙々とそれぞれの武器を点検しはじめた。壬生屋は雰囲気が変わったことに敏感に気づき、中尉を見た。壬生屋の視線を受けて、中尉は陽に焼けた厳つい顔をほころばせた。
「これから反撃だ。山陽自動車道に敵が取り付いたらしい。押し戻さんとな」
「戦況はどうなんでしょうか?」
開くまでもないか、と思いながらも壬生屋は尋ねた。
「絶望的だな。俺たちは四つの小隊の生き残りの寄せ集めなんだ。けどまあ、俺たちの仕事は目の前の敵をひとつひとつつぶすだけだ。自動車道を確保することで、市民がひとりでも多く避難できる。さて、お嬢さんたちは……」
「一緒に……行くわ」
石津が不意に口を開いた。中尉は驚いて石津を見つめた。
「馬鹿なことを言うな! 素人は連れていけん」
素人、の言葉に壬生屋は静かに反応した。
「わたくしたちは素人なんかじゃありません。九州でずっと戦ってきました。5121独立駆逐戦車小隊がわたくしの隊です」
それまでの壬生屋だったら、顔を鼻っ赤にして怒っていただろう。なんでこんなに冷静になれるのかしら、と壬生屋は自分に戸惑っていた。
「む。しかし戦車はどうしたんだ? 俺たちが本当に必要としているのは戦車だぞ」
中尉に尋ねられて、壬生屋は眉を垂らせた。
「故障……しているの。すぐに……治る……わ」
石津が代わって訥々《とつとつ》と言った。中尉は石津の顔を見つめ、ついで壬生屋が腰に吊している超硬度カトラスに員を留め、首を傾げた。
「負傷者は前線に……いるの」
単純な事実を指摘されて、中尉は「ううむ」とうなった。そして先ほど救急車を誘導してきた一等兵に向かって、
「そこのおまえ! ふたりを護衛しろ。いいか、絶対に目を離すんじゃないぞ!」
まだ十代に見える若い一等兵はビクリと身を震わせて敬礼をした。
「迫撃砲小隊が支援を申し出ています! まだ二門、使えるそうで」
無線に張り付いていた通信兵が叫んだ。
「よし、攻撃開始と同時に着弾地点の座標を送る、と伝えろ」
それまで壬生屋が鼓膜から閉め出していた砲声、銃声がいっそう激しくなった。友軍の反撃がはじまったらしい。中尉は無造作に片手をあげると、進撃開始の合図を送った。
一等兵は緊張した面もちで九七式小銃を構え、ふたりの先頭を歩き始めた。壬生屋は、くすりと笑いを洩らした。
「そんなに緊張していると、いざという時、体力が持ちませんよ」
「あ、ああ……。けど、しょうがないだろ、こわいんだから。君たちはなんだか場慣れしてる感じだけど」
一等兵は怪訝な顔でふたりを振り返った。
「自衛軍じゃないんだよな? 5121小隊って?」
「学兵。人型戦車の小隊です」壬生屋は短く応えた。
「ああ……テレビで見たことがある。あんなロボットが本当に動くんだな」
ロボットと言われて壬生屋の表情が曇った。一般の兵には生体兵器など無縁だ。せいぜいがウォードレスの存在でやっと人工筋肉を意識するに過ぎないだろう。同世代の連れができて安心したのか、それとも不安を紛らわすためか一等兵は話を続けた。
「山口は不況で。隣の広島とは大違いさ。俺、豊浦《とようら》ってとこの出身なんだけど、まともな求人もなかったんで自衛軍の募集のポスターを見て」
ふたりが返事に困っていると、伍長が近づいてきて一等兵の頭をはたいた。
「無駄口をたたくな! それと、ふたりとも一応中尉待遇だからな。言葉に気をつけろ!」
「ヘ? あ、そうなんですか。俺、階級章がわかんなくて」
あの壮絶な戦いが終わってから三ヵ月が経っていた。すでに世間では「学兵」の記憶は風化しつつあるようだった。失われた学兵の過半が九州出身者だったこともある。
突如として迫撃砲弾が前方でたて続けに爆発した。「はじまった」と伍長はつぶやいた。
「おふたりさんはそこのハローワークビルに。おまえは引き続きふたりを守れ」
そう言うと伍長は身をひるがえして、戦闘態勢に入った兵らの中に駆け去った。その後ろ姿を見送りながら、前線は百メートル先というところかと壬生屋は思った。
迫撃砲弾がひとしきり大地を揺らしたかと思うと、一斉に銃声が起こった。ビルの一階、事務室に待機したまま、壬生屋と石津は黙って戦場の音に耳を澄ました。
喊声《かんせい》怒声《どせい》が聞こえた。壬生屋は身を震わせた。白兵戦がはじまった! 壬生屋は立ち上がると超硬度カトラスをあらためた。懐かしいきらゆき。超硬度大太刀と同じだ。まばゆく光る刀身を見て一等兵の顔が青ざめた。
「な、何をする気だ?……気でありますか?」
「ええ、ちょっと様子を見に」
壬生屋はにこっと微笑んだ。
「待ってくれ。俺は君たちを守るように命令されて……」
立ち上がろうとする一等兵の肩を石津が押さえた。石津は無表情に相手の顔を見た。
「これで……いいの」
「いいのって。君、な、なんだかすごい力だね」一等兵は強引に座らされた。
その間に壬生屋は消えていた。
声はしだいに近づいてくる。途中、敗走してくる数人の兵とすれ違っね。兵らは足を止め、ぼんやりと壬生屋を見送った。
壬生屋の視界にゴブリンに取り付かれている兵の姿が映った。超硬度カトラスを引き抜くと一閃。両断されたゴブリンが兵の足下に崩れ落ちていく。
銃声が聞こえ、小銃を乱射しながら後退してゆく兵。三体のゴブリンリーダーが小銃弾を受けながらも進んでくる。兵が足をもつれさせ、転んだ。二メートルを超えるゴブリンリーダーの腕が伸びて、兵の体をむずと掴むと無造作にその体を引き裂いた。絶叫が起こって、鮮血が宙に舞った。壬生屋の心の中で何かがはじけた。
「許しませんっ……!」
気合いを発して壬生屋は敵の懐に躍り込んで、カトラスを突き刺し、一文字に走らせた。体液を全身に浴びながらすばやくカトラスを引き抜くと、二体めのゴブリンリーダーのパンチを見切って避け、背後にまわると袈裟懸けに切り下げた。
風圧。またしてもパンチが飛んできた。壬生屋は突き出された腕を両断した。……怯え? 腕を切り落とされたゴブリンリーダーが怯えている? 人型戦車で戦っていた頃には肌で感じることができなかった。壬生屋の口許に笑みが浮かんだ。そう、わたしは幻獣を狩る鬼だ。戦うために生きている。死ぬことなど! 死ぬことなど何ほどのこともないのに、人並みの平穏を手に入れようとして臆病になり、弱くなった。
瀬戸口さんにはそれがわかっていたんだ。体よ、動け! 無くしたものを取り戻せ! 壬生屋は跳躍すると、目にも留まらぬ速さで背を向けた敵を斬った。
敵の巨体が地に伏した。壬生屋はカトラスを引っ提げたまま、鋭い目で前方を凝視した。
「……これ、全部お娘さんがやっちまったのか?」
機銃を撃ちながら友軍が後退してきた。例の伍長が茫然として、凛とたたずむ壬生屋と消滅しつつある敵を見比べた。
しかし壬生屋は応えずに、前方の瓦礫の中に姿を消した。三十体を超えるゴブリンが瓦礫の横を跳ねながら進んでいった。友軍の攻撃は失敗したらしい。壬生屋は、最後尾のゴブリンに音もなく忍び寄った。
荒れ狂う壬生屋は、敵の怯え、恐怖を糧として、飽かずカトラスを振るい続けた。
別の方角から再び組織的な銃撃が聞こえた。敵の狼狽、怯えがひしひしと伝わってくる。ほどなく友軍の歓声が聞こえてきた。
「通信兵、増援を要請しろ!……おまえたちは他隊からはぐれた兵を回収しろ。残りは陣地構築。負傷兵はハローワークビルへ」
中尉が命令する声がした。壬生屋が我に返ると、最後のゴブリンが消滅するところだった。
石くれが音をたでて転がった。瓦礫を踏み分ける足音が聞こえ、壬生屋は中尉の姿を認めた。
「……何者だ、君は?」
「ええ、わたくしもそれを考えていたところです」
静かに言うと、壬生屋は超硬度カトラスを鞘に収めた。
同 一〇一五 下関駅周辺
駅前ロータリーに姿を現した複座型を市民たちは茫然と見上げた。
足の踏み場もないほど混雑したロータリーに足を踏み入れた巨人の拡声器から少年のやさしげな声が聞こえてきた。
「すみませーん。僕たちこれから前線に行くところです。道を空けてください。……あ、あわてないで大丈夫ですよ。最終便が出るまで敵をくい止めますから」
砲声、銃声がこだまする中、拡声器からのノンビリした声に市民は我に返った。駅員の指示に従い、整然と巨人のために道を空けはじめた。
「頑張れよー、兄ちゃん」
どこからか声が飛んできた。複座型からの声の主はジャイアントアサルトを持った側の手をあげてみせた。どうやら少し調子に乗っているようだ。
「皆さんもご無事で」
「あ――、こちら5121独立駆逐戦車小隊です。貴重な増援が到着しました。皆さんは安心して避難をお願いします」
速水の呼びかけに呼応するように、戦闘拇揮皐から瀬戸口の声が聞こえた。
今日はよく蹴られるなあと思いながら、厚志はシートの振動に口許をゆるめた。
「たわけたことを。まったく軍人らしくないぞ!」
舞の声が不機嫌に聞こえた。舞はかなりご機嫌なんだな、と厚志は微笑んだ。市民の中から励ましの声が来るとは思わなかったんだろう。舞はそういうのに弱いところがある。
「軍人らしいってわかんないんだけど。舞が言うとさ、とっとと道を空けるがよい。踏みつぶされたいのか、なんて言っちゃうだろ?」
厚志は舞の口まねをして応酬した。またシートを蹴られた。なんというか、これが舞の愛情表現ということが厚志にはわかっている。
ロータリーを巧みにすり抜け、複座型は速度を上げた。すぐに瀬戸口から通信が入ってきた。
「あと一時間、持ちこたえる。滝川機は補給を受け、小休止」
ふう、と滝川のため息が聞こえた。
「朝からずっとだぜ。くたくただ。おまえら大遅刻だぞ」
滝川に恨みがましく言われて、厚志は声をあげて笑った。
「あはは。ごめんごめん。けど、ねばり強いよな、滝川って。どんな感じ?」
どんな感じ、と言われて滝川は「へっへっへ」と笑った。
「中型幻数撃破十三。残りはおまえらのためにとつといてやったぜえ」
「もうだめ……わたし、死ぬかも」
外から新井木の声が割って入った。しまった! 新井木さんのことを忘れていた。複座型は身を屈めると新井木をそっと下ろした。新井木は複座型の掌から這い出すと、そのまま地面にへたり込んでしまった。
足音がして、ヨーコと森が新井木を抱え起こした。
「新井木さん、タイヘンでしたネ」
ヨーコ小杉は今では隊の生活全般の面倒を見ている。整備はもとより料理、裁縫、洗濯等々、百八十センチという恵まれた体格から、戦車随伴歩兵の真似事もできる。ヨーコは新井木を軽々と担ぎ上げると、あらという顔でくんと鼻をうごめかした。
「速水君、無茶しないでください!」
森が新井木に代わって抗議した。厚志は首をすくめた。新井木を抱えたまま戦闘したなんて知られたらこわいことになる。
「ごめん。けど、これが一番安全だと思ったから」
地響きがしてライフルを抱えた軽装甲が姿を現した。メタリックなイタリアンイエローの塗装はところどころはげ、泥と挨にまみれている。
「へへっ、森、俺の愛機に乗ってみる?」
「絶対に嫌ですっ!」
森はふっくらした頬をさらにふくらませて軽装甲をにらみつけた。
同 一〇三〇 下関・彦島地区
「現在、橋を通行することは不可能です。市民の皆さんは最寄りのシェルターに避難するか南風泊港で連絡船を待ってください」
拡声器から声が流れてきた。三本の橋は下関市内に向かう幻獣であふれ返っていた。彦島は完全に孤立した。一万の住民が取り残されてしまった。
唯一の致いは、敵が彦島の制圧を後回しにして東へ東へと進んでいることだ。そのために対岸の下関では激戦が展開されている。
一匹でも敵を削ることに専念してきたが、対岸では砲声、銃声が絶えることはなかった。下手に手を出すとやぶ蛇だな、と橋爪は考え込んだ。手榴弾もあらかた使ってしまったし、これからどうするか?
「港に向かいましょう。連絡船を待つ市民の撤退支援を行います」
少尉が冷静に育った。
「……彦島大様のあたりにも敵はうようよいます! まずいっすよ、これは」
南風泊港に行くためには、彦島大橋を渡る幻獣の群を突っ切らなければならない。市役所のアナウンスは混乱している。素人が単に地図を見て、頭の中で避難経路をつくりあげただけだ。
市の警察、消防、役所の役人どもが避難指示の権限にこだわった結果がこれだ。
大殺戮の予感がして、橋爪はぶるっと首を振った。
「そうか……」意味を察して少尉の顔が青ざめた。
「とっととアナウンスを止めさせないと……って連中はあちら側だった」
橋爪の小隊は孤立した彦島で戦い続けていた。市の中心部……本土に渡るたりには幻獣であふれかえっている三本の橋を渡らなければならない。
「電話を」少尉は傍らの公衆電話に日を留めて言った。
あ、そうかという顔で橋爪は瞬きした。だめだ、完全に戦争脳になってやがる……。
少尉は電話ボックスに飛び込んでしばらく受話器に耳を澄ましていたが、やがて受話器を荒々しく置いた。
「だめです。回線が混雑しているらしくて。無線を」
「同じことだと思うけどなあ。待てよ……」
橋爪はポケットから一枚の紙片を取り出した。そして少尉から携帯無線を借り受けると、紙片に書かれである番号を入力した。
とたんに少女の怒鳴り声が聞こえてきた。
「戦線が下がりすぎだ! 生体ミサイルがまたロータリーに落ちたぞ。自衛軍に言ってやれ。死ぬ気で戦線を押し戻せ、とな」
生体ミサイルが群衆のただ中に……。橋爪はぞっとして、言葉を失った。
「ちっくしよう……。出るぜ」
別の少年の声が聞こえて、「頼む」と少女は言った。
「我らは盾となって敵の目を引きつける。滝川、来須、若宮、頼んだぞ。厚志、一度死んでみるのも悪くはなかろう」
少女の声は凛として、覇気にあふれていた。「あはは。死ぬのはごめんだけど」柔らかな少年の声が応じた。
「敵を引っかき回してやる。たぶんできるよ」
「あー……、こちら第二十一歩兵旅団彦島分遣隊第三小隊、橋爪軍曹」
気まずい思いをしながらも、橋爪は声をかけた。
「む。妙な雑音が入ってきたぞ。隊内無線の周波数は機密のはずだが?」
少女が誰かを責めるように言った。
「あんたらと一緒に戦ったんだよ。九州で。それで来須。てやつから周波数を教わった」
「来須……?」
「……覚えている。俺が教えた」低く冷静な声が応じた。
橋爪は口早に状況を説明した。一万を超える市民が取り残されていること。そして市役所のアナウンスに従って避難行動をすれば、大殺戮がはじまることを。
「たわけ! とっとと市役所を占拠せよ」少女が怒声を発した。
「馬鹿野郎! 俺たちは彦島で孤立してるんだよ。それができねえからおめーらに頼んでるんじゃねえか!」
橋爪もかっとなって言い募った。
「ははは。次から次へと難題続出だな」
誰だ? 橋爪は記憶を探った。……確か瀬戸口とか言ったはずだ。
「こちらは幻獣の目から逃れて、ちまちま戦っている状況だ。あんたらならきっとなんとかしてくれる、と思ったんだ」
「アイ・アンダスタン・アンド・アンダスタン。なんとかしよう。作戦の邪魔になるから無線を切ってくれ」
瀬戸口はあっさりと請け合った。
同 一〇三五 下関駅前ロータリー
「なんとかしよう、なんて安請け合いしていいんですか?」
森がとがった声で言った。相当にストレスが溜まっている。整備の腕は「神様」に次ぐが、やさしい性格で、神経が細いところがある。駅前ロータリーの隅に補給車を展開して朝から途切れることなく続く砲声、銃声を聞き、目の前で市民の死を見ている。
森は限界かな……。瀬戸口はそう思いながらも、悠然と言い放った。
「時間がない。森、市役所広報室を占拠するぞ」
「え……?」
「複座型、軽装甲ともに出撃した。補給革はヨーコさんに任せて、ちょっとの間、俺とデートしよう。新井木、東原を頼む」
「え、えっ? どういうこと?」新井木が仰天して声を張り上げた。
「戦闘指揮車が東原だけになっちまうだろ? 来須、若宮は使えん。森をデートに誘ったのは、ステキ体験をさせてやりたいからさ」
「わ、わかんないけど……わかった」新井木は戸惑いながらも承知した。
「それじゃさっそく」瀬戸口はハッチを開けた。
「たかちゃん。ののみ、だいじょうぶだから。がんばって」
東原が声をかけてきた。あどけない顔が紅潮して、凛とした決意が宿っている。瀬戸口は「留守を頼むぞ」と言い置いて、補給車へと走った。
「ど、どうしてわたしが……」
瀬戸口ににこりと笑いかけられ、森は怯えた声を出した。
「時間がないんだ。市役所まで十分で走るぞ。……ヨーコさん、サブマシンガン」
「わかりましタ」
ヨーコにサブマシンガンを渡され、森は日を見開いた。
「……ここで市民が死んでいくのを見るのはつらいだろ? 俺につきあえ。森もそろそろ一介の整備員の殻から出ないとな」
瀬戸口に言われて、森は憤然と頬をふくらませた。
「わたしは整備員ですっ!」
「整備だけしていればいいのか? ここで、こんな状況で」
瀬戸口は真顔になって森を見つめた。「わ、わたし……」森は混乱しているようだ。
「一分、無駄にしたぞ。その間に何人かが死んでいるかもしれない。俺も壬生屋も、おまえさんも、他の連中も、もう昔には戻れないんだ。変わらないとな。世間知らずの、たまたま奇跡的に成功した学兵の物語はおしまいだ。変わろうと思ったら闇雲に走れ。不器用なおまえさんにはそれが似合っている」
森がなおもためらっていると、瀬戸口は「走れっ!」と一喝した。走り去る瀬戸口と、その後を追う森の後ろ姿を見て、ヨーコは微笑んだ。
「わかんないよ、やっぱり……」
話を聞いていた新井木が途方にくれたようにつぶやいた。
「……瀬戸口サンは森サンに期待していますネ。エクセレントな整備員は広い視野と心を持たないとイケナイ思いマス」
ヨーコの言葉に新井木はなおも首を傾げた。
「ヨーコさんはオトナなんだね」
「オトナコドモ関係ありません。新井木サンはホントは知っていますネ。ホワイ? なんのために二百三十万の人が死んだのデスか。わたしも新井木サンも人々の死を背負っていマス」
こう言われて新井木は、はっとなった。
「うん……わかんないけど、やっぱり、わかる!」
どうしてわたしが? 森は混乱する脳裏でその言葉のみを繰り返していた。
悔しいことに反論の言葉が見つからない。頭の中が真っ白になっている。一瞬、瀬戸口が立ち止まった。ビルとビルの谷間から一群のゴブリンが出現した。瀬戸口はためらわずサブマシンガンで掃射する。そして肉薄してきたゴブリンを超高度カトラスで串刺しにした。
こんな瀬戸口は初めて見る。森の知っている瀬戸口は、オペレータ席で軽口をたたく瀬戸口と、ヒマさえあれば芝生で寝そべっている瀬戸口だった。
「うん、正解。おまえさんは引き金を引くなよ」
瀬戸口は背を向けたまま、倒れ伏したゴブリンの腹からカトラスを引き抜いた。
「せ、正解って言われても……」
全身がすくんで動けなかっただけだ。
ふたりが市役所に駆け込むと、職員たちは撤収の準備に大わらわになっていた。書類が床に散乱し、何を混乱しているのか段ボールに書類を後生大事に詰めている者もいる。
電話という電話がけたたましく鳴り響き、半ば放置されていた。受付の名札を付けた若い女性の腕を瀬戸口は捕まえた。
「広報室は? どこからアナウンスしているんだ?」
ウォードレスを着た腕で凋まれ女性は悲鳴をあげた。
「ああ、すまん。避難命令を出している部屋に案内してくれ」
瀬戸口は女性の手を離すと、害意はないというように笑いかけた。
「なんだね、君たちは?」スーツ姿の中年の男がとがめるようにふたりを見た。防災課課長の名札を付けていた。
「軍隊です。市役所を軍の管理下に置きますので、よろしく」
市役所も警察も消防も、戦争を知らないのに役人の性というやつで、肝心の権限を手放さなかった。軍もたかをくくっていた。その縮図がこれだった。
「所属は? どこの命令だ?」
瀬戸口はサブマシンガンを天井に向けて撃った。悲鳴が聞こえて、課長は青ざめた。
「俺の命令です。さ、お嬢さん、案内を」
放送室はもぬけの殻だった。持ち出そうとしてあきらめたのか、機材、媒体が床一面に散乱していた。瀬戸口はちらとマイクをあらためると、森に向き直った。すでに課長と受付嬢は逃げ去った後だった。
「訂正します。彦島地区の皆さんは最寄りのシェルターに待避してください。現在、彦島地区は孤立しています。救援が来るまで最寄りのシェルターに待避してください。現在、港への遭難は非常に危険です。繰り返します……とこんな感じで。森、頼む」
「え、どうしてわたしが」
「おまえさんの方が説得力があるんだよ。俺は死というものを見過ぎてきた。必死さが伝わらないんだ」
瀬戸口は真剣な表情で森を見つめた。そしてもう一度「頼む」と頭を下げた。
「わ、わ、わ、わたし……!」
森は後ずさった。背がドアに触れた。だめだ! もう逃げられない! 善行さんも変わり者だったけど、瀬戸口さんはもっと変わり者ですごく強引だ。
森は忌々しげに瀬戸口をにらみつけると席についた。そして必死に不安を押し隠し、言われた通りにアナウンスをした。
『現地の自衛軍の皆さんも市民の誘導にご協力を願います』
森は半泣きになってアナウンスを終えた。泣ききたかった。アナウンスしているうちに、一般市民を戦争に巻き込んでしまった責任の重さを痛感しはじめた。生体ミサイルの強酸を浴び、燃え上がる人々から目を背けていた。他人の不幸だと思っていた。
わたしは整備員の殻に閉じこもって、自分だけの不安と恐怖を抱えていただけだ。あらためてそう気づくと、机に突っ伏し泣きはじめた。
「もう一度だ」
瀬戸口の声が静かに響いた。森は涙に濡れた顔を上げた。そして嗚咽を堪えながら、必死に訴えた。『皆さん、がんばって。生き伸びてください』そう自らの言葉で語ると、涙をぬぐって席を立った。
「合格」瀬戸口がやさしげに笑いかけてきた。
森は涙に濡れた顔できっと瀬戸口をにらみつけた。
「すぐに戻らないと! 最終便が出るまで十五分しかありません!」
同 一〇三五 前線・東大和町
二〇ミリ機関砲弾をたて続けに撃ち込まれて一体のミノタウロスが爆散し、密集している味方に強酸をまき散らした。厚志は背に熱風を感じながら、瓦礫の陰に潜り込んだ。数十の敵が一斉にこちらに回頭する気配を肌で感じた。肌が総毛立つような憎悪。何度もヒット・アンド・アウェイの攻撃を仕掛ける複座型を敵は捉えきれず、憎悪は極限にまで達していた。
「うん」
厚志は満足げに微笑んだ。敵の憎悪がこんなにも心地よいとは。憎め、憎め。僕たちを捉えればおまえらの勝ちだ。けれどそうはならないよ。おまえらの憎悪はやがて怯えと恐怖に変わるだろう。
「最後列右」
舞の指示に厚志は瞬間的に反応していた。ビル陰からビルへ、五十体以上の中型幻獣が放つ生体ミサイル、レーザーを避けながら一体のゴルゴーンの背後をとった。二〇ミリ機関砲のガトリング機構が独特な回転音をあげ、機関砲弾を吐き出してゆく。
ゴルゴーンの体が痙撃し、のたうつ。回頭しようとしたところで、複座型はすばやく敵の側面にまわり瓦礫の陰に姿を消した。
「芝村・速水機、ゴルゴーン撃破。あっちゃん、舞ちゃん、がんばって」
東原の声が聞こえた。この感じ。久しぶりだ。何よりも複座型に乗って戦えることが嬉しかった。厚志の心は開放感に満たされていた。
たーん、と独特な音がして、ライフル砲弾がミノタクロスに命中した。時差を置いて、二発、三発と執拗に同じ敵を狙っている。滝川の遠距離射撃だった。ミノタウロスは炎をあげ、爆発した。強酸が仲間にじわじわと影響を及ぼしている。
すでにこのグループに無傷の敵はいなかった。
「滝川機、ミノタクロス撃破」
東原が律儀にアナウンスする。戦闘開始後二十分。二機の士魂号は七体の敵を葬っていた。
これに来須、若宮の分を合わせれば相当な戦果になる。
中型幻獣の群れは実質上、彼らがせき止めていた。二本の橋に後続の幻獣がひしめきあって
渋滞を起こしているのが厚志の目の瑞に映った。二百五十。二百五十かぁ……。こんな規模の敵と遭遇するのは厚志も初めてだった。あの、熊本城での攻防戦ですらその十分の一ほどの群れとしか遭遇したことがなかった。最大幅八百メートルほどの戦線は今のところ人類側に味方していた。
市役所の方角からアナウンスが響き渡った。なんと森の声だった。
『皆さん、がんばって。生き伸びてください……』嗚咽を堪えながらの訴えでアナウンスは唐突に終わった。
「森さんらしいや……」
厚志は懐かしげに言った。厚志の知っている森精華だった。口やかましく几帳面で、不器用で泣き虫。そして心やさしい。滝川が彼女を好きになった理由がよくわかる。
「ふん、泣き虫め」舞の冷静な声に微かに感情が混じった。
「森さんの取り柄だよ、それ。森さん、いいよね」
常に戦争への恐怖を引きずりながらも、人がましくあろうとし、そして耐えている。博志や舞が持っことは到底かなわぬ貴重なものがそこにある。
そうだ……。僕が今でもここにいるのは舞と、みんなを守るためだった。そのた砂に僕は敵の憎悪を好物とする死神になったんだ。それは僕にとって幸福なことだ。
「ちっくしよう……!」
不意に滝川のうめき声が聞こえた。専売公社ビルの陰に生体ミサイルが集中していた。被弾した軽装甲が匍匐しながらロータリーをめざしていた。
「滝川機、中破! 右腕、肩装甲板損傷。……陽平ちゃん、無理しないで!」
「……悪ィ」
そう言いながらも軽装甲は、ビル陰を慎重に進んでいた。
「援護を」
「うん」
複座型はダッシュすると、敵のまっただ中に躍り込んだ。舞が次々と敵をロックする音が聞こえた。がくんと下方へのG。ほどなく有線式ジヤベリンミサイルが確実に敵を捉え、爆発した。視界が一面、オレンジ色の業火に包まれた。厚志は障害物となったミノタウロスを蹴り飛ばすと、再びダッシュして複座型を瓦礫の陰に隠した。
数秒の間を置いて、敵のミサイルが頭上を通過していった。見当違いの方角だ。複座型は瓦礫の中に潜り込み、溶け込んだ。
八体はどの中型幻獣が消滅しつつあった。そして無数の小型幻獣が消滅しつつある仲間を踏み越えて途切れることなく進撃してゆく。
「サンキュ。助かったぜ。今、ロータリーに着いた」
滝川から通信があった。
「朝からずっと戦ってきたのだ。休んで集中力を取り戻すがよかろう」
舞は冷静な口調で言った。滝川の軽装甲とともに幻獣をせき止めていた友軍の戦車隊はすでに壊滅し、路上に残骸をさらしていた。今は戦車随伴歩兵から成る部隊群が、かろうじて戦線を維持している。駅の方角からアナウンスが聞こえてきた。
「こちら下関駅・駅長です。最終便、出発します。……国営鉄道を代表して自衛軍及び諸隊の皆さんにお礼を申し上げます」
「よし」舞は張りのある声でうなずいた。
その瞬間だった。複座型の後方で不音な風切音がこだましたかと思うと、動きはじめた列車の前後で爆発した。黒煙が立ち上り、破壊された最後尾の客車の破片が宙を舞った。くっ。舞の悔しげな声が背後から聞こえた。
「あー、こちら瀬戸口。壇ノ浦方面の敵が戦線を突破した。俺たちも下がるぞ」
瀬戸口の声がコックピットに響いた。
破壊された客車の残骸を残して、最終便は弾幕の中をすり抜けていった。鉄路に沿って友軍の砲火がちかちかと瞬いた。
「とりあえず新下関駅まで友軍を支援しつつ撤退する。……壬生屋、石津、そちらの状況はどうだ?」
壬生屋さんと石津さん? どういう組み合わせなんだ、と厚志は首を傾げた。
「壬生屋のことは聞いたが、石津と隊を離れて何をやっておるのだ?」
舞はとがめるように瀬戸口に育った。
「自分探しの旅……なーんてな。ははは」瀬戸口の冗談めかした口調に舞は舌打ちした。
「なーにが、ははは、だ! ただでさえ少ない戦力を分散させて……」
「壬生屋です。芝村さん、勝手なことをしてごめんなさい。石津さんも無事です」
壬生屋のよく通る声が聞こえた。うん、問題ない。声に張りがあるな、と厚志は思った。
「む。先に謝るなんてずるいぞ」
舞は不機嫌に言い募った。実は内心ではふたりの無事を喜んでいる。
わかっちゃうんだ。僕はすっかり舞のカダヤで手下でストーカーになっちゃったな、と厚志は口許をほころばせた。
「石津さんのお手伝いをしていました。たまたま出会った歩兵小隊の皆さんと一緒にいます」
「それはわかったが……石津! そなたはどういうつもりだ?」
舞の矛先は石津に向けられた。引っ込みがつかなくなったんだな。厚志は、くすりと笑った。
「ええと……ごめんなさいって言ってます。石津さん、すごかったです! 重傷患者を次々と助けて。わたくし、石津さんのお手伝いできてよかったです」
「ふむ……」
壬生屋さん、やけに高揚しているなと思いながら厚志は割って入った。
「石津さんがこわがっているよ、舞」
「あいつを訓練したのは俺だ」不意に来須の低い声が耳に入った。
「来須、そなたまで! 何を甘いことを」
舞の青菜に、来須は無言で報いた。
「石津さん、別人のように生き生きとして! 負傷した人を平気で背負うんですよ」
壬生屋がなおも石津を弁護するように言う。
「……わかった。しかし、合流はせんとな。合流したらそなたらを殴ってやる」
舞は子供のようにすねた口調で通信を終えた。
同 一一五〇 駅前ロータリー
最終便が出た直後から危険な兆候が見えはじめた。
かろうじて敵の進出をくい止めていた戦線に崩壊の兆しが見えはじめていた。壇ノ浦方面から上陸した敵はじりじりと友軍を後退させ、今では山陽道をはさんでの一進一退の攻防が繰り広げられていた。最も重要な動脈のひとつを押さえられれば、下関守備隊の戦闘車両は分散して撤退するしかない。各個撃破の標的となるだろう。
すでに午後一時をまわっていた。虎の子の戦車隊、そして砲兵隊が急ぎ宇部方面へ向かった。
下関守備隊司令官は歩兵各隊に市街地に籠もってのゲリラ戦を呼びかけていた。そして自らも最後までこの地にとどまることを全軍に告げた。
「そろそろ潮時だ。友軍の撤退支援をしつつ後退するぞ」
少し前まで旺盛に聞こえていた大小の砲声、ロケット砲の風切り音が途絶え、散発的に機銃音がこだまするロータリーで瀬戸口は隊員たちに呼びかけた。
すでにロータリー広場に生きている市民の姿はなかった。生体ミサイルの爆発を避けるように友軍の歩兵がせわしなく後方へと移動している。
先頭を走る小型幻獣の数が増している。それを狙って、方々で銃声がこだまする。
「こちら芝村だ。山陽道に治って、だな?」
「その前にハンガーへ戻る。その後、適当なとこかで拠点を構え、たたく。その繰り返しで敵の進撃を遅らせよう」
瀬戸口が応えると、「ふむ」と舞は納得したように通信を切った。
「二番機、右腕換装まだです!」森の声が飛び込んできた。
「ここでは無理だ。滝川、どんな感じだ?」
戦えるかと聞いている。「へっへっへ」滝川の笑い声が聞こえた。
「まだまだ大丈夫っす。森が足まわりの応急処置は済ませたから。にしてもジャイアントバズーカ、山ほど欲しいすね」
「足長おじさんがなんとかしでくれるさ」
「善行さん、来るんすか?」
「まだなんとも。来るなら来るで、処理しなきゃならん野暮用が腐るほどあるからな。なんせ統幕は統幕でも予算委員会所属だ」
「柄じゃないすね」
「善行はむしろ現場で使うにはもったいない軍人なのだ。そなたは軍というものを知らんな」
芝村に言われて、「んなことわからねえよ」と滝川はやり返した。
地響きが聞こえて、複座型がジャイアントアサルトを乱射しながらロータリーに到着した。
百メートルほどの距離に迫った小型幻獣の群れが跡形もなく消え去った。
「けど、きっと来ると思うよ。善行さん。どうも今度の戦争はこれまでの戦いとは違うような気がする。熊本の時は敵との意地比べだったけど、今回はもっと激しい憎悪を感じる。善行さん、たぶん、そういうこと感じてると息うんだ」
厚志の声が割って入った。
「そうかもな……」滝川の声が急に小さくなった。相当に疲れているのだろう。
「ハンガーに急ごう。来須、若宮……?」
「おまえらの顔の上にいるよ」若宮の声が陽気に響いた。
「壬生屋、石津?」
「直接、学校のハンガーに向かいます。……石津さん、イヤイヤしてもだめですっ!」
壬生直のとんがった声が車内に響き渡った。
「石津がイヤイヤ……?」瀬戸口はあっけにとられ、次いで笑い声をあげた。
「……想像もつかん」舞が珍しく無駄口をたたいた。
「あー、首に縄をつけても引っ張ってきてくれ。時間がないぞ。新下関あたりにも幻獣が進出しているかもしれんからな」
同 一二三〇 岩国基地
「にしても広々としていいな。エアコン付きだぜ、エアコン!」
鈴木の興奮した声が聞こえた。嬉々としてあれこれと六一式戦車改の動きを試している。紅陵女子α小隊は昨夜のうちに戦車を受領し、岩国基地へと到着していた。基地内にある広大な訓練場で小隊を構成する二両の戦車はこれといった命令も与えられず、操縦訓練に励んでいた。
「うん、キャタピラの響きが一番好きだな、俺は」
佐藤は消臭スプレーを思いっきり鈴木の首筋にかけた。
「わっ、冷てえ! 何するんだ?」
「野郎くさいの! 調子に乗ってべらべらしゃべるな! ここは乙女の園なんだからね。ちっとは空気ってものを読んでおとなしくしていろ」
「ちっ、何が乙女だ! 穴掘りゴリラ女の……」
言いかけて鈴木は口をつぐんだ。助手席の神崎に気まずげに顔を向けた。神崎は「モグラのモグちゃん」をダッシュボード前に吊り下げていた。
「また戦争するの?」砲手席に座っている森田がぼんやりと言った。
こいつ、天然だ……。佐藤は腕を伸ばして、森田の頭をはたいた。
「痛いじゃん」
「あのねえ、なんのためにわたしたちがこんな戦車に乗ってここにいるの? トレンディドラマの見過ぎで脳細胞、死滅してるんじゃない?」
「あ、そつか……」
森田は頭をさすりながら納得した。
佐藤はトレンディドラマ好きであることを隊員には隠している。趣味は読書。文庫版の詩集をわざとらしくポシェットに収めていた。一見がさつな体育会系だが、実は繊細で読書好き……といった路線で通そうと思っていた。ただインテリの落合大尉にはあっさり見破られて、好きなソフトボールの話やトレンディドラマの話を思う存分できたが。
「そういえば「愛のかたち』の最終回さ……」
神崎が口を開きかけると、佐藤はわーわーと大声で遮った。言うな! この戦争が終わったら、ビデオ屋さんで借りてゆっくり見るんだから。
「はっはっは。元気がいいな」
車外でノックする音がして、佐藤がハッチを開け顔を出すと、大佐の階級章をつけたえらいさんが佐藤に笑いかけた。まだ若い。胸元をはだけて金ネックレスをのぞかせている。か、格好いいじゃん! 佐藤は顔を赤らめた。
「す、すいません。紅陵女子α小隊、佐藤千翼長であります」
佐藤が敬礼をすると、大佐はうんうんとうなずいて、
「隊長は元気が一番だ。俺は大天才パイロットにして基地司令官の荒波大佐。これからは大天才の荒波司令官と呼ぶように」
荒波と名乗った大佐はにこやかに言ってのけた。
「あの……少し長いんですが。司令官じゃだめなんですか?」
佐藤はおずおずと荒波に言った。わたしって格好いいおじさんに弱いんだよな……。
「うむ、確かに。ならば神司令官とでも呼んでもらおう。この基地の司令官はな、ただの司令官にあらず。幻獣撃破数二百八十の大天才なのだ。待てよ、三百……四百超えていたかな、藤代、数えていたろう?」
荒波が振り返ると、眼鏡をかけた少女が、「さあ」と首を傾げた。
「わたしたちの分とごっちゃになって。三百はとっくに超えていると思いますけど。そんなことよりこれを」
荒波は地図らしきものを受け取ると「おお、そうだった」と額に手をあてた。
「君たちの操縦テクをテストしてあげよう。こいつを……」
佐藤は怪訝な顔でマップを受け取った。基地から岩国市街に至るまで、青い線と赤い線が縦横に走っている。
「下水道かなんかの地図ですか?」
佐藤が言うと、荒波は、はっはっはと楽しげに笑った。
「青は戦車壕及び戦車用連絡通路のマップだ。君たちのことは調べてあるぞ、紅陵女子α小隊の穴掘り名人」
穴掘り名人と呼ばれて佐藤は真っ赤になった。しょうがないじゃん……。あの不細工で砲塔もろくにないモコスで戦わなきやいけなかったんだから。
「本当はナビシステムにダウンロードしたかったんだが、時間がなかった。まず、こいつを頭にたたき込んでくれ」
「は?」
佐藤はこれ以上ないというぐらい丁寧な敬礼をした。司令官がじきじきに自分たちに声をかけてくれたことに感動していた。
「ほら、とっととこいつを覚えて! 司令官……ええと神司令官様じきじきの命令だからね」
荒波が去った後、佐藤は鈴木の席にマップを落とした。佐藤自身は迷子属性だ。相棒の神崎が「道だけはしっかり覚える」才能があったため、これまでなんとかやってこられた。
「ふうん。なんだかすげーな、これ」鈴木がマップを見てうなった。
「うん。戦車壕同士が連結されている。もう穴掘る必要はないってわけ。さ、しゅっぱーつ」
合図代わりに佐藤は消臭スプレーを再び鈴木に吹きかけた。
同 一二三〇 新下関駅付近
すでに戦線は混乱状態に陥っていた。おびただしい小型幻獣が戦線を突破し、浸透した結果、敵味方が入り乱れて戦っていた。市街を移動する兵が角から姿を現したゴブリンら小型幻獣と遭遇し、あるいは互いに数メートルの距離を移動しているのに気づかずにいるといった混乱した状況がそこかしこで起こっていた。
右手の方角に住吉神社の社殿が、鬱蒼と茂る木々の隙間からかいま見えた。壬生屋は遭遇した小型幻獣を超硬度カトラスで排除しながらハンガーをめざして進んでいた。壬生屋は心の中で神社の神々に人々の無事を祈った。
生体ミサイルの風切り音が聞こえ、至近距離で爆発した。どこからか悲鳴が聞こえてきた。
向かおうとする石津を壬生屋は強引に止めた。石津の訴えるような目を壬生屋は正面から受け止めた。
「今は隊と合流することを考えましょう。合流すればわたくしたちは強くなります。強くなればたくさんの人々を助けられます」
「本当……に……そう思うの?」
石津のまなざしが光った。相当数の負傷者に手当を施し、医薬品を詰め込んだバックパックはほとんど空になっている。新型のテンダーFOXはウォードレスの修復もできたから、石津の仕事は無限にあった。
「ええ、そう思います」
壬生屋はきっぱりと言うと、石津の手を握った。石津はその手を振りほどこうとした。
「石津さんは生き残ることを考えて。生きていれば助けられる人が増えます。逃げないと約束してください」
石津は黙って壬生屋を見つめた。
「約束……するわ」
壬生屋は手を放した。嘘だと思った。
「ごめんなさい」
そう言うと、壬生屋は石津の首筋に手刀をたたき込んだ。くたりと崩れ落ちる石津を背負って、壬生屋は駆けた。生体ミサイルの爆発音がしだいに近くなっている。戦線はたぶん崩壊したろう。ほんの数時間だけだが、ともに戦った兵たちのことを考えると心が痛んだ。けれど、自分がいる場所はあそこではなかった。
ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で繰り返しながら校門にたどり着いた。校門には来須と若宮がたたずんでいた。「気絶しています」とだけ言うと、壬生屋は来須に石津を預け、ハンガーへと走り去った。
「壬生屋さん……!」森の声が聞こえた。二番機に取り付き、新井木、ヨーコとともに作業をしていた。その傍らでは滝川が段ボールをかぶって眠っていた。
「重装甲は動きますか?」
壬生屋が尋ねると、森はにっこりと微笑んだ。
「ええ、新井木さんが最高の状態に仕上げてあります。中村、岩田のパシリをやっただけのことはあるわね」
「パシリじゃないよー。整備補佐って言ってよ」
新井木が口をとがらせて抗議した。
「ふむ。ひどい格好だな。どんな戦いをすれば久遠がそこまで傷むのか」
声がして、振り向くとハンガー入り口に舞と厚志が立っていた。舞は手にしたFOXキッドを壬生屋の足下に投げた。
「そなたのウォードレスはこれだ。まったく……そなたがいなかったせいでこちらは散々だったのだぞ! とっとと着替えろ!」
「あの……ここで?」壬生屋は顔を赤らめた。
「女しかおらんだろ……む、厚志、後ろを向いていろ! 油断のならんやつだ」
「抽断ならんって……」
そう言いながらも厚志はまわれ右をした。しばらくして厚志は「壬生屋さん」と呼びかけた。
「僕も舞も君も、もう普通の人生は送れないと思うんだ。敵の憎悪、恐怖、怯えを糧として永遠に戦い続ける役回りなんだと思うよ。僕らが敵を殺すことで誰かが救われる。あは、ごめん。変なこと言っちゃったね」
厚志は自分の言葉に照れたように頭を掻いた。
速水さんの口許には鋼のような微笑が浮かんでいることだろう。壬生屋は何故かそう思った。
永遠に戦い続ける神――壬生屋は中学の頃、修学旅行で見学した阿修羅像を思い浮かべた。その表情には様々なものが見て取れた。戦うことの高揚、憂鬱、悲しみ、そして悪を懲らす断固とした意志。……あの神はあどけなさの残る少年少女の顔をしていた。
芝村さんと速水さんを見ていると、決まって阿修羅像を思い出した。
「たわけ! 言葉を選んで話せ!」
ごつっと音がして「痛いよっ!」と厚志の悲鳴が聞こえた。舞は拳をさすりながら、着替え終わった壬生屋を不機嫌ににらみつけた。
「そなたと石津も殴ってやろうと思ったが、こやつの頭葦骨の硬さに救われたな。拳を痛めてもなんだからな」
あはは。厚志が声をあげて笑った。
「壬生屋さん、お帰り。また一緒に戦えるね!」
「けれど……まだわからないんです。もし乗れなかったら」
「大丈夫さ。君の顔を見ればわかる」
そう言えば……速水厚志とは久しぶりだった。声と態度と物腰のせいで気がつかなかったが、髪は青く、背も伸びている。そのまなざしには以前にはなかった深みがあった。単なる天才パイロットの坊やから何か別のものに変わる過程のようだ。
「とっとと乗るがよい!」舞にうながされ、壬生屋は急いでハンガー二階に上がった。
「……わたしを助けて」
コックピットの前で壬生屋は静かに重装甲に語りかけた。
中に入ると、士魂号の操縦席独特のにおいがした。今の新しい機体とはまだ一緒に戦っていない。元々、兵器と割り切って機体とは距離を置いていた壬生屋だったが、この時ばかりは懸命に機体に向け、語りかけていた。
悪寒がした。しかし壬生屋は歯を食いしばって神経接続を行った。グリフ。つかのまの夢の中に壬生屋の意識は落ちていった。
……天地が裂けるような歓呼の声の中に自分はいた。不思議な世界だった。剣や槍を差し上げた人間やら、巨大な猫神、ペンギン……動物たちに囲まれて、壬生屋はただ悲しげに微笑んでいた。そう、人々の歓呼は最後の手向けの花だ。わたしはこの大殺戮を導いた贖罪羊として、世界の罪を背負うことを求められるだろう。不意に声をかけられた。
「悲しいときに笑うあなたが好きでしたよ」
壬生屋は声の主の名を呼んだ。名を呼ぶことは最大の労いだった。
「光栄です。けれど、悲しいときには泣いてもいいんですよ。……俺は最後の最後まで、シオネ、あなたに従います」
気がつくと壬生屋は涙を流していた。その涙の一滴一滴が壬生屋の心を癒し、潤した。夢の中身は覚えていなかったが、こんなに心地よく泣けるとは。
「ありがとう。わたくしを助けてくれたんですね」
壬生屋は重装甲に話しかけた。
「うん、よく帰ってきたな。これでまたおまえさんを存分にからかえるってもんだ」
無線機をオンにすると瀬戸口の声が聞こえた。
「たかちゃん、そんな言い方はめーなのよ!」東原が抗議した。
「未央ちゃん、お帰りー」東原は心から嬉しげに言った。
「……ただいま」
なんだか間が抜けているなと思いながら、壬生屋はそう応えていた。
「壬生屋さーん、大丈夫?」
新井木が拡声器を手に声をかけてきた。そうか、この機体、新井木さんがひとりで整備してくれたんだ。
「大丈夫です! 新井木さん、感謝致します」
「えへへ。僕だってやる時はやるから。これからあてにしていいからね!」
「なんて調子に乗ってると絶対失敗するんだぜ。これが新井木テイストってかぁ?」
滝川が段ボールから這い出してきて重装甲に向け、手を振った。
「軽装甲、修理完了! 滝川君、お願いします!」
森の芦が元気よく響いた。
「ぐずぐずするな! 我らはこれより宇部方面へ向け、転戦する」
舞の声が拡声器から聞こえてきた。すでにふたりは複座型に搭乗しているらしい。
「合点承知」滝川は軽薄に請け合うと、ハンガー二階への階段を駆け登った。
同 一三〇〇 山陽自動車道
しきりに銃声、砲声が聞こえていた。
渋滞する車両群が、小型幻散の群れに襲撃され、押し包まれていた。戦闘車両が機関砲を掃射し幻獣を一掃するが、後続のミノタウロスのハンマーパンチを受けて潰された。トラックに乗り組んでいた戦車随伴歩兵は敵の浸透を受け、白兵戦を展開していた。はるか後方には下関駅が見える。戦線を維持し、最後の離脱を試みる部隊のようだった。
「一個大隊というところだな。行けるか?」
瀬戸口が呼びかけると、他のパイロットの声を圧して「参りますっ!」と甲高い声が指揮車内に響き渡った。距離三百。漆黒の重装甲はジャイアントアサルトを乱射しながら、幻獣の大群に突進した。
重装甲をめざして中型幻獣が殺到する。その間に滝川の軽装甲が、「とっとと逃げろ」と拡声器で叫びながら小型幻獣の群れを蹂躙し、ライフルから換装したジャイアントアサルトで丹念に掃射してまわる。来須、若宮は兵に張り付いた小型幻獣を丹念に引き剥がし、倒してまわった。複座型は重装甲をかばうように、適当に敵が集まったところでジャベリンミサイルを発射、次々と中型幻獣を爆散させた。
エンジン音が響き、自衛軍が撤退していった。戦場に空白が生じた。小型幻獣はほとんどが消滅し、満身創痍のミノタウロス、ゴルゴーンが体敵を流しながら戦場にうごめいていた。
「撤収! 山陽自動車道に乗るぞ」
瀬戸口の指示に従って、5121小隊の車両群が片側五車線、舗装の行き届いた「大動脈」に乗り上げる。三機の士魂号は先行する車両を護衛するように少し遅れて続いた。三機の士魂号は再び姿を現した小型幻獣の群れに機関砲弾をたたき込んだ。
こうして下関の攻防は終わりを告げた。後に残された兵と市民は、シェルター、ビル陰、瓦礫の中に隠れ、苛酷なサバイバルを続けることとなる。
同 一七〇〇 彦島地区
散発的な銃声が聞こえ、やがて途絶えた。
生きている自衛軍とはついぞ出会わなかった。
こいつはやべえ、と橋爪の感覚が告げていた。すでに幾度か、肌が粟立つような光景を目にしていた。どうして疎開を進めておかなかったんだ。橋爪は少尉と何人かの兵と一緒に市役所の掲示板を頼りにシェルターをふたつほど巡回していた。
シェルターの出入り口は地下鉄の駅のそれと似ていた。人数を収容したところでシャッターを降ろす仕組みになっている。
とはいえ……どちらともシャッターは開けっ放しで、足を踏み入れたところ闇の中で赤い目が一斉に光った。潰厚な血のにおいに一瞬、むせ返った。橋爪は機銃を腰だめにすると、内部を掃射した。内部に足を踏み入れると、十匹ほどのゴブリン、コボルトが消滅してゆく中、市民の遺体が散乱していた。
(ちくしよう……)
一般の市民にシェルターの管理を任せるなんて……。悪い予感が的中した。「定員五十」なる表示が日に留まったが、だったら五十人になるまでジャッターを降ろしてはいけないのか?
おそらくは開けっ放しにして、避離してくる者を待っていたのだろう。十人でも二十人でも、危ないと感じたらシャッターを閉めることは市民にはできない。地区で、管理者を養成していれば別だったろうが、この国の役所、指導者は間が抜けている。
どちらも全滅だった。これなら固まらずに、ひとりで隠れていた方がましだった。疎開が進んでいた九州よりさらにひどかった。
「軍曹、シェルタlをすべて見て回りましょう」
少尉とだけ呼んでいた。確か名前は合田といったはずだ。合田は怒りと殺気を全身から発散している自分と比べ、水のようにしんとしていた。
「ゴブの巣を潰してまわるってわけっすか」
腹立ち紛れに橋爪が言うと、合田は「いいえ」と首を横に振った。
「……はじめは足がすくんで、実はちと失禁してしまった」
「マジっすか?」
橋爪があきれ顔になると、合田は笑った。
「けれど、今はもう大丈夫です。ひとりでも生き残っている市民がいたら、助けて、一緒に生き残ろう。そう思いました。今、神は僕に試練を与えられている。ああ……すみません。実は僕の家はクリスチャンでしてね」
そう言うと合田は、十字架を取り出した。
「まあ、それはそれで……」
構わないが、と宗教とはとんと縁のない橋爪は言おうとした。
「祈りは大切ですね。けれど、今は唱える暇があったら、その間に生存者を捜しましょう」
合田の言葉は不思議と橋爪を落ち着かせた。将校としての資質と才能が合田には備わっているんだろう。橋爪は密かに合田を評価していた。
「だめです。東地区もやられています」
声がして、古参の軍曹が会流してきた。分隊ごとに分けて、生存者を捜していた。
「……そこのビルへ」
橋爪は合田にささやいた。合田は兵らにビルを示すと、目配せしてきた。
「百。走ります……少尉に放けっ!」
橋爪の声に合田は弾かれたようにビルへと駆け込んだ。周辺の瓦礫からゴブリン、ヒトウバン、コボルトなどあらゆる小型幻獣が湧いて出た。橋爪は機銃を掃射しながら、最後の兵がビル内に駆け込むのを確認した。
行く手を遮るゴブリンが、機銃弾を浴びてダンスを踊るように体を痙攣させた。古参の兵が玄関口に機銃座を設置していた。その間をかき分け、向き直ると機銃を掃射した。
「手榴弾、投げますっ」
橋爪の声に全員が物陰にすばやく伏せた。爆発音がして、小型幻獣は姿を消した。
「君といればなんとかなりそうですね」
合田の言葉に、橋爪は、へっと笑った。
「まだ戦争は、はじまったばっかりなんだけどな」
合田が言葉をかけてくれたおかげで冷静になれた。なるほど将校だと感心していた。
地響きがして、瓦礫の石くれが転がった。ちっくしょう、ミノの野郎、まだ残っていたのかと橋爪は次の逃げ場を考えた。
「裏口、あるか?」
「反対側の通りに出られます」兵のひとりが返事をした。
「機銃弾五百を切りました。手榴弾は残り七」
弾薬の管理を任せている兵が報告した。
これじゃミノはやれねえわな、と橋爪は「逃げます」と少尉に言った。
悲鳴があがり、銃声が聞こえた。裏口からだ。裏口から十匹ほどのゴブリンがなだれ込んできた。肉薄され、全員がカトラスを引き抜き応戦した。
頭に焼きごてを押しつけられたような痛みが走って、ゴブリンの斧がかすめ過ぎた。橋爪はゴブリンが次の斧を実体化させる前に、刃を敵の腹に突き立て、真一文字に引き裂いた。体液がどっと降り注ぎ、橋爪の体は異臭に包まれた。
激しい衝撃。ミノタウロスのハンマーチョップがビルの壁面を根こそぎ破壊した。瓦礫が隊員たちの頭上に降り注ぎ、混乱した兵が銃を乱射した。
「逃げろ!」橋爪が叫ぶと、もうひとりの軍曹が叫び返した。
「だめだ、裏口はゴブがうようよいやがる」
「……ミノの足下をすり抜けるぞ」
そう言うと橋爪は機銃を手にして立ち上がった。流れ落ちる血が目に入らないよう、急いでタオルを頭に巻いた。
その時のことだった――。ミノタウロスの体が斜めに傾いだかと思うと、どっと地面に崩れ落ちた。瓦礫から粉塵が巻き上がった。
「デンジヤラスな状況でしたねえ」
それまでミノタウロスが立っていた場所に、人が立っていた。粉塵が収まってよく見ると、スーツににネクタイというサラリーマン風の男だった。暑苦しくコートを着込んでいる。
眼鏡までご丁寧にかけて、如何にもという雰囲気だったが、両手に握られているのはカトラスだった。サラリーマン風の男はコートを開き、左右の鞘にカトラスを収めた。
な、なんなんだ、こいつは? ミノタウロスをカトラスで倒すサラリーマンか? アニメじゃねえんだぜ、と橋爪は口を開けたまま相手を見つめた。
「自衛軍の皆さんはほとんど残っていませんね。ああ、わたし、河合と申します」
河合と名乗った男は自己紹介すると、煙草を取り出しマッチを擦って火をつけた。
「あんた……?」何者なんだ、と橋爪が口を開きかけると、さっと手をあげて制した。
「愛と平和の戦士、とでも言っておきましょうかね。ラブ&ピース。よい言葉です。さて、結界までご案内しましょう」
「結界?」頭が混乱していた。が、ふと思い当たることがあった。
「あんた、もしかしてあちらの人か?」
「イュースと言ったらどうしますか? 野暮なクュスチョンはなしですねえ」
河合は悠々と答えた。
「橋爪軍曹?」合田が青ざめた顔で声をかけてきた。振り返ると、負傷者が数名。仲間に支えられてたたずんでいる。
「……敵じゃないっす。たぶん。行きましょう」
「馬鹿野郎。こんな胡散臭いやつ、僧じろってのか?」別の軍曹が怒声を発した。
「信じるも信じねえも」
橋爪は忌々しげに河合の後ろ姿を見た。
「ミノをカトラスで片づけるやつだぞ。じゃあ、俺を信じろよ。でねえと、おめーとここで白黒つけるってことになる」
「白黒って……」軍曹は気の抜けた表情でつぶやいた。
「行くぜ」
橋爪はそう言うと、河合の後を追った。途中、ゴブリンの群と出会ったが、河合が手を挙げると、敵は恐れるように走り去った。
「ここからが結界ですね。行き先はそこの小学校です」
河合は振り返ると、にやりと笑った。
隊員たちがおそるおそる校舎に足を踏み入れると、生きている市民たちが廊下にまであふれ驚いたようにウォードレス姿の橋爪らを見つめた。
その視線が痛かった。
「ふむ。おまえの頭蓋骨は鋼鉄とやらでできているのか?」
保健室、と表示された一室から白衣姿の女性が出てきて無表情に橋爪を眺めた。髪をひっつめにした二十代後半の女性だった。
「鈴原先生……」
橋爪は呆然とその場に突っ立った。女医は橋爪に近づくと、傷口をあらたゆた。橋爪は不覚にも顔を赤らめた。
「残念ながらまた逆モヒカンになりそうだな。負傷者の手当をする」
それだけ言うと保健室へと姿を消した。河合はいつのまにか姿を消していた。
「橋爪軍曹。彼らは何者です?」
合田があらたまった様子で口を開いた。橋爪は合田に向き直ると、その視線をとらえた。
「幻獣共生派の中の和平派です。撤退戦の時、俺はあの先生に助けられました」
「共生派……!」軍曹が機銃を構える音がした。
「あの先生に指一本でも触れたら、おめー、殺すぜ」
橋爪は強い視線で軍曹の視線をとらえた。
「け、けどよ……」
「銃を降ろせ。でなきゃマジだからな。俺が死ぬか、おめーが死ぬか。どーする?」
橋爪はぶっそうに笑うと、軍曹が銃を降ろすまでにらみ続けた。
「……橋爪軍曹を信じましょう」
合田少尉は静かに言うと、軍曹の肩に手を置いた。
「ふむ。相変わらず頑丈な鏡蓋骨だ。ヒビひとつ入っていないな」
傷口を縫われ、ネットをかぶせられて橋爪は「くそ」と毒づいた。忘れようとしたのに。なんだってこんなところで会っちまうんだ? 俺の青春、酷すぎる。にしてもこんなひつつめ髪の変質者のどこが俺を惹きつけるんだろう。待て、年上願望は男ならけっこーあるっていうしな。普通だ、普通! つかのま戦争を忘れ、橋爪の目は鈴原の胸に一瞬釘付けになった。
ペシ、と頬をはたかれた。
「戦争中だというのに。若いな」鈴原は無表情に橋爪を見た。
「ばっかやろ。頭の手当されてるんだから視点が角度的に、あー……」
赤くなってしどろもどろに言い訳する橋爪を、隊員たちはあっけにとられて見守っている。
小隊きっての戦争屋で、寄らば斬るぞの橋爪軍曹があしらわれている。
「こら、酸素が不足する。怪我していない者はとっとと部屋を出ろ」
保健室は薄汚れた隊員たちで満杯になっていた。何人かがあわてて外に出た。
合田少尉はと言えば、何かを問いかけようとしてはためらっている。
「そこの色白眼鏡、質問は簡潔にな。ああ、肩が酸でやられている。痛くはないのか?」
色白眼鏡と言われて、合田は目を瞬いた。
「ええと、その……橋爪軍曹の説明でだいたいのことはわかりましたが、本当にここは安全なのですか? 安全てあるとしたら何故?……痛いです」
鈴原は「この馬鹿よりは頭がいいな」とうなずいた。
「この小学校全体に結界が張ってある。幻数には我々が見えない。そういう技術を持つ者が我々の仲間にはいるのだ。それじゃ手当だ。ふむ……首が弱そうだな。骨格標本にするには落第だ」
鈴原は合田のかたちのよい首をしげしげとあらためた。
「はは、格闘の教官によく言われましたよ」
合田は苦笑いして首に手をやった。橋爪は邪険にどかされて、壁際に張り付いた。
「幻獣共生派の和平派と聞きましたが? 和平など本当に可能でしょうか?」
合田の声が聞こえた。平静を取り戻している。
「……残念ながら我々にはそれだけの影響力がない。実体化した幻獣のごく一部だけが我々の働きかけに応じて味方になってくれているというのが現状だ。今は……そうだな、状況の変化を見守っている」
鈴原は女性にしては低い声で淡々と言った。
「状況の変化?」
「九州戦では獣敵側は最終的に圧勝した。この勢いを断ち切るためには人類側に同じような圧勝をしてもらわんとならん。そうすれば幻獣側にも敗北感が生じ、自らの力に疑問が生まれる」
鈴原は言葉を連ねて説明した。なんだか自分に対する態度とは達うな、と橋爪は手持ちぶさたに鈴原の側にいた。消毒液のにおいに交じって女性の匂いがする。だめだ、飯島のことでも考えよう。ショートケーキ、ショートケーキ……。
ぼんやりした顔でたたずむ橋爪を、合田は怪訝な顔で見つめた。
「橋爪軍曹、ここにいていいんですか?」
橋爪は、はっとなって立てかけてある機銃を掴んだ。
「その……これから見回りに行ってきます。先生、ここには何人ぐらいいるんだ?」
「女子供含めて百人というところだな。仲間が手分けして市民を誘導したが、遅かったよ」
鈴原は顔をしかめて言った。橋爪もうなずいた。市民にとっては目の前に上陸されるまでは見たことも聞いたこともない敵だったろう。逃げようとして右往左往したあげく幻獣の津波に呑み込まれていった。
廊下に腰を下ろし屯している兵が立ち上がろうとしたが、橋爪は「休んどけ」と刺した。地獄の中にぽっかりと存在する避難所。廊下を歩き、教室を見てまわると、市民がぐったりとして座り込んでいた。
橋爪より年上の若い男がにらみつけてきた。
「税金泥棒が! 自分たちだけとつとと逃げやがって……!」
罵声を浴びて橋爪は憂鬱な気分になった。税金泥棒かよ、ヒネリがねえな。けれど、自分も含めて軍が完全に油断していたことは確かだ。この国の軍人ってやつはえらくなると脳細胞が減っちまう病気にでもかかるんかな?
「俺たちは残ってるぜ。それと、避難誘導は市の仕事だった。俺たちはよそ者扱いさ。恨むなら役人どものが先だろ?」
なんでこんなことを言う必要がある? と首を傾げながら橋爪は口を開いていた。ただでさえぶっそうな気配を漂わせている兵隊に、相手は勇気を振り絞って言ったのだ。案の定、相手は黙り込んでしまった。
「わたしたちこれからどうなるんですか?」
若い男と少し離れたところから中年の女性が芦をかけてきた。幼い子供を連れている。
「あ、ああ……」
橋爪は考え込んだ。答えられなかった。戦争だけは上手になったが、橋爪とて発展途上のハイティーンだった。相手を安心させるように頼もしく振る舞うことなど忘れていた。
「この人たちがあなたたちを守ってくれますね。安心して今は休んでいてくださいね」
振り返ると河合がたたずんでいた。にこやかに母子に笑いかけると、子供に近づきチョコレートを差し出した。幼児の小さな手が板チョコを受け取った。
橋爪が廊下に出ると、河合が後を追ってきた。
「なるほど、ユウが噂の青春真っ盛りですね。鈴原嬢から噂はかねがね」
河合に冷やかされるように言われて、橋爪は「くそ」とつぶやいた。
「こんなしょーもねえ青春ってあるかよー幻獣をぶっ殺す分にやいくらでもやるけど、あんなもんを見せつけられちゃな。どうしゃべっていいかわかんねえ?」
河合の眼鏡が光った。笑みが少し収まった。
「うなずくだけでもいいですよ。ユウはストロングな雰囲気出してますからねえ」
「マジに聞くぜ。あんた、何者だ?」
なーにがストロングだ。橋爪の脳裏に、ミノタウロスか二本のカトラスで始末した河合の超人ぶりが刻まれていた。
河合は煙草を取り出すと、マッチを擦って火をつけた。
「第五世代って開いたことがありますか?」
「……ねえな。けど第四があって、俺たちが第六。なんで五がねえんだと思ったことはある」
小難しい話はたくさんだったが、眼鏡の奥の河合の。まなざしには妙に真剣なものがあった。
「第五世代は元々生体兵器として開発され、ユーランアの戦線に散っていったんです。だからわたしは軍の備品扱いでした」
「……」橋爪は息を呑んだ。信じられないと言っても、現に河合の実力は目にしている。
「ほとんどの第五世代は、脳味噌筋肉の喧嘩犬だった。だから幻獣側に取り込まれ、人類を裏切ったんです。わたしも同じでした。自慢じゃないですが、わたしは第五世代の中でも優秀な部類でしてね。鈴原嬢の父上と出会ったのはそんな時です」
「先生に父親なんていたのか?」
河合はイエスと苦って笑った。
「長くなりますよ。エスケープするなら今のうち」
しかし橋爪は機銃を壁にたてかけると、続きをうながした。
「父上……先生は人類の可能性を説き、ご自身は新たな世代を創造すると言いました。ただし、人類は戦争を糧として文明を発達させ存続してきた種でもあります。新しい世代は人類を監視しつつ共有するのだ、と」
河会の話はこれまで開いたこともない荒唐無稽なものだった。が、鈴原のことを考えるとあながち嘘だと否定はできなかった。
橋爪は、「先生とは九州撤退の時に知り合ったんだ」と言った。
「あんたの言うことはよくわからねえが、俺は先生を大したもんだと思っている」
「気が合いますねえ。……それで大陸での話に戻りますが、わたしは鈴原嬢の父上を守ることに決めたんです。そして仲間たちをね。かくかくしかじか後省略と納得してもらいましょう。さて……」
河合は携帯用灰皿に煙草を押し込むと、二本目の煙草に火をつけた。
「おまえの上官はけっこう骨のある坊やだな。えらくなるぞ」
声がして鈴原が無愛想な顔を向けた。橋爪は鈴原と河合を見比べた。
「話の腰を折ってはいけませんね、マイ・ハニ!」
河合は苦笑を浮かべてたしなめた。しかし鈴原は澄ました顔で、
「わたしから話をした方がよいと思った」と言った。
マイ・ハニー? 茫然とする橋爪に鈴原はしかめ面をつくって言った。
「紹介しよう。一応わたしの婚約者ということになっている」
「フィ……フィアンセ?」橋爪は困惑して河合を見た。
「そんなに驚くな。話はそのことじゃない。結界はもって三時間。ここは幻獣の気が強すぎるのでな。半永久的というわけにはいかん。市民を連れて脱出する」
脱出だと? 橋爪はあきれて鈴原の顔を見た。
「関門海峡を往復していたフェリーが一隻。竹ノ千島の沖に避難、停泊しています。船長と話をしたんですがね、状況が収まったら避難民の輸送に駆けつけると。奇特な御仁だと思ってホワイ? と尋ねたら、元海軍の軍人さんでしたよ。くく……乗組員は迷惑そうな顔をしていましたけどね」
河合は淡々と説明した。
「待てよ。あんた、どうしてそんなこと知ってるんだ? だいたいどうやってフェリーまで行ったんだ?」
「ああ、それなら知り合いのスキュラが教えてくれました。わたしはスキュラに乗ってフェリーに降下したんです」
橋爪はウンザリ顔になった。知り合いのスキュラかよ……。
「これが最終便ということになります。用意が調ったら、ここから一キロ離れた福浦町の桟橋に急行するそうです。合図は信号弾。……あと一時間ほどわたしは生き残りを捜します。ユウはどうしますか?」
ちっくしよう、そういうことか。橋爪は忌々しげに河合をにらみつけた。俺ひとりならなんとでもなる。要するに河合は手分けして捜してくれと言っているのだ。
「……わかったよ。俺は西のほうを捜す。東はやぼいんであんたに任せる」
「ラジャー。時間は一時間。八時にここに到着ということで」
校門に向かう橋爪を鈴原が追ってきた。
「わたしも同行しよう」
澄ました顔で言われて、橋爪は苦い顔になった。
「フィアンセと一緒に行けばいいんじゃねーのか?」
・「あの男はひとりで大丈夫だ。おまえは弱いからな、わたしの助けが必要だろう」
ああ、どうせ弱いよ。あんたのフィアンセと違って。
「忘れようとしていたのに……」
言ってしまってから橋爪は舌打ちした。どうして俺はこうなんだ? 餓鬼だ。軍隊って枠からはずれると、急にポロが出るんだよな。
「おまえ、少しは大人になったな」
西日が燦々と降り注ぎ、瓦礫をまばゆく光らせていた。鈴原は白衣のポケットに手を入れたまま、遣ばたの瓦礫を身軽に踏み分けながら口を開いた。
また馬鹿にされるのか? たくさんだ。橋爪が忌々しげに顔をしかめると、鈴原は、ふっと笑みを洩らした。
「隊を守っているじゃないか。あの少尉殿はおまえが隊の中心だと言っていたぞ。この隊に配属された自分は幸運なんだろうってな」
「嘘くせー。俺は餓鬼だよ。ただ、場数を踏んでいるだけだ」
橋爪が応えると、鈴原は「素直じゃないな」と言った。
「餓鬼は自分のことを餓鬼とは言わないものだ。隊員はおまえを頼りにしているぞ」
「……くそ」
銃声はすでに絶え、街はひっそりと静まり返っていた。そこかしこに散乱する市民の連体から橋爪は敢えて目を逸らさずにいた。
それが自分への罰 だ。何もできなかった。あらためて自分の無力を呪った。自衛軍に横滑りしたのは、疎開した家族が貧しくて、自分ひとりの食い扶持ぐらいは稼がなきゃと思ったからだが、それでもこうして幻獣の手にかけられた遺体を見ると、守れなかった自分をふがいなく思ってしまう。
「おまえはよくやったと思うぞ。くよくよするな」
「……くよくよなんてしてねえよ。ああ、飯島な、元気だぜ。どうしてもって言うから先生の正体ばらしちまった」
「そうか」鈴原は冷静にうなずいた。
「飯島はよい匂いがするだろう? お考えとは似合いだ」
「あいつ、しょーもねえ話をする女だぜ。毎朝挨拶をしてくる猫がいるの、とかよ」
ふふふ。鈴原は声に出して笑った。
「今となっては懐かしいだろう?」
こう言われて橋爪は黙り込んだ。わからなくなった。先生も懐かしいけど、ほんの少し前まで一緒にいた飯島もやけに懐かしく感じられる。
そんなことを考えながらも、橋爪は敵の気配に神経を研ぎすましていた。音をたてて瓦礫が崩れ落ちた。
「コブ」
橋爪はつぶやくと機銃を腰だめにして構えた。
「撃つな」
鈴原の冷静な声が聞こえた。小型幻獣に囲まれている。それも十や二十じゃない。橋爪は物問いたげに鈴原を見た。
鈴原の口から低いつぶやきが洩れた。呪文のようなわけのわからない言葉だった。数匹のゴブリンが鈴原の前に現れた。鈴原がさっと手を振ると、ゴブリンは瓦礫の中に消えた。
「知り合いのゴブリンってやつかよ」
「そういうことだ。まっとうな幻獣なら急いで東へと向かっている。今、ここに残っているのは役立たずのクズか、戦いに飽きた者だけだ。むろん、人間の姿を見れば襲ってくるがな。気になることを聞いた」
そこは海に近い団地群の一画だった。広々とした道路に画して、海が見える。地下鉄の駅の出入り口を思わせるシェルターはジャッターを下ろして静まり返っていた。
見落としていたのか? 橋爪は鈴原とともにジャッターに通じる階段を下りた。
シャッターとはいえ、普通の軽金属のものではない。黒光りする鋼鉄製の扉、と表現した方が正しいだろう。スイッチを入れると厚さ十センチほどの鋼鉄の塊が降りるようになっている。
正しく使われてさえいれば、相当数の民間人が助かったはずだった。壁の片側には定員百五十とのステッカーが貼られて、すぐ下には消防暑の検査をクリアした旨のステッカーが貼られ、インターフォンらしき装置が埋め込まれていた。
橋爪は鈴原と一瞬視線を合わせると、インターフォンのスイッチを押した。返事は返って来なかった。
「二十一旅団彦島分遣隊の橋爪だ。誰か中にいるのか?」
しばらくして若い女性の声が聞こえた。冷静な声だった。
「あなたが自衛軍だという証拠はあるんですか?」
証拠……! 橋爪は「へ?」と笑みを洩らした。そうだ、このぐらい用心して当然なんだ。
九州撤退の時には友軍に変装した幻獣共生派に苦しめられた。
「……証拠なんてねーけど、あんた、もしかして九州からの引き上げ組か?」
橋爪は直感的に口走った。沈黙。「ええ」と返事があった。
「俺は元学兵だ。あんたは?」
「わたしもそうでした。今もそうらしいんですけど……。違った。再召集っていうんですか」
女性の声は困惑していた。
「再召集?」なんだそれ、と橋爪は首を傾げた。
「役所から知らせがあって、次の日に装備を受領したらいきなり沿岸警備とかでここに送り込まれて……」
「へっへっへ、災難だったな」
笑うしかねえよな。まったく迷惑な話だ。
「〇八三〇独立混成小隊の島村千翼長です。小隊っていっても、人数が集まらなかったんで五人しかいないんですけど。あの……脱走とかじゃなくて、皆、ばらばらになっていたんで迫って現地で編成するはずだったんです」
「まあ、いいや。民間人は何人いる?」
「三十名ほど。発電所の関係者とそのご家族です」
ナイス判断、と橋爪は思った。たかだか六人ほどの学兵が戦ってみたところで死ぬだけだ。
民間人を誘導して一緒に閉じこもったのは正しかった。ただ……俺だったら何回か、待てよ、そう欲張るとゴブにつけ込まれる。
「フェリーで脱出するんだが、あんたらほどうする? 安全っていやあシェルターのが安全だろうけどな。百五十人分の水・食料で食いつなげるだろう」
「それが……ほとんどないんです。そちらに合流してもよろしいですか?」
重たげな音をたでてジャッターが上がった。
目の前に用心深く小銃を構えた少女の姿があった。ふっくらした顔つきの、そこそこ整った顔立ちの少女だった。久遠の肩に千翼長の階級章がペイントされている。
橋爪の姿を確認すると、島村は銃を下ろした。
「あー、こちらは医師の鈴原先生。怪我人は……?」
橋爪は後ろにたたずむ鈴原を紹介した。鈴原は相手を一瞥しただけだった。
「いません。戦争がはじまってすぐ、これは危ないと思って。六人でそこの団地に籠もっていた皆さんを誘導したんです。あの……」
島村の緊張に張りつめた顔が崩れ、不安げな表情になった。
「これでよかったんでしょうか? 敵はどうなりました?」
「……正しかったと思うぜ。下関は陥落、友軍は退却を続けている。俺の小隊は……あー、小学校に遭難していた先生と民間人に出会ったってわけ」
橋爪が説明すると、「小学校……?」と島村が怪訝な顔になった。
「なんでシェルターに避撤しなかったんですか?」
もっともな疑問だ。鈴原は口を開く気配がなかった。
「シェルターに移動しようとしているところで俺たちと会ったんだ。小隊を丸ごと学校に残して、俺と先生は生き残った民間人を捜していた」
まさか共生派とは言えないだろう。橋爪は適当にごまかした。
「時間の無駄だ。とっととついて来い」
それだけ言うと、鈴原は自衣をひるがえして背を向けた。
島村はその後ろ姿をぼんやりと見送っていたが、やがて我に返るとふたりのやりとりを見守っていた部下と民間人に向き直った。
「大丈夫みたいです。皆さん、一緒に行きましょう」
そう呼びかけると、島村は立ちくらみでもしたようにふらついた。橋爪が素早くその体を支えた。
「しっかりしろよ、隊長さん」
橋爪に支えられ、島村は顔を赤らめると、「だめだな」とつぶやいた。
「わたし、本当に戦争なんか向いてないのに。どうして召集するかな? 九州で戦った学兵がみんな強いとでも思っているのかしら……あ、すみません。愚痴っちやって」
頬が不満げにふくらんでいた。島村という少女の素の顔が見えた気がして、橋爪は「へへっ」と笑った。
「判断が速かったじゃねえか三十人助けた。変に強いよりはいいかもな」
「そ、そうでしょうか……」
島村は自信なさげにうつむいた。
同 一九三〇 宇部《うべ》拠点
撤退が境いていた。
下関から撤退した部隊の多くははじめの混乱から、しだいに落ち着きを取り戻しつつあった。
市民の避難が予想よりうまくいったことが大きい。自衛軍は敵の足止めに大量の犠牲を出しながらも戦線を維持し、国営鉄道は市民をピストン輸送し、国営民営を問わず、ありとあらゆる交通機関は自動的に避難民の移送に切り替わった。山陽道は優先的に避難民の輸送車両に譲られ、各隊は並行して走る国道沿いに移動し、命令に従って展開していた。
司令代理・瀬戸口の率いる5121小隊は折りを見て敵をたたきながら宇部・霜降山付近のドライブインに展開していた。下関から撤退してきた諸隊は作戦会議を開き、ここに敵の遅滞行動のための拠点を構築する意図らしかった。
川沿いに展開し、進撃路が限られた敵をたたく。宇部市民の避難状況を考慮に入れて、新たな拠点に下がるということだろう。5121小隊は作戦会議の場には呼ばれていなかった。むろんこちらから押し掛けるつもりもなかった。
さて、これからどうするか……?
ドライブインの自販機前のベンチに座ってウーロン茶を飲みながら瀬戸口は考えていた。
自衛軍の遅滞行動の手伝いをするのが当然だろうが、パイロットのことが気がかりだった。
下関での激しい市街戦、そしてほんの一時間前まで撤退戦を戦って疲労が溜まっている。並の兵の疲労とは違う。長時間人型戦車と神経接続をした結果の疲労だ。今でも現役のオペレータとしてパイロットたちに指示を下している瀬戸口にはわかる。
ここまで被弾大破しなかったのは単なる運だ。どのようなベテランであろうとも、天才であろうとも、疲労には勝てない。集中力が失われたことから、事故が起きる可能性は高い。現にパイロットとしてはベテランである滝川の二番機は中破、滝川は危うく戦死を免れた。そして壬生屋はまだリハビリの最中だった。
「砲撃がはじまったぞ」
声がして顔を上げると、舞が相変わらず不機嫌にこちらを見ていた。全戦線に渡って、轟音とともにちかりちかりと閃光がまたたいている。
パペット型すなわち小型幻獣の夜間浸透を防ぐための弾幕だ。夜はこれが一番こわい。雲霞《うんか》のような小型幻獣の群に戦線をすり抜けられ、人類側がその手当に奔走する間に中型幻獣が平攻めに押してくる。
大陸では散々この戦法で人類側は敗北を重ねた。
瀬戸口は立ち上がると、自販機からオレンジデリジャスティーを取り出して舞に放った。見当違いの方向に投げられて、舞は横っ飛びにジャンプして受け取った。
「わたしを試すな!」
憤然とした舞の拳を間一髪で避けた。
「ははは、すまん、すまん。実はパイロットの疲労について考えていた。ここは自衛軍に任せ、山口に退く選択もあると思ってな。……滝川のことがあったろう」
「ふむ」舞はペットボトルの蓋を開けると、無造作に口に流し込んだ。
「戦線維持、遅滞行動のために戦力を小出しにしたくないんだ。俺たちは決定的な瞬間に……」
言いかける瀬戸口の頬を舞の鉄拳が襲った。やわな、とは言えない衝撃だった。
「やれやれ、乱暴な姫さまだ」
瀬戸口は頬を押さえて、それでも穏やかに笑った。
「何を気取っている? 善行のたわけにもその傾向があったが、頭で考えすぎる! 我らは任務を選ばぬ。なんでもありでけっこうだ。ただし……空を飛ぶことはできんがな」
舞は不機嫌な表情を崩さず、いっきに言ってのけた。最後の言葉は舞流の冗談である。
「うん。今の冗談、面白かったぞ」
「そ、そうか……?」舞は微かに顔を赤らめた。
「一晩休めば大丈夫か?」
「今からでも出撃できる」
「滝川、壬生屋のことも考えないとな。今は休んでくれ。自衛軍は学兵とは装備も士気も違う。しばらくは持ちこたえるさ。戦線に穴が開いたら報せる」
これほど周囲に振り回される司令代理も珍しいな、と内心で苦笑しながら瀬戸口は言った。
要は善行から預けられた小隊であまり無茶はしたくない、ということだ。パイロットたちは無我夢中で気づかなかったろうが、元々が遊撃部隊として編成された小隊だった。それが熊本ではスクランブル発進をして、戦線の穴埋め要員として奔走するはめになった。善行にしてみれば本意ではなかったろう。
「そなたは休まんのか?」
「来須、若宮と交代で無線に張り付いているよ」
それにしてもあの古狐。舞が去った後、瀬戸口はにやりと笑った。
今に至るまでなんの連絡もない。三ヵ月間ヒマを持て余していた小隊がどう動くか? 試しているのかと瀬戸口は思った。未だに下関で大奮戦の真っ最中か、さもなくば山口、岩国へすんなり撤収か? 俺たちにはいろいろな選択肢があったが、理屈ではなく状況に適当に応じるのが俺の流儀だ。
まあ、当面はそれが小隊の方針ってやつだと瀬戸口は心の中で結論づけた。
「聞こえてきたぞ。姫さま、やる気満々だな」
若宮の姿がのっそりと立った。間近で見ると四本腕の重ウォードレス可憐はさすがに迫力に満ちている。
「芝村はいいんだ。それから速水も。戦場に立つために生きているようなふたりだ。それにしてもだな……うーん、どうだ、俺の指揮は?」
次の瞬間、若宮は高笑いをあげた。
「瀬戸口ともあろうものが自信喪失気味か? 皆、言うことを聞かないからな。しかも納得せんと動かん。俺も教官役だった頃、散々悩んだぞ。特におきえのような輩にな」
「ははは」瀬戸口は笑うしかなかった。
「しかし、あきらめたよ。軍隊組織の枠にはめることをな。この隊の良さは枠にはめるとかえって死ぬ。具体的には姫さんたちが三機の連携と役割分担を自分たちで考え、結果を出したことだ、で俺は何も言わんと決めた。整備の連中は……はじめっから枠なんて存在していなかったしな。だからまあ、俺も少しだけ無茶を言ってみた」
若宮は下関に適当な時期まで残ろうと主張したことを言っている。
「おまえさんの具申とやらに流されてみて正解だったよ。オペレータとしての意見だが、俺たちがあの時間まで残ったことでぎりぎり最終便の出発まで持ちこたえることができた。一時間は俺たちが稼いだと考えていいだろう」
「おう、そんなにか?」
若宮は目を見張って驚いてみせた。
「結果オーライなんだがな。指揮官としてはギャンブルに手を出したってわけ。ま、元々ギャンブルみたいな隊だ」
「そして善行さんは未だにおまえのギャンブルを見守っている、と。……わかっていると思うが、これからもっときつくなるぞ。においがするんだ。持って明日昼までと俺は踏んだ。この薄っぺらな戦線は木っ端みじんに粉砕されるだろう」
若宮はぶっそうな笑みをたたえたまま、言い放った。
「どうする? 夜間のうちに移動するか?」
若宮の言葉を受けて、瀬戸口は冷やかすように切り返した。
「まっぴらごめんだ」
そう言うと若宮は目を光らせて、にやりと笑った。
「悪かったなあ……」
ドライブインの駐車場で滝川は応急修理を施された二番機に語りかけながら右腕をなでさすっていた。イタリアンイエローの機体に交換された晩だけが都市型迷彩を施されているのが痛々しかった。
にしても腕一本でよく済んだよな、と滝川は戦闘の様子を思い浮かべた。数十の生体ミサイルが一斉に飛んできて、大あわででビルの壁をぶち破って中に隠れた。爆発と同時にビルは崩壊し、二番機は吹き飛ばされた。
疲れていた。目の前の敵に気をとられて、反応が一瞬遅れた。運が悪ければ死んでいても不思議はなかった。
「今日はごめんなさい……」
声をかけられて、滝川は「謝ることなんてねえよ」と応えていた。壬生屋がすまなそうな顔をしてたたずんでいた。壬生屋の重装甲は途中から参戦して、十分その役目を果たした、と滝川は思った。二刀流で突出することなく、友軍の撤退支援のために、武器をジャイアントアサルトに持ち替え、敵の進撃をよく防いだ。
けれど……。俺と同じか、と滝川は思った。病み上がりの身に戦闘はつらかったのだろう。
頬は痩け、目の下には隈ができていた。熊本の時は、遊撃戦、せいぜいが一時間の戦闘がほとんどであったから、疲労を意識することはなかった。
今日の自分は十時間以上に渡って戦った計算になる。正直、まいった――。
「なあ、今の俺、どんな顔してる?」
「……疲れた顔。けれど、心は疲れていないと患います」
聞き慣れない言い回しに滝川は「うーん」とうなった。言ってしまってから壬生屋も自分の吉葉に考え込んでいるようだ。
「戦争をして体が疲れるなんて当たり前です。ただ、心が疲れると勇気がどこかへ消し飛んで行く、と思います。九州でそんな友軍をたくさん見てきましたよね」
ああ、と滝川はうなずいた。思い出したくもないが、戦う意志も気力もなくして怯えた羊のように逃げまどう集団をたくさん見てきた。
「……心が折れる、ってことだよな」
何気なく口にすると、壬生屋は目を光らせて「そう、そうです!」と同意した。
「へっへっへ、だったら大丈夫だぜ。けどさ、おまえ、すごいよ。たった一日で勘を取り戻しちゃうんだもんな。どうして石津にくっついていったわけ?」
滝川が尋ねると、壬生屋は首を傾げ傾げ話し出した。
「わたくし、退院してからずっと自分をごまかしていたんです。士魂号に乗るのがこわかった。死ぬのがこわかったんです。それであんなことになって……。石津さんの気迫に引きずられたんでしょうか?」
「気迫、なあ」あの石津が、と滝川は真顔になった。
実は滝川も何度か石津のトレーニングにつき合ったことがある。はじめはペンギン走りだったランニングフォームが、たまにつき合うごとに陸上選手のそれに近くなっていった。自分が腐っている間に、石津は一番成長したのかもしれないなと思った。
「あの体で、瀬戸口さんぐらいの負傷者を背負って。重傷者の手当をして。負傷者は前線にいるって」
「言うなあ」
滝川は感心したように首を振った。そういやグラウンドならしのローラーを黙々と引っ張ってはへたり込んでいたよな、とこの三ヵ月の石津の場面場面を思い出した。
「呪う……わ」
不意に暗がりから声が聞こえて、壬生屋ははっとして後ずさった。
石津萌が暗がりから恨めしげに壬生屋を見ていた。滝川はあわてて「お、俺、休まないと」
と言って逃げ出した。
「ごめんなさい、石津さん。……け、けれど、無理はよくないです。首、手加減したつもりなんですけど。あの……痛いですか?」
壬生屋はしどろもどろに言い訳した。首の打ち身は相当につらい。気持ち、軽い脳震盪を起こすように打ったつもりだが、あまり自信がなかった。
石津は壬生屋を上目遣いで見上げると、「……うそ」と言って微笑んだ。
「頭、真っ白……だったから。ありがと……」
「…心臓に悪いんです。石津さんの冗談は」
壬生屋は、ほっと胸を撫で下ろした。石津の気持ちはよくわかる。敵の其っただ中で暴れまわっているうちに、何がなんだかわからなくなることがある。冷静な思考、とか周囲の状況、といったシロモノはきれいさっぱりなくなって、脳内がアドレナリンと反射神経に占領されてしまう。重傷を負った時もそうだった。
あの時は一機だけだったから、きっとわたしはこれまでまわりに生かされてきたんだなと壬生屋は壬生屋なりに考え込んだ。芝村さんや速水さんみたいに冷静になれたらな。これはわたしの病気だ。
……たぶん治らないと思うけど。それはそれでいいか。壬生屋はくすりと笑った。
「戻ったな」
石津と入れ替わるようにして重装甲の足下に人影が立った。壬生屋は微笑んで、
「ええ」とだけ言った。
「何があったのかは聞かないさ。俺は、おまえさんがどちらの道を選んでも構わないと思った。重装甲に乗らない壬生屋も壬生屋さ。……ただな、それじゃおまえさんが納得しないだろうと思ったんだ」
瀬戸口が麦わら帽子のひさしを上げて微笑んだ。壬生屋の心は安堵に満たされた。急にめまいがして壬生屋は地面に座り込んでしまった。それでもかろうじて正座を保っている。
壬生屋は言葉を探した。今、言っておかないと、と思った。
「いえ、開いていただきます。忘れていたものをたくさん見ました。生身の体で、いつかは敵に押しつぶされるのを覚悟で戦っていた戦車随伴歩兵の皆さんや、幻獣に追いかけられながらぎりぎりまで救急車を走らせていた救命隊の皆さん。わたくし、勇気を取り戻しました。……ほんの何時間か前に一緒だった人たちですけど、生き残っていて欲しいです」
「そうだな」
瀬戸口の表情に憂いの色が交じった。
そういう人なんだ、と壬生屋は思った。瀬戸口ほど戦争を嫌っている人間は隊内にはいないだろう。ただし、その戦争嫌いは命を賭けている。自分さえ犠牲になれば戦争が終わるというのであれば、瀬戸口さんは笑って命を差し出すだろう。余裕たっぷりに見せているのは皆への気遣いからだ。その種の気遣いができるのは、誰もいないから。
そんな危うさを自分は好きになった。
「……話してよかったです」
言葉が続かず、壬生屋は真っ赤になってもじもじとしていたが、瀬戸口は不意に壬生屋の髪に触れた。壬生屋が驚いて飛び退くと、瀬戸口はやさしく微笑んだ。
「今は休め」
それだけ言うと、硬直している壬生屋を残して歩み去った。どうしてわたしはこういう時、
素直に……。と壬生屋は緊張を解くと、がくりと肩を落とした。
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第六章 転進
八月六日 〇六〇〇 宇部拠点
明け方からはじまった攻勢はすべてを蹂躙し尽くした。
深夜のうちに集結していたのだろう。圧倒的な数の幻獣が入類側の目前に出現した時、すでに勝敗は決していた。目を覚ましたあらゆる砲が火を噴き、機銃音が鳴り響いたが、人類側が気づいた時にはこれまでに見たこともないような数の小型幻獣が、津波のように前線の各陣地に向かって殺到していた。
規模には規模で、数には数で、の問題ではなかった。
幻獣の長大の武器。それは物量だった。
かつての八代会戦の悪夢を知らない多くの兵はその数に怯えた。倒しても倒しても殺到する小型幻獣の前に、機銃座が沈黙し、戦闘車両は後退を余儀なくされた。蹂躙してもなお道路上、フィールドに立ちふさがる小型幻獣に車両群は速度を落とし、そこにミノタウロス、ゴルゴーンの生体ミサイルが降り注いだ。ヘリのローター音が上空にこだましたかと思うと、百以上のうみかぜゾンビが地上をなめるように機銃掃射した。
その朝、速水厚志は奇妙なムズ痔さを感じて目を覚ましていた。前方五百メートル付近から一斉に砲声が轟いたかと思うと、次の瞬間にはあらゆる火器の音が虚空にこだました。厚志は走った。ドライブインのどこで舞が休んでいるかは本能で知っていた。
「敵襲!」
どこからか来須の声が響き渡った。厚志は食堂の調理場へ向かうと、厨房内に横たわっている舞の肩を揺さぶった。障害物が多く、不測の事態に備えやすいそんな場所で舞は休んでいるだろうと思った。
肩に触れたとたん、舞は目を見開いた。厚志の蒼白な表情を見て、笑った。
「そなたを待っていた。行くぞ」
「え……けど」
寝ていたじゃないかと言おうとして、舞の鋭い視線に射すくめられた。舞は傍らに置いたウオードレスを黙々と着込んでいる。隆起した胸が、くびれた腰が厚志の目に映ったが、舞は頓着しない。厚志ははっとして複座型の足下に駆け戻り、ウォードレスに着替えた。
急いでコックピットにすべりこむと、すでに舞は搭乗していた。操縦席に座ると、シートを思い切り蹴られた。
「たわけ!」
「……ごめん」敵襲に気づいたとしてもなんの意味もなかった。
「複座型を出す。撤収の援護をするぞ」
厚志はうなずくと、ドライブインの駐車場から出て数十メートル前進した。すでに前線の陣地では白兵戦がはじまっていた。エンジン音を響かせ、離脱する車両もあったが、それは偶然と運と兵の生存本能がたまたま一致した希な例だった。
舞は前方九十度の射角に満遍なくジャイアントアサルトの機関砲弾をまき散らした二度、三度と続けているうちに、生体ミサイルの風切り音が聞こえた。厚志はあっさりと見切って機体を移動させる。舞は小型幻散にジャワーのように機関砲弾を浴びせる。
「すまん、瀬戸口だ。パペット型の集結に気づかなかった」
瀬戸口の声がようやく無線機から流れてきた。
「言葉が無駄だ。どうする?」
「中型幻獣六百、小型幻獣試算不可能。俺のプログラムが弾き出した。……逃げるぞ。山陽道は大混雑だ。同道2号線に乗って山口へ行く」「そうなると撤退支援はできんが」舞の声は氷のように冷たかった。
戦力の充実している岩国に撤退するのが常道だ。厚志にもそれはわかった。しかし、舞は、ふっと笑みを洩らすと、
「了解した」と言った。
厚志の目前に、各陣地を蹂躙した小型幻獣が迫ってきた。ジャイアントアサルトの機関砲弾が丹念に敵を粉砕してゆく。
「どうして? 荒波司令の要塞に行かないの?」
厚志が尋ねると、舞は「たわけー」と再び怒鳴った。これには厚志も憮然となった。荒波司令は頼れる指揮官だ。きっと最高の陣地を造っているはずだ。
「他人と同じことをやって戦争に勝てるか? そなたはまだ猿以上類人猿以下だ」
「それって滝川に言ったことじゃないか!」
「ふん。そなたも似たようなものだ。敵はこちらがまっしぐらに穴蔵に逃げ込むと考えているぞ。我らは……そうだな、変わったことをしないとだめなのだ」
舞にきっぱりと言われで、厚志は沈黙した。もみじ饅頭じゃなかった、広島名産の工業地帯はどうなるんだ? とん、とシートを蹴られた。これまでと少し音が違う。
「風の音に耳を澄ませ」
風の……音? 厚志は機体を操縦しつつ、砲声、銃声、爆発音がこだまする戦場の音の中から微かに風の音を聞き分けた。
「うん」厚志がうなずくと、数瞬の間、沈黙があった。
舞の凜とした声が厚志の耳に届いた。
「我らは風となる。燃え盛り敵を圧倒する火ではなく、津波となってすべてを押し流す水とも違う。ただ風には風の強さがある。どこへでも現れ、敵を懲らし、すぐに去る。どうだ、遊撃と言うより数段高等であろう」
舞の笑い声には厚志の大好きな凛とした響きがあった。考えるのは後にしよう。厚志はアクセルを踏み込むと、舞のために最善の射撃位置に移動した。
「悪イ」
「申し訳ありません!」
滝川と壬生屋の声が続いてコックピット内に響き渡った。
「我らが最後尾、重装甲、軽裳甲の順に隊の撤収支援をしよう。瀬戸口の方針を絶対と考えよ。とっとと2号線に乗るがよい。……壬生屋、今は臥薪嘗胆《がしんしょうたん》の時である」
なんのことだ? 厚志が首を傾げると、壬生屋は「はい」と短く答えた。
「なあ、がしんなんとかってどこの言葉?」滝川の無邪気な声がすべりこんできた。
「大人になればわかる」
舞は澄ました声で言った。
「補給車撤収します! トレーラー1、2もオッケーです」森が震える声で割って入った。
「滝川、先頭を頼む。補給車、トレーラー、戦聞指揮車の順で逃げるぞ」
瀬戸口の声は変わらず柔らかさを保っていた。
「逃げる逃げる言わないでください! 撤収でしょう!」
壬生屋がジャイアントアサルトを放ちながら、くってかかった。
「ははは、妙なプライドを持ってもしょうがないぞ。俺は軍隊用語が嫌いなんだ。みんな、戦争はこれからこれから。頼んだぜ」
瀬戸口はピクニックの幹事役でもするかのように軽い口調で言った。
同 〇六三〇 国道2号線
田園を挟んで山陽自動車道の方角で炎があがった。
百を超すうみかぜゾンビが撤退する車両群に生体式機関砲の掃射を浴びせていた。被弾した車両が、友軍に道を譲ろうと炎をあげながらも路肩へと待避する。九五式対空戦車が道路を降り、散開して数機の敵を撃墜した。そのまま、対空射撃をしつつジグザグに走行してうみかぜゾンビを友軍から引き剥がそうとした。
路上にあふれ返る小型幻獣を蹴散らしながら、戦闘車両は全速力で東へと向かった。生体ミサイルが追いすがるように放たれるが、主力の中型幻獣の速度は時速十キロ。最速のゴブリンでさえ二十キロを越える程度だ。距離さえとれば陸戦型の幻獣は振り切ることができる。友軍はその戦力の何割かを削られながらも、走り去ってゆく。
2号線上には小型幻獣が追撃してきた。複座型はこれを排除しつつ、隊の撤退支援に従事していた。
「山陽道一筋、というところだな、敵さんは。なんだか拍子抜けするなあ。三番機は長射程のライフルに換装。うみかぜゾンビを狙ってみてくれ。滝川、前方はどんな感じだ?」
「今、換装するのは危ないです。すぐ側でゴブリンを見ました!」
森が憤然として育った。
「メキシコ村テーマパーク方面にもゴブがちらほら。なんか夜のうちに移動していたみたいっすね。にしてもなんでメキシコなんすかね」
滝川の声はほどよい緊張を保っていた。
「ははは、それはわからんが。来須、若宮。整備員の護衛、よろしくな」
瀬戸口の言葉に「うむ」と若宮が応じた。
「あいつらを削っておけばうみかぜゾンビはそうそう補充はきかないだろう。敵さんも相当奮発している」
不意に東原が顔を上げた。
一般の無線傍受を受け持っていた末席だが、「たかちゃん」と声をかけできた。その目を見て瀬戸口は内心で悔やんだ。ザッツ・アクシデントか?
「あのね、宇部しみんびょういんに二百人のかんじゃさんがとりのこされてるって。ドライブインから見えてた白い建物だよ」
瀬戸口はため息をついた。二百人だと? どうして病人、負傷者の避難を優先しない? 考えでもしかたがなかった。手続き上のミスが重なった結果だろう。その結果、市民病院がすっぽり避難対象から抜け落ちてしまったわけだ。ただ事実だけがある。
救出には延々二十キロの道のりを戻らなければならない。しかし二百人もの患者をどうやって運ぶ? 瀬戸口は黙って首を横に振った。軍用トラックに二十人として、十台が必要になる。
無理な話だ。ブレーキがかかった。
「わたし……行く……わ」
石津は立ち上がるとハッチに手をかけようとした。瀬戸口はあわてて石津を取り押さえた。
「待てよ。手段がなければ無駄に死ぬだけだぞ」
石津は瀬戸口の手を振り払った。
「俺を怒らせるな。一緒に考えてくれ」
言ってしまってから瀬戸口はしまったと唇を噛んだ。考えるって……。堂々巡りの無駄な時間を過ごすだけだ。必要なのは輸送手段。考えることは必要ではなかった。
「苦労しているようですね」
瀬戸口と石津、東原はその声に、顔を見合わせた。東原がボリュームを大きくする。冷静な淡々とした声。懐かしい善行の声だ。
「いいんちょ、おかえりなさい」
東原が満面の笑顔になって挨拶をした。委員長、とは懐かしい呼び名だった。5121小隊発足以前、学兵として出向した善行は第六二戦車学校の委員長役を務めていた。
「ああ、東原さん。元気でしたか?」
「あのね、ののみ、五センチ背が伸びたんだよ」
東原が嬉々として報告すると、「それは」と善行は絶句した。
「おめでとう。もう子供扱いできませんね」
善行の精一杯の祝福に東原は「えへへ」と照れくさげに笑った。
「病院の件ですが、三機の士魂号をまず突入させます。中型幻獣を含む敵を蹴散らした後、わたしの隊が病院に向かいます。来須君、若宮君は士魂号とともに敵を警戒。今から五分後に作戦を開始します」
瀬戸口は目を瞬いた。
「わたしの隊って……。5121じゃないんですか?」
「5121もその一部です。戦車大隊と歩兵中隊をかっさらいましてね。お陰であなたたちと再会するのが少し遅れた」
「ハロハロー、みんなよい子にしてた?」
「原さん……!」森の声が割り込んで、ぐすりと嗚咽を洩らした。
「やあねえ、相変わらず泣き虫なんだから。どう、少しは進歩した?」
原は冷やかすように言った。
「それなら俺が保証しますよ。なんせ今や恋する乙女にして戦う整備員ですからね」
瀬戸口が混ぜっ返すと原は、ほほほと笑った。
「狩谷君たちも後から来るわ。今は山口でハンガーの設営をしているの」
「無駄口をたたくな! 我らと滝川はジャイアントアサルト、壬生屋は大太刀でよいな」
舞が憤然と話を断ち切った。
「よいなって……森、換装しているのか?」瀬戸口が意外だというように尋ねた。
「ええ、危ないなんて言っていられません。来須さんと若宮さんが見張ってくれていますし」
「換装終了! 壬生屋さん、思い切りやっちやって!」新井木が陽気に叫んだ。
「少し早いが行くぞ」
舞の声を合図に、三機の士魂号は移動を開始した。同時に2号線のかなたから、機械化された戦闘集団が姿を現した。先頭を走る九二式歩兵戦闘車のハッチから善行らしき人物が眼鏡を光らせ、半身を乗り出していた。
瀬戸口も銃手席のハッチを開けると、姿を現し、にやりと笑った。
「わらしべ長者ですか? 予算委員会の委員がそんなに戦闘車両を引き連れて」
「正当な労働の報酬、とでも答えておきましょう。我々は路肩へ」
そう言うと善行は片手を挙げ、無造作に振った。数両の六一式戦車と歩兵戦闘車に守られたトラックが次々と瀬戸口の目の前を通り過ぎていった。
「たかちゃん、市民病院にちゆうがたげんじゆう二十しゅつげん。なんだか変だよっ!」
車内から東原が叫んだ。
「オトリだったか。こんなことだと思った」瀬戸口がぼやくと、善行は眼鏡を押し上げた。
「頭の良い敵もいますね。もっともこれを意外に思うところが我々の悪癖ですがね」
善行の口調は落ち着き払っていた。まあ確かに……瀬戸口もその意見には同意だった。物量にものを言わせる幻獣にとって、細かな作戦は必要とされていなかっただけだ。熊本戦で人類側に三ヵ月粘られて、幻獣側も日本という地形の複雑な国土における戦い方を模索しているのだろう。それにしてもオトリとは姑息な……。
「心配じゃないんですか?」
「まったく」善行は澄ました顔で言った。
ふた振りの超硬度大太刀を与えられて、壬生屋の心臓が高鳴った。
帰ってきた! これで存分に戦ってやろう! 進発しようとする一番機に声がかかった。
「途中まで乗せてくれ」
来須の声だった。一番機が身を屈めると、来須は身軽にその肩に飛び乗った。複座型が若宮を乗せて発進した。先を争うように漆黒の重装甲も疾駆した。
「情報。二十体の中型幻獣を確認。どうやら敵さん、生意気にも病院をオトリにしているようだぞ。壬生屋、遠慮はいらん。一匹たりとも逃すな」
急に勇ましくなった瀬戸口の言葉に、壬生屋は、ふふと笑った。
声が変わった。今度は善行からだ。
「どうやら今回の攻勢にはペンタ第五世代と呼ばれる幻獣が加わっているようです。熊本戦の時には確認されなかったタイプですね」
「ふむ。何者だ、それは?」舞が尋ねた。
「司令幻数。高い知性を持って幻獣を操ります。余裕があったら探してみてください。率いる幻獣が二十体ということは、どうやら敵はこの戦いでペンタ第五世代を実験しようとしているようですね」
「何故、そんなことを知っている?」
「まあいろいろありましてね。裏から敵の知性体に関して情報を提供してもらいました」
「ふむ」裏という言葉の意味を舞は理解しているようだった。
「なんすか、裏って」滝川が尋ねてきた。
「情報部、憲兵その種の連中だな。しかし……知性体とは」
舞は考え込む口調になった。
「けど、なんだか姑息だよね。もしかして、敵は僕らが思ってるより必死なんじゃないかな」
厚志が口を開いた。「うむ」舞が同意する。
「その考え方は案外当を得ているかもしれませんね。心に留めておきます」
そんなやりとりを聞き流しながら、壬生屋は敵の姿を探し求めた。病院は霧降山の中腹を切り開き造られていた。白亜の建物が見えてきた。建物の周囲は鬱蒼とした樹木に覆われている。
中型幻獣がいるとしたら、建物の敷地内かその麓の平地だ。
少し前まで拠点としていたドライブインを過ぎ、県道を右に。まわったところで生体ミサイルの風切り音が聞こえてきた。十体のミノタウロス、ゴルゴーンが県道の左右から一斉に射撃を開始したのだ。
ふふ、無駄なことを! 壬生屋は笑みを洩らし、アクセルを踏んだ。
はるか後方でミサイルは次々と爆発する。その間に超硬度大太刀の一閃が、ミノタウロスの硬い装甲を切り裂いていた。ひねった機体の反動を利用してさらに一体。重装甲は駆け抜けた。
同時に二体のミノタウロスが爆発を起こした。
敵、柔らかくなった? 建物の陰にすばやく隠れ、爆風を避けながら壬生屋は敵を斬った瞬間の感触を確かめた。違う。自分の……士魂号のパワーが大太刀に素直に伝わった。なんだか過去の自分が力任せに敵をたたき斬っていたように思える、そんななめらかさだった。
長い間、刀を握らなかったのがよかったのか?
そう考えながらも生体ミサイルを避け、さらに二体、ミノタクロスを斬った。
この感触は、確かだ! わたしは成長したんだ。戦場でしか役にたたない成長だけれど。それでも嬉しかった。
「壬生屋機、ミノタウロス四? 撃破。……未央ちゃん、すごいね」
「待ってくれ。十秒と経ってないぞ。壬生屋、無理するな」
瀬戸口の気遣う声が聞こえて、壬生屋はくすりと笑った。
「ご心配なく。県道の幻獣はわたくしに」
「わかった。我らは病院に突入する。来須、若宮、撃ち洩らした小型幻獣を頼む」
舞がすかさず応答した。
「……完成に近づいているな、壬生屋」
来須が珍しく名指しで壬生屋に話しかけた。すでに戦闘に突入しているらしく、サブマシンガンの音がひっきりなしに聞こえる。
同 〇七〇〇 宇部市民病院
「ねえ、司令幻獣ってどんなんだろ? スキュラみたいなやつだったら面倒だな」
複座型は斜面を駆け登っていた。厚志は敵影を求めながら唐突に口を開いた。幻獣という存在に人類がかろうじて対抗して行けるのは、敵の知能が劣っているからと厚志は考えていた。
確かに狡猾なやつは存在するけど、それは野生動物の狡猾さだ。すべての幻獣が人類と同じ知性を持ったら、とうの昔に人類は滅びているだろう。
「ふむ。前にそんな論文を読んだことがある。……芝村の極秘資料だったがな。司令幻獣……知性体は一種の突然変異だ。数が少なく、ために幻獣共生派がそれを補っている、とあった。猛獣使いは獣よりも小さいだろう。厚志……」
「うん」
病院を囲むようにミノタウロス、ゴルゴーン、そしてキメラが長い体をうねらせ、警戒態勢に入っていた。
「いっきに行くぞ」
「了解」
複座型は敵の真っただ中に躍り込むと、正面のゴルゴーンに二〇ミリ機関砲弾をたたき込んだ。爆発。横っ飛びに爆風を避ける。キメラの熱線を見切って避ける。まだまだ。さあ、もっと来いよ――。厚志は巧みに敵の死角に回り込んで、敵の集結を待った。
しかし敵は距離をとったまま、生体ミサイルを発射してきた。うん? いつものヒリヒリするような憎悪がなかなか増幅しない。いつもなら凶暴化した敵が寄ってきたものだが、と厚志は再び斜面の樹林の中に身を隠した。
「三匹」
「かまわん。ミサイル発射だ」
樹林を出て、即ミサイル発射。かろうじて生命を保ったミノタウロスが全身から体液をしたたらせ最後の生体ミサイルを撃とうとしている。その機先を制して二〇ミリ機関砲弾が命中し、ミノタウロスは爆敬した。
「速水・芝村政、ミノタウロス一、ゴルゴーン一、キメラ一撃破。あのね……あっちやん、舞ちゃん、病院に近づき過ぎたら、めーなのよ」
「あ、ごめん……」厚志は恐縮して謝った。
「なるほど」
舞の冷静な声が聞こえた。
「どうした?」瀬戸口が異状を寮したとみえ、尋ねてきた。
「残った者どもは病院を背にしている」
「なんだって?」
「来須、若宮。司令幻獣とやらを探してもらえまいか? 今のままでは敵を撃破するにせよ病院に大損音が出る。ひとつ。司令幻敵は幻獣の憎悪をコントロールする力を持っているらしい。これは我らがたった今得た経験だがな」
「こちら善行。救出部隊の到着まであと十分。それまでに掃除、よろしく」
善行の淡々とした声は、これしきの任務で悩むな、と暗に告げている。
「わかっている」
来須は短く応じて、通信を切った。
「さて、探偵ごっこのはじまりか?」
若宮が冗談を言うと、来須は無表情に黙殺した。
残る中型幻獣は五。壬生屋が十、速水・芝村が四、そして病院裏手から突入した滝川が一しとめている。残る五体のミノタウロス、ゴルゴーンの中にそれがいるのか? さもなくば……。
来須と若宮は敷地内にあふれ返る小型幻獣を処理した後、病院の敷地を囲む樹林帯の中に潜んで様子を見守っていた。
「あの中にはいないだろう」
来須はこともなげに言い放った。
「む。何故だ?」
「敵に攻撃されぬために、司令部に最も必要なことはなんだ?」
来須はなおも考えているようだった。若宮も険しい顔つきで考え込んだ。
「隠蔽、だな。野戦司令部は念入りにカモフラージュする」
「小型化もひとつの選択だ」
そう言うと来須は「滝川」と名を呼んだ。
「なんすか?」二番機も今は樹林に潜んで成り行きを見守っている。
「裏手のミノタクロスを狙撃してくれ。その間に俺たちは病院内に潜入する」
しばらく沈黙があった。やがて、滝川は「了解っす」と覚悟を決めた口調で言った。
「行くぞ」来須の合図と同時に、機関砲弾がミノタウロスの腹部に命中した。ミノタウロスは腹部を開くと生体ミサイル発射の態勢になった。
ふたりはその隙に院内に走り込んだ。走り込んですぐに出くわしたゴブリンを、ふたりは超硬度カトラスで始末する。
むせかえるような血のにおいがした。若宮がごくりと喉を鳴らした。希に出会うゴブリンを排除しながら、ふたりは十床ばかりの病室のひとつをのぞき込んだ。患者が咳き込む音がした。
「無事だったか?」
来須が静かに言うと、看護師のひとりが怯えた目でうなずいた。「状況を」と若宮がうながすと、若い女性の看護師は来須の腕を取り、掌に「2Fナースセンター」と書いてた。その直後、ベッドの下から二体のゴブリンが襲いかかってきた。
病室に悲鳴がこだました。来須と若宮はなんなく二体を始末すると二階へと急いだ。ナースセンターは静まり返っていた。今の悲鳴で、たぶん、敵は逃げたか、待ち伏せしているか?
来須は黙って若宮を見た。若宮は忌々しげに来須を見た。じゃんけんの仕草をする若宮に、来須は応じようとした。
わかったわかった。俺が行くよと若宮は重ウォードレスをボンとたたいてみせた。ことさらに足音を響かせナースセンターに入った瞬間、熱線が若宮のウォードレスを直撃した。若宮がのけぞると同時に来須が動いた。
熱線の発光源にたて続けにサブマシンガンを撃ち込んだ。来須の目に体長五十センチはどの人型の幻獣が映った。撃ちながらその姿をウォードレスに備え付けたカメラに収めた。悲鳴と絶叫が聞こえた。来須と若宮は別々の方角に走り、患者に襲いかかっているゴブリンをしとめていった。熱線は若宮の可憐を焦がした程度だった。
「司令幻獣を処理」
来須の声には微かに苦渋が交じっていた。どれだけの患者、医師、看護師が殺されたか、あるいは生き残ったかは敢えて数えなかった。
二〇ミリ機関砲弾の銃撃が聞こえて、次々と幻獣が撃破されていった。時間をはかったように門前にトラックが横付けされ、兵が降り立った。
三機の士魂号とともに帰投した来須と若宮を、善行と原が出迎えた。
「再会を祝して、とはなかなかいかないものですね。犠牲者の数は言いません。それでも、わたしはみなだたちと再会できて嬉しいですね」
善街は来須と若宮に静かに言った。ふたりとも幻獣の体液と人間の血にまみれている。
「ご心配なく。我々は最善を尽くしたつもりですから」
若宮は目を光らせて笑った。全身から怒りを発散している。
「何やら大部隊を引き連れているようだが、む……」
拡声器からの舞の声が途中で途切れた。
「く、くく……なんだこの名前は? 善行戦闘団だと! くくく」
舞のューモアセンスの壷にはまったのか、舞は必死に笑いを堪えている。
「え、けど、格好いいと思うけど」
厚志がそうかなーというように異議を噌えた。
「だよなー。俺としちや戦隊のが格好いいと思うんだけど」
「ははは。まあ、そう言うな。一定規模の独立支隊は戦闘団と呼ばれる決まりなんだ」
瀬戸口がもっともらしく言った。
「あの……お願いですから麦わら帽子、やめてくれませんか? 不謹慎です!」
壬生屋が場を盛り上げようと声を張り上げた。
「あら、けっこう似合ってよ。善行さん、わたじも実はプレゼントしたいんだけど」
戦闘指揮車のハッチを開けて、原が出てきた。手に麦わら帽子を持っている。善行は咳払いすると原から二歩二二歩とさりげなく離れた。
「わたしは一応指揮官ですよ。原中尉、それは来須君に」
来須は左右を見渡して、後ずさった。苦手過ぎる状況だった。「……俺にはこの帽子がある」そう言うのが精一杯だった。
「僕もらいます――。なんか夏らしくて好きなんですよね」
厚志が軽い口調で言った。士魂号の指を伸ばすと、受け取った麦わら帽子をくるくると器用にまわしてみせた。
「あの……話は変わるんすけど。茜と田代は来ないのかな」
滝川の声が拡声器から流れた。滝川と茜は大のつくはどの親友だった。戦車馬鹿と自称・天才は妙に馬が会った。
「それでしたら……」
善行は、ふっとため息をついた。
「茜大介、広島市内で補導後釈放。たった今、憲兵隊から連絡があったところです。まったく……何をやっているんでしょうね、彼は」
善行は不肖の弟子の将来を思いやった。
同 〇七三〇 山陽自動車道
……茜大介は目の前に広がる光景に愕然としていた。
血液が逆流するように、自衛軍の車両という車両が東へ、東へと向かっていた。すでに車線という観念すらなく、両側の車線とも撤退する自衛軍で埋め尽くされていた。戦闘の激しさを物語る破損した事両群には兵士らがびっしりと張り付いていた。
駅に降り立ったとたん、憲兵に職質をされ、例のごとく反抗的態度をとって詰め所に連行された。そこで身分を照会され、善行の名を出してようやく釈放された。広島の憲兵は確かに殺気立っていた。職質中、急に鉄拳が飛んできて、殴られる茜をかばおうと田代も暴れた。
お陰でふたりとも目に青タンをつくっている。それでも善行の元部下であることを確認すると掌を返したように、相手は謝罪してきた。ふたりとさほど年の違わない少年の憲兵が、慰謝料代わりですよと軽トラックを手配してくれた。
フルスピードで岩国を通り過ぎ、防府に差し掛かったところだった。田代が急ブレーキを踏んだ。大小さまざまなエンジン音が虚空にこだました。まるで津波のように、こちらに向かって押し寄せてくる。
田代はあわでて路肩に軽トラを停め、ふたりは来るべきものを待ち受けた。
車線いっぱいに戦闘車両が物々しい姿を現した。田代は茜をうながすと、あわでて凸の字に窪んだ電話ボックスに避難した。
路肩まで車体をはみ出した戦車が、一瞬停止した。乗員がいないことを確かめたか、そのまま直進した。戦車に激突され軽トラは横転し、キャタピラに踏みにじられた。その余裕のない操縦が不気味だった。
戦車に取り付いた兵は、ほとんどが負傷し、ウォードレスを脱がされ全身を包帯で巻かれて者もいた。彼らはふたりにほとんど関心を払わず、疲労しきった顔をうつむけていた。
彼ら敗残兵の発する雰囲気に気を呑まれて、茜は無言のまま立ち尽くした。通過する車両から兵がひとり転がり落ちた。後続の車両は気づかないのか、停まる気配がない。田代は兵に駆け寄り、電話ボックスに引っ張った。
その兵はウォードレスの手首ごと左腕を失っていた。モルヒネが効きすぎたか、意識を失って転落したのだろう。
背負った荷物から薬と新しい包帯を取り出すと、田代はすばやく手当をした。
「モルヒネを打ったのはいつだ?」
意識を取り戻した兵が答えると、田代は注射器を取り出し、適量を兵に打ち込んだ。はじめて見る田代の鮮やかな手並みに茜は圧倒されていたが、やがて気を取り直すと兵に話しかけた。
「負けているのか?」
自分でも情けなく思えるほど素朴な質問だった。しかし、意識を取り戻した兵……一等兵は
「何がなんだか……」と自嘲するように笑った。
「負け、なんてもんじゃないって。なんだか洪水が来て、夢中で銃を撃っていたら左手持って行かれちまった」
「どこだ……?」茜は真顔になって、自分と同じ年頃の兵に尋ねた。
「……俺の陣地は宇部・際渡のあたり。ああ、宇部駅の北な。すげー数の幻獣が来て気がついたら他の部隊に運ばれていた。はじめ下関で中隊だったんだけど、みるみる数が減ってしまって中尉殿が率いる寄せ集めの隊で戦っていたんだ」
「中尉殿?」
「どこか別の中隊の人。格好いい人でさ、何回か敵を押し戻したんだぜ。けど、最後は中尉殿、俺たちを逃がしてくれて……」一等兵は泣きはじめた。「ごめん……」茜の口から滅多に聞けない言葉が洩れた。
「どんなに頑張っても勝てないんだもんな! こんなん戦争じゃないや。地震とか津波とか、そんなん相手にしてるようなもんだよ!」
「だけど……僕たちは勝つよ」
茜は静かに、そして断固として言った。田代が目を瞬いて、茜の横顔を見つめた。
「勝てるのか?」何かにすがるように一等兵は尋ねた。
茜は「うん」とうなずき微笑んだ。
「嘘は言わないさ。君たちが頑張ってくれたお陰で、軍は準備を整えることができた。君の左腕の仇、僕が絶対とってやるさ」
茜の言葉に普段の冷笑的な表現はなかった。真撃な何かが感じられた。
「再生手術を受けりゃ元通りになるさ。ただ、早めに病院に行くんだぞ」
田代が言葉をかけると、一等兵は泣きながらうなずいた。
「……なんか、あんたと似たような子と一緒になった。可愛かったなー。電話番号聞こうとしたんだけど、それどころじゃなかったよ」
「へっへっへ。それって俺が可愛くないってことかよ」
田代が冗談交じりに言うと、一等兵はふるふると首を振った。
「うん、おめーは大丈夫だ。後は俺たちに任せておけ」
田代はそう言うと、声を張り上げ、通りすがりの車両に声をかけた、
「こいつを連れて行ってやってくれませんか!」
軍用トラックから手が伸ばされた。茜と田代は一等兵を支えると、トラックに駆け寄った。
トラックの荷台に吸い込まれる兵に、茜は敬礼を送った。田代も倣って敬礼を送る。
「なあ……」田代が声をかけた。
「うん」と者はうなずいた。その表情には深い牽鬱と怒りが交じっていた。
「僕は……芝村の言う大たわけだったよ。これから嵐が来る。とてつもないやつだ。田代、僕を助けてくれるか?」
「へへっ、任せておけって。だって……」
「俺たち、他人じゃねーもん、ダーリン、か?」
茜の表情に開き直った笑みが浮かんだ。
これから本当の嵐が来る。僕も、田代も、5121小隊の面々も否応なしに巻き込まれることになるだろう。笑うしかない、と思った。自分の、この賢《さか》しらな脳髄で何を考えても、何を予測しても、状況はどう転ぶかわからず、破滅はすぐそこにある。まったく、これまでの僕はなんだったんだ? けれど……上等だ。
その先にあるのが勝利か破滅かはわからないけれど、運命というやつが僕を必要な存在と認めるなら僕は生き延びるはずだ。そして僕は、隊を、仲間たちを助ける。
茜の笑みに田代の表情が引き締まった。
「この戦争は大博打なんだな?」
「ああ。田代に散々脳細胞を破壊されて、どうやら僕は覚悟というやつができたみたいだよ」
田代の目が光った。様々な死を見慣れているまなざしだった。
「頑張れ、変態半ズボン。俺はけっこうおめーが気に入っている」
「ふ、ネアンデルタール女が。迷惑なことだな」
そう言いながらも、田代の差し出した手を茜は強く握った。
そして……5121小隊は未曾有の危機を迎えようとしていた。
[#改ページ]
あとがきにかえて
それにしても飽きない人間だな、と我ながらつくづくあされる今日この頃。
わたしが『ガンパレード・マーチ』の世界に接してから、はや五年の歳月が流れているんですね。どうしてこんなに続くのかな、と。考えてみたんですが、答えは極めて単純なのかもしれません。わたしはガンバレが好きだっ、以上! まあ要するにそういうことなんでしょう。
……って、待てよ。あとがきめいたものを書いてている以上、そこから展開せねば。
「要するに」とか言っちやってるし(俺ってやつはsigh…こ。
展開します。
まず、わたしが『ガンパレード・マーチ』の何が好きかと言えば、生と死の狭間に置かれながらも必死に未来を手に入れようとする少年少女たち、という設定。加えて、そんな少年少女たちの物語が、神話・伝説の領域にまで昇華されていること。わたしはそんな奥行きの深さに魅せられた人間のひとりであります。
だから、ノベライズにあたってこの世界を、格好のよい決めゼリフや、スマートな物語展開だけで終わらせたくはなかった。小説書きとしては、自分の小説でしか表現できないガンバレ世界を構築することで、はじめて芝村裕吏氏の手になるオリジナルをリスペクトすることがで
きるんではないか、と。これは「5121小隊の日常』以来の一貫した方針です。
さて、今回の「山口防衛戦」。臭は『九州撤退戦』を音盲下ろした直後から企画を練っていました。小説的には勺九州撤退戦』で一応の完結はしているんですが、作者の脳内ではどうも完結していなかったみたいで。
……敗北に美を見出すというのは、臭は第三者視点。泥臭くてしぶとい5121小隊の面々には「敗者の美学」なるものは存在しないだろう。彼らの最大の長所は、現実から目を背けないことなのだから、と。
となれば、敗北の物語――新たな伝説がはじまるージ・ュンドでよいのか? たとえ最善を尽くしたとしても、敗北したということは彼らにとって痛恨ではなかったかフわたしの文脈で言えば、多感な彼らの心に傷を残すだけだろう。周りからどんなに準えられ誉められようと、5121小隊の面々は「喪失感」に悩むだろうと考えました。そんな喪失感を払拭するために、なくしたものを取り戻すために彼らは戦い続けなくてはならない。それが今回、わたしが筆をとった動機であります。
5121小隊の悪戦苦闘はまだまだ続きます。
榊涼介
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底本:電撃文庫
「ガンパレード・マーチ 山口防衛戦《やまぐちぼうえいせん》」
榊《さかき》 涼介《りょうすけ》
二000七年三月二十五日 初版発行
2008/11/16 入力・校正 hoge