ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常U
榊 涼介
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)西南|鹿央《かおう》町
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#改ページ]
-------------------------------------------------------
原事件
[#改丁]
「ロイヤルダージリンティーを。ああ、テーブルが汚れているわ。ギャルソン、きれいにして」
5121独立駆逐戦車小隊・整備班長の原素子は、行きつけの「カフェ」でいつものようにテラス席に陣取っていた。ギャルソンと言われて店の主人はやれやれという顔になった。カフェなんてシロモノじゃなかった。本当はハンバーグやらステーキだのを出すお手軽な洋食屋なのだが、物資不足で近頃は開店休業。しかたなく、飲み物だけを出して商売している。店の前にスペースがあることから、テーブルを何卓か置いていたら、いつのまにか一番隅の席にこの女性がいついてしまった。
何故か自分のことをギャルソンと呼んで、注文するのは決まってメニューには存在しない「ロ・イ・ヤ・ル・ダ・ー・ジ・リ・ン・テ・ィ」だ。メニューには一応、レモンティー、ミルクティー、アイスティー、コーヒー、冷やしこぶ茶、お茶請けに芥子《からし》|蓮根《れんこん》といったものが並んでいるが、この女性は目もくれない。
しかたなく日西紅茶の国産茶菓を「ロイヤルダージリンティー」ということにして出すようにしている。ショートカットの、はっとするような美人だが、紅茶をすすりながらいつも気難しげな顔をして、書き物をしている。
「ああ、すまんです。煤で汚れていますばいね」
店主は布巾でテーブルをぬぐった。この近くのビルで昨夜、銃撃戦があった。市内に紛れ込んだ幻獣共生派を憲兵隊が包囲したのだが、共生派はしぶとく抵抗を続けたあげく自爆した。爆発に巻き込まれた憲兵にも死者が出たとのことだった。火災が起こって、この店にも煙が押し寄せてきた。
「近頃は市内もぶっそうじやつどん。そろそろ店じまいばしようかと」
店主が口を開くと、原は「そうね」とそっけなくうなずいただけだった。とっとと行って、と雰囲気が告げている。妙な威圧感を覚えて、店主はそそくさと店内に戻った。
「さて、と」
原はポシェットから一冊のノートを出すと、ボールペンを指でくるくるまわしながら考え込んだ。
毎日のように綴っている日記である。
文章の他に、仕事上の数式やら、気分が乗るとマンガなんかも書き入れたりする。何かとストレスの多い自分の唯一の心の慰め、と原は自分で思っている。
「今日は森が三番機の射撃管制装置の数値を勝手に変更した、と。自分じゃ適正値って主張してるけど、芝村さんに任せておけばまちがいないのに……うーん、副班長としての働きを示したかったのかな。芝村さんにかなうわけないのに。だめ。×ね。……田辺さんのどんくささはどうにかならないかしら。今日もケーブルにつまずいてシステムが十分間、ダウンしたし。これも×。零点。それにしても同じ二番機担当の狩谷君よく我慢して……待って、もしかしてふたりの関係って……だとしたら加藤さんと三角関係になるわね。狩谷って母性本能をくすぐるのかしら? 待って。それはない! あの秀才君は役に立つけど協調性に欠ける。わたしだったら放置。アウトオブ眼中ね。少し修正が必要かな――」
ナノ秒の速さで原の頭脳はめまぐるしく回転した。知らず知らずつぶやきを洩らしているため、せわしなく唇が動いている。店主がおそるおそる「ロイヤルダージリンティー」を置いてもまったく気づく様子もない。
原の指がぐっとペンを握りしめた。
「そんなことより茜と田代。今日も板チョコのことで喧嘩になって。しょせん遺伝子操作のカカオだろ、何がホンモノだよなんて茜が言うから……あの半ズボンの悪魔君にはしばらくスカウトへの転属を命じようかしら。来須君と若宮君に鍛えてもらって」
ほほほ。原は不気味な笑みを洩らすと、ノートに文章をしたためはじめた。
〈四月某日、天気快晴。早春の風が花の香を運んでくれる。
[#ここから2字下げ]
今、わたしはお気に入りのカフェテラスに座ってこの日記を書いている。なじみのギャルソンがロイヤルダージリンティーを黙って出してくれるの。ここは日々ストレスにさらされているわたしのささやかな隠れ家。市内の真ん中にありながら、青々と茂る緑のお陰で少しも喧暁を感じさせないわ。
今日は細々《こまごま》とした事件がありすぎて、整理するのが大変。まず森さん。もう少しウラの仕事……イ号作戦にも慣れて欲しいわね。「こ、こんなの泥棒です」なんて。ちっちっ、物資集積所から人型戦車の部品をじかに調達するのは整備の立派なお仕事。申請書類なんて出していると、あちこちたらいまわしにされて戦争が終わっちゃうからね。その分、オモテの仕事を一生懸命にやっているつもりなんだろうけど、近頃、空回りが目立つわね。うん、指揮車担当に配置換えしたら少しは反省するかしら。けどそうなると田代が余るから……。〉
[#ここで字下げ終わり]
猛烈な勢いで文字を書き連ねる原の前に人影が立った。視界が暗くなるが、原は気づかず、時折、くすくすと笑いを洩らしながら、ノートから視線を離さずにいる。
「おい、あんた」
頭上から声が降ってきたが、原は一向に顔を上げようとしない。そのうち、急にしかめつらになると、眼鏡に無精ひげの男の似顔絵を描きはじめた。ヒダを描き加えると、少し考えて、頭の上にチューリップを描いて「ぷ?」と噴き出した。
「あのなあ……」
あきれたような男の声。原は不意に顔を上げると、にっこりと相手に笑いかけた。
「のぞき見は趣味が悪いわね。とっとと自分の席に戻りなさいね。ギャルソン、この子を案内してあげて」
「ぎゃるそん……」
原の目はすばやく相手を観察していた。どこか薄汚れた学兵だった。着たきりで何日も過ごしているのだろう。無精ひげも生やしている。前線帰りかな、と原は思ったが、十人並の容姿だったので、すぐに無視することに決めた。にしてもギャルソンは何をしているのかしら。ぷんと軽油のにおいが鼻をついた。気がつくと学兵は拳銃を自分の鼻先に突き出している。銃口は自分の額に向けられていた。
「なんのまね? それ、一世代前のシグね。ふん、自慢にはならないわよ」
原が鼻で笑うと、学兵はイラだったように叫んだ。
「あんた、馬鹿か? 店の人間は逃げ出したよ。あんたは人質になったの!」
「わたしが? どうしてえ?」
原はしげしげと学兵を見つめた。うん、やっぱり薄汚れている。目は血走っているし、口許は緊張のあまりひきつっているし、余裕はまったくナッシング。けど、人質って何よ? もしかして……原は天然記念物でも見るように学兵を見つめた。
「あなた、もしかして昨日自爆した幻獣共生派の生き残り? それで憲兵隊に追われてここに逃げ込んできたと。わたし、自爆に巻き込まれるなんて嫌だからね!」
「違うって。俺は……」
共生派と決めつけられて学兵は怯んだ表情を浮かべたが、原は耳を貸さずにまくしたてた。
「死ぬんなら自分ひとりで死になさい! 他人に迷惑かけちゃいけないって学校で教わらなかった? あ、共生派は学校に行ってるんだっけ? とにかく、さよなら」
原はしっしと手を振ると、再び日記に視線を落とした。
こういう頭の不自由な人間とかかわったらロクなことにはならない。わたしのささやかなプライベートタイムを邪魔しないで欲しい。
学兵は沈黙した。原のあまりな対応に茫然と突っ立っている。
「一週間前、隊が半分に減っちまった。もう戦争は嫌なんだ」
ふんふん、とうなずきながら原はペンを走らせている。顔も上げずに、ぽつりと言った。
「脱走したのね。それで憲兵に追われていると」
「……なんだよ、わかってんじゃねえか」
「わたしの脳細胞はたくさんの情報を同時に処理できるの。なーんか一番つまんない事情ね。まだ共生派で、自爆するか変身するかで大暴れしてくれた方が面白いわ。隊が損害を受けて、僕ちゃん、怖くなって逃げ出してきたってわけね。あ、仲間を見捨てて逃げてきた人の身の上話は聞く気ないから」
原の容赦ない言葉に、学兵は憤然として銃のスライドを引いた。
「あらやだ。発砲の用意もしてなかったなんて」
原の言葉に学兵はどう応えてよいかわからず「くそ」と毒づいただけだった。
その時、二十メートルほど離れているだろうか、本通りに憲兵隊の制服を着た兵が五、六人現れた。憲兵に気づくと学兵は怯えた表情を浮かべて「近づくな!」と叫んだ。
「谷十翼長、逃げても無駄だ。即刻、自首しなさい」
少尉の階級章をつけた憲兵が、単身テラスに近づいてくる。
「……近づくなって言ってんだろ! こっちには、ひ、人質だっているんだからな!」
「はぁい。人質その一です」
原はにこっと少尉に笑いかけた。美貌の原に笑いかけられ、少尉の足が止まった。
「5121独立駆逐戦車小隊の原百翼長です♪」
「じ、自分は第25警備小隊辛島町駐屯所の熊谷少尉であります」
熊谷少尉は顔を赤らめて、自己紹介をしてしまった。年は原よりふたつふみっつ上というところか。名前とは裏腹に色白、細身で、どことなく頼りない若い少尉である。
「ええと、この名無し少年は? なんか悪いことでもしたの?」
「この憲兵が谷って言ったろうが!」
学兵が憤然として言った。依然、拳銃は突きつけたままである。
「不審に思って職質したところ、急に逃げ出しまして」
「あら、名前だけは名乗ったんだ?」
原が首を傾げると、熊谷少尉も首を傾げた。
「そういえば……」
「名前を名乗って逃げるのって間抜けよね」
原は、口に手をあててくすくすと笑った。まったく緊張の感じられぬ様子に、谷は憮然とし、熊谷は毒気を抜かれたようにぼんやりと立ち尽くした。
「あれ、原さんじゃない?」
整備班副主任・森精華は、買い出しからの帰り道、見知った顔を見つけた。裏マーケットのジャンク屋で細々した整備用パーツを買い求めた帰りだった。後ろには不満げな顔をした義理の弟・茜大介が汗だくでリヤカーを引いている。
「姉さんも少しは手伝ってくれよ。僕には先天的に肉体労働は似合わないんだ! だいたい、装甲板まで買うことないだろ?」
よりによって天才である僕が、こ、こんな格好悪い肉体労働をするなんて。
「だって安かったんだもの。田代さんとの喧嘩、仲裁してあげたでしょ? あのまま田代さんにぼろぼろにされたかった? 原さん、怒っていたわよ」
「くそ、あれはネアンデルタール女が……」
「しばらくスカウトに転属させて鍛えてもらおうかしら、なんてひとり言、言ってた」
茜の顔が、さあっと青ざめた。あのゴリラどもの中に放り込まれるなんて嫌すぎる。
「そ、そんなことより、原さんがどうしたんだ?」
「男の人と一緒にいる。ほら」
森が指さした方向に、カフェテラスのテーブルに座ったままの原と、学兵の後ろ姿が見えた。
「これってもしかして……」
茜の目には、にこやかに微笑んでいる原の姿があった。
森は茜を無視して、ずんずんとカフェテラスへ近づいてゆく。
「姉さん、だめだ! 邪魔をしちゃいけないよ」邪魔をしたら百倍返しの意地悪が待っている。茜の制止に、森はきっと振り返った。
「あの笑顔、気になるの。心の底から笑っているときもあるけど、その逆に傷ついているときもあんな感じなの」
「それって紛らわしいな」
「心配なのよ! わたしは原さんの後輩として見届ける義務があるの」
そんな義務なんてあるのか? と尋ねようとして茜は口をつぐんだ。なんだか姉の表情が凛として使命感に燃えている。くそ。茜は顔を赤らめた。大好きな姉の表情だ。普段は抑えている姉への想いが爆発しそうになる。
物陰に隠れながら接近しようとする森を、憲兵のひとりが制止した。
「ああ、そこの君、何をしているんだ? 所属、姓名は?」
森は一瞬、ん? という顔になって、さあっと青ざめた。イ号作戦が摘発されて、憲兵に捕まることを何よりも怖れている森だった。
「5121小隊整備班の森十翼長です。あの……備品を揃えにマーケットに行った帰りで。あそこに座っているのがわたしの上官なんです」
「近づいてはならん。彼女は人質にとられている」
「え……?」
森は怪訝な表情を浮かべた。
「そんな風に見えませんけど」
森がはっきりと指摘すると、憲兵も首を傾げた。
「よほど肝が据わっているのか、拳銃を突きつけられているのに笑っている。知り合いという線も考えられるな。君、谷十翼長って知っているか?」
「そんな人、知りません! 人質にされているんなら、早く助けてください!」
森は憤然として叫んだ。あまりの剣幕に憲兵は後ずさった。
「だ、だから俺たちの上官が……」
「姉さん、チャンスだ! こういう時にこそ僕たちがいるんじゃないか!」
茜は目をきらきらと輝かせ、興奮した表情で叫んだ。
「チャンスって……原さん、人質にとられているのよ」
「だから、僕が犯人を説得する。憲兵なんかに任せておけないよ」
そう言うと茜は、唖然とする森と憲兵をしりめにテラスへと近づいていった。あまりのことに憲兵たちは制止するきっかけを失った。
「あら、来須君じゃない」
茜の姿を認めた原がにこやかに言った。谷も、熊谷もぎょっとして振り返った。熊谷少尉の横に半ズボン姿の少年が立っている。
来須君と言われて、茜の顔が紅潮した。
「だ、誰が来須なんだよ! 勝手に人の名前、変えるな!」
「ほほほ。来須君だったらよかったな、と思って。願望がつい口をついて出たのよね。それで茜君、なんの用?」
「な、なんの用って……」茜は絶句した。
「危ないから下がっていなさい。彼は銃を持っている」
熊谷にまで言われて、茜は興奮した口調でまくしたてた。
「くそ! 事件を解決してやろうと思ってきたのに。おい、そこの馬鹿、とっとと僕たちの上官を解放するんだ。原さんはな、おまえの命一億人ぶんと引き替えにしても追いつかない大天才なんだからな!」
「大天才……」谷はあきれたようにつぶやいた。原の横にまわると、原の横顔と、しゃしゃり出てきた奇妙な半ズボン少年を見比べた。
「そうだ! むろん僕には及ばないけど。年の甲だけ、僕よりえらいことになっている」
「年の甲って何よ!」原がむっとして言った。
茜は、ひぇっと後ずさる。
「ま、まあ、とにかく話し合おうじゃないか? この原さんは整備の神様って言われていてな、イジワルだけど根はいい人なんだ」
原がまたしても、むっとした表情を浮かべた。
「茜君、帰っていいから。あ、明日からあなた、スカウト研修ね。頑張ってね」
「そ、そんな……。僕にもチャンスを。……とにかく、おまえ、原さんを解放しろ」
「こら、近づいちゃいかん!」熊谷少尉があわてて叫ぶが、スカウトの四文字が脳内を駆けめぐっている茜には通じない。ふらふらとふたりの前に近づいてゆく。谷が拳銃を構えるが、茜は気にもしていない。
「それ以上、近づくと、撃つぞ!」
原の手が伸びて銃を持つ手を下げた。原の何気ない動作で谷は一瞬、行動の自由を奪われた。
使い慣れぬ拳銃を構え続けて腕の筋肉が疲労していた。
「ば、馬鹿! 危ないじゃん」谷が茫然として抗議すると、原は、にこっと笑った。
「待って。わたしたちには話し合いが必要だと思うの。ねえ、そこの憲兵さんたち、しばらく時間をくれないかしら?」
ホルスターから拳銃を抜き出し、今にも発砲しようとした熊谷の手が止まった。間一髪の差。外見に似合わず熊谷は射撃の名手だった。歯車がひとつ、それぞれの動きがひとつ狂えば、熊谷の銃弾は谷のこめかみを貫通していたろう。
「ええと……」
谷が拳銃を構え直すと、すでに隣に茜が立っていた。
「ふん。君、くさいぞ」
「……馬鹿野郎! それが話し合いかよ」
「僕は事実を述べているまでだ。君は戦争が怖くなって脱走した。けれど、どこへ逃げる? 逃げる場所なんてないぞ。軍刑務所? だめだめ」
茜は馬鹿にしたように大げさに肩をすくめた。なんだか調子に乗ってきたようだ。
「ねえ、憲兵さん。今時の脱走兵は確か懲罰隊でしたよね」
呼びかけられて熊谷少尉は考え込んだ。部下のひとりにあらかじめ谷の原隊を探させている。
「ああ、最低の装備で、最も危険な戦場に配置される。卑怯者に刑務所で無駄飯を食べさせるわけにはゆかないからな」
「じゃあ、俺……」
谷は絶望した表情になった。どうしようもないじゃんといった顔だ。
「けど、名前をわざわざ名乗る脱走兵なんているかしら? そこが疑問よね」
原はにこやかに熊谷に笑いかけた。熊谷の顔がみるみる赤くなる。
「あ、ええっと、そうですな。確かに疑問です」
「だから、ここは僕たちを解放して潔く自決しろよ」
茜が唐突に結論づけた。
「自決……」
「こら! 変態半ズボンはよけいなこと言わない。これ以上、しゃべるとホントにスカウトに転属させるからね。しかも他の隊にね」
「……そ、そんなの嫌だ」茜は急に半泣きになると、椅子に座って頭を抱えた。
「ナンパ目的かなと思って無視していたら、この子、銃の調子がおかしいって相談してきたの。人型戦車専門の天才メカニックのわたしが銃ごとき、見るわけはないのにね。憲兵さんからも教育的指導をしてあげて。とっとと隊へ戻りなさいって」
原の目が真剣なものになっている。その意を悟って、熊谷は大きくうなずいた。
「その点はぬかりなく……」
遠くから声が聞こえる。
「谷よォ」
谷がはっとして声のした方角を見ると、熊谷は満足げに微笑んだ。憲兵がこちらだ、というように手を挙げる。十人ほどの学兵がテラス前に駆け込んできた。よほど急いだらしく、谷を確認するなり、背を曲げて息を整えはじめた。
学兵の癖にむさい顎髭を生やした百翼長が、やっと顔を上げた。
「ばっきやろ、心配してたんだぞ!」
「隊長……」
顎髭は、苦々しげに谷をにらみつけた。
「戦闘のショックで方向感覚を失ったらしく、街で迷子になりている兵を発見した、と。辛島町屯所の憲兵さんが連絡をくれたんだ。迷子だぞ、迷子。おめー、何才だ? 恥ずかしくないのかよ」
「迷子っすか」谷はぼんやりとつぶやき、熊谷少尉を見た。
「君は小学校からやり直した方がよいな」熊谷は安堵の表情を浮かべて言った。名前を名乗ったことが幸いした。幸運だった。
「少尉さん、見かけによらずグッジョブね。さあ、とっとと隊に戻りなさいね」
原の言葉に谷はがくりと肩を落とした。ごとりと書がして、テーブルの上に拳銃が置かれた。
隊員たちに守られるようにして去って行く谷を見送りながら、原は、にっこりと熊谷少尉に笑いかけた。おどけた仕草で敬礼をすると、熊谷も生真面目に敬礼を返した。
「ご協力を感謝します。あの……」
「あ、だめだめ。電話番号は教えないわよ」
「そ、そうではなく。飲み物がこぼれてノートの上に」
原ははっとして、急いでハンカチを出すと、ノートの紙面を懸命にふきはじめた。そして硬直している茜をきっとにらみつけた。
「あなたのせいね。茜君、明日からあなたはスカウト三日間研修……と言いたいところだけど、時間稼ぎに少しは役に立ったから二日間にまけてあげる」
「ぼ、僕は……」
「原さん、そんな! 大介、死んじゃいます!」
森が駆け寄ってきて、茜をかばうように訴えた。すでに憲兵たちは去っている。
「ああら、副班長。ずいぶん遅いご登場だこと」
そう言われて森のふっくらした頬が赤らんだ。
「すみません」
森がうなだれて謝ると、原は、ほほほと高笑いを洩らした。
「冗談よ、冗談。こういう状況で主役を張れるのは、わたしと善行さんぐらいよ。特にあの子だとねえ」
隣で思いっきりくしゃみをする音がして、三番機パイロットの速水厚志は飛び上がった。整備テント、三番機のパラメータ調整をしている最中だった。
「す、すごい迫力だね、舞」
「うむ。急に鼻がムズムズしてな。芝村は風邪は引かぬものだが」
三番機砲手の芝村舞は不機嫌そうに、眉間にしわを寄せ、鼻をぐすりとすすりあげた。
[#改ページ]
準竜師の休日
[#改丁]
三月某日、五木川流域。某研究所内。
ふむ。我ながら酔狂《すいきょう》なことよ。
準竜師は分厚い体を粗末なスチール製の椅子に沈めながら思った。
仮にも九州総軍のトップたるものが、こんなままごとの交渉につき合うとは――。そう思って隣に座る副官のウィチタ更紗を見ると、はっとするほどの美貌にあからさまに憮然とした色を浮かべている。普通の人間には単なる無表情にしか映らないが、準竜師には彼女の無表情の仮面の下に隠された喜怒哀楽がよくわかる。
渡厚な薬品の匂いが室内に残っていた。
元は市街をはるかに見下ろす尾根の頂上に建てられた生物工学の研究所の一室だった。人類側と幻獣側の戦線の中間地点にあるため、資材・人員はすでに本土へと引き上げられている。
施設の性格上、幾重ものフェンスが張り巡らされ、麓から通用門への道は限られていた。突発的な事件に対応しやすいことが、この施設が選ばれた理由だった。
検問所には自衛軍のウォードレスを着た三個小隊の兵が警戒にあたっている。
駐車スペースには自衛軍の車両と、準竜師の専用車である黒塗りのリムジンが停車していた。
周囲は鬱蒼とした樹木に囲まれている。鳥の声だけが木の間に響く。
ふたつのまったく異なる集団が、会見の場所として選んだのがここだった。どっしりした実験用のテーブルと、ビーカー、フラスコ、試験管の類が散乱している他、何も見当たらない。
安物のスチール製の椅子に腰掛け、テーブルをはさんで対面しているのは純白の九州総軍の礼服を着た高級将校の一群と、それとは対照的に一般人の……あるいはそれ以下の質素な服装に身を包んだ一団だった。中央に座る男はしわの目立つ安物のワイシャツに褐色の上着を着て、ネクタイはしていない。小柄で貧相な外見だが、日は知的な光を放って、どこか田舎の中学校の教師を連想させる。隣では白衣を着たひっつめ髪の若い女が口許を引き結んで、対面する将校を見つめている。
この女、あれに似ているな。
準竜師は脳裏に、試作実験機小隊に派遣した一族の少女の表情を思い浮かべた。不機嫌に口許を引き結んだところはよく似ている。もっとも年齢には相応の開きがあるが。こちらのひっつめ髪は白衣と不機嫌な顔で隠そうとしても、どうしても女らしさが見えてしまう。
準竜師は、一週間前、総軍司令部をふらりと訪れ、自らを「幻獣共生派」と名乗り、唐突に「和平会談」の話を持ち込んできた白衣の女をしげしげと見つめた。サラリーマン風の男とペアで、警備の兵の銃口に囲まれながらも、表情ひとつ変えず平然と準竜師への面会を要求してきた。
これに乗ったのは我の酔狂……すなわち「病気」だな、と準竜師は口許をゆがめた。
むろん、それなりの覚悟と成算がなければ幻獣共生派がのこのこと自分に会いに来るはずはない。幻獣共生派は人類の裏切り者であり、幻獣の手足となって働く悪魔――という認識を政府は様々なメディアを使って国民の間に浸透させてきた。その最も熱心な推進者が軍政財界に大きな権力を持つ芝村一族だった。
幻獣出現以来、五十年間続いている戦争に厭戦気分が漂い、国民の中には「幻獣との和平も可能ではないか?」との声も出はじめた。政府――芝村一族は、そんな共生派シンパをも容赦なく弾圧してきた。
部下達は射殺すべき、と主張したが、準竜師は敢えて押しとどめた。
九州に幻獣が上陸してから、はじめて「和平」を口にする天然記念物のような「ホンモノの」共生派が現れたのだ。
一進一退の戦争に退屈していたところだった。面白い。話ぐらいは聞いてやろう、という気になった。
どちらの集団も居心地の悪さに辟易しているように見えた。誰がはじめに口を開くか、興味もあったが、下手をすると陽が暮れてしまいかねない。
「それにしても奇妙な取り合わせだな。そなたらはPTAか、どこぞの市民団体の陳情団を連想させるぞ。こちらは、ほれ、この通り悪趣味な格好だしな」
準竜師は相手の緊張を振り払うようにして、こう切り出した。体の幅も、顔の造作も大きく、正面に座る中学の教師風の倍はあるように思われる。
彼の言葉に、教師風は口許を微かにゆるめた。
「まあ、気を楽にせよ。運が悪くても殺されるだけだ」
「イエス。そして誰もいなくなりますね」
席から離れて窓際に立つサラリーマン風――白衣の女の相方が、眼鏡を押し上げて笑った。
外見こそまともだが、射殺すべき、との部下の言葉に、「わたしは三個師団なければ殺すことできませんね」と大ボラを吹いた痴れ者だった。
「あー、まずはそなたらの身の上話を聞いてもあくびはせんよ」
芝村準竜師は、不機嫌な顔をしている白衣の女をうながした。
女がちらと隣の男を見た。男の目が聡明に光った。
「わたしは野間道夫と申します。このたびは突然の申し出、申し訳ありませんでした」
「そのことはもういい。そなたがこの者たちを束ねているというわけだな」
準竜師が話を振ると、野間と名乗った男は黙ってうなずいた。
「幻獣共生派が『和平』などと、前代未聞のことであったのでな。興味を持った」
「わたしは第五世代です」
「ふむ。まったくそうは見えぬな」準竜師は意外な、というように目をむいた。
……第五世代。久しぶりに聞く言葉だった。ユーラシアでの人類側劣勢に際して、急ぎ対幻獣戦用に特化して培養された世代、もしくは集団。人間離れした外見と心を持つ者が多く、ほとんどの者は幻獣側に寝返っている。
人類にとっては忌まわしい、記憶から抹殺すべき世代だった。
準竜師にしても、その詳細までは知らない。
「ユーラシアに投入された第五世代は兵器として扱われました」
「ふむ」
「さらに第五世代には標準というものがありませんでした。閣下もご存じの通り、各国、各研究所が少ない予算と開発期間を経て、泥縄式に送り出したというのが真実です。中には戦闘形態に変身したとたん、細胞が拒否反応を起こして死んでいった者もいました。我々は人類の鬼子と言うべき存在でしょうな」
これまで何度も考え、他人にも話してきたのだろう、野間は低い声でよどみなく話した。
「鬼子。わたしもそうして生を受けた者です。幸いなことにわたしには邪魔なだけの変身能力はなく、戦闘に特化した能力もありませんでした。代わりに与えられたのが、わたしを培養してくれた研究者の知性、そして旧世代を上回る体力と集中力でした」
野間が言葉を区切ると、準竜師は薄笑いを浮かべたままうなずいた。
たまには共生派の身の上話も悪くはない。しかも第五世代だ。人類に捨てられ、人類を捨て去った鬼子たちだ。それが「和平」を口にするとは、なおさら面白いではないか? 隣ではウィチタが、ピリピリとした雰囲気を漂わせ、苛立ちを抑えていた。第五世代の身の上話などに興味はないといった様子だ。机の下の手が銃のホルスターをしきりに探っている。
準竜師がそっとその手を押さえると、女性将校……ウィチタ更紗は意外にも顔を赤らめた。
「面白いおとぎ話だな。来た甲斐があったかもしれん」
ウィチタの柔らかな掌の感触を楽しみながら準竜師は言った。
野間の生真面目な表情が微かにゆるんだ。
「ええ、我々の世代について語ることは最大の禁忌ですから。大陸の戦線に備品として投入されたわたしは、すぐに脱走しました。脱走し、野に潜むうちに幻獣と意志疎通ができることに気がついたのです。幻獣は人類への圧倒的な憎悪の念をわたしに送ってきました。おのれの力を解放せよ、憎悪に身を任せ、人類を狩って狩りまくるのだ、と。憎悪……そして破壊への衝動。それは心地よくわたしの細胞に語りかけてきました。それでもわたしは彼らの憎悪に取り込まれることはなかった。荒廃した大陸を放浪するうちに、人類でもなく、幻獣の側にも取り込まれぬ自分の存在について考えたのです」
野間は言葉を切った。誰もが野間のおとぎ話に反応する知識を持ち合わせていなかった。
室内を沈黙が支配した。気まずげに煙草を取り出した将校のひとりに、
「申し訳ないが、ニコチンに弱い体質の者がいる。遠慮してもらおう」
白衣の女が鋭く言ったきりだった。
……1945年、第2次大戦は意外なかたちで幕を下ろした。天空に突如として黒い月が出現し、幻獣と呼ばれる異形の生物が地球上を覆った。確固たる目的も理由もなく、ただ人を狩る人類の天敵――それが幻獣であった。
人類は種の存続のために幻獣と戦うことを余儀なくされた。それから五十年。悪夢のような戦争は延々と続いていた。人類は死闘を繰り返したが、圧倒的な物量を誇る幻獣軍の前に後退を重ね、ユーラシア大陸はことごとく敵の手に落ちた。人類が生存するエリアは日本、北米、南米の一部、豪州、そして南アフリカのみとなっていた。
1998年、幻獣軍は九州西岸に上陸。同年、熊本南部・八代平原において、自衛軍の戦力のすべてというべき二十万の軍が幻獣軍二千万と激突。後に八代会戦と呼ばれる戦いにおいて人類側は記録的な惨敗を喫していた。
事態を憂いた政府は、1999年、ふたつの法案を可決。起死回生をはからんとした。
ひとつは幻獣の本土上陸を阻止するための拠点、九州熊本要塞の戦力増強。ふたつめは十四才から十七才までの少年兵の強制召集であった。
芝村準竜師は、九州総軍の実質的な責任者として、多忙な日々を送っていた。本来であったら、交渉とやらに使う数時間、いやこの沈黙すら致命的に惜しい。ウィチタの苛立ちも、幕僚たちの困惑も、もっともなことだった。
しかし当の準竜師は楽しげですらあった。薄い笑みを浮かべたまま、野間の表情をじっと観察している。
「そこでそなたは人類と幻獣の間に立とうというわけだな」
準竜師がようやく水を向けると、野間は救われたように再び口を開きはじめた。
「すでに我々は新しい世代を生み出しつつあります。人の心を持ち、しかも幻獣とも意志を通じることができる新世代です。が、この河合さんが賛同してくれなければ、何もできなかった。河合さんとは大陸で出会い、彼は進んで仲間になってくれたのです」
野間は窓際にたたずむサラリーマン風に視線を移した。河合さんと呼ばれた男は、準竜師ににやりと笑いかけた。
「わたしは出来損ないでしてね。野間先生のお陰で壊れずに済んだのですよ」
「ふむ」
なんとも楽しい身の上話の連続である。準竜師は大きくうなずいた。
「幻獣側に寝返って、大暴れしていたところを野間先生たちに諭されたってところですかね。どうやら少しはここに、ヒトのハートとやらが宿っていたらしい」
河合は大げさに自分の胸に手を当てた。白衣の女が顔をしかめて舌打ちした。
なるほど、この河合とやらと白衣の女が野間の補佐役というわけか。準竜師は司令部に殴り込みをかけてきたふたりを順繰りに見つめた。
「さて、そろそろ本題に入ろうではないか。そなたらは何が望みだ?」
準竜師が問いを発すると、野間は即座に応じた。
「和平を。東アジアにおける人類の生存地域は、日本の本州、四国、北海道に限定し、人類側はすみやかに九州及び各島峡部より撤退していただきます。東アジアにおける人類は以上のエリアに隔離され、以後、幻獣とは切り離されることになります」
「隔離だと!」
幕僚の中から怒声が上がった。準竜師は軽く手をあげてそれを制した。
「なるほど。一応のビジョンは持っているようだ。だが、惜しむらくは、そなたらに我々を納得させるだけの背景、あー、要は軍事力が感じられぬことだ。そなたらより現在テロ工作をしている共生派の方が我には多数派に思えるが。幻獣、そして幻獣に同調する多数派を説得できるのか?」
準竜師の左右に居並ぶ将官たちが、揃ってうなずいた。戦時下に弱者の理想論に耳を傾けるなど時間の無駄でしかなかった。
「我々はそれほど弱いわけではありませんよ」
それを悟ったか、野間は静かに言った。そして準竜師をしっかりと見据えた。
「あなたは芝村一族の中でも変わり種と聞きます。それゆえ我々はあなたに賭けようと考えたのです。奥の手をさらしましょう。我々は大陸から多数の培養ポッドを持ち込んで、人口を増やし、勢力を蓄えつつあります。さらに……大陸の兵……元自衛軍の兵、幻獣の中にも同調する者が増えています」
「まさか……」
ウィチタが思わず口を開いた。しかし野間は構わず続けた。
「あなたがたが共生派について持っている知識は、おそらくユーラシア戦……十年以上前のものでしょう。わたしたちが主戦派と呼んでいる共生派、及びすでに幻獣化している第五世代は、現在をピークとして減少しつつあります。彼らは我々のように培養ポッドを持たず、科学的知識もありません。遺伝子的に無理な改造をほどこしたために死んでいった者も少なくありません。退化しているのです。じきにわたしたちが、わたしたちのつくりだす新世代が多数を占めることになるでしょう」
「新世代とは……? こちらの勇ましいお嬢さんのことかな」
準竜師の冷やかすような言葉に、白衣の女はあからさまに顔をしかめた。
「鈴原と名乗ったはずだが」
好みの女だ。女の不機嫌な顔は好きだ。たまらぬ。明らかに不機嫌な鈴原の様子に準竜師の口許がほころんだ。
「彼女は傑作……というと人間らしくありませんな。誇るべきわたしの娘ですよ」
「空は飛べませんがね」
河合が横合いから口をはさんだ。鈴原の顔つきはますます不機嫌になった。
「現に、ここ九州の地における幻獣は半数が和平の印を見せています。人類側の前線に張り付き、実際に戦っているのは、幻獣の主戦派及び共生派主戦派、そして第五世代の大部分といったところですね」
野間が淡々と言った。
半数とは大げさだ。準竜師は野間の表情を観察した。微かに動揺が見られる。この男は、先生であって政治家にはほど遠い。
「額面通りに受け取ることはできんな。現に今も激戦が展開されている」
「芝村の本意はどうなのだ?」
鈴原が冷静な声で斬り込んできた。
この女も、野間も、澄んではいるが暗いまなざしをしている。準竜師は鈴原の視線を受け止め、好色な目つきでにやりと笑った。
案の定、鈴原は厳しい目でこちらをにらんだ。
「遊びではない。そんな目をするな」
「ははは。我がどんな目をしようと勝手だろう。そなたらに我々の本意を伝える義務などさらさらないが、おとぎ話にはおとぎ話をもって応えよう」
「時間がありません」
ウィチタの牽制する声が鋭く飛んだ。合図をすれば即座にその場にいる共生派を射殺する構えである。とはいえ、それは無理だろう。準竜師は窓際に立つ河合をちらと見た。
「我らはこの星に迎えてくれた人類に恩義を感じている。それゆえ、最後まで人類を看取るつもりでいる。しかし譲れるのは九州撤退までだ。島峡部をよこせというが、それでは首都の喉元に刃をつきつけるようなものではないか」
「刃ではなく、監視です」
野間が即座に応じた。
「すでにウィルスによって生殖能力を失った時点で、人類の種としての命運は尽きている。あなたがた芝村は無駄に人類を延命させているだけではないのか?」
鈴原の容赦ない問いかけに準竜師は肩をすくめた。
「桜だ。そなたの肩に花びらがついている」
「ああ、これは……」
鈴原は、薄紅色の花びらを指でつまんだ。桜の蕾が花開こうとしている季節であった。鈴原は花びらを無造作につまんで宙にすべらせた。
「我らがこの星に漂着した時、この島国の者たちはこころよく迎えてくれた。彼らは桜という木を愛でる奇妙な習慣を持った者たちで、我らは戸惑いながらも宴をともにしたものだ。我らにとっては単なる植物に過ぎぬが、彼らは植物に様々な感情を託す。
我らはこの者たちとともに生きることに決めたのだ。はじめて我らを迎えてくれた一族が、戦乱の中で滅んだ時、我らは世界各地へ散った。
愚かしく、すぐに憎悪に支配される人類に、我らは影のごとく寄り添い、しだいに勢力を強めていった。火器の発明、内燃機関の発明、そして核の発明。その時点で我らはこの星の主導権を握ることに決めた」
どこかしら気の抜けたような沈黙が室内を支配した。
芝村準竜師はにやりと笑った。
「しゃべり過ぎたようだ」
「むろん、あなたがたに都合のよい話と割り切っていますよ。おとぎ話と」
野間は淡々と応じた。
「それではさらにおとぎ話を――。はるか昔からこの星には戦争を商売のタネとする結社があった。芝村はこれに介入し、ついには結社員を粛正して、惑星規模の軍産複合体の実権を握った。過去に戦われた戦争にはすべて芝村が絡んでいますね。今、この状況においても芝村は栄えるばかりですね」
「それは妄想というものだな。だが、戦争は人類の歴史において必須のものだった。時に人口の爆発的増加を抑え、技術を向上させ、時に人類に平和への希求を植え付けた。平和とは戦争と戦争の谷間である。我らはほどよく技術を供与し、兵器を商い、人類を導いているつもりであった」
白けたようなため息が聞こえた。鈴原がこめかみに手をあてている。
「生殖能力を失わせるウィルスは芝村の手によるものだろう」
鈴原の「放言」に部屋中に殺気が満ちた。しかし準竜師は「よせ」と制して言った。
「それはあまりに我々を買いかぶり過ぎている。自然の意志、地球の意志と考えることもできるぞ。むしろその考えの方が共生派の好みではないのか?」
「好みの問題ではない」鈴原は冷たい表情で準竜師を見た。
「娘よ、その問いは今となっては意味がない」
野間は女医を制した。
「あの大戦は芝村の手に余った。そして幻獣が出現したのです。わたしはそう考えます」
野間が抑揚のない声で言うと、準竜師は笑みを浮かべたまま「さよう」と応じた。
「すでに人類が我々の手に余った、ということだな。凄惨な戦いであった。各国とも軍人に特化した人を培養し、兵器開発は日進月歩の勢いで進められた」
「閣下。そろそろ。この者たちの話にはきりがありません」
ウィチタは準竜師にささやいた。
こんなに雄弁な準竜師を見るのもはじめてだった。
相手にするのも馬鹿馬鹿しい連中と、ウィチタは考えていた。幻獣との和平などありえない。すでに幻獣の発現状況については研究が進められている。時間稼ぎのための捨てゴマとなる兵には気の毒だが、最終的には人類側……芝村に勝利はもたらされるだろう。
自分が仕えている準竜師は、芝村の変種だとウィチタは思っていた。無駄に好奇心が強すぎ、半ば趣味と公言して廃棄が決まっていた試作実験機の小隊を結成させたりしている。
準竜師は自分の好みではなかったが、そもそも自分の存在そのものが公私ともに準竜師に仕えるように決定されている。
子供のような……。
脳裏にふとそんな言葉が浮かんで、急いで打ち消した。代わりに最も警戒すべき相手である河合の様子をそれとなく監視した。河合は無防備に、ウィチタに背を見せている。この男、殺せるだろうか?
「条約の締結を」
野間の言葉に、準竜師は席を立って笑いかけた。
「まあ、今日のところは好奇心は満足させてもらった。子供の約束ではないのだ。これだけの時間で締結される条約など聞いたこともないぞ。ウィチタ、説明してやれ」
これでやっと茶番から解放されるか、と安堵しながらウィチタは無表情に口を開いた。
「本日の会合は事前交渉です。互いの意志を確認し、持ち帰った上で検討します。つまり、何回も交渉を重ねることによって条件を煮詰めてゆくことになります」
これが最初で最後の交渉になる、と言いたくなる衝動を抑えてウィチタは淡々と説明した。
「時間が足りん!」
鈴原は吐き捨てるように言った。
「我らは互いに問題を抱えているはずだ。まずはそれを解決せねば、な」
野間、鈴原、河合、そして数名の男女から成る「交渉団」は貧弱なものだった。外見に惑わされる準竜師ではなかったが、まずは彼らの実力を試さねばならない。
「まず全戦区における攻撃を明日より三日間、控えて欲しい。それが確認でされば、そなたらを信用しよう。現状ではそなたらは海のものとも山のものともしれん」
「努力しましょう」
野間は請け合った。
その時、ただひとり窓の外をうかがっていた河合が室内の者たちを見渡した。
「さて、エヴリボディ。その問題とやらがやってきたようですよ」
「護衛は?」
準竜師が尋ねると、ウィチタはあわてて襟元の無線機に口を近づけた。
「応答ありません!」
護衛はこれみよがしの警備の他に、多数の兵が伏せていた。すべての小隊が沈黙していた。
六十名……。まさか、六十名もの兵が?
知らず顔に出していたらしい。
血の気を失ったウィチタの顔をのぞきこむように、河合はふっと笑った。
「死の旅団の匂いがしますね」
野間と鈴原は視線を合わせて顔をしかめた。
「初耳だな」
「出来損ないの第五世代にも突然変異がいた、ということでしてね。それはわたしと野間さんに限ったことではないのですよ。ふむ、どうやらそちらさんは全滅のようですね」
「応答せよ、状況を……!」ウィチタはなおも護衛の兵に呼びかけた。
狼狽するウィチタの様子に、幕僚たちの間にざわめきが起こった。
ウィチタはやがて肩を落とすと、ブリーフケースから黒光りするものを取り出した。手慣れた仕草で携帯用のアサルトライフルを組み立てて行く。
これに全員の目が釘付けになった。準竜師のオフィスは準竜師、ウィチタとその他大勢だ。
ウィチタを単なる秘書としか思っていなかった幕僚もいる。静かな殺気を漂わせるウィチタに、次いで幕僚たちは顔を見合わせた。
「この者たちを拘束すべきです!」
幕僚のひとりが怒気をあらわにして言った。
「結果として閣下をワナに陥れました。信用できる相手ではありません」
ホルスターから拳銃を抜き出す音がした。しかし野間らは顔色も変えずに座り続けていた。
「まあ、待て。この者たちは敵ではない。敵は我々の護衛を一瞬のうちに無力化した連中だ。しばらく成り行きを見守ろう」
準竜師は腰のホルスターを手探りして、シグ・ザウエルを取り出した。
拳銃を手にしたとたん、拍子抜けしたような表情になった。
「あー、河合さん、マガジンを忘れた。分けてくれんかね」
「ソーリー。わたしは銃は使わない主義でしてね。鈴原女史、君が分けてやってください」
「……無理だ」
鈴原はポケットから取り出した一本のメスを見ながらつぶやいた。すいとマガジンが差し出された。
野間だった。一丁の拳銃……自衛軍の制式拳銃であるシグからマガジンを抜き出している。
「わたしのものでよければ」
「しかし、あなたの予備は?……聞いても無駄なことだったな」
この場で実質、戦力になるのは河合とウィチタだけだった。
芝村の私兵の中でも選りすぐりの護衛部隊が沈黙した。危機的な状況だった。ウィチタは目を光らせ、河合に銃を突きつけた。
「ワナだったのか?」
しかし河合は大げさに肩をすくめただけだった。その拍子にコートの陰からホルスターに収められたふたふりの超硬度カトラスが見えた。
「まさか。わたしはともかく、野間先生がそんな人間に見えますか? それに準竜師を殺したとしても、別の……もっと悪い芝村がとって代わるだけでしょう」
ウィチタはなおも疑念のまなざしをゆるめず、銃身を微かに下ろした。精鋭三個小隊壊滅。
迫り来る敵が不気味でならなかった。
「敵の規模は? 人間なのか?」
物音がまったくなかった。人間だとしたら武器はサイレンサ付きの小銃と、クレイアモア、プラスチック爆弾その他というところだろう。窓ガラスを突き破ってロケット弾が飛び込んでくる可能性もある。
「お嬢さんが考えるような人間ではありませんね。死ぬ覚悟は?」
河合は他人事のように言った。
ウイチタは、何を今さらと、ふっと笑った。
「そのためにわたしは存在する。敵の情報を」
「敵は五人。同化能力を持つ者が四人、司令塔がひとり。強さは、そうですねえ……ひとりあたりの強さはわたしの半分と考えてよいでしょうね」
「半分……ど、同化能力とは?」
河合の大ボラに半ばあされながらも、ウィチタは問いを発していた。
「要はカメレオンマンですよ。まず、周囲の地形に完璧に溶け込むことができます。それと厄介なのは……」
河合は瞬間、眼鏡を光らせると、振り向きざま準竜師にカトラスを投げつけた。準竜師は避けようとしたが、間に合わず、血しぶきが飛び散った。鈍い音がして準竜師の首が床に転がった。同時にウィチタはためらわず河合に銃弾を浴びせていた。
「準竜師ならテーブルの下ですね」
河合の声がウィチタの背後から聞こえた。茫然として振り返ると、河合がにこと笑った。
「むむ……何が起こったのだ」
準竜師の声がテーブルの下から聞こえた。部下たちがあわてて引き出すと、準竜師は後頭部を押さえ、しかめ面で言った。
「あっというまだった。急に下に引きずり込まれてな」
「このお嬢さんが騒いだ隙ですねえ。普通なら首の骨をポキリと」
河合が状況を楽しむように言った。
準竜師は河合の冗談に、苦笑を浮かべた。
「あいにく頭蓋骨と首だけは丈夫でな。……これはなんだ?」
これ、と表現された死体が床に転がっていた。準竜師の恰幅のよい体つきが、みるまにしぼんで、ほっそりした小柄な女性の体になった。部屋の隅に転がった首は、まざれもない女性のものだった。
「彼らは迷彩能力だけではなく、その人間の姿かたちに成りきることもできます。死んだ彼女は偵察役。非力ゆえ、殴られただけで助かりましたね。ナイフで喉を掻ききることもできましたが、血の匂いが流れることを恐れたのでしょう」
河合はぞっとするようなことを軽い口調で言った。
「どうしてわかったのだ?」
さすがに気分が悪いと準竜師はなおも頭をさすりながら、不機嫌に言った。
「閣下は拳銃など持ちませんね。そういう人です。司令部に乗り込んだとき、確認済みです。それにそのシグ……エクスキユーズ・ミー。わたしに貸してくれませんか?」
ウィチタが死体に駆け寄り、シグを手渡した。
「八代会戦の頃の古いモデルですね。しかも傷だらけ。拳銃を持つなら持つで、芝村なら最高の銃を支給されるはずです」
「ふはは。あまり説得力はないが」
準竜師は笑い出した。要は自分が面倒くさがりで拳銃を一切持ち歩かぬことを、この一見能天気な河合が看破していたということだ。
「お嬢さんは何故、気づかなかったのです?」
河合に冷やかされ、ウィチタの顔が赤らんだ。下を向いて、敵の死体を見下ろした。
「申し訳ありません」
言葉少なに準竜師に謝った。
「さて、そろそろデンジヤラスな気配」
河合は言うと、テーブルの下を探り、時限式のプラスチック爆弾を取り出した。これには全員が蒼白になり、辛うじて準竜師だけが苦笑を浮かべた。
「芝居がかった男だな」
「ソーリー。わたしの病気でしてね。……あと三十秒」
「捨てろ、とっととどこかへ捨ててこい!」
幕僚の中からせっぱ詰まった声が飛んだ。しかし、河合も準竜師も、そしてウィチタも顔色ひとつ変えない。
「ああ、これなら……」
ウィチタは歩み寄ると、河合の手から爆弾を受け取ると、すばやく装置を解除した。
なるほど。ウィチタはプラスチック爆弾を見つめた。その同化能力とやらを抜かせば、相手はさほど予想外のことを仕掛けてくるわけではない。
しかも……ここが肝心なことだが、一部の共生派に特有の「自爆願望」はないらしい。相手も命が惜しいということだ。この女は……ウィチタは冷ややかに首のない死体を見つめた。
あらかじめこの部屋に潜んでいたのだろう。はじめて血の匂いが、ぶんと鼻をついた。
「まずはひとり。そしてあと一分ほどでこの部屋は砲撃されますね」
河合が薄笑いを浮かべて言った。
失敗を悟った敵は、すぐに次の手を打つだろうと、ウィチタは河合の言葉に内心でうなずいた。しかし……自分たちが部屋を出ることも敵の予想範囲内のことだろう。
河合に主導権を握られるのは悔しかったが、どうやらこの男は自分とは強さの次元が違うらしい。
「部屋を出たとたん奇襲を受けたら?」
「はっはっは。安心しなさい。きっと受けます。わたしとお嬢さんとで片づけないとね。お嬢さん、アドレナリン全開ですかめ?」
「……」
ウィチタは黙って河合をにらみつけた。
「敵を片づけたらRUN! と合図します。皆さんは急いでわたしの後についてきてください」
言うやいなや、河合はドアを開け部屋を飛び出した。銃撃。わずかに遅れてウィチタ本来の攻撃的遺伝子が躍動した。血の匂いがむっと鼻をついた。殺気。天井か? 本能的に天井に向け、小銃を発射した。とたん、足下をすくわれで転倒した。
頭上を一本の手斧がかすめ過ぎていった。豊かなブロンドの髪がばっさりと宙に舞った。リノリウムの床に人影らしきものが浮かび上がり、血をどくどくと流している。目を凝らすと、床にもうひとりの死体が転がっている。河合のカトラスが血あぶらに光っていた。純白の制服が、得体の知れない敵の血で汚されたことにウィチタは苛立った。
「RUN!」
叫ぶと同時に河合は屋上へと向かった。ウィチタがドアを振り返ると、総軍側の幕僚たちが押し合いへしあい先へ出ようとあがいていた。
「たわけ!」
準竜師の一喝が響いて、ドアの付近に密集していた幕僚たちが廊下へと蹴り飛ばされた。準竜師が悠々と部屋を出た後、野間らが続いた。
轟音が響き、爆風にあおられた数人の共生派がドアから吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた。河合の足音だけが頼りだった。河合は屋上へと階段を上り続けている。ウィチタが横に並ぶと河合が小声で言った。
「天井の敵は残像でした。お嬢さんは幻を撃ったんですよ」
「……だったらなぜ?」
「跳弾ですね。天井に当たって跳ね返った弾が床下に隠れていた敵の頭を貫通したのです。まったくアンビリイバブルですよ」
「幻……」
ウィチタが言葉を失うと、河合はふっと口許をほころばせた。
「ステルス性とスピード。これが今時の戦争に求められる要素です。言い忘れました。わたしほどではありませんがね、彼らは訓練された兵の三倍のスピードで駆け、戦うことができます」
要は五十メートルを二秒で動けるということだ。すでに人間ではない。
この河合といい、あきれたものだ。ウィチタは内心で、はじめて笑いの発作を感じた。
屋上へ出ると、まばゆい日差しが降り注いできた。河合は背を屈めるでもなく、スーツの内ポケットからタバコを取り出すと火をつけた。
「あとふたり」
河合はそう言うと、無表情に下界を見下ろした。
ウィチタはふと殺意を覚えた。仮に、交渉とやらが決裂して、この男が敵にまわれば厄介なことになる。あの化け物たちといい、河合といい、人類側にとっては脅威だった。今、この男を殺せば、残りは戦闘能力のない者ばかりだ。
殺るか……?
ウィチタは深呼吸して、気を静めた。
その時、準竜師がウイチタと河合の間に割り込むように立った。
「何が起こったのか、説明してもらおう」
準竜師は河合と肩を並べ、広々と広がる下界を見渡した。大作りな顔に純粋な好奇心を浮かべている。
ウィチタはさりげなくふたりに近づいた。
「廊下で待ち伏せしていた敵はふたり。彼らの中核ですね。第一段階の作戦は失敗した。わたしたちに部屋を出る以外の選択肢しかないことを承知で、天井、床にそれぞれ張り付いて自動小銃を構えていました。しかし……」
河合はうまそうに紫煙を吐き出した。煙は数メートル離れたところに立つ野間と鈴原の方向へと流れてゆく。
「残念ながらわたしが強すぎたのですよ。並の銃弾なら避けることができます。ひとりを無力化したところで、少しはわたしもやられるかな、と思ったところでお嬢さんが登場してくれたわけです」
「ふむ。ウィチタが役にたったか」
「ええ。とってもグレートな働きをしてくれましたよ。さすがに準竜師の愛人……じゃなかった護衛ですねえ」
こんな連中が他にもいるのか? 準竜師は薄笑いを浮かべながらも考え込んでいた。
ウィチタが役立たずだったことは明らかだ。河合にしろ、自分を襲ってきたやつらにしろ、訓練された兵とは次元が違う、別の生物だ。
敵にまわった場合、厄介なことになるが、戦局にはなんら影響はないだろう。仮に自分が暗殺されたとしても芝村はいくらでもいる。
まあ、よいか。準竜師はあっさりと「河合さんの奮戦」を楽しむ気になった。
「司令塔は今、考えています。このまま作戦を続けるか、逃げるか」
「司令塔?」
「特殊能力を持つかわりに彼らはここがよくないのです」
河合はこめかみのあたりに指をあてた。
「司令塔は特殊能力を持たず、野間さんタイプですが、レベルが全然違いますね。この程度の作戦を考えるレベルです。危険ではありません。すでに三人を倒し、残りはふたり。大陸からずっと追い続けてきた甲斐がありますよ」
河合は眼鏡を光らせた。すでに二本目の煙草を吸っている。
「ずいぶんのんびりしているようだけど」
ウィチタは何気なく口をはさんだ。しかし、河合から返ってきた答えは意外なものだった。
「そのまま」
「え……?」
「ははは。迂闊でした。最後のひとりを見逃してしまった」
「どういうことだ?」
準竜師が尋ねると、河合は苦笑いを浮かべ、野間とともにたたずんでいる鈴原に声をかけた。
「マイーハニー。ここからの眺めは最高ですよ」
ハニー呼ばわりされて、鈴原の眉間に思いっきりしわが寄った。これ以上ないという不機嫌な顔だ。白衣のポケットに手を突っ込んだまま、河合をにらみつけてきた。
「あなたたちはどういう……?」
ウィチタは唐突に口をつぐんだ。どういう関係なの? と尋ねることになんの意味がある? と考え直した。準竜師は面白がっているようだが、ウィチタのフィルターではふたりが共生派であり、潜在的な敵である、としか映っていない。
「フィアンセですよ、わたしの」
河合の口から似合わぬ言葉が吐き出された。準竜師は薄笑いを浮かべ、ウィチタは沈黙した。
「これもおとぎ話。悪い魔法使いは姫に感化されて改心しましたって。わたしは彼女のために戦っていると言ってもいいですね。あの通り、不機嫌でぶっきらぼうな言葉遣いだけが取り柄のハニーですがね」
「ふはは。それを取り柄というのかね」
準竜師は声に出して笑った。自分の噂をされて侮辱されたと感じたか、鈴原はつかつかと三人の下に歩み寄ってきた。
「無駄口をたたいているヒマは……」
「ないんですよ、実は。……ウィチタさん」
河合の口からはじめて名前で呼ばれて、ウィチタはわずかに表情を動かした。
「わたしの肩口から野間先生が見えますか?」
河合の身長は百八十センチというところか。ウィチタはそれより二十センチほど低い。位置によっては河合の陰に完全に隠れる。
「見えますけど、何か?」
「その小銃で野間先生の額を撃ち抜いてください」
河合はこれまでとは数トーン低い声でウィチタにささやいた。
「馬鹿な……」
鈴原の口を河合は掌で封じた。なおも抗う鈴原の腕を、河合はがっしりと掴んだ。急所を押されでもしたのか、鈴原は硬直したように動かなくなった。
「撃ちます」
ウィチタが短く言うと、準竜師は微かにうなずいた。
それからの動きはためらいのないものだった。河合の肩を銃座代わりに、ウィチタは危険を察して逃げようとした野間の額を撃ち抜いていた。
屋上に銃声が響き渡り、その場にいた誰もが凍りついた。茫然とした表情を張り付かせたまま野間の体がゆっくりと崩れ落ちる。
その肉体は額から血を滴らせながら、徐々に変化をしていった。なんの変哲もないTジャツにジーンズをはいた長身の男が事切れていた。
「父は……?」拘束を解かれた鈴原が叫んだ。
「速く! 今ならまだっ……!」
はじめて聞く河合の真剣な声だった。叫ぶと、河合はコートをひるがえして屋上下の階段に突進した。白衣をなびかせ鈴原も走った。
後に残された準竜師とウィチタは、数秒の間、ぼんやりと立ち尽くした。
「我と同じく入れ替わった、ということか。器用な連中だな」
ようやく準竜師が口を開いた。ウィチタは言葉もなくうなずいた。階段での混乱した逃走を思い浮かべていた。
「確かに頭は悪かったな。あれだけの能力があれば、我らの戦線後方を散々に撹乱できたろう」
「あの男が牽制していたのかもしれませんね」
認めたくなかったが、ウィチタは河合に底知れぬ不気味さを感じていた。
準竜師の時はなるほどと思ったが、河合はどうして野間の擬態を見破ったのだろう。
ほどなく河合と鈴原に支えられ、野間が姿を現した。首に添え木があてられ、野間は青ざめ、苦しげな形相を隠そうともしなかった。
鈴鹿の指示で生き残りの共生派が即席の寝台をつくり、野間は首を守るように横たわった。
ふたりが歩み寄ると、なおも野間の首筋に掌をあてている鈴原が顔を上げた。
「……即死だった。首の骨を折られて」
「ふむ、そこにいる野間氏はゾンビかね?」準竜師は目を細めて尋ねた。
それには応えず、鈴原は再び野間に向き直った。彼女の掌から青い燐光が洩れている。準竜師とウィチタは黙って顔を見合わせた。
「あと数秒でアウト、でしたね。脳が死んだらさすがの彼女もヒーリングできません」
代わって応えたのは河合だった。
首の骨を折られるということは、脳につながる多数の神経の損傷も意味する。素手で相手を殺す場合、最も確実な方法のひとつだ。
「……わたしの油断だった」
鈴原は誰に言うともなくつぶやいた。
「脳に損傷は?」
準竜師は悔やむ鈴原に構わず、声をかけた。鈴原は、はっと顔を上げ、次いでいつもの不機嫌な表情で準竜師をにらみつけた。
「正常だ」
「それはめでたい。三日間の交戦停止。話はそれからだ。ああ……」
準竜師はにやりと鈴原に笑いかけた。
「少々の小競り合いには目をつぶってやろう」
「閣下の寛大なお言葉、感謝しますよ」河合が普段の陽気な口調に戻って言った。
「さて、帰るぞ」
準竜師はウィチタをうながした。しかしウィチタは足を止めたままだった。
「あの……」
ウィチタは怪しむような視線を河合に向けた。
「なんです、お嬢さん?」
「どうして野間……氏が偽物だとわかったのです?」
そのとたん、河合が声をあげて笑った。鈴原がきっと河合をにらみつける。
「ソーリー、ソーリー。避難する途中、我々は混乱していましたね。それで念のために、と思いましてね。タバコを……」
「く! その通りだ」鈴原が悔しげに言葉を吐き出した。
「野間先生はニコチンをまったく受けつけない体質でしてぬ。彼の前ではタバコは吸えないのですよ。健康のために先生には禁煙を勧められているんですがね」
河合はそう言うと肩をそびやかした。
警備部隊は壊滅していた。
一発も撃たぬ状況で、兵らは驚愕の表情を浮かべたまま事切れていた。
ある者はサイレンサ付きの小銃で心臓を撃ち抜かれ、ある者はカトラスで喉を切り裂かれ、あたりは血のにおいに満ちていた。わずか六人の共生派によって、選りすぐりの三個小隊が全滅したのだ。
ウィチタはひとしきり周囲の状況を調べてから、「生存者なし」と報告をした。
「遺体を」
準竜師の言葉に、ウィチタはあまりに異常な体験に茫然と立ち尽くす幕僚に命じた。
「遺体処理は極秘裏に。それから今日見聞きしたことは内密に願います。ああ、そこのあなた、ボイスレコーダーを渡しなさい」
ウィチタが将校のひとりを指さすと、将校は後ずさり、背を向けて逃げようとした。
正確な射撃が将校の背に浴びせられ、死体をまたひとつ増やした。ウィチタはボイスレコーダーを手に取ると、「反対派閥のスパイです」と静かに言った。
……以後、戦局の悪化にともない、この場にいた幕僚たちはひとり、またひとりと事故死を遂げることとなる。
「司令塔とやらはどうしたのだろうな?」
リムジンの後部座席にゆったりともたれて、準竜師は誰にともなく言った。話を聞いているのは運転席でハンドルを握っているウィチタだけである。
「河合は問題にもしていませんでした。内部抗争で殺されるものと」
「ふむ。して、そなたはどのように考える?」
準竜師が試すように問うと、ウィチタは数分の間、考え込んだ。
「抹殺すべきと」
「理由は?」
「彼らは危険すぎます。情報網を駆使して彼らの居場所を特定し、根こそぎにすべきと。河合……あの女医のような怪物が量産されたら、と考えるとぞっとします」
ウィチタの答えに準竜師は含み笑いを洩らした。
「うむ。模範解答だな。考えておこう。……なあ、ウィチタよ」
なあ? 滅多に聞かれぬ準竜師の馴れ馴れしい呼びかけにウィチタは肩を緊張させた。
「芝村に仕えているといって、必要以上に芝村的であることはないのだぞ。そなたには遊び心というものが欠けている。今日は楽しく、ぶっそうな休日であった。そう考えてもよかろう」
「楽しかったのですか?」
変態め。ウィチタの声に憮然とした響きが混じった。
「未来への可能性がひとつ増えた。我はそれを目の当たりにしたわけだ。司令部でくだらぬ書類に埋もれている身とすれば我にとっては休日と言えるな」
不意にブレーキが踏まれて、準竜師は前のめりにつんのめった。
運転席のウィチタが振り向くと、険しい表情で準竜師をにらみつけ、叫んだ。
「……こ、この大たわけ!」
「ふふ。はははは」
ウィチタの爆発に、準竜師は鬼の首をとったかのように高笑した。
数日後、九州中部城戦区は、三日間に渡ってほぼ異状なしの平穏を保つことになる。
芝村準竜師は退屈のあまり、試作実験機小隊の支援に本格的に乗り出した。ウィチタ更紗のデスクには大量の書類の山が積まれることとなった。
[#改ページ]
海へ
[#改丁]
今日の遠坂はおかしい、と狩谷は首を傾げた。
飛び抜けた才能があるわけではないが、なんでもそつなくこなすのが遠坂だった。外国語が得意で、一部の特殊な部品に関しては、マニュアルの翻訳や、製造元への問い合わせをこなしてくれる。整備員としては上の下というところだと、常々思っていた。
しかし、今日の遠坂はミスが目立った。細心の注意が必要な、制御システム系のパラメータ入力にとんでもない数字を入力してくれた。
お陰で二番機は、システムの再点検中、まったく使いものにならなくなった。どうした、遠坂? と狩谷は田辺のフォローを受け、システムの再点検を行っている遠坂を見つめた。
「すみませんね。わたしのせいで居残りをさせることになってしまって……」
遠坂はタオルで汗をぬぐいながら、狩谷と田辺に謝った。タオルから、微かにオーデコロンの香りが漂った。
「まあ、最高時速二十キロで、回避力だけ高い軽装甲ってのも興味深いけどね。滝川の個性に合っているかな」
狩谷は軽い皮肉を交じぇて言ったが、決して悪意があるわけではなかった。誰にだって失敗はある……と黙々とチェックを続けている田辺を見た。田辺も整備員として悪くはないが、何故か週に一度はフェータルなミスをしでかしてくれる。この間など、ご丁寧に電源ケーブルにけつまづいて、整備テントの全機能を停止させてしまった。
どこをどうすれば、あの、これみよがしに太い電源ケーブルにつまづくことができるのか? しかも電力供給停止できるほどのハイパワーでつまづけるのかが狩谷には謎だった。
「あの……お気になさらずに。わたしなんか失敗ばっかりで」
僕の皮肉はスルーか、と狩谷は憮然となった。自分の下で働いているふたりには、皮肉を理解する能力が決定的に欠けていると思った。皮肉を言っても、ふたりはにこやかに狩谷に接してくれる。この人事は原素子の陰謀ではと、疑ったことさえある。
「あ、わかりました! こことここのパラメータが逆になっています」
田辺の無邪気な喜びの声に、狩谷は我に返った。
「さっそく修正して。それから……どうせならこの間の戦闘データも反映させよう。ちょっと時間はかかるけど、ふたりともどうかな?」
「それでパイロットの生存率が上がるなら、何時間でも何日でも」
遠坂はにこやかに答えた。作業服姿で、普通ならむさい印象を与えるが、彼だけは違った。
すらっとした長身で、鍛えた体の彼が着ると、作業服も別物になる。時折、微かに漂うオーデコロンの香りも嫌みを感じさせない。
「けど……遠坂さん、お疲れのようですし。狩谷さんも……」
田辺は言いにくそうに口ごもって、二階のハンガー出入り口を横目で見た。開け放しになったドアの床に西日に照らされて影がひとつ、ぽつんと映った。
くそ。狩谷は内心で舌打ちした。
「ああ、けど、今日はやっぱりこれぐらいにしよう。遠坂、なんだか疲れているみたいだしね」
夕暮れの残照が整備テントのビニール製の窓を透過して、遠坂の横顔を照らしていた。確かに頬がこけ、疲れたような感じだ。
「……ええ。あの……遠坂さん、保健室まで送りましょうか?」
幼稚園児か? 狩谷は田辺に突っ込みたくなったが、こらえた。
「なっちゃん、迎えにきたで!」
赤い髪の少女が、元気よくドアの陰から顔を出した。事務官の加藤祭だ。狩谷とは中学時代の同級生で、今は車椅子の狩谷の面倒を見ている。送り迎えは彼女がやってくれる。が、加藤が尽くせば尽くすほど狩谷には憂鬱でならなかった。何よりもバスケットボールの選手だった中学の頃の自分を知っている加藤に面倒を見てもらっているということが、狩谷のプライドを深く傷つけていた。
加藤もそんな狩谷の憂鬱を知っている。だから、敢えて、能天気なニセ関西弁を優って、ことさらに元気に振る舞っていた。ふたりの関係ははたから見るよりも複雑だった。
「こんな時間まで居残りか?」
「ううん。仕事終えて、裏マーケットの親父さんのところでアルバイトしてきたんや」
「……どうして僕の帰る時間がわかるんだ?」
「ウチの情報網は完璧なんよ。なっちゃんがヒマか忙しいか、仕事が終わるのは何時頃かぐらいお見通しやで」
……本当はドアの陰に隠れて、二時間待っていた。そんなことはおくびにも出さず、加藤は訳知り顔の笑顔を浮かべてみせた。狩谷から見えないところで田辺が済まなそうに頭を下げた。
田辺が教えてくれた時間を大幅にオーバーしていた。
「今日はね、来須さんと若宮さんが親父さんの店に来たんよ。ふたりが店に入ると、狭苦しくなって困るわあ」
帰宅途中、車椅子を押しながら、加藤はあれこれと話しかけてくる。
「軍用レーションでも買いに来たのか?」来須と若宮はともに大柄で屈強な戦車随伴歩兵だ。
並の人間の少なくとも倍以上はカロリーを必要とする。
「お、さすがなっちゃん、イイ線ついてるわあ。なんでもアイスランド陸軍のレーションが自衛軍から横流しされたとかで……なんで自衛軍がそんなもん持ってるんかな? けど、一食あたり四千五百キロカロリーだって。ウチらだったら三日は持つね!」
「安いのか?」
今日の話題はけっこう興味をそそられる。アイスランドといえば、人類側がまだ島内を要塞化して抵抗を続けているはずだ。
「けっこう安かったで。親父さんが負けてくれたんかな。魚の絵が描いてあったから、オイルサーディンとか入ってるんかなめ。中を見てみたかった」
「携帯用だから全部、すりつぶしてジェル状にしてあるさ。消耗が激しい寒冷地用のレーションだな。自衛軍の連中が食べたら、満腹で動けなくなる」
「そうやねえ。ね、今夜の晩ご飯、何にしよか?」
不意に短くクラクションが鳴った。自動車はふたりにとって天敵だ。一度など、裏道で自衛軍の車両にクラクションを鳴らされ、加藤は別人かと思えるほど相手にくってかかったことがある。加藤が険しい表情で音のした方角を見ると、表通りの路肩に黒塗りのリムジンが駐車していた。
「狩谷君、ああ、加藤さんも……」
ウィンドウが開けられ、遠坂が顔を出した。制服に着替えて、にこやかに微笑んでいる。
「あらあ、遠坂君」
加藤が笑顔に戻ると手を振った。狩谷はむすっとした顔で横を向いている。
「実はお願いがありまして……」
遠坂はリムジンを降りると、ふたりに近づき、切り出した。
「なんなん?」加藤が好奇心をむき出しにして尋ねた。
「その……言いにくいのですが、東京から父が帰っていましてね。実は、昨日、ちょっとした言い争いを」
遠坂は本当に言いにくそうだった。しかし、狩谷は「帰ろう」と加藤をうながした。
「個人的な問題には関わりたくないんだ」
「……ええ、それはわかりますが、夕食を一緒にとっていただければ、摩擦を起こさずに済むと思いまして。もちろん帰りは送らせます」
「田辺は?」
「彼女には父は強烈すぎます。狩谷君なら大丈夫かと……すみません」
なるほど、と狩谷は納得した。毒をもって毒を刺す、というわけか? 遠坂が気を遣うのもわかる。これがホームドラマに見るような家庭の食卓に招かれたのであれば、狩谷はそっけなく断っている。しかし、事故で車椅子の身となってからは、逆にこわいものはなくなった。たとえ遠坂財閥の長であったとしても、だ。
「気が変わった。招待を受けるよ」
「え……本当ですか?」遠坂はだめもとで頼んでいた。
「ああ、どうなるかは責任が持てないがね」狩谷は澄ました顔で言ってのけた。
「なっちゃん、うちも」加藤が口を開きかけると、「だめだ」と狩谷は遮った。
「たぶん、君の考えているような食事の招待とは違う。遠坂の父親は何かと噂の多い人物で、毒気に当てられるのがオチさ」
「そんなん、うちのことが邪魔……なの?」加藤は涙声になると、狩谷の前に膝をつき、訴えるような目で見上げた。
「あ……、くそ。馬鹿女。そんな目で見るな! 明日、きちんと話すから。……約束する」
狩谷の勢いは尻切れトンボとなって終わった。
「本当に?」
「ああ、約束する。本音を言えば、遠坂の父親は芝村を小さくしたような人物と聞いている。そんな人物に君を触れさせたくないんだ」
肩を落とし、とぼとぼと家路につく加藤を見送りながら、遠坂は口を開いた。
「狩谷君の言ったことは当たっていますよ。わたしが田辺さんを招かなかったのも同じ理由ですから。彼は相手の弱点を嗅ぎつけるのが得意です」
「田辺は君の弱点なのか?」狩谷はにやりと笑った。しかし、遠坂も微笑をもって応えた。
「ええ。あなたの弱点が加藤さんなのと同じように」
なるほど、と狩谷は納得した。遠坂はオットリして見えるが、それは5121小隊、整備班という世界に身を置いているからだ。牙はあるが、使う必要はないということだ。
狩谷の姿を見ても遠坂の父親は顔色ひとつ変えなかった。
元警察官だったこともあってか、がっしりとして遠坂と同じくらい長身だった。食堂に腰を下ろして老眼鏡をかけ、端末をのぞきこんでいた。
「遅くなりました」
遠坂がにこやかに挨拶をすると、父親は顔を上げた。
「二時間後に東京に発つ。それまでに決着をつけようと昨日、約束したはずだが」
岩石を思わせるこわもてのする外見に似ず、穏やかな声だった。遠坂と同じく、にこやかに話している。
「ああ、今日は友人を連れてきました。5121小隊整備班の狩谷君です。同僚というより、わたしの先生ですね」
「狩谷です。はじめまして」狩谷は如才なく挨拶をした。
「圭吾の父です。……さて」
父親が手を鳴らすと、それまで控えていた給仕が、一斉に動き出した。遠坂はあらためて室内を見渡した。食堂だけで二十坪はあるだろうか、両開きの扉の正面には暖炉、深紅の絨毯が敷かれ、壁には大小の桧がかけられている。ただし……印象派の絵の隣に、シュールレアリズムの抽象画がかけられているといった居心地の悪い配列だった。無難に印象派の風景画で統一すればよいものを……と狩谷は考えた。
「絵に興味がおありですかな?」狩谷の視線を察して父親が話しかけてきた。
「そんなに詳しいというわけではないんですけど」
「全部、ホンモノですよ」父親は自慢げに言った。
遠坂の口の端に皮肉な笑みが浮かんでいる。すべて、父親が特別高等警察の警察官だった時代に「幻獣共生派」とされた人々から没収し、盗んだものだった。幻獣について関心を持ち、文献・資料を読むだけで「共生派」とされる時代があった。上流の人々に多かったから、遠坂の父親は積極的に「共生派」を摘発し、その財産の一部を自分のふところに収めた。国民の大多数が知らない世界で、警察の一部の幹部は自らが大がかりな窃盗行為を行っていた。芝村一族が本格的に警察方面の改革に乗り出し、特高が解体された時には、遠坂の父親は退職し、貯め込んだ資産を元手に商売をはじめた。
それが「遠坂財閥」のはじまりだった。遠坂財閥は、芝村派でもなく、反芝村に組みすることもなく、洗剤、化粧品など、生活必需品の製造・販売を中心に展開してきた。さらにテレビ、新聞といった媒体にも「ほどほどに」食い込んでいた。慎重でしぶとい中小財閥――それが遠坂財閥の正体だった。
席につくと同時に料理が運ばれてきた。
「大したものですね」狩谷は前菜のマリネを口に運びながら、無感動に応じた。
「……ところで圭吾、昨日の続きだが」
「ええ」
「そろそろ東京に戻らんか? 遠坂財閥の後継者がこんなところで戦争ごっこをしていても埒があかんだろう。その気があるなら媒体関係を任せてもよいし、しばらくは大学に籍を置くのも悪くはないだろう。芝村準竜師にも話はついている」
「せっかくですが、わたしにはわたしなりの将来設計がありましてね」
遠坂はにこやかな態度を崩さずに応じた。
「戦場での経験は無駄ではない、と考えています。除隊するのは、この九州の戦いの帰趨を見極めてからですね。父さんの新聞の片隅に乗る戦いの帰趨を、ですね」
狩谷はさりげなくふたりの様子を観察した。三メートルはあるだろうテーブルの正反対の位置でふたりは向き合っていた。
「……狩谷君と言いましたか。息子を説得してくださらんか? 見たところ学者肌のようだが、帝都大学の助教授のポストにご興味は?」
「まったく」
狩谷はそっけなく言った。露骨だな、と思ったが、一介の学兵に過ぎぬ自分にはこの程度のエサで十分だろうと踏んでいるのだろう。遠坂をちらと見ると、懇願するような表情を一瞬浮かべた。狩谷は、苦笑した。親子揃って人を利用するのに慣れている。わかったよ、と狩谷は遠坂に向かってうなずいてみせた。そうだな、話題はなんでもいいだろう。
「むしろ遠坂君は戦場に身を置くべきだと思いますね。失礼ながら、あなたが株の過半を取得している新聞は、この凄惨な戦いについてほとんど報道していません。自衛軍の過半に、十万もの学兵が動員されている戦いについて、目をつぶっていますね」
「あの媒体はクズですね」遠坂も滅多に使わぬ言葉で同調した。
「代わりに紙面の多くを占めるのが、多摩川に流れ着いたベニアザラシの報道とはね。ははっ、十万の学兵よりベニアザラシの方が重要ですか?」
狩谷は淡々と言い放った。父親は、はじめ茫然としていたが、狩谷の思いがけぬ攻撃にしだいに表情が険しくなった。
「圭吾から何を吹き込まれたがわからんが、一介の技術屋にマーケティングのことなどわかるはずもない。戦争報道は、確実に消費意欲を削ぐのですよ。リサーチでは、この戦いの詳細が明らかになれば、遠坂化粧品の売り上げは三十パーセント減となる。トレンディドラマの視聴率は三パーセント落ちます。儲かるのは軍需関係だけとなりますな」
遠坂の父親は滔々と演説をはじめた。露骨、強引、狡猾、強靭な意志――狩谷は父親の演説を聞き流しながら分析していた。なるほど、新興の地方財閥を築くには格好の性格だ。遠坂財閥の製品の多くが、エネルギー、鉄鋼、交通など基幹産業とは無関係の「隙間産業」であることは、この父親を見ればわかる。強い者にはへつらい、そのおこぼれをもらう。そうして財閥を大きくしていったのだ。
「ああ、失礼。けれど、化粧品の売り上げが落ちたって、僕は困りませんね。僕は化粧品屋さんでなく一介の技術屋ですから」
狩谷は澄ました顔で言った。別に新聞が戦争を報道しなくても、どうでもよかった。ただ、遠坂の父親を怒らせれば自分の役目は終わりだ。くっくっく。含み笑いが間こえた。
遠坂?
見ると、遠坂が純白のテーブルクロスの上に突っ伏して笑っている。普段の遠坂らしくない、飾らぬ心からの笑いだった。
ほどなく遠坂は顔を上げると、父親と向き合った。前菜にはまったく口をつけていない。
「すみません、父さん。わたしもよく彼に怒られます。それにしても元は九州に地盤を置く遠坂財閥が、なんら国民に真実を報道せず、中央へ逃げるとは。そういうわけでして、わたしは最後までこの地で戦いますよ」
遠坂は相変わらず笑みを絶やさなかったが、その目つきは鋭さを増していた。父親の怒りに満ちた視線をまっこうから受け止めた。
父親はナプキンをテーブルにたたきつけると、憤然として立ち上がった。
「不愉快だ! 車の用意を」
それまで片隅にたたずんでいた黒服が、音もなく歩み寄り、先導する。食堂を出る際、父親の足が止まった。遠坂の方を振り向くと、吐き捨てるように言った。
「妹のことは放ったらかしで戦争ごっこに熱中か?」
そう言うと、父親は足音も荒く玄関へと遠ざかっていった。
これでいいのかな、と狩谷は傍らに座る遠坂を見た。
遠坂はこめかみに手をあて、憂鬱な表情になっていた。話しかけるのもはばかられて、狩谷は黙々と前菜を口に運んだ。
「……狩谷君」
「うん?」父親を撃退したというのに、遠坂の表情はさえなかった。
「あなたをプライベートなことに巻き込んでしまった」
遠坂の憂愁を浮かべた表情を、狩谷は眼鏡の奥から観察した。
「そのことに関して君は大してすまないとは思っていないだろう。整備班で僕の皮肉を笑って聞き流す君と、遠坂財閥の後継者としての君は違う。人をどう上手く利用するかが、本来の君の立場だからね。問題は別にあるな」
狩谷は皮肉に笑った。遠坂にとっては整備班はオアシスなのだ。
「……あなたは鋭いですね」
「明日、二番機の総点検をする。今日みたいなミスはしないでくれ。僕は帰る」
そう言うと狩谷は、車椅子を入り口へと向けた。遠坂は立ち上がると、自ら車椅子を押した。
「妹と会ってやってくれませんか?」
唐突に言われて、狩谷は顔をしかめた。だから、家庭争議はもういい。
車椅子を押しながら、遠坂は続けた。
「わたしの妹は無菌状態の中でしか生きられない体質でしてね。生を受けてから、一歩もこの屋敷を出たことがないんです」
そう言われて、狩谷は「頼むから」とつぶやいた。そして遠坂の手を振りほどくと、車椅子を回転させて向き直った。
「頼むからこれ以上、僕をわずらわせるな」
「……ええ」
遠坂は肩を落として、悄然とその場にたたずんだ。どうやら「妹」のことは父親との確執とは比較にならないことのようだった。耐えきれずあたりを見回すと、食堂に詰めている使用人たちも悄然と頭を垂れている。
「わたしは執事の守山と申します。狩谷様に申し上げたいことが……」
初老の上品そうな老人が進み出てきた。狩谷は「ええ」とうなずくと、老人の言葉を待った。
「圭吾様は約束されたのです。今の環境に慣れたら、ご友人を連れてくると。それが延び延びになってしまって」
「そうですか……」狩谷はしぶしぶとうなずいた。
「圭吾様に代わりまして、この家で働く一同に代わりまして、お願いします。どうか、妹の絵里様に会っていただけないでしょうか?」
老人は節度よく身を折り曲げて辞儀をした。どうやら遠坂とその妹は、使用人に好かれているようだった。
「守山。ありがとう。けれど、これ以上、彼に甘えるわけにはいかないよ」
「……しょうがないな」
狩谷はため息混じりに口を開いた。
「君の妹にとって食われるわけじゃなし、会うよ。代わりに、約束してくれ。これ以上プライベートなことを仕事に持ち込むな。僕はそういうのが一番嫌いなんだ」
「じゃあ……」
「僕に会っても君の妹が喜ぶとは思えないがね」
狩谷はたちまち数人の使用人に囲まれた。車椅子を慎重に持ち上げられ、二階への階段をのぼった。二階はひっそりと静まりかえっていた。緋色の絨毯が敷き詰められ、ところどころに品のよい間接照明が灯されている。こけおどしの食堂とは雰囲気が違った。
二階廊下の突き当たりの扉を、遠坂はノックした。
「兄さま?」
若くか細い女の声が聞こえた。使用人はいつのまにか姿を消していた。狩谷は何故だか緊張を覚え、しきりに眼鏡を直した。
「友人を連れてきた。気分はどうだい?」
扉越しに遠坂は話しかけた。心なしか声が弾んでいる。
「だ、大丈夫! 元気ですわ」扉の向こう側の声が、急に生き生きとなった。
重たげな扉を開けて、狩谷は目を見張った。部屋は二重構造になっていた。まるで昔、科学雑誌で見た航空宇宙局の実験室を思い起こさせる。
十畳ほどの洋間の向こう側は、特殊なガラス素材で区切られた部屋になっていた。宇宙船を思わせる最新の素材を使ったドアがひとつ。よく見ると、洋間の隅には、端末と、各種データを表示している機材が置かれていた。
遠坂はまず、データの数値を確認すると、巨大なガラスの壁に隣接して置かれたテーブルに腰を下ろした。狩谷もしかたなく遠坂の隣に座った。
「すごい設備だね」
狩谷は妹の部屋に目をやった。居住空間は、二十畳は下らないだろう。
特殊繊維で作られているだろう壁紙は淡いピンク色で、控えめなアラベスクの文様が印刷されている。ロココ風の趣味のよい家具が置かれてあったが、よく見るとすべての家具が曲線を帯びている。角張った部分はひとつもなかった。
「家具にも注意をしているんです。ちょっとした傷でも大騒ぎになりますから」
遠坂がささやくと、「お待たせ」と声がして、妹が姿を現した。
なんとなく古風なドレスを着た少女を想像していたのだが、狩谷の想像ははずれた。少女は今時の格好をしている。ほっそりとした体を白いキャミノールとデニム地のミニスカートに包んでいた。
遠坂に似て、顔立ちは整っている。冬の日差しのような穏やかなまなざしが印象的だった。
「遅かったじゃないか」遠坂が微笑むと、少女ははにかむように笑みを返した。
「だって、何を着たらいいのかわからなくて。衣装室で手間取っちやって。ね、兄さま、おかしくないかしら、これ」
「三年前の流行だね」遠坂はからかうように言った。
「ひどい! これでも雑誌はチェックしているんですからね。……兄さま、あのね」
絵里の顔が赤らんだ。狩谷の顔をちらちらと見る。
「狩谷です。はじめまして」
狩谷は滅多に見せない照れ笑いを浮かべ、挨拶をした。
「遠坂絵里です。ごめんなさい、お忙しいのに無理に来ていただいて」
「いえ……仕事は終わりましたから」狩谷は落ち着かなげに眼鏡を押し上げた。
「狩谷君は僕の先輩で、先生役なんだ。よく怒られるよ」
遠坂が話題を提供すると、絵里の表情がばっと明るくなった。
「え、兄さまが怒られるの? どんな風に?」
絵里の視線を受けて、狩谷はぎこちない笑みを浮かべた。こうして見ると、絵里は普通の健康的な少女に見える。両者を隔てるガラスに気づいて、はじめて現実に戻る――。
「怒ったりなんかしませんよ。たまに注意はするけど。ええと、こんな風に。……遠坂、君の調整はバランスが良すぎる。それじゃ教科書通りだよ。もっとあのアホパイロットの個性を考えて、偏りを入れた方がいいな……なんて感じです。あなたのお兄さんは優秀でそつがないから怒ることはないです」
「狩谷さんって親切ですね。なんだか、本当に仕事場にいる感じ」
そう言われて、狩谷は照れて横を向いた。
「僕はひねくれた性格なんで、皮肉を言ったり、嫌みをよく言うけど、遠坂君には隙がないんですよ。二番機に乗っているのは、隊内でも有名なアホパイロットなんですが、彼には嫌みが言えてかえってほっとします」
「わたしは誉められているんですか?」遠坂が穏やかに口をはさむ。
「そのつもりだ。もっとドジをしでかして、僕に皮肉のひとつでも言わせてくれよ。なんだか欲求不満になるんだよな」
「ははは。努力しますよ」
遠坂が楽しげに笑うと、絵里もくすくすと声を合わせて笑った。
狩谷は決して寡黙というわけではない。必要以上のことをしゃべらないだけだ。ただ、この少女の前で必要なのは「無駄口」だった。
「あの……テレビや写真では見るんですけど、人型戦車ってどんな感じですか?」
絵里は好奇心を露わにして尋ねた。狩谷は遠坂に向かって肩をすくめた。これも普段の狩谷からは考えられないアクションだ。
「……変な質問かしら? ごめんなさい」
「はじめに見た時は、なんて大きいんだと見上げましたね。巨大な二足歩行の精密機械です。普通の戦車などとは比較にならないぐらい複雑なんです」
「ええ、わたしも苦労しました。実は原さんから個人レッスンまで受けたり……」
遠坂の言葉に、狩谷も同感だ、というようにうなずいた。
「……それじゃ」そろそろ、と言おうとしたところ、遠坂と絵里に止められた。
「もう少しお願いできませんか? ああ、気が利かない! 飲み物の用意を。失礼……」遠坂は立ち上がるとコーヒーの用意を言いつけに部屋を去った。
待ってくれ、と言葉が出かかったが、絵里の様子を見て狩谷は口をつぐんだ。絵里のまなざしには深い憂鬱と絶望とがあった。狩谷が思わず目を背けると、絵里は「ごめんなさい」と小さな声でつぶやいた。
「……僕の方こそ」狩谷はなんの脈絡もなく言った。
「ね、狩谷さん。死にたいと思ったことあります? わたしは毎日です」
「僕がこんな姿だから、そんなことを聞くんですね?」
狩谷は車椅子の車輪をまわしてみせた。絵里は長いまつげを伏せて、「ごめんなさい」とまた謝った。
「それもあります。だけど、その後、決まって、生きたいって何故か強く思えるんです。本当はわたしなんて生きている意味がないのに、一生懸命わたしを生かしてくれる父や兄さまや、この家のみんなのことを思うと。……狩谷さんはどうですか?」
狩谷は、ふうっと息を吐いた。仮面をはずすことで、かえって気が楽になった。
「それじゃ本音を言おう。死ぬことは考えるよ。けれど、君とは違う。そんなきれいなものじゃないんだ。中学の頃、僕にはこわいものがなかった。成績はトップを維持していたし、バスケットボールの選手で、生徒会長も務めた。自分で言うのもなんだけど、学園のヒーローってやつ。事故にあって二度と歩けなくなってから、すべて変わった。僕は弱者に……労《いたわ》られる身になってしまった。考えでもみなよ。それまで他人への羨望や嫉妬とは無縁だった自分が、こうなってみてはじめて五体満足な人間に嫉妬を覚える。自分の醜さを毎日のように突きつけられているってわけさ。これで満足かい?」
狩谷は苦笑して言葉を結んだ。
絵里はまつげを伏せたまま、黙って狩谷の話を聞いていた。
「わかりません」
「それでいいんだよ。君は心のきれいなお嬢さんだ。ハンデはあるけど……何よりも君が生き続けることを願い、祈ってくれる人がいる」
僕には……と考えて、加藤の面差しが浮かんだ。
違う! 加藤は僕を哀れんでいるだけだ。
中学時代の僕を知っているのに、何故近づくんだ? 加藤は自己満足の世界に生きている。
「狩谷さん」
不意に絵里が顔を上げた。目に真剣な光があった。
狩谷は想像もしなかった絵里の強い視線に気後れを覚え、視線をはずした。
「わたしを外に連れだしてくれませんか?」
「なんだって……」
狩谷は言葉を失った。この僕がどうして、どうやって……?
「馬鹿なことを」狩谷は眉をひそめ、つぶやいた。
「わたしからもお願いします」
驚いて振り向くと、自ら盆を手にした遠坂がたたずんでいた。妹と同じく、その目には必死の色があった。
どうして? どうして僕なんだ? くそ、遠坂め、何を血迷って……。
遠坂はコーヒーを置くと、部屋の隅の本棚に積まれた書類の東を持ってきた。そのうちの一枚をテーブルの上に広げた。
「これは?」
「この部屋の仕様書及び設計図です。5121小隊に配属される前、これを理解できるようになるまでヒマを見つけては大学に通ったものです。たぶん、狩谷君なら理解できるはず」
狩谷は不承不承、設計図に目を凝らした。なるほど、確かに航空宇宙技術が導入された設計だった。その上で、「もしかして……」と、遠坂を見つめた。
「ユニット方式か?」
「ええ」
幻獣との長期に渡る戦争の課程で、日本とアメリカは軍事目的のための宇宙ステーションを建設しようとしていた。すでに偵察目的の小さなステーションは稼働している。宇宙ステーション建設の特徴のひとつが、ユニットごとに打ち上げ、それを結合するユニット結合方式による建設だった。さらに、攻撃を受けた場合に備え、動力源、情報システム、武器管制システム等は分散され、ひとつを失ってもそれを切り離し、戦闘が継続できるようになっていた。大規模な海戦を戦った日米の船舶の特徴は、船体内部の隔壁の多さに現れているという。多少のダメージを受けても損傷を受けたユニット部分を閉鎖すれば浸水は防げる。
宇宙ステーションも同じ理屈で造られていた。
「この部屋はひとつのユニットになっています。つまり、切り離し、移動が可能ということですね。父が将来の東京移転を考えてそのように依頼したか、さもなくばこの部屋を設計した技術者がフレキシブルな発想の持ち主だったか。おそらく後者でしょうね」
狩谷は喉の乾きを覚え、冷えたコーヒーをいっきに喉に流し込んだ。膨大な設計図、仕様書に目を通すうちに、時間を忘れて夢中になった。人型戦車の生体化学をよりは、むしろ航空宇宙技術を好んでいる狩谷だった。
コーヒーを飲もうと延ばす手が宙を切る。ようやく探し当てて、口をつける。その間、遠坂は何度もコーヒーを執事に持ってこさせていた。
「十分可能だ」
結論を言うと、狩谷は伸びをして、ぐったりと車椅子にもたれた。
遠坂と絵里は顔を見合わせて、笑みを交わした。
くくっ。狩谷の口からも疲れ切った乾いた笑い声が洩れた。
「たいした陰謀家だよ、遠坂兄妹は。それで、絵里さん。君はどこへ行こうというんだい?」
絵里は手を合わせると、祈るような仕草をした。
「海へ。一度でいいから本物の海を見てみたいんです。わたし、わたし……!」
興奮のあまり絵里が言葉を探していると、遠坂は苦笑してかぶりを振った。
極度の知的緊張、そして高揚に消耗した狩谷はテーブルに突っ伏し、寝息をたてていた。
「問題は如何にユニットを切り離すか? それとユニットを切り離した後、無菌室への電力の供給をどうするかだが、補給車のバッテリーを使えば三時間は持つ」
「輸送手段は?」
「二番機のトレーラーで十分さ」
狩谷は平然と言ってのけた。昼下がり、ふたりは二番機のトレーラーの陰で話し合っていた。
隊の備品を使うことが前提の計画だった。当然、非合法の活動となる。理論的には可能だが、現実的に考えると、理論を実現する人とモノについてはたと考え込んでしまった。
無菌室は、遠坂家の屋敷の一画をすっぽりくり抜き、ボルトで固定するかたちで収められていた。溶接等は一切なされていないという。
どうするか? 人力でボルトをはずすのはまず無理だろう。遠坂系列の建設会社に頼むか? さもなくば……。
「電源に関してはわたしひとりで十分です。ケーブルを室内の予備電源が稼働している間に補給車に接続する。問題は運搬ですが……」
遠坂は言いにくそうに狩谷を見た。
「……やっぱりそうなるのか? 君はこのために5121に入ったんじゃないか?」
「違います。この計画を思い立ったのは、以前、士魂号が幻獣に包囲された小学校の生徒を放出したことがあったでしょう。壁をこわしで、生徒を掌に乗せて」
「あの時はけっこう大変だったんだぜ。俺、アニソン歌いまくりでさあ」
トレーラーの荷台から声がかかった。滝川陽平が、寝ぼけ眼をこすりながらふらりと立ち上がった。
「滝川か……」
狩谷はしぶい顔になった。
「理想を言えば、壬生屋か速水がいいんだがな。どちらかを説得でされば」
「そうですね」遠坂はうなずいた。
「こそこそなんの話してんだよ? ユニットを切り離すとか、電源ケーブルとかさ。なあ狩谷、そんなにこわい顔してると、ハゲるぜ」
滝川はのんびりした口調で言った。
「馬鹿! そんな話は聞いたことがない。第一、僕にはそんな遺伝子は組み込まれていない」
「あ、ハゲるの気にしてんだ。へっへっへ」
「……遠坂、やっぱりこの馬鹿はだめだ。君の大切な妹さんを任せられない」
妹、と聞いて滝川の顔が輝いた。
「おっ、遠坂の妹絡みの話? だったら俺、なんでもやるぜ! 遠坂の妹ってどんなんだろ。 なあなあ、一度でいいから会わせて」
「……無菌室で生きています」遠坂は憂鬱な笑みを浮かべた。
滝川はその単語を反芻していたが、やがて意味を悟ったとみえ「ごめん」と謝った。そして真顔になると「俺にもわかるように話をしてくれよ」と言った。
狩谷と遠坂がひとしきり話し終えると、滝川は自信なさげな表情になった。
「ボルトごと引きちぎるって……ホントにできるんか?」
「ああ、乱暴な話だが、遠坂の屋敷の床面が被害を受けるだけで無菌室ユニットの側の損傷はない。今、ざっと計算したんだが、ぎりぎり可能という結果になった」と狩谷。
「あとは補給車担当だけど」狩谷は矢継ぎ早に続けた。これが一番難しい。整備班の宝と言うべき補給車の無断使用、そして人選についてだ。
「ええ、それについては……運転席でうってつけの人材が先ほどから聞き耳をたてていますよ。非常に、非常に不本意なことですが」
遠坂はあらかじめ予期していたとみえ、眉をひそめて言った。
「ノォォォォ! タァイガァ!」奇声がこだまして、運転席の扉が思い切り開け放たれた。
「定例会に無断欠席しておるから、なんぞたくらんでいるとは思ったが。タイガーよ、こんな時のための仲間ばいね。水くさか。はじめから俺らに話すがよか」
一番機担当の岩田裕と中村光弘が、シートから飛び降りると、ふたりの前に立った。岩田と中村。どこが不本意なものか。ウチじゃ最高の人材じゃないか、と狩谷は首を傾げた。
「タイガーって誰だ? 定例会って?」
狩谷が尋ねると、中村と岩田は「ふっふっふ」と気味の悪い声で笑った。遠坂は苦々しげにそんなふたりをにらみつけた。ふたりは女子のソックスを愛好するという、特殊な趣味を持っていた。そして遠坂もそんな彼らの仲間だった。遠坂の人格の中には、このような暗部も存在していた。
妹には口が裂けても言えることではなかった。
「定例会とはな……」中村が口を開こうとした瞬間、遠坂は「やめろ!」と叫んでいた。
そして中村と岩田の襟首を、掴むと強引に引きずっていった。
「条件は……」
「ノォォォォ! 片方だけじゃだめですう」
「ぬしゃもワルだの」
「たとえ無菌室とはいえ、五メートル以内には……!」
ぽつんと残された狩谷は、同じく取り残され、荷台の上であぐらをかいている滝川を見上げた。
「中村と岩田が加わってくれるなら心強いけど、なんの話をしているんだ?」
「狩谷、世の中には知らなくてもいいことがあるんだよ……」
滝川は苦いモノを飲み下したような顔で、珍しく謎めいたことを言った。
こうして計画は着々と進んでいった。遠坂と狩谷は、無菌室の構造を繰り返し確認し、遠坂家のスパコンに接続された端末を使って、繰り返しシミュレーションを行った。
ただし……最も重大な問題がひとつだけ残っていた。
計画を遂行中に、緊急出動命令が下れば万事休すだ。他の隊員たちは、重要な戦力が消えていることに気づくだろう。その場合、計画に加わった者たちは隊を危険に陥れたとして断罪されるはずだ。狩谷と遠坂は、決行を出撃頻度が少ない深夜と定めた。出発は〇三〇〇。作戦終了は〇六三〇。後は尚敬校へ舞い戻る。
「国道を使えば熊本港まで片道一時間。あとは……幸運を祈るしかないな」
狩谷は、端末の前で、ふうっと息をついた。
軽装甲の物理的能力、ユニットを固定しているボルトの強度、この時間帯の道路事情、出動命令の可能性等、考えられる限りの情報を元にシミュレーションを何度も行っていた。
絵里とは、あれから一度きり会っただけだ。会っても話題がなかった。
「きっとうまくいくよ」などという気休めを言うのは狩谷の柄ではなかった。絵里については感情を消していた。
個人的に嘆いたり喜んだりする類の感情は、狩谷には必要ではなかった。必要なのは計画を成功に導くための頭脳の働きだけだ。狩谷とは……そういう人間だった。
四月某日。深夜三時二分。巨大な影が遠坂邸の南側に面した庭に立った。屋敷を取り巻くフェンスは、強引に引っこ抜かれている。小隊の無線とは別に遠坂が用意した無線機から狩谷の声が二番機のコクピットに響いた。
「はじめてくれ」
「お、おう……」滝川は返事をすると、南側角部屋に二番機の腕を伸ばした。メリメリ、と不気味な音がして屋敷の壁に巨人の指がめりこむ。指は無菌室を覆っている壁をはがしはじめた。
「取っ手か突起物のようなものがあるはずだ。運搬用の」
二番機の掌がユニットの表面を探る。やがて、指が何かを探り当てた。
「あった!」滝川は自分でもびっくりするぐらいの大声を張り上げていた。
「よし! ありったけの力でユニットを引き出してくれ。こらえろよ……」狩谷の声も知らず興奮気味になる。
「電源ケーブル解除。使用人には何があっても寝ていろと」
遠坂がトレーラーの運転席から通信を送ってきた。
「補給車スタンバイオッケーたい。ケーブルの仕様はKW1001・RXでよかか?」
傭兵の中村の声だけが落ち着いている。
「ええ」
「長さが足りん場合、延長ケーブルを十メートル分だけ用意しとる。十五分のタイムロスになるじゃっどん。なあ、狩谷……」中村がのんびりした声で言った。
「トレーラーに無菌室を乗せ、補給車とケーブルを連結する。ぬしゃ、ケーブル長のこと考えたか?」
「……」
返事はしなかった。狩谷は二番機トレーラーの助手席で唇を震わせ、青ざめていた。中村がいてくれてよかった。それだけだった。
「ちっくしょう。思ったより重いじゃねえかよ」二番機が無菌室のユニットを抱えていた。数歩、ほんの数歩だけでよかった。
落とすなよ!
狩谷は目をつぶったが、どうしても二番機の頼りない足取りを想像してしまう。
ごと。微かな音とともに衝撃があった。トレーラーの運転席が一瞬、浮き上がった。目を開けると、遠坂が無菌室からぶら下がっている電源ケーブルに突進するところだった。中村も岩田も延長ケーブルを抱え、補給車からすごい勢いでケーブルに駆け寄った。
「車間距離を五メートルに保っとして、だめだ! 長さが足りません!」
遠坂が叫ぶと、中村と岩田は「ほいほい」、と延長ケーブルの接続にかかった。ふたりの手際は見事なもので、またたくまにケーブルを連結させ、電力を確保した。
後は国道を熊本港に向けて走るだけだ。
「大丈夫か、絵里?」
エンジンをかけながら遠坂が通信を送った。むろん、滅菌されてない通信機を中へ差し入れるわけにはゆかないから、ガラス壁の外側に通信機をつけている。
「……うん。あのロボット……はじめはこわかったけど、なんだかやさしい感じがした。あの、皆さん、ありがとうございました」
「へへっ、俺、『ロボット』のパイロットの滝川。絵里ちゃんにもわかるんすか? こいつ、本当にすっげえやさしいやつなんす。俺に話しかけてくるんですよ」
「えっ、本当ですか?」
「言葉は交わさないけど、俺が話すと、なんつうか、空気……気のようなモンを送ってくるんすよ。よかったな、とか、それは気の毒に、とか」
「ロボットが話すなんてはじめて聞きました!」絵里は素直に驚いてみせる。
補給車に乗り組んだ中村と岩田は「きゃわゆぃぃばい!」とにんまり顔を見合わせた。
「無駄口は……」狩谷が注意しようとすると、中村と岩田の声が割り込んできた。
「ほお、絵里ちゃんいうんか? 俺は整備の中村たい。ぬしゃの兄さんとは親友の間柄ばい」
「ノォォォォ、親友度でしたらわたしの方が上ですううう。あなたの兄さんとふたりでやったモリオトリ作戦……」
「その話はよせと言ったろう! あー、絵里大丈夫だから。兄さんに任せてくれ」
遠坂が正門へ向かうと、驚いたことに屋敷の使用人が全員見送りに出ていた。執事の守山が恭しく一礼すると、メイドやコックまでもが一斉に辞儀をした。整備班だったら出撃時の敬礼もしくは「帽振れ」にあたるだろう。遠坂は車窓を開けると、一同に軽く手を挙げた。
車間距離を一定に保ちつつ、時速四十キロの速度で、トレーラーと補給車、そして二番機が国道三号線を南下してゆく。近見で県道五十一号に入り、そのまま熊本港埠頭をめざす。林立する街灯は、櫛の歯が抜けたようにぽつりぽつりと灯されているだけで、二台の車両と二番機は自らの照明を頼りに、進まねばならなかった。
途中、対向車線に蛍のように明かりが灯ったかと思うと、物資一兵員を満載したトラックが走り抜けていった。
さすがに夜間の走行は緊張をともなう。これまでの心労も重なって遠坂はミラー越しに後続する補給車を見た。
「中村君、そちらの状況は?」
「良好良好。遠坂よ、ぬしゃ、ちと疲れとらんか? 車間距離がふらついておるばい。なんなら岩田と交代するがよかよ」
中村は頬もしげに遠坂を気遣った。
「タァイガァァァア! まだ先は長いですよォ」岩田の声が耳障りに響いた。
「なんですか、タイガーって?」絵里の声が聞こえて、中村と岩田そして滝川は、口々に話しはじめた。
「絵里ちゃんが知らなくていいことだぜ」
「ま、まあ、遠坂は整備班の虎、と呼ばれている優秀な人材ということばいね」
岩田より小指の先ほどは常識的な中村が、絵里に苦しい言い訳をする。
「整備班の虎? 滝川さんは知らなくていいって、今……」
「こら滝川、整備班のことに口を出すんじゃなか! よかね、絵里ちゃん、男は変な自慢話はしないものたい」中村は絵里と会話できて、至福の表情を浮かべている。
「……ごめんな、絵里。本当はまわりの景色も見せたかったんだが」遠坂は一連の会話に集中を取り戻して言った。
「ううん。少しは見えるし。こんな風にみんなと話せて楽しいし」
「狩谷だ。息が苦しい、とか。異状はないかい?」実のところ、無菌室ユニットの堅牢性に関しては未知数だった。特に心配なのが、滅菌空調システムだ。
「はい。大丈夫です。なんだか力がわいてきちやって。狩谷さん、ありがとう」
礼を言われて、狩谷の顔が赤らんだ。
「礼を言うのはまだ早いさ。どんなアクシデントがあるかわからないからね。……僕は少し疲れた。眠らせてもらうよ」
後は二キロあまりの行程になった。港が近いためか、深夜というのに行き交うトラックが多くなった。トラックに満載され前線へ向かう兵員が、ぎょっとした目で奇妙な一行を眺める。
対向車線から、おびただしい数の車列が向かってきた。装甲車とトラックの群れが煙々とライトをつけ、一行をまばゆく照らし出した。
「大隊規模の編成だ。気をつけろ」
それまで眠っていたはずの狩谷の声が各車に伝えられた。
「了解」、「らじゃ」と応答があり、双方、互いの姿が見えるまでに接近した。
先頭を走るのは見慣れた戦闘指揮車だった。まだ野戦の経験はないらしく、車体は迷彩ではなく緑線の国防色に塗られたままだ。五十メートルほど手前で指揮車が停止して、中から自衛軍の将校が現れた。手信号で止まれの合図を送ってきた。
「どうする?」中村が通信を送ってきた。この状況では、さすがに強行突破はつらい。しかも無菌室ユニットという大切なものを抱えている。
「止まるしかありませんね」遠坂はあきらめたように言った。致命的なタイムロス。じきに夜が明けはじめる。
「遠坂、しっかりしろ」狩谷の声が聞こえた。思わず狩谷を見ると、狩谷は眼鏡を光らせて、ふっと笑った。
「堂々として、相手を見下すように。彼女は……そうだな、人型決戦兵器になってもらう」
「人型決戦兵器……」遠坂はあきれたように繰り返した。時間がない。将校は十人以上の兵を従えてこちらに向かってくる。
「な、なあ、やばいぜ。どうする?」滝川の狼狽えた声が送られてきた。
「問題はない。ここは遠坂に任せよう」狩谷が冷静な声で言った。
「ご安心を。五分ほど待ってください」遠坂はそう言うと、通信を切って狩谷に向き直った。
「……決戦兵器。よい響さですね。それ、使わせていただきます」
そう言うと、遠坂はトレーラーの運転席から飛び降りた。遠坂らを怪しんだ指揮車の将校は三十代の少佐だった。遠坂の十翼長の階級章を見て、拍子抜けしたようだった。
「こんな時間に何をしている? 部隊名、姓名を述べよ」
少佐は官給品の将校用クロノグラフを手に巻いていた。頑丈で正確だが、デザイン性はまったく無視したシロモノだった。士官学校の卒業時に配られる指輪を未だにはめている。
軍人さんか。ごく普通の。遠坂は相手をさりげなく観察した。父の代理で、社交界と言われる世界には頻繁に出入りしていた。相手の表情、言動、服装、持ち物、ちょっとした仕草から中身なはかる術を知っていた。
「それは構いませんが。少佐殿、ふたりきりでお話できませんか?」
遠坂はにこやかに申し出た。自分の質問を無視された少佐が口を開くのを封じるように、「多少複雑な事情がありましてね。これからわたしが言うことは、少佐殿にしか申し上げられない種類のものです」
「下がっていろ」少佐は首を傾げながらも、兵を下がらせた。
「迅速に兵器の運搬を行うのがわたしの役目でしてね。……まず確認しておきましょう。あなたは人型決戦兵器というものをご存じですか?」
開き慣れぬ言葉を耳にして、少佐は目を丸くした。
「なんだって……?」
「極秘プロジェクト。少佐殿の派閥は?」
「……む、わたしはどの派閥にも属しておらん」
「けっこう。ならば芝村の極秘プロジェクト、とだけ言っておきましょう。彼女は……」
遠坂は少佐をガラス壁のところへ伴うと、絵里に手を振った。絵里も微笑んで手を振り返す。
「あの少女は一個師団に相当する超常能力を持っています。もっともまだ実験段階なのですが。……どうします? これ以上の情報を求めますか?」
遠坂の顔からにこやかな笑みが消え、代わって能面のような得体の知れぬ無表情になった。
「これ以上、話した場合、あなたは芝村のリストに載ります。残念ながら、常時、芝村の監視下に置かれることになります。もし、情報を洩らせば……後はおわかりですね」
遠坂の出任せも必死だった。少佐を見下ろすように、傲然とたたずんで言い放った。とどめをさすように遠坂は、にっこりと笑った。
「虎の尾は踏まぬことですよ。芝村機関の人間としてはここまでの忠告が限度ですがね」
「芝村機関……貴様、ただの十翼長ではないな?」
「わたしは一介の十翼長に過ぎませんよ。互いに会ったことがなく、当然ながら顔も知らない、名前も知らない。それが互いのためになるかと」
「……うむ」少佐はうなずくと、もう一度、ガラス窓の向こう側を見た。絵里ににこっと微笑まれて、少佐はかぶりを振った。
「あんないたいけな少女を……」
三分後、大隊の車列は逃げるように走り去った。
埠頭に到着した頃には、空は白みはじめていた。遠坂は埠頭にトレーラーを止めると、外に出て胸一杯に潮の匂いを吸い込んだ。車椅子を出して、狩谷を外に出す。中村と岩田はすでに補給車を降りて、電源系統のチェックをはじめていた。
「空調システムはどうだ?」
狩谷が呼びかけると、中村はにやっと笑って親指を立てた。
絵里のいるガラス窓の下で、ふたりは無言で白々と明け初める東の空を見上げていた。潮風が、緊張に疲労した体を心地よく冷やしてくれる。
波の音に混じって、餌場が近いのか、カモメの鳴き声が聞こえる。
「……三年」遠坂はぽつりとつぶやいた。
「三年の間、ずっと考えていました。今、やっと……」
「うん」
狩谷はそっけなくうなずいた。清々とした気分だった。達成感があった。こんなに何かに夢中になれたのは、バスケットボールに出会って以来のことだった。冷静を装っているが、その実、興奮していた。
東の水平線が熟を帯びたように赤く染まった。ゆっくりと日が昇り、まばゆい光が二台の車両と一機の人型戦車を照らし出した。
「夜明け……。兄さん! これが夜明けなのね! はじめて見る! 兄さま、狩谷さん、皆さんもありがとう!」絵里のうわずった声がガラス窓の向こう側から聞こえた。
報われた。喜んでくれた。狩谷はふうっと息を吐いた。
「波の音に耳を傾けてごらん。心が静まるよ」
遠坂が静かに言うと、綾里はうなずき、ほとんどガラス窓に張りつくように、朝日を拝み、波の音に耳を傾けた。
そんな絵里の無邪気な様子を、中村と岩田は作業をしながら微笑ましげに――珍しく欲望に忠実でない表情で見守っている。
「狩谷君」遠坂が紺碧に光る海を眺めながら、口を開いた。
「なんだ?」
「感謝します。これで何かが吹っ切れたような気がします」
「大げさな。まあ、けっこう楽しませてもらったけど」
狩谷の相変わらずそっけない返事に、遠坂は声を上げて笑った。
「失礼ながら、あなたと妹の会話を聞いてしまいました。あなたは自分を知らない。弱者だと勘違いをしている。あなたには人を変える力がありますよ。現にわたしが変わった――」
「ふん。口が上手いやつだな。ま、財閥を背負って、他人を利用するのがゆくゆくの君の仕事だからな。どうせなるなら立派な悪党になってくれよ」
「ええ」
遠坂の横顔が引き締まった。
その時、全員の多目的結晶が鳴った。それまでの会話が夢であったかのように、遠坂と狩谷は蒼白な顔を見合わせた。
「あいた!」。中村が額に手をあて、天を仰いだ。
「ど、ど、どうすんだよ?」二番機の拡声器から滝川の狼狽えた声が響き渡った。
「どうしましょう、狩谷君?」
「ま、待て。考えるから……なんて場合じゃない! 無菌室ユニットを乗せたまま、尚敬校にとっとと戻る! あ、と……電源は学校から借りればいいけど……うっ」
狩谷のうめき声と同時に、原の怒りの声がトレーラーの無線機から響き渡った。
「二番機、二番機トレーラー、あんたたち何やってるの? ああ、補給車もなくなってる! 狩谷君、狩谷君、聞こえる? 聞こえたらとっとと返事をしなさい!」
「……留守です」
狩谷は最後の勇気を振り絞って無線を切ると、「移動急げ!」と叫んでいた――。
[#改ページ]
我が名は芝村舞
[#改丁]
「十一時の方向にミノタウロス三、ゴルゴーン五。念を押すようだがゴルゴーンを先に。壬生屋、先にゴルゴーンだ。心の準備はオッケーかな?」
指揮車オペレータの瀬戸口隆之の柔らかな声がコクピットに響く。来るぞー、と速水厚志と芝刈舞は申し合わせたように耳を塞いだ。
「そんなことはわかってます! 何度も何度も、わたくし子供じゃありません!」
壬生屋の超音波攻撃とも言うべき甲高い声が響き渡る。初陣から数えて五回目の出撃だった。
盾となり、オトリとなる重装甲・壬生屋の一番機。一番機が引きつけた敵を一気にミサイルで殲滅する速水・芝村の三番機・複座型突撃仕様。そして戦闘支援他の任務を担うのが滝川陽平の単座型軽装甲だった。
「参りますっ……!」
きんとした声がコクピットの空間を満たした。漆黒の一番機が超硬度大太刀を引っさげ、敵へと突進する。
「速水――」舞が言い終わらぬうちに、三番機は追随。一番機に敵が密集する頃合いをみはからって突進する。
ほどなく眼前に炎が上がった。壬生屋の攻撃がはじまった。
「壬生屋機、ゴルゴーン撃破。末央ちゃん、がんばって」
東原ののみの声が戦果を報告する。二体、三体と撃破するうち、ゴブリンからミノタウロスまで、大小の幻獣が一番機へと殺到する。
「そろそろだな。滝川、煙幕弾………………む?」
滝川の二番機から応答がなかった。
「まずいよ。一番機がミノタウロスに囲まれた。どうする?」
厚志の声が焦っている。
「滝川?」
舞はなおも通信を送るが、そのうちしびれを切らした指揮車からも「どうした、滝川?」と通信が送られた。
「一番機、装甲板破損! 滝川、どうしたんだ?」瀬戸口の声も切迫する。
「煙幕弾を!」壬生屋の芦も切迫している。
「く……」舞は唇を噛むと、「やむをえん、突進せよ」と命じた。その言葉を待っていたかのように、ぐんと加速がかかって、舞は砲手席に押しつけられた。
行く手を遮る幻獣の間を縫うようにして三番機は一番機に隣接すると、舞は神業のような速さで敵をロックしてゆく。がくんと上方へのG。三番機はしゃがみこむと、有線式ジヤベリンミサイルを発射した。閃光。爆発。オレンジ色の業火の中、ほどなく三番機は一番機とともに離脱していた。
「気をつけろ。ミノタウロスがまだ生き残っている」
「どうして煙幕弾を……」
壬生屋の声だ。舞の目に左腕を肩から失った一番機の機影が映った。
「壬生屋、ひとまず退け。ミノタウロスは我らがとどめをさす」
言うやいなや、三番機のジャイアントアサルトが突進してくるミノタウロスを一体仕留めた。
「まだ戦えますっ!」
壬生屋の一番機も突進して、一体を斬り下げた。爆発。腹部に大量の生体ミサイルを抱え込んだままミノタウロスは四散し、後には爆風に巻き込まれ、傷だらけの一番機が残った。敵の集中攻撃を受け、脚部を損傷していた。離脱しようとして、一番機は避けきれなかった。
「……すんません。二番機です」
滝川の声が流れてきた。壬生屋の超音波攻撃を聞く前に、舞はすばやく通信を送った。
「この大たわけ! 煙幕弾はどうした、煙幕弾は? そなたのお陰で壬生屋は後少しで死ぬところであったのだぞ」
通信機の向こうで息を呑む気配がした。
「わ、悪ィ……」と言ったきり、滝川は黙り込んでしまった。
「わたくし、滝川さんにはもう何も期待しません」
罵声を浴びせると思いきや、壬生屋は低い声で言った。本当に怒っている。無理もなかった。煙幕弾のあるなしで、被弾率は大幅に異なってくる。
「無事でよかった、壬生屋。あー、そうだな、帰ったらあんみつでもどうだ?」
瀬戸口が穏やかに取りなす。しかし、壬生屋は黙り込んだままだった。被弾して、ぼろぼろになった機体がゆっくりと補給車へと向かってゆく。
舞は、ちっと舌打ちをすると、「滝川、何が起こったのだ?」努めて冷静な声で尋ねた。
「野良猫を……」しばらくして滝川の声が聞こえた。
「ふむ、野良猫を?」
「踏んづけちまいそうになったんで、あわてて方向転換したら川に落ちちまった。そしたらなんかに引っかかったらしくて出られねえんだ」
「たわけ」舞のたわけから大の字がひとつ抜けた。滝川の操縦には、まだまだ危ないところがある。軽装甲の癖に小回りの利かぬイノシシのようなものだ。
「壬生屋さん、大丈夫かな」厚志の声が聞こえた。フォローを受けられずに死の危険に瀕し、相当にショックを受けていた。
「ふむ」舞は黙り込んだ。壬生屋には精神的に不安定なところがある。このことを引きずらねばよいが、と考えていた。よく言えば積極果敢、悪く言って猪突猛進が壬生屋の持ち味だ。
消極的に戦う壬生屋など見たくもなかった。
「……とにかく、滝川を助けに行こう」
助け出して、後で一発殴ってやろう、と舞は不機嫌に厚志に命じた。
滝川の軽装甲は、五メートルほど下の川に尻餅をつくかたちで見事にはまりこんでいた。半ば水没して、落下時の衝撃で一瞬、意識を失ったらしい。
くくっ。厚志の笑い声が聞こえた。舞が足を伸ばして操縦席を蹴っ飛ばすと、「う、うん」と咳払いに変わった。
「わ、悪かったよォ」
世にも情けない声で滝川は通信を送ってきた。舞は少し考えて、ウィンチで二番機を引っ張り上げようと厚志に提案した。ウィンチを垂らして、二番機につかませる。重量は複座型の方があるから、なんとか地上に引き上げることができるだろう。
「あー、滝川よ。今、ウィンチを垂らすからつかまれ」
「お、おう……」
その時、ほほほ、とけたたましい笑い声が聞こえた。整備班長の原素子だ。
「芝村さんらしくないわね。互いの重量比を考えて。それは無理というものよ」
「ふむ、ならばどうせよと」
「放置して帰りましょ」
原はあっさりと言ってのけた。
「原さ〜ん……」。滝川の情けない声が響く。
「……どうする?」厚志が口を開いた。
「む。予定通り、決行する」
こうして滝川救出作戦が決行されたわけだが……結果は散々なものだった。二番機はよほど川と相性がよいらしく、三番機のウィンチが巻き上げられ、軽装甲の重量がかかったとたん、「う……」と厚志はうめいた。
「なんだかすごい勢いで引っ張られている」
「……引っ張っている、のまちがいではないのか? 正しい日本語を使え」
「機体を傾斜させてこらえているんだけど、……うぁっ」
厚志の悲鳴と同時に、県道のアスファルトがべりべりとはがれる音。
「く、手抜き工事を……!」と舞は道路交通省を呪ったが、三番機はやがて前のめりに傾斜するとガードレールを突き破って、二番機の真上に落下した。
「わああああ……!」滝川の悲鳴。
ほほほほは、と原の笑い声がコクピットにこだまする。
結果として、三番機はなんとか自力ではい上がり、川から脱出したものの、二番機の引き上げは自衛軍の工兵隊が動員され、堤防を爆破しての大がかりなものとなった。むろん、善行が頭を抱えながら、泣く泣く頼み込んだ。
戦闘には勝利したものの、一番機中破、二番機水没小破及び電気系統損傷、三番機ウィンチ機構及びレーダードーム損傷という散々なものになった。加えて、県道は寸断破壊され、堤防は爆破された。自衛軍工兵の悪罵《あくば》を浴びながらの帰還であった。
「ほほほ。だからやめなさいって言ったでしょ。物理学は無知蒙昧な輩には復讐するの」
司令室には何故か善行の隣に原素子がいた。厚志とともに出頭した舞に、原の容赦ない冷やかしが待っていた。舞は憮然として原をにらみつけた。
「ならばそなたに案はあったのか?」
「まったく……何もわかっていないのね」原はあきれたようにたゆ息をついた。
「自衛軍の工兵に具体的な作業指示を下したのはわ・た・し。後で関係各位に頭を下げるのは善行司令だけどね」
「む」舞は言い返せず、原をにらみつけたままだ。
「それとね、今夜は整備班は全員徹夜。壬生屋さんの一番機は二十四時間以内の出動は微妙というところねえ。どお、じわじわと責任感じてきたでしょ? 芝村百翼長?」
原にずけずけと言われて、舞はぐっと拳を握りしめた。わざわざ階級で呼んだのは、舞の階級が一番上で、現場では三機を統率する立場にあるからだ。
「……謝罪する」
舞は不機嫌に原に言って、自らの未熱さを恨んだ。目の前の戦闘に手一杯で、滝川の挙動に気を遣う余裕がなかった。まだまだ自分たちパイロットは未熟だ。それに対して、整備班は天才メカニック・原の指導の下、最高レベルの技術水準を誇っている。
しばらくは、散々整備から嫌みを言われることだろう。それが口惜しかった。
「原さん、今日のところはそれぐらいで。芝村さん、あなたが考えた重・複・軽の連携戦術に関してはわたしの構想に沿ったものとなっていますが、運用面がまだ甘いですね。パイロットの皆さんとミーティングを開くなりして徹底してください」
善行は眼鏡を押し上げて言った。淡々とした口調で、それがかえって舞の責任感を刺激した。
司令室を出た後、足早に去る舞に厚志がおずおずと声をかけてきた。
「……ごめん」
「くっ、そなたが謝るな! 命令を下したのはわたしだ! わたしが悪いのだっ! 素直にわたしの謝罪を受け入れよ!」
舞は真っ赤になって、たじろぐ厚志に言い放った。
「わ、わかった……」舞の迫力に圧倒されて、厚志はうなずきながらも逃げ道を探った。
ほほほほほ。後ろから高笑いが響いて、舞はきっと声の主を振り返った。
「そなたには謝罪したはずだが、まだ足らんのか?」
原は腕組みをしたまま、余裕たっぷりに舞と向き合った。その姿を見て、対抗心からか、舞も腕組みをして胸を張る。
「違うの。そうじゃなくて、あなたにちょっとしたアドバイスを、と思ってね。追ってきたら仲良く揉めてるじゃない?」
「……厚志に謝罪していただけだ」舞の顔から怒気が消え、珍しく憂鬱そうな表情になった。
「謝罪なんていいから。善行さんの言葉の意味をよく考えるべきね。運用面が甘い、ということはどういうことかしら?」
原はにこやかな表情を崩さずに言ったが、舞はしばらくの間、考え込んでしまった。
「経験不足ということであろう」
「そういうことだけれど、問題はね、あなたと他のパイロットたちの間のコミュニケーション不足にあると思うわ。理論的には戦術は立派、滝川君を除けば三人の戦闘技術は高い。なのに今ひとつ運用がうまくいかない。問題の根っこはね……」
原は笑みを消すと、舞をピッと拍さした。
「あなた自身にあるの!」
原さん、ひどいですよと抗議しようとして厚志は口をつぐんだ。
舞は青ざめ、ふらふらと二歩、三歩後ずさっていた。
「わ、わたしが……」
原の言葉によほど衝撃を受けたらしく、口をぱくぱくさせている。
「原さん、僕たちだって頑張っているんですけど」
厚志は舞をかばうように原の前に立つと、とがった口調で言った。
「頑張るのはあたりまえ」
原はさらりと受け流した。そして、今度は厚志に向かってにこっと笑いかけた。
「芝村舞と他のパイロットの間に立ってコミュニケーションを円滑にするのが速水君の役目だと思うけど。あなた、なんのために芝村さんと一緒にいるの?」
「僕は……」
なんのために、と言われて厚志は返答に窮した。
芝村舞の颯爽とした姿に憧れたから。芝村にくっついていれば安全だから。自分には人型戦車の操縦の才能があるらしいし、士魂号の中にいれば死ぬ確率は低いと感じたから。初めの理由以外の中には、計算高い自分がいた。
原さんは見透かしているのか?
「……原さんの言うとおりです。考えてみます」
無難な答えを口にすると、原は「ふふ」と笑った。そしてひらひらと手を振ると、整備テントへと歩み去った。
「コミュニケーション……」舞はぶつぶつとつぶやいていた。
自分の最大の弱点を原に突かれた。人間関係。平たく言えば、これまでまともな人間関係を築いた経験が皆無だった。使用人は命令すれば忠実に動く。しかし、パイロットたちは使用人ではなく、舞の部下であり、同僚だった。生死をともにする戦友だった。
「戦友……友にならねばいかんのか? む、言葉の意味が違うな。しかし……」
たとえば壬生屋が自分を信頼していれば、大事な戦友と思ってくれていれば、今日のように自分の指示に反することはなかったはずだ。滝川のことにしてもそうだ。やつのレベルを考えた指示を言葉を、適宜かけてやるべきだった。
くっ! あの女に、経験不足などとたわけた言い訳をしてしまったおのれを悔やむ。
「あのさ、舞」厚志の声に我に返った。
「なんだ?」
「気にすることないよ。今日はたまたま運が悪かっただけで……」
厚志は微笑を浮かべ、言った。舞はついと手を伸ばすと、厚志の頬を思い切りつねった。
「わっ、何するの!」
「意味のない気休めはよすがよい。言葉の無駄遣いだ。そもそもそなたの会話の九十五パーセントはどうでもよいことばかりである」
「……そ、そんなこと言われたって」
厚志は頬を押さえながら言った。
「改善すべきであろう」
高飛車に言われて、厚志はむっとなった。意味のない、どうでもよい会話があるから人間関係が成り立つんじゃないか、といった表情になった。
「なんだ、その顔は?」
「……僕も原さんと同じ意見だよ。舞は浮き上がりすぎ!」
そう言い放つと、厚志はグラウンドの方へ走っていった。ひとり残された舞は、「むむむ」とうなりながら厚志の言葉を反芻していた。
浮き上がりすぎ、か。そんなことはわかっている。だから厚志を他の隊員たちとのコミュニケーション役に任命したのに……その厚志が逆らうとは。舞の心に焦燥が芽生えた。通訳なしで言葉も習慣も異なる外国へ放り出されたような気分になった。
……なんの、落ち着け、と舞は自分に言い聞かせた。今こそ、厚志抜きでも他者と立派にコミュニケーションができることを証明するチャンスではないか? この壁を超えねば、わたしは真の指揮官となることはできぬ。そもそも……と舞は強い視線で尚敬女子校の校合裏、5121小隊の貧弱にして殺風景な駐屯地を見渡した。
この小隊に配属を願ったことが、おのれの限界へのチャレンジであったのだ。
整備テントにふと視線を投げると、滝川が肩を落として出てくるところだった。指揮車の陰から、茜大介が駆け寄って、とぼとぼと歩く滝川に何やら話しかけている。
コミュニケーションの壁を超えねば! 舞はずんずんと滝川に歩み寄った。舞の接近に気づき、滝川は左右を落ち着かなげに見た。
「……わ、悪かったよォ」
滝川は両手を合わせて舞に謝った。
しかし、舞は口の端をきゅっと吊り上げて滝川を見つめただけだった。茜は逃げる機会を逸して、滝川の後ろにたたずんでいる。
「その言葉は聞き飽きた……じゃなかった……あー、滝川よ、そうそうネガティブに考えるな。ともに失敗の原因を分析し、克服しようではないか」
「……怒ってねえのか?」滝川は怪しむように尋ねた。
「闇雲に怒っても意味がない。わたしはそなたの上官であり、戦友だぞ。ともに考えよう」
こう言われて滝川は一歩後ずさって茜にぶつかった。茜がビクッとして逃げだそうとすると、舞は茜と呼び止めた。
「我らに問題点があれば指摘してくれ」
「た、……たぶん基本に問題があるかと」
「ふむ。基本だな」
茜のいい加減な答えを舞は大まじめに受け止めた。確かに、基本的な人間関係を構築することは、臨機応変を旨とする遊撃部隊……独立駆逐戦車小隊には欠かせぬことだろう。舞は満足げにうなずいた。
「うん。じゃあ僕は用事があるから」茜は滝川を残すと整備テントへと消えた。
「な、なあ、ホントのホントに怒ってねえのか?」と滝川。
「原には怒られたのか?」舞は何やら思いついたらしく、逆に尋ねた。
「ああ、こっぴどく。狩谷には嫌み言われるしさ。原さんには、二度と同じことやったら、段ボール箱に入れて捨てるからね、なんて言われるしさ」
滝川はぶるっと身を震わせた。
「む、ならばわたしは断じで怒らね」
「どうしちまったんだ、芝村?」滝川はなおも疑念の表情を浮かべている。
「次は壬生屋だ。滝川、壬生屋の居場所を知らぬか?」
「俺が知るわきやないって。俺、しばらく壬生屋の前に顔を出せねえよ」
滝川は肩を落として縮こまった。
「なんの。我らは戦友ではないか。話せば必ずや許してくれる」
「戦友って……」聞き慣れない言葉に滝川は首を傾げた。舞の様子がヘンだ、と厚志の姿を探したが、どうやら舞はひとりきりのようだ。
「壬生屋を探す。ついて参れ」
そう言うと、舞はすたすたと歩き出した。滝川は一瞬、俺もかよと首を傾げたが、すぐにあきらめて舞の後に従った。
ほどなく壬生屋は見つかった。校門横の芝生に正座して、しきりに何やら訴えている。五メートル先には悠々と寝そべる瀬戸口の姿があった。
「壬生屋よ」
舞が呼びかけると、壬生屋ははっとして腰を浮かした。何故だか顔を赤らめている。怒りさめやらぬといったところか、と舞は判断すると、壬生屋のもとに歩み寄った。
ぐずぐずしている滝川に、「覚悟を決めよ」と静かに言うと、どっしりと腰を下ろした。
「芝村さん……どうしたんですか? あの……」
何かを言おうとして壬生屋は思いとどまった。壬生屋のあわてぶりから見て、それまで散々、滝川の悪口を瀬戸口に言っていたのだろう。
「ははは。大将のお出ましってわけか。パイロット同士で話し合ってみるんだな」
瀬戸口は三人に笑いかけると、身軽に立ち上がった。
「瀬戸口よ、そなたにも聞いて欲しいのだが」
瀬戸口は肩をすくめ、冷やかすように舞に笑いかけた。
「悪いけどこれから野暮用があるんだ」
エンジン音が近づき、赤いオープンカーが校門前で停まった。サングラスをかけた若い女性が、瀬戸口の姿に気づくと、軽く手を挙げた。赤いルージュが印象的な大人の女性だった。
「瀬戸口さんの野暮用って野暮じゃないんだよな。いいなあ」
走り去るオープンカーを見送りながら、滝川がぼやいた。が、すぐに壬生屋の険しい視線に気づき、口をつぐんだ。舞の後ろに隠れるようにして芝生に座った。
ここでわたしがしっかりせねば。舞はぐっと表情を引き締め、すぐに表情をゆるめた。
スマイルだ! 怒り、怯え、絶望には笑顔こそが唯一の対抗手段である。舞は再び口の端をきゅっと吊り上げ、ふたりの顔を順繰りに見た。
「今日のことは気の毒であった、壬生屋。滝川も反省している」
「芝村さん……?」
滝川を取りなしている? 壬生屋は、言葉を失った。似合わない。似合わな過ぎる。
「あの、速水さんは?」
「ふむ、厚志ならば……ほれ、そこの薮陰に」
実は先ほどから気配を察していた。厚志には対立を嫌う性癖がある。すぐに関係を修復しようと追ってくるはずだ、との読みがあった。
「隠れていないで、とっとと出てこい! この大たわけ!」
舞に呼びかけられ、厚志は半ばほっとした表情で舞の隣に座った。
「さっきは、ごめ……」
「よい。謝りごっこはもうたくさんだ」舞はすばやくさえぎった。
「壬生屋、とりあえず滝川のことは棚にしまい込んでくれぬか? あー、つまり、怒りをしまい込むということなんだが」
「棚にしまい込むって……」上厚志が首を傾げた。
「……なんか変わった表現ですけど、芝村さんがそうおっしゃるなら」
舞の不思議な日本語に、壬生屋は怒りの矛先を逸らされたようだ。ふうっと息を吐くと、舞を見つめた。
「パイロットだけになってしまいましたね」
「ふむ。実はそなたらに話したいことがある。……わたしは常々、そなたらとのコミュニケーション不足を感じていた。戦闘だけではない、つまり、日常的なことも含めてだが。あー、本日の不手際は、ひとえにわたしの責任だ」
「悪いのは俺」滝川が口をはさんだ。
速水と壬生屋は何も言わずに、舞の言葉に耳を傾けていた。
「滝川のフォローができなかった。加えて、そなたらの信頼を未だに得ていない」
「そんなことはありません……」壬生屋が言ったが、舞はいやいやとかぶりを振った。
「そなたの趣味は何か? 好きな食べ物は? そういう話をまったくしてこなかった。まず壬生屋、そなたから言え。趣味はなんだ?」
ずい、と迫られて壬生屋は顔を赤らめた。厚志と滝川は黙って顔を見合わせた。
「ブティック……めぐりです」
「好きな食べ物はなんだ?」
「な、鍋焼きうどんとハンバーグ。あと……カレーライスも好きです」
舞の尋問口調に、恥ずかしげに答える壬生屋を厚志と滝川は気の毒そうに見た。これがコミュニケーションかといった顔だ。
「じゃあさ、舞の趣味はなんなの?」
恥ずかしげに身を縮める壬生屋を見かねて厚志が口を出した。
しばらくの間、沈黙があった。
言わねばならぬのか? コミュニケーションとは辛いものだな、と舞は不機嫌に顔をしかめた。が、すぐにきゅっと口の端を吊り上げ、苦しい笑みを浮かべた。
「あ、別に。強制じゃないから」舞の不機嫌に気づいて厚志はあわでて言葉を継いだ。
「ならぬ。自分だけヒミツを打ち明けぬなどと。わたしの趣味は……生物の研究……くっ!」
舞は大いに煩悶《はんもん》した。
「け、研究と……その、動物のフィギュア集めだ。ぬ、ぬ、ぬいぐるみの研究もしている!」
「研究、ですか?」壬生屋が首を傾げた。
「あー、つまり、ぬいぐるみはダニの巣窟となるからな。環境によいぬいぐるみの研究を……」
「なあ、それってよーするに、ぬいぐるみが好きってこと……」
滝川があきれたように言い放ち、次の瞬間、舞の射るような視線に黙り込んだ。こうして、厚志、滝川と次々と舞は尋問していった。
「ふむ。コミュニケーションとは難しいものだな!」
嘆息する舞に、厚志がすばやく口をはさむ。
「うん、もう大丈夫さ。十分にコミュニケーションはできたと思うよ。あとは今日の問題点の、その……総括っての? それをやらないと」
厚志から総括、と聞いて舞の目が生き生きと輝いた。普段通りの百パーセント混じりつけなしの芝村舞に戻った。
「そうかそうか! ならば今後の課題についてわたしの所見を述べよう。まず第一は、滝川を補完せねばならぬ。主として操縦技術。滝川の補完計画については考えがある。第二は、三番機ミサイル発射時の一番機の動きについて。ミサイル発射体勢に入ったら、一番機は後方へ一時下がって欲しい」
「それは……!」壬生屋が発言しようとしたが、舞は「わかっている」と大きくうなずいた。
「今日の戦闘では脚部故障が致命的だった。ただ、壬生屋よ、そなたは常に損傷箇所のチェックをする必要がある。何故なら、そなたは絶対無比の我らの盾であるからだ」
「絶対無比。大げさです……」壬生屋は照れて顔を赤らめた。
「ねえ、滝川補完計画って?」
壬生屋の操縦技術に関して言及するのは微妙だ。厚志はさりげなく、話題を滝川に戻した。
「明日、機体の修理が完了したらさっそく実施する」
「コミュニケーション」の重みからいったん解放された舞は、晴れ晴れとした表情で言った。
翌日――。
尚敬校のグラウンド土手に整備班の面々が顔を揃えていた。彼らの視線の先には、グラウンドを激しく動き回る三機の士魂号の姿があった。
「これが『滝川補完計画』とはね。あきれた。芝村舞を下手にからかうと大変なことになるわねえ」
グラウンドで展開される補完計画に原素子は苦い顔で傍らに立つ善行に言った。
コミュニケーション云々は、実は原独特の悪趣味な冗談だった。愛想良くしようと努める芝村舞という生き物を一度でいいから見てみたかった。
その結果がこれだ。もっと爆弾を仕掛けないと面白くないかも、と原の芝村に対するイタズラ心は刺激されていた。
「まあ、しかし滝川君も必死になっていますよ」善行は苦笑を浮かべて言った。
広いグラウンドの真ん中に一番機と三番機が陣取っている。その間をすり抜け、最終的にグラウンド隅のゴールポストにタッチしたら二番機の勝ち。その間に少しでも機体に接触されれば負け。滝川補完計画とは、それだけの単純なルールだった。
ただし……負けたら罰則が待っている。
一番機と三番機はありったけの土をすくって、二番機になすりつける。これが二番機を後生大事に磨いている滝川にとってはたまらない屈辱だった。
「動きはよくなっているようね」
原はしかたなく言ったが、後の点検が思いやられる。
「操縦練習をしたいから」と舞が言ってきた時、整備班全員で羽交い締めしてでも止めるべきだった。
「ちっくしょう! 複座型の癖にちょこまかしやがって!」
滝川の声が拡声器を通じて響き渡る。
「あっはっは。それ、本当は僕たちが言うセリフだよ」厚志の声が楽しげに響く。
「新しい動きを考えても、滝川さんの操縦は直線から直線だから、すぐに捕まります」
壬生屋の声も楽しげに、ひときわ甲高く響く。怒りは「棚にしまい込んで」いるようだ。
すでに二番機は泥と土をなすりつけられ、全身土色に染まっている。
「馬鹿なことを……。士魂号は精密機械なのに」二番機担当の狩谷が忌々しげにつぶやいた。
「けど、楽しそうですよね」
狩谷の補佐をしている田辺真紀が微笑んだ。
「狩谷君、そうカリカリしないで。ここまで無茶をやって、またヘマをやらかしたら、人間失格の賂印を押してやりましょ」
原が楽しげに笑って言った。傍らで聞いていた整備員たちはぶるっと身震いする。原の口からにこやかに飛び出す罵倒を想像するだけでもこわい。自分たちだったら廃人になっちゃうかも、といった怯えは整備員共通のものだった。
「そうですね。その時はお願いしますよ」狩谷はウンザリしたように言った。
こうして滝川の補完は成功したように見えた。舞はおのれのコミュニケーション能力に自信をつけ、常に本人がそうと考える笑顔で話すようになっていた。
5121小隊の面々は、この時、来るべきカタストロフを予感していたのかもしれない。
事件は数日後に起こった。
「速水・芝村機、ミノタウロス三撃破。壬生屋は二。敵は総退却に移っている」
瀬戸口の声がコクピットにこだました。
今日の戦闘は楽だった、と舞は息をついた。長射程のゴルゴーンの姿はなく、ミノタウロス五匹に率いられた小型幻獣による威力偵察のような攻撃だった。
接近戦では壬生屋の一番機は部類の強さを発揮する。すでに二対一なら余裕でこなせる。加えて三番機のミサイルの打撃力があれば、戦闘の帰趨は明らかだった。
しかし……そうだ、滝川も誉めてやらねばならぬ。
「あー、滝川よ、今日の煙幕弾の発射タイミングは見事であったぞ」
舞が通信を送ると、ほどなく「そ、そうかな」と滝川の声が聞こえてきた。
「ねえ、舞。あれ、失敗だよ。ミノタウロスを片づけた後に煙幕を張られたって……敵に逃げろと言っているようなものじゃない。注意しないと」
通信を切った後、厚志がたまりかねて言った。
滝川の二番機は、川にこそはまらなかったが、迂回する際、ビルにけつまづき、転倒しかけ、建物をいくつか破壊していた。そのため、射程距離に達するのが遅れていた。
「む、しかし、あまり怒るとやつは萎縮するやもしれね」
「そんなことないって。……あのさ、怒らない舞の方が不自然なんだよ。壬生屋さんの戦闘も誉められたものじゃなかったし」
絶対優位を確信した壬生屋は、つい動きが大雑把になり、機体の各所に損傷を受けていた。
舞が少々おかしい分、厚志は努めて冷静に戦況を把握するようにしていた。
その時、滝川から通信が入った。
「これから小型幻獣を追跡しようと思うんだけど。……すげー、国道を走ってると八十キロは出るぜ! へっへっへ、さっすが軽装甲だよな」
舞の顔色が変わった。
「滝川、小型幻獣は一般の部隊に任せておけ。八十キロも出して、今、どこにいる?」
「へへっ、村井集落のあたりかな」
二番機のジャイアントアサルトの射撃音が響く。どうやら滝川は先回りして手当たり次第、小型幻獣を撃ちまくっているようだ。
「滝川、戻れ。司令からの命令だ」瀬戸口の声がやんわりと響き渡った。
「あの……わたくしも近くまで進出したんですけど。どうしましょう? このまま追撃を続行して戦果を拡大しましょうか?」
しまった、壬生屋までもが! 舞はあわててふたりに通信を送った。
「ミノタウロスの撃破で目標は達した。村井集落といえば、戦線から五キロは離れている。これ以上の深入りは禁物だ」
狭隘な谷間に細く長く伸びている集落だった。東西を大きく張り出した尾根にはさまれた典型的な谷間の地形になっている。その先はトンネルが連なる山地となる。戦略上の要地だった。
「けれど、ここに陣取っていれば、各地から撤退する幻獣の退路を断つことができます」
壬生屋の高揚した声が聞こえた。どうやらすでに戦闘をはじめているらしい。たとえて言えば、漏斗の先の入り口を押さえることで、撤退する敵は行き場を失う。とはいえ――。漏斗の口を通過するのが小型幻獣ばかりではないとしたら。さらに、後方、東西の尾根に敵が展開している場合、逆に両機は袋のネズミとなる。
くっ。舞は唇を噛んだ。しかもそこは敵地だ。どうしてこんな初歩的な戦術がわからぬ?
「ヒャッホイ! 小型幻獣が次から次へと来るぜ。二百匹はやっつけたかな」
「滝川さん、弾薬は無駄遣いせずに。わたくしに任せてください。あら、傷ついたミノタウロスを三体、発見しました。参ります!」
次の瞬間、どごつと音がして、ざざざと耳障りな雑音がコクピットを満たした。
「一番機、左腕、喪失。壬生屋、大丈夫か?」
瀬戸口の声。ほどなく、壬生屋機から切迫した声が流れてきた。
「西の尾根からスキュラが来ます! すいません、瀬戸口さん……」
「走れ。なんでもいいからジグザグに走って、スキュラから逃げろ! 滝川は煙幕弾発射。おまえさんも最高速で撤退してくれ」
危機的な状況だった。瀬戸口の声音も変わっている。
「す、すんません……」またしても滝川の声だった。
「煙幕弾の代わりにジャイアントアサルトの弾帯を積んでました。ちっとは俺もやれるんじゃないかって思って」
「まいったな……」瀬戸口の声がさらに低くなった。
「集落へ向け、二キロ進出。撤退する両機を援護する」舞が通信を送ると、すぐに瀬戸口から反応があった。
「それは構わんが、ジャイアントアサルトの射程だとスキュラには届かないぞ。ミサイルは近接戦用だしな」
そうだった……舞ははじめて、ここ数日の自分の「甘さ」を悔いた。何がスマイルだ。何がコミュニケーションだ。友人であるより先に、滝川や壬生屋は幻獣を葬る戦闘ユニットだ! そしてその戦闘ユニットの生存をはかることが自分の使命であった! 片腕を失った一番機と、技量未熟な二番機が、スキュラから逃れる可能性は低い。かくなる上は三機の連携でスキュラを仕留めるしかないだろう。むろん、現在の自分らの技量では、一機、二機は確実に失うだろう。
「速水です。その点ならご心配なく。……実は僕の独断でジャイアントバズーカをひとつだけ積んでいます」
厚志の声が聞こえた。舞は、はっとして足を伸ばし、操縦席を蹴った。
「それはまことか?」
「うん。今日の複座型、動きが鈍かったろ? なんとかごまかしてはいたんだけど」
「わからなかった。そなたは……」
「ねえ、舞。人はいろんなことを同時にはできないんだよ。コミュニケーションとか言ってたけどさ、僕は舞の不機嫌な顔が一番好きだ」
切迫した状況の中、三番機を走らせながら厚志は早口で言った。
「たわけ」舞は知らず、顔を赤らめた。
「僕たちはまだ子供だしさ、精神的な余裕なんてどこをひっくりかえしたってないよ。ただ、幻獣を殺す武器として頑張るしかないじゃない?」
「この大たわけめ!」
たわけに大の字が追加された。不覚にも目頭が熱くなっていた。厚志はわたしの危うい状況を冷静に見ていてくれたわけだ。舞は戦術スクリーンを参照すると、展開するポイントを指定した。厚志はビル陰に膝をつき、バズーカを取り出した。
はじめに灰・赤・緑の都市型迷彩を施された二番機が見えてきた。パニックに陥っているらしく、国道を一直線に退却してくる。
「壬生屋はどうした?」
舞が通信を送ると、滝川の二番機は急停止して三番機の隣に並んだ。
「わ、悪ィ。トンネルからミノも出てきやがって。何がなんだかわからなくなって……」
滝川の言い訳に、舞の顔から血の気が引いた。
「厚志、わたしが責任をとる。かまわぬから」舞は静かな声で言った。
「え……?」
「機を降りるまで待てぬ。滝川……滝川機を殴れ。これは命令だ。そなたが殴らねば、わたしはジャイアントアサルトを乱射する。三秒後だ。一、二……」
三番機は腕を伸ばすと、滝川の二番機を思い切り小突いた。派手に転倒する音に滝川の悲鳴が重なった。
「な、何をするの!」
原の声が通信に割り込んできたが、舞は無言で、壬生屋機の無事を祈り続けた。
数秒後、レーザー光を前後左右に浴びながら、一番機が姿を現した。敵はスキュラ一、ミノタウロス五。ミノタウロスは低速ゆえ、当面の敵はスキュラだ。
「壬生屋、あと少しだ!」
舞が通信を送るが、通信系統を破壊されているらしく返事はなかった。漆黒の重装甲は、両腕をもがれたかたちで、必死のジグザグ走行を続けている。
距離二千。舞は冷静に追跡してくるスキュラをロックした。
そうだ。我が名は芝村舞。
友などいらぬ。他者に好かれようなどとはゆめゆめ思わぬ。たとえ、如何に嫌われ、疎まれようと、精密な戦闘機械として、ひとりでも多くの命を救ってやろう。
舞は静かにトリガーを引く。一二〇ミリ砲弾は正確に、スキュラのレーザー発射口に吸い込まれていった。二千メートルのかなたにオレンジ色の光がまばゆく光り、やがて消えた。
「こら滝川。モップはしっかりと絞るがよい! さもなくばあと二週間延長を具申するぞ」
尚敬校の職員用トイレに顔を出した舞は、滝川のモッブ絞りの甘さを容赦なく指摘した。凡帳面に便器を磨いていた厚志が、ぎょっとして舞を見る。
「あのさ、ここ、一応男子トイレなんだけど」
「たわけ! そなたが滝川を甘やかしていると踏んだゆえ、見回りに来ただけだ!」
舞が吠えると、厚志はがくりと肩を垂れ、黙り込んだ。先日の戦闘では、すべてのパイロットが処罰の対象となっていた。
滝川と壬生屋は命令無視によって処分され、舞と厚志は「こともあろうに」、僚機を損傷させた罪で処罰されることとなった。刑は善行の裁量により、トイレ掃除一週間。しかも勤務態度によっては延長もありうるというものだった。
むろん、カタストロフの余波は整備班にも及んだ。泣いて馬謖を斬るの格言どおり、舞の告発により、原素子も処罰の対象となった。その刑、実に「茶坊主三日間」。なんと、あの原が三日の問、整備班全員に茶を掩れるという屈辱を味わうことになったのである。当然、整備班の面々は恐怖の日々を過ごすこととなった。
ちなみに告発した舞と原の罵り合いのすさまじさは、その後、5121小隊の伝説として長く語り伝えられることとなった。
[#改ページ]
原日記 紫
[#改丁]
四月某日。曇天。憂鬱な気分を引きずる思いでカフェにたどりつき、この日記を書いている。
だいたい、芝村舞って何者よ! わたしはただ社会性が欠如してフレキシビリティに欠ける芝村の姫様にアドバイスをしてあげただけじゃないの。他のパイロットともう少し仲良くしなさいねって。
それがまさかあんな誤解を生むとは思わなかったわ。仲良くするということは、相手を甘やかすことと勘違いしたのよ、あの姫様は。そのため、パイロットはそれぞれ、戦場で独断善行。結果として小隊は大損害をこうむることになったの。
……コドモなのね。コドモだから、公私の区別ができない。ええ、プライベートだったら壬生屋さんを甘やかしてあんみつを三杯おごってあげでもいいわよ。けど、仕事は別。指導者として威厳をもって接しないと。ぐずぐず言ったら一喝して従わせるぐらいのことはしないとね。
「原、そなたのお陰で小隊は壊滅しかけたのだぞ! 何がコミュニケーションだ。そなた、小隊を壊滅させる陰謀でもたくらんでおるのか?」だって。
そもそもの問題はね、社会性のない芝村の姫様が、駄々をこねて戦場にいることなの。
「あなたの指揮官特性はミジンコ以下ね」とわたしが丁寧に説明してあげると、姫様、真っ赤になって「ミジンコを馬鹿にするな!」と怒鳴ってきた。なーにがミジンコはそなたのような意地悪おばさんより、よっぽど完璧にして完結したシステムを備えてる、よ。姫様が必死になって「ミジンコ>わたし」説を展開するものだから、さすがに穏やかなわたしもつい不快感を表明してしまったの。
「じゃあ、一万歩譲って、あなたはミジンコと同じ。それでいいのね?」と言ってあげたら、あのネアンデルタール姫は不気味な笑いを浮かべて「ふむ、そうきたか。ならばそなたの班長特性は、そうだな、路傍の石以下だ!」だって。路傍の石ってなによ、路傍の石って。あまりに馬鹿げた比喩にわたしが答えに困っていると、「つまりだな、よけいな口を出さず、ひっそりと路傍の石のように地味に生さればよい。そうすれば世界は平和になる」なんて勝ち誇った顔で言うの。これまで散々、ネアンデルタールパイロットの面倒を見てあげたわたしに向かって!
「あなたは人間としてまちがっているわ。わたしがいるから、あなたたちは安心して戦える。答えてみなさい、整備班がそっくり引き上げたら、あなた、どうするの? きっとこれまでわたしから受けた恩をしみじみ思い出すと思うわ。……二番機、どうしてくれるのよ? ねえ、味方が味方を殴るなんて、そんなことが許されていいの?」わたしは最後通牒のつもりで言った。けれど姫様は動じた風もなく、「質問はひとつにせよ。だらだらとしゃべったあげく、寄り道的に質問を連発するのは頭の悪い証拠だ」だって。
わたしが頭が悪い? この大天才メカニックに向かって! わたしの脳裏に神々に反抗して破滅へと向かう人間たちを描いたギリシア神話が浮かんだわ。「救いようのないギリシア悲劇的ノーキン女ね」とわたしがつぶやくと、「黙れ、妖怪・砂かけばばあ!」と言い返してきた。す、砂かけばばあ? どこでそんな単語を仕入れてきたやら。
あとは決闘しかないか、とわたしが決意したところで、「あの……」と善行さんが割り込んできたの。
「善行さんだけはわたしの気持ち、わかってくれるわよね!」
わたしが訴えると、姫様はその場で自爆テロでもやるんじゃないかってすごい表情でにらみつけてきたの。その迫力に、歴戦の善行さんもたじろぎ、苦笑してしまった。
「……結論から言います。原さんと芝村さん、あなたたちは大したものです。これほど延々と、不毛な罵り合いをよく続けることができるな、と感心してしまいますね。この件に関してはわたしの裁量で処断を下します」
え? 善行さんはわたしの味方じゃなかったの? わたし、裏切られた?
「芝村さんはじめ、パイロット諸君はトイレ掃除を一週間。その間に頭を冷やして、パイロットとしての義務と責任について考えてもらいます」
「と、トイレ掃除……」姫様、絶句。液化窒素をくらったみたいに完全フリーズ。冷凍人間ね。
ほほほ、とわたしが勝利の笑みをあげると、「原さんには……」と善行さんは眼鏡を押し上げた。わたしが何をしたっていうの? わたしはうるうると善行さんを見つめた。
「整備班には『茶坊主』の刑というものがあると聞きます。原さんには明日から茶坊主を三日間務のてもらいます。その間、生死をかけて戦っているパイロットのことを考えてくださいね」
その瞬間、わたしはムンクの「叫び」状態になっていたと思うわ。このわたしが茶坊主ですって? わたしはふらふらと司令室を出て、整備テントへ戻った。案の定、盗み聞きしていたのか、テントの隅にかたまって、こわごわとこちらを見ている整備の子たちに、わたしはにこやかに言ってあげたの。
「明日から茶坊主を三日間、やってあげる。みんな、よろしくにゃん♪」
「にゃん……」どこからかため息と、ヒェェという悲鳴が聞こえてきたわね。笑みを浮かべながら、わたしは心の中で涙を流していた。どうして? どうしてこんなことになるの?
……善行の馬鹿あ!
[#改ページ]
狙撃手
[#改丁]
「あ……、すみません」
来須の分厚い胸板に思い切り鼻先をぶつけた女子学兵がこちらを見上げて謝ってきた。
どこか怯えの混じったまなざしである。第5121独立駆逐戦車小隊付き戦車随伴歩兵の来須銀河はむっつりとうなずくと帽子のひさしに手をあてた。こちらこそ、という意味だが、学兵はぺこりと頭を下げると逃げるように立ち去った。
背が高く、筋肉質の来須は雑踏の中でもよく目立つ。ウォードレスを着用している時以外は、少々風変わりな趣味の私服を着ていることにも原因があるかもしれない。特に理由はなかったが、強いて言えばサイズに合う制服が見つからなかったということか。丈は合っていても、分厚い筋肉に覆われた体には窮屈だった。そんなわけで、適当に動きやすい服を調達してそのままでいる。
裏マーケットは相変わらずの混みようだった。
熊本の街が要塞都市と化し、一般の商店が次々と疎開する中、裏マーケットはしぶとく成長を続けていた。はじめは市の繁華街であるムーンロードの地下街の片隅に少数の露天商が回まっていたのが、今では足の踏み場もないほどの発展を遂げている。むろん、これには理由がある。本土からの物資が欠乏する一方で、軍からの物資が大量に横流しされていたのだ。
それこそチョコレートから高射機関砲まで、といった雑多な物資が道幅五メートル、面積にして一平方キロほどの空間に、まるで迷路のように店先がひしめいていた。
元々は地下鉄建設のためにつくられた地下街だったが、予算不足のために地下商店街に転用された。今では一般の商店になり代わり、闇商人がこの空間を支配するようになっている。
来須は超硬度カトラスの握りに巻き付ける皮を探していた。手にしっくりとなじんですべりどめとなる鮫皮が最高だったが、知り合いのナイフ屋を何軒かあたってみて、すべて空振りに終わっていた。
今時、鮫皮など出回っているはずがないのは知っていたが、目的を持ってマーケットを歩くことは来須には楽しかった。趣味といえば彼の唯一の趣味かもしれなかった。
「ふん。どこにいても目立つやつだな」
雑踏の中から声がかかった。振り向くと、サングラスをかけた怪しげな中年の男がにこりともせずこちらを見ていた。小隊の隊員たちからは「裏マーケットの親父」と呼ばれている人物である。裏マーケットの中でも最大の店舗を持ち、扱う品目も幅広い。整備用の物資から食料まで、隊員たちの誰もが世話になっている。
「……」
来須は挨拶代わりにうなずいてみせた。
「面白い商品が手に入った。どうだ?」
親父もぶっきらぼうに誘う。
「なんだ?」
「ひと昔前のボルトアクションライフル」
来須は黙って帽子のひさしに手をあてた。興味がある、という意志表示だ。
親父に続いて薄暗い店内に入ると、隊員の加藤祭が端末から顔を上げた。本来は小隊の事務官だが、ヒマを見つけては親父のところでアルバイトをしている。
「あらあ、来須さん、どないしたん?」
「……」来須はこれも挨拶代わりにうなずいてみせる。
「加藤、昨日入荷したライフルがあったろう」
親父が言うと、加藤は心得たりという風に店の奥に走っていった。
自衛軍の標準的なアサルトライフルとは似ても似つかぬシロモノだった。古い戦争映画で見るようなフォルム。ボルトアクションとは、手動でボルトを引き、銃弾を一発づつ弾倉から薬室に送り込むもので、機構としては古いものである。とはいえ、オートマチックに比べ機構が単純なだけに信頼性が高く、量産されないため、職人が自由にカスタマイズできるという利点がある。より高性能な銃弾の開発とあいまって、今でも警察の一部で狙撃銃として使用されているという。
昔ながらのフォルムとはいえ、銃床はファイバーグラス製だった。木の銃床は木材が貴重な上に、気象によって重量が変化しバランスが狂うことから、近頃では滅多に見かけなくなった。
素材自体は命中性能を高めるため、最新の素材を使っている。
「よく手入れされている」
構えてみて、来須は口許をほころばせた。大量生産の銃は触ってみるとすぐそれとわかる。
そんなものは来須にとっては鉄の塊に過ぎない。自分だったら工具を使ってとっととカスタマイズすることだろう。
「二脚式だ。着脱可能になっている」
「うむ」
分解掃除をしたのはおそらく親父だろう。親父の腕を疑うわけではなかったが、自分で分解してこの銃の構造を見極めたくなった。古いのは形だけで、中身はまったく別物だ。良くも悪くも趣味の銃だった。
「……自衛軍の試作品だ。大陸での対人、対テロ戦用に設計されたものらしい。倍率は十六倍まで。工廠の技術者が張り切ってつくったものの、計画は中止になった」
「なるほど」
来須が無表情にうなずくと、親父は人の悪い笑いを浮かべた。
「欲しいか?」
「……ああ」来須はあっさりとうなずいた。
「弾は?」
親父は苦笑して机の上に木箱を置いた。
「7・62ミリ兢技用フルメタルジャケットだ。こいつもカスタマイズしてあるんで、三十発しかないがな。これを付けて三百万というところだな」
「無理だな」
来須がにべもなく言うと、親父は笑みを張りつかせたまま言った。
「……というのは冗談だ。持って帰っていいぞ。これを使うのにふさわしい相手を捜してくれと、当の技術者が持ち込んだものだ」
思いがけぬプレゼントに、来須は目をむいた。そして、すぐに、ふっと口許をほころばせた。
「ただより恐いものはない……そうも言うな」
来須の言葉に、親父は低い声で笑った。
結局のところ、誘惑には勝てなかった。来須はケースに収められたライフルを持ち帰ることになった。あの芝村準竜師と親父は古くからの知り合いという。嫌な予感がしないでもなかったが、隊に帰って、一刻も早く銃の性能を試したかった。
「ああ、気の毒に」
帰隊してから早々、善行に呼び出されて言われた言葉がこれだった。来須はむっつりとした表情でライフルケースを肩に担いでいる。悪い予感は当たっていた。
「誘惑に負けた、というわけですね」やっぱりな、というように善行は苦笑した。
「そういうことだ」
来須は表情も変えずに言った。
「けっこう」。善行はうなずくと、唐突に話しはじめた。
「時間がないので、簡潔に。西合志戦区で将校の戦死率が急増しています。人による狙撃ですね。おそらくは共生派が絡んでいるものと」
それだけ言うと、善行は眼鏡を押し上げた。
「……なるほど」
事情を悟って、来須は低い声でうなずいた。
「ついては来須君、あなたを助っ人として貸し出して欲しい、と芝村準竜師に頼まれましてね。……ま、わたしも将校なので言わせてもらえば、将校にもピンからキリまでありますが、優秀な将校を養成するためには莫大な費用と年数を必要とします。たった一発の銃弾で彼らの経歴を終わりにされては、たまったものではないのでしょうね」
善行は芝村派であることを隠そうとはしない。
鬼子と言われ、実現不可能とされた試作実験機小隊……5121小隊を全面的にバックアップしてくれたのは芝村準竜師だけだからだ。滅多なことでは準竜師の要請を断らないだろう。
正規の命令ではなかった。しかし自分が引き受けなければ、同じスカウトの若宮康光に命令するはずだ。若宮は教官が務まるほどの熟練した戦車随伴歩兵だが、あくまでも対幻獣戦のエキスパートだ。対人戦の技量は未知数だが、基本的には重ウォードレス・重機関銃で弾幕を張るガンナーだ。狙撃手と戦うタイプではなかった。
今回のような作戦に、善行が自由に使える手ゴマは自分しかいないということだ。5121小隊は三機の人型戦車にパイロット、ふたりの戦車随伴歩兵……そして隊員の半数を占めるのは、満足に銃も撃てぬ整備兵と事務屋という変則的な隊だった。
「わかった」
来須は表情を変えずに請け合った。代わりにひとつだけ質問を発した。
「……これは準竜師の冗談か?」
「ご褒美」のライフルの件を言っている。正直、心が動いた。それはそれでよいのだが。
「おそらくは」
善行は苦笑した。来須は「最高の人材を」との善行の要請に応じて準竜師自らが八方手を尽くして獲得した人材だった。これを使用するかどうかはともかく、準竜師は来須の行動を好奇心たっぷりに見守っていることだろう。
「ああ、忘れていましたが、来須君がその種の質問をしたら、もうひとつご褒美にこれをと。特別賞ですね」
善行は苦笑してファイバーグラス製の鞘に収められた大ぶりのカトラスをデスクに置いた。柄の部分にはこしゃくなことに日本刀と同じ鮫皮が巻かれている。武器というより、むしろ芸術品の領域に達している。大したものだった。
「……うむ」
ご褒美か……。やることは徹底して悪趣味だが、カトラス自体は立派だ。くれるというならもらってやろう。来須は無造作に超硬度カトラスを受け取った。
……政府、軍が公式に認めることはなかったが、幻獣との戦いの裏側で、軍は相当な規模の幻獣共生派と暗闘を繰り返していた。彼らは主として戦線の後方で挽乱工作を行い、街に侵入しては爆破テロなどを行っていた。
これに対処するため大量の憲兵が動員されたが、装備、火力等、治安部隊だけでは追いつかない状況だった。芝村一族は共生派対策のため、対人戦闘用の特殊部隊……私兵を育成しているという。その芝村が来須に応援を依頼してくるというのはよほどのことだった。
「……どんな相手だ?」無駄は省きたい。あとは相手を知り、対策をたでるだけだ。
「その点に関してはわたしが答えよう」
少女のものにしては低く、落ち着いた声が聞こえた。来須が虚をつかれたように振り向くと、長い髪をポニーテールに束ねた少女が立っていた。
「ああ、芝村さん」
善行に呼びかけられても、芝村舞は不機嫌な顔をしたままうなずいただけだった。腕組みをし、しっかりと足を踏ん張って立つ姿は、どこか少年を思わせた。
「なぜだ?」
なぜ、パイロットの芝村舞がこの件に関わっている?
来須の短い問いに芝村は不機嫌に押し黙ったままだ。
「犠牲者のリストを分析したのですが、今回の件では芝村への私怨が感じられるのです。芝村派の将校が軒並み狙われています。わたしは敵味方を問わず、その戦法から『狙撃兵』の分析をするよう芝村さんに頼んだのです。情報収集と分析は彼女の得意ですから」
善行がフォローするように言った。
「どんな戦法を使う?」来須の脳裏にいくつかのパターンが浮かんだ。
「戦場の一点に潜んで待つ。必ず一発でしとめる。標的をしとめたら姿をくらます。一日にひとり。決して無理はしない」
「うむ」
これだけでも情報としては貴重だ。
必ず一発で、とは相当な狙撃技術と、最高水準の狙撃銃を使用している、と推測できる。
「狙う箇所は?」来須は念のために尋ねた。
舞は不機嫌な表情を崩さず、指で頭部を指した。来須は目をむいた。
たった一発で標的の頭部を撃ち抜くのか……
普通は的の大きな胴体を狙うものだ。敢えて頭部を狙うということは、狙撃手の技術の高さとそれに裏付けられた自信を物語る。
「狙撃は幻獣との戦闘直後。戦後処理のために将校が露出しやすい。実はこのタイプの狙撃手は多いのだが、生粋の共生派であったら戦果を広げようと欲張る、とわたしは考えた。また、芝村派を特定するだけの情報を持っているかどうかも疑問だ。犠牲となった将官は現在十一名だが、全員が芝村の子飼いだ。佐官級もふたり。当戦区における芝村派将校の割合は一割に満たんというのにな」
「……」
シナプス結合の相性がよいのか、舞の情報は吸収しやすかった。来須は脳裏に敵のイメージを描きはじめた。一日にひとり、か。しかも芝村以外の兵は殺さない。変わっている。そして危険だ。
考え込む来須を見て、舞の口の端がきゅっと吊り上がった。
「準竜師に遊ばれたそうだな」
「らしい」
来須が受け流すと、舞はうなずき、低い声で話を続けた。
「ならばこちらも準竜師を出し抜いてやろう。正体不明の敵を倒せというのは理不尽であるからな。極秘中の極秘情報だ。……半年前、中央でクーデター未遂事件があった。関係者は処理され、事件は間に葬られた。ところで自衛軍には体育学校というものがあってな。クーデター失敗直後、ひとりの教官が失踪した。名は千崎美代子。二十八才。階級は中尉。射撃兢技の選手だった」
「初耳ですね。その人物がどうしたと?」
善行が目を細めて尋ねた。データベースへのハッキングなどお手の物の電子の女王・芝村舞のことだ。おそらく徹底的に情報を集めたに違いない。
「警察及び憲兵隊が彼女を追っていた。クーデターに加担したのが理由か、さもなくばさらに深い理由があるのか。残念ながらそこまではわからなかった。千崎は監視網をくぐり抜け、九州に上陸した」
「待ってください。体育学校の教官が、そんな器用なまねができるとは思えませんね」
善行は眼鏡を押し上げて言った。
確かに――と来須は天井を見上げた。
警察はともかく、この国の治安部隊……憲兵は優秀だ。現に幻獣共生派のテロ活動のほとんどを未然に、極秘裏に防いでいる。
世間知らずの教官が彼らの監視網をかいくぐるのは奇跡だろう。
「……とにかく、九州総軍の憲兵隊に通達があった。この人物を見つけしだい、射殺せよ、とな。何故か千崎は共生派テロリストのカテゴリーに収まっていた」
そう結ぶと舞は不機嫌に眉をしかめた。何かウラがあるという表情だ。
「その人物が芝村の将校を狙撃している、と。あなたはそう言いたいのですか?」
善行の声に懸念の響きが混じった。データベースを調べているうちに、謎めいた情報に引っかかってしまったのだろう。引っかかってそれに固執してしまう。情報の分析家が陥りやすいワナだった。隊のオペレータを務める瀬戸口も情報収集を得意とするが、彼はこの種の「飛躍」については用心深い。
「これを」
舞は一枚の衛星写真を机の上に置いた。
西合志戦区。穏やかな田園風景に主のいなくなった民家が点在している。なんの変哲もない地方都市の郊外の風景だった。敵味方の戦線の中間地帯。大破し、農道から枯れ田の中に半ば突っ込んだ戦車の陰に鈍い光が認められる。
「これは……?」と善行。
「武器は特定できんが明らかに銃身だな。この日、やつは日没寸前にひとり殺している」
舞は普段より強い口調で言った。
千崎の経歴を調べるうちに、知らず彼女に思い入れをしていた。出身は千葉の農家。高校を卒業後、自衛軍に入隊し、射撃の才能を発掘された。後方の、一般社会とは隔離された体育学校の教官がクーデターに巻き込まれたあげく、共生派だと? ずいぶんと派手で不自然な遍歴に、純粋な好奇心を覚えていた。
本音を言えば……忌々しいことに、知的好奇心というやつに打ち勝つことができなかった。
「その、元教官で確定ですか?」
善行は危ぶむように言った。芝村舞は放っておくとどこまでも突っ走る。
「結論を言えばそうなる。あとは……」
舞は冷徹な目で来須を見つめた。来須は舞の視線を受け止めながら、なおも考え込んでいる。
この、暴走気味の分析を来須なりに再構築していた。
「……とにかく、行ってみよう」
しばらくして来須はぼそりと言った。
「わたしも同行しよう」舞の言葉に、善行ははじめて眉をひそめた。
「三番機はどうなります? 芝村さん、あなたはパイロットなのですよ」
「む……!」とたんに舞はオモチャを取り上げられた子供のように不機嫌な顔になった。
「しかし、わたしが行かねば誰が行く?」
「ご心配なく。我が隊はそれほど人材に困ってはいませんよ」
口をとがらせ言い募る舞に、善行はしょうがないなという目で苦笑した。
「後悔するな!」足音も荒々しく舞が出て行った後、善行はため息をついた。
「まったく……子供なんだから」
「芝村でもかまわんが」
来須の言葉が追い打ちをかけたらしく、善行はさらにげんなりした顔になった。
「……今は、やっと隊の運営が軌道に乗ってきたところです。芝村さんには常に待機してもらわないと。それに彼女向きの仕事ではありません。他に使える者はいませんね。若宮君は整備班の護衛に不可欠ですし、瀬戸口君には現在、戦闘データの処理・分析システムを構築してもらっています」
さて、と善行が考え込んだところに静かにドアが開けられ、濡れ葉色の髪をした少女がひっそりとたたずんだ。
「どうしました、石津さん?」
善行の声のトーンが一段と柔らかくなった。石津萌は隊の衛生官兼指揮車銃手を務めているが、前の隊でひどいイジメに遭ったとかで、言葉を失い、満足に話すことができない。ただし、掃除・洗濯など、衛生官としては非常に役に立っている。
「こ……れ、加藤……さん……に」
石津は少しの間考えて、来須の横を遠慮がちにすり抜けてデスクの前に立った。来須はさりげなく身を横にすべらせている。
「薬品の陳情ですね……あなたの申請書類はいつもながら凡帳面でけっこう。……おや、これはなんです? 板チョコ一ダース? 星印製菓限定?」
善行は、書類にさっと目を走らせて言った。
石津はおずおずと善行を上目遣いに見た。
「滝……川君と……東原さん……が、栄養剤代わりに……なるって」
「ははは。栄養剤とは考えましたね」
善行はやさしく笑うと、項目のところに判を押し、赤ペンで「善行許可」とわざわざ書き入れた。書類は事務官の加藤に渡され、板チョコは優先的に補充されることになる。
「あ……りがと」
石津はぺこりと頭を下げると、来須の横をすり抜けようとして立ち止まった。
「……?」
来須を上目遣いに見上げるかたちになるが、石津の目には不思議な光があった。怪訝な表情をする来須に石津はぽつりとつぶやいた。
「あなた……、死……ぬ……わ」
来須が目をしばたたくと、石津はあわてて目を伏せた。
「石津さん」
善行がやんわりとたしなめると、石津は消え入るように身を縮めた。
「なぜ、わかる?」
来須がぼそりと尋ねた。その声は穏やかで、やさしげだった。石津が顔を上げると、口許をほころばせた。怒気はまったく身にまとっていない。
石津はしばらく考え込むと、肩に下げたポシュツトから携帯用のホロスコープを取り出した。
占いは石津の唯一の趣味だった。デスクの上にホロスコープを置かれて、善行は苦笑してかぶりを振った。
来須も同じらしく、口許をほころばせたままだ。
十分ほど石津は熱心に占っていたと思うと、訴えるような目で来須を見上げた。
「わかるの。わたし……が……きっと、変化要因……になる」
「そうか」訳がわからぬままに、来須は応えていた。
「連れて……行って。死に……死な……せたくないの」
あまりに突拍子もない石津の提案に、来須と善行は思わず視線を合わせた。指揮車銃手とは名ばかりの、銃すら満足に撃てない石津だった。
「石津さん、あなたは自分の言っていることの意味がわかっているんですか?」
善行がようやく口を開いた。
石津はこっくりとうなずいた。善行が息を吸い込んで、次の言葉を発しようとするその時、巨大な猫が床の上に長々と伸びているのが目に留まった。
「ブータ。いつのまに?」
こんなときに……。善行は顔をしかめて隊のマスコットであるブータを見た。視線を察したらしく隊章にも描かれている巨大な猫は顔を上げ、「にゃ」と短く鳴いた。
数分の間、沈黙があった。
笑い飛ばすか一喝すれば済む問題だった。
自分には、まず部下の理性に訴えようとする癖がある。そんな自分の性格に善行は愛想を尽かし、首を傾げ、考えこんだ。来須はむっつりと彫像のように立ち尽くしていた。
「石津」
来須の声。石津は来須と視線を合わせた。
「……ブータが……がんばれ……って」
来須は帽子のひさしに手をあてた。
「……俺が教える」来須は口許を引き結ぶと、厳しい表情で言った。
「それは……」
無茶だ。善行が制止しようとするまもなく、来須は石津の肩に手を添えると、うながすように立ち去った。後に残された善行は、深々とため息をつきつぶやいた。
「来須君に任せるか……」
そんな善行の様子を、ブータは興味深げに見つめていた。
「距……離……三百」
石津が教えられた通りに距離を目算した。
距離カードに三百メートル圏内の地形を丹念に描き込んでゆく。来須はそれをのぞきこんで、無表情にうなずいた。
ふたりはその足で衛星写真に撮られた現場へと向かっていた。
衛星写真そのままに、農道から枯れ田に半ば落ちかけたかたちでかく座している戦車を、将校が殺された地点から計測する。最新式のウォードレス・武尊を着込んで、戦争映画からそのまま抜け出てきたような来須と、ほっそりとした女性用のウォードレスを着て、およそ戦場には似合わない石津の組み合わせに、現場の兵たちはあっけにとられ、見守るしかなかった。
「将校の遺体は?」
来須は、遠巻きに見守る兵らの中で少尉の階級章をつけた将校に尋ねた。十翼長にしては横柄な口のききかただったが、少尉はそんなことより、来須の風貌に圧倒されていた。
「すぐに回収された」
「時刻は?」
「一七三〇に差し掛かろうとする時だった。銃声が響いて、中隊長殿が倒れた。連絡をすると、業者がほどなく遺体を回収していった」
「弾は?」
「え……?」
来須の質問に少尉はなんのことだという顔になった。
前線の戦車随伴歩兵の部隊だった。憲兵や治安部隊とは違って、対人戦闘には慣れていない。
隊長が、運悪くイカレた共生派に撃たれたとしか思っていなかった。弾痕を調べるなどという発想は持っていないだろう。
「付近を捜索したが、すぐに陽が落ちてそれきりだ」
どうやら死んだ中隊長とやらは多くの芝村一族の例に洩れず、好かれていなかったらしい。
狙撃者が隠れていた戦車の残骸と中隊長が殺された位置の線上五メートル先に、民家があった。来須は石津をうながすと、壁を丹念に調べはじめた。
三百メートルという距離からの狙撃。となれば犠牲者の体内を弾丸が貫通すると考えるのが当然だろう。
「……これ」
石津は背伸びをすると、弾痕を指さした。
来須はすばやく射撃位置を振り返ると、うなずき、ナイフを取り出して弾痕から銃弾を取り出した。
なんてやつだ……。
来須は銃弾をしげしげと見つめた。
狙撃銃に使う弾ではなかった。銃弾は自衛軍の一世代前のアサルトライフルのものだった。
弾丸は変形していて、元のかたちはとどめていなかったが、5・56ミリのフルメタルジャケットをカスタマイズしたものだろう。狙撃に特化した銃ではなく、アサルトライフルで狙撃する場合、三百メートルという距離は絶望的なまでに命中率を下げる。それをわずか一発で、標的の頭部を撃ち抜くとは――。
来須は黙然とたたずんで、目に見えぬ相手について考えた。
相手はまざれもなく最高の狙撃手だった。しかしなぜアサルトライフルなのか? これだけが疑問として残った。それこそ最高の狙撃銃を使用する資格がある人物なのに。来須はなおも銃弾に目を凝らしたまま考え続けた。
俺とは違うな。来須は樹脂を塗ってわざわざ木製に見せかけたファイバーグラス銃床の「ボルトアクションライフル」を構えてみた。スコープをのぞき込んで、十字線の中に大破した戦車をとらえた。敵が少しでも露出すれば、弾丸はほとんど初速を保ったまま、その体をウォードレスごと撃ち抜くことだろう。かっちりとした手応えがあった。
視線を感じた。石津が黙ってこちらを見上げている。小柄な体に暗視装置やら、ナビ用のコンピュータやらを背負っている。手許には凡帳面に描き上げたマップがあった。
「相手の性格について考えていた」
「……ブータが、言っていた……わ。歯車……が……狂っているって」
「ブータか」
来須は、固着しがちな思考をふいとはずされて、口許をゆるめた。
石津はどうやら猫と会話ができると信じているらしい。感じたことが、彼女の脳内でブータとの会話として変換されるのだろうが、そんなことは来須にはどうでもよかった。
「相手は……普通……の人……だって。歯車が……ひとつだけ……おかしいの」
「なるほど」
来須が戦車の残骸に目を向けると、巨大な猫が一瞬、視界に映って消えた。
普通の人、か。これは来須のイメージとは違っていた。しかし、使用している銃といい、弾といい、妙なこだわりが感じられない。隠れ場所も対人戦のプロから見ればありきたりで無造作だ。しかし、そんなプロがいない戦場では手慣れた家事でも片づけるように合理的だった。
考えてみる余地はあるな、と思った。
まったく、なんだってこんなことに。
なんだってわたしは、こんな連中と一緒にいるんだろう? 千崎美代子は不機嫌なしかめ面で干し肉の切れ端を思い切り噛みちぎった。
髪はバレーボール選手のように短く刈り揃え、化粧っ気もなかったが、均整のとれた体つき、普段はやさしげな顔立ちから、薄汚れたウォードレス姿で、同じく薄汚れた幻獣共生派と称する兵の中に混じっていると目立つ。
わたしはここしかいるところがないのか? そう考えるとうすら寒い気分になった。
この半年、各地を点々としてきた。あまりの環境の激変に、何度か死ぬことを考えたが、過去の事件を思い起こして、自分を保ってきた。
暴発事故――。
とんでもない。自分は闇の中から、しかも背後から脚を撃たれたのだ。
使用された弾丸が、国内では使用されていない種類のものであったため、はじめ共生派のしわざとされ、次いで入院している自分のところへ軍の監察官と称する連中が現れて、公式には「暴発事故」として発表すると言われた。
国策として共生派テロリストが自衛軍の基地内に侵入して兵士を攻撃したことなど認めるわけには行かないのだ、と。取引として、二階級の特進と、体育学校教官のポストが用意され、給料が上がった。
何がなんだかわからなかった。
幻獣共生派が何故、一介の射撃選手に過ぎない自分を狙うのかわからず、軍の上層部がなんであんな大騒ぎをしたのかもわからなかった。
教官の仕事はつまらなかったが、そこそこ励んだつもりだ。リハビリも順調で、一年もすれば普通に動けるようになるはずだった。泥沼の戦争は遠く九州の地で行われていたが、まともな情報が伝わることもなく、彼女は平穏な日々を過ごしていた。
同僚の男性教官に「告白」されてどぎまぎしたり、勉強会と称して生徒たちとコンパを開いたり、と同じ自衛軍でも体育学校はのどかなものだった。
ある時、学校に数人の私服の男が訪ねてきた。
彼らの口から告げられた「真実」は意外なものだった。
君を撃ったのは代表の座を君に奪われた「補欠」の芝村だよ。一般人の君にも負ける芝村の出来損ないというわけだ。思い詰めたあげくの犯行だったようだ。あの一族は身内をかばうため、無邪気な君をまんまとだましたわけだ。少しは頭を使って、考えたまえ、と。
その日から彼女の人生は変わった。
確かに「補欠」は彼女のライバルだった。
芝村の例に洩れず孤立していることが多く、話すことはなかった。黙々と競技用の銃を分解しては掃除している――そんな感じの男だった。銃の収集を趣味としているらしく、その男の部屋は壁一面に銃が飾られている、との噂だった。
千崎自身は自衛軍から支給された競技用の銃しか持たず、そもそも銃には興味がなかった。
分解掃除、カスタマイズ等、一連の作業は「仕事」に過ぎなかった。それでも「補欠」よりは彼女の方が選手として優秀であったのだ。
「補欠」の芝村がなぜ急遽九州へ送り込まれたかも合点がいったし、退院後、事情通の友人から、軍の「監察総監」が「補欠」の父親であることも知った。
あまりに理不尽で不自然な出来事の連続。彼女に確信が芽生えた。
自分は芝村によって翻弄された。何が「幻獣共生派」だ! だましやがって。人を撃ったことはなかったが、芝村……ならば射撃競技の的のように撃つことができるか、と考えるようになった。
彼女に接近してきた軍人たちから与えられた彼女の任務は、その監察総監の狙撃だった。狙撃した後、すみやかに北部方面軍の基地へ向かえ、と。北部方面軍は反芝村派が多いことで知られていた。
「今日は出動しなかったの?」
声がかかった。この女がまたしてもわたしの人生を変えた、と千崎は相手を見上げた。
女性らしい柔らかな外見をしているが、目つきは鋭く、口許にいつも人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。総監を暗殺して、上野駅のホームでぼんやりと列車を待っていた彼女の隣に並ぶと声をかけてきた。
「反芝村閥のクーデターごっこは見事に失敗。監察総監は心臓発作で急死したみたいだよォ」と。
すでに普段の状態に戻っている千崎は言葉を失った。無防備な彼女に、女は笑いながら近づき、あんた、憲兵に囲まれているよ、と耳打ちした。
それからのことは覚えていない。木下と名乗った女は、千崎を従えると、憲兵隊の包囲網を当然のように突破し、まんまと逃げおおせた。
結果として彼女とともに幻獣共生派と行動をともにし、今は惰性……日課のごとく、木下に示されたリストの中から「芝村」を狙撃している。
劣悪な環境での無為よりは、「芝村」への報復の方がましだった。はじめは木下に戦場での狙撃のイロハを教わり、後には単独で行動するようになった。行き場のない彼女の唯一の仕事になっていた。
「今日は『芝村』が出てこなかったのよ」
この木下だけが唯一の話相手か。やれやれ。
千崎は心の中でため息をついた。
木下とは半年間一緒に行動したけど、友達には絶対なれないタイプだなと思っていた。相手は何故か自分をよくからかってくるが。
「そういえば今日、変わったやつを見かけたよ」
さえない表情の千崎に、木下は世間話でもするように言った。
「変わったやつ?」
あんたが言うことか、と内心で突っ込みながら千崎は尋ねた。
「二日前にあんたがやった仕事。狙撃の状況を調査していたみたい。プロだね。芝村もそろそろ動き出したってところかな」
確かにこれまではやりたい放題だった。
誰も、どの部隊も、幻獣との戦闘に手一杯で、千崎の狙撃に対してまともに対策を講じることができなかった。
千崎は夜のうちに適当な狙撃地点を探し出し、幻獣からも人間からも隠れ、そこから狙撃すればよかった。百メートルの距離でも命中が怪しい並の狙撃手が聞けば目をむくことだろうが、使い慣れたアサルトライフルを使った、確実で無理のない距離三百メートルからの射撃が千崎美代子の好みだった。
はるか大昔、第二次世界大戦と呼ばれる戦争を人間同士が戦っていた時代には、何日も同じ場所に潜んだり、オトリを使ったりと虚々実々の駆け引きが行われていたらしいが、幻獣の出現以来、そんな話は伝説となった。千崎もそう思っていた。彼女自身が伝説の渦中いいるにも拘わらず。
ともあれ、自分を過大評価しない。これが千崎の最大の長所だった。
「プロ?」
「最新式のウォードレスを着て、見たこともないカスタムメイドの狙撃銃を持っていたね。対人戦のプロみたい。あんたに注意しておこうと思って」
「……ありがと。気をつけるわ」
千崎はため息混じりに礼を言った。そんなこわいお兄さんとは出会いたくないものだ。
「どういたしまして」
木下は口許をゆがめて応えた。こういう会話が毎日のように繰り返されている。
「……あのさ、ひとつ聞きたいことがあるの。これまでの作戦だって、わたしじゃなくてもよかったでしょ。木下にだってできる」
「あらあ、はじめて名前を呼んでくれたね!」
木下がからからと笑うと、千崎は、しまったという表情になった。しょうがない。この半年、まともに話をするのは彼女だけなんだから。
「ま、わたしも忙しいのよ。それで『芝村』リストの消化を手伝ってもらっているわけ」
「……ねえ、どうしてわたしを助けたの? 正直言わせてもらえばね、ここの人たち、気持ち悪くて。言葉も通じないし」
正直すぎる千崎の訴えに、木下は笑みを浮かべたまま応えた。
「大陸から流れてきた連中だからね。元自衛軍の連中も大勢いるよ。ここの仕事が終わったら、そちらへ移す。……それからあんたを助けたのはね、偶然からなの」
「えっ……?」
「クーデター騒ぎに乗じて、芝村の幹部を何人か殺した。最後に監察統監を狙っていたら、先を越されたってわけ」
「だから……?」助ける理由にはならない。
「なんとなくね。まあ、ストレス解消に、間の抜けたお友達が欲しかったってことかな」
間の抜けたお友達、と言われて千崎の頬が膨らんだ。年下の癖に生意気。木下は、あっはっはと声を出して笑った。
「冗談。世間知らずだけど、射撃の腕は一流。そんなやつを利用しない手はない。ほら……」
木下は弾薬やらプラスチック爆弾やらが詰まっている重たげな背嚢から、水と石鹸、そしてビニール製の小さなポシェットを取り出した。ポシェットの中身を見て、千崎の目の色が変わった。
「ど、どういうつもり?」
「明日はゆっくり休んで。たまには身きれいにして化粧でもすれば? これ、市内に潜入する時、使うものなの。内勤の将校クラスなら化粧はするだろう。かえって怪しまれないさ。案内させるから明日は市内でコーヒーの一杯でも飲んできなよ」
街か。木下の言葉を素直に受け取って、千崎はこくこくとうなずいた。
市内に潜入するのははじめてだったが、自衛軍の制服を着ていれば検問らしい検間もなく、意外にすんなり通ることができた。むろん、少尉の階級章に加え、経理事務を担当する主計局勤務を現す隊章がものをいっている。
前線の兵には無縁な存在だった。
木下のアドバイスに従って、身きれいに。銃は拳銃だけ。
千崎は、おっかなびっくりムーンロードを歩いていた。
路上は噂に聞いていた「学兵」であふれていた。まだ十代の子供たち。仲間うちで輪をつくって話し込んでいる連中もいれば、同僚とじゃれ合ったあげく千崎にぶつかってあわてて謝る兵もいた。カップルが多いな、と千崎はため息をつく。戦争をしているというのにこの明るさはなんなんだ? クレープ屋台には行列ができていて、不機嫌そうな顔をした学兵の少女が、あり得ない大きさのクレープをこれまた不機嫌そうに食べていた。まわりの学兵たちは、通常の倍以上はあるクレープを平らげる少女を賞賛と羨望のまなざしで眺めている。
食べてみようかな、と一瞬思ったが、その時、少女と目があった。口いっぱいのクレープをごくりと呑み込むと、少女は値踏みするようにこちらを見つめた。千崎は目をそらし、早々にその場を後にした。確かに――。学兵の群れに自衛軍の制服は着た三十近い女は目立つだろう。
場違いな気がして、気弱になった。
それにしても人類側の戦線の後方はこんなだったのか、と千崎は羨ましく思った。
戦場に出るのは好きじゃない。
右足を軽く引きずり、うつむき加減に歩きながら、千崎は考えた。
地元の高校を卒業して、なんとなく自衛軍に入隊し、銃と出会った。銃と相性がいい、と訓練教官に推薦され体育学校に入った。それからは標的射撃の選手として練習一筋だった。人生は単純で、わかりやすかった。
監察総監の額を撃ち抜いた時から、自分はさらに変わった。
狙撃用の銃を手にしてスコープをのぞきこんだ瞬間、自分はまったく別人になる。リセットボタンが押され、人格が総入れ替えされたように。
地べたの上に何時間も潜伏して、時には虫の襲来にも悩まされ、生理的欲求にも悩まされながら、スコープの中の世界に没頭する。配置につくのは決まって夜。仕事は幻獣との戦闘が終わった直後。夕刻前の数時間。仕事が終わった後、必ず夢を見ていたような気分になる。もう後へは戻れないことはわかっている。
わたしってなんなんだろう?
紅茶の香ばしい匂いが鼻をついた。考えながら歩くうち、中心街のはずれに出てしまったらしい。カフェ? 目の前に真っ白に塗られた教卓のテーブルが並んでいた。
ここならば場違いじゃないだろう。千崎の心に小さな冒険心が芽生えた。
「すみません」
卓のひとつに座って、店内に呼びかける。エプロン姿のさえない中年男が店から出てきた。
「あのォ……ここ、営業しているんでしょうか?」
「まあ、なんとか。そこに書いてあるもんしかなかとですが」
千崎は「メニュー」を手にとると、閑散とした品書きの中から冷やしこぶ茶を注文した。
「それ、粉末を水で溶いただけよ。悪いことは言わないわ。ロイヤルダージリンティーにしなさい」
テラスの奥から声が飛んできた。ぎょっとして奥を見ると、ショートカットの学兵がこちらを見つめていた。千崎が思わず顔を赤らめてしまうほどの美人だ。年齢は自分より五、六才下というところか? 特殊な兵科なのか、一般の学兵とは違った派手な制服を着ている。
「そんなものメニューにないけど」
「馴染み客に出す隠しメニューね。わたしはね、昔から冷やしこぶ茶を飲む人だけは許せないの」
ショートカットはにこやかに微笑んだ。
許せないのか?
変な人だなと思いながら、千崎はおとなしくロイヤルダージリンティーを注文した。ショートカットは満足したらしく、テーブルに視線を落とすと何やら書き物をはじめた。
時折、ふふ、ふふ、と笑い声が洩れてくる。
美人だけど相当な変わり者だ。含み笑いを洩らしながら、すごい勢いでペンを走らせている。
千崎は紅茶を飲み干すと、早々に席を立とうとした。
「主計将校さん、総軍の予算配分はどうなっているの?」
腰を浮かした時、ショートカットが唐突に声をかけてきた。
「……え、まあ、そこそこは」
「人型戦車の改良案、たくさんあるんだけど、どれも予算不足で却下なのよね。ねえ、主計課って5121に恨みを持ってない?」
5121? 人型戦車? 千崎は困ったように微笑んだ。
「仕事の話はやめにしない?」ようやく大人らしいセリフが出た。
「あ、ごめんなさい。彼氏と待ち合わせ? あらあ、事務屋さんにしては陽に焼けているわね。紫外線はお肌の大敵よ」
にこやかに拍摘されて千崎の心臓が高鳴った。
「わたし、原っていうの。ここはわたしのお気に入りの場所」
原はにこやかに自己紹介した。
「わたしは……」
千崎は口ごもった。
「崎……山崎です」と小さな声で言った。
原と名乗った女性は、生真面目そうな、体育会出身ですと全身で主張しているような千崎をじっと見つめた。陽に焼け、外気にさらされた顔にごくおざなりの化粧を施している。
「ムーンロードを歩いてきたのね。学兵ばっかりだったでしょ。嫌な時代よね。子供たちが大人の代わりに徴兵されて、捨てゴマにされている。装備もひどいもんだし。食料もないし。ねえ、総軍の方で少年兵の胃袋救済の予算枠、つくれないの?」
原の言葉に、千崎はとまどった。こんなことを言っていいのか? 何かのワナかと思いながら慎重に言葉を選んだ。
「たぶん……無理」
千崎はやましさを覚えながら適当なことを言った。体育学校ではそんな心配をしたことはなかった。食券もふんだんに支給されていたし。今は「お客さん」だし。
「あなた、なんだか主計将校らしくないわね」原は見透かすように千崎の顔をのぞきこんだ。
「ど、どうして?」
「わたし、技術屋だから。手を見ればわかるの。事務屋さんにしては荒れているわね。虫さされの痕もたくさんあるしね。それに、その日焼け、普通じゃないし。あなた、何者?」
「……」
はじめて千崎の表情が引き締まった。ここで騒がれたら終わりだ。そっとホルスターの拳銃に触れた。なんて頼りないハンドガンの感触。
その時、原は、千崎の動揺を見透かしたように、ほほほと声をあげて笑った。
「なーんてね。そんなことはどうでもいいわ。早く街から出た方がいいわよ。山崎さんだっけ? あなた、雰囲気がね、浮きすぎているの。まともな憲兵だったらすぐに目をつけるわね」
「……ありがとう」
原は「どういたしまして」とさらりと言った。
「あなた、ちょっとわたしに似ている、と思ったの。ね、一分でも一秒でも長く、しぶとく生き続けようね……なんちやって」
「……」
千崎は無言でうなずくとそそくさと立ち去った。
「お客さん、お代を」背中に店主の声が聞こえたが、構わず路地から路地へ、地図を頼りに前線をめざした。
とある路地で次のルートを考えている時、ぶんとよい匂いが鼻をついた。ソースと油の懐かしい匂いだ。すでに夕刻に差し掛かっていた。
そう言えば食事をしていなかった。おそるおそる匂いの元をたどって行くと、県道に差し掛かる角地に一軒のたこ焼き屋台が店を出していた。
店の横でひとりの少年兵が、口をはふはふさせながらたこ焼きにかぶりついている。
どうしようか?
まさか相手は子供だ。気づかれることはないだろう。粉モンは、……高校の部活の帰りに仲間とよく食べた。懐かしいな、と思いながら千崎は屋台に近づいた。
「ひ、ひとつ……」
へい、と威勢のいい声がして、兄ちゃんがととんと神業のような速さで熱々のたこ焼きをポリ容器の上に乗せた。青ノリに生姜。てんこもりのかつおぶし。兄ちゃんは「マヨネーズ、かけますか?」と尋ねてきた。
「あ、お願い……」
言いかけた時、それまでたこ焼きを頬張っていた少年が、「それ、だめっす」と話しかけてきた。古めかしいゴーグルを頭にかけた少年だった。千崎が見ると、少年は照れたように下を向いた。
「だ、だから……、青ノリやかつおぶしの匂いが台無しになるし。マヨは強すぎるんすよ」
「けど、本場のたこ焼きってマヨネーズかけなかったっけ?」
少年のウンチクに何故か乗ってしまった。
「大阪が本場って言われるけど、たこ焼きは全国区っすよ。俺から言わせれば、マヨをかけるたこ焼き喰いはワビサビをわかってないっすね」
「……ワビサビ」
あっはっは。千崎は不覚にも笑い出してしまった。たこ焼き屋台で少年にワビサビの講義をされるとは。こんなに笑うのは久しぶりだった。
「そ……それにマヨかけると、太りますよ。お姉さん」
笑われて、少年はこちらが恥ずかしくなるほど照れながらも断固として主張した。
「わかったわ。マヨはなし」
千崎はあきれた顔でふたりのやりとりを見守っていた兄ちゃんに、うなずいてみせた。
これから散々集中し、緊張して、根拠地へ戻らなければならないというのに、なんだか緊張の糸が切れてしまった。
「その制服」
たこ焼きを頬張りながら、千崎は先ほどの変わり者の美人を思いだした。同じ制服。派手だ。
変わり者を隔離するための部隊なのか?
「へっへっへ、お姉さんも知ってるんすか? 近頃、売り出し中の5121小隊っす。俺、そこで人型戦車動かしているんすよ。あ、俺、単座型軽装甲の滝川っす」
少年は誇らしげに胸を張った。パイロットと言わずに、わざわざ単座型軽装甲と言うところに少年らしい気負いがあった。
「へえ、えらいのね」
滝川のペースに巻き込まれて、自然とそんな言葉が口をついて出た。
「そ、それほどでも。……お姉さんはどこの部隊っすか?」
「九州捻軍の司令部で事務官やっているの。ねえ、やっぱりマヨかけたほうがよくない?」
高校の頃は、部活の帰りにマヨネーズを鬼のようにかけて食べていた記憶がある。
たまたま入ったバレーボール部がスポ根路線で、練習が終わる頃にはへとへとになっていた。
夕食前の買い食いなんて当たり前だった。
わたし、なんだか変な方向へ流されてばっかりいる。高校の頃に戻れたらな、と千崎の心にこみ上げるものがあった。
「オトナはワビサビつすよ。あ、あれ……どうしたんすか?」
「うん、ちょっと目にゴミが入っちやって。……ねえ、君。滝川君だっけ?」
千崎はごしごしと目をこすり、鼻をすすりあげた。まったく迷惑な子だ。
「……君みたいな子は死んじゃだめよ。絶対にだめだからね!」
そう言い置くと、あっけにとられる滝川を残して走り去った。
あとふたり。
比較的小さな戦域だが、西合志戦区にはふたりしか芝村系の前線将校は残っていなかった。
そのうちのひとり、戦車随伴歩兵小隊の陣地に来須は赴いていた。
芝村の名前がモノをいうのか、兵の装備は平均的な自衛軍と比べでも立派なものだった。支援用のモコスが一台、何故か戦車壕に鎮座していた。
「準竜師から話は聞いているが、要はこちらが姿を見せなければ済むことだな」
中尉の階級章をつけた芝村が、薄暗いトーチカに設けられた指揮所に座ってそう切り出した。
塹壕陣地の結節点にいくつものトーチカが巧妙に配置され、この隊は連戦連勝を誇っていた。
人類側の歩兵すべてがこのような恵まれた環境にあれば、戦線は安泰だろう。
「その通り」
来須はしかたなく応じた。
十一人も殺されていれば、狙撃兵の情報は芝村間のネットワークで伝わっているだろう。が、現にやられている。誰もが同じようなことを考えたに違いない。
しかし、姿を見せずにいることなど不可能に近い。ある者は中央への配置換えが決まって、迎えの装甲車に乗り込もうとするところをやられた。ある者は不用意にも仮設トイレに行こうとしたところを狙撃された。ある者は部下に積極的に狙撃兵を探索させたあげく、発見できず、業を煮やして陣頭指揮を執ろうとしたところを撃たれた。
芝村にも個性はある。それぞれの「芝村」の性癖のようなものを明らかに敵は意識し、情報を握っている。来須の目の前に座っている中尉は、若く、有能で、怖いもの知らずの雰囲気を身にまとっていた。豊富な装備を与えられ、戦えば必ず敵を撃退し、部下たちの死傷率は限りなくゼロに近い。戦場で箔をつけ、まもなく中央へ引っ張られるだろう。
「そんなことより、あれはなんだ?」
中尉は不機嫌に視線を転じた。
石津が塹壕の縁に横座りになって、せっせと地形カードを作成している。謎の美少女出現に、兵は気もそぞろに、ちらちらと視線を送っている。
「偵察員だ」
「……気になっていたんだがな。その言葉遣いはなんだ? おまえは一介の十翼長だろう?」
「ああ」
来須は最後の質問だけに応えた。
トーチカの銃眼から西日が射し込んでいる。幻獣の襲撃から一時間ほどが経っていた。
そろそろだな。来須は帽子のひさしに手をあてると、石津のもとに歩み寄った。
「どうだ?」
夢中になっていたらしく、しばらくしてから石津は顔を上げた。
「三百……から四百メート……ルの林……は焼き払われて……いるわ」
そう言うと石津は陣地前面のマップを示した。点在する薮、雑木林はすべて焼き払われ、民家はきれいに除去されている。中尉の指示によるものだろう。来須の目の前には、荒涼とした枯れ田と、その間を縫うように走る農道が見えた。
そして、何故か農道には破壊された車両がいくつか置き捨てられている。
来須は黙ってかぶりを振った。これも中尉が用意したワナだろう。来須の目にはいかにもわざとらしく映った。用意したワナになんらかの反応があった場合、陣地から一斉に砲火が浴びせられるはずだ。
おまえならどうする? 来須は目に見えぬ敵に語りかけていた。
ふうん、なるほどぬ。
千崎は目を細め、荒涼とした陣地前面の風景を見渡した。そろそろこのゲームも潮時かなと感じた。陣地前面からは接近しつらく、遮蔽物という遮蔽物は取り除かれている。
ならば、と彼女は塹壕陣地の後方、尾根が鋭く張り出した地点の薮の中に潜んでいた。陣地との高低差三十メートル、距離はおよそ二百八十。理想的だ。今日の「芝村」は若いか甘いか、危機を察知する感覚が三百六十度ではないようだ。
戦線を突破され、後方から敵にまわりこまれ攻撃された経験がないのだろう。こういった用心深さは、不利な戦域で戦いを余儀なくされる隊の方が持っている。ともあれ陣地後方の遮蔽物除去はおざなりなものだった。
「近々、中央に戻されるらしい。若いけど治安維持に関して論文を発表している」と木下は獲物に関して語った。要するに将来を嘱望されるエリートというわけだ。エリートだから危険な戦域には配置しない。今はそれを逆手にとっているわけだ。
「ポイント+1」
千崎はひとりごちた。これは何人か「芝村」を倒してから自分で考えた方法だ。状況の有利不利を分析し、ポイントがマイナス5になったらあきらめて、とっとと逃げる。自分のフィールドワークの実力は十分すぎるほど把握していた。
さらに――。今日の戦闘は職烈を極めただけに、敵の陣地は、大量の弾薬を消費している。
補給トラックのエンジン音が千崎の鼓膜に響いた。
「うん、これも+1」
千崎は西日を背にしてスコープをのぞきこんだ。トラックが到着し、積み卸しのため兵が群がっている。尉官クラスなら、顔を出す可能性が高い。しかし、用心しているのか、いっこうに「芝村」は姿を現さなかった。
「マイナス1」
ならばこちらから動いてみるか? 他人の手を借りることは嫌だったが、車両の残骸は実戦経験の浅い千崎にも不自然に見えた。千崎はスコープから目を離すと、高倍率の双眼鏡に持ち替え、一キロ後方の雑木林に焦点を合わせた。
きら、とアサルトライフルの銃身が光った。言葉の通じない友軍だ。木下に通訳を頼んで、いざという時のために待機してもらっている。
ポシュツトから携帯無線機を取り出すと、千崎は短く言った。
「N9,GO」
「OK」
数分後に結果はわかる。狩猟者としての本能がうずくのを千崎は感じた。
「じきに陽が暮れる。トラックに便乗して、おまえらも引き揚げたらどうだ?」
中尉はトーチカの陰から補給物資の積み卸しを監視しながら言った。
この奇妙なふたり組を本能的に嫌っていた。規格外。女はどうでもよいが、この無礼な男は同じ傾向のある準竜師の趣味に合うのだろう、と考えていた。しかし、目の前の大男はむっつりと押し黙ったままだ。
「対共生派テロに関しては、論文を書いたこともある。万全の措置は尽くしている」
「あのワナのことか?」
来須がようやく口を開いた。無表情なまなざしで、中尉を見つめた。
「そうだ。隠れる場所は残骸以外にはない。それぞれの残骸には集普マイクが仕掛けてある。狙撃者の気配を察知ししだい、火力を集中する」
「子供だましだな」
このひと言が中尉の気に障った。中尉はことさら芝村らしい冷静な表情をつくると、「このふたりを原隊まで送り届けろ」と下士官に命じた。
「は。しかし、準竜師の委任状を……」
「あんな紙っぺらはどうでもいい。このふたりは邪魔だ」
中尉は冷たく言い放った。この大男が目の前にいると、何故か感情が爆発しそうになる。
下士官が声をかけると、数人の兵が来須と石津を取り囲んだ。が、来須の視線に出会うと、誰もが手をかけられず、その場に立ち尽くした。
「何をしている?」中尉は苛立った声を上げた。
その時だった。
「中尉殿、ネズミがワナにかかりました!」
興奮した声がトーチカに飛び込んできた。通信兵が受信機をはずすと、中尉に渡した。中尉はしばらく耳を澄ましていたが、やがて大きくうなずいた。
「攻撃」
直後、陣地のあらゆる火砲が車両の残骸に向かって発射された。残骸は四散し、跡形もなく消えた。
「よし。行くぞ!」
すでに死体など欠片も残っていないだろう。しかし、装備の破片ぐらいは見つかるだろうし、目の前にいる無礼な男への対抗心からか、ずっと身を隠してきたストレスからか、中尉はホルスターの拳銃を抜くと弾んだ足取りでトーチカの外へ飛び出した。
次の瞬間、銃声が響いた。
こめかみを撃ち抜かれた中尉が、愕然とした表情で膝を付き、やがて俯せに倒れ伏した。
来須は石津と視線を交わすと、単身、トーチカの外へと飛び出した。
敵の位置の検討はついている。ボルトレバーを引き、スコープをのぞきこむ。
後方の、大きく張り出した尾根の稜線が気になっていた。が、これまではすべて前方からの狙撃だった。知らずデータに頼っていた自分を来須は一瞬、悔やんだ。
尾根の突端、広葉樹の植生が動いた。スコープの十字線の真ん中に、ギリー服《スーツ》と呼ばれる迷彩服を身にまとった人物が映った。顔中に緑・黒のペイントを施している。戦果を確認しているのか、なおスコープをのぞきこんでいた。
来須がこちらを狙っていることに気づくと、あわてて伏せようとした。ためらわず引き金を引く。銃声。
仕留め損なった?
相手は尾根の緑に溶け込んだ。追跡しようとサブマシンガンに持ち替えた時、陽は山の端に沈んだ。
時間切れだ。薄暮の中、暗視モードに照準を切り替えたが、すでに人の気配はない。来須は黙って、芝村中尉の遺体を見下ろした。
狙撃は成功した。相手の対策は、小学生並の単純なワナだった。
幻獣の出現により対人戦闘の進化は止まってしまった。
「芝村」といえどもこんな過ちを犯すものらしい。とはいえ標的が姿を見せなかった時の保険として千崎が考えた作戦も、ごく単純なものだった。残骸のひとつに生肉を結びつけた矢を巨大なボウガンで射込むというものだった。戦場をうろついている野犬でも烏でも、すぐに臭いを嗅ぎつけて生肉を食らいに集まるだろう。
物資が不足した大陸では、先祖帰りしたような巨大なボウガンを扱う者がいた。
木下との「世間話」で得た知識だった。
しかし、その後がまずかった。すぐに逃げればよかった。けれど、自分の考えた「作戦」が図に当たったという満足感から、油断してしまった。
左腕がちぎれそうな感覚。弾丸はウォードレスごときれいに千崎の左肩を貫通し、骨と肉と筋肉を効率よく削り取っていった。
木下の言っていた変なやつ、とはあの男のことか?
芝村以外は狙わないという自分のルールを根底から否定されたような気がした。
ちっくしょう。あいつは芝村の飼い犬か? 憎悪がこみ上げてきた。
焼け付くような痛みを抱えて、千崎は携帯無線を手に取った。これ以上は歩けない。野犬の遠吠えがする。位置を知らせると、どっと草むらの中に倒れ込んだ。
ここ二、三日は何も起こらなかった。
翌朝、来須は尾根に行ってみたが、敵の姿は消えていた。付近を調べたところ出血も最小限だった。銃と弾の性能が良すぎたのだ。弾は相手の体をきれいに貫通しているはずだ。頭部を狙ったはずなのに、なるほど十人以上も殺していると瞬発力が違う、と来須は思った。相手が生きている可能性は高い。
用心しているのか、と考えながら来須は戦線に張り込んでいた。
前線から二キロ後方に砲兵隊が展開し、そこにこの戦区唯一の芝村の佐官がいる。自走式のロケット砲など、最新の装備を揃えた自衛軍の虎の子の砲兵隊のひとつだった。
幻獣側の戦闘ヘリであるきたかぜゾンビの空襲対策のためか、県道沿いに点在する薮に長距離砲、自走砲が隠蔽され展開されている。
幻獣との戦闘が終わった頃合いを見計らって石津とともに司令部を訪れた時には、砲兵大隊の芝村の中佐は、ほうという顔になった。体っきも顔つきもまったく準竜師とは違うが、雰囲気はどこか似ている。
にやにやと笑いながら「例の芝村殺しか」と言った。
砲兵隊は県道を中心に展開していた。見渡したところ、枯れ田に混じって点在する薮という薮にはすべて砲兵が配置されている。司令部は、県道からほど遠からぬ集落の真ん中の公民館にあった。建物内にいる限り、中佐は安全だろう。
「危険な時間帯だ。建物内に」
「それでいいのか?」来須の言葉を芝村中佐は手を振ってさえぎった。
「それでは狩りはできんぞ。相手についての報告は聞いている。おまえの言うとおりにしたら、相手は自然体のプロだ。あっさりあきらめるかもしれんしな」
「うむ」
要するに、オトリになろうというのだ。
「なに、俺が死んだって代わりの芝村が来るだけだ。気の毒に、やつらは誤解している」
石津の視線を感じた。来須が目線を落とすと、石津は訴えるように見上げてきた。
「わたし……探す」
なんだと?
来須が目をむくと、芝村中佐は高笑いを響かせた。
狙撃兵狩りにしては、この凸凹コンビはおそろしく滑稽だ。
大男はまちがいなくプロだが、少女の方はどこにでもいる子供だ。何故、一緒に行動しているのかがそもそも不思議だ。
この来須なんとやらが、少女になんらかの感情を持っているとしか思えなかった。
「迷子にならんようにな」
石津はペコリと頭を下げると、来須が止めるまもなく駆け去った。あまりに突飛な少女の行動に来須は茫然と突っ立ったままだった。
「間抜けな面をしているな」
中佐が言葉をかけると、来須は呪縛から解かれたように少女の後を追おうとした。が、何故か足を止めた。なんらかの事情もしくは思惑が、来須の足を止めたようだ。
ふと気づくと足下に巨大な猫が長々と寝そべっていた。
「あの少女はなんの役に立つのだ?」
芝村中佐は冷やかすように尋ねた。
「……勘がいい」来須は少し考えて、そう応えた。
難しいな。難問を先送りにするのは千崎の性格だった。代わりに簡単な問題を多くこなせばよい。もちろん、最後には難問と対決するはめになるのだが。
数日別の「失敗」を思い浮かべた。幸いなことに傷口はきれいなものだった。ウォードレスによる筋力補正で、なんとか銃を撃てるようにはなっている。
が、課題はさらに難しくなっている。この問題は白紙回答にしようかな、と一時は考えた。
実際、この砲兵隊陣地の芝村に関しては部隊の配置図を見ただけで手をつけずにいた。
標的はおそらく司令部となっている公民館の建物内。
昨夜は夜明け前まで、潜伏場所を探すのに手間取った。公民館を問題なく監視できる薮がいくつかあったが、そこには砲兵が展開していた。
県道を中心にした半径一キロ圏内は、平坦な田園地帯となっており、小さな薮が点在しているだけだ。
西に、公民館がある集落。その周辺は東西南北、見渡す限りの枯れ田だった。
枯れ田は農道から一メートル以上、低くなっている。拠点としては問題外だった。集落の北西には絶好の尾根が張り出しているが、公民館との距離は一キロ近くはある。それなりの銃をもってしても狙撃は困難だった。
闇の中をさまよったあげく、千崎は集落からさらに西、百メートルほどの距離にある神社に目をつけた。高低差三メートル。高所ではなかったが、鎮守の森は鬱蒼と業を茂らせ、境内に兵はいなかった。社殿と、注連縄が張られたナラの巨木があった。樹齢にすると数百年になるだろう、神木は十メートル以上の堂々たるもので、今でも鬱蒼とした葉を茂らせている。
ここしかないと考えた。
広葉樹の葉を植え付けたギリー服を着込むと樹上に上り、弱った体を幹に国定してからひっそりと夜明けを迎えた。
ほどなく空が明るみはじめ、いつものように砲声が空にこだました。千崎は半眼になると、仮死状態に陥ったように身動させず、戦争の音が静まるのを待ち続けた。
付近に展開するロケット砲が、シュルシュルと独特な音を響かせたのを最後に、砲兵隊は静まり返った。仮死状態から覚めたように空を見上げると、日は大きく西に傾き、尾根の真上に浮かんでいた。
布を巻き付けたアサルトライフルを取り出すと、九倍式標準仕様のスコープをのぞきこんだ。
十字線の中に公民館の灰色の建物が浮かび上がった。なんの変哲もない鉄筋コンクリート三階のビルだ。窓のサッシには鉄線が張られているが、撃ち抜けないというほどではない。ただ、窓ガラスを貫通した瞬間、弾丸の方向が逸れることは考えられる。
千崎はいつものように、猛禽の目つきになっていた。過去も未来もない。意味と兆候だけが支配する世界に生きる者の目。狙った獲物を仕留める。ただそれだけ。彼女の中で普段は眠っている本能がざわめいていた。
しかしこれは……。
彼女の口許が微かに動いた。指揮官の性格か、後方に展開する砲兵隊の気楽さからか、窓ガラスはスモークをかけたように薄汚れていた。マイナス1。地形ははじめからマイナス2。
視点を下げ、玄関に合わせる。
濡れ葉色の髪に赤いカチュージャをした少女が、玄関から小走りに出てきた。衛兵があきれたように、およそ軍人らしくないペンギン走りの少女を見送っている。
(あの子は……?)
気を散らされて、千崎は内心で舌打ちした。集中を保て。ポイントマイナス1。スコープをのぞきこんでから三十分が過ぎている。負傷している上、昨夜、拠点を探すのに消耗したことから、自分にはあと二時間の集中が限度というところだろう。ポイントはすでにマイナス4。
あと1ポイントのマイナスでゲームオーバーだ。
引き続き玄関に視点を定める。十字線のまわりを様々な兵が現れては消える。
(やめるか……)
最後の芝村は用心していることだろう。暗視スコープを使うことも考えたが、慣れないものを実戦でいきなり使うことは嫌だった。
千崎のスタイルは、近距離まで接近しての確実な射撃だ。装備も、いざという時を考えて、接近戦に向かぬ狙撃銃ではなく、慣れ親しんだ標準的なアサルトライフルを好んでいる。
しかし次の瞬間――。千崎は脳裏に刻み込んだ顔を目の当たりにしていた。
十字線の真ん中、頭部に照準を合わせる。
引き金を引いた瞬間、「最後の芝村」は消えていた。銃弾は誰かのウォードレスの肩を薄く裂いたにとどまった。すぐに消える。スコープを移動させるが、すでに標的の姿はなかった。
しくじった! 千崎は真っ青になると、固定具のワイヤーをつたって木をすべり降りようとした。頭が真っ白になっていた。最悪の状況。自分は敵のまっただ中にあり、闇に紛れて逃走するにはまだ時間があり過ぎる。しかも左腕は銃を支えるのがやっとの状況だ。先刻までの狩猟者の険しい表情は、不安に怯える普通の人間のものに戻っていた。
キュインと独特な風切り音が間近で響き、千崎は地面に投げ出されていた。何が起こったかわからず、したたかに頭を打ちつけて意識が朦朧とする。
だめだ、逃げなければ! 千崎はぶるっとかぶりを振った。
境内の方向に気配がした。振り返り、アサルトライフルを向けると、鳥居のあたりに先ほどの少女がたたずんでいた。千崎の目から見ても可愛らしい少女だった。けれどフランス人形のような白い肌と整った顔立ちには表情というものがなかった。
武装はしていない。拍子抜けして銃口を下ろすと、少女はゆっくりと近づいてきた。
「それ以上、近寄らないで!」
なんて間の抜けたセリフか、と千崎は内心で自嘲の声を洩らしていた。構わず目の前に立った少女は、上目遣いに千崎を見上げた。
千崎にとって気まずい時間が流れた。不意に神社の木々が激しくざわめいた。
「もう……やめ……て」
春の初めの冷たい風が境内に吹き荒れた。身を切るような冷たい風に打たれて、千崎の顔から徐々にぎらついた焦りが消えていった。
代わって、熱病から冷めたような冷静な千崎の顔が顕れた。
「……知っているのね。あなたは?」
返事によっては殺さなければならない。この少女もウォードレスを着ている。街で見た学兵というやつだろう。
「憎しみ……に……とらわれて……は……だめ」
少女は長い時間をかけて、やっとこれだけ言った。
知っているのか?
それともたまたまここに迷い込んだだけなのか?
一分一秒が惜しかった。今の狙撃で、この場所は特定されているだろう。千崎はカトラスに手をかけた。後悔するかもしれないが、今はこれが最善と信じよう。
(果たしてそれが最善の手段かな)
頭上から声が振ってきた。千崎が油断なくあたりを見渡すと、猫の鳴き声がそれまでいた神木の樹上から聞こえた。見上げると、巨大な猫が枝に長々と横たわっていた。
(この子はそなたを憎しみの連鎖から解き放ちたいと願っている)
猫? 千崎は茫然として、カトラスから手を離し、銃口を猫に向け、すぐに下ろした。馬鹿なことを、と思った。少女を……猫を撃つのか? わたしはなんなんだ、と混乱していた。
「な、なんなのよ、あんたは?」
昔からボキャブラリーには乏しかった。しゃべらずに済めばそれがいいと思っていた。
そんなわけで、こんな間抜けた言葉しか浮かばなかった。猫がしゃべっている? 違う。何かテレパシーみたいなもので自分の頭の中に語りかけている。
巨大な猫は髭を震わせニヤリと笑った――ように見えた。
(我は猫神族の長・ブータニアス。一応は神ということになっておる。ほれ、聖域を汚された彼の地の神はご機嫌斜めだぞ)
ブータの視線を追うと、少し離れた枝の上から巫女装束を着た掌大の小さな女神がこちらをにらみつけていた。目をこすってもなお幻影は消えない。
頭を打った影響からか? わたしは錯乱している。目を閉じて深呼吸を何度もする。すでに時間の概念は忘れていた。
再び目を開ける。上目遣いにこちらを見上げる少女と猫と。わけのわからぬ御子装束の神様と。
消えない?
(神城を汚した。謝らぬと消えぬぞ)
ブータニアスと名乗る猫は冷やかすように言った。
「ご、……ごめんなさい」
しかたなくその言葉を発したとたん、千崎は体がすっと軽くなったような気がした。
女神はなおも不機嫌そうに何やらブータニアスに語りかけたかと思うと、もう一度千崎をにらみつけ、ふっと消えた。
しかししゃべる猫は消えてくれない。
(我はこの子に頼まれてな。最悪の運命を避けるのを手伝って欲しい、と)
ブータニアスの目がらんと光った。千崎の脳裏に、凄惨な光景がフラッシュバックのように展開された。
<……標的を仕留め損なった千崎は、憎悪に煮えたぎっていた。自分を撃った大男と相打ちになっても構わないと思った。
冷静な憎悪を込めた弾丸は最新式のウォードレスを着た大男の顔面をめざし、同時に相手の弾丸が一直線にこちらをめざす。焼け付くような痛みを感じて、脇腹を撃たれた千崎は体を支えされず樹上からぶら下がった。
群がる兵に引きずり降ろされ、怒りに我を忘れた兵に、千崎は引きずり降ろされ、ウォードレスを脱がされ、カトラスの刃で一寸刻みに切り刻まれた。腰瀧とした意識の中で、「最後の芝村」が千崎の手当を命じていた。しかし彼女は知っていた。鉄錆びた血のにおいの中で自分はじきに死ぬだろう――。
そして――。悲しげに自分を見つめる少女の姿があった>
最悪の運命とはこれ? 千崎は息を呑むと、あたりの気配を探った。
兵の足音が聞こえ、すぐに消えた。どうやらこちらを遠巻きに包囲しているらしい。
もはや猫や少女の相手をしているヒマはなかった。千崎は逃げ道を探った。が、小さな神社は蟻の這い出る隙間もないほど、兵の気配で満ちていた。
「あーあ、ヘマしちゃったな」
千崎は開き直ったようにぼやいてみせた。
だからこの仕事は嫌だったんだ。千崎は、ふっと自嘲の笑みを浮かべると、樹上を見上げた。
「これでめでたしってわけ?」
猫は変わらず、なぞめいた笑みを投げかけている。
重たげな足音が鳥居の方角から聞こえてきた。アサルトライフルを担いだ大男が、ゆっくりと近づいてくる。三日前に自分を撃ち、さらに幻影の中で千崎と相打ちになった男だ。千時はライフルを構え、油断なく身構えた。
石津が走り去ってしばらく、芝村中佐は「さて」と口を開いた。
「死神はどこからやってくるのだろうな」
他人事のような口調だった。芝村にしては比喩的な表現を使っている。何故か芝村と関わる機会が多い来須だが「芝村」にもそれぞれ個性がある。
「距離三百メートル圏内。無理な場所は選ばん」
来須が短く言うと、芝村中佐は高笑いを響かせた。
「むざむざワナにかかりに来るようなものではないか? 三百メートル圏内といったら、まず隠れ場所はないぞ。あったとしても俺の部下が砲を展開している」
「うむ」
これには異存はなかった。相手のスタイルからして、西に見える尾根からの遠距離射撃は考えにくい。しかも公民館の玄関は尾根方面からは見えない。何日もの長い待機時間を覚悟して、なお成功するかどうか? 三百から四百――これが最も現実的な選択だが、狙撃者にとって貴重な隠蔽場所は、こちらの兵にも同じことで、すべて埋め尽くされているだろう。念のために卓上に置かれた地図に来須は目を落とした。三百、六百、九百と公民館……司令部を中心に円を描き、点在する薮、大破し置き捨てられた専両などを手早くチェックした。
芝村中佐は自らが狙撃者のように、ひとつひとつ明確に答えた。
「相手が隠れるとしたら三百から六百の圏内からだな。しかし、ここは見渡す限りの田園地帯というやつだ。おまえだったらどうする?」
逆に問われて、来須は即座に応えた。
「尾根だな。この銃で何日でも標的を待つ」
カスタムメイドの狙撃用ライフルを示すと、芝村中佐はニヤリと笑った。目を細めて銃を鑑賞するように見つめた。
「ほう、六菱製のスコープだな。ここはドイツの光学技術者を大量に引き受けていた。信じられるか? 、わざわざ海軍に脱出用の潜水艦を出させたのだぞ。俺も昔はガンマニアでな」
世間話につき合うつもりは来須にはなかった。
「夜間の警戒レベルは?」代わりにこんな質問が口をついて出た。
「俺たちは砲兵だからな。警戒レベルは最高度にしているが、スキルは期待できん」
探照灯を灯せば、さすがに幻獣も馬鹿ではない。ゴルゴーン、スキュラなどの長距離射撃を受け、上空からきたかぜゾンビの二十ミリ機関砲弾を浴びることになる。闇の世界の中、敵の浸透を警戒するわけだが、そのスキルは低いと中佐は言っている。
来須は再び三百メートル圏内の地形図に視線を戻した。これまで……やつは、はかったように三百メートル前後の距離に回執してきた。
「わからん」
来須は知らずつぶやいていた。来須とて万能なわけではない。六百以上、二キロ圏内の狙撃拠点に関しては自信があったが、この距離からの狙撃は経験がなかった。自分なら直接この建物に潜入して、カトラスで中佐を始末するだろう。
石津には本当に相手の居場所がわかるのか? ふとそんな疑問が浮かんだ。
「ならば試してみよう」
芝村中佐はこともなげに言うと、オフィスを出た。来須が反射的に立ちふさがると、ニヤリと口許をゆがめ、笑った。
「来須とやら、相手が撃ってきたら位置を特定する自信はあるか?」
応える代わりに、来須はうなずいた。無茶で無謀だが、何故か止める気が急速に失せていた。
来須は先に立って歩き出した。薄暗い廊下の先に玄関の光が見えてきた。あの先に出ればわかる。来須は自分の横を歩く自殺願望の中佐を見下ろした。
「玄関に出たらすぐに伏せろ」
来須の言葉に中佐は皮肉な笑みを浮かべたまま、うなずいただけだった。
安っぽい鉄骨づくりのビルの玄関だった。両開きのドアは開けられ、固定されている。外には衛兵がふたり、所在なげに突っ立っていた。
芝村中佐は来須のわきをすり抜けると、無造作に外へと足を踏み出した。一歩、二歩……来須は中佐に体当たりをくらわせた。虚をつかれ、中佐の体は軽々と地面をすべっていった。銃声がこだまして来須の右肩の装甲を肉ごと切り裂いていった。痛みを感じる余裕はなかった。
最新式の武尊が被害を受けるということは、相手は至近距離にいる。
あそこだ! 百メートルほど離れた神社の樹上に一瞬、スコープが光を反射して消えた。
たいした傷ではない。来須はすばやく狙撃用ライフルを構えると、スコープをのぞきこんだ。
ウォードレスを着た例の女が、神社の樹上からワイヤーをつたって下りようとしているところだった。その表情にはあからさまに焦りの色があらわれていた。
殺すか? そう思った瞬間、足下から中佐の声が聞こえた。
「頼む。殺さないでくれ……!」
来須は応えずに装弾し、引き金を引いた。不意の弾丸にワイヤーを断ち切られた女は真っ逆様に落ちていった。
「神社だ」
来須は駆けた。相手は逃げにかかっている。
「待ってくれ」
芝村中佐の足音が背後に聞こえた。中佐のただならぬ様子に、集落に散っていた兵たちも隊長に続いて駆ける。
「なぜ俺を助けた?」中佐の声が追いすがった。
「死にたかったのか?」
来須が逆に問い返すと、しばらく沈黙があった。
「ああ」
芝村らしからぬ、せっぱ詰まった口調だった。
「石津……」
来須は軽い驚きを表情に出した。
アサルトライフルを構えた狙撃手であろう女の傍らには、石津萌がひっそりとたたずんでいた。
どういうことだ? 相手を発見し、人質にとられたのか?
素人が発見できるような相手ではない。偶然か? 石津には超能力者のように特別な能力が備わっているのか? 来須は立ち止まると、女と石津を交互に見た。石津は来須と女の間に立った。
「殺し……ては……だめ」
訴えるような石津のまなざしを来須は冷静に受け止めた。
「うむ」
すでに神社は一個小隊ぶんの兵に包囲されている。どこから脱出しまうと、必ず視界に入る。
芝村中佐が制止しなかったら、兵たちは境内になだれこんできただろう。
来須は敢えて狙撃用の銃を捨て、兵のひとりからアサルトライフルを借り受けた。これで、彼女が使ったこのライフルで決着をつけようと何故だか思った。
「この子は人質なんかじゃないわ。安全な場所へ」
女が静かに口を開いた。すでに死を覚悟している表情だ。来須はうなずくと、石津に歩み寄った。しかし石津は嫌々をする子供のように女の方へ後ずさった。
「……だめ」
十二名の将校を殺した敵を許すのか? なぜ? 来須は物問いたげに石津を見つめた。石津の目に必死の懇願を認めた。だから……なぜだ?
(この女は生きなおすことができるからじゃよ。むろん、死ぬまで罪を償わねばならぬがな。女の心を支配していた狂気と憎悪は浄化されつつある。神々によって、そして石津萌の祈りによってな)
頭の中にどこからか声が響いた。
来須が油断なくあたりを見回すと、神木がざわざわと木立をざわめかせた。
「どうやって?」
来須の口からつぶやきが洩れた。この社には神が宿っているのか? 社の神は衰弱して、神さびた気はほとんど失われているが。しかし、言葉の主を何者かと問う気は起こらなかった。
軽い音がして、石津の体が地面に横たわった。女が銃床で横腹をついていた。
「どういうつもり?」
女は引き金に指をかけた。
来須も同時に、引き金に指をかける。十メートルの距離から撃ち会って無傷でいるとは思わなかったが、全身が来るべき瞬間に備えていた。相手が動けば横っとびに転がりざま、女の額を撃ち抜く。相手は……突っ立ったままだった。なんら次の動きを考えていない。死ぬ気だな。
瞬間、来須はそう思った。
その時、境内にふらりと立つ影があった。
「千崎美代子」
芝村中佐だった。千崎と呼ばれた女は来須を見据えたまま、その声に反応していた。
「その声は……」
千崎の表情に鬼が宿ったようだった。来須は引き金を引こうとしたが、指が凍り付いたように動かなかった。石津のまなざしと、神木に隠れる何かが押しとどめているようだった。
芝村中佐を一瞥する。
別人のようだった。どの芝村にも特有の、強靭なオーラは失われていた。そこにいるのは戦争に疲れ切り、消耗したただの男だった。
「……戦場で顔に大火傷を負ってな。元の顔に戻すこともできたが、そうはしなかった。いかにも、俺はおまえの才能を妬み、脚を撃ち抜いた芝村だ」
千崎は銃口をゆっくりと中佐に向けた。中佐は、ニヤリと口許をゆがめた。
「芝村でいることに飽きた。俺はおまえが来ることを望んでいたのかもしれん。さて……」
ウォードレスすら着ていない中佐は、制服のポケットに手を突っ込み、無防備にたたずんだ。
「構わん。殺せ」
千崎の顔に動揺が走った。自分の脚を撃ち抜いた芝村は確かに卑劣な人物だ。しかし、自分がしてきた「代償行為」は卑劣どころか、狂気の所業だった。何人もの人間を標的のように殺して、今、自分が今、芝村を裁くことができるのか? 銃口が震えた。芝村中佐の態度に、心の中に最後までしぶとく張りついていた狂気が消え去っていた。……わたしは本当に行くところがなくなった。どうしよう? 混乱したあげく、千崎はライフルの銃口を自分の口にあてた。
どん、と鈍い音がして、周囲が煙に包まれた。続いて催涙弾が立て続けに撃ち込まれ、混乱した兵が銃を乱射しはじめた。
来須は急ぎ暗視用ゴーグルを装着すると、目を細め、来るべき敵を待ち受けた。軽い衝撃があって、石津が来須の脚にしがみついてきた。
「……だめ、だめ、だめっ!」
「なぜだ……」来須は茫然として、涙を流しながら必死に懇願する石津を見つめた。
「くそ、なんだって……!」芝村中佐の、何かを呪うような声が聞こえた。
煙をかき分け、ガスマスクをつけた人影が千崎の前に立った。
「行くよ」
「ど、どうして……」
千崎が言い終わらぬうちに、ガスマスク……ほっそりした女性用ウォードレスを着込んだ人物は千崎のこめかみに軽い当て身をくらわせた。その人物はがくりと身を折る千崎を、背負うと、一瞬来須を見つめた。二度、三度、ゆっくりとかぶりを振ってみせてから煙のかなたへ消え去った。
石津にしがみつかれたまま、来須は動かずにいた。あの女……そう長くは生きないだろう。
何故だかそう思った。
混乱が収拾するまで十分以上の時間が流れた。
突風が吹き、煙がかき消えると、視界は急に明瞭になった。
「最悪の気分じゃないか、ええ?」
境内にあぐらをかいて座り込んだまま、芝村中佐は催涙ガスに涙をぼろぼろ流しながらも、ふっと笑った。どうやら元の芝村に戻ったようだ。
皮肉たっぷりの目つきで来須を見上げると「まあ、そういうことだ」と言った。
なるほど、芝村にも出来損ないはいる、と来須は無表情にうなずいた。そしてなおも自分の脚にしがみついている石津に「放してくれ」と言った。
石津は腕を放すと、来須を見上げた。その顔が微かに赤らんだようだった。
「鼻水」
来須が無愛想に指摘すると、石津はポシェットからハンカチを取り出して鼻を拭いた。口許に不思議な笑みがあった。
「だいじょうぶ……よ。あの人……は……もう」
石津の、なんの根拠もない言葉に来須はうなずいていた。石津の言葉は真実をまとっている。
そんなことを考えながら、「そうかもしれんな」来須は柔らかな声でそう言った。
さすがにウォードレスを着た千崎を担ぐは重かったのか、気がついた時には、ウォードレスを脱がされていた。どことも知れぬ森の中だった。木の幹にもたれる千崎の鼻先に水筒が差し出された。
「……また助けられた」
「偶然だよ。市内でちょっとした工作をした帰りだった」木下はニヤリと笑った。
「煙幕手摺弾に催涙弾は持ち歩くことにしている。にしても……」
木下はあきれたように嘆息した。
「よく殺されなかったね。したたかに時間稼ぎをしたってところか?」
そうか、木下は事情を聞いていなかったんだ、と千崎は納得した。ただ、偶然にせよ、偶然じゃないにせよ木下は二度もわたしを助けてくれた。ストレス解消のための間抜けた友人か。
けれど……。千崎は小さな声で言った。
「せっかく助けてくれたんだけど、わたし、そろそろ限界みたい。あなたともお別れ」
申し訳なさそうに言う千崎を、木下はじっと見つめた。そして、ため息交じりにうなずいた。
「なんとなくわかっていた。憑き物が落ちたような顔になっている。もうだめだね、あんた」
「うん」
「こういう仕事はね、心の中に魔物を飼っておかないとだめなんだ」
沈黙があった。やがて千崎は、他人事のように尋ねた。
「わたしを殺すの?」
「どうして?」木下は冷やかすように問い返した。
「あなたたちの秘密とか……少しは知ってしまったから」
その瞬間、木下は声をあげて笑った。ビクリ、として千崎は水筒を取り落とした。
「秘密なんて……あんたは何もわかってないじゃないか。ただ、わたしに利用されただけ。利用されてばっかりの世間知らずのお嬢さん。それが千崎美代子」
「……そうなんだろうな」
わたしはこれからどこへ行けばいいのだろう? 千崎は生真面目な表情になって考え込んだ。
山の中で細々と自活して過ごすか? けど、そんな生活力もないしな――。
「最後の手向け。次の就職先、見つけてあげたよ」
そんな千崎をからかうように木下は切り出した。
「就職先って……」
「……あんたは自分のことがわかってないね」
「え……?」
「ま、あんたのようなやつを無自覚の天才というんだろうね。だから、嫌なやつらだけど、頭を下げて頼み込んできた」
不意に薮がかさり、と鳴った。
「嫌なやつらとはご挨拶だな。それはこちらのセリフだ」
自分と同じ年くらいの女がたたずんでいた。こんな山中にはふさわしからぬ白衣を着ている。
これでもかとひっつめにした髪が印象的だった。
女は不機嫌な顔で、千崎を見つめた。
「木下ご推薦の殺し屋とはおまえか?」
「殺し屋……」
なんかニュアンスが達うな、と思いながら千崎はぼんやりと女の顔を見た。
「今のは挨拶代わりの冗談だ。この殺人狂から、どこにも行くアテのない可哀想な三十女がいるから拾ってやってくれ、と」
「……わたし、まだ二十八なんですけど」
「ふん。まあいい。わたしと一緒に来い。……木下、これでいいんだな?」
白衣の女は木下をにらみつけた。友好的、とは言えないようだ。白衣の女の不機嫌な表情が自然であるように、木下も自然に人を小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「ああ、残念ながら。あんたに預ければ安心だ」
勝手に話が進められていることに軽い反発を覚えて、千崎は口を開いた。
「待ってください。わたしは、どこへ……?」
「よいところだ」
それだけ言うと、白衣の女はきびすを返した。
千崎が木下を見ると、木下はニヤリと笑って、「うん」とうなずいてみせた。
「さよなら。ま、うまくやってくれ」
「任務は失敗ですね。敵を包囲したあげく、まんまと逃げられるとは。あなたがいながら」
善行は眼鏡を押し上げ、しぶい表情で言った。
来須はむっつりとした表情を崩さず、彫像のように天井を見上げ立ち尽くしていた。隣には石津萌が立っている。さらに、その隣の床にはブータが長々と寝そべっている。
「わたし……が……止めたの。殺さ……ないでって」
「石津君、相手は十一人の将校を殺しているのですよ。その代償は払わせなければ」
その通りだ。その通りだが、と来須は言葉を探した。
「石津が人質にとられた」
「……なんですって?」善行は目をしばたたいた。
「足手まといだった。この女を少しでも信用したのがまちがいだった。俺は判断を誤った」
「ほう」
善行は目を見張った。来須にしては言い訳がましく、しゃべりすぎる。面白い、と思った。
事情はわからないが、ふたりの顔には「失敗」の文字は刻まれていなかった。無表情なふたりだが、どこか清々した雰囲気を感じた。さて、準竜師にはどう報告をするか?
「ええと、石津君が人質にされたのでしたね。膠着状態が続く中、小隊規模の共生派に奇襲されたと……」
善行は頭の中で適当な報告文をつくりながら、寡黙過ぎるほど寡黙なふたりから困難極まる事情聴取をはじめた。
……ぐったりと椅子にもたれる善行を残して、来須と石津は司令室を後にした。
あわただしい足音がして、芝村舞が駆けてきた。舞はふたりの前で立ち止まると、不機嫌に来須と石津を見比べた。ふたりのコンビが信じられぬ、といった表情だ。
「あらたな事実が判明した!」
舞は来須を見上げて、勝ち誇ったように言い放った。
来須が無言でいると、舞は「ふん、まあいい」と口の端をきゅっと吊り上げて笑った。
「驚くな。砲兵隊の芝村中佐だが、実は千崎と同じ体育学校に属していた。ふたりの間にはなんらかの……」
来須と石津は黙って顔を見合わせた。そして目の前の岩礁を避けるように、静かな足取りで 歩み去った。
「待て、ちょっと待て! わたしの話を聞くがよい……!」
ふたりの背に舞の怒鳴り声がいつまでも響いていた。
[#改ページ]
panzer Ladys
[#改丁]
「聞こえるか、滝川? 日頃、愛と平和のために一生懸命、働いてくれるおまえさんのために今日はグッドなニュース。おまえさん、しばらく居残りだ。西南|鹿央《かおう》町方面へ五キロ前進。友軍を支援して欲しい」
瀬戸口の柔らかな声がコクピット内に響き渡った。
激闘が終わった直後だった。滝川の視界を、全身に被弾した漆黒の一番機がトレーラーへ向かって歩み去ってゆく光景が映った。一番機パイロットの壬生屋は白兵戦の名手とはいえ、五体のミノタウロスを相手に、必死の時間稼ぎをした後だった。その間、速水・芝村の三番機は煙幕の中を疾駆して幻獣側の空中要塞・スキュラを二体葬っていた。
三番機も……と滝川はレーダードームをめぐらせた。三番機も重たげな足取りで二番機の横を通り過ぎてゆく。腕を一本、敵のレーザーにすっぽりと切り落とされていた。
「えと……俺だけっすか?」
ぼんやりと僚機を眺めていた自分に気づき、滝川はあわてて通信を返した。
「ははは。ひとりじゃ寂しいか? 大丈夫、俺たちも居残りだから。ああ、善行司令は準竜師から急遽呼び出しがあってな。補給車に移った」
「陽平ちゃん、がんばろうね」
瀬戸口の声に、東原ののみの声が続く。
「僕たちも当然待機だよ。まあ、無理をしない君のことだから機体を後生大事に使ってくれることを期待しているけどね」
二番機トレーラーから整備員の狩谷夏樹が皮肉混じりに割り込んだ。
まあ、しょうがねえか、と滝川は二番機に語りかけた。これまで何度も出撃したけど、敵の百メートル以内に近づいたことなんてないもんな。煙幕弾を撃って、後はジャイアントアサルトで支援射撃だ。機体が損傷するとしたら、自分の操縦ミスによるものだった。
「なあ狩谷、最近、おまえ皮肉がワンパターンだぜ。具合でも悪いんか? あっ、もしかして彼女と喧嘩してるとか」狩谷は二番機を常に最高の状態に保ってくれる。さすがにつき合いも長くなった。滝川は狩谷にそう切り返した。
「ふん。僕を怒らせようとしても無駄だよ。皮肉がワンパターンなのは、君自身の戦闘ぶりがワンパターンだってことだな」
「なんだよ、それ?」
「たまには、こんなに無茶しやがって、ぐらいのことは言わせてくれってことさ。……まあ、君には無理だろうけどね」狩谷は澄ました声で言った。
「はは。ふたりともそれぐらいにしておけ。友軍から連絡が入った。旗色が相当悪いらしい。現在、女子校の戦車小隊が救援に向かっているが、滝川もさっそく向かってくれ。『カニ天国』の看板が目印だそうだ。そこに戦車随伴歩兵中隊の司令部がある」
「……ずいぶんわかりやすいところを選びますね」
ぼやきながらも滝川は県道に上がると二番機を走らせた。加速すると、あっというまに巨大な毛ガニの看板が見えてきた。
教えられた周波数に合わせると、中隊長の必死な声が飛び込んできた。
「『サウナ三昧小隊』無理をするな。町役場ビルに籠もって、救援を待て。敵の新手が来たら攻撃せずにやり過ごせ」
「……へいへい、したくっても無理はできませーん。ただ今、こちらは七名。小隊長は大量のサウナ無料券とともに戦死しました」
内容は能天気だが、声は怯え、切迫していた。どの隊にも癖や習慣があるが、この中隊は各小隊を愛称で呼び合うのかな、と滝川は首を傾げた。
「こちら5121小隊二一番機。カニ天国まであと一キロのところにいます」
滝川が通信を送ると、無線機の向こう側でざわめきが聞こえた。
「感謝する。さっそく敵の侵攻を阻止して欲しい。ええと、町役場ビルが目印に……」
「あ、戦術画面のナビシステムがありますから」今時の中隊長でナビシステムを知らねえんかな、と滝川は首を傾げた。
「おお、さすがはロボットだな。頼んだぞ」
ロボットじゃねえんだけどな、とため息をつきながら灰・緑・赤の都市型迷彩を施した二番機は集落の中へわけ入っていった。戦場は熊本市郊外の、またさらに郊外といった農村地帯だった。山々ははるか遠くに後退し、点在する集落の他は、枯れ田と畑と一本の県道。迷路のようにくねくねと縦横に走る農道が見渡せた。平地は五キロ四方はあるだろうか、日本人だったら誰でも思い描ける豊かな農村風景だった。山々の尾根と尾根とが接近するあたりでしきりに銃声と遠距離からの砲弾が着弾し爆発する音が聞こえる。学兵一個中隊では、この一帯を守るのは難しいだろう。滝川にもそれはわかった。
この中隊は、山すそが迫る最も狭い正面に戦力を集中し陣地を築いて、敵を阻止しようとしたわけだ。町役場ビルは、戦線のすぐ後方にあった。
滝川は戦線の五百メートル手前で停止、県道をいったん降り、機体を隠蔽してから状況をうかがった。まだるっこしいようだが、「慎重、慎重、さらに慎重」をモットーとする善行司令に繰り返し言われてきたことだ。壬生屋、速水・芝村機にしても極めて用心深い。その上で必要とあらば結果的に派手な動きをすることになる。
「うん、やっと追いついた。敵兵力はミノタウロス二、後は小型幻獣だな。滝川、とりあえずミノタウロスを一匹引き受けてやれ」
瀬戸口の声が五分ぶりに響いた。二番機はジャイアントアサルトを構えると、陣地を蹂躙し、町役場ビルに向け、ハンマーのような腕を振り上げた一体に狙いを定めた。銃声がこだまして、被弾したミノタウロスがゆっくりと相手を探す。さらに連射。ミノタウロスは体液を流しながらも戦線を突破し、百メートルほど前進し、どっと地に伏した。
さらに一体。すでに二番機に気づいたらしく、こちらへ突進してくる。滝川は弾帯をリロードすると、連射モードで撃ち続けた。しかし分厚い装甲を誇るミノタウロスはぐんぐんと接近してくる。
「ちっくしょう。とっとと倒れろ、倒れろよ!」通信簿で言えば、接近戦五段階評価一の滝川は思わず叫んでいた。
彼我の距離が五十メートルに縮まったところで、一発の砲声が轟き、ミノタウロスは大爆発を起こした。通信機から、若い女性の声が流れてきた。
「こちらカンダ第十二戦車小隊、インマル百翼長です。県道が破壊されていたため、遅れました」
カンダ? インマル? 本人は標準語でしゃべっているらしいが、なまりがひどい。
「感謝する。しかしミノタウロスは撃破したから、大したことにはならんと思うが……」
カニ天国の中隊長が言いかけた時、滝川の戦術画面に赤い光点が大量に灯った。中型幻獣を識別するため、大小の差をつけてある。
「んなことないっすよ」
「敵、中型幻獣、接近中」
滝川の声とインマルの声が重なった。
瀬戸口が5121の周波数を使って、通信を送ってきた。
「あの中隊長はだめだ。無視していいから。滝川、戦線は一分後に突破される。カンダのインマルさんと相談して展開してくれ。周波数は……」
「了解っす」インマルさん? 外国人なのか? 滝川は教えられた通りにインマルさんに通信を送った。
「5121の滝川っす。一分後に、敵、来ます。どうしますか?」
「敵の規模はミノタウロス五、ゴルゴーン三が主力ね。えと……滝川さんはG4の川岸の堤防の陰から狙撃を。煙幕弾が欲しい時は合図します」
なるほど、これなら五キロ四方の戦場を見渡せる。滝川は「了解っす」と通信を送った。
「インマルさんところの……装輪式戦車が四両しかないけど、大丈夫っすか?」
「あの、インマルではなくイスマルです。心配しないで」
相手は多少、むっとした口調で応えた。
「すんません、牛丸さん」滝川が謝ったところに、銃声が途絶えて、山すその迫る県道上に、八メートル超の巨大な生物が姿を現した。
距離、三千。まだだ。測定しながら、滝川は指定された地点で機体を停止させ、匍匐の姿勢をとった。狙撃には絶好の地形。堤防が固定脚の役目を果たしてくれる。
一分、二分……突如として装輪式戦車の一二〇ミリ滑空砲が一斉に火を噴いた。距離千五百。
徹甲弾はミノタウロスの後方に従うゴルゴーンに命中し、装甲の薄いゴルゴーンは爆発し、跡形もなく消滅した。
五体のミノタウロスが農道に整然と並んで展開する四両の戦車に向かってゆく。と、戦車はさらに一斉射撃を加えると、ミノタウロスへ突進した。集中射撃を浴びて、一体のミノタウロスが爆発する。
き、距離をとらないのかよ? 滝川の危惧の念をよそにウシマルの声が聞こえた。
「かきまわせ、かきまわせえ! 絶対足を止めるなよ!」
戦いは目まぐるしい動きと、不正確な射撃の乱戦となった。
「馬鹿! おまえさんの出番だ」瀬戸口の声に我に返って、滝川は無防備に露出したミノタウロスに三百メートルの距離から二〇ミリ機関砲弾をたたき込んだ。弱点の腹部を狙撃されたミノタウロスは炎上、これを見た戦車隊はさらに一体づつ敵を引きつけるように、全速で四方に散開した。
滝川は、ただ撃つだけでよかった。戦車は小さく、上手い操縦手の手にかかると、敵には容易にとらえられない。ウシマルらは5121の滝川を信頼して、進んでオトリとなってくれたのだ。要領がわかると、落ち着いて一体づつ確実に仕留めていった。
五分後。最後のミノタウロスが爆発すると、戦車隊は機銃と榴散弾で、盾を失った小型幻獣に容赦ない砲撃を加えた。敵が退却するまでに十分とはかからなかった。
「反応が遅れました。すんません、牛丸さん」
滝川が恐縮すると、ウシマルは「あっはっは」と豪快な声で笑った。
「わたしの名前は、イ・シ・マ・ルです。けど、もう……牛丸でいいです! わたし、ばあちゃん子で、なまり強いからね。今日はね、5121さんが来るっていうからあまり使わない戦法にしたの。普段はかきまわさないんだけどね」
女子にしては豪快で、気持ちのよい声だった。滝川も釣られて「へっへっへ」と笑った。
「そんなに悪くなかったわよ。今日は5121さんと組めでよかった」
「そ、そうっすか? 俺も、戦車があんなにすばやく動けるとは思ってませんでした」
「うんうん。考える前に動け。これがウチらの隊のモットーだから。ま、生き残るために努力はしているってわけ」
さあ、とっとと帰るよ、と乗員に告げる声がして、「またご一緒したいね、滝川君」と通信が送られてきた。
「ええと、カンダじゃなく堅田《けんだ》だった。元々体育系の学校でエースを何人も出している。噂には開いていたが、大したものだな」
瀬戸口の声。滝川も同感だった。
翌日、出撃要請はなく、夕暮れ刻、滝川はひとりで裏マーケットをぶらぶらしていた。
ここ三日ほど出撃が続いていた。
「パイロットの諸君は帰宅して体を休めるように」との善行司令のお言葉だったが、速水と芝村は相変わらず三番機にとりつき、壬生屋は校門わきの芝生で寝そべる瀬戸口の側で、何故だか正座して文庫本を読んでいた。なんの本と聞くと「葉隠れです。これ、面白いですよ」と微笑まれてしまった。シスコンの茜は姉さんにひっついて整備の手伝いをしているし、自然と足は繁華街に向かっていた。
今日はちょいやばいな……。
何故だか嫌な予感があった。考えるだけで肌が粟立つ。極度の閉所恐怖症が、ごくたまに、自分を嘲笑うかのように訪れる。そんな時は部屋の窓を全開にして耐えるか、整備テント内で段ボールを布団代わりに雑魚寝をしたこともある。
にしても腹が減ったな。馴染みのクレープ屋に足を向けると、スポーツバッグを提げた八名ほどの女子学兵がかたまってクレープ屋台を物珍しげに眺めている。女子にしてはがっちりした体っきの者が多く、まわりの女子学兵からは浮いて見えた。
どうする? 食べちやおうか? 小声でひそひそと話している。まさか買い食い禁止の隊なんてねえだろ、と首を傾げながら滝川は彼女らの間をすり抜けて列に並んだ。
「あれ、その隊章……」
声をかけられて振り向くと、わたしのお兄さんは格闘家です、といった感じの女子学兵が滝川を見つめていた。滝川より十センチは背が高いから、自然と見下ろすかたちになる。うう、柔道着が似合いそう、と思いながら滝川は視線を逸らした。
「5121さんですよね?」
柔道少女と滝川が勝手に名付けた女子学兵は、にこっと笑った。どちらかと言えばきつい顔だちだが、笑うと顔全体に愛橋が浮かんだ。凶暴なヒグマが、パンダに変身したような……と下手な表現が脳裏に浮かんで、滝川はあわててうち消した。
「あ、はい、5121っす」
「奇遇ですね。わたしたち、昨日、5121さんと一緒に戦いました。わたし、堅田第十二戦車小隊の石丸百翼長です」
石丸と名乗った少女は笑みを浮かべたまま言った。滝川は目をしばたたいた。
「それ、俺じゃないかな。俺、5121小隊二番機の滝川」
歓声が聞こえて、滝川は体格のよい女子学兵に取り囲まれた。柔道少女は「へえ、君だったのね」と言いながら、ふと滝川のゴーグルに目をとめた。一瞬、笑みが消え、表情が曇った。
「石丸先輩、どうしたんですか?」
女子のひとりに尋ねられ、石丸は「ううん、なんでもない」と首を振った。
「えと……クレープ、食べるの? 後ろに並んでるカップルがこわがってるぜ」
「こわがってる?」石丸は心外そうに口をとがらせた。
「みんなさ、鍛えてるって感じだし。そこらの男子なんて投げ飛ばしちゃいそうだしさ。あ、悪口じゃないんだぜ」
あっはっは。石丸は豪快に笑った。
「ごめんごめん。ウチら、元柔道部と女子サッカー部の合同チームだからね。ねえ、滝川君、オススメのクレープってある? ウチら、食べたことないんで相談していたのよ。学校が市内から遠いから、なかなかムーンロードに来られなくて」
「へっへっへ、そういうことなら買い食いキングの俺様にお任せってやつね。別腹上等で思いっきり甘いモンに飢えてるんなら……サンダーボルト。そこそこ他のモンも食い歩きたいならイチゴかバナナがオススメだな」
おお、と歓声が上がった。
「わたし、バナナ」、「サンダーボルトって強そうだね、それにしょっかな」と女子たちは口々に言った。
「おじさん、サンダーがふたつにバナナが四つ。それとイチゴが三つね」
結局、滝川がまとめて注文することになった。石丸をはじめ、八人の女子学兵は幸せそうにクレープをむさぼり食った。
石丸は巨大なサンダーボルトクレープを平らげながら、「田舎モンは損だよね。市内の学校が羨ましい」と心から言った。本当に彼女らの食欲はすさまじかった。またたくまにクレープを平らげると、「ね、他にオススメのスポットは」と我先に尋ねてくる。
「な、なあ、石丸さん。胃とか大丈夫?」
「柔道部の合宿じゃね、最低でもどんぶりご飯三杯。残すと叱られたものよ」と石丸。
「ところで……滝川君って堅田のこと、知らなかったっけ?」と尋ねてきた。
堅田、堅田かぁ……。滝川は首をひねった。聞いたことがあるような気はするけど。石丸とははじめて会ったような気がするし……。記憶の片隅に引っかかるものがった。なんか記憶に蓋されているような。下手に触れると、どっと何かがわき出してきそうで、こわかった。
「んじゃ、次は馴染みのたこ焼き屋さんな!」
そんな思いを振り払うように、滝川が「イエイ」と指を一本突き立てると、女子たちも一斉に同じ仕草をした。その日、滝川は堅田の学兵をたこ焼き屋に案内し、最後に裏マーケットの親父のところに連れていって、彼女らのために交渉してアイスランド陸軍グリーンランド派遣隊の軍用レーションを破格の値までまけさせた。彼女らと別れてから、滝川は整備テントにこっそり戻り、二番機の足下で段ボールをかぶって眠った。
「こらあ、起きろよ。段ボール亀……!」
威勢のよい声と同時に、体にどっと重たげなものが落ちてきた。
「アライギボンバー!」。鈍痛を感じて段ボールから顔を出すと、一番機担当補佐の新井木勇美が、「おっはよ」と澄ました顔で言った。
「ば、ばっきゃろ! 大切なパイロットを怪我させてどうすんだ?」
強制的に覚醒させられて、滝川は憮然となって新井木をにらみつけた。
「えっへっへ。君はちっこいけど頑丈だからノオプロブレムって、ウチの大天才メカニックが言ってたまん」
大天才メカニックと聞いて、滝川は跳ね起きた。主任席、通称「原さんの席」から、原素子が滝川ににっこりと微笑みかけてきた。
「おはよう、滝川君。よく眠れて?」
「あ、はい。す、すんません……」滝川の声は消え入るように小さくなった。
「やあねぇ。別に謝ることないじゃない? そんなに愛機の側にいたいのね。あなたが二番機を大切に思う気持ち、よおくわかるわ。お陰で整備も楽だしねえ。そういえばあなたの機体が故障する時って、戦闘以外の事故が多いのよね」
狩谷流ジョークも原の口から出ると、まったくの別物になる。滝川は閉口して、段ボールを抱えて逃げ出そうとした。
「あら……?」原の声。滝川は呪縛されたように立ち止まった。
「な、なんすか?」
「滝川君、泣いてなかった?」原は、身振りで目許に手をあてた。
「え……」
滝川は自分の目許と頬を触った。湿っている。変だな、と思いながら滝川はしきりと目許をぬぐった。けれど、気分は何故か爽快だった。
「……よくわかんないすけど、あいつが夢を見せてくれたんすかね」
滝川の言葉に、原は考え込んだ。そして、滅多に見せない穏やかでやさしげな顔になった。
「そうかもね。何が起こっても不思議じゃないのが士魂号よ」
「菊池戦区が危険なことになっています。山岳地帯を突破した有力な敵が大平、木庭方面から菊池市役所に向け進撃中。救援要請が来ていますが」
瀬戸口の報告に、善行は考え込んだ。山地を突破してきた敵が肥後平野の突端にあふれ出したら戦線は拡大し、大幅な増員が必要になる。
「現在の戦況はどうです」善行は眼鏡を押し上げ、静かに尋ねた。
「鹿本方面は相変わらず弱いですね。歩兵小隊二個、迫撃砲小隊一、機関銃小隊一。現在、三機とも中型幻獣の撃破に向かっています」
「なるほど」
善行が戦略スクリーンに視線を落とすと、舞から通信が入った。
「こちら三番機だ。友軍ヘリの協力で敵を撃退。ただし、引き続き、新手が来る兆候がある」
「ヘリはどうした? また、来援してくれる可能性は?」
瀬戸口の問いに、舞は少し考えた末に通信を送ってきた。
「……ふむ。なんだか変わったパイロットでな。その……我々のような実験機小隊をつくっているから戦闘ヘリが補充されんのだと口汚く怒鳴り散らしおった。なれど、あんな上手い操縦は見たことがなかったな。気が向いたらまた助けてやる、と」
知らず芝村舞は「無駄口」をたたいていた。舞はそれだけ相手を認めているということだ。
「ははは。そりゃ変わり者だな。気が向いたら、か」瀬戸口は声を上げて笑った。
「機体のマークは?」善行が尋ねた。
「アホウドリ。それを言うと、アルバトロスと言え、と怒鳴られた。失敬なやつだ」
「ならばけっこう。また来てくれますよ」
善行は口許をほころばせて請け合った。
「その隊は我々と同じように、戦闘ヘリで危機に陥った戦線の救援を専らとしています。前に将校食堂で大いにからまれたものですよ」
そう言いながらも善行の口振りは楽しそうだった。
「なれど一機しかいなかったがな」
「……ええ、戦闘ヘリは消耗が激しいのです。戦車をはるかに上回ります。とりあえず、鹿本の防衛は三番機と一番機で。滝川君、菊池へ向かってくれますか?」
「へ、俺っすか?」急に水を向けられて、滝川は間抜けた声をあげた。
「ええ、煙幕弾等の支援は……来須君、お願いできますか?」
「了解」来須が短く応えた。
「な、なんだか、俺、イラナイ子になったって感じっす」と滝川。
「ははは。そのフレーズ、よく考えたな。滝川にしちやナイスじゃないか。おまえさんの軽装甲は、この種の機動任務にうってつけなんだよ。支援に慣れているから、必要以上に出しゃばらないしな」
瀬戸口がすかさずフォローを入れる。
「陽平ちゃんはひつような子なのよ」ののみも言葉を添えて言う。
「……そ、そうっすか」滝川は照れくさげに言った。
「弾薬等、補給した後、五分後に菊池方面へ。325号線を最高速度で。急げ」
「了解っす」滝川はすっかり機嫌を直して請け合った。
戦線は崩壊しかけていた。山岳地帯を強引に突破し、次から次へとわいて出る幻獣に、守備隊は壊滅し、後退を重ねていた。
堅田第十二戦車小隊が戦線に到着したのは、そんな状況下だった。
戦場となる地形は、市街地とその近郊の田原地帯。生き残りの兵がビルに籠もってあふれかえるゴブリンに銃撃を加えていた。
「石丸さん、どうします?」
副長に尋ねられて、石丸は即座に決断を下していた。
「ゴブリンは後方の歩兵に任せよう。ウチらはミノとゴルを待ち伏せる。……二号車は、信金ビルの陰へ。三号車は市民公園の植え込みの中。四号車は、二号車の後方五十メートルのところに適当な隠蔽拠点を探して。わたしは市役所ビルに移動する。言うまでもないことだけど、メインストリートを広く視界に入れてね。敵にとっちゃこれだけの勝ち戦だ。ミノたちも裏道からは来ないさ」
石丸は命令を下すと、操縦席の肩をぽんとたたいた。途中、大量のゴブリンと遭遇したが、巨大な車輪で揉鋼してゆく。
近頃はこんなんばっかりだな、と石丸は内心でぼやいた。機動防御と言えば格好がよいが、待ち伏せばっかりうまくなっているような気がする。戦死した館野先輩みたいに、派手で華麗な「堅田戦車サーカス」を一度でいいからやってみたかった。
それにしても……と石丸の脳裏に、ふっと滝川の顔が浮かんだ。
滝川とは三度会っている。二回はまだ自分と彼が新人だった頃の樹木園での模擬戦闘訓練。
そして、最後に会ったのは、彼が館野先輩を訪ねてきた時のことだった。ムーンロードの買い食いツアーの時に、館野さんの死を告げられて、肩を落として帰っていった彼を思い出した。
滝川君は忘れているんだろうか?
それとも、わざと話題を避けていたんだろうか?
館野先輩と滝川の間に何があったのかはわからないが、石丸は気になってならなかった。堅田のエースだった館野は、石丸の憧れだった。
「目標地点到着。市役所駐車場です」操縦手の報告に我に返った。
「視界修正します」砲手の声がきびきびと響く。
「みんな聞いて。今日のノルマは一台につきミノ及びゴル一匹。あとは状況を見て撤退する」
石丸は如何にもチームキャプテン、といった口調で隊員たちに呼びかけた。
「戦線はどうします?」隊員の誰かが尋ねた。
「ウチらは拠点防御はしない主義でしょ。一撃を加えたら、撤退する。そうじゃないととっくに全滅しているよ?」
実際、「戦車隊は拠点防御のためにあるわけではありません」と言い切る石丸の「正論」は、現場の指揮官たちからは評判が悪かった。しかし、石丸は何を言われてもどこ吹く風で聞き流していた。
「はぁい。……けど、この間の『かきまわし』、久しぶりに面白かったですね」二号車の操縦手がつい口をすべらせた。
「うん」
普段なら無駄口をたたくなと怒鳴るところ、石丸は楽しげにうなずいた。あれは館野さんの得意ワザだった。ただ館野さんは乱戦の中で確実に敵を仕留めていたけど。
「敵、坂から降りて来ますっ! すごい数です」
三号車の車長が不意に叫んだ。
「どうした?」
「ミノ九、ゴル七。十六匹……」
それを聞いて石丸は険しい目つきで、レーダー画面を見つめた。
貧乏くじを引いたな……。こりゃあ下手すると、貴重な戦車と隊員を失うことになる。
「こちら二号車。ミノ助がすぐ真横をぞろぞろ通過してゆきます。距離五十」
「撃ったらすぐに国道にダッシュ。なりふり構わず逃げる。できる?」
「あはは。それ、あたしたちの得意ワザじゃないですか。アイ・アンダスタンです」
得意ワザと聞いて、石丸は苦笑いを浮かべた。なりふり構わず次の拠点まで逃げ、再び一撃、そして同じことを繰り返すのが自分たちの戦法だった。道路さえ確保しておけば、装輪式戦車は悠々と低速の中型幻獣を振り切ることができる。
「三号車、四号車もそのセンでよろしく。撃ったら、途中で387に乗って、泗水《しすい》町までいっきに突っ走るよ」
「了解」
言い終わらぬうちに二号車の一二〇ミリ砲が火を噴いた。至近距離からの徹甲弾は、ミノタウロスの腹部をすさまじい速度で貫いたかと思うと、大爆発が起こった。二号車は敵前に飛び出すと、全速で国道を疾走する。
「距離百二十、四号車、撃ちます」通信が送られ、再び大爆発が起こった。続いて三号車。三両の装輪式戦車はペリスコープに一瞬映ったかと思うと、すぐに消えた。
「さて、敵さんも気づいたみたいだ。気合い入れていくよ」と石丸。
「十四時の方角にミノタウロス三。距離百」
「先頭の一匹だけを。てっ!」
石丸が命令を下すと、なめらかな音がして駐退機が後退し、ほどなくミノタウロスが四散した。同時に操縦手は、ギヤをすばやくチュンジし、国道へと乗り上げた。道路事情がよい日本国内での戦闘では装輸式戦車は抜群の機動力を発揮する。四十、六十、八十、石丸はスピードメーターを確認しながら、「合流地点は泗水町野外音楽堂前」と通信を送った。二号車の砲撃からわずか一分三十秒。はるか後方から、敵の生体ミサイルがしきりに飛んでくるが、四両の戦車ははるか射程外へと逃れていた。
石丸は計算していた。全弾命中、まずミノは四匹は削ったはずだ。残るのは差し引き十二匹。
国道を西へ行くか南へ来るか? 泗水まで迫ってくるようだったら削るしかないが、他方面へ向かったなら知らぬ顔を決め込むか? その時、聞き慣れた声が通信機から聞こえた。
「おいおい、どうして逃げるんだよ? おまえら、途中で病院に気がつかなかったんか? 泗水総合病院に百人の負傷兵が入院している。今、入院患者と一緒にゴブの野郎をやっているところ」
「滝川君……」石丸は言葉を失った。
「ゴブはいいんだけど、じきにミノやらゴルやらがやってくるぜ。なあ、何があったんだ? 俺もお手伝いさんなんだけどさ、市役所の近くで爆発があったと思ったら、おまえら、すげースピードで逃げて行くんだもんな」
滝川の口調に責める響きはなかった。が、石丸は痛院のことなど念頭になかった。過酷な戦闘を続けるうちに無意識に優先順位が出来上がっていた。第一は敵中型幻獣の撃破。第二に隊員の生存確保。第三に……。計算高い自分がそこにいた。まちがってはいない。それは堂々と言える。前線の部隊が、負傷兵や民間人を保護せねばならない状況がおかしい。それ専門の部隊があるはずで、負傷兵はとっくに保護されていなければならなかった。
「……なあ、聞いているのか?」
「あ、う、うん」
「ゴブはほとんどやっつけた。じきにミノがやってくる。バンパな数じゃねえぞ。どうするんだよ? 俺は馬鹿だから作戦がたてられねえんだ」
滝川の声は車内にこだました。
「石丸先輩……」操縦手が声をかけてきた。
「どうします?」
生まじめに尋ねられて、石丸はふっと笑った。そして思い切り、操縦手の肩をどやしつけた。
「わっ、ウォードレス越しでも痛いですぅ」
「救援に向かう。作戦は病院に向かう途中、指示するから」
石丸の言葉に、操縦手は「はい!」と勢いよく返事をすると戦車をUターンさせた。
「滝川君、作戦を考えた」
石丸が通信を送ると、「おう」と返事が返ってきた。
「四両の戦車で八百メートル間隔の四角形をつくる。とりあえず、敵が現れたら、病院から一キロ西の葛ノ葉神社付近に敵を誘導して。このあたりだと、窪や池があるから弾避けにはなる。 オトリ役になって敵を引きつけて」
「俺かよ……?」
「うん」
「けど、俺、支援任務ばっかりでオトリなんて……」滝川は情けない声を出した。
「つべこべ言わない! 漢《おとこ》になれ!」石丸が一喝すると滝川は黙り込んだ。
しばらくして、ペリスコープに深い森に囲まれた神社が映った。かなたからジャイアントアサルトの射撃音が聞こえて、幻獣が爆発する音がごうごうと空にこだました。ほどなく灰・録・赤の迷彩が施された機体が、全速力で神社をめざして駆けてきた。
「ゴルゴーンを一匹だけ狙撃した。……やつら、まじで怒ってるぜ」滝川の怯えた声に、石丸は「滝川君ならできるよ」と明るい口調で励ました。
くそっ、まじかよ! 最後尾のゴルゴーンに二〇ミリ機関砲弾をたたき込んだ後、滝川の二番機は猛然とダッシュした。装甲の弱いゴルゴーンは爆発し、逃げる背中にそれとわかるほど幻獣の強烈な悪意がたたきつけられた。
生体ミサイルが後方で爆発する。快速を利して、二番機は指定された地点へと向かった。
「んで、これからどうすればいいんだ?」
二番機は森の中へ隠れると、先頭のミノタウロスに照準を定めた。
「撃って逃げて、撃って逃げる。それだけ。指示する方向は十二時、三時、六時、九時の四つ。 滝川君が引き連れてきた敵をウチらの一二〇ミリ砲で削ってゆく。方位を指示されたらすぐにダッシュしてそちらへ」
石丸の冷静な声が聞こえた。ちっくしょう、これって誰かさんに似ているぞ。
「ホントにうまく行くのかよ?」
「大丈夫。堅田サーカス伝統の作戦だから。館野さんも……」
石丸は言いかけて口をつぐんだ。
館野? 館野って誰だ? 滝川は首を傾げた。頭の中で何かがざわめいた。しかし……その時、滝川の心に静かで涼やかな気が流れ込んできた。
へっ、俺のこと心配してくれてんのかよ。滝川は二番機に心の中で語りかけた。二番機は明らかに生きた存在で、心を持っている。滝川は毎日、二番機と「対話」していた。
今はやるつきやねえってか? 先頭のミノタウロスが三百メートルの距離に迫った。ジャイアントアサルトのガトリング機構がうなりをあげて回転し、二〇ミリ機関砲弾を発射した。
ミノタウロスの前進が止まった。生体ミサイルの発射準備にかかろうと腹部の発射口を開いたところへ砲弾が命中した。爆発。その間にも幻獣は二番機に突進してくる。
「九時!」
石丸の指示に、二番機は敵に背を見せ、真左へ一目散に走った。戦車が視認できる距離になったところで、砲声が聞こえ、ゴルゴーンが一体、倒れ伏した。この間、前後左右に敵の生体ミサイルが落下し、二番機の装甲板は、ミサイルの強酸でぼろぼろになった。
「六時の方角へ!」滝川は反射的に二番機を反転させた。
振り返って射撃を加えようとしたが、彼我の距離は二百を切っている。距離を稼ぐべく、駆けに駆けた。途中の窪に肝を冷やしたが、幻獣の大半を引きつけているようだ。ほぼ正面に戦車。ちかっと閃光がまたたいたかと思うと、轟音が轟き、また一体を撃破。
……こうして滝川と堅田の戦車隊は八体あまりの中型幻獣を葬り去った。とはいえ、すでに限界だった。二番機の機体は強酸で装甲を失い、無理な動きがたたったか、脚部が異常に重くなっている。
「……だめだ。脚をやられた。もう四十キロも出ねえ」
通信を送ると、しばらく沈黙があった。そして石丸の冷静な声がコクピットに響き渡った。
「辛いだろうけドミノタウロスを一匹頼むわ。こちらも二両やられた。三人、死んだよ。後はウチらで引き受ける」
「……わかったよ」滝川の声も自然と低くなった。パイロットも機体も限界に達していた。
なあ、俺たち、死ぬんかなと滝川は二番機に声に出して語りかけた。反応があった。その瞬間、滝川の記憶の封印が解き放たれた。
館野さん――
滝川にとっては憧れのエースだった。彼女の出演した戦車隊のCFを観て、滝川は戦車兵に志願したのだ。戦車隊のエースでありながら軍人にありがちな冷徹さを感じさせず、やさしげに微笑んでいた。滝川はふとしたことから館野と知り合って、石丸たちを案内したように買い食いツアーに案内した。
その頃の館野は、連日の出撃で心身ともにぼろぼろになっていた。過酷な消耗戦の中で自分もいつかは死ぬ。そんな不安と怯えと必死で戦っていた。滝川はそんな彼女が大好きだった。
「じゃあ、行ってくるね」
館野の最後の言葉を思い出した。にっこりと笑って、敬礼すると彼女は夕闇の中に消えていった。
滝川は歯を食いしばると、最後の戦いに備えた。
ミノタウロスが二番機の姿を認め、突進してくる。滝川は、にやりと笑った。普段の滝川とは似ても似つかね、不敵で、すべてを捨て去った笑いだった。
へっへっへ、怒ってやがる。俺だって、俺だってなあ、おめーらが憎くてたまらねえんだ! 思い出したんだよ、たった今。俺の憧れの館野さんを殺しやがって! おめーだけは絶対にぶっ殺す! 二番機はジャイアントアサルトを腰だめにして迎え撃った。ジャイアントアサルトの高速ガトリング機構が、乾いた音をあげた。残弾なし。目の前にところどころから体液を噴出した満身創痍のミノタウロスが迫る。
「ちっっくしよォォオ!」
滝川が振り上げたジャイアントアサルトをたたきつけると同時に、ミノタウロスが激突した。二番機に組み付いて、爆発の道連れにしまうと伸びた敵の手が、数センチの差で空を切った。二番機は全身に爆風を浴びながら吹き飛ばされ、激しく地面にたたきつけられた。
「館野さん……」滝川の頬に一筋の涙がしたたった。館野さんの魂はどこにいるのだろう?
会いたいな、と願いながら意識が途切れた。
気がつくと、視界に両脇に一番機と三番機が映った。ぼろぼろになった二番機を抱え起こし、トレーラーへと引きずってゆく。
毛布の感触。滝川はウォードレスを脱がされ、地面に横たわっていた。東原がにこっと微笑んだ。瀬戸口も笑みを浮かべている。
「滝川十翼長名誉の戦死、かと思ったら、悪運が強いやつだな」
瀬戸口の第一声に、東原がぶっと類をふくらませた。
「たかちゃん、そんないいかたしちゃだめなのよ。よかったねってそれだけでいいの!」
「ははは。ごめんごめん」瀬戸口は頭を掻いて東原に謝った。
「あいつは、無事ですか?」あいつ、とは二番機のことだ。
「ああ、機械、電装、武器管制系は全滅らしいが、中枢はまったく問題なし、と。原さんがあきれていたよ。滝川君も二番機もゴキブリ並にしぶといわねって」
「ゴキブリっすか……」
妙にくすぐったい冷やかしの言葉だった。ゴキブリ呼ばわりされて、はじめて、ああ生き延びたんだな、と感じた。
「堅田の隊長から連絡があってな。コクピットからおまえさんを引き出したのは連中らしい」
すでに戦車隊の姿はなかった。滝川は、ほっとため息をついた。
「どうした?」
瀬戸口の問いに、滝川はしばらく無言でいた。これまでのことは自分だけの胸にしまっておこうと思った。
「……なんでもないっす。これから原さんに怒られるのかな」
「ま、少しは嫌みを言われるだろうけどな。堅田の隊長が証言してくれたよ。滝川君がオトリになってくれたから十二体の中型幻獣を撃破できたって。あの意地悪極め姉さんもそうひどくは言わないさ」
「だーれが意地悪極め姉さんだってのよ!」声がして、滝川はあわてて身を起こした。
「おはよう。ゴキブリさん」と原がにこやかに笑いかけてきた。
そしてついと顔を近づけると、滝川の顔をじっとのぞき込んで、「あらぁ」と声をあげた。
「な、なんすか?」今度はなんだよ、と身構えた。
「滝川君の顔、少しオトナになった。……ま、気のせいね、気のせい」
そう言うとぼんやりしている滝川を残して、歩み去った。
へへっ、ゴキブリかあ。上等! 我に返ると、滝川はにやりと笑った。瀬戸口と東原が怪訝そうに顔を見合わせた。
……ねえ、館野さん。俺、しばらく会いに行けません。俺、生きて生きて生き抜いてやりますから。じじいになってやっとくたばって、館野さんを驚かせてやります。そう強く心の中で念じると、神社の社の方角に一瞬、ふっと館野の面差しが見えた。館野はあの時のまま、やさしく微笑んでいた。
滝川はいつしか社の方角に敬礼を送っていた。
[#改ページ]
ののみの涙
[#改丁]
5121独立駆逐戦車小隊・指揮車オペレータの東原ののみは今日もムーンロードの雑踏を歩いていた。この街が大好きだった。善行司令に連れられて、初めて熊本市に来た時には人の多さに目を見張ったものだ。
こんな「せかい」があったのか? それまでは山奥のフュンスに囲まれた真っ白な建物の中で、「けんきゅうじよ」の人たちと話したことしかなかった。皆、いい人だったけど、この街に来てからは、もう薬のにおいのする建物の中で暮らすのは嫌だった。
だからヒマさえあればムーンロードをうろついていた。学兵の制服を着た八才くらいの背丈しかないののみに人々はやさしかった。こんな子供まで徴兵されているのか、と気の毒そうな顔をする者がほとんどだった。クレープ屋さんをのぞけばタダでもらえたし、見知らぬ学兵からはチョコレートをもらったりした。
ののみの保護者兼同僚である瀬戸口はさすがに見かねて「タダで食べ物をもらっちゃだめ」と釘を刺したものだった。そして、なるべくののみと一緒にいてくれた。
けど、たかちゃん、いそがしいもんね。
そんなわけでののみは、瀬戸口の目を盗んでは、毎日のようにムーンロードを歩いていた。
憲兵のおじさんとも顔なじみになり、時には屯所でジュースをご馳走になることもあった。
……その日は瀬戸口の手伝いで、指揮車内の端末で戦闘データの整理をした帰りだった。
じきに日が暮れるから送ろうと言う瀬戸口だったが、不意に指揮車の扉が開けられ、パイロットの壬生屋末央が顔をのぞかせた。手許には風呂敷包みを抱えている。
「あ、あの……」
壬生屋は顔を赤らめて、瀬戸口とののみを見比べた。
瀬戸口は気まずげに「俺たちはこれから……」と言おうとした。ののみは席を立つと、壬生屋の横をすり抜けて、「ののみ、ブータとあそぶやくそくがあるから」と駆け去った。
末央ちゃんはたかちゃんが好きなんだ。ののみにもそれはわかっていた。自分もたかちゃんが大好きだけど、瀬戸口を独占することはとうにあきらめていた。研究所にいた頃の「じっけん」で自分が大人の体になれないことがわかっていたし、何より瀬戸口と壬生屋のふたりの間の「緑」のようなものを感じていた。すれ違い、互いに心を開けずにいるふたりの側にいると、たまに心が痛くなる。
ブータにそれを言うと、瀬戸口が悪いのじゃよ、といつも決めつける。それ以外のことはひと言もしゃべらなかったが。
ふたりは仲良くしなきゃ、と思っていた。
夕暮れ時に差し掛かっていた。省エネのために数本おきにまばらに街灯が灯り、ムーンロードは暗さを増していたが、街にあふれる学兵たちの数はいっこうに変わらなかった。
「夜間外出禁止」のタイムリミットの九時まで、仲間たちと粘ろうとする者が多かった。
リミットが過ぎてから帰宅しても、繁華街をはずれれば補導係の警察官も憲兵はいないことを見越してのことだ。元々数が少ない補導係はムーンロードから学兵を追い出すだけで手一杯になっている。
「東原ぁ」
電子音を店外にまで響かせているゲーセンの中から声がかかった。ののみが跳ねるように店内に入ると、パイロットの滝川陽平が「こっちこっち」と手招きした。
もうひとり、整備兵の茜大介が空戦モノのシューティングゲームの筐体の前に座って、わき目も振らずジョイスティックを動かしていた。
「陽平ちゃん。だいちやん!」
東原が挨拶をすると滝川は、にかっと笑った。茜は画面に目を凝らしたままうなずいた。
「へっへっへ、茜、俺様に勝てないんでむきになってるところ。だからあ、そこは右にそれていったん後ろに下がって……」
爆発音がして、筐体の座席が揺れた。茜は憤然として滝川をにらみつけた。
「くそ、卑怯だぞ! 人の集中を妨げるな!」
「茜だってさんざ俺の邪魔したじゃん。姉さんの悪口ばっか言ってさ」
姉さんとは、茜の血のつながっていない姉の森精華のことだ。茜と森は一緒に暮らしている。
「わ、悪口じゃないだろ。僕はただ姉さんの真の正体を君に教えてやろうと……」
茜は狼狽えた顔で反論した。「姉さんの部屋はとっちらかってて、脱ぎ捨てたジーンズと少女マンガが散らばっているってか。んでくだらねえテレビドラマ見て涙流してるってか? 悪口じゃん。だいたいさ、おまえ、人のこと言えるんか」
「ふ。僕の部屋は完璧さ。ただほんの少し専門書が多いだけだ」茜は誇らしげに言った。
「ほんの少しィ? 山が崩れてすげーことになってるじゃん。専門書ってさ、硬くて角張っているから、こないだなんて俺、踏んじまって足の裏怪我したんだぜ」
「硬くて角張っている? まったく……なんて表現をするんだ! 君のプリミティブな表現力には羨望さえ覚えるよ」
茜は思いっきり嫌みに言った。
しかし、そんな態度に慣れている滝川は、へっへっへと笑い飛ばした。
「なかがいいのね、ふたりとも」
東原は、にこりと笑ってふたりを見た。滝川と茜は照れたように視線を逸らし会った。
「ふ。一応親友ということになっているらしいが、彼は僕がいないとただのロンリーなゲームオタクだからな」
「んなこと言っていいのかよ。無職少年Aとつき合ってやっているナイスガイなんて俺くらいなもんだぜ。な、東原、俺っていいやつだよな!」
無職、と言われて茜は気色ばんだ。整備員の中で担当を持たない「無職」は茜だけだ。はじめは指揮車の整備士だったのだが、新参の田代香織にあっさり担当を奪われている。
「ぼ、僕は無職じゃない! 決まった担当がないだけだ。いろいろなことができるから、いざという時のリザーブにまわっているだけだ」
「りざーぶってなに?」
東原が尋ねると、茜は口をつぐんだ。どうも東原と話していると、調子が狂うといった表情だ。頼むから「憎まれ口」たたいて突っ込んでくれ?。
「その……東原、またひとりで出歩いていたのか?」と茜。
「うん」
「必ず誰かと一緒にいような」
茜は珍しく心配顔になった。滝川も同じ表情になっている。
「ああ、近頃なんかぶっそうなんだよな。爆弾とか仕掛けるやついるし。ゴブのやつら、夜中になると街中をうろついているらしいし」
滝川が茜の言葉を引き取って言った。
「……学兵が何人も犠牲になっているらしいぜ。夜に出歩くのも命がけになっているんだ」
「そうなの?」
東原は珍しく気難しい顔をしている滝川と茜を交互に見た。
「とにかく今夜は送ってくから」
茜が提案すると滝川もうなずいた。折から憲兵の一団が、メガホンを手に「残っている者はすみやかに退去するように」と注意してまわっていた。ゲーセンは目をつけられているらしく、ひとりの憲兵が乗り込んでくると威圧するように遊んでいる学兵たちを見渡した。
「おまえたち、何度言ったらわかるんだ? 夜間外出禁止は九時に発動される。九時までに家に戻らなければこちらにも考えがあるからな」
三十代の大柄でがっしりした憲兵だった。子供相手の仕事にウンザリしている様子だ。しかし学兵たちは慣れたもので、完全無視を決め込んでいる。
憲兵が近くにいた学兵の胸ぐらを掴むと、学兵はへらっと笑って「あ、俺、これから帰るところっす」と言ってのけた。
「宮里のおじさん!」
東原が声をかけると、憲兵は学兵を突き放して目をしばたたいた。
「おう、ののみちゃん。なぜこんなところにいるんだ? ここは出来損ないのたまり場だぞ」
「あのね、ともだちによばれたの。陽平ちゃんとだいちやん」
滝川は、気まずそうに席から立ち上がった。しかし茜は「ふ」と余裕の笑みを浮かべた。
「ゲーセンが出来損ないのたまり場とは、単純過ぎる発想だね。ちなみに僕は大学に飛び級で入学した天才だ。出来損ないじゃない。そんな発想しかできないようだから、重要な仕事を任せてもらえないことに気がつかないのかな」
茜の毒舌に、学兵の間からどよめきが起こった。宮里のおじさん、と呼ばれた憲兵は険しい表情で茜をにらみつけた。
「こんなつまらない仕事にかまけてないで、もっと重要な仕事があるだろう。幻獣共生派を摘発するとかさ」
「……うむ。ご高説はよくわかった。ところで屯所には『反省室』というものがあってな。素行不良の者にひと晩の宿を提供している」
宮里はにやりと笑って、茜の顔をのぞきこんだ。
「反省室は毎晩、満員御礼。そうだな、おまえとは違ったタイプの学兵が大半だな。ま、おまえはまちがいなくケダモノどもの餌食になるな」
茜の表情が劇的に変わった。暴力は大嫌いだ。
「し、職権の乱用だぞ! 僕が何をしたっていうんだ?」
「軍規違反。残念ながらおまえは民間人ではなく、軍人で、警官の言うところの公務執行妨害……よりさらに厳しい罰則が適用される。夜間外出禁止令は熊本に限っての特別条例だが、これに故意に違反し、違反を扇動する者には反逆罪が適用されることもあり得る。ひと晩どころじゃ済まんぞ。なんなら三年ほど軍刑務所で暮らしてみるか? 人生観が変わるぞ」
ヒィィと悲鳴のようなものが周囲からあがった。反逆罪の適用範囲は極めて広く、告発は憲兵の裁量に任されている部分が多かった。宮里の言葉はあながち脅しではない。今さらながら、茜はトラの尾を踏んだことに気づいて真っ青になった。
刑務所のケダモノたちへの恐怖で言葉を失った茜を見かねて、滝川が割って入ってペコリと頭を下げる。
「すんません。すんません! こいつ、口が悪いんで有名なんです。けど根はいいやつですから。あ、俺たち、東原を送って行くところなんです」
宮里は、じろりと滝川を一瞥してから、別人格のような声でやさしく尋ねた。
「本当かい、ののみちゃん」
「うん! 夜になるとあぶないからおくってくれるって」
ののみは、にっこりと笑って応えた。
「おまえってホントに頭いいのか悪いのかわかんねえやつだな。刑務所は脅しだろうけど、東原がいなかったら、おまえ、反省室行きだったぜ」
夜道を歩きながら滝川は忌々しげに言った。茜はなおも「刑務所」のケダモノたちを脳内妄想しているらしく「……僕は天才だ」などとわけのわからぬことをぶつぶつと言っている。
「天才を刑務所送りにするなんて、そんな国家的損失、許されるわけがない。そうだ、処罰を受けるのはあの憲兵の方だぞ!」
「宮里のおじさんはいいひとなのよ」
ふたりの間を歩きながら、東原は言った。
学兵といってもいろいろなタイプがいる。大多数の者はまじめな、ごく普通の少年少女だったが、本能的に自分たちが「捨てゴマ」であることに気づき、どうせ死ぬんだからと、めちゃくちゃで刹那的な行動をとる者も多かった。不良学兵と呼ばれる連中には、そんな事情もある。
一度、学兵同士のナイフを振り回しての乱闘騒ぎに、東原は巻き込まれかけたことがある。
その時に助けてくれたのが宮里軍曹だった。八人の学兵をトンファーでたたき伏せ、東原に謝罪させた。
その時以来の顔なじみだった。
東原は時々、屯所で茶菓子をご馳走になっている。
ともあれ、宮里は一部の不良学兵の間では悪魔の代名詞のような存在だった。
「いい人なぁ……」
滝川が首を傾げた。
「あんな野蛮人がいい人なわけないだろ!」ようやく立ち直った茜が言い募った。
「へっへっへ、茜くん。おまえ、もう憲兵隊のブラックリストに載ってるぜ。少ーしおとなしくしていた方がいいかもな」
滝川が冷やかすと、茜は真っ赤になって「くそ!」と毒づいた。
薄暗い住宅街を歩くうちに三人は自然と言葉数が少なくなった。
疎開がほぼ完了して空き屋はたくさんあるだろうに、東原はなんでこんな寂しい住宅街を選んだのか、と滝川はあたりを見回した。
ほとんどの住民は疎開しているのだろう、外灯は数十メートルおきに申し訳程度についているだけで、時折聞こえる野犬の遠吠えも嫌な感じだった。
「なあ、東原。どうしてこんな……学校から遠いし」
滝川が口にすると、東原はにっこりと笑って言った。
「ののみ、ヨーコさんと一緒に住んでいるのよ。ヨーコさん、みどりがおおいところがすきなんだって」
「あ、そうだったよな。ヨーコさんが心配しているぜ。急ごう」
しかし、ののみはふたりに向き直ると、「ここでいいの」と言った。
「陽平ちゃんとだいちゃんかえれなくなっちゃう」
「俺は別にいいけど……」
「僕もだ」
「ううん、ここでいいの。さよなら」
ののみはもう一度、にこっと笑いかけると背を向けて走り出した。
滝川と茜は顔を見合わせた。あわてて後を追ったが、ののみの姿は消えていた。
陽平ちゃんたちにうそついちゃった、と東原はやましい思いを持った。
自分を呼ぶ声を聞きながら、東原は物陰に隠れていた。滝川と茜の声はやがて消えた。夜はしんしんとふけ、町はずれの住宅街は闇と静寂に包まれていた。
東原は身を起こすと、歩き出した。目の前に公園が見えてきた。ほとんど訪れる者もなく、乗り手のいないブランコが寂しく風に揺れていた。
公園に足を踏み入れると、がさりと薮が鳴った。東原が薮に近づくと、一体の異様な姿をした生物が姿を現した。ゴブリン――。
東原とゴブリンはしばらく距離を置いてたたずんでいた。しかしゴブリンはいっこうに東原に襲いかかる気配はなかった。
「きようもきたのね。あのね、ここはあぶないのよ。けんぺいのおじさんが、じゅうてんけいかいちいきなんだって言ってた」
憲兵と聞いて、ゴブリンの全身に一瞬、憎悪の念に包まれた。闇の中では微かな赤い燐光となって見える。
しかし、ゴブリンの体からは血のにおいは漂ってこなかった。深夜、町中を排御して、人を襲うのがゴブリンの常だった。翌朝、襲われた人間は無惨な死体となって横たわっている。
だがこのゴブリンは違った。群れをなして行動するのがゴブリンの習性だが、なぜだか一匹だけで夜の街をうろついているらしい。
出会ったのは一週間前のことだった。戦闘がない時は夕暮れ前、まだ陽があるうちに東原は家に帰るようにしていたが、その日は大収穫があった。なんと「健康補助食品」として板チョコが配られたのだ。実は滝川に誘われて、だめもとで衛生官の石津に頼み込んだものだった。
「これ……」と石津に一枚配られて、家に帰って思いっきり食べてやろうと思っていた。
けれど胸ポケットに入っているチョコの感触につい負けてしまった。甘みに飢えていた。我慢できなくなり、帰り道の公園で、ブランコに座って板チョコの銀紙をはがした。
その時のことだった。
何かが疾風のように走り抜けたかと思うと、手許から板チョコが消えていた。はじめ茫然として、ついであたりを見回した。野犬かカラス? そんなものよりもっと悪かった。東原の身長ほどの異形の生物が、板チョコを手にしていた。ゴブリンだ! 何度も戦闘指揮車のディスプレイで見た姿そのものだった。全身をトカゲのように硬い表皮で覆われ、目のようなものがたくさんついている。そして幻獣の最大の特徴として、口がなかった。
腕をあげれば実体化する手斧で、人類を散々殺してきた。
とはいえ、人を襲うには時間が早すぎる。治安部隊に見つかれば射殺されるだろう。
(それ、かえして)
東原は自然と、相手に思念を送っていた。そして帰ってきた相手の念に驚いた。ゴブリンは明らかに板チョコに好奇心を持っていた。
(ののみがたのしみにたべようとおもっていたのよ。かえしてね)
再度、思念を送ると、ゴブリンは板チョコを放り出して消えた。
東原は板チョコを拾いながら、このことは「ヒミツ」にしようと思った。たかちゃんや皆に心配をかけたくなかったし、心の中ではなんとなくわかっていた。自分だから攻撃されなかったんだと。
それ以来、東原は公園で三十分ほどゴブリンと対話するようになった。対話といっても、東原にその日あったことを思念として送るだけだったが。それに加えて、このゴブリンが人狩りに行くのを止めることも無意識のうちに考えていた。
「きようは、しゅつどうめいれいはなかったの。だから、たかちゃんとふたりでせんとうデータをせいりしたのよ。みっつの士魂号のせんとうぱたーんや、ひ……ひだんりつをデータにしてパイロットにあどばいすするんだって。未央ちゃんの一番機のせいちょうがすごいって、たかちゃん、ほめていた」
ゴブリンは東原の言葉と思念を受け、微動だにしない。
「末央ちゃんはたかちゃんのこと、すきなの。きょうもおべんと、さしいれにきたの。だけど、たかちゃんは末央ちゃんの前だとすなおになれないの。どうしてかな?」
冷たい夜風が東原の全身を打つ。東原はぶるっと身震いすると、くしゃみをした。ゴブリンが動いた。半歩ほど東原に近づく。
「こんな遅くなったの、はじめて。じゃあね」
東原が身をひるがえして駆け去ろうとすると、ゴブリンがすばやく跳躍して道を塞いだ。そしで二歩三歩藪の方へ歩んでみせた。また元の位置へ戻って、同じことを繰り返した。
東原は、ぽかんとした顔でゴブリンの奇妙な運きを眺めていたが、やがてゴブリンの意図を察して、にこりと笑った。
「薮にかくれろ? ありがと」
東原が礼を言うと、ゴブリンは自ら先頭にたって東原を案内した。
しばらくして。皮膚が粟立つような音がして、公園外周の道路を、一群のゴブリンが跳ねながら闇の中へと消えていった。一群が駆け抜けた後には、生臭い血のにおいが漂った。闇のかなたから銃声が聞こえ、やがて絶えた。
あの時、このゴブリンに止められていなければ、東原は人狩りゴブリンの集団と鉢合わせしていたろう。東原はそっと手を伸ばして、ゴブリンに触れた。硬くざらざらとして、これまでに感じたことのない感触だった。
ゴブリンは動かずにじっとしている。
「もうだいじょうぶだね。ののみ、かえるね」
東原は身を起こすと、気丈に駆け去った。ゴブリンは追ってはこなかった。
「ののみサン、イケマセンネ!」
家路につく途中、ヨーコが怒り顔で東原を出迎えた。いつもは下駄箱に放り込んであるサブマシンガンを構えている。東原がいつまでたっても帰ってこないので心配したのだろう。普段は穏やかで、笑みを絶やさぬヨーコだが、イタリア系の彫りの深い顔は怒ると迫力があった。
整備兵だが、訓練を受けたことがあるのか、サブマシンガンを構える姿は堂に入っている。
「こんな遅くまで、何をしていたデスか? この近くで、ゴブリンに学兵がたくさん殺されましたネ」
ヨーコは真剣な表情で東原を問いつめた。東原は小さい体をいっそう縮めて謝った。
「ごめんなさい。たかちゃんのおてつだいしたあと、陽平ちゃんたちとあそんでいたの」
「滝川クンと茜クンですネ? 明日、注意しますデス。ヨーコ、たくさん怒っていまス」
「あのね、ののみがわるいのよ。ふたりははやくかえれって言ってくれたの」
東原は必死に弁護をした。途中で自分が姿をくらましたことを知られたくなかった。ヨーコがふたりを責めれば、わかってしまうだろう。
「だけどげーむを見ているのがおもしろくて」
東原はつい嘘をついてしまった。真っ赤になって訴える東原の様子を見て、ヨーコは首を傾げた。
「ヨーコを心配させないでくだサイ。とにかく無事でよかったデス」
しょんぼりとうつむく東原に、ヨーコははじめて笑いかけた。
「東原の様子がおかしい? んー、俺には特に変わった様子は見せなかったけど」
翌日の放課後、ヨーコと瀬戸口は校門横の芝生の上で話し込んでいた。瀬戸口は寝そべったまま、ヨーコはその傍らに横座りになっている。
「何かを隠していますネ。六時に学校を出て、……帰ってきたのは十時デス」
「ああ、ブータと遊ぶ約束があるとか言っていたけど、その後、ムーンロードをうろついたとしでも東原には二時間は長すぎる。九時になると強制的に追い出されるしな」
「それにののみサンは決まり事はキチンと守る子ですネ」
「……悪かったな、ヨーコさん。これからはもっと気をつけることにするよ。それから……滝川と茜には俺から聞いてみるから」
「なぜデスか?」
「ヨーコさん、美人だから。滝川も茜ものぼせちまって何も言えないと思うんだ。俺からさりげなく東原のことを聞いてみるよ」
「そんな……ワタシ、美人なんかじゃ」美人と言われて、ヨーコは顔を赤らめて両手で頬を押さえた。
瀬戸口はやれやれというように、そっと息を吐いた。美人には違いないが、百八十センチを超える長身で、普段は穏やかな表情でにこにこしているヨーコに真剣な顔で問いつめられれば、相当な迫力になる。滝川も茜も萎縮してしまうだろう。
と、ばたばたと草履の音を響かせて走り去る後ろ姿。壬生屋だった。
しまった……と瀬戸口はすぐ目の前に迫るヨーコの膝頭にあらためて気がついた。ヨーコの距離感覚は普通とは違うのか、なんだか自分が膝枕をされていて、寝返りか何かで頭を落っことした……そんな構図になってしまっている。
「どうかしましたデスか? 瀬戸口さん」
怪訝な顔をするヨーコに、瀬戸口は身を起こすと「うん、こちらのことさ」と肩をすくめた。
「よォ、珍しく仕事してるな」
滝川は整備テント二階で二番機の調整を手伝っていた。傍らでは狩谷が気難しげな顔で、端末のキーボードに指を走らせていた。一階では田辺が足回りの点検をしていた。
「そんな、ひどいっすよ。俺とこいつの仲は特別なんすから」
滝川が口をとがらせて言い募った。こいつとは二番機のことである。滝川は狂信的なほどの軽装甲マニアで、毎日、二番機との「対話」の時間を持っている。
「その割にはワックス掛けと掃除しかしないがね。ま、こちらとしては変にいじられるより、整備を全面的に任せてくれてありがたいけどね」
二番機整備士のリーダーである狩谷がぼそりと嫌みを言った。
「ちょっと話があるんだ。つきあえ、滝川」
「も、もしかして合コンとかの話すか?」
「いいから、いいから」
期待に目を輝かせる滝川の腕を引っ張るようにして連れだした。
「東原のことなんだが」
瀬戸口が切り出すと、滝川は「そのことっすか」とつぶやくように言った。
「うん、わかっているようだな。だったら話は早い」
「昨日、俺と茜で東原を送っていったんすよ。けど、途中で『ここでいいから』って姿をくらましちやって。しばらく探したんすけど……」
瀬戸口はやおら滝川の胸ぐらを掴んだ。いつもに似ず、真剣なまなざしになっている。
「探すなら最後まであきらめるな。昨日の夜、あのあたりにゴブリンが出現した。下手をすれば東原も犠牲になっていたところだぞ」
「え……」滝川の顔から血の気が引いた。
「憲兵隊によって、ゴブリンは討伐されたが、あのあたりは危ないんだ。これからは首に縄付けてでもしっかり送り届けろ」
瀬戸口の眼光にはただならぬものがあった。滝川は、はじめ萎縮していたが、ほどなくしっかりと瀬戸口の視線を受け止めた。
「すんませんでした。俺、気をつけますから。それと……提案なんすけど、ヨーコさんに引っ越し勧めるってどうでしょ?」
「……そうだな。いい考えかもしれない」
瀬戸口の表情がやっと和らいだ。滝川から手を放すと、「すまんな」と謝った。
「こうえんゴブリン」と東原は呼んでいた。
なんとか時間をやりくりして、帰り道の公園に寄ろうとするのだが、ここ二、三日、東原は瀬戸口だの滝川だの茜だのヨーコだのに護衛されるようになってしまった。
こうえんゴブリン、どうしてるかな……と、公園の方角をちらちらと見るが、夕暮れ刻の薮の中はひっそりと静まり帰っている。
「公園が気になるのか?」
瀬戸口が声をかけてきた。後ろからは何故か壬生屋が、ものものしくたすき掛けをして、手には日本刀を携えている。東原の危機……と噂に尾鰭がついてやたらに張り切っていた。
「殺気は感じられませんぬ。念のために探索しますか?」
「いや、俺にも気配は感じられない。ゴブリンの群れが拠点にするとしたら、百メートル先の解体工場跡だろうな。なんだか空気が生臭くないか?」
瀬戸口のぶっそうなセリフに、壬生屋の表情はきりきりと引き締まった。体術……壬生屋流暗殺術の後継者である壬生屋には鋭敏な感覚が備わっている。
「ええ、そちらの方は先ほどから感じていました。……何故、瀬戸口さんにわかるのですか?」
「鼻が利くのさ」
瀬戸口はそれだけ言うと、にこやかに笑った。
解体工場なら、帰り道から大きくはずれている。数日前の事件は、ここを隠れ家として目をつけた不良学兵が襲われたのだ。
憲兵隊は工場跡に人数を派遣したが、相手も承知とみえ、中はもぬけのからだった。中心部をのぞけば、市街のどこにでもゴブリンは出現している。
「俺とおまえさんでなぐり込みをかけても無理さ。憲兵隊に連絡して、東原を家に送り届ける。今日はそれだけで」
……しかし瀬戸口が携帯で連絡した後、殺気はさらに濃くなった。とある路地裏の前で瀬戸口と壬生屋は同時に立ち止まった。
「やばい、な」
「ええ」壬生屋の頬が武者震いで紅潮している。その目は日頃の壬生屋に似合わず、らんと輝いている。
「俺は東原を守る」瀬戸口はそう言うと、胸ポケットから四十五口径のコルト・オートマチックを取り出した。銀メッキが施された悪趣味な拳銃に、壬生屋も東原も目を見張った。瀬戸口には似合わない。
「あ、これ? あまりに人気がないんで、物資集積所からまわってきたらしい。善行さんから護身用にもらった」瀬戸口は言い訳がましく言った。
自衛軍に圧倒的に人気があるハンドガンは、反動が少なく、日本人の手に合った三十八口径のシグ・ザウエルだ。
「相手は三匹。参ります……」
壬生屋は静かに言うと、路地裏を無防備に通り過ぎようとした。
「東原、俺の背中にしがみついて」瀬戸口の言葉に東原は素直に従った。
黒い影が壬生屋に襲いかかった。瞬間、壬生屋の刀の刀身が稗を走った。がつ、と鈍い音がして、横腹をざっくりと裂かれたゴブリンの体液が飛び散った。
「やあっ!」壬生屋は気合いを発すると、返す刀でもう一匹のゴブリンを袈裟掛けに斬り下ろす。
まばたきする間だった。さらに一匹が襲いかかろうとするところを、壬生屋は無造作に避けた。日本刀は無惨にも根元から折れていた。
銃声が二発、三発と続く。四十五口径の弾丸を受けたゴブリンが弾け飛んだ。
「ふう。手首が折れそうだ」
ため息と同時に瀬戸口の声が聞こえた。
壬生屋は折れた刀身を鞠に収めると、そっと東原の顔をのぞきこんだ。
「大丈夫ですか、東原さん」
「……うん」
「あの……敵が消滅するまで時間がかかります。それまで見ないでくださいね」
「ううん。指揮車からたくさん見ているから。大丈夫だよ」
東原は瀬戸口の背から降りると、うつむき加減に消えてゆくゴブリンを見守った。前髪が垂れて、表情はうかがえない。瀬戸口と壬生屋は顔を見合わせると、互いの眼光の険しさに顔を背け合った。
「ごめんね、未央ちゃん」
東原は小さな声で謝った。
「……どうしてわたくしに謝るんですか?」
「だって、きけんなめにあったでしょ。ののみのせいで」
「東原さん……」壬生屋は言葉を失った。こんな状況なのに東原は相手のことを考えている。
くすり、と壬生屋は笑みを洩らした。
その笑みに瀬戸口は微かに顔をしかめた。
東原は身の安全が心配だが、壬生屋は精神的に心配だった。
「わたくしもまだまだですね。力みすぎて大切な刀を折ってしまいました。今度は鎧割りができる頑丈な胴太貫《どうたぬき》を用意します。ふふふ」
東原はおずおずと壬生屋の顔を見上げた。平然と、口に手をあてて笑っている。頬にゴブリンの体液が消えずにこびりついていた。東原は思わず壬生屋に駆け寄ると、ハンカチを出し、背伸びをして頬の体液をぬぐってやった。
「ごめんね、ごめんね」
「わたくしは当然のことをしたまでです。幻獣ごとき……幻獣ごときに、わたくし断じて負けません!」
壬生屋の顔から笑みが消えた。険しく、憎悪に包まれた別の壬生屋が現れた。
瀬戸口は、すいとふたりに近づくと、ふたりの肩に手をかけた。
かなたから銃声が聞こえた。どうやら憲兵隊がゴブリンの巣を攻撃しているらしい。機銃を掃射する音がしてほどなく銃声は絶えた。
ウォードレスを着込んだ憲兵の重たげな足音が聞こえてきた。
瀬戸口は声を上げた。
「通報した5121の瀬戸口です。路地裏にまだ生き残りが潜んでいる可能性がありますよ」
「了解した」
どこからか応じる声があった。
路地裏の入り口にたたずむ三人の前に、ひとりの大柄な憲兵が立った。肩には九六式小隊機関銃を抱えている。
「宮里のおじさん!」
「ののみちゃんか。無事だったか?」
「うん。末央ちゃんとたかちゃんが助けてくれたの」
宮里は首を傾げて、胴着袴姿に日本刀を抱えた壬生屋と、瀬戸口を見つめた。ふたりともウォードレスを着ていなかった。
「あー、君が瀬戸口君か。どうしてゴブリンの居場所がわかったんだ?」
壬生屋の存在はさすがに理解できなかったとみえ、宮里は瀬戸口に話しかけた。
「殺気がしたんですよ」瀬戸口はあっさりと言ってのけた。
「……そうか」
宮里は首を傾げた。とはいえ、突っ込むところなど何もない。通報通りに急行したところ、ゴブリンは確かにいた。しかたなく、厳重注意をすることにした。
「硝煙のにおいがする。どうやらゴブリンと渡り合ったらしいな。ウォードレス末装着でやつらと戦うのは自殺行為だぞ」
「俺たちは東原を家まで送る途中だったんですよ。普通、ウォードレスは着ませんよ」
瀬戸口は肩をすくめ、あきれたように言った。
「これから気をつけます」といった返事を期待していた宮里は、厳しい表情になった。
「この一帯は重点警戒地域だ。着用していても不思議はない。どうやら銃で撃退したらしいが、不意を打たれたり、相手が多数だったらどうするつもりだ?」
なるほど憲兵だな、といったように瀬戸口はにこやかに両手を挙げた。
「わかりましたよ。気をつけることにします」
「うむ。……それと、君は軍人か?」
宮里の日が今度は壬生屋に向けられた。これまでに何十回、何百回と言われ続けてきた文句だ。壬生屋は宮里の視線を凛とした表情で受け止めた。
「5121小隊一番機パイロットの壬生屋です。何か問題が?」
「その格好は軍規違反だ」
「ええ、そうでしょうとも。けれど、わたくし、この格好でゴブリンを二匹、倒しました」
壬生屋は多少、険を含んだ声で言った。
「まさか……」絶句する宮里に、瀬戸口は本当だとうなずいてみせた。
気まずい雰囲気だった。
瀬戸口も壬生屋も規格外の雰囲気を身につけている。それも半端なものではない。これが骨の髄から憲兵畑で育ってきた宮里の神経を刺激するらしかった。
東原は心配そうに、ふたりを値踏みするように見つめる宮里に話しかけた。
「あのね、たかちゃんと未央ちゃんはののみの大切なひとなのよ」
「う、うむ」
虚をつかれたように、宮里はうなずくと、背を向けた。
そして、この一帯に散っている部下たちに向け、怒鳴った。
「本部に増員要請。渡鹿町一帯のゴブリンをローラー作戦で掃討する!」
「オカエリナサイ」
玄関のドアを開けると、ヨーコが笑顔で三人を迎えた。
「ヨーコさん、引っ越しを考えた方がいいな。ゴブリンに襲われた」
瀬戸口の言葉に、ヨーコは青ざめた。瀬戸口と壬生屋の真剣な表情を見て「ワカリマシタ」と自分を責めるようにうなだれた。
「あの……、しばらくは出歩かない方がよろしいかと。憲兵隊がローラー作戦でこの一帯のゴブリンを捜索しています」
壬生屋は先ほどの戦闘の興奮から冷めていないようだった。類が紅潮している。
「ローラー作戦……」
ヨーコは眉をひそめ、つぶやいた。
「ねえ、ローラーさくせんってなに?」
東原は唐突に、誰にともなく尋ねた。
「ははは、東原には縁のないことさ」
瀬戸口の言葉に、東原は納得せず、壬生屋を見た。水を向けられて、壬生屋は考え込んだ。
「ええと……しらみつぶしに……一匹残らずゴブリンを倒す。そういうことだと思いますけど」
一匹残らず、と聞いて東原の表情が曇った。遠くから断続的に銃声が起こった。
「じゃあ、俺たちはこれで……」
ヨーコの心配そうな表情に送られて、瀬戸口と壬生屋が帰ろうとしたところ、東原はすばやくふたりの間をすり抜けて駆け去った。
「た、大変……」
三人はあっけにとられて、一瞬、立ち尽くした。すぐに気を取り直した瀬戸口が飛び出すと、壬生屋が、ついでサブマシンガンを抱えたヨーコが部屋から飛び出した。
「東原さん!」
「東原!」
「ののみさーん」
三人は声をからして東原を呼ぶが、東原はいっこうに姿を現さなかった。
こうえんゴブリンが危ない! 東原は物陰から物陰へ、すばやく移動しながら公園に向かっていた。散発的に銃声が聞こえ、自分を呼ぶ声が聞こえてきたが、東原は自分を心配してくれる人たちに心の中で謝りながらも公園に向かった。
幸いなことに憲兵の姿はなかった。きっとここにいる。東原は公園に足を踏み入れると、すぐに薮がかさりと鳴った。
すでにあたりは闇に包まれていた。申し訳程度の外灯が一本、公園の真ん中で点灯している。薄暮の中にゴブリンが姿を現した。
銃声が聞こえるたびにゴブリンの全身は赤い燐光に包まれては消えた。東原とゴブリンは三メートルほどの距離で向かい合った。
「にげて。ここはあぶないのよ。それからにどとここにきちゃだめ」
口を開くのももどかしく、東原はいっきに言った。ゴブリンはいつものように微動だにせず東原の思念を受け止めていた。
早く逃げて、と東原はあたりを警戒するように見渡した。銃声がだんだんこちらに近づいてくるような気がする。しかし、ゴブリンは動かなかった。
(カエレ)
東原の脳裏に言葉が響き渡った。東原がはっとしてゴブリンを見ると、ゴブリンは一歩後ずさった。どういう意味? 東原が話しかけようとすると、再び「カエレ」と脳内に強い調子で言葉がこだました。
「だめ。こうえんゴブリンがにげるまでここにいる!」
そういえば相手の名前を呼んだことがなかった、と思いながら東原は自分で名付けた公園ゴブリンの名を呼んでいた。
(ワレハ、ハジメ、オマエ、ナカマトオモッタ)
ゴブリンの思念が東原に語りかけた。仲間? 友達のこと? と東原は純粋に考えた。しかし……。ゴブリンの全身はつかのま青い燐光を発した。
笑っているの? 東原は茫然として、ゴブリンを見つめた。それまで好奇心たっぷりのはぐれゴブリンと思っていたが、それだけではないようだ。現に、ヒトに、きちんと思念を伝えることができる。大多数の幻獣は殺戮マシーンであり、それ以外の心を持たない。以前……東原にとってははるか昔の、薬品のにおいがする真っ白な部屋の中で過ごしていた時代、どこからか幻獣の声が聞こえてきたことがある。
研究員にそれを言うと、所内は大騒ぎになった。
「それ」は何度か続いたが、すぐに東原はその能力を失った。「……ンノタメニ」。それが最後の幻獣の言葉だった。
(オマユ、ナカマデハナイ)
公園ゴブリンはなおも東原に語りかけた。
「もう友達じゃなくなったの?」
東原が言葉と思念を送ると、ゴブリンはさらに後ずさった。どういう意味? なんでわたしから離れるの? 東原は懸命に考えた。とにかく時間がない。早く、早く逃げてー。
その時、どこからか別の声が響き渡った。
(そなたとは隔たりがあり過ぎる。そう言っているのじゃよ)
ブータ? 樹上を見上げると、ブータが険しい目でゴブリンを見下ろしていた。東原は石津と同様、猫神族の長であるブータと会話することができる。ブータのまわりにはおびただしい猫が群れ、不穏な気配を発していた。
(はじめこのゴブリンは、そなたを第五世代と思ったらしい。じゃが、そうでないことがわかると、そなたを利用することを考えた。このゴブリンは狡猾なリーダーじゃよ)
ブータの思念は容赦ないものだった。ゴブリンの全身から青い燐光が二度、三度、表れた。
「ののみ、りようなんてされてないもん!」
東原は精一杯、ブータに反論した。なんだかブータが嫌いになりそうだった。
(この騒ぎが収まり、そなたが安全に行き来しているのを見れば、誰もがゴブリンの脅威は去ったと考える。その時、はじめて公園の地下から大量のゴブリンが現れるはずじゃ。ゴブリンには希に傑出した知能を持つ者が現れると開くが、こやつがそうじゃ)
ののみは言葉を失った。ブータの言っていることが全然わからなかった。
ブータが言っているのは、公園地下にある雨天時負荷放流システムのことだった。この一帯は海抜が低く、大雨の時は水が溜まりやすい。そこで市の土木課は公園の付近の道にわずかな傾斜をつけ、この公園に流れ込むようにした。雨水を大量に貯め込む地下空間を作り、そこから水を下水道に放流する考えだった。とはいえ、予算の不足から、作られたのは単なる巨大な地下空間と水路だけとなった。水は下水道ではなく、白川へ直接流れ込むようになっている。
これも予算不足のために市の下水処理が限界に達していたためだ。
これを格好の進入路として、ゴブリンが目をつけたのだ。
ざわざわ、と不気味な足音が聞こえてきた。ゴブリンが続々と公園に現れた。
公園ゴブリンとブータが同時に動いた。衝撃があった。
ゴブリンに体当たりされ、気絶した東原の小さな体は、しかし地面に激突せず、浮遊したまま猫たちの守る領域へと移動していった。
「しゃーっ」
ブータと猫たちは牙をむき出して、ゴブリンの群れに襲いかかった。
「なんだか肌が粟立つような……」
瀬戸口と並んで駆けながら壬生屋がつぶやいた。ふたりはヨーコと手分けして、銃声が聞こえるたびに、その方角へと向かっていた。どこにも東原の姿はなかった。
「ああ、俺の妖怪アンテナも反応しているな」
「なんです、それ?」
「……知らなくていい。思い出したんだ。東原は公園の方角をしきりに気にしていた」
公園、と聞くと壬生屋も大きくうなずいた。
「わたしもそこへ引っ張られるような気がして」
「決まりだ」瀬戸口がダッシュすると、壬生屋も草履の音を響かせ、後に続いた。
走りながら、瀬戸口は再び声を張り上げた。
「宮里軍曹、公園の捜索はまだですか!」
ほどなく声が返ってきた。
「まだだ。すぐに人数を派遣しよう」少し経って、宮里の太い声が言葉を継いだ。
「おまえの殺気とやらを信用してやる」
公園に足を踏み入れたとたん、ふたりは息を呑んだ。何故か野良猫の死骸とゴブリンの消えつつある死骸が入り交じっていた。ふたりの姿を察知したとたん、生き残りの猫たちは逃げるように駆け去った。すると、とある大木の幹の下に東原は横たわっていた。
「ののみサン……!」
ふたりが振り返ると、ヨーコが茫然とたたずんでいた。マシンガンを構えると、ひっそりと静まっている薮の中を掃射した。弾丸を受けた二体のゴブリンが、襲いかかってきたが、ヨーコは冷静にゴブリンを葬った。
その間に、瀬戸口と壬生屋は、東原のもとへ駆け寄った。
「強いショックを受けたんだろうな。怪我はないようだ」
瀬戸口は安堵の息を洩らした。
……夢の中で東原はブータの話を聞いていた。夢なのに、ブータは先ほどのことについて諭すように語っていた。
(東原ののみ。そなたは希望。そなたは導く者。人類の未来に夢と希望を与える導き手じゃ。生きねばならぬ。たとえ傷つき、身も心も砕かれようとも、そなたは笑顔で人々に接し、希望を与えねばならぬ)
「むずかしいよ。ののみ、そんなんじゃないもん」
(そなたが成長すればわかる)
「ののみはね……」
大人になれないのよ、と言おうとした時、まばゆい光の中に瀬戸口と壬生屋、そしてヨーコの顔が浮かび上がった。
「大丈夫か、東原……?」
瀬戸口が穏やかに、やさしく尋ねた。壬生屋とヨーコは心配顔である。
東原は一瞬泣き顔になったが、すぐににっこりと笑顔を見せた。
「ののみ、だいじょうぶだよ。みんな、ごめんね」
「そんなこと、もういいんです」壬生屋が瞳をうるませて言った。
「家に帰りましょうネ」ののみの笑顔に、ヨーコも微笑みでもって応えた。
「……どうやらそうもいかなくなったようだな」
瀬戸口が厳しい表情になると、耳をそばだてた。四十五口径の弾倉を取り出して「七発か」とつぶやいた。
ざわめきが激しくなった。壬生屋は口許を引き締め、絞り出すように言った。
「四方からここに集まってきます。こんなにたくさん、どうして……」
偵察役のゴブリンが公園の反対側、ジャングルジムのあたりに姿を現した。わずか四人の学兵を確認すると、ほどなく十体近くのゴブリンが姿を現した。別の方角からさらに十。薮のかなたからはさらに多数の気配が感じられた。
「……わたくし、薮の方へ」
壬生屋が凛とした表情で言い放つと、瀬戸口の腕が伸び、ぐっと胴着を掴んだ。
「な、何を?」
「おまえさんは死んじゃだめだ。東原を背負って逃げろ。出口まで二十メートル。俺と……ヨーコさん?」
「わかっていマス」
こんな状況にも拘わらず、ヨーコは笑顔で応えた。
「……で援護する」
「わかりました」
壬生屋は静かにうなずいた。彼女とて武門の生まれだ。感情を抑え、今は最善と思える瀬戸口の選択に従うつもりになった。
「すぐに行くぞ。よしっ――」
瀬戸口は出口付近のゴブリンに狙いを定めると撃った。同時にヨーコのサブマシンガンが、付近の敵を満遍なく掃射する。
壬生屋は東原を背負うと、出口に向かって突進した。途中、一匹のゴブリンが襲いかかってきたが、蹴りを飛ばすと、鈍い感触がしてゴブリンは吹き飛ばされた。
「くそ、次から次へと……−」
瀬戸口の声。出入り口にすごい勢いでゴブリンが殺到してきた。
その時である。一匹のゴブリンがゴブリンの集団と東原をおぶった壬生屋の間に立った。ゴプリンの足が止まった。
「こうえんゴブリン……」
壬生屋の背中で東原が小声でつぶやいた。
ほどなく、三十体はいるだろう、出入り口付近のゴブリンがふたつに分かれた。ふたりの前に脱出路が開けた。
「どういうこと……?」。壬生屋の困惑した声が聞こえた。
「にげていいって。未央ちゃん、はやく!」
言われるまでもなく、壬生屋はダッシュする。ゴブリンは道を譲ると、遠ざかる東原の姿を見送った。東原が振り返ると、瀬戸口とヨーコは敵中に取り残されたままだ。公園ゴブリンの姿はすでに集団の中に紛れ、瀬戸口が笑って手を振ってくれた。
微妙な対時の瞬間――。
「東原さん、泣いているんですか?」
壬生屋は無我夢中で走りながら、尋ねた。先ほどから首筋のあたりに暖かい液体がひっきりなしに流れている。自らの視界もぼやけていた。
「ううん、ないてなんかないもん。ののみ、ぜったいになかないのよ」
「東原さん……」
不意に機銃音がこだました。
壬生屋が振り返ると、ウォードレスを着た憲兵隊が公園内のゴブリンに整然とした銃撃を加えていた。圧倒的な火力にさらされ、ゴブリンの姿はダンスを踊るように跳ね、裂かれ、吹き飛ばされていった。
増援が到着したのだ。小隊機銃を腰だめにして撃ちながら、宮里軍曹が突進する姿が東原と壬生屋の目に映った。
数分後――。
ゴブリンは全滅していた。なるほどプロの仕事だな、と思いながら、木の幹にもたれ、瀬戸口はなおも付近を警戒する憲兵たちを眺めていた。ヨーコも放心したように膝をつき、座り込んでいた。
「瀬戸口さん! ヨーコさん!」
甲高い声に、ぎょっとして憲兵たちが声の主を見る。壬生屋が駆け寄ってきた。「あいたたた」。激しい振動に東原は思わず声を上げた。
「遅れてすまん」
宮里の声がした。瀬戸口は皮肉に笑うと、宮里を見上げた。
「あと二、三秒遅ければバラバラ死体になっているところでしたよ。お陰で憲兵さんのありがたみ、よーくわかりました」
瀬戸口のへらず口に宮里は一瞬、不快な表情を浮かべたが、すぐに、ふっと笑った。
「数を揃えていた。本部から放流システムのことについて指示があったんでな。あと一個小隊がこちらに移動中だ」
「なるほど」
放流システム、と聞いて瀬戸口は真顔になった。
ここからゴブリンが町中への侵入を繰り返していたわけか、と納得した。薮の向こう。今はしきりに憲兵が出入りしているあたりに、普段はがらんとだたっぴろい地下室への出入り口があるはずだ。台風、大雨の時には地下室に水が流れ込んで、水位に応じて川に放流されるようになっている。市中の公園には単に遊び場だけではない付加機能がある場合が多い。皮肉なことにこれがゴブリンに利用されていた。
「瀬戸口さん……!」
壬生屋が駆け寄ってきた。瀬戸口は、心配顔の壬生屋に、ふっと笑いかけた。
「首の皮一枚、つながったってところだ」
「どうして……」
壬生屋は言いかけて、口をつぐんだ。あのゴブリン……。あのゴブリンが時間を稼いでくれなければ全員の命はなかった。あの数秒の時間が、自分たちの生死を決めたのだ。
「東原は?」
「え、ええ……」
壬生屋は目で東原を示した。東原は公園の真ん中にぽつんとたたずんで、消えてゆくゴブリンの群れを見つめていた。
たすけてくれたんだね。こうえんゴブリン。
むずかしいことはわからないけど、いっしょにいて、ののみ、たのしかったよ。
東原は頭を垂れて、祈りの姿勢をとった。その姿は、なおも敵を求めてせわしなく動き回る憲兵たちとは対照的だった。誰にも、何者にもその祈りは邪魔することはできなかった。屈強な憲兵たちも自然と、東原を避けるように通り過ぎてゆく。壬生屋が近づこうとしたが、瀬戸口は首を振って止めた。
瀬戸口がふと振り返ると、ヨーコは穏やかな表情を浮かべ、東原を見守っていた。
「何があったのか、何が起こったのか……」瀬戸口が話しかけると、ヨーコは微笑んだ。
「そうですネ」
「聞かないことにしよう。東原が話してくれる時まで」
「ええ」壬生屋は悲しげな表情で、頭を垂れて立ち尽くす東原の姿を見た。
三人はそれぞれの思いを胸に、祈る東原を見守った。
[#改ページ]
速水厚志の憂鬱
[#改丁]
たとえどんなことがあったって、僕はこの隊で生き延びてみせる。
朝、目を覚ますたびに、天井を見上げ、厚志はそうつぶやいてみる。閑散とした集合住宅の一室だったが、まめな性格から、カーテンを引き、細々とした生活雑貨を揃え、そこそこ快適な生括を送っている、と自分では思っている。
ただ、この部屋にひとりでいると、独り言が多くなるんだよなあ、と厚志はつくづく思う。
たまに滝川が泊まっていくことがあったが、そんな時は親友が恐縮するぐらい喜んでそいそと茶を掩れ、とっておきの卵料理をつくる。
「へっへっへ、おまえ、きっといい嫁さんになるぜ」と滝川は冷やかすが、厚志は曖昧に笑ってごまかすようにしている。
滝川にもきっと事情があるんだろう、と速水は察していた。ゲーム機とソフトを大量に持ち込んで速水の部屋を訪れる時の滝川は、テンションが高過ぎる。けれど敢えて何も言わないことにしている。同じだ、と思っていた。静かで穏やかな時間を過ごしているはずなのに、いつのまにか心の奥をのぞきこんでいる自分に気づき、はっとすることがある。心の奥底にしぶとくへばりつき、白い壁の中で過ごした日々の決して消えぬ過去の傷跡。屈辱。恐怖、憎悪、怒り――ありとあらゆる負の感情がわき出しできそうで、厚志はそのたびに必死でそれを抑える。
悪夢は時折訪れる。だから、朝、厚志は必ずこの言葉をつぶやいてみる。
その朝も夢を見た。白い壁。消毒液のにおいと迫る注射針のきらめき。白衣を着て、マスクで顔を隠した人々が自分を取り囲んでいる。心を持たぬマネキン人形のように呆けたような表情を繕っている自分がいる。
「僕は自由だ。……どんなことがあったってこの隊で生き延びてみせる」
5121小隊が厚志のすべてだった。山野を幽霊のようにさまよっていた自分に生まれてはじめてできた仲間たち。知り合ってわずか一ヵ月に過ぎないけれど、自分は最後まで彼らを守り、僕自身も生き延びるだろう。
厚志は呪文のように唱えると、跳ね起きて出勤の準備をする。簡単な食事を採り、歯を磨き、洗面所の鏡に、にこりと笑いかける。うん、大丈夫だ。厚志は顔の筋肉をゆるめると、口許だけの笑みを浮かべた。
不意に多目的結晶が鳴って、出撃準備を伝えてきた。厚志は軍用ポシェットと紙袋を抱えると部屋を走り出た。
「おおーい、速水ィ」案の定、滝川と途中で一緒になった。滝川も見かけによらず朝だけは凡帳面だ。並んで走りながら厚志は滝川に紙袋をトスした。
「へっへっへ、おまえがお嫁さん……じゃなかった神様に見えるぜ」
足を止めずに、滝川は紙袋からサンドイッチを取り出すと、口に頬張った。
「前にも同じことがあったからね。面倒くさいの? それともなんかの願掛け? 自分で料理をしないの」
「ん……なんつうか、台所が苦手なんだよ。へへっ、俺って台所恐怖症なんだよな!」
滝川は顔を赤らめ、ぎこちない笑顔をつくった。
「あはは。なんだか勝手な恐怖症だね」本当のこと言ってるな、と感じながら厚志は笑って、軽くスルーしてみせた。
「えへへ」
尚敬校の校門が見えてきた。背後から軽やかな足音がして、ふたりをあっさりと追い抜いた。ポニーテールが規則正しく左右に揺れる。
「急げ!」振り返りもせず、芝村舞は言うと、校舎裏へと消えていった。
「二〇一X一、二〇一X一。全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限りすみやかに教室に集合せよ。繰り返す。二〇一X一、二〇一X一、全兵員は教室に集合せよ」
校舎外に設置されたスピーカーから出動命令が響き渡る。滝川と一緒に整備テントに駆け込むと、すでに一番機の壬生屋はウォードレスを着てコクピットに乗り込むところだった。舞ももどかしげにウォードレスを調整しながら、「また、そなたに負けた」と悔しげに言った。
「わたくし、朝の鍛錬をしていただけですけど」
厚志は悔しがる舞を気の毒そうな顔で見つめた。壬生屋は幼い頃から武道で鍛えているだけあって、体力では舞は壬生屋にかなわない。舞は元々、華奢で疲れやすい体を精神力で補っている。毎日のように続く出撃に消耗の色も見せずに、「朝の鍛錬」などと言われるのは舞にとっては悔しいことに違いない。
「壬生屋さん、食事は?」厚志が声をかけると、壬生屋は微笑んで、「朝練の後、おにぎり食べましたから」と言った。
「む、なにゆえわたしに聞かね? その前にとつととウォードレスを着ろ!」
舞に一喝されて、厚志と滝川はあわでて整備テント隅に駆け込んだ。着替えながら「舞、食事は?」と厚志は尋ねた。舞からの返事はない。舞は元々、食事には無頓着だ。
「あのさ、クッキーでよかったら。昨日、調子に乗って作り過ぎちゃって」
「ふむ、ならば少し片づけてやろう。……そんなことより急げ、この遅刻魔め!」
遅刻なんてしてないじゃん、と言おうとしたが、あれ? と思った。舞の口から「遅刻魔」なんて単語、初めて聞く。どこかで覚えて、使いたかったんだろうな。そう思うと、厚志の頬は自然にゆるんだ。
コクピットにすべりこむと、座席を軽く蹴飛ばされた。
舞流の挨拶だ。近頃はこれが気に入っているらしい。厚志が座席越しにクッキーを差し出すと、口一杯に頬張ったに違いない、もどかしげにかみ砕く音が聞こえてきた。
「阿蘇戦区より入電。中・大型幻獣を含む有力な敵が攻勢を開始しました。わたしたちはこれより阿蘇戦区へと向かいます」
善行司令の淡々とした声が、コクピットに響いた。
「阿蘇だな」
舞の声は静かだったが力がこもっていた。広大な阿蘇戦区及び阿蘇特別戦区は地形上、激戦が繰り返し行われている前線だ。この両戦区には、機動部隊の半数が張りついている。
「そうだね」厚志が無難な相づちを打つと、また座席を蹴られた。
「戦略画面をよく見てみろ。国道212号線からの攻撃と同時に、今町〜役犬原方面の友軍が、県道沿いに侵攻してきた敵に押されてじりじりと後退している。このままでは内牧の友軍が突出したかたちで包囲されかねない。歩兵二十五個小隊……」
舞が言いかけた時、眼下の拡声器から森の声が響き渡った。
「三番機、お願いします!」本来なら森は誘導役も兼ねているが、三番機に関してはよけいなことは一切しない。厚志の操縦の上手さを知っていた。
「それじゃ、続きはトレーラーで」
厚志は言い置くと、綱渡りをするような、と表現できそうな動きでトレーラーに乗車した。
材木運搬用のトレーラーをそのまま使用しているので、機体を固定する機械的システムは一切ない。唯一、追加改造された取っ手に捕まって機体を固定するだけだ。
乗車すると同時に善行の声が響き渡った。
「おはようございます。パイロット諸君。さっそくですが今回の作戦の概要を説明しましょう。現在、敵は内牧温泉の我が軍の拠点を包囲すべく攻勢を行っています」
内巻温泉は阿蘇戦区の人類側の重要な拠点だった。温泉町は半永久陣地化され、歩兵・戦車・砲兵など六十個小隊余が幻獣軍の攻撃を支え続けている。
「内巻正面か、それとも今町・役大原間か、どちらかの方面への支援が必要であろう」
舞が口をはさむと、善行は「ええ」と応答した。
「それが定石ですが、今回我々は一の宮町から迂回して、友軍の戦車隊とともに敵戦線の背後を衝きます。たとえて言えばボクシングのカウンターですね。敵を逆包関して、いっきに殲滅をはかります」
「む……」舞の声が洩れ聞こえた。
「近場じゃないから、展開するのに時間がかかるけど」整備班長の原の声だ。
「その点に関しては、交通誘導小隊に通達が下されているはずです。国道57号線は優先的に5121及び各戦区から転進した戦車隊が使用します」
「ふうん、なんだかえらい騒ぎになりそうね」原は興味なさそうに言うと、通信を切った。
「瀬戸口だ。各車両、速度八十キロに。今回の敵目標は、戦線を突破して57号線を全面確保することにあると思われる。ここを抑えられると、戦区の友軍は干上がってしまうからな。敵幻獣の規模は中大型幻獣百二十、あとは無数の小型幻獣といったところだな。まあ、ちょっとした会戦規模になる」
「了解した。迂回するのはかまわんが、肝心の内巻温泉はどうなっている? 歩兵小隊二十五個、迫撃砲小隊八、戦車小隊十、及び諸隊が陣地を築いていることになっているが。数字と、兵の質に関しては額面通りに受け取ってよいのか?」
舞が詳細データを参照しながら、瀬戸口に尋ねる。
「ははは、なんたって温泉地だからな。よいところは自衛軍の精鋭部隊が独占するもんさ。ちなみに工兵隊も含まれている。まず、堅陣といっていいだろう」
瀬戸口の冗談めかした言葉に、舞は顔をしかめた。
「ああ、それと途中、浸透してきたゴブリンと遭遇することがあるだろうが、無視する。ま、守備する交通誘導小隊にとっては災難だろうがな」
「あのォ、これまでと同じ戦い方でいいんすよね?」滝川の不安げな声が響く。
「それでいい。滝川は煙幕弾をぶっ放して、適当に支援をしてくれ」
「了解っす」
「友軍の戦車隊と連携をはかるというが、現在この方画に向かっているのは……」
舞が再び発言すると、「まあ今回は」と善行の柔らかな声にさえぎられた。
「連携というかたちはとらず、我々は単独で行動します。今回の戦車隊は自衛軍がほとんどでしてね、我々はまだそれほど信頼されているわけではありません。ゆえに、今回の出撃は、彼らに我々の存在を深く印象づける目的もありますね」
「楽しいことになりそうだ」
厚志の背後で、舞がほくそ笑む気配がした。
学兵の間では5121は存在感を増しているが、プロ集団の自衛軍にとっては「学兵だけで編成された促成の試作実験機小隊」なるシロモノは不可解な存在でしかないだろう。
走るうちに機銃音が聞こえてきた。国道沿いに配置された交通誘導小隊の機関銃陣地に、ゴブリンの集団が襲いかかっていた。が、あっというまに車列は道路を封鎖するゴブリンを踏みつぶし、走り去った。嫌な感触がして、一瞬、車体が浮き上がった。
「あの……苦戦していたようですけど。助けないのですか?」
壬生屋の遠慮がちな声がコクピットに響いた。動体視力に関しては壬生屋は常人を超えている。一対多の白兵戦を数多く経験して、「敵の動きが止まって見える」時がコンディション最高の状態だった。
「ええ」
瀬戸口ではなく、善行のきっぱりした返事に壬生屋は押し黙った。
国道沿いに長距離砲の長大な砲身が見えるようになった。砲身を北へ向け、ひっきりなしに砲撃を加えている。砲声の中、小隊は、一の宮に入っていた。国道の南側を走る豊肥本線の線路上に列車が停車したかと思うと、客車から大量の歩兵が吐き出され、貨車に積載された戦車のシートをはがしている光景が厚志の目に映った。
「芝村さん、司令部にちょっとした挨拶を。機体を降りる準備をお願いします」
「わかった」
司令部となっている町役場前で停車すると、善行は瀬戸口、舞、原をともなって司令部へと駆け込んだ。北西の空に、砲声、銃声がこだまする。レーダードームをめぐらした厚志の目には、北へと移動する戦車群が映った。銃身から見て十二・七ミリだろうか、四連装の機銃を積んだ見たこともない装甲車に戦車随伴歩兵を乗せている。
自衛軍は贅沢だな、と厚志は思った。考えてみれば、これまで学兵主体の弱い戦線ばかりに転戦してきたから厚志を含め5121小隊の面々は本格的な自衛軍というものを知らない。装甲車はさらに見たこともない砲を牽引していた。
「なんだかすごい装備だね。大砲を持っている」
誰にともなく厚志が言うと、小隊付き戦車随伴歩兵の若宮の声が戻ってきた。
「重迫撃砲だ。歩兵中隊には必ず重迫撃砲小隊を配備するのが自衛軍の標準だな。もっとも九州の戦線じゃ標準とやらも怪しくなっているがな」
「本土決戦用に戦力を温存しているわけさ」狩谷の声が皮肉に響いた。
「けちんぼやねえ」事務官の加藤が能天気に続いた。
「うむ。軍隊というところは装備を出し惜しみする傾向があるからな。新しいオモチャは大事に宝箱に仕舞っておきたいものだ」
若宮の武骨な冗談に、整備の新井木のけらけら笑う声がこだました。
「状況が変わりました。今町〜役大原間の戦線が突破され、幻獣の大群がそれぞれ内巻、一の宮の両拠点の背後に回り込もうとしています。我々は現在、57号線に向け進撃中の敵先鋒をたたきます」
善行は戻るやいなや淡々とした口調で話しはじめた。瀬戸口が善行の言葉を引き取って、隊員たちに念を押す。
「まあ、そういうわけ。反攻計画もオトリが破れてご破算ってやつだな。状況は単純になった。国道めざして進んでくる連中を片っ端からたたく」
国道沿いに展開する長距離砲が仰角を下げ、点となって見える幻獣を攻撃している。三機の士魂号はトレーラーから降車すると、指示された方角に向かって進んでいった。
まったく、人類側の最も強力な戦域がこのざまとは。舞は唇を噛んで、爪先を伸ばし、操縦席をこつんとやった。
「十時の方角、役犬原郵便局付近で二十あまりの中型幻獣が友軍戦車隊と戦っている。我々はその背後を衝く。急げ!」
「うん」厚志はうなずくと、思いっきりアクセルを踏んだ。
二機の士魂号もそれに続く。壬生屋の一番機とは距離百。滝川の二番機は両機から五百メートルほど離れて併走していた。これまでに聞いたこともないような大量の砲声が、蒼穹にこだまし、聴覚神経を刺激する。
丘というのもおこがましい起伏を登り切った瞬間、誰もが息を呑んだ。延々と続く平坦な田園地帯で、彼我の大軍が激突していた。巧妙な旋回運動を見せて、突進するミノタウロスを砲撃する戦車群。ところどころの窪には戦車随伴歩兵が潜んで、設置したレールガンで中型幻獣を狙い撃っていた。拠点を守るため、四連装十二・七ミリ機銃が、レールガンに殺到するゴブリンをずたずたに引き裂いていた。
とはいえ、幻獣軍は突破した戦線から次々と増援を送り込んでくる。少なからぬ戦車が炎上し、黒煙を盛んにあげ、戦車随伴歩兵はゴブリン他の小型幻獣と白兵戦に移っていた。
「ゆくぞっ!」
舞の合図で、一番機と三番機は幻獣のまっただ中へ突進した。
漆黒の一番機が後方に展開し、生体ミサイルを発射していたゴルゴーンをまっぷたつに両断すると、返す刀でもう一匹を葬った。すさまじい轟音。後方の異状に気づいた敵の一部がこちらに向かってくる。壬生屋機はたちまち十体以上のミノタウロス、ゴルゴーンに囲まれた。タイミングを見計らって三番機が猛進。有線式ジヤベリンミサイルを発射する。オレンジ色の閃光の中、幻獣は次々と撃破されていった。
辛うじて生き残ったミノタウロスを、射撃姿勢をとった二番機のジャイアントアサルトがとどめをさしてゆく。戦闘開始後わずか一分三十秒。三機の士魂号はミノタウロス他、中型幻獣十体を葬っていた。
この機を逃さず、友軍の戦車隊は、半数に撃ち減らされた敵を十字砲火で殲滅してゆく。敵の先鋒、打撃部隊は完全に粉砕されたのである。
「ふふ。ふふふふ」
操縦席から笑い声が洩れ聞こえた。嫌な予感がして、舞は顔をしかめた。
三番機は急加速すると逃走中の三体のミノタウロスを迫った。急速なGに顔をしかめながら、舞は厚志を制止した。
「たわけ! 放っておけば自衛軍の戦車が始末する。新たな命令を待て」
「けど、敵が目の前にいるんだよ。あいつらは悪いやつらだ。やっつけなきや面白くないよ」
厚志の声に嬉しげな、子供がオモチャを与えられたような響きが交じった。
「待てと命令している」
舞の冷静な言葉も空しく、厚志は三番機を跳躍させると、一体のミノタウロスの背にキックを飛ばした。表皮装甲を突き破る感触。三番機はすぐに離脱すると、次へと向かった。爆発。
爆風に煽られ、機体が揺れた。
舞がジャイアントアサルトをロックオンするまもなく、厚志は弱った敵を殴り、キックで撃破していった。舞の口から悔しげな声が洩れた。ダメージコントロールシステムが点滅し、腕と脚部の損傷が報告された。効果はあるがリスクの大きな肉弾戦を行った結果、士魂号の指、掌、そして脚部は深刻なダメージを受けていた。
「全部やっつけてやった。……を殺すより楽だよ、舞」
厚志の言葉を聞いて、舞は険しい表情で「厚志!」と叫んだ。激しい戦闘の最中、たまに厚志は人が変わったように殺戮に酔いしれる。どんな表情を浮かべているか後部座席からはわからなかったが、厚志には厚志なりの複雑な事情があるようだった。
くくくっ。厚志の含み笑いが聞こえた。
「ねえ、舞。僕はオレンジ色の炎の中で焼き尽くされてゆく幻獣を見るのが好きなんだよ。きれいだよね、あれ」
「どうしたのだ、厚志……?」舞は努めて冷静に言った。
「どうもしないさ。舞は心配しすぎ」厚志は冷え冷えとした低い声で応えた。
「三番機、ただちに補給車まで帰還」
瀬戸口の声が割り込んだ。
「三番機のダメコン、参照したよ。原さんが、かんかんに怒っているぞ。応急修理をするから大至急、帰還してくれ。原さんには俺からも言っておく」
「すまん」舞は短く謝った。
整備班は国道わきに展開していた。
まわりでは自衛軍と交通誘導小隊の兵が陣地を構え、警戒体勢に入っていた。補給車の横に膝をついた三番機を、自衛軍の兵はむっつりと見上げ、学兵たちは賛嘆の目で見上げた。
「三十分休憩だ。いったん機から降りて」瀬戸口から再び通信が入って、舞は厚志をうながすと機体から降り立った。
地面に着地したとたん、ふたりは整備班の面々に取り囲まれた。舞は冷静に彼らを見渡して、内心で舌打ちした。不機嫌な顔と心配そうな顔が半々だった。厚志め。
「どぎゃんしたと? ミノタウロスと殴り合ったりして。ぬしゃら、頭ん中のネジがはずれたんかの?」
中村が自分のこめかみをつついて不機嫌に言った。
「複座型突撃仕様はそういう戦闘を想定して設計されてはいない。重装甲だったら、小手も腰当ても装着できるがね」狩谷の声が冷静に響く。
そんなことは知っている! 舞が、きっと狩谷をにらみつけると、「ほほほ」とひときわ甲高い笑い声が聞こえた。
「ああら、勇者様のご帰還ね」原は腕組みをして、満面に笑みを浮かべている。怒れば怒るほど原はにこやかになってゆく。
「……すまん」
舞と原の仲は決して良好ではない。それでも舞が潔く謝ると、原の表情が変貌した。
「芝村さんが謝るなんてねえ。このままでは射撃不可能。移動速度は半減。応急修理に三十分かかるから、その間に頭を冷やして! とっとと機体から離れなさい!」
舞は横目で厚志を見た。厚志は頭を垂れて、萎れた様子である。舞は厚志の肩を小突くと、近くの、鬱蒼とした樹木を茂らせている神社に誘った。
「……ごめん」
厚志は境内の一画に腰を下ろすと、機体を降りてからはじめて口を開いた。
「そんなことはもういい。どうしたというのだ? あの時のそなたは別人のようであったぞ」
舞は静かな声で尋ねた。突風が吹き、樹木のざわめきが耳を圧した。
「……んだ」厚志は小さな声で言葉を発した。強風に前髪が垂れ、表情を隠していた。
「聞こえなかった」
厚志は自信なさげに地面に視線を落とした。
「狂っているのかな」厚志はぽつりとつぶやいた。
沈黙が続いた。舞は大木の根本に腕組みをしてたたずんでいた。風が舞のポニーテールを揺らす。舞は「ふっ」と短く笑った。
「自分なりの言葉を探していた。……そのことについてわたしは何も聞かぬ。たとえそなたの魂に狂気が宿っているとしでも、わたしはそれにつき合おう」
「舞……」厚志は舞をちらと見ると、再び視線を伏せた。
そんな厚志に、舞はまっすぐな視線を投げかけ「案ずるな」と静かに言った。
「案ずることはない。そなたも自らの狂気と辛抱強くつき合うがよい。殺戮することに喜びを感じるなら、より冷静に、より効率的に殺戮しようではないか。我らはともに純粋な戦闘機械となることで、そなたの狂気を満足させてやろう。どうだ? もうひとりの速水厚志よ」
神社の神さびた境内で語るうちに、はじめは怒りと憂鬱に曇っていた舞の表情に覇気が戻ってきた。舞の生き生きしたまなざしに厚志はいったん顔を背けたが、ほどなくその視線を真っ向から受けた。
「ありがとう、舞」
厚志の表情からいつもの愛想笑いは消えていた。真剣で凛としたものが宿っていた。ふむ、これが厚志だ、と舞は心の中で高揚するものを感じていた。
「さて、と。おふたりさん。デートはおしまい。修理が完了したわ」
不意に冷やかすような声が飛んできた。原素子が鳥居にもたれてにこやかにたたずんでいた。
「で、でえとだとっ……! そ、そんな不謹慎なものではない! 我々はもっと本質的な問題を語り合っていたのだ」
舞の顔が赤らんだ。それを見て原は、ほほほと声をあげて笑った。
「人の話を盗み聞きする趣味はないから安心して。それで、その本質的な問題とやらは片づいたわけね」
「む。そんな簡単なものではない」舞は普段の不機嫌な表情に戻って言った。
「わかっている」原の笑顔がつかのま消えた。
「さあ、とっととコクピットに戻って。ね、速水君。二度とあんなことをしたら、段ボール箱に詰めて公園に捨てるからね」
「す、すみません……」速水も顔を赤らめて謝った。滝川もこわがっていたけど、整備班の面々には、イタズラを本気で追求する奇妙な実行力がある。朝、目が覚めたら、本当に段ボール稗に梱包されて公園に捨てられていたらどうしよう?
「三番機、修理完了。芝村さん、速水君、お原いします!」森の声がメガホンを通じて境内にまで響いてきた。
「敵、第二披、来るぞ。二番機は遮蔽物を探して射撃姿勢をとれ。壬生屋は……そうだな、適当に大暴れしてくれ」
瀬戸口の声が二番機のコクピットに響き渡った。滝川はレーダードームをめぐらすと、適当な窪を探して、匍匐姿勢をとった。
「……適当に大暴れだなんて、もっとまともなことをおっしやってください!」
壬生屋のきんとした声が鼓膜に響く。近頃の瀬戸口と壬生屋はこんなやりとりばかりだ。面白いのはいいんだけど、壬生屋の声は鼓膜に悪いんだよな、と滝川はぼやいた。人類側は戦線を一キロ押し戻し、三番機が抜けた後、二機の士魂号は戦線の東端に陣取っていた。滝川の視界に、陣地構築を急ぐ自衛軍の戦車随伴歩兵の姿が映った。あんたらはモグラかとあきれるくらいにさくさくと塹壕を掘り進めてゆく。
「敵の規模は中型幻獣二十八。小型幻獣、例によって多数。三番機もおっつけ駆けつけるから、それまで頑張ってくれ」
瀬戸口の柔らかな声。これに壬生屋の心配そうな声が反応する。
「あの……どうしちゃったんでしょう、あのふたり。あんなふたり、初めて見ました」
「ははは。あいつら、まじめ過ぎるから。初めての大規模戦闘で血が高ぶったんだろうま。壬生屋はえらかったぞ。冷静に戦っていた」瀬戸口は巧みに話題をそらした。
「そんな……ただ、いつも通りに戦っただけですわ」
壬生屋の照れくさげな声が続く。確かにふたりともどうしちまったんだ? 滝川は支援役として戦況を見る時間と余裕があるだけに、三番機のことが心配だった。ふたりとも変わり者だけれど、冷静で頼りがいがある。
けどまあ……と滝川は、以前、舞の言った言葉を思い出した。
「滝川、そなたは生き延びることだけを考えよ」と。今の俺にはやつらのこと考える資格はねえか。
後方で長距離砲、ロケットランチャー、迫撃砲、ありとあらゆる砲声がこだました。
「ええと、壬生屋。できる限り支援射撃すっから、射程内にいてくれよ」
半ば不安を隠すため、滝川は壬生屋に通信を送った。
「ええ。三番機がいないから、慎重に戦わないと。一体つつ確実に処理します」
「うん」
応える滝川の視界の端に、二台の装甲車が停車するのが見えた。戦車随伴歩兵が降車して、二番機の横でレールガンを設置しはじめた。
指揮官らしき少尉が、二番機を見上げると叫ぶように言った。
「邪魔するぜ。あんたら、けっこうやるじゃないか。俺らにも肉切り包丁があるんだが、何かあったらレールガンを守ってやって欲しいんだ」
肉切り包丁、という言葉に滝川は全身を震わせた。すなわち十二・七ミリ四連装機銃の愛称だが、滝川は慕える手で拡声器のスイッチを押した。
「……あ、こちらこそよろしくっす」
自衛軍の一部にも、士魂号を認める者が現れた。本当なら喜んでよいことだが、滝川は必死に内心の動揺を押さえつけていた。
肉切り包丁――。
滝川の脳裏に、台所にたたずむ母親の後ろ姿が浮かんだ。包丁を手にして、苦痛に悲鳴をあげながら自らの手を切り刻んでいる。浪厚な血のにおいが部屋中に漂って、悲鳴を聞きつけた隣室の人間が呼んだのか、警察と救急隊員が乗り込んできた。滝川は部屋の隅に膝を抱え、震えているばかりだった。
母親は、自傷行為の常習だった。自分を傷つけ、滝川を傷つけた。小学校の課題で、滝川が描いた「母ちゃん」の絵は、真っ赤な色で満たされていた。
「参ります」
壬生屋の声に我に返った。こちらに向かって五体のミノタウロスが進んでくる。後方からゴルゴーンの生体ミサイルが独特の風切り音を上げて飛んでくる。
背を向けて敵に突進する一番機の後ろ姿を、滝川はぼんやりと見送っていた。記憶の底にへばりついていた膿がじくじくと痛んだ。邪魔者。厄介者。おまえなんて消えてしまえ。ヒステリックな女の声がわんわんと脳裏にこだました。
「距離五百。滝川さん、左の二体を頼みますっ!」
壬生屋の必死の声に、滝川は辛うじて反応した。ジャイアントアサルトが火を噴いたが、曳光弾は敵のはるか頭上を通過していった。
生きる意味なんてあるのか? この俺に? 俺なんて消えちまったほうがいいのかな。学校じゃひとりも友達ができなかった。5121に来て、初めて仲間ができたと思ったけど、皆の足を引っ張るだけだし。速水や壬生屋だけに危険な仕事させて。俺――。
二番機は身を起こすと、ジャイアントアサルトを腰だめにして撃ちながら、戦闘の渦中に接近していった。左隅の一体にこれでもかと弾丸をたたき込む。その際に、もう一体のミノタウロスが猛然と突進してきた。
「滝川、どうしたんだ? 拠点に戻れ」瀬戸口の声がコクピットに響き渡った。
百メートルのかなたでようやくミノタウロスが爆発した。しかしもう一体の姿は視界一杯に広がっていた。敵がハンマーのような腕を振り上げた瞬間、射撃音が聞こえてミノタウロスは爆発した。爆風を受け、二番機はバランスを失って地面にたたきつけられた。
「たわけ! そなたは後ろへ下がっていろ!」
舞の一喝する声が聞こえた。
「どうしちゃったんだよ、滝川? 軽装甲でミノタウロスと白兵戦なんてむちやだよ」
厚志のオットリした声が続いた。滝川は機体を起こすと、速水に向かって叫んだ。
「おまえが言うな。おまえが!
笑い声が聞こえた。速水の声だった。
「ごめん。けど、君の機の背中を見たら、なんだか悪い予感がしたんだ。僕、そういうの感じるの得意だから」
そう言いながらも三番機は、二番機を追い超し、壬生屋の一番機に接近する。三体のミノタウロスと無数の小型幻獣はたちまちオレンジ色の業火に包まれた。
なんだか憑き物が落ちたように二番機は窪へと下がった。
「……だったら、俺みたいに二番機と話ができるはずだぜ。速水、それできないじゃん」
滝川は言い募りながら、視界の隅にレールガンに接近するゴブリンの大群を確認。ジャイアントアサルトを連射し、散々に蹂躙した。
「三番機は話をしないんだ。代わりに、僕に生きる意味を与えてくれる。戦って、戦い抜いて皆を守ってやれって。僕の生きる意味は、戦う機械になることなんだ」
ちっくしょう。そんなのってまちがってるぜ、と言おうとした瞬間、舞の声が割り込んだ。
「この大たわけ! 何が、生きる意味、だ。速水もそなたも、心が弱すぎる。戦闘中にこんな馬鹿げた話をしているのは我が隊ぐらいだぞ」
「けど、芝村だって世間知らずじゃん! 聞いたぜ。時計の電池が交換できなかったって」
二番機は元の位置に収まると、炎に引きつけられる羽虫のように群がってくる、中、小型の幻獣に向かって射撃をはじめた。
「む、むむむ。それとこれとは範疇が違う。そなたとはまともに議論もできぬ」
「はんちゆう、ってなに? おまえの好きな寄生虫?」
「舞は難しい言葉は知ってるんだけどね。僕も時々、わからないことがあるよ」速水がとりなすように言う。
「……あの、皆さん、まじめに戦ってください! 戦闘中なんですから」
壬生屋の、きんとした声がコクピットに響き渡って、滝川は顔をしかめた。滝川の視界に、三番機と一番機が背中合わせになって戦っている姿が映った。幻獣が殺到した瞬間、再びオレンジ色の業火がまばゆく滝川の目を刺した。
……この日、人類側は突破された戦線を再構築し、5121小隊は、自衛軍とともに初期の作戦案を実行に移した。完全包囲には至らぬものの、突出した敵の背後に進出し、多数の幻獣を撃破した。日が暮れると同時に、5121小隊は、工兵を含む自衛軍と交代し、帰途につくこととなった。
阿蘇方面軍の司令官からは、一枚の感状が後に届けられた。5121小隊が、初めて全軍に認められた瞬間であった。
「善行のやつめ、にやけおって。感謝状を額に入れて飾っておった。あんなもん、ただの紙切れに過ぎぬというのに。案外、俗物かもしれぬな」
舞は紅茶をすすりながら、苦々しげに言った。
「けど、そういうのって必要だと思うよ。自衛軍とのつき合いも長くなるだろうし」
厚志が善行を弁護するように言った。司令室を訪れる自衛軍他の関係者への気遣いだろう。
厚志はそういう善行司令が嫌いではなかった。
ふたりは厚志の部屋のダイニングルームで向かい合って紅茶を飲んでいた。戦闘後、舞が顔を赤らめながら、「そ、そなたは何かと面倒をかけるゆえ、監視役が必要だ。……一度、そなたの部屋を訪問してやっでもよいぞ」と言ってきたのだ。
む、むむむ、とうなりながら舞は耳たぶまで真っ赤になって顔を背けた。それに引きずられるように厚志も顔を赤らめた。
「部屋を見て……その、心理分析だっけ? そんなのするの?」などと言ってしまった。舞をフォローする習慣がついていることに厚志は気づいていない。
「その通りだ。冷静に分析せんとな」舞は救われたように、口の端を吊り上げた。
「部屋らしい部屋だ。カーテンまである」
舞はあらためて、細々と揃えてある厚志の部屋を見渡した。
「風景画なぞ飾りおって。しかも安っぽいな」
「あはは。これ、裏マーケットの露店で買ったの。見てるとけっこう落ち着くよ」
「ふむ。ならば分析結果を。そなたは普通の生活に憧れ……」
舞が言いかけた時、部屋のドアがノックされ、滝川が姿を現した。ゲーム機とゲームが入った紙袋を提げている。
「へっへっへ。ちょっと近くまで来たもんだから」
厚志の顔を見ると、滝川はにかっと笑って言った。
「うん。あがってよ」
厚志はにこりと笑って滝川を差し招いた。何事かとダイニングルームから舞が顔を出すと、滝川の表情が凍りついた。舞も「む」とうなったきり、顔を背けた。
「……あ、俺は近くまで来たもんだから」と滝川。
「たわけ。三十秒の間に同じセリフを繰り返すな。わたしは厚志のカウンセリングをだな……」
「リングって……指輪かなんか?」滝川が首を傾げる。
「そなたとはまともに話もできんのか?」舞の不機嫌な顔がいっそう不機嫌になる。
「と、とにかく中へ入ってよ」
なんだか変な組み合わせになったな。これからどうなるんだろう? 舞がキレるか、滝川が散々に言われて逃げ出すか? けれど――何が起こっても僕は嬉しい、と思いながら厚志はいそいそと紅茶を沸かしにキッチンへと走った。
底本:電撃文庫
「ガンパレード・マーチ 5121小隊《しょうたい》の日常《にちじょう》U」
榊《さかき》 涼介《りょうすけ》
二000五年十二月二十五日 初版発行
2008/11/24 入力・校正  hoge