ガンパレード・マーチ 九州撤退戦・下
榊 涼介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
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(例)司令部救援|分遣隊《ぶんけんたい》
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南関インターチェンジ付近 〇六〇〇
五月七日、早朝。
一台の戦闘指揮車が善行忠孝らの目の前で停まった。緑・黄・暗赤の迷彩が施されている。
探照灯、一二・七ミリ機関砲の機銃座、そして車輪回りの泥除けなど、再生品の5121小隊の指揮車に比べれば贅沢な造りだった。何よりも車体をひと日見た時の印象が違う。別の車種かと思われるほど、静かなエンジン音を響かせていた。
ハッチが開けられ、三十代後半ぐらいの少佐が姿を現した。少佐は善行の姿を認めると、歩み寄って敬礼をした。
「自衛軍第27戦車旅団の村上です」
「5121独立駆逐戦車小隊の善行です」
善行も敬礼を返す。階級では上級万翼長は中佐待遇にあたる。少佐よりは階級が上にあたるが、ここいら辺の上下関係には、自衛軍と学兵の間には微妙なところがあった。
しかし、前線で鍛えた軍人らしく、村上は率直に礼を述べた。
「5121さんの救援がなければ、あたら精鋭を全滅させていました。それにしてもあなたがたは決断が早く、大胆ですな。こちらは夜間戦闘をためらってしまった」
村上らの単独突破では成功はおぼつかなかっただろう。阻止され、移動中の無防備な部隊は続続と来援する敵に包囲され、全滅していたはずだ。包囲突破は士魂号の強力な打撃力があって、初めて可能なことだった。
「まあ、実際に指揮を執ったのは……」
善行は苦笑いを浮かべながら、機を降りてこちらへ近づいてくる芝村舞を見つめた。
「芝村上級万翼長だ」
舞はそっけなく名乗ると、休む間もなく警戒態勢に入っている自衛軍の兵たちを見やった。
救出した三十個小隊にもレベルの差があった。練度の低い学兵の多くは、気が抜けたように地面に座り込むか横たわっている。不眠不休の戦闘は学兵にとっては地獄だったろう。
舞はまだ戦闘の余韻が残っている鋭い目つきで村上を見た。
「稼働可能な戦車は? 歩兵は? そちらには整備員は残存しているのか? 弾薬は?」
「芝村さん、落ち着いてください」
矢継ぎ早に質問を発する舞を、善行は苦笑して止めた。
「まずは少佐殿の今後の意向をうかがいましょう」
「意向とは?」
村上少佐は生まじめに尋ねた。
「実はひとつ問題がありましてね。我々は撤退命令に背いているのです」
「……なるほど」
生粋の軍人にしては反応が鈍かった。普通なら「抗命」と聞いたとたん、目を剥くだろう。
「我々は撤退命令に背き、あなたがたと作戦を共にしました。これはわたしと隊員一同の意志です。5121は如何なる命令が下されようと最後まで友軍の撤退支援に回ろうと考えています。少佐殿はいかがなさいますか?」
善行の言葉に村上少佐は少し考えて一通の命令書をかざして見せた。本土への撤収。命令書にはそう書かれてあった。
「菊池・山鹿方面の残存兵力を吸収しつつ、撤退をはかるつもりでした。しかし、敵の進撃が早く、包囲されてしまったしだいです。救援の軍は……」
村上は言葉を区切ると、苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「到着が昼以降になると。敵の妨害激しく、損害多数……というのが最後の通信でしたが」
「ええ。事情は理解しているつもりです」
「どうやら指揮系統は破綻しているようですな。わたしも命令に背きましょう。司令殿の指揮下に入りたいと考えております」
村上はあらたまった面もちで決意を表明した。
「ならばさっそく」
善行は村上と舞に今後の方針を告げた。このまま北上しつつ、友軍の撤退を支援するというのが大前提だった。損害の大きな隊は、順次、福岡・博多方面に向けて先発させる。
村上は従来の隊を率い、善行は引き続き5121小隊で村上の部隊群を支援する。
「司令部からはなんの音沙汰もありませんがね、作戦目標のその一は北九州と中部九州の連絡線の確保、二は友軍の撤退支援。それでよろしいですね」
善行の言葉に、村上と舞はうなずいた。確かに、それしかないだろう。村上の率いる諸隊はまだ十分に戦えるし、こちらも同じく、だ。
「司令部は八女に置きましょう。5121が先発します。瀬戸口君、指揮車を発進させてください」
善行は指揮車の機銃座によじ登ると、車内に声をかけた。舞も士魂号へと駆け去った。整備を終えた三機の士魂号はトレーラーに搭載され、5121小隊の車両群は次々とエンジン音を響かせ、北上を開始した。
背後では村上の部隊が、車両のエンジンを響かせている。戦車随伴歩兵たちが窮屈そうに撃ち減らされた車両に乗り込んでいる。
負傷兵は数台のトラックにまとめて乗せられ、その横を医薬品を積んだ軽トラが併走する。
「ああ、やっと帰ってきた。年寄りには辛い旅でした」
善行はそう言うと、眼鏡を押し上げた。
「長旅ご苦労さんです。少し眠ったらどうです?」
瀬戸口隆之がオペレータ席から声をかけてきた。
「そうですねえ、そうさせてもらいますか。石津さん、機銃座をよろしく」
善行は機銃座から降りると、助手席に腰を下ろし、ほどなく寝息をたてはじめた。
九州自動車道八女・南関間 〇六〇〇
「にしてもモグラのモグちゃんはねえだろう」
操縦席から男の声が聞こえた。
「けど、せっかくテレビに出られたんじゃん。目立つためならなんだって言うよ」
紅陵α小隊司令の佐藤まみは、ふふん甘いな、というように笑った。
学兵でしかもモコス、こんなマイナーな隊はそうないのよと言いたかった。だからせいぜい目立って、エアコンを付けてもらうとか、待遇を改善してもらわないと。
モコスは軽ホバー輸送車のシャーシを流用して、巨大な一二〇ミリ砲を搭載しているせいでバランスは悪いし、速度はのろいし、これまで攻勢的作戦てやつで活躍したことはなかった。要するに動く砲台なのよ。装輪式戦車・士魂号Lが支給されるはずだった小隊に代わりにモコスが支給された時に、思いっきり落ち込んだことを未だに覚えている。
これなに? という感じ。ホバー駆動そのものがあやしく、だいたいこんな小さな車体にどでかい大砲積んでどうするんだろうと思った。
おかげで居住性は最悪。自分を含めて四人のクルーがすし詰め状態となっている。彼女が座っている砲手席の隣には自動装填式の巨大な一二〇ミリ砲。
射撃するたびに駐退《ちゅうたい》機がレール上を激しく動き、すぐ鼻先をかすめてゆく。一応安全とはわかっているものの、とっても嫌な感じだった。
クルーが同じ学校の女子だけだったらまだいい。今のクルーは旧ソフトボール部でバッテリーを組んでいた相方と、熊本駅前で拾った野良女子学兵。本隊とはぐれてしまったらしく、そのままここに居着いてしまった。
最悪なのは、男が一匹加わったことだ。「アホの化工」と馬鹿にしていた学校の学兵が、部隊全滅ということで、なんとこちらに回されてきた。幸いなことに一応、類人猿並の知能はあるようだから、操縦手を任せている。ただ、異臭がする。
野郎臭い。佐藤は、「あんたは一日三回風呂に入りなさい」と指揮官権限で命令している。
他にはポプリだの、トイレ用の芳香剤だの、冷蔵庫用脱臭剤だのいろいろなものを車内に持ち込んでいるが、こいつの野郎臭さだけはどうしようもなかった。
「そんなことより、あんた、風呂に入ってる?」
「馬鹿たれ、んなことできるわけねえだろ! まわりを見てみろってんだ」
彼女らのモコス、紅陵α小隊一号車・通称「モグラ」が隠蔽されている背後、一キロ後方には九州自動車道が走っている。
周辺は、見渡す限りの田園地帯で遠くに阿蘇山系の稜線が見える。一号車は無人の農家の近くの薮に二メートルほどの穴を掘り、迷彩ネットに草を植えつけ身を潜めている。穴を掘るのは、車高が高いモコスの露出部分をとにかく少なくするためだ。
近くに家があるというのは助かる。風呂もあるし、水道だってあるだろう、と佐藤は期待したが、水道が止められていると聞いて万事休す。スプレー式の芳香剤を鈴木に振りかけて我慢するしかなかった。それが鈴木には屈辱らしく、「てめーらだって女臭いぜ」と文句たらたらである。
「これってけっこう深刻な問題よね」
無線手席で元ピッチャーの神崎由美が取り成すように言った。なあ、神崎、全然取り成していないよ、と佐藤は思って、芳香剤のスプレーを目の前の操縦席に発射した。「わっ!」鈴木は悲鳴をあげると、苦労して百八十センチの体を砲手席に振り向けた。
「馬鹿野郎! 何しやがる」
「あーら、女の園に迷い込んできたハエの臭いを消してあげただけよ。だいたいね、わたしがあんたをイジメて追い出そうとしているってシチュエーションなの。とっとと化工の類人猿どものところに戻りなよ」
アニメのヒロインをイジメる悪役のお姉さんの声で言う。
「だから……全滅したって言ったろう」
「全部が全部、やられたわけじゃないでしょ。ねえ、そういうのってやめにしない? 美女集団の中にある日突然迷い込んできた男ってパターン。いくら待っても何も起こりやしないって。美少女マンガオタクの世界じゃないんだから」
こいつはなんだかイジメたくなる、と佐藤は思った。新参者のくせにけっこう自己主張するし、前は装輪式戦車に乗っていたとかで、操縦だけは妙にうまいし。
一番いけないのはユーモアのかけらもないことだ。何か冗談を言ったら「浮く」と思っているのか、普段は無口である。
「佐藤、おまえ、前からおかしいと思っていたけど、病気なんか? それに同じ化工っていってもな、俺は遺伝子工学科でオキアミの研究をしていたんだぜ。おめーらの学校とたいしてレベルは違わないてぇの!」
「そんなこと知らないもんね」
佐藤はうそぶいた。
「オキアミだよ、オキアミ! 俺はオキアミで作った固型食料をな……」
「あ、ちょっと待って……」
無線担当の神崎が声をあげた。
「なんだか山鹿戦区のあたりですごいことになっていたみたい」
「具体的に言えよ。それって悪い癖だぜ」
鈴木が生意気にも自分のセリフを先取りして言う。
「あ、ごめん」
神崎は鈴木のことが気になっているらしい。こいつは昔から男に弱いところがある。それが佐藤のしゃくのタネだった。
「謝ることないって。それで何がどうしたのさ?」
「聞いたことある声。あっ、5121の瀬戸口さんの声だ! けど、黒ノミがどうした青ノミがどうしたって。サーカス団は興行に成功しつつありって、なんだろ、これ?」
「あらら、芝村さんの声じゃん!」
佐藤もヘッドセットを装着すると嬉しげに声をあげた。
芝村という名を聞くだけで顔をしかめる者がほとんどだが、5121小隊三番機パイロットの芝村舞だけは別だった。大ファンなのだ。
あの冷静で凛々しい声を聞くだけで、なんだかやる気が湧いてくる。もちろん、変な趣味ではなくて、女が女に惚れるというやつだと佐藤は思っていた。
「今は南関インターチェンジに集結中。自動車道を北上して福岡に移動するみたいよ」と神崎。
「じゃあ、近くまで来たら挨拶しよっと」佐藤ははしゃいだ声で言った。
「それはいいんだけどよ、俺たちのことも考えようぜ。現在位置にて待機、命令を待てって、なんかきな臭いぜ」
鈴木がまたしても自己主張する。
「後ろの自動車道、延々と部隊が福岡に撤退してるじゃん。下手すりや取り残される」
「そんなことはわかってるって。けどね、命令は命令。命令守ってしぶとく生き残るのがα小隊の伝統じゃん。新参者は黙ってな」
佐藤は鈴木にまたしてもスプレーをかける。
「伝統ったって、二ヵ月も経ってねえだろ」
文句を言う気力もなくなったか、鈴木は忌々しげにつぶやいた。
「ふん、甘いな。二ヵ月戦っていれば十分伝統はできるの。α小隊の合言葉は、死んで花実《はなみ》が咲くものか、だからね」
「けっこう恥ずかしいよね、それ」神崎がぼやくように言った。
「ダサイよね」
それまで黙っていた森田陽子がぼそっと言った。年齢は三人より低めで十五歳。破滅的な方向音痴で原隊からはぐれたあげく、戻ろうとしたところ、あっさり原隊は壊滅してしまった。
戦車兵としての教育は受けていなかったから、この一ヵ月ばかり、実地教育を施している。今は機銃手兼車長席に座って、二目式ペリスコープで外の様子を監視している。
「修行中の見習いが生意気言うんじゃないの!」
佐藤は砲手席から、森田のぶらぶらさせている足をペシリとやった。
「……ええと、十一時の方角だっけ? 砂埃が見えるよ。距離二千」
森田は気にせず、言って寄越した。
「ミノタウロスが一匹。他は雑魚ばっかり」
「神崎、確認」
佐藤が命じると、神崎はレーダーを参照した。
視認とレーダーを併用するのが、佐藤のやり方だった。どちらも百パーセント信用できるわけではない。だったら併用して誤認を防ぐという考え方だ。
「……距離千八百。ミノ助は五匹。後ろに、スキュラ一、きたかぜゾンビも五匹くっついてくる。森田ぁっ!」神崎はそれまでのしおらしい声とは打って変わった怒声をあげた。
「この馬鹿!」
佐藤は森田の足を思いっきり引っ張った。一段高くなっている車長席から森田の体が引きずり落とされる。まずったという顔の森田の頬を、佐藤はペシリとはたいた。
「獲物をまちがえると、わたしたち、死ぬんだからね!」
佐藤は怒りに青ざめた顔で、森田の胸倉を掴んで手荒く揺さぶった。森田の頭がどこかに当たったらしく、ごつんと音がして森田は床に身を縮めた。
「ごめん」頭を押さえて、森田は謝った。
「こいつらはスルー」
しばらくして佐藤は冷静に言った。
異議を唱える者は当然ながらいない。スキュラ、ミノ助を先にやればきたかぜゾンビが襲ってくるし、その逆はもっとやばい。
「スルー?」二号車「オケラ」から確認の通信が入った。
「当然」佐藤は短く言った。
「けれど、北から友軍が来るよ。周波数を合わせたら、なんだか菊池戦区の友軍を救出するとかなんとか言っていた」
オケラはそちらの無線を傍受していたらしい。
「それでもスルー。友軍とぶつかって敵の数が減ったら、チャンスはあるかもしれないけど。指示はわたしが下すから。アンダスタン? 名ショート?」
「わかってるって、名キャッチャー」
オケラの面々も、同じソフトボール部の部員だった。佐藤のコードネームは名キャッチャー、神崎は名ピッチャー、オケラの車長は名ショートというわけだ。ただし、一号車「モグラ」には、見習い、化工(のアホ)というふたりの異端児はいるが。
「スキュラ、十一時半の方角、距離千五百で停止」神崎の声が聞こえた。
「ミノタウロスときたかぜゾンビはこちらへ向かってくる。雑魚もすごいね、三百はいるね」
「このままモグラさんになって待機」
佐藤は指示を下した。幸運を呼ぶモグラのモグちゃん、今日も助けてと心の中でそう祈った。
砲声が虚空にこだました。次いで機銃音。高射機関砲の重低音。そしてきたかぜゾンビのローター音が響いたかと思うと、二〇ミリ機関砲のくぐもった発射音がこだました。音、音、音の世界だ。一号事の面々は息を殺して、車内に身を潜めた。
「きたかぜゾンビ、ひい、ふう、みい……撃破」
神崎はレーダー画面に目を凝らしながら言った。モグラの狩りには友軍の損害は関係がない。
「きたかぜゾンビは全部撃墜された」
森田もペリスコープから視認している。
「ミノ助は?」佐藤は、やっと口を開いた。
「残り一匹」神崎は冷静に言う。
「さて、それじゃいっちょやりますか」
佐藤は指をポキポキと鳴らして通信を送った。
「オケラは最後のミノ助をよろしく。モグラはスキュりんをやっつけるからね。鈴木、十一時半の方角に車体をちょい修正」
鈴木は敵に悟られぬよう、ゆっくりと車体を微調整する。
佐藤は潜望鏡式照準器を千五百メートル先のスキュラに定めた。レーザーの有効射程二千目百を誇る敵の空中要塞は地上二十メートルあたりの高さを浮遊し、友軍の車両に攻撃を加え続けている。
主砲の仰角を心もち上げ、目標をロックした。現在の風速を念のために確認。「よし」とひと声気合いを入れると、佐藤は主砲の引き金に指をかけた。
発射音と同時に駐退複座装置が働き、衝撃を吸収するが、それでも車体がばらばらになるような振動が起こった。硝煙排出装置が働いているはずなのに、どこから洩れているのか、徽かな硝煙の匂いが車内に流れた。
一二〇ミリ徹甲弾はスキュラに吸い込まれたかと思うと、空中要塞の各所から炎が上がった。
全身を炎に包まれたスキュラは崩れるように地上に激突、大爆発を起こした。
「どんぴしゃ!」
佐藤は、口の端に笑みを浮かべると、オケラの「ミノタウロス撃破」の報告を開いていた。
自動車道付近で戦っている友軍の無線が激しく飛び交った。今のスキュラ撃破について、どの隊の攻撃か話し合っているらしい。どうする、連絡する? と振り返った神崎に、佐藤は首を横に振った。
代わりに森田を押しのけ、車長席上のハッチを開け、自動車道の方角を双眼鏡で見た。
一、二……十五両の装輪式戦車が欄座し、黒煙を上げている。消火車らしい特殊車両が、消火に努めていた。大損害だ。これでは菊池方面に展開する前に、ぼろぼろになってしまう。
「自衛軍もたいしたことないね」
わざわざ路上で敵を迎え撃つなんて。陣形がなっていないのは明らかだ。あれでは素人の「狙い撃ちオッケーよん」陣形だ。
かつての紅陵の戦車隊……先輩たちの隊だったら、自動車道を素早く降りて散開し、十字砲火で大物を撃破するだろう。
もしかしたら、ガードレールを壊しちゃいけないとでも思っているのか? とさえ思った。
九州自動車道は軍用に造られているため高架部分は極力少なくなっている。
地上との段差はせいぜいが一メートル。しかも車両が展開しやすいようにとガードレールの下にところどころ傾斜路が付いている。いざという時はガードレールをぶち破って兵を展開することができる。
しかも、スキュラは、煙幕さえ張れば屈折率の関係でレーザーの命中率は下がる。その隙に戦車がイケイケで突進し、仕留める。それが基本だ。
そんなことを考えながら双眼鏡をのぞき込んでいると、一台の戦闘指揮車の機銃座の兵もこちらに気づいた。相手も双眼鏡をのぞき込んでいる。兵じゃない。まだ若い大尉だ。大尉は首を傾げると車を降りてこちらへ向かってくる。
しまった! 佐藤はあわでてハッチを閉めると、「モグラのモグちゃん」に戻った。
ハッチをたたく音がした。「留守です〜」佐藤はそう言いながらも、ハッチを開け、自衛軍の大尉と見つめ合った。端整な顔つきのきりりとしたよい男だった。戦争は下手だけど。
えっへっへ。これって恋のはじまりってやつ?
佐藤は内心で笑いながらも生まじめな表情で敬礼を送った。
「自衛軍第八軍所属敷島戦隊の落合です。スキュラは君たちが……?」
落合は意外な、といった顔で佐藤を見つめた。
「ええ、そうですけど」それが何か、といった口調で佐藤は口を開いた。若い大尉さんだな、と思った。
二十五、六ぐらいだろうか。野戦の経験はないらしく、顔色は白い。エリートか? 車内にいる化工のアホとはえらい違いだ。
「助かったよ」
落合は佐藤から視線を逸らさず、礼を述べた。
「そんな。仕事ですから」佐藤は顔を微かに赤らめた。
「あの……これから菊池戦区に行くって聞きましたけど、なんだか作戦は終わっているみたいですよ。5121小隊が三十個小隊を助け出したって」
無線を聞いていた神崎が車内から声をかけてきた。
それを聞いて落合の顔が曇った。
そりゃそうだろうさ、と佐藤は内心で思った。あの規模じゃ、戦車五個大隊はいるだろう。
歩兵に至っては旅団規模だ。そんな恵まれた至れり尽くせりの部隊がこんなところでモタモタして、アホな七面鳥のように散々にたたかれている。
「あの、どうして、車道を降りて部隊を展開しなかったんですか? 普通、そうしますよ」
佐藤は思わず尋ねていた。
落合大尉は、わずかに視線を逸らした。
「一斉射撃で撃退できるとの戦隊長の意向だった。しかも我々は急いでいると。戦車を展開させると戦闘後、隊列を整えるのに時間がかかる……」
落合はそこまで言うと困ったような表情を浮かべ、黙り込んだ。
落合はこれまで総軍本部の情報センター詰で戦闘経験はなかった。何が何やらわからぬままに、敷島戦隊に配属され、臨時の副官を務めることとなった。軍内政治に関わらぬ「中立派」というのも損なものだった。
「5121小隊はただ今、救出した部隊とともに南関インターチェンジ付近に集結しているみたいです」
神崎も「大尉さん」の姿を見たいらしい。しきりに「報告」をしてくる。
「君たちはこれからどうするの?」
「現在地にて命令を待て、って言われてますけど」
その時、ひとりの戦車随伴歩兵が駆けてきた。
「大尉殿、出発準備完了です」
「わかった」
落合大尉は、指先を伸ばした凡帳面な敬礼をした。佐藤も敬礼を返す。
「残念ながら……」
落合のまなざしが憂鬱に曇った。
「命令はおそらく、ない。帰途、君たちを引き取ることにしよう。何が起こるかわからんので確約はできんが」
そうだろうな……。佐藤は半ばあきらめ顔でうなずいた。なんとなくわかる。命令はおそらく来ないだろう。わたしたちはしょせん捨て駒だ。
しかし佐藤は顔を上げると、冗談めかして言った。
「ええ、それまで白馬の王子様を待ってます」
「白馬の……」
はにかんだように日を背ける大尉に、佐藤はにこりと笑ってみせた。
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九州自動車道・亀谷付近 〇六三〇
どのくらい眠ったろう、善行は東原ののみの声で起こされた。
「いいんちょ、しきしませんたいがはなしがあるって」
「……ああ、わたしはどれぐらい寝ていましたか?」
善行は眼鏡を取り、目をこすると意識を取り戻した。東原は「えへへ」と笑うと、メロンパンを差し出した。運転席の加藤祭がすかさずペットボトルのウーロン茶を差し出す。善行はパンを岨噂しながら、尋ねた。
「二十分くらいですわ。すぐに敷島戦隊とやらから通信が入ってきて」
とやらから、という言葉に引っかかるものを覚え、善行は瀬戸口を見た。敷島戦隊? ああ、あの集団かと善行はふっと笑った。
瀬戸口も肩をすくめて、皮肉な笑みを浮かべた。
「善行さん、何をやらかしたんですか? 軍紀違反、逮捕・拘禁命令が出ているゆえ、即刻、善行と原を引き渡されたい、と。そんなことを言っていたな」
「タイホってなに?」東原が首を傾げた。
「それでなんと答えましたか?」
善行は苦笑いを浮かべて、尋ねた。
「ただ今就寝中ゆえ、のちほど、と。そうしたら敷島中佐と名乗る人物が出てきて、ただちにふたりを拘束せよ。5121小隊は自分たちの傘下に加われ、と。なんだか一生懸命でしたよ」
瀬戸口は例の調子で、中佐との「会話」を楽しんだのだろう。
「彼らの現在地は?」
「山川付近。あと十五分ほどで遭遇しますが。どうしますか?」
「村上少佐を呼び出してください」
少佐はすぐに無線に出た。善行は簡単に事情を説明すると、「軍の特定の派閥から、わたしに対する逮捕・拘禁命令が出ているらしいのですが、少佐殿はどうなさいます?」と尋ねた。
場合によっては互いに独立行動を取った方がいいかもしれない、と言外に言っている。「どうやら村上少佐は無派閥らしいです」軍の人事データを参旅した瀬戸口が善行に耳打ちした。
「逮捕・拘禁……」村上は絶句した。
「むろん、こちらはそんな命令に従うつもりはありません。それと、ご存じの通り、5121小隊は芝村準竜師の後ろ盾があって結成された隊でしてね。念を押すようですが、我々と行動を共にすると芝村閥と誤解される危険があります」
善行はそう言うと返事を待った。ほどなく村上からよどみない返事が届いた。
「そのことについては問題はありません。小官は世渡りが下手なところがありまして。芝村閥とやらには興味はありませんが、士魂号の打撃力がなければ、こちらとしても生き延びることができませんからね。貴官と行動を共にします」
ほどなく、北に友軍の隊列が見えてきた。遠目からでも激しい戦闘を経てきたことがわかる。
撃破されたかトラックの絶対数が少なく、戦車には歩兵がピッシリと張りついている。
「芝村さん」
善行が声をかけると、すぐに通信が返ってきた。
「わかっている。一番機、二番機はトレーラーから降車。一番機は中央、道路上で指揮車を守れ。二番機は左、我らは右に展開する」
「わかりました」壬生屋未央の声はしっかりしている。
「ど、どうするつもりだよ?」滝川陽平の声は微かに震えていた。
「場合によっては友軍と戦うことになる」
舞はあっさりと言ってのけた。
「え……マジかよ」
「……というのは冗談だ。どうだ、面白かったか?」澄ました声で言った。
「ははは、まあ上出来というところだな。ただし、警戒は怠るなま。何が起こっても不思議じゃないからな」
瀬戸口が緊張を和らげるように言った。舞の言葉は冗談などではなかった。場合によっては「反乱軍」とみなされることだって十分にあり得る。
指揮車が停止し、三機の士魂号は地響きをあげながら展開をはじめた。
敷島戦隊の車列も同時に停まった。損害を受けているとはいえ、相当数の規模である。延々と続く戦車、軍用車両の群れに速水厚志は目を見張った。
「すごいね。ひい、ふう、戦車は六十七両。ちょっとした旅団規模だね」
「ふむ。兵数は二千というところか。戦闘指揮車は……あれだな」
舞はつぶやくと、067と大きく数字が描かれた指揮車を拡大画面で示した。密かにジヤイアントアサルトの目標をロックする。
「善行上級万翼長、原千翼長、ただちに出頭せよ! 貴官らには逮捕・拘禁命令が出ている」
敷島戦隊の指揮車拡声器から、男の声が流れてきた。
北の敷島戦隊と、南の5121、村上隊両部隊の兵らは固唾を呑んで成りゆきを見守った。
ほどなく5121小隊の指揮車の拡声器から冷静な声が響き渡った。
「その命令は無効ですね。確認していただければわかりますが、正式なものではありません。まずはどこの誰からそのような命令が下されたのか? 容疑は? その法的な正当性を明らかにしていただきたい」
しばらくの間、相手の指揮官は沈黙を守った。ほどなく、「……幕僚総監部からの命令である」としぶしぶと返事が返ってきた。
「再度、問います。それは法的に正当なものですか?」
善行の口調には余裕があった。学兵を密かに拉致するような連中に正当性などないと考えているのだろう。また正当性を獲得する実力もないと。
「ふむ。総監部か、これは面白くなってきたぞ」
舞は皮肉に笑うと、中央の幕僚総監部のデータを調べはじめた。日本の国防の中枢ともいうべき統監部にも反芝村派は少なからずいる。
瀬戸口から通信が入ってきた。
「敷島なる中佐についてなんだがな、政治的に立ち回ろうとして墓穴を掘る典型的なタイプだな。戦闘経験はなし。ずっとロジスティクス部門で働いていた。本来なら大佐くらいには引き上げられているはずなんだが……中洲のスナックで、なるほどな」
舞はすばやく敷島の人事データを呼び出し、口許を不快げにゆがめた。そこには、酔ったあげく店の女性……民間人に暴行を働いた経歴が記されていた。
舞はうなずくと、憲兵隊のデータベースに入り込んで、すばやくデータを改窺した。
「これでいいだろう、瀬戸口」
「ははは、暴行傷害の容疑で逮捕命令が出ているな。これは大変だ」
ほどなく、善行に代わって、瀬戸口の声が拡声器から響き渡った。
「敷島中佐、逮捕・拘禁されるのはあなたの方ですよ。博多の憲兵隊からあなたは手配されています。容疑は民間人に対する暴行傷害。すみやかに博多の憲兵隊本部に出頭してください」
「馬鹿なっ! あれは金で……」
敷島の狼狽した声が拡声器を通して全軍に聞こえた。
「正式なものです。端末を持っている隊は、各自憲兵隊本部のデータを確認してください」
全軍に言い聞かせるように、瀬戸口は続けて言った。
「中佐殿、確かに憲兵隊から出頭命令が出ています」
落合大尉は、憲兵隊のデータを参照して首を傾げた。
どうして犯罪の被疑者が、救援部隊の指揮官に任命されたのだろう? 情報センターに勤務していただけあって、落合は決してデータベースには弱くはない。ただし、データベースと言ってもさまざまなものがあった。九州総軍の、幕僚稔監部の、公安の、憲兵隊の、そして芝村のデータベース……といった具合に時にそれぞれのデータベースはデータを共有し、時に厳重に相手に対してデータを隠蔽する。
司令部ビル爆破以来、自衛軍のデータベースは混乱を極めていた。そういうことなのか? 情報、命令系統の混乱からこんな事態が起こっているのか? 落合は考え込んだ。
「わたしは5121小隊司令・善行上級万翼長です。敷島中佐はただちに博多の憲兵隊本部へ出頭すべきと考えます」
追い打ちをかけるように、善行の声が響き渡った。
「嘘だ。これは何かの陰謀だっ!」中佐はなおも拡声器で怒鳴り返す。
中佐殿も終わりだな……。
落合は顔を上げると、オペレータひとりひとりと視線を交わした。まなざしに力を込めると、ある者は目を伏せ、ある者はうなずいた。
佐藤と名乗る戦車長との会話が思い出された。どうして部隊を展開しなかったんですか? 普通そうしますよ、と――。中佐殿も自分も戦闘は未経験だ。つまり、自分たちが指揮を執るということは友軍にとっては大きな害となる。
落合はそっとホルスターからベレッタを抜き出した。心臓が高鳴り、動悸がする。しかし、このまま膠着状態を続けている間にも戦況は悪化の一途をたどるだろう。それに、興奮した敷島が発砲命令を下したら大変なことになる。
「中佐殿、あなたを一時拘束します」
落合は震える声を抑えつつ言った。ベレッタの銃口は中佐に向けられている。
振り返った中佐の顔色が変わった。
「な、なんだと! 狂ったか、貴様!」
「いえ、狂っているのは中佐殿の方です。あなたが兵を率いてはいけません」
勇気あるオペレータのひとりが、すばやく中佐のホルスターから拳銃を抜き取った。
「後続の車両の兵に伝えてくれ。落合からの命令である。中佐を拘束してくれ、とな」
別のオペレータが車外に飛び出し、落合の言葉を伝えた。すぐに数人の戦車随伴歩兵が指揮車に乗り込んできて中佐を外に連れ出した。
これでいいだろう、と思いながら落合は拡声器のマイクを手にして言った。
「自衛軍第八軍・敷島戦隊……もとい旧・敷島戦隊の落合大尉であります。敷島中佐をただ今、拘束しました。後任はわたしということになりますが、わたしはこれより戦隊の指揮権を善行上級万翼長に委譲いたします」
兵に見張られ、博多へと向かう一台のトラックを見送りながら、善行は落合と対面していた最悪の場合も覚悟していた。友軍同士が戦うこともありえた。
「昨晩のことといい、今回のことといい、感謝します」
善行の言葉に、落合は「いえ」と憂鬱な表情でかぶりを振った。
「本音を言いますと、中佐殿には戦闘経験が皆無です。わたしにも。中佐殿の容疑にはデータ改竄の疑問が残りますが、こうするしかなかったのです」
「……そうですか」善行は考え込んだ。
「指揮権の委譲にも法的に疑問は残りますが、今は非常時です。5121小隊の司令殿なら兵たちを救ってくれるでしょう」
「あなたはどうします、これから?」
「さて……博多に戻り、戦況を分析し、情報支援に務めようと思います。兵をお願いします。ところで……」
落合は一瞬、言いよどんだ。
「途中、モコスの小隊と出合いましてね。彼らを撤収させたいのですが」
「モコス?」
なるほど自動車道の防衛拠点のひとつか、と善行はうなずいた。現在はそこが最前線となっている場合も多いだろう。
「事実上の死守命令が下されています。本土への撤収命令を発行していただきたい」
「わたしにそんな権限があると……?」
落合は苦笑いを浮かべた。
「皮肉を言うようですが、あなたは根っからの芝村閥でしょう。芝村閥に話を通していただければ。部隊名は紅陵女子αです。幻獣撃破数四十一の精鋭です。失うには惜しい」
「……わかりました」
善行が請け合うと、落合は敬礼をして戦闘指揮車に乗り込んだ。そのまま自動車道をUターンすると、指揮車は遠ざかっていった。
舞は遠ざかる指揮車を見送った。
ロックを解く。前席から厚志の安堵の息が聞こえた。
「戦わずに済んで良かったよ。それにしても、あっけなかったね」
「ふむ。あの大尉とやらの決断が状況を救ったのだ。軍人というのは功名心のかたまりゆえそうは簡単に指揮権など手放さぬ。実のところ一戦は覚悟していた」
舞は冷静に言った。相手の戦車の砲塔が動いた瞬間、敷島戦隊の戦闘指揮車を破壊しようと決めていた。当然、相手も同じことを考えているだろうという想定の下だ。
「反乱軍」とみなされた場合、相手はためらわず善行の指揮車を狙ってくるだろう。
それがことなきを得た。舞も密かに安堵の息をついた。
「現在地にて部隊を再編制します。出発は二時間後。敵の襲撃を避けるため自動車道を降り、国道沿いに進みます。芝村さんたちは警戒態勢を維持してください」
善行からの通信が届いた。
「了解した」舞は冷静に請け合った。
それにしてもあれはなんだったんだ、と橋爪は考えていた。
世間知らずと思っていた先生が、なぜ衛星携帯なんかを持って通話をするんだ。病院がどうのこうの言っていたが嘘臭い。橋爪は憂鬱な顔になっていた。
くそ、本土行きの列車は出発しちまったし、善行司令とやらは、まんまと大部隊を乗っ取っちまってやる気満々みたいだし、これから俺はどうすりゃいいんだ? 付近には戦車が砲列を並べ、軍用車が部隊ごとに散開している。
橋爪はオフロードバイクにまたがったまま、忙しく立ち働く5121小隊整備班の面々をぼんやりと見ていた。その傍らでは臨時に野戦病院が作られ、白衣をなびかせた鈴原が看護兵を叱咤しながら別人のようにきびきびと動き回っていた。
ひっつめ髪がいっそう乱れて、ぴんぴんと跳ねているが本人は無頓着だ。すっぴんの顔はいつのまにか陽に焼けている。
橋爪の視線に気づいたか、鈴原は「おい」と声をかけてきた。
「脱脂綿を替えてやる。こっちへ来い」
「俺のことは気にしないでいいぜ」昨夜の一件からなんとなく気まずくなっていた。
「いいからとっとと来い! 美人の女医さんがじきじきに傷口を見てやろうっていうんだ」
鈴原は不機嫌に怒鳴った。
しぶしぶと野戦病院のテントに入る。地べたに座り込むと、脱脂綿が剥がされ、消毒液で傷口を洗浄された。清潔な脱脂綿を貼りつけられる。
「頭に虫はわいていないようだな。順調だ」
「どうせ頑丈な頭蓋骨とか言うんだろ骨マニア」
鈴原は白衣の下に濃緑色の自衛軍の制服を着ている。手当てを受けながら膝丈まであるスカートから伸びているかたちの良い足にちらと目が行って橋爪は微かに顔を赤らめた。
「骨マニアではない。人体の骨格に興味があるだけだ」
同じじゃん。どこが違うんだ?
そんなことを考えていると、ついと鈴原の胸が近づいてきた。制服の下に窮屈に抑えられているが、けっこうボリュームがある。
な、なんなんだ、と硬直しているとポシェットが探られる気配がして、鈴原の手に衛星携帯が握られていた。
「返してもらうぞ」
「くそ! はじめっからそのつもりだったんだな」
橋爪は奪い返そうとして、思いとどまった。騒ぎを起こせば、昨夜の鈴原の不審な行動から説明しなければならなくなる。いや、それはそれでいいのだが、なんとなく他人に言いたくはなかった。
「私物だ。当然のことだろう。そんなことより……」
鈴原は道路脇に横たわる負傷兵を顎でしゃくった。百人ほどはいるだろう。微かに焼けたたんぱく質の匂いが漂ってくる。生体ミサイルの強酸で火傷を負った兵たちだった。
「手当てを手伝え。今、加藤と石津だったか? に医薬品を取りにやらせている」
「な、何をやりやいいんだ?」
急な依頼に、橋爪はペースを狂わされて尋ねていた。
「まあ、おまえは力仕事だな。場合によってはウォードレスを脱がす。おまえもあの手の傷は散々見てきたはずだ。怖くはないだろう?」
「怖くなんてねえよ!」思わずムキになる自分が忌々しい。
軽トラがテントの横に停まった。久石クリニックから運んできた薬品を満載している。
「あはは。逆モヒカンさんも手伝えって言われはった?」
加藤が運転席から顔を出して、橋爪を冷やかした。助手席には無表情で内気そうな女子が座っている。
「おまえ、誰だ?」
「そんなことはええから、薬下ろすの手伝って」
「ああ、それと医療用具一式とモルヒネ、包帯に脱脂綿……それとポリタンクに患部冷却用の水だ! 忙しくなるぞ。それじゃ行こう」
くそ、この女のお手伝いさんかよ、と橋爪は忌々しげに鈴原に従って歩き出した。
鈴原の治療を見守っていた石津が微かに首を傾げた。
重度の火傷を負った患者に対して薬品を直接、手で塗布している。
普通は絶対にしてはならないことだ。看護兵の講習を受けていない加藤と、逆モヒカンさんはそれに気づかないらしい。
どうしよう、質問してみようか? と考えているところにブータの視線を感じた。
ブータは石津を目で制すると、興味深げに鈴原の治療を見守っていた。
「そう……なの? 今……は黙って?」
石津の言葉にブータが「にゃ」と髭を震わせた。
この女医の治療は独特だが、今は詮索する必要はないだろう。重度の火傷に効果があることだけは確かだ。そうブータは語っていた。
「石津、ぼんやりするな! 包帯を頼む」
鈴原に怒鳴られ、石津は上半身を剥き出しにした負傷兵に手慣れた手つきで包帯を巻きはじめた。
「なんだかすごく楽になりました、先生」
包帯を巻かれながら、負傷兵が感謝の言葉を口にした。
「ふん。わたしは名医だからな。しばらくすれば新しい皮膚が生まれてくる。人間の再生能力ってやつはな、すごいものなんだぞ」
鈴原はこともなげに言った。
治寮の途中、眼鏡の上級百翼長が歩み寄ってきた。傍らには瀬戸口とかいうキザ野郎と、何故か八歳くらいの女の子がつき添っている。眼鏡の男は善行です、と名乗ると、生まじめに鈴原に挨拶をした。
「ご苦労さまです。瀬戸口君から話は聞きました。しかし、我々はそろそろ移動しなければなりません。あなたはどうなさいます? 本土行きの列車を手配することもできますが」
善行の言葉を鈴原は治療を続けながら聞いていた。「そうだな」と首を傾げると、
「医薬品は揃っているし、5121につき合ってやろう」
と言った。予期せぬ返事だったらしく、善行は瀬戸口と顔を見合わせた。
「軍医殿が同行していただければありがたいですが、しかし、何故です?」
何故、安全な場所へ退避しないのか? 落ち着いた環境で傷病兵を治療するのがむしろ軍医にはふさわしい。そう語っている。
勘弁してくれよ、と橋爪は小さくため息をついた。逃げ出そうなんて了見はこれっぽっちも、いやほんの少ししかないが、はじめは曙号に乗って本土へGOGOのはずだったじゃねえか。それが大牟田貨物駅であんなことになってから、先生は5121小隊――正義の味方の戦争――に物好きにもつき合っている。
「幌付きの大型トラックを一台と軽トラ一台を貸してくれ。これで移動野戦病院のまねごとにはなるだろう」
善行の質問には直接答えず、鈴原は車両を要求した。
「わかりました。すぐに幌付きを手配しましょう」
「ああ、よろしく頼む」
「えへへ、よろしくね。東原ののみです」
それまでにこにこと黙っていた東原が、鈴原の前に飛び跳ねるようにして立った。
「指揮車オペレータの瀬戸口です。先生、御髪が乱れていますよ」
瀬戸口もにこやかに言う。
鈴原はいずれにも「ん」とそっけなく挨拶を返すだけだった。
「よく磨き込まれた小隊機銃ですね。その三脚は自家製ですか?」
不意に善行に尋ねられ、橋爪はしどろもどろになった。
「あ、こいつは知り合いに整備がいて……」上級万翼長などと、どう話していいかわからな
「あなたも5121につき合ってくれるのですか?」
「しょうがないっす。この先生と妙な縁で知り合ったのが運の尽さで……」
「あなたにはトラックの運転、軍医殿の警護と、来須、若宮君の支援をお願いします」
「はあ、わかりました」
まあ、俺が役に立つとなるとそんなもんだろうな。善行が立ち去ると、橋爪は忌々しげに、ちっと舌打ちした。この先生さえ本土行きを承知してくれていれば、俺も今頃は楽できたものを。しかし、このひっつめ女を、なぜか放っておけないんだよな。
「痛え……!」
ウォードレスを剥がされた兵が悲鳴をあげた。
「大の男が情けねえ声を出すんじゃねえ! 我慢しろ!」
橋爪は兵を思いっきり怒鳴りつけた。
東京・ホテルトーサカ、スィートルーム 〇七三〇
遠坂圭吾は画面を食い入るように見つめていた。
善行のレポートは、あの気難しげな外見とは裏腹にグラフィックが多彩でわかりやすく、しかも詳細なものだった。プログラムには九州・本州間の陸・海・空の交通量のシミュレーションが添付されていた。
しかし、これをわたしにやれというのか……?
その作戦案はあまりといえばあまりに壮大で、自分の手には余る。そう思ったが、知らず、その内容に引き込まれていた。
傍らでは田辺真紀が隣に腰を下ろして、しきりにどうでもいいような会話をしている。同室で見張っている監視役の橋本へのカムフラージュだった。田辺は嬉しげに、ヨーヨー大会で優勝した話題を口にしていた。
ナイスですよ、田辺さん。遠坂は微笑んだ。株価の代わりに、自分はどうしたら遠坂海運はじめ遠坂財閥が持つ交通網を動かすことができるのか、それを真剣に考えていた。
「あの、お食事はどうなさいます? わたしでよければ作りますけど」
田辺がそっとささやいた。
「じきに用意ができます。朝からなんなんですが、わたしはエビフライが好きでしてね」
「エビフライですか?」
疎開した家族に食べさせてあげたいなぁと、田辺は真剣に思った。
「ええ、伊勢エビをフライに。もったいないと言う人もいますけど、高温でさっと揚げる。旨味が瞬間、閉じ込められます。決して生で食べるのがベストなわけではありませんね。日本人の偏見のひとつなんですよね、生もの信仰は。わたしは特に活け造りが苦手でしてね。あれは生物に対する冒清ではないでしょうか」
「そ、そうなんですか……。あの、わたしタルタルソースをつけて食べるのが好きです」
なんだかわけのわからないウンチクにつき合わされ、田辺は戸惑った。しかし、そう言う遠坂の目はじっと画面に注がれている。
超人的な速さでキーボードを遠坂の指が走る。
彼のPCには最高水準のファイアウォールが設けられ、橋本といえども侵入することは不可能だった。現時点で九州に残っている兵は……データベースを調べた限り、自衛軍のほとんどが十日までに本土に撤退することになっている。
しかし学兵に関しては、まったく別だ。九州南部、そして阿蘇山系から北へ攻め上ってくる幻獣軍への遅滞行動に使われたあげく、多大な犠牲を出すはずだ。なおも阿蘇の山中に点々と取り残された友軍を確認するたびに遠坂は心を痛めた。
「八割……いや七割」
神戸、広島、下関……新潟、そして各県の漁港。果たしてどれだけの船舶を集めることができ、どれほどの支援を軍から受けることができるか? わたしひとりの手には余る、と遠坂はため息をついた。しかし……と、遠坂は善行からのメッセージの裏の意味を考えた。
善行は無条件で他者の善意を期待する人間だろうか? そうではないだろう。他者のボランティアに頼るほど甘い人間ではない。
考えろ、考えることだ。遠坂は自らに言い聞かせた。
父が先か、芝村が先か? クリアすべき条件は三つある。まず、やるからには徹底して物量を動かさねばならない。次にその作戦がどの陣営にも即決で承認されるように説得すること。
最後に……ここまで考えて遠坂の顔に大人びた笑みが浮かんだ。
これはあくまでも企業活動だ。軍を相手のビジネスなのだ。この三つ。善行さんは厄介な問題をわたしに課してきたな。遠坂は苦笑いした。
遠坂は立ち上がると、隅の事務机で作業をしている橋本に命じた。
「これから下関へ行きます。ステーションホテルの最上階を押さえてください」
「しかし……旦那様はこちらでおとなしくなさっているようにと」
橋本は表情も変えずに言った。
「父にはわたしが責任をもって説明します。これはわたしが初めて手がけるビッグ・ビジネスでしてね。邪魔するようでしたら……」
遠坂は無造作にくだものナイフを手に取った。
「これであなたを刺しますよ」
遠坂の顔には笑みが浮かんでいる。
橋本は、はじめ狼狽えた様子だったが、オモチャのようなくだものナイフを手にしている御曹司を見て、耐えきれず微笑んでしまった。ボディガードの自分に、こともあろうにくだものナイフとは……。
「すみません。笑ってしまいました」
橋本は立ち上がると、表情を引き締め頭を下げた。
「謝ることはない。あなたにも笑いは必要ですよ。橋本、あなたにも働いてもらいます。それとですね、前任者の守山を呼んで欲しいのです。彼は経理のプロですから。」
そう言い放っ遠坂の顔が、やけに不敵にたくましく田辺には映った。
長田付近 〇八三〇
紅陵女子α小隊モコス一号車・通称「モグラ」の車内では、佐藤が機銃座に身を乗り出して、周辺を監視していた。スキュラ撃破以来、佐藤たちの正面は静かなものだった。
視界には荒れ果てた田畑と、点在する農家、網の目のように走る農道には人影はまったく見られない。春の光がまばゆい空を雲がゆっくりと流れてゆく。
自動車道から東へ一キロ地点。彼女の耳には時折、北へ移動する部隊の車両のエンジン音が響く。大尉さんは迎えに来ると言ってくれたけど、わたしたちはこれからどうなるんだろうと思いながら、大好きな「Sweet・Days」を口ずさんでいた。
「佐藤、外へ出ていいか? 息が詰まってしょうがねえ」
操縦席から化工のアホが声をかけてきた。
「右よーし、左よーし、異状なしだよ」ペリスコープをのぞき込んでいた森田も口を添えた。
「けど、無線には誰かついていないと」心配性の神崎が言う。
「んー、どうしよっかな」
佐藤は一応考えるフリをした。昨夜からこれまでずっと警戒態勢が続いている。そろそろ息を抜かないとおかしくなってしまうだろう。
「こちらモグラ、小休止にする。オケラの乗員も休んで」
佐藤はヘッドセットから二号車に指示を下した。鈴木と神崎が非常用脱出ハッチから外へ出る。森田も這うようにしてそれにならった。鈴木は草むらを探して倒れ込んだ。すぐに寝息をたてはじめる。けだものだからどこでも眠れるんだな、と佐藤は感心した。
「ねえ、名キャッチャー」
神崎が声をかけてきた。見れば神崎はミットとグローブを持っている。佐藤が投げられたミットを受け止めると、「久しぶりにわたしの剛速球受けてよ」などとほざいてきた。
佐藤はもう一度周辺の状況を確認すると、ミットを手にして車長用ハッチから飛び降りた。
ミットを構えると、神崎のストレートが飛んできた。ばしい、と豪快な音をたててソフトボールがミットに吸い込まれる。
そりゃ剛速球だろう。佐藤はあされながらボールを返す。ウォードレスの人工筋肉で補強されているのだから。そんなことより、ミットの方が心配だ。
「ウォードレスを着ているから速くなってるだけじゃん」
佐藤が白けたように言うと、「そうともいうね」と神崎もにこっと笑った。
県大会では二、三回戦までは行くチームだったけれど、いつも神崎は火だるま。自分と名ショートと、あとは戦死した名ライトと名レフトが打ちまくって勝っていた。だいたい神崎は精神的に弱過ぎる。崩れるのも早かった。当時のことを佐藤は思い出して、ほんの少しだけ感傷に浸った。
少し離れたところでは、二号車の連中が長々と草むらに伸びていた。
十球ほど受けたところで、佐藤は「やめよ」と言った。
「このまんまだとミットが壊れちゃう。かわいそうじゃん」
「そうだね。本当はウオードレスを脱ぎたいんだけど。だめかな?」
神崎はおそるおそる切り出した。
「だめ、絶対だめっ!」佐藤は思わず叫んでいた。
わたしだって、わたしだってな、こんなモンとっとと脱ぎ捨てて、シャワーでも浴びてさっぱりしたいんだけど。想像させるなよ、そんなこと。
森田はといえば、いつのまにか起き上がった鈴木と何やら話し込んでいる。
「こら、車内恋愛禁止だよ」
佐藤が冗談交じりに言うと、鈴木は「そんなんじゃねえ」と言い返した。ポシェットから何やらヘドロ色した物体を取り出すと、
「オキアミパンだ。俺が発明したんだぜ」と鼻高々で自慢をはじめた。
「けど、すっごくまずいよ、これ」森田は口に含んだオキアミパンを吐き出した。
「あ、馬鹿、俺の苦心の発明を……。特別におまえらにも分けてやろうか」
「やきそばパンがあるからいいよ。だいたいいつのまにそんなモンを……」
言いかけたところに、微かに耳にこだまする音。かなたに見える山の稜線からだ。
「退避! 全員、車内へっ!」
佐藤が叫ぶと、全員、またたくまに車内へと滑り込んだ。再び車内の人となった佐藤はペリスコープの仰角を上げて上空を監視する。
十機のきたかぜゾンビが佐藤たちの頭上を通過していった。
ほどなく敵の二〇ミリ機関砲の音が鳴り響き、友軍の対空砲火が応戦をはじめた。戦闘は二十分ほど続いたろうか、ローター音はなおも道路上にとどまっている。
佐藤は、「ちつ」と舌打ちをした。ペリスコープを拡大すると、七、八台のトラックが燃えていた。おびただしい兵が折り重なって路上に倒れている。
あいつら燃料の心配がないからな、と佐藤は顔をしかめる。自動車道の上空で友軍を通せんぼだ。有力な友軍が来てくれるまで隠れるしかない。モグラは敵との根比べなら強いのだ。
またしても二〇ミリ機関砲の音が鳴り響いた。炎上するトラック群。
ゾンビのやつ片っ端から友軍を屠ってやがる。わたしにも士魂号が操縦できたらな。
悔しさを押し隠すように佐藤は小声で「Sweet・Days」のフレーズを何度も何度も繰り返し、口ずさんだ。
国道209号線・瀬高付近 〇八四〇
「なあ、先生は……」
橋爪がハンドルを握りながら話しかけると、鈴原は医薬品のリストを見ながら「ほう、良いものが手に入った」と言った。
「フィブリン包帯だ。さすが自衛軍だな」
「ふいぷりん?」
話をはぐらかされて、橋爪は忌々しげに問い返した。
「普通の包帯とは違う。フィブリンというのは人体の組織に近い人工繊維でな、患部に張り付けるとかさぶた代わりになってな、傷の治りを早くしてくれる」
鈴原の不機嫌な顔が少しだけ和んでいる。
「へぇえ」鈴原のペースにあっさり乗せられる自分は餓鬼だな、と思う。
「小型幻獣との戦いでは、圧倒的に裂傷が多い。役に立つぞ」
言いながら鈴原はなおもリストをめくっている。
不意に、先頭を走る指揮車が停止した。八女方面へ向かう車列は、来須、若宮が同乗する善行の戦闘指揮車、整備班の車両、そして鈴原と橋爪以下の移動野戦病院の車両、村上から借り出した自衛軍の戦車随伴歩兵一個小隊の車両となっている。きたかぜゾンビの襲来を予期して、自衛軍の車両にはいずれも高射機関砲が搭載されている。
「なんか嫌な感じだな」
橋爪は周囲を見渡しながら言った。
見晴らしの良い平坦な田園地帯がこの地方特有の風景だったが、前方は道路のすぐ側まで薮が迫り、しんと静まり返っている。
「ただ今、来須、若宮君が偵察に向かっています」
善行からの通信が橋爪たちのトラックにも流れてきた。
さすがだな。橋爪はかぶりを振った。念には念を入れていかなければこの過酷な消耗戦は生き残れない。ほどなく十二・七ミリ機銃とサブマシンガンの掃射音が聞こえて、九六式手榴弾の爆発音がこだました。
「薮の中に共生派の陣地がありました。九四式三丁に迫撃砲を潰したそうです」
善行の冷静な声が聞こえた。
「すげえな」
橋爪は思わずつぶやいていた。九四式三丁に迫撃砲か。相手はプロの軍隊じゃないとはいえ、小隊規模の人数は潜んでいたろう。
あいつらはマジにすげえ。にしても共生派はどうしてこうも邪魔ばかりしやがる? 同じ人間じゃねえか。
「このまんま行っていたら、俺たちは共生派の血祭りにってところだな。ちっくしよう」
「自衛軍や学兵の中にも共生派がいたということだろうな」鈴原は他人事のように言った。
「嘘だろ」
「そうでなければ、あんな武装はできないだろう。わたしが考えるに、かなりの数の兵が共生派に投降しているな、この戦争では」
あまりに衝撃的な話に、橋爪は言葉を失った。
な、何が投降だ! 共生派っていやあ、幻獣に魂を売り渡して化けモンになった連中じゃねえのか? 同じ人間と考えるのも汚らわしいぜ。俺は学校でそう教わった。
「こういう伝説を知っているか? 幻獣が出現した初期、あいつらは人間を殺しながらも、多くの技術を伝えた、とな。特に人間が克服できなかった難病の治療技術についてなんだが」
鈴原は淡々とした口調で言った。
「……聞いたこともねえよ」
「だろうな。あちらの世界で暮らしている者は一般の人間とは接触しないし、こちらの世界で暮らしている共生派はすみやかに抹殺される。初期の共生派は武器など触ったこともない平和主義の連中だった。おとなしく殺されていったんだよ」
鈴原の話を聞きながら、橋爪は混乱した頭を整理しようとしていた。
なんでそんな話をする? 俺たち殺されるところだったんだぞ。共生派は敵で裏切り者だ。
来須や若宮に殺されて正解じゃねえか。
「あいつらは裏切り者だ」
「ま、そういうことにしておこう。じきに八女に着くんじゃないのか?」
「あ、ああ……」
「薄ぼんやりした顔をするな。これから忙しくなるぞ」
鈴原は前方を見据えたまま、そうつぶやいた。
八女・山ノ井付近ファミレス駐車場 一一〇〇
続々と出発する部隊を善行は機銃座に座って見送っていた。
彼らは自動車道付近に進出した敵を哨戒し、撃破する役目を担う猟犬たちだった。村上少佐が実戦指揮を執ることになっている。
三機の士魂号は九州自動車道を南下し、中部域戦線から撤退し、北上する友軍の支援をすることになった。
八女のパーキングエリアからほど遠からぬファミレス兼ホームセンターの広大な駐車場に戦闘指揮車は停車していた。すぐ側では整備班が補給車を中心に、整備体勢の展開を終えつつある。二階建てのファミレスの横には医療用のトラックが横づけされ、建物を臨時の野戦病院に整えつつあった。
「久留米・広川インターチェンジ間で戦闘発生。敵はミノタウロス三、きたかぜゾンビ五、スキュラ一。それと例によって小型幻獣の大群です」
友軍の通信を受けた瀬戸口の声に、善行はすぐに反応していた。
「拠点の兵力は?」
「戦車小隊一、歩兵小隊一。交通誘導小隊一」
交通誘導小隊は戦力にはならないだろう。善行は少し考えてオペレータ席に向かって言った。
「戦車二個、歩兵三個小隊をもって救援に赴くようにと、村上さんに伝えてください」
なるほど、久留米・鳥栖の攻略は敵の重要目標のひとつだろう。
道路と鉄道が集中する、文字通りの「交通の要地」だ。むろん、友軍も相応の部隊を守備に充てているだろうが、さて、それを順次撤退させてゆくことになると……善行は気難しげに眼鏡に手をやった。
「善行さん、わたし、ハンバーグ定食が食べたいんだけど」
不意に声をかけられ、善行はあわてて声の主に向き直った。原素子がにこやかに指揮車上の善行を見上げていた。険しくなった表情を消そうとするが、善行はぎこちない笑みを浮かべたにとどまった。
「あいにくとファミレスはお休みのようですよ」
「どこかに開いている店はないかしら。あ、自動販売機がたくさんあるじゃない。飲み物で我慢しよう」
「電気が来ていませんね」
「それなら大丈夫。ウチの子たちに解体させるから」原はこともなげに言った。
「犯罪ですよ」
善行が眉をひそめると、原はほほほと声をあげて笑った。
「やあねえ、何を今さら。全員に飲み物を支給してあげましょ」
「……お任せします」
そう善行が言うと、原は振り返り中村光弘と岩田裕に向かって合図をした。ふたりは工具を手に、嬉々として販売機に向かっていった。
「サイドカーのことなんだけど」
「ああ、あれ、持ってきていましたか?」
「せっかくあの少佐が貸してくれたんじゃない。整備をして、ちゃんと返してあげるわよ。なんだか茜君が気に入ったらしくて」
「茜君が? まさか。彼にバイクは似合いませんね」小柄な彼には手に余るだろう。
「まあ、そうなんだけどね。田代さんに挑発されて」
「ははは。目に見えるようですよ。『僕は運動神経のかたまりと呼ばれた男だ。こんなバイクくらい乗りこなすのはわけはないさ』……とか」
「あら、けっこう口まね、上手じゃない」
原に冷やかされて善行は苦笑した。ど、ど、どと独特の音が響き、茜大介がドニエプルにまたがり補給車のまわりを回っている。側車には物好きにも新井木勇美が乗っている。案の定、ターンするたびに側草を危なっかしく浮かしている。作業をしている森精華がしきりに何やら怒鳴っている。狩谷夏樹は冷ややかに見て見ぬふりをしていた。
「あなたたちはヒマなんですか?」
「展開まで一分三十秒。二ヵ月前は三十分かかっていたのにね。今は士魂号が出払っているから当然ヒマでしょう? ね、考えたんだけど、側車に機銃をくっつけようか? 実はね、途中、破壊されたトラックから小型軽量の七・七ミリ機銃を見つけたの。自衛軍の試作品ね」
「あの少佐が泣きますよ」
善行がため息交じりに言うと、原は、ほほと笑った。
「成長した我が子と対面するって感じ? きっと喜んでくれるわ」
「ええと、原さんはオレンジ・デリシャス・ティーと。司令は何ば飲まれますか?」
どこから調達したのかリヤカーに山ほどのペットボトルを載せた中村と岩田が近づいてきた。
「ああ、どうも。わたしはその静岡冷緑茶を……」
「俺はウーロン茶な」車体横のハッチが開いて、瀬戸口が顔を出した。瀬戸口の後ろには東原が張りつくようにくっついている。
「ののみはしようがいりこうちやにして」
「生姜入り紅茶? そいつはオトナの究極の飲みモンぞ。東原、本当に飲めるんか?」
中村が車内の加藤と石津の分も手渡しながら尋ねた。
「うん、だいじょうぶだよ! よく舞ちゃんちでのんでいたの」
「むむう、芝村おそるべし」中村がうなった。
「さあさあ、無駄口たたいてないで、他の部隊の人たちにも配ってあげて」
原がばんばんと手をたたきながらリヤカーのふたりを叱りつけた。
「大介、とっとと仕事に戻りなさいっ!」
森の怒鳴り声が聞こえる。
「決めた! 僕はこのサイドカーをもらう。側車にロケット砲を取り付けるんだ。いいアイデアだろ?」
茜が能天気に姉の注意を無視する。
田代の馬鹿は野戦病院に行ってしまった。あいつもきっと欲しがるだろうから、その前に既成事実を作っておかないと、と茜は大まじめに考えていた。
あのネアンデルタール女に決闘で決めようぜ、なんて言われたら困るからな。
「ロケット砲なんてあったっけ? 茜君に取り付けられるの?」
側車に乗っている新井木がのんびりと尋ねる。どうやら心配していた戦闘が起こることもなく、安心している顔だ。
「ふ。天才に不可能はないのさ。僕だったらこのサイドカーを空に飛ばすこともできる」
「この馬鹿たれ! おまえら今は準警戒態勢だろう。ちっとは他の部隊を見習え!」
若宮の怒鳴り声がふたりに浴びせられた。
新たに司令部付となった部隊は、すぐにフアミレス周辺に陣地を築き、付近の建物に機銃座を設けていた。元々は自衛軍の精鋭が中核となっている。学兵の部隊も彼らに引きずられるようにして陣地を築き、警戒態勢に入っている。
「そんなこと言ったって、僕はスタッフだから関係ないもんね。士魂号だって出払っているし」
「茜はいいのさ、その辺で遊ばせとけば。アテにしていないから」
狩谷の声がぼそりと響いた。
「そうぬ、無職だし」森も同調するように言った。
「あ、僕、仕事に戻るよ」
誰の声だ? まさか新井木か? と誰もが耳を疑った。
新井木は若宮をちらと見ると、「えへへ」と照れくさげに笑った。若宮も「なんだかな」と言いながら、照れくさげに顔を赤らめている。
「補給車のタイヤのバランスを確認してくれ」
狩谷の言葉に、新井木は側車を飛び降りると、「へいへーい」と元気良く返事をした。
「熟でもあるのか、新井木?」若宮はなおも照れくさげに言った。
「そうじゃないよ。仕事頑張らないとさ、あとのお楽しみがなくなるじゃん」
新井木はそう言うと、精一杯背伸びして若宮に顔を近づけた。
「温泉温泉。仕事終わったら温泉行こうね。もち、費用は若宮君持ちで」
「う、うむ」
若宮の口許がだらしなく緩んだ。
「こんなところにいたのか」
橋爪の声に来須は顔を上げた。
駐車場を見下ろす裏山の頂上である。頂上は小さな神社になっており、来須はレーザーライフルを手に黙然と境内にたたずんでいた。静かな光景だった。なんの虫だか、薮からは澄んだ鳴き声が聞こえている。
「なるほど、ここなら見晴らしが利くし、空襲にもすぐに対応できるな」
周辺の風景を見渡しながら橋爪が言うと、来須は「ああ」と短く応えた。
きたかぜゾンビのローター音が聞こえた時点で射撃用意。黒い点となって視認できた時点で射撃。これで一匹は確実に削れるというわけだ。
なまじっかな高射機関砲なんか問題にならないくらい、来須の狙撃は正確だった。
「あんたはすごいな」
そんな言葉がなんとなく口をついて出た。来須は案の定、無言で上空を監視し続けている。
「ああ、そうだ……軍医殿を見なかったか? このくそ忙しい時に……」
橋爪は本来の話題を持ち出した。病院の設営準備をしている最中に、同僚の軍医に「ちょっと風に吹かれてくる」と言い残してふらりと外へ出てしまったのだ。
まったく……何が「風に吹かれてくる」だよ。ウォードレスも着ないで戦場をぶらつくなんて物好きもいいところだ。けど、まさかな……と橋爪は不吉な思いを抑えつけていた。
「あの女はやめておけ」
不意に来須が口を開いた。まったく似つかわしくない言葉に、橋爪は返す言葉を失った。
「俺……俺は別に」
「伏せろ」
突然突き飛ばされ、橋爪は地面に転がった。神社の柱に深々と銃弾が突き刺さった。それまで自分が座っていたところだった。橋爪はぞっとして、伏せたまま敵の姿を追い求めた。
「狙撃かよ」
「ああ」
来須は近くの大木の陰に身を寄せて言った。
「どこだ?」
「五百メートル先。ごみ集積所の中からだろう。もう移動している」
橋爪は絶句して、薮に入った。眼下の風景を見渡すことができる適当な場所を探し、目を凝らすと、かなたにごみ集積所が見えた。伐採された樹木やら、古タイヤやら廃車やらが積み重ねられている。多くは軍用の車両だった。
「どうするんだ?」
「こちらの攻撃を封じるつもりだ。レーザーライフルをな。じきにきたかぜゾンビが来る」
なるほど、来須封じか。にしても共生派にも狙撃手がいるんだ、と橋爪は意外に思った。
「俺はどうすればいい?」
「山を下りて病院のスタッフを守れ」
そう言いながら来須はレーザーライフルのスコープをのぞき込んだ。引き金が引かれ、レーザー光はごみ集積所から三百メートル左の薮に吸い込まれていった。
「行け」
来須にうながされ、橋爪は神社の石段を駆け降りた。野戦病院となったファミレスに入ると鈴原が無表情にこちらを見た。白衣とひつつめ髪に葉がくっついている。
「……どこへ行っていたんだ?」
「ちょっとした気分転換だが、おまえはわたしのストーカーか?」
ストーカーかと不機嫌に言われて、橋爪はかっとなった。
「馬鹿野郎! 心配していたのがわからねえのか――先生はウォードレスも着てねえし!」
鈴原は、ふっと口許に笑みらしきものを浮かべた。
「まあ、そう怒るな。けどな、わたしに惚れても無駄だぞ。気持ちはわかるがな」
「誰があんたみたいな骨マニアに惚れるかよ!」
「その意気だ。おまえには、そうだな、飯島看護兵のような気持ちのやさしい子が似合っているぞ。おまえは性格的に欠点だらけ、人格崩壊一歩手前だしな」
鈴原の不機嫌な顔が崩れ、ふっとやさしげな目つきになった。飯島とは、鈴原の下で働いていた看護兵だ。今は本土へ引き上げている。
「なあ、教えてくれ。あんたは本当は……」
言いかけたところに、背筋が凍りつくようなローター音が聞こえてきた。どん、とはるかかなたで爆発音。来須だろう。じきにこのファミレスに二〇ミリ機関砲弾が降り注ぐ。
「空襲だ。全員窓際から離れ、地下の機械室へ避難! 扉の場所は一階ロビー奥」
あらかじめ調べてあった場所だった。全員があわただしく駆け去った。気がつくと、橋爪は鈴原の手を握っていた。鈴原は顔をしかめて、「痛いぞ」と言った。
「あ、悪ィ。さあ、先生も行こうぜ」
「わかったわかった、だからその手を離せ」
鈴原は子供をなだめるような口調で言った。
ファミレス駐車場 一四三〇
「敵、来ます」
瀬戸口の声にいつもはない切迫した調子が交じった。通信回線はオンにしである。
「規模は?」
善行は機銃座から降りて、スクリーンに見入った。敵の赤い光点がびっしりと、八女付近に認められる。久留米や鳥栖じゃあるまいに、と善行は首を傾げた。両市のような重要拠点を攻撃するのなら、これくらいの規模は必要だろうと思える数だ。
「スキュラ四ミノタウロス十八、ゴルゴーン九。きたかぜゾンビ二十。小型幻獣およそ五百が司令部めざして進撃中。厄介なことになってきたぞ……」
瀬戸口はつぶやくように言った。
「ねえ、どうするのよ?」原がハッチを開け、顔をのぞかせた。
善行はしばらく考えていたが、やがて眼鏡を押し上げ冷静に言った。
「抵抗は無駄です。司令部の各員は逃げるか、隠れて、敵をやり過ごしてください。繰り返します。絶対に戦闘はしないこと。各自、敵をやり過ごすことを考えてください」
「しかし……!」
司令部護衛の隊から声があがったが、善行はそれを遮るように言った。
「じきに村上戦隊が兵を派遣してくれるでしょう。あとは士魂号が帰還すれば、必ずや敵を撃破できるはずです。繰り返します。司令部付各員はすみやかに逃げてください」
不意に機銃音が轟いた。ゴブリンの先遣隊を、護衛の兵が攻撃したのだろう。機銃音はひとしきり鳴ったあと、やんだ。
「ゴブリンの大群、急速接近! あと二、三分で来ます」護衛陣地から報告がもたらされた。
「戦闘部隊の諸君も、生き残ることを考えてください。手段を問わず」
「了解しました。こうなったら意地でも生き残ってやります」
護衛部隊からの通信は切れた。
嘘だろ。茜大介は目の前に迫ってくる敵を見つめた。
ゴブリンの大群が百メートル目前まで迫っている。補給車のエンジン音が響き、中村がハンドルを握っていた。助手席には岩田、後部座席にはヨーコ小杉と狩谷。ま、まずい! 席が塞がっている! 茜はとっさに手近にあるサイドカーのスロットルを絞っていた。森がパニックに陥って駐車場の真ん中をうろうろしている。
「森、茜、補給車に乗りんしゃい!」中村がウィンドウを開いて叫ぶ。
乗りんしゃいと言われても、無理だ。茜は真っ青になって、
「ぼ、僕にかまわず逃げろ! なんとかする」と叫んでいた。それが合図のように補給車のエンジン音がひときわ高く響いて、みるまに遠ざかってゆく。
なんだよ、もう一度誘ってくれてもいいだろ? 茜は憮然として、森に声をかけた。
「姉さん、乗れよ!」
「どうしよう、どうしよう……」森は放心したようにぶつぶつとつぶやいている。
「森さん! 指揮車まで走って!」
原の声が聞こえた。見れば原は五十メートルほど先の戦闘指揮車に乗り込むところだった。
無理だ、姉さんおかしくなっている……。茜はそう判断すると、森の横にサイドカーを横づけにした。
「とっとと乗れよ!」
腕を伸ばして、森を強引に引き寄せる。森の体は思ったより軽く、すとんと側車に収まった。
ゴブリンの先鋒は十メートル先まで迫っている。
「くそ!」
茜は敵に思いっきり毒つくと、サイドカーを急発進した。ふわりと不吉な浮遊感。サイドミラーに自分たちを捕まえ損ねたゴブリンが映った。側車が浮き上がっている! 下半身に力を込め、スロットルを緩める。斜めに傾いだサイドカーはやっとバランスを取り戻した。
「逃げるよ!」
どこへ? もちろん、敵と反対側だ。森は側車の中で縮こまっていた。まるで丸虫みたいだな、と散文的な表現を思い浮かべながら茜は慣れぬサイドカーを走らせていた。
「ふ。僕にかかればこんなもんさ」
ことさらに強がりを言ってみる。実は失禁しそうなくらい怖かった。
「大介、ゴーグル……」
森が側車に置き捨てられたままだったゴーグルを差し出した。放心から立ち直って、今は恐怖に顔が真っ青になっている。少しはましになった。
「さ、サンキュ。姉さん」
茜は片手でゴーグルを受け取ると、スピードを落としてかけた。機銃音が背後から聞こえる。
逃げ遅れた兵が戦っているのだろう。サイドミラーを見ると、ゴブリンの群はファミレスをはじめ付近の建物にピッシリと張りつき、侵入していた。
「あいつら、追ってこないよ。安心して」
気がつくと、狭く頼りなげな農道を走っていた。片側一車線はよいけれど、幅が狭くてガードレールもないから、油断するとすぐに田畑へ転落だ。
「ねえ、大介」森が相変わらず震えが止まらぬ声で呼びかけてきた。
「うん?」
「別に左側走ることないと思うけど。真ん中走らないと危ないわよ」
「あ、そうか」
別に違反切符を切る警察もいないんだもんな。けど、この先どうなっているんだろう? 農道は小高い丘に吸い込まれて、鬱蒼とした薮の中に消えている。
あの標識、なんだっけ? イノシシ注意? 僕たちは山奥へ向かっているのか?
「姉さん」
「なに?」
「この道、どこに続いているんだろう?」
「ええと、あっちが西だから……なんか北東の方角に向かっているような」
森は自信なさげに言った。
くそ、北東だって? 何があるっていうんだよ? 何がイノシシ注意だ! くそくそくそ、茜はあらゆるものに毒づきながら、のどかな農道を走っていた。
気がつくと新井木は若宮に抱えられていた。
「もうちょっとだよ!」
新井木が声をかけると、若宮は「うむ」とうなずいた。ふたりの目の前で戦闘指揮車がエンジン音を響かせていた。機銃座から瀬戸口が顔を出して、二連装七・七ミリ機銃をゴブリンの群れに撃ち込んでいる。
「若宮、取っ手に掴まれ! 新井木はハッチへ放り込め!」
瀬戸口の緊張と切迫感に満ちた声。ゴブリンが一匹横合いから襲いかかってきた。若宮が左上腕で殴りつけると、くしやっと音がして、新井木の顔に潰されたゴブリンの体液がかかった。
「臭いよ〜」
「贅沢言うな。ミノタウロスの体液はもっと臭いぞ」
意味もないことを言いながら、開かれた側面ハッチに若宮は新井木を投げ込んだ。新井木の小さな体が宙に舞ったかと思うと、車内に吸い込まれた。すぐにハッチは閉められた。次の瞬間、若宮は取っ手を掴むと、自由な二本の腕に装着された十二・七ミリ機銃を発射していた。
指揮車は急発進。追いすがるゴブリンを掃射し、行く手を塞ぐゴブリンを巨大な専輪にかけながら、大木方面へと走った。
登り道に差しかかると、農道に張り出した樹木の枝が肌をぴしりと打った。
道は鬱蒼とした樹木に囲まれて暗く、曲がり道が多くて視界が利かなかった。どこに続いているんだ、この道。と考えながら、時速三十キロで茜はサイドカーを辛うじて安定させていた。実はほとんどバイクに乗ったことはない。ただし頭には構造はたたき込んである。自分のシナプス結合から引き出したマニュアルに従ってぎこちなく走らせている。
森の顔色は心もち良くなっていた。側車に身を沈めるようにして、不安げにあたりの薮を見回している。
「ねえ、引き返して広い道に出た方がいいんじゃない?」
「だめだよ。そんなところにはきっと敵がうじゃうじゃいる。こんなしょうもない道だから敵も見逃しているんじゃないか」
茜にしては至極もっともなことを言った。
姉さんは臆病で泣き虫だから、ちょっと怖いめに遭うと頭が働かなくなるんだ。だったら僕がしっかりしなきやな。
不意に薮が鳴って、黒い影が前方の道路上に現れた。ゴブリン!
くそ、ゴブめ! 茜は武器を探そうとして、はたと思い惑った。ポシェットにあるのはスパナにベンチに小さなハンマーに……くそ、工具ばっかりだ!
「こいつ、轢き殺すぞ!」
しょうがないからクラクションを目一杯鳴らした。互いの距離は十メートル余り。ゴブリンはなおも動く気配がない。身長一メートルの相手を車輪にかけるのは、子供を轢くようでためらわれた。茜は距離を確認してサイドカーを停めた。もちろん、いつでも急発進できるようにしてある。
ゴブリンは襲ってくる様子もなく、じっとこちらを見ていた。
「大介、大介、逃げよう!」
森は涙声になって、しきりに茜をうながした。
「ちょっと待って」
けど? なんだかこいつには敵意を感じないぞ。珍しいものでも見るようにこちらを見ている。何故だかそんな気がした。十秒、二十秒、と時間が流れた。
「あいつ、はぐれゴブリンってやつかな?」
「なによ、それ」森はほんの少し落ち着いた声を出した。
「ほら、はぐれガラスとかいるじゃないか。そんなのと同じなんじゃないか?」
なんだよ、はぐれゴブリンって、と自分でもわからずに言葉に出していた。
「どうすればいいのよ?」
「ととと……とか言ってチョコレートでもあげればいいんじゃないか?」
「馬鹿大介! ゴブリンがチョコ食べるわけないでしょ。脳細胞が減っているんじゃない?」
森に言われて脳細胞には自信を持っている茜は憮然とした。脳細胞の数なら、自分は世界有数だ。人間に個体差があるように、ゴブリンに個体差があっても不思議じゃないだろう。
こいつ、好奇心旺盛ゴブリンってやつかな。もちろん好奇心を満たすと、人間をばらばらにしちゃうんだろうけど。
「なあ、おまえ、ここは一時休戦にしないか?」
茜はゴブリンに向かって話しかけた。ゴブリンは微かに首を傾げたような気がした。
「こちらにはロケット砲がある。戦う気なら、おまえなんてぐつちやぐちやのボン! だぞ」
「ロケット砲って……」森があされたようにつぶやいた。
ゴブリンは茜の威嚇に反応したらしい。まずった? ふたりはぎょっとして顔を見合わせた。
しだいに敵意が強まっているのがわかる。
その時。薮が激しい勢いで鳴った。巨大な四本肢の生き物が姿を現すと、またたくまにゴブリンに激突した。下から突き上げるような激突に、ゴブリンの姿が宙に舞った。茫然とする茜と森の目に、二、三匹のイノシシがゴブリンに襲いかかる光景が映った。何度も何度も突き上げられ、ゴブリンの硬い表皮から体液が滴った。イノシシは威嚇するようにゴブリンを取り囲む。ゴブリンは身軽にイノシシを飛び越えると、逃げ去った。
「イノシシ注意ってホントだったんだ……」
森が茫然とつぶやく。イノシシたちはふたりをちらと見ると、関心を失ったように再び薮中へと消えた。
「ま、まあ、とにかく撃過したんだし……」
……のちに、この話は「時速二百キロでサイドカーを走らせ、ロケット砲をぶっ放しながらゴブリンを蹴散らしたんだ」との茜の武勇談となる。
気を取り直してサイドカーを走らせるうちに夕暮れとなった。ライトをつけながら走ると、
しばらくして「岩戸山古墳まで一キロ」との看板が目に入った。
若宮の全力投球で車内に滑り込んだ新井木は、そのまま滑ってオペレータ席に激突した。目に星が散って、思わず「いたぁい!」と叫んでいた。
「あっははは。新井木さん、不時着や!」
運転席で加藤が高笑いを響かせた。
「あらあ、また新井木さんと一緒なの? あらら、こぶができている」
原は新井木を抱え起こすと、頭のこぶを触った。
「痛い、痛いです!」新井木は涙目になって抗議した。
「少し血が出ているみたい。手術が必要かも」
原は猛スピードで突っ走る車内でにこやかに新井木の顔をのぞき込んだ。
「まず髪の毛を剃って、わたしが傷口を縫うから。安心して」
「え、剃るって……嫌ですよォ。そ、そんなに痛くないです」新井木はぞっとして言った。
「やあねえ、場を和ませるための冗談じゃない。そんなの唾つけとけば治るって」
あははは、と加藤が高笑いする。少々ヒステリックだが、そうでもしないと不安と恐怖は収まらないらしい。
「原さんの冗談は怖いですからね」
しきりに頭のこぶをさする新井木に、戦略スクリーンに見入っていた善行は笑いかけた。
「ようこそ戦闘指揮車へ、と言うべきなんでしょうね。この先の県道にミノタウロスとナーガが各一。加藤さん、次の脇道へ逸れてください」
「はいな……じゃなかった了解」
生い茂る樹木に遮られ、見落としがちな脇道を加藤はすばやく視認した。
右折して、脇道に乗り入れると思ったより道幅は広く、しっかりしていた。道の両側の木々は手入れもされず生い茂り、視界は暗い。速度を落とし、五分ほど走ると、行き止まりになっていた。鋭利な刃物で斬り落とされたような垂直の崖に、ツタがびっしりと張り付いている。
「おっと、行き止まりになっているな」
機銃座から瀬戸口が声をかけてきた。「……なるほど」善行はそうつぶやくとなにやら考え込んだ。
「瀬戸口君、降車して調べてください」
「アイアイサー。司令も不思議に思われましたか?」
瀬戸口は陽気に返事をして、身軽に地面に降り立った。
天然の崖なら植生はもっと豊富なはずだ。長年の間に窪や溝に土が溜まり、雑草がその隙間にしぶとく生い茂る。しかし、この「崖」は見たところ、ツタだけだ。苔の類は張り付いているが、と瀬戸口はその表面を手で触ってにやりとした。コンクリート、古い言葉で言うところのベトンだ。「これは……」とつぶやき、ツタを掻き分けると、錆びついた鉄の感触がした。
「鉄の門です。何かの施設でしょうか」
瀬戸口が声をかけると、車内から全員が出てきた。各人がナイフや工具を使って生い茂るツ夕を引き剥がしてゆく。しばらくして、幅五メートルほどの鉄門が姿を現した。高さもそのぐらいだ。戦車がまるまる一台、通過できるほどの大きさがある。表面には「イ〇八」と黄色のペンキで書かれであった。その字体になんとなく「旧軍」の匂いがした。
「鍵がかかっていますね」
鍵はチェーン式の古色蒼然《こしょくそうぜん》としたものだ。善行は若宮に命じて車内の備品箱からハンマーを取ってこさせた。若宮がハンマーを振るうと、チェーンはあっけなく砕け、鉄門が開かれた。湿ったかび臭い空気が流れ込んできた。
「なるほど、こいつは旧軍の地下陣地ですね。わたしたちのご先祖はよほど穴掘りが好きだったらしい」
ハンマーと一緒に持ってこさせた懐中電灯で、善行は内部を照らし出した。壁に沿って、今では灯ることのない白熱電球がぶら下がっている。通路を進むと、この先には戦車隊が待機するちょっとした広場があるだろう。他には整備用の施設、司令所などがあるはずだ。
「鉄門を閉めてください。この場にて待機します」
ここなら大丈夫だ。格好の隠れ場所を発見した安堵から、善行はふっと息を吐いた。
ほどなくふたりはこんもりとした小高い丘を目にしていた。
陽は山の端に沈み、稜線を赤々と照らし出していた。濃厚な緑の匂いを含んだ風が、ふたりの心を静めた。
「あれが古墳なんだろうな」
鬱蒼とした樹木に包まれた丘のことを言っている。用心のため、サイドカーのライトを消して薮陰に移動しながら茜が口を開いた。あたりに照明はない。ただ、月明かりだけが姉弟を照らしていた。
「古墳ってお墓のことだよね? 気味悪くない?」森が相変わらず不安げに言った。
「待て。今、思い出しているから。……確か磐井って王様の墓なんだ。北九州を支配していた王様なんだけど、中央との戦いに負けて死んだんだ。九州の護り神さ」
「驚いた。大介、歴史に詳しかったのね」
「ふ。見損なってもらっては困るな。天才っていうのはね、過去をおろそかにしない。磐井の乱は戦史研究の分析対象になるしね」
茜は気取った口調で応えた。
「へぇ、それでどうして負けたの? 磐井って王様」
「それは……きっと政治力の差だな。中央の連中は政治的に鍛えられているから、甘い言葉で恩賞とか約束してその土地の豪族間の結束を切り崩したんだろう。地の利や兵力は確かに重要な要素だろうけど、中央と地方の決定的な差はそこにあるんだ」
茜の口調は知らず、真剣なものになった。実は大の戦史マニアで、滝川の持っているシミュレーション・ゲームに片っ端から文句をつけている。
「けど幻獣相手に政治はないよね」
「……うん」鋭い指摘をされて、茜は落ち込んだ口調で応えた。
そよ風がさやさやと薮を揺らし、ふたりにやさしく吹きつける。それまで不安を隠そうとしなかった森の口調に落ち着きが戻ってきた。古墳から発せられるものだろうか、どこかしら神《かむ》さびた静けさにふたりは癒されつつあった。
虫の音が聞こえる。ふたりはサイドカーの傍ら、ブナの大木にもたれ、隣り合わせに座ったまま互いの思いにふけった。
植木近郊 一五〇〇
三機の士魂号は善行らと別れて、自動車道を植木方面に南下していた。
背後には小型幻獣掃討用の戦車随伴歩兵の小隊が二個従っている。途中、兵を満載した車両とすれ違ったが、その多くが自衛軍の車両だった。
周辺には肥後平野の平坦で穏やかな風景が広がっている。植木市に近づくに従って、集落が増え、家々を陣地代わりにした兵の姿を見かけるようになった。
そんな陣地のひとつに舞は拡声器で呼びかけた。
「わたしは5121小隊の芝村上級万翼長である。尋ねたいことがある。今回の敵攻勢についてそなたらはどのような命令を受けている?」
案の定、一軒の家から千翼長が姿を現した。千翼長、すなわち中尉待遇といっても、破棄された互尊を再生したウォードレスを着ている程度だ。焦りと疲労のようなものが千翼長の顔に色濃く浮かんでいた。士魂号を見ても千翼長は驚いた様子はなかった。
「別命あるまで待機せよ、と」
「最後の戦闘があってからどれぐらい経っている?」
「菊陽の陣地戦のあとですから、二十時間以上はここに待機していますよ」
案の定だ。舞は唇を噛んだ。
「北九州への連絡線が分断の危険にさらされている。このままでは取り残されるぞ」
「ええ、しかし……」
千翼長は言いよどんだ。取り残されるといっても、上からの命令がない限り滅多なことはできぬしそう教えられてきたのだろう。
「そなたらは即刻、周辺の部隊と合流して撤退せよこしかるのち、八女・久留米間の友軍に合流。これがそなたらの生き残る唯一の道だ」
舞の冷静な声が拡声器から響く。しかし、良い兵ほど命令無視には抵抗感を持っている。千翼長は茫然と突っ立ったまま、しきりに首を傾げていた。
「しかし……熊本要塞を死守して、自然休戦期を待つ作戦ではないのですか?」
まだそんなことを、と舞は悔しげにつぶやいた。彼らは完璧な消耗品。捨て駒だ。意味のある捨て駒ならばまだよいだろう。しかし、ここにいる連中はなんの事情も知らず、はるか戦線の後方に取り残されたあげく、幻獣の大群に寄ってたかって殺される運命にある。
「ねえ、舞……」
それまで黙っていた厚志がささやくように口を開いた。舞は不機嫌に「なんだ」と応えた。
「これ、九州総軍の命令ってことにすればいいんじゃないの? 5121小隊は、撤退命令を……その、受け取り損ねた部隊に伝えて回っているって」
「たわけっ! わたしに嘘をつけというのか?」
舞は憤然として、厚志に食ってかかった。
「嘘をつかなきや、あの人たち、動かないよ。植木はもう戦略的にっての? 全然意味がないところなんだろう? だったら死ぬにしても、生きるにしても戦わせてやりたいじゃない。それって良くないことなんだろうか?」
厚志の言葉に、舞は耳を疑った。険しい表情が少しずつ和らいでくる。成長進化。そう表現するのが正しいだろう。厚志め、わたし以上に芝村的になっている。ふむ、それではどう嘘をついてやろうか?
「すまん。肝心な通達を忘れていた。これは九州総軍の芝村準竜師からの命令である。現時点において新たな命令を受領していない部隊は、即刻九州自動車道を北上、村上戦隊及び善行上級万翼長の司令部に合流せよ。司令部は現在、八女にある。周波数は……」
しばらく間があった。だめか? わたしは嘘が下手だからな、と舞が顔をしかめると、不意にあわただしく兵が動き出した。機銃を引き上げ、トラックがエンジン音を響かせている。
「感謝します」千翼長はそう言って敬礼をすると、兵をまとめに戻っていった。
感謝します、か。舞は口許に苦笑を浮かべた。どうやらこの種の苦笑は、善行のそれがうつってしまったらしい。やはりわたしは嘘が下手だな。しかし、放っておけばまじめに黙々と死ぬだけの兵に、撤退する口実を与えただけでもよかったろう。
道路脇に退いた三機の士魂号と付属の歩兵小隊の間を縫うようにして、次々とトラックが出発した。北へ。少しでも本土へ近く。舞の網膜に荷台から手を振る兵たちの姿が映った。
「どうします? これから熊本市内に行きますか?」
壬生屋が通信を送ってきた。二十分ほど走れば、市内へと到着する。市内にはまだ多くの将兵が残されているだろう。
総軍は熊本をどうするつもりだ? 市内へ行くか? それともこの地点を限度として引き返し、自動車道の連絡維持に時間を使うか? 舞は少しの間、考え込んだ。
「『ニセ命令』とはな、やってくれる」
不意に通信が送られてきて、芝村準竜師の声がコックピット内に響いた。
ずっと聞いていたのか? 通信は使っていないのにどうやって? 厚志はドキリとして、舞の反応をうかがった。
しかし舞には動揺した様子はない。背中に伝わってくる雰囲気はむしろ楽しげでさえあった。
「どうせどこかに盗聴器でも仕掛けたのであろう。それはかまわぬが、芝村的な結論からそうしたまでだ。無意味な死こそは最も反芝村的だからな。善行の指揮下なら無惨な敗走はしないだろう」
「ふむ。しかし敵に遅滞行動を取らせる隊は必要だぞ」
準竜師は議論を楽しむように言った。
「機動力のある隊ならばな。機動防御戦が行えない足の遅い兵を遅滞行動に使うということは、言い換えれば見殺しということだ」
舞は平然と言い放った。
敵に打撃を与えつつ、撤退するというのが機動防御戦の基本だ。第一防衛ラインの兵がそろそろ限界で、かつ十分に敵に打撃を与えたと判断したら、迅速に第二の防衛ラインに退く。その際に必要なのは、退く兵の機動力と、撤退を支援する火力である。撤退するにしても、敵に自軍を捕捉させず、出血を強いてから退くという考えだ。
兵の練度、装備、そして防衛ラインをここと見極める戦術的センスが必要となるが、残念ながら今はそんなまともな部隊は見当たらない。ただ、トーチカに籠もり、塹壕陣地に籠もった死守命令があるだけだ。
「賛沢なことを」
準竜師の言葉には皮肉が含まれていた。
「試作実験機小隊などにいると、戦争も理屈通りに進められそうだな。まあ、いいだろう。そなたはそなたの好きにするがよい」
そう言うと、舞が反論する間もなく通信は切れた。
「理屈通りにいくなどと……わたしは思っていない」
舞のつぶやきに、厚志は居心地悪そうに身じろぎした。小型幻獣の大群を防ぎ切れなかったことが思い出された。
準竜師の言葉の意味がなんとなくわかったからだ。整然と戦って、整然と退却するのが撤退戦の理想だろう。しかし、理想は理想だ。愚直に拠点を死守し、敵の行動を遅らせる兵だって必要になる。そういう兵が多ければ多いほど主力部隊の撤退は楽になる。総軍には舞の言う「機動防御」をするだけの余裕がないんだ、と厚志は思い当たった。
「別命あるまで待機せよ」との残酷な命令の正体がこれなのだ。
僕たちはそれに反論することはできない。
しかし5121小隊は、そんな無慈悲な撤退戦を許すわけにはいかないんだ。
なぜって? 僕たちは正義の味方だから。
厚志は思わず、ふふっと笑った。
「笑うな!」
舞の怒りを含んだ声が跳んできた。理屈通り、という言葉は明らかに舞を刺激していた。
「ごめん。けど、舞の言う通りでいいんじゃない? 『機動防御』っていうのは大げさだし、友軍にそんな余裕はないことはわかっているけど、僕たちは理屈を、言い換えればさ、理想を実現するために本土行きを拒否したんだ。そうだろう?」
「ふむ」厚志の言葉に、舞は静かにうなずいた。
「理想を実現するために、か。そなたもたまにはよいことを言うな。そうだな、わたしは理想論が好きなのだ。認めよう」
「だったら決まりだ。熊本市内へ……」
その時、厚志の言葉を遮るように瀬戸口から通信が入った。
「こちら八女。戦闘指揮車だ。圧倒的な数の敵の攻撃を食らって司令部は散り散りになってしまった。至急救援を求むってやつだな」
「ご無事ですか、瀬戸口さん!」
壬生屋の声がすかさず割って入った。
「すぐにそちらへ向かいます。だから、それまで……!」
「大丈夫。俺たちは大丈夫さ。幸いなことに、近くに造られた地下陣地に隠れることができた。
そんなことより、整備の連中と軍医の先生と連絡が取れない。現在、元の司令部付近で敵味方とも救援を繰り出し合って激戦が展開されている」
「地下陣地とは?」舞が尋ねた。全軍の頭脳である戦闘指揮車がやられれば、今後の戦闘に深刻な影響を及ぼすだろう。
「旧軍の本土決戦用の地下要塞だろう。適当な雑木林を見つけて隠れようと思ったら偶然出入り口を見つけたってわけさ。だから善行さん以下、俺たちは無事だ。問題は整備と軍医。来須が捜索に向かっている。それにしても……」
瀬戸口は言葉を切った。次いで、彼にしては悔しげな声が洩れた。
「幻獣共生派の連中には見事にしてやられたよ。アンテナ役はやつらだろう。そこに幻獣がわんさと押し寄せてきたってわけさ」
「ふむ。何故、共生派とわかる?」
「偶然、智天使《ゲルビム》なるコードネームを持った共生派が、仲間に連絡を取っているところを傍受した。女の声が切れ切れに聞こえてきた。残念ながらノイズがひどくて内容までは聞き取れなかったが」
「善行です」
瀬戸口に代わって、善行が通信を送ってきた。
「共生派への注意を怠ったのはわたしの過失です。共生派がこちらの行動を逐一監視していることぐらい計算に入れていなければならなかった」
「ふむ。我々はやつらを甘く見過ぎていた。司令部ビルが爆破されでも、なお、な……。一番機と二番機をそちらへ向かわせるか?」
一番機と二番機を向かわせ、自分たちは熊本市内へと舞は考えていたらしい。しかし、善行は断固として「全機です」と言った。
「これは友軍との連絡線をめぐる野戦であり、単独で行動しやすい市街戦とはちがいます。八女は拠点としては格好の位置です。博多へも近い。すみやかに敵を撃退し、司令部を回復してください」
「しかし、熊本は。市内に残っている連中は……」
舞の声は心なしかかすれていた。
「彼らの武運を祈りましょう」
善行の冷徹な声がコックピット内に響き渡った。
ファミレス地下室 一五〇〇
地上では機銃の音がしばらくこだましていたが、やがてやんだ。
ファミレスと隣接するホームセンターのインフラをまかなう機械室は思ったより広かった。
鍵は見つからなかったが、何故か扉は内側からかんぬきで閉められるようになっていた。
地下室は地下二階まであり、上階は備品室、下階は電気、水道系統などを制御する機械室となっていた。医療スタッフを含めた五十名ほどが地下へと避難していた。
「酸素は大丈夫か?」
鈴原の言葉に、橋爪は「へ?」と笑った。
親が小さな工務店を経営していた。郊外の馬鹿でかいだけが取り柄の建物だった。各所に手抜きがされている。この種の「安っぽい」地下室は完全密閉ということはあり得ない。使われているコンクリートもひび割れが生じて安っぽいし、水を汲み出すポンプはこの規模にしてはちゃちなものだ。天井も低いし。この地下室を造った工務店のおかげで、自分たちはしばらくの間、湿気と閉塞感ってやつに悩まされるわけだ。
「安心していいぜ。その気ならここで暮らせる。食い物と水さえありゃな」
不意に、けたたましい音が地下室まで届いてきた。小型幻獣がフアミレスにあふれ返って、やりたい放題暴れているのだろう。特にゴブリンは好奇心が強く、橋爪などは大いにその性質を利用したものだ。
一度「ジャングルジム」を待ち伏せ地点に持ち込んで、試してみたことがあった。すると、ゴブリンはジャングルジムに群がって、引っ張ったり登ったりと、大変な騒ぎとなった。むろん、橋爪の九四式がワナにかかったゴブリンをことごとく殺した。
皿が、ガラスが砕ける昔。何かを階段から突き落とす音。数百匹のゴブリンの足音は地下室にまでけたたましく響き、微かな振動さえ伝わってくる。
「様子を見に行く……ってわけにはいかねえよな」
田代がこわごわと橋爪を見た。
「馬鹿か? 一歩出たら最後、挽肉にされちまうぜ。出たらすぐロビーだしお客さんがわんさといるぜ」
橋爪はマジかよというように田代を見た。実のところ、出入り口のことも心配だった。ゴブの野郎には扉の概念を持っているやつもいる。そいつが地下へ降りる扉に気づいて、開けようとしたら? いや、ゴブはまだいいが、ゴブリンリーダーが扉をがんがんとやりだしたら?
幸いなことにここの備品室にあった古いテーブルやら椅子やらを扉の前に集めて即席のバリケードは作ってある。ただ、取れる手段はそれだけだ。
敵がなだれ込んできたら、自分の小隊機銃だけが唯一の武器となる。
ちぇっ、しゃれにもならねえぜ。
「そこの赤毛、下の機械室に降りて包帯の結束法でも習ったらどうだ? ベテランの看護兵もいるし、そういうやつは普段から医薬品を体中に詰め込んでいる」
鈴原が言うと、田代は観念したように「ああ……」とうなずいて階下へと降りていった。
「それで先生……あんた、どこへ行っていたんだ?」
用具室には軽傷の負傷兵が残っていたが、橋爪は鈴原の耳にささやくように言った。ひっつめ髪からぴんと伸びた髪の一本が橋爪の鼻をくすぐった。
橋爪の口許に笑みが広がった。
「散歩をするにもおまえに断らなければいけないのか?」
「そういうことじゃねえ。前に博多の医者仲間に連絡をしたって言ってたろう? 先生にそんな仲間がいるとは思えねえ。……なんせあのド田舎で戦争のこともたいして知らずに生きてきたんだ。言っちや悪いが世間知らずの先生に医者を取りまとめたり、なんて芸当ができるとは思えねえ」
それまで気にしていたことをいっきに言った。
「ふん。人は見かけによらないものだぞ」鈴原は涼しい顔で応えた。
「それに、どうして隠れて衛星携帯なんて使うんだよ?」
橋爪はじっと鈴原の不機嫌な顔を見つめた。
ああ、先生の瞳は夜の空のようだな、と脈絡もなく思った。暗い中に星のように、不思議な光が灯っている。
鈴原の表情に変化が顕れた。橋爪を哀れむような、そんな目で見つめ返してくる。ふっと瞳の中に暗い深淵が宿った。
「わたしの正体を口にするのが怖い……そうだろう? かまわないから口に出してみろ」
鈴原にそう言われて、橋爪は狼狽え、飛びのくように後ずさった。
「けど、どうして……」
「軍内部にも仲間はいる。これ以上、わたしに近づくな。さもなければそこの拳銃で片をつけてもかまわないんだぞ。わたしは死など怖くない」
鈴原の言葉は冷静そのものだった。
ちっくしよう、この女。橋爪は全身に、どっと汗が噴き出すのを感じた。
ファミレス駐車場裏山 一五〇〇
神社の境内から最後のきたかぜゾンビを撃破した時点で、司令部の車両がばらばらに逃走するのが来須の眼下に映った。戦闘指揮車と補給車は距離が離れていたし、サイドカーが発進するに至っては笑みすらこぼれた。
まとまって逃げるよりは現時点では正解かもしれない。この近辺では戦線らしい戦線は存在せず、どんなアクシデントが起こるかわからない状況だからだ。5121小隊の隊員が生存する確率は、戦うよりはむしろ「泡を食って逃げる」方が高いかもしれぬ。
善行にも弱点はあるものだな、と来須は今さらながら高台から駐車場の様子を眺めて思った。不測の事態に判断が遅れる傾向がある。その弱点を補うために、あの男はすべてを疑い、吟味し、入念な準備を行うが、ゴブリンの急速浸透といった状況は彼にとっては最悪だろう。
彼からの通信があるまで自分は遊兵となって、敵を狩り続けるしかないだろう。
一体のミノタウロスが押し寄せる小型幻獣の大群のかなたに姿を現した。距離一千。来須は慎重に狙いを定めるとレーザーライフルの引き金を絞った。
貫通。ミノタウロスは爆発し、四散した。次の瞬間、またしても付近の木の幹に銃弾が突き刺さった。今度は二発、三発と立て続けに狙撃してきた。
下界からは高台の薮に潜む自分の姿を確認できないはずだ。悠然とレーザーライフルの再チャージを待とうと思った瞬間、はっとして来須は駆けていた。
(あの女……)
風を切って一二〇ミリ砲の砲弾が飛来してくる。爆発。榴散弾はありったけの破片を周辺に撒き散らした。神社の神聖な樹木が破砕され、吹き飛ばされる。来須は神社裏の薮を駆けながら、おのれの迂闊さを呪った。
あいつは俺の一瞬の油断を待っていたのだ。精度の低い狙撃を加えつつ、俺が高をくくるのをじっと待っていた。あとは仲間の共生派におよその位置を知らせればよかった。
ここは一刻も早くこの場をあとにすることだ。来須は裏山の斜面をすべり降りると、新たな隠れ場所を求めて駆けた。
「来須君、状況はどうです?」
善行から通信が入ったのは数分後だった。
「共生派も戦闘に参加している」
「彼らは危険な存在と成り得ますか?」
「幻獣と共同で動くことはない。よくて数名、というところだな。レールガンの砲撃を食らったが」
「なるほど」
善行はしきりに次の手を考えているようだ。しばらくの間、沈黙が続いた。
「俺はこれからどうすれば? 単独で中型幻獣を仕留め続けることもできるが」
「……茜君と森さんとの連絡が不可能になりました。ふたりとも我が隊には欠かせぬ存在です。彼らを捜索して欲しいのです。それにしても……」
「ああ」
来須は口許をほころばせた。他の車両もあるだろうに、パニックに陥ったあげくサイドカーで逃げるとは。当然のことながらサイドカーには無線はない。傍迷惑な連中だ。
サイドカーはまっすぐに北東をめざしていた。山がちの地形で、逃げるにはまあまあの選択と言えるが、本人たちは無我夢中でそんなことは意識していないだろう。
来須は北東へ向かって、すべるように走り出した。大幅に筋肉補整された最新鋭のウォードレス・武尊での走力は並の車両をはるかに凌駕する。
陽は大きく西に傾き、来須はふたりのあとを追い続けた。途中、小型幻獣の一団と出合ったが、サブマシンガンと手榴弾で片づけた。
幸いなことにサイドカーのタイヤ跡を見つけることができた。県道のカーブでハンドルを切り損ねそうになったか、タイヤの跡がくっきりと残っていた。行くあてのないふたりのことだそう遠くへは逃げないだろう。適当な山道へ入り、隠れ潜むに違いない。それに、戦いに慣れぬ彼らの疲労は相当なはずだ。
そんなことを考えながら、来須は一本の農道に目をつけていた。
ふたりの心理を類推してみる。不安、恐れに捉われた者が大道を選ぶことはない。むしろ目立たぬ道を選ぶだろう。
農道は鬱蒼とした薮の中に消えている。またしてもタイヤ跡。もともとサイドカーなるシロモノは、慣れたオートバイ兵が扱うものだ。幸運が二度。よく転倒しなかったものだ、と来須はかぶりを振った。
「あんたもしぶといね。銃を捨てて」
不意に声がかかった。来須は立ち止まり、声のした方角に日をやった。
案の定、樹木に遮られ、相手の姿は見えない。声が聞こえる以上、相手は近いだろう。偽装するため、スコープにも銃身にも覆いがかけられているはずだ。ただ、至近距離から狙いだけを定めている。
「おまえもな、木下」
来須は無表情に言ってからレーザーライフルとサブマシンガンを捨てた。
黙って引き金を引けばよいのに何故、声などかける? 木下の狂気のようなものが薮の中からひしひしと伝わってくる。
木下と名乗る共生派テロリストと関わってから、ずいぶんと時間が経ったような気がする。
熊本城攻防戦の時は5121小隊に狙撃を仕掛けてきた木下と戦った。あの時、殺しておくべきだったかもしれない。
来須は前方を凝視した。樹上にはいないだろう。バランスを崩し不自然な音をたてる危険が大き過ぎる。茂みの中で腹這いになって、銃身をこちらに向けているはずだ。距離は……十、ないしは二十メートル。
来須は横に跳ぶタイミングをはかった。初弾さえ避ければ、薮に潜り込んで、あとはカトラスだけで十分だ。
そんな来須の思いを見透かしたように薮が鳴って、木下が姿を現した。
ほっそりとした女子用の互尊を着込んでいるが、顔の左半分を包帯に包んでいる。注意して見ると右腕でアサルトライフルを挟み込むように構え、左手は軽く銃身に添えられたままだ。
不自然な構えだった。
左腕は使いものになるまい。昨夜の斥候中の狙撃で捉えたのは左腕だったか。その後、ウオードレスを替えたのだろうが、来須の目はごまかせなかった。
「久しぶりだね」
木下は、にこりと笑いかけてきた。
「消えろ、と言ったはずだ」来須は無表情に木下を見つめた。
「殺しておくべきだったね、あの時。わたし、あんたになら殺されてもいいと思った」
木下は言い終えてから荒い息をついた。もはや体力は残っていないのだろう。何かに執着することで辛うじて体を動かしているのだ。
「身の上話は前に聞いた。傷の手当てをしてから出直してこい」
「何度でも聞いて欲しいものさ、身の上話は」
「……俺を殺せば、おまえは生きる意味をなくすぞ」
来須にしては抽象的な言葉だ。しかし、それなりの計算はあった。
案の定、木下の右眉が上がった。重傷を負った左手が銃身とともにだらりと下がった。
その瞬間、来須は地を蹴った。銃声。しかし、左手の支えを失った銃弾は空しく地を削っただけだった。
来須は木下の死角に回り込むと、カトラスを抜き、相手の喉に突きつけた。
「殺せば?」
木下は楽しげに、にやりと笑った。狂気に支配された女。しかし俺も同じか、と来須は木下の銃を取り上げると、カトラスの柄でこめかみを打った。意識を失い、崩れ落ちた木下を受け止めると来須は黙然と考え込んだ。
この女を生かしておいてもなんの益もないだろう。
しかし……来須は口許を引き締めると、木下の銃を破壊し、ワイヤーで厳重に縛りつけた。
運が良ければ仲間が助けるだろう。
この女に必要なのは戦いではない。何か別のものだ。ふとそんなことを思った。
長田・瀬高間 一六〇〇
どこをどう移動したかは覚えていない。幻獣が襲ってきた側と逆方向へと中村は本能的に補給車を走らせていた。むろんクレーンを搭載し、二十トン規模の物資を運ぶ巨大な補給車は、そうそう道を外れるわけにはゆかない。片側二車線の道路を走るうちに、209の標識が見えてきた。
「国道209号ってことは、逆戻りしているぞ」狩谷が冷静に言った。
「ふんならここらで停めるかね」
中村は皐を停め、周辺を見渡した。気がつくと東の方角に九州自動車道が並行して走っている。確か矢部川とかなんとかいう川を越えたことは覚えている。あたりは典型的な筑後の田園地帯だった。
陽は大きく西に傾き、黄金色の残照が田園を照らし出している。まばらに林が散在する穏やかな風景。はるか東には延々と山の稜線が連なっている。
「おそらく長田付近だろう。待てよ……」
狩谷は隣席のヨーコ小杉に手ぶりで窓を開けろとうながしてから中村に言った。
「現眼鏡を貸してくれ。君が持ち歩いていることは知っている」
「む。それはどういう意味かいね」
「そのまんまの意味さ」
「風……空気が焦げクサイデス」
ヨーコ小杉が、くんと鼻をうごめかした。
中村から渡された双眼鏡に目を凝らすと、狩谷の目に凄惨な光景が飛び込んできた。破壊さ加た車両群。延々と数百メートル、いや数キロにわたって、破壊され遺棄された軍用車両が残骸をさらしている。焼けて煙をくすぶらせている車両も多くあった。
狩谷は黙って中村に双眼鏡を返した。
「こりゃあ、ひどか!」肝の据わった中村も声をあげた。
「戦闘が行われている様子はないな。どうする?」と狩谷。このまま補給車を走らせるか否か、皆に尋ねている。
「どうするって言われてもな」
中村はアサルトライフルを取り出すと、弾倉を確かめた。菊池方面の友軍を救出した際に、整備班のために遺体から数丁失敬したものだ。
「ちょっくら様子を見てくるばい。岩田、ぬしも行くんぞ」
「ノオオ、わたしが行ったら補給車を守る者がいなくなりますううう」
助手席の岩田は大げさにのけぞった。それでもアサルトライフルを手にすると、後部座席を振り返って、にやりと笑った。
「フフフ、ヨーコさん、わたしたちって親切だと思いませんか?」
なんの意味かわからず、ヨーコは微笑むと首を傾げた。
「負傷者がいたら助けようというのです。だから戻ってきたらあなたのソックス……」
岩田の耳を中村が引っ張った。
「抜け駆けはなしぞ」
……士魂号一番機整備士の肩書きを表看板とする中村と岩田だが、実はふたりは女子のソックスを愛好するという特殊な趣味の仲間同士だった。その世界では凄腕との評判が高く、整備班の女子のソックスも何足か保有している。
補給車の通信機が鳴った。
「聞こえるか、瀬戸口だ。補給車は無事か?」
「現在、長田近辺、国道209上にいます。すぐに合流しますか?」
狩谷が中村から無造作に送受器を奪うと、冷静に言った。
「ああ、夜までには司令部も奪回できるだろう。おまえさんたち、士魂号とはすれ違わなか。たのか?」
「ぜんぜん。中村が方向音痴だということがよくわかりましたよ」
「ははは。そうか、すぐに司令部……八女付近のファミレス駐車場に戻ってくれ。ただし、戦闘が終了するまでは近くに隠れていてくれ」
「了解」
「ちょっと待ちんしゃい!」狩谷の手から中村が送受器をひったくった。
「すぐ近くの自動車道でたくさんの車が破壊されとる。俺は様子を見てくる。怪我人がいたら助けんと」
「相当ひどいことになっているみたいだな。……任せる、と司令がおっしやっている」
と瀬戸口。
「無駄だと思うけど。負傷兵がいたら後続の隊が助けているはずだ」
狩谷が冷静な声で言った。しかし、中村は狩谷の言葉を無視すると、ヨーコを振り返った。
「ヨーコさん、運転席ば頼むばい。留守を守ってくれ」
「ワカリマシタしイッテラサイマセ」
ヨーコは、にこりと中村に微笑んだ。なんだかいつもの微笑みとは違う。大いにグレードアップされた笑顔だった。中村は不覚にも顔を赤らめた。「抜け駆けはなしですよ!」岩田が思いきり中村をどつく。
「しぇからしか! そんなんじゃないわい。無駄口たたかんと、行くぞ」
国道から五百メートル余り。道路上は惨状を呈していた。
多くが北上する途中、敵に襲われ破壊された車両だった。玉突き事故をいっそう残酷にしてそれが延々連続して続いているといった光景だ。生体ミサイルの強酸に倣え上がり、炭化した死体。きたかぜゾンビの機関砲弾に掃射され、原型をとどめぬままに破壊された遺体がそこかしこにあった。ざっと見渡した限りでも数百は下らないだろう。
「ノオオ」
岩田が痛ましげにかぶりを振った。いついかなる状況でもベタなギャグを欠かさない男だがこの状況にはさすがに得意のギャグも出ないらしい。そもそも整備員として後方にいる彼らは戦死体そのものに慣れていなかった。
「おおい、誰か生きとるかあ?」中村が声を出す。
「生きていたら返事してください。声が出せなくても、頑張って声を出さないとここで死にますよォォォ」
岩田が珍しくまともなことを言った。
返ってくる声はなかった。中村と岩田は政を見合わせた。
「狩谷の言う通りかもしれん。後続の部隊に助けられたんじゃろう」
「しかし、延々、続いていますよ。道路沿いに移動しますか?」
破壊された車両群は数キロにわたって続いている。双眼鏡をのぞき込んで、最後尾の破壊された車列を見て中村はため息をついた。こりゃ徹夜仕事になるな。
双眼鏡の向きを道路から逸らして、ふと東へと向けた。
「ありやなんぞ?」
沈みゆく光を反射するものがある。拡大すると、こんもりと盛り上がった草むらのあたりからにょっきりペリスコープが生えていた。
岩田も自前のオペラグラスをのぞき込んだ。
「フフフ、ペリスコープが士から生えるなんて自然の法則に反しますよ。戦車ですねえ。どうします?」
「うむ、行ってみるか」
ふたりはガードレールをまたぐと、ペリスコープの方角に駆け出した。
駆けながら双眼鏡をのぞき込むと、ペリスコープがあわでて引っ込むのが見て取れた。
「ぬしゃらはモグラか? とっとと出てきんしゃい!」
中村が叫ぶと、土の中から「モグラで〜す」と女子の声が聞こえてきた。
「モグラのモグちゃんです」
「だからあ、とっとと出てこんね」
女子の声とわかると、中村の声はいくぶんやさしげになった。
「フフフ、出てこれないわけでもあるんですか?」
岩田が尋ねる。学兵の戦車兵のほとんどは女子で占められている。思いは中村と同じだった女子校の皆さんとお近づきになりたい。
「わかったわよ」
ふてくされた女子の声がして、突如として地面が盛り上がった。ふたりは足をすべらせて、地べたに転がった。迷彩ネットにこれでもかと草を結わえつけたモコスが姿を現した。
ハッチが開き、金髪の百翼長がむすっとした顔をふたりに向けた。おお、ナイス! 八十五点。中村は岩田とまたしても顔を見合わせてにやりと笑った。
「なんの用? わたしたち任務中なの」
「任務中ちゆうても、ぬしゃら、あれを見ておったろ?」
中村の言葉には何故助けなかったんだという疑問と、なんの任務なのかという疑問が含まれている。
責められていると感じたか、金髪はにこりともせず言った。
「わたしたちは駆逐戦車小隊なの。たった二両のこれで敵を待ち伏せしているってわけ」
これ、と言いながら金髪はモコスの車体をがつんとたたいた。
「じゃっどん……」
「そりゃあわたしたちだって助けたかったわよ! けどね、一度にたくさんの敵を相手にできないし。敵に発見されたらそれで終わりなの! 死にたくないのっ!」
金髪はムキになって中村に食ってかかった。
悔しげに歯を剥き出しにして、目には涙をにじませている。
突然、岩由が「ノオオオ」と叫ぶと、得意技・バナナの皮ですべって転ぶパターンを演じた金髪はあっけに取られた顔で岩田を見つめた。
「フフフ、どうですかこれ? まだあるんですよ」
「ど、どうって言われても……」それまで憤然としていた金髪の顔に困惑の色が浮かんだ。
いつのまにか他のモコスのクルーも車内から顔を出している。
岩田は得意技その2・天井のバナナを取ろうと焦るサルパターンを演じはじめた。わっと拍手。金髪以外のクルーたちは岩田のベタなギャグに歓声を送った。
「よく恥ずかしくならないよね」
「ここまでベタだと、感心するしかないって感じ」
「けどよォ、こんなところで何やってるんだろうな。おまえらってもしかして馬鹿?」
最後の言葉は何故か女の園にいる野郎からのものだったので、岩田はむっとして言い返した
「フフフ、馬鹿じゃありませんよ。緻密に計算されたギャグです。あなたにまねできますか? さあ、まね。てみなさい!」
妙に勝ち誇られて、野郎の戦車兵はうっという顔になった。
「まねできないんですか? あなたは人間失格ですよ!」岩田はここぞとばかりに追求する。
「そ、そんな恥ずかしいまね……」
不意に、あはは、と笑い声が響き渡った。金髪が腹を抱えて笑っている。
「化工のアホのくせに人の芸に文句つけるなんて一万年早いわよ!」
「馬鹿野郎。俺はアホじゃねえって! オキアミパン作れるアホがいるかよ?」
野郎の戦車兵はムキになって反応する。
パンだと? ムフフと中村の顔に笑みが広がった。中村専用の巨大なポシェットからメロンパンを三個分取り出した。
「これはお近づきのしるしぼい」
メロンパンを見た女子たちの目の色が変わった。ひったくるように受け取ると、かぶりつく
「マジ、美味し?」こ金髪の声だ。ご機嫌この上なしといった表情になっている。
「俺が作った」中村がエヘンと胸を張ると、三人の女子は中村を取り囲んだ。
「尊敬しちゃいます!」一番背の高い女子が言ったら
「ちょっとだけ生き返った感じかも」どこか白けた表情の女子がぽつりと言った。
「まだまだあるぞ。俺の部隊に来ればメロンパンは食べ放題」別に中村の部隊ではないのだが。
「部隊って? わたしたち紅陵女子α小隊っていうの。わたし、佐藤」
佐藤は次々とクルーを紹介した。
中村と岩田は極めて高度な秘技、「後ろ手会話」でクルーたちの品定めをした。しまいにはじゃんけんをして、佐藤は中村、神崎と森田は岩田の「獲物」ということになった。むろん、ふたりの特殊な趣味についての話である。
「俺は5121小隊の中村」
「フフフ、わたしは岩田といいます」
ふたりが自己紹介をすると、佐藤の顔がばっと輝いた。
「えっ、5121小隊なの? じゃあ、芝村さん、知ってるでしょ」
「まあな。ウチのエースばいね」
「わたし、芝村さんのファンなの! 格好いいよぬ、勇ましくて凛々しくて」
不機嫌な顔をしてやきそばパンにかぶりつく舞の顔を思い浮かべ、中村は暖味にうなずいた。
「わ、わたし、瀬戸口さんのファンで……」神崎が遠慮がちに言った。
「じゃっどん、瀬戸口にはなな」
言いかけたところで、岩田が中村の口を封じた。夢を壊すな、と目で語っている。
「なあ、ぬしゃらの任務ってなんぞ?」
さすがに時間を気にした中村が本題に戻った。
「別命あるまで待機せよ、だって。けど、命令はないだろうってある大尉さんに言われたわ。迎えに来てくれるって言ってくれたけど、どうしたんだろう?」
佐藤は急に心細げな表情になった。
「俺ちと一緒に来るとよか。芝村も歓迎してくれるっぞ」
「え、いいの? けど命令違反になるでしょ?」
元々生まじめな佐藤は、意外だなというように口を開いた。
「よかよか。俺らの司令……善行上級万翼長もな、撤退命令を無視して戦っとる」
「それに、そろそろ敵中に取り残されますよ。司令部のお馬鹿さんたちの命令なんかでこんなところで死んだってしょうがないでしょう。わたしたちは意地でも生き残る気でいますよ」
岩田の言葉に、佐藤は考え込んだ。
しばらくして「そうだよね……」とつぶやくと顔を上げた。
「決まり! これから5121さんに合流するよ! なんたってわたしたちの合言葉は」
「死んで花実が咲くものか……やっぱり恥ずかしい」森田がぼそりとつぶやいた。
「けど、俺たち足が遅いぜ。時速二十キロがやっとなんだが」
それまで無視されていた鈴木が冷静に言った。
「まあ、よかよ。一緒に行こう」
二台のモコスはゆっくりと動き出した。ホバーが重たげで苦しげな音をたてる。中村はモコスの車上に腰を下ろしたまま、双眼鏡を暗視モードに切り替え、周辺を見渡した。
大尉さん、か。
大尉っていえば部隊をそっくり引き渡してくれた大尉を思い出していた。そういや自動車道を北へ戻っていった。ふと視界に横転した戦闘指揮車が飛び込んできた。一キロほどの距離がある。まさかな、と思いながらも、中村は機銃座の佐藤に話しかけていた。
「あの指揮車、燃えた様子もない。生き残りがおるかもしれん」
「けど、生き残ったらさっさと逃げ出しているでしょ」
「ぬしの言う大尉さんのことを思い出してな。車体に書かれた番号が同じような気がする」
中村は飛び降りると、「調べてくる」と言って走り出した。
「岩田あ、あとは頼むっぞ」
「フフフ、任せなさい。……そうですか、森田さんは十五歳なんですかあ。プリティですね」
岩由は車内の女子とのおしゃべりに専念しているらしい。ま、しょうがなか、と思いながら中村は駆け続けた。
「待って、待ってよ!」背後から佐藤の声がした。
「わたしも行くよ、なんだか気になるから」
指揮車はガードレールを突き破って、野菜畑の中で横転していた。逃げようとしたのか、機関砲弾の掃射を受けたクルーの無惨な遺体が転がっていた。
望み薄かと思いながら、中村は車内をのぞき込んだ。
「あちゃ!」
落合大尉は機材に押し模されるようにして倒れていた。車体を貫通した二〇ミリ機関砲弾は車内に設置された機器を破壊し、大尉はその破片の下敷きになっていた。ウォードレスの肩装甲がひしゃげ、左腕は完全に濱されていた。
「……大尉さん」佐藤が茫然とつぶやいた。
「息はある。痛みで気絶しているだけたい。佐藤、手伝え」
中村と佐藤は、渾身の力で機材を取りよけた。その時、「う」とうめき声がして、落合が目を開いた。
「大尉さん、大丈夫ですか?」佐藤が尋ねると、落合は真っ青な顔で辛うじて声を出した。
「……ああ、君か。どうしたんだ?」
「そんなことより、大尉さんこそ」
「どうやら左腕をやられたみたいだが、なんとか生きているようだ」
落合は、ふっと苦しげに笑った。
「君たちを迎えに来たんだが、とんだ白馬の王子様だな」
「……そんなことないです! 約束守ってくれて、わたし嗜しいです!」
佐藤はどうやら熱い性格らしい。目元を赤く腫らしていた。
落合はそんな佐藤を黙って見つめていたが、やがて激痛に耐えかねたか、ぼそりと言った。
「……モルヒネはないかな?」
「八女の司令部に行けば手当てを受けられますばい。我慢せんと」
中村はそう言うと、有無を言わせず落合を抱え上げた。佐藤も手を貸す。三十分ほどのち、
ふたりはうめき、苦しむ大尉を支えて補給車へとたどり着いた。
「千客万来だな」
落合の姿を見た狩谷が皮肉を言った。
中村はヨーコに、「モルヒネはなかと?」と尋ねた。ヨーコの顔に微笑が浮かんだ。
「実ハ、スコシダケ、医療チームから分ケテもらってますネ」
ヨーコは荷台へと消えると、使い捨てのモルヒネ注射を持ってきた。そしてウォードレスを脱がすと、慣れた手つきで落合に注射した。
「全員、揃ったよ」
狩谷が通信を送ると、すぐに瀬戸口の声が返ってきた。
「モコスに負傷した大尉殿か。ま、客が多いってことは良いことさ。モコスの隊長と大尉さんに伝えてくれ。5121小隊へようこそってな」
岩戸山古墳付近 一八三〇
「姉さんは僕じゃだめなのか?」
不意に茜が口を開いた。
森は居心地が悪そうに身じろぎした。闇がふたりを包んでいる。
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ」
「僕は姉さんを守りたいんだ。それだけなのに……」
茜の声は寂しげだった。ずっと今のままでいたかった。
「前にも言ったはずだけど。血はつながっていないけど、わたしは大介のお姉さんなの。もしわたしが大介の恋人になったら、お姉さんで恋人でって、都合良過ぎるじゃない」
くそ、何度も練習したような答えだぞ。都合良過ぎちゃだめなのか?
茜は唇を噛んだ。親友の滝川と姉さんの仲はもう確定だろう。それに割り込もうとする自分が情けなく思えたが、好きなものはしょうがないじゃないか、と思った。
「滝川は頭悪いぞ」親友の悪口を言うなんて最低だ、と茜は自己嫌悪に駆られながら言った。
「頭の良い悪いは関係ないの」
「要領が悪いから出世しないよ」
「それも関係ない」
森の澄ました声に、茜はかっとなった。
「どうして? どうして僕じゃだめなんだ! 僕は姉さんが好きだ、好きだ、好きだ!」
弾みで茜は森の肩を掴んでいた。森の顔に怯えが走った。今の自分はどんな顔をしているだろうと茜はちらと思ったが、森を押し倒してその上に覆い被さった。ウォードレスを着ている身で何ができるわけでもなかったが、ずっと姉を抱き締めていたかった。
「だめよ、大介!」
非力な茜は、思いきり突き飛ばされていた。木の幹に頭をぶつけて、一瞬、めまいがした。
「くそ、やったな!」
何がなにやらわからぬままに、茜は森にむしゃぶりついた。ふたりは大昔にやったプロレスごっこのように、地面を上になり下になり、転がった。
ふと森が鼻をくんとうごめかした。
「……待って、大介」
「なんだよ!」
「水の匂いがする。流れる音もする」
森は力を抜くと、そっと茜から離れた。
「ひかり」
森の静かな声に、茜はふっと我に返った。闇のかなたに一面の光。決して闇を照らすような強い光ではなかったが、確かに光が灯っていた。幻獣か? 茜はあわてて立ち上がるとサイドカーにまたがろうとしたが、「待って」と森に止められた。
森は起き上がると、光の方向に向かって歩き出した。
ウォードレスの肩に光が灯った。森の肩には一匹の蛍が羽を休めていた。
「蛍だ。まだ羽化する季節じゃないのに……」
「そうね」
森はそう言うと、小川のふちに腰を下ろした。せせらぎの音が聞こえ、清冽な水の匂いがした。茜も森の隣に座る。自然を司る何者かが特別に自分たちに蛍を見せてくれた……何故かそんな気がしてならなかった。
「されいだね、姉さん」
「うん」
姉さんの静かな声。大好きだ、姉さん――。
どうしてだか、森を慕うように蛍は彼女のウォードレスのそこかしこで羽を休めた。
先ほどまでの感情の高ぶりが嘘のように、茜は静かな気持ちで光に包まれた姉を見つめた。
なんてきれいなんだろう。蛍。姉さん。茜の目に涙があふれた。
もう子供の頃には戻れないんだな。さよならだ、姉さん。僕はもう少しましな男になることにするよ。
「……滝川、どうしてるかな」
茜がぼそりとつぶやくと、森は微かに身じろぎした。
「きっと生きているわ。わたし、信じてるから」
蛍の光に包まれた姉さんは、これまでで一番されいだ、と茜は思った。
ざわ、と音がして巨大な猫が姿を現した。ブータだった。ブータは冷やかすように来須を見上げると、「にゃ」とひと声鳴いた。
「……わかった」
何故か、そんなセリフが口をついて出た。
陽は山の端に沈み、闇が忍び寄ってきた。来須は暗視ゴーグルを着け、尻尾を揺らして先導するブータのあとを迫った。
こんもりとした丘が見えてきた。長年、人の手が加えられていないのか、その一帯だけが原生林と言ってもよいほど植生が異なる。神さびた空気が、そのあたりに流れていた。古墳などには詳しくなかったが、神社の類かと来須は思った。
立ち止まり、丘を見上げる来須の足下でブータは再び鳴いた。
「なるほど。墓か」
言ってしまってから、来須は苦笑した。石津の癖がうつったか? 石津はブータの言葉がわかると主張している。あの娘の、数少ない主張だった。
ブータに案内されるままに来須は夜の森を進んだ。途中、イタチやらイノシシがちらと姿を現しては消えた。フクロウの鳴き声がかなたから聞こえてきた。やがて、清流のせせらぎが聞こえ、来須の肺を清冽な水の匂いで満たした。
森と茜はブナの大木にもたれ、蛍の光に包まれて眠っていた。平和な安らいだ寝顔。そっと前に腰を下ろし、ふたりの寝顔を見守っていると、ブータも隣に座って同じようにふたりの寝顔をのぞき込んでいた。
「こいつらを死なせたくないな」
来須が口許をほころばせると、ブータも心なしか笑ったような気がした。
「森と茜を発見した。夜明けまでに戻る」
来須は戦闘指揮車にそう通信を送った。
下関ステーションホテル最上階 一七〇〇
「軍需、そしてエネルギーなどの基幹産業は芝村、そして旧財閥系の独占するところとなり、わたしたちの割り込む余地はありません。これまでのように我々は細々と歯磨きや洗剤を作り、先細りとなっている家電の需要に頼っていくのですか?」
遠坂はテレビ電話で中年の紳士を相手に話していた。画面の向こう側に見える顔は、上品な眼鏡こそかけているがその奥の目つきは鋭く、常に口許に笑みをたたえている。作られた笑いだ。見る者が見ればすぐにわかるし出自はごまかせないな、と遠坂は思った。
「我々のような中小の財閥は分を知ることが必要なのだ。巨人たちの隙間を埋めるようにして生き残ってゆく。それで棲み分けをしてきたのだよ」
紳士は笑みをたたえながら言った。
自分は母親似で良かった、と遠坂は思った。しかし皮肉に父親のまねをして笑みを浮かべた。
「シェアは常に流動していますよ。今回、わたしが意図するところはひとつ。遠坂財閥の物流部門の充実。製品ではなく、物の流れを得意分野とするのです。我が傘下には遠坂観光、遠坂交通、海運、そして宅配便が揃っているではありませんか」
達坂はことさらに父親の張りついたような笑みをまねてみせた。わたしの冗談は通じるかな、と考える余裕すら出てきた。
「その結論がこれ、なのか?」
父親は遠坂が提出した九州総軍の救出作戦を示して見せた。善行の作成した企画案・シミュレーションをたたき台として「遠坂圭吾」の名で父親に送ったものだ。
「撤退しようとする軍には船舶が必要となります。なに、そんな大がかりなものではありませんよ。最後まで博多、門司へ残る兵力は数千から一万というところでしょう。そのすべてを遠坂海運が引き受けます」
「軍からの要請がない以上、動くわけにはいかん」
「要請がなければこちらから動けばいいだけの話ですよ。運賃は通常料金、ただし、軍用車両は車種・車重に応じて料金をいただきますがね」
遠坂は白々しく、運賃表を父親に送りつけた。
「今からでは遅過ぎる! 売り込むと言ってもうフェリーはないし、船舶の絶対量が足りん。軍からの協力要請があってのことだ!」
息子の「夢物語」に父親は笑みを消して声を荒らげた。そんな反応はとっくに予期していた。
しょせん父上は一発組の成り上がりなのだ。
「芝村と話はついています。数分後、そちらに軍の正式な協力要請を送ります」
遠坂は最後の切り札を切って、不敵に笑った。
「馬鹿な……! おまえは遠坂財閥を芝村に売り渡そうというのか?」
父親の狼狽した顔が映った。
これだから……。芝村を恐れ、その顔色をうかがい、しかもなるべく関わらぬように生きてきたのが父だった。遠坂は畳みかけるように言った。
「父上には承認していただくだけでけっこうです。あとはわたしがすべてを手配します」
そう言い放つと遠坂は通信を切った。
テーブルの上にダージリン・ティーが差し出された。元・速坂付の執事の守山だった。初老の、老け込んで見える風貌に活気が漲っている。
「お茶はいいから、テレビ局の手配を」
「そのことでしたらご心配なさらずに。系列のテレビ局が現地に向かっております。橋本は九鉄から居抜きで大型フェリーを三隻購入しました。この値段でよろしいですか?」
遠坂は、「なるほど」と静かにうなずいた。橋本もけっこう役に立つ。
「ペインティングを急いでください。あらゆるところ、あらゆる角度から『遠坂』の名が見えるように。あと、近辺の漁村へは?」
「人数を派遣しております」
「それと……ああ、浮きドックの件なんですが。善行さんも心配性だな」
「石川島重工に小型のキャンセル品がございまして、さっそく購入いたしました。どうやら大陸の戦争に間に合わなかった製品のようです。大型クルーザーのエンジンを取り付けて、今頃は下関港に向かっている頃かと」
「あとは岩国基地の……」
「あの方でしたらこちらにご招待申しあげております」
「ご苦労さまです」
遠坂は満足げにうなずくと、ダージリン・ティーを畷った。
「あの……わたしは何をすればいいんでしょうか?」
田辺真紀は所在なげに遠坂の隣に座っていた。遠坂の顔にやさしげな笑みが浮かんだ。
「あなたには隊員たちの出迎え役をやってもらいます」
至・八女十キロ地点 一七〇〇
夕暮れの自動車道を三機の士魂号が駆けてゆく。
司令部がある八女まではあと十キロ余り。博多方面に撤退する車両を追い越して、時速六十キロの速度で反対車線を逆走していた。
時折、交通誘導小隊の制止に遭い、道を塞ぐおびただしい車両の残骸に遭遇したが、それらを踏み越え、路上から押し出し、道をひた走った。
「こちら士魂号三番機、芝村だ。八女付近の状況はどうか?」
舞が通信を送ると、すぐに村上から返事があった。
「戦隊主力は広川・八女間に展開し、敵と交戦中です。八女の司令部救援には戦車三個小隊、歩兵五個小隊を向かわせております」
「戦闘は極力避け、士魂号との合流を第一に考えてください」
善行が地下陣地から通信を送ってきた。
「共生派に通信が傍受されている危険がある。コードネームを使った方がよいと思うが」
舞が提案すると、善行はしばらく沈黙したあと、言った。
「小規模の部隊ならけっこうですが、今は混乱が生じる危険が大きいですね。それにわたしが銀やんまというのはどうかと思いますが」
銀やんまというのは、舞のつけた善行のコードネームである。
「気に人らんか? 立派な昆虫だと思うが」舞が意外そうに言うと、原の声が割り込んだ。
「それにわたしがピエロ大って何よ!」
「整……ピエロどもの大将だからそう略したまでだ。立派なコードネームであろう。そんなことより……」
舞は戦略画面を参照しながら冷静に言った。
「司令部を襲った敵は我らが掃討する。散り散りになったピエロたちはどう回収するのだ?」
「心配ありません。来須君から連絡があり、ただ今森さんと茜君を捜索中とのことです。じきに連絡があるでしょう」
善行は心からふたりを信頼している。舞とてそれは同じだ。まずそちらは大丈夫だろう。
「じきに八女インターチェンジに到着するよ。まずいな、戦いがはじまったらしい」
司令部との通信が切れると厚志が言った。
八女付近の空に黒煙が立ち昇っている。砲声と機銃音が虚空にこだまする中、生体ミサイル独特の風切音が聞こえてきた。通常の戦車部隊と戦車随伴歩兵では、中型幻獣を撃破する場合、深刻な損害を受ける。
熟練した装輪式戦車でやっと一匹のミノタウロスに対抗できる。歩兵に至っては重火器を持たねばまったくお手上げだ。
「急げ」
舞が命じると、壬生屋から通信が送られてきた。
「参ります!」
先頭を行く漆黒の一番機はさらに速度を上げた。
ふた振りの超硬度大太刀に夕暮れ刻の光が反射する。三番機はそれに追随、Gに弱い舞は激しい揺れに悩まされながらも戦術画面を参照、すばやく壬生屋に指示を下した。
「黒ノミ。ファミレス東一キロ付近にミノタウロス七、ゴルゴ7ン五が展開し、救援の軍と交戦中だ。拡声器で友軍に戦闘中止と一時退避を」
「わかりました」
壬生屋はそう応えると、甲高く、よく通る声で友軍に訴えた。
「5121小隊士魂号一番機です。ここはあたくしたちに任せて、一時撤退してください! 繰り返します……」
そう言いながらも、壬生屋は付近のビルを踏み台にして跳躍、ゴルゴーンの砲列の真っただ中に斬り込んでいた。着地と同時に一体のゴルゴーンを斬り伏せる。さらにもう一体。この間わずか二、三秒であった。
友軍と交戦中の敵は、横合いから不意を衝かれたかたちとなった。
薄暮《はくぼ》の中で、次々と敵を斬り倒してゆく壬生屋の一番機は悪鬼のようだ。これに影のように三番機が追随し、ぐん、と姿勢を低くしてミサイル発射体勢に入る。鋭角的な風切音が聞こえ、正確にロックされた有線式ジャベリンミサイルが、ミノタウロスの腹部装甲を突き破り、ゴルゴーンの背に突き刺さる。一瞬の間を置いて、周囲はオレンジ色の閃光に包まれた。
三番機は倣無と、光の中にあり、敵の死と破滅を見守り続けた。
「赤ノミ、ミノタウロスを二体逃した。あとを頼む」
舞の声が二番機のコックピットに響き渡る。
「任せておけって」
滝川はためらわず引き金を引く。ほどなく五百メートル先で爆発が起こった。
最後の一体は、ようやく戦闘体勢に入り、壬生屋の一番機に突進、激突していた。たまらず転倒する一番機に、ミノタウロスのハンマーのような前脚が振り上げられる。滝川はためらわずジャイアントアサルトの引き金を引きっぱなしにする。敵の振り上げた前脚が粉砕された。
「へっへっへ、壬生屋が倒れるなんて久しぶりじゃねえか」
滝川が冷やかすように笑った。
「たわけ。敵が多過ぎたのだ。それに名前はやめろ。黒ノミと呼べ」
「なあ、それ、やめようぜ。とっくに敵さんにばればれだと思うけど。俺だってわかるから」
「だめだ。我らの通信はコードネームで行う」
どうしてわたしの決めたコードネームをそんなに嫌うのか? 善行からも言われたにもかかわらず、舞はコードネームに固執した。
「こちら村上戦隊・司令部救援|分遣隊《ぶんけんたい》です。これよりフアミレス駐車場に突入を開始します。目標は小型幻獣五百」
友軍から通信が入ってきた。
「ああ、小型幻獣はそなたらに頼む。我らはそなたらと併走し、中型幻獣の攻撃を警戒する。待ち伏せに気をつけろ。まだまだ多くの敵が残っているはずだ」
「了解しました」
救援部隊からの通信は切れた。
「芝村、油断するな。俺が確認した時点では、まだスキュラはじめ多くの中型が残っている」
瀬戸口からの通信が入ったのは、三番機がファミレス駐車場に足を踏み入れた直後だった。
途中、中型幻獣は見当たらず、三機の士魂号は順調に進んだ。
「どうしたんだろう、敵の姿が見えないね」
厚志が拍子抜けして首を傾げた。
「5121の司令部を壊滅させたと判断して、他の地区へ向かったか?」
おそらくそうであろう。しかし、他の地区とは? 圧力を受けるとすればどの地区になる? 舞は戦略画面を参照しながら、久留米・鳥栖方面に不吉な影を感じていた。この一帯こそ九州のへそ、交通の要地だ。多くの部隊が北上し博多へ去った今、司令部を久留米あたりに移した方がよいかもしれぬ。
ファミレスの建物に、装輪式戦車の砲撃が集中している。徹甲弾で建物を突き破り、榴散弾、そして物資が豊富な自衛軍らしく、なんとナパーム弾を撃ち込んでいる。建物内には高温のガスが充満し、炎に包まれた小型幻獣が次々と転がり出てきた。
駐車場の敵は装輪式戦車にへばりつき、手にしたハンマーで攻撃を加えるが護衛の戦車随伴歩兵の手慣れた射撃にみるみる撃ち減らされてゆく。
「待てよ、病院の連中はどうした?」
瀬戸口の切迫した声が聞こえた。
「車が……病院スタッフの車が残っている」厚志がそっと指摘する。
野戦病院の車両は駐車場に残っていた。負傷兵を抱えている以上、遠くへ逃げることもできないはずだ。
「芝村、こいつはまずいぞ」
厚志の声が聞こえたか、瀬戸口の口調が切迫の度を増した。
「ちょっと待て。考える」舞の声も緊迫している。
すばやくこの種のファミレスの構造を検索し、参照する。幻獣から避難する場所があるとすれば……。
「地下だ! 建物の地下に味方が隠れている。ただちにナパームの使用をやめろ!」
舞が拡声器で叫ぶと、装輪式戦車の砲撃が一斉にやんだ。
戦車随伴歩兵が、炭化し消滅しつつあるゴブリンの死体を踏み越えて地下室への扉へ突進する。扉を開けると、サウナのように蒸気が噴き出してきた。中からは濡れネズミになった医療スタッフらが転がり出てきた。橋爪が失神寸前の鈴原軍医を支えながら三番機の前に立つ。
「てめー! 間抜け! くそ野郎! 蒸し焼きになるところだったじゃねえか!」
橋爪は声を限りに三番機を見上げ、怒鳴りつけた。
……ありがたい、やっと救援が来たか、と思ったのもつかのま、急に室温が上昇しはじめた。息苦しさが増し、咳き込む者が増えた。橋爪は爆発音に耳を澄まし、まずいと思った。
自衛軍のやつら、ナパーム弾を使ってやがる! ナパーム弾とはガソリン、あるいはポリスチレン濃化物などの可燃物質をジェル状にした一種の焼夷弾で、点火剤の白燐《はくりん》が空気に触れたとたん、広範囲に八百度から千度に及ぶ高熱のジェルを撒き散らす。
大陸の戦争では多く使われたと橋爪は開いた。市街地が多く、森林火災の危険がある日本では滅多に使われることがなかったが、どうやら自衛軍の戦車は砲弾を備えていたらしい。幻獣憎しの一念でなけなしの砲弾を使ったのだろうが、大迷惑だ。
地下室はロビーにまず扉があり、数メートル階段を降りたところにさらにひとつ扉がある。
そのため直接高熱の影響を被ることもなかったが、このままじやまず酸素がなくなる。温度も上昇し、じきに「地獄のサウナ」になるはずだ。
くそ、どうすれば、と考えた。鈴原といえば額から汗を流しながらも、顔だけは涼しげな表情をしている。
ふと給水設備のことを思い出した。地下二階の機械室にある給水設備をぶっ壊す。あふれる水で滞れネズミになるだろうが、そんなことはかまわない、と思った。
「先生、下へ避難だ。他のやつらも……」
急ぎ地下二階へ降りていくと、田代香織と鉢合わせした。田代は真っ青になっている。
「おい、この熟、どうなっているんだ? 重症患者が死んじまったぜ!」
「説明はあとだ。……ああ、こいつだな。みんな、ちょっと部屋の外へ出てくれ」
九四式機銃で給水設備を破壊すると、どっと水があふれ出した。橋爪らは腰まで水に浸かりながら高温に耐えた。階上の熟はじわじわと伝わって、室内には蒸気が立ち込めた。しかし酸素不足はどうしようもない。救援が来ればよし、そうでなければ自分たちは全員窒息死だ。
「ふん。皮肉なものだな。わたしがこんなところで死ぬとは」
鈴原の声に我に返った。全身から汗を噴き出しながらも、にやりと笑った。次の瞬間、膝を折り、水の中へ沈み込んだ。
「先生」
橋爪は駆け寄ると鈴原を抱き上げた。鈴原はけだるげに目を開けた。
「水に浸かって頭が冷えたよ」
突如として荒々しい足音が響き、戦車随伴歩兵が突入してきた。
「馬鹿野郎!」橋爪は茫然とする歩兵たちを怒鳴りつけていた。
舞はしばらく沈黙していたが、「怪我はないか?」と尋ねた。
「火傷を負っていた五人が死んだよ。てめー、降りてこいよ。ぶん殴ってやる!」
「戦闘が済んでからだ。気が済むまで殴るがよい」
何か思い当たったように、「待てよ」と橋爪は背後の装輪式戦車を振り返った。戦車隊の方へ向かおうとする橋爪を舞が制した。
「連中はおまえたちが地下にいることを知らなかった。純粋な戦闘行為であろう。ナパーム弾は実に効率良く小型幻獣を燃やし尽くしてくれたしな」
橋爪は立ち止まると、「ちっくしょう」とつぶやいた。
「おまえ、やっぱり殴ってやる。その言い方が気に食わねえ」
「舞、ちょっと言い過ぎだよ」
厚志がとがめるように言うと、「なんの」と舞は切り返した。
「自衛軍の兵は戦闘を行ったに過ぎぬ。それを恨みがましく責めるのは理不尽であろう。あの猿にはそれがわかっておらん」
舞の眼下には濡れネズミになった「猿」が飛び上がって騒いでいる。軍医はその傍らにたたずんで、冷ややかな目で士魂号を見上げていた。その視線が気になったが、舞にはくどくどと悔やみの言葉を軍医に述べる習慣はない。
「ずいぶんと活躍しているようだな。体の方は大丈夫か? なんなら診察してやろう」
鈴原が口を開いた。診察すると言いながら、本人の方は今にも倒れそうである。
「……異状はなしだ。そなたこそ、少し休め」舞は淡々と応じた。実は酔い止めを、と言おうとしたのだが、パイロットが酔い止めでは格好が悪い。
「噂には聞いているぞ。おまえたちは無敵だというじゃないか」
「そんな……つだって紙一重の差で生き残っているだけですよ」
持ち上げられて厚志は困惑した声を響かせた。
「しかし、苦手とする敵はいないだろう」
「小型幻獣の浸透には弱いですよ。食い止められないし、あと、スキュラはやっぱり苦手ですね。たまにすごく頭の良いやつがいるし」
こやつはおしゃべり好きのおばさんか、と苦々しげに舞は口許をゆがめた。厚志はしゃべり過ぎる。幻獣の個体差の話など、軍医にしてもしょうがないだろう。舞は黙って、前席を蹴った。
「作戦完了だ」
舞は冷静な声で通信を送った。視界に倒れ込む軍医の姿が映った。
八女ファミレス駐車場 二〇三〇
フアミレス、そしてホームセンターは黒ずんだ瓦礫と化し、夜の闇に融け込んでいた。敵が消滅した現在、広大な駐車場には友軍兵士の遺体が点々と散らばっていた。
救援部隊、そして三機の士魂号の傍らには危ういところで地下から放出された医療スタッフらが消耗した様子でへたり込んでいる。
同じくへたり込む橋爪の隣では、鈴原が橋爪のポシェットを枕にして横たわっていた。あと数分襲ければ五十人に及ぶスタッフ、負傷兵らは窒息死していたろう。
エンジン音がして探照灯を煌々と灯した戦闘指揮車が駐車場に入ってきた。三番機の横に停車すると、すぐにハッチが開き善行と瀬戸口が姿を現した。
ふたりは医療スタッフらの消耗した姿を茫然と見やった。
「どうしたのです?」
善行が尋ねると、橋爪は挑戦的なまなざしで見返してきた。
「俺たちは建物の地下に隠れていたんすけど、自衛軍の馬鹿がナパーム弾なんか使いやがって! あと二、三分遅ければ、俺たち全員窒息死ですよ」
「ナパーム弾……」
善行は苦い顔になった。半島の戦線でもたくさん使われていた。山野は燃え、焦土と化した。
その経験に懲りた自衛軍は榴散弾を改良し、ナパーム弾の使用には特別の許可が必要とされた。
「申し訳ありません」
声がして、自衛軍の中尉が歩み寄ってくる。戦車隊の責任者なのだろう。
「ゴブリンが狭い地域に密集していたので、すみやかに殲滅すべく使用許可を出しました」
「てめー!」
橋爪は立ち上がると、ふたりが止める間もなく中尉の胸倉を掴んだ。ウォードレスで補強された拳で露出した顔面を殴れば大変なことになる。悔しげに中尉をにらみつける橋爪の腕を瀬戸口が掴んだ。
「それくらいにしておけ」
「馬鹿野郎! 五人、死んだんだぞ! 怪我人だっていたんだっ!」
「自衛軍も多くの犠牲者を出している。少しでも早くおまえさんたちも含め、司令部のスタッフを助けようとしてな」
瀬戸口は橋爪の顔をのぞき込んで言った。
「くそったれ……」橋爪は中尉からやっと手を離した。
「とにかく今夜は休んでください。自衛軍の諸君もウォードレスを脱いでかまいません。明日からが大変になりますから」
善行は橋爪の怒りを冷ますように冷静に言った。
「どういうことだ?」舞は拡声器を通じて尋ねた。
「日田《ひがた》方面より大分自動車道等を通じて、新手の敵さんが久留米・鳥栖間の戦線に向かっている。おそらく阿蘇戦区の友軍を壊滅させた連中だろう。夜明けと同時に、5121小隊は久留米へと転進、敵さんとドンパチやる予定だ」
瀬戸口の説明に、悪い予感は的中したな、と舞は思った。
現在確認されている敵兵力は、スキュラ十七、ミノタウロス三十、ゴルゴーン四十五、ナーガその他が二百、小型幻獣に至っては三千に及ぶとされる。
むろん、両市は北九州と九州中部を結ぶ重要な中継地点である。幻獣軍の攻勢を予期して、膨大な陣地群を構えていた。とはいえ、精鋭部隊の多くは本土へと「転進」し、陣地に龍もる兵の多くは戦線に到着してから一ヵ月と経ていない学兵たちだった。
「なんとしても久留米・鳥栖の防衛ラインを守らねばなりません。熊本方面から、まだ続々と部隊が福岡へと向かっています。瀬戸口君の試算では、明日一日防衛戦に成功すれば一万五千の友軍が救われます」
善行はその場にいる全員に向かって言った。
「ならば我々はすぐに向かおう」と舞。
「あなたたちにも休養が必要です。加えて、散り散りになっていた整備班が今夜のうちに再合流する予定です。山中で森さんと茜君を保護したと来須君からも連絡がありました。とにかく、士魂号を降り、ウォードレスを脱いで休んでください」
「けれど……こしているうちにも戦いがはじまっているんじゃありませんか?」
壬生屋が闇に通る甲高い声で叫んだ。
「わたくしはまだ戦えます!」
「落ち着け。今の壬生屋は興奮状態にあるだけだ。今は休め。俺もつき合ってやるから」
「つつつ、つき合うって……」
壬生屋は絶句して、黙り込んだ。
「たわけ! この非常時にナンパなことをぬかすでない!」
舞の憤然とした声が駐車場に響き渡った。
「ははは、ナンパなんて単語をどこで覚えたんだ、芝村」
瀬戸口は朗らかに笑った。
「東原さんはどうされました?」
壬生屋は闇の中で顔を赤らめ、尋ねた。多少の罪悪感も交じっている。こんな非常時に、瀬戸口さんとふたりきりで人気のないところへ行くなんて不謹慎だ、と理屈では思っている。
「石津の膝の上で眠ってるよ。今日はハプニング続きだったから、全員疲れ切ってる」
「わ、わたくしは疲れてなんか……」
「壬生屋は鍛え方が違うからな。ゴブリンが出たら守ってもらおう」
「はいっ!」
瀬戸口の冗談に壬生屋は生まじめに反応した。胴着に着替え、袂には懐剣《かいけん》を忍ばせている。
もちろん、敵が出てきた時の用心のためだ。以前、来須の動きを見ていて、自分でも二、三匹のゴブリンならウオードレスなしでも倒せる、と確信していた。
戦場の近くとはいえ、裏山はさほどの戦禍も受けず、なお鬱蒼とした木々を保っていた。月明かりの下、瀬戸口は懐中電灯を灯して歩いている。
壬生屋は不安げに二、三歩後ろを歩いていた。
「あの……光を灯してはまずいのでは?」
「まあ、いいさ。何かあったら守ってくれるんだろう? 俺も拳銃を持っているし」
「え、ええ……」
ふたりは神社の境内へ通じる石段を昇っていた。
壬生屋の心臓は高鳴っていた。
これからどうなるんだろう? 今夜は暖かいから外でも十分眠れるけど、またあんなことするんだろうか? だったら抵抗しないと……だめだ、下手に技を使うと瀬戸口さんが怪我をする。じゃあ、抵抗しなければいいのか? どうしよう? 石段を昇る壬生屋の足取りは自然と重くなった。
駐車場の方角では、ご、ごと開き慣れぬエンジン音が響いていた。
「あれは?」
「ああ、補給車がモコスの小隊を引き連れてご帰還だ」
「出迎えに行きませんと……」
「まあまあ、そんな怖がらなくていいから」
境内へ上がると先客がいた。舞が暗視双眼鏡をのぞき込んで、周辺を警戒している。厚志はあきらめ顔で傍らの木の幹にもたれていた。
「休め、という司令の命令だが。芝村」
瀬戸口が声をかけると、厚志が顔を向けた。
「僕もそう言ったんですけど、舞ったら聞かなくて」
厚志は顔を赤らめ、弁解した。しかし舞はぴんと背筋を伸ばして、しきりに東の方角を警戒している。
「わたしは付近の眺望を楽しんでいるだけだ。昔から高いところが好きでな。なかなかよい景色だぞ」
舞は双眼鏡をのぞき込みながら生まじめに言った。
「あ、僕たち、邪魔ですよね。ねえ、舞、少しは空気を読んで。気を利かそうよ」
「大いに邪魔だな」瀬戸口は冗談めかして言った。
「しかし先に来たのは我らだ。そなたらこそ別の場所へ行くがよい」
舞はにべもなく拒否した。
「俺は壬生屋に話があるんだ。悪いんだが、敵の警戒なら指揮車へ行ってやってくれ。今頃、善行さんが怖い顔をして戦略画面を見ているよ」
「ふむ」舞は双眼鏡を離すと、考え込んだ。
「善行さんを休ませてもらえればありがたいのだが。司令が疲労していると、判断に致命的なミスが生じかねないからな。芝村の出番というわけさ」
瀬戸口はもっともらしい顔をして、口から出任せを言った。今頃、善行は原にピッタリ寄り添われて、照れ笑いの連続というやつだろう。
「そなたの言うことはもっともだな。わかった。厚志よ、指揮車へ向かうぞ」
舞はそう言うとポニーテールを揺らして駆け去った。「待って、待ってよ」厚志もあわててあとを迫った。境内に静寂が戻り、再び瀬戸口と壬生屋はふたりきりになった。
「あの、わたくし、戦闘中ですし……」
壬生屋が耳たぶまで真っ赤になりながら口を開くと、瀬戸口は声をあげて笑った。
「笑いごとじゃありません! 恥ずかしいんですから、あれ!」
「あれっで何?」
切り返されて壬生屋は言葉に詰まった。瀬戸口さんは意地悪だと思った。
「まあ、座ろう」
瀬戸口は静かに言った。壬生屋は風呂敷を地面に敷くと、おとなしく正座をした。瀬戸口は壬生屋と向かい合ってあぐらをかいた。
壬生屋はほっと安堵の息をついた。互いの距離は六十センチほど。この姿勢なら不意を打たれることはない。
「昔、好きだった女性がいてな」
瀬戸口は天空を見上げながら切り出した。壬生屋も釣られて空を見上げる。満天の星空が視界いっぱいに広がっていた。天の川は光の道のようだ。しかし、話の続きが気になった。
「その方は?」
「死んだよ。俺を導き、照らしてくれる光のような女性だった。おまえさんを避けていたのにはわけがあるんだ。……そっくりなんだよ」
そっくりと言われて、壬生屋は自分を指さした。ぼっと顔を赤らめる。
「わたくし、そんな立派な方じゃありませんわ」
「顔立ちがそっくり、という意味さ。壬生屋みたいに不器用で、ドジで、感情的な性格じゃなかった」
「わ、悪かったですね! 不器用で!」
壬生屋はかっとして立ち上がろうとした。
瀬戸口の腕がすばやく壬生屋を掴んだ。とっさにひねり上げようとして、壬生屋は自分の「怖さ」にぞっとして座り直した。下手をすれば腕を折っている。
「すみません」
「大切なところは同じだ。正義を貫こうとする意志とやさしさ、かな。俺はその女性の面影を求めているのか、壬生屋本人を求めているのか、答えが出せなかった」
「……そんな立派な方にかないませんよね。わかりました」
あれ、はやっぱり同情だったんだ。瀬戸口さんは残酷でやさしい。込み上げるものがあった。
壬生屋の膝に温かい液体が滴った。
「ご迷惑かけて……う」
「違う! 勘違いするな! その逆なんだ。俺は壬生屋を求めているんだ!」
瀬戸口は狼狽えて、まくしたてるように言った。
「は……?」
大きな青い瞳から涙を滴らせながら、壬生屋は瀬戸口を見つめた。
「俺の欠点というやつでな。昼間はあんな表現しかできなかった。あれじゃわからないよな? だからこの機会にきちんと話をしておこうと思った」
「けど、あれで十分だと……」
言ってしまってから、壬生屋はおのれの迂闊さを恥じた。
「ああ、キスなんて」
壬生屋の迂闊さに引きずられたか、瀬戸口もぽろりと言葉を洩らしてしまった。「野郎はさよなら、お嬢さんはこんにちは」の瀬戸口は女性経験が豊富だった。全身を耳にしている壬生屋はその言葉を聞きとがめた。
「キスなんて、ですって?」壬生屋の声に棘が含まれた。
「あ、今のは忘れてくれ」
瀬戸口は、しまったというようにばつの悪そうな顔になった。
「瀬戸口さんは慣れてらつしやるんでしょうけど、わたくし、初めてでした! 悩んだんですから!」
憤然として食ってかかる壬生屋に、瀬戸口はたじたじとなった。
「……すみません」
頭をがくりと下げ、心からすまなそうに謝る瀬戸口を見て、壬生屋は「ふふ」と笑った。
「今のは冗談です。いつもからかわれているから仕返しさせてもらいました」
瀬戸口の手が伸びて、そっと壬生屋の頬に触れた。
壬生屋は覚悟をして、目をつぶった。
戦闘指揮車の上では善行と原が並んで座って話をしていた。善行は苦笑とも照れ笑いともつかぬ笑みを浮かべている。
「怖い顔をして戦略画面をにらんでいる、だと?」
舞は険しい顔でつかつかと指揮車に歩み寄った。厚志があわてて舞の腕を掴む。
「触るな」
「だめだよ。ふたりの邪魔をしたら。仕事の話かもしれないし」
「だったらなおさらだ」
舞は指揮車に近づくと、じっとふたりを見上げた。舞の視線に気づいた善行が、「ああ、芝村さん」と声をかけてきた。
「瀬戸口が言っていたぞ。司令は怖い顔をして戦略画面をにらんでいると」
「ああ、そのことなら状況は極めてわかりやすくなっていますから」
善行はなおも照れ笑いの名残を顔に残して言った。
最終目標は九州撤退。そのためには少しでも多くの兵を撤退させるに必要な交通路を確保。
その作戦の一環として明日は久留米・鳥栖間の防衛陣地を支援して敵を撃滅《げきめつ》する。それだけだ。
「ねえ、芝村さん。少しは空気を読んだら?」
原がにこやかに話しかけてきた。
「空気は呼吸するもので、読むものではない」
原の言う意味はわかったが、舞はなんとなく反発して言った。厚志が隣に立った。
「ねえ、行こうよ。僕たちは邪魔をしているんだよ」
「さすが速水君。芝村さんを暗がりに拉致して、キスのひとつでもしてあげなさいよ」
あっけらかんと原が言うと、速水の顔がみるまに赤らんだ。舞に至っては、全身を硬直させ立ち尽くしている。「……この色ぼけ整備班長め」舞はぽつりとつぶやいた。
「ほほほ、色ぼけでけっこう。そんな悪口じゃわたしを怒らせることはできないわよ」
「たわけ……」
舞は必死で悪口を探した。しかし、残念ながら何ひとつ浮かんでこない。ならば……。舞はおもむろに指揮車上に上がると、澄ました顔で隈を下ろした。
「こうなったら徹底的に邪魔してやる」
「やめてよ! 子供じゃないんだから!」
原の余裕たっぷりの顔に初めて狼狽の色が浮かんだ。善行と速水は顔を見合わせ、同時にため息をついた。
その時、ど、ど、とバイクのエンジン音が響いて、かなたでライトがちかりと光った。
「滝川、速水ィ〜、戻ってきたぞ!」
来須の運転するサイドカーの後部に脚をかけ乗り込んでいる茜が、声をあげていた。
「あ、茜が戻ってきた。僕、迎えに行ってくるよ」
速水はそう言うと、この不可思議な状況から逃げ出した。
「厚志め、逃げるのか?」舞は悔しげに唇を噛んだ。
「芝村さん、彼をしっかり捕まえとかなきや。あ、戦略画面だったら指揮車の中で飽きるほど見られるから。よろしくね」
原のにこやかな声に、舞は辛うじて感情を抑えつけ、車上から飛び降り、速水のあとを追って走り去った。
「やれやれ」
善行が苦笑いを浮かべると、原も微笑んだ。
「子供なのよね、ふたりとも。生きて欲しいわね」
「ええ、そのための戦いですから。わたしは誰ひとりとして死なせやしません」
「自信家なのね」
「いえ、願望を言っているにすぎません。そう言い聞かせないと、わたしの心は折れる」
心が折れる、と言われて原は笑みを消して黙り込んだ。半島で何があったというのだろう? 戻ってきた時、善行は変わっていた。溌剌とした青年将校の面影はなくなっていた。
「ロマンチックなときめき」原はにこっと笑って言った。
「は……?」
「やあねえ、歌の一節よ。めぐりあいはONEDAY、愛し合った天使の約束♪ ってね」
原は流行歌を口ずさんだ。
「はあ」
「今夜はロマンチックな夜じゃない? 星はされいだし、空気は澄んでいる。それにわたしたちは生きている」
原は芝居がかった口調で言った。原の「得意」な現実逃避パターンだ。
「ははは。そういうことにしておきましょう。飲み物を取ってきます。確かロイヤル・ダージリン・ティーでしたっけ?」
善行は原に調子を合わせるように言った。
「ええ、カップはウエッジウッドにしてね」
善行は車内にオレンジ・デリシャス・ティーのペットボトルを取りに戻っていった。
「だ、大丈夫か、森」
駐車場入り口でずっと待っていた滝川は走り寄ると、側車の森の手を取った。森は憔悴した様子で「滝川君」とつぶやいた。
「怪我はないか? あ、腹とか減ってねえか?」
滝川がメロンパンを差し出すと、森は「ううん」と首を振った。サイドカーはゆっくりと徐行すると補給車の隣に停まった。
来須が降りると、彼の背中に張りついていた茜も飛び降りる。
「おかえりなさい」速水が声をかけると、来須はうなずき、指揮車の方向へと背を向けた。
「聞いてくれ、速水。ゴブリンを撃退した!」
十分に睡眠を取ったのだろう、茜がまくしたてるように言った。
「ゴブリンを?」速水は首を傾げた。よく無事だったなという表情だ。
「ああ、道を退《ど》け。さもないと轢き殺すぞと脅したら逃げていったよ。詳しい話はここじゃなんだからファミレスの中で……あれ?」
探照灯の光の下、ファミレスは瓦礫と化している。
「こっちも戦闘があったんだ」
「そうか。けど貴重な体験だから場所を替えて話を聞かせてやる」
茜はしきりに目で合図を送っている。あ、そうかと厚志は納得した。ぼんやりと立ち尽くす滝川の前で森はぐすぐすと嗚咽していた。
「わかったよ。場所を替えよう」
頑張れ滝川と心の中で念じながら、速水は先に立って歩き出した。トレーラーの荷台にでも寝そべるかと思った。さすがに寝ないと明日は辛いだろう。
荷台に上ると、厚志は横になった。
「待てよ、話を聞いてくれるんじゃなかったのか?」
茜が心外だというように口を開いた。
「明日にしようよ。なんだか眠くてさ、ごめん」
そう言うと厚志は目をつぶった。茜はしばらく話しかけようかどうしようか迷っていたようだったが、「僕の方こそ悪かった」と言って荷台から去った。
速水は貴重なパイロットだからな。
休ませてあげないと、とさすがに興奮状態の茜も思った。しかしゴブリンの一件、それから姉さんとのことで今夜は眠れそうにない。
どうしようか? 数学の問題でも解いて時間を潰すか。補給車に高等数学の問題集は隠しである。待てよ、狩谷の馬鹿と高等数学の解き比べをするか? あいつを挑発して、レベルの差を思い知らせてやるんだ。
そうしようと思って補給車の荷台に向かうと、話し声が聞こえてきた。そっとのぞき見ると、狩谷と加藤が深刻な様子で話をしている。加藤、泣いている……? くそ、どうして女って泣くんだ? 茜は黙ってその場を離れた。今夜の僕は孤独だ。まあ、孤高は天才の宿命だからな。
「よう、僕ちゃん半ズボン」
不吉な声がして、茜はもしやと振り返った。田代がにやりと笑いかけてきた。
「だめだぞ、あのサイドカーは僕のものだ。渡さないからな!」
茜は全身から汗を噴き出して、早口で言った。きっと「決闘で決めようぜ」なんて言ってくるに決まっている。
「サイドカーがどうしたんだ?」
「僕は姉さんと一緒にサイドカーで避難したんだ。運転にも慣れたし、だから僕のものだ」
田代とやり合って勝算はあるのか? 茜はあっけなく結論を出した。だめだ、文明人がネアンデルタールに勝てるわけはない。だとすれば? 茜はじりじりと後ずさった。
「まあ、そう怖がるな。ほれ、チョコレートだ」
田代は星印製菓の板チョコを差し出した。
こ、これは伝説の……。何度も生産中止になりながらファンの声で復活を遂げてきたという奇跡のチョコレートだ。茜は内心の動揺を隠すように、「ふ」と笑った。
「ああ、ビンテージものだな。ただし、近頃は味が落ちていると聞くが」
「しょうがねえだろ。カカオの原産地がなくなっちまったんだから。遺伝子操作で作られたカカオじゃ本物には太刀打ちできねえよ」
「ま、まあ、そうだな」
これには何かウラがあるのかと、茜は差し出された板チョコの端をぽっきり折った。
「うん。苦味がある。軍用チョコとは大違いだな」
「滝川と森は決まり、か」
不意に田代に言われて、茜はたじろいだ。そうか、確かこの女も何かと滝川にちょっかいを出していた。滝川がこの女とくっつけばなんの問題もなかったのに。
だめだ! それは未練というものだ。僕は生まれ変わったんだ。これからは自分を磨いて、天才から大天才へと成長するんだ。大天才の辞書には恋愛の二文字はない。
気がつくと田代は寂しげに笑っていた。
あ、この女もロストラブか。ということは……今が一番危険な精神状態じゃないか! ネアンデルタール女が欲求不満を解消するとしたら喧嘩しかない。ここは話をして、やつの心をなだめるしかないじゃないか。
「ああ、僕は潔く身を引くことにしたよ。もう恋愛はしないんだ」
「へっ、おまえのは恋愛なんてもんじゃねえよ。シスコンの延長じゃねえか」
「そうかもしれないな」
田代を怒らせてはいけない。そう思いながら、茜は相づちを打った。「ふうん」田代は茜の顔をしげしげと見つめた。
「な、なんだよ?」
「おまえも大人になったじゃねえか。考えてみりや、おまえ、皆の前でワザとアホを演じていたんだよな。列車の中のことといい、さ。あれ、ワザとなんだろ?」
なんのことだ? 僕はアホじゃないぞ。そう反論しようとしたが、刺激するとまずい。
「まあな」
うんうん、と田代は満足げにうなずいた。
「どの隊にもピエロ役は必要なんだ。皆に馬鹿にされながら、ピエロ役に徹しているおまえはえらいと思うぞ」
「僕は他者の評価なんて期待していない。天才とは孤高なものなんだ」
茜が大まじめで言うと、田代はくっくっくと腹を抱えて笑った。「それだ、それ!」と茜を指さし、しきりにうなずいている。
「中村や岩田のベタなギャグより面白いんだよな。どうだ、この際、俺とつき合え。誰かにイジメられたら守ってやるからよ」
「どど、どうしてそんな……」
話になるんだと言おうとして言葉が出てこなかった。茜は真っ青になって、ネアンデルタール女の攻撃から身を守る術を考えた。
「じゃ、そういうことで」
田代は揮猛な笑いを浮かべると、茜に向かってうなずいてみせた。
襲ってくるのか? 茜は身構えたが、田代は手を振るとくるりと背を向けた。僕はこれからどうなるんだ? 茜は暗澹とした思いに捉われた。
うとうとして、はっと目を覚ますと鈴原の姿はなかった。
ぐったりとして歩くこともままならなかったというのにどこへ?
橋爪は「ちっくしょう」と自分自身に毒づくと、傍らに脱ぎ捨てたウォードレスを装着して九四式機銃を担いだ。
戦車からの探規灯が駐車場を照らし出していた。駐車場の至るところにウオードレスを脱いだ兵が眠っている。くそ、自衛軍は寝袋持参かよ、と橋爪は思いながら、鈴原の行方を探す自分にある種の憂鬱を感じていた。
「あの女はやめろ」と来須は言った。ああいう男がわざわざ忠告してくれたことだ。それは真実なんだろう。
俺が今、先生を探しているのは監視が必要だからだ。あの先生を自由に行動させていたら、俺たちはきつと破滅の淵に立たされる。
くそ! 何故、衛星携帯を取り戻さなかったんだ? この野営地を奇襲されたら、冗談じゃ済まない犠牲が出る。なんでだ? どうしてあんなひっつめ髪の年増にこだわる?
「橋爪君って友達いないでしょ」と今じゃ顔も忘れた女子に言われたことがある。西陽の差す教室でそう言われて、たったひとり取り残された。なんだかずいぶん前のことのような気がするが、ほんの数ヵ月前のことだった。
だからなのか? まさかな。
「別に寂しいなんて思ったことはねえけどな」
低く、声に出してつぶやいてみた。
「油断だな。おまえは良い兵だが、あれこれと考え過ぎる」
はっとして振り向こうとすると、「そのまま」とささやかれた。
「超硬度カトラスがおまえの背中をざっくりだ。振り向いてよし」
言う通りにすると若宮が笑いかけていた。若宮はウォードレスを装着していた。何故足音が聞こえない? 橋爪が尋ねようとすると若宮は哀れむようにかぶりを振った。
「今のおまえは並の兵だ。俺の足音に気づかないほど集中力が切れている」
「そんなことあるのかよ?」
図星を指されて、橋爪は悔しげに言った。
「疲労の蓄積、軍人としての意識に欠けていること、それと個人的な悩みってやつをめそめそと引きずっているとこういうことになる」
「俺はめそめそなんてしていねえ」
「事情は知らんが、おまえ、けっこう危ないぞ。二ヵ月、よく生き残ってこれたな」
若宮は笑みを消すと、眉をひそめて言った。
新米の学兵や整備の連中ならともかく、確かに今の自分は過酷な消耗戦を生き残った兵には見えねえよな。
しっかりしろよ、と言い残して、若宮は巡回に去った。
橋爪はぶるっと首を振ると、駐車場をあとにした。裏山は来須か誰かが見張っているだろうだとすれば、と暗視ゴーグルであたりを見回した。三百メートルほど先のところに薮。かなたには自動車道が見える。
先生の体力で潜り込むとしたら、あそこしかないと判断して、橋爪は走った。途中まで走ったところで信じられぬ光景を見た。二十匹ほどのゴブリンが、薮から出てファミレスとは逆方向、東へと走っている。九四式を構えたところで、思いきり肩を小突かれた。
鈴原が不機嫌な顔で自分を見上げていた。
「撃ってもいいが、そうなると相手も意地になってくるぞ」
「くそ」橋爪は銃身を下げた。
「ゴブリンとはそういうものだ。あいつらは単なる偵察役で、取りあえず今夜は安全だ。攻撃されたらミノタウロスやスキュラを呼び込むぞ」
鈴原はそう言うと、まだ白衣のポケットに手を突っ込んで駐車場の方角へ歩み去った。橋爪は一瞬狙いを鈴原に定め、やがて力なく銃身を下ろした。
「厚志よ」
荷台の上で眠っている厚志に舞は声をかけてみた。反応はなかった。
休んでいるんだ、寝ているならこれ以上声はかけまいと引き返そうとしたところ、「起きてるよ」と厚志の声が聞こえた。すでに時刻は午前三時を回っている。
「なんだか眠れなくてな」
「横になるだけでも違うよ。明日はきっと忙しくなるから」
厚志は目を閉じたまま、言った。
そうだな。わたしも横になることにしよう。
舞は厚志の隣に大の字になって寝そべった。暗黒の空に星が瞬いている。月は明るかったが隣には黒い月が影のように寄り添っている。
我々は何処へゆくのだろう? 舞はきゅっと口の端を吊り上げて笑った。
何を今さら。答えは出ている。何処へでも地獄の底までも。不安はなく、恐れはない。死ぬことなどなんでもない。正義がなんなのかは知らぬが、どこかの誰かの未来のために戦うことこそが正義と信じよう。何故ならわたしは士魂号のパイロットだからだ。
「舞」
厚志が目を閉じたまま名前を呼んだ。
「なんだ?」
返事はなかった。厚志は静かな寝息をたてて眠っていた。
寝言か。舞は決して他人には見せぬ笑顔で嬉しげに笑った。寝言でわたしの名を呼んでくれたか。さて星の数でも数えてわたしも寝ることにするか、と舞は黙って厚志の寝顔を見守った
久留米市近郊 二軒茶屋付近 〇五〇〇
五月八日。久留米付近の空は黒煙に覆われていた。市街地は燃え上がり、上空をきたかぜゾンビの編隊がしきりに旋回し、地上に掃射を加えている。塹壕陣地主体の「柔らかな外郭陣地」はすでにゴブリンの大群に躁胴され、市防衛隊は市街の半径二キロほどの範囲に、ビルを補強し、下水道を拡張した地下陣地を造り、抵抗を続けていた。
十機ほどのきたかぜゾンビの編隊が整然と降下すると、それまで隠蔽されていた高射機関砲が一斉に火を噴いた。きたかぜゾンビは黒煙を上げて墜落し、地上に激突して爆発した。高射機関砲の陣地を察知したミノタウロスが三体、重たげな足音を響かせ、迫る。
「なるほど、彼らは良い指揮官に恵まれましたね」
善行は外郭陣地の状況を衛星写真で眺めながら言った。破壊され尽くした陣地に比べ、死体はほとんど見つからなかった。ゴルゴーン、スキュラといった長射程の敵の間接射撃を一時、塹壕から退くことによってやり過ごし、続くゴブリン、ミノタウロスらの突進を迎え撃った。
無傷の友軍の反撃に敵は幾度となく撃退されたにちがいない。
きたかぜゾンビが支援に駆けつけ、頭上からの脅威に直面すると、兵は何ヵ所か設けられた入り口から下水道を拡張した地下陣地へと移動し、抵抗を続けた。野ネズミやモグラの穴のように縦横にめぐらされた地下通路からは、地上の抵抗拠点に出ることができる。
白兵戦が行われている様子はなかった。
「学兵主体だからな、考え抜かれた防衛ラインを造るしかなかったのだろう」
練度の低い兵の最も有効な使い方とは、拠点防御だ。攻勢的作戦では混乱し、接近戦では戦闘技術の未熟さを露呈してしまう。
久留米守備隊は、今のところ敵を撃退し続けていた。敵は久留米市を包囲するように攻撃を加え続け、一部はさらに北の鳥栖市へと進撃していた。
「どうする? 逆包囲か?」
舞が通信を送ってきた。しかし、善行は「いえ」と言下に否定する。
「それでは士魂号がもったいない。士魂号は久留米の南から北への打通《だつう》をはかってください。
これを何度か繰り返し敵主力を引きつけ、撃滅します。村上戦隊は半円形に広がり、陣地と共同して敵を挟撃し撃破してください」
「了解した」舞が短くうなずく。
「了解しました」村上も作戦を了承すると、すぐに戦車隊を両翼へ展開させた。
装輪式戦車の一二〇ミリ滑腔砲の砲声を聞きつつ、三機の士魂号は俗に言う「ゴルゴーン溜まり」、要は幻獣側の砲兵陣地に突進をはじめていた。
敵の砲兵陣地は久大本線《きゅうだいほんせん》の線路付近に広がり、十体ほどのゴルゴーンと同数のミノタウロスが市内にしきりに生体ミサイルの攻撃を加えていた。
「参ります!」
壬生屋の一番機は大胆に二十体の中型幻獣の群れに斬り込んだ。数秒のうちに三体のゴルゴーンが爆発を起こす。射撃準備をしていた二体が誘爆を起こしてさらに四散消滅した。降りかかる強酸の雨を重装甲の鎧が耐える。
五秒ほど遅れて三番機が姿を現した。このタイミングが最良、と過去の経験から厚志は思っていた。
すべての幻獣が一番機に気を取られる中、三番機は余裕をもってミサイル発射の準備をすることができる。ミサイル発射! さらに八体のミノタウロス、ゴルゴーンが撃破される。
「壬生屋機、ゴルゴーン五撃破! ええと舞ちゃんはこ…」
東原の言葉が追いつかねほど、この日の士魂号の動きは良かった。
残る敵は七体。距離を取った滝川のジャンアントバズーカが、さらに一体のミノタウロスを撃破する。
「滝川機ミノタウロス撃破!」
あとは六体。わずか二百メートル四方のエリアで、十四体の中型幻獣が撃破された。この間、わずか一分三十秒。記録的とも表現できるすさまじさであった。
「煙幕発射」
舞が命じると、滝川のジャイアントアサルトから煙幕弾が発射された。濛々と立ち込める煙の中、敵の動きに戸惑いが感じられた。
ミノタウロスの背後に漆黒の一番機が音もなく忍び寄る。
「はあつ!」
裂帛《れっぱく》の気合いが発せられ、超硬度大太刀の切っ先がミノタウロスの背から腹へと貫通する。
おびただしい体液を噴出しながらミノタウロスは地響きをたて、銀色に光る線路上に倒れ伏した。黄色に塗られた二両編成の列車のかなたに、日田方面へ逃走する敵を視認。追撃しようとしたところ、どこからか一二〇ミリ徹甲弾が飛んできて次々と敵を撃破した。後方、成田山からの砲撃だった。
「ふむ。なかなかのものだ」
舞が通信を送ると、「ありがとうございます!」と威勢の良い返事が返ってきた。
二両のモコスはしぶるホバー装置をなだめながら、四苦八苦して成田山へ登っていた。どうやら敵を見下ろすことができるらしい。
「けど、どうですか? わたしたち、ミエミエですか?」
紅陵α小隊の佐藤は、モコスが隠蔽されているかどうかと尋ねている。
「ペリスコープはすぐに隠すがよい。レンズの光が見えている」
舞は冷静に指摘した。
「あとは調子に乗って撃ち過ぎないことだな。二両のモコスで中型幻獣四体撃破ならたいしたものだ。だが無理するな」
「はい、頑張ります!」
佐藤は元気良く礼を述べた。
「幻獣共生派のことも忘れるな。実は士魂号もレールガンと自爆攻撃に悩まされた。そちらに歩兵小隊の護衛はいるのか?」
舞が念のために尋ねると、「ええ」と佐藤はうなずいた。
「半分に減った学兵の小隊ですが、それで十分です。わたしたち、ずっと護衛なしでやっていましたから」
「かわいそうにの。佐藤よ、メロンパンが食べたかったらいつでも俺んとこば来るとよか」
後方にいる整備班の中村が割り込んできた。
「ははは。中村らしくもない。今はおまえさんの出番じゃないぞ」
瀬戸口がやんわりとたしなめる。
「今度、割り込んだら撃つぞ」
舞が不機嫌に言う。
「撃つって、そこまで言うことないでしょ! わたしたちがいなかったら、あなたたち失業なんだからね」
今度は原の声だ。部下をかばったつもりなんだろうが、全軍をあきれさせていることだろう。
「厚志よ、原の病気は治らぬな」
舞は通信を切ると苦々しげに言った。ここ大一番の戦いだというのに、あの緊張感のなさはどうだ? 話しかけられて厚志は戸惑った。
「えと……原さんも、ほら、整備班の士気皇帝めようとして中村をかばったんじゃないの?」
「そなたは原の味方をするのか?」
「そうじゃないけど、あ、壬生屋さんが突進をはじめた!」
今日の壬生屋は最高気分といった感じである。久大本線の線路を越えると、3号線沿いに味方の陣地を攻撃している三体のミノタウロスに襲いかかった。
三番機の両翼でも激しい砲火が起こっている。友軍の砲火は徐々に敵を圧倒しつつある。
「戦車小隊が国道322に到達しました。現在、文化センター前面の敵を挟撃しつつあり。敵は筑後川沿いに日田方面へ撤退の動きがあります」
村上少佐からの報告があった。右翼での激戦はすさまじく、守備隊が防衛している文化センター陣地を突破されれば、敵は市の中心部へなだれ込む。
「左翼はほぼ安定、大隅公園付近にて敵を多数撃破」幸先の良い報告が続く。
しかし、こんなものなのか? 人類側を九州からたたき出す主攻軸がこんなにあっけなくてよいものだろうか? 善行が考え込むと、瀬戸口が戦略スクリーンを見て、ふっと笑った。
「どうしたのです?」
「後方、八女が敵に占領されました。自動車道、及び国道沿いにこちらへ向かってきます。算定規模はスキュラ五、ミノタウロス十七、小型幻獣多数といったところですか」
「なるほど」そういうことか、と善行は思った。敵は5121小隊を罠にかけようとしている。
逆包囲されるのはむしろこちらということか。
「日田方面に敵増援出現! スキュラ八、ミノタウロス二十を含む有力な敵です。至急、士魂号の救援をお願いします」
直後に村上からの通信が入った。
「壬生屋がやられた」
舞からの通信に善行は耳を疑った。どういうことだ? 敵をあっさりと屠り、引き続き順調な戦闘行動を続けていたのではなかったか?
「聞こえるか、壬生屋? 何があった?」
しばらく間があって、壬生屋の声が聞こえた。
「はい、壬生屋です。市役所の近くで空襲で怪我をしたっていう兵を病院まで運ぼうと屈み込んで手を伸ばしたら……」
嗚咽をこらえる壬生屋の声が聞こえた。
「急に爆発したんです。右腕が完全に吹き飛ばされました。わたくし、何がなんだかわからなくなって……」
「落ち着け。そいつは共生派ゲリラだ。友軍のウオードレスを着て、守備隊に紛れ込んでいたんだ。すぐに戻れ」
瀬戸口は柔らかな声を出すように努めていた。彼にしてもショックだっただろう。これまで、幻獣共生派の自爆攻撃など見たことも聞いたこともない。共生派といえば、官憲の目を逃れてこそこそと逃げ隠れする連中としか思っていなかった。
自分でさえこれくらいの認識なのに、壬生屋や瀬戸口のショックははかり知れない。
「壬生屋、すぐに戻れ! 敵の大軍が南と北から迫っている。緊急修理をしたあと、すぐに戦隊再開。めそめそしている暇はないぞ」
「めそめそなんてしていません!」
壬生屋の甲高い声が指揮車内に響き渡った。善行も、東原も、加藤も石津も耳を押さえて超音波攻撃が収まるのを待っている。
善行は苦笑いしていたが、やがて厳しい表情を浮かべた。
「残酷なようですが、彼女にモチベーションを与えてください。過去の憎悪を」
壬生屋の兄は幻獣との戦いで戦死したあげく、その死体を無惨にさらされていた。幻獣への憎悪こそが入隊した頃の壬生屋の支えだった。
善行は、壬生屋が一時的なショック状態に陥っていると判断していた。彼らしい悲観的な発想だった。しかし、瀬戸口はゆっくりと首を横に振った。
「彼女なら大丈夫ですよ。俺にはよくわかります。今の壬生屋は憎悪を糧として戦っているわけではないんです。ひとりでも多くの同胞を守りたい、その一心で戦っています」
「……失言でしたね」
善行は謝った。壬生屋を含め、士魂号パイロットの成長を忘れていた。むしろ自分こそ、彼らの成長から取り残されている。
「壬生屋さん、一刻も早く整備に。皆があなたに期待しています」
善行が通信を送ると、「はい」としっかりした返事が返ってきた。これなら大丈夫だろう。
「原さん、壬生屋機がそちらに向かっています。十五分で右腕換装よろしく」
「通信は傍受しているって。大丈夫。手ぐすね引いて待っているから」
原からの通信がすぐに返ってきた。整備班は指揮車の後方一キロ地点に展開している。危険な位置であったが、若宮、来須をはじめ二個小隊の自衛軍が護衛していた。
「日田方面からの敵増援があと五分で友軍と接触する。二番機と三番機はスキュラを頼む」
瀬戸口からの通信に、舞は不機嫌に顔をしかめた。八体のスキュラだ。こいつらをどう料理したものか? 熊本の市街戦の時には隠れ場所に事欠かなかったが、今回は別だ。思考時間はあと三十秒。以後は戦闘再開。さて、どうするか?
「瀬戸口よ、スキュラはどのような隊形を取っている?」
「例によって密集して砲列を敷いている。距離は、文化センターを起点として東に三キロほどの地点に迫っている」
ふむ、と舞は考え込んだ。あと二十秒。
「煙幕弾を使う。スキュラが文化センターから二キロ地点に到達したら自衛軍の戦車隊に煙幕弾を撃つように言ってくれ」
「しかし、それだけ大量の煙幕となると、こちらも視界が塞がれるぞ」
「なんとかしよう」
瀬戸口の懸念に舞は自信をもって応えた。壬生屋や滝川のように、自分は視認だけに頼って戦闘をしているわけではない。レーダーを併用している。
「俺はどうすりゃいいんだよ?」
滝川が尋ねてきた。
「オトリとなって、文化センター付近からジャイアントバズーカの射撃を頼む。なるべくならスキュラを優先に」
「わかった」滝川からの通信が切れた。
「あの、わたしたちは?」モコスの佐藤からだった。
「すまんが、一体でも多くの中型幻獣を削ってくれ。無理をするな、とはもはや言えね」
「了解しました」
佐藤からの通信が切れるのと入れ替わりに、瀬戸口から通信が入った。
「スキュラ、文化センターより二・五キロに接近! 芝村、頼んだぞ!」
「任せておけ」
三番機は322号線に沿って、全速力で走った。
ほどなく敵影が見えたかと思うと、装輪式戦車からの射撃音が聞こえ、一帯は自濁した煙幕に包まれた。幸いなことに風はなく、三番機は速度を落とし、ビルなどの遮蔽物を利用しながらスキュラの群れの真下に潜り込んだ。敵は上空二十メートルのところにいる。
「ちょうど真下。敵は僕たちに気づいていないみたいだ」
厚志の言葉に、舞は口の端をきゅっと上げて笑った。スキュラの腹は他の箇所に比べれば脆くできている。空中要塞とはいえ、元々が接近戦用の幻獣ではないからだ。舞は全機をロックすると、ミサイル発射の合図を下した。
「よし」
下方へのGが働き、ジヤベリンミサイルが次々とスキュラの腹に食い込んだ。次の瞬間、三番機はダッシュし、スライディングするようにあらかじめ目をつけていたビル陰に避難した。
熱風が吹き荒れ、墜落し地上に激突したスキュラが護衛のミノタウロスを巻き込んで大爆発を起こした。復讐に燃えてこちらを発見し、向かってくるミノタウロスの横腹を、一二〇ミリ徹甲弾が貫いた。爆発。「なかなかやるな」舞はにやりと笑った。
煙幕に視界を遮られているとはいえ、炎に照らされ、敵の影は視認できる。モコスの佐藤は一瞬の機会を逃さず、砲撃を行ったのだろう。
文化センターの方角からジャイアントアサルトの銃声が聞こえた。
滝川め、目標をロックできず、乱射か。それもいいだろう。およその位置は掴んでいる以上なんらかの効果はあるだろう。
「戦車隊、K―7地点へ射撃を集中してくれ」
舞が通信を送ると、濠々と立ち込める煙幕の中へおびただしい砲弾が吸い込まれた。各所で爆発が起こり、中型幻獣が撃破された。
「スキュラ全滅! ミノタウロス七、ゴルゴーン八撃破。すごいよ、舞ちゃん」
煙幕が晴れたあと、戦果が明らかになった。三番機は八体すべてのスキュラを撃破していた。
「戦果再確認。我らはスキュラをやっただけだ。モコスがミノタウロス一を仕留めたはずだ。あとは自衛軍の戦車隊だろう」
ははは、と瀬戸口の笑い声が聞こえた。
「それは自衛軍のオペレータが確認しているさ。おっと、自衛軍はミノタウロス七、ゴルゴーン八の戦果を主張している」
「モコスは二体のミノタウロスを撃破しました」
佐藤の声が割り込んできた。そう言いながらも、なお成田山に陣取って、文化センターに突進するミノタウロスに砲撃を加えている。
ようやくジャイアントバズーカの射撃音が聞こえた。
「滝川機、ミノタウロス一撃破」東原の声が再び聞こえる。
「悪ィ。スキュラをやることができなかった」滝川が通信を送ってきた。
「かまわぬ。残る中型幻獣はミノタウロス十二、ゴルゴーン十といったところか? 滝川、文化センター付近で陣地を支援してやれ」
「わかった。芝村はどうするんだ?」
「我らは移動しながら、敵を削ってゆく。そなたのことだから大丈夫とは思うが、決して無茶はするなよ。あと共生派には気をつけろ」
ふと舞の眼下に、担架に横たわったままの学兵が映った。酸素供給装置、点滴・薬剤注入装置などを装備している最新式のLSS(Life Support Strecher)である。
衛生兵の姿は見当たらなかった。
「どうしたんだろう? 何故、あんなところに置き去りに……」
厚志がつぶやくと、舞は「たわけ」と言ってジャイアントアサルトをロックした。
「ま、待ってよ……!」
「安全な場所まで後退。すぐにだ」
舞の気迫に呑まれて厚志は三番機を後退させた。
銃声。とたんに大爆発が起こった。
「どうして……?」
あの爆発は二〇ミリ機関砲弾によるものではない。それだけは厚志にもわかった。
「相手をよく見ることだ。まず、衛生兵があんな露出した場所に負傷兵を置き去りにするわけはない。次にLSSなどわたしは滅多に見かけたことがない。最後に相手の表情だ。緊張し、目を光らせていた」
舞の説明に、厚志はなおも首を傾げた。
「それだけの理由なの?」
「ああ、それだけの理由だ。残念ながら、な。敵はどうやら我々の性格を分析している節がある。壬生屋の時もそうだったろう? あやつは心やさしき性格ゆえな」
戦果報告など雑音のように聞き流して、整備班は動いていた。
装着された一番機の右腕が最終点検を受けている。その間、壬生屋はコックピット内にあり口許を引き締めしきりに自分を責めていた。
下手な情けは死をもたらす。相手の自爆のタイミングが早かったから、腕だけで済んだ。抱え込んで野戦病院に……となった時に自爆されたらわたくしは死んでいた。どうしてこんなにわたくしは甘い性格なんだろう? こつこつ、と扉をたたく音がして原が顔を出した。
「あ、泣いている、壬生屋さん」
原は冷やかすように言った。姿こそ見えなかったが、原の全身からはたんばく燃料の匂いと人工筋肉特有の有機的な匂いが漂ってくる。
「わたくし泣いてなんか……」
「ね、壬生屋さん。実はわたし、すご〜く怒っているの」
原は言葉とは裏腹に陽気でにこやかな声を出した。本当に怒っている時の口調である。原の気迫が伝わってきて、壬生屋は茫然として「ごめんなさい」と謝った。
「貴重な機体を壊してしまって」
「馬鹿! そんなことじゃないのよ! あなたが死んだらわたしたちもおしまいなの! だからあなたはまず自分のことだけを考えて。負傷兵なんか衛生兵に任せておけばいい! 敵は卑怯な手段を使っている。少しでも怪しいと思ったら遠慮なく殺しなさい。それがまちがいだ。たとしても、わたしは最後まであなたの味方をするわ」
原は憤然として、いっきにまくしたてた。
「けれど……」
「戦いだけに集中して! 鬼になって心を凍らせて! あなたの肩には何万人もの命が懸か。ている。だから、お願いだから」
え、原さん、泣いている? 壬生屋は原の鴫咽する声を初めて聞いた。
「一番機、点検完了。原さん、超硬度大太刀のスペアも用意できましたばいね」
中村が声をかけてきた。次の瞬間、原はにこやかに、
「ごくろうさん。ねえ中村君、メロンパン残っている?」と尋ねた。
受け取ったメロンパンを壬生屋に差し出すと、原は「それじゃ頑張って」と声をかけ、姿を消した。ぐす、とすすりあげながら壬生屋はメロンパンを馨った。とても甘かった。
ごめんなさい、原さん。わたくし、鬼になります。
そう自らに誓うと、壬生屋は「参ります!」と声を張りあげた。
八女・久留米間某所 一四三〇
「ぶざまだな」
声をかけられて木下は顔を上げた。
すでにウォードレスの中は流れる血であふれ、瀕死の状態だった。
目だけが怒りに駄え、この世のありとあらゆるものを憎悪していた。
「ワイヤーを解け」
「まあ、待て。わたしも疲れていてな。あまり動けぬ」
しばらくして、智天使はやっと動き出すと、ワイヤーを解き、ウォードレスを脱がせた。右肩の半分をレーザーに根こそぎ持っていかれて、止血も不十分だ。焼け切れた傷口からはなおも血が滴っている。
智天使は傷口に手をかざした。青い炎がつかのま傷口を包んだかと思うと、血が止まり、破壊された組織は再生をはじめた。むろん、左腕が完全に回復したわけではない。生物学的な再生手術を行わない限り、役に立つことはないだろう。
「おまえの心まで癒すことはできんな」
「そんなものは求めていない。わたしがただひとつ求めているのは……」
木下が言いよどむと、智天使はすかさず言った。
「男だな」
「あの男はまったく役立たずの死神だ」
木下の言葉に智天使は苦い顔になった。
「すでに裏取引はできている。そのつもりだった。わたしも交渉に加わったからな。ところが馬鹿者めらが暴走してこちらから盟約を破棄する羽目になってしまった。憎悪は残り、人類の歴史が続く限り語り伝えられる。わたしもおまえたちも人だろう。人と幻獣の橋渡しを務める役目だ。それなのに、何故、今、傷つき撤退する兵を追い詰める?」
智天使の最後の言葉には激しい感情が籠もっていた。
すべての努力は水泡と帰し、人類と幻獣はなお殺し合っている。憎悪は語り継がれ、受け継がれ、決して消えることはないだろう。
智天使は代々の幻獣共生派で、幻獣支配地城に生まれ、育った。幼い頃から育ての親と同じく「癒し手」としての能力を顕し、成人してから人類側の領域へ渡った。人類の世界で生きている共生派が同族を憎悪することに激しい違和感を覚えたものだ。
木下の生い立ちは知っている。人類の世界から流れてきた共生派の多くが、迫害され、同族を激しく憎悪していた。幻獣領でひっそりと暮らしていればよいものを、何故武装する? 武装したあげく、自爆攻撃をするなど理解の外だった。
「わたしにもそんなことはわからないよ」
木下はせせら笑った。
同じ共生派とはいえ、木下は幻獣と心を通わすことはできない。両親が共生派のシンパであっただけで、一般の人間と同じだ。だから下手をすると幻獣に襲われる立場だ。この女には地上のどこにも居場所がないのだ、と智天使は思った。
「わたしと一緒に来ないか?」
智天使は静かに言った。
しかし、木下は嘲るように笑っただけだった。
「きれいごとを言ってもな、幻獣は人間の天敵なんだよ。何億もの人間を殺してきた。今さらあと戻りできやしないだろう?」
木下は不自由な手でウォードレスを着用すると、智天使に向き直った。
「さよなら、先生」
八女・久留米間(至久留米三キロ地点) 一五〇〇
まったくちょっと目を離した隙に、と橋爪は鈴原の姿を探した。
あの女やばいことはわかっているけど、どうやら惚れちまったらしい、と橋爪は大きくため息をついたら他の連中に先生の正体がばれたら、と思うと橋爪は気が気でならなかった。
ストーカーと言われてもかまわねえ。
とにかく先生から目を離さずにいることだ。
整備班に隣接する臨時の野戦病院である公民館は負傷兵があふれていた。数少ない軍医と衛生兵が大わらわで対応に務めている。
整備の赤毛の姿が見えた。仕事の合間を縫って、物好きにも手当てを手伝っている。
「赤毛、先生の姿を見なかったか?」
赤毛と言われて、田代は橋爪をにらみつけた。
「てめー、人を呼ぶ時は名前を言え」
こいつ相当なワルだったな、と思いながら橋爪は謝っていた。喧嘩をしている場合じゃない。
「悪ィ、た、田代。あのひっつめ女、よくいなくなるんだよな」
「隠れてたばこでも吸ってるんじゃねえのか?」
「不良高校生かよ」
橋爪がぼやいたところに、「敵襲!」と叫ぶ声が聞こえた。橋爪が急いで公民館を出ると、
きたかぜゾンビが三機、黒い点となってこちらに向かってくるところだった。レーザービームが走り、たちまち一機が黒煙を上げて墜落する。視認でヘリであることが確認されてさらに一機。来須だ。最後は若宮をはじめ、ありったけの十二・七ミリ機銃が撃墜した。味方の被害はなし。橋爪も九四式を二脚で固定して、弾幕を張るのを手伝った。
ぼん、と肩をたたかれた。振り向くと、鈴原の不機嫌な顔がそこにあった。
「実はな、おまえには悪いと思っている」
「……何を言っているんだ?」
橋爪の顔が引き締まった。まなざしに炯々と光が灯った。
どうするんだ? 先生。自首することはねえぞ。俺は先生を守ると決めたんだ。俺は年増で不機嫌なひっつめ女が好きだ。
鈴原は橋爪の真剣なまなざしを黒目がちの瞳で受け止めると、ふっと口許を緩めた。
「その頭、剃り過ぎだ。相当に変だぞ。色気づく年頃の男の子に我ながらかわいそうなことをしたと思ってな」
鈴原は澄ました顔で言うと、すたすたと建物の中に入っていった。
ちっくしよう、馬鹿にしやがって!
それにしてもウオードレスもなしで平然と二〇ミリ機関砲弾が降り注ぐ中を歩いていたのか? ああ、やっぱり自殺願望なんだな。死ぬのは怖くないと言っていたしな。
ぼんやりと立ち尽くす橋爪に、若宮が声をかけてきた。
「八女方面から敵の大軍が攻め上ってくる。橋爪、整備班と一緒に急いで野戦病院ごと撤退させろ」
「おまえはどうするんだ?」
「例によって、来須と一緒に先発隊のゴブリンを始末して、士魂号の来援を待つ」
てめーらは、ゴリラ並の体力があるな、と思いながら橋爪は「おう」と応えて駆け出した。
「聞こえるか、壬生屋。出撃だ」
瀬戸口の声がコックピットに流れた。壬生屋は弾かれたように「はいっ」と返事をしていた。
「八女方面より敵。規模はスキュラ五、ミノタウロス十七、ゴルゴーン二十、その他ひっくるめて三千の豪華版だ。二番機と三番機がそちらへ向かっている」
「こちら芝村だ。あと五分でそちらに到着、弾薬を補給後、スキュラを狙う。……大丈夫か?」
舞の声はあくまでも冷静だった。壬生屋はむしろ安心感すら覚えながら応えていた。
「ええ。これまでの借りを返してやります」
ほどなく二番機と三番機が整備の拠点に到着、整備員たちは二体の士魂号に取りついた。普段は能天気な彼らだったが、今の彼らはわき目も振らず作業に専念している。
「三番機、たんばく燃料注入OK。二番機への注入開始します」
「多目的ミサイル弾倉装着! 予備弾倉は一」
「二番機、脚部損傷なし!」
整備員の声がはきはきとこだまする。
「なんか左腕に違和感あるんだよな」二番機の拡声器から滝川の声。
「賛沢言わない! 森さん、滝川君にメロンパン補給!」
拡声器に負けず、原の声が響き渡る。
「え、けど、わたし火器管制システムのチェックが……」森が狼狽え気味に言う。
「そんなのわたしが代わってあげるって」
原の声を聞きながら、壬生屋は「滝川君、いいな」と羨んでいた。滝川君と森さんのことは瀬戸口さんから聞いてはいたけど……。
「士魂号、出撃してください」
善行の静かな声がコックピットに響いた。
「詳細な指示は芝村さんに従ってください。現在、村上戦隊主力は久留米の幻獣軍を挟撃し、掃討している段階です。支援は半減するものと思ってください」
「煙幕を頼むぞ」と舞。
「むろん。戦車隊に依頼しました。それとただ今、来須君と若宮君が、小型幻獣を掃討し三番機の隠蔽地点を確保しています三番機はJ12地点へ移動をはじめてください」
「了解だ」
「あの……芝村さん、わたくしは何をしたら?」
壬生屋は不安げに尋ねた。
「そなたにできることはただひとつであろう」
舞の言葉がすかさず返ってきた。
ふふ、と思わず壬生屋は笑ってしまった。その通りだ。わたしにできることはただひとつ。
「斬って斬って斬りまくれ。一匹たりとも逃すでないぞ」
すでに陽は西の空から燦々とした陽光を浴びせていた。穏やかな田園風景の中、草木がさやさやと風になびき、菜の花畑を喋がひらひらと舞っている。
整備班、そして留守部隊の兵が見送る中、三機の巨人たちは地響きをたてながら、遠ざかっていった。
……のちに久留米・鳥栖防衛戦と呼ばれた戦闘は、士魂号の活躍と人類側の巧みな連携攻撃によって成功を収めた。この戦いによって、周辺地城の各隊は久留米・鳥栖への集結に成功、実に三万の兵が虎口を脱し、博多へ、そして門司へと撤退することができた。
5121小隊は村上戦隊とともに殿軍《しんがり》として、追撃する幻獣軍を相手に戦った。久留米で大打撃を被った敵に生彩はなく、九州撤退戦は新たな局面を迎えつつあった。
下関駅構内 一五〇〇
下関駅の構内は九州から撤退してきた兵であふれていた。
すべての部隊が整然と撤退してきたわけではない。中には勘の良い指揮官に率いられ、命令を無視して列車に乗り込んだ部隊も多かったろう。遠坂と田辺にとってほっとしたことは、自衛軍だけでなく学兵の姿も多く見られることだった。学兵たちが、どこをどう工夫して本土行きの列車に乗り込んだのか? 列車で柔らかな座席にもたれ、悠々と本土へ帰還する学兵などあり得ない。
遠坂はお気に入りのミッドナイトブルーのスーツを着て、田辺とともに駅構内を視察していた。ホテルは駅のすぐ隣だから、格好の気分転換にもなる。
途中で不法に乗車したことがばれて降ろされたのか、それとももう戦争はごめんと脱走したか、多くの兵が通路わきに浮浪者のようにうずくまっていた。異臭がむっと鼻をついた。汗と垢にまみれた兵の臭いだ。
「遠坂さん……?」
田辺が心配そうに顔をのぞき込んだ。
さすがにこれまで着ていた制服にはほころびが見え、彼女には一日で仕立てさせたオーダーメイドの制服を着せている。なんだか生地が軽くて柔らか過ぎて、としぶる彼女だったが、微妙なところで体にピッタリとフィットしている。そして何故だかメイド用のエプロンを身に着けていた。田辺はどうやら気に入っているようだ。
あの5121小隊の整備現場での異臭に満ちた世界は遠くに行ってしまったな、と遠坂は寂しげに笑った。
「ああ、なんでもありませんよ」
遠坂は田辺を見たが、田辺の視線はあらぬ方向に釘付けになっている。
「あの人たち……」
田辺の視線を追うと、一個小隊ほどの兵が通路わきで膝を抱え、頭を垂れている。脱ぎ捨てたウォードレスが傍らに散乱していた。中でも百翼長の女性は、手で顔を覆ってどこか打ちひしがれている様子だった。
「あんたたち困るんだよ、そんなところにウォードレス置かれちや。通行の邪魔だよ」
駅員が小隊に声をかけた。無理もない。撤退命令を受けた自衛軍の兵が堂々とした様子で構内を闊歩しているのに比べ、彼女たちはあまりにも汚く、みじめに見える。脱走兵の類かと憲兵隊に通報されても不思議ではないだろう。
百翼長は顔を上げると、立ち上がった。駅員に頭を下げる。
「すみません。すぐに退けますから」
「あんたら、脱走してきたんじゃないのかい? なんなら憲兵隊に通報……」
駅員は嵩《かさ》にかかったように、意地の悪いことを言った。
「彼女らはわたしの客です」
遠坂はすっと前に出ると、駅員を見下ろした。長身の遠坂が堂々とした態度で胸を張ると、威圧感がある。駅員は遠坂と百翼長を見比べていたが、「だったらいいんですが……」と逃げるように立ち去った。
「命を懸けて戦ってきたというのに。なんという態度だ……」
遠坂は眉をひそめ、つぶやいた。傍らの田辺にも遠坂の怒りが伝わってきた。
「あの……熊本でご一緒した皆さんですよね。あなたは確か島村さん。わたし、5121小隊の田辺っていいます」
田辺がやさしく微笑みかけると、島村は「はい」とうなずき涙ぐんだ。
「わたしは元5121小隊整備班の遠坂です。とりあえず皆さんをホテルまでご案内します。事情はのちほどゆっくりと」
遠坂はにこやかに島村に笑いかけた。
少年兵たちはステーキにかぶりつき、シャワーを浴びると泥のように眠ってしまった。遠坂と田辺の前には、ホテルの美容員総出でドレスアップした島村がいた。
「彼女の面倒を見てやってください」との遠坂の命令を誤解したのか、あるいは近頃は客が少なくて張りきったのか、島村は髪を整えられ、高級そうなスーツに身を包んで顔には化粧を施している。
「どうです、落ち着きましたか?」
遠坂が笑いかけると、島村は落ち着かなげにもじもじした。
「あの、この服は……」
「まあ、細かいことは抜きにしましょう。まず、どうしてあんなところにいたのです?」
島村は事情を語った。5121小隊に助けられたこと。けれどなんだか気がとがめて、やっぱり九州へ戻ろうと、医療スタッフらと分かれて下関で途中下車したこと。そして九州方面への列車はすでに全面運行ストップになっていたこと。これからどうしようかと小隊一同途方に暮れているところだった、と。
「そういうことでしたか。5121小隊の位置は判明しています」
遠坂がリモコンのスイッチを入れると、壁のひとつに巨大な北九州のマップが表示された。
5121小隊と、友軍は太宰府近辺で戦闘状態にあった。
その付近で、5121小隊を示す「猫」のマーカーが赤い光点で示される敵と接触し、点滅していた。衛星からの情報は逐一このホテルの「作戦室」に入ってくるようになっている。
赤い光点はひとつ減りふたつ減り、「猫」のまわりには何もいなくなった。
「中部九州と北九州の連絡線をずっと確保し続けているのです。すでに三万の将兵が救われ、本土へとめざしています。5121小隊は健在ですよ」
遠坂は頼もしげに請け合った。
「あの、わたしたちは……」島村が、遠慮がちに口を開く。
「もう戦う必要はありません。その代わりといってはなんですが、島村さん、あなたにもひと働きしてもらいます」
「何をすれば……?」
「とりあえず、二、三時間ほど寝てください。仕事はいくらでもあります」
島村が用意された部屋へ戻ると、遠坂の表情が急に深刻なものになった。リモコンを操作すると敵味方の戦線、そして移動がさらに精細に表示された。
「佐賀全域がほぼ敵の手に落ちました。長崎は陥落、敵は博多をめざして進撃中です。現在、自衛軍は輸送艦を向かわせていますが、博多からの撤退は厳しいものになるでしょうね」
「あの……阿蘇の山奥と、熊本と長崎に点滅している青い光点はなんでしょうか?」
「……守備隊です」
遠坂はぽつりと言った。敵の大海の中に取り残されたささやかな友軍。すでに防衛戦は最終段階に入っている。遠坂は黙って、衛星画像を拡大した。「そんな……」田辺が息を呑む。熊本港への道は友軍兵士の遺体で埋め尽くされていた。
わずかに残る船舶に、兵たちは我《われ》がちに殺到する。兵を満載し、よろよろと発進する船に一条のレーザーが突き抜けたかと思うと、突如として爆発が起こった。海に投げ出された兵たちはなす術もなく波間に消えていった。
「遠坂さん、ひどいです。こんな……」
わたしにこんな光景を見せて、と言おうとして田辺は、はっと我に返った。遠坂の横顔が厳しく引き締まり、ぎりと歯ぎしりが聞こえた。
田辺は自己嫌悪に陥った。残酷だから目を背けるのか? 遠坂は同じ整備班で戦闘とは無線だったが、しっかりとこうした光景を目に焼きつけている。
「わたしは父に反発して幻獣共生派に近づいたことがあります。彼らは幻獣と人類の共存は可能だと言っていた。しかし、そんなものは幻想でしかなかった。わたしはこれまで憎むという感情とは無縁でしたが、今は敢えてそれを持たねばなりません」
遠坂の言葉は淡々とした口調で語られた。田辺は何も言えずにいた。
「そうでなければ死んでいった兵に申し訳が立ちません。戦争から無気力に目を逸らし続ける大人がこの国にはたくさんいます。わたしは彼らを逐って、しかるべき力を手に入れますよ。そのためには芝村とも手を結ぶ」
「……わたしがお手伝いします」
遠坂の熟を冷ますように、田辺は静かに微笑んだ。
太宰府近郊 一六三〇
戦闘は小康状態を迎えていた。
北上する敵をたたきつつ、5121小隊は太宰府近郊から、博多へと向かっていた。すでに久留米守備の兵、そして村上戦隊以外の友軍は博多方面と門司方面へと撤退をしていた。
九州を縦断する自動車道には敵影はなく、これまでの戦闘が嘘であったかのように静けさを取り戻していた。取りあえずの時間は稼げた。あとは博多へと移動し、その方面からの友軍の撤退を援護するというのが当面の善行の方針だった。5121小隊の車両はモコスに合わせ、時速二十キロの速度で一路博多をめざしていた。
戦闘指揮車にあって、善行は険しい表情で戦略画面をにらんでいた。
佐賀が陥落し、きたかぜゾンビなど敵の快速部隊が博多へと進撃しつつあった。すでに博多外郭陣地では戦闘が行われているらしい。速度を上げるか? そう指示を下そうとした瞬間、
「あらら、またお客さんが増えはった」
運転席の加藤が声をあげた。
ハッチを開け機銃座に上ると、一個小隊分の戦車随伴歩兵が徒歩で行軍していた。学兵だ。
相当に疲労しているらしく、5121小隊をちらとも見ない。
「どうしたんですか?」
善行が声をかけると、先頭を歩く百翼長が振り返った。
「トラックがおシャカになってしまって。ヒッチハイクをしようにもどの車両も満員で。しかたなく徒歩行軍というわけです。まあ、徒歩は歩兵の基本ですから」
そう言いながらも百翼長の目は5121小隊の車両に向けられていた。先頭の指揮車から最後尾のモコスまで。善行は内心でため息をつくと、停止命令を下した。
「適当に空きを探して分乗してください三十秒後に出発します」
わっと声があがって、兵らは思い思いの車両に取りついた。
こんな調子で二度、徒歩の兵を乗せていた。あの足の遅いモコスにさえ兵が取りついている。
車両に取りつく兵と先に取りついていた兵の間で口論がはじまった。
「たわけ! 仲良くせぬと置き去りにするぞ!」
舞の声が三番機の拡声器から響き渡った。三番機のトレーラーにも兵が鈴なりになって、まさに敗残兵の引き取り所といった様子になっている。
「どうします? モコスがネックになっていますが、放棄を命じますか?」
瀬戸口がオペレータ席から尋ねてきた。しかし善行は苦笑を浮かべ、首を横に振った。
「あと三、四十分で博多に着きます。それまでの辛抱ですよ」
不意に砲声が北西の方角から聞こえてきた。どうやら敵の一部が市街へと突入を試みているらしい。きたかぜゾンビのローター音も微かに聞こえる。
善行は拡声器のスイッチをオンにすると、全員に告げた。
「士魂号は十分後に降車。警戒体勢に入ってください。我々はこれから天神の守備隊本部をめざしますが、ただ今、博多港に多数のフェリーが待機しています。戦車随伴歩兵の諸君らは、途中で下車し、港へと急いでください。以上」
途中、陣地らしい陣地はなかった。してみると博多守備隊は市街のごく狭い地域に戦力を集中しているのだな、と善行は考えた。
しかし、さすがにそろそろ外郭陣地が見えてきてもよいはずだ。考え込む善行に、舞から通信が送られてきた。
「たった今、通信を傍受したんだが、天神はゴブリンであふれ返っているらしい。『どこもかしこもゴブだらけだ』と、どこかの隊が叫んでいた」
士魂号、そして戦車にとっては小型幻獣・ゴプリンなど何ほどの敵でもない。しかし、戦車随伴歩兵にとってはその浸透戦術は脅威となる。十倍、百倍、ことによったら千倍のゴブリンに浸透され、白兵戦となったら、まず生き残ることは難しいだろう。たとえ熟練した兵が十体のゴブリンを倒したとしても、最後には力尽きる。人類側が陣地を築き、拠点防御戦術にこだわるのにはそうした理由があった。
「頭が痛いですね」
前線陣地は何故、突破を許したのか? あるいは熊本であったと同じように、幻獣共生派が一枚噛んでいるのか?
「司令部付近の敵は我らが掃討しよう。拠点と拠点との連絡もままならぬようでは満足に戦えぬからな」
「お願いします」
「こちらモコス。西公園の高台に行きたいんですけど」
不意に佐藤から通信が入ってきた。
「西公園?」
善行が怪訝な思いで尋ねると、佐藤は言葉を選んで言った。
「ええ、博多は土地勘があるんです。西公園の高台からだったら港が一望の下に見渡せます。そこからだったらきっと支援射撃ができます」
「いずれにせよ天神地区を突っ切る必要がありますね。護衛には来須君をつけましょう。しかし、くれぐれも無理はしないように」
善行は戦術画面を参照しながら言った。
博多埠頭まではおよそ二キロ余り。多少距離はあるが、海岸沿いに接近する敵には対応できるだろう。
埠頭には続々とフェリー、輸送艦に乗船する兵が詰めかけているはずだ。市内は混乱の極みにあるだろうが、市内の小型幻獣を片づけてから西進し、続いて市内への突入突破をはかる中型幻獣に対処する。それを当面の方針と決めた。
天神付近 一八〇〇
「こちら三番機だ。市内では散発的に市街戦が起こっている。どうやら共生派が市内に紛れ込んでいるらしい。ゴブリンの方は一掃されつつある」
途中拾った兵と別れ、市の中心部に入ってから一時間が経った。天神、中洲、長浜といった中心街にはゴブリンの群れが浸透して、守備隊は対応に大わらわになっていた。ある路地では一対一の白兵戦が行われたかと思うと、ある通りでは、路上にあふれ返る数百のゴブリンに、守備隊がビルの屋上陣地から一斉に機銃掃射をするといった具合である。
軍事郵便を担当する事務所がたった一匹のゴブリンによって全滅し、とある銀行では最後まで残務整理にあたっていた銀行員たちが、消火器と金属バットでゴブリンと渡り合った。市内の交通は途絶し、各隊は孤立した戦いを続けていた。
5121小隊が市街に入った時は、そんな混乱した状況だった。
三機の士魂号はしかたなく、まずは主要な通りを押さえることに努めた。ゴブリンをジャイアントアサルトの機関砲弾によって掃射し、足にかけて踏み潰した。
大牟田貨物駅の時と同じ状況が再現されていたが、状況はさらに深刻だった。どうやら西区から早良区にかけて形成されていた防衛ラインが各所で突破され、中型幻獣の大群が市の中心部をめざして進撃しているらしい。
舞の視界に、消滅するゴブリンの集団が映った。時折、共生派からの狙撃はあるが、取りあえず天神の大通りは確保した。昭和通りの旧損保ビル・司令部前に築かれた陣地からの砲火は絶え、善行の戦闘指揮車が敷地内に移動するのが見て取れた。
博多は主として兵姑を専らにする中継都市であったため、司令部のたたずまいにはどこかしら緊張感が欠如していた。司令部というよりはオフィスビルだ。駐車場のスペースも拍子抜けするほど狭かった。
陣地も急造のバリケードで、人型戦車など見たことがなかったのだろう、兵らがぽかんと口を開けて、三機の士魂号を見上げている。
「なんだか手がつけられなくなってきたね」
厚志が操縦席から話しかけてきた。市街では小型幻獣がまだまだ暴れ回り、郊外からは中型幻獣が迫りつつある。
「西区にスキュラ三、ミノタウロス七、ゴルゴーン四、ナーガ八が侵入。高速一号線沿いにこちらに向かっているとのことだ。迎撃頼む」
瀬戸口から通信が入った。
「高速一号線だと?」
舞は目を剥いた。福岡・博多の動脈とも言える道路ではないか。しかも海岸沿いに走っているため、埠頭へもすぐの距離だ。
「戦線を突破されたのか?」
「ああ、友軍は総退却に移っている。今言ったのは敵の先発隊でな、一号線方面の敵はスキュラ十、ミノタウロスに至っては三十規模だ。じきにこいつらも到着する」
瀬戸口は淡々と言った。これに加えて、とさらに続けた。
「早良方面、国道263号線からも敵が進撃中だ。だいたい同じくらいの規模と考えてよいだろう。こちらは自衛軍が遅滞行動を取って進撃を遅らせている。まずは村上戦隊主力と共同して二号線の敵をよろしく」
「あの、ちょっと桁が違うんじゃないすか?」
滝川が口を挟んできた。
たまったもんじゃない、という口調だ。
「ははは。鋭い指摘だ。まあ、機体の修理は心配するな。ただ今、博多駅の物資集積所に整備班が展開中だ。怪我をしたら原さんがやさしく手術してくれるしな」
瀬戸口はますます陽気な口調になって言った。
「やあねえ、わたしの専門は手術じゃないわよ。手術は軍医さんの担当。野戦病院もあるから、安心して怪我していいわよ」
原の声がコックピットに響き渡った。舞は忌々しげに口許を引き結んだ。
「場合によっては敵を討ち洩らすかもしれん。これは客観的に言っているのだが」
「ええ、どっちみち激しい市街戦になるでしょう。どのような戦い方をしてもかまいません。目的は友軍の撤退支援。時間を稼ぐことです」
善行の冷静な声が聞こえた。
「わかった。我らは西区へと向かい、敵を迎撃する」
「こちらも出撃準備は整っています」
村上戦隊長が通信を送ってきた。この方画に派遣する戦車は三十両。残る十両は博多駅の物資集積所に展開している。
舞はすばやく迎撃地点を探した。
「待ち伏せ地点は放送会館三番機は会館の建物に潜んでスキュラを倒す。一番機は例のごとく頼む。二番機は我らの後方にあって適切な射撃地点を確保せよ」
博多・西公園展望台 一八〇〇
モコスは重苦しいホバー音を響かせながら、西公園の展望台へと到着した。
「わあ、すごい景色!」
普段は無感動な森田が珍しく声をあげた。展望台からは博多港が一望の下に見渡せる。展望台に備えられた望遠鏡に駆け寄り十円玉を入れようとして、佐藤に思いっきりはたかれた。
「おまえは子供か! ペリスコープで見りやいいだろう」
「けど気分が違うよ」森田は相変わらずマイペースに言ってのけた。
「隠蔽はどうする?」
神崎が聞いてきた。隠蔽といっても、ここは展望台だ。車体が透明になる迷彩でもあれば別だけど。元からネットに結わえつけた草でなんとかなるだろう。それに幻獣がこの公園に来るとは思えない。連中の商売は人類をひとりでも多く殺すことだから、まっすぐに博多埠頭をめざすだろう。
「来須さん、どうしましょ?」
佐藤は一応、来須に尋ねた。来須はモコスの傍らにあって、上空を凝視していた。埠頭をめざし逃げる友軍にとっては、空からの攻撃は最も厄介だ。
「このままでかまわん。俺はあたりの様子を見てくる」
来須はぼそりと言った。
「え、けど、わたしたちを護衛してくれるって……」心配性の神崎が引き留めにかかる。
「佐藤が気づいた拠点だ。他の土地勘のある連中も当然気づくだろう」
他の連中とは共生派を指す。共生派がここを射撃拠点とすれば、埠頭へ向かう友軍は散々に撃ち据えられることになる。場合によっては千、二千の犠牲では済まなくなる。
「車内へ戻れ。三百六十度、あらゆる方向への監視を怠るな」
来須はそう言うと、レーザーライフルを肩にかけ、サブマシンガンを手にした。トラックだろうか、エンジン音が聞こえてきた。ローに落としたギヤの重苦しい音だ。来須はエンジン音のする方角へ駆け去った。
ほどなく来須のサブマシンガンの音が聞こえ、応戦する九四式機銃の音が続いて聞こえた。
手榴弾の爆発音と同時に、炎が吹き上がった。
噴き上がる炎を車長席から監視して、佐藤はぞくりと身を震わせた。幻獣相手に正面切って戦ったこともなければ、ましてや同じ人間と戦ったことなんてない。一応、機銃は備え付けであるものの、いざとなったら撃てるだろうか?
「共生派だ。砲を牽引していた」
来須から通信が入った。佐藤は、すぐに反応することができなかった。
「……どうして共生派だってわかったんですか?」
「会話をすぐ近くで聞いた」
来須の答えは至極明快。佐藤が沈黙を守ったままでいると、そのまま通信は切れた。
博多・早良区放送会館ビル 一八一五
「なかなか気の利いたミノタウロスだ」
舞のつぶやきに不敵な響きが籠もった。放送会館ビルの内部に丸ごと機体を乗り込ませ、三番機はレーダードームだけを窓のひとつからのぞかせていた。
ゴブリンの大群が跳ねながら一号線を東へ去ったかと思うと、ムカデのようなナーガが多肢をせわしなく動かしながらあとに続く。ミノタウロスとゴルゴーンの混成部隊はそのあとをゆっくりと続いてくる。先頭のミノタウロスがいったん停止したかと思うと、周辺を見渡し、後続する幻獣たちを止めた。幻獣にも明らかに個性がある。これは士魂号のパイロットが二ヵ月の間、戦い続けて得た教訓だ。
ミノタウロスは敵の待ち伏せはないと見たか、再び行軍を再開した。彼らが樋井川《ひいがわ》に架けられた橋を渡りつつある時、二番機のジャイアントアサルトが煙幕弾を発射した。
「参ります!」
壬生屋の一番機が超硬度大太刀をきらめかせ、ミノタウロスの縦隊に突進する。周囲はすべて敵。煙幕で視界が遮られたとしても、影の気配を感じたら、ただ斬りまくればよかった。
独特な風切音が聞こえて、スキュラがやっと姿を現した。停止して、海の方角へと体を向ける。一号線を外れ、海から一番機を狙い撃ちする気だ。そうと察した舞は、冷静に言った。
「このまま突進。スキュラの下に潜り込んでミサイル発射」
ぐん、と加速して舞はシートに押しつけられた。
三番機は放送会館ビルをやすやすと破壊して、スキュラのもとへ。混乱した相手が戸惑う中、ミサイルを発射していた。傷つき、白煙を上げて逃げるスキュラを次々とロック、ジャイアントアサルトの連射で三体すべてのスキュラを仕留めていた。
煙幕の中からミノタウロスのシルエットが浮かび上がった。先ほどのやつだと舞は直感した。
警戒の不足を悔やんで、スキュラをやった敵を探している。
「おまえを出し抜いた敵はここだぞ」
舞はつぶやくと、ジャイアントアサルトの照準をロック。二〇ミリ機関砲のガトリング機構は高速回転をはじめた。吐き出された機関砲弾はミノタウロスの腹部へ集中した。前脚を振り上げ、突進体勢に入った瞬間、敵は爆発した。
「ミノタウロスを五体斬りました」
壬生屋から通信が入った。風が吹き、煙幕が流された。それを待っていたかのように二番機のジャイアントバズーカの音がして橋上のミノタウロスがさらに一体、爆発した。
「ゴルゴーンは?」舞はすかさず尋ねた。
白兵戦を信条とする壬生屋は、ミノタウロスを好んで攻撃する癖がある。
「無傷です。生体ミサイル、来ますっ!」
雑音が流れて、壬生屋のほっとした声が聞こえた。
「回避。戦闘を再開します」
「厚志よ、我らも橋へ向かうぞ」
「うん」
再び煙幕弾が発射された。敵も動きを取りにくい分、一番機も同じく動きを制限される。滝川独自の判断だろう。三番機は一番機と橋上に敵を挟み込むかたちで停止、即座に敵をロックし、ミサイルを発射する。
自濁した煙幕の色にオレンジ色の業火の色が混じる。装甲の薄いゴルゴーンは次々と撃破され、ほどなく全滅した。
博多・西公園展望台 一八二〇
「七時半の方角にゴブリンの大群を発見。どうする?」
ペリスコープで監視していた森田が尋ねる。佐藤も機銃座から身を乗り出して双眼鏡で西の方角を監視していた。福岡ドームに遮られ、はっきりとは見えなかったが、激しい戦闘が行われているようだった。煙幕が立ち昇り、オレンジ色の光が轟音とともに瞬いた。
「福岡ドームの近くで戦っているのは芝村さん、ですか?」
通信を送ると、「ふむ?」と困惑するような声が返ってきた。
「あ、そういえばあれ、スタジアムじゃないの?」舞のパートナーの声がした。
確か速水君とか言っていたな。
「そうだ。たった今、スキュラ他を撃破したところだ」
「それで小型幻獣をやり過ごしたんですね。だったら、すぐに撃ちます」
佐藤は通信を切ると、自衛軍から分けてもらった榴散弾を装填した。距離は八百。方向は九時半へと変わっている。
「こちらモグラ。オケラ、九時半の方角のゴブリンを撃つよ。鈴木、九時半よりちょい左」
二号車と操縦士に呼びかける。ごご、とホバー音がしてモコスがゆっくりと旋回する。
「もうちょい……よし!」
仰角を下げた一二〇ミリ砲が火を噴き、榴散弾がゴブリンの集団のど真ん中で爆発した。
これまでは大物狙いが中心で小型幻獣など相手にしたこともなかったが、数百から千規模のゴブリンはわずか二、三度の射撃で壊滅した。
「よおし、絶好調!」
佐藤は会心の笑みを浮かべた。ここからなら港の他、高速一号線がまるまる見渡せる。弾薬がなくなるまで撃ち続けて、それからのことはその時に考えよう。来須さんという頼れそうな人もいることだし。
博多駅・物資集積所 一九〇〇
博多駅の物資集積所は、数次にわたるゴブリンの浸透を撃退していた。隣り合わせの博多駅が失われれば鉄道は途絶する。アナウンスがひっきりなしに流れる。「下関方面への臨時列車にお乗りのお客様は構内の電光掲示板をご覧くださるようお願いします。なお、乗車の際は憲兵及び鉄道警備小隊の指示に従ってください」
「ハロハロー善行さん、ご機嫌はいかが?」
原は補給車にあって、ひとり退屈を紛らわしていた。森や中村は故障した装輪式戦車の面倒を見てやっているようだが、そんな仕事は人型戦車の整備兵にとっては子供だましだ。そんなわけで原は退屈を持て余していた。
補給車の傍らでは茜がサイドカーを無惨に改造していた。側車にロケット砲を取り付けようとして重量オーバーに気づき、物資集積所に山ほど眠っていた七・七ミリの新式の軽機関銃を取り付けようとしている。「馬鹿か、おまえ。旋回制限をしねえと操縦者を撃っちまうぞ」田代の声が聞こえる。
ふたりは声を張りあげて口喧嘩をはじめた。まあ士魂号が戻ってくるまでの辛抱か、と思いながら原は雑音の交じる無線機に耳を澄ました。
「善行です。今からそちらへ向かうところですが、様子はどうです?」
善行の冷静な声が聞こえてきた。
「戦闘は他の人たちがやってくれるから、特に問題はなし。整備員は装輪式戦車の修理やらトラックの面倒を見てあげているわ。わたしたちっていい人よね」
「……列車はどうです? 運行していますか?」
「臨時列車が編成されているみたい。ねえ、これからどうするの? 博多港からの撤退はなんとか進んでいるみたいだし、ここいら辺でわたしたちも逃げることを考えない?」
原は冗談めかして言った。半ば本気で、半ば冗談である。あのしぶとくて、神経質で完璧主義者の善行が、「ほどほど」に仕事を終えるとは思えない。
「ええ、逃げる算段はむろんつけていますよ。しかし、博多ではありませんね」
善行は生まじめに応答してきた。
「また関門海峡人道?」
原は会話を楽しむように尋ねた。全員、身ひとつになって人道から脱出するのもいいだろう。
「トンネルが爆破されたら、人道も破壊されますよ」と善行。
「え、じゃあ……」
「門司港からクルージングということになるでしょうね」
善行は珍しく冗談を言った。口調は相変わらず生まじめであったが。
待ってよ……。原は考えて憮然となった。トンネル爆破? だったらそのクルージングとやらは爆破後のことになるわけ?
「ねえ、もしかしたらトンネルも橋も爆破されたあとも戦い続ける、なんて馬鹿なことは考えてないでしょうね?」
「ははは」答える代わりに善行は声をあげて笑った。
本気なの? 最後まで戦ったあげく、そこらの舟を見つけて脱出なのか? 下手すると海峡を泳いで渡るなんて。
「善行さん、わたし、水着姿には自信あるけど泳ぎは下手だからね」
「ええ、ええ、わかっています。そろそろそちらへ到着します。物資集積所のゲートが見えてきました」
鈴原は淡々と怪我人の診察をし、衛生兵、鉄道警備小隊、駅員を問わず呼びつけ、重傷者を「臨時列車」へと運ばせていた。橋爪もしぶしぶと力仕事に協力させられていた。こちとらの商売は戦争なんだがな、と口をとがらせる橋爪に、「守備兵は間に合っているようだぞ」と澄ました顔で言った。
前線はどうやら持ちこたえているようだ、と橋爪は誤った認識を持っていた。士魂号と紅陵α小隊が危ういところで敵の浸透を食い止めたことを知らなかった。ゴブリンの散発的な攻撃はこちらにも加えられているようだが、友軍は余裕をもって撃退している。
「なあ、先生」
負傷兵の手当てが一段落したところで、橋爪は鈴原に話しかけた。ひつつめ髪はさらに荒れて、ほつれ毛が目立っている。
「なんだ、逆モヒカン」鈴原は不機嫌な顔でこちらを向いた。
これだ、この手にだまされるんだ。とにかく人の話を逸らす。話題を巧妙にすり替える。
「先生はこれからどうするんだ? 臨時列車に乗っても誰も文句は言わないぜ」
今は前線が頑張って小康状態を保っているけど、じきにあの阿蘇戦区で起こったような敵の圧倒的な攻撃が友軍を押し潰すだろう。それが一時間先か、それとも二十四時間先かはわからないが、そろそろ逃げないと本当にやばいと橋爪は思っていた。
「わたしは残る」
鈴原はこともなげに言った。
くそ、やっぱりそういうことかよ、と橋爪は悔しげに下を向いた。
そんな橋爪の様子を見て、鈴原は「ふ?」と笑いを洩らした。
「今のおまえはわたしにこだわって現実を見失っているぞ。わたしはあちらの世界の住人だ。気の毒に、おまえはわたしの正体について悩んだあげく、混乱しているのだろう」
「俺は別に……」橋爪の抗議は弱々しかった。
「約束しよう。この状況下でわたしにできることは、医者として働くことだけだ。それ以外のことは断じてしない。だから」
鈴原は橋爪のウォードレスに覆われた腹に軽くパンチを食らわせたl。
「これ以上、悩むな。十七かそこらの餓鬼が悩んでいる姿は暑っ苦しいんだ」
「暑苦しくて悪かったな!」ああ、またこのパターンかよと橋爪はおのれの単純さに愛想が尽き果てた。
「ああ、オマケに腋臭が臭うぞ。青少年の臭いはさすがに強烈だな」
「え、マジかよ」橋爪はあわてて腋の下を嗅いだ。
「馬鹿。老人じゃあるまいに、臭くない青少年なんて存在するわけがないだろ。いたらそいつは新陳代謝に異常がある」
「くそ、馬鹿にしやがって」
「本土へ行ったら飯島看護兵をモノにしろ。よい匂いがするぞ」
「あんたは世話焼きばあさんか」
ほら、また怪我人のご一行だ、こちらへ連れてこいと鈴原は会話を打ち切った。
猫の隊章が描かれた戦闘指揮車がふたりの目の前で止まった。顔を上げるふたりに機銃座から善行が声をかけてきた。
「ご苦労さまです。しかし、そろそろ店仕舞いということに」
「博多もだめか」
鈴原は負傷兵の手当てに戻って、無表情に言った。
「ええ。現在、二方面より敵の大軍が迫っています。おっつけ士魂号も戻ってくるでしょう。先生たちはそろそろ臨時列車で撤収してください」
善行は鈴原と橋爪に笑いかけた。十分やってくれた、という表情になっている。
「現在、博多・下関間の連絡は友軍が確保しています。大分方面からの圧力も相当なものですが、あと八時間は支え切ってくれるそうです。ということは話半分でしてね。まず四時間と考えた方がいいでしょうね」
瀬戸口がハッチから顔を出して言った。
「そろそろ臨時列車も最終になるということです。ああ、おまえさんたちも列車に乗り込め。もう自衛軍も学兵も関係なく、来る者は拒まずということだ」
瀬戸口は負傷兵に向かって言った。
「これから重傷者の手当てをする。出発はいつだ?」
「ここに来る途中、鉄道警備小隊の兵に聞いたんですが、十五分後に一本、一時間後に最終の列車が出るそうです」
善行の言葉を、鈴原は負傷兵の手当てをしながら聞いていた。
「わかった。ならば一時間後の列車に乗ろう」
「お勧めできませんね。十五分後の列車に。即刻」と善行。
「だめだ。まだ重傷者の手当てが済んでいない。これでも一応、医者なんでな。橋爪、おまえは行け。もう十分だ」
鈴原は負傷兵の傷に目を落としたまま、淡々とした口調で言った。
「見損なうな。俺も一時間後だ。軍医より先に逃げたとあっちや寝覚めが悪いぜ」
橋爪は不機嫌に応えた。
地響きが聞こえ、三機の士魂号が次々と集積所に入ってきた。善行はそちらに目を向けると、
「どうか御身を大切に」と鈴原に言い残して指揮車を整備班の方角へ向けた。
「西区をあとひと支えして終わりだな」
舞は士魂号から降りてくるなり、そう言って近くの地べたに大の字になった。
暮れゆく空が見える。雲は茜色に染まって、しんとした闇が東の空から忍び寄ってくる。
ここ数日の高気圧の影響か、風はやけに生温かく感じられる。むろん好天は車両を使う人類側にとって有利となるはずだ。
激しかったな。舞は目をつぶった。
三番機はモコスと連携して、二番手、三番手の敵を殲滅していた。最後にはミサイルも尽きジャイアントアサルトだけでスキュラと渡り合った。一番機はミノタウロスとゴルゴーンの密集陣に斬り込んで満身創痍の状態となっている。至近距離からの生体ミサイルを辛うじて避け、ミノタウロスの突進を受け、やっとこさ機体を保っている状況だった。
「ひと支えって……もう十分だと思うけど」
厚志も舞と並んで地べたに横たわった。厚志の目は異様に光っている。そんなふたりを善行は痛々しげに見守った。
「善行よ、次の出撃は?」舞が尋ねると、善行は眼鏡を押し上げた。
「整備、補給が終わり次第」
善行は十分後に博多港からフェリーが出ると言いかけて言葉を飲み込んだ。
「わかった」舞は目を閉じたまま応えた。元々華奮な舞にはGに弱いという弱点がある。
それにしてもどうしてこんなに疲れるのだろう? 厚志でさえ、ぐったりと横たわっている。
これが体調不良というものか?
知らず知らず限界を超えて戦っていることに舞は気づかなかった。否。気づかないふりをしていた、と言った方が正しいだろう。
「五分だけ……寝る」そう言うと舞は寝息をたて、眠りに落ちた。
一番機のコックピットから降りようとして壬生屋は足をすべらせた。しまった! と受け身を取ろうとしたところ、腕が伸びて壬生屋の体を支えた。瀬戸口がにこやかに笑いかけていた。
「や、どうも、ご苦労さん」
「……ただいま」
なんだか変な感じだな、と壬生屋は顔を赤らめ自分の挨拶を後悔した。
あれから何体の敵を倒したろう。実際に敵を斬り、裂いたのは一番機だが、何故だか腕が痺れ、痙攣するような感じがした。瀬戸口の腕から離れると、地べたで横たわっている舞と厚志に気がついた。
すごかったな、ふたりとも。わたくしだって頑張ったつもりだったけど、三番機の動きは限界をはるかに超えていた。重たげな複座型なのに、スキュラに肉薄し、護衛のミノタウロスの攻撃を紙一重の差で避け、逆に撃破していった。
わたくしも頑張らなきや。そう思って口許を引き締めた瞬間、くらっときて行儀悪く地面に横たわった。メロンパン。メロンパンさえあればまだまだ戦える……と壬生屋は目をつぶり、あの黄色と緑色の入り交じったような独特な色彩を思い浮かべた。
あら、この匂いはと壬生屋は目を開けた。鼻先にメロンパンが差し出されていた。瀬戸口と東原が自分の顔をのぞき込んでいた。
「えへへ、ほきゅうだよ。末央ちゃん」
「ありがとう」
壬生屋は手を伸ばすとメロンパンを取り、身を起こすとさくさくと食べはじめた。そんな壬生屋をふたりはじっと見守っている。
なんか恥ずかしいな。話をしなきや、と壬生屋はひと息つくと口を開いた。
「こんなに戦ったのは初めてです。なんだか体がふわふわとして。あの……わたくし、疲れて見えますか?」
壬生屋の言葉に瀬戸口と東原は顔を見合わせた。
疲れて見えるなんてものじゃなかった。元々すっきりした細面の顔は頬がげっそりと痩け、言葉とは裏腹にまなざしだけは猛禽のような光を放っている。それはそれで魅力的な顔だ、と瀬戸口は言おうとして言葉を呑み込んだ。
「銀剣突撃勲章まちがいなしってところね。あ、そのまま休んでいて」
原が壬生屋の前に立った。にこやかだけれど、どこか痛ましげな表情がかいま見える。
「一番機は……」
「やあねえ。ひどいなんでものじゃないわよ。装甲板は溶けているし、脚部は損傷しているし、壬生屋さん、もしかして操縦下手になった?」
原はわざと挑発するように言った。敵との戦いで何度も転倒したのか、電子装置はほぼ壊滅状態、脚部のパーツも取り替えるように指示を下した。整備員たちは大わらわでセットアツプに走り回っている。
「ごめんなさい。わたくし……」
「責めているわけじゃないって! 冗談よ、冗談。普段の三倍は戦っているんだから機体が傷むのは当たり前。暇潰しにあなたの顔を見に来たってわけ。ねえ、顔色悪いわよ。唇も青くなっているし。わたしの化粧品、貸してあげようか?」
原は笑みを絶やさず、ずけずけと言った。
「化粧なんて、したことないです」
壬生屋は顔を赤らめた。
化粧、と聞くだけで心がときめくのは何故だろう? 心がときめき、心臓が高鳴る。化粧をしてみようかなとふと思った。
「うん。少しは顔色が良くなってきた」
原はやさしげに言った。
「原さん、一番機、脚部換装準備整いました!」
森の生まじめな声が聞こえてきた。「装甲板換装、あと十五分ですたい」中村の声が響く。
「右中指損傷、修理完了で〜す」岩田の声も響く。
「さあて、これからが大変よ」
原はもう一度壬生屋に微笑むと、一番機に向かって歩いていった。
幸いなことに二番機にはたいした損傷はなかった。
ずっとビル陰に隠れ、あるいは川の堤防を盾として支援射撃を加え続けた。本来なら軽快な軽装甲二番機なのだが、弾帯をピッシリと取り付けているため、動きは鈍かった。それが戦ううちにだんだん軽くなり、最後には「残弾ナシ」の表示が出て戦闘は終了だった。
滝川はコックピットから出ると、三番機のふたりと同じく地面に大の字になって横たわった。
森は? そりゃ出迎えには来ねえよな、と損傷の深刻な一番機に取りついている森の姿をちらと見た。ふと森がこちらを振り返った。ちらつと自分を一瞥してから、すぐに「クレーン準備オッケーです」と声を張りあげた。
疲労感がどんよりと体中に染み込んでいた。滝川は仰向けになったまま、空を見上げた。茜色に染まった空。しんしんと闇は忍び寄っている。
車椅子の車輪の音がして、不意にぬっと狩谷の顔が登場した。滝川は、わっと声をあげると身を起こした。
「ちっくしょう。出迎えは狩谷だけかよ」
滝川が言うと、狩谷は「ははは」と声を出して笑った。
「二番機は特に損傷はない。相変わらず機体を可愛がっているね」
「おまえの皮肉は聞き飽きたってえの!」
「まあ、それぞれ役割があるからな。損傷がなくてけっこうだ。だからほんの少しだけ機体の敏捷性をアップすることができるよ」
狩谷はそう言うと眼鏡を光らせた。
「サ、サンキュ」
なんだか調子が狂うな。今日の狩谷の皮肉にはいつものキレがない。どうせならもっと毒のある言葉を聞きたいぜ。その方がなんだか元気が出るからな。
「あらら? 、滝川君、孤独だね?」
また馬鹿が来た、と滝川は舌打ちした。見れば新井木がヨーコとともに台車で弾帯を運び込んでいる。あとはクレーンの空き待ちだ。新井木は滝川の傍らにしゃがみ込むと、メロンパンを差し出した。
「僕、ダイエットしてるからさ、特別にあげる」
「……サンキュ」やっぱし調子が狂うぞ。
「タイヘンでした、ネ」
ヨーコがにこりと微笑んだ。あ、これならまとも。ヨーコさんらしい。滝川はやっと余裕を取り戻して、「へっへっへ」と笑った。
「とにかく敵が多くてさ。なあ、狩谷、何発でも撃てるジャイアントバズーカってないのか? ほら、弾倉とか付いてるの」
「残念ながらない。そんなことより、どうして君はライフルを使わないんだ?」
ライフルとは士魂号のオプション武器のひとつである九二ミリライフルのことだ。その威力はジャイアントアサルトの比ではない。
「けど煙幕弾が撃てないじゃん」
滝川は反論した。同時に首を傾げていた。狩谷にしてはしゃべり過ぎだな、と思った。今さら使用する武器の話でもないだろう。
「九二ミリ砲弾を改良することもできるけどね。原理はほぼ同じだから」
「さっすが陰険秀才眼鏡」新井木が目を丸くして驚いた。
「なっちゃんに不可能なことなんてないんよ」
声のした方を見ると、加藤がパンをひと抱え持ってたたずんでいた。
なんだよ、またメロンパンかよ。にしても、なんだか人が集まってきたな。俺ってヒマ人に思われてる?
「これ、物資集積所で見つけたんよ。これぞ伝説のあんパンや! ウグイスパンもあるで?」
「おっ、気が利くじゃん」
滝川は跳ね起きると、あんパンを手に取り、メロンパンと代わる代わるかぶりついた。
「にしても、他のやつらのところには行かねえのか?」
滝川が尋ねると、新井木と加藤は顔を見合わせ、視線を落とした。
「……なんか怖いんだよ、三番機のふたり。壬生屋さんもそう。滝川君だけだよ、戦闘が終わったあとでも近づけるの」
新井木がポロリと本音を洩らして、加藤から肘でど突かれた。
「俺……あいつらのお荷物だからさ。あいつら、俺の分まで戦っているんだ」
滝川は新井木の言葉を聞いて、しみじみと言った。そりゃ怖くもなるだろうさ。あいつらの戦闘のすさまじさを整備の連中は見ていないだろうからな。
「よお、滝川」
またしても声。茜が目一杯パンを抱えて近づいてくる。
「おい、またあんパンかよ」
「どうしてわかった? 君には透視能力でもあるのか?」茜は驚いたように後ずさった。
「馬鹿なことを……」
狩谷が苦々しげにつぶやいた。
あっははは。加藤が声をあげて笑った。
「実はな、あんパンならここに腐るほどあるで。パンを抱えて逃げるのも格好悪いよってな。残していったんとちゃう?」
「どうしたんだ? 一番機の修理中じゃなかったのか?」
滝川が尋ねると、茜は「ふ」と笑って金髪を掻き上げた。
「クレーン係は田代に交替。目下、僕は失業中というわけさ。ちょっと君の様子が心配でね。差し入れに来てやった」
「あはは。滝川君、人気者やわ!」
加藤が冷やかすと、滝川は「ちぇっ」と舌打ちした。肝心のやつが来てねえっての。森は仕事をしながらこちらをちらちらと見ている。視線が合った。あとでね、と森の目は語っている。
それだけでも幸せかも、と滝川はふと思った。
「森、ぼんやりしないっ!」
原の怒声が聞こえた。
「すみませんっ!」
森も負けずに声を張りあげ、謝った。
博多・西公園展望台 一九三〇
「もうダメか……一
佐藤の眼下をミノタウロスが通過してゆく。一号線は数キロ先まで敵で埋まっていた。ゴブリンに交じってミノタウロス、ゴルゴーンなどの中型幻獣が悠々と港へ向かって進撃していた。
あれから何百、何千のゴブリンを倒したろう。残りはわずか一発。使い慣れた徹甲埋。二号車のオケラも同じく。来須さんの姿は見えないが、レーザーライフルで大物を倒しているのだろう。
敵の先鋒はすでに港へ殺到し、凄惨な戦いが繰り広げられていた。数千の兵を満載した最後の船団がなおも乗船口へと走る友軍を待ち続けている。
一条のレーザー光が走り、突如としてフェリーの一隻が大爆発を起こした。機関室か燃料タンクを直撃か? あの様子では生存者はいないだろう。
「どうするんだ、佐藤」
鈴木が声をかけてきた。
「どうするって……最後の一発を撃って、逃げるしかないっしょ」
徒労感が激しく佐藤を襲った。その時、来須から通信があった。
「残弾は?」
「あと一発だけです。わたしたち、これから……」
佐藤の言葉を遮るように、来須の低い声が車内に響き渡った。
「眼下にタンク群が見えるはずだ」
「え、ええ」
「天然ガスと石油が詰まっている。最後の一発をたたき込め。その後、そちらへ迎えにゆく」
佐藤は茫然として、眼下のタンク群を見つめた。すぐ横を走る一号線には幻獣がひしめきながら港へと進んでいる。佐藤は唇を噛み締めると、オケラに通信を送った。
「目標は備蓄基地のタンク。最後の一発だ、どーんと派手にやってやろうよ」
「え、けど……」
オケラの車長は絶句した。
わかってるよ。大変なことになる。下手をすれば友軍を巻き込みかねない。かなたの埠頭では、なおも乗船口へ向かう兵と幻獣が、白兵戦を繰り広げている。生体ミサイルが次々と埠頭に落下し、小型幻獣ごと友軍兵士を吹き飛ばす。これ以上、とどまれないと判断したか、船は次々と出航してゆく。助かりたい、生きたい一心でウォードレスを着たまま海へ飛び込む兵が続出した。しかし彼らは二度と浮かび上がってこなかった。
ちっくしよう。
佐藤はあふれる涙を掌でぬぐった。
「鈴木、十一時半の方角に修正」
半ば涙声になっていたが、そんなことは気にしていられなかった。
鈴木は黙って、車体を旋回させる。照準器に巨大なタンクが映った。佐藤が引き金を引くと徹甲弾は一直線にタンクをめざした。その直後、大地が揺れ、すさまじい爆発が起こった。火の雨はモコスのいる展望台まで降り注いだ。
「モグラ、残弾なし!」
「同じくオケラも」
ペリスコープから見える港は燃えていた。船団は沖へと遠ざかり、取り残された兵が炎の豪雨を身に浴びながら、なおも機銃音を響かせ破滅の時を待っていた。浸々とした黒煙と、炎に包まれた地獄の光景。熱風が吹き荒れ、あれほどピッシリとひしめいていた敵は消滅していた。
ハッチがたたかれた。
顔を出すと、来須がむっつりした顔でこちらを凝視した。
「これより博多駅の小隊に合流する。急げ」
「はいっ!」
佐藤は涙をぬぐい、声を張りあげると、鈴木に向かって命令を下した。
「博多駅へ向かうよ!」
「わかった」
鈴木は短く返事をすると、ホバーを駆動し、事体を百八十度旋回させた。
博多駅・物資集積所 一九三〇
はじめは地震かと皆が思った。
しかし空にこだまする轟音とともに、港の方面に炎が噴き上がるのを見て、5121小隊の誰もが言葉を失った。濃厚な石油の匂いが駅周辺にまで流れてくる。
「港が陥落したか」
善行はそうつぶやくと、博多の精細な戦術画面に目を落とした。すでに湾岸・埠頭は制圧され、敵がここに殺到するのも時間の問題だろう。
「善行さん、ここもそろそろ危ないですよ」
瀬戸口が東原を連れて車内に駆け込んできた。幻獣に包囲という概念があるとすれば、一号線をさらに進んで博多を包囲するはずだ。
「わかっています。あと三十分が勝負というところでしょう」
善行は額に浮かんだ汗をぬぐった。その時、北上する敵に対応していた村上から通信が入った。待ちに待った通信だった。
「こちら村上です。現在、我々は博多を迂回し、北九州・門司方面へと撤収しつつあります。損耗率は十七パーセント、極めて危険な状況です。これからどうなさいます?」
村上は律儀に尋ねてきた。
「我々にかまわず門司へと撤退してください。門司には友軍が強力な陣地を築き、防衛ラインを形成しています。その中へ一刻も早く。下関で再会しましょう。ご武運を」
善行はそう言うと、村上の言葉を待った。
「了解しました。途中、兵を吸収しつつ、門司へと向かいます。ご武運を」
しばらくして村上からの返事があった。
村上戦隊もここまで来れば、なんとか逃げ切ってくれるだろうと善行は安堵の息をついた。
あとは自分たちの撤退を考えればよいだけだ。
「来須だ。コスを引き連れ、そちらに向かっている。現在、天神・福岡市役所前だ」
来須からの通信からは機銃音が散発的に聞こえる。直後、善行の耳に来須のサブマシンガンの掃射音が響き渡った。
「ゴブリンですか?」
「ああ、またぞろ出没しはじめた。十分後にそちらに到着する」
「急いでください。出発は三十分後。残念ながらモコスは放棄するとクルーに伝えてください。時速四十キロにて3号線を走ります」
「わかった」来須は短く請け合うと通信を切った。
「一番機、修理完了! たんばく燃料補給に移ります。二番機、三番機は武器・弾帯の装備確認よろしく! そこっ、茜、新井木、ぼんやりしないっ!」
原の声が指揮車まで響いてきた。
「パイロットは士魂号に搭乗。出発時刻は三十分後、二〇〇〇に設定します」
善行も拡声器を通じて隊員たちに呼びかける。機銃座に昇ると、パイロットがそれぞれの機に駆けてゆく様子が見えた。足取りは思っていたよりしっかりしている。これならなんとかなるり善行はそう自らに言い聞かせた。
「最終列車は時間を繰り上げ、二番ホームより十分後に出発します! 乗車される方はいませんか? これが最後です! 動けない人がいたら声をあげてくださいっ!」
メガホンを片手に国営鉄道の制服を着た駅員、そして鉄道警備小隊の学兵たちが集積所へとやってきてしきりに呼びかける。集積所警備の兵、そして駅へと流れ着いた兵たちが一斉に駅構内へ向かって走っていった。
「野戦病院は解散。医療スタッフは各自、列車に乗れと伝えてくれ」
鈴原は冷静な声で橋爪に言った。声には有無を言わせぬ響きがあった。
「みんな、二番ホームまで走れ! 乗り遅れると幻獣に串刺しにされちまうぞ!」
橋爪が叫ぶと、医療スタッフはそれぞれ動けぬ負傷兵を抱え、走り出した。橋爪も手を貸して二番ホームへと走った。やっとのことですべての負傷兵を押し込むと、残る時間はあと三分ほどだった。
そうだ先生を……と引き返すと鈴原の姿は消えていた。
橋爪は気の抜けた顔で物資集積所の壁にもたれた。ちっくしよう。いなくなっちまった……。
肩を落とす橋爪の目の前にぬっと若宮の顔が現れた。
「馬鹿野郎。どうして列車に乗らなかったんだ!」
「……先生を探しているんだ」
警笛が響き、列車が走り出した。若宮は怒りを含んだ目で橋爪をにらみつけた。
「すでに列車に乗っているかもしれんじゃないか」
それだったら苦労しねえよ。橋爪は、ふっと笑った。とたんに若宮に突き飛ばされた。橋爪はしたたかに壁に体を打ちつけて倒れた。
「笑いごとじゃない! おまえには軍医さんを守る役目があったろう」
「若宮君、それぐらいで。君はトレーラーへ」
善行が機銃座から声をかけてきた。
重苦しいホバー音が響いて二両のモコスが物資集積所の正門に姿を現した。先頭の車両の機銃座から来須が顔を出している。
「これで揃いましたね。来須君、若宮君は指揮車へ。モコスの皆さんはトレーラーの荷台へ。すぐに出発します」
善行は拡声器を通じてそう呼びかけた。モコスの非常用ハッチが開き、戦車兵がトレーラーへと駆ける。「佐藤、こっちぞ!」中村と岩田が二号車の運転席から顔を出す。佐藤たちが一号車のトレーラーの荷台に乗り込むと、橋爪がむすっとした顔で出迎えた。
「よろしくね」
佐藤が挨拶すると、橋爪は「ああ」とだけ言って横を向いた。
「なーにむっつりしてるのよ。失恋でもしたの?」
遠慮なしにずけずけと言う佐藤に、橋爪は思いっきり顔をしかめてみせた。
博多東区・国道3号線上 二〇一五
はるかかなたで機銃音が聞こえる。
風が吹き、港を襲った黒煙は市街地へと流され、街は黒い霧に覆われたような状態となった。
港の他は火災という火災とてなく、無人と化した街を5121小隊の車両群が進んでゆく。
国道3号線に乗り、東へ。時速は四十ないし五十。すでに北九州市は放棄されているが、ここでも友軍の若干の遅滞行動がなされているはずだ。一刻も早く防衛ラインに逃げ込むため素通りして、門司をめざす。士魂号はすべて起動して、地響きをあげながら路上を併走し車両群を護衛している。
「村上戦隊が防衛ラインに到達したそうです」
瀬戸口からの報告に善行はうなずき、ヘッドセットを装着した。
「そちらの様子はどうですか?」
「現在のところ、交通は良好。橋もトンネルも保たれています。友軍が続々と撤退中です」
すぐに村上から通信が返ってきた。
「防衛ラインの現状、兵力は?」
「正直なところ要塞化とまではいきませんな。兵力はおよそ一万五千が門司駅から新門司インターチェンジまでおよそ五キロの正面を外郭陣地として縦深《じゅうしん》陣地を展開しています。半数以上が各地から撤退してきた学兵ですが、装備だけは新たに支給され、良いようです」
「なるほど」
自衛軍はありったけの装備を守備兵に支給したのだろう。これならぎりぎりまで粘れるか? 善行は車内に戻ると各方面から情報を集めはじめた。
「陣地の配置がまずいですね」
衛星画像を見て、善行は気難しげにつぶやいた。
関門海峡を左手に見る3号線と周防灘に沿って走る九州自動車道の間にはちょっとした山岳地帯が広がっている。ここを利用せぬ手はないだろう。高地に相応の火砲を配置し、道路沿いに進撃する敵をたたくべきだ。例の新式の迫撃砲でもかまわない。道路封鎖とトーチカ陣地だけでは心許ない。
「村上少佐から隊を借りたらいかがです?」
瀬戸口が顔を上げた。彼もまた戦略スクリーン上でプログラムを動かし、独自にシミュレーションを行っている。しかし善行は首を横に振った。
「戦果は大きいのですが、生還する可能性は極めて低い。あらかじめ地下陣地でも造ってあれば別なんですがね。村上さんには生き残ってもらわないと。戦後のこともありますから」
瀬戸口の眉が上がった。陽気な笑い声が車内に響き渡った。
「善行司令がなんか面白いこと言いはったの? ウチも聞きたいわあ」
運転席から加藤が尋ねてくる。
瀬戸口は苦笑して、「面白いと言えば面白いのさ」と言った。
「どうやら俺たちはそう簡単には死なないみたいだぞ。善行さんは戦後の軍事裁判のことまで考えている」
「軍事裁判? 司令、なんか悪いことしはったんですか? 食い逃げとか。あ、脱走したとかなんとか言ってはりましたね」
「ねえねえ、いいんちょ、くいにげしたの? だめなのよ」
東原がうるうるとした目で善行を見つめた。善行も苦笑して東原の頭に手を乗せた。
「ああ、そういえば空襲のどさくさで博多のラーメン屋で代金を払ってこなかった。軍事裁判にかけられてもしょうがないですかね」
「あはは。傑作や!」加藤が楽しげに笑い声を弾ませた。
門司の外郭陣地まであと十キロほどに迫っていた。すでに夜は更け、煌々とライトを灯した車両群が3号線を東へと向かっている。
舞は苦虫を噛み潰したような表情で、考えていた。
わずか三日でここまで追い込まれるとは。幻獣との五十年に及ぶ戦史を紐解いても希に見る総退却と言えるだろう。俗に言えば「一目散に逃げ出した」との表現が正しい。熊本、福岡・博多、陣地らしき陣地は用意されず、ただ「本土へ撤退せよ」との命令が主要な部隊に送られただけだった。
政府は敵に九州を差し出したのか? これまでに何度か幻獣側との和平が話し合われたとのことだが、その都度、失敗してきた。同じ轍を踏もうというのか? 軍は明らかに腐敗している。肥大して日本最大の組織となった軍には派閥が生じ、指導者層は軍内政治に明け暮れている。思えば熊本の司令部ビル爆破でも、死傷者はほとんどが反芝村閥だった。今回、いち早く撤退した部隊を見ても、芝村閥の将官に率いられた部隊は安全に本土へと撤退している。
してみると和平交渉があったとして、それを担ったのは芝村であったか?
「無事らしいな」
不意に通信が入った。低く重苦しい男の声だ。こちらを冷やかすような響きを帯びている。
「そろそろ連絡が来るとは思っていた」
舞が応えると、芝村準竜師は低く笑った。
「おまえが何を考えているか、およその察しはつく。おそらくはその通りだ。ただし、どこの国でも組織でも強硬派というものは厄介なものでな。いかに政治力の限りを尽くし、追い詰めようともしぶとく生き残る」
「5121の周波数だが、かまわんのか?」舞は冷静な声で言った。
「むろん。個人的な趣味でな、俺は5121が気に入っている。今回のことで軍内部の強硬派はそれゆえのつけを払うこととなった。あちらにしても同じことだ。分裂し、各地で同士討ちを行っているとの情報だ」
準竜師は皮肉な口調で言った。
「それが手向けの言葉とは。芝村とは寂しいものだな」
舞の口許は精悍な笑みを浮かべていた。もちろん、芝村流の冗談だ。寂しい、などという言葉は芝村には存在しない。案の定、準竜師は高笑いをあげた。
「俺は今の状況がなかなか気に入っている。芝村の末姫が最後の最後まで戦ったあげく、本土に凱旋するのだからな。軍内での我らの立場はさらに強化され、おまえは英雄として国民に認められる」
凱旋か。舞は「ふむ」とうなずいた。ああ、わたしは決して死なぬ。
「今日の準竜師閣下はよくしゃべることだ」
「うむ。人は自らを偽る時、多弁になるというが、そういうことかもしれんな。俺としては今末姫殿を失うわけにはいかんのだ」
準竜師は変わらず、冷やかすような口調で言った。
「わかっている」
舞が短く応えると、唐突に通信は切れた。
そういうことであったか。霧のかかった風景をずっと眺めているような心境だった。しかし芝村は決して現実から目は背けぬ。
わたしには、我らには未来が待っている。英雄的な死を遂げておけば楽だった。そのような未来かもしれぬが、わたしは決して悔いることはないだろう。
「厚志よ」
舞が呼びかけると、厚志はビクリと身を震わせた。
「え、なに?」
「何を驚く? そなたの名を呼んだだけだぞ」
「なんだかよくわからない話だったから。ええと、さ。要するに僕は舞の手下であればいいんだね。それ以外の仕事って得意じゃないし」
厚志はどこかとぼけたような口調で言った。
僕にとっては状況は極めて単純なんだ、と厚志は割り切っていた。
舞とともにあること、舞の影となってなんでもやるつもりでいる。厚志は国に忠誠を誓っているわけではないし、軍も同じだ。5121小隊に来て、初めて同世代の仲間と出会ったが、本当のところ、友人とはどんなものか、言葉で表現することはできなかった。ただ滝川を、壬生屋さんを、他の皆を最後まで守り通そうと思っていた。
舞は別だ。舞の存在は言ってみれば、自分の心臓のようなものだ。なくしたらぽっかりと空洞ができて自分は生きてゆくことができないだろう。
「戦争が終わったらどうするかな。舞の家で雇ってもらおうかな。おいしい紅茶を掩れるのは自信があるんだ」
「わたしは軍に残るぞ」
「だったら僕もそれでいいや」
厚志は気楽な口調で言った。こいつは、という調子の舞の舌打ちが聞こえた。
「前方一キロ、手向山《たむけやま》公園近くでスキュラが待ち伏せしている」
舞は唐突に話題を変えた。高性能のレーダー画面を参照して、さらに衛星画像で付近の様子を確認していた。道路を見下ろす薮の中に巨体を潜め、獲物が来るのを待っている。
「待ち伏せがある。気をつけろ」
ほぼ同時に瀬戸口から通信が入った。
「スキュラだが、どうする? けっこう頭のいいやつだぞ」
「来須のレーザーライフルに任せよう。士魂号はサポートに回って欲しい」
来須ならば敵に気づかれずに敵に接近することができる。
「わかった」
小隊の車両群は停止した。先頭の指揮車から来須の武尊が離れ、闇の中へ消えていった。
ほどなくかなたで閃光と同時に炎が上がった。爆発音が韻々[#原文ママ]と夜空にこだまする。それが合図であるかのように、付近の丘陵地帯から敵が殺到してきた。
「きたかぜゾンビ八、ミノタウロス五、小型幻獣は約三百というところだ」
瀬戸口からの通信が入ると、舞は即座に命令を下していた。
「壬生屋はミノタクロスを頼む。滝川はまず、きたかぜゾンビを三番機とともに撃破する。位置は現地点とする」
「わかりました」
「了解」
壬生屋の一番機は敵の位置を確認するとミノタウロスをめざして駆けた。きたかぜゾンビのローター音が聞こえると同時に、ぱあつと夜空に出来の悪い花火のような閃光。千メートルを超えて敵を捉えることができる来須の狙撃だ。
ローター音が近づいてきた。舞は一機をロックすると、上空に向けジャイアントアサルトの引き金を絞った。曳光弾が闇の中を弧を描いて飛んでゆく。回避行動に移ろうとした一機に二十ミリ機関砲弾が命中。きたかぜゾンビは落下して爆発した。
「小型幻獣、来ます! 三分後に遭遇!」
瀬戸口の声に善行は眼鏡を押し上げた。
「逃げます。時速六十キロに速度を上げて3号線を北上、敵を振り切ります」
「というわけだ。運転係の皆さん、よろしく頼む」
瀬戸口はそう通信を送ると、加藤に合図をした。
「はいな」加藤は声をあげると、ぐっとアクセルを踏み込んだ。視界の限られた戦闘指揮車でこれだけの速度を出すのはストレスが溜まることだったが、幸いなことに前方には白い車線が続いているだけだった。
「機銃座には?」瀬戸口が尋ねた。
「瀬戸口君、そんなに機銃が撃ちたいですか?」
善行は車長席で苦笑いを浮かべた。
「ははは。近頃癖になりましてね、ってそんなことを言っている場合じゃない。前方にさっそくゴブリン。オペレータ役頼みます」
瀬戸口が機銃座に出ると丘陵の斜面を駆け下りてきたゴブリンが路上にあふれていた。瀬戸口は迷わず二連装の七・七ミリ機銃の引き金を引いた。た、た、と軽快な音がして機銃弾は密集するゴブリンに吸い込まれていった。
傍らでは若宮が一本の腕を車体にかけ、残る三本の腕から十二・七ミリ機銃を撃っている。
どん、と振動があって、ゴブリンの群れの中に指揮車は突っ込んだ。
「あかん! 車輪に敵を巻き込んでしもうた!」
狼狽える加藤の声。
「あわてずに。そのままアクセルを踏み込んで」
善行の冷静な声に、加藤はこくりとうなずいた。しかし、潰されたゴブリンは車輪に絡まったまま、空回りを続けた。
「どぎゃんしたと! 玉突き事故を起こすところだったじゃにゃあか!」
後続の一番機トレーラーから中村が怒鳴った。指揮車はわずか十キロほどの速度に落ちてのろのろと前進を続けている。そんなことより荷台の連中は……。中村はぞっとして「おおい、橋爪、佐藤、生きとるか?」と声をかけた。
「馬鹿野郎! とっとと車を出せ!」
橋爪の怒声が聞こえて、九四式小隊機銃の射撃音が続いた。
「モコスのクルーは車内へ逃げ込むとよか!」
中村が声をあげる。岩由がドアのロックを解除する。佐藤らが車内後部座席にすべり込むようにして逃げ込んできた。悲鳴が聞こえた。森田の足を一匹のゴブリンが引っ張っていた。岩田が身を乗り出してアサルトライフルを連射する。解放された森田はすぐにドアを閉めた。ドアにゴブリンが激突して、四人のクルーは辛うじて難を免れた。
「ちっくしよう! 俺は置き去りかよ!」
橋爪はなおも機銃を撃ちながらゴブリンを寄せつけずにいる。腰ダメに機銃を構え、三百六十度、死角を作らぬように射撃をしている。
しかしそんな離れワザが長く続くとは思えなかった。
「段取りの悪いやつらだな」
狩谷は二番機トレーラーの助手席で不機嫌につぶやいた。小型幻獣接近の通信があった時からモコスの乗員は収容している。指揮車で何が起こっているのかも察しがついた。
「狭いけど皆サン、我慢しテくださいネ」
ハンドルを握るヨーコがミラー越しに後部座席に微笑みかけた。後部座席には四人のクルーが窮屈そうに座っている。ゴブリンが、どんどんとドアをたたく。ヨーコは微笑みを浮かべたまま、サブマシンガンを窓から突き出し引き金を引いた。
「どうしまス?」
ヨーコの声に狩谷は顔をしかめた。どうして僕が考えなきゃならない、といった顔だ。この中にいればゴブリンだったら安全だ。幸いなことにガラスも熊本の物資集積所から失敬した防弾性の強化ガラスに換えてある。
しょうがないな、と思いながら狩谷は通信を送った。
「士魂号に手伝ってもらったらどうでしょう?」
狩谷の冷静な声が指揮車内に流れた。加藤は半泣きになって、アクセルを踏み続けている。
「士魂号に?」と善行。変わらず冷静な声である。
「士魂号に押してもらうんですよ。押してもらっているうちに車輪に巻き込んだあれも外れるでしょう。まあ時間が経てば勝手に消滅してくれるんでしょうけど」
さすがに言葉にするのは気色悪いらしく、「あれ」と言ってきた。善行はうなずくと
「滝川君、指揮車を押してください」と後方で戦っている滝川に命令した。
「え、どういうことつすか?」
「たわけ! ここはいいからとっとと走れ!」滝川の声と舞の声が入り交じった。
ほどなく地響きが聞こえ、二番機がゴブリンを蹴散らしながら駆けつけた。指揮車の後ろに回り込むと車体を前に押しはじめた。
「これでいいっすか?」
「はい。加藤さん、引き続きアクセルを踏んで」善行が命じると、ほどなくがくん、と激しいGがあって、指揮車は急発進をした。
「あ?」と瀬戸口がのけぞる。
二番機は支えを失ってうつ伏せに転倒した。
「こらあ、とっととどきんしゃい!」中村が声を限りに怒鳴りつける。
「ばっかやろ! 俺だって被害者だ!」滝川は怒鳴り返すと傍らに置いたジャイアントアサルトを手に取って二番機を起こした。
脇に寄ってあたりを見回すと、一番機トレーラーの橋爪にゴブリンが群がっているのが見えた。橋爪は罵声をあげながら九四式機銃を振り上げている。
とっさに空いている左腕で橋爪をつまむ。「うわっ!」悲鳴が聞こえて、橋爪に取りついたゴブリンがぼろぼろとこぼれ落ちた。
「痛え! もうちょい指の力を緩めてくれ」
「あ、悪ィ。けど冷たいやつらだなー。ひとりだけ閉め出しかよ」
拡声器から声を出すと、橋爪は「耳が痛え!」と叫んだ。
「耳塞いでろよ。誰かかわいそうな機銃手を引き取ってくれねえかー? ああ、三番機トレーラーの後部座席なら空いているはずだ」
二番機は橋爪をつまんだまま、トレーラーの前に立った。その間にも橋爪はありったけの銃弾をゴブリンの群れにたたき込んでいた。
「こいつ、よろしくな、森」
「うん」
滝川が呼びかけると、森はドアのロックを外した。助手席では茜が不機嫌な表情で橋爪をにらみつけている。
「ふ。ぶざまだな、逆モヒカン」
「くそ、僕ちゃん半ズボンかよ。これだったらゴブリンの方がましだ!」
売り言葉に買い言兼で橋爪は怒鳴ったが、気がつくと後部座席に投げ出されていた。
「すべての敵を撃破した」
後方で戦っている舞から通信があった。士魂号は順調。こちらは我ながら情けない。自分は急なトラブルに弱いと苦笑いしながら善行は応えた。
「こちらもなんとか敵を振り切りました。現在、来須君を回収後、時速六十キロで3号線を北上中。防衛ラインに入ったら停車します。追尾よろしく」
「了解した」
舞からの通信が切れると、瀬戸口がすぐに声をかけてきた。
「門司駅守備隊と連絡が取れました。どうやらオール学兵らしいですよ。駅構内と付近のビルに二十個小隊が籠もっているみたいです。構成は戦車小隊三、それから……なんだこりゃ、鉄道警備小隊八、変通誘導小隊五、残りはすべて混成小隊となっていますね。ああ、5121さん大歓迎、だそうです。なんだか軽い指揮官ですね。女性ですよ」
「話してみます」
すごい編制だな。善行は苦笑いしながら言った。
「5121小隊司令・善行です」
「門司駅守備隊・石丸《いしまる》千翼長です。堅田女子104戦車小隊を率いています。実は千翼長が十人はいるんですけど、司令部から指揮を執るようにと。あの……皆さん、お元気ですか?」
堅田女子なら折紙つきの精鋭だ。しかし、元気ですか、とは?
「ええ、元気は元気ですが、失礼ながらどこかでお会いしたことがありましたか?」
「ずいぶん前に植物園の戦闘訓練で。大変な目に遭いました」
石丸と名乗った千翼長は懐かしげに言った。善行は口許をほころばせた。5121小隊が発足する前、善行は学生気分の抜けない隊員たちを堅田女子の戦車兵と模擬訓練をさせ、一種のショック療法を施したことがある。
しばらくは負け犬気分に浸っているか、と考えていたところ、舞を中心に隊員たちはみごとにリベンジマッチに勝利した。大がかりなトラップを作って相手を待ち受けるというオキテ破りの卑怯な戦法だったが、善行はこの「戦争ごっこ」でなんとかなると自信を深めたものだ。
「ああ、あなたたちでしたか! ご無事で。よく生き抜いてきましたね」
善行は心からの言葉を贈った。戦車兵の消耗は早い。その機動力、火力はどの戦線でも頼りにされていた。出撃の連続で、あげく心身ともに消耗してゆく。熟練した戦車兵が戦死するのは、オーバーワークも原因のひとつだった。
「5121さんに教えてもらったんです。正直者は馬鹿を見る……じゃなかった、目的のためには手段を選ぶな」
「ははは。耳が痛いですよ」
善行は苦笑いした。
「だから敵のウラを掻くパターンをたくさん考えて。危ないと思ったらさっさと逃げることにしたんです。おかげで堅田女子は弱くなったなんて言われましたけど」
石丸は楽しそうに語った。
この隊長は頼りになるな、と善行は微笑んだ。
「賢明でしょうね。生き続けて敵に打撃を与え続けるのが良い兵士です。ところで……そちらに余っている戦車はありませんか?」
「何故です?」
「モコスの乗員が八名こちらにいます。車両は博多から撤退する際に放棄しましてね」
「それでしたら、空襲で脱線した貨物列車に戦車が積んであります。こちらは人手不足なんでそのままにしてありますけど」
武器・弾薬だけは豊富にありますから、と言って石丸は通信を切った。
門司駅・駅前広場 二三三〇
深々と夜は更けていった。
五月とはいえ冷たい風が頬を打つ。厚志は夜気を深々と吸い込むと駅前広場に出た。すでに午後十一時を回っている。広場では探照灯が明々とした光を放っている。広場のところどころに土嚢が積み上げられ、高射機関砲が、そして歩兵用軽迫撃砲が砲身を光らせている。
散歩などという雰囲気ではなかったが、今日は一日中コックピットに座って戦い続けた。戦闘の興奮を冷まさねばならなかった。
自分の視線がせわしなく移動しているのがわかる。これは戦闘時の名残だ。視神経がまだ戦っている。敵を探し、遮蔽物を探し、危険を察知し、未然に避ける。これまでだったら、戦闘後、自分たちの基地である尚敬校に戻ってシャワーでも浴びれば回復できた。さもなければ、芝生に寝そべって興奮を徐々に冷ましていた。ここ数日の戦いでは移動の連続で、それがなかった。だからせめて散歩でもして、神経を鎮めようと思ったのだ。無人となった街の大気は澄んでいた。何度も深呼吸を繰り返すうちに、心が静まってきた。厚志はあらためて広場にいる友軍に目を向けた。広場にいる学兵たちは今ひとつさえなかった。居眠りしている者もいれば、陣地の中でトランプをしている者もいる。後方部隊の人たちだな、と厚志は判断した。学兵でも歴戦の精鋭は雰囲気でわかる。
「なんだか久しぶりって感じだよな」
声がして振り向くと滝川が立っていた。そわそわと落ち着かない様子だった。
厚志は微笑んだ。本当に、「久しぶりって感じ」だ。熊本の尚敬校のプレハブ教室で隣り合わせに座っていた時のことが思い出された。
滝川のまなざしもせわしなく動いて落ち着きがない。
「今日は忙しかったからね。なんだか時間の感覚なくなっちゃったよ」
そう言いながら厚志はポシュットを探って、自分で焼いたクッキーを掌に乗せた。
「こんなものが残っていたよ。自信作なんだ。シナモン入りのやつ」
「へっへっへ、作り過ぎちゃったんでよかったらどう? ってやつね。久しぶりだなー」
言いながら滝川はクッキーを取ると頬張った。
「滝川、目が落ち着いてきたね」厚志が指摘すると、滝川はにやりと笑った。
「おまえもな、速水」
パイロットだけに通じる挨拶だ。ふたりは顔を見合わせて笑った。
「こんばんは……」
ふたりが視線を向けると、壬生屋がたたずんでいた。
壬生屋も同じだ。視線がまだせわしなく移動している。
「あはは」厚志が声に出して笑うと、滝川も腹を抱えて笑った。
何がそんなにおかしいの? という顔で壬生屋は当惑顔でふたりを見つめた。
「ごめんごめん。壬生屋さんの視線、まだ戦っているから」
「あ……」
壬生屋の顔がみるみる赤らんだ。そういえば、と何度も瞬きを繰り返した。
「僕たちも同じだから。それで笑ったんだ。これ、よかったら」
厚志がクッキーを差し出すと、壬生屋もくすりと笑って手に取った。
「シナモン入りですね! 美味しいです」
「本当は温かい紅茶でもあればいいんだけどさ」
厚志が言うと、壬生屋はやさしげに微笑んだ。
今日の壬生屋はすさまじかった。
漆黒の一番機は単機ミノタウロスの群れに斬り込んで、鬼神のような奮戦ぶりを示した。白兵戦を信条とする壬生屋だったが、リミッターが外れて才能がさらに伸びた感じだった。あの反応速度、反射神経は自分でも及ばないだろう、と厚志は思った。
「あの……瀬戸口さん、見かけませんでしたか?」
「指揮車にはいなかったの?」
厚志が尋ね返すと、壬生屋は「ええ」とうなずいた。
「指揮車の上に善行司令と原さんがいたので聞いてみたら、風に吹かれてくるとか言って出ていったそうです」
壬生屋は知らず不満顔になっていた。どうしてわたくしのところに来ないんだろう、という顔だ。
「へっへっへ、浮気するんじゃないかって心配なのか?」
滝川が冷やかすと、壬生屋はむっとした表情になり滝川に詰め寄った。
「どうしてわたくしが心配しなきやいけないんです!」
「な、なんだかすげー迫力だな。冗談だって、冗談。……けど、すぐにおまえのところに戻ってくると思うぜ。なんせ、あんなことしちゃったんだもんなー」
あんなこと、と自分で言って滝川は顔を赤らめた。壬生屋も釣られて、こちらはもっと恥ずかしげに顔を赤らめた。厚志はそんなふたりを見て微笑した。
壬生屋さん、恋をしているんだね。滝川もそうだ。僕にはそれがどういうものかわからないけれど、僕は君たちを絶対死なせやしないから。
厚志のまなざしは一瞬、危険な輝きを帯びた。しかし、ふたりは互いに顔を背け、地面に視線を落としたままだった。
「変なこと言わないでください」
「わ、悪ィ……けどいいなと思って」
滝川は蚊の鳴くような声で言った。
「……そんなこと言われても困ります」
壬生屋が逃げるように走り去るのを滝川は、薄ぼんやりと見送った。
「滝川も行ってやれよ。こんなところにいる場合じゃないだろ?」
「……あ、ああ」
厚志の言葉に、滝川は弾かれたようにうなずいた。
「こんなところにいたのか。探したんだぜ」
滝川の極めてわざとらしい言葉に森は振り返った。三機の士魂号は補給車の周囲に駐機してある。森は担当である三番機の最終点検をしていた。傍らには茜がいて、珍しくまじめに計器類を見ている。というか、茜は森の側にいたいんだよな、と滝川も心得ている。
そして自分が、茜から森を奪おうとしていることも十分に承知していた。
「あ、もうちょっとで終わるから」森は敢えて滝川を見ずに言った。
「よお滝川」
茜が声をかけてきた。森をちらっと見つめてから、
「さて、僕はちょっと風に吹かれてくるよ。天才には新鮮な空気が必要だからね」
ことさらにわざとらしく言った。
「悪ィ、茜」滝川が謝ると、茜は冷やかすように笑った。
「ふ。僕は悪いことなんかされてないぞ。忠告しておくが、僕はプライドの高い人間だ。だから妙に謝ったりされると気分が悪くなる」
「そ、そうか……」
「点検終了。じゃあね、大介」
森は澄ました顔でさよならの仕草をした。
茜は一瞬むっとした表情を浮かべたが、すぐに「じゃあな姉さん」と手をひらひらさせて背を向けた。三番機の足下で滝川と森はふたりきりになった。
「今日は、その……大変だったよな」
「うん」
……言葉が続かない! 何をしゃべったらいいんだ?
滝川は、ちらと森を見つめてから下を向いた。こんなことだったら、茜がいる方が良かったか? 考えろ。話題を振るんだ。滝川の脳のシナプス結合は必死の足掻きを続けた。
「なんかゆっくり話せなくて、だからさ」
ああ、俺の日本語ってなんて不自由なんだ? 滝川は自分に絶望しながら口を開いていた。
森は黙って言葉を待っている。
「大変だったよな、昨日なんて」
「うん」
森のふっくらした頬が赤らんでいる。
「サイドカーで大介と一緒に逃げて、それから古墳に迷い込んじゃったの」
「こふん?」
「大昔の王様のお墓だって。けど、蛍がきれいだったわ」
森は慎重に言葉を選んで言った。
大介とのあれは話せなかった。幼い頃のプロレスごっこはもうできない。寂しく切なかったけれど滝川君に心配かけちゃいけない、と森は一途に思い込んでいた。
「蛍かぁ! 俺、昔、昆虫少年だったんだぜ」
滝川は目を輝かせて、あっさり森の話題に乗ってきた。
「クワガタが好きでさ。よく近所の林に行っていた」
「そうなの……」
森は気落ちしたようにうなずいた。
「けど虫かごに入れて死なせるのかわいそうだから、捕まえたらすぐに放してやったけどな。へへっ、意味なしだろ?」
「ううん。滝川君らしくていい」
もう、子供なんだから。森はしかたなく滝川の話につき合ってやることにした。
「狩谷なんて、すっげえ昆虫標本とか作ってそうだよな。んで、凡帳面に学名っての? ラベル貼ったりしちやってさ。あ……」
滝川はがくりと頭を垂れた。車椅子の狩谷にはもうそんなことはできやしない。だから俺はだめなんだ。
「俺って馬鹿だよな。空気読むの下手だし」
「そんなこと……」
森が言いかけた時、がたりと音がして誰かが地面に転がる気配がした。補給車の陰だ。
「に、にゃ!」
猫のまねかよ。滝川は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「馬鹿大介! 盗み聞きしてないでとっとと出てきなさい!」
森の表情がみるまに変わった。滝川と話している時とは全然違う。完璧な姉さんモードだ。
「ふ。ちょっと忘れ物を……」
悪びれずに出てきた茜の後ろに田代がたたずんでいた。
「田代さんと一緒に?」森が追及すると、茜はぎょっとしたように振り返った。
「へへっ、なんだか面目そうなんでな、くっついてきた。茜がちょっと忘れ物したなんて言うから、こいつはもしかしてと思ってさ」
田代があっけらかんと言い放った。
「面白そうって……」森は口許をわなわなと震わせた。
「わたしたち、見せ物じゃありません!」
「そうだぜ。くそっ、覗き見しやがって。俺は森と男と女の会話ってやつをしてたの!」
滝川も口をとがらせて抗議する。
「クワガタ虫の話をするのが男と女の会話なのか? ふ。後学のために聞かせて欲しいね」
田代の影響を受けたか、茜は開き直ったように言った。
「そんなのよけいなお世話! いいじゃない、夢があって」滝川に代わって、森が言い募る。
「くそ、僕は姉さんのことが心配で! だってさ、こいつ、子供だから。姉さんを傷つけるんじゃないかと思ったんだ!」
茜も地団駄を踏むように言い募った。
「俺は子供じゃねえ!」
滝川はむっとして声高に叫んだ。
「子供だ。子供じゃなかったら瀬戸口と壬生屋みたいになるのが普通だろ? あれが大人だ」
茜の暴論に滝川はたじろいだ。
「普通って……茜、テレビドラマの見過ぎだぜ」
「そんなことはない!」
「まあ、ちょっと待て。おまえら、キスのことを言っているのか?」
田代が楽しげに口を挟んできた。茜と滝川はモロに言われて押し黙った。
「よしよし、じゃあ、ここはひとつ俺が見本を見せてやろう。キスってなあ、こうやるもんだ」
「え……?」
茜はくいと顎を持ち上げられ、あっさりと唇を奪われてしまった。「嘘……」森の茫然とした声。滝川はといえば腰が抜けるくらい、足下を震わせている。
「ぼ、僕のファーストキスが……田代に。ネアンデルタール女に」
茜はへたりと地面に座り込んでしまった。もう僕の人生おしまいだ、という顔になっている。
「なんてことするのよ!」
森が猫パンチを繰り出した。田代は「おっと」と言って楽々と避けた。
滝川は状況をどのように収拾したらよいのか、パニックに陥っていた。
悪いのは田代か? 待てよ、盗み聞きした茜も悪いし。キスするのがそんなに悪いことか? けど茜は無理矢理キスされたわけで。森が怒るのも姉さんとしちや当然だし。本当に、一番悪いのは……。
「悪いのはおめーだ」
「悪いのは滝川君!」
あれ? なんだか田代と森の声が同時に聞こえたような気がするぞ。
我に返ると、田代と森が自分をにらみつけていた。
「へたれめ」と田代。
「子供! さっさと決めていれば、大介がこんなことにならなくて済んだの!」
森は涙目になって、こちらを責めている。
俺、俺……どうすりゃいいんだ? さっさと決めていればってこいつのことか? 滝川の脳裏に森の声がわんわんとこだまする。
「さっさと決めていれば……」
滝川はふらふらと森と向き合った。森は、はっとしたように滝川を見つめた。
「悪ィ。俺、決めるから!……行くぜ」
「え、ちょっと待って……」
滝川の顔が近づいてきた。言葉が出ないでばくばくさせている口に滝川の口が重なった。歯と歯が当たって、すぐに離れた。
「角度修正。やり直し」
「だから、待ってよ……」
今度はうまく唇と唇が重なった。森は目をつぶった。なんだか変な感じだったが、滝川の懸命さが伝わってきた。
トレンディドラマとは全然違うけど。ギャラリーがいて肝試しみたいなキスだけど。許してあげよう。滝川君、一生懸命だもの。
滝川と森は息が続く限り、いつまでも互いの唇を求め合った。
冷たい夜風がふたりを打った。はっとしてふたりは離れると、あわててあたりを見回した。
茜と田代の姿はなかった。新しい楽しみを見つけた子供のように、飽かず唇を求め合うふたりにあされて立ち去ったのだろう。
ふたりはしばらくの間、黙って見つめ合った。とうとうやっちゃったのか? という顔だ。
「俺たち、何分ああしていたんだろ?」
「……馬鹿」
果たして、あまりに間の抜けた滝川の言葉に、森は頬を赤らめて言った。
「あんたのこと、思い出したよ。どうして今まで忘れていたんだろうな」
神社の境内で瀬戸口は注連縄《しめなわ》が張られた神木に向かって話しかけていた。市中とはいえ、神社は鬱蒼とした森に包まれ、森閑として彼の声だけが響き渡った。
(そなたが覚えていたのは亡き女性の面影だけであろう)
笑い声と同時に、瀬戸口に語りかけるものがあった。神木の枝に一匹の借が座っていた。
(亡き女性に執着し、あさましくさまよえる魂。それがそなたの成れの果ての姿であった。今、執着は解かれ、それゆえわしを思い出したのだろう。そなたは新しく生き直すことができる。寿命あるものとして、な)
ブータは感慨深げに瀬戸口を見下ろしていた。
さまよい続けた魂が旅を終えてやっと救われようとしている。その間、なんと長い時間が過ぎ去ったことだろう。
「なあ、ブータニアス。俺たちはこれからどうなるんだろうな?」
瀬戸口の言葉に、ブータは笑った。
(そなたらに神々の加護あらんことを、な)
「ははは。ずいぶんと頼りない神様だけどな。ま、一応、信心しておくよ」
石段を駆け上がる音がして壬生屋が境内に立った。神木を見上げたまま何事か考え込んでいる瀬戸口に声をかけようか、壬生屋はためらっているようだ。
「かまわないよ」
瀬戸口は壬生屋に向き直ると、穏やかに笑いかけた。
「神社で何を?」
壬生屋は怪訝な表情で尋ねた。
「神様と話をしていたのさ」
「ええっ! 瀬戸口さん、神様が見えるんですか?」
壬生屋は大まじめに驚いて、瀬戸口が見ていた神木を見上げた。すでにブータは消えている。
「そんなことより、よくここがわかったな」
「鳥居が見えたのでお参りしておこうと思いまして。意外です。瀬戸口さんが神社にいるなんて」
意外です、と言われて瀬戸口は肩をすくめた。
「こう見えても俺には神々の知り合いが多いんだぜ。この神社にも小さな神様が見える。まだ逃げずに残っていたんだな」
「えっ……?」壬生屋は当惑して瀬戸口を見た。
「ほら、壬生屋の肩にも」
壬生屋はあわでて肩を見た。そして怒ったような、拗ねたような表情になった。
「もう、からかわないでください!」
「からかってなんかいないさ」
親指大ほどの神が壬生屋の肩に乗っていたかと思うと、瀬戸口に一礼して消えていった。
「最後の力を使ってくれた」瀬戸口はつぶやくように言った。
「今、なんとおっしゃいました?」
「なんでもないさ。ま、たまにはお参りというやつを俺もするかな」
瀬戸口は壬生屋をうながすと、社殿の前に立った。凡帳面に柏手を打ち、拝礼する壬生屋とは異なり、たたずんだまま目を閉じていた。唇が微かに動き、何やら歌のようなものを口ずさんでいる。
「お参りするのに歌を歌うんですか?」
「ああ、それが何か」
瀬戸口に逆に尋ねられて、壬生屋は「いえ」と顔を赤らめた。
「さて、これからどうしよう? 星空でも眺めながら寝るか? なんてな」
「あの……、本当に変なお願いするようなんですけど、前に聴かせていただいた歌。もう一度聴かせていただきたいのですが」
熊本城決戦の時、壬生屋は瀬戸口に「子守唄」を歌ってもらった。彼のきれいなテノールは疲労した壬生屋を深い眠りへ誘った。
「あれか。俺に歌わせると、高いよ」
瀬戸口は冗談を言いながら、社殿の縁に座って歌い出した。壬生屋も隣に座ると、目を閉じて歌に聴き入った。
駅前広場の植え込みからか、虫の音が聞こえる。
善行と原は指揮車の車上に隣り合わせに座ったまま、じっと虫の音に耳を傾けていた。善行はタバコを取り出すと、一本を口にくわえた。
「車上禁煙、と言いたいところだけど。特別に許してあげる」
「まあ、三日に一本ですから」
「前はタバコ吸わなかったのにね。どこで覚えたの?」
原の何気ない質問に、善行は苦笑いを浮かべた。
「半島の戦線でね。兵の問では禁煙運動が流行らなかったんですよ。健康に悪いってフレーズが説得力を持ちませんでしたから」
「そうだったんだ」
善行と別れてからの空白を、今の原は無理に埋めようとは思わなかった。わかっていることは彼が常に過酷な戦場に身を置いていたこと。そして今の5121小隊とは違って、彼の率いていた部隊が全滅したことだけだ。これは以前、しぶる若宮から強引に聞き出した。
何故、彼が偏執的なまでに部下の安全にこだわるのかが埋解できた。
「ハワイの約束、忘れないでね」
「熱海じゃだめですか」
「だめ。絶対だめ! わたしを散々こき使って、そのあげく熱海だなんて。やっぱりハワイの高級リゾートホテルよね。ホテルのカフェテラスから水平線に暮れてゆく夕陽を見るの!」
「わたしは給料安いんですけどぬ。ならば妥協案として、ハワイの軍保養所なんてどうでしょう? 米軍にちょっとしたコネクションがありまして」
「なんか話がせこいのよね」
「ははは」
善行は楽しげに笑った。5121小隊発足の頃から比べると、善行もずいぶん人間的になった。それだけ彼の精神的負担が減っているということか? それとも善行という人間は、戦場で逆境に陥れば陥るほど生き生きしてくるタイプなのか? 後者だとしたら、わたしって相当不幸な人生送りそう、と原は思った。
「明日のことなんだけど。大丈夫なの?」
「やるべきことをやるだけですよ。そろそろとある人物から連絡があると思うのですが」
善行は時間を確認した。
「いいんちょ、圭吾ちゃんからむせんだよ!」
不意にハッチが開いて、東原が嬉しそうに微笑んだ。
「東原君、君は寝る時間ですよ」
「ふぇぇ、ねていたんだけどむせんで目がさめちゃったの。萌ちゃんはねているし」
「まあ、いいでしょう。原さん、お願いがあるんですが、東原君と車内の石津君の面倒を。わたしをひとりにしてくれませんか?」
善行が頼みます、と頭を下げると、原はため息をついた。
「遠坂君がどうしたって? まったく秘密主義なんだから」
「結論が出たら話します」
「わかったわよ! その代わりハワイのリゾートホテルだからね!」
そう原は言うと、車内に飛び込んで寝起き顔の石津と東原を連れて補給車の方に向かった。
門司駅付近 〇五三〇
五月九日。朝霧が放く立ち込めていた。夜明け前の白々とした光の中、善行揮下の戦闘集団は徐々に目を覚ましつつめった。
機銃座に座って五月の冷たい霧に身を浸していると、数々の戦闘が脳裏に浮かんでは消えてゆく。近頃わかったことがあった。自分は戦場に身を置くことが好きなのだ。芝村の故郷が戦場というのなら、自分も紛れもなくその仲間なのだなと善行は苦笑して車内に声をかけた。
「どうです?」
「ええ、博多に集結した敵は九州自動車道と3号線の両方面を進撃中です。おそらく敵は数時間でケリをつけるつもりでしょう。俺たちの正面には前衛部隊だけでもスキュラ四十、ミノタウロス百、ゴルゴーン八十、小型幻獣は把握しきれませんね。ゴブリンが手を盤げば博多から鹿児島までといったところですか」
瀬戸口はやわらかな声で言った。
「こんな時によく冗談が言えますね」
「ははは。まあとにかく、全九州の幻獣が幅わずか五キロの戦線に進撃しようとしているんです。こちらも質には問題ありの一万五千ですが、重砲、ロケット砲はおよそ千。戦車は約二百が稼働しています。砲兵と戦車の支援には問題はありませんよ。もっとも自衛軍の皆さんは、途中でお帰りになるでしょうけど」
瀬戸口の口調には皮肉が込められていた。
現在、自分たちが位置する門司駅は門司の外れにある。門司の中心部は門司港駅付近、下関の対岸の一帯だ。自衛軍の精鋭部隊はこの一帯に半要塞化された陣地を築き、多くの長距離砲、ロケット砲を並べているが、いざという時には撤退できるよう準備をしている。守備隊の過半数を占める学兵は、主に大瀬戸に画した門司駅から周防灘に至る第一次防衛ラインの外郭陣地、そして風師山、砂利山、打越山を結ぶ第二次防衛ラインに配備されている。
5121小隊はこのうち門司駅守備隊にてこ入れするかたちで、3号線を進撃する敵を可能な限り殲滅しなければならなかった。すでに善行は石丸から指揮権を譲り受けている。
「今からでも遅くはありませんよ」
瀬戸口は冷やかすように笑って言った。
「5121小隊まかり通る、で強引に本土に戻ることもできます。ここにいる他隊の将兵を引き連れてね」
「残念ながらわたしの趣味ではないのです、それは」
善行は苦笑して応えた。
「それに何度もシミュレーションした結果です。半島では最後の撤退の際、歯止めとなる強力な隊が存在しなかったため、悲惨な結果となりました。二度と同じ過ちを犯してはならない。5121小隊が最後まで戦うことではるかに多くの将兵が救われる」
「そうですね」
瀬戸口の口許に不敵な笑みが浮かんだ。「これ以上、人生に望むことはありませんから。寿命ある者として生き、そして死ぬ。それをありのままに受け入れることにしますよ」
「さて、無駄口はこれぐらいにして」善行は通信機のスイッチをオンにした。
「5121小隊の善行です」
三番機のコックピットに善行の静かな声が響き渡った。
「この通信を聞いている皆さんの中には、5121の者もいれば、臨時にわたしの指揮下に入ることになった門司駅守備隊の皆さんもいることでしょう。残念ながら一七〇〇をもって関門橋及び関門トンネルは爆破されることになりました。しかし、我々の目的は共通であり、ただひとつです。生きて本土へ戻りましょう。何が起ころうと決してあきらめずに、必ず生きて戻りましょう。以上です」
善行の「演説」は唐突に終わった。舞は茫然として、「たわけ」とつぶやいた。
「士気を鼓舞するのが司令の務めではないか。こんな気の抜けた演説があるものか! しかも具体性がまったくない。ここにいる連中には生きて戻れる可能性は少ないのだぞ」
「それでも……僕には戦う気持ちが生まれたよ」
厚志は穏やかに言った。これまで捨て駒として扱われ、虐げられてきた学兵たちへの思いやりが善行の言葉にはあふれていた。人間として扱われなかった学兵たちへの慈しみがひしひしと伝わってきた。
「ここにいる誰だって、自分が生き残るなんて思っちゃいないさ。それでも善行さんは生きて戻りましょうと言ったんだ。僕にはよくわかるよ。君と出会う前、僕は人間として扱われてこなかったから」
その言葉は重かった。厚志の前歴についてはおよそのことは知っている。むろん舞にはそんなことはもはや関係がない。そうか、善行の言葉は厚志の心に届いたか。だったらよい。
「なんだか盛り下がる演説だな。あんたらの司令っていつもこうなのか?」
補給車付となった鉄道警備小隊の兵が整備班の面々に尋ねた。原は機嫌良く笑うばかりだし、森は森で善行の言葉は上の空で滝川と仕事の心配ばかりしている。しかたなく茜は、「ふ」と小馬鹿にしたように笑った。
「善行さんは軍の超エリートで僕と同じ天才と謳われた人物だ。君たちには彼の言薬に込められた深遠な意味がわからないのさ」
「深遠な意味? なんだそりゃ?」
「だからだな……生きるためには限界ぎりぎりまで戦えってことさ。君たちは『国のために死ね』なんて今さら言われても信じないだろう? のためじゃなくて自分のために戦え。これから君たちが除隊して、土木業者とかクリーニング屋さんとかになって平和な暮らしを営むために戦えって、善行さんはそう言っているんだ」
なんとなく口から出任せが繋がったぞ、と思いながら茜は言った。
「おい、人の顔を見て土木業者とかクリーニング屋さんとか言うなよ。俺はこれでも交通管制システムのエンジニアをめざしているんだからな」
鉄道警備小隊の兵は不満顔で言った。
「ふ。職業に貴賤はないさ。だったらこんな戦争、とっとと生き残って、勉強しろよ」
「そういうあんたはどうするんだ?」
「君に答える義務はないが、士官学校にでも入ってやろうと思っている。おそらく、善行さんを超える天才は僕ぐらいしかいないからね」
茜の口調に閉口した兵は、背を向けて逃げ出した。
「なんなのよ、士官学校って?」
話を聞いていた森がとがめるように言った。
「ああ、僕が天才を発揮するとしたら、今のこの国じゃ作戦参謀になるしかないじゃないか。それに士官学校だったら給料はもらえるし、寮生活だから姉さんとも距離が置ける」
茜の言葉に森は、はっとして弟を見つめた。茜の顔には一瞬寂しげな表情が浮かんだ。森は込み上げてくるものを感じたが、辛うじて抑えた。
「そんな僕ちゃん半ズボン姿じゃ入れてくれないわよ」
「大丈夫さ。半ズボン姿と軍人として優秀かどうかは別の問題だからな」
本気なの?と いうように森は茜の表情をうかがった。
無理よ、絶対無理。大介が集団生活に耐えられるわけはないし、きつとイジメられる。だいたい身長制限があるんじゃなかったっけ?
「そうか、茜は軍人さんか。俺の頭じゃ士官学校は無理だからな、戦争が終わったら近くの看護学校にでも入るかな」
不意に田代が割り込んできた。茜の表情が固まった。
「ご、誤解するなよ。君から離れたくて士官学校に入るわけじゃないんだ」
「へっへっへ、わかってるさ。なあ、俺の看護婦さん姿、いつかきっと見せてやるからよ。見たいだろ、このスケベ」
「……ああ、見たいよ」茜はため息交じりに言った。
このふたりにいったい何が、と森は心配顔で茜と田代を見比べた。そして「どうしましょう」と笑って見ている原に目顔で訴えた。
「大丈夫よ、茜君も田代さんも」
原はそれだけ言うと、どこから調達したのか「ハワイ」旅行のパンフレットを広げた。
な、なんだかすっげえグリフだったなと、ようやく夢から覚めた滝川は顔を赤らめた。
森と、その……キスキスキスの嵐。故郷の街で海辺で、プレハブ校舎で、校舎裏で滝川と森はところかまわずキスをしていた。日傘をさした女性がそんな自分たちを微笑んで見守っている。このワンパターンだった。
こんなことで戦えるんかいなと思いながら、滝川はぶるっと首を震わせた。
「滝川君、起動完了ですか?」
森の声だ。自分的にはかなり気まずい。滝川は「ああ」とそっけなく応えた。沈黙があった。滝川は耐えされず、「森」と名を呼んでいた。
「なんでしょう?」仕事中だからか、森の声はやけによそよそしい。
「本土に行ったら、また……博物館とか行こうぜ。ほら、原始人好きだって」
「原始人じゃなくて、人類学が好きなんです」
「人類学かあ」森の話って時々難しいんだよな、と滝川は閉口した。
「滝川、グリフから覚めたか?」
舞の色気のかけらもない声がふたりのやりとりを遮った。
「なんとか。なあ、芝村、おまえの見るグリフってどんなの?」
滝川の間の抜けた質問に、舞は「ふ?」と笑った。
「それを聞いたらな、絶対に夜眠れなくなるぞ。わたしだったら聞かぬな」
「そ、そんなにすごいんか!」
夜眠れなくなるだなんて、すげえ! 滝川は大いに誤解、曲解をして叫んでいた。
「たわけ! とっとと警戒態勢に入れ」舞の一喝が飛んできた。
朝露が立ち込める中、はじめに火を噴いたのは戸ノ上山の北斜面に陣取った重迫撃砲陣地だった。一二〇ミリ榴散弾が大きな弧を描き、3号線方面から押し寄せる敵の頭上から落下する。
ゴブリンの集団は消滅し、中型幻獣も少なからぬ被害を受ける。
深夜のうちに善行が石丸と相談して設置した陣地だった。
来須が使えそうな隊を選んで一から操作を教えた。仰角は固定、路上とその周辺に砲弾が落下するようにしてあった。重量およそ三百五十キロの重迫撃砲は、大型の4WDで十分に山道を牽引することができる。歩兵にとっては最良の友だった。
隊の中にはひとりきりになった橋爪も交じっていた。わずか六門の迫撃砲は、祖々とした砲声を響かせて友軍の目を覚ました。
眼下の状況に橋爪は目を見張った。
撃てば必ず当たる。眼下ではゴブリンが粉砕され、進撃はストップしている。とはいえ、圧倒的な数を誇る敵は、なおも3号線を中心とした狭い地域へ続々と押し寄せていた。
ミノタウロス、ゴルゴーンら中型幻獣は強引に突破をはかるが、各方面からの友軍の砲撃に傷つき、体液を噴き出しながら爆発し、地面に倒れていった。
「こちら善行です。状況は?」
来須はむっつりと善行からの通信に応じた。
「緒戦は順調。しかし手持ちの砲弾をすでに三分の二を使い果たした。どうする?」
砲弾の補給をして、なおも枯り続けるか、それとも適当なところで切り上げるか? そう尋ねている。
「無理は禁物です。適当なところで退却してください」
「そうだな」
そろそろ空からの攻撃があるだろう。来須は全員に撤退命令を下した。
「けどよ、まだ弾は残っているぜ。全部撃ち尽くしてから……」
橋爪が抗議すると、来須は黙って空を見上げた。
ヘリのローター吾が西の方角から聞こえる。十機、二十機……。来須はレーザーライフルを構えると引き金を引いた。小さな黒点は、閃光を上げたかと思うと消滅した。
「撤退だ。迫撃砲牽引用意」
隊員たちは大わらわで4WDに迫撃砲を連結した。上空をきたかぜゾンビの編隊が通過する。
樹林の中に隠蔽された隊を発見できずにいるようだ。
そのうち、友軍からの高射砲弾が編隊に浴びせられた。門司駅付近にある高射機関砲陣地からだろう。きたかぜゾンビは二機、三機と炎を上げて墜落する、そちらの敵が先と見たか、編隊は門司駅方面へと向かっていった。
今だ。来須が合図をすると、民間の車も含めた六台の車がエンジンをかけ、一斉に狭い山道を下る。
突如として機銃音がして、先頭の車両が炎を上げて爆発した。
来須が目でうながすと、橋爪は薮陰に潜む敵をめざし、樹林の中に消えていった。
「機銃は二。共生派だ。応戦せよ」
戦闘経験未熟な兵が多かった。あわてて車から飛び出した兵らは散開し、思い思いに射撃をはじめた。戦闘までは期待していない。来須は機銃位置のおよその見当をつけてから、手榴弾を薮へと投げ込んだ。爆発音がして、機銃が一丁沈黙。あと一丁は、と来須が薮に目を向けると、同じ九四式機銃の掃射音が聞こえた。
「片づけたぜ」
来須が射撃停止を命じると、橋爪が薮の中から顔を出した。
「やつら、分隊規模ってところか。この分じゃ、すぐに別の連中がやってくる。幻獣とは別モンと考えていいだろうが、こちらを攻撃して幻獣の関心を引くことはできる」
「ああ」
共生派は幻獣と動くことはできないはずだ。下手をすれば自分たちも襲われてしまう。そのため主攻軸から外れた、思いもよらぬところから攻撃を仕掛けてくる。来須はうなずくと再び行軍開始の合図を送った。
きたかぜゾンビの編隊が駅前広場に急降下してきた。降り注ぐ二十ミリ機関砲弾に対抗して広場を囲むビルに巧妙に分散してある高射機関砲が一斉に火を噴いた。被弾した二機のきたかぜゾンビが墜落、付近で爆発した。味方の陣地もひとつが沈黙。広場を守る兵たちは土嚢の陰に必死で身を潜めた。
これで相手のおよその位置を把握したのだろう、十数機の編隊は旋回すると再び駅前広場へ急降下してきた。その瞬間、駅構内に隠れていた三番機複座型が広場に這い出して、ミサイルを発射、ロックされたきたかぜゾンビは次々と炎上し、空中に四散した。
「きたかぜゾンビは壊滅した。我らは敵の後方に回り込み、スキュラを仕留める。壬生屋は3号線の弾幕を突破してくる中型幻獣を頼む。滝川は壬生屋を支接せよ」
舞の声はあくまでも冷静だった。
「わかりました」壬生屋が応える。
「了解」
ホームの陰に身を潜めていた一番機と二番機も姿を現した。
「現在、敵の前衛部隊は門司駅前方二キロ地点で進撃を停止。友軍の砲火を浴びている。一部に3号線を避け、迂回しようという動きがある」
瀬戸口から通信があった。友軍の砲撃はこれまでとは比較にならぬくらい激しかった。はるか後方で長距離砲の砲声が聞こえる。
門司駅から新門司インターチェンジ付近までの防衛ラインのすぐ後方からは戦車砲と各種の火砲が切れ目なく砲撃を続けている。3号線と九州自動車道のごく狭いエリアは地獄の釜のような状況になっていた。
スキュラは長射程だが、まだ防衛ラインを射程に収めされないでいる。両進撃路の後方におそらく待機しているはずだ、と舞は考えた。
この状況をさらに有利にするため、少なくとも十。否、二十は削っておきたい。
「スキュラの位置は判明したか?」
舞が尋ねると、瀬戸口からすぐに返信があった。
「たった今、衛星画像が届いた。手向山公園、及び門司カントリークラブに集結している。ただし例によってミノタウロスの護衛付きだがな」
「ふむ。山岳部には敵影はなしか?」
「ああ、少なくとも中型以上の幻獣の姿は認められない。友軍らしき影が尾根沿いに戸ノ上山付近に集結している。共生派だろうな」
瀬戸口から送られてきた衛星画像を舞は参照した。なるほど、友軍らしき兵だ。行軍隊形を取って徒歩で進んでいる。レールガンは持ってはいないようだ。
「聞いでも詮なきことだが、空と海の状況はどうなっている?」
「敵さんを食い止めるだけで精一杯さ。関門海峡だけは守り通さなければならないからな。自衛軍はよくやっている。少なくともあと二十茜時間は大丈夫だろう」
なるほど、二十四時間を稼ぐために空と海では相当な犠牲を払っているにちがいない。この分だと昼過ぎには自衛軍はすべて撤退するだろう。第一次、第二次防衛ラインに張りついた学兵は置き去りにされるか、軍上層部の「英断」というやつで関門橋、トンネル爆破後も門司へと残されるだろう。
自衛軍の輸送艦への乗船は期待薄だ。博多撤退の際に、護衛艦の防衛ラインを突破した敵に輸送艦隊は散々な日に遭っている。自衛軍はひた隠しにしているが、輸送艦の三分の一以上が撃沈されている。
「何を考えているの?」
厚志の声に舞は我に返った。
「いざとなれば泳いで逃げるか? むろん冗談だが」
「泳ぎには自信がないな。けど、どこかに舟があるだろ。手漕ぎの舟だって大丈夫さ」
厚志は気楽に言った。海に隔てられているとはいえ、対岸、下関市街の風景はくっきりと見える。これが心理的に兵に安心感を与えている。
とはいえ、敵が果たしてそんな悠長な撤退を許すだろうか? 一度戦闘状態に入った軍が撤退するのは容易なことではない。
「戸ノ上山から迂回して手向山公園の敵をたたく。長射程の砲から煙幕弾を撃ち続けてくれ」
「自衛軍に頼んでみましょう」
瀬戸口に代わって善行が応えた。防衛ラインがスキュラの砲列の射程に収まったら壊滅は必至だ。その時には唯一対抗できる装輪式戦車も、殺到する中型幻獣に対する応戦に忙殺されるだろう。まずスキュラだ。これが舞の一貫した方針だった。
「行くぞ」
命令を下すと三番機は急発進した。時速六十キロの速度で、途中遭遇する小型幻獣を蹴散らし、戸ノ上山の山麓へと到着。すぐに樹林の中へ消えた。
戸ノ上山中 〇六一五
三番機は通なき斜面を駆け登ってゆく。木々が折れ、粉砕される音を聞きながら、厚志は方位を確認した。さほど険しい山ではない。このまま九時の方角を進んでいけば、三十分後には手向山公園を見下ろす位置に到着するはずだ。
その時、厚志の網膜に不思議な人影が映った。停止して周辺の様子をうかがう。生い茂る樹木に隠れて、向こうも様子をうかがっているように見える、−共生派か? 山系を迂回して、防衛ラインの後方に出ようとしているのか?
「人影を見た」
厚志は後部座席の舞に言った。「ふむ」舞はうなずくと
「共生派だとしたら厄介だな。自爆攻撃などされたらこの場所では対処しきれない。さて……」
数秒の沈黙ののち、舞は結論を出した。
「このまま全速にて直進。共生派を蹴散らす」
厚志が機体を動かそうとしたその時、薮が割れて、山刀の代わりか超硬度カトラスを握り締めた戦車随伴歩兵が姿を現した。兵は驚愕の表情を浮かべている。
三番機はジャイアントアサルトの狙いを兵に定めた。
「待ってくれ! 味方を撃つのか?」
兵は自衛軍のウオードレスを着ている。続いておびただしい兵が薮を割って姿を現した。
「友軍に変装した共生派が活動中でな。そなたらが共生派でないという証拠は?」
舞が油断なく拡声器から呼びかけた。
「共生派だったら俺たちが始末してきた」
「証拠は?」
「信じてもらうしかない! 俺たちは博多守備隊の生き残りだ。敵が主要道路を押さえているんで、山伝いに歩いてきた」
髭面の兵が叫んだ。
「少しでも動くと撃つ」舞は突っぱねるように言った。判断しかねていた。博多からなら徒歩で十分にこの地に到達できる。
「その猫の隊章、見覚えあるたいね」
別の兵が三番機にペイントされた隊章を見て言った。
「ふむ。説明してもらおう」
「四日前、俺は疎開した店の材料を使ってラーメンの炊き出しやったんやけど、そこに学兵さんがふたり店に飛び込んできんしやってな。その猫の隊章で覚えとるー」
その兵は見るからに疲労した顔で必死に訴えていた。「続けろ」と舞がうながすと、
「眼鏡の偉いさんと、髪の短い別嬪さんのふたり組やった。別嫁さんはこれから熊本へ戻って戦わなきゃならんと言っとった」
「ふたりは何に乗っていた?」舞はなおも試すように言った。
「俺はカウンターにおったからわからんけど……」
コックピットに舞の舌打ちが響いた。共生派が善行と原のふたりを知っていることは十分にあり得る。どうするか?
(こやつらはそなたらの味方じゃよ)
不意にどこからか声が聞こえた気がした。これは……。舞は息を呑んだ。厚志も同様に、声の主の位置を探った。
「ブータか? 厚志よ、これは夢だな。わたしは疲れているのか? 士魂号の肩にブータが留まっていた。厚志は目を瞬き、幻覚を排除しようとした。
(そなたらの面倒を見てやろうと思ってな、陰ながら見守っておった。この者たちを殺せば一生後悔することになろう)
「猫がしゃべるな」
舞は旗立たしげにつぶやいた。それでもその姿と言葉にはどこか安心できるものがあった。
しかし兵らにはブータの姿は見えぬらしい。不安げにこちらを見上げるばかりだ。
「そなたらを信じよう」と舞は言った。
「北東の方角にとにかく進め。すると大里線という道路に出る。我らの司令部は門司駅側。それと関門橋−トンネルの爆破は一七〇〇だ。急げ!」
必要なことだけを話すと、三番機は再び走り出した。兵に出会ったことよりも、ブータのことが舞の頭から離れなかった。ブータはいつのまにか消えている。
「ねえ」厚志が声をかけてきた。
「わたしは断じて信じぬぞ。あれは夢だったのだ」
舞は先回りして言った。「しゃべる猫教」の信者になるなんてごめんだ。
「けど、僕にははっきり見えたんだよ。また、例の武器が使えそうな気がする」
厚志は珍しく反論した。舞は、「ふん」と鼻を鳴らした。
「また謎のビーム兵器か? 違うな。我らはあの時、完璧な戦闘機械になっていた。まともな記憶が残せぬまでに存在のすべてが戦闘機械へと特化したのだ」
わたしは屁理屈を言っているぞ、と後悔しながらも舞は思いつくままをしゃべっていた。実ははっきりと覚えている。複雇型の右腕が光を帯び、それが一条の光線となって敵を次々と倒していった。レーザーではなかった。もっと破壊的で危険な何かだ。ブータの幻覚を見た時に顕れるのか? 整備員も知らぬ複座型の隠れた機能なのだろうか?
「ブータはただの猫じゃないよ。僕たちが見たのは幻覚じゃないさ」
舞の屁理屈に屈せず、厚志は断固として言い切った。速度を増し、激しく揺れるコックピットの中で、舞は足を伸ばして操縦席を蹴った。
「蹴られたって僕は信じるから」
厚志め。憎らしい口をききおって。舞は唇を噛むと黙り込んだ。
ほどなく樹林の陰から平地の集落が見え隠れするようになった。神社の鳥居が見えてきた。
三番機は停止し、鬱蒼と茂る木々の中に屈み込むと下界の様子を探った。
青い空に雲が切れ切れに風に流されてゆく。かなたには朝の光を浴びて海が穏やかに光っていた。地上は春の生命力にあふれた緑に包まれている。美しい世界。こんなところで僕たちは何をやっているんだろう、と厚志は一瞬思った。しかし、すぐに舞の切迫した声に現実に引き戻された。
「スキュラだ」
公園には二十四体ものスキュラが尾を揺らしながら悠々と宙に浮かんでいた。空中要塞とも呼ばれる幻獣軍の最大にして最強の敵。二千四百メートルに及ぶ長射程のレーザーは散々人類側を苦しめてきた。博多湾では多くの輸送船がこのレーザーの餌食となっていた。
「すごいね!」
敵ながら厚志は思わず感嘆の声をあげた。クジラという動物はテレビでしか見たことがなかったが、なんとなく遊弋《ゆうよく》するクジラの群れを思わせる。周辺にはその倍以上のミノタウロスら中型幻獣が集結している。本気でこの中に突っ込むのか?
「スキュラ二十四体を発見。目標は手向山公園。煙幕弾を頼む」
通信を送る舞の様子に、厚志はくすりと笑った。
「何がおかしい?」
「くす玉はやめたの?」
「む。あれはあの作戦限定だ。今は雑多な部隊が混じっているから使えね」
舞が生まじめに応じると、瀬戸口から通信が返ってきた。
「三十秒後に煙幕弾が発射される。自衛軍ご自慢の最新式のやつだ。レーザーの屈折率が大きくなる、との効能書付きだ」
「だったらはじめから使え!」舞は苦々しげに叫んだ。
「軍というところは出し惜しみ体質ですからね。そんなことより、突撃準備を」
瀬戸口に代わって善行の声が聞こえた。
「わかっている。厚志」
「いつでもオツケー」
ごう、と上空に大きく弧を描いて一発の砲弾が飛来する。幻獣の群れが退避のため動き出す。
「今だっ!」
三番機は斜面を駆け下り、全速力でダッシュした。厚志の視界にミノタウロスがちらと見えたが、ほどなくあたりは黄粉色をした煙幕に包まれた。変な色だな、と思いつつも三番機は巧みなステップワークで護衛の中型幻獣間をすり抜けていた。
すべり込むようにしてスキュラの群れの真下に潜り込むと、舞は神業のようなすばやさですべての敵をロックする。ミサイルは次々とスキュラの腹に命中した。上空二十メートルで連鎖反応のように爆発が起こり、地上は高温の熱風に包まれた。爆発に巻き込まれてはたまらない。
三番機は急ぎ離脱すると公園を背にして元の斜面に逃げ込んだ。
「よし。スキュラ十撃破!」
墜落し、味方を巻き込んで大爆発を起こす敵を舞は冷静に見守った。
「まだだよ。さすがにスキュラは硬いね。あと十四休残っている」
厚志の声音が変わっていた。冷静というにも遠い、どこか酷薄な響きを帯びた声だった。三番機の肩にはどこから現れたのか、当然のような顔をしてブータが乗っている。
(さよう。まだまだじゃな。速水厚志、念じてみよ)
厚志はふっと口許を緩めると、一体に向けて右腕をかざした。三番機の右腕が光に包まれ、その光はまばゆくふたりの目を刺した。
「撃て!」舞は思わず叫んでいた。
なんなんだこれは、と考える余裕もなかった。光はレーザー光とは異なる太い線を描き、煙幕を突き破りスキュラへと吸い込まれていった。爆発。息つく間もなく右腕に再び光が従った。
すべてが終わったあと、緑豊かな公園は焼け野原と化していた。まうやくこちらを発見し、よろめき進んでくるミノタウロスの大群は満身創痍で、傷を負っていない個体はひとつとしてなかった。
「はは、やっつけてやった」
そんな敵を見下ろしながら厚志の声はいつにも増して酷薄だった。こんな厚志は舞しか知らない。三番機のコックピットに座った厚志は冷酷な戦闘機械として機能する。
「退避する」
そんな厚志でなければ敵を打ち破ることはできぬだろう。舞は冷静に命令を下した。
「スキュラ全滅です。……なんてやつらだ」
喜んでいるのか悲しんでいるのか、瀬戸口は憂鬱そうにかぶりを振った。
「全減って……嘘。二十四体とか言ってはったじゃないですか? それがこんなに早く?」
加藤が信じられない、といったように運転席から振り返った。
「あなたが普段見ているふたりと、今のふたりは違うのですよ。今の芝村さんと速水君は世界で一番危険な兵器です」
言ってから善行は苦笑いを浮かべた。自分としたことが。予想をはるかに超える大戦果に知らず冷静さを失ってしまったらしい。ふたりをこんなふうに言ってはいけなかった。彼らを士魂号と出合わせたのは自分だ。
「これより自動車道方面のスキュラをたたく。どうやら友軍は散々圧されているようだ」
舞の声が聞こえた。
瀬戸口が物聞いたげに善行を見た。
「ミサイルは?」
「弾倉があとひとつ。十分に戦える」
「無理はせずに。帰還してください」
善行は首を傾げた。冷静に考えてみれば……わずか一弾倉分のミサイル発射で二十四体すべてのスキュラを仕留めたのか? 仮に敵に傷を負わせたとしても、とどめを刺し、二十四体すべてを撃破するにはもっと時間も弾倉も必要なはずだ。
ふたりの心と体は本当に大丈夫なのか?
「だめだ。周防灘側の友軍は第一次防衛ラインを突破された。我らは後方より……」
舞は強情に繰り返した。
「命令です。周防灘方面には二番機を向かわせています」
「馬鹿な? 滝川に何をさせようというのだ?」舞の切迫した声が聞こえた。
「ジャイアントバズーカで敵を狙撃してもらいます」
拠点、遮蔽物を十分に調べて与えた命令だった。二番機の狙撃は自動車道を延々と進む敵に打撃を与えるだろう。
「だったらなおさらだ! 我らと二番機で敵を挟撃する」
「芝村さん。これは命令なのです。ただちに司令部へ戻り、補給・点検を受けてください」
沈黙があった。無線機の向こう側で芝村舞は何を考えているのだろう? 善行はヘッドセットを外すと眼鏡を押し上げため息をついた。
「あいつら、大丈夫ですよ」
意外な言葉に善行は瀬戸口を見つめた。
瀬戸口は、ふっと笑った。
「まあ、そんな気がするだけです」
「仲間だと思っていましたがね、悲観主義の」善行はかぶりを振った。
「ははは。俺は善行さんの変わらぬ悲観主義仲間ってやつですよ。しかしここまでひどい状況になると神様のひとつでも信じたくなるじゃありませんか」
「正気ですか?」
善行は瀬戸口を凝視した。瀬戸口は不敵に笑った。
「十分に正気です。狂気の中の正気ですがねえ。それは司令も同じはずですよ」
「……狂気の中の正気、ですか。あなたも厭味なことを言いますね」
善行はしぶしぶと負けを認めた。本土への撤退を拒否し、死闘を繰り返してきたそのことがそもそも正気の沙汰とは思えぬ行為だ。正義、自己犠牲、愛国心……大義名分はいくらでも考えられるが、時としてそれは狂気の匂いを秘めている。
そして、自分はその真っただ中に三番機のふたりを放り込んだ張本人だ。
「だい……じょうぶ、よ。ブータ……がふたりを……守るって」
突然、石津が口を開いた。その言葉にはどこかしら人を安心させる響きがあった。うつむいてはいるものの石津は微笑んでいるように見える。
瀬戸口はにやりと笑って、
「そうだよな。隊の守り神は伊達じゃない」と陽気に言った。
「聞こえますか、芝村さん。周防灘方面の支援が済みしだい、すぐに帰還すること」
善行はしぶい表情で通信を送った。
「わかっている」
舞は短く応えると通信を切った。
栄邦学園高・体育館 〇八〇〇
年前八時。さわやかな日差しに照らされて紺碧の海はきらきらと光っていた。
防衛ラインに敵の姿は未だ確認できなかったが、後方からの砲火がしだいに少なくなっていることを佐藤は敏感に感じていた。長距離砲の音と、防衛ラインからの戦車砲、中距離砲、ロケット砲、迫撃砲とでは音がまったく違うのだ。
3号線を目の前に控えた高校の体育館から佐藤はかなたに見える「地獄の釜」を見守っていた。敵は意地にでもなったか、相変わらず3号線からの浸透に固執し、榴散弾に吹き飛ばされている。辛うじて突破した幻獣は、防衛ラインで阻止、撃破されていった。
「あの、もしかして自衛軍が撤退をはじめてませんか?」
佐藤は思いきって5121の指揮車に通信を送り、尋ねてみた。
「ああ、その通り。撤退準備をはじめている。今はご自慢の長距離砲をたたんで車のトランクに詰め込んでいるところだ」
「え?」
「ああ、つまらない冗談だった。半数ほどが一時間後には関門橋を渡っているはずだ。砲撃はしだいに衰えてゆく」
瀬戸口はあっけらかんと言い放った。
「関門橋、トンネルの爆破時刻は知っているな。一七00。自衛軍からのお達しだ」
「そんなの勝手です! 自分たちだけ安全なところにいて、五時までに戦闘を終わらせろなんて。子供の喧嘩じゃないんだから!」
佐藤は叫んでいた。五時になるまでには、防衛ラインは突破され、自分たちは門司港付近で戦っているだろう。なんとなくそう思った。
「だから、おまえさんたちも無理をするな。これまで十分やってくれたと善行司令は感謝されているよ。ここいらで関門橋を渡って生き残れ」
瀬戸口の口調は穏やかだった。しかし、佐藤は「嫌です」と拒否した。
「まだ戦えるのに……逃げるなんて嫌です」
「……佐藤さん、ベリーやばいです」
森田が佐藤の肩をこつんとやった。校庭に向かって五体のミノタウロスが接近してくるという。距離は一千。ペリスコープをのぞき込むと、五体とも体から体液を噴き出し、傷を負っている様子である。榴散弾ではやはりミノタウロスには致命傷は与えられない。戦闘開始直後から佐藤は使い慣れた徹甲弾で三体のミノタウロスを葬ってきた。
二対五か……。佐藤はすばやく計算して、「先頭のミノ助をやるよ。オケラは最後尾のミノ助を頼む」。距離九百五十。
「二時の方角に車体を修正」と言ってから、佐藤は苦笑いした。もう突撃砲じゃないんだ。
砲塔を旋回させれば、と操作しようとしたところ、鈴木は正確に車体を二時へと修正した。
「なんだか癖になっちまったな」鈴木が操縦席から振り返って言った。装輪式の士魂号Lはモコスに比べれば天国のように広々としていた。なんならここでダンスだってできる、と本気で思えるほどだ。
「もうちょい左……二時十五分……オッケ!」
距離九百二十五。佐藤は徹甲弾の装填を確認すると、引き金を絞った。体育館の窓から発射された一二〇ミリ砲弾は一直線にミノタウロスの腹部を貫通した。命中! 続いて校舎に乗り入れているオケラからの砲弾が最後尾のミノタウロスを仕留めた。
ミノ助のくせに敵の反応は早かった。中学校に向かって突進してくる。とはいえせいぜいが時速二十キロがよいところだ。第二弾を発射。これも命中。しかしここで信じられないことが起こった。オケラが的を外したのだ。
距離三百。オケラの専長の名ショートがあわでた声で通信を送ってきた。
「ごめん。旋回砲塔に慣れてなくて……」
「馬鹿! 敵はあんたらを狙ってるよ。バックしてとっとと逃げて!」
校舎への侵入口から外へ出て、一目散に逃げるしかない。これが自分たちの弱点だった。待ち伏せ専門だったため、敵と接近して戦う操縦技術も度胸も欠けている。鈴木だったらなんとかできるかもしれないけど、と思いながら「四時半の方角に修正−」と佐藤は叫んでいた。
あわただしく照準を合わせ、引き金を引く。命中だ! 校舎に体当たりしようとしたミノタウロスが爆発を起こした。
「オケラ、逃げた?」
「なんとか。そっちは?」
「げっ、けっこうやばいかも!」
佐藤の目に、一斉にこちらを向いた二体のミノタウロスが映った。体育館に向かって突進してくる。距離百。八十。六十。「五時半ちょい右……違った左」あわてて指示をまちがえてしまった。だめだ! 鈴木の舌打ちが聞こえた。
ぐん、と体が後ろへ引っ張られた。小柄な森田の体が座席から落ちて床に転がった。装輪式戦車は体育館の壁を突き破って、全速力で敵とすれ違った。
「すげえ。時速八十は出る」
鈴木がさらにアクセルを踏もうとした時、生体ミサイルが前後で爆発した。降り注ぐ強酸が左側のタイヤを溶かした。がくんと左に傾いた戦車は、左へ左へと旋回をするばかりだ。
「ちつくしよう! 脱出するしかないぜ」
んなことはわかってら。佐藤が脱出指示を下そうとしたその時、立て続けに爆発が起こって
ミノタウロスが爆散する音がした。爆風をまともに受け、車内の四人はしたたかに車内に体をぶつけた。うめき声が聞こえて鈴木が頭を押さえている。
佐藤が機銃座から外を見ると、漆黒の士魂号がふた振りの超硬度大太刀を引っ提げ、倣然とたたずんでいた。確か一番機だ、と佐藤は重装甲の偉容に目を奪われた。
「皆さん、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
拡声器から甲高い声が聞こえてきた。
「あ、大丈夫です。全員無事です」
佐藤は思わず照れ笑いを浮かべてしまった。みっともないところを見られたな、と思った。
「ここは危ないです。わたくしに掴まって。すぐに陣地にお送りします」
そう言うと一番機は身を屈めた。
この肩に乗れってか? わたし高所恐怖症なんだけど。佐藤はそう言おうとしたが、部下の手前、率先して重装甲の肩に取り付けられた取っ手に掴まった。整備点検のためか、士魂号には随所に取っ手が取り付けられてある。
「うわあ、高いね! 対岸までしっかり見渡せるよ。
白けているようでも子供だ。それとも一時的に興奮状態に陥っているのか。森田が能天気に声をあげた。
伊川団地付近 〇八三〇
まずい。まずいぞ、と滝川は団地の陰から自動車道を北上する敵を見守っていた。
この方面の第一次防衛ラインは死闘を繰り返したあげく、二十体に及ぶスキュラの一斉射撃を機に崩れはじめ突破された。
このままなんの抵抗もなければ敵は数時間であっさりと関門海峡に到達する。二番機の傍らには二十本ほどのバズーカを積んだ四トントラックが停車している。運転席に座っているのは、森ではなくヨーコ小杉だった。
単機行動の命令を受けてぶるった滝川だったが、「ワタシ、手伝いマスデス」とヨーコが言ってくれたことで何故かほっとした。「こいつは俺の仕事だ」と主張する田代を押しのけて、この危険な任務を引き受けてくれたらしい。
「なあ、ヨーコさん、どうしてこんな仕事引き受けたんだ?」
滝川が通信を送ると、ヨーコから返事が返ってきた。
「滝川君、怖がっていましたネ。怖がる人を助ける、ヨーコの役目デス」
率直な答えだったが、ヨーコに言われると納得という感じになる。
「スキュラ、来まス。強い強いヘイトを感じますネ」
ヘイト? ヨーコに言われて滝川はあわててレーダーを参照した。射程に入るまであと二分ほど。二十体の堂々たる編隊を組んで登場するだろう。
両腕に構えた二本のバズーカを撃ったら、瀬戸口の指示に従ってすぐに次の拠点に移動する。
逃走の際の煙幕弾の射撃は堅田女子の戦車隊が引き受けてくれた。
視線の端にスキュラが映った。二十体が密集した堂々とした隊形である。しかし、待ち伏せする相手にとってこれほど都合の良い隊形もなかった。撃てば必中。
距離千四百……千二百……千。まだだ、まだだぜ、と震える自分に言い聞かせながら、滝川は確実な距離まで敵が接近するのを待った。
距離六百。滝川はおもむろに右腕のバズーカを構え、引き金を引いた。一二〇ミリ徹甲弾が一直線にスキュラへと。大爆発が起こった。同時にかなたから煙幕弾が発射され、飛来する音が続く。二番機は左腕のもう一本を構えると、休む間もなく撃った。再び爆発。煙幕弾が着弾し、あたり一帯は濠々たる煙に包まれた。
「十一時の方角に直進。神社境内に匍匐して隠れてくれ」
くそ、瀬戸口さんの罰当たり!
滝川は心の中で抵抗を覚えながらも、猛スピードで発進する四トントラックのあとに続いた。
門司駅後方一キロ・小森江駅付近 〇八三〇
帰還した一番機のまわりに整備員が駆け寄った。
片膝をつき、座った一番機から四人の戦車兵が飛び降りた。整備員が彼らを押しのけるようにしてすぐに補給車からたんぱく燃料の補給が開始し、中村と岩田は巨大な脚立を用意して最も重要な部分である脚部の点検をはじめた。
「壬生屋あ、張りきり過ぎたい」
中村は気難しげな表情を浮かべて言った。自分では技術者っぽくて格好良いと信じているのだが、端からはただの不機嫌な太っちょにしか見えないところが辛い。
「フフフ、また、大回転ミノ二匹斬りですかあ?」
入念に人工筋肉の靱帯、腱を点検している岩田が冷やかすように言った。
「すみません。戦車兵の皆さんが危なかったんでつい夢中で」
壬生屋は大いに恐縮して謝った。
「うむ、だったらよかよか」中村はころっと機嫌が良くなり、ぼんやりと近くにたたずんでいる四人……特に佐藤に向き直った。
「美女を見殺しにするわけにはいかんからの」
「そうですよねえ。こ〜んなビューティフォーな皆さんを戦死させたら国の損失ですゥゥゥ。森田さん、神崎さーん、お怪我はありませんかあ」
「一緒に茶でもと言いたかとこじゃっどん、靱帯ば取り替えにゃならん」
中村は佐藤に笑いかけると、「おおーい、茶坊主」と呼びかけた。
「茶坊主は卒業っしょ」新井木が抗議すると、
「一番機右脚部靱帯ば持ってきんしゃい」と命令した。
「作業には三十分かかるけん。壬生屋はコックピットから出て休むとよかよ。そう善行さんから命令されとる」
「けど、他のパイロットの皆さんは?」
休まずに戦っているのだろう。自分だけが機体を降りるのはためらわれた。
「うん、無事だったな。壬生屋、すぐに機体を降りて横になれ。今、東原と石津がそちらに向かった」
瀬戸口さんは来ないんですか、と聞こうとして言葉を呑み込んだ。瀬戸口は今、とんでもなく忙しいはずだ。「わかりました」と通信を切ってから壬生屋はコックピットから降り、駅前広場に設置されているベンチに座り込んだ。
不意に目の前に手鏡が差し出された。思わず自分の顔をのぞき込む。顔が土気色だ。目だけが落ち着かなげにあたりをさまよっている。
「すごい顔をしているわよ」
原がにこやかに笑って言った。いついかなる時にもおしゃれを忘れない原らしく、そこはかとなく香水の匂いが漂っている。
よく見ると原は唇に、壬生屋にとっては「されいな色」としか表現できないルージュを引いていた。顔色がよく見えるのは化粧のせいだったのか、と壬生屋は納得した。
「これ、あなたにあげる」
原は一本のルージュを壬生屋の掌に握らせた。壬生屋が驚いて、「こんなこと……」と口を開こうとすると、「いいの」と有無を言わせず口を封じた。
「前に東京で衝動買いしたんだけど色が気に食わなくて。昔の武士って出陣の前、おしゃれしたって聞いたことがあるわ。あなたもそれにあやかりなさいね」
「けど、こんなこと……」
壬生屋が返そうとすると、原はくるりと背を向け一番機の方角へ歩み去った。
「わたし忙しいの。一番機パイロットさん、とっとと休みなさいね」
どうしよ? 壬生屋は生まれて初めて手にするルージュに困惑していた。
金属製の蓋を取って……そうか、ここを回すと出てくるんだわ。わあ、きれいなピンク色だなと心がときめいた。けれど返さないと。理由もなく人から施しを受けてはいけないと死んだお祖母様は言っていた。けれど、けれど、きれいな色だな。何度も繰り返し、ルージュを触っていると、
「わ! それ今年の新作やん。いいなー。壬生屋さんっておしゃれやね」と加藤に言われた。
「原さんにもらったんです。返さないと」
「本土に戻ったら壬生屋さんも贈り物すればいいやん。気に入ったんやろ?」
加藤はやさしく言った。
「ねえねえ末央ちゃん、ののみ、おけしようしているところ、みたいよ」
東原が加藤の背中からひょいと顔を出した。「けれど……」とためらいながら壬生屋は首を横に振った。
「化粧は大人がするものだから」
「それっていつの時代の話や? ウチが手伝ったるから壬生屋さん、じっとしてて」
加藤は壬生屋からルージュを受け取ると、唇に当てた。一瞬、ビクリとして腰が引けたが、まままと壬生屋は原と加藤の厚意を受けることにした。
唇に不思議な感触。加藤は器用に壬生屋の唇にルージュを引いた。加藤はさらに自分のポシュットからフェイスパウダーを出すと、
「東原さん、壬生屋さんの顔にばたばたやったげて。やさしく丁寧にやるんやで」
と言った。
「うん!」東原は張りきって、壬生屋の顔にパウダーをはたいた。
「……これがわたくし?」
しばらくして、コンパクトに映った顔に壬生屋は驚きの声をあげていた。
なんてされいな色のルージュなんだろう! フェイスパウダーっていうのかしら? 顔色もずっとよくなっている。
「パウダーは百円化粧品やけどな。壬生屋さん、超さいこーやで!」
加藤が自分のことのように喜ぶと、東原も飛び跳ねて「ちょうさいこ!」と繰り返した。
「いいないいな。わたしも欲しいよ!」
壬生屋らの様子を見ていた。森田が駄々をこねるように言った。ここ数日の森田は言葉数が多くなっている。やっぱり興奮状態が続いているのだろう。
「あんたは正真正銘のお子様だから、まだ無理」
佐藤は不機嫌に言った。虎の子の戦車を失ってしまった。これからどうしよう? 金髪、化粧オッケーの外見とは異なり佐藤は生まじめな少女だった。
「なあ、俺たちこれからどうなるんだ?」
だからそれを考えているんだろう! 佐藤はかっとして鈴木に八つ当たりした。
「化工のアホは自分の頭で考えられんのか! 馬鹿」
「またアホって言ったな。この金髪ヤンキー女! 俺にだって我慢の限界があるぞ!」
鈴木は薄ぼんやりした外見に似合わず怒鳴り返してきた。ふふん、と佐藤はせせら笑った。
「限界って何よ? か弱い乙女に喧嘩でも挑んでいるわけ? だったらやってやろうじゃん」
「俺は暴力は……嫌いだよ」とたんに鈴木は顔を赤らめてへたれに戻ってしまった。
こいつのこういうところが嫌いなんだ、と佐藤は思った。
「まあまあ、こいつ、弱いぜ。だから勘弁してやりな」
田代が割って入った。う、真性ヤンキーだと佐藤はたじろいで後ずさった。
「わたしたちの隊の問題ですから」
「わかったよ。実はな、おまえたちに新しい命令が下された。今は善行司令も、他のやつらも忙しくてな、俺が伝えに来たってわけさ」
田代は「芝村印」が押された通行証を佐藤に手渡した。
「なんですか、これ?」
「あそこにあるサイドカーを下関の砲兵隊に返却してもらいたい、と。名前はわからんが、隊章はあの通り、階級は少佐だったとのことだ。少佐を捜し出し、無事任務を達成すること。以上だ」
田代が指したあたりに深紅のロートルのサイドカーが停車していた。側車は無惨に改造され七・七ミリ機銃が重たげな銃身を下げている。
「そんな任務……」佐藤が抗弁しようとすると、田代の目が物騒に光った。
「善行さんはな、将来の日本を背負って立つ超エリートなんだよ。返却すると約束したモンを返さないと経歴に傷がつく。おめーも捨て猫同然だったおめーらを拾ってくれた善行さんに恩返しをしたいだろう? ええ?」
真性ヤンキーの迫力に佐藤は息を呑んだ。田代とかいうやつ、危ない目をしている。
「おめーらにはあと一両戦車が残っていたよな。そいつで下関へ行くんだ。サイドカーも燃料を満タンにしてある。おまえ、バイクは?」
田代は鈴木にガンを飛ばした。急に水を向けられて鈴木はしどろもどろになった。
「乗り物なら、な、なんでもこなせるけどよ……」
「だったら決まりだ。ああ、こいつを忘れていた」
田代は一枚のメモを佐藤に渡した。メモには下関の病院の名前が書かれであった。
「怪我した大尉さんがいたろう? ここに入院しているってことだ。見舞ってやりな」
そう言うと田代は指揮車の方角に歩み去った。
佐藤はぼんやりと指揮車の方角を見た。五十メートルほど先に駐車している指揮車の機銃座から眼鏡を光らせた「えらいさん」が出てきた。
同じく横のハッチが開き、瀬戸口が姿を現した。
佐藤があわでて敬礼を送ると、善行はきっちりと敬礼を返した。瀬戸口も笑みを浮かべ、敬礼を送って寄越した。
……紅陵女子α小隊の戦争は終わったのである。
下関ステーションホテル 一一〇〇
「関門橋で玉突き事故が発生しました。死傷者は百名を超えるそうです。復旧までには相当な時間がかかります。現時点で門司港にとどまっている兵は、守備隊を含め五万とのことです。
「圭吾様、どうなさいますか?」
元執事の守山の報告を遠坂は黙って聞いていた。テレビでは順調に撤収を続ける関門橋の映像が流されている。速度制限は三十キロ。橋の監視所では公団の職員と並んで、自衛軍の憲兵が目を光らせている。
「検問にも時間がかかっているみたいですね」と遠坂は言った。
「幻獣共生派の破壊工作が激しく、情報では自衛軍に変装した共生派が橋とトンネルの爆破を狙っているそうです。各車両は厳しい検査を受けます」
守山の得た情報はすべて芝村系の軍情報部からのものだった。遠坂がステーションホテルに滞在を決めたのも、そこが芝村資本のホテルであったからだ。つまり遠坂はホテルの最上階にいながらにして状況を把握することができる。
「……しかたありませんね。切り札をひとつだけ出しましょう」
遠坂は立ち上がると、守山に耳打ちした。守山は一礼すると、部屋を出ていった。
「どちらへ?」
交通状況の画面に見入っていた田辺が顔を上げた。
「彼は今頃はホテルのレストランで盛り上がっているでしょう。田辺さん、あなたにもついてきてもらいます」
エレベータに乗り込んで一階へと降りる。(ラエアーヌ)と看板のかかったフレンチレストランへと足を踏み入れる。
「よお、遠慮なくやらせてもらってるぜ」
士魂号パイロットの荒波少佐は苦笑いしてワイングラスを持ち上げて挨拶をした。
同じテーブルでは部下の少女たちが目の色を変えて特大のビーフステーキ三百グラムにかぶりついていた。荒波の皿には半分ほど手をつけられた舌平目のソテーが載っている。
「この店はソースに問題はありますが、素材自体は悪くありません。いかがですか?」
遠坂がにこやかに尋ねると、荒波は「ふん」と財閥の若様の顔をしげしげと見つめた。
「ご招待はありがたいんだが、そろそろ明かしてもらいたいね。君はいったい何をやらかすつもりだ? 俺は基地司令官からステーションホテルへ行くように言われて驚いたよ。どうして百翼長の君が自衛軍の司令官を動かせるのかってな」
「それはのちほど、詳細に説明します。ああ、それからわたしは今は除隊して一介の民間人にすぎません。……士魂号は駐車場に?」
最後の言葉は声を潜めるように言った。
「ああ、俺のローテン・シュトルムに土木一号、二号。ただな……正直なところ、自衛軍の整備員はちょっとな。何人か補給車ごと連れてきてはいるが」
荒波も声を潜めるようにして言った。
「わたしと田辺さんとで最終点検を行います。彼女、軽装甲の専門家でしてね。実は少佐殿に本番前の腕ならしをしていただきたいのです」
「何をすればいいのかな?」
荒波はワイングラスを置くと、ミネラルウォーターをいっきに飲み干した。元々ワインにはほとんど口をつけていない。遠坂は「頼みにくいことなんですが……」と前置きした上で、
「関門橋で玉突き事故がありましてね。交通がほぼストップしています」
申し訳なさそうに、しかしいっきに言った。
「なんだって?」
荒波は目を剥いた。
「そんなことのために俺を呼んだのか?」
「違います。本番は別にあります。事故はあくまでも突発的なことで」
「そういう仕事に俺のような天才を使おうってのか。ああ、世も末ってやつだな……」
荒波が嘆きかけたところ、それまでステーキに夢中になっていた田中が顔を上げた。
「田中、口!」荒波に注意されて、田中はあわててナプキンで口許のソースをぬぐった。
「しょうがないですよ、司令。わたしたちご馳走になっちゃったし。今さら返すわけにもいかないから」田中はそう言うと、再びステーキにかぶりついた。
「返すなんて汚いことを言うな!」荒波は苦々しげに食欲旺盛な少女たちを見守った。
「すみません。すぐに点検をはじめますから」
遠坂が席を立つと、荒波は「おい」と呼び止めた。
「その高そうなスーツとエプロン姿で整備をやろうってのか?」
「ええ。何か不都合が?」と遠坂。
「わたし、このエプロン気に入っているんですよ」
田辺は嬉しそうに微笑んだ。
小森江駅付近 一二〇〇
砲火はみるまに弱まっていった。午前十過ぎに起こった玉突き事故は、どこからか現れた謎の士魂号によってすみやかに処理された。要は動けなくなった車両を橋から海へ突き落とす。
それだけのことだったが、わずか二十分余りで三機の士魂号はこれを成し遂げた。交通の流れは回復し、撤退にさらに加速がかかった。
門司港付近に陣取っていた自衛軍の砲兵は整然と撤収準備をし、長距離砲を牽引して関門橋に向かった。
車両を持たぬ兵に対しては、国営鉄道が門司港駅―下関駅間をピストン輸送して本土への撤退をサポートしていた。
しかし、港付近での順調な撤退に反比例するように、前線の防衛ラインでは職烈な戦闘が展開されていた。第一次防衛ラインの周防灘側は突破され、展開していた兵は幻獣と時に白兵戦を行い、競争するようにして打越山―砂利山―風師山を結ぶ第二次防衛ラインへと潰走した。
山というよりは丘陵と言った方がふさわしい打越山山麓には九州自動車道あらため関門自動車道が走り、その道を囲むようにして大小の陣地、トーチカが群が敵を待ち構えていた。
この防衛ラインが敗兵を収容し、時間を稼ぐことができた原因は二番機、三番機の活躍によるところが大きかった。幻獣側が展開するはずだったスキュラの大砲列はついに現れることはなかった。
戦車壕に潜り込んだ装輪式戦車はミノタウロス、ゴルゴーンら中型幻獣の突進に対抗し、二〇ミリ徹甲弾はあらためてその威力を示した。
「なんとか持ちこたえているってところですね」
周防灘方面の第二次防衛ラインの戦況を分析して、瀬戸口は苦笑した。打越山―砂利山間のラインが突破されれば、関門橋まではわずか二キロ。そうなれば橋は予定より早く爆破されるだろう。
「芝村だ。約束通り、これから戻る」
舞から通信が入ってきた。無線の状態は極めて良好。周辺からは特に射撃音も聞こえない。
「無事で何よりだ。俺たちはこれから片上町まで撤退する。風師山の麓に造られた第二次防衛ラインってやつだな。疲れたろう。早く帰還して休め」
瀬戸口は舞に穏やかな声で言った。スキュラ二十をさらに撃破、加えて多数の中型幻獣を撃破しながらも防衛ラインは突破されてしまった。もはやわずか三機の士魂号で戦況が逆転するとは思えなかったが、彼らの活躍のおかげでどれだけの兵が救われるか? すでに舞も厚志も心身ともにぼろぼろだろう。
「我らの現在地は貯水池付近だ。こちらのスキュラは分散隊形に移っていてな。仕留めるのに思ったより時間がかかった」
舞はなおも戦闘の話を続けようとする。瀬戸口はかぶりを振って、善行を見た。
「お疲れさまです、芝村さん。それから速水君も。聞こえますか、速水君?」
善行が厚志に水を向けると、「あ、はい」とあわてた声が聞こえてきた。
「我々は現在、新たな防衛ラインに向かって移動中です。貯水池からなら、直線距離で三キロというところでしょう」
「はい。すぐに帰還できると思います」と厚志。
「……都合四十数体のスキュラをあなたたちがどうして撃破できたのか、本土へ帰ったらゆっくり聞きたいですね」
「猫のおかげだ」舞が強引に割り込んできた。
「猫……」善行は茫然としてつぶやいた。
「ブータの幻覚を見ると何故かスキュラを撃破できるようになる」
舞は冷静に言葉を連ねた。
「……芝村さん、すぐに戻って休んでください。途中、敵と遭遇してもなるべく戦闘は避けるように。これは命令です」
「ふむ。信じてもらおうとは思っておらぬ。すぐに戻る」
そう言うと舞は通信を切った。
善行はヘッドセットを取ると、大きくため息をついた。まさか、とは思ったが一応瀬戸口に確認することにした。
「ある種の薬物を彼らが服用しているということは考えられませんか?」
第二次大戦中の日本の戦闘機パイロットは、たび重なる出撃の連続に疲労し、ついには覚醒剤を使用する者もいたという。事実かもしれないし、噂にすぎないかもしれないが、覚醒剤は最後には神経中枢を破壊し、幻覚を見せる。
瀬戸口が声をあげて笑った。
「保証します。彼らは薬物に頼るようなやわな人間ではありません。心配するのはわかりますが、司令が疑うようではあのふたりが気の毒ですよ」
「軽率な発言でした」
善行は瀬戸口に謝った。あの大戦果は彼らの強敬な精神力が成し遂げた。それは過去の戦績から十分に証明できることだった。しかしブータがどうしたというのだ?
「ブータの幻覚を見る、というものですからつい」
「それは……」瀬戸口は言葉に詰まった。
「芝村さん……動物……好きなの。一度でいいから……猫……ブータに触りたいって」
石津が不意につぶやいた。
「そう! そうなんですよ。鰯の頭も信心。芝村の頭の中がどうなっているかわかりませんが、ブータが心の支えになっているみたいですよ」
瀬戸口の言葉に善行は首を傾げた。
「ブータがねえ……」
「滝川です。ええと、今、最後のトンネルに隠れたところなんですけど。バズーカ、全部使い終わりました。帰って寝たいっす」
滝川が通信を送ってきた場所は、善行と瀬戸口が二番機の最後の拠点と設定した桜トンネルだ。戦線のほぼ中央に位置する。
「ははは。一時間はたっぷり眠れるぞ。どうだった戦果は?」
「ええと、スキュラ三、ミノタウロス七、ゴルゴーン七です。あとは外しました」
滝川は思い出すように言った。別に思い出さなくても、機体に搭載されたカメラが戦果をメモリに収めているのだが。
「ご苦労さまでした。我々は陣地を移動中です。片上町までよろしく。ヨーコさんは無事ですか?」
善行が代わって通信を送った。
「はい。なんだかすごく元気で。やっぱ外国人って体力が違うんですかね」
「彼女は日本人ですよ。それに狙撃を続けてきたあなたとは消耗度が違います」
「あ、そうでした。すんません」
滝川はあわてて謝った。
「帰還して整備・補給を受けてください。その間、ゆっくりと休めます」
「了解であります!」
滝川は元気良く言うと、通信を切った。
これで手駒のふたつはしばらく使えまい、と善行は考え込んだ。残るのは司令部と門司駅守備隊の護衛として行動をともにしている一番機だが、壬生屋の様子はどうか?
「瀬戸口君、壬生屋さんの状態は?」
「上々です」瀬戸口はさりげなく言った。
その時、他の部隊の無線を探っていた東原が顔を上げた。
「もじこうえきにゴブリンのたいぐんがしゅつげん、せんとうちゆうだって。なきそうなこえになっていたよ!」
「なんだって!」瀬戸口が声を荒らげた。
善行は東原からヘッドセットを受け取った。無線は門司港駅の鉄道警備小隊からのものだ。
駅事務所から通信を送っているのだろう。銃撃の音が絶え間なく聞こえる。
「どうやってだ……?」
善行は考え込んだ。おそらくは……善行は半島での山岳戦を思い出していた。敵の中には時として「気まぐれ」のように有能なリーダーが出現することがある。それは中・大型ではなく小型幻獣に顕著なことだった。大群の物量をもって一挙に戦線に浸透するのが幻獣軍の五十年間変わらぬ戦術だが、以前、変わった攻撃に出くわしたことがある。敵は数匹の小部隊に分かれて山中を進んで、あらかじめ決めであったらしい基地付近の拠点に集結した。その拠点とは衛星画像にもレーダーでも捉えにくいトンネル内だった。
はっとして善行は滝川に通信を送った。
「滝川君、桜トンネル内の状況はどうでした?」
「状況って言われても。何もなかったです。今は山道を走って、3号線に出る途中なんすけど」
二番機がトンネルを通過した時には、すでに敵は門司港駅へと浸透しつつあったのだ。
「すぐに門司港駅へと向かってください。駅がゴブリンに襲われています」
「え、マジっすか?」
滝川は素っ頓狂な声をあげた。
「疲れているだろうが、相手はゴブリンだけだ。掃討して全軍を安心させてくれ」
瀬戸口も真剣な声で言った。
「あの……危険なことないですよね」
それまで通信を聞いていたらしい森の声が割り込んできた。
「ああ、ゴブリン以外は隠密行動は取れない。こちらにすぐにわかるしな。ゴブリンには何故だかたまに頭のいいやつが出てくるんだよ」
瀬戸口は慰めるように言った。
「……わかりました」森はそう言うと、沈黙した。
「わたくしも向かいましょうか?」
今度は壬生屋が通信を送ってきた。しかし、善行は黙って首を横に振った。
「ははは。壬生屋がゴブリンを相手にしてどうする? おまえさんは中型幻獣専門の切り札だから。命令を待て」
第二次防衛ライン後方・片上町 一二三〇
周防灘方面の第二次防衛ラインでは激戦が展開されているようだった。
第一次防衛ラインから後退すること八キロ。この間、数々の凄惨な戦闘があり、多数の兵が倒れた。後方に取り残された兵は、自らの本能と才覚で生き残る方法を考えねばならなかった。
第二次防衛ラインは小高い山を中心として造られた陣地群である。
陣地群はありとあらゆる火砲を使って応戦していた。この方面の戦線を突破されれば、関門橋までわずかに二キロ。軍はここに重点的に主力を置き、旺盛な支援射撃を展開していた。
とはいえ、敵も同じことだった。繰り返し浸透突破をはかり、防衛ラインの兵は徐々に疲労しつつあった。この間、5121小隊は、もう一方の攻勢軸である3号線に展開、追尾してきた幻獣側と戦いがはじまろうとしていた。
三番機は倒れ込むようにして整備班のもとに現れた。機体は強酸とレーザーによって無数の傷を受け、外見から見れば大破した機体と言っても過言ではなかった。コックピットが開かれ厚志と舞が出てきた。久しぶりの大地に舞は足をもつれさせ、地面に尻餅をついてしまった。
それを見て厚志も長々と地面に横たわった。
そんな彼らを整備員が抱え起こし、片上町の公民館まで連れてゆく。厚志も舞も目だけを炯々と輝かせていたが、肉体は疲れ切って公民館の床の上に倒れ込んだまま動かなかった。
「……どれぐらいだ?」
舞がかすれた声で森に尋ねた。森はこわごわとそんな舞を見下ろした。
「どれぐらいで再出撃が可能かと聞いている」
「まだわかりません。早くて三十分。異状が見つかれば一時間は待ってもらわないと」
森はやっとこれだけ言った。舞が怖かった。舞の全身から発せられる鬼気迫る闘争心、そして断固とした殺戮への意志が怖かった。
速水君にしても同じだ。いつもにこにこしている速水君はどこへ行ってしまったの?
パイロットと整備員はやっぱり違うんだわ。滝川君も戦っている時、こんな目をしているのかな? ふと厚志と目が合った。森の目を見て厚志は、光る目はそのままに口許だけほころばせて、ふっと笑った。
「そんなに怖がらないで。なんだかまだ戦っているような感じなんだ。じき戻るから」
「速水君……」
森は言葉を失って立ちすくんだ。中村が森を押しのけるようにしてふたりの前に立った。
「森、何をしとる? とっとと三番機に行かんね!」
森が三番機に向かって駆け去ったあと、中村は拳大ほどの麻袋をふたりの間に置いた。
「こいつば食べて元気出さんね。袋に手ば入れてみろ」
厚志は黙って袋に手を突っ込んだ。そして「あれ?」と首を傾げる。
「ざらめ。こいつで糖分を補給するばいね。すぐにエネルギーに換わる」
「ふむむ合理的な考えだ」舞も続いて掌いっぱいにざらめを掴んで、口に流し込んだ。
「甘いな」
舞が不機嫌な顔で言うと、中村はうんうんとうなずいた。この分だとろくに食べ物も消化できないだろうと考えた窮余《きゅうよ》の策《さく》だった。
「他の連中はどうした?」舞が傍らに立つ中村を見上げた。
「滝川は門司港駅の応援に、壬生屋は防衛ラインでミノタウロスと渡り合っておる。心配せんでよかと。ゆっくり休め」
「門司港駅の応援だと?」舞は目をぎらつかせると立ち上がろうとした。
「待ちんしゃい! 敵はゴブリンだけばいね。まだ防衛ラインは突破されておらん」
中村はあわてて舞に言った。公民館の玄関の陰から、新井木と茜がのぞき込んでいた。
ふたりをゆっくり休ませてやりたいという思いと、こわごわ見守る気持ちと。ハラばくくれと中村は内心で新井木と茜を苦々しく思った。
「こらあ、手伝いもせんとおまえら何しとる! 新井木、ぬしゃここにおれ。俺はこれから三番機の点検ば手伝わんといかん」
「え、僕……?」新井木はあわてて自分を指さす。
「ああ、茜はへたれじゃけん、ふたりは任せられん」
へたれと言われて茜の顔が紅潮した。
「くそ、馬鹿にするな。新井木には仕事があるだろう。ふたりの面倒は僕が見る!」
中村に乗せられてそう見栄を切ったものの、目を閉じて眠っているふたりの前に座り込んで茜は今さらながら現実というものを突きつけられたような気がした。
パイロットと整備員の現実はどうしてこうも違うのか? そしてどうしてこんなに顔つきが変わってしまうのか? 大戦果を達成しても、眠っているふたりは幸せそうじゃなかった。茜は肩を落とし、頭《こうべ》を垂れた。
「おい、何をへたれているんだ」
「僕はへたれてなんか……うっ」茜は絶句した。
田代がつかつかと玄関から入ってきた。昨夜のことを思い出して茜は顔を赤らめた。
「ふたりを護衛しているんだ」
「気持ちはわかるがな、門司港駅にミノタウロスが出現した。善行がふたりに伝えろと」
「あと十分、いやあと五分だけ。ふたりを休ませてやってくれ」
茜は懇願するように言った。
「同じことだぜ。他の部隊の弱兵どものおかげで俺たちの隊は貧乏くじを引いちまった。こいつらも死ぬし、俺たちも死ぬだろう。まあ、それはそれでいいじゃねえか」
田代はふてぶてしく笑った。
「わたしなら大丈夫だぞ」
舞の声がした。舞は目を閉じたまま、静かに言った。厚志は相変わらず寝息をたてて睡眠を貪っている。
「ならばけっこう」
善行が姿を現した。舞はまだ目を閉じている。
「状況だけ言いましょう。我々は二本の幹線道路にこだわり過ぎたようです。もっとも、物量が違い過ぎますから、我が軍はその道路ですら守り切ることができませんでしたがね。その間、敵は戦線の中央にわずかな隙を見つけてゴブリンを浸透させ、さらに中型幻獣を大量に投入してきました。第二次防衛ラインはわずか五時間で突破され、現在、友軍は門司港駅の回復と、敵の撃退に全力を注いでいます」
善行は玄関口にたたずんだまま、冷静に話した。
「わかった。駅の奪回と、防衛ラインの再構築だろう。急がないとな」
舞は目を見開いた。充血していた瞳が心なしか回復しているようだ。身を起こすと、厚志の頬を思いきりつねった。
「わっ、痛いよ!」
厚志は跳ね起きた。そして不思議そうに、舞と茜と田代、それから善行を順繰りに見た。
「僕、どれぐらい寝ていた?」
「ふむ。一時間というところだろう」
本当は二十分と寝ていない。舞は平然と嘘を言ってから、麻袋のざらめを口に流し込んだ。
「整備の状況は?」
「ええ、思ったより被害は少なかったようです。すでに出撃可能な状態となっています。それと……芝村さん、猫好きなのはわかりますが、本土へ戻ったらいくらでも飼えますから」
善行は苦笑を浮かべ、舞に言った。「ふむ」舞も口の端《は》をきゅっと吊り上げて笑った。
「そうだな。それまではブータの夢でも見ていることにしよう」
門司港駅前・レトロ広場 一三〇〇
「なんてこった……」
滝川は忌々しげにつぶやいた。何がゴブリンだけ、だ。はじめは帰りがけのひと仕事、とばかりにゴブリンを散々に踏み潰し、狩った。
そのうち元来たトンネルの方角が騒がしくなって、ゴブリンを狩っていた戦車隊が移動していった。まだゴブリンが駅前に残る中、駅付近に設置された迫撃砲が次々と火を噴いた。射撃に専念する兵にゴブリンが襲いかかり、そのゴブリンを戦車随伴歩兵のアサルトライフルが仕留める。乱戦だった。
目の前で長谷《ながたに》方面に砲撃を加えていた戦車が爆発した。耳を澄ますと駅前の喧嘩に掻き消されていた生体ミサイル独特の風切音が聞こえてくる。
「ヨーコさん、逃げて!」
滝川が拡声器で叫ぶと、ヨーコは窓から顔を出して「小隊とコンタクトしますネ」と言ってトラックでゴブリンを跳ね飛ばしながら逃げた。
さてと、トンネル口の方角を見ると、一体のミノタウロスが突進してきた。
俺かよ? 滝川は舌打ちすると、付近のビル陰にとっさに駆け込んだ二番機の急な動きについてゆけず、ミノタウロスはゆっくりと向き直る。距離二百。滝川は手にしたジャイアントアサルトの機関砲弾を、生体ミサイル発射直前の痙攣する腹にたたき込んだ。閃光が起こり一瞬のうちにミノタウロスは爆散した。 しかし、さらに一体のミノタウロスを確認して、滝川は通信を送った。
「次から次へとミノタウロスが侵入してきます! このままじゃやばいっす」
「そちらへ一番機と三番機を向かわせているところです。無理はせずに、可能な限り敵を阻止してください」
善行さんも辛いな、と滝川は思った。無理をせずに敵を阻止するって両立するのか? 落ち着け、と滝川は自分に言い聞かせた。よく見ると五両の装輪式戦車が駅前で唯一まとまって射撃を続けている。滝川は拡声器のスイッチをオンにした。
「そこの戦車隊の人たち、俺がオトリになりますから連中が横を向いたところを狙い撃ちしてください。こちらの周波数は……」
ほどなく「了解」との返事が返ってきた。
三体のミノタウロスがまたしてもトンネル方面から道沿いに進撃してくる。滝川が先頭の敵に機関砲弾をたたき込むと、三体が一斉に振り向き突進してきた。砲声が轟き、三体のミノタウロスは二〇ミリ徹甲弾に貫かれ、爆発した。
うん、これだったらいけるかも、とほっとしたところに三角山と呼ばれる低い山の陰から今度は五体のミノタウロスと多数のゴブリン、ゴブリンリーダーが姿を現した。戦線に空いた傷口はさらに広がっているらしい。支援の砲火が散発的に起こったが、ちらと関門橋の方角を見ると、砲を牽引した自衛軍の車列がピッシリと列を作って本土へと向かっていた。
ちっくしよう、こちらは見殺しかよ。滝川は再び機体をミノタウロスの視界にさらすと、二〇ミリ機関砲弾をたたき込んだ。
風師山北側尾根 一三三〇
門司港駅の方角からしきりに砲声と機銃音が聞こえ、黒煙が上がるのを見て、橋爪は「下手すると取り残されるぜ」とつぶやいた。
来須と橋爪は、風師山北東の尾根を走る路上に陣取って、突破された防衛ライン中央から侵入する敵に残りの迫撃砲弾を撃ち込んでいた。。一二〇ミリ榴散弾の効果は絶大で、地を埋め尽くす幻獣の群れに大きな空自を与えたが、すぐに空自は埋まってしまう。
このままだと周防灘から門司港駅まで敵で埋め尽くされ、自分たちは完全に取り残される。
どうするんだ?と来須を見ると、来須は短く「砲を捨て、逃げる」と言った。
「関門橋・トンネルの爆破は一七〇〇。まだ十分に余裕がある」
「……待てよ。俺はまだやれるぜ」
橋爪の抗議に来須は一瞥をもって報いた。
「橋は混雑している。3号線に降り、門司港駅からおまえたちは撤退しろ。それが無理なら門司の突端、和布刈の人道口から逃げろ」
橋はあわてて逃げる自衛軍の車両で渋滞していた。この分では一七〇〇の爆破はどうなることか、来須は疑問に思っていた。
「下手をすればスキュラの射程に入る。駅までは同行しよう。その後は橋爪、おまえが隊を無事脱出させろ」
「待てよ、あんたはどうするんだ?」
応える代わりに来須はレーザーライフルを示した。自分ひとりならなんとでもなる。来須は無造作にそう語っていた。
「すぐに撤退する! 砲は捨てろ!」橋爪は自棄になったように叫んだ。
片上町・門司港駅間 一三四五
一番機と三番機は3号線を全速力で門司港駅へと向かっていた。
その後ろには指揮車と、堅田女子の戦車ら3号線を守備していた兵が続いている。速度は六十キロ。今はなりふりかまわず逃げるべきだった。
途中、憲兵の制止を振り切って、海上にモーターボートや小舟で逃げる兵を見かけた。どこからか生体ミサイル、レーザーが飛んできて沈没する船もあった。
「あれっていけないんだよね」
新井は、ぼそっと呟いた。
軍とは融通の利かない組織である。武器、ウォードレスを捨てて小舟艇に乗って逃げた兵は最も重い罪で敵前逃亡に問われる。軍は「付近の小舟艇を徴発し、撤退せよ」との命令は断じて下さないし、撤退はあくまで整然としたものでなければならなかった。
それは軍の威信がかかった問題だった。事実、そのような方法で本土に上陸した兵に対しては、憲兵が片っ端から検挙していた。個人の自発的な判断を抑圧することで成り立っている部分が軍という組織にはあった。
「でも、どうしてそこいら辺の船で逃げちゃいけないんですか?」
新井木は海上の小舟艇を見ながら原に尋ねた。
「……そうよねえ、小されいなクルーザーでもあったらそちらで逃げたいわね」
原は笑いながら言った。からかわれているなと新井木は頬を膨らませた。
「皆が同じことを考えたらどうなると思う?」
「あ……」新井木はそうかと顔を赤らめた。
「戦争はそっちのけ。誰だって生き延びたいから舟の奪い合いになるわ。半島から逃げる時ね、大変だったらしいの」
原は顔をしかめて言った。善行の心にはそんな光景も刻まれているのだろう。
「そうですよね、人間って弱いから」
新井木は珍しく、しゅんとなって言った。
「生きる時も死ぬ時もいつでも一緒、と教えるのが軍隊なのね。わたしは軍隊が大嫌いよ」
原はあっけらかんと言い放った。
「わたしの将来の夢はね、女優か専業主婦ね」
「そ、それって極端ですよ」またからかわれているのかと、新井木は不安の余り口を開く。
「あら、よくあるじゃない。一瞬輝いて伝説の女優なんかになって、大富豪と結婚して惜しまれながら引退して悠々と暮らすの」
「へいへい」
「聞こえますか、原さん。じき門司港駅です。整備班は現在地にて待機。我々が先行します」
善行から通信が入った。
「待機って、こんなところで」
原はあたりを見回した。左手には堤防越しに海、右手には寺が見えた。戦場は近い。砲声と機銃晋、何かが爆発し砕け散る音が一体となって耳を騒がす。耳を塞いで、過去の楽しい思い出とやらに浸っていたかった。さもなければハワイ旅行のパンフレットを開いて、「南国の楽園」の夢でも見ていようか?
「……ハワイ」
「何か言いましたか?」
「こっちのことよ。そんなことより、とっとと敵をやっつけて楽させてよ。整備の子たちは戦争なんて大っ嫌いなんだから」
「わかっています」
そう言うと、士魂号とともに戦闘指揮車は遠ざかっていった。装輸式戦車が、兵を乗せた軍用トラックが続々と整備班を追い越していく。
黒煙に包まれた門司港駅方向の空を見上げて、原は再び「ハワイ」とつぶやいた。
門司港駅付近 一五三〇
「目標、前方のミノタウロス。距離五百」
三番機のジャイアントアサルトのガトリング機構がうなりをあげて回転する。銃身から吐き出される二〇ミリ機関砲弾にミノタウロスは駅方向へ向かった足を止め、振り向いた。体中から体液を噴き出し、復讐と憎悪に燃え突進しようとする。かまわず撃ち続けると、やがてくたりと体を折り曲げ、大地に倒れた。
信号機の下に栄町と書かれた一帯だった。門司港駅では戦車隊が増強され、兵たちは順次ピストン輸送の列車に乗り込んでいる。
爆破まであと一時間半。三番機が戦っている背後をすり抜けるようにして、兵を満載した車両群が関門橋へと向かう。一台が生体ミサイルの直撃を受け、爆発した。しかし他の車両はスピードを緩めることなく橋へと向かう。一七〇〇の爆破だから、少なくとも三十分前には橋にすべり込まねばならなかった。
門司港駅の駅員のアナウンスが聞こえてきた。「司令部からの通達です。収容人数を増やすため、ウォードレスを脱いで乗車してください」
すでに戦闘は市街戦の様相を呈していた。三番機は街路から街路へ、ビルからビルへと移動しながら辛抱強く駅へ、そして橋をめざす中型幻獣を潰していった。
最後まで戦おうというのか、装輪式戦車が三番機に気を取られた敵を撃破した。そして巧みな操縦で位置を変える。
「自衛軍にも変わり者がいるな」舞は口許をきゅっと吊り上げた。
「命令なんじゃないかな。爆破後は泳いで本土へ渡れ、なんてね」
軽口をたたく余裕が戻った、というよりは三番機に乗ったとたん、ふたりは不思議な力が自分たちに漲るのを感じていた。滝川と違って、舞と厚志には三番機に対する特別な思い入れはない。ただの兵器として考えているだけだ。
それなのに自分たちに最後の力を与えてくれるのか? 最後まで戦えというのか? 地獄は我らの故郷なれど……ふむ、そなたも同じか? 舞は敵をロックし、射撃しながら三番機に語りかけていた。
和布刈公園付近 一六一五
背後に無数のエンジン音を聞きながら一番機は阿修羅の働きを見せていた。今日は体が、なんだかやけに軽く、キレる。二番機や三番機のように特別な作戦を行わなかったからか、旧門司付近の公園で、漆黒の一番機は押し寄せるミノタウロスを一撃の下に葬っていた。
「壬生屋、そちらにミノタウロス三十が向かった。無理をするな、じきに爆破の時間だ。善行司令が門司港へ戻れとおっしやっている」
瀬戸口からの通信が聞こえた。壬生屋は微笑むと、
「ええ、すぐにそちらへ。けれどなんだかすごく調子がいいんです」
言いながらも五体のミノタウロスが密集する中へ斬り込んだ。なんという遅さ。敵の動きはまるでスローモーションでも見ているようだ。一匹を右手で袈裟懸けに斬ると、左手の超硬度大太刀は背後の敵の腹部を深々と貫いていた。
跳躍し、敵の背後に回り盾とする。爆発が起こり、盾となった敵は前のめりによろめく。そこへ渾身の一撃。頭部を斬り飛ばされた敵はおびただしい体液を撒き散らしながら地面に伏した。視界の端、残る二体が生体ミサイルを発射しようとしていた。
「遅いっ!」
壬生屋は叫ぶと、横っ飛びに跳んで背後から左右の大太刀をそれぞれの背に突き刺した。後ずさり、さらに距離を取ると二体が同時に爆発した。
敵影はなし。壬生屋はなおも敵の姿を求めながら、通信を送った。
「瀬戸口さん。わたくし、生まれて初めてお化粧しました」
しばらくの間、沈黙があった。
「きっと似合うだろうな」
瀬戸口の声は心なしか狼狽えていた。壬生屋はくすくすと笑いながら言った。
「今日はお見せできませんでしたね。似合うかどうかはわかりませんけど。本当は少し恥ずかしくて」
「おまえさんならどんな化粧をしても似合うさ。俺が保証するよ」
「ええ、ありがとうございます」
「……ミノタウロス三十接近。遭遇まで約二分三十秒。壬生屋、戻れっ!」
瀬戸口の声が切迫感を帯びた。
「爆破までは?」
「あと三十分ある。しかし気にするな。とにかく俺たちと合流するんだ」
瀬戸口の声はこれまでにも増して焦り、切迫していた。
瀬戸口さんは心からわたくしのことを心配してくれている。それだけで幸せだ。
壬生屋は微笑んだ。神々もご照覧あれ。わたくしは最後まで戦うだろう。瀬戸口さんには悪いけれど、自分だけが幸せになるなんてできない。壬生屋は通信を切ると、城址付近の森に姿を隠し敵を待ち受けた。
地響きをあげ、ミノタウロスの集団が関門橋をめざして進んできた。泡を食った兵たちはクラクションを鳴らして一刻も早く橋を渡ろうとする。最後尾、まだ橋上にも到達していない兵らは茫然として戦う気力も失せたらしい。車両から降りるでもなく銃を構えるでもなく最期の瞬間を待っていた。
行かせてなるものか! わたくしが最後の盾になる。壬生屋は目を猛禽のように光らせると、跳躍の準備に入った。
「どうしたんです、橋爪さん? じきにここも爆破されますよ」
人道入り口のエレベータから兵が呼びかけてきた。
しかし橋爪は何故だか首を横に振って「先に行けよ」と言った。
何故だ? とエレベータの扉が閉まったあと、橋爪は自問した。この戦いの行く末を最後の最後まで見届けたくなった。そういうことか? ちがうな、と橋爪は苦笑した。
そんなきれいごとじゃねえ。俺は先生に会いたいんだ。俺はあの女が好きなんだ。あの女が共生派であることは明らかだった。けれどそんなことは関係ねえ。好きなもんは好きと言って死んじまった方がさばさばしている。俺らしいじゃねえか、と思った。
そして何故だか、最後の瞬間にあのひっつめ女が現れるような気がしていた。
ああ、つくづく俺って馬鹿だよな、と橋爪は自分で自分に嫌気がさしていた。
突如として轟音と閃光が起こった。公園の方角だ。走りながら橋爪が見上げると、漆黒の士魂号が宙を飛んだところだった。一瞬遅れて、二体のミノタウロスが爆発を起こした。物陰に隠れ爆風を避けながら、橋爪は目の前の光景に目を奪われた。
鬼だ。士魂号は鬼となって、単機ミノタウロスと渡り合っている。狂気の沙汰としか思えなかったが、鬼は信じられぬ反応の速さで敵の攻撃をかわし、爆風と熱風が吹き荒れる中、次々と敵を超硬度大太刀の餌食にしていった。
橋爪は茫然として、その光景を見守るしかなかった。
八幡神社の境内から来須は門司城址方面の敵に狙撃を加えていた。
一番機の背後に回り込もうとする敵を一体、また一体とレーザーライフルで葬り去った。
鬼となった壬生屋に自分もつき合ってやろう。自然にそう思えた。戦うことは自分の定めであり、本能のようなものだ。しかし壬生屋は違うだろう。やつが正気を取り戻すまで、自分もともに戦うまでだった。
敵はすでに半分ほどに討ち減らされていた。さすがに壬生屋も疲れを覚えたらしい。反応が緩慢になり、技のキレは鈍ってきた。だが、ここから壬生屋本来の良さは出る。逃げながら、守りながら、しぶとく狡猾に一体、また一休と敵を倒してゆく。
ふと一番機に接近する人影を見た。死闘が行われている中、平然と、しかし慎重に、薮から薮へと伝い、じりじりと一番機に接近している。
来須はレーザーライフルを構え、目を剥いた。再チャージまであと十秒。スコープにはあの女の姿があった。何故だ? どうしてだ? 一瞬、疑問がかすめ過ぎたが、あの女の意図は明らかだった。
スコープの光をめざとく感じたか、木下はこちらを向いた。にやりと嬉しげに笑うと、五十メートルほど離れた一番機に向かって疾走した。
再チャージ完了ランプが点灯すると同時に来須は引き金を引いた。その瞬間、一番機の足下で木下の肉体はすさまじい爆発とともに消滅した。
壕々と立ちこめる黒煙が、一瞬、視界を閉ざし、来須は一番機に向け走り出した。
門司港埠頭付近 一六四〇
「壬生屋機大破!……末央ちゃん!」
東原はしゃくりあげながら報告をした。
「壬生屋! 聞こえるか、壬生屋?」
瀬戸口は血相を変えて叫んだ。顔色が青く、額からは汗を光らせている。瀬戸口はヘッドセットで何度も何度も壬生屋の名を呼んだ。
「壬生屋――――!」
ヘッドセットを投げ捨てると、瀬戸口は善行に向き直った。瀬戸口は黙って敬礼をした。
「あなたまで失うわけにはゆきません」
善行はホルスターからシグーザウエルを抜き出した。瀬戸口は、ふっと笑った。
「どうぞご自由に。あいつを失えば俺も生きている理由を失うんですよ。二度と……もう二度と俺は愛する女性を失いたくないんです」
物憂げな笑みを浮かべたまま、瀬戸口はハッチを開け、外へ出ようとした。かちん。撃鉄が落ちる音がして、善行は苦笑した。はじめから弾など込めていなかった。
二番機と三番機は最後の砦である埠頭を守るべく、敵と死闘を繰り広げていた。硝煙の中に瀬戸口の姿が消えるのを善行は黙って見送った。
「……ええんですか? 行かせちやって」
しばらくして、加藤が遠慮がちに尋ねてきた。
「そろそろですね」
善行はそれには応えず、時間を確かめた。大地が鳴動した。善行らが外へ出ると関門橋が黒煙を上げながらゆっくりと崩壊してゆく光景が見えた。
西陽に照らされ黄金色に光る海の中へ、橋は没していった。
嗚咽する声が聞こえた。加藤が、橋の方角を眺め、泣きじゃくっていた。
「ウチらが頑張らなかったから……ううう」
「ないたらだめなのよ。かこはただのおもいでなの。じゅーよーなのはみらいなのよ」
東原が背伸びして、加藤の背中をさすってやった。
「ええ、その通りです。海を見てご覧なさい」
善行の言う通りに海を見て、加藤は目を見開いた。十隻の大型フェリーを中心とした船団が埠頭をめざし、披飛沫を上げて進んでくる。さらに圧巻なのはフェリーを取り巻く漁船の大群だった。一千隻はあるだろうか、海峡を埋め尽くした漁船団はすべてが大漁旗をはためかせ、発煙筒を焚きスモークで船団を護衛している。
「遠坂海運、遠坂海運……遠坂海運て、なんか遠坂の名前ばっかりやんか!」
加藤は涙をぬぐうとあきれたように声をあげた。そう、十隻のフェリーはどの角度から見ても、必ず「遠牧海運」のロゴが目に入るようにペインティングされていた。そこまで映像、テレビを意識することが、遠坂の変貌を告げていた。
漁船の大漁旗にまで「提供・遠坂海運」と書かれている。船団はみるまに埠頭に接岸すると、聞き慣れた女性の声が流れてきた。
「ご苦労さまです。乗船の際は列を作って順番に並んでください。お願いします」
なんと島村百翼長の声だった。元々はこうした仕事が得意だったのだろう。島村の声には戦闘中にはなかった張りがあった。
善行が拡声器の音量を最大にして言った。
「優先順位は負傷兵、鉄道警備小隊、交通誘導小隊の皆さんから。以下、整備兵、戦車随伴歩兵、戦車兵と続きます。二番機と三番機は最後まで撤収の援護をしてください」
すでに戦線はその声が隅々に届くほど狭くなっている。合わせて五千に及ぶ支援部隊、負傷兵を満載してフェリーはいったん下関港へと去っていった。
港に入るフェリーから一斉に歓声があがった。絶望から一転して救われた喜びを兵たちの誰しもが共有していた。自然発生的に歌が起こった。歌は風に乗って未だ埠頭を守り、死闘を続けている戦闘部隊の耳にも聞こえてきた。
[#ここから2字下げ]
絶望と悲しみの海から、それは生まれ出る
地に希望を、天に夢を取り戻すため生まれ出る
闇を払う銀の剣を持つ少年
それは子供の頃に聞いた話、誰もが笑うおとぎ噺
でもわたしは笑わないわたしは信じられる
あなたの横顔を見ているから
[#ここで字下げ終わり]
砲声と銃撃に掻き消されそうになりながらも歌声は戦線に響き渡った。戦闘部隊は歯を食いしばり、自らも唱和しながら機銃の引き金を引き続け、埠頭に浸透しようとするゴブリンに果敢に白兵戦を挑んでいった。
「次は戦車随伴歩兵及び整備班の番です。補給車その他は桟橋へ集合。戦車随伴歩兵の諸君はなんとしても敵を振り切り、二十分後に桟橋へ来てください。幸いでしょうが、決してあきらめず、敵に囲まれた諸君は士魂号が援讃します。声をあげて助けを求めてください。生き残りましょう!」
善行の声に従って、歩兵たちは桟橋へ向かって後退をはじめた。追いすがるゴブリンを装輪式戦車と士魂号が掃討してゆく。
「善行さん、ひと足先に待っているわね」
原からの通信に善行は知らず顔をほころばせていた。
「まずフグを死ぬほど食べる。それからハワイだからね! 死んじゃだめよ。待っているから、ずっと下関の桟橋で待っているから!」
「死ぬ気なんてさらさらありません。戻ったらあなたにはわたしの財布を空っぽにしてもらいます。整備班の皆さんをお願いします」
善行の横顔は精惇さが増していた。さて、これからが正念場だぞ、とほころばせた口許を引き締めた。
和布刈公園 一七一五
漆黒の一番機は地に伏したまま動かなかった。
来須と橋爪は同時に機体に歩み寄り、視線を合わせた。大爆発と来須のレーザーライフルに掃討されミノタウロスは姿を消していた。埠頭方面からはなお旺盛な射撃音が聞こえているが、この周辺には一時的な静寂の時が戻っていたら来須はコックピットから壬生屋を引きずり出した。爆発は一番機のコックピットをも巻き込んでいた。何事か言おうとする橋爪を目で刺して、来須は壬生屋のウォードレスを脱がせた。
そして黙って首を振った。
なお苦しげな息吹を洩らしていたが、薄化粧を施した壬生屋の顔は美しかった。この息吹が尽きる時、戦士は土へと還るだろう。
足音がした。ふたりが顔を上げると凄絶な顔をした瀬戸口がたたずんでいたら敵中を突破してきたのだろう、手にはアサルトライフルと幻獣の体液にまみれたカトラスを握っていた。
来須と橋爪は黙って立ち上がり、瀬戸口に場を譲った。瀬戸口は壬生屋を抱え起こすと、静かに語りかけた。
「無理をするから。……おまえさんが無理をするから、俺はまたひとりでさまよい続けなければならなくなった。なあ、壬生屋、知っているか? 俺はこれで二度めだ。シオネ・アラダとおまえさんの記憶を引きずって幽霊のようにこの世界をさまよわなければならないんだぜ。残酷だよ、おまえさんは……」
瀬戸口の顔には絶望と、そして絶望した者だけが浮かべる悲しげな笑みがあった。来須と橋爪は声もなく瀬戸口の様子を見守っていたが、不意に来須は目を光らせた。地響きと、ざわざわと地を騒がす音。ミノタウロス、ゴルゴーンを含め、数千に及ぶ幻獣の大群が、彼らを遠巻きに取り囲んでいた。
幻獣の強烈な憎悪を感じて、来須は目を剥いた。無言でレーザーライフルを構え、最後の一戦を試みようとした。橋爪も動かねふたりを守るようにして機銃を腰ダメに構えた。
その時、突如として幻獣の群れが割れた。油断なく警戒する来須と、茫然とする橋爪の目に白衣を着た女性が映った。鈴原だった。鈴原が進むごとに幻獣たちは後ずさり、道を譲る。あれほど強烈だった憎悪の念が萎えたように衰えてゆく。
ひっつめ髪の軍医は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、不機嫌な顔で橋爪を見た。
「馬鹿なやつだ。わたしに惚れても無駄だと言ったろう」
この不機嫌な声がもう一度聞きたかった。橋爪は不覚にも涙を流して叫んだ。
「ああ、惚れているとも! 俺は先生が好きだっ! ちつくしょう、文句あるかよ!」
「よしよし、わかったから泣くな」
鈴原は橋爪を抱き寄せると、やさしく頭を撫でた。
「わたしはそちらのお嬢さんに用があるのだ。今ならまだなんとかなるかもしれん。退いてもらおう、そこの色男」
鈴原は瀬戸口を押しのけると、壬生屋の服を脱がせ、鳩尾《みぞおち》から内臓のあたりまで丹念に掌を這わせた。平然としていた鈴原の額に汗が浮かんできた。その表情には苦悶の色が見られる。
鈴原は低く聞き取りにくい声で呪文のようなものを何度もつぶやいた。鈴原の掌はうっすらと青い燐光に包まれていた。
歌声が聞こえた。低く、哀切な、そして懐かしい歌声が鈴原の口から洩れた。知らずその歌に唱和している自分に気づいて瀬戸口は愕然とし、口を閉じた。
はじめは微かに、ほどなくはっきりと、壬生屋の息が規則正しく聞こえるようになった。
来須と橋爪は鈴原の集中を妨げぬように黙ってたたずみ、瀬戸口は壬生屋の顔をのぞき込んだまま、ひと言も発しなかった。
「彼女は戻ってきた。連れて帰るがよい」
「癒し手……思い出しましたよ。かつてそんな人々がいたことを」
瀬戸口は壬生屋を抱き起こし、しっかりとその腕に抱えた。
「憎悪と憎悪がぶつかり、じきにこの世界は滅びるかもしれん。それでもわたしは信じたかった。闇は光を必要とし、光もまた闇を必要とする、そんな世界をな。……今となってはすでに遅過ぎるかもしれんがな。さて、おまえたちを埠頭まで送ってやろう。今のわたしにはそれくらいしかできん」
鈴原が手を上げると、一体のスキュラと百ほどのゴブリンが幻獣たちの中から進み出て彼らを取り囲んだ。
「スキュラと共生派に護衛され、これより帰還する」
来須が通信を送ると、善行は絶句し、舞は「狂ったか!」と叫んだ。それでも来須は繰り返し言った。
「北から来るスキュラとゴブリンを撃つな。俺たちは連中に守られてこれより帰還する」
「……瀬戸口君は。壬生屋さんは無事ですか?」
判断停止の状態からやっと回復した善行が尋ねた。
「俺だったら五体満足ですよ。壬生屋も一命を取り留めました。共生派の中の和平推進派に助けられたってわけです。鈴原先生、あやしいとはにらんでいたんですがね」
来須の無線を借りて瀬戸口が言った。
彼らの真上をスキュラが飛んでいる。すぐ真横をゴブリンが跳ねるようにして進んでいる。
まあ、この世界、何が起こっても不思議はないってことかと瀬戸口は微かにかぶりを振った。
砲声がしだいに強まってきた。かなたには奮戦する二機の士魂号が見える。右手にそびえるビルを曲がれば埠頭まではすぐだった。強力な戦車隊が砲列を敷いて待ち構えているだろう。
「ここまでだ。彼女を大切にな」
鈴原は無表情に言うと、白衣をひるがえし背を向けた。
来須が一歩踏み出すと、瀬戸口が続いた。腕には壬生屋を抱きかかえている。橋爪はその場に立ち尽くしたまま、鈴原の背に向かって叫んだ。
「俺も残るよ、先生!」
はっ、と嘲るような声が鈴原から洩れた。振り返ると、口許をほころばせ、やさしいまなざしで橋爪を見つめた。
「それは無理というものだ。ゴブリンの手斧で頭をたたき割られるのがオチだな。おまえは性格破綻一歩手前で、子供のくせに生意気なやつだったが、男気だけは本物だった。わたしもおまえが好きだったよ」
じゃあな、と片手を上げて鈴原は去っていった。これが本当のさよならだった。「先生……」橋爪はぼんやりと鈴原の後ろ姿を見送った。
「来須、瀬戸口、壬生屋、そして橋爪君を無事収容。瀬戸口君と壬生屋さんには次の便に乗ってもらいます」
善行が通信を送るとすぐに原から応答があった。
「整備班は埠頭に集合している。すぐに出迎えるから」
門司港埠頭付近 一八〇〇
……すでに夕刻となっていた。敗走を重ねてから何度目かの夜を迎えようとしていた。
潮風が湿った空気を港に運んでくる。関門海峡は波穏やかで、遠坂海運のフェリーは精力的に往復して、激戦が続く中、すでに一万三千余りの兵を収容していた。残るのは千名足らずの戦車兵と、士魂号、そして指揮車のみとなっていた。
瀬戸口は壬生屋を整備班に託すと、指揮車に戻ってオペレータ席に着いた。善行が眼鏡を押し上げて苦笑した。
「あなたも懲りない人ですね」
「ははは。司令がひとりきりの指揮車など聞いたこともありませんよ」
瀬戸口は朗らかに笑った。すべてを吹っ切ったような笑顔だった。すでに加藤も、石津も、東原も来須と橋爪に守られ撤退していた。
「ええ、実はあてにしていました」
善行は眼鏡を押し上げ、苦笑した。
「わたしは生きねばならないのです」
「原さんのために、ですか?」瀬戸口がすかさず冗談めかして言う。
しかし善行は苦笑して、応えなかった。政府、そして軍の無策のために多くの兵が命を落としていった。本来なら学園という守られた世界の中で、二度とは戻らぬ青春を過ごすはずだった学兵たちは、幻獣との戦争という過酷な現実の中に投げ込まれた。政府の時間稼ぎの捨て駒として。この国の指導者たちの保身のための盾として。少年少女たちは貴重な時を戦争に奪われ死んでいった。
この責任を誰が取るのか?
自分は少年たちを死に追いやった者たちを決して許すことはできない。そのためには生き長らえ、あらゆる手段を使い、この国を変えねばならなかった。
「二番機、三番機は戦車隊を援護しつつ埠頭へと退いてください」
善行が通信を送ると、舞から返事があった。
「了解した。我らは最後まで残る。そなたは海上からでも指揮を執ることはできるだろう」
「……遠慮なく」善行は口許を引き締め、心の中で舞と厚志に敬礼を送った。
「我らにはブータがついているゆえ、状況は比較的良好だ」舞は冷静に続けた。
「ええ、ええ、わかっています」
「速水です」今度は厚志からだ。
「この二ヵ月間で僕は新しく生まれ変わったような気がします。僕は本当は速水厚志なんて名前じゃなかったのに。……これまでずっと、見守ってくれてありがとうございました」
厚志は低く、そして冷静な声で言った。
「そんなことは些細なことです。あなたは生まれ変わったのですよ、速水君。わたしはあなたと出会えて本当に良かった。胸を張って、堂々と本土に凱旋してください」
「はい」
厚志からの通信が切れると、善行は運転席の瀬戸口に向き直った。
「さて、埠頭までドライブとゆきましょうか」
「三番機は最後まで盾となって戦うつもりですよ」
「ええ、わかっています。わたしは彼らを死なせやしません。……聞こえますか若宮君」
「こちら若宮。生きております」
若宮は堅田女子戦車隊の戦車随伴歩兵として、彼女らをずっと支え続けてきた。地味だが、この仕事をこなせるのは若宮しかいなかった。熟練した戦車兵は歩兵たちの盾となり、最後まで責任を果たそうとするものだ。しかも堅田女子の場合、小隊長の生まじめな性格を知っているだけに、善行はその壊滅を懸念した。
若宮をつけて、退くべき時は強引にでも退かせねばならなかった。
「戦車隊はこれより一目散に埠頭へと撤退します。ここまで戦った戦車兵を誉めてやっていただきたいものですな」
「ええ、それでは埠頭・桟橋にて落ち合いよしよう」
最後の砲撃を終え、高速で撤退する戦車隊の横から二番機と三番機はジャイアントアサルトで追いすがる敵を掃射、その撤退を援護した。ゴブリンが吹き飛び、ミノタウロスがこちらを向いて突進する。
光を帯びた三番機の右腕が次々とミノタウロスら中型幻獣を撃破する。一撃であった。
「芝村だ。敵の攻撃がやんだ。どうやら体勢を立て直すべく、集結中なのだろう。滝川よ、ここまでよくやってくれたな。もう十分だ。撤退せよ」
舞の静かな声が操縦席の厚志に聞こえた。
そうだよ滝川。君は十分によくやった。だから絶対生き延びて。死んでも生き延びろ。君の戦争は終わったんだ。
「……おまえたちはどうするんだ?」滝川からすぐに返事があった。
「そなたらが乗船するまで援護する。案ずるな。実は三番機には新開発の兵器があってな。幻獣など一歩も寄せつけぬ」
「僕たちのことなら大丈夫だよ、滝川。安心して船に乗って。すぐに追いつくから」
厚志は穏やかに、いつもの口調に戻って言った。
滝川だけは死なせたくなかった。少年の心を持つ滝川は自分が失ったものすべてを備えた人間だ。戦争なんかで死んじゃいけない。
「きっとだぜ。きっとだかんな――」
滝川は仲間外れにされた子供のように涙声になった。埠頭へ走り去る二番機を見送って、厚志と舞は大きくため息をついた。
「ブータの幻覚よ、これでよいのだな」
舞は三番機の肩に留まった老猫に声をかけていた。ブータはうなずくと
(圧倒的な憎悪が四方から押し寄せてくる。戦の支度を)と伝えてきた。
無人の街となった市街からざわざわと圧倒的な数のゴブリンの足音が聞こえてきた。大地を揺るがす地響きがそれに続く。ほどなくビル陰から一匹のミノタウロスが姿を現した。
三番機の右腕が光輝に包まれ、放たれた光は一直線にミノタクロスをめざす。地に倒れ伏す仲間の屍を踏み越え、二体、三体めのミノタウロスが突進してきた。
門司港埠頭 一八三〇
「こちら善行です。わたしは今、あなたたちを回収する船に乗船しています。すみやかに埠頭へ、撤収準備にかかってください」
善行からの通信が入ってきた時、ふたりは疲労の極に達していた。常人離れした、自らを戦闘に特化し戦い抜いてきたこれまでの無理がたたったのか、心身が悲鳴をあげていた。しかし機体はなお動き続け、敵の突進をかわし、ブータが教えてくれた兵器の名である「精霊手」を使い、ジャイアントアサルトの機関砲弾をたたき込んでいた。一瞬、舞の応えが遅れた。
「……ふむ。たった今、埠頭に到着したところだ」
そう言いながらも三番機はまた一体のミノタウロスにキックを食らわせていた。機体が激しく揺れ、舞は嘔吐感を必至で我慢した。
機体にはゴブリンがピッシリと張りついている。それは機体を重く、動きを鈍くする働きをしていた。
「スキュラ二十。新たに来るぞ! 三分以内におまえさんたちを射程に収める」今度は瀬戸口の声が聞こえた。突進するミノタウロスを「精霊手」で撃破する。
(そろそろじゃな。わしは仲間の様子を見に行かねばならん)
ブータの幻影がふたりに語りかけてきた。老猫の見開かれた目には決して屈することのない何かが宿っている。それは自分と同質のものだ、と舞は思った。
「感謝を。そなたのおかげで存分に戦い抜くことができた」
「……また戻ってくるんだろ? プレハブ校舎の屋上で昼寝しているんだよね?」
厚志が懐かしむように言うと、ブータは笑った。
(さらばじゃ。戦神の申し子たち)
別れを告げるとブータの姿は掻き消えた。
限界は近かった。埠頭下の水深は……だめだ、完全に水没する深さだ。生体ミサイルの一斉射撃。独特な風切音を響かせながら三番機めざして飛来する。厚志の機転か、三番機はとっさに埠頭から海へと飛び込んだ。腕を伸ばして埠頭の係船杭を掴む。爆発音がして、熱風がはるか頭上を通過していった。
「助かったぞ、厚志」
「前から目をつけていたんだ。船を繋ぎ止めておくわけだから、士魂号が掴んだってビクともしないよね。そんなことより……」
厚志の網膜に三隻のフェリーが映った。
そのうちの一隻が岸壁に近づいてくる。これが善行の言っていた回収船か? 近づいてはだめだ! スキュラのレーザーでやられるむそんな厚志の思いを見透かしたかのようにフェリーから砲声が起こって、埠頭のかなたに次々と煙がわき起こった。煙幕弾か? どうなっているんだと厚志が口を開こうとした時、瀬戸口の声が聞こえた。
「これから浮きドックを流す。なんとしてもそれに掴まれ!」
浮きドック? なんだそれ?
浮きドックがどのようなものか知らなかったが、後方に続くフェリーから鉄骨で組まれた巨大なイカダが進んできたしエンジン音が聞こえた。
「ふむ。子供じみた発想だが、クルーザー用のスクリューを搭載しているな」
埠頭から姿を消したと思ったか、ミノタウロスをはじめとする中型幻獣は静止したままだった。ただ、埠頭上に唯一露出した士魂号の腕を認めたゴブリンだけが埠頭に群がっていた。浮きドック……イカダは埠頭に向かって一直線に突進してくる。あと十メートル。五メートル。三番機の左腕が伸び、イカダの突端をしっかりと掴んだ。すかさず右腕もイカダに移す。突如としてイカダは向きを変えた。二隻のフェリーは回頭して本土をめざしていた。
浮きドックには鎖が付けられ、二隻のフェリーはそれを牽引する役目を担っていたのだ。
「聞こえるか、速水? 腕を伸ばして浮きドックのスクリューエンジンを壊してくれ。下手な動きをされると厄介なんでな」
「あ、はい」
瀬戸口に言われ、エンジンってどこだ、と思いながら厚志は思わず返事をしていた。
「そなたの視界の先にある鉄の突起物だろう」
右腕を伸ばして破壊すると、イカダのぶれが収まった三番機は下半身を海に没したまま、門司の埠頭をあとにしていた。
「スキュラが追ってくる――速水、芝村、機体から出ていざという時にはウオードレスを脱ぎ海に飛び込め」
瀬戸口が叫んだ瞬間、レーザー光が走り、イカダを貫き鉄板に穴を空けた。レーダードームを旋回して振り返ると、五体のスキュラが岸岸からこちらを狙っていた。彼我の距離はおよそ二五キロ。立ち込める煙幕のおかげで辛うじて狙いは外れている。海峡のちょうど半分に達したところだった。厚志は岸壁のスキュラの群れから激しい憎悪を感じていた。彼らの仲間を四十体以上殺した。復讐に燃えるスキュラたちはなんとしても三番機を潰しにかかるだろう。
「ねえ舞、何かあったら機体を出て海に飛び込もうよ」
「ふむ。しかしウォードレスは水陸両用というわけにはゆかぬぞ」
「だから……何もかも脱いで裸になるんだよ。制服もだめだよ。海水を吸って溺れてしまう」
「なっ……なんだと!」
舞の動揺した声が聞こえ、厚志は耳を押さえた。
レーザー光が立て続けに放たれ、三番機の肩装甲を吹き飛ばした。激しい揺れと、生命の危機を感じ、厚志は「舞、コックピットを出るんだ!」と叫んでいた。
次の瞬間、静止していたフェリーから放たれた砲弾が一直線にスキュラをめざした。轟音と同時に二発目の砲弾が二体めのスキュラに突き刺さる。飛沫を上げジャイアントバズーカが海に捨てられた。息つく間もなく三発目、四発目の砲弾が正確にスキュラを捉えた。
これは滝川の射撃じゃない。装填の速さは滝川の数倍、フェリーからの砲弾は瞬く間に八体のスキュラを撃破していた。
ふたりが掴まっているイカダとフュリーがすれ違った。フェリーの上部構造物の背後には深紅の機体が窮屈そうに身を潜めていた。
「荒波司令?」
厚志が思わず声をあげると、高笑いが響き渡った。さらに二体のスキュラが一二〇ミリ徹甲弾の直撃を受け、爆散した。
「まったく……この俺様をなんだと思っているんだ。蝶のように舞い、峰のように刺す。軽装甲の大天才が戦艦の主砲代わりだぞ」
荒波司令が陽気な声で通信を送ってきた。言いながらもバズーカを取り替え、正確無比な射撃でスキュラを葬ってゆく。荒波はまさしく天才だった。激しく揺れる船上から一発も外さず、敵を狙撃し撃破していた。
「すごい狙撃だ」舞がつぶやくように言うと、荒波は「もっと言ってくれ」と笑った。
「天才を迎えるには天才こそがふさわしい。そう思ってな、おまえさんたちを出迎えたってわけさ。ああ、別に感謝はせんでいいから」
「相変わらずですね。さて、そろそろ我々も回頭します」
善行の声が聞こえた。すでに下開港は目の前に迫っていた。
埠頭にはぎっしりと兵が詰めかけていた。士魂号の姿を認めると、港は地も割れんばかりの歓声に包まれた。
……こうして九州での戦いは終わりを告げた。動員された学兵十万。そのうち生き残った者は五万に満たなかったという。学兵たちは多感な年頃を、二度とは戻らぬ貴重な時間を戦場で過ごし、戦い、若い命を散らしていった。
休養を勧める善行らの制止を振り切って、舞はただひとり埠頭にたたずんでいた。視線の先には光という光が消え、月明かりの下、黒々とした輪郭を見せる対岸があった。
すでに深夜となっていた。引き揚げてきた兵のための炊き出しや、宿舎の提供など、賑わった港も静けさを取り戻していた。浜風を全身に受けながら、舞は口許を引き結び、対岸を凝視し続けた。それが芝村流の死者に対する鎮魂であるかのように――。
足音がして、厚志が横に並んだ。
「起きたら、急にいなくなっているんだもん。心配したよ」
厚志の声はあくまでも静かで、穏やかだった。
「負けるべくして負けた。わたしにはそれが悔しくてならんのだ。……政府の、そして軍の無能によって負けるべくして負け、兵たちは死んでいった」
舞の口調は静かであったが、激しい怒りが込められていた。
死者を悼み、祀り、祈るのは坊主に任せておけばよい。わたしにできることは、二度と同じ悲劇を繰り返さぬようこの国を、この世界を変えることだけだ。
「そうだね」
厚志はそうつぶやくと、舞の風に括れるポニーテールに目を留めた。初めて舞と長距離走をした時のことが思い出された。それからこのポニーテールをずっと追い続けてきた。
「戦いはまだ続く。わたしは軍に残り、この戦争に勝つつもりだ」
「僕もずっと一緒だから。知っているかい? 僕はこの命を君に捧げると決めているんだよ」
「ふん。何を今さら。そんなことは知っている!」
舞はことさらに不機嫌に言うと、しばらくして「感謝を」と小さな声でつぶやいた。
……新たな伝説がはじまろうとしていた。
[#地付き](了)
[#改ページ]
日本国自衛軍・九州撤退戦調査委員会
甲ノ十七 「善行上級万翼長ノ抗命二関スル疑惑」への抗弁
意見陳述の機会をいただき感謝いたします。
わたしは善行忠孝と申します。階級は上級万翼長です。
委員会の皆さんもご存じの過り、わたしは軍の撤退命令に対する「抗命」の罪によって告発されようとしています。
その点に関して申しあげれば、その嫌疑は明らかに不当なものであります。
まずわたしは謎の集団によって原千翼長とともに拉致され、5121小隊と引き離されました。その間、小隊は「撤退命令」を受けましたが、大牟田貨物駅への幻獣の襲撃に巻き込まれ、戦闘を余儀なくされました。この時点でわたしは拉致から逃れ、門司に上陸したところでした。代わって隊の指揮を執っていた芝村舞上級百翼長の報告から通常の撤退は不可能であるとの判断をし、戦闘を続けながらの撤退、すなわち「機動防御」による撤退を選択したわけであります。
我が小隊の事情についてご存じの方なら理解いただけると思いますが、我々には通常の機甲部隊には持ち得ぬ強力な打撃力があり、その点を考慮したあげくの結論であります。
我が5121小隊は結果として機動防御による撤退に成功し、その過程で数多くの友軍の撤退を支援することができました。
ここで皆さんにご考慮いただきたいことは、我々が決して撤退命令に背いたわけではなく、単にその手段に若干の改変を加えたにすぎない、ということであります。
ここに我々及び軍の情報センターからのデータがありますが、撤退の方法を改変したことにより五万の将兵が救われました。どうかこの点を考慮していただくようお願いいたします。
撤退方法を改変することは、状況が刻一刻と移り変わる戦場においては当然のことであり、わたしの判断には一点の曇りもなかったと断言いたします。
最後に……、今回の戦いで死んでいった五万もの少年兵をわたしは心から悼みたい。彼らは生涯で最も貴重な時間を奪われ、戦場へと送られ、死んでゆきました。本来なら彼らは戦争で死ぬべき者たちではなかったのです。
彼らの未来を奪い、死へと追いやった責任をいったい誰が取るのか?
九州の戦場で何が起こっていたのか、知る者がどれほどいたでしょうか?
……ええ、わかっております。本来の議題から逸脱して申し訳なく思っております。しかし、わたしは彼ら少年兵の死を心から悼みます。現実から目を背けた大人たちによって戦場へ送られた彼らの死を心から悼んでおります。
以上、ご静聴ありがとうございました。
[#改ページ]
作者あとがき――心からの感謝を
今回の『九州撤退戦』、如何だったでしょうか?
わたしとしては書きたいもの、書けるものをすべて小説の中にたたき込んだつもりです。本当なら「あとがき」は必要ないと思うのですが、メインストーリーは一応これで終了ということで筆をとったしだいであります。
闇の中の一条の光。しかし、その光は決して消えることのない強敵な光です。
抽象的な言い方で申し訳ないのですが、それが我らの5121小隊です。過酷にして絶望的な状況に置かれながらも決して屈することなく、「どこかの誰かの未来のために」戦い続ける少年兵たち。時として年相応の脆さ、未熟さ、弱さをさらけ出しながらも、彼らは絶望的な現実から決して目を背けずに戦います。
わたしはそんな彼らの伝説が描きたかったのです。
そんなわけで。気がついたら長い時間が経っていました。
『ガンバレードーマーチ』と初めて出会ってから、なんと四年近くの歳月が過ぎようとしています。遊びに夢中になる子供のように、時の経つのも忘れて――。
今、メインストーリーを書き終えた後でもなお、厚志、舞、壬生屋、原、善行、瀬戸口、滝川、森など5121小隊の面々が頭の中を駆けめぐり、熟冷めやらぬといった心境です。自分は本当にこの仕事が好きなんだなとつくづく思います。
最後に、往々にして設定を逸脱しがちな小説版『ガンバレードーマーチ』を寛容に、温かく見守ってくださる芝村氏はじめ関係者の皆様に感謝を。
そして、ここまでわたしを享見てくれた読者の皆様に、心からの感謝を捧げるものであります。
[#地付き]平成十五年十月 作者敬白
[#改ページ]
解説:ついにここまできたものだ。
文:芝村裕吏(ガンバレでは基礎設計者)
プロのゲーム作りというものは、流れ作業である。一個作ると次が来る。
これは企画の話でも同じで、我もガンバレの後、次々と作品を手がけることになった。
自然、ガンバレとも疎遠となり、つながりといえばリターントゥガンパレードというアルファ・システムのホームページでやっている小説の公開にあわせ、恥ずかしいところや世相の問題で出せなくなった部分(たとえば注射器で人を殺すのはアウトですとか)の手直しくらいしか、やってなかった。
そもそも自分の名前も忘れていた体たらくである。そう言えば俺は芝村裕更と名乗っていたなと思い出したのは、不意に送られてきたファンレターを読んだ時だった。
それで、少々愉快な気分になり、今回の小説の解説を引き受けた。
知らない間に我らの榊さんは巻を重ね、ゲームのエンディングの一個である撤退戦までいっていた。
私にとっては遠い遠い思い出でも、今も忘れずに作業をしていた仲間がいたと思って、嬉しくなった。そして少しばかり自分を恥じ入り、しんみりした。
世では「榊ガンバレ」とも言う、その小説は、面白い。
なんで「榊ガンバレ」なんだ、これこそガンバレではないかと思わなくもないのだが、そこはそれ、世界観としてのガンバレは色々な人が手がけているので、ファンはいちいち区別しているようである。そんなものかと思ったが、ことさらこの連作小説をひいきにするのなら、ただのガンバレではいかんのだろう。ファンは作家に敬意を込めて、その冠をおいているに違いない。
その「榊ガンバレ」の最新刊である。しかも長編だ。エピソード的にはラストだ。関係者が身内で褒め称えてもどうしようもないので何も言わないが、ファンの期待は裏切らないと、思う。
今回もどのキャラもかわいらしく、また格好いい。
自分がゲームでこのエピソードを書いてているころを思い出して、愉快になるほどである。
こういう終わりが、あってもいいねと思った。
2008/11/16 入力・校正 hoge