ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常
榊 涼介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
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(例)原|百翼長《ひゃくよくちょう》
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(例)[#改ページ]
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一九四五年
第二次世界大戦は意外な形で終幕を迎えた。
「黒い月」の出現。
それに続く、人類の天敵の出現である。
人類の天敵、これを幻獣という。
確固たる目的も理由もなく、ただ人を狩る、人類の天敵。
人類は、存続のために天敵と戦うことを余儀なくされた。
それから、五十年。戦いはまだ続いている。
一九九七年
幻獣と戦い続ける人類は、劣勢のあまりユーラシアから撤退するに至っていた。
幻獣軍は九州西岸から日本へ上陸。
一九九八年
人類は幻獣軍に記録的な惨敗を喫す。
事態を憂えた日本国首脳部は、一九九九年にふたつの法案を可決し、起死回生をはからんとする。
ひとつは幻獣の本州上陸を阻止するための拠点、熊本要塞の戦力増強。
もうひとつは、十四歳から十七歳までの少年兵の強制招集であった。
そして――。
同年三月、5121小隊発足。
過酷な消耗戦が続く中、苦肉の策として新規編制された試作実験機小隊は、三機の人型戦車・士魂号を駆って熊本各地を転戦。
死闘を繰り返した。
当初は捨て駒としか考えられていなかった小隊は、意外にも善戦、しだいに戦線の将兵の間で語られるようになっていった。
この物語は5121小隊の少年兵の戦いの日々を伝えるものである。
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CONTENTS
絢爛舞踏――幾千万のわたしとあなたで[#地付き]13
附・イ号作戦秘話――三月三十一日(火)夜半[#地付き]116
原日記[#地付き]122
5121小隊のお宝〜武器装甲[#地付き]124
突撃よろし[#地付き]125
原日記U[#地付き]204
5121小隊の天敵〜幻獣[#地付き]206
豪剣一閃! [#地付き]207
楽しいピクニック[#地付き]274
[#地付き]イラストきむらじゅんこ(アルファシステム)
[#地付き]デザイン渡辺宏一(2725Inc.)
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絢爛舞踏
――幾千万のわたしとあなたで
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三月二十八日(土)
天気快晴。我が5121小隊は、九州中部域戦線における遊撃部隊として山鹿《やまが》戦区に転戦。主としこ小型幻獣から成る偵察部隊と交戦す。なお当戦区における彼我《ひが》の戦力比は人類側四十八対幻獣側五十二。戦線は膠着状態にある。当初は
「お荷物」とさえ言われた512−小隊は士魂号パイロットの成長めざ詳しく、しだいに当戦区において期待される存在となりつつある。喜ばしい限り。ちなみに、本日誌は整備班主任・原|百翼長《ひゃくよくちょう》の発案により当番制を旨とする。執筆を怠った者は懲罰委員会にかけられるので、心するように。[#地付き](善行《ぜんぎょう》忠孝《ただたか》)
「さってと。パイロットの皆さん、今日のDJは5121小隊のプリンスこと瀬戸口だ。敵はゴブリンリーダー、ヒトウバンを主力とする偵察部隊。戦力は低いけど、ミノタウロスが二体いる。油断するなよ」
およそ緊張とは無縁な瀬戸口|隆之《たかゆき》の声がこだまする。こんなんでいいのかな、と思いながら、速水厚志はヘッドセットを通じて脳内に投影される映像に注意を戻した。敵幻獣は二十。距離は二千を切っている。
「DJだか何だか知らんが、さっさと許導するがいい」
芝村舞が後部座席で忌々しげにつぶやいた。
ふたりが搭乗する人型戦車・士魂号複座型は高地上に陣どつて、盆地を進んでくる幻獣の群れを見下ろしていた。
約百メートルの間隔をおいて、二体の士魂号単座型が配置されている。
「参ります!」
壬生屋末央の一番機が、超硬度大太刀をきらめかせて斜面を駆け下りていった。厚志は僚機の後ろ姿を見送った。白兵戦での壬生屋の戦いぶりは阿修羅のように凄まじい。
「ぼんやりするでない」
背後から舞の声。厚志はビクリと身を震わせて、反射的に答えた“
「一番機が動いた。どうする?」
「三十秒待て。しかる後に追随」
ふたりが搭乗する複座型は、ミサイルランチャーを装備し、射程内にとらえた敵を一挙に殲滅することができる。単座型のパイロットである壬生屋は、両手に超硬度大太刀を装備し、斬りこむ戦術に格別のこだわりをもっている。いつでも先陣を切って、真っ先に突進するのが壬生屋の一番機だった。
案の定、幻獣の群れが一番機をめざす。
厚志の機はゆっくりと白兵戦がはじまった地点をめざした。
戦術画面の赤い光点がふたつ消えた。幻獣二体消滅。それでも幻獣連はびっしりと一番機を取り囲みつつあった。
「煙幕弾は?」
厚志が口を開いた瞬間、ヒトウバンの攻撃が一番機を直撃した。舞は平然と言い放った。
「このままダッシュして壬生屋機に接近。ミサイル発射地点へ向かえ」
士魂号の人工筋肉がきしみ音をあげた。速水の命令に応じて九メートルの巨体が猛然と走る。
一番機そして幻獣の姿がぐんぐんと近づいてくる。強烈な加速感。急停止と同時に、厚志の胃が揺れたり舞が敵をロックオン。ほどなく舞の声が冷静に響く。
「発射する」
ミサイルが一斉に発射された。至近距離だ。閃光と同時に轟音。二機の周囲はオレンジ色の光に包まれた。
「速水機、ゴブリンリーダー撃破!」
「ヒトウバンも撃破!」
オペレータ補佐の東原ののみの舌ったらずな声が戦果を伝える。
ミサイル攻撃が行われている間、三番機は姿勢を低く保ったまま、熱風に耐えていた。
厚志の額から汗がしたたった。次々と消えてゆく光点を見つめながら、笑みを浮かべている自分に気づき、厚志は、はっとした。
(僕はどうしちやったんだろう……)
戦いを楽しんでいる? そんなはずはない。自分は敵を殺すのも、殺されるのも嫌だ。戦車兵を志望したのも、厚い装甲に守られていれば安全と思ったから。それだけの単純な理由だ。
しかし――、実戦に出てからの三週間は、確実に自分を変えつつある。
厚志は笑みを消し、口もとを引き結んだ。
「げっ、マジかよ。やつらは……」
二番機パイロットの滝川陽平はあきれ顔でつぶやいた。今回の敵はミサイルの一撃で仕留められる雑魚だけではない。重装甲・白兵戦仕様の一番機とは対照的に軽装甲の二番機は、掩護射撃、そして快速を利した追撃を得意とする。まずは長距雛射撃でミノタウロスを撃ち減らしてと考え、一六0o口径の対幻獣用バズーカを構えていたところ、二機が動いた。
硝煙が風に流され、背中合わせになった三番機と一番機の姿が浮かび上がった。生き残ったミノタウロスが両機に狙いを定めている。
滝川がバズーカを発射するより早く、ミノタウロスの生体ミサイルが命中、一番機の左腕が肩装甲ごと吹き飛ばされ、白い体液を噴出しながら宙に舞ったっ
「ちっくしょう。先を越しやがって」
滝川は悔しげにつぶやくと、ジャイアントバズーカの引き金を引いた。
「よし、ミノタウロスをロックした」
舞の声。二0oガトリング機関砲、通称・ジャイアントアサルトがうなりをあげて弾丸を吐き出し、敵の巨体に吸いこまれてゆく。ほどなくミノタウロスは肉片を撒き散らして、くたりと崩れ落ちた。
直後に爆風が起こった。もう一体のミノタウロスが、粉砕された。二番機のバズーカだ。厚志は汗ばんだ拳をぎゅっと握りしめた。
「やれやれ、死に急いでいるのか。死なないと信じているのか」
指揮車オペレータの瀬戸口隆之は、マイクをずらして小声でぼやいたけ二番機は撃ち終えたバズーカを捨て、ジャイアントアサルトを手に、突進するところだった。左腕を失った一番機は右手大太刀を構え直し、三番機は至近距雛からアサルトを連射していた。
「勝ちましたね」
頭上から善行司令の声が降ってきた。まるでよそごとのような冷静さだ。瀬戸口は肩をすくめて
「しかし、余裕がないなあ。寄らば斬るぞって感ドしですね」と善行に言った。
指揮車にパイロットの声が次々と届いた。
「こちら芝村だ。損害は軽微っ引き続き追撃に移る」
「壬生屋機です。左腕を損傷するも戦闘は可能。同じく迫撃に移ります」
「こちら滝川。俺も迫撃に移るぜ!」
ほどなく戦闘は終わった。敵は全滅。5121小隊は完璧な勝利を収めた。
左腕を失った一番機は切断面からなお白い血液を垂らしながらハンガーに収まっていた。装甲のところどころに敵のレーザーによる焼け焦げがあり、満身創痍の状態である。パイロット達も集まって、傷ついた士魂号を見上げていた。
「あちゃ〜、こりゃあひどかぁ!」
一番機整備士の中村光弘はあきれて声をあげた。
「まったく! 士魂号はオモチャとは違うんだから!」
整備娃副主任の森精華は憤りを抑えきれずに言って、バンダナをきりりと締め直した。今日は徹夜だ。
整備の苦労も知らないで、と森はぼんやりと立ち尽くすパイロット達を横目で見た。
三番機も同様、あちこちに損傷が見られる。無傷なのは滝川の二番機だけだった。
回収された左腕を整備主任の原素子が気難しげにあらためている。
「親衛隊」ができるほどの典型的なミスコン顔だが、外見に似合わず天才的な整備技能を持ち、戦歴も古い。密かにささやかれている噂では、士魂号の開発に携わっていたという。
原は眉をしかめ、口もとを硬く引き結んでいる。
「気に入らない。気に入らないわ」
原は、こわい目で一番機の切断された腕を見つめている。森と中村は顔を見合わせ、おそるおそる後ずさった。
「あの……どうでしょう? すぐに直りますか?」
壬生屋が原の隣に立った。古武術を代々継承する家に生まれた壬生屋は、制服を着ることを拒んで自前の胴衣姿で通しているら原は苦々しげに真っ赤な袴に目をやった。
「あの……原さん?」
不意に原は壬生屋の左腕を掴んだ。
とっさに振りほどこうとする壬生屋に、原の冷たい声が浴びせられた。
「パイロット失格ね。この腕はもうだめ」
「すみません……」
原は視線で一番機を示してから、壬生星の顔をのぞきこんだ。
「この子は生きている。腕を失うことは、あなたがこの血の通った腕を失うことと同じなの」
「放してください」
原の静かな声が怖かった。壬生屋は懇願するように言った。
「もう少し聞いて、。この子があなたを守っている。わたし達もあなたを応援している。あなたはそれに報いて、機体を大切に扱わなければならないわ」
原の口調に悲しげな音が宿った。壬生屋は罪の意識を感じた。しかし、同時に、それに反発するように壬生屋は口走っていた。
「わたくしは精一杯、戦っています! 戦いに犠牲はつきものです」
「ふうん、そういうことを言うんだ」
原はにっこりと笑った。しかし目は笑っていない。
「ならばわたしも言わせてもらうわ。この子達の部品を調達するのがどれだけ大変か、あなたにはわからないでしょうね。そう」
原は言葉を切って、じっと壬生星を見つめた。
「パイロットの代わりはすぐにでも見つかるけど、この腕はね、替えがなかなか手に入らないの。どういうことかわかる? あなたの命なんてこの腕以下」
壬生屋の顔色が変わった。
皆を守るために必死に戦っているのに、なぜここまで言われなければならないのか。しかも安全な場所にいる整備の人間に。
壬生星の全身を怒りの衝動が駆け抜けた。
「放してください!」
とっさに原を突き飛ばしていた。
「危ないっ!」
激しい音がして、壬生屋は我に返った。倒れこんだ原を厚志が受け止めていた。しかし受け止めきれず、厚志は原を抱いたまま、クッション代わりになって尻餅をついていた。
「あいたたた」
厚志のうめき声が聞こえた。
「だめだよ壬生屋さん、下手したら大怪我だよ」
「あ……」
壬生屋の顔が真っ赤になった。怒りに我を失ってしまった。
恥ずかしかった。武術を学ぶ身が感情を抑制できず、目上の人間に対して暴行を働くとは。
わたくしは壬生屋の家名を汚してしまった。
壬生屋は背を向けて走り去った。
「原さん」
「え、えっ? なに?」
原は厚志をクッションにしていることに気づき、あわでて応じた。
「許して……くれますよねっ本当にごめんなさい」
厚志はしおれた声で謝った。
原はゆっくりと立ち上がった。そして厚志の手をとると立ち上がらせた。
「どうしてあなたが謝るの?」
「ええと。その、何ていうか、仲間だからかな。とにかくごめんなさい」
ごめんなさいの一点張りで、厚志はペコリと頭を下げた。世渡り上手なのかしら、この子は、と思いながら原はくすりと笑ってしまった。
「速水くんに免じて許してあげる」
厚志は再び頭を下げる。主任の機嫌が直ったことを察して、森が近づいてきた。
「またイ号作戦ですか?」と森が生真面目にささやく。森十翼長は制服で定められたキュロットの替わりにGパンをはいて、派手なバンダナを巻いている。原の右腕として、現場を実質的に取り仕切っていた。
「リーダーは中村十翼長。全員をスタンバイさせといて。あ、それから若様もね」
厚志は安堵の息をついてハンガーを後にした。
原の言葉を受け止める余裕は、壬生屋にはなかった。幸か不幸か、場の雰囲気や人の顔色には敏感なほうだった。壬生屋の様子がおかしい、と感じてすばやく接近した、
「けど、パイロットより部品のほうが大切なんて……」
厚志はつぶやいた。
戦車兵に志願したときから、自分達が消耗品であることは薄々と感じていた。学兵とはいえ、どこの世界に二週間たらずの訓練で戦場に出す軍隊があるだろう?
「へへへ、ズルイぞ。ひとりでいいとこ見せやがって!」
ポンと背をたたかれた。振り返ると滝川が笑いかけていた。
「やめてよ。そんなんじゃないんだから」
「いいや、おまえの本命は原素子と見た。速水くんに免じて許してあげる、だって? 高嶺の花と思ってたけど、速水もやるよなあ」
「何だか舞い上がってるね」
厚志がため息混じりに言うと、滝川はますます顔をほころばせた。
「今日は機嫌がいいの! だってこれまで勝ち続けだしさ。撃破数もふた桁になったしさ。まあ、複座型にはかなわないけどよ」
「そう」
「俺もこのまま敵をいっぱいやっつけて、勲章欲しいや」
厚志は滝川と肩を並べ、グラウンドはずれを歩いていた。
滝川陽平は子どもの頃からロボットが好きで、それが高じて士魂号のパイロットに志願したのだという。喋のように舞い、峰のように刺す――二番機の軽装甲快速仕様は本人の希望によるものだが、厚志には
「蝶のように舞う」ようには見えなかった。滝川の機体運用はどちらかといえば不器用で直線的だ。本人もそれを自覚しているらしく、戦闘時には安全なポジションを崩さない。大昔の軽騎兵と同じく、迫撃戦に移ったときにはじめて活躍する。
「もうひとつ! さっき、田辺とはじめて話した。聞いて聞いて」
「あの青い髪の? そうか二番機の担当だよね」
「へへっ、滝川さんは機体を大切にしてますね、だって。誉められた!」
それくらいは普通話すよなあ、と思いながら厚志は滝川の話につき合った。ひとりで盛り上がる割には女性にはシャイな滝川だった。
「それで、俺、思いきって、整備が終わったら一緒に仕事しょうって誘ったんだ。は、はい、いいですよ、だって。恥じらうところがまたいいんだよな」
「……応援するよ。ごめん。僕、ちょっと用事があるんで」
「何だ、壬生屋か? あ、もしかして、なぐさめちゃったりするのか? 気が多いやつ」
厚志は微笑を浮かべて、軽く手を振った。
さすがにつき合いきれない。滝川の話は、悲しくなるほどに希望にあふれていて、こちらが黙っているとエスカレートして、とりとめがなくなってしまう。
今はひとりで考えたいことがあった。
厚志は小隊が間借りしている女子校の廊下を歩いていた。夕暮れが近かった。窓から西陽が射しこんで、人影はない。厚志は伸びをすると、深々と息を吐いた。
戦車兵として5121小隊に配属されてから三週間が経つ。授業を受け、訓練し、呼集に応じて戦場へ赴く。そんな日々の繰り返しだった。
しかし、そんな戦いの日々の繰り返しが、どうやら自分を変えてしまったようだったっ今日、それに気づいて、はっとした。
あの笑いは何だったのか?
はじめて敵と戦ったときは、恐怖と緊張で顔がこわばっていた。それが今では戦闘中に笑み丁ら浮かべるようになっている。
「殺すことに馴れている?」
言葉にした瞬間、厚志の全身に震えが走った。
嘘だ、そんなはずはない、と必死に打ち消す。知らず奥歯を噛みしめていたっ言葉を探した。平静を取り戻すための言葉だ。
今の――今の環境は特殊なんだ、と自分に言い開かせる。そう、落差が大きいのだ。
生きるか死ぬかの戦闘に直面した数時間後には、滝川の『ラブラブ大作戦』に耳を傾けている自分がいる。
(そうだ、きつとそうだ。今の僕は僕じゃない)
本当の僕は殺すのも怖いし、死ぬのも怖い。僕はずっとひとりで生きてきた。用心深い小動物のように、危険を察知し、罠を避け、生き延びてきた。
ここはきっと僕の居場所じゃない。厚志は深呼吸すると、考えることをやめた。
頭がぼんやりする。厚志は洗面所に入ると、蛇口をひねって水で頭を冷やした。しばらく水を浴び続けていると、気持ちが収まった。
ハンカチを出して水をぬぐう。
(笑って。笑っていればいいんだ。きっとうまくやれるよ)
じっと鏡に見入る。笑う。と、笑い顔が凍りついた。後ろから抱きすくめられたかと思うと肩越しに瀬戸口の笑顔が映った。
「おわつ」
「やっ、我が速水くんもやっと色気づいたのかなー」
「ご、誤解されるじゃないですか。こんなところで!」
「俺の気持ち、わかってるくせに」
「た、助けてっ……!」
厚志は真っ赤になって、瀬戸口の晩から逃れた。
ばたばた、と廊下を走り去る音。あ、あの草履の音は……。厚志はがくりとうなだれた。
きっとまた
「不潔です」って言われるんだろうな。しおしおとなる厚志の顔を瀬戸口はのぞきこんだ。
「悪いことしちゃったかな。今の壬生屋だろ」
「……」
厚志は黙って洗面所を出た。瀬戸口も当然のように肩を並べて歩き出す。
「不思議だよな。戦闘のときには信じられない動きをするのに、鏡に見とれて俺に気づかないなんて。名パイロットも恋の悩みには勝てないってわけ?」
瀬戸口隆之は厚志の一年先輩に当たる。しかし軍歴は古く、今は指揮車オペレータとしてパイロットに命令を伝え、ときに機体を誘導し、アドバイスを与える役目を担っている。小隊一の女好きを自称し、人妻から幼稚園児までと広大な守備範囲を誇っている。
「……瀬戸口さんはどうして僕にかまうんです?」
「愛しているから」
「な、なにを……!」
「という冗談はさておいて、俺はおまえさんに興味がある。はじめはキュートな坊やと思ったけど、どうやらそれだけじゃなさそうだからな」
「坊やはやめてください!」
「そんなに怒るなよ。ただ、俺は悩めるおまえさんが好きなんだ。初々しくてな。あ、変な意味はないんだぜ」
「……厚志は憂鬱そうに押し黙った。瀬戸口はそんな厚志を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「速水、おまえさんは天才だよ」
「天才?」
「ああ、天性の士魂号乗りさ。俺だって伊達にオペレータやってるわけじゃない」
「なにが言いたいんです?」
「幻獣キラーの天才パイロットにして、悩める男の子の顔も持っている。おまえさんがどこへ行くのか、俺は知りたいのさ」
「どこへって……」
瀬戸口は微笑した。どこかしら寂しげな笑みだった。
「絢爛舞踏《けんらんぶとう》って化け物を知っているかい?……世界で一番、幻獣を殺した人間さ。終身撃破数三百以上っていうから、息をしているように幻獣を殺すんだろうな」
「どうして僕にそんな話を」
厚志は困惑した。瀬戸口の思わせぶりな態度に、いらだった。瀬戸口が自分の何を知っているというのか? 厚志の目が光った。
「それで……その絢爛舞踏ってどんなやつなんです?」
瀬戸口は冷やかすように厚志を見た。厚志はあわてて視線をそらした。
「おまえさんに毛が生えたやつ」
「えっ、僕?」
「ははは。おまえさんに限らんがね。思うに化け物とそうでないのと、違いはほんの少しだろうさ。ほんの少しだけ普通より武器を使い分け、ほんの少しだけ普通より移動して……そんなところじゃないかって思うのさ」
「普通より、ほんの少しだけ……」
「嫌だね。……そういうのは。自分の中に化け物がいるっていうのはゾッとしない。こういう話はこれっきりにするよ」
厚志は傾重に言葉を選んだ。
「普通、だと思いますけど。僕は……。瀬戸口さんは大げさ過ぎるんです!」
「そうだな。悪かった」
瀬戸口の声は不思議とやさしい響きを帯びていた。
厚志は視線を感じた。舞だった。女子校玄関から出てきたふたりを、腕組みして見ている。
瀬戸口はふっと笑うと
「じゃあな」と肩をそびやかして歩み去った。
助かった――。厚志はほっと安堵の息をついた。
「仲良さそうに話していたが、邪魔したか?」
舞が駆け寄って横に立った。挑むように見つめている。今度は舞か。厚志が返事に窮すると舞は勝ち誇ったように笑った。
「冗談だ。わたしとて冗談のひとつくらいは言える。どうだ?」
「あのね……」
どうだ、と言われても因る。芝村舞とのやりとりは万事がこの調子だった。
舞は厚志と同じ歳の少女で、複座型の火器管制を受け持っているが、ほっそりと華脅な外見とは裏腹に、中身は質実剛健。運動能力、知力、ともに最高水準のレベルを有し、特に情報処理能力に関しては、超人的な技量を持っていた。
反応速度が求められる火器管制においては、常人敗れした速さで敵をロックオンし、撃破することができる。敵にまわしたらこれほど厄介な相手はいないだろう。
芝村という新興名族の出身だが、この芝村という一族がまた変わっている。芝村は血縁ではない。昂然とした覇気の持ち主だけが、芝利一族になる。あるいは加わるのだ。
「世界征服」を標榜し、各国の政治・経済、そして軍事・科学に食いこみ、大きな影響力を持っている。
一説によれば、当初は廃棄が予定されていた試作実験機・士魂号を実戦配備し、5121小隊を新設したのも芝村の強い後押しがあったからという。
舞は極めて芝村的な少女だった。
多くのことに傑出した才能を示すが、偏りがはなはだしく、ときに信じられぬほど世間知らずな一面を見せる。
「デエト」なるものの意味について真剣に質問されたときには、厚志はさすがに面食らった。
厚志のしどろもどろの答えの中から、舞は
「男と女が一緒にいたいと欲し、それを実行すること」とインプットしたようだ。
舞の強烈な個性に、摩志は庄倒されっぱなしだった。
「ええと」
厚志は仕事の話題を探したり舞との間にはいわゆる
「世間話」は存在しない。用件がなければ、舞は二十四時間黙っている。
「明日は日曜日だ」
舞は唐突に切り出した。
「わたしは図書館に行く。知識を蓄え、情報収集能力里高める。特に数学はよいぞ。難しければ難しいほど身が引き締まる」
「引き締まる、ね」
厚志はしかたなく相づちを打った。
「明日は図書館へ行く。噴水前九時」
舞は厚志をにらんで、きっぱりと言い切った。
「……つき合うよ」
厚志は観念したように言った。
滝川は笑みを堪えながら、グラウンドはずれの訓練場でサンドバッグを打ち続けていた、夕暮れになっていた。
あと少ししたら整備班が仕事を終える。女性とふたりきりになるのは生まれてはじめてだ。
緊張するけど、気合いと根性で何とかなるさ、と自分に言い聞かせていた。
「一緒に仕事をして、明日の約束もとりつける。へへっ」
明日は日曜日だ。日曜日といえば、デート! 一度も経験していないぷん、デートの三文字は滝川の脳裏に燦然と輝いているっ財布の中にはくしゃくしゃになったブールのチケットが二枚ある。準備はバッチリ整っている。
「へへ、あと三分、二分、と」
滝川は左手の多目的結晶に目をやった。
時間を過ぎても田辺真紀は現れなかった。
陽が落ちて、街灯が灯った。待ちくたびれてハンガーに顔を出すと、原がひとり気雉しい顔をして端末をにらんでいた。滝川は思いきって声をかけた。
「あのぉ、田辺は?」
「出張中」
「え?」
「夜中には戻ると思うけど。伝言があったら伝えておくわ」
原はディスプレイに目を向けたまま言った。イ号作戦は極秘任務だった。たとえ味方といえども話すわけにはいかない。
「え、いや、そんな大したことじゃないんで……」
滝川はまわれ右すると、ハンガーから逃げ出した。くそっ、出張だって? アテがはずれた。
こうなったら昧のれんでやけ食いでもするか。滝川は目についたサンドバッグに思いきり蹴りを入れた。
目の端に白い人影が浮かび上がった。
「あ、あれ……?」
壬生屋がしょんぼりとたたずんでいた。原もそうだが、壬生屋も苦手だ。声をかけようか迷ったが、向こうから声をかけてきた。
「滝川さん?」
「あ、ども……。どうしたんだ、こんな時間に」
原と壬生屋の一件は見ていた。落ちこんで見えるのもそのせいだろう。しかし滝川の頭の中にはそんなときに交わす言葉が見つからない。壬生屋が近づいてくる。滝川は思わず後ずさった。
「その……速水とは会ったか?」
「いえ……、会っていませんけど」
壬生屋は言葉を濁した。
「速水が心配してたぜ」
「速水さんには悪いことしちゃって」
「あんまり熱くなるなよ」
滝川の言葉に、壬生屋は下を向いた。
「わたくし達より部品のほうが大切なんでしょうか?」
「えっ?」
「わたくしは壬生屋一族の誇りにかけて戦ってきました。それがあのようなからくりと比べられ、遅れをとるとは。悔しいのです」
からくりっていつの時代の話だよ、と思いながら滝川はしぶしぶと口を開いた。
「う〜ん、そうは言ってもなあ。比べられるもんじゃないし」
「比べられたのですっ!」
壬生屋はきっとなって滝川をにらんだ。滝川はごくりと喉を鳴らした。
「わ、わかったよぉ」
壬生屋は表面はしとやかさを装っているが、中身は熱血だ。熱血を装っているが、気の弱い自分と違って筋金入りだ。何とか会話を切り上げたかった。
「真面目に聞いてくださいっ!」
話すうちに感情が高ぶってきたのだろう、しょんぼりした様子は消え、壬生屋は強い視線を滝川に向けた。
「聞いてるって」
「このまま馬鹿にされて黙ってはいられません! わたくし達パイロットは、何としても活躍をして原さんを見返してやらなければなりません。わたくし、明日は特訓をします!」
滝川はぽかんとして壬生屋を見つめた。悪い予感がした。
「じゃあ、頑張れよ……」
「滝川さんもです!」
「俺?」
「明日朝八時三十分に正門前。充実した一日にいたしましょうねっ!」
壬生屋は畳みかけるように決めてしまった。
「俺、俺は……」
滝川はまだ呆然として事態の急変に対処できないでいる。
「それでは失礼します」
壬生屋の草履の書が遠ざかってゆく。
「俺の青春って…」
滝川は財布を取り出し、すり切れかかったプールチケットをひしと握りしめた。
三月二十九日(日)
晴れのち曇りとテレビで言っていた。今は朝六時。眠い。昨日は徹夜で一番機の左腕を取り付ける。作業終了後、意識を失う。気がついたら、整備班詰所に横たわっていた。こんな生活、もう嫌。洗濯物も溜きってるし、街に出て新しいGバン」も買いたいし。すみません、意識が朦朧としちゃって、なに書いてるかわかんない。今から帰って寝ます! [#地付き](森精華)
初春の陽射しを背に浴びながら、厚志は石畳の坂を駆け登っていた。舞の姿はまだ見えない。
よかった、と思った瞬間、舞が植えこみの蔭から姿を現した。
「ごめん、待った?」
「二分〇八秒の遅刻だ」
舞はぶっきらぼうに言って、時間を示した。服のところどころに葉がついているが、舞はかまわず、先にたって歩きはじめた。
「ねえ、植えこみで何をしていたの?」
「用心のためにな。身を隠していた」
用心って、何の用心だ、と厚志はため息をついた。と、舞の足がピタリと止まった。
「聞こえる」
「え……?」
「隠れるぞ」
舞は身をひるがえして植えこみにすべりこんだ。厚志もあわでて続き、植えこみの蔭から日を凝らした。
「あれ? 滝川……壬生屋さんも」
壬生屋は多目的結晶を示しながら
「わたくし三十分も待ちましたー!」と滝川を責めている。
「ちぇっ、そのくらいいいじゃんかよ」
滝川は弱々しく言い返している。
「あれは何だ?」
校舎の方角に遠ざかってゆくふたりを見送りながら舞がささやいた。
「さあ、僕にもわからない。滝川のやつ、昨日は田辺さんと話ができたって喜んでいたけど」
「ふむ」
舞は立ち上がると、何かに思い当たったように厚志に向き直った。
「わかったぞ。あのふたりはデェトをしているのだな」
「けど学校に向かったよ。デートの場所に学校は選ばないよね」
「そうなのか?」
「……たぶん」
舞の真剣なまなざしに押されて、厚志は自信なさげに言った。
図書館は空いていた。と言うより、今どき、日曜の午前中から図書館に来る人間そのものが珍しい。舞は他の書架には日もくれず、理工系の書棚の前に立つと数冊の本を抜き出した。厚志も過当に一冊の本を手にとった。
「ふむ」
舞が感心したようにうなずいた。
「寄生虫が好きなのだな。確かに寄生虫は今もつて人類の脅威のひとつだ」
手にした書名を見ると、『寄生虫のヒミツ』と書かれている。
「別に、好きってゆうわけじゃ」
「人類最大の脅威はむろん幻獣だが、研究に貴賤はない。おそらくは乏しい予算にもめげず、研究を続けていることであろう」
舞は決めつけると、書架わきの丸テーブルに腰を下ろした。向き合って座るのは何となく気まずい。厚志は椅子をずらして、舞から九十度の位置に座った。舞は厚志をちらと見たが、何も言わずに専門書に目を落とした。
小一時間ほどが経ったが、厚志は字面を追うだけだった。落ち着かない。舞も同じ気持ちらしく、時折せわしなく身ドしろぎしている。
「こら、がさがさと動くな。集中できん」
「ご、ごめん」
がさがさしているのは舞じゃないかと思いながら、つい厚志は謝ってしまう。
「あのさ……」
「何だ」
舞は集中を取り戻そうと、必死の形相で専門書をにらみつけている。
厚志は戦闘時の奇妙な感覚について端的に語った。
「……戦闘中に笑っていたんだ、僕」
「何の問題がある?」
舞は本から目を放さずに、ぼつりと言った。
「怖いんだ。自分が変わってゆくのが。僕が僕でなくなるようなり僕は何者なのか? 今は頭の中がモヤモヤしてなにが何だかわからない」
「わからん、というのは嘘だな」
舞は顔を上げて、厚志を見つめた。冷静な表情だった。
「あれだけの操縦をこなすそなたが、自分が何者であるか、わからんはずはない」
舞の冷静な言葉に、厚志は憮然として黙りこんだ。しかし舞はそれを同意ととつたか、低い声で続けた。
「ただし、そなたの言わんとすることはわかる。わたしとて、戦っている最中には脳細胞が活性化し、勝利したときには達成感を覚える。笑みを浮かべることすらあろう」
「達成感……」
舞とのやりとりでは必ず受け身に立ってしまう。厚志が異物でも呑みこむように舞の言葉を反芻すると、舞の口の端がほころんだ。
「ヒトは幻獣を殺さねば生きられぬ。笑いながら殺そうが、泣きながら殺そうが、結果は同じだ。きれいごとを言って戦いから逃げるよりはましだろう。忘れるな。たとえそなたが何者であろうと、そなたの友はそなたと一緒に戦い、そなたを守る。そなたの友は最高なんだぞ。ああ……つまりわたしのことだが」
舞の冷静な表情が崩れた。頬に赤みがさしている。厚志も釣られて、赤くなった。さらにそれを見て、舞はますます赤くなった。
「ご、ご、誤解するな。そなたはわたしにとって最高の操縦担当ということだ」
「わ、わかっているよ」
「そなたと図書館にいると集中できん!」
「ごめん」
誘ったのは舞なのだが、厚志は何度めかの
「ごめん」を口にしていた。
舞が精一杯、応えてくれたのがわかった。嬉しかった。が、不意にある疑問が頭をもたげてきた。これまで自分は、相手に精一杯応えることがあったろうか。
一二月三十日(月)
晴れ。小隊は阿蘇戦区へ移動。有力な敵と遭遇す。……バイロットの養成期間は終わった。遊撃部隊としての5121小隊の真価が問われるのはこれからだ。それにしても、どうして士魂号を実戦配備するの? あの子達は可愛いけど、気難しくて手間がかかる。整備班は部品調達に苦労し、徹夜続きのハイな日々を送ることになるわ。わたしの青春を返して。[#地付き](原素子)
「二〇一v一、二〇一v一。全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限りすみやかに教室に集合せよ。繰り返す。二〇一X一、二〇一X一、全兵員は教室に集合せよ」
多目的結晶を通じ、非常呼集がかけられた。
厚志は情報処理の勉強をやめて、走った。タテマ工ではいったん教室に集まることになっているが、最近では直接現場ハンガーに駆けつける。
ハンガーでは整備班の面々がわき目もふらず、セットアップに専念していた。その横をすり抜け、厚志はウオードレスを着用すると複座型のコックピットにすべりこんだ。
後部座席では舞が火器管制システムをチェックしている。厚志は腕にはめこまれた多目的結晶を士魂号に連結すると、操縦系システムを稼働させた。一瞬、気が遠くなる。
――色鮮やかな衣装を身にまとった巨人が舞い、踊る。手にするは剣鈴。武楽器。足下には無数の幻獣が倒れ、消滅しっつある――士魂号と神経接続をし、一体となるときに、士魂号が見せる『グリフ』と呼ばれる夢だ。ほどなく意識が戻った。
厚志の網膜にハンガー内の光景が投影された。
眼下では森精華が拡声器を手に一番機をトレーラーまで誘導している。続いて二番機。
「三番機、お願いします!」
森が厚志をうながした。
厚志は慎重に部材を避けながら、トレーラーにとりついた。
市街に出ると、まだ残っている熊本市民が小隊に手を振っている。器用に敬礼をしてみせる士魂号に、市民達は歓声を送った。
街並みは途切れ、あたりの風景はしだいに緑が濃くなった。小隊は時速四十キロメートルの速度で国道を進んでいた。戦時下の道路は荒れていた。凹凸の激しい道を、慎重に進まねばならない。
先頭を走る指揮車から善行の声が送られてきた。
「阿蘇戦区に有力な敵が出現しました。これまでの敵とは違い、中、大型の幻獣から成る強力な相手です。くれぐれも行動は慎重に、オペレータの指示に従って動いてください」
「テスト期間は終わった、ということか」
舞がぼつりとつぶやいた。
「何のこと?」
「やっと本番だ。我々が弱い敵を倒して経験を積んでいる間、他の部隊は相当な犠牲をはらって戦線を維持していた」
「どうしてそんなことを知ってるの?」
「わたしは芝村だ」
「ふうん」
厚志は首を傾げた。
ぐおんぐおん、と砲声が空にこだまする。戦場は近い。ところどころに黒煙が上がって、晴れ渡った空に吸いこまれでゆく。
ガス・タービンのエンジン音が響き、前方から巨大な車輪を装着した二両の装輪式戦車が現れた。ほっそりとした女性用ウォードレスを装着した戦車随伴斥候兵《スカウト》が車体にとりついている。
善行が指揮車のハッチを開け顔を出すと、戦車隊の指揮官が敬礼をした。厚志や舞と同じ年頃の少女だ。
「5121小隊司令、善行千翼長です」
善行も敬礼を返す。
「翠嵐家政《すいらんかせい》短大付属女子戦車小隊、大野十翼長です。司令が戦死したため、わたしが代わって隊の指揮をとっております」
善行はじっと大野十翼長を見つめた。汗で柘に髪がはりつき、目もとには隈ができている。
見るからに疲れきった様子だった。
「前線の様子は?」
「現在、一個小隊が後衛戦を行っています。敵戦力はスキユラ二、ミノタウロス八、ゴルゴーン四」
「ごくろうさまです。それでは大野十翼長、わたしの指揮に従い、戦場に戻ってください」
十翼長は首を振った。
「我が陳は消耗しています。無事に生き残りを連れて帰りたいのです」
「抗命は罪に問われますよ」
善行が静かに見つめると、十翼長はこわばった表情で善行を見返した。数秒、にらみ合った。
厚志は固唾を呑んで成り行きを見守った。どうしたというのか? こんな光景ははじめてだ。
しかし舞は気取られぬよう、ジャイアントアサルトの安全装置をはずしてから、冷静に言った。
「油断するな」
「だけど……」
「連中は全滅に近い打撃を受け、パニックに陥っている。善行はどう切り抜けるか?」
厚志と舞の網膜に、善行がゆっくりと眼鏡に手をやる光景が映った。
「行きなさい」
十翼長の目が見開かれた。予想外の言葉に耳を疑ったのだ。
「わたし……わたし達はっ!」
「わかっています。あなた方とは出会わなかった。これでいいでしょう?」
善行は微笑んだ。十翼長の肩が落ちた。
「ご武運を」
「ありがとう」
遠ざかってゆく戦車隊を見送りながら、若宮が言った。
「かまわんのですかっ」
「督戦隊《とくせんたい》の役目はごめんです」
「司令らしいですな」
「休息さえとれば彼女らはじきに回復します。今は一兵でも惜しい」
善行はそれ以上、言わず、行軍再開を言い渡した。
戦場には見渡す限りの田園が広がっていた。ところどころに小さな集落があり、雑木林が点在している。炎上する集落、車両群、そして肉眼でもそれとわかる幻獣の群れが抵抗を続ける戦車隊に迫りつつめった。
「士魂号、降車」
善行が命じると、瀬戸口はうなずき、いつもの気楽な調子で各機に告げる。
「パイロットの皆さん、瀬戸口です。今日の敵はちょっと手強いから俺が手とり足とりナビしてやるよ」
「不潔です!」
壬生屋の甲高い声に瀬戸口はヘッドセットをはずして肩をすくめる。
「ふけつ? どうして?」
瀬戸口の隣で東原ののみが首を傾げる。ののみは拍子抜けするほど小さい、十歳前後の少女だ。なぜののみが小隊に配属されたのかは、知る者は少ない。瀬戸口はののみの過去を知るひとりだったが、彼女を可愛がり、善行の許可を得て手もとに置いている。
「さあね。俺ほどのきれい好きはいないと思うんだけどな」
「そうよねぇ」
ののみはこくんとうなずいた。
「こちら三番機だ。無駄話をしている暇があったら、友軍を助けたらどうだ?」
舞の声が指揮車に冷ややかに響いた。善行の眼鏡が光った。
「すみやかに敵の側面をつくように、と伝えてください」
「え、えっ? そんな簡単な指示でいいんですか?」
瀬戸口があきれて尋ねる。善行は無表情にうなずいたっ
「敵は戦車隊に気をとられている。側面をすみやかにつけ、だってさ」
瀬戸口は投げやりに言った。
「そんなことはわかっている」
舞が忌々しげにつぶやいて、すばやく彼我の戦力をサーチした。戦車二両、二体のスカウトが雑木林に隠れて抵抗している。対する幻獣は十六体。おびただしいレーザー、ミサイルが閃光を発している。全滅は時間の問題だった。何としても友軍を助けなければ。
「接近しょうか?」
厚志の声と同時に、機体がゆっくりと動き出した。
「待て。他の機と連係を……」
と舞が言いかけたとたん、目の前を一番機が駆け抜けていったっ両腕に大太刀を握りしめたいつものスタイルだ。
「壬生屋……さん?」
厚志が通信を送ると、壬生屋のいらだたしげな声が響いた。
「わたくし参ります! 目にもの見せてあげますわ」
「待って、今、煙幕弾を」
厚志の言葉に押し被せるように、舞が言った。
「ない」
「ないって、そんな……」
「わたしとしたことが、迂間だった」
「いや、僕のほうこそ不注意だった。ごめん」
「代わりにバズーカがある。これでスキユラを仕留められる。その後は壬生屋機に続き、接敵。ミサイルを発射して敵中を駆け抜ける」
厚志はすばやく先行入力する。ほどなくふたりは強力なGを感じて、三番機は射撃位置への移動を開始した。
「おい、行っちまったよ」
滝川は愛機に語りかけた。軽装甲の二番機は、おいそれと敵の射線に入るわけにはゆかない。
待機しているところへ三番機から通信が送られてきた。
「戦えとは言わぬが、敵の注意を引きつけるがいい」
舞の言葉にかちんときたのか、滝川は怒りを含んだ声で言い返した。
「何だよ、えらそうに!」
三番機から放たれたジャイアントバズーカの砲弾が一直線に敵をめざした。命中! 空中要塞スキユラが、一瞬にして炎に包まれ落下した。
その間、一番機は猛進してミノタウロスを背後から斬りつけていた。おびただしい体液が飛び散り、袈裟懸けに割られたミノタウロスが崩れ落ちる。
「速水機、スキユラ撃破」
「壬生屋機、ミノタウロス撃破!」
ののみの声が響く。
「幻獣十体、壬生屋枚に向かった。フォロー頼む!」
瀬戸口の口調が切迫したものになった。
三番機も突進。首尾よく敵中をすり抜け、絶好のミサイルポジションに達した。三番機の動きに釣られた敵が方向転換する。
「壬生屋機被弾により運動性能低下、機体強度低下! 照準装置故障。無理しないで、末央ちゃんっ!」
今度はののみの甲高い声。赤いレーザー光が次々と一番機に向けて吸いこまれる。
「三倍にして返してあげますからね!」
一番機は二体めの敵に大太刀を斬り下げる。
三番機は姿勢を低くすると、ミサイルを発射した。轟音。そしてオレンジ色の閃光。硝煙が立ちこめ、一瞬、視界が閉ざされた。
すべて命中だ。しかし次の瞬間、厚志は真っ青になった。
目前に巨大なスキユラが浮かんでいた。他の幻獣も半数ほどが傷つきながらも健在だ。
「命令取り消し。横へジャンプするよ」
修正がわずかに遅れた。命令を取り消せず、ダッシュをはじめた三番機は移動半ばでミノタウロスと激突した。
「スキユラの直撃を受けました。脱出します!」
壬生屋の悲痛な声。ヘッドセットの戦術画面に、青い光点がぼつりと現れ、戦線を維脱する。
「しょーがねえな! ちょっと無理するぜ!」
これを掩護すべく、それまで距離を置いていた二番機がダッシュして幻獣と壬生崖の間にすべりこんだ。
「ミノタウロスをロックした。白兵戦で撃破した後、左へジャンプだ」
「え、だけど」
「幻獣を一体でも減らし、友軍の退却を助ける」
ミノタウロスが三番機に生体ロケットを向けた。すでにこちらを射界にとらえていた。厚志はキックを入力して、横、横ジャンプの指示を下した。内臓がねじれるようなG。遠心力を得た人工筋肉の脚は狙い過《あやま》たずミノタウロスの頭部を粉砕した。
肉片が飛び散って、ミノタウロスが視界から消えた。
ジャンプの態勢に入った瞬間、衝撃があった。ののみの声。
「速水機被弾。照準装置故障。反応速度低下!」
「壬生屋と戦車隊は逃がした。三番機も早く逃げろ! わっ……!」
滝川の声が重なった。
二番機の脚部を赤い閃光が貫いた。バランスを失った二番機は白い血を流しながら横転。
「滝川機被弾!」
ののみの幼い声が悲痛に響いた。
はじめての敗北。しかも惨敗だった。厚志は敵の迫撃を避けようと、必死に逃げまわったことしか覚えていない。駆けこむようにトレーラーに飛び乗って撤退する途中、舞が話しかけてきた。
「笑えたか? 戦闘中に」
厚志は首を横に振った。背筋をぞっとするものが走った。はじめて死を身近に感じた。
「僕は……」
「答えんでいい! わたしはおのれの非力さに腹をたでている」
舞が強い声で遮った。質問しながら相手の答えを封じるというのは、舞も相当に動揺しているということだ。
「まさか、これほどとは……」
舞のつぶやきを厚志は聞き逃さなかった。
「どういうことです?」
帰途、指揮車のハンドルを握りながら、瀬戸口は善行に尋ねた。拙劣極まりない攻撃。しかも善行はひと言も口をはさまなかった。
今回の戦いは、未熟な猟犬を野獣の大群の中にけしかけたようなものだ。瀬戸口は眉をひそめて善行の答えを待った。
「士魂号一体。高くつきましたが」
善行は眼鏡をはずすと、丹念にレンズをぬぐった。
「彼らはより狡猾な、抜け目ないパイロットに成長するはずです。この敗戦はそのための投資と考えてください」
「手荒な方法だ。戦死者が出ても不思議はなかった」
瀬戸口は吐き捨てた。
「むろん、手荒なことは認めます。しかし……」
善行は冷静に言った。
「我が隊に配備された士魂号は極めて高い戦闘能力を有しながら、信根性に欠け、鬼子扱いされたあげく、廃棄処分が決まりかけていた機体です。オール・オア・ナッシングの見本と言えるでしょうね。パイロットに要求されることは士魂号の戦闘力を極限まで引き出すこと。そのためには一刻も早く熟練したパイロットになってもらわねばならないのです」
「しかし。だからといって……」
瀬戸口が絶句すると、善行は憂鬱そうに微笑んだ。
「実戦で教育するしかないのですよ。新人からベテランにレベルアップする過程で、パイロットは淘汰されます。淘汰の中で生き延びた者には、勇敢な者もいれば、暗病《おくびょう》な者もいるでしょう。しかしただひとつ共通することは、士魂号を操り、生き残る術を確実に掴んでいることです。これは賭です。成功すれば強力な戦隊ができあがります」
「そういう考え方もあるんですかね」
瀬戸口は口をゆがめて運転に注意を戻した。
整備員達は破損した機体をあらためて見て息を呑んだ。
惨憺たる状態だった。機体を降りた厚志、舞、滝川の三人は貝のように口を閉ざし、機体を失った壬生屋は不安げに主のいないトレーラーに掴まっている。
「壬生屋さん、何だかすっきりしているわね」
原がにっこりと笑って壬生屋に呼びかけた。これが怖い。
「一番機はどうしたのかしら? 影もかたちもないけど」
壬生屋は赤くなった。しかしすぐに毅然とした態度で原の視線を受け止める。
「戦闘中に大破しました!」
原の顔から笑みが消えた。壬生屋のまなざしに動揺の色が浮かんだ。
「大切な機体を失って、あなたが得たものは?」
「それは……」
壬生屋は悔しげに下を向いたっ整備班の面々は、息を呑んでふたりを見守っている。
壬生屋の足下に水滴がしたたった。
「行きなさい。今はゆっくりと考えることね」
原の口調は意外にも穏やかなものだった。
原の予想外の反応に整備員は面食らった。いつもの原だったら、この百倍は嫌みと皮肉の精神攻撃が続く。
壬生屋は悄然と立ち去った。
「今日はずいぶんやさしいんですね」
森が耳打ちするように言った。原はにっこりと笑って、副主任の肩を思いきりたたいた。
「やあねえ、わたしはいつだってやさしいわよ!」
厚志はグラウンドわきの土手に寝そべっていた。
まだ陽が高い。上空をゆっくりと雲が流れてゆく。こうして雲を目で追っていると、しだいに心が静まってくる。
死んだとしでも不思議はなかった。ただ厚志の本能が死を拒んだ。孤立した状況の中、気力を振り絞って、敵の裏をかき、逃げまわった。その結果、ここにこうしている。
「ここにいたのか」
顔を向けると、舞が見下ろしていた。にこりともせず、歩み寄ると厚志の横に腰を下ろした。
「気象観測でもしているのか?」
「そんなところかな」
厚志は気の抜けた様子で答えた。謄病な兎が巣穴に逃げこんで、ほっと息をつくように、今はひとりきりになりたかった。笑みを浮かべることさえわずらわしい。厚志は寝そべったままぼんやりと空を見続けた。
「大したものだった」
しばらくして舞が口を開いた。舞の目は閑散としたグラウンドに向けられている。
「なにが?」
「そなたの操縦だ。十体以上の幻獣を出し抜いて、まんまと逃げおおせた」
ダッシュしたかと思うと、横へ飛び、十分に敵を引きつけてから再びダッシュする。様々なパターンを駆使して厚志は幻獣を振り切った。
「Gと揺れの連続だった。おかげでまだ胃がムカムカする」
舞は顔をしかめた。
「覚えていないんだよ」
「ふむ。三半規官がよっぽど頑丈なのだな」
あのとき――、舞は逃走をあきらめて、何度か射撃指示を下した。しかし厚志は舞の言葉を無視して、逃げに逃げた。
「大したものだ」
舞は念を押すように言った。厚志が黙っていると、舞もあきらめて口をつぐんだ。厚志は目を閉じ、そのまま眠りこんだ。
目を開けると、まだ舞がいた。陽が落ち、街灯の光が点々と灯っている。冷たい風がふたりにまともに吹きつけた。
「どれくらい眠っていた?」
「二時間というところだろう」
舞は多目的結晶を見ながら答えた。
「ずっとここに?」
「考えることはいくらでもある。その、何だな……」
言いかけて舞はくしゃみをした。厚志はあわてて起き上がった。
「風邪をひくよ。帰ったほうがいい」
「芝村は風邪を引かね。それよりおまえに言いたいことがある。今日までの我々は温室で育てられたひ弱な花であった」
せっかく文学的表現を使ったのに、厚志の反応はない。柄にもない。舞は咳払いして言い直した。
「弱かった、ということだ。しかしたった今、わたしは強くなることに決めた。おまえも決めるがよい。皆が我々に期待している」
「そうかなぁ……」
厚志は首を傾げた。しかし舞は無視して話を続けた。
「期待される以上、それに応えねばならぬ。よってわたしは極秘裏に戦術研究会を開くことに決めた。以上だが、なにか質問はあるか?」
「戦術研究会ってなに? どうして極秘なの?」
「よい質問だ」
舞は覇気にあふれた笑顔を向けた。
「戦術研究会では、機体を効率的に運用し、敵を破るための戦術を模索する。極秘裏に行うのは、努力するのを他人に見られたくないからだ。芝村的に言えば、努力は恥だからな」
強烈な主観、そして客観がダイナミックに入り交じるのが、芝村的会話だ。たとえ、誰も自分達に期待していなくても、
「期待している」と決めつける。こうして次の行動へ飛躍するっ強くなろうと
「思う」のではない、強くなることに
「決める」のだ。
「むろん、そなたは重要なメンバーだ」
舞は付け加えて言った。
「他には?」
「わたしとそなただけだ」
舞はきっぱりと言った。
「え……? だけど壬生屋さんや滝川は」
「立ち直るのに時間がかかる。結果を見せれば自然と従うであろう」
「はあ〜」
ため息が出た。
滝川は心配そうに傷ついた二番機を見守っている。傍らでは整備員の田辺真紀が二番機の損傷箇所を丹念にあらためていた。
「直るか?」
田辺は振り返って、滝川に微笑みかけた。青い髪を三つ編みにしている。かたちのよい鼻の上にちょこんと載った眼鏡が可愛らしい。
「はい。士魂号は脚部が弱いので心配していたんですけど、人工筋肉はまだまだ元気です。生体部品の交換もありませんし。明日一日あれば何とか」
「よかったぁ!」
滝川は胸をなで下ろした。
「けど、きれいな傷ですよね。運がよかったです」
田辺はドライバで、レーザーに筋肉をそぎとられた臑の傷をそつとつついた。士魂号の腱がピクリと反応した。
「本当によかったぜ。俺、こいつのこと好きなんだ」
「この子のこと……ですか?」
周辺は、ほっそりと優美な快速仕様の二番機を見上げた。
「ああ。こいつ、どんどん俺のやりたいこと覚えてるみたいだし、俺の好み、わかってるし、死ぬときは一緒みたいなもんだしね。それに何か一生懸命って気がするんだ」
「滝川さん、やさしいんですね」
田辺は微笑んだ。
な、なんて可愛いんだ! 滝川は胸が苦しくなった。深呼吸して思いきって尋ねた。
「なあ、出張ってどこへ行ったんだ? 俺、ずっと待ってたんだぜ」
不意に田辺の顔がこわばった。おどおどと、返事を待つ滝川をちらと見た。
「ご、ごめんなさい。その質問には答えられません」
「そんな」
滝川が口を開こうとすると、田辺は憂鬱そうに
「だめなんです」と繰り返した。
「ちょっとお邪魔してよろしいですか」
田辺の顔がぼっと赤らんだ。滝川が振り返ると、長身長髪の美男子が愛想よく微笑んだ。
「どうも。遠坂《とおさか》です」
「あ、ども…。滝川です」
滝川はあわてて敬礼をした。しかし遠坂は、
「わたしは一介《いっかい》の十翼長に過ぎません。そう畏《かしこ》まることはないですよ」
と苦笑して言った。遠坂は制服を着ているが、自分の着ている制服とはどこか違う。しわひとつなく、長身にピッタリとフィットしている。支給品とは生地の品質、仕立ての手間が違う、限りなく支給品に似せてつくられたオーダーメイドだと見る人が見ればわかるのだが、滝川の目にはただまぶしく映っただけだ。
ただ者とは思えない。滝川は気後れを感じた。
「田辺さん、三番機の火器管制システムについてなんだけど。複座型はどうもややこしくて」
遠坂に話しかけられて、田辺はますます赤くなった。
「あ、はい……前に担当してました。少しはお役にたてると思います」
「マニュアルと全然、構造が違うんですよね。困った」
「あの……、マニュアルに書かれてあることは忘れたほうがいいです。整備の困る顔が見たくてイタズラ好きの開発者がわざとデタラメを書いたのって主任がおっしゃってました。触ってみて慣れるしかないです」
田辺はすっと滝川の横をすり抜け、遠坂に駆け寄った。
「あの、あのっ、わたし、お手伝いします」
「ご迷惑では?」
遠坂は白い歯を見せて田辺に笑いかけた。
「だ、大丈夫です。行きましょう」
田辺は恥ずかしげにうつむいて、三番機の方角へ走り去った。
滝川は呆然として、田辺の後ろ姿を見送った。そ、そんな、そんな……。
「やはり邪魔をしてしまいましたか。すみません」
遠坂の声が頭の上を通り過ぎた。
「俺って馬鹿……」
滝川はがくりと肩を落としてつぶやいた。遠坂がいなくなった後、財布からお守り替わりのプールチケットを取り出してひしと握りしめた。
「はあ……」
ため息が自然にもれた。
壬生屋未央は途方に暮れて、食堂にひとり座っていた。
テーブルには食べ忘れた弁当が置いてあった。非常呼集がかけられたのが朝だったから、本当は空腹のはずなのに食欲がわかない。
原の言葉が耳に残っていた。大切な機体を失って、得たものとは? 考えてみたが言葉にならない。そういえば以前、士魂号一体の価格は、小さな市の年間予算に匹敵すると聞かされたことがある。弁償なんかできないし――どうしよう?
「あ……」
声がした。振り返ると、森の姿があった。気まずそうに立ち尽くしているっ
「あ…」
壬生屋も声をあげた。森は原のお気に入りだ。原にあんなに言われた後、食事をしているなんて、何と思われるかしら? 壬生屋も気まずそうに押し黙った。数秒間、ふたりは互いの顔をちらと見ては視線をそらし合った。
「捨てるのはもったいないから、今食べているんです」
しばらくして壬生屋は平静を装って言った。森はもじもじしていたが、観念して後ろに隠していたものを取り出した。バンダナと同じ布で包まれた弁当箱。自分のものより少し大きめだ。
「わたしも食べる時間がなくて」
森は意を決して、壬生屋と向かい合って座り、弁当箱を広げはじめた。
そぼろご飯。唐揚げ。明太子、芥子《からし》レンコンがふた切れほど。人柄がしのばれる几帳面な構成だった。けれど耐久性では自分のほうが上だ、と壬生屋は自分の弁当の梅干しに目を落とした。
「それ、可愛いですね」
森の声が聞こえたっ森の箸が
「たこさんウィンナ」をさしている。
「母から教わったんです」
生真面目な壬生屋は、ウィンナはこうするものだと信じている。しかも足をきちんと八本に切り分けている。
森は羨ましそうに言った。
「わたしの継砂は忙しくて、そんな素敵なお弁当、つくってくれませんでした」
「森さんのも立派なお弁当だと思いますけど」
壬生屋は森の西洋庭園のように計算された弁当を誉めた。しかし言葉が続かず、沈黙。黙々と箸を動かしはじめた。森はちらちらとウィンナに目をやっている。壬生屋は黙って、たこさんを森の弁当箱に入れてあげた。森の顔が嬉しそうに輝いた。
「あ、ありがとう!」
森は唐揚げをお返しに壬生屋の弁当箱に入れた。
「揚げ具合がいいですね。味付けは何を?」
「醤油に砂糖、味醂、隠し味に代用にんにくを微量。比率は……」
森は几帳面に答えた。
ふたりは再び黙々と箸を進めた。沈黙を破ったのは、今度は壬生屋だった。
「あの……整備の方達、わたくしのことを嫌っているのでしょうね」
森の箸が止まった。頬が赤らんでいる。が、壬生屋と視線を合わせてはっきりと言った。
「はい」
「わたくしが機体を壊すから、ですね?」
「はい」
きっぱりと言われて、壬生屋は悲しげにうつむいた。
「わたくしの家は代々の武門。幼い頃から剣に親しんできました。わたくしはああいう戦い方しかできないのです」
「……」
森は黙々とそぼろご飯を頬張っている。
「わたくし、自信をなくしてしまいました」
「原さんは……その……ときどきすごく子どもつぽいところがあって、人をからかったり、傷つけるようなことも言いますけど、根はいい人なんです」
唐突に森が言い出した。壬生屋は驚いて森の顔をのぞきこんだ。
「たとえイジメにしても、認めた相手しかからかいません。能力のない人間は無視されます」
「そんな」
「けど、わたし、原さんを尊敬しているんです。きれいだし、整備の天才と呼ばれて多くの修羅場をくぐり抜けてきたし。原さんのようになりたいけど……わたしじゃ無理ですよね」
壬生屋はわけがわからなくなった。
「壬生屋さんにいろいろ言うのも、きっと見どころがあるから」
森はそう言うと、そそくさと食堂を出ていった。
壬生屋は救われた気分になった。原の言葉からとげとげしい部分を消去して考えてみると、確かに正しいことを言っている。
「未熟なパイロットに機体を壊されて怒らないほうが不思議ね」
実家の道場でも、精神修養《しゅうよう》を重んじた。武術を習って、それを喧嘩に用いるような人間は容赦なく破門された。
強引な攻撃は心の弱さからくる。臆病なパイロットが逃げまわるほうが機体を破損しないぶん、まだましだ。二年前に兄を幻獣に殺されたことが、まだ心に残っているのか? 久しぶりに座禅を組もう。
壬生屋は目の前の霧が晴れたような気がした。
三月三十一日(火)
きょうはかぜがつめたいです。しれいしつにあそびにいったら、いいんちょがテレビでんわで、おおきなかおをした人とはなしていました。おおきなこえでわらっこいたけど、なんだかこわかったです。いいんちょもこわいかおをしていました。ののみもこわくなって、小隊付き猫ブータのとこうにあそびにいきました。[#地付き](乗原ののお)
「壬生屋には派手に暴れてもらう。敵を引きつけてもらうのだ」
舞はマジックで
「み」と書かれた石ころを幻獣を模した小石群の中に置いた。
「ただし、これでは前回と同じ失敗を繰り返すことになる。中・大型幻獣を相手にする場合、必須なのは……」
「煙幕弾だね」
厚志は待機している二つの小石に目を落とした。
「ふむ。ナーガ、キメラ、スキユラといったレーザーを主兵器とする敵はこれで防ぐことができる。特にスキユラのレーザーは射程が長いゆえ、これを封じることは大きい」
舞は小枝を手にすると、Sと書いた小石の周辺に円を描いた。幻獣側の最大射程は千八百。
味方の長距離兵器であるバズーカは二千六百の射程を誇るが、単発ゆえ、大軍を相手にするわけにはゆかない。
そこで煙幕弾が必要となる。
「壬生屋の突進と同時に煙幕弾を撃つ。ここまではいい。問題は……」
「撃つ間、タイムロスが生じること。なるべく速く壬生屋さんの負担を減らさなきゃね」
舞は大きくうなずいた。
「そこで滝川だ。軽装甲の滝川機は敵が元気な間は、接近できぬ。滝川に煙幕弾を担当してもらえば、我々は従来どおりの運動が可能となる。両腕にはアサルトとバズーカを装備する」
舞は
「は」の字の小石を敵中に進め、次いでスキユラに向かって方向転換する。
「これで大物を一機」
厚志と舞はグラウンドはずれの地べたにしゃがみこんで、真剣に討議していた。時折、スカウトの若宮や来須《くるす》がのぞきに来るが、舞は噛みつきそうな顔で追いはらった。
「あっ、懐かしい」と何を勘違いしたか近づいてくる女子もいたが、これも舞が撃退した。
「ふふふ、わかってますよ」
不意に声がかかった。舞がきつとにらむと、白衣を着た男がもんどりうって倒れた。岩田裕だ。現在無職。担当をもたず、余った時間をギャグ・パターンの研究に費やしているやつだ。
厚志と舞がことさらに無視すると、岩田はムクと起き上がって、
「ノオオ! このギャグがわからないとは。イワタマン、悲しいです」
ぶつくさと言いながら立ち去った。
「あれは何だ?」と舞。
「さあ、知らないほうがいいと思うよ。それより問題は残るよ。レーザーは封じるとして、ミノタウロスやゴルゴーンのミサイル攻撃はどうする?」
「三番機を電子戦仕様にしてジャミングで防ぐという手があるが、わたしは好かぬ。必要なのはスピードだ。接近して敵を撃破し、敵の射界から逃れるべく再び移動する。案ずるな。今、命中精度を高めるためにプログラムを改良中だ。あとは、威力を倍増するためにミサイルの弾頭に改良を加えるよう具申してある」
「えっ、そんなことできるの?」
「わたしは芝村だ。ミノタウロスの重装甲を基準とし、これを突き破り、体内で爆発させるべく設計図を描いた。まあ見かけは従来型と変わらんが」
ふたりが熱心に話をしている様子を、善行は物陰から遠目に眺めていた。
「まるで子どもが砂遊びをしているようだな」
何が話し合われているのかはわからないが、厚志と舞は真剣そのものだ。敗戦後しばらくはぼんやりしているだろうと思っていたが、大間違いだった。
「芝村的なるもの、か。はは、かなわないな」
善行は苦笑して、首を振った。
背後に気配を感じた。ま、まさか?
善行は珍しく狼狽えて、
「ど、どうしました、原百翼長?」
ほとんど気をつけまわれ右の姿勢で向き直った。
「やあねえ、そんなに緊張しないで。上級万翼長閣下」
原がにこやかに善行に言った。
以前の階級で呼ばれて、善行は眼鏡に手をやった。心を落ち着かせるときの癖だった。
「あ――、天気がいいですねえ」
「そうね。けれどわたしの心はどしゃ降り、つて言ったら?」
原は挑むように善行の顔をのぞきこんだ。
「歌の文句みたいですね」
「またあなたと一緒になるとは、皮肉なものね」
原は善行の言葉を遮るように、とげとげしい口調で尋ねた。笑みは消えている。
「頼れる整備が来てくれて、わたしはありがたいですが」
「ふうん。そういう言い方をするんだ。そうやって他人行儀にしていれば安全だものね」
原はやりとりを楽しむように言った。
善行は沈黙した。ややあって、静かに口を開いた。
「本当のことを言えば、あなたを隊に呼んだのはわたしです。原百翼長、あなたしか頼れる人がいませんでした」
原の頬が紅潮した。日が怒りに輝いている。
「勝手に人の前からいなくなって、都合のいいときだけ呼びつけるの?」
善行は眼鏡を押し上げた。原はきっと善行を見つめている。
不意に暖かな風が吹いたし初春の陽気にそぐわない、夏を予感させる風。一瞬だけ善行の頬をかすめ、吹き抜けでいった。
「せっかく美人とデートしているんだから、少しくらいは嬉しそうな顔をしてよ」
幻聴か? 善行はぶるっと首を振った。
脳裏に数年前の原素子の姿があった。髪を長く伸ばして、きらきらした目で善行を見上げている。とってもまぶしかった。善行が目をそらすと、原は善行のまわりをまわって、生き生きとした仕草で一人芝居をはじめた。
「きみと一緒なら、僕はいつでもどこでも幸せだよ。きみのためなら僕は死ねる」
「口先ばっかりの秀才さん、じゃあ証拠を見せて。わたし、南極の氷でフラッペが食べたい」
「南極の氷、ですか? それは衛生上、感心しませんね。輸送上の問題もあるし……冷蔵庫の氷で我慢なさい」
原はおどけた調子で善行の口調をまねてみせた。
何だかやられっぱなしだな。善行は苦笑すると、すっと手を伸ばし、原の腕をつかんだ。
原の動きが止まった。不安そうに善行をちらと見た。
善行は自分の指を原の指に絡み合わせたら
「きれいな手ですね」
思いもかけぬ反撃に原は真っ赤になって、言い募った。
「嘘。嘘よ。整備の実習ばっかりしていた手が、きれいなわけないでしょ!」
「……口先ばっかりの秀才男は、こういう手が大好きなのですよ」
原は震える目で善行を見上げた。すっかり言葉を失っている。
善行忠孝よ、やり過ぎだ。イエローカードだ。当時、士官になるための厳しい訓練に明け暮れていた善行は、さすがにおのれの欲求不満を恥じた。
「すみません。あなたがあんまり一生懸命だったから、こちらも釣られて……」
「わたしはいつでも一生懸命なの!」
「僕だって。何だか僕達は似たもの同士のようですね」
原は手を振りほどくと、怒りと恥ずかしさに頬を紅潮させ、善行をにらみつけた。
夏を間近に控えたある午後のことだった。
……夏は終わり、それから長い時間が経った。
(しかし、きみの手は本当にきれいでしたよ)
沈黙する善行を、原は険しいまなざしで見守った。
「あなたはなにひとつ、わたしに語ってくれない。そんなにわたしは……」
「終わったのです」
原の言葉を遮って善行は言った。
「善行の馬鹿」
原はつぶやくように言った。
善行は眼鏡をはずすと、原を見つめた。ふたりはしばらくの間、見つめ合った。やがて原は横を向くと、熱心に議論している厚志と舞に視線を移した。
「あの子達をどうするつもり?」
「戦時下において兵は消耗品です。しかしわたしは……」
善行は言葉を呑みこんだ。すぐに苦笑いを浮かべて言葉を続けた。
「消耗品は消耗品なりに大切にしたいのです。無駄に死なせたくはない。もう気づいていることと思いますが、士魂号を主力とした特機小隊の編制を上層部に具申したのはわたしです。士魂号さえ効果的に運用できれば、彼らは敵を破り、最後まで生き残るでしょう」
「……」
原は顔をそむけた。
善行は原の横に並んだ。ふたりの視線の先には、厚志と舞がいる。
「彼らには可能性がありますよ。むろん他のパイロットも。わたしは士魂号に賭け、彼らパイロットに賭けています。巻きこんで申し訳ありませんが、どうか彼らの面倒を見てやってください」
原の顔がみるまに赤くなった。
「な、何でわたしが……!」善行はぎこちなく笑った。冷静な仮面が崩れ、顔が緊張にこわばっている。
「原百翼長、あなたが必要です」
「善行の馬鹿あ!」
原は叫んだ。厚志と舞があっけにとられてこちらを見ていた。
善行は目線を落とし、静かに言った。
「あなたには……謝らねばならないことがたくさんありますね。あなたの気持ちに応えられず、傷つけてしまった。その上、さらに利用しょうとしている」
「……馬鹿」
原は唇を噛み締め、善行に背を向けた。
原が現れると、整備員達は互いに目配せし合った。
不機嫌だ。おそろしく不機嫌な顔だ。主任のデスクに腰を下ろすと、イライラした様子で書類に目を通しはじめた。
「田辺十翼長!」
原の甲高い声がハンガー内に響き渡った。階段を駆け下りる音がして、田辺が姿を現した。
「ご、ごめんなさい」
田辺はペコリと頭を下げた。青いお下げ髪が揺れた。
「まだなにも言っていないわ。二番機の報告書が出ていない。なにをぼんやりしているの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
田辺が再び謝ると、原はじっと田辺を見つめた。
「謝るヒマがあったら、とっとと書類を作成しなさい。三十分だけ待ちます。できなかったらスカウトに転属よ」
田辺はあわてて走り去った。
「森十翼長!」
「え、わたし?」
森が自分を指さすと、中村が強引に背を押した。
「原主任は機嫌が悪かけん。どぎゃんかしてなだめてくれんね」
「森っ! 聞こえないの?」
「はい! 今すぐ参ります」
森がきまり悪そうに前に立つと、原ははじめて笑みを浮かべた。
「ふうん」
原はしげしげと森の全身を眺めている。
「あの、なにか?」
「その服装、一週間前から同じでしょう? バンダナは、そうね、二日前から替えていない」
「おっしゃる意味がわかりません」
言ってから森は自分の不器用さに腹をたてた。
「はい」と畏まっていればよいのだ。
「意味がわからない? 失望したわ、副主任。整備班は汚れ仕事だから、わたしは制服の着用は強制していない。自由にさせてきたわ。けれど、汚い格好をしろとは言っていない。Gパンは油染みで汚れているし、バンダナにも染みがついている。汚れ仕事だからこそ、身ぎれいにと言い聞かせているんじゃない」
「すみません」
森は真っ赤になった。
「副主任は皆の手本。気をつけるようにね」
森は這々の態で逃げ出した。
ハンガー内はかつてない緊張に包まれた。きびきびとした申し送りが行われ、全員が緊張した面もちで仕事に取り組んでいる。
原はイライラと書類をめくっていたが、やがて、バンと机をたたいた。
今度の生け贅は? 全員が息を呑んだ。
しかし原は意外にも穏やかな口調でふたりの名を呼んだ。
「森十翼長、中村十翼長!」
森がしぶる中村を引っ張って連れてきた。中村十翼長は地元の出身で、いつも熊本弁で話す。性格は熊本人らしく陽気で、気っ風がよい。整備班では原、森に次ぐNo.3と目されている。
原は中村を一瞥すると
「相変わらずね」と言った。
「ダイエットを命じます。中村十翼長」
「そ、そぎゃんこつ言われても……」
中村は困り顔になって肉づきのよい腹をさすった。食べることは中村の最大の楽しみだ。
と、原はにこっと笑って、
「冗談よ。八つ当たりしてごめんなさいね。そんなことより相談があるの」
ふたりを見比べた。
「あの……何でしょう?」
森は頬を赤らめて尋ねた。
「イ号作戦を発動したいの。ただし今回は一機分、丸ごと盗らなければならない。一か八かの指になるわ。だからこれは上官としての命令ではなく、相談。どう、中村くん?」
中村十翼長は不敵に笑った。
「面白か話やね、異存はなかよ」
イ号作戦とは、熊本駅周辺の物資集積所へ侵入し、物資・食糧をかっぱらってくるという整備班の非常手段だ。中村は集積所の内情に通じ、警備兵の何人かを友人にもっている。
趣味の仲間だと中村は言うが、何の趣味かは決して語らない。
「しかし一機分となると、軽トラでは運べません」
森が不安げに言った。捕まれば多種多様な軍の処罰が待っており、懲罰部隊へ送られたり、軍刑務所へ収監されたり、最悪の場合、その場で射殺されることもあり得る。
「正規の手段では一番機の配備はひと月先になるわ。パイロットは二機で敵と戦わなければならない。苦戦することになる。パイロットには厳しく、しかし大切に――。これが整備班の心意気じゃなかったかしら?」
森は壬生屋の顔を思い浮かべた。話をして、自分と同じ不器用な人間がいる、と思った。たこさんウィンナは器用につくっていたけど。
「わかりました。わたしだってやるときはやります」
「ふたりで即刻、隊を編制して。あ、若様……じゃなかった遠坂十翼長を忘れず連れて行ってね。いざというとき、有力者の御曹司は盾代わりになってくれるから」
「合点承知たい!」
「了解しました」
「決行は今夜半。各自私服に着替え、二三〇〇時にトレーラーを発進させて」
四月一日(水)
曇りのち雨。奇跡が起こった。一番機が補充されたのだ。原さんが頼んでくれたのかしら? ここ数日、眠れ伝い日が続いていた。パイロットをやめさせられこも文句は言えない。そうなったら生きていけないとまで考えていたのに。これでわたくしは汚名を晴らすことがごきる。白兵戦で被害を受けないように、これからは機体の反応速度と回避率を極限まで上げよう。整備の皆さん、ごめんなさい。そしてありがとう。[#地付き](壬生屋末央)
翌朝、忽然と姿を現した一番機に、パイロット達は驚きの色を隠せずにいた。
整備員はどうしたことか、誰ひとりとして姿を見せない。がらんとしたハンガー内には四人の声だけが響き渡った。
「ふむ。首脳部によほどの変わり者がいるのか、さもなくば壬生屋ビイキがいるのか。いずれにせよ変事であることに違いはない」
舞はまっさらな一番機を見上げながら言った。
「壬生屋ビイキってどういうことです?」
壬生屋が少々むっとして尋ねた。
「壬生屋未央のますらおぶりに共感する者がいる、ということだ」と舞。
ますらおとは雄々しい男を意味する古語だが、壬生屋はまんざらでもなさそうな顔になった。
しかしすぐに表情を引き締めて、自戒するように言った。
「機体を失って、あれからわたくし猛反省をしました。これまでのわたくしの戦いぶりは、感情に流され、皆さんとの連係を忘れた浅はかならのでした」
壬生屋は淡々と言った。
昨日、久しぶりに座禅を組んで瞑想するうち、おのれの浅はかさがよくわかった。おのれを律し、制御するのが武道の基本である。憎悪や復讐といった感情にとらわれ、力まかせの剣をふるっていては、いつか過ちを犯す。負の感情を戦いの理由とするのは危険だ。原はよいヒントを与えてくれた、と今では思っている。
「へえ、壬生屋さん、いいこと言うなあ」
厚志は感心して言った。
「どこが悪いんだよ、感情に流されて」
滝川がぼそりと言った。壬生屋とは対照的に、元気がない。
田辺のことが尾を引いている。あんな気障野郎がいいなんて、こうなったら敵を撃破しまくって勲章をもらってやる、と昨夜は目が冴えて眠れなかった。
「感情的に動いてよいことはない。脳内に余分な物質が分泌される結果、神経伝達に遅れを生じ、反応速度が落ちる。考えてもみよ。たとえば怒りにまかせてパンチをふるうと、肩に力みが生まれ、エネルギーが拡散する。効率的な打撃を与えられぬ、ということだ。戦い慣れぬ者なら骨折すらしかねない」
舞が冷静に言った。
「何なら図に描いて説明してもよいぞ」
「え、遠慮する、遠慮する! わかったよ、俺はもう女には惚れない」
「そうかぁ。けど、滝川だったら、もっといい相手が見つかると思うよ」
厚志はにこっと微笑んだ。舞はふたりを
「立ち直るのに時間がかかる」と言っていたが、女の子にふられて落ちこむ余裕があるなら滝川は大丈夫だ。
「僕は思うんだけど、きみにはもつとしっかりした人が似合うと恩うな。たとえばさ、整備の森さんとか、どう?」
「う〜ん、ちょっと近寄りがたいよ」
「あの……、そんなことはないと思いますけど」
「へ……?」
滝川は目をしぼたたいて壬生屋を見た。
「不潔ですって怒らねえのか?」
「何だか人が変わったみたいだね、壬生屋さんは」
「そんな。ただ、人を見かけで判断してはいけない、と思っただけです。感情表現が下手で不器用な入っていますよね」
厚志と舞は黙って顔を見合わせた。妙に物わかりがよい。様子がおかしい? 舞が目顔でうながすと、厚志はしぶしぶ口を開いた。
「壬生屋さん、僕達の任務って生き延びることだよね」
「はい?」
「死んだら終わりだと思うんだ。つまりそれ以上、敵に損害を与えることはできないし、隊としては戦闘力が落ちる新人パイロットを養成しなきやならない。そうだよね、舞……ええと」
厚志はどさくさまざれにファーストネームで舞を呼んだ。顔が少し赤い。舞は迷惑そうに顔をしかめたが、すぐにふっと笑って壬生屋に向き直った。
「士魂号は5121小隊の主力ゆえ、戦闘力が低下すれば、その影響は連鎖的に広がる。たとえばスカウトに負担がかかるぶん、損害を受けやすくなる、ということだ」
「もしかして」
壬生屋は首を傾げた。やけにくどい。壬生屋はきっと舞をにらんだ。
「わたくしの様子がおかしい、と思ってらっしやるでしょう! 失礼な」
舞はしっかりと壬生屋の視線を受け止めた。
「気をまわし過ぎた。謝罪する」
「ごめんね、壬生屋さん。けどひとつだけ。壬生屋さんの戦い方は今のままでいいと思うんだ。僕達がフォローするからさ。思いっきり暴れて」
「そうだ。我らに任せるがよい」
「また機体を失ったら……」
「大丈夫だよ。壬生屋さんの戦い方を生かす方法をふたりで考えたんだ」
「いいんですか?」
「よい」
舞がきっぱりと言った。
「何かふたりで盛り上がっているなあ」
滝川が厚志と舞を見比べたむ
「そんなんじゃないけどさ」
厚志は微笑した。
「滝川に頼みたいことがあるんだ。ジャイアントアサルトと煙幕弾を装備してくれないか?」
「俺が?」
「壬生屋さんが突進したら、即煙幕弾を撃って。後はバズーカに装備を代えて掩護してくれると助かるんだけどな」
「う〜ん」
滝川は腕組みして黙りこんだ。
断る理由はない。ただ、これまで戦闘における自分の役割を考えたことなどなかったから、必死で頭脳を働かせたのだ。これまでの自分のパターンは、突進する両機についてゆけずに立ち往生することが多かった。自分の機体は軽装甲だし、速水のように敵射程内に飛びこんでの複雑な移動・攻撃も苦手だ。パイロットとしての自分は首の皮一枚で辛うじてつながっていることを薄々感じていた。
速水の言うことは正しいのかもしれない。まず煙幕弾を撃ち、バズーカを装着。機体の重量は増加するが、バズーカは撃ったら捨てればいい。達距離から掩護射撃を行い、後はダッシュを繰り返して敵の退路を塞ぎ、一番機、三番機が撃ちもらした敵を仕留める。
これなら俺にもできそうだ。
「おっしゃOK。その代わりさ……」
滝川は厚志を引っ張って、舞と壬生屋に聞こえないようにささやいた。
「森のことよろしくな。橋渡し役、頼んだぜ」
――田辺はどうした?
四月四日(土)
晴れ。委員長と司令室に詰めこいるとかなわんわ。五分に一度はため息つくし、難しい顔しこ戦区情報とにらめっこしこるし。にらんだって一分や二分で変わるもんやない。戦況があかんのはわかるけど。今日は整備が押しかけてきた。整備にはかわいそやけど、士魂号は部品がない。特注したり、まっさらの機体を分解して、補充している状態や。けど、ダメになった機体を拾ってきて使うってアイデアは気に入った。商売、できそうやわ。[#地付き](加藤祭)
数日後。
司令室には原主任をはじめ、森、中村といった整備員がつめかけていた。どやどやと部屋に押しかける整備員達に善行は一瞬、たじろいだ。こわい顔でじっと善行を見つめる原を、事務官の加藤祭はおそるおそる盗み見た。
「あ、そういえばウチ、野暮用を思い出しましてん」
怪しげな関西弁で言い捨てて部屋から走り出ようとする加藤を、善行が押しとどめた。
「そのまま待機していてください」
善行の目が、
「頼む」と言っている。
「しゃあないわあ」
加藤はため息をついて座り直した。
「今日はやけに大人数ですね」
善行は落ち着いた仕草で眼鏡に手をやった。
「お願いがあるのです」
原は事務的な口調で言った。実はひとりで善行の執務室を訪れるのは照れくさかった。部下で連れてゆけば感情的になることもないだろう。善行も察しているとみえ、ごく事務的に応じた。
「話してください」
「ご存じのとおり、小隊は士魂号の部品調達に苦労しております。主要なメーカーの生産ラインはストップし、現在は町工場で細々と注文生産が行われているに過ぎません」
「お察しします。それにしては一番機の補充は速かったですねえ」
善行は無表情に言った。
原の顔に微かに赤みがさした。すぐに平静な表情に戻って空とぼける。
「星の巡り合わせでしょう。ホロスコープによると、今月は、整備班にとっては『大いなる収穫の時期』と出ていましたから」
笑いを噛み殺す声。原が一瞥すると、すぐに声はやんだ。
「ホロスコープねえ。それで?」
「先日、阿蘇戦区で大破、遺棄された壬生屋機を回収しだいのです」
原は淡々と言った。口調とは裏腹に、整備班が喉から手が出るほど部品の回収を願っていることが善行には見てとれた。
「しかし……阿蘇戦区は危険ですよ。加藤さん、現在の戦力比は?」
「あかん。七十七対二十三と出てます。幻獣だらけってことですわ」
加藤がディスプレイを見ながら言った。
「士魂号に手伝ってもらえば、作業時間は短縮されます。併せて出撃を要請します」
「さて、どうしたものやら」
善行は天井を見上げてつぶやいた。一般的に、戦闘に限定的な目的がつけばつくはど、戦闘部隊の動きは制約され、損失を受ける度合いが高くなる。たとえば、敵の包囲から友軍を放出する作戦などはその典型だ。包囲解除が優先されるため、損害は二の次とされがちだ。善行は山っ気が少ない慎重な指揮官だった。
最小限の努力で最大の戦果を挙げることを信条としている。そのためには作戦を極力シンプルにすることだ。目標をいくつも設定した複雑な作戦は好みではない。
「気が進みませんね」
「部品の回収、調達は我が隊の生命線です」
原は低い声で言った。いつのまにか身を乗り出している。
「パイロットの立場で考えてください。整備班の護衛ということになれば、集中を欠き、十分な戦闘能力を発揮することが難しいはずです。ましてや、今の彼らでは。あっ、なにを……」
「意地悪」
原が近づいて耳打ちした。善行はあっけにとられ、あたりを見まわした。幸いなことに原の声は周りには聞こえなかったようだ。
「わたしはかまわぬぞ」
整備員の背後から声がした。舞が澄ました顔で原の隣に立った。その後ろには厚志が照れくさけに立っている。
「端末を使いに来た。弾薬を陳情しょうと来てみたら、話が耳に入った」と舞。
「僕もかまいません。その……、整備班の苦労がわかっているから。やる価値はあると思います」
厚志も同調して言った。
「変則的な作戦はリスクが大きいのですよ」
「リスクを乗り越えずして成長はない。そろそろ我々を甘やかすのはやめたらどうだ」
どちらが司令かわからない。舞は傲然《ごうぜん》と言った。
「わたし達を守ってくれるの? 大丈夫かしらね」
原は冷やかすように言った。舞は不敵に笑って、原の視線をとらえた。
「信じることだ。わたしがそなたらを信じているように」
四月五日(日)
天気快晴。今日は書くことが多過ぎて、俺には荷が重い。ただ、5121小隊の命運を懸けた戦闘が起こり、ひとりひとりが勇敢に戦ったとだけは書いておこう。にわか編制のはくれモノ小隊がここまでやるとは、驚きだ。戻ったときには皆、消耗して、地面に倒れこんだまま眠りこも者もいたくらいだ。収穫は大きかった。俺達、何とかやってゆけそうだ。[#地付き](瀬戸口隆之)
瀬戸口は憮然として、彼方の土挨を見やった。
上空には小さな黒点が浮かんだかと思うと、八つほどの点に分かれた。地上にはミノタウロス、ゴルゴーン。上空にはスキュラにきたかぜゾンビ。盛大なお出迎えだ。
「欲をかくとロクなことにならない。どうします、撤退しますか?」
無理はしない。これが瀬戸口の信条だ。女性を口説くときと同じだ。無理をしてがつがつすれば女性は退いもしまう。成功するにせよ、失敗するにせよ、楽しむくらいの余裕がなければ、だめだ。
結論に行き着くまでの過程はまったく異なるが、無理をしないという点では善行も瀬戸口と同じだ。
「そうですね。全軍に通信……」
と言いかけたとたん、壬生屋の声が飛びこんできた。
「こちら壬生屋機。参りますっ!」
善行の視界に、白刃をきらめかせ、眺ねるように突進する一番機の姿が映った。ど――ん、と砲声が起こって、煙幕弾が機体回収地点に吸いこまれた。
軽トラとトレーラーが県道を強引に突き進んだ。
「くそったれ、視界が悪か!」
トレーラーを運転する中村が悪態をついた。
「落ち着いて。ゆっくりでいいから、脱輪に気をつけて。軽トラは回収地点に到達後、ハザードランプをつけて」
原が後方の補給車から指示を下す。
「了解」
森が応えた。
「あ〜あ、はじまっちまった」
瀬戸口はぼやくと、善行の指示を待った。
「壬生屋機は引きつけるだけ敵を引きつけてください。今回の作戦は機体の回収、整備班の生還を最優先とします」
瀬戸口は肩をすくめると、パイロットに通信を送った。
「整備班が動き出した。壬生屋機は回収地点から敵を引き離してくれ。速水機は壬生屋機を支援、滝川機は整備班の作業を手伝ってくれ。軽トラのハザードランプが日印だ」
壬生屋の一番機は県道を下りると、九十度の方向転換を行った。
脚部にかかった負荷を跳ね返すように、人工筋肉がきしみ音をあげる。煙幕に覆われた視界にきら、きら、と赤く明滅するもの。きたかぜゾンビの一群だ。すでにこちらを察知しているらしく、壬生屋の方向転換に追随して迫ってくる。
ばたばたばた。ヘリのローターに似せた音が近づいてくる。壬生屋の頭上に先頭の一体が姿を現した。
「やあっ!」
気合いと同時に、一番機は跳躍。超硬度大太刀を斜め上方に斬り上げる。ずしゆつ。柔らかな手応えが伝わって、腹を割られたきたかぜゾンビは肉片を撒き散らしながら落下してゆく。
と、ヘッドセットの画面全体が点滅して、ミサイル接近を警告する。一番機は器用にしゃがむと、横っ飛びに転がった。
どごお。爆風。敵ミサイルは枯れ田をえぐった。次の敵は? いた。一番機はすばやく身を起こすと、前方の敵に斬りこんだ。
「敵はきたかぜゾンビが突出しているな」
舞が何事か考えている。三番機は正確に一番機に追随していた。濛々《もうもう》たる煙の彼方で、たて続けに閃光。
「きたかぜ、ゾンビ撃破」
ののみの声が送られてくる。
「よしっ、ここでいったん停止。スキュラを片づける」
「壬生屋さんは?」
「ミノタウロス、ゴルゴーンは脚が遅い。壬生屋の当面の敵はきたかぜ、ゾンビだけだ。今のうちに敵戦力を削っておこう」
ぷしゅ−。
三番機は静かに停止した。ほとんど揺れを感じさせぬ。厚志らしい気配りだ。
「スキユラをロックした。距離二千三百」
ジャイアントバズーカが轟音をあげた。今度は強烈なG。後方へ引っ張られる機体を厚志は巧妙にバランスをとって立て直すぐばっと光が散った。舞の狙撃は、限りなくパーフェクトに近い。
「スキュラ撃破。おめでと、舞ちゃん!」
大当たり、を告げるような陽気なののみの声。
「祝うのは早い……」
舞は冷静につぶやいた。
「ダッシュする。ちょっときついよ」
決して弱音を吐かないが、舞はGが苦手だ。厚志もそれを知っている。
「下手な操縦をしたらおまえの頭に吐いてやる」
厚志の言葉に舞は反発して言った。
「わ、わかった」
滝川は肉眼を頼りに、整備班を追っていた。軽トラに、材木運搬用を改造したトレーラーと整備班の車両はローテクだ。発信機を持たぬゆえ戦術画面には表示されない。
「くそっ、煙幕弾のタイミングが早過ぎたぜ!」
これじゃ右も左もわからない、と思いながら昔ながらの方位計に目をやった。そろそろ整備班と合流するはずだ。けど、今どき、ハザードランプはないだろう。点滅する光を探せばいいとは言っても……あ、あった! 赤い光が明滅を繰り返している。
「待ってろよ、森!」
二番機は全速で赤い光をめざした。
ばたばた。どこかで聞いたことのある音が近づいてくる。
靄《もや》を割って、きたかぜ、ゾンビが現れた。きたかぜゾンビは、人類側の戦闘へリ・きたかぜに幻獣が寄生したものだ。テールランプにローター音をことさらにまねてみせるのは、人間を嘲笑っているとしか思えない。
滝川は反射的にバズーカを構えた。きたかぜゾンビが機首を転回した。
「くたばれっ!」
至近距離からの直撃。装甲の貧弱なきたかぜ、ゾンビは四散した。ほっと息をつくまもなく、斜め前方に気配がした。滝川は我に返って戦術画面をちらと見た。おびただしい赤い光点がこちらへ向かってくる。しまった! 敵に近づき過ぎた。
滝川の真横を敵ミサイルがかすめ過ぎていった。斜め前方で爆発音。
「滝川機、きたかぜ、ゾンビ撃破」
ののみの声が響く。
「壬生屋?」
滝川は通信を送った。
「滝川……さん? なぜ、こんなところに?」
「軽トラは戦術画面に表示されないんだよ。俺、道に迷っちまったみたいだ」
不意に舞の声が割りこんだ。
「戦闘の邪魔だ。オペレータにナビしてもらうがいい」
滝川が言い返そうと息を吸いこんだとたん、瀬戸口の声が聞こえた。
「はい、迷子の子猫ちゃん……つてそんなに可愛いモンじゃないよな。やだやだ、野郎のナビをするなんて。勝手にどこへでも行け」
「瀬戸口さん――!」滝川はすがるような声をあげた。敵主力にこんな近くに位置するのははじめてだったし、方角がわからぬ不安感があった。瀬戸口の笑い声が聞こえた。
「冗談冗談。今、おまえさんの機体を拡大表示した。右手に百二十度向きを変えろ」
滝川は焦る気持ちを抑えながら、機体を転回した。付近でたて続けに爆発音がこだました。
「よし。そのまま直進、ずっとずっとまっすぐだ。整備の連中、ぶつぶつ言ってるぞ」
二番機はあたふたと駆け去った。
遺棄《いき》された機体は、県道から五十メートルほど離れた枯れ田の中にあった。
軽トラに満載された整備班は目標地点に草を停めると、一斉に走った。
「よかった! まだまだ使える」
森がほっとしてつぶやいた。
「しかし、滝川機の姿が見えませんが」
遠坂があたりを見渡して言った。濛々たる煙の彼方で、閃光が上がっている。ごおおお。戦場の喧喋がここでははっきりと聞き取れる。
戦場のまっただ中に出るのは整備員にとってはじめての経験だった。爆発音がひときわ高く天空にこだました。ビリビリとした振動を腹に感じて、全員、不安げにあたりの気配を探った。
トレーラーが到着した。どこで転回したのか、狭い県道をバックで軽トラの近くにつけた。
「おおい、森。作業ば進んどっとや?」
中村はトレーラーを降りると、大声で呼びかけた。
「滝川機が来ないの!」
「あわてんでもよかよ。チェーンば取り付けるとはでくつと?」
「あっ、忘れてた」
ほどなく整備班の面々は、機体にチェーンを取り付けはじめた。全員が汗だくになって作業に従事した。後は二番機に牽引してもらうだけだ。
戦場がしだいに近づいてきた。轟音が起こるたびに、不安げに耳をふさぐ者。ごくりと喉を鳴らす者。生身の休が、これほど心細いものとは。
霧を割って、一体の可憐が姿を見せた。可憐とはスカウト用のウォードレスで、四本の腕を持つ異形の姿をしている。
「どうした?」
拡声器から若宮の声がした。
「滝川磯が遅れているんです」
森が説明した。
「よっしゃ! 俺が手伝ってやろう」
若宮はあっさりと請け合った。
「大丈夫ですか?」
「うむ。要は気合いと根性だ。おまえ達も手伝え!」
可憐は一本に収束されたチェーンを引っ張った。整備員もチェーンにとりついて懸命に引っ張る。しかし九メートルの巨人はビクともしなかった。
「……気合いと根性だけじゃダメばい。滝川機ば探してくれんね」
「ううむ」
若宮は悔しげにうなったり
と、百メートルほど離れたところでミサイルが爆発した。爆風に吹き飛ばされるように、二番機の巨体が枯れ田にヘッドスライディングした。
舞は戦術画面に集中した。壬生屋はよくやっている。突出したきたかぜゾンビを四休撃破。
移動を続けながら、ねばり強く戦っている。しかしそろそろミノタウロス、ゴルゴーンの射程内に入ってきている。
「突進だね」
「じきに煙幕が晴れる。ミサイルの一斉射で、敵をいっきに殲滅する」
「吐きたくなったらそう言ってね」
「なっ……!」
舞が応えるより先、激しいG。三番機は最高速で敵の密集地帯へ突進した。
「壬生屋機、きたかぜ、ゾンビ撃破! これできたかぜゾンビは全滅よ」
次の瞬間、厚志の視界に閃光。
「壬生屋機被弾。損害は軽微」
数分の勝負だ。遅れれば、一番機は敵の集中砲火にさらされる。煙が晴れた。目と鼻の距離にミノタウロスの背中が見えた。微かにステップを変え、すれすれにすり抜ける。ほどなく視界いっぱいに幻獣の大軍が広がった。百メートル先では壬生屋の一番機が必死にジャンプを繰り返し、敵の攻撃を避けている。
厚志は敵のまっただ中に機体を乗り入れた。
「よし」
舞の声。同時にがくんと下方へのG。
「発射!」
複座型は低い姿勢を保つと、ミサイルを斉射した。不意討ちに等しい攻撃だった。ミノタウロス、ゴルゴーンは背を見せ、横腹を見せたまま、ミサイルの直撃を浴びた。
ミノタウロスの装甲にミサイルがめりこんだかと思うと、次の瞬間、幻獣の肉体は四散した。
分厚い表皮に覆われた腕が、脚が、宙に舞った。
「ふむ。改良は成功したと言うべきだろうな」
舞が満足そうに言った。
厚志は目前で展開される凄惨な光景に目を奪われた。
幻獣の体が破裂するように吹き飛ぶ。おびただしい頭が、手が、脚が、ちぎれ、飛んでゆく。オレンジ色の業火の中に複座型は魔王のように君臨していたり厚志の口の端に笑みが浮かんだ。これでいい。皆を守るためなら、僕は化け物にだってなれる。
「速水機、ミノタウロス撃破!」
ののみの興奮した声が甲高く続いた。
「ど、どうしたんだ? 一撃でミノタウロスが吹き飛ぶなんて」
瀬戸口の声だ。
厚志は答えていた。
「速水です。瀬戸口さんは僕がどうなるか、興味があると言っていましたよね」
「あ、ああ」
「もう普通なんて言いません。僕はどうやら、行き着くところへ行く運命にあるようです。芝村舞と一緒に」
瀬戸口は沈黙した。間があって、再び通信。
「それで……いいのか?」
「ええ。たった今、何となくわかったんです。僕は変わることが怖かった。殺せば殺すほど、自分が気づきたくなかった本性が目覚めてくるような気がして。けど、今は皆を救えることが嬉しいんです。士魂号に乗る前の僕はひとりで、誰からも必要とされていませんでした。けれど今は違う。僕はパイロットとして、僕を必要としてくれる人のために戦うことができる。多くの命を救うことができる。そのためなら僕は、化け物と呼ばれてもかまいません」
「俺はおまえさんを気の毒に思うよ」
瀬戸口の声には感情がこもっていた。
「ありがとう、瀬戸口さん」
これで後戻りはできない。またそのつもりもない。厚志は冷静な目で幻獣の最期を見守った。
「こら、無駄話が過ぎるぞ」
舞が足を伸ばして、厚志の肩を蹴った。
「ごめん」
「だが、上出来の演説だった。そなたにしては、だが」
「スキュラ二、ミノタウロス三体が、回収地点へ向かっている。急げっ!」再び瀬戸口の声が割りこんできた。厚志はすばやく機体を転回すると、猛然とダッシュした。空中要塞スキュラを目の当たりにして、全員が息を呑んだ。二番機は遺棄機体を牽引している最中だった。そこへ鼓膜が裂けるような風切り音が聞こえ、二体のスキュラが一直線にこちらをめざしてきた。
「逃げろっ!」
滝川が叫ぶと、整備員は軽トラに向かって駆けた。中村と遠坂が腰を抜かした田辺を抱え、必死に走る。森は運転席にとりつくと、軽トラをすばやく方向転換した。
若宮の可憐はヘビーマシンガンを構え、一戦する覚悟のようだ。
「トレーラーを発進させて――」
森の言葉に、中村が太った体を揺らして、あたふたと運転台へ駆けこんだ。ディーゼルエンジンが始動し、煙突からぼっと煙が上がった。
閃光と同時に、軽トラの左右にレーザー光。どうやら整備員を満載した軽トラに目をつけたらしい。戦場に生身の人間がいれば、最優先で殺す。幻獣の習性だった。
滝川は機体をあきらめると、軽トラを守るように立ち塞がった。
なあ、やるつきやねえよな、と心の中で愛機に語りかけていた。
滝川にとって二番機は親友と言ってよかった。
子どもの頃、寒々とした家でロボットの絵ばかり描いていた。戦車兵に志願してはじめて二番機に出会ったときは心がときめいた。
今はやるつきやねえ、敵とさし違えたって――。
「早く、早く行け!」トレーラーがゆっくりと動き出した。しかし軽トラは一向に動き出す気配がない。
「だめ。エンジンが限界みたい! トレーラーに移るわ」
森が拡声器を手に、叫んだ。
再びレーザー。今度は軽トラをかすめて地面に突き刺さった。だめだ。トレーラーに移ってもこの距離では逃げ切れない。森はそう察して涙声になった。
「どうしよう、どうしよう」
滝川は歯を食いしばって、ジャイアントアサルトの狙いを定めた。
そのとき、厚志の声がした。
「滝川、軽トラを抱えて走れっ! 若宮さんは中村さんを頼みます!」
鼓膜が破れるような機関砲の音。曳光弾が空中要塞の横腹にに吸いこまれてゆく。ジャイアントアサルトの弾丸が、スキユラの体内で弾け、爆発した。全身から黒煙を発して、スキユラは地上に激突した。
凄まじい衝撃、県道のアスファルトに亀裂が走った。
滝川は、駆け寄ると軽トラを持ち上げた。
「しっかり掴まってろよ」
と言うや、地を蹴って走り出したゎ若宮も中村を背負ってその後を追う。
三番機は敵ミサイルを避けながら、県道をまたいで敵前に立ちはだかった。
「速水、悪い」
滝川の声が聞こえた。
「俺に、俺にできることがあったら……」
自分のミスのせいで、味方を危険に陥れた。滝川の言葉は続かなかった。
「ひとつだけあるよ」
厚志は静かに滝川に呼びかけた。通信回線をすべてONにする。
「歌ってくれないか」
「俺が?」
「怖いんだ.自分が死ぬのも、仲間が死ぬのも、考えただけで怖い。だから、今はきみ達の声が聞きたい。歌を聴いていたいんだ」
「速水……」
ほどなく滝川は外見には似合わぬバリトンで力強く歌いはじめた。
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絶望と悲しみの海から、それは生まれ出る
地に希望を、天に夢を取り戻すために生まれ出る
闇をはらう銀の剣を持つ少年
それは子どものこうに聞いた話、誰もが笑うおとぎ噺
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軽トラにしがみついている整備員がそれに和した。
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でもわたしは笑わないわたしは信じられる
あなたの横顔を見ているから
[#ここで字下げ終わり]
「軽トラ抱えて逃げながら突撃軍歌か。何だかなー」
瀬戸口は苦笑いして、肩をすくめた。
善行も苦笑してうなずいた。
「そう、確かに滑稽です。ですが、死ぬためでなく、生きるために歌えるならば、こんなに嬉しいことはありません」
そう言うと、つぶやくように歌いはじめた。
「ねえねえ、みんなで歌おうよ」
ののみのソプラノが軽やかに続いた。瀬戸口も照れながら加わった。
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はるかなる未来へ階段を駆け上がる
あなたの瞳を知っている
今ならわたしは信じられるあなたのつくる未来が見えるあなたのさし出す手をとって
わたしも一緒に駆け上がろう
幾千万のわたしとあなたで、あの運命に打ち勝とう
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補給車の運転席で、原はハンドルにもたれてつぶやいた。
「この歌は嫌い」
憂鬱な表情で回線を通して流れてくる歌に、耳を傾けた。死んでいった仲間達と歌った日々のことが原の脳裏によみがえった。
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全軍抜刀全軍突撃《アールハンドゥガンパレード》未来のためにマーチを歌おう
ガンパレード・マーチガンパレード・マーチ
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「みんな、生きて……」
いつしか、原の唇は歌詞をなぞっていた。
三体のミノタウロスが猛然と突進してくる。厚志は横っ飛びに飛んだ。旋回。舞がすばやく敵をロック。側面にまわって二〇oガトリング砲弾をたたきつける。ミノタウロスの重装甲に亀裂が生じ、やがて弾けた。ミノタウロスは突撃姿勢をとったまま、地面に突っ伏した。
直後に衝撃。生体ミサイルの直撃を受けた。
「損害は軽微だ。弾倉は後四つある」
厚志はうなずくと、さらに横へ。敵の射界を逃れた。旋回。舞がすばやく狙いを定め、連射。
二体めのミノタウロスがゆっくりと崩れ落ちる。ミノタウロスはあと一体。しかしスキユラは? と――、背後にぞっとする気配。厚志の反応が一瞬、遅れた。脚部に衝撃。
スキユラのレーザーは三番機の右膝関節を撃ち砕いていた。バランスを失って、うずくまる三番機に二撃めが放たれた。レーザーは三番機の背を貫通して、地面をえぐったむ
「旋回する」
「ミノタウロスが先だっ!」
舞は叫ぶと、冷静に狙いを定めた。ミノタウロスは全速力で突進してくる。引きつける。距離二百、百。ジャイアントアサルトが火を噴いた。ミノタウロスはなおも突進を続けるが、速度はしだいに鈍り、足どりはおぼつかなくなってゆく。五十、三十、二十。再びアサルトから弾丸が吐き出された。
体液にまみれた肉片が、三番機に降り注いだ。一瞬、視界を失う。厚志はごくりと唾を呑みこんだ。脚まわりをやられた。死神が背後に忍び寄っていた。膝をついたまま、三番機は上半身をひねった。
スキユラが頭上に迫っていた。距離百五十。有機的空中要塞の腹が痙攣した。爆撃準備だ。
三番機はジャイアントアサルトを構えたが、ガトリングの銃身が冷えるまで数秒。だめだ、やられる!
厚志と舞は目をむいて空中要塞をにらみつけた。
次の瞬間――。銀色のきらめきがふたりの目を射た。スキユラの動きが止まった。胴体がぽっかりと割れ、内部から豪雨のように体液が降り注いだ。
二十メートルほど手前のところに、一番機が降り立った。超硬度大太刀が陽光を浴びてまばゆく光った。
「ごめんなさい。遅れてしまって」
壬生屋はしきりに恐縮して謝った。
「そんな。僕達こそ助けられた」
厚志は右手で冷や汗をぬぐった。舞は沈黙したきり、ひと言も発しない。薄氷を踏むような射撃戦にさすがに疲労を覚えたのだ。
一番機がすっと横へ立ち、手をさし伸べた。厚志も三番機の手を伸ばした。ふたつの掌が重なった。
「やったな」
瀬戸口から通信が入った。
「敵は全滅。パーフェクト。ご感想は?」
瀬戸口は冷やかすように言った。
「はあ、帰って寝たいです」
「はは。化け物にしちや控えめだな」
終わった。瀬戸口ののんびりした調子に、厚志は安堵感を覚えた。
「その前に食事だ。わたしは空腹だ」
舞が怒ったように言う。
「あれ、芝村でも腹が減るのか?」
滝川の声が届いた。舞の顔が紅潮した。忌々しげに通信機に怒鳴った。
「芝村でも腹は空く! だいたいこんなことになったのも、そなたのドジのせいだぞ。帰ったら一発、殴ってやる!」
「それまで、それまでよ」
原の声だ。
「任務はまだ続行中よ。壬生屋機と滝川機は協力して遺棄機体、及び三番機をトレーラーまで運んであげて」
「あの、原さん!」壬生屋がためらいがちに口を開いた。
「なにかしら?」
「わたくし、原さんを誤解してました。原さんがわたくしに辛く当たったのは、実は思いやりからだったんですね」
「えっ?」
原は絶句した。やがて、ほほほと愉快そうに笑った。
「やあねえ。誰からそんな嘘、聞いたの? わたしは不器用で不細工な子を見るとからかいたくなるの。これ、わたしの趣味ね」
――本当は嬉しかった。
「不器用……不細工……」
今度は壬生屋が言葉を失った。わなわなと震えている様子が、回線からも察せられる。
「あなたはイジメ甲斐があるから好きよ。すぐに怒ったり、落ちこんだり。退屈しないわ」
原が追い討ちをかけるようにずけずけと言った。
「ゆ、許せませんっ! 帰ったら果たし合いを申しこみます!」
「ほほほ。――楽しみにしているわ」
厚志はヘッドセットをはずした。
狭い座席で辛うじて身をよじり、シート越しに振り返った。舞の両足しか見えない。何だかもどかしかった。厚志は精一杯背を伸ばして、後部座席の隙間から、身体をねじ入れた。
「舞」
舞はぎょっとして下を向いた。舞の右足と左足の間から厚志が顔をのぞかせている。
「な……何を考えているのだ、そなたは!」
舞の顔が桜色に染まった。
厚志も釣られて赤くなったが、今さら顔を引っこめるのは嫌だ、と開き直った。
舞もヘッドセットをはずして、厚志をにらみつけた。それでも律儀に問うことは忘れない。
「何だ?」
「その……これからもよろしく」
厚志はにこっと笑った。
「愚か者、愚か者め! 人の足の間から妙な挨拶をするなっ!」
舞はあきれ、突き放すように言ったが、忌々しいことに頬が火照っていた。
行き着くところまで行く運命にある、芝村舞と一緒に、と厚志は言った。自分を必要としてくれる人々を守るためなら化け物にだってなれる、と言い放った。
変わることを怖がっていた臆病者が、言ってくれる、と舞は思った。
嬉しい、というのはこういう感情か? 顔がやたらに火照るのは気に食わんが、悪くない。
厚志とともに、戦って、戦い抜いてやろう。たとえどんなに過酷な運命が待ち受けていようと我らは決して負けない。負けないと決めたのだ。
「舞」
「何だ」
「ここが僕の居場所だって気がする」
厚志は気の毒なほど赤くなっていたが、もはや気にもとめていなかった。
「わかっている。だが、それ以上は言うな。恥ずかしくなる」
厚志は微笑を浮かべ、口を閉ざした。しばらくして、今度は舞が口を開いた。
「厚志よ」
「なに?」
「わたしも同じだ。しかし、覚悟しておけ。もはや甘えは許されぬ。泣きごとは許されぬ。我らは進むしかない」
厚志は精悍に笑って、舞の言葉に応えた。
「きみと一緒に生き延びること。今はそれしか考えていないよ」
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附・イ号作戦秘話――三月三十一日(火)夜半
「整備班を代表して礼を言うわ」
原素子はにっこりと遠坂圭吾に笑いかけた。遠坂は憮然として原をにらみつけている。
端整な顔が症と絆創膏だらけで、痛々しい。これは遠坂の私服か、高級そうなスーツはドロにまみれている。
この作戦はさすがに大がかり過ぎた。士魂号を丸ごと強奪すべく、夜中にトレーラーで補給基地内に乗りこんで、大っぴらにクレーンを動かす彼らの姿はあまりに派手だった。
警備兵が近づくたびに中村十翼長は「あっははは、ごくろうごくろう」と馬鹿笑いを響かせ追い返していたが、出発間際にことが発覚した。警報が鳴り響き、探照灯がトレーラーを明々と照らした。警備隊の車両が逃げるトレーラーを追跡する。ヒュンヒュンと銃弾がかすめ過ぎる。中村十翼長は馬鹿笑いを響かせながら、震える整備員を激励した。
「映画ば観とるごたって、たまらんばい!」と状況を楽しんでさえいる中村を横目に、遠坂は「この男の頭の中には鉛でもつまっているのか」と思ったものだ。
森が「だめよ中村くん、追いつかれる!」と、悲鳴をあげた。
「しかたんなか」と中村は言うと、違坂の顔をしげしげと見つめた。
「わたしがなにか?」
唖然《あぜん》とする遠坂に、中村は拝むまねをして言った。
「捕まったらすぐに自分の正体を明かさんね。家に電話すーちゆうでな。その後、このままじゃ殺されるって観父さんに泣きついてみっとよかばい」
「どういうことです?」
「南無。こぎゃんこつばい!」
中村の太い腕が伸び、遠坂の体は放り出された。辛うじて着地した還坂の目に、ヘッドライトの光が浴びせられた。警備隊の車両から数名の兵が走り出て、逢坂を取り囲んだ。
「動くな。両手を上げ、姓名、階級を名乗れっ!」
遠坂は思わぬ災難に、青ざめていた。しゃべろうとするが膝が震え、口がばくばくして言葉にならなかった。両手を上げて立ち尽くす逢坂に、シグ・ザウエルを構えた隊長が近づいた。
「わ、わたしは……」
とたん、目の前が真っ暗になり、星が散った。これまでに何度も煮え湯を飲まされてきた窃盗団だった。隊長は上から無能呼ばわりされ、いいかげん頭にきていた。
「食らえつ!」とぶざまに尻餅をついた遠坂に、二度、三度、鉄拳が降り注いだ。嘘だ、わたしは夢を見ているんだ、と思いながら、遠坂は背を丸めて拳を避けた。
「ふん、あれで殴られなかっただけましってことだ」
隊長が顎をしゃくると警備兵のひとりが、にたりと笑ってアサルトライフルの銃床を示した。こんなもので殴られたら、顔がぐしゃぐしゃになってしまう。
遠坂は思わず叫んでいた。
「顧問弁護士に電話をさせてください!」
「顧問弁護士だとう? なめた口をきく。かまわんから痛めつけてやれ」
隊長に命令されて、アサルトライフルを構えた兵が近づいた。遠坂は目をつぶった。
そのときのことである。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。もう許してください」
暗がりから声がした。警備兵がライトを向けると、田辺真紀が心細げに立っていた。眼鏡は割れ、制服は裂けてところどころにすり傷をつくっている。
「ど、どうしたんです?」
遠坂が驚いて尋ねると、田辺は恥ずかしそうに答えた。
「風に飛ばされて。トレーラーから落ちてしまって。ごめんなさい、ごめんなさい」
聞き慣れた田辺の「ごめんなさい」が、呪文のような効果を発揮した。
戦わなければ! 遠坂の内部で大いなる力がめざめた。
「わたしは還坂圭吾といいます。父に電話させて欲しい」
「遠坂てや?」
隊長の言葉づかいが変わった。地元の出身らしい。しめた。遠坂はにこやかに笑って、背筋を伸ばした。
「はい、遠坂です。もしかしてご存じですか?」
「俺ん親父は遠坂に雇われとつとたい」
「失礼ですが、お名前を」
「俺のことはいいっ! とっとと電話しろ」
隊長は、はっとして言葉をあらためた。
事情がわからぬ警備兵は呆然と、隊長の豹変ぶりを眺めている。
遠坂の心に余裕が生じた。痛みを堪えながらも、優雅な仕草で一礼し、携帯電話をかけた。
「夜分遅くすみません。圭吾です。実は、あらぬ嫌疑をかけられて厄介なことに。申し訳ないけど、父さんから話をしてくれませんか?」
遠坂は隊長に電話を渡したろ隊長は迷惑そうに電話を受け取り、はい、はいを連発した。
「そんなことまでしていただかなくても」
隊長は頭を下げはじめた。何やら嬉しそうににやけている。もうすぐだ。遠坂は田辺に歩み寄ると、そつと肩に手を置いた。
「ご安心なさい。じきに嫌疑は晴れますいもうこわい思いをさせませんよ」
「あの、嫌疑って…本当に盗ん……」
遠坂の指がすっと伸びて、田辺の唇に当てられた。
「あ、ありがとうございます!」
隊長の声がひときわ高く響いた。遠坂に向き直ると、笑みを消し、咳払いをした。
「どうやら嫌疑は晴れたようですね」
遠坂がにこやかに微笑むと、隊長はしかつめらしく言った。
「あー、遠坂の御曹司がこんな時間に出歩いてはいけませんな。ご自宅までお送りします」
しかし遠坂は軽く指を振って制した。
「ご厚意は感謝しますが、リムジンを待たせてありますから」
そう言うと、優雅に礼を言って、田辺を連れて歩み去った。その後ろ姿を見送りながら、警備兵のひとりが怪訝そうな面もちで言った。
「いったい、どうしたっていうんです? 一味であることは現実に……!」
隊長は指を振った。遠坂のまねだった。けっこう格好がよい。
「遠坂財閥の息子が一味であるはずはない。一味であるとしたら、それは遠坂ではないことになる。現実とは人がつくるものだし俺達は都合のよい現実だけを見ていればいいのさ」
妙に深遠ぶった言い方で、隊長は皆を煙に巻いた。
「それにしても、よく頑張ったわ。あなたは整備班の誇りよ」
原は機嫌よく言った。気難しい原に、誇りよとまで言われて、遠坂の顔がやっとほころんだ。
「そんな、わたしは一介の十翼長に過ぎませんよ。わたしがしたことと言えば、電話を一本しただけです。誰だってあの状況になればそうしたでしょう」
――しないって。
……こうしてイ号作戦は、携帯電話ひとつで戦う男、遠坂圭吾の獅子奮迅《ししふんじん》の働きによって成功を収めた。整備班の間では、しばらくの間、「わたしは一介の十翼長に過ぎません」の決めゼリフが大いに流行ったという。他の隊員はこれに大いに悩まされた。
「あの、森さん、超硬度大太刀を研ぎに出したいんですけど、どうすれば?」
「わたしは一介の十翼長に過ぎませんから」
「……!」
「なあ、田辺、一緒に昼飯食いに行こうぜ」
「ご、ごめんなさい。わたし……一介の十翼長に過ぎませんから」
「……!」
「最近、なにか面白いことあった、中村くん?」
「おれは一介の十翼長に過ぎんと」
「……!」
「一介の十翼長に過ぎません」
禁止令が出るまで、隊は混乱を極めたのであった。
[#改ページ]
原日記[#地付き]三月十九日(日)
[#ここから2字下げ]
天気快晴。初春の陽ざしと風が心地よい今日この頃。
起床とともに身支度を整え、お弁当作りに専念。いつもの日課だ。料理はわたしのささやかな楽しみ。
今日のメ二ユーは三色弁当。つけ合わせに鶏の照り焼き、白菜、胡瓜、大根の漬け物。漬け物の味は最高。
わたしは密かに自信を持っている。毎日、深夜にぬか床の手入れをしていると心が安らいでくる。
尚敬校へ向かう途中、ふとある事実に気づく。今日は日曜日だった! わたしってときどき、こんなお茶目な失敗をしてしまう。気を取りなおし、適当に散歩をしながらゆっくりとハンガーに向かうことにする。
仕事もたまっていることだし。
公園のベンチに座って読書をしていると、もう昼前。隣に学兵のカップルが座った。ベンチがぎしぎしときしんだ。ふたり合わせて軽トラ一台分はあるだろう重量級のカップルはお弁当を広げると、いきなり「はい、あーんして」などとやりだした。
わたしは席をたった。平和な微笑ましい光景。けれど、あんまりこれみよがしだと一般市民の迷惑になる。映画で見ような美男美女のカップルだったら許せるけど、あんな不細工なカップルが「あーん」をやると恥ずかしい。
少し生温い表現ね。むしろ犯罪的といったほうがいいかしら。
確かに誰だってお弁当を食べる権利は保障されているわ。けど、身分相応という言葉がある。どうしてあんなのが「あーん」をやっているのよ! 許せない。法律で規制すべきだわ。
わたしなんて、私なんて今日も学校へ行ってハンガーの自分のデスクで、ひとり寂しくお弁当食べなきゃならないのよ! 世の中不条理よ。間違ってる!
そう、すべての原因はあいつにある。臆病で、鈍感で、じじむさいメガネ男だ。
たまの日曜くらい、映画とか食事に誘ってくれたって罰は当たらない。
こんな美女を放っておくなんて犯罪行為だわ!
……善行の馬鹿。
[#ここで字下げ終わり]
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突撃準備よろし
[#改ページ]
田代香織はハンガーわきの草むらに座りこんで、午後の板チョコを楽しんでいた。
銀紙にくるまれた板チョコを少しだけ出して惜しむように寄る。舌にのせると、はじめ甘みが口いっぱいに広がって、これをフォローするようにしっかりした苦みが追いついてくる。星印製菓が少量ながら、昔ながらの製法で生産しているチョコレートだ。原料のカカオこそ遺伝子操作で改良された国産モノとなったが、ビターな味わいはさほど変わってはいない。
熊本市内では滅多に出回らず、新市街の裏マーケットで田代は辛うじて確保していた。三日、あるいは四日で一枚、田代のささやかな賛沢だった。
とはいえ、田代は板チョコを食べる姿を人前では見せないことにしている。
田代はいわゆるツツパリの硬派だった。チョコレートが大好物だなんて知れたら枯券にかかわると思っている。以前、同じ整備班の田辺真紀に目撃されて、本気で脅しにかかったこともあるくらいだ。ただし、そのときは「ごめんなさい。チョコレートなんてもう何年も食べてないです」との田辺の言葉にほだされて、口止め料として半分、分けてあげた。
板チョコを囓りながら、田代はよく考える。
この小隊は肌に合わないっ
5121小隊に来てから拍子抜けすることが多い。何というか、こう、軍隊特有のピリピリとした緊張感が足りない。パイロットにしろ、整備員にしろ、仕事さえこなして他人の足を引っ張らなければOK、という人間が多い。
(……ま、俺が考えたってしょうがねえか)
田代はくつと笑った。
これまで素行不良をとがめられては反抗するというパターンがお決まりだったため、物足りないのだ。反抗しょうと身構えていても、すっと鼻先を通り過ぎて行かれるような感じだ。
田代は古風なツッパリを自認している。
赤茶けた髪は天然モノで、伸びるにまかせている。顔立ちは美人顔と言えるのだが、ガンをたれたり、むすっと口を引き結ぶ硬派風の――と本人が信じている――表情をすることが多いせいで、決して美人とは言われない。美女と言われるよりは硬派と呼ばれたいと本人が願っているため、それはそれでしかたがないだろう。やさしい、と言われるよりは義理人情に厚いと言われたい、とにかく田代はそんなやつだった。
女にしては大柄で、暇さえあればサンドバッグをたたいてスカウトへの転属を夢見ている。
服装は5121小隊の制服を無造作に着用している。ことさらに目立った格好をするのは軟弱だと、本人が信じているせいである。
草むらが鳴った。田代はあわでて板チョコを呑みこんで、気配のした方角を向いた。
「あ、ごめん。邪魔しちゃったかな」
三番機パイロットの速水厚志がにこりと笑いかけていた。手にはビニール袋を提げている。
「ちっ、うざったいやつが来た」
田代はあぐらをかいたまま、顎をしゃくった。何を考えているのか、厚志はちょくちょく自分のところへ来ては世間話をしてゆく。おまえはオバサンか、と怒鳴りつけたくなることもしばしばだったが、厚志のおかげで小隊の様子がわかる。
「クッキーをつくったんでよかったら」
厚志は座りこんで、ビニール袋をさし出した。
「おまえってホントに変なやつだな」
「え、そうかな?」
「変だ、絶対変だよ。あんな、ぐつちやぐつちやな戦いをした次の日に、クッキー焼いたの食べない? なんて。神経がどこか抜けてるぜ」
「昨日の戦い? 市街戦はきついよね。建物が邪魔して敵が分散するから、ミサイルでいっきにってわけにはいかないからね。けど、ぐつちやぐつちやはひどいな」
「……」
田代はため息をついてクッキーを口に放りこんだ。昨日は後方に待機した軽トラから、田代は戦闘を見守った。このぼややんとしたやつの動きは、他の二機とひと味もふた味も違った。
思いきりのよいダッシュをしたかと思うと、小刻みなステップ、ジャンプで敵の攻撃を紙一重でかわす。撃破数は六十を超えているはずだ。女の自分より小さく、痩せっぽちの厚志のどこにあんな運動神経がつまっているのか、と思うときがある。
「仕事、大変?」
「ん……そうでもないさ。指揮車はただのクルマ。士魂号と違って生体部品がないからなしブレーキパッド……タイヤ。脚まわりに気をつけてりや問題ない」
「滝川、最近、しょっちゅうハンガーに来てるでしょ?」
「ああ、俺のことは見ないようにしているけどな」
田代は少し満足そうに言った。
「森さんの様子はどう?」
「普通かな。……つておい! 滝川と森、なにかあるのか?」
「心配なんだ。森さんに相手にされてる?」
「森かあ。気合いがいるな」
そういや、滝川陽平が森精華に話しかけているところを見た。「に、二番機の様子はどう?」なんて馬鹿な質問しやがって。森は作業の手を休めもせず「自分で確認してください。わたしは忙しいんです」とそっけなく応じていた。
「だめかな?」
「うーん、俺には森の好みがわからねえから。あいつとはめったに話さないし。ただ、狩谷と仕事の話をしているときは嬉しそうだった………かな?」
森は整備班の副主任だ。生真面目で仕事ひと筋なところがある。いつもバンダナで髪をまとめ、制服の上着の下にはGパンという飾らない格好をしている。狩谷夏樹は二番機の整備士だ。
事故で足を負傷し、車椅子で生活する身となったようだ。秀才で、技術的な知識は整備班でトップクラスだ。
「やっぱし、森は頭のいい男が好きなんじゃねえか?」
「そうかなあ。森さんみたいな入って、母性本能を刺激するタイプに弱いんじゃないかと思ったんだけどな」
「わあったよ。今度、闘いといてやる」
厚志が去った後で、田代はがくりと頭を垂れた。これじゃ世話焼きオバサンじゃねえか。くそっ、こうなったら若宮に喧嘩でも吹っかけるか? 田代は若宮康光の風貌を思い浮かべた。全身、これ筋肉といったスカウト中のスカウトで、脳味噌もしっかり筋肉でできている。密かに『原素子親衛隊』の会長を務めるなど、軟弱なところもあるが、腕力はゴリラ並だった。これまでに十回挑戦して、田代は惨敗を喫している。
「ん……?」
またもや気配。どうして俺を放っといてくれないんだ、と田代は乱暴に呼びかけた。
「こら、なにをこそこそしてやがるんだ! とっとと出できやがれっ!」
木陰から少女が顔を出した。近づこうかどうしようか迷っているように見える。
「田代さん……怒っている」
少女がぼそりと口を開いた。おどおどしているが、きれいな瞳を持っている。
「参ったな。石津に怒ったってしょうがねえよ」
田代は努めて表情を和らげた。
石津萌は用心深い小動物のように、左右を見まわして田代の前に座った。
「食べな」
厚志からもらったクッキーをさし出すと、石津は「ありがと」とひとかけら手にとった。衛生官の石津萌も、どうしたわけだか田代になついている。石津萌は小隊付の衛生官兼指揮車銃手として、隊員の健康管理、医薬品の管理、プレハブ校舎の掃除など、庶務を受け持っている。色が白く、まるで人形のように可愛らしい外見をしているが、陰気でおどおどとした態度が美点を帳消しにしている。噂では前の隊でイジメに遭って、この小隊に移ったという。
「うまいかって言っても、俺がつくったんじゃないけどな」
石津はこくりとうなずいた。
「……なあ、なにか話せよ」
石津の頬が赤らんだ。田代は、しまったというように、あわでて言い直した。
「ええっと、悪い。無理しなくてもいいぜ」
これまで石津萌がどんなめに遭ってきたかはわからない。が、小隊に来たとき、彼女は言葉を失っていた。話そうとすればするほど、舌が痙攣して言葉にならない。石津と話をするときには辛抱が大切だ。
「あ、そうだっ! 今、速水から聞いたんだけどさ、滝川のやつ、森にラブラブらしいぜ」
数分経った。
「そう」
石津はぼつりぼつりと言葉を発した。
「相性はいいけど……星の巡り合わせが悪いの……ずっと……すれ違い、続く」
「星の巡り合わせ?」
「……ふたりとも、運命を……受け入れるの……下手」
田代は、ふうんと感心したようにうなずいた。石津の言葉は、少女漫画雑誌の星占いなんかよりホンモノつぽい。
「じゃあ、俺、俺は? 占ってみてくれよ」
石津は再び黙りこんだ。田代のことはすでにホロスコープで占っている。
「なあなあ、白馬の王子様なんて贅沢は言わねえよ。俺と釣り合う野郎はいるのか?」
「……何人かいる。けど」
石津はためらったが、返事を待つ田代を見て、しぶしぶと言った。
「これから田代さんに……災いが降りかかる。気をつけて」
石津は立ち上がり、キュロットについたクッキーのかけらをはらうと、駆け去った。
田代はあっけにとられて石津を見送った。
今日の石津は普段の倍は話した。けど「災い」はないだろ、と思った。
「ま、災いでも退屈するよりはましか」
田代は伸びをすると、仕事場へ向かって歩き出した。
田代は鼻歌を歌いながら家路へ向かっていた。曲は決まって『突撃軍歌』だ。今日の仕事は楽勝だった。ブレーキパッドを交換して、空気圧の調整をやっただけだ。あとは適当に漫画を読んで過ごした。
しだいに道は暗くなったし破損した街灯が放置され、すれ違う人もまばらになった。田代の住む小隊宿舎は、住民が避難し放棄された団地を徴発していた。錆びついた三輪車や、風に揺れるブランコ、ごみ置き場に廃棄された電化製品がわびしく映る。ひとり暮らしの女子にはよい環境とはいえないが、田代は平気だら腰には電磁警棒、拳にはアイアンナックルをはめ、備えに怠りはない。
階段を三階までいっきに娠け上がる。
「おっ……?」
田代の部屋の前に、男がうずくまっていた。田代は警棒を手にとって振った。しやきんと音がして、警棒は二倍の長さに伸びる。馬鹿な変態だぜ、待ち伏せしているうちに寝ちまいやがんの、と田代は忍び足で男に近づいた。
「田代」
不意に男が顔を上げた。田代はびくつとして後ずさった。
「変態め! 死にやがれっ」
田代は警棒を構え、振り下ろした。
「わあっ!」
肩を強打された男はあっけなく床に転がった。
「ま、待てよ。俺、俺だよ……」男は必死に自分を指さして田代に訴えた。田代の目が驚きに見開かれた.。
「鉄……夫? 八中の鉄夫か?」
「ずいぶん捜したぜ」
「5121小隊にいるつてことはわかってたんだけどさ」
鉄夫と呼ばれた男は、金髪に短いあごひげを生やしている。左耳にはピアスを光らせていた。
見慣れない紺色の制服を羽織っている。
「相変わらず、喧嘩っぱやいな。さすが一中のブリザード女だ」
「ちつ、今のおまえは変態そのものだぜ。なんでえ、その金髪は」
以前の鉄夫はてかてかに固めたリーゼントだった。今は長めの髪を金髪に染め、気色悪いあごひげを生やしている。別人に見えた。
「流行ってるんだぜ、これ。俺も時代の流れにゃ勝てねえってことさ」
「なあ、おまえ、くさいぞ」
鉄夫はところどころ欠けた歯をむき出しにして、にっと笑った。
「へっへっへ。実は一週間、風呂に入ってねえ」
「げっ」
田代がたじろぐと、鉄夫はゆっくりと立ち上がった。
「シャワーを貸してくれねえか。そしたらきれいで清潔な鉄夫に戻るからよ」
「悪かったな」
鉄夫は汗を拭き拭き、風呂場から出てきた。
八中の鉄夫は昔の宿敵だった。どこの公立もそうだが、真面目なやつもいれば、ツッパったやつもいた。
虹ヶ丘第一中学の田代と八中の鉄夫は、何度もタイマン勝負をしていた。「ブリザード」と呼ばれた田代の右ストレートは当時無敵を誇ったが、鉄夫のローキックも強力だった。まともに食らえば、まず一週間は松葉杖の世話になる。確か対戦成績は五勝三敗だったはずだ。
田代はテレビを見ていたが、昔の好敵手に向き直った。
「どうした?」
久しぶりに見る鉄夫は、どこか疲れて見えた。以前の鉄夫だったら、無防備に寝てしまうなんてことはなかった。いつもピリピリして、目つきも鋭かった。
「まあ、いろいろあってよ」
鉄夫はあぐらをかくと、天井を見上げた。
「シンナーのやり過ぎで隊を追い出されたとか?」
「馬鹿言うな。んなもん、とっくに卒業したよ。何たってスカウトだからな。体力が命よ」
田代はじっと鉄夫の様子を観察した。頬がこけ、目に光がない。制服の上着には泥がつき、ボタンがところどころはずれていた。
(あれ………?)
田代は言葉を呑みこんだ二肩にあるはずの部隊章がはぎとられている。襟もとにあるはずの階級章もない。田代の視線に気づいたか、鉄夫はきまり悪げに笑った。
「なあ、おまえ、もしかして……」
「隊が全滅した」
鉄夫はぼつりと言った。
「全滅って」
田代は言葉を失った。そして、鉄夫の胸ぐちを掴んだ。
「どういうことだ、おい!」
「言ったとおりさ。みんな死んだ。生き残ったのは俺だけだよ」
「みんな死んだ……」
「飲みモン、ねえか?」
田代は冷蔵庫をあさって、缶コーラを放った。鉄夫はひと息にあおって、話し出した。
「阿蘇特別地域で雑魚敵を潰している最中だった。両わきは戦車小隊が固めてくれていたから、俺達は安心して戦っていられた」
鉄夫のスカウト小隊が進むうち、背後で砲声が起こったという。
スキュラを含む強力な敵が、味方を包囲するように戦車小隊に襲いかかった。鉄夫が振り返ると、戦車小隊は合流して火力の強化をはかろうとしていたが、幻獣側はかさにかかって戦車を一両、一両撃ち減らしていった。
「そのうち、味方はなりふりかまわず逃げ出しやがった。俺達や取り残されて逃げ道を探そうとしたんだが、前からも新手の敵がやって来やがった。運が悪いことに隠れる森も建物もねえ。俺達やたこつぼを掘って味方の助けが来るまで戦おうとしたんだけどよ」
スキユラの遠距離射撃は正確だった。スカウト隊の射程外から発せられるレーザーに、穴に身を潜めるスカウト達は次々と免れていった。
「このままじゃらちがあかねえって、隊長は突撃を命じたんだ。血路を開いて逃げ延びろって」
「それでおまえだけ……」
田代が口をはさむと、鉄夫は黙って首を振った。
「俺はドジ踏んじまって、足をすべらせて窪地に真っ逆さまに落ちこんじまった。頭を打ってしばらく気絶していたんだな。気がつくとあたりは真っ暗で、星が見えた。なにも見えねえし、聞こえねえ。通信で呼んだんだが、誰も出なかった」
「逃げたのか?」
「あのまま逃げてりやよかった」
鉄夫は、ふっと笑った。
「勝手に戦場を離れるわけにはいかねえ。味方が助けに来るまで隠れていようと思った。だから俺あ夜が明けるまで待った」
夜が白々と明け、東の山稜から陽がまばゆく光った。鉄夫は意を決して窪地から思い出した。
そのとたん、鉄夫は信じられぬ光景に息を呑んだ。
手足をもがれた隊員達が、ひとところに集められ、積み重ねられていた。仲間の死体でつくられた盛り山。鉄夫は身震いして、ありったけの声で叫んだ。
昨日まで一緒に泣いたり笑ったりしていた仲間が、今は物言わぬオブジェとなって鉄夫の前にさらされている。
甘ったるい血のにおいがした。
なぜだ? なぜこんなことをする?
恐怖に身がすくんで、鉄夫は膝をつき泣き叫んだ。
「あれを見ちやあ、人生おしまいさ」
平静を保とうとコーラの缶を手にしたが、鉄夫の手はぶるぶると震えている。目の下に黒々とした隈ができていることに田代は気づいた。
田代の顔から血の気が引いた。
なぜこんなことをする?
それは田代も同じ思いだった。
幻獣に感情があるのかどうかはわからない。しかし、幻獣が悪意をもっているとしか思えぬ身の毛もよだつような残虐行為を行っていることは、子どもの頃から、テレビの映像で嫌というほど見せられた。
なぜ、どうして? 五十年前、「黒い月」が突如として出現し、幻獣と呼ばれる異形の怪物達が地上に降り立って以来、人間であれば誰もがもつ疑問だった。その疑問は今もつて解き明かされていない。幻獣は口をもたず、言葉をもたず、死ぬとその肉体は消滅する。幻獣派と呼ばれる一派には、幻獣とコミュニケーションをとろうと試みる者もあったが、その試みが成功したという話は聞かない。
田代は膝を抱え、虎を垂れた。沈黙が続いた。
「なあ……」
しばらくして田代は顔を上げた。
「逃げてきたのか?」
「……ああ」
鉄夫はウンザリしたように答えた。
「なにもかも嫌になっちまった」
脱走した身を隠すために、鉄夫は部隊章をはぎとり、階級章をはぎとったのだろう。
「ダチの仇をとろうとは思わなかったのか?」
「おまえにはわからねえ。俺は……あんなもの二度と見たかねえ」
「……」
田代は痛ましげに昔の好敵手を見つめた。
俺も同じだ、と叫んでやりたかった。
田代のクラスメイトも全員が戦死していた。
幻獣が日本本土に上陸し、学兵が動員されるに伴って、田代のクラスはスカウト小隊に編制された。田代はウオードレスに身を固めて、数々の戦いを戦い抜いた。田代にとってこのときほど楽しかったときはない。つまらない授業はかたちだけとなり、敵に対してクラスは結束した。
戦場ではフツーの生徒もツッパリもなかった。むしろ喧嘩度胸だけは一人前の田代は頼りにされ、信頼された。
それが何より嬉しかった。自分の居場所はここ以外にない、と感じていた。
しかし、軍は学校とは違った。他隊の学兵と喧嘩して怪我を負わせた田代は、軍刑務所へ行く代わりに5121小隊への転属を命じられた。
そして転属した直後に、田代のいた小隊は全滅した。もう帰るところはなかった。どうして俺だけ生き残っちまったんだ? 田代は叫び、嘆きたくなる感情を抑えつけ、毎日を耐えていた。
「これからどうするんだ?」
田代が尋ねると、鉄夫はかったるそうに首を傾げた。
「逃げるしかねえ。駅に行って、貨物列車にでも潜りこむ」
「それでいいのか?」
「ああ、明日んなったら出てゆくからよ。これ以上、おまえには迷惑をかけねえ」
「ば、馬鹿野郎……!」
「寝るぜ」
鉄夫はごろりと横になった。よほど疲れているのか、すぐに大きなイビキが聞こえてきた。
翌日、田代は学校を休んだ。
陽が落ちるのを待って、鉄夫を送り出すため、一緒に駅へ向かった。
熊本駅には巨大な物資集積所がつくられ、ひっきりなしに貨物列車が行き来している。
改札口では鉄道小隊の兵が人の行き来を監視していた。
今は一般の列車の運行はほとんどない。VIPか、本州へ避雉する人々のために臨時に運行される程度だ。脱走兵が正面から乗りこめる状況ではなかった。
田代はキヨスクで、パンと牛乳を買いこむと、駅はずれの駐車場に向かった。トラック群が並んで、物資の輸送に備えている。構内よりは人の目が少ない。鉄夫は無人のトラックの蔭に隠れていた。
「悪い」
鉄夫はパンを受け取ると頬張った。
「一時間後に列車が出る。うまくやれよ」
田代は金網の向こうを顎でしゃくった。敵の襲撃に備えて、武装した列車が、静かに発車のときを待っている。数人の警備兵が、列車のまわりを固めていた。
鉄夫はひと息に牛乳を飲み干した。昨日よりははるかに元気になっている。
「世話んなった。後はひとりで大丈夫だからよ」
田代はためらった後、言った。
「なあ……、今からでも遅くないぜ。実は………俺の隊に芝村がいるんだ。俺が泣きつけば何とか命だけは助かるかもしれない」
「へへ、田代もイカレちまったな。芝村は俺達のことなんか虫けらとしか思っていねえ」
「まあ……な」
田代は芝村舞の顔を思い浮かべた。話したことはなかったが、芝村の姫だという。あいつも俺達を虫けらと同じに思っているのだろうか?
「そこでなにをしている?」
不意に顔を照らされた。田代が顔を背けると、鉄夫がすばやく田代の背後にまわった。
「寄るんじゃねえ! 近寄ればこいつを殺す」
鉄夫の手にはいつのまにか軍用ナイフが握られていた。田代は喉もとに冷たい感触を覚えた。
「鉄夫……」
「じっとしていろ」
鉄夫はささやいた。
ふたりはたちまち警備兵に囲まれた。鉄道小隊が駆けつけた。隊長は学兵だったが、左手の多目的結晶を掌大の端末に接続して言った。
「大木鉄夫、だな。敵前逃亡の罪により手配されている」
そうか、こいつ、大木って名字だった、と田代はぼんやりと思った。鉄夫が再びささやいた。
「助けてって泣き叫べ」
「馬鹿。そんなみっともないまねできるか」
田代は歯を食いしばって拒否した。
鉄夫め、下手な芝居をしやがって。
「人質を放せ」
隊長は左右を見まわして言った。部下がすばやく散った。
「俺はっ……!」
叫ぼうとする田代の口を鉄夫がふさいだ。喉にちくりとした痛みが走った。ナイフの刃が田代の肌を微かに傷つけた。
「しゃべるんじゃねえっ!」
鉄夫は怒鳴ると、トラックに向かって後ずさりながら隊長に言った。
「銃を捨てろ。さもなきやこいつを殺すぜ!」
しかし隊長はせせり笑った。
「それはできんな。その女は運が悪かった。それだけだ。危険分子を排除するのに、犠牲がひとりだけなら良しとせねば、な」
「危険分子……?」
田代はつぶやいた。鉄夫のどこが危険分子なんだ? ただ、ヤバイめに遭って神経が参っただけだ。
隊長は真顔に戻って言った。
「脱走、敵前逃亡は兵から兵へ伝染し、隊をむしばみ士気を崩壊させる。軍に対する最大の罪だ。危険分子とみなして間違いはあるまい」
「馬鹿野郎!」
田代は声を限りに叫んだ。突然、ナイフの感触が消え、背中を思いきり押された。田代は前のめりに地面に倒れた。鉄夫の足音が遠ざかっていった。
銃声がした。田代が振り返ると、鉄夫の体がゆっくりと崩れ落ちた。鉄夫は地べたを這いながらなお逃げようとする。兵が駆け寄った。しゃきい。スライドを引く音。隊長がシグ・ザウエルを鉄夫の頭に突きつけた。
「啓徳工業高校2A小隊・大木鉄夫戦士、敵前逃亡により処刑する。時間確認」
「はっ、二二三〇時であります」
「やめろおっ!」
田代の叫びは銃声にかき消された。地面に血が広がった。鉄夫は身を折り曲げ、一回大きく痙攣したかと思うと、動かなくなった。体が縮んだように見えた。
田代はうずくまると、幼児のように泣きじゃくった。
隊長はしばらく考えていたが、やがて「なるほど」とつぶやいた。
「どうやらこの女、ただの人質ではないようだな。逃亡扶助の疑いがある」
「連行しますか?」
隊長がうなずくと、兵が田代を拘束した。
と、聞き覚えのある声が響いた。
「その女を放してもらおう」
田代の背後に探照灯が向けられた。しかし声の主はまばたきもせず、繰り返した。
「その女は、我が隊の者だ。即刻解放せよ」
田代が首を向けると芝村舞が立っていた。
「姓名、階級を承りたい」
「芝村舞。5121小隊百翼長だ」
「5121小隊……芝村……!」
隊長は呆然とつぶやいた。5121小隊は鉄道小隊、集積所の警備隊の問では評判が悪い隊だった。軍需物資を強奪した嫌疑がかけられているが、未だに尻尾を掴めずにいる。さらに芝村の名は誰もが知っていた。
「集積所の視察に赴いたところ、聞き覚えのある声がしたゆえ駆けつけたしだいだ」
舞は不敵に笑った。隊長は苦々しげに舞をにらみつけた。
「この女には逃亡扶助の疑いがある」
いかに芝村といえども、軍規には逆らえない。そう思って隊長は冷然と言った。しかし舞は、笑みを浮かべたまま、きっぱりと言った。
「この女はわたしが連れて帰る」
「な、なにを!」
「芝村が決めたことだ。女を放せ」
舞は隊長の視線をとらえながら、無造作に拘束されている田代に歩み寄った。
「くそっ、芝村が何だ! おまえも同罪とみなすぞっ!」
隊長は気圧されるものを感じ、舞に怒鳴った。
舞はうっすらと笑った。少女の笑みではなかった。何か隊長の想像を超えた別のものだ。
「同罪とみなし、わたしを撃つか?」
「ば、場合によっては撃つ」
「ふむ。立派な心がけだ。誉めておこう」
舞の淡々とした口調に、隊長はかえって怖さを感じた。自分の行為は軍規にはかなっている。
しかし芝村とトラブルを起こし、その一員を殺せば何が起こるかわからない。学兵出身の隊長だけあって機械的に任務を遂行するタイプではなかった。想像力は豊かだった。
芝村の血なまぐさい噂は聞いている。
もし舞とやらが重要人物だとすれば、自分は明日には交通事故死、よくつてもスカウトへの転属を命じられ、最前線に立たされるかもしれない。仮にさほどの人物ではないとしても、芝村は何をするかわからない、予測がつかない。不気味だった。そんなリスクを胃してまで、意地を張る必要があるのか?
「どうした?」
舞は隊長に声をかけた。隊長は気難しげな顔で何やら考えこんでいる。
「この女を見逃せばよいのだな?」
隊長は絞り出すように言った。舞は怪訝な面もちでうなずき、隊長を見つめた。
「条件がある」
「ふむ?」
「我々の顔を忘れて欲しい」
隊長の奔放かつスキャンダル雑誌風の想像力が出した結論だった。
「すぐに忘れる」
舞は内心で拍子抜けしたが、顔には出さず、冷静に言った。
田代が拘束を解かれ、乱暴に突き飛ばされた。地面に突っ伏して、なお泣きじゃくる田代を舞は抱え起こした。
探照灯が消え、兵らは姿を消した。後には舞と田代だけが残された。
田代に肩を貸そうとして、舞は顔をしかめた。
「重いぞ二本の足で歩くがよい」
田代は誰に言われているのかもわからず、鳴咽しながら舞の後を歩いた。
田代が状況に気づいたのは、だいぶ経ってからだった。
ざああ。冷たい風が田代の頬を打った。田代は目をこすると、見覚えのある後ろ姿を認めた。
凡帳面に一定の歩幅を崩さず、歩くたびにポニーテールが左右に揺れる。
「な、何なんだよ、これ?」
田代が声をかけると、ポニーテールが振り返った。無表情に田代を見つめている。
「それはわたしの質問だ」
「俺はこれからどうなるんだ?」
田代の問いに、舞はふっと笑った。
「家に帰り、寝る。それだけだ。どうやら大丈夫なようだな。わたしも帰る」
田代はぼんやりと、ポニーテールを揺らしながら遠ざかる舞を見送った。
夢を見ているような気がした。しかし夢にしては体がどんよりとした疲労感を訴えている。
田代は疲れ切った体を引きずるようにして自分の部屋に転がりこんだ。
そのまま泥のように眠りこんだ。
[#ここから2字下げ]
陰謀と血の色の空から それは舞い降りる
子に明日を 人に愛を取り戻すために舞い降りる
闇をはらう黄金の翼をもつ少女
それは子どもの頃に信じた夢 誰もが笑う夢の話
でもわたしは笑わない わたしは信じられる
あなたの言葉を覚えているから
[#ここで字下げ終わり]
……田代はあっけにとられる厚志の前で、上機嫌で歌ってみせた。歌には自信があった。
突撃軍歌。ひとしきり歌った後で、田代は照れくさそうに笑った。
「あの頃は面白かったぜ。派手にドンパチやってさ、突撃軍歌を歌ったものさ」
「歌がきみの支えなんだね」
厚志はにっこりと笑った。
「そんなたいそうなモンじゃねえけど。歌っていると、勇気がわいてくる気がするんだ。どんなに辛いことがあってもさ。へへ、単純だろ?」
「田代さんらしいや。そういえば今の小隊じゃめったに歌わないね」
「そうそう! 5121小隊はちょっと暗いぜ。まあ、妙ちきりんな人型戦車で戦う変人が集まっているからしようがねえけど」
「あはは。変人はひどいな」
厚志は愉快そうに笑い声をあげた。
「夢か」
カーテン越しに朝の光が射しこんでいる。田代はしばらくの間、天井を見続けたへ。ドアを開けて、そのまま倒れこんだらしい。玄関で眠っていた。体のふしぶしが痛む。なぜ、速水の夢なんか見る? 田代は起き上がると、ふらつく足で浴室の扉を開けた。熱いシャワーを浴びると、昨日の光景がよみがえってきたむ田代はシャワーを浴び続けた。
「田代さん、どうしたんだろう? 授業にも出ないし、仕事もしないでぼんやりしている」
厚志は何げなく舞に言った。舞は黙々と火器管制システムの調整に集中している。
「舞?」
「無駄口をたたくな。わたしは忙しい」
舞は振り返ると、こわい目で厚志をにらみつけた。ときどき、舞は自分の世界に投入する。
話しかけるタイミングを間違えると、しばらくは口もきいでくれなくなる。
「ご、ごめん」
厚志は謝ったが、舞の背中は怒りを表現している。傍らで作業している整備士の遠坂圭吾が怪訝な顔でふたりを見比べた。
厚志はハンガーから逃げ出した。その足で指揮車付近の草むらに向かった。
田代が惚けたように、座りこんでいた。厚志が近づいても眉ひとつ動かさない。
「具合でも悪いの、田代さん?」
「るせぇ」
言葉に力がない。厚志は所在なげに腰を下ろした。
「本当にどうしたのさ?」
田代は憂鬱なまなざしで厚志を見つめた。昏い目をしている。こんな田代ははじめてだ。
「消えろ」
「消えてもいいけど。話してよ、なにがあったのか」
「関係ねえだろ」
田代は芯から迷惑そうに言った。
厚志は黙って立ち上がった。そう、確かに関係ない。たとえ、相手がどんな状況であろうと関係ないと言われればそれまでだ。厚志自身、善意の押しっけには敏感だった。鈍感な人間が押しっけてくる善意ほど迷惑なものはない、と思ってきた。
しかし――厚志は立ち去ろうとする足を止めた。
僕はやっぱり田代さんのことが気になる。はじめて会ったときからそうだった。なぜ? 厚志は自分に問いかけた。嗅覚のようなものが働いたから。田代さんは何かを失った。自分も同じだ。自分が失ったものは両親と……ごく普通の、誰もが経験する子ども時代。仲間などはじめからいなかった。ひとりで生きなければならなかった。誰からも必要とされず、また必要とすることもなかった。
「確かに関係ないさ」
厚志は怒ったようにつぶやいた。田代が聞いていようといまいと、かまわなかった。
「心配したり、同情したり、そんなもの他人の押しつけだよね。僕はずっとそう思ってきたし、今でも大して変わらない気がする」
「………」
田代は厚志の変化に驚いた。いつもは笑みを絶やさない厚志が、憂鬱そうに、自分の内面に沈みこむような表情で話している。
「僕の血はきつと冷たい。それでもきみのことが気にかかる」
「ど、どうしちまったんだ、速水?」
田代の声が聞こえた。しかし厚志は答えずに、自分に言い聞かせるように続けた。
「僕は、押しつけじゃなく、本当に人を助けたい。人を守りたい。けど、その逆は期待しないんだ。そう決めたんだ」
田代の手が伸びて、厚志の手をぎゅっと握った。
「速水」
「あ……、ごめん」
厚志は顔を赤らめた。田代の手の感触がする。温かい。
「昨日、ダチが死んだ。俺の見ている前で」
田代はいっきに言った。八中のこと、鉄夫のこと、昨日のこと、そして自分の全滅したクラスのことを話した。
厚志は黙って、田代の話に耳を傾けた。失われたものたちの話。救いのない話。芝村舞に話が及んで、厚志は意外そうに日をしぼたたいた。
「舞が、田代さんを……」
「ああ、あの女がいなかったら、俺は殺されていた。どうしてだろ?」
どうして舞は自分を助けたのか、と田代は言っている。厚志は思わず答えていた。
「仲間だから」
「俺は仲間と思ったことはねえ。芝村だしな」
「それでも舞はきみを助ける。舞は見返りを期待しない。ただ、自分の思ったとおりにする」
きっぱりと言われて、田代は考えこんだ。
「変わっているな」
「僕もそう思うよ」
厚志は舞のことを考えた。舞と出会ってから、自分は変わることを恐れなくなった。舞は芝村と罵られ、嫌われながらも意に介せず、罵った人間、忌嫌った人間を助け、守ろうとする。舞は他人の弱さを許すが、決して自分の弱さを許さない。
要領よく立ちまわることだけ考え、自分のことだけしか頭になかった自分は、舞を同じ人間とは思えなかった。
田代と厚志はしばらくの間、それぞれの思いにふけって風に吹かれた。
沈黙を破ったのは田代だった。
「歌うか?」
「また突撃軍歌?」
「景気づけにな。……おまえもつき合え」
田代は背後に呼びかけた。石津萌が急いで木陰に隠れようとした。
「わたし……だめ………できない」
田代は強引に石津を引っ張ってきた。
「頼む……石津」
石津がこくんとうなずくと、田代はいきなり歌い出した。
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絶望と悲しみの海から、それは生まれ出る
地に希望を、天に夢を取り戻すために生まれ出る
闇をはらう銀の剣を持つ少年
それは子どもの頃に聞いた話、誰もが笑うあとぎ噺
でもわたしは笑わないわたしは信じられる
あなたの横顔を見ているから
[#ここで字下げ終わり]
田代は声を振り絞るようにして歌った。声域が広い、よく通る声だった。厚志はためらったが、田代の歌に引きこまれ、やがて我を忘れて歌いはじめた。
石津は、恥ずかしそうに低い声でハミングしている。
田代は繰り返し、何度も歌い続けた。
勇壮なメロディとは裏腹に、その歌には悲壮な祈りがこめられていた。この世界は絶望と悲しみ、暗黒に覆い尽くされている。多くの、あまりにも多くの人間が死んでいた。世界には希望もなく夢も失われた。
しかしいつかきっと、光は訪れる。だから今は未来を信じて仲間とともに歌を歌おう――。
歌い終わって、田代は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「へへっ、子どもみたいだな。夢中になっちまって」
田代は照れ笑いを浮かべていたが、やがて下を向き、肩を震わせた。
「どうしてみんな先に逝っちまうんだ!」
田代の鴫咽だけが聞こえた。厚志と石津は黙って、その場に立ち尽くした。
非常呼集がかけられた。
整備員が走る。戦闘員が走る。ハンガー内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
田代は二〇o機関砲弾の弾倉を補給車に運ぼうとしていた。
視線を感じた。頭上からだ。見上げると、ハンガ二階にはそれらしき人影はない。
おかしいな、と首をひねって作業に戻ろうとすると、再び視線を感じた。人影はなく、そこには二番機の頭部があるだけだった。まさか、と思いながら田代は二番機を見上げた。
からん。音がした。喧噪の中でもはっきりと聞き取れた。
田代は二階へ走った。二番機に向かう途中、古い戦車共用ウオードレスが床に落ちているのを見つけた。フックからはずれて落ちたのだろう。
田代はじっとウオードレスに見入った。次の瞬間には、ためらわずそれを着こんでいた。
厚志は手慣れた動きでウォードレスを着用すると、三番機のコックピットにすべりこんだ。
舞の足音がした。厚志のシートをのぞきこむ。
近頃では視線を合わせ、うなずき合うだけで、よけいなことはしゃべらない。しかし厚志は、ふと先日の田代の話を思い出した。
「田代さんは不思議がっていたよ。どうして芝村舞が自分を助けたのかって」
舞は無表情に厚志を見つめた。
「非論理的な気まぐれだ。後悔している」
「舞は嘘が苦手な芝村なんだね」
厚志は笑って言った。
舞の顔が赤らんだ。急いでヘッドセットで顔を隠した。
不意に、滝川の怒声が聞こえた。続いて拡声器を通して森の混乱した声。二番機の周辺でなにか起こったようだ。
「何だろ?」
「後悔先に立たずだ」
舞は憮然として言った。
時は前後して――滝川はあたふたと、二番機のコックピットに向かって走っていた。
「遅刻だ、遅刻っ!」
走りながら、田辺のことを考えていた。
出撃前に整備員の田辺とひと言、ふた言、話すのが楽しみだった。田辺の本命が遠坂であることはわかっているが、可愛いものは可愛い。森もいいけど、田辺に「あの、頑張ってくださいね」なんてペコリお辞儀されると、ついつい頬がゆるんでしまう。
「平和のために俺は戦う、がいいかな? 黙って敬礼だけ、つてのもいいな」
絶対に生きて戻るから、なんてじっと見つめるのも格好いいぜ、と能天気なことを考え滝川は含み笑いをもらしながら走った。
不意に目の前に赤茶けた髪のツツパリ女が現れた。なぜかウォードレスを着ている。
「田代。こんなところでなにしてるんだ?」
田代は思いつめた表情で滝川を見つめている。ま、まさか、嘘だろ………? 田代が俺のことを? 滝川は後ずさった。
「話があるんだ」
田代は低い声で言った。二番機の搭乗口付近で、田辺と狩谷が機体の点検をしているのが見える。ふたりに聞かれちや困るのか、と滝川も小声になった。
「話なら戦闘が終わった後にしようぜ」
「それじゃ困るんだ。今じゃなきやだめだ」
と田代。
今じゃなきや、つて何だ? 告白か? 滝川はたじろいだ。怖いからなるべく顔を合わせないようにしてきたが、よく見ると田代はそれなりにイイ線いっている。けれど好みのタイプじゃないから、どうしようかと真剣に考えた。
そんな滝川の隙をつくように、田代の体がふっと沈んだ。神速の右ストレート。
「悪い」
目の前が真っ暗になって、滝川は通路上に倒れた。
「きや――!」田辺が悲鳴をあげた。田代は舌打ちすると、田辺を押しのけ、強引に二番機に乗りこんだ。
「田代さん、なにをするんです!」
田辺がコックピットをのぞきこんだ。しかし田代はシートに座りこんだまま、
「俺が操縦する」
と言い放った。
「くそっ、馬鹿女。俺の二番機からとっとと出てゆきやがれ!」
滝川の怒声が響いた。腫れた類をさすりながら、怒りにぶるぶると震えている。
「銃なら職員室にあるよ」
ぼそりと狩谷が言った。滝川は唖然として、狩谷を見た。
「そ、そこまでは……」
「パイロットには自分の機を守る義務と権利がある。機を乗っ取った相手を撃ち殺しても罪にはならない」
「おまえって怖いやつだな。仲間を殺すなんて、やなこった!」
「はは、ごめんごめん。ほんのブラック・ジョークさ。本気にしたかい?」
狩谷は薄笑いを浮かべて言った。
「ごちゃごちゃ、うるせえぞ!」
田代がコックピットの中から怒鳴った。滝川は説得するように呼びかけた。
「田代。頼むから降りてくれ。冗談じゃすまねえぞ!」
滝川の鼻先でコックピットが閉まった。中から田代の声が聞こえてきた。
「頼むから今日だけ、俺に二番機を貸してくれ。終わったら殴られようが、撃たれようが好きにさせてやるからよ」
「終わったらつて、どういうことだよ?」
返事はなかった。どうやら神経接続をはじめたらしい。
狩谷が車椅子を操って近づいてきた。他人事のように冷静に言う。
「あわてなくても大丈夫さ。神経接続と同時に認証が行われるから、士魂号は動かないよ」
「そ、そうなのか?」
狩谷は冷静にうなずいた。
「無理だ。絶対に動かない。脳の構造、つまりシナプス、ニューロン結合は個人によって異なるからね。……田代、あきらめて出てこいよ」
狩谷の呼びかけに滝川も同調した。
「田代お、今だったら全部なしにしてやるからよ」
ふたりの呼びかけにもかかわらず、コックピットからは何の反応もなかった。
滝川の目に副主任の森に事件を説明している田辺が映った。森は、はっとして拡声器を取り落とした。耳障りな音がハンガー内に響き渡った。
森は田辺の手を引くと、急いで、原のもとへ駆け去った。
田代はヘッドセットをかぶると、こわごわと左手の多目的結晶を士魂号に神経接続した。ダリフと呼ばれる夢のことは聞いたことがある。
(頼んだぜ)
ほどなく、強烈な眠気が襲ってきた。
……田代の目に真っ青な空が映った。陽光が燦々と降り注いでいる。緑と土とにおい。田代は草むらに仰向けになって横たわっていた。風が吹いた。血のにおいがした。
嫌だ、見たくない。
だが、田代の耳に懐かしい声が届いた。
「助けて」
「助けてくれ」
間代は身を起こすと、声のした方角を見た。
手足をもがれたクラスメイトの死体がピラミッド状に積み重ねられていた。死んだというのに、クラスメイトはしきりに田代に呼びかけた。顔面を半ば吹き飛ばされた死体が「来てくれたんだね、田代。辛いよ、辛いんだ」と言った。委員長? 田代はその場にへたりこんだ。怖くはなかった。ただ悲しかった。田代は身を震わせて泣いた。
「俺も行くから。行くからっ――!」
叫ぶと同時に、涙にぼやけた視界にハンガー内の光景が映った。眼下で呼ぶ声がした。二番機の頭部がゆっくりと下を向いた。
「動いた。どうして……」
滝川が呆然とつぶやいた。
「嘘だ、そんな。ありえない……」
狩谷はプライドを傷つけられ、ひとりごちた。
「すぐに機体を降りなさい。今なら懲罰委員会にはかけないわ」
整備班主任の原が、こわい目で二番機を見上げた。貴重な機体を素人に操縦させるわけにはいかなかった。このまま戦場に出ては、機体と隊員を失うことになる。
「田代さん、お願いだから」
森が必死に訴える。
田代は答えなかった。
「通信回線をONにさせてください、原主任」
善行が指揮車から身を乗り出して、原に言った。原は振り返ったが、善行の姿は車内に消えた後だった。
「田代戦士、通信回線をONにして! 司令が話すわ」
そのとおりにすると、善行の声が機内に響き渡った。冷静な口調だった。
「時間がありませんから、ひとつだけ質問をします。大丈夫ですか、ダリフは?」
「ああ、何とか」
田代は短く答えた。
「けっこう。あなたは戦車徽章《きしょう》を授与されていますね。これからオペレータから簡単な指示があります。まず、それに従ってください」
「……俺を責めないのか?」
「言ったでしょうし今は時間が惜しい」
善行はそっけなく言った。
続いて指揮専オペレータの瀬戸口の声がした。
「瀬戸口だ。どう、気分は?」
「関係ねえよ」
田代が答えると、瀬戸口は「ま、いいか」と軽い口調で言った。
「じゃあ、さっそく行ってみるか。機体のロックはすでに解いてある。右脚から踏み出して」
田代はごくりと喉を鳴らした。戦車技能は、シミュレータによって得たものだ。実際に戦車、それもレアな人型戦車を動かしたことはない。
「踏み出す……」
「今、おまえさんの体は九メートルの巨人になっている。けれど心配することはない。普通に歩く感覚で一歩前に」
「……」
二番機の右脚が上がった。ずしん。重たげな音がして、機体が揺れた。そばにいた森達は息を呑んだ。後五センチずれていたら、貴重な部材が踏みつぶされていた。
「歩幅が大き過ぎる。次に左脚を右脚に揃え、まっすぐに立ってくれ。俺の言うとおりにすれば大丈夫。きみも今日から名パイロットつてやつだ」
今度はいくらかましになった。二番機は直立して、バランスを保った。
「OK。けどな田代、おまえさんは普段歩くとき、こんな大股で歩くのか?」
瀬戸口の冷やかすような声に、田代の顔が赤らんだ。
「ばかやろ! 俺だって一応女の子だ」
「ははは、その調子。じゃあ、機体を三十度右へ。今度はもうちょい歩幅を小さく。すっすと歩いてみてくれ」
緊張が収まってきた。田代は、機体を方向転換すると、言われたとおりに歩いた。バリ、と不吉な書がして、何かを踏み砕いた。
「あああ、わたしの工具箱が……」
森の嘆きが聞こえた。しかし瀬戸口はますます陽気に、田代に語りかけた。
「OK、OK。モデルみたいにクールな動きだ。後は目の前のトレーラーまで、その調子で向かってくれ」
途中、何かを踏みつぶし、ケーブルのようなものに引っかかって、凄まじい音がした。
周囲から嘆声がもれる。
しかし瀬戸口は平気な口調で
「よおし、イイ感じだ。そのまま、そのまま」と言い続けた。
トレーラーの荷台にとりつき、落下防止の取っ手を見つけて掴まった。
「はい、これで乗車完了。簡単なモンだろ? 後は取っ手から手を離さなきや、どんな格好で座ろうとけっこう。参考に一番機を見てくれ」
田代の網膜に、右膝を立てて座っている壬生屋の一番機の姿が映った。本当なら日本的に正座もできるのだが、さすがに脚部に負担を与えるので禁じられている。
壬生屋から通信が入った。
「わたくし、事情はわかりませんが、しっかり戦いましょうね」
「わ、わかった」
壬生屋ともはじめて話す。田代は照れくさげに答えた。
「田代さんはバランス感覚がいいです。滝川さんなんか、一度、ハンガーで倒れてしまって。整備の方から一週間無視されたことがあったんです」
壬生屋はくすくすと思い出し笑いをしながら言った。
「田代さん、速水だけど……」
厚志の声が割りこんできた。
「どうして二番機なの?」
軽装甲の二番機は下手に敵と接近すると危ない。それを気遣っての言葉だ。しかし田代には意味がわからず「悪い」と謝った。
「何となく……な」
田代自身もわからなかった。
「くそっ、何だよそれー!」
背後で、ブライドを傷つけられた滝川の肉声が聞こえた。
「覚悟はできているな」
舞の声。田代は急にしどろもどろになった。
「せっかく助けてくれたのに……悪い。怒っているんだろ?」
「当たり前だ。そなたはとんでもない女だ」
「あそこで死んだと思えば………、その、何にも失うものはないって気になって……ごめん」
「悪いと思っているなら、ひとつだけ約束せよ。貴重な士魂号をこれ以上、失うわけにはゆかぬ。死を賭して無事に戻せ」
「それは……、ええと」
田代は口ごもった。
「それくらいは守れ。人として最低の礼節だ」
舞に決めつけられて、田代は
「……ああ」と小声で請け合った。
「聞いていると退屈しませんね」
瀬戸口はマイクをはずすと、善行に向き直った。満面に笑みを浮かべている。
善行は顔をしかめて、瀬戸口を見つめた。
「笑いごとではありません。貴重な機体と隊員の命が懸かっています」
「笑わなきややってられませんよ。まさか士魂号が乗っ取られるとはね。不可能があっさり可能になってしまった。しかも田代香織ははじめてなのに士魂号をすいすい動かしている。滝川と思考パターンが似ているんですかね」
「ありえません」
善行は首を傾げた。騒ぎが起こった直後に、ふたりのデータを呼び出して確認していた。
「きっとあの子が受け入れてくれたのよ。かおちゃんのこと」
東原ののみがにこにこと笑って言った。
「かおちゃんのこと、守るって――。聞こえたのよ」
ここに来る以前、ののみは同調能力を開発する研究所に被検体として属していた。同調とは相手の心を読み、さらにそれと同化する能力のことで、ののみは幻獣の声、なるものを聞いたこともあるという。
瀬戸口は肩をすくめた。士魂号は人間の脳をもつ生き物だ。その製造過程はおぞましくて考える気にもなれない。ただ、士魂号を見るたびに、声とまではゆかないが、悲しげな何かを感じる。ののみの言っていることはおそらく真実だろう。
瀬戸口はののみにやさしく言った。
「俺達も田代をフォローしてやろうぜ」
「うん!」
ののみの声が元気よく響いた。
出発間際、滝川と石津萌が指揮皐に駆けこんできた。
「軽トラが満杯なもんで」
善行にじっと見つめられ、滝川はばつが悪そうに言い訳した。
「補給車に余裕があるはずですが」
補給車には原が乗りこんでいる。定員は四名だが、なぜか運転席に森か中村が座るだけだ。
善行の鋭い指摘に滝川の顔が赤くなった。原主任と同じ車に乗るなんて、考えただけでも気後れがする。
「俺は、その……二番機が気になって」
滝川はしどろもどろに言った。
「それで、石津さんは、どうしました?」
善行はやさしく尋ねた。
石津は衛生官とともに指揮車の銃手も兼ねているが、こちらは名ばかりで、よほど人手が足りなくならない限り、善行は留守を守らせていた。指揮車の機銃が火を噴くようになったら戦いはおしまいだ。そう考えて、善行はめったに石津を同行させなかった。
石津は上目遣いに善行を見た。
善行は苦笑いを浮かべた。決して認めたくはなかったが、この目に弱い。石津のことを何かと気にかけるうちに、妹をもったような錯覚に陥ってしまった。
「田代さんのこと……!」
石津はぼつりと言ったきり黙りこんだ。善行はため息をついた。
「わかりました。今は時間がありません。車内は揺れますから、舌を噛まないように」
石津はこくんとうなずくと、後部座席に座った。
戦場が近い。砲声。射撃音。爆発音。雑多な音が入り交じって、不吉な交響楽を奏でる。
厚志は耳を澄まして状況を把握しようとした。どちらが有利か? 敵・味方の戦力は? 位置は? といった事柄を大ざっばに頭に入れる。
厚志独特のやり方だった。
オペレータの情報を待つことなく、戦いのイメージを掴んでおく。身体を、全神経を来るべき戦いに備えてスタンバイさせておくのだ。
「味方が押されているようだね」
厚志の言葉に舞はうなずいた。戦場の地形を戦術画面に映し出した。
「戦場は市街地ゆえ、連係は難しい。敵戦力も分散しているようだ。一体一体、地道に片づけるしかあるまい」
山あいの道を進むと、眼下に半ば廃墟と化したビル群が見えてきた。山々に固まれた地方都市が姿を現した。街まではゆるやかな下り坂になっている。先頭を走る指揮車が停止した。
善行の声が回線を通して送られてきた。
「敵戦力はスキュラ二、ミノタウロス五、ゴルゴーン七、きたかぜゾンビ三。現在、損害を受けた味方部隊が撤退しっつあります。我が隊は味方と交代して、敵を防ぎます。主目的は街の防衛。深追いは避けてください」
停止したトレーラーから一番機が降りた。これに二番機、三番機も続く。
「さあて、もう一度おさらいだ。今回の仕事は敵を追い払うこと。簡単だろ? 敵が逃げはじめたら深追いはするな。壬生屋、速水、芝村はわかっていると思うから、適当にやれ。俺は田代をナビする」
瀬戸口のおよそ緊張感とは無縁な声が響いた。
「わかりました」
壬生屋の声。
「了解した」
舞が冷静に返事をした。
ほどなく両機は坂を下って、市街地へと走り去った。田代もあわてて追おうとする。と、瀬戸口から通信が入った。
「田代、返事は?」
田代はしぶしぶと答えた。
「わかった」
「あわでるな。一番機、三番機、それから敵の位置は戦術画面に表示されている。まずは戦術画面を見てくれ」
ヘッドセットの隅に戦術画面が表示された。戦場の地形、味方を表す青い光点、そして敵の赤い光点が見えた.。
まだるっこしい。とっとと敵を見つけてアサルトをぶっ放したかった。
「俺は俺のやり方で戦いたいんだ」
田代の言葉に、瀬戸口は「百年早い」と言い切った。
「左に見える青い光点が三番機だ。これを追ってくれ」
言われたとおりに入力した。ずしん。機体が揺れ、二番機は前へ進んだ。加速がついて、田代はシートに押しっけられた。田代の視界に、ビル街が広がった。
「そこでいったん停止。ゆっくりと旋回して。敵が視認できるはずだ」
凄まじい音がした。不安を感じながら言われたとおりにすると、ジャイアントアサルトから発射される二〇o機関砲の曳光弾が弧を描き、幻獣に吸いこよれてゆく三番機だ。田代は道沿いに駆け出した。
「馬鹿、闇雲に突っこんでも意味がない。煙幕弾を発射しろ」
「お、おう」
二番機は煙幕弾を発射、あたりは濛々たる煙に包まれた。
「感謝します」
一番機から通信が入った。
「危ないから近づくな」
舞の声に田代は、ムッときた。面倒くさい、と思った。危ないから近づくな、だと?
ふざけんじゃねえ。俺は戦いに来たんだ。幻獣のやつらをぶっ殺しに来たんだ。これ以上、指図されるのは嫌だ。
「俺は勝手にやらせてもらうぜ」
田代は瀬戸口に通信を送った。
「馬鹿、やけになるんじゃない。俺の言うとおりに……」
田代は不敵に笑うと、通信を遮断した。
「十字路にミノタウロス一体! 発射!」
ジャイアントアサルトが火を噴いた。ミノタウロスは向きを変えて突進を試みたが、二〇o機関砲弾を全身に受けて四散した。
三番機はビルを遮蔽物として利用しながら、敵を確実に仕留めていった。市街戦では繊細な操縦技術が要求される。敵の死角から死角へ。突進ひと筋だった壬生屋も、近頃では建物の蔭に隠れ、背後から暗殺者のように幻獣を倒すことを覚えた。
「速水機、ミノタウロス撃破」
ののみがすかさず戦果を伝える。
「壬生屋機、ミノタウロス撃破」
ほどなく壬生屋も敵を仕留めた。
戦闘に入ってから五分あまりの戦果としては悪くない。あと少し中型幻獣を撃ち減らしてから、スキュラを料理しようと舞は考えた。
「五十メートル先にミノタウロスがもう一体。右手のビルの裏側にいる」
厚志が口を開いた。ジャンプしてビルを飛び越え、敵前で方向転換す、べきか、それとも辛抱強く敵が射界に姿を現すまで待つか?
「近くに敵は?」
「大丈夫。死角になっている。すぐには攻撃されない」
「ジャンプだ」
指示したとたん、強烈なGに内臓が揺さぶられ、舞は顔をしかめた。
ずしーん。着地すると同時に敵の気配。距離わずかに三十。舞はすばやく敵をロックオン
するとジャイアントアサルトを発射した。敵は突進してきたが、間一髪の差で先手をとった。
機関砲弾に斬り裂かれ、前のめりに倒れこむミノタウロスを厚志は後方へ飛んで避けた。
「後ろですっ!」
壬生屋だ。上半身をひねって視界を確保すると、一番機がミサイル発射直前のゴルゴーンを唐竹割りに斬り下げた。
視認による敵の発見と、データとして表示される戦術画面からの敵位置の測定を両立させることは難しい。
壬生屋や滝川は今でも視認に頼っている。ひと息ついて、はじめて戦術画面を参照する。
敵の位置を測定してから、再び視認による戦いに戻ってゆく。
しかし厚志と舞はふたつの情報を同時並行的に認識し、処理することができる。
両者の差は大きい。敵への反応速度、先行きを見通した機体運用の効率性がまったく違ってくる。はじめ厚志は「同時に複数の情報に対処せよ」と舞に言われてとまどつたものだ。が、訓練を重ねるうちに、厚志の才能は開花した。
田代は――田代の目は悲しいまでにかつてのスカウトそのものだった。ヘッドセットの隅に表示される戦術画面を故意に無視し、視界のきかない市街地を、敵影を求めて移動していた。
見つけしだいぶっ殺す。田代は目を凝らし、耳を澄ました。
上空にヘリのローター音が聞こえる。きたかぜ? 田代はその出現を待った。と、一体のきたかぜゾンビが霧を割って、二番機に向かって急降下してきた。
「わあっ!」
反射的にアサルトを構え、連射した。命中! きたかぜゾンビは体液を流しながら落下し、二番機のすぐ横に突き刺さった。衝撃に機体が揺れ、バランスをとろうとした脚がもつれた。
二番機はぶざまに転倒した。
脳が揺れた。一瞬、目の前が真っ暗になったが、辛うじて意識を保った。
「くつそ〜、勝手が違うぜ」
自分が九メートルの巨人と同化していることに田代は違和感を覚えていた。この身ひとつなら、どんな身軽な動きでもできる。
「田代さん、大丈夫?」
厚志の声が聞こえた。倒れた拍子に通信回線をONにしてしまったらしい。田代が黙って回線を切ろうとすると、厚志は切迫した口調で止めた。
「待って。回線を切っちゃだめだ!」
「指図されるのはまっぴらだ」
「士魂号に乗っている限り、通信回線は仲間とつながるただひとつの手段だよ」
「ちぇっ、もっともらしいことを言うじゃねえか」
「僕と舞は、きみの機から三百メートルほど離れたところにいる。ミノタウロスが二体、きみのところに向かっている。近くに変わったかたちのビルがあるだろ? ビルのへこんだところに身を潜めて。敵が視界に入ったら、ありったけの弾丸をたたきこんでくれ」
「だりい戦い方だぜ」
言いながらも田代は機体を起こし、「変わったかたちのビル」を探した。
あった。士魂号の機体がすっぽり収まるほどの凹型のビルだ。田代機はすり足で移動、しゃがみこんでジャイアントアサルトを構えた。
ずしん。衝撃が起こって、ビルのガラスが粉々に砕けた。近い。田代は息を止めて、接近する足音に耳を澄ました。
「……!」
ミノタウロスが、田代の目の前、わずか十メートル先を通過しょうとしていた。狙いを定めるまでもない。田代はジャイアントアサルトの引き金を引き続けた。
「ミノタウロス撃破。かおちやん、通信切っちや、めーなのよ!」
とがめるののみの声が田代の耳に入った。
「こら、かおちゃんはやめろ」
田代がすごみをきかせで言うと、代わって瀬戸口の声がした。
「あと一体。後ろだっ!」
背後にぞっとする気配。ヤバイ! 田代は横っ飛びに飛ぼうとしてビルに激突、そのまま建物に頭から突っこんだ。脚部に熱を感じた。敵の生体ミサイルが爆発し、爆風が起こった。田代は瓦礫から這い出すと、ビルの屋上から狙いを定めているミノタウロスに向き直った。
「やりやがったな!」
二番機は渾身の力をこめて、ジャイアントアサルトをミノタウロスにたたきつけた。
鈍い音。脚が妙な方向に折れ曲がったミノタウロスは屋上から転がり落ちた。
「死ね、死ね、死ねっ!」
二番機はすかさず駆け寄って、起き上がろうともがくミノタウロスをめった打ちにした。ごぼごぼと気味の悪い音がして、視界いっぱいに敵の体液が飛び散った。
轟音と同時に閃光が起こって、田代は我に返った。棍棒替わりに使われたジャイアントアサルトが暴発を起こした。
「ミ、ミノタウロス撃破……」
ののみの声にあきれた様子が感じられる。
「あ〜あ、何てことするんだ。おまえさん、それでも文明人か?」
瀬戸口がぼやくように言った。
「こらあ、田代! 俺の愛機を傷つけたら許さねえぞー!」滝川が悲鳴をあげた。
「傷つけてなんか……あれ?」
田代は二番機の指に違和感を覚えた。
「指が一本、ぶっ飛んだ」
「頼むっ! これ以上壊さないでくれっ! 俺の愛機が泣いてるぜ」
「いえ、整備員一同、泣いてますっ!」不意に森の声が割りこんだ。憤りを抑え切れぬ様子である。
「ごめん。悪かったよ」
田代は謝りながらも、妙にさばさばした気持ちになった。幻獣を倒して気が晴れたわけではない。しかし通信をONにしたとたん、厚志だの瀬戸口だの滝叫だの、様々な雑音が耳に入ってきた。不思議なことだが、これが嬉しかった。
考えてみれば、スカウトとして戦っていたときも、仲間同士声をかけ合い、目と目で合図をし合っていた。仲間の声が自分を支えた、と言ってもよかった。
「じゃあ、次の敵、行くぜ。どこだ?」
ほおっとため息。しばらくして瀬戸口が出た。
「戦術画面をちゃんと見ような。左手六十度。低いビルが続いているから、まっすぐに行ける。じきにゴルゴーンと出くわすはずだ」
「おい、そりゃないだろ! あいつのことだから、何の警戒もしないで行くぜ! 俺にはわかる。あの女は筋金入りの馬鹿だ」
また滝川だ。続いて瀬戸口のウンザリした声。
「オペレータは俺だぞ。田代、バズーカを装備しろ」
「よっしゃ」
「……言っておくが、バズーカは振り回すなよ。暴発したら今度こそあの世ゆきだ」
「へっへっへ、俺だって文明人のはしくれだ。任せておけって」
「だ、だめだぁっ! あいつは絶対、機体を壊す。頼む、さっさと戻ってくれっ!」
滝川はオモチャをとられた子どものように絶叫した。
二番機はジャイアントバズーカを装備すると、ビルを乗り越え、進みはじめた。
「どうやら目的は達したようですね」
善行が冷静に言った。
指揮車内のスクリーンには戦場のマップが表示されている。
盆地のほぼ中心に位置する街の規模は東西に二キロメートルあまり、南北に五キロメートル。
小隊は東西を貫通する国道の東側から進撃、指揮車はじめスタッフ車両は街の玄関口にとどまっている。一番機と三番機は南端のビル街に侵攻した敵主力をほぼ撃退していた。スキュラ一体、ゴルゴーン数体を撃ちもらしたが、味方に損害はなく、青い光点ふたつが寄り添うように
点滅している。
街の北側に位置する二番機もゴルゴーン一体を仕留めた。ジャイアントバズーカを装備していながら、敵と遭遇した二番機はゴルゴーンに肉薄して、パンチで仕留めた。
白兵戦に才能があると言えば、あるか。拡大表示された戦闘の映像を見ながら、善行は微かに笑った。
「田代、けっこうやりますね」
瀬戸口がほっとしたように言った。スクリーン上の二番機の周辺をさらに拡大すると、すでにゴルゴーンの死骸は消滅し、二番機はぼんやりと突っ立っている。
パンチを繰り出した右腕に軽い損傷が見られた。二番機の情報を表示すると、右人さし指損傷、必要以上の力でパンチを繰り出した結果、右腕関節の人工筋肉でつくられたじん帯が伸びきってしまっている。
スクリーンを滝川がのぞきこんだ。
「くそっ! 何て無茶しやがるんだ。俺の二番機はな、怪我することに馴れていないんだ。大切に乗ってきたのに」
言い募る滝川にあきれながら、瀬戸口はなだめるように言った。
「大した損害じゃない。作戦は終わった。待てよ……」
瀬戸口の顔が険しくなった。スクリーン西端に突如として赤い光点が現れた。その数、十。
光点は点滅しながらまっすぐに東へ向かっている。
瀬戸口は急いで敵の戦力をチェックした。
「敵の反撃です。スキュラ三、きたかぜゾンビ七が東へ向けて進撃中」
「東に向かって、なるほど」
善行は眼鏡をかけなおした。敵は地形の制約を受けない空中部隊で街を強行突破、無防備な後方部隊を襲うつもりだ。
指揮車の付近には補給車、軽トラ、そしてトレーラーが三両。スカウトの若宮、来項が護衛として控えているだけだ。
「敵も考えましたね。後方部隊を葬れば、小隊は事実上、壊滅する」
三機の士魂号は、整備、兵貼、司令部など多くのスタッフ要員によって支えられている。複雑で特殊な機構をもつ人型戦車の整備員は貴重だった。失われれば、補充は難しい。さらに士魂号は特殊なタンパク化合物をエネルギーとして動く。これを供給する補給車が破壊されれば、士魂号はあと二、三時間で動けなくなる。
5121小隊は地図上から永遠に消え去ってしまう。
「整備員は全員撤収。若宮、釆須両名は整備員を護衛してください」
善行が告げると、原が通信を送ってきた。
「なにが起こったの?」
「敵はスタッフを狙っています。至急、撤収してください」
沈黙があった。少しして、原が口を開いた。
「わたしは残るわ」
「しかし補給車を失うわけには……」
「あら、わたしより補給車のほうが心配なのかしら?」
原は嫌みたっぷりに言った。
「こんなときに何を!」
善行は珍しく怒りをあらわにして言った。
「士魂号を呼び戻すほうが先よ。命令を下した?」
「今、オペレータが事情を説明しています」
「なるほど。新しい戦術パターンだな。面白い」
舞は繰り返し襲ってくるGに忌々しげな顔をしながら言った。すでに厚志は指揮車への最短距離を走っていた。少し放れて一番機も続く。
「敵が分散した。ふむ。我らを足留めするつもりだな」
赤い光点が五体、こちらへ向かってくる。
「どうする?」
舞は一瞬、考えこんだ。まだミサイルには余裕がある。
「ここは我らが引き受けよう。壬生屋機を行かせてやれ」
「わかった」
ほどなく敵が視認できた。スキュラ一体、きたかぜ、ゾンビが四体。けっこうな戦力だ。
「壬生屋さん、敵にはかまわず、振り切って」
厚志が通信を送ると、壬生屋は「承知しました」と短く返事をして走り去った。
一番機を狙って方向転換をしたきたかぜゾンビを、三番機は側面から撃破した。そのまま敵四体を射程内に収めると、三番機はミサイルを発射した。
田代は機体がジャンプするたびに襲ってくる衝撃に歯を食いしばった。
厚志の軽やかな操縦技術にだまされた。こんな乗り物、もうたくさんだと思った。
「田代、三体がそちらに向かった」
瀬戸口の声に、田代はあたりを見まわした。スキユラ一体、先行してきたかぜゾンビが二体、ローター音を響かせながら接近してくる。
武器はバズーカだけだ。振り上げようとして思いとどまった。暴発したらジ・エンドだ。
「しょうがねえな」
二番機は手近のビルに登ると、ビルの屋上から屋上へとジャンプした。きたかぜ、ゾンビがミサイル発射態勢に入った。二番機は横っ飛びに飛んだ。爆風に機体が揺れた。辛うじて踏みとどまると、跳躍してミサイルを発射した敵にキックを食らわせた。
敵の機体がひしゃげ、地上に激突した。二番機は着地しょうとして、失敗、瓦礫の中に倒れこんだ。直後に再びミサイルが爆発。爆風と同時に、濛々《もうもう》たる粉塵が視界を閉ざした。敵の発する音だけを頼りに、田代は跳躍の機会をうかがった。
上空に敵影は見えない。
田代は一瞬、とまどった。しかし、次の瞬間、ためらわずジャンプ。レーザー光がかすめ過ぎた。視界の隅に、道路上に着地したきたかぜゾンビが映った。
ヒトをオブジェ扱いする悪趣味な連中だ。幻獣はただのけものじゃない。知能をもった生物だ、と田代は直感していた。ヒトが考える策略を、幻獣が考えたとしても不思議はない。
「へっ、残念だったな!」
二番機は上空へ飛び立とうとするきたかぜゾンビに突進した。パンチを繰り出すと、腕が敵の薄い装甲を突き破った。腕を引き戻そうとしたとたん、きたかぜゾンビは二番機を貼り付かせたまま舞い上がった。
体液を撒き散らし、全身に火花を散らしながらもきたかぜゾンビは上昇した。
脚を突っ張って腕を引き抜いた。同時に敵は爆発。二番機は地面にたたきつけられた。
田代は意識を失った。
――クラスが小隊に編制されてから数日が経った。放課後だった。教室には西陽が赤々と射しこんでいた。
田代は窓際にぽつんと座っている委員長を見つけた。田代にとって、委員長は雲の上の存在だった。成績は常にトップクラス。陸上部に属して、棒高跳びでは県代表レベルと噂されていた。
委員長は、生真面目で冗談が通じにくい性格だった。
ひと昔前の漫画の学園モノに出てくる委員長タイプを地で行っていることから、一年のときから「委員長」のニックネームで呼ばれていた。そしてニックネームがそのままホンモノになってしまうところがらしいところだった。
「おい、槍投げはやらねえのか?」
田代が思いきって声をかけると、委員長は振り返った。銀縁の眼鏡を直すと、苦笑いして言った。
「槍投げじゃない。棒高跳びだ」
「それだよ、それ! どうしたんだ、具合でも悪いのか?」
「そうじゃないけど」
委員長はがらんとしたグラウンドに目を向けた。
「クラブ活動は休止になったんだ。来週から僕達はスカウトとして教練を受けることになる」
「たりいな」
田代がため息をつくと、委員長は笑った。
「覚悟したほうがいいな。これまでのような生活してちや身がもたないぞ」
「何だよ、それ」
「タバコ、酒、夜更かしはだめ。教官はプロの軍人だから、徹底的にしごかれる」
冗談めかして言いながらも委員長は元気がなかった。
田代は窓辺に寄って、委員長の視線を追った。グラウンドの棒高跳び用のスペースにはポールとマットが放置され、バーが転がっていた。
「委員長は槍投げが好きなんだな」
「ずっと続けてきたからね」
面倒だと思ったのか、委員長は今度は訂正しなかった。
委員長は自分とはずいぶん違う。
学兵として動員されることが伝えられたとき、田代はぞくぞくするような期待感にとらわれた。これでつまらない生活とはおさらばできる。授業はねえし、テレビの戦意高揚番組で見たような楓爽としたスカウトになって銃をぶっ放せるし、面白そうじゃねえか、と思った。
しかし委員長は寂しそうだった。
ふたりはしばらくの間、黙ってグラウンドを眺めていた。
「さて、帰るよ」
委員長はそう言うと、立ち上がった。
田代は思わず口走っていた。
「槍投げ、していけよ」
「もう終わったんだ」
「固いこと言うなよ。俺が手伝ってやる。とっとと着替えねえと陽が暮れるぞ」
田代はダッシュして校庭に出ると、棒高跳びのバーを高々と持ち上げた。委員長の顔が窓からのぞいたかと思うと、すぐに消えた。
「待たせたね」
ユニフォームに着替えた委員長は別人のように楓爽として見えた。クラス一の長身に、四メートルほどもある競技用の棒を持っている。
「飛べよ」
田代がバーをセットすると、委員長は助走を開始した。棒がしなり、委員長の身体は西陽を背に宙高く舞い上がった。バーが微かに揺れた。
「落ちるな、落ちるなよ……」
田代の祈りが通じたか、バーはピタリと静止した。
「やった」
委員長がつぶやいた。視線は目盛りに注がれている。
「僕の記録、知っていたのか?」
「え、俺は適当にやっただけだぜ」
委員長は呆然と田代を見つめた。しかし、すぐに生き生きとした表情で田代に笑いかけた。
「記録更新だ。やった、やったぞ!」
委員長は駆け寄って、長い腕で田代に抱きついた。
「お、おい……」
田代は真っ赤になって、口ごもった。
「これで、これで忘れ物をせずに済んだ。ありがとうな、田代!」
田代は目をつぶった。何だか切ない思いがした――
「委員長……」
つぶやくと同時に、田代ははっとして目を覚ました。コックピットの中だった。しまった! 田代はあわてて時間を確認して、ほっとした。十秒ほど気を失っていたに過ぎない。田代の中に温かな何かが流れこんできた。
それが何であるか、田代は直感的に悟った。
中学時代のとっておきの思い出だった。
「そつか。俺に一番いい夢を見せてくれたんだな。やるじゃねえか」
全身に力が漲った。田代は仰向けになった機体を起こした。ごおおお。風切り音が聞こえ、地面がどリビリと震えた。
田代のまなざしに光がともった。
(なあ委員長。また槍投げさせてやりたかったぜ)
きつと上空を見上げジャイアントバズーカを構える。スキュラが巨大な尾をなびかせて通過するところだった。
田代の放った一撃は、大型幻獣の腹に突き刺さった。一瞬、間があって、スキュラの体内で爆発が起こった。巨体のところどころから炎を噴き出しながら、スキュラは地上に激突した。
轟音。閃光。全身に熱風を感じた。
「やった」
田代はつぶやくと、はじめて全身を走り抜ける疲労を感じた。士魂号は射撃姿勢のまま、静止した。
「田代機、スキュラ撃破」
瀬戸口の声が響き渡った。ののみと石津は滝川に連れられて退避した。後に残ったのは善行と瀬戸口だけだった。
スクリーン上に残る赤い光点は二体。まっしぐらにこちらをめざしてくる。
「どうします? ここは一か八か、賭けてみますか?」
瀬戸口はハンドルを握った。
善行はふっと笑った。
「強引なオペレータだ。その手は何です?」
「ははは。何なんでしょうね」
瀬戸口の左手がギヤにかかった。善行はハッチを開けると、機銃座にとりついた。
「行ってください」
指揮車の巨大な車輪が土煙を上げた。きたかぜゾンビが迫ってくる。後方には遅れてスキュラ。善行は慎重に狙いを定め、引き金を引いた。
瀬戸口は巧妙な運転で、敵の射界から逃れ続けた。二〇mm機関砲弾が、きたかぜゾンビに当たりはじめた。煙を曳きながら、幻獣はなおもオトリとなった指揮車を追い続けた。
「原さんから通信が入ってます! 善行の馬鹿って」
「ははは」
指揮車は猛然ときたかぜゾンビの眼下を通過した。敵はあわてて方向転換をする。たて続けにミサイルが発射された。瀬戸口はジグザグに走りながら間一髪で避けている。
「まだですか?」
善行の声がさすがに切迫してきた。
「じきに落ち合います。壬生屋、支援を頼むっ!」
瀬戸口はちらとスクリーンを見て言った。
ずしーん。聞き慣れた脚音が地を震わせた。ビルの蔭から超硬度大太刀を引っ提げた一番機が姿を現した。
「よしっ。後はわき目もふらず、逃げた逃げた」
指揮車とタッチするように、一番機は大太刀を振り上げ、きたかぜゾンビに突進した。酷使された脚部の人工筋肉が悲鳴をあげた。
一番機は跳躍すると、そのままきたかぜゾンビとすれ違った。着地すると同時に、後方で衝撃。後にはまっぶたつに断ち割られた幻獣の死骸が残された。
「お見事!」
瀬戸口の声に応えるように、一番機は最後の敵に襲いかかった。白刃が陽光にきらめき、どこからか二〇o砲弾が幻獣に向かって放たれた。大太刀に斬り裂かれ、数千発の砲弾をたたきこまれたスキュラは、ほどなく空中で大爆発を起こした。
善行が機銃座から降りてきた。
瀬戸口と善行は顔を見合わせ、安堵の息をついた。
この日、複座型芝村・速水機は十一体の幻獣を撃破、単座型壬生屋機は四体撃破、そして田代機は初陣ながら大型幻獣を含む六体の敵を軋った。
しかし公式記録には田代の名前は記されていない。滝川機六体撃破と記されている。
陽が暮れかけていた。
二番機の周辺に小隊の車両が横付けになった。周辺のビル群はすべて倒壊し、高熱を浴びた瓦礫は燃え、なお煙を上げていた。
二番機はバズーカを構えたまま、ピクリとも動かなかった。右腕はひどい損傷を負い、全身、これ以上ないというほど汚れきっている。
指揮車から飛び出した滝川が悲鳴をあげた。
「俺の、俺の二番機がっ! 可哀相に、こんなに汚れちまって!」
滝川は二番機の頭部によじ登ると、コックピットを開いた。
「た、田代……」
田代香織はヘッドセットをはずして、シートにもたれていた。安らかな表情で、目を閉じ、眠っているように見える。
滝川は足をすべらせて機体から転げ落ちた。
「た、大変だ。田代が、田代が!」
梯子がかけられた。登ろうとする善行の袖を引っ張る手があった。石津萌だった。
「行ってやりなさい」
善行は静かに言った。石津はこくんとうなずくと、梯子を駆け登った。石津の上半身が半ばコックピットに埋まった。
しばらくして、石津は梯子を降りて小声で言った。
「田代さん……眠っている」
はああ、と小隊の全員がため息をもらした。
代わる代わるコックピットをのぞきこんで、めったに見られぬ田代の寝顔に見入った。
「寝ているときは可愛いんだけどなあ」
瀬戸口が軽口をたたくと、若宮もうなずいた。
「しかし図太いモンだな。女は強い、と言うべきか。六体撃破だぞ六体。このペらペらの二番機で、しかもはじめての戦いだ」
「ぺらぺらとは何だっ! 滝川スペシャルと言え!」
滝川が憧懲りもなく抗議した。
「士魂号がいい夢を見せてくれているのね」
原がぼつりと言った。
「田代さん、よっぽどこの子に気に入られたんですね」
森の言葉に、滝川はむすっとした顔で押し黙った。
「きっと滝川がそう育てたんだよ。だからそんな顔しないで」
厚志が機体に取り付けられた拡声器を通して言った。「滝川って田代さんと相性がいいかも」と言おうとしたが、さすがに口をつぐんだ。
「誰か石を投げてやれ。この馬鹿女にはつき合いきれぬ」
舞が不機嫌につぶやいた。
「田代さん、起きてください」
森が拡声器でやさしく言った。その声に押し被せるように舞の怒声が響いた。
「こら、馬鹿女! とっとと起きるがよいっ!」激しい剣幕で怒鳴る舞に、誰もが耳をふさいだい
「ちつくしよう。誰だよ、イイ気持ちで寝ているのに」
コックピットから声が聞こえた。続いてあくびを噛み殺す声。田代がコックピットから身を乗り出した。
飛び降りようとした足が止まった。田代はコックピットを振り返った。
「世話んなった。おまえってホントにイイやつだな……。ありがとよ」
ボンと機体をたたくと、身軽に地面に降り立った。
「おっ……」
田代は、ぼんやりとあたりを見まわした。
はじめて小隊全員に注目されているのに気づき、ばつの悪そうな顔になった。赤茶けた髪を垂らして深々と頭を下げた。
「みんな、ごめん!」
「ごめんじゃねえ! 責任とつてもらうからな」
滝川がぶすっと言った。
「けど、みんな来てくれたんだな。へへっ、もういいや。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
善行が前に進み出た。腰のホルスターからシグ・ザウエルを取り出すとスライドを引いた。
「命令違反。暴行。正規の訓練を受けたパイロットでないにも拘わらず、二番機を強奪、味方を危険に導いた責任があります。覚悟はしていますね」
田代の顔から血の気が引いた。しかししっかりした声で、「ああ」と答えた。
予想外の成り行きに誰もが息を呑んだ。しかし善行は努めて表情を殺している。
「田代香織。司令権限により銃殺刑に処す……」
田代は目をつぶった。
善行は澄ました顔で、銃をホルスターに収めて言った。
「……と言いたいところですが、罪一等を減じて小隊懲罰委員会に身柄を預けます」
どこからともなく安堵の声がもれた。
そのとき。誰もが目の前の光景に目を奪われた。
田代の全身から光が発せ。つれたかと思うと、光は無数の小さなかたまりとなって、夕暮れの空に浮かび上がった。まるで蛍の群れが田代を包んでいるようだった。
光の中で田代は静かに目を開けた。
やさしくつて温かな光。田代にはそれが何だかわかっていた。懐かしい声が次々と聞こえた。
「ああ、さよならだ。行けよ」
田代の髪がふわりと揺れた。田代は微笑んで光を見送った。
「これは……」
善行は空を見上げた。
光の群れはゆらゆらと天空に立ち昇ってゆく。
「死んだ人達……田代さんにさよならって……」
石津萌が訴えるように善行を見つめた。善行は光に向かって手を合わせた。
光は夜空に吸いこまれるように消えていった。
善行は長い時間、合掌していたが、やがて田代に向き直った。
「二度は許しませんよ」
「へへっ、これで善行千翼長閣下に借りができたってわけか」
「そう思いたければ、ご勝手に」
善行は眼鏡に手をやった。
「ふん。甘いことを」
舞が不機嫌につぶやいた。
「けど、本当は、ほっとしているでしょ」
厚志に言われて舞は顔を赤らめた。
数日後。
田代は整備員詰所でモッブ掃除をしていた。顔はこれ以上ないというほどの不平、不満でぶんむくれている。
「同じところ……モップがけ、だめ……水………きちんとしぼって」
石津萌が拭き掃除をしながら田代に注意した。
「くそったれ! 俺はじいさんの遺言で一生掃除はするなって言われたんだよ!」
「……」
石津は聞こえぬふりをして、丹念に窓枠を拭いている。懲罰委員会で石津萌は珍しく発言をした。隊の衛生状態の悪化をとつとつと述べ、
「このままでは疫病でみんな死んでしまうわ」と主張した。
疫病っていつの時代の話だよ、と田代は抗議したが原はこわい目で発言を封じた。
「田代香織戦士、衛生官の管理下、二週間の強制労働に処す」と、懲罰委員会は裁決を下した。以来、田代はずっと石津にこき使われている。
仕事はたくさんあった。一に掃除、二に掃除、三、四がなくて五に掃除である。整備員詰所、教室、敷地を提供してもらっている感謝のしるしとしての女子校トイレの掃除。
慣れない仕事に、田代は不平たらたらであった。
石津がバケツを手に水を汲みに行った。
田代はこっそりと整備員詰所を逃げ出した。
「へっへっへ、ここなら見つからねえだろ」
田代は正門付近の樫の木に登って、胸ポケットから板チョコを取り出した。
不意に、たたた、とせわしなげな靴音がした。下を見るとモップを二本持った石津がうらめしそうに樹上を見上げている。
「わっ、おまえは千里眼か?」
「呪いの水晶が……教えて……くれたの。降りないと、呪う……わ」
田代があわてて根もとに降り立つと、石津はモップを手渡した。
「そうだ、石津に聞きたいことがあったんだ」
女子トイレでモップを動かしながら、田代は思い出したように言った。
「あのさ、前に話してたろ? 俺の白馬の王子様って誰だ?」
前は白馬の王子様とは言わないから、と田代は言った。少し資沢になっている。
「た……」
石津は振り返って無表情に田代を見つめた。
「な、何だよ?」
「トイレ掃除……終わったら……教える」
「きっとだぜ、きっとだかんな!」
田代は期待に瞳を輝かせ、熱心にモッブを動かし始めた。
[#改ページ]
原日記U[#地付き]四月三日(金)
[#ここから1字下げ]
天気曇りのち雨。整備テントの雨漏りが深刻な状況となっている。ビニールテープで止めてまわっているのだが、もはや限界か?テントの生活は過酷を極める。四月とはいえ、夜になると足下から冷えこんでくる。特に女子にその弊害ははなはだしく、ほとんどの者が肩こり、腰痛など、冷えから来る不調を訴えている状態だ。誰かヒーターをプレゼントしてくれないかしら?後方部隊の充実なくして、勝利はあり得ない。
これが近代戦の鉄則だけれど、上層部にはわかってもらえないらしい。
確かに戦闘部隊に比べると、整備は地味ね。マスコミの話題にはなりにくい。テレビ映えしないし。けれど、整備班の充実のためなら、わたしは敢えてテレビに露出してもかまわない。わたしはミス自衛軍にノミネートされたことだってあるし、しゃべりにも自信がある。
もし、仮に優秀な映画監督がいて。整備班を舞台にした映画を作ってくれるなら、女優をやってもいいね。実は密かに企画を考えている。『整備の女神さま』っていうの。無能でじじむさい司令や、ネアンデルタール人からそのまま進化したとしか思えない野蛮で乱暴なパイロットにもめげずに、微笑みを絶やさず、整備員を励ましてまわる。
健気な女神さまの噂は全軍に伝わって、女神さまが登場すると、「女神さま万歳っ!」って叫んで、最後に全軍が突撃する。無能な司令は、最後に戦死するんだけど、死ぬ間際に、「わたしはあなたにヒドイことばかりしていました。……本当はデートに誘いたかったんですけど、あなたの美貌に気後れして声がかけられませんでした。臆病なわたしを許してください」なんて謝ったりするの。
善行の馬鹿
あ、そういえば、この間、中村十翼長が、士魂号のタンパク燃料をベースにしてプリンを作った。もちろん怒ったけど、食べてみるとけっこうおいしい。
誰だって才能はあるものね。
それにしても……善行の馬鹿。
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豪剣一閃!
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「よこしまをやぶりて、ただしきをあらわす――破邪顕正《はじゃけんしょう》。ただしきをまもりて、よこしまをしりぞけん――衛正斥邪《えいせいせきじゃ》」
壬生屋末央は低い声でつぶやきながら、闇の中で背筋を伸ばして正座をしていた。
白い胴衣に赤袴。背中までとどく艶やかな髪を赤いリボンで束ねている。色白でやさしげな顔立ちをしているが、まなざしは凛として、強い輝きを放っていた。
目の前には炎をゆらめかす蝋燭。壬生屋のまなざしはじっと炎に注がれている。ゆっくりと息を吸いこむ。丹田に気が渡った。すっと左手が動き、傍らに置かれた日本刀を掴むと、鯉口を切った。身を起こし、右足を強く踏み出して、裂帛《れっぱく》の気合いを発した。
「やあっ!」
闇の中に自刃がきらめいた。蝋燭は炎をゆらめかせたまま、宙を飛んだ。
「ふうっ」
壬生屋は手慣れた仕草で刀を鞘に収めると、息を吐き出した。
成功だ。今日はうまくできたわ、と壬生屋は満足した。心が乱れているときは、剣先も乱れる。剣の道はまず心から、と亡くなった祖母は口癖のように言っていた。
今日は散々だった。
ハンガーで整備主任の原素子と鉢合わせして、服装について言われた。
「前から思っていたんだけど、あなたのその胴衣姿、どうしても気になる。皆と同じにしろとは言わない。ただ、気をつけてね。自分は特別だって思い上がりは人を不幸にするわ」
と原は言った。
「そんなこと思っていません!」
反論する壬生屋に、原はにっこりと笑って、
「そう。それならいいけど。わたしはあなたを信じているから」
と言い捨て、あっさりと歩み去った。後に残された壬生屋は、通り魔に遭った気分になった。
原はちょくちょく壬生屋に棘のある言葉を浴びせる。すれ違いざま「一番機の被弾率、断トツよ。おめでと」とか、「その胴衣、汗くさいわよ。気をつけてね」などなどむそのたびに壬生屋は悩んで、あれこれと考えてしまう。
実は原独特のブラックな愛情表現なのだが、生真面目な壬生屋にはイジメとしか思えない。
心が乱れたときは自室で、居合の鍛錬をすることにしていた。
形は正座からの最も基本的な抜き付け。蝋燭など置くのは本来は邪道なのだが、炎をじっと見つめるうちに心が鎮まり、集中が増す。祖母から教わった方法だった。二メートルほど先に蝋燭を置いて、その先端を斬り飛ばす。斬撃が速く正確であれば、蝮燭は炎をゆらめかせたまま飛んで行く。
壬生屋はたすきをほどくと、ほっと安堵の息をついた。
多目的結晶がアラームを発した。
「あ、いけないっ! 『水戸黄門』がはじまっちゃう!」
壬生屋は急いで明かりをつけると、リモコンのスイッチを入れた。
亡くなった祖母は時代劇の大ファンで、壬生屋は幼い頃から祖母と一緒にありとあらゆる時代劇を見てきた。
ただし殺陣のシーンになると、祖母の突っこみは集中豪雨並みとなる。
「なにをやってる!多数を相手にするときは頭を便わねば。そこだっ、雑木林に入れ」
「八双の構えじゃと。笑止。あれは相当の遣い手でなければ意味を成さぬ。それゆえ廃れたのだ。見栄を張るな。謙虚に中段に構えるがいい」
「すりこぎを握っておるわけじゃあるまいに。柄はもつと柔らかく握れ」などなど。
父がいくら「あれは芝居ですから」と言っても、祖母はきかなかった。「芝居としても心得がなさ過ぎる。あれではそこらの猫と戦っても負ける」と。
そう、猫は強いわ! とテロップを見ながら、壬生屋はふと思った。猫が本気になれば、ヒトはかなりの確率で敗北する。数年前、近所の野良猫とにらみ合ったことがある。竹刀を構える壬生屋を、猫はちらと見やって悠々と引き上げた。
本当は強いのだ。縄張りをめぐって死にもの狂いで他の猫と闘っているときの身のこなしを壬生屋は知っていた。しかしヒトと戦う理由がないことを猫は知っている。
けものは剣の教えを本能的に身につけている、と壬生屋は感心したものだ。
画面では旅の母子が、ならず者に絡まれていた。
敵討ちの旅かしら? けど、きっと弱いんでしょうね。御老公が早く現れないかしら、と壬生屋は画面に目を凝らした。
ふと何かが焦げるにおいがした。様な予感がした。
「きやあ!」
壬生屋は悲鳴をあげた。ハンガーにかけてあるワンピースが煙を上げていた。運の悪いことに斬り飛ばされた蝋燭がポケットに飛びこんだらしい。普段は、床に転がるとすぐに火は消える。油断だった。壬生屋はあわてて流しから水を汲むと、ぶちまけた。化繊のワンピースは見るも無惨な状態となった。
藤色……淡いバイオレットのワンピース。気に入っていた。これを着て鏡の前に立つと、少し大人になった気がした。
洋服を集めるのは壬生屋の密かな楽しみだった。幼い頃から胴衣姿で通してきたぶん、洋服への思いは強かった。街のブティックに行き、売場の気配に神経を研ぎ澄ます。そうすれば商品のほうから自分を買って欲しいと、自然に自分の目に飛びこんでくる。
試着もせずに、電光石火の勢いで服を買う壬生屋に、店員ははじめあきれ顔だったが、後には手のかからない客だと割り切るようになった。
焼けたワンピースも、そうして買った一着だった。剣の構えを見るための等身大の鏡の前で壬生屋は昨日このワンピースを着て、ひとりきりのファッションショーをやったばかりだった。
「不覚だわ。洋服ダンスに仕舞っておけばよかった……」
昨日は、これを着て殿方と一緒に街を歩いている自分を想像した。そして、いつかきっと機会は訪れる、と思いを新たにしたものだ。
と、ここまで考えて、壬生屋ははっとした。
これは戒めじゃないかしら? この非常時に殿方のことを考えるなど、不謹慎である、と。
自分は戦いに専念すべき身なのだ。
しかしすぐに首を横に振って打ち消した。
「いいえ、いいえ! お祖母様はわたくしを励ましてくれた。だから悪いことではない……」
精進してよい婿を見つけるがよい、と祖母は言ってくれた。代々、壬生屋の女はおのこには緑が薄いゆえ、ここぞと思ったらいっきにことを運べ、さもなくば勝機はない、と。
だから、普段から来るべき事態に備えるのはまちがってはいない――壬生屋は二の考えが気に入った。
あのワンピース、好きだったのに。いつかきっと着ようと思っていたのに。
壬生屋は深々とため息をついた。
「ふぉっふぉっふぉっ」
部屋中に笑い声。テレビではようやく御老公が登場していた。
「何だかやけに張り切っていますね。時代劇を見てるみたいだ」
指揮車オペレータの瀬戸口隆之は善行忠孝司令を顧《かえり》みた。
拡大された画面には、両腕に超硬度大太刀を構える壬生屋の一番機の姿があった。脚下には両断されたミノタウロスが二体、その前後に転がっている。
一番機は突進したかと思うと、ミノタウロスに剣を振り下ろし、振り向きざま、背後に迫る一体を横なぎに斬って捨てた。
その間、数秒。無駄のない動きだったっいかに人工筋肉に覆われた士魂号といえども、よほどの剣の心得がなければ不可能な動きだ。
剣に慣れぬパイロットでは、ミノタウロスの装甲は破れない。無駄な動きが多く、人工筋肉を活用しきれないためだ。
その点、壬生屋は斬撃の瞬間に人工筋肉のパワーを最大限に引き出す術を知っている。他のパイロットには到底まねができない。
その壬生屋の剣が、これまでにも増して冴えている。
「OK、その調子だ。格好いいよ、惚れ直しちゃうぜ、壬生屋末央」
瀬戸口が通信を送ると、壬生屋の不機嫌な声が返ってきた。
「不潔ですっ! 真面目にやってください!」
「小隊のプリンスに、不潔はひどいなあ。朝シャンもしてきたし、下着は毎日替えてるし」
「意味が違います!」
「壬生屋、後ろに敵がまわったぞ」
芝村舞の苦々しげな声が響いた。
「煙幕が切れた。気をつけろ」
滝川陽平からの通信。
壬生屋は戦術画面をちらと見た。距離は約千八百。赤い光点がひとつ、静止している。
これは………! 壬生屋はためらわず機体を旋回すると、全速で走った。
レーザー光が次々と地面に突き刺さる。横っ飛びに飛んで避ける。なおも接近。ほどなくスキュラを視界にとらえた。空中要塞スキュラのアウトレンジからのレーザー攻撃は、白兵戦仕様の一番機にとっては最も警戒するところだ。
ダッシュする。スキュラが方向を転換する。ビルを踏み台にしてジャンプ。スキュラから閃光。レーザーが一番機の肩先をかすめ過ぎた。
「破ッ!」
手ごたえがあった。一番機はスキュラの腹をざっくりと斬り裂いた。着地と同時に再びダッシュ。背後ではスキュラが炎を噴き上げ、落下していった。凄まじい爆発音。爆風にあおられ、一番機の機体は激しく揺れた。
「スキュラ撃破。強いね、未央ちゃん!」
オペレータ補佐の東原ののみの声。壬生屋は通信を送った。
「他に敵は?」
士魂号の戦術画面と、指揮車の戦術スクリーンでは索敵範囲が大きく異なる。作戦スクリーンは数倍のレンジで敵を察知することができる。
「今日は頑張ってるな。――なにかいいことでもあったのか?」
瀬戸口の軽口にぐさりときた。ワンピース……。壬生屋は大きな焼け焦げのあいたワンピースを思い浮かべた。
「わたくしのことなんか、どうだっていいでしょう!」
「ごめんごめん。ただ今日の姫君、ちょっと冴え過ぎてるから」
姫君、と言われて壬生屋の頬が赤らんだ。壬生屋にとって、瀬戸口は無駄口が多くて不真面目なオペレータだが、声だけは気に入っている。
「ええっと、これはちょっとヤバイな。五キロ東の集落で、女子校の戦車小隊が三体のミノタウロスに手こずっている」
「なに、女子校?」
滝川が素っ頓狂な声をあげた。
「ああ、紅陵女子だ。可愛い子が多い。俺の評価ではA+。以上瀬戸口情報だ」
「わお! 俺、行くぜ」
瀬戸口情報の信頼度はAAAだ。滝川は意気ごんだ。
「不潔……」
ふたりの通信にあきれて、壬生屋はダッシュした。はるか前方に閃光が見えてきた。低くたれこめた雲に戦場の音が反射して耳にこだまする。
装輪《そうりん》式戦車の一二〇o砲が吠えた。はずした! ミノタウロスの生体ミサイルが弧を描いて飛んでゆく。装輪式戦車はあわててリターン。爆風が起こって、大量の土砂が吹き上がる。
どうやら新兵のようだ。三両の戦車は集落に身を潜めて、おっかなびっくり戦っている。
「今、助けますから。待っていてね……」
壬生屋はつぶやくと、集落の背後にまわろうとするミノタウロスの背を視界にとらえた。距離三百。超硬度大太刀をきらめかせ、一番機は敵に襲いかかった。ずしゆっ。大太刀が敵の装甲をたたき割るけ背を割られたミノタウロスは体液を噴出しながら前のめりに崩れ落ちる。
と、壬生屋は右手に違和感を覚えた。何だかやけに軽い。視界に陽光を浴びて光りながら飛んでゆくものが映った。
「どうして……?」
壬生屋は呆然としてつぶやいた。ぽっきりと折れた大太刀の刃先が宙を舞っていた。
背後に砲声が聞こえて我に返った。
ジャイアントバズーカの一六〇m砲弾が、まっしぐらに残りのミノタウロスをめざす。命中! ミノタウロスは四散した。
「えっへっへ、どうした壬生屋? なにぼんやりしてるんだよ」
滝川の声が聞こえた。
「ぼんやりなんかしていません! 残るはあと一体。参りますっ!」
一番機は猛然とダッシュした。
大勝利だった。5121小隊は敵を徹底的にたたき、隣接する戦線の戦車小隊を救った。幻獣撃破数は三機合わせて二十六体にのぼった。
ハンガー内でやけにはしゃいでいるのは滝川だった。厚志と舞を相手に、戦車小隊を救出したときのことを嬉しそうに話している.。
「へっへっへ、戦車兵の子達が可愛いんだな、これが。ありがとうございます、滝川さんて強いんですね、だって」
厚志と舞は黙って顔を見合わせた。あきれる思いは同じだった。
女の子と挨拶をしただけで簡単に舞い上がってしまう滝川に、厚志は「もののあはれ」を感じたし、舞は舞で「こいつは病気だ」という目をしている。
「それで俺、思いきって代表の女の子に『文通』してって言ったんだ」
「ぶ、ぶんつう……」
厚志はため息をついた。滝川にしては上出来だが、それっていつの時代の話だと思った。
「戦車小隊と情報交換をしてどうするのだ?」
舞が首を傾げて言った。
「だからあ、そんなんじゃなくて……」
滝川の勢いが止まった。舞は物問いたげにじっと滝川を見つめている。見かねた厚志が助け舟を出した。
「情報交換って言うより、互いの近況を知らせ合ったりしたいんだよ。夜になると冷えてきますね、風邪だけは引かないように、とか」
「あまり意味があることとは思えぬ。滝川はそんなことが嬉しいのか?」
「そ、そりゃあ……!」
滝川は口ごもった。
「まあ、人それぞれだからね。そろそろ行こうよ、舞」
「ふむ」
厚志がうながすと舞はうなずいて滝川に背を向けた。
舞い上がる滝川とは対照的に、壬生屋は情けない表情で折れた大太刀を見つめていた。
どうして折れたのか? 決して無理な使い方はしていない。
整備班主任の原が隣に立った。壬生星は緊張して、身を固くした。
しかし原は何も言わず、折れた大太刀の前にしゃがみこむと丹念に調べはじめた。
「日本の製造技術も落ちたものね」
「はい?」
「六菱重工のロゴが刻印されている。超合金技術では世界有数のブランドだけど、こんな粗悪品をつくっているようじゃ、先行き、暗いわ」
原は気難しげに眉間にしわを寄せた。ミスコン顔が冷徹な技術者の顔になる。ただし、どちらの顔も魅力的だが近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
「それで、新しい大太刀はいつ来るのですか?」
「そうねえ。六菱はもう生産を中止しているから、別の社の製品を探すしかないけど」
原は端末に座ると、手慣れた仕草で各社の在庫状況を調べた。
「だめ。大手はどこも生産中止になっているわ。人型戦車そのものがレアだし、超硬度大太刀を使うパイロットはもつとレアだから。あきらめるしかないわね」
「そんな……!」
壬生屋はすがるように原を見つめた。
「ちょっと待って。他の隊の装備を当たってみるけど……ああ、これもだめ。超硬度大太刀を使っているパイロットはいないわ」
壬生屋はがっくりとうなだれた。普段使っている武器が、そんなに貴重なものだったなんて。
「ごめんなさい」
壬生屋が謝ると、原は笑った。
「やあねえ。今日は怒らないわよ。粗悪品をこれまでよく使ってきたわ。誉めてあ・げ・る」
壬生屋は頭を下げると悄然として、一番機に向かった。
階下では中村光弘が一番機の脚部をチェックしていた。
二足歩行の人型戦車は、脚部にかかる負担が大きい。強靭な人工筋肉を持つ士魂号だが、脚部の故障は八割を占めるという。壬生屋が近づくと、中村が顔を上げた。制服に燃料のタンパク化合物が付着している。
「こん機体は今日もようこらえてくれたばい。じん帯が少し伸びとるけど、関節も腱もOKばい。あぎゃん大立ち回りばやったにしちゃ上々ばいね」
中村は屈託なく壬生屋に笑いかけた。壬生屋の操縦は日に日にうまくなっている。戦闘後に脚部を調べれば、パイロットの腕はたちどころにわかる。
「はあ……」
壬生屋はため息をついた。
中村は怪訝な面持ちで壬生屋の様子を見守った。
「どぎゃんしたとや?」
「大太刀がもうないんですって。どうしましょう?」
中村はしばらく考えていたが、
「特注すればよか。一ヶ月はかかるばってん、それまではジャイアントアサルトでも装備するとよかばい」
となぐさめるように言った。
壬生屋の顔が険しくなった。アサルトを装備しろと軽く言われて、怒りがこみ上げてきた。
「あたくしは壬生屋流古武術の継承者です。飛び道具を使うなんて卑怯です、恥ですっ! わたくしは大太刀でないと戦えません!」
「お、おれに怒ってもしようがなかろが」
中村は耳を押さえて、あきれたように言った。
「わたくしは剣に生きる身。中村さんはわたくしの戦い方を理解してくれていると思っていました!」
「そりゃそうばってんが……」
壬生屋の剣幕に中村は閉口して頭を掻いた。やがて壬生屋をなだめるように、傍らのビニール袋を手にとった。そして中から特大のプリンをふたつ取り出した。
「ま、まあ、機嫌を直して一服するばい。そうすりやよか思案もわいてくるけんね」
「これは……? 何だか不思議な色をしてますね」
プリンを渡されて、壬生屋は首を傾げた。
「おれんおやつばい、プリン。食べてんよかよ」
スプーンを手に、壬生屋はおそるおそるプリンを口に運んだ。壬生屋の表情が変わった。
「おいしい!」
「うまかろ?」
「甘さも適度に抑えられていて。焦げ茶色のところは廿さと微かな苦さが調和して」
味を誉められて、中村は呵々《かか》と笑った。
「中村さんがこんなにおいしいお菓子をつくるなんて意外です」
「菓子ば食えんようになったら、戦争は負けばい。おれは意地でもつくり続けると」
中村は物資集積所の警備兵に秘密のコネクションを持っていた。趣味の仲間から卵と砂糖を横流ししてもらい、不自由することはない。ただし、何の趣味かは今もって謎だ。
「はじめて食べます。ええと、ぷりんでしたっけ? 何だか幸せです」
壬生屋の機嫌が直った。中村はちらと壬生屋の足下に目をやった。草履に真っ白な足袋をはいている。中村の目がきらと光った。
足袋か。中村は密かに値踏みした。確かにレアだ。清楚な感じがよか。しかしこんおなごと取引するのは至難のわざばい、とため息をついた。
闇の仕事人としては、危険を冒すわけにはゆかない。
「ごちそうさまです」
壬生屋の声に、中村は我に返った。
「ど、どういたしまして。あ――、そうだ! 大太刀のことばってん」
「え?」
「そういや瀬戸口の知り合いが町工場をやっとつと元は軍用ナイフ専門の工場ばってん、このご時世だけん、今は何でもつくつとつとよ。ウチの若宮や来栖はナイフを特注でつくってもらっとるけんね」
壬生屋の顔がばっと輝いた。
「じゃあ、大太刀もつくっていただけるんですね?」
中村はことさらに気難しげな表情をつくった。憧れの原のまねだ。しかしはたから見れば、食べ過ぎで腹痛に苦しむ太っちょにしか見えない。
「そぎゃんとは……わからんばい。おれの情報はここまでだけん。あとは瀬戸口に当たってみっとがよか」
「瀬戸口さん……」
とたんに壬生屋は自信なさげな表情になった。
自分は瀬戸口に怒ってばかりいる。きつと嫌な女と思われているに違いない。
「わたくし、あの方が苦手で」
「情けんなか。当たって砕けろばい。何事も為せば成っと」
「そ、そうですわね! 気後れするなんて、わたくしとしたことが、恥ずかしいです」
壬生屋は背を向けると、ずんずんと指揮車のほうへ歩いていった。
「それにしても、あの足袋は惜しかね……」
中村は小声でつぶやいた。
捜しまわったあげく、校門前でやっと瀬戸口を見つけた。
声をかけようとして思いとどまった。瀬戸口は年上の女性と楽しげに話していた。
壬生屋は思わず、校門の蔭にしゃがみこんだ。
あの女性は誰かしら? 学生ではない。ほっそりとしているが、女性らしい体つきをしたオトナの女性だ。高そうなスーツを着ている。それにサングラス! 怪しいわ。
壬生屋は知らず知らず、匍匐前進して、じりじりと瀬戸口に接近した。
「今度はプールなんてどうかな? あ、だけど、みんながあなたのこと振り返って見るから、落ち着かないよね」
瀬戸口の声だ。
「ふ、不潔っ……!」
壬生屋は唇を噛んだ。
ほほほ。女性は、口に手を当てて上品に笑った。
「市営プールに行く勇気はないわ。わたしみたいなオバサンが水着着たって恥ずかしいだけ。観光ホテルに会員制のプールがあるの。今度の日曜日、どうかしら?」
「あなたの水着姿、楽しみだな」
瀬戸口がしゃらっと言うと、サングラスの女性は瀬戸口の額にキスした。
壬生屋の顔から血の気が引いた。頭がくらくらした。
「不潔、不潔、不離――つ!」
サングラスの女性は赤いオープンカーに乗りこんだ。遠ざかって行くエンジン音。瀬戸口はずっと見送っていたが、「ふうっ」とため息をついて壬生屋のほうに近づいてきた。壬生星はあわてて逃げようとした。
「こんなところでなにしてるんだ?」
瀬戸口の声が降ってきた。
だめ、おしまいだ! 壬生屋は匍匐したまま、捜し物をするふりをした。
「あの、その……、イヤリングを落としてしまって」
「へえ、よっぽど大切なものなんだな。ま、頑張ってくれ」
瀬戸口はそう言うと、校門わきの芝生に寝そべった。壬生屋はごそがさとあたりを探すふりをした。
「芝居はいいから。聞いていたんだろ?」
壬生屋は身を起こすと、直立不動の姿勢になった。
「な、何のことです?」
とぼけようと思ったが、顔が火照っているのがわかる。
瀬戸口は寝そべったまま、壬生屋に笑いかけた。
「ははは。嘘が下手だな。その顔に書いてあるよ。わたしは盗み聞きしていましたって」
「偶然ですっ! 偶然、耳に入っただけです!」
恥ずかしさと怒りで、壬生屋の顔はますます火照った。瀬戸口をきつとにらみつけた。
「わたくし、瀬戸口さんを軽蔑します」
「なぜ?」
瀬戸口は楽しげな笑みを浮かべた。
「だって、だって、あんな年上の人と。不潔です!」
「あ、また出たね。どうして不潔なの?」
こう言われて、壬生屋は答えにつまった。皮肉なことに瀬戸口が助け舟を出してくれた。
「俺が複数の女性とデートをしたり、いけないことをしたりするから?」
「いいい、いけないこと……」
壬生屋の心臓が高鳴った。膝ががくがくと震える。顔からすっと血の気が引いた。
「忙しいやつだな。赤くなったり、青くなったり……おっと!」瀬戸口はすばやく駆け寄り、倒れこむ壬生屋を支えた。そのままそつと芝生に横たえた。脈をはかり、瞳孔をあらためる。急性の貧血だ。
「困った子だな」
瀬戸口は肩をすくめ、壬生屋の顔に見入った。静かでやさしい顔。しかし目覚めるとその顔には戦う者特有の凛とした覚悟が捕る。
「似ている……」
誰だ? 俺の声か? 瀬戸口は自分の言葉に狼狽えた。似ているって、何のことだ? 瀬戸口はこめかみを押さえた。
(はは。俺まで貧血を起こしてちや格好つかないよな)
瀬戸口は苦笑した。壬生屋には特別な感情はない。ただ、からかうとむきになって反発してくるのが面白くて、ちょっかいを出しただけだ。声も好きだ。あの張りつめた真剣な声。それだけだ。それだけの感情しかない。
「まったく、俺ってやつは……一。瀬戸口隆之よ、壬生屋はだめだ。絶対にだめだからな」
瀬戸口は自分に言い聞かせると、伸びをして芝生に寝そべった。
壬生屋が意識を取り戻すと、隣に瀬戸口が寝そべっていた。
ぎょっとして壬生屋は体を起こし、身をあらためた。異変はない。落ち着こうとゆっくりと息を吸いこむ。
「わたくし、どうしたのでしょう?」
「俺に見とれて気を失ったのさ」
瀬戸口は軽薄に言ったが、壬生屋には反発する気力もなかった。
「すみません」
壬生屋はしょんぼりとしてうなだれた。恥ずかしい。盗み聞きがばれて、変な妄想をして貧血まで起こして。だめだ、わたくしは精神修養がまるでなっていない。
「人にはそれぞれ大切にしたいものがある」
瀬戸口が空を見上げながら口を開いた。珍しく真顔になっている。
「……」
壬生星が黙完ていると、瀬戸口は続けた。
「俺は女性が好きだ。これまでたくさんの女性とつき合ってきた。けど、互いに納得ずくで遊ぶっていう条件がある。他人の心に土足で入るのは好きじやないし、相手を傷つけたくない。ま、壬生屋に言ってもしようがないけどな」
「傷つく人だっているはずです」
壬生屋はぼつりと言った。
「そうかもしれないな。けど、俺はそんな生活を大切にしたいのさ。生きている。ヒトらしいことをしているって実感がわいてくる。こんな世の中だからなおさらね。それに小隊に迷惑はかけていないつもりだ」
壬生屋は考えこんだ。自分は瀬戸口に対して攻撃的過ぎたかもしれない。ただ、瀬戸口の言葉には違和感があった。
「瀬戸口さんは、本当に人を好きになったことがありますか?」
瀬戸口は微かに首を傾げた。
「たぶん。はるか大昔にね」
「真面目に答えてください!」
「そんなこともあったような気がする。だけど、『本当に』がつかないとだめなのかい? 俺は小隊のみんなや、つき合ってきた女性達のことを大切に思っている。守ってやりたいと思っている。だから戦える」
「だから戦える………」
壬生屋は瀬戸口の言葉を反芻した。
不意に瀬戸口が身を起こしたっ
「な――んてね! ところで壬生屋、俺に用事があったんじゃないのか?」
「ど、どうして?」
「態度でわかるさ。俺を捜していて、偶然、彼女と一緒のところに出くわしたんだろ? それで隠れた。壬生屋らしいよ」
「あの………」
壬生屋は口ごもった。
「遠慮しないで。野郎はさよなら、お嬢さんはこんにちはだ。何なりと相談に乗るよ」
「超硬度大太刀のことなんです。折れてしまって。けど、どこにも在庫がないんです。だから、その……瀬戸口さんのお知り合いにお願いできないかと」
瀬戸口は目をしぼたたいた。やがて苦笑を浮かべた。
「ああ、あのおやじか。確かに腕は確かだけど、うーん、ちょっと難しいなあ」
瀬戸口は腕組みして考えこんだ。
「難しいって、どういうことでしょう?」
「おやじさんは俺と違って、肥後もつこすってやつでね。頑固で強情、わがままで人の好き嫌いが激しい。厄介な人なんだ」
「けど若宮さんや釆須さんがナイフをつくってもらったって」
「ああいう体育会系とは相性がいいのさ。ずっと剣道をやっていたみたいだし。おやじさんは相手を気に入ったらとことん面倒を見る。あいつら、ずいぶんよくしてもらったみたいだ」
と、瀬戸口は何かに思い当たったように壬生屋を見つめた。
「何か?」
「そうか。壬生屋も似たようなモン……かな?」
「あの」
「地図を書いてやるから、行ってみたら」
「あのぉ、何だかこわそうな方ですね。もし、その、よろしかったら」
壬生屋は訴えるように瀬戸口を見た。
「俺が一緒に? けど、壬生屋って俺のこと嫌いじゃなかったっけ?」
瀬戸口は冷やかすように笑った。
「嫌いだなんて、そんな! ただ瀬戸口さんが不真面目だから……」
「不真面目だから?」
「……わたくし、つい怒ってしまいます」
壬生屋の声が消え入りそうに小さくなった。
瀬戸口はそんな壬生屋の様子をしばらく見ていたが、やがて
「OK」と言った。
「貸しひとつ。高くつくよお」
「た、高いのですか?」
壬生屋は快からガマグチを取り出すと、あわてて中味をあらためた。
「まったく……これ以上、俺を笑わせないでくれる?」
瀬戸口はため息をつくと、大きく伸びをした。
軽トラに揺られながら壬生屋は熊本市街の風景を眺めていた。
すでに住民の半数は本州へ避難し、商店街はシャッターを下ろした店が多い。行き交う車は国防色に塗られた軍用車両が目立つ。
街路を歩く人影はまばらで、廃棄された自転車が横倒しになったまま放置されていた。
「質問してよろしいですか?」
剣の技でも見せようと思ったのか、丁寧に布でくるんだ日本刀を抱えた壬生屋が口を開いた。
「どうぞ」
「おやじさん、つてどのようなお知り合いなのですか? わたくし少々不安で」
瀬戸口の笑い声が聞こえた。思い出し笑いのようだった。
「偶然知り合ったんだ。縁は指揮車さ」
「指揮車、ですか?」
「ああ、俺達の小隊ってのは本当に貧乏でな。編制時に正式に支給された備品なんてほとんどないんだ。指揮車だって善行司令に命じられて、俺が解体業者から譲ってもらったものさ」
瀬戸口によれば、応急の整備をして運ぶ途中、急に車が揺れ、走行不能に陥ったという。
車外に出ると、車には何の変化も見られない。
瀬戸口はところどころ錆びを吹いた巨大な六輪の装甲車を途方に暮れて眺めるだけだった。
背後から軽トラックが来た指揮車は狭い県道を塞いでしまっている。
瀬戸口が振り返ると、軽トラから声がかかった。
「どぎゃんしたと?」
見ると不機嫌な顔をしたおやじが、運転席から顔を出していた。事情を説明すると、おやじは車を降りて指揮車に歩み寄った。
エンジン部分をのぞきこみ、やおら車体の下にもぐりこんだ。
「こげなシロモノ、どこで手に入れたと? プロペラシャフトがぽっきりやられとるばい」
プロペラシャフトとはエンジンの動力をタイヤに伝える動力伝達装置のひとつだ。重く、不整地走行の多い装甲車では、特別に強化された材料を使っている。
「まさか」
最高の技術で鋳造された装甲車のシャフトが折れるなど聞いたこともない。
しかし、おやじはむっとして、瀬戸口を叱りつけた。
「ええい、こげなオモチャ、つくつとるから戦争に負けっとたい! スペックばいくら立派でも、生産ラインば粗悪な鉄を使っておるからしょうがなか。胸くそ悪か!」
「俺に怒ってもしようがないですよ。それとも、おやじさん、こいつを修理できるんですか?」
瀬戸口の言葉を挑発ととつたか、おやじはぎろりと目をむいた。ごつごつした人さし指を一本立てた。
「一ヶ月? 時間がないんですよ。あー、下手な買い物しちゃったな」
瀬戸口がため息をつくと、おやじは「ム」とうなって首を振った。
「一週間」
「え、嘘だろ? 一週間で直せたら、それこそ神様だ。おやじさん、何やってる人?」
「鍛冶屋ばい」
おやじの顔が微かにほころんだ。
「それで一週間で今の指揮車を? だけど、その方は軍用ナイフが専門では?」
瀬戸口は微笑して、首を振った。
「あのおやじの専門はね、硬くて触ると冷たくて、いじっくているうちに夢中になってしまうもの……かな? 一週間しておやじのくれた名刺を頼りに工場へ行って驚いたよ。まっさらな指揮車があるじゃないか。ご丁寧に迷彩までほどこされていた」
瀬戸口の口調は嬉しそうだった。
「まったく………プラモデルじゃないんだぜ。おやじは指揮車のわきに立って、むすっとした顔で、俺をにらむんだ。俺はしょうがないから言ってやった」
「はい?」
「神様みたいですって。おやじの無愛想な顔がちょっとだけ緩んだかな。変なおやじさ」
「瀬戸口さん、その方と仲がよろしいのですね」
瀬戸口はふっと笑った。
「何だかなあ。俺の顔を見るたびに説教をするのが趣味らしい。軟弱で女好きの学兵に喝を入れてやるってな。相手してやってる俺って、いい人だよなあ」
「ふふふ」
壬生屋は口に手を当てて笑った。
「ま、気まぐれな神様だから期待しないで」
瀬戸口は話をしめくくつた。
壬生屋は黙って、車窓の風景に視線を戻した。郊外に出ていた。街並みが途切れ、一般の住宅と昔ながらの農家が混在していた。
「あれだ」
瀬戸口の視線を追うと、トタン屋根の巨大なバラックが見えた。工場の敷地には囲いがなく、軽トラが数台、そしてなぜか鶏があたりをうろついていた。ブリキの看板が電柱に打ち付けられ『(有)北本特殊金属』と書かれであった。
庭には用途の知れない部材が乱雑に積み重ねられていた。
瀬戸口は軽トラを降りると、不安げにあたりを見回す壬生屋に笑いかけた。
「だから期待するなって言ったろ」
旋盤《せんばん》の音が聞こえた。さらに金属を溶接する音。化学薬品のにおいに壬生屋は咳きこんだ。
工場から一台のフォークリフトが出てきた。筒状の部品を満載している。
あ、あれならわかる。ジャイアントバズーカの砲身だわ、と壬生屋は少しだけ安心した。
壬生屋は何げなく日本刀を軽トラの荷台の隅に置いた。
「瀬戸口じゃなかや!」
フォークリフトを運転していた男が叫んだ。
「やっ、久しぶり。相変わらず景気が悪そうですね」
瀬戸口は笑って手を振った。
「こぎゃんところに、なにしにきたつや?」
北本のおやじは、えらが張った厳つい顔をした五十年輩の男だった。顔も厳つければ、体つきもがっしりとしてまるで蟹のように横幅が広い。灰色の作業服にくしゃくしゃになった作業帽。手には軍手をはめている。
笑うのがもったいないというようにむすっとした顔つきが、祖父に少しだけ似ていた。
瀬戸口は軽トラの荷台を指さした。
「これなんだけどさ。相談に乗ってくれませんか?」
おやじは、フォークリフトを降りて身軽に軽トラの荷台に上がった。むすっとした顔つきで折れた大太刀を調べはじめた。スパナを取り出して刃をたたき、反響音に耳を澄ます。
しばらくしておやじは吐き捨てるように言った。
「馬鹿にしとっとや」
「そう?」
「ふん。こぎゃんモンでよー戦ってきたばいね−。ばってん、ちーとは見直したばい」
「えっ?」
「テレビば見たばい。剣ば遣うて敵ばひどかめに遭わせとった」
壬生屋が物問いたげに瀬戸口を見た。瀬戸口は苦笑して、壬生屋に耳打ちした。
「おやじさん、勘違いしている」
ふたりのやりとりを北本のおやじは不審げに見守っている。
「こんおなごは?」
北本のおやじは壬生屋の胴衣姿を無遠慮に見つめた。
「壬生屋末央さん。パイロットだ。テレビで大暴れしていたのは俺じゃない。この子だよ」
「何てや!」
おやじの表情が凍りついた。
壬生屋はしとやかに辞儀をした。
「あの、実はお願いがあります。超硬度大太刀をつくっていただきたいのです」
「おなごが……」
おやじは壬生屋の話を聞いていないようだ。
「どこのメーカーも生産が中止されていて。それで瀬戸口さんに紹介されて」
「まさか、嘘ばい……」
北本のおやじはいぶかしげに壬生屋を見た。すぐにぷいと横を向いて、何やら不機嫌につぶやきはじめた。そして、壬生屋をわざと無視して瀬戸口に向き直った。
「瀬戸口、おればかつごうてしとらんや?」
「俺が? よしてくださいよ」
瀬戸口は苦笑いした。
「士魂号のこつばよう知っとつとばい。パイロットん能力がそんまま機体に反映されるけん。おなごがあざやん阿修羅のごたる動きができるわけにゃーじゃにゃーか」
北本のおやじは腕組みして、口をへの字に引き結んだ。
「馬鹿にしないでくださいっ!」
壬生屋の声がした。腹の底から絞り出すような憤りの声いふたりは顔を見合わせたむ壬生屋は全身を震わせて、きっとおやじをにらんでいる。
「わたくしは壬生屋流古武術の継承者。なまじな男子に引けはとりません!」
言い放つと、一瞬のうちに跳躍。軽トラの荷台に上がっていた。
瀬戸口も、おやじも目をしぼたたいた。
壬生屋の手にはひと振りの日本刀が握られていた。らんと光る目でおやじをにらみつけた。
「ま、待てよ、早まるな、壬生屋」
瀬戸口は声をかけたが、壬生屋には聞こえていない。
「おなご、おなごとおっしゃいますが、剣の道に男女の隔てはありません。わたくしはそうお祖母様に教わりましたへあなたはまちがっておられます!」
「ぬぬぬ」
おやじの顔面が紅潮した。何という気の強い女だ、と思った。久しぶりに血が騒いだ。
しかし壬生屋なる小娘の身のこなし、眼光はただ者とは思えぬ。あと二十年若ければ相手をしてやるのに、と悔しく思った。
「ぬしゃ、なーまいっかねえ!こぎゃんなったら試してやったい!」
北本のおやじは言い捨てると、工場の裏手に駆け去った。
「なあ、壬生屋。どうしておまえさんはいつもこうなるんだ? 俺はもう知らないよ」
傲然《ごうせん》と立つ壬生屋に、瀬戸口はあきれ顔で話しかけた。
「ごめんなさい。だけど今どき、あんなに頭の古い方がいるなんて。許せません」
古いのは壬生屋も同じだろ、と瀬戸口は言おうとしたが、代わりにため息がついて出た。
台車の音が近づいてきた。北本のおやじだ。台車の上には漆がところどころはげかかった立派な櫃《ひつ》が載せられている。
おやじは櫃を開けると、恭《うやうや》しげに中味を取り出した。両手に抱えているのは兜だった。さらに甲宵を取り出した。
華麗な糸威《いとおどし》の鎧ではない。鉄《くろがね》の地色をむき出しにした、質実剛健な南蛮鎧だった。戦国時代に、西洋の甲胃を参考にしてつくられたもので、兜、甲冑部分厚い鉄板で覆われている。総重量は三十キロを下らないだろう。
「これだ。こればたたき斬ってみせてん!」
おやじは、壬生屋の目の前ですばやく甲胃を組み立てた。
「無茶ですよ、こんなことやってなにになるんです?」
つき合いきれないな、と思いながら瀬戸口は一応、とりなした。
「うるしやー!」
北本のおやじが怒鳴った。
「邪魔しないでください!」
壬生屋もムキになって言った。
「この鎧を斬ればよろしいのですね。由緒ありそうな鎧ですが、かまわないのですか?」
「無駄口はよかけん」
壬生屋はきっとして、日本刀を抜いた、刃渡り二尺四寸――約七十二センチ。鎌倉時代の刀鍛冶が鍛えた業物と祖母から聞かされていた。
まばゆく輝く刀身に、おやじの目が一瞬、釘付けになった。
今でこそ軍需工場など経営しているが、北本家は代々刀鍛冶だった。北本のおやじは父親に徹底的に刀鍛冶の技術をしこまれた。その後、時代の流れには逆らえず、刀鍛冶は廃業したが、本音を言えばずっと刀を鍛えていたかった。
目の前の刀は、ひと目見ただけで桃山時代以前の古刀とわかる。南蛮鉄を混ぜた粗製濫造の刀とは違う。反りは控えめ。刃文《はもん》はさざなみを思わせる丁子乱《ちょうじみだれ》、してみると鎌倉時代の|備前福岡一文字《びぜんふくおかいちもんじ》派か? 逸品だ。軽く、斬れ味は鋭く――考えるだけで血が騒いだ。
あたら名刀を折ってしまうかもしれん。北本のおやじは後悔して止めようとしたが、壬生屋の真剣な横顔を見て口をつぐんだ。
壬生屋は鎧に目を凝らした。斬れるか? いえ、絶対斬れると信じなければ。何度も深呼吸して高ぶる心を鎮めようとした。
「壬生屋なら斬れるさ」
不意に瀬戸口の声が耳に飛びこんできた。壬生屋は、ふうっと息を吐くと、刀身を下げた。
「本当に……?」
「きっとやれる。目を閉じて、心を鎮めて」
あっ、まただと思った。心地よい響き。瀬戸口の声には懐かしく、どこか切ない響きがあった。心が鎮まる――。
壬生屋は微笑を浮かべると、ふっと肩の力を抜いた。
どくん。どくん。
心臓の鼓動が聞こえる。全身が何かに包まれたように温かくなった。壬生屋は目を閉じたまま、ゆっくりと刀を振り上げた。
目を開けた。甲由日が視界に飛びこんできた。
「やあっ!」
気合いと同時に、微かな手ごたえ。瞬間、壬生屋の力が解き放たれた。
気がつくと、刀身は鞘に収まっていた。
壬生屋の目の前に、まっぶたつに断ち割られた鎧があった。
「どうです?」
瀬戸口は冷やかすように、呆然とするおやじに笑いかけた。
「まじで、こぎゃん……」
おやじは、兜の片割れを手にとってつぶやいた。信じられぬ。夢でも見ているようだ。
壬生星は一礼すると、立ち去ろうとした。
「待て、得たんね!」
瀬戸口叔父[#原文ママ]は思わず引きとめていた。
「こんなまねをするなんて。わたくし、感情を抑えられなくて。最低ですね」
壬生星は振り返ると、寂しげに笑った。
冷静になっていた。感情にまかせて刀を抜くなど、最低だ。しかも自分の技量を誇示するように、見世物まがいのことまでやってしまった。
亡くなった祖母は嘆くことだろう。
(ごめんなさい、お祖母様……)
壬生屋は悲しくなってうつむいた。
「おれが言いだしたことだけん! 頼むばい、あと一度。あと一度でええけん。おまえの抜刀術、見極めてみたか。今度はあれば……」
北本のおやじは、一本の楢《なら》の老木を指さした。樹皮がはがれ、枝ぶりも閑散としている。
壬生屋はすっと老木に近づくと、手で触れた。直径五十センチほどの痩せた木。これまで養分に恵まれず、生きてきたのだろう。
壬生屋はしばらくの問、木と対話するかのように目を閉じた。
「いけません」
「何てや?」
「この木は残り少ない生をまっとうしまうとしています。斬れません」
壬生屋は北本のおやじに微笑むと、しとやかに一礼して軽トラの助手席に座った。
「まあ、そういうわけです」
瀬戸口はおやじに笑いかけると、運転席に乗りこんだ。
帰り道、壬生屋はほとんど口をきかなかった。瀬戸口は揉め事から解放された思いで、鼻歌混じりにハンドルを握っていた。
「きっとやれる」
壬生屋の耳に瀬戸口の言葉が残っていた。
瀬戸口の声を聞いたとき、不思議と心が落ち着いた。何なのだろう、この気持ちは? 恋? そんなはずはない、と壬生屋はかぶりを振った。懐かしい。切ない。そして……悲しい?
わたくしはどうしたというのだろう? わたくしと瀬戸口さんとでは住む世界が違う。壬生屋は校門での一件を思い出しながら、波立つ感情を抑えようとした。
「あの、瀬戸口さん……」
「なに?」
瀬戸口はちらっと横を見た。壬生屋の顔は気の毒なほど赤らんでいる。
「わたくし、その……ただ大太刀をつくっていただきたい一心であのようなまねを。危険な女と思わないでくださいね」
とたんに瀬戸口は吹き出した。
げらげらと笑い続ける瀬戸口を、壬生屋は不安げに見守った。
それから三日経った放課後、壬生屋は原から呼び出された。
ハンガー内のデスクの前に立つと、原はしげしげと壬生屋を見つめた。また怒られるのかしら、と壬生屋は緊張した。
「わたくしの顔になにか?」
「ご飯粒がついてる」
「え?」
壬生屋はあわでて頬に手をやった。
原はデスクに突っ放した。くくく。必死に笑いを堪えている。引っかかった。壬生屋はむっとして、原をにらみつけた。
「用件をおっしゃってください!」
原はなおくすくす笑いながら席を立つと
「こっちよ」と壬生屋の先に立って歩きはじめた。
原は一番機の前に立つと、地べたに置かれた木箱を指さした。長さは五メートルほど、高さは六十センチほどもある巨大な木箱だった。
壬生屋の胸が期待に高鳴った。
「もしかして」
「開けてご覧なさい」
おそるおそる箱を開けると、中には特製の鞘に収められた超硬度大太刀が納まっていた。
壬生屋の顔がばっと輝いた。
「中村十翼長、遠坂十翼長、田代戦士! ちょっと手伝って!」
原の声に、三人の整備士が何事かと駆けつけた。
「るせえな。何だよ……おっ!」
田代香織は木箱の中をのぞきこんで目を見張った。
「やったばい、壬生屋!」
事情を知っている中村は、壬生屋に笑いかけた。
「わたしのような一介の十翼長になにができると?」
遠坂は顔色を変えもせず、尋ねた。
「この大太刀をちょっと抜いてみて欲しいの」
中村が慎重に鯉口に当たるロックをはずすと、三人は大太刀の柄に手をかけ、刀身を鞘から引き出そうとした。重い。三人は汗だくになって、ようやく三十センチほど刀身を抜いた。
刃の根元には『(有)北本特殊金属』のロゴと製造No.が刻印されている。
原はスパナを手にすると、北本のおやじがしたように軽くたたいて耳を澄ました。
「最高級品よ。たぶん同じものは二度とつくれないでしょうね。こんな贅沢なモノつくってたんじゃ大赤字になるわ」
壬生屋は目を輝かせて、まばゆく光る刀身に見入った。
「どうして、でしょう?」
しばらくして壬生屋は原に尋ねた。
「今朝、仕事をしていたら、むすっとした顔のおじさんが来て、軽トラに商品を積んでいるから下ろすの手伝ってくれっていうの。そのとおりにしたら、壬生屋さんによろしくつて。請求書を置いてさっさと帰っていったわ」
「はあ……」
北本のおじさまらしい、と壬生屋は思った。
「瀬戸口くんの知り合いなんだってね、中村くん」
「そっでも、三日で仕上げるとはすごか。壬生屋はよっぽど気に入られたとばいね」
「そんなはずは……ないと思うんですけど」
壬生屋は首を傾げた。何が何だかわからない。
原はそんな壬生屋の様子を見つめていたが、やがてくすくすと笑いはじめた。
「類は友を呼ぶって言うじゃない。変人は変人を呼ぶの」
「わたくしはごく普通の女子ですっ!」
しかし原はとりあわず、笑いながら立ち去った。
「……繰り返します。有力な敵が防衛線を突破、熊本市街へと迫りつつあります」
善行の声が響き渡った。
市街にはまだ多くの住民が残っている。幻獣の突入を許せば、住民は手当たりしだいに虐殺されるだろう。
小隊は全速で迎撃地点へ向かっていた。
歩道は避難する人の群れであふれかえっていた。警察、そして消防隊までもが動員されて、必死に交通整理を行っている。
戦場へ通じる道は対照的に閑散としていた。たまに車と出会うと、たいていの相手は慣れた様子で道を譲る。
迎撃地点は市郊外。壬生屋は見覚えのある風景に目を疑った。先日、北本の工場に行った道筋だった。
「瀬戸口さん、北本さんの工場……」
壬生屋の通信に、すぐに返事がきた。
「ああ、戦域に含まれている。避難しているといいんだが」
ほどなく砲声が聞こえはじめた。戦域近くの高校の戦車小隊が弾幕を張って、増援が到着するまでの時間を稼いでいる。
「こちら翠嵐家政《すいらんかせい》短大付属女子戦車小隊。現在、後退しつつ敵を牽制、足留めしています。至急、来援お願いします」
聞き覚えのある声が指揮車内に響いた。善行はふっと笑うと、マイクを手にした。
「5121小隊です。あと五分ほどで迎撃ポイントに到着します」
「あっ……、はい、了解しました。あ、先日は……」
「隊の再建おめでとう。以上です」
善行は通信を切った。以前、戦場でパニックに陥って敗走してきた小隊だった。善行は彼女達を黙って見逃した。
「また女子校の女の子を助けるのか? なあ、翠嵐のランクは? またA?」
滝川が能天気に割りこんできた。
「銃殺ものだな……」
善行は眉をひそめた。
「こちら尚敬《しょうけい》校戦車小隊。セクハラは慎んでください」
5121小隊に後続する戦車小隊から抗議の声があがった。
「了解しました。ただ今の発言者は、戦闘が終わりしだい銃殺すると、司令が言っておられます」
瀬戸口が澄ました口調で言った。
「お、おいっ、銃殺はねえだろ!」と滝川。
「これ以上わめくと本当に撃つ」
舞の声が冷静に響いた。滝川からの通信はぶつりと途絶えた。
「壬生屋、大丈夫か?」
瀬戸口は一番機に通信を送った。
「はい。異状はありませんけど……なぜです?」
「不潔ですっ、てのが聞こえなかったからさ」
「え、ええ……」
「あと二分で降車だ。これより司令から作戦説明がある」
「敵はスキユラ三、きたかぜゾンビ五、ミノタウロス七、そしてゴルゴーン五から成る非常に強力な部隊です。我々の目的はただひとつ。敵が市街地へ突入する前に捕捉、撃滅すること。そのためには敵空中ユニットを優先的に撃破してください」
空中ユニットは、地形の制約を受けず、どんな戦場でも自由に動きまわる厄介な相手で、きたかぜゾンビ、スキュラをさす。きたかぜゾンビは脚の遅い地上ユニットとは連係せず、突出して行動する傾向がある。反対にスキュラは地上ユニットの支援射撃に徹する傾向があり、長射程のレーザー攻撃は脅威であった。――ただし普通は最後尾に位置し、動きは鈍い。
どちらにせよ、真っ先に潰しておきたい敵だった、。
「ふむ。当然のことだな」
舞が面白みがない、と言いたげに通信を送ってきた。
「了解しました」と壬生屋。
「わかったけど、銃殺なんてひどいっす」
滝川の情けない声が響いたっ
「冗談ですよ。状況をわきまえないから言ってみただけです」
善行はとがめるように言った。
「ふたつの戦車小隊には、士魂号の支援、及び防衛線の守備をお願いします。無理をせず、連係して行動するように。生き残ることを最優先に考えてください」
「了解」
「わかりました」
両校の小隊長が通信を送ってよこした。
「参りますっ!」
壬生屋は気合いを発した。一番機は、敵空中ユニットをめざしてダッシュした。右手には新しい超硬度大太刀を握っている。
二番機から煙幕弾が発射され、一番機の突進を助ける。
ぐんぐんと加速する。はじめは小さな点に過ぎなかった敵の輪郭がくっきりと浮かび上がる。
ばたばたばた。きたかぜゾンビが一斉にこちらを向いた。敵の二〇o機関砲が地面に突き刺さり、砂煙を上げる。壬生屋の目は先頭の一体を見据えていた。
「やあっ!」
気合いと同時に跳躍。右手の超硬度大太刀が、きたかぜ、ゾンビをあっさりと両断した。
軽い――。何という斬れ味のよさ。この感触は……壬生屋は、はっとして大太刀をかざした。わたくしの刀とよく似ている。反りは控えめ。刃文こそないが、バランスも同じだ。使い慣れた祖母の形見の日本刀そっくりだった。
壬生屋はあらためて北本のおじさまに感謝した。この大太刀なら、自在に使いこなせる。
気配を感じて一番機は横っ飛び。敵ミサイルが爆発した。爆風を縫うように一番機は再び跳躍。二体めの敵を斜めに斬り上げた。
「きたかぜゾンビ撃破×2。末央ちゃん、頑張って!」
ののみの声が響く。壬生屋は防御姿勢をとると、敵の反撃に身備えた。二〇o砲弾を数発食らったが、さしたる損傷はない。今度はこちらの番だ。一番機は射撃を終えた敵に突進した。
「やるじゃないか」
戦闘開始後五分三十秒。三体めの撃破を確認して、瀬戸口は低い声でつぶやいた。ここまで見る限り、壬生屋の戦い方には若干の変化が見られた。ステップが小刻みになり、防御することを覚えた。敵の攻撃に対する回避率は格段に向上していた。
「きたかぜ、ゾンビ撃破!」
隣席でののみが声をあげた。これで四体。一番機の動きは冴えていた。
「こちら三番機だ。きたかぜゾンビは壬生屋に任せようと思うが」
舞から通信が入ってきた。
指揮車の戦術スクリーンでは一体に撃ち減らされたきたかぜゾンビを表す赤い光点が、一番機の青い光点と対峙していた。その後方、五百メートルには八体の地上ユニットが密集して進んでくる。
善行は間を置いて言った。
「三番機はミサイル発射位置へ突進。一番機にはきたかぜゾンビ撃破後、敵地上ユニット側面にまわるようにと」
瀬戸口はうなずくと、通信を送った。
「三番機はミサイル発射、よろしく。壬生屋はそのまま戦闘を続行。空中ユニットを撃破したら三番機を支援してくれ。速攻で決めるぞ」
快調だった。四体めのきたかぜゾンビを撃破して、二番機は横へ二度ジャンプ。爆風がたて続けに起こった。その都度、しなやかな動きで避ける。
と、最後の敵が旋回したかと思うと退却をはじめた。一番機はダッシュしてこれを迫撃。
しかし敵の脚は速く、なかなか差が縮まらない。
どごおおお。轟音と同時に前方にオレンジ色の閃光。三番機だ。続いて、ののみの声。
「ミノタウロス撃破」
「ゴルゴーン撃破」
ひっきりなしに、撃破報告が続く。
壬生屋の心に焦りが生じた。何としても最後のきたかぜゾンビをやっつけなければ。一番機は夢中になって敵を追い続けた。
「待て!スキュラの射程に入ったぞ」
瀬戸口の声が響いた。激しい衝撃。続いて機体が、がくんと左に傾いた。一瞬、制御が不可能になり、一番機は左手の大太刀を取り落とした。
「一番機、被弾。回避率低下。末央ちゃん、無理しないで!」
ののみの甲高い声に、壬生屋は我に返った。戦術画面をちらと見る。百メートル先には三番機の青い光点。厚志の操縦らしく、ミサイルを発射し、八体の敵を葬った後は、巧みな移動、ジャンプを繰り返している。千二百メートルの距離を置いて、スキュラらしき赤い光点がひとつ。
「壬生屋さん、ここは大丈夫だから」
厚志から通信が入った。
「スキュラ二体が滝川機と戦車小隊を射程に入れたぞ。東に百二十度。助けに行くがいい」
舞が割りこむように怒鳴った。
壬生屋ははっとして、二番機の担当する戦域を参照した三体の赤い光点がじりじりと後退している。二番機はこれに釣り出されて敵をジャイアントアサルトの射程にとらえようと前進を続けていた。これに追随して、ふたつの戦車小隊も前進している。
陽動。罠だ! 引きつけて、たたく。二体のスキュラは遠距離から、釣り出された味方を存分にたたくことができる。滝川が、戦車小隊が危ないっ!
滝川はやっとミノタウロスに二〇o砲弾をたたきこんだ。
曳光弾がまばゆく光る。機関砲弾に切り裂かれたミノタウロスはなお後退を続けている。
「くそっ! しぶといやつだぜ」
快速仕様の二番機は、撤退する敵を追撃するときに最も活躍する。しかし背を見せている敵は、幻獣中最も装甲の厚いミノタウロスだった。まるで亀の甲羅だぜ、と滝川は忌々しげに舌打ちした。
「滝川さん、罠ですっ! 下がってください!」
壬生屋から通信が入った。罠? 罠ってどういうことだ、と思った瞬間、後方を走る装輪式戦車がレーザーの直撃を浴びた。欄座《かくざ》した戦車から戦車兵が脱出した。二番機はためらわずUターンすると、戦車群の盾となって立ち塞がった。
「二番機の滝川だ。スキュラのレーザーに狙われている。なりふりかまわず逃げろっ!」
「あ、セクハラの人……」
「悪かったよ! けど、今はマジでヤバイんだ。俺が引きつけている問に、早く!」
滝川はスキュラを狙って、アサルトを発射した。射程外ゆえ効果はないが、曳光弾の輝きがスキュラの注意を惹くのでは、と期待してのことだ。一条のレーザーが二番機の右腕を貫いた。
「わっ!」
二番機の右腕は麻痺し、ジャイアントアサルトを取り落としていた。
くそっ、何て格好悪いんだ、と滝川は悔やんだ。このまま盾代わりになっておしまいかよ。
今度は左腕に直撃。滝川の全身に脂汗がわいた。視界に攻勢に転じたミノタウロスが映った。
「戦車小隊、俺との距離は?」
「約八百」
「引き続き、逃げろ!」
あと少し、あと少しで戦車小隊はスキュラの射程から逃れる。
へっへっへ、女の子達、俺に感謝するぜ、きっと。セクハラ大魔王の汚名返上だ。
そのとき、激しい揺れが二番機を襲い、機体はスピンした。
レーザーか。よってたかってなぶりものにしやがって、と滝川は歯を食いしばった。
前方で爆発が起こった。
滝川が目を凝らすと、ミノタウロスを仕留めた一番機が、再び宙に飛んだ。
「ご無事ですか、滝川さん!」
二番機が地面に膝をついた瞬間、壬生屋は跳躍した。眼下にはミノタウロスが一体。生体ミサイルの発射準備をしているところだった。
「破っ!」
超硬度大太刀がミノタウロスの脳天を直撃した。噴出する体液。生体ミサイルが敵の体内で爆発する寸前、一番機は着地、横っ飛びに転がった。身を起こそうとした瞬間、壬生屋は息を呑んだ。
見覚えのある建物。視界の隅には『(有)北本特殊金属』の看板が映った。
エンジン音が聞こえた。振り返ると、従業員を満載した軽トラが後方へ遠ざかってゆく。
敵の射程外に逃れたことを確認して、壬生屋は安堵した。
が、安堵する間もなく、さらに横へ。ジャンプしながら敵の攻撃を避け続ける。
「……!」
壬生屋は目を疑った。工場の方角に一体のミノタウロスが進んでいた。その進路を阻むように、灰色の作業服に身を包んだ人の姿があった。武器は持っていない。北本のおやじは決死の表情で、百メートルほど先のミノタウロスをにらみつけている。念じればたちどころに幻獣が消える、とでも思いこんでいるかのようだ。
「許しませんっ!」
一番機はミノタウロスに突進した。レーザーの熱を、生体ミサイルの爆風を感じながら、大太刀を構え、ミノタウロスとすれ違った。
どおっと地を震わせてミノタウロスは崩れ落ちた。はじめ幻獣の背に徴かな亀裂が生じた。
亀裂はみるまに広がって、ミノタウロスの体は文字どおりまっぶたつに裂けた。
「こんなところでなにをしているんです。逃げてくださいっ!」
壬生屋が拡声器を通して呼びかけると、北本のおやじはむすっとした顔でくしゃくしゃの作業帽のひさしに手をやった。
「おれは工場ば守ると!」
「死にたいのですか?」
「そんならそれでよかと!」
おやじは怒ったように叫び返した。
「壬生屋、ぼんやりするな。ミノタウロスがそちらへ向かったぞ!」
滝川の声が聞こえだ。二番機は地べたを這いずりながらスキユラのレーザーを避けている。
助けたいが、非戦闘員が優先だ。
「来たばい!」
おやじが叫んだ。二体のミノタウロスが、一番機めざして突き進んでくる。距離約二百、百八十、百六十。壬生屋は奥歯を噛み締めると、ダッシュした。跳んだ。次の瞬間、戦いを目撃していた誰もが、目を見張った。
豪剣一閃《ごうけんいっせん》! 一番機の白刃がきらめいたかと思うと、ミノタウロス二体が同時に地に伏した。
「あ、あいたー……」
おやじは口を開けたまま、惚けたように立ち尽くした。辛うじて見切った。
一番機は二体のミノタウロスの中間に着地したかと思うと、左脚を支点として独楽のように回転した。一体の腹が裂かれ、遠心力の助けを借りた大太刀は、さらにもう一体の背に吸いこまれた。
ずし――ん。地響きをたでて一番機は転倒した。
「三番機だ。スキュラはすべて仕留めた」
舞の声が指揮車に届いた。壬生屋と滝川が必死にミスを挽回している間に、三番機は抜け目なく、スキュラを各個撃破していた。
しかし、指揮車からの応答は遅れた。拡大されたスクリーンに、這いずりながら撤退する二番機と、転倒したまま微動だにしない一番機がマルチ画面で映っていた。
「安心しろ、滝川。敵は全滅した。ちなみに翠嵐の瀬戸口評価はAだ」
瀬戸口は滝川に通信を送ると、二番機の画面を消した。
「末央ちゃん、死んじゃったのかしら?」
ののみがうるうると瞳をうるませている。瀬戸口はやさしく笑って、
「なに、気絶しているだけさ」
とののみの頭に手を置いた。
壮絶なまでの斬撃だった。人工筋肉の限界をぶっちぎりにした動きだ。あれだけのGがかかれば脳は攪拌機に入れられたように揺れ、即、失神だ。脚部の負荷も相当なものだ。
瀬戸口は故障箇所をチェックして、肩をすくめた。
前の損傷と合わせて、人間にたとえれば、左足首疲労骨折、左腕脱臼、さらには左あばら骨を二、三本は骨折している勘定になる。
「まったく、壬生屋というやつは……」
瀬戸口はあきれて、善行を顧みた。
善行は眼鏡に手を当てて、ふっと笑った。
「生まれてくる時代を間違えたんでしょう。わたしは原さんの顔を見るのが。え――」
「聞こえているわよ、何のこと?」
不意に原からの通信が入って、善行の笑みが凍りついた。
「すぐにわかります、と言ってください」
「アイアイサー。原主任、善行司令からの伝言です。すぐにわかる、原さんの喜ぶ顔が目に浮かぶようだ、と」
「ふうん、なにかしら。楽しみね」
通信が切れると、善行は珍しく不機嫌に言った。
「瀬戸口くん、あなた、スカウトに転属したいと思ったことはありませんか?」
「いえ、ちっとも」
瀬戸口は澄ました顔で答えた。
「三番機だ。返事はどうした! 我らはスキュラをやっつけた、と報告している。たわけがふたりオトリに引っかかるから、大変であった。本当に大変であったのだぞ。ジャンプとGの連続で胃がムカムカする」
いつもは冷静な舞の声がいらだたしげに響いた。
「落ち着いて、舞。わあああっ、我慢して!」
厚志の絶叫が響き渡った。
「ワンピース……」
コックピットの中で壬生屋はうっすらと笑みを浮かべていた。目をつぶったまま、ふふふと笑い声をあげた。
ワンピースが着たい。鮮やかな色がいいわ。耳にはイヤリングをして、ネックレスもするの。
街を歩いて、カフェでエスプレッソを飲みたい。しゃれた会話術も磨きたい。社交術っていうのかしら。知らない殿方とも平気でおしゃべりを楽しめる、そんな風になりたい。
全部実現すれば、きっとわたくしは変わる。もう顔を赤らめたりなんかしない。友達もたくさんできるし、きつと毎日が楽しくなる。
「……屋」
誰かしら? せっかくこれからのことを考えているのに。
「壬生屋。壬生屋未央さん、朝ですよ!」
しまった! 寝坊なんてめったにしないのに。遅刻したらどんな顔して教室に入ろうかしら。
芝村さんみたいに堂々と入ってみみようかしら。
遅刻はだめだ!
壬生屋は目を開けた。視界いっぱいに青空が広がった。陽が傾いている。もう午後じゃない、と思いながら、あわでてあたりを見まわした。
「壬生屋未央さん、遅刻ですよ!」
瀬戸口の声が聞こえた。
「未央ちゃん、朝ご飯はトーストとスクランブルエッグなのよ!」
ののみの声が続く。吐き気がする。壬生屋は頭痛を堪えながら、通信を返した。
「はい、壬生屋です」
「気分はどう?」
瀬戸口の冷やかすような声。
「何だか頭が痛くて。気持ち悪いです」
「はは。そりゃそうだよ。あんな無茶な動きしちや。さてと、体を起こしてみて」
言われたとおりにすると、がくんと前につんのめった。
「左脚をやられている。負荷をかけないように、左脚をまっすぐにして。座ったままでいいから。すぐに迎えにゆくよ」
壬生屋は首を傾げながら、そのとおりにした。機体を起こすと視界が変わった。北本さんの工場が見え、何とおじさまがこちらに向かって駆けてくる。壬生屋は拡声器のスイッチをONにした。
「危ないですから、下がっていてください」
北本のおやじの足が止まった。大声で壬生屋に呼びかけてきた。
「どぎゃんや、おれん大太刀はよう斬るっど?」
「あ、はいっ! 最高です。しっくりと手になじんで。けど、わたくし、ちょっと調子に乗り過ぎちゃって」
コックピットの中で壬生屋は顔を赤らめた。しかし北本のおやじは満足そうに微笑んだ。何十年かぶりに笑うといった感じだ。
「そりゃあよかったばい。でたい、おまえに聞きたかことがあっとばってん!」
「はい?」
「瀬戸口とはどぎゃん関係とや?」
「あの……何だか遠い昔に会ったことがあるような。声を開くだけで心が落ち着きます」
「関係ば聞きよっと!」
「瀬戸口さんは、わたくしの、その……」
「おれば思うばってん、瀬戸口ごた軟弱モンにはおまえんごた強かおなごが似合っとって思っとっとたい!」
壬生屋は唖然として、言葉を失った。かあっと全身が熱くなる。
「そんなっ!瀬戸口さんは、わたくしみたいながさつな女と釣り合いがとれませんわっ!」
壬生星の声は拡声器を通して、戦場に響き渡った。
「もてる男は幸いですねえ」
先ほどの仕返しのつもりか、善行が声をかけてきた。
「そんなんじゃないですよ。壬生屋のやつ、誰かと話しているみたいだけど」
誰かは察しがついている。とっとと黙らせなければ。瀬戸口は思いっきり指揮尋のアクセルを踏んだ。
三番機に助けられて、一番機はトレーラーにとりついた。
原はこわい目で、善行を見つめた。
「これを見てわたしが喜ぶっていうの?」
「誤解です。わたしはそんなこと言ってません。瀬戸口くんのイタズラです」
瀬戸口はというと、作業服を着た年輩の男と激しくやり合っている。普段のクールさが台無しだ。善行は首を傾げて、怒鳴り合っているふたりのところへ歩いていった。
「なにが起こっているのだ?」
ぎりぎりのところで芝村的精神力を発揮し、嘔吐を堪えた舞は厚志に尋ねた。
壬生屋が拡声器で妙なことを口走ったかと思うと、今度は民間人が登場して、こともあろうにあの瀬戸口と口喧嘩をしている。不条理だ。もしや幻獣はヒトの精神を狂わせるガスでも撒いたのか? だとしたら由々しき問題だ。
「さあ、僕にもわからない。けど、喧嘩しているふたり、何だか仲よさそうだよ」
「神経ガスでなければよいが。厚志は正常だな?」
「僕は大丈夫さ」
「ふむ。しかし念のためだ。戻ったら一緒に大学病院にて脳波を測定しょう」
「わ、わかった……」
厚志はしぶしぶとうなずいた。
一方で、騎士道的犠牲心を発揮した二番機は……。
壬生屋の一番機の戦いぶりがあまりに強烈だったために、不思議なことに、本当に不思議なことに、誰もがその存在を忘れていた。滝川陽平が、疲労のあまり眠りに落ちてしまったことも不幸に輪をかけた。
最初に気づいたのは、二番機整備士の田辺真妃だった。帰路も半ばにさしかかったところで、田辺はふとトレーラーに目をとめた。
そういえば、二番機のトレーラーがやけにすっきりしている。
「た、大変です! 二番機の回収を忘れていました」
小隊全員が青くなった。こんな初歩的なミスを冒すとは。ほどなく滝川の声が通信回線を通じて流れてきた。
「誰か返事をしてくれっ! くそっ、みんな死んじまったのか? わああ、そんなの嫌だあ!」
号泣する滝川の声を聞きながら、ほとんどの者がやましい思いを抱いたのだった。
「ご迷惑をかけてしまって」
翌日、いつものように校門わきの芝生に寝そべっている瀬戸口のところに壬生屋が顔を出した。瀬戸口は身を起こすと、助けを求めるように、一瞬、あたりを見まわした。
「頭は大丈夫?」
俺としたことが。会話にいつものキレがない、と瀬戸口は心の中で舌打ちした。
意外なことに壬生屋はにっこりと微笑んだ。
「ええ、あれから速水さんと芝村さんと大学病院にご一緒して。軽い脳しんとうですって」
「とにかくほっとしたよ。めでたしめでたし」
瀬戸口は会話を打ち切ろうとした。しかし壬生屋は立ち去る気配がない。
「あの……瀬戸口さんにはお世話になりっぱなしで」
壬生屋の顔が赤らんでいる。危険な兆候だ……。瀬戸口は微かに後ずさった。
「世話なんてなにも」
「いいえ、いいえっ! 亡くなった祖母が申しておりました。ご恩には必ず報いよ、それが人としての道と」
「気にしないでいいよ」
壬生屋の顔が沸点に達したように赤みを増した。火照る頬を押さえながらも、壬生屋はきっと瀬戸口を見つめた。
「あのさ……」
「わたくしの気がすまないのです。新市街においしい西洋料理の店があると聞き及んでおります。明日、日曜日十二時。裏マーケット前にで!」
まるで果たし合いでも申しこむかのように、壬生屋は凛として言い放つと、次の瞬間には駆け去っていた。ばたばた、と草履の音が遠ざかってゆく。
瀬戸口はあっけにとられて、その場に立ち尽くした。先手必勝。壬生屋のすばやい一撃に、やられたな、と思った。
瀬戸口は携帯電話を取り出した。
「あのさ、明日の約東なんだけど。ちょっとね……」
瀬戸口は珍しく、気難しげな顔で裏マーケット前に立っていた。
これは相当に危険な状況だぞ、と瀬戸口は自らに言い聞かせた。
確かに俺は壬生屋を気に入っている。あの声を聞いていると、心が騒ぐ。しかしだめだ。壬生屋だけはだめだ。遊びではつき合えない相手だ。
どうすれば身をかわせるのか? 瀬戸口の頭脳がめまぐるしく回転した。
「お待たせしました」
声がかかった。瀬戸口の頭脳が回転を止めた。と言うより凍りついた。
「……!」
「西洋料理の店なので。思いきりました。似合いませんか?」
瀬戸口の目の前にサーモンピンクのワンピースを着た壬生屋が恥ずかしそうに立っていた。
イヤリングをして、首にはなんと十字架付きのネックレス!
瀬戸口はぼんやりと壬生屋の顔を見た。
「似合いませんか? そうですよね、わたくしなんて」
「ええっと……似合う、と思うよ」
「嘘です! わたくしつたら、何て恥ずかしいことを。自爆です。わたくしやっぱり着替えて参ります!」
「嘘じゃない。似合う。とっても似合うよ!」
ただ十字架だけはやめてくれ、と思いながら瀬戸口は言った。
壬生屋は疑わしげに瀬戸口の顔をのぞきこんだ。瀬戸口は思わず視線をそらした。
「本当に?」
「ああ、とっても似合う。ほら、みんなが振り返ってゆくよ」
今日一日分のエネルギーを使い果たした思いで、瀬戸口は道行く人々をさした。
「きっとわたくしのこと、笑っているのだわ。どうしましょう?」
「やれやれ」
瀬戸口はふっと笑うと、肩をすくめた。困った子だ。恭しく手をさし伸べた。瀬戸口の性か、一連の動きに反応するように、口がなめらかに動いた。
「そろそろ行こうか、お嬢さん」
まだ引き返せる、まだ大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら、瀬戸口はさわやかに笑った。
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楽しいピクニック
車内はぎこちない沈黙に支配されていた。
補給車のハンドルを握る整備班副主任・森精華は、隣席の原素子をちらちらと盗み見た。不機嫌だ。おそろしく不機嫌なオーラを発散している。
山道を走っていた。外の風景はまばゆいばかりの新緑に埋め尽くされ、彼方にはきらきらと光る海が見え隠れしている。
しかし原は腕組みをしたまま、まっすぐ前方を見つめている。
「気に入らない。気に入らないわ。なぜ、この車にはわたしとあなただけなのかしら」
「あの……!」
森が口ごもると、原は遮るように言った。
「わかっている。わたしは嫌われているのよね」
「いえ、憧れの対象……なんだと思います。だから近寄りがたいというか」
「ふうん。憧れねえ。じゃあ近寄ってくればいいじゃない。やさしくしてあげるのに。この小隊は明らかに変よ。前の隊じゃ、定員四名の車に十人の男が殺到して、ギネスブックに挑戦できそうだったわ」
「はあ……」
どんな隊だったの、と森は思った。みんな気後れしなかったのかしら?
「森十翼長、あなただけはわたしを見捨てないわよね」
「はい……」
森は顔を赤らめた。前日、整備班では原主任付き運転手を決めるためのくじ引きが行われ、森は負けた……もとい勝ったのだ。森にとって、原は美人で秀才で、何でもそつなくこなす憧れの先輩だったが、それだけに近寄りがたい存在だった。
「ひやつほーい」
「ヒヤッヒヤッヒヤッ」
歓声、奇声が聞こえた。見ると、前を行くトレーラーの荷台に乗りこんだ隊員達は、鈴なりになって眼下に広がる海を眺めている。
楽しそうだな。いいな。――森は羨ましくなった。
「今のなに? 動物園から猿が脱走したの? この忙しいのにピクニックだなんて、まったくみんななにを考えているのかしら」
「けど、たまには息抜きも必要だと」
「それが命取りになるの! わたしは日頃から言い聞かせているじゃない。注意一秒、徹夜ひと晩。一秒さぼったら、挽回するためにひと晩は徹夜の作業が必要になるの。整備の仕事は甘くないのよ」
「ヒョエー、ヒュヒエヒエ、やめるたいやめるたいー!」
まるで先祖返りしたような中村光弘の声が聞こえた。トレーラーの荷台に視線を戻すと、隊員達が中村を寄ってたかって、こちょこちょとくすぐっている。熊本某所で爆発的に流行っている遊び「くすぐり大王」だ。大王は、家臣からくすぐり攻撃を受ける。いくら笑ってもかまわないが、耐えられなくなったら地面をたたけばギブアップとみなされ、攻撃は中止される。ギブアップした大王は次の大王を指名するという素朴にして健全、シンプルな遊びだ。
中村はすぐにギブアップし、みんな子どもに帰ったように一斉に声を揃えた。
「次の大王は誰――?」
「田代ばい!」
中村が指名すると隊員は、わっと田代香織に殺到した。
森は歓声を聞きながら、運転に集中した。カーブの多い山道ゆえ、よそ見をしているとガードレールを突き破って転落だ。
いいな。わたしもくすぐり大王、やりたい。普段、澄ましている人達、どんな顔して笑うかしら。芝村さんとか壬生屋さんとか……、善行司令はくすぐりたくないけど。
森はハンドルを握りながら、心の中でつぶやいた。
「ウヒヤヒヤヒヤ、やめろお、やめねえとぶん殴るぞ!」
田代さん、この頃、話しやすくなってきた。あの事件以来かしら?
「きゃ――、だめです、わたくし、こういうの苦手で。あはは、あははは。きやーきやー」
え、壬生屋さん? 嘘。
「し、芝村は笑わぬ。くつ……。感じぬ、なにも感じぬぞ。くくく、どうだっ!」
芝村さんだ。きっと真っ赤になって、頑張っているんだろうな。らしいわ。
「だはははは。さあ、気合いを入れてどんと来い――。何人でも相手にしてやる! だはははは」
あらら若宮さん。けど、あんなに筋肉だらけでホントにくすぐったいのかな?
「ははは。皆さん、くすぐるの上手ですね。けど、わたしはそんな皆さんが好きですよ」
遠坂さんって、こんなときにも紳士なのね。少しへンだけど。
「え、俺? 嫌だよ大王なんて。わあっ! やめろお……野郎は近づくな。速水とお嬢さんだけこんにちは。ははは、ははははは」
瀬戸口さんならわたしも触ってみたい。男子禁制なのね。速水くんだけ別らしいけど。
「……森十翼長、大丈夫?」
「あ、はい」
森は我に返った。道は下りになり、開け放った車窓から潮のにおいが流れこんできた。ざあああ、波の音が聞こえる。
そろそろだ。森はギヤをチュンジし、急勾配の坂を憤重に下っていった。
「わあ、何だか生き返った気分!」
森は砂浜に下りて、胸いっぱいに浜辺の空気を吸いこんだ。
目の前には紺碧《こんぺき》の海、背には青々とした松林が広がり、砂浜には人気がなかった。振り返ると原は日傘をさして、砂浜ではしゃぐ隊員達を眺めている。相変わらず不機嫌そうだ。
「さあ、森さんも遊んでらっしゃい」
司令の善行忠孝の声がした。森のすぐ横で善行が笑いかけていた。
「善行司令は?」
「わたしは非常呼集に備えて指揮車にいますよ」
「……あの、原さんが」
「ええ、わかっています。わたしが引き受けましょう。だから安心して羽根を伸ばして」
森は軽い足取りで、隊員達のところへ駆けていった。
「どうしました? やけに不機嫌ですね」
善行が話しかけると、原はにこりともせず、そっぽを向いた。日傘をさす反対側の手にはバスケットを提げている。
「心が洗われるようじゃありませんか。潮風が気持ちいいです」
善行は原の隣に立った。
「戦況はようやく持ち直しつつある。今は大切な時期よ。こんなことしてる暇はないわ!」
原の言葉に、善行は「ごもっとも」とうなずいた。
「しかし、我々は張りつめた戦いを一ヶ月続けてきました。戦場における一ヶ月のストレスは平時の数年分に相当します。神経の消耗も激しい。ストレスを発散するのも作戦行動ですよ」
「そうね、ストレスの溜まり過ぎで老けちゃった人もいるしね」
原の嫌みに、善行は苦笑いした。
「そうなんですよ。まだ二十代だというのに、十歳は老けて見られる。あなたにはずっときれいなままでいて欲しいですね。ストレスはお肌の大敵です」
原の顔が赤らんだ。善行にしては、やけに口がうまい。
「それって瀬戸口くんの影響?」
「そんな……、本心ですよ。ところで、どうですか? 指揮車の上から眺める景色は最高だと思うのですが」
原はバスケットに、ちらと目をやった。が、すぐに皮肉に笑って、善行に言った。
「それってお誘い? それとも命令かしら?」
「わたしは欲張りで。両方です、と言ったら怒りますか?」
「そうねえ。善行司令の顔をたてて、つき合ってあげでもいいわ」
波打ち際では、隊員が波と戯れていた。
波が寄せてくれば逃げ、干《ひ》けば追いかける。そんな単純な繰り返しに大はしゃぎである。
「森、無事やったか! 原さんばどぎゃんしとっとや?」
中村が駆け寄ってきた。戦友を気遣う、そんな感じだ。
「原さんだったら、あれれ……?」
森は目をぱちくりさせた。善行と原は指揮車の上に並んで腰を下ろし、イイ感じだ。あ、あれは……。手作り弁当! 善行が手を伸ばして原の弁当箱から稲荷寿司をつまんでいる。
原は楽しそうだ。
森は、むっとした。わたしのときは、原さん、不機嫌だったのに。
あの豹変ぶりは何? わたしもあんな風にお弁当食べたい、と思った。
滝川陽平が水しぶきを上げ、短距離選手のように駆けてきた。
「今、みんなと話してたんだけど、昼前にもう一回、あれ、やんねえか?」
「ごますり大王、じゃなかったくすぐり大王?」と森。
「ああ、砂浜で逃げる大王を追いかけるんだ。けっこう運動になって腹が減るぜ」
ふと、森の目に速水厚志と芝村舞が並んで腰かけているのが映った。波打ち際の集団から離れ、ふたりで楽しげに話しこんでいる。羨ましい。妬ける。
「賛成! じゃあ、初めのくすぐり大王は速水くんねっ!」
「あっ、それいいな。よおし、みんな――初めの大王は速水だっ!」
滝川が呼びかけると、隊員達は雄叫びをあげて、ふたりのところへ殺到した。
「し、しまった!」
厚志は腰を浮かした。歓声をあげながら、隊員が迫ってくる。舞の手を引いて逃げる。
「どうした?」
「僕の経験から言うと、こういうとき、単独行動をすると狙われるんだった」
「ふむ。動物行動学か?」
「早く、走って……おわつ!」
厚志と舞はたちまち囲まれて、強烈なくすぐり攻撃を受けた。押し倒されて、ギブアップしたのだが、攻撃はしばらく続いた。ふたりは全身砂まみれになって咳きこんだ。
「ごほっ、なるほど異端者は標的にされるか。だが、これも芝村の務めだ。許してやろう」
「くすぐり大王は誰――?」
全員がにこにこ笑いながら声を揃える。
厚志は咳きこみながら、ひとりひとりの顔を見た。
東原ののみが、目をうるうるさせている。
あ、そういえばこれまでののみには一回も指名がなかった。
「ののみちゃん」
ののみの顔が輝いた。きゃっきゃと嬉しそうな悲鳴をあげながら逃げてゆく。隊員達はわざとゆっくり追いかけて、ののみが逃げるにまかせた。
「これも動物行動学だな」
舞が走りながら厚志に言った。
「そうかな?」
ののみはとうとう捕まって、くすぐり攻撃を受けて喜んでいる。
ののみは、今度は石津萌を指名した。厄介なことになった。全員、おそるおそる近づいた。
一定の距離になると、石津は、たたた、と駆けて距離をとる。まるで猫のようだ。
「石津さん、観念してー」と厚志。
「へっへっへ、一度経験しちまえば癖になるぜ、石津」と田代。
おっかなびっくりの攻撃がはじまった。石津は砂浜に座りこんで、攻撃に耐え続けた。くくと石津の声が洩れた。しまった、泣かせたか? と皆が青ざめ、罪悪感にとらわれた。しかし石津は顔を上げると、「面白い……わ」とつぶやいた。口もとに微かに笑いの痕跡が見られる。
皆が安堵の息をついた。この遊び、だんだんハードになる――。
「くすぐり大王は誰――?」
石津は下を向いて、次にあたりをうかがった。上目遣いにぼそりと言った。
「原……さん」の声に、全員の表情が凍りついた。
原は満面の笑顔で、善行に寄り添うように話している。しかし大王の命令は絶対だ。これがこの遊びのタフでシビアなところだった。
原のいる指揮車に向かう隊員の足取りは重かった。
「なあ、こうなったらくじ引きで」と瀬戸口隆之が提案した。
「それはルールに反しますっ!」
壬生屋末央が生真面目に反論した。
「じゃあ、どうしろってのさ」
「心頭滅却すれば火もまた涼し、です。玉砕覚悟で参りましょう!」
壬生屋は凜として言い放った。
「待て。無謀な突撃は屍の山を築くだけだ。ここは作戦会議を開くべきであろう」
舞が冷静に言った。そして砂の上に、何やら図を描きはじめた。
「まず陽動。オトリが必要だ。この任務は森十翼長。敵をおびき出したら、厚志、そなたが宣戦布告、もとい状況を説明するがよい。残りの者は包囲網をつくり、合図と同時に攻撃する」
「わ、わたし、そんなおそれ多いこと……」と森はうつむいた。
「この任務はそなたしかできぬ。皆がそなたの働きに期待している。腹をくくれ」
舞は冷然と言い放った。
「あの……、お邪魔してすみません。実は相談があって……」
原はいぶかしげに森を見た。おどおどしている。何だか様子が変だ。
「話ならここで聞くけど」
「……いえ、隊の全員が原さんに仕事のことで相談があると」
原は善行を顧《かえり》みた。善行は笑って、原に言った。
「行ってらっしゃい。わたしはここでひなたぼっこをしていますから」
「待っててね。逃げちや、だめよ♪」
原は冗談混じりに言うと、指揮車から降りた。
「まったく、気がきかないんだから。相談なら、帰ってからでもできるでしょ」
原は不機嫌につぶやきながら、森に導かれるままに歩いた。他の隊員達は、ある者は砂で山崩しをやって遊び、ある者は寝そべって日光浴をしている。またある者は波打ち際で貝殻集め督していた。が、妙に胸騒ぎがする。
「ご、ごめんなさいっ! わたし……!」
森は真っ赤になって謝ると、半泣きになって駆け去った。
「どうしちゃったの、森十翼長――」
「原さん、実は……その」
厚志が原の前に進み出た。
「なにかしら?」
原は愛想よく厚志に笑いかけた。厚志は目をつぶって、いっきに言った。
「くすぐり大王って遊びがあるんです。原さんは、その……、大王に指名されましたっ!」
「かかれっ!」と舞の声が響いた。
それまで思い思いにくつろいでいた隊員達が、わっと原に殺到した。
「え、えっ? なに? きや――つ!」
ほどなく原はくすぐり攻撃を受け、笑いながら涙を流していた。砂浜にうずくまり、「あはは、あはは」と笑い転げる原を、全員が不安げに見守った。
やがて原は身を起こすと、みんなににっこりと笑いかけた。全員が息を呑んだ。
「本当にみんな子どもなんだから。相談っていうのはこれね。はい、相談は受けつけました」
「……!」
隊員達はあっけにとられた。そして、原の笑顔の裏に、どんな報復が潜んでいるかを想像し、青くなった。
「あのっ……!」と、指揮車へ戻る原に森が駆け寄った。頭を垂れてしょんぼりしている。
「わたし達のこと、怒らないんですか?」
原は、制服についた砂をはらうと、ほほほと愉快そうに笑った。
「やあねえ。わたしはこんなことで怒ったりしないわ。遊びに交ぜてくれてありがとね。それに森、わたし、あなたのこと心配していたの。あなたは不器用で生真面目だから、みんなの輪に入れないんじゃないかって。安心したわ」
「つ、次の大王は……? あの、あの、指名することになってるんです」
森はおそるおそる言った。
「それじゃ、森十翼長、あなたにするわ」
原は機嫌よくハミングしながら指揮車へと去った。
「原さん、あなたはやっぱりわたしの憧れ……すばらしい人です」
森は原を裏切った自分が恥ずかしくなった。けれど原は怒りもせず、逆に自分のことを心配してくれた。嬉しかった。森は声を張りあげると、皆に宣言した。
「次の大王はわたし!」
歓声があがって、皆が砂を蹴立てて殺到してきた。森は笑いながら走り出した。
その日、隊員達は童心に帰って存分に遊び、存分に食べてピクニックを楽しんだ。
しかし――問題は次の日に起こった。
翌日、滝川陽平は学校を休んだ。
教室で何やら考えこんでいた厚志は、やおら「しまった!」と叫んだ。
「何のことだ?」と舞。
「昨日のこと、思い出していたんだ。滝川は一度も大王に指名されなかった!」
「それがどうした?」
わけがわからない、といった顔の舞に、厚志はしみじみと言った。
「滝川のやつ、いつかは自分も、と期待しながら、わくわくしながら……、結局一度も指名されなかったんだ。ショックだったろうな。僕は……僕達は、滝川を傷つけてしまった」
ヒトの心は脆く、ガラス細工のように壊れやすいものだ。
厚志には、あのとき、原が上機嫌だった理由がわかった。たとえどんな些細なことであれ、疎外から解放されるのは嬉しいことだ。あの原をすら遊び仲間として認知したのに、滝川のことを皆、すっかり忘れていた。
歓声をあげ、率先してくすぐり攻撃に加わっていた滝川が哀れでならなかった。厚志は憂鬱そうにため息をつき、舞に言った。
「明日はみんなで迎えに行ってあげよう。滝川のやつ、きっと喜ぶよ」
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【解説】
小説である。
今回は前巻と異なり、中編三つに小編ひとつ、原の日記という形になっており、戦時下の青春というものを描いている。
戦闘の表現が多い。というあたりが戦時下という感じか。
発売から一年以上も経ってこういう本が出るのは、関係者のひとりとしてまこと結構なことである。
個人的に面白いと思ったのは、『絢欄舞踏――幾千万のわたしとあなたで――』であろうか。
もっともスタンダードなガンパレード・マーチの内容といえよう。
『楽しいピクニック』は、小隊の休日を描いたものである。小編であるが、これはこれで楽しい。ゲームでは普段とほぼ変わらぬ毎日を送る面々であるが、はて、第五世界ではどのように過ごしているのだろうか。
今の私には想像することしか出来ないが、この小説のようなこともやっているのかもしれない。
のんびり静かにしてる日もあるだろうが。
話題は変わって今回の小説といえば、今回は熊本弁がかなり本格的である。
というか、アルファ・システムのネイティブ熊本人が演技指導にあたっている。
ために、何言っているのかわからないときもあるかもしれないが、そこはまあ、フィーリングで読み飛ばしていただきたい。
そこまで凝らんでもいいだろうと思わなくもないが、これもこだわりだか愛|故《ゆえ》、である。
許していただけると、嬉しい。
また、設定関係でも著者の榊氏には、いろいろご迷惑をおかけして、細かいレベルの記述には気を遣っていただいた。この点深く感謝するものである。
ただ、話の筋が大きく変わったり、独特なキャラの描き方には極力手をつけなかったつもりである。
紙幅がつきた。書くのはあまり得意ではないため、文が面白くないのはお許し願いたい。
[#地付き]芝村裕吏 アルファ・システム 世界防衛部 第七世界担当 芝村機関機関長
2008/11/16 入力・校正 hoge