高機動幻想ガンパレード・マーチ
広崎悠意
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第一章  戦いにゆく者
薄暗《うすぐら》いコックピットの中は、インジケータの光もまばらだ。情報《じようほう》はほとんどヘッドセットのゴーグルの中に表示《ひょうじ》されるので戦闘《せんとう》中はコンソールの表示は意味をなさない。
ヘッドセットは『士魂号《しこんごう》』のセンサーが捉《とら》えた情報を全視界《ぜんしかい》のゴーグルと神経接続《しんけいせつぞく》で生々《なまなま》しくパイロットに送ってくるが、それでも、それは狭苦《せまくる》しい闇《やみ》の中に投影《とうえい》された虚像《きよぞう》にすぎない。(もし戦闘《せんとう》中に死ぬことがあれば、この間の中で死ぬんだなあ)
サムライと呼ばれる全約九メートルのヒト型戦車『士魂号』の中で速水厚志《はやみあつし》は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
彼はまだ十五歳。それに加えて、おっとりした性格が顔にも表れている。無骨《ぶこつ》な兵器の中に身をうずめているのは似《に》つかわしくない少年だ。
それでも、彼は今ここにいる。
「何をしている! 動きが止まっているぞ」
ヘッドセットから、静かだが威圧《いあつ》してくる声がして、厚志は我《われ》に返った。自分が放った砲《ほう》の轟音と硝煙《しょうえん》の臭《にお》いに気を取られていたのだ。声の主《ぬし》は彼の後ろで士魂号三号機の火器管制《かきかんせい》を担《にな》っている芝村舞《しばむらまい》だ。独特の淡々《たんたん》とした喋《しゃべ》り方が、厚志を卑屈《ひくつ》にさせる。
「あ、ごめん。一号機の援護《えんご》に回るよ」
「断らなくともわかっている。一号機に向かうために重心《じゆうしん》移動しつつの攻撃をしたんだろう? 呆けていては先行入力も無駄だぞ」
内部の振動《しんどう》が、士魂号が走りだしたことを告げている。
「アサルトの攻撃範囲《レンジ》に幻獣《げんじゅう》は何体捕捉《ほそく》できる?」
「二か……三だな。一号機は八体の幻獣に捕捉されている。これではたいした援護にはならない。ミサイルを使うぞ。次に二射したら突っこめ」
厚志の問いに、舞はすぐに答えた。ミサイルランチャー装備《そうび》の三号機の役割は、ただ目の前の敵を叩《たた》けばいいというものではない。一度しか使えないミサイルランチャーの使いどころを見|極《きわ》める必要がある。戦場での三号機の影響力《えいきょうりょく》を把握《はあく》しておくのは舞の役目だった。
「一度敵の中に突っこんだら、反転《はんてん》している間に……」
「つべこべ言うな。背中に荷物を乗せたまま戦闘を終えるつもりか。初めに敵の数を減らしておくべきだろう。おまえがもたつかなければ、ミサイルを放ったあとの離脱《りだつ》もそう時間はかからん」
「やってみるよ……」
「やってみるのではない。やるのだ。私は多目《たもく》的|結晶《けっしょう》からミサイル発射《はっしゃ》シーケンスに修正《しゅうせい》を加える。邪魔《じやま》になるザコを片づけておくがいい」
舞はいつもこの調子《ちょうし》だ。何もかも自分の思いどおりにいくと信じている。厚志は以前にも彼女に、思いどおりにいかないのは努力と意思《いし》の強さが足《た》りないからだと諭《さと》されたのを思い出した。
「やるよ」
厚志はそう言い直して、三号機を廃嘘《はいきよ》のビルの緑《へり》に据《す》えた。
すぐに、ジャイアントアサルトが捕捉した二体の幻獣に向かって撃ち放たれる。士魂号の腕《うで》が受け止める振動は轟音と共にコックピットの中にまで響《ひび》いてくる。
「ゴブリンリーダー一体撃破《げきは》。もう一体には避《よ》けられたが、このまま突っこむが良い。次のミサイルで片づけられる」
舞の言葉が終わらないうちに三号機は走りだした。
「いい手際《てぎわ》だ。そうして緊張を《きんちよう》解かずにおれば、おまえは戦場を制することができよう」
「おだてなくたっていいよ」
「芝村はおだてなどしない。そう思っているなら侮辱だ《ぶじよく》。今でなければ殴《なぐ》っているところだ」
厚志は『今』であってよかったと思った。舞のことだから本当に殴るだろう。おそらく『ぐー』で……。
敵中に突っこんだ三号機に幻獣たちが反応して対処《たいしよ》しようとする隙《すき》に、舞は片っ端《ぱし》から敵をロックしている。
厚志は一号機のパイロット、壬生屋未央《みぶやみお》に通信した。
「一号機……壬生屋さん。ミサイルで援護するから間合《まあ》いを取り直して」
「あんまり援護も必要ないけれど……、そうですね、連係《れんけい》もやってみせないといけませんね」
強がりではなく、接近戦ですでに四体の幻獣を倒している未央自身には助けはいらないだろう。しかしこれは時間との勝負《しようぶ》だ。勝てるのはわかっているが、限られた時間で対処《たいしよ》するための動きが重要なのだ。
「では、よろしくお願いします」
未央の落ち着いた声が返ってきた。
「ミサイル攻撃《こうげき》に入る」
厚志は戦場にいる全機に伝える。
ミサイルでの攻撃はかなりの数の敵を減らすだろう。そうなると敵との力関係が変わって全員が新たに態勢《たいせい》を組み直す必要が出てくるからだ。
「レンジ内の敵はすべてロックした。総数十一。あとは射《う》つだけだ」
「発射《はっしゃ》!」
厚志はミサイルを射ち放つ。
士魂号三号機は、低くかがみこんで背中のミサイルランチャーをせり上げると、全発射口が開き一斉《いつせい》にミサイルを吐《は》き出した。
いくつもの噴煙《ふんえん》が弧《こ》を描いて伸《の》びてゆき、敵に突き当たる。
三号機の前方で泡《あわ》だつような爆発が起こった。
「厚志。離脱《りだつ》だ。生き残った奴《やつ》に捕捉されるぞ。生き残る奴がいればだがな」
「うん。入力済みだ。左方に飛んでから残敵《ざんてき》の掃討《そうとう》態勢に入る」
ミサイルを吐き出した三号機は、かがみこんだ体勢から脚力《きやくりよく》と補助のバーニアで飛び上がった。厚志と舞は内臓《ないぞう》が下がるような垂直に《すいちよく》近いGに身を硬《かた》くする。
そして、0Gを経過して着地《ちやくち》で再び体がシートに押しつけられる。
「へへー。三号機のミサイル攻撃は戦闘の華《はな》だねー」
コックピットの中で内臓を揺り動かされた余韻《よいん》が醒《さ》めない厚志に通信が入る。二号機の滝川《たきがわ》陽平《ようへい》だ。
「こんなときに、無駄《むだ》な通信をするな!」
舞が少し苛立《いらだ》った感じで割りこんできた。
「可愛《かわい》くない女だなあ。いいじゃんべつに。ぴりぴりしているだけでは戦争はできないだろー」
「可愛くなくてもかまわん。こっちは敵中で慌《あわ》ただしい。邪魔《じゃま》だと言っている」
陽平は敵の側面《そくめん》から七面鳥撃《しちめんちようう》ちをやっている。その場を動かずに撃ちまくれるポジションにつけていた。
敵が未央の一号機側から回りこむか陽平の二号機のほうから突破《とつぱ》を試みるかはわからなかったのだから、けっして初めから楽《らく》をしようとしていたわけではない。もともと口数《くちかず》の多い男なので、たとえ敵に囲まれていでも無駄な通信はしただろう。
舞は陽平に言い捨ててから、今度は厚志に言う。
「ミサイルで攻撃した敵はすべて撃破《げきは》した。まあ、ザコだからな、こんなものだろう」
「下がって間合《まあ》いを取るよ」
「いや。陽平のほうもだいぶ敵を減らしている。奴ら、撤退《てつたい》を始めるぞ。前進して幻獣の退路《たいろ》をアサルトのレンジに収めておくがいい」
「うん……」
厚志はなんだか自分が、舞に操縦さ《そうじゆう》れている士魂号のインターフェースにすぎないような気持ちになった。それでも舞の言うとおり士魂号のポジションを決めると、厚志のすることはなくなった。舞の言うとおり敵の退路を押さえておいたので、もうただそこを動かず、レンジに踏みこんできた敵にジャイアントアサルトの攻撃を浴《あ》びせかけるだけになった。
「おーし、敵は撤退を始めたぞ。追撃《ついげき》戦だ。気を抜くなよ」
舞の読みが正しかったということだ。
「これでいい。まずは……」
舞の声はあいかわらず|抑揚《よくよう》に乏《とぼ》しかったが、厚志には彼女が満足しているのがわかった。
厚志は舞が戦場に出るのを喜んでいるのだと思った。
後方の本田《ほんだ》教官から全員に無線《むせん》が入る。女性だがその口調は《くちよう》乱暴だ。
「よおし! まあまあだ。合否《ごうひ》は坂上《さかうえ》教官と相談してからになるけどな。いいんじゃねえか。たぶんな……。だけど覚えとけ、次は実戦だぞ、そんときや敵は攻撃してこないバルーンじゃねえ。シミュレーションで学んだことを実践《じっせん》すれば勝てるなんて甘っちょろいことは言わねーぞ。いや、実戦を基準にすりやオマエら、今のはむしろサイテーだ」
舞はヘッドセットを外《はず》して肉声《にくせい》をコックピットの中に響かせる。
「最低かもしれんが……。厚志、このテストでの三号機の挙動《きよどう》はおまえの実績《じつせき》にもなろう」
「うーん……」
釈然《しやくぜん》としないのは確かだった。その実績はおそらく舞のものだろうと厚志は考えていた。だから、彼女の言ったことはむしろ屈辱だ《くつじよく》。しかしそれでも厚志は、そうなのかなーと曖昧《あいまい》に呟《つぶや》くだけだった。
一九四五年。空に忽然《こつぜん》と出現《しゅつげん》した黒い月は第二次世界大戦に終結《しゅうけつ》をもたらした。
しかし、それは平和の訪れにはなりえなかった。
黒い月の出現に伴《ともな》い地上に現れた異生物《いせいぶつ》。――幻《まぼろし》のように現れ、自《みずか》らの体内に蓄《たくわ》えられたエネルギーを使い果たすまで――ただ人間を殺戮《さつりく》し幻のように消えてゆく。
人間同士の争いに終止符《しゅうしふ》を打ったのは、人類の天敵《てんてき》の出現だった。
なんのために……、何故《なにゆえ》……。そうした疑問はおそらく意味をもたないのだろう。たとえ、この天敵の出現に理由があったとしでも、それはのちの歴史が語ることだ。……のちの歴史があればの話だが……。
人々はそれを幻獣と呼び、神話の時代の獣《けだもの》の名を与え、戦うしかなかった。
その異様《いよう》な姿は一目《ひとめ》で、それが地上に生息《せいそく》したことのあるものではないと見た者に知らしめる。ただ異様なだけではない。むしろ積極的に嫌悪《けんお》をもたらすその醜悪《しゅうあく》な姿は恐怖の象徴《しようちよう》のようだ。
幻獣は種類ごとに一貫《いつかん》性のない姿をしている。二足歩行するミノタウロスや地を這うキメラ、人類の兵器に取りつくものもいる。ただ共通しているのは、それが人間を殺し、醜悪であるということだけだ。
生物でありながら……、いや、生物のように見えながら、幻獣は人の作りだした数々の兵器を凌駕《りようが》する力を持っている。死と共に消滅《しようめつ》する幻獣は、人類にその力の理由さえ教えることはない。
自《みずか》らの生存圏《せいぞんけん》をすり減らす核や生物兵器さえ使いながら、人類はじりじりと後退《こうたい》していったその捨《す》て身《み》の反抗にも、幻獣の力はまったく衰え《おとろ》ることはなくその侵攻《しんこう》を止めることはできなかった。
そうして、また自らの地を焼いて退《しりぞ》いてゆく。その繰り返しだった。
そして一九九七年には人類はユーラシア大陸を完全に失い、その生存圏はアフリカの南部と、南北アメリカ大陸、そして日本だけになった。
南方《なんぽう》から日本へ上陸する幻獣に対し、人類側は九州《きゆうしゅう》での攻防《こうぼう》を繰り返すが、自衛軍《じえいぐん》のほぼ全力を注《そそ》ぎこんだ戦いで幻獣を退けつつも、修復《しゅうふく》が不可能とも思える兵力を《へいりよく》失った。その時点で、次の侵攻《しんこう》を阻止《そし》する力は残っていなかった。
一九九九年。日本国国会は熊本《くまもと》を中心に防衛線《ぼうえいせん》を張ることと、それまでの徴兵年齢《ちようへいねんれい》に満たない少年を召集《しようしゅう》し、そこに投入《とうにゆう》することを決定した。
公《おおやけ》にされずとも、それが兵力回復のための場つなぎであることも事実だ。
学兵《がくへい》と呼ばれる少年兵たちの生存確率《せいぞんかくりつ》がきわめて低いものでありながら、それは実行に移された。
わずかな訓練期間を経《へ》て、彼らは戦場へ出てゆくことになる。
女子の戦車学校に間借《まが》りする形で、敷地《しきち》の中に建てられたプレハブが厚志たちの教室だ。三月の時期でなかったら薄い壁《かべ》から外の気候の影響を受けていたたまれないだろう。
そこは士魂号パイロットたちの学業の場であり訓練の場でもある。複座型《ふくざがた》の三号機に乗りこむ速水厚志と芝村舞。そして、一号機に乗りこむ壬生屋未央と二号機の滝川陽平……。
わずか四人の生徒が最前列の席に横並びになっている。教壇《きようだん》では、おおよそ教師とは思えない……少なくとも厚志がここにくる以前に知っていた教師とはだいぶイメージの違う女性が、常人《じょうじん》の四割増しくらいの大声で、ときには机をばんばん叩きながら、熱弁《ねつべん》を奮《ふる》っていた。
年はまだ二十代だろう。短い髪《かみ》を紫に染《そ》めて真っ赤なパンツと鋲の《びょう》打ったジャンパー、彼女が動く度《たび》に鎖《くさり》やら金属製のアクセサリーがじゃらじゃら音をたでる。
本田節子《ほんだせつこ》なんてそんじょそこいらにありそうな普通の名前だが、彼女を知ったあとは「本田」でも「節子」でも、どちらかを聞いたら真っ先に彼女を思い出すだろう。まあ、ようするに、それくらい印象と《いんしよう》いうかインパクトというか勢いというか……、なんにせよ強烈《きようれつ》な人間だ。
教師というより、学兵を教育する教官で軍属《ぐんぞく》であるわけだから、やたらめったらな勢いはそれで培《つちか》われたのだと、初め厚志は思っていたが、どうやら地《じ》らしい。
「……でだな、昨日《きのう》の最終テストの結果だ。へっ。おめでとうと言ってやるぞ、とりあえずなっ! 合格だっ。おまえら晴れて実戦投入だ。死ぬんじゃねえぞ。なるべくなっ!」
「なるべくなんていうかー普通……。それじゃまるで脅《おど》しじゃん」
言ったのは陽平だ。本田はいつもよりいくぶん真顔で、いつもよりいくぶん声のトーンを落としていた。
「ばーか。率直に《そっちよく》言ったんだよ。一度《ひとたび》命令が下《くだ》れば死をも恐れず戦場へ行けと激励《げきれい》することだってできるんだ。もしかしたらそう言うべきかもしれねー……立場としちゃな。だけど俺《おれ》はなるべく死ぬな。とくにヘマこいて死ぬんじゃねえ。それで貴終的に勝てって言ってんだ。こっちだってフクザツなんだよ。まあ、そんなに深刻《しんこく》になることもねえよ。これからドンパチやらせようってんだから、そんくらいは言うやな」
本田は生き死にを口にだしたことを後悔《こうかい》もしていたが、なまじに彼らの役目を知っているからそれを言わずにはいられなかったのだろう。彼らが急場《きゆうば》しのぎの捨て駒《ごま》であることを……。
「心配するな。おまえは死なん」
本田の授業が終わると、厚志のところに舞がポニーテールを揺らしながらつかつかとやってきてそう言った。
精悍《せいかん》なきりっとした目には威圧《いあつ》感さえ宿《やど》す少女だ。
「あー、べつに心配はしてないけど……。パイロットだから士魂号で戦えるんだし歩兵《ほへい》よりは生存率は高いだろう?」
「それはどうかな……。そんな物言いで私をがっかりさせるな。私が言っているのは、私がおまえを死なせんということだ。死ななければ学ぶこともやり直すこともできる。本田の言うようにそれで最終的に勝てばよい」
厚志はまた、少なからず傷ついた。
三号機に同乗《どうじよう》する舞にしてみればその生死《せいし》は自分と一蓮托生《いちれんたくしよう》だ。そのうえで、私が死なせないというその自信は、裏を返せば自分の頼りなさを指摘しているのだと……。そう考えたからだ。
舞がその他人を見下《みくだ》す物言いから、他《ほか》の級友に嫌われていることを知っている厚志はそれでも舞を毛嫌《けぎら》いすまいと努めてきた。しかし、今回はさすがに少しムッとしたようだ。
「ちょっと倣慢《ごうまん》だと思うけどな……」
「倣慢なものか。私は芝村だ」
厚志は彼女の姓であるその『芝村』も、舞が嫌われる原因であることも最近になってわかってきていた。
政財界《せいざいかい》と軍部に入りこんだ芝村一族は、何をやるにしても強引《ごういん》で手段を選ばない。なんのてらいもなく『世界を征服《せいふく》する』と言ってのける一族である。それでも、芝村が戦時において頼れる力をもっているのも確かだった。
舞がことあるごとにその『芝村』を振りかざすのを、未央や陽平はよく思っていない。
「お仕着《しき》せっぽくないかなぁ……」
「強者《きようしや》でありたいならそのための努力をしろ、芝村はそれをしているのだぞ」
「僕だって……」
「……していると言うのか。ならば生存率などと口にして、私をがっかりさせるな」
それだけ言うと、舞は教室を出ていった。
「あははー。頑張《がんば》ったな。厚志」
入れ替わりに寄ってきた陽平が、厚志に話しかけてきた。
今のところは、厚志にとって唯一《ゆいいつ》の同性の級友だ。なんにつけても黙《だま》っていない。何か喋るネタを探して鼻をひくつかせている小動物のように見える。
厚志は陽平のそんなところも含めて嫌いではない。それに、気を抜いて話せる相手はここには陽平しかいない。
「頑張ったって……何?」
「いやー、芝村にあれだけ言えるってのは見直した。えらいえらい……」
陽平はさも深刻そうにそう言い終わると、今度は一気《いつき》に顔を緩《ゆる》めて大げさとも思えるくらいの笑顔《えがお》になった。
「ちょっとムッときちゃった……」
腹をたてたことを、自分でも似合《にあ》わないと思った厚志はことさら明るくそう言った。
「……というか、今までよくあの女にさんざん言われて黙ってたよな」
「聞いていたんなら助けてくれればいいのにー。話に割りこんでくるとかで」
「やだ。俺、あの女|苦手《にがて》だもんよ」
陽平は続けて声をたてて「けへへ」と笑った。
「なんだか怒らしちゃったよ」
厚志なりに、舞には気も遣《つか》っている。同じ機体に乗るのだから仲たがいしていては上手《うま》くいかないと思っていた。まあ、それ以前に厚志は他人から何か言われることに関して気が短いほうではなかった。今回は少々ムッときたことを口にだしてみたら引っこみがつかなくなったというところだ。
「芝村ってああなんですよ」
唐突《とうとつ》に割りこんできた声に厚志はぴくりと振り返った。
舞のはきはきした喋り声は、その場から少し離れていた未央にも聞こえていたようだ。あるいは、もともと芝村を良く思っていない彼女は聞き耳をたでていたのだろう。
「あの日に見える力に貪欲《どんよく》な芝村の価値観は、幻獣を掃《はら》うどころか世界を滅ぼしかねません!」
未央が芝村一族を嫌悪《けんお》するのは、やはり一族というものにこだわりのある古武道の道場《どうじよう》の出だというのも理由の一つだろう。
学校で着ているものも、他の生徒の白い制服とは違い羽織袴《はおりはかま》だ。体育の時間でもこの|格好《かっこう》なのだから徹底《てってい》している。
落ち着いた大人《おとな》っぽい性格もあって、本人の前であまり露骨《ろこつ》な態度は見せないが、物言いははっきりしている。
「そこまで言わなくても……」
厚志は舞の態度に腹はたっても舞が嫌いなわけではなかったから、擁護《ようご》してやろうとしたが、未央の強張《こわぼ》った表情を見て語尾《ごび》が弱くなった。
「あまり芝村に染まらないようにしたはうがいいですよ」
「僕が? なんで?」
「芝村さんはあなたに熱心ですから」
未央の言葉を聞いた陽平は厚志より早く反応した。
「なにー! 相手が相手だからあんまりうらやましくはねーけど、俺との誓《ちか》いはどうなるんだよっ!」
間借りしている戦車学校は女子校ということもあって、陽平は厚志に、この戦車学校で一緒《いつしよ》に彼女をつくろうともちかけ、かなり一方《いつぽう》的に友だち同士の誓いだと舞い上がっていたのだ。
陽平に言われてから未央の言った意味を悟《さと》った厚志はその時点《じてん》で初めて顔を赤らめる。
「いやん!」
厚志はただ、いや、まさか……と言おうとしただけなのだが、緊張して変にうわずった言い方になった。
「不潔です!」
間髪《かんはつ》入れずに未央がプレハブの鉄板の壁に反響《はんきよう》するくらい大きな声で言い放った。芝村を嫌悪したとき以上の剣幕《けんまく》だ。
「い、いや……。今だってなんかカリカリしてたし、それはないよ。芝村は僕が歯がゆいだけで……」
厚志は単に照れただけではなかった。未央に言われたことも戸惑《とまど》った原因だ。少し年上の未央に厚志は少なからず思慕《しぼ》の情を抱いている。
「じゃあ、余計《よけい》なことを言ったかしらね」
未央は話を終わらそうとした。
厚志は未央の態度で、自分への関心のなさを思い知りがっくりうなだれた。
いきなり、プレハブ校舎の粗雑《そざつ》な造りの扉が《とびら》ガラッと大きな音をたでて開いた。いや、大きな音がしたのは安普請《やすぶしん》のせいばかりではない。開けた人間が乱暴にしたからだ。
「今、私の話をしていただろう」
開いた扉に手をかけた格好のまま、教室に戻ってきた芝村舞は不機嫌《ふきげん》そうに言った。
厚志は赤い顔を、必要以上にぶんぶん横に振った。
一日の教程《きょうてい》が終わると残りの時間は自主訓練となる。
『自主』の名目《めいもく》そのままにまるっきりほったらかしの状態だが、いずれ戦場に赴《おもむ》く自覚があればサボってもいられない。まだ装備も届いていないので、各自《かくじ》でグラウンドで走りこみをしたり、中庭《なかにわ》の設備を使って体力づくりに励《はげ》んでいる。
厚志が中庭の鉄棒《てつぼう》で懸垂《けんすい》をしていると、もう一人《ひとり》の教官……坂上|久臣《ひさおみ》が傍《かたわ》らに立った。
大柄《おおがら》な体に、真っ黒なサングラスをかけた丸顔を乗せている。その風体《ふうてい》はそこにいるだけでピリピリした存在感を放っている。
厚志は何か指導でもしてもらえるのかと思ったが、坂上はきょろきょろと周りを見回していた。
「……ちょっと南過ぎましたね……」
「は?」
教官に話しかけられた厚志は、懸垂を中断《ちゆうだん》して地面に降《お》り立ち坂上と向かいあった。
坂上は無表情なまま、まだ首をひねっている。
「確か校庭から会議《かいぎ》室に入るのはこっちからだと思っていたんですが……」
坂上久臣……。伝説《でんせつ》の方向|音痴《おんち》と言われる彼が、こんなふうに迷っているところに出くわすのは、初めてではなかった。
「東側の渡り廊下《ろうか》から入れば近いですよ」
坂上は、昔から戦車学校のほうでも教えていたのでこの学校の位置関係は熟知《じゅくち》しているはずなのだが、なぜかときどき迷っている。もはや常人には理解しがたいレベルだ。
よもや戦場でもこの調子なのか、と厚志は不安になったが、もしそうなら坂上は、今ここに彼の昌の前にいないだろう。
「その東側の渡り廊下がこっちだと思ったんですが、学校の建物というのはどこの出入り口も同じようなので困りますよ」
「はあ……、こっちはどっちかっていうと西です。先に行ったらプレハブ校舎ですよ」
「どっちかっていうと……ですか……。今日は雲《くも》が厚いですからね。太陽が出ていれば少しはよかったんですが……。それはそうと、5121戦車小隊も実動態勢《じつどうたいせい》ですね」
「はい」
「わずか半月の教程で実戦ですが、まあ何……。じつは初めから教えることもそれほどありませんから、結局は《けつきよく》軍隊のあり方を肝《きも》に銘《めい》じておけということ、それだけです。整合《せいごう》性をもって呑《の》みこめということではありません。まさに肝に銘じるんですよ。戦争において中枢《ちゆうすう》は一つ。一本筋《すじ》が通っていなければなりません。個人が踏みにじられるという言い方をすればそうでしょう。あなたたちは巨大な頭脳《ずのう》に繋《つな》がる末端《まつたん》の器官《きかん》にすぎない」
坂上の話というのはいつもこの調子だ。とくとくと戦争と対面する兵士の在《あ》り様《よう》を説《と》く。
厚志はそれを聞かされるのは嫌《いや》ではなかった。
まだ柔軟《じゆうなん》な精神をもつ年頃《としごろ》だけに、軍隊という未知《みち》の社会の情報はそれなりに新しい刺激《しげき》であるわけだ。
反面《はんめん》。それが恐ろしいことでもありうるとは誰もが思ってはいるが、実際に死んでゆく膨大《ぼうだい》な人の数を前にはそれも真実であるのだ。
「操縦|桿《かん》を握《にぎ》り引き金を引くその手は、後方に直結《ちよつけつ》している。駆け抜けるその脚《あし》も……。それでも一つ、兵士が自ら行使《こうし》できる権利があります」
坂上がわずかに顔を緩《ゆる》めたのを見てとって、厚志は気が楽になった。
「どんな自由も否定されると思っていました」
「ああ、そうですね。そう考えるべきではあります。でも有《ゆう》する権利なら行使する自由もあります。その権利は歌うことです。歌は命令で殺しあう職業に許された、唯一神聖《ゆいいつしんせい》なる暗黙《あんもく》の権利ですから」坂上がいきなり大声で歌い始める。
「どこかの誰かの未来のために。地に希望を天に夢を取り戻そうー。……苦しいときは歌を歌いなさい。両手が切れても塞《ふさ》がっても歌は歌えます。歌うなと、士官は言えません。なぜなら士官も歌うからです。苦しいとき辛《つら》いとき、己《おのれ》を奮《ふる》いたたせるそのときに唯一味方となるのは歌。『突撃行軍歌《ガンパレード・マーチ》』ですよ」
厚志は釈然としない気持ちになったが、坂上はまた歌い始める。
「……幾千万《いくせんまん》の私とあなたで、あの運命に立ち向かおう。どこかの誰かの未来のためにマーチを歌おう。そうよ、未来はいつだって、このマーチと共にある……」
歌をやめた坂上は天を仰ぎ言う。
「どこかの誰かのために銃を取る。この愚《おろ》かな戦争に意味があるとすれば、それだけでしょうから」
坂上は上を向いたまま、校舎のほうへ歩いていった。
厚志は坂上の方向音痴の原因の一つがわかったような気がした。
(少しは周りを見ればいいのに)
頼りない外灯《がいとう》の明かりの中で、プレハブの校舎の二階の一角だけが室内の光を窓から漏《も》らしている。
最終試験合格の祝賀《しゅくが》会をやろうと言いだしたのは本田だ。実戦投入が決定して重苦しい雰囲気《ふんいき》になるのを慮《おもんばか》ってということもあるが、もともと賑《にぎ》やかなことが好きらしい。
まだ陽《ひ》があり厚志たちがおのおの訓練を続けているときに、「おー! 祝賀会やるぞ! どうせ用事なんてねえだろー。強制《きようせい》参加だ」と伝えて回っていた。
プレハブ校舎の中で机を脇《わき》にどけ、ペットボトルと菓子の袋《ふくろ》が散乱している新聞紙を教官二人と生徒四人、それから彼らの国語を受け持っている芳野春香《よしのはるか》という教師が床《ゆか》にじかに|座布団《ざ ぶ とん》を敷《し》いて囲んでいる。
「あんまり実感ないよなあ。実戦って言ってもなー」
あぐらをかいて煎餅《せんべい》を頬張《ほおば》りながら陽平が言った。
「こら! 陽平食いながら喋るな。煎餅のカスが飛んできやがったぞ」
本田は自分の胸《むな》もとを手で払いながら続ける。
「オマエらにとっちやあ、戦争はテレビの中の日常だったろうからな。俺《おれ》もだけどな……。まったく、五十年も続いてんだぜ。生まれたときからユーラシアの戦闘とか中継《ちゆうけい》で見て育ってよ。そのくせ日本は、徴兵や派兵《はへい》のニュースはあってもこないだまではまだ安穏《あんのん》としてられたからな」
「俺たちもテレビ映るかな?」
陽平が言った。
厚志はいつもよりさらにボーっとしているように見える。未央の隣《となり》に座れたせいだろう。
「あー。んー。映るっていっても、士魂号に乗っていたりウォードレスを着ていたりしたら、顔とかわかんないんじゃないかな……」
うわの空で言った。
「勲章《くんしよう》でももらえば授章式《じゆしようしき》は華々《はなばな》しくテレビ中継されるぞ。そのときは素顔だ。……旨《うま》いなこれは……」
舞はまだ口の中でクッキーをもぐもぐやりながら、もう一つ摘《つま》もうと手を伸ばした。
「それ、厚志が焼いたんだぜ」
「たくさん焼いたから御裾分《おすそわ》けしようと思ってたんだ……。本当はできたでが美味《おい》しいんだけどね。あ、壬生屋さんも食べてよ」
クッキーを焼くのには彼なりに自信がある。以前、陽平に分けたときに受けが良かったので未央にはぜひ食べてもらいたいと思っていた。
「いただきます」
未央は上品《じようひん》に少しずつ噛《か》んでそれを口に入れる。
「がばっと食っちやえよ。ぼりぼりやってるとカスがこぼれるぞ」
じれったそうに言う陽平の言葉に、未央は思い切ったようにことさら勢いをつけて残りを口に放りこんだ。
厚志はなんだかすごくいいものを見たような気がしていた。
教官二人と教師一人はすでにべつの話をしている。
舞は粉っぽくなった指をこすりあわせた。
「旨いな。天は二物《にぶつ》を与えずと言うが、それは嘘《うそ》だ。一つできる者は他の可能性も秘《ひ》めている。問題はどれを伸ばすかだ」
舞が他人を営めるのを初めて聞いた陽平と未央は顔を見合わせて沈黙《ちんもく》してから、互《たが》いに「ほー」「不潔……」と小声で言った。
厚志が昼間の会話に思い当たって顔を赤らめたのは、やはり少し遅れてからだった。
「みみみ、妙《みよう》な奴らだな……」
舞も、彼らが何を勘《かん》ぐっているか気がついているようだ。単なる勘ぐりかどうかはべつとして……。
「おー! おまえら」
空気が妙な具合《ぐあい》になりかけたときに、本田が注目《ちゆうもく》を促《うなが》したのに彼らは救われることになった。
「さっそく、明日《あした》から少しずつ指揮《しき》や整備の人員が合流《ごうりゆう》してくる。おまえら学兵は文字どおりの文武両道《ぶんぶりようどう》ってわけだが、明日からはずっと軍隊寄りだ。早く慣れろよ」
「はい!」
四人の生徒は声を揃《そろ》えて返事をした。
「よし! 歌うぞ。景気《けいき》づけだ。メタルでいきてーとこだけどアカペラじゃさえねーな……」
いきなり坂上がその場で立ち上がる。
昼間彼と話をしていた厚志は「この人は本当に歌が好きなんだなあ……」などと思って、顔がほころんでしまった。
坂上が歌い始める。厚志が星間も聞いたあの歌だ。
『ガンパレード・マーチ』。テレビのドキュメンタリー番組などでBGMとして映像《えいぞう》にかぶせられたりもするから民間人《みんかんじん》軍人問わず、たいがいの人間は知っている。
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その心は闇を払う銀《しろがね》の剣、絶望《ぜつぼう》と悲しみの海から生まれ出て
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その場にいる者全員がとれについてゆく。
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戦友《せんゆう》たちのつくった血の池で
涙《なみだ》で編んだ鎖を引き
悲しみで鍛《きた》えられた軍刀《ぐんとう》を奮《ふる》う
どこかの誰かの未来のために
地に希望を天に夢を取り戻そう
われらはそう戦うために生まれてきた
どこかの誰かの未来のために
地に希望を天に夢を取り戻そう
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厚志にはまだ、昼間坂上が言っていた『歌うことの自由」というのはわからなかった。ただ、あまり人前《ひとまえ》で歌を歌ったことがなくぼそぼそと呟くように歌っていた彼が、いつの間《ま》にか夢中《むちゆう》で歌っていたのは、もしかしたら坂上の言葉どおりだったのかもしれない。
五十年前から続いている未知の異生物「幻獣』との戦争……。
生まれたときから人類の衰退《すいたい》とその不安の中で育ってきた者たちは、自分の不自由を顧《かえり》みる基準《きじゆん》すら持ちあわせていない。
祝賀会が終わってそれぞれ帰路《きろ》に着くため外に出ると、九州とはいえまだ三月のこの時期、空気は冷たい。
四人で疎《まば》らに歩いていたが、未央がすっと厚志の脇に寄ってきた。
「歌|上手《うま》いんですね」
未央が厚志に言った。厚志は顔を真っ赤に染める。それは決して古びた外灯《がいとう》の赤い光のせいではなかった。
「そんなこと言われたの初めて……。あんまり歌ったことないし……」
「上手《じようず》でしたよ」
厚志は落ち着きのない様子《ようす》で、きょろきょろとあたりを見回しながら歩く。
大きな茶色い猫が十メートルほど先の生垣《いけがき》から出てきて、厚志と目を会わせて足を止めた。
少し先を歩いていた陽平が声をあげる。
「あ、ブータだ」
戦車学校に居着《いつ》いているブータという猫だ。誰が着せたのか赤い服を着ている。
先頭を歩いていた舞も足を止めて……身がまえている。
「猫嫌いなの?」
厚志が尋《たず》ねると舞は振り向くこともせず、厚志に背中を向けたまま息著しそうに言う。
「黙れ! 黙れ! 私に話しかけるな!」
ならば……と厚志は今度はブータのほうを見て微笑《ほほえ》んだ。
「やあ」
厚志は、未央とのやりとりで照れまくっている自分を繕《つくろ》うようにブータに挨拶《あいさつ》をした。
ブータは厚志に深々《ふかぶか》と頭を下げてからプレハブの陰《かげ》に歩いていった。
「まるで挨拶したみたいですね」
未央が言った。
「うん、挨拶したんだよ」
未央は厚志の子どもっぽさに和《なご》んで「うふふ」と笑ったが、厚志には何を笑われているのかわからなかった。
舞は身がまえたまま硬直し《こうちよく》ていたのを解いて、驚きの表情を厚志に送る。
「おまえは……。猫と話ができるのか……。なんということだ……」
「猫だって、人間が挨拶したのくらいは、わかると思うよ」
「なんということだ……」
舞はぶつぶつ言いながら、一人でまた歩きだした。
「生きた壁だな」
善行忠孝《ぜんぎょうただたか》は、誰もいない校庭の緑《へり》を歩きながらぼそりと呟いた。傍らには若宮康光《わかみややすみつ》を伴《ともな》っている。戦車学校も含めて生徒たちは授業中の時間だ。
二人は5121戦車小隊の実動に伴い真っ先に送られてきた設営《せつえい》委員長と指導要員《よういん》だった。
「歩兵《スカウト》の前で言いますか、それを……」
若宮は少し深刻そうにそう言ってから、次には自分の発言を茶化《ちやか》すように「わはは」と声をたてて笑った。大柄《おおがら》で骨っぽい顔つき、歳《とし》より先に体が成熟《せいじゆく》したようなたくましい男だ。
善行のほうはというと、歳より老けて見えるが若宮のそれとは違っている。丸いメガネを直すしぐさが神経質《しんけいしつ》そうだ。
「要するに、訓練など初めから必要ではないんだ。戦場を構成できる最低限でいい。幻獣の侵攻の夏の自然休戦期まで乗り切りさえすればな。5121小隊の実戦投入は状況悪化《じようきようあつか》で早まったわけではなく、初めから二週間そこそこで頭数《あたまかず》に入れる算段《さんだん》だったということだ」
若宮はあいかわらず癪《しゃく》に障《さわ》るくらいのあっけらかんとした笑顔で言う。
「どこの隊もそんなモノでしょう。私も死にたくはありませんし、せいぜい小隊の新兵《しんぺい》を鍛《きた》えますよ」
「ああ、頼むよ戦士。私もまだ出世《しゅつせ》はしたいんでね」
「ああ、あのプレハブでしょう」
若宮が指さす。
「うむ……。使い捨ての学兵にはアレでもマシというところかな……。休戦期にあそこに全員残っているのは奇跡《きせき》か……」
「悲観《ひかん》的ですね。千翼長《せんよくちよう》は……」
「立場上まずいか……。覚悟《かくご》の問題だよ。奇跡が起きたら、その奇跡を喜びもする。頭で思いつくことは、実現する可能性もあるだろう。杏跡とはいえ……」
善行はメガネをずり上げるその手で、複雑に歪《ゆが》んだ口もとを隠《かく》した。
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校門の前にさしかかると、背後《はいご》からなんだか不規則《ふきそく》な足音が近づいてくる。
厚志《あつし》が立ち止まり振り返ると、いつもは大股《おおまた》でゆっくりと風格《ふうかく》さえ漂わせながら歩く舞《まい》が、その変拍子《へんびょうし》を刻《きざ》む歩みでよろよろとやってきて彼の目の前に立った。
「芝村《しばむら》に挨拶《あいさつ》はない」
「はあ……」
厚志は、その言葉自体が挨拶なんだなと思ったが、口にだすのはやめておいた。
「きみも学校で訓練? 日曜っていってもやることないもんねー」
「日曜にまでおまえに会うとはな。つくづく熊本《くまもと》は狭いところだ」
……というより、自分たちの行動範囲《はんい》が狭いのだ。
厚志は、それも口にはださなかった。賢明《けんめい》だ。
「……それに、もう実戦《じっせん》部隊だからね」
「そうだな。私はこれから図書館に行くところだ。小隊配備《しようたいはいび》の士魂号《しこんごう》ももうすぐ来る。戦車学校の借り物の機体でなければ、ある程度自分で調整《ちようせい》もしたいからな。だから図書館へ行く。プログラムの学習をしておいて損《そん》はなかろう。……そういうわけで、私はこれから図書館へ行く」
「はあ……」
舞がやたらと、図書館へ行くと繰り返すのはやはり自分を誘《さそ》っているのだろうか……、と厚志にしては珍《めずら》しく気を回していた。
……いや、舞のせっぱ詰《つ》まった表情はそれ自体が|脅迫《きょうはく》だった。気がつくなと言うほうが無理な話だ。
「と……図書館か……いいね……」
「つ、ついてくるのか!……いや、おまえがそういう覚悟《かくご》ならもはや何も言わぬ……。いやついてくるがいいっ!」
「は……?」
「私も、この歳《とし》にもなれば一度はデェトなるものを経験《けいけん》せねばと思っていた。おまえもそうであろう?」
いきなり『デェト』などという単語を持ちだされて厚志は口をばくばくさせた。
「わかった! もう何も言うな。行くぞ!」
自由意志って何?……と、厚志は自問《じもん》する。
ちょっと歌ってみたい気分になった。
舞は図書館のパイプ椅子《いす》の上で、コチコチに固まっている。押したらそのままの姿勢で床《ゆか》に転がりそうだ。
「ち、知力は《ちりよく》いいぞ。知恵をつけるのはな……。機体を調整《ちようせい》するのにも役立つし、プログラムというのはそもそも発想やきっかけに柔軟性《じゆうなんせい》が求められるからな。その……、つまりなんにせよ。知識を蓄《たくわ》えるというのはそれ自体が考察《こうさつ》の訓練であって……」
固まったままの舞は語る口だけが生きているように動く。顔もぬりたくったように真っ赤だ。
厚志は必死に喋《しやべ》り続ける舞を前に、成《な》す術《すべ》がなかった。……というか、何か言ったら舞はパニックを起こして倒れるんじゃないかと思っていた。
「……面白《おもしろ》くないか?」
「そ、そんなことないよ……」
べつの意味で面白いと思っていた……。当然そのべつの意味は言えない。
「そうか、わかった。そもそも訓練というのはだな。鍛《きた》えるということだ。ああ、そうだ。反復《はんぷく》することによって効果が出る……。つ、つまりそれは、やればやるほどいいということであって、やらないのはいかん。くくく訓練をしなければいかん、失敗したときには訓練が足《た》りないと言うべきで、それは言ってみれば、身から出た錆《さび》というか自業自得《じごうじとく》というか天罰覿面《てんばってきめん》だ。芝村は天などどうでもいい。わかるか〜わかるな? よし。だから……。そうだ知力だったな。知力の訓練は考察の蓄積《ちくせき》であって……、逆か……逆だな。よし! だから、知力の訓練は……、また違うぞ。そ、そうだ、知力の蓄積だな。いや待て、知識の蓄積だ。もともと士魂号に載《の》っているシステムというのはファジーな部分があってだな。反復《はんぶく》して、反復して、反復して、あ、いや、私が反復することはない。反復するのは訓練だ。つまり、そそそそうだ、訓練の反復はそのまま士魂号のきょきょきょきょきょきょどーうー……挙動《きよどう》に反映されるから、訓練は有効《ゆうこう》だ、訓練しろ。よし」
もはや、面白いなどと考えている余裕《よゆう》すらない。
「……だから多目的結晶の追従性を上げることが、訓練なり知力だ。馬鹿者。いやすまん。言い過ぎた。わかるな? よし。だから……」
厚志は口をぽかんと開けたまま舞の語気《ごき》が荒くなるところで無意識に領《うなず》いていた。
舞はなおも喋り続ける。
……そして、おおよそ六時間が経過《けいか》した。
信じがたいことにその間《かん》二人の間に張り詰めたテンションはつねに一定の……六時間前のままだった。
舞は喋り終わると、はあはあと荒い呼吸を《こきゆう》しばらく続け、最後に大きく深《しん》呼吸する。
「デェトというのは疲れるモノだな。……日曜日というものが一週間に一日しかこないのもわからぬでもない。私は幼少の《ようしよう》ころ毎日が日曜であればいいなどと考えたモノだが、それは幼《おさな》過ぎる考えであった。んーあーえー。こほん」
舞は咳払《せきばら》いをして続ける。
「……礼を……。今日《きよう》私の相手をしたこと、嬉《うれ》しかった……」
それから、一度は落ち着いていた顔の赤みを再び蘇《よみがえ》らせ、いきなり席を立った。勢いでパイプ椅子が一メートル近く後ろに滑《すべ》っていったが舞は気がついていないようだ。そしてそのまま、よろよろと蛇行《だこう》しながら出入り口へ歩いてゆく……舞の姿が廊下《ろうか》へ消えたところで、厚志はぐったりと机の上に突《つ》っ伏《ぷ》した。
「不潔です!」
登校した厚志が教室に入るなり、未央《みお》がつかつかと歩み寄ってきて彼の昌の前で一言《ひとこと》だけ言い放ち、やってきたときと同じ速度で自分の席へ戻っていった。
薄《うす》っぺらい本を取り出してそこへ目を落としているのは、顔を会わせたくないという意思《いし》表示《ひょうじ》だろう。
「え? え……?」
厚志は教室の入り口に立ったまま、考えを巡《めぐ》らせたがこんなにすごい形相《ぎようそう》で言われることをした覚えはない。
いや……もしかして……。
厚志がそこに考え及《およ》んだとき、誰《だれ》かが厚志の肩《かた》をぽんと叩《たた》いた。彼はびっくりして二メートルばかりその場から飛び退《の》いておそるおそる振り向く。
「なんだ……、おまえか……」
厚志の過剰な《かじよう》反応に呆気《あつけ》に取られて頭をぼりぼり掻《か》いている腸平《ようへい》がそこにいる。
「誰だと思ったんだよ」
「あ、いや。考えごとをしていたから……」
席に戻った未央を気にしながら、厚志は言葉を探していた。
「裏切《うらぎ》り者!」
「ななななななな……」
「昨日《きのう》デートしてたろ」
厚志は小声になって、陽平に顔を寄せる。
「いや、あれはデートというか、いや芝村はデェトだと言っていたけれど、やっぱりデートなのか?」
「俺に聞くな、ばーか」
「じゃ壬生屋《みぶや》さんも知ってるんだな……」
「学校の脇《わき》の道路ですれ違ったの覚えてないのかよ。やっぱり…‥。俺と壬生屋さんが学校に行く途中で会ってさ。五十センチ目の前に俺《おれ》たちがいるのに、おまえら二人ともガチガチになってて気がついてなさそうだったからな」
「うん、気がついていなかった……」
陽平はさらにぐいと厚志に顔を寄せる。
「芝村でいくのか?」
「いくのか…・‥ってなんだよ……」
「いや、俺は芝村は苦手《にがて》だからそれはかまわねーんだけど、なんだか先越されたかなあと思ってな。まあ、合流し《ごうりゆう》てくるオペレーターや整備《せいび》は女の子が多いって話だから、そっちに希望を託《たく》す。でも進展《しんてん》したら教えろよな」
「進展って……」
「キスしたとか、押し倒した……いや、押し倒されたとか……」
厚志は顔を真っ赤にして顎《あご》をがくがくさせた。何か怒鳴《どな》りたいのを必死《ひつし》に堪《こら》えているのに違いない。
「それとも、もう押し倒された?」
とどめを刺されて、厚志はぶち切れそうになった。
「おー」
厚志を救ったのは、教室に入ってきた担任の本田《ほんだ》だった。
「整備やオペレーターの連中が《れんちゆう》来て整備テントの設営を始めてる。おまえらも行って手伝《てつだ》え。今日は授業はなしだ。芝村には途中で会ったからもう伝えといた。向こうで待ってるぞー」
やたら早足《はやあし》に出ていった未央の姿を追いながら、厚志も重い足取りで教室を出た
戦車学校の裏庭《うらにわ》に、列を連《つら》ねて軍のトレーラーが入ってきた。全部で六台。入り切らないぶんは路地《ろじ》にまではみ出している。
舞とのことを冷《ひ》やかすだけ冷やかして逃げるように先に行った陽平においてきぼりを食った厚志は、何をすればいいのかわからずうろうろしていた。
「パイロットのひと?」
視界《しかい》の外からいきなり声をかけられて、厚志は歩きながらあっちこっちを見回した。声の主《ぬし》が思ったよりずっと近く−。ほとんど目の前にいたのに気がついて、彼はあわでて足を止めた。
「う、うん……。きみは?」
「東原《ひがしはら》ののみ」
近所の子どもが紛《まぎ》れこんできたと考えた厚志には、ののみの着ている服が小隊の制服と同じなのがひっかかっている。
「その服……」
「えへへぇ。ののみ、ちゃんとオペレーターだよ」
嘘《うそ》だ……。と厚志は心の中で叫《さけ》んだ。
ののみは、呆《ほう》けている厚志から並んで停《と》まっているトレーラーに目を移した。
「おっきいねぇ」
ののみの傍《かたわ》らにやってきた、やはり制服を纏《まと》った女性が、こともなげに相槌《あいづち》を打つ。
「そうね……」
それで、厚志はののみ自身が言ったように5121小隊に配属《はいぞく》されたオペレーターだと認めざるを得《え》なくなった。
いくら学兵《がくへい》とはいってもあんまりだ……
厚志が思ったのは、子どもに戦争をさせることに対してではない。そんなことを言っていられない状況《じようきよう》であることは彼も知っている。それよりも、ののみのような子どもがオペレーターを務《つと》める事実が、この小隊がいかに急場《きゆうば》の寄せ集めであるかを彼に思い知らせたのだ。
あとからやってきたもう一人の女性は厚志よりは年上だ。いくらか上という程度だろうがきりっとした整《とと》った顔立ちとそのショートヘアのせいか、ずいぶん大人《おとな》びて見える
女性は厚志たちの二十メートルほど先で輸送隊《ゆそうたい》の者と話をしていた善行に《ぜんぎよう》、その話が終わるのを待ってきびきびした語調で《ごちよう》呼びかける。
「設営《せつえい》委員長、展開《てんかい》の許可《きよか》をください」
「お願いします」
厚志たちのところまでやっと届《とど》く声で返してきた。
「みんな。テントを展開して。すぐに士魂号のセットアップを開始するわ。予備《よび》部品の確認急いで。生体部品はすぐ冷凍を開始!」
彼女はよく通る声で方々《ほうぼう》に散っていた整備兵たちにそう言いながら、自分もトレーラーのほうへ走りだした。そして、数歩走ったところで足を止めて振り返る。
「整備班長の原素子《はらもとこ》です。パイロットさん、あそこのテントの設営を手伝《てつだ》ってくれる?」
厚志は、原がさし示した先にあるトレーラーに向かって走りだした。
その日のうちに設営は終わり、戦車学校の裏庭《うらにわ》に二階建ての巨大《きょだい》なテントができあがっていた。中にはハンガーに固定《こてい》された士魂号があり、周囲《しゅうい》のコンソールからおびただしい数のチューブが伸びている。
一応《いちおう》の後《あと》片づけも終わり、小隊の隊員たちは集合がかかるまでおのおの適当に時間をつぶしている。
おおむねは、以後自分の持ち場になる場所で設置《せつち》された装置を眺《なが》めたりして感慨《かんがい》に浸《ひた》っていた。
厚志たちパイロットも士魂号の周りでその巨大《きょだい》な機体をテントのあちこちから場所を変えながら眺めていたが、舞はプレハブのほうに運びこまれたコンピュータに興味《きょうみ》があるらしく途中《とちゆう》でそっちへ行ってしまった。
陽平も途中まで一緒《いつしよ》だったが二階へ上がって整備用のコンソールを見ようというときに、そわそわしながら「じゃ」と二言《ひとこと》だけ言って階下《かいか》へ引き返してしまった。彼の興味は整備斑の女の子たちだった。
二人《ふたり》きりになった厚志と未央《みお》の間に気まずい空気が洗れる。
厚志はわざとらしいくらい興味深そうに――実際、興味はあるのだが――顔を近づけてコンソールの計器《けいき》を見て回り、未央と顔を会わせないようにしていた。
設営の間は、彼女に話をする暇《ひま》もないほど忙《いそが》しかった。設営が終わり一段落《ひとだんらく》したら未央と話をしようとは思っていたが、結局、《けつきよく》何を言ったらいいか結論は出ていなかったのだ。
「いよいよですね」
未央のほうから話しかけてくれるというのは、厚志には思いがけないことでもあった。
厚志は、ふっと気持ちが楽《らく》になる。
「うん、こうして整備テントができあがって、自分の士魂号が納《おさ》まっていると、いよいよって感じになってくるよね」
「頑張《がんば》りましょうね」
未央の表情は柔《やわ》らかかった。厚志はほっとする以上に未央の微笑《ほほえ》みに心を奪《うば》われている。
急に、未央の顔が曇《くも》る。
「それはそれとして……」
厚志は心臓《しんぞう》が縮《ちぢ》みあがった。
「デートをするほど芝村さんのことが好きなのですか?」
きた。……と厚志は思った。
未央が、物事をなあなあにしない性格だということをあらためて思い出した。
やはり、うやむやのままでは、彼女の気がすまないというわけだ。
「あ、あれは成《な》り行《ゆ》きというか……。それにデェトって言ったって一緒に図書館で……」
「図書館? 図書館だけですか? その不潔な……、不潔なこととか……」
厚志には未央が口ぐせのように言う『不潔しの基準《きじゆん》がよくわからない。いや、言った相手が未央でなければ大体《だいたい》想像もつくが、彼女なら手を繋《つな》いだだけでそれを不潔と言いかねない。
「してないよ」
未央が何を考えているにせよ、厚志ははっきりと返事をすることができた。
事実として、デェトと言いながら舞とは手さえ繋いでいなかった。
一緒についてゆくと言っただけで『デェト』と舞《ま》い上《あ》がってしまう女の子もいれば、『デート』と聞いただけで、淫《みだ》らなものと決めつけてしまう女の子もいる。はた迷惑《迷惑》な両極端《りようきよくたん》だ。
未央はとりあえず納得《なつとく》したらしい。また柔《やわ》らかい笑顔に戻ってなだめるように言う。
「はい、よろしい。でも誤解《ごかい》されるような行動は慎《つつし》みましょうね」
勝手《かつて》に誤解……というか、話を膨《ふく》らませておいて、慎みましょうはないよなあ。……と、厚志は思ったが、ここを丸く収《おさ》めるための返事は一つだった。
「うん」
幸せいっぱいの厚志だった。
それからは、すっかり機嫌《きげん》の直った未央としばらく士魂号の装備などについて話しこんだ。
厚志は、この時間がずっと続けばいいと思っている。
スチールの階段をテンポよくカンカンと乾いた音をたでて駆け上がってくる誰かの足音がして厚志は我《われ》に返った。
陽平が階段の途中で足を止めて声をあげる。
「おーい。終わりだってよー。一度プレハブ前に集まって今日は解散《かいさん》。行くぞー」
厚志は悟《さと》られないように拳を《こぶし》握り、一瞬《一瞬》だけ表情を険《けわ》しくする。
(お、おのれー)
それは心の中にとどめて、にっこり微笑む厚志だった。
パイロット四人しか生徒がいなかったプレハブの校舎は、翌日《よくじつ》からオペレーター、整備班そのほか基地運営《うんえい》のための人員《じんいん》で、二十人以上が学び……そして戦いに備える場となった。
「軍令部から昨日《さくじつ》命令が下《くだ》った」
教壇《きようだん》に立つ本田が、いつになく端的《たんてき》に切りだした。
ホームルームの時間は、いつも本田の勢いのある叱咤《しった》や激励《げきれい》の言葉で始まったが、この日は違う。
生徒たちは人数が増えたので二つの教室に分かれていた。
厚志たちが昨日の作業で初めて顔を合わせた生徒の紹介《しようかい》もなく、本田は続ける。
「本日《ほんじつ》付けで、本部隊《ぶたい》は5121戦車小隊《しようたい》として正式《せいしき》に軍|組織《そしき》に組みこまれることになった」
すでにわかっていたことだが、それ以上に、正式な発表のときを迎えて全員が緊張し《きんちよう》ていた。
「で、だな……」
本田はビニールレザーの事務鞄《かぼん》から大きな液晶《えきしよう》モニターを取り出して、教壇の上に生徒たちに向けて置くとスイッチを入れた。軍が使っている情報端末《じようはうたんまつ》を兼《か》ねた通信装置《そうち》だ。起動《きどう》するとすぐに、画面いっぱいに厳《いか》つい顔が映し出された。
四角い輪郭《りんかく》に細く鋭《するど》い目をおいて、口もとは不敵《ふてき》に微笑《ほほえ》んでいる。顔以外にわずかに画面に入っている制服とその装飾が《そうしよく》上級の士官《しかん》であること堂示していた。
「俺《おれ》だ」
挨拶もなしに……。いや、これがこの男の挨拶なのかもしれない。
「今日からおまえたちの部隊を管理《かんり》する勝更《しょうり》だ。芝村をやっている」
舞と同じ物言いだ……。と厚志は思った。
『芝村に挨拶はない』というのは事実だった。
芝村の一族の実態《じったい》は定かではない。
舞も引き取られた養子《ようし》であるし、この芝村勝更という士官もおそらくそうだろう。彼らはだから『芝村をやっている』という言い方をする。
芝村に生まれるのではなく芝村になるのだ。
「担当教官」
「はっ!」
モニターを後ろから支えている本田の姿は勝更には見えないはずだが、彼女はぴっと体を緊張させ、背筋《せすじ》を伸ばす。もはや条件反射《じようけんはんしや》として身についているかのようだ。くだけた人柄《ひとがら》に見えでもそこはやはり軍人《ぐんじん》だ。
勝吏は、生徒たちを見据《す》える位置に視線《しせん》を送っている。
「よくやった。誉《ほ》めてやろう。とにもかくにも、水準《すいじゆん》ぎりぎりとはいえ、部隊を編成《へんせい》したのだからな」
「はっ」
「本田とかいったな。名前は覚えておこう」勝吏はそこで声のトーンを少し高くする。
「以上だ。あとは教官の説明を聞け」
どうやら、ただの顔合わせだったようだ。
ただ顔をさらすだけのことでも、兵たちには誰の命令か心得ておくだけで不安材料が一つ減るということだ。
本田がモニターのスイッチのところに指をかけると、善行がそれをきっかけとして待っていたかのように立ち上がった。
「待ってください。質問があります。……ええと」
設営委員長……いや今日からは正式に『司令《しれい》』となった善行が、自分の立場を確認しておきたいと思うのは無理からぬことだ。
善行は勝更をなんと呼べばいいのかわからず言葉を詰《つ》まらせていた。
それは勝吏にも伝わったのだろう。
「おまえたちの言い方でいえば準竜師《じゆんりゆうし》だ、千翼長《せんよくちょう》。階級《かいきゅう》でいえば三階級上にあたる」
勝吏は善行を階級の『千翼長』と呼ぶことで、それに倣《なら》えと教えた。同時に、それは質問を許すという意思表示《いしひょうじ》でもあった。
『千翼長』は自衛軍《じえいぐん》では『中尉《ちゆうい》』、三階級上の『準竜師」は『中佐《ちゆうさ》』ということになる。
「はっ。準竜師。質問があります。今後、我々《われわれ》はどうなるのでしょうか?」
勝吏――準竜師は眉一つ動かさない。
「一つ教えよう、千異長。不明瞭な《ふめいりよう》発言は士官《しかん》では許されん。部下の面前《めんぜん》で迷《まよ》いは見せるな」
「ほっ、承知《しょうち》しました」
「結構《けつこう》。おまえたちは遊撃《ゆうげき》部隊として活動してもらう。員数外《いんすうがい》の火消しとして、小隊司令の判断で行動せよ。……国のために戦えとは言わん。死ねとも言わん。実際、それほど期待されているわけでもない。それなりにやれ。意味はわかるな?」
『それなりにやる』という言葉が軍隊でどういう意味をもつかは、善行も心得ていた。
おおよそ、軍隊で使われる言葉というのは裏がない。『適当』と言えばいい加減《かげん》にすることではなく『適切にことに当たること』だし『それなりにやる』も同様《どうよう》だ。
「イエス・サー。いい上官《じようかん》にめぐりあえたことを神に感謝《かんしや》します」
「わかりきったことを言うな。千翼長、おまえは馬鹿か?」
いかにも芝村らしい切り返しだ。
今までも芝村に接する機会は多かった善行だが、いまだにこの独特の切り返しには慣れていない。うろたえて、一度準竜師から視線をはずした。
準竜師は細い目をさらに細める。
「ふっ……、そういう顔をするな。他の準竜師どもよりはいい目を見せてやろう」
「我々を野放《のばな》しにすることですか」
善行は視線を準竜師に戻した。悪びれた様子ではない。彼は確かにそれを『いい目』と感じている。
「そうだ。新兵《しんぺい》ばかりで何ができる。国がどうだか知らんが俺は兵の無駄遣《むだづか》いを好《この》まん。人はもつと効率《こうりつ》的に死ぬべきだ」
「ご意見には賛同《さんどう》します。……が、今のは国家反逆《はんぎやくぎく》罪に問われるかと存じますが」
「俺は常識を言っている」
国の決定は学兵を盾《たて》に戦力を整えることであった。善行もそれは知っている。掻《か》き集めた学兵を余《あま》すところなく投入し《とうにゆう》、この九州《きゆうしゅう》で自然|休戦《きゆうせん》期まで持ちこたえる。それが国の方針だ。
準竜師が口にしたことは、彼がそれを無視し独断《どくだん》でことを運んでいるともいうことだ。
「……必要なら、俺に陳情《ちんじよう》するがいい。回線《かいせん》を用意させよう。小隊長室に配置せよ。以上だ」
それだけ言って、通信は切られた。
教室は準竜師の迫力に気圧《はくりよくけお》されて静まり返った。
善行がぐったりと席に着く。
「あー。なんか、すごい人だったなー」
本田がとってつけたように沈黙を掻き消した。
「まあ、芝村とはああいうものだ」
舞は他人事《ひとごと》のように言った。
午前中の授業が終わり生徒……いや学兵たちは、思い思いに食事を摂《と》りに出てゆく。
厚志はどこか場所を探して朝売店で買っておいたサンドイッチを食べようと考えていたが、教室を出る前に舞に捕まって……話しかけられていた。
「世界を救うのは軍隊でも政治でもない。芝村だということだ」
「でもさ……。あの、言いにくいけど。芝村って……みんなあんまり良く言ってない」
「おまえはどうなのだ?」
「よくわからないよ。ああ、もちろん、きみは嫌いじゃないよ。悪い人には見えないし」
「当たり前だ。私は控《ひか》えめに見ても善良《ぜんりょう》で健《すこ》やかだ。変人《へんじん》ばかりの家庭にいるわりには性格も曲がっていない。……おまえがそう思うなら他人の言うことなどにいちいち動揺《どうよう》するな。誤解《ごかい》など放っておけば害にならん。問題にするから害になるのだ」
自信に溢《あふ》れた舞の態度に、厚志ははさむ言葉もない。
「それより出撃《しゅつげき》は近いぞ、三号機の調整《ちようせい》をしておくべきだな」
「もういじってもいいのかな?」
「いけないという道理《どうり》がどこにある。アレは我々《われわれ》の機体だ。もういつ出撃命令が下るかわからんのだぞ。……まあ今は食事だな、食うのも仕事のうちと言うわけだ。その……、どうだ、一緒《いっしょ》に『味のれん』にでも行かぬか?」
普段《ふだん》どおりの態度に見えた舞だったが、厚志のことを意識しているようだ。
むしろ、何も意識していない厚志のほうが大馬鹿者だ。
「あ……、僕、今日は買ってあるんだ」
「そうか……。私は……。どうやら芝村らしからぬことを考えていたようだ」
舞がそのまま早足《はやあし》で教室を出てゆくのをぽかんと見送っていると、入れ替わりに、オペレーターの瀬戸口隆之《せとぐちたかゆき》が入ってきた。すらっとした長身の彼は、厚志のところへ軽《かろ》やかに風を切りやってくる。
「あーあ、だめだねぇ。女の子を怒らすようじゃ」
彼が何をしに教室へやってきたのかわからないが、そもそもの目的よりも厚志に絡《から》むことに興味を示したようだ。
端整《たんせい》な顔には華《はな》やかな笑みを湛《たた》えている。
「彼女、いつも怒ってるから……」
「芝村のお姫様だろ。怒って見えるのはあれが普通なんだよ。でも今のは、なんだかほんとに怒ってプレハブを出ていったぞ、いや、怒ってたってより悲しんでたかな」
瀬戸口は自分は女性の扱いが上手《うま》いと思っている。そのうえ、どんな女性にも自分が興味をもたれていると思っている。言ってみれば自意識過剰《じいしきかじよう》というやつだが、彼のようにいわゆるいい男顔に生まれつけば、それは多少はしかたのないことだろう。
ただ、瀬戸口の場合はそれだけではなかった。自分のその性質を積極的に受け入れて、人生を楽しもうとでもしているようだ。
「本当なら傷心《しようしん》のお姫様はこの僕が慰《なぐさ》めてあげたいところだけどねぇ……」
瀬戸口は急に真顔《まがお》になった。
「芝村はべつだ。味方《みかた》も殺しかねない……殺す奴《やつ》らだからな。あのお姫様がこんなところにいるっていうのもなんだか陰謀《いんぼう》くさい。本人が承知《しようち》てのことかどうかは知らないけどね」
厚志は少しムツとした。今までも舞の悪口はいろいろ聞いてきたが、瀬戸口の口調に《くちよう》はただならぬ嫌悪《けんお》が感じられる。
「彼女、誤解は気にしないと言ってましたよ」
厚志は、変なことを吹きこもうとする瀬戸口に嫌味《いやみ》のつもりでそう言った。
「はあん。怒るなよ。人には人の人生がある。べつに、それに介入《かいにゆう》するつもりはないんだ。仲よくやろう」
瀬戸口は、厚志のほうに腕を回しもたれかかる。
「うわ」
「うわって何!」
「男に抱きつかれたくないー!」
厚志はその腕から逃《のが》れようと体をひねるが、それはただ後ろから抱きつかれる形に体勢《たいせい》が変わるだけのことだった。
「ははは、正直《しょうじき》じゃないなあ……」
じたばたするのをやめた厚志は、べつに正直になったわけではない。教室の扉の《とびら》向こうに立っている人物に気を取られたのだ。
「不潔ですー!」
未央は顔を真っ赤にしてそう叫ぶと、プレハブの外階段をカンカンと書をたでて駆け下りていった。
「あああ……」
厚志の言葉にならない嘆《なげ》きに、瀬戸口は彼にもたれかかったまま、その耳もとで囁《ささや》く。
「泣いているのかい?」
「うん……」
この一瞬だけで十分瀬戸口には人生に介入《かいにゆう》された厚志だったが、彼を非難《ひなん》する気力は《きりよく》残っていなかった。
「近いうちに出撃しようと思います」
プレハブの前に建てられた小隊長室、その司令の席に座った善行が言った。
彼と向かいあって立つ若宮、この場にいるのはその二人だけだ。
「彼らはまだ羽も生えていないヒヨツコです」
ここでパイロットやスカウトの面倒《めんどう》をみている若宮の言葉を、善行は信頼《しんらい》はしていたが、その決意が変わる様子はなかった。
「上からは早く実戦に出せと矢《や》のような催促《さいそく》だ。所詮《しよせん》は戦場に出ない兵の言いぶんなど誰も聞いてくれん」
善行にしてみれば、中間管理職の辛《つら》いところというわけだ。
「そうですか……」
「九州全域《ぜんいき》で、幻獣と《げんじゆう》の勢力は膠着し《こうちやく》ている。いくつかの候補《こうほ》から攻略難度《こうりやくなんど》の低いところを選んで出撃することになるだろう。それで精いっぱいだ。なんとか納得してもらった。準竜師が我々を遊撃《ゆうげき》部隊にしておいてくれたおかげだな」
「難度が低いと言っても、急ごしらえの学兵ですからね……」
「上の連中には、戦死者《せんししや》が出て初めてわかることだ。出ないことを祈りますがね」
「勝ったら勝ったで次はアテにされます。どっちに転んでも、コキ使われるというわけですね」
若宮は冗談《じようだん》めかして言った。そうでなければ批判《ひはん》と受け取られるからだ。
「しかたあるまい。十分な時間は、どこにもない……」
夜七時を過ぎでも、学校を去る学兵たちはほとんどいない。
とくに実戦に組み入れられた初日《しよにち》ともなれば、やることはいくらでもあったし、緊張もしている。
厚志は、昼に舞と約束《やくそく》したとおりに整備テントにやってきて士魂号の調整に当たった。
「さっぱりわからない」
コンソールの表示は大体《だいたい》わかる。スイッチの役割もわかる……。しかし彼は実際に使うためのその組み合わせや順番になると自信はなかった。
舞は電子装備担当《でんしそうびたんとう》だから、今は詰《つ》め所《しよ》でプログラムを見ている。聞きにいってもいいが、また叱《しか》られると思うと気が重かった。
「ゴクロウさまデス」
厚志の背後《はいご》で声がした、変なイントネーションの女性の声だ。
振り向くと背の高い女性がコンソールを覗《のぞ》きこんでいた。
厚志には覚えがる。背が高いうえに色黒の美人で遠目《とおめ》にも目立《めだ》つから、設営のときに見かけて覚えていた。
純粋《じゆんすい》な日本人でないことを厚志は間近《まぢか》で彼女を見て初めて知った。
「あlどうもー。えーと……?」
「ハイ。整備のヨーコ小杉《こすぎ》デス」
「速水厚志です」
「パイロットの速水サン。何シタイですか?」
「えーと。反応《はんのう》速度のマッチングを取りたいんだけど……」
ヨーコはコンソールの上で指を一《ひと》すべりさせる。
「コレで準備OK。あとは自分のデータを入力《にゆうりよく》して、このスイッチでチェック。よくなるマデ何度も繰り返すデス」
「あー、ありがとう」
「ドウイタシマシテ」
ヨーコはにっこり微笑んで、ものおじせずに厚志にまっすぐ視線を送っていた。
「え? え……」
意味ありげでもあるその視線に戸惑《とまど》い、厚志はきょろきょろと自分の視線を逃がした。
その先には通気《つうき》のために開かれたテントの一部から明るい星が覗いている。厚志はなんとなく、それに見入ったりしていた。
「あなたも、星見ルですか?」
「なんとなく目に入ったから……。星を見るのは好きだよ。帰りはいつも夜だから、真上を見上げてね。視界に夜空だけ入れて歩いていると気持ちいいよ」
ヨーコは厚志の視線の先にある星を一緒に見上げる。
「私のオトーサンいつも星見ていたです。星だケは世界が変わっても変わらないっテ」
しばらく、二人でそうしてテントの隙間《すきま》越《ご》しに星を眺め、先にヨーコが顔を戻して厚志に向けた。
「あなたも、ここの人と違う目をシテマス。私のオトーサン似てマスです」
「え?」
厚志も視線を戻しヨーコを見る。もう照れはなくなっていた。ヨーコには何か人を安心させる不思議《ふしぎ》な力があるように感じた。
「重要なのは懐《なつ》かしむより悲しむより、未来を見ることデス。今のあなたには、することあるデス。たぶん。ヨーコわかりません。でも、あなたが、何をしにここへ来たかわかります。あなたきっと世界をハッピーで包むために。遠いところから来たデス。私はそう信じるデス」
厚志はあまりの一方《いつぽう》的な言い様《よう》に言葉を返すのも忘れていた。
一方的ではあるが、不快《ふかい》なのではなくむしろ心地《ここち》よい。
ヨーコはそのまま消えるように、士魂号の陰に去っていった。
厚志は、やはりヨーコには何か人を安心させる不思議な力があるのだと思った。
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まだ日も昇《のぼ》っていないうちに、自宅で眠っていた厚志《あつし》は、頭の中に送りつけられる多目的結晶からの刺激で、無理矢理起こされた。
召集《しょうしゅう》の合図《あいず》だ。
覚醒しきっていない彼の脳には、何かざわざわとした不快感を伴う刺激でしかなかったが、それはすぐに言語化した。
厚志はベッドから跳ね起きた。
「訓練じゃないよな」
急いで制服に着替え、彼は家を出た。
校門の中に、陽平《ようへい》と整備《せいび》員の逢坂圭吾《とおさかけいご》が走りこむ後ろ姿が見えた。戦車学校の女子も次々に、校舎へ続くスロープを駆け上がってゆく。走り抜ける厚志の脇《わき》では、表の騒ぎを感じとった『味のれん』のオヤジが「頑張《がんば》れl!」と声を張りあげていた。
「初陣《ういじん》ね。遺書《いしよ》書いてきた?」
校門前の角で一緒《いつしよ》になった原素子《はらもとこ》が話しかける。
しかし、厚志に余裕《よゆう》はなくただ手を上げてそれに応《こた》えた。
三号機の中で、厚志はそのときを待っている。
舞《まい》は士魂号《しこんごう》を起動《きどう》させてオペレーターに計器《けいき》読みを送っていた。
「……三号機、問題ありません」
最後に彼女がそう言うと、すぐに善行《ぜんぎよう》から通信が入った。
「戦場は市街《しがい》になります。近隣《きんりん》住民の退避《たいひ》は我々《われわれ》が到着《とうちやく》する頃《ころ》には終わっているでしょう。終わっていなくても幻獣は《げんじゆう》待っていてはくれませんがね。小さな作戦ですが我々の役割は大きい。まずは敵の勢力《せいりよく》にわずかでも穴《あな》をあけることです。人類全体の戦争の中で一つの軍隊の一つの部隊、一人の兵士だが、我々はいつでも転機《てんき》と隣《とな》りあっています。全力を尽《ぜんりよくつ》くしてください。……では出撃《しゅつげき》します。全士魂号、トレーラーからリフトアップ。徒歩行軍《とほこうぐん》」
徒歩といってもそれは士魂号の徒歩だ。人間とは歩幅《ほはぼ》が違う。スカウトやオペレーターは兵員|輸送《ゆそう》車や指揮《しき》車で行くことになっている。
「全機徒歩行軍!」
若宮《わかみや》の復唱《ふくしよう》で、三機の士魂号はトレーラーを離れ歩き始めた。
「ご無事で!」
士魂号の起動を終えた原をはじめとする整備員たちが一斉《いっせい》に敬礼《けいれい》する姿が《すがた》、ゴーグルの網膜投射《もうまくとうしや》で厚志にも見えた。
厚志は初めて、実物の幻獣と対面していた。目にしているのは、今のところは指揮車が送ってくる映像《えいぞう》でしかないが精密《せいみつ》に造られた訓練《くんれん》用のバルーンよりさらに醜悪《しゅうあく》に見えた。
無線《むせん》で陽平の声が入ってくる。
「緊張す《きんちよう》るなぁ」
確かに、緊張に少し震《ふる》えたその声は、陽平が訓練当|初閉所恐怖症《とうしよへいしよきようふしよう》だった頃《ころ》を思い出させた。
「シミュレーションと同じですよ。……たぶん」
続いて隣に未央《となりみお》の声。
陽平を安心させようとしたのだろう。しかし自分もまた不安を抱《かか》えていることは隠《かく》せない。
背後《はいご》からは舞の肉声《にくせい》が聞こえてきた。
「厚志、緊張しているのか?」
「まあね……。うん、緊張してる……かな……」
「おまえはいつも、のほほんとしているのが取柄《とりえ》だろう」
誉《ほ》められているのかどうか厚志にはよくわからないが、元気づけようとしていることはわかる。
「えへへ、そうだね。……ありがとう」
「馬鹿者っ! 事実を言っただけだ……」
唐突《とうとつ》に、後方《こうほう》の指揮卓からの通信が入る。
「はーい。皆さんのお耳の恋人、瀬戸口《せとぐち》くんでーす」
「えっとねー。ののみですっ!」
厚志は頭を抱えこんだ。色馬鹿とお子様のオペレーターコンビというわけだ。
「緊張しなくても大丈夫《だいじようぶ》。俺《おれ》がばっちり、エスコートするよ」
「がんばって。死んだらめーなのよ」
陽平のため息が、厚志のレシーバーに入ってきた。
「へっ、そっちだって怖いくせに憎《にく》まれ口を……」
それでも、陽平の緊張は少し和《やわ》らいだようだ。
「行くぜ、厚志!」
「行きましょう」
未央も意を決したようだ。
他《ほか》の者が、緊張と恐怖を闘志《とうし》に変えてゆく中、舞だけは妙に《みよう》落ち着いている。
「ふむ。まあ、こんなものだろう」
それは、パイロットたちの士気《しき》に対する彼女の評価《ひようか》なのだろう。
そして、その感想は後方の指揮車にいる善行も同じだった。
「お喋《しやべ》りはそこまで。……指揮を開始します。全機前進して敵を職滅《せんめつ》せよ! 情けは無用《むよう》です」
密集し《みつしゅう》たビル街の中での戦闘だ。建造物を盾《たて》にして接近し、出くわしたときは接近戦《せつきんせん》になる可能性がある。
「敵|幻獣《げんじゅう》は約二十体。データは送信済《そうしんず》み。厄介《やつかい》なのは四体のミノタウロスだけだ」
瀬戸口のオペレーターぶりも、いざ戦闘になると堂《どう》に入っている。
「私は接近してザコを潰《つぶ》します」
未央の一号機がさっそく前に飛び出した。
「撃ちまくってやる!」
あらかじめ見通しの利《き》く場所にポジションを取っていた陽平も一気《いつき》に敵をレンジ内に収めようと走りだした。
「厚志、我々《われわれ》は足が遅い。ビルの間を縫《ぬ》っていたら出遅《でおく》れるぞ」
「うん、ジャンプで行く。出端《ではな》を取るよ。バズーカの用意を! 索敵《さくてき》して」
「わかっている」
舞の声は少し嬉《うれ》しそうだった。戦いに昂《たか》ぶっているのか……。いや厚志がやる気を出しているのを喜ばしいと感じているのだろう。
厚志自身は、さっきまでの緊張に代わってこの戦いに昂揚《こうよう》している自分を感じている。
薄暗《うすぐら》い戦場だが彼には輝いて見える。むしろ戦いのない日常のほうが手足を繋《つな》がれたような不自由に思えるくらい、今の自分がのびのびしていることを自覚《じかく》していた。
舞は指揮草から送られている敵の展開《てんかい》データを予測《よそく》に回した。
「……いいぞ。突出《とつしゅつ》したミノタウロスがいる。ロングレンジのバズーカで叩《たた》ければあとが楽《らく》だ」
「うん」
三号機がビルの上にジャンプしジャイアントバズーカをかまえる。
厚志はヘッドセットから網膜投射される映像《えいぞう》で、そのミノタウロスを見ていた。二足歩行のヒト型の幻獣だ。発達した巨大な棍棒《こんぼう》のような下腕《かわん》を引きずりながらゆっくりと歩いている。
「撃つよ」
ジャイアントバズーカのレンジに入ったのを見定めて厚志が言った。
「まだだ……慎重《しんちょう》に狙《ねら》え。バズーカは単発《たんぱつ》だからな。確実にしとめたい」
「うん」
一呼吸《ひとこきゆう》おいて厚志は、舞がロックしたミノタウロスの追尾《ついび》にうィードバック補正《ほせい》を加える時間を取ってやる。
「今だ!」
「撃つ!」
爆音が響いてからわずかにのち、ビルの向こうで幻獣の赤い体液《たいえき》が噴《ふ》き上がった。
「三号機、ミノタウロス一体撃破に成功なのよ!」
ののみの報告で、厚志たちはミノタウロスを一撃でしとめたことを確認した。
「後方にもう一体ミノタウロスがいるけど、今のうちに接近しておくよ。一号機が保《も》っている間に優勢《ゆうせい》にもちこまないと……」
「よし!」
「ジャンプする。縦《たて》Gくるからね!」
三号機はビルの屋上を《おくじよう》飛び移りながら前進する。
ジャイアントアサルトのレンジ内、もう目視《もくし》できる距離《きより》に巨大《きょだい》な幻獣を捕らえていた。
「きやあ!」
厚志の耳に悲鳴《ひめい》が飛びこんできた。
未央だ。
厚志たちがミノタウロスに渾身《こんしん》の一射《いつしや》を見舞っているうちに敵に取りついた二号機は、ゴブリンリーダーと格闘《かくとう》戦にもつれこんでいた。
「気にしないでいいですよ。一号機の重装甲《じゆうそうこう》は伊達《だて》じゃありません。幻獣には三倍にして返してあげます」
オペレーターのほうからも未央に檄《げき》が飛ぶ。
「がんばってーなのよー。んー、数が揃《そろ》っているから短期戦だから……。がんばって我慢《がまん》してー」
ののみの|幼《おさな》い喋《しやべ》りは、パイロットたちの士気《しき》を上げるのかもしれない。
その間にもジャイアントアサルトで応戦《おうせん》し付近の幻獣をしとめた厚志たちは、次の目標を探す。舞はののみとのやり取りで戦況の把握《はあく》に努めていた。
「敵の集団に適当に穴をあけて飛びこめ」
舞がレンジ内に収まった幻獣の動きを片っ端《ぱし》からチェックしながら言った。
「うん、それでミサイルだね。背中に荷物|背負《せお》ったまま帰るのは嫌《いや》だもんね」
「そういうことだ」
三号機はジャイアントアサルトを撃ち放ち、蛇行《だこう》しながら敵の懐《ふところ》に飛びこんでゆく。
「後続《こうぞく》のミノタウロスに捕捉《ほそく》されるぞ」
舞がさしてあわてている様子《ようす》もなく言った。
「うん、でも。ビルがあって他《ほか》にポジションが取れないんだよ。手数《てかず》は減らしたくない」
「よかろう」
ザコのヒトウバンをジャイアントアサルトで紺散らして敵中に《てさちゆう》踏みこむ。飛び散った幻獣の体液と肉片《にくへん》がビルにへばりついたと思うと、すぐに消滅《しようめつ》していった。
「頃合《ころあ》いだな」
パイロットやスカウトたちへの指示を若宮とののみに任せて、指揮車のコンソールに表示《ひょうじ》される戦況を《せんきょう》見守っていた善行が自《みずか》らマイクを手にする。
「5121小隊、司令善行。前線から二キロ後方で、三人の子どもが逃げ遅れている。時間を稼《かせ》ぐ必要がある。全軍突撃。ガンパレード。最後の一人《ひとり》までことごとく敵と戦って死ね。持っているすべての戦術を駆使《くし》しろ」
善行はマイクを置く。兵に死ねと言った彼だがその表情は落ち着きはらっていた。
瀬戸口は一旦《いったん》パイロットとの交信《こうしん》を切り、席に着いたまま善行に向き直った。
「嘘《うそ》ですね」
他《ほか》の学兵《がくへい》たちが見たこともないような瀬戸口の真剣《しんけん》な表情だった。彼には、善行が嘘で兵に死ぬと命じることが許せない。
善行はそれにも動じた様子はなかった。
「そうです。ですが兵には、国家とか、英雄《えいゆう》とか、己《おのれ》の命を懸《か》けるに足《た》る幻想《げんそう》が要《い》ります。それは例えば、架空《かくう》の子どもでもいい。……それがなければ死ねません」
当然のことを言うように、いやおそらく彼にとってそうなのだろう。
「……俺《おれ》は、あなたのことを死ぬまで軽蔑《けいべつ》しますよ」
「結構《けつこう》。そういうことには、慣れている」
もう瀬戸口の顔も見ずに、善行はそう応《こた》えた。
士魂号《しこんごう》に遅れて前進を続けていたスカウトたち。その中には若宮もいる。
「聞いたか! 全軍突撃! 子どもたちを守れ!」
彼が善行の嘘を見抜いているかどうかはわからない。もし見抜いているにしても軍人|気質《かたぎ》の彼は同じことを言うだろう。
「俺たちだって子どもだろ!?」
二号機の陽平は無線が通じていることもおかまいなしに言った。
それは、学兵の誰もが抱《いだ》く思いだったかもしれない。それを受けて舞の檄が三機の士魂号に伝わる。
「たわけ。我らに選択肢《せんたくし》などない。厚志、やるぞ」
「うん!」
善行の言うとおり、なんのために銃を取っているのか……、明確《めいかく》な対象を《たいしよう》見つけることは、彼らの士気を上げるのにこのうえないことでもあった。
「壬生屋未央、行きます!」
ゴブリンリーダーを超|硬度大太刀《こうどおおだち》で粉砕《ふんさい》した未央は次の敵を求めてさらに前進していった。
「やることはやるって!」
陽平も相手にしているミノタウロスに臆《おく》することなく突っこみ、ジャイアントアサルトの弾丸《だんがん》を撃《う》ちこみ続けていた。
厚志たちの三号機もちょうど敵の配置に穴をあけたところだ。これで敵の真ん中に走りこむことができる。
「我らも行くぞ」
「ミサイル発射位置に移動するよ」
「よし、行け」
地響《じひび》きをたてて三号機はビルの合間《あいま》を疾走《しつそう》する。
付近の幻獣は、次々に向きを変え、三号機を追う動きを見せていた。
「急げ!」
「あとは射つだけだよ」
三号機はその背中の突起《とつき》から、羽を広げるように幾筋《いくすじ》ものマイクロミサイルの噴煙《ふんえん》を広げた。
幻獣の生体反応と三号機からの補正信号で、それらは次々に幻獣に命中《めいちゆう》してその醜悪な巨体《きよたい》を砕《くだ》いてゆく。
瀬戸口が慌《あわ》ただしく幻獣に与えたダメージを読みあげる。
「ナーガ三体撃破《げきは》。ヒトウバン二体撃破。ゴブリンリーダー三体撃破。ミノタウロス一体には命中したが活動は継続《けいぞく》している。他、ヒトウバン一体への攻撃はミス」
「まあまあだな。残ったミノタウロスは二号機にくれてやるか……」
舞が言うまでもなく、陽平は早々《そうそう》に傷ついたミノタウロスに銃口《じゆうこう》を向けている。
「へへ、悪いねぇ」
「せっかくダメージ与えたんだから、逃げられないようにね。こっちは残ったザコで点数を稼《かせ》がせてもらうよ」
厚志は三号機を横飛びさせてビルの上に乗せた。幻獣に与えた被害《ひがい》から考えて、奴《やつ》らにもう勝ち目はない、撤退《てつたい》を開始するだろうという判断だった。
厚志の読みが当たっていることはすぐに証明された。
「敵は撤退を開始した。追撃《ついげき》に移ってください」
善行の通信が終わると同時に舞が言う。
「いいポジションだ。幻獣の退路《たいろ》を押さえている。撃ちまくれ」
厚志は首を縦に振った。
「行くよ!」
もう、士魂号にフットワークを踏ませる必要もなかった。
ジャイアントアサルトの銃声《じゆうせい》……、いや、咆哮《ほうこう》が続けざまにあたりに響《ひび》き渡る。
その頭上で《ずじよう》はひゆんひゆんと高い音が聞こえた。
「曲射砲《きょくしゃほう》の支援が来たようです」
ヘッドセットの中で未央の声がした。
「もう遅いが、掃除《そうじ》の助けにはなるな」
あちこちで幻獣の体が飛び散り、靄《もや》のように消えてゆく。
そうして、戦闘は終わった。
大勝《たいしよう》だった。
撤退《てつたい》を許した幻獣はわずかに二体、接近戦を挑《いど》んだ二号機が多少被害を受けた他は戦死者もない。
善行が戦闘の終了を告《つ》げる。
「ご苦労、諸君《しよくん》らの働きで子どもは救出《きゆうしゅつ》された」
指揮車内で、それを聞いた瀬戸口は少しだけ眉《まゆ》をしかめた。
善行はそれを一瞥《いちべつ》しながらも続ける。
「我々の勝利だ。撤退する」
士魂号各機のパイロットはそれを聞いて、ヘッドセットを取り去り緊張を解《ほど》いた。
「やった!」
陽平が第一声《いつせい》をあげた。
「聞いた?」
厚志も戦場の不思議《ふしぎ》な昂揚感が醒《さ》めやらず、勝利を実感しその声も弾《はず》んでいる。
対照《たいしよう》的に舞はあくまでも冷静《れいせい》だ。しかし勝利を実感しているのには違いない。
「開いておる」
「やりましたね。私たち」
未央も少しだけはしゃいだ声だ。
「初陣にしては見事だと言っておこう。指揮官として、嬉《うれ》しく思う。以上」
兵たちが実感を漏《も》らすのを見届《みとど》けて、善行はしめくくった。
確かに、文句《もんく》のつけようのない勝利であった。味方の損害《そんがい》は皆無《かいむ》に等しく、敵はほぼ全滅《ぜんめつ》。
しかも学兵たちの初陣だ。比較的小規模な戦闘とはいえ、最近の人類側にない明るいニュースになるだろう。
しかしこの勝利は、彼ら5121戦車小隊が、戦略上|有用《ゆうよう》であると判断される材料になる。
一部の者は、勝利の喜びと共に、生き残る度に次第《しだい》に過酷《かこく》になってゆくであろう、幻獣との戦闘を予感していた。
若宮もその一人だった。
「次からが、大変ですね」
彼は無線のチャンネルを司令特定《しれいとくてい》にして言った。今はこの勝利の実感に水をさすまいという心遣《こころづか》いだろう。
「そうですね。明日《あす》から……」
善行にとっては、それは予感ではなかった。
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第二章  万物の精霊を使う者
坂上は教壇の上で、いっさいの動作《どうさ》らしい動作を交《ま》じえず、淡々《たんたん》と語っている。
実戦に出るようになっても、学兵《がくへい》たちは授業を継続《けいぞく》し、一般《いつぱん》教育に加えて、兵士としての教育も受け続けていた。
「幻獣と《げんじゆう》いうものは正直《しようじき》に言えば、その生態《せいたい》がまったくわかっていません。口がなかったり、死体を残さず雲散霧消《うんさんむしょう》するところから、異次元《いじげん》の生物という学者先生もいますし、宇宙人という人もいます。また、一部では神話《しんわ》に出てくる怪物《かいぶつ》たちは、幻獣だったのではないかという人もいます。……まあ、こちらのほうはあまり信用できません。それだったら、幻獣と戦った英雄《えいゆう》や天使《てんし》、神々も実在《じつざい》することになりますからね。天使も神々も我々《われわれ》を助けにこない以上、この説はまったくあてにできません。救世王《きゆうせいしゅ》思想もありますが、まあ人間は人間の力で……、戦うべきでしょう」
しかし……と厚志《あつし》は思った。
もし天使なり神々が救世に現れるのなら、それは神話の怪物が幻獣だったという証拠《しょうこ》になる。
そうであれば、これは人類が神話の時代から繰り返し受けてきた試練《しれん》なのだろうか……
「幻獣は、一応形態《いちおうけいたい》的には分類されており、攻撃方法やその系統《けいとう》には一応の分析《ぶんせき》がなされています。たとえば、ゴルゴーンが二脚に進化したものがミノタウロスだとか、ヒトウバンとスキュラが同じ浮殻《ふかく》科で寄生《きせい》させるとかですね。ま、ここらへんは図書館で調べればいいでしょう。
今日《きよう》の授業では、もつと一般的なことを勉強しましょう」
坂上は、ここで初めて大きな肩《かた》を揺らして一呼吸《ひとこきゆう》ついた。
「幻獣の一般的な特徴と《とくちよう》しては、あの赤い日、そして口をもたない構造。……人間の頭を寄生させているヒトウバンはべつですが……、それと、人類に対する、敵意《てきい》ですね」
幻獣自身がこの戦いに何か目的をもっているとすれば、その『人類に対する敵意』に外《ほか》ならないように思えた。
生存権として地球を制圧《せいあつ》するというよりも、人類の殺教《さつりく》と淘汰《とうた》そのものが目的としか思えない。
「彼ら幻獣がなぜ我々《われわれ》人類を襲《おそ》うのか、よくわかっていません。我々人類は、幻獣が襲うから戦っているにすぎません。これではいつまで経《た》っても、戦いは終わらない。どこかに幻獣を産む原因があり、それを叩《たた》き潰《つぶ》す必要があると軍は考えています。そのためには幻獣に対する情報《じょうほう》が必要でね。幻獣と対話できるテレパス系《けい》の人工超能力者は、こうして各戦線に投入さ《とうにゆう》れています。うちの部隊の場合、ののみくんがラボ出身《しゅつしん》の人工超能力者です。この種の能力は幼《おさな》いほうが強いんですよ」
厚志《あつし》はこの事実をここで初めて知った。
幼いののみまでもが戦場に引っ張り出されるのは、人員《じんいん》不足に加えてなんらかの才能があるからだろうとは思っていたが、それがテレパスであるとは思いもよらないことだった。
「さて、過去二十年。こうした研究は続いていますが、現状では幻獣の正体《しようたい》はまだまだわかっていません。あと三十年や四十年はかかるでしょう。幻獣の正体がわかれば、今まで防戦一方だった我々は、初めて攻めることができます。……私はそこまで生き延《の》びられないでしょうが、あなたたちは運が良ければ幻獣のいない世の中を見ることができるかもしれません」
三十年も人類は保《も》つのだろうか…:。幻獣は五十年でヨーロッパもユーラシアもオーストラリアも……ほぼ完全に制圧《せいあつ》してしまったのだ。
このままいけば人類に残るわずかな生存権は十年、いや五年で奪《うば》われてしまうのではないかと厚志は思った。
いや、そう考えているのは厚志だけではないだろう。地上に残る人間誰《だれ》もがこの絶望《ぜつぼう》を秘《ひ》めて生活しているに違いない。
救世主が現れるとすれば、今以上に相応《ふさわ》しいときはないだろう。
「やあ。最近|調子《ちようし》いいね。厚志くーん」
授業が終わり坂上《さかうえ》が教室から去ると、厚志はいきなり後ろから首に手を回された。
覆《おお》い被《かぶ》さってくる瀬戸口《せとぐち》に机に押しつけられ腕《うで》をばたつかせる。
「だから……、挨拶がわりに抱きつくのやめてよー」
「いや、きみは抱き心地《ごこち》いいからね。ついこう、むらつと……」
「今、本気でムツときた」
瀬戸口もさすがに、体を離して彼の前に回りこんだ。
「しかしまあ、ほんとに、最近目つきも違うし、はっきりモノ言うし。やっぱり戦績《せんせき》がいいと自信がつくものなのかな」 瀬戸口が、嫌味《いやみ》を言っているのではないことは厚志にもわかる。それに、同様のことは他《ほか》の人間からももう幾度《いくど》か言われていた。
「撃墜《げきつい》数が多いのは三号機だからだよ。ミサイル背負《しよ》ってるんだから……。パイロットだっで二人《ふたり》乗ってるんだし……」
厚志が初陣《ういじん》以来の三戦、戦闘《せんとう》での活躍《かつやく》がめざましいのは事実だった。
瀬戸口はあまりからかうのも悪いと思ったのか、少し真顔《まがお》になる。
「そうかな、俺《お九》はパイロットの養成《ようせい》期間中のきみはよく知らないけれど、初めて戦闘に出たときから、ちょっとやっぱり様子《ようす》が違うように見えるよ。まあ、それで生き残れるんだったら良いことなんだろう」
「そうだぜぇ」
整備《せいび》テントに行くのを誘いにきたのか、厚志の席の横で聞いていた陽平《ようへい》が会話に入りこんで
きた。
「シミュレーションじゃあんまりパッとしなかったのによー」
「それは……。実戦で怖さを感じれば必死にもなるよ」
厚志は嘘《うそ》を言ったわけではないが、やはりそれは事実と少し違っていた。
確かに恐怖《きようふ》もあったがそれに勝《まさ》る昂揚《こうよう》感があった。
シミュレーションでは感じ取れなかった戦場の空気に、厚志は自分の頭が冴《さ》えるのも自覚《じかく》していた。
それはたとえば、山に戻された動物が次第《しだい》に野性《やせい》を取り戻してゆくような……、本来いるべき場所で楽《らく》に呼吸が《こきゆう》できるという感覚《かんかく》……。
そしてそれが幻獣を滅《ほろ》ぼす度《たび》に、少しずつ確かなものになってゆく。
厚志自身が説明しきれないそれを、案外《あんがい》、瀬戸口は鋭敏《えいぴん》に感じ取っているのかもしれない。
「厚志、そろそろ整備テントに行こうぜ」
何か責められているような気分になってきていた厚志には、陽平が話を切り替えたのはありがたかった。
「うん、二号機は昨日《きのう》の戦闘で少しやられたからね」
「嫌味だなー」
「そんなつもりじゃないけど……一
「いいよ、冗談《じようだん》だってば。それよりさ、最近士魂号《しこんごう》から声みたいな音、聞こえないか? 俺《おれ》、なんだか薄気味《うすきみ》悪くて……」
修理《しゅうり》のこともあるが、ようするに陽平は、一緒《いつしよ》に整備テントへ行って、それを確かめてほしいのだ。
「んじゃ」
瀬戸口がそう言って去ったあと、厚志と陽平は整備テントに向かった。
「な、なんか聞こえるだろう? 初めはさ、生体《せいたい》部品が再生《さいせい》している音かと思ってたんだけどlなんか鳴き声みたいにも聞こえるし……。訴えかけられているみたいで」
陽平は脅《おび》えたように小声《こごえ》で言った。
厚志にもその昔は聞こえている。
正確にいえば、それは音ではない。大脳《だいのう》が音として感知《かんち》し処理《しより》しているから音と思えるだけで、それは空気を震《ふる》わすことなく直接脳に働きかけるものだった。
「……私を使え……」
厚志が呟《つぶや》く。
「え?」
「私を使えと言ってるよ……」
「言ってるってなんだよ……」
「んー、そんな気がするだけ……」
そんな気がするというのは、ごまかした言い方でもない。彼の捉《とら》え方は、そういうおぼろげなものでしかなかった。
九州《きゆうしゅう》での幻獣との勢力配分《はいぶん》が膠着《こうちやく》状態の中にあって、5121戦車小隊の役割は……、じつはそれほど軽視《けいし》できないものだった。
員数外《いんすうがい》であるということは、他《ほか》が結抗《きっこう》している場合には際《きわ》だった意味をもってくる。
準竜師《じゆんりゆうし》がそれなりと言った意図《いと》が他にあるにしろ、そのそれなりはけっして安穏《あんのん》とするのを許してくれるものではない。
それでも、この小隊は勝ち続けている。今のところは……。
ここにメンテナンスに手間《てま》がかかり稼働《かどう》率が低いと言われている士魂号があることは必然《ひつぜん》だが、それは巧《たく》みな偶然《ぐうぜん》とも言える。
九州での膠着状態というのは、日本にとってはけっして悪いものではない、それは人類にとっても……と言える。しかし準竜師の……いや芝村《しばむら》の望みはそうではなかったのだろう。……でなければ、国の盾《たて》となっていずれ消えるべき彼らが、勝ち続けることは理屈《りくつ》の通らないことだ。
「ねえ、『味のれん』に行かない?」
厚志は午前中の授業が終わり本田《ほんだ》が教壇《きようだん》を下《お》りるのを待って、その場にいる者に提案《ていあん》した。
「やだー。下まで行くのめんどくさいよ」
「あー俺、弁当持ってきた」
「私もお弁当なので……」
大半の者は弁当持参《じさん》だし、昼休みにはおのおのやることを決めているから一度学校を出て外で食事を摂《と》るというのを面倒《めんどう》くさがる。
厚志も家でサンドイッチを作って持ってきてはいたが、それは夜に士魂号の整備をする合間《あいま》に食べるために取っておくことにしていた。
しかし、彼がみんなを『味のれん』に誘ったのは、べつに理由があった。以前に、舞の誘いを断った埋め合わせをしようと考えたからだ。
……厚志の誤算《ごさん》は、それで結局《けつきよく》舞と二人きりで食事することになってしまったことだった。
「わかった。まかせるがいい」
べつに奢《おご》ってやるという意味ではないが、舞は肯定《こうてい》的な返事をするときは大体《だいたい》こんな言い方をする。そしてそういう返事をしたのは、舞一人《ひとり》だけだったというわけだ。
しかも、昼時《ひるどき》だというのに『味のれん』には、他に誰も客がいない。
もともとここは居酒屋《いざかや》で、畳から店を開けるのは、気風《きっぷ》のいいオヤジが学兵《がくへい》さんたちのお役にたちたいと言いながらやっているのでそれでもかまわないのだろう。もっとも、それがすべてというわけでもなく、たまには昼間でも付近の住人が食べにくる。
カウンター席と、座敷《ざしき》にテーブルが一つあるだけの十人も入ればいっぱいになりそうな小さな店だ。
「……それで、士魂号の新規《しんさ》生産を打ち切るそうだ。稼働率の低さが理由ということだがな」
舞は店まで歩く間ずっと、例によって一方《いつぽう》的に喋《しやべ》っていたが、カウンターの席に着いて注文《ちゆうもん》をすませると急に黙《だま》りこくった。
厚志は、まるで図書館のデェトの続きをしているような気分になった。
しばらく押し黙ったあとの舞は再び怒涛《どとう》のごとく喋り始めるか、私といるのは面白《おもしろ》くないか? ならばなぜ誘った? などとわけのわからないキレ方をするのだろうと厚志は考えていた。
「あのさ……」
それを回避《かいひ》するには、自分から話題を振ることだ。
「な、なんだ?」
「あ……、最近、士魂号から声が聞こえるって話開かない?」
「知らん、そんな話を私にする者もいないからな。……それで何か不都合《ふつごう》でもあるのか?」
「そういうことじゃないけど、気味《きみ》悪いって言う奴《やつ》もいるしね一
「気にしなければよい。不都合がないならな。害がなければ放《ほ》っておけばよい」
「私を使え」という士魂号の声を聞いた厚志は、その意味を考えこむこともあったから、舞の言葉で少し気が楽《らく》になった。
注文した食事がやってくると、二人はまた無口《むくち》になった。
舞は何か考えごとをしているようにもそもそと箸《はし》を口に運ぶ、厚志もちらちらとそれを見て彼女の様子《ようす》がおかしいことには気がついたが、もちろん、口にだして尋《たず》ねたりはしなかった。
忙し《いそが》い人間は食べるのも早いというが、パイロットも例外ではないようだ。
訓練でエネルギー消費《しようひ》の激しい兵士は食事量が多い。『味のれん』のオヤジはちゃんと心得ていて、黙っていても普通に料理《りょうり》を出すときの倍近くを盛《も》ってくれるが、それでも二人は十分もかけずにそれを平《たい》らげてしまう。
「ごちそうさま」
「うむ。いつもながら、なかなかであった」
そして二人同時に席を立つ。
会話が途切《とぎ》れたことで厚志は気まずさいっぱいだが、反応《はんのう》の読めない相手だけに迂闊《うかつ》に話しかけられない。
緊張感を堪《こら》えて無言《むごん》のまま、校門からスロープを歩き、正面玄関《げんかん》に出たあたりで、厚志は、整備テントに行くから、じゃあここで……と切りだそうとしたが、見れば舞の表情はそれすら許さないほど深刻《しんこく》になっていた。
(ああああ…)
まさに、血の気が引くというやつだ。
「決めたぞ!」
「わあー、ごめんー」
反射《はんしや》的に謝《あやま》るあたり、厚志がいかに脅《おび》えきっていたかがうかがえる。
「なぜ謝る? まだ何も言っておらん。言ったとしても謝られる筋合《すじあ》いはない」
「あ、そうだね。……で、何を決めたのかな?」
舞は、厚志の片方の肩に手を当て、彼の体の正面を自分のほうに向けさせた。
彼女の表情は、まだ少し強張《こわぼ》っていたが、さっきよりはだいぶ柔《やわ》らかくなっている。決心がついたということだろう。
「速水厚志。そなたを私のカダヤに決めた」
「あの……、カダヤって……?」
「う、うるさい。つべこべ言うな。もう決めたことだ。不満があるなら実力ではねのけろ」
「え? え?」
彼が戸惑《とまど》うのはもっともだ。ついでに言うなら厚志の疑問ももっともだ。
厚志から見たら、どう考えでも辻接《つじつま》が合わない。
『カダヤ』とかいうわけのわからないものに、本人の了承《りようし上う》もないまま指名《しめい》し、なんの説明もなく、不満は実力ではねのけろと言う。
厚志は、舞が何かの妄想《もうそう》と現実がごっちゃになっているのではないかとさえ思った。
いつ戦闘《せんとう》があるかもしれないという緊張が解かれることのない毎日。その中で訓練《くんれん》と機体の整備に追われているのだから、精神的に病《や》んでしまうということも十分ありえる。
「おまえは私のことを病人だと思ったな!」
テレパス級の鋭《するど》さだ。
「ちつ、違う!」
回星《ずぼし》をさされて反射的に否定した。
「そうか、では許そう。とにかく、おまえは私のカダヤだ。それは忘れるな」
嘘《うそ》をついてしまった負《お》い目に加えて、舞の諭《さと》すような眼差《まなざ》しに、首をがっくんがっくん縦《たて》に振ってしまう厚志……
「わ、わかりました」舞はいきなり表情を和《やわ》らげ微笑《ほほえ》む。その頬《ほお》は心なしか紅潮し《こうちよう》ていた。
「いい返事だ。そろそろ行くぞ。整備テントだ。昼休みのわずかな時間だが、ちょっとした調整《ちょうせい》くらいはできるだろう」
言い終わるとすぐに、舞はそっぽを向いて、一人ですたすた歩きだした。
呆気《あつけ》に取られて、その後ろ姿を見ていると、厚志の足下《あしもと》に何かがふわりと触《さわ》った。
「ブータ……。カダヤってなんでしょ?」
ブータは口に葉っぱを唾《くわ》えたまま厚志を見上げるだけで、何も答えはしなかった。
「それ、僕《ぼく》にくれるの?」
厚志はしゃがみこんでその葉っぱを手にする。
「ニヤー」
四つ葉のクローバーだった。
「うん、幸運がくるといいよね……」
厚志はブータに何度も頷《うなず》いてみせた。
「何をしているー・来ないつもりか!」
遠くで、舞が振り返りもせず叫《さけ》んでいた。
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しばらく、出撃《しゅつげき》のない日々が続いていた。
士魂号《しこんごう》の復旧整備《ふつきゆうせいび》もほぼ完了し《かんりよう》、5121戦車小隊の学兵たちも、ようやく心に余裕《よゆう》が生まれてきていた。
「この様子《ようす》だと、今度の日曜日はゆっくり休みが取れそうですね」
未央《みお》は本田《ほんだ》が黒板に書きなぐった文字を午後の授業に備えて消している。
授業が終わり、これから整備《せいび》や訓練というところだが、厚志《あつし》と未央は今日《きよう》はこうした雑用《ざつよう》をする当番だった。
未央は軽くあちこちを掃除《そうじ》して回り、厚志は午前の授業で使った教材を片づけている。戦車学校から借りたビデオデッキやモニターを箱に詰《つ》め、教室の後ろの隅《すみ》に運んでいる。
他《ほか》の者は、もう持ち場に行って、教室には二人《ふたり》だけ。厚志は少し緊張し《きんちよう》ていた。
「そうだといいね」
とデッキが入った箱を持ち上げてから、厚志はそう言った。
おざなりな返事だ。いや、むしろ気持ちとは反対と言うべきかもしれない。彼は戦闘《せんとう》に出たがっている自分を知っていた。
「でも、結局《けつきよく》学校に来て訓練でもしてしまうんでしょうね……」
「僕はたぶんそうしているかも。他にやることないしなあ……。それに、あんまりヒマがあってもいいのかと思う。もつと幻獣や《げんじゆう》っつけたいと思うよ」
未央は、ふふふと意味ありげに笑う。
「え? 何?」
未央の笑《え》みの意味も気になるが、それ以上に、その笑みを向けられた事実が厚志は嬉《うれ》しくてしかたがない。
顔の筋肉は緩《ゆる》みっぱなし。
電|源《げん》の延長《えんちょう》コードを腕《うで》に巻きつける動作には、むやみやたらに力が入ってプラグが宙を《ちゆう》舞う勢いだ。そのプラグが巻き終わりに厚志の額を叩いても、彼はにやけたままだ。
「いつもお姉さんていたけれど、今日は速水くんがお兄さんですね。ええ、もつと幻獣をやっつけましょう」
「そのためにいろいろやっているんだからね」
「速水くんは強くなりましたね」厚志が照《て》れ笑いをする一方《いつぼう》で、未央は急に何か考えこんだ。
「どうしたの?」
「私の兄は手足をもぎ取られ、綺麗《きれい》に飾られていました」
幻獣の仕業《しわざ》を言っているのは明らかだった。幻獣は殺戮《さつりく》を楽しんでいるのか、あるいはただの習性《しゅうせい》か……。殺した人間を串刺《くしぎ》しにして並べたり、バラバラにして玩《もてあそ》ぶ。
それは、口のない幻獣が捕食《ほしよく》の代わりに勝利《しょうり》を噛《か》みしめる儀式《ぎしき》のようにも思える。
厚志もその凄惨《せいさん》な場面は、子どもの頃《ころ》からテレビで見て知っていた。テレビでは連日《れんじつ》、世界中の戦場をレポートしていたし、幻獣に占領さ《せんりよう》れた地区にカメラを入れたこともある。テレビカメラに血と肉片《にくへん》がこびりついてそのまま中継《ちゆうけい》が途絶《とだ》えたこともあった。テレビ局のクルーが幻獣の腕に叩《たた》き潰《つぶ》されたときだ。
「仇を討《かたきう》ちたくてパイロットになったの?」
もう二人ともそれぞれの作業の手を止めている。
「いいえ。これは宿命《しゅくめい》というものです。……カビの生えた、話をしましょうか?」
厚志が黙《だま》ったまま頷く《うなず》と、未央は手にしていた黒板消しを黒板の縁《ふち》に置いて続ける。
「壬生屋《みぶや》の家……、いえ、壬生の血は、代々あしきゆめ……幻獣と戦う宿命。血が呼びあう宿命。この国が勃興《ぼつこう》したそのときより幻獣と戦い、またこの国をあやかしより守りたるは私」
厚志は、以前|坂上《さかうえ》の授業で聞いたことを思い出した。神話《しんわ》に出てくる怪物《かいぶつ》が幻獣だという説があるというその話を……。
「この国って日本?日本ができる前にも幻獣との戦いがあったってこと?」
未央は厚志の言葉など耳に入っていないかのように話を続ける。
「たかが二十年、ただ一人の男によって組織《そしき》されたあの一族《いちぞく》。科学と火力で幻獣と戦う新参《しんざん》の芝村一族とは、格が違います。衰《おとろ》え、私一人《ひとり》となったとはいえ、まだ武門《ぶもん》として、戦う力がなくなったわけではありません」
未央は目を伏《ふ》せる。
無念《むねん》と屈辱を帯《お》びて見えるその顔は、自分が士魂号の力を借りて戦っているからだろうか。
己の非力《ひりき》を悔《く》いているように見える。
「……とはいえ、すでに神々と話す技も、万物《ばんぶつ》の精霊《せいれい》を使う力もなく、ただ剣の技に生きるのみ」
「その剣の技を使って今も幻獣を倒しているじゃない?」
「そうでなければ、士魂号には乗らないでしょう。……祖父は、幻獣は、人の心に棲《す》む闇《やみ》だと、そう申しておりました。幻獣を倒すは、純粋《じゆんすい》なる心か、さもなくば、己の心を滅《ほろ》ぼすまでに強くなるか、二つに一つと」
ふたたび、未央は視線《しせん》を戻し、厚志の目をまっすぐに見つめた。
「……あなたには、古い宿命を感じます。あなたは、失われた万物の精霊を使う上古《じょうこ》の御技《みわざ》を使うために、年老いた壬生の血に代わり、生まれてきたのかもしれません」
舞には『カダヤ』などとわけのわからないことを言われ……、未央には『古い宿命を感じる』などと言われ……。
厚志が混乱《こんらん》するのは無理のないことだ。
「それは……何?」
話をしてくれた未央に何か言葉を返してやりたかったが、口からでるのはそんな漠然《ぼくぜん》とした疑問だけだった。
それは何?……未央が話したのは『壬生屋に伝わる伝承し《でんしよう》なのか、あるいはただからかわれただけなのか。
「カビの生えた話です……」
未央も、今はまだ厚志がそれを理解できないことはわかっていた。だからこそ話すこともできた。血の宿命など、彼にはっきり悟《さと》ってほしくないと、心のどこかで思っていた。
厚志は、未央が遠くを見るように答えたので、少なくともからかわれているわけではないとわかった。それと同時に、重ねて問うことを未央に封《ふう》じられたのも感じた。
「あ、ビデオデッキ、戦車学校のほうに返してくるね」
荷物を持って、自分から教室を出たにもかかわらず、厚志は放りだされたような気持ちになっていた。
一人になってみても、疑問ばかりが彼の頭の中を支配していた。
厚志には、なぜ未央がいきなりあんなことを言いだしたのかわからなかった。パイロットになった理由を尋《たず》ねたのは自分だが、『万物の精霊』だとか……自分がそのために生まれてきたのかもしれないとか……厚志自身、ただ教えられたこと、訓練で身についたことを戦場で実践《じっせん》しているだけだった。
特別な能力があるわけでもない。
確かに撃墜《げきつい》数は多いが、士魂号はそれぞれ役割が違うから他《ほか》と比較《ひかく》してどうということは言えないはずだ。役割的に強襲《きょうしゅう》することが多い厚志の三号機はそのための装備も備え、撃墜数は稼《かせ》げる。
厚志はふと、以前にも同じようなことを言った人物がいるのを思い出す。
ヨーコ小杉《こすぎ》……。
彼女にも以前『あなたはこの世界をハッピーで包むために生まれできた』と言われた。
そのときは、ヨーコはただ自分を励《はげ》ますためにそう言ったのだと思っていた。いや、そうではあるのだろうが、今となっては厚志には、なぜ自分がそうまで特別な人間であると言われるのかが理解できなかった。
ただ一つだけ思い当たるのは、戦場にいるときの昂揚感《こうようかん》……。幻獣を砕《くだ》いたときの満足感だけだった。
(しかし、それは特別なことだろうか。誰《だれ》でも幻獣を憎んでいる)
厚志がビデオデッキを返して、プレハブに戻ってくると未央はもう教室にはいなかった。
一人で整備テントへ向かう途中、小隊長室の前で陽平《ようへい》に出会う。
厚志は、同じパイロットである彼に、それとなく、幻獣に対する気持ちや、あの戦場での感覚について話を振ってみた。
「ああ、幻獣って思ったより弱いじゃん。この調子《ちょうし》でどんどんやっつけちまおうぜー」
厚志は肯定《こうてい》的な答をもらったわけだが、なぜか釈然《しやくぜん》としなかった。
そして、士魂号の声……。
パイロットや整備員の中にはそれを聞くものもいるが、彼らはそれを『鳴き声」だと言う。言葉として認識《にんしき》しているのは知っている限り厚志だけだった。
整備テントにやってきた厚志は、今もその声を聞いていた。
声とは思えない漠然《ばくぜん》とした音。しかしそれが『私を使え』と繰り返し訴え《うつた》ているのは厚志にとっては確実なことだ。
舞は気にするなと言ったが、他の疑問と重なると気にせずにはいられない。
「どうしたの? さっきからずっと士魂号に見入って……」
気がつくと原素子《はらもとこ》が厚志の脇《わき》に立っていた。
「できるだけ早く、また戦場でこいつに乗りたい。こいつを使ってやりたい。そういうふうに思ったら変かなあと……」
「ふうん。周《まわ》りの評価《ひょうか》が変わったんで戸惑《とまど》ってるんでしょ?……変じゃないでしょ? パイロットなんだから。それにね、戦場で受けるストレスは脳内《のうない》の快楽物質《かいらくぶつしつ》の分泌を促す《うなが》のよ。だから癖《くせ》になる……」
「そんなこと繰り返していたら、人間変わっちゃいますよね?」
「変わればいいんじゃない? どのみち、その場には留《とど》まってはいないものよ。人間って」
理屈《りくつ》は厚志にもわかる。
自分は、変わることを期待されているのではないか、そしてそれは士魂号にも……。
「そうしたら、何になるのかなあ……」
原は、それには答えずテントを出ていった。
小隊長室の通信機のモニターには、準竜師《じゆんりゆうし》の大きな顔が故人《こじん》の写真のように大きく映っている。
善行は《ぜんぎよう》口の端《はし》をひくひくさせながら彼の話を聞いたあと、長い間《ま》を空《あ》けて応《こた》える。
「はい、準竜師。しかし我々《われわれ》は員数外《いんすうがい》の兵員《へいいん》として好きにしていいと開いています」
「私はこうも言ったはずだ。それなりにやれと。おまえたちはおまえたちの能力なりのことはしなければならん。おまえはすでに私を失望《しつぼう》させているのだぞ、千翼長《せんよくちよう》」
「はい。ですが指示された戦区《せんく》はどう考えでも我々の戦力に見合いません。今の状況で戦略《せんりやく》上重要な地域《ちいき》とも思いませんが……」
善行は拳をにぎりしめて言った。
彼は無駄だと思いながらも、言わなければ気がおさまらなかった。
準竜師は、善行が上官の言葉に不当を訴えた行為自体は咎めようとはしなかった。
「最大の戦略は敵の数を減らすことだ。とくに幻獣との戦いにおいてはな。士魂号を与え、陳情を好きにさせているのだぞ。おまえは自分の隊の評価が低すぎる」
「はい」
「これは私の希望だ」
通信はいきなり切れた。
善行はメガネの裏に指を入れて汗を拭《ぬぐ》ってぐったりと背もたれに身を預《あす》けた。
「どうしましたか?」
小隊長室に入ってきた若宮《わかみや》は、善行の表情が引きつっているのを見つけた。兵と司令の間に立つ彼は、少なくとも職務《しよくむ》中は、そのどちらの動向《どうこう》にも敏感《びんかん》だ。
「準竜師は球磨《くま》戦区へ転戦《てんせん》することを要請《ようせい》してきました」
若宮の顔が曇《くも》った原因は、そこがかなりの激戦区《げきせんく》であるからだ。
「楽観《らつかん》的過ぎましたね……。学兵のあり方を考えれば、いずれは死ねという命令もくるとは思っていましたが……」
「自然休戦期直前ならそれもあるだろうが、まだ四月だ。私には準竜師が楽しんでいるように思えます。我々は玩具《がんぐ》なのかもしれませんよ……」
「まさか……。もちろん他言《たごん》はしません」
それは疑わしい。若宮は、さらに上位《じょうい》の者から開かれれば喋《しやべ》るだろう。軍人《ぐんじん》の手本のような男だ。
善行もそれはわかってはいるが、助かりますと言って、わずかに笑ってみせる。
「それで出撃《しゅつげき》は?」
「明日《あす》、明後日《あさって》というところですね。今は他の部隊も動きがないので、先延《の》ばしにしても状況は変わらないでしょう。むしろ悪化するかもしれませんから」
「わかりました」
善行は、準竜師のしたいことが少しわかったような気がした。5121小隊につねにぎりぎりの戦いを強《し》いるつもりなのだ。
『命を捨てろとは言わん』
それも本音《ほんね》だろう。だから頻紫《ひんぱん》な陳情にも気前《さまえ》がいい。しかし、それで最終的に何を望んでいるのかまではわからなかった。あるいは、本当に楽しんでいるだけかもしれないとも思えた。
陽《ひ》が落ちてからも、プレハブ校舎や整備テントの活気は変わらない。むしろ、整然《せいぜん》と学兵たちが授業を受ける昼間よりも、おのおのの仕事をもって行き来し、コンプレッサーが回る音が響《ひび》き、誰かが誰かを呼ぶ声が行き交《か》う……、放課後のほうが賑《にぎ》やかといえるくらいだ。
代わりに、昼間使っている二階の教室は明かりが落ちて無人《むじん》になる。ちょっと休憩《きゆうけい》して落ち着きたい気分の者がたまに来てぼんやりするくらいだ。
厚志も、騒がしい整備テントに三時間ばかりこもっていたので、少しでも静かな場所を求めて教室への階段を上っていた。
建《た》てつけの悪い扉を《とびら》をスライドさせると、そこには先客が《せんきゃく》いた。
「むかしむかし、ねこのかみさまにはたくさんの人間のお友だちがいました」
「ねこさん、人間ともお友だちなの?」
ヨーコとののみが、教室の後ろのほうで向かいあって座っている。伸のいい姉妹……いやヨーコが大柄《おおがら》なせいか親子にも見える。
自分に気がついて微笑を返してきた二人《ふたり》に、照《て》れ笑いしながら、厚志はいつも自分が使っている前のほうの席に座ってぼうっと頬杖《ほおつえ》をつく。
ヨーコはののみにおとぎ噺《ばなし》を聞かせているようだ。
「はいデス。優《やさ》しささえあれば、どんなものとも対話して、ともだちになれるですよ?」
「いいはなしだねぇ」
「はいデス。でも、これで終わり違いますよ」
休憩にやってきた厚志の邪魔《じやま》にはならなかった。むしろ彼はとても心地《ここち》いいと感じている。
そのまま目を閉じ、自分も、背後《はいご》から聞こえてくるヨーコの話に聞き入ることにした。
ねこのかみさまは、にんげんとともに『きょうわこく』と『てーこく』をまもり、『てーこく』がほろぴるそのさいごきみととけたのち、
とものベルトをくびわにして、たびにでました。
かなしいおもいでから、はなれるように。
にんげんにわるさするねずみをこらしめながら、ふねにのってひがしへひがしへ。
なんぴゃくねんもたびをつづけて、
さいごにたどりついたそのばしょのなまえは『ひのくに』。
ねずみにとりついたコロリというびょうきになやまされていたひとびとは、
ねこのかみさまをいこくのふねからもらいうけます。
ねこのかみさまは、おきゃくさまとしてだいじにされました。
たどりついてよりろくじゅうわんのあと、あかいふくももらいました。
ありがとうねこさんぼくのともだちよ。
それはせんねんもむかしにきいて、いちともわすれたことのないことば。
ねこのかみさまがききたかったことば。
ねこのかみさまはひのくにのひとにつたえます。
「ありがとう。このひのいろのふくにかけて、あおぞらがおちるまで、
ちがさけうみがぼくをのみこむまで、ぼくはこのくにをまもりましょう」
やくそくははたされました。
それから、ねこのかみさまは、むかしもいまもひのくにのよるをまもるのです。
「……おしまい」
「……いまもね、ねこさんはよるを守っているの?」
「ええ。友情ハ、信頼という水で育つ、時を超《こ》えて青く広がる永遠の樹《き》。ののみサンが信じれば、キット……」
「ののみはねぇ、うん、信じるのよ。ねこさんを信じるの」
「デハ、きっと、ねこさんも応《こた》えるですよ」
「ふえぇ、ほんとう。うれしいなあ。げんじゆーもやっつけてくれているの」
「……ハイ」厚志が顔を上げ振り返り二人のほうを見ると、ヨーコは厚志のほうを見て優しく微笑《ほほえ》んだ。
赤い服を着た猫の話……。身近《みぢか》にブータがいるからののみには馴染《なじ》みやすい話だ。
ののみは、きっとブータを『ねこのかみさま』と思っていることだろう。
厚志もなんとなく、そんなことを信じてみたくなった。ブータが猫の神様で、自分たちを守ってくれる……。
(幻獣が神話や伝説《でんせつ》の中にいた怪物《かしいぶつ》なら、おとぎ噺の中の『ねこのかみさま』だって本当にいてもいいよね……)ひょっとしたら、自分たちは神話の中の戦争を繰り返しているのだろうか。
『ねこのかみさま』『万物の精霊を優った壬生屋の先祖《せんぞ》……そうした者たちが恵と戦った時代の節目《ふしめ》なのかもしれない。
(じゃあ、壬生屋さんは、僕がそんな英雄《えいゆう》になれると言ったのかな……)
厚志は少しだけ声をたでて笑った。
きっと未央は途方《とほう》もないことを言って、オーバーに自分を励ましてくれたのだろう。
……それはそれで、悪い気はしていない。
厚志が整備テントに戻ろうと立ち上がると、ヨーコは彼のもとへやってきた。
「手を、出してください。この手に、模様描《もようか》くでス」
厚志は言われるままに右手を出す。
「……最初に模様ありキでス。これは、幸運の模様。万物の精霊、この模様を巡《めぐ》って踊り、言うことを開くデス」
「ふうん……。幸運のおまじない?」
ヨーコは厚志の手を取ってその掌《てのひら》の上を指でたどり何か幾何学《きかがく》的な模様を描きこんでいる。
「……はい。できたデス。イアルは太陽の名前。幸福の名。ヨーコは、幸せの娘ですよ」
「うん、ありがとう」
自分の幸運を祈ってくれたヨーコに礼を言ってから、厚志はプレハブを出た。
彼女が、未央と同じく『万物の精霊』という言葉を口にしたことに気がついたのは、その日自分のベッドにもぐりこんでからだった。
「おい、昨日《きのう》の日報《につぱう》見たかー?」
登校途中、校門からスロープを登るあたりで、厚志は後ろから走り寄ってきた陽平に肩《かた》を叩《たた》かれ、そう話しかけられた。
「うん、見たよ。一応《いちおう》毎日見てるし……」
「じゃあ、もつといろいろあるだろう。反応《はんのう》とかよー。俺たちの転戦先、けっこうキビしいとこだぞ。幻獣側にはスキュラなんかも配備《はいび》されてるらしい……」
スキュラというのは最強クラスに属《ぞく》する幻獣だ。巨大《きょだい》な体を空中に浮遊《ふゆう》させレーザーで武装した浮遊要塞《ようさい》で、耐久力《たいきゅうりよく》があるうえに、レーザlの威力は被弾《ひだん》すれば大ダメージを食らう。
士魂号を用《もち》いても手強《てごわ》い相手だ。
「どこへ行ってもどんな奴《やつ》と戦ってもやることは同じだよ。それに士魂号を腐《くさ》らせておくわけにもいかないだろ」
厚志の返事を開いて、陽平はぽかんとなった。
「……おまえ、変わったな……」
「そうかな?」
「おう、もう目つきまで違うよ。芝村とつきあってるせいかな?」
「何言ってんだよ。べつにつきあってなんていないよ」
厚志はきっぱり否定した。
そこへ、当《とう》の芝村舞が通りかかる。今日も朝からあいかわらずの無表情だが、厚志を見つけたその瞬間《しゅんかん》、微《かす》かに笑《え》みを浮かべたのは、陽平も見逃《のが》さなかった。
「嘘《うそ》つけ……」
「ほんとに、つきあってなんか……」
「今、私のことを話していただろう?」
走り寄ってきた舞が、厚志と陽平の間に入りこむ。
厚志と陽平は、二人して首をぶんぶん横に振った。
「ふむ、そうか。こんなところで立ち話をしていると遅刻するぞ」
「あーそうだ。お先にー」
何分も話しこんでいれば確かに遅刻するかもしれないが、べつに走ってゆくほどのこともない陽平がそそくさと先に行ったのは、舞が苦手《にがて》で逃げだしたか、二人に気を遣《つか》ったかのどちらかに違いない。
「なんだというのだ。滝川は……」
「はは……」
結局、《けつきよく》厚志は舞と肩を並べて教室へ向かう羽目《はめ》になった。
「ねえ、この間言ってたカダヤって……あれ、何?」
「うるさい。うるさい。黙《だま》れ。はっきり言ったはずだ、嫌《いや》なら実力で跳《は》ねのけろ」
「嫌も何も……。なんのことだかわからないし……」
舞は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
校舎の脇《わき》を歩いてきたブータが、進路を変えて二人の前を横切る。
「む……」
舞はとっさに腰《こし》を落として身がまえた。
「……猫、苦手《にがて》なの?」
「ば、馬鹿者。誰が苦手と言った」
「ニャー」
立ち止まったブータの一声《いつせい》に、舞はぴくりと身をすくめる。
「お、おい。鳴いたぞ。今、鳴いたぞ……」
「猫だからね」
舞が、ずっと猫と目を会わせて固まっている理由を厚志は悟《さと》った。
舞は猫が嫌いなのではなく、猫に触《さわ》ってみたいのだ。
「撫《な》でてみたら? ブータ、撫でられるの好きだよ」
「ばばばばはば、馬鹿を言うな!」
厚志はブータを抱き上げて舞にさし出す。
「何をするか!こら」
「あー、重いな、ブータは。さすがにでっかいもんね。……早く、受け取らないと、ブータも自分の重さで辛《つら》いよ」
舞はおそるおそる手を伸ばす。
その手をブータの腹《はら》に添《そ》えかけたところで、あわてて手を引っこめる。
「いや……、もうよい。触《ふ》れただけで満足だ。ブータを放してやれ、厚志」
厚志がブータを置くと、ブータは「ニヤー」と一《ひと》鳴きして歩いて去っていった。
「だっこしてあげればよかったのに……」
「言うな! もう行くぞ。本当に遅刻する……」
舞は一人で先に歩きだす。
厚志は、本当は舞が猫が好きだという事実に、なんとなく顔の筋肉が緩《ゆる》んでいた。
もちろん、そんな顔を当人《とうにん》に見られたら、ぐーで殴《なぐ》り倒されかねないので、少しだけ彼女の後ろを歩くことにした。
授業の間、厚志はその視線に気がついてはいた。
未央よりは前の席だからあからさまに振り向くわけにもいかず、ただ悶々《もんもん》とその理由を思い巡《めぐ》らせていた。
本田の授業が終わると、厚志は真っ先に彼女のところへ行き尋《たず》ねた。
「あの……、気を悪くしたらごめん。何か、あるのかな僕に…:。やっぱり、その、『万物の精霊』を使うとかそういう話?」
未央は顔を真っ赤にしてうつむく。
「わたくしは、あなたにその話をしたことを後悔《こうかい》しています」
「うーん、でも。僕にはよくわからないし、べつに後悔とかするほどのこともないんじゃない?」
「言わなければ気がつかなかったかもしれない。疑念《ぎねん》を抱かなかったかもしれません。万物の精霊を使う者はわたくしたちとはべつの存在です。私があなたに感じた古い宿命が、私の思いゆえの間違いであればと……。自分を惑《まど》わす雑念《ざつねん》ゆえであればと思います」 未央だけでなく、ヨーコにも同じようなことを言われていたから、厚志は気にしていないと言えば嘘になる。
何より実感がなかった。
だから、未央は自分を励まそうとして、もしかしたら特別な力があるかもしれないと言ったのだと思っていたし、ヨーコのことにしても、掌に模様を描いたのは幸運を祈るおまじないだろうと考えていた。
むしろ、未央が自分の言ったことに対して真剣《しんけん》に悩んでいるのが不思議《ふしぎ》でもあった。
「べつの存在になんてならないよ。うん、全然そんな感じしないし」
未央は少しの間考えこんだ。
「授業と仕事が終わったら、一緒《いつしよ》に訓練をしましょう」
「うん」
突然の未央の誘いに厚志は即答《そくとう》した。
午後の授業の間じゅう、彼はにやにやしていた。
未央との訓練は、まあ一緒にグラウンドを走ったり、体力トレーニングをしたりで、いつもやっていることをただ二人でやっているだけのことだったが、厚志にとっては『二人』というのは重要なことだった。
いつでも傍《かたわ》らに未央がいて、その姿を《すがた》見て息遣《いきづか》いを感じるだけで幸せになってしまう。
家が道場と《どうじよう》いうこともあって、未央に格闘《かくとう》術を教わったりもした。誉《ほ》めてもらいたくて一生|懸命《けんめい》になっていたからそれなりに効率《こうりつ》のいいトレーニングにはなっていたようだ。
「これくらいにしましょうか?」
未央に教わった型《かた》でサンドバックを打ちこんでいた厚志は、その声で手を止め、ふうと言いながら額《ひたい》の汗を拭《ぬぐ》った。
「出撃《しゅつげき》が近いという話もありますからね。やり過ぎないほうがよいでしょう」
未央がさし出してくれたタオルを手に取って、厚志は顔やら首を拭う。
「そうだね。陽平とか心配していたよ。今度の転戦先はちょっと手強《てごわ》いんじゃないかって……。壬生屋さん、汗かかないね」
「そう訓練していますから。……今度の転戦は準竜師……芝村の指示だという話ですね。私たちを員数外の火消しと言いながら、最前線に送りこむ……。何を考えているのかわかりません」
いつものことだが、未央が芝村を口にするときには少し不機嫌《ふきげん》な様子になる。
「べつに楽《らく》をしようとは思ってないけどね」
「それはそうです。……そういう意味では、やはり員数外であり陳情も思いのままというのは優遇《ゆうぐう》されています。問題は不可解《ふかかい》なことが多いということです」
「そういえば、瀬戸口《せとぐち》もそんなこと言っていたっけ。芝村が……芝村舞がこの部隊にいるのは何かの企《たくら》みだって、彼女が意識していないとしても……」
未央は、改まって羽織の襟を整え、その表情はことさら無表情になった。
間《ま》を空《あ》けてから、声のトーンを落とし、ゆっくりと話しだす。
「神々をあざ笑い、我らに祈れという倣鰻《ごうまん》で強い族《やから》……賊《ぞく》。急速に勃興し、幻獣と戦う、その一点でのみ行動し、僚原《りようげん》の火のように勢力を広げ、この国の隅々《すみずみ》まで威令《いれい》を広める者たち。ウォードレス……、ヒト型戦車……、そして|非エリンコゲート空間追跡機《N・E・P》…‥。この世界のものではない科学をもたらし、この世界の神秘《しんぴ》を、暴《あぼ》こうとするもの。幻獣と戦いながら、幻獣派をかくまう。彼らは、何を望んでいるのでしょう。……わたくしには、わかりません」
厚志は今までそんなことは考えたことがなかった。
芝村は政治活動も経済活動も利己《りこ》的だ。しかし、利己的であるということは、それだけで辻接《つじつま》が合ってしまう。私利《しり》で働いていると思えば納得《なっとく》できてしまっていた。他の目的があるなどとは考えもしなかった。
未央は厚志が考えこんでしまったので、あわてて表情を和《やわ》らげる。
「この戦いを終わらせるのが、あのような一族とは考えたくはありません。……そんな話より、今日はずっとあなたに言いたいことがありました」
「え、な、何……」
未央に見つめられて、厚志はしどろもどろになった。
未央のほうも、思わず厚志に顔を寄せてしまったことに気がついてあわでて顔をそらし、頼《ほお》を赤く染める。
「いえ、いいんです。忘れてください。私事《わたくしごと》です……」
「え? え? 気になるよ」
未央はごまかそうとするように、無理|矢理《やり》笑った。そうかと思うと急に眉《まゆ》をひそめ不安げに再び厚志を見る。
何やら情緒《じようちよ》不安定な様子だ。
「わたくし、十六になってしまいました。少女というには、もう……無理があるかも。ずいぶんと歳《とし》をとったような気がします」
「えー。十六でー? それ言ったら二十代はどうなっちゃうの?」
厚志はなんとなくフォローしたつもりだったが、未央は耳に入っていない。
「このまま、歳をとってしまったら、わたくし、困ります」
「いや、あの……」
困ると切実《せつじつ》に訴えられても厚志にはどうしようもない。……というより、未央は厚志がどう言おうが聞いていない。
「もう半年もしないうちに。絶対たくさん、競争相手……じゃない、……ええと、その、いろいろ困るんです」もう、厚志のほうを見もせず、完全に独白《どくはく》モードに入っている。
「とくに長女で、一人娘で、道場育ちで、少し世間《せけん》はずれで、奥手《おくて》でパイロットで、可愛《かわい》いと思ってもらえるといいなあなんて……。そんな甘いことを考えている女なんて、若さで押し切るしかありません。ええもう、絶対それしかありません。私の祖母もその奥義《おうぎ》で成功しました。剣術の真剣《しんけん》勝負における極意《ごくい》は先手必勝。《せんてひつしよう》相手が恐れおののくまで突撃《とつげき》しかありません。わたくしの未熱さ《みじゆく》から考えて他に手はありません」
言うだけ言って、少しは我《われ》に返ったようだ。
未央は呼吸を整えた。
「……とにかく、それは全然関係ありませんが、わたくし、あと一年も戦争が続いたら、行き遅れになってしまいます」厚志のほうを見、視線を外し、また厚志を見る。どうにも挙動不審《きょどうふしん》だ。
そうかと思うと、いきなりにじり寄ってきて、真剣な眼差《まなざ》しをつきつける。
「そのときはわたくしを、もらってくださいましね」
厚志は呆気《あつけ》に取られて返事どころではない。
未央は未央で返事があろうとなかろうとおかまいなしだ。
「約束ですよ、速水《はやみ》厚志は、壬生屋《みぶや》未央をもらい受けて、ずっと大切にすると」
そしてまた挙動不審に……おろおろとあっちこっちに視線を泳がせ、不安そうにしたり笑ってみたり、なんだかもうちよっとこの様子だけ見たらなんとも危険な感じすらする、情緒の散浸《さんまん》さ加減《かげん》だ。
ただ見守るだけになっていた厚志にも、どれくらい時間が経《た》ったかわからなかった。一分か……もしかしたら三分以上ずっとそんな様子が続いていたかもしれない。
厚志の答は決まっていたが、未央が落ち着いて返事を待つそぶりを見せてくれないと、きっかけがつかめない。
相手がいつもの未央だったら、大人《おとな》ぶって自分から厚志に機会も与えてくれただろうが、彼女のほうもこのときは普段《ふだん》の冷静さはなかった。
「……ええと、なんちゃって。う、嘘です。いくら浅はかな私でも、そこまで軽率《けいそつ》な行動は……行動は……。…‥自爆《じぼく》です」
未央は間《ま》がもたなくなり冗談《じょうだん》めかした。
厚志はまた返事をする機会を逸《いつ》した。未央がそれを言いだすのが、もうあと三秒も退ければ、厚志は、きみが好きだと口にできたろう。
未央の言葉に、ただ乾いた笑いを返している自分が無性に《むしよう》情けなかった。
厚志がためらっているうちに、未央はその場から走り去ってしまった。
未央が登校するのは早いので、厚志もその日は早起きをした。
早くに会えればまだ他の学兵たちが来ないうちに昨夜《ゆうべ》の返事ができるし、何より、一刻《いつこく》も早くそうしたかった。
必死《ひっし》に校内を捜《さが》し回るが結局見つけられず、プレハブ校舎の前まで戻ってくると、もう他の学兵たちはちらほらと登校してきた。
「厚志」
一度教室を覗《のぞ》いてからもう一巡《ひとめぐ》りしようと厚志がプレハブの外階段に足をかけると、舞が走り寄ってきた。
「どうしたの?」
「私は出世《しゅつせ》することにした」
「出世が決まったの?」
「出世をすることにしたと言っている」
「……そりゃ、おめでとう」
「何をわけのわからないことを言っている」
わけがわからないのは、二人ともだ。
舞はいきなり本題から切りだすし、厚志はわからないままとりあえずの対応をしてしまう。
二人の会話は、いつも成立しているようで成立していない。
それはそれで、この二人のそれなりのコミュニケーションではあるからなんだか独特だ。
舞は続ける。
「おまえも出世するんだ。とりあえず二人で百翼長に《ひゃくよくちょう》なるぞ」
「簡単に言うなあ……。出世っていったってそんなキャッチボールするみたいにはいかないよ」
舞の顔が曇《くも》る。ただでさえきつめの顔がさらに迫力を帯《お》びた感じだ。
「……私についてくるのが嫌なのか」
「……そんなことは言っていないよ。いいよ、僕も出世しよう。できるものならやっぱり認められて階級を上げたいし……」
厚志は、早く未央を捜しにゆきたいので、投げやりに話を会わせた。
「馬鹿を言うな」
厚志はなんだかむかむかしてきた。
「自分で出世しろって言ったんじゃないか」
「そうだ。おまえの間違いは、認められたいなどと言っていることだ。出世とは認めさせることだぞ」
「どうやって?」
「戦功《せんこう》をたてればいい。実力があれば認められる。だからといって軽々《かるがる》しくあっちこっちに首を突っこむな。軽く見られる。意見はここぞというときにするものだ。それと、上官《じようかん》とは仲よくしておけ。それだけだ。難しいことはあるまい舞の言うことはもっともだが、そもそもそれが難しいからみんな苦労している。
それでも、舞が言うと、厚志にも本当に簡単なことのように思えてくる。彼も単純だ。
「わかった。やってみるよ。……ところで、なんで二人で出世するの?」
「世界を征服《せいふく》するためだ。そのために、とりあえずこの部隊を掌握《しようあく》する必要がある」
舞は大|真面目《まじめ》だ。
いや、彼女なら冗談も真顔《まがお》で言うだろうが、これを冗談で言っていないということは厚志にはよくわかる。
ひょっとして『カダヤ』というのは『手下《てした》その一』とか、そういうことだったのかと思う厚志だった。
「あのさ……、もしかして……」
厚志がそれを聞こうとしたとき、体に埋めこまれ、神経に接続された多目的結晶から、二人の脳の中に直接小隊長室からの指令が送りこまれできた。
「出撃だ……」
「行くぞ。出世のチャンスだ」
[#改ページ]
厚志《あつし》たちは、整備《せいび》員たちと一緒に士魂号を起動《きどう》させると、直《ただ》ちに、球磨戦区《くませんく》へ移動を開始した。
装備《そうび》の多い厚志たちの三号機は起動作業にも時間がかかる。先行《せんこう》した一号機と二号機を追う形になった。
今回、何人かの整備員と弾薬《だんやく》、補修《ほしゅう》機材を載《の》せて補給《ほきゆう》車も現地へ同行《どうこう》した。
現地での微々たる補給支援さえアテにするほど、今までの戦闘よりもさらにはりつめている。
「細々《こまごま》した指示《しじ》はありません。戦車学校の支援部隊と協力して一体でも多く幻獣を沈めてきてください。この作戦は熊本《くまもと》南部へ我々《われわれ》が切りこむ足がかりになるはずです」
善行《ぜんぎよう》から全全機にアナウンスされた。
続いて、瀬戸口《せとぐち》からの報告。彼の口調に《くちよう》も緊張が《きんちよう》みなぎる。
「敵は二十体前後ですが、二体のスキュラを含む編成《へんせい》。レーザーの直撃《ちよくげき》をもらわないように。敵の詳細《しようさい》は送信《そうしん》した」
三号機内では、舞《まい》がさっそく指揮《しき》車からのデータをチェックしていた。
「ビルを盾《たて》にするか、逆に広い場所に出て撃《う》ちあうかだな」
「長引かせたくないな」
厚志が、独《ひと》り言《ごと》のように言ったのを受けて。舞が頷《うなず》く。
「だろうな……。我々はともかく長引いては一号機が保《も》たんだろう。スカウトにも損害《そんがい》が出る」
「うん。北西の広場に出るよ」
敵はすでに前進を開始していた。
空に浮かぶ巨大なスキュラは目視《もくし》できる。空中を漂う巨大な魚のように悠然《ゆうぜん》とこちらに向かってくる。
地上の建造物に移動を遮ら《さえぎ》れずに前進できるこの空中要塞《ようさい》と、友軍《ゆうぐん》のヘリコプターに寄生《きせい》したきたかぜゾンビを盾に地上の兵力《へいりよく》を送りこんでくるのは、幻獣の常套《じようとう》的な戦い方だ。
「テレビ局のヘリを追い出してくれよ。ローターの音が紛《まぎ》らわしい!」
苛立《いちだ》った陽平が瀬戸口に苦情を《くじよう》言っている。
きたかぜゾンビはまだ接近していないが、こういう状況《じょう′きよう》だと確かに不意《ふい》にローター音が聞こえてきたりすると心臓《しんぞう》に悪い。
「おlけl。下がらせる」
準戸口が陽平に答えている間に、ののみがテレビ局のヘリに無線《むせん》を繋《つな》ぐ。
「邪魔《じやま》したらめーなのよー」
言われたほうはさぞ面食《めんく》らっただろうが、とりあえずは高度を上げ後方に下がった。
「では、行動開始してください」
善行の声と共に、部隊は前進を開始する。
5121小隊と戦車学校の士魂号《しこんごう》が合わせて五機、それにウオードレスのスカウトと装甲《そうこう》車両の支援が十五。
あるものはビルの間を縫《ぬ》って、あるものは幻獣の懐《ふところ》に飛びこもうと一気《いっき》に駆け抜ける。
「一号機、先行《せんこう》し過ぎだよ」
厚志はまっすぐに手近《てぢか》な幻獣ヒトウバンに突っこんでゆく未央《みお》をあわててたしなめる。
「先手必勝《せんてひつしよう》です」
一号機は超硬度大太刀《こうどおおだち》を上段《じようだん》にかまえ、そのままヒトウバンに切りかかる。
幻獣の体液《たいえさ》が空を血に染《そ》めて、そのまま蒸発《じようはつ》するように砕《くだ》かれた本体と共に消えてゆく。
「何を焦《あせ》っているのだ壬生屋《みぶや》は。奴《やつ》も出世《しゅつせ》を狙《ねら》っているのか」
焦っているのではない。意気《いき》が先走《さきばし》りしているのだ。少なくとも厚志にはそう見えた。
そして、もしかしたら、自分が昨夜《ゆうべ》その場で返事できなかったことが原因ではないかとも考えていた。
「壬生屋さん。そこはもうスキュラのレーザーの射程《しやてい》内だよ。足を止めないで」
「わかっています!」
やはり、何かわだかまりがあるような気がしてならない。
「厚志、バズーカがあるうちにスキュラにダメージを与えておくぞ二号機の援護《えんご》にもなろう」
「わかった」
士魂号各機が幻獣と接触《せつしよく》したことで、早くも戦場の形は固定してきていた。
前に出た未央と、回避《かいひ》性能がいい二号機が敵を引きつけ、スカウトと装甲車《そうこうしや》がそこへ横合いから攻撃を加える。
厚志たちの三号機は、脚《あし》が遅いこともあって出遅《でおく》れていたが射程の長いバズーカを振り回せば、かなりの数の敵がレンジ内に収《おさ》まっている。
しかし、いつまでもその状態が維持《いじ》できるものでもない。
「敵増援《ぞうえん》部隊接近中!」
短いアラームのあとに瀬戸口が告げてきた。
舞は指揮車から送られてきた、敵増援部隊の位置を確認する。
増援が到着するまでにはまだ距離はあるが、時間の問題ではある。
「合流《ごううりゆう》されるとやっかいだ。その前に一気《いっき》に優勢《ゆうせい》にもってゆくぞ。早くしろ。きたかぜゾンビが前進してきている」
舞に急《せ》かされるまでもなく、厚志はバズーカの砲身《はうしん》をスキュラに向けてかまえる動作を士魂号に指示していた。
「今やってる。射軸補正《しゃじくほせい》よろしく。これ、当てておかないとあとが辛《つら》いよ」
「わかっている」
ゴーグル内の表示《ひょうじ》とアラームで発射《はっしゃ》サインがくる。
「当たれー!」
厚志は、気合《きあい》と共にジャイアントバズーカを撃ち放った。
「ミスだ。かわされた」
舞の声はそれでも冷静だ。少なくともうわべだけは。
「くそ!」
三号機はプログラムどおり、バズーカ発射後の回避行動に入っている。
そんな最中に《さいちゆう》も、瀬戸口が戦況を《せんきよう》読みあげる声が入ってくる。
「一号機に損害。腹部《ふくぶ》装甲|強度《きようど》低下」
一号機は場所を移してゴブリンリーダーとやりあっているところを、ミノタウロスの砲撃――腹部《ふくぶ》に寄生させている小型の幻獣を撃ち出す攻撃――にやられていた。
「壬生屋さん! 大丈夫《だいじようぶ》?」
「まだまだ行けます!」
「ならいいけど。無理しないでよ」
本来なら、こういう台詞《せりふ》は厚志が未央に言われるほうだった。
未央が急に押し黙《だま》ったのは厚志にもわかる。他人から変わったと言われるのも、もしかしたらこういうことなのかもしれないとも感じた。
考えこみそうになっている厚志を、舞の声が突き刺すようにして現実に引き戻した。
「一時《いちじ》方向のきたかぜゾンビにマークされているぞ。先にやれるか?」
「一射《いつしや》でいければ……。やってみるけど……」
補正の甘い第一射できたかぜゾンビを墜《お》とすのは不可能に近い。
「これならどうですか?」
モニターに押さえておいた目標のきたかぜゾンビが、機体から煙を噴出《ふんしゅつ》し空中でゆらぎ始めた。
「若宮《わかみや》さん?」
「とどめは任せますよ」
三号機はジャイアントアサルトを天に向け、きたかぜゾンビにライフル弾を浴《あ》びせかけた。
その外殻《がいかく》に寄生《きせい》していた幻獣が溶けるように消えると、友軍ヘリきたかぜに戻った機体はバラバラになりながら落下していった。
きたかぜゾンビの撃墜《げさつい》を確認していた厚志に舞が言った。
「厚志、一号機がスキュラにマークされた」
「一号機、退《ひ》いて!」
ゴブリンリーダーを片《かた》づけた未央は、今度はさっき自身に攻撃を加えてきたミノタウロスを相手にしている。
「スキュラの攻撃とて、かわせばすむことです」
「援護するよ」
厚志の申し出は、すぐさま舞に止められた。
「無駄《むだ》だ。すぐに沈む相手じゃない。落とす前にレーザーは撃たれるだろう。それに今スキュラを相手にするのは余計《よけい》な挙動《きょどう》になる。自分の目の前の敵を叩《たた》いてからだ」
「そんなに出世したいのかよ」
厚志は、自棄《やけ》になったように、さっき墜としたきたかぜゾンビのほぼ真下にいるヒトウバンを撃ち続けた。
「スキュラがレーザー発射態勢《たいせい》なのー。一号機は回避《かいひ》してぇー」
ののみの声が一際《ひときわ》高く、レシーバーの中に響《ひび》く。
「了解《りようかい》!」
未央の返事の直後に、スキュラのレーザーが着弾《ちやくだん》して何かを砕《くだ》く音がした。
「壬生屋さん!」
「一号機健在《けんざい》です」
思わず叫ぶ厚志に返ってきた言葉は意外に冷静だった。
「びっくりしたよ……。ねえ、日曜日どっか行こうよ。機体壊したら整備が大変だからさ……、一緒に遊べなくなっちゃうでしょ?」
未央は「うふふ」と笑う。厚志はそのいつものお姉さんぶった笑いに少しだけ安心した。
「そうですね。でも気遣《きづか》いは無用《むよう》です。わたくしはこの戦場であらためて実感しました。あなたはやはり『万物《ばんぶつ》の精霊《せいれい》を使う者』です。いつか遠くへゆく運命《さだめ》」
少し苛立《いらだ》った舞の声が二人の間に割って入る。
「おまえたち、私の知らんところで何をやっている。……曲射砲《きよくしやほう》の支援《しえん》が入るぞ、体勢《たいせい》を立て直せる」
「曲射砲支援が入る前にミサイルを使えなかったか……」
三号機の攻撃の要で《かなめ》あるマイクロミサイルは、敵が密集し《みつしゅう》ているほうが効率《こうりつ》がいい。曲射砲で敵の数が減れば使いどころは少なくなるというわけだ。
「今回はしかたあるまい。迂闊《うかつ》に前進できんからな。支援後は、二号機の陽平と協力してスキュラを攻撃する。二体ものさばらせておいたらやりにくくてかなわん。集中攻撃で一体減らしておく」
「耐久力《たいきゆうりよく》の落ちた一号機を、単独で放っておくの?」
「厚志。おまえ今日は一号機にこだわり過ぎだ。壬生屋とて士魂号を駆るサムライだぞ」
「そのとおりです。簡単にやられるものですか!」
一号機はスカウトを捕捉《ほそく》していたゴブリンリーダーを横合いから一太刀《ひとたち》で切り捨てて再びミノタウロスに挑《いど》む隙《すき》を狙《ねら》っている。
「わかった……。陽平の脇《わき》につけるよ」
厚志は三号機を横飛びさせて、二号機が捕捉しているスキュラを狙える位置に移動した。
スキュラのレーザーも射程は長い。こちらから狙えるということは、相手からも狙われるということだ。しかしスキュラとて一度に二体は狙えない。三号機と二号機どちらかが攻撃を引きつけておけば、どちらかは脚《あし》を止めて攻撃できる。
三号機のジャイアントアサルトのレンジにスキュラが収められたところで、曲射砲支援の砲火《ほうか》が頭上を流れてゆく。
あちこちで爆音が鳴り響く、これでザコはだいぶ片づくはずだ。
「厚志! スキュラは俺《おれ》の二号機を攻撃する気だ」
陽平の二号機はスキュラに向けてジャイアントアサルトを撃つ。次には反撃がくるのも覚悟《かくご》のうえだ。
「いいぞ。曲射砲と滝川の攻撃が当たっている」
舞の報告を受けて、厚志はすぐにジャイアントアサルトの連射《れんしや》行動を三号機に指示する。残弾が少なくなっているから、狙い撃ちしようとも思っていたが、スキュラがダメージを受けているなら、効率が悪くても弾《たま》を使い果たす覚悟《か′くご》で撃ちまくったほうがいい。
「陽平、煙幕弾《えんまくだん》はどうしたんだよ」
「載《の》せてこないよ、そんなもん。こっちは撃ちまくるのが本分《ほんぶん》じゃん」
煙幕を張ればレーザーを擾乱《かくらん》することができるのだが、陽平は予備《よび》の弾薬を目《め》いっぱい積んできた。煙幕弾を装備する余裕《よゆう》はない。もっとも、それは厚志も同じだった。
三号機はスキュラに対する攻撃を開始した。
「一気に落とせばいいか」
しかし、それほど容易《ようい》な相手ではない。
スキュラは三号機の攻撃を受けつつも、二号機への反撃を開始する。
「避《よ》けてよ。陽平」
「おうよ」
もちろん、レーザーは発射後に避けることなど不可能だ。士魂号のセンサーと指揮車からのデータでスキュラの発射動作に補正がきかなくなるぎりぎりの時間を見極《きわ》めて引きつけ、一気《いつき》に機体をかわす。
レーザーは二号機の足下《あしもと》のコンクリートを急激な熱膨張で《ぼうちよう》打ち砕《くだ》いた。
「さすがだね」
厚志のほうは残弾が少なくなってきた。
「まだ、墜ちないか!」
それまで、まるでダメージを受けていないように見えたスキュラが、突然、その巨体を傾けふらついた。そしてそのまま機首《きしゅ》――というより単に頭――を下げたかと思うと、ゆっくり下降を始め、周囲に靄《もや》のようなものを放ちながら縮《ちぢ》んでいく。
しかしその巨体は消失《しようしつ》しきらず、地響《じひび》きを轟《とどろ》かせて落着し《らくちゃく》た。
「やった!」
舞は安堵《あんど》のため息を漏《も》らす。
「幻獣側にとってスキュラ一体の損失は大きいはずだ。ザコもだいぶ数を減らしているし、奴《やつ》らもそろそろ撤退《てつたい》を始めるだろう」
結果的にはかわすことができたとはいえ、レーザー攻撃にさらされていた陽平はさらにホッとした様子だ。
「なんとか、敵の増援が合流する前に撃退できそうだな。厚志、今のうちに下がって弾倉《だんそう》を交換しておけ」
「うん」
未央も、スカウトたちの援護を受け、ミノタウロスを片づけていた。
こうなると、敵が撤退を開始するのはほぼ確実だ。
幻獣たちはこの戦いをあきらめこちらへの捕捉を解除《かいじよ》して、次回に戦力を温存《おんぞん》するために一目散《いちもくさん》に撤退ポイントへ向かう。
こちらは追撃《ついげき》戦に移って敵の兵力を《へいりよく》少しでも削《けず》っておく。
「後《あと》片づけを始めましょう」
未央は、次の目標を手近《てぢか》なゴブリンリーダーに定め、走りこんでゆく。
舞が怒鳴《どな》る。
「だめだ! まだ早い。敵が背中を向けるまで待て!」
つねに冷静で計算高い舞が大きな声をだすほどあわてる理由は、初めは厚志にもわからなかった。
そして、それがわかったときにはもうすでに遅かった。
「一号機スキュラのレーザーに被弾《ひだん》。大破《たいは》!」
瀬戸口の声もうわずっている。
厚志の目には、ビルの向こうから噴き上がる黒煙《こくえん》が映っていた。
「そんな……」
ゴブリンリーダーに切りかかる一号機は、スキュラ攻撃レンジに踏みこんだ。もちろん、未央もそれは知っていた。スキュラは捕捉を解いて方向転換すると予測していたから、退《ひ》く必要はないと考えていた。
彼女のミスは、相手も『予測に基《もと》づいて先行《せんこう》した行動指示を自分自身に対して行っている』ということを忘れていたことだ。つまり、一連《いちれん》の決定された動作が終わるまではスキュラは撤退動作に入らない。
「壬生屋さん。聞こえる? 大丈夫《だりじようぶ》なの? 返事してよ」
厚志の問いには、瀬戸口が答えた。
三号機パイロットは、射出《しゃしゅつ》されて後方に降着《こうちやく》したよ。無線《むせん》もすぐに回復する」
瀬戸口の言ったように、すぐに未央が指揮車に報告する声が聞こえてきた。
「脱出しました……。ウオードレスで支援に回ります」
さすがに、自分の機体を失った落胆《らくたん》は隠《かく》せない。落胆というよりそれは屈辱《くつじよく》でさえあるかもしれない。
士魂号のパイロットたちは、士魂号自体と同じく人工筋肉で覆《おお》われたウオードレスを着用《ちやくよう》している。士魂号の中でGから身を守るため、また被弾した際にパイロット自身の生存《せいぞん》率を上げるためのものだが、スカウトの歩兵が着用しているのと同じもので戦闘能力もある。
とりあえずは、未央が生きていたことで厚志は文字どおりに胸を撫《な》で下ろした。
その厚志にも未央から声をかけてきた。
「デートはできそうにありませんね。代換《だいかん》機の調整《ちようせい》をしなくてはならなくなりました」
「うん、いいよ。生きててよかった。生きてたらいつでも遊べるしね……それに話もあるし」
二人のやりとりに心|穏《おだ》やかでないのは舞だ。
「デェトだと?」
短い問いかけの中に怨念《おんねん》めいた響きがこもっている。
八方塞《はっぽうふさ》がりになりかけた厚志を救ったのは、通信に割りこんできた陽平だった。
「……んなことより、ヤバいよ。一号機を失ったんで勢力差が狭《せぼ》まっちまった。幻獣の奴ら、撤退をやめて攻撃を継続《けいぞく》してる」
当《とう》の陽平は、ミノタウロスのマークを外《はず》しながら応戦体勢《おうせんたいせい》に入っている。
陽平が言いだすまでもなく、舞は手持ちのデータを検討《けんとう》中だ。「援軍と合流されたら、こっちが撤退に追いこまれかねないな」
厚志は意を決して独《ひと》り言《ごと》のように言う。
「まだ三号機の背中にはミサイルが残ってる……。一《いち》か八《ばち》か敵中に《てきちゆう》飛びこんで撃ち放って何体かをまとめてしとめれば、また幻獣を撤退に追いこめる……」
「やる気だな。厚志。しかし、もう敵がだいぶ散っている。かなり入りこまないと意味がないぞ」
「うん。わかってる」
三号機は、ジャンプして敵の中に突っこんでゆく。
さっそく、周囲の幻獣が三号機をマークし始めた。もたついていれば、一斉《いつせい》に攻撃を食らうだろう。
「援護します」
ウオードレスの未央も前進を開始した。
「ミサイルが当たればすむことだよ。無理はしないで」
未央の位置から三号機のフォローに回るには、スキュラの射線《しやせん》を横切らなければならない。
人工筋肉で補強さ《ほきよう》れているとはいえ、所詮《しよせん》士魂号より機動力ははるかに劣《おと》るから、長い間スキュラの攻撃|圏内《けんない》にいることになる。
「この状況……。ウオードレスの一撃で戦況を《せんきう》分けることだってありますよ」
一号機をやられて逆上《ぎやくじよう》しているようにも見える未央は、言うことを聞きそうになかった。
三号機はジャンプを繰り返して敵中に到達《とうたつ》。動きを止めた。
「ロック急いで。攻撃がくる」
三号機の位置を固定したところで、あとは舞の仕事だ。
「わかっている」
厚志はじりじりと、舞が周囲《しゅうい》の幻獣をマークするのを待った
二号機はミノタウロスにてこずっている。
未央は、べつのミノタウロスを射程に収めるために、幻獣と味方《みかた》が対噂《たいじ》する中を横切る形で走り続けていた。
間近《まぢか》にいたヒトウバンが三号機に体当たりしてきた。しかし、ミサイル発射体勢のまま動くことはできない。
厚志と舞は成《な》す術《すべ》もなく、コックピットの中で体を激しく揺り動かされた。
「くそ! ザコのくせに……。士魂号は……。損害隠微。今のところは……
このままでいれば攻撃が一体で収まるはずはない。三号機はすでに三体の幻獣にマークされている。
「終わった。撃て」
舞の声が終わらないうちに、厚志は発射指示を三号機に送りこんでいた。
捕捉した敵は五体。一度で使い切ってしまうマイクロミサイルで相手にするには効率《こうりつ》がいいとはいえないが、今はたとえ三体でも潰《つぶ》すことができれば幻獣が援軍と合流する前に、撤退させることができる。
ミサイルはあるものは空《くう》に弧《こ》を描《えが》き、あるものはビルの間を縫《ぬ》って超低空《ていくう》で幻獣に襲いかかる。
舞が弾《はす》んだ声で言う。
「ミスしたのは一体だけだ。成功だ」
「離脱《りだつ》するよ」
三号機は左脇《わき》に飛ぶ。敵中から離脱すると共に二号機のフォローができる位置だ。
……そして、三号機がまだ空中にいる間に、厚志は声を聞いた。
言葉ではなく短く息を呑《の》む「ひっ……」とも「はっ……」とも取れる声だった。
厚志は、ビルの上に降り立つまでの時間がやたらと長い時間に思えた。その間、彼の胸は実体を持った固形《こけい》物のような不安がつかえていた。
「壬生屋さん!」
着地《ちやくち》後の士魂号は、プログラムどおりに、ジャイアントアサルトをかまえ直したが、そのコックピットの中で厚志は、放心《ほうしん》していた。
「そんな、馬鹿なことって……」
「どうした?」
舞の問いかけに、厚志は答えられなかった。
「壬生屋未央。スキュラからレーザー攻撃の直撃を受け……戦死」
代わりに指揮車から瀬戸口が言った。
舞も少しの間|無言《むごん》のままでいた。その間に戦場の配置を確認し、脱出《だつしゅつ》した一号機パイロットのマーカーがないことを確認していた。
「動きを止めるな。まだ終わっていないぞ」
静かに、舞が言う。
それでも、厚志はすべての気力が消失《しようしつ》したように無言のままだった。彼には、ヘッドセットが送りこんでくる映像も音も、何か抽象化《ちゆうしようか》した意味のないものに感じられていた。
「死にたいならあとで私が殺してやる。だが、幻獣に殺されるのは私が許さんぞ」
舞は後部座席から脚を伸ばして厚志の後頭部《こうとうぶ》を蹴《け》りつけた。
怒りと悲しみと悔しみと……、あるいはそうした言葉で言い表すのは正確ではないかもしれない衝動《しようどう》的な思いが、厚志の中に渦《うず》巻いた。
「挙動《きよどう》プログラム全|解除《かいじよ》! 再プログラムする」
厚志は怒鳴《どな》り散らすようにそう言うと、多目的結晶か《たもくてきけつしよう》ら士魂号にキャンセルの指示を送りこむ。
「何をする! 血迷《ちまよ》ったか!?」
舞は自分からの指示でキャンセルを阻止《そし》しようとしたがすでに遅かった。
「攻撃目標堂一時方向のスキュラに変更《へんこう》する」
「何を言っている。アサルトの射程《しやてい》外だ」
三号機は、未央を焼きはらったスキュラに向き直り歩を進める。
厚志は一度ヘッドセットを外《はず》して自分の右の掌《てのひら》を見つめた。
そこには、太陽の模様が発光《はつこう》するように浮き上がっている。
「なんだ……?」
舞は、モニターの視野《しや》に入ってくる三号機の右腕《うで》が全体に光を帯びているのを見つけていた。
厚志の掌に現れた太陽の模様は、すぐ下にある多目的結晶を暗いコックピットの中に浮き泉がらせている。
補給《ほきゅう》車のヨーコから通信が入る。
「最初に模様ありキでス。これは、幸運の模様。万物の精霊、この模様を巡って踊り、言うことを開くデス。イアルは太陽の名前。幸福の名。ヨーコは、幸せの娘ですよ」
(……違いない……)
厚志は自分の中に生まれた新しい力を確信した。ヘッドセットを被《かぶ》り直し、手をコンソールに戻した。
舞が小声《こごえ》ながらも驚きを隠せない様子で言う。
「何をした……。なんだ、この武器は。火器管制装置《かきかんせいそうち》の誤作動《ごさどう》か……」
三号機が積んでいるはずのない未知《みち》の武器のデータが表示されている。スキュラを攻撃するのに十分な射程がある。
「それでいいんだよ。それでスキュラを捕捉して」
舞も、もはや驚いてはいない。その目もとには笑《え》みさえ浮かべている。
「ふっ……、よかろう。これが何か超常《ちようじよう》的な力だろうと、芝村は拒《こば》みはしない」
機体の肩《かた》の上に、どこから現れたのか猫が乗った。一匹の大きな猫――ブータだ。
「ニヤー! ニヤー!」
ブータは、何かを急《せ》かしたてるように鳴いた。
「手伝《てつだ》うか?」
「ニヤ」
操縦者である厚志と三号機のマッチングを示す数値《すうち》が突然跳ねね上がった。それはあらゆる性能が二倍近くにまで向上し《こえじよう》たことを示している。
舞は何も尋《たず》ねようとはしなかった。ただその力を見極めようとしている。
「いいぞ。スキュラを捕らえた。あとは任せる」
厚志は発光を続ける三号機の腕をスキュラに向けて伸ばす。
「あの敵を滅ぼして!」
厚志の声に応《こた》えるかのように、その腕から一筋《ひとすじ》の光が伸び放《はな》たれた。
スキュラは弾かれるでも砕《くだ》けるでもなく、物理的な痕跡《こんせき》を残さず、ただその光を受けて蒸各《じようはつ》するように無《む》に帰ってゆく。
「勝ったな……」
舞は確信した。
主力で《しゅりよく》あるスキュラ二体を失い、もう幻獣たちに勝ち目がないのは明らかだった。たとえ地接してももう間《ま》に合わない。それが到着するまで持ちこたえる力さえ残っていない。
厚志は黙々《もくもく》と、その力を奮《ふる》い逃げてゆく幻獣たちを蹴散らした。
スキュラを消し去ったあの光を使うまでもなく、性能が跳ね上がった状態でジャイアントアサルトを撃ちまくるだけで十分だった。
戦闘は、勝利に終わった。
しかし、戦場からほぼすべての幻獣を倒したこの戦いも、手放しで喜べる圧勝で《あっしょう》はない。
士魂号一号機を失い、戦死《せんし》者は壬生屋未央他二名。
数値《すうち》化された戦力の削《けず》りあいで勝ったとしても、これは敗北《ほいぼく》かもしれなかった。
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第三章  ヒーロー
授業も隊の仕事も、何事もなかったかのように継続《けいぞく》された。
未央《みお》の死を悼《いた》んでいるのは厚志《あつし》ばかりではなかったが、人が死ぬ度《たび》に立ち止まっていれば次に死ぬのは自分たちだと心得ていた。
激戦《げきせん》のあとだけに、装備《そうび》品の補修も《ほしゅう》いつもよりさらに大変だし、何より重苦しい空気で士気《しき》が下がれば動きが鈍《にぶ》る。
まだ、少年少女と呼ばれる年頃《としごろ》の学兵《がくへい》は、そんなことも知っていなければならなかった。
それでも、葬式《そうしき》だけは小隊《しょうたい》の人間も出席することはできた。
その帰り際《ぎわ》に、本田《ほんだ》は、泣きそうな顔で、厚志を抱き寄せた。
「……そう落ちこむなよ。俺《おれ》まで悲しくなるじゃないか」
本田にとっても未央は、短い間だが、自分がいろいろ教えてきた生徒だ。
生徒たちが死なないように教育してきたが、それでも戦いともなれば死者は出る。あるいは、彼女の無念《むねん》も、また小さなものではないだろう。
厚志もそれをわかってか、返す言葉は見つからない。ただ嗚咽《おえつ》を、本田の胸に伝えるだけだ。
本田は厚志をさらに強く抱きしめる。
その嗚咽に夢見る厚志の体を押さえこむように……
「……泣くなって……言ってるだろ……。強くなけりゃおまえまで死ぬぞ……」
そう言う本田も、すでに泣き声になっている。
厚志は、未央に告白された日のことを思い出していた。
出撃《しゅつげき》してからの未央は目もとまでを覆《おお》うヘッドセットを被《かぶ》っていたから、彼女の顔をちゃんと見たのは、未央の告白を聞いたあの晩《ばん》が最後だった。
せわしなく表情を変えそわそわと返事を待っていた未央……。
いつの間《ま》にか、厚志は本田の服をつかんで泣きじゃくっていた。
葬式から三日が過ぎても、教室にできた空席《くうせき》は、厚志にとっては生々《なまなま》しいことだった。
その事実で、そこにいるはずの人間がもういないということを思い知る。
ホームルームが始まる前の教室はまだ学兵たちが集まってくる最中だ《さいちゆう》ったが、その席はけっして埋まることはない。
自分の席から未央の使っていた机を《つくえ》ぼうっと見ていた厚志のところへ、舞《まい》がやってきた。
「精霊手《せいれいしゅ》と言うそうだ。なんのことはない。士魂号《しこんごう》には初めから装備されていたようだ。士魂号の腕《うで》の延長のように敵に触れ、それを滅《めつ》する……。ただその発動《はつどう》がこの世界の人間によって成《な》されるのは稀有《けう》なことだそうだがな」
舞が言っているのは、厚志の掌の模様の出現と共に現れた士魂号の謎《なぞ》の兵器のことのようだ。
厚志の手に模様を描《えが》いたヨーコは、それで厚志が『万物《ばんぶつ》の精霊《せいれい》を使う者』だと確信したと言っていた。それが未央が口にしたそれと同じならば、自分は壬生《みぶ》の血に代わって幻獣を払う宿命《しゅくめい》なのだろうか……。
厚志はそうも考えたが、自分が神話の英雄《えいゆう》のようになれるとは考えられずにいた。舞が今言ったことで、厚志はさらにその考えを深める。
自分は英雄ではない。あれは士魂号に搭載《とうさい》されていた兵器の一つにすぎない。
英雄がいると言うのであれば、士魂号を作りだした芝村《しばむら》一族がそうだろう。あるいは、士魂号自体……自身か……どちらにせよ、未央を救うことができなかった自分が英雄であるはずがないとも……。
「そう……」
厚志は無気力に《むきりよく》返事だけ返した。
舞は厚志のほうを見ず、まるで窓の外の小鳥にでも話しかけるように言う。
「己《おのれ》の無力を思い知ったのだろう……。そなたにとって先の戦いは敗北《はいぼく》。失ってはならぬ者を失ったと……」
厚志も、舞の言葉には応《こた》えず、ただ、彼女が話すのを開く。
「そなたはただの人間だ。今はな……。だが人はただの人間であることに異議を唱え、そこから抜けようとあがく瞬間《しゅんかん》から、ただであることをやめるのだ。私は、ずいぶん前に『ただの人間』をやめたぞ。泣き言《ごと》も、自分が小さいことを悲しむのもやめた。それよりは隠れて努力することにした。努力は恥《はじ》だが、悲しむよりはいい。ただの人間であることを悲しむよりも、戦うための実力を磨《みが》くほうがいい。おまえには資質《ししつ》がある。私はそれを信じている。敗北に体と心を痛めつけられても、そこから学習し最後には……、あるいはヒーローとなる者かもしれん。私は、士魂号がそなたに応えたと思いたいな」
厚志は、少しだけ顔を上げ宙を《ちゆう》にらむ。
舞に見透《みす》かされているような気がした。さらに、自分がそのヒーローでないことを悔やんでいることにも気づかされた。
彼もまた、ヒーローとは無敵の力を宿《やど》す特別な存在だと思っていた。常人《じようじん》とはべつの存在だと。
それは都合《つごう》の良い便利な解釈でもある。ヒーローになれない人間が努力をやめる方便《ほうべん》だと……、おそらく舞はそう言っているのだと……。
「……わかってる。まだ戦いは続くものね……」
厚志に言えるのはそれだけだった。
それでも、舞は満足そうに微笑《ほほえ》み、あらためて厚志を見る。
「そうだ。戦いを終わらせたくば、決戦に至る道を歩め」
厚志が自覚《じかく》していなくとも、彼がその道を歩み始めたように見えていた。
教室の入り口の向こうから、ブータが座ってじっと厚志たちのほうをうかがっている。
「ブータにお礼を言わなくつちや」
厚志は席を立って、ブータの前までゆきかがみこんだ。
「ありがとうブータ。僕《ぼく》の友だち」
「にゃー」
ブータは、首を立てて大きく一声《ひとこえ》をあげた。
舞は厚志の席の近くで仁王《におう》立ちになって、握りしめた拳を震《こぶしふる》わせている。
(か、可愛《かわい》い……)
しかし、けっしてブータに近寄ろうとはしなかった。
本田がやってきてホームルームが始まった。
本田は、深刻《しんこく》そうな顔をして学兵たちを静めたあと、少しだけ笑った。
「いい話だ。……ちょっと待て」
本田は、鞄《かばん》からモニターパネルを取り出す。
学兵たちには、その意味はもうわかっていた。準竜師《じゆんりゆうし》から話があるということだ。
「俺《おれ》だ」
例によって挨拶《あいさつ》はない。
「速水《はやみ》十翼長《じゅうよくちょう》」
準竜師に呼ばれて、厚志はほとんど反射《はんしや》的に立ち上がった。
「なんでしょう?」
「おまえの昇進《しようしん》が決まった。おめでとう。百翼《ひやくよく》長」
厚志はそれを闘いでも表情を変えることはなかった。
昇進は喜ぶべきではあるが、こうして昇進する自分もあれば命を落とした未央や他《ほか》の学兵たちもいる。彼が手放しに喜ぶにはタイミングが悪かった。
「はい」
短く返事だけする厚志に準竜師は続ける。
「よろしい。明日《あす》にでも新しい階級章《かいきゅうしょう》と礼服を届《とど》けさせる。肩《かた》の線に負けないようにせよ」
「はっ」
準竜師がわずかな視線の移動で促し《うなが》たので、厚志は席に着く。
「結構《けつこう》だ。どうでもいいが、こうやっていると俺は故人《こじん》の写真みたいだな。……以上だ」
通信は準竜師のほうからいきなり切られた。
とたんに、クラスメートたちが厚志に拍手《はくしゅ》を贈るが厚志にはピンとこなかった。
誰かが昇進したときは、本田は、部下《ぶか》を殺すなよと皮肉《ひにく》で激励《げきれい》してきたが、さすがに今回は言わなかった。
ただ、厚志はそれを思い出して、ああそういうことか……と思った。
「はい……、人間関係をチェック……。偉《えら》いということは妬《ねた》まれます……」
教室の扉で《とびら》出会い頭に《がしら》なったとき、衛生班《えいせいはん》の石津萌《いしづもえ》はいきなり厚志にそう言った。
「え? 昇進したから妬まれてるっていうこと?」
しかし萌は、そのまま厚志の脇《わき》をすり抜けて教室を出ていった。いつもあまり喋《しやべ》らないし、喋ったとしてもぼそぼそと変なことを口走《くちばし》るだけなので、厚志はあまり彼女とは話したことはなかった。
そしてたで続けに瀬戸口《せとぐち》だ。
「やあ、坊《ぱう》や。昇進おめでとう」
萌が出てゆくのを見送っていた厚志は、彼にいきなり後ろから抱きつかれてじたばたした。
「あいかわらず。可愛《かわい》い反応だなあ。昇進してもそんな坊やが大好きだよ」
「抱きつかれるの嫌いなんだよぉ……」
「えー。女の子にも?」
「……」
厚志は口をばくばくさせたが、声は発しなかった。
「ふん……、で? 昇進の感想は?」
「べつに、今までどおりやるだけだよ。パイロットに変わりはないんだし」
「変化は微妙な《びみょう》ものだろう。それで、坊やを観察する張りあいもあるってものだよ」
「坊やって言わないでよ」
「ふーん。じゃ、それを命令できるくらい偉くなってみるかー?」
「いつかはそうなるよ」
厚志は深い意味もなくそう言った……つもりだった。それは皮肉でも虚勢《きょせい》でもなく、そんな気がしたからそう言った。
瀬戸口は厚志の体を一度放し、肩《かた》に手をかけて自分と向かいあわせにした。
いつになく真剣《しんけん》な眼差《まなざ》しで瀬戸口は厚志の瞳を覗《ひとみのぞ》きこみ、そこに吸いこまれるように顔を寮せてゆく。
「じゃあ、俺は。愛で坊やを支配しよう」
厚志は血の気が引いて顔を青ざめさせたかと思うと、次には逆に顔を真っ赤《か》にして瀬戸口の手を振り払い、一歩あとずさった。
「ばばばばばばばば」
どもって何を言っているかわからないが、おそらく、ばかから始まる何かを言いたいのだう。
厚志の肩に置いた手などけて、瀬戸口は背を向ける。
「しかし、その目は、少し芝村っぽいな……」
彼がそれをいい意味で言ったのでないことは、厚志にもわかっていた。
「なんだ、また余人《よじん》が何か言っているのか?」
舞は、整備テントに搬入さ《はんにゆう》れた士魂号の、そのシステムに負荷《ふか》を与えて、シミュレーションさせていたその手を止めた。
「なんだか、僕《ぼく》は芝村っぽくなったらしい。でもそれは良いことのような言い方じゃなかったんだよ」
厚志は、朝、瀬戸口の取った態度のことを言った。
彼は瀬戸口の名はださなかったが、舞のほうにすればそれが誰であれどうでもいいことだ。
心当たりならあり過ぎる。
「安心しろ。それは良いことだ。そなたがそれを不満に思うのは、そなた自身が芝村を拒《こぼ》んでいない証拠《しょうこ》だ。……芝村的と言われたこと自体が不満なのではないのだろう?」
「悪く言われたのは僕じゃなくて、きみなんだと思うよ。世界を征服《せいふく》するとか言っているからきっと警戒《けいかい》されているんだ」
舞は、ふっと笑って入力《にゅうりょく》の続きをすませ、コンソールに向かってかがんでいた体を起こし厚志のほうに向き直った。
「そなたはいつも、周《まわ》りのことを気にせよと私に教えてくれるがな。……そなた。もう少し明るく生きたほうが良いぞ」
つまり、『私が気にしていないことで、わざわざ心を痛めるな』というわけだ。
厚志は、自分が舞の話を理解できていることに気がついた。
単に舞の話し方の癖《くせ》に慣れただけなのか……、舞が何畳言わんとしているのかがわかるようになっていた。
「他人の評価《ひょうか》を片っ端《ぱし》から些細《ささい》なことみたいに割り切れるのは、すごいと思うよ。皮肉じゃなく……」
「皮肉など通じないことは知っていよう」
「それが明るいってこと?」
「明るいというものは、喋り方や態度ではあるまい? 明るいというものは、自分を信頼することだ。私を信じよ。必要なら世界のすべてを敵に回しでも戦える女だ。そなたの友は、そなたが誇《ほこ》るに足《た》る。少なくとも、私はその努力を怠《おこた》ったことはない」 舞の言葉は、厚志には心地《ここち》よかった。
舞は笑顔をさらに明るくして、それとなく厚志に半歩《はんぽ》だけ近づいた。
「そなたが動揺《どうよう》するのは、自分自身への不信からだ。多くのことを成《な》して自信をつけるがいい。出世《しゅつせ》もその一つだ、昇進を成した自分をそのぶんだけ信じろ。さらに言えば……、私が思うに、そなたの体も、そなたに信頼されたがっていると思うぞ。もう少し、無茶《むちゃ》をさせよ。信頼とは無茶をさせるということだ」
「体……って?」
「手も脚《あし》も目も耳も、それを駆使《くし》しろ。酷使《こくし》と言ってもいい。それこそ信頼と言うものだろう我らは難しいことを言うが、暗くはない。安心せよ。いずれ芝村が世界を|牛耳《ぎゅうじ》るように、そなたはそなたで、何かすることになろう。自分に信頼ができねば、腕を磨《みが》けばよかろう。私はその点ぬかりないぞ。自分に自信がある。……戦闘《せんとう》などの一部だが。そのうち、それ以外もちゃんとしてみせる」
芝村の強さと明るさは、彼にとってはけっして不快《ふかい》ではない。
厚志は気分が良くなった。未央の死による悲しみと自分の行く末への不安は消えはしなかったが、それでもずいぶん楽《らく》になった。
舞への周囲《しゅうい》の不信を諭《さと》すつもりが、逆に舞に救われていた。
「うん、努力する」
「そなたと、そなたの友を信頼せよ。他人がどう言おうと、己《おのれ》の目で見たことだけが真実だろう。私は正しいぞ」
「前に言ってたカダヤって、友ってことなの?」
厚志の言葉に舞は顔を赤らの、それを悟《さと》られまいとでもするようにコンソールに顔を伏《ふ》せた。
「黙れ! 保護者のような者だ。不満なら……」
「不満かどうかもわからないよ。でも、悪くはないのかもしれない……」言葉の最後のほうは口ごもっていたが、それは厚志の本音《ほんね》だからだろう。
「そそそ…‥そうか。それは良い」
舞はあからさまにうろたえていた。
いつも饒舌《じようぜつ》な舞だが、その饒舌さも何か妙な具合《みようぐあい》になっている。
「しかし、整備《せいび》テントの中は暑いな。気候のせいか……。夏が早いと、自然休戦期も早まるな」
仕事も、なんだか手についていない様子《ようす》だった。
厚志はベッドの中で、芝村一族がどんな存在なのかを考えていた。
勃興してわずか二十年。
しかし、それ以前から明確な形をもたずとも存在していたらしい。
今や軍や政界《せいかい》に勢力を広げているが、そうした表向《おもてむ》きの有《あ》り様《よう》は彼らにとって手段《しゅだん》でしかないようだ。
芝村の目的は権力を握《にぎ》ることではない。何か目的を果たすために権力が必要だからそうしているにすぎない。それは舞の言葉からわかることだった。
クラスメートの噂話《うわさばなし》、未央から聞いた話、そして当《とう》の芝村一族の者である舞に聞かされたことを考え合わせれば、そのどれにも共通しているのは、芝村一族が『世界を征服する』と公言《こうげん》していることだ。
しかし、それさえも、敵対《てきたい》するものに勝ち続ける結果だと舞は言う。
厚志は明日になったら舞に聞いてみようと考えていた。
不思議《ふしぎ》なことに、舞を昼食《ちゆうしよく》に誘うのに以前のような緊張は《きんちよう》なくなっていた。
「味のれんに行こうよ」
クラスの他の者を誘うのにかこつける必要もなく、厚志はごく自然に言ってのけ、そんな自分自身にも驚いていた。
「わかった。まかせるがいい」
舞は彼女にしては珍し《めずら》く、あからさまな喜びの笑《え》みをもって応えた。
『味のれん』で食事を終えるまでは、それほど会話もなかった。
舞のほうは少し顔を強張《こわば》らせていたが、厚志はその沈黙《ちんもく》も自然に受け入れていた。
食事を終えたのは二人《ふたり》ともほとんど同時だった。
「ちょっと考えごとをしていた」
今までずっと無口《むくち》だったのを言いつくろうように、舞は切りだした。
「どんなこと?」
舞は、半分残っていたお茶を飲み干して、揚呑《ゆの》みをことりとカウンターに置いた。
「べつに戦う気のない者も、家を追い出され、家族を殺されたら銃を取る。……幻獣《げんじゆう》も我々も、どちらかが滅《ほろ》びるまでは戦いを収《おさ》めることはできないだろう」
「うん。幻獣は人間を一人《ひとり》残らず殺すだろうし。幻獣は全部殺すか追い払うかしないとならないしね」
「……私の父は、違うことを言っていたがな。強いということは……本当に強いということは、殺す殺されるということではないと。……私には、良くわからない。そなたが殺されたら、私は敵を許さないだろうということしかわからない。それともあの男は、すべてが幸せになる強さがあると言いたかったのか……。それが、『もっとも新しい伝説《でんせつ》』なのか……」
舞の話の本題《ほんだい》よりも、厚志は、そなたが殺されたら、私は敵を許さないと彼女が口にしたことに気を取られていた。
今まで、誰からも聞いたことのない言葉だった。
(どうして舞はそういうふうに言ったのだろう。どうしてそういうふうに言えるのだろう)
芝村は弱者《じやくしや》を守る者だという。
いずれ世界を征服する芝村にとっては、芝村でない弱者は守るべき支配対象だ《たいしよう》という。
舞が言ったのがそういうことなら、なぜ今は『そなた』に限定したのか……
(以前に未央が言ったように、自分は舞に特別に思われているのだろうか……)
厚志も、最近その可能性が高いとは思っていた。仮《かり》にこれが他人事《ひとごと》であったら、彼も判断を迷いはしなかっただろう。
しかし、厚志は自分のこととなるとひどく慎重だ《しんちよう》った。無意識のうちにその考察《こうさつ》にブレーキをかけていた。
厚志は自分を捕《と》らえていた考えを振り払って話を戻す。
「新しい伝説? 今までになかった伝説?」
「そうだな……、英雄は敵を滅ぼす。しかし敵とはなんだ? 敵の存在意義は敵対《てきたい》する相手だというだけか? 敵を滅ぼして永《なが》らえてきた人類は、それがわからずにいる。答はないかもしれない。しかし、父は、おそらく答があると考えていたのだろうな」
厚志は、『幻獣共存派《きようぞんは》のことを思い出した。
幻獣は、人類の自然破壊《はかい》に対する戒《いまし》めの存在だと主張す《しゅちよう》る者たちだ。
厚志にそれを教えた善行は《ぜんぎよう》、そのとき、こうも言っていた。
もしそうであれば、自分たちが戦っている相手は神だ。そんな考えを受け入れるわけにはいかない……と。
「芝村が幻獣共存派をかくまっているっていうのは、本当なの?」
「言っただろう。芝村はそれがなんであれ受け入れる」
煙に《けむり》巻かれたような気はしたが、厚志にとってこれは芝村一族のことを聞くきっかけにはなった。
幻獣との戦いの中に暗躍《あんやく》し、士魂号を開発、そしていずれは世界を征服するという……。
それだけならべつに興味《きょうみ》はなかったが、自分が『芝村的』と言われるようになった今では気にもなる。
いや……本当は、舞が芝村であるから気になるのかもしれない。本人がそれを自覚《じかく》しないのはそれこそ、無意識にブレーキをかけているということだろう。
「芝村一族って何?」
抽象的ではあるが、一番正直な聞き方だ。
舞は、むしろそういう単刀直入《たんとうちよくにゆう》さを気に入ったようだ。
「ふっ……。なるほど。そなたもなかなか芝村らしくなってきたな。芝村の明快《めいかい》さだ」
「そうなのかな……」
厚志には、その意味はよくわかっていない。
「いずれはそなたに話そうと思っていた。カダヤであるしな」
舞は、そう前置きして話し始める。
「……芝村は、もともと、記憶力だけは良かった。種族《しゅぞく》的にな。そういう家系《かけい》だった。そういう人間同士がたまたま偶然《ぐうぜん》結婚を繰り返していた。その結果だ。そしてそのうち、べつのことを考えるようになった。この力を、何かに使おうと。芝村はすべてを覚えた。日に入るものすべて。耳に聞こえるものすべて。そして伝え始めた。べつに意味もなく、理由もなく。そのうちに、べつのことが言えるようになった。我らは、この惑星《わくせい》の記憶だと。我らは覚えている。
人がなんで、何をしてきたかを。良いことも悪いことも、そのすべてを」
「惑星の記憶? それは語《かた》りべみたいなもの?」
「語りはしない、ただ覚え蓄《たくわ》えてきた。今まではな。すまん。おやじ、茶をくれ」
舞は店の親父《おやじ》がカウンターに置いた茶に手を伸ばしたが、口にはこぶことはせず、カウンターの上で、湯呑みを両手で包んだり離したりしながら話を続けた。冷めるのを待っているらしい。
「私の父は言っていた。そなたを守るためにはヒーローがいると。娘を守るには、竜《りゅう》を狩《か》る者がいると。そして、未来を知る奴《やつ》は我らの親族《しんぞく》を説得《せつとく》し、我らは、知っているだけをやめた。理由があるから結果がある。そして我らは幸か不幸か、人類のすべてを知っている。細かい個人の人生はともかく、な。言い方を変えれば、『ヒーロー』の理由、あるいはその原因を、我らはすべて記憶しているわけだ」
厚志は舞が話すのを注意深く開いている。
芝村の由縁《ゆえん》とその目的を彼女の言葉の中に探ろうと、耳を澄《す》ませていた。
「決定的なものが何か、それはわからないが、我らは知っている。『ヒーロー』の条件を。それは実際、なんの意味もないかも知れぬ。だが、何もせぬよりはいい。父の好きな言葉だ。だが、何もせぬよりはいい。いずれ現れる、ヒーローの手助けをしよう。我らの知識を教えよう。人類が積み重ね、何代にもわたって磨《みが》きあげてきた力と技《わぎ》の数々を」
「人類のすべてを知っているから、ヒーローが必要だと考えたんだね?」
「そして、それが必ず現れることも知っていた」
舞は今度は少しだけ茶を口に含《ふく》み、ゆっくり飲みこんだ。
「そなたは芝村を恐《おそ》れない。芝村を敵と考えずに接触《せつしよく》してきた。やはり、我々に近いのだと思うぞ。我らに近づくということは、戦闘|本能《ほんのう》が強いか、あるいは極端《きよくたん》に弱い人間ならできる。何が敵で、敵でないか、それを見分けるのは、強い生物と、弱過ぎる生物ならできる。そなたは、本質的に強いのだろう。我らの行動や言動は普通、敵と見えるようになっているからな。
これを擬態《ぎたい》と看破《みやぶ》るのは、強いか、弱過ぎる証拠《しようこ》だ」
「べつに看破ったとか、そんな感じじゃないけど。きみを見てて、べつに敵だなんて思わないよ」
「しかし、私を嫌う者は多いぞ。この間も刺されそうになった」
厚志は、舞があまりに平然《へいぜん》とそれを言ったので、すぐには反応できなかった。数秒間《ま》があってから、いきなり……。
「刺されそうになったってー」
厚志の声に驚いた店の親父が、皿《さら》を落とすほど、あわてふためいた大声だった。
厚志が呼吸を整《ととの》える間に、舞は残ったお茶を飲み干す。
「心配するな。むざむざ刺されはしない。慣れてもいるしな。……我らを敵とせず、その本質を見抜いたものはここではそなたくらいだ。だが、他に例がなかったわけではない。この世界に本来《ほんらい》ないアポロニア・ワールドタイムゲートの力を体現《たいげん》する者。あるいは、最近消滅《しようめつ》したウスタリ・ワールドタイムゲートを渡ってきた者。それに、青とかOVERSとかいう存在。これらは、いずれも我らに接触してきた。今、そなたが接触してきたように」
「何それ?」
聞き慣れない言葉の羅列《られつ》に、厚志は思わず声を発していた。
「来訪《らいほう》者とでも言うべきか。……だが、いずれも私は、確信がもてなかった」
「何を確信するっていうの? 芝村の味方《みかた》かどうかってこと?」
「ヒーローの出現に確信がもてなかった。『ヒーロー』は、本来|特殊《とくしゅ》な力を持たないからだ。むしろ、それまで接触してきたような、特別な力を持つ者はヒーローにはなれまい。ヒーローは、ごく普通の人間の中から生まれるというのが、芝村の知恵が教える結論だからな。ヒーローは力に宿《やど》る存在ではない。本当に強いということは、力があるということではない。坂上《さかうえ》の授業で習ったように。本来のヒーローは、その学習能力にこそある。どれだけ負けても戦闘《せんとう》を継統《けいぞく》し、問題を学習し、また戦う。最強な《さいきよう》わけだ。負けなくなるまで成長するのだから。それも能力が上がるわけではない。動きが変わるのだ。動きが。形なきゆえに記録に残らないこの動きが、ヒーローの根幹《こんかん》だ。人間ならば誰もがこの能力をもっている。だが、中にはこの能力を異常に発達させた者がいる。我らや、あるいは、ヒーローだ」
「わかった気がする……。芝村は、ヒーローを出現させるための呼び水の役割を負《お》っているんだね?」
舞は子どもを誉める母親のような笑《え》みを浮かべる。
「そなたは、ヒーローの資質《ししつ》があるようだ。戦場へ行き敵を狩れ。目標は、三百だ三百の首を獲《と》ったとき、そなたはヒーローになる、決戦《けつせん》存在に。その臭《にお》いをかいで、いつか、竜は――人類の敵は現れるだろう。人類に決戦存在があるように、幻獣にもまた決戦存在がある。人と、幻獣と、いずれが勝つか、それが勝負《しょうぶ》だ」
「僕が……?」
「私は、そう信じている。我《わ》がカダヤよ」
ヒーロー。
未央の死で、厚志は伝えたかった大切な言葉を永遠に封《ふう》じられた。
そして未央は、永遠にそれを聞くことがない。
この地上で戦いが続く限り、誰でも親しい者、身近《みぢか》な者を失うやりきれなさに襲われる可能性がある。
悲しみは癒えることなく、その心に積もってゆくだろう。
それを止めることができる存在であるならと、厚志は、今こそヒーローを欲《ほつ》した。
自分自身がそうだと言うなら、喜んで受け入れるだろう。
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厚志《あつし》が千翼長に《せんよくちよう》なるのにそう時間はかからなかった。
百翼《ひやくよく》長になってからわずか一週間だ。
その間に戦関が二回。幻獣と《げんじゅう》の戦力差を問題にしない大勝だ《たいしよう》った。
正式な軍であれば、そんな早急《そうきゅう》な出世《しゅつせ》はまずありえない。自衛《じえい》軍なら士官《しかん》ですらなかった者が一週間で中尉に昇進《しようしん》したことになる。
しかし、学兵《がくへい》には士官も不足している。学兵自体が新規《しんき》に導入さ《どうにゆう》れたものだし、自衛軍と差別化もされている。内部に司令系統《しれいけいとう》を作りあげるために、実力を認められた者はすぐに昇進させていたのだ。
それにしても、厚志の昇進は早い。
彼には実力もあったし、精霊手を発動《はつどう》できるパイロットとあれば一目《いちもく》置かれる。
さらに、その背後《はいご》に芝村《しばむら》があろうことは容易《ようい》に想像できた。
「すごいよなー。尊敬しちまうよ。握手《あくしゅ》してもらおうかなー」
陽平は無邪気《むじやき》なものだった。
授業の合間《あいま》の休み時間にやってきて、厚志に憧《あこが》れの視線を向ける。
「何言ってんだよ。友だちだろ?」
「友だちだけど、なんていうか、俺《おれ》ずっとさ、士魂号で幻獣を《げんじゆう》ガンガン倒してさ……。なんていうかヒーローみたいじゃん。そういうのになりたかったからパイロットになったんだよな。だからおまえは今は俺の目標なんだよ」
「ヒーローかあ……」
こそばゆい感覚と共に、何か|寂《さび》しい感じもしていた。それは、一人《ひとり》で先へゆく孤独《こどく》感だった。
陽平とは対照的《たいしようてき》に、瀬戸口《せとぐち》は冷《ひ》ややかだ。
二人《ふたり》が話しているところへやってきて言う。
「絢爛舞踏《けんらんぶとう》という化《ば》け物を知っているか?」
瀬戸口が、挨拶《あいさつ》代わりに厚志に抱きつかなかったのはこれが初めてだ。
陽平が答える。
「絢爛舞踏って勲章が《くんしよう》あるよな……」
「戦闘実績《せんとうじつせき》に与えられる賞としては最高のものだ。死の踊りを踊る化け物。幻獣を一人で三百も殺したら、もうそいつは人間じゃない。そんな数を殺せるというのはもう呼吸《こきゆう》するように殺し、殺すことで生きている化け物だな」
厚志は、舞が、三百の幻獣を狩《か》れと言ったのを思い出した。それは絢爛舞踏を獲《と》れということだったのか……と。
しかし、それは幻獣の決戦存在を呼ぶとも舞は言っていたのだ。
「それで戦いが終わるんなら。他人から化け物と呼ばれてもしかたないかもね」
「え? おまえ、絢爛舞踏を狙《ねら》うの?」
陽平は両手で厚志の机を《つくえ》ばんっと叩《たた》いて身を乗り出した。
厚志はそれには答えない。
瀬戸口は厚志の顔を覗《のぞ》きこんで言う。
「前に、俺は坊《ぼう》やのことを芝村みたいだと言ったな。今は……その目、その言い様《よう》は芝村そのものだ」
そして、厚志の後ろに回りこむといきなり厚志の首に腕《うで》を回してくる。
「あー、また……」
瀬戸口は厚志がもがくのを押さえこむように体重をかけ、彼の耳もとで囁《ささや》く。
「まあ、俺は干渉は《かんしょう》しないよ。だけど周りにそんな化け物はいて欲しくないからな。坊やがそうなったら|寂《さび》しいかも。坊やはいつでも僕の腕の中にいて欲しいしわ」
「なななな……」
そんな二人を見て陽平は滴《も》らす。
「いいなあ……」
なんだか、厚志はいろいろ身の危険を感じていた。
登校して校門から玄関へ向かうスロープを登っていると、厚志は前を歩いている舞を見つけた。
いつもは、つかつかと早足《はやあし》で歩く舞が、今日《きょう》はなんだか歩幅《ほはば》もせまくとぼとぼと歩いている。
厚志は舞を一旦《いつたん》追い抜いて振り返り、おそるおそる話しかける。
舞は足を止めて、厚志を睨《にら》んだ。
「な……。何?」
「考えごとをしていた。それだけだ。元気がないなどと私に言うな。そなたに言われると、ことさら腹がたつ」
「僕に関係のあることだから?」
厚志にしては鋭い指摘《してき》だったようだ。
舞は、厚志から目を逸《そ》らし、唇を噛《か》む。
「そなた、最近|遠慮《えんりよ》がないな。それはそれでいい。いや……むしろ喜ばしい……。馬鹿者! だからこそ考えこんでしまうと言うのがわからぬか……」
「久しぶりに、わけわからないね」
厚志は、舞の目の前で少し首を傾《かし》げてにっこり笑った。
「何をする! そんな顔を私に見せるな! 馬鹿者! 馬鹿者! 私を罠にはめるつもりか! では教えてやろう! 私は自分が、そなたのことで思い違いをしていないかどうかと不安なのだ。わかったか。そんな顔をされたら、ますます思い違いかもしれぬ考えに捕《と》らわれるではないか!」
舞はいつもの歩き方に戻って厚志を追い越そうとする。
厚志はスピードを合わせて舞の隣を《となり》歩いた。
「きっと、思い違いじゃないよ……」
舞はそこで、またぴたりと足を止めた。
厚志もそれに倣《なら》い、舞のほうに向き直る。
「私が聞くのは筋違《すじちが》いかもしれんが……。壬生屋《みぶや》のことはもういいのか?」
厚志はその名……壬生屋と聞いて、頭の中が白くなりかけて一瞬《いつしゅん》意識が飛びそうになった。
しかし、それはあくまでも一瞬のことだった。
「不思議《ふしぎ》なんだよ。まだそんなに日も経《た》っていないのに……。僕《ぼく》は冷たいのかな……。ごめんね、こんなこと言って……」
「謝《あやま》るな。話を始めたのは私だ。冷たいということではないだろう。戦争などやっていると時の流れは速《はや》い。一週間は半年にも匹敵《ひってき》する。二週間なら一年だ。人の生き死にのことばかりでなく、すべてがそう思える。戦争などしていると、おそらく誰《だれ》でも後ろを振り返ることはやめるものなのだろう。それは普通のことだ。たぶん、戦いが終わったときに、早足で進んだ時間が帳尻《ちようじり》を合わせようとするだろう。そのときにまた考えればいい。……私が言うのは虫がいいかな……」
「いや……」厚志は何か言いかけてやめた。
いつもの舞ならはっきりしない態度をもどかしく思うのだろうが、このときは二人で黙ってプレハブ校舎に向かって歩いた。
最近ホームルームは、出欠を取って遅刻したものが叱咤《しった》され……だいたいはそれで終わりだ。
本田《ほんだ》ももう学兵《がくへい》たちに言うことは言い尽《つ》くした様子《ようす》だし、日々は軍隊の活動にウエイトを移していた。
出欠を取るといっても一クラス十人ほどだから、本田が教室を見渡《みわた》すだけで終わりだ。
学兵たちを激励《げきれい》したあと、本田はそのまま続ける。
「……それとだな……、速水《はやみ》。なんか知らんが、準竜師閣下《じゆんりゆうしかつか》が直接おまえと話したいそうだ。玄関《げんかん》まで行ってこい。急げよ」
「はい……」
厚志は席を立って教室を出る。
準竜師が直接会うなど、今までなかったことだ。何か伝えることがあるときは、いつも通信だった。
実際、準竜師は小隊《しようたい》の面倒《めんどう》をみる以外にもいろいろ忙し《いそが》いのだろうし、いちいち出張《でば》っているわけにもいかないのだろう。
それが、なぜ今回に限って……。
厚志には心当たりがない。次の昇進にしたってまだ早いし、たとえ昇進であったとしても、たまたま暇《ひま》だから、今回に限り直接辞令《じれい》を出す気になったとは考えにくい。
玄関で待っ厚志の前に、校舎の陰から突然《とつぜん》準竜師は現れた。
厚志が敬礼《けいれい》して直立《ちよくりつ》の姿勢を取ると、準竜師は品定《しなさだ》めするように、歩きながら彼を見る。そして、厚志の前で歩みを止めると、その日をじっと見据《みす》えた。
「……準竜師。そろそろ、次の予定が……」
準竜師の供《とも》をしてきた士官《しかん》が、おそるおそるといった感じで言った。
「わかっている」
そう返事するときも、準竜師は厚志から目を離さなかった。
そうしてようやく口を開く。少し満足げな笑《え》みを浮かべているように見える。
「……厚志。今日から芝村を名乗《なの》るがいい。新興名士《しんこうめいし》の名ではあるが、その名は役に立つこともあるだろう。もともと私も、芝村ではなかった。芝村になったのだ」
「はっ」
『芝村になる』
厚志はそれを命令として受けたのか、厚志の能動《のうどう》的な返事だったのか……。どちらでも同じだ。
確かなことは、準竜師の言うように、それは役に立つだろうということだ。
「あとは……好きにせよ。おまえが正しければ、おまえは勝つだろう。困ったら頼るがいい」
準竜師は士官がさし出した木箱から勲章を《くんしよう》取り出し、自ら《みずか》厚志の胸に留《と》めた。
WCOP勲章……。それは、厚志が認められた証《あかし》。芝村としての最初の援助《えんじよ》なのだろう。
しかし、厚志にとって、自分が芝村であるかどうかはどうでもいいことだった。
つまるところ、芝村という組織《そしき》、その一族は見かけとは裏腹《うらはら》に非常に柔軟《じゆうなん》で間口《まぐち》が広い、芝村のこだわりは弱者《じやくしや》を守ること、それだけだ。
当然だ。彼らはヒーローを自ら《みずか》に呼びこみ、それを助けようというのだから……。
それにしても……。
芝村がヒーローと接触を因《はか》るための組織《そしき》であり、必然《ひつぜん》として厚志が舞と知りあったとしても、厚志にとって舞は、単なる芝村に通じる接点ではなかった。
授業が終わって整備《せいび》テントで二人きりになったりすると、お互《たが》いに仕事も手につかない。
WCOP勲章を受けたことは、厚志と舞の関係にも影響していた。
厚志は無性に《むしよう》舞と話をしたかった。カダヤのこと、芝村のこと……。
それを言いだそうとすると、妙に《みよう》意識して緊張し《きんちよう》てしまう……。
それは舞のほうも同じだった。そんなだから気軽《きがる》に話さえできなくなる。無理に会話をすれば、なんともわざとらしい天気の話などを二言三言交《ふたことみことか》わしてまた無口《むくち》になってしまう。
そんな状況《じようきよう》を救ってくれるのは第三者《だいさんしや》の存在しかない。
例えば、原《はら》班長のようなきびきびした雰囲気《ふんいき》の人間や教官がいてやっと普通になる。整備テントにやってきた坂上が士魂号《しこんごう》の整備用パネルのあたりをうろつき始めると、ようやく二人とも我《われ》に返って仕事に集中もできた。
「そなた、声がよいな」
坂上がいるうちにと、一気《いつき》に調整《ちようせい》をすました舞は、やっとまともに厚志と話をできる状態になっていた。
「そんなことないよ」
厚志もなんとか煩悩《ぼんのう》を横にどけることができていた。
「そうか?ではそなたの勘《かん》違いだろう。私の耳は確かだぞ。ひとつ、本格的に歌の練習をしてみたらどうだ。そなたなら、絶技《ぜつぎ》を使えるやも知れぬ」
「絶技……って。精霊手みたいなのじゃなくて? まさか精霊|喉《のど》とか精霊声とか、そんなやつ?」
半分は冗談《じようだん》だが、半分は本当にそうなのかもとも思っていた。
「絶技が何か、だと? おとぎ噺だ《ばなし》。ヒーローがもつ学習能力、言い方を変えれば、適応《てきおう》能力を普通の人間に説明するのに使う架空《かくう》の存在だ」
厚志は、ああやっぱり。たぶん士魂号にまだ妙な秘密《ひみつ》があるんだ……と考えこんだ。
「ふふっ、何を真面目《まじめ》な顔をしている。今のは一流の冗談だぞ。あまり面白《おもしろ》くなかったか。まあ、我《われ》らは冗談が下手《へた》だからな。そんなものを練習するヒマはなかった……。代わりにそなたに会えたと思えば、いいか。普通に育てば、そなたとは会えなかったろう。猫とも触れる機会《きかい》はなかったが、それも、このためと思えば許せる」
冗談が下手な二人の会話は、多少くだけて話したところで間《ま》が抜けている。
しかし、舞が厚志の声がいいと言ったのは冗談のつもりではなかったようだ。
舞は少し真顔《まがお》になる。
「軍楽《ぐんがく》や軍隊歌の一つや二つなら、そなたも歌えよう? 前に歌っていたな。祝賀《しゅくが》会のときだ」
「あ。そういえばあのとき、壬生屋さんにも言われたっけ……」
舞はまた微笑《ほほえ》む。
「そなたが戦うときにその歌を歌えば、人は、ただそれだけで心を揺《ゆ》さぶられよう。歌はただの歌だが、重要《じゅうよう》なのは聞き手の心だ」
その会話を聞いていたのか、坂上が二人の間にぬっと首を出す。
「苦しいとき、辛《つら》いとき、歌を歌いなさい」
それだけ言うと、何事もなかったかのように、鼻歌《はなうた》を歌いながら後ろのパネルのほうへ戻っていった。
「なんか辛いことがあったのかな?」
「たぶんな……」
短い沈黙《ちんもく》があったあと唐突《とうとつ》に舞が切りだす。
「厚志。強いものはどうあるべきだ」
「弱者《じやくしや》を守る……だね」
「そうだ」
舞は、すべての決定権が自分たちにあることを厚志に伝えた。
厚志も、もうそれを心得ている。準竜師がWCOP勲章を与えたのも、象徴《しようちよう》であり、暗《あん》に彼にそれを示唆《しさ》することでもあったはずだ。
「それで、次は何をするの?」
舞は、口の端《はし》を持ち上げてにやりと笑った。
「敵に逃げられては困るな。敵戦力が残る。戦いは敵を全滅《ぜんめつ》させるのが理想だ。……そこで、敵を追いこんでこれを撃破《げきは》する。包囲《ほうい》戦だ。逃げられなくして敵と戦う。成功すれば、敵の戦力を大きくくじけよう。具体的には、熊本《くまもと》の全幻獣を一点に集め、これを我らが撃破する。幸《さいわ》い、熊本中心部には、戦場向きの場所がある」
厚志にはそんな場所は思い当たらない。
「熊本の中心? 街中《まちなか》に幻獣を包囲するってこと?」
市街《しがい》戦は、長期化しがちだからあまり有利《ゆうり》とは思えない。幻獣と人間を比べればやはり人間のほうは気力に《きりよく》支えられて戦うものだし、長期戦でそれをすり減らすのは得策《とくさく》ではないはずだ。
しかし、市街戦に持ちこむと思ったのは厚志の読み違いだ。
「……なんだ、知らないのか? 博物館《はくぶつかん》の隣、《となり》ブールのそば……、そうだ。熊本城だ。どうせ天守閣《てんしゅかく》は再現されたレプリカだ。今さらどうなっても許されよう。それに城はもともと戦うために造られたのだ。もっとも、今回は逆。攻めるために使うのだがな」
城というのは本来、守るに有利なものだ。
熊本城に幻獣を呼びこみ、これを外から攻めるというのは一見不利《いつけんふり》なように思えるが、昔の戦と《いくさ》は文字どおりスケールが違う。
巨大な幻獣は、城に押しこめられ戦術《せんじゆつ》的な展開《てんかい》を制約《せいやく》されるだろう。
舞の思惑《おもわく》どおり『まとめて叩く』にはもってこいといえる。
「どうやって、幻獣をそこに…‥? 何か幻獣がそこに集まる必然《ひつぜん》のようなものがあるの?」
「これから作る。幻獣たちがどうしても来なければならない価値《かち》をな」
「作るって……。幻獣のことはほとんど何もわかっていないのに、どうやって罠を張るっていぅの? 敵が乗ってこなかったら、こっちはただ兵力を集約《しゅうやく》するリスクを負《お》うだけになるよ」
集めた幻獣を叩くにはこちらもそれなりの兵力がいる。おそらく熊本全域《ぜんいき》から掻《か》き集めることになるだろう。
つまり、無駄《むだ》に兵力を集めれば、必然的にその他が手薄《てうす》になるということだ。
そのリスクを冒《おか》しても兵を動かすためには、軍が納得《なつとく》する確実な方法でなければならない。
「ただの人間ができないからと言って、芝村までできないと思ってもらっては困る。我らはただの人間から生まれたが、今は芝村だ」舞は自信満々《まんまん》に言ってのけた。
厚志も芝村の力は認めていた。
彼らはやると言ったことはどんな手段《しゅだん》を優ってもやり遂《と》げるし、そこに不安すら抱《いだ》かない。
「面白いね……。というより、いずれは思い切ったことをやらないと進展《しんてん》はしないからね」
厚志の言葉に、舞はふっと楽しげに笑った。
「それにしても、そなたもずいぶん芝村だな。その表情、似合《にあ》うぞ」
自分がどれだけ自信に満ちた顔をしているか、厚志は気がついていなかった。
厚志の予想を越えて、芝村の行動は迅速《じんそく》だった。
舞が熊本城を使う作戦を口にしたのは前日《ぜんじつ》だった。そして今日、わずかに一晩《ひとばん》をおいて、それは現実になっていた。
ホームルームの最中、《さいちゆう》本田の話を遮っ《さえぎ》ていきなり教室の扉が《とびら》開かれた。
緊張した面《おも》もちで入ってきたのは、坂上だった。
「すみません。今日は直接私が話します」
学兵たちにとっては、本田も坂上も同じ教官だが役割分担《ぶんたん》はある。本田はどちらかといえば軍の規律《きりつ》と学業の担当で、坂上は兵器や戦術の専門知識《ちしき》で比較《ひかく》的軍寄りの色が強い。軍|上層《じようそう》からの通達《つうたつ》などは、まず坂上が受けている。
おそらく、坂上自身もたった今受けた通達事項《じこう》だったのだろう。本田に伝える時間はなかったというわけだ。
「おわっ」
本田は、のしのしと教壇《きょうだん》に上がってきた坂上に気圧《けお》され、仰《の》け反《ぞ》るように教卓を彼に譲《ゆず》った。
「すみません。先ほど、九州《きゆうしゅう》中部|戦域《せんいき》の全軍に指令《しれい》が下《お》りました。最重要《さいじゆうよう》コードです」
教室の中は、坂上の言葉の続きを待って静まり返った。
「幻獣の正体、幻獣のオリジナルが眠る古代遺跡《こだいいせき》が、熊本城の地下で発見されました」
「本当……ですか?」
善行が思わず声を発したのは理解できる。
幻獣の正体がわからなかったのは、人類にとって圧倒《あつとう》的な不利だったのだ。唐突《とうとつ》に知らされるには、あまりに大きな事実と言える。
「はい、かなり大規模《だいきぼ》な、ね。なんであそこに古代の山城《やましろ》があったか、学者先生の謎《なぞ》も解けたというところです」
それが事実かどうかはわからなかった。芝村が知りながらも隠匿《いんとく》していた事実なのか、まったくのでっちあげなのか…‥どうであれ、学兵たちに重要なことは、実際に軍が……自分たちが動くということだ。
「我《わ》が小隊以下十個の小隊および自衛軍が、これを防衛《ぼうえい》するために緊急《きんきゅう》配備されます」
本田はそれがどういう規模の数なのか、すぐに理解した。
「熊本全軍の十分の一を……ですか」
戦力の二割を削《けず》られれば敗北《はいぼく》と判断される戦闘で、各地区の兵力の《へいりよく》一割をあらかじめ削《そ》ぎ落とすことになる。
「必要なら半分を突っこむことになるでしょう。今回はそれだけの価値《かち》があります。明日《あす》の早朝《そうちよう》から警備《けいび》に入ります。本日の授業は全部中止。戦闘準備を開始してください」
厚志は、この場にいる他の誰とも違う疑問を抱いていた。
芝村は、いったいどうやってオリジナルの幻獣などという破天荒《はてんこう》な話に軍を動かせるほどの信憑《しんぴよう》性を与えたのだろうか。
舞はそれには触れず、ただ、自分の確信だけを厚志に言った。
「……ひょっとしたら、幻獣自身も、自分がなんであるか、わかっていないのかもしれぬ。だから戦闘は起きるだろう」
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各方面から集められた部隊が熊本城に集結《くまもとじようしゅうけつ》した。
兵器を搬入す《はんにゆう》る際には、市内の道路に巨大なトレーラーが列をなし、上空《じようくう》には輸送《ゆそう》ヘリが群れていた。
配備《はいび》が少ないといわれる士魂号《しこんごう》も、集めればそれなりの数になる。十機近い士魂号を有《ゆう》する部隊が、熊本城を背景《はいけい》にそれを行進させているのは、壮観《そうかん》なのを通り越して異様《いよう》でさえあった。
敵は四方《しほう》から来るだろう。そしてオリジナルの幻獣と接触す《げんじゆうせつしよく》るため、城の深くに入りこもうとする。
人類側は、敵の集結を防ぎつつ、適度《てきど》な数の幻獣をあえて城内に誘いこみ、攻守《こうしゅ》を入れ替えて包囲《ほうい》戦に移る。
作戦の要《かなめ》は、敵を包囲する部隊よりも、敵の戦力を集中させないよう壁《かべ》となる部隊のほうにある。
5121小隊は、後者《こうしや》の担当《たんとう》になった。
今までのどの戦いよりも、熾烈《しれつ》になるだろうことは容易《ようい》に予測《よそく》できた。次々に合流し《ごうりゆう》てくる敵と絶《た》え間《ま》なく戦い続ける長期《ちょうき》戦になる。
「言いだしたのは我《われ》らだ。当然、一番|辛《つら》いところは我らが行う」
待機《たいき》中の士魂号のコックピット。厚志の背後《はいご》で舞は言った。
小隊《しようたい》の担当に根回《ねまわ》ししたのも、芝村《しばむら》に違いなかった。
幻獣たちは、昨夜《さくや》から明らかに熊本城に集結する動きを見せていた。5121小隊が配備を完了し《かんりよう》た明け方には、幻獣が熊本城を目標にしているのは確実なことになっていた。
もう時間の問題だった。
「第一陣《じん》は北から来ます。しかし、これは素通《すどお》りさせて自衛《じえい》軍にまかせることになります。我々の担当は東から来る敵の第二陣。天守閣《てんしゅかく》には入れずに食い止めなければなりません」
善行が《ぜんぎよう》全隊員に指示した。
もう作戦は始まっている。
「幻獣との接触ま《せつしよく》で、推定《すいてい》二十分」
哨戒《しょうかい》ヘリが送ってくる情報《じようほう》をもとに、瀬戸口《せとぐち》はすでにカウントダウンを開始していた。
「やるぞ、厚志《あつし》。我らはとりあえずここまで来た」
舞《まい》の言う意味を、厚志も理解していた。
これからはヒーローへの第一歩を踏《ふ》み出すということだ。厚志自身の挑戦《ちようせん》でもある。
「うん。必ず勝つよ。これは、人類の全軍の中の日本という国。その中で熊本という地を担当する僕《ぼく》たちが……僕が、これからの流れを変える。前に司令《しれい》が言ってたことが具現《ぐげん》化した戦いだよ」
「そうだ。そして何より、守るべき弱者《じやくしや》のためにな」
舞が、それを言い終わると同時に、善行の命令が下った。
「臨戦《りんせん》態勢! 士魂号各機リフトアップせよ」
それは、無線《むせん》と野外《やがい》のスピーカlの両方で厚志たちに告げられた。
続いて、瀬戸口《せとぐち》とののみ。
「接触まで十五分!」
「がんばってなのよー」
陽《ひ》はまだ低く、士魂号を正面から眩《まばゆ》く照らしていた。
自衛軍と他の学兵たちの部隊が敵と接触した。城内奥に誘いこんで戦う部隊だ。
そして、その約十分後に、厚志たち5121小隊の眼前《がんぜん》に敵が現れた。東の上空にスキュラやきたかぜゾンビが目視《もくし》できる。
「全軍突撃! ガンパレード!」
善行が言った。
足の速《はや》いきたかぜゾンビが、編隊《へんたい》となって上空を舞《ま》っている。
地上の幻獣はまだこちらには届かない。濠《ほり》が対噂《たいじ》する二つの戦力を区切ってはいるが、おおむね平坦《へいたん》な場所で正面からやりあうことになる。
士魂号三号機は、それらを射程《しやてい》内に収《おさ》めるために一気《いつき》に走りこむ。
「厚志。いつもとは違うぞ。大|物狙《ねら》いより数を減らすのが先だ」
「うん。どっちみち、最後には全滅《ぜんめつ》させなくちゃならないからね」
オリジナルの幻獣を目標にしている敵は撤退しないだろう。物量で突破してくるつもりだ。
それを見越して、厚志は三号機にいつものジャイアントバズーカを装備《そうび》してこなかった。代わりに、長期戦には対応できるようジャイアントアサルトを士魂号の両手に携《たすさ》えてきた。
射撃《しやげき》と移動を繰り返して敵のマークを外《はず》しながら、射程に入ったきたかぜゾンビを片っ端《ばし》から堕《お》としてゆく。
「弾《たま》が尽《つ》きるまでは、銃で《じゆう》相手してやるよ」
足の早い敵が残っているうちは、精霊手《せいれいしゅ》よりも、連射《れんしや》できるジャイアントアサルトのほうが都合《つごう》がいい。
一方《いっぽう》、陽平は濠を回りこんでくる敵を押さえている。
「お株《かぶ》を取られた感じだな」
陽平が言うように、いつもは陽平が銃を撃ち続ける戦法《せんぽう》だ。しかし、今回は厚志もジャイアントアサルトを二|丁《ちよう》持ってきていたから、序盤《じょばん》はどうしたってひたすら撃ちまくることになる。
陽平と厚志のやり方に違いがあるとすれば、陽平が士魂号の回遊《かいひ》性に賭《か》けてほとんど脚を止めて敵を迎え撃つのに対し、厚志はつねに動きながら撃っている。手数《てかず》は減るが、長期戦での生き残りにはそのほうが通しているといえる。
「岩田《いわた》は何をやっているんだ?」
陽平の嘆《なげ》くような声が、厚志にも聞こえてきた。
未央《みお》に代わって一号機を操《あやつ》るのは、整備《せいび》班から最近パイロットに異動《いどう》した岩田|裕《ゆう》という学兵《がくへい》だった。つねに人を煙に《けむり》巻く冗談《じようだん》を考え、実行するつかみどころのない男だ。
「普通に戦うのは嫌いです。全然だめ」
そんなことを言いながら、敵に突進《とつしん》していったかと思うと、くるっと背を向けて最後方《こうほう》に下がってしまう。
「こらっ! やる気あんのか!」
陽平がいらつくのももっともだが、彼の奇行《きこう》はそれで終わりではない。
ふたたびくるっと身を返した岩田の一号機は、長射程のバズーカで敵を狙《ねら》い撃つ。
もともと破壊《はかい》力があるから一撃で敵を沈めるぶん、無駄《むだ》な動きをしたのを帳消《ちようけ》しにするだけの効率《こうりつ》はある。
バズーカは単発《たんぱつ》だが、後方で悠々と補給で《ほきゅう》きるから攻撃が途絶《とだ》えることもない。
舞が、ふっと笑《え》みを漏《も》らす。
「ふっ……。まあ、三号機と二号機が、前線で撃ちまくっているから、援護《えんご》には最適だな」
厚志もそれには同感だった。
「わかっていてやっているのかどうかが、今いちわからないけどね……」
陽平は、とりあえずは納得《なつとく》はしたようだったが、それでも不安は残る。
「前線を、厚くしたはうがいいと思うけどな。敵に突破《とつぱ》して入りこまれたら、作戦失敗なんだから……」
「いや、三機の士魂号が全部前に出たら、突破されたときにあとがない。あれで取りこぼしを叩《たた》いてくれるということもあろう」
ただ、それが通用するのが今だけだというのは、三人ともわかっていた。岩田も自覚《じかく》があるなら四人だが……地上の……、とくに耐久《たいきゅう》力の高いミノタウロスや、スキュラが前に出てくる。
そうなったら、結局は後退して前線を下げつつ対処《たいしよ》しなければならなくなる。
「きたかぜゾンビはだいたい片づいた」
厚志に言われるまでもなく、戦況を監視《かんし》し続けていた舞にはわかっていた。
「濠を挟《はさ》んで地上のザコ……、射程の長い奴《やつ》を減らしておこう」
「うん。今、入力《にゆうりよく》した」
三号機は、濠を挟んで地上の敵を狙いやすいように向きを少しだけ変えた。
ほぼ同時に、後方の指揮《しき》車から通信が入った。瀬戸口《せとぐち》だ。
「敵、増援《ぞうえん》接近中!」
それはあらかじめ想定《そうてい》されていることだった。
今回は、幻獣は後ろから次々と押し寄せてくるだろう……。
戦場に、変化が訪れ始めていた。
陽平の砲火《ほうか》がやみ、二号機は濠を渡って敵中に飛びこんでゆく。
「くそっ! 弾切れだ。接近戦に切り替えるぞ」
「待ってよ、陽平。先は長いんだ。一度後ろに下がって装備を整えれば……」
「その間に、向こうがこっちに入りこんでくるぞ」
壕を回りこんでこようとする幻獣を、二号機がせき止めた形になっている。それは必要なことではあったが、敵を密集さ《みつしゅう》せ集中攻撃を浴《あ》びる危険がある。
何人かのスカウトが二号機を援護《えんご》はしているが、敵の援軍も近づいている状態で早々《そうそう》にダメージを受けるのはまずい。まだ戦いは始まったばかりだ。
三号機もキメラを倒したところでジャイアントアサルトの弾が尽《つ》きていた。
「厚志、給弾《きゆうだん》しているヒマはないぞ、精霊手《せいれいしゅ》だ」
「精霊手のレンジの広さなら、陽平に向かっているスキュラもフォローできるな……」
厚志の言ったのは独《ひと》り言《ごと》に近かったが、舞はそれに同意《どうい》の声をかけた。
「それに、精霊手ならザコ優先《ゆうせん》ということもなかろうしな」
一撃でスキュラを沈められる精霊手に、スキュラもゴブリンもないというわけだ。
厚志は、精霊手の発動《はつどう》を多目《たもく》的結晶を通じて士魂号に指示した。
「一号機、そろそろ前に出てよ。数が足《た》りなくなってきた。前線構築《こうちく》に参加して、スカウトや車両の盾《たて》になって!」
「幻獣に厳重《げんじゆう》注意!」岩田の駄洒落《だじやれ》に突っこむものはいなかった。
一号機は、ジャイアントバズーカを捨てると一気《いつき》に前に出た。
残った装備は接近戦用の超|硬度大太刀《こうどおおだち》だが、二号機の反対側で敵が疎《まぼ》らだから、スカウトを引き連れていればなんとかなる。
「厚志。精霊手が使えるぞ」
厚志の掌《てのひら》に現れた太陽の模様《もよう》の発光《はつこう》は、多巨的結晶を通じ、士魂号のシステムに中に封印《ふういん》された精霊手の制御《せいぎよ》シーケンスを発現《はつげん》させている。
それと同時に三号機の右《うで》腕も発光を始めた。
「予定どおりスキュラをやるよ」
以前の未央のことがある。脚《あし》の止まっている味方をスキュラにマークされたくなかった。
「消えろ」
三号機の腕から光の東《たば》がその手の延長となりスキュラの体を撫《な》でるように横切った。
空中でふらついたスキュラは下降し始めたかと思うと、蒸発《じようはつ》するようにそのまま消えてゆく。
「場所を移してもう一度やる」
三号機は、少し後退《こうたい》ぎみに飛んで、二号機に向かっているミノタウロスを捕捉《ほそく》した。
「二号機、敵の攻撃により損傷《そんしよう》!」
不意《ふい》に、瀬戸口が告げた。
「陽平。大丈夫《だいじようぶ》?」
未央の戦死以来、被弾《ひだん》の報告が入る度《たび》に、厚志は不安を隠し切れなくなる。
「全然平気。だけど……接近戦は性《しょう》に合わないなあ……」
陽平はそうは言っているが、ダメージを受けたことには変わりない。わずかな機能低下が引き金になって、あとあと致命傷を《ちめいしよう》受ける原因にならないとも限らない。
厚志と陽平の間に舞が割りこむ。
「二号機は一度下がるがいい。体勢《たいせい》を立て直してこい」
「しょうがないな。そうするか……。もう一撃したら……」
二号機は連係《れんけい》動作で目の前のヒトウバンにキックを見舞《みま》うまでのプログラムを入力済みだった。
厚志は精霊手でミノタクロスを撃破、これも一撃だった。
「六体目!」
厚志は、倒した幻獣の数を自分でカウントしている。
「無理しないで、前線をお壕のこっち側まで下げてぇ。今やられたら、めーなのよー」
厚志はいいペースで敵を倒していたが、もともと物量に《ぶつりよう》差があるうえに、あとあとのことを考えるとののみの言うように、今、ダメージを受けるわけにはいかない。
「しかたがないな……」
二号機に続き、三号機も一度|後方《こうほう》に下がった。
今までせき止めていた幻獣たちが、濠を越えてなだれこんでくる。
「一号機も下がれ」
瀬戸口が岩田に指示するのが聞こえる。
しかし、一号機はミノタクロスと継続《けいぞく》してやりあっている。
「捕まっているのかな?」
「いや、パイロットなりたての奴《やつ》の病気だな。引き際《ぎわ》がわからんらしい」
舞の言うことを裏付けるように、レシーバーからは岩田がげたげた笑う声が入ってくる。
彼はハイになりすぎている。
「ミノタウロスの攻撃により、一号機に損傷。回避《かいひ》率低下!」
瀬戸口が叫んだ。回避率の低下というのはあとで致命的になりかねない、しかも、敵の後方で、待機《たいき》していた感じのスキュラが、突然一号機を捕捉してきたのだ。
後退中の三号機には、どうすることもできなかった。
「一号機! スキュラのレーザー攻撃にて大破《たいは》!」
「めーなの!」
瀬戸口とののみの悲痛《ひつう》な声は、パイロットが絶望的であることを、厚志にも知らしめていた。
「なんでそんなに簡単に死ぬんだよ……。ばかやろう……」
戦場での命のあっけなさを、厚志は思い知った。
死は、生きてこそありうる可能性を一瞬で《いつしゅん》奪っていく。
生きて言うはずだった言葉。生きて聞くはずだった言草…‥。
それはこの世界から消失《しようしつ》し、もう二度と戻ってこない。
戦いの中で人は簡単に死にすぎる。
一号機を後方でフォローしていた若宮《わかみや》が言う。
「まずいですよ。一号機消失で穴があいて、敵がなだれこんできます」
それは、仕切《しき》り直してからの前線の位置を、厚志たちが考えていたよりずっと下げなければならないことを意味していた。
新たなポジションを探《さぐ》る舞は、もう一つの事実にも気がついていた。
「陽平! 弾の補給はまだ終わらないのか!」
「もう少しかかる。今安全|圏《けん》まで下がったところだよ」
「そこはもう安全圏ではなくなった! 急げ」
厚志もスカウトたちも、一号機の欠落《けつらく》に起因《きいん》して予定より深く後退している。
つまり、陽平は、取り残される形になりつつあった。
「な、なんだよ……。敵の射程がこっちに届いてるじゃんか……」
その声は少し怯《おぴ》えている。
二号機はナーガ三体に確実にマークされている。二体のミノタウロスも二号機に向かって接近中だった。
補給を終え攻撃に移ろうというとき、二号機はそれらの幻獣が一斉《いつせい》に放った攻撃を浴びた。
「うわああ!」
「駆動《くどう》系をやられたぞ。二号機! 攻撃はいい。もつと下がるんだ!」
瀬戸口のもどかしそうな声が陽平に届いた。
「方向転換している間にも攻撃はくるよ。くそ! ジグザグにジャンプして少しずつ後退するしかない……。誰か、援護《えんご》頼むよぅ……」
やたら早口《はやくち》なのはやはりうろたえている証拠《しようこ》だ。
「舞! 三号機を前進させる。陽平の脱出まで二号機の攻撃を分散《ぶんさん》させるよ」
厚志は陽平の悲痛な声にたまりかねて、意を決した。
舞をその『名』で呼びながら言ったその語気《ごき》には、強固《きようこ》な意志が感じられた。
「囮に《おとり》なるつもりか? 我らは無駄《むだ》に攻撃を食らって早死《ほやじ》にするわけにはいかないぞ」
「弱者《じやくしや》を守るのは僕の務めだ」
芝村の物言いを真似《まね》たのは、舞に対する皮肉《ひにく》でもなんでもなかったが、舞はもう厚志を止められないことを悟《さと》った。
むしろ、彼の言い様《よう》が嬉《うれ》しかった。
「そなたの思いどおりにするがいい」
ただ静かにそう言ったが、その声は何か感慨《かんがい》深げでもある。
一気《いつき》に敵の眼前《がんぜん》に走りだした三号機は、敵を挑発《ちようはつ》するように機体を横にジャンプ移動させる。さらにその動きで、陽平の盾《たて》になる位置まで移動した。
「厚志い……」
三号機が出てくるまでに、さらに攻撃をもらい続けていた陽平はすっかり気弱《きよわ》になっていた。
駆動系をやられ回避率が落ちた二号機は幻獣の攻撃をかわし切れていない。これまで回避性能に頼って戦ってきた陽平にとっては未経験ゆえの恐怖《きょうふ》だった。
幻獣のうちの何体かは、攻撃を二号機から三号機に変更《へんこう》していた。それで陽平の負担《ふたん》はだいぶ減ったはずだが、けっしてゼロになったわけではない。
「補給《ほきゅう》車まで戻るといいよ。急いで!」
厚志は陽平に言った。
補給車で応急《おうきゆう》的にできる士魂号の修理《しゅうり》などわずかだが、それよりも、陽平は、十分に後退して一度気を落ち着ける必要がある。
ジグザグに後退を続けて敵の攻撃範関を逃《のが》れた陽平は、機体の方向を変えて、まっすぐに補給車を目指《めざ》した。
「ふう……なんとかなったな。我々も後退だ、前線を組み直す。……かなり押された形になるな……」
舞は戦況の把握《はあく》に努め、三号機を後退させたポジションを探していた。
「舞。せっかくだから置き土産《みやげ》をしてゆこうよ」
それが、敵と接近しているうちにミサイルを使おうという厚志の提案だということは、舞にもすぐにわかった。
「今使うか……。そうか……そうだな」
長期戦に備えて機体を温存《おんぞん》しながら戦うつもりだった舞は、自分が慎重に《しんちよう》なり過ぎていることに気づかされた。
ミサイル発射までの間、集中攻撃の危険にはさらされるが、ミサイルをもっとも有効に使うのは今をおいてないだろう。それで追い詰められつつある形勢を覆《くつがえ》すことができるなら、倒した数以上に価値がある。
「厚志……。私はなんだか無性に嬉《うれ》しい。だが、なぜか|寂《さび》しくもめる……」
舞は自嘲ぎ《じちよう》みに鼻で笑ってから、ミサイル攻撃シーケンスを組み始めた。
「どういうことです?」
戦闘指揮を瀬戸口に任せ、善行は指揮車の中でモニター付きの通信機が据《す》えられたコンソールに着いていた。
「自衛軍の戦力は熊本城から引き上げると言った。理由はわかっておろう」
善行には、準竜師《じゆんりゆうし》がモニターの向こうで少し笑っているように見えた。
「自衛軍の戦力|温存《おんぞん》ですか? 失礼ながら準竜師、あなたの常識はそうではなかったはずです。兵を無駄《むだ》死にさせるつもりはないと……。国のために死ねとは言わないと言ったはずです」
「無駄死になどさせてやらん。それは今も同じだ。しかし常識というものが状況《じようきょう》に応じているのも事実だ」
準竜師の身辺《しんぺん》に何か変化があったのか……自衛軍の戦力温存のために学兵を盾にする。準竜師はその国の決定に逆《さか》らい、小隊を遊撃《ゆうげき》に回した。士魂号を与え陳情に《ちんじよう》応じる。学兵を優遇《ゆうぐう》したうえで意のままにし、いったい何をさせるつもりなのか……
善行には未《いま》だ彼の思惑《おもわく》がわからなかった。
ただ事実として、準竜師が自分たちを追いこもうとしている。
優遇するうえで激戦《げきせん》区へ送りこみ、生かさず殺さずぎりぎりの立場に立たせる。
しかし、今回はそれ以上の苦境を《くきょう》与えてきた。
自衛軍の戦力に退か《しりぞ》れては、もう死ねと言われているようなものだ。物量のぶつかりあう攻防《こうぼう》戦で戦力を半分にされては、敵を包囲《ほうい》することはおろか、逆に包囲されて全滅《ぜんめつ》に追いこまれるだろう。
「何か、策《さく》があるなら教えてください」
善行の目もとが小刻《こきざ》みに引きつっていた。
「以前も言ったが、おまえは自分の隊の評価《ひようか》が低過ぎる。策などない。持ち場を守り抜き、敵を一体でも余計《よけい》に倒せ」 通信は一方的に切られた。
善行はその場で自分の額《ひたい》を押さえ考えこんだ。
自分は、敵前逃亡《てきぜんとうぼう》を指揮する司令になるかもしれない……
少し離れたコンソールでは、瀬戸口がちらちらと善行のほうを気にしている。
「また嘘《うそ》で兵を奮《ふる》い立たせたらどうです?」
瀬戸口の声に、善行は顔を上げた。
瀬戸口は自分のコンソールに視線を戻して、もう善行を見てはいない。
「また、架空《かくう》の子どもを作りますか? 自衛軍がこの周囲の戦場を放棄《ほうき》しました。幻獣は敵を求めてもうすぐここへやってきますよ」
瀬戸口が、善行と準竜師の会話の内容を知っているのは確かだった。直接聞いたのでないにしても、手もとの情報を見ればそれは推察《すいさつ》できる。
「瀬戸口くん。自衛軍撤退の事実は、まだ他の人たちには知らせないでください。そのときがきたら私が言います」
そのときには、善行は自分がここで死ぬか、あとで銃殺《じゅうさつ》されるかを決めなければならなかった。
厚志たちのミサイル攻撃は成功し、5121小隊は前線を押し戻すことに成功していた。
補給車で応急整備を受けている陽平の二号機が戻ってくれば、なんとか仕切《しき》り直した形にもっていけるだろう。
「厚志!」
「何?」
「幻獣の増援《ぞうえん》だ! 四方《しほう》からやってくる! すごい数だ!」
指揮車ほどでないにしろ、三号機の索敵《さくてき》能力は他より優《すぐ》れていたから、一気に増大《ぞうだい》した幻獣の反応を捉《とら》えるのは早かった。
厚志も情報表示《じようほうひょうじ》を切り替え、舞《まい》の見ている敵反応《はんのう》の分布《よんぷ》を映しだした。
「なんだこれ! 全部合わせたらここに生き残っている幻獣の四倍の数だ!」
精霊手で最後のスキュラを撃ち落とした三号機は、前線に沿《そ》って横移動して、次の目標を探していた。
しかし散の増援が到着すれば、前線を築いての撃ちあいすらできなくなるだろう。
「敵の増援にはおのおの対処《たいしよ》してくれ。作戦に変更《へんこう》はない」
瀬戸口からの通信はまったく要領を《ようりょう》得ないものだった。
「それだけ?」
「坊《ぼう》や、生き残れよ。俺の楽しみを減らすな」
二号機やスカウトたちを含め、この戦場にいるすべての者が敵の大増援に気がついた。
「勝ち目ないぞ!」
陽平は嘆《なげ》きを通り越して怒りになっていた。
指揮車にいる善行は、決断を迫られていた。戦場でパニックが起こる前に自分が腹をくくらなければならない。
「全員開いてください。我々5121小隊は、作戦を放棄し戦場を離脱《りだつ》します。……これは、私からの命令です。敵を突破《とつぱ》し速《すみ》やかに熊本城を脱出せよ」
善行は銃殺のほうを選んだようだ。
「左から接近中の敵が比較的薄い! 全員でそこに穴をあけて突破するんだ」
瀬戸口の言葉をきっかけに、全員が移動を開始した。厚志たちの三号機も精霊手でミノタウロスをしとめると、方向を変えて走りだした。
「わかったぞ……。勝吏《しょうり》め!」
舞が三号機の後席で舌打《したう》ちした。
「どういうことなの?」
「奴め! この戦いを決戦存在を生みだすために利用するつもりだ。ヒーローが何かは話したな?」
「圧倒的に強い者……。ただの人間から生まれ幻獣との戦いに終結《しゅうけつ》をもたらす者……」
「そうだ。我ら芝村はヒーローの出現を促し《うなが》、それを助けるためにある……。しかし……勝吏め。何を考えている。一人《ひとり》でことを急ぎ過ぎだ! 奴は膨大《ぼうだい》な数の幻獣をおまえにぶつけようとしている」
芝村が、自分をヒーローとなるべき人間だと感じているのは、厚志にももうわかっていた。
舞の言葉で今まで厚志にとって不透明《ふとうめい》だった事実、他人の言葉がいっぺんに明瞭に《めいりよう》なった。
かつて未央《みお》は言った。
この小隊には、歴史の中にあった英雄《えいゆう》の血筋《ちすじ》と、異世界から来た者の末裔《まつえい》が、配置されていると……。
瀬戸口が言った。
舞がここにいることには、本人が意識していないにせよ、芝村の陰謀《いんぼう》を感じると……。
「それじゃあ……。まるで……俺のために壬生屋さんや他の人が死んだって……」
厚志はヘッドセットを外《はず》しコンソールに投げつけた。
「厚志! ヘッドセットを着けろ。敵中だぞ!」
「僕はヒーローじゃない! 僕のために人が死んで何がヒーローだよ!」
「黙れ! 納得《なつとく》ゆかないならあとで私を殴《なぐ》れ、私もその芝村だ。それでよかろう。今はヘッドセットを着け、多目的結晶を繋《つな》げ。士魂号を駆れ!」
どこかの誰かのために銃を取り、誰かを守るために戦う。
それは、厚志にとっては単に戦う理由ではなく、自分の中の衝動《しようどう》でもあり自分がヒーローとなるという決意を支えているものだった。
しかし、厚志を、いずれ決戦存在となる者と認めた準竜師は、その発現《はつげん》を促すため小隊をことさら危機《きき》にさらす。
厚志にとって、その結果死んでゆく者たちは自分に対する生贅《いけにえ》だった。
絶望の未に、やり切れない思いだけが残った。
彼の求めていたヒーローはありえない。
以前瀬戸口が言っていた、呼吸するように戦い、殺すことで生きてゆく化《ば》け物……。あるのはそれだけだ。
厚志は士魂号の操縦《そうじゆう》席でうな垂《だ》れ、ときどき体を震わせるだけだった。
とりあえずは、舞が操縦系を自分のほうに移して士魂号を操《あやつ》った。
二号機はすでに敵と接触している。敵の布陣《ふじん》に穴をあけるどころか、後退しながらなんとか一体でも敵の数を減らそうという消極《しようきよく》的な攻撃でしかない。
後方では、しんがりを取っている指揮車と補給車、その護衛《ごえい》の若宮《わかみや》をはじめとするスカウトが、追撃を受けていた。
走り抜ける指揮車と補給車の後方では幻獣の攻撃が着弾《ちやくだん》して砂塵《さじん》を吹き上げている。こうして何度か狙《ねら》われているうちに、幻獣の攻撃も補正《ほせい》が加わって正確になってくる。
どれだけ持ちこたえられるかは時間の問題でしかなかった。
「援護に戻ろうか?」
心配そうに陽平が指揮車に呼びかけているのが、ヘッドセットを外した厚志にも、コックピットのスピーカーを通して聞こえる。
「命令が聞こえませんでしたか?」
「戻ってどうする。前を突破しなきゃ始まらないだろ」
「戻ってきたらめーなのー」
善行が、瀬戸口が、ののみが口々に陽平の申し出を却下《きゃっか》した。
続けざまに、轟音《ごうおん》と重なりあった悲鳴《ひめい》……。
指揮車はすぐ脇《わき》に攻撃が着弾した煽《あお》りで横転《おうてん》し、動きを止めていた。
「ののみくん! ののみくん!」
善行の声……。
わずかに苦しげにうめく男の声も入ってくる。
「なあ……。坊《ぼう》や、聞こえてるんだろう? なんとか頑張《がんば》ってくれよ。あーあ、通信ってのは今ひとつ愛が届かないな、抱きつけたら気持ちいいのにな」
たどたどしいその声は瀬戸口のものだ。
舞は敵と接触し一人で操縦に追われている。ジャイアントアサルトの弾は使い果たし、三号機の手と脚を敵に打ちつける接近戦を挑《いど》んでいた。
三号機が何度も被弾しているのが、振動と増えてゆくアラームで厚志にもわかっていた。
「くそう。私では精霊手が発動《はつどう》できぬ……。くそう、くそう!」
厚志は、舞が涙声《なみだどえ》になっているのを初めて開いた。
ヒーローの有《あ》り様に疑念《ようぎねん》を抱《いだ》き失意《しつい》した厚志は、それでも仲間を救いたいとは思った。しかし、もうヒーローは彼の中にはいない。
厚志の手足は、絢爛舞踏《けんらんぶとう》の化け物から呪縛《じゆぼく》を受けたかのように動かなかった。
厚志の唇が微かに動く。
「……誰もが笑うおとぎ噺《ばなし》……、でも私は笑わない私は信じられる……」
メロディーもわからないくらいぼそぼそと、吐息《といき》のように歌はその唇から漏れだした。
「厚志……」
士魂号の作動音《さどうおん》に掻《か》き消されほとんど聞こえないはずのその歌を、舞はその耳でしっかり捉えていた。
舞の呼びかけにも、厚志の反応はない。
「私は信じられるあなたの横顔を見ているから……」
今は自分にしか届いていないその歌を、舞は他の者に中継《ちゆうけい》するようにたどった。
「はるかなる未来への階段を駆け上がるあなたの瞳を《ひとみ》知っている。今なら私は信じられるあなたの作る未来が見える」
厚志の声がしだいに大きくなる。
狭いコックピットの中で、二人《ふたり》が声を揃《そろ》えていた。
厚志は、掌の中に温かい光が宿《やど》ったのを知った。太陽の模様が彼を誘うように光りだす。
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あなたのさし出す手を取って 私も一緒に駆け上がろう
幾千万《いくせんまん》の私とあなたで あの運命に打ち勝とう
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そして、通信を通じて流れる舞の声を聞いて、他の者も歌いだす。
敵に砲火を浴びせながら、荒れ野を走りながら、傷の痛みに耐《た》えながら……。
善行の声も、たどたどしい瀬戸口の声もあった。
「なあ、厚志。私はそなたを信じている」
舞が語りかける。
「そなたは強い、誰よりも強いな。その力を行使《こうし》せよ。どこかの誰かを守るために。それがそなたの望みでもあるはずだ。自分の意思《いし》で自分で決めたことだ」
厚志は、ヘッドセットを拾い再び被《かぶ》った。
コックピットのスピーカーよりも明瞭に、みんなが歌う声が聞こえてくる。
舞の言葉は、今、厚志がすべきことを明確にした。
自分は守りたいと思っている。どこかの誰かのために戦いたいと思っている。
それは、芝村の理念《りねん》でも、授業で教わったことでもない。
いつでも潜《ひそ》んでいたその衝動《しようどう》を果たせる自分でありたかったのだ。
「そうよ未来はいつだってこのマーチとともにある」
厚志は、ヘッドセットの中にののみの声を見つけた。
「もう誰も死なせない」
その言葉が、呪文のように、彼の頭の中で繰り返している。
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私は今一人じゃない いつどこにあろうと
ともに戦う仲間がいる
死すらも超えるマーチを歌おう
時をも超えるマーチを歌おう
ガンパレード・マーチ
ガンパレード・マーチ…
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厚志は多目的結晶をアームレストのコネクターに接触させた。
士魂号三号機の両腕が発光を始めた。
「厚志! 操縦系を返すぞ!」
「うん。突破するよ。必ずみんなを帰す。あのプレハブに……」
士魂号は大きく跳躍《ちようやく》して幻獣の群れから間合《まあ》いを取った。
厚志はヘッドセットが送りこんでくる拡大映像の幻獣をにらみながら、ここにいる全員で生き残るのだと決めた。
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だいぶ日射《ひざ》しが強くなってきた。
自然休戦期も近いだろう。今はまだ朝だし風があるのでそう暑くはない。
戦車《せんしや》学校の玄関《げんかん》の前でその風に吹かれて、厚志《あつし》はその男と対峙《たいじ》していた。
「おまえにはおまえの望みがあろう。芝村《しぼむら》なくしてそれは叶《かな》わん」
厚志はその威圧《いあつ》的な視線にたじろぎもしないばかりか、わずかに微笑《ほほえ》んでさえいた。
それは、迷いのない者だけが作れる笑《え》みだった。
「はい……いいえ、準竜師《じゅうりゅうし》。自分で決めて自分で戦います。誰《だれ》の指図《さしず》も受けず。敵に回るものとは戦います。弱者《じやくしや》を守りたい。それが自分の望みです」
厚志は準竜師の前に小さな箱をさし出した。WCOP勲章の《くんしよう》入った桐《きり》の小箱だ。
準竜師はそれを無愛想《ぶあいそう》に片手で受け取った。
「ふん。まあよい。おまえはおまえの限界に滅ぼされるだろう。しかしそれも自分で選んだことだ」
それだけ言うと、準竜師は校舎の陰に消えていった。
厚志は校庭を回ってプレハブ校舎に向かう。
戦車学校のほうももうすぐ朝のホームルームが終わろうかという時間だ。今はまだ誰もいない、広々とした校庭の真ん中を歩いてみた。
これほど良く晴れるのは珍し《めずら》い。
あまり当てにならないジンクスだが、これだけ晴れていれば幻獣の表《おもで》だった活動もなく、出撃《しゅつげき》もないように思えた。
ひどく体が軽くなった気がした厚志は軽い足取りで歩き、プレハブ校舎までやってくる。
こちらでは、ホームルームを終えた学兵たちが授業までのわずかな時間を潰《つぶ》している。階段まで出てきてぼうっと景色《けしき》を眺《なが》めている者や、隣の《となり》教室に遊びにいこうと外|廊下《ろうか》を走ってゆく者……。
厚志はいきなり背中にふわっとした感触を《かんしよく》感じた。さらに次の瞬間には肩《かた》に腕《うで》を回されて後ろからぎゅうっと抱きしめられる。
「ああああああ。また……」
「坊《ぼう》やったら、WCOP勲章突っ返してきたんだってぇ?」
厚志はそれに応《こた》える前に、例によって瀬戸口《せとぐち》の腕の中でそれを振りほどこうとばたばた暴《あば》れる。
「もうー。司令《しれい》になってもまだこれやるの? 良くないと思うよー!」
「いてててててててて……」
厚志は瀬戸口の傷がまだ完治《かんち》していないことを思い出して、動きを止めた。
「痛いなら、放せばいいのに……」
「少しくらい我慢《がまん》するよ。僕《ぼく》にとって、きみはその価値があるんだよ」
厚志は思いっ切り暴れて、傷口に肘《ひじ》をいれてやろうかと思った。
それはせずただ「うー」と唸《うな》っていると、どこかから、不潔です!と声が聞こえたような気がした。
「坊やが芝村やめちゃって、お姫様はどうするんだろうね?」
「べつに何も言ってなかったよ」
「じゃ、ちゃんと確かめてきな。捨てられたら、この胸で泣かせてあげるよ」
瀬戸口は厚志の体を離して、とんと背中を押した。
プレハブの二階へ続く階段の途中に、厚志のほうから目線を逸《そ》らせてきょろきょろしている舞がいた。
厚志は軽《かろ》やかに階段を駆け上がり、舞の前に立った。
「その……なんだ。もうすぐ自然休戦期だな」
「そうだね」
「ああそうだ。ところで……。そのなんだ……。これからは出世も大変だな」
「芝村の後ろ盾《だて》なくなったしね」
「まったくだ……。私だけ先に出世してしまおうかとも……思ったが。ちょっと考え方を変えてみた。なんだその目は……。私は……物事に対して柔軟《じゆうなん》だぞ。だからその……いっそのこと、二人《ふたり》で……新しい一族を輿《おこ》してみるというのも……面白《おもしろ》いと思ってだな……」
舞がどれだけの覚悟《かくご》でこれを言ったのかは察していたが、それでも厚志は顔がほころんでしまった。
「あ、新しい一族ね……」
芝村が血縁《けつえん》で成《な》り立《た》った一族ではなかったから、舞は自分が言ったことがわかっていなかった。
厚志が顔を赤らめたのを見てその意味に気がつくと、舞のほうは厚志よりさらに顔が赤くなった。
「今、変な想像をしたな。変な想像をしたな! 馬鹿者! 馬鹿者! 想像に私を出すなら、まず私に許可《きよか》を求めよ! ヘンな想像は却下《きゃっか》だ! 検閲《けんえつ》させよ!」
「そんな無茶苦茶《むちやくちゃ》な……」
「無茶苦茶も何もあるか!」
あたりに、予鈴《よれい》が鳴り響《ひび》いた。厚志は舞に追われるように教室へ駆けこんでいった。
教室の前で、寝ていたブータは、首を起こして二人が教室の中に消えるのを見届《みとど》けて、そこを守っているかのように、ふたたびその場で丸くなった。
その年の九州《きゆうしゅう》の攻防後の自然休戦期が終わると、日本は、幻獣との戦いにおいて初めて人類の優勢《ゆうせい》を勝ち取っていた。
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【解説】あるいはそれに似たもの
『ガンパレード・マーチ』というゲームは、巨大な計算の上に構築された微妙な存在です。
本来一緒に存在してはならない存在を、矛盾なく存在させた、魔術の品と言えなくもありません。
あのゲームがなぜ面白いのか、ゲームを買って面白いと思う人たちのそのほとんどが頭を抱えてしまうのは、それがあまりに巨大すぎて、全容の理解が非常に困難だからです。
この小説は、そんなかなり微妙なものを題材にノベライズしています。
はっきり言ってしまえば、かなり危険なことをやってます。
少なくとも、僕なら恐くてできません。学園ものとロボットと戦争ものとSFと恋愛を同時存在させて、破綻を気づかせないで、あまつさえ納得させるなんて芸当は、普通、できるものではありません。
ここまで、原稿読むまでの前書き。以下、原稿読んだ感想です。
おお、でもやってる。
ちょっとびっくり。悪い意味ではなく、ちゃんと小説の体裁を整えているので驚きました。
どんな奇策をもってくるかと思いきや、ノベライズにあたって、正面から堂々たる筆力をもって物語を紡いでおられますね。ストーリー性がまるでないゲームにあって、うまくゲーム中の要素を並べて構成しています。これは…大変だったでしょうに。何度も気に入らず、手を入れ続けた感じがします。べつに設定に関する質間もなかったのに、ほぼ完全に、複雑な設定を呑みこんでますし。良く調べてますよ。
誤解を恐れずに書けば、ひどく男性的で、力強いお話になってますね。枠を破ったり、新たな解釈を行わずに。作者がその筆の力、力量でもってゲームをねじふせて小説にした感じがします。
それから、壬生屋が、ずいぶんかわいく書けてます。ゲームよりかわいいんじゃないかな。
作者の愛が伝わってきます。
個人的には、これくらいの力量がある方だったらもう少し、自由に書かれでも面白かったろうにと思ったりしています。
なんて偉そうなことを言いつつ、最後に感謝の言葉を関係者各位に。
良い仕事でございました。感謝。感謝。
[#地付き]アルファ・システム GPMシナリオ担当 矢上総一郎
底本:電撃文庫
「高機動幻想 ガンパレード・マーチ」
広崎《ひろさき》悠意《ゆうい》
二000一年一月五日 初版発行
二000一年六月十日 六版発行
2008/11/16 入力・校正  hoge