呉 承恩/檀 一雄訳
西遊記(下)
目 次
二十三 観世音の甘泉、人参樹《にんじんじゅ》を活かす
二十四 三蔵、行者を破門す
二十五 花果山に帰る
二十六 孫行者の再起
二十七 金角銀角
二十八 さまざまな危難
二十九 西梁女人国《せいりょうにょにんこく》
三十 琵琶洞《びわどう》の女怪
三十一 贋《にせ》行者
三十二 火焔山《かえんざん》
三十三 祭賽国《さいさいこく》から小雷音寺《しょうらいおんじ》へ
三十四 西天遠からず
三十五 仏《ぶつ》を拝して経を取る
三十六 大団円
あとがき
主要人物
孫悟空……本篇の大立物で、|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に乗り、如意金箍棒《にょいきんこぼう》をふるい、七十二とおりの変化《へんげ》の術を使って大活躍をする。孫行者ともいう。
猪悟能……通称|八戒《はっかい》として知られる。大食漢で好色家で、少し知恵が足りないという、なかなかユーモラスな人物。
沙悟浄……沙《さ》和尚とも称し、悟空、八戒と共に唐僧三蔵に従い、宝杖《ほうじょう》をふるって活躍する。
三蔵……法名を玄奘《げんじょう》といい、実在の人物である。唐の太宗の世に天竺《てんじく》《インド》へ経を取りにいった。
白馬……三蔵の乗馬であるが、もとより竜の化身であり、よく人語を解す。
その他……王帝をはじめ多くの天神天将たち。釈迦如来、観音菩薩以下の諸仏、諸菩薩、諸神。太上老君、張道陵などの道教的神仙。黒風怪、黄風怪、黄袍怪、金角銀角、紅孩児、牛魔王以下の無数の妖魔怪物。
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二十三 観世音の甘泉、人参樹《にんじんじゅ》を活かす
さて鎮元大仙のいうには、
「わしもあんたの腕前にはほとほと感心したが、それにしても今度のことはちと乱暴に過ぎやしないか。どうだろう、人参樹さえ元通りにしてくれるなら、仲直りしてもよいのだがな」
行者も笑いだして、
「あなたが師父と兄弟の縄さえ解いてくださるなら、木は元通り活かして返しましょう」
「あんたにもしそれができるなら、わしはあんたと八拝の礼をかわして兄弟分になろう」
大仙はそこで、弟子に言いつけて、三蔵らの縄をとかした。しかし三蔵は心配そうな様子で、行者に向い、
「そちはどこへいって木を活かす法を求めてくるつもりじゃ」
「わたくしはこれから東洋大海へ行って、あまねく三島をめぐり、仙翁をたずねて起死回生の海を求めて参ります」
「していつ帰ってくるか」
「三日のうちにはかならず戻って参ります」
「ではそちに三日のいとまを与えるが、三日たっても帰ってこないときは、わしはあの緊箍呪《きんこじゅ》をとなえますぞ」
「かしこまりました」
かくて行者は、|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばしてただちに東洋大海に向い、早くも蓬莱《ほうらい》の仙境に到着した。見れば、松の木陰に三人の老人が碁を打っている。それが福《ふく》、禄《ろく》、寿《じゅ》の三星で、対局しているのが福星と禄星、寿星はそばで勝負を見ているのだった。行者が近づいて、
「皆さん、今日は」と挨拶すると、三星も礼をかえし、さて寿星がいうには、
「大聖はどうしてまたこんなところへおいでになりましたか」
「わしは唐僧を守護して西天へ経を取りに行くことになったが、その途中、万寿山五荘観においてはからずも難にあいましてな」
行者はそう前置して、五荘観での顛末《てんまつ》をつぶさに物語り、
「そういうわけで、わざわざあなたがたをおたずねして、なんとか人参樹を活かす法を教えていただきたいと思いましてな」
三人の老人は顔を見合わせて、気の毒そうに、
「あの人参樹は世にもたぐいのない仙樹で、われわれには鳥獣や虫魚を活かす仙丹はありますが、あの木ばかりはどう活かしようもありません」
聞くより行者は、ひどく落胆したが、福星がそれを慰めて、
「ここではどうしようもありませんが、どこかよそへ行って聞いてみられたら、きっとよい方法があるでしょうから、そうがっかりなさるには及びますまい」
「いや、よそをたずねるのはわけはないが、ただ困るのは期限が三日しかないことです。三日たっても帰らないと、師の三蔵に緊箍呪を念じられるので……」と、行者が緊箍呪の由来を説明すると、三星は大いに同情して、
「それでしたら、ご心配には及びません。あの鎮元大仙はわたくしどもの知り合いですから、これから三人ですぐ会いに行って、あなたのお師匠様にもよく事情を話しておきますから」
「それはかたじけない。ではそのほうは皆さんにお願いすることにして、わしはほかへ行ってみます」
行者は三星に別れて蓬莱を出発し、次にやって来たところは、同じく東海三島のひとつである方丈山《ほうじょうざん》であった。風はかおり、鶴は空に舞い、松の木《こ》の間《ま》に金殿玉楼がそびえているのは東華帝君《とうかていくん》のすまいであった。行者はただちに帝君をたずね、事の次第をくわしく話して、何かよい方法はないかときくと、帝君はおどろいて、
「わしのところにも『九転太乙還丹《きゅうてんたいいつかんたん》』というものがあって、人間の魂をかえしたり、また世の常の木なら活かすこともできるが、なにしろあの五荘観の人参樹は天地|開闢《かいびゃく》以来の霊樹だから、とても活かすことはおぼつかない」とのことである。行者は、
「しからばこれにておいとまします」と、早くも席を立ち、また雲に乗って、同じく東海三島のひとつである瀛洲島《えいしゅうとう》へと飛んだ。見れば、海岸には美しい珊瑚《さんご》の林があり、九人の白髪童顔の仙人が、その林の中で碁をかこんだり酒を飲んだりして、笑い興じていた。行者がそばへ行って、
「皆さん、相変らずお元気で、楽しそうですな。わしも仲間に入れてくれませんか」と、笑いながら挨拶すると、仙人たちも喜んで行者を迎え、
「大聖には、あのとき天宮を騒がすようなことをなさらなかったら、わたくしどもよりもっとのんきに楽しくお暮らしになれたでしょう」と、これまた笑いながら挨拶を返した。
そこで行者が、さっそく人参樹をよみがえらせる方法をたずねると、仙人たちは大いにおどろいて、
「あなたはとんでもない間違いをしでかしなすった。わたくしどもにはとても扱う方法はありません」
「しからば、わしはおいとまをしよう」
行者が早くも立ちかけると、仙人たちはまあまあと引き止め、玉液(仙人の飲みもの)とみどりの蓮根《れんこん》とを出してもてなそうとした。行者は気がせくので、立ちながら一杯の玉液を飲み、一片の蓮根を食べると、大急ぎで瀛洲《えいしゅう》を飛び立ち、東海大海をあとに、南海の落伽山《らっかさん》へ、とやって来た。そして紫竹林に観音菩薩をおたずねしてつぶさに事の次第を申し上げ、
「なにとぞお慈悲をたれたまい、お助けくださいますように」とお願いすると、菩薩は、
「そちはなぜもっと早くわしのところへ来ずに、三島などを捜しまわっておったのか。わしのこの浄瓶《じょうへい》の中の甘露水は、よく仙樹霊苗を活かすことができるものを」との仰せである。行者は喜ぶまいことか、ただもうありがたや、かたじけなやと、ひたすらお願いするばかりである。そこで菩薩は、さっそく浄瓶をとっていで立たれ、行者は後ろに従って万寿山へと急いだ。
一方五荘観では、さきに行者のことを伝えに来た蓬莱の三星がまだ滞在していて、おりから大仙との間によもやまの話がはずんでいたが、そこへ行者がふいに雲からおりて現われ、
「観音菩薩がお見えになりましたぞ」と呼ばわったので、一同はあわててお迎えにいで、殿上へとご案内した。菩薩はまず大仙と、それから三星と礼をかわされたが、行者は三蔵、八戒、沙和尚らもそこへ呼んで拝をさせた。また大仙の多くの弟子らも次々にやって来て拝を行った。そこで行者が、
「大仙、急ぎ支度をなさい、菩薩にあの木を活かしていただくことになりましたから」というと、大仙はさっそく後園を清掃させ、そこへ菩薩をご案内した。皆もあとからお供をして行った。
さても菩薩がその木をごらんになると、枝は枯れ、根はあらわれて、まことに無惨なさまをして倒れている。菩薩は、
「悟空、手を出せ」との仰せ。そこで行者が左手をさし出すと、菩薩は楊柳の枝を浄瓶の中の甘露にひたし、それでもって行者の手のひらに起死回生の呪符をお書きになり、
「その手を木の根元へさし入れて、水の出てくるのを待て」とお命じになった。そこで行者が、仰せのようにすると、たちまち清らかな泉がこんこんと沸き出てきた。菩薩はそれをごらんになって、
「この水を玉《ぎょく》の容器で汲《く》み、木を起して上から注ぎかければ、おのずから回生するであろうぞ」との仰せだったので、大仙は小童らに言いつけて数十個の玉杯を取り出させ、その清水を汲み取らせた。その間にも、行者と八戒と沙和尚との三人が、力をあわせて、倒れた木をたすけ起したので、菩薩は玉器の水を楊柳の柄で丁寧にその上に注ぎかけ、口中で呪語《じゅご》をとなえられると、まもなく木はもとのごとく生い茂り、二十三個の人参果も枝につらなった。元来この人参果は初め三十個あったのであるが、大仙が先に二個をとって弟子たちに分け与えたので、三蔵らがここへ到着したときには二十八個残っていたのだった。それからのことは前に語ったとおりであるが、清風と明月との二童子は、「おやっ、先日かぞえたときには、たしか二十二しか残っていなかったのに、いま生き返ったこの木には、どうして一個多いんだろう」
と、ふしぎそうに叫んだ。行者はそこで、
「諺にも『日がたつと、人の正直さもわかってくる』というが、先におれが盗んだのはただの三個で、ひとつは地に落ちてもぐってしまったんだ。それを八戒めはおれがごまかしたんだろうと疑ったが、これでやっとわかっただろう」と大見得を切った。
さて大仙は、ひとかたならず喜んで、さっそく童子らに命じて金撃子《きんげきし》を取ってこさせ、十個の果実を打ち落させて、正殿において菩薩をはじめ一同にそれを供した。三蔵もこのたびは、初めてそれが仙家の宝果であることを知って、喜んで一個を食べた。
やがて菩薩は南海へお帰りになり、三星も蓬莱へ引き上げたが、大仙はなおも三蔵らの一行を引きとめて歓待し、行者と兄弟のちぎりを結んだので、いよいよ和気は五荘観内に満ちあふれた。
二十四 三蔵、行者を破門す
さてその翌日、夜が明けるとすぐ三蔵一行は出発の用意をしたが、鎮元子《ちんげんし》は容易に放してくれない。かれは兄弟分となった行者がすっかり気に入り、できるだけ長く引きとめておこうと、毎日ご馳走ぜめの歓待だった。しかし三蔵は取経のことが気にかかるので、こんなところにそういつまでも滞在しているわけにはいかず、数日の後、やっとの思いで鎮元子とたもとを分かった。
かくて一行が西への旅を続けていくと、ある日、行手にまたもやひとつの高山が、あらわれた。三蔵はその日、朝から何も食べていなかったので、やがて山路にかかり、瞼《けわ》しい坂道を進んでいくうちに、急に空腹を訴えだした。そして、
「悟空よ、そなたどこかへ行って、斎《とき》を乞うて来てくれないか」とのことである。
「ではしばらくここで馬をおりてお待ちになってください。どこか人家のあるところをたずねて、ととのえて参りますから」
行者はすぐ雲に乗って空に舞い上り、小手をかざして四方を眺め見おろしたが、どこにも人家らしいものは見当らない。ふと気がつくと、はるか南方の山ふところに、何やら赤いものが点々と眼についた。そこで行者は雲をおりて、
「師父、このへんには斎を乞うような人家はまったく見当りませんが、はるか南の山に赤いものが点々と見えますのは、きっと野生の桃の熟したのだろうと思います。これから行ってそれを摘んで来ますから、どうかそれで我慢してください」というと、三蔵は喜んで、
「出家には、桃でもあれば、ありがたいこととしなければならぬ」
行者は鉢を持ち、雲を飛ばして、南方の山へ向った。ところで、昔から「山高ければかならず怪あり」といわれているとおり、この山にも一個の妖怪が住んでいて、三蔵が地面に坐っているのを雲間から見おろして、しめたとばかり喜んだ。
「ありがたい。いつぞや人のうわさに聞いたところ、東土から経を取りに行く和尚は金蝉子《きんせんし》の化身で、十世修業の人だから、そいつの肉を一片でも食えば長生きができるということだ。どうやらきょうはその日がやって来たわい」と、妖怪はすぐ三蔵を捕えに行こうとしたが、見ればその左右にふたりの恐ろしげな弟子が守護しているので、しばらく近づくのをやめ、
「そうだ、ちょっとひと芝居打って、相手の出ようを見てやろう」とばかり、身をゆるがして美しい女の姿に変じると、手に青磁の瓶《かめ》をさげて、西のほうからだんだん三蔵らのいるほうへ近づいた。三蔵は早くもそれに気づいて、八戒に向い、
「さきほど悟空は、このあたりには家一軒ないと申したばかりじゃに、あんな女がやって来るとは、不思議なこともあるものだな」
「師父、わたしが行って見てまいりましょう」
八戒は|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をその場に投げ出して、気取った歩きぷりで女のほうへ近づいたが、見れば眼のさめるような美人なので、かれはもう気もそぞろである。さて女に向って、
「女菩薩《にょぼさつ》、どちらへおいでですか。手にさげていらっしゃるのは何ですか」と問いかけると、女はにこやかに笑って、
「和尚様、この瓶《かめ》の中のものは、少しばかりの食べものでございます。こうしてわざわざ持ってまいりましたのは、ほかでもなく、わたしは前から誓いを立てて、お坊様の姿を見かけたらかならずお斎を差し上げることにしているのでございます」
おろかな八戒は、それだけ聞いただけで、もう有頂天になって三蔵のところへ駆けもどり、
「師父、善人には天の助けがあります。お斎をほどこしたいという人が来ましたよ」
三蔵は不審の思いだったが、やがてその人が眼の前へやって来たので、立ち上って合掌し、
「女菩薩、お宅はどちらですか。またどういう心願のすじがおありで、斎をほどこそうとなさるのですか」
「長老様、この山は白虎嶺《びゃっこれい》と申しまして、わたくしの家はこの山を西へくだったところにございます。父母は仏法に帰依して、お坊様がたに斎をほどこしてまいりましたが、それというのも、はじめは子供がなかったからでございます。しかし信心のおかげで、わたくしというものが生まれ、すこやかに生長しましたので、今では婿を取って、老後を安楽に暮らしております」
「お待ちなさい。父母もあり、夫もあるひとが、どうしてこんな山道を供もつれずにひとり歩きなさるのか。それでは婦道にもとりますぞ」
「いいえ、わたくしの夫はこの山の北で田を耕しておりますの。そこへ、老年の父に代って、おひるご飯を届けにまいったのですが、ちょうど和尚様がたの姿をお見かけしたものですから、こうしてわざわざ持ってまいったのでございます。もしおいやでなかったら、どうぞ召し上ってくださいまし」
「せっかくですが、それではご主人にすみませんから、いただけません」
すると女は、なれなれしく、にこやかに笑って、
「あら、長老様、夫は両親にもまして、信心深い善人で、もしあなた様が召し上ってくださるならば、どんなにか喜びこそすれ、あたしを叱ったりはけっしていたしませんわ」
それでも三蔵は、女のすすめに従おうとはしなかった。すると八戒が、
「遠慮するにもほどがありますよ」と、まるで自分がすすめられたもののように、とんがった口を食べものの容器のほうへ突き出した。ちょうどそのとき、行者が桃の実をとって帰ってきて、火の眼、金の瞳をこらしてその場のありさまを見つめ、女が一個の妖精であることを早くも見て取ると、いきなり鉢を投げ出して鉄棒をとりなおし、ただひと打ちにと女をめがけて打ってかかった。けれども妖精もさるもの、「解尸《かいし》の法」を使って仮りの死骸をその場に残しておき、本身は眼にもとまらぬ早さで逃げ去ってしまった。三蔵はびっくり仰天、
「この猿のならず者め、ゆえなく人の命を害するとは、けしからぬやつじゃ」と叱りつけたが、行者はいっこう平気で、
「師父、ではあの瓶《かめ》の中に何がはいっているか、おしらべになってください」
そこで三蔵が瓶の中をのぞいて見ると、なんとそこにはウジや蛙やガマがぞろぞろと這いまわっていた。三蔵は行者を三分《さんぶ》まで信用する気になった。ところが好色で大食いの八戒は、むしゃくしゃしてたまらず、そばから口を挟んで、
「師父、あれはたしかに農家の女にちがいありません。それを兄貴は妖怪だと思い誤って打ち殺してしまったので、師父に緊箍呪《きんこじゅ》をとなえられるのを恐れて、法術を使って師父の眼をごまかそうというのです」と、そそのかした。
三蔵はそれを聞くと、ついその口車に乗せられてしまい、行者をこらすために、口の中で緊箍呪をとなえだした。行者はたちまち悲鳴をあげ、
「痛い、痛い。やめてください、お話があります」と哀願するが、三蔵はいよいよ怒って、
「この上の申し開きなど、聞く耳持たぬわ.およそ出家たるものは、時に方便を使うこともあるが、つねに善心をはなれることはない。しかるにそちは、ゆえなくして人を殺しておいて、この上、経を取ってこようとも、なんの役に立つか。そちは立ち去れ、わしはそちのごときものを弟子としておくわけにいかんのじゃ」
「師父、あなたが帰れとおっしゃるならば、それもいたしかたがありませんが、しかしわたくしはまだご恩報じもいたしておりませんので、それが心残りでございます」
「わしが、そちにどんな恩を与えたか」
「わたくしは前に天宮を騒がした罪により、釈迦牟尼仏《しゃかむにぶつ》のために捕えられて両界山に閉じこめられておりました。それをあなたのおかげで救い出していただきましたが、もしこのまま西天へお供しないことになれば、何をもって師父のご恩に報いることができましょうか。昔から『恩を報いざる者は君子にあらず』と申しますが、おそらくわたくしは忘恩の徒として、千載に悪名を残すことになりましょう」
行者が一心に、まことを現わしてこういうと、三蔵もそれに耳を傾けて、機嫌をなおし、
「そうまで申すなら、このたびに限り許してとらせるが、二度とふたたび乱暴を働くようなことがあったら、そのときは容赦しないぞ」
「かしこまりました」
行者は涙ぐんで喜び、それから摘んできた桃を三蔵に献じると、師父はそれを二つ三つ食べてから、また馬に乗って出発した。
ところでかの妖怪は、からくも空中に逃げのぼって、雲間にかくれていたが、心中深く行者を恨んで、
「これまできゃつの名前はきいていたが、はたして、じつにたいしたやつだ。唐僧をとらえるどころか、危うくこのおれが打ち殺されるところだった。が、このままでは行かせないぞ。待て、もう一度からかいに行ってやるから」と、雲をおりて今度は八十ばかりの老婆になり、竹の杖にすがって、おいおい声をあげて泣きながら、近づいてきた。八戒はそれを見るや、
「師父、これはいけません。兄貴が殺したのはきっとあの人の娘ですよ。母親がさがしに来たんです」という。行者は、
「何をばかなことをいうんだ。さっきの娘は十八ばかりだったのに、このばあさんは八十にもなってるじゃないか。六十を過ぎて子を産む女があるかい。よし、おれが行って見てくるから待っているがいい」と言いすてて、いそいで老婆に近づいて見ると、これがまぎれもない妖怪だとわかったので、またもや鉄棒をふるってまっこうから打ちすえた。すると妖怪は前と同じように、仮りの死体を道ばたに残しておいて、本身はするりと逃れ去ってしまった。
三蔵は気も転倒するほど驚いて、馬をおりて緊箍呪をとなえたので、行者は大地に倒れてころげまわり、
「師父、おやめください、申し上げることがあります」と泣き叫んだ。
「そちはまたもや罪もない人を殺したが、これはいったいどうしたというのじゃ」
「人ではありません。あれは化け物です」
「またそのようなことをいって、ごまかそうとするのか。聞く耳持たぬ。行ってしまえ!」
「師父、あなたがそのようにいわれるなら、わたくしは去りもしましょうが、頭にこんな金箍児《きんこじ》(金の輪)をはめられていては、まことにふていさいで、故郷のものに顔をあわすのもつろうございます。師父、もしもわたくしがご不用でしたら、鬆箍呪《そうこじゅ》(箍をゆるめる呪文)をとなえて、どうぞ箍児を取りのぞいてください」
「悟空よ、わしはあのとき、菩薩から緊箍呪を授けられただけで、鬆箍呪というようなものは授けられなかった」
「それならまだご縁が尽きないのでしょうから、どうかわたくしをおつれになってください」
そう言われると、それにも一理があるように思われて、三蔵はふたたび行者を許し、くれぐれも今後をいましめて、また馬に乗って出発した。
こちらはかの妖精、二度も失敗したので、くやしがるまいことか、
「あの猿めの眼力は、じつに恐ろしい。おれがあんなに変って見せたのに、二度ともやつは見破りやがった。が、あの唐僧にこの山を越させたら、もうおれの縄張り内ではなくなってしまうのだ。よし、もう一度ためしてみてやろう」とばかり、今度はよぼよぼの老人に化けて、近づいて行った。八戒はそれを見て、
「師父、あの老人は、さっき兄貴が殺した娘と老婆とをさがしに来たのにちがいありません。あれはきっとあのばあさんの亭主ですよ。つかまったら、たいへんなことになります」
行者はそれをきくと、すかさず、
「阿呆《あほう》、くだらぬことをいうな。おれが行って見届けてくるから」と、つかつかと老人に近づいて見ると、これがまたさっきの妖精だったので、鉄棒でただひと打ちにと思ったが、待てよ、と思い返し、呪文をとなえて土地神《とちしん》と山神とを呼び出すと、
「この妖精は三度までわが師父をたぶらかしにきおったが、今度こそあやまたず打ち殺してやらねばならぬ。どうかわしのために空中にあって見張りをしていて、こいつが逃げ去れないようにしてもらいたい」と頼んだ。神々はさっそく承諾して、空中にあって妖精の退路をひしひしと遮断した。行者は今は心安しと、いきなりかの老人におどりかかって鉄棒をもって打ちすえると、一陣の霊光が四方に散じて、あとには一堆《いったい》の白骨が残っていた。行者は三蔵の馬前へ取って返し、
「師父、あの妖精の死骸のところへ行ってごらんなさい。あれはただの白骨でしたよ」
三蔵は行って見てたいそう驚き、
「この人は死んだばかりだのに、どうしてすぐ白骨になってしまったんだろう」
「これは行倒れの亡魂が集まって妖怪となったので、わたくしに打ち殺されて本相をあらわしたのです。ごらんなさい、やつの背骨の上に『白骨夫人』と書いてありますよ」
三蔵もいまや行者を信じないわけにはいかなくなったが、八戒がまたもや口を出して、
「師父、これは兄貴がたびたび人殺しをしたので、あなたの緊箍呪を恐れて、わざとこんなふうにこしらえて、あなたの眼をくらましているのですよ」と、そそのかした。三蔵はうかつにもまたそれを信じて、緊箍呪をとなえだしたので、行者は痛さに堪えかね、
「おやめください、申し上げることがあります」と叫ぶばかり、
「そちはきょう、立て続けに三人も人を殺した。そういう兇悪のものを、わしは許すわけにはいかぬ。早く立ち去れ」
「師父、あなたは誤解しておいでです。私が殺したのはたしかに妖精で、そいつが師父を害そうとしたので、わたくしが退治したのです。それをあなたはあべこべにこの阿呆のざんげんを信じて、わたくしを追っぱらおうとなさいます。諺にも『三度目の正直』と言いますが、今度こそわたくしは去ります。去りますとも。ただ困るのは緊箍呪をとなえられることです」
「わしはもうとなえはせぬ」
「師父、わたくしはあなたに救い出していただいてよりこのかた、あるときは深山に分け入り、またあるときは洞窟をさぐって多くの妖魔を平らげ、その辛苦は、あだやおろそかではありませんでした。それを今日かくもつれなくわたくしに去れとおっしゃるのは、あたかも『鳥尽きて弓かくれ、兎死して狗《いぬ》煮らる』のたとえそのままではありませんか。師父、もう一度お考えなおしになってください」
こういって涙にむせぶ行者だったが、三蔵はさらに怒りをおさめず、馬からおりて、谷川の水を汲んで、石の上で墨をすり、一枚の破門状をしたためて行者に与え、
「さあ、これが証拠じゃ。そちはもはやわしの弟子ではない」と冷たく言いきった。行者はやむなく破門状を受け取り、
「師父、さほどまでになさらずとも、わたくしは去ります。ただ最後のお願いには、どうかわたくしの拝をお受けになってください」と頼んだが、三蔵は悪人の礼は受けぬとばかり、そっぽを向いてしまった。行者はやむなく、「身外身《しんがいしん》の法」を使って、三本の毛を抜いて三人の行者に変じ、四方より三蔵をかこんで拝をすました。それから沙和尚に向って、
「賢弟、これから後もいろいろな妖魔が現われて師父に害を加えようとするのだろうが、そのときは、師父の第一の弟子にこの孫行者のあることを、大声で呼ばわるがよい。そうすれば西方のはした化け物ども、おれの腕前に恐れをなして、あえてわが師父を傷つけようとはしないだろう」といったが、三蔵はそれを聞くと、
「わしはそのような悪人の名を看板にする必要はない。さっさと行ってしまえ」と、いよいよ立腹のていである。行者もいまはとうてい三蔵の機嫌のなおらぬのを見て、やむなく|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばして花果山さして帰って行った。
二十五 花果山に帰る
さて、悟空は三蔵に追われて、うしろ髪を引かれる思いで、東洋大海を渡り、久しぶりに花果山へ帰って見ると、山には草花もなく、岩さえ焼けただれて、満目ただ荒涼たるありさまになりはてていた。思えばこれは昔、二郎真君と戦ったとき、真君のひきいる軍勢が焼き払っていったからであろうと、悟空が悲痛の思いに暮れていると、やがてそこへ七、八匹の小猿がとび出してきて、
「大聖様、お帰りなさいませ」と、平伏して迎えた。悟空が、
「おれはもうさっきから帰っているのに、なんで今まで出てこなかったのか」と咎めると、小猿どもは涙を流して、
「大聖《だいせい》様が行ってしまわれてからは、猟師どもに苦しめられております。打ち殺されるやら、つかまえて行かれるやらで、もう外へ出て遊ぶなど思いもよりませぬ」とのことである。
「それでおれがいたころは、四万七千の仲間がいたものだが、今はどのくらいになっているのか」
「やっと千ぐらいでございましょうか、それも毎日猟師に狩り立てられるので、だんだん減っていくばかりでございます」
悟空はいよいよ悲痛の思いをしながら、
「では、だれが今、水簾洞を宰領しているのか」
「昔からの四健将がまだ生き残っていられます」
「それはよかった。おれが帰ったと知らせてくるがよい」
小猿どもが飛んでいって知らせると、四健将をはじめ、一同ぞろぞろと迎えに出て、悟空を洞内に請じ入れ、礼拝して、
「承りますれば、大聖には唐僧を守護して西天へ経を取りにおいでになりましたとのこと、それがまたどうしてお帰りになられたのでございますか」と尋ねるので、悟空が、
「あの唐憎は、人を見る明《めい》がなく、おれはとうとう破門状をもらって帰って来たのだ」と、さびしそうに笑うと、大ぜいの猿どもはかえって大喜びで、
「ありがたい、ありがたい。大聖様も坊主などにならずに、いつまでもわれわれの王様でいてください」と、椰子《やし》の酒などを出して、大いに歓待につとめた。
さて悟空が猟師どもはいつごろ山へやって来るのかと尋ねると、
「やつらは毎日やって来ますが、きょうはまだ参りません」とのこと。そこで悟空は、猿どもに命じて山腹にごろた石をうんと積み上げさせ、その上で、一同にはかくれているように言いつけておいて、自分は山の頂きに登って待ちかまえていた。と、やがて山の南麓のほうから太鼓や銅鑼《どら》の音が聞えてきたかと思うと、大ぜいの騎馬の猟師どもが、鷹や犬をひき連れ、刀や槍を振りかざして攻めのぼってきた。
悟空は待っていましたとばかり、印を結び呪文をとなえ、大きく息を吸って吐き出すと、それはたちまち一陣の狂風となって、積み上げたごろた石を吹き飛ばし、雨あられと猟師らの上に降り注いだので、あわれやかれらはそれに打たれてばたばたとその場に倒れ、みるみる死骸の山をきずいた。
こうして勝利は一瞬にして悟空の手に帰し、その後はまただれも攻めて来るものはなくなったので、悟空はここにふたたび花果山を修理し、花を作らせるやら、木を植えさせるやらして、悠々とその日その日を楽しんでいた。
ところがある日、思いがけず八戒が雲を飛ばしてはるばる悟空をたずねて来て、三蔵がしきりにかれを恋しがっているから、どうか自分といっしょに帰ってくれと懇願するのだった。
「ばかをいうな。師匠はこのあいだ、自分で破門の証文を書いたんだ。いまさらどうしておれのことなんか思うものか」
悟空はてんで相手にしようとしなかった。すると八戒はあわてて、
「いや、ほんとうに兄貴を恋しがってるんだよ。だからわざわざおれを迎えによこしたんだ。どうか頼むからいっしょに行ってくれ」
「おれがどこへ行くってんだ。おまえは師匠におれを|ざんげん《ヽヽヽヽ》しやがったくせに、よくもぬけぬけとやって来れたもんだ。一度追い出したおれのことなんか、二度とふたたび考えないでくれ」
すげなくこうまでいわれては、八戒としてもそれでもとはいえず、やむなくすごすごと引き上げていった。が、まだいくらも行かないうちに、あとをふり返って、
「あの猿め、とうとう仏法を捨て、妖物《ばけもの》になり下りやがった。おれが親切に迎えに来てやったのに、来もしやがらねえ」と罵った。すると気のきいた小猿が、それを聞きつけて、さっそく飛んでいって注進したので、悟空は大いに怒り、ひっ捕えて来いと命じた。
そこで大ぜいの猿どもがいっせい駆け出していって、八戒を取りかこみ、|たてがみ《ヽヽヽヽ》を引っぱったり、耳や尻尾《しっぽ》をつまんだりして、むりやり、洞の入口ヘと連れ戻してきた。悟空は大声で、
「この生まれぞこないめ、帰るなら黙って帰ればいいに、なぜおれの悪口をぬかしゃがった」とどなりつけた。八戒はひざまずいて、
「兄貴、悪口なんか言わないよ」
「この野郎、おれをだます気か。おれのこの左の耳はな、ちょっと立てれば、三十三天で話していることはなんでも聞え、この右の耳をちょっと傾ければ、地獄で|えんま《ヽヽヽ》が帳面をいじっているのさえわかるんだ。てめえがおれを罵ったのが聞えなくてどうする。おい家来ども、こいつを棍棒《こんぼう》で打って打って打ちすえろ。それからおれが、鉄棒で息の根をとめてくれるから」
すると八戒が、頭を地にすりつけてしきりに詫びをいうので、悟空もようやく思い返し、
「よし、そんなにいうなら、打つのは許してやるが、その代りほんとうのことを正直にいったらどうだ。おそらく師父がどこかで難にあっていられるのだろう」
それはまさに図星であった。八戒は恐れ入って、
「兄貴、実は兄貴をだまして連れていこうとしたんだが、そう何もかも見透しでは、だましようもないわけだ。ほんとうのことをいうから、打つのはどうか勘弁してくれ」
そういって八戒が話したところは次のようだった。
三蔵の一行は、悟空がいなくなってからも、ひたすら西への旅を続けた。ところがある日、白虎嶺《びゃつこれい》という一山にさしかかったところ、三蔵が急にひもじくなったと言いだしたので、八戒は斎を乞いに出かけて行った。しかし行けども行けども、人家は見つからず、八戒はつかれて草むらの中に身を投げ出して休むことにした。ほんのしばらくの間のつもりで横になったのだが、いつかぐっすり眠ってしまい、ふいに沙悟浄《さごじょう》にゆり起されたときには、日ももうだいぶん傾いていた。沙悟浄は八戒がいつまで待っても帰らないので、心配して捜しに来たのだった。
二人は連れ立ってもとの場所へ帰った。ところがどうしたというのか三蔵の姿が見えないではないか。二人は驚き、心配して、林の中をあちらこちらと捜しまわった。すると、今まで気がつかなかったのが不思議だが、南の山にりっぱな塔がそびえているのが眼に入った。三蔵はこれまでも途中に寺があればかならずお詣りを欠かしたことがないので、たぶん今度もその寺へお詣りしてるのだろうと思い、二人でその塔を目当てに尋ねていって見ると、門の扉はぴたりと閉ざれていて、「碗子山波月洞《わんすざんはげつどう》」の六字が門の上の白い石に刻んであった。どうやらそれは寺ではなく、妖怪の棲家《すみか》であり、三蔵はきっとその中に閉じこめられているにちがいなかった。
そこで八戒が、熊手を振りかざして、門を開けろと大声でどなると、恐ろしい顔をした妖怪の大将がみずから大刀をひっさげて出てきて、ここに八戒との間に激しい戦いが始まった。沙悟浄も宝杖《ほうじょう》をふるって八戒に助太刀したが、容易に勝負は決しそうもなかった。すると、ふいにそこへ美しい婦人が出てきて、戦っている妖怪に向って、
「黄袍郎《こうほうろう》!」と呼んだ。妖怪はその声が耳に入ると、しばらく戦いを中止して、その婦人のそばに駆け寄り、
「どうした、何か用かい」
「わたくし、いま奥の部屋でまどろんでいる間に、不思議な夢を見ましたのよ。実はわたくし、まだ子供のころから、もし将来りっぱな夫を持つことができたら、厚く僧を布施しますという願《がん》をかけてありましたの。ところが今、夢に神人があらわれて、おまえはすでにあんなりっぱな夫を持っているのに、まだ、願を果さないではないかと責めるのでございますよ。わたくしは驚いて眼をさますと、すぐそのことをあなたにお話ししようと出てきたのですが、見ればひとりの僧がお庭の木に縛りつけられているのではありませんか。わたくし、ほんとにどきっとしましたわ。ねえ、わたくしに免じてあの僧を許してやってくださらないこと。そしてあの僧に布施してわたくしの願を果させてくださいな、お願いですから」
婦人がそういってやさしく頼むと、黄袍郎は笑いながら、
「おまえもずいぶん物好きだなあ。そんな夢など信じるにたりないが、しかしおれは、かならずしもあの坊主を食わねばならんこともないから、おまえの気がすむなら、許してやってもいいよ。裏門から出してやるがよい」
婦人はそれを聞くとたいそう喜んで門内へ引き返していった。妖怪はふたたび八戒らに向い、声を大にして呼ばわった。
「やい、ふたりともよく承れ。なんじらを恐れるわけではないが、妻に免じてなんじらの師父を許してやるにつき、なんじらをもついでにここを通してやろう。さっそく裏門へまわって師父を連れ去れ」
聞くより八戒と沙和尚とは大い喜び、急ぎ裏門へまわって見ると、そこに三蔵が待っていたので、馬に助け乗せて、ふたたび西への旅を続けることになった。
それにしても三蔵がどうしてあの妖怪に捕えられ、また捕えられてからは波月洞内でどのような目にあわされていたか、そこのところが八戒や沙和尚にはまったく不明だったので、いろいろたずねてみると、それに対して三蔵が答えたところは次のようであった。
三蔵は沙和尚が八戒を捜しに行った後、ふと南の山にりっぱな塔のそびえているのに気づくと、きっとお寺だろうと思ってひとりでお詣りした。ところが一歩足を門内へ踏み込んでみると、そこの石床の上に青い顔をして牙をむき出した妖怪が寝ていたので、三蔵はあっと驚いて逃げ出そうとした。ところがその物音に眼をさました妖怪は、すぐさま手下どもに命じて三蔵を生け捕らせ、いろいろ身分を問いただした上、三蔵にふたりの弟子と一匹の白馬のあることを知ると、いまにきっと二人の弟子が捜しに来るにちがいないから、馬もろともかれらを生け捕って、その上で皆を食うことにしようと、三蔵を庭の木にしばりつけ、門を閉ざして弟子らの来るのを待っていた。そこへ八戒と沙和尚とがやって来て、妖怪との間に戦いが始まったことは、これは改めて三蔵の語るまでもないことであるが、かれらが戦っている間に、三蔵の身には不思議な事件が起った。というのは、ひとりの美しい婦人がかれのそばへやって来て、やさしい声でかれの身の上をたずね、かれが西天へ経を取りに行く者であることを聞くと、そういうかたならば黄袍郎に話して誓って許してさしあげますから、その代りわたくしのお願いもきいてくださいといって、彼女の身の上を打ち明けて話した。
その話によると、彼女はもと、ここから西へ三百里ばかり離れた宝象国《ほうぞうこく》という国の第三番目の王女で、名を百華羞《ひゃっかしゅう》といった。ところがちょうど十三年前の十五夜に庭で月見をしていると、あの妖怪が一陣の風に乗って忍び込み、彼女をさらってこの波月洞へ連れ帰り、無理じいに妻にしてしまった。そして今ではふたりの子までなしたが、父母のことを思うとなつかしさにたえず、せめて生きていることだけでも知らせたいと思っている。願わくは師父、あたくしの手紙を宝象国の父母のもとへ届けてはくださいませんか、というのだった。
三蔵はもとより喜んでそれを引き受けた。すると彼女は部屋へ戻って手紙をしたためて来て、それを三蔵に渡し、こっそり裏門から出してくれた。しかしひとりではどうしようもないので、しばらく門外の|いら《ヽヽ》草の中に身をひそめていたが、やがてそこへ八戒らがやって来たのだった。
三蔵の話のとおりだとすると、彼女はまず三蔵を裏門から逃がしておいて、それからあの妖怪が八戒や沙和尚と、戦っているところへ来て、あんな芝居を演じてうまく妖怪をだましたのであった。
さて三蔵の一行は、それから三日目に宝象国へ到着した。そこで三蔵が国王に拝謁を願って、百華羞からことづかった手紙をお渡しすると、国王はそれをごらんになってたいそうお嘆きになり、どうかして妖怪を平らげ姫を取り返したいものと、三蔵にはかって、八戒と沙和尚とをふたたび波月洞へさし向けられることになった。
二人は仰せを受けて勇んで波月洞へ向い、門を破って乱入したが、妖怪は大刀を振りかざして迎え戦い、容易に屈する色も見えなかった。そればかりか、かえって八戒がだんだん疲れてきて、とてもこれ以上戦えなくなってしまった。そこでしばらくその場は悟浄にまかせることにして、自分は小便がしたくなったからといって、退いてひと休みすることにした。ところが草原へきて身を横たえてみると、いつのまにかすっかりいい気持になって、ぐっすり眠り込んでしまった。
だからそれからあとで起ったことは、後になって聞いたことであるが、沙和尚はひとりになると、とても戦いきれず、たちまち妖怪のために捕えられてしばり上げられてしまった。かくて妖怪は、ふと何かを思いついたらしく、貴公子の姿に化けて、雲に乗ってみずから宝象国の宮殿へ乗りこみ、自分は国王の第三番目の婿であるが、どうかお眼にかかりたいと申し入れた。
そのとき国王は、三蔵とよもやまの話をしながら、波月洞へ征伐に向った者の知らせを待っていられたが、三番目の婿という者が会いに来たとお聞きになって、どうやらこれは第三の姫をさらって行った妖怪にちがいないと思われ、けっして通してはならないと言いつけられた。
ところが三蔵が、もしその者が妖怪なら、どのようにしてでもはいってくるでしょうから、いっそお通しになったほうがいいでしょうといったので、国王もその気になって、目通りを許された。
さて御前に進み出たその若者をごらんになると、その進退の作法といい、その顔形といい、いかにもりっぱな貴公子に見えたので、国王は大いに安心して、かれの生国や姓名や、またいつどうして姫をめとったか、なぜ今ごろになって初めて挨拶に参ったかなどとお尋ねになった。すると妖怪はいかにもまことしやかに、
「わたくしはここから東のほう、碗子山波月|庄《しょう》の生まれでございますが、幼少のころから弓馬の道を好み、狩りを楽しみとしていましたところ、今からちょうど十三年前のある日、山へ行って狩りしていますと、ふいに一頭の虎がうら若い女を背に乗せて走って来るのを見ましたので、ねらいを定めて矢を放ちますと、あやまたずその虎を傷つけました。すると、虎は背中の娘を捨て逃げ去つてしまいました。そこでわたくは娘を介抱して家へ連れ帰り、どこのどういう人の娘かと聞きますと、娘はただ町家の者だというだけで、実を申しません。それで、きょうまで妻にしてわたくしの家へとどめておきましたところ、はからずもきょう、陛下の姫君だということがわかりましたので、さっそくお詫びに参った次第でございます。ところで陛下、あの傷ついた虎でございますが、かれはその後山中にあって修業をつみ、劫《こう》をへて妖精となり、もっぱら人を迷わしたり殺《あや》めたりしてきましたが、このごろ人のうわさによりますと、大唐から来た取経の僧がその虎に殺され、あまつさえ虎はその僧に化けて、大胆にも朝廷へ乗りこんだということでございます。陛下、そこの椅子に腰かけているのが、まぎれもないその虎です。断じて本物の唐僧ではございません」
国王は驚き呆れて、
「そなたにどうしてそれがわかるか」
「わたくしは山中にあって、つねに虎を見分けることになれております。どうしてわからないことがございましょう。もし疑いになるならば、わたくしが今そいつの正体を現わしてごらんに入れましょう」
そう言うやいなや、かれは卓上の水さしをとって口いっぱい水をふくみ、「黒眼定身の法」を使って、ぷっと三蔵に吹きかけると、たちまち三蔵の姿は変じて、一匹の猛虎になってしまった。国王はびっくり仰天されたが、もとより三蔵の虎があばれたりするわけはなく、たちまち廷臣らに捕えられて縛り上げられ、厳重に檻の中へ閉じこめられてしまった。
さて国王は、それから盛んな酒宴を聞いて、妖怪の婿をもてなされた。
やがてその夜もふけて宴が果ててからも、銀安殿を宿所にあて、十八人の官女を選んで、歌舞音曲を催おさしめ、酒の興をたすけしめられた。妖怪はただひとり上座に坐って飲んでいたが、しだいに酔いがまわるにつれ、貴公子ぶってきちんとしているのが窮屈でたまらなくなり、とうとう本相をあらわして、いきなりそばで琵琶《びわ》をひいていた官女を引っつかみ、ひと口にかみ殺して、ばりばりと食いだした。驚いたのは他の官女たちだった。あまりの恐ろしさに声も出ず、逃げようにも足がすくんで逃げられないので、あちらの襖《ふすま》の陰やこちらの几帳《きちょう》のうしろにかくれて、息を殺してぶるぶるふるえていた。
このとき、三蔵の白馬は、城内の厩《うまや》につながれていたが、人々が――あの唐僧は虎の化け物だったとは呆れたね、などというのを聞いて、これはたいへんだ、どうやら師父は妖怪のために虎の姿に変えられ、ひどい目にあっていられるにちがいないが、さてどうしたらよかろう。第一の師兄行者はいず、八戒も沙和尚も行方が知れない。この上は自分が師父を救うよりほかにないと覚悟をきめ、夜がふけ渡るのを待って、手綱をきって厩を抜け出した。もともとこの白馬は、先にもいったように、西海の小龍の化身であるから、つと本相に立ちかえって雲に乗り、空から城内の様子をうかがった。
見れば銀安殿に灯火がこうこうと輝いているので、雲を低くして中をのぞいて見ると、妖怪が大あぐらで、血のしたたる人肉を肴《さかな》に、酒を飲んでいるではないか、小龍は、たちまち一計を案じ、身をゆすって宮女の姿に変じ、しずしずと妖怪の前に近づいた。そして愛敬たっぷりに酒の酌をしてやると、妖怪は喜んで、
「どうだ、ひとさし舞って興をそえてはくれぬか」という。
「いささか心得もございますが、素手で舞っては興もございませぬ」
小龍がこう答えると、妖怪は腰の剣を解き、鞘《さや》をはらって渡した。
小龍はその剣をかざして舞いながら「花刀の法」を使って妖怪の眼をちらつかせ、やがて隙を見て、えいっと一刀斬りつけた。が、妖怪もさるもの、ひらりと身をかわし、そばにあった燭台をつかむや、それでもってがっきりと受けとめた。
かくて戦いの幕は切って落され、ふたりは戦いながら銀安殿をとび出したが、小龍が本相をあらわして空に舞い上ると、妖怪も雲に乗ってあとを追い、たがいに秘術をつくして空中にあって戦うこと八、九合に及んだ。が、そのうちにしだいに受け太刀となった小龍は、もはやこれまでなりと、手にした剣をはっしとばかり龍めがけて投げつけた。ところがなんと、妖怪はその剣を左の手で受けとめ、右手で大燭台を投げかえした。小龍は身をかわして逃れようとしたが、まにあわず、したたかに腿《もも》を打たれて、急ぎ雲をとぴおりると、お堀の水底深く身をひそめてしまった。妖怪はすぐそのあとを追って来たが、発見することができず、やがて銀安殿へ引き上げて、ふたたび独酌で飲みだしたようだ。
水底にひそんで、外の気配をうかがっていた小龍が、身をおどらせ堀をとび出し、厩へ帰ってまた馬の姿に立ち戻ったのは、それからまもなくのことであった。
それはさておき、八戒はいい気持で草の中で寝ていたが、ふと目をさますともう真夜中なので、びっくりしてとび起きた。何より沙和尚のことが気になったが、様子がさっぱりわからないので、とりあえず城中へ帰って見ることにした。ところが宿舎には三蔵の姿も沙和尚の姿も見当らず、白馬だけが厩に眠っていた。
「おやっ! この馬はこんな夜ふけに乗って走らす人もなかろうに、どうしてびっしょり汗をかき、太腿に青あざまでこしらえたんだろう」
八戒が不思議そうにそうつぶやくと、白馬はとつぜん人間の言葉を使い、
「兄貴」と呼んだので、八戒はびっくりして逃げ出そうとしたが、白馬はその衣の裾をくわえて引きとめ、「兄貴、なにもおれをこわがることはないじゃないか。実はたいへんな災難が師父にふりかかったんだよ」と、今までの一部始終をくわしく話して聞かせた。八戒は驚いて、
「それじゃ、どうしたらよいだろう。おれにはとてもあの妖怪は手におえないし、沙悟浄はどうやらつかまってしまったらしい。こうなった上は、みんな離散するよりしかたがないだろう」
白馬はそれを聞くと涙をはらはらと流して、
「離散などと、なさけないことをいわないでくれよ。師父を救おうと思えば、雲に乗って花果山へ行き、大兄貴を頼んでくればいいじゃないか。孫行者には降魔《こうま》の大法力があるから、きっと師父を救い出し、兄貴やおれが負けた仇を討ってくれるよ」
「ほかの者ならいざ知らず、あいつはおれを恨んでいるから、おれが行ったんでは来るはずがないよ。めったなことを頼もうものなら、あべこべにあの鉄棒で打たれるのが落ちだからな」
「あの仁も義もある大兄貴が、どうして打ったりするものか。ただ大兄貴にあっても、師父が難にあっているとはいわず、師父が後悔して会いたがってるからといって、だまして連れて来ることだ。ここへ来てこの場の始末を見さえすれば、きっと妖怪を平らげて師父を救わずにはおかないから」
「よしきた。おまえがそんなにまでいうなら、おれも義理がすまないから行くとしよう」
ざっとこうしたわけで、八戒は悟空をたずねて来たのだった。悟空は八戒のへたな長談義が終ると、
「この阿呆め!」とどなりつけ、「だからこそおれが別れるとき、もし途中で妖魔にあったら、おれの名をいって聞かせろと、くれぐれもおまえに言い残しといたじゃないか。どうしてそれをいわなかったんだ」ときめつけた。
八戒はそれを聞いてひそかに考えた、この猿めを引っぱり出すにはどうやら怒らせるに限るようだった。そこで、ひとつ怒らせてやろうと、
「いったとも。おれは妖怪にこういってやったんだ。お師匠様を苦しめちゃいけねえ。こちらにはまだ孫悟空という神通広大の大弟子がついてるんだ。五百年前大いに天宮を騒がした斉天大聖を知らねえか、とな。ところが妖怪はせせら笑って、孫悟空がどうしたというんだ、もしその猿めがやって来たら、皮をひっペがし、筋《すじ》を抜き、心《しん》の臓《ぞう》まで食ってやらあ、などと抜かすんだ」
聞くより悟空は、はたして火のようにかんかんに怒りだし、じだんだ踏んで、
「なんだと、そいつがおれをそうまでばかにしやがったのか。聞きずてならぬ。よしいっしょに行こう。ひっ捕えて、思い知らせてくれるから」と叫ぶが早いか、妖衣をかなぐり捨てて法衣に着かえ、虎の皮の腰当てをつけ、如意棒をとり、猿どもに別れを告げ、八戒とともに雲に乗って花果山を出発した。
二十六 孫行者の再起
二人はたちまちにして東洋大海を飛び越え、碗子山《わんずざん》の金色の塔が見えるあたりまでやって来た。八戒がそれを指して、
「あれが黄袍怪《こうほうかい》のすみかだよ。沙和尚はきっとあの中に捕えられていることだろう」
「よし、おれがいって様子を見てくるから、おまえは空中にあって待っていてくれ」
行者はこういって雲をおり、門の前へいって見ると、ふたりの男の子が遊んでいた。ひとりは十歳くらい、他は八歳ほどである。行者はこれはきっと妖怪の子供であろうと思い、いきなりそのふたりをひっつかんでつるし上げると、子供たちはじたばたして大声をあげて泣きだした。その声を聞きつけて、子供たちの母――百華羞《ひゃっかしゅう》がかけ出してきた。
「だれです、なぜわたくしの子供を奪《と》るんです。この子の父はひどい男ですから、もしまちがいを起せば、あなたをそのままにしておきませんよ」
「わたしは唐僧の一番弟子孫行者というものです。弟弟子の沙《さ》和尚がここに捕われているはずですが、その者を返してくださるならば、わたしも子供をお返ししましょう」
姫はそれを聞くと、大急ぎで門内へ引き返し、沙和尚の縄を解かせたので、和尚は大喜びでかけ出してきて、
「おお、兄貴、よくこそおれを助けに来てくれたな」と、うれし涙にむせんだ。そこへ八戒も雲からおりてきて、さすがにきまり悪そうに、前日のわぴをいった。そこで行者はふたりに向って、
「さっそくだがふたりはこの子供たちを連れていって、宝象の宮殿の上から投げおろし、大声をあげて、黄袍怪の子をさらって来たんだと叫んでくれないか。そうすれば、あの妖怪はそれを聞いて、ここへたしかめに帰って来るだろうから、おれはここに待ちかまえていて、そいつをやっつけることにするから」
すると八戒がにやにやしながら言いかえした。
「兄貴、それはおれたちを死地に追いやるようなもんだ」
「どうして死地へ追いやることになるか」
「だってそうだろう。おれたちが子供を投げおろして、そんなことを叫べば、妖怪はまずおれたちをそのままにはしておくまい」
「もしやつがおまえたちに襲いかかったら、戦いながらここへおびき出せばいいだろう。ここの広場は、戦場にはもってこいだからな」
「そうだ、それがいい」
沙和尚がそう賛成したので、八戒もやっと同意して、ふたりは子供たちをひっかかえ、雲に乗って出かけて行った。
さてひとりになった行者が、塔門の下に立っていると、そこへ百華羞があらわれて、
「まあこの和尚さんたら、信義も何もありはしない。弟弟子さえ許してくれたら、子供は返すといっておきながら、どうしてその約束を破ったのです」と、うらみをこめての言葉だった。行者は笑って、
「それよりあなたは、ご両親のおそばへ帰りたくはありませんか。まあ、わたしに任しておいてください。いまにきっとあの妖怪をひっ捕えて、あなたを国王陛下のおそばへお連れしますから」
「それにしても、あなたにそんなことができますか。あの黄袍郎はとても強く、前にあなたの兄弟がふたりかかっても、あんなみじめな失敗をしたではありませんか」
「大丈夫ですよ。あなたはわたしの腕前をご存じないから、そんなことをおっしゃるのですが、わたしには広大な降魔の神通力がありますからね。ところで、いまにあの妖怪がここへ帰って来るといけませんから、あなたはしばらく奥の部屋へ身をかくしていてくださいませんか」
行者の自信たっぷりの言葉に押され、百花羞は否も応もなく承知して、奥まった部屋へ身をかくした。行者はそこで身をひとゆすりして、彼女の姿に化けると、今か今かと、妖怪の帰って来るのを待ち受けた。
こちらは宝象の宮中。夜が明けてから、初めて昨夜の始末を知り、あの第三の婿というのはやはり恐ろしい妖怪であったと、上を下への大騒ぎをしていたが、折も折、ちょうどそのとき、ふいに玉階の前へ天からふたりの子供が降ってきて、まるで肉餅のようにぺちゃんこになってしまったので、いよいよ騒ぎはおおきくなるばかり。と空中に声があって、
「その子は黄袍怪の子だぞ、八戒と沙悟浄とのふたりがさらって来たんだ」
そのわれ鐘のような声は、昨夜からの酒がまださめやらず、銀安殿でうつらうつらとしていた妖怪の耳をも驚かした。かれはとたんにぱっととぴ起き、走り出て空を見上げると、八戒と沙和尚とが雲の上に立ってわめいているではないか。
「はてな」と思わずかれは、ひとりごとをいった。「あの沙和尚はおれの家に縛ってあったはずだが、どうして出てきやがったんだろう。それにおれの子供がなんでまたやつらの手に奪われたんかしら。これはひとまず家へ帰って、様子を見届けてこずばなるまい。やつらに渡りをつけるのはその上のことにしても遅くはないだろう」
かくて妖怪は、さっそく雲を飛ばして、波月洞へと舞い戻った。見れば妻が洞内にぶっ倒れて、さめざめと泣いている。妖怪は、それが行者の化けたものとは知る由もなく、やさしく抱き起して尋ねた。
「おまえ、なぜそんなに嘆き悲しんでいるのだ」
「あなた……あなたはどうしてもっと早く帰ってくださらなかったのです。けさがた八戒が沙悟浄を奪いかえしに来て、子供たちまで連れ去ってしまい、どうなったことやら、その安否も知れないのです。これが泣かずにいられましょうか」
聞くより妖怪は、じだんだ踏んでくやしがり、
「さては、あの子はまことのわが子であったのか。畜生、待ってるがいい。この上はやつらをひっ捕えて、かたきを討ってやるから、もう泣くな、泣くな」
「わたくし、あんまり泣いたので、胸が痛くなりましたわ」
「よしよし、大丈夫だ。おれにひとつの宝ものがあるから、それで痛いところをひと撫ですれば、すぐよくなってしまうよ。しかしまちがって指ではじいてはいけないよ。はじけば、おれの本性があらわれるからな」
そこで妖怪は彼女――行者を奥の一室へ連れて行き、口の中から一個の宝ものを吐き出した。見ればそれは鶏の卵ほどの大きさの、内に仙丹を落した、透明な白玉だった。行者はそれを受け取ると、ほんの形ばかり胸をひと撫でしてから、指ではじこうとした。妖怪はあわてて、取り返そうと争ったが、行者はすばやくそれをひと口に腹の中へのみ込んでしまった。妖怪は怒って打ってかかろうとした。が、行者はそれを片手でさえぎり、もう一方の手で顔をつるりとなでさすると、たちまち本相をあらわし、
「おい化け物、むちゃをするなよ。おれがだれだかわからないかい」
妖怪は見るよりぎょっとして、
「あっ! この野郎。いったいきさまはどこの何者だ。おれの妻をかくした上、宝ものまでだまし取るとは、なんたる悪党だ」
「知らなきゃ教えてやるが、おれこそは唐僧の一番弟子、孫悟空様だ。五百年前は、妖魔として大いに鳴らしたものだ。いわばまあきさまの先祖様さ。ところできさまは、おれの師父に無道をはたらき、あまつさえおれの悪口をさんざんほざいておきながら、その言いぐさは何事だ」
「おれがいつきさまの悪口をいったか」
「八戒がそういったぞ」
「あんなやつのいうことが当てになるものか。あの八戒は、人間の悪婆のように口のうるさいやつだ」
「つべこべ言わずに、さあ首根っこをのばして、この棒を受けてみよ」
すると妖怪は、からからと笑って、
「行者、そりゃ少し了簡がまちがってるぜ。たとえきさまに鬼神の勇があろうとも、二度とふたたびこの門は出られないから、そう観念するがいいぜ」
妖怪はこう叫んで、手下に命じて門をぴたり閉めさせ、行者を中に取りこめてしまった。行者は大喝《だいかつ》して、たちまち三面六臂《さんめんろつぴ》の姿に変じると、三本の鉄棒をそれぞれ二本の手に振りかざして、当るをさいわい打ってまわったので、あわれや手下の化け物どもは、たちまちのうちにことごとく打ち倒されて、残るは大将の黄袍怪だけとなってしまった。
ここに両雄の一騎打ちがはじまったが、かれらはいつどちらからともなく空中に舞い上り、雲を踏んではげしく渡り合った。妖怪は大刀を振りかざし、行者は鉄棒をふるって激戦だったが、たがいに斬り合い打ち合うこと五、六十合に及んでも、容易に勝敗は決しそうになかった。ところがそのうちに、いかなる隙をみいだしたか、行者の打ちおろした鉄棒にしたたか手ごたえがあったが、不思議やそのとたんに妖怪の姿はぱっと消えて、どこへ行ったか影も形も見えなくなってしまった。
行者は大急ぎで、さらに高く空中にかけ上り、小手をかざして四方を眺めまわしたが、いっこう、そのありかはわからなかった。
「なるほど」と行者はひとりうなずいた。「おれのこの眼にかかったら、どんなものでも見あらわせないものはないのに、それが見えないとは、あいつはただの地妖ではなく、天界からやって来た妖精にちがいない」
そう考えると、行者はすぐさま雲を飛ばして、天上の南天門にかけつけ、四大天師にわけを話して、天上界をしらべてもらうことにした。そこで四大天師が、玉帝の許しを受けて、天上の神々をしらべてみると、二十八宿の星官《せいかん》のうち、第二十八番目の奎星《けいせい》が欠けていることを発見した。天師は玉帝の御前へ帰って、
「奎木狼《けいもくろう》(奎星のこと)が下界へ走りました」と報告した。
「それで、いつごろから不在なのか」
「ちょうど十三日になります」
玉帝はうなずかれて、
「天上の十三日は、下界の十三年に当るわけだ。とにかく、二十七宿の星官らに命じて、奎星のありかをさがさせるがよい」との仰せである。
そこで二十七宿の星官らは、仰せのままに、天門を出て下界にくだり、おのおの呪文をとなえて、奎星をさがすことになった。ところで、奎星はいったいどこにかくれていたのか。実は、かれは谷川に身をひそめ、水気と妖雲でその上をおおっていたので、さすが行者の眼にも発見されなかったのだった。だがいまや仲間の星官たちの呪文を聞くと、いやでも出て来ないわけにいかなくなった。そしてかれらに引き立てられ、天上へ連れ戻されて、玉帝の御前へ叩頭《こうとう》してかしこまった。そこで玉帝は、
「なにゆえなんじは天界を捨てて下界へ走ったか」とおとがめになる。奎星は恐縮して、
「陛下、なにとぞ臣の死罪をお許しください。あの宝象の姫と申しますのは、実はもと披香殿《ひこうでん》の王女で、臣と相許した仲でございました。さりながら、臣が天上を汚すことを恐れて躊躇《ちゅうちょ》していましたところ、彼女はさきに下界へくだって、皇女に生まれかわったのでございます。臣も約束でございますから、そのあとを追って下界へくだり、妖魔となって名山に居を占め、彼女を洞府にともなって、十三年間夫婦となっていた次第でございます」
玉帝はそれを聞かれると、かれを兜率宮《とそつきゅう》に移して太上老君《たいじょうろうくん》の丹炉《たんろ》の火の番をさせることにし、功があったらまたもとの職に戻すことにせられた。玉帝のこの処分は、行者にとっても満足だったので、玉帝をはじめ厄介をかけた他の神々にもお礼を申し述べて、すぐさま波月洞へと取って返した。そして百華羞《ひゃっかしゅう》をさがし出して、妖怪をとらえた次第を話していると、ちょうどそこへ八戒や沙和尚も来合わせたので、行者は「縮地の法」を使って一瞬にして一同とともに宝象国《ほうぞうこく》へ連れ戻った。かくて姫は金鸞殿《きんらんでん》へのぽって父母を拝し、続いて百官の拝賀を受けられた。行者が天上界で見聞きしたところの一部始終を物語って、
「陛下の第三の婿君は、ただの妖怪ではなく、奎星の天降ったものであり、姫様もまた、もとはやはり天宮の香をつかさどる王女でございました」と申し上げると、国王はかつは驚きかつは喜んで、ことごとく行者に感謝された。そして、この上は何よりすぐ師父を救ってあげてくれといって、家来に命じて行者らを三蔵の前へ案内させられた。行者は師父が虎の姿になって、檻に入れられているのを見ると、思わず失笑して、
「師父、あなたはよくよくお人好しですな、八戒にそそのかされてわたくしを追放なさるなんて。どうです、とうとう、こんなあさましいありさまになったじゃありませんか」
すると沙和尚が行者の前にひざまずいて、
「兄貴、昔から『仏の顔を見て、僧の顔を見るな』というじゃないか。兄貴もここまで来てくれたからは、なんとか早く師父を救ってあげてくれよ」と懇願した。
「いうにゃ及ぶだ。おれだってこれがだまって見ていられるかい。早く水を持ってこい」
そこで八戒が走って行って、紫金の鉢に水を汲んでくると、行者は真言《しんごん》をとなえ、その水を口にふくんで、虎の頭めがけてぷっと吹きかけた。するとたちまち妖気は退散して、三蔵はもとの姿にかえったが、何が何やらさっぱり事情がのみこめない様子で、ただもう眼をぱちくりさせているばかりである。が、ようやくそこにいるのが行者だとわかると、あわててすがりつき、「悟空、よく来てくれた」と、感涙にむせんだ。そこで沙悟浄が、今までの事の次第をひと通りくわしく話して聞かせると、三蔵はいよいよ感激して、
「いやまったくありがたい。みんな悟空のおかげじゃ。このたびの取経のことが成功し、めでたく東土へ帰ったあかつきには、そちの手柄が第一であったと、かならず唐王にも申し上げることにしよう」と、礼をいった。行者は笑って、
「師父、わたしはそんなことより、あの緊箍呪《きんこじゅ》をとなえるのをやめてくださるならは、それで満足します」と答えた。
さて国王は、東閣に精通の宴を張って師弟四人をもてなし、一同の功をねぎらい、別れをおしんだが、四人はその場で国王に別れを告げて、またもや西への旅にのぼった。
二十七 金角銀角
さて三蔵はまた孫行者を得て、師弟四人、西への旅を続けていくうちに、いつしか冬は去り、春がめぐってきた。ある日、一行はひとつの高山へさしかかった。道はけわしく、難儀をきわめていると、向うの崖にひとりの樵夫《きこり》があらわれて、三蔵にむかい声高く、
「和尚様、この山には化け物がたくさんいて、東から西へ旅する人と見れば取って食いますよ」
三蔵はびっくりして、弟子どもを集め、だれかあの樵夫のところへ行って、もっとくわしくきいて来てくれという。そこで行者が崖をのぼっていって尋ねると、樵夫が答えていうには――この山は平頂山といって、山道が六百里にも渡っているばかりか、山中には蓮花洞《れんげどう》というのがあって、そこに住んでいる兄弟の妖怪は、広大な神通力を持っている上に、唐僧一行の姿絵まで用意していて、一行が通りかかったら取って食おうと待ちかまえている。だからあなたがたは、かりにも唐から来たなどといってはなりませんよ、というのだった。
樵夫はこれだけいってしまうと、かき消すようにその姿が見えなくなってしまったので、行者が不審に思ってふと空を仰ぐと、雲の間に見覚えのあるはした神が立っているではないか。行者はたちまち雲の上に飛び上り、
「このはした神めが、話があるならなぜ正面からそうといわねえんだ。あんなものに化けて、このおれ様をためそうなんて、無礼千万ではないか」と叱りつけると、はした神はあわてて礼をして、
「大聖、お気を悪くしないでください。あの妖怪は、まったくたいした神通力で変化《へんげ》もさまざまです。あなたがよほど一生懸命にならないと通るのはむずかしいでしょう」
「いや、何ほどのこともないさ。おれが師父をお通しするよ」
さて行者は三蔵のそばへ戻ってくると、
「師父、ご安心ください。この山にはただちょっとした小化け物がいるだけですが、このへんのものは臆病ですから、あんなふうに誇大にいったにすぎません。しかし、ご心配になるようでしたら、八戒を先にやって偵察させられたらよろしいでしょう」
三蔵は行者の言に従って、すぐさま八戒に偵察を命じた。八戒は底気味わるく思いながらも、師命だからしかたなく、熊手をとって出発した。
話かわって、この山の奥の蓮花洞では、金角大王、銀角大王という兄弟の魔王が、いまやしきりに唐僧の噂をしていたが、やがて金角が銀角に向い、
「おい、きょうはおまえが山回りをやれ。なんでもあの唐僧は金蝉長老《きんせんちょうろう》の生まれ変りとかで、その肉を食えば長生きができるそうだから、この姿絵に似ている和尚にあったら、逃さずひっ捕えてくるがよい」といって、かねて用意の絵図を渡した。
銀角はそれを受け取ると、三十匹の小妖を従え、さっそく山回りにと出かけて行った。するとほどなく、向うから熊手を手にした男がやって来るのに出会ったが、ひとりの手下がそれを見て、
「あれは、絵図にある八戒というやつです」というので、そこで銀角が絵図をひろげさせて見ると、口の突き出ているところといい、耳の大きいところといい、まったく八戒にちがいないので、銀角はさっとばかり刀を振りかざして襲いかかった。八戒は驚いて、急ぎ熊手をあげて防ぎ戦ったが、たがいに秘術をつくして打ち合うこと二十余合に及んでも勝負はなかなかつかなかった。そこへ銀角の手下の小妖どもがいっせいに打ってかかってきたので、八戒もついに敵しがたく、急ぎ逃げ出そうとしたが、たちまち藤づるに足をとられてその場にころんでしまった。小妖どもはここぞとばかりその上に折り重なって、とうとう八戒を生捕りにし、蓮花洞へと引き立てて行った。
さて銀角が、金角の前へ八戒を突き出して、
「兄貴、一匹捕えてきたよ」と報告すると、金角はひと目見ただけで、
「こんなやつはいらねえ」という。そこで八戒がすかさず
「大王、いらなければ放してやってください」と頼むと、銀角が、
「兄貴、放してやることはねえ、こいつも唐僧の一味なんだ。裏の池へぶちこんどいて二、三日したら酒の肴にでもしようや」と、すぐさま手下どもに言いつけて、八戒を引っぱっていって裏庭の池へ投げこませてしまった。
それにしても、あの八戒を捕えたからには唐僧も近くにいるにちがいない、という金角の意見により、銀角はまたもや手下どもを従えて山回りに出かけて行くことになった。そして、山の頂きへ来てかなたこなたと見張っていると、おりしも三蔵らの一行が下の道を登ってくるのが目に入った。
銀角は手下どもに、おれが変化の法を使ってやつらを捕えてくるから、しばらくここで待っておれと言いつけておいて、さて自分は道士の姿に身をかえると、ひとりで山をおりて行った。そして、手ごろなところまで来ると、足を折ったふうをして、血をだらだら流しながら、
「助けてくれ」と大声でわめきだした。
こちらは三蔵、その声を聞きつけると、急ぎ近寄って馬からおり、
「先生、どうかなさいましたか」と、親切にたずねた。すると道士は、
「わしはこの山の西にある清幽観《せいゆうかん》の道士ですが、きのう弟子を連れて山の南の施主《せしゅ》の家へ参り、祈祷《きとう》をすましての帰るさ、猛虎に襲われて弟子は食われてしまい、わしは命からがらここまで逃れて来ましたが、石につまずいてかくはけがをいたし、帰るに帰れず困りはてております。道観に帰るを得ましたならば厚くお礼をいたすほどに、なにとぞお助けください」という。三蔵はその言葉をまにうけて、
「先生、ご安心なさい。拙僧が送り届けてさしあげますから」といって行者を呼び、
「そのほう、このかたを背負って行ってあげるがよい」
行者は早くもその道士が妖怪であることを見抜き、一棒のもとに打ち殺したく思ったが、早まったことをしてまた前のように師父に叱られては困るので、命のままに道士を背負って歩きだした。
けれども、こうして三、四里も進む間に、先頭の三蔵と沙和尚とが山のくぼみへ入って見えなくなると、行者はそろそろここらで妖怪を投げ殺してやろうとひそかに考えた。しかし妖怪もさるもの、たちまちそれに感づいて、行者の背中にあって印を結び、呪文をとなえて、須弥山《しゅみせん》を呼び寄せ、行者の上に落とした。だが行者は左肩に受け止めて平気な顔、そこで銀角は今度は峨眉山《がびざん》を落しかけた。すると行者は、頭をひとひねり、今度は右肩で受けとめてしまった。そして二つの大山を肩にしたまま、三蔵を追ってどんどん駆け出したので、銀角はいよいよ驚き、急ぎ真言《しんごん》の呪文を念じて、これでもかとばかり泰山《たいざん》を落しかけてきた。
さすがの行者も、この「泰山圧頂《たいざんあっちょう》の法」にかかっては、すでに左右の肩に二つの大山を背負っていることとて、どう受けとめようもなく、とうとうその下におしひしがれて、からだじゅうから血を流し、うんうん唸《うな》っているばかりだった。
銀角はしすましたりと、大急ぎで三蔵を追っかけ、雲の中から手をのばして、敵対する沙和尚をまず左手でひとつかみにし、さらに右手で三蔵を馬もろともつかみ上げて、一陣の風ととも蓮花洞へ帰ってきた。そして大声で、
「兄貴、坊主どもをみんな捕えてきたぞ」と叫んだ。しかし金角は、ふきげんな顔をして、
「だが、あの孫行者がまだつかまらないではないか。あいつを捕えないことには、安心して唐僧を食うわけにいかないぞ」
「兄貴、心配はいらないよ」と銀角は得意そうにいった。「あの行者なら、おれが大きな山を三つも使っておさえておいたから、何もわざわざおれたちが出かけて行ってつかまえるまでもなく、子分にあの二つの宝ものを持たしてやって、その中に吸いこましてしまえばそれで片づくよ」
「なるほど」と、金角もそれに同意し、さっそく紫金の紅葫蘆《こうころ》〔ふくべ〕と羊脂玉の浄瓶《じょうへい》とを取り出して手下の精細鬼《せいさいき》と伶俐虫《れいりちゅう》とに与え、
「いいかお前たち、この宝ものを持って山へ登り、底を天に向け、口を地に向けて、孫行者と呼ぶんだ。きゃつが返事をしたが最後、たちまちこの中に吸いこまれてしまうんだ。それからおれが、その上に太上老君急々如律令奉勅《たいじょうろうくんきゅうきゅうにょりつりょうほうちょく》という札を貼れば、そいつはすぐどろどろにとけてしまうんだ」
そこで手下のふたりは、その宝ものを持って、行者を捕えに出ていった。洞中では金角、銀角のふたりが、三蔵師弟をしばり上げ、廊下の天井につるし上げさせた。
一方、行者は大山の下におさえこまれ、身動きもできずにいたが、
「ああお師匠様、あなたが両界山でわたくしをお助けくださって弟子にしていただいたとき、こんな所でこんなみじめな目にあおうとは、だれが考えたでしょう。ああ悲しい、なさけない」と、涙を雨のように流しながら、声のかぎりをふりしぼって叫んだ。するとその声が、日ごろから三蔵を陰ながら守っている神々の耳に達したので、神々はおどろいて集まってきたが、中にも掲諦《ぎゃてい》が、土地神《とちしん》や山神を呼び出し、
「この山はだれのか」とたずねると」土地神が答えて、
「わたくしのでございます」
「で、この山の下におさえられているかたがどなたかおまえは知っているか」
「いいえ存じません」
「知らなければいたしかたもないが、このかたは唐僧のお供をして西天へ経を取りにおいでになる斉天大聖《せいてんたいせい》であるぞ。おまえはまたなんで妖怪に山を貸して、大聖をおさえさせたりしたのじゃ」
聞くより土地神や山神は恐れおののき、さっそく呪文をとなえて山を取りのぞき、行者を自由にした。行者ははね起きるやいなや、いきなり鉄棒をふりあげて、土地神と山神を打とうとしたが、他の神々になだめられて打つのは思いとどまったが、
「お前たちは、なんてやつらだ。このおれ様をさしおいて、妖怪の言いつけを聞くなんて」と、ぷんぷん当り散らした。
「あの妖怪は、とても神通力が広大でございまして、真言《しんごん》の呪文をとなえ、わたくしどもを一日にひとりずつ洞中へ呼びつけるのでございます……」
土地神がそのような弁解をしている間もあらせず、向うの山陰から、あやしい光が近づいてきた。行者が、
「おまえたち、妖怪の洞中へたびたび行ったことがあるからには、あの光が何物であるか知っているだろう」と尋ねると、土地神が答えて、
「さよう、あれは妖怪の宝ものが光を放っているのです。たぶん妖怪があなた様をつかまえに来たのでございましょう」
「それで、やつらはふだんどんな連中と交際しておるか」
「妖怪は仙丹を焼いたり仙薬を練《ね》ったりするのが大好きで、仙術を心得た道士と交際するのを喜んでおります」
「よし、わかった。じゃおまえたちはもう帰ってよい」
そういうが早いか、行者は身をひとゆすりして道士の姿に変じ、あやしい光の近づくのを待っていると、ほどなくふたりの化け物がやって来て、
「道士はどちらからおいでになりましたか」と尋ねた。
「わしは蓬莱山《ほうらいさん》から仙術を伝えに来た者じゃが、あんたがたはどちらへ行かれるかな」
「われわれは、この山中の蓮花洞から参ったもので、大王の命令で孫行者をとらえに行くところです」
「あの孫行者というやつは、まことにけしからんやつじゃ。ではわたしもあんたがたといっしょに行って、捕らえるのを手伝ってしんぜよう」
「そのご心配には及びません。わたくしどもの二番目の大王が三つの大山でもってやつをおさえつけてある上に、わたくしどもにこの二つの宝ものを貸し与えて、やつを吸いこませるというわけです」
「ほう、それはまたどんな宝ものじゃな。してどのようにして、やつを吸いこもうというのかな」
化け物どもは、紅葫蘆《こうころ》と玉の浄瓶《じょうへい》とを示して、その効能をひと通り説明した。行者はそれを聞いて心中ひそかに驚いたが、何くわぬ顔をして笑いながら、
「人が吸いこめるとはたいした宝ものじゃ。しかし、わしも一つ宝ものを持っているが、それには天が吸いこめるのじゃ」
「ほんとうですか、ではちょっとお見せください」
そこで行者は、こっそりうしろへ手をまわして、尻のあたりの毛を一本抜き、一尺七寸ほどの葫蘆《ころ》に変えて取り出し、
「どうじゃな、わしのこの宝ものは」といって、ふたりに示すと、ふたりはそれを手にとってつくづく眺めながら、
「どうだろう、おれたちの紅葫蘆《こうころ》と取りかえることにしたら」
「しかし、これには天が吸いこめるのだもの、どうしておれたちのものと取りかえてくれるものか」
「じゃあ、もしいやだといったら、この浄瓶《じょうへい》もいっしょにつけてやったらどうだろう」
などと相談をはじめた。行者はそれを聞いてひそかに喜んだ。
「ひとつ、本当に天が吸いこめるかどうか、見せていただきたいもので」
「よろしい。ではひとつ吸いこんで見せよう」
そこで行者は、ひそかに印を結び呪文をとなえて、日遊神を呼び出し、
「おれに代って玉帝に奏上して、ほんの半時ばかりでいいから天をこの葫蘆《ころ》の中へ吸いこめるようにしてもらって来てくれ。もし玉帝がいやだといったら、ただちに霊霄殿《れいしょうでん》にのぼって行って一騒動起すから、とこういってな」と頼んだ。
日遊神はさっそく天上にのぼって、行者から頼まれたことを奏上した。すると玉帝は、
「またあの猿めが乱暴なことを言いおる。いくらなんでも、天を吸いこむわけにはいくまい」と仰せられる。そのとき|※[#「口+那」]叱《だしつ》太子進み出て、
「陛下、天もまた吸いこみ得ようかと存じます」
「どうして吸いこむのじゃ」
「詔《みことのり》をいただいて真武君《しんぶくん》の旗を借り受け、南天門からそれをひろげて、日月星辰をおおいかくせば、下界はまっ暗になってしまいましょう。そこで天を吸いこんだからだと化け物どもをだませばよいと存じます」
玉帝はそれをお許しになった。そこで|※[#「口+那」]叱《だしつ》太子は真武君のところへ旗を借りに行き、日遊神は大急ぎで行者のそばへ戻ってきて、こうこうと手はずを伝えた。行者は喜んで、ふたりの化け物に向い、
「では、よく見ているがいい」といって、贋《にせ》の葫蘆《ころ》をとって天に向って投げあげた。それを合図に、天上では|※[#「口+那」]叱《だしつ》太子が旗を広げて日月星辰をおおいかくしたので、あたりはたちまちにして真の闇となってしまった。化け物どもは、
「どうしてこんなにまっ暗になったんです」
「天を吸いこんだからじゃ。日月星辰すべてこの葫蘆《ころ》の中に吸いこんだからには、まっ暗になるのが当然じゃろうが」
「よくわかりました。もう結構です。早く元通り天を出してください」
そこで行者が呪文をとなえると、|※[#「口+那」]叱《だしつ》太子が旗を巻いたので、天地はまた前のように明るくなった。
まのあたりこの不思議を見せられた化え物どもは、すっかり感心して、自分たち二品の宝ものと行者の葫蘆《ころ》とを喜んで交換した。行者はしすましたりと、たちまち身をひるがえして空中に舞い上り、雲の上から、かれらがどうするかと、見おろしていた。
化け物どもは、道士の姿が急に見えなくなったので、どうして何もいわずに行ってしまったんだろうと不審に思ったが、そんなことより、今は自分たちで天を吸いこんでみようと、それに夢中だった。そして、まず伶俐虫《れいりちゅう》が葫蘆《ころ》をとって空に投げ上げてみたが、どうして天が吸いこめるはずはなく、葫蘆《ころ》はすぐ地に落ちてきた。そこで今度は精細鬼《せいさいき》が、いい加減な呪文をとなえて、ふたたび葫蘆《ころ》を投げ上げてみせたが、もとよりそれもむだだった。ふたりは、だまされた、贋物だ、と大騒ぎをしはじめた。
行者は空中にあって、ぉかしそうにそれを眺めていたが、化け物どもが騒いでいるすきに、こっそり葫蘆《ころ》を呼びもどして、からだに返してしまった。そうとは知らない化け物どもは、やがて葫蘆《ころ》がなくなっていることに気づくと、あわててそこらじゅうを捜しまわったが、どこにも見つかるわけはない。そこで初めて、あの道士は孫悟空というやつが化けていたのかもしれないと感づいたが、いまさらどうしようもなかった。
「困ったことになったな、おれたちが帰って話せば、きっと打ち殺されるぜ」
「しかたがない。まさか殺されもすまいよ」
# 化け物どもはすごすごと蓮花洞《れんげどう》へ帰っていくほかはなかった。行者は空中にあってそれを見届けると、また身をゆすって一匹の蒼蝿《あおばえ》になり、ふたりのあとをつけて行った。ところで皆さんは、ではあの二品の宝ものはどうなったのかと不審に思われるでしょうが、あの宝ものは行者の金箍棒《きんこぼう》と同じように、持っている者のからだに応じて大きくも小さくもなるので、たとえ蒼蝿にでも持ちはこびできるのです。
さて行者が化け物のあとについて洞内へとやって来て見ると、親分の金角と銀角とはいまや酒宴のまっ最中だった。ふたりの子分はその前にひざまずいて、ただただ恐縮して叩頭《こうとう》するばかりである。すると金角がそれを見て、
「孫行者を捕えてきたか」
そこでふたりの子分どもが、おそるおそる事の次弟を話して許しを乞うと、金角は雷のように怒って、
「おい、きさまら、それこそ孫行者だぞ。おさえがきかなかったんで、やつめ道士に化けて、おれの宝ものをかたり取りやがったんだ」
銀角もいきり立って、
「あの猿め、ふらちなやつだ。逃げるに事を欠いて、おれたちの宝ものまで騙し取るとはけしからん。よし、おれがきっとひっ捕えてくれるから」
「だが、どうしてやつを捕えるんだ」と、金角は心配そうである。
「なに、おれたちにはまだ三つも宝ものがあるではないか。七星剣《しちせいけん》と芭蕉扇《ばしょうせん》とが手もとにある上に、圧龍洞《あつりゅうどう》のおふくろのところには|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》もあるからな。ひとつ使者をやって、唐僧の肉を食べにこないかとおふくろを招き、ついでに|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》を持ってきてもらうんだな」
「そうだ、それがよかろう」
そこで銀角は巴山虎《はざんこ》と倚海龍《きかいりゅう》がふたりの手下を呼び出し、旨《むね》をふくめて、さっそく母を呼びに出発させた。
一方、蒼蝿《あおばえ》になって忍びこんでいた行者は、すべての様子を見て取ると、これも羽をひろげて洞を飛び出し、妖魔の手下のひとりに化けて、巴山虎らについていった。かれらは別段怪しみもせず、やがて半日ばかりも行ったが、
「まだよほどあるのか」と行者が尋ねると、倚海龍が前方を指して、
「あの烏林《うりん》の中だよ」とのことだった。さらばと行者は銃棒を取り出すと、たちまち二人を打ち殺してしまい、毛を一本抜いて巴山虎に仕立て、自分は倚海龍に化けて烏林へ進み入った。
見れば洞前には、観音びらきのりっぱな石門があり、行者が案内を乞うと、石の扉が半ば開いて、ひとりの女の妖怪が顔を出し、どこから来たのかと尋ねた。行者が、蓮花洞からの使者だと答えると、かの女妖はすぐ行者たちを三層の門の奥へ案内した。さて正面の堂の中にはひとりの老婆が坐っていたが、行者がその前へ進み出て拝をするや、
「何用じゃな」と尋ねた。行者がまことしやかに、
「蓮花洞の大王よりつかわされました者でございますが、ご母堂様には唐僧の肉を召し上りにおいでくださいますよう、またその節、孫行者を捕えるために|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》をお持ちになってくださるようにとのことでございます」
と答えると、老婆はたいそう喜んで、さっそく駕籠《かご》を命じて、出発することになった。行者はその駕籠のあとについて行ったが、ちょうど五、六里いったところで、駕籠かきどもが駕寵をおろしてひと休みしたので、行者はこの時とばかり鉄棒をふるってかれらを打ち殺してしまった。すると、その物音に驚いて老婆がひょいと、駕籠から顔を出したので、行者はこれまた一棒のもとに打ち殺し、駕籠から引きずり出して見ると、なんとそれは九尾の狐であった。行者は彼女の持っていた|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》を奪って袖の中に入れ、毛を抜いて倚海龍や駕籠かきどもに仕立てると、自分は老婆に化けて駕籠に乗り、まもなく蓮花洞へと帰ってきた。
さて金角と銀角とは、老母が到着したと聞くと、ただちに洞を出て迎え入れ、正面の座へつかせて、
「母上様、よくこそおいでくださいました」と、叩頭して、うやうやしく挨拶した。行者は、
「それで、わたしを呼んだのはどういうわけだえ」
「母上様、わたくしどもはいつも不孝ばかりいたしておりますが、このたび唐僧を捕えましたので、母上様をお迎えして、延寿の酒宴をいたしたいと存じまして……」
と、その言葉の終らぬうちに、とつぜん、巡回の手下のひとりが駆けこんできて、
「大王様、たいへんなことになりました。孫行者が母上様を殺して、母上様に化けてここへ来ているはずでござります」
聞くより金角は、七星剣をおっ取って、行者めがけて斬ってかかった。行者はひらりと身をかわし、いちはやく洞の外へ逃げ出してしまった。金角がそのあとを追おうとすると、銀角が呼びとめて、
「兄貴、おれがいって、かならずやつを捕えてくるから、留守を顔む」
そういったかと思うと、早くも銀角は剣をふるって、門外へ走り出ていった。そして、行者のあとを追いかけながら、大声をあげて、
「孫行者! おれの宝ものとおふくろを返せ。そしたら、唐僧の命を助けてやるから」と叫んだ。行者はふり返って、
「この化け物め! うまいことをいって、おれをだまそうたって、その手に乗るおれ様ではないわ。見ていやがれ、いまにおまえたちを叩き殺して、師父や兄弟を救い出して見せるからな」
銀角は怒って、やにわに剣をふるって行者に斬ってかかった。行者がそれをはずして、雲の上にとび上ると銀角もそれを追って空中にかけのぼり、ここにふたりは、剣と鉄棒とで渡り合うこと三十余合に及んだが、なかなか勝敗は決しない。そのとき、行者はふと思いついて、さきほど奪った|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》を袖の中から取り出し、さっとばかり銀角めがけて投げつけ、その頭をしばってしまった。ところがその縄を使うときには、目的によって、緊縄呪《きんじょうじゅ》(縄のしまる呪文)か鬆縄呪《しょうじょうじゅ》(縄のとける呪文)のどちらかをとなえることになっていたが、行者はそれを知らなかったので、かえって相手を利することになってしまった。銀角はその縄が自分たちの宝ものの|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》であることを見てとると、たちまち鬆縄呪をとなえて縄から抜け、あべこべに行者に投げつけて緊縄呪を念じたので、行者はしっかりその縄にしばられて、抜けることができなくなってしまった。銀角はしすましたりと、縄の端を持って行者を引き立て、洞の中へと連れ帰った。
金角はそれを見てたいそう喜び、手下に命じて行者を柱へ縛りつけさせた。すると銀角が行者のからだをしらペて、紅葫蘆《こうころ》と浄瓶《じょうへい》とを取りもどすと、ふたりとも奥へいって酒をはじめた。
さて行者は、柱に縛りつけられて、じだんだ踏んでいたが、あたりに人のいないのを見て取ると、こっそり縄を抜け出そうとした。しかしその縄には、金《かね》の環《わ》がついて、それが顎の下をぴったり締めつけているので、容易なことでは抜け出すことができない。そこで行者は、鉄棒を取り出して鑢《やすり》にし、それでもって首の金環《かなわ》をごしごしこすり、やっとそれをこすり切って抜け出すことに成功した。それから毛を一本抜いて、それを身代りに柱へ縛りつけておいて、自分は手下のひとりに化けて奥へ走りこみ、
「行者があばれて、あの縄を切ってしまいそうです。もっと太くて丈夫なのと取りかえないとだめでしよう」と叫んだ。
金角はもっともだと思い、腰の獅鸞帯《しらんたい》をといて行者に渡した。行者はその帯で身代りの行者をしばり、|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》をこっそり袖の中へ失敬してしまった。そして、またもや毛を一本抜いて|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》にして金角に返し、自分はさっとばかり門外へ走り出て、本相をあらわして叫んだ。
「妖怪ども、出てこい! われこそは孫行者なり」
手下の知らせによってそれを知った金角は、
「孫行者は縛ってあるのに、なんでまた孫行者なんてやつが来たんだろう」と、不審がる。すると銀角が、
「兄貴、心配するな、おれが葫蘆《ころ》を持っていって吸いこんで来るからな」といったかと思うと、早くも葫蘆を取って洞の外に走りいで、
「貴様はどこのどいつだ」とどなりつけた。
「おれは孫行者の兄弟だ。きさまがおれの兄貴を捕えやがったんで、敵討にきたんだ」
「そうか。そんなら勝負をする前に、おれがきさまの名を呼ぶから、それに返事をしろ」
返事をすれば葫蘆《ころ》の中へ吸いこまれるに決っていた。そのことは行者も知っていたが、今は孫行者という偽名を名乗っているので大丈夫と思い、
「返事ぐらいできなくてどうする」
すると銀角は空中へ飛びあがり、かの葫蘆をさかさまに持って、
「孫行者!」と呼んだ。そこで行者が「おお」と返事をすると、こはいかに、たちまち葫蘆の中へ吸いこまれてしまった。それというのも、元来この葫蘆は、名前の真偽にかかわらず、返事さえすれば、たちどころに吸いこんでしまう働きを持っていたのである。
葫蘆の中はまっ暗だったが、根がのんきな行者のことだったから、たいして心配もせず、
「おれのからだは、五百年前に太上老君の八封炉《はっけろ》の中で錬成されているから、たとえこの葫蘆がたちまちのうちに凡人を溶かすことはできても、このおれ様を溶かすことはできまい。どうせ、そのうちにやつらが封を開くだろうから、そのときに逃げ出せはいいさ」などと考えていた。
ところが妖怪どもは、いっこう葫蘆の封を開こうとはしない。かれらは孫行者を捕えたことに安心して、またもや酒宴を続けていたのである。そこで行者は、大声をあげて、
「ああ天よ! 足がみんな溶けてしまった」と叫んだが、なんの反応もなかった。そこでまた少したってから、
「ああ母よ! 腰まで熔けてしまった」と叫んだ。するとそれを聞きつけた金角が、
「腰まで溶けたというからには、もうすぐ全部溶けちゃうだろう。封を開けて見ろよ」と、銀角にいった。
行者はそれを聞くと、毛を抜いて上半身だけのからだをこしらえ、自分は蚊よりも小さな羽虫になって、葫蘆の口のところにとまっていた。そして銀角が封を開くやいなや、そこから飛び出して、とたんに手下のひとりに化け、用ありげにその場に立っていた。さて金角が葫蘆の中をのぞいて見ると、行者の上半身がまだ残っていたので、
「兄弟、封をしてくれ、まだ溶けきらねえ」
そこで銀角が元通り封をすると、金角は改めて盃を銀角に勧め、今までのかれの骨折りを感謝した。銀角は手にしていた葫蘆をそばの手下にあずけて、兄の盃を受けたが、その手下が行者の化けたのだとは、いっこう気がつかなかった。
行者は妖怪どもが盃をやり取りしている隙を見て、こっそり葫蘆を袖の中にかくしてしまい、毛を抜いてにせの葫蘆をこしらえると、ころあいを見て、それを銀角の手に返し、ひそかに、洞を逃げ出してしまった。
さて門外へ走り出ると、行者はたちまち本相にかえり、またもや声高に案内を叫んだ。
「妖怪ども出てこい、おれは先におまえたちに捕えられた孫行者および者行孫《しゃぎょうそん》の弟の行者孫《ぎょうじゃそん》だ!」
手下がそれを知らせると、金角は大いに驚き、
「いったいこれはどうしたらよいだろう」と叫んだ。すると銀角が、
「兄貴、安心してくれ、おれの葫蘆はまだ千人も吸いこめるんだ。行者孫何者ぞやだ。おれがちょっといって吸いこんでくるからな」
銀角はさっそく葫蘆を取って門の外へ走りいで、
「きさまはいったい何者だ。どうしてまたここで騒いでるんだ。どうだ、勝負をする前に、おれがきさまの名を呼んだら、それに返事ができるか」
行者は笑って答えた。
「いいとも、返事ぐらいお安いご用だ。その代り、おれが呼んでも返事をするか」
すると銀角も笑っていった。
「おれがきさまを呼ぶのは、おれに人を吸いこむ葫蘆があるからだぞ。きさまがおれを呼ぶってのは、いったいどうしてだ」
「おれにも葫蘆があるからさ」
「おれのは千人も吸いこめるんだぞ」
「そんなことはどうでもいいさ。ただちょっといっておきたいのは、おれの葫蘆は雄《おす》だが、てめえのは雌《めす》だってことさ。まあてめえから先におれを呼ばしてやろう」
銀角は大いに喜び、空中に飛びあがり、葫蘆をさかさまにして、ひと声高く「行者孫!」と呼んだ。行者は声に応じて八、九へんも続けざまに答えたが、もとより吸いこまれるわけがなかった。すると銀角は度を失って空からころげ落ち、脚をくじいて嘆き悲しみ、
「ああ天よ! この宝ものが変質してしまおうとはなんたることか。きっと、意気地なしの雌を見たんで、こんなことになってしまったんだ」
いうより行者は空に飛びあがり、葫蘆をさかさまにして、
「銀角大王!」と呼ぶと、銀角はわれにもなく「おう」と答えたが、とたんにかれはもう吸いこまれてしまい、葫蘆の口に「太上老君|急々如律令奉勅《きゅうきゅうにょりつりょう》」という呪符を貼られてしまった。さて行者は急ぎ雲からおりると、蓮花洞の入口へとおし寄せて、
「妖怪どもよく聞け、今おれは銀角を吸いこんできたぞ!」
手下が奥へ駆けこんでそれを報告すると、金角は悲しみ嘆き、かつ怒って、急ぎ芭蕉扇をうしろ襟にさし、七星剣をおっ取って、
「こいつ、猿の分際で、よくもおれの弟を殺しやがったな。憎っくきかたき、覚悟しろ!」とばかり、七星剣をふるって、行者めがけて斬ってかかった。行者も如意棒《にょいぼう》をもって渡り合い、ともに戦うこと二十余合に及んだが、なかなか勝負はつかない。すると金角は、手下に命じていっせいに行者を取りかこませたので、行者も「身外身《しんがいしん》の法」を用い、ひとつかみの毛を抜いてぷっと吹くと、それがみな行者の姿になって戦ったので、みるみる金角の手下どもは敗退して、四散してしまった。
金角はそれと見るや、今度は芭蕉扇を取り出し、南の空を望んであおぎおろすと、たちまちにしてあたり一面の火焔となった。これにはさすがの行者も舌を巻き、急ぎ毛を収めてからだに戻し、一本だけ仮身として残しておいて、自分はそっと雲にまぎれて蓮花洞へと侵入した。
かくて行者は、当るをさいわい金角の手下どもを鉄棒でみな殺しにし、洞内深く師父をさがしたが、ふと見ると机の上に羊脂玉の浄瓶《じょうへい》があったので、こっそり袖の中へ失敬した。そこへ金角がふいに引き返してきたので、行者は身を変じて手下のひとりに化け、さめざめと泣きながらいった。
「大王、お帰りが遅すぎました。さきほど行者孫がやって来て、仲間はみんなやつのために殺されてしまいました」
見ればあたりは死屍《しし》るいるい、血は流れて河のごときありさまなので、金角は声を放って泣き悲しみ、どうとばかりその場に倒れてしまった。行者はそれを助け起し、奥のひと間《ま》へ連れていったが、金角はからだも疲れ、気もなえて、机によりかかったまま寝こんでしまった。
行者はそばにあって、金角がいびきを立てて熟睡するのを見ると、こっそり芭蕉扇を抜き取って洞外へと逃げ出した。と、その物音に驚いて眼をさました金角は、やにわに七星剣をひっつかんで追いすがった。行者は急ぎ芭蕉扇を腰にさし、如意棒を水車のようにふり回して、ともに戦うこと数十合、金角はとてもかなわないと思ったか、老母が住んでいた圧龍洞《あつりゅうどう》さして、まっしぐらに逃げ去った。
行者は深追いせず、蓮花洞へ取って返し、師父や八戒や沙悟浄をさがし出してその縄を解いてやり、久しぶりに師弟四人で精進料理をたらふく食べ、その夜はみなぐっすり眠った。
次の朝早く、金角は圧龍洞の妖兵をひきい、大挙して蓮花洞へおし寄せてきたが、こちらには八戒も沙悟浄もいることとて、びくともするものではなかった。行者は金角が八戒らと戦っている隙を見て、空中へ飛びあがり、羊脂玉の浄瓶をかれにさし向けて、
「金角大王!」と声をかけた。金角はてっきり手下のひとりが呼んだものと思い、「おう」と返事をしたので、たちまちその中に吸いこまれてしまった。いうまでもなくこの浄瓶も、あの葫蘆と同じような働きをする宝ものであった。
行者は金角がとり落した七星剣を拾いとり、さて八戒や悟浄と協力して妖兵どもを片っぱしから退治してしまうと、洞の中へ引き返して三蔵に事の次第を報告した。三蔵はたいそう喜び、師弟四人早めに斎《とき》をすると、さらに西への旅にのぼった。ところが、まだいくらもいかないうちに、たちまち空中に声があって、
「孫行者、わしの宝ものを返してくれ」
見ればそれは太上老君だったので、行者は急ぎ空中へ飛び上り、一礼して、
「どんな宝ものでしょうか」
「ほかでもない、あの葫蘆《ころ》はわしの仙丹を盛る器《うつわ》、浄瓶は水いれ、七星剣は丹を煉る宝、芭蕉扇は火をあおぐもの、それから|※[#「手へん+晃」]金縄《こうきんじょう》はわしの帯じゃ。またあのふたりは、ひとりを金炉の童子、ひとりを銀炉の童子といって、わしの召使じゃが、共謀してわしの宝ものを盗み、下界へ逃れて行方がわからなくなっていたところ、このたび思いもよらず貴殿に捕えられた次第じゃ」
聞くより行者はかっと腹を立て、声をはげまして叫んだ。
「なんだと、この老いぼれめが。わざと下男を放って師父を苦しめ、経を取りに行くさまたげをしたんだろう」
「いや、それはわしの知ったことじゃない。おそらくそれは、おぬしら師弟に魔難のさだめがあり、それなくしては果を得ることができないからじゃ」
言われて行者は、はっと悟るところがあったので、すなおに五つの宝ものを老君に返した。すると老君は葫蘆と浄瓶の口を聞いてふたすじの仙気を出し、指を入れて化して二童子とすると、かれらを従えて天宮へ帰り去った。
そこで行者は雲からおり、三蔵に老君のことをくわしく話すと、師父も大いに感嘆し、それより師弟四人、西への旅を続けた。
二十八 さまざまな危難
さて三蔵の一行は、それより烏鶏国《うけいこく》に入って、その国の王が妖仙のために井戸の底に閉じこめられているのを救い出してやったが、孫行者が鉄棒をふるってその妖仙を打ち殺そうとすると、たちまち空中に声があって、
「孫悟空しばらく待て」
行者が空を見上げると、ひとむれの美しい雲の上に、文殊菩薩《もんじゅぼさつ》が立っていられた。そこで行者が急ぎ鉄棒を収めて礼をすると、
「悟空、わしがそなたに代ってその妖怪を取りおさえるであろう。と申すのは、もとその妖怪はわしの乗る青毛の獅子《しし》じゃが、如来《にょらい》の仰せを受けてこの国につかわされたのだ。はじめ如来はわしをつかわしてこの国の王を済度させようとなされたところ、国王はわしを捕えてしばり上げ、川の中に三日三晩|浸《ひた》しおいた。そこで如来は、わざとその青獅子をつかわして道士に化けさせ、王を井戸に押し落して、三年の間水浸しにしておかれたのじゃ」
行者は声を大にして、
「しかしこの妖怪は、みずから国王に化けて王妃を汚した不倫のものですぞ」と叫んだ。菩薩は笑って、
「なに、汚すなど、それはできぬさ。こいつは去勢した獅子じゃからな」
八戒がそれを聞いて、道土に近づき探ってみると、はたしてあるべきものがないので、笑いながらいった。
「なるほど、これは濡衣《ぬれぎぬ》でしたわい」
そこで行者が道士を菩薩にお返しすると、菩薩はさっそくかれをもとの獅子の姿にもどして、それに乗って去っておしまいになった。あとで国王は、行者からこのことを聞いて、涙を流して後悔し、天下に大赦して恩をほどこし、それから東閣において三蔵らを厚くもてなした。
やがて烏鶏国を出発した一行が、初冬の荒涼たる街道を半月余りも進んでいくと、ひとつの高山が行手にそびえていた。山あれば怪ありで、一行がその一山にさしかかると、三蔵はたちまち一個の怪物のためにさらわれてしまった。そこで行者が、山神や土地神を呼び出して尋ねてみると、その怪物は孤松澗《こしょうかん》の火雲洞《かうんどう》に住んでいる紅孩児《こうがいじ》というもので、牛魔王の子だということがわかった。
行者は五百年前、牛魔王とは兄弟の約束をした親しい仲だったので、その魔王の子なら話をつけるのも困難ではなかろうと思って、ただひとり火雲洞へ乗りこんで行った。しかし紅孩児は、てんで行者のいうことを聞こうとはせず、いきなり槍をふるって突っかかってきたので、ここに行者との間に激しい戦いがくりひろげられることになった。
なにしろ紅孩児は、火焔山で、三百年も修行したというだけあって、この戦いにはさすがの行者もさんざん手を焼いた。怪物が吐き出す三昧火《さんまいか》には、行者も一再ならず苦しみ、八戒は怪物の計略にかかって捕えられてしまったが、ついに南海の観音菩薩の助力により、どうにかこの怪物を捕えることができた。菩薩はそこで、この怪物の髪を剃り、善財童子《ぜんざいどうし》という名を与えて弟子とせられたが、童子はたちまちよからぬ心を起して、菩薩の隙をねらって、いきなり槍を突きつけた。
菩薩はとたんに、法衣の袖から一個の箍児《こじ》(金環)を取り出して、さっと童子に投げつけられた。するとその箍児は、たちまち五つの箍児となって童子の頭と手足とにはまり、菩薩がそこで呪文を念じられると、ひしひしとかれの五体をしめつけたので、童子は痛みにたえず、泣き叫んで許しを乞うた。菩薩は行者をふり返って、
「どうじゃ、よく見るがよい。わしはかつて如来から三つの箍児を賜わったが、ひとつはそちの頭に、いまひとつは守山大神に、そしてこれはその残りのひとつじゃ」
そういってふたたび童子に向い、かならず今後は悪心を起さないことを誓わせ、やがてかれをひき連れて南海へお帰りになった。
それから一カ月ばかりの後、一行は黒水河の岸へさしかかった。見れば折よく上流から小舟がくだってくるので、一行は船頭に頼んで渡してもらうことにした。しかし舟が小さくて四人いっしょには乗れないので、とりあえず三蔵と八戒とが先へ渡ることになったが、岸を離れて中流にさしかかると、たちまち一陣の怪風が波を巻き起して、あっというまに小舟を呑みこんでしまった。
そこで水練の達者な悟浄が、さっそく水中に分け入ってしらべて見ると、河底には|衡陽※[#「口+谷」]黒水河神府《こうようこくこくすいがしんぷ》というりっぱな建物があり、先の船頭はそこの主で、三蔵らをさらって行ったものだということがわかった。悟浄はその怪物に戦いをいどんで、ひとまず自分だけ岸へ上って、さてどうしたものだろうと行者に相談した。
するとそのとき、たちまち近くの入江から、ひとりの老人が走り出てきて、
「わたしはこの河の神ですが、昨年の五月、あの怪物がやって来て、わたしの神府を奪ってしまいました。そこでわたしは西海龍王に訴えて助けを求めましたところ、龍王はあべこべにあいつに神府をゆずれと申します。それというのも、龍王はあの怪物の伯父だからでございます。わたしはやむを得ず、あいつに神府をゆずって今日に及びましたが、いま大聖がここにおいでになったのを承りまして、お力添えを願おうと、かくまかり出た次第でございます」と訴えた。そこで行者は、
「それは西海龍王がけしからん。では、わしが行って龍王を引っぱってきて、妖怪を捕えさせることにしましょう」
と、ただちに雲を飛ばして西洋大海におもむき、龍王|傲閏《ごうじゅん》に会って談判に及んだ。龍王は自分の甥《おい》が、三蔵らをさらったことを聞くと大いに驚き、恐縮して、太子の摩昂《まこう》に五百人の兵を添えて黒河につかわし、かの怪物を捕えさせることにした。
かくて行者は、このたびはみずから手をくだすことなく、太子|摩昂《まこう》の働きによって怪物は難なく捕えられ、悟浄がふたたび水底へ行って三蔵と八戒とを救い出してきたので、神府を河の神に返してやって、師弟四人はさらに西への旅を続けた。
やがて季節は移って、早春のころとなり、一行は「坊主いじめ」の車遅国《しゃちこく》へ着いた。この国の王宮には、虎力《こりき》、鹿力《ろくりき》、羊力《ようりき》の三妖仙が巣くっていて、そいつらが国王をたぶらかして「坊主いじめ」をやらしていたのであるが、孫行者はあっぱれそいつらと法力を競い、かれらの正体をひんむいて、めでたくこれを平らげたが、その死骸によって虎力は虎の、鹿力は鹿の、羊力は羊の化け物であることがわかった。
国王もそれには驚き、また孫行者から|こんこん《ヽヽヽヽ》と説かれて前非を悔い、これまで破滅させた僧らを供養することにしたので、師弟四人はやがてここを出発して、また西へ西へと進んだ。
その後、これという変ったこともなく、春過ぎ夏もいって、やがてまた秋空高きころとなった。ある日、一行は海のような大河の岸へ出たが、そこに立っている石柱を見ると、「通天河《つうてんが》――川はば八百里、昔より渡ったもの少し」という意味のことが書いてある。大河があれば、そこにかならず妖怪も住んでいるわけで、はたしてこの川にも霊感大王というのが住んでいて、またもや三蔵はうまうまとその怪物の|わな《ヽヽ》にかかって、水底にさらわれてしまった。
行者は元来、水中で戦うのが不得手だったので、このたびも南海の観音菩薩のところへ駆けつけ、その助を仰ぐことになった。すると菩薩は、用意の竹籃《たけかご》を手にして、行者とともに通天河の上までお出かけになって、そこで雲をとめ、竹籃に長いひもをつけてするすると川の中におろしながら、
「死んだものは去れ、生きたものはとどまれ」と、七度くり返してとなえ、さて籃を引き上げられると、中に一匹の金魚がはいってきた。菩薩は行者に向い、
「悟空よ、これがそちの師父をさらって行った妖怪じゃ。この金魚は、もと落伽山《らっかさん》の蓮池に住んでいたものだが、毎日、水の上に頭を出して読経《どきょう》の声を聞いているうちに、しぜんに神通力を得て、ついに蓮池を逃げ出し、ここにきて妖怪となりおったのじゃ」との仰せである。行者は感嘆して、
「菩薩様、ついでに河岸の村の人々にも、あなた様のお姿を拝ませ、この怪物をお捕えになった次第を話して、みなの者に信心供養させてやりとうございます」といって、菩薩のお許しを得ると、横っ飛びに村へ駆けつけて、村人たちを呼び集めた。
村の人々は、老いも若きも、男も女も、ことごとく河岸にひざまずいて菩薩を拝んだが、その中に絵をよくする者があって、菩薩のお姿を写したてまつった。それが後の世に伝わる魚籃観音《ぎょらんかんのん》である。
やがて菩薩は南海へお帰りになり、今度は八戒と沙和尚とが水中へ分け入って三蔵を救い出してきた。しかし、渡るに船のない大河なので、一同が困っていると、ふいにそこへ一匹の大亀があらわれて、
「わたくしはあの妖怪のために|すみか《ヽヽヽ》を奪われて難渋していたものですが、このたびあの妖怪を平らげてくださったお礼に、ご一同をこの背に乗せて対岸へお渡しいたしましょう」と申し出た。見れば甲羅のまわり四丈もありそうな大亀なので、一同は喜んで馬もろともその背に乗り、まるで陸地を行くように楽々と、さしもの大河を渡ることができた。
かくてなおも西への旅を続けるうち、季節はようやく厳冬に入ったが、ある日、一行はまたもや、金兜山《きんとうさん》という高山へさしかかった。この山の金兜洞には|独角※[#「凹/儿」]大王《どっかくじだいおう》という妖怪が住んでいて、三蔵は例によってまたこの妖怪のためにさらわれてしまった。行者らは、これも例によって躍起となって救出のために戦いをいどんだが、妖怪がひとたび手にした圏子《けんす》(輪)を空中に投げあげると、行者の如意棒も、八戒の|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》も、沙和尚の宝杖も、ことごとくそれに吸いつけられて素手にされてしまうので、さすがのかれらも手の出しようがない。そればかりか、やがて八戒も沙和尚も生捕りにされてしまう始末で、諸神の力を借りて手をかえ品をかえて攻めたてたが、さらにききめがない。
とうとうたまりかねた行者は、釈迦如来のお知恵を拝借しようと、|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばして霊山《りょうざん》の雷音寺へおもむいた。すると如来は行者をごらんになるなり、
「悟空よ、そちは唐僧を守護してわしのところへ経を取りに来ることになっているが、どうしてまたたったひとりで来たのか」とお尋ねになった。そこで行者は、つぶさにこの次第を話して、
「なにとぞお力添えをたまわりますように」と懇願した。
如来はそれをお聞きになると、早くもその慧眼《けいがん》をもって怪物の正体まで見抜いてしまわれたが、行者に向っては、今ただちにそれを明かさず、十八羅漢に申しつけて金丹砂の用意をさせ、行者を助けて妖怪を捕えさせることにせられた。
行者は如来にお礼を申し上げ、大急ぎで十八羅漢を案内して金兜山《きんとうざん》へ取って返すと、洞門を叩いて|独角※[#「凹/儿」]《どっかくじ》を呼び出し、戦いをいどんだ。ところが妖怪は、空中から十八羅漢のまき散らす金丹砂のために、初めのうちは、大いに辟易《へきえき》していたが、そのうちに例の圏子をぱっと空へ投げ上げると、あわれや十八羅漢の手にした金丹砂もことごとくそれに吸いつけられて奪い去られ、妖怪はそのまま洞内へ引き上げていってしまった。さあ困った――と思うまもなく、そのとき羅漢のひとりが、行者に向っていうには、
「われらが出発するに当って、如来が仰せられたところによると、もし妖怪の神通力が広大で金丹砂を奪われるようなことがあったら、悟空をして離恨天《りこんてん》の太上老君《たいじょうろうくん》のもとへ急がしめ、かの妖怪の正体をきき出すならば、ひと息に捕えることができるであろう、とのことであった」
聞くより行者は大いに喜び、さっそく雲を飛ばして離恨天《りこんてん》の兜率宮《とそつきゅう》に太上老君をたずね、かの妖怪が老君のところからこっそり逃げ出した青年であり、また妖怪の持っている圏子が老君の錬成した金剛琢《こんごうたく》を盗んだものであることをつきとめた。
こうなればもうしめたものであった。老君が自身で金兜山《きんとうざん》へ出張し、
「牛よ、まだ家に帰らぬのか。いつまで待たせるのじゃ」とお呼びになると、さすがの妖怪もたちまち正体をあらわして牛の姿にかえり、老君はその背に乗って兜率宮へお帰りになった。
かくてさしもの戦塵もおさまり、行者はめでたく三蔵らを救い出し、またさきに妖怪に奪われた各自の武器も取りもどして、さらに西への旅を続けることになった。
二十九 西梁女人国《せいりょうにょにんこく》
また春がめぐってきた。ある日、一行はたいして大きくもない川の岸へ出た。見れば対岸に五、六軒の家がかたまっており、どうやらその一軒が渡守《わたしもり》の家らしいので、八戒が持ち前の大声をあげて呼ぶと、はたして一そうの船を漕ぎ出してきた。近づいたのを見ると、船を漕いでいるのは、ひとりの老婆であった。行者が、
「船頭さんは留守かい。どうしておかみさんが漕ぐんだね」と、たずねても、老婆はただちょっと笑って見せただけで、答えようとはしなかった。
さて一同が乗りこむと、老婆は船を出し、巧みに櫂《かい》をあやつって、そこで渡し銭を払って岸へ上ったが、三蔵は川の水がたいそう清らかなのを見ると、急に渇きをおぼえて、八戒を呼び、鉢孟《はちのこ》に水を汲ませて、半分ばかり飲んだ。残った半分を八戒が飲んで、さて一行は出発したが、やがて半時もたたぬうちに、ふたりとも急に腹痛を訴えだした。なんだか腹の中に血肉のかたまりでもできて、それがぴくぴく動いているようで、痛くてたまらない――と、ふたりとも腹をさすって、同じようなことをいう。
さいわい前方に人家が一軒見えたので、そこへ寄って熱い湯でももらってしばらく休ませてもらおうと、痛いのを我慢してその家の前まで行って見ると、門の外にひとりの老婆が立っていた。行者が近寄って、
「ばあさん、わしの師匠は東土の大唐から西天へ経を取りにおいでになるおかたじゃが、あそこの川の水をお飲みになったところ、腹が痛んでお困りなのじゃ」というと、老婆はからからと大声をあげて笑いながら、
「ともかく、まあみんなお入りなさい、わしがわけを話して進ぜましょう」という。そこで、行者は師父を助け、沙和尚は八戒を助けて、草小屋の中に入った。さて老婆がいうには、
「ここは西梁《せいりょう》の女人国といって、女ばかりの国で、男というものはひとりもいませんじゃ。そこでこの国のひとは、二十歳《はたち》にもなると、みんなあの水を飲みにいきますが、あの川は子母河《しぼが》といってその水を飲んでからお腹《なか》が痛くなってくれば身ごもった証拠ですじゃ。おふたりはあの川の水を飲んでお腹が痛くなってきたんだから、身重にならっしゃったので、そのうちに赤ん坊を生まっしゃらねばなりますまいよ」
三蔵はそれを聞いて大いに驚き、
「こりゃどうしたらよかろうの」と嘆くと、八戎も、
「ああ神様、赤ん坊を生めといったとて、おいら男の身で、どこの穴からどうやって生んだらよかろう」と泣きだす始末。行者は笑いながら、
「昔の人も『瓜熟すればおのずから落つ』といってるが、時節がくりゃ、きっと脇の下からでも穴をあけて出てくるだろうさ」という。八戒はこれを聞いてふるえ上がり、
「いかん、いかん、おいら死んじまう、死んじまう」と、腹をもんでわめき立てる。沙和尚も笑いながら、
「兄貴、もんじゃいかん。そんなことをしちゃ、養児腸を損《そこ》なっちゃって、産前の病を起しちまうぞ」
八戒はますます仰天して、ぽろぽろ涙を流すばかり。三蔵は苦しげにうなりながら、老婆に向って、
「この近所に医者はありませぬかな。わたしの弟子《でし》をやって堕胎薬《おろしぐすり》をもらってこさせ、それを飲んでおろしてしまいたいものじゃが」と相談したが、老婆は、
「薬があったとて役に立つこっちゃない。が、ここから南へ三千里いったところに、解陽山破児洞《かいようざんはじどう》というのがあり、その洞の中に落胎泉《らくたいせん》という井戸があります。その井戸の水を汲んできて、ひと口飲みさえすりゃ、たちまち堕《お》りてしまいますじゃ。ところが近ごろは、水を汲むことができません。先年、如意真仙《にょいしんせん》とかいう道士が来て、破児洞をわがものにしてしまい、水を汲ましてくれませんのじゃ。和尚様たちはまあ我慢して、時節がくるのを待って産み落しなさるがよろしかろう」という。行者はそれを聞いてすっかり喜び、
「よし、わかった。お師匠様、ご安心なさい。わたしがその水をちょっと取ってまいりますから」
いうより早く行者は、老婆から鉢をひとつ借り受け、雲に乗って飛び去った。老婆はそれを見て、
「ああ神様、あの和尚様は雲に乗ることがおできになる!」と感嘆し、空を仰いでうやうやしく礼拝をした。それより老婆は、家族のものをみんな集め、行者の師である三蔵を拝み、
「羅漢菩薩様」とばかり、一同で手厚くもてなした。それにしても、家族のものがどれもこれも年とった女ばかりであるというのは、おかしなものであった。
しばらくすると、行者がそこへ帰ってきた。が、如意真仙というやつが意外に強くて、ひとりではうまく水を取ってくることができなかったとのことである。三蔵はそれを聞くと、涙を流して、
「悟空よ、そんなわけじゃ、どうしたものだろうの」と嘆くばかり。そこで行者が、
「わたしは沙和尚にいっしょに行ってもらって、わたしがあの畜生と渡り合っている間に、和尚に隙を見て水を汲んでもらうつもりです」というと、三蔵はいよいよ心細がって、
「そちたちが、ふたりとも行ってしまったら、残されたわしらふたりの病人をだれが看《み》とってくれるのじゃ」という。すると老婆がそれを聞いて、
「羅漢様、ご安心なさい。わしらがみんなで、あなたがたを看とりますじゃ。けっして悪いことはいたしません」と慰めた。そこで行者が、
「こりゃ、おまえら女ども、あやしげなことをしてはならんぞ」というと、老婆は声を立てて笑いながら、
「あなたがたが、もしこの先の家へ行きなさったとしたら、ただではすまなかったところじゃが、わしらのうちはみんな年寄ばかりだで、そんな浮いた心なんぞはもうおしまいですわい。ところがこの先の家ときたら、若い女ばかりじゃで、きっとあなたがたとねんごろしようとて、放すもんじゃありませんわ」
三蔵はそれを聞いて、まあよかったと、ほっとしたようだ。さしも好色漢の八戒も、腹が痛くてたまらないので、今はそれどころではなさそうだった。
行者は師父と八戒とのことを老婆によく頼んでおいて、やがて沙和尚といっしょに雲に乗って出かけていったが、今度はうまくいったとみえ、しばらくするとふたりは水を取って帰ってきた。三蔵は喜んで、
「とんだ世話をかけたのう」と、痛さをこらえて弟子どもをねぎらった。
老婆が急いで盃を取ってきて、まず三蔵に、それから八戒にその水を飲ませた。すると、たちまちふたりとも猛烈な下痢を起したが、それとともにどうやらあの血肉のかたまりのようなものも堕りてしまったらしく、やがて腹の痛みもぴたりと止まった。そこで老婆は、湯をわかして、ふたりのからだを浄《きよ》めさせ、また白米の粥を煮て、養生に食べさせた。おかげで三蔵も八戒もやっと生色をとり戻し、老婆の好意に厚く礼を述べた。
さてその夜はそこに一泊して、翌日は師弟四人また西をさして出発した。行くこと三、四十里で、西梁女人国の都に着いた。まず東門を入ると、なるほど女ばかりうようよしていて、四人の男が来たのを見ると、手をたたいて大はしゃぎ、
「人種《ひとだね》が来たわ、人種が来たわ」と、たちまち往来は女でいっぱいになってしまった。三蔵は進むことができない。すると八戒がおどけて「ぶうっ」と大きく豚の鳴き声を立てたので、女たちはびっくりして、あわてふためいて逃げ出してしまった。おかげで一行は前へ進むことができたが、しばらく行くと、ひとりの女の役人が道ばたに立っていて、かれらを呼び止め、
「あなたがた、みだりに城門をはいって来てはだめですよ。すぐ駅館へ出頭して名前をしるし、文書を提出してください。わたくしが国王様にお名前を奏上して旅券の査証をしていただきまから、それまでそこでお待ちになってください」
そこで三蔵が馬からおり、女役人に挨拶すると、役人は一同を駅館――迎陽館に案内し、正面の座につかせてから、
「わたくしはこの駅館の長ですが、あなたがたは、どちらからお見えになりましたか」と尋ねる。行者が、
「てまえどもは東上大唐より勅命を奉じて経を求めんがため西天へまいる者です。師匠は唐王の御弟《ぎょてい》にて三歳と申します。われら三人は随行の徒弟でござる。旅券はこれにあります。どうぞご査証を願います」と答えると、女役人は筆をとってそれを帳薄に記入してから、さて一同に向って、
「そのような上邦のかたがたとも存ぜず、とんだ失礼をいたしました。さっそく係の者に申しつけて、食事を差し上げるようにいたしますから、しばらくここにお待ちください。わたくしは城中へまいりまして、女王様に申し上げ、旅券の査証をしていただいて来ますから」といって、急ぎ衣冠をととのえると、王宮へ出かけていった。
ここで舞台は王宮へ移るが、かの駅館の長が参内して、三蔵のことを詳しく奏上すると、女王はたいそう喜ばれ、並みいる文武の百官に向って、
「わが国には開闢《かいびゃく》以来、男子というものがいなかったが、喜ぶべし、このたび唐王の御弟がお降《くだ》りになられた。朕《ちん》は御弟に王となっていただき、みずからその后《きさき》となって、子を生み、孫を生んで長く帝業を万代に伝えたいと思うが、いかに」と仰せられた。すると百官は声を揃えて、
「叡慮《えいりょ》まことに結構にござります」と奉答する。そこで駅館の長が、
「さりながら、ひとつ気がかりなことがござります。御弟のご様子は、まことにおりっぱでいられますが、三人のお弟子がたはなんとも恐ろしげなお姿で、あたかも妖魔を見るがごとき心地がいたします」と申し上げると、女王は、
「さらば弟子どもには旅券を与えて西天へおもむかせ、御弟だけこの国に留っていただけばよいではないか」との仰せ。そこで一同、
「仰せごもっともにございます」というわけで、とりあえず大師(最高位の文官)が、使者となって駅館におもむき、女王の旨を伝えて、もし三蔵が承諾すれば、その上で、女王がみずからお迎えに行かれることになった。
こちらは、三蔵師弟、ちょうどお斎《とき》を食べていると、ふいに大師が駅館の長といっしょにおいでなったという知らせなので、三蔵は驚き、
「いったい、何しに見えたんだろう」と不審がる。すると行者が、
「きっと婚約の申込みに来たんでしょう」というので、三蔵はいよいようろたえ、
「もしほんとうにそうだったなら、どうしたらよいであろう」
「師父、かまいませんから、ご承諾なさい。わたしに考えがありますから」行者がそう言い終らないうちに、早くも大師と駅館の長がはいって来て、三蔵を拝し、さて大師がいうには、
「御弟殿下、千万《ちよろず》のお喜びを申し上げます。こ承知でもございましょうが、わたくしどもの国は昔から男子と申すものがひとりもいませんでした。しかるに今、御弟殿下の降臨をかたじけなくいたしまして、わが女王においては非常に喜ばれ、殿下をお迎えして国王とあがめ、みずからその后となりたいとのお望みでございます。つきましては、なにとぞご婚約のご承諾を得たく、かくはわざわざまかり出た次第でございます」
しかし三蔵はそれを聞いても、うつむいたままで返事をしようとしない。すると行者が、
「師父、どうなすったのですか。早くご承諾なさるがいいでしょう」と勧める。が、三蔵は、
「わしがそんなことをすれば、西天へ経を取りに行く者がなくなってしまうではないか」
「いや、西天へはわたしどもが参ります」行者はそこで大師のほうへ向きなおって、「わしらはお師匠様をあなたのご主人のお望みどおりにしますから、早く旅券の査証をしていただきたいものです。そうすれば、わしらはすぐ西天へいって経を取り、帰りにまたこちらへ立ち寄って、両陛下を拝し、路銀をいただいて大唐へ帰ることにしますから」
大師はそれを聞くと、それこそこちらの注文どおりだったので、たいそう喜び、行者を拝して、
「老師のおかげをもちまして話がまとまり、まことにありがとうございます」と礼を述べ、さっそくそのことを女王に知らせるために、駅館の長とともに王宮へ帰っていった。あとで三蔵はひどく迷惑そうな顔をして、
「この猿めが、わしをなぶり者にして殺すつもりか。わしにここで婿入りさせて、おまえたちだけで西天へいって仏を拝したとてどうなるものか。わしは死んでも婿入りなどはしないぞよ」と、行者を叱りつけた。すると行者は、
「お師匠様、ご安心ください。わたしがどうしてあなた様のご気性を知らないことがありましょう。しかし、不幸にもこういう土地へ来て、こういう人々に会ってしまったんですから、なんとか謀《はかりごと》をめぐらすよりしかたがありますまい。あなたがもし先方のいうことを承知なさらないとすれば、先方じゃ旅券の査証も承知しないでしょうし、まかりまちがえばどんなひどい目にあわされないとも限りますまい。万一そんなことにでもなれば、わたしどもも腕をふるわなければなりませんが、相手が妖怪ならともかく、無知なだけで悪気のない人間ですから、それを殺すことにでもなったら、お慈悲深いあなたはとても我慢ができますまい」
「悟空よ、いかにもそちのいうとおりじゃ。とはいえ、女王はわしがいけばかならずや夫婦の交りを行わねば承知すまい。わしは仏家の徳行を破り、この身を堕落させるわけにはまいらぬぞ」
「いや、そのご心配にも及びません。おそらく先方じゃいまに車駕《しゃが》をつらねて迎えにまいりましょうが、師父はこれを断らずに、龍車に召して宮殿に入り、女王に旅券の査証をさせた上、われわれを呼んでお渡しください。そうすればわれわれはすぐ出発いたしますが、その際、師父も女王に勧めてごいっしょに城外までお見送りくださることです。そこで城門を出ましたら、わたしが『定身《じょうしん》の法』を使って、女王をはじめ群臣一同を動けないようにしてしまいますから、その上は師父も安んじてわれわれとともにお出かけになれるわけです。そうして一昼夜も行ってから、わたしが法を解いてやれば、女王も群臣もしぜんに城内へ帰っていくことでしょう。こうすればあの人々の性命もそこなわず、師父の徳行も傷つけず、ふたつながら全うすることになるではありませんか」
三蔵はそれを聞いて、たいそう喜び、しきりに行者をほめそやした。そのとき、あたりが急に賑かになり、さきほどの駅館の長がはいって来て、案のごとく、
「陛下がお着きあそばしました」と知らせた。三蔵は弟子たちとともに広間を出てお迎えした。女王は鳳輦《ほうれん》をおりて、
「どなたが唐朝の御弟《ぎょてい》であられますか」とお尋ねになる。すると大師が指して、
「あの錦襴《きんらん》の衣を召したのが、そのおかたであらせられます」
さて女王がよくよくごらんになると、聞きしにまさるりっぱな三蔵の姿なので、喜びに胸はいっぱいのご様子である。やがてしずしずと三蔵のそばに近寄られた女王は、かれの手をとって、
「御弟よ、どうぞ龍車に召して金鸞殿《きんらんでん》へおいでになり、わたくしと配合の礼をお挙げください」と、いともなまめかしい声をお出しになった。
三蔵はただおどおどして、まるで酒にでも酔ったか、それとも白痴にでもなってしまったかのようである。行者が、
「師父、あまりご遠慮が過ぎてはかえって失礼に当ります。どうぞ女王陛下とごいっしょに鳳輦にお召しになりますように」と勧めると、三蔵も是非なく、わざと喜ばしそうな顔をして、女王と手をたずさえてともに龍車に乗った。
かくて女王は、三蔵と肩を並べて車上に坐し、お供の行列を整えて王宮へとお帰りになった。行者も八戒や沙和尚とともに、荷物を背負ったり馬をひいたりして、行列に加わった。
やがて五鳳楼の前へ着くと、大師が龍車のそばに進み寄って、言上した。
「どうぞ東閣の御宴にお出ましを願います。今宵はさいわい日がよろしゅうございますから、御弟殿下とのご婚礼を挙げたまい、明日を待って、御弟殿下を王位におつけ申して、改元を行われるがよろしゅうございましょう」
女王はご機嫌うるわしく、東閣へ臨まれ、三蔵と手をたずさえて龍車からお降りになると、音楽に迎えられて、しずしずと宴席へおつきになった。三蔵また肩を並べて女王のおそばに坐った。つづいて文武の百官が、それぞれの位階に従って着席し、行者らも末席を汚す光栄に浴した。やがて女官たちの手でたいそうなご馳走が並べ立てられたが、精進酒や精進料理の用意までされていたのは、唐僧一行への配慮からであっただろう。音楽がやむと、すぐ酒が始まった。
三蔵は酒がたけなわになるころを見計らって、女王に向い、
「かの三名の徒弟どもを、なるべく早く西天へおもむかせるが上分別かと存じますが、いかがなものでございましょう。このへんで旅券のご査証を賜わりましては」と申し出た。
女王にしても、もとよりあんな怪物めいた徒弟どもは一刻も早く立ち去ってほしかったので、すぐ三蔵の言葉に従い、三蔵とともに宴席をはずして金鸞殿へお移りになり、行者を招いて旅券を提出せられた。
さて女王がその旅券を手に取ってごらんになると、初めに大唐皇帝の宝印が九つあり、つづいて宝象国《ほうぞうこく》の印、烏鶏国《うけいこく》の印、車遅国《しゃちこく》の印が連なっている。
「それにしても」と女王は不審そうな面持で、「どうしてお弟子たちのお名前がございませんの」
「あの三人の|がさつもの《ヽヽヽヽヽ》は本来わが唐朝の者ではござりませぬ。いずれも途中で弟子にして召し連れましたものゆえ、いまだ姓名を記入してないのでござります」
「ではわたくしが記入してあげましょう。でないとこの先、三人だけで旅を続けることができなくなりましょう」
「なにぶんよろしくお願い申します」
そこで女王は筆をとって、旅券の末尾へ「孫悟空」「猪悟能」「沙悟浄」と三人の法名を書き加え、花押《かおう》を署し、御璽《ぎょじ》(国王の印)を捺《お》して、行者へお渡しになった。
行者はそれを受け取ると、女王を拝して、お別れを告げた。女王はまた多くの金銀を行者に与えて、路用に当てよとのお言葉であったが、行者はそれを断って、御前を退出した。そこで三蔵が女王に向い、
「陛下、わたくしはかの三名のものに申しつけるべきたいせつな儀のあることを忘れておりました。ごめんどうで恐縮に堪えませんが、これよりわたくしとともに城外までかれらをお見送り願えませんでしょうか。戻ってまいりましてから、陛下とともに永く栄華を受けますにも、心にかかることのないようにしたいと存じますから」というと、なにしろ三蔵に夢中の女王のことだから、一も二もなくそれに賛成して、ただちに鳳輦《ほうれん》の用意をさせ、三蔵とともにそれに乗って西門へおもむかれた。
ほどなく西門の外へ出られると、ひと足さきに出発した徒弟らがそこに待っていて、鳳輦をお迎えした。そして行者が、
「女王様、お見送りありがとうございました。ではこれにてお別れいたします」と挨拶すると、それが合図であったかのように三蔵もあわてて鳳輦をおり、女王に向って、
「陛下、どうぞお帰りください。わたくしにも経を取りに行かせていただきます」というと、女王は事の意外に驚き、顔色をかえて、
「御弟様、あなたはどうして気がおかわりになったのですか」と、これもまた鳳輦をおりて、三蔵にすがりつかれた。すると八戒がこれを見て、つかつかと女王のそばに近寄り、大きな耳朶《みみたぶ》をばたばたやりながら、口をとがらせて、
「おめえさんみたいな、白粉《おしろい》を塗りたくった髑髏《しゃれこうべ》が、おいらのお師匠さんのようなかたと、どうして夫婦《めおと》になんぞなれるもんか。お放し申せ。お出かけになるんだ」とわめき立てた。
そうでなくてさえ柄の悪い男が、外聞もないことをやりだしたので、女王は驚きたまげて、あわてて鳳輦の中へころげこんでしまわれた。そのすきに、沙和尚が三蔵の手をとって、馬に乗せた。ところが、そのとき道ばたからひとりの女が飛び出してきて、
「唐僧、どこへおいでになる。あたしといっしょに浮世を楽しく暮らしましょうよ」といったかと思うと、たちまち三蔵をひっ捕え、一陣の狂風を巻き起して、いずれへともなく姿を消してしまった。
これにはみんなが驚いたが、ことに行者は計画がまるで外れてしまったのであわてた。が、ただちに雲に飛び乗って空中高く舞い上り、小手をかざして眺めると、一陣の風埃《かざほこり》が西北さして飛び去るのが眼に入った。それこそかの女怪が逃げていくのだとわかったので、大声で八戒や沙和尚を呼ぶと、かれらもまた雲に飛び乗ってやって来た。
下では西梁国の君臣が、あれよあれよと驚きさわいでいたが、やがて一同、口々に、
「あの唐僧たちは、白日昇天の羅漢様でした。わたくしどもは、眼があっても眼の球がなく、ただの僧侶だとばかり思って、いろいろむだな骨折りをしたことでした」といって、女王はじめ皆々、王宮さして帰っていった。
三十 琵琶洞《びわどう》の女怪
さて行者たちは三人は、風埃を目当てに女怪を追っていったが、たちまちひとつの高山へ着いた。気がついてみると風はやみ、埃《ほこり》も静まったが、女怪の行方がわからなくなってしまった。
そこで雲をおり、山中を尋ねまわっていると、やがて屏風《びょうぶ》のような大石が青い光を放っているのが眼にとまった。さてその屏風石のうしろへまわって見ると、二枚扉の石門があり、その上に「毒敵山《どくてきざん》琵琶洞」の六字が大書してあった。
行者は他のふたりをそこに待たせておいて、自分は蜜蜂の姿に変じ、門のすきまから忍びこみ、さらにもうひとつの門を越えると、そこの花亭《ちん》にひとりの女性が、腰元どもを従えて坐っていた。行者が花亭の格子にとまって様子をうかがっていると、そこへまたふたりの腰元が麺食を盛った盆をひとつずつ捧げてはいって来た。そこでかの女怪が、
「では唐僧をお連れ申しなさい」というと、幾人かの腰元がうしろの室へ走っていって、三蔵を連れ出してきた。見れば三蔵は、眼をまっ赤に泣きはらして、涙をぽろぽろ流していた。
「ねえ御弟《ぎょてい》さん、心配することなんかないわよ。あたしんとこは西梁女国《せいりょうにょこく》ほどのお金持じゃないけど、静かでのんきな所でしょう。あたし、あんたと夫婦になって、共白髪《ともしらが》の末まで楽しく暮らしたいわ」
女怪がしなだれかかりながらそういっても、三蔵はただもうおし黙っているばかりである。
「ねえ、あたし、あんたが西梁国の宴会であまり食《あが》らなかったことを知ってるわよ。だからここに葷《なまぐさ》のと精進のと二皿の|※[#「食+磨」]々《もおもお》を用意させましたから、遠慮なくあがってよ」
三蔵は、ひそかに後難をおそれて、いやいやながら答えた。
「せっかくのご好意ですから、では精進のをいただきましょう」
すると女怪は、精進の|※[#「食+磨」]々《もおもお》をひとつ手に取って、型どおりふたつに割って三蔵に渡した。三蔵もまた葷《なまぐさ》のほうをひとつ取ったが、割らずにまるのままで女怪に渡した。女怪は笑って、
「御弟さん、あんたどうして割ってくださらないの」
三蔵は合掌して、いった。
「わたしは出家のことですから、葷を割ることはいたしません」
行者は格子にとまって見ていたが、何かにつけて女怪が淫靡《いんび》なふるまいを示すので、もしや師父の真性を乱されやしないかと、たまりかねて本相をあらわし、鉄棒をとって、
「畜生め、ふざけるな」と、どなりつけた。
女怪はこれを見ると、口からひと筋の火煙を吐き出し、腰元どもに三蔵をつかまえさせておいて、三股《みつまた》の戟《ほこ》をかざして花亭《ちん》を飛び出し、
「ごろつき猿め、よくもかってに人の家へはいって来て、あたしの顔をのぞき見なんぞしやがったな。さあ、あたしの手並のほどを見せてやろう」と、戟《ほこ》をふるって行者に打ってかかった。
行者は鉄棒をもって受けとめ、打ち合いながらしだいに後退して、門の外へ出た。
そこには沙和尚と八戒が待っていたが、行者が女怪をおびき出してきたのを見ると八戒がまず、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふり上げて進み出た。女怪は八戒の近づくのを見るや、身をそびやかして倒馬毒《とうばどく》を使いだし、眼にもとまらぬ早さで行者の頭をさっとひと突きした。行者は痛さに堪えず、われにもなく敗れて退いたが、八戒もかなわないと思ったのか、そのまま戦わずに逃げ出してしまった。女怪はこれを見ると勝利はわがものとばかり、悠々と洞の中へ引き上げていった。あとで行者は頭をかかえ、顔をしかめて、
「ああ、痛え、あいつにひと突きされただけで、どうしてこんなに痛えんだろう。ああ、たまらねえ」という。すると八戒がからからと笑いながら、
「だって兄貴、おめえはふだんから、おれの頭は修練してこさえ上げたものだと自慢してるじゃねえか。それがどうしてたったひと突きでへこたれちまったんだい」
「おめえのいうとおり、おれの頭は自分で修練して作り上げたもんだ。だから刀でも斧でも金銀でも、剣でも、そのほかどんな兇器でも傷つけることはできねえんだが、あの化け物|阿魔《あま》のひと突きにはまいったな。いったいぜんたいどんな兇器でやりやがったのかな」
行者があまり痛がるので、それにもう日も暮れかかったので、沙和尚とも相談の結果、一同山をくだって一夜をゆっくり休むことになった。
一方、かの女怪は、洞内へ帰ると、腰元どもに言いつけて、前後の門をきびしく固めさせ、閏房《ねや》の用意をさせておいてから、三蔵を連れてこさせ、その手を握って、
「ねえ、御弟さん、いいでしょう。あんたあたしと夫婦になってくれるわね。さあ、寝間へ参りましょうよ」と、なまめかしくかれにしなだれかかった。三蔵は心中ひそかに、
「いかねば殺されるだろう」と思って、女怪のいうままに、そのあとについて寝間へ歩み入ったが、首をたれたまま一言も口をきこうとはしない。
女怪は、さまざまになまめかしいふるまいに及び、夜がふけるまで三蔵にまつわり迫ったが、三蔵がいっこう見ざる聞かざるをきめこんでいるので、とうとう腹を立てて、腰元たちを呼んで三蔵をしばり上げ、廊下の柱へしばりつけさせてしまった。
こちらは山の麓で一夜をぐっすり眠った行者たち、夜が明けてみると、さしもの行者の頭の痛みもだいぶよくなったので、さっそく師父を救い出しにおもむくことになった。が、気がついてみると、荷物と馬とがきのうのままになっているので、沙和尚がそれを捜しにいくことになり、行者と八戒とで琵琶洞に乗りこむことになった。
さて洞前へ着くと、きのうと同じく、行者は八戒をそこに待たせておいて、自分は蜜蜂になって門のすきまから忍びこみ、花亭《ちん》へいって様子をさぐってみると、かの女怪は昨夜おそくまで起きていたので、まだよく寝入っていた。ふと見ると、三蔵が廊下の柱につながれているので、行者はそっとその頭にとまり、
「師父」と呼んだ。三蔵はそれを聞いて、
「悟空、来てくれたか、早く救い出してくれ」と、あわれな声でいった。行者はそのような三蔵をちょっとからかってみたくなり、
「師父、昨夜はさぞよいことがあったでしょう。くわしく話してください」
すると、三蔵は歯を食いしばって、いった。
「よいこととはなんだ。あの女怪め、夜中までわしにまつわりつきおったが、わしが帯も解かず、寝床にもはいらなんだので、とうとうこんなふうに縛りつけおったのじゃ。悟空、頼む。どうかわしを助け出して、経を取りに行かせてくれ」
このとき、かの女怪は早くも眼をさまし、経を取りに行かせてくれという一語を聞きつけたので、さっとばかり寝間を飛び出してきて、
「夫婦の交りもしないで、いったいどんな経を取りに行こうってのさ」と叫んだ。行者はびっくりして、あわてて門の外に飛び出し、本相をあらわして八戒を呼び、師父の昨夜の事情をかいつまんで語った。八戒は喜んで、
「うん、それでこそ、まことの和尚様というもんだ。さあ、早くお助け申そうぜ」と勇み立ち、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふり上げて力まかせに石門の扉をひと打ちすると、たわいもなく、それはくだけ落ちてしまった。
驚いた門番の腰元どもが、急を知らせに駆けこむと、かの女怪は大いに怒り、三股の戟をひっさげておどり出てきて、
「ごろつき猿と野豚め、なんだってあたしの家の門をこわすのさ」と罵った。八戒が、
「何をこの濫淫《らんいん》の賎貸《やすもの》め、てめえはおいらのお師匠様を|わな《ヽヽ》にかけときゃがって、あべこべにこっちを罵るとは何事だ。さっさとお師匠様を送りかえして、命を助かる工夫でもしやがれ」と罵り返した。
女怪はますます怒って、たちまち妖術を使い、鼻から火を、口から煙をふき出して、戟をあげて八戒を打とうとした。八戒は|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をもってむかえ打ち、行者も鉄棒をふるってこれをたすけ、ともに戦うこと数合に及んだが、女怪はまたも神通力を発揮して、何本とも知れない手を左右に出してふたりをさえぎり止めたが、そのうちにいかなる隙を見いだしたか、何物とも知れぬ武器をもってさっと八戒の唇をひと刺《さし》した。
八戒はあっとばかり唇を押えたが、痛さにたえず、もろくも逃げ出してしまった。行者も棒を虚《そら》突きして、これも敗れ逃げ出した。勝ち誇った女怪はそのまま洞内へ引き上げていった。
一方、沙和尚は早くも馬と荷物をさがし出して帰ってきたが、ちょうどよい草があったので馬に食べさせていると、そこへ八戒が唇を押えて唸《うな》りながら戻ってきた。
「どうした」
「だめだ、痛くてどうにも我慢ができねえ」
そこへ行者も帰ってきたが、見れば不思議な老婆がそのあとからついて来るので、沙和尚が、
「兄貴、おまえのうしろからついて来なさるお婆《ばあ》さんはどういう人かね」
いわれて行者がふり返って見ると、なるほどひとりの老婆がついて来るが、その老婆の頭の上には、祥雲《しょううん》がたなびき、その身のまわりに香霧が立ちこめているが、行者の鋭い眼にはすぐ見て取ることができた。行者が、
「おい兄弟たち、早く叩頭《こうとう》しろ。観音様がお見えになつたんだ」と叫ぶと、菩薩はとたんに祥雲を踏んで空中に立ち、本相をあらわされた。行者も雲に乗ってそのおそばへまいり、礼拝してその場の事情を申し上げ、お助けを願った。すると菩薩は、
「かの女怪は蠍《さそり》の妖精《ばけもの》で、そちたちはかれの尾端の鈎子《はり》で刺されたのじゃ。これを倒馬毒といって、わたしにも近づくことができんが、かの東天門内の光明宮にいる昴日星官《ぼうじつせいかん》ならば、よくこの女怪を退治することができるであろう」と仰せられたかと思うと、たちまち一道の金光と化して南海へお帰りになってしまった。
行者は雲からおりて、八戒と沙和尚に菩薩のお告げを語り聞かせ、それよりただちに|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばせて東天門へ向った。さて光明宮に昴日星官をたずね、事の由を詳しく話して助けを求めると、星官は快諾してすぐ行者とともに東天門を出発し、またたくまに毒敵山へやって来た。
時に八戒は、女怪に刺されたあとが痛んでうんうん唸っていたが、星官はそれを見ると、
「わたしが、なおして進ぜましょう」といって、手で八戒の唇の上をひとなでし、口から仙気を吹きかけると、さしもの痛みも、たちまち去ってしまった。八戒はよろこんで、頓首して礼を述べた。それを見て行者も、
「実はわたしも、きのう頭を刺されましてね、痛みはもうとれましたが、今もって痒《かゆ》くてなりません。ひとつわしにも治療を願いたいものです」というと、星官はこれまたさっきと同じ方法で、余毒を除いて痒みをとめてくれた。さて星官が、
「あなたがたおふたりで、あの女怪をおびき出してきてください。わたしは門の外に待ち受けていて、そいつを退治しますから」というので、行者と八戒とはさっそく洞内へ討ち入った。
そのときかの女怪は、唐僧の縄を解き放させ、いつしょに食事をしながら、相も変らずしきりに媚態を示していたが、行者と八戒とがまたもや攻めこんできたと聞くと、急ぎ手に三股の戟をとって飛び出してきた。と見るより八戒は|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をもって打ってかかり、行者も鉄棒をふるってこれを助け、ここにまたまた女怪との間に激しい戦いがくり拡げられたが、折を見て女怪がさっと倒馬毒をふるおうとすると、今度は行者も八戒もその手はくわぬとばかり逃げ出してしまった。
女怪は怒ってそのあとを追っかけてきた。が、このとき早く、門外に待ち受けていた星官が本相をあらわして一羽の大鶏《おおとり》となり、女怪に向ってひと声鋭く叫ぶと、さしもの女怪もたちまち化けの皮をはがれて本相をあらわしたが、なんとそれは琵琶ほどもある大きな蠍《さそり》で、かれが手にした戟と見たのは、実は頭部についてる鋏《はさみ》であることがわかった。そこで星官がまたひと声叫ぶと、あわれや女怪は総身がしびれてたわいもなくその場に倒れ伏し、八戒の|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》のためにみじんに打ちくだかれて、死んでしまった。
星官はこれを見届けると、今は用なしとばかり、たちまち金光を放って光明宮へ帰っていったが、おりからそこへ沙和尚も様子を見にきたので、行者は星官の働きを和尚にもよく話して、一同天を仰いで感謝の礼拝を捧げた。それより三人で洞内へ乗りこんで見ると、大ぜいの腰元どもがいっせいにひざまずいて、
「わたしどもは妖怪ではございません。みんな西梁国のものでございますが、あの妖精にとらえられて、こき使われていたのでございます」というので、行者がよくしらべてみると、なるほど妖気は少しもなかった。そこで彼女らの命を許して西梁国へ帰らせることにし、やがて三蔵を救い出して、琵琶洞には火をかけて焼き払い、それより師弟四人、路を求めて西をさして進んだ。
三十一 贋《にせ》行者
やがてまた春がめぐってきた。ある日、一行は野中において強盗にあったが、行者が鉄棒をふるってかれらを打ち殺したことから、またもや三蔵の怒りを買い、行者は破門されてしまった。そこでやむなく、花果山へ帰ることになったが、途中ふと思い立って、南海の観音菩薩をたずね、これこれしかじかと事情を訴えた。すると菩薩は、
「そちは広大な神通力を有しながら、なんで鼠族《そぞく》ごときものを殺したのか。仏者はいかなる場合にも、人を殺してはならぬ。これはなんと申しても、非はそちのほうにあるというものじゃ。が、できてしまったことはまあしかたがない。そちはしばらく、わしのもとにいるがよい。そちの師匠は近くまた危難に出会うこと必定《ひつじょう》ゆえ、そちを迎えにまいるだろう。いずれわしからも唐僧によく話して、そちの破門を許してもらってやるからな」との仰せである。行者もそれを聞いてひと安心、しばらく時のくるのを待つことにした。
さてこちらは三蔵、行者を追い払って八戒、沙和尚とともに西へ向って進んでいったが、そのうちに腹がへってきたので、八戒にお斎をもらって来てくれと頼んだ。八戒はすぐ雲に乗って出かけていったが、適当な家が見つからないのか、なかなか帰ってこなかった。そこで沙和尚が、八戒をさがしかたがた、せめて水でも汲んでくるからといって出かけていったが、これまた容易に帰ってこない。
三蔵はただひとり道ばたに坐って待っていたが、そのときふいに、うしろから行者が姿をあらわして、
「やい、この悪党坊主め」と叫ぶや、いきなり鉄棒をあげて三蔵の背中をひと打ちしたので、三蔵は目をまわしてその場に昏倒してしまった。
ちょうどそこへ、八戒と沙和尚とが、ひとりはお斎をもらい、ひとりは水を汲んで帰ってきたが、三蔵がぶっ倒れているのを見てあっと驚き、沙和尚がその上にかがみこんで、
「お師匠様あ」と呼ぶと、返事はないが、師父の鼻や口からは熱い息がもれ、からだにも温かみが残っていることがわかった。そこで八戒とともに、さまざま介抱の手をつくすと、ようやく師父は眼をさまし、水をもらってひと口飲んでから、
「そちたちの留守中に、悟空めがやって来て、わしを鉄棒でひと打ちし、荷物をさらって逃げ去ってしまいおったのじゃ」と話した。
聞くより八戒は大いに怒り、すぐにも花果山へ飛んでいって行者をやっつけ、荷物を取り返してこようと意気まいたが、沙和尚に注意されて、ひとまず三蔵を安全なところへ運んで手当を加えることにし、さきにかれがお斎をもらって来た家へみんなでやって行った。そして、その家のばあさんから熱い湯をわかしてもらい、冷えた飯を湯づけにして食べさせると、三蔵もどうやら元気を回復した。やがて三蔵は沙和尚に向い、
「そちはこれから悟空のところへ行って、荷物を取り返してきてもらいたい。けれども、悟空がもし返さないようなことがあっても、けっしてかれと争ってはならぬぞ。そのときは観音菩薩にそのことを訴え、菩薩のお力によって取り戻していただくがよい」と命じた。
沙和尚はただちに雲に乗り、三日三晩かかってやっと花果山へ着いた。見れば、行者が何やら一枚の紙片を手にして崖の上に坐り、大ぜいの猿どもに向って紙に書かれた文書を読み聞かせているところだった。沙和尚は木陰にかくれてそれを聞いていたが、行者の読んでいるのが太宗《たいそう》皇帝より賜わった三蔵の旅券であることに気がつくと、もはや我慢ができなくなって、行者の前に進み寄り、
「兄貴、おまえそんなものを読んでどうするんだ」と叫んだ。行者は頭を上げたが、まるで赤の他人のような顔をして、
「こいつをつかまえろ」と叫んだので、大ぜいの猿どもがどっと沙和尚を取り巻き、ついに取りおさえて、行者の前に引きすえた。行者は威丈高に、
「いったいおまえは何者だ」とどなりつけた。沙和尚は行者がわざと見知らぬふうをするのだと思って、改めてうやうやしく礼を行い、
「兄貴、お師匠様がいったんの怒りにまかせて兄貴を追放なさったのは、とんだ間違いだった。そのため兄貴はお師匠様を打ち倒して荷物を奪い去ったが、今はお師匠様も後悔していられるから、わしといっしょに帰って、ともにお師匠様を助けて西天へ経を取りに行くことにしてくれないか。しかし、兄貴がどうしてもいやだというなら、むりにとはいわないから、どうぞあの荷物だけは返してくれ。兄貴はこの名山にいて楽しみを極めているんだから、そう欲張らなくともいいだろう」と頼むと、行者はふふんと鼻の先で笑い、
「兄弟、おまえが荷物をもらいに来たのは、西天へいくには旅券がいるからだろう。ところがおいらもべつに唐僧を守護して西天へ経を取りに行くことになり、もうちゃんとその準備ができているんだ。嘘だと思うなら、待ちなよ、その証拠を見せてやるから」と、手下に向い、
「お師匠様をお連れして来い」と言いつけた。
小猿がすぐ奥へかけこんでいって、やがてそこへ案内してきたのは、まぎれもないひとりの三蔵と一匹の白馬と、それに荷物をかついだ八戒および宝杖《ほうじょう》を手にした沙和尚だったから、本物の沙和尚は驚き、あきれ、かんかんに腹を立て、いきなり宝杖を取りなおして贋の沙和尚を頭からひとうちに倒してしまった。見ればこれは一匹の猿の化け物であった。
かの行者は、これを見て怒りだし、鉄棒をふりまわし、多くの猿どもをひきいて沙和尚を取りかこんだ。沙和尚は左を打ち右を突き、ようやく一方の血路を開いて逃げ出したが、かの行者は深追いせず、べつに変化《へんげ》の術に長じた妖猿を選んで沙和尚に仕立て、あくまで西方へのぼろうとの野望を捨てないようだった。
こちらは沙和尚、雲に乗って逃げ出したが、それより南海の落伽山《らっかさん》に、観音菩薩をおたずねした。ところが菩薩の蓮座《れんざ》の下に案内されて見ると、そこに行者が控えでいるのであっと驚き、いきなり杖をふるって行者めがけて打ってかかった。行者はひらりと身をかわしてこれを避けたが、そのとき菩薩が、
「悟浄、乱暴するでない。何事もまずわしに話してからにするがよい、とお叱りになった。沙和尚はぷんぷんしながら前からのいきさつをひと通り詳しくお話しして、
「そういうわけで、わたくしが菩薩様に訴えにまいりますと、やつは早くも|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばして先回りをしてこちらへ来ております。きっと言葉巧みに、自分に都合のよいことばかり申したことでございましょう」
「悟浄、人を無実に陥《おとしい》れるものではない。悟空はこちらへ参ってからすでに四日になるが、片時もわしのそばを離れたことはない。なんで贋の唐僧などをこしらえて自分で経を取りに行こうなどとする暇があるものか」
「いいえ、げんに今、水簾洞《すいれんどう》には、孫行者がおりました。わたくしだって、けっしていい加減なことを申すのではありません」
「それならば悟浄、いっそ悟空とともに水簾洞へいって見たらよいではないか。そうすればしぜんと事情もはっきりするわけじゃ」
そこでふたりは、さっそく雲を飛ばして出かけることになった。
さて花果山へ着いて見ると、はたしてひとりの行者が一段高い崖の上に坐り、大ぜいの猿どもと酒を飲んでいるではないか。大聖はそれを見ると、かっと怒り、鉄棒をとって進みいで、
「きさまはどこの化け物だ。おれ様の姿なんぞに化けやがって、おれ様の子供たちまで横取りしやがったな。勘弁ならん」とどなりつけた。
するとかの行者も鉄棒をとって迎え打ち、両々しのぎをけずっての戦いとなったが、どちらが贋物か、見ている者には、さっぱりわからない。ふたりは戦いながら雲の上に飛び上り、なおも秘術をつくして渡り合っている。
沙和尚はそのすきに水簾洞に乗りこんで荷物を奪い返してこようと考え、群がる猿どもを蹴散らして洞前に進んだが、そこには−条の滝が簾《すだれ》のようにかかっていて、入口がさっぱりわからない。残念ながらかれは、その滝のうしろに洞門がかくされていることを知らなかったのである。そこでかれは、雲を放って空中に舞い上り、行者に助太刀しようとしたが、ここでも困ったことには、どっちが本物かわからないので、手の出しようがなかった。するとひとりの行者が、
「沙和尚、おれはこれからこの化け物といっしょに南海の菩薩のところへ行って、どちらが本物か黒白をつけてもらって来るから、おまえちょっと帰ってお師匠様にそうお伝えしてくれ」と叫んだ。ところがもうひとりの行者も同じことをいうので、沙和尚はかれを見、これを見、うろうろしていたが、ともかく一度唐僧のもとへ帰ることにし、雲を飛ばして出かけていった。
さてふたりの行者は、戦いながら落伽山へとやって来たが、菩薩はそれをごらんになると、「両人争いをやめて、まず事情を話すがよい」との仰せ。そこでひとりの行者が、
「この畜生めが、ほんとうにわたくしの姿に化けておりました。どうぞ菩薩様、わたくしが本物か贋物か、はつきりお見分けを願います」というと、もうひとりの行者も同じことをいう。菩薩はしばらくふたりを見くらべていられたが、どちらも寸分たがわずそっくりなので、さすがの慧眼をもっともお見分けがつかなかった。そこでひそかに考えられるには、あの緊箍呪《きんこじゅ》を念じたならば、本物のほうはきっと痛がるにちがいないと、両人には内密でそれを念じられた。するとどうだろう、どちらの行者も同時に、
「痛いっ」と叫び、頭を抱えて地面をころげまわり、「念じないでください、念じないでください」
菩薩がおやめになると、どちらもまたいっせいに立ち上って、激しく打ち合いをおっぱじめる始末。菩薩もどうなさることもできない。そこで、
「悟空、そちは昔、天宮を大騒ぎさせたことがあるから、かしこの神将たちはいずれもそちをよく見知っておるはずじゃ。これより天へのぼって見分けてもらうがよいだろうぞ」と仰せられた。
ふたりはそれを聞くと、ただちに菩薩のもとを辞し、打ち合いながら南天門の外へやって来て、神将たちに会った。しかし神将たちにもやはり見分けがつかなかったので、とうとう霊霄殿《れいしょうでん》まで押しかけ、玉帝にお眼にかかって訴えた。
玉帝はすぐ托塔天王《たくとうてんのう》に命じて、照魔鏡《しょうまきょう》を持ってこさせ、それで照らさせてごらんになったが、鏡に写った姿は両人ともに孫行者で、緊箍《きんこ》も衣服も毛ほどの違いがない。これには玉帝もあきれてしまわれ、かってにするがよいと、両人を御殿の外へ追い出しておしまいになった。そこで両人は、
「おれときさまとでお師匠様のお眼にかかりに行こう」と、南天門を出て西方の街道さして急いだ。
これより先、沙和尚は花果山から師父のところへ帰ってきて、自分がその眼で見てきたところをかいつまんで報告した。三蔵は、
「そうであったか。あのときは悟空がわしを打ったものとばかり思ったが、あれは妖怪だったのか」と、感慨無量のていである。沙和尚はさらに、
「それにあの妖怪は、お師匠様や白馬や八戒やわたしの変化《へんげ》まで仕立てております。わたくしになっていたやつは、ひと打ちに杖で打ち殺しましたが、見ればそれは猿の化け物でございました」
そのとき、天の一方からどっと騒ぎ立てる声が落ちてきたので、三蔵も沙和尚も八戒もともに外に出て見ると、これぞ両人の行者が打ち合いながらやって来たのであった。両人は三蔵の前へ近づくと、例によってどちらが本物であるか見分けてくれとの頼みである。しかし三蔵にもやはり決しようがないので、緊箍呪を念じてみるより方法がなかったが、その結果はすでに南海の菩薩のところで試験ずみであった。三蔵があきれて口をつぐんでしまうと、行者のひとりが沙和尚に向って、
「兄弟、おれはあいつと閻魔の庁へいって、黒白をはっきりさせてくるから、お師匠様をよくよく守護してくれよ」という。すると、もうひとりの行者も同じことをいって、両人はまたもや打ち合いながら、たちまちのうちに姿を消してしまった。
もとより三蔵は、すでに行者は破門したことであるから、荷物さえあればすぐにも西天へ出発するつもりであった。しかし沙和尚が水簾洞の入口を知らないために取ってくることができなかったとのことなので、今度は八戒を取りにやることにした。八戒ならば前に花果山へ行ったことがあるので、水簾洞の消息にも明らかなはずだった。そこで八戒を呼んで、
「悟能よ、あの妖怪の留守の間に、おまえひとつ水簾洞へいって荷物を取ってきてくれないか」というと、八戒は二つ返事で、
「いってきます。いってきます」とばかり、ただちに雲を飛ばして出かけていった。
さてかの両人の行者であるが、戦いながらついに陰山《いんざん》(地獄にある山)へやって来たところ、山中の鬼どもは驚き呆れて、ただちに、これを十殿の大王たちや地蔵菩薩にお知らせした。そこでみなみな、森羅殿《しんらでん》に集まって様子いかにと見ていられると、たちまちそこへ、両人の行者が打ち合いながらやって来た。閻魔大王が進み出て、
「大聖、何事のゆえにわが幽界をお騒がしになるか」とたずねると、行者のひとりが前からの事情を説明して、
「どうか本物と贋物とをはっきり見分けて、この混乱をまぬがれさせてください」と頼んだ。ところが、もうひとりの行者も同じことをいうので、大王は帳簿を管理している役人に命じて一々そこに乗っている名前をしらべさせたところ、贋の行者の名前は見当らなかった。しかしそうかといって、ふたりとも自分が孫行者だといってゆずらない以上、やはりどちらを贋物とも決めようがなかった。そこで地蔵菩薩が、諦聴《たいちょう》をお召しになって、どちらが本物か贋物かをお尋ねになることになった。
諦聴というのは、地蔵菩薩の乗っていられる獣であるが、これが腹這いになって考えると、一瞬にして世界じゅうの怪異を見通してしまうことができるのである。さて諦聴は菩薩のお召しによって森羅殿に上り、腹這いになったかと思うともう頭を上げて、
「妖怪の名はわかりましたが、いまかれの眼の前で申し上げると、どんな大騒ぎを起さないとも限りません。それより両人を仏如来にお眼にかからせるのが何よりかと存じます」と、こっそり菩薩に申し上げた。そこで菩薩はふたりの行者に向い、
「そちたち両人、姿も同じなれば、神通もまた異なるところがない。もし黒白をつけようとならば、音雷寺の如来の御許《おんもと》へまいるがよい」とお告げになった。すると両人どもには、
「そうだ、そうだ」とばかり、たちまち雲に飛び乗って、打ち合いながら遠ざかっていった。
かくて両人は、戦っては進み、進んではまた戦いながら、雷音寺の外までやって来た。そのとき如来は、大ぜいのお弟子たちを集めて説教をしていられたが、ちょうどそれも終りに達し、いまや天花がしきりに一同の上に散りかかって、皆々ありがた涙に暮れていた。するとふいに如来が、
「なんじらは倶《とも》にこれ一心なるも、見よ二心の競って戦いくるを」と仰せられたので、一同が眼を上げて見ると、両人の行者が天に叫び地におめいて戦いながら、寺の境内へはいって来た。
多くのお弟子たちが、さえぎり防ごうとしたが、とても力に及ばず、ふたりはまっしぐらに蓮台《れんだい》の下へ近づくと、如来の御前にひざまずき、今までの事情を詳しく申し上げて、
「願わくは如来、御あわれみを垂れて、われらのために正邪を知らしめたまえ」とお願いした。
顔も姿もそっくりな上に、言うことから声までまったく同じなので、お弟子たちはとても区別がつかなかったが、如来は早くもお見分けになって、まさに説破しようとせられた。おりからそこへ観音菩薩が雲に乗って到着され、如来を拝して申されるには、
「この両人は、先にわたくしのところへ参りましたところ、わたくしには識別がつきませんでしたので、わざわざそのことを申し上げにまいったのでございます。なにとぞ、かれらを明らかにおわかちくださいますように」
如来はお笑いになって、
「法力広大のそなたにも見分けがつかないとは、そなたが四猴混世《しこうこんせい》についてご存知ないからじゃ。そもそも四猴とは第一を霊明石猴《れいめいせっこう》と申して変化《へんげ》に通じ、天の時を知り他の利を知る。第二を赤尻馬猴《せきとうばこう》と申して陰陽をさとり人事を知り出入をよくす。第三を通臂猿猴《つうびえんこう》と申して日月を把《と》り千山を縮め吉凶をわきまえる。第四を|六耳※[#「けものへん+彌」]猴《りくじみこう》と申してよく音を聞き理を察し前後のことを知る。今わしが贋悟空を見るに、実の悟空と同じ姿、同じ音をなすところ、疑いもなく六耳※[#「けものへん+彌」]猴じゃ」
かの|※猴《みこう》は、如来が本相を説き出されるのを聞くと、驚き恐れてがたがたとふるえ、急にとび起きて逃げ出した。如来がお弟子たちにかれを捕えよとお命じになると、お弟子たちはいっせいにかれを取りかこんだ。するとかの|※猴《みこう》は蜜蜂に変じて空中へ逃れたので、如来が鉢孟《はちのこ》をとって空へ投げ上げられると、たちまちそれは蜜蜂の上にかぶさって地の上へ落ちてきた。そこでお弟子たちがその鉢孟に手をかけて起すと、いきなり本相をあらわしておどり出たのは、まぎれもない|六耳※[#「けものへん+彌」]猴《りくじみこう》であった。かくと見た本物の行者は、鉄棒をふるって頭から打ちすえ、ただひと打ちに殺してしまった。
こうしてさしもの贋行者事件もあっけなく片がついたが、そこで如来は行者に向って、
「悟空よ、この上は早く唐僧を護持してわしのところへ経を取りに来るがよい」との仰せ。行者は叩頭して、
「わたくしの師匠は、もはやわたくしなど不要だと申されます。つきましては、どうか如来には鬆箍呪《そうこじゅ》をお念じくださって、わたくしの頭からこの緊箍《きんこ》をお外しになってください。わたくしは還俗《げんぞく》して花果山へ帰りますから」
「悟空、そのような怠慢の心を起すではない。わたしが今、観音に命じてそちを送らせるから、よも唐僧がそちを拒むことはあるまいぞ」
行者はそれを聞いて、合掌してお礼を申し上げた。そこで観音菩薩が、如来の仰せのままに、悟空をお預りになって雲に乗り、まもなく三蔵のいる百姓家へお着きになった。沙和尚がこれを見つけて、急ぎ師父に告げると、三蔵は驚いて外に出てお迎えした。菩薩は、
「唐僧よ、先日そちを打ったのは|六耳※[#「けものへん+彌」]猴《りくじみこう》と申すものじゃが、かしこくも如来はそれを悟らせたまい、悟空をして打ち殺させておしまいになった。如来はまたわしに命じて悟空を送らせ、かれをしてそちを守護して早く経を取りに来させるようとの仰せじゃ。そちはふたたび怒り恨むことをやめて悟空を伴うがよい」
聞くより三蔵は叩頭して恩を謝し、謹んで命に従うことをお答えした。
このとき、東のほうからどっと狂風が吹いてきたので、一同そのほうを見ると、八戒が背に二個の風呂敷包みを負い、雲に乗ってやって来るのであった。八戒は早くも菩薩がそこにおいでになるのを認めると、雲をおりて伏し拝み、さて三蔵に向っていうには、
「わたくしが花果山へいって見ますと、はたして贋の唐僧と八戒と沙和尚がいましたので、ことごとくこれを打ち殺してしまいました。見ればそいつらはすべて猿の化け物でございました。それより水簾洞に乗りこんで荷物を取り返してまいりましたが、あのふたりの行者はどうなりましたでしょうか」
そこで菩薩が、今までのことをひと通り話してお聞かせになると、八戒は大いに喜び、師弟一同ともどもに厚く感謝した。かくて菩薩は南海へお帰りになり、一同は厄介になった百姓家のばあさんに礼を述べて、また西方への旅にのぼった。
三十二 火焔山《かえんざん》
そのうち暑い夏も過ぎ、秋もようやく終りに近づいた。師弟四人がなおも西へ進んでいくと、不思議やまたしだいに暑くなり、熱気で蒸されるような始末となった。一同はいぶかり呆れながらも、さらに歩みを続けて、やがて一軒のりっぱな家の前へさしかかった。するとその門からひとりの老人が出てきたので、三蔵が馬からおりて挨拶をすると、老人も急ぎ礼を返して、
「和尚様はいずれよりお越しですか」と尋ねた。三蔵が西天へ経を取りにいく者だと話すと、老人は一同を門内へ請《しょう》じ入れ、お斎《とき》のもてなしを召使に命じた。さて三蔵が、
「もう秋の終りだというのに、この辺はどうしてこう暑いのでしょうか」と尋ねると、老人は、
「この土地には、火焔山という山がありまして、その山の熱気のために、年じゅう夏のように暑いのです」とのことだった。三蔵はさらに、
「して、その山はどの辺にありますか」
「ここから西へ六十里ばかりいったところ、ちょうど、西天への街道に当っております。その山の周囲八百里の間は、焔熱のために一寸の草も生えません。もしこの山を越えようとするならば、たとえ鉄のからだであろうとも、たちまちとけてしまうことでしょう」
三蔵は聞くより驚いて色を失ってしまった。すると行者が、
「この辺には一寸の草も生えないとのことですが、では五穀《ごこく》を植えるときには、どうするのですか」
「五穀を作ろうとするときには、鉄扇仙人にお願いするのです」
「それはどういう人ですか」
「鉄扇仙人は一個の芭蕉扇《ばしょうせん》をお持ちですが、それでひとあおぎすると山の火が消え、ふたあおぎすると風が生じ、三あおぎすると雨が降ります。わたしどもは毎年一度この仙人においでを願い、そのお力によって五穀を作るのですが、収穫がすむと山はまた火になってしまいます。ところで、仙人はたいそう強欲なかたで、わたしどもは豚や羊や鵞鳥や酒などの礼物も揃えてお願いにまいるのですが、もし礼物が少しでも不足だったら、けっして来てはくれません」
「で、その仙人はどこに住んでいるのですか」
「ここから西南へ千五百里ばかりいったところに翠雲山《すいうんざん》というのがありますが、そこの芭蕉洞に住んでおられます」
「それじゃ、わたしがちょっといって、その扇を借りてきて、山の火を消しましょう」
行者はそういうが早いか、たちまち雲を放っていってしまった。老人はそれを見て大いに驚き、さてはあなた様がたは雲にお乗りになれる神人でおありになったかと、いよいよ大切に三蔵たちをもてなした。
さて行者は一瞬にして翠雲山に着くと、おりよくひとりの樵夫《きこり》に出会ったので、
「このあたりに鉄扇仙人の芭蕉洞というのがあるでしょう」と尋ねた。すると樵夫は、
「芭蕉洞というのはありますが、鉄扇仙人などというかたはおいでになりません。もっとも鉄扇|公主《こうしゅ》というかたならおいでになりますが、そのかたは別名を羅刹女《らせつじょ》とも申し、牛魔王の奥方です」
聞くより行者は心中大いに驚いた。前に行者は紅孩児《こうがいじ》と戦ってこれを降伏させたことがある。その紅孩児こそ牛魔王の子で、継母の羅刹女に養われた者であった。だから羅刹女は、仇《かたき》の自分にとっても扇を貸してはくれまいと思ったが、牛魔王とは昔、義兄弟の約を結んで、親しく交ったことでもあるから、うまくいけばまあなんとかなるだろうと、樵夫に別れて、芭蕉洞へと急いだ。
さて洞前へ着いて、行者が門を叩いて案内をこうと、中からひとりの小娘が出てきたので、
「わたしは西天へ経を取りにいく唐僧の弟子のひとりで、孫悟空というものですが、火焔山を通らねばなりませんので、芭蕉扇を拝借にまいりました、と公主へ伝えてください」と頼んだ。
小娘はさっそくそれを奥へ知らせた。すると羅刹女は、孫悟空と聞くより大いに怒り、剣をとって表へ走り出すや、大声をあげて、
「孫悟空、いずこにありや」と叫んだ。行者は進み出て挨拶をし、
「嫂《あによめ》、わたくしはここに控えております」
「だれがおまえの姉なもんか」
「ご主人の牛魔王殿とは昔、義兄弟の約束をした仲です。されば、嫂と呼ばないわけにはまいりますまい」
「何をこの悪猿め、義兄弟などといって、それだけの親しみがあるなら、どうして紅孩児を殺そうとしたんだ。その上、今また扇を借りに来るとは、とんでもないあきれた話だ」
「嫂、あなたは詳しいことをご存じないので、わたしを誤解しておいでなのです。実はご子息の紅孩児がわたしの師匠を捕えて、蒸して食おうとなさったのを、さいわい観音菩薩がお取り押えになって、わたしの師匠を救ってくださったのです。ご子息は今、菩薩の弟子となって正果《しょうが》を得られ、善財童子《ぜんざいどうし》と呼ばれて、天地と寿《ことぶき》を同じくされておいでです。ですから、わたしは礼をいわれるわけはあっても、あなたから恨まれるわけはありますまい」
「何をこの悪猿め、むだごといわずに、これでもくらえ」と、羅刹女がまっこうから斬ってかかれば、行者は鉄棒で受け止め、ここにいよいよ戦いの幕は切って落された。
ふたりは夕方になるまで激しく戦ったが、羅刹女はついに勝てないことを知り、ひそかに芭蕉扇を取り出してひとあおぎすると、たちまち大風が吹き起って、行者をはるか空のかなたへ吹き飛ばしてしまった。かくて羅刹女は勝利を得て洞の中へ引き上げた。
行者はまるで風に舞う落葉のように、大空を吹き飛ばされることまる一夜、ようよう明け方になって、ある山の頂きにとどまった。気をしずめてあたりをよく見ると、なんとそれは小|須弥山《しゅみせん》であった。行者はため息をついて、
「ああ驚いた。よくもおれをこんなところまで飛ばしやがったことだ。ここへは昔、黄風怪《こうふうかい》を退治するについて霊吉菩薩《れいきちぼさつ》の助けをこいに来たことがあるが、ひとつ菩薩をおたずねして、火焔山からここまで何万里ぐらいあるか聞いてみてやろう」と、山をおりて禅院へいき、菩薩にお目にかかりたいと申し入れた。
菩薩は弟子からそのことをお聞きになると、すぐ行者を出迎えて、
「大聖、もう経を取って来なすったか。それはめでたいことじゃ」と、ひとり合点の挨拶である。行者が頭をふって、
「いや、まだです」と答えると、菩薩は、
「では、どうしてこんなところへおいでなすった」
そこで行者が、今までのことをかいつまんで話すと、菩薩は笑って、
「あの芭蕉扇は混沌《こんとん》が初めて開けたとき、天地とともに生じたひとつの宝物で、太陰《たいいん》(月)の精葉《せいよう》じゃ。それで、よく火を消すことができるのだが、もしこれで人をあおげば、八万四千里を飛ばして、初めて陰風が止むというわけじゃ。火焔山からここまではざっと五万里だが、大聖は雲を止める術がおありだから、ここでとどまることができたのじゃ」
「それはたいへんです。それにしてもわたくしの師匠は、どうしたら火焔山を越えることができるでしょうか」
「大聖、安心なさい。わしは昔、如来から一粒の定風丹《ていふうたん》と一本の飛龍杖《ひりゅうじょう》とをいただいたが、すでに飛龍杖のほうは黄風怪を降伏せしめるに用いて効があった。今度は定風丹を進呈するが、これをからだにつけておれば、どんなに芭蕉扇であおがれても、けっして吹き飛ばされる心配はないから、効を立てることができるであろう」
菩薩はそういって、一粒の定風丹を取り出し、行者に与えられた。行者は厚く礼を述べ、それを着物の襟《えり》の中にぬいこむと、菩薩に別れを告げて、大急ぎで翠雲山へ取って返した。そして、洞門の扉もこわれよとばかり鉄棒で打ちたたき、
「おれ様がまた扇を借りにきたぞ」と叫ぶと、門番の小娘がすぐ奥へ知らせた。羅刹女は聞くより大いに驚き、
「あの悪猿め、よっぽど腕があるにちがいない。あれだけ吹き飛ばしてやったのに、どうしてまた帰ってきたのかしら。よし、今度はたてつづけに三度あおいで、もうけっして帰ってこれないようにしてやろう」と、剣をひっさげて門を駆け出し、五、六合打ち合った末、扇を取り出してひとあおぎした。しかし行者はびくともしない。続けてまた、ふたあおぎしたが、それでも平然としている。これにはいかな彼女もすっかりうろたえ、あわてて扇をおさめるや、洞の中へ逃げこんで門をしめてしまった。
行者は身をゆすって羽虫に変じ、門のすきまから忍びこんだ。見れば羅刹女が、さきほどの戦いで喉《のど》がかわいたか、お茶を飲んでいた。行者は茶碗の中に泡が浮いているのを見ると、その中に飛びこんだ。
小さい羽虫のこととて、羅刹女は気がつかずに、お茶とともに飲みこんでしまったが、行者は腹の中へ入りこむや、たちまち本相をあらわして、
「嫂、扇をわたしに貸してください」と、大声でどなった。羅刹女はその声に驚いたが、行者がどこにいるのかまだわからないらしく、
「悟空、おまえどこにいるんだい」
「わたしは嫂の腹の中にいます。扇を貸してくれないと、あばれますよ」
そういったかと思うと、行者はたちまちおどったり、はねたりしだしたので、羅刹女は腹が痛くてたまらず、ころげまわって苦しみながら、
「扇はお貸ししますから、どうかお腹の中から出てください」と泣き叫んだ。
「それじゃ、まずその扇を見せてください」
行者はそういって、喉のところまではい上ってきた。そこで羅刹女が小娘に扇を取ってこさせると、行者は口の中からよく見届けた上、ひらりと外へ飛び出し、その扇を手にとるなり、急ぎ門を駆け出した。
かくて行者は、雲を飛ばしてたちまちのうちに三蔵らのいるところへ帰り、事情をくわしく説明したので、三蔵も大いに喜んで、それより師弟四人、ただちに西へと出発した。ところが、ものの四十里もいくと、暑さがいよいよはげしくなり、もうこれ以上はとても前進することができなくなった。そこで行者は、三蔵らをそこに待たせておいて自分は扇を持って山のそばに近づき、力まかせにあおいだ。すると、驚いたことに火が急にはげしくなったが、かまわずもう一度あおぐと、火はさらに百倍もはげしくなり、三度目にはついに焔の高さが千丈にもなって、からだじゅうの毛がこげだしたので、さすがの行者もあわてて逃げ出してしまった。そして、三蔵らのいるところまでもどると、
「早く逃げてください。火が来ます。火が来ます」と、一同をせかして、二十里ばかりも引き返し、ようやくそこにとどまった。行者は扇を投げ捨てて、
「とんでもねえ。すっかりあの怪物にだまされたわい。あおげばあおぐほど、火がはげしくなるんだからな」と嘆息した。するとそのとき、
「大聖、ご心配なさるな。まあお斎でも召し上って、ゆっくりご相談ください」という声がしたので、一同がその声のほうをふり返ると、ひとりの老人が、食べものの盆を持った小童を従えて、すぐそこに立っていた。老人は一同に向ってうやうやしく身をかがめ、
「わたくしは火焔山の土地神でございますが、お斎を差し上げにまいりました」とのことである。そこで行者が、
「どうすればあの火を消すことができるか」と尋ねると、土地神は、
「火を消したければ、羅刹女から扇を借りることです」
「その扇はこれじゃないか」
行者がいまいましそうにそういうと、土地神は笑って、
「それは本物ではありません。あいつにだまされなさったのです」
「どうしたら本物が手に入るだろう」
「もし本物がお入用でしたら、牛魔王に頼んだほうが早道でしょう」
「ではあの山の火は牛魔王がつけたのかね」
「いや、あれは大聖がつけられたのです」
意外とも意外な土地神の返事に、行者はかっと腹を立て、
「なんだと、このおれが火つけなどするものか」
「大聖、あなたはあの山の由来をご存じありませんが、あの山はもとあそこになかったものです。大聖は五百年前に大いに天宮を騒がせ、太上老君《たいじょうろうくん》のために八卦炉《はっけろ》の中に閉じこめられなさったが、そこを逃げ出される際に丹炉《たんろ》を踏みたおしたことを覚えておいででしょう。そのときいくつかの灼熱した破片が落ちてきて、それがついにあの山になったのです。わたしは丹炉の番人でしたが、老君はわたしの不行届きを怒って天から追いくだし、あの山の土地神にされたのです」
「ところで牛魔王は今、翠雲山にいないようだが、いったいどこにいるのかね」
「積雷洞《せきらいざん》の摩雲洞《まうんどう》に玉面《ぎょくめん》公主という、たいそうな美女が住んでいますが、牛魔王はこのごろその女のところへ入りびたっていて、めったに羅刹女のところへは帰らないようです」
「で、その積雷山というのはどこにあるんだ」
「ここから三千里ばかり真南にあります」
聞くより行者は、一同をそこへ待たせておいて、自分はさっそく雲に乗って飛び出した。まもなくその山へ着いたので、雲をおりてあたりをさがして見ると、向こうの松陰に石の洞門が見え、門の上には積雷山摩雲洞の六字が大きく刻まれていた。
行者はしばらく門外で様子をうかがっていたが、ちょうどそこへひとりの美女が出てきて、行者の恐ろしげな姿を見ると、あっと驚いてふたたび門内へ駆けこみ、ぴたりと門を閉ざしてしまった。さてその美女は、奥へ入って牛魔王に向い、
「あたしが今お花を摘みに門の外へいったら、雷様のような顔をした坊さんがいるんですもの、あたしびっくりしちゃったわ」と訴えた。すると牛魔王は、
「おまえ、そう心配せんでもいいよ。おれが今、捕えてきてやるから」と、鉄の棍棒をひっさげて門を駆け出し、大声をあげて叫んだ。
「だれだ、今ここで無礼を働いたのは」
行者は牛魔王と見るや、進み出て、いった。「兄貴、おれがわからないかね」
牛魔王もすぐ行者と知って、
「おお、おまえは斉天大聖孫悟空ではないか」
「いかにもそのとおり。ずいぷん久しく会わなかったので、どうしているかとわざわざ見にきたんだ」
すると牛魔王は怒りだし、
「いい加減なおべんちゃらをいうのはよせ。きさまはおれの息子の牛聖嬰《ぎゅうせいえい》(紅孩児のこと)をいじめやがったくせに、しかもこのおれに会いにくるとは、ふといやつだ」
「兄貴、それは誤解だよ。あのときは令息がおれの師匠を捕えて食おうとしたんだが、おれはとても近寄れなかった。さいわい観音菩薩が令息に勧めて仏道に帰依させ、善財童子となして、天地寿と同じくしたもうたのだ。それをどうしておれを恨むことがあるか」
「なるほど、そんなわけなら昔のよしみで命だけは許してやるから、さっさと帰るがいい」
「兄貴、おれがここへ来たのは、実はお願いがあるんだ。唐僧を守護して西へいく途中、火焔山にはばまれて進むことができないので、羅刹女さんに芭蕉扇を借りようと、きのう、本宅へ行ってお願いしたんだが、どうしても貸してくれない。それでわざわざここへ頼みに来たんだが、兄貴ひとつおれといっしょに嫂御《あねご》のところへいって、なんとかして扇を借りてくれないか、頼む」
牛魔王はそれを聞くと、かんかんになって怒り、
「なんだこの野郎、わざわざおれに会いに来たなどとぬかしやがって、それじゃ扇を借りに来たんじゃないか。きさまのようなふといやつは、この鉄棒でもくらうがいい」と叫ぶや、棍棒を振りかぶって、まっこうから打ってかかった。行者も如意棒で迎え討ち、たがいに戦うこと百余合に及んだが、なかなか勝負はつかない。そのとき、どこか山の上のほうから、
「牛魔王殿、わたくしどもの大王がお待ちかねですから、すぐおいでください」と呼ぶ声が聞えた。すると牛魔王は、
「おい悟空、勝負はしばらくあずかりだ。おれはこれから友だちの家の集りに出なきゃならないんだ」といったかと思うと、すぐ洞内へ駆けこんでしまった。
行者は山の高みへのぼって、牛魔王がどこへ出かけるのかと、様子をうかがっていると、やがて洞門を出てきた牛魔王は、壁水金晴獣《へきすいきんせいじゅう》にまたがり、雲を踏んで西北のほうへいってしまった。行者は一陣の清風と化して、牛魔王のあとを追っていったが、やがてある山の中でふとその姿を見失ってしまった。そこで行者は本相にかえり、山の中を尋ねまわっていると、いつしか谷川の深い淵のほとりへ出た。見れば乱石山碧波潭《らんせきざんへきはたん》の六字を大きく刻んだ石碑が立っている。どうやらこの淵の底に妖魔の巣窟があって、牛魔王はそこへたずねていったものと思われた。行者はそこで印を結び呪文をとなえて、一匹の蟹《かに》に変じ、水の底へもぐりこんでいって見ると、はたしてそこにはりっぱな門があり、その前にあの壁水金晴獣がつないであった。門の内部には水は少しもなく、行者が入っていくと、御殿の中から音楽が聞え、正面には牛魔王が坐り、その向いには龍王が坐って、ちょうど盃のやりとりをしていた。
行者は見るより一計を案じ、門の外へ出て本相をあらわすと、金晴獣の縄を解いてその背にまたがり、水の上へ逃げ出した。そして今度は牛魔王の姿に化け、雲を飛ばして翠雲山に向ったが、やがて芭蕉洞の門前に着くや、大声をあげて門をあけろとどなった。
声に応じて門をあけた小娘は、牛魔王の姿を見て、すぐ奥へ駆けこみ、
「奥様、だんな様がお帰りです」と伝えたので、羅刹女は大急ぎで出迎えた。行者は金晴獣の背からおり、羅刹女に導かれて奥へ通ったが、彼女はいっこう見破ることができず、
「大王様は、新しいかたばかりかわいがって、わたしのほうは、うっちゃりぱなしなのね。きょうはまたどういう風の吹きまわしでおいでになりましたの」という。行者は笑って、
「いや、うっちゃりぱなしというわけではないよ。あの玉面公主に呼ばれていったところ、家の中にごたごたが絶えないところへ、友だちが多いものだから、つい長逗留《ながとうりゅう》になってしまっただけだよ。このごろ聞くところによると、孫悟空のやつが唐僧を守護して火焔山の近くへやって来ているそうだが、あいつきっとおまえの扇を借りに来ることだろう。おれはあいつに深い恨みがあるから、もしやって来たらぜひおれのところへ知らせてくれ。あいつを捕えて、ずたずたにして、おれたち夫婦の恨みを晴らしてやろう」というと、羅刹所は涙をこぼして、
「大王様、実はわたしも危うくあの猿めに命を取られるところでした」
聞くより行者は、わざと怒ったふりをして、
「なんだ、猿が来たって?」
「ええ、きのう来ましたのよ」と、羅刹女はにせの芭蕉扇を貸し与えたまでのいきさつを語った。すると行者は、
「じゃ本物はどこにかくしてあるんだい」
「安心なさい。ちゃんとしまってありますから」
そこで彼女は、小娘を呼んで酒肴《しゅこう》の用意をさせ、盃を捧げて、
「大王様、新しい女にばかり心を奪われて、わたしのことをお忘れになっちゃいやですよ。さあうちのお酒もひとつ召し上れな」
行者は笑いながら盃を手にとったが、
「おれは久しくうちを外にして、おまえに心配をかけたから、その罪ほろぼしに、まあおまえから先に飲んでくれ」といって、盃を彼女に渡した。
彼女は喜んでそれを飲みほし、また一杯を行者にすすめたので、行者もそれを飲み、かくてたがいにさしつさされつ、しだいに酒が進むにつれて、羅刹女はもう春情たっぷり、しきりに行者に戯れかかってくる。行者はいい加減に調子を合わせていたが、羅刹女がすっかり酔って心を許しているのを見て取ると、
「おまえ、本物の扇はいったいどこにしまってあるんだい。なんといってもあの孫行者は変化《へんげ》の術がうまいから、まただましに来るだろうと心配だよ」
すると羅刹女は声を立てて笑いながら、口の中から一枚の杏《あんず》の葉のようなものを吐き出し、行者に手渡して、
「ほら、これが本物の扇じゃないこと」
行者はつくづくとそれを見守りながら、
「こんな小さなもので、よくまああの八百里の火を消すことができるね」
「まあ、いやですねえ」と、羅刹女はあきれたようにいった。「あなたってば、すっかり玉面公主にのぼせ上って、自分の宝物のことまでお忘れになってしまったのねえ。ほら、左の親指でこの柄を押えて、|哂嘘呵吸※[#「口+喜」]吹呼《しこかきゅうきすいこ》ととなえさえすれば、たちまち一丈二尺の長さになるんじゃありませんか」
行者はそれを聞くと大いに喜び、いきなりその宝物を口の中へほうりこみ、本相をあらわして、
「かたじけない」とただひと声、あとをも見ずに洞外へ駆け出てしまった。
羅刹女がどんなに驚き、くやしがったかはいうまでもないが、すべては、あとのまつりである。彼女はしばし物をいう力もなく、行者の逃げ去ったあとで、ため息をもらすばかりだった。
行者は近くの高い山の上に飛び上り、扇を口の中から吐き出して、型のごとく左の親指でその柄を押え、呪文をとなえると、はたしてそれは一丈二尺の長さになった。ところが困ったことには、それをもとのように小さくする法を知らないので、やむを得ずそのまま肩にかついで、皆のいるところへ戻っていった。
さてこちらは牛魔王、碧波潭《へきはたん》における宴会も果てたので、龍王に別れを告げて門へ来てみると、そこにつないであった金晴獣が見当らない。あんなものを盗む者はちょっといそうもないので、牛魔王はすぐ孫悟空がここへ忍びこんだものと見当をつけ、
「あいつ、きっとおれの金晴獣を盗み出し、それに乗って家内のところへ扇を騙《かた》りにいったものにちがいない」と、急ぎ淵の底からおどり出し、雲に乗ってただちに芭蕉洞へ駆けつけた。門をおしあけて入って見ると、はたして金晴獣がそこにつないである。牛魔王は大声をあげて、
「夫人《おく》や、孫悟空はどこにいる」と叫ぶと、羅刹女はいきなりかれに飛びついてきて、
「この爺《じじい》の罰《ばち》当りめ、でれでれしていて、あの猿に金晴獣を盗まれてさ。あいつはおまえさんに化けてここへやって来て、だいじな宝物をかたり取っていったのよ」と、わめき立てた。牛魔王はなだめるように、
「まあ、そんなに気をもみなさんな。おれはこれから猿めを追っかけていって、かならず宝物を取り返してくるからな」といったかと思うと、羅刹女が帯びていた宝剣をとって洞を走り出で、火焔山めざして追っかけていった。
ほどなく牛魔王は、行者が大きな扇を肩にかつぎ、にこにこ顔で帰っていくのに追いついた。しかし、返せといってもただで扇を返すような相手でないことはわかっているので、ふと一計を案じ、八戒の姿に化けて、先まわりをして行者を待ち受けることにした。そして、そうとは知らぬ行者が、やがてそこへやって来ると、
「兄貴、おいらやって来たよ。おまえの帰りがおそいので、お師匠様が心配して、おいらに見にいってこいといいつけられたんだ」
「はっはっは……心配するなってことよ。扇はこのとおりちゃんと手に入れたよ」
「兄貴、それじゃおまえ、さぞくたびれただろう。扇はおいらが持っていくよ」
親切にそういわれて、行者がなんの疑いもなく扇を渡すと、牛魔王は小声で何やら呪文をとなえ、扇をもとのように小さくしてしまった。そして、ふいに本相をあらわすや、
「この猿のならず者め、おれをだれと思うか」とどなりつけた。
行者はあっと驚き、かんかんに腹を立てて、いきなり鉄棒をふるって打ってかかった。牛魔王はひらりと身をかわし、扇を使ってひとあおぎあおぎ立てたが、行者は定風丹を帯びているので、びくともしない。もう一度あおいだが、やはり微動だもしない。牛魔王はあわてて扇を口の中にほうりこみ、宝剣をとって行者に斬ってかかった。かくて両人、空中にあって戦うこと数百合、勝負はいつ果てるとも予測がつかなかった。
おりからそこへ、三蔵の命を受けた八戒が、土地神に案内されて行者をさがしに来たが、八戒はこの場のありさまを見て取るや、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふるって無二無三に牛魔王めがけて打ってかかった。かの牛魔王は、行者だけでもてこずっていたところへ、新手の加勢があらわれたので、今はかなわずと逃げ出した。行者と八戒とは、土地神ともども、そのあとを追っかけたが、積雷山摩雲洞の入口まで追いつめると、牛魔王はそこでくるりとふり返って、またもや激しく両人めがけて打ってかかった。
このとき洞内では、かの玉面公主が、急に門外の騒がしくなったのに驚き、配下をして様子をさぐらせてみると、いまや牛魔王が両人の坊主を相手に死闘の最中だというので、さっそく大小の頭目たちに槍や刀をとらして、助太刀をさせることにした。
かくて大ぜいの化け物どもが、いっせいに門を開いてどっと押し寄せたので、八戒は備えを立てる暇もなくたちまち打ち負けて逃げ出してしまった。行者もこうなってはたまらず、雲を放って重囲を脱出したので、牛魔王はここに勝利を得て、手下どもを集め、洞内に帰って門を堅くしめてしまった。
しかし行者も八戒も、やがてまた元気をとり戻し、ふたたび洞門に押し寄せて、めちゃめちゃに扉を叩きこわした。このとき牛魔王は、玉面公主に前からのいきさつを話して聞かせていたが、門番の注進によってそのことを知ると、すぐさま鉄の棍棒をとって走り出し、両人に向って猛然と打ってかかった。
ここにまたもや激しい戦いはくりひろげられ、しのぎをけずって打ち合うこと百余合に及んだが、なにぶんひとりとふたりである上に、新手の八戒の勢い当るべからず、牛魔王はとうとう打ち負けて洞内へ逃げこもうとした。ところが洞門の前には土地神が控えていて、たやすく通してくれそうにはない。進退きわまった牛魔王は、ここに棍棒を投げ捨て、身をゆるがして一羽の天鵞《こうのとり》に変じると、天空高く舞い上った。行者はそれを見て打ち笑い、
「悟能、牛公のやつ逃げちまった。おれはやつを追っかけるから、お前は土地神といっしょに洞内に攻め入り、化け物どもを片っぱしからやっつけるがいいや」
こう言いつけておいて、行者はたちまち一羽の海東青《しらたか》に変じ、はるかに天上高く舞い上ったと見るや、身をさかさまに落してきて、天鵞《こうのとり》めがけて襲いかかった。牛魔王は早くもこれが行者の化けたのだと気がついたので、急ぎ羽をふるわして黄鷹《きだか》に変じ、あべこペに海東青《しらたか》に突っつきかかった。すると行者は今度は鳳凰《ほうおう》に変じて、ひと声長鳴きをした。これには牛魔王も閉口した。鳳凰は鳥の王であるから、他の鳥が手出しをすることができないのだ。そこであきらめて山の崖へ舞いおり、一匹の|香※[#「けものへん+章」]《じゃこうじか》となって、崖の前の草を食っていた。
行者はこれを知って、自分もすぐ舞いおり、一匹の虎になって|※[#「けものへん+章」]《しか》に飛びかかった。すると牛魔王はあわてて豹《ひょう》に変じ、あべこべに虎をとって食おうとした。行者はすかさず狡猊《しし》に変じ、雷のような声を発して豹に噛みつこうとした。とたんに牛魔王は熊に変じ、脚をあげて狡猊《しし》を組み伏せようとかかる。行者は今度は象になって、鼻を延ばして熊を巻きこもうとした。する牛魔王は、とうとう笑いだし、原身をあらわしたのを見ると、それこそ一匹の大白牛であった。そのものすごいありさまといったら、頭は険《けわ》しい峰のようであり、眼は電光のように輝き、二本の角は鉄塔がふたつ並んだのに似、牙は鋭い刃をつらねたのに異ならない。頭から尻尾《しっぽ》までの長さは千余丈、蹄《ひづめ》から背までの高さは八百丈。大声をあげて叫んだ。
「この悪猿め、さあ、どうだ」
そこで行者も原身をあらわし、腰をひと屈《かが》めして「延びろ」と叫ぶと、たちまち身のたけ一万丈、頭は泰山に似、眼は日月のごとく、口は血の池、牙は門の扉のよう。手に鉄棒をとって、牛魔王の頭めがけて打ってかかった。牛魔王は角をもってこれを受け止め、ここに両個の大怪物の激闘となったが、そのすさまじいありさまは、まことに天をゆるがし、地もくつがえりそうであった。
この大騒ぎは、つねに空中にあって唐僧の守護に任じている諸神――金頭掲諦《こんずぎゃてい》、六甲六丁《りくこうりくてい》、十八人の護法の伽藍《がらん》を驚かし、すべて一度に来たって牛魔王を取り囲んだので、さすがの牛魔王も敵しかね、ふたたびまことの本相に戻って、翠雲山に逃げ帰り、芭蕉洞の内に入って、門を堅くしめてしまった。このとき、諸神は行者とともに追って来て、翠雲山を取り囲み、これからいよいよ芭蕉洞内へ攻め入ろうとしていると、ちょうどそこへ八戒と土地神とがやって来た。そこで行者が八戒に向い、
「摩雲洞の様子はどうだった」と問うと、八戒は答えて、
「あの牛公の女房はおいらの|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》のひと打ちで死んじまったよ。見ればこいつが白狐《びゃっこ》の化けたのさ。手下の化け物どもも片っぱしからきれいに片づけ、洞府も焼き払っちまったよ。ところが土地神がいうには、べつにもう一軒、女房の家がこの山の中にあるとのことなので、こうしていっしょにやって来たわけさ」
「これがもう一軒の芭蕉洞で、羅刹女のおるとこだ」
聞くより八戒は大いに勇み立ち、
「それじゃおいらがやっつけてやるよ」とばかり、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を振りかざして門の扉を一撃すると、たちまちそれは、がらがらとこわれてしまった。
牛魔王はこのとき、羅刹女に向って行者たちとの戦いのあらましを話していたが、またもやかれらが改めて来たことを知ると、口の中から芭蕉扇を吐き出して彼女に渡し、ただちに宝剣をとって門を走り出た。しかし門の外には、行者や八戒だけではなく、諸神がいっせいにひしひしと詰めかけているので、無二無三に戦ったがついに敵しがたく、北に南に逃げ走るよりほかなかった。ところがどちらへ逃げても敵ばかりなので、とうとう雲に乗って空へ逃れたが、ここにも托塔天王《たくとうてんのう》と|※[#「口+那」]咤太子《なだたいし》とが待ち受けていて、
「われら玉帝の勅を奉じ、とくに来たってなんじを討滅するぞ」と、逃げ道をさえぎった。
牛魔王はそこでまたもや大白牛となり、二本の鉄のような角で托塔天王に突いてかかった。天王は刀をもって斬ろうとする。そこへ行者も追っかけてきて、
「この下司《げす》めはなかなかの神通力、容易なことでは手におえませんぞ」と叫ぶと、|※[#「口+那」]咤太子《なだたいし》がそれを聞いて、
「大聖、心配なさるな。わたしがやっつけますから見ていてください」と、たちまち三面六臂《さんめんろっぴ》に変じ、身をおどらして牛魔王の背中に飛び乗り、斬妖剣《ざんようけん》をふってさっとばかり白牛の首を打ち落してしまった。ところが驚いたことには、かの白牛の胴からはまた新しい頭が生え、太子がふたたびそれを斬り落すと、さらに三つの目の頭が生えるというふうで、何度くり返してもきりがない。
太子はそこで、火輪児を取り出してこれを牛魔王の頭にかけると、たちまち火がめらめらと吹き出して牛魔王を焼き立てた。牛魔王はたまらず気ちがいのようにあばれまわり、なんとか他のものに変化《へんげ》して身を逃れようとしたが、托塔天王に照魔鏡で本相を照らされているので、変化の術が利かないばかりか、ついにはからだの自由も失われて、
「どうか命だけはお助けください。かならず仏道に帰依いたします」と叫ぶばかり。|※[#「口+那」]咤太子《なだたいし》が、
「命が惜しくば早く扇を出せ」と命じると、
「扇は家内のところにあります」とのことなので、太子は急ぎ縛妖索《ばくようさく》を取り出して、牛魔王の鼻の穴へ通し、みずから索《つな》をとって芭蕉洞へ引き立てていった。行者も八戒や土地神とともに、そのあとに従った。
かくて一同が芭蕉洞へ乗りこむと、羅刹女《らせつじょ》も今は観念して扇を差し出し、
「どうかわたくしども夫婦の命をお許しください」とあやまった。行者は扇を受け取ると、一同とともにただちに雲に乗って三蔵のいるところへ急いだ。
こちらは三蔵、行者の帰りを首を長くして待っていると、たちまち祥雲が空に満ち、多くの神々が近づいてこられたので、そばの沙和尚はよくそれを見知って、
「師父、あれは四大金剛、金頭掲諦《こんずぎゃてい》、六甲六丁《りくこうりくてい》、護教伽藍のかたです。また牛をひいていられるのは|※[#「口+那」]咤太子《なだたいし》、鏡を持っていられるのは托塔天王、行者は芭蕉扇を持ち、八戒と土地神はそのあとに従っています」
三蔵はそれを聞くと、大急ぎで衣類を改め、沙和尚とともに迎えて、謹んでお礼を申し上げた。
行者はただちに火焔山におもむき、芭蕉扇をもってひとあおぎすると、たちまち火は消え、またひとあおぎすると、そよそよと清風が起り、三度目には雨がしとしとと降ってきた。
神々はいずれも天上へ引き上げていかれ、|※[#「口+那」]咤太子《なだたいし》は牛をひいて如来のところへおもむいた。ただ土地神だけは、羅刹女をひきすえて、まだその場に残っていたが、このとき羅刹女は行者を拝して、
「大聖、すでに火が消えました上は、どうか扇をお返しください」と頼んだ。行者は、
「わしが聞いたところでは、この山の火はいったん消えても、五穀の収穫がすむとまた燃えだすとのことだが、どうすればこの火の根を絶って、このあたりの民を救ってやることができるか」
「もしこの火の根を絶とうとならば、その扇で四十八へんつづけざまにあおげばいいのです。そうすれば永久にふたたび起ることはありません」
行者はこれを聞いて、山に向って四十八へんあおいでおいて、扇を羅刹女に返してやった。彼女はこれより道を修め、のちには正果に帰したということである。
かくて三蔵の一行は、またもや西へ向って出発したが、土地神は一行の姿が見えなくなるまで、そのあとを見送った。
三十三 祭賽国《さいさいこく》から小雷音寺《しょうらいおんじ》へ
さても師弟四人は、八百里の火焔山を越え、西へ西へと旅の日数を重ねていくうちに、やがて冬の初めになって、とある城市へ着いた。そこは祭賽国の都で、市街もなかなか繁華であったが、不思議なことに街を托鉢《たくはつ》して歩いている坊さんたちが、みな一様に手枷首枷《てかせくびかせ》をはめられている。三蔵がそれらの坊さんたちのひとりに、そのわけを尋ねると、
「わたくしどもは金光寺《こんこうじ》の僧でございますが、無実の罪でこんなひどい目にあっています」とのことだった。三蔵がさらに、
「どういうわけでそんな冤罪《めんざい》をこうむることになったのですか」ときくと、その坊さんは、
「こんな街の中ではお話しするのに都合が悪うございますから、どうかわたくしどもの寺へおいでください」というので、三蔵たちもついていくことにした。
行って見るとそれはりっぱな寺で、門には「勅建《ちょくけん》護国金光寺」という金字の額がかかっていた。仏殿へ参詣し、やがて方丈へ案内されると、一山の寺憎たち十数人が挨拶に出てきて、
「わたくしどもは長い間、無実の罪に苦しんでまいりましたが、昨夜、皆が不思議に同じ夢を見まして、東土から唐僧がおいでになってわたくしどもの無実を晴らしてくださるとのお告げを得ました。お見かけするところ、あなたがたはその唐僧でいられましょう」という。三蔵が、
「いかにもわたくしどもは唐からまいった者ですが、あなたがたはどうしてまた無実の罪を得られたのですか」
そこで寺僧たちが答えたところによると、もとこの金光寺の宝塔は、祥雲がつねにその上にたちこめ、夜は霞光《かこう》を放ち昼は彩気を吹き出し、庶人崇敬の的で、遠国《おんごく》から貢物を待って参詣する者も多かった。ところが今から三年前のある夜、何物かが血の雨を降らしてこの塔を汚し、塔内に安置してあった仏舎利《ぶっしゃり》を盗み去った。それ以来というもの、塔のすべての祥瑞《しょうずい》は消えて、庶人の崇敬も衰え、遠国からの参詣者も絶えてしまった。役人どもは、宝物を盗んだ犯人が挙らないので、その罪を寺僧たちに着せ、犯人はほかならずかれらの中にいるにちがいないと国王に奏上した。そこで国王は、寺僧たちのすべてに手伽首枷をはめさせ、また毎日かわるがわるかれらを呼び出して、打ったり叩いたりの拷問を、今なお一日もやめないとのことであった。
三蔵は聞くより嘆息していった。
「このような異変は容易に明らかにすることのできるものではありませんが、拙僧は長安の都を出たときから、寺があれば仏を拝し、塔があれば塔を掃除することにしております。ついてはこれからその塔を掃除したいと思いますが、あるいは何かの手がかりが発見されないとも限りますまい」
こうして三蔵は、行者に手伝わせて、まもなく塔の掃除にかかった。しかし塔は十三重もあり、その掃除は容易なことではなく、三蔵は十階までいくととうとう疲れてへたばってしまった。そこで行者は三蔵をそこに休ませておいて、ひとりで十一階から十二階へと登っていった。ところがちょうどそこを掃除していると、意外や頂上の階から人の話し声が落ちてきた。行者はすぐ箒を投げ出して窓からくぐり出て、雲に乗ってのぞいて見ると、ふたりの妖しげな男が酒を飲みながら話しているのだった。行者は耳の中から如意棒を取り出し、いきなり窓からおどりこんで、逃げようとするふたりを鉄棒でおどしつけ、苦もなくこれを捕えてしまった。
さて、そのふたりを三蔵のいるところへ引き立ててきて調べてみると、
「あっしらは乱石山碧波潭《らんせきざんへきはたん》に住む万聖龍王の手下でございます。龍王様には万聖|公主《こうしゅ》というひとりのお姫様がございますが、この公主が、たいそうなきりょうよしで、|九龍※[#「馬+付」]馬《きゅうりゅうふま》というお婿さんをお迎えになりました。このお婿さんがまた神通広大で、先年、老龍王といっしょにここへおいでになりまして、おふたりで、血の雨を降らして塔を汚し、仏舎利を盗んでいかれたのでございます。ところが、このごろ聞くところによりますと、孫悟空というものが、西方へ経を取りにいく道すがら、もっぱら人の悪事をただし、正をたすけて邪を罰しなさるとのことで、もしそいつが来たら油断がならねえというわけで、こうしてあっしらに見張りをさせているのでございます」とのことであった。行者はそれを聞くと、
「ふふん、その畜生めは、こないだ牛魔王を招《よ》んで宴会などやっていやがったが、そういう悪化け物だったんだな」と叫んだ。
さて賢明なる読者よ、一を知って十を察することのできる諸君は、これからいよいよ行者の化け物退治が始まり、それがどういうふうな展開を示し、どういうめでたい結果に終るか、語らずともほぼ想像がつくことであろう。そこでこのたびは簡単に結果だけを報告するにとどめるが、行者は八戒とともに碧波潭へ乗りこみ、難なく化け物どもを退治して、仏舎利を取り戻し、三歳の手によってそれを金光寺の塔へ納めた。それによって寺僧たちの無実も明らかになり、塔はふたたび昔日の祥雲霞光を放つようになった。
寺僧たちの喜びはいうまでもなく、国王もたいそうよろこんで、宮中に宴を開いて三蔵師弟を厚くもてなし、多くの金銀をお礼にと差し出されたが、三蔵は堅くことわって、やがてまたもやそこを出発して西への旅にのぼった。
一行はひたすら西へと進んだが、期節は早くも移って、また春になった。ある日、前途に大きな嶺《みね》が牛のように横たわっているのが見えてきた。近づいて見ると、荊棘《いばら》や蔦《つた》かずらが道を埋めつくして生い茂り、一歩も進めそうになかった。三蔵が例によって弱音をあげると、珍しや八戒が、
「心配なさいますな。わたしが|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》で掻きのけて行きますから」という。三蔵は、
「そちに、いくらばか力があるにしても、長い丁場をとても我慢できるものではなかろう。いったいどのくらい道のりがあるのだろう」
そこで行者が雲に乗って調べてみると、ざっと千里ぐらいはありそうだった。三蔵はそれを聞いていよいよ驚き、
「それじゃ、どうして越したらよかろう」という。八戒は笑って、
「なんの、それしきのこと。まあ、わたしの手並のほどをごらんください」とばかり、呪文をとなえて、ひと声「延びろ」と叫ぶと、手に持った|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》は三十丈ばかりの長さになった。八戒は大いばりで、その|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を双手《もろて》で使いながら、荊棘《いばら》を左右に開いて、先頭に立って進んだので、その日のうちに一行は百里ばかり進むことができた。
そろそろ夕方になったころ、道のそばに、ひとつの石碑が立っているのに気づいた。碑面には上に大きく「荊棘嶺《けいきょくれい》」と刻まれ、その下に小さい字で「荊棘|蓬攀《ほうはん》八百里、古来有路少人行」と書かれている。つまり荊棘が八百里にわたって生い茂り、道はあるが昔から通った人はめったにない、というのである。八戒はこれを見て笑いながら、
「よしよし、おいらが下の二句をつけてやろう」と「自今《こんじ》八戒能開破、直透西方路尽平」と彫りつけた。その意味は、八戒が荊棘を開いてから、道は西方まですっかり平らかになった、というのである。
さてその夜は、空が明るく晴れていたので、八戒はいよいよ元気を出して夜通し道を切り開き、三蔵もそれに励まされて、休むことなく馬を進め、さらにその翌日もずっと夕方まで歩き続けた。すると、道のそばに、ひとつの古い廟《びょう》があったので、三蔵は初めて馬をおりてしばらく休むことにした。
ところが「山あれば怪あり」の例にもれず、たちまちひとりの老人が、そこへあらわれたかと思うと、あっと思うまに三蔵をさらってどこかへ消えてしまった。弟子らは大いにあわててあたりを尋ねまわったが、容易に見つかりそうもなかった。
こちらは三蔵、老人にさらわれていって、とある崖の前へおろされたが、さてその老人が、
「聖僧、恐ろしがることはありません。わたくしは荊棘嶺《けいきょくれい》の十八公と申す者ですが、今宵《こよい》月明らかに風清らかなるおりから、とくにあなたにおいでを願いまして、友人たちとともに詩を談じて興をやろうというだけのことでございます」といったかと思うと、たちまちそこへ同じような老人があらわれて、ていねいに三蔵に挨拶した。ひとりは孤直公《こちょくこう》、もうひとりは凌空子《りょうくうし》、最後のひとりは払雲叟《ふつうんそう》といい、いずれも上品な老人たちであった。
三蔵も安心して、やがて一同とともに崖のそばのきれいな室へ通り、茶菓のもてなしを受けた。それより一同の求めるままに、三蔵はまず一詩を賦《ふ》したが、みなみな感心して口をきわめて褒めそやした。ついで十八公、孤直公、凌空子、払雲叟の順にいずれも自作を披露《ひろう》し、興はいよいよ高まるばかりであった。
やがてそこへ杏仙《きょうせん》と呼ぶきれいな女がはいってきて、彼女もまた皆の求めに応じて一詩を賦したが、これもまた清雅にして塵俗を脱した趣があり、一同の称讃を博した。ところがそのうちに、杏仙がいやに色っぽい様子を示して、三蔵にしなだれかかるので、三蔵は迷惑し、
「咄《とつ》」と叫んで逃げ出そうとした。杏仙は三蔵の衣の裾をつかんで引き止めようとする。おりから空が明るんできて、
「お師匠様あ、あなたどこで物をいっておいでなんですか」という声が聞えた。すると、たちまちかの老人たちも女も姿を消して、行者たちがそこへやって来た。
「お師匠様、どうなすったんですか」
聞かれて三蔵は、昨夜来のことを話し、人々の名前などをひと通り語った。
行者は、それを聞きながら、仔細にあたりを見まわしていたが、庵《いおり》のそばにはひと株の太い木がそびえ、向うに一本の大きな檜《ひのき》と、年を経た柏と、古竹とがあり、また崖の辺には古い杏の木が風にゆらいでいた。行者はふいに笑いだし、
「化け物の正体をつかんだぞ」と叫んだ。八戒が
「兄貴、そいつはどこにいる?」
「すぐそこにいるじゃねえか。見ろ、十八公というのはこの松の木、孤直公というのはあの柏、凌空子があの檜で、払雲叟てな、あの竹のことよ。それから杏仙があの杏の木さ」
八戒は聞くより、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふり上げて委細かまわずそれらの木々を打ってまわったが、無残やその幹からはどくどくと赤い血が流れ出した。それより師父を馬に乗せ、一同またもや西へ進んだ。
日数をかさねて進んでいくと、やがて平野の中にひとつのりっぱな寺があり、門には小雷音寺という額がかかっていた。三蔵はそこで馬をおり、仏を拝みに門を入ろうとした。行者はそれをとがめて、
「師父、お待ちください、どうもこの寺は妖《あや》しい気がします」といったが、三蔵はかまわず門内へ進み入った。行者らも、そのあとに従ったが、見れば正面には如来の本堂があり、その入口の外には五百の羅漢《らかん》、三千の掲諦《ぎゃてい》、四金剛、八菩薩が居並んでいた。
三蔵はじめ八戒、沙《さ》和尚らは、一歩ごとに拝をして進み、本堂へのぼって平伏した。しかし行者はいっこう平気で、けろりとした顔をして突っ立っていた。すると蓮座《れんざ》の上から、
「孫悟空、如来の前へ出ながら、どうして拝をいたさぬか」という声がした。行者はもう前に何度も如来にお会いしたことがあるので、蓮座の上の声の主が贋物《にせもの》であることはよくわかっていた。そこで大声をあげて、
「何をこの化け物め、如来のお名前をかたるとは何事か」と叫びざま、鉄棒をふるって、まっこうから打ってかかった。とたんに、空中から一対の|鐃※[#「金+跋のつくり」]《にょうはち》が落ちてきて、行者のからだをその中に閉じこめてしまった。
八戒と沙和尚とは、すわとばかり|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》や宝杖をとって立ち向おうとしたが、このとき羅漢や掲諦が進み出て、いっせいにふたりを取り巻いたので、さすがのかれらも、いかんともすることができず、三蔵もろとも、捕えられて縄で縛り上げられてしまった。
もともと、蓮座の上で如来になりすましていたのはひとりの魔王であり、羅漢や掲諦の徒はすべて手下の妖怪だった。そこでかれらはいずれも本相にかえり、捕えた三人の者を裏庭へかつぎこんでしまい、それから馬や荷物まですべて奪い取ってしまった。
さて行者は|鐃※《にょうはち》の中に閉じこめられたまま、蓮座の上に捨ておかれたが、どんなにぬけ出そうとあせっても、一対の|鐃※《にょうはち》はまるで貝殻のようにぴったりと|ふた《ヽヽ》を閉じて、押せども突けども微動だにしない。いろいろやってみてもどうにもならないので、困りはてたあげく、呪文をとなえて、五方の掲諦、六甲《りくこう》、六丁《りくてい》らの救援を求めた。掲諦らはすぐ|鐃※《にょうはち》の外へやって来て、行者の注文どおり、上から|ふた《ヽヽ》のようにかぶさっているほうを持ち上げようとしたが、一分一厘も動かすことはできなかった。
そこで掲諦は、あとを六甲六丁らにまかせておいて、雲を飛ばして天宮へかけつけ、玉帝にお願いして、二十八宿の星官たちに出動してもらった。やがて星官たちは小雷音寺へ到着したが、そのときはもう夜もだいぶんふけて、かの大小の妖怪どもは、みんな寝こんでいた。行者は星官たちの到着を知るとたいそう喜び、
「ひとつこの|鐃※[#「金+跋のつくり」]《にょうはち》を打ち破ってくださらぬか」と頼んだ。しかし星官たちは、
「いや、それはよろしくありません。この物は金《かね》でできていますから、打てば大きい音がして妖魔の眼をさまし、かえって助けにくくなります。お待ちなさい。わたくしどもが武器をもってこじあけますから、少しでも明りがさしたら、身を縮めてそこから飛び出してください」
「よろしい」と行者も賛成したので、星官たちはてんでに槍や剣や斧などを使ってこじあけようとしたが、一対の|鐃※《にょうはち》はまるで鋳《い》かためでもしたようにぴたりとくっついてしまっていて、真夜中すぎまでかかっても、とても埒《らち》があかなかった。
ところがここに亢金龍《こうきんりゅう》という角のある星官がいて、その星官が満身の力をこめて|鐃※[#「金+跋のつくり」]《にょうはち》の合わせ目に角を突き立てると、やっとのことでそれは内側までとおった。がしかし、どうしたというのであろうか、|鐃※《にょうはち》の緑《へり》はまるで肉か皮でできたかのように伸び縮みして、角のまわりにぴたりとからみついてしまい、周囲に毛筋ほどの隙間もできなかった。行者は角をさぐり当て、
「だめだ。どこにも隙間がありゃしない。しようがないから、ちと痛いが我慢してくれ」と叫ぶと、かの金箍棒《きんこぼう》をキリに変じ、角の先に小さい穴をもみあけた。そして身を変じて芥子粒《けしつぶ》になり、その穴にもぐりこむと、「さあ、角を引き出してくれ」と叫んだ。かの星官は、またも全身の力をふりしぼって、やっと角を引き抜いた。行者は角の穴から飛び出し、本相をあらわすと、鉄棒をふりかぶって|鐃※《にょうはち》めがけてはっしと打ちおろした、とたんに、山がくずれるような大音響がして、|鐃※《にょうはち》はこなみじんに砕けてしまった。
その物音に夢を破られた魔王は、あいずの鼓《こ》を鳴らして手下どもを呼び集め、手に武器をとって、おりからの夜明けに蓮座の下に押し寄せた。見ればかの|鐃※《にょうはち》はこなごなに砕け散り、行者が星官らとともに堂外の空中に立っているので、大いに驚き、一本の狼牙棒《ろうがぼう》をとって打っていで、
「孫悟空、逃げるな。おれと勝負しろ」と、高らかに叫んだ。行者も星官らとともに雲をおり、
「きさまは何の化け物だ。もったいなくも如来様なんぞに化けやがって、おれの師父をだましたな」
「おれ様は黄眉老仏《こうびろうぶつ》、人呼んで黄眉大王という。前からきさまが西へいくのを知り、ここにこうして待ち受けていたのだ。さあ勝負に及べ」
「何をこの化け物め、つべこべいわずに、この棒でもくらえ!」
行者がいきなり打ってかかると、魔王は狼牙棒をもつて受け止め、たがいに秘術をつくして戦うこと五十余合、勝負はなかなかつかない。
多くの星官たちはこれを見て、おのおの武器を取り上げ、わっとばかり魔王を取り巻いた。すると魔王は片手で狼牙棒を使って防ぎ戦いながら、片手を腰のあたりにやって、白い布で作った塔包児《とうほうじ》(袋)を取り出し、さっとばかり投げかけると、たちまち行者をはじめ、二十八宿の星官、五方の掲諦、六甲、六丁にいたるまでことごとくその中に吸いこまれてしまった。魔王はこれを肩にかけ、かるがると堂内へはこんでいった。そして手下どもに命じて縄を持ってこさせ、袋の口からひとりずつ引っぱり出して縛り上げさせ、裏へかついでいって土にころがしておかせた。それより魔王は勝ちいくさの酒宴を開き、終日よい気持に飲み続けて、日が暮れるとみなみな寝所へ引き取ってしまった。
行者はおとなしく縛られていたが、縄を抜けるぐらいのことはなんの造作もなかった。そこで夜がふけるのを待って、身を縮めて縄を抜け出すと、まず三蔵のそばに近寄って縄を解いてやり、それより八戒、沙和尚、二十八宿の星官たち、掲諦その他ことごとく解き放ち、馬をひいて来て、
「さあ早く逃げ出してください。わたしは荷物をさがしてからいきますから」と、ひと足先に皆を出発させた。皆は三蔵を中に守って、塀を乗り越え、街道さしてかけ去った。
さて行者が建物の内へ忍びこもうとすると、どこもかしこも厳重に鍵がかけてあるので、身をゆすって蝙蝠《こうもり》に変じ、三層楼の頂きに舞い上って、そこの|たるき《ヽヽヽ》の下の隙間からやっと忍びこむことができた。と見ると、なんたる偶然であろうか、そこの窓の下にきらきらとひと筋の光が流れているのを発見した。
近よってよく見ると、それはかの風呂敷包みの中の袈裟から発している光であった。しめたと大いに喜び、さっそく本相をあらわして、肩にかついで窓から飛び出そうとすると、誤って一個の品を床板の上に取り落し、ガタンと音を立ててしまった。その響きに、階下で眠っていた魔王が眼をさましてとび起き、手下の妖怪どもを呼んで灯をつけさせて見ると、おりしも行者が風呂敷包みをかついで上の窓から逃げていくところである。
魔王は急ぎ裏庭に出て、唐僧たちを捜したがこれまた見当らない。そのうちに夜が白々と明けそめたので、魔王は狼牙棒をとって先頭に立ち、群妖をひきいて三蔵たちを追っかけた。その速いこと、まことに疾風の追撃で、たちまち三蔵の一団が逃げていくのに追いつき、大音声をあげて呼ばわった。
「どこへ逃げる、おれ様のおいでだぞ」
それを聞いて多くの神々は、三蔵と白馬とをそこに残しておいて、八戒、沙和尚とともにそれぞれ武器をとって魔王の軍に立ち向った。おりから行者もそこへ駆けつけ、ここに敵味方入り乱れて激戦となり、まことに天も落ち地もゆらぐかと思われるばかりである。
かくて戦いはまる一日続いたが、なかなかもって勝負はつかなかった。するとかの魔王は、そろそろ日の落ちかかるのを見て、例の白布の袋を腰から取出しにかかった。行者はそれを見て取ると、
「いけない、逃げろ」と叫んで、急ぎ|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に飛び乗り、空中高く逃れたが、神々や八戒や沙和尚にはその意味がよく通ぜず、まごまごしているうちに、またもや残らず袋の中に吸いこまれてしまった。そればかりか後方にいた三蔵や白馬までも、いっしょに吸いこまれてしまったのには、まことに驚くほかなかった。かくて魔王は、兵をおさめて寺へ引き上げ、また前と同じように皆を縛り上げ、穴倉の中へ閉じこめさせた。
一方行者は空中にあって妖兵どもが帰っていくのを見て、すでに味方が残らず捕えられてしまったことをさとり、雲をおさめて地上へおりて来たが、思えばこんなくやしいことはない。行者は涙を流しながら、
「あの化け物め、いったいあれは何だろう。どういう袋で、なんであんなにたくさんのものが吸いこまれてしまうのか。おれはこれからどこへ救いを求めにいけばよいだろう」といろいろ考えた末、まず思いついたのが、南贍部州《なんせんぶしゅう》の武当山《ぶとうざん》にいる蕩魔天尊《とうまてんそん》のことであった。
そこで行者はすぐ雲を飛ばして天尊をたずね、救援を求めたが、天尊は玉帝よりの命令がない限りみだりに兵を動かすわけにはいかないからといって、自分で出陣することは断ったが、その代り亀《き》、蛇《だ》の二将と五大龍神とに命じて、行者を助けさせることに取り計らってくれた。
行者は喜んで、厚く天尊の好意を謝し、亀、蛇の二将およぴ龍神とともに精兵をひきいて、たちまちのうちに小雷音寺へ着き、雲をおりて山門へ攻め寄せた。
かの魔王も狼牙棒をとって打っていで、ここに激しい戦いの幕は切って落された。五大龍神が雲を呼び雨を降らして戦えば、亀、蛇の二将は土を飛ばし砂を巻き上げて戦い、行者も鉄棒をふるって奮戦する。かくてともに戦うこと一時間にも及ぶと、かの魔王はまたもや袋を腰から取り出した。行者は早くそれに気づいて、
「それっ、気をつけろ」と叫んだが、龍神らにはその意味が通じないので、なおも懸命に攻め立てていた。そのとき魔王がさっと袋を投げたので、行者は雲に乗って大空に舞い上り、からくも逃れることができたが、五大龍神と亀、蛇の二将とはただひと吸いにその中に吸いこまれてしまった。かくて魔王は寺に引き上げ、これまた縄をもって縛り上げ、穴倉の中に閉じこめてしまった。
行者は雲をおり、悄然《しょうぜん》と涙を流していたが、ふと気がついて見ると、西南の空から五色の雲が舞いおりてきて、
「孫悟空、わしをおぼえているか」という声がした。行者がきっと見ると、それはまぎれもない弥勒菩薩《みろくぼさつ》であった。行者はあわてて礼をして、いった。
「菩薩様にはいずれへお出ましですか」
「わしがここへまいったのは小雷音寺の怪物のためじゃ」
「それはまことにありがたいしあわせに存じます。さてもあの怪物は何者でございますか。またあの袋はいかなる宝物でございますか」
「あれはわしの手もとにあって磬《けい》を司《つかさど》っていた黄眉童子じゃ。それがわしの留守中にいくつかの宝物を持って逃げ出し、ここにきて贋仏《にせぼとけ》となっていたもので、あの袋はわしの後天袋子《こうてんたいし》、俗に人種袋《ひとだねぶくろ》と申しおる者じゃ。またあの狼牙棒はわしの磬《けい》を打つ槌《つち》じゃよ」
「それじゃまぬけ和尚さん、あなたは童子に逃げられ、やつに如来のお名前をかたらせ、それがしをこんな目にあわせるなんて、家内不取締りの罪はまぬかれませんぜ」
「これも皆、そちたち師弟の苦難が、まだ満たぬからじゃ。それゆえ、もろもろの霊が天《あま》くだって、その難を受けねばならぬのじゃ。さあ、これからわしがかの化け物を取り収めて進ぜよう」
「それにしても、素手でどうして捕えますか」
すると菩薩はからからと笑っていわれた。「わしはここに草庵をひとつ設け、畠に瓜《うり》を作って待っているから、そちはいってかれに戦いをいどみ、いい加減にあしらって、わしの瓜畠まで誘い出してくるがよい。わしはどの瓜もみんな青くしておくから、そちがよく熟した瓜になっておれば、かれは、さだめしその瓜をとって食うことであろう。そうしたらそちは、かれの腹の中で存分あばれまわるがよい。そのときわしは袋を取り上げ、かれをその中に吸いこんで引き上げるからな」
「そいつは妙案ですが、もしやつがついて来なかったらどうします」
「その心配はない。ちょっと左の手をお出し」
行者がそれを差し出すと、弥勒は右手の人さし指にて口中の神水(唾のこと)をつけて、行者の掌の上に「禁」の一字を書き、
「その掌《てのひら》を握っていって、妖怪と向き合ったとき、それを聞いて見せれば、きっと追っかけてくるにちがいない」とお教えになった。
行者はただちに山門へ押し寄せ、妖怪を呼び出して、戦いをいどんだ。そして、菩薩に教えられたとおり、妖怪と面と向き合ったとき、掌を開いて「禁」の字を示し、わざと負けたふりをして逃げ出すと、妖怪はどこまでも追っかけてきた。やがて瓜畠のところまでくると、行者はすばやく畠の中にころがりこみ、うまそうな熟した大瓜に身を変じた。妖怪は行者の姿が見えなくなったので、草庵の前へいってどなった。
「この瓜はだれが作ったものだ」
すると弥勒菩薩は、瓜作りの翁《おきな》になって、草庵を出ておいでになって、
「大王様、これはわたくしが作ったものでございます」
「喉《のど》がかわいたから、よく熱したのを摘んでまいれ」
そこで菩薩が、行者の化けた瓜を摘んできてお渡しになると、魔王はいきなり大口をあいて食おうとした。その機をねらって行者はぱっと口の中へ飛びこみ、腹へもぐりこむと、手足をばたばたさせて、腸をひっかくやら、腹を踏んづけるやら、縦横無尽にあばれまわった。魔王は痛さに歯をくいしばり、のたうちまわって叫んだ。
「だれか助けてくれえ」
菩薩は本相をあらわし、にこにこ笑いながら、
「おい、そちはわしを存じおろうな」
魔王はふと頭を上げて見るや、はっと地にひれ伏し、叩頭《こうとう》していった。
「ご主人様、どうぞ命ばかりはお助けください。もうけっして悪いことはいたしません」
菩薩は妖魔をおさえつけて、後天袋子《こうてんたいし》と、磬《けい》を打つ棒とを取り上げ、
「悟空、わしの顔に免じて命だけは許してやれ」といわれた。行者は恨み重なる相手のことだから、なおも腹の中でさんざんにあばれたので、魔王は地面に打ち倒れ、ころげまわって苦しがった。
「悟空、もうよかろう。許してやれ」
菩薩がまたもこういわれたので、行者はやっと妖魔に、
「おれが出るから、口をあけろ」と叫んだ。
そこで妖魔が大きく口を開くと、行者はぱっと外へおどり出し、本相をあらわした。
菩薩は早くも妖魔を袋の中に吸いこんでしまい、肩におかけになって、
「横着者め、|鐃※[#「金+跋のつくり」]《にょうはち》はどこへやった」と罵《ののし》られた。妖魔は袋の中から、
「|鐃※《にょうはち》は孫悟空が打ちこわしてしまいました」
「では、かけらの金《かね》をわしに返せ」
「かけらは蓮座の上に積んでございます」
菩薩は行者をつれて寺へおいでになり、かけらの金を集めて、呪語をとなえ、ふっと仙気を吹きかけられると、たちまちそれは、もとどおりの一対の|鐃※《にょうはち》となった。一方、行者はその間に妖怪の手下どもを片っぱしから打ち殺し、やがて菩薩が天上へお帰りになるのをお見送りした。
行者はそれより三蔵、八戒、沙和尚らの縄を解き、多くの天神たちを穴倉の中から救い出した。三蔵は厚く天神たちにお礼を述べ、やがて天神たちは帰っていかれた。師弟はそれより半日ばかりそこに休んで、やがて出発に際しては火を放って一山の伽藍をことごとく焼き払ってしまった。
三十四 西天遠からず
さて三蔵の一行は、それより一カ月ばかりの後、またもや行程八百里もあるという七絶山へさしかかった。この山にもウワバミの化け物が住んでいて、付近の村人たちを苦しめていたが、これはまだそれほど劫《こう》を経たやつでなかったので、行者と八戒とで苦もなく退治してしまった。
ところがもうひとつ困ったことには、この山には|稀柿※[#「衝の字の重の代わりに同」]《きしどう》と呼ばれる通路があって、それはいわば数百里にわたる柿の木の隧道《すいどう》であるが、毎年熟した柿の実が路上に落ち、それが雨露に腐り、夏の暑さにむれて、臭くてとても通れたものではなく、また実際、昔から通った人はめったにないとのことだった。だからこの辺の村では、その道のことを|稀尿※《きしどう》(尿は糞のこと)と呼んでいるほどであるが、三蔵は村人からそのことを聞いただけでふるえ上ってしまった。けれどもいよいよそこを越さねばならないとなると、また方法もあるものであった。化け物を退治してやったので、村の人々は喜んで、一村総出で一行を|稀柿※《きしどう》の入口まで送ってきてくれたが、三蔵たちが、臭いのと、道がふさがっているのとで当惑しきっているのを見ると、村長格の老人が、
「長老様、しばらく、お待ちください。わたくしどもがかく大ぜいで送ってまいりましたのは、すでに決心があったからでございます。わたくしどもは、村の災をのぞいていただいたのですから、皆で力を合わせて、べつに新しい道を開いてさしあげたいと存じます」と申し出た。が、行者は笑って、
「それはちと心得かねる話ですな。あんたはこの山が、上下八百里もあるといったではありませんか。あんたがたが大禹《たいう》の神兵でないかぎり、どうしてこの山を開いて新しい道をつけることができますか。これはなんといっても古来の通路を通る以外はないが、それについてわしによい考えがあるんです。ただ、飯の世話をしてくれる人がないのでね」
「何をおっしゃいます。しばらくお待ちくださるならば、わたくしどもで用意いたしますものを、どうして飯の世話をする者がないなどとおっしゃいますか」
「そんなら、あんたがたは、二石の米の飯のほかに、餅やうどんの類をととのえて、この口の長い和尚に食べさせていただきたい。そうすればこの和尚は、大豚に変じて道を開きますからな」
八戒はそれを聞くと、
「兄弟、おまえらは楽々としていて、おれにだけ臭い思いをさせるのか」といったので、三蔵が、
「悟能、そちにはたして通路を開くだけの腕があり、わしを山越えさせることができたら、この場の功はそちを第一としてとらせるぞ」というと、八戒はにこにこして、
「皆の衆、笑うんじゃないぞ。おれにはもとから三十六通りの変化《へんげ》の術があり、大豚になるぐらいのことはなんでもないさ。ただ大きなからだに変じると、腹も大きくなるから、うんと食わねえことには働けねえんだ」という。すると村の老人が、
「食べものなら、たくさん用意してきております。ほんとは、われわれで山に路をつけてお送りするつもりでいたんですから。しばらくそれを食べておいていただいて、それからみんなでまたいくらでも運んでまいります」
八戒は大いに喜んで、さっそく黒の法衣をぬぎ、村の人々に向って、
「笑うんでないぞ。さあ、この臭え仕事にとりかかろうかい」といって、身をひとゆすりすると、たちまち一匹の大豚になった。村の人々は、このありさまを見て、かねて自分たちの道普請《みちぶしん》のために用意してきた食べものを、ことごとくその場へ積み上げて、おあがりくださいと八戒にすすめた。八戒はペろりとそれを平らげて、さっそく道を開きにかかった。行者は村の人々に向い、
「では皆の衆、思召《おぼしめし》がおありなさるなら、村へ帰って急いで飯を持ってきて、わしの弟分に力をつけてやってください」と叫んだ。
みんなは飛ぶようにして村へ帰り、飯ごしらえをして持ってきたが、その間にも八戒の道開きは大いにはかどり、師弟はもうずっと遠くへいっていた。それでもみんなはあきらめず、夜通し追っかけ、翌日になってやっと追いついて飯を届けた。
八戒はそれを見て、たちまちきれいに平らげてしまい、また道を開いて進んだ。三蔵と行者と沙和尚とは、村の人々に厚く礼を述べて、別れを告げた。
こうして三蔵師弟はようやく|稀柿※《きしどう》を越したが、その後これということもなく、夏のころになって朱紫国《しゅしこく》へ到着した。ここの国王は、三年前、賽太歳《さいたいさい》という妖魔のため后《きさき》を奪い去られて以来、悲しみのために憂欝症にかかり、政治もろくろく見られない状態にあった。
行者はそのことを聞くと、国王のために妖魔を退治し、后を取り返してやろうと、賽太歳の本拠、|麒麟山※[#「けものへん+解」]豸洞《きりんざんかいちどう》へと乗りこみ、例によって知力と腕力との限りをつくして大活躍を演じた末、あわや命のせとぎわまで妖魔を追いつめた。ところがふいにその場へ観音菩薩が姿をあらわして、
「悟空、しばらく待て。わしはわざわざこの妖怪を収めるためにまいったのじゃ」とのお言葉である。そこで行者が、
「この妖怪の前身は何物ですか。どうしてみずから収めにおいでになったのですか」と聞くと、菩薩は、
「かれはわしの乗る|金毛※《きんもうこう》[#「けものへん+孔」](猛犬、あるいは狼の類)じゃ。牧童がいねむりをしていたひまに、鎖をかみ切って逃げ出し、朱紫国へ来て国王の災を消してやったのじゃ」と、意外なことを仰せられた。行者は腹を立てて、
「菩薩、それはあべこべです。こいつは国王から后を奪った畜生です。どうして災を消したと仰せられるのですか」
「そちは何も知らないのだ。かの国王はまだ太子であったころ、猟を好み、西方の仏母|孔雀《くじゃく》明王のお生みになった雄の孔雀を傷つけたことがある。そこで明王には、国王に三年の間、夫婦別れをさせることにお決めになったのじゃ。そのときわしはこの|※《こう》に乗って明王のおそばにいあわせたのじゃが、まさかこの畜生がそれを覚えていて、逃げ出して妖怪となり、后を奪って国王の罪障を払おうとは思わなかった。しかしもはや三年の期も満ち、国王の罪障も消えたによって、わしはわざわざこの妖怪を収めるためにまいったのじゃ」
「そういうわけでございましたか。それではこいつを勘弁してやることにいたしましょう」
すると菩薩は妖怪を叱って、
「畜生、まだもとの姿にかえらぬか」と一喝されると、たちまち妖怪は本相をあらわしたので、菩薩はそれに乗って、南海へ帰っていかれた。
行者はそれより后を救い出し、草を摘んで一匹の龍となし、后をその上に乗せて、たちまちのうちに朱紫国の宮殿へ帰った。
さて后が宮殿へのぼっていかれると、国王は早くもそれを見て、后の手をとってお迎えになった。ところがたちまちよろよろとよろめき倒れ、
「手が痛い、手が痛い」と叫ばれた。
みんなは大騒ぎになった。するとそのとき、ふいに空中から、
「大聖」と叫ぶ者があった。行者が顔を上げると、それは天師の張道陵《ちょうどうりょう》であった。天師は殿前におり立って行者に挨拶し、
「わしは三年前、仏会《ぶつえ》にまいろうとしてここを通りかかり、国王が三年別離にあわれるのを見ましたじゃ。わしはあの妖怪が后を汚すのを心配したので、着古した棕櫚《しゅろ》の衣を五色の羅《うすもの》に変じて后に着せたのじゃ。后がそれを着られるとからだじゅうに毒の棘《とげ》が生えたが、実は棕櫚の毛なのじゃ。ただいま大聖のお手柄を聞いたので、さっそくまじないを解いてあげようとまいったわけじゃ」とのことである。そこで行者が、
「わざわざご苦労でした。では早く解いてあげていただきたい」というと、天師は進み出て、手をあげて后を指さしただけで、たちまち棕衣《そうい》はばらりと落ちて、后はもとのからだになられた。天師はその棕衣を身に着け、行者に別れを告げると、たちまち大空へのぽっていってしまった。国王も后もたいそう喜んで、空を仰いで礼拝された。
国王はそれから東閣に宴を開いて、師弟四人をもてなされたが、行者が観音菩薩から聞いた国王の過去のあやまちについて語って聞かせると、国王は、いまさらのように仏縁の浅からぬ身を喜び、感謝の涙を催されたことであった。
やがて師弟四人は、国王に別れ、一同の感謝のうちに朱紫国を出発して、またも西への旅を続けた。光陰矢のごとく、いつか秋去り、冬も過ぎて、また春光うららかなころとなった。ある日、一行が山の中を進んでいくと、行手にひとつの山荘があらわれた。三蔵は馬をおり、
「きょうは、わしがひとつ斎《とき》を乞うてこよう」といって、行者のとめるのもきかず、いつになく自分でその家へ出向いた。
見ればなかなか幽雅な構えで、草ぶきの家の中には、四人の美人が刺繍《ししゅう》をしていた。また庭先の亭《ちん》の前でも三人の美人が蹴毬《けまり》をして遊んでいる。三蔵はしばらくためらっていたが、やがて思いきって声をかけた。
「女菩薩《にょぼさつ》、斎をお願いいたします」女たちはそれを聞くと、針や、毯《まり》を捨て、はすっぱな笑い声を立てて出てきて、口々にいった。
「長老様、よくおいでくださいました。わたくしどもでは、和尚様に斎をことわったことはございません。さあどうぞ奥へお通りください」
三蔵が彼女たちのあとについて、亭の前を通り過ぎると、なんとそこには建物も何もなく、ただ山ぎわにひとつの石の洞窟があるばかりだった。女たちは石の扉を開いて、三蔵をおし入れるようにして内へ請じた。見れば石の机、石の腰掛など、冷気が陰々とこもっている。三蔵はぞっと身ぶるいして、これはまずいところへきたわいと、いきなり身をひるがえして逃れようとした。すると女たちは、
「どこへいくのよ。一度手に入れたからには、逃がしはしませんよ」と口々に叫びながら、たちまち三蔵を生けどりにし、寄ってたかってしばり上げ、梁《はり》へつるしてしまった。それから彼女たちは、めいめい上着をぬぎ、神通力をふるって、臍《へそ》の穴から蚕《かいこ》の糸のような細くすべすべした糸を、まるで銀を飛ばし玉をほとばしらせるようにくり出し、たちどころに山荘の門を覆いかくしてしまった。
一方、三人の弟子たちは、道ばたで休んでいたが、山荘の門がたちまち雪に埋まってしまったように一面の白光と変じたのを見て、一同大いに驚き、師父の一大事とばかり、救援に駆けつけようとした。が、行者は他のふたりをおしとどめ、とりあえず自分だけで様子を見にいくことにして、ひとっ飛びにその場へいって見ると、これはしたり、門は白い糸をもって百層千層に覆われ、手で押してみると、ふんわりやわらかで粘りけがあった。行者はさっぱりわけがわからないので、呪文をとなえて土地神を呼び出し、ここはいったいどういうところか、と尋ねてみた。すると土地神は、
「この山は盤糸嶺《ばんしれい》と申し、ここの盤糸洞には七人の女怪が住んでおります」とのことであった。行者はさらに、
「で、そいつらはどんな神通力をもっているか」
「よくは存じませんが、ここから南へ三里ばかりいったところに、濯垢泉《たくこうせん》という温泉があって、もとは七人の仙女の湯浴みの場所でございました。ところがあの女怪がここにきてそれを奪ってしまったのですが、仙女たちが少しも争わず、おとなしく渡してしまったところをみますと、どうやら女怪の神通力が広大なのではないかと思われます」
「その温泉を奪って、どうしているのか」
「女怪は一月に三度、その温泉に出かけていって、湯浴みをするのでございます。いつもならば、もうそろそろ出かける時刻でございますが」
行者はそれを聞くと、土地神をかえし、身をゆすって一匹の蒼蝿《あおばえ》となり、道ばたの草の上にとまって待っていた。するとまもなく、蚕が桑の葉を食うような音がして、みるみる門を覆った糸は消え、やがて中から七人の女が走り出してきた。行者は草から飛び立って、先頭の女の髪の上にとまった。するとその女は、
「ねえ、みんな、湯浴みがすんだら、あの太った和尚を蒸して食べることにしようね」といって、一同をうながして南のほうへ急いだ。
まもなく温泉へ着いた。見ればきれいな垣根と門があり、扉をあけて入ると、野天の温泉で、幅は五丈、長さは十丈ばかりもあったが、探さはやっと四尺ばかり、底まですきとおっている。温泉のそばには亭《ちん》があり、その中に腰掛と衣桁《いこう》とが備えてある。女たちは亭にはいっていって、着物をぬいで衣桁にかけると、きゃっきゃっとふざけながら湯の中に飛びこんだ。行者はすばやく衣桁の上に飛び移り、さてどうしてやろうかと見ていたが、
「こんな女どもを打ち殺してみても自分の名にかかわることだ。諺にも『男は女と張り合わず』というからな。そうだ、なんとかしてこいつらをここから出られないようにしておけばそれで充分だ」と考え、さっそく一羽の大|鷹《たか》に変じると、衣桁にかけた女怪どもの着物をさらって、もとの場所へ帰ってきた。そして本相をあらわし、八戒と沙和尚に向って、
「これは女怪どもの着物だ」というと、八戒は驚いて、
「どうしてそんなにたくさんあるのだ」
「どうしてって、七人ぶんだよ」と、行者は今までのことをひと通り話して聞かせ、
「さあ、これからお師匠様を助け出しにいこう」というと、八戒は笑って、
「兄貴、そいつは手ぬるいぞ。妖怪とわかったからには、どうして打ち殺さないんだ。諺にも『むしろ道中の銭は欠くとも、道中の威武は欠くなかれ』というじゃないか。もしおれだったら、まず妖怪を打ち殺しておいて、それから師父を救い出すことにするがね」
「おれはあんな女どもを相手に戦う気にはなれないよ。もしおまえがやりたいなら、かってにやっつけにいったらいいだろう」
八戒はそれを聞くと、大いに喜び、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を肩にいっさんに駆けつけ、門をおし開いて見ると、七人の女は湯の中にうずくまって、着物をさらっていった鷹のことを、しきりに口ぎたなく罵っていた。八戒が進み出て、
「女菩薩、この和尚も入れてください」というと、女怪どもは怒って、
「まあ失礼ね、わたしたちは良家の娘ですよ。それに、あなたはご出家じゃありませんか、わたしたちといっしょに入っていいものですか」
八戒は耳もかさず、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を投げ捨て衣をぬぎ、さっと湯の中に飛びこんだので、女たちはいよいよ怒って、いっせいに打ってかかろうとした。ところが八戒は水中の心得があるので、たちまち一匹の鯰《なまず》に変じ、女たちの内股をめがけてあばれまわるので、女たちは大いにうろたえ、寄ってたかって捕えようとしたが、右をさがせばたちまち左にひそみ、左をさがせばたちまち右へ逃れ、つるりつるりと逃げまわりながら、隙さえあればまた女たちの肌にさぐり寄るので、とうとう女怪どもはくたくたに疲れてしまった。八戒は時分はよしと、いきなり湯の中から飛び出し、本相をあらわして、衣を着おわると、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふり、叫んだ。
「やあ化物ども、とっととこれをくらえ」
女たちは大いに驚き、恐縮して尋ねた。
「あなた様はどういうおかたでございますか」
八戒は大いにいばって、
「われこそは、東土大唐より経を取りに、西天へおもむかれる唐長老の徒弟、天蓬元帥猪悟能《てんぽうげんすいちょごのう》八戒と申すものだ。なんじらはわが師父を洞内に捕え、蒸して食らおうとは、不堵《ふらち》千万。はやばや首を伸ばして、わが一撃を受けよ」と叫びざま、上よりさんざん突いてかかった。女怪どもはあわてふためき、命のせとぎわ恥も外聞もあらばこそ、臍の下に手をあてて湯から飛び出すや、神通をあらわして臍の穴からぞくぞくと糸をくり出し、みるみる八戒を十重二十重《とえはたえ》の糸の密雲の中にからめてしまった。八戒はあわてて逃げ出そうとしたが、動けば手足に糸がからむばかり、倒れては起き、起きては倒れ、とうとうからだはくたくたに疲れ、ぶったおれたままうめいているばかりだった。
女怪らは八戒にはかまわず、いっせいに門をおどり出し、糸であんだ覆いでわずかに身を包んで、洞の入口ヘと帰ってきた。そして呪文をとなえて、すべての糸――八戒をくるんだのも、自分の身を覆っているのも――を残らず収めると、裸のまま洞の中へとかけ入り、三蔵のつるしてある前をあははおほほと笑いながら奥へ通り、古い着物を出して着ると、すぐ裏門へ出ていって、
「子供たち、早くきておくれ」と呼んだ。
がんらいこの女怪には、めいめいひとりずつの子供があったが、それはいずれも彼女らの生んだものではなく、蜂《はち》、いなご、とんぼその他の虫の精で、もとは彼女らの網にかかって捕えられたものであるが、命を許されたのを徳として、その後は彼女らのことを母と呼んで仕えているのだった。呼び声をきくと、さっそく彼女らの前にあらわれて、
「母上何かご用ですか」と尋ねた。
「ねえおまえたち、わたしたちはとんだ唐僧にかかり合って、そいつの弟子に温泉の中に閉じこめられ、恥をかかされた上にすんでのところで殺されるところだったのよ。おまえたち急ぎ討って出て、あいつらを追っ払っておくれ。そしてもし勝ったら、小父さんところへいらっしやい。そこで待ってるからね」
女怪らはこう言いつけると、兄貴ぶんと頼む者のところへ逃げていった。そこで、かの虫の精たちは、けなげにも敵を迎え討つために、裏門のほうへ出ていった。
さてかの八戒は、ぶったおれてうめいていたが、ふと気がつくと糸がすっかりなくなっているので、やっと起き上って走り帰り、行者と沙和尚に今までの一部始終を語った。すると沙和尚が、
「おまえがずうずうしいから、こんなことになったのだ。きっと妖怪どもは洞中へ帰って師父に危害を加えるにちがいない。さあ早く行ってお救いしなければ」と叫び、一同大急ぎで駆け出した。やがて山荘の前まで来ると、七人の小さな妖怪がいて、さえぎって叫んだ。
「待て、どこへいく。おいらがここに控えているのがわからぬか」
行者は笑って、
「なんだこの小童《こわっぱ》。三尺にも足りねえくせに、いったい何をしようってんだ」
「おいらは七仙女の子供だぞ。おまえたちは、おいらの母をはずかしめたばかりか、よくもまたなぐりこんできやがったな。さあ目にもの見せてくれるぞ」と、ばらばらと打ってかかってきた。八戒は、見るより大いに怒り、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をあげて突き進んだ。と、かの小妖怪どもは八戒の狂暴なのに恐れをなし、ふいにそれぞれの本相をあらわして飛び立っていったが、「変れ」とひと声叫ぷや、一匹は十匹に、十匹は百匹にと変じて、たちまち天地はただもう虫でいっぱいとなり、めったやたらに打ちかかってきた。八戒は悲鳴をあげ、
「兄貴、西方では虫まで人をだますのか」とあわてふためいた。すると行者は、
「心配するな、おれにも手はあるよ」と、ひとつかみ毛を抜いて噛んで吹き出し、黄鷹《こうよう》、麻鷹《まよう》、白鷹《はくよう》など七種の鷹に変じると、たちまちそれは虫どもに襲いかかって、さしもかれらの大群を、見る見るうちに食いつくしてしまった。
かくて三人が洞中へ進み入って見ると、三蔵は高い梁につるされて、苦しそうにうめいていた。行者は急ぎ三蔵の縄を解いて梁からおろし、
「妖怪はどこへいきましたか」と尋ねると、
「あの七人の女たちはまる裸のまま裏のほうへいったようじゃ」とのこと。そこで三人は裏へいって、くまなくさがして見たが、影も形もないので、すぐ取って返して三蔵を馬に乗せ、山荘には火を放って焼き払ってしまった。
さて師弟四人が、街道を西へ半時(一時間)ばかりも進んでいくと、たちまちひと構えのりっぱな殿堂のそびえているのが見えてきた。近づいて見ると、それは黄花観《こうかかん》という道教の寺院で、一同はしばらくそこに立ち寄って、さきほどからの疲れを休めることにした。
ところでこの道士というのが、実はあの七人の女性の兄貴ぶんに当る妖怪で、ちょうどあの女怪らも、ここへ来合わせていて、またまた大騒動が持ち上った。三蔵と八戒と沙和尚との三人は、道士のために毒薬で盛りつぶされ、行者も危うく女怪らの糸網に捕えられそうになった。が、ようやくそれをやぶって空中へ逃れ、雲の上に立って見ると、なおも女怪らがくり出す妖しい糸は、たちまちのうちに黄花観を銀一色に覆いつくしてしまった。行者もさすがにそれにはあきれ、土地神を呼び出して女怪の正体を問いただしてみると、それは七匹の蜘蛛の精だということが明らかになった。
そこで行者は、すぐ黄花観の外に飛びおりていって、尻の毛を抜いて七十人の小行者をつくり、また鉄棒を七十本の刺股《さすまた》にして、それぞれ一本ずつを持たせた。また自分も一本をとり、いっせいに糸網をかきまわしては断ち切り、断ち切りしていって、とうとう一斗|枡《ます》ほどの大きさの七匹の蜘蛛を引っぱり出した。行者は刺股を鉄棒に戻し、蜘蛛の精を皆殺しにしてしまうと、毛を収めてもとのからだ戻した。
それより行者が鉄棒をひっさげて奥へ討ち入ると、道士も剣をとって迎え討ち、ともに戦うこと五十余合に及んだ。道士はようやく疲れてきた様子だったが、隙を見ていきなり上着をぬぎ捨て、両手を上にさしあげたかと思うと、その両脇にはおのおの二十個ずつの眼があって、それらの眼からさっと金光をほとばしらせた。行者は燦然《さんぜん》たるその金光の洪水の中にとりこめられ、進むことも退くこともならず、上へ飛び上って金光を突き破ろうとすると、つまずき倒れて四つん這いになってしまった。そこで行者は、この上は地下へでも逃れる以外はないと考え、身をゆすって一匹の穿山甲《せんざんこう》に変じると、その堅い頭で地を穿《うが》ってもぐりこみ、みるみる二十里ばかりを逃れて、やっと頭を出して見た。
元来かの金光は十余里四方にしか届かないので、もとより、ここまでその威力を及ぼすべくもなく、行者はようやく地上におどり出して本相をあらわしたが、さすがにくたくたに疲れていた。そして、自分がこんなことでどうして師父を救い出すことができるだろうかと考えると、思わず絶望の涙が頬を流れ落ちるのだった。と、そこへひとりの老婆が山陰から出てきて、行者が泣いているのを見て尋ねた。
「和尚様は、なんでそのように悲しんでおいでですか」
そこで行者が、今までの事の次第をかいつまんで話すと、老婆はうなずいてこういった。
「わたしはあの道士を知っておりますが、あれは百眼魔、またの名を多目怪といって、あれにかかっては、たとえあなたにどのような神通があろうとも、とてもかないません。あれの金光を破って降参させることのできるのは、紫雲山千花洞《しうんざんせんかどう》にいられる毘藍婆《びらんば》菩薩のほかにはありますまい。あなたも早くいって、助けを求められるがいいでしょう。ここから南へ千里ばかりいったところです」
行者は喜んで、ひざまずいて礼を述べた。と、たちまち老婆は五色の雲に乗って、空へ舞い上っていった。行者が驚いて顔を上げて見ると、それは黎山《れいざん》の老姆《ろうぼ》(広東省の黎山に住むという仙女)であった。
それより行者は、教えられたとおりただちに紫雲山に飛び、千花洞に毘藍婆菩薩を訪ねて救援をもとめた。この毘藍婆というのは、昴日星官《ぼうじつせいかん》の母で、息子が鍛え上げた一本の霊妙な縫針を持っていたが、行者の請いに応じていっしょにすぐ黄花観の上空へ飛び、あたり一面に続いている妖しい金光の中にその針を投げおろしたとみるや、何やら大きい音がして、たちまちその光は消えてしまった。行者が喜んで、
「ほう、すばらしい。では針をさがしにいきましょう」というと、毘藍婆は笑いながら掌を聞いて見せ、
「これでしょう。もうここにかえっていますよ」
行者はいよいよ感心し、それより毘藍婆とともに雲をおりて観内へかけ入って見ると、道士は眼をつぶって、正殿の入口に立ちすくんだようになっていた。さて師父はと正殿内に入って見れば、三人地に倒れて、口から泡を吹いていた。行者は涙を流し、どうしたらよいかと相談すると、毘藍婆は、
「大聖、心配なさることはありません。わたしはいつも解毒剤を忘れず用意していますが、これを飲ませてごらんなさい」といって、三粒の赤い丸薬を行者に渡した。
行者は三人の歯をこじあけて、一粒ずつ喉の奥へおしこんでやった。するとたちまち薬の利き目があらわれて、三人はいっせいに毒を吐き、息を吹きかえした。そこで行者が、毘藍婆菩薩が救ってくださったことを語ると、三蔵は起き上って、衣の襟を正して厚く礼を述べた。行者はそれから、あの七人の女怪が蜘蛛の精であったことや、彼女たちとここの道士との関係について、ひととおり説明して聞かせた。すると八戒が、
「あの道士は今どこにいる」というので、行者が笑いながら、
「正殿の入口で|めくら《ヽヽヽ》のまねをしていやがる」というと、八戒はいきなり|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をとって駆け出そうとした。毘藍婆がそれをおしとどめて、
「天蓬、まあそう怒りなさるな。わたしのところは、人手が足りないので、あれをつれていって門番にしたいと思っているのです」とのこと。そこで行者が、
「たいへんお世話になったことですから、けっしていやとは申しませんが、せめてあいつの本相だけはあらわしてお見せください」と頼むと、毘藍婆は、たやすいことといって道士のほうを指すや、たちまちかれは本相をあらわしたが、見ればそれは七尺ばかりの大|むかで《ヽヽヽ》であった。毘藍婆はすぐその|むかで《ヽヽヽ》を小指にかけて、雲に乗って紫雪山へと帰っていった。八戒は空を仰いで、
「あの婆さん、すごいんだな。どうしてあんな怪物を退治することができたんだろう」と感嘆した。そこで行者が、
「菩薩は昴日星官《ぼうじつせいかん》の母親だが、昴日星官といえば、さきに、琵琶洞《びわどう》で女怪を退治したとき、助けてもらった雄鶏《おんどり》だから、してみると菩薩はその親鶏ということになる。鶏はよく|むかで《ヽヽヽ》を殺すことができるというから、それであの怪物を退治することができたんだよ」というと、一同はなるほどと感心した。
それより師弟四人は、斎を作って腹ごしらえをすると、火を放って黄花観を焼き払い、またも西への旅にのぼった。
*
かくて春去り、夏ゆき、秋の初めになって、一同は獅駄嶺《しだれい》という高山へさしかかった。山あれば怪あり。ここの獅駄洞にも三個の強猛な妖怪が住んでいて、一同は非常な窮地に陥ったが、行者が雷音寺へ駆けつけて如来に訴え、その救援を得てようやく難をまぬがれることができた。
それより一同はさらに西へ進んで、小子城《しょうしじょう》に怪を退治して、国王を救い、鎮海寺《ちんかいじ》に女怪の難にあってわずかにこれをまぬがれ、やがて夏の初めになって滅法国《めっぽうこく》へ着いた。ここの国王は非常な仏法ぎらいで、二年前から、一万人の僧侶を殺す願《がん》を立てて、すでに九千九百九十六人を殺したということであった。そこへ師弟四人が到着したのであるから、捕えられれば殺されるにきまっていたが、行者はいろいろはかりごとをめぐらして、ついにこの国王を改心させ、国の名まで欽法国《きんぽうこく》と改めさせた。
こういうめでたい話があって、やがて滅法国ならぬ欽法国《きんぽうこく》を出発した一行は、日ならずして隠霧山《いんむざん》へさしかかった。もとより妖怪はここにもいて、三蔵をさらっていったが、そいつはあまり神通にたけたやつではなく、ほとんど行者ひとりの働きで退治することができた。
かくて隠霧山を越え、五、六日も旅を続けていくと、ひとつの城市へ着いた。そこはもう天竺の一部で、鳳仙《ほうせん》郡というのがその城市を中心とする地方の名であった。いよいよ目ざす西天の雷音寺へもそう遠くないところまでたどりついたわけであった。
三十五 仏《ぶつ》を拝して経を取る
ところが如来のお膝もとである天竺においても、やはり不幸や辛酸の種は尽きなかった。鳳仙郡においては、もう何年も前から一滴も雨が降らないので、田畑はことごとく荒廃し、民百姓は非常な困窮にあえいでいた。三蔵は深くそれに同情し、行者に雨を降らしてやる方法はないかと相談した。そこで行者は、例によって雲を飛ばして天宮にいたり、玉帝にお目にかかって鳳仙郡の窮状を訴え、雨を降らしてやっていただきたいと願った。ところが玉帝は、
「三年前、わしが出遊して天下を見てまわったとき、かの地の郡侯《ぐんこう》は斉天《さいてん》の供物《くもつ》を足げにし、犬に食わした上に、さんざん悪罵を放ったことがある。その罪により、わしは鳳仙郡には今後とも永く雨を降らさないつもりじゃ」と、たいそうなご不興であった。行者はやむなく玉帝の前を引きさがって、四大天師になんとかならないものかと相談すると、天師は笑いながら、
「大聖、安心なさい。もしかの郡侯が悔い改めて善事をなすならば、やがてその罪は許されるであろう。あなたはこれより下界にくだり、よろしくこのことを郡侯に伝えられるがよい」とのことであった。
そこで行者が、急ぎ鳳仙郡に取って返し、郡侯に会ってその罪をなじると、郡侯は涙を流して後悔し、天を祭り、仏を念じ、貯蔵の金銀をことごとく貧民に分ち与えた。すると、その誠が天に通じたのか、三日とたたないうちに大雨が降って、郡侯はもとより民百姓も蘇生の思いをした。
かくて師弟四人は、その地方をあげての感謝のうちに鳳仙郡を出発し、途中なおいくつかの妖魔や盗賊を退治して人々の苦難を救い、ようやく目的の霊鷲山《りょうじゅぜん》の麓にたどりついたのは、鳳仙郡を出発してからひと月あまり後のことであった。行者ははるかに山上を指して、
「あの天空に五色の祥光を発しているところが、仏祖《ぶっそ》のおいでになる聖境です」というと、三蔵は急ぎ馬からおりて、伏し拝んだ。行者は笑って、
「師父、まだこれから頂上まではずいぶんありますよ。それよりまず身をきよめ、衣服を改めてから、ゆるゆる拝まれるがいいでしょう」といい、一同に勧めて近くの谷川でそれぞれ沐浴して身をきよめることにした。
さて沐浴がすむと、三蔵は錦襴《きんらん》の袈裟《けさ》に着かえ、毘廬帽《びるぼう》をいただき、九環《きゅうかん》の錫杖《しゃくじょう》を手にして、山頂に向って出発した。ところが五、六里も山路を登ったかと思うと、たちまち一帯の大河に出くわした。見れば河幅はおよそ八、九里もあるかと思われたが、あたりには船の影さえ見えず、ただ一本の丸木橋がかかっているだけであった。橋のたもとの額には「凌雲渡《りょううんと》」の三字が書かれている。三蔵はすっかりおびえてしまい、
「悟空よ、この橋は人の渡るものではない。われわれはどうやら道をまちがえたようじゃ」という。行者は笑って、
「いいえ、これでいいのです。ためしにわたくしが渡ってみますから」といったかと思うと、たちまち橋の上におどり上り、またたくまに渡りきって、向う岸から手をあげて一同を招いた。しかし、三蔵も八戒も沙和尚もただ尻ごみするばかりで、行者のいうことをきこうとはしなかった。ことに八戒は、
「許してくれ。とても渡れねえ。しかしどうしても渡れとならば、ただ雲に乗って渡るばかりだ」という。行者は怒って、
「雲に乗って渡ったのでは成仏《じょうぶつ》できないんだ。せっかくここまできたのが水の泡になってしまうじゃないか」
「おれは仏に成らずに帰ってもいいよ」
「阿呆《あほう》、何を怠慢のことをいうか」
ふたりがなおも言い争っているとき、思いがけずひとりの男が、下流のほうから船をこいで近づいてきて、
「みなさん、さあお乗りなさい」と大声で叫んだ。
一同は大いに喜んで、その船が岸へ着くのを待ったが、さて、いよいよ着いたのを見ると、なんとその船には底がなかった。三蔵はまたもや驚きあきれて、
「こんな船でどうして渡れるであろうか」と嘆いた。しかし行者は、その鋭い眼光で、早くもその船の船頭が接引《しょういん》仏祖(導きの仏)であることを見て取ったので、
「師父、早くお乗りなさい」と、尻ごみする三蔵の腕をつかんで、ぐいと船の中へ押しやった。三蔵はうろたえて、たちまち水中に陥ったが、船頭はすぐ三蔵を救い上げて、船の中に坐らせた。つづいて三人の弟子たちも、馬もろとも、船に乗りこんだが、底の有無などは少しも問題ではなかった。
かくて船頭は、棹《さお》をとって船を中流へ出したが、そのときふいに一個の死骸が船のそばへ浮かび上ったので、三蔵はあっと驚いた。すると行者が笑っていうには、
「師父、驚かれることはありません。あれはあなたの屍《しかばね》ですよ。あなたは今日、凡胎《ぼんたい》の肉身を脱せられたのです」
聞くより八戒も沙和尚も、ともに声を合わせていった。
「たしかに師父の屍だ。師父はいよいよ凡胎の肉身を離れられたのだ」
すると船頭も同じようなことをいって、「おめでとうございます」と、喜びを述べた。
まもなく船が向う岸へ着くと、三蔵は今、身もかるがると岸へ飛び上った。つづいて皆も岸へ上ったので、船頭は船をかえして中流へ出ていったが、たちまちその姿は接引仏祖と現じて、五色の雲を放って空に飛び去っておしまいになった。三蔵はそれを見て、あわてて虚空を礼拝し、いまさらのように仏恩の広大に感泣した。
それより一行がまたも山路を登っていくと、風の音も、花の香も、鳥の声も、すべてが身にしみていみじく覚えられ、あちらこちらの松柏《しょうはく》の陰には比丘《びく》(僧)や比丘尼《びくに》(尼僧)の結跏趺坐《けっかふざ》するのが見うけられた。三蔵いちいちかれらに礼をほどこして進んだが、行者が、
「師父、お急ぎください。そんなことは、まず仏如来《ぶつにょらい》を拝してからのことです」とせき立てるので、三蔵も今はひたすら山頂さして急いだ。
やがて一行は雷音寺のすぐ下まで到着した。仰いでこれを眺めると、金殿玉楼が雲外につらなり、山門のほとりには瑞光《ずいこう》が立ち昇って、まことにこの世のものとは思われないめでたさであった。三蔵は手の舞い足の踏むところを忘れて立っていたが、たちまち我にかえって、錫杖を手に静々と進んだ。
山門の外には二大金剛が出迎えていて、三蔵らをしばらくそこに待たせておき、大急ぎで弟二の門の四大金剛にかれらの到着を知らせた。するとそのことはただちに第三の門の神僧に報じられ、それより大雄殿《だいゆうでん》の釈迦牟尼《しゃかむに》如来のお耳に伝えられた。
如来は大いに喜ばれ、さっそく八菩薩、四金剛、五百|羅漢《らかん》、三千|掲諦《ぎゃてい》などを召し集めて両側に並ばせ、旨を伝えて唐僧を召し入れられた。そこで三蔵は、悟空、悟能、悟浄らを従え、馬をひかせて山門を入り、第二、第三の門を過ぎて大雄殿下にいたり、地にひれ伏して如来を拝し、それより左右の菩薩、金剛、羅漢、掲諦を拝してから、ふたたび如来に向って、うやうやしく通関文牒《つうかんぶんちょう》(旅券)をささげた。如来は手にとってごらんになった上、すぐまた三蔵にお返しになった。三蔵はひざまずいて礼拝して、申し上げた。
「弟子|玄奘《げんじょう》、東上大唐皇帝の旨を奉じ、真経を求め得て衆生《しょうじょう》を済度《さいど》せんがために、はるかに、宝山にまいりました。願わくば仏祖よ、恩をたれ、経を賜わって、すみやかに貧僧を帰らせたまえ」
そこで如来が仰せられるには、
「なんじが東上には、不忠、不孝、不仁の者が多く、永く地獄に堕《お》ちて、生々世々《しょうじょうよよ》浮かび上ることができずにいる。たまたま孔子《こうし》の仁義礼智の教えはあれども、愚昧《ぐまい》無知の徒をいかんともすることができない。今わしには三蔵(経蔵、律蔵、論蔵の三つ)の経がある。通計三十五部、一万五千一百四十四巻、すべてこれをなんじに与えるであろう。およそ天下四大州の天文、地理、人事、鳥獣、花木、器具にして、一としてのせないものはない。すべてこれ修心の経、正善の門、痴愚《ちぐ》の凡夫を化度《けど》して、限りない利益があろうぞ」
三蔵はこれを聞いて喜びにたえず、くり返し叩頭《こうとう》して拝謝した。如来はまた、かたわらに立っていた阿難《あなん》と迦葉《かしょう》とに向って、
「なんじら両人、かれら四人を案内して珍楼《ちんろう》にいたり、まず斎《とき》をもてなし、しかるのち宝閣をひらいて、経を与えるように」と命じた。
ふたりの尊者はかしこまって、四人を珍楼に案内し、斎をもてなした。食べものといい、飲みものといい、すべて得がたい仙品で、世の常のものではなく、四人はこれを飲食するごとに、心気のはなはださわやかになるのを覚えた。食事が終ると、宝閣に導かれた。見れば正面に、金銀珠玉をちりばめた経櫃《きょうびつ》がずらりと並び、その一々に経巻の名をしるした真紅の紙がはりつけてある。ふたりの尊者は、それらの経巻を三蔵にさし示して、
「聖僧、わざわざ東土からおいでになったのですから、何かみやげをお持ちでしょう。早くお出しになってください」という。そこで三蔵が、
「それがし、遠路ようやくここにまいりましたので、みやげの用意がございません」というと、ふたりの尊者は笑って、
「何も持ってこない人に経を上げれば、われらは後に餓死することでしょう」
行者はこれを聞くと、こらえかねて叫んだ。
「師父、われわれはこのことを如来に告げて、如来からじきじき経をいただくことにしましょう」
すると阿難が叱りつけていった。
「悟空、なんじはここをどこだと思って、さように騒ぎ叫ぶか。早く来たって経を受け取るがよい」
八戒と沙和尚とが急ぎ行者をなだめ、ついに一巻一巻と経を受け取り、馬に積んだり、肩にかついだりして、ふたたび宝蓮座《ほうれんざ》の前に引き返して如来を拝し、厚く礼を述べて退出した。それより三蔵は、諸仏諸菩薩をことごとく礼拝し、比丘(僧)比丘尼(尼僧)その他にも別れを告げて、山をくだり、道を急いだ。
ところが、これより前、宝閣には燃燈古仏《ねんとうこぶつ》がおいでになって、三蔵らが経を受け取るところをそれとなく見ていられたが、阿難と迦葉とがさずけたのは、すべて無字の経であることを見抜かれ、ひそかに笑いながら、
「東土の衆僧は愚かにも、無字の経だということを知らない。これでは遠路はるばるやって来た辛苦もむだでになって、あまりに気の毒じゃ」と、やがて弟子《でし》の白雄《はくゆう》尊者を呼んで、
「なんじ、すみやかに唐僧らに追いつき、かの無字の経を取り捨て、ふたたび来たって有字の経を取らせるがよい」と言いつけられた。
そこで白雄尊者は、急ぎ山門を立ちいで、一陣の狂風に乗って、たちまちにして唐僧に追いつき、空中から手をのばして馬に積んだ経巻をかるがると奪い取り、経包みを引き破って地上に投げ捨て、それより風の方向をかえて、すぐまた雷音寺へ帰ってしまった。
思いもかけない一瞬の出来事に、唐僧らはあっと驚き、行者は鉄棒をとって空中に飛び上ったが、経巻がすでに地に落ちているので、思い返して雲をおり、八戒や沙和尚とともにそれを拾い集めた。三蔵は涙を流して、
「極楽世界にもこうした悪事を働く者があるのか」と、ようよう弟子らとともに経巻を改めて見ると、これはしたり、その経巻は一字半点もしるされてない白紙であった。そこで弟子らもともどもに全部の経巻を改めて見たが、すべてみな無字の白本であったので、三蔵は嘆息して、
「こんなものをはるばる東土へ持ち帰ったところで、なんの役にも立たない。わしはなんという不幸な者であろう」と嘆いた。すると行者が、
「師父、ご心配なさいますな。これはきっと、われわれがみやげものを贈らなかったので、阿難と迦葉との悪坊主らがわざとこんな白本を与えたものにちがいありません。さあ早く如来の前へいって、かれらが|わいろ《ヽヽヽ》をむさぼる罪を訴えましょう」と叫んだ。八戒も沙和尚も、
「兄貴のいうとおりだ。それがよい。そうしよう」と口々に叫んだ。そこで四人はまた大急ぎで雷音寺へと引き返していった。まもなく山門の前に着くと、金剛らはすでに事情を察していて、すぐ門を通してくれたので、四人はすぐ大雄殿の前にいき、行者が大声をあげて叫んだ。
「如来、お聞きください。われわれ師徒は千辛万苦をしのいで東土よりはるばるまいり、如来を拝して経をいただきましたが、かの阿難と迦葉とは、われわれにみやげがないからとて、ことさらに無字の白本をとらせました。われわれ、こんなものを持ち帰ったとて、なんの役に立ちましょう。如来、すみやかにかれらの罪を糺問《きゅうもん》してください」
「まあ、そうさわぐではない」と、如来は笑っていわれた。「かれらふたりがみやげを求めたことは、わしもよく知っているが、それは大切な経をそうかるがると伝うべきではなく、また無償で求めるべきでもないからじゃ。かれらが白本を与えたのは、なんじらが白手《はくしゅ》《みやげなし》で求めたからであろうが、白本は無字の真経であって、実はもっとも尊いものなのじゃ。しかしながら、それはまだ、なんじらにはわかるまいから、今改めて有字《うじ》の真経を与えるであろう」
かくて如来は、阿難と迦葉とにその旨を命じられたので、ふたりの尊者はまたもや唐僧らを宝閣に導き、前と同じようにみやげを要求した。そこで三蔵は、沙和尚にいいつけて紫金《しきん》の鉢を取り出させ、両手にささげて、
「それがし、もとより貧しく、かつ遠路をまいりましたので、何ひとつみやげの用意がございません。この鉢は唐王より手ずから賜わりました品で、それがし、途中これをもって斎《とき》をいただきました。今これをたてまつって寸志をあらわしたいと存じます。どうかこれをお収めになって、有字の経巻をわれらにお与えくださいますように」と懇請した。
ふたりの尊者は、これを受け取って、三蔵の意をあわれみ、多くの経巻を取り出して与えた。三蔵は弟子らとともに一々それを調べてみて、いずれも有字の経巻であることをたしかめ、大いに喜んで、積めるだけはそれを馬に積み、残ったぶんは八戒にかつがせ、自分らの行李は沙和尚がにない、行者は馬をひき、三蔵は錫杖を手にして、ふたたび如来の宝前に取って返した。
如来はそこで、降竜、伏虎《ふくこ》の二大羅漢に命じて磬《けい》を打たせ、あまねく諸仏、諸菩薩、掲諦、金剛、五百羅漢などを呼び集められたので、これらの尊者たちはいずれも急ぎ出てきて如来を拝し、大雄殿上に居並んだ。このとき、天上の楽の音はいみじき響きをかなで、あたりは一面の祥光に輝きわたった。かくて如来は阿難と迦葉とのふたりに向い、東土に伝える経巻の数をお尋ねになり、ふたりの尊者は謹んでこれを報告した。すべて三十五部、五千四十八巻、ちょうどそれは一蔵の数だけあった。
二尊者の報告がすむと、如来は三蔵をお召しになって、改めてそれらの経の功徳《くどく》をお説きになり、
「されば、なんじら東土に帰ったならば、取り扱いを厳にして、沐浴|斎戒《さいかい》しなければ、みだりにこの経巻を開いてはならんぞ」といいそえられた。
三蔵は謹んで如来の仰せをお受けして、叩頭して仏恩を謝し、くり返し礼拝を重ねた。三人の弟子たちも、あるいは馬をつなぎ、あるいは肩の荷をおろして、ひとりひとり合掌し、身をかがめて礼拝した。かくて一同は宝前を退出し、急ぎ帰国の途についた。
唐僧らが去った後、観音菩薩が如来の前に進み出て申された。
「それがしが、さきに尊命を受けて東土にいたり、取経の人を尋ねましてより、今その功が成るまでに、年にしてちょうど十四年、日数にして五千四十日になります。されど経巻の数は五千四十八巻、日数のほうが八日少くなっております。ついてはその数を合わせるために、これより八日のうちに、唐僧らをして東土に経を伝えてふたたびここに帰らしめたいと存じますが、いかがでございましょうか」
如来はこれをお聞きになって、たいそう喜ばれたので、菩薩は急ぎ八大金剛を呼んで、
「なんじら、すみやかに唐僧に追いつき、これより八日のうちに、かれらを東土に送りとどけてふたたびつれ帰るように」といいつけられた。
そこで金剛は、またたくまに唐僧らに追いつき、かれらを雲に乗せて、かるがると東へはこんだ。
三十六 大団円
話かわって、唐の太宗皇帝は、貞観《じょうがん》十三年九月、三蔵を西天に送り出されたが、それより三年たって、西安関《せいあんかん》の外に望経楼《ぼうきょうろう》を築き、毎年したしくそこに行幸しては、三蔵の帰国を待つておられた。ちょうどその日も行幸して楼上におられたが、たちまち西の空に祥雲がたなびき、かぐわしい風がさっと吹いてきたかと思うと、三蔵師徒が楼のほとりへおりてきたので、太宗は驚き喜んで急ぎ楼をくだり、群臣とともにお迎えになった。
三蔵は雲からおりて地上にひざまずき、うやうやしく太宗を拝した。太宗も礼をお返しになって、それより近侍の役人に勅《ちょく》して三蔵を馬に乗せ、自身は馬車に乗って長安城へとお帰りになった。行者は金箍棒《きんこぼう》をかついで三蔵のそばに従い、八戒と沙和尚とは、それぞれ荷物をになってそのあとに従った。
長安城内の人々は、早くも取経の人々が帰ったことを伝え聞いて、歓呼して行列を出迎えた。その中には、三蔵が昔住持していた洪福寺《こうふくじ》の僧らもまじっていたことはいうまでもない。かれらはその朝、寺じゅうの老松の枝が一夜にしてことごとく東へ向いているのを発見して、三蔵がかつて出発に際していい残していった言葉を思い出し、かれがきょう帰ってくることを早くも知ったのだった。記憶のよい読者はまだ覚えているだろうが、その言葉というのは、「わしが去った後、あるいは三、五年、あるいは六、七年たって、松の木の枝がもし東へ向くことがあれば、わしは帰ってくるであろう」というのだった。
やがて一同が宮中に着くと、三蔵は弟子どもに命じて経巻をはこばせ、ことごとくこれを皇帝にたてまつった。また通関文牒をも、ともにたてまつって、
「臣僧、勅命を奉じて西天にいたり、仏を拝し経を求め、ただいま帰朝いたしました。経数は三十五部、五千四十八巻、ちょうど一蔵の数だけございます」と復命した。すると太宗は、
「ご苦労であった。ずいぶん難儀をしたことであろう」といって、近侍の役人をしてかの経を収めさせ、また多くの国々の印がおされている通関文牒を開いて見ながら、
「西方の霊山まではどのくらいの道のりがあるか」とお尋ねになった。
「十万八千里と聞き及んでいます」
「途中、ずいぶん苦難が多かったことであろう」
三蔵はそこで、途中で多くの危難にあったことをつぶさに物語り、それより霊山の光景を申し述べ、最後に行者や八戒や沙和尚の身の上から、さては白馬の原身が龍であることまで話して、かれらの助けによって妖魔をくだし、功をなしとげたことを申しそえた。太宗をはじめ、近侍の人々はことごとく讃嘆し、やがて東閣に盛大な宴をひらいて、師弟四人を歓待せられた。
かくて日も暮れ、宴も果てると、師弟四人は君恩を謝し、東閣を辞して洪福寺へ向った。寺じゅうの僧侶らはことごとく門を出て迎えた。かれらは口々にいった。
「師父、あの松の木の枝が、けさ起きて見ますと、ことごとく東へ向いていましたので、わたくしどもは師父のお言葉を思い出して、さいぜんもお迎えに出ましたところ、やはりお帰りになったのでございました」
三蔵はそれを聞いてたいそう喜び、やがてなつかしい方丈へ通った。そこでまた改めて寺僧らの歓迎の挨拶を受け、そのあとでお斎《とき》が出たが、三蔵は形ばかり箸《はし》をつけただけであった。行者も沙和尚も、それからあの大食漢の八戒でさえ、このときいとも静かに食卓の礼儀を守っていたが、それはかれらがつとめてそうしたのではなく、すでに三蔵守護の功によって仏果を得ていたので、おのずから、かれらのふるまいが礼儀にかなうようになっていたからのようであった。
食事が終ると、寺じゅうの衆僧は三蔵師従の周囲に集って、天竺霊鷺山《てんじくりょうじゅぜん》のありさまや、旅中のさまざまな艱苦《かんく》のことなどを聴聞《ちょうもん》し、夜がふけてから一同やっと寝所へ引き取った。
つぎの日、三蔵がふたたび太宗を拝するために参内すると、太宗からはまたもや厚い褒美《ほうび》の言葉があり、それより三蔵を雁塔寺《がんとうじ》へともない真経を堤唱せしめて聴聞したいとの仰せで、にわかにその寺へ行幸されることになった。雁塔寺というのは当時、長安城内における最大の寺院であった。
かくて車駕《しゃが》が雁塔寺へ着くと、三蔵は八戒と沙和尚とに前庭で龍馬の番をさせておき、行者だけをつれて堂にのぼった。そしてかれは太宗に向い、
「陛下、もしこの真経を広く天下に伝えたいと思し召されるならば、写本を頒布《はんぷ》あそばすがよろしく、原本は深く珍蔵してみだりに汚染せしめるようなことがありませぬように」と申し上げると、太宗はそれを聞いて、
「かならず、そのいましめを守るであろう」との仰せであった。のちに太宗が、数部の真経の写本を作らせて広く世にひろめるにいたったのは、この時の三蔵のいましめによるものだといわれている。
やがて三蔵は、何巻かの経をささげて講壇にのぼり、いまや提唱をはじめようとすると、そのとき、にわかにかぐわしい風が吹いてきて、空中に八大金剛が姿をあらわし、
「提唱の人よ、経巻をおいてわれらに従い、すみやかに西天へ帰られよ」と、高らかに叫んだ。三蔵は、はっと気がついたので、すぐ経巻をおき、太宗を再拝して、
「陛下、わたくしは八日を限って霊山に帰るとの約束をしてまいりました。お名残りはつきませんが、これよりお暇《いとま》をたまわります」といったかと思うと、早くもかれの姿は空中にあった。三人の弟子たちも、白馬もろとも、そのあとを追って天上に舞い上り、祥雲を踏んで金剛に従い、みな一同に、西方へ向って飛び去った。
太宗をはじめ、多くの侍臣や僧らは、これを見て驚き、ひたすら西の空を仰いで礼拝した。
ところで三蔵師弟は、八大金剛に導かれて、往復ちょうど八日で、また霊山へ到着した。如来はそのことをお聞きになると、ただちに諸仏諸菩薩諸神などをことごとく大雄殿に呼び集め、その前へ三蔵ら四人を召し出して、それぞれ近く呼び寄せて申された。
「聖僧、なんじの前生《ぜんしょう》はわが第二の徒弟|金蝉子《きんせんし》であるが、説法をきかずみだりに大教を軽んずるふうがあったにより、なんじの魂を捨てて東土に転生《てんしょう》せしめたのである。今さいわいにわが教えに帰依し、経を取って東土に伝えて大功あり。よってなんじに大職を加えて栴壇功徳仏《せんだんくどくぶつ》となすであろう」
三蔵はこれを聞いて大いに喜び、再拝して仏恩を謝し、かたわらへ引きさがった。如来はつぎに行者を呼び寄せられ、
「悟空、なんじは五百年前大いに天宮をさわがし、わが法力をもって五行山下におさえておいたが、今さいわいにわが教えに帰依し、聖僧を守護して魔をとらえ怪をくだして大功あり。よってなんじに大職を加えて闘戦勝仏《とうせんしょうぶつ》となすであろう」と申し渡された。それより如来は八戒を召し寄せられ、
「猪悟能、なんじはむかし蟠桃会に際し、酒に酔い、嫦娥《じょうが》に戯れ、その罪によりて下界に落とされ、身を畜類の腹に宿り、福陵山にあって妖怪となった。今さいわいにわが教えに帰依し、聖僧を守護して道すがら妖魔と戦うの功はあったが、懶惰《らんだ》で色情のいまださめきらないものがある。とはいえ、荷をになって師父を助けし功は捨てがたく、なんじは大職を加えて浄壇使徒《じょうだんしと》となすであろう」と仰せられた。八戒はこれを聞いて、不平そうにつぶやいた。
「他のふたりは仏になって、わたくしだけがどうして浄壇使徒なんですか」すると如来はお笑いになって、
「なんじは胃袋が大きく、大食を好むが、今、天下四大州にわが教えに従う者はきわめて多く、それらの家々で仏事供養が行われる際、なんじが壇《だん》を浄《きよ》める職にあることはかえって、結構なことではないか」と申された。如来はつぎに沙和尚を召して、
「悟浄、なんじは蟠桃会に際し、玻瑠《はり》の盞《さかずき》を砕いた罪により下界に落とされ、流沙河《りゅうさがわ》にあって妖怪となった。今さいわいにわが教えに帰依し、聖僧を守護して馬をひきし功あるにより、なんじに大職を加えて金身羅漢《こんしんらかん》となすであろう」と仰せられ、それよりさらに白馬を呼んで、
「なんじはもと西洋大海の応普龍王《おうしんりゅうおう》の子で、父に対して不孝の罪があったが、今さいわいにわが教えに帰依し、聖僧を乗せてわが山に来り、また経を負うて東土にゆきし功あるによって、なんじに職を加えて八部天龍《はちぶてんりゅう》となすであろう」と申された。
師弟四人は、ここに一同うちそろって、改めて如来に厚くお礼を申し上げた。そこで如来は、掲諦をお呼びになって、白馬をひいていって、霊山のうしろの化龍池《けりゅうち》へ放つようにと命じられた。掲諦が仰せのとおり、馬を池の中へおし入れると、みるみる馬は毛を去り皮を脱いで、頭には角が生え、全身に金色の鱗《うろこ》を生じて、みごとな金龍となり、化龍池をおどり出して雲を踏み、山門内へ引き返すと、きりりと華表柱《かひょうちゅう》へ巻きついた。
行者はそのとき三蔵に向っていった。
「師父、今ではわたくしも師父と同じく仏となったのですから、もう金箍児《きんこじ》の用もありますまい。どうか早くとりはずしてくださいませんか」
三蔵は笑って、
「すでに仏となったそちを、どうしてまた緊箍呪《きんこじゅ》をとなえて苦しめるようなことがあろうか。こころみにまさぐってみるがよい」
そこで行者が、頭に手をやって撫でてみると、はたして金箍児は、いつのまにかあとかたもなくなっていた。
このとき、音楽が四方に響きわたり、天花がしきりに降ってきたのは、師弟四人が一度に正果《しょうが》に帰し、白馬もまた正果を得たのを祝福してのようであった。(完)
あとがき
「西遊記」の作者の名は永い間うずもれていたが、近頃になって明の呉承恩だということがあきらかになった。わが国でも江戸時代から明治大正の頃にかけて多くの翻訳やダイジェストが出ているが、いずれも作者は邱長春となっている。
そこで邱長春のことをちょっといっておくが、この人は、元《げん》時代の卓越した道士で、皇帝ジンギスカンに招かれて西方へ旅したこともあり、その旅行記を「西遊記」といったので、それが後に小説「西遊記」と混同され、彼をこの小説の作者であると誤り考えられるようにもなったのである。
ではこの小説の本当の作者である呉承恩はどういう人であるかというに、彼は西暦一五〇〇年(明《みん》の孝宗の弘治一三年)、江蘇省の山陽(今の淮安《わいあん》)で生まれ、字《あざな》を汝忠、号を射陽といった。年少の頃から詩文にすぐれた才を発揮したが、学問はあまり好きではなかったらしく、官吏登用の試験にはいつも落第を重ね、白髪に及んでもついに及第するにいたらなかった。
そのため、いくつになっても官吏になることができず、ようやく六十一歳になって初めて長興県の県丞《けんじょう》の職を得たが、もとより下っぱの役目であり、また何年たっても出世の望みはなく、ついに六十八歳で職を辞して郷里に帰り、不遇のうちに一五八二年(神宗の万暦一〇年)八十三歳で死去した。ついでにいっておくが、彼の生きていた時代は、日本では室町幕府の末期で、いわゆる和寇《わこう》なるものがしきりに明の沿海を荒しまくっていたのである。また彼の死んだ一五八二年は、ちょうど織田信長が明智光秀のために殺された年であった。
さて呉承恩が「西遊記」を書いたのは、たぶん晩年、故郷へ帰ってからのことだろうといわれている。彼は官吏になるための学問こそ好まなかったが、もとより読書は決してきらいではなく、しきりに雑書を読みあさり、従って非常な物知りであった。それに長いあいだ不遇のうちにあったので、庶民の生活についてもよく通じ、それが「西遊記」を書くに当って大いに役立ったのである。この書は単に孫悟空の武勇譚として読んでも面白いが、当時の庶民の人情風俗が巧みに描かれている点でも甚だ興味が深い。それはちょうどセルバンテスの「ドン・キホーテ」における庶民生活の描写にも比すべく、じつはそれが巧みに描かれているからこそ、悟空やドン・キホーテの冒険も生きてくるのである。
この物語の筋をなしている玄奘三蔵の取経のことは、実際の史実であり、その旅行の話はすでに早くから小説にも作られていたが、はじめは三蔵を中心にした単純な物語であった。それが後にいろいろな人の改作を経て、次第に複雑になり、悟空や八戒の活躍を見るにいたったが、ついに呉承恩の作品においては、あたかも悟空が主人公のようになってしまった。
彼がどうして悟空にそれほど興味を持ったかを考えるに、おそらく彼はこの人物に活力の権化を見出したからであろう。まことに悟空こそは漢民族の活力の象徴とも見らるべき人物である。それから八戒であるが、これは大食漢で、好色家で、少し知恵が足りなくて、おまけに嘘つきで、およそ人間としての欠点をことごとく備えていながら、それでいて憎めないという人物であるが、これまた漢民族の庶民の一典型であろう。八戒をここまで描き上げたのは、たしかに作者呉承恩の大手柄であった。
なおこの作品は数千枚にのぼる大長編であり、現代の読者には興味の薄い部分も多く、また紙数に制限もあるので、このたびの編訳に当っては割愛を余儀なくされた部分の少くないことをお断りしておく。
[#地付き]昭和三十三年五月 訳者