呉 承恩/檀 一雄訳
西遊記(上)
目 次
一 孫悟空の誕生
二 仙道《せんどう》の修業
三 如意金箍棒《にょいきんこぼう》
四 大いに天宮を騒がす
五 蟠桃《ばんとう》を乱して丹《たん》を偸《ぬす》む
六 二郎|真君《しんくん》との一騎打
七 八卦炉《はっけろ》を脱出す
八 観音、取経《しゅきょう》の人を求めて長安にのぼる
九 三蔵、西天への旅に出発す
十 双叉嶺《そうしゃれい》
十一 両界山で悟空を救う
十二 白馬
十三 袈裟盗人《けさぬすびと》
十四 大いに黒風山上に戦う
十五 高老荘《こうろうそう》
十六 猪八戒《ちょはっかい》
十七 黄風嶺の難
十八 霊吉菩薩《れいきつぼさつ》
十九 流沙河《りゅうさがわ》
二十 八戒の好色
二十一 人参果《にんじんか》
二十二 五荘観《ごそうかん》をさわがす
主要人物
孫悟空……本篇の大立物で、|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に乗り、如意金箍棒《にょいきんこぼう》をふるい、七十二とおりの変化《へんげ》の術を使って大活躍をする。孫行者ともいう。
猪悟能……通称|八戒《はっかい》として知られる。大食漢で好色家で、少し知恵が足りないという、なかなかユーモラスな人物。
沙悟浄……沙《さ》和尚とも称し、悟空、八戒と共に唐僧三蔵に従い、宝杖《ほうじょう》をふるって活躍する。
三蔵……法名を玄奘《げんじょう》といい、実在の人物である。唐の太宗の世に天竺《てんじく》《インド》へ経を取りにいった。
白馬……三蔵の乗馬であるが、もとより竜の化身であり、よく人語を解す。
その他……王帝をはじめ多くの天神天将たち。釈迦如来、観音菩薩以下の諸仏、諸菩薩、諸神。太上老君、張道陵などの道教的神仙。黒風怪、黄風怪、黄袍怪、金角銀角、紅孩児、牛魔王以下の無数の妖魔怪物。
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一 孫悟空の誕生
その昔、世界はわかれて東勝神州《とうしょうしんしゅう》、西牛賀州《せいぎゅうがしゅう》、南贍部州《なんせんぶしゅう》、北倶蘆州《ほっくろしゅう》の四大州から成っていた。さて、その東勝神州の辺境に傲来国《ごうらいこく》という国があり、その国の海中に花果山《かかざん》と呼ぶ名山がそぴえていた。山の頂上には高さ三丈六尺五寸、周囲二丈四尺という巨岩が屹立《きつりつ》し、太古以来、天地の霊気に浴していた。
ある日のこと、不思議やその巨岩がひとりでに裂けて、中からひとつの石の卵が産まれ出た。やがて、その卵は風化されて一匹の石猿《いしざる》となり、目鼻や手足もそろってくると、たちまち、這《は》ったり歩いたりするようになった。驚くべきことには、この石猿、両眼から二条の金光を放ち、それが天上にまで届いたので、玉帝《ぎょくてい》(天上の支配者)は何事だろうかと、さっそく千里眼《せんりがん》、順風耳《じゅんぷうじ》の両大将をして、南天門《なんてんもん》から様子をさぐらせた。千里眼はひと目で千里の外を見ぬき、順風耳はいながら世界のあらゆる出来事を聞き知ることができたので、調査に手間はいらなかった。両大将は見たまま、聞いたままを、つぶさに玉帝に奏上し、なおかれらの意見として、
「かの石猿、今でこそ両眼より金光を放っておりますが、見たところ、ごく普通のものを食い、水を飲んでおりますから、やがてその金光も消えうせることでございましょう」
と申し添えた。
「されば、何ほどのこともあるまい」
それきり、石猿のことは、忘れられてしまった。
ところで、かの石猿はというと、山中にあって気ままに走りまわり、木の実や草の実を食い、谷川の水を飲み、鹿とたわむれ、鶴と遊び、文字どおり「山中|暦日《れきじつ》なし」の悠々たる日々を楽しんでいた。ある日、たいへん暑かったので、大ぜいの猿どもと谷川で水をあびていると、そのうちにだれいうとなく、みんなでその川の水源を探ってみようということになった。そこでいっせいに駆け出し、流れに沿って山を登り、まっしぐらに水源へいってみると、そこには一条の滝がかかっていた。みんなはその美しさに感嘆して見とれていたが、やがてその中の一匹が、
「だれか滝壷の中にとびこんでいって、その底を見届けて来る勇気のあるやつはいないか。そしたら、おれたちの王様にするんだがなア!」
と叫んだ。
みんなはそれに賛成した。が、だれもみずから進んでその任に当ろうとする者はなかった。さきほどの猿は、二度、三度、と同じことをくり返し叫んだ。すると、たちまちこの石猿がおどり出て、
「よし、おれがやる、おれがやる!」
と大声で叫ぶなり、さっとばかり身をおどらせて、滝壷の中へとびこんでいった。ところがなんと、滝の内側には水はなく、そこにはりっぱな鉄の橋がかかっていた。今までその橋に気がつかなかったのは、滝が簾《すだれ》のようにかかって、そのかげにかくれていたからである。さて、橋の上に立って眺めると、向うに、仙人でも住んでいそうな石窟が見える。橋を渡り、近づいてよく見ると、正面に一基の石柱が建ち、その表面に「花果山福地水簾洞洞天《かかざんふくちすいれんどうどうてん》」の十字が大きく刻まれていた。石窟のなかには、以前だれかが住んでいたらしく、|かまど《ヽヽヽ》や鍋《なべ》や碗《わん》や寝台などの家具類――それらはすべて石でできていた――が発見されたが、今は人の住んでいる様子はなかった。石猿はそれだけ見届けると、大喜びで取って返し、滝の外へおどり出て、叫んだ。
「おい、しめたぞ、しめたぞ」
「中はどんなだったい? 水は深いかい?」と、大ぜいの猿どもが口々にきいた。
「水などあるものか。鉄の橋があって、しかも、その向こうにはりっぱな石の住居があるんだ。おれたちが身をおちつけるには、もってこいの場所だよ。さあ、みんな、あそこへいって、いつまでも楽しく暮らそうよ」
みんなは小躍りして喜んだ。そこで、石猿はみんなを案内して水簾洞に乗りこみ、ひとしきりみんなの騒ぎが静まるのを待って、かたちを正して、おごそかに宣言した。
「さて、皆の者、『人にして信無くんば、その可たるを知らず』という言葉があるが、おまえらにして初めの約束を忘れていないならば、どうしておれを王として崇《あが》めようとしないんだ」
大ぜいの猿どもは、それをきくと、たちまち恐れ入って、うやうやしく石猿を礼拝し、大王万歳を叫んだ。かくて石猿は、王位にのぼって、みずから美猴王《びこうおう》と称し、大ぜいの猿どもを従えて、昼は花果山に遊び、夜は水簾洞に眠って、永く王者としての生活を楽しんだ。
歳月はすみやかに流れて、いつのまにか四、五百年たった。ある日美猴王は、楽しかるべき酒宴の席で、何に感じてか、ふと一滴の涙をおとした。家来の猿どもは早くもそれを見とがめて、一同平伏してたずねた。
「大王様には、何事のご心痛であらせられまするか」
「さればじゃ、わしは今こそこうして楽しく、いばって暮らしているものの、いつなんどき、命が尽きて閻魔《えんま》大王の前によび出されないとも限らない。それを思うとなさけなくなるんだ」
「大王様、よいところへ気がおつきになりました」と、一匹の老猿《ろうえん》がいった。「すベての生きものの中で、閻魔王の手の外にあるのは、仏《ぶつ》と仙《せん》と神聖《しんせい》との三つだけでございます。大王様には、これらのかたにお会いになって、不老不死の術をお学びになるがよろしゅうございます」
「して、それらのものはどこにいるのか」
「古い洞穴の中や、深山に住んでおられます」
「よし、それではわしは、あしたにもおまえらに別れを告げ、世界のすみずみまでもその三つのものをたずねまわり、かならずや不老長生の術を習得してくるであろう」
一同はさすがは大王様だと、手をうって感心した。そこで翌日は改めて盛大な壮行会が催おされ、その次の日の朝になると、美猴王は枯れ松を折って筏《いかだ》を作り、竹を棹《さお》として、ただひとり果て知らぬ大海へと筏を乗り進めた。
それから数日間、強い東南の風が吹きつづけて、筏は南贍《なんせん》部州の岸ベヘ漂い着いた。美猴王は大喜びで、筏を捨てて岸へおどり上った。見ると、数人の人々が近くで漁《りょう》をしていたので、これ幸いとこっそりかれらに近づき、虎のまねをして猛然と襲いかかった。この不意の襲撃におどろいた漁人たちは、あわてふためいて、取るものも取りあえず、蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げ去った。中に腰を抜かして動けないのがひとりいたので、そいつを捕えて着物をはぎ取り、それを一着に及ぶと、ひとかどの人間に化けて近くの町なかへ入っていった。
町では、まず人間の言葉や礼儀作法などを習いおぼえ、それからはただもう仏《ぶつ》や仙《せん》や神聖《せんせい》のことのみを訊《き》いてまわったが、人々はひたすら名利《みょうり》を追うことに汲々《きゅうきゅう》としているばかりで、だれひとりそんなことに関心を持っている者はなかった。がっかりして次の村へいってみても、やはり同じことで、美猴王のむなしい巡礼は、さらに次の町から村へと、いつ果てるともなくつづいた。
こうして八、九年も、くまなく南贍部州をさまよい回ったあげく、ある日、とうとう州の果てまで来てしまった。眼前には茫洋《ぼうよう》たる大海がひろがっていた。西洋大海である。たいていの者ならうんざりするところであるが、退転することを知らないかれは、またもや筏をあんで、海のかなた――西牛賀州《せいぎゅうがしゅう》へとおし渡った。
幾日かの後、無事西牛賀州へ上陸した美猴王は、行手に秀麗な高山のそびえているのを見ると、ふと誘われたように、山麓の深い林のなかへ分け入った。しばらく行くと、どこか遠く林の奥から清らかな声で歌をうたうのが聞えてきた。歌詞もまた清遠で、いかにも仙人の好んでうたいそうなものであった。美猴王は喜びで胸をはずませながら、声をたよりに近づくと、ひとりの樵夫《きこり》ふうの男がその歌の主であった。美猴王は進み出て、
「神仙様、ご挨拶申し上げます」
と、うやうやしく敬礼した。樵夫ふうの男は、あわてて斧を置き、礼を返して、
「とんでもない。わたしはけっしてそんな神仙などというものではありません。わたしはただの樵夫、それも食うや食わずの男にすぎません」
「でも、さきほどの歌から察しますに……」
「あ、あの歌ですか。あれは神仙様が、気のふさいだときにうたえといって、教えてくださったものです」
「ではその神仙様は、どこにお住みですか」「すぐ近くです。この小道を南へ行くと斜月三星洞《しゃげつさんせいどう》というのがあります。そこに菩提祖師《ぼだいそし》様ってかたがお住みになっています」
美猴王は樵夫に礼を述べ、南をさして急ぐと、はたしてひと構えの洞府《どうふ》(岩屋)の前へ出た。が、洞門はぴたりと閉ざれ、あたりはひっそりとして人影もなかった。ふと見ると門のそばに「霊台方寸山《れいだいほうすんさん》斜月三星洞」の十字を刻んだ石柱が建っていた。美猴王が門を叩いて案内を乞おうとすると、それより早く内から門があいて、ひとりの仙童が姿を現わした。
「そこにいるのは、どなたですか」
「わたくしは仙道の修業を志してまいった者です」
「わが師の仰せられるには、だれか修業者が門の外に来ているようだから入れてやれとのことでしたが、さてはあなたがその修業者でしたか」
「まさにわたくしです」
「ではお入りなさい」
童子《どうじ》は先に立って案内した。美猴王は身なりをととのえ、童子に従って洞府の奥深くへ進んだ。見れば正面の瑤台《ようだい》の上には、師の菩提祖師が端坐したまい、台下の両側には三十人ばかりの弟子が侍立《じりつ》していた。美猴王はうやうやしく台下にひざまずき、叩頭《こうとう》して祖師を礼拝した。すると祖師は、
「なんじはいずれの者か」
「わたくしは、東勝神州傲来国《とうしょうしんしゅうごうらいこく》、花果山水簾洞《かかざんすいれんどう》の者でございます」
美猴王がこう答えるやいなや、いきなり祖師の大喝《だいかつ》がかれの頭上にくだった。
「出ていけ、この嘘つきめ! 東勝神州からここまでには、ふたつの大海と南贍部州《なんせんぶしゅう》とを隔てているではないか。そんな遠いところをはるばるどうして来られるものか」
「いいえ、けっして嘘は申しませぬ。わたくし、海あれば海を渡り、陸あれば陸をめぐり、十数年にしてよぅやくここまでまいりました」
「そうか、それならばよい」
祖師はあっさり美猴王のいうところを認めて、
「してなんじの姓は?」
「わたくし姓はございません」
「しからば両親の姓は?」
「わたくしには父母もございません」
「なんと両親がないと? しからば木の股からでも生まれたか」
「いいえ、石から生まれたのでございます。なんでも花果山の頂きに、ひとつの不思議な石がありまして、あるときそれがひとりでに裂けて、わたくしが生まれたとのことでございます」
祖師はそれを聞くと、さてはこいつは天地の申児《もうしご》だなとひそかに喜び、「では、ちょっと歩いて見せてくれぬか」
美猴王は起き上って台下をふたまわりばかり歩いて見せた。祖師は笑って、
「おまえの様子はまことにみにくい。まるで松の実を食って生きている|さる《ヽヽ》そのままじゃ。とはいえ|さる《ヽヽ》は、けものへんに子《し》と系《けい》で『そん』と読み、子は男子を意味し、系は血筋をあらわし、めでたい字じゃ。よって『そん』からけものへんをけずって、孫をもってなんじの姓とするがよい」
美猴王は思いもよらず祖師から姓を賜わったので、ぅれしくてたまらず、いくたびも厚く礼を述べて、さていうことには、
「すでに姓を賜わりました上は、名をもいただきましたほうが、お呼びくださるにご都合がおよろしいかと存じます」
「わしのところでは、経文の広丈智慧《こうだいちえ》、真如性海《しんにょせいかい》、頴悟円覚《えいごえんかく》の十二字をとって、順々に法名にあてているが、おまえはちょうど悟《ご》の字の順に当るゆえ、法名を悟空とするがよかろう」
「ありがとうございます。では今より孫悟空と名乗ることにいたします」
二 仙道《せんどう》の修業
さて美猴王は、姓名を得ておどり上って喜び、兄弟子たちにもひき合わされて、その夜は洞内の隅っこに寝床を作って寝た。
翌朝からは、兄弟子たちとともに、経《きょう》を習い、道を論じ、字を学び、香《こう》を焚き、あるいはまた畑を耕したり、薪をとったり、水を運んだり、その他修業のかずかずを重ねて、早くも六、七年を経過した。
ある日、祖師が弟子たちを集めて、講義をしていられるのを、悟空も片隅で拝聴していたが、いろいろ覚るところがあり、うれしくてたまらず、まるで手の舞い足の踏むところを知らずというふうだった。祖師は早くもそれを見とがめて、
「悟空よ、おまえはなぜそんなにそわそわしているのじゃ」
「お師匠様の妙音を伺っておりますと、無性に嬉しくなってまいりまして、ひとりでに踊りだしてしまうのでございます」
「ほほう、おまえにはもう妙音がわかるか。では尋ねるが、おまえはわしについてどんな道を学びたいかな」
「わたくしにいささかなりとも道気のあることをお認めくださいますならば、道術をお教えいただきたいと存じます」
「道術といっても三百六十の傍門《ぼうもん》がある。傍門にはすべて正果があるが、要は術、流、動、静の四種にほかならぬのじゃ。おまえはいったいどの一門を学びたいのじゃ」
「その四門のどれを修めたら不老長生を得られるのでございましょう」
「どれもそれはできぬ。それはだめじゃ」
「では、わたくしもどれも修めたくはございません」
と聞くより祖師は、たわけものめと大喝一声、台の上から飛びおりて、手に持った戒尺《かいじやく》を悟空にさしつけ、
「なんじ、猿の分際として、四門の道をどれも学ばぬと申すか。しからば何を学ぶつもりじゃ」
と悟空の頭を三度打ったかと思うと、手をうしろにまわして、さっさと奥へ入って扉をしめてしまわれた。
驚いた弟子どもはたいそう悟空を恨んだが、悟空はいっこう平気で、満面に微笑さえたたえていた。それというのも、悟空はさきほどの祖師の様子から早くも祖師の心の内を見抜いていたからであった。すなわち祖師が三度かれを打たれたのは三更《さんこう》(夜の十二時から二時まで)を意味し、手をうしろにまわして奥へ入られたのは、裏門から入って来い、そうすれば秘伝を授けてやろうという謎に取ったのだった。
さて、その夜も子《ね》の刻《こく》(夜の十二時)とおぼしいころ、悟空は他の者に気取られぬように、こっそり裏門へ回って見ると、はたして門は半ば開け放してあった。悟空は喜んで中へ入り、祖師の寝台のそばへ進み寄った。祖師はむこう向きになって、よく眠っていられた。悟空は祖師を驚かさぬようにそっと寝台の前にひざまずいて、待った。しばらくすると、祖師が目をさまされたので、悟空は、
「わたくしはもうさきほどからお待ちしております」
祖師は悟空と知って、起き上り、衣を整え、端坐して、
「この猿め! こんなところへ何しに参った!」
と叱りつけられた。
「お師匠様が、昼間のご講話の節、三更のころ後門より参れ、しからば秘法を授けてつかわすと仰せられましたので、恐れげもなくお伺いしたのでございます。この上はなにとぞわたくしめに長生の術をお教えくださいますよう、伏してお願いいたします」
祖師はこれを聞いて、心ひそかに、――こいつさすがに天地の申児《もうしご》だけのことはあるわい。早くもおれの胸のうちを見破りおったわ! と思い、さて悟空に向って、
「おまえが道に縁のあるのを、わしも嬉しく思う。これより秘法を教えてつかわすほどに、近う寄ってよく聞くがよい」
悟空は何度も叩頭《こうとう》して、寝台の下にひざまずき、心耳を澄まして、祖師の語るところに聞き入った。祖師は低いがおごそかな声で、顕密円通《けんみつえんつう》の道――仙となり仏《ぶつ》と和す法をじゅんじゅんと説かれた。
根源を説破された悟空は、心に口伝《くでん》を銘記して祖師のもとを辞し、自分の寝所へと引き返した。
それからというもの、悟空はその口伝の秘法を熱心に修練しつつ、早くも三年を過ごしたが、ある日祖師は悟空に向って、
「おまえの修業はその後どうじゃ」
「はい、おかげをもちまして、法性《ほうしょう》もしだいに明るく、根源もおいおい堅固になってまいりましたようでございます」
「ほうさようか、根源を会得した上は、次に三つの災《わざわい》を防がねばならん」
「それはまたどのような災でございますか」
「今から五百年の後、天は雷を降《くだ》しておまえを打つ。そのとき、心を明らかにしてあらかじめ難を避けれはよし、さもないとおまえの一命もそれで終りじゃ」
さすがの悟空も、これには顔色を変えたが、祖師はかまわず話しつづけた。
「それからさらに五百年の後には、天は火の災を降しておまえを焼く。この火は陰火といって、ただの火ではない。五臓もために灰となり、手足もことごとく焼け朽ちてしまう。またさらに五百年たつと、天は風の災を起しておまえを吹き飛ばしてしまう。この風もただの風とは異なり、贔風《ひふう》といって、骨肉もために消えうせ、からだもばらばらになってしまう。だからこれらはすべて避けねばならんのじゃ」
悟空は聞くより身の毛もよだつ思いがし、あわててひざまずいて、
「お願いでございます。どうぞわたくしめにその三つの災を避ける法を授けくださいませ」
そこで祖師は、悟空の耳に口を寄せて、七十二通りの変化《へんげ》の法を授けられたが、もとより口伝の秘法のこととて、それはだれにもわかっていない。悟空は大喜びで、その後、熱心に修練を重ねたので、ついにその秘法にもほとんどことごとく通達するに至った。するとまたある日のこと、祖師は悟空に向って、
「どうだ、もうできたかな」
とお尋ねになった。
「はい、おかげをもちまして、わたくしもどうやら飛行の術ができるようになりました」
「ではひとつ飛んでみるがよい、わしが見てやるから」
悟空は得意になって、足をふんばり、もんどり打って飛び上ると、はや地上を離れること五、六丈、雲を踏んで空中をかけまわったが、しょせん三里ばかりを往復しただけで、祖師の前に降り立ち、
「お師匠様、『飛昇騰雲《ひしょうとううん》の術』、かくのごとくでございます」
祖師はからからと笑って、
「あれでは雲に乗ったとは申せまい。まず雲を這った程度じゃな。昔から神仙は、朝《あした》に北海に遊び、暮れては蒼梧《そうご》に宿り、一日の間にあまねく西海に遊ぶ。それで初めて雲に乗るといえるのじゃ」
悟空は聞くより、何度も叩頭して、
「ものごとは、やりとげてこそよけれ、と申しますが、この上とも『騰雲の法』をお授けくださるならば、ありがたい倖《しあわ》せに存じます」
そこで祖師は、悟空に|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》の法を授けられたが、それは、真言《しんごん》をとなえ、こぶしを固く握りしめて、ひとたぴ身をひるがえして飛べば、ひと飛びに十万八千里も遠くへ行くというのだった。
悟空はうれしくてたまらず、さっそく心を鎮め、法を練って、早くも|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》の法を会得し、自由自在に空中を飛びまわることができるようになった。
さて、ある日のこと、他の門弟たちとともに松の木の下で議論をしていたとき、皆は悟空に向って、
「このあいだ、お師匠様がおまえに変化《へんげ》の法をお伝えになったそうだが、どうだ、すっかり会得できたかね」
と、尋ねた。悟空は笑って、
「明け暮れ熱心に修練したおかげで、どうやら全部できるようになったよ」
「じゃあ、ちょっとやって見せないか」
「何に変化《へんげ》して見せるかね」
「そうだね、松の木に化けてみろよ」
そこで悟空が、印を結び呪文《じゅもん》を唱えて、からだをひと振りすると、たちまち一本の松の木に変じてしまった。大ぜいの者は手をうって喝采した。
その声があまりに騒がしかったので、何事が起ったのかと、祖師がその場へ出て来て、
「おまえらは修業中の人間らしくもなく、何をがやがや騒ぎ立てているか!」と、きびしいお咎めであった。そのとき早く、悟空は元の姿に立ち返り、何くわぬ顔をして、
「お師匠様に申し上げます。わたくしどもはここで討論をしておりましたので、けっして騒いでいたのではございません」
と弁解したが、どうしてそのような手に乗る祖師ではなかった。祖師の糺問《きゅうもん》はいよいよきびしく、皆はついに、
「実はただいま、悟空が変化の法を試み、みごとに松の木に化けましたので、わたくしどもは、拍手喝采いたしました。そのため、はからずもお師匠様のお耳を驚かしまして、なんとも申し訳のない次第でございます」
と泥を吐いてしまった。すると祖師は、
「おまえらは向うへ行っておれ」と、皆の者を立ち去らせ、さて悟空に向って、
「おまえはどういう考えで、変化の秘術を人前に見せびらかしたりしたのか。人には欲もあればねたみもある。だれしもその秘術を知りたいと思うだろうし、またそれを知っているおまえをねたむ心もきざすことだろう。さればこの上おまえがここにいることは、だれのためにもよい結果にはならない。去るがよい!」
悟空は聞くより涙をはらはらとこぼし、
「お師匠様、わたくしにどこへ行けとおっしゃるのでございますか」
「天道帰るを始む、という古語がある」
師の一喝に、悟空ははっとさとったらしく、「わたくしは東勝神州、傲来国、花果山、水簾洞より参りましたもの、ではそこへ帰ることにいたします」
「早く去るがよい。そしておまえの生命を全うするのじゃ。ここにおっては、断じてよい結果にはならないからな」
「それにしても、お師匠様の大恩になんの報いるところもなくここを去るかと思えば、身を斬られるような思いがいたします」
「なんの恩義ぞ! さりながら、おまえがここを去れば、さだめし一生のうちには、災をひき起しよからぬ事どもをしでかすであろう。が、いかなる場に臨んでも、けっしてわしの弟子だと名乗ることは許さないぞ。もしそのようなことをすれば、おまえの命はないものと覚悟するがよい」
「けっしてお名前を明かすようなことはいたしません。秘術はすべて自分で会得したのだと申します」
かくて悟空は、改めて厚く師に礼を述べ、門弟たちにもそれぞれ別れを告げて、ひらりと※[#「角+力」]斗雲に飛び乗ると、東海さして帰ってきた。わずか一時もたたぬうちに、早くも花果山が脚下に見えてきた。やがて雲から降りたかれは、
「やい者ども、おれが帰ってきたぞ!」
と大声に叫んだ。すると、向うの崖の下や、こちらの草や木の陰から、大ぜいの猿どもがとび出してきて、悟空をまん中に囲み、
「大王様、どうしてわたくしどもをこんなに長くうっちゃって行っておしまいになったのです。ここではこのごろ、怖ろしい妖魔が現われて、わたくしどもの洞窟を奪い取ろうとしています。わたくしどもはそいつと戦いましたが、すでに大ぜいの仲間が捕虜になってしまいました。大王様のお帰りがいま少し遅かったら、わたしどもの花果山も水簾洞もそいつのものになるところでした」
と訴える始末だった。悟空は聞くより大いに怒り、
「う―む、なにやつだ! そのような無法を仕向けるやつは」
「そいつはみずから混世魔王《こんせいまおう》と名乗り、ここから真北のほうに住んでおります」
「よし、しからばおれがちょっと行って片づけてくるから、待っているがよい」
いうより早く、悟空は※[#「角+力」]斗雲に乗って真北をさして来て見ると、かなたに嶮《けわ》しい高山がそびえ、山腹には妖魔の住居らしい洞窟が見える。洞門の前には手下の小化物《こばけもの》どもが遊んでいたが、悟空がひらりとそこへ飛び降りると、小化物どもはいっさんに逃げ出そうとした。悟空はそれを呼びとめ、
「おれは花果山水簾洞の主《あるじ》だが、おまえらの混世なんとかぬかす化物が、たびたびおれの子分らをいじめやがったから、わざわざおれが勝負に出向いて来たんだ。しかとそう申し伝えろ!」
手下どもはあわてふためき、洞内にかけ入って注進した。聞くより魔王は、鎧《よろい》かぶとに身を堅め、おっ取り刀で、洞を出て叫んだ。
「水簾洞の主とは、なにやつなるぞ!」
魔王は身の丈《たけ》三丈余、からだも大きいが、声も大きかった。悟空も負けずに大声で、
「この化物め! そんな大眼玉をしやがるくせに、このおれ様が見えねえのか」
魔王からからと笑って、
「なんだと、きさまは四尺にも足りないからだで、年もまだ三十にはなるまい。そんな小童《こわっぱ》の分際で、しかも手にはなんの武器も持たず、このおれ様に勝負をいどむとは、身のほど知らぬあきれたやつだ」
「このしれものめ! おれ様のこの双《そう》の手は、天上の、月でさえ捉えることができるのだぞ。さあ、この拳《こぶし》を受けてみろ!」
悟空はいきなり拳をかためて魔王に打ってかかった。打たれて魔王は、大刀を振りかざし、悟空めがけてまっ二つと斬りこんでくる。悟空はひらりと身をかわし、魔王に空を切らせておいて、そのすきに「身外身《しんがいしん》の法」を使い、からだからひとつかみの毛を抜いて、口中に入れて噛んでぷっと空に吐き出し、「変れ!」とひと声叫ぶと、たちまち二、三百匹の小猿となって、魔王の周囲をひしひしと取りかこんだ。由来、悟空が道術を得てからというもの、身上八万四千本の毛は、その一本一本が小猿に変じ、不死身の働きをするのだった。いまやその小猿どもは、前後左右から魔王に襲いかかり、突くやら、引っぱるやら、蹴るやら、ひっかくやらの大活躍を演じて、とうとう魔王を立往生させてしまった。そこで悟空は、魔王の大刀を奪い取り、苦もなく魔王を一刀両断し、余勢をかって洞内に乱入して、大小の化物どもをことごとく退治してしまった。
さて小猿になっていた毛を集めて、からだへ戻す段になって、どうしたのか戻らないやつがいる。その三、四十匹の小猿こそ、さきに魔王ために捕虜になった者どもであった。悟空はその小猿どもを助けいたわり、洞を焼き払って、引き上げることにした。
「よいか、皆眼をつぶって、じっとしているんだぞ、こわがることはない」
悟空は小猿どもにそう言い渡すやいなや、呪文をとなえて一陣の狂風を起し、※[#「角+力」]斗雲に乗って、たちまちのうちに花果山に帰り着いた。小猿どもは大地を踏み、眼を開いて故郷に帰っているのがわかると、みんな大喜びで、我先にと洞内へ走り入った。すると洞内からも家の子郎党がことごとく出迎え、口々に魔王征伐の顛末《てんまつ》を尋ねるので、くわしく話してやると、一同はただもう眼を丸くして感心するばかりだった。
悟空はさらに、先年筏で東洋大海に乗り出してからのさまざまな冒険や苦心について語り、最後にあるえらい師匠に会って不老長生の法を授かったことを伝えると、皆は喜んでお祝いを申し述べた。悟空は大にこにこで、
「それから、皆の者よろこべ、おれたち一門は、みな姓ができたぞ」
「大王様、どんな姓でございますか」
「おれは姓を孫、名を悟空というのだ」
すると一同は手をうって喜び、
「では大王様が老孫で、われわれも皆、二孫、三孫、一家も孫なら一山もことごとく孫だ。皆で老孫様を崇《あが》め、祝賀の宴会をやろうではないか」
と、みんなこぞって大はしゃぎだった。
三 如意金箍棒《にょいきんこぼう》
悟空は魔王を退治して太刀を手に入れたので、それでもって毎日武芸を練り、小猿どもにも竹を切って手裏剣《しゅりけん》を作らせたり、木を削って刀にさせたりして、教練に日を送っていたが、ある日ふと考えるに、
「こんないくさのまねごとをしているだけでは、もしも人間の王や鳥獣の王が軍勢を催おして攻めてきたなら、それこそひとたまりもあるまい。もっといい武器が欲しいものだが、はてどうしたらよいだろう」
思わずそれを口にすると、つねづね相談相手にしていた四匹の老猿が進み出て、
「大王様、もしよい武器がご入用なら造作はございません。この花果山の東方二百里のところに、傲来国《ごうらいこく》の王城がございますが、そこには軍兵もあまたいることですから、かならず武器を作る職人もおりましょう。大王様がそこへおいでになり、いるだけの武器を買うなり造らせるなりして、われわれにそれを持たせ、この山寨《さんさい》の守護をさせられるならば、それこそ長久の計というものではございませんか」
聞くより悟空は大いに喜び、さっそく※[#「角+力」]斗雲に乗って、たちまちのうちに二百里の海を飛び越えると、はたして賑やかな城市が向うに見えてきた。悟空は、さだめし、かしこには武器もたくさんあり、いくらでも買えるだろうが、それよりひとつ神通力で手に入れてやろう、そのほうが都合がよいわいと、さっそく印を結び呪文《じゅもん》をとなえ、息を大きく吸ってぷうっと吹きつけると、たちまちそれが一陣の狂風となって、砂を飛ばし石を走らせ、ために城内の家々はことごとく戸を閉ざして、道行く人影もまったく絶えてしまった。
悟空はやおら雲から降り、武器庫をもとめて押し入って見ると、あるわあるわ、刀、槍、剣《つるぎ》、矛《ほこ》、斧《まさかり》、弓、弩《いしゆみ》、その他武芸十八般の兵器はことごとく備わっている。悟空は喜び、ほくそえんで、
「それにしても、おれひとりではいくらも運べるものではない。やはり『身外身《しんがいしん》の法』をもって運んでやろう」
と、例によってひとつかみの毛を抜き、呪文をとなえて、「変れ!」と叫ぶと、それがたちまち百十匹の小猿となり、またたくまに全部の武器を運び出してしまった。そこでふたたび雲に乗り、小猿を引きつれ、花果山へと引き返した。
悟空は雲から降りると、身をひとゆすりさせて毛を収め、武器をうず高く積み上げて、家来の猿どもに取りに来るようにと命じた。皆は我先にと走り寄り、刀や剣を奪い合い、槍や斧を争い、弓を引っばり合い、弩をいじりまわしなどして、その日も暮れるまで騒ぎは止まなかった。
次の日、悟空が全山の猿を集めてみると、その数四万七千余に達した。それがみなりっぱな武器を持っているのだから、花果山中の七十二洞に住む妖魔や怪獣も恐れをなし、ことごとく洞を出て集まり来って悟空を拝し、今後は年ごとに貢物《みつぎもの》を献じたり、春夏秋冬のご機嫌伺いを欠かさないことを約した。
それにしても悟空は、家来どもがみんなりっぱな武器を持っているのを見るにつけても、自分の大刀――混世魔王から奪った例の武器が、あまりにお粗末なのを、あき足りなく思うようになった。そこである日、皆のものに向って、
「おまえたちは弓もじょうずになり、武器にも馴れたが、おれはこの刀ではどうもおもしろくない。さてどうしたものだろう」
というと、例の四匹の老猿が進み出て、
「大王様は仙聖でいらせられますから、世の常の武器ではとてもご用に立ちますまい。ここに一案がございますが、いかがなものでしょう、大王様には水の中へでもよくおいでになれますでしょうか」
「おれには七十二通りもの変化《へんげ》の術がある。雲に乗ることはおろか、天に昇って日や月の上を散歩し、地にくぐって金や石の中にいることも自在である。ましてや水に入って溺れないくらい、なんでもないことだ」
「大王様がそのような神通力をお待ちでしたら、実はこの鉄橋の下の水は東海の龍宮に通じておりますから、いっそそこへおいでになり、龍王をお訪ねになって、お望みどおりの武器をお求めになってはいかがでございましょう」
悟空は大いに喜び、では行ってくるぞとばかり、さっそく橋の上に立って「閉水《へいすい》の法」を行い、ざんぶと河中に飛び入った。すると、みるみる水は分れて一筋の道をなし、悟空はたちまち東洋大海の底へとやって来た。そのとき、ふいに巡毎夜叉《じゅんかいやしゃ》が悟空をさえぎって、
「神聖様、あなた様はどなたでございますか」と、いんぎんに誰何《すいか》した。
「おれは花果山の天生聖人孫悟空だ。急ぎおれの来訪を龍王に取り次ぐがよい」
悟空のこけおどかしの名乗りに驚いた巡海夜叉は、大急ぎで水晶宮へかけつけ、東海龍王にその旨《むね》を伝えた。龍王|傲広《ごうこう》は、はて天生聖人とは? といぶかしく思いながらも、とりあえず宮殿を出て悟空を迎え入れ、茶を献じてもてなした。さて、
「どういうご用でお訪ねくださったのでしょうか」
「拙者はすぐ近所の山洞を守護しているものですが、手ごろの武器がないので困っております。貴下は久しく龍宮に安泰にしておいでですから、さぞすぐれた武器も多かろうと、実はご無心にあがった次第です」
龍王は悟空の厚かましさに呆れたが、さすが大身《たいしん》の断りもならず、係の者に命じて、ひとふりの大刀をもち出させた。悟空はそれを見るや、
「拙者は刀は不得手ですから、何か他のものをいただきたい」
そこで龍王は、今度は家来の力士に命じて、重さ三千六百|斤《きん》の九股叉《きゅうこうさ》(刃に九つの枝のある|さすまた《ヽヽヽヽ》)をかつぎ出させた。悟空は殿上からひらりととび降りて、その九股叉をひとふりしたかと思うと、からりと投げ出して、
「これは軽い、軽すぎてぐあいが悪い。別のものをどうぞ」
龍王は心中、恐れをなし、次には重さ七千二百斤の方天戟《ほうてんげき》(刃に枝のある太い槍)をかつぎ出させた。悟空はまたもやそれを手にとり、うち振ること五、六度、
「まだ軽い、もっと他のを」
龍王はいよいよ恐れをなしたが、いかにせん、もはやそれ以上の武器は何もなかった。すると龍王の夫人が心配して、うしろからこっそり龍王にささやいた。
「あのお客様は、けっしてただ者ではなさそうです。いっそあの海蔵《うみぐら》の大鉄柱を差し上げたらいかがですか。四、五日前からあの鉄柱が艶々《えんえん》とした光を放っておりますが、それはこのお客様に会って蔵を出る前兆ではないでしょうか」
「何を申すか。あの鉄柱は、むかし大禹《たいう》が洪水を治められたとき、江海の深さを測定するために用いられた神器で、武器などではない」
「役に立つか、立たないかは、こちらの知ったことではありません。なんでも気に入ったものをやって、早く帰ってもらいさえすればいいでしょう」
龍王もその気になって、悟空にその大鉄柱のことを話した。すると悟空は、
「では取り出して見せていただきたい」
「とても持ち運びのできるようなものではありません。ご自身で行ってごらんになるより方法はありますまい」
「ではそこへ案内してください」
こうして悟空が龍王に導かれて海蔵へ行ってみると、はたして燦然《さんぜん》たる金光が、あたり一面に輝いている。龍王は指を挙げて、
「あの光を放っているのが、そうです」
悟空が袖をまくり上げ、そばへ行ってさわってみると、それは一斗|枡《ます》ほどの太さの鉄柱で、長さは二丈余りある。悟空は両手でそれを力いっばい叩いて、
「少し大きすぎる。もう少し細くて短いとちょうどいいんだが」
そういい終るやいなや、その宝物はたちまち何尺か短くなり、太さも一まわりばかり細くなった。悟空は、それをごろごろと転がしてみて、
「もう少し細くなれば、もっとよいのだがなあ」というと、またもやその宝物はいくぷん細くなった。悟空は大いに喜んで、それを海蔵から持ち出してよくよく見ると、それはまっ黒な烏鉄《うてつ》で作られ、両端には金の箍《たが》がはめられ、「如意《にょい》金箍棒《きんこぼう》、重さ一万三千五百斤」と、刻みつけてある。如意というからには、思いのままに伸び縮みさせることができるにちがいないのだった。悟空は心中ほくほくしながら、その宝物を持って水晶宮に帰り、どっかと殿上に坐って、笑いながら龍王に向ってまたもや無心だった。
「いや、どうもご厚意かたじけのうござる。ところで今、拙者には甲冑《かつちゅう》がないのですが、願わくは一揃いいただきたいものですな。そうすればますます感謝しますよ」
「あいにく、そういうものはございませんが」
「しかし諺《ことわざ》にも『一客は二主を犯さず』と申しますからね。もし無ければ拙者は断じてこの門を出ませんぞ」
「ほんとに無いのです。あればかならず差し上げますが」
「では、この鉄棒に物をいわせましょうか」
龍王はあわてて、
「上仙、どうか手荒なことはお止めになって、弟に尋ねるのを待ってください。もしそこにあれば、かならず差し上げますから」
「弟|御《ご》とは? していずこにおいでですか」
「弟と申しますのは、南海龍王|傲欽《ごうきん》、北海龍王|傲順《ごうじゅん》、西海龍王|傲閏《ごうじゅん》の三人です」
「そりゃとても行っていられない。拙者は甲冑さえもらえばよいのです」
「もちろんあなたがおいでになるには及びません。わたくしのところには鉄鼓《てっこ》と金鐘《きんしょう》とがありまして、急用があればそれを鳴らすことになっています。すると弟たちはすぐやって参ります」
「ではさっそくそれを鳴らしてもらいましょう」
やがて鉄鼓と金鐘とが鳴り渡ると、まもなく三海の龍王たちは、兵をひいてやって来た。龍王|傲広《ごうこう》がそれを出迎えると、
「兄上、いかなる大事で鐘や鼓を鳴らされましたか」
と、南海龍王の傲欽《ごうきん》がたずねた。そこで傲広が、
「実は、花果山に天生聖人とかいうのがいてね、それがきょうやって来て武器をねだるので、いろいろなものを出して与えたところ、どれも小さすぎるの軽すぎるのといって、果てはあの大禹の宝柱を引きずり出して、今もなお宮中にがんばっておるんだが、今度は甲冑をよこせというんだ。わしのところにはないので、それでおまえたちに来てもらったんだが、おまえたちのところに何か適当なものがあったら、それを一揃い与えて、あいつを早く追っぱらってしまいたいと思ってね」
傲欽は聞くより大いに怒り、
「何を無礼な! わたしが兵をもって押えて見せます」と、いきまいた。すると西海龍王の傲閏がそれをいさめて、
「兄上、なにもそいつと争うことはありませんよ。まあ甲冑を与えてそいつを追っぱらってしまうんですね。その上で上表《じょうひょう》文をしたためて天帝に申し上げれば、天帝がそいつを罰してくれますよ」
北海龍王傲順もそれに賛成して、
「それがよい。わたしはここに藕頼糸歩雲履《ぐうしほうんり》(蓮《はす》の糸で作った飛行靴)を持っています」
といって、さっそくそれを差し出した。そこで主唱者の西海龍王も鎖子黄金甲《さしおうごんこう》(鎖編みの金のよろい)を差し出したので、さすが気の荒い南海龍王も、今は弟たちに服して、鳳翅紫金冠《ほうししきんかん》(鳳《おおとり》の羽を飾った赤銅の冠)を差し出さざるを得なかった。龍王傲広は大いに喜び、そこで弟たちを従えて水晶宮に入り、それらの品品を悟空に与えた。
悟空は紫金冠、金甲、歩雲履などをしっかと身につけ、
「いやどうもお騒がせしてすまなかった」
と捨台詞《すてぜりふ》を残して、悠々と如意金箍棒をうち振りながら出て行った。四海の龍王たちは、腹の虫の治まりようもなく、ただちに天帝に上奏することにした。
さて悟空は、またも「閉水の法」を使って水を開き、花果山さして帰って来た。おりから手下の猿どもは、すべて鉄橋のほとりに集まっていたが、ふいに波の間からおどり出た悟空が、少しも水に濡れていないばかりか、金色燦然たるよそおいをしているので、いっせいにその前にひざまずき、
「大王様、おみごとでございます」
悟空は得意満面、如意棒を鉄橋のまん中に突っ立てた。猿どもは、なんだかわからないままに、みんなでその棒を持ち上げようとするが、まるで蜻蛉《とんぼ》が石の柱をゆすぶろうとするようなもので、びくとも動きそうもない。いずれも舌を巻いて、
「大王様、こんな重いものを、どうして持っておいでになりましたか」
そこで悟空は、龍宮でのことを語り、猿どもを押しのけて、おれがこの鉄棒を自由に伸び縮みさせるのを見ておれ、と言いつけ、それに手をふれて「小さくなれ」と叫ぶと、たちまちその鉄棒は縫針のように小さくなり、悟空はそれを耳の中にしまい込んでしまった。猿どもは驚いて、
「大王様、もう一度出してお見せください」
そこで悟空が、また耳の中からそれを取り出し、掌《てのひら》の上に乗せて、「大きくなれ」と叫ぶと、たちまちそれは一斗枡のように太く、長さは二丈余になった。猿どもがいよいよ驚嘆したことはいうまでもないが、早くもそのこと――悟空がそのようなすばらしい武器を龍宮から奪って来たことが、全山七十二洞の魔王や怪獣どもに伝わると、かれらは以前にも増して悟空を恐れ敬い、いずれも洞を出て悟空を訪れ、その前に叩頭《こうとう》礼拝した。悟空はふたたび如意金箍棒を縫針ほどに縮めて耳の中にしまい、洞の中に引き上げた。
その後、悟空は四匹の老猿に健将(元帥)の位を授けて、洞窟の経営や賞罰などを委《まか》せ、自分は気ままに雲に乗って四方に遊び、広く友を求めて交った。その中に牛《ぎゅう》魔王、蛟《こう》魔王、鵬《ほう》魔王、獅駝《しだ》王、|※[#「けものへん+爾」]猴《びこう》王、|※[#「けものへん+禺」]※[#「けものへん+戎」]《ぐうじゅう》王などがいて、毎日往来して酒を汲みかわし、歓楽をほしいままにした。
さて話は変って、天上界の玉帝《ぎょくてい》(天帝)が、ある日|霊霄殿《れいしょうでん》に出御あそばすと、東海龍王の傲広が伺候して、上表文をたてまつった。それには、花果山|水簾洞《すいれんどう》の妖猿《ようえん》孫悟空の暴状がことこまかに述べられていた。玉帝はそれを読み終ると、
「朕《ちん》はただちに将軍をつかわしてかの妖猿を取り押えるであろう」
と約束して、ひとまず傲広を東海に帰らせ、さて列座の諸卿に向って、
「かの妖猿はいつ生まれて、いかにしてそのような術を得たのであろう」
とお尋ねになった。そこで千里眼《せんりがん》と順風耳《じゅんぷうじ》の両将が、
「その猿は三百年前、天地の精気を受けて生まれいでました石猿でございます。当時はさほどにも思いませんでしたが、この近年どこで仙術を修めましたものか。いっこうに相わかりません」と奉答した。
「されば、いずれの神将をくだして、征伐したものであろうか」
すると、列座の中からただちに太白《たいはく》金星が進み出て、
「陛下、願わくば慈恩をたれたまい、かの石猿を天上界にお呼びよせになり、官職を賜わって留めおかれるがよろしかろうと愚考いたします。その上にて、もし勅命に違《たが》うようなことがございましたなら、いつなりと取り押えることは容易でございます。かくいたしますれは、第一に多くの軍勢を動かさずに済み、第二には仙術を修めましたものをしかるべく待遇することにもなりましょう」
玉帝はその進言をお納《い》れになり、太白金星にその役――石猿を招撫《しょうぶ》することをお申し付けになった。金星は仰せを受けて、南天門を出て祥雲《しょううん》に乗り、ただちに花果山へと下り、門番の小猿どもに、
「自分は天の使である。玉帝の聖旨により、おまえどもの大王を天上に招くのじゃ。早く知らせて参れ」と言いつけた。
悟空は小猿どもの知らせを聞くと、大いに喜んで、自分で迎えに出た。そこで金星は洞内に入り、南面して坐して、おごそかにいった。「自分は太白金星であるが、このたぴ玉帝の聖旨を奉じ、なんじを天上に召して、仙官を授けるために参ったものである」
悟空は大にこにこで、さっそく宴席を設けさせて金星を歓待しようとしたが、金星はかたくそれを断って、
「聖旨を奉じて参った身で、久しく留まることはかなわぬ。早々同行されるよう」
とうながした。そこで悟空は、四匹の老猿を呼んで、あとをしかと頼み、金星とともにそれぞれ雲を起して、天上界をさしてのぼって行った。
四 大いに天宮を騒がす
さて悟空の|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》は、風よりも早いので、いっしょに出発した金星よりも早く、ひとり先に南天門へ到着した。そこで雲を収めて中に入ろうとすると、手兵をひきいて門を守っていた増長天王がさえぎって入れてくれない。悟空はぷんぷん怒って、
「さてはあの金星の老いぼれめは、騙《かた》りだったな。このおれ様を呼んでおいて、なんで門をふさがせやがる」
とどなっているところへ、やっと金星が到着した。悟空はすぐさま金星に向って、
「やい、この老いぼれめ、よくもおれを騙《だま》しゃがったな。玉帝の仰せで迎えに来たものが、なんでこやつらに邪魔立てさせるのか、けしからん!」
とその怒りを爆発させた。金星は笑って、「まあ大王そう怒らないでください。将軍たちはもともとあなたを知らないのだから、こばむのが当然ですよ」
「ふん、なるほどそうかもしれない。しかし、おれはもう行くのがいやになった。やめたよ」
悟空が駄々をこねるのを、金星はなだめすかして門前に近づき、大声で呼ばわった。
「天門守護のかたがた、お通しを願いたい。このかたは下界の仙人でござるが、それがし聖旨を奉じて、ただいまお連れ申したところでござる」
すると増長天王の一隊は、さっと道を開いたので、悟空も初めて金星の言葉を信じ、連れ立って悠々と門を入って行った。
さて金星は、悟空を導いて霊霄殿《れいしょうでん》に至り、玉座に向って礼拝したが、悟空は平然として突っ立っているばかり。金星が、
「臣、聖旨を蒙《こうむ》り、ただいま妖仙を召し連れましてございます」と奏上すると、玉帝は御簾《みす》の中から、
「あの者がその妖仙か」
とのお尋ね。そこで悟空はちょっと腰をかがめただけで、
「おれ様がそうだよ」
と答えると、いならぶ仙官たちは大いに驚き、
「この山猿めが、礼拝もせず、その上、『おれ様がそうだよ』とは、まさに死罪に相当する!」と口々にいい罵《ののし》った。しかし玉帝が、
「悟空は下界の妖仙で、いまだ天上の礼を知らないのであろう。まあしばらく許してつかわそう」と申されたので、その鶴の一声にもろもろの仙官たちもぴたりと鳴りをしずめた。
そこで玉帝が、欠員になっている官職をしらべさせられると、さいわい、弼馬温《ひっばおん》の官があいていたので、悟空をその官に任命された。弼馬温というのは、御馬監《ぎょばかん》という役所の事務をつかさどり、その任務は天馬千頭の飼育にあった。
悟空は官職の高下など全然知らないので、喜んでその職に就いたが、ちょうど半月ばかりたったころ、同僚の役人たちがかれの就職を祝して開いてくれた酒宴の席で、
「時にこのおれの弼馬温という官は何等官なんだ」
と、一同に尋ねてみた。一同は、
「官等などありませんよ」
「官等がないんだって? じゃあまり高すぎて官等がないのか」
「高すぎるどころか、まだ官等に入らない微官ですよ、要するに馬飼いじゃありませんか」
聞くより悟空は、牙を噛んで憤り、
「よくもこのおれ様をばかにしやがったな。花果山におれば、おれは王様だぞ。そのおれをだまして連れてきやがって、馬を飼わせるとは何事だ。おれは帰る」
さんざんどなり散らしながら、役所の机をおし倒し、耳の中から例の如意棒《にょいぼう》を取り出して、手ごろな長さにしたのを打ち振り打ち振り、御馬監を飛び出して、南天門へとやって来た。門衛の役人たちは、すでに悟空の顔を見知っているので、かれが門を出て行くのをさえぎるものはなかった。
悟空は雲に乗り、たちまちのうちに花果山へ帰り着くと、大声でどなった。
「者ども、帰ったぞ!」
手下の猿どもが迎えに出て、叩頭《こうとう》していうには、
「大王様が天上に去られてからすでに十数年、さだめし錦を飾ってのお帰りでございましょう」
「おれが行ってから、ほんの半月にしかならないのに、十数年とはどうしたわけか」
「天上の一日は下界の一年に当ります。それにしても、大王様にはいかなる官職にお就きでございますか」
問われて悟空は憤然として答えた。
「玉帝は人の用いようを知らない。おれを弼馬温に任じたが、それは天馬を飼う役で、官等にも入らない微賎の官だそうだ。おれは初め知らないで就任したが、きょうそのことを同僚から聞いて、しゃくに障《さわ》ってたまらず、席をけって飛び出して来たんだ」
「大王様には、ここにさえおいでになれは、至らぬながらもわたくしどもが敬重いたしますものを、なんで他人の馬子《まご》などにおなりになることがございましょう」
猿どもは口々に悟空をなぐさめ、洞内に迎え入れて、酒肴《しゅこう》をととのえ、大王慰安の酒宴を開いた。やがて、宴がややたけなわになったころ、独角鬼王《どっかくきおう》というものが訪ねて来て、うやうやしく悟空を拝し、
「承りますれば、大王には天上の官を得られ、錦を飾ってお帰りの由《よし》でございますが、お祝いのために赭黄袍《しゃこうほう》(朽葉《くちは》色の上着)一領を献じますれば、なにとぞお納めください。また大王のおんための犬馬の労をとらせていただきたくお願い申し上げる次第でございます」
とのことだった。悟空は大いに喜び、さっそくその赭黄袍《しゃこうほう》を一着に及び、独角鬼王を先鋒の大将に取り立てることにしたので、鬼王は恩を謝し、
「時に大王には天上にていかなる職に就かれましたか」と尋ねた。
「玉帝は賢者を軽んじ、このおれ様をば弼馬温《ひっばおん》に任じおったわ」
悟空はいまいましげに答えた。すると鬼王は、
「あれほどの神通力をお待ちの大王様に、馬など飼わせるとはけしからぬことです。大王様の器量をもってすれば、たとえ斉天大聖《せいてんたいせい》(天と同格の大聖)になられたとしても、なんの不都合がありましょう」
悟空はよほどそれが気に入ったとみえ、例の四健将(四匹の老猿)に命じて旗竿を立てさせ、その頂きに斉天大聖の四文字を大書した旗をかかげさせた。
さて話は変り、玉帝におかせられては、悟空が役不足の不平から乱暴を働き、かってに天宮を去ったと聞かせられて、いよいよ悟空を征伐することに決め、托塔李天王《たくとうりてんおう》を降魔大元帥《ごうまだいげんすい》とし、その第三太子の|※[#「口+那」]咤《なだ》を副将として、兵をひきいて下界へ進発せしめられることになった。
そこで李天王と|※[#「口+那」]咤《なだ》太子とは、玉帝にいとまを乞い、三軍を編成して、ただちに花果山に至って陣を布《し》き、部下の巨霊神《きょれいしん》に先陣を命じた。巨霊神は宣花斧《せんかふ》という大斧を水車のようにまわして、水簾洞の前に馳せ向った。見れば多くの猿どもが、槍を使い、剣を舞わせている。巨霊神は大音声に呼ばわった。
「こらっ畜生ども、さっさと行って弼馬温に申し伝えろ。上天の大将が玉帝の仰せを受けてなんじを捕えに参ったとな。彼奴《きやつ》に早く降参させて、なんじらの命を助かるがよい」
猿どもが洞内にかけ入ってその言葉を伝えると、悟空はただちに如意金箍棒をひっさげ、部下を引き連れ、洞を出て陣を張った。それを見て巨霊神が、
「この悪猿め、おれをだれと思うか」
と大声で叫ぶと、悟空は、
「きさまはどこのこっぱ神だ。おれがどうして知るものか。早くだれだか名乗ってみろ」
「さらば名乗ってつかわそう。やあやあ、われこそは、托塔李天王の臣にして、先鋒を承る巨霊神なるぞ、このたび玉帝の聖旨をこうむり、なんじを捕えんために来たりしなり。早く降参なして死罪をまぬかれよ。もしいやと申さば、たちどころに、こっぱみじんにしてくれるぞ」
聞くより悟空は大いに怒り、
「何をこのやくざ神め、大口たたくもよい加減にしやがれ。ただひと打ちに打ち殺すのは造作もないが、しばらく命を許してやるほどに、さっさと帰って玉帝に伝えるがよい。神通無限のこのおれを、なんで馬飼いなんかにしたとな。どうだ、おれの旗に書いた文字をよく見るがよい。あのとおりの官にするなら、おれもたって兵を動かさないが、もしそれが聞かれないなら、霊霄殿《れいしょうでん》まで攻めのぼるとな」
巨霊神がふと空をふり仰いで見ると、なるほど洞前の竿の上高く、「斉天大聖」と書いた旗がひるがえっている。巨霊神はあざ笑い、
「この悪猿め、斉天大聖とは何事じゃ。さあ、おれのこの斧の一撃でもくらえ!」
いうより早く、ただまっ二つと斬ってかかった。悟空も金箍《きんこ》棒で渡り合ったが、巨霊神はとうてい悟空の敵ではなく、悟空の一撃に斧の柄を二つに折られ、命からがら逃げ出してしまった。
巨霊神に代り、今度は|※[#「口+那」]咤《なだ》太子が改め寄せて来た。悟空はそれを見ると、
「おまえはどこの小倅《こせがれ》だい。ここへ来て何をやろうってんだい」
「われこそは托塔李天王の第三太子|※[#「口+那」]咤《なだ》なるぞ。玉帝の仰せにより、わざわざなんじを捕えに参ったのだ」
「赤ん坊太子、産毛《うぶげ》もまだ乾かないくせに、なんだってまたそんな大口をたたくんだい。まあ、おれの旗に何と書いてあるか、よく見るがよい。しばらく命をあずけてやるから、帰って王帝によく伝えることだ。おれをこの旗に書いてあるとおりの官にするなら、大騒ぎをするまでもなく、おれのほうから帰って行くが、さもなければ、おれはあくまで霊霄殿まで攻め入るとな」
|※[#「口+那」]咤《なだ》太子は、ふり仰いで斉天大聖の四字をひと目見るや、
「この化け猿め、おのれの神通力を鼻にかけ、かかる名号を僭称《せんしょう》するとは、なんたる無礼のふるまいか! いざ、わが剣を受けてみよ!」
というより早く、呪文《じゅもん》をとなえて大喝《だいかつ》すると、たちまち三面六臂《さんめんろっぴ》の荒神となり、その六本の手には、斬妖剣《ざんようけん》(妖魔を斬る剣)、|※[#「石+欠」]妖刀《かんようとう》(妖魔を降す刀。)、縛妖索《ばくようさく》(妖魔をしばる綱)、降妖杵《こうようきょ》(妖魔を降すきね)、綉毬児《しゅうきゅうじ》(錦の投げ手鞠《てまり》)、火輪児《かりんじ》(火を吐く輪形の武器)の六つの武器をそれぞれ振りかざして、勢い猛《もう》に打ってかかった。
悟空はそれを見て、ひそかに驚き、この小童《こわっぱ》め、こんな術を使うのか、よしそれならば、おれの神通力を見よ! とばかり、これまた呪文をとなえて三面六臂となり、金箍棒を三本となし、おのおのその一つを二本ずつの手で振りかぶって、負けず劣らず、火花を散らして攻め合った。
かくて両々秘術をつくして戦うこと三十余合、太子の六種の武器が千変万化に働けば、悟空の金箍棒も劣らず千変万化して、勝負は容易につきそうにもない。そこで悟空は、すばやく一本の毛を抜いて、それを変じて自分の姿に似せ、自分に代って正面から太子に向わせ、自分は太子のうしろへまわって、その左腕をはっしと打った。太子は身をかわす暇もなく、不覚の打撃を受けて痛みにたえず、ついに法を解いて、本営さして逃れ去った。
太子が逃げ帰ったのを見て、李天王は、大いに驚き、
「あいつ、よほどの神通力があるようだが、さてどうしたら勝てるであろうか」
と嘆息した。そこで太子は答えて、
「あいつめ、洞外に斉天大聖の四文字を書いた旗を立てていますが、もし玉帝がかれをそれに封ずればよし、さもないと霊霄殿まで攻め上ると申しております」
「そうか、それではいったん天上に帰り、その旨を奏上して、なにぶんのご沙汰を待つことにしよう。その上でさらに多くの兵をひきいて再挙するも遅くはあるまい」
太子も腕の痛みにたえかねて、ふたたび戦う勇気もなく、ともに兵をまとめて、天上へと帰って行った。さて悟空が大勝を得て洞内に引き上げると、七十二洞の妖魔や怪獣や、最近とくに親しく交っている牛魔王《ぎゅうまおう》らの六王も、すべて祝賀のために集まって来たので、洞内では盛んな酒宴が開かれることになった。
それはさておき、天上に帰った李天王と|※[#「口+那」]咤《なだ》太子とは、ただちに霊霄殿に参内して、玉帝に敗戦のおわぴを申し上げ、
「かの妖仙は、斉天大聖と大書《たいしょ》した旗を洞外に立て、もしそれに封ぜられればよし、さもないときは霊霄殿まで攻め上ると豪語しております」
と言上すると、玉帝もいまさらのように悟空の狂暴に驚かれ、さっそく多数の将星を派遣してただちに誅滅《ちゅうめつ》せよ、との仰せだった。ところが例の太白金星が、このとき、またもや列座の中から進み出て、
「かの妖仙の申しますことは、まことに不遜ではありますが、さらに軍を差し向けるとも、おそらく急には攻めほろぼすことも困難かと存じます。それより聖旨を下されてかれを斉天大聖になされるに越したことはございません。もとよりそれはただ名目だけのことで、仕事も俸給も与えず、天宮に養いおくのでございます。そうすれは、いつとなくかれの邪心もおさまり、天も地もことごとく安寧《あんねい》になるかと心得ます」「なるほど、それももっともである」
玉帝はすぐ金星に詔書をお下しになり、ここにふたたぴ金星は悟空の招撫におもむくことになった。さて金星が雲に乗って花果山へ来て見ると、このたびは前とは違って、洞前に威風が満ち、なんとなく殺気がただよっている。金星が、聖旨を奉じて悟空を招きに来たことを伝えると、門番の猿どもはすぐ洞内へかけ入って、かくと悟空に報じた。
「そうか、今度の招きはかならずよいことにちがいない」
悟空は洞を出て金星を迎え入れた。金星は洞内に進み入ると、南面して立ち、
「さきに大聖は、官等の低きを嫌って御馬監《ぎょばかん》を去られたが、玉帝の仰せられるには、『およそ官職はみな低きより始めてしだいに高くなるもの、低しとて嫌う理由はない』とのことであった。さりながら、きのう、李天王と|※[#「口+那」]咤《なだ》太子が帰っての奏上によると、大聖には斉天大聖になりたいとの由、そのことについてはいろいろ反対もあったが、それがしのたってのお願いにより、玉帝におかせられてはそれをお許しになったので、かくは来たってお招きする次第である」
悟空は聞くより大にこにこで、
「かさねがさねご足労、まことに辱《かたじ》けのうござる」と、さっそく金星とうち連れて雲に乗り、南天門へとやって来た。すると門を守っている天将たちも、今度はみな両手を組み合わせ、拱手《きょうしゅ》の礼をして出迎えた。悟空の得意や思うべしである。そこでただちに霊霄殿へ参り、金星が、悟空を連れて来たことを奏上すると、玉帝は、
「悟空よ、このたびなんじを斉天大聖となし、最上の官にのぼせるゆえ、かならず無謀のことをするではないぞ」
と仰せられた。ところが悟空は、
「承知しました」
と口先で恩を謝しただけで、いっこうありがたそうな様子でもなかった。
玉帝は工官に命じて、蟠桃園《ばんとうえん》の右に斉天大聖府を建てさせ、悟空をそこに住まわせることにし、またべつに御酒二瓶、金花十枚を賜わった。
五 蟠桃《ばんとう》を乱して丹《たん》を偸《ぬす》む
かくて悟空は、斉天大聖とはなったが、要するに一個の妖猿にすぎず、官等や俸給のことは何も知らず、ただ名前だけに満足していた。そして毎日、三度の食事をすることと寝ること以外には何もすることがなかったので、気ままにあちらこちらと遊びあるき、二十八宿の星官や、四天王などと交り、きょうは東に、あすは西にと、その行方も定かではなかった。
ある日、許旌陵《きょせりょう》という真心《しんじん》(さとりを開いた人)が、玉帝に奏上するには、
「かの斉天大聖は毎日なすこともなくぶらぶらいたしておりますが、かくてはかえって大事をひき起すようなことにもなりましょう。ついては何か仕事をお申し付けになられてはいかがでございますか」
玉帝はなるほどと思われ、さっそく大聖をお召しになって、
「そちはだいぶ暇のようであるから、ひとつ仕事を与えることにしよう。しばらく蟠桃園《ばんとうえん》の管理をするがよろしかろう」との仰せだった。大聖は喜んでお引き受けし、さっそく蟠桃園へ行って見ると、土地神《とちしん》は大聖が聖旨を奉じて園を管理すると聞いて、しきりに頭をさげて礼をなし、大聖を案内して勘査《かんさ》にとりかかった。
見れば園内のどの桃の木にも、りっぱな実が色もあざやかに、枝もたわわになっている。大聖は、しばらくそのみごとさに見とれていたが、
「この桃の木は、皆で何本あるのか」
と土地神に尋ねてみた。
「三千六百本ございます。手前にある千二百本は、三千年にひとたび熟し、それを食えば仙人になることができます。中ほどにある千二百本は、六千年にひとたび熟し、これを食えば不老長生を得られます。奥にある千二百本は、九千年にひとたび熟し、これを食えば天地と寿をひとしくすることができます」
大聖はそれを聞くと大いに感心したが、その日はそれだけで切り上げて、斉天府へ帰った。しかしそれからというもの、かれはしばしば桃園の見まわりに時をすごし、友と交ることも、東西に遊ぶことも、しぜんになくなってしまった。
ところがある日、よくみのった桃の実を見上げているうちに、どうしても食べてみたくてたまらなくなった。しかし土地神や斉天府の役人がつき添っているので、どうにもならない。そこで一計を案じて、
「おれはこの四阿《あずまや》でひと休みしたいから、おまえたちはしばらく門の外で待っていてくれ」
と、一同を退出させ、さっそく衣冠をかなぐり捨てて、するすると桃の大木によじ登ると、熱しておいしそうな実を選んでは食い、取っては食いして、思いのままに満腹を楽しんだ。そしてようやく食べあきると、ふたたぴ木から降り、衣冠をつけて一同を呼び、かれらを従えて斉天府へ帰った。それから二、三日するとまた、例によって桃の盗み食いをして悦に入っていた。
さてある日、西王母《せいおうぼ》が瑤池《ようち》に臨んだ宝閣《ほうかく》において蟠桃会《ばんとうえ》を催おされることになり、七人の仙女に命じて、蟠桃園へ行って桃の実を摘んで来るようにと仰せられた。そこで七仙女が、手に手に籃《かご》をさげて園へ来て見ると、土地神や斉天府の役人らが門を守っているので、
「わたくしどもは、王母様の命によって、蟠桃会のための桃を摘みに参りました」
というと、土地神が答えて、
「しばらくお待ちください。ことしからは、斉天大聖がここを管理なさることになりましたので、大聖の許可がなければ桃を自由にすることはできません」
「では大聖はどちらにおいでですか」
「ただいま囲内の|あずまや《ヽヽヽヽ》でお眠《やす》みになっていられます」
「すぐわたくしどもをそこへお連れください。遅れるとたいへんですから」
そこで土地神が仙女たちを案内して|あずまや《ヽヽヽヽ》へ行って見ると、そこには衣冠が脱ぎ捨ててあるだけで、かんじんの本尊はどこへ行ったか見つからない。実はこのとき、大聖はたらふく桃を食べあきて、二寸ばかりの小人に化け、桃の木の梢の葉の茂り合った中で、ぐっすり昼寝をしていたのだった。
大聖の姿が見えないので、仙女たちはやきもきする。土地神はしかたがなく、
「よくあることですが、大聖はきっと友だちに会いに行かれたのでしょう。いやよろしい、あなたがた早く桃を摘んでお帰りになってください。あとでわたくしどもから大聖に申し上げておきますから」
そこで仙女たちは桃の林に入り、まず前の林から三|籃《かご》、次に中の林から三籃つみ、最後に奥の林へ来て見ると、そこには桃の実はほとんど見当らず、ただうらなりのものが、二つ三つあるきりだった。それというのも、|うれた《ヽヽヽ》のは大聖が皆食べてしまったからだった。仙女たちは、やっと南の枝に半熟のものをひとつ見つけたので、手をのばしてその枝をため、実を摘み取ってその手を放すと、枝はぴんと上へはね上った。
ところが何ぞ計らん、大聖が眠っていたのがちょうどこの枝だったので、びっくりして眼をさました大聖は、たちまち本相をあらわし、耳の中から金箍《きんこ》棒を取り出してくり延べ、
「おれの桃を盗むとは、なんじらはいったいどこの何者であるか!」
と大声にどなった。仙女たちは驚いていっせいにひざまずき、
「大聖様どうぞお怒りにならないでくださいまし。わたくしどもは、王母様のお言いつけで、蟠桃会のための桃を摘みに参ったものでございます」
大聖はそれを聞くと、急ににこにこして、
「ところで王母は、宴会を開いてだれを招くのかね」
「これまでのしきたりによりますと、西天の諸仏、南海の観音、東方の聖帝、北極の玄霊《げんれい》、中天の黄角大仙《こうかくだいせん》などのほかに、上の八洞、中の八洞、下の八洞の諸神でございます」
大聖は笑いながら、
「斉天大聖のこのおれを呼ばないのかね」
「いま申したのは古いしきたりでございまして、このたびのことは存じません」
「それは変な言いぐさだ。ではおまえたちちょっとここで待っていてもらいたい。おれが先に行って様子を見届けてくるからな」
そこで大聖は、「定身《じょうしん》の法」で仙女たちを桃の木の下に立ちながら眠らせておき、雲を飛ばせて瑤池をさして急いだ。ところがその途中で、思いがけず赤脚大仙《せっきゃくだいせん》に出会った。大聖はひそかに一計を案じ、さあらぬ体で、
「ご老人、いずこへ参られますか」
「王母の招きで、蟠桃会に参りますじゃ」
「それはそれは。ところでこのたびは例年と異なり、まず通明殿で玉帝に礼拝してから、瑤池へ参ることになりましたぞ」
大仙はまっ正直な人だったので、まんまとだまされて、すぐ通明殿のほうへ行ってしまった。そこで大聖は、しすましたりと、からだをひとゆすりして赤脚大仙の姿に変じ、何くわぬ顔をして瑤池へと急いだ。すでに到着すると、雲から降り、宝閣の中へ入って行った。見ればすでに大宴席が設けられ、卓上には龍の肝《きも》、鳳《おおとり》の髄、熊の掌《てのひら》、猩々《しょうじょう》の唇などのご馳走が山ほど並べてあるが、まだ客の姿はひとりも見えない。右手の廊下には酒がめがいくつも並べてあり、それと見るより涎《よだれ》が流れてとめどもないが、そこには酒の番人が大ぜいいるので手が出せない。そこで大聖は、例によってひとつかみの毛を抜いて、それを睡虫《ねむりむし》に変じて放つと、虫は番人にとりつき、たちまちかれらはこくりこくりと居眠りをはじめた。
こうなればしめたものだった。大聖は悠々とご馳走を平らげ、たらふく酒を飲んで、よい気持に酔っぱらってしまった。しかし、さすがに気がとがめたとみえ、
「いけねえ、いけねえ、もし客がつめかけて来て、つかまりでもするとめんどうだ。ここは一刻も早くずらかるに限るわい」
そう思って、よろよろふらふらと歩きだしたが、どう道をまちがえたものか、やって来たのは斉天府――自分の住所ではなく、兜率天宮《とそつてんきゅう》であった。
「そうだ、兜率宮といえは、太上老君《たいじょうろうくん》(道教では老子を尊んでそういう)のご座所だが、どうまちがえて、こんな所へ来たのだろう。なに、かもうものか、かねて老君には一度あいたいと思っていたが、この機会にお目にかかることにしよう」
衣紋《えもん》をつくろい、宮殿へ入って行ったが、老君の姿は見えず、あたりはひっそりとしていた。それというはこのとき老君は三層楼の朱丹陵台《しゅたんりょうだい》の上で、燃灯古仏《ねんとうこぶつ》(釈迦《しゃか》の出生を予言した古仏)とともに、あまたの仙童たちに道を講じていたのだった。大聖は、老君が仙丹(金丹)をねる部屋まで、のこのこと入って行ったが、やはりだれもいない。ふと丹竃《たんそう》(仙丹をねるかまど)のそばを見ると、そこには五つの|ひょうたん《ヽヽヽヽヽ》が置きっ放しになっていて、その中には老君がねった仙丹がいっぱい詰っているはずだった。大聖は大いに喜び、
「こいつは仙家第一の宝だぞ。うまい物にめぐり会ったわい。老君の留守をさいわい、ひとつ頂戴することにしよう」
と、|ひょうたん《ヽヽヽヽヽ》を傾けて、まるで炒豆《いりまめ》でも食べるように、ぼりぼり齧《かじ》った。そのせいか、やがて酒の酔いがさめてくると、
「いけねえ、いけねえ、ますますえらいことをやっちまったぞ。この上は下界へ逃げるより手がないわい」
大あわてに兜率宮を逃げ出し、道を変えて西天門《さいてんもん》から「隠身《おんしん》の法」(雲がくれの法)によって天宮を出、たちまちのうちに花果山へと帰り着いた。そして大声で、
「者ども、おれだぞ!」
と叫ぶと、一同はひざまずいて出迎え、洞内へ請《しょう》じ入れた。四健将がうやうやしく礼拝して、こんどの玉帝の待遇ぶりはどうであったかと尋ねるので、大聖はきょうまでのことを残らず話して聞かせ、
「そんなわけで、おれは玉帝から罰せられるのを怖れて、たった今、天門から逃げ出して来たのだ」
というと、一同は大聖をなぐさめようと、大盃になみなみと果酒をついで捧げた。ところが大聖はひと口飲むや、
「これはまずい! おれは今、瑤池の長廊下にしこたま仙酒があるのを見て来たばかりだ。おまえたちはあんなうまい酒は飲んだことがなかろう。待ってろ、これからもう一度いって、いくつか|かめ《ヽヽ》を盗んできて、みんなにたとえ半杯ずつでも飲ましてやるから」
聞くより一同は大喜びである。大聖は.さっそく洞を出ると、またもや「隠身の法」を使って、瑤池の宮殿へとやって来た。見れば酒の番人たちはまだ眠がさめずにいる。大聖は大|がめ《ヽヽ》を選んで、その二つを脇の下にさしはさみ、他の二つを両手にさげて、雲を飛ばして難なく水簾洞《すいれんどう》に帰りつき、一同とともに大いに愉快に汲《く》みかわした。
話かわって、こちらはかの七人の仙女たちである。立ちながら眠りつづけることまる一日、ようやく「定身の法」が解けたので、大急ぎで瑤池へ帰り、つぶさに事の次第を西王母に訴えた。
そこで王母は、すぐさま玉帝に拝謁して、大聖の暴状を事こまかに申し上げた。するとその話もまだ終らないうちに、酒香の役人や、太上老君や、赤脚大仙らがぞくぞくとやって来て、それぞれに被害の状況を訴えた。また斉天府からは、大聖がきのうどこかへ出遊されたまま、その行方がわからないという報告が届いた。
玉帝はたいそう驚かれて、すぐさま検察の役人に命じて、大聖の足どりを調べさせられた。その結果、大聖の行状が逐一《ちくいち》あきらかになったので、玉帝は震怒《しんど》したまい、四天王、李天王、ならびに|※[#「口+那」]咤《なだ》太子らを主将とし、その他二十八宿、九曜星官、十二|元辰《げんしん》、等々をして、十万の天兵をひきいて、花果山へと進発せしめられた。
そこでまず、李天王が天兵を指揮して花果山を包囲し、天羅《てんら》(天のあみ)地網《ちもう》(地のあみ)をその上下に張りめぐらし、九曜星官をして先陣をつとめさせることにした。九曜星官は、さっそく水簾洞の前に進み出ると、大音声に呼ばわった。
「やあやあ大聖いずこにありや。われらは天上の神将なり。なんじを捕えんためにこの所に下ったるぞ。早々に降参いたさばよし、もし半句たりとも嫌だと申さば、なんじら一同の命はないものと知れ」
門番の猿どもは、あわてふためき、洞内にかけ入って、このことを知らせた。このとき大聖は、七十二洞の妖魔や四健将らとともに、仙酒を汲みかわし、ほろ酔い機嫌で歌などうたっていたが、とりあえず独角鬼王《どっかくきおう》に命じて、七十二洞の妖魔をひきいて出陣せしめ、自分は四健将を従えて、そのあとに続いた。
鬼王は妖魔どもをひきいて、門を出て敵を迎え討ったが、逆に九曜星のためにさんざん打ちまくられて、鉄橋のほとりに立ちすくんだまま、一歩も前進することができなかった。そこへ大聖が到着して、それと見るや道を開かせておどり出し、金箍棒を振って打ってかかる。九曜星はさっと退き、陣を立てなおして、
「やあ、愚かなり弼馬温《ひっばおん》、なんじ十悪の罪を犯したるにより、玉帝の聖旨を奉じて、かくはなんじを捕えんとして参ったるぞ。命が惜しくば、すみやかに降参せよ」
と呼ばわると、大聖はかんかんに怒って、
「ここなこっば神め! ろくな法力もないくせに、むだ口たたくな」
と、金箍棒を水車のようにふりまわして打ってかかれば、九曜星はたちまち打ち負かされて、へたへたとなり、もろくも逃れて本陣へかけ込み、李天王《りてんのう》に訴えた。
「かの猴王《こうおう》は、はたして武勇なみなみならず、われらの及ぶところではございません」
そこで李天王は、四天王以下の全軍に出動を命じ、どっとばかりに攻めかかると、大聖も独角鬼王、七十二洞の妖魔、四健将らに命じて、これまた全軍を挙げて立ち向った。かくて戦いは、乱戦また混戦のうちに、日没にまで及んだが、すでに独角鬼王や七十二洞の妖魔らはことごとく天将の手に捕えられ、いまや四健将と猿の群とは水簾洞の奥深くにかくれているばかりとなった。
しかし、ただひとり大聖は、一本の金箍棒をもってよく群がる敵を防ぎ止め、半ば空中にあって血戦していたが、早くも日の暮れかかるを見て、ひとつかみの毛を抜き、口に入れて噛みくだいてぷっと吐き出すと、それがたちまち千百の大聖となり、手に手に金箍棒を振りかざして、まず|※[#「口+那」]咤《なだ》太子をうち退け、つづいて五人の天王をも撃退してしまった。
大聖は逃げるを追わず、毛をおさめて洞内へ引き上げたが、鉄橋のほとりまで四健将が一同をひき連れて出迎えた。四健将は皆とともに大聖の前にひれ伏したかと思うと、オウオウと大声で泣きだし、すぐまたキャッキャッと大声で笑いだした。
「おまえらはおれを見て、なぜ泣いたり、また笑ったりするのか」
大聖がこう尋ねると、四健将が答えて、
「けさからの戦いに、鬼王や妖魔らはことごとく捕えられ、われらのみ逃れて生を全うしましたが、これが泣かずにいられましょうか。しかし今、大聖様が勝利を得てお帰りになり、手傷ひとつ負っていられないのを拝して、これまた笑わずにいられましょうか」
「勝敗は兵家の常だ。古人もいっているではないか、『敵一万を殺せは、みずから三千を損ず』とな。くよくよすることはないわい。あすは天将どもをひっ捕えて、かならずこの仇は討ってやる」
そう大聖になぐさめられて、一同はようやく安心するありさまだった。
一方、天将たちは捕えた妖怪どもを調べてみたが、いずれも虎や豹や狼や虫の化物ばかりで、まだ一匹の猿も見当らない。そこで、これまたあすはと気負い立ったが、さてどうなることであろうか。
六 二郎|真君《しんくん》との一騎打
ここに南海|普陀《ふだ》落伽山《らっかさん》の観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》は、王母の招きを受けて蟠桃会《ばんとうえ》に臨もうと、高弟の恵岸《えがん》をつれて瑤池へ来てごらんになると、妖猿のために宴席がさんざんに荒らされ、ために会は中止になったとのことだったので、それではと玉帝のところへ会いに行かれた。そして玉帝から、今度の事件のあらましを聞かれた菩薩は、すぐ恵岸に命じて、
「そちはさっそく、天宮を下って軍情を探って参れ。もし都合によれば、いささか味方に力を貸すもよいが、かならず報告を忘れるではないぞ」と申しつけられた。
もともとこの恵岸は、今でこそ出家して観音菩薩の高弟となっているが、実は李天王の第二子で、|木※[#「口+託のつくり」]《もくだ》に)というのがその本名であった。かれはさっそく、手なれた鉄棒を提げ、雲に乗って花果山へ着くと、あたり一面に張りめぐらした天羅地網を開かせて、父李天王の本営へとたずねて行った。すると李天王は、
「おまえはどうしてこんな所へやって来たのか」と尋ねた。そこで恵岸が、事の次第を説明すると、李天王は喜んで、きのうからの戦闘の模様を語って聞かせた。ところがまだその話が終らないうちに、早くも伝令が飛んできて、大聖が現われて戦いをいどんでいると報告した。恵岸はすっくと立ち上り、
「未熟ながらも、わたくしもひとつお手伝いさせていただきます」
と、李天王の許しを得て、鉄棒を提げて軍門を出るや、大音声に、
「大聖はどこにいる?」
と呼ばわった。悟空も負けずに、
「おれ様はここにいるわ。きさまはだれだ」
とどなり返す。
「おれは李天王の太子|木※[#「口+託のつくり」]《もくだ》、観音の御弟子《みでし》恵岸だ。師と父の命を受けてなんじを捕えに参ったぞ」
「何をこしゃくな! さあ、この棒を受けてみろ」
かくて戦端は開かれたが、どちらも負けず劣らず、激しい打ち合いが、五六十合に及んだ。そのうちに、恵岸はようやく疲れを覚え、ささえきれなくなったので、隙を見てさっと本陣に引き上げ、李天王に訴えた。
「大聖の神通力があまりに広大で、残念ながら、それがしの手にはおえません」
そこで李天王は、上表文を作って援兵を乞うこととし、恵岸にそれを持たせて、天宮へ帰らせた。
さて玉帝が、上表文をごらんになると、援兵を乞う旨が書いてあるので、たいそう驚かれ、
「はてさて、今度は、だれをつかわしたらよいであろうか」と嘆息せられた。すると、そばから観音菩薩が申されるには、
「陛下、ご心配には及びません、わたくしが、ひとりの神将を推挙して、かの猿を捕えさせましょう」
「それはだれのことですか」
「陛下の甥君《おいぎみ》、二郎真君です。真君は今、灌江口《かんこうこう》(四川《しせん》省にある)においでですが、あのかたは昔、多くの妖怪を退治されたこともありますし、またその義弟には、神通に達した梅山《ばいざん》の六兄弟もいることですから、かならずやあの猿を捕えることができましょう」
玉帝はそれを聞いて非常に喜ばれ、すぐさま使者を真君の廟《びょう》へつかわして、聖旨を伝達せしめた。真君は謹んで聖旨をお受けし、さっそく梅山の六兄弟を呼んで、軍議をねり、神兵千二百と、鷹《たか》や犬まで用意して、狂風に乗じて東洋大海をおし渡り、たちまちのうちに花果山へ到着した。
真君はそこで李天王や四天王に迎えられ、目下の軍状を聞き取った上で、
「このたびの一戦は、それがしどもにおまかせ願いたい。ただ李天王にお願いしたいことは、つねに空中から照魔鏡《しょうまきょう》を照らして、猿めが逃げる道を見失わないようにしていただきたいことです」
こう頼んでおいて、ここにいよいよ、手勢《てぜい》をひきいて水簾洞へ攻め寄せることになった。
このとき大聖は、洞内でひと休みしていたが、敵が挑戦して来た知らせを受けると、急ぎ金箍棒《きんこぼう》をとって門外に走り出た。そして小手をかざしてながめると、寄手の大将がいかにも上品で、武将らしくも見えないので、急にばかにして笑いだした。真君は声をはげまして、
「われこそは玉帝の甥、二郎真君なるぞ。このたび勅命により、なんじを捕えんために参りしぞ」
と叫んだが、大聖のほうではいよいよ真君をばかにして、
「この小童《こわっぱ》め! おれはおまえのような青二才と手合せするのはごめんだよ。四天王を呼んで来い」
真君は大いに怒って、
「無礼なり悪猿め! わが一刀を受けてみよ」と、勢い鋭く打ちかかった。大聖はぱっと身をひらき、急ぎ金箍棒をあげて、迎え戦った。
かくてふたりは、たがいに、しのぎをけずって戦うこと三百余合に及んだが、まだいずれとも勝負がつかない。すると真君は、ふいに身をひとゆすりしたかと見ると、たちまち身の丈《たけ》は一万丈に及び、両手に三尖刀《さんせんとう》(きっさきが三つに分かれた刀)を振りかざして、大聖めがけて斬ってかかった。それはあたかも華山《かざん》(中国の名山)が動きだしたようで、まっ蒼な顔に赤い毛を振りみだして、まことに恐ろしげな様子である。そこで大聖も、何をこしゃくなとばかり、自分も真君と同じほどの背丈となり、両手に金箍棒をふり上げたさまは、これまた崑崙山《こんろんざん》にも比すべきものがあった。
こうして二人が戦っている間にも、一方では梅山の六兄弟が、神兵を進め、犬や鷹を放って猿どもを攻め立てたので、四健将をはじめ二、三千の猿どもは、あわれや、たちまちにして捕えられ、その他の者どもも、えものを捨ててちりぢりに逃げ去ってしまった。
大聖は秘術をつくして真君と一騎打ちの最中だったが、ふと味方の敗戦に気づくと、あっと心に驚き、急に法相《ほうそう》をおさめて、身をひるがえして逃げ出した。真君は逃がさじと追っかける。
大聖がやっと水簾洞の入口まで逃げ帰ると、そこはすでに梅山の六兄弟によって占領されていて、うまく逃げこむことができない。そこで、金箍棒を縫針ほどにして耳の中へしまい込むと、身をゆすって一羽の雀に変じ、木の梢に身をひそめた。六兄弟にはそれがわからない。うろうろして、あたりを捜しまわっていると、そこへ真君がかけつけて来た。
さすがに真君だった。かれはたちどころに、大聖が雀となって樹上に身をひそめているのを見破ったので、自分は一羽の鷹となり、翼を開いてさっとばかりに襲いかかった。しくじったりと大聖は、こんどは大海鳥となって、天上高く舞い上った。とたんに真君も、一変して大海鶴となり、雲をついて追っかけて行く。追いつかれてはたまらないので、とっさに大聖は逆《さか》落しに谷間へ飛びおり、魚となって淵に身をひそめた。
真君は淵のほとりへ来てみたが、さっぱり大聖の行方がわからない。そこで思うのに、猿めどうやら魚か蝦《えび》に化けて水底にひそんでいるな、それならばよし! と、さっそく一羽の水鳥となり、水面を泳ぎまわりながら、鋭い監視の眼を見張っていた。
大聖はふと気づくと、一羽の鳥が水面からうかがっているので、こいつてっきり二郎真君の変化《へんげ》にちがいないと思い、一変して水蛇となり、岸の草の中へくぐり入ろうとした。真君は早くもそれを見破り、一羽の丹頂の鶴となって、その長い嘴《くちばし》でつつき食おうとした。すると水蛇はぴょんとひと跳ねして、こんどは花鴇鳥《のがん》になって水べに突っ立った。いったい、この花鴇鳥というのは鳥の中でもっとも賎《いや》しく、もっとも淫《みだ》らなので、他の鳥はけっして相手にしないといわれているが、真君はこれまで化けくらべをして来た相手が、そんな賎しいものにまで化け下ったのを見ると、もはやそばへ寄るのも汚らわしいと、本相にかえって、遠くから弾弓《はじきゆみ》で一弾を放ったが、それはみごとに花鴇鳥の|かかと《ヽヽヽ》へ命中した。
大聖はたまりかね、隙を見て崖から飛びおりて、土地神の|ほこら《ヽヽヽ》に化けた。口を大きく開けて門となし、歯は門の扉に、舌は神像に、眼は窓にと変じたが、困ったことに尻尾《しっぽ》の始末がうまくつかなかった。そこで、うしろにぴんと立てて、旗竿にした。
真君が崖の下へ行って見ると、花鴇鳥《のがん》の姿は見当らず、小さな|ほこら《ヽヽヽ》があった。不審に思って、よくよく見ると、旗竿がうしろに立っているので、
「こいつ猿めだな。おれはまだうしろに旗竿の立っている|ほこら《ヽヽヽ》など見たことがないぞ。どうやら猿めはおれをだまして門内へ引き入れ、ひと口に咬《か》み殺そうというのにちがいない。よしそれなら拳骨《げんこつ》であの窓を突き破り、それから門の扉を蹴とばしてやろう」
大聖は聞いてびっくり。
「こいつはいけねえ、扉はおれの歯だし、窓はおれの眼じゃねえか。突き破られたり、蹴とばされたりしてたまるものか」
そこで猛然とはね起きると、一瞬にしてどこかへ姿をくらましてしまった。真君はあちらこちらと捜しまわったが、さっぱり行方が知れない。急いで空中へ舞い上って見ると、ちょうど李天王が照魔鏡を捧げて雲端に立っているのに出会ったので、
「天王、猿めを見かけませんか」
「いっこう、上へは来ませんよ」
そういいながらも、李天王は照魔鏡でしきりに四方を照らしていたが、ふいに大声で笑いだした。
「真君、早く追っかけなさい。猿めは『隠身《おんしん》の法』を使って囲みを抜け出し、貴殿の灌江口へ急いでいますぞ」
聞くより早く、真君は灌江口へと向った。
さて大聖は、灌江口に着くと、うまく二郎真君に化け、何くわぬ顔をして、真君の廟におさまった。そして、やれやれとひと休みしていると、早くも真君が追っかけて来て、驚き呆れている下役人に尋ねた。
「今さっき、猿めが来ただろう」
「いいえ、猿などはいっこうに参りませんが、もう一人のご主人様が、奥においでです」
真君はいさいかまわず、ずかずかと奥へ入って行った。するとそれを見て大聖は正体を現わし、
「真君、お騒ぎ召さるな、この廟はすでに孫氏のものになりましたよ」
真君は答えず、いきなり鉾《ほこ》を振りかざして、まっこうより打ってかかった。大聖もすばやく金箍棒をくり延べ、ござんなれと迎え打った。こうなるとなかなか勝負はつかない。たがいに火花を散らして、追いつ追われつの熱戦をくり返しているうちに、ふたりはいつとなく門を出、雲に乗り、また元の花果山へと帰って来た。そこで梅山の六兄弟も真君に協力して、大聖ひとりをひしひしと取り巻いた。
このとき天上では、玉帝が心配そうに、
「すでに二郎真君が出陣してから時もたつのに、まだいっこうなんの知らせも参らぬようだが……」と嘆息されたので、観音菩薩がそばから、
「陛下、いっそ南天門まで出御《しゅつぎょ》になって、親しく戦いの模様をごらんあそばしてはいかがですか」とお勧めした。ちょうど太上老君もその場に来合せていて、これもともにお勧めしたので、玉帝もその気になられ、ふたりを従えて南天門へ臨まれた。
さてはるか花果山のほうをごらんになると、いまや真君の一隊が、大聖をまん中に取りこめて、火花を散らす激戦の最中である。すると観音菩薩が、ふとそばの老君を顧みて申されるには、
「真君の働きはまことにあっぱれですが、あの様子ではまだまだ妖猿《ようえん》を捕えることは困難でしょう。ひとつわたしが助力してやろうと思いますが、いかがでしょうな」
「何か武器をお持ちですか」
「わたしの楊柳《ようりゅう》の花がめを、妖猿の頭にぶつけてやるのです」
「しかし花がめは磁器ですから、もしや妖猿の鉄棒にでも当ると、くだけやしませんか。ここはひとつ、わたしに手柄をおゆずりくださらぬか」
そういって老君は衣の袖をまくり上げ、左の腕から一つの環《わ》を取り外して、
「これは金剛琢《こんごうたく》、またの名を金剛套《こんごうとう》ともいって、なかなか霊妙な働きをいたしますわい。さあ、これを打ちおろしてやりましょう」
老君は言下に、天門よりそれを投げおろした。すると、みるみるそれは花果山の戦場へと落ちて行き、はっしとばかり大聖の頭を打った。大聖はただでさえ真君をもてあましていた時だったので、天からそんな物が降って来ようとは夢にも気づかず、脳天をしたたか打たれてよろよろとよろめき、つまずき、ころんだ。あわてて起き上ろうとしたところへ、真君の犬がかけ寄って来て、ふくらはぎに噛みついたので、またもや倒れてしまった。そこを殺到して来た真君と六将とにおさえられ、がんじがらめに縄をかけられた上に、ふたたぴ変化《へんげ》の術が使えないようにと、琵琶骨(襟首の骨)の上に首枷《くびかせ》まではめられてしまった。
天上にあってそれを見届けた老君は、さっそく金剛琢を呼び戻し、観音とともに玉帝に還御を願って、ともどもに霊霄殿《れいしょうでん》に引き上げた。
このとき下界では、多くの天将たちが真君の武功をたたえ、その労を謝して、やがて天上へと凱旋することになった。一同は大聖を引き立て、凱歌を奏しながら、雲に乗ってたちまち天上へ帰り着いたが、真君から妖猿を捕えたことを奏上すると、玉帝はこの悪者を斬妖台に引き出して、その屍《しかばね》をこなごなにしてしまえと厳命された。
七 八卦炉《はっけろ》を脱出す
さて斉天大聖は、斬妖台に引き出され、降妖柱にしばりつけられて、刀で斬られ、槍で突かれても、からだにはかすり傷ひとつ受けなかった。そればかりか、神火で焼かれ、雷神に打たれても、いっこう平気だった。それには玉帝もほとほとお困りになったが、そのとき太上老君《たいじょうろうくん》が、
「あの猿めは、蟠桃《ばんとう》を食らい、仙酒を飲み、仙丹を盗みましたので、今では金鉄の身となり、急にはどうすることもできますまい。それより、わたくしがおあずかりして行って八卦炉の中に入れ、仙丹とともに焼くのが一番でござりましょう。そうすれば、丹ができ上るころには、やつのからだも、おのずと灰になっていましょうから」
玉帝はそれをお聞きになって、それではと老君にまかされたので、老君は大聖を兜率宮《とそつきゅう》にひいて帰り、その縄を解き、首枷を外して、八卦炉の中に押し込み、係りの役人に命じて火をつけさせた。仙丹を焼くかたわら、かれを焼きほろぼそうというわけである。
いったいこの八卦炉というのは、乾《けん》、坎《こん》、艮《ごん》、震《しん》、巽《そん》、離《り》、坤《こん》、兌《だつ》の八つの部分から成っているが、大聖はすばやくその巽宮《そんきゅう》にもぐり込んだ。巽は風であるから、風があれば火がないわけであるが、ただ風が煙をまき起して来て、両の目がまっ赤にただれてしまったのには閉口した。
七々四十九日たって、いよいよ仙丹ができ上る日が来たので、炉を開くことになった。大聖がふと気づくと、何やら炉の上のほうで音がして、急にぱっと光が射して来たので、しめたとばかり、身をひるがえして炉の外におどり出《い》で、えいっと炉を踏みたおして、表へ向ってかけ出した。驚いた炉の番人たちが、必死にさえぎり止めようとするが、いずれも大聖のために打ちのめされ、追いすがった老君までが蹴倒されて、とうとう取りにがしてしまった。
大聖は外へ逃げ出すや、耳の中から金箍《きんこ》棒を取り出し、手ごろの長さにすると、当るをさいわい、なぎ倒して、またもや天宮中をあばれまわった。しかし九曜星も四天王も、大聖の手並のほどはいやというほど知っているので、どこかにかくれてしまってさっぱり姿を見せない。大聖はさえぎる者のないままに、あわや霊霄殿《れいしょうでん》まで乗りこもうとしたが、居合わせた王霊官《おうれいかん》が鞭をふるって防ぎ戦ったので、ここに激しい一騎打ちが展開されることになった。
ところが、早くも王霊官危しと見て取った佑聖真君《ゆうせいしんくん》が、使者を雷府に飛ばして救援を乞うたので、たちまち三十六人の雷将がその場にかけつけ、いっせいに大聖を取りかこんだ。大聖は雷将たちの槍ぶすまを見ると、身をひとゆすりして、三面六臂《さんめんろっぴ》になり、六本の手で三本の如意棒《にょいぼう》を紡車《つむぎぐるま》のようにブゥーン、ブゥーンとふりまわして戦ったので、さすがの雷将たちも容易に近寄ることができなかった。
この乱闘の雄叫《おたけび》が玉帝のお耳に達すると、玉帝はたいそう驚かれ、このたびはいっそ、西方《さいほう》の釈迦如来《しゃかにょらい》に大聖の調伏《ちょうぶく》を願おうと、さっそくふたりの使者をおつかわしになった。使者たちはただちに霊山の雷音宝寺にいたり、四金剛、八善薩を通じて、如来にお目にかかり、つぶさに大聖の暴状を訴え、急ぎご救援を賜わりたいとお願いした。
そこで釈迦如来は、阿難《あなん》、迦葉《かしょう》の二尊者を従え、ただちに雷音寺を出て、一瞬のうちに霊霄殿外へ到着された。如来はまず雷将たちに命じて槍をおさめさせ、尋ねたいことがあるから大聖に出て来るようにとお伝えになった。如来のひと声に、雷将たちが槍を引くと、大聖も法相をおさめて本相に戻ったが、声を荒らげて、
「なんじは西方の善士《ぜんし》だな。なにゆえ、止めだてするのか」と叫んだ。如来はお笑いになり、
「いかにも余は西方の釈迦|牟尼《むに》じゃ。聞けば、なんじはしばしば天宮に反《そむ》いて乱暴をいたすそうだが、どうしてそのようなことをするのか」
「おれは、下界があまり狭すぎるので、天上に住もうと思うんだ。霊霄殿の主《あるじ》も長すぎるわ。歴代の人王にも限りがあって、強い者が位に即《つ》くじゃないか。おれのような英雄にゆずらぬ法があるものか。だからあいつをやっつけようてんだ」
「このたわけ者め! なんじのごとき一個の妖猿にすぎぬものが、どうしてそのような大言を吐き、みずからの命を縮めるのじゃ。さあ早く帰順してかならず愚かなことはいたすまいぞ。さもなければ、きっとひどい目にあって、即座に一命を落すことになろう」
「いや、おれは玉帝がおれに天宮をゆずるまでは、けっして戦いはやめないつもりじゃ」
「それほどに申して、しからば、なんじにどれほどの能があるというのか」
「おれには、なんでもできるわ。七十二通りの変化《へんげ》の術もあれば、不老長生も得ており、それに|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に乗れば十万八千里もただひとっ飛びだ」
「よろしい、それではわしとひとつ賭《かけ》をしよう。なんじにもしできるなら、わしのこの右の掌《てのひら》から外へ飛び出してみるがよい。もしなんじが勝てば、わしから玉帝に乞うて西方へお移りを願い、なんじを天宮の主にしてとらせよう。しかし、もし掌を出られなかったならば、なんじはふたたび下界へ戻って修業をしなおして来るのだぞ」
大聖は、ひそかにほくそえみ、なんとぼんやりの如来であろうか、おれが一つもんどりを打てば十万八千里もただひとっ飛びだといっているのに、一尺四方にも足りないかれの掌をどうして飛び出せないことがあるものかと、
「それじゃ、やることにしよう」
「よろしい、さあ参れ」
そういって如来は右の掌をお開きになったが、それはちょうど蓮の葉のようであった。大聖は如意棒をおさめて、一躍して掌のまん中に立ち、
「さあ飛ぶぞ。行先をよく見ていてくれよ、影も形もなくなっちまうからな」
いうより早く、大聖はまっしぐらに飛び出した。しかし如来の目から見ると、それはただ風車同様、くるくる回っているにすぎなかった。
さて大聖は、ひたすら飛びに飛び行くほどに、行手に青みをおびた肉色の柱が五木立っているのを見いだし、どうやら道も尽きたようだ、ここは世界の果てにちがいない。そろそろ引き返すことにしよう、如来が引き受けたからには霊霄殿はおれのものだ。それにしても如来に話すに都合がよいようにひとつ印をつけて行ってやろう、と考えて、毛を一本抜いて息を吹きかけ、「変れ!」と叫ぶと、それはたちまち墨をたっぷり含んだ筆になった。そこでその掌でもってまん中の柱に、「斉天大聖ここに到って一遊す」と大きく一行に記し、さて書きおえると毛を元に戻したが、今度は第一の柱の根本へ行って、じやあじゃあと小便をひっかけた。それからふたたび雲に乗って元のところへ引き返し、如来の掌の中に立って、
「さあおれは飛び出したぞ。玉帝に天宮を明け渡すようにいってくれ」
如来はお笑いになって、「なんじは少しもわしの掌から出ておらんではないか」
「いやいや、おれは天界の果てまで行って、そこの柱に証拠を残してきたから、疑うならいっしょに行って見るがよい」
「行くには及ばぬ。なんじ、試みに頭を下げてよく見よ」
いわれて大聖がふとうつむいて見ると、如来の中指に、「斉天大聖ここに到って一遊す」とありあり書かれており、また親指の根本には小便のにおいが残っているではないか。びっくり仰天して、
「これはしたり! おれはこの文字を天柱の上に書きつけて来たのだ。これはまやかしだ。待ってくれ、もう一ペん行ってくる」
と、またも飛び出そうとすると、如来はぽんと掌を反されて妖猿をひと打ちし、西天門から追い出して、五指を化して金《きん》、木《もく》、火《か》、土《ど》、水《すい》の五行山とし、難なくそれで大聖を押えつけてしまわれた。
かくて如来は、阿難《あなん》、迦葉《かしょう》の二人をお召しになり、すぐ西方《さいほう》へ帰ろうとせられたが、玉帝がたってお引きとめになり、盛大な謝恩の会を開かれた。その宴には、天神地仙のことごとくが出席したが、これで天界も安穏になったと、如来は乞われるままにその会を「天安大会」と命名された。
やがてその宴も終ったので、如来が玉帝にいとまごいをしていられると、そこへ巡視の役人がやって来て、
「大聖が頭を出しました」と報告した。
「いや、大丈夫です」
如来はそういって、袖の中から「|※[#口+奄]嘛※[#口+尼]叭※[#口+迷]吽《おんまにはつみうん》」と金字で書いた一枚の札を出され、阿難に命じてそれを五行山の頂きの四角い石の上に貼りつけて来るようにと申された。阿難が命のままにそうすると、たちまち五つの連山から根が生えて、それが、ひとつにからみ合って檻《おり》のようになり、中で息をしたり、またそこから手を出すことはできても、断じて破ることはできなくなった。
阿難が帰ってその旨を申し上げると、如来は玉帝を初め一同の神々にお別れになって、天門の外に出られたが、ふと五行山をごらんになると、たちまち慈悲心を起され、土地神を召して妖猿の世話を頼まれ、
「かの者が飢えた時には鉄丸を与え、かわいたときには銅汁を与えるように」
と申しつけられた。そればかりか、やがてかれの罪業が償われた日には、おのずからかれを救い出す人がある、ということをも定められた。こうして如来は雷音寺へとお帰りになったが、さてしかし、はたしていつになったら大聖の罪業が消える日が来るのであろうか。
八 観音、取経《しゅきょう》の人を求めて長安にのぼる
釈迦如来が妖猿を五行山下に閉じこめられてから、早くも五百年がたった。そのころのある日、如来は諸仏、諸|菩薩《ぼさつ》を前にして申されるには、
「わしが四大州の衆生の生き方を見るに、それぞれ同じでない。東勝神州《とうしょうしんしゅう》のものは天地を敬い心気は平らかである。北倶蘆州《ほっくろしゅう》のものは殺生を好むが、ただそれで食いつないで行くだけであり、性も拙《つたな》く情も荒いが、それほど賎《いや》しいことはしない。わしのいる西牛賀州《せいぎゅうがしゅう》のものは貪《むさぼ》りも殺生もせず、気を養い、上等の仙人ではないにしても、それぞれ寿命が長い。ただかの南贍部州《なんせんぶしゅう》のものだけは淫《いん》を貪り、悪事を楽しみ、殺し合いや争いを事として、いわゆる口舌《くぜつ》の凶場、是非の悪海にほかならぬ。わしには今、三蔵《さんぞう》(三つの蔵《くら》にいっぱい)の真経《しんきょう》があるから、ひとつかれらを善導しようと思うのじゃ」
すると諸菩薩が、
「その三蔵の真経とはいかなるものでございますか」と尋ねた。
「一蔵は天を談じ、一蔵は地を説き、一蔵は鬼を度すのじゃが、すべて三蔵で三十五部、一万五千一百四十四巻ある。わしはこれを東土《とうど》(南贍部州)に送り遣わそうと思うが、かしこの衆生の愚鈍で真言《しんごん》(仏の言葉)をそしるのには、まったくあきれたものじゃ。ついてはだれか法力のある者に東土へ行ってもらい、かしこでひとりの信心のあつい者を捜し出して、その者に千山万水をわたる苦行をなめさせてわがもとに来たらせ、真経を受け取って永く東土に伝えしめ、衆生を勧化《かんげ》させることにしたいものじゃが、さてだれか行ってくれる者はないか」
聞くより観音菩薩が仏前に進み出て、三拝して申された。
「及はずながら、わたくしが東土におもむいて、取経の人をさがして参りましょう」
如来はたいそうお喜びになって、
「菩薩が行ってくれるならば安心じゃ。さりながら、このたびは道の程《ほど》をよく見て参らねばならぬゆえ、雲の上ばかりを行かず、半ば歩いて、親しく道筋をしらべ、取経の人によくよく教えてやらねばならぬ。おそらくその者は難儀をすることであろう。ついてはわしがそなたに五つの宝物を進ぜよう」
といって、阿難と伽葉《かしょう》に申しつけ、錦襴《きんらん》の袈裟《けさ》一領と九環《きゅうかん》の錫杖《しゃくじょう》ひとふりを取り出させ、
「この袈裟と錫杖とは取経の人に与えて用いさせるがよい。それから」と、如来はそこでまたべつに三つの輪をお取出しになって、
「この宝は緊箍児《きんこじ》といって、形はどれも同じじゃが、用い方はそれぞれ異なり、呪文《じゅもん》も三通りある。もしそなたが途中で神通広大な妖魔に出会ったなら、その者に、仏教に帰依して取経の人の弟子になるように勧めるがよい。もしきかずば、この輪を頭上になげうつがよい。さすれば効果はたちどころにあらわれて、容易にかれを服従させることができるであろう」
菩薩は仰せをかしこみ、五つの宝をいただいて如来の前を退出すると、今度も弟子の恵岸《えがん》を供につれて、さっそく霊山を出発し、半ばは雲に乗り、半ばは歩いて、ひたすら東方へと進まれた、やがてほどなく流沙河《りゅうさがわ》が見えてきた。菩薩は雲を停めて岸におり、
「ああ、ここはじつに難所だ。取経の人の凡胎《ぼんたい》ではとても渡れまい」
と、しばし眺めておられたが、そのときふいに、がばと水をはねて、波の中から醜悪な妖魔がおどり出し、宝杖《ほうじょう》をふるって菩薩を捕えようとした。それと見るより恵岸は、鉄棒をふるってさえぎり止め、河べにあって戦うこと五十余合、なかなか勝負がつかない。すると妖魔が、
「きさま、どこの和尚《おしょう》だ」
「わしは托塔《たくとう》李天王の第二太子|木※[#「口+託のつくり」]《もくだ》、恵岸行者だ。なんじこそ何の妖怪だ、大胆にも道をさえぎるとは」
聞くより妖怪は何かにはっと気がついた様子で、
「そうだったか、わしは貴下が南海の観音菩薩に弟子入りして、紫竹《しちく》の林で修業していると聞いたが、なぜまたここへ来なさった」
「あの岸の上のおかたこそ、ほかならぬわしのお師匠様だ」
たちまち妖怪は宝杖を捨て、観音菩薩の前にひれ伏して、
「なにとぞわたしの罪をお許しください。わたしはけっして初めからの妖魔ではなく、霊霄殿《れいしょうでん》の捲簾《けんれん》大将でしたが、蟠桃会のとき誤って玻璃《はり》の盃を砕いたがために、玉帝はわたくしを八百むち打たれ、下男に追放なさいました。それでこんなありさまになったのですが、今もなお七日に一度、鋭い剣が飛んで来てわたくしの脇腹を刺すのです。その苦しさはたえがたく、おまけに飢えになやんでは、旅人を取って食ってきましたが、きょうはからずも菩薩にお会いすることができたのでございます」
そこで菩薩は、妖魔をさとして申されるには、
「そなたは天上で罪を犯し、下界に追われてまたぞろそのような殺生をするとは、まさしく罪を重ねるものではないか。わしはいま、如来の御旨《ぎょし》を受けて東土に上り、取経の人を尋ねるところであるが、そなたがもし仏教に帰依して、その取経の人の弟子となり、西天に来ることを約束するならば、わしがたちどころにその飛剣の苦しみを止めてつかわそう」
「わたくしも願わくは仏門に入って正果《しょうが》を得たく存じます。実はこの河の水は、鵞毛《がもう》といえども浮かぶことができませんのに、先日わたくしに食われた九人の取経の人の髑髏《どくろ》ばかりは、他の人の髑髏がすべて水底に沈んでおりますのに、水面に浮かび出ました。わたくしも不思議に思って、縄を通してひとまとめにし、ひまな時のもてあそびにしていました。ああ、それにしましても、取経の人はもうここへは参りますまい」
「なんで来ないことがあろうぞ、そなたはその髑髏を首にかけて、取経の人を待つがよい。かならず何かの役に立つことがあるだろう」
妖怪は喜んで教えに服する旨を約したので、菩薩はさっそくかれの頭をなでて戒《かい》を授け、流沙河にちなんで姓を沙《さ》、名を悟浄《ごじょう》とおつけになった。
かくて菩薩が、沙悟浄と別れて、恵岸とともにふたたび東方へ急がれると、やがてまたも一つの高山に悪気がみなぎっているのが見えた。とても歩いて超えるのは危険なので、菩薩が雲に乗って過ぎようとせられると、このとき早く、一陣の狂風とともに兇悪な妖魔がおどり出て、熊手を振り上げ、菩薩をめがけて打ってかかった。恵岸は急ぎそれをさえぎり、
「この妖物《ばけもの》、無礼をいたすな。これはこれ南海の観音菩薩なるぞ。なんじにはわからぬか」
と大喝《だいかつ》した。するとかの妖魔は、
「ではあの八難をお救いくださる観世音でおいでですか」と尋ねるので、恵岸がそうだと答えると、妖魔は熊手を投げ捨て、ひれ伏して礼拝し、
「菩薩様、お許しください、お許しください」
とあやまった。そこで菩薩が、
「そちは猪《いのしし》か豚の精のようだが、どうしてわしをここでさまたげるのか」
「わたくしは猪でも豚でもありません。もとは天の川の天蓬元帥《てんぼうげんすい》ですが、あるとき酔っぱらって嫦娥《じょうが》(月の異名)に戯れましたので、玉帝はわたくしを鎚《つち》で二千打って下界へ落し、凡俗の胎中に投ぜられました。ところが思わず道をまちがえて雌豚の胎内に入ってしまいましたので、こんな姿に成りはてました。わたくしは母豚をかみ殺し、野豚どもをことごとくうち殺して、その後はここで人を食って日を送っていました」
なおも悪行のかずかずを懺悔《ざんげ》したので、菩薩はかれをさとして、
「人に善願あれば、天はかならずこれに従う、ということがある。そちがもし正果《しょうが》に帰依するならば、また身を養うところもあろうというものじゃ。わしは仏旨を受けて東土にのぼり、取経の人を尋ねる道すがらであるが、そちがその者の弟子となり、西天に随行するならば、その功徳によって罪障をまぬがれることもできるであろうぞ」
妖魔は喜んで、心から叫んだ。
「どうかそうお願い申します。どうかそうお願い申します」
そこで菩薩は、かれの頭をなでて戒を授け、その姿にちなんで姓を猪《ちょ》、名を悟能《ごのう》とおつけになり、取経の人の来るのを待たせることにせられた。
菩薩がなおも恵岸とともに東に進まれると、今度は一匹の龍《りゅう》が空中に吊されて泣きわめいているのに出会われたので、近寄ってお尋ねになった。
「そちは何のために、こんなところで苦しみを受けているのか」
「わたくしは西海龍王|傲閏《ごうじゅん》の子ですが、火を放って殿上の明珠《めいしゅ》を焼きましたので、父が玉帝にわたくしの悪行を奏上しました。そこで玉帝はわたくしを空中に吊し、三百むち打たれましたが、日ならず死罪になさるとのことです。なにとぞ菩薩、わたくしをお救いください」
菩薩は哀れと思われ、ただちに天界にのぽって玉帝にお会いになり、今度の旅の目的を語られた上で、
「どうぞあの龍の命をお許しになって、わたくしに賜わりたいものです。取経の人の乗りものにしたいと存じますので」と乞われると、玉帝はさっそく天将をつかわして、龍を解き放たしめ、菩薩にお授けになった。菩薩はお礼を申し上げ、さて天門を出られると龍に向って、
「しばらく深淵に身をひそめて、取経の人の来るのを待ち、白馬に変じて、西天へ上って功を立てよ」と申し渡されたので、龍は喜んで仰せを承《うけたまわ》った。
さて菩薩がなおも東に進まれると、やがて、あたり一面に金光の輝いているのが望まれた。すると恵岸が、
「あれは五行山です。如来のまじなわれたお札《ふだ》が斉天大聖《せいてんたいせい》をあそこに押し込めているのです」
二人が山の上に着いてお札を拝ずると、「|※[#口+奄]嘛※[#口+尼]叭※[#口+迷]吽《おんまにはつみうん》」」の六字の真言が書かれている。菩薩はそれを見て、如来の法力のほどにいたく感心された様子だった。それより山を下って、大聖を監視していた土地神や山神の出迎えを受け、その案内で大聖が閉じこめられている石の箱の前へ来てごらんになると、大聖は見るも哀れなほどしょんぼりとしていた。菩薩が、
「そちはわしが判《わか》るか」
とお尋ねになると、大聖は声を大にして、「どうして判らないことがあるものですか。あたたは南海の観音菩薩です。して、どうしてここへおいでになったのですか」
「わしは如来の仰せを受けて東土へ上る途中、ここを通りかかったので、そちを見に寄ったのだよ」
「如来がわたくしをはかって、ここに押し込めてから、すでに五百年たちますが、いまだに出られないでいます。わたくしはすっかり後悔しました。心から修業したいと願っています。菩薩様、どうぞわたくしをお救いください」
「そちにその心があるからには、わしが東土に上って取経の人を尋ね、その者にそちを救わせるゆえ、その者の弟子になってはどうか」
「なります。かならずなりますとも!」
大聖は飛び立つばかりに喜んだ。
「すでに発心《ほっしん》したからには、そちに法名をつけて取らそう」
「わたくしにはすでに法名がございます。孫悟空と申しますので」
「そうか、それはたいへんによかった。わしはさきほど、二人の帰依者を得たが、みな『悟』の字をつけて参った。そちもまた悟の字であれは、かれらとつり合って、まことに結構じゃ。ではわしは行くぞ」
かくて菩薩は、なおも東土に向って進まれ、やがて大唐国の都――長安に到着された。そこで旅僧の姿に身を変えて城内に入り、ある土地神の祠《ほこら》にしばらくの宿を定められた。
九 三蔵、西天への旅に出発す
時に唐の太宗《たいそう》は、かねてより仏教の信仰厚く、たまたま玄奘《げんじょう》法師を壇主として大法会を開かれることになった。そこで玄奘は、貞観《じょうがん》十三年九月三日をもって化生寺《けしょうじ》に壇を開き、この日太宗は、文武の百官をひきいて化生寺に臨御、親しく仏前に香をたいて拝された。それより七七四十九日にわたって、法会は盛大に続行されるわけであった。
それはさておき、先に土地の祠《ほこら》を仮りの宿として取経の人を尋ね求めておいでになった観音菩薩は、太宗が大法会を開かれ、唐国第一の有徳《うとく》の高僧玄奘がその壇主に選ばれたことをお聞きになると、いよいよ如来《にょらい》の仰せを果たす時が来たことを喜んで、恵岸とともに乞食《こじき》坊主の姿に身をやつし、如来から賜わった金襴の袈裟と、九環の錫杖とを捧げて、町から町へとその二品を売って歩くことにせられた。そして、ちょうど東華門のあたりまでおいでになると、宰相の|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》が朝廷からさがってくるのに出会われた。|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》はふと、乞食坊主が捧げた袈裟のぴかぴかと輝いて尊げなのを見ると、馬をとどめてその価を尋ねた。
「袈裟は五千両、錫杖は二千両」
と僧は答えた。|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》が、そのあまりの高さに驚いていると、僧はまたいった。
「ただし人によってはただで差し上げてもよろしい」
|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》はいよいよ驚き、
「どういう人になら、ただでやってもよいのか」
「三宝を敬重し、わが仏に帰依なさるかたにならば、こちらから進んで差し上げて善縁を結びたいと存じます」
|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》はそれを聞いて、どうやらこの僧は並々ならぬ人だと思い、すぐさま馬をおりて挨拶をし、太宗の大法会のことを話して、
「どうかわたくしとともに宮中に参って、帝にお眼にかかっていただきたい」
と乞うた。菩薩も喜んでその乞いをいれ、|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》に導かれて宮中へおもむかれた。|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》はふたりの乞食僧をつれて玉階の下に立ち、太宗に向ってつぶさに事の次第を奏上した。そこで太宗が、袈裟をひろげさせてごらんになると、まぎれもなくりっぱな品だったので、
「朕《ちん》は今、化生寺において法会を営んでいるが、その壇主を勤める有徳の僧玄奘のために、なんじのその二品の宝を買い取って、かれに遣《つか》わしたいと思うが、つまるところ正しい価はいかほどなのか」
「すでに徳行のある者でございましたら、拙僧はこの品をそのかたに差し上げたいと存じます。けっしてお金はいりませぬ」
こう言い終るや、菩薩は身をひるがえして、その場を立ち去ろうとせられた。太宗は急いで|蕭※[#「土+禹」]《しょうう》をして押しとどめさせ、
「それでは朕が帝位を笠に着てそちの宝を強要したことになるではないか。朕はあくまでそちが初めに宰相に申した価を払ってつかわすぞ」
「拙僧の願いは前に申したとおり。いま陛下はわが仏門を敬したまい、ましてまた、玄奘とやら申す僧に徳行がありとならば、当然これは差し上げることにいたします。けっして価はいりませぬ」
菩薩は固く辞して、去っておしまいになった。太宗はそれでは済まないと思われたが、いたしかたもないので、玄奘を化生寺からお呼び寄せになって、その袈裟と錫杖とを賜わった。
さて七日は正会《しょうえ》の日に当っていたので、太宗におかせられては、文武百官を従えてふたたび化生寺へ行幸になり、一同とともに玄奘の説教を聴聞《ちょうもん》されることになった。時に菩薩も恵岸とともに参詣の善男善女の間にまじっていられたが、玄奘の説教なかば立ち上って、壇のそばに進み寄り、
「和尚、そこもとはただ小乗《しょうじょう》の教法を講ずるばかりであるが、なにゆえ大乗《だいじょう》の教法を説かれぬか」と叫ばれた。聞くより玄奘ははっとして、台下にとび降り、菩薩に向い合掌して、
「老師よ、拙僧はいまだ未熟にして、大乗のいかなるものかを存じませぬ」
「さればわれに大乗仏法三蔵があり、亡者を済《すく》うて天に昇せ、なやめる人を度《ど》して苦を脱せしめ、よく無量寿《むりょうじゅ》の身を修せしめることができる」
たいへんな問答が始まった。そのとき太宗は、ちょうど別殿において休息していられたが、役人のひとりが急ぎかくとお知らせすると、さっそくその僧を召され、
「おお、そちは前日、袈裟を持って参った和尚ではないか。して、そちはまた、どうしてわが法師の講説を邪魔立ていたすのか」とお尋ねになった。すると旅僧は、
「あの法師の講じておりますのは小乗の教法で、亡者を度して天に昇らせることはできませぬ。西天の天竺国《てんじくこく》雷音寺のわが仏如来のお手もとには、三蔵の大乗仏法があり、これぞまことの衆生済度の教法であります」
太宗はそれを聞かれると、旅僧に乞うて、玄奘に代って壇上にのぼり、大乗の教法を説いてもらいたいと、せつに望まれた。旅僧はお受けして元の堂に戻ると、もうひとりの連れの僧とともに壇上に飛び上ったと見るや、たちまち祥雲《しょううん》を呼んで空に舞い上り、観世音菩薩の本相をあらわして、手に浄瓶《じょうへい》と楊柳《ようりゅう》とを執《と》りたもうた。その左側には、もうひとりの憎が、恵岸行者の姿となって、手に拐杖《かいじょう》を持っている。太宗をはじめ、並みいる百官、僧尼、道俗、ことごとく天を仰いで礼拝しない者はなかった。しばらくすると、菩薩の乗りたもうた祥雲は、しだいにはるか天のかなたへ遠ざかって行った。
まのあたりこの寄瑞《きずい》をごらんになった太宗は、深く心を動かされ、しばらく法会を中止して、まず大乗の経を得てからのことだとお考えになった。そこで衆僧に向って、
「だれか朕が旨《し》を体して西天におもむき、仏を拝して経を得てくる者はないか」と仰せられた。すると玄奘が進み出て、
「拙僧、不才ではございますが、願わくは陛下のおんために真経を求めて参りたく存じます」
太宗は玄奘の志を喜ばれ、かれを尊んで弟と呼ばれた。かくて近く吉日を選んで出発させることに決め、太宗は御殿へお帰りになり、玄奘も自分の住持する洪福寺《こうふくじ》へ帰った。すると早くも弟子たちが集まって来て、天竺への道の遠いことや、その途中には妖魔や怪獣が多く住んでいることなどを説いて、口々に師の身の上を気づかうのだった。玄奘はそれに答えて、
「わしは陛下の大恩を受けている身であるから、忠を尽くし国に報いるのは当然のことじゃ。わしが出かけた後、三年か五年、あるいは六年か七年もたったならば、そちたちはあの山門の内の松の枝が東に向うのを見るであろう。そうすればわしはかならず帰って来るが、さもなければわしは永久に帰って来ないものと思うがよい」
弟子たちは師のこの言葉を深く肝に銘じ、今はただ師の前途の多幸を祈るばかりだった。
さていよいよ出発の日になると、太宗は玄奘を宮中に召して、紫金の鉢(僧の食器)と通関文牒《つうかんぶんちょう》(関所の通行手形)とを与え、さらにまた従者ふたりと白馬一頭とを賜わった。そればかりか、太宗は多くの臣下とともに、わざわざ関の外までお見送りになり、別れに際して盃をあげて玄奘にお尋ねになった。
「弟君は雅号を何と申されるか」
「拙僧は出家のことでございますゆえ、いまだ雅号を称したことはございません」
「されば先日、菩薩が西天に三蔵の経があると申されたが、それにちなんで三蔵と号したらよろしかろう」
こういって太宗は、手にしていた盃を玄奘に賜わった。玄奘は深く君恩を謝したが、盃は下において、
「酒は仏家の第一の戒めにございます。拙僧はもとより一滴たりとも口にしたことはございません」
「いや、きょうだけは別じゃ。この一杯だけ飲んで、朕が餞《はなむ》けの意を尽くしてくれえ」
そういって太宗は、ひとつまみの土をつまんで、盃の中にはじき入れられ、笑って申されるには、
「ひとはじきの土を入れたのは、わが土を慕って一日も早く帰ってもらうためじゃ。山ははるかに道は遠く、待ち遠しいことじゃのう」
そこで三蔵は、ありがたく盃を頂戴して飲みほし、いよいよ関外万里の旅に上ることになった。時に貞観十三年九月十二日のことであった。
十 双叉嶺《そうしゃれい》
長安城をあとにした三蔵法師の一行は、途中、法雲寺に一泊し、ついで鞏州《きょうしゅう》城をうち過ぎて、十日ばかりで河州衛《かしゅうえい》に着いた。ここは大唐国の国境で、警備軍の大将がこの地の僧侶や道士とともに出迎えて、福原寺という寺へ案内して、手厚くもてなしてくれた。
さてその翌朝、鶏が鳴いたので三蔵は従者を呼び起し、馬に乗って国境を出発したが、むやみに鶏が早く鳴いたために、だまされてたいそう早く起きすぎてしまい、今でいえば午前二時ごろの出発になってしまった。いまさら、しかたがないので、霜を踏み、明月を眺めつつ、ひたすら西へ西へと進んで行ったが、数十里(一里はわが国の約六町)にしてひとつの嶮《けわ》しい嶺《みね》にさしかかった。夜はまだ明けきらず、おぼつかない思いで山路に行きなやんでいるうちに、足を踏みすべらして、三人は馬もろとも、穴の中へころがり落ちてしまった。と、たちまち一陣の狂風が吹いてきて、「捕えろ、捕えろ」という叫び声とともに、五、六十匹の魔物が飛び出して来て、三蔵らを引っさらって行った。三蔵は戦々|兢々《きょうきょう》としていたが、ふと盗み見すると、正面には世にも兇悪な顔つきをした魔王が坐っているので、生きた心地もなかった。すると魔王が、「ふん縛れ」とどなったので、魔物どもはたちまち三人を縄でしばり上げてしまった。ちょうどそのとき、表のほうか、
「熊山君《ゆうざんくん》と特処士《とくしょし》がおいでになりました」
という知らせの声が聞えた。三蔵が頭をもたげて見ると、先に入った来たのはまっ黒な男、あとから入って来たのはでっぷりと太った男だった。魔王が喜んでかれらを迎えると、三蔵らの縛られているのを見て、その中のひとりが、
「寅《いん》将軍、この三人はどうしたのでござる」
と尋ねる。そこで魔王が、
「ばかなやつらで、自分から食われにおいでなすったのさ」
と答えて、さっそく三人で三蔵らを平らげることになった。ところが黒ん坊の熊山君が、
「まずその中のふたりだけを食って、ひとりは残しておくほうがよろしかろう」
といったので、魔王もそれに同意して、まず従者たちふたりを配下の者どもに料理させ、頭と心臓とは客に出し、手足は自分で食い、残った骨はそれぞれ配下の者どもに分ち与えた。
三蔵は自分の従者たちが、たちまちにしてかれらによって平らげられてしまったのを見て、ほとんど失神せんばかりになったが、そのうちに夜がすっかり明けると、悪魔どもはことごとく退散してしまった。しかし三蔵は、まだ人心地もつかず、呆然としていた。するとそこへ、杖を手にしたひとりの老人がひょっこり現われ、手をもってひと払いはらうと、三蔵の縄目はばらりと解け、またひと息ふっと吹きかけると、三蔵はようやく正気を取りもどした。そこで老人を拝謝すると、老人がいうには、
「何かなくしたものはござらぬか」
「ふたりの従者はすでに妖怪に食われてしまいました。行李《こうり》と馬はどこにありますことやら」
「それならあそこにあるではないか」
老人が指さした所を見ると、さいわい馬も行李もそのまま残っていた。そこで三蔵は、
「ご老人、ここは何と申すところで、またあの三人の妖怪は何物でございますか」と尋ねた。老人は答えて、
「ここは双叉嶺《そうしゃれい》と申して、猛獣の巣窟じゃ。あの特処士というのは野牛の精、熊山君は熊の精、そして寅《いん》将軍というのは虎の精じゃ。さあ、わしについて来るがよい。道を案内して進ぜよう」
三蔵は感激して、行李を馬の首にくくりつけ、手綱をとって老人に従い、広い道へ出た。と、たちまち一陣の清風とともにどこからか白鶴が舞いおりて来て、老人を乗せて天空はるかに飛び去ってしまった。そしてそのあとから、一枚の紙片がひらひらと風に舞い落ちて来たのを見ると、
吾は乃《すなわち》西天の太白星
特に来たって汝《なんじ》の生霊を救うなり
前行おのずから神徒あり
艱難《かんなん》のために仏経を怨むことなかれ
という四行の詩が書いてあった。三蔵は読み終るや天に向って拝謝し、勇をふるってただひとり、淋しい道を進んで行った。行けども行けども家一軒ない山道を、やがて半日も行くと、腹もへり、からだもくたくたに疲れてきた。おりからふと気がつくと、前方に二匹の虎が現われて、こちらをめがけて咆《ほ》えかかって来た。これはとうしろをふり向くと、なんと幾匹もの大蛇がとぐろを巻いている。左を見れば毒虫がいるし、右にはえたいの知れない怪獣がいる。おまけに三蔵の乗馬は、それに恐れをなして、ばったりと地に倒れ伏してしまったので、三蔵はいまや、まったく進退きわまり、目をつぶって猛獣毒蛇のえじきとなるのを待つばかりとなった。ところがなんと不思議や、それらの猛獣毒蛇どもが急に四方へ逃げ散ったかと思うと、向うの坂道から、手に刺叉《さすまた》をさげたひとりの壮漢がおどり出して来た。三蔵は路傍にひざまずいて、
「親方、どうぞお助けください」と叫んだ。するとその男は、三蔵を引き起して、
「和尚様、ご安心なせえまし。おらはこの山の猟師で、姓は劉《りゅう》、名は伯欽《はっきん》、人呼んで鎮山太保《ちんざんたいほ》という者でごぜえますだ」
そこで、三蔵が、自分の身の上を話し、命拾いしたことの礼をいうと、劉伯欽は、
「おらはここで、野獣をうって暮らしているもんだで、やつら、おらの姿を見ればこわがって逃げ出してしめえますだ。和尚さんは大唐の都からでござらしたそうだが、ここも塞外《さいがい》ながらまだ大唐の領内だで、和尚さんとおらとは同国人、安心しておらのところでお泊りなさるがええだ」
親切なその言葉に三蔵は地獄で仏の喜びをなし、馬をひいて伯欽について行った。しばらく行くと、またもや前方に一匹の虎が現われたが、伯欽と見るとたちまち身をひるがえして逃げ去ろうとした。
「畜生、どこへうせやがる」
伯欽は大声で叫ぶと、脱兎のようにそれを追撃して、刺叉をふるって格闘の末、とうとうその虎を刺し殺してしまった。やがてその獲物を引きずって三蔵のところへ戻って来た伯欽は、顔色ひとつ変えずいうのだった。
「ありがてえ、おかげで二、三日、和尚さんの食糧には不自由しませんじゃ」
三蔵は、世の中にはこんな荒々しい生活もあるものかと、驚くやら呆れるやらして、伯欽のあとについて行くと、やがて向うに一軒の家が現われた。門前に着くと、伯欽は下男を呼んで虎をまかせ、三蔵を導いて内に入った。そして母と妻とを呼んで、三蔵に会った一部始終を話すと、母は喜んで、
「それはまあ好いあんばいだて。あすはおまえの父の一周忌、和尚様にお念仏を上げていただいて、あとでお送りしたらよいわさ」
とかくするうちに夕方になったので、伯欽は虎の肉の煮たのを幾皿も卓の上に並べさせ、三蔵にすすめた。三蔵は顔色を変えて、
「せっかくですが、わたくしは出家なので、いっさいこういうものを食べるすべを知りませぬ」
それには伯飲も困った。しばらく腕を組んで唸《うな》っていたが、それを見て母親が、
「倅《せがれ》や、わしのところに精進物があるから、それでおもてなしするがええ」と、すぐさま|おこわ《ヽヽヽ》と野菜のあげたのを持って来てくれたので、三蔵は喜んでそれをいただき、伯欽は別の卓へ移って虎の肉をむしゃむしゃ平らげた。
翌日は伯欽の父の命日だったので、三蔵は乞われるままにさまざまな経を読み、終日しめやかに仏事が営まれた。かくて三蔵は、その夜も伯欽の家に泊ったが、次の朝、伯欽は三蔵の出発に先立って白銀一両を前日の謝礼として贈ろうとしたが、三蔵は出家に金は不用だといってどうしても受けなかった。すると伯欽は、
「それでは、その辺までお送りしましょう」と、乾粮《ほしいい》を用意し、打ち物を執《と》って案内に立った。こうして半日ばかり行くと、またもやひとつの高山にさしかかった。やっとの思いで頂上の峠まで達すると、伯欽が帰り支度をしながらいった。
「和尚さん、これから先はひとりでおいでください。おらは帰らしてもらいますで」
三蔵はひどく心細い気がして、もう少し送ってくれないかと頼んだ。しかし伯欽は、
「和尚さんはご存じあるまいが、この山は両界山といって、東半分はわが大唐の領分だが、西半分は韃靼《だったん》の領地でがす。ここから向うの虎や狼は、おらに降参していやがらねえで、おらはよう行きませんじゃ」
三蔵はがっかりした。そして伯欽のたもとを取り、涙を流して別れかねていると、そのときふいに山の下から、雷のようなわめき声が聞えてきた。
「わが師父は来たりたもう、わが師父は来たりたもう」
その声はこのように聞える。三蔵はあまりの驚きに呆然として気が遠くなってしまった。
十一 両界山で悟空を救う
三蔵が山下の叫び声を聞いて驚きうろたえているとき、伯欽がいうには、
「こりゃ、てっきりこの山の麓の石箱の中の猿にちがいねえだ」
「それはまたどんな猿ですか」
「この山はもと五行山という名だったが、大唐の天子様が西の国を征伐なさったとき、両界山と改められたという話でがす。なんでも五百年ほど前、漢の王莽《おうもう》が天下を横取りしたとき、この山は天から降ってきて、一匹の神猿を押えつけたんだそうにござります。その猿め今になっても死にもしやがらねえでいますが、さっきからわめいているのもそいつにきまっていますだ。和尚様、こわいことはありましねえ。わしといっしょに見にめえりましょう」
そこで三蔵が、伯欽に導かれて山を下り、しばらく行くと、なるほど石の箱があり、格子の間から一匹の猿が頭をだし、手をのばしてしきりに招きながら、
「師父よ、あなたは今ごろやっと来てくださったのですね、さあ早くわたしを救い出してください。わたくしはあなたをお護りして西天へ参ります」
三蔵が近づいてよく見ると、そのものは尖った口、短いあご、火の眼、金の瞳をした、いかにも異様な生きものだった。三蔵が、
「そなたはわしにどうしてほしいというのじゃ」と尋ねると、
「あなたは東土大唐の王の命を受けて、西天へ経を取りにおいでになるおかたでしょう」
「そのとおりじゃ。してそなたは……」
「わたしは五百年前に大いに天宮を騒がしました斉天大聖でございます。釈迦如来にここへ押し込められましたが、先ごろ観音菩薩が東土へ取経の人をさがしにおいでになる途中、わざわざここへお立ち寄りくだすって、わたくしに仏法に帰依するようにと勧めたまい、取経の人を護って西天へお供するがよいとのおさとしでございました。それからというもの、わたくしは、師がおいでになって救い出してくださるのを、日夜お待ちしていました。西天への道中はかならずお護りいたしますから、どうぞお弟子になさってください」
三蔵は大いに喜んで、
「そなたにその善心のあることは嬉しいが、わしには斧《おの》も|のみ《ヽヽ》もない。どうして救い出したらよいだろうか」
「斧や|のみ《ヽヽ》などはいりません、もしわたくしを救ってやろうとの思召《おぼしめし》でしたら、この山の頂上に如来の金字のお札《ふだ》がありますから、それをあなたがはがしてくださりさえすれば、わたくしはすぐさま出られるのです」
そこで三蔵が、伯欽とともにふたたび山頂へ登って見ると、はたして四角い大石の上に、「|※[#口+奄]嘛※[#口+尼]叭※[#口+迷]吽《おんまにはつみうん》」の六個の金字を記した一枚の札がはってあった。三蔵はふし拝んで、
「弟子|陳玄奘《ちんげんじょう》、もしかの者と師弟の縁あらば、金字をはがし得て、かの者を救い出さしめたまえ」と仏に祈願をこめ、さて近寄ってそれをはがそうとすると、たちまち一陣の香風がさっと吹き来たって、その札を空中に捲《ま》き去り、
「われは大聖を監守する者なり。今日かれが幽閉の期満ちたれば、われは立ち帰って如来にまみえ、この札を返納したてまつるものぞ」
という声が聞えた。三蔵は驚いて空を望んで拝し、伯欽とともに山を下ってまた猿の箱の前に戻り、「札ははがれたぞ」と伝えると、猿は大喜びで、
「師父、ではどうぞ遠くへ離れていてください、ぴっくりなさるといけませんから」
そこで三蔵が、伯欽とともに東へ向って遠く離れると、たちまち天地も崩れんばかりの一大爆音が後方で起り、早くもかの猿が丸裸の姿を三蔵の馬前に現わしてひざまずき、
「師父、わたしは出て参りました」
といって四たび拝をなし、ついで身を起して伯欽に向い、
「親方、おれの師匠を送って来てくれて、ありがとう」
と礼を述べたかと思うと、さっそく行李を受け取り、馬の世話をしようとした。すると、馬はぶるぶると身をふるわして、さも恐ろしそうに縮み上ってしまったが、これはかれがもと弼席温《ひっばおん》として天上において龍馬《りゅうめ》を御したことがあるので、その手さばきに下界の凡馬が恐れをなしたのも当然であった。
さて三蔵がかれの姓を尋ねると、孫と答えたので、「ではわしが、そちに法名をつけてつかわそう」というと、猿は、
「いえ、わたしは前から悟空という法名がございます」
とのことだったので、三蔵は大いに喜び、
「それはわしの宗旨にもぴったりとあってよい名じゃ。ところで、そちの姿を見るに、いかにも小さい行脚の僧によく似ているから、べつに行者という呼び名を用いたらよろしかろう」
「結構でございます」
これより悟空はまた孫行者とも称するようになった。
伯欽は三蔵によい弟子のできたのを見てすっかり安心し、ここに初めて三蔵に別れを告げて、わが家をさして帰って行った。
孫行者は三蔵を馬に乗せ、行李を背負って先に立って進んだが、ほどなく両界山を越えると、たちまち一匹の猛虎が咆《ほ》えたけりながらおどり出てきた。三蔵は大いに驚いたが、行者はかえって喜び、
「師父、恐れたもうな、こやつはわたしに着物を持って来てくれたのでございます」といって、行李をおろすと、耳の中から一本の針を取り出し、ひとふりぴゅっと振るや、たちまちそれは手ごろの鉄棒となった。行者は、それをふるって猛虎に立ち向い、脳天めがけて、まっこうみじんと打ち下せば、さすがの猛虎もひとたまりもなく、脳漿《のうしょう》はほとばしり流れ、歯も牙もばらばらに砕け散ってしまった。三蔵は驚き呆れ、馬からころげ落ちて言った。
「先日、伯欽が虎をしとめたときには、ずいぶん時間がかかったのに、いま悟空は、闘いもせず、ただ一打ちにこなごなにしてしまいおった。上には上がある、とはよく申したものじゃ」
行者は虎を引きずって師父の前に来て、
「お坐りになってしばらくお待ちください。わたくしはこやつの着物を脱がして、それを着込んでから出かけますから」
そういったかと思うと、行者は一本の毛を抜き、ふっと息を吹きかけて、一丁の庖丁となし、たちまち虎の皮をはいでしまった。そしてそれを適当の大きさに裁《た》って、腰に巻き、下半身をおおうと、
「お待たせしました。本縫いは人家に着いてからいたしますから」と、早くも行李をかついで、先に立って歩きだした。三蔵はあっけにとられ、馬の上から、
「悟空よ、それにしてもさっきの鉄棒は、どこへやったのか」と尋ねると、悟空は笑いながら、
「わたくしの棒は東洋大海の龍宮から得て参りましたもので、天河鎮底神珍鉄といい、かつて天宮を大いに騒がしたときも、いかなるものもこれを損ねることはできませんでした。身に随《したが》って変化なし、大きくしたければ大きくなり、小さくしたけれは小さくなる。ただいまは縫針の大きさにして耳の中にしまってあります。が、用のあるときはいつでも取り出して使うことができます」
悟空はさらに、かれの神通力や変化《へんげ》の術についていろいろ自慢話をし、もし途中で手ごわい妖怪でも出て来たときには大いに腕をふるってごらんに入れましょうといったので、三蔵も心強く思いながら、西へ西へと進んで行った。そしてその夜は、さいわい一軒のいなかの家に泊めてもらい、風呂まで立ててもらった。三蔵がまず入り、悟空も五百年間の垢を洗い落した。さてそのあとで、針と糸とを借りて、着物を縫い上げ、それを身につけて、
「こんなふうで、どうでしょうか」と三蔵に尋ねた。
「よく似合う。まったく雲水の姿そのままじゃ」
三蔵は感心して、その上に重ねるようにと、着ふるした十徳《じっとく》を与えたので、悟空はすっかり旅僧の姿そのままになった。
かくて師弟が旅を続けて行くうちに、はや秋も過ぎて、冬の初めになった。ある日、二人が淋しい野道にさしかかると、とつぜん、道ばたから六人の壮漠がおどり出し、手に手に|えもの《ヽヽヽ》をひっさげて行手をさえぎり、
「待て、そこな坊主! 命が惜しくば、馬もろとも荷物を置いて行くがよい」
三蔵は驚きのあまり、馬からころげ落ちて、物もいえない。行者は師をいたわり、
「師父、ご心配は無用です。あいつらこそ、着物と路用の金をくれにやって来たのです」
そういって、山賊らの前へ進み出たかと思うと、ばか丁寧な礼をして、さて、
「各々がたはどういうわけで、われわれをさえぎられるのか」
「おれたちはだれ知らぬ者もない追剥ぎの大親分だが、ちっとは情も知っている。さっさと荷物を置いていけば、命だけは勘弁してやろうというものだ」
聞くより悟空は、からからと笑って、
「このおれ様こそ、きさまらの大親分だということを知らねえか。きさまらがこれまでに奪って来た宝をさっさと差し出せば、おれもちっとは情を知っているから、山分けにするだけで勘弁してやろう」
「なにをこの坊主め、ふざけたことをぬかすやつだ」
山賊らはいっせいにわめき立て、悟空の頭めがけてさんざんに斬りつけた。が、悟空はそのまん中に突っ立ったまま、涼しい顔をしているので、さすがの山賊どもも呆れて、
「この坊主、なんて固え頭をしていやがることか」
行者はにたりと笑って、
「きさまらの手並はそれだけか。では今度はそれがしが針を取り出してためしてみる番だぞ」と、耳の中から一本の針を取り出し、さっとひとふり、手ごろな鉄棒となし、りゅうりゅうと打ちふって山賊らにおどりかかると、かれらはひとたまりもなく、先を争って逃げ出した。悟空は逃げるを追って、ひとり残らず打ち殺し、着物を剥ぎ取り、金を奪い取って、からからと笑いながら戻って来た。
「お師匠様、さあ参りましょう。泥棒どもは残らず片づけて来ました」
しかし三蔵は、思いのほかにふきげんな様子で、
「そちはなんてむごいことをいたしたのか。あの者どもは追剥ぎではあるが、死罪に当るほどの悪者ではない。なんでそちは打ち殺したか」
「でも、わたくしがやつらを打ち殺さなければ、やつらがあなたを打ち殺したことでしょう」
「わしは出家だから、兇事を行うくらいなら殺されたほうがましじゃ。そちも仏門に入った身で、かような兇事を行うならば、とても西天へのぼって果報を得ることはおぼつかなかろうぞ。けしからぬことじゃ。かようなことでは一生猿のままで、永劫《えいごう》に人身は得られないぞよ」
三蔵が執拗に、くどくどと咎め立てるので、悟空もとうとう我慢がならず、持ち前の短気を起して、
「どうせ和尚にもなれず、西天へも行けないというんなら、そんなにくどくど言ってもらいたくありませんや。わたしが行っちまえばいいんでしょう」
三蔵はしばらく黙然としていたが、ややあって、
「悟空よ、そちは行くのか」
そういって、ふと頭をもたげて見ると、早くも悟空の姿はかき消すように消え去ってしまっていた。三蔵はつくづくとうち嘆き、
「ああ是非もなや、わしは弟子には縁がないとみえる」
あきらめて、荷物をまとめて馬に積み、自分は乗りもせずに、片手に錫杖《しゃくじょう》をつき、片手で手綱をひいて、西へ向って歩いて行った。するとほどなく、ひとりの老婆が、手に錦の衣と花帽(僧の帽子)とを持って、やって来るのに出会った。
「あなたはどちらからおいでなさった和尚様ですか」
老婆からそうきかれて、三蔵が、
「拙僧は唐王の命により、西天へ参り仏を拝み経を求めようとする者でござる」と答えると、老婆は呆れたように、
「西天へはここから十万八千里もあるというに、見ればあなたはおひとりで、お弟子もつれず、どうしておいでになれますか」
「いや、さっきまで弟子はひとりいたのですが、まことにわがままなやつで、わたしが少しばかり小言を申したのをきき入れず、とうとうどこかへ行ってしまいました」
「どこかとは、どちらのほうへですか」
「東のほうへ参ったと思います」
「わたしもちょうど東へ帰りますから、もしその人に出会ったら、わたしからよく話して、もう一度あなたのところへ戻って来るようにしてさしあげましょう」
老婆はそういって、手にした衣と帽子とを差し出し、
「これを和尚様に差し上げますから、お弟子が帰って来たら、この衣を着せ、この帽子をかぷせなさるがよい。それからここに、緊箍呪《きんこじゅ》という呪文《じゅもん》を書いたものがあるから、これをよく諳《そら》んじておいて、お弟子がいうことをきかないときには、それをとなえなさい。そうすれば二度ともう悪いことはしなくなりますよ」
三蔵が厚く礼を述べると、たちまちにして老婆は一道の金光と化し、東をさして飛び去ってしまった。三蔵ははっとして、さては観音菩薩にましましたかと気がつき、あらためて東を望んで礼拝し、拝し終ると衣と帽子とを風呂敷の中にしまい込んで、それより路傍に坐って緊箍呪の暗誦にとりかかった。
一方、悟空は師に別れてから、|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばして東に向ったが、途中、東洋大海の竜王宮へ立ち寄った。さて龍王がたずねて言うには、
「大聖、どうして幽閉の難をお逃れになりましたか」
「わしは南海の菩薩様の勧めで、唐僧に従って西天へおもむき、仏を拝み沙門《しゃもん》に帰依することになったので、そのおかげで難を脱したのさ」
「それはまことに結構でした。それにしても西へ行こうという人が、東へ来られたのはどうしたわけですか」
「その唐僧というのが人を見る明《めい》がなく、わしが山賊を殺したのを悪いといって、うるさく小言をいうものだから、わしも我慢がならなくなって、そいつを振り捨てて来ましたよ。これからまた花果山へ帰るつもりです」
「大聖、南海の菩薩様が、唐僧に従って西方へ行き仏を拝せよとお教えになったからには、かならず好いことがあるにちがいありませぬ。大聖がもしそれを果たさないならば、いつまでも一個の妖仙で、正覚《しょうがく》を得ることは思いもよりませんぞ」
悟空はそれを聞いて、しばらく唸っているばかりである。龍王は重ねて、
「大聖、ここはひとつご自分でよく思案なさって、前途を誤らないようになさるところですぞ」
「もういい。わしはまた行って、あのおかたをお護りすることにしよう」
いうより早く、かれは親王に別れて、もとの場所さして飛んで行ったが、たちまち南海の菩薩につかまってしまった。そしてさんざん不心得をさとされたうえ、ようやく許されて以前のところへ帰ってみると、唐僧は、まだ路傍に坐して、何やらうち案じている様子だった。
「師父へ、あなたはまだこんなところにいられたのですか」
「そちはどこへ行って来たのだ。わしはここでそちを待っていたのだ」
「わたしは東海龍王のところへ行って、お茶を飲んで来ました」
「出家というものは嘘をいってはならぬ。あれからまだ一刻もたたぬに、なんで東海まで行けるものか」
悟空は笑って、
「嘘は申しませぬ。わたくしは|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に乗って、ひと飛びに十万八千里を行くことができます。ですからすぐ行って、すぐ帰って来ることができるのです」
「ところで、わしは今ひもじいのだが、その包みを解いて、乾粮《ほしいい》を出してくれぬか」
そこで悟空が包みを解くと、食べものといっしょに、錦の衣と金環をはめた花帽とが出て来た。悟空は食べものを師にささげながら、
「この衣と帽子とは東土から持っておいでになったのですか」
「さよう、この衣と帽子とは」と、三蔵は嘘も方便と思い、「わしが幼いころに身につけたものじゃ。この帽子をかぶれば教わらずして経が読め、この衣を着れば習わずして礼を知ることができる」
行者はほしくてたまらず、三蔵にねだると、三蔵も快く許したので、さっそくその衣を身にまとい、帽子をかぶった。そこで三蔵が、試みに緊箍呪《きんこじゅ》を念じると、行者はたちまち、「頭が痛い、頭が痛い」と叫んで、苦しまぎれに帽子をひきちぎってしまったが、金環だけは残り、しっかりと頭をしめつけている。
三蔵が呪文をやめると、痛みがぴたりと止ったので、行者は耳から如意棒を引き出すが早いか、三蔵めがけて打ってかかろうとした。が、三蔵があわててまた呪文をとなえると、行者は痛い! 痛い! と、鉄棒も何も投げ出して、七転八倒の苦しみようだった。
そこで三蔵が呪文をやめると、痛みはまたもやぴたりと去ったので、悟空もほっとして尋ねた。
「師父、その呪文はだれから教わられたのですか」
「これはさきほど、ある老婆が、わしに教えてくれた緊箍呪という呪文だよ」
「その老婆というのは、きっと観音様にちがいありません。わたくしにあなた様のお供をして西へ行かせようとの思召でしょう。わたくしはあなた様を守護してどこまでも参りますから、どうかやたらに緊箍呪をとなえることだけはお許しください」
「これからはわしの教義をよくきくのだぞ」
「ききますとも、けっして無礼は働きません」
「それなら馬のあとへついて来るがよい」
行者はそこで荷物をまとめ、また西へ向うことになった。
十二 白馬
旅の日数を重ねるうちに、いつか、十二月になって、寒風が地を払って吹きすさぶころになった。ある日、師弟は蛇盤山《だばんざん》の麓の鷹愁澗《ようしゅうかん》という谷川のほとりへさしかかった。三蔵が馬をとめて、あたりの景色を眺めていると、ふいに淵の水が波立って、一匹の龍が波をかき分けて現われ、三蔵めがけて襲いかかった。悟空はあわてて行李《こうり》を投げ出し、三蔵を馬から抱きおろして、小高いところへ避難させた。そのすきに龍は、三蔵の白馬をひと口に呑んで、またもとの淵へもぐって跡をくらましてしまった。
そうとは知らぬ悟空が、もとの場所へ引き返して見ると、そこにはただ荷物が残っているだけで、龍もいなければ、馬もどこへ行ったか影も形も見えない。そこで悟空は、ひとまず荷物を持って三蔵のそばへ戻り、
「師よ、かの悪龍はすでにどこかへ姿を消してしまいましたが、困ったことに馬が驚いて行方がわからなくなりました。ちょっと行って見てきますから」と、いうより早く空中へとび上って、くまなく四方を眺め渡してみたが、てんで跡形もわからない。やむなく雲をおりて、
「師よ、わたくしどもの馬はあの龍に呑まれてしまったにちがいありません。わたくしの眼は千里さきを蜻蛉が舞っているのまで見えるのに、どこにも馬の姿は見当りません」
それを聞くと三蔵は一馬を失って自分はこれからどうして進むことができようかと、覚えず涙を流して悲しんだ。悟空は声を励まして、
「くよくよしたってしかたがありません。わたくしが行って龍を捜し出し、馬を取りかえして来ますから」
そういってすぐにも出かけようとするのを、三蔵はあわてて引き止め、
「悟空よ、そちが捜しに行ったあとで、いきなり龍がとび出してきて、わしに危害を加えたらどうするのじゃ」
悟空はいよいよ声を大にして、
「あなたは、乗馬はほしいとおっしゃるし、わたくしを行かせたくはないとおっしゃる。それじゃここで、よぼよぼの老人になるまで、荷物とにらみっこをしていなさるがよい!」
と、ぷんぷん憤慨していると、たちまち空中に声があって、
「大聖、悩みたもうな。唐僧、哭《こく》するをやめよ。われらは観音菩薩の命を受け、とくに来たってひそかに取経の人を護っている、金頭掲諦《こんずぎゃてい》その他であるぞ」
聞くより三蔵はあわてて礼拝し、ほっと安堵の胸をなでおろした。そこで悟空は、
「さらば各々がた、しばらくわが師父をお頼み申す!」というより早く、いっさんに淵のほとりへ駆けて行って、ひと声高く叫んだ。「ここのちんぴら泥鰌《どじょう》め、馬をかえせ!」
すると、その声が聞えたのか、さきほどの龍が波をひるがえしておどり出で、
「だれだ、そこでおれを罵《ののし》っているのは」
行者はこれを見て大喝《だいかつ》し、
「ほざくな、おれの馬をかえせ」
と、たちまち鉄棒をふりかぶって、まっこうから打ってかかった。龍も牙をむき爪をとがらせて立ち向い、ここに両々劣らず、すさまじい戦いが始まった。が、そのうちに龍はようやく力衰え、ささえきれなくなったので、急ぎ身を転じて淵の底へもぐり込んでしまい、いくら行者が罵ってもふたたぴ姿を現わそうとはしなかった。
行者はいよいよ怒って、神通を使い、底まですきとおった鷹愁澗の水を、黄河の濁流のようににごしてしまった。それにはかの悪龍も大いに困って、ふたたび波上におどり出で、
「きさまはどこから来た化物だ」と罵った。
「どこから来ようと、大きにお世話だ。きさまはただ馬さえ返せばそれでよいのだ」
「馬はおれが呑んでしまったわ。返さなければどうしようってんだ」
「馬の代りに、きさまの命をもらうばかりだ」
かくて両者はまたもや乱闘に及んだが、もとより行者に敵しようもない龍は、ふいに一匹の水蛇に身を変じると、草むらの中へもぐり込んでしまった。行者はそれを追って、草を分けて捜したが、どこへかくれたか影も形も見えない。しかたがないので、行者は「|※[#「口+奄」]《おん》」の字の呪文をとなえて、所の土地神と山神とを呼び出し、龍の素姓を尋ねてみた。すると二神の答えていうには、
「元来この淵には化物などいなかったのです。水が底まですみとおっていまして、その上を渡る鳥どもが、自分の影を仲間の鳥とまちがえて、よく水の中へ身を突っ込んでしまうことがありますので、鷹愁澗という者があるぐらいです。ところが先年、観音様が一匹の龍を済度《さいど》してここにお住わせになりました。今日、大聖のお怒りにふれたのはこの者でしょう。この者をお捕えになりたいとならば、観音様にお出ましを願われたら、おのずとうまく参りましょう」
行者はこれを聞くと、二神をともなって三蔵の前に引き返し、詳しく事の由を話して、これからすぐ南海へ行って菩薩をお呼びして来ますからと、三蔵の許しを求めた。ところが、それについて三蔵がまだ諾否の返事をしないうちに、ふいに空中から金頭掲諦《こんずぎゃてい》の声がして、
「大聖、あなたがお出かけになるには及びませぬ。小神《それがし》が行って菩薩をお迎えして来ましょう」
行者は大いに喜んで、掲諦《ぎゃてい》に事を一任した。かくて待つ間ほどなく、菩薩は蛇盤山へお着きになり、中空に祥雲《しょううん》をとどめて、掲諦をして行者をお呼ばせになった。行者はその声を聞きつけると、すぐ空中へはせのぼり、大声をあげて叫んだ。
「結構なお慈悲深い菩薩様、あなたはわたくしに力を尽くして唐僧のお供をしろと教えておきながら、なんで花帽などをおやりになって、わたくしをだましてかぶらせ、こんな箍子《こじ》(金環《かなわ》)をわたくしの頭にくっつけてしまわれたのですか。そればかりか、緊箍呪《きんこじゅ》とかいう呪文まで教えて、わたくしに死ぬような苦しみを与えるのですか」
菩薩はお笑いになって、
「この猿めが、そちのような教えに従わないあばれ者は、そうでもしておかなかったら、かならずや唐僧のもとを逃げ出し、またもや天にのぼって災をひき起すことになるだろう。すべてはそれを未然に防ぐための方便じゃ」
「ではもうひとつ伺いますが、あなたはなぜまたここへ悪龍を放しておいて、わざと師父の馬を食わせるようなことをなさったのですか」
「あの龍を玉帝から乞い受けて、ここへ放しておいたのは、経を取る人の乗りものとせんがためだ。思ってもみるがよい、あの東土の凡馬がどうして千山万水を超えて霊山の仏地まで至ることができようぞ」
こういって菩薩はすぐ掲諦に命じて、淵のほとりへ行って龍を呼び出させられた。すると龍はたちまち水の底からおどり出て、人間の姿に変じ、空中へのぼって菩薩の前へひれ伏した。
「そちはなぜ取経の人の馬を奪ったのか」
そう菩薩が仰せられると、龍は答えて、
「わたくしは何も知りませんでした。この人は少しばかり強いのを鼻にかけ、わたくしに戦いをいどむばかりで、取経のことは一言もいわなかったからです」
そこで菩薩は行者に向い、
「強いだけでは人を服せしめることはできぬわ。今後も行く先々で、また帰順するものもあろうが、もしもそのようなときには、まず取経のことを申すがよい。そうすれば、なんの苦もなく先方から降服して来るであろうぞ」
と、こんこんとおさとしになったので、さすがの行者も、今はおとなしくその仰せを承る以外はなかった。
かくて菩薩は龍を招き寄せて、その顎《あご》の下の玉を抜き去り、楊柳の枝に甘露をふくませて龍のからだをひと払いして「変れ!」と叫ばれると、龍はたちまち一匹の白馬と変じた。菩薩はその白馬に向って、
「なんじ、心を用いて罪業を滅し、功を成さば、ふたたびもとの龍となし、果報を得させるであろうぞ」と仰せられると、龍は喜び謹んでお受けをした。
菩薩はまた楊柳の葉を三枚つんで、行者の項《うなじ》に置きたまい、「変れ!」とお唱えになると、それは三本の命毛《いのちげ》と変じた。そこで、
「もしどうしても助からぬというような危急の場合には、この毛を抜いて助けをこえば、たちどころに救われるであろうぞ」とお教えになると、行者はいまさらのように菩薩の心づくしに感激して、うやうやしく菩薩を礼拝した。
やがて菩薩がお帰りになると、行者も雲からおりて、龍馬《りゅうめ》のたてがみを引いて三蔵にまみえ、つぶさにありし事どもを物語った。三蔵は南を望んで拝をなし、深く菩薩にお礼を申し上げた。行者はその間に、荷物をまとめて出発の用意をしたが、なにしろ馬が裸馬のこととて、やっと三蔵を乗せるには乗せたが、三蔵は心細がって、
「鞍《くら》もくつわもない馬に、どうして乗って行けるだろうか。それにこの川には渡舟《わたし》もないではないか」
行者はじれったくてたまらず、
「こんな山奥に、舟などあるものですか。さいわいこの龍馬が、この川の水勢に通じているはずですから、馬を舟だと思って渡ることにしましょう」
こうしてふたりが言い争っているところへ、鷹愁澗の水神が、上流から筏《いかだ》を流して来てくれたので、ふたりは馬もろともそれに乗って、やすやすと対岸へ渡ることができた。そこで三蔵は、びくびくながらまた裸馬に乗せられ、行者に追い立てられるようにして、西をさして進んで行った。
やがて日も落ちて、あたりが暗くなりだしたころ、思いがけなく路ばたに一つの廟《びょう》のあるのに気づいた。今宵《こよい》はそこに宿を借りることにして、三蔵が馬からおりて見ると、門には里社祠《りしゃし》(村の鎮守)と記してあった。さて門を入っていくと、ひとりの老人が出迎えて、快く宿を貸してくれたばかりか、いろいろ手厚くもてなしてくれるので、三蔵の喜びはこの上なかった。老人の話によると、ここは西方の蛮族――哈密《はみ》国の領土だということであった。
翌朝、三蔵主従が出発しようとすると、老人は三蔵の馬に鞍もくつわもないのを見て、一揃いの鞍とくつわのほかに、鞭まで添えて贈ってくれた。三蔵は厚く礼を述べ、行者をしてそれらの馬具を馬につけさせてみると、まるで初めから寸法を合わせて作ったように、ぴったり合っていた。かくて三蔵は、気持よく鞍にまたがり、老人に別れの挨拶をして出発したが、五、六歩いったところでふとふり返って見ると、不思議やかの老人も里社祠もともにかき消えて、あたりはただ一面の空地であった。と、このとき空中に声がして、
「聖僧よ、われは落伽山《らっかさん》の土地神なるが、観音菩薩の仰せを承って、貴僧に馬具を与えんために参りしものぞ。せっかく努力して、一時も早く西天へお達しあれ」
聞くより三蔵はあわてて馬から降り、空を望んでうやうやしく礼拝し、ふたたび馬に乗って西方へと歩みを進めた。
その後はこれといって変ったこともなく、行くこと二カ月ばかりで、早春の候となり、草は青み、木々は芽を吹き出した。師弟は春光うららかな毎日を、たのしく旅を続けていたが、ある日の夕方、三蔵は行手の山腹にりっぱな寺院のそびえているのを見て、そこへ行って宿を借りることにした。
十三 袈裟盗人《けさぬすびと》
その寺は観音院といった。師弟はまず本堂に参詣し、それから寺僧に導かれて方丈《ほうじょう》へ通されて、お茶のもてなしを受けた。そこへ院主の老憎も出て来たが、その老僧は自分で二百七十歳の高齢と称し、全院の坊主どもから祖師とあがめられていた。
しばらく話していると老僧は、いかにも道具自慢らしく、べつに七宝《しっぽう》の茶碗を、羊脂玉の盆に載せて出させ、それに白銅の急須から香り高い茶をついで勧めた。三蔵が、
「結構な器《うつわ》でございますな」とほめると、老僧は、
「いや、ほんのつまらないもので、おほめにあずかる品ではありませぬ。それより貴僧こそ名だたる大唐国よりおいでになったのですから、さぞかし珍しい宝物をお持ちになっていられることでしょう。ぜひ拝見させていただきたいものです」
「何を申すも拙僧は遠い旅の身、お眼にかけるような物は何ひとつ所持してはおりませぬ」
三蔵がそういって断ると、行者がそばから、
「師父、あの包みの中の袈裟こそりっぱな宝物ではありませんか。あれを取り出してお見せになっては」と口をはさんだ。すると、それを聞いた老僧は、
「袈裟を宝物といわれるなら、われらのこの寺にもいくつもありますわい。べつに珍しくもありませんじゃ」と笑った。行者は早くもいきり立ち、
「袈裟は袈裟でもあなたがたの袈裟とは比べものになりません。お待ちなさい、わしが持って来てお見せしましょう」と叫んだ。三蔵は行者をたしなめて、小声でこっそり、
「悟空よ、富や宝はけっして人と競うべきではない。もしそれを犯せは、かならず災を招くであろうぞ」
「心配ご無用、何事もわたくしにお任せください」
師の言葉にも耳もかさず、行者はかってにその包みを持って来て、一同の前にひらいた。それはさきに、仏如来《ぶつにょらい》が.観音菩薩に托して三蔵に賜わったあの袈裟で、その美麗なことは、老僧はじめ従う僧たちをことごとく感嘆させた。わけても老僧は、つくづくとその袈裟に眺め入っていたが、はたしてよからぬ心を起し、三蔵の前に頭をさげ、眼に涙さえ浮かべていった。
「拙僧はなんという不幸なものでございましょう。かかる宝物もおりからの日暮れで老いの眼にはっきり拝見することができませぬ。いかがでございましょうか、もし拙僧の願いをお許しくださるならば、今夜一晩だけ居室へ持ちかえってゆるゆると拝見いたし、明朝早々にお返しいたすことにしたいと存じますが」
いわれて三蔵はびっくり、しきりと行者をうらんだが、行者は笑って、
「心配なさることはありません。大丈夫、わたくしが引き受けます」と、みずからその袈裟をとって老僧に渡すと、老僧は大喜びでかれの居室へそれを持ち去った。そして衆僧に命じて禅堂を清掃させ、そこを師弟の宿所にあてさせた。
さてその夜、老僧はただひとり、灯火をかかげてつくづくとその袈裟に眺め入りながら、どうかしてこれを自分のものにできないものかと、心を悩ましていた。するとそこへ広謀《こうぼう》という悪知恵にたけた坊主が入って来て、早くも老僧の心を読み取り、よからぬことをすすめた。
「祖師様、これをご所持になりたいとなら、わけはありません。あの旅僧の弟子が兇悪な顔をしていることは皆が知っております。それでかれらに悪名を着せて、今宵のうちになきものにするのです。さいわい、かれらは旅の疲れでぐっすり寝入っていますから、禅堂の周囲に柴を積み上げ、火を放って焼き殺してしまえば、なんの造作もないではありませんか」
呆れたことには、老僧もすぐその気になり、全山の大坊主小坊主どもを招集して、三蔵らのことを口ぎたなく罵り、かれらを焼き殺すために、ひそかに禅堂の周囲に柴を運ばせ、積み上げさせた。
一方、禅堂の内では三蔵らがよく眠っていたが、耳ざとい行者は早くも戸外の物音に眼をさまし、これは怪しいぞと、すぐとび起きて、一匹の蜜蜂に化けると、廂《ひさし》の間からこっそり外へ忍び出た。見れば禅堂の周囲には柴が山と積み上げられ、いまにも火をかけそうな坊主どもの様子だった。
「やっぱり師父のいわれたことは当ったわい。おれたちを焼き殺して、袈裟を奪おうというのだな。よし、どうしてくれようか」
行者にとって、こんな坊主どもを叩き殺すくらいのことは、なんでもなかった。しかしそんなことをすれば、師の三蔵からまた大眼玉を食うことはわかりきっていた。そこで一計を案じ、|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばして天上の南天門へはせつけた。すると門を守っていた神将たちが驚き騒いで、
「さあたいへん! さきに天宮を騒がした大聖がまたやって来たぞ!」
行者は手を振ってかれらをおし鎮め、
「安心したまえ。おれが来たのは、ただ広目天王《こうもくてんのう》に用があるだけだ」
そう言い捨てて、大手を振って門を通り、さっそく広目天王を訪れて、事情を話して辟火罩《へきかとう》(火よけの伏せ籠)を貸してもらいたいと申しこんだ。すると天王は、
「悪人が火を放ったのなら、龍王に水を借りて救うがよい。なんで辟火罩がご入用か」
「水で救ったのでは、ほかが焼けないから、かえってやつらに都合がよいことになります。ただ辟火罩で唐僧を守りさえすればよいので、ほかはかってに焼けるがいいのです」
天王は笑いだし、「この猿め、自分さえよければ人はどうでもいいというのじゃな」
そう言いながらも、急ぎの場合なので、とにかく辟火罩を行者に渡してくれた。
行者は大急ぎで取って返し、禅堂の屋根に降り立つと、三蔵と白馬の宿っている禅堂を、上からすっぽり辟火罩でおおってしまった。それから方丈のほうへ飛んで行き、屋根の上にまたがって、袈裟を守ることにした。
おりから僧らの放った火が、しだいに火勢をましてきたので、行者はおもしろがって、呪文をとなえて一陣の狂風を呼ぶと、みるみる火の手は燃えひろがって、本堂その他の建物に燃え移り、坊主どものうろたえ騒ぐうちに、全山一面の火の海となった。ただ焼けないのは、辟火罩でおおわれた禅堂と、行者の守っている方丈だけである。
さてこの観音院の南二十里、黒風山の黒風洞に一個の妖怪が住んでいたが、真夜中ふと眼をさまし、天をこがす火焔を見て観音院の焼けていることを知ると、これはひとつ自分が行って救ってやらねばなるまいと考えた。それというのも、この妖怪は日ごろ、観音院の老僧と親しく行き来している間柄だったからである。そこでさっそく、雲を飛ばして行って見ると、全山火焔に包まれた中に、ひとりの男が方丈の屋根にまたがって、しきりに風をあおっているのが眼にとまった。この曲者め! と思ったが、老僧のことが気になるので、まず方丈のかれの居室へ忍びこんで見ると、老僧はどこかへ避難したか不在で、机の上に金色|燦然《さんぜん》たる金襴《きんらん》の袈裟がのっていた。財は人の心を動かすというが、妖怪は見るよりそれが欲しくなり、火を消す手伝いなどはまるで忘れて、袈裟を盗んでさっさと山洞へ引き返してしまった。
火事は明け方になって、やっとおさまった。行者はもうよかろうと、雲を飛ばして広目天王のところへ辟火罩《へきかとう》を返しに行き、急いで禅堂へ引き返してくると、まだよく眠っている師父をゆり起した。
三蔵はやっと眼をさまし、表戸をあけて見て、驚いた。さしも宏壮《こうそう》を誇った大伽藍《だいがらん》も、一夜にして焼け野原となり、かずかずの殿宇も楼台もただ礎石を残すのみであった。よくこの禅堂が焼けなかったことだと思うにつけても、気になるのは袈裟のことだった。
「袈裟はどうしただろう、あの袈裟は……」
三蔵の気がかりそうな様子を見て、行者がいった。
「大丈夫です。袈裟のある方丈だけは焼け残りましたから」
行者は三蔵をうながして、馬をひいてすぐ方丈へ行って見ることにした。そして歩きながら、昨夜からの出来事をこまごまと語って聞かせた。
方丈では一山の坊主どもが、悲嘆にくれていた。そこへ焼け死んだはずの師弟が馬をひいて現われたので、一同は幽霊ではないかと驚いた。皆はいっせいにふたりの前にひざまずき、
「どうぞ命ばかりはお助けください。これはみな広謀と老|和尚《おしょう》がたくらみましたことで、わたくしどもには、かかわりあいのないことでございます」
行者は大喝して、
「だれがきさまらの命を取るといった。早く袈裟を持って来て返せ」
「では、あなたがたは、やはり幽霊ではございませんので?」
「おれたちが焼き殺されてたまるか。禅堂へ行ってよくたしかめてきやがれ」
そこで坊主どもがぞろぞろと禅堂へ行って見ると、扉も柱も焼けあとひとつなく、どこに火事があったかといわんばかりなので、皆はすっかり驚いてしまった。そして先を争って方丈へ帰ってくると、老憎の居室へかけ込み、
「祖師様、唐僧はほんとうに神人です。焼け死んだどころではありませぬ。早く今のうちに袈裟を持ち出して返しておしまいなさい」と勧めた。ところが老僧は、昨夜からもう何度も袈裟を捜してみたのだが見当らず、おまけに伽藍は焼けてしまい、思い悩んでいたところへこの注進だから、ぐうの音も出なかった。考えあぐねて、進退に窮し、いきなり壁に頭を打ちつけて死んでしまった。寺僧たちはさすがに老僧の死を悲しんだが、果てしもないことなので、三蔵らのそばへ戻り、
「ただいま老僧には、前罪を悔いて、みずから死を選んではかない最後をとげましたが、袈裟はどうしたのかまったく見当りません」と報告した。
行者はかんかんに怒って、早くも金箍棒《きんこぼう》をくり延べ、片っばしから打ち殺そうとしたが、三蔵に制止されてようやくそれだけは思い止った。しかし念のために、そこらにころがっている箱や籠を、ひとつひとつこまかに調べたり、坊主どもの身体検査をしてみたが、どうして袈裟の出て来ようはずはなかった。行者はしばらくうなっていたが、
「このあたりに、妖怪は住んでいないか」
と坊主どもに尋ねた。するとその中のひとりが、
「ここから南二十里のところに、黒風山黒風洞というのがあり、そこに黒大王というのが住んでいまして、亡くなった当山の老僧とよく行き来をしておりました。このものはたしかに妖怪だということです」
行者はそれを聞いて、わが意を得たように笑い、
「師父、心配することはありません。きっと.そいつが火事泥を働いたにちがいありません。わたくしはこれから行って、取り返してまいります」
それから坊主どもに向って、
「なんじらは、よくよくわが師父にお仕え申せ。また白馬の世話をおこたってはならぬ。もし少しでも言いつけにそむくようなことがあれば、この鉄棒が物をいうぞ」ときびしく言いつけ、ひらりと|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に飛び乗ると、まっしぐらに黒風山さして急いだ。驚いたのは大小の坊主どもであった。おのおの天を仰いで礼拝し、
「これこそ、まことの神仙でいらせられるわ。道理で、火にもお焼けにならなかったわけじゃ」と、口々に感嘆した。
十四 大いに黒風山上に戦う
さて行者が黒風山へ着いて、雲の上から様子をうかがっていると、ふと山陰から話し声が聞えてきたので、雲をおりてこっそりそのそばへ近づいた。見れば三個の妖怪が、地面に坐って、話をしているのだった。上座にいるのはまっ黒な黒ん坊、左手のは道士ふうの男、右手のは白衣を着た秀才ふうの男だった。さてかの黒ん坊がいうには、
「あしたはわが輩の誕生日であるから、ぜひとも、おふたりにおいでを願いたい」
すると白衣の秀才が、
「毎年大王のお祝いに伺いますに、本年も参らぬという道理はありません」
「実はきのう、はからずも金襴の仏衣《ぶつえ》を手に入れたので、その宝物にちなんで仏衣会《ぶつえかい》と名づけ、大いに宴を盛んにしたいものでござる」
「いや、それはますます結構なことでございます」
などといかにも楽しげに話している。
行者はそれを聞くと、さてはとばかり、いきなりおどり出して、金箍棒《きんこぼう》を振りかぶり、
「この賊怪め、わが袈裟を盗んでおいて、仏衣会とは何事だ」と大喝一声、まっこうより打ってかかった。ふいを撃たれたかれらは、あっと驚き、いちはやく黒ん坊は風と化して逃れ去り、道士は雲に乗って走ったが、ただひとり白衣の秀才だけは逃げおくれて、一棒のもとに打ち殺されてしまった。見ればその死骸は白蛇の正体をあらわしていた。
行者はただちに黒ん坊を尋ねて山に入り、峰また峰をうち過ぎて行くと、向うの断崖に一つの洞府が現われた。近寄って見ると、石門の扉はかたく閉ざされ、「黒風山黒風洞」と大書した石の横額が、門の上部に掲げられている。
「くたばりぞこないの畜生め、さっさと袈裟を持って出て来やがれ」
行者が鉄棒で門の扉を乱打しながら叫ぶと、妖怪の手下どもがのぞいて見て、あわてて奥へ注進に及んだ。するとかの黒ん坊は、やおら黒い房のついた一筋の槍を小脇にかかえて、門外へ走り出て来た。そして大声をあげて、
「きさまはどこの寺の坊主だ。自分で袈裟をどこかへなくしておいて、おれのところへねだりに来やがったのか」
「何をぬかす。きさまは昨夜の火事のどさくさまぎれに、観音院の方丈から袈裟を盗んで来やがって、それでもって仏衣会をやらかそうというんじゃないか。さあ言い訳はあるめえ。命が惜しくばさっさと返せ」
「何をこのごろつきめ。ゆうべの火事はきさまがつけたんじゃねえか。きさまが方丈の屋板の上で風を招いていたのを、おれは知つてるぞ。だからおれは、袈裟が焼けないようにと、持って帰ったんだ。返さなかったらどうしようってんだ」
言われて行者はかっと腹を立て、鉄棒をあげて打ってかかった。黒ん坊――黒大王も槍をしごいて迎え戦い、両々しのぎをけずって打ち合い突き合うこと十数合に及んだが、容易に勝負は決しない。そのうちに日は高くのぼって、正午となった、妖怪は槍をあげて行者の鉄棒をがっきと受けとめながら、
「時に貴公、しばらく武器を引いて中休みとしようじゃないか。おれはその間に飯を食つて来るからな」
そういったかと思うと、たちまち槍を引き、身をひるがえして洞内にかけ込み、ぴたりと石門を閉ざしてしまった。そして悠々と昼飯を平らげ、またべつに諸方面への誕生祝いの招待状をしたためたりした。
一方、行者は石門へ殺到したが、固くて容易に打ち破れない上に、観音院の師父のことも気がかりだったので、いったん引き返すことにした。そして三蔵に会った上で、今までのことをひと通り報告し、寺僧どもの進める精進料理を腹いっぱい食ってから、ふたたぴ雲に乗って黒風山へやって来た。見れば、ちょうどひとりの小妖魔が文箱《ふみばこ》をかかえて向うからやって来るので、行者はいきなり鉄棒をあげてそいつを打ち殺し、箱を奪って開いて見ると、それは観音院の老僧――金池《こんち》老上人にあてた仏衣会の招待状で、差出人の名は熊羆生《ゆうひせい》となっていた。
「アハハ、あいつ熊羆《ゆうひ》というからには、てっきり黒熊の化け物なんだな。それに、まだあの老僧の死んだことを知らないとみえるわ」
行者はそうつぶやくと、さっそく奇計を案じ、老僧そっくりの姿に変じて、洞門の前へとやって来た。そして門をたたいて案内を乞うと、門番はなんの疑うところもなく、すぐ奥へ知らせに行った。
「大王様、金池長老がお見えになりました」
妖魔はそれを聞くと、大いに驚いて、
「たった今、手紙を持たせてやったばかりなのに、こんなに早く来られるわけがない」と怪しんだが、ともかく会ってみることにした。
行者が導かれて洞門を入って見ると、松や竹が翠《みどり》の枝をさしかわし、花木が妍《けん》をきそい、蘭の香が高く鼻をうって、あたかもこの世からなる別天地の観があった。さて堂前に進むと、かの黒ん坊は階《きざはし》をおりて出迎え、
「老師、久しくご無沙汰をいたしました。実はさきほどお招きの手紙を差し上げましたが、あれはあしたの会のことで、きょうおいで願おうとは存じもよりませんでした」
「ちょうどお眼にかかりたくてやって参りましたところ、はからずも途中でお手紙を拝見いたし、りっぱな仏衣を手に入れられたことを知りました。ついては片時も早くその宝物を拝見したくて、かくは急いで参ったような次第です」
すると妖魔はにやりと笑って、
「老師、元来あの袈裟は、禅院に宿っていた唐僧のもので、あなたがごらんにならなかったはずはないと思われますが」
「いかにも、拙僧は拝見するために借りうけましたが、夜中のこととて、まだ一度もひろげて見ないうちに、不慮の火事となったものですから……」
ふたりがそんなことを話し合っているところへ、巡視の小妖魔がかけつけて来て、
「大王様、たいへんです! 手紙を持った使いの者を孫行者が打ち殺し、金池長老に化けて仏衣をかたり取りにやって来たはずです」
と報告したので、妖魔はさてはとばかり、さっと身をひらいて、行者めがけて槍を突っかけた。行者は飛びのき、たちまち本相をあらわすと、耳の中から金箍《きんこ》棒を取り出して、妖魔の槍をがっきと受けとめた。ここにまたもや乱闘が始まったが、ふたりは戦いながら、勝手悪しと洞外へ出て行き、さらに山頂にまで戦いの場を移した。そして両々劣らず秘術をつくして、霧を吐き風を呼び、砂を飛ばし石を走らせて死闘したが、なかなかもって勝負はつかない。そのうちに日が西に沈んだので、妖魔は、
「きょうはもう日が暮れたから、明朝を待って、改めてきさまの生死を決めてやろう」といったかと思うと、早くも一陣の風と化して洞内へ引き上げ、ぴたりと門を閉ざしてしまった。
行者もやむなく、観音院へ戻って師父にまみえ、事の次第を詳しく話して、いま一日の猶予を乞うた。しかし三蔵は非常に心配して、
「そちは今、妖魔の腕前はそちと五分五分だと申したが、それでどうして勝ちを得て、袈裟を取り返すことができるのか」
「まあそう心配なさらずにいてください。わたくしに考えがありますから」
行者はいかにも成算ありげに答えた。
さてその夜はともに枕についたが、三蔵は袈裟のことが心配でまんじりともできず、翌朝ようやく窓外の白みそめるのを待って、早くも床を出て行者を起し、
「さあ、夜が明けたぞ。行って袈裟を取り返してきてくれ」
行者はすぐとび起きて、支度もそこそこに出かけようとした。すると三蔵は、何を思ったか行者を呼びとめて、
「そちはどこへ行くつもりか」
「わたくしが今度のことを考えますに、どうも観音様に無理があるようです。菩薩《ぼさつ》はここに自分の下寺《しもでら》(観音院)を持ちながら、そのすぐ隣りに妖怪を住まわせておくなんて法はありません。わたくしはこれから南海へたずねて行って、菩薩にかけあい、菩薩ご自身に来てもらって、妖怪から袈裟を取り返してもらうつもりです」
そういったかと思うと、行者は早くも雲に乗って行ってしまった。
やがて南海へ到着した行者は、紫竹林に菩薩にまみえて、さっそく用件を切り出した。
「あなたは、あなたの下寺の隣りに黒熊の化け物などを住まわせておくものだから、そいつがわが師父の袈裟を盗んで、幾度さいそくしても返しゃしません。だからじきじきお出かけを願おうと、こうしてやって来たのです」
「この猿めが! けしからんことを言いおるわ。そもそもこのたびのことは、そちが宝物を小人《しょうじん》に見せびらかしたことから起ったことではないか。その上そちは、風を招いてわが旅所《たびしょ》の下寺を焼き払っておきながら、かえってわしのところへ押しかけ談判に来るとは」
菩薩から叱りつけられた行者は、何よりも菩薩がすべてを見抜いていられる明知に驚き、あわててその前にひれ伏していった。
「菩薩様、どうぞわたくしの罪をお許しください。このたびのことは仰せのとおりに相違ございませんが、ただあの化け物が袈裟を返しませんので、師父がまた例の緊箍呪《きんこじゅ》をとなえられるのが恐ろしいのでございます。菩薩様、お慈悲でございます。どうかわたくしを助けて、袈裟を取り返させてください」
「されば、あの怪物は神通に長じ、そちも及ばぬほどじゃ。よろしい、唐僧に免じて、そちとともに行ってつかわそう」
菩薩がこう承諾されたので、行者は大喜びで幾度もお礼を申し上げ、ともに祥雲《しょううん》に乗って、早くも黒風山へと到着した。さて雲をとめて様子を見ていると、ひとりの道士ふうの男が手に玻璃盤《はりばん》を捧げて行くのを見かけたが、なおよく注意して見ると、玻璃盤の上には二粒の仙丹がのっていた。行者は何を思ったか、いきなり雲から飛びおりると、鉄棒をふるって、ただひと打ちにその男を殺してしまった。菩薩は大いに驚きたまい、
「この乱暴者め、かれにはなんの関係もなきに、どうして打ち殺したか」となじられると、行者は、
「こいつはあの熊の精の仲間です。きょうは熊の精の誕生日なので、これからお祝いに行くところにちがいありません」といって、道士の死骸をひき起してみると、それは一匹の蒼狼《そうろう》(灰色の狼)で、かの玻璃盤の裏面には「凌虚子《りょうきょし》」作と刻んであった。行者は笑って、
「よいことを思いつきましたが、菩薩にはご承知くださいますか」
「どういうことか」
「菩薩、ここに二粒の仙丹がありますが、これは、熊の精に対するお祝いの品です。またこの盤の裏に凌虚子作とあるからには、かの道士はかならず凌虚子という者に相違ありません。そこで菩薩に凌虚子の身代りになっていただき、お祝いの仙丹をすすめていただきたいのですが、そこにちょっとからくりをめぐらすのです。と申しますのは、二粒の仙丹のうちその一粒をわたしが今ここで飲んでしまい、その代りを、わたくしがつとめるのです。ただちょっと大きくなっておきますから、あなたが二粒の仙丹を盤の上にのせておすすめになるとき、大きいほうのを熊の精に飲ませてください。そうすればわたくしが腹の中であばれだして、いやでもきゃつに仏衣を返させますから」
菩薩はお笑いになって、
「ともかく、そちのいうとおりにしよう」と、さっそく凌虚子の姿に変じられると、行者もすぐ一粒の仙丹に変じた。かくて菩薩が、玻璃盤を捧げて洞門を訪れられると、門番は顔見知りの客なので、すぐ奥へ知らせた。熊の精がみずから出て来て迎え入れ、さて座が定まると、
「凌虚仙長には、よくこそおいでくださいました」と、鄭重な挨拶だった。菩薩は、
「小道《それがし》、謹んで一粒の仙丹を献じて、大王の千載をお祝い申し上げます」と、玻璃盤を捧げ、大粒のほうのをよく見定めて、それを妖魔にすすめ、
「大王、幾千代かけて」と仰せられると、妖魔も他の一粒を菩薩にすすめて、
「願わくは凌虚どのにもご同様に」と祝福をかえした。
かくてふたりは同時に一粒ずつの仙丹を飲み下したが、何ぞ計らん、妖魔の腹の中では早くも本相をあらわした行者がめちゃくちゃにあばれだしたので、妖魔は苦痛にたえず、地上をころげまわって泣き叫ぶ始末。そこで菩薩は本相をあらわしたまい、
「この悪者め、命が惜しくばすぐかの袈裟を取り出して参れ」との仰せ。妖魔も今は観念して、すぐさま手下に命じて袈裟を取り出させたので、行者はさっそく鼻の孔からとび出して、やっとそれを手に入れることができた。ところが妖魔は、思いがけず行者の姿をそこに見ると、いきなり槍をとって突いてかかった。そこで菩薩が、一個の箍子《こじ》(金環《かなわ》)をふところから取り出して妖魔の頭に投げかけ、呪文をとなえられると、かれもまた急に頭が痛みだして、槍を投げ出して地上をのた打ちまわるのだった。
「なんじ、罪深きけものよ、仏に帰依する心はなきか」
菩薩がそう仰せられると、妖魔はひたすら恐れ入って、
「心から帰依いたします。どうか命ばかりはお助けください」という。しかし行者は、めんどうだとばかり、ひと思いに打ち殺してしまおうとする。菩薩はそれをおし止めたまい、
「こやつの命を奪ってはならぬ。わしにはこやつの使い道があるのじゃ」
行者は笑って、
「こんなやつを何にお使いになります」
「わしの落伽山《らつかさん》には見回り役がおらぬので、こやつを連れていってそれにしょうと思うのじゃ」
妖魔はそれを聞くと、叩頭《こうとう》して菩薩を拝し、ひたすら正果に帰せんことを重ねて願ったので、菩薩はかれの頭を撫でて戒《かい》を授け、長槍をとらせて供に従えたまい、行者には今後をよくいましめて、南海へとお帰りになった。
十五 高老荘《こうろうそう》
さて行者が、袈裟を捧げて観音院へ帰ると、三蔵の喜びはいうまでもなく、寺僧たちも大いに歓喜した。三蔵は菩薩のお力によって袈裟が手に返ったことを行者から聞くと、毎度のことながら、南の空を拝して厚く菩薩にお礼を申し上げた。
その翌朝、師弟は衆僧にいとまを告げて、観音院を出発した。そして辺境の荒野を西をさして進むこと五、六日、ある日の夕方、とある村の入口へさしかかった。どこか人家をたずねて一夜の宿を借りようと物色していると、ちょうどそこへひとりの若者が、手には傘、背には包み、足には草鞋《わらじ》といういでたちで、急ぎ足にやって来た。行者はいきなりその若者の片手をつかんで、問いかけた。
「どこへ行きなさる。少しききたいことがあるんだが、ここはいったいなんというところかね」
若者は顔をしかめ、行者をふりきろうとしながら、「村にはほかにも人がいねえわけじゃなし、どうしてこんなひどい目にあっているわしらにきかにゃならねえだ」
「なさけは人のためならずさ。地名ぐらい教えてくれたっていいじゃないか。そうすればおまえさんに困ったことでもあれば、また相談にのってあげることもできるわけだ」
若者はそれには耳もかさず、しきりに手をふりきろぅとするが、行者が放さないので、業《ごう》を煮やしてがみがみどなり立てた。行者は笑いながら、
「おまえさんにわしをふりきるだけの腕前があるなら、今すぐでも放してやるよ」
若者は左によじり、右にねじったが、どうして行者をふりきることができよう。とうとうかれは、包みや傘をほうり出して、両手でもって行者をつねったり、ひっかいたりしたが、いっかな行者は放さない。こうなっては若者もしかたがないので、
「ここは烏斯蔵《うすぞう》国(チベット)への境で、高老荘というところだ……さあ、早く手を放してくんな」
「おまえ、そんななりをしているところを見ると、近所へ行くんじゃなさそうだが、いったいどこへ、何しに行きなさる。それを正直におれに話しさえすれば、すぐ放してやるよ」
若者はやむを得ず打明け話をはじめた。
「わしは高太公の家の召使で、高才ちゅうもんです。太公《だんな》に今年二十歳になる娘があって、三年前に婿《むこ》をとったところ、そいつがだんだん化け物の本相をあらわしてきましただ。太公《だんな》は困って、そいつを追っぱらってしまおうとなさるが、そいつはいっかな退散せず、あべこべに、この半年余りは娘をうしろの離れに閉じこめて、家の者にもあわせねえ始末でがす。そこで太公《だんな》はわしらに言いつけて、この化け物を退散させることができるような坊さんを捜して来いというわけで、わしらは方々を捜しまわって、これまでにも、もう三、四人に来てもらいましただ。ところがどれも皆なまくら坊主か、役立たずの道士で、化け物を退散させることができましねえ。今も今とて、太公《だんな》はぷんぷん怒って、今度こそはえらい坊さんをお連れするんだぞ! と、わしらを家からおん出したばかりですじゃ。それをおまえ様みたいなむちゃな人につかまって、わしらは気が気じゃありませんだ。これで正直にみんな話しましたから、さあ、放しておくんなさい」
行者はそれを聞くと、大声で笑い、
「おまえは運がいい、もう遠くへ出かけなくともよいぞ。われわれは経を取るために西天へおもむく東土大唐の高僧である。化け物をとらえるぐらいはなんでもない。帰ってすぐ主人にそう伝えるがよい」
「ほんとですかい。もし化け物をとらえることができなかったら、わしらは恨みますぞ。こんどこそ太公《だんな》からどんなひどい目にあわされるか知れたもんじゃねえからな」
若者は半信半疑ながら、ともかくふたりを高家の門前まで連れ帰った。そして二人をそこに待たせておいて、自分だけ奥へ入り、唐僧たちのことを大公に報告した。すると太公は、
「なるほど、そういう和尚なら、ちっとは法術も心得ているだろう」と、みずから門に出迎えたが、ふと行者の怖ろしげな顔つきを見ると、いささかおじけづき、高才を呼んで、
「きさまはなんという畜生だ、家の中には、げんに化け物が一匹いるというのに、なんでまたこんな雷様みたいなものを、連れて来やがったのか」と叱りつけた。行者はそれを聞きつけて、
「よい年をしてわけの解らぬことをいう人だね。それがしは顔は醜いが、腕はたしかなもんだ。化け物を退治して娘さんを取り返してあげればいいんでしょう。なにも顔のことでとやかく言いなさることはあるまい」
そういわれては高太公も是非なく、ふたりを内へ通した。そして改めて、
「てまえの下男の申しますには、おふたりは東土からおいでになりましたのだそうでございますな」と念を押した。三蔵が、
「拙僧は東土大唐国皇帝の勅命により、仏を拝し経を求むるために西天へ参るものですが、本日はからずもご当地へさしかかり、一夜の宿を願う次第です」というと、太公は呆れて、
「あなたがたは宿を借りにおいでなすったのか、では化け物のほうはどうしてくださるので?」
すると行者が進み出て、
「宿を借りるには借りるが、化け物はいくらでも退治してあげますよ。いったいお宅には何匹ぐらい化け物がいるんですかい」
「いや、化け物の婿がひとりいるきりですが、こやつだけで手を焼いている上に、そう何匹もいられてはたまったものではありませぬ」
「ではそいつのことを少し詳しく伺いましょうかな」
「まあ聞いてくだされ」と太公は話しだした。「わしには男の子がなく、娘ばかり三人ありましたが、上のふたりは村の者に縁づけましたので、末娘の翠蘭《すいらん》に婿をとって老後を見てもらおうと思っておりましたところ、ちょうど三年前、ひとりの男がやって来て、福陵山の者で姓は猪《ちょ》というが、婿になってもよいと申します。見たところ人柄もよさそうであり、それに気楽なひとり者だということでしたから、わしはたいそう気に入って、すぐ家へ入れました。ところが、初めのうちはいたって実直によく働きましたが、これがとんでもない食わせ者で、驚くじゃありませんか、いつのまにかだんだん顔かたちが変ってきたのです。初めは色の黒い太った男でしたが、そのうちに口がだんだん飛ぴ出し、耳の長い阿呆面《あほうずら》になり、首のうしろにたてがみのようなものが生え、まるで豚そっくりになってしまったのです。そればかりか食べることにかけても急におそろしくたくさん食べるようになりましたが、助かるのはただ精進物しか食べないことで、この上なまぐさものや酒が好きでしたら、わしのちっとばかりの身代はとうの昔に食いつぶされていたことでしょう。また昨今は、風や雲を起し、石や砂を飛ばして往来するばかりか、もう半年も前から娘を離れへ閉じこめてしまって、だれにも会わせてくれませんので、今では娘の生死もわからないほどのていたらくです」
そこで行者がいうには、
「その程度の化け物ならわけはない。今宵《こよい》のうちにひっ捕えて、娘ごはりっぱに取り返して進ぜよう」
いかにも頼もしげな言葉に、老人は大いに喜び、師弟にお斎《とき》(僧の食事)を供してねんごろにもてなし、やがて暗くなったころおい、行者を案内して離れの入口へ行き、
「娘はこの中に閉じこめられておりますが、やつはしっかり錠をかっています」
行者が調べて見ると、それは銅汁を流しこんで閉ざしたものであった。そこで行者は例の金箍棒《きんこぼう》で扉をひと突きに突き破り、中をのぞいて見ると、中はまっ暗で何も見えない。高老人が大きな声で、
「翠蘭や、おまえはどこにいるんだい」と叫ぶと、奥のほうから、
「おとうさん? あたしここに」という声が聞えたかと思うと、いきなり娘がかけ出して来て、わっとばかり父親に抱きついて泣きだした。見れば髪は蓬々《ぼうぼう》と乱れ、顔はやつれきっている。行者が、
「泣くのはまあ待ちな。おまえさんに聞きたいが、妖怪はどこへ行きましたかね」ときくと、娘は答えて、
「どこへ行ったか存じません。近ごろは父が追い出そうと計っているのを察して、いつも用心して、夜中になってやって来て、明け方早く去ってしまいます。それも雲を起して往来しますので、どこへ行くのかさっばりわかりません」
「では高老人、あなたは娘さんをつれて向うへ行きなさい。代りにわたしがここで寝ることにしますから」
高老人が娘をつれて去ると、行者はさっそく翠蘭の姿に化け、寝室に横になって妖怪の来るのを待った。やがて夜がふけると、はたして一陣の狂風が吹き来たって、まことに砂や石を飛ばすというありさま。と見る間に一個の妖怪がどこからともなくやって来た。突き出した口、大きな耳、話に聞いた以上に醜い化け物である。妖怪は寝床のそばへ歩み寄り、いきなり抱きしめて口を吸おうとした。行者は待ってましたとばかり、妖怪の長い口をつかんで、いやというほど突きころがした。妖怪は驚いて、
「おや、おまえ何を怒っているんだ」と、起き上ってまた寄って来る。
「べつに怒ってなんかいやしないわ」行者はそこでしおらしげにため息をついて見せ、「実はきょう、父と母とが戸の外からさんざんにあたしを罵《ののし》って、あんな化け物といつまでいっしょになっているのだ。あんな者を婿にしておくのは家門の恥辱だから、いまに坊さんを頼んできて追い出してしまうからと、えらい剣幕《けんまく》でいきまくのです」
「なんだ、あの連中のいうことなんか気にしないがいい。おれには三十六通りの変化《へんげ》の術もあれば、九歯の|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》もある。どんなえらい法師だとて恐れることはない。九天|蕩魔《とうま》の祖師にお出ましを願ったって、どうすることもできないんだ」
「父母がいうには、なんでも五百年前に天宮を騒がした斉天大聖《せいてんたいせい》とかを頼んでくるんだって」
妖怪はそれを聞くと急におじけづいて、
「なに、それはたいへんだ。そんなわけなら、おいらは行っちまうよ。おまえは知らないが、あの弼馬温《ひっぱおん》というやつは、少々手ごわいやつで、おいらには、あしらいかねるかもしれないからな」
妖怪は早くも逃げ出そうとする。行者はその袖をしっかとつかみ、やにわに本相をあらわして、どなりつけた。
「この化け物め、面《つら》をあげてよくおれの顔を見ろ」
妖怪は行者の雷公《かみなり》そっくりの姿を見るや、あわてて着物の袖を引きちぎって逃げ出した、行者は追いすがって鉄棒をもって打ちすえたが、このとき早く、妖怪は千筋《ちすじ》の火光と身を変じて、山寨《さんさい》さして逃げて行く。行者もすぐ雲に飛び乗って追跡した。
十六 猪八戒《ちょはっかい》
さて行者が、火光となって逃げる妖怪を急追して行くと、たちまちにして行手にひとつの高山があらわれた。妖怪はそこで火光をおさめて本相にかえり、山腹の洞内へと逃げこんだかと思うと、すぐ九歯の|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を取って引き返し、行者に向って打ってかかった。行者は大喝して、
「この化け物め、きさまはどこから来た魔物だ、どうしておれの名を知っているのか」と詰問すると、妖怪は答えて、
「きさまはこのおれ様を知らねえのか、教えてやるからよく聞け。おれ様はもと天上にあって、天の川の水軍の総督をしていた天蓬《てんぽう》元帥だが、ある年の蟠桃会《ばんとうえ》に酔っぱらって嫦娥《じょうが》の美しさに魂を奪われ、ひっ捕えてともに寝ようとした。ところがおいらの運悪く、監視の役人に見つけられ、その注進によって玉帝は神々に命じておいらを捕えさせ、二千も背中を鞭《むち》うった上、とうとう天宮を追放してしまった。さておいらは下界へ堕《お》ちたとき、舎《いえ》をまちがえて豚の胎内へ入ったので、こんなざまになったのだ」
そこで行者が、
「なんだ、天蓬元帥の下界へ堕ちたやつか、道理でおれの名を知ってるわけだ」と冷笑すると、妖怪はくやしがって、
「この弼馬温《うまかい》め、きさまが天宮を騒がしたあのとき、おれたちがどのくらい迷惑したか知ってるか。今度はまたこんなところへ来て、女に化けておれをだましゃがって。ばかにするな、さあこのおれの|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》でもくらいやがれ」
かくて妖怪が|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふるって打ってかかれば、行者も鉄棒を挙げて立ち向い、ここを先途と激しい戦いが続いた。ちょうど夜の夜中から、東の空が白んでくるころまで戦ったが、妖怪はついに敵《かな》わなくなり、一陣の狂風と化して洞の中へ逃げこみ、門をかたく閉ざしてしまった。行者がそのあとを追って門前へ行って見ると、そこにはひとつの建石《たていし》があって、「雲桟洞《うんさんとう》」の三字が刻んであった。おりからだいぶん明るくなってきたので、行者は師父がさぞ待ちかねていることだろうと心配して、ひとまず高老荘へ引き返すことにした。
一方三蔵は、高老人たちと夜の目も寝ずに語り明かして待ちあぐねていたが、ちょうどそこへ行者が帰って来たので、一同は、
「ご苦労、ご苦労」
といって行者を迎え、その労をねぎらった。そこで行者は、一同に向って昨夜からのことをひと通り話し、さて改めて高老人に向い、
「あの化け物は普通の化け物とは違い、天蓮元帥が人の世に降《くだ》ったものだから、あんな醜い顔はしているが、その実、霊性はまだまったく失ってはいませんじゃ。どうです、このままお宅の婿としておかれても、けっして恥ずかしい者ではありませんぜ」というと、老人はあわてて手をふって、
「まっぴらです。あんな婿がいたんでは世間がうるさくてしようがありませんわ。どうか災の根を断ってくだされ、お願いでございます」
すると三蔵も、
「悟空よ、そちはすでにあの化け物と一ぺんやったことだから、とてものことにきっぱりと終りまでやってはどうか」というので、行者は、
「かしこまりました。きっと捕えてきて皆様のお目にかけましょう」というより早く、さっとばかり雲に乗って飛び出して行った。
さて行者は、雲桟洞の洞前に着くと、鉄棒でもってただ一撃に扉を打ち破り、
「この大食らいの出来そこないめ、さっさと出て来てこのおれと勝負しろ」とどなった。
妖怪はこのとき、いい気持になって寝ていたが、扉のこわれる音に眼をさまし、おまけに行者の罵る声を聞くと、もう我慢ができないとばかり、いきなり|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を執《と》って走り出し、大声に罵り返した。
「この粥馬温《うまかい》のならず者め、きさまはおれに、なんの恨みがあって、洞門を破ったりするのだ。きさまの家は東勝神洲の花果山にあるはずだが、なんでこんなところまで来て、おれに仇《あだ》をするのか。おれの舅《しゅうと》に頼まれてやって来たのか」
「きさまの舅がおれを頼みに来たんじゃねえ。おれは邪を改めて正に帰し、東土の三蔵法師をお守りして西天へ経を取りに行く道すがら、たまたま高老荘に宿を借り、きさまの舅から話を聞いて、その化け物をとっちめに来たんだ」
聞くより妖怪は、急に|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をがらりと投げ出し、大きな声で、
「その経を取りに行くおかたはどこにおいでなんだ。頼むからお目にかからせてくれ」
「きさま、お目にかかってどうしようってんだ」
「おれも観音菩薩の教えを受けて、久しくそのかたをお待ちしていたんだ。おまえが、すでにそのかたの弟子《でし》になっているなら、なぜもっと早く経を取りに行くことをいわないんだ」
「きさま、いい加減な嘘をいうと承知しねえぞ。ほんとうに唐僧のお供をしたいというなら、天に向って誓いを立てろ。そうすればおれがきさまをお師匠様にお目にかからせてくれるわ」
そこで妖怪は、いわれるままに、天に向ってひざまずき、仏の御名《みな》を呼んで誓いを立て、さらに雲桟洞をもなんの未練もなく焼きすててしまったので、行者もやっと信用したが、なお念のためにかれの|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》を取り上げ、うしろ手に縛りあげた上、その耳たぶを引っぱって、高老荘へと帰って来た。
三蔵をはじめ商家の人々は、行者が妖怪を捕えて帰ったのを見て、一同大喜びで迎えた。妖怪は早くも三蔵の姿をそれと見て、うしろ手のままその前にひざまずいていった。
「お師匠様、あなたがわたくしの舅の家においでになることを知っていさえしましたなら、もっと早くお目にかかりに伺うのでしたが、いろんな行き違いから、こんなに遅くなって申し訳ありません」
三蔵は不審の思いをなし、行者に向って、
「悟空よ、かれがわしを拝しに参ったのは、どういうわけじゃ」とたずねた。すると行者は、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》の柄でこつんと妖怪の頭をひとつなぐり、
「この阿呆め、自分で早く申し上げろ」
そこで妖隆は、観音菩薩に会って教化を受けたことから、その後は五葷三厭《ごぐんさんえん》を断って精進し、三蔵の来るのを待っていたことを話して、今から弟子となって西天へお供したいと頼んだ。
三蔵も喜んで、さっそくかれの頼みをきき入れたので、ここにかの妖怪は改めて三蔵を師父として礼拝し、また行者とも拝を交わして、行者のことを師兄と呼ぷことになった。そこで三蔵が、
「では、そちに法名を与えよう」というと、妖怪は、
「菩薩は以前、わたくしに猪悟能《ちょごのう》という法名を下されました」と答えたので、三蔵は笑って、
「そちの師兄が悟空で、そちが悟能なら、宗派もちょうど同じで、まことに結構じゃ」といい、さらに続けて、「そちは長らく五葷三厭の八つの忌物《いみもの》を断っていたそうだから、わしはべつに、そちにひとつの名を与えて、八戒と呼ぶことにしよう」
かの化け物は、これを聞いて非常に喜んだので、これよりかれのことを猪八戒とも呼ぶようになった。
高太公は、いま婿の八戒が邪を改めて正に帰したのを見て、たいそう喜び、お斎《とき》を設けて大いに師弟をもてなそうとした。すると八戒は太公に向って、
「わしの家内にも、ここへ出て来て、師父や師兄にお眼にかかるようにいってくださらんか」というので、行者は笑って、
「おまえはもう仏門に入ったのだから、これからはその家内なんていう話はやめにしなさい。それより早くお斎《とき》をいただいて、さっさと出発しようぜ」とたしなめた。
さて宴が始まると、太公は精進酒だといって、なみなみと注いだ盃を三蔵に捧げたが、三蔵はもとより、「酒は僧家第一の戒めですから用いません」といって、かたく断った。すると八戒が、あわててそばから口を出して、
「師父、わたくしはこれまで五葷三厭を断ってはきましたが、まだ酒は断っていません」
見れば行者も、そばで喉《のど》を鳴らしているので、三蔵はふたりに向っていった。
「では、そちたちだけは、精進酒をいただくがよい。しかしほどほどにして、しくじらぬようにするのだぞ」
やがて宴が果てると、太公は銀子二百両を捧げて三蔵に献じたが、三蔵は例によって出家に金は必要でないといって、かたく断った。太公はまた青地錦の袈裟と新しい鞋《くつ》とを用意して八戒に贈ったが、八戒は太公に向って、
「舅|御《ご》、わしの女房をよく見てやってくだされ。わしらは経を取ることに失敗するかもしれないが、そのときはまた帰って来て、おまえさんの婿になって暮らしますからな」
などというので、行者はそれをどなりつけて、「この生まれぞこないめ、なんてふざけたことをぬかしゃがるのだ」
八戒も憤然として、あわや食ってかかろうとしたが、三蔵になだめられてようやく事なきを得た。かくて一同に別れを告げ、三蔵が馬上の人となると、行者は鉄棒を肩にして先達《せんだつ》をつとめ、八戒は行李《こうり》をかついであとに続き、西へ向って出発した。
一行はひたすら西をさして進み、やがて一カ月ばかりかかって烏斯蔵《うすぞう》国の境を出ると、たちまちひとつの高山が見えてきた。三蔵が、
「徒弟よ、前に高い山があるが、様子を調べて見ねばならぬ」というと、八戒が答えて、
「いや心配はいりません。あの山は浮屠山《ふとざん》といって、あそこには烏巣禅師《うそうぜんじ》というかたが修業していらっしゃいます。わたくしも一度お会いしたことがあります」
そこで安心してどんどん山を登って行くと、ほどなく山頂に達した。見ればそこには大きな檜《ひのき》の木があって、その周囲には鹿や猿が楽しげに戯れ、鳳《おおとり》や鶴が舞い遊んでいた。なおよく見れば、檜の梢《こずえ》の間には木の枝や草で作ったひとつの巣があり、八戒はそれを指さして、
「あれが烏巣禅師の住家《すみか》です」
三蔵がその木の下に近づくと、禅師もそれを見て、巣から出て飛び降りて来た。三蔵が馬をおりて叩頭《こうとう》して禅師を拝すると、禅師はかれを助け起していった。
「聖僧、どうかお立ちください。お迎えもいたさず失礼いたしました」
そのとき、八戒がふいに進み出て、
「老禅師、ごきげんよう」と挨拶したので、禅師はびつくりして、
「そなたは福陵山の猪悟能ではないか、どういうご縁で聖僧と同行なさることになったのか」
「さきに観音菩薩のお勧めにあずかり、唐僧の弟子となって、お供をしております」
「それは結構じゃ、結構じゃ」と禅師は大いに喜ばれた。
そこで三蔵が、ふたたび禅師を拝して、西天への道のりを尋ねると、禅師は答えて、
「道は非常に遠いが、たとえいかに遠くとも、ついに行きつく日がおありでしょう。しかし途中の妖魔の難だけはどうしようもござらぬ。さいわいわしは『多心経』というものを一巻所持しておるが、もし妖魔の難にあわれたらこの経を念じさえなさったら、無事なるを得られることでありましょう」
そういって、禅師は口うつしに三蔵にその経を伝えたかと思うと、たちまちからだから金色の光を放って、また元の巣へ帰ってしまった。三蔵は厚く礼を述べて、山を下って西へ向った。
十七 黄風嶺の難
師弟三人が、野宿同然の旅を続けて行くうちに、早くもまた夏になって、空は燃えるような暑さであった。ある日の夕方、行手の山路にそって一軒の百姓家が見えてきたので、一行はこれ幸いと、久しぶりに人家に宿を借りることになった。
ところが夕食が出て、三蔵が斎経《さいきょう》(お斎《とき》を食べる前にあげる経)をよんでいるうちに、八戒は早くも一碗を平らげ、さらに二杯、三杯と、長くもない斎経が終らないうちに、たてつづけに三碗まで平らげてしまった。主人は八戒の健啖《けんたん》ぶりにあきれながらも、気の好い人で、次から次へとお代りを出させたので、八戒はそれをよいことにして、食うわ食うわ、続けざまに二十杯ばかりも食べてしまい、
「ああこれでやっと底だけはいっぱいになった」と、けろりとしていた。
さてその夜は、家が狭いので、三人は楼門の下に寝床をこしらえて眠った。
次の日、三人は主人の好意に厚く礼を述べ、別れを告げて西へと志したが、半日も行かないうちに、ひとつの高山へとさしかかった。その山を黄風嶺といい、そこには恐ろしい妖魔が住んでいるということは、昨夜、宿の主人からも聞いていたので、三人は警戒しながら進んで行ったが、はたしてどうやら妖《あや》しげなつむじ風がとつぜん吹き起った。三蔵は早くも恐れをなし、八戒も一時その風をどこかへ避けようという。行者は「抓風《そうふう》の法」を使って、さっと吹いてくる風をやりすごさせ、その尾を抓《つま》むようにして、嗅いでみて叫んだ。
「この風は少しなまぐさい。こりゃきっと化け物風です」
言いも終らぬうちに、前面の丘から一匹の猛虎がおどり出した。三蔵はあわてて、白馬からころがり落ち、道ばたにすくんでしまった。それと見るより八戒は、荷物をほうり出し、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をとって立ち向い、
「この畜生め、どこへうせる」と大喝して、まっこうから打ってかかった。虎はさっと後足で立ち上り、左手の爪でわれとわが胸を割《さ》いて皮をぬぎ捨てると、人語をもって叫んだ。
「おれは黄風大王の部下の虎先鋒《こせんぽう》というものだ。いま大王の言いつけで、山を見まわって人間どもをとっつかまえ、酒の肴《さかな》にしようとしていたところだ。えもの|なんぞ《ヽヽヽ》をふりまわして、おれを傷つけようとは、きさまたちはいつたいどこから来た坊主だ」
「畜生め、おれたちはただの旅僧とはわけが違うぞ。東土大唐の聖僧が経を取りに西方へおもむく一行であるが、さっさと道を開けばよし、さもないと命がないぞ」と、八戒もどなり返すが、かの虎の精はいっかなきき入れず、八戒の顔をめがけてつかみかかった。八戒はひらりと身をかわし、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふるって打ってかかれば、虎の精は|えもの《ヽヽヽ》が無いので勝手わるしと、身をかえして逃れ去り、丘の下の岩の間から二口《ふたくち》の赤銅の刀を取り出し、引き返して立ち向って来る。かくて両人たがいに一上一下と激しく打ち合えば、一方、行者は三蔵を抱き起し、
「師父、お気づかいなくしばらくお待ちください。わたくしは八戒を助けに行って来ます」
いうより早く行者がかけ出して行ってしまうと、あとに三蔵は、わなわなと、ただ多心経を念ずるばかりである。
さて行者が、鉄棒をふりかぶって進みいで、「まいるぞ!」と叫ぶと、八戒もいよいよ勇をふるったので、化け物は敵しかねて、どんどん逃げ出してしまった。二人がそのあとを急追すると、化け物はたちまち「金蝉脱殻《きんせんだっこく》の法」を使って本身の虎の姿となり、なおもいっさんに逃げ走ったが、追撃がいよいよ急となるに及んで、またもや胸を割いて皮をぬぎ、その皮をそばの石に着せかけておいて、おのれは一陣の狂風と化して逃れ去った。が、途中ふと思い返して往来へ取ってかえし、そこに三蔵の姿を見いだすと、さっとばかりにかっさらって、洞の中へと引き上げた。そして三蔵を洞の主《あるじ》に献じていうには、
「大王、それがし山を見まわっておりますと、西方へ経を求めに行く東土大唐の僧に出会いましたので、ひっ捕えて参りました。いささか大王のお口汚しに差し上げます」
洞の主はこれを聞くと、たいそう驚いて、
「かねて聞き及ぶところによると、その唐僧の弟子には、孫行者という神通広大の者がいるとのことであるが、おまえはよくもその師匠を捕えることができたな」
そこで虎先鋒が、さきほどからの一部始終を物語ると、洞主は、
「まあ、しばらく後園にいましめておいて、弟子どもが来て騒ぎを起さないとはっきりしてから、ゆっくり食っても遅くはなかろう」
そういって、手下どもに言いつけ、三蔵を後園へつれて行って椿《つばき》の木に縛りつけさせた。三蔵は恐ろしいやら苦しいやらで、生きた心地もなく、
「|おお《ヽヽ》弟子たちよ、そちたちはどこにいるのか。早く助けに来てくれぬか」と、悲嘆の涙にくれていた。
一方、行者と八戒は、虎を追って丘の上まで来たが、そこに虎が倒れ伏しているので、行者は鉄棒をあげて力まかせに打ちおろした。と、あまりに強い手ごたえのために、かえって手がしびれてしまった。八戒がまた|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をもって突っかけたが、これも|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》の歯をこぼしてしまった。これは不思議とよく見れば、なんとそれは石に虎の皮をかぶせただけのものであった。行者はあっと驚き、
「しまった。あいつの金蝉脱穀の計に引っかかったわい。さあ、おれたちは大急ぎで師父を見に帰ろう」
そこで両人が大あわてに引き返して見ると、はや三蔵の姿は見当らない。行者はじだんだ踏んでくやしがり、八戒も空馬《からうま》を引いて、
「おう、おう、どこへ、尋ねて行ったらよかろう」と、泣きだす始末。
「泣くな、泣くやつがあるか。とにかくこの山じゅうにちがいないから、一刻も早く捜し出すことだ」
かくて両人、急いで山の中へ分け入り、丘を過ぎ嶺を越えて行くと、ようやく向うの崖の下に一つの洞府があるのを発見した。そこで行者は、八戒に荷物と馬の番をさせておくことにし、自分は鉄棒を提げて洞門の前へとやって行った。見ると門の上には「黄風嶺、黄風洞」の六字が彫りつけてある。行者は大音声をはり上げて、
「わが師父をかえせ。さっさと返さないと、ただではおかぬぞ」とどなった。手下どもが驚いて、注進にかけ込んだ。洞主はそれを聞いてぎくりとしたが、虎先鋒は、
「大王、お気づかい召さるな。なんの孫行者ごとき、それがしが行ってみごとに捕えて参ります。その上でふたりをいっしょに召し上るがよいでしょう」
そういって、手下どもを引きつれ、赤銅の両刀をとって洞門をいで、大声をあげて、
「この猿面坊主め、きさまはここで何をぎゃあぎゃあほざいているのだ」
「きさまこそ脱殻の法なんぞ使いやがって、わが師父をさらって行きゃがったな。早く今のうちにお連れ申してこい。棒を食らってから逃げ出すな」
ここにふたりは激しく渡り合ったが、虎先鋒は口ほどにもなく、二、三合うち合ううちに、早くも風をくらって逃げ出してしまった。行者がそれを急追して行くと、虎先鋒はどうあわてたのか、ちょうど八戒が馬を放して休んでいるところへ逃げて行ったので、八戒は得たりとばかり|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をとって、化け物めがけてさっと突き出すと、あわれやその怪物は、ただそのひと突きで頭に九つの穴をあけられ、その場にばたりと倒れてしまった。そこへ行者も駆けつけ、大いに喜んで、
「賢弟、でかした。この手柄はおまえのものだ」
「ところで兄貴、師匠の行方がわかったかね」
「おれはもう一度取って返し、怪物の大将をひっ捕えて師匠を助け出してくるから、それまでおまえはまたここで待っていてくれ」
「よし来た。では出かけて行ってくれ。そして怪物の大将をうち負かしたら、またここへ追って来て、おれにそいつを殺させてくんな」
そこで行者は、片手に鉄棒をひっさげ、片手には虎の死骸を引きずって、またもや洞府へと押しかけて行った。
十八 霊吉菩薩《れいきつぼさつ》
ところが黄風洞の入口では、門を守っていた手下どもが、行者が虎先鋒の死骸を引きずってやって来たのを見て、あわてて奥へかけ込み、かくと大王に知らせた。黄風大王はそれを聞くと大いに怒り、
「おれはやつの師匠を食いもしないのに、やつはあべこべにおれの先鋒を殺しおった。この上は、たとえ行者に三面六臂《さんめんろっぴ》の勇ありとも、どうして虎先鋒の仇を討たずにおくものか」
と、三股の刺叉《さすまた》を手にとり、多くの手下を従えて洞門をおどり出た。が、見れば相手は四尺にも足らぬ痩せこけた小男なので、かれは思わず笑いだし、
「なんだ、かわいそうに。おれはまたどんなりっぱな男かと思っていたのに、まるで|せむし《ヽヽヽ》じゃないか」というと、行者も笑って、
「なにを、こいつ、見そこなうない。おれは小さくとも、大きくなりたいと思えば、わけはないんだぞ」
といって、からだをひとひねりしたかと思うと、たちまち身のたけ一丈ゆたかな偉丈夫になったので、あわてた黄風大王は、さっと刺叉を取りなおし、行者の胸板めがけて突いてかかった。行者は鉄棒をもって相手の刺叉をはね上げ、さらに一歩を踏み込んで打ってかかれば、相手もさるもの巧みにこれをかわし、ここに虚々実々の戦闘とはなった。
二人は戦うこと三十余合に及んだが、なかなか勝負がつかない。行者は長びいてはめんどうと、例の「身外身の法」を用い、ひと握りの毛を抜いて口にふくみ、空に向ってぷっと吹くと、それがたちまち百千の行者と変じ、空中にあっておのおの鉄棒をとって大王を取りかこんだ。と見るや、黄風大王のほうでもたちまち一種の法術をあらわし、口を張って大きく息を吹き出すと、忽然《こつぜん》として、一陣の黄色い風が吹き起り、行者の毛の変じた小行者らを糸車のようにくるくると空中に吹きまくったので、小行者らは立ち直ることができない、さすがの行者も驚いて、あわてて毛をおさめてからだに返し、単身鉄棒をふるって突進すると、大王はまたもや行者の顔に向って黄風を吹きかけたので、行者は眼を毒されてあけていることができず、やむなく陣をひいて逃げ出した。大王はしすましたりと、風をおさめて洞内へ引き上げた。
一方、八戒は黄風が起ってあたりがまっ暗になったので、山のくぼみにかくれていたが、ようやく風がやんであたりが明るくなったので、くぼみを出て見ると、ちょうどそこへ行者が西のほうからやって来た。
「兄貴、えらい風だったな。そして戦いの模様はどうだった」
「いや、まったくひどい風だ。おれも風を呼んだり雨を降らせることはできるが、あいつの風のたちの悪いのには閉口した」
そこで行者が敗戦の模様をひとくさり話して聞かせると、八戒は心配して、
「それでは、どうしたら師匠を救い出せるだろろう」
「その手だてはいずれするが、おれはあの怪風にやられて目の玉が痛んでしようがない。それで、まず目の治療をしなくちゃならんが、ここらに眼医者はないだろうか」
「こんな山の中に眼医者などあるものか。そろそろ日が暮れるというのに、泊るところだってないじゃないか」
「宿はどこかにあるだろう。どうだ、おれが考えるにあの妖怪は急に師父をどうするってこともないだろう。で、ひとまず街道へ出て人家を求めて一夜を宿を乞い、あしたまた再挙を計ろうじゃないか」
「なるほど、それもよかろう」
そこで八戒は馬をひき、ともに街道口へ出ると、ふと山陰に灯火がさしているのが見えた。両人はそのいなか家の門口まで行って、
「お頼み申します」と、神妙に声をかけると、中からひとりの老人が出て来た。行者がくわしく事情を訴えて一夜の宿を乞うと、老人は快くふたりを招じ入れ、すぐ夕食のご馳走をしてくれた。さて行者が、
「このあたりに目薬を売る家はありませんか」と尋ねると、老人は、
「目のお悪いのは、どちら様ですか」
「わたくしですが、きょう、かの妖怪と戦いまして、はからずも怪風を吹きかけられ、ために目が痛んで涙が出て困ります」
聞くより老人は大いに驚いて、
「それはたいへんです。あの黄風大王と称する妖怪の風は、『三昧神風《さんまいしんぷう》』とかいって非常にたちが悪く、凡人があれに吹かれるとすぐ死んでしまいます。ただ神仙だけがようやく無事なるを得るくらいのものです」
「ではわたくしも神仙に毛のはえたくらいのところでしょうか、どうやら命に別状はありませんでしたが、目の玉をすっかりやられてしまいました」
「ところでこの土地に薬屋はありませんが、実はわたくしも目から涙の出る病があったので、むかし異人にあって処方を教えてもらった『三花九子膏《さんかきゅうしこう》』というのを用意しております。たいそうよく利く薬で、いかなる風眼もなおらないということはありません」
行者はそれを聞くと容《かたち》を改めて、
「どうかその薬をお願いします」
すると老人は、奥から瑪瑙《めのう》の小箱を持ち出して来て、玉《ぎょく》の|かんざし《ヽヽヽヽ》で少しばかりすくい出して、行者の目にさしてやり、
「目をあけてはなりません。心を静めて眠れば、あしたの朝はよくなっているでしょう」といった。そこで八戒は、すぐさま夜具をのべて行者を寝かせてやったが、行者がやたらに手さぐりをするので、八戒は笑って、
「先生、杖はどうだね」とからかった。
「この阿呆《あほう》めが、おれをめくら扱いするのか」
八戒はなおもくっくっと笑いながら、夜具をのべて横になったかと思うと、たちまち白河夜船の高いびきだった。行者は容易に眠れず、夜中を過ぎてやっと寝入った。さてその翌朝、行者はぱっちりと目を開いて、
「いや、まったくよく利く薬だわい。前より百倍もよく見えるくらいだ」とつぶやきながらあたりを見渡すと、こはそもいかに、そこには家など何もなく、ただ槐《えんじゅ》の古木と高い柳の木があるばかり――ふたりは緑の草の上に寝ていたのだった。
八戒もようやく眼をさまし、家のなくなっていることに気づいて、
「おれたちはなんてよく寝ちまったもんだろう。ここの家じゃ家をこわして引越しをしたらしいが、その音にさえ目がさめなかったとは!」と大騒ぎ。行者は笑いながら、
「阿呆、くだらぬことをいってないで、あの木にどんな貼り紙がしてあるかよく見るがよい」
八戒が近づいて、はがして見ると、それは四行の詩で、
荘居は俗人の居に非ず
護法の伽藍が点化の廬《ろ》
妙薬君に与えて眼疾を医《いや》す
心を尽くして怪を降し躊躇《ちゅうちょ》すること勿《なか》れ
とある。行者はそれを読み終って八戒に向い、
「これはな、五方掲諦《ごほうぎゃてい》以下の神々が、観音菩薩の仰せを受けて、かげながら師父をお守りくださるのじゃ」というと、八戒もうなずき、
「こんなにまでしてもらっては、おれたちもさっそく、師匠を救い出さずばなるまい」
「そうだとも。そこでおれは、ひとまず洞内を偵察して師匠の様子を探って来るから、その上でやつらと再戦することにしよう」
行者は八戒をその場に待たせておいて、ただひとっ飛びに洞府の門前までやって来て、印を結び呪文をとなえて一匹の蚊に変じると、たちまち洞内へと忍び入った。さてあたりを見まわすと、武器などがたくさんかけつらねてあり、要心堅固の備えである。行者はその上を飛び越え、裏庭のほうへ出て見ると、そこの風よけの椿の木に三蔵が縛りつけられ、ぽろぽろ涙を流していた。行者は羽をおさめて、三蔵の坊主頭の上にとまり、
「師父!」と呼ぶと、三蔵はその声で行者と知り、
「悟空よ、わしを見殺しにするのか。そちはどこでわしを呼んでいるのじゃ」
「師父、わたくしはあなたの頭の上におります。どうか心配なさらないでください。いまにきっと妖怪をやっつけて、あなたをお救いいたしますから。ではわたくしは行きますよ」
いうより早く行者がまた表のほうへやって来て見ると、正面の堂には妖怪の大王がひかえ、大ぜいの頭目がその前に居流れていた。おりからひとりの手下がそこへ駆けこんで来て、
「大王、小的《てまえ》が山を見まわっておりますと、口のとび出た、耳の大きな坊主が林の中に休んでいましたが、小的《てまえ》を見るとあわや捕えそうにするので、やっとのことで逃げて参りました。きのうのあの鬚面《ひげずら》の坊主のほうは見当りませんでした」と報告した。すると大王は
「孫行者の姿が見えないとすると、たぶんきのうの風で吹き殺されたか、それともどこかへ加勢でも頼みに行ったのだろう」
多くの手下どもは、「あいつが吹き殺されたとすれば、われわれは枕を高くして眠れますが、もし天上の神兵でも頼みに行ったのでしたら、どうしたらよいでしょうか」
「なに、神兵など恐るるに足らずさ、おれの風勢に勝つことのできるのは、霊吉菩薩をおいて他にないわ」
行者は梁《はり》の上からそれを聞いて、すっかり嬉しくなり、さっそく洞外へ飛び出して本相にかえり、林の中へかけ込んで行った。すると八戒が、
「兄貴、様子はどうだった。ついさっき、手下のやつがひとりやって来たので、おれが追っぱらってやったところだ」
そこで行者が洞内で見て来たことをくわしく話して聞かせると、八戒は、
「やつは自分で霊吉菩薩のことを白状したってわけか。だがその霊吉ってのは、どこに住んでおいでなんだろう」
そういってるところへ、街道のほうからひとりの老人がやって来た。行者はそれを見ると、進み出て挨拶をし、
「ご老人、ちょっと伺いたいことがあるのですが、あなたはもしや霊吉菩薩のお住まいをご存じではありませんか」
「霊吉菩薩ですか、菩薩ならここから真南へ三千里ばかり離れた、小須弥山《しょうしゅみせん》という山の中に講経の禅院を開いておられますぞえ」
「では……」
と行者がなおよくききただそうとする暇《いとま》もあらせず、老人はたちまち一陣の香風と化して、姿は見えなくなってしまった。と見ると、あとに一枚の紙片が落ちていて、
上に覆《もう》す斉天大聖の聴《き》かんことを
老人は乃《すなわち》是れ李長庚《りちょうこう》(太白金星)
須弥山に飛龍杖《ひりゅうじょう》あり
霊吉年仏兵を受く
との四行の詩が書いてあった。
そこで行者は、またもや八戒をその場に待たせておいて、自分は|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》に乗ってただひとっ飛びに小須弥山へとやって来た。見れば山腹には一宇の禅院があり、鐘の音や磬《けい》のひびきが流れ、香煙がただよっている。行者が急ぎ門前に近づくと、ちょうどひとりの修業者に会ったので、唐僧の弟子の孫行者であることを名乗って取つぎを頼むと、やがて霊吉菩薩が自身でお出迎えになり、行者を堂上に案内して、茶の馳走をしてくださろうとした。行者は、
「いや、お茶には及びません。実はわたくしの師匠が黄風山で難にあっておりますので、菩薩のお力によって妖怪を退治して師匠を救っていただきたく、かくはお願いに上った次第でございます」
菩薩はそれを聞くと驚いて、
「わしは如来から一粒《いちりゅう》の『定風丹《ていふうたん》』と一本の『飛龍杖』とをたまわり、ここにあって黄風怪のおさえを勤めているものであるが、今日かれがそのような悪業を働いたとあっては、まことに申し訳ないことじゃ」と仰せられ、ただちに飛龍杖をとって、行者とともに雲に乗って黄風山へと向われた。やがてほどなく黄風山上へ着くと、菩薩は、
「大聖、かの妖怪はわしを恐れているから、わしはしばらく雲の中にかくれていることにして、そなただけちょっと行ってかれをおびき出してくださらぬか」
行者は仰せのままに、雲を降り、鉄棒をふるって洞門を打ち破ったので、手下がすぐ奥へ注進する。妖怪は大いに怒って、
「このごろつき猿め、わが洞門を打ち破るとはなんたる無礼なやつか。よし、今度こそはかならずわが神風をもってきゃつを吹き殺してくれるぞ」というより早く、刺叉《さすまた》をとって洞門を走り出た。そして行者を見るや、物をもいわず胸板めがけて突いてかかった。
行者はひらりと体をかわし、鉄棒をあげて応戦したが、相戦うこといまだ数合に及ばないうちに、早くもかの妖怪は黄風を吹きかけようと大きく口を張った。間髪《かんぱつ》を入れず、このとき霊吉菩薩が空中より飛龍杖を投げ下して、なにやら呪文をとなえられると、たちまちそれぞれが八爪《はっそう》の金龍と化して、爪を振るってただひとつかみに妖怪を捕え、髪の毛をつかんで頭を二、三べん岩にこすりつけると、妖怪はついに本相をあらわし、一匹の黄色い貂鼠《てん》となった。行者は追いかけて鉄棒で打とうとしたが、菩薩はそれをとどめて、
「あれの命を殺《あや》めてはならぬ。あれはもと霊山の麓で得道した老鼠であったが、瑠璃《るり》の油皿の油を盗み、天将の金剛《こんごう》に捕えられるのを恐れて、この地に逃げて来て妖怪になったものである。わしはあれを如来のもとへともない、その罪をただし、そなたの功をも申し上げるであろう」
そこで行者が菩薩にお礼を申し上げると、菩薩はただちに雲に乗り、貂鼠をつれて西天へと飛び去られた。
かくて行者が、八戒の待っているところへ帰って行くと、八戒はそれを見て、
「兄貴、どうだったかね」
「なに、もう霊吉菩薩がつかまえちゃった。あいつ黄色い貂鼠の化けたやつでな、いま如来のところへ連れられて行ったよ。さあ、これから洞内へ乗りこみ、師匠を救い出すことにしよう」
八戒は大喜びで、ともに洞内へ討ち入り、群がる化け物どもを打ち殺し、うしろの庭へ行って、師父の縄目をといて助けおろした。そこで行者が、霊吉菩薩のことを話して聞かせると、三蔵は南の空を拝して、ありがた涙にくれたことであった。
十九 流沙河《りゅうさがわ》
さて師弟三人が、黄風嶺を超えると、そこから先は一帯の平野となり、西へ西へと進むうちに、いつしか夏も過ぎて、新秋のころとなった。ある日、道の行手に思いがけず、波浪|逆巻《さかま》く大河が見えてきた。三蔵は馬上はるかにそのありさまを眺めながら、
「悟空よ、あの河の広いことを見るがよい。どうして往来する船が見えぬのだろう。わしらはどこから渡ったらよいのか」
そこで行者は、すぐ空中へ飛び上り、様子を見届けて戻って来ると、
「師父、こいつはなかなか渡れませんぞ。その広いことといったら、およそ八百里はあります」
三蔵はそれを聞いてたいそう嘆いたが、とにかく河のそばまで行って見ると、そこに一つの石碑がたっていて、碑面の上部には篆字《てんじ》で「流沙河」の三字が刻まれ、その下に小さな楷書で、
八百流沙の界
三千|弱水《じゃくすい》深し
鷲毛|瓢《ひょう》として起《た》たず
蘆火底に定まりて沈む
と四行に書いてあった。三人がその碑文を見ていると、ふいに山のような波が巻き起り、河の中から一個の見るも兇悪な顔をした、首に九つの髑髏《どくろ》をかけた妖怪がおどり出して来て、手にした宝杖《ほうじょう》をもって三蔵めがけて突っかけて来た。行者はあわてて師父を抱いて避難したが、八戒は荷物を投げ出し、|釘※[#「金+巴」]《まぐわ》をふるって、妖怪めがけて打ってかかった。かくて両人、河のほとりで戦うことに二十合に及んだが、なかなか勝負はつかない。
行者は少し離れた高い所で師父を守護していたが、八戒の戦いぶりを見ているうちに、もどかしくてたまらなくなり、師父をその場に待たしておいて、鉄棒をふりかぶって駆け出して行った。
こうと見るより妖怪は、八戒だけでももてあましていたところへ、新たに加勢がやって来たので、急に身をかわして、ざんぶとばかり河の中へ逃げこんでしまった。八戒はじだんだ踏んで、
「兄貴、頼みもしないのに、よけいな助太刀などするもんだから、あいつに逃げられてしまったじゃないか、もう三、四合も打ち合えば、おれがやつをひっ捕えてしまったのに」とくやしがる。行者は笑って、
「まあそう怒るな。おれも黄風嶺以来、永らく鉄棒を使わなかったので、腕がむずむずしていたんだ。それにしても、やつがこんなにすぐ逃げてしまおうとは思わなかったよ」
二人は三蔵のところへ戻り、妖怪が水の中へ逃げこんでしまったことを報告した。すると三蔵は、
「あの化け物は久しくここに住んでいることだから、きっとこの河の様子をよく知っていることだろう」という。
「仰せのとおりで。そこであいつを捕えて、河を渡る案内役にしたらよかろうと思いますが、どうもわたくしは水の中で働くことは不得手でしてね」
「わたくしは」と八戒が口をはさんだ。「わたくしは昔、天の川の水軍の総督をしていましたから、水中の心得は充分ありますが、この大河の底にはあいつの眷族《けんぞく》がいっぱい住んでいるようで、どうも気味が悪くていけません」
そこで行者が、
「なにも水中で長く戦っているには及ばないさ。いい加減に負けたふりをして、あいつをおびき出してさえくれば、あとはおれが引き受けるよ」というと、八戒も、
「それじゃ、やってみよう」と青地の錦の衣とをぬぎ捨て、波浪を分けて突き通み、やがてその姿は水底深く消えて行った。
待つ間ほどなく、八戒はうまく妖怪をおびき出して水面へ現われ、そこでしばらく戦っていたが、しだいに敗色を見せて後退し、折を見てぱっと岸へ逃げ上った。妖怪は得たりとあとを追い、あわや岸ベヘとび上ろうとしたとたん、行者はまたもや功をあせり、鉄棒をふりかぶって駆け出し、妖怪めがけて打ってかかった。妖怪はその手はくわぬとばかり、ひらりと身をかわして、ふたたび水底へと逃れ去った。八戒はぷんぷん怒って、
「この性急《せっかち》猿め、おれがもう少し高いところまでおびき寄せるのを待っておれば、うまく捕えることができたのに。やつは逃げてしまった。もう二度とふたたび出ては来ねえぞ」
行者も苦笑しながら、ともかくいっしょに師父のそばへ戻り、事の由をくわしく説明すると、師父は案じ顔に、
「それなら、どうすればよいか」
「師父、ご心配なさいますな。もう日も暮れかかってきましたから、わたくしはちょっと行って斎《とき》を求めて参ります。それを召し上って、今夜はここでお寝みになってください。あしたはまたあしたの風が吹くでしょう」
行者はそういったかと思うと、すぐ雲に乗って北のほうへ飛んで行ったが、たちまちのうちに一鉢の斎《とき》を得て帰り、師父に捧げた。そこで師父がいわれるには、
「悟空よ、斎を乞うた家の人に、この河を渡る方法をきけば、なにも妖怪と争っていることもあるまいが」
行者は笑って、
「その家はここから五、六千里も離れているのに、そんな家の人にこの河の様子をきいたとて、なんの足しになりますか」
すると八戒が、
「五、六千里もある道を、なんでこんなに早く行って来られるんだね」
「おれの|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》は、ひとっ飛びに十万八千里も飛べるんだ。五千里や六千里ぐらい、またたくうちだよ」
「兄貴、そんなにわけがねえなら、なにもあんな化け物を相手にしていないで、お師匠様をおんぶして、この河をひとっ飛びに渡ればいいじゃねえか」
「おまえだって雲に乗れるだろう。どうしておまえがお師匠様をおんぶして渡らねえんだ。それ見ろ、できなかろう。お師匠様は几胎骨肉《ぼんたいこつにく》のかただから、とても雲にお乗せすることはできねえんだ。昔からいうじゃねえか、『泰山を遣《や》るは軽きこと芥子《からし》のごとく、凡夫を携えては紅塵をも脱し難し』だ。おれは『移山法』も『締地法』も知ってはいるが、お師匠様はどうしても、見知らぬ国々を艱難《かんなん》辛苦して遍歴しなけれは苦海を超脱することがおできにならねえんだ。われわれの役目は、ただ途中を守護してさしあげるだけのことだ。たとえわれわれがお師匠様に代ってふたりだけで西天へ飛んで行ったところで、如来は経を授けてくださりはしない。というのは、つまり『たやすく得たものは、とかく粗末にしやすい』というわけじゃ」
血のめぐりの悪い八戒も、これを聞いて、なるほどと感心し、やがて一同は斎を食べ終ると、流沙河の東岸に寝た。あくる朝、三蔵が、
「悟空よ、きょうはどういうふうにするつもりか」
「もう一度、八戒に水の中へ行ってもらいましょう」
行者はそこで八戒を呼び、
「今度こそけっして性急なまねはしないから、もう一度あいつをおびき出して来てくれ」と頼むと、八戒はぶつぶついいながらも、またもや水の中へ飛びこんで行った。しかし妖怪は、きのうにこりているので、八戒と戦いながら水面までは姿を現わしたが、けっして岸へ近寄ろうとはしない。そこで行者は、空から妖怪をひっ捕えようと、雲に乗って近づいたが、妖怪は風の音で早くもそれと知り、あばよとばかり、また水底へもぐってしまった。
両人はせん方なく師父のもとへ戻り、そこで相談の結果、行者がまたもや観音菩薩のところへ助力を仰ぎに行くことになった。例によって|※[#「角+力」]斗雲《きんとうん》を飛ばし、たちまちのうちに普陀山《ふださん》へ着いた行者は、値日尊者《ちじつそんじゃ》の取つぎによって、紫竹林において菩薩にお眼にかかり、まず八戒を師父の弟子として新たに得たことをお礼申し上げ、さらに流沙河における目下の苦境を訴えて、懇々とご助力を仰いだ。すると菩薩は、
「この猿めが、そちはまたもや腕前を鼻にかけ、取経のことを申さなかったな」と、きついお叱りであった。行者はあわてて、
「いえ、妖怪と戦いましたのは猪悟能《ちょごのう》で、あれがそのことを申さなかったのでございましょう」
「あの妖怪は、もと天宮の捲簾大将《けんれんたいしょう》で、今ではやはりわしの勧化《かんげ》を受け、唐僧を守護して西天へおもむくことになっているから、そちが取経のことさえ申せば、たちどころに帰順したはずじゃ」
菩薩はそこで恵岸《えがん》尊者をお呼びになり、袖の中からひとつの赤い|ふくべ《ヽヽヽ》を取り出して、
「そちはこの|ふくべ《ヽヽヽ》を持って悟空とともに流沙河へ行き、水の上からただひと声『悟浄』と呼びさえすればかれは出て来るであろうから、まずかれを唐僧に引き合わせて帰依させ、さてかれの九つの髑髏をひとつにつなぎ、この|ふくべ《ヽヽヽ》をまん中に据えて法《のり》の船をつくり、それによって唐僧を渡すがよいぞ」と申しつけられた。
恵岸は仰せに従い、悟空とともにすぐ流沙河へやって来ると、八戒が早くもこれを見つけて、三蔵に知らせ、ともに出迎えた。そこで行者が、菩薩のありがたいお計らいを伝えると、三蔵は感謝の顔にくれながら、恵岸の前にひれ伏して、
「なにとぞ尊者、すみやかに法力をあらわして貧僧をお救いください」
恵岸は菩薩から賜わった|ふくべ《ヽヽヽ》を捧げ、雲に乗り、波を踏んで流沙河の水面におり立ち、声をはげまして、
「悟浄、取経の人がすでに久しくここにいられるぞ。なんでそちは帰順いたさぬか」と呼ばわると、かの妖怪は、急ぎ波をひるがえして出て来て、恵岸をみとめるや、その前に進み寄って礼をなし、
「尊者、お出迎えもいたさず失礼しました。取経の人はどこにおいでになりますか」
恵岸はそのほうを指さして、
「あの東岸に坐っていられるのがそれじゃ」
すると悟浄は、ふと八戒のいるのに気づいて、
「あれはどこの悪者か知りませんが、わたくしと二日にわたって戦いながら、一度も取経のことを申しませんでした」
また行者を見ては、
「あれもひどいやつで、岸にいてたびたびわたくしに打ってかかり、わたくしは水から出ることもできませんでした」
恵岸は笑いながら、
「前のは猪八戒、また後のは孫行者といって、いずれも菩薩の勧化を受けて唐僧の弟子になったものだから、なにも恐れることはない。さあ、急ぎ唐僧のもとへ参ろう」
そこで悟浄は、岸へかけ上って、三蔵の前にひざまずき、
「師父、わたくしは目あれど球なく、師父のお姿に気づかず、とんだ失礼を働きました。どうぞお許しください」
「そなたは心からわが教えに帰依したいと申すのか」
「わたくしはさきに菩薩の教化を受けて、この河の名を姓とし、沙悟浄《さごじょう》という法名まで賜わった者であります。どうしてお師匠様に従わないことがありましょう」
三蔵は喜んで、戒刀《かいとう》をとって悟浄の頭を剃り落し、ここに悟浄は改めて三蔵を師父として礼拝し、また行者や八戒とも兄弟としての礼をかわした。三蔵は悟浄の礼を行う様子がいかにも和尚《おしょう》臭いのを見て、べつに沙和尚という呼び名をも与えた。始終の様子を見ていた恵岸は、このとき、
「手間どってはならぬ、急ぎ法《のり》の船を造るように」といって、悟浄が首にかけていた髑髏を取り外させ、縄をもってそれをつないで船の形とし、まん中に|ふくべ《ヽヽヽ》を安置すると、三蔵に岸をおりてそれに乗るようにと命じた。
そこで三蔵が法の船に乗りこむと、八戒と悟浄とは波を踏んで左右に付き添い、行者は白馬をひいてうしろに従った。また恵岸は雲に乗って空中から守護し、かくて三蔵はさしもの流沙の大河を難なく渡ることができた。さて一同が対岸に着くと、恵岸はさっそく|ふくべ《ヽヽヽ》を取り収めたが、かの髑髏はたちまち陰風と化して消えうせてしまった。三蔵は厚く恵岸に拝謝したが、やがて恵岸尊者の姿も、また雲のかなたに消え去ってしまった。
二十 八戒の好色
さて師弟四人が、西へ西へと旅を続けて行くうちに、いつか一年の歳月が流れて、またもや秋の季節となった。
ある日のこと、日も暮れたのでどこかに宿を借りようと、人里を尋ねながら行くと、前方の松陰に一軒の家が見えた。りっぱな家構えで、その前に行って見ると、門にはさまざまな彫刻や彩画がほどこしてある。三蔵が馬から降りると、行者はさっそく門内へ入って行ったが、あたりに人の気配はなかった。そこでさらに客殿へ入って見ると、正面には寿山福海を描いた一軸をかけ、その下の香机には銅の香炉をすえ、部屋の中央には適当に六脚の椅子がならべてあった。行者がそれを眺めていると、ふいにひとりの婦人が奥から出て来て、
「あなたはどなたですか、案内もなくわたくしのような寡婦《やもめ》の家へ入っていらっして」
と、年増女のなまめかしい声でとがめた。
「拙僧は東土大唐より参りました者。勅《ちょく》を奉じて仏を拝み経を求めようと西方へ向いますが、一行四人であります。日も暮れかかりましたことゆえ、一夜の宿を願いたく、とくにお願いに上りました」
「長老様、それで他の三人のおかたは、どちらにいらっしゃいますの。どうぞごいっしょにお入りあそばせな」
そこで行者が大きな声で呼ぶと、三蔵を先頭に一行はぞろぞろと門内へ入って来た。婦人は客殿を出て迎えたが、八戒のやつ早くも流し眼でそっとぬすみ見して、にたにたとひとり悦に入っていた。婦人は年こそもう三十五、六、いささかも白粉《おしろい》けはなかったが、色はあくまで白く、両方の耳に垂らした耳環《みみわ》のよく似合う、寡婦にはもったいないような美人であった。さて一同が客殿に入って座が定まると、屏風《びょうぶ》の蔭からひとりの童女が、白玉《はくぎょく》の茶碗にお茶をついだのを黄金の盆にのせて捧げて来た。婦人は春の筍《たけのこ》のような美しい指で、一つ一つ茶碗をとって四人にすすめてから、お斎《とき》の用意を言いつけた。三蔵が、
「お名前は何と仰せられますか。またご当地は何という所でござりますか」
「ここは東インドでございます。わたくしの姓は賈《か》。先年主人は亡くなりましたが、莫大な財産と三人の娘とを残されましたので、よそへお嫁に行くわけにも参りません。それに今では娘たちも大きくなりましたから、いっそのこと四人ともお婿《むこ》さんを迎えようかと思っております。ちょうどよいところへ長老様がたがお四人《よったり》でおいでくださったのでございますが、お考えはいかがでございましょう」
三蔵は聞けども聴《き》かず、寂然《じゃくねん》として答えようとしない。婦人はなおも言葉をついで、
「てまえどもには田畑も家畜も衣料も金銀もいくらでもございます。もし長老様がたがお婿入りしてくださいますならば、それこそ自由気ままのし放題、栄耀《えいよう》栄華は心のまま、なにも好んで西方へご苦労をなさりにおいでになるには及ばないではございませんか」
三蔵はなおも黙々として返事をしない。婦人はさらに、
「わたくしは当年とって三十六歳。長女の真々は二十歳、次女の愛々は十八歳、末娘の憐々は十六歳でございまして、みんな器量よしで、女ひと通りの仕事は心得ております。皆様がた髪をおのばしになって、てまえどもの主人になってくださるほうが、そんな墨染《すみぞめ》の衣を召したり、草鞋《わらじ》をはいたり、笠をかぶったりして旅を続けられるより、よほどましではございませんか」
それでも三蔵が黙っていると、八戒がたまりかねたようにしゃしゃり出て、
「師父、奥様があんなにおっしゃっていますのに、あなたはどうして取り合おうとなさいませんか」
三蔵はそのような八戒を叱りつけて、
「ばかめ、われら出家の身で、どうして富貴に心を動かし、美色に心を留めてなるものか!」
するとかの婦人は、いささか気色《けしき》ばんだ様子で、
「あなたは受戒発願《じゅかいほつがん》なさっていられるから永久に還俗《げんぞく》なさらないのもご勝手ですが、まさか三人のお弟子さんまでひとりも婿になってくださらないとおっしゃるのではないでしょうね」
三蔵は婦人が怒ったのを見て、試みに行者に向い、
「悟空、おまえここに留ったらどうじゃ」といってみたが、行者は、
「もとよりわたくしにはそんな気はありません。八戒に留らせたらいかがです」
すると八戒は、
「兄貴、人の指図をしなさんな。それよりみんなでいいように相談したらどうか」
妙に含みのある返事だったが、三蔵はそ知らぬ様子で、
「そちたちふたりとも、いやじゃというなら悟浄に留らせよう」といったが、悟浄も、
「わたくしにはそういうことは断じてできません」と、きっぱりことわった。
婦人はかれらがだれひとり承知しそうもないのを見て取ると、すっかり機嫌をそこね、さっと屏風の陰へはいって腰門を閉めてしまったので、一同はその場に捨ておかれたまま、茶も飯も出してもらえない仕儀《しぎ》となってしまった。八戒は内心不平でたまらず、
「お師匠様も拙《まず》すぎますよ。話をすっかりこわしてしまいなすった。もう少しうまくあしらっておいて、お斎を食べてしまえば、今夜はいい気持に過ごせたのに、ひでえことになったもんだ」
すると悟浄が、
「兄貴、おまえここの家の婿になったらいいじゃないか」
「兄弟、人の世話を焼きなさんな。それより、みんなでいいように相談しなくっちゃ」
八戒は例によって含みのあることをいう。そこで行者が、
「相談てどうするんだ。おまえもしなりたいんなら、この家の婿になるがいいぜ。たいそうな身代だということだから、婚礼のご馳走は、さぞりっぱだろう。わしらもいささかお相伴《しょうばん》にあずかれるというもんだ。おまえここで還俗すれば、両手に花というわけじゃないか」
「よしてくれ。みんな内心そうしたいと思っていながら、わしだけを穢《けが》れたものみたいに扱いなさんな。だれもやりたいんだ。しかし今はみんなぶちこわしになっちゃって、灯火もなけれはお斎《とき》にもありつけねえんだ。人はそれでも我慢ができるが、馬はあしたもまた人を乗せて歩かねばならねえんだから、今夜何も食わさなかったら斃《たお》れてしまうだろう。わしは行って馬を飼ってくる」
そういったかと思うと、八戒はぷいと客殿を出て行ってしまった。行者は八戒の様子がなんとなく不審だつたので、一匹の蜻蛉《とんぼ》に変身してそのあとを追って行つて見ると、八戒は馬をひいて門外へ出て行ったが、草の生えている所へ行っても、べつに馬に食わせるでもなく、すぐに後門のほうへやって行った。おりから、後門のそばでは、さきほどの婦人が三人の娘たちとともに菊の花を見て遊んでいたが、八戒が来たのを見ると、娘たちは急いで姿をかくしてしまい、婦人が、
「小長老様、どちらへ」と言葉をかけた。八戒は進み出てうやうやしげな声を出して、
「お母《かあ》様、わたくしは馬を飼いにやって参りました」
「あなたがたは、てまえどもの婿におなりになればよろしいのに、乞食坊主をなさりながら西方へおいでになることはないじゃありませんか」
八戒はにっこり笑って、
「みんなも、わたしにそうしろというのですが、お母様はわたくしの口が突き出て耳の大きいのをお嫌いだろうと思いましてね」
「そんなことありませんわ。宅には主人がないので、あなたが婿に来てくださるなら、どんなにか嬉しいだろうと思いますが、でもあなた、もう一度お師匠様とよくご相談なすってからがよくありません?」
「この上相談することはありませんよ。わたくしの生みの親というわけじゃなし、承知するもしないもわたくし次第です」
「ではようございます。わたくし娘たちに知らせに行きますから」
そういって婦人は、後門を閉めて行ってしまった。
八戒は馬を飼いもせず、また引き返して行ったが、行者は先回りをして客殿へ帰り、いま見て来たところを残らず三蔵に話して聞かせた。そこへ八戒がはいって来たので、三蔵は何くわぬ顔をして、
「そのほう、馬を飼って来たか」
「よい草が見つからなくて、馬を飼うことができませんでした」
そこで行者がすかさず、
「馬を飼うところがなけりゃ、後門へ行けばいいよ」といったので、八戒もどうやら見届けられたと気がついたらしく、顔を伏せて黙ってしまった。
ちょうどそのとき、さきほどの婦人が灯火を持って娘たちとともに屏風の陰から現われ、一同に娘たちを紹介した。見れば三人とも目のさめるような美人で、まるで天女が天降《あまくだ》ったようである。三蔵は彼女たちの挨拶に対して、合掌して頭をさげたが、行者も沙和尚もそっぽを向いて知らん顔をしている。八戒だけは別で、穴のあくほど娘たちをじっと見つめていたが、まもなく彼女たちは奥に去ってしまい、母親だけが残って、
「お気に召しましたら、どなたでもあの娘たちの婿になってやってください」とのことである。すると沙悟浄が、
「あの猪《ちょ》という姓の者をお宅へ婿入りさせることに、わたしどもの間では話がきまっております」
八戒はそれを聞くと、
「兄弟、わしの世話を焼きなさんな。まあもう一度よく相談しなくちゃ」
そこで行者が、
「相談するって、何をさ。おまえもうさっき後門のところで話をきめて来たじゃないか」
「だめだ、だめだ、そう簡単にはいかんて」
「阿呆《あほう》、おまえその口でさっきからもう何べん『お母さん』と呼んだかしれないじゃないか。何がだめなもんか。さあ早く行って、わしらにお祝いの酒でも持って来いよ」
行者はさらに婦人に向って、
「お宅のお婿さんを連れておいでなさい」と促したので、婦人はすぐさま童子を呼んでお斎を出すよう童子に言いつけ、自分は八戒をつれて奥の部屋へと行ってしまった。
さて八戒は、気もそぞろに婦人のあとについて行ったが、いくつもいくつも部屋が続いて、その広いこと、あっちへ曲り、こっちへ曲り、やっと奥の一室へ来た。どうやらその室で略式の婚礼が行われることに決ったので、八戒はまず婦人を拝してから、
「ところでお母様、あなたはどのお嬢さんをわたくしに下さるのですか」
「それがちょっとむずかしいのよ。上の娘にすれば二番目のがおもしろくないでしょうし、二番目のにすれは三番目のがおもしろくないでしょう。また三番目のにすれば上のふたりがおもしろくないでしょうから、実はわたしも決めかねているのです」
「お母様、そんなご心配をなさるなら、いっそ三人ともわたくしに下さればいいでしょう」
「まさかそんなこともできませんわ。それで今ふと考えたのですが、わたし三人の娘をここへ連れて来ますから、あなた手拭で目かくしをして、適宜にどれかをおつかまえになったらよいでしょう。それをあなたの妻に差し上げることにしますから」
八戒もそれに賛成し、さっそく手拭で目かくしをすると、
「お母様、どうぞお嬢様がたをお連れください」という。そこで婦人は、
「真々、愛々、憐々、みんないらっしゃい。目かくしをしたこのかたにつかまった者が、このかたのお嬢さんになるのですよ」と叫んだ。
やがて娘たちが腰にさげた玉の音をさせて出て来たので、八戒は手をのばして捕えようとしたが、どうもうまくいかない。右をさぐれば壁にぶつかり、左へよろめけば柱に頭をぶっつけるというふうで、しまいにはぐらぐらと目がくらんで、めちゃくちゃに部屋の中をきりきり舞いしたあげく、とうとう床の上へ坐りこんでしまって、ふうふう息を切らしているばかり。やっとのことに、
「お母様、お宅のお嬢様がたはみんな狡《ずる》くて、ひとりもつかまりやしませんよ」と泣言をいうと、婦人はまず娘たちを去らせ、それから八戒の目かくしを取ってやりながら、
「うちの娘たちは狡いんじゃなく、みんなおとなしいものだから、お婿さんを迎えるのが恥ずかしくて逃げまわったんですよ」
「ねえ、お母様、そんならいっそあんたがわしのお嫁さんになってください」
「そうはいきませんわ、まず娘たちから片づけなくちゃね。ところでうちの娘たちはみんな器用で、めいめい嵌錦《かんきん》の肌着を作って持っています。あなたがそのどれかの肌着をお着になることができたら、その持主をあなたの妻に決めましょう」
「それがよい。すぐその肌着を持って来てください」
婦人は娘たちの部屋へ行って、三枚の肌着を持ち出して来て、八戒に渡した。八戒はそのひとつを選んで身に着けたが、まだ帯もしめないうちに、はたと床の上へ倒れてしまった。実はその肌着は幾条もの縄であって、ひしひしとかれのからだを引き縛ってしまったので、八戒はからだは痛し、苦しがってうんうん唸っていたが、そのうちにかの婦人はどこかへ見えなくなってしまった。
一方、三蔵ら三人は、お斎《とき》を食べるとすぐ寝てしまったが、翌朝、東の空が白みそめたころ目をさまして見ると、こはいかに、昨夜の大廈高楼《たいかこうろう》はあとかたもなく消え去ってしまい、かれらは松林の中に眠っていたのだった。三蔵はあわてて飛び起き、
「わしらは昨夜、幽霊に出会ったんじゃ」とうろたえ騒いだが、ふとそばの松の木を見ると、一枚の書きものが貼ってあったので、悟浄に取らせて読んで見ると、これが八句の詩で、
黎山《れいさん》の老母|几《ぼん》を思わず
南海の菩薩《ぼさつ》下山を請わる
普賢文殊《ふげんもんじゅ》は皆これ客
化して美女となって林間にあり
聖僧|澹漠《たんばく》として禅機定まり
八戒淫を貪《むさぼ》って劣性|頑《かたくな》なり
これより心を洗って須《すべか》らく過を改むべし
もし怠慢を生ぜば路途《ろと》かたし
と書いてある。さては昨夜のことは、観音菩薩がかれらの道心をためすためになさったことかと、三蔵ら三人はうやうやしく合掌礼拝したが、このとき林の奥のほうから、
「お師匠様あ、助けてくださあい」と叫ぶ声が聞えてきた。三蔵は、
「あの喚《わめ》いているのは悟能にちがいない」という。悟浄も、
「たしかにそうでございます」
しかし行者は、
「兄弟、取り合うな。わしらは出発しよう」と、はなはだ冷淡である、すると三蔵が、
「あいつ、ばかなやつじゃが、菩薩はけっして見捨ててはいられないようだから、助けてやることにしよう」
というので、行者もやむを得ず、悟浄とともに馬をひき荷物をかついで、皆で林の奥深くへ尋ね入ることになった。
二十一 人参果《にんじんか》
さて三人が深林へ分け入って見ると、八戒は木の上に縛りつけられていて、苦しさに堪えず泣き叫んでいた。行者が笑いながら近づいて、
「おい、お婿さん、どうしてお師匠様のところへ昨夜の慶事の報告にも来ず、こんなところで軽業などして遊んでいるんだい」というと、八戒もこれを聞いては、牙をくいしばって苦痛を忍び、弱音を吐くまいと努めていたが、沙和尚が見るに見かねて縄を解いて助けおろしてやった。さすがに八戒は深く恥じ入っていたが、さらに行者からあの菩薩の詩を示されると、いよいよ恐れ入って、うやうやしく天の一方を望んで礼拝した。それから一同に向って深く自分の軽率を詫び、これからはけっしてこのようなことはしないからと誓ったので、三蔵も、
「それならば、まあよろしい」
と許し、それより四人は街道へ出て、さらに西への旅を続けた。
ある日のこと、行手にひとつの高山が現われた。ここで前もってその山の説明をしておくのを便とするが、そもそもこの山は万寿山といって、山中には五荘観《ごそうかん》(観は道教の寺)というのがあり、観には鎮元子《ちんげんし》、またの名を与世同君《よせいどうくん》と呼ぶ仙人が住んでいた。またこの観には草還丹《そうかんたん》、別名を人参果《にんじんか》という珍しい宝果があった。それは三千年目に一度花を開き、さらに三千年たつとわずかに三十個の実を結び、さらにまた三千年たつとその実が熟するという珍しい果物で、その形はちょうど生まれたての赤ん坊そっくり、手足も目鼻も備わっていた。縁あってこの果物の匂いをかいだだけでも、人は三百六十年も命が延び、もしまた一個を食べれば四万七千年も長生きができるのであった。
その日、鎮元大仙《ちんげんだいせん》は元始天尊《げんしてんそん》(道教の最高神)から招かれて弥羅宮《みらきゅう》で混元道《こんげんどう》を講じることになったので、四十八人の弟子を連れて天上へおもむき、観にはただふたりの小童を留守番に残しておいた。そのひとりは清風といってわずかに千三百二十歳、もうひとりの明月はやっと千二百歳だった。大仙は出がけに、ふたりの童子に向って、
「まもなくわしの古い知人がここを通るはずじゃ。唐の三蔵という人だが、この人の前生は如来仏《にょらいぶつ》の第二のお弟子の金蝉子《きんせんし》というかたで、わしは五百年前、孟蘭盆会《うらぼんえ》で知り合いになった。近ごろ、仏を拝み経を取るために西天へおもむこうとしておるが、来られたら粗略のないようにせねばならぬ。人参果を二つほどとって差し上げなさい。なお三蔵の弟子には粗忽者がいるから、よく注意するがよい」と言い残して行った。
こちらは三蔵らの一行である。山の景色がたいそうよいので、それを賞しながらしだいに登って来ると、木立の向うに楼閣の重なり合ったのが見えたので、立ち寄って見物して行こうと、その門前へやって来た。見れば門の左側にはひとつの碑があって、「万寿山福地、五荘観洞天」と大書してある。三蔵はそこで馬をおり、一同門を入って第二の門の前まで行くと、内からふたりの小童が出て来て、
「老師父、お迎えもしないで失礼いたしました。どうぞこちらへ」と迎え入れた。
そこで三蔵ら四人が小童に導かれて正殿へ来て見ると、それは南向きのりっぱな殿堂で、花を彫刻した格子がはまっていた。中に入ると、正面には「天地」と大書した軸が掛けられ、その前の香机には黄金の香炉がすえられていた。三蔵は礼拝を終り、さて童子に向って、
「こちらの観ではどうして三清《さんせい》、四帝《してい》、羅天《らてん》、諸宰《しょさい》などを供養なさらずに、ただこの天地の二字に香火を捧げておいでなのですか」とたずねた。童子は笑いを含んで、
「老師父、実はこの二つの文字のうち、上のほうのは礼を捧げるに相当していますが、下のほうのは、わたくしどもの香火を受けるに値しないのでして、それを師匠がまあ|おあいそ《ヽヽヽヽ》に供養していられるのでございます」
「どうして|おあいそ《ヽヽヽヽ》だといわれるのですか」
「どうしてって、三清は師匠の友人、四帝は昔からの知己、九曜元辰《くようげんしん》などは師匠の後輩というわけでございまして」
聞くより行者は、何をこの大法螺《おおぼら》吹きめがといわんばかりに笑いだしたが、三蔵はあくまでまじめに、
「してお師匠様はどちらにおいでですか」
「師匠は元始天尊のお招きを受けて、弥羅宮《みらきゅう》へ混元道《こんげんどう》を講じに参りました」
話がいよいよ大きくなったので、行者はとうとう堪えきれずに爆笑した。三蔵は行者をたしなめ、沙和尚とともに外へ行って馬や荷物の番をするように言いつけ、また八戒には荷物を解いて米を出し、食事の用意をするようにと命じた。
こうして三人の兇悪な顔をした弟子が出て行ってしまうと、清風と明月とは安心して、三蔵にお茶を進めなどしながら、
「老師は唐の三蔵法師でございましょう」
「いかにもさようですが、どうしてそれをご存じですか」
「師匠が出がけに際して、老師のお見えになることを告げ、もてなしを命ぜられたからでございます。ではしばらくお待ちください、ただいま粗果を差し上げますから」
そこでふたりの童子は、いったんかれらの部屋へ戻り、清風は金撃子《きんげきし》(金の打ち棒)を、明月は朱盆に絹の袱紗《ふくさ》をかけたのを持ち出して、人参園へやって行った。そして清風が木に登って金撃子で人参果を打ち落すのを、清風は手にした盆で受け、こうして二個の果物を朱盆に盛って、三蔵のところへ引き返して来た。
「当方にはこれといって差し上げるものもございませんが、これはてまえどもの園になったものでございますから、まあ渇《かわ》き止《ど》めにでも召し上ってください」
こういってかれらが勧めるのを、三蔵はひと目みるや、肝《きも》をつぶして、三尺も飛びさがった。
「これはしたり。ことしは豊年だというのに、この観では、なんであさましくも人を食うのですか。これは生まれたての嬰児《みどりご》ではござらぬか」
「老師、これは人参果と申して、木に生じたものでございます」
「冗談を申されるな。どこの国に人間が木に生《な》る道理がありましょうぞ。お下げください。わたくしは、いただくわけには参りません」
童子らはしきりに勧めたが、三蔵がどうしても食べようとしないので、やむを得ず盆を捧げてかれらの部屋へ帰ったが、この果物はすぐ食べないと腐ってしまうので、かれらはさっそく、ひとつずつ分け合って、平らげてしまった。
ところがかれらの部屋というのが、壁一重で庫裏《くり》と隣り合っているので、こちらの話は向うへ筒抜けである。八戒はさっきから庫裏で食事の支度をしていたので、かれらが初め金撃子や朱盆を持ち出して行った時の話し声もすっかり聞いてしまったが、今またかれらが、
「あの唐僧は凡人で、人参果を知らない。おかげでわれわれは、こんなうまいものが頂戴できることになったわ」などと話し合っているのを聞いて、涎《よだれ》を流さんばかりにうらやんだ。そこで、戸外で馬の番をしている行者を手をふって招き寄せ、
「兄貴、ここの観には宝ものがあるが、知ってるか」
「どんな宝だ」
「おまえに話しても、見たことがあるまい。おまえにやっても、値うちがわかるまい」
「この阿呆、人を笑わすない。おれは五百年前、神仙を尋ねて地の果て海の隅までへめぐったから、見ないというものはないわい」
「兄貴、では人参果を見たことがあるか」
それには行者もさすがに驚き、
「そいつは見たことがない。ただ話に聞いたことがあるだけだが、それは草還丹《そうかんたん》ともいって、長命の宝果だそうだ。それがここにあるのか」
「うん、ここにあるんだ。さっきここの童子が二個もいできて、師父に捧げたが、それがまるで生まれたての赤ん坊のようなので、師父はあがらなかった。そこでやつら、隣の部屋へ持って来てうまそうに食いおったが、おれは涎が出てたまらなかった。どうだ兄貴、おいらもなんとかして、ひとつ初物を食ってみたいもんだな」
「そんなことなら、わけはねえ。おれが行って、採って来よう」
行者はすぐさま飛び出して行こうとした。八戒はそれを呼びとめて、
「待て、おれが聞いたところによると、なんでも金撃子とかいうもので打ち落すのだそうだよ。それは隣の部屋にあるはずだ」
「よし、心得た」
行者はそこで「隠身《おんしん》の法」を使って、そっと隣室へ忍びこんだが、童子らの姿はなく、問題の金撃子が櫺子窓《れんじまど》のところに掛けてあるのがすぐ眼にとまった。さっそくそれを盗み出して、うしろの庭へまわり、花園や菜園の間を抜けて行くと、はたして園の中央に一本の大樹がそびえ立っていた。葉の形は芭蕉《ばしょう》のようで、幹の高さは十余丈、まわりは七、八丈もあるかと思われた。
さてその木の下に立って見上げると、実の形はまったく嬰児のようで、尻のところに蔕《へた》がついている。さらさらと風が渡ると、手足を振り、頭を動かして、まるで物を言い合っているようである。行者は、
「これはすばらしい、まったく珍しいや」と、すぐ木へよじ登って、金撃子で一個を打ち落したが、不思議や、地面へ落ちたかと思うと、その果物はどこかへ見えなくなってしまった。そこで自分も木からおりて、あたりをよく捜して見たが、影も形も見当らない。「これはあやしいぞ。まさか足で歩いて逃げたのでもあるまいし。そうだ。これはてっきりこの園の土地神《とちしん》が失敬しおったのにちがいない」
行者はそこで「|※[#「口+奄」]《おん》」の字の呪文を唱え、土地神を呼び出した。土地神は敬礼をして、
「大聖、小神をお呼び出しになりましたのは、何のご用ですか」
「おまえはおれを知らぬことはあるまい。おれは天下の大泥棒だ。先年、蟠桃《ばんとう》を盗み、神酒を盗み、仙丹を盗んだが、その時でさえだれにも分け前を取られたことはないぞ。しかるにきょうただ一個の果物を盗んだだけで、おまえが横取りするとは何事だ」
「大聖、小神をお疑いのようですが、それは迷惑な濡衣《むれぎぬ》です」
「おまえが盗まぬとすると、どうして打ち落したものが、見えなくなってしまったのだ」
「それは大聖が、この物の性質をよくご存じないからです。この果物は金に遇《あ》えば落ち、木に遇えば枯れ、水に遇えば化し、火に遇えば焦げ、土に遇えば入る、という性質を持っています。さればこれを打ち落すときには、かならず金を用い、受けるときには絹布を敷いた盆を用います。もし絹布や盆がなければ、紙帳や肌着などで受けてもよいのですが、けっして木の器《うつわ》を用いてはなりません。いささかでも木気を受ければ、このものは、たちどころに枯れてしまって、食べられなくなってしまうからです。さて土に遇えば入る、というわけですから、大聖が打ち落されたとき、地面に落ちるとすぐ土の中にもぐり込んでしまったのでございます」
「なるほど、そうだったのか。ではおまえはもう帰ってもよろしい」と、行者は土地神を帰し、自分はまた木の上に登って、右手の金撃子で打ち落した果物を、左手で衣の前をひろげて袋のようにしたので受け、三個だけ採ると、大急ぎで庫裏へ帰って来た。待ちかねていた八戒は、
「兄貴、どうだった」
「採って来たよ、そら、これだ。こいつは沙《さ》和尚にも分けてやらずばなるまい。ちょっと呼んでやれよ」
八戒はすぐ飛び出して行って悟浄を呼んで来た。行者は果物を悟浄に示して、
「兄弟、おまえこれを何だと思う」
「おやっ、これは人参果じゃないか」
「いかにも、おまえよく知ってるね」
「おれは食ったことはないが、むかし捲簾大将《けんれんたいしょう》だったころ、だれかが玉帝の誕生祝いに献上したのをちらと見たことがある。兄貴、おれにもちょっと分けてくれ」
「無論だとも。兄弟でひとつずつだ」
そこで三人は、仲よくひとつずつ分け合って食べることになったが、大口で大食いの八戒は、手に取るや一気に腹の中へ呑み下してしまい、他のふたりに向って、
「どんな昧がするかね」と訊《き》く始末。行者が、
「おまえがまっ先に食ったんじゃないか。おれたちに訊くことはなかろう」
「おれはあんまり速く食っちまったもんだから、味も何もわからなかった。兄貴、後生だ。もうひとつ採って来て、おれにしみじみと味わわしてくれないか」
「おまえにはこれでいいってことがない。この延命の宝果をわれわれがひとつずつ食うことができたのは、たいそうありがたいことだと言わなくちゃならねえ。それをもうひとつ食いたいなどとは、とんでもないことだ」
行者は怒って、もうけっして採りには行かないぞとばかり、そばに投げ出してあった金撃子をとって窓の穴から隣室へ投げやってしまった。八戒はそれでもなお未練たらしく、くどくどと不平を並べ立てていた。
ちょうどこの時、ふたりの童子が、何かの用で隣室へ戻って来たが、見れば金撃子が地べたに落ちているばかりか、庫裏のほうで八戒が不平たらたら人参果をもうひとつ食いたいといっているのを聞いて、こいつはあやしいぞとばかり、うしろの庭へ行って見ると、小門があけっ放しになっている。急ぎ人参園へとびこみ、木の下に立ってふり仰いで実の数を勘定してみると、はたして四個足りなかった。これはてっきり唐僧の弟子たちが盗んだものにちがいないと思い、かれらはすぐ三蔵のところへ取って返し、さんざんに三蔵を罵《ののし》った。興奮した早口でべらべらとまくし立てるので、よく聞き取れなかった三蔵が、
「あなたがたは、なんでそんなに騒ぎ立てなさる。話があるなら、もっとゆっくり言ってもよいではないか」というと、童子らは、
「あなたは|つんぼ《ヽヽヽ》ですか。あなたは人参果を盗み食いしておいて、それをわたしらがとがめるのが、どうしていけないのですか」
「これはしたり。わしはあのものを一見しただけで、肝《きも》をつぶしたくらいだのに、どうして盗み食いなどしましょうぞ。何か考えちがいではありませんか」
「あなたは食べないかも知れませんが、あなたの弟子たちが盗んで食べたにちがいありません」
「そういうことなら、ちょっとお待ちください。わしがかれらに償いをさせましょう」
「償いですって。かりにも金銭で買えるような品ではありませんよ」
「まこと買えない品なら、諺《ことわざ》に『仁義千金に値す』と言いますから、あなたがたの気がすむようにかれにお詫びさせればよいではありませんか。ちょっとお待ちください」
そこで三蔵は、声を大きくして、
「弟子ども、皆参れ」と叫んだ。沙和尚がそれを聞きつけて、
「これはいけない。師父が呼んでいらっしゃるばかりか、童子たちが何か罵っているぞ。あのことがばれたんだったら、どうしたらよいだろう」
すると行者が、
「たかが食べもののことじゃないか。われわれが盗み食いしたにしろ、口を拭っておけばよいさ」といったので、八戒もいっしょになって、「そうだとも、ごまかしちまえ」
こうして三人は、しぶしぶながら三蔵のところへやって行った。
二十二 五荘観《ごそうかん》をさわがす
さて三人が師父の前へ出て、
「何かご用ですか、ご飯はできましたが」というと、三蔵は、
「飯のことではない。この観には人参果とやら申すものがあるが、だれか盗んで食べた者はないか」と問いただした。すると八戒が、
「いいえ存じません。見たこともございません」行者はにやにや笑っていたが、それを見ていきなり清風がかれのほうを指さし、
「笑っている者があやしい。きっとあの男にちがいない」と叫んだので、行者は怒って、
「いい加減なことをいうな。おれは生まれつき笑っているような顔なんだ。笑って何が悪いか」とどなった。すると三蔵が、
「怒るでない。それにわれわれは出家であるから、嘘をついてはならない。もしも食べたものなら、よくお詫びをするがよい」と言いきかせたので、行者はなるほどと思い、
「実は」とほんとうのことを打ち明けた。「八戒が壁越しに、ふたりの童子の人参果を食べている様子を漏れ聞きまして、自分も食べてみたいと申しますので、わたくしが行って三個うち落して参りまして、三人でひとつずつ食べたのでございます」
それを聞くと明月が、
「四つ盗んでおいて、三つしかとらないというのは、どういうわけだ」と罵ったので、意地きたない八戒は、さてはと、じだんだ踏んでわめきだした。
「四つも盗んでおいて、どうして三つしか持って来なかったんだ。さては兄貴、ひとつ先に失敬したんだな」
こうなると、ふたりの童子もいよいよ行者を罵り散らしたので、行者はすっかり腹を立て、心のうちで、「うるさい小僧らだ。そんなに騒ぐなら、よし待っているがよい。今すぐに人参果の木を根こそぎにして、もうけっして食べられないようにしてやるから」と考え、さっそく一本の毛をからだから抜き取ると、「身外身《しんがいしん》の法」を使って自分の身代りに仕立て、自分はこっそりとその場を抜け出して、人参園へとやって来た。そしてするすると木に登るや、金箍棒《きんこぼう》を振って片っぱしから果実を叩き落し、また「推山移嶺《すいざんいれい》の法」を用いて、さしもの人参果の木をただひと押しに押し倒してしまった。憐れむべし、葉は落ち枝は折れ、根は引っこ抜かれて、見るも無惨なありさまとなった。行者はこれでさっぱりしたとばかり、また以前の席へ取つて返し、毛をからだに収めて、何くわぬ顔をしていた。
ところで、かのふたりの童子は、さっきからいくら罵っても行者が黙りこくっているので、これはもしかしたらこの坊主が人参果を盗んだのではなく、自分たちの勘定ちがいだったかもしれないという疑いを起し、そこでもう一度しらべに行って見ることにした。ところが、いざ人参園へ来て見ると、なんともはや無惨なその木のありさまに仰天し、
「お師匠様がお帰りになったら、どういったらよいだろう」と、ただうろうろおろおろするばかり。ややあって明月が、
「これはきっと、あの毛むくじゃらの坊主の仕業《しわざ》にちがいない。けれども、いまあいつらと争ったところで、こちらはふたり、向うは四人、とても勝つ見込はない。それよりあいつらを瞞《だま》かして、あいつらが飯を食っている間に、すきを見て門をしめてしまい、あいつらを出られないようにしておいて、お師匠様のお帰りを待つことにしようじゃないか」というと、清風もそれに賛成して、
「それがよいだろう」ということになった。そこでかれらはまた唐僧らのところへ取って返し、いかにももっともらしい顔をして、
「師父、さきほどはとんだ暴言を吐きまして、失礼いたしました。どうかお許しください。ただいま行ってよく調べてみましたところ、あれはわたくしどもの勘定違いで、果物は全部数が揃っていました」と、まことしやかに陳謝するのだった。
行者はそばでそれを聞いて、はてな、これは怪しいぞ、きっと何かあるなと疑ったが、三蔵はあっさりしたもので、
「それはよかった」とただ一言。それから八戒のほうを向いて、「では食事を持って来なさい、わしは食べたら出かけるから」
さて八戒が飯をとって来て、師弟四人が食事を始めると、かのふたりの童子は、お茶やおかずと、まめまめしく給仕していたが、折を見てこっそり席を外し、そとから部屋の扉をしめ、鍵を掛けてしまった。八戒がそれに気づいて、
「ここの習慣は変ってるな。なんだって食事のときに扉をしめるんだろう」というと、清風が外から、
「この泥棒坊主め、きさまらは仙果を盗んで食ったばかりか、仙樹まで根こそぎにしやがって、それで西方へ行って仏が拝めると思ってやがるか」と罵った。三蔵はそれを聞くと、思わず碗を下に置き、まるで胸の上へ石のかたまりでも乗っけられたような重苦しい気持に沈んでしまった。その間にもふたりの童子は、駆けて行って第一、第二の門をしめてしまい、また正殿の入口ヘ戻って来て、さんざんに悪口雑言を吐き散らしたが、暗くなってきたのでやっとかれらの部屋へ帰り去った。三蔵は行者を恨んで、
「この猿めが、いつも災をひき起しおって……」と、小言のかずかずを並べ立てたが、行者はいっこう平気で、
「師父、ご心配いりません。あの童子が寝てしまったら、こっそりここを出発しましょう」という。八戒が、
「兄貴は虫になって格子の間から飛び出せるからいいが、われわれはいったいどうしたらいいんだ」
「いや、おれに手立てがあるから、みんないっしょに出られるようにするよ」
そんなことを話しているうちに、東の空に月がのぼった。行者は、
「今こそ出発するにいい時だ」と、金箍棒をとって立ち上り、「解鎖法《かいさほう》」を使って扉に向って指を立てるとからりと音がして鍵は落ちてしまった。なんのことはない。こういうふうにして行者は次々に門を開け、一同苦もなく五荘観を脱出することになったが、出発に当って行者は、
「みんなは先へ行ってもらいたい。おれはあの童子らがひと月ばかり眼のさめないようにしてくるからな」と、童子らが眠っている部屋の外へやって行き、からだの毛を抜いて二匹のいねむり虫に変じ、窓の穴からはじき込んでやった。この虫が童子らに取りつきさえすれば、ちょっとやそっとで眼をさますことはない筈だった。こうしておいて行者は、急ぎ三蔵らに追いつき、一同とともに街道を西へと進んで行った。
一方、鎮元大仙《ちんげんだいせん》は弥羅宮《みらきゅう》での講経の会も終ったので、多くの弟子たちとともに五荘観へ帰って来たが、見れば観の門はあけっ放し、殿上の香煙も絶えている。不思議に思って童子らの部屋へ行って見ると、庭はかたく閉ざされていて、中では童子らが高いびきで眠りこけている。大仙は扉をこじあけて中へ入り、ふたりを寝台から引きずりおろしたが、それでも童子らはいっこうに眠がさめない。
「これはおかしい。きっとだれかにいたずらをされたんだな」
大仙はそう思って、弟子たちに水を持って来させ、呪文をとなえて、ひと口の水を吹きかけると、童子らはようやく眼をさました。そして大仙や兄弟子たちがそこにいるのに気づくと、あわててその前にひざまずき、
「お師匠様の古いお知り合いの、あの唐僧はたいへんな大泥棒でございました」と、泣く泣く事の次第を訴えた。
「泣くな。泣かんでもいい。そちたちはあの孫なにがしというやつを知らんのじゃ。あいつはかつて天宮を騒がしたこともある神通広大なやつじゃ。それにしても、あの仙樹を打ち倒していったと聞いては、とても許しておくわけにはいかない」
大仙はすぐさま雲に乗って、三蔵らのあとを追いかけた。その速いことといったら、ひと息に千里を飛び、雲の上から西方を見渡したが、唐僧の姿が見えないので、眼を東方に転じてながめると、これはしたり、かえって九百里も追い越しているという始末だった。それも道理、三蔵は夜どおし馬を駆けさせたのだったが、馬の速さではやっと百二十里進むのが精いっぱいだったからである。
三蔵らは、そのとき木の下で休んでいたが、大仙は雲を返してその上にやって来ると、身をゆるがして行脚の道士の姿となり、かれらに気づかれないように雲をおりて、そのそばへ近寄った。そして、
「長老様、ご挨拶申し上げます」と、うやうやしく礼をすると、三蔵も礼を返し、そこで大仙は、
「長老様はどちらからおいでになりましたか」
「拙僧は東土大唐から、経を取るために西天へ差し遺《つか》わされた者です」
「では東からおいでになったのでしたら、さだめし万寿山五荘観へお立ち寄りになりましたでしょう」
行者はそれを聞くと、あわてて口をはさんだ。
「いや、寄りません。わしらは街道をまっすぐに来たものですから」
大仙はあざ笑って、
「この悪猿めが、わしを瞞すつもりか。きさまはわしの観の人参樹をうち倒し、夜通しここまで逃げて来たのではないか。いい加減なことを申さずに、早くわしの木を元通りにして返すがよい」
行者はかっと腹を立て、いきなり金箍棒を振って大仙めがけて打ってかかった。大仙はひらりと身をかわし、空中に飛び上って本相をあらわすと、行者もつづいてあとを追い、なおも鉄棒をふるって打ってかかる。大仙は払子《ほつす》をとって、行者の鉄棒を左にさえぎり右に受けとめていたが、やがて「袖裏乾坤《しゅうりけんこん》の法」を使って、衣の袖をふわりとひろげ、四人の僧を馬もろとも袖の中に包みこんでしまうと、かるがると手もとへ引き寄せて、五荘観へ帰って来た。そして、まるで人形でもつまみ出すように、四人の者を弟子どもの前へつまみ出すと、縄を持って来させて、ひとりずつ正殿の柱へしばりつけさせ、七星鞭《しちせいべん》という龍の皮で作った鞭《むち》で打たせることにした。大力の弟子が鞭をとり、水をたっぷり含ませて、
「師父、まずどの和尚から打ちましょうか」ときくと、大仙は何を思ったのか、
「三蔵こそ大いに無礼である。まずかれから打て」と命じた。行者はそれを聞くと、
「先生、それは違う。果物を盗んだのもわたしなら、木をおし倒したのもわたしじゃ。なんで先にわたしを打ちなさらんで、師匠をお打ちなさる」と抗弁する。大仙も笑って、
「もっともな言いぶんじゃ。しからばまずあれを打て」という。弟子が、
「いくつ打ちましょうか」
「仙果は初め三十あったによって、その数だけ打つがよい」
弟子は鞭をふり上げた。行者は、早くもその鞭がふとももへ飛んでくることを見て取って、魔法を使ってその部分を錬鉄に変じておいたので、いくら鞭が飛んできても少しも痛みをおぼえなかった。三十打たれてしまうと、こんどは大仙は、
「三蔵を打て。弟子のしつけが悪く、わがままにさせておくものだから、こんなことになったのじゃ」
行者はまたもやそれをさえぎって、
「先生、それも違います。果物を盗んだのは師父のご存じないこと、たとえ罪があるにしても、弟子が代って罰を受けるに、なんの不思議がありましょう。さあもう一度わたしを打っておくんなさい」
「この猿め、ずるいやつではあるが、またいささか礼を知っておるわい。ではもう一度かれを打て」
そこで弟子がまた三十打つと、行者の両ふとももは鏡のようにぴかぴか光を発するまでになったが、もとより痛くも痒《かゆ》くもなかった。そのうちに日も暮れかかったので、大仙は、
「きょうはこれまでにして、あしたになってからまた打ってやろう」といって、各自部屋にひきとって寝てしまった。
こちらは三蔵、双眼に涙を浮かべて弟子たちをうらんだが、行者はそれをなぐさめて、
「師父、安心しておいでください、いまにまた逃げ出す機会をつくりますから」
そのうちに夜がふけて、あたりが静かになると、行者は身をちぢめてするりと縄を抜け出し、順々に三人の縄をといて、荷物と馬の始末をしてから、さて八戒に向って、
「あそこの崖の柳を四本だけ切って来てくれないか」
そこで八戒が急いで四本の柳の木を切ってくると、行者は枝をはらってそれを柱へしばりつけ、呪文をとなえて、舌の先を噛んで血を出し、それを柳の木に吹きかけると、たちまち師弟四人とそっくりな人間に変った。しかも、驚くべし、口をきくことさえできるのだった。
こうしておけば大丈夫と、そこで一同は観の門を出て、またもや夜通し、少しでも遠くへ落ちのびようと急いだ。
さてその翌朝、大仙は眼をさますと、さっそく正殿へやって来て、
「きょうこそ三蔵を打て」と、弟子どもに命じた。そこで弟子のひとりが、鞭をとって三蔵に向い、「では覚悟をするがよい」というと、三蔵は平然として、
「どうぞ打ってくだされ」と返事をする。弟子は力いっぱいぴしぴしと三十打ちつづけたが、三蔵はいっこう痛そうな様子も示さなかった。それから八戒、沙和尚という順に打っていって、最後に行者を打つ番になった。このとき、本物の行者は路上にあったが、急にがたがたとふるえだし、
「しまった。おれはきのう二度も打たれたので、きょうは打たれまいと思い、その用意をおこたっていたところ、思いがけずまたおれの化身を打ちおったので、この真身がふるえるのだ。こいつは法を収めずばなるまい」
といって、呪文をとなえて法を解いてしまった。すると、五荘観では童子が鞭を投げ出して、
「お師匠様、この和尚を打っているうちに、みんな柳の木になってしまいました」
という騒ぎ。大仙は笑って、
「孫行者は、じつにゆだんのならぬやつだ。うまうまわしをだましおったわ。したが、こうなったらわしもけっして許しはせぬぞ。もう一度おっかけるばかりじゃ」というより早く、雲に乗って西へ飛び、たちまちかれらの一行に追いついた。大仙は雲を低くおろし、大声をあげて、
「孫行者まてえ。わが人参樹をかえせ」と呼ばわった。行者は少しもさわがず、八戒、沙和尚のふたりを語らって、おのおの神通力を現わし、いっせいに大仙を空中にとり囲んで、三方から打ってかかった。すると大仙は、またもや衣の袖をひろげて、四人の僧を馬もろともその中にひっくるみ、雲を飛ばして、五荘観へ帰った。そしてかれらをひとりひとり縛り上げ、大勢の弟子どもに言いつけて、大きな釜を正殿の前の広場にかつぎ出させ、それに油をぐらぐらと煮えたぎらせて、まず孫行者を油責めにすることにした。
行者は釜の油が煮え立ってきたのを見ると、前に柳の木を自分たちの身代りにしたのと同じ方法で、今度はそばにあった石の高麗犬《こまいぬ》を身代にしておいて、自分は雲の上に飛び上って見ていた。さて大仙の命によって、数人の弟子どもが行者をかかえて釜の中へ投げこもうとしたが、重くてびくとも動かない。
「この猿め、小さいくせに実が入ってるな」と、だんだん人数を増して、ついに二十人によってやっとかつぎ上げ、釜の中へ投げこんだのはよいが、とたんに釜の底が抜けて油がどっと流れ出した。それも道理、釜の中には、なんのこと、石の高麗犬がころがっているのだった。大仙はかんかんに怒って、
「この猿のならず者め、無礼にもやりおったな。よしよし、きゃつはほっておけ。べつに新しい釜に取りかえて、三蔵を煮殺してやろう」とどなった。
行者は空中にあってそれを聞くと、いそいで雲をおりて、大仙の前に進みいで、
「師父を煮るのはやめてください。わたしが身代りになります。きっと尋常に油あげになろうとしたのですが、急に小便がしたくなったので、もしや釜の中でやらかしては、油を汚してあとで料理をなさるに、ぐあいが悪かろうと、ちょっと外へ行ったまでですよ。今はもうさっぱりしましたから、どうぞわたしを釜の中へほうり込んでください」
すると大仙は、急にからからと笑いだし、階をおりて、かたく行者の手を握った。(つづく)