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吾妻博勝
新宿歌舞伎町 新・マフィアの棲む街
目 次
まえがき──十年後の歌舞伎町
ケツ持ちは「怒羅権《ドラゴン》」
大偉《ターウエイ》と呼ばれる男
ボッタクリ被害者にならないために
変貌する闇社会の勢力図
シジミを採るヤクザたち
密航の仕組み
日本ヤクザ対香港14K
エステで聞いた射殺事件の謎
歌舞伎町ビル火災の「ある真相」
地下銀行の実態
揺頭《ヤオトウ》に熱狂する中国人ホステスたち
風林会館銃撃事件
惨殺された残留孤児三世(承前)
「黒喫黒《ヘイチーヘイ》」の深い闇
「三弟」を潰せ!
酒田短大事件の深刻さ
北朝鮮工作船が積んでいたもの
工作船と覚醒剤(承前)
あとがき
[#改ページ]
まえがき──十年後の歌舞伎町
二〇〇五年十月中旬。私は首都圏近郊の小さな居酒屋で、ある三十代後半の暴力団組員と接触した。「今は酒を控えている」と言って、男は終始、水ばかり飲んでいた。
「俺は今、追われている身だ。捕まれば殺される。組の秘密を握っているからだ。俺が警察に捕まり、すべてをバラしたら組は潰れる。組が資金源にしてきたのは、四、五年前から強盗と泥棒だったからね」
男が恐れていたのは、それまで同じ釜の飯を食ってきた身内の組員だった。親分は口を開けば、「任侠、仁義」を強調するが、「根は異常なほどの守銭奴だ」と男は切り捨てた。それで嫌気がさし、何の断わりもなく組を逃げ出したのである。私と会ったときは、まさに命を狙われている最中だった。
店では入り口を見通せる席に座り、入ってくる客にいちいち目を光らした。右側の空き椅子に紙袋を置いていたが、その底に実弾を装填した38口径の自動拳銃を隠していた。銃種を聞くと、「俺はコルト一筋」と言って紙袋をポンと叩いた。黒地の紙袋には金色の虎の絵柄が六匹描かれている。高級和菓子で知られる「とらや」の袋だった。
「拳銃を持ち歩くときは、この袋がいちばん便利だね。コルトも重たい。木箱入りの羊羹も重たい。だからカムフラージュできるんだよ」
男は、日中混成強盗団の実行犯だ。中国人十二人と組み、近畿地方で資産家宅に押し入って現金約一千万円を強奪。この事件は全国紙でも報じられている。大組織の三次団体で中堅幹部の立場にあったが、男がそこまで追い詰められたのは、金詰まりで上納金を納められなかったからだ。
「親分から『金が工面できないなら強盗をやれ!』と命令されてね。中国人の実行犯は、組が前から使っている傭兵みたいなもんだ。常時、そんな奴らが三十人近くいる。襲った資産家の名前と住所を教えてきたのは、組の企業舎弟だった。こいつに奪った金の半分(五百万円)を巻き上げられた。そのうち半分は親分に渡っている。親分としっかり繋がっているから、企業舎弟には文句が言えない。まあ、情報者(情報提供者)が半分取るのは、この世界の常識だけどね。
残りを俺と中国人十二人で均等に分配したが、一人の取り分が三十七万円にしかならなかった。奪った金が一千万円にちょっと足りなかった。そんな半端な金を稼ぐために危険を犯すんだから、バカらしくなるよ。催促された上納金を払ったら、手元には十七万円しか残らなかった。中国人も取り分の少なさにブツブツ文句を言っていたが、こいつらは上納金を払う必要がない。
それから二週間後、今度は『横浜のスーパーを狙え』と言われた。だが、連続強盗で捕まると刑期が長くなる。それで仕方なく組を逃げることになった。俺には小学、中学と息子が一人、娘が二人いる。これ以上、組の言いなりにはならないと決心したんだよ。俺は親分、組を捨て、家族を取った。中堅幹部でもこのザマだから、末端のヤクザはみんな、ピイピイだ。強盗でもやらないと食っていけないのが実情だ。
一緒に強盗をやる中国人はいくらでもいる。俺みたいに実行犯までやっちゃうバカは少ないけど、中国人を動かしているヤクザは多いよ。高額納税者名簿を見ながら、強盗に入りやすい家を探しているからね。下見も念入りにやっている。
俺の命を狙っているのは、身内の組員だけじゃない。一緒に強盗やった中国人からも狙われている。親分から『あいつは裏切り者だ。警察に捕まる前に探し出せ。見つけたら殺してしまえ。殺したら、死体が見つからない場所に埋めろ』と指示されている。それがわかったから、身辺には十分注意を払っている。拳銃を持ち歩いているのも護身のためだ」
男がソワソワと落ち着きがないのも当然だった。
〇四年十月、栃木県|下野《しもつけ》市(当時・南河内町)で「東武運輸栃木」(当時)が襲撃され、金庫から現金約五億四千二百万円が強奪された。〇六年九月に犯行グループの一部が逮捕されたが、これも暴力団員と中国人による仕業だった。襲撃された現金輸送会社の内部情報は、元従業員から息子を通して暴力団関係者に流れた。暴力団側は犯行現場に行かず、実行犯八人はすべて中国人。そのうち逮捕できたのは一人だけで、この男は、栃木県で強奪事件を起こす半年前、兵庫県で病院理事長宅に押し入り現金約十六万円を奪っている。
〇六年六月には、雑誌やテレビでカリスマ美容整形外科医≠ニ持ち上げられていた女性の一人娘が、日中韓の多国籍強盗団に誘拐され、三億円を要求される事件(未遂)が起きている。捕まった三人は、ほかの何件もの現金強奪事件に関与しており、その背後には全国をターゲットにする大掛かりな強盗団が控えていた。今後は、この手の事件がますます多くなり、手口も複雑、巧妙化する。
中国人裏社会の当事者によれば、首都圏には現在、大きく分けて十二系列、二千数百人の中国マフィアが暗躍している。最も数が多いのが中国本土、それに台湾、香港、マカオと続く。他方、この十二系列に属さない数人規模のグループが数え切れないほどあり、これらの総数が首都圏だけで約千五百人といわれる。全国的にみると、その数がどれくらいになるか想像もつかない。これら犯罪集団と裏で結託しているのが、マフィア化した日本の暴力団関係者だ。犯罪の多国籍化が進むのは当然である。
警官狙撃事件の衝撃[#「警官狙撃事件の衝撃」はゴシック体]
今から十数年前の、一九九二年九月十五日の白昼、制服警官二人が拳銃で狙撃された。弾は背中から胸に貫通、一人が重傷を負った。パトロール中、二人の不審な男を見つけ、声をかけた直後にいきなり撃たれた。現場は、すぐ先に職安通りが見える歌舞伎町二丁目の路上だった。
発砲した王邦駒(当時26)は、台湾の黒社会「芳明館」の構成員で、台湾でも警官銃撃事件を起こしたことがあり、ほかに複数の殺人容疑で何年も前から指名手配されていた。そんな凶悪犯が、逃亡先の香港、タイからシンガポール経由で再三日本に入国し、歌舞伎町の台湾クラブでボストンバッグにぎっしり詰まった拳銃をホステスたちに見せびらかしながら、毎夜飲み歩いていた。出入国には偽造パスポートを使っていた。
暴力団抗争の警戒中、私服刑事が暴力団員に間違われヒットマンに撃たれたことはある。だが制服警官が外国人マフィアに狙い撃ちにされたのは、このときが初めてだ。
私は、この銃撃事件が起きた直後から二年以上にわたり、歌舞伎町の裏側に潜入取材を行なった。夕方、歌舞伎町に入り、夜が明けてから帰宅する。それは比叡山ならぬネオン街での回峰行≠フようなものであった。その結果、それまで思いもよらなかった外国人犯罪組織のおぞましい実態に直面することになった。
そのすべてを描いたのが、前著『新宿歌舞伎町 マフィアの棲む街』(一九九四年)である。
それから十年。歌舞伎町はどう変わったのか。私は、ふたたび歌舞伎町の深い闇のなかに入り込むことになった。
十年の変貌[#「十年の変貌」はゴシック体]
二〇〇一年十一月半ばのことである。私は久しぶりに歌舞伎町に向かった。
JR新宿駅から東口へ向かって改札口を出ると、右手に並ぶ自動券売機の前で激しく言い争う声が聞こえてくる。やり取りをよく聞いてみると、初老の男が券売機から釣り銭をくすねたのがバレて、若い男に詰め寄られているところだった。釣り銭の出口にチューインガムや強い粘着力がある整髪料などをこっそり付着させ、引っ掛かった硬貨を盗み取る手口が都内で増えている。
盗んだ男は、現行犯で取り押さえられたため言い訳が通じず、しまいには若者に何度も頭を下げて謝り、その場から逃げるように立ち去った。新宿に出て早々、ガムを使った釣り銭泥棒に遭遇するくらいだから、歌舞伎町も不況下で相当せちがらい街に変貌しているに違いない。そんなことを思いながら階段を上がり、「アルタスタジオ」前の小さな広場に出た。
この日、広場の一角に仮設された新宿ステーションスクエアのステージでは、午前十時半から夕方四時まで、BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)騒動で信用を損なった国産牛肉のPR活動が行なわれていた。国内初のBSE感染牛が確認されたのは約二カ月前の九月中旬。牛が飼育されていた千葉県白井市内の酪農場前は、以前から私のサイクリングコースだったこともあり、ちょくちょく場内の農産物直売コーナーに立ち寄っていた。そんなこともあって、BSE問題はずっと気になっていた。歌舞伎町に向かう前に、私はしばらく広場で様子を見守った。
ステージの正面ボードには、青地に白抜きで〈牛肉はこんなにおいしい!〉の大文字がおどり、その下には〈セーフティービーフ牛肉フェア おいしいお肉を安心して食べてください〉のキャッチフレーズが並ぶ。主催は東京都食肉事業協同組合、後援は農林水産省など三団体だ。
BSEの感染源も特定できないまま、どうして国産牛肉の安全性を強調できるのか、私にはとても納得できなかった。激増する外国人犯罪に対しても同じだが、後手に回る危機管理の甘さが、この厄介なBSEを日本にもたらした。イギリスから始まったBSE騒動がすでにEU(欧州連合)全体に広がり、感染源が肉骨粉と指摘されていたことは日本でも何年も前から知られていた。EUがBSE騒動で揺れる最中、日本の大商社は、そのEU諸国から肉骨粉を大量輸入していたのだ。
広場で牛肉に絡んだクイズのパフォーマンスが続くなか、主催者がプレートで牛肉を焼き上げ、集まった人たちに試食を呼びかけた。それにいち早く反応したのが、新宿駅周辺に寝泊りするホームレスだった。
「俺の靴を盗んだのは、おまえだろ! この盗っ人野郎!」
「盗っ人とは何だ、この野郎! てめえこそ俺の酒を盗み飲みしたじゃねえか?」
それまで広場で酒を飲んでいたホームレスの間で罵声が飛び交っていた。ところが、試食が始まると急に静かになり、なじり合っていた二人も試食の列に並んだ。背の低いほうが焼酎の四合瓶をジャンパーのポケットに押し込みながら、神妙な顔で呟いた。
「狂牛病も怖いけどよぉ、牛肉なんか、こんなときじゃねえと食えねえからな」
片方の男は、牛肉を目の前にして気が急くのか、黙りこくったまま、左手に持った紙パックをしきりに揺らしている。『鬼ころし』と銘柄が入っているので、おそらく中身は日本酒だろう。
「やっぱり牛肉はうめえなぁ」
ホームレスとおぼしき人たちが、ざっと三十人くらい試食の列に加わり、あちらこちらから同じような言葉が漏れてくる。よく見ていると、中には二度、三度と並ぶ、食い意地の張った者もいた。
実は、こうしたホームレスも外国人犯罪と無縁ではない。ホームレスの戸籍が、日本人や中国人のブローカーに五十万円前後で買い取られ、それが偽装結婚に悪用される。
九〇年代初期から歌舞伎町に集中してきた中国人ホステスが、今では地方の田舎町でも珍しくなくなった。そうしたホステスの中には、ブローカーに二百数十万円を払ってホームレスの戸籍に入籍させてもらい、配偶者の在留資格で合法滞在を装っている者が多数いる。試食に飛びついたホームレスの中にも、すでに酒代ほしさに戸籍を売ってしまった者がいるかもしれない。
アルタ前から新宿通りに沿って東へ進み、紀伊國屋書店の手前の小道を左へ折れると、まもなく靖国通りにぶつかる。
その手前の路上で、若い女性が斜め前から歩み寄ってきた。笑みを浮かべながら、私に寄り添うように歩き、まるで恋人にでも会ったかのように馴れ馴れしい。まったく見覚えのない顔だ。そして女性は囁くように言ってきた。
「あそびませんか? 私と付き合ってください」
はっきりした日本語。肌の色もこちらと同じだ。だがイントネーションから日本人ではない。染め毛が多い若い女性には珍しく、ツヤのある長めの黒髪。化粧を控えた小柄な美形だった。
「国はどこ?」
「中国です」
「中国のどこ?」
「黒龍江省です」
打てば響く、そんな感じだ。
「すぐ北側がロシアだね。黒龍江省だけで日本より広いんだから、中国という国はとてつもなく大きいよね。黒龍江省のどこから来たの?」
「ハルビンです。黒龍江省の中心(省都)です」
「ビザは留学生?」
「違います、就学生です。日本語学校に通っています。お金が貯まったら大学に行きたいの」
歩きながら問いかけると、女性はハキハキと答えた。中国の女性は、窃盗や売春などで逮捕されると、頑として口を割らないが、身の上の話はよく喋る。信号が青に変わり、靖国通りを渡っているとき、女性は背伸びするような恰好で顔を耳元に近づけてきた。口から出てきたのは、誘いの言葉だった。
「ホテルへ行ってもいいですよ。アルバイトなの」
案の定、客を物色していたのだ。本人にはアルバイトでも、これは明らかな売春行為。こんな場所で中国人女性が客を引くことなど、十年前は考えられなかった。売春に走る中国人女性は確かに多いが、こうして歌舞伎町周辺で街頭に立つようなことは極めて珍しい。中国クラブにホステスとして籍を置き、そこに飲みにくる客をホテルに誘うのが、十年前から続いている売春の手口である。
どうして、こうした地引き=i街娼)が出てくるのか。これは中国人に限らないが、外国人留学、就学生がアルバイトを希望する場合は、入国管理局に申請、許可を得たうえで、一週間に二十八時間以内の労働ができる。しかし、それには規定があり、酒席で直に接客するクラブや風俗店は対象外だ。私を誘ってきた黒龍江省出身の就学生が中国クラブでホステスとして働けば、それは「資格外活動」になる。これまでは捕まっても、入管に始末書を提出し、「二度としません」と誓約すれば自由の身になった。ところが、それがだんだん厳しくなり、強制退去処分を受けるケースが続出してきた。こうした背景があるため、地引き≠フ中国女性が増えている。一方、中国クラブが、在留期限の切れた不法滞在者をホステスとして雇えば、経営者が「不法就労助長罪」に問われる。店がそんな危険をおかしてまで雇うことはないから、働き口を失った元留学、就学生も街頭で客を物色することになる。
「次に会ったとき、お願いしますね」
断わると、女性はそう言い残して引き返した。私に声をかけてきた通りに向かったが、まもなく人込みで姿が見えなくなった。
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ケツ持ちは「怒羅権《ドラゴン》」
歌舞伎町の外周は、私の歩幅で二千四百十八歩。二十分たらずで周回できる。靖国通りから花園交番の前を通って三百十八歩のところで、歌舞伎町一丁目と二丁目を分ける歌舞伎花道通りの一角に出る。
左側へ向かうと風林会館があるが、その手前のビルに、店名がイニシャルで「K」というディスコクラブが入っている。私はこの店がずっと気になっていた。店のバックに用心棒として控えているのが、ヤクザでもマフィアでもない暴走族の関係者だったからだ。歌舞伎町にかぎらず、こんなことは本来、国内の盛り場ではあり得ない事態だ。私は、この店に関する情報をさまざまな筋から集めていた。
店の経営者は、台湾出身の女性だった。店名の英語を日本語に訳せば、「金庫」というような意味になる。台湾人にとっては、金運をもたらす縁起のいい言葉かもしれないが、日本人にはなかなか付けられない店名だ。この女性経営者は界隈で金銭への執着心が人一倍強いことで知られ、その欲念の深さがそのまま店名にあらわれていた。
しかし「金庫」に呼び込んだのは、金ではなく凄まじい暴力だった。
客は大半が中国人だ。中国人といっても、中国本土の出身者だけでなく、タイ、マレーシア、シンガポール、米国、カナダ、イギリスなど、その国籍は多岐にわたっていた。歌舞伎町のたった一軒のディスコをみても、中国人がいかに世界中に散らばっているかが分かる。香港、台湾人の出入りもあったが、その中でも圧倒的に多いのは、やはり中国本土の若者だ。それも、まともな若者ではない。
実は、店内では客の間で麻薬取引が行なわれていた。合成麻薬のMDMAはエクスタシーとも呼ばれるが、これと似たもので中国人が「ヤオトウ」と名付けた青や赤、ピンク色の錠剤がある。日本では覚せい剤取締法に引っかかる違法薬物。これを踊る前に口に放り込んでおくと次第に興奮が高まり、そのうち首が振り切れそうになるほど頭を揺らすのがヤオトウの特徴である。だからヤオトウは中国語で「揺頭」の文字をあてる。この店では、深夜から朝方にかけて、しばしば貸し切りでヤオトウ・パーティーが開かれてきた。
一方、店では客どうしで公然と盗品売買が行なわれていた。深夜、それとなく近くから見ていると、何も持たずに店に入っていく女性客が何人もいる。携帯電話や簡単な化粧道具は、どこかポケットに入れているのだろう。その中で髪型や服装の色など、目立つ特徴をもつ女性に目星をつけておき、それを客が引ける時間帯の早朝四時から六時ごろまでチェックする。日本人が店に入ることはほとんどできないので、これもやはりビルの出口付近でそれとなく見張るしかない。
この時間帯に客が出てくる店は、このビルではディスコクラブ「K」に限られる。空身で入った女性がバッグを抱えていれば、そのバッグは店内で買い取った盗品であることはほぼ間違いない。バッグの中には、指輪やブレスレットなどが隠されていることもあるが、それもこれも日本人から盗んだものである。
この店で窃盗団の男から革のコートや腕時計を買ったことがあるという、二十九歳の北京出身の女性に話を聞いたことがある。コートも時計も高級ブランド品だった。
「時計にしてもネックレスにしても、ケースに入って値札、保証書、説明書が揃った新品は、だいたい二割から三割引きですね。値札付きは、店から盗んだ証拠。盗品だから使い道はないけど、中国人は保証書をとても欲しがる。でも、保証書、説明書があっても、店の名前が入った値札がなければ価値は下がるわね。値札があれば、中国に帰ったとき、『こんなに高い品物なのよ』と友達に自慢できるし、誰かに売るときも役立ちますからね。だから中国人の泥棒は、中古品を高く売りつけるために、わざわざ値札を偽造することもあるの。どこかの家から盗んできたものは、どんなに新しく見えても、店で売られている値段の半額以下。だって値札がありませんからね」
中国人の値札信仰は強く、今でも地方都市に行くと、レンズの隅に値札を貼り付けたままサングラスをかけている男を見かけるという。もちろん、サングラスが安物なら、そこまではしない。
このディスコでは、どんな盗品を買うにしても、その数に注意を払わなければならない。先の北京出身の女性に言わせると、それなりに節度を守る必要があるというのだ。
「お金があって、その品物がどんなに欲しくても、私はバッグを二つも三つも買うようなことはしませんね。警察に職務質問されたとき、手持ちのバッグだけなら何とでも言い訳ができるけど、紙袋の中に別のバッグが入っていたら、警察はすぐ盗品と見抜きますよ。バッグの中に腕時計やネックレスをいくつも入れて店を出る人がいるけど、これはバカのやることですね。警察より先に、中国人の強盗に目をつけられますよ」
ダイヤモンド入りのネックレスを三本買ったシンガポール国籍の中国人女性がいた。ところが、店を出てタクシー探しに気を取られている隙に、それを奪い取られてしまった。奪ったのは、店を出る前から女性を狙っていた中国出身の男だった。
それから二週間ほど経って、その男が店の従業員ら数人に取り押さえられた。常連客の一人が、職安通りの近くでたまたま男を見かけ、店に通報したのだ。男に対する制裁は半殺しも同然だった。
制裁現場に立ち合った中国人の一人が、そのときの様子を振り返った。
「そいつは福建省から来た男だった。店に連れて行き、みんなでボコボコ殴り続けた。口と鼻から血がたくさん出たけど、それでも殴ったよ。血で手が汚れるので途中からビール瓶で殴った。倒れて動けなくなったので、今度は体じゅうを蹴った。誰かが『この手が悪いんだ!』と叫んだ。それを合図に、みんなで両手を踏んでいたら、指の骨が何本も折れてしまい、ぐにゃぐにゃになった指が取れそうになった。『福建の男は大嫌いだ。殺してしまえ!』と怒鳴る人もいたけど、命だけは助けてやった。しばらくして開店の時間になった。男を外に放り出せば警察に知られるから、歩けるようになるまで店の奥に寝かせておいた。客が入ってくると困るから、みんなで急いで床の血を掃除した。歯が三、四本落ちていたよ。
盗んできたものを店で売り買いするのは止められない。だけど店の客からネックレスを奪い取るなんて、絶対に許せない。その男も店に何度も来ていた客だからね」
頻発する発砲事件[#「頻発する発砲事件」はゴシック体]
もう一つ、このディスコが特異なのは、用心棒に意外な素性を持った男たちを雇っていることだ。いったい、男たちは何者なのか?
その正体を知るには時間をさかのぼり、この店で二〇〇〇年に起きた、ある発砲事件に触れなければならない。
経営者の知り合いで、店にちょくちょく顔を出していた在日華僑の台湾人二世が、発砲事件のあらましを話した。
「明け方だった。客の中に中国人の不良グループが五、六人いた。こいつらが周りの客に喧嘩を吹っかけ、店で暴れだした。ある目的があって、わざと騒ぎを起こしたんだ。どんな目的かというと、経営者を脅すためだ。店の面倒を俺たちに任せて用心棒代を払え、そうしないと店をめちゃくちゃにする、というわけだ。前にも拳銃を向けられながら何度も脅されたが、女性経営者は金を出すことを断わってきた。でも連中は諦めない。中国人のワルは、盗みでも何でも、いちど狙ったものは手に入れるまで追いかけるからね。店の従業員が何度注意しても、連中は騒ぎをやめなかった」
店から連絡を受け、そこに七、八人の若い男が駆けつけた。台湾人が話を続ける。
「店に飛び込んだ一人が、暴れていた連中に向かっていきなり拳銃を撃った。腕に当たった。ところが次の瞬間、相手側の一人がナイフを持って突っ込んできた。それで発砲側の一人が逆に腹を刺されている。喧嘩がもっと続けば、誰か死んでいたかもしれない。油断していたのか、騒ぎを起こしたグループは、その日は拳銃を持っていなかった。それで勝ち目がないから全員逃げ出した。発砲したほうも拳銃を持ったまま一斉に姿を消した。撃たれても刺されても、警察沙汰になる前に逃げるというのが、連中の基本原則ですからね」
店で騒ぎ立てたグループは、ネックレスを奪って半殺しにされた男と同じく福建省出身だった。どんな不良でも仲間が少ない相手なら、店の従業員だけでどうにでもなる。だが、このグループは、中国人アウトローの間では、「福建マフィア」として知られる危険な顔ぶれだった。地元の福建省に大勢の仲間が控えており、対応を間違えれば、それが何時、助っ人で飛んでくるかわからないという怖さがあった。
実は、その福建勢に発砲したのが店の用心棒で、全員が暴走族「怒羅権《ドラゴン》」の関係者だった。
この店では、その後も発砲事件が起きている。このときは、撃たれたほうも撃ったほうも福建省の男だったが、どちらも先の男たちとは別のグループに属していた。台湾人は、「本当に困ったことだ」と顔をしかめながら、事件の状況を語った。
「そろそろ外が明るくなる時間帯だった。撃たれた男は、店に入って右奥のソファに座っていた。フロアでは中国人の若い男女がヤオトウを飲んで踊りに夢中になり、男はそれを見ながら酒を飲んでいた。そこに背後から男が近づき、銃口を左斜め上から首筋に向けて一発撃った。四、五十人の客がいたが、銃声で店は大騒ぎになり、撃った男も客も逃げ出した。
撃たれた男は病院に運ばれ、なんとか命は助かった。左鎖骨から入った弾が肺に入っていたので、病院に行くのが遅かったら確実に死んでいただろう」
男は三十二歳で福清市出身。東シナ海に面した福清市はマフィアが多いことで知られる。逃げた男は、山間部の長楽県出身。ここは「密航の里」と呼ばれるくらい海外へ多数の密航者を送り出しており、日本で強盗、窃盗を働く福建人は、この長楽県出身者が多い。
中国では、海外に出て大金を持ち帰った者、あるいは強奪金などで故郷に洋風豪邸を建てた者は、故郷に錦を飾ったことになり、家族、親戚から「海亀」と呼ばれ大歓迎される。産卵期が近づくと、亀は大海原を荒波に揉まれながら生まれ故郷の海岸に上陸する。そこで産み落とされた卵、つまり豪邸が富の象徴になる。長楽県には、そうした出稼ぎ御殿≠ェ周囲の風景とチグハグな形で各所に建っている。また、この長楽県には日本向けのウナギ養殖場、蒲焼き工場があり、いずれにしても日本人とは縁が切れない地域である。
同じ福建省でも、生まれ育った土地によって根深い地域対立があり、それがそのまま日本に持ち込まれる。中でも「犬猿の仲」といわれる典型が、長楽グループと福清グループである。さらに、ややこしいのは、日本上陸後、長楽グループが二つに、福清グループが六つに分派したことだ。マフィアの世界ともなれば、一方がクシャミしたくらいで喧嘩になるほど仲が悪い。しかも発砲事件を引き起こした二人の間にはヤオトウの取引などを巡って利権トラブルがあり、
「長楽の男が福清の男に食われてしまった。それで金を儲けそこなった」
と言われていた。食われたほうが一発逆転を狙うには、食ったほうを抹殺するしかない。手負いにすれば、いずれ自分の命が脅かされるので、頭、首など急所を狙い撃ちにする。中国人の裏社会では当たり前のことで、ディスコクラブ「K」の発砲事件は、起こるべくして起こった。ただし、二人は、怒羅権の勢力に発砲されたグループとは顔見知りではあるが仲間ではなかったらしい。
警官が発砲現場に駆けつけたときは、従業員が一人残っていただけだ。ほかの従業員は客と一緒に姿をくらました。客の全員が逃げ出したのは、ヤオトウ・パーティーの真っ最中に事件が起きたこともあるが、そのほかに別の悪事に手を染めているなど、それぞれに弱みがあったからだろう。警察の事情聴取を受けることになれば、それが暴き出される恐れがある。
ミカジメ料は月三万から百五十万円[#「ミカジメ料は月三万から百五十万円」はゴシック体]
「K」には警官に平気で銃口を向けるような悪党が数多く出入りしていた。警察沙汰にせず、内々に処理された暴力行為が店内で何度も起きていた。だから店を守るためには、どうしても用心棒が必要になる。経営者は、その役割を怒羅権の関係者に任せたのである。
「経営者が台湾人なら、台湾マフィアに任せればいいじゃないか」
歌舞伎町の裏事情を知らない日本人からは、そんな声も出てくる。だが今の歌舞伎町には、凶悪な福建マフィアに対抗できる台湾マフィアは一人もいない。
用心棒は、日本のヤクザの間では「ケツ持ち」と呼ばれ、文字どおり店の後ろ盾になる。ほかの代紋のヤクザが店で暴れたり、客と料金トラブルが起きたりすると、電話一本で真っ先に駆けつけて騒ぎを収めるのがケツ持ちの役割だ。その代わり、店からミカジメ料と称する一定金額を毎月徴収する。中には一年分一括払いのケースがあり、この場合は、生命保険料の「年払い」と同じく一月分が割安になる。銀行振込や手形は記録が残るため問題外で、すべて現金手渡しが原則だ。九二年施行の暴力団対策法によって、徴収側はもちろん、払う側も処罰対象になった。だが現実的には、それが今もヤクザのシノギ(経済活動)の一つになっており、資金源の中心である。
ミカジメ料は、店によって金額にばらつきがある。一般の居酒屋、スナックなどは月に三万円前後。料金トラブルが起きやすいキャバクラや怪しげな風俗店になると、十万円を超える。
中には月々のミカジメ料とは別に、盆暮れの二度にわたって、一カ月分の五倍、あるいは十倍の金額を一括して払わされる店もある。中元、歳暮代わりである。警察の目が厳しく、巨額の金が動く地下カジノの場合は、百五十万円を下らない。ヤクザにとってリスクが大きく、出番が多くなりそうな店ほど金額が高くなる。
一方で、売上げ減少を理由に三万円を一万円に値切ったり、支払いを全面停止した店も多い。脅しが入れば、警察にすぐに通報する強気な店が増えているし、ヤクザもうかつな動きはできなくなっている。
これまで歌舞伎町を陰で支配してきたのはヤクザであり、ミカジメ料の徴収は、半世紀以上も前から地元ヤクザの既得権だった。それは今も変わらず、日本人経営の店からだけでなく、中国人、台湾人経営の店からも徴収する。すべての店が徴収に応じるわけではないが、三万円から五万円が相場である。
怒羅権の関係者がディスコクラブ「K」から受け取っていたミカジメ料は、月に三十万円。ほかの中国、台湾系の店がヤクザに払っているミカジメ料と比べると、べらぼうに高額である。
「どんな連中が脅しに来ても、どんな連中が店で暴れても、俺たちが命を張って店を守るから」
台湾人の女性経営者は、怒羅権の関係者からそう言われている。
ヤクザが幅を利かせる歌舞伎町で、その既得権に割り込むからには、対抗上、それ相応の組織力と暴力性が要求される。もともと、街でチンピラがのさばるのをヤクザはけっして許してこなかった。ヤクザにとっては、暴走族もチンピラの範疇に入るし、怒羅権の筋がミカジメ料を徴収しているのが耳に入れば、即座に潰しにかかるだろう。だが、どういうわけか、ヤクザが実力行使に出たという話は聞かない。
膨張する「怒羅権」の勢力[#「膨張する「怒羅権」の勢力」はゴシック体]
怒羅権が店のケツ持ちになるケースが、都内の盛り場で少しずつだが増えている。歌舞伎町だけでもディスコクラブ「K」のほかに約二十軒ある。中国系の店で客どうしの喧嘩があったりすると、ヤクザよりも先に駆けつける。神出鬼没で行動力があり、その活動範囲は都内だけでなく関東全域に広がりつつある。ここでいう怒羅権とは、現役メンバーだけではなく、元メンバー、それと繋がりが深い周辺関係者を含む総体を指している。
歌舞伎町のさる風俗関係者が打ち明ける。
「自分がよく知っている店で客の入りが非常にいいキャバクラがあった。経営者は日本人と結婚している台湾人だが、キャバクラ嬢の中には中国人の女が何人もいたね。それが閉店するハメになった。店が怒羅権の関係者から『店の面倒見てやる』と言われ、金を要求されたからだ。断わると、しつこい嫌がらせを受け、大勢で押しかけてくるから営業どころではなくなる。経営者が台湾人でも、キャバクラ嬢が中国人以外だったら、問題は起きなかった。
この店のバックには大きな暴力団の系列組織がついていたのに、ヤクザは怒羅権に対して何もできなかった。代紋違いのヤクザに店を荒らされ、話がつかない場合は、拳銃をぶっ放すか、ナイフで刺すか、普通なら抗争に発展して死人が出ることだってありますよ。それがなぜか、ヤクザのほうが引き下がってしまうのだから、なんとも不思議でならなかった」
キャバクラ側は仕方なく怒羅権の要求を受け入れ、金を出すことになった。ところが、その要求額が次第に吊り上げられ、経営者はついに嫌気がさして店を閉じてしまった。
風俗関係者は、呆れ果てた顔で「まだ先がある」と言って話を続けた。
「同じ場所に、今度は中国出身の女性オーナーが中国エステを開いた。エステ嬢は中国人がほとんどだった。怒羅権はこのエステにも『面倒見てやるから金を出してくれ』と言ってきた。断わると、ドアを壊すなどの悪さを仕掛けてきた。オーナーは困り果て、『このままでは店をやっていくのが難しい』とこぼしていましたよ。
あちこちに相談していると、たまたまオーナーの友人の息子が怒羅権のメンバーと知り合いであることがわかった。そのルートで怒羅権と話をつけたため、その後は何とか難を逃れることができた。でも、まったく金を出さないわけにはいかない。ほかの中国エステからは月に十万円以上集めているらしいが、その店は半額で済んでいる」
JR総武線沿線のある中国エステでは、店長が街頭でチラシを配布していたところ、怒羅権の関係者から「俺たちに無断で配るな。配るなら金を払わないとダメだ」と脅されている。開店したばかりだが、ここも経営者は中国人である。
ある指定暴力団の三次団体の組長は、「まあ、今のところは模様眺めだな」と前置きして、次のように胸のうちを明かした。
「中国系の新しい店は、日本のヤクザが守代(ミカジメ料)を要求しても、突っぱねてくるケースが多くなってきた。暴対法(暴力団対策法)で徴収、支払いが禁止されているのを知っている。それでヤクザの弱みを見透かしている。怒羅権が中国系の店からミカジメを取り立てるのは、周辺に縄張りを持つ、俺たちヤクザに対する当て付けだ。ヤクザにはできないが、俺たちなら徴収できる、そう言いたいんだ。自分らの力を見せつけるのが狙いだ。中国、台湾系の店にヤクザは手を出すな、そうした店は俺たち怒羅権に任せてくれ、というのが連中の言い分だ。
のさばりすぎてヤクザの顔をつぶすようなことがあれば、それなりに手を打たなきゃならんが、連中が中国人の店から世話賃を取るぶんには、ヤクザもそんなに神経質になることはない。連中の体には中国人の血が半分流れているんだからね。だが日本人経営の店に手を出すようなら黙っちゃいられないな。ちょっとでも反抗したら、ぶっつぶすしかない。組織を挙げてね」
ヤクザの面子も丸つぶれ[#「ヤクザの面子も丸つぶれ」はゴシック体]
一時期、二十代前半の若者が歌舞伎町取材に同行していた。特にメディアの仕事に関係しているわけではなく、
「どんな街か、歌舞伎町を見てみたい」
と言うので、軽い気持で連れ歩くことになった。あるとき、若者がこんな素朴な質問をぶつけてきた。
「ヤクザが仕切っている街で、どうして暴走族が用心棒になれるんですか?」
私はこう答えた。
「ヤクザにとって扱いづらい連中だからだ。ヤクザは代紋を背負って生きている。家紋みたいなものだ。組織が大きければ、それだけ代紋に威力が出てくる。代紋を刷り込んだ名刺を見せられれば、一般の人は脅威を感じるはずだ。代紋は親分の顔と同じだ。それに泥を塗るようなマネはできない。だからヤクザは代紋に縛られ勝手に動けないこともある。だが連中はそんなことにお構いなしに自由に動ける。そこが強みだ。裏では、ヤクザも把握できない、得体の知れない中国系のアウトロー集団と繋がっている。だからヤクザもうかつなマネはできない。見て見ぬふりをしているのは、連中が不気味だからだろう」
ヤクザが持て余した、こんな事例がある。
九〇年代後半のことだ。さる怒羅権の関係者が打ち明けた。
「外部には初めて話すことだ。都内のある店で、メンバー数人が酒を飲んでいたとき、居合わせたヤクザから大声を出された。『てめえら、どこの人間だ!』とね。それでヤクザを殴ったら、仲間が二十人ほど押しかけてきた。人数が多いから、こっちはいったん逃げた。それから仲間を百人以上集めて現場に戻り、店が入っているビルを取り囲んだ。青龍刀とか拳銃を用意してね。拳銃は中国製のトカレフだ。ヤクザは店から出られなくなった。それで屋上に逃げたりしたが、最後は全員がビルの二階から飛び降りて逃げてしまった。裏手のほうからね。それ以上は追わなかった。ヤクザにも面子《メンツ》があるからね」
すでに武装化が進み、その脅威がヤクザ社会に伝わっていった。
ほかにもヤクザの面子が丸つぶれになった事例がある。三大組織の一つに数えられる指定暴力団の中堅幹部が、「メンバーの姉を手込めにした」という理由で怒羅権に狙われ、しばらく追い回された。幹部が属する二次団体は、組織全体の中でも武闘派≠ニして知られ、これまでも何度か大きな抗争事件に関わっている。その気になれば、どんな暴走族だろうが、あっさり叩き伏せられるはずだ。
しかし結末は私の予想外だった。最後は逃げ切れなくなり警察に飛び込んだ。幹部が助けを求めたのは、かつて自分を逮捕した警視庁の刑事だった。ヤクザがそこまで追い詰められるとは尋常なことではない。
さる警視庁関係者が苦笑いを浮かべながら話した。
「ほかの代紋に縄張りを荒らされたとか、喧嘩を売られたとか、ちゃんとした大義があれば、ヤクザだから当然、組織で対抗するだろう。だが暴走族の姉を手込めにしたとか、そんな個人的なことでは組を動かせない。それも相手はヤクザではない若者集団だ。中堅幹部が、そんな連中に手を焼いていると言ったら、恐らく組内で笑い者にされただろう。だから警察に保護を求めるしかなかった」
警視庁も怒羅権の解体を目指して、これまでメンバーの検挙に力を入れてきた。
「ほかの暴走族と比べて、怒羅権の構成員は仲間どうしの結束力が極めて強いのが特徴だ。検挙しても仲間に関することは一切話さないからね。警察に対しては徹底して反抗する。とにかく凶暴で比類のない無法集団だ。初期の構成員は、今は三十代後半になっている。たまに仲間割れの情報が入るが、全体的に横にも縦にも協力関係は強いね。
父親か母親のどちらかが中国人の血を引いているが、考え方は中国人だね。相手が警察だろうがヤクザだろうが、日本人に支配されたり、命令されることを非常に嫌う。日本のヤクザが言う義理、人情なんて通じない。だから、これまで何度もヤクザと衝突してきた」
九九年十二月に、俳優の布施博が東京・江戸川区内の路上で頭などに全治十日間のケガを負わされた。四カ月後に二十二歳と三十歳の土木作業員ら二人が逮捕されたが、二人はともに中国籍で怒羅権のメンバーだった。怒羅権を構成する残留孤児二、三世の中には、日本に帰化せず、永住権だけ取得して国籍をそのままにしておく者もいる。
メンバーは、強盗、窃盗、恐喝、監禁、傷害などの常習犯が多く、窃盗の中でも特に多いのが自販機荒らしだ。オヤジ狩りの被害に遭った人も多数いる。
現在のメンバーは、中国籍の男をリーダーに五百人前後。メンバーと交遊関係にある準構成員的な者、これに元メンバーを加えると、怒羅権の潜在総勢力は数千人に及ぶといわれる。
関東一都六県で活動しており、十代半ばのメンバーも数多いが、これまで中核を成してきたのは十代後半から二十代前半の若者だ。中国人の犯罪集団と併せて、「日本の治安を悪化させた元凶の一つ」と警察筋から糾弾されている。
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大偉《ターウエイ》と呼ばれる男
二〇〇一年春のことである。江東区内のある式場で、中国残留孤児二世の結婚披露宴が開かれた。新郎は、かつて怒羅権《ドラゴン》の幹部の地位にあった。新郎新婦は紋付袴と文金高島田で、二人の門出を祝うために怒羅権の関係者だけでなく大勢の中国人が駆けつけた。その中に「老大《ラオタイ》」、「老板《ラオパン》」と呼ばれる百数十人の中国人の姿があった。
老大は中国語で「親分」、老板は「親方」の意味だ。老大は中国では文字どおりマフィアのボスを指し、工頭《コントウ》の頭玉などが老板と呼ばれる。工頭は、日本で土建現場や産業廃棄物処理場などに密入国、不法滞在の中国人を斡旋する中国人の手配師である。
そうした老大、老板が日本で百五十人も一堂に会することは、めったにあることではない。老大、老板の中には、不法滞在や犯罪に加担しているケースがあり、おおっぴらに顔を見せることができないからだ。それが結婚披露宴で実現できたのは、新郎が日頃から中国人の裏社会と深い繋がりがあったからにほかならない。それだけの繋がりを維持するのは、怒羅権の関係者でもなければ、なかなかできることではない。それができるのは、日本語だけでなく中国語も話せるからだ。
日本で生まれ育った者はともかく、中国生まれの二、三世は、少年時代を中国で過ごしているため、中国語を話せる者が多い。来日時に乳幼児だった者も、親が日本語を話せないから中国語で育てられる。それで中国語を覚え、そのうち就学年齢に達して日本語も話せるようになる。言葉の問題でバカにされたり、イジメを受けていた者も、時が経過するにつれ日本語が達者になる。
日本語、中国語の両方を話せれば、日中双方の裏社会と気脈を通じることもできるし、どちらかが必要とすれば、そのパイプ役を務めることも可能になる。
「俺たちは日本国籍を持っている。だからマフィア、不法滞在者と違って、ビクビクする必要は何もない。日本では黒にも白にも顔が利く。困ったことがあったら相談に乗るから、どんなことでも言ってくれ」
中国クラブや中国エステの関係者に対して、怒羅権の元メンバーがよく言うセリフである。話に出てくる「黒《ヘイ》」は日本のヤクザ、「白《バイ》」は警察関係者のことだ。日本で怒羅権が警察に顔が利くとは到底、思えない。だが中国では、公安、武装警察が黒社会と深く繋がり、金品、女などの提供を受ける見返りにさまざまな便宜を供与することが珍しくない。日本に住んでいる中国人の中には、日本も中国も同じか、と錯覚する者がいる。だから、「警察に顔が利く」と言われれば、それを真に受ける者が出てくる。
また歌舞伎町に拠点を持つ指定暴力団の幹部の一人は、やはり怒羅権の元メンバーからこう言われたことがある。
「中国マフィアは、日本のヤクザとは考え方がぜんぜん違う。金のことでトラブルが起きれば、脅しではなく本気で命を狙ってくる。俺たちは中国語を話せるし、中国マフィアとも付き合いがある。連中のやり方もよくわかる。何か必要なことがあれば、間に立つこともできるし、どうにでも協力できる」
こんなセリフを吐かれれば、それまでの「たかが元暴走族じゃねえか」という見方も修正せざるを得なくなる。
とにかく言葉が大きな武器になっている。中国以外の国に住む中国人も、今は中国公用語の標準北京語を話せる者が多いから、そうした人たちとも自由に意思疎通ができる。ヤクザが及びもつかない多様な牌《パイ》を持っている。
残留孤児の悲劇[#「残留孤児の悲劇」はゴシック体]
怒羅権について考える際、中国残留日本人孤児の問題を抜きにすることはできない。怒羅権が生まれた背景は、残留孤児が置かれた境遇そのものであるからだ。ここで、少し歴史的な経緯を振り返っておこう。
旧ソ連に接する黒龍江、さらに北朝鮮の西に広がる吉林と遼寧の東北三省、それに旧ソ連、モンゴルに接する内蒙古自治区を加えた広大な地域が、戦前は満州国と呼ばれ、実質的に日本の支配下にあった。戦前、日本各地から大勢の満蒙開拓団が渡ったが、それは日本の国策で大陸に送り出された移民だった。ところが、敗戦直前の旧ソ連軍の侵攻で混乱に陥り、厳寒の地に置き去りにされた日本人の子供が数多くいた。
命からがら逃げまどうなか、両親が病気や栄養失調で野垂れ死にし、中国人に拾われた幼児もいた。道端に置き去りにされ、草むらに捨てられた乳児もいた。引き揚げ船に乗り込む前、泣く泣く中国人に我が子を預けた親も多かった。人目に触れず息を引き取った子供も数知れないが、一方で孤児院などで生き延び、また中国人の養父母のもとで成長し、現地で中国人と結婚した者も多い。
そこに生まれた子供は中国籍である。実は怒羅権は、そうした日中混血児、つまり日本人孤児の二世、三世で構成されてきた。
一九四五年の敗戦時に十二歳以下だった日本人が残留孤児と呼ばれる。しかし、その存在を日本政府が公式に認めたのは、終戦から二十七年がたった、七二年の日中国交回復後である。日本政府による残留孤児の訪日調査が始まったのは、さらに九年後の八一年からである。これまで判明した残留孤児の約八割、およそ二千五百人が永住帰国した。
帰国事業が本格化したのは、毛沢東による文化大革命の終焉から数年がたった八〇年代初期からだ。文化大革命は中国全土を巻き込んで六五年から十年にわたって続いた。その間、日本は元侵略国として槍玉にあげられ、紅衛兵の矛先が残留日本人孤児に向けられることもあった。
残留日本人孤児、その子供であることが周囲に知られると、「お前はスパイだ、反中国人民だ」と指弾され、中には大衆の面前で罵倒される者もいた。
「小日本鬼子《シヤオリーベンクエイツ》、早く日本に帰れ!」
都内でスナックを開く残留孤児二世の一人が、中国での幼年期を振り返った。
「鬼の日本人の子は、中国人の敵だ、早く中国から立ち去れ、というわけだ。そんなことを言われても、子供には何のことかわからなかった。文化大革命のとき、たいがいの二世はまだ十歳以下だからね。でも後で事情を知って、すごく頭にきた。母親が鬼と言われたんだからね。中学校に入ったら、今度は歴史の授業で、日本の兵隊が鉄砲で中国人を撃ち殺した、中国人の心臓に銃剣を突き刺した、女、子供も容赦なく殺した、こういうことを延々と教えられる。日本人ほど危険な鬼はいない、子供はそう受け取るよ。それからクラス全員が、『日本の帝国主義を打ち倒せ!』と大声で言わされる。
中学生になったとき、母親から『お母さんは日本人だ』と知らされ、どうして中国にいることになったのか、いろいろと事情を教えてもらった。そのときは心にグサッときたし、母親がかわいそうになって涙が止まらなかった。それから中国がだんだん嫌になってきたのを覚えている」
帰国した残留孤児は、中国人配偶者を残してきた者もいたが、多くは家族を伴っていた。都内には、江戸川区の荒川近くに開設された常盤寮など、家族を受け入れる短期滞在の施設があった。その後、身寄りがない孤児の家族が、周辺地域に散りぢりになっていく。施設に頼らなかった家族の住まいも都内では江戸川、江東、墨田、葛飾、足立区に集中した。理由は、低家賃のアパートが多かったからにほかならない。
帰国孤児が定着したのは、都内だけではない。肉親の地縁、血縁を求めて全国各地に散らばった。孤児の帰国費用は国費でまかなった。
豊かさを期待して帰国したはずが、その夢は打ち砕かれた。年老いても親、兄弟が健在なら救われたが、多くの家族が孤立感のなかで生活苦に襲われていく。いくら日本人といっても、帰国したばかりで中国語以外は話せない。言葉のギャップなどから帰国孤児の就労率は三割前後、そして七割近くが生活保護を受ける事態に陥っていく。また、生活習慣の違いから、日本の社会になかなか馴染めない。近所に住む日本人との付き合いも億劫になり、家に閉じこもりがちになる。
永住帰国した残留孤児は全員が六十歳以上と高齢化が進んでいる。帰国した約二千五百人のうち八割以上の二千百人近くが原告となり、国を相手に「戦後、帰国の機会を奪われた。帰国しても国は十分な自立支援策を怠った」と訴え、一人当たり三千三百万円の国家賠償を求めて各地で集団訴訟を起こしている。だが〇五年七月に全国で初めて出た大阪地裁での判決は、訴えを棄却するものだった。
帰国後の日本語教育や職業訓練、就職斡旋など、国は、残留孤児とその家族に対して自立支援の義務があったはずだが、それを十分果たさなかった。
「俺たちは虐げられてきた」
特に十代で日本に来た二世メンバーの意識の中には、そうした強烈な思いが詰まっている。そうした境遇にいた仲間たちが結束を固めるために集団化したのが、今の怒羅権に至っている。怒羅権は、いわば国の無策が生んだ徒花《あだばな》ともいえるのだ。
八八年の結成当初は、江戸川区が活動拠点になり、初代リーダーは、文化大革命の真っ只中、七〇年に中国東北部で生まれた当時十八歳の男だった。
最初は、暴走や犯罪が目的の集団ではなく、あくまでも日本人から受けた差別やイジメの内容を互いに打ち明けたり、悩み事を相談し合う集まりだった。それがさまざまな外圧を受けて秘密結社化していった。
結成時に集まった怒羅権のメンバーは約六十人。その二年後、怒羅権がますます結束を強める事件が江戸川区で起きた。
九〇年八月二十六日、メンバーの一人が、指定暴力団住吉会の組員に殺害された。以来、その命日には毎年、追悼集会が開かれてきた。仲間が殺されたことでヤクザに対する警戒心、対抗心が激しさを増し、周辺地域の不良化した二世、三世を吸収し、怒羅権は急激に膨張する。正式メンバーだけで二千人近くに達した時期もあった。帰国孤児の子女を中心にした「美龍」という女子暴走族が親衛隊として結成されたりもした。以降、怒羅権は次第に関東全体に広域化し、最強、最悪、最大の暴走族となる。
ほかの暴走族、不良グループは、その恐怖イメージがチャイニーズ・マフィアと重なることから、怒羅権を「チャイニーズ・ドラゴン」と呼んで恐れるようになる。恐れは、いつしか強い集団への憧れに転じ、ついに日本人や在日韓国人の子弟などもメンバーに加わるようになった。
日中「闇のパイプ役」[#「日中「闇のパイプ役」」はゴシック体]
ある残留孤児二世の男性が話した。かつて新宿駅近くの中国料理店に勤めていたが、今は独立して東京の下町で小さな居酒屋を経営している。
「自分は怒羅権と関係ないが、元メンバーは何人も知っている。話を聞くと、かなりヤバイことに手を出している奴がいたね。言葉ができるから、中国、香港、台湾などのマフィアとも付き合いがあって、連中が日本のヤクザと秘密の話し合いをするときは、元メンバーが通訳をやることがある。拳銃や麻薬取引の話も出るらしいが、それだけ両方から信用されているということだね」
男性は、怒羅権の元メンバーの一人から、こんな話も聞かされている。
「日本に住む中国人の男から頼まれ、その仲間の中国人四、五人を盗みの現場に案内したことがあったらしい。現場は国立市(東京都)と言っていた。窃盗団が用意した車は盗難車で、現場に向かう前にプリペイド式の携帯電話、盗みに入る家の住所、それに家とその前の通りを撮ったカラー写真を渡されたそうだ。事前にきっちり調査しているから、大金があると踏んでの犯行だ。真っ昼間だったらしい。
現場に着く直前、実行犯の一人と携帯電話をつなぐと、盗みが終わるまで通話状態にしておき、近くに止めた車の中から外の様子を実況中継したそうだ。相手から『誰か来ないか? 何か問題はないか?』とひっきりなしに聞かれ、ホトホト疲れたそうだ。要するに見張り役をやらされたわけだ。
連中がどの程度の金額を盗んだかは聞かされていないが、貰った報酬は三万円だったそうだ。そんな金のために共犯で捕まって刑務所に入れられたら、バカをみるのは本人だ。親も悲しむだろうし、友達から笑い者にされるだろう。それで俺は『喧嘩は仕方ないけど、強盗や窃盗には関わるな』と言ってやった。こんなことに残留孤児二世が関わるのは残念でならないよ」
茨城県に三百数十人の中国人密入国者が上陸した事件がある。その際、密航ネットワーク「蛇頭」に協力を頼まれ、密入国者の受け入れ、監視役を果たしたのが、関東在住の残留孤児二世だった。
残留孤児の二世、三世が日中犯罪網の闇のパイプ役になっているケースは多々あるが、重宝されるのは言葉だけではない。帰化した二世は、たとえ逮捕されても、中国へ強制送還されるようなことはない。車の免許証も自由に持てるし、警察の職務質問や一斉検問に引っかかった場合、中国人よりは怪しまれずに済む。だから中国人の犯罪集団から運転、道案内を頼まれる。
先の居酒屋経営者は、怒羅権の関係者と付き合いがあっても、一緒になって悪さをすることはなかった。その分かれ目は、置かれた境遇の違いが大きく影響している。その境遇も自分がもたらしたものではなく、いわば運命のようなものだ。そうした個人の運命が日本の治安に関わってくるのだから、残留孤児の問題は深刻である。
男性が両親、姉二人と日本に来たのは、文化大革命が終わって四年後の七九年。母が残留孤児で、中国人の養父母は、日本統治時代から日本人と付き合いがあった親日家である。それを知っていた祖父母が、一歳十カ月の母を預け、日本に引き揚げた。養父母は、北朝鮮に隣接する遼寧省で母を大事に育て、やがて自分の息子と結婚させた。
七二年に日中の国交が正常化されると、母の両親と養父母が手紙のやり取りを始めていたので、訪日による身元調査の必要もなく、すんなり日本に来ることができた。中国人の父は中国籍のままだが、配偶者としての定住資格を持ち、日本、中国を行ったり来たりしている。養父はすでに亡くなったが、母を我が子のように育てた養母は中国にまだ健在で、父にとっては実の母親である。
「文化大革命が起きたのは、母が二十代初めのときで、革命が終わったら三十代になっていた。俺はまだ生まれていなかったが、姉は二人とも五歳未満だった。母に聞くと、文化大革命の際、これといって嫌な思いをしたことは一度もなかったらしい。養父母と親戚がうまく守ってくれたようだ。
俺は恵まれていたんだね。二歳で日本に来て、四年ほど母の実家に世話になったから、差別、イジメには縁がなかった。だから怒羅権に入らずに済んだ。日本のおじいちゃん、おばあちゃんのおかげで日本語を自然に覚えたし、知っている中国語といえば、ニイハオ≠ョらいだ。父も『お前は、死ぬまで日本で生活しなければならない。だから中国語を話せなくても何も問題はない』と言うしね。俺と話すときは、父は片言の日本語だ。細かい話をするときは、日本語がペラペラになった母が通訳になる。いくら二世でも、中国語ができない俺は、中国人には何の役にも立たないね」
残留孤児二、三世のすべてが、こんな境遇に置かれていたなら、おそらく怒羅権は生まれなかっただろう。
居酒屋経営者は、最後は表情を曇らした。
「年に一度、東京周辺に住む残留孤児二世の集まりが都内である。そんなに多くないけど、怒羅権の元メンバーも顔を出しますよ。そのとき、俺は恐喝で捕まった、こいつは暴行傷害で捕まった、あいつは盗みで捕まった、そんな話が次々と出てくる。嫌な気持になりますよ。
二歳で日本に来たから、俺自身は中国にあまり愛着がない。しかし、中国で生まれた同じ大地の子として、仲間意識というか、連帯感みたいなものがある。怒羅権の仲間は、それが俺の何百倍も強いということだ。帰化した二世の中には、国籍は日本人、でも中身は中国人だ、そう思っている人が多いね。『帰化したのが失敗だった』と言う人もいる。日本での生活がうまくいかないと、どうしても日本、日本人に対して反感が出てくる。中国人の犯罪グループと繋がるのは、そういう人が多いね」
「大偉」の告白[#「「大偉」の告白」はゴシック体]
歌舞伎町に限ったことではない。都内の盛り場を取材していると、中国人の間から「大偉《ターウエイ》」、「小偉《シヤオウエイ》」という二人の男の名前が出てくる。どうやら通称らしい。話す人の出身地によって微妙に発音が違うが、中国人の裏社会には「ターウエイ」の通称を持つ男がほかに三人いる。いずれも中国語では「大偉」と書き表す。三人は、北京、上海、福建省の出身で、都内だけでなく神奈川県の横浜、川崎などにも出没する。だが、ここで中国人が話題にする大偉とは、この三人ではなく中国東北部出身の男である。
国内に蠢く中国マフィアも一目置く存在で、大偉、小偉は実の兄弟と伝えられる。兄弟はJR総武線沿線に勢力を張り、特に兄の大偉は「中国マフィアのボス」、また中国東北部を出自とする「東北《トンペイ》マフィアの顔役」という情報も流れていた。一方で「怒羅権の陰のボス」とされている。中国人には本名はおろか、素性もほとんど掴めていない謎の人物である。
取材を進めると、中国残留孤児二世、三世の間に隠然たる力を持つ人物であることがわかってきた。〇四年三月、この大偉に取材する機会があった。
総武線沿線のとある中国料理店で初めて顔を合わせたが、この店の経営者は実は大偉の実姉だった。私は、この店に偶然にも開店当初からちょくちょく立ち寄り、姉と中国人の店長とも顔見知りだった。怒羅権に影響力を持つ弟がいることは途中で知ったが、それが大偉であるとは、しばらく見当もつかなかった。
それまでの情報から浮かび上がった人物像は、猛々しく近寄り難い男、それに尽きたが、しかし真向かいに座った大偉の印象は、こちらが気圧されるほどのものではなかった。雰囲気に凄味があるのは確かだが、だからといって顔つき、目つきが特に険悪というわけではない。
身長約百七十センチ。体つきはがっしりしている。中国語が使えないもどかしさがあるのか、大偉は日本語の会話に詰まると、右手で短髪の頭を撫でながら間を取り、私の質問には率直に答えた。
「大偉という名前は、日本に来てから中国人と付き合うときに使っている。本名ではない。日本に来るまでは大威が本名だった。日本国籍を取ってからは、佐藤威夫が本名だ。二歳年下の小偉も中国人向けの通称だ。中国人は、佐藤威夫という私の日本名を知らないし、今でも同じ中国籍の人間だと思っている。私が残留孤児の二世ということも知らないはずだ」
自ら本名を明かした佐藤威夫氏は、一九六六年七月生まれ。黒龍江省出身で、父が中国人、母が残留日本人孤児である。父は現在、五十代後半で母は三歳年下だ。父は中国共産党の地方幹部で文化局の局長職、母は生活雑貨を扱う国有会社で会計係を務めていた。経済的には恵まれた家庭に育った。文化大革命の際、一家が大した迫害に遭わずに済んだのは、父が地元の有力者だったからだ。父は中国籍だが日本の永住権を取得したため、中国共産党の内規に従って離党している。
佐藤氏は、「勉強が嫌いだった」ため高校には進学せず、十七歳のときに人民解放軍に入隊し、旧ソ連との国境地帯にある陸軍基地に配属された。母が外国人のため、本来なら入隊試験も受けられないが、それができたのも党員活動歴が長い父の力によるものだった。ところが一年後、上官を殴ってケガを負わせ、強制除隊の処分を受ける。少年時代から腕力が強く、そのうえ少林寺拳法を習っていたこともあって、
「相手が十人でも喧嘩に負けたことがない。私に殴られた相手の親が、うちの両親に慰謝料を要求してきたことが何度もあったね」
と少年時代を振り返る。ただし、自分から喧嘩を売るようなことはせず、
「お前の母さんは中国人でなく日本人だ。お前、知ってんのか?」
と、からかわれたりすると、相手が先輩でも殴りかかったという。
「日本に来たのは八六年三月だから、二十歳になる四カ月前だね。父から『喧嘩ばかりして、お前は困ったものだ。このまま中国にいたら、そのうち刑務所行きになる。日本へ行けば、お前を相手にする人は誰もいないはずだ。日本語が話せないから、喧嘩もできないだろう。だから母さんと一緒に日本に行け』と言われた。でも逆の結果になった。日本語ができないから日本人にバカにされ、中国にいるときより喧嘩が多くなってしまった」
大家族のような組織[#「大家族のような組織」はゴシック体]
母は四十代半ばで日本に永住帰国。母のほかに姉夫婦と子供一人、弟夫婦、それに自分を含めた計七人で成田に降り立った。母の姉も残留孤児で、その伯母夫婦と子供四人がすでに日本に来ていた。東京・葛飾区内のアパートに住んでいたので、そこに身を寄せた。六畳二間に計十三人で暮らしたが、これが佐藤氏の日本での出発点だった。
怒羅権が結成されるのは、それから二年後の八八年である。結論を先にいえば、佐藤氏が怒羅権のメンバーになったことは一度もないが、怒羅権と浅からぬ関係にあったことは事実だ。来日後の自分の仕事に触れながら、怒羅権と繋がりができた経緯を明かした。
「日本に着いて三日目から、公園やトイレを掃除する仕事を始めた。人民解放軍にいたときの月給は日本円にして百数十円。それが日本では一日四千九百円になった。そのうち、日本人の社長から頼まれて現場の監督役になった。でも、もっと金を稼ぎたかったので掃除の仕事は一年半でやめた。それから自動車免許を取って、家具や家電製品を運ぶトラック運転手になった。最初は四トン車だったが、次は十二トン車で鉄骨、鉄筋を運搬した。掃除の仕事は月に十五万円弱、四トン車は二十七万円、十二トン車は五十万円近くになった。日本がいちばん景気がいいときだったね。
そして二十三歳のとき、中国にいる父親から五百万円を借り、友達と二人で貿易会社を設立した。有限会社だった。それで土木機械、車のエンジン、タイヤ、テレビ、洗濯機などを中国へどんどん輸出した。どれもこれも中古だから仕入れはタダみたいなものだし、これは儲かった」
貿易会社の事務所を置くため、江東区でビルの二階から四階まで借り切り、来日四年後の九〇年には、その二階にスナックを開き、月の売上げが千三百万円になったこともある。ママもホステスもすべて中国人だった。
多くの残留孤児が生活苦に陥っている中で、佐藤氏には経済的余裕が出てくる。
「怒羅権のメンバーは、どの親も金に困っていた。だから子供が小遣いを親から引き出すことはできないし、また働ける年齢になっても仕事が見つからない。それでメンバーが私のところに相談に来るようになったので、十万円、二十万円と出してやった。
そうした当時のメンバーが、今は都内のあちこちで店の経営者になっている。今も必要なときは助け合っている。私と実弟、それに私の弟分の一人は、怒羅権のメンバーから『老三弟』と呼ばれるようになった。実弟が二番目、弟分が三番目ということだ。中国語の老≠ノは先輩という意味があり、私は今も周りから兄貴と呼ばれている。仲間はみんな、兄貴、弟分の関係だね。大きな家族のようなものだ。仲間が攻撃されれば、反撃するために全員が集まる。そういった仲間が何千人といるし、私の周りには電話一本で飛んでくる残留孤児の二世、三世が何百人もいるんですよ」
右腕に琥珀の大玉を連ねた数珠をブレスレットのように巻いている。左腕にはブランドものの外国製高級腕時計、その薬指にはプラチナ台に大きなダイヤモンドが輝いている。派手な服装を想像していたのだが、意外にも落ち着いたスーツを着込み、それもノーネクタイだった。
「今の怒羅権は以前のような暴走族ではない。メンバーは、だいたい二十歳になったら、先輩が経営する店で働いている。仕事があれば悪いことに手を出さないからね。怒羅権が日本のヤクザ組織に入るのは禁止されている。山口組、住吉会、稲川会からも誘われたが、私はヤクザにはならない。私がヤクザになれば、周りの人間も入ることになる。中国と日本では、育った環境があまりにも違いすぎる。だから考え方が違うのは当たり前だ。同じ組織で一緒にやることは難しいね。中国は国が広い。自分の主張が強くないと生きられない。それをヤクザが抑えようとすれば内部で喧嘩になるし、組織が壊れてしまう。だがヤクザと付き合うのがダメというわけではない。相手を見ながらだが、自分もヤクザとは付き合いがある。
それに組織の形が複雑だ。日本では一つの組織に親分と呼ばれる人間が何人もいる。二次、三次、四次と何次団体まであるのかわからないが、それぞれに系列組織が数え切れないほどある。その組織のすべてに親分がいる。親分の上に親分がいて、その上にまた親分がいる。親分が何人もいて、これで組織がちゃんと動いているから不思議だね。中国では親分といったら組織に一人だけだ」
中国人や警察関係者の間で「中国マフィアのボス」、「東北マフィアの顔役」と言われていることに対しては、佐藤氏は言下に否定した。
「私はマフィアでもないし、ましてやボスでもない。これまで警察、ヤクザからもマフィアのボス扱いされてきたが、それは嘘だ。前は悪いこともやったが、今はやっていない。私を強盗、窃盗団の黒幕のように言う人がいるらしいが、そんなことは絶対にない。だから逃げ隠れもせず、街を堂々と歩いている。私が出入りしている姉の店の前には、街頭カメラが二台も取り付けられ、それに二十四時間、店の中まで監視されている。私がマフィアなら、そこまでされたら店に行かないですよ。
東京を中心に、関東には本物の中国マフィアが二千人以上いる。私は、そうしたマフィアをたくさん知っているが、連中はもともと悪い人間だ。中国マフィアは金だけが目的で生きている。だから金のためなら人を平気で殺してしまう。私はマフィアではないから、そんなことはとてもできない。中国人の強盗団に殺された日本人がたくさんいる。私は、そういった悪い中国人を日本から叩き出したい、そう思っている」
不正パチンコに関与[#「不正パチンコに関与」はゴシック体]
気張った様子もなく、口ぶりは終始、淡々としている。タバコを吸うときは右手を使わず、左の薬指と中指で挟む。私から目をそらすのは、タバコを吸い込むときだけだ。手首と指が太く、腕力の強さが窺える。
「上海マフィアや福建マフィアが錦糸町(東京・墨田区)に入って来て、自分が知っている中国系の店から金を巻き上げようとした。実際に二、三万円取られた店があった。それで喧嘩になり、相手は百何十人も集まって来て、しかも拳銃を構えている。拳銃には拳銃で対抗するしかない。でも実際には、街に何百人も集まって銃撃戦はできないですからね。同じ中国人でも、福建マフィアは公用語の北京語が満足に話せない。どこかの外国人みたいだ。しまいには、そいつら本物の中国マフィアをすべて追い出した。必要なときは、相手が誰であろうと喧嘩はするんですよ。相手が喧嘩やりたいなら、ああ、いいよ、と受けるんですよ」
佐藤氏は九〇年代初期に、残留孤児の家族や中国人の留学、就学生を支援する目的で「長青藤華人協会」という任意団体を設立し、自ら会長に就任。佐藤氏はすでに日本国籍を取得していたが、この団体は駐日中国大使館に公認されていた。貿易会社と同じフロアに事務所を置き、その真下の従業員寮に生活に困った中国人を無料で宿泊させる一方で、三十万円を上限に無利子で金も貸していた。来日早々、公園、トイレ掃除の仕事を始めてから、わずか数年にして、まとまった金を回せるようになった。
華人協会に冠した「長青藤」は、自分が命名したもので植物の名称。すぐに散ってしまう桜とは対照的に、花が蘭のように長く咲き続けるらしい。協会が長く続くことを願っての命名だったが、そのうち犯罪に関わる中国人が出入りするようになる。
先に佐藤氏が「前は悪いこともやった」と話していたが、その悪いこととは、裏ロム(出玉調整メモリー)や偽造パッキーカードを使った不正パチンコへの関与である。パッキーカードとは、通称パチンコカードのことだ。話を持ち込んできたのは、華人協会に出入りしていた中国人だった。
「資金を出してくれれば、儲けの半分を戻すと言われた。一つの中国人グループに二、三百万円貸すと、連中はそれで台湾製の裏ロムを大量に買い入れる。夜間、あの手この手でパチンコ店に忍び込み、その裏ロムを正規のものと取り換える。そして次の日から、そのパチンコ台に打ち子≠派遣する。そして開店から閉店まで十二時間も打ちっぱなしだ。打ち子には日本人もいたが、たいがいは中国人で時給が千円だった。一人が十万円儲ければ、時給のほかに三万円渡し、残り七万円をグループのリーダーと私が半分ずつ取る。そうした中国人のグループがいくつもあり、それぞれに金を出していたので、これは儲かったね」
次に手を出したのが、パチンコカードの偽造。使用済みのカードを店から大量に集め、開いた穴を特殊な磁気テープで埋めるというものだが、この作業自体は単純で手間賃が一枚当たり二十円だった。だが偽造で最大の難関は、カードに残されている磁気データを狙いどおりに書き替えることだ。そのためにデータ書き替え専用の特殊器械を製作する。
「上海出身で頭が非常に優秀な男がいた。日本の国立大学に留学していた大学院生で、専門がコンピューター技術だった。この人に器械の製作をこっそり頼んだ。一台が完成するまでに二千四百万円かかったね。金は私が出した。それから計六台作ってもらったが、製作費はだんだん安くなり、最後は二百万円だった。
誰が作ったのかわからないが、それまで上海人のグループが使っていた器械は、カードを百枚偽造すると、そのうち半分近くが使いものにならない。店の器械にはじかれてしまうからだ。だが大学院生が作ったものは、不良品が一、二枚しか出ない。当然、こっちのカードに人気が集まってくる。それで関東だけでなく関西からも注文が舞い込み、一日に何万枚も売れた」
当時、パチンコカードには一万円、五千円、三千円と三種類あったが、その偽造カードをそれぞれ二千七百円、千八百円、九百円で売り捌いた。佐藤氏の手元には毎日五百万円以上が転がり込んだ。一方、特殊器械を作った大学院生には、佐藤氏から約四千万円の現金が渡った。大学院生はその後、別の研究成果で博士号を取得して中国へ帰国する。
佐藤氏が不正パチンコに関わったのは、バブル経済が崩壊した直後の九二年から九六年までの四年間。金主として中国人グループに金は出したが、しかし自分が直接動くことはなかった。だから、警察に「何か事情を知らないか?」と訊かれてもシラを切ることができた。
裏ロムや変造・偽造パッキーカードによるパチンコ業界の総被害額は、「七千億円以上」と当時、警察庁が公表したことがある。なぜか、その後はデータが公表されなくなったが、実際の被害額は一兆数千億円といわれた。あまりの被害にカード発行会社が音を上げ、一万円カードは発行中止になったまま現在に至っている。
その黒幕の一人が、実は「大偉」こと佐藤威夫氏だった。その佐藤氏が特に悪びれることもなく、落ち着き払った口調で話を続けた。
「金を出す人間にとっては、黙っていても金がどんどん入ってくるので最高のビジネスだった。でも、それは悪いことだった。今は冷凍、加工食品の輸入、販売をやっている。餃子もその一つで、輸入元は中国。いずれは中国に規模の大きい和牛牧場を持ち、牛肉を日本に輸入しようと思っている。今は、生の中国産牛肉は輸入できないことになっているが、将来は解禁されるだろうしね。ほかにも事業計画はいくつかある。
私が事業を大きくすれば、残留孤児の二世、三世を大勢雇うことができるかもしれない。彼らには正業が必要だ。ちゃんと働ける場所があれば、悪い道に入らないはずだ。私は悪いこともやったが、良いこともやった。いちばんの望みは、社会からイジメ、差別がなくなることですよ」
渡された名刺の肩書(〇四年三月現在)は、NPO法人「全国アジア人権協議会」副理事長にして、同協議会の中国総本部長だった。
古代の大城壁「万里の長城」に絡む事業計画についても語ったが、それは壮大すぎて目が眩むようなものだった。だが、この男なら、それをやりかねない、と感じさせるのが、佐藤氏の何とも不思議なところだ。
「私は何も隠さない。でも、日本人にここまで詳しく話したのは初めてだ」
別れ際、佐藤氏はそう言って、店の外で待機していた若者数人と街の中へ消えていった。
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ボッタクリ被害者にならないために
歌舞伎町と大久保の境目を走る職安通り。新宿公共職業安定所が「ハローワーク新宿歌舞伎町庁舎」に改称されたのは、ずいぶん前のことだ。その近くから歌舞伎町側の路地に入り、居酒屋で熱燗を二合徳利で五本ぐらい飲んだ。そのあと、両側にラブホテルが並ぶ路地に入り、コマ劇場方面へ歩き出したが、この路地には一九九〇年代半ばまでタイやフィリピンなどの街娼がひしめきあっていた。ところが今は、ぽつりぽつりと二十人くらい立っているだけである。街娼は警察の厳しい取締りで関東各地に散り、また本国へ強制送還された者も多い。
この路地を歩くと、どうしても思い起こしてしまう女がいる。それは、日本の病院でエイズ感染が判明したタイ人の街娼である。街娼は感染がわかると売春にますます積極的になり、歌舞伎町だけにとどまらず都内の盛り場を渡り歩くようになった。それまで一時間のショート売春で一万五千円払わせていたのが、二、三千円でホテルに行くようになった。以前と違って客は日本人に限られ、毎日十人近い客を取った。この時点では、エイズはまだ発症していなかったが、コンドームを使わなければ相手が感染する可能性は非常に高い。
「前みたいにコンドームは使わないの。日本の男は生《なま》でやるのが好きなのよ」
あるとき、渋谷の道玄坂近くでバッタリ顔を合わせたが、女は笑いながら言ってきた。一緒に酒を飲んだことは何度もあるが、私自身はセックスの関係は一度もない。それでも女のやっていることが恐ろしくなってきた。
「コンドームを使わないんじゃ、殺人行為と同じだよ。そんなことを続けていたら、日本にエイズ感染者がどんどん増えてしまう。俺が飛行機代を出すから、早く帰国して治療を受けたほうがいい」
私は街娼を見かけるたびに声をかけ、厳しく注意した。しかし、彼女はほとんど聞く耳を持たなかった。私の姿を見ると逃げることもあった。
街娼がタイに帰国したのは、二〇〇二年五月。エイズがすでに発症していたにもかかわらず、帰国間近まで客を取っていた。女は帰国三カ月後に病院で息を引き取った。三十一歳の誕生日を迎えてまもなくだった。帰国前、女が残した一言が忘れられない。
「日本の男に復讐したかったの」
女は来日するにあたって、タイ人ブローカーに渡航手数料名目で三百万円の借金を背負わされた。そして入国後、暴力団関係者に売り飛ばされ、茨城県内のスナックに送り込まれた。そこで客を相手に売春を強要され、同じような店を何軒もタライ回しにされた。そのたびに新たな借金を背負わされ、逃げようとすると顔の形が変わるほど殴られたという。
借金の返済が終わるまでに三年半ほどかかり、二十三歳のとき、歌舞伎町の路地に立ち始めた。エイズ感染がわかったのは、それから一年以上たった九六年夏。その後、六年にわたって日本の男に「復讐」を続けたのである。感染者は相当な数になるだろう。はた迷惑な話だが、同じような復讐心を抱いて売春を行なっているエイズ感染の外国人女性はほかにもいる。外国人の街娼とセックスする際は、コンドームを装着するのが身のためである。ビールと違って生ほど怖いものはない。
ラブホテル街を抜けたあと、コマ劇場の近くでスナックにふらりと入り、ウイスキーの水割りを数杯飲み、さらに熱燗を飲んでから店を出た。時刻は十時を過ぎていた。
歩き出して間もなくである。
「もう帰っちゃうんですか? かわいい子がいるんですよ。見るだけでもいいですから寄ってくださいよ。日本人でも外国人でも好きなほうを選べます。お願いしますよ。飲み放題五千円ポッキリです」
客引きの男は、行く手をさえぎるような体勢で私と並び、ささやくように話しかけてきた。客引きに欠かせないのは何よりも執拗さである。言葉に出して断われば、待ってました、とばかり食い下がってくるし、何も話さないのが最善の撃退法である。私の場合は、訓練のつもりで定期的にボッタクリ店に入ってきた。そのつど、どう対応できるか、自分なりに危機管理を試すのが目的である。
「女の子の顔を見るだけ? それだけじゃつまらないじゃないか」
私の一言で男の顔は馬券でも的中したかのようにゆるんできた。
「いや、ホテルへ連れ出すこともできます。そのへんはどうにでもなりますから心配しないでくださいよ」
法外な料金を要求するボッタクリ行為は都条例で禁止されている。だが相変わらず、ビール一本で十万円以上をふんだくる店があり、百四十万円の請求書を出され、その場に泣き崩れた学生もいる。それでも店側は許してくれない。私立大学の年間授業料に相当する金額である。学生は、銀行の営業が始まる翌朝まで店の更衣室に監禁され、そこから愛媛県の母親に電話で泣きついた。送金された金を朝十時前に引き出したが、そのときまで従業員二人が離れなかったという。
会社の名刺を取り上げられたり、免許証や学生証の住所を押さえられたりするから、どうしても萎縮してしまって警察に足が向かない。歌舞伎町で客が泣き寝入りしたケースは、それこそ数限りなくある。
現状はどうなっているのか──。客引きの男に誘われるまま、歌舞伎町一丁目のミニ・クラブ風の店に入った。
「いらっしゃ〜い!」
若い女性の声ではない。照明が薄暗く、店に入った瞬間、嫌な予感が襲ってきた。奥のボックス席に手招きされたが、私はそれを断わり、入り口に近い手前の席に座った。奥の席は、いざというときに逃げ場がなくなる。
「私ね、雇われママなの」
右側から女がすり寄ってきた。聞いてもいないのに、一見《いちげん》の客に自分のほうから「雇われママ」と言う店はめったにない。ピンクのドレスで着飾り、アイシャドーを引いて若づくりの厚化粧をしているが、年齢は六十歳前後と見受けた。目蓋のたるみは隠せないし、指が細いわりには節々が大きすぎる。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。ママのほかにホステスが三人いたが、どの女性も四十代に入っている。私は、酒席では相手が四十代以上のほうが気分的に落ち着くので、その面では条件が整っている。
四、五本のビール瓶とグラスがいくつも乗ったテーブルが見えたので、直前まで客がいたのだろう。しかし、そのときは、客は私ひとりだった。緑の葉が茶色に変色しつつあるゴムの木の観葉植物が二鉢並んでいたが、店の雰囲気は実に殺風景だ。
私は注文したビールを飲み始めた。ホステスにはウーロン茶のようなものが運ばれてきた。
「いただきま〜す!」
ホステスは三人とも同じものを飲み始めた。ウイスキーの水割りに見せかけたウーロン茶やジュース類を飲むのは、ボッタクリ系の常套手段である。ホステスの一人からグラスを取り上げ、鼻に近づけるとアルコールが入っていないことがわかった。
「ウーロン茶が俺の料金に加算されるなら、金は払わないよ。俺が承諾したわけじゃない。勝手に飲んでいるんだからね。これだけははっきり言っておく」
最初から強く牽制しておかないと、次はオレンジジュース、トマトジュースと飲み続け、それが何十杯にもなる。最後に目が回るのは客のほうだ。
席から離れていたママが割って入ってきた。顔つきが神社のコマ犬を連想させる。
「お客さん、おごってやってくださいよ。私にも一杯、お願いしま〜す」
聞けば、ウーロン茶もジュース類も一杯二千円である。料金をはっきり口に出すだけでもまだマシなほうかと思い、すでに口をつけた一杯ずつは私が料金を払うことにした。
「あなたは厳しいお客さんね。二、三杯ずつ飲ませてくれたっていいじゃないの」
コマ犬顔のママが恨めしそうな表情を浮かべた。客引きの男が、「五千円ポッキリ」と言っていたが、店を出るとき、それが守られるかどうかはわからない。甘い態度を見せれば相手はつけあがり、べらぼうな料金を吹っかけてくる。こんな店で酒を気分よく飲もうというのが間違っている。ママ、ホステスから見ても、私は不機嫌な顔をしていたはずである。ウーロン茶も最初から断わりを入れて飲むなら、私の対応も変わっていた。
私は、店側が狙っていたカモにはまだなっていなかった。ましてやムクドリでもない。ボッタクリ系の店は、盛り場で飲み慣れていない客を「ムクドリ」として大歓迎する。無垢な客と見下している。こういった客が、先の学生のように百四十万円も巻き上げられる。学生に限らないが、狙われたカモ、ムクドリは「タケノコ」とも呼ばれる。皮を一枚ずつ剥がされ、しまいには裸にされてしまうからである。
「しばらく一人で飲ませてくれないか?」
この手の客は最も嫌われる。それなら、どうして、うちのような店に入ってきたの、ママもホステスもそう言いたげな顔をしていた。
包丁男と対決[#「包丁男と対決」はゴシック体]
ビールを飲んでいるうち、私は数年前に歌舞伎町で経験した、あるボッタクリ体験を思い出した。今回の店と同じく、店に足を踏み入れた瞬間、隠微なにおいを感じたものだ。一緒に店に入ったのは、私より二歳上の友人だった。
その店はすでに店名を変えているが、当時は「U」だった。このときの客引きの誘い文句は、「飲み放題一人三千円ポッキリ」だった。三千円で飲めるとは、ハナから思っていない。だが、それでも入ってしまうのは私の好奇心であり、ノゾキ趣味があるからだ。
二人でビールを二本飲んで、請求された金額はなんと八万円だった。歌舞伎町の別の店だったが、前にもビール二本で八万円ということが三、四回あった。あまりにも理不尽な金額だ。この時も店側と言い合いになり、支払う意思がないことをはっきり伝えると、奥の厨房から包丁を手にした二人の男がのっそり出てきた。
その中の一人がドスを利かせた声で言ってきた。
「文句を言いたいのはこっちだ! 女の子が五人もついて、みんながジュース飲んだら八万円でも安いほうだ。それでも文句あるのか? こいつら、歌舞伎町を知らねえみたいだな。払うつもりはないと言ったが、絶対に払わせるぞ!」
二人がにじり寄ってくる。こっちも黙っているわけにはいかない。
「女がジュースを飲んだというが、テーブルのグラスを見てみろ! あれはただの水じゃねえか! 水で金を取るとは、ふざけた店だ。毎晩、こうして客を泣かせているのか? 金はあるが払うもんか!」
相手は刃物で、私と友人は丸腰である。ホステスは全員、店の隅のほうにかたまっている。どうしても納得がいかない。もはや金はどうでもいい。客に対して刃物を出してきた店が許せなくなった。入り口近くにコウモリ傘があったので、最初はそれで対抗しようと思ったが、すぐに諦めた。どさくさのなかで目でも刺してしまったら、私のほうが傷害罪に問われてしまう。ケガはさせたくない。それで私は、近くにあった補助椅子を持ち上げて二人に対抗した。
「こっちが刺されるか、お前らの首が折れるか、どっちかだ!」
チンピラまがいの啖呵を切るのは嫌だが、下手に出れば相手の思うつぼになる。店は四階にあった。椅子の脚を相手の顔に向けたまま、店からエレベーターの前まで後ずさりして、友人をまず逃がした。その際、歌舞伎町交番に届けるよう伝えた。
まもなくして、制服警官が二人駆けつけて来た。警官の勧めもあって、私は店側と交番で話し合うことになった。最終的には十分の一の八千円で互いに譲歩することになった。包丁で脅してきたことに無性に腹が立っていたが、そのことを警察には話さなかった。歌舞伎町にまた顔を出すだろうし、店の前の通りを歩くこともある。恨みを買うことだけは避けたかった。包丁で脅されたと訴えれば、店の二人は即刻、逮捕されていたはずだ。
丸チョコ一万円[#「丸チョコ一万円」はゴシック体]
「これ、食べますか?」
コマ犬顔のママが皿を出してきた。そこには小さな丸いチョコレートが十粒ほどあった。そろそろ店を出ようと思っていたので料金を聞くつもりはなく、首を横に振っただけである。ボッタクリ系は、この丸チョコが安い店で一万円、普通は四、五万円の値段をつける。食べても食べなくても料金を取られることがあるからテーブルに置かせないことだ。ホステスが食べても金は取られる。
その直後、ママが聞いてきた。
「ニュウカン?」
その顔には私に向けた警戒感が漂っていた。「ニュウカン」とは入国管理局のことだ。風貌がそれらしく見えるのか、これまで私は、中国クラブやフィリピン・パブなどで同じことを幾度となく聞かれてきた。そう思われただけで取材が停頓することもあれば、逆にプラスに作用することもある。しかし、日本人から、そんなことを聞かれたことは一度もない。素知らぬ顔でビールを飲み続けていると、ママは同じ言葉をまた出してきた。
「歌舞伎町には不法滞在の外国人が多いから、入管の人が多いのよ。それとも警察?」
ホステスもママに同調するかのように疑いの眼差しを向けてくる。端に座った、そのうちの一人が、最初から作り笑いをするだけで、私の前でまったく口を開いていないことに気づいた。
私はそのホステスを指差し、ママの顔を見ながら冗談を飛ばした。
「入管、警察をそんなに気にするのは、この中に不法滞在者がいるからだろ? 彼女がそうだろ? さっきから一言も話していないもんな。日本語、話せないんだろ?」
「そんなことないですよ。彼女は今日、親知らずを抜いたばかりだから話せないのよ。不法滞在者なんか、うちには一人もいませんよ」
私の冗談にママが真顔で反発してきた。指差されたホステスの顔から作り笑いが消えた。ひょっとしたら、図星なのかもしれないなと思いながら、左側に視線を送ると、レジ・カウンター前に黒っぽいスーツ姿の男が立っている。
しばらく様子を窺ったが、ずっと後ろ向きのままで顔が見えない。様子を見るためにトイレに立ち、レジ・カウンターのすぐ左側を通りすぎた。その際、横顔を覗こうとしたが、男はタイミングよく身を反転させた。トイレから出ると、客席を向いているので背中しか見えない。右手しか見えなかったが、小指が第二関節から欠損していた。組み抜けしていることも考えられるが、ヤクザ筋であることは間違いない。右側を通りすぎたとき、男が私の動きに合わせて向きを変えているのがわかった。席に戻ると、やはり後ろ姿しか見えない。顔が見えないというのは、やはり気味が悪い。
「あの人、従業員?」
私の問いかけに、ママは小声で答えた。
「わかるでしょ? お守りさんよ」
男は店のケツ持ちだった。客引きが店に客を誘い入れると、その情報をケツ持ちのヤクザに伝える仕組みになっている。ヤクザは頃合いを見計らって店に顔を出すのである。顔を出さない場合は、必要に応じて店側が呼び寄せる。
料金トラブルが起こり、客がいつまでも支払いを拒めば、ヤクザは即座にケツ持ちとしての本領を発揮する。男の従業員を置いて一人当たり二十数万円の人件費を払うより、月に十万円のミカジメ料を出してケツ持ちを置いたほうが安上がりに済む。しかも料金トラブルを確実に解決する。最後まで顔を見せなかったのは、どこかの事務所で組長と会った際、そこに居合わせて私と面識がある若い衆だからだろう。そう考えれば、顔を見せたくない気持もよくわかる。
ママに料金を聞くと、一万三千円。客引きが言った「飲み放題五千円ポッキリ」に、ママ、ホステスが飲んだ一杯二千円のウーロン茶を四杯分加えると、一円の誤差もない明朗会計である。明朗すぎて逆に店に悪いことをしたような気持になった。
頼みもしない丸チョコやサキイカ、ピーナッツなどを次々と出され、それに手を出したり、また確かめもせずにウーロン茶、ジュースなどを飲ませていたら、二十万円、三十万円と法外な料金を請求されるのは目に見えている。
私の前でまったく口を開かなかったホステスは、ママが言うには「親知らずを抜いたばかりだから話せない」ということだったが、それが約二カ月後に嘘とわかった。私が思った通り、そのホステスは不法滞在者で、実際に入国管理局に身柄を拘束された。ほとんど日本語が話せない韓国人だった。客引きは「日本人でも外国人でも好きなほうを選べます」と言っていたが、その外国人というのが、この韓国人だったのだろう。
いずれにせよ、私のようなタイプは、ボッタクリ系の店にとっては最悪の客である。〇五年十二月、私は大久保で知り合いの日本人と食事をしたあと、いかにもおとなしそうな二人を伴って、ボッタクリ系の店に向かった。同じような店を三軒続けて訪ねたが、どの店も店長が出てきて入店を断わってきた。
「金は三人で三十万円くらい持っています。わざわざ来たんですから、ビールぐらい飲ませてくれてもいいじゃないですか。料金はきちんと払います」
私は丁寧な言葉遣いで店に入れてくれるよう頼んだが、店長は「うちは会員制ですから」の一点張りだった。本来なら、私ら三人は「飛んで火に入る夏の虫」で店にとっては願ってもない客のはずだが、ほかの二軒も頑として入店を断わってきた。ボッタクリが難しそうな客は、店も嗅覚でわかるのかもしれない。
売春クラブのしくみ[#「売春クラブのしくみ」はゴシック体]
先の店で会計を済ませたあと、区役所通りに出た。今度は断わる間もなく、日本人に混じって中国人の客引きが次から次と寄ってくる。
「かわいい子、たくさんいます。女の子を見るだけ、それでもオーケーよ。見るだけ、どうですか?」
中国人の誘い文句は、どの客引きもほとんど同じである。私は日本人の誘いに乗った。ハウスボトルの飲み放題で料金は一万円。客引きの説明は実に丁寧だった。
「好みのウイスキーやブランデーを別に注文すれば、ボトル代が二万円くらいかかります。そうでなければ、一万円を超えることはありません。ほかにビールを頼めば、中瓶が千円になります。お客さんが勧めるのならともかく、女の子が飲み物をねだることはありません。女の子にジュース類を飲ませれば、一杯千円になります。こちらが言った料金より高く取られたら、この場所にいるので帰りに声をかけてください。私はヤクザではないですけど、指を詰めてもいいですよ」
この客引きとは、その後も何度か会った。二人で軽く酒を飲んだこともある。男は中堅会社の元証券マンで、不倫関係にあった部下の女性が別れ話から自殺未遂を起こしたことが退職につながった。子供が二人いたが、結局は離婚することになり、歌舞伎町の路上に生活の糧を求めることになった。まだ四十歳前である。
「中学時代の同級生が、歌舞伎町でいっぱしのヤクザになっていましてね。久しぶりに会ったら、『お前の年齢で便所掃除は嫌だろ。今はシノギが大変だから、ヤクザの世界には絶対に首を突っ込むな』と言われてね。最初からヤクザになる気は毛頭なかったが、成り行きでキャッチ(客引き)になってしまった。何かトラブルに巻き込まれたときは、同級生がいるので心強いですよ。キャッチを始めてまだ五カ月だけど、こんな仕事、何年もやるつもりはない。いずれ歌舞伎町に自分の店を出すつもりですよ。
自分に入ってくる金は、客と約束した金額の半分。月曜日から水曜日までは厳しい。一万円以下のこともある。木曜日になると気が緩んでくるのか、客が多くなる。稼ぎどきは、金、土、日ですね。五、六万円になることもある。まあ、今は修行のつもりでやっている」
歌舞伎町には、さまざまな人生の縮図が詰まっている。
この客引きの案内で私が最初に入ったのは、区役所通りに面したビルの地階にある中国クラブだった。店内を見渡した瞬間、私は目を疑った。周辺の居酒屋が不況の影響でガラ空きだというのに、この店はスーツ姿で満席状態。その理由はすぐにわかった。女の子の連れ出しが自由にできる売春クラブだった。性欲だけは不況を飛び越えるのである。
「私、あなたとホテルへ行きたい。ホテルへ行かないと、私には今日、お金が一円も入らない。お店は私たちにお金払わない。一生懸命サービスしますからホテルへ行きましょうよ。ねえ、お願いします。私、お金ないの。助けてください」
左側に座った中国人ホステスは、入店してまだ十分もたっていないのに、売春を持ちかけてきた。どの席でも同じような会話が交わされているのだろう。私にその気がないことを告げると、ホステスの顔は急にこわばり、それ以上の会話は続かなかった。私のほうも興ざめして酒を飲む気がなくなった。ホステスはすぐに席を立ち、別の客を物色するため店内をしばらくウロウロしていた。そのうちにホステスが入れ替わったが、やはり十分もすると先のホステスと同じようなことを言ってきた。最初に席についたのは、雲南省出身者で、次は台湾人だった。
台湾人にもその気がないことを伝えると、今度は薄紫色のスーツを着た女性が、テーブルを挟んで私の正面に腰をおろした。
「この店のママです」
女性は笑顔を浮かべながら名刺を渡してきた。客引きが連れてきた客には、いちいちテーブルを回って挨拶をすることになっている。
「あれっ、ママとは七、八年前、近くの店で会ったことがあるな。台湾クラブの『M』という店にいたんだよね?」
ママも私のことをすぐに思い出した。
「ああ、東《ひがし》さんね。女の子は中国語でトンさんと呼んでいたわよね」
外国人に「吾妻」と説明するのが億劫になり、私は途中から「東《あづま》」と名乗った。それがいつしか「ヒガシ」、あるいは「トン」と呼ばれるようになった。
ママがいた台湾クラブ「M」は、やはり区役所通りに面したビルの地下一階にあり、客に台湾マフィアの関係者が多かった。店の経営者はママも兼ねた台湾人だったが、そのうち経営難に陥り、そこで日本のある暴力団関係者が運転資金を出して共同経営の形になった。そのうち酒に酔った台湾マフィアが店内で暴力沙汰を起こしたり、店が管理売春で摘発されたりとトラブルに見舞われ、九〇年代半ばに閉店に追い込まれた。
その店で売春ホステスの一人として働いていたのが、目の前のスーツ姿のママだった。小柄なわりには豊満な体つきで、しかも愛想がいい。日本人にもてるタイプである。まだ三十代前半と若いが、今も性懲りもなく売春クラブに関わっている。どんな形であれ、当時の台湾人ホステスの中では、数少い勝ち組の一人と言えよう。ほとんどが大陸出身のホステスに押し出されるように日本を去ったからだ。
「あのころの話は思い出したくないわね。当時のお客さんから、『今夜、ホテルに行こう』と誘われるけど、今はできないわ。だって、彼氏がいるもの。スポンサーです。この店を出すとき、千六百万円出してくれた。会社の社長さんなの。どんな会社かって? 建築資材を製造している。東京の人ではない。でも東京からすぐ近くに住んでいる」
「その社長さん、何歳なの?」
「六十七歳」
「そんなトシで大丈夫なの?」
「セックスのこと? 社長さん、いつもバイアグラ持っている。元気すぎて私のほうが疲れるよ」
ママは相変わらず売春婦時代と変わりがない。屈託がないところがとりえだった。とりとめのない話をしてからママは席を立っていった。私も一時間ほどで店を出た。料金は元証券マンの客引きが約束したとおり、ぴったり一万円だった。
「清店」と「出場店」[#「「清店」と「出場店」」はゴシック体]
いつ、どこで何が起こるかわからない。そんな危うさが「歌舞伎町の魅力の一つ」とよく聞かされるが、それは歌舞伎町で遊び慣れた人が言うセリフだろう。歌舞伎町で飲む際、たいがいの人は料金を最も気にする。それがボッタクリ系でない、普通のスナックでも、どれくらい請求されるのか見当がつかないからだ。
怪しげな店で日本人のホステス相手にビクビクしながら飲むよりは、中国クラブのほうが気楽である。ただし、酒癖の悪い中国マフィアの関係者と鉢合わせにならないことが条件だ。これまでの経験から、料金面でいちばん納得できるのは中国クラブである。ホステスは中国人だが、経営者は日本人という店は料金がきわめて曖昧だ。客の酔い加減やフトコロぐあいを見ながら料金に差をつける。その点は、一流ぶった寿司屋とよく似ている。中国系の店は料金体系が全体的に合理的で、日本人経営の店はその逆である。
日本人と結婚後、歌舞伎町でママとして十年以上のキャリアがある中国人がいる。三十代後半で上海の出身。最初のころは、深紅やコバルトブルーのチャイナドレスで店に出ることが多かった。ドレス全体に金糸で花模様が刺繍されていたので、それは見るからに豪華なものだった。ところが、しばらくして初老の酔客から、「ここは中国ではないぞ!」と怒鳴られてしまい、それからチャイナドレスをほとんど着なくなった。その日は黒系の地味なワンピース姿だった。
中国クラブの営業形態と料金について、ママは流暢な日本語でこう説明した。
「うちは時間制限がなく飲み放題で一万三千円。近くに一万五千円の店もあります。高い店のほうが安心して飲めるわよ。うちには国会議員も来ますし、客筋は一流企業が多いですね。うちは女の子の連れ出しができない清店《チンデイエン》ですが、営業時間外の個人的交際は自由。営業中、ホテルに連れ出しができる出場店《チユチヤデイエン》は、飲み代がうちの半額以下で済む店もあります。そういう店は、女の子が早くホテルに行きたがるから、ゆっくり飲めませんね。客が最初からセックス目的で行くなら話は別です。飲み代を安くできるのは、あとで売春代から店側に五千円とか一万円バックさせるからなの」
その手の店は、女の子をホステス代わりに使っているが、給料は一切出さない。
「女の子が二十人いても人件費はゼロ。女の子は接客を手伝いながら売春相手を見つけます。そして先ほども言ったように、売春代の一部を店に出します。場所代というわけですね。
もちろん、店側にも狙いがあります。留学生や就学生はクラブで働いちゃいけない。資格外活動になりますからね。警察、入管に見つかれば、店も罰せられる。そのとき、店側は、女の子はお客さんでホステスとして雇っているわけではない、と言い訳するの。女の子の中に不法滞在者がいても、同じように言い訳する。
でも、そんな言い訳は警察、入管に通じませんよ。相手はバカじゃありません。客を装った私服刑事が入って来て、客を接待している現場をちゃんと見ている。最近は、ジーンズ姿で頭を茶髪にした刑事が、ちょくちょく店に来ます。売春をやっている出場店では、女の子が刑事と知らずに売春を持ちかけてしまうの。お金が欲しいし、なんとか相手を探そうと焦っていますからね。
どの客が警察か入管か、私にはだいたいわかる。お酒をほとんど飲みませんものね。飲んだフリをしているだけ。それに刑事はスニーカーの人が多い。よく見ていると、靴ヒモを気にして何度も縛り直していますね。いざというときに相手と組み合ったり、逃げるのを追いかけたりするから、どうしても足元が気になるんでしょうね」
売春ホステスを置く「出場店」のシステムについては先に触れたが、売春を禁じている一般的な「清店」の場合、ホステスに支払われる給料は、一カ月の売上げが三十万円になるかどうかが基準になる。三十万円以下なら日給は一万円で、出勤日数を二十四日とすると月に二十四万円。三十万円以上を売上げると、日給は一万三千円に上がり、二十四日で月に三十一万二千円になる。そして三十万円を超えた分は店側と折半になり、それが日給にプラスされる。
五十万円を稼ぐには、二十四日で六十七万六千円、一日当たり約二万八千二百円の売上げが必要だ。この数字だけみれば、それほど難しいことではない気もする。ところが先の中国人ママによれば、実情は「なかなか計算どおりにはいかない」らしい。
「うちのホステスはみんな、日本人と結婚して配偶者資格を持っています。だから警察、入管が来ても何の問題もありません。五十万円以上稼げるのは、こういったホステスに限ります。でも今は客が少なくなったから、収入が五十万円あるホステスは八人のうち一人だけですね。だから店の経営も苦しい。
それ以外の留学生、就学生は十五万円前後。店に出る日数も少ないです。私個人としては、同じ中国から来ている学生を応援したいの。アルバイトしないと生活できないし、学費だって払えなくなる。うちも留学生、就学生を雇うことがあるわよ。でもお酌をしたり、客の太股に手を置いたりする接客はさせません」
ママの話によると、歌舞伎町には中国系の店が約五百軒、台湾クラブが約三十軒ある。売春ホステスを置いている中国系の店は、その三割前後。台湾クラブは半数以上が売春を売り物にしている。今はかつてのような純粋の台湾クラブはなく、ホステスの多くが中国本土の出身者である。
半減した中国クラブ[#「半減した中国クラブ」はゴシック体]
この話を聞いてから一年後の〇三年四月、歌舞伎町の中国人社会は大打撃を受ける。
歌舞伎町二丁目の「ハイジアビル」には、警視庁の組織改編でできた組織犯罪対策部の出先機関と新設した東京入国管理局の新宿出張所が入っている。この新宿出張所は、不法滞在者の摘発が主任務である。警察、入管が合同で行なった「新・新宿浄化作戦」は、これまでにない大掛かりなもので、初日だけで七百人(延べ千二百人)が歌舞伎町に動員された。路地を封鎖しての大捕物劇だった。
肝心の中国マフィアは一斉摘発を事前に察知し、すべて逃げ出していた。だが、ホステスとして働いていた中国人の留学生、就学生が資格外活動で何人も捕まった。その後、中国クラブはホステス不足に陥り、五百軒あった店が半減した。
一斉摘発後、山東省出身の就学生ホステスが、今にも泣き出しそうな顔で嘆いていた。
「店に行くのに歌舞伎町を歩いていると、警察にすぐ職務質問される。なんとか隠れて店に入り、仕事が終わって外に出ると、十メートルも歩かないうちにまた職務質問。一日に五回も職務質問された子がいるわ。これでは歌舞伎町に近づけません。
それで今は上野(台東区)と小岩(江戸川区)を行ったり来たりしながらスナックで働いているの。上野の店は、日本の国籍を取った中国人が経営している。小岩の店は、経営者が日本人。一カ月に十五、六人の日本人とセックスする。そうしないと生活できません」
こうした職務質問は、〇六年十月現在も続いている。約二百五十軒に減った中国クラブは、さらに半減したといわれる。
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変貌する闇社会の勢力図
二〇〇二年七月十二日のことだ。歌舞伎町の靖国通りに面して「東京大飯店」という大きな中国料理店がある。この六階の大宴会場で夕方六時から十時過ぎまで延々と食事会が開かれた。宴会場には百五十人入れるが、それだけでは間に合わず、別室も借りた。しかし、それでも入りきれないほど大勢の参加者が集まり、その数は三百人近くに達した。
集まったのは、関東の最大組織である住吉会関係者、それに台湾、マカオ、中国各地のマフィア関係者、そして怒羅権《ドラゴン》の元メンバーたちである。特別在留許可を持つ中国民主化活動家も顔を見せた。中国経済が急成長する中、天安門事件(八九年六月)も風化しつつある。日本に逃れてきた民主化活動家の動きも鈍り、マフィアと繋がりを持つ者がいる。ヤクザだけならまだしも、これだけ裏社会の顔ぶれが集まる食事会は、恐らく国内では初めてだろう。
参加した中国人の一人が、食事会の目的をこう話した。
「住吉会の組員が、中国、台湾系の店で問題を起こした。何人もの組員が店で暴れ、殴られた女の子もいたということだ。儲かっていない、赤字の店をいじめるのは問題だ。そんな騒ぎが何軒もの店で起きた。こんなことをされたのでは、中国人のアウトローも黙ってはいられない。中国人には屈辱だ。このままでは大きな喧嘩に発展する。JR中央・総武線の沿線だけでも、中国マフィアが八百人から九百人いるからね。そこで中国系のマフィアと幅広い付き合いがある住吉会のある組長が、仲直りの仲介をした。それを互いに確かめ合うため、食事会が開かれた。譲り合うべきところは譲り合って、互いにトラブルを起こさないようにしようというわけだ。
台湾からは竹連幇、天道盟、四海幇と三つの大きな組織が参加した。食事会が始まる前、まず最初に挨拶に立ったのが竹連幇の大幹部で、それに続いたのが食事会を取り仕切った、仲介役の組長だった。日本語で音頭取りというのか、それをしたのが台湾マフィアだった」
いわば、勢力図が大きく変わりつつある歌舞伎町の闇社会の新しい秩序をさぐる懇親会とも言えた。
この十年の間に、歌舞伎町でどんな変化が起こったのか?
歌舞伎花道通りを東へ進むと、車の往来が激しい明治通りにぶつかり、ここが歌舞伎町の東端になる。そこを北進すると、今度は大久保地区との境界線に当たる職安通りに出る。角にある韓国系の教会を左に巻き、そこから二百数十歩進むと区役所通りの出口に当たり、その先の左側にはロシア、ルーマニア、メキシコなど、さまざまな国のホステスが働く店が何軒か並んでいる。
職安通りから区役所通りに入ると、すぐ左側に鬼王神社の木立が見える。ここは歌舞伎町唯一の神社で、江戸の昔から、豆腐を供えれば湿疹や腫れ物が治るとの言い伝えがある。
夕方、区役所通りをぶらぶらしていると、たまたま目の前に豆腐配達のオートバイが止まった。早速、声をかけた。豆腐を買うわけではなく、街の様子を聞いてみたかった。豆腐屋の話は、不況の影響で売上げが落ちたことに対するグチで始まった。
「最悪だね。売上げがガタッと落ちている。豆腐は店に欠かせないものなんだけどね。湯豆腐、冷やっこ、揚げ出しは、たいがいの店にあるし、麻婆豆腐は中華の定番メニューだからね。だけど、どの店も注文量が少なくなっている。店が残っていて、一、二丁でも注文があればまだいいよ。でもね、あちこちで店がつぶれている。同じ場所に次々と新しい店がオープンするんだけど、だいたい三カ月後には閉店ですね。売上げがなければ家賃が払えない。どうしようもないですよ」
場所が場所だけに、どんな災難に巻き込まれるかわからないから、配達中は細かく気を配っている。路地に止めてあったヤクザの車をオートバイで擦ってしまい、百二十万円も払わされたことがあるという。発砲場面に遭遇したこともある。
「特に夜遅くは物騒だ。コマ劇場の周りに、飲んで踊れる大型ディスコが三、四軒ある。そのうちの一軒は、日本人も入るけど、不良外人の溜まり場でね。髭を生やしたのは、肌の色や顔つきからアラブ系だと思う。そいつらと中国人が、店の入り口で拳銃を持ってよく喧嘩している。中国人は言葉ですぐわかりますよ。豆腐配達で中国料理店に出入りしているからね。アラブ系が空に向けてパン、パンと威嚇発射した場面を二度見た」
周りは爆竹と勘違いしたようだ。
「コマ劇場の前でも発砲騒ぎがあったね。このときも拳銃を持っていたのはアラブ系の男だった。白人の二人連れと言い合いになり、そのうち拳銃を撃った。白人は二人とも丸腰。どちらも倒れなかったから弾は当たらなかった。別の路地では、銃声が聞こえた直後、太腿のあたりを押さえながらヨタヨタ歩いている男とすれ違ったことがある。別の男の肩にもたれるようにしてね」
歌舞伎町には依然として巻き添えを食いかねない危うさが存在しているのだ。
台湾マフィアの盛衰[#「台湾マフィアの盛衰」はゴシック体]
先にも書いたが、十年前の一九九二年九月十五日の白昼、制服警官二人が、台湾の黒社会「芳明館」の構成員、王邦駒に拳銃で狙撃され重傷を負うという事件が起こった。制服警官が外国人マフィアに狙い撃ちにされたのは、このときが初めてだ。
私が歌舞伎町に深入りすることになったのは、この王邦駒による警官銃撃事件がひとつのきっかけだった。王自身は、殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法、火薬取締法、覚醒剤取締法違反の合併罪で懲役十年の判決を受け、府中刑務所に服役した。服役中、王に何度か接した日本人の元受刑者に話を聞いたことがある。元受刑者は覚醒剤所持で捕まり、同刑務所に九五年から二年六カ月服役。当時も今もヤクザである。
「奴はカタコトの日本語しか話せない。ほとんど口を開かない無口な男でな。だが、あるとき、『警察は嫌いだ。日本のヤクザに世話になった』と話した。自分を捕まえた警官を憎んでいるような口ぶりだったな。こんなことも言っていた。『俺は日本の警察に何も話さなかった。だから仲間が助かった』とね。目つきの悪い男だった。ヤクザとは話すが、ほかの懲役(服役囚)には愛想がなかったね」
王が「世話になったヤクザ」とは、都内に本拠を構える指定暴力団の傘下組長で、王に金銭面などで便宜を図っていた。王は満期前に仮釈放となり、そのまま身柄が法務省入国管理局に渡され、台湾へ強制送還された。
王の周辺の人脈、かつての仲間たちが今も歌舞伎町に出入りしているのか、私にはどうしても気になる。
区役所通りの「リービル」に入り、エレベーターで七階に上がる。降りて左側に行くと、以前は「熊《シユン》」という台湾クラブがあった。だが今は案内板に店名が残っているものの、店は閉じられている。王が入り浸っていたのが、この「熊」だった。当時、この店で働いていた台湾女性を都内で探し出し、話を聞いてみた。
「逮捕後、新聞で見て本名が王邦駒とわかったけど、店ではただ『俺は王だ』と言っていた。ピストルをいつも持ち歩いていたので、台湾のヤクザであることは知っていました。いつも仲間七、八人と飲んでいたわね。警官を撃ったあと、『熊』のママのマンションに隠れたから、ママも王の正体を知っていたかもしれないね。台湾クラブで働いている人は、目の前にいるのが人殺しとわかっていても、警察に連絡するようなことは絶対にないですよ。だって、自分が殺されてしまいますからね。それは今だって同じですよ」
王は、タイで中国、台湾人相手に宝石ブローカーとして活動し、その間、偽造パスポートで何度もタイと日本を往復し、一時期、大阪に住んでいたこともある。
私も当時は掴めなかったが、王が歌舞伎町で一緒に飲み歩いていた仲間に「アリョン」と呼ばれる男がいた。黒社会が運営する非合法の宝くじで「六合彩《リウフーツアイ》」というのがあったが、その中間胴元がアリョンである。
またアリョンの仲間には、台湾マフィアの楊双五《ヤンスワンウー》がいた。楊は、王と同じく台湾で警官を銃撃。顔面を撃たれた警官は、右目が失明した。日本に逃げてきた楊は八六年暮れ、歌舞伎町に隣接する大久保で対立する台湾マフィア二人を射殺。その後、逃亡潜伏先のタイで逮捕され、台湾へ強制送還された。王が警視庁に逮捕されて六日後のことだ。楊と王は知り合いだった。楊は、父が台湾人で母が日本人の混血児である。
当時、歌舞伎町はそれだけ台湾マフィアが跳梁跋扈していた。だがいまや、あれほど数多くあった台湾クラブも、その面影はない。かつて私に取材協力してくれた台湾人のママ、ホステスは、その大半が日本から引き揚げている。数少ない残留組の一人に、現在の台湾マフィアの動きについて訊ねてみると、今や歌舞伎町で台湾マフィアの表立った動きはないと言う。
「ボスというほど大物ではないけど、駱駝という綽名《あだな》が付いている男が出入りしているわよ。台湾の高雄市から来た男で、歌舞伎町の台湾人、中国人はルオトと呼んでいる。何か事件を起こして捕まっているか、それとも台湾に帰っているか、最近はあまり姿を見ないわね」
駱駝は「殺し屋」楊双五の舎弟だったといわれる。
台湾マフィアと付き合いがあるという、都内のさる暴力団関係者が話した。
「歌舞伎町には十数人の台湾マフィアがいるが、今は警察の目が怖くて、おおっぴらには動けない」
その原因を覚醒剤に絡めて説明する。
「台湾マフィアが歌舞伎町で完全な負け組になったのは、大陸出身の中国人悪党に押されて出番がなくなったからだ。九〇年代半ばまでは、台湾産のシャブ(覚醒剤)がまだ入っていた。純度の高いやつがね。それを日本に持ってこれたから、金も動かせたし力もあった。ところが今は、シャブといったら、ほとんどが中国、北朝鮮のものだ。いちばんの資金源がシャブだったのに、これでは台湾マフィアも出る幕がない。ヤクザにしても、付き合って旨みがないわけだよ」
現在は、台湾マフィアが表に出て強盗、窃盗事件に加担することは少なくなってきた。だが、中国マフィアが、家屋侵入や貴金属店荒らしで盗んだ品物を換金する際、台湾マフィアがブローカー、口利き役として立ち回ることはある。中国マフィアが日本で暗躍するようになったのは、九〇年代に入ってからだが、台湾マフィアは七〇年代に上陸している。日本の闇社会とのつながりも深い。台湾マフィアの大物が死ぬと、その葬儀に暴力団幹部がわざわざ台湾に飛ぶくらいだ。ブローカー、口利き役に回れば、かなりの力を発揮できる立場にいるという。
先の暴力団関係者は続ける。
「いろいろなルートを確保しておく、これがヤクザには大事だ。シャブが入らなくてもチャカ(拳銃)が入れば、それで言うことなしだ。たまにチャカを二つ、三つ持ってきて、それをヤクザ間の値段よりも安く売ってくれれば、こっちも助かる。
だから俺は、歌舞伎町で台湾マフィアがいくら力を失ったといっても、連中の前では見下すような態度は取らない。付き合いもちゃんとやっている」
麻雀賭博に誘われることもある。
「俺と付き合いがある台湾マフィアは、横浜に住んでいて歌舞伎町にはほとんど来ない。歌舞伎町には街頭監視カメラが五十何台もあるので、『顔を見られるのが怖い』と言っていたね。ちょっとした大物でね、横浜と大阪を行き来しながら、賭け麻雀の胴元をやっている。それが資金源だ。
こんなことがあった。俺が六百万円負けて、次の日に一千万円近く勝って、次の日にまた一千数百万円勝ったことがある。金払いはいいし、金が不足したときは、台湾の組織から調達する。逆に俺が四千万円近く負けたことがあった。そのとき、『明日、払うから一千万円引いてくれ』と頼んだら、『俺一人だけでなく台湾の組織が関係している。そんなことダメ、ダメ』と強い口調で断わられたね。
台湾の連中は、今は歌舞伎町で影を潜めているけれど、まだまだその実力はあなどれない」
こうした話を聞くと、歌舞伎町の外では、台湾マフィアがまだ活発に活動していることがわかる。むしろ、歌舞伎町を追われた台湾マフィアが、全国に散らばったというのが実態である。
闇にまぎれるマフィア[#「闇にまぎれるマフィア」はゴシック体]
一方で中国マフィアは、歌舞伎町の支配権をめぐって壮絶な争いを繰り広げた。
九四年八月。風林会館の斜向かいの路地にある中国料理店「快活林《クアイホアリン》」で、中国人の店長と従業員、客の三人が青龍刀などでメッタ切りにされる凄惨な事件が起きた。上海マフィアが、密入国した福建マフィアを金で雇い入れ、対立していた北京勢を襲撃させたのである。その現場を訪ねると、中国料理店はビデオ店に衣替えしている。
九〇年代と比べると、中国クラブは減っているし、中国人絡みの血なまぐさい事件も急減した。かつては立ち小便を注意しただけで、日本人の客引きが中国人の不良に頭を切られ、指を切り落とされるといった事件まであったが、それに比べると、今の歌舞伎町は表面上、平穏に見える。
その一つの原因は、警視庁が歌舞伎町で稼働させた街頭防犯カメラシステムである。〇二年二月二十七日に設置された五十台のカメラの中には、周囲三六〇度をズームでモニターできるものが何台もあり、犯罪関係者や悪質な客引きなどは相当脅威を感じたはずだ。
では中国マフィアの類いは歌舞伎町から一掃されたのか──。
「いや、そんなことはありません。今も出入りしている」
上海出身のクラブ従業員は、そう言い切った。
「最近、特に目立ちますね。監視カメラが付いてしばらくは、連中は確かに姿を消していた。しかし、それも一、二カ月だった。そのうち、夜中から始まる遅番の中国クラブに姿を現すようになり、今は夕方から堂々と街を歩いている。区役所通りでその手の連中をよく見かけますよ。どの男が中国マフィアか、それがなかなかわからない。そこが中国マフィアのいちばん怖いところだね。でも、顔をよく見ると、危険な男かどうか、マフィアかどうか、俺のような客商売をしている中国人にはすぐわかりますよ。帽子や眼鏡でちょっと見かけを変えれば、監視カメラはごまかせる、そう思っている連中もいますからね。カメラをあまり怖がっていない。カメラを見上げなければ大丈夫だと言っている」
さらに、街頭防犯カメラで動きづらくなり、中国マフィアの多くが池袋や上野、総武線沿線へ散ったとも言われる。そして、全国に散らばった中国マフィアが、強盗、窃盗で日本の暴力団関係者と協力するケースが跡を絶たない。
世界に広がる「黒社会」[#「世界に広がる「黒社会」」はゴシック体]
警察庁の公式発表によれば、山口組の構成員は約三万八千人。暴力団全体の半数以上が山口組の構成員である。だが国内最大暴力団も中国マフィアとは比べるべくもない。「黒社会《ヘイシヨーホエイ》」と総称されるチャイニーズ・マフィアの構成員は二百数十万人といわれ、世界最大の犯罪組織である。中国から遠く離れたアフリカ、中南米諸国の貨物船までが密航に利用される。それを可能にしているのが、世界の隅々まで張り巡らされているチャイニーズ・マフィアのネットワークである。
国外に出て中国籍のままにしている華僑、その子孫で居住国の国籍を取得した華人。世界各国に、それら華僑、華人が約三千万人住んでいる。そのうち二千万人が東南アジア各国で暮らし、シンガポール国民の八〇パーセント近くが華人である。マレーシアやインドネシアでは、経済全体の六割から七割が華人資本で占められる。ほかの一千万人は世界の果てまで散らばっている。そして現在は、「新移民」と呼ばれる人々が中国から欧米各国へ続々と渡っている。そうした華僑、華人がチャイニーズ・マフィアの暗躍基盤になっている。
中国本土の黒社会は構成員が百数十万人にのぼり、そこに香港(九七年七月返還)、マカオ(九九年十二月返還)、台湾のマフィアがすでに進出を果たしている。
中国では八四年から犯罪活動を厳しく取り締まる「厳打運動」が行なわれてきた。だが取り締まりとはうらはらに、黒社会は逆に膨張する一方だ。近年の急激な経済発展と黒社会の活動が表裏一体になっている。今後も中国の経済成長率が上がれば上がるほど、黒社会も限りなく肥大していく。
中国秘密結社の伝統[#「中国秘密結社の伝統」はゴシック体]
中国マフィアは組織系統が数多く分岐しているが、その中でも大勢力を誇るのが、香港の「14K」である。
「14K」はもともと、中国国民党と中国共産党が戦ったいわゆる国共内戦末期の一九四九年、国民党を率いた元台湾総統の蒋介石が部下につくらせた秘密結社である。結成時は、中国広東省広州市に拠点があったが、四九年十月の中華人民共和国樹立後、14Kは香港で犯罪組織化する。
その後、香港で勢力を拡大し、現在は中国、マカオ、台湾、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、イギリス、アメリカ、カナダ、南アフリカなどにも活動拠点を築いている。もちろん、日本も活動範囲に入っている。
アメリカでは、「チャイニーズ・マフィア」という言葉はあまり使われず、14Kを含む中国系マフィア全体を「トライアド」(三合会)と呼ぶのが一般的だ。香港でも黒社会を「三合会」と呼んでいる。ニューヨーク在住のイタリア系アメリカ人が話した。
「イタリア人が多く住む地域に中国人がどんどん入り込み、イタリア人が追い出されるような状態が続いている。そこにきてイタリア系のマフィアは警察の厳しい取り締まりを受けているから、勢力が弱くなっている。そこで勢力を広げているのがトライアドで、今はアメリカでいちばん大きい犯罪組織になっている。ロスアンジェルスやサンフランシスコなど、東海岸の街には、相当な数のトライアド・メンバーがいると聞いている。ヘロインやタブレット(錠剤)麻薬を扱い、中国系の店から金を脅し取っている。マシンガンで武装して殺人もやるから、アメリカ人はトライアドを非常に恐れている」
アメリカで暗躍する中国系マフィアは十万人を超えるといわれている。しかし、これ見よがしに立派な事務所を構えているわけではない。
街のど真ん中に堂々と組事務所を持っている日本のヤクザと違い、中国マフィアは何よりも秘密性を優先する。今の中国マフィアの源流は、およそ三百年前に遡り、もともとは漢民族が明王朝を復活させるため、満州族の清王朝(一六四四〜一九一二年)打倒を旗印につくった秘密結社だった。秘密保持の伝統が現在に至っても生き続け、ヤクザのように組員名簿を作成するようなことはまずあり得ない。
「誰が黒社会の構成員かわからない。それが中国マフィアのいちばん怖いところだ」
都内の盛り場で中国人からよく聞かされる言葉だ。口が固くなるのは当然である。
警視庁の名をかたるマフィア[#「警視庁の名をかたるマフィア」はゴシック体]
四十代の中国人で「警視庁行政指導員」という名刺を持った男が歌舞伎町、池袋などに出入りしていた。私と名刺を渡された中国人が手分けして調べると、名刺は完全なインチキで、男は上海マフィアの関係者だった。相手によって出身地を北京、上海と使い分ける。なぜ、そんなインチキ名刺を持っていたのかというと、中国系の店から金を騙し取るためだ。
「お前の店は不法滞在者を雇っている。決められた営業時間を守っていない。中国人に売春をやらせている。近いうちに警視庁が調べに来る。金を出すなら内密にする」
「警視庁」の肩書は、スネにキズある中国人には相当の威力がある。中国人の経営者も相当したたかだが、これで実際に金を出した店がある。中国マフィアの中には、このように小ワザを使った詐欺犯も多い。警視庁に問い合わせをされれば、一発で嘘がばれる。そんなことを平気でやる。間抜けなマフィアも少なくない。
この男とは別に「警視庁外事監察員」という名刺を持ったマフィア関係者も歌舞伎町に出入りしていた。広東省出身の男だった。
「警視庁の肩書を外さないと警察に捕まる。日本はそんなに甘くないぞ」
たまに顔を合わせる日本人の不動産業者が忠告しても、男は薄ら笑いを浮かべて聞き入れなかった。
「名刺を渡すのは日本人ではなく中国人だ。だから問題はないだろ。警視庁を入れなければ金にならない」
警視庁行政指導員と警視庁外事監察員。いかにもありそうな、こんな肩書をよくぞ考えついたものだと感心する。しかし、この程度はまだ寸借詐欺のたぐいである。目立たず深く潜行する男がいる。
三十代のある上海出身者が新宿区某所で中国料理店を経営している。男には正式な婚姻関係を持つ日本人妻がいる。裏社会に生きる何人かの中国人に聞くと、その男は「正式メンバーではないが、14Kの協力者だ」といわれている。日本の暴力団でいえば、「準構成員」と呼ばれる立場だ。14Kといっても、男が関わっているのは、台湾で活動していた14Kの一部勢力が広東省など中国大陸に進出し、その中で上海に拠点を持った一派である。
中国はずっと共産党の一党独裁体制下にあるので、旧国民党系の14Kは、中国にとって本来は敵である。それが中国で暗躍できるのは、今の14Kが設立当初の政治性を完全に失った黒社会だからだ。その14Kを中国側が逆に対台湾工作活動で情報収集に利用しようとする兆候さえ窺える。清王朝を倒した孫文の辛亥革命もそうだが、政治の節々で利用されてきたのが秘密結社、黒社会である。
日本に巣食う中国人犯罪組織も、表面からは見えにくくなっているが、現実は水面下で秘密結社化し、その力をますます大きくしている。
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シジミを採るヤクザたち
「口を開けば金の話だ。そればかりだからね。日本のヤクザも変わったよ」
歌舞伎町のとある喫茶店。その片隅の席で、ある四十代前半のヤクザが周囲の席を気にしながら、本音を語りだした。歌舞伎町は、面積そのものは狭い街である。互いに顔を知っている同業者が店に入ってくると、話はいったん中断される。だが同じヤクザどうしの気遣いというのか、後から入ってきた者は先客から離れた席に座る。
「現役のヤクザでありながら、わざと組抜けの状態で動いている者もいるし、現役と元ヤクザの境界がはっきりしていないところがあるのは事実だね。組抜けヤクザは、警察のマークから外れやすいし、その分、現役の俺たち以上に悪さをするヤツがいる。
新宿ではヤクザどうしの突っ張り合いはしょっちゅうある。この十年の間にも刺した、刺された、撃った、撃たれたでヤクザが何人も死んでいる。だが、最終的には組織どうしの話し合いで解決している。もちろん、金が動いている。見舞い金という形でね。組織どうしの抗争じゃなく、組員が突発的な喧嘩で他組織の人間を殺してしまった場合は、少なくても一千万から二千万円は出さなきゃならんね。殺した相手が組長や幹部クラスだったら、そんなもんじゃ済まない。でもまあ、同じ街に生きているんだから、金額が高い、低いと言って、いつまでも突っ張り合っていたら、どっちかが恥を晒すようなことになるし、互いに損だ。ヤクザは共存共栄、これが基本だな」
バブル崩壊後の不況と暴力団対策法の施行という逆風をくぐり抜けてきた今、歌舞伎町のヤクザは何を思っているのか? 十年前、私が男に初めて会ったときは、某広域組織の三次団体の中堅幹部だった。それが今は自分の組も旗揚げして四次団体の組長の立場にある。たとえ組員がどんなに少なくても、下の者にとっては「親分」である。ほかに組関係者が同席する場合は、私もそれまでのように「○○さん」ではなく「組長」と呼ばなければならない。そうしないと相手の顔が立たない。
「今は枝の組長だが、いずれは二次、さらに本部(一次団体)の役付きになりたいね。でもヤクザの世界では、今の親分を出し抜くようなマネはできないし、親分をしっかり支えることで上に引き上げてもらうしかない。これは、金と器量と運しだいだ。あんまり欲が深いと上からも下からも嫌われるしね。だからといって金稼ぎを怠るわけにはいかない。自分の首が締まったら、動きがとれなくなるし、それじゃ出世どころじゃなくなる。
正直言って、金回りは悪い。暴対法の影響はもちろんある。何かあると、すぐ『暴力的要求行為』にされるからね。例えば名刺だが、ヤクザじゃない人間に、組の名称や代紋を刷り込んだものを渡してはダメ。威嚇ということになるんだよ。しゃあないから、名刺は渡す相手によって組名を入れているものと入れていないものを使い分けている。両方を一緒に渡すこともある。見てのとおり、俺は今、株式会社の代表取締役という名刺も持っている」
この名刺だけを渡されたら、相手がヤクザであることに気づかないかもしれない。比較的地味なスーツに、顔つきも見ようによってはインテリ風である。
「会社は実際に登記してあるからね。登記簿にも俺の名前がちゃんと出ているよ。営業種目は不動産、金融、絵や植木のリース業といろいろだ。だが、この十年はずっと苦戦だね。暴対法のせいだけじゃない。俺たちヤクザにとっちゃ、暴対法よりも痛いのは、何といってもバブルがはじけたことだ。これまでのような不況じゃ、まず土地が動かない。バブルのときは、地上げ、土地転がしで、俺の兄貴分は一晩で何千万も儲けたことがあった。だが、そんなこと、今は夢物語だ。
たまに動く物件もあるにはあるが、ほかのヤクザも割り込んできて金にできるケースはめったにないね。年に何度か、金になりそうな物件がある。意気込んで駆けつけると、ほかの代紋がダンゴ状態になっていて、どうにもならない。最終的に誰かが仕切ることになるが、手を出すのが遅れたり、組が小さかったりすると、十万円単位の金を渡されて終わりだね。『この物件は、うちの組織が仕切る。悪いが下がってくれ』と言われ、まあ引き下がり料というか、車代のようなものだ。粘って割り込もうとすれば、喧嘩になるからね。
ヤクザの発砲事件は、だいたいがそんな利権争いで起きる。一人、二人殺しても殺されても、何億円の金になるなら踏ん張るが、一、二千万円じゃ、そこまでの喧嘩はできない。引き下がったら組が潰れるという状況なら、金なんか関係ない。話し合いがつくまで発砲の応酬になるよ。この業界、周りから甘く見られたら先がなくなる。相手に打撃を与えなきゃ意味がない。軽傷で済むか重傷になるか、あの世行きになるのか、そんなことは、そのときのはずみだから何とも言えないな」
カラオケ店での騒動[#「カラオケ店での騒動」はゴシック体]
話の最中、幹部の携帯電話にどこからか連絡が入った。自分からはほとんど話さず、神妙な顔つきでしばらく相手の話を聞いていた。
「どこのヤクザかまだわかっちゃいないが、近くの店で騒いでいるヤツがいるらしい。うちの若い衆の携帯に店から連絡があった。うちがその店のケツ持ちなんで若い衆が現場に向かっている」
私は、騒ぎが起きた店の場所と店名を教えてもらい、そこに向かった。店は靖国通りからコマ劇場へ抜ける中央通りにあり、組長と会っていた喫茶店から一分とかからないカラオケボックスである。
店に入って怒声が聞こえるほうに近づくと、トイレの前で数人の若者が怖じ気づいている。その前に立ちはだかっているのは、ほぼ同年齢の二十代半ばの三人組だった。いずれもパンチパーマで、その中の一人が肩を怒らせて凄みを利かせていた。
「なめてんじゃねえぞ! コラッ! 新宿の○○組を知っとんのか!」
固有名詞はよく聞き取れないが、組を名乗っていることだけは確かだ。周りは野次馬の客で埋まっていた。三人組が大声を張り上げる。
「その口の利き方は何だ! コラッ、オトシマエをつけんかい!」
店の従業員が二人いたが、どうすることもできず、ただ様子を見守っているだけだ。従業員に若者が必死に訴える。
「一緒に歌っていた女の子が、トイレに行ってなかなか戻ってこない。それで様子を見に来たら、この人たちが『おねえちゃん、俺たちと歌わないか』とトイレの前で絡んでいたんです。『やめろ!』と注意したら、急に怒りだして……」
三人組は店の従業員にも怒声を浴びせた。
「俺がどこの誰か知っとんのか! コラァ!」
そこに三十代半ばと見られる会社員風の男二人が、集まっていた客を押し分けるように顔を出した。どちらもネクタイはしていないがスーツ姿だ。ヤクザ幹部が言っていた「若い衆」というのが、この二人だった。銀縁の眼鏡をかけたほうは百七十センチを超えている感じだが、もう一人は小柄である。これで、いずれも百八十センチ近くありそうな三人組に立ち向かえるのか、他人事ながら心配になってきた。
ヤクザどうしの喧嘩になれば、何が飛び出すかわからない。私は男たちから離れ、いざというときに、どうにでも動けるように通路際に身を寄せた。
ところが、眼鏡をかけたほうが諭すような言い方で、三人組にやんわりと注意した。
「楽しく遊んでいる若者をいじめないでよ。店にも迷惑がかかるし、ここで騒ぐのはよしなよ」
意外なことに、騒ぎはたったそれだけの注意で収まった。会社員風二人は、そのまま店の奥のほうに入っていった。三人組は一瞬、呆気にとられていたが、そのうち顔色が変わってきた。注意されたことに腹を立てているのではなく、どうして自分たちが引き下がってしまったのか、それが不思議でならないといった感じで顔を見合わせていた。客が見ているのでバツが悪くなったのか、一人が黙っていられなくなった。
「なんだ、あいつら、サラリーマンのくせに生意気な野郎だな」
文句が言いたいのか、それとも喧嘩でも始めるつもりか、三人組は紅潮した顔で会社員風を追っていった。その直後である。奥から激しい怒声が飛び、パンチパーマの三人組が、のけぞりながら後ずさりしてきた。
「コラッ! お前ら、俺たちに何の用事があるんか! どこの組の所属だ! 新宿じゃ、おまえらの顔、見たことねえ、どこの流れもんか! 菱(山口組)のもんか!」
凄んでいるのが、今度は会社員風の男たちだから、何が起こったのかと皆、固唾を飲んでいる。その直後、スウェットパンツにジャンパー姿の男が二人現れ、パンチパーマ三人組の背後に回った。三人は前と後ろから四人に挟み撃ちにされる恰好になった。スウェットパンツの二人が、それぞれファスナーの開いたバッグを持ち、うち一人が右手を中に突っ込んでいる。拳銃かナイフか──、まさか石コロではあるまい。
「コラッ、所属(代紋)があるんか! どこの所属だ!」
最初に注意した会社員風が、ドスの利いた声で三人組に詰め寄る。大きな体が小刻みに震えている。あまりの迫力に三人組はついに土下座し、「すみません」を連発した。
「おまえらヤクザじゃねえな、勤めはどこだ?」
もう一人の会社員風が、抑えた口調で問い質した。
「西新宿の○○組です」
十分聞き取れる声だったが、会社員風がまた声を荒らげた。
「聞こえねえぞ、もう一度言ってみろ!」
その縮み上がった様子は、傍目にも気の毒なほどであった。パンチパーマの口から出た「○○組」とは、暴力団の組名ではなく土建会社の社名だった。
会社員風二人が本物ヤクザで、パンチパーマ三人組がヤクザを気取った、ただの土木作業員であるとは、客には思いもよらなかっただろう。スウェットパンツの二人も組員だった。見たところ、一人が三十歳前後で、もう一人は四十歳を過ぎているかもしれない。
背後に立っていた、その年長のほうが、土下座中の一人の後頭部にスニーカーの靴底を押し付けると、右足を勢いよく突っ張った。そして前のめりになった脇腹を今度は左足で押すように蹴りつけた。大柄な体がひとたまりもなく床に転がった。
「手をやかせやがって、このクソガキ野郎!」
ほかの二人も次々と転がされた。一人が倒れたままポケットから二万円を取り出すと、「これ、詫び代です」と言って差し出そうとした。
「詫び代じゃなく、お詫び代だろ、言葉に気をつけろ、このバカ野郎! こんな半端な金、欲しくもねえ。若造のくせに、てめえは姑息なマネをしやがるな。ヤクザをなめんなよ、クソガキッ!」
差し出した手が蹴り上げられ、さらに横顔がしばらく踏みつけられていた。靴跡がついた顔に血がにじんでいた。踏みつけたのは、最初に頭を蹴った年長のヤクザだった。このヤクザが四人の中でいちばん暴力的だった。
一見、ヤクザには見えないヤクザ。かつてはヤクザのトレードマークといわれるほどパンチパーマが多かったが、今は関西でも見かけることが少なくなった。もともと関東のヤクザはパンチパーマを好まず、歌舞伎町ですれ違うチリチリ頭は、大半がカタギの人間である。ヤクザがそれらしい格好をしていないから、勘違いする者が出てくる。
「あの人たちは、普段は店に来ないんだよ。騒ぎを起こさなければ、何の問題もない。怖い人たちだけど、暴れたりしなければ怖くない。ビール飲む? サービスするから、ゆっくり歌っていってよ」
ヤクザが立ち去ったあと、店の従業員は、しょげ返った三人を慰めながら、その場を取り繕った。だが三人は口々に「すみませんでした」と従業員に謝ると、すぐに店から出ていった。
店の外に出ると、通りで客引きの男がせせら笑っていた。
「こんなことがよくあるの?」
声をかけると、客引きが話に応じてきた。
「歌舞伎町でヤクザの姿を見なくなった、そういう話をよく聞くけど、それは、この街を知らないから言えるんだ。それをわかっちゃいないから、今のようなバカが勘違いする。俺らに言わせたら、歌舞伎町はヤクザだらけだ。俺たちだって月に五千円、一万円とショバ代(場所代)を払っているから、こうして客を引けるんだよ。払わなかったら、ここに立っていられない。ヤクザがこまめに見回っているからね」
歌舞伎町で遊ぶときは、守るべきルールがある。それは店で喧嘩しないことだ。それさえしなければ、ヤクザが出てくることはない。強引な客引きや法外な料金を要求するボッタクリの店は減ってきている。しかし完全になくなったわけではない。酒を飲むのもいいが、とにかく歌舞伎町は自己責任で遊ぶ街である。
歌舞伎町に出入りする山口組系組員は今や数百人に及び、九〇年代と違って公然と活動している。カラオケボックスで土木作業員が騒いだ一週間ほど前には、近くの路上で住吉会と山口組の組員がそれぞれ十数人ずつ集まり、しばらく睨み合う緊迫した場面があったという。一人でも手を出せば、大乱闘になるのは避けられない。双方に意地とメンツがあるので、いったん始まれば、ヤクザの喧嘩は素手の殴り合いだけでは済まなくなる。しかし、そのときは互いに自制したため、最悪の事態に進むことはなかった。
ヤクザの多彩な経歴[#「ヤクザの多彩な経歴」はゴシック体]
約束どおり、日を改めてヤクザ幹部と再び会った。
「カラオケボックスに来た若い衆、すごい迫力でしたよ。どこかの会社員みたいで、最初はちょっと頼りない感じでしたけどね」
私のほうから話を切り出すと、幹部は、「ヤクザは、ああじゃないとダメなんだ」と言った。現場に駆けつけた組員から、そのときの一部始終を聞いていた。
「最初に行った二人、体は小さいけどね、あれで気が強いんだよ。後ろに組織が控えているから、強気でやれるんだ。地元ヤクザには、チンピラまがい、悪ガキ、流れ者ヤクザ、それに外国人の不良を掃除する責任がある。こいつらがはびこると、ろくなことはない。警察の取り締まりが厳しくなって、そのシワ寄せが飲食店、風俗店に回ってくる。客が減る、売上げが落ちる、店が潰れる。そうなれば、ヤクザに回ってくる金も減ってくる。このままの状態が続いたら、歌舞伎町は先細りするだけだ」
五百メートル四方の歌舞伎町には、およそ三千軒の飲食店がある。これまでも閉店が相次いできたが、今でもそれが続いている。店が減る分、ヤクザのシノギは狭められる。しかも新宿区にはヤクザ関連の事務所が二百近くあり、その多くが歌舞伎町周辺に集中する。出入りするヤクザも数千人にのぼり、代紋も十を超える。減る一方の牌《パイ》を大勢で取り合うのが今の歌舞伎町の構図だから、街の「先細り」に腹を立てる幹部の気持もわかるような気がする。
「若い衆はみんな、筋金入りだと思いますが、ケツ持ちも危ないシノギですね。返り討ちにされることはないですか? 皆さん、ヤクザになる前は、どういう仕事をしていたんですか?」
相手が自分より年下でも、取材中はできるだけ丁寧な言葉遣いを心がけている。それはヤクザ関係者に対しても同じだ。幹部は率直に話した。
「逆に痛い目に遭うこともあるね。でも十回に一回もない。百回に二、三回というところだろう。まず気合で勝たないと、相手が付け上がってくるからな。
おたくが会社員風と言った一人はね、実際に二十六、七歳まで東京でサラリーマンやっていたんだ。三人組に最初に声をかけた、眼鏡をかけたほうだよ。大手のサラ金に勤めていた。ところが七、八百万円使い込んだのがばれて会社をクビになった。それから日雇いの仕事であちこちを転々としていたらしいな。そのうち、仕事仲間をスコップで殴って暴行傷害罪で捕まった。本人の話では、相手は顔がざっくり割れ、相当な大ケガだった。危うく殺人未遂罪に問われるところだった。そうなっていたら、刑務所が違ったかもしれないし、俺の若い衆になることもなかっただろうな。東拘(東京拘置所)から府中刑務所に送られ、そこで俺の弟分と知り合ったのが縁でヤクザになったわけだ。債権回収が担当だったから、交渉のツボを心得ているよ」
どういう経緯でヤクザの道に入るのか、私は興味深く聞いた。会社員風のもう一人は、神奈川県で悪名を轟かした暴走族の元メンバーだ。
「この男は、歌舞伎町によく遊びに来ていた。それで中学、高校生を恐喝して金を巻き上げていた。悪い奴だよ。そこに俺の兄貴分が通りかかり、ウムを言わせず事務所に引っ張ってきた。まあ、俺がある程度のヤキは入れた。暴走族の連中に対しては、中途半端なヤキ入れはダメだ。ほかの暴走族と喧嘩やっているから、ちょっとした暴力には馴れっこになっている。年下や弱い人間をいじめている悪ガキも同じだ。こいつらは、相手を殴るだけで自分が殴られたことがない。だから殴られると、どれくらい痛いか、それを徹底して体に覚えさせる必要がある。
口から血は吐く、鼻血を吹き出す、顔、体に赤タン、青タンができる。最低限、それぐらいはしなきゃね。それでやっと人の話をまともに聞くようになる。反抗的だったら、もっとやる。先の若い衆も俺にむちゃくちゃやられた。最初から生意気だったから、ヤキを入れる前に、事務所にビニールシートを敷いたくらいだ」
血で床を汚さないためである。
「それから二年ぐらい経ってからだな。突然、事務所を訪ねてきて、『俺、ヤクザになれますか?』と言ってきた。『何歳になった?』と聞くと、『一週間前に二十歳になりました』と言う。便所掃除と靴磨きがちゃんとできるようになってから、わざとバラ銭を二千円ぐらい持たして、タバコ買いに行かせた。何度やらせても一円だってごまかしたことがない。こっちはきっちり勘定して持たせている。試したわけだ。普通は、三、四度目から自分のタバコ銭をくすねるんだがね。俺の試験に合格したから正式に引き受けた。二人とも短気で突貫小僧みたいなところがあるけど、それもヤクザに必要な気質だからね。貴重な人材だよ」
「遅れて来た二人はスウェットパンツ姿でしたね」
と聞くと、幹部は顔をしかめた。
「誤解しちゃ困るよ。遅れたんじゃない。四人で一緒に行って、二人だけ店の外で待機していたんだ。そりゃそうだろう、暴れているのがヤクザだと連絡が入れば、相手の出方によっては刃物ぐらい必要になる。二人ともそれを隠し持って、事の成り行きを見ていたんだ。だから、動きやすいようにスウェットパンツなんだ。血で汚れても簡単に洗えるし、警察に捕まって連行されるときでも楽だからね。その点、スーツは窮屈だ。相手が刃物持っていれば、こっちだって刃物使うしかない。店には迷惑かかるが、ヤクザ対ヤクザの場合は、命がかかっているから仕方ないんだ」
いちばん手荒だった年長のほうは、ヤクザになる前から車上荒らし、暴行傷害などで何度も逮捕歴がある元陸上自衛隊員。もう一人は、大手警備会社の元ガードマンで飲み仲間の電気工に対する傷害致死罪で逮捕されている。
「ヤクザには、それぞれ人には言えない過去があるんだ。そうでもなきゃ、ヤクザになんかならないよ。二人とも妻子がいるから出身地は言えないね。
二人とは組の関係者が刑務所で知り合った。たまたま舎房(雑居房)が同じだった。同房に別の代紋のヤクザがいて、そいつが生意気な男でね。何かむしゃくしゃしたことがあると、すぐ二人に当たり散らしたらしい。暴力は振るわないが、イビキ、歯ぎしりがうるさい、クシャミで唾が俺の顔に飛んだ、鼻が曲がりそうな臭いオナラをしやがってとか、人の生理現象にまでいちいちイチャモンをつける。どんなに悪いことをやった人間でも、ヤクザじゃないのが、うるさ型のヤクザと同房になれば、そりゃあ、毎日がビクビクだよ。気弱な人間だったら、頭がおかしくなる」
「窮鼠猫を噛む」でヤクザを殴ったりすれば、殴ったほうが懲罰房に入れられる。
「二人が困った状況だったから、うちの関係者がそのヤクザを殴り飛ばしてやった。懲罰房に入れられたけど、看守に事情をすべて打ち明けた。そして次の日、そのヤクザは別の舎房に移された。それで二人のムショ生活が少しは楽になったわけだ」
刑務所で知り合ったヤクザどうしが、服役中、配給された緑茶、茶碗を酒、盃に見たてて、兄弟分の契りを交わすケースが数多くある。気が合った、ということもあるが、ちょっとした気配り、配慮に対して、一方が恩義を感じてしまうのだ。孤立感が深まっている拘禁中の身にとっては、その恩義が日に日に膨張する。
「うちに組入りしたのは、ムショが縁結びだ。ムショで相当な恩義を感じたそうだよ。俺の若い衆になったのは、そりゃ成り行きというものだ。前に自衛隊にいたといっても前科持ちだ。そんな人間を雇う会社なんて、ありゃしないんだよ。
シャブを打っていたのがばれて警察をクビになった男がいる。現役のときは薬物担当の刑事でシャブの捜査をやっていた。その男が今、何をやっているかというと、ヤクザになってシャブを取り扱っている。捜査の手口をよく知っているので先が読める。だから捕まらない。世間は俺たちを暴力団といって批判するけど、どうにもならなくなった人間の受け皿でもあるんだ」
ヤクザとシジミ採り[#「ヤクザとシジミ採り」はゴシック体]
真冬の千葉県銚子沖。時折、強風に襲われ息が詰まり、波の飛沫が顔を打つ。遊魚船が荒立つ波に揉まれ、波間から浮き上がった瞬間、前夜の酒が胃酸となって逆流してくる。おまけに海上は極寒である。
私はヒラメ釣りのファンで、この海域での船釣りは数十回におよぶ。寒ビラメといわれるだけあって、ヒラメは冬場が旬。九八年十一月に、ヒラメ七匹を釣り上げ一度だけ竿頭になった。だが五回連続で釣果がゼロということもあった。「一匹釣れれば上出来」といわれるのがヒラメ釣りだ。二、三年に一度、「座布団ヒラメ」と呼ばれる十キロ以上の超大型が釣り上げられることがあるが、私は六十四センチ、三・七キロが最高である。
小笠原諸島を除けば、関東の最東端は、太平洋に突き出た千葉県の犬吠埼《いぬぼうさき》。千葉県は海岸線が長く、全国でも有数の漁業県であり、港の数は太平洋、東京湾に面して七十もある。犬吠埼のすぐ北側にある銚子漁港は、魚の水揚げ量が毎年、全国で三位以内に入り、その周辺海域では遊漁船によるヒラメ釣りが盛んに行なわれている。
釣り船から陸のほうに目を向けると、遠くに鹿島サッカースタジアムが見える。ちょっと左に視線をずらせば、犬吠埼の断崖の上に白亜の灯台が立っている。灯台は、日本の開国に伴い、明治七年にイギリス人の設計で設置されたもので、沖合の船舶航行に欠かせない重要な役割を担っている。
その灯台と鹿島サッカースタジアムの間に、利根川の河口が見える。
利根川は流長が三百キロあり、二百八十五の支流を持つ。国内の数多い河川の中で、中国と最も縁が深いのが利根川だ。流域最大の魚は、コイ科のソウギョ、ハクレン、コクレン、アオウオなどで、どれも体長が一メートル以上になる。これらはすべて中国から移殖された。移殖は食用目的で明治時代に始まり、敗戦二年前の一九四三年まで続いた。だが、これらの魚は食味がよくなく、日本人はもともと淡水魚を好まない。そのため食卓に上がることはほとんどなかった。
利根川の魚で最も好まれたのはウナギである。ここは昔から天然ウナギの産地で知られ、捕獲されたウナギは江戸に運ばれ、現在も量はわずかだが都内の店に卸されている。私も利根川に何度かウナギ釣りに出かけた。釣れるのはいつも小物ばかりだ。知り合いが大ミミズを餌に一メートルを超える大物を釣り上げ、それを貰ったことがある。あまりにも大きすぎて包丁を入れるのが怖くなった。それで長さ一・八メートルの水槽で飼育することになり、しばらく観察してから利根川に放流した。
天然ウナギは想像以上に神経質だ。餌の生きたドジョウも天然物なら次々と食べるが、養殖物はなかなか食べようとしない。同じ養殖物でも寒い東北地方のものは少し食べるが、南のものはほとんど食べない。暖地はどうしても魚の病気が発生しやすいので、それだけ抗生物質など予防薬を多めに使っているからだろう。口先に触れても見向きをしなかったのが、中国産の養殖ドジョウだった。
ウナギはこれほど身近な魚でありながら、世界で最も謎に満ちた生き物。その詳しい生態や産卵場所に関しては、これまで地道な研究が続けられてきたが、いまだに明らかになっていない。日本で食される蒲焼きは、海から河川に遡上する寸前の「シラス」と呼ばれるウナギの稚魚を捕らえ、それを養殖池で育てたものだ。ほかの養殖魚のように人工産卵で育てられたウナギは、世界に一匹たりとも存在しない。だから稚魚のシラスウナギが貴重になってくる。
実は、このシラスウナギが暴力団、中国マフィアの隠れた資金源になっている。それに触れる前に、利根川の恩恵にあずかっているヤクザの意外なシノギがもうひとつある。
利根川の下流域で、見たところ四十代の二人の男が、腰まで水に浸って川底のシジミを漁っている。腰まですっぽり入る、吊りバンド付きのゴム長靴を履き、上半身は裸である。一人の背中には多色彫りの鮮やかな「不動明王」の入れ墨が浮かび、もう一人は色鮮やかな「天女」の絵柄だ。川面で入れ墨が揺れているのだから、それはめったに見られない光景だ。「ジョレン」という本格的なシジミ漁具を汗だくになって引っ張っている。潮がだんだん満ちてきたため、二人はしばらくして川から上がった。
缶ビールが残っていたので、それを差し出しながら声をかけると、気軽に話に応じてくれた。採ったシジミの量は百数十キロで、目標の二百キロに届かなかったことを悔やんでいる。大量のシジミをどうするのか聞いてみると、案の定、「シノギだよ」とあっさり認めた。話をよく聞いてみると、高額で売りつけていることがわかった。がっしりした体格。眉毛が濃く顔全体に迫力がある。眼差しは柔和なほうだ。それが「不動明王」を背負ったほうだ。細かく数字を出しながら淡々と話した。
「店で国産シジミと表示しているのは、デタラメが多い。ほとんどが輸入物じゃないかな。輸入量がいちばん多いのが中国産で、それに北朝鮮、韓国、ロシアと続く。でも北朝鮮と表示してあるシジミなんて、店で見たことがない。俺が売るのはホンマモンの国産だ。粒の大きさにもよるが、夏場の店頭価格は一キロ千五百円から三千円だ。百、二百グラムに小分けされているけどね。俺はケツ持ちで付き合いがある店に一キロ三千円から五千円で売る。今日はギリギリ百五十キロあるので、最低でも四十五万円、うまくいけば七十五万円になる。三キロ以上買ってくれる店には、キロ当たり三千円で売っちゃうから、実際に入る金は五十五、六万円かな」
練馬ナンバーのワゴン車が、高く生い茂った葦に囲まれるように止まっていた。聞いてみると、二人が所属する組事務所は都内にある。歌舞伎町にも週に一、二回は出入りするらしい。今度は「天女」を背負ったほうが、シジミの入った網袋を川で洗いながら話した。痩せ型だが、肩や腕を見ると筋肉質だ。目つきが厳しく、入れ墨を見なくても雰囲気がヤクザ然としている。
「今どき、率のいいシノギはなかなかないもんな。俺なんか、普段はホストを締め上げて金を脅し取るのがシノギだもんな。ホストに金を吸い上げられた風俗のネエチャンに頼まれてね。シジミは誰の恨みも買わずに金が入ってくる。いいシノギだね」
国産のヤマトシジミで名の通った産地は、北は青森県の十三湖、南は島根県の宍道湖、そして利根川である。淡水に棲めるマシジミと違い、ヤマトシジミは海水と淡水が入り混じる低塩分の汽水域でないと生きられない。十三湖、宍道湖で非組合員がシジミを採れば、密漁で逮捕される。
だが利根川の場合は、三十年以上前に河口堰が建設された際、国からシジミ漁師が加入する地元漁業組合に約四十億円の補償金が出た。それで漁業権は白紙に戻ったと主張する者が大勢現われ、漁業関係者以外もシジミを採っているのが現状だ。ヤクザはそこに目をつけた。「不動明王」が再び話した。
「関東のヤクザの中には、千葉県でアワビを密漁するのがいる。黒アワビなら一キロ一万円以上で寿司屋に売れるからね。しかしだな、アワビは素潜りかスキューバ・ダイビングができないと無理だ。それに比べりゃ、シジミは簡単だ。でもシジミには千葉県のヤクザも手を出さない。川で泥底をかき回すのが恥ずかしいのかな。チリも積もれば山となるだよ。競争相手がいないから俺たちは助かる。多いときは週に一回来る。一カ月の稼ぎが一人百万円以上になることもあるよ。代紋を出して突っ張る必要もないし、どこかのヤクザと利権争いで喧嘩になることもない。元手もかからないし、体を動かすから健康にもいい。こりゃ最高のシノギだな。時間があれば、青森の十三湖まで遠征することもある。もちろん密漁だ」
ヤクザのシノギもさまざまである。寒ビラメと同じく、冬場の寒シジミは消費者に人気があって、店頭価格も夏場の三、四倍になる。だが、さすがのヤクザも寒さには弱いらしく、真冬の利根川には入りたくないという。
シラスをめぐる利権[#「シラスをめぐる利権」はゴシック体]
ところが二人とは逆に、寒さが厳しくなると動き出すヤクザがいる。目当ては、稚魚のシラスウナギだ。シラスは数センチ前後で無色透明。南の深海から海流に乗って日本沿岸に近づいてくるが、それが十二月から三月にかけて千葉県の海岸線にたどり着く。海中も弱肉強食の世界であることに変わりはない。日本にたどり着くシラスは、全体からみれば、ほんの一部だろう。それが河川、湖沼で水棲昆虫や雑魚を餌に成魚になる。しかし、これから河川を遡上しようとするときに、全国各所で網が待ち構えている。
シラスウナギは「生きた海の宝」といわれ、これが手に入らないことには養鰻業が成り立たない。千葉県の元養鰻業者に話を聞いた。
「夜間、港の岸壁の上からライトで海面を照らしていると、そこにシラスがチョロチョロ集まってくる。それを目の細かいタモ網ですくい上げる。おチョコ一杯分の量に二万円の値がついた時期もあったね。養殖の種苗がそんなに高くなってしまえば、養鰻業者は採算が取れなくなるから廃業するしかない。それで千葉県のウナギ養殖池は干上がってしまった。それに追い打ちをかけたのが、中国からの輸入ウナギだった。いくら冷凍物でも蒲焼き一匹がスーパーなどに百円で卸されることがあるから、零細業者はひとたまりもありませんよ」
シラスウナギが集まる時期になると、大勢の人がタモ網を持って、港の岸壁や河口岸に駆けつける。小遣いを稼ぐためである。網が大きければ、それだけ捕獲量も増える。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりが、一晩で十万、二十万円になることもある。本来は許可制で誰もが捕獲できるわけではない。しかし、こうした密漁が全国で横行している。船を使った大掛かりな密漁も後を絶たない。
それをヤクザがいち早く買い集めに回る。相手は密漁だから当然、買い叩かれる。
シラスがなぜ、ヤクザの資金源になるのか。シラスはあくまでも自然の恵みであり、タイやヒラメの養殖稚魚のように安定供給ができない生き物だからである。シラスの一キロは数千匹。養鰻業者の仕入れ価格は年ごとに大きく変わり、豊漁であれば一キロ十万円を切り、不漁であれば百万円を突破する。たとえ仕入れ価格が五百万円になっても、養鰻業を続けるためには赤字覚悟でそれを受け入れざるを得ない。
ヤクザが密漁シラスを扱うのは、利ザヤ稼ぎが目的である。国内が不漁であれば国内で売りさばき、豊漁であれば中国へ密輸する。ところが最近は国内相場が高くても中国へ運ぶケースが増えている。日本の相場以上の金を出しても、中国側が欲しがるからだ。人件費が安く、養殖コストが日本と比べものにならないほど安く抑えられるので、それでも十分利益が出る。
日本で養殖されるのはアンギラ・ジャポニカ種(通称ニホンウナギ)。このシラスは中国、台湾沿岸でも捕れるが、ウナギ養殖大国の中国には絶対量が少ない。それでフランスなどからアンギラ・アンギラ種(通称ヨーロッパウナギ)のシラスを輸入し、それも日本向けに養殖される。ヨーロッパウナギは目がパチッとして体型が寸詰まりだ。中国で蒲焼きに加工されるが、その際、脂肪分が多いため強めに蒸して脂抜きをする。それにコクを出そうとすると、タレがどうしても濃厚になる。その違いが市場価値を下げる。日本市場を相手にするからには、ニホンウナギで勝負するのが理にかなっている。その稚魚を中国側が欲しがるのは当然である。
それまで輸入ウナギの首位を守っていた台湾産が、九四年に中国産に追い抜かれ、その輸入量は十万トンを超えるまでになった。今は輸入ウナギの九割近くが中国産で、国内のウナギ流通量全体の約八割を占める。
こうした背景があるから、暴力団、中国マフィアが暗躍する。シラスウナギは成田、関西空港から香港経由で密輸される。シラスを入れた厚手のビニール袋をリュックサック、トランクなどで運ぶ。しかし、そのままでは「生きた海の宝」が一時間もしないうちに酸欠で全滅する。それを防ぐために出発前にビニール袋に圧縮酸素を送り込んでおく。
シラス密輸に関わった、関東のさる暴力団員が話した。
「一度に運ぶ量は、少ないときで三キロ、多いときは十キロを超える。一キロ三十万円で売れば、十キロで三百万円だ。密漁者に払った仕入れ代、飛行機代を差し引いても二百万円以上の儲けが出る。密輸回数を多くすれば、こんなちょろいシノギはめったにあるもんじゃない。シャブなら罪が重いから気軽にできないが、シラスは捕まっても知れたものだ。
これまでブローカーが成田で何人か捕まっている。自分で運ぶなんて、バカのやることだ。運び屋を仕立てれば、自分で罪をかぶらずに済むじゃないか。ヤクザがよく使うのは、闇金から借金して首が回らなくなった連中だ。錠剤(麻薬)を運ばせるためオランダ、タイに行かせようとすると、連中はビビッてしまう。でもブツがシラスだと、運び屋になるのもへっちゃらだ」
密輸先は、気候が温暖でウナギ養殖が盛んな広東省、福建省である。香港、マカオを抱くように広がる広東省は、ここだけで日本の約半分の広さがある。この広東省には、中国共産党に忠誠を誓った「新義安」のほかに「14K」、「和勝和」など、系統の異なる香港マフィアが十組織近く進出している。言葉が共通であることも進出の大きな理由だ。それらが地元勢力と結託している。中には裏で養鰻業に資金を投じ、暴利をむさぼっている組織があるといわれる。
先の暴力団員からシラスを引き取ってきたのは、福建省福清市を根城にする黒社会の関係者である。養鰻業者に引き取らせる際、中国側が何割上乗せするのかわからないが、こちらも利ザヤ稼ぎが目的。日本沿岸で密漁されたシラスは安い人件費で育てられ、それが二百グラム前後の大きさになると、加工品、あるいは活ウナギで日本に逆流してくる。それに日本の養鰻業者は苦しめられる。スーパーで蒲焼きを見ればわかるが、中国産には値段で勝ち目がない。
北の海からはロシアマフィアの暗躍によって安価なカニが入り、南の海からやって来たシラスウナギは、日中の裏社会を通して中国沿岸部の養殖池に運ばれる。一方、捕獲をまぬがれたシラスウナギは、利根川流域で一メートルまで成長する。遡上したウナギが生まれ故郷の南海に戻るのは、およそ八年後。産卵のためである。サケは生まれ故郷の河川に戻って産卵、そこで絶命する。だがウナギはそれとは対照的だ。
晩秋から降海を始める利根川の親ウナギは、海水に慣れるまで河口付近にしばらく滞留する。そして寒さが増しヒラメ釣りのシーズンが本格化する十一月ごろ、千葉県沿岸からしだいに離れてゆく。同じ時期、その南下する親ウナギとは逆に、南から千葉県沖に向かって北上する船がある。中国人を乗せた密航船である。この海域は、蛇頭とよばれる密航ネットワークが、密入国者を日本に運ぶ航路でもあるのだ。私は「密航銀座」ともいうべき海域の近くで何年も前から釣り糸を垂らしていたのだ。
「14K」は、密航ビジネスにも手を出す香港マフィアの組織名。それでは「141K」は何を意味するのか。私にも初耳で一瞬、新たなマフィア組織の誕生かと先走った。しかし、そうではなかった。
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密航の仕組み
「141K」は、密航の重要符丁である。「K」は「KEIDO」(経度)の頭文字。141Kとは、つまり東経141度のことだ。東経は英語で「EAST LONGITUDE」であることから、中国の蛇頭や香港マフィアの間では通常、「141E」と呼ばれる。中国からの密航船は、東シナ海から太平洋の公海に船首を向け、それから東経141度線に沿って千葉県沖に北上する。
海上で船から船へ荷物を引き渡すのを「瀬取り」と呼び、この方法は本来、海産物の取り引きに使われてきた。密航者は蛇頭にとって巨額の金を生み出す生鮮船荷であり、千葉県沖でも瀬取りによって中国人の受け渡しが行なわれてきた。密航者を沖合で引き取るのは、漁船やクルーザーであり、そこには暴力団関係者の手が伸びている。密航者を迎え入れた船が、遡上するシラスウナギと同じように利根川に入ることもある。下流域の岸には多数の船が係留し、そこから数分も走れば、人目につきにくい川原が広がっている。密航者を上陸させるには最適のロケーションである。
広い海原で密航者を受け取るには、事前に経度と緯度、それに日時を知っていなければならない。そこで蛇頭が指定してくるのが、先の東経141度線と北緯35度線の交差地点である。そこは、犬吠埼の灯台から約二十三キロ先にあり、漁船でも一時間とかからない。クルーザーなら三十分でたどり着く距離だ。日本は領海を海岸線から十二海里(二十二・二二四キロ)と領海法で決めている。蛇頭の指定ポイントは、領海からさらに八百メートル外に出た公海である。
ドッキング場所が決まっても、引き渡す側、引き取る側は互いに顔を知らない。間違って別の船に接近するようなことがあれば、不審船と通報され、密航計画が頓挫することもあり得る。それを防ぐために事前に合図を決めておく。それは、密航に詳しい人物によれば、こんな具合である。
「中国側はマストに赤や青のランプを取り付け、二つ同時に点灯するか、交互に点滅するかを伝えておく。日本側はまず合羽《カツパ》の色を決める。海上でいちばん目立つ黄色を選ぶことが多い。次に舳《みよし》(船首)に立つか、艫《とも》(船尾)に立つか、それとも左舷、右舷の真ん中に立つか、いずれかを伝えておく。両方が合図に納得し、周囲に別の船がいなければ、すぐにドッキングする。
十五、六分で五十人が乗り移れる。海が荒れていれば、一時間以上かかるかもしれない。密航者は日本に着いたことを喜び、歓声を上げながら出迎えの船に飛び乗る。そのとき、片側に人が集中するから、船がバランスを失って転覆しそうになることもあるね。飛び移る際、足を踏みはずして海に転落するのもいる」
出迎え船には中国人の通訳が乗船することが多い。在日蛇頭が暴力団員を通して通訳を回してくる。通訳が必ずしも蛇頭の一員とは限らず、「魚を受け取りに行く」と嘘をつかれ、金に困った中国人就学生や中国語が話せる残留孤児の二、三世が利用されることもあるという。
ドッキング場所を正確に決められるのは、密航船も出迎え船も人工衛星を使った「GPS」(全地球測位システム)を搭載しているからだ。だがGPSを使ったからといって、密航がいつも成功するとは限らない。九七年二月に検挙された事件が、その典型的なケースだ。
船長、乗組員ら六人のほかに密航者六十一人が乗った船が、上海を出港して六日目に犬吠埼沖の先のポイントに到達した。ところが、迎えに来るはずの日本船が、いくら待っても現れない。船を探しに同じ海域を動き回っていると、そのうち不審船と睨んだ海上保安庁の巡視艇が遠巻きに追跡を開始した。しかし密航船は追跡に気付かず、千葉県沖から南下して伊豆諸島の八丈島に上陸した。結局、その日のうちに六十七人全員が捕まったが、乗っていた中国人すべてが福建省の出身だった。年齢層は十九歳から四十三歳と幅があり、そのうち女性は九人。
出迎えの船が指定海域に近づけなかったのは、巡視艇の動きに気付いたからだ。日本の漁船は高性能の船舶無線、さらに周囲六十キロの船舶位置がわかるレーダーを備えており、巡視艇が警戒活動に入れば、位置はもちろん、航行速度もわかり、動きをすべて追尾できる。
手数料は一人約三百万[#「手数料は一人約三百万」はゴシック体]
この六十七人が乗った船が犬吠埼沖で発見された日、同じ海域で別の密航船が海上保安庁の航空機に発見された。
「船が沈みそうだ」
このときは、横浜の第三管区海上保安本部に中国語で救援を求める匿名電話が事前に入った。電話の男は在日蛇頭の一味と思われるが、男の言うとおり、赤さびた老朽漁船は浸水で沈没寸前だった。船には乗組員四人、密航者三十九人が乗り込んでいたが、すべて救助された。船の位置が公海上だったため、密航者は事情聴取後、中国へ帰された。刑事罪に問われないことがわかっていたから、蛇頭も救援を要請したのだろう。
船が沈没して全員が死亡したとわかれば、蛇頭は中国で信用を失い、新たな密航計画を立てても客を集められなくなる。どの蛇頭も同業者と上陸成功を競い合っている。この事件からわかるのは、蛇頭が常時、密航船と連絡を取り合っていることだ。出発前、船長は蛇頭から無線機の周波数と発信時刻を記したメモを渡される。日本の携帯電話を渡されても、それが通じない場合があるからだ。
この九七年二月は密航船ラッシュで、沈没寸前の船が救助された二日前には、まず伊豆半島の東に浮かぶ大島沖で三十八人が乗った船が見つかり、次の日、静岡県下田市の海岸に接岸した船には四十一人が乗っていた。
密航船に残されていた海図や船長の事情聴取からわかったが、蛇頭が船長に指示していたドッキング場所は、いずれも東経141度線と北緯35度線が交差する海域だった。
次々と押し寄せたこれら四隻の密航船には、乗組員を除いて計百七十二人が乗っていた。密航手数料の相場は一人当たり日本円換算で二百九十七万五千円(当時)。全員が上陸に成功していれば、蛇頭側に五億一千万円を超える金が入っていた。何度失敗しても、これでは密航ビジネスがなくなるわけがない。
〇一年七月には、千葉県南部の千倉漁港から数十人の中国人密航者が上陸したことが発覚。その三カ月後には、日本漁船がやはり千葉県沖で九十一人の中国人密航者を受け取った。しかし上陸寸前に逮捕されている。千葉県だけでも密航事件が何件も起きている。水際で食い止められるのは、氷山の一角に違いない。
同じ〇一年のことだ。年に四回の密航計画を立て、計三百九十六人の中国人を日本に密入国させた男が、福建省の公安警察に逮捕された。男は蛇頭の大物リーダーで地元では「密航王」と呼ばれていた。この男の場合は、密航手数料が日本円で一人当たり約二百七十八万円と他の蛇頭より二十万円ほど安いが、それでも十一億円という大金を集めている。
福建省は約三千三百キロの海岸線を持ち、そこに千五百近い島が点在する。日本側の要請で中国側の取り締まりも厳しくなっているが、すべての島を常に監視下に置くことは難しい。
全国的にみれば、年間どれくらいの人数が日本に上陸しているのか見当もつかない。
密航事情を知る関係者に聞くと、密航の方法も変わってきている。
「オンボロ漁船は逆に目立つので、ほとんど使われなくなった。近ごろは、中国船が公海上で他国の貨物船、コンテナ船に密航者を預けるケースが増えている。船底部に巧妙に隠し部屋を作る貨物船があるから、密航者を発見するのが非常に難しくなった。かつては密航者の船内暴動を抑えるため、武器を持った蛇頭が何人か船に乗り込むことがあった。だが今は貨物船の船長にすべて任せるようになった」
現在は、大型貨物船の船長、船員を買収し、一度に数人ずつ運ぶ手口が急増している。人数が少ないほど目立たないし、上陸後も移動が容易になる。出発前に簡単な日本語を習い、さらに日本製の衣服を用意し、夜間、隙を見計らって身奇麗な姿で上陸する。
巧妙化する密航の闇。日本で深く沈む密入国者の闇。それは謎に包まれたウナギの生態と同じように、解明するにはまだまだ時間がかかる。
名古屋港は密航銀座[#「名古屋港は密航銀座」はゴシック体]
密航に関わった複数の関係者に聞くと、中国人の密入国者が国内で最も多く上陸するのが名古屋港だという。だが、名古屋で中国人密航者が検挙されたという話は、ほとんど耳に入ってこない。届いてくるのは、上陸成功の話だけである。
関東在住の元暴力団員は、名古屋から都内まで何度も中国人密航者を運んでいる。
「たった二人のときもあれば、十四人のときもあった。普通は五、六人だね。中国籍の船はマークされているから、最近はあまり使われない。中国人の船員が乗り込んでいる別の国の船を使っている。低賃金で雇えるから、今は世界中の貨物船に中国人が乗っている。船員の中に一人でも中国人がいれば、密航者には何かと便利だからね。
船員そのものが密航者だったこともある。蛇頭が正規の船員手帳を手に入れ、それを密航者の写真に張り替える。船員手帳はパスポート代わりになるから、それで堂々と上陸の許可が出る。上陸したら、そのままトンズラだ。蛇頭は、上陸した密航者から船員手帳を取り上げ、それを同じ船に乗ってきた別の中国人船員に預けたり、あるいは中国に送り返して同じように何度も使う。この手口は外国の貨物船が入る港なら、全国どこでも行なわれている」
これとほぼ同じ手口の密航事件が、〇六年二月になって初めて摘発された。若松海上保安部(北九州市)が摘発したのは、船主が同じで船籍を中国、パナマに分けた二隻の貨物船。〇四年十一月から〇五年十一月までの一年間に、徳島、富山、千葉など八県十三港から中国人のニセ船員約百人を上陸させていたことがわかった。貨物船は〇四年以前から国内各地に入港していたから、闇に消えた中国人のニセ船員は相当な数にのぼるだろう。
九州での摘発から四カ月後の六月には、遼寧省の大連港を出た貨物船が、三重県の四日市港で海上保安部の立ち入り検査を受けた。貨物船の船籍は黒海に面したグルジア共和国だった。中国人乗組員十二人の船員手帳を調べると、そのうち四人が密航目的のニセ船員とわかった。
その船員が持っていた携帯電話の通話先を調べると、在日蛇頭とみられる中国人の密航者引受人二人が浮かび上がった。二人は横浜市内のアパートで逮捕された。一人(22)は、捕まる一カ月前に千葉県松戸市で殺人未遂事件を起こし、指名手配中の男だった。もう一人も窃盗容疑で手配されていた。上陸したニセ船員は、こうした男たちと手を組むことになり、外国人犯罪の輪がさらに広がっていく。
名古屋港から密航者を運んできた先の元暴力団員がさらに話を続けた。
「ときどき、密航者の中に流暢な日本語を話す者がいる。日本人と変わらないくらいペラペラ話すので、『どこで習ったの?』と聞いた。そしたら『日本で習った』と言うから、最初はビックリしたよ。不法滞在か別の悪事で捕まり、日本から強制送還された連中だ。強制送還の二カ月後に舞い戻ってきた男もいたね。こういった連中は、歌舞伎町はもちろん、池袋、上野なんか、日本人よりも詳しい。俺も前はスジ者(暴力団員)だ。だから直感でわかるが、こいつはタダ者じゃない、人も殺しているな、そう思わせる男が何人もいたね。土建現場で汗を流すタイプじゃない。強盗とか、荒い仕事に手を出すのは目に見えているね」
歌舞伎町でクラブを共同経営する中国人男性から聞いたことがある。
「ある上海マフィアが不法滞在で強制送還された。ところが二カ月後、そいつを風林会館の近くで見かけた」
先の元組員の話と符合する。中国人は、密航を冒険旅行ぐらいにしか考えていない。市場経済によって貧富の差が広がり、それによって生じた中国社会のひずみが密航者を出している構図は、九〇年代も今も変わっていない。
以前は密航者といえば、その出身地はほとんどが福建省だった。今も福建省出身者が多いことは事実だが、出身地に変化が出てきているという。元暴力団員が話を続けた。
「最近は上海出身が少ない。上海は景気がいいからだろうね。逆に増えているのがトンペイ(中国東北部)出身だ。ここは貧しい地域らしいね。ほかは地名を聞いても俺にはわからない。一言も喋らん奴がいるから、実際のところはわからないが、北京から来たというのは、これまで一人もいなかったな」
日本の中国人裏社会で、九〇年代後半からじわじわと勢力を張ってきたのが東北部出身者だ。ヤクザの間では、「トンペイ・マフィア」といわれる。名古屋から東京に運ばれるトンペイ出身者も勢力拡大の一翼を担っているに違いない。
この元組員が蛇頭から受け取る報酬は、運ぶ人数に関係なく、一回の運搬で五十万円と事前の話し合いで決めている。この話を持ち込んできたのが、名古屋在住の蛇頭だった。
「運搬以外には関わらない」
これが元組員が出した条件である。これまで蛇頭、密航者との間にトラブルは一度も起きていないという。だが、ここ数カ月は運搬する回数が減った。
「密航が減ったわけじゃない。逆に増えているんじゃないか。それとなく聞いてみると、新幹線を使うケースが多くなってきたらしい。三人は東京に行きたがっているが、ほかの二人は同郷の知り合いがいる大阪、九州に行きたい、そんなふうに密航者にも希望がある。それにいちいち車を出せないというわけだ。金がかかりすぎるしね。
これまでは、日本が初めての者は、とりあえず東京で生活に慣れ、それから望みの土地に分散していた。東京には、蛇頭にとっても密航者にとっても安全な隠れ家があった。どこにあるか知らないが、それと同じような隠れ家を愛知県内につくったようだ。そこにいる間に、密航報酬の残りを中国の家族に払ってもらうと言っていた。出発前に半額を貰っているらしいな。
蛇頭にも系統が違うグループがいくつもあるんだ。手荒な連中もいれば、密航者の面倒をよく見る連中もいる。俺が付き合っているのは後者だね。密航者を大事なお客さんだと思っている。密航者に逃げられ、金を取り損なったことは一度もないと言っていたよ」
一回で五人を上陸させれば、蛇頭側には千五百万円近い報酬が入る。東京湾、大阪湾は船舶の出入りが激しく、世界各国の貨物船が入港する。そのため、これまでもしばしば密入国に利用されてきたが、現在は名古屋港が最大の穴場≠ノなっている。なぜ、穴場になったのか。言うまでもなく港湾警備が手薄だからだ。成功の確率が高ければ、一回に運ぶ人数が少なくても回数でカバーできる。
隣りにいる密航者[#「隣りにいる密航者」はゴシック体]
ほとんどの日本人が、自分だけは不法滞在者、密入国者と縁がないと思い込んでいるが、それはあまりに暢気《のんき》すぎるというものだ。すぐ隣りに住んでいるかもしれない。
現在、日本にはおよそ二十五万人の不法滞在者と、推定五万人を超える密入国者がいる。このほかに偽造パスポートで空路入国した者、偽装結婚で日本人の戸籍に入籍した者など、こうした素性不明の外国人が何千人、何万人いるか実態が掴めていない。皆、警察、入管に気づかれまいと常に周囲を警戒している。だからといって、山中の洞窟で寝起きしているわけではない。大半がアパート、マンションに住んでいる。
私の知り合いが、東京・中野区内の賃貸マンションにイベントプロダクションの事務所を持っている。その隣室に住んでいた中国人二人が、ピッキング窃盗で捕まった。狙われたのは東京郊外のマンションで、二時間ほどの間に五軒が被害に遭った。逮捕された二人は密入国者だった。ほかに三人が逃走したが、これも同じ部屋に同居していた密入国者とわかった。五人は同郷で九〇年代半ばから後半にかけて上陸した。
部屋の借り主は、正式な在留資格を持った中国人就学生。警察は、密入国者を同居させた経緯について就学生から事情聴取した。その後、私も就学生から独自に話を聞いている。この種の話が外部に出ることはないので、その一端を明らかにする。
〇二年二月、就学生が中国浙江省の実家に国際電話で定期連絡を入れると、父親からこう言われた。父親は中学校の教師である。
「ちゃんとした人に頼まれた。台所でもどこでも寝る場所があればいいということだから面倒見てやるように。みんな、部屋代を出すと言っている。それなら、お前も助かるだろう。うちの地元ではないが、出身は五人とも同じ浙江省だ。お前と同じ就学生ということだ。日本語学校から大学に入った留学生も一人いるらしい。お前より先に日本に行っているから、参考になる話を聞けるだろう。父さんは五人の親とは会ったことがない。でも、ちゃんとした人を通しているから問題はないだろう」
その「ちゃんとした人」というのは、福建省の北に隣接する浙江省で、農業機械やオートバイ、自転車などを手広く販売している事業家だ。地元ではよく知られた人物らしい。その事業家が、密入国者五人の親から頼まれた。
「今、息子が日本にいる。今まで部屋を借りていたが、つい最近、契約期限が切れてしまった。まもなく中国に帰るので、これから部屋を借りるのは金がもったいない。部屋を借りるとき、日本では家賃の何倍もの金がかかる。そういう事情があるので、日本で部屋を借りている中国人を知っているなら、息子を紹介してほしい」
短期間に次々と同じことを頼んできたので、五人の親は当然、示し合わせていたはずだ。いずれも息子が密航者とわかったうえで嘘の口実を出してきたのだから、親のほうも相当悪質である。
就学生は、同居者が逮捕されてすぐに父親に連絡を入れた。
「連中が泥棒で警察に捕まった。あいつら、留学生、就学生ではなく密航者だった。自分も共犯ではないかと警察に調べられている。部屋の中も持ち物もぜんぶ調べられた。中国に帰されるかもしれない。逮捕されるかもしれない。父さんがおかしな連中を紹介してくるからだ。どうして、こんなことになったのか、警察に事情を説明しなければならない。だから紹介者に話を聞いてほしい。紹介者に頼んで、連中の親の話も聞いてほしい」
就学生の父親は最初、言葉を失うほどうろたえ、それから気を取り直して仲介役の事業家に問い質した。
「五人は密航者だ。嘘をついていたのか?」
事業家は慌てふためき、こう弁明してきた。
「何も知らなかった。私も親に騙された。商売柄、客の頼みを断われなかった。迷惑をかけて申し訳ない」
父親は、事業家が嘘をついているとは思えなかった。五人の親は、息子が密航者だったことは認めたが、窃盗で捕まったと聞くと、大声で怒り出す親もいた。
「嘘言うな! 俺の息子は盗みをやる人間じゃない!」
親心というのは、どこの国でも同じである。息子が真面目に働いていると思っていたのだ。どの親も息子が日本から送った金で事業家から耕耘機、オートバイなどを購入していた。
就学生は、父親から聞かされた話をそのまま警察に伝えた。警察も就学生の説明を信じ、「事件と無関係」と判断して罪に問わなかった。
同郷人の結びつき[#「同郷人の結びつき」はゴシック体]
しかし私に言わせれば、五人と四カ月も同じ部屋で暮らし、日頃の生活ぶりを見ていたら、留学、就学生でないことは容易にわかったはずだ。その後、就学生に私はズバリ聞いてみた。
「途中で密航者とわかっただろ? わからなかったら、あなたは珍しいお人好しだ」
「お人好しという言葉は、良い人間という意味か?」
「そんな意味もあるが、俺が言っているのは違う。間抜け、バカといった感じだな」
就学生は一瞬、不服そうな顔をした。だが、私が言うことをすぐに理解した。そして当時の複雑な胸の内を明かした。
「五人が部屋に移って来て、その日に密航者と気づいた。いくら父親に頼まれたといっても、一緒に住むからには簡単な身元確認をしておきたい。それでパスポートを見せるように言った。でも誰も出してこない。どこの日本語学校に行っているのか聞いても、まったく教えてくれない。それで密航者とわかった。でも、俺のほうから『お前ら密航者だろう?』とは聞けない。父親や友達が間に立っているときは、知っても知らない顔をする。普通の中国人なら、そうするのが当たり前だ。だから大勢の不法滞在者、密入国者が何年も日本に隠れ住むことができる。こちらが密航者と気づいていることは、相手も知っていますよ」
素知らぬ顔で悪を見逃すのだ。そこには中国人流の合理的、功利的な生活の知恵がある。
「密航者とわかっても、相手が同郷の浙江省出身なら、警察に本当のことは言えない。話して自分や家族のプラスになることは何もないですからね。恨みを買う分、こちらが損をする。自分にとって大事なのは、連中と一緒に犯罪をやらないということ。時計や商品券、ビール券を何度も出してきたが、一度も受け取らなかった。盗んだものだからね。だから警察は私を逮捕しなかった。家賃は一人二万円だった。五人で十万円だから、私は電気、ガス、水道代だけ払えばよかった。父親から最初、『お前も助かるだろう』と言われたが、家賃については父親の言う通りだった」
同居者二人が逮捕されて十カ月ほど経った〇三年四月、就学生は私にこんなことを伝えてきた。
「仲介した実業家から父親が聞いた話だが、警察に追われていた三人は中国に帰っている。日本に来たときと同じように密航で帰国したんだろうね。だって、それしか帰る方法がない。とにかく中国人はバイタリティーがある。目的地に金があると思えば、中国人は危険を恐れないですからね。同じ中国人として尊敬しますよ」
就学生が言う「尊敬」は「ションケイ」と聞こえた。顔が笑っていた。その笑いには自嘲が含まれていたが、それよりも強く感じたのが自負心だ。勝ち誇ったような笑いだった。
現在、就学生は留学生ビザに切り替え、アルバイトを続けながら都内の私立大学に通っている。雇っているのは、隣室をイベントプロダクション事務所にしている私の知り合いである。
知り合いは、「身近に密入国者なんて、いるわけがない」とタカをくくっていたが、実際は壁を隔てて五人も住んでいたのである。いつのまにか密入国者が隣人になる。日本ではこんなことが、いつでもどこでも起こり得る。
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日本ヤクザ対香港14K
密航をめぐって、新宿で香港マフィア「14K」と関東の指定暴力団が正面衝突し、事態は危機一髪のところまで突き進んだことがあった。
「そのときは、どっちもチャカ持っていたから、撃つか撃たれるかだった。14Kのやつら、俺たちに向かって、『言うこと聞かないなら、殺すだけだ!』と脅してきたからな。こっちが言いたいセリフだよ。危うく撃ち殺されるところだった。だがよ、ヤクザだって、そんなに甘いもんじゃねえ」
そのときの緊迫した場面がよみがえってきたのか、指定暴力団の幹部は体をしきりに揺すりながら語りだした。
一九九九年九月、太平洋に面した千葉県の小さな漁港から中国人密入国者十八人が上陸した。ところが上陸当日、十八人のうち七人が逃げ出し、行方をくらましてしまった。これが衝突の直接の原因となった。
「密航者を積んだ中国船が、外房沖の公海にやってくる。それを、こっちで用意した漁船に移し替えて港に運ぶ。それからカーテンを閉めたワゴン車二台に連中を押し込み、埼玉県まで運んだ。ワゴン車の後ろを見張り役の車が追った。そして十八人を草加市内のある倉庫に隠した。幹線道路をはずれたりしたから、港から倉庫まで四時間半ぐらいかかったな。そこまでは手はずどおりで、請け負った仕事はほぼ完璧にやったつもりだ」
「三包《サンパオ》」といって、蛇頭は密航希望者を募る際、日本上陸、住む家の面倒、仕事の世話の三つを条件にする。ヤクザに仕事の世話を頼む場合は、別に報酬を出さなければならない。だが、目の前のヤクザが蛇頭と約束したのは、密航者を倉庫まで運ぶことで、そこから先には関わらないことになっていた。倉庫では、蛇頭のメンバー三人が待っており、密航者を受け取った。
「前の晩からパンぐらいしか食っていないから、俺たちは腹ペコだった。途中でコンビニに寄れば、店の監視カメラに顔が残るし、売上げ伝票も残る。万一に備えて、それはやりたくなかった。東京でオニギリやソーセージ、菓子類をダンボールに一箱分買っていった。だが、それは密入国者に車の中でぜんぶ食われてしまったからね。連中だって腹ペコだから、奪い合いで喧嘩になりそうだったよ。顔が真っ青になり、船酔いが残って倒れ込んでいた女がいた。そいつがいきなり起き上がって、セロファンが付いたままオニギリに食いついたからね」
ヤクザ五人は朝九時ごろ、倉庫を離れ、車で十分ほど離れたファミリーレストランに食事に出かけた。その間に、密入国者の逃走事件が起きたのだ。
「これで仕事が終わり、まとまった金が入ってくる。そう思って、ホッと一息ついた。それから三十分もしないうちに、倉庫にいた蛇頭メンバーから携帯に連絡が入り、『逃げられたァ!』と大騒ぎしている。まだ飯を食い終わっていなかったが、急いで倉庫に引き返した。人数を数えてみると、確かに七人が消えている。密入国した全員が福建省の人間と聞かされていたが、若い女が二人いたな。その一人も逃げていた。
蛇頭の連中に話を聞くと、後ろ向きになった瞬間、ビニールシート、毛布をかぶせられ、近くに転がっていた鉄筋の切れ端で殴られたり、竹ぼうきを振り回されたりして、あっさり逃げられたらしい。蛇頭の一人がチャカを持っていたのは知っていた。だが発砲すると、誰かに銃声を聞かれて警察に通報される危険がある。そうなると、残った十一人も金にならなくなってしまう。だから撃たなかったというわけだ。いずれにしても、逃げられたのは蛇頭の手落ちであって、俺たちの責任ではない。そこから喧嘩が始まったんだよ」
密航計画を仕切ったのは蛇頭である。密入国者が蛇頭に払う密航手数料は、日本円換算で一人当たり二百九十四万円と中国を出る前に決められていた。蛇頭に払う手数料は、出国前に二、三割の手付金を払うこともあるが、基本的には「成功報酬」の形をとる。途中で船が故障して日本に辿り着けなかったり、辿り着いても上陸間際に当局に逮捕されてしまえば、密航は失敗に終わったことになり、手数料の残金は払われない。
蛇頭の目の前で、密入国者本人が携帯電話などで本国の家族と直接話し、上陸成功を確かめ合ってから、本国の家族が残金を払うことになる。家族が金を用意できない場合は、上陸した夫や息子がナイフで皮膚を裂かれたり、タバコの火を押しつけられるなど、激しいリンチを受ける。その痛々しい悲鳴が携帯電話で中継される。結局、高利貸しに頼ることになり、その返済のために、一攫千金を狙って強盗集団に引き込まれていく密入国者がいる。
家族が最後まで支払いを拒めば、密航者が殺害されることがある。殺されずに済んでも、完済するまで身柄を拘束され、犯罪の手先に使われる者もいる。
ところが、先の七人は、肉声を家族に伝える前に逃げたため、蛇頭にとっては、上陸成功を相互確認する手だてがなくなってしまった。蛇頭にとっては、最終場面で密航者に逃げられるのは最悪の事態だ。
密航者を人質に[#「密航者を人質に」はゴシック体]
ヤクザへの支払いも成功報酬が条件だった。中国本国の蛇頭が密航者の家族から受け取る手数料総額は、本来なら十八人で五千二百九十二万円。ヤクザの取り分は、その四割弱の二千万円と決まっていた。本国の蛇頭にとっては、逃げた七人分の二千五十八万円が消し飛んだため、ヤクザへの報酬を差し引くと、手元に残るのは千二百三十四万円。中国から外房沖までの運搬料のほかに、密航希望者を募って計画を実現するまでにさまざまな費用がかかっている。これでは密航ビジネスとしては大した儲けにならない。それどころか、赤字になっても不思議ではない。
「それで蛇頭の連中は、『半分の一千万円しか払えない』と報酬を値切ってきた。『てめえら、約束を破んのか、ふざけんな! 日本のヤクザがそれで引き下がると思うんか!』と怒鳴りつけた。蛇頭は三人、こっちは五人だ。そのうち三人がチャカを持ち、ほかの一人は刃物を持っていた。いざとなれば、どうにでもできるし、こっちは強気だよ」
蛇頭のメンバーたちは、かならず拳銃や青龍刀で武装している。密航者の中に凶暴な男がいた場合に対処するため、また日本にいる別の蛇頭、中国マフィアらに密航者を奪い取られるのを防ぐためだ。実際、密航者の奪い合いが原因で九〇年代に日本で蛇頭どうしの殺人事件が起きている。
幹部が続ける。
「相手は、『香港の本部が半分しか払えないと言っている。そうしないと損する』の一点張りだった。そんなこと知るもんか。逃げられたのは、蛇頭がトンマだったからだ。倉庫を探し、動いてくれる漁船を調達するのに、十人近いヤクザが駆け回っているんだ。それも別の組の人間まで、報酬を条件に動いてもらった。漁船を動かすだけで、仲介者の謝礼を含めて二百万円も払っている。報酬を半分に値切られたら、こっちが赤字になる」
幹部の声がしだいに大きくなる。グラスの氷をカラカラと回し、残りのコカ・コーラを一飲みしてから、元の抑えた声で話を続けた。
「残った十一人の密入国者を我々の管理下に置いた。蛇頭にとっては、大事な生きた商品だが、それを人質に取ったわけだ。たとえ家族が手数料の支払いを済ませても、密入国者を倉庫から出さないことにした。二千万円を払わせるか、それとも払うと約束するまではな。
蛇頭たちは、密入国者に家の電話番号を聞いて、家族に連絡を取ろうとしていた。一刻も早く家族に金を払わせたいからだ。こっちは、連絡をやめさせようとして、蛇頭から携帯を取り上げた。ある組員が、取り上げた携帯をコンクリートの床に叩きつけようとしたら、『やめてくれ!』と取りすがってきた。放り投げるように返してやったけどな。これも追い込むための圧力だ。まあ、こういうやり方は、ヤクザが得意だからね。
家族と話せなければ、金が入ってこない。蛇頭の連中は焦ってて、中国語で何かわめいていた。相手は三人だ。俺たちと喧嘩になったら、勝てるわけがない。それが十分わかっていたはずだ。こっちは仲間を三人呼んで、計八人で倉庫に陣取っていたからね」
密航者を送り出す本国蛇頭、密航者を受け入れる在日蛇頭。密航は大きく二手に分かれて行なわれる。
倉庫にいた蛇頭三人は、いずれも在留年数が長く、日本語をよく話せたという。密入国者を倉庫に運んだヤクザの何人かは、その三人と以前から付き合いがあった。九〇年代前半、裏ロムや偽造パッキーカードによる不正パチンコが全国で横行し、その最前線で暗躍したのが、上海や福建省出身のグループだった。三人の蛇頭は上海人で、もともと不正パチンコの実行グループに属し、ヤクザとは持ちつ持たれつの関係にあった。ヤクザに偽造カードを安く分け与える代わりに、日本人打ち子≠ヤクザに調達させていた。シノギに困っていたヤクザは不正パチンコに飛びつき、中には中国人にアゴで使われる者がいたことも事実である。
その後、三人は在日蛇頭に転じ、中国人を密入国させる裏ビジネスに関与する。それにヤクザが報酬目当てに協力するようになり、ずっと蜜月関係が続いていたのだ。
蛇頭側から連絡があったのは、密入国者を倉庫に運び入れて三日後の夕方だった。ヤクザ幹部が話を続けた。
「蛇頭の一人から呼び出しの電話が入った。指定された場所は喫茶店だ。歩けば歌舞伎町から十数分かかるかな。山手線の新大久保駅からそんなに離れていない店だった。今でもある店だよ。
こっちは倉庫にいた八人全員で行った。倉庫の見張りは、別の組員数人に任せていた。俺には初めての店だったね。こっちは用心のために三、四人が拳銃を持っていた。中国人はすぐカッと頭に血が上るし、そんなときは何をしてくるかわからない。俺たちもすぐカッとなるけど、中国人の場合は、次の手が読めない。そこが怖いんだよな」
喫茶店に来ていた中国人は総勢七人。そのうち一人が、倉庫にいた蛇頭だった。
「聞くと、こいつが通訳をやるということだった。ほかの六人は、どいつもこいつも初めて見る顔だった。いったい、これはどういうこっちゃと思ったね。口を動かしたのは、その中の二人だけで、『コンニチワ』と言ってきた。日本語はそれだけだった。ほかの連中は一切話さないから、日本語がわかるのかどうかも確かめようがなかったね。みんな、三十代、四十代といった感じで、スーツをピシッと着こなし、見た目にはジェントルマンといった印象だった。ところがな……」
と幹部は両拳を握り締めた。
「あんな顔、俺は見たことがない。人を殺したヤクザは回りに何人もいるが、あんな顔ではない。何と言ったらいいのか、前にいただけで体が切り刻まれるような殺気が漏れてくるんだよ。あんな連中がよくも揃ったもんだ。目がナイフみたいだった。それくらい細いんだよ。ひとり、目の縁が黒ずんだ奴がいてね、人を脅すために生まれてきたような顔だった」
初めに「コンニチワ」と言った二人が、リーダー格だったようだ。時折、笑顔を見せるものの、その言い方、言い分は一貫して強腰だった。
「蛇頭が通訳したが、相手は『俺たちは香港から来た14Kの者だ』とはっきり言ってきた。14Kといったら香港マフィアじゃねえか。なんで、こんなやつらが出てくるんだと不思議でならなかった。そこで、あっ、そうか、とピンときたね。密航計画を裏で仕切っているのが14Kというわけだ。そうでなかったら、ここまで出張ってくることもないなと思った。
それから、リーダー格が『倉庫から中国人を出さないと、お前たちを殺すことになる。電話一本で殺し屋を呼べる。いつでも日本に飛んで来る。倉庫から中国人が逃げた責任は、お前らにある。逃げられたのは、お前らが食事に行ったからだ。行かなかったら、逃げられなかった。お前らが悪い』と一方的に言ってきた」
香港、マカオには大小合わせて系統の違う黒社会が五十組織以上あるといわれる。返還前年の九六年五月、香港でこんな事件が起きている。出版社の社長が、訪ねてきた二人組に社内でいきなり左腕を切り落とされた。刃の大きな中華包丁が使われた。中国人が言うには、これは黒社会が使う典型的な脅しの手口だ。言うことを聞き入れなければ次は利き腕の右腕、それでダメなら次は命を取るという、香港マフィアならではのメッセージである。犯人はいまだに捕まっていない。14Kを名乗る六人は、中華包丁の代わりに拳銃を持ち、ヤクザを露骨に脅してきた。
呼び出しの電話の際、蛇頭の男が持ちかけてきたのは、話し合いによる解決だった。
「いくら話し合いでも、落とせる金額は二、三百万円だ。それを頭において話し合いに行ったつもりだ。ところが相手は最初から話し合いなんか考えていない。『金は半分で我慢しろ』と何度も同じことを言ってくる。さらに頭にきたのは、『日本のヤクザは怖くない』と俺たちを小バカにしていやがる。隣りの押し黙った連中がセカンドバッグの中でずっと拳銃を握りしめているのはわかっていた。日本のヤクザは、ここまではさすがにやらないね。こっちもチャカは隠し持っていたが、それを相手にわざと見せるようなバカなマネはしない。バッグに手を突っ込んでいれば、中身が拳銃か刃物であることは一発でわかる。それが相手はわざと拳銃を見せてきたんだ。要するに俺たちに対する脅しだ」
蛇頭の男といちばん親しかったヤクザが、
「どうして、こんなことになった? この野郎、訳を聞かせろ!」
と男を怒鳴りつけた。
「その組員がカッとなって、そいつを押さえ込もうとしたら、連中はバッグの中で拳銃を握ったまま銃口を俺たちに向けてきた。蛇頭の男が誰の言葉を通訳したのかわからないが、『俺たちの言うことを聞かないなら、殺すだけだ!』と声を抑えて叫んでいる。撃たれてもおかしくない状況だった。取り出した拳銃をバッグの下に隠し、引き金に指をかけていたのが二人いたからね」
幹部の話には、ある意外な結末がある。この日、幹部は風邪気味のため咳き込むことがしばしばあり、時折、苦しげに顔をゆがめる。私はその姿を気にしながら話を聞いていた。
ヤクザから内輪の秘密を聞き出すのは、気骨の折れる作業だ。ヤクザのほうも秘密を明かしてプラスになることは何もない。
「百万円出すなら、ちょっとは話してやる」
初対面のヤクザからは金を要求されることもあるが、私は金を出さない方針をずっと貫いてきた。取材後、一万円前後のブランデー一本を送り届けて謝意を表するだけである。それで話を聞き出そうとするのだから、気疲れするのも当然だ。
別件の話だが、所属組員が、ある発砲事件に関係しているのかどうか、それを組長に直接確認するため、わざわざ東京・羽田から飛行機で飛んだことがある。前に何度か会ったことがあり歓迎されたのはいいが、夕方から料亭で酒漬けにされ、さらに何軒ものクラブに付き合わされた。目的の本題に入ろうとしても、
「そんなことは、酒を飲んでからでいいじゃないか」
と言われる。周りに数人の幹部が同席し、近くにボディガードが控えている。その目の前で組長に、無理強いして嫌な顔をさせるようなことはできない。強いブランデーで酔いが回っているが、しかし目的を達するまでは正気を失うことはできない。そして夜中二時ごろになって引き揚げる直前だ。何の脈絡もなく組長がポツリと言った。
「その通りだ」
その重要な一言を聞き出すために、八時間以上かかっている。それも「オフレコだからな」と念を押される。だが、その一言で発砲事件への関与が確認できたので、事件の全体像とはいかないまでも、おおよその構図が浮かび上がってくる。飛行機で飛んだのもヘトヘトに疲れた酒席もけっして無駄ではなかった、日増しにそう思えてくる。
14Kと対決[#「14Kと対決」はゴシック体]
その日、ヤクザ幹部と会ったのは、風林会館一階のレストラン喫茶「パリジェンヌ」だった。歌舞伎町ではコマ劇場と並ぶ有名スポットで、オーナーは台湾華僑。「パリジェンヌ」は店が広く、朝四時半まで営業されていることもあり、暴力団関係者が頻繁に出入りしていた。窓際や壁側の席が込んでいたので、幹部と私は、ガラ空き状態にある店のほぼ中央部に座ることになった。
幹部の話もそうだが、この店では危なげな話があちこちの席で語られている。
時刻は夕方六時を回った。店内を見回すと、すぐ近くの席にも客が増えてきた。中国、タイ、フィリピン人とおぼしき女性たちが次々と入ってくる。出勤時間を控えたホステスである。同伴客だろうか、ほとんどが日本人の男と一緒だ。出勤前、ここで男と軽食をとるのが日課になっている。ヤクザの姿も増えてきた。その中には、私と顔見知りの者も何人かいたが、以前からの決め事で、人前では互いに挨拶は交わさないことにしている。幹部にとっても、同じ代紋のヤクザが近くの席にいれば、話しづらいだろう。もはや長居する場所ではない。
「パリジェンヌ」を出ると、私は幹部に誘われるまま、JR中央線沿線のあるスナックへ向かうことになった。幹部はハンドルを握りながら話し続けた。
「実を言うとな、密入国者の受け入れに動いたのは、うちの組員だけじゃない。代紋が違う人間にも世話になっている。だから、金がどうしても必要だった。
蛇頭だろうが14Kだろうが関係ねえ、相手が誰だろうと金はなにがなんでも払わせる、みんな、そういう強い意気込みでいたからね。だが喫茶店では、話がまったく進展せずに終わった。
その代わり、大きな収穫があった。その日、うちの別の組員が喫茶店の外で待機していた。もちろん、相手に気づかれないようにね。蛇頭の連中は、大久保通りでタクシーを二台拾った。組員が連中がどこへ行くのか、出入り先を突き止めるため、やつらが乗ったタクシーを尾行した」
ヤクザ側にすれば、相手が香港マフィアを名乗ったのは、ただの見せかけで、実際は日本在住の中国人ではないか、という疑いがあった。巨大な香港マフィアである「14K」は、ヤクザの間でも「怖い組織」のイメージが定着している。その名称を出せば、報酬の半減要求をヤクザ側が受け入れるのではないか、そう期待して蛇頭側が芝居を仕組んだと勘繰っていた。しかし、それが思い違いだったことが、間もなくわかる。
「連中が乗ったタクシーは、二台とも新宿西口の京王プラザホテル前に止まった。それで組員を十二、三人集め、正面と三井ビル側の出口を押さえた。張り込んで、一人でもいいから身柄をさらうつもりだった。
夜十時過ぎだったかな。通訳をやった蛇頭の野郎が正面のタクシー乗り場に一人で出てきた。こっちの姿を見たら、ぎょっとした顔してな、『もっと話し合いをしよう』とか何とか言って、ホテルの中に逃げ込もうとした。だが逃がすわけにはいかない。四、五人で取り囲み、近くに止めてあった車にむりやり押し込んだ。いつまでも暴れるので、カップホルダーからコーヒー缶を取って、缶底で耳と口をガツン、ガツンと突いたら、やっとおとなしくなった。『俺が悪いんじゃない』と言い訳するから、『お前も仲間だろ!』と怒鳴りつけた。缶底でもう一回、口を突いてやった」
男は、組員の一人が経営する東京・中野区内の不動産関連事務所に連れ込まれた。
「まあ、蛇頭というのは、マフィアと組んで仕事してもマフィアというわけじゃない。ヤクザがどんなものか教えてやろうと思って、事務所で痛めつけてやった。折り畳み式の警棒で死なない程度に体じゅうを殴りつけた。金を払わせるのが目的だから、殺してもしゃあない。
蛇頭に聞いてみた。『あの連中、本当に香港から来たのか? 本当に14Kか?』とね。そしたら、腕で口の血を拭きながら、『本当だ。俺も日本で初めて会った。本国の蛇頭が付き合っている人間だ』と答えた。ウソかホントかわからないけどな」
ヤクザ側は、蛇頭の男にリンチを加え、香港マフィアが泊まる京王プラザホテルの部屋番号を三つ聞き出した。それからホテルに乗り込み、男たちの部屋を手分けして同時にノックした。
「ドアの内側から通路に立っている人間が見える。誰が来たのか、やつらは一発でわかっただろう。中からバタバタ慌てている様子が伝わってきたからね。ワァワァ騒ぎ立てる声も聞こえてきた。隣りの壁をバンバン叩く音もした。部屋は三つ続きだった。六人いたからツインルームというわけだな。仲間の部屋と連絡取ろうとしても、みんな、同時に受話器持ったら、つながるわけがねえだろうよ。
こっちは、ホテルにいる連中から蛇頭の野郎に連絡が入るのを待っていた。監禁役の組員には、やつの携帯に連絡が入ったら、痛めつけて相手に悲鳴なり唸り声なり聞かせてやれ、と言っておいた。連絡がなかったら、男からホテルに電話を入れさせる、そういう段取りだった。特にリーダー格の男に悲鳴を聞かせる算段だった。そいつは、『お前を殺すことになる』と脅してきた男だ。蛇頭の野郎は強情でね。悲鳴を出させるのに、かなり殴ったそうだ。蛇頭は、金を出し渋る中国の家族に、本人の悲鳴を何度も聞かせる。その蛇頭のやり方を真似たわけだ」
ホテルの部屋には、大久保の喫茶店に持ちこんでいた数丁の拳銃があるはずだった。入国後、それらの拳銃をどこから入手したのか、それはヤクザにも見当がつかなかった。蛇頭の男を尋問しても、「知らない」の一点張りだったという。
「拳銃を持っているのは確実だ。ホテルだからといって、気を抜くことはできなかった。こっちの追い込みがきつければ、連中が暴発する恐れがあった」
密入国者十一人、蛇頭一人を監禁状態に置き、香港マフィア六人をホテルに軟禁した状況にあった。「これで優位に立った」とヤクザ側は自信を深めていた。
トラブルがどうにか解決したのは、その二日後である。仲裁人が現れ、所属組織の上部団体幹部を通して連絡が入った。仲裁人は関西の暴力団関係者だった。
「オフレコでも固有名詞は絶対に出せない」
幹部はそう前置きして、トラブルが解決した経緯を語った。
「うちは関東、仲裁人は関西だから、そりゃあ当然、代紋が違う。ある組の最高幹部の一人、としか言えない。人様のことなので、香港マフィアとどんな付き合いがあるかは聞けないし、聞く気もなかった。香港マフィアは、その仲裁人を通して、金は事前の約束どおり、二千万円全額を払うと言ってきた。
それから一時間後だった。中国人を名乗る男から連絡が入り、金の受け渡し場所と時刻を伝えられた。そして、その日のうちに新宿駅西口で現金を受け取った。小田急デパートの前の歩道でね。歩道に立っていると、相手からこっちの携帯に連絡が入り、通話状態のまま目の前に近づいてきた。本人確認というわけだ。次にホテルにいる香港マフィアの部屋番号を言わされた。これも関係者かどうか確認するためだ。やり方は単純だが、連中もしっかりしている。
香港マフィアも金の問題を決着させないことには、ホテルから出られないし、結局はこうするしかなかった。こんなこと言っちゃ、仲裁人に悪いが、最終的には俺たちヤクザが勝ったわけだ」
全身アザだらけにした蛇頭の男を解放し、草加市内の倉庫で監視下に置いていた密入国者十一人も在日蛇頭に引き渡した。
誘われたスナックで、ヤクザ幹部は誇らしげな表情を浮かべた。だが、香港マフィアに払わせた二千万円は、犯罪に協力して得た違法な金である。その協力の陰で、逃げた七人を含め計十八人の密入国者が闇に消えた。彼らの多くは犯罪集団に組み込まれていくのかもしれない。
中国人とのトラブル[#「中国人とのトラブル」はゴシック体]
こうして正面衝突は回避された。以後、この幹部は密航の片棒をかつぐことはやめたという。
「金のために何度か密航に協力したが、蛇頭とは完全に縁を切った。これまで俺たちの協力で百二、三十人は上陸しているな。こいつらに殺されたり、大金を盗まれたり、そういう日本人がいたとしたら、そりゃ申し訳ない気持だよ。
かつては中国の不良にヤクザが取り囲まれ、ぶん殴られたあげく、財布や腕時計、ブレスレットなど、身ぐるみ剥がされたことが何度もあった。歌舞伎町でね。だから夜中はヤクザが集団で歩くようになり、そういった不様《ぶざま》な状況がしばらく続いた。そんな苦い経験があるから、今はシノギで中国人と接するときは、甘い態度は絶対にとらない。取り決めは必ず守らせる。少しでも刃向かってきたら、こっちは組員を総動員してでも相手を叩き潰すつもりだ。相手が死んでも仕方ない。それぐらいやっておかないと、こっちが逆に殺されるかもしれないからね」
九〇年代前半、歌舞伎町ではヤクザが忽然と姿を消す、何とも不可解な失踪事件が相次いだ。
「あいつは上納金を出せなくなってトンズラした」
ヤクザの間では、そんな一言で片付けられていた。私も「そんなものか」と気軽に信じ込んでいた。確かに、そうしたケースも多かったのは事実だが、その後、すべてが上納金絡みで姿を消したわけではないことがわかってきた。殺し屋を差し向けられていたケースがあったのである。
「新宿でヤクザを殺してきた。死体は山に埋めた」
私はタイの裏社会と接触する機会があり、そんな言葉をバンコクで何度も聞いたことがある。殺しの依頼主に関しては口を閉ざすが、東南アジアから日本に送り込まれる殺し屋で最も多いのが、シンガポール国籍の中国人である。聞けば、報酬は殺し一人当たり百万円以下であり、
「日本に行ったついでに鬼怒川温泉で遊んできた」
と話す者もいる。タイ人の愛人が鬼怒川温泉で働いていたらしい。
「東京でヤクザを殺した中国人を知っている。タイ国籍もいれば、マレーシア国籍もいる」
タイの刑務所を何カ所か案内してもらい、通訳付きで数人の囚人に話を聞いた際も同じようなことを耳にした。
「電話一本で殺し屋が飛んでくる」
大久保の喫茶店で香港マフィアの口から出たセリフが、単なる脅しでなかったことがわかる。中国人と衝突すれば、場合によっては、ヤクザのほうが高い代償を払わされることになるが、相手のほうには金銭面で大した負担がかかるわけではない。喧嘩の果てに、東南アジアから殺し屋を向けられるようなことがあれば、バカをみるのはヤクザのほうである。
先の幹部とは何の繋がりもないが、山口組の二次団体に所属する組員が、舌打ちしながらこぼしていた。
「あいつらは、近ごろ、わしらの言うことを聞かんようになった。わしが前に付き合っていた四、五人のグループは、福建省を出るときも、大阪に着いてからも、中国人仲間からこう言われたそうや。『山口組は日本でいちばん大きいヤクザ組織だ。だから山口組の組員とは喧嘩するな。喧嘩すれば日本にいられなくなる。殺されるかもしれない』とね。そやから、初めのころは、わしらの前で縮こまっていたんや」
「あいつら」とは、中国マフィアや蛇頭とも関わりがある就学生くずれの不法滞在者のことだ。
「あいつらに頼まれて、和歌山県の港から浦安(千葉県)まで二回、中国人の密航者を運んだことがあるんや。合わせて三十人ぐらいやな。ただ運ぶだけで一回百五十万円やから、こんな楽なシノギはないでぇ。ところがやな、あれほどペコペコしとった者が、態度、口の利き方がえらい生意気になってしもうた。わしが携帯に連絡入れても、『忙しいんや』言うて、一方的に切ってしまうんや。中国人の仲間が増えたもんやから、ヤクザをナメとるんやな」
この山口組系組員は、その後、ある不始末で組から破門された。元組員の話からわかるのは、蛇頭の関係者が東京だけでなく大阪でも暗躍しているということである。
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エステで聞いた射殺事件の謎
目を覚ますと、そこは歌舞伎町の中国エステだった。
二〇〇二年二月初旬。そのエステで、私は思いがけない会話を盗み聞きした。それは、ある射殺事件の謎に触れるものだった。事件は三週間前の一月に実際に起きていた。被害者は背中を撃たれ、即死状態。
私が夜を明かしたベッドは、四方をカーテンで仕切られ、まるで病室にいるような気分になった。その朝は二日酔いに見舞われ、目覚めが悪かった。起き上がろうとすると、首に激痛が走る。右を向いても左を向いても激しく痛むので首を動かせない。両手で頭を抱えながら体を右によじり、やっとの思いでベッドの下の脱衣カゴをのぞいた。右手で頭を支えながら左手を伸ばして脱衣カゴを引き出した。ベルトにくくりつけた長さ一メートルほどのヒモを引っ張ると、スーツの内ポケットから携帯電話がズルズルと出てきた。
都内でエステを狙った強盗事件が頻発していたので、寝込んでいる間に首でも締められたのかと心配になった。だがポケットに入れていた数千円は抜かれていない。
携帯電話のディスプレイで時刻を確かめると、朝九時過ぎだった。
脱衣カゴにパンツがないことに気づいて一瞬、焦ったが、左手を腰に伸ばすとパンツはしっかり身についていた。安心して再び仰向けになる。ベッドはもともとマッサージ台だ。首の痛みは、その硬いベッドで寝違いしたためか、それとも酔った体にマッサージが強すぎたのか?
痛みを我慢しながら静かに首を動かしていると、左側の薄いピンクの仕切りカーテンに、パンダの絵がピンで留められているのが目に入った。それはハンカチのような薄緑の布に刺繍された、実にかわいらしいものだった。パンダはこちらを向いてちょこんと座り、ちゃんと白と黒の糸で実物と同じように色分けされている。そのパンダをぼんやり見ながら、私は寝込む前のことを思い出してみた。
前夜は七時過ぎから知人らと飲み始め、十一時を過ぎたころには酔いもかなり回っていた。それからJR中央線に乗って一人で新宿へ出る。歌舞伎町のコマ劇場の前に着いたころは、酔いもだいぶさめていた。
街をそぞろ歩いていると、歌舞伎町の外れにある通りで、客引きの女から声をかけられた。
「マッサージいかがですか? 上手ですよ。一時間七千五百円。シャチョーさん、すぐ近くですから寄ってくださいよ。電車がないなら、朝まで寝てください。ホテルではありませんから、お金は取りません」
聞けば、この客引きの女も店のエステ嬢も皆、中国人だという。
「中国人の強盗が多いね。あちこちでエステが襲われている。こんなに遅い時間じゃ、眠ってしまうかもしれない。大丈夫?」
女は自信に満ちた声で答えた。
「何も問題ありません。強い中国人の男が、店の外で見張っていますから。うちは一度も強盗に入られたことがありません」
自宅にいても押し込み強盗の被害に遭う人がいるくらいだから、ましてや深夜、酔って盛り場をふらついていれば何らかのリスクは負わねばならない。
すでに夜中一時を過ぎていた。酒は飲んでいても、気持は取材の延長線上にある。酒抜きでネオン街の裏側を知ろうとするのは、東京湾で巨大マグロを釣るのと同じようなものだ。どだい無理な話である。怪しげな店に入りそうな予感がする日は、キャッシュカードのたぐいは持たないようにしている。たとえ持っても、残高はせいぜい五万円以下のものだ。
この日も自分の名刺は途中ですでに処分していた。日中、あるヤクザから渡された名刺、メモ類は、ティッシュを抜き取った袋に入れて靴の中敷きの下に隠していた。持ち金はたかが知れている。夜中、その持ち金を何かのトラブルで失うようなことがあれば、動きがとれなくなる。そんな場合に備えて、バックルと革バンドの接続金具の隙間に小さく折り畳んだ一万円札を二枚挟みこんでおく。紛失することもあり得るので、携帯電話には他人の連絡先は一切残さない。
歌舞伎町周辺には、中国、台湾、韓国、タイ式と国名を冠したエステが乱立。客引きの女は、料金は一時間七千五百円と言った。この料金では、フェラチオや本番までいくことはあるまい。私はそう思っていたのだが、現状は過当競争のために行きつくところまで行っている。
エステを襲う中国人強盗団[#「エステを襲う中国人強盗団」はゴシック体]
客引きの女の尻に顔をぶつけそうになりながら、低層ビルの階段を上がった。
「大きいお尻だね!」
ふざけて尻をパンと叩くと、女は「エッチ! スケベイ!」とか言いながら、ぐんぐん階段を上った。
ドアを開けてすぐ右側に待合室があり、左側にはマッサージ室が奥に向かって並んでいた。マッサージ室といっても、ただカーテンで仕切ってあるだけだ。仕切りが壁でなくカーテンだからこそ、警察がエステに風俗営業法を適用するのが難しかった。薄っぺらなカーテンが、実は分厚い隠れ蓑になっている。
料金は前払いである。普段は断わるらしいが、私は無理を頼んで近くのコンビニから缶ビールを買ってきてもらった。それを飲みながら、エステ強盗の話題に話を戻した。
「中国人の強盗、お客さん、怖いの? 私だって怖いよ。銃とナイフ持っている。でも、ここはまだ一度もやられていないよ。ここはドアの外に小さいカメラがあるから大丈夫ですよ。ほら、外がよく見えるでしょ?」
監視カメラがある店は、これまであまり見かけなかったが、今は強盗多発でそれを設置する店が急増した。普通は客の目に触れない場所に受像機を置くものだが、この店は待合室に置いている。私が入店したとき、ほかに客がいるような気配はなかった。また男子従業員がいるふうでもなく、エステ嬢二人が様子を見に顔を見せただけだった。二人ともニッコリ笑った。一人は二十代半ば、もう一人はそれよりちょっと上に見えた。
客引きの女は上海出身で、在留資格は留学生ということだ。三十代半ばに見えるが、本人によれば、年齢は二十八歳。印象だけいえば、真面目な苦学生といった感じがしないでもないが、実際のところは何もわからない。
一人の客を誘い入れて、店から報酬がいくら出るのか聞いてみた。
「七千五百円のコースなら二千五百円。残り五千円を店と女の子が半分ずつ分ける。女の子が仕事に慣れてきたら三千円になる。女の子はお客さんからチップを貰える。でも私は貰えない。私がこの店の仕事をするのは、夜遅い時間に三時間くらい。お客さんが一人も見つからなければ一円も入りません」
再びエステ強盗の話を続けた。
「私が知っている歌舞伎町の別のエステでは、女の子がみんな、手と足をテープで縛られた。中国の子だけじゃなく韓国の子もいましたよ。お店のお金、中国の男がぜんぶ持っていった。強盗、お客さんがいるときはあまり来ないですよ。お客さんがお金取られたら警察に届けますからね。警察が来て騒ぎが大きくなるのを強盗も嫌がる。売春やっている店は警察に連絡しないだろう、そう思われているから、強盗が襲ってくる。
中国人の強盗は、店のことをよく調べているね。狙われるのは中国エステよりも韓国エステが多いですよ。韓国人は、悪い中国人の男を知らないけど、私たち中国人は顔を見て怖い男かどうか、すぐわかりますよ。中国人だけの店は、いつも警戒している。だから強盗のほうも注意している。蒲田駅(JR京浜東北線)の近くに中国エステがあって、そこで働いていた子から聞きました。中国の男がナイフ持って三人で入ってきたとき、女の子が五、六人で青龍刀や鉄棒振り回して追い払った。中国人の経営者が、強盗が来るだろうと思って、前から準備していたそうです。韓国の女の子はそこまではできません」
中には強盗の手引きをして分け前をもらう中国人エステ嬢もいる。最後の客が帰る間際、近くで待機している強盗グループに携帯電話でメールを送る。客が店を出たのを確かめると、一気になだれ込むという仕掛けだ。
店側も強盗を警戒しているので、最後の客が帰ると内側からドアをすぐロックしてしまう店が多い。強盗もその間隙を突く。だから五秒、十秒の差が勝負を決める。そのため一人を外に見張りに置き、ほかのメンバーは同じフロアか、近くの階段付近に隠れている。エレベーターを使うような上層階の店は、そうしないと間に合わないからだ。
情報を提供したエステ嬢には、奪った金の二、三割が戻される。内通するエステ嬢は強盗メンバーの愛人か、あるいは同郷出身者であることが多い。店側に内通者が特定されないようにするため、協力したエステ嬢をわざと殴りつけたりすることもある。店の売上金だけでなく、店にいたエステ嬢全員から現金、装飾品のすべてを奪い取るケースも珍しくない。
エステ嬢が強姦されることもある。客引きの女が顔を赤らめながら話した。
「池袋のエステでは、韓国と台湾の子が両手両足を縛られ、後ろからセックスされたらしいの。こんなことは、めったにないんですけどね。そのとき、中国の子も三、四人、同じように縛られたけど、セックスはされなかった。その中に強盗団の仲間になっている子がいたかもしれませんね。中国では強姦がものすごく多い。でも日本で中国人が強姦されたという話はほとんど聞いたことがないわ。とにかく、中国の男はお金だけが目的ね」
買ってきてもらった五本の缶ビールを私がすべて飲み終えると、女は黒地のロングコートを着込んで外に出ていった。
それからベッドにうつ伏せになり、しばらく肩、首筋のマッサージを受けた。天井に銀色のパイプが二本固定され、エステ嬢がそれに掴まりながら背骨の両側に足裏で圧力をかけてきた。時折、ボキッボキッと鈍い音がする。私に回ってきたのは、福建省南部のアモイ出身の女性である。アモイには日本向けのウナギ養殖池がいくつもあり、日本人の観光客が多くなってきたことなど、マッサージを受けながら雑談していた。だが私は疲れていた。仰向けになり、足首を揉まれているところまでは記憶が残っている。私はそれからすぐに眠りこけてしまったらしい。
もれ聞いた殺人事件の真相[#「もれ聞いた殺人事件の真相」はゴシック体]
目を覚ますと、室温がかなり下がっている。経営者から光熱費の節約を指示されているのか、エアコンの温度が抑えられていた。私の体には薄手の毛布と布団が掛けられていたが、胸から上ははだけていた。そして頭の半分がベッドからずり落ちていた。首の痛みは頭の不自然な置き方と冷えによるものかもしれない。なにせ寒さがいちばん厳しい二月初旬のことだ。
寝言だろうか、時々、となりのベッドからシーツのこすれる音に交じって、何やら女性がぶつぶつ言うのが伝わってくる。一瞬、男女が情を交わしているのかと興奮したが、それは早とちりだった。かと思うと寝言はイビキに変わり、唸り声にも似た響きがびんびん伝わってくる。
「プーッ!」
その合間のオナラはご愛嬌だった。あとでわかったが、隣りのベッドに寝ていたのは、私についたアモイ出身のエステ嬢だった。仕事場に寝泊まりしているくらいだから、よほど疲れているのだろう。寝言、イビキ、オナラのあとは、すやすやと寝息を立てている。
私もベッドに横たわっていた。しばらくすると、奥のベッドから男の話し声が聞こえ、そのうち足元のカーテンの外を通り過ぎた。足音から通り過ぎたのが二人であることがわかった。二人はそのまま帰るのではなく、待合室にどっかり腰をおろす動きが伝わってきた。首の痛みをじっと我慢しながら横になっていると、気になる会話が聞こえてきた。
「東北の福島市で起きた事件知ってるやろ? 一月半ばにな、磁石使った健康器具を売ってた男がよ、背中ぶち抜かれて殺されたんや」
ダミ声。そのつぶれた声の具合から男は中年のようだ。そっとカーテンを開いて外を窺うと、私のベッドが待合室からいちばん近くにあった。耳を澄ましていると、若い男の声が伝わってくる。カーテンに耳あり、である。
「知らんとです。殺したのは極道もんですか? 兄貴の知っとるもんですか?」
中年は関西弁風だが、若いほうには微妙に博多弁のような訛が交じっている。
「どこの誰かは知らんが、あれは殺し屋の仕業やでぇ。後ろから腰を撃ってよ、相手がうつ伏せに倒れたところにな、かぶさるように背中から何発も撃っとるんやで。俺が現場にいたわけやないから、よう詳しくは知らんが、後ろから心臓めがけトドメ撃つのは、極道でもそう簡単にはできやしねえ。それもやな、呼吸が止まったのを確かめて逃げとるんや。最初から完全に殺す気でやっとる」
若いほうは聞き役に回っている。私のベッドと待合室は、天井にレールを取り付けたアコーデオン・ドアで簡単に仕切られているだけで、ドアの下端が床から十センチほど浮いている。話は筒抜けである。
「殺された男は極道やない。そやけど、恨みを買っていたんや。半年ぐらい前から健康器具の販売を始めたんやが、独立するまではな、似たような品物を扱っとる大きな会社に所属して販売をやっとったんや。そこはな、年間六百億円以上も売上げがある会社やそうや。この会社はな、ある有名なプロスポーツ選手の借金を何十億も肩代わりした、そんな噂が流れたことがあるんや」
私は店に入る前に、名刺、メモ類は革靴の中敷きの下に隠しておいた。それをそっと取り出し、使ったメモ用紙の裏に二人の会話内容をすでに書きとめていた。首の痛みが気にならなくなった。
ダミ声の年配のほうが話を続けた。
「男は殺される前、前に勤めておった会社がマルチ商売やっとる、薬事法に違反しとる言うて、地元の警察によう訴えていたそうや。前の会社には関連会社があって、その両方に代紋の違う大きな組がついとったそうや。それで誰かが気を利かせて、会社の悪口を言いふらすような邪魔な人間は消してしまえ、そういうことになったんやないか。わしは、そう思うとるんや。殺し屋はきっちり仕事をやる。ひょっとしたら、海の向こうから来た人間がやったのかもしれん。薬莢を残しとるそうやから、レンコン(回転式拳銃)やなくオートマティック(自動拳銃)であることは間違いないんや」
十一時を過ぎたころ、隣りのベッドに寝ていたエステ嬢が起きてきた。
「お客さ〜ん、起きてくださ〜い!」
しわくちゃになったスーツを急いで身に着けた。奥にあるトイレの洗面台で顔を洗いながら、待合室の男たちが気になった。ところが待合室に入ると、すでに男たちの姿は消えていた。待合室に出ていたエステ嬢は、私についたアモイの女が一人だけだった。
「男が二人いたけど、お客さんなの? それとも店に関係する人なの?」
私は気になって聞いてみた。
「初めてのお客さんですね。お客さんが眠って三、四十分後に来ましたよ。ほかの子がマッサージした。私も顔を見ましたけど、二人とも怖い感じではなかった。でも、女の子の話では、二人の背中、両足に入れ墨があったそうよ」
本当にあった福島の社長射殺事件[#「本当にあった福島の社長射殺事」はゴシック体]
早速、エステで盗み聞きした射殺事件について確かめた。データベースで新聞記事を検索すると、福島市で射殺事件が起きていたことは事実だった。私は地方記事を見落としていた。
射殺されたのは、健康器具の販売会社を経営していた横山昇社長(当時37)である。〇二年一月十四日の昼前、横山社長は会社の近くにあるコンビニへ出かけ、サンドイッチや菓子パン、コーヒー牛乳などを買った。そして歩いて帰る途中、いきなり四発の銃弾を浴び、そのうちの一発が背中から心臓を貫通し、その衝撃で心臓破裂を起こしていた。
新聞記事は、その日の朝九時半ごろから、国道四号線を挟んで横山社長の会社を見張るような形で、不審なグレーのワゴン車が止まっていたと目撃情報を伝えている。そのワゴン車が十一時ごろに急発進し、その約三十分後に射殺事件が起きている。
横山社長は、射殺される五年ほど前に健康器具などを販売する会社を設立。別の会社から販売委託を受けて健康器具を訪問販売していた。横山社長が扱っていた健康器具は単価が十万円から二十万円する高価なものだったが、その営業成績は販売元でも全国でトップクラスだった。ところが殺される前年、販売委託契約を自ら打ち切り、販売元から独立する形で新会社を設立した。
妻と三人の子供がおり、地元で恨みを買うような人ではなかった。遺体のそばには黒い財布がそのまま残されていたし、犯人の狙いが物盗りでないことは明らかだ。薬莢が散らばっていた。ダミ声のヤクザが言っていたように、使われたのが自動拳銃であることは間違いない。
前の販売元とトラブルを抱えていたと報じられているが、トラブルの内容については触れられていない。歌舞伎町の中国エステで耳に入った会話の内容は、新聞記事より事件の背景に詳しく、また記事に出ていないことが多かった。
実際の射殺状況はどうだったのか。事件を目撃した数少ない地元住民の一人によると、横山社長はコンビニ「セブン−イレブン」を出たあと、背後から何者かに「横山!」と大きな声で呼びとめられた。
「そして振り向いた瞬間、バーンと銃声が響いた。そのときは一発でした。あとで警察から聞きましたが、腰の左側を撃たれたみたいですね。バンドにぶら下げていたか、ポケットに入れていた鍵に弾が当たり、それで威力が弱まったようです。だから一発目の弾は体内に残っていた。恐ろしかったのは、それからです。横山さんがうつ伏せに倒れると、一人の男が背中にまたがるような恰好で背中を三、四発撃った。それから落ち着いた様子で顔をのぞいていたね。呼吸が止まるのを確かめていたみたいだ。離れて三、四人の男がいたが、あっという間に逃げてしまった」
これまで私は、暴力団抗争でヒットマンの役を担わされ、服役を終えた数人のヤクザから話を聞いたことがある。たいがいのヤクザが言っていたが、確実に相手の命を取るやり方は、正面からではなく左後方、それも至近距離からミゾオチを撃ち抜くことらしい。それによって心臓が破裂するというのだ。この福島市の事件では、そのやり方が正確に実行されている。しかも目撃者の話では、犯人は落ち着き払っていた。普通は、どんなに肝がすわったヤクザでも、それができないのだという。
エステのヤクザは、横山社長は「恨みを買っていたんや」と話している。実際に恨みを買っていたのか。私は上野から東北新幹線で福島市に向かった。そこで、殺された横山昇社長の友人をやっと探し出し、話を聞くことができた。
「横山は『A社』という全国販売組織から独立し、〇一年の六月五日、同じような健康器具を販売する『ユニバース』という会社を立ち上げた。商品はゲルマニウムを利用したもので、ネックレス一本とピップエレキバンのように体に貼り付ける粒が十個でワンセット。ゲルマニウムそのものが高いから商品も高額だったね。ワンセットで二十万円だから、普通はなかなか手が出ない。彼は根が誠実な男でセールスの腕がピカイチだった。新会社を設立すると、月に千三百万円から三千万円の売上げがあった。かなり儲けていたと思うよ。しかも、福島県内だけでなく、東北全体で積極的に市場開拓を進め、業績をどんどん伸ばしてたからね」
当然、前に所属していた「A社」と客を取り合うことになる。
盗み聞きしたヤクザの話の中に、こんなくだりがあった。
「前の会社には関連会社があって、その両方に代紋の違う大きな組がついとったそうや」
その「関連会社」というのが、親会社のB社である。
飲食店のケツ持ちをやっているヤクザの代紋を特定するのは、さほど難しいことではない。しかし、年商が六百億円以上もある会社の背後関係を探るとなると、これは容易なことではない。私は、ある暴力団のフロント企業(企業舎弟)を動かしている人物に接触することにした。さる暴力団組長に紹介された人物である。これまで迷惑をかけたことは一度もないが、連絡を入れて事情を話すと、相手は開口一番、こう言ってきた。
「また、そんなことかよ〜ぉ! おたくはいつも簡単に頼んでくるけど、これが意外に骨が折れるんだよな〜ぁ! ビール一、二本じゃ済まねえからな〜ぁ」
「蛇の道は蛇ですから、そこをなんとかお願いします。本当に代紋の違う組がケツ持ちをやっているのか、そこが確認できれば十分です」
相手の動きは早く、翌日の夕方、銀座の喫茶店に呼び出された。この手の話は電話ではしないというのが、その業界のルールである。
「子会社の『A社』には、○○組の大物幹部がついている。親会社の『B社』には、××組のやはり大物幹部がついている。二人ともヤクザの世界では信義に厚いことで通っている」
その大物幹部が所属している組織は、二つとも名の知れた指定暴力団である。何ということだ。たまたまエステで盗み聞きしたヤクザの話は、ほとんど事実から外れていない。ヤクザはこうも言っていた。
「会社の悪口を言いふらすような邪魔な人間は消してしまえ、そういうことになったんやないか。プロの殺し屋はきっちり仕事をやる。そのためには、海の向こうから来た人間がやったと見るのが自然やないか」
これほど話の内容が正確なら、この話にもそれなりに根拠があるのかもしれない。
海を越えてやって来た殺し屋[#「海を越えてやって来た殺し屋」はゴシック体]
私はあれこれ思いを巡らした。そして浮かび上がってきたのが、韓国からの殺し屋である。仮に外国人の殺し屋が使われたとすれば、その可能性が高いと推断した。目撃者の話によれば、横山社長に銃弾を撃ち込んだ男は、「顔は日本人と同じ」ということだ。
実は、横山社長が射殺される三日前、韓国の仁川《インチヨン》国際空港から、三十代のある韓国人の男が飛び立ったという。行き先は成田空港だった。仮に男の名前を許晋求とする。
どうして、この男の名前が出てきたかというと、親しい知人がいる韓国のいくつかの筋を通し、ヤクザ関係者の出国記録を調べてもらった。手間のかかる作業なので、横山社長が殺される前日から五日前までと期間を限定した。それに引っかかったのが許晋求だった。名前が出てから素性を調べてもらうまでに一カ月以上かかった。許の素性について、関係者はこう話した。
「韓国南部に木浦《モツポ》という港町がある。木浦は東側の釜山《プサン》と並んで韓国でいちばんヤクザが多い地域だ。許晋求はその木浦出身のヤクザで、今はソウルの江南《カンナム》区でルームサロンを経営している」
江南区はソウル中央を流れる漢江《ハンガン》の南にあり、富裕層の住宅街として知られる一方でヤクザが多い地域でもある。この江南区には日本人学校もある。隣接する東側の松坡区には、日本人観光客が集まるロッテワールドとアジア最大級といわれる免税店がある。許が江南区で経営するルームサロンは、日本でいうキャバクラであり、韓国ではヤクザの資金源にされることが多い。
許の素性について、関係者はさらに話を続けた。
「許はこれまで四回の渡航歴があり、行き先はすべて日本です。最初の渡航は九五年四月で、このときは一年ほど滞在している。就学生として日本語学校に入学したようだ。許のルームサロンで働いているのは、日本でホステス経験がある女がほとんどだ。日本語が話せるから、日本人の客が多い。ホステスが日本で知り合ったのか、客には日本のヤクザが多いと同業者から聞いている」
逮捕歴は一度もない。
「ただし、ある事件で一度、警察の事情聴取を受けている。ソウル郊外で釜山系ヤクザが射殺体で見つかり、現場近くでナンバーを目撃されたのが許の所有車だった。だが許にはしっかりしたアリバイがあり、しばらくして犯人が捕まった。許が別の人間に貸したクルマが犯人に又貸しされたということだった。許は犯人と面識があったが、事件とは無関係と警察が断定した」
許晋求が成田から入国したのは、横山昇社長が射殺される三日前だ。私の依頼で韓国側が確認したところ、許が仁川国際空港に帰着したのは、射殺事件の二日後である。
韓国の闇社会事情[#「韓国の闇社会事情」はゴシック体]
射殺事件が起きた翌年(〇三年)の夏、私は別の用件でソウルへ飛ぶことになった。その際、ソウルの下町で知人を介して韓国ヤクザと酒を飲む機会があった。韓国にもヤクザが多く、地元では「カンペ」、「ブリャンベ」と呼ばれ、市民に恐れられている。
相手は四十代前半の、ある組織の幹部だった。エラの張った顔。短髪。誰が見ても目つきがいいとは言わないだろう。小太りで腹が出ているのが目立つが、その体が顔とよくバランスがとれている。その人間にしか出せない雰囲気というものがある。幹部の存在感、まさにそれである。青いワイシャツに白いストライプが縦に入り、襟だけが取り替えたように真っ白だ。ノーネクタイである。
韓国ヤクザの実態、それから許晋求について何か知っていることがあったら、それを聞くのが目的だった。しかし相手がどんな秘密を打ち明けてくれるか、それは成り行きに任せるしかない。
私はまず、許晋求の本名を出し、その顔写真も見せたうえで、この男が横山昇社長が殺される三日前に日本に入国したことを伝えた。
「ソウルのヤクザと聞いているが、名前を聞いたことがありますか? 名前を聞いたことがないなら、顔を見たことがありますか?」
幹部はしばらく写真を見ていた。それから急に立ち上がり、テーブルの上のライトに写真を近づけた。許の顔を慎重に確かめている様子だった。
「こいつはヤクザに間違いない。だが、まだ下っ端の男だ。ルームサロンを経営しているが、借金だらけの男と聞いたことがある。日本で何か悪いことでもしたのか?」
私は射殺事件の概略を説明し、実行犯の可能性があることを匂わせた。
「ソウルで最も大きい組織は西方派《ソバンパ》だ。ボスはキム・テチュンという男だ。二番目に大きいのが楊恩派《ヤンウニパ》でボスはジョ・ヤンウン。三番目が|OB派《オービーパ》だ。釜山からは七星会《チルソンフエ》と新二《シンイー》十世紀派《シツセキパ》がソウルに入っている。その許晋求という男は、西方派の構成員《メムボ》だ。西方派には許のような木浦出身者が多い。資金源はギャンブル全体だ。その中でいちばん稼ぎが大きいのがパチンコだ。しかし、これは法律で禁止されている。だが儲けた金を裏で国会議員にばらまいているから、近いうちに許可が下りるはずだ」
その後、パチンコは実際に合法化された。
「西方派にも金で殺しを引き受ける男は何人もいる。許晋求は博打《ドウバク》が好きな男で、それで借金が大きくなった。ほかの楊恩派、OB派の連中にも借金があって、今はソウルにいられない状態だ。経営していたルームサロンは、つい最近、兄貴分が引き継いだ。そのままでは、ほかのヤクザに乗っ取られてしまうからだ。
ヤツは今、韓国にいない。台湾に行っているらしい。金に困っているから、ヤツなら殺しを引き受けても不思議ではない。だが日本の警察も証拠がなければ逮捕できない。日本でなく台湾に行っているのは、日本の警察を怖がっているからではないか。俺が日本で殺しをやっていたら、しばらく日本に行く気は起きないしな」
許晋求に関して、それ以上の話は幹部から出てこなかった。
「日本には未解決の殺人事件がいくつもある。そういう事件は、ヤクザが絡んでいることが多い。事件が解決しないのは、韓国からプロの殺し屋を呼んでいるからだ、そんな噂をよく聞きます。証拠はないが、先の許晋求についても同じことが言えます。そんなことが本当にあるのですか? 具体的に韓国人の殺し屋が絡んだ事件を知っていますか?」
幹部が飲んでいるのは焼酒《ソジユ》、日本でいう焼酎である。幹部の白目が赤く充血してきた。酒を飲むと、すぐに目が赤くなる人がいる。幹部が赤目を私に向け、はっきりした口調で話した。
「日本のヤクザから、『日本で人を殺してくれ』と頼まれることは、昔からよくあることだ。大阪の南のほうに和歌山という県《ヒヨン》があるだろ? そこで十年前、銀行の幹部が拳銃《グオンチヨン》で撃ち殺された。偉い人だった。日本のヤクザに頼まれ、韓国ヤクザが殺したと聞いている。仲介人がいくら取ったかはわからないが、本人が受け取った報酬は一億五千万ウォンだったらしい。俺はそいつを知っている。だが会わせることはできない。そいつには別のボスがついている。俺は口出しできない」
韓国語のハングルには「殺し屋」という単語がない。それで殺し屋は「殺人請負人《サリンチヨンブオブジヤ》」と呼ばれている。
阪和銀行事件の裏側[#「阪和銀行事件の裏側」はゴシック体]
ヤクザの口から「和歌山」の地名が出たとたん、ある事件がすぐに浮かんできた。
九三年八月五日の朝七時五十分ごろのことだ。阪和銀行の副頭取だった小山友三郎さん(当時62)が、出勤しようと和歌山市内の自宅を出た。玄関先で迎えのハイヤーに乗り込んだところを何者かに狙われ、腹部など三カ所を銃撃された。三十分後に病院で死亡が確認される。
事件から三年後、阪和銀行は業務停止命令によって事実上倒産。一年後の九七年、元頭取が不正融資を繰り返した特別背任罪で逮捕される。阪和銀行は、以前から「ヤクザの預金箱」とか、「ヤクザ専用銀行」、「極道御用達バンク」などと呼ばれ、さまざまな暴力団、右翼団体に食い物にされていた。そうした闇社会と絶縁しようと孤軍奮闘していたのが、実は小山副頭取だった。
「部長!」
発砲直前、サングラスをかけた白ヘルメット姿の男が、副頭取に声をかけている。私も当時、この事件を取材したが、犯行後、現場近くで犯人の姿を目撃した男性は、こう話していた。
「犯人だと思うが、その男は何か叫びながら逃げて行った。私は中国人の知り合いがいるので、中国語でないことははっきりしている。韓国語に間違いないと思った」
こんな話を聞いていたから、韓国ヤクザから「韓国人の殺し屋の犯行」と聞かされても、さほど驚きはしなかった。
副頭取射殺事件から約三年後、私は関西のある暴力団幹部から、こんなことを言われたことがある。この幹部も阪和銀行から金を引いていた一人だ。
「どこの組の、どんな立場の人間が、副頭取に殺し屋を差し向けたのか、わしは知っとる。そやけどな、それを口に出してしもうたら、わしの命があっという間になくなるでぇ。ガンでも患ってやな、明日にでも確実に死ぬとわかっとったら、あんたにそれを教えたる」
ガンどころか、この幹部は風邪もほとんど引いたことがなく、歯周病治療で歯科医に通院しているくらいだ。幹部が健康体である限り、阪和銀行副頭取射殺事件は捜査の進展がないまま、〇八年八月に時効が成立するだろう。
先の韓国ヤクザの話はまだ続いた。副頭取を撃った犯人が、撃つ前に「部長!」と呼んだことを伝えた。
「上は会長、社長だが、その下の偉い人はみんな、部長になってしまう。部長は韓国語でブジャンというから、ブチョーは覚えやすい。韓国人が日本に行けば、たいがいがそんな呼び方をするだろう。戦場なら話は別だが、殺す相手に声をかけるのは礼儀《イエイ》というものだろう。副頭取と言われても、殺しを頼まれた韓国人にはピンとこなかったんじゃないか。だから『部長!』と声をかけた」
幹部が話を続けた。
「韓国は徴兵制だから、男はみんな、兵隊の経験がある。銃の撃ち方はもちろん、人をどう殺すか、それを詳しく教えられる。軍隊だから当然だ。殺しを頼まれて日本に行く連中は、ヤクザと関わっている軍人上がりだ。ヤクザの構成員とは限らない。職にあぶれている男とか、ギャンブルで借金をいっぱい抱えている男が引き受けることもある。条件は軍隊経験があることだ。人を殺す専門家《ジヨンムンガ》でないと仕事がきちんとできないからだ。どこを撃ってもいいから、最初の一発で相手の動きを止める。それから近寄って確実に息の根を止める。これがプロのやり方だ」
私は、日本で元ヒットマンのヤクザから聞かされていた話を伝えた。
「背中からミゾオチを撃ち抜くと、心臓が破裂して確実に死ぬと聞いている。これがプロのやり方らしいが……」
幹部はニヤリと笑い、一瞬、気味の悪い顔を浮かべた。
「そのやり方は、韓国のヤクザが日本のヤクザに教えてやったことだ。だが日本のヤクザは軍隊の経験がないから、そこまできっちりできない。銃を使った殺し方については、日本のヤクザは俺たちに勝てない。軍隊でいえば、日本のヤクザはまだまだ新兵だな」
殺しの報酬についても質問をぶつけた。
「韓国がまだ貧しかった七〇年代までなら、一千万ウォンで引き受ける者もいただろう。だが今は、そんな金で引き受けるバカはいない。五千万ウォンなら動くヤツがいるが、この金額では失敗されても文句は言えない。だから最低一億ウォン以上ということだ。それなら殺しに行く軍人上がりはいくらでもいる。しかし、殺す相手によっては、金額がもっと上がる。会社の偉い人であったり、ヤクザの幹部であったり、会社に損害を与えるような邪魔者《バンヘジヤ》であれば、二億、三億ウォンになるだろう。
日本ヤクザから韓国ヤクザに殺しの依頼が入っても、引き受けたヤクザが日本に出向くことはない。報酬の半分を自分が取り、半分が日本に行くヤツに払われる。日本に行かせるのは、逮捕歴がない男だ。逮捕歴があるヤツを動かすと、警察の網に引っかかりやすい。韓国と日本の警察は、裏で協力しているからね。
報酬は日本では受け取らない。韓国で受け取る。どんな方法でもいいから、日本側が韓国まで金を運ぶ。それが韓国ヤクザのやり方だ」
韓国ヤクザの耳に入った情報では、阪和銀行の副頭取を射殺した韓国人殺し屋に対して、一億五千万ウォンの報酬が払われているという。現在の為替レートで日本円に換算すると約千五百万円。事件が起きた九三年に遡れば、三千万円近くになる。
逮捕された日本人[#「逮捕された日本人」はゴシック体]
ところが、横山社長射殺事件は、思いがけない展開になった。
事件発生から十カ月が過ぎた〇二年十一月二十三日、犯行グループ四人が福島県警に殺人、銃刀法違反容疑などで逮捕された。それも全員が日本人である。
四人の顔ぶれに触れてみよう。四人とも山形県鶴岡市出身で以前から顔見知りである。主犯格とされるのは、事件が起きた福島市から南に三十キロほど離れた本宮町の飲食店経営者(当時45)。殺された横山社長とは一、二回顔を合わせたことがあるようだが、取り調べに対し、「仕事上で個人的に恨みがあった」と供述。だが、捜査の結果、トラブルらしきことは何も出てきていない。具体的に殺害計画を立てたのが飲食店経営者とされるが、本人は犯行現場には行かず、事件翌日、ハワイへ飛び立っている。ハワイでは同時期、横山社長が告発していた「A社」の研修セミナーが開かれており、それに参加したということだ。
横山社長の腹や背中に銃弾四発を撃ち込んだとされるのは、宮城県仙台市の暴力団組員(同41)。「A社」の親会社である「B社」の後ろ盾になっている暴力団と代紋は同じである。犯行に使われたのは自動拳銃トカレフ。トカレフを「飲食店経営者の指示で東京方面で調達した」と供述しているのが、やはり仙台市に住む飲食店従業員(同30)で、この男が見張り役とされる。犯行グループが使ったワゴン車の運転役でもあった。ワゴン車は偽造ナンバーだった。この仙台組二人は横山社長と一切面識がない。
私が不思議でならないのは、射殺犯の暴力団員が、犯行に使ったトカレフの処分場所を詳細に明かしたことだ。この種の事件では、重要な物証になる凶器を最後まで隠し通し、それによって公判を混乱させ、途中で供述を翻して犯行そのものを否認するケースが珍しくない。
四人目は、横山社長と同じく健康器具販売にたずさわっていた会社員(同44)で、事件が起きた福島市から南に十数キロ離れた二本松市に居住。被害者とは一切面識がなくトラブルも起きていない。ほかの三人と同様、殺害動機が見当たらない。しかし、主犯格とされる飲食店経営者に社長殺害を依頼した重要人物である。犯行現場では見張り役だった。三人にそれぞれ数百万円から一千万円の報酬を払ったとされる。
事件の構図は、会社員が同郷の三人を殺し屋に雇っての犯行ということになる。地縁で集まる中国マフィアと同じやり方で暗殺チームを組んだのである。私の見方では、会社員の背後に黒幕がいるはずだが、捜査はそこまで進んでいない。事件の全貌を知る立場にあるキーマンの会社員が突然、死んでしまったのである。
会社員が病死したのは、起訴一カ月後の〇三年一月である。これで公判は波乱の幕開けとなる。病死から二カ月後に開かれた初公判で、主犯格とされた飲食店経営者の弁護人はこう主張した。
「被告は横山社長とほとんど面識がなく、殺害を持ちかけたのは病死した男性である」
起訴事実は大筋で認めたが、「首謀者は飲食店経営者」とする検察側の冒頭陳述に真っ向から異を唱えたのである。
その後、〇三年九月、横山社長殺害の被告三人に対する論告求刑があり、〇四年十月までに判決が確定した。首謀者とされた飲食店経営者は、上告棄却で懲役十八年。射殺実行犯は、自ら控訴を取り下げ十七年。見張り役の飲食店従業員には八年が言い渡された。
裁判長は、「報酬目的の殺し屋としての犯行。人間の尊厳を無視した残虐な所業」と断罪した。ともかく射殺事件は決着した。
だが、私は無駄な取材をしたとは思っていない。私としては、事件の裏にはもっと深い闇があるような気がしてならない。
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歌舞伎町ビル火災の「ある真相」
人間が関わる闇は、モグラのように地中から這い出てくるものではない。
コマ劇場の正面から新宿駅方面に向かい、靖国通りに抜ける手前の路地が歌舞伎町一番街。その路地の左側に、入り口が閉ざされた四階建ての雑居ビルがある。一階の壁には、部外者の立ち入りを禁止する張り紙が出ている。
この「明星56ビル」が、四十四人の焼死者を出した、あの歌舞伎町大火災の現場である。火災が発生したのは、二〇〇一年九月一日午前一時ごろであった。
警視庁と東京消防庁が出火原因をさまざまな角度から調べたが、この火災はただの火の不始末や漏電などによるものではなく、放火とほぼ断定されている。しかし、誰が何の目的で放火したのか、その真相究明はほとんど進んでいない。不可解でならないのは、何から火が出たのか、その発火源がいまだに明らかになっていないことだ。
火災の背景には、産業廃棄物処理を巡る暴力団どうしの利権争いがあり、その火花が歌舞伎町のこのビルまで飛び火したのではないか、そんな情報も流れた。ビルには風俗店がいくつも入り、ケツ持ちとして複数の代紋が入っていた。その代紋どうしが産廃処理に絡む裏利権を奪い合っていたというのだ。情報の出所は、ある大手新聞社の社会部で、そこの記者から「何か知らないか?」と問い合わせがあった。まさか、そんなことはあるまい、と思いながらも、情報を寄せられたからには確認しないわけにはいかない。
それで私が双方の組関係者に確かめたところ、一方からは、
「ヤクザがそんなにバカと思うか?」
と凄まれ、もう一方からは、
「バカバカしくて話にならない」
と一笑に付された。
憶測の域を出ない情報が錯綜している。決定的なものがあれば捜査は進展するが、いまだに解決の糸口は見つかっていない。
事件の背景は依然、謎だらけだ。死者が四十四人も出ているというのに、捜査を進展させる手がかりが出てこない。風俗ビルという性格上、不特定多数が出入りし、客の中には警視庁刑事、東京消防庁の消防士、東京入国管理局職員、自衛隊員など、官に就いている者も数多くいた。
他方、中国マフィアやイランの麻薬密売人なども頻繁に出入りしていた。この放火事件を謎だらけにしたのは、そうした客の出入りが多かったことに加え、ビルそのものが歌舞伎町で最も人通りが多い路地に面していたことだ。犯人が人波に沈むので目撃者が出にくくなる。
私は遅まきながら、火災現場となったビルの生い立ち、さらに、それに絡まる権利関係をあらためて調べてみた。事件がどう展開しようと、これは基本である。しかし、このことは新聞、テレビでほとんど報道されてこなかった。ビルの来歴を調べると、暴力団を巻き込んだ複雑な生い立ちと権利関係が浮かび上がってきた。
私が接触したのは、このビルにテナントを持っていた人物。ビルの生い立ちだけでなく、ビルに入っていた風俗店の様子などを知るうえで、うってつけの人物である。ここでは仮にA氏としておく。事件から半年も過ぎているのに、捜査、報道関係者が連絡を取ってきたことは一度もないという。
ビルの支配権をめぐる暗闘[#「ビルの支配権をめぐる暗闘」はゴシック体]
明星56ビルの敷地は約二十八坪。地下二階、地上四階建てで各階とも床面積は二十五坪前後。有限会社「久留米興産」(本社・東京都千代田区)が、この雑居ビルの所有者になったのは、火災が起きる三年前の一九九八年。競売にかけられたのを落札した。落札価格は約三億円だった。久留米興産の本業は不動産賃貸。一カ月のテナント料収入を約八百万円と見込み、三年余りで元を取る算段だった。
ところが、せっかく落札したのに、所有権の移転登記が行なわれたのは約二十八坪の土地だけで、肝心の建物については、それから九カ月も待たなければならなかった。その間久留米興産は、関西に本部事務所を置く指定暴力団系「B組」、そのB組と手を組んだ店子占有者を相手に、明け渡しを求めて裁判で争っていた。ビルには落札前からテナントがいくつも入っていた。
先のA氏が内幕を打ち明ける。
「久留米興産は競売で物件を手に入れたものの、そこで面倒なことにぶつかった。実はビルがヤクザに占有されていた。競売に出される前からね。それで立ち退く代わりに、久留米興産にとりあえず一億五千万円を要求した。ヤクザと組んだ店のいくつかが営業権を主張し、その補償金を出せと言ったわけだ。前に店を借りるとき、ビルの前所有者に同額の一億五千万円を保証金として預けておいた。ビルの所有権が移るなら、新しい所有者がその金を店側に返還すべきだ、というのがヤクザ側の言い分だった」
強気に出た久留米興産は、ヤクザ側の要求をすべて拒絶した。
「しかし、ただ突っぱねるだけでは問題は解決しない。それで引き下がるほどヤクザも甘くない。この手のトラブルでよくあることだが、逆に問題がこじれて死人が出る場合がある。久留米興産にとっては、何らかの対抗手段が必要だ。もともと久留米興産のオーナーは、ソープランドの帝王≠ニいわれていた。全国で店を百軒ちかく経営していたんじゃないか。ヤクザ世界にも当然、幅広い人脈を持っている。だからといって、ヤクザを動かすわけにもいかない。ヤクザ対ヤクザになれば、話がこじれた場合、拳銃の弾が飛ぶことになるからね」
久留米興産は、落札から二カ月後、ビルの明け渡しを求めて東京地裁に提訴した。
「判決は、ヤクザ側の完敗だった。ヤクザは裏での駆け引きには強いが、法廷ではそれが通じない。真正面から法律を楯に挑まれると、力を発揮できないのがヤクザの弱みだね。以前は、占有していれば、新しい所有者から相当な額の立ち退き料を引き出せた。それを専門にやるヤクザが全国にごろごろいて、占有はヤクザの大きな資金源だった。だが最近は、それをやるとすぐ強制執行をかけられるので、ヤクザも居座ることができなくなってきた。不法占有を放置しておけば、不良債権処理が進まなくなるからだ。脅し文句を並べれば、警察がすぐすっ飛んで来るからね」
裁判の結果、九八年十月に建物の所有権登記がやっと実現する。
火災が起きた明星56ビルは、もともといわくつきの建物。久留米興産が落札する前は、「白石ビル」と呼ばれていた。ビルの所有者だった株式会社「S社」は、新宿区内でパチンコ店を経営していた。
A氏とは別の元不動産業者が、明星56ビルの来歴について説明した。バブル全盛期に新宿周辺で地上げに関わった人物である。
「S社の社長は、母親が医者で資産家だった。典型的なボンボンだね。それがバブル期に土地転がしに手を出した。あとで久留米興産に落札される白石ビルや新宿・大久保で経営していたパチンコ店などを担保にして、銀行、ノンバンクから何十億円も融資を受けていた。
ところがバブル崩壊で金が借りられなくなり、資金繰りに困ったS社は、手形乱発に走った。手形を乱発すれば、どんな結果を招くか、先が読めなかった。手形を振り出したとたん、ヤクザがあちこちから押しかけて来るようになった。それも代紋違いのヤクザが入り乱れ、ついにS社は動きが取れなくなってしまった」
こうした状況を抑えられるのはヤクザしかいない。そこに、まとめ役として出てきたのが関西系のB組の関係者であり、その組長はウラ経済の精通者、つまり経済ヤクザの大物として知られてきた人物だ。
B組は、ダンゴのように連なったヤクザと別個に話し合いを持ち、本来なら紙クズになりかねない手形を額面より安く買い取ることでケリをつけた。B組と同じ代紋を持つ系列違いのヤクザに対しても、同じように対処した。結果的に出回った手形の大半を回収した。S社の金庫はカラッポだから、手形回収に使った金は、B組が独自に調達した。
元不動産業者の話を続ける。
「手形騒動が収まるまでに一年ぐらいかかった。うかうかしていれば、白石ビルとパチンコ店の権利がほかのヤクザに持っていかれてしまう。そんなことになったら、何のために金を出したかわからなくなる。権利がほかに移らないようにするため、B組はあれやこれやで金利抜きでも数億円をつぎ込んでいるはずだ。その金は銀行から借りたものではなく裏金融からの融通だ。金利を含めると、その数億円は倍になっている。ヤクザがそこまでするからには、それなりの勝算があり、投下資金を回収できるつもりでいたからだろう」
S社に融資していた金融機関が、東京地裁に白石ビルの競売を申し立てたのが九七年。その後、東京地裁の執行官がビルの現状調査書を作成し、その中に「占有者および占有状況」の項目がある。私が入手した調査書によると、地上一階、地下一、二階の占有者は計五人。二階から四階までの占有者は計四人。いずれも店子である。
関西系暴力団B組と手を組んだのは、地上一階から下の五人だけである。中心人物は、東京・北区に住む六十代後半の在日韓国人で、百円玉で遊べる子供向けのゲームセンターを一階で経営していた。五人の中には、この在日韓国人の親族も入っており、ほかにポーカーゲームや風俗店経営で十億円以上の脱税を摘発された日本人も含まれていた。また、不動産賃貸業者や、胸に触ると二千円、キスすると三千円といったピンク系のボッタクリバー経営者も入っていた。
元不動産業者が話を続けた。
「S社は事実上、乱発手形を処理したB組の支配下にあった。それでB組は役員の入れ替えをやり、ヤクザに最も協力的だった在日韓国人をS社の代表取締役に就任させた。白石ビルは登記簿上、まだS社の持ち物だった。在日韓国人は、代表取締役の権限を利用して白石ビルの土地、建物をB組の幹部名義にしてしまった。その幹部は五十代半ばだったね。ヤクザの名義にしたのは、競売で誰が落札しようと、それに徹底抗戦するのが目的だった。ヤクザが持ち主であれば、相手も軽い対応はできず、要求どおり金を出してくるはずだ、そう読んでいた。
ビルの名義人になったヤクザは、一階から下の占有者五人とあらためて賃借権の契約書類を作り、久留米興産と裁判になってから、それを裁判官に提示した。根っこがドロドロしていたから、裁判もドロ仕合になると予想していた。だが裁判は九九年三月から始まって七カ月で終わってしまった」
先述したように裁判は久留米興産の完勝に終わった。ヤクザ側は、金利を含めると、それまで約十億円をつぎ込んだとされるが、関係者の話では、「最終的に一円も手にすることができなかった」といわれている。ヤクザ側についた占有者五人にも金は出なかった。
ヤクザ側にとって誤算だったのは、二階から四階までの占有者四人が、逆に久留米興産の側についたことだ。明星56ビルにテナントを持っていた前出のA氏が、そのあたりの事情を説明する。
「ヤクザと組んで別のトラブルに巻き込まれたら、それだけ損だと考えた。その気持はわかるよ。前から店子になっていた四人の中には、最高で一千万円の敷金を前所有者に出していた者もいたね。でも、落札による所有権移転だから敷金は戻らなかった。法的に受け入れざるを得なかった」
ヤクザ側は、久留米興産側についた二階から上の占有者四人とは当然のことながら、関係が悪化した。
「四人の中には、同じ場所に賃借権を残したいため、久留米興産と新たな条件で再契約した者もいる。歌舞伎町一番街は、風俗店をやるには一等地だからね。二階には占有者が二人いた。そのうちの一人が、賃借権(有限会社・新宿ソフト名義)を持っていたテレクラ『リンリンハウス』のオーナーだった。オーナーも久留米興産と再契約した。
裁判を有利に進めるため、ヤクザ側が多数派工作に力を入れているときに、二階から上が敵のほうに回ってしまった。そりゃあ、ヤクザは怒りますよ。裏でヤクザと何かトラブルがあったのか、二階で営業していた『リンリンハウス』が突然、店を閉じてしまった。そのスペースをイメクラ業者に又貸しして、その状態が火災発生まで続いていた」
テナントそれぞれの事情[#「テナントそれぞれの事情」はゴシック体]
実は「リンリンハウス」のオーナー宅が、関西系暴力団員と組んだ中国人強盗団の襲撃を受け、総額二億円近い現金、貴金属類を強奪される事件が起きている。その事件に触れる前に、火災発生時の明星56ビルに入っていたテナントを各フロアごとに確認しておきたい。
まず地下二階には、「neu CLUB」をうたったキャバクラ「RAIN」が入っていた。夜七時から九時までは一時間で五千円、九時から閉店まで七千円だった。地下一階にはカジノ「パラダイスクィーン」があり、一階では無料風俗案内所「ナイタイギャラリー」が客に風俗情報を伝えていた。久留米興産が裁判に勝つまでは、この場所で在日韓国人がゲームセンターを経営しており、その息子が営業権を主張したが、これも裁判で退けられた。
二階には朝十時から夜中十二時まで営業するイメクラ「セクハラクリニック」があり、料金は三十分で八千円。先にも触れたが、「リンリンハウス」が又貸ししていたのが、このイメクラだった。屋上のプレハブ小屋に一時、ビル掃除を手伝う二十代の男が住み込んでいた。いつのまにか姿が見えなくなったが、調べてみると事件とは無関係と判明した。
プレハブ小屋の下が四階である。そこには、セーラー服とルーズソックス姿が売り物のキャバクラ「スーパールーズ」が入っていた。ケツ持ちは、地元に強力な地盤を持つテキヤ系組織。三階には麻雀ゲーム店「一休」があり、ケツ持ちは地元最大勢力の博徒系組織。ヤクザの縄張りは普通、地域や通りごとに確固とした形で決まっているが、歌舞伎町の場合は、同じ建物でも店ごとにケツ持ちの代紋が異なる。新規開店の際、誰が真っ先に駆けつけてケツ持ちになるのを店側に認めさせるか、「早い者勝ち」のルールが定着しているのが歌舞伎町の特徴だ。一足出遅れたために、ほかのヤクザに月々のミカジメ料を持っていかれてしまうことがある。
大半が一酸化炭素中毒で亡くなった。四十四人は、三階「一休」、四階「スーパールーズ」の客と従業員だった。この明星56ビルは、階段や踊り場付近に大量のゴミ袋やロッカー、ダンボール箱などが置かれ、そうした杜撰《ずさん》な防火管理が犠牲者の数を増やした。防火扉は感知機が故障していたり、置き物が障害になって扉が動かないという最悪の状態にあった。これはまさしく人災でもある。雑居ビルに入って逃げ道を塞がれるほど怖いことはない。こんな建物が盛り場にはいくらでもある。
出火場所は、麻雀ゲーム店「一休」があった三階の階段踊り場付近とわかっている。「一休」で大負けした客が腹いせに放火したのではないか? こんな話も火災発生当初から出ていた。中国人はむしろポーカーゲームのほうに熱を上げるが、この麻雀ゲームにはまり込んでいる中国人も多かった。
火災発生の二週間ほど前、中国人と見られる男二人と日本人の男一人が、三階の踊り場で何やら言い合いをしていた。夜十時半ごろのことだ。二人の日本語には、中国語のイントネーションのほかに関西弁の訛が交じっていたらしい。その際、中国人の一人が吸いかけのタバコを床に放り投げ、そのまま階段を下りて行った。それを「一休」に入ろうとしていた男が踏みつけて火を消したという。そんな場面がビルに出入りしていた客に目撃されている。その踊り場付近が出火場所である。
私は気晴らしに年に二、三度、競輪場に行く。最終レースが終わると、負けた客はハズレ車券を紙ふぶきのように宙に放り投げ、丸めた競輪の専門紙を叩きつけるようにクズカゴに捨てる。その際、「チクショー!」と感情をあらわにしながらクズカゴを蹴飛ばす者は多いが、一方、それとは別に素知らぬ顔で火がついたタバコをクズカゴにポイ捨てする者がいる。
クズカゴが燃えるくらいで競輪場の建物に引火することはないが、これも深層心理は放火犯と同じではないか。ギャンブルに負けて、気分がスッキリするのは私ぐらいなものだろう。ギャンブルに負けてムシャクシャすれば、ちょっと店を困らしてやるか、そんな気を起こす者はいくらでもいる。歌舞伎町でも店のシャッター前や風俗店が入ったビルの踊り場、ゴミ置き場など、火の気がない場所でボヤ騒ぎが起きるのはしょっちゅうだ。
十日後、ニューヨークで数千人の犠牲者を出した同時多発テロ(〇一年九月十一日)が起きたため、この歌舞伎町大火災はかすんでしまったかに見えた。しかし、たった二十五坪の二つのフロアで四十四人もの命が奪われたのは、かつてなかった惨劇である。
三階にあった麻雀ゲーム店「一休」は、どんな店だったのか。ある関係者が店の内情を明かした。
「店には麻雀ゲーム台が確か十七台あったね。店は非常に儲かっていたと聞いている。負けた客の中には当然、恨みを持つ奴もいる。実態は常習賭博だから、摘発されないのが不思議なくらいだ。
家賃は、ビルの所有者が久留米興産に変わってから百五十万円ぐらいに上がった。二十四時間営業で客が一日にぶち込む金は、だいたい千五百万円。そこから客に戻す金は、千四百万円。一日で百万円がプラスになる。従業員四、五人の人件費、家賃、光熱費などの諸経費を引いても、一日八十万円が儲けになる。月に二千四百万円だ。年間二億八千八百万円ですよ。
税務署に申告する額は適当にやっているから、年に二億円以上の裏金が手元に残る。ケツ持ちのヤクザに払う金は月に二、三十万円だから、そんな金は微々たる必要経費だ。歌舞伎町という街は、二十五坪の狭い店でも、それだけの大金を儲けさせてくれる。それも常習賭博という違法行為によってね。欲望の街とはよく言ったものだ。だから有象《うぞう》無象《むぞう》が全国から集まって来る」
山口組や中国マフィアが寄り集まるのも当然といえば当然である。
「麻雀ゲーム屋やポーカーゲーム屋がヤクザに払うミカジメ料は、月に三十万円前後。だが地下カジノは高い。百坪の大きい店で月に三百万円。小さい店で百万円だね。店の売上げに関係なく、これは絶対に払わなければならない。払わなければ、店を潰されるか、痛い目に遭うかのどっちかだね。だから借金しても払うことになる」
この関係者によれば、「一休」の実質的経営者は、テナント契約者ではなく、その友人だった。この男は、ほかにゲーム関係、ピンク系の店を経営し、「相当な金持ち」らしい。契約者も経営者も四十代。二人ともヤクザ関係者ではない。だが、火災発生時は、店名をそのままにして別の人物に又貸しされていた。家主にも誰が経営者かわからない。
「歌舞伎町では、こんなことはごく普通のことだよ。テナントを借りたくても、審査基準をパスできない人間がいくらでもいる。しっかりした保証人を要求されることもあるしね。そんな連中を相手に金儲けをたくらむ奴がいる。百万円で借りた物件を百五十万円で又貸しして五十万円を抜く。こんな物件を五つ持っていれば、黙っていても月に二百五十万円が入ってくる。又貸しの相手は、ただの飲食店ではダメ。危なっかしい商売でもいいから、売上げが多いゲーム屋やピンク系の店に貸したほうが、家賃の取りっぱぐれがない。大企業のサラリーマンが家族名義で借りて、給料より多い金を稼いでいるケースもある」
堅気の人間を名義人にした関西系暴力団の経営店が急増している。暴力団にとっては、歌舞伎町は金城湯池である。
「リンリンハウス」をめぐる事件[#「「リンリンハウス」をめぐる事件」はゴシック体]
明星56ビルの二階にテナントを借りていた先の「リンリンハウス」が、イメクラ業者に又貸ししたのは、家賃の差額を抜くのが目的でなく、ある事情があったからだ。
この「リンリンハウス」は、全国に数十店舗を展開する、テレクラ業界最大のチェーン組織。経営者は、五十代前半のM氏である。風俗業界ではやり手で通っているが、これまで店をヤクザに放火されたり、自宅が中国人強盗に襲われたりと散々な目に遭っている。
久留米興産が、ヤクザに占有されていた「白石ビル」を競売で落札し、ビル名が「明星56ビル」に変更になって約一カ月後である。M氏はすでにヤクザ側ではなく久留米興産側につくと態度表明していた。そこに事件が起きたのである。
〇一年二月二十七日の夜九時五十分ごろだ。東京・中野区にあるM氏の自宅に数人組の男が押し入った。M氏は不在だった。強盗グループは、留守番をしていた二男(当時12)、二女(同10)を粘着テープで縛り、それから二十分後に帰宅した妻(同44)と長女(同11)もやはり粘着テープで縛り上げた。
室内にあった三つの金庫が壊され、現金一億数千万円と四千万円相当の貴金属類が奪われた。下見されていた形跡があり、犯行は計画的だった。事件後、M氏は明星56ビルの二階で営業していた「リンリンハウス」を閉店した。
事件から二カ月後に、三十六歳と三十五歳の中国人二人が入管難民法違反(不法滞在)で逮捕された。二人とも福建省出身で住所不定、無職だった。二人の供述から、ほかに六人の中国人が関わっているのがわかったが、事件後、行方をくらました。
その後、墨田区向島に住む日本人の無職男(51)、さらに江戸川区南葛西に住む関西系の暴力団幹部(31)が共犯で逮捕された。M氏の自宅の場所や家族構成、資産状況などに関する情報を強盗団に提供したのが、この暴力団幹部だったとされる。
こうした情報提供者は、中国人実行犯の間で「情報者」と呼ばれ、重宝がられている。この強盗事件で情報者となったヤクザと明星56ビルを巡って久留米興産と争った関西系ヤクザは、同じ代紋を背負っている。
捕まった福建省出身の男と付き合いがあった中国人の一人が、強奪金を分け合ったときの様子を私にこう話した。
「金を奪ったあと、みんなで横浜の中華街に行った。そして中国料理店の個室に入り、そこで金と宝石を山分けした。最初は、ヤクザのほうが『俺が金持ちの家を教えたから大金が入った。だから七割を俺によこせ』と言ったらしい。ところが中国人の実行犯は八人もいる。それでリーダー格の男が、『それは不公平だ。ほかの中国人が黙っていない。そんなことをされたら喧嘩になる』と言い張って、日本人二人に四割を分けた。それでも中国人には不満だった。だが、まとまった金がそれぞれに入ったから我慢したらしい」
中国人の強盗団がヤクザと結託するケースが急増している。九〇年代の比ではない。中国人が話を続けた。
「ちょっと声をかければ、強盗をやる中国人はいくらでもいるよ。中国人に強盗をやらせているのは、日本のヤクザだよ。よく強盗に誘ってくるのは、関西系のヤクザが多いね。でも、自分では現場に行かない。中国人に金持ちの家を教え、あとで奪った金の半分を取る」
「リンリンハウス」に話を戻すと、歌舞伎町の大火災が起きる前年の〇〇年三月、神戸市内の系列二店に、一升瓶にガソリンを入れた火炎瓶が計三本投げ込まれ、男性客四人が焼死、六人が重軽傷を負っている。重機オペレーターら二人が逮捕された。そして現住建造物等放火容疑などで指名手配されたのが、全身に蛇の入れ墨を彫った元山口組系暴力団員のHである。六八年十二月生まれで、右は小指、左は小指を含めた二本の指が第一関節から欠損している。H容疑者と明星56ビルに接点があるとすれば、それは二階に「リンリンハウス」が賃借権を持っていたことだ。
大火災の前後、そのH容疑者が歌舞伎町に現われたとの情報が流れ、行方を追っている兵庫県警の捜査員がわざわざ上京したという話も伝わった。それまで見かけなかったHの顔写真入り手配書が歌舞伎町のあちこちで見られるようになった。
神戸で「リンリンハウス」が襲撃された理由は何だったのか。ある都内在住の金融業者が話した。
「風俗店がヤクザ関係者に狙われる理由は、わかりきったことだ。さる関西系有力組織に所属していた元組員から金を要求されたが、それをテレクラ側が蹴飛ばした。関西まで出張ってきた東京の風俗業者が、わしらの要求を断わるとは生意気だということになった。軽くあしらわれたと頭に血が上ってしまった。それで放火された。実際に動いたのは現役じゃなく元組員だ。元組員が気を利かしたわけだ」
ヤクザ相手に、金の要求を最後まで突っぱねた強腰の姿勢は、裁判で決着をつけた久留米興産と似ている。
金融業者はしばらく考え込んでから、再び話し始めた。
「関西系のヤクザはどこまでも突っ張るからね。いったん済んだことでも忘れない。一時、歌舞伎町の火災は、関西ヤクザが中国人にやらせたのではないか、そんな憶測が飛び交った。久留米興産に裁判で負けたヤクザは、一銭も手にできなかったと聞いている。はらわたが煮えくり返っただろうし、恨みも抱いただろう。でも裁判が終わってから三年も過ぎているし、それなりに気持の整理はついていたんじゃないかな。そんな危ないマネをするわけがない。でもヤクザの世界というのは、何も頼まないのに、周りが勝手に気を利かしてしまうところがあるからね。しかし、今のところ、明星56ビルを巡る不動産トラブルと火災の因果関係を証明するものは何も見つかっていない。
火災が起きたビルは、なにせ全体が風俗産業だ。地下二階から四階まで、六つのフロアで四六時中、利欲と性欲がぶつかっている。ヤクザに限らず、恨みを抱く人間はいくらでもいるのではないか」
裏取引でも裁判でも久留米興産から金を引き出せなかった。その立場に自分を置いたら、ほかのヤクザはどんな気持になるのか。新宿区内に組事務所を持つ、ある幹部クラスのヤクザに本音を聞いてみた。ヤクザは、黒く焼け焦げた壁を見上げながら話した。
「言うまでもないが、どのヤクザも気質が同じというわけじゃない。金にならなくとも、面子を潰されたことに腹を立てどこまでも突っ張るヤクザがいる。これは関西のヤクザだろうが関東のヤクザだろうが関係ないね。逆に簡単に引き下がって、その代わり、あとで相手がぶったまげるようなオトシマエをつけるヤクザもいる。相手は半殺しにされるか、まかり間違えば命がなくなることもあるわな。
ヤクザどうしの喧嘩だったら、手打ち後はあきらめをつけにゃならんが、カタギとはそうはいかんだろ? ましてや、煮え湯を飲まされた相手なら、顔を見るたびに腹が立つだろうよ。裁判がどうのこうの、そんなことはヤクザに関係ない。俺は淡泊なほうだが、それでも何をやるかわからん。俺なら、このビル(明星56ビル)の前を通るたびに、何かやらかしてやろうと思うもんな」
〇五年二月、新宿署は再び捜査本部を立ち上げた。これまで「犯人逮捕が間近らしい」という情報が何度も流れながら、捜査が進展している様子は見られなかった。犯行は日本人によるものなのか、それとも外国人によるものなのか。それさえもまだ掴めていない。大火災はやはり謎だらけである。しかし、その中に事件解決の糸口につながる謎が隠されているはずだ。それとも、すべての手がかりが四十四人の命と一緒に炎と黒煙の中に消えてしまったのか──。
火災現場のビルは、〇六年五月から始まった解体工事で跡形もなく消えてしまった。業務上過失致死傷罪で起訴された瀬川重雄被告ら六人に対しては、火災から五年がたった今も公判が継続中(〇六年十一月一日現在)である。瀬川被告は、ビル所有会社「久留米興産」の実質的オーナーである。
遺族六十四人が損害賠償を求めていた民事訴訟は、〇六年四月に和解が成立し、死亡者一人当たり二千四百万円が支払われることになった。しかし、遺族が何よりも待っているのは、事件の解明と犯人逮捕である。
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地下銀行の実態
「ティシャインハン」。聞きようによっては、その語感は軽やかで透明感があり、何やら妖精を連想させるような響きさえある。「地下銀行」を標準北京語で読むと、こんな発音になる。これまで何度も摘発されているが、地下銀行は相変わらず続いている。
地下銀行は文字どおり、日本、中国の間に張り巡らされた非合法の送金システム。強盗殺人で奪った金も一両日中に中国に届く。一万円でも一億円でも送金できるし、金額が大きいからといって、金の出所を詮索されるようなことはない。特に犯罪者にとっては、これほど便利な送金システムはない。密航ビジネスの金の決済に使われ、犯罪と無縁な人も利用するのが、この地下銀行である。
年に百億円以上を扱う地下銀行がいくつもあるという。だが女子行員を抱えているわけでなく、それどころか事務所さえ置いていない。銀行法違反に問われるから、目立つ動きはしない。送金の受付窓口は、ありふれた中国料理店であったり、丸裸の冷凍北京ダックが並ぶ輸入食品店だったりする。
あるとき、私は都内で意外な場所に地下銀行の受付窓口を発見した。
都心から外れた盛り場の一角。そこに、間口が小ぢんまりした鮮魚店がある。間口が狭い分、奥行きはある。周辺には輸入雑貨や果物、缶詰類を売る店が何軒も並んでいる。私は時折、その鮮魚店でスッポンを買うことがある。赤い網袋に入った一キロ前後のものが五千円ほどで買える。日本市場を席巻している養殖ウナギと同様、この店が扱うスッポンもまた中国産だ。福建省で養殖されたものだという。
店は小さいが従業員は四人もいる。聞こえてくる会話は中国語だ。スッポンが入った網袋を私が差し出すと、従業員は流暢な日本語で話した。
「さばきますか? 生きたままですか?」
スッポンに噛みつかれると、いくら手を振り回しても離れない。離れたときは、指の肉も一緒に離れていく。
「さばいてください」
奥のマナ板を見ていると、みごとな早業でスッポンの首が飛ぶ。首なしスッポンを逆さにしてグラスに生き血を落とし込む。そのグラスを私の前に持ってきた。
「トマトジュースもいいですが、コカ・コーラで割るのがいちばん飲みやすい。精力がつきますよ」
「いや、そのままで飲みます」
これまで何度も飲んでみたが、しかし何の味も感じられない。「スッポンの血は青みがかっているらしいね」と友人に聞かれたことがあるが、そんなことはない。スッポンの血は真っ赤である。
私は十年以上前から、この店の前を通りかかるたびに足を止めるようになった。知床半島から届いたホッケの開きや昆布が店に並んでいた。どちらも羅臼産である。タラの内臓の塩辛や「めふん」の瓶詰めもあった。ところが、日本人の老店主が九八年ごろから店に姿を見せなくなった。良品、珍味を揃えていたわりには客の姿がまばらだった。その後、店は「中国人に任された」と近くの店から聞いていた。それが現在に至り、品揃えもがらりと変わった。
以前と違って、今は客足が途切れることがほとんどない。客の大半が中国人である。店は年中無休である。見ていると、スッポンを買う人はそう多くないが、コイはよく売れる。土、日曜日の午後は、着飾った若い女性が多く、店の従業員はコイの注文を受けると、底の浅い水槽から四十センチ前後のものを手づかみで取り出し、手際よくブツ切りにしていく。
中国人が店を仕切るようになってから、気になっていたことがある。あるとき、若い女性が支払いをする際、妙な場面にぶつかった。品物の代金と一緒に、女性が折り畳んだチラシ広告や封筒を店側に渡すのである。それを受け取った従業員は、女性に釣銭を渡すと、そのまま大型冷蔵庫の裏側にある部屋に引っ込んだ。一瞬、ラブレターでも渡したのかと思ったが、それにしては二人とも照れたところがない。どちらも所作が事務的すぎる。
さらに妙なことが重なった。女性が支払いを済ませているにもかかわらず、買った品物を受け取らずに店を離れる。その後も同じような場面を何度も見ている。それも同じ女性ではない。いったい、何が起きているのだろうと気になり、品物を置いて店を離れた女性の様子を見守った。だが特に変わったことはない。何を買うわけでもなく、近くの商店街をぶらぶら歩いているだけだ。時間つぶしであることがわかった。
三十分ほどすると、女性は再び鮮魚店に戻った。そこで女性と従業員の間で中国語による簡単なやり取りがあり、女性は買った品物とメモ用紙のようなものを渡され、素知らぬ顔で店から離れた。別の日、男の客も女性と同じ動きをしていることを確かめた。店の従業員に渡した封筒の中身が金であると確信した。男が店のすぐ近くで封筒を開け、一万円札を数えている場面を目撃していたからだ。
頭の中に、中国人から教えてもらった「ティシャインハン」の響きが蘇ってきた。謎を確かめたくなった。
魚屋が地下銀行窓口[#「魚屋が地下銀行窓口」はゴシック体]
ある日、私は、この店でスッポン二匹と紅鮭の新巻二本を買い、スッポンは一匹だけ解体を頼んだ。さらに小ぶりのコイを一匹買った。コイは内臓とウロコを取り、丸ごと素揚げにする。それに甘酢あんかけをたっぷりかける。これに極細の白麺を散らせば、「鯉魚焙龍須麺《リーユイペイロンシユイミエン》」になる。私はこの中国料理に挑戦するつもりだった。コイは生きたまま持ち帰ることにした。従業員は私の指示に従い、コイの両目に水で濡らしたキッチンペーパーを張り付け、それを濡れた新聞紙で包んでからビニール袋に入れた。空気を入れるため、包丁の先で袋の上部を二カ所切り裂いた。
「これでコイが死なないのか?」
若い従業員が不思議がったが、これが数時間後に泳ぎ出すのである。
これだけ買い上げた客に対して、店も悪い気はしないだろう。あれこれ品定めをしながら話の糸口を探っているうち、ついに二万八千円も奮発するハメになった。話を切り出すタイミングが難しい。私は、注文したスッポンが首を飛ばされているとき、三十代後半と思われる店主にズバリ聞いた。
「お客さんの金を中国へ送る商売もやっているの?」
「そうですよ。どうしてわかった?」
こちらの読みは図星だった。客が金を渡しているところを何度も見たと説明すると、ああ、そうだったのか、といった顔をした。スッポンの解体が終わったら、紅鮭を二匹とも切り身にするよう頼んだ。普段は自分でやるが、少しでも話す時間を稼ぎたいという魂胆があった。
「お客さんが待っているから急いでよ!」
店主が突然、後ろで作業中の従業員に日本語で声をかけた。「お客さん」とは私のことだった。
「うちは中国の食材も扱っている。だから中国人の客が多い。私もそれを狙っていましたからね。若い女性客はほとんどがホステスだ。買い物と送金が一緒にできて便利だと言われる。ほかにも金を送れるところが何カ所もある。そこも金は間違いなく家族に届くけど、中国のヤクザが関係しているからね。うちには怖い人間は一人もいないし、みんなが真面目に働いている。従業員もほとんど変わらないし、客と中国語で話せる。だから客が安心できる。
送金は、頼まれるから仲介するだけですよ。金額は五万円とか、十万円とか小さいね。百万円以上は一カ月に二、三回だ。商売というわけでもない。でも手数料取っているからビジネスになるね。でも送金を仲介するのはアルバイトみたいなもんですよ。うちが力を入れているのは、生魚と干し魚を売ることですからね」
店主は、店が地下銀行の受付窓口も兼ねていることをあっさり認めた。これまで何度も品物を買っているが、店主とはほとんど話をしたことがない。しかし、私の顔は覚えている。
「客がいっぱい来てくれていいですね。儲かるんじゃないですか?」
もっと詳しい話を聞こうと会話に弾みをつけたつもりが、相手は乗ってこなかった。そのうち解体が済んだスッポンと紅鮭の切り身が入ったビニール袋を二つ渡された。ほかに生きたスッポンとコイが入った袋がある。両手に荷物を持つと気力まで沈みそうな感じがしたので左手で三袋まとめて持った。ずっしり重い。
「手数料はどれくらいですか?」
なんとか食い下がろうとしたが、店主は首を横に振った。顔は笑っているが、すぐに崩せる相手ではないと自分に言い聞かせた。
「魚のことなら何でも話せるけど、送金のことは日本人には関係ない。これは私個人がやっていることではないですからね。詳しく話したら店をクビになるから、もう何も聞かないでよ。
それよりもヨォフェイスートン(米非司※[#「酉+同」、unicode916e])、ミィスオ(米索)が欲しくないですか? 女の子を妊娠させてしまったら、この二種類の薬をのむだけで中絶できる。病院で手術するよりずっと安いよ。近くの店で中国人が売っている。私の紹介なら安く売ってくれるよ」
こんな話が最後に出たので、根っから私を煙たがっているわけではなかった。中国人のニセ医者が使っている人工中絶経口薬にも興味があった。しかし、店先に客が三、四人来ている。店主の顔は、今日は帰ってくれ、と言っているし、私もあまり迷惑をかけたくない。それからすぐに店を引き揚げた。ただし、取材を諦めたわけではなかった。
駅に向かって歩いていると、時折、コイが袋の中でバタッ、バタッと暴れる。スッポンは一匹を生きたまま受け取ったが、それも足を突っ張ってガサッ、ガサッと袋を突っつく。上野に立ち寄り、不忍池の南側にある中国クラブに顔を出すつもりでいた。だが、暴れる生き物をぶら下げたまま取材を続けるわけにはいかないので、私はまっすぐ帰宅した。
帰宅早々、コイの姿揚げ甘酢あんかけ≠ノ初めて取り組んだ。コイはしっかり生きていたが、あくまでも姿揚げなので頭は落としたくない。いちばん大きいフライパンの直径が三十六センチで、コイは三十四センチ。ギリギリである。だが、素人がやる揚げ方では中骨までうまく火が通らない。カリッと素揚げにしたかったが、結果的にはテンプラ油でグツグツ煮てしまった。せっかくのコイも野良猫のエサになってしまった。
だが、それを補うだけの収穫はあった。謎に包まれた地下銀行の受付窓口が、鮮魚店にあることが自分で直に確かめることができた。これまで、中国料理店、輸入食品店、それに携帯電話なども取り扱う輸入雑貨店に受付窓口があると聞かされてきた。だが自分ではなかなか確認できなかった。送金を依頼するのが中国人だから、店の経営者が中国人であるのは当然だ。どの店も日本人の客が少なく、不特定多数の中国人が自由に出入りできる。それがカムフラージュになっている。
後日、中国人ホステスの出入りが多い日曜日の午後を狙って店に向かった。攻め方を変えることにした。当面の狙いをホステスに定めた。
手数料は〇・八〜一・二パーセント[#「手数料は〇・八〜一・二パーセント」はゴシック体]
一九九二年秋、歌舞伎町の裏側に潜入取材を始めた際、まず最初に手をつけたのがホステスの一本釣り作戦だった。毎夜、何軒もの中国クラブを飲み歩き、最終的に三十軒以上の店に協力者を確保した。怪しい男たちの動きを掴むのにホステスは大いに役立った。ネオン街の女スパイは、あまり美人すぎても扱いづらいし、こちらが逆に振り回されてしまうことがある。店の期待がかかっているから、売り上げを伸ばそうと日本人客にやたら電話攻勢をかける。そのトバッチリを受ける。それに日本人ばかり相手にしているホステスは用をなさない。
鮮魚店から出てくる中国人女性を近くで待ち受け、脈がありそうだと直感したとき、声をかけた。どうにか喫茶店に誘い、いざ肝心の話に入ろうとしたとき、相手がモンゴル人のただの買い物客とわかり、愕然としたこともあった。苦戦のすえ、その日、三人の女性から話を聞くことができた。
一人は中国中部の湖北省出身で年齢は二十代後半。埼玉県内の私立大学に留学経験があり、そのときに知り合った二部上場企業の日本人社員と結婚。二人の子供がいるという。知性を感じさせる美人である。
「留学していた大学や貿易会社から翻訳の仕事が入ります。だから、お金には困っていません。二カ月に一回、両親や大学生の弟のために十五万円送っています。主人には内緒ですね。お金を送る手数料は、私の場合、送金額の一・二パーセント。十五万円送るのに千八百円かかります。詳しいことはわかりませんけど、送る地域によって〇・八パーセントから一・六パーセントまで幅がありますね。中国は広いですからね。不便な地域ほど高くなるみたいですね。そこから魚屋さんが仲介手数料として半分を取っているようです。中国へ送金手続きをするのは別の中国人で、魚屋さんは単なる受付窓口にすぎません。
私は悪いことは何もやっていませんから、普通の銀行からでも送れます。それでも地下銀行を使うのは、お金が早く届くからです。中国人は、いったんお金を送ると決めたら、一時間でも早くお金が届いてほしいと思って、落ち着いていられなくなる。民族性の違いでしょうね。中国人はせっかちです」
女性は喫茶店の客をチラッと見てから、ストローでアイスミルクをすすり、落ち着いた口調で話を続けた。
「ほかの地下銀行より手数料が高いですけど、魚屋さんの場合は、送金が簡単。買い物のついでに現金を持っていけば、十分足らずで済むこともあります。元締めというのか、そこに店の人が、受取人の名前、住所、電話番号、口座番号を知らせるだけです。もちろん、私の名前は必要ですよ。前はファックスで送っていたようですが、今はパソコン、携帯電話があるので、メールですぐに送れます。元締めから『引き受けた』と連絡が入れば、それで完了です。一時間かかることもありますが、そういうときは、元締めが忙しいということでしょうね。中国と連絡を取り合うのは元締めの仕事ですからね。
ほかの地下銀行の場合は、銀行口座を指定され、そこにお金を送るから記録が残ります。送金回数が多い人は、それ専用の通帳を持たされ、手数料と一緒に入金します。キャッシュカードを持っているのは地下銀行です。手数料は半額で済みますけど、何かと面倒ですよ。中国のマフィアが関係していることが多いですから、私は使いたくないですね。それならワンクッション置いて、魚屋さんに頼んだほうが気分的に楽です。お金が届かなかったというトラブルはこれまで一度もないですよ」
この女性は嫌な顔もせず、最後までよく話してくれた。中国内では正式な銀行を通して家族の口座に振り込まれ、地下銀行はその振込手数料を差し引く。
二人目の女性は二十四歳で上海出身。東京・渋谷のケーキ店で夕方から時給九百円でアルバイトをしながら、ある専門学校の経営情報処理科に通っているという。春、夏、冬の長期休暇期間は、日中はケーキ店、夜は居酒屋や回転寿司で働く。日本語学校をすでに卒業し、日本での生活は三年目に入っている。最初は後ずさりするほど驚いた様子を見せたが、繰り返し事情を説明するとやっと納得してくれた。
「私は学生ですから、送金を頼むのは一年間に三、四回ですね。両親が毎月、日本円で六万円ちょっと送ってくれる。授業料は年間百万円以上かかります。生活費もあります。そのお金をアルバイトに頼っています。お金送る余裕はないです。でも、どうしてもお金を送りたいときがあります。両親の誕生日と旧正月ですね。中国では旧正月はお祭りと一緒ですから、みんな、美味しいものを食べたいですよ。私は日本にいるから、家族とお祝いすることができません。その代わり、十万円送ります。両親の誕生日は五万円ずつ送ります」
中国人の旧正月に対する思い入れは相当なものである。それ以上に女性の親孝行ぶりには脱帽した。美人とは言い難いが、全体的に清楚な感じがする。
「どんな話をすればいいのかしら……」
留学生は急に戸惑った顔を見せた。私の質問に答えながら話を続けた。
「上海に送金するときの手数料は一パーセントです。同じ上海から来ている人たちに聞いてみたんですが、今のところ、上海人がやっている地下銀行は東京にないみたいですね。東京で地下銀行をやっているのは、ほとんどが東北《トンペイ》の人か福建人と聞きました。東北人は上海への送金は扱っていないようですね。上海人は、福建人を田舎者だと言って嫌っている。怖い人が多いですからね。私も福建人がやっている地下銀行は使いたくないです。後ろに誰がいるかわからないわ。でも、あの店の店主は福建人ではないですよ。従業員に一人だけ福建人がいますけどね。福建人は独特な訛があるからすぐわかる。そんなに利用するわけではありませんから、お金がちゃんと届けば何も言うことはありません」
福建人ホステスの話[#「福建人ホステスの話」はゴシック体]
話を聞いた三人目が、上海人に嫌われている福建省出身の女性だった。ホステスをやっていると言うだけあって美形である。だが、上海人がよく言うように、確かに垢抜けたところが感じられない。しかし、そんなことは私にはどうでもいいことだ。その日、私が特に狙っていたのは、さまざまな情報に接しているホステスである。それにやっとぶつかった。
客と接して人馴れしているので、私のほうも前の二人と違って気が楽になった。福建女性は口が固いというのが通り相場だが、質問にはよく答えてくれた。年齢と働いている場所を出さない、それが条件だった。この女性とは、日を改めながら計四回会うことになった。初日は食事をしながら話を聞いた。
「稼ぎは少ないですね。送れるお金は少ないですけど、魚屋さんにしょっちゅう頼んでいますよ。両親がお金なくて生活に困っている。だから一万円でも二万円でも送るようにしているの。私のような中国人はいっぱいいますよ。福建省に送るのが、いちばん手数料が安い。つい最近まで〇・八パーセントだった。でも今は〇・七パーセント。一万円送っても、十万円送るのと同じ手数料を取られるの。そうしないと儲けが出ないと言われた。日本で最初に地下銀行を始めたのは、福建人と聞いているわ。魚屋さんのバックにいるのも福建人のグループよ」
女性が言うには、手数料の半分がその福建人グループに回る。
「地下銀行をやっている福建人は、日本のヤクザと同じです。マフィア? そうそう、黒社会のことですね。日本のヤクザも怖いですけど、中国のマフィアはもっと怖い。勝てるのは軍隊と公安警察、武装警察だけですね。でも福建省で怖いのは、マフィアに軍人や警察官が協力していることです。お金を貰ってね。警察にマフィアや蛇頭のことを喋ったら、それが伝わり後でマフィアに殺されますよ。怖いのは男だけではありません。中国には女のマフィアもたくさんいますよ。もちろん、拳銃持っている。福建省には『十姉妹幇』という黒社会がありますね。幇は簡単に言うと組織という意味です」
注文した料理が運ばれてきた。女性はカキフライ、私はウナギの蒲焼き。カキは五個あったが、女性は三個しか食べなかった。ソースではなく醤油で食べた。醤油を垂らしてから七味唐辛子を振りかけたのは意外だった。
「中国人はウナギの蒲焼き食べるの?」
女性は、「ダメ、ダメ」と言って渋い顔をした。
「私もお金を送りに行ったとき、あの魚屋さんからウナギを買うことがあります。でも食べ方は日本人とまったく違う。どんな食べ方でも最初にぶつ切りにします。それを焼いて食べるか野菜と一緒に炒めます。スープにすることも多いですね。唐辛子、ニンニク、ショウガを入れて豆腐、トマトと一緒に煮込むの。ナマズも同じようにして食べますね」
女性はバッグから携帯電話を取りだすと、「あなたの番号教えて」と言ってきた。女性は私の番号を自分の携帯に打ち込み、すぐに発信した。着信音が鳴り響く私の携帯を引き寄せると、自分の番号が表示されているのを確かめた。女性が初めてニッコリ笑った。
食事の合間にも女性は話した。私は、話のつなぎに身の上話について軽い質問をした。しかし、口から出てきたのは、私には重たい内容だった。
「私は不法滞在ではありません。一緒に寝たのは四、五回しかありませんが、日本人の夫がいます。こう言えば、私の立場がわかりますよね? 配偶者ビザですからホステスをしても何の問題もありません。生まれたのは福建省の農村。中学校を卒業してから福州に働きに出ました」
福州は、台湾との海峡に面した福建省の省都である。ここもマフィアが多い街である。
「食堂で働きました。料理を運んだり食器を洗ったり掃除をしたり、日本語でいう雑用係ですね。日本に来たのは二十六歳のときです。上海に日本人の男が二十人くらい来て、中国人の女とお見合いパーティーがあったの。食堂に来ていたお客さんに誘われ、パーティーに行きました。そのときに知り合った日本人と結婚したんです。その前は中国人の夫がいたけど、別れました。お金もないのにサイコロを転がす博打をやり、借金が増えるばかりだった。私には子供が一人いて、今は両親が育てています。男の子です。だから少ないお金でも送るんです」
食堂を紹介したのは義兄だった。
「実は義兄は密入国で日本に来たことがあるの。地元では建設現場で朝から晩まで働いても、一カ月一千元になればいいほうです。日本のお金で一万四、五千円ですね。日本なら一日で稼げる金額よね。義兄は神奈川県で一年三カ月働きました。トマトとかキャベツ、キュウリを作る農家で働いていた。でも警察に捕まり、強制送還されました。
一緒に働いていた中国人に裏切られたのです。その中国人はモンゴル自治区(内蒙古自治区)から来ていた農業研修生だった。トマトを消毒しているとき、その中国人に『やり方が悪い』って注意されたらしいの。義兄は性格が短気なところがあって、相手を突き飛ばした。それから何日かして捕まった。義兄は、『あいつが警察に通報したからだ』と言って、ものすごく怒っていたわね」
義兄はほかの密航者と違い、日本上陸後、密航手数料の一括払いをせずに済んだ。だから家族が金策に追われるようなことはなかった。蛇頭の親族と付き合いがあるなど、それなりに信用がある者は、日本で働きながら分割払いが許される。
「蛇頭にまだ七十万円くらい借金がありますね。実際は残りが百五、六十万円あったけど、強制送還されたから半分にしてもらったんです。蛇頭の親戚と知り合いでなかったら、そんなことはできません。
義兄は今、刑務所に入っています。会社の倉庫から畑に水を汲み上げるポンプを盗んで捕まったの。だから姉は生活に困って、『私も日本に行きたい。売春してもいい』と泣きながら言ってきますよ。でも、そろそろ四十歳になりますから無理ですね。それより貧しい農民はパスポートが取れないですよ」
「時間があるんでしたら、これからお酒を飲みに行きましょうよ」
好感が持てる積極的な女性だが、それは日にちをずらして別の日に約束した。そんなこともあって、それから三回会うことになった。働いている店にも顔を出した。そこはスナックだった。黒地に金糸と白糸で花をあしらった中国風のブラウスを着ていた。胸元が大きく割れ、鮮魚店から出てきたときとは見違えるような色気が漂っていた。
女性の話では、地下銀行の受付窓口になっている鮮魚店の店長は、中国残留日本人孤児の二世ということだ。日本の永住権を持っているが帰化はしていない。従業員一人も同じ残留孤児二世だが、こちらは日本国籍を取得している。二人は北朝鮮と接する吉林省出身だという。
開店時間の符丁は果物[#「開店時間の符丁は果物」はゴシック体]
私は、あることを自分の目で確かめるために鮮魚店に向かった。女性の話によると、店は送金の依頼客に対し、意外な方法で営業時間帯を知らせているというのだ。
顔馴染みになった店主は、うるさいのがまた来たか、といった顔つきで私のほうを見た。壁際の水槽にコイやウナギが身動きできないほどごちゃごちゃ入っている。日本では見かけない真っ黒なナマズが底のほうでウナギに囲まれている。日本ではチカダイ、イズミダイなどと呼ばれるナイル川原産の養殖淡水魚「テラピア」も何匹か入っている。この刺し身を真鯛として出す回転寿司がある。
「スネークヘッド」の英名を持つ魚も見えた。密航斡旋の蛇頭《スネークヘツド》と同じ名称だ。頭がヘビにそっくりである。日本では、タイワンドジョウ、カムルチーと呼ばれ、前者は台湾原産、後者は中国、朝鮮半島などが原産。動くものなら人間の指にも食いついてくる。総称して雷魚《らいぎよ》と呼ばれるが、カミナリのように性格が猛々しいことから、この名がついた。すべて中国では日常的に食べられている魚だ。しかし、私は魚を見に行ったわけではない。
鮮魚店に果物を見に行ったのである。水槽の後ろ側の壁に、バナナが三房入った青い網袋が下がっている。子供の手のようなモンキー・バナナだ。そのすぐ右側に、ライチーが二十個ほど入った網袋が下がっている。ライチーは中国南部が原産で、この果実は楊貴妃が好んで食べたことで有名だ。私も以前からバナナ、ライチーに気付いていたが、従業員のおやつぐらいにしか思っていなかった。
ところが、そうではなかった。先の福建人ホステスが果物の種明かしをした。
「両方下がっているときは、開店から閉店まで送金を受け付けるという合図です。バナナだけなら午前中だけ。午後行ってバナナ見たら、営業は終わったということです。ライチーは午後だけ。昼前に行ってライチー見たら、午後まで待つことになるの。バナナもライチーもなかったら、その日は休業ということです。でも休業することはほとんどありません。休業するのは、元締めが何かで都合悪いときでしょうね。警察が動いているとか、大事な集まりがあるとか、仲間の誰かが死んだとか、理由はいろいろあるでしょうね」
私の好物でもあるモンキー・バナナが、思いも寄らない符丁に使われていたとは驚きだった。
その日、私は店長に一切声をかけず、何も買わずに店を引き揚げた。別な方法で裏が見えれば、閉ざした口をわざわざこじ開ける必要もない。本人が詳細を語れば、危険にさらされることは目に見えている。根は性悪な男ではなさそうだ。残留日本人孤児の二世として生まれ、中国でどんな苦労があったかわからないが、それを危険に追い込むのは私の望むところではない。
地下銀行も過当競争[#「地下銀行も過当競争」はゴシック体]
福建省は、隣接する広東省と並んで海外へ多数の移民を送り出していることで知られる。移民先で大富豪になった事業家も数多い。また中国で最も出稼ぎ密航が多い地域でもある。海外へ雄飛する思いは強烈だが、一方できわめて閉鎖的な気質を持っている。
中国人を妻に持ち、地下銀行の事情に詳しい日本人から話を聞いた。
「日本にある中国系の地下銀行は、利用者の出身地によって、おおむね色分けされている。福建人がやっている地下銀行は、やはり福建省の人間を相手にするね。上海やほかの地域の人間が、そこに標準北京語(公用語)で送金を頼もうとしても、そっけなく電話を切られるよ。警戒されている。福建人がいくら上手に標準北京語を話しても、福建語の独特な訛が抜けない。他地域の人間が話す北京語には、その訛がない。福建人かどうか、話す言葉で簡単に見破られてしまう」
ところが先の鮮魚店は、陰の元締めが福建人でありながら、他地域出身者の送金依頼も受け入れている。福建人だけ相手にしていたのでは、収益が頭打ちになるからだ。その窮余の一策として、中国人が集まる鮮魚店、雑貨店などに受付窓口を開設し、地下銀行の「支店」にしたのである。支店は今や全国各地にある。送金手数料が収益だから、それを上げるためには小口の客でも数を集めるしかない。
地下銀行を裏で操っている元締めは、中国人の金融ブローカーや密航ビジネスで財を成した蛇頭、マフィアの親玉などである。日本で暴力団を通して闇金に投資したり、また消費者金融に出資して表向き実業家を装っている者もいる。
地下銀行をよく知る先の日本人が話した。
「東京周辺には九〇年代、中国系の地下銀行が約二十組織あったね。その大半が福建省の組織だった。それらは港町の福清系、農村部の長楽系、連江系と大きく三つに分かれていた。福清派はいくつものグループに分かれ、一カ月の取扱金額が二十億円を超えるところもあった。
長楽系と連江系は、福清系より規模が小さく、月の取扱金額が一億数千万円から数億円程度。日本に密航者を送り込む蛇頭の多くは長楽県出身だ。その蛇頭も地元の長楽系地下銀行を使わず、普段は仲が悪い福清系を使っていたね。やはりビジネスだから、規模の大きいほうが頼りになるということだ」
九〇年代半ばに地下銀行を利用していた福建省出身の四十代の男が当時を振り返る。男は「福建人の街」といわれた池袋に住んでいたが、中国人どうしの喧嘩がもとで今は東京を離れている。都内に顔を出すのは月に二、三回である。
「最初のころは、手数料を三パーセントも取る業者がいた。高かったね。送る金額は十万円が基準だった。だから、十万円以下は金額に関係なく三千円取られた。手数料は違うが、このシステムは今も変わっていない。ところが、そのうち〇・三パーセントまで落ちてきた。三百円の手数料で十万円送れる。それで福建人はみんな、地下銀行に走った。中国側も家族に届ける際、同じように〇・二〜〇・三パーセントの手数料を取る。とにかく手数料は下がった。どうして、こんなことになったかというと、地下銀行が次々とできたからだ。競争をすれば当然、手数料は落ちる」
男は、熾烈な競争状態にある中国料理店を引き合いに出しながら、さらに説明を加えた。
マネー・ロンダリングの仕組み[#「マネー・ロンダリングの仕組み」はゴシック体]
もともと地下銀行を考え出したのは蛇頭である。密航者を日本に上陸させれば、中国にいる家族から蛇頭に約三百万円の密航手数料が入る。家族はそれを借金で賄っている。返済の義務を負っているのは密航者だ。肉体労働だろうが犯罪だろうが、密航者はがむしゃらに金を稼ぎ、それを家族に送ろうとする。ところが密入国者や不法滞在者が銀行から正規手続きで送金しようとすると、身分や送金目的などを確認される。結局、銀行を通しての送金はできないとわかった。
そこで蛇頭が目をつけたのが送金代行、つまり地下銀行である。まず日本と中国に責任者を配置。中国人から金を受け取った日本側は、金額と受取人の名前など必要事項を中国側へ連絡する。中国側はその金額を人民元に換算し、家族に届ける。家族が仮に事務所で待機していれば、ものの数分で金が手元に届く仕組みである。
福建省出身の男がさらに話を続けた。男は地下銀行の仕組みをよく知っていた。
「仕組みは前も今も同じ。以前は電話、ファックスで連絡を取り合った。でも今はインターネットを利用する。早いし、しかも安上がりに済む。地下銀行は、密入国者や不法滞在者にとって欠かせないものだ。いちばん助かっているのは、犯罪に関わっている連中だね。強盗で奪った金を地下銀行に持ち込めば、その日に中国に送金される。警察が犯人を捕まえても、金が戻ってくることはない。大金を掴んだ中国人はすぐに日本から逃げてしまう。地下銀行ができていちばん喜んでいるのは、強盗、盗みをやる連中かもしれない」
裏ロム、偽造パッキーカードなど、中国人に不正パチンコで収奪された金も地下銀行を通して送られた。
男の顎に治りかけた傷跡があった。聞くと、丸太を製材中、飛び散った木片に直撃されたらしい。聞かれると気になるものなのか、男は左親指で顎を撫でながら話の続きに入った。右手はタバコを挟んでいた。
「蛇頭にとって、地下銀行はどうしても必要なものだ。密航に協力してもらったヤクザに報酬を払わなければならない。そのときに地下銀行を利用する。いくら蛇頭が考え出したといっても、蛇頭全員が自前の地下銀行を持っているわけではない。ヤクザに金を払うときは、まず本国蛇頭が福建省の地下銀行に人民元を持ち込む。この金は密航者の家族から集めた金だ。中国の地下銀行は、その金額を仲間がやっている日本の地下銀行に伝える。信頼ができるなら、まったく別系統の地下銀行を使ってもいい。これはあくまでビジネスだからね。日本側はその金額を日本円で在日蛇頭に払う。この日本円は、送金を頼んできた中国人から集めたものだ。地下銀行はそれを五十人とか百人の名義で街の銀行に預けておく。口座の名義は中国人の留学、就学生から謝礼を払って借りる」
中国系の飲食店やポーカーゲーム店などで日本人に近づき、休眠口座の通帳とキャッシュカードを買い取るケースも多いという。
「在日蛇頭は地下銀行から金を受け取ると、それをすぐにヤクザに払う。金の受け渡しは、何年も前から付き合いがあるとか、共通の友人が何人もいるとか、ちゃんとした信頼関係があれば、電車の中で一対一でやる。走っている電車の中なら、強盗に襲われても相手は逃げられない。事務所やクルマの中ではやらない。かならず周りに人がいる場所でないとダメだ。
普通は駅前や公園など、人が多く見通しがいい場所でやる。中国人の強盗に狙われることもあるからだ。金を渡すヤクザとは別のヤクザが近くで待ち構えていて、そいつらに金を奪われることも考えられる。グルになってね。それをやられると二回払うことになる。だから蛇頭も拳銃を持たせた警護役を連れていく。ヤクザも当然、拳銃を持っているしね。
向かい合ったら、互いに相手の携帯電話番号を言い合うことになっている。代理の者には絶対に渡さないのが決まりだ。そいつが持ち逃げしたら、請け負ったヤクザは当然、『金が届かない』と文句を言ってくる。そんなことになれば、二回払うことになるか、大きな喧嘩になる。ヤクザが決められた仕事をきちんとやり、本国の蛇頭がそれに納得すれば、一億円でも二億円でも間違いなくヤクザに払われる」
本国から支払い金額を指示された地下銀行が、在日蛇頭を通さず、ヤクザが指定してきた口座に直接振り込むこともあった。
「ヤクザの希望でね。もちろん、本国の蛇頭が許可を出したからだ。しかし、これは銀行に記録が残ってしまう。だから、今はかならず手渡しでやる。ヤクザに渡す金額が二百万円以上のときは、十万円ずつホッチキスやクリップで留め、百万円を一束にする。普通は輪ゴムで束ねておく。注意深いヤクザは金を数えることがあるので、そのときはコンビニかデパートのトイレに入る。もちろん、蛇頭が立ち合う。一千万以上の金を渡すときは、新聞紙に包むとか紙袋に入れたりして、それをスーパーの買い物袋で運ぶ。上にセンベイの袋とか雑誌を乗せてね。一億円でも同じ方法でやる。そのときは、一人で運ぶと言っても本国の蛇頭が許可しない。最低三人がいないとダメだ。一人が袋を奪われても、三分の二は残るからね。警護役には金を持たせない」
地下銀行は、日本と中国の間で毎日、金のやりとりをするわけではない。日常の業務は送る金額を確かめ合うだけで、清算は後回しにする。仮に日本から十億円送り、中国から二億円送られてきたとする。それを互いに立て替え、それぞれが指示された受取人に届ける。二億円は相殺できるが、日本側は差額八億円を中国側に払わなければならない。
もともと八億円は説明のつかない黒い金である。中国にいくら支店があっても、それを日本の都市銀行を通して中国に直接送金することは不可能だ。そこで利用されるのが日本、香港に支店を持つ中国系の銀行。香港へ円建て送金された金が、香港ドルで引き出され、それによって黒い金はすべて犯跡を消される。送金の際、地下銀行は表向き実業家を装っている。
香港の九龍地区には商業ビルが建ち並んでいる。これらのビルに実体のないペーパーカンパニーが何千社も登記されているが、その所有者はほとんどが中国本土の人間だ。地下銀行は、そうしたペーパーカンパニーを隠れ蓑にしているといわれる。いずれにせよ、日中両国の間では、そうした巨額な闇の金が毎日行き来しているのである。
犯罪の国際分業[#「犯罪の国際分業」はゴシック体]
日本からの送金額は、国内の中国人犯罪とリンクしているので減ることはない。栃木県で現金輸送会社の金庫を狙った五億四千万円強奪事件(〇四年十月)や有名整形外科医の一人娘を誘拐しての身代金三億円要求事件(〇六年六月=未遂)のような凶悪犯罪が地下銀行を支えている。前者は実行犯のすべてが中国人であり、後者は日本、中国、韓国人など多国籍強盗団による犯行だった。特に中国人は、静岡県や千葉県で起きた一連の現金強奪事件に関与している。
二つの事件には日本の暴力団関係者が絡んでおり、襲撃対象に関する情報を提供し、分け前を巻き上げていた。国籍を飛び越えた多国籍の混成強盗団が虎視眈々と金持ちを狙っている、それが日本の現状である。
日本で犯罪のボーダーレス化がいっきに進んだのは、九〇年代に入ってからだ。
「日本は犯罪をやる人間にとって天国だ」
そんな言葉を中国人やイラン人などから何度も聞かされてきた。
「日本人を殺しても、一人なら大丈夫。死刑になることはないからね。府中(刑務所)に行くだけ。刑が軽いだけじゃない。警察に捕まっても刑務所に入れられても、日本は犯罪者を殴らない。これは助かるね。ちょっとでも抵抗したら、中国じゃ血だらけにされる。日本は待遇もいいし、言うことなしだよ」
そう言って高笑いを浮かべる中国人窃盗団に接触したことがあった。新世紀に入って警視庁が厳しい取り締まりで外国人犯罪を減少させたことは事実である。しかし悪党どもは地方都市に散り、日本から消えたわけではない。日本の農村は、外出するときでも寝るときでも玄関、窓に鍵をかけることはほとんどなかった。それが今や山村にまで刃物を持った中国人が押し入ってくる事態になってしまった。
[#改ページ]
揺頭《ヤオトウ》に熱狂する中国人ホステスたち
「ヤオトウ」(揺頭《ヤオトウ》)は、成分の化学構造が覚醒剤に酷似したアンフェタミン系の違法ドラッグで、日本では覚せい剤取締法に引っかかる違法薬物である。これが一九九〇年代後半から在日中国人の間にじわじわと広まった。中国クラブではヤオトウ・パーティーが頻繁に開かれるようになり、歌舞伎町で働く中国人ホステスの参加者が急増した。
不法滞在者はもちろん、留学生、就学生ホステスは、警察、入管を何よりも恐れている。店にいても、いつ踏み込まれるかわからない。精神的圧迫感に肉体的疲労感が重なり、そうしたストレスをヤオトウ・パーティーで解消しようとする。
中国クラブの上海人ママは、「私は一度も参加したことがないの」と言いながら、ヤオトウ・パーティーの内情をよく知っていた。
「実は、うちの店にいた就学生がヤオトウ・パーティーにしょっちゅう参加していたの。急に痩せてきて顔色も悪くなってきた。食欲がなくなるから痩せるのは当然よ。ヤオトウを飲んでいると神経質になるらしく、いつもイライラしていたわね。ヤオトウ・パーティーがどのようなものなのか、いろいろ聞き出しました。その子は私と同じ上海出身。日本語学校を卒業後、帰国しました。ヤオトウは上海のディスコでも使われているらしいわ」
歌舞伎町の中国クラブは、十二時に閉店後、店をそのまま別の経営者に又貸しするのが常態化している。一軒の店が早番と遅番に分かれる。これは九〇年代から変わっていない。キープボトルの保管棚は二つあり、それぞれが別の鍵で管理する。
「ヤオトウ・パーティーをやるのは、九〇パーセント以上が遅番の店。パーティーを開くのは経営者ではありません。かならず主催者がいます。店を借りきって夜中一時から始めることもあります。店に前もって予約を入れておかないと、日本人の客が入ってくる。そのときは客が帰るまで待って、だいたい朝四時半ごろから始まる。
それまでに遅番クラブのホステスを誘っておくの。誘いに乗るのは、客とホテルへ行けなかった子が多い。ホテルに行っても、パーティーに誘われた子は、泊まりを断わって二時間コースにしますね。ヤオトウ・パーティーに出たいからよ。主催者は、顔を知っているホステスしか誘いません。その子が友達を連れてくるのは問題ありません。でも日本人の友達はダメね」
「ヤオトウ・パーティーがどんなものか、自分の目で見てみたい。パーティーを開いているクラブの経営者を紹介してもらえませんか?」
ママは首を強く横に振った。
「それは絶対にできません。あなたが顔を出したことで警察の手入れを受けるようなことになったら、私が情報を流したと疑われる。私が責任を問われる。そうなったら、私にはどうすることもできないね。主催者の中国人は怖い人たちですよ。
日本人がヤオトウ・パーティーに参加するのは、とても難しい。主催者も参加者も情報が漏れるのを何よりも恐れている。みんな、ヤオトウが麻薬とわかっているのよ。パーティーをやっているときは、店は内側から鍵をかけている。誘われた人でも簡単に入れない。名前を出して、いくらドアを叩いても入れてくれません。主催者でも知り合いでもいいから、店の中の誰かと携帯電話で連絡を取らないとドアは開きません」
普段は日本人客が中心の中国クラブも、このときは完全な秘密クラブに変身する。
ヤオトウ・パーティーは朝九時ごろまで続くことがあるという。だがパーティーが終わったからといって、すぐには帰れるわけではない。まだ酩酊状態にある者は、しばらく店で休んでから、それぞれが目立たないようバラバラになって帰っていく。
室内に流れる音楽のボリュームを上げれば上げるほど、恍惚感が深まるらしい。しかし、ヤオトウ・パーティーが開かれるのは、深夜から朝方にかけてである。やたらに音量を上げれば、それが壁を突き抜けて外に響いていく。警察に通報される恐れがあるので主催者は細心の注意を払うという。
実際にヤオトウ・パーティーが開かれてきた、歌舞伎町のある中国クラブの例を取り上げる。
早番クラブの契約者が月に百万円のテナント料を払っている。その店を五分の一の二十万円で遅番クラブに又貸しする。テナント料の負担を少しでも軽くするためである。
夜中十二時半から朝五時半までの約束で店を貸すが、その約束はほとんど守られないという。ヤオトウ・パーティーが夜明け後も延々と続くからだ。
遅番クラブがヤオトウ・パーティーの主催者に店を貸すときは、パーティー開始時間に関係なく一律三万円。パーティーが月に十回あれば三十万円の売上げになり、二十万円の借り賃を払っても十万円が浮く。パーティーが四時過ぎに始まる場合は、それまで三時間ほど営業しているため、一般客からの売上げもある。ほかにヤオトウ・パーティーが開かれない日が少なくとも二週間以上あるので、その売上げを加えると、夜中に店を開いて経営が成り立つのである。
一方、パーティー主催者はどんな形で儲けるのか?
実は、ヤオトウの錠剤の相場は一錠三千円。品薄のときは五百円が上乗せされる。主催者はパーティー参加費として一人から五千円を徴収する。十人の参加者を集めれば五万円になり、店の借り賃三万円を払っても元が取れる勘定だ。参加費が二千円の場合もある。これは参加者が多いときか、主催者がヤオトウの密売人を兼ねているときである。安い参加費をヤオトウの密売利益でカバーできるからだ。
都内には中国、台湾系のディスコがあるが、このような大型店を借り切る場合は、五十人、百人と集まる。ここにヤオトウ・パーティーを巡る裏利権が発生し、それが中国マフィアの暗躍を呼び込むことになる。裏利権を巡ってマフィアどうしが衝突し、これまでに殺人事件が何件も起きている。
それまで私は、何人もの中国人から「ヤオトウ・パーティーに日本人が顔を出すことは絶対にできないよ」と釘をさされていた。
「日本人とわかったら殺されることだってあるかもしれない。ヤオトウ飲んでいると、感情が爆発することがあるからね。中国人どうしがパーティーの最中に喧嘩になり、拳銃で撃ち殺された事件が何度も起きている」
ポケットから取り出した緑の錠剤[#「ポケットから取り出した緑の錠剤」はゴシック体]
ところが〇五年一月下旬、ある三十代の中国人から、私を「ヤオトウ・パーティーに誘いたい」という連絡が飛び込んできた。男の名前を仮に劉としておく。私は以前、劉に恩を売ったことがあった。
パーティーに出るにあたって、劉は事前にいくつか注意点を与えてきた。
「ヤオトウは絶対に飲まないこと。万一、警察に捕まったとき、言い逃れができなくなる。あなたも仕事柄、逮捕は嫌でしょ?
私がよく知っている同郷の男が主催者になります。あなたのことは主催者に伝えてある。私とあなただけがヤオトウを飲まないのは、ほかの中国人におかしく思われる。だから、主催者から渡された錠剤を皆の前でちゃんと飲むこと。それは風邪薬だから何の心配もありません。酒を飲みながら、みんなと同じように頭を揺らしていればいい」
そして、ついにヤオトウ・パーティーの日がやって来た。会場は、てっきり歌舞伎町と思い込んでいた。だが、私と劉が向かった先は、東京・豊島区内の盛り場だった。山手線池袋駅から歩いて行ける距離にあったが、時間が迫っていることもあってタクシーに飛び乗った。
会場となる店の入り口には、中国語と日本語の張り紙が出ていた。
〈本日は、王楊明先生の帰国送別会のため午後九時から店は貸し切りになります。申し訳ありませんが他のお客様の入店をお断りします。店主〉
劉に聞くと、中国語の張り紙も同じ内容だ。もちろん、「王楊明先生」の名前もデタラメである。九時を四、五分過ぎていたが、ドアにはまだ鍵がかかっていなかった。パブ風の店内は十数坪の広さがあり、カラオケ設備が置いてある。奥のカウンターの内側に従業員らしい若い男の姿が二人見えた。
劉に主催者の男を紹介されたあと、それとなく目配りしながらカウントすると、男が九人、女が七人いる。参加者は私と劉を含めて二十三人と聞いていたから、まだ五人が来ていなかった。その五人も十分以内に次々と入ってきた。男は一人だけだ。最終的に男十二人、女十一人になった。着飾っている女は一人もいないし、全員が身軽な恰好である。
九時半近くに入り口のドアをロックすると、主催者は会費を集めながら、各参加者に一言声をかけている。隣りの劉に小声で聞くと、手持ちのヤオトウがあるのかどうか確かめているという。
手持ちがない人にはズボンの右ポケットから取り出した白い包みを渡していた。注意してよく見ていると、包みの一部が青や緑、ピンクで色づけされたものがある。それは錠剤の色を表していた。白い錠剤の場合は無印である。
まもなく自分の番が近づいてくる。私はかなり焦っていた。私と劉には風邪薬を渡す手筈になっている。だが、主催者がポケットから取り出している包みはすべてヤオトウのはずだ。風邪薬など混ぜられるわけがない。それが間違って中国人の参加者に渡ったら、パーティーの最中、大騒ぎになるのが目に見えているからだ。主催者も信用を失ってしまうだろう。
すぐ左側の女は緑の色づけがある包みを選んだ。そして、ついに私の番がきた。会費五千円、ヤオトウ代三千三百円である。一万円札を出して釣銭を受け取ると、主催者はそれまでと同じように右ポケットから包みを取り出した。手のひらに包みが六個乗っている。私はすでにヤオトウを飲まされることを覚悟していた。左の女と同じく緑の色づけがある包みを選んだ。
右側の劉は一瞬、戸惑った顔を見せた。取り上げたのは無印の包みだった。ずっと見ていると、男たちの多くが無印を選んでいた。それまで観察したところ、無印は三千五百円のはずだ。だが、劉が払ったのは、私と同じ三千三百円だった。
中国人の従業員が、会費を払った順から「スーパードライ」の五百ミリリットル缶を配っている。あとで知ったが、この店ではヤオトウ・パーティーの際、瓶ビールやグラス類は客席に出さないという。ささいなことから口論が始まり、それが激しい殴り合いに発展し、ビール瓶、グラスで負傷者が何人も出たことがあるからだ。
中国音楽が流れ始めた。ゆるやかなリズムのなか、男性歌手の甘い声が流れてきた。弦楽器の胡弓の音色が交じっている。照明がかなり暗くなった。
男も女も次々とヤオトウをビールで流し込んだ。指先で二つに割り、半分しか飲まない女も何人かいた。私も出遅れないように錠剤を口に放り込んだ。汗が出るほど暖房が強くしてあるので、缶ビールをいっきに半分ほど飲んだ。
中国人ホステスの解放区[#「中国人ホステスの解放区」はゴシック体]
錠剤を飲み込んでから妙なことに気づいた。私が選んだ包みには緑のマークがあったから、錠剤は緑のはずだ。ところが包みに入っていたのは白い錠剤だった。入れ間違えたのだろうか。ともかくビールを飲みながら、どんな効き目が出てくるのか、自分を注意深く見守った。劉は無印の包みを選んだので当然、白い錠剤のはずだ。いつの間にか劉は私から離れ、奥のほうで主催者と何やら立ち話をしている。
それにしても店内が暑すぎる。一月下旬だというのに、いきなり真夏が来たような蒸し暑さだ。
「どうして、こんなに温度を高くするの? 暖房機が壊れているのかな?」
右隣りの髪の長い女性に声をかけると、急に笑い出した。それも体を揺すりながら大袈裟な笑い方である。早くもヤオトウの作用が出てきたのかと思ったが、まだ顔はまともである。
「わざと温度を上げているのよ。ヤオトウは暑いなかでやったほうが早く効き目が出てくるの。アナタはヤオトウが初めてのようね。だんだんテンポの速い音楽に変わるから、そのときは音楽に合わせて頭をこう振るのよ」
女性は頭を左右に振ってみせた。私も予行演習のつもりで真似てみると、首筋がギコギコと音を立てる。こんなことを長く続けていたら筋を痛めてしまうだろう。女性の話によれば、頭をあまり激しく振りすぎると次の日から首が動かなくなったり、ひどいときは骨折することもあるらしい。
ほかの参加者を見回すと、ソファや椅子にもたれながら、すでに首を左右にゆっくり揺らしている。ほとんどが半袖やTシャツ姿になっている。私は長袖の下着に黒いトレーナーを着ていた。まさか、下着姿になるわけにはいかないから、じっと暑さを我慢していた。
ところがパーティーが始まって一時間ほどすると、男の中には上半身が裸になる者が出てきた。男と女が五、六人ずつ店の中央で踊り始め、音量が最初の倍くらいに上がった。右隣りの女性が言っていたように、テンポの速い音楽ばかり流れてくる。男が次々とシャツを脱ぎ捨てていく。
踊りそのものは、それほど激しい動きではないが、首だけは想像していた以上に目まぐるしく左右に揺れている。男より女のほうが首の振りが激しい。
右隣りの女性も踊りに加わっていたが、汗でびっしょり濡れた長い髪が顔に絡みついて離れない。そのまま頭が飛んでいきそうなほど勢いよく首を振り続けている。「アッ、アッ、ウッ、ウッ」と艶めかしいうめき声のようなものが漏れてくる。この女性は、残していた錠剤の半分を途中で飲み、再び踊りに加わった。
一方、パーティー開始から二時間近くたっても、踊りをまったくやらず、目を閉じたままソファに座り、恍惚とした表情で首だけ揺らしている女性が三、四人いる。喉が渇くのか、水の入ったペットボトルを離さない。隣りどうしで会話を交わすこともなく、それぞれが自分の世界に浸りきっている。話を聞いてみたいが、とても話しかけられる状況ではない。
その中の一人が突然、立ち上がり、男と同じようにTシャツを脱ぎ捨てた。真っ赤なブラジャーがはち切れそうなほど胸が大きい。その女性が踊り始めると、あちこちから拍手が飛んだ。下は太股まで見える短いスカートで、体の動きによって黒いパンティーがあらわになる。前かがみのまま髪を振り乱して頭を振ることがあり、そのときは大きな尻が丸見えになる。太股から汗がしたたり落ちる。中国女性のこれほど大胆な姿を見たのは初めてである。
これでは主催者も参加者も日本人を拒絶するのは当然である。情報が警察に流れるのを警戒する。それも日本人を拒絶する理由のひとつだが、それだけではない。ストレスを発散するからには、どんな痴態が飛び出すかわからない。そんな場面を日本人に見られたくないという気持はよく理解できる。どんなに違法でも、ヤオトウ・パーティーは中国人にとって完全な解放区なのである。
私のほうは錠剤が効いているのかどうか、さっぱりわからない。体がふんわり浮いているような感じで気持はいい。だが、ヤオトウの特徴的作用である頭を揺らしたいという欲求がぜんぜん起きてこない。しかし、主催者から劉を通して、「頭を揺らしていればいい」と言われたので、それに従わなければならない。劉も近くの席で私と同じように首をゆっくり振っている。だが、ほかの男たちと違って、ヤオトウが効いている様子ではない。
夜中十二時近くになり、それまで缶ビールを十本以上飲んだ。二本までは主催者持ちだが、三本目からは一本五百円で買わなければならない。店内が蒸しているからビールがどうしても欲しくなる。トイレに幾度となく立った。首振りから解放されるのは、そのときだけだ。暑さに我慢できなくなり、すでに私も下着を脱ぎ捨てていた。
十二時を回ったころ、私はトイレであられもない場面にぶつかってしまった。トイレのドアを開けると、女のスカートを捲り上げ、男が背後からのしかかっていた。女は壁に両手を突いて踏ん張っている。そっとドアを閉めようとしたところ、男に気づかれた。
「ノックしないのは、アンタが悪い! ノックするのが常識だろ!」
はっきりした日本語だ。男が目をつり上げて突っかかってきた。一瞬、どうなるかと心配したが、なんとか穏便におさまった。女がまだいたので、男はまたトイレの中に戻った。内側から鍵をかける音が聞こえた。
自分の席に戻ってしばらくすると、それまで耳をつんざくほど鳴り響いていた音楽が突然、ピタッと止まった。踊りに夢中になっていた男、女が、腰が砕けたようにその場にしゃがみ込んだ。
何か都合の悪いことでも起きたのかと思い、近くにいた劉に聞いてみた。
「飛び入り参加があるらしい。男四人と女二人。主催者の知り合いだ。そろそろ俺たちは帰ろう」
劉はそう言うと、腕を掴んで私を店の隅に引っ張った。そして耳元に顔を寄せてきた。
「女は中国人だが、男は広東省と台湾の連中だ。みんな、まともな連中ではない。こう言えば、わかるでしょ?」
あとでわかったが、中国広東省と台湾でもヤオトウが流行しているらしい。主催者のヤオトウ入手ルートに関係する男たちだという。
主催者がドアの内側に立ち、すぐ外にいる参加者と携帯電話で数秒話したあと、鍵を外した。入って来た女は二人とも二十代前半だが、男はいずれも三、四十代に見える。男は黒革のジャケット、ジャンパー姿で女は毛皮のハーフコートを着ていた。見たところ、仕事帰りのホステスといった感じである。
六人が顔を見せて数分後、アップテンポの音楽が再開され、十三、四人が踊り始めた。その中に赤いブラジャーの女も混じっていた。しばらくしてから飛び入り参加の女二人も踊りに加わった。すぐに首を激しく揺すり始めたところを見ると、すでにヤオトウを飲んでいたのである。
私と劉は、主催者と参加者に簡単な挨拶をしてから二時半前に店を出た。真夏のような暑さの店にいたので体が火照っている。体を冷やすため、しばらく劉と寒気の中を歩いた。
「俺たちが飲んだのはヤオトウじゃなかったのか? 包みに緑のマークがあったし、みんなと同じ右ポケットからクスリを出した。だから俺はヤオトウのつもりで飲んだんだが……」
劉は大笑いしながら話した。
「私もヤオトウのつもりで飲んだ。だが主催者にこっそり聞いたら、あれは風邪薬だ。ポケットの中が二つに分かれていて、外側に入れておいたのがヤオトウ、内側が風邪薬だった。緑のマークは小細工だ」
長袖の下着は汗でビショビショに濡れていたので、店のゴミ入れに捨ててきた。最も冷え込む時間帯にトレーナーとジャンパーだけである。私は案の定、風邪を引いてしまった。ヤオトウの代わりに飲まされた風邪薬は何の役にも立たなかった。
タイ製の合成麻薬ヤバー[#「タイ製の合成麻薬ヤバー」はゴシック体]
ヤオトウの呼び名が、中国人ホステスの間に広がり始めたのは九八年ごろである。音楽が流れるなかに身を置いていると、リズムに乗って頭が左右に揺れてくる。それで揺頭丸《ヤオトウワン》と呼ばれるようになった。
誰が命名したのかわからないが、ヤオトウは合成麻薬「MDMA」の近似種である。欧米や東南アジアでは、MDMAは「エクスタシー」、「ラブ・ドラッグ」、「ダンシング・ドラッグ」などと呼ばれ、日本にも大量に密輸されている。
かつて歌舞伎町で売春クラブ「M」を経営していた台湾女性に聞くと、ヤオトウが出回る前、中国人ホステスの中には、しばしば「ヤバー」を飲む者がいたという。
「うちの店には台湾の子が少なく、タイ人と中国人が多かったですね。もちろん、店には絶対に持ち込まないように注意していたけど、タイ人は部屋に帰るとヤバーを飲むと言っていたわね。一晩に客を何人も相手にするから疲れますよ。ヤバーを飲むと、どんなに疲れていても体が楽になるらしい。それを聞いて中国の子もそのクスリが欲しくなり、タイ人が一錠二千五百円で譲っていたわね。
うちには中国人が七、八人いましたが、ほとんどが飲んでいたみたいですね。その中の二、三人に、『ほかの店の中国人も飲んでいるの?』と聞いたことがあるの。彼女たちの話では、売春をやらないホステスはヤバーを使わないと言っていた」
当時、歌舞伎町でヤバー密売の元締めをしていたのは、二十代後半のタイ人の男で、これが実は豊胸、性転換手術をしたニューハーフだった。目鼻立ちの整った美形の持ち主で、その女装姿に日本の男が次々と引っかかった。歌舞伎町には、ヤバーの密売人を兼ねたタイ人のニューハーフとオカマが六、七人いたが、その中の一人に現役自衛隊員が刺殺される事件が起きている。ホテルに入ったものの料金で折り合いがつかず、それが殺人の引き金になった。
中国人の売春ホステスは、こうした女装姿のタイ人からヤバーを仕入れるようになったが、それも期間は一、二年である。九八年ごろからヤオトウが徐々に出回るようになったため、ヤバーの需要が落ちていった。
だがヤバーそのものは今も日本に密輸されている。注射器や特殊な吸引器具を揃える必要がなく、ヤオトウと同様、錠剤を口に放り込むだけでハイになれる。その手軽さが常用者を多くしている。
密造所はホワイト・トライアングル[#「密造所はホワイト・トライアングル」はゴシック体]
ラオス西部、タイ北部、その両地域と接するミャンマー北東部を含む一帯が「ゴールデン・トライアングル」(黄金の三角地帯)と呼ばれてきた。アフガニスタンと並ぶアヘン、ヘロインの大産出地帯であり、その産出量は近年まで世界全体の約七〇パーセントを占めてきた。それも大半がミャンマー領内で産出されたものだ。
実はヤバーもゴールデン・トライアングルのミャンマー領内で密造されている。密造量が急増したのは、九〇年代半ば以降である。この錠剤は、イラン人が渋谷や横浜などの街頭で「スピード」の名で密売しているものと同じく、化学合成されたアンフェタミン系の覚醒剤である。覚醒剤の密造量が増えるにつれ、今やゴールデン・トライアングルは、「ホワイト・トライアングル」と呼ばれるようになってきた。
錠剤は丸型もあれば楕円形もあり、大きさにも微妙にバラツキがある。白、黄色、茶色、青、赤、ピンクと錠剤の色もさまざまだが、それによって効き目が変わるわけではない。凝固剤はトウモロコシの粉末だ。元値は一錠が五バーツ(約十五円)である。それがタイでは五十バーツから八十バーツで密売されてきた。日本での密売価格は三千円前後。約千バーツだから、タイ人が「信じられない!」と驚きの声を上げるのも無理もない。タイの刑務所に収容されている麻薬犯の九〇パーセントがヤバーで捕まっている。
タイに長く住む日本人が現地のヤバー事情を説明する。
「ヤバーのヤはタイ語で薬、バーはバカの意味。つまりヤバーを飲むと、人間がまさしくバカになる。九〇年代半ばまでは、ヤバーはヤマーと呼ばれていた。マーは馬のことです。雇い主がジュースや清涼飲料水にヤマーを入れ、それを日雇い労働者に飲ませると、暑さ、疲れを忘れて馬車ウマのごとく働く。だから以前はヤマーと呼ばれていた。
人間だけでなく象にも飲ませた。材木を運ばせるとき、象が普段の何倍も働くというので、象使いが仕事を始める前に何十錠も飲ませていた。安いルートだと、日本円で一錠三、四十円で買うことができましたからね」
歌舞伎町でタイ、中国人の売春婦がヤバーを常用していた理由がよくわかる。
「ヤマーの呼び名がヤバーになったのは、この錠剤を飲んで殺人や傷害事件を起こす人間が急増したからです。人間の頭をおかしくするからバカ薬と呼ぶようになった。九〇年代の調査では、青少年の六〇パーセントがヤバーを飲んだことがあるという結果が出た。汚染は小学生にまで広がっていましたからね。だからタイでは何年も前から大きな社会問題になっていた」
ヤオトウも白、赤、ピンク、青、緑と色が違ったものがあるが、ヤバーと異なるのは、色によって効き目に差があることだ。白は不純物の含有量が少なく、効き目が切れても食欲がなくなったり、頭痛、嘔吐など不快感が残らないといわれる。
赤、ピンクは音楽のリズムに敏感になり、まさに「ダンシング・ドラッグ」としてヤオトウ・パーティーの主役になる。
ヤオトウはMDMAの一種でオランダ産がほとんどだった。それが貨物船やナイジェリア、イラン系オランダ人の運び屋によって、海路、空路でタイの南に隣接するマレーシアに持ち込まれる。そこから日本や中国への密輸を手がけるのは、マレーシア、タイ国籍を持つ中国系(華人)マフィアである。漢字文化の中国人にとって、アルファベットの「MDMA」は馴染みにくい。それに取って代わる漢字があれば、マフィア側も中国本土ではもちろんのこと、在日中国人にも売り込みやすくなる。そこで生まれたのが「揺頭丸」という絶妙なネーミングだった。
これまで主流だったオランダ産のMDMAが、今はカナダ産に押されている。九七年に香港が中国に返還される前、香港マフィアの関係者が多数カナダに移住した。香港マフィアが新天地で一攫千金を狙って手を出したのが、MDMAと覚醒剤の密造、密売である。特にMDMAは日本だけでなく欧米にも大量に密輸されている。カナダ産覚醒剤は空路、密輸されることもあるが、多くは香港、フィリピン、マレーシア、タイなどを経由して貨物船で日本に持ち込まれる。
タイに潜伏したオウム残党[#「タイに潜伏したオウム残党」はゴシック体]
ミャンマーの山岳地帯でヤバー密造を仕切っているのは、山岳少数民族「ワ族」の武装組織「UWSA」(ワ州連合軍)である。〇三年ごろからMDMAの密造も始めたと伝えられている。日本に違法ドラッグを送り出しているUWSAとは、いかなる組織なのか?
〇五年十一月、私はタイ北部からミャンマー領に入り、かつてワ族の武装組織に所属していた長老と接触した。長老はベトナム戦争中、CIA(米中央情報局)の指揮下にあり、共産勢力の動向を追跡する密偵だった。流暢な英語を話した。長老の話によれば、UWSAは現在、一万九千人を超える完全武装の兵力を持ち、このほかに戦闘訓練を積んだ約三万人の予備役を抱えている。ミャンマー北部のシャン州に多数の支配軍区を築いており、ミャンマー軍事政権、タイ政府軍とは敵対関係にある。旧ソ連、旧チェコスロバキア、中国、米国製などの武器を持ち、ロケット砲やレーダー施設なども保有する。
最高司令官のパオ・ユーチャンは、かつてビルマ共産党の軍事部門を率いていた人物。ところが党内クーデターで共産党を崩壊させ、乗っ取った軍事部門を地盤に武装麻薬組織を作り上げた。それがUWSAである。
最高司令官と同格の立場にあるのが、UWSA第171軍区司令官のウェイ・シューカン。「キング・オブ・ヘロイン」の異名を持ち、この男に関する情報提供に対し、米国政府は最大二百万ドルの報奨金を懸けている。米国に流入するヘロインの大半が、この男の支配軍区で生産されているからだ。〇〇年五月からウェイ・シューカンの動向追跡を続けているタイ国境警備警察「399特別部隊」は、米軍特殊部隊の訓練を受けている。
最高司令官パオ・ユーチャンも軍区司令官ウェイ・シューカンも中国系ミャンマー人で、最高司令官の一番目の弟はUWSA総司令部の警護隊司令官、二番目の弟は中国国境に近いムンマイ郡の郡長に就いている。ウェイ・シューカンは自軍部隊をタイ国境沿いの山岳地帯に展開させており、タイから五キロほど入った丘陵地のモンギョンを本拠地にしている。
私は、先のワ族長老からウェイ・シューカンの姪(妹の娘)がタイ北部で雑貨店を開いていることを聞き出し、その店に向かった。うまくいけば、伯父であるウェイ・シューカンの近況を少しは話してくれるかもしれないと期待していた。だが一方では、タイ国軍と警察が血眼で追っている人物だから、姪が口を開くことはあり得ないだろうと諦めてもいた。どっちみちダメ元である。数人のタイ人に同行を頼んだが、すべてに断わられた。
「UWSAは怖い組織だ。外部に情報を洩らしたと疑われ、殺される人間がいくらでもいる。バラバラにされた死体がミャンマー領からしょっちゅう流れてくる。タイにはUWSAの関係者が大勢入り込んでいる。UWSAと麻薬取引で繋がっているタイ人がそこらじゅうにいる。あとで命でも狙われたら困る」
同行を断わる理由は皆、同じだった。仕方なく一人で店を訪ねたところ、タイ人の言うことが間違っていないことを思い知らされた。姪やウェイ・シューカン本人とどんな関係にあるのかわからないが、目つきの悪い男がどこからともなく現われ、一言で脅された。それは英語だった。
「WE KILL YOU!」(殺すぞ)
あまりにも直接的な脅し文句なので、つけこむ余地がない。店には姪と思われる女性がいたが、英語で話しかけても振り向いてもくれなかった。ワ族長老からは「姪は英語が話せる」と聞かされていた。そしてウェイ・シューカンの名前を出したとたん、先の男が現われた。私は男の隙を突いて姪の写真を撮り、すぐに退散した。
〇二年二月のことだ。ウェイ・シューカンがチェンライ、チェンマイに所有していた二軒の家をタイ警察が急襲した。本人の姿はなかったが、現場には六億円相当の現金、宝石類が残されていた。豊富な麻薬資金で軍や警察の幹部を次々と買収してきたのがウェイ・シューカンである。その前に逮捕に成功したことがあるが、そのときは担当検事が買収されている。釈放後、すぐにミャンマーに引き揚げ、それ以降は行方がなかなか掴めなくなった。
なぜ、私がウェイ・シューカンにこだわるかというと、実はオウム真理教(現アーレフ)信者で警察庁特別手配犯の菊地直子容疑者(手配時23)が、支配軍区のモンギョンでその姿が何度も目撃されているという情報が入ったからだ。つまりUWSAが菊地をかくまっているということだ。しかも菊地はUWSAと組んで麻薬犯罪に関わっているという情報もある。
モンギョン唯一の「パラダイスホテル」で菊地を目撃したのは、タイ国家警察チェンライ署が送り込んだ複数の密偵で、密偵はワ族と友好関係にあるタイ領内の少数民族である。ある商売柄、UWSAの支配区に出入りを許されている。
警察庁が、地下鉄サリン事件の殺人容疑などで菊地を特別手配したのは、九五年五月。菊地は同年秋、別人名義のパスポートで空路、日本を脱出したという未確認情報がある。一方、石垣島から台湾漁船でタイのシャム湾に浮かぶシーチャン島に上陸したという未確認情報もある。
いずれにしても、向かった先はタイである。しばらく首都バンコクや南部のリゾート地パタヤなどで過ごし、その後、タイ北部のチェンライ県に移動する。菊地が出入りしていたホテルがチェンライ市内にあるが、そこの経営者は、運河に面したテラスで白いテーブルを囲んで菊地と一緒にビールを飲んでいる。その際、菊地と同じ特別手配犯の平田信(同30)、高橋克也(同37)両容疑者も同席していたと証言する。
四十代後半のホテル経営者は、かつて東京・中野区に三年ほど住んでいたことがあり、日本で稼いだ資金を元手に小さなホテルを開業した。カラーの手配写真を見つめながら、経営者は私にこう証言した。
「英語の単語をなんとか口に出せたのはキクチだけだった。三人ともビールをよく飲んだが、キクチは初めて会ったときは飲まなかった。ちょっと口につけたくらいだったね。オウムの信者は酒を飲まない? それは日本にいるときだろ。暑いタイにいたら、誰でもビールを飲みたくなるよ」
菊地がホテルに出入りしたのは、泊まるのが目的ではなく、そこに部屋を借りていた日本人男性を訪ねるためだった。男性は当時五十歳の元総会屋。オウム真理教大阪支部に所属していた菊地とは以前から顔見知りであり、元総会屋は〇六年二月七日、大阪の自宅で私にこう打ち明けた。
「私が菊地の国外逃亡を手助けした。チェンライのホテルに菊地が私を訪ねて来たのも事実だ」
日本を脱出した九五年の十二月末から翌年二月にかけて、菊地は、チェンライ市から車で三十数分の農村地帯に隠れ住む。私がやっと探し出した、かつての潜伏アジトは、チェンライ県ムアン郡メエカーォトム村にある平屋建ての一軒家だった。
家主の話では、月の家賃は一千バーツ。当時の為替レートで三千数百円である。玄関のドアを開けると八畳ほどのリビングがあり、その右側の約六畳の部屋が菊地の寝室だった。家主から借りたピンクのマットレスをベッド代わりにしていたという。
隠れ家は、ラオスに向かう幹線道路1209号のすぐ左側にあるが、その中間に樹木が茂っているため、道路から家はまったく見えない。敷地にはバナナの木が何本もあり、家の左右、裏側には水田が広がっている。
地元民に手配写真を見せながら話を聞くと、菊地が潜伏していたことは間違いない。日本人の男が二人同居していたので、それが平田、高橋であるか確かめようとすると、「間違いない」、「よく似ている」という声が圧倒的に多いが、「ちょっと違うような気がする」、「別人だ」といった否定的な声もあった。
ミャンマーに潜入した菊地[#「ミャンマーに潜入した菊地」はゴシック体]
九六年二月中旬、菊地らは突然、隠れ家から姿を消した。恐喝未遂容疑で警視庁から追われていた先の元総会屋がバンコクで地元警察に身柄を拘束されたからだ。元総会屋は菊地直子に朝七時、夜七時と毎日二回、携帯電話で連絡を入れており、その連絡が二日続けて途絶えたときは、
「俺の身に不測の事態が起きたと思え」
と伝えていた。元総会屋を拘束して二日後、タイ警察が隠れ家に踏み込んだが、すでに菊地らの姿は消えていた。
その後、菊地はバスやソンテウ(乗合いタクシー)を乗り継ぎながら西方のラオス国境へ向かい、そこから国境沿いに北上してメーサイに入る。メーサイは、ミャンマーと国境を接するタイ最北端の街である。メーサイまで道案内したのは、不法滞在で日本から強制送還されたことがあるタイ人の女性だった。隠れ家があった村は、女性の故郷である。
菊地はここでタイ人女性と別れたあと、武装麻薬組織UWSAと繋がりを持つタイ人の男の助けを借り、国境線の川を渡ってミャンマーに密入国したといわれる。UWSAに菊地を仲介した男は、ミャンマーからヘロイン、ヤバーなどを仕入れる麻薬ディーラーであり、UWSAが信頼を置いている人物である。
メーサイと川を隔てた街が、ミャンマーのタチレク。〇五年七月、チェンライ警察は、菊地直子ら特別手配犯三人の手配ポスターなどをタチレク麻薬犯罪捜査局に送り、捜索、逮捕協力を要請した。チェンライ警察も独自に特別捜査部隊を結成して菊地らの行方を追い始めたが、その中心になっているのが麻薬捜査班。タイ警察は、菊地らが麻薬犯罪に関わっていると見ている。
チェンライ警察メーサイ分署のある大尉は、こんな見方をしている。
「九六年初期、チェンライにはオウム真理教の信者が三十人ほど住み着いていた。その中に日本から逃げてきたキクチ・ナオコがいたことを確認している。キクチがミャンマーに逃げたことも事実だ。ミャンマーで密造された麻薬は、タイを経由して各国に流れている。ミャンマーからタイに麻薬が密輸される際、十人前後の日本人男女が関わっている。われわれが捜査した結果、それが特異な宗教集団であることを突き止めた。その宗教集団をミャンマーで率いているのがキクチであると確信している」
菊地直子らオウム真理教の特別手配犯に対して、警察庁はICPO(国際刑事警察機構)を通した国際手配はしていない。国外逃亡の証拠が掴めていないから、それができないのである。タイ警察が、他国の案件である「オウム手配犯」を追っているのは、麻薬と関係があると見ているからだ。タイ政府は、外国人を含め麻薬犯罪者に厳しく当たっている。
タイのプミポン国王は、〇二年十二月五日に七十五歳の誕生日を迎えた際、国内の麻薬問題が深刻な事態を招いていることを憂慮する発言を行なった。当時のタクシン政権はその発言を国王発令と受けとめ、軍、警察を総動員し、全国で徹底した麻薬撲滅作戦に着手した。
作戦開始から約十カ月で密売人ら麻薬関係者五万人以上を逮捕。三十一人が作戦中に殉職した。ほかに二千七百人近い死者が出ている。抵抗して射殺された者もいれば、仲間から口封じのために殺された者もいる。密売人から金を巻き上げていた軍人、警察官が、罪を暴かれるのを防ぐために抹殺したケースも多かった。
国王発言から一年後、国王が七十六歳の誕生日を迎える二日前、タクシン首相は麻薬撲滅作戦の勝利宣言を出した。しかし、逮捕、殺害された麻薬関係者は末端が多く、親玉クラスはUWSAの支配区があるミャンマーや南のマレーシアなどへ逃げ込んでしまった。麻薬関係者に強硬な姿勢を見せたことでヤバーやヘロインなどの密売は以前よりずっと減った。だが国境を越えて網の目のように張り巡らされた麻薬シンジケートを壊滅するのは不可能である。
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風林会館銃撃事件
まさに歌舞伎町の裏社会を震撼させる事件だった。二〇〇二年九月二十七日の夜七時二十分ごろである。
歌舞伎町の中心部にある風林会館で、地元ヤクザが中国マフィアと見られる男たちに銃撃される事件が起きた。一人が死亡、もう一人が重傷という報を耳にして、急ぎ現場に駆けつけてみると、一階のレストラン喫茶「パリジェンヌ」はすでに警察に封鎖され、現場検証の真っ最中だった。
銃撃現場に顔見知りの日本人客引きがいたので、事件のおおまかな様子について聞いてみた。
「仲間から『ヤクザが撃たれた!』と知らされたので、急いで走ってきた。最初、正面に行ったが、そこから店の中はほとんど見えない。それで総ガラス張りの区役所通り側に回った。そしたら二人が倒れているのがはっきり見えたよ。犯人はすでに逃げたあとで、連中はすぐ近くにある正面玄関に向かわず、区役所通りに面した別の出入口から飛び出した。事件が起きたとき、店には地元ヤクザがあちこちの席に全部で五十人近くいたらしい。食事どきだから一般客も多かった。
ヤクザが撃たれたのはVIP席だ。同じ並びの別のVIP席では、テキヤ系の組織が週に一度の定例会を開いていた。事件を知って、ヤクザがどんどん集まってきた。地元ヤクザは、だいたい顔を知っているが、ざっと見て百五、六十人はいたね。警察よりヤクザのほうが多かったくらいだ」
被害者を運び出す救急隊員に向かって、玄関付近に集まったヤクザの間から懇願するように大きな声が飛んだ。
「命だけはなんとか助けてやってくれ!」
首のあたりが血だらけの状態で救急車に運び込まれたのは、山口組に次いで構成員が多い、関東最大の指定暴力団である住吉会系のS幹部(当時34)だった。S幹部は左コメカミと腹に近い左胸、左大腿に計三発の銃弾を受け、一時間半後に病院で息を引き取った。もう一人の幹部(同36)は、左腕、両太腿の三カ所に被弾し、全治四カ月の重傷を負った。
S幹部は四次団体の本部長の立場にあり、上部組織は住吉会の中でも武闘派で知られ、歌舞伎町に大きな勢力を張っている。S幹部は青森県出身。十代後半に兄貴分にあたる同郷出身のヤクザを頼って上京し、今も新宿界隈で強力な地盤を持つテキヤ系組織に所属。その兄貴分の許可を得たうえで住吉会に移籍した。身長が百八十センチ近くある大柄なヤクザだった。
「パリジェンヌ」は歌舞伎町で最も大きい喫茶店で、客席が二百近くある。銃撃を受けた場所は、正面から入って左側に並んでいる通称「VIPコーナー」。誰でも自由に使えるが、普段からヤクザの利用客が多いことで知られ、一般客からは「ヤクザ待合室」と呼ばれていた。ヤクザが大勢いる隣りの席で、目つきの悪い中国人がふんぞり返っている姿を私は何度も見ている。足を組んで靴底を隣席に向け、ヤクザなど眼中にない、といった横柄な態度を取っていた。このVIPコーナーは「マフィア・サロン」でもあった。
VIPコーナーは、トイレに向かう通路を挟んで手前と奥に分かれており、銃撃事件が起きたのは手前のコーナーである。ここだけで八卓があり約四十人が座れる。被害者が座っていたのは、そのいちばん奥のテーブル。後ろにはトイレ通路があり壁になっている。そこに正面玄関を背にして中国人二人が対座していた。
VIPコーナーと右側の一般席の間には、厨房に向かう長い通路があり、それに沿って腰ぐらいの高さのついたてが並んでいる。一般席に座った犯行グループの四人が、ついたて越しにヤクザと仲間の様子を窺い、一部は店内全体に目を配っていた。この四人は後方支援の見張り役でもあった。
銃撃事件が起きたとき、ついたてに近い一般席でスパゲティを食べていたキャバクラ店長が、ヤクザと中国人のやり取りの一部を聞いていた。
「何が原因かわからないが、撃たれたヤクザは中国人とVIP席で言い争いになっていたね。見るとヤクザは三人で、それに中国人二人が向かい合っていた。ヤクザも中国人も歌舞伎町では顔が知られている。一緒に街を歩いている姿を見かけたことがあるので、前から知り合いであることは確かだ。そのうち、中国人の一人がヤクザに向かって『約束が違うじゃないか! やれるならやってみろ!』と反発していた」
キャバクラ店長はその場面を見ていないが、このとき、中国人の一人がバッグから取り出した拳銃をテーブルに置き、ヤクザを挑発したという目撃情報が流れている。それに激怒したヤクザの一人が席を蹴り、包丁でも取りに行くつもりだったのか、小走りで厨房に向かった。そのヤクザが席に戻る前に、残ったヤクザの一人が拳銃に手をかけようとした。その瞬間を狙われた。
「店内に発砲音が響き渡った。それと同時に、一般席の二、三カ所から仲間らしい中国人が飛び出した。店が騒然となったので、それが何人だったかわからないが、四、五人はいたようだ。そのうち一人が拳銃を持っていた。ほかの連中も拳銃を持っていたかもしれないが俺には見えなかったね。VIPコーナーには一般席にいた連中とは別に、拳銃を構えた男が四、五人いた。巻き添えを食うのは嫌だからね、俺もほかの客と同じように身を伏せたよ。撃った連中は逃げ足が速かったね。客席の間を走って、あっという間に姿を消してしまった」
実は、ヤクザを最初に撃ったのは、対座していた二人ではない。二人の背後の席で客を装ったヒットマン四人が、いつでも狙撃できる態勢を整えていた。仲間の一人がテーブルに拳銃を出したのが、攻撃の合図だったようだ。ヤクザと話し合っていた二人が急に腰をかがめると、その後ろから四人が拳銃を構え、そのうち三人の銃口から一斉に火を噴いた。一般席から飛び出した男も拳銃を構えていたが、これは周りにいたヤクザに対する威嚇で実際には発砲していなかった。
「同じVIPコーナーには代紋違いのヤクザが十人以上いた。そんな中で大して焦った様子もなく二人に撃ち込み、一人たりとも捕らえられることなく逃げ切ったということは、そんじょそこらの奴にはできない芸当だな。撃たれるほうは不意打ちだから怖いも何もないが、実際は撃つほうが怖いんだよ」
歌舞伎町のある組関係者は、犯人グループの大胆さに驚いていた。
武器は「銀ダラ」か[#「武器は「銀ダラ」か」はゴシック体]
確かな目撃情報では、銃撃実行犯が所持していた拳銃は銀色ということだ。銃撃現場に薬莢が落ちていたことから、使用された銃は回転弾倉式、いわゆるヤクザの間で言われる「レンコン」ではなく自動拳銃ということだ。
「中国人が持っていた銃は、恐らく銀ダラではないか」
新宿区内に事務所を構え、これまで何種類もの拳銃を握ったことがあるという組関係者は、銃種をこう推測する。「銀ダラ」とは、実はトカレフのことである。一九三〇年に旧ソ連で軍用拳銃として設計され、中国がその供与を受けたのは、国家成立から二年後の五一年。そのコピーが五四年からライセンス生産で量産され、トカレフは現在でも中国人民解放軍の制式拳銃として使われている。「手槍」とは中国語では拳銃を意味するが、トカレフは国内生産を開始した年にちなんで中国では「54式手槍」と呼ばれている。
トカレフが日本のヤクザの間に出回るようになったのは八〇年代後半からだ。九〇年代に入ると、トカレフは大量密輸で供給過剰になり、一時は一丁の闇値が十万円を割るほどの値崩れを起こした。ソ連は中国にライセンス生産を認めたあと、生産を中止しているので、日本に密輸されるトカレフは大半が中国製。旧ソ連製のトカレフと同様、中国製も同じ黒色のはずである。だが、ヤクザに渡っているトカレフの中には銀色のものが多いという。はたして銀色のトカレフなどあるものなのか。それとも密造ものなのか。先の組関係者は自信たっぷりの口調で話した。
「銀色のトカレフだから銀ダラと呼ぶ。銀ダラは密造ではなく真正拳銃だ。一見、ピカピカだから新品と思い込むヤクザがいるが、それは間違いだ。中国では、中古トカレフは回収して廃棄処分にする。クズ鉄と同じ扱いになる。ところが、それが回りまわって日本に密輸されてくる。そのとき、手アカのついた使い古しでは見た目も悪いから、中国でキレイに銀メッキ処理をする。風林会館で中国人グループが使ったのもそれじゃないのか」
中国製トカレフは、グリップの部分に黒の星印があることから、ヤクザの間では「黒星」「黒丸」などと呼ばれてきた。他方、赤い星印がある一部の旧ソ連製は「赤星」と呼ばれたが、これは日本の闇市場にはあまり出回っていない。
中国では死刑囚が銃殺を執行される際、最後にトドメの一発を頭部に撃ち込まれる。そのときに使われるのがトカレフである。トカレフは中国ではそれ専用の弾を使っているが、それ以外の弾でも代用発射ができる。
殺されたS幹部と犯行グループの間に、どんな繋がりがあったのか。何が射殺事件を誘発したのか。組関係者は、こんな見方をする。
「それまで何らかのいざこざがあり、最後は金の問題がこじれたのが発砲の引き金になったのではないか。中国人がヤクザとトラブルを起こすときは、金の問題がかならず絡んでいるからね」
一方、別の組関係者が証言する。
「Sは、撃たれた日の明け方に犯行グループの何人かと歌舞伎町の店で揉めていた」
コマ劇場と職安通りのほぼ中間地帯に雑居ビルがあり、その地下一階に「B」という韓国系のカラオケ居酒屋が入っている。
「この店にSがヤクザ仲間と飲みにいった。そこで犯人グループのリーダー格の男がやはり仲間と飲んでいた。そこは犯行グループの溜まり場だったが、Sもよく出入りしていた。だから互いに顔見知りだった。ほかのヤクザに聞くと、Sが連中と連れ立って街を歩いていることもあった。ただの飲み仲間だったのか、それ以上にシノギにまで関係する付き合いだったのか、そのあたりのことは知らないね」
ところが、この夜、両グループの間でカラオケの順番を巡って喧嘩が起きた。
「Sらも歌うのが目的で行っているのに、中国人が次々とマイクを握ってしまうために順番がなかなか回ってこない。やっと順番がきて歌い始めると、中国人が『日本の歌はダメだ。楽しくない。ヘタクソだ』とケチをつける。Sは歌が上手らしいから、これは頭にくるよ。次に仲間の曲を予約しているのに、流れてくるのは中国人の歌だ。ますます頭にくる。それにまたマイクを離さない。今度はヤクザのほうが『お前らの歌はヘタクソだ。順番を破るとは卑怯な野郎だ!』と難クセをつけた。そう言いたくなるのも当然だった。結局、それで喧嘩になってしまった」
中国人は、叩き割ったビール瓶を持って立ち向かってきた。ナイフを出す者もいた。それでS幹部の仲間が手にケガを負った。相手は中国から来たヨソ者である。地元ヤクザには歌舞伎町の番人意識がある。ヨソ者にそこまでされて、ヤクザが何の条件もなく引き下がるわけがない。
「ヤクザ側が店で慰謝料の話を持ち出した。最低でも百万円払え、払わないとタダじゃ済まねえ、お前らは歌舞伎町にいられなくなる、そんなことを言ったらしい。Sが、『詳しいことは、今夜七時にパリジェンヌで会って話そう』と言いつけた」
カラオケ居酒屋で喧嘩が起きたのは早朝四時ごろである。それから一時間ほど過ぎてからS幹部らは店を出ている。明け方、S幹部が数人の男と近くの路上に立っているのを他組織のヤクザがたまたま見かけている。
原因はカラオケ?[#「原因はカラオケ?」はゴシック体]
喧嘩の当事者が「パリジェンヌ」に集まったのは、それからおよそ十四時間後のことだ。手打ちの条件、つまり慰謝料の金額をいくらにするか、その話し合いが目的だった。先の組関係者が話を続ける。
「Sがカラオケ居酒屋で、『慰謝料は最低でも百万円』というようなことを言っていたので、中国人は百万円で済むものと思い込んでいた。ところがSは『パリジェンヌ』で三百万円と言い出した。これには中国人側も驚いたようだ。中国人が『約束が違うじゃないか!』と大声を出したとすれば、百万円が三百万円に上がったことに対して怒ったのではないか。
百万円で話がまとまっていたら、発砲事件は起きなかったかもしれない。しかし、自分らの言い分が通じず、話し合いが決裂した場合は殺してしまえ、という腹づもりだった。それにしても和解条件を話し合う場に拳銃を持ち込むことなど、日本のヤクザ社会では通常、考えられないことだ。それが相手にわかったら大問題になるどころか、抗争が再燃しかねない。ヤクザ側は完全な丸腰だったから、相手を見くびっていた。予想だにしなかった襲撃だった。こんな形でヤクザが中国の悪党に射殺されたのは、歌舞伎町では初めてのことだ」
しかし、あれこれ各筋から話を聞いても、どうしても釈然としないものが残る。地元で強力な勢力を持つ住吉会の組員を殺害すれば、歌舞伎町に出入りできなくなるばかりか、返り討ちにされる可能性があることを襲撃グループは十分わかっていたはずだ。カラオケの順番を巡って喧嘩が起きたのは事実だが、それがどんなにこじれたとしても、十人もの大掛かりな「殺人チーム」を編成するのは尋常ではない。
それで、さまざまな情報が次々と流れてくるのだが、複数のヤクザ筋からこんな話を聞かされた。それは覚醒剤にまつわる話だった。
「歌舞伎町の中国人は、男も女も中国東北部出身者がいちばん多くなってきた。日本でどんどん人脈が広がり、その中には地元ヤクザにも背後関係がわからない闇の勢力がある。連中は、ヤクザが覚醒剤を欲しがっているのを知っているので、それで金儲けをたくらんでいる。東北部出身者の中には、北朝鮮と繋がる朝鮮族の連中が大勢いるし、実際に歌舞伎町には朝鮮族のアウトローが多い。この連中が北朝鮮製のシャブを扱っているのは、シャブをシノギにするヤクザなら誰でも知っていることだ。このところ、シャブは品薄だから売り手市場だよ。連中は値段をコントロールできる。金欠に陥っているヤクザが高いシャブを買わされ、その金がなかなか払えない。何度も催促されたが、どうしても金を払えなかったヤクザがいた。そのヤクザは朝鮮族の男に拳銃を突きつけられてマンションに監禁された。
犯行グループのリーダー格の男は、シャブに関わっていたと聞くし、殺されたヤクザとシャブの絡みで何かトラブルがあったと考えられないか? 確証がないからはっきりしたことは言えないが、可能性を探ることは可能だろ? 手をケガしたとか、百万円と思っていた慰謝料が三百万円になったとか、そんなことで三、四丁の拳銃を一斉にぶっ放すなんて、俺たちヤクザにも理解できないことだよ」
あくまでも未確認情報だが、覚醒剤を巡るトラブル以外に、別の組関係者からは次のような話も聞かされた。事件発生当初は、ともかく情報が錯綜していた。
「ヤクザや中国マフィアが、中国人経営の地下カジノにバックマージンを払わせることがある。これはケツ持ち代とは別のもので、売上げの五パーセントを取るか一〇を取るかは経営者と話し合いになる。それをヤクザと中国マフィアで分ける。その分配比率を巡って争いが起きたんじゃないかという話も聞いている。
また、今年(〇二年)に入って埼玉県で金庫荒らしがむちゃくちゃ起きている。実行犯はすべて中国人だ。金庫には現金だけでなく株券、小切手、手形などのほかに商品券やビール券とか、金になる有価証券が入っているよな。盗んだのはいいが、その売り捌き、現金化を中国人がやることは難しいだろ? それをヤクザに頼んだところ、約束の取り分が払われず、頭に血が上った中国人が堪りかねて暴走したという情報も流れた」
これらの情報にどれほどの信憑性があるかは定かではないし、S幹部の関わりを抜きにしても、裏社会の資金源の多様さを垣間見ることができる。いずれにしても歌舞伎町のど真ん中で住吉会の四次団体本部長が中国人に殺されたのは、地元ヤクザにとっては大変な衝撃である。
住吉会の反撃が始まった[#「住吉会の反撃が始まった」はゴシック体]
幹部射殺に対する住吉会側の動きは速かった。歌舞伎町の組関係者が打ち明ける。
「月々金を貰って中国系の店を面倒見ているヤクザがいる。代紋もさまざまだ。住吉会は事件直後、そうした代紋違いの組に対して、ある申し入れをしている。ヤクザがケツ持ちをやっている中国系の店は、三日間は店を閉じるようにとね。犯人が店に隠れることも考えられるからだ。犯人は見つけしだい始末する、それが住吉会サイドの方針だった。店を開けていれば、客や従業員を巻き添えにする恐れがあるというのが協力要請の理由だった。
住吉会は、襲撃に加わった中国人三人をその夜のうちに割り出し、連中が住んでいた部屋に乗り込んでいる。だが部屋はもぬけのカラだった。報復を恐れ、みんな、どこかへ逃げてしまった。俺が会った住吉会の幹部は、『この際、歌舞伎町をうろついている中国人のワルは一人残らず痛めつけてやる』と怒り方も半端じゃなかったね」
歌舞伎町の中国人全体に風当たりが強くなり、中国系の店の中には、恐れをなして自主的に店を閉めるケースが続々と出てきた。
まず真っ先に矛先を向けられたのが、射殺事件の端緒をつくった先のカラオケ居酒屋である。事件の夜、店に押しかけたヤクザがドアを蹴破り、店内はテーブルがひっくり返り、椅子やグラスが散乱するなど、メチャクチャにされている。経営者は韓国人だが、犯人の溜まり場になっていたというだけで射殺事件のとばっちりを受けたのである。
中国クラブの経営者が苦りきった顔で話した。
「ヤクザが撃たれた夜、職安通りに近いラーメン屋でこんなことがあった。中国人の客が、入ってきたヤクザ風の男に『お前は中国人か?』といきなり聞かれ、『ハイ』と答えたら、そのまま外に引っ張り出されて腕を刺された。
同じ夜、ビルの四階にある中国クラブにやはりヤクザ風の男が何人もドカドカと入ってきて、中国人の従業員が殴られ、血だらけにされた。明治通りと職安通りの交差点の近くにマンションがある。そのマンションの前で、中国人の男がヤクザ風にいきなり刺されている。みんな、事件とは何の関係もない中国人ですよ」
射殺事件後、歌舞伎町では警察も把握できない暴力、傷害沙汰が毎夜のように起きた。襲撃対象はすべて中国人だ。一連のトラブルが表に出てこないのは、被害に遭った中国人が警察とかかわるのを嫌がっているからである。密入国者、不法滞在者はむろんのこと、在留資格外で働いている中国人全般が、警察に身元を詮索されるのを恐れている。被害届を堂々と出せる中国人は限られている。
被害に遭っているのは男だけでない。朝鮮族の中国人ホステスが、店に押しかけてきたヤクザに何人も連れ去られている。ヤクザは血眼になっていた。
「ヤクザを撃った連中と付き合いがあるだろ? 出身地も同じだろ? 連中の居場所を知らんか? 正直に話さんとタダじゃおかねえぞ! 裸にして街に放り投げるぞ!」
あるホステスは歌舞伎町の近くにあるビルの一室に連れて行かれ、ヤクザから厳しく問い詰められた。襲撃グループの何人かは、朝鮮族ホステスがいる中国、韓国クラブの常連であり、また店外で飲食を共にするなど、ホステスと近しい関係にあった。私が話を聞いた朝鮮族ホステスは、出身地が中国東北部の吉林省。住吉会は、襲撃グループの中に吉林省、黒龍江省など、東北部出身の朝鮮族がいたことをすでに突きとめていた。そのため朝鮮族のホステスが次々と尋問されたのである。
先の中国クラブの経営者は、半ば投げやりな口調で言った。
「警察が犯人を捕まえるか、それともヤクザが先に捕まえて連中を殺すか、どんな形でもいいから、はっきりした結果が出ないことには、この問題は収まらないよ。早く結果を出してほしいね」
さらに、中国人を狙った事件が続く。十月三日には、射殺現場の風林会館にほど近いビルの前で、中国人の飲食店従業員がヤクザ風の二人組にナイフで左腕を切られる。その翌夜には、中国人が経営する店に発煙筒が投げ込まれる事件が立て続けに三件発生。三日後の夜には、区役所通りに面した二つのビルで異臭騒ぎがあり、百二十三人が目や喉の痛みを訴え、一部が病院に運ばれた。催涙スプレー缶を投げ込まれたのだ。
異臭が発生したのは、雑居ビル「Lee3」六階にあるクラブ「F」と、区役所通りを挟んで「F」の向かい側にある「ADビル」三階のクラブ「J」である。両店とも表向きの名義は日本人だが、実質的経営者は中国人女性である。
被害に遭った「Lee3」ビルには私もよく顔を出す中国クラブがある。共同出資という形で経営にたずさわっている上海出身の男性は、困り果てた表情だった。
「中国マフィアも怖いがヤクザも怖いね。今までヤクザを甘く見ていた。ヤクザが名刺を出してきて、『店の面倒を見させてくれ』と言ってきたとき、『名刺一枚、いくらするの?』と冗談を言いながら追い出していたからね。これからは気をつけないとね。ヤクザを怒らせたら、事件に何の関係もない俺たち中国人まで狙われてしまう。ひどい迷惑を受けていますよ。歌舞伎町ではヤクザを敵に回しちゃダメだということが、今度の事件でよくわかった」
現場に居あわせた中国人ホステスから、この男性が聞いたところによれば、店に催涙スプレー缶を投げ込んだ二人組の男は、いずれもヤクザ風だった。覆面などはしていなかった。
「投げ込まれたスプレー缶は、アメリカ製の護身用で日本では『FOX』という商品名で売られているもの。形は手榴弾そっくりで、スイッチをオンにして放り投げると、六秒後に催涙ガスが自動噴射される。最初から中国人を狙ったイヤガラセであることは明らかですよ。
うちの店は前に二回も中国人の強盗に入られた。それ以来、強盗撃退用にピストル形の催涙スプレーを店に三つ置いています。ほかの中国クラブも同じようなものを置いていますよ。ところが今回は逆に、予想もしなかったヤクザにスプレー攻撃されてしまった。拳銃でなかったことが不幸中の幸いというしかありませんね」
スプレー缶を投げ込む際、二人組は「日本人(の客)は殺さない!」とわざわざ店内に向かって叫んでいる。
「怖い話ですよね。中国人なら殺すということでしょ? ホステスを脅して聞き出したのか、実は狙われた店には、犯行グループの何人かが飲みに来ていたらしい。でも、それは客としてだ。それで催涙ガスを流されたら、店の経営者は泣きたくなりますよ。とにかく今は営業中も不安だし、異臭騒ぎが起きてから客もなかなか来てくれない。いつ、何が起こるかわからないから、客が怖がるのは当然だ。これから先、店がどうなるか、中国人全員がこの問題で頭を悩ましている」
実は、催涙スプレー缶を投げ込まれた二軒のクラブには、犯行グループを率いたリーダー格の愛人がいた。一人はホステス、もう一人はオーナーママだった。短期間にそこまで調べ上げるヤクザの情報収集力も驚きだが、そのために界隈の中国人ホステスは片っ端から口を割らされたに違いない。
「中国人を駆逐する」[#「「中国人を駆逐する」」はゴシック体]
歌舞伎町に店を構える中国人は、一様に困惑の表情を浮かべ、強い焦燥感をあらわにする。経営者には死活問題だが、それは店で働く中国人ホステスにとっても状況は同じである。店が立ち行かなくなれば、たちどころに生活の糧を失うからだ。さらに中国人が心配するのは、ヤクザ射殺事件のとばっちりを受けて自分の身が危険に晒されることである。
私は、ヤクザ射殺事件が起きる前から、関西のあるヤクザのルートで福建マフィアと接触を続けていた。男は密入国者だった。歌舞伎町で会うことになっていたが、そこに射殺事件が起きた。福建マフィアからすぐに連絡が入り、「歌舞伎町はダメだ」と断わられた。
「ヤクザを殺したのは中国人だ。俺の友達が、歌舞伎町にいるホステスと付き合っている。友達もホステスも福建人だ。女の話では、歌舞伎町のヤクザは怒り狂っている。だから今は行きたくない。犯人の仲間に間違われ、痛い目に遭わされるのは嫌だ」
それで池袋で会うことになった。しかし、それも当日の朝になって断わってきた。
「池袋でもヤクザが動いている。ヤクザを殺した犯人が池袋に隠れていると疑っている。だから犯人が捕まるまで池袋にも行きたくない。犯人がどんな連中か、俺にはまったくわからないよ。犯人が俺と同じ福建マフィアなら、少しは噂が入ってくるはずだ。それが入ってこない。ヤクザを撃ったのは福建マフィアじゃないってことだよ。今は歌舞伎町に福建マフィアはほとんどいない。東北《トンペイ》の連中がのさばっているから、やつらが撃ったんじゃないか」
射殺事件後、マフィアと関係がありそうなクラブやエステなどの中国人従業員は、歌舞伎町から一斉に姿を消した。射殺現場の「パリジェンヌ」では、出勤前の中国人ホステスが同伴客とよく食事していたが、事件後は中国人らしき姿はまったく見かけなくなった。ほとんどの中国人が、ほとぼりが冷めるまでは目立った場所に顔を出さないと決めている。
ヤクザが中国人社会を大きく揺さぶっている。報復を恐れているのか、被害を受けた中国人とその周辺は、口を固く閉ざしている。催涙スプレー缶の投げ込み事件は、被害者が百二十三人もおり、二十三人が病院送りになっているというのに、容疑者がまったく浮かんでいない。とばっちりを受けたほかのケースを含め、すべてヤクザの仕業《しわざ》だと私は見ている。
催涙スプレー缶が投げ込まれた二日後の十月九日夜、新宿区役所に近い路上でヤクザが中国人に刺された。ついに中国人が反撃に出たかと情報を集め始めたが、これは私の早とちりだった。中国人とわからず、酒に酔ったヤクザが二人組に執拗にからんだため、怒った中国人がナイフを出したのである。目撃した客引きによれば、二人は歌舞伎町でよく見かける顔だったが、そのまま逃げてしまった。しかし、ヤクザ射殺事件は、こんな出合い頭の刃傷沙汰とは質が違い、用意周到に計画されたものだ。
風林会館は、コマ劇場と並んで歌舞伎町のシンボル的スポットである。そこで、ほかの代紋のヤクザが見ている前で組員が中国人に射殺される。それも住吉会は歌舞伎町の最大勢力である。面子が立たないばかりか、地元ヤクザにすればアベコベな話である。住吉会が何の報復もせずに事件を終決させるとは到底考えられない。
「この際、中国人のワルはとことん駆逐する!」
歌舞伎町周辺に事務所を構える住吉会の組員は、息巻きながら目を光らせていた。
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惨殺された残留孤児三世(承前)
二〇〇二年十月二日夜、リンチを受けたと見られる無残な遺体が新宿区内で発見された。風林会館射殺事件から五日後のことだ。
歌舞伎町の北西に位置する新宿区上落合一丁目の路上で、遺体は仰向けに置かれていた。血まみれだった。すぐ近くに東京都水道局・落合下水処理場の南門がある。近所に住む会社員の男性が発見した。
男は病院に運ばれ死亡が確認された。胸、腹部などに十四カ所もの刺し傷があったが、現場付近に争ったような形跡がないことから、男は別の場所で刺され車で運ばれて来たと判明。
致命傷は首に集中した刺し傷ではなく、腹部への深い一刺しだった。首や腕はリンチで切られたものであり、顔面はサウンドバッグのごとく殴られ、見るも無残な状態だった。この顔の様子が中国マフィア側に知られたら、猛反発を食らって新たな抗争が起こりかねないほど、むごたらしいものだったという。
所轄の戸塚署が特別捜査本部を設置。殺人・死体遺棄事件として捜査に乗り出したが、男は身元を示すようなものは何も身につけていなかった。身体的特徴は、身長が百六十五センチと小柄で顔は面長。右肘の内側に直径が約二センチのホクロのようなアザがあった。上は白地に茶色の横縞が入ったTシャツ、下はジーパンに黒いカジュアルシューズである。
首に強く絞められた跡があり、タオルが巻かれていた。男は、七福神の「布袋《ほてい》」をかたどった小さなお守りを下げていたが、それはヒスイのような緑青色で首と赤い糸で結ばれていた。布袋の福々しい容貌とはうらはらに、遺体の顔は無残に腫れ上がっていた。年齢は三十歳前後と見られた。男ははたして何者なのか。
「リュウが日本のヤクザに連れ去られた。殺されたかもしれない」
事件が発覚する一時間ほど前の午後十一時ごろである。歌舞伎町のポーカーゲーム店に出入りする中国人の間で、「リュウ」と呼ばれる元中国籍の男が拉致されたことが話題になっていた。深夜になると中国人の客が集まる店が歌舞伎町の近くにある。私はそこに情報を集めに行った。リュウを知る中国人従業員の一人が話した。
「リュウがどんな仕事をしていたか、俺にはわからない。一時期、風林会館の近くで中国エステの雇われ店長をしていたことは知っている。俺が知る限り、定職は持っていなかった。歌舞伎町のポーカーゲーム店でよく遊んでいたが、その金がどこから出てくるのか、周りの中国人は不思議に思っていたよ。連れ去られたときもポーカーをやっていたと聞いている。店の外に呼び出され、そのまま五、六人の男に車で連れ去られたらしい」
リュウは遺体が発見された夜の十時五十分ごろ、歌舞伎町二丁目の歩道で拉致された。車に押し込められる場面が防犯監視カメラに映っていた。七カ月前に取り付けられた五十台のカメラの一つが、初めて殺人事件を解明する手がかりを掴んだ。映像を分析した結果、住吉会の系列組員など計五人が次々と逮捕された。
リュウの身元が特定されたのは、遺体発見から三日後。当初、捜査本部は身元の特定に手間どり、情報提供を呼びかけるため遺体をもとに似顔絵を作成した。それを新聞で見た姉が、「弟かもしれない」と捜査本部に届け出たのである。姉は、朝早く行き先を告げずに外出する弟を見送っている。
リュウは独身で二十六歳。中国残留日本人孤児の三世で祖母は中国籍朝鮮族。中国東北部に多く住む朝鮮族は戦前、日本の植民地支配から逃れるため朝鮮半島を脱出した人やその子孫である。労働力として強制移住させられた人々も含まれる。リュウの祖母方もそうした歴史に翻弄された、植民地政策の犠牲者であった。祖父もまた戦争によって深い傷を負った日本人の一人である。
リュウの片親も朝鮮族のため、本人も朝鮮族としての強い民族意識を持っていたという。そのリュウが同じ民族の血を引く男になぶり殺しにされた。実は、逮捕された住吉会側の五人の中に、リュウの中国名と同じ名字を持つ三十七歳の張善龍という男がいた。張は九〇年代後半に日本に渡ってきた韓国ヤクザで住吉会系組織の下で活動していた。
中国籍の朝鮮族が話す朝鮮語と韓国人が話す韓国語は、微妙な発音の違いや英語など外来語の読み方が異なる場合があるが、会話には何ら不自由はしない。リュウは日本に来て八年になるものの、中国人との付き合いのほうが多いため、日本語はまだ十分ではなかった。韓国ヤクザは、拉致したリュウを尋問するため通訳も兼ねて駆り出されたのかもしれない。
リュウは不運にも殺されてしまったが、国内の盛り場では、マフィア化する中国籍朝鮮族が上海マフィアを押しのけ、福建マフィアを追いやり、大きな「東北グループ」を作って中心勢力にのし上がりつつある。
朝鮮族の強さの秘密[#「朝鮮族の強さの秘密」はゴシック体]
東京・葛飾区は、かつて私が十年ほど暮らした懐かしい地域である。区内のある倉庫でフォークリフトを動かしている三十代後半の男がいる。パレットと呼ばれる木製台に乗せた荷物を二本の大きなツメでパレットごと移動させる仕事を三年前から続けている。
運転台から降りると左足を引きずるように歩く。男は中国東北部の遼寧省出身で中国人の大半を占める漢族である。左足が不自由なのは、都内のある盛り場で朝鮮族の男に喧嘩で膝の近くを二カ所刺されたからだ。男はタバコを気持よさそうに吸いながら雑談に応じていたが、わたしが朝鮮族に触れようとすると、あからさまに嫌な顔をした。私が持っていった健康ドリンクをいっきに飲み干すと、やや興奮口調で話し出した。
「あいつらは中国人だから当然、中国語を話せる。朝鮮族だから当然、朝鮮語を話せる。日本にいるから当然、日本語も覚える。朝鮮族は教育に熱心だから、英語を話せるのが多い。日本に来たら、これがすごく有利になる。中国マフィア、ヤクザとも付き合えるし、在日韓国人、朝鮮人は日本語しか話せないのが多くなっている。そんな人たちとは日本語で付き合える。韓国人とは自由自在に話せる。相手は皆、同じ民族だ。その付き合いの広さは、俺たち漢族とは比べ物にならないよ。
特に歌舞伎町や大久保、上野には韓国人が多いだろ? 悪い連中もいっぱいいる。そんな連中と中国の朝鮮族は商売ができる。俺も足を刺されるまでは不良だったけど、朝鮮族は韓国人と組んで覚醒剤を扱っていたよ。付き合える人間が多いから、朝鮮族は何でもできるんだよ」
私と同じでヘビースモーカーだ。目の前で次々とハイライトに火をつけていく。
「あいつらには、それ以上の強みがある。中国から来た残留孤児の二世、三世と繋がりが深い。その新宿で殺されたリュウという男もそうだろうけど、二世、三世の中には、両親の片方が朝鮮族というのが多いんだよ。同じ民族だという考えが強いから繋がりも強くなる。残留孤児の二世、三世でも片親が朝鮮族でなければ、朝鮮語は話せない。だから、日本語の話せない韓国人とは付き合えない。中国出身の朝鮮族には有利なことがいくらでもある。
漢族でも朝鮮族でも、同じ東北で生まれ育ったという同郷心は同じだからね。それだけで手を結ぶ。俺を刺した朝鮮族の男だって、こんな体にされたんだから憎いけど、同郷心は一緒だからね。上海や福建省とか、ほかの地域の連中と比べたら、今でも仲間という感じがするものね。とにかく東北三省(黒龍江省・遼寧省・吉林省)はものすごく広い地域だけど、同じ東北人ということで結束力が強い。その中に朝鮮族がいる。これが悪い人間だったら、力を持つのは当然だよ」
男はまもなく四十代に入る。子供二人を育てている。妻は帰化した残留孤児二世だが、母親が蒙古族だから朝鮮族の血は引いていない。
射殺されたS幹部らが襲撃グループと喧嘩になったカラオケ居酒屋「B」は、韓国人と中国籍朝鮮族の溜まり場だった。朝まで営業が続くので、タチの悪い朝鮮族がいつもたむろしていた。中国籍朝鮮族の「犯罪共同体」が生まれるのは自然の流れだった。この店には、日本で数々の凶悪事件を起こしている延辺朝鮮族自治州(吉林省)出身者も多く出入りしていた。
リュウは、この居酒屋にも出入りしていたし、すぐ近くにあるスナック「G」にもちょくちょく立ち寄っていた。スナックを経営するのは四十歳前後の中国人女性。実は、この店でも背景不明の奇怪な発砲事件が起きていた。
命を救った金貨ペンダント[#「命を救った金貨ペンダント」はゴシック体]
パリジェンヌ事件が起きる一年ほど前の〇一年六月十四日午前三時ごろだった。
関係者に聞くと、事件当時、店にいたのはママの女性経営者と男性従業員のほかに、男の客が三人。そこに三十代前半と見られる男が拳銃を持って現われ、三人の客を次々と銃撃した。右胸に貫通弾を浴びた一人(当時28)は病院に運ばれたが、一時は危篤状態に陥ったという。だが命は助かった。もう一人(同39)は右手首を撃たれ別の病院へ運ばれた。二人は中国残留孤児二世だった。三世のリュウとは同郷で以前から顔見知りだった。
残る一人の男は、胸のど真ん中に銃弾を受けた。ところが、スナックの別の客があとでママから聞いた話によると、このとき、信じられないようなことが起こったという。
「映画の中でしか見られない、そんな奇跡が起こった。胸に金貨のペンダントをぶら下げていた。それに弾が当たった。ペンダントがなかったらミゾオチをぶち抜かれて死んでいたはずだ。弾はペンダントのおかげで威力がなくなり、肋骨に突き刺さったようだ。だが病院には行かず、中国人のニセ医者にケガの手当てをしてもらったらしい。悪運が強いというのは、こんな男のことをいうんだろうね」
男はスナックから逃げ去った。ほかの二人のように病院に行けなかったのは、男が密入国、あるいは不法滞在の中国人だったからだ。それに加えて、歌舞伎町で覚醒剤密売にも手を出していた。店側も病院で治療を受けた二人の残留孤児二世も、警察の事情聴取に対し、ペンダントで命が助かった男に関しては口を閉ざした。
では三人をいきなり銃撃した男は何者なのか? これについても被害者の残留孤児二世は警察に何も明かさなかった。銃撃犯は、歌舞伎町の中国人の間で通称「ヒロシマ」と呼ばれていた中国人である。「前に広島に住んでいたから、そう呼ばれた」と話す中国人もいるが、素性はよくわからず現在も逃亡中である。
都内の盛り場で勢力を広げる中国東北部出身のアウトロー勢力は、他地域出身の中国人から「黒東北《ヘイ・トンペイ》」、または「東北黒《トンペイ・ヘイ》」と呼ばれる。これにアウトロー化した残留孤児二、三世が結びつくケースが多い。歌舞伎町からはじき出された負け組は当然、「黒東北」グループに対して敵愾心を抱く。この銃撃事件は、負け組の反撃だったといわれる。だが一方では覚醒剤を巡る内紛との見方もある。パリジェンヌ事件と同様、銃撃事件の真相は明らかになっていない。命を狙われた被害者には当然、犯人について心当たりがあるはずだが、それを警察に話そうとしない。
中国人が絡んだ、ほかの事件でも言えることだが、被害者は警察の捜査におしなべて非協力的である。これによって身元特定に時間がかかってしまい、結果的に中国人の闇社会をのさばらす事態を招いている。それに中国人の犯罪者は、金龍、銀龍、大龍、小龍、一龍、二龍などとが通称で呼び合い、仲間うちでも本名を教え合うことが少ない。この匿名性が実に厄介だ。通称名を追えば、風貌は掴めるが、それから、本名を割り出すまでに途方もない時間と手間がかかる。その前に凶悪犯が国外逃亡するケースがしばしば起きている。捜査側の苦労は並大抵のものではない。
リュウと事件の関係は?[#「リュウと事件の関係は?」はゴシック体]
殺されたリュウは黒龍江省で生まれ育ち、九四年、十八歳のときに来日。その二年前、中国と韓国が国交を回復したのを契機に、東北部から韓国に渡る朝鮮族が急増した。その流れは日本にも向いてきた。中国籍朝鮮族の中には、韓国、日本に縁戚関係を持つ者が少なくなく、そうした縁戚を頼って多くの朝鮮族が故郷を離れた。東北部は経済発展に立ち遅れた貧しい地域のため、出稼ぎ志向が強い。九〇年代後半から日本に東北人の留学、就学生が増えたのも、そうした背景があるからである。
リュウは残留孤児三世のため、在留資格を取得するうえで何の障害もなく、来日四年後の九八年に日本国籍を取得して「熊谷俊男」という日本名を持った。だがリュウは歌舞伎町で日本名を出すことはなく、いくつもの通称名で呼ばれていた。その通称名も相手によって使い分けていた。
リュウの呼び名は、中国人が好きな「龍」の文字を当てていると私は思っていたが、実際は「劉」だった。日本人の中には、「チョウ」とか「リットウ」と呼ぶ者もいたが、それは帰化する前の中国名が「張立濤《チャン・リー・タオ》」だったからだ。歌舞伎町の中国人の間では、体が小柄なことから中国名の「立濤」をもじって「小立」(シャオリー)と呼ばれることもあった。
両親と姉、弟がいるが、リュウ自身は東京・足立区の姉夫婦宅に同居していた。
リュウはなぜ殺されたのか。ある組関係者はこんな見方をしている。
「リュウは、『俺には日本人と朝鮮族の血が流れている』と周囲に言ってたらしいね。それもあってか歌舞伎町では中国出身の朝鮮族、そして韓国人との付き合いが深かった。S幹部を射殺した犯行グループとも交際があり、その主犯格とは生まれ故郷が黒龍江省と同じだった。それに主犯格も朝鮮族だった。小遣い銭を貰うこともあったというから、いわば同郷の先輩、後輩のような関係だった。使い走りのようなことをしていたかもしれない」
射殺事件が起きた際、リュウが現場の「パリジェンヌ」にいたと話す中国人もいるが、確証は取れていない。リュウは銃撃実行犯でないことはわかっているが、主犯格と付き合っていたことは、歌舞伎町のヤクザにはよく知られていた。
リュウの姉の夫は中国人である。〇一年夏のことだが、同居していた義兄が歌舞伎町のヤクザと金銭トラブルを起こし、自宅に乗り込まれるという騒ぎがあった。リュウだけでなく義兄も歌舞伎町と深く繋がっていたのである。
組関係者の話は続いた。
「リュウが犯人たちと繋がっていたとわかれば、住吉会側がその身柄を押さえにかかるのは当然だ。連中の居場所を白状しろ、と脅しつけるのは、ヤクザなら誰でもやることだ。生意気な態度をとれば当然、殴る蹴るのリンチを加える。それでも突っ張るようなら、もっと懲らしめる。抵抗されて黙るヤクザはまずいないからね。もちろん、相手が死ぬこともある」
犯行グループと交遊関係があったことから、「同じ釜の飯を食っている仲間」とヤクザに見られていたのは事実である。そのためヤクザの標的にされ、代理報復の犠牲になったと見られる。
暴力団の抗争を見ても、仲間の組員を殺されたからといって、その相手に直接報復できる可能性は低い。相手が警察に逮捕されれば、代わりに報復の対象になるのは同じ組織の組員である。
リュウの遺体は、射殺されたS幹部の自宅マンションと幹部の告別式が行なわれた斎場に挟まれた落合下水処理場の近くに置き去りにされた。
住吉会とは別の代紋のヤクザ幹部は、こんな見方をする。先の組関係者とは見方が異なる。
「リュウは代理報復で殺されたのではない。銃撃グループの一人と思われたから殺されたんだ。いわば人違い殺人だ。警察も最初はリュウを疑っていたくらいだからね。リュウが殺される二日前、ホトケさん(S幹部)の葬儀があったが、その葬祭場はリュウが発見された場所の近くにある。自宅もそんなに離れていない。リュウをそこに置き去りにしたのは、ホトケさんに『一人始末した』と報告する意味があったのではないか。
それに見せしめということもある。通行人にすぐ発見されやすい場所に死体を置いている。普通は、そんな近場に死体を捨てないだろ? 逃げ回っている犯人に対してはもちろん、住吉会に非協力、敵対的な中国人はすべて許さんという忠告だろう」
逃亡したエステの女性経営者[#「逃亡したエステの女性経営者」はゴシック体]
射殺事件は歌舞伎町を激震させた。さらに、事件と無関係だったリュウが殺害されたことで、中国人社会がますます混沌としてきた。中国へ逃げ帰ったエステ経営の女性がいる。
実は事件当時、リュウは、風林会館のすぐ近くにあった中国エステ店「L」で雇われ店長をしていた。日本国籍を取ってからは、逮捕されても中国へ強制送還されるようなことはないから、雇うほうにとっても何かと便利であった。射殺事件が起きる一カ月ほど前、エステ店「L」の前店長が不法滞在で捕まり、中国へ強制送還された。そこで後釜に収まったのがリュウだった。前店長が使っていた携帯電話も、リュウがそのまま引き継いだ。
中国人の風俗関係者が打ち明けた。
「エステの経営者は、三十代半ばの中国人の女だ。歌舞伎町の中国人の中には、その女を『ナミさん』と呼ぶ人もいた。だが、何があったか知らないが、中国人の間では『歌舞伎町でいちばん怖い女だ』と言われていた。
その女は、リュウが店長を務めていた店のほかに、歌舞伎町で別のエステも経営していた。ところが、ヤクザが撃ち殺されたあと、エステの権利を上海人に七百万円で売ってしまった」
そこにはリュウの死が大きく絡んでいる。
「店を売った理由? 女は、ヤクザ射殺事件が起きると急に落ち着きがなくなり、店長のリュウが刺し殺されると怯えるようになった。それから姿を消してしまった。聞くところによると、逃げるように中国へ帰国したということだ。
リュウと同じように、女は射殺グループのリーダー格と付き合いがあったし、ほかの中国マフィアとも繋がりがあった。歌舞伎町で勢力がいちばん大きい東北グループと特に繋がりが深かった。リュウは射殺犯のリーダー格と出身地が同じだが、この女もそうらしい。歌舞伎町で唯一、リーダー格を知りすぎている女かもしれない。それで自分も住吉会に殺されるかもしれないと怖くなったのではないか」
リーダー格の男には、歌舞伎町に愛人が何人もいた。このエステ店の経営者が、もしその一人だったとすれば、中国人から「歌舞伎町でいちばん怖い女」と見られるのも頷ける。ところが、調べていくと、この推測は外れていた。女性には日本人のヤクザの愛人がいたのである。ヤクザの代紋は関東の既存組織のものではなく、上部組織の本部は関西にある。女性経営者がその愛人の代紋に頼れば、国に逃げ帰るほど住吉会を恐れることもなかったのではないか、私はそう思った。実際、愛人はエステ店「L」のケツ持ちでもあった。
しかし、歌舞伎町の組関係者は、「女が関西の代紋に頼ることはできない」ときっぱり言った。
「そんなことをやったら、歌舞伎町は大変なことになる。組員を殺されたのは住吉会だ。犯人グループと繋がりがあるような女を関西の代紋が匿うようなことがあったら、それこそ住吉会と関西の代紋が直接争うような事態に発展する。犯行グループが逃げているから、その代理戦争のような形になる。本来、歌舞伎町に組事務所を持てないことになっている代紋が、その女のケツ持ちとして表立ってくるようなことがあれば、住吉会は黙っていない。女が帰国したのは正解だった。リュウが店長をやっていたエステのケツ持ちが関西の代紋であることは、住吉会は当然、知っていた。それでも店長のリュウを殺してしまったからね」
リュウは、貧しくも雄大な大陸で十八年間暮らした。そして豊かな生活を夢見て来日し、それから八年目にして歌舞伎町で拉致、惨殺された。それもヤクザと中国マフィアの抗争に巻き込まれた無駄死にだった。付き合いがあったヤクザ射殺事件の犯行グループから見舞金が出るようなことは一切ない。
逮捕された朝鮮族実行犯[#「逮捕された朝鮮族実行犯」はゴシック体]
暴力団の抗争は、殺された者の地位や抗争の端緒などをヤクザ世界の流儀に照らし、さらに非がどちらの側にあったかによって、一人の命が二千万円から一億円前後の「見舞金決着」で和解に至るケースが多い。もちろん、親分クラスともなれば、そんな金額では済まなくなる。組織に関係のない個人的な喧嘩で殺した場合は、一千万円の見舞金で済むこともある。
風林会館のヤクザ射殺事件は、襲撃グループの中国人全員が逃走したままである。日本の暴力団は、厳しい規律がある上意下達のピラミッド型組織。交渉窓口もあれば、代紋違いの中立的立場の仲裁人もいる。
ところが、逃げた中国人グループに関しては、素性もよくわからないことに加え、グループそのものが組織体ではない。一時的な寄せ集めのグループの可能性が強いから、責任を持てる交渉相手が存在しない。「血のバランスシート」に向かって突き進もうとしても、見つけ出す前に相手が警察に逮捕されたり、中国へ逃げられたりしたら、やられ損になることは目に見えている。
案の定というか、事件発生から一カ月ちかくたった十月二十三日、襲撃グループ十人のうち、金在宇《ジン・ザイユイ》(当時37)、金安永《チン・アンヨン》(同28)、蘇旭東《ス・ジユドン》(同23)ら容疑者三人が警視庁国際捜査課(当時)に逮捕された。その後、連曙光《リエン・スー・クアン》容疑者(同31)ら六人が逮捕されている。
都内をはじめ千葉県や埼玉県などで同郷出身者のマンション、アパートを転々としていた。警察が逮捕する前にヤクザに捕らえられたら、秘密裏に抹殺される顛末も予想されていた。
九人の中には日本語学校生、専門学校生など在留資格を持つ者もいた。就学生の金安永は、埼玉県朝霞市内に部屋を借りていた。そこから拳銃二丁と実弾十七発が押収されている。ほかは就学ビザが切れた不法滞在者。捕まった九人のうち七人が東北部の黒龍江省、吉林省出身で、先の連曙光は福建省出身の密入国者だった。
連は九二年十二月に貨物船で密航し、十年間も捕まることなく日本で暮らしてきた。ところが射殺事件から約三カ月半後の〇三年一月初め、旅券不携帯で現行犯逮捕され、それから三週間後にヤクザ射殺事件に関与したことがわかり再逮捕される。私が別件で接触していた福建人の密入国マフィアは、「ヤクザを撃ったのは福建マフィアじゃない」と自信ありげに話していた。確かに連は福建人の特定グループに属したマフィアではなかった。
朝鮮族を主体にした東北人中心の襲撃グループに、福建人が含まれていたのは意外である。九〇年代初めから日本国内に出現した中国マフィアは、それぞれ地縁によって出身地域ごとに結束するのが常道だったが、それが東北勢の動きが活発になった九〇年代後半から崩れ始めている。
先の福建省出身の密入国マフィアは、「仕方ないね」と諦め顔で言った。
「あっちが儲かる、こっちが儲かる、と言われれば、出身地がどこだろうが関係ないよ。ずっと前からメンバーの出身地が違うグループはあった。泥棒で一人が捕まっても、出身地が福建、山東、貴州、雲南と省が違えば、二人目、三人目はなかなか捕まらない。互いに中国の住所がわからない。日本の住所もわからない。本名もわからない。わかっているのは、携帯電話の番号と通称名だけだ。携帯電話も名義は本人じゃない。捕まえた奴を警察が調べても何も出てこないよ。
東北人の犯人グループに福建人がいても不思議じゃないね。福建人は同郷人どうしで喧嘩をやりすぎた。だから福建人の仲間がいなくなった奴が多い。それ、はぐれオオカミと言うんだよね? そういう連中は、力が強くなった東北人の世話になるしかない。これから、そんな連中が多くなるよ。そうしないと日本で生きていけなくなる」
中国で逮捕された主犯[#「中国で逮捕された主犯」はゴシック体]
俗に「パリジェンヌ事件」と呼ばれる、このヤクザ射殺事件は、発砲に至るまでの謎めいた経緯を含めて、裏社会のさまざまな側面を見せつけた。
「パリジェンヌ」に集まる前、狙撃犯は都内で射撃の手ほどきを受けたとされるが、それは実射訓練ではない。拳銃の射撃経験がある人ならわかるはずだが、決められた的に命中させるのは簡単ではない。ましてや標的は人間である。三人で発砲すれば、六発ぐらい命中するのは当然という気もするが、ただ落ち着き払って最後まで撃てたのが不思議でならない。
残る一人が、襲撃グループの主犯格である金石《チン・シー》容疑者(同40)である。金石は組織名を名乗っていないが、闇社会にどっぷり浸かったマフィア同然の男である。男は中国名の金石に次郎を加えて「金石次郎」と名乗り、中国残留孤児二世を装っていた。日本国籍を持っていると言いながら、若い東北人に睨みを利かせていた。
金石は捜査網をすり抜け、事件から約二週間後に名古屋空港から中国へ逃走した。
本名がまだ割れていなかったため、空港手配する前に、本人名義の正規パスポートで出国。日本で逮捕された九人の中にも朝鮮族がいたが、この金石もロシアと国境を接する黒龍江省出身の朝鮮族である。
警視庁から国際手配されていた金石が、中国の公安当局に身柄拘束されたのは〇三年三月末のことだ。潜伏先の香港からマカオへ高飛びする寸前に捕まったが、金石が移動を決意したのは、香港で猛威を振るっていた鳥インフルエンザのSARSから逃れるためだった。
日本と中国は犯罪人の身柄引き渡し協定を締結していないため、日本側は中国に金石の代理処罰を要請。中国側もそれを受け入れた。
中国での金石に対する処遇について、さる在日中国人はこう断じた。
「金石は死刑にならない。金石が殺人の主犯といっても、これは日本での犯罪。被害者も日本人だ。風林会館のヤクザ射殺事件は、事件に何の関係もない中国人がヤクザに襲われたりして大問題になった。中国人の犯罪が日本で多いので、中国政府は、日本人の対中感情の悪化をとても気にするようになった。それで厳罰を与えることもあり得るが、せいぜい無期懲役ですね。金石が日本でやったのと同じことを中国でやれば、今ごろ生きていませんよ。
中国の刑罰は厳しい。婦女暴行だけ、あるいは盗みだけなら死刑にならずに済むが、その両方をやれば銃殺刑になる可能性が非常に高い」
中国が代理処罰の要請を受け入れれば、頻発する中国人犯罪の抑止力になるはずだと私は思ったが、目の前の中国人は、「それは甘い考え方だ」と一蹴して、こう言いだした。
「強盗、喧嘩で人を殺すようなことは確かに減るかもしれない。でも、犯罪そのものはあまり減らないと思うね。中国人の犯罪者は、人を殺さなければ盗みのたぐいはいくらやっても罪は同じだと考えている。他人の物を盗むのが悪いのではなく、盗まれるほうが悪いと思っていますからね。盗みでも現場を押さえられたら犯行を認めるが、それ以外はよほどの証拠を突きつけられないかぎり認めようとしない。
人を殺しても、悪いのは自分ではなく、刃向かってきた相手のほうだと思い込んでいる。私の周りにいる中国人の中にも、自分を裏切った者を殺して何が悪いのかとはっきり言う者が何人もいる。中国人は自分の非は都合よく棚上げして、他人の非はどんな小さなことでもとことん突つきますからね。私は日本に十年以上も住んでいるので、ものの考え方が少し日本人的になってきた。それでも他人の非はここぞとばかり非難する。根はやはり中国人ですね」
警察庁は〇三年、悪化した治安状況を〇六年までに十年前の水準に戻すことを打ち出した。低下した検挙率を高めるのも急務だが、その前に犯罪を押さえるのも警察の大きな責務である。
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「黒喫黒《ヘイチーヘイ》」の深い闇
「黒が黒をエジキにする」、それが中国語でいう「黒喫黒《ヘイチーヘイ》」である。中国人犯罪集団には密入国者、不法滞在者が多数加わっている。その犯罪集団に日本人が惨殺される事件が多発している一方で、不法滞在者が不法滞在者をターゲットにする事件が頻発している。
二〇〇二年六月六日夕方、ラーメン店従業員(当時36)の長男、何日昇君(同6)が東京・足立区内で誘拐された。母親(同39)がスーパーで買い物をする間、日昇君は同じ建物の三階にある「子供の遊び場」にいた。
「お父さんがお母さんの手にお湯をかけてしまった。早く家に帰ろう」
犯人の一人が声をかけた。長男の自宅はスーパーから約四百メートル先にあるが、そのまま車で神奈川県横浜市内に連れ去られる。両親は中国人だった。その夜、自宅の加入電話と母親の携帯電話に犯人から連絡が入り、身代金千五百万円を要求される。脅迫電話は男の声で中国語だった。
「用意できたのは二百万円だけです」
そう答えた母親を犯人が容赦なく脅迫する。
「金が用意できなければ、子供の頭を切り落とす」
事件解決までに、緊迫した犯人とのやり取りが四十五回も続いた。
犯人は、身代金の受け渡し場所として、横浜市内にあるファストフード店前の路上を指定してきた。すぐ近くに山下公園がある。父親が三百三十万円を持って指定場所へタクシーで向かった。犯人は、両親が不法滞在者だから警察に届けるはずはないとタカをくくっていた。だが、そこに私服捜査員が何人も張り込んでいた。
まず男二人が組み伏せられた。事件発生から約三十三時間が過ぎていた。犯人が受け渡し場所に現われたのは、人の動きが最も少なくなる夜明け前の三時。暴力団関係者に密航協力報酬を渡す際、蛇頭は真っ昼間、わざと人の多い場所を指定するが、誘拐犯は逆を狙い、捜査員にあっさり姿を捉えられた。
そのあと、捕まえた男二人を近くの公衆トイレに連れ込み、そこで長男の隠し場所を聞き出した。山下公園から約二キロ西にあるマンション十二階が監禁場所とわかり、およそ二十人の捜査員が現場に急行。そこで、さらに犯人の一味四人が逮捕される。日昇君は、危害を加えられた様子もなく無事保護された。マンションの所有者は、近くで飲食店を経営する中国人女性。事件当時は中国に一時帰国していた。部屋を無断で使うことはできないから、犯人側と当然、接点があった。
主犯は二十五歳の女[#「主犯は二十五歳の女」はゴシック体]
マンションがある中区福富町は、中国人の間で「横浜の歌舞伎町」と言われる中国租界のひとつである。警察の取り締まりが厳しく、歌舞伎町に居づらくなった中国人ホステスが福富町に多数移動している。中国マフィアが暗躍し、マフィア抗争による射殺事件が周辺で何度も起きている。横浜は、関東圏で中国人の街娼が最も多い街である。
男三人、女三人の計六人が捕まったが、女一人は不起訴になった。誘拐犯はすべて福建省福清市出身。福清市は、マフィアが多い福建省の中でも大ワルが集まる街として福建人の間でも有名だ。この中に自動車免許証を持つ者は一人もいない。それで別の犯罪組織に関係する「老林」と呼ばれる中国人のルートで運転手付きの車を調達、日昇君を横浜に運んだ。
主犯は二十五歳の女で、逮捕当初は、福建人であるにもかかわらず、自分を「中国系マレーシア人」と言い張った。不法滞在者だった。実は、女は誘拐した日昇君や両親とは以前から顔見知りだった。兄が来日前の父親と知り合いだったことから、自分も一家と親しく付き合っていた。それを襲撃対象に選んだのだから相当の大ワルである。
主犯の女は、まず最初に足立区西綾瀬のパン製造工場で働いていた二十九歳の同郷の女に誘拐計画を持ちかける。この女は密入国者で蛇頭に二百万円近い密航手数料の未払いがあった。女にはその借金を身代金の分け前で返済する胸算用があり、誘拐の誘いにすぐに飛びついた。女は知り合いの男を通して、さらに横浜市内の食肉店で働いていた同郷の不法滞在者を誘い込んだ。余談だが、誘拐犯の勤め先をみると、日本人の食卓がいかに不法滞在者によって支えられているか、という現実が浮かび上がる。
闇の世界の弱肉強食[#「闇の世界の弱肉強食」はゴシック体]
黒喫黒の二つの「黒」は、悪人や違法行為者を指している。黒の世界にも弱肉強食があり、立場の弱い黒は、強い黒に狙われる。
中国人絡みで日本で問題になっているのは、黒社会、黒工、黒戸口の「三黒」である。黒社会は文字どおり中国マフィア、黒工は認められていない在留資格外の仕事をする不法就労者、黒戸口は中国では無戸籍人間を意味するが、日本では不法滞在者を指している。
法務省入国管理局によれば、九三年当時の不法滞在者は外国人全体で約二十九万八千人。それが、日昇君誘拐事件が起きる五カ月前の〇二年一月時点では、約二十二万四千人に減っている。そのうち中国人は約二万七千六百人で韓国、フィリピンに続いて三番目に多い。海からの密入国者や偽造パスポートを使った空からの不法入国者も「黒戸口」に含まれるが、この人数だけはあまりにも深い闇に包まれ調査のしようがない。
都内のさる国立大学の大学院に私費留学している北京出身の中国人は、「同国人の犯罪には腹が立つ」と怒りをあらわにしながら、先の誘拐事件について話した。
「これは典型的な黒喫黒の事件ですね。日本で中国人が中国人の子供を誘拐するなんて、黒は黒でも連中は最悪の黒ですよ。同じ中国人として断じて許すことができません」
自分が中国人というだけで、ほかのアジア諸国の留学生仲間から警戒の目で見られることがあるらしい。大学院生は、「それが残念でならない」と顔をくもらした。同国人の仲間を募り、三カ月に一度、自分の主宰で中国人犯罪について語り合っている。
この日昇君誘拐事件では、両親が「三黒」の一つである黒戸口、つまり不法滞在者である。父親は八八年十二月、母親は二年後の九〇年十月に、それぞれ留学、就学ビザで入国。二人とも福建省出身で、来日当初は日本語を学んでから大学に入るのが目的だった。
八三年、当時の中曽根康弘首相は、「世界の模範となる日中国家間の協力関係を築くことを提唱する。そのために今後、中国から十万人の留学生を受け入れる」とぶち上げた。日中国交正常化十周年を記念しての、いわゆる「留学生十万人計画」である。その追い風に乗って日昇君の両親も日本に来た。
しかし、日本はバブル経済の崩壊が近づいていた。効率のよかったアルバイトの道がじわじわと狭められ、授業料を払えなくなる中国人就学生が急増した。不法滞在者がどんどん増え、それが犯罪に突き進む道幅を大きく広げた。
日昇君の父親は九〇年十月、母親は九二年四月からビザを更新していない。就学ビザは最長二年、留学ビザは四年まで更新できるが、両親はその前にビザ更新を諦めている。すでに学籍がなくなり、更新条件を失っていたのだろう。それ以降、十年以上にわたって不法滞在を続けていた。
長男は日本で生まれたことから「日昇」と命名した。両親は一人息子の日昇君の将来を考え、そして帰国後の生活に備えて、せっせとラーメン店などで働いてきた。両親は犯罪などで一攫千金を狙うのではなく、額に汗して地道に働く道を選んだ。そこが誘拐犯の狙い目だった。
口調を荒らげていた大学院生が、今度は淡々と話を続けた。
「日本で凶悪な黒に狙われるのは、一生懸命働いて金を貯め込んでいると見られている人間ですね。それも密入国者、不法滞在者とか、弱みのある黒ほど狙われる。誘拐された子供の両親は、日本で十年以上働いている。だから金がいっぱいあると見られた。
主犯の女は家族と付き合いがあり、両親が不法滞在者とわかっていた。だから警察に通報せず、簡単に金を出すだろうと考えた。金を持っていると見れば、中国人の犯罪者は、家族以外は誰でも狙いますよ。子供の父親が兄の友人だなんていっても、そんなことはどこかへ飛んでしまう。密入国者や不法滞在者の頭には、金以外のことは何もない」
日本で身代金を要求されると、中国人はまず相手と粘り強く値引き交渉を始めるという。
「そして最後は、要求額の半分とか、三分の一を払いますね。金が手元になかったら犯人と話し合って、中国で払うようにする。高利貸しや親戚、知り合いから借りてもいいから、とにかく中国にいる親、兄弟が金を用意する。それを犯人が指示してきた人間に払うのです。中国人の不法滞在者は、その分をまた日本で稼ぎ直そうと考える。警察に届ければ不法滞在がわかってしまう。犯人が捕まってしまえば、いかに被害者でも中国へ強制送還される」
日本にいられるのは、せいぜい裁判期間中だけである。しかし、働くことはできない。
「両親はよくぞ警察に届けたものだと感心しますね。夫婦で月の稼ぎが数十万円あったそうだから、金は相当貯め込んでいたはずですよ。十何年という滞在期間を考えれば、地下銀行を通して中国に三千万円以上は送っていると思いますね。これだけの金が中国であれば、簡単に商売を始められるし、生活に困るようなことは絶対にありません。
金は十分ある、もう強制送還されてもいい、そう考えたから警察に届けたんですよ。子供は殺されたくない、でも苦労して稼いだ金を犯人に渡したくない。夫婦の判断はベストだったと思いますね。これが日本に来て三、四年の不法滞在者なら警察に届けませんよ」
黒が黒を狙う「黒喫黒」事件は、実は在日中国人の間で頻繁に起きている。それが警察に被害届が出され、この事件のように表沙汰になるのは氷山の一角である。
歌舞伎町で同国人の仲間と中国クラブを共同経営する北京出身の男性が、顔をこわばらせながら話した。
「中国人の子供が中国人に誘拐される。それも十歳未満の子供だ。こうした事件が日本で明らかになったのは今回が初めてですね。でも実際は裏で同じような事件が何度も起きている。警察に届けないだけです。被害者が不法滞在者でなくても泣き寝入りですよ。みんな、金で解決している。金を出し渋れば、子供の指が一本ずつ送りつけられることを中国人はよく知っていますからね」
中国では身代金目的の子供誘拐事件が日常茶飯事に起きているという。人身売買目的の誘拐はもっと多いという。
「子供が誘拐された場合は、どうしても身代金を払わざるを得ない。日本に住んでいれば、なおさらです。日本にいる中国人の犯罪者は、本国にいるときより気持が荒れている。日本では銃殺刑になることはないとわかっているから、手口も荒いですよ。だから親が対応を間違えれば、すぐに最悪の事態になる。
これから子供を狙った誘拐ビジネスが増えていくと思いますね。私も幼稚園と小学校に通う子供が二人います。中国人に誘拐されたら、金で解決するか警察に届けるか、正直なところ判断に迷いますね。女房は日本人だから、警察にすぐ届けようと言うでしょうが、彼女は中国人の犯罪者がどれほど怖いか、まだわかっていませんからね」
日本で成人の中国人を誘拐し、中国の肉親に身代金を要求する事件も起きている。九一年から日昇君誘拐事件が起きるまでの十一年間に、中国人による同国人誘拐事件が二十六件発覚している。
名古屋港に沈められた中国女性[#「名古屋港に沈められた中国女性」はゴシック体]
日昇君誘拐事件から半年後の〇二年十二月四日、名古屋市内で風俗店を経営する中国人女性(当時43)が、ナイフを突きつけられ誘拐された。内縁の夫が身代金八千万円を要求された。被害者は複数の中国、韓国エステ店を順調に経営しており、地元の中国人の間では金を貯め込んでいると見られ、「歩く一億円」と呼ばれることもあった。それで要求額が八千万円に設定された。
「八千万円用意しろ。女と一緒に殺されたいか?」
脅迫電話は、中国語の訛りが入った日本語だった。内縁の夫は中国人で、定石どおり値引き交渉に入り、八千万円の要求額を十分の一の八百四十万円まで下げさせた。
一方で内縁の夫は警察に通報した。その結果、事件は最悪の事態を迎えることになる。女性はロープで首を絞められ仮死状態になった。そのままトランクに入れられ名古屋港に捨てられた。遺体は海底に沈んでおり、犯人が逮捕されなければ、いずれは寿司ダネに欠かせないシャコの餌になっていたはずだ。海中の水死体に真っ先に食いつくのがシャコの群れである。
名古屋港といえば、前に触れたように、貨物船による中国人密航者の上陸地として知られる。
ある上海系マフィア組織に属し、歌舞伎町で活動したあと、名古屋地区の責任者になった彭義臣という男がいた。男は不正パチンコと密航に関わり、自分も密入国者だった。ところが三十五歳の誕生日を迎える直前の九六年一月、報酬の配分に不満を抱いていた配下五人に刺し殺され、遺体は名古屋港に遺棄された。
中国マフィアの関係者に聞くと、他組織との抗争や内紛で殺され、重しをつけて名古屋港に沈められた中国人は何人もいる。九〇年代、名古屋を中心にした中京地区は「不正パチンコのメッカ」とまで呼ばれ、上海、福建マフィアが群れていた。その闇の人脈がずっと引き継がれ、今も警察に追われた犯罪容疑者やマフィア関係者がまず最初に逃げ込むのが名古屋周辺。名古屋港が密航者の上陸地になっているのは、そうした背景があるからだ。しかし、名古屋港は密航者やマフィアの墓場でもある。
名古屋港から遺体が見つかった女性誘拐殺人事件から六日後、女性を殺害した男が、逃亡先の長野県内で逮捕された。男は山東省出身の元留学生(当時21)だった。
元留学生は〇〇年一月七日、岐阜県内の私立短大に留学するため名古屋空港から入国。一年間の学費八十万円を除けば、所持金は十万円ほどしかなかった。生活費を稼げるだけのアルバイトが見つからず、同郷の留学生などに借金しながらの生活が続く。そして翌年九月、授業料未納で短大を除籍される。
二年後の〇二年一月、留学ビザは失効したが、元留学生はそのまま不法滞在を続ける。そしてビザ切れから十一カ月後に、名古屋で中国人女性を誘拐、殺害する。
ほかに五人の中国人共犯者がいたが、いずれも生活に追い詰められた元留学生の不法滞在者だった。その中に福建省出身の男がいた。そもそも五人を犯罪の道に引き込む糸口をつくったのが、この福建人だった。
福建人は、名古屋市内の飲み屋で「小漢《シヤオハン》」の通称を持つ台湾人に、「強盗、誘拐などで手っ取り早く大金を手に入れられる」とそそのかされていた。私が調べたところ、台湾人は三十代の「台湾黒社会」関係者で、大阪と名古屋を行き来しながら犯罪に関わっている男だった。
元留学生六人のうち二人には死刑が求刑され、裁判は事件から二年後の〇四年八月まで続いた。そして全員の無期懲役が確定した。
内縁の夫を脅す手口は、蛇頭のそれと同じだった。女性に激しい暴行を加え、うめき声を携帯電話で夫に中継したのである。被害者の遺体には体じゅうを殴打された痕跡があった。犯人の一人は、被害者が経営するエステ店のすぐ近くにある風俗店で雇われ店長をしていたことがあり、以前から互いに挨拶を交わす風俗街の仲間だった。この男が女性をターゲットに選んだ。
被害者の在留状況を知れば、これも「黒喫黒」の事件であることがわかる。殺害された女性は、中国人の夫と来日。そして日本で離婚する。その後、それぞれが日本人と再婚し、「配偶者」としての在留資格を取得する。それで職業を制限されることなく働けるようになった。警察が、身代金を要求された夫を「内縁の夫」と発表したのは、戸籍上の日本人妻がいたからだ。
ところが、二人とも日本人の再婚相手と同居せず、離婚前と同じように一緒に夫婦生活を送っている。つまり離婚も再婚も偽装だった。偽装結婚で配偶者資格を取得すれば不法残留になり、入管法に違反する。これは先述した「三黒」の黒戸口にあたり、不法滞在者の犯人六人と同じである。この誘拐殺人は、日本で無一文になった黒戸口が、大金持ちになった黒戸口を狙った事件だった。
マフィアと公安幹部の癒着[#「マフィアと公安幹部の癒着」はゴシック体]
国内最大の福建マフィアに「三弟《サンデイ》」というグループがあった。裏社会に通じた中国人が打ち明けた。
「メンバーは七、八十人いたね。対立相手はもちろん、言うことを聞かない奴は誰でも殺すというので、中国人が非常に怖がっていた。実は日昇君誘拐事件の主犯の女は、そこの幹部の一人と愛人関係にあったと聞いている。誘拐で身代金を取るのも連中の資金源だったと聞いているし、日昇君を誘拐する手口もそこから思いついたのかもしれない」
ただし、「三弟」のメンバーは、この誘拐事件には直接関わっていない。それができなかったのは、愛人の幹部が不法滞在で捕まり、福建省へ強制送還されていたからだ。
「三弟」は、三人兄弟の末っ子である王建徳が日本で立ち上げた。福建省にいる兄二人もマフィアであり、特に長兄は地元で大物で通っている。刑務所に収監されても、外出、外泊が自分の思うように認められるなど多方面に強力なコネクションを築いている。
王建徳は九七年二月、「陳雲明」名義の不正パスポートで入国。翌年十一月に強制送還されるが、三年後の〇一年七月、今度は「李猛」名義の不正パスポートを使って就学目的で再入国。その間に、凶暴で知られる福清出身のマフィアを都内で集め、自ら命名した「三弟」グループのボスになる。二人の兄が後ろ盾になっているだけに、特に福建省出身者は王を恐れていた。命令にそむいた配下に対しては、火力の強いバーナーライターで手足を炙《あぶ》るなど、厳しいリンチを加えることもあったという。
ところが一方で、警視庁の国際捜査課(現組織犯罪対策第二課)が王の動向を追跡していた。王はボディガードに守られ、運転手付きの国産高級車で毎夜、池袋や総武線沿線を飲み歩いていた。そして再入国から五カ月が過ぎた〇二年一月一日の夜、王建徳(当時31)が幹部ら九人と一緒に逮捕される。
一味は、東京・板橋区で中国料理店を借りきり、豪華な料理を並べて酒盛りの最中だった。中国は日本と違って旧正月を盛大に祝うが、王らは日本式に新年会を行なっていた。
その席で身なりのいい一人の女性客がマフィアの面々に持ち上げられ、気をよくしていた。高級中国酒で顔がほんのりと赤く染まっていた。
その店を防弾チョッキに身を固めた捜査員約六十人が取り囲み、一味を急襲した。不意打ちを食らったため、王らは何の抵抗もできず、あっけなく取り押さえられる。この中に船を使った密入国者が五人もいた。王と同じく、ほかの四人も就学ビザで入国していた。その後も幹部五人が傷害容疑などで捕まった。このうちの一人、「馬《マー》」の通称を持つ二十代後半の男が、日昇君誘拐事件で主犯を演じた女の愛人だったと言われている。
悪に手を染める中国人の犯罪人脈は、果てることなく複雑に絡み合っている。そこで気になるのが、新年会に招待されていた女性の正体である。王をはじめ一味の出身地は福清市。市の治安を守る最高責任者が福清市公安局長だ。実は、女性はその公安局長夫人だった。
福清市の面積は、東京都にわずかに及ばないが大阪府を上回る。人口は約百二十万人。日本には福清市より人口が少ない県が十県以上ある。日本なら、そうした県の県警本部長夫人が、地元暴力団に海外に招待され、そこで宴会を開いてもらうのと同じである。許されることではない。
ただし、公安局長夫人は、日本の捜査関係や知り合いの在日中国人に対し、こんな弁解をしている。
「たまたま食事に行ったら、店で同郷出身者とばったり会ったの。それで仕方なく同席することになった。相手が悪い男だとは知らなかったわ」
中国ならともかく、日本ではこんな見え透いた言い訳が通用するはずがない。
裏社会を知る先の中国人が話した。
「『三弟』の連中は、キャッシュカードや外国人登録証の偽造、ヤオトウや粉末覚醒剤の密売、拳銃売買、ピッキング窃盗、強盗、誘拐、密航や密輸ビジネス、賭博など、金になることなら何でも手を出したね。ボスの王建徳は、メンバーから毎月二千万円くらい貰っていた。ヤクザ世界の上納金というやつだ。それが多いときは四、五千万円になったと聞いている。それだけの金を七、八十人から集める。ヤクザだって、そこまでやるのは大変だと思うね」
上納金を稼ぐためには当然、荒い仕事もする。
「上野で現金輸送車が狙われた事件があった。あれも連中の仕業ではないか、中国人の裏社会ではそう言われている。事件が起きたとき、王は中国にいた。それから六、七カ月たってから王が再入国した。上野の事件は、王を喜ばすための上納金稼ぎが目的だったと言われている」
〇〇年十二月十九日の夕方だった。日通警備の現金輸送車が台東区上野の東海銀行上野支店近くで拳銃を持った三人組に襲撃されている。銃撃された警備員一人が大ケガを負ったが、現金は奪われず未遂に終わった。事件は未解決のままである。
〇二年一月にボスの王建徳と幹部の多くが一網打尽にされたことで、「三弟」は壊滅状態に陥った。逮捕から四カ月後の〇二年四月、王は中国へ強制送還される。地道な捜査のすえに逮捕しても、入管法違反(不法入国)にしか問えない。ほかの犯罪との関わりを追及しようとしても、メンバーは一人として口を割らない。警察が地団駄を踏むのも無理もない。
有名無実の強制送還[#「有名無実の強制送還」はゴシック体]
逮捕された福建マフィアは、入管法違反で次々と強制送還された。上海出身で歌舞伎町で飲食店を経営する男性は、「ところがねぇ」と納得できない顔で話し出した。
「強制送還されたら、その男は日本にいないはずだよね。ところが一、二カ月後に本人が歌舞伎町で飲み歩いている。それが、そんなに珍しいことではない。入管(入国管理局)はどうなっているのかと言いたいよ。一般の中国人がマフィアのことを話したがらないのは、連中の耳に入ることを怖がっているからですよ。いつ、連中が目の前に現われるかわからない。その怖さが日本人にはわからない。
店の従業員どうしでマフィアの名前をうっかり出し、出したほうがむちゃくちゃ殴られたことがありましたよ。歌舞伎町でね。殴ったマフィアも殴られた従業員も上海人だった。マフィアのスパイみたいな人間がどこにいるかわからない。だから中国人は、身近にいる同国人を最も警戒している。強制送還されたマフィアが二度と戻ってこないとわかれば、何でも話せるんですけどね」
なぜ、そんなに簡単に舞い戻れるのか。
「船による密航もあるが、もっと手軽な方法がある。中国では別人名義のパスポートが九〇年代は六、七十万円で手に入った。今は値上がりして百万円ですね。年齢、名前はもちろん、戸籍そのものを別人に変えてパスポートを申請するから、ただの偽造ではない。政府が出したものだからパスポートそのものは本物ですよ。
最近はもっと手が込んでいる。日本側の警戒が厳しくなり、福建人には就学ビザがなかなかおりなくなった。それで出身地(本籍)を湖北省とか湖南省、黒龍江省などに変えてしまう。申請してもパスポートが出そうにない人間がいる。そういう人は必要に応じて、学歴、職業、収入など、なんでも証明書を作ってもらえる。それがあるから、福建人は就学生でもマフィアでも簡単に飛行機で来日できる。船で来る密入国者は、中国で人を殺したとか、誘拐をやったとか、何か悪いことをして警察に追われている連中が多い。こうした連中も日本に上陸すれば、偽造した外国人登録証明書を手に入れる。『三弟』グループは、その偽造証明書を売るのも資金源だった」
中国での諸々の文書偽造が、結果的に日本でのマフィア集団の暗躍を許している。その先にあるのは、日本人が標的にされる犯罪である。
強制送還されるのは、日本の国内法を犯したからである。だが、密入国や不法滞在、偽造パスポートでの不法入国ぐらいなら、中国に送還されても罪に問われるようなことはない。パスポートの不正申請については罰せられるかもしれないが、ほかは中国の法律に違反したわけではない、という考え方である。
歌舞伎町の上海人が話を続けた。
「金を使えば、中国はどうにでもなる国ですよ。船で日本に来た密入国者は、中国の護照(旅券)を持っていない。それで日本で手に入れた偽造パスポートで中国に帰る。そのとき、中国の空港で双程という証明書を出さなければならない。再入国許可証みたいなものですね。密入国者は、そんなもの持っているわけがない。それで帰国する前に、中国の家族を通して賄賂を払い、省政府に双程を発行させる。それを前もって手に入れ、堂々と帰国するわけです。中国人は、そんなことで罪の意識を感じるほど繊細ではありませんよ。結果がよければ、途中でどんな悪事を働いても人から悪口を言われることはありません」
各種証明書の偽造も問題だが、中でも戸籍改竄は重大犯罪である。戸籍から消えたり、別人になったりする人間が増えれば、ニセ札が本物として出回っているようなものだから、国家の規律を根幹から揺るがしかねない。戸籍は国家の公文書である。日本は中国に見習って六世紀ごろから戸籍制度を導入したが、その中国で現在、日本行きの犯罪者のために戸籍をはじめ公文書が改竄されている。
中国残留日本人孤児の中にも、一部に戸籍改竄で来日し、まんまと日本国籍を取得した者がいると言われている。一人のニセ孤児が日本国籍の取得に成功すると、配偶者はもちろんのこと、子供、養子、その家族と残留孤児とは何の関係もない中国人を次々と日本に呼び寄せることができる。その場合、日本行きを望む中国人から一人当たり二、三百万円の金を貰って養子を何人も迎える。蛇頭の密航ビジネスと何ら変わらない。
養子の息子、娘が日本国籍を取れば、今度は別の中国人に金を出させて偽装結婚を仕組む。中国の戸籍改竄は、日本にとって深刻な問題である。国籍を取得した一人のニセ孤児が、家族として五十人以上の中国人を日本に定住させているケースが実際にある。こんなことが放置されていいわけがない。
戸籍改竄は小役人のできることではない。誰が手を貸しているのか。上海人は、しばし考え込みながら、その真相を打ち明けた。
「実は、戸籍改竄に手を貸しているのが公安の幹部だ。金と引き換えにね。公安の幹部は役所の幹部とツーカーの仲だから、ちょっと頼めば、本名が王鵬だった福建省の男が、二、三日後には湖南省の楊桂安になったりする。年齢も自由自在に変えてくれますよ。その代わり、日本の金で八十万円から百二十万円くらいの金がかかりますね。親戚の者ならともかく、それくらいの金を出さないと幹部が動いてくれない」
中国の「公安」は、日本の警察に相当する。こうした背景を知れば、福建マフィア「三弟」のボスだった王建徳が、「陳雲明」や「李猛」名義の不正パスポートで堂々と入国できた理由がよくわかってくる。
マフィアと公安の癒着[#「マフィアと公安の癒着」はゴシック体]
歌舞伎町で飲食店を経営する上海人は、さらに衝撃的な事実を明かした。王建徳は〇一年七月に再入国し、年明けの元旦の夜、新年会の席上で身柄を拘束されている。そこに福清市公安局長の夫人が同席していたことは前に触れた。次の話に出てくる公安関係者は別の人物である。
「〇一年の秋だったと記憶している。福建省から省政府に属する公安庁の幹部が日本に来た。奥さんと一緒だから公務ではなく私的な旅行だったと思いますよ。その際、『三弟』の幹部らが夫妻を接待した。風林会館のすぐ西側のビルに中国クラブがあるが、夫はそこで接待された。それから何軒もハシゴしていると思いますよ。中国人のホステスを抱かせたという話も出ている。奥さんは夫と別行動だったからね」
ボスの王建徳は夫のほうについていたらしい。
「奥さんのほうは、池袋の中国料理店で別の幹部らが接待している。男だけでは奥さんも話に困るだろうということで、幹部の愛人が何人も来たということだ。奥さんには真珠のネックレスなど宝石類をいくつもプレゼントし、ほかに現金一千万円を渡したと聞いている。宝石も店で買ったものではなく盗んだものだろうね。金だって正当に稼いだものではない。こんな腐った関係が裏にあるから、福建人のワルが日本に来ることができる」
省の公安庁、市の公安局は犯罪、不正を取り締まる立場にある。その幹部が堕落していれば、日本の中国人犯罪は増えることがあっても減ることはない。福建マフィアに限らず、中国の黒社会は想像以上に奥が深く、構成員には公安の関係者だけでなく、中国共産党、人民解放軍の幹部クラスもいると伝えられる。
命より金が大事[#「命より金が大事」はゴシック体]
「要銭不要命」──中国人の犯罪者がよく口にする言葉で、命よりも金が欲しい、ということだ。一方で「命より面子《メンツ》が大事」という言い方もする。つまり中国人にとって重要なのは金、面子であり、故郷に金を持ち帰れば、親、兄弟、親戚、友人などから大歓迎を受け、「お前は日本でよく頑張った」と言われ面子を保てる。
「お前は何のために日本に行った? ただ遊びに行ってきたのか? それとも寝てばかりいたのか?」
無一文で帰れば、皆にそう言われて笑い者にされる。中国人は面子を潰されることを最も嫌う。金が面子を立てる。だから金のためには殺人も厭わない。それで捨て身の勝負に出る。警察に捕まって刑務所に収監されれば、周囲から「運が悪かった」と言われ無視されるだけである。
先の名古屋での女性誘拐殺害事件にしても、足立区の日昇君誘拐事件にしても、中国人を犯行に駆り立てたのは、中国に帰って面子を保つために必要な金への強烈な執着心である。
福建人をそれほど日本に駆り立てる原動力は何かというと、それは「紅眼病」である。目の病気ではなく、気の病といったほうがわかりやすい。
紅眼病が特に多いのが、前述した日昇君誘拐事件の犯人グループや「三弟」グループの出身地である福清市である。ある福建人に言わせると、紅眼病という言葉は、中国では一種の諺《ことわざ》のように使われるらしい。
「小さなボロボロの家に住んでいた家族が、いきなり三、四階建ての立派な自宅を建ててしまう。そして車や冷蔵庫、洗濯機などを次々と買い入れる。福清も面積が広いだけで貧しい地域ですからね。そんな裕福な生活を見たら、誰でも羨ましくなる。それで今度は自分も立派な家を建ててみせると意気込むわけですよ。そのうち興奮して目が赤くなってくる。立派な家があっちこっちに建っているから、それを見るたびに興奮してしまう。ますます目が赤くなる。
紅眼病にかかると、日本が頭から離れなくなる。立派な家を建てる人は、家族の誰かをかならず日本に送り出しているからね」
男も女も立派な家を見ると、「日本へ行きたい」と意欲を燃やすあまり、目が血走ってくる。紅眼病は、言い換えれば日本病と呼べるようなものだ。病根が羨望と嫉妬、それに贅沢願望だから、この紅眼病を根絶することは今のところ不可能である。
中国は驚異的なスピードで経済大国化したが、その裏側では所得格差と地域格差が広がり、特に福建省は経済発展から取り残された地域である。経済は資本主義、国家体制は共産党の一党独裁。公安、役所の幹部のみならず、その共産党幹部までが腐敗にまみれている。
貧しい地域の人たちは、そうした腐敗に不満、怒りを募らせている。生活がいっこうに楽にならない農民、失業者などが紅眼病にかかってしまうのは当然かもしれない。行き場のなくなった者は日本に幻想を抱き、目を血走らせて日本入国を夢見る。その結果が日本での中国人犯罪の多発である。責任は中国にある。
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「三弟」を潰せ!
二〇〇二年一月五日午前三時四十五分ごろである。埼玉県川口市内の雑居ビルから銃声音が聞こえ、通報で川口署員が駆けつけた。六階の階段踊り場に倒れていた男は、自動拳銃から発射された一発で頭をぶち抜かれていた。
「三弟」には、逮捕をまぬがれた幹部が何人か残っていたが、その一人が福建省出身の張明生(当時32)だった。この男を同じ福建省出身の殺し屋が狙っていた。
張は、「三弟」の五指に入る幹部で、「阿弟」と呼ばれるグループのリーダーだった。資金源は、賭け麻雀など賭博が主体であり、その賭場で数千万円の借金を背負わされた中国人の客が、取り立ての厳しい張を殺し屋を使って抹殺したとみられる。
十カ月後に逮捕された殺し屋は、「三弟」と敵対関係にあった三十二歳の福建マフィアである。この男は、金庫破りで全国を荒らし回っていた窃盗団の一員でもあった。
「三弟」の残党は、数少ない幹部を同じ福建人の敵対勢力に殺され危機感を募らせていた。その中の一人に、蒋義文という二十代半ばの男がいた。
蒋は「三弟」を構成する五グループの一つ「鼈頭《ベトウ》」のリーダーであった。「鼈頭」は文字どおりスッポンの頭という意味であり、いったん噛みついたものは首を切断されても離さないという、蒋の凶暴で執念深い性格が組織名に凝縮されている。もともと鼈頭は蒋の綽名でもあった。彼は早速、「鼈頭」グループの強化に乗り出した。
中国人の犯罪者は離合集散を繰り返し、警察の捜査網から逃げきったメンバーが、新たなグループを作り上げるために再結集する。切られた尻尾がいつの間にか再生してしまうトカゲのようなものだ。
「鼈頭」もいつの間にか五十人以上の勢力を持つまでに膨れ上がり、首都圏はもちろん、関西や九州まで犯罪行脚し、強盗、量販店荒し、金庫破りなどを資金源にした。盗品売買で日本の暴力団や台湾マフィアとも繋がりを持ち、「三弟」に迫るまでに勢力を拡張した。新しいリーダーになった「鼈頭」の蒋義文には、福建省から王建徳が指示を出していたといわれる。
ところが、ボスの王建徳が逮捕されて五カ月後の〇二年六月、JR上野駅に近い盛り場で、蒋は敵対勢力の長楽県出身のマフィアに狙撃される。負傷をした蒋は、都内の病院で治療を受けると警察に見つかる恐れがあるため、大阪の病院で偽名を使って治療した。
さらなる攻撃[#「さらなる攻撃」はゴシック体]
〇二年六月十日午前四時十分ごろだ。JR池袋駅の北西に広がる繁華街で突然、銃声が轟いた。
九階建てのビジネスホテル「アートン国際観光ホテル」は、池袋駅から約四百メートルの距離にある。発砲事件が起きたのは、ホテル二階にある中国料理店「帝王大飯店」で、店を任されていたのは二十四歳の上海女性。店に何度か行ったが、色白の小柄な女性で酔客に対しても如才なく立ち回っていた。店は二十四時間営業で中国人の溜まり場になっていた。
外に張り出した店のテラスで、三人の中国人が酒を飲んでいた。ホテルの玄関は午前二時から閉まっていたが、この店には外階段があるので客がいつでも出入りできる。その外階段から四人の中国人がテラスの三人を狙って忍び寄ってきた。
発砲の瞬間を目撃した客の一人が語った。
「店には客と従業員が二十人近くいた。ぜんぶ中国人だ。銃を構えていたのは四人のうち三人だけ。狙われた三人は逃げる間もなかったね。二人がオートマチックの拳銃で五、六発撃った。中国で何度も見たからわかるが、あれはトカレフだった。
もう一人は銃身を切り詰めたショットガン(散弾銃)を二、三発撃った。射撃の腕はよくなかった。近くから撃って一人も殺せなかったからね。四人は階段からすぐ逃げたが、一人が足を踏み外して転んでいた。四人のうち二人は、池袋で何度も顔を見たことがある。ほかの一人は歌舞伎町で見かけたことがある。もう一人はまったく知らない顔だった」
通行人からの通報で警察が現場に駆けつけたときは、襲撃された三人の姿は消えていた。その後、両太腿を撃たれた一人が手当てを受けに病院に現われたことで、その身元が特定された。男は二十代後半の福建人で日本名を名乗った。調べてみると、確かに日本国籍を持つ女性と婚姻関係にあり、「配偶者」の在留資格を持っている。だが、日本人の戸籍に入籍していても、実際に夫婦関係にあるのか、それとも合法滞在を装うため戸籍を金で買った偽装結婚なのか、それを見極めるのは難しい。戸籍を借りるだけなら、一カ月の借り賃が五万円。五年が過ぎれば、中国籍のまま日本の永住権が取れる。偽装結婚の場合は、永住権取得後に籍を抜く。それから先は日中両国で自由に活動できるからである。
事件を巡ってさまざまな憶測情報が飛び交った。その中でも、「事件の背景には、池袋を地盤にしてきた福建マフィアと池袋に確固とした地歩を築きたい中国東北部出身の東北《トンペイ》マフィアの勢力争いが絡んでいる」という説がまことしやかにささやかれた。
だが、私には納得できないことがあった。事件から一カ月が過ぎても、東北勢に福建勢が報復したという情報がまったく入ってこない。攻撃されたほうは、相手がどの筋か目星がついているはずだ。それでも報復しないのは降伏したことと同じである。ヤクザ、マフィアの世界では、普通はあり得ないことだ。そこが私にはなんとも不思議でならなかった。
そのうち、いくつかの筋から断片的に情報が入り、おぼろげながら銃撃事件の背景が見えてきた。案の定、この事件は東北勢の仕業ではなく、「三弟」の残党に対する再攻撃だったようだ。
水に落ちた犬は──[#「水に落ちた犬は──」はゴシック体]
池袋に福建マフィアがよく顔を出す中国料理店がある。ある中国人の紹介で、そこの福建人店員に話を聞くことができた。ただし、
「マフィアのことは池袋では絶対に話したくない。新宿も上野もダメ。中国人が多い場所では話せない。中国人のアルバイトがいる店もダメ」
と前もって本人から強く言われ、池袋から離れた東京駅近くの和風料理店で話を聞くことになった。
「日本人は相手の力が弱くなったら遠慮するでしょ? 情けをかけると言うでしょ? 大学で講義を受けているとき、教授から武士の情け≠ニいう言葉を聞いたけど、それ、日本人の美徳でしょ? 中国人はまったく逆ですよ。弱くなれば弱くなるほど攻撃する。命を取るまで安心しない。虎や熊を撃って弾が当たっても、死なないことがあるでしょ? ケガさせた猛獣は人間を襲うようになるから、ものすごく危険になる」
人間も猛獣と同じ、と福建人は言った。確かに手負いにした虎ほど凶暴になり、いずれ人食い虎になるとよく言われる。だから、その前に息の根をとめなければならない。福建人はそう言っている。
「チャンスがあったときに殺しておかないと、逆に自分がやられる。そんな人間は中国では笑い者にされ、誰にも相手にされなくなる。敵には手加減しない。それが何千年も前から続いてきた中国人の生き方。それで中国人が残酷、冷酷だと勘違いされたら困りますよ。日本人は中国人に対して偏見を持っているから、そこが心配だ。まあ、外敵が入りやすい大陸と海に守られてきた島国の違いだね」
私は話を流れに任せた。
「中国マフィアは、敵や裏切り者を捕まえても殺さないことがある。そんなときは、足や腕の筋肉、筋をナイフで切断してから解放する。ケガが治っても思うように歩けなくなる。将来、自分にとって危険になりそうな人間は容赦しない」
福建人は都内の有名私大を卒業。だが、ある特殊な事情で帰国できず、やむなく中国料理店で働いている。「三弟」が再攻撃された理由について福建人が話した。
「力がなくなったからだ。強制送還でボスの王建徳も幹部も日本にいなくなった。一緒に捕まった幹部の中には、日本に残った奴もいる。でも、そいつらは刑務所に入れられたはずだ」
「三弟」の残党は司令塔を失っていた。敵対勢力はそこを見逃がさなかった。
「池袋には『三弟』のメンバーがまだ何人も残っていた。ヤオトウ・パーティーを仕切ったりしてね。それまで『三弟』がいたために甘い汁を吸えなかった連中がいる。そいつらにとっては、『三弟』の残党は邪魔者だ。グループが大きくなる前に潰さないと、また元の状態に戻ってしまうかもしれない。敵対勢力は当然、そう思いますよ。実際、『鼈頭』が新しいメンバーを集め始めていたからね。
でも、グループはまだバラバラの状態だから、いちばん力が弱くなっていたときだ。前に言ったように、中国人は相手が弱ったときに攻撃を仕掛ける。それで池袋に出入りする残党をずっと狙っていた」
「帝王大飯店」での発砲事件後、「鼈頭」グループを率いていた蒋義文が上野で撃たれたケガが治り、池袋に姿を現わすようになった。治療先の大阪から帰京したのである。その蒋に対して、敵対勢力が執拗に襲撃を繰り返した。結局、蒋は東京にいられなくなり大阪に逃げ出した。
そして〇三年二月初旬、大阪市浪速区の路上で突然、警視庁の捜査員に取り囲まれる。逮捕容疑は入管法違反(旅券不携帯)だが、実は蒋は全国六府県警から殺人未遂容疑などで指名手配されていた。蒋が逮捕されたあと、さらに三十人以上の「鼈頭」メンバーが逮捕された。
警視庁の摘発によって、「三弟」に続いて「鼈頭」もいっきに弱体化した。逮捕した蒋の預金口座を調べると、約二千六百万円の残金があった。金はほとんどが振り込まれたものだ。だが、振込人の中国人名はすべて偽名であり、金の流れを掴むまでには至らなかった。口座の金は上納金とみられる。
追いつめられた三弟[#「追いつめられた三弟」はゴシック体]
「三弟」を仕切っていた王建徳は一見、学生風で温厚そうな男に見えたが、「性格は非常に冷酷」と福建人は言った。福建勢最強のボスで通っていたが、敵も多かった。同じ福清出身のマフィア・グループが首都圏だけで六つある。そのうち二グループは王を恐れながらも、「三弟」グループに反目していた。他地域の福建マフィアで王に服従する者はほとんどいなかったという。服従すれば、金を吸い上げられてしまうからだ。
王の強みは、地元の公安局幹部と深い繋がりを持ち、本国でも配下百数十人を従えていることだ。「三弟」に刃向かった福建マフィアの家族が、地元で報復されることがないのか、先の福建人に聞いてみた。
「俺は福州出身。だから福清の様子はわからないが、前にこんなことを聞いた。日本にいる福建人の男に福清市からカラー写真が三枚送られてきた。男の居場所がわからなかったのか、知り合いのアパートに届いた。一枚は、顔を血だらけにされた兄の写真だった。もう一枚は、裸にされた妹が仰向けにされた写真。二人の男に両足と両手を引っ張られていたらしい。三枚目は、別の妹が強姦されている最中の写真だったらしい」
写真を送りつけられた男は、総武線小岩駅の近くで「三弟」のメンバーをナイフで切りつけている。その仕返しが三枚の写真だった。
「父親が川に突き落とされたとか、弟が車で轢き殺されたとか、報復とみられる話はよく聞くね。日本のヤクザは、たとえ仲間が殺されても、殺した男の家族には報復しないと聞いている。そこがヤクザと中国マフィアの違いだ。特に公安の幹部に日頃から金を出しているマフィアは、やりたい放題だ。
家族を報復から守ってもらうためには、公安の幹部に金を貢ぐことになるよ。幹部は敵対する両方から金を貰うので贅沢な暮らしをしている。おかしな話だが、それでなんとか死人が出ないで済む。金を出さないマフィアは見向きもされない。それでは家族が報復されてしまう。だから日本で強盗でも何でもやって金を稼ぐしかない。中国の公安警察は、日本の警察とはまったく違うよ。家族が殺されても、金出さないと捜査も中途半端だしね」
公安の中には、マフィアよりタチの悪い連中がいる。中国では以前から公安警察とマフィアの癒着が問題になっている。
池袋をめぐる主導権争い[#「池袋をめぐる主導権争い」はゴシック体]
「三弟」、「鼈頭」壊滅と前後して、池袋で睨みを利かせてきた、ある中国人の老顔役が不在になった。トラブルの仲裁者がいなくなれば、普通は群雄割拠で逆に血みどろの争いが増えるはずである。しかし、争いばかりやっていたのでは、本来の目的の金稼ぎができなくなるばかりか、警察の厳しい取り締まりを招くことになる。そこで池袋周辺の福建マフィアは首都圏、関東圏、さらに全国の地方都市に数人のグループで散っていった。その結果、福建人による地方犯罪が多くなり、小さな田舎町や農村でも強盗、窃盗が起きるようになった。
池袋の中国クラブで働く福建人従業員が、池袋のマフィア事情を話した。
「福建マフィアが池袋から散ったのは事実だが、完全に消えたわけではないよ。誰かが出ていけば誰かが入ってくる。強いボスはいなくなったし、大きなグループもなくなった。福建人は田舎者だから団結力は強い。でも、あまり頭を使わないから、すぐにカッとなる。それでバラバラになるのも早い。子分が二、三人でも自分はボスになりたい、そんな奴が多いからね。だから喧嘩が起きる。同郷人だから言いたくないけど、福建マフィアはバカが多いね。金が欲しい、威張りたい、それだけで先のことが計算できない。簡単に人を殺してしまうしね。
そんなに数は多くないけど、上海マフィア、台湾マフィアも出入りしている。みんな、商売熱心だ。連中が中国人に売っている時計、宝石は、福建マフィアが日本人から盗んだものだ。それを安く買い叩いている。上海人も台湾人も都会的だけど、ずるがしこいね。単純な福建人と違って計算高い。でも、連中は福建人のように池袋では騒ぎを起こさないよ」
福建人のクラブ従業員は、同郷人どうしで殺し合いをやる福建マフィアはバカだと何度も言った。
「東北人は本当に多くなってきた。中国人の三人に一人は東北人だね。店の経営者も増えているし、マフィアも増えている。福建マフィアも上海マフィアも東北の連中を怖がっている。東北人は同郷人どうしで喧嘩しないし、互いに助け合っている。店に来た東北人が言っていたよ。仲間が金に困ったら金を貸すし、自分に金がなかったら借金しても貸してやるとね。そこが福建マフィアと違うところだ。東北マフィアを敵に回したら、こっちが二、三人でも百人、二百人に襲われそうだ。福建マフィアもそこが怖いんだよ。池袋はいずれ東北グループに乗っ取られるかもしれない」
遡れば、かつては歌舞伎町でも池袋と同じような勢力争いがあった。数の力で台湾マフィアを追い出したあと、覇権を巡って上海勢どうしの争いがしばらく続き、それがなんとか落ち着くと、上海勢が何かと対立していた北京勢を潰しにかかった。
そして九四年八月、風林会館の斜向かいの路地にあった中国料理店「快活林《クアイホアリン》」襲撃事件(前述)を境に北京勢は潰された。この事件では二人が殺害された。青龍刀やサバイバルナイフで切り刻まれ、店内が血の海になった。
それ以降、歌舞伎町は上海勢、池袋は福建勢とおおよその色分けができていた。ところが歌舞伎町は九〇年代後半から東北勢が台頭してきたため、それまで幅を利かせてきた上海勢が衰退に追い込まれた。「福建人の街」池袋にも同じように東北勢が出入りし、歌舞伎町と同じような勢力変動が起きている。
上野周辺も東北勢に食われつつある。上野には九八年まで中国系のクラブ、スナックが二十軒ほどしかなかったが、今は居酒屋、料理店などを含めると五百軒を超えている。経営者は東北部出身者や中国残留孤児の関係者が多く、ママやホステスも多くが東北人である。盛り場における中国人の裏社会勢力図は、そこで働くホステスの出身地と相関している。上海勢が歌舞伎町で力を持っていたころは、中国クラブは上海人のホステスに席巻されていた。九〇年代半ばまでは、約八割を上海人ホステスが占めていたが、それが五割前後になり、現在は三割以下に落ち込んでいる。
上野で二十数年前からスナックを開いている日本人マスターが、中国人勢力図について語った。
「上野周辺には上海、福建、台湾のマフィアも出入りしているが、これは飲みに来ているだけ。いちばん多いのはやはり東北人だね。中国系の店から東北グループはしっかりミカジメ料を集めている。このあたりは、もともと國粋会の地盤だから、國粋会が中国系の飲食店からミカジメ料を徴収していた。そこに東北勢が割り込んできた。歌舞伎町、池袋と同じで、上野に東北勢が増えてきたのは九〇年代後半からだね。
どんな話し合いがあったのか知らないが、國粋会と前から付き合いがあった中国系の店は、そのまま國粋会が面倒を見る。ミカジメ料の徴収を続けるということだね。新規開店の中国系の店に関しては、東北勢が面倒を見るということになった。うちに飲みに来た國粋会の幹部が言っていたよ。中国の連中は話がこじれると何をするかわからないから、あまり関わらないほうがいいとね」
東北勢は中国系の店を回り、ホステスや客に夜食の弁当やオカズ類を販売している。あるママが、「お客さんの邪魔になるから」と言って、店内に販売人が入るのを拒んだら、後日、店のドアをぶち壊された。ママは店の経営者でもあったが、出身は上海だった。かつての歌舞伎町で、こんなことがあったら、すぐに上海マフィアが駆けつけてきた。だが、東北勢が多い上野では、上海マフィアが出張る余地はない。上海マフィアは、東北勢の進出によって歌舞伎町から撤退を余儀なくされたことを十分わかっている。
中国系の店が次々と新規開店するなか、地元の國粋会はそれに手を出さずにきた。ところが〇五年九月、國粋会はそれまで加盟していた博徒系親睦団体「関東二十日会」を脱会、山口組の傘下に入った。山口組はとりわけミカジメ料の徴収に厳しい。東北勢がこれまでのように大手を振っていられるか、これから先、山口組の出方次第では上野周辺の中国人勢力図が激変することも考えられる。
街頭カメラの威力[#「街頭カメラの威力」はゴシック体]
裏社会に通じる中国人によれば、「三弟」グループの資金源の中には拳銃密売があった。その残党が関わっているのか、池袋には今も福建人の武器密売グループがあり、これが都内で最も安く拳銃が手に入るルートだという。中国人密入国者の中で圧倒的に数が多いのが福建人。拳銃も密入国者と同じで、大半が福建省から密輸されてくる。
貿易業務で東京湾の港に関わりがある中国人の一人が打ち明ける。
「密入国者が拳銃を持ち込むことはない。蛇頭が持たせない。集団密航が始まった九〇年代初めから、蛇頭が拳銃の持ち込みを厳しくチェックしてきた。逆に船上で襲われたり、船を乗っ取られたら困るからね。拳銃を運んで来るのは、密航と関係ない中国の別の船だ。貨物船が多いね。水揚げ地? ほとんどが東京湾だ。貨物船から別の小さな船に移し替える。九〇パーセント以上が千葉県の浦安、市川、船橋の海岸から水揚げされる」
福州(省都)、福清、泉州、※[#「さんずい+章」、unicode6f33]州、アモイなど、福建省の沿海部出身者が首都圏で最も好む街が、潮の香りと故郷の匂いが漂う浦安だという。実際、浦安周辺には福建省出身者が多く、福建マフィアが警察や中国人どうしの抗争で対立相手に追われたりすると、同郷人を頼って浦安に逃げ込むことが多いという。
東京ディズニーランドの喧騒を尻目に、中国製銃器が続々と水揚げされている。こうした銃器が犯罪に使われ、ときに日本人の家庭を悲嘆に追い込む結果を招いている。
池袋の福建人密売グループは、同じ中国人どうしの取引ならトカレフを五万円の安値で売るという。それが日本人相手だと二十万円以上になる。同じ自動拳銃のマカロフは中国人相手なら十八万円だが、それが日本人となると三十数万円になる。マカロフが歌舞伎町の中国人の間では二十万円で売買されているというから、拳銃の密売価格は確かに池袋のほうが安い。
中国マフィアは九〇年代後半まで、拳銃を日本の暴力団関係者から買い取ることが多かった。それも高値で買わされてきた。しかし、それ以降は福建人が築いた密売ルートから調達できるようになり、銃器武装化がいっきに進んだ。それどころか、逆に暴力団員に転売して利ザヤを稼いでいるのが現状である。
手榴弾は一個八万円から十万円。拳銃弾を連射できる中古の中国製短機関銃《サブマシンガン》が百二十万円前後。九〇年代半ばに、中国人が歌舞伎町で売りに出したイスラエル製の短機関銃は二百数十万円だった。性能に差はあるが、大量殺人武器であることに変わりはない。それが今は半値以下で売られている。暴力団も使ったことがない短機関銃が、いずれ中国マフィアに使われる日が来るかもしれない。
歌舞伎町、大久保に計五十台の街頭監視カメラが設置されたのは、〇二年二月下旬のこと。中国人の悪党どもはさすがに歌舞伎町で動きづらくなり、多くが池袋や上野、総武線沿線へ散った。監視カメラ設置で歌舞伎町では路上強盗、恐喝行為、麻薬密売などは激減した。だが、表沙汰にならない傷害事件のたぐいは相変わらず頻発している。
歌舞伎町周辺の一部の中国料理店は、以前から不良中国人の溜まり場になっており、夜中から朝方にかけて店内で喧嘩が絶えなかった。ある店は、上海出身者の出入りが多いが、ここで脇腹にナイフを突き刺されたまま、店から姿を消した男がいる。近辺の病院で治療を受けた形跡はないが、一カ月後には平気な顔で街を闊歩している。
中国人どうしの喧嘩は、九〇年代半ばまでは青龍刀で相手をメッタ切りにするなど、大型刃物を使った残忍な手口が目立った。その後、銃器武装化が進み、九〇年代後半から拳銃が使われることが多くなってきた。中型ナイフが使われるのは以前と同じである。
さる金曜日の深夜二時ごろだ。私は、山手線新大久保駅にほど近い中国料理店に立ち寄った。豚肉の角煮でビールを飲み始めたが、角煮は五香粉《ウーシヤンフエン》の香りがあまりに強すぎ、ビールと相性がよくない。体調も悪かった。それでビールのグラスをテーブルの隅に動かし、代わりに紹興酒を注文した。五香粉の香りを早く口中から消したかった。
温めた紹興酒の大瓶を立て続けに二本飲み、さらに一本がテーブルに運ばれてきた。前日もJR総武線沿線でバルト三国のラトビア、エストニア、リトアニアの女性たちと朝まで飲み明かしていた。それから二十時間ほど何も食べていないから、酔いが早く回るのは当然だった。
「よろしかったら、一杯、いかがですか?」
隣りの席にいた三人連れの中国人男性に、紹興酒を勧めようと声をかけた。体調が最悪でも相手がいれば酒は飲める。その代わり、普段は自宅ではほとんど酒を飲まず、生レモンを搾り込んだ蜂蜜のお湯割りばかり飲んでいる。自宅で外と同じように飲んでいたら、それこそ命がいくつあっても足りない。
「ありがとう。でも今日はいいよ。次に会ったら一緒に飲みましょう」
中国人は丁寧に断わってきた。この店で初めて見る顔だが、三人とも顔がよく日焼けしている。実直な感じで印象のよい中年だった。だから私も酒を勧める気になった。
酒を勧めても勧められても、相手やその場の対応次第で大ケガを負うことがある。悪党どもは喧嘩を売るために酒を勧めることがある。
〇一年夏、この店で片腕が転がった。隣席の男たちに酒を勧めたものの、それを無視されたことから中国人の客どうしで喧嘩が始まり、一人が厨房から持ち出した中華包丁で左腕を切り落とされ、相手側の一人は耳を削ぎ落とされた。
腕を落とされた男は、接合手術ができたかもしれないのに、腕を置いたまま逃げてしまった。耳を削がれた男を含め、喧嘩に関わった中国人はすべて雲隠れした。いずれも福建人で、このときは店の経営者が福建人だった。
この店では、その前にも中国人どうしの喧嘩があり、上海出身の男が体じゅうを牛刀でズタズタに切られている。男は救急車で病院に運ばれ命は助かった。被害者の立場だが、自分を切った中国人の名前は警察に明かさなかった。このときは上海人が店を経営していた。経営者が変わると、どうしても同郷人の客が多くなる。
この店から歌舞伎町へ向かう途中、別の中国料理店の前を通り過ぎた。ここも中国人どうしの喧嘩が多い店で、私も何度か店内で口論の場面にぶつかった。すぐ近くの席に別の客がいても、まったく気にしていない。
一度は殴り合いになったが、店長の必死の説得で喧嘩はなんとかおさまった。どちらも女連れだったから、説得に応じたのかもしれない。刃物が飛び出してもおかしくない状況だった。
拳銃で腹部を撃たれた男が、腹を両手で押さえながら、この店に入っていく姿が目撃されている。男はそのまま店から出てこなかったと聞いたので、後日、店の構造がどうなっているのか、トイレを間違えたフリをして奥の部屋を探った。
「キャア〜ッ!」
扉を開けた瞬間、女性がすさまじい悲鳴を上げた。ピンクのパンティーが慌てふためいている。そこは更衣室で中国人の若い店員が着替えの最中だった。店長と男子従業員がものすごい剣幕で飛んで来た。
「お客さん、勝手に部屋を開けてはダメだ! トイレはあっちですから案内しますよ。これから注意してくださいよ」
店長は最初、大声を出した。だが、私が酒に酔っていると思ったのか、すぐに諭すような言い方で大目に見てくれた。
別の日、再び店の奥を探ってみると、更衣室のほかに休憩室のような部屋がひとつあることがわかった。腹を撃たれた男はここで何らかの処置を受けたに違いないと思った。警察沙汰になっていないので、男がどこで、誰に撃たれたのかわからないが、中国人どうしの争いは各所で起きている。
マフィアのアジトに潜入[#「マフィアのアジトに潜入」はゴシック体]
総武線平井駅の近くに数階建てのビルがある。一階は中国料理店、二階が個室カラオケ、その上階が簡易宿泊所のような形で使われている。
定期的に観察したところ、横浜ナンバーのワゴン車が横付けになり、数人の若い男女を降ろしている場面を二度目撃した。通りがかりに聞こえてきた言葉から中国人であることは明らかだ。その夜は三、四階に明かりがついたので、運ばれてきた中国人が泊まっているのは間違いないだろう。おそらく密入国者だろうと私は睨んでいる。
ワゴン車の横浜ナンバーを陸運事務所で調べても、該当車が出てこないということは偽造ナンバーとしか考えられない。中国人の裏社会と繋がりがある暴力団関係者の話を聞くと、偽造ナンバーは福建人によって新宿区内で作られているという。それが中国人の犯罪集団だけでなく、暴力団関係者などにも売られる。強盗や窃盗事件の現場で目撃されたナンバーが、登録されていないものであったり、まったく別の車のものであったりすることがあるが、これが偽造ナンバーである。
ビルの一、二階には福建人の犯罪グループが出入りし、日中から酒盛りをしていることがある。一階の料理店は、壁も天井も金色の龍や鳳凰のレリーフでけばけばしく飾られている。中国料理店によくある円卓はなく、四人掛け、六人掛けのテーブルが十卓以上ある。夜昼、何度か店に足を運んだが、いつも目つきの悪い男たちがたむろしている。店主も従業員も悪い印象はほとんどないが、日本人が入るときだけは皆、ギョッとした顔をする。
あるとき、どんな客がいるのか気になり、こっそり二階に上がった。日中である。階段にはダンボール箱や食用油の缶などが山のように積まれ、酔ってぶつかったりでもしたら、下敷きになるかもしれないという怖さがあった。
二階は個室カラオケと聞いていたので、ボックスがいくつも並んでいると思い込んでいた。しかしドアが開けっ放しにされたスナックが一軒あるだけだった。ギャング映画に出てくるアジトの雰囲気である。いや、ここは実際に強盗、窃盗団のアジトであり、福建マフィアが犯罪計画を練り上げる謀議の場所でもあった。
スナックの様子を見るためウロウロしていると、痩せこけた上背のある男が出てきて、細目で私を睨んできた。見たところ、まだ三十歳にはなっていない。
「日本人か? 日本人は二階に上がれないことになっている。誰が上がっていいと言ったのか? 何か用事があるのか?」
おぼつかない日本語だが、男はそんなことを言ってきた。おどおどした姿を見せたり、逃げ腰になったりすると、この種の男は頭《ず》が高くなり、獲物を追う猟人の習性を出してくる。それで男の真ん前に私のほうから近づいた。
「トイレを探していたら二階に上がってしまった。オシッコ、我慢できない。二階にトイレないの?」
両手で下腹部を押さえて床を踏み鳴らすと、男は一瞬、笑いかけたが、しかし命令口調で言ってきた。
「早く下に行け! トイレは下にある」
最初からトイレに入る気などなかった。下腹部を押さえながら男に聞いてみた。
「トイレに行ってきたら、スナックでちょっと飲める? ビール一本ぐらいなら問題ないだろ? ほら、金はちゃんと持っている」
ズボンの左ポケットから一万円札数枚を出して見せた。中国マフィアも普段はサイフを持たず、金をポケットにねじ込んでいる。わずか数千円のために日本人が中国人に殺された事件がある。現金を見せるのが危険なことは百も承知だが、ここはバクチである。
「ダメ、ダメッ! 今日は友達の誕生日だ。早く一階に下りろ!」
男の顔にまだ余裕があるように見えたので、さらに食い下がった。
「誕生日なら、俺が酒をご馳走する。日本人と一緒に飲むのもたまにいいだろ? 俺も中国人と一緒に酒を飲んでみたい。俺も酒は強いほうだ」
ごちゃごちゃ話しているのが気になったのか、スナックから先輩格の男が二人出てきた。しばらく三人は中国語で話していたが、二人は私には一切声をかけず、ちらりと一瞥するだけでスナックに戻った。
二人に何を言われたのか、男の形相が険悪になってきた。ここが引きどきと判断し、私は一階に下りることにした。
男とやり取りしながらスナックの中を見ていると、男が四、五人、女の姿が二人見えた。マイクから甲高い女の声が響いていたので、女は少なくとも三人はいたはずだ。スナックから笑い声が絶え間なく聞こえてきた。だが、この手の男たちがいつも和気あいあいと飲んでいるわけではない。
一階の店で福建マフィアどうしの喧嘩があり、一人が指を切り落とされている。近くの商店主がその指を目撃している。
「親指はなかったと思うが、ほかの四本が根元から切り取られ、店の入り口に手形のように置いてあった。右手か左手か、そんなことは気が動転して覚えていないよ」
指はテーブルで切断され、それを誰かが店先に移動したらしい。本人が持ち帰ろうとしたが、すぐに諦めたという話もあるし、店内が傷害事件の現場になるのを嫌がり、店長の指示で従業員が店先に移したという話も出ている。
店から通報を受けた所轄署が現場に駆けつけたが、福建マフィアは一人残らず姿を消していた。指を落とされた男もいなかった。
四本の指が傷害事件の動かぬ証拠になった。しかし、指を失った被害者が逃走したため、警察は傷害事件として立件しなかった。
この店の常連客は歌舞伎町や池袋に出入りしている者が多いといわれ、福建マフィアの隠れた溜まり場のひとつになっていた。強盗、窃盗事件で福建人が全国で捕まっているが、逮捕者の中にはこの店に出入りしていた者が何人もいた。
ヤミ医者[#「ヤミ医者」はゴシック体]
ここで誰もが不思議に思うのは、ケガを負ったまま逃げてしまう中国人の行方だろう。四本の指を切り落とされて、切断面の治療をしないわけにはいかない。耳を削ぎ落とされたくらいなら命に別状はないが、片腕切断は失血死の恐れがある。腹に拳銃の弾が入っていれば、内臓損傷で命取りになることもある。弾を摘出しないわけにはいかない。
一般病院へ駆け込めば、警察に通報されるのを覚悟しなければならない。スネにキズ持つ中国人は、警察に身柄を押さえられることを何よりも恐れる。密入国や不法滞在がばれるだけでなく、これまでの犯罪を追及される。それなら病院に行かずに、誰に腕の切断面の処置、縫合を任せるというのか。
その謎を解くのが、日本で違法に治療行為を行なっている中国人ヤミ医者の存在である。ヤミ医者は中国では医師資格を持っているが、日本の医師免許を持っていない。腕の良し悪しはともかく、中国で臨床体験がある者もいる。中には、中国でも医師資格を持っていない、正真正銘のニセ医者もいる。
喧嘩でケガをした指名手配中の犯罪者もヤミ医者に駆け込めば、捜査網から逃れることができる。あくまでも秘密裏の治療なので犯罪の隠匿につながる。ヤミ医者がいなければ、マフィアも腕や指を置き去りにして逃げはしないだろう。
しかし、ヤミ医者が施せる治療は限られている。頭や胸を撃たれるなど致命傷を負った者に対しては、ヤミ医者はそれに対処できる医療設備を整えていない。そのときは、いかに「要銭不要命」などと大口を叩いていても、命が優先である。仲間が大病院や救急病院の入り口に重傷者を置き去りにし、病院に匿名の電話で「玄関に命が危ない患者がいる」と通報する。
入院治療中は、警察も満足な事情聴取ができない。口が利けるようになっても、偽名を名乗ったりしながら、のらりくらりと逃げ回る。そして命の危険がなくなり歩けるようになったとき、隙を狙って病院から逃げ出してしまう。次に駆け込むのが中国人のヤミ医者である。ヤミ医者が犯罪者を裏で支えているのである。
上野で中国料理店を経営する中国人女性が、こんなことを打ち明けた。
「私は、その医者がどこにいるのかわかりません。顔の整形手術ができる中国人、台湾人がいるそうです。いつも日本にいるわけではなく、患者に呼ばれて日本に飛んで来るらしいの。そこで整形手術を受けるのは、ほとんどが警察に追われている中国人ということです。普通の中国人では連絡がとれず、中国の黒社会のルートで日本に来るらしい。手術器具は日本で簡単に手に入るそうです。顔が変わってしまえば、警察はどうにもなりませんよね」
大阪・西成区で和風スナックを経営していた中国人ママの|尹麗娜《イリンナ》容疑者(当時46)は、〇一年から〇二年にかけ、西成区の簡易宿泊所でホームレス化していた日本人男性三人を殺害したとして指名手配されている。尹容疑者の足取りは、〇二年五月二十五日の浅草・雷門前を最後に消えている。この尹容疑者の上京目的が顔の整形手術だった。
「中国には顔を整形するマフィアがいくらでもいると聞きましたよ。殺人犯とわかっていても、警察には届けられない。本人だけでなく家族が皆殺しにされますからね」
ヤミ医者は、いつも中国人の犯罪者やマフィアばかり相手にしているわけではない。日頃、どんな治療を行なっているのか──。中国マフィアと同じく、ニセ医者の実態も謎に包まれている。
〇一年七月、中国人が関わるヤミ治療院が、警視庁国際組織犯罪特別捜査隊(当時)と巣鴨署に摘発された。治療院があったのは、東京・豊島区南大塚三丁目の雑居ビル。ヤミ治療院は、「鍼灸・按摩・マッサージ治療院」を表看板にしていた。日本人一人と中国人四人が、無免許、無資格で医療行為を行なったとして医師法違反などで逮捕された。
逮捕された日本人一人というのは、ヤミ治療院を経営していた上海出身の女性院長(当時49)。日本人の戸籍に入り、配偶者の在留資格を持っていたために「日本人」と発表された。摘発後、女性院長は執行猶予付きの有罪判決を受け釈放された。在留資格があるので、そのまま日本に留まることもできたが、早々に上海へ帰国してしまった。女性は、鍼灸や医療に関して日本ではもちろん、中国でも何の資格も持っていなかった。
副院長の中国人男性(同39)は、日本の医師免許は持っていないが中国では医師資格があり、来日前は中国黒龍江省の「ハルビン婦産医院」に勤務経験があった。副院長は保釈金三百万円で釈放されたが、在留資格があったために強制送還にはならなかった。ほかの三人は留学、就学ビザで来日。在留資格外活動が明らかになったために入国管理局に身柄を移され、その後、中国へ強制送還された。
上海女性は、ヤミ治療院を九九年十一月に開業し、摘発されるまでの一年八カ月間に一億円以上の治療報酬を受け取っていた。平均して月に五百万円以上の売上げがあったことになる。
患者の顔ぶれについて、ヤミ治療院に出入りしていた女性関係者の一人は、こう打ち明けている。
「拳銃で撃たれたとか、腕を切り落されたとか、そんな中国人は来なかったですね。この治療院は、体内から銃弾を取り出すような手術はしていなかった。弾ではなく胎児を取り出す手術が多かった。中国人の中絶をするのが専門でしたね。客は歌舞伎町や池袋、上野あたりで中国クラブに勤めていたホステスが多かったですよ。不法滞在者は、売春で妊娠しても日本人の病院に行けません。日本で知り合った中国人と同棲しているうちに妊娠してしまった、そういう女性もいました。法律に違反したけど、人助けでもあったわね。在留資格を持っていても保険証がない、そんな女性も多かったですね」
私は中国クラブの売春ホステスから何度も聞かされたことがある。
「日本の男はコンドームをとても嫌がるの。コンドームを出すと、『金、返せ。俺は帰る』と言ってきますからね。私はエイズやほかの性病が怖いから、どうしても使いたい。でも、そのまま帰ったら一円にもならない。店から給料を貰っていないから、最後はコンドームなしでセックスする。それも日本の男は中国人と違って、後ろからやるのが好き。深く入るから一回で妊娠する。日本の男は、私の言うことを聞いてくれないから困ります」
先の女性関係者の証言は衝撃的である。
「取り出した胎児は、治療院の冷蔵庫に入れておきました。ポリ袋に入れてね。六カ月の胎児はすでに赤ん坊の姿をしていますけど、それも新聞紙に包んで冷蔵庫に入れておいた。冷蔵庫には、スタッフが食べる肉も一緒に入っていた。最初は気持悪いですが、慣れると気にならないですね。
五、六カ月の胎児を生ゴミとして捨てたことが何度もありました。犬やカラスに引っ張り出されて近所の人たちに見られたら大騒ぎになる。それをいちばん恐れていましたね。それでゴミ回収車が来る直前に捨てるようにした。まだ赤ん坊の形をしていないものはトイレに流しました」
五、六カ月の胎児を保健所の許可なしで冷蔵庫に保存していたことから、院長の上海女性は死体解剖保存法違反でも送検された。この法律が適用されたのは、一九四九年の施行後、二回しかない。
ヤミ治療院での中絶費用は、一回五万三千円から五万五千円。延べ一万人以上の女性が訪れていたが、すべてが中絶目的ではなかった。不法滞在者が出産する際も、こうしたヤミ治療院が利用されるという。すべてヤミ治療費のため、収入が税務署に申告されることはない。
中国人に聞くと、中国では胎児の胎盤は漢方薬の材料となり、乾燥スッポンの粉末と混合したものが高級精力剤として売られているという。中国人は特に漢方薬を重宝する。警察の摘発を受けるまでに、このヤミ治療院はかなりの量の胎盤を漢方薬業者に回していたようだ。
日本でも中絶胎盤は美肌、美白効果があるということで、大手メーカーが化粧品に利用してきた。専門回収業者が全国の産婦人科病院を回っていた。だが、中国のように精力剤として使われているという話は聞いたことがない。
このヤミ治療院は、在日中国人向けの新聞に堂々と広告を出し、「鍼灸で難病を除去します」と宣伝していた。さらにスタッフが患者に対していかに親切で、医者の技術が高水準であることを盛んに宣伝していた。一方、同じ新聞に広告を出していた別のヤミ医者については、ボロクソにけなしていた。
同じ〇一年、中国語新聞に「成人病難病治療研究所」の広告を出していた中国人ヤミ医者(同54)が、東京・北区田端新町で捕まっているが、そのヤミ治療院は自宅近くのアパートの一室だった。男の携帯電話番号を除けば、住所などはデタラメだった。アパートには不動産会社の看板が掲げられていた。ここも中絶手術が中心だった。
実は、銃弾の摘出手術を手掛けるヤミ医者の広告も同じ中国語新聞に載っている。だが、宣伝文句を見ても日本人には何のことかわからないし、そうした情報がクチコミで回るのは中国人の間だけである。都内だけでも中国人が経営するヤミ治療院は約四十軒あるといわれる。
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酒田短大事件の深刻さ
私は上野からJR常磐線に飛び乗り、茨城県の土浦へ向かった。男が指定してきたのが、土浦駅前だった。特急で上野から五十分。駅の東側には、霞ヶ浦が広がる。時刻は夜十時を過ぎていた。駅前に立っていると、ライトブルーの作業着のような服を着た男が小走りに近寄ってきた。
「元気? 一年ぶりだね」
私のほうが先に声をかけると、男は私の右手を両手で握りながら詫びてきた。
「こんな遠くまで呼び出して悪いね。相変わらず酒飲んでいるの?」
国籍が中国だった男は今、日本国籍である。周りに日本人がいるときは日本名で呼ぶが、中国人がいるときは胡と呼ぶように言われていた。今日は、彼の知り合いの中国人に、中国籍朝鮮族が絡む闇のネットワークについて話を聞く手はずになっていた。
私は男が運転してきたワゴン車の助手席に座った。車は牛久沼の近くを通り、右に曲がって狭い脇道に入っていく。その先の空き地の脇に、大型ワゴン車が黄色いハザードランプを点滅させながら駐車している。こちらの車を後ろに近づけると、大型ワゴン車は急発進してUターンし、それを追尾する形になった。
「前の車を運転しているのは、俺が中国にいたときの幼なじみだ。吉林省から来ている。悪い中国人のことはよく知っている。これから彼の家に行くことになっている」
前の車は、水戸街道に差しかかると右折して、そのまま東京方面へ向かった。しばらく走り取手大橋を渡って利根川を越えると、そこは千葉県我孫子市になる。
「彼も詳しい場所は話していない。『車の後ろからついてきてくれ』とだけ言われている」
車は江戸川に架かる松戸橋を渡り、それから三十分ほど走った。そこは埼玉県だった。大型ワゴン車が、カワラ屋根の古びた平屋の前に止まり、運転席から男が降りてきた。仲間は乗っていなかった。私は軒先で帰化中国人から男を紹介され、こぢんまりした平屋に招き入れられた。
初対面の男は「朱」と名乗った。胡より三歳年下の三十三歳。朱は見るからに逞しい体つきをしている。
「朱さん、あなたはどう見ても中国人には見えないね。日本に来て何年たったの?」
「七年だ」
ぶっきらぼうな言い方だったが、印象は悪くない。朱は地下タビを履き、ズボンはヒザ下で裾口をしぼったニッカボッカーズだった。眼鏡は中国人には珍しい黒縁である。
「悪い中国人の裏側をよく知っている男だ」と聞かされていたが、そうした連中と付き合いがあるようには見えない。
身長は百七十センチ足らず。現場で働いているせいか、顔は日焼けして精悍に見える。
「日本は不況。これ、困るね。仕事、なかなか回ってこない。現場の仕事は月に十日もない。一日一万円以上になること、ほとんどないね。だから、ときどき、養豚場、養鶏場で糞を掃除する。養鶏場のオーナー、悪い人いるよ。俺は一生懸命働く。でも、なかなか金を払ってくれない。養鶏場で中国人が何人も働いている。みんな、頭にきている。火をつけて燃やしてやる、そう話している中国人がたくさんいる。日本人は、強盗やる中国人を恐れる。でも、真面目に働く中国人をバカにする。俺は日本人がやりたくないことをやっている。尊敬されてもいいはずだけどね」
胡は、父が中国人、母が日本人の残留孤児二世。朱の妻は残留孤児二世である。胡も朱も漢族であり、親戚にも朝鮮族は一人もいないという。
部屋には丸めたままのカーペットが転がり、その横には湿気をたっぷり吸い込んだ布団が積み重なっている。家具、寝具類はすべて廃品を拾ってきたものらしい。
雑然とした室内で缶ビールを飲みながら、質問を始めた。私は、東北部出身者が他地域の同国人をどう見ているのか、以前から気になっていた。
「上海人が福建人の次にバカにするのが東北《トンペイ》の人間だ。それは、わかっている。東北は発展が遅れたから、貧しいのは仕方ない。国が悪いんだ。大きな街は別だけど、東北は田舎が多いから水洗トイレがない。だから汚いというわけじゃないだろ? 汚いとは人の心のこと? それだったら逆だね。上海人のほうが何倍も汚い。とにかく上海人は金にずるいからね。自分が儲かれば、他人のことなんかどうでもいい、そんな考えだからね。自分中心の身勝手野郎だ。東北は自然も広々としている。だから心も広い。上海人にないものを俺たちは持っている」
朱が急に目をキョロキョロさせた。私が座ったソファの左側に大きなゴキブリがいた。朱が話を続けた。
「同じ中国人を狙って中国人が強盗やる。そのとき、相手の住所を調べるのは上海人だ。金のありそうな中国人がいると、グループでこっそりマンションまで追いかけていく。部屋の場所がわかったら、それを強盗団に教えてやる。上海人は強盗やらない。現場の近くまで行くが、それは奪った金の分け前を取るためだ。強盗やった連中から聞いたが、二、三割を取る。住所だけ売る上海人もいる。普通は十万円、二十万円。それが五十万円、百万円のときがある。高いときは、相手が帰国間近の中国人とか、中国クラブのママが多い。二、三百万円を手元に置いているらしいからね。それが狙われる。でも、相手に金がないときがある。それでも上海人には文句を言えない。それが最初からの約束だからね。
実行犯は俺たちのような東北人や福建人がほとんどだ。上海人は賢い、ずるい。自分の手を汚さず、金を儲ける。だから、強盗、泥棒で捕まる上海人が少ない。日本人が殺される強盗事件がたくさん起きている。でも、上海人が捕まった話、あまり聞かないでしょ?」
言われてみれば、まったくその通りである。
中国は、大きく分けると五十六民族、細かくいえば約二百民族が住む多民族国家である。人口十三億人のうち約八パーセントの一億四百万人が少数民族、ほかの九二パーセントは漢族である。都内の盛り場には、中国北西部の内蒙古自治区から就学生として来ている蒙古族のホステスもいる。
蒙古族は盛り場ではまだ少数派だが、東北人に混じって数をじわじわ増やしている。東京・新橋の中国エステ店で私についたのが、実は蒙古族の女性だった。大木のような無骨な太腿。どんなサービスを教え込まれているのかわからないが、私の指先が何かの拍子で太腿にでも触れようものなら、「アッフン、ホーッ!」と馬のアクビのような声をだしておどけた。ほかのエステ嬢は朝鮮族が多かった。
漢族以外で最も目につくのは朝鮮族である。中国籍の朝鮮族は約二百二十万人。そのうち百万人近くが吉林省の延辺朝鮮族自治州に住んでおり、残りのほとんどが東北三省に分散居住している。吉林省には、北朝鮮と図們江(北朝鮮名・豆満江)を挟んで延辺朝鮮族自治州が広がる。川幅は十メートル前後と狭いところがあり、川が凍結する冬場には歩いて渡れる。脱北者は、この川があるから中国へ逃げることができる。
脱北者はまず延辺朝鮮族自治州に逃げ込むことが多い。自治州には、脱北者の支援のために、日本から仏教団体、キリスト教団体などがボランティアを送り出している。集団結婚する団体として中国でも知られる「世界基督教統一心霊協会」(統一協会)も活発に活動している。教主の文鮮明も夫人も北朝鮮で生まれている。ボランティアを隠れ蓑にしているが、CIA(米中央情報局)の工作員も多いという。
脱北者の女性の中には、生活費稼ぎのために五十元(約七百五十円)から百元で売春せざるをえない状況に追い込まれている人妻や十代の少女までがいるという。
「日本では、九〇年代後半から朝鮮族による犯罪が急に増えてきた。それも凶悪犯罪が多い。さらに朝鮮族の犯罪者はグループを組んでマフィア化している。朝鮮族マフィアという言葉をどう思う? 連中が増えてきた理由は何だと思う?」
朱は軽く頷くと別の缶ビールに手をつけ、半分ほど飲んでから話し出した。
「朝鮮族は民族意識が強い。プライドが非常に高い。漢族は料理が得意なはずだ。だが、どうしてなのか、豆モチが作れない。ところが朝鮮族はそれを上手に作る。それで俺たち漢族は近所の朝鮮族に頼んで豆モチを作ってもらう。頼みに行くとね、勝ち誇ったような顔をされる」
日本でも正月などに豆モチを作るが、これも大事な食文化のひとつである。
「中国にも朝鮮族の黒社会がいくつもあるよ。だから日本に朝鮮族マフィアがいても不思議なことは何もないね。朝鮮族は教育に熱心だ。朝鮮族が子供を日本に留学させるのは、将来、中国の日系企業に就職させるのが目的。それと家族の家計を助ける目的もあるね。だから出稼ぎでもある。日本に留学すれば、授業料も生活費もアルバイトで稼げる、そして家族に金を送ることもできる、そう考えて日本に来る。
それは、ほかの中国人も同じだね。でも、日本はそんなに甘くない。俺も二十六歳のときに就学生ビザで日本に来た。それで日本語学校に入った。わざわざ小学校の先生を辞めてね。日本の金で給料が一万円にもならなかった。日本なら、それを一日で稼げる、いや、道路の夜間工事で交通整理の旗振りをやれば、もっと稼げると聞いた。朝鮮族は公立民族学校で日本語を習っている。だから、俺たちより日本を夢見る。日本に朝鮮族が増えるのは当然だ。昔のことをいえば、中国に朝鮮族を連れてきたのは日本じゃないか。日本が東北部を支配していた時代にね。今度は日本が朝鮮族を受け入れる番だよ」
酒田短期大学の事件[#「酒田短期大学の事件」はゴシック体]
酒田短大の中国人留学生問題が明るみに出たのは、二〇〇二年一月である。総学生数三百五十二人のうち九六パーセントの三百三十九人が中国人留学生。実は、その多くが朝鮮族だった。そのうち百八十九人が山形県を離れ首都圏で就労していることが問題になった。その後、短大側の呼びかけに応じず復学しなかった者は除籍処分になり、最終的に数十人が行方知れずになった。
仙台入国管理局は、短大から出された新たな中国人留学希望者の在留資格証明申請を拒否。さらに同短大を経営する学校法人「瑞穂学園」に対し、酒田労働基準監督署が「事実上の倒産認定」したことで一気に経営難に陥り、〇三年三月には閉校した。
雲隠れした留学生の中には、エステで働いているのが入管に見つかり、中国へ強制送還された女性もいた。また、地下銀行にかかわっていたとして、銀行法違反容疑で逮捕された者もいる。しかしそれらはごく一部であり、いまだに逃げている者がいる。
実は、都内に逃げた留学生の中には、朱の実家のすぐ近くに住んでいた女子学生がいた。
「日本で彼女に会ったことはない。同郷の友人に聞いたら、その学生は問題が起きてからも大学に戻らず、歌舞伎町のエステで働いていたという。エステ経営者は中国人だ。店の看板は中国エステじゃなく韓国エステでやっている。そのほうが警察、入管の取り締まりから逃れやすい。言葉が通じる韓国人と一緒に働いていて、店でセックスのサービスもやっている。友人が自分で確かめたから間違いない」
酒田短大は、ハルビン(黒龍江省)に五カ所も試験会場を設けて学生を募集した。入学試験が不合格でも学費など百五十万円を一括で払えば、逆転合格になる学生が半数近くいた。この女子学生は経済科に入学したが、結果的には歌舞伎町の「売春科」に入ってしまったわけだ。
酒田短大は中国で学生募集の際、盛んに「人間大学」と喧伝したが、結果的には「出稼ぎ大学」と化した。多くの不法滞在者を国内に送り出した責任は大きい。
「酒田短大の中国人留学生は、留学制度を悪用して日本に潜り込んだ集団密入国者と同じですよ。最初から日本への出稼ぎが目的ですからね。短大側はソロバン勘定だけでそれに手を貸しており、留学生よりもタチが悪いと言える。今後、何かの凶悪犯罪に関与していることがわかったら、短大側の責任は重大だ」
そう断罪するのはほかならぬ酒田短大の内部関係者である。
留学生のその後[#「留学生のその後」はゴシック体]
私は、これまであらゆるツテを頼って行方をくらました酒田短大の元留学生と接触を試みた。ところが皆、警戒心が強く、一度は会うことを約束してくれても、すべて土壇場でキャンセルされてきた。それも元留学生たちの多くは歌舞伎町に近づくことさえ避けていた。警察、入管の目が光っているからだ。先の女子学生のように歌舞伎町のエステで働くケースは稀である。
先の朱の紹介で、酒田短大に留学していた中国籍の朝鮮族の「張」という男にようやく話を聞くことができた。〇二年一月下旬の週末である。
張は延辺朝鮮族自治州出身。父方、母方ともに韓国、北朝鮮に親戚筋が住んでいるということだ。
池袋に近い東上線の駅前の居酒屋で、張は留学した動機から話し始めた。
「日本に来たのは、勉強が目的ではないね。日本で働いて金を稼ぐつもりで来た。黒龍江省のハルビンで留学試験を受けた。酒田短大から担当者が来たが、授業料と入学金を払えばだれでも留学できた。俺が払ったのは、とりあえず百万円ぐらいだ。両親は預金をほとんど持っていなかったので、すべて借金した。大学側は中国人が喜びそうなことを言っていたよ。大学のある酒田へ行けば、アルバイトで生活費も稼げるし、借金も返せる。両親にも仕送りができる。一生懸命働けば金を貯めることができ、卒業して帰国するときは金持ちになれる、とも言っていた。ここまで言われれば、酒田短大に留学しない中国人はバカと思われる」
百万円は中国では大金であり、張の出身地である吉林省では一般庶民の十年分に近い収入に当たる。
「ところが酒田ではアルバイトの時給が五百円とか六百円のレベルだ。これでは借金を返せるどころか生活をするのがやっとだ。中国人留学生は皆、大学に騙されたと思った。国から奨学金が出るとか言われたが、そんなもの一円だってもらったことがない。あとで聞いたところによると、奨学金を支給する団体と文部科学省から五千万円を超える金が出ていたらしいが、これは大学側が何かに使ってしまったようだ。酒田ではアルバイト先が見つからず、生活も苦しい。俺だけじゃないが、留学生の中には畑から野菜を盗んで食べていた者がいるんだ。そんな状態だから、残された道は東京に出るしかなくなった。酒田に来て一カ月後に大学から逃げたヤツもいるが、俺は〇一年夏に東京に出て来た」
上京した張がまず頼ったのが、この居酒屋の店主だった。店主の妻は朝鮮族で、吉林省の隣りにある遼寧省の出身。延辺朝鮮族自治州にいる張の姉の知り合いだったという。
張は、この居酒屋でまずアルバイトを始めた。酒田短大が呼びかけた授業復帰に応じず、そのまま都内で就労を続けたために〇二年二月に除籍処分になっている。それと同時に不法滞在者になり、警察、入管から追われる逃亡の身である。そして、その後、仲間とともに朝鮮族向けの地下銀行の仕事にかかわることになった。
地下銀行の仕組み[#「地下銀行の仕組み」はゴシック体]
「中国にいる朝鮮族向けの地下銀行について、詳しくシステムを教えてほしい」
私が問いかけると、張はテーブルの下に押し込んでいた暗緑色のビニール製バッグをヒザの上に引き寄せ、そこから銀行や郵便局の通帳の束を取り出して私の前に広げた。
東京三菱銀行、三井住友銀行、みずほ銀行など大手都銀のものばかりだ。合併統合前の富士銀行、さくら銀行の通帳もある。私が手早く数えてみると、計二十四冊。支店名は都内に限らず関東一円にまたがり、銀行と支店名は同じだが名義が別人といった通帳も多くある。大阪、京都、名古屋、横浜など地方都市の支店に開設されたものも何冊か見えた。
「通帳はほかに何十冊もある。新しい名義の通帳が手に入ったら、それまでの古いやつは使わないようにしている。金の出し入れ記録が多く残っていると、逮捕されたときにあれこれよけいな追及を受けるからね。通帳の名義は、留学生や就学生など、堂々と新規通帳を持てる在留資格を持った者ばかりだ。ビザが切れ、不法滞在でいつ捕まるかわからないようなヤツの通帳は使わない。通帳の入手先? それは俺にもわからない。中国人の中には通帳を世話するブローカーがいて、一冊の値段は一、二万円だ。もちろん、新しいやつだよ。金の出し入れが多く、ページが真っ黒になった通帳なら、三、四千円で簡単に手に入る」
ある通帳を開いて記帳欄をめくってみると、そこには中国へ送金依頼された客からの振り込みと引き出された金額がびっしり並んでいる。同じ日付で九件の振り込みを受けているぺージもあった。カタカナ名の振込人は、すべて朝鮮名である。同じような通帳が目の前に二十四冊もあるのを見て、私は日本の盛り場で膨張する朝鮮族コミュニティの裏側を垣間見た思いがした。
「客の八〇〜九〇パーセントは朝鮮族だが、漢族から頼まれれば引き受ける。でも、そのときは、だれでも引き受けるわけではないよ。友人、知人から紹介されたとか、信用できる者だけだ。朝鮮族は結束が固いので大丈夫だが、ほかの中国人は朝鮮族を裏切って警察に通報するヤツがいる。そういった連中を俺たちは警戒している」
張はまだ三十歳前だが、物腰、話しぶりから受ける雰囲気は、違法な裏稼業に生きる人間そのものだった。
某大手都市銀行の東京・豊島区内にある支店の通帳を開き、〇二年一月に記帳された振込金額を見てみた。中国の旧正月を間近に控えた中旬以降になると、振込件数が急激に増えている。ある一日の分を順番に追うと、計六人からそれぞれ三十五万円、七十二万円、百二十万円、二十万円、五十万円、八十三万円と続く。ついでに翌日分を覗くと、計四人から五十万〜百八十万円の範囲内で振り込みがなされている。次の日も同様だ。だが、通帳の入金はこの日を最後にとぎれている。
「続けて何十件も振り込みを受けていると、銀行も怪しんでくる。だから、この通帳はしばらく休ませる。代わりに別の通帳で振り込みを受けることにする。地下銀行の仕事はその繰り返しだ。入金された金はすぐに引き出さない。それをやると、やはり銀行から怪しまれるからだ。入金総額が五百万円を超え、それから二週間ほどたったらまとめて引き出し、その金を今度は郵便局の通帳に何冊かに分けて百万円ずつ入金しておく。一カ月後に、郵便局からその金を次々と引き出し、それをある第三者に現金で届ける決まりになっている」
張が言う「第三者」とは、都内と関東近県で食料品販売を手がける一方、裏金融にも手を出しているといわれる在日韓国人である。
「彼のことをあまり話すと、俺は仕事をクビにされる」
張がかかわっている朝鮮族相手の地下銀行は、日本からの送金額が今のところ月に十億円以下で、同業者の中ではまだ中規模。送金手数料は、ここ数年は送金額の一パーセントが相場になっている。十億円の送金で月の粗利が一千万円になる勘定である。
中国マフィアの闇のネットワーク[#「中国マフィアの闇のネットワーク」はゴシック体]
九〇年代に入って歌舞伎町で大きく勢力を広げた中国マフィアは、それぞれ地縁によって出身地域ごとに結束を保っていた。
「ところが、今はそうじゃない。出身地域が同じでも、グループが違って利害がぶつかれば当然、喧嘩になる。出身地域が違っても、利害が同じならしっかり手を組む。それと喧嘩で同じ中国人を殺してしまったり、大ケガを負わせたときは、警察に捕まる前に裏で仲直りする。中国人の顔役が間に入り金で解決するんだ。顔役の力によっては、金を払わずに済むこともある。金は大きな仕事をやって儲けたときに払うことにすれば、それで何とか問題は解決する。都内に中国人の顔役は何人もいるよ」
〇二年六月十日早朝に、池袋の「帝王大飯店」で中国人三人が同じ中国人の四人組に銃撃された事件がある。
「そのとき、日本人と結婚している福建省の男が、ケガをして病院に運ばれた。だが、警察には何も話していないはずだ。日本のヤクザがやる手打ちというやつを事件が起きてすぐに済ませている。だから犯人は捕まらないんだ」
こう内幕を打ち明けるのは、これまでに何度か接触してきた福建省出身の「周」というマフィアである。九三年ごろに密入国し、量販店や貴金属店を荒らし回っていた男である。このあと、池袋で逮捕されて本国への強制退去処分を受けたが、再度密入国。
男は、最初は福建省から同じ東シナ海に面した大都市の上海へ向かった。だが、その周辺港からの密出国が蛇頭側の事情で変更になると、今度は首都・北京経由で遼寧省へ入る。内湾の渤海に面した大連港(遼寧省)は北方の吉林、黒龍江も含めた東北三省の大事な輸出港である。男はそこから貨物船で密出国したが、船は密航ネットワークの蛇頭が金の力で押さえたものだった。
「これでわかるだろう? 蛇頭の連中は皆、福建人だ。だが、福建省から遠く離れた港からも出発できるのは、ほかの地域の連中と協力関係があるからだ。蛇頭や福建マフィアの一部は東北《トンペイ》の連中とつながっている。出身地域が違うからといって喧嘩ばかりしていたら、日本では生きていけない。以前のようなわけにはいかないんだ」
周は自分に言い聞かせるように話した。大連港から朝鮮半島の西側沖合を通って黄海へ出ると、海上で韓国籍の漁船に乗り移り、さらに航海後、今度は日本の漁船を使って九州に上陸した。男の話では、韓国籍の漁船には、「浅黒い肌の男たち」が五人ほど乗っていた。男たちは、九〇年代半ばからそのルートが築かれている、韓国経由の密入国者に違いない。この密入国ルートで特に多いのは、イランやパキスタン、バングラデシュ、ミャンマー人などである。途中で彼らを日本から迎えに来た船は、中国人を出迎えに来た船とは別だった。これは韓国内にある密航中継ぎネットワーク≠ヘ同じだが、日本での出迎えネットワーク≠ェ別系統であることを示している。そうでなければ、出費のかさむ別船を出さずに、同じ船に乗せるはずだからだ。中国人の蛇頭以外に、イラン人の密航を取り仕切る別の組織が存在することを物語っている。密航ビジネスは底が深い。
実は、私が接触してきた福建マフィアの「周」密航ルートは、中国、北朝鮮産覚醒剤の日本への密輸ルートと重なっている。覚醒剤密輸にかかわる北朝鮮の船は、漁船を偽装した工作船が多いといわれる。武装し、航行速度が速いこともあって、密輸現場を押さえることは、きわめて困難である。北朝鮮からの覚醒剤密輸事件は、これまで何度も摘発されているが、それには暴力団関係者が絡んでいる。
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北朝鮮工作船が積んでいたもの
それは、北朝鮮「国家マフィア」の正体が暴露された衝撃的な事件だった。
二〇〇一年十二月二十二日午前一時十分、防衛庁から海上保安庁に不審船情報が入る。二十分後、自衛隊が不審船の正確な位置を確認。海上保安庁は直ちに巡視船、航空機、特殊警備隊に発動を指示し、六時二十分に奄美大島の北西約二百四十キロの沖合で不審船を発見する。航行位置は、日本の「排他的経済水域《EEZ》」である。
発見から七時間近くたった午後一時十二分から繰り返し停船命令と射撃警告を出したが、不審船はそれを無視してジグザグ航行で逃走する。巡視船「いなさ」が二時三十分から上空と海面に向かって20ミリ機関砲で威嚇射撃しても逃げ回った。四時過ぎから巡視船「みずき」も加わって船体を射撃すると、五時二十四分に不審船から出火した。
以後、四時間半にわたって停船、逃走を繰り返した。夜十時、巡視船「あまみ」、「きりしま」が不審船に接舷しようとした。そのとき、いきなり自動小銃、ロケットランチャーで攻撃されたため銃撃戦になり、海上保安官三名が負傷した。攻撃を受けてから一時間が過ぎた十時十三分、不審船は爆発炎上して沈没する。自爆だった。自爆用爆発物は機関室に設置されていた。
翌朝、近くの海域で乗組員二人の遺体が発見される。それから九カ月近くたった〇二年九月十一日、水深約九十メートルの海底から沈没不審船を引き揚げると、船内から遺体二体のほかに四人分の人骨が見つかった。先の漂流遺体二体と合わせると、乗組員は少なくとも八人いたことになる。
引き揚げた沈没船の船首には「長漁3705」の文字が見えたが、何よりも驚かされたのは積み込まれていた武器類である。5・45ミリ自動小銃四丁、7・62ミリ軽機関銃二丁、有効射程約二千メートルの14・5ミリ二連装機銃一丁、同じく約一千メートルの82ミリ無反動砲一丁、約五千メートルの携行型地対空ミサイル二丁、約五百メートルのロケットランチャー二丁などが見つかり、どれも大きな威力をもつ武器である。海底に埋もれたり、潮の底荒れで移動したものもあるだろうから、もっと多くの武器が積み込まれていたかもしれない。
地対空ミサイルはロシア製とわかったが、ほかは大半が北朝鮮製と見られる。不審船は北朝鮮の武装工作船であったことは明らかである。
ほかにも上陸用と見られるゴムボートや小舟、水中スクーター、無線機類、携帯電話など計一千三十二点の証拠物が回収された。携帯電話は日本国内で売られているプリペイド式のもので、その後、通話先を調べると、都内の暴力団事務所の固定電話、暴力団関係者の携帯電話、在日韓国人、朝鮮人が契約した携帯電話などがほとんどだった。
北朝鮮の武装工作船は、何が目的で日本に向かってきたのか?
「大事なものが一緒に沈んだんや」[#「「大事なものが一緒に沈んだんや」」はゴシック体]
工作船沈没事件から約二カ月後の〇二年二月中旬だった。ある実業家から久しぶりに連絡が入り、私は新宿区内の焼き肉店に誘われた。実業家は飲むよりも食うほうに専念し、しばらくは私もそれにつきあった。一時間近くたって、実業家はようやくハシの動きを止め、腹を大きく撫で回した。
「食ったなぁ、肉は当分はいいやぁ」
それから次々と裏話を出してきた。いわく、大臣経験のある大物国会議員の息子が歌舞伎町で地下カジノを経営していた。元首相の私設秘書は、実はある大物ヤクザの企業舎弟だった。テレビの料理番組に出ている有名シェフの姉が、歌舞伎町で売春クラブを経営している、等々。すべてが具体的であり、だれもが知っている名前がポンポンと出てきた。そして急に小声になり、こう話してきたのだ。
「この焼き肉店は、経営者が北朝鮮系の人間でね。店の奥にある事務所には、九四年に死んだ金日成主席の写真が額縁入りで今でも飾ってある。息子の金正日(総書記)の写真もオヤジの右隣に飾ってある。
北朝鮮に興味があるなら、すごい話を教えてやろうか。あの沈没船は実は覚醒剤密輸をやる工作船でね、沈没したときも覚醒剤を運んでいたらしい。その覚醒剤取引に絡んだヤクザが実際にいるんだ。嘘じゃない。はっきり言っちゃうが、そのヤクザは、実は俺とはずいぶん前から付き合いがある男なんだよ」
話の流れからして、それはあまりにも唐突な内容だった。それもわざわざ北朝鮮出身者が経営する焼き肉店に誘われての話なので、最初は何か魂胆があるのではないかと疑ったくらいだ。店の奥に金日成の写真が飾られているのを、どうして知っているのか。実業家の肉親がまさか北朝鮮出身者というわけではないだろう。私の知るかぎり、それはない。いずれにせよ、実業家は、裏社会に関しては普段から豊富な情報を持っている人物である。
武装工作船が自爆沈没する三週間ほど前の〇一年十二月初旬である。実業家のもとに、ある男から借金の申し込みがあった。
「近々、わしにまとまった金が回ってきよる。ある大きな取り引きがあって、わしもそれに一発かましてもらうことになっておるんや。年内にきっちり返済しよるから、会長、わしに五千万円を融通してほしいんや。迷惑はかけんから、なんとか頼みを聞いてほしいんや」
実業家は、関東圏で不動産、金融業、さらにガソリンスタンドや飲食店の経営など、手広く事業を展開している。電話の相手は、西日本に本拠を置く指定暴力団傘下の組幹部で都内にも関連事務所を持っている。関東の暴力団関係者とも繋がりがある。
実業家が、金の工面を頼んできた組幹部について話した。
「親しい知人を通して二十年ぐらい前から付き合いのある男だ。これまで一千万円までは何度も用立てたことがあるが、五千万円も頼まれたのは初めてだった。金の用途を聞いても、『それは言えないんや。わしらの世界にはカタギにわからん金儲けがあるのや』と口を濁すし、最初からあまりいい予感がしなかった。
年末に返済するからには、それまで二十四、五日しかない。それで一割の五百万円を上乗せすると言うから、よほど率のいい儲け口をつかんだのだろうと思った。彼は前々から会社の倒産整理や土地転がしに首を突っ込んできたので、金は恐らく不動産絡みで使うものだろうと思った。だが今は土地が動いていない。景気も回復していないし、そんなときに不動産に金を投資すれば、逆にヤケドを負うかもしれない。そうなったら金が戻らなくなることもあるなと思って、結局、金は貸さなかった」
それから三週間ほどたった十二月下旬になって、組幹部から実業家に再び電話が入った。
「会長に断わられたあと、別筋から五千万円をかき集めたが、結局は一円の儲けにもならなかったんや。金を貸してくれた人間に利息を約束しとるから、これから五百万円を工面せんといかん。なんで、こんなことになってしもうたかというと、船が沈んでしもうたからや。大事な品物も一緒に沈んでしまったんや」
電話の向こうから実業家の耳に伝わってきたのは、組幹部の溜息交じりの声だった。
「話を聞いた瞬間、沈んだ船というのは、奄美大島沖で沈没した不審船のことだと直感的に思ったね。電話があったのは、沈没騒ぎから二日後だったからね。もともと彼は北朝鮮と繋がりがあった。
しかし、俺のほうからはあえて何も聞かなかった。大きな取り引きがあると言っていたのは、覚醒剤の密輸だったに違いない。一緒に沈んだ大事な品物というのは、不審船に積んであった覚醒剤のことだろう。俺にはそれしか考えられなかった」
漁師からヤクザに[#「漁師からヤクザに」はゴシック体]
実業家と組幹部は、その後、新年会を兼ねて二人で酒を酌み交わしたという。その際、実業家はそれまで電話では触れなかったことを組幹部に聞いた。場所は、海産物の品揃えが豊富なことで知られる歌舞伎町のある料理店の一室だった。
「彼は見るからに疲れた感じでね。最初は酒もあまり進まなかった。彼はもともと酒好きだが、しかし俺と違って日本酒は飲まないんだよ。普段は麦焼酎しか飲まない。いちばん好きな銘柄は大分県の『吉四六《きつちよむ》』で、それも壺入りのやつが好きでね。店に聞いたら、嬉しいことにその壺入りがあるというので、それでやっと元気が出てきた。薄茶色の壺を出されたらニヤッと笑い、それからは自分でお湯割りをつくり何杯も飲んだよ。それからリラックスしてきた」
実業家は、タイミングを見計らって組幹部に話を切り出した。
「ズバリ聞いた。『沈没した船というのは、例の不審船のことだろ? 積んであった品物の量はどれくらいあったの?』とね。そしたら、彼は『わしはそんなこと知らんよ。いくら長い付き合いでも、そんなこと会長に話せんよ。わしだけが関わっているわけやない。わしが喋ったら、えらいことになる』と強い口調で言ってきた。ガードが非常に堅かったね。これまでの付き合いがあるから、俺と顔を合わせれば何でも話すだろうと思っていたんだが、とんでもない。でも、俺の感触では、沈没した船に覚醒剤が積まれていたことは間違いないね。それに彼が何らかの形で関係していたことも間違いない」
実業家が言うには、組幹部は漁師という仕事を通して、北朝鮮との間に二十年以上も前から縁を持っている。
「これは前に本人から聞いた話だが、七〇年代半ばから数年間、彼は九州で漁師をやっていた。特に力を入れていたのがフグ漁だったらしい。もちろん、フグの中ではいちばん高値で売れるトラフグ漁が専門だった。それも、大きな水揚げを狙って、普通なら漁が許されない海域まで行っている。対馬海峡や玄界灘を通って日本海へ回り、さらに三十八度線を越えて国交のない北朝鮮の領海へ向かい、すぐ目の前に家が見えるような近場で漁をやっていたと聞いている。向こうは日本みたいにトラフグの乱獲がない。そのため、フグは何年も生き延び、中には体じゅうにコケが生えている大物がいるらしい。大物すぎて逆に市場価格が下がってしまったという冗談を聞いたことがある」
私には想像もできないが、ときには二十キロを超えるものが釣れるらしい。
実業家が以前、組幹部に聞いたことがある。
「そんな近くで漁をやって拿捕されないのか?」
組幹部はこう答えたという。
「北朝鮮に金を払っていたから大丈夫なんや」
当時は国家主席が金日成の時代である。
「俺にも詳しいことはわからんが、彼の周りには当時から北朝鮮と特殊なルートを持っている人物がいるようだ。そうしたつながりが今でも続いているのだろう。北朝鮮に金を払って出漁していた船は、九州だけではなく日本海の港からも何隻も行っていたと聞いた」
組幹部が漁船に乗っていた期間は、「七〇年代半ばから数年間」である。ここで奇妙なことに気づく。
実はヤクザ幹部が北朝鮮近海へ出漁していた時期は、奇しくも、帰国した五人の拉致被害者が行方不明になった時期とぴったり重なる。当時十三歳の横田めぐみさんを含め、北朝鮮側から一方的に「死亡」と伝えられた、ほかの拉致被害者計八人もほぼ同じ時期に拉致されている。いまだに消息がわからない、北朝鮮による拉致被害者と見られる日本人は、このほかにも百人以上おり、その大半が七〇年代から八〇年代の初めにかけて行方を絶っている。
これは、はたして何を意味するのか。北朝鮮が日本人拉致に使った船は、漁船に偽装した工作船だ。それが日本の海岸線に近づき、さらった人間を乗せて北朝鮮へ逃げる。一方、工作船が暗躍する同じ周辺海域では、北朝鮮からお墨付きをもらった日本漁船が航行し、そして操業を続けていた。組幹部もその一人だった。
北朝鮮に連れ去られる日本人拉致被害者と、北朝鮮にトラフグ漁を許されている日本人漁師が海上で交錯する。何とも皮肉で不可解な巡り会わせではないか。日本海を動き回る工作船にとって、日本漁船の船影は格好のカムフラージュになっただろう。
日本人を次々と拉致した目的は、被害者の戸籍詐取のためであり、また北朝鮮工作員の日本人化教育のためであった。その最大の狙いは、日本人に成り済ました工作員を韓国へ潜入させるためだ。そうした対韓工作は当時の北朝鮮の至上命題であり、国家戦略に等しいものであった。その犠牲にさせられたのが多数の拉致された日本人である。同じ時期に日本漁船を自国近海に引き寄せたのも、拉致作戦の遂行を容易にするためではなかったか。
拉致被害者五人が最初に連れて行かれたのは、北朝鮮北東にある清津《チヨンジン》という港町だった。韓国に亡命した元工作員の証言では、横田めぐみさんの連行先も清津ということだ。北朝鮮には、朝鮮労働党の指揮下にある対外工作機関の作戦部が仕切る工作船基地が四カ所あるが、そのうちの一つが清津である。清津は対日専門の基地で、ここから出航する工作船は、「××丸」と日本風の漁船名をつけ偽装している。
実業家は先の組幹部について、さらに話を続けた。
「彼の話では、北朝鮮へトラフグ漁に行った際、清津に上陸し、そこの外国人船員クラブに入った。日本人の船乗りが自分たち以外にもたくさん出入りしていることに驚いたそうだ。そこには外国製の高級酒やタバコが並び、ハイライトなど日本製のタバコが何種類も売られていたそうだ」
三年ほど前のことだが、実業家は組幹部から北朝鮮製のタバコを貰ったことがある。
「北朝鮮で何と呼ぶタバコなのか聞くと、彼は紙にリョウカタンベ≠ニ書いた。それを見て、『あんたは両加担《りようかたん》の人間だな』と俺がゴロ合わせのダジャレを飛ばした。日本、北朝鮮に二股をかける抜け目のない奴という軽い皮肉を込めて言った。すると、相手も『それはアカンベや』とダジャレで応じてきた。冗談のおかげで、俺はタバコの名前を覚えられた」
実業家がヤクザからもらった「リョウカタンベ」というタバコは、北朝鮮では高級品で誰もが吸えるものではない。〇一年十二月の奄美大島沖での工作船沈没後、現場近くの海上でこれと同じものと見られるタバコが発見されている。麻薬密輸で国の外貨稼ぎのために、危険任務を負っている特殊工作員だからこそ吸えるタバコなのである。
実業家が笑いながら聞いてきた。
「総書記が好きな食い物が何か知っているか? 彼から聞いた話だが、それはアワビということだ。朝鮮ニンジン酒に漬け込んだり、塩焼きにしたり、とにかく総書記は大のアワビ好きらしい。女も好きらしいがね」
組幹部は八〇年代初めに漁師をやめ、陸に上がる。北朝鮮沖でフグ漁をすることが許可されないようになったからだ。ここでまた奇妙なことに気づく。拉致被害者から日本人化教育を受けた工作員を韓国へ送り込むという、北朝鮮のそれまでの対韓工作にしだいに転換が生じてきた。それが八〇年代初期である。在日同胞の帰国事業もこの時期に終了する。それに呼応するかのように、北朝鮮による日本人の拉致被害も減っていく。これが組幹部の漁師廃業の時期とほぼ一致する。いったい、元漁師の組幹部は何者なのかという疑問が湧いてきた。
シャブが入った袋が海にプカプカ[#「シャブが入った袋が海にプカプカ」はゴシック体]
沈没した工作船は覚醒剤の密輸船だった。
この驚くべき話に、私はしばらく半信半疑の思いでいたが、時間がたつにつれ、どうしても組幹部本人の話を聞いてみたくなった。真相を知るためには、それしかない。
具体的にどう関わったのか。工作船に積み込まれていた覚醒剤の量はどれくらいだったのか。沈没事件の前にも北朝鮮産の覚醒剤取り引きに関与したことがあるのか。誰が取り引きの仲介をし、話をまとめる場所はどこなのか。取引価格、金の決済方法はどうなっているのか。知りたいことはいくらでもある。
組幹部へつながるルートは、実業家をおいてほかにない。実業家は、私が何年も前から知っている信頼のできる人物だ。先にどんな獲得目標があっても、筋の悪い人脈を通すと話がこじれてロクな結果が出ない。
沈没船が引き揚げられて二カ月後の〇二年十一月中旬、私はムダ足覚悟でまた実業家宅へ出向いた。目の前で連絡を取ってもらう以外に方法がないのである。持参した手土産の柿には喜んでくれたが、取材の仲介をすることにはさすがに辟易した顔をした。
「首を突っ込まないほうが身のためや。そんなことを知ったところで一円の得にもならんやろ? 話せんことは、相手が誰であっても話せんのや」
実は私は、実業家を通して組幹部に半年ほど前から幾度となく取材を申し入れてきた。あるとき、ようやく肉声を聞いたが、それは凄味のある声だった。
その日の午後、実業家から組幹部とつながった携帯電話を受け取り、取材協力の依頼をすると、相手はこちらの執拗な口説きに対して、ついに声を荒らげた。それも覚悟のうえだった。
「あんたもしつこいな。義理ある人間の紹介でも、ダメなもんはダメなんや! そこをよう理解してもらわんと困るでぇ。わし一人だけ関わっとんのなら、なんぼでも話してもええが、裏はごちゃごちゃと複雑なんや。まかり間違って、わしが危ない目に遭いよったら、あんた、責任を取ってくれるんかい? そんなこと、できるわけないやろ?」
組幹部は九州出身だが、話す言葉には関西弁独特の言い回しと迫力がある。電話を切ってから、実業家が私を慰めようとする。
「残念だろうが、この件は諦めたほうがいい。相手はヤクザだ。知ってのとおり、金の稼ぎ方が俺たちカタギとはまったく違うからね。ダメなものはダメという彼の言い分を聞き入れてやったほうがいい。俺も板ばさみの状態だからね」
私も仕方なく頷いたが、しかし心中はどうしても諦めきれなかった。
そろそろ実業家宅から引き揚げようと思っていた矢先だった。実業家の携帯電話にどこからか着信音が鳴り、しばし小声の会話が続いていた。気落ちしていた私は、ぼんやりとタバコを吹かしていた。だが、他人の会話は気になるものである。
「そうか、ちょっとは話してくれるか。ありがとうよ。これで俺の顔も立つ」
実業家の声が私の耳に伝わってきた。それを聞き、相手は、一時間半ほど前に声を荒らげていた組幹部に違いないと直感した。そのとおりであった。渡された携帯電話の向こうから、前とは打って変わった、物静かな幹部の声が聞こえてきた。一瞬、別人と思ったくらいである。
「はっきり言うてやるよ。奄美大島沖で工作船から海に放りこまれた袋に興味があるんやろ? それが黒い袋やろうが白い袋やろうが、袋の中身は間違いなくシャブだったということや。透明なビニール袋を使うこともあるし、北朝鮮は取引相手によって袋の色を使い分けておるんや。一袋に詰める目方も自在に変えるそうや。袋が海面に浮かんでこなかったのは、何かオモリを入れて捨てたんやろな。そうせんことには普通は浮かんでしまうもんや」
沈没事件の一場面をあらためて振り返ってみる。武装工作船が自爆沈没する五時間ほど前、ブリッジで双眼鏡をのぞいていた巡視船「きりしま」の船長は、工作船の甲板上で乗組員が取った不審な行動を目撃していた。
船体射撃で火の手が上がった甲板上に十人ほどの乗組員が飛び出し、ドラム缶や黒いビニール袋のようなものを次々と海に投げ込んだ。巡視船の一隻が回収に向かったが、不審物は引き上げる間もなく海中に沈んでしまった。
組幹部は、その袋の中身は「間違いなくシャブだった」と言い切った。「その根拠は?」と言いかけたが、私はそれを抑えて次の言葉を待った。
「四年ほど前のことやが、あるヤクザが北朝鮮の船から東シナ海でシャブを渡してもろうた。ところが、シャブを受け取った漁船が途中で海上保安庁の船に追跡されてしもうて、港に入る前にシャブを海に投げ捨ててしまったことがあるんや」
幹部の話は、恐らく次の事件を指しているのだろう。その事件が発覚したのは、九八年八月のことである。
高知県の海岸や沖合の海上で、覚醒剤が入った透明なビニール袋が次々と発見された。あとで明らかになったが、東シナ海へ覚醒剤を受け取りに行った漁船の出航地は、鹿児島県薩摩半島の南西部にある枕崎港だった。古くから日本有数の遠洋カツオ漁の基地として知られるが、一方では東シナ海に近いこともあって、しばしば密輸や密航に利用されていると懸念されてきた港である。
この事件では、漁船から覚醒剤を海上投棄した暴力団幹部ら四人が逮捕された。暴力団側が北朝鮮側から受け取った覚醒剤の量は、二十キロ入りのビニール袋が十五袋で総量三百キロに及んだ。しかし、実際に漂着した量は、中身が流された袋もあり、二百二キロに減っていた。
北朝鮮の船は、首都・平壌の南西に位置する南浦《ナムポ》港から出航。実は米軍偵察機が出航直後から船影を捕捉し、その後、海上自衛隊、海上保安庁も船の撮影記録を残していた。覚醒剤を運んで来た工作船は、「第十二松神丸」という船名で日本漁船を装っていた。実は、〇一年十二月に沈没した工作船は、船体各部の特徴が合致したことから、改造を加えた「第十二松神丸」と断定された。沈没時は、船体の色が白から青に塗り替えられ、船名も塗りつぶされていた。巡視船と激しい銃撃戦を交わした沈没船は、四千馬力のロシア製エンジンを搭載し、三十ノット(時速約五十五キロ)を出せる高速船だった。
覚醒剤密輸を任務とする武装工作船の大半が南浦港を基地にしていると見られる。
北朝鮮「国家マフィア」[#「北朝鮮「国家マフィア」」はゴシック体]
「沈没した武装工作船は、薬物密輸入の重大な犯罪に関与していた疑いが濃厚」
国土交通省の扇千景大臣(当時)が公式に発表したのは、沈没事件から約一年後の〇二年十二月六日だった。
組幹部が、「工作船はシャブ密輸船だった」と私に初めて打ち明けたのは、扇大臣の発表より三週間ほど前だった。
私は約六カ月間、組幹部を慎重、かつ執拗に口説いた。適度な息遣いで風船を膨らませる。だが、すぎたことをすれば風船は破裂する。何度か怒鳴られ、風船が危うく破裂しそうになったこともあるが、紆余曲折のすえに、組幹部はどうにか口を開き始めた。話はあちらこちらに飛んだが、幹部の口から漏れ伝わってきたのは、暗躍する北朝鮮「国家マフィア」のおぞましい姿だった。
私がもっとも気になったのは、積んであった覚醒剤の量であった。
「百キロ? 何をマヌケなことを言うとるか。武装船と乗組員を十何人も動かして、そんなハンパな量を運んでもしゃあないやないか。北朝鮮がシャブを製造するのは、密造じゃないんやでぇ。国のために金を稼ぐ国家事業なんや。そやから、製造工場も国営ということになる。中国の密造組織のようにコソコソ隠れて造る必要はないんや。それに覚醒剤の取引は密輸じゃない。北朝鮮では貿易業務なんや。
中国は怖いでえ。麻薬の密造、密売はすぐに死刑にされよるからな。トラフグの漁に行ったとき、ワシも北朝鮮には何度か上陸しとる。そやけど、それから二十何年も過ぎて、まさかぁ、自分が北朝鮮のシャブを扱うことになるとは、何とも奇遇なことやなぁ。不思議なこっちゃ思うわなぁ」
ヤクザ幹部は間延びしたような声を出した。
「手っとり早く外貨を稼ぐには、シャブは輸出品として最高なものやないか。少ない量で大きく稼げるんやからな。取引相手はヤクザだろうが何だろうが、そんなことは北朝鮮には関係ない。ワシが聞いとる情報では、沈没した船は五百キロのシャブを積んどったはずや。百キロにつき一キロのオマケが付くから、正確には五百五キロということやな。別の組織の分も運んできたなら、もっと積んどったかもしれんよ。その分はすでに日本側に渡しておったかもしれんよ」
沈没工作船が作業船に引き揚げられたのは〇二年九月十一日。それが鹿児島港の岸壁に陸揚げされたのは、小泉純一郎首相(当時)訪朝(九月十七日)後の十月六日である。その訪朝前後に流れた情報がある。沈没船は実は宮崎県沖で日本に潜入していた工作員をすでに船に迎え入れ、その一部始終を日本側が把握していながら泳がしていた、というものである。また、引き揚げた工作船から乗組員の遺体が発見されたが、その胸ポケットに鹿児島県との県境近くにある宮崎県都城市のビジネスホテルの領収書が入っていた、という情報もあった。組幹部が言うように、別の取引相手にすでに覚醒剤が渡っていた可能性も否定できない。
五百キロが一千億円にも[#「五百キロが一千億円にも」はゴシック体]
ところで五百キロの覚醒剤が闇市場に流れると、その末端価格はいくらになるものなのか。
警視庁が国内初の「おとり捜査」を行なったのは〇二年八月十七日。それは、捜査員みずからが覚醒剤を密売人から実際に購入し、その密売行為を現行犯で摘発するというものだ。こうした「買い受け捜査」の手法は、警察としては初めてだが、厚生労働省管轄の麻薬取締局の捜査官には以前から認められている。もちろん、この場合は、事前に所定の法的手続きが必要だ。
警視庁の「おとり捜査」によって現行犯逮捕されたのは、四人のイラン人密売関係者だった。場所は、「大都会における麻薬密売の最前線」(捜査関係者)と言われてきたJR渋谷駅近くの渋谷センター街。イラン人が客を装った私服捜査員に持ちかけた密売価格は、〇・五グラムで一万五千円だった。これをもとに五百キロの末端価格を算出すると、百五十億円もの大金になる。捕まったイラン人四人は、ほかの地域、ほかのグループより安く売っていたので、末端価格はもっと高くなるはずである。それができるのは、客に事欠かないからだろう。渋谷には中高生を含め、客となる若者が群れ集っている。
二回目の「おとり捜査」が渋谷センター街で行なわれたのは、十月二十五日だった。新たに四人のイラン人が逮捕された。このときの密売価格も前回と同じ一万五千円。だが、包みの中身は〇・一グラム少ない〇・四グラムだった。実は、この〇・一グラムの違いが末端での売上高に大きな差額を生じさせる。〇・四グラムで売ると、先の百五十億円は百八十七億五千万円に膨れ上がる。
イラン人が売っている覚醒剤も中国、北朝鮮産が多い。
日本人もイラン人と似たような手口を使っているが、密売の現状は、さらに利ザヤを稼ごうとして包みの中身を少しずつ削っていくケースが多い。首都圏と地方とでは地域差があるが、密売人の多くは、一グラムの売上げが六万円に届くよう小分け売りをしている。一般の若者が使用する一回分は〇・〇二〜〇・〇五グラム。この一包みを五千円で売るケースが多い。中高生でも手が出る金額である。中身が〇・〇二グラムだと一グラムは二十五万円になる勘定だ。こうした密売現状に即して計算すると、五百キロの末端での総売上げは、三百億〜一千二百五十億円と大きな差が出てくるが、いずれにしても途方もない金額になる。その巨額な金を生み出す五百キロ以上の覚醒剤が、あの沈没工作船に積まれていた。ヤクザ幹部はそう証言している。
「北朝鮮のシャブの特徴は?」
話の切れ目を見計らって私が言葉を挟むと、ヤクザ幹部からはこんな答えが返ってきた。
「中国産も純度が高く品物は決して悪くない。ところが困るのは、出来ぐあいにバラつきがあることや。考えたら、ブツによって密造場所、組織が違うんやからしかたがない。それに比べりゃ、北朝鮮のブツは完璧や。最高のひと言に尽きる。品質にバラつきがなく、どれも均一なんや。聞くところでは、同じ工場での一貫製造やから、それも当然の話や。
でも近ごろは製造工場を分散させているらしいな。品質が均一だと、押収物を分析すれば、すぐに北朝鮮産とわかってしまうんや。違う工場で製造すれば、品質も微妙に違ってくるから目くらましになるんや。どっちみち、北朝鮮のシャブは純度が高い。
アルミホイルを使ったアブリという方法では大した差は出てこんが、注射器で静脈に入れたら高純度のやつは一発でわかる。これは経験者でないとわからんことやけどな、体中に冷たい電流が何百本も一気に走るんや。だから一発で効かせるには注射器で静脈に打ち込む。するとな、たとえ炎天下におっても、ひんやりした冷たい空気がドッと押し寄せてくる。体じゅうにゾクゾクッと冷気が入り込んでくる。シャブをやる連中は、覚醒剤のことを冷たいもの≠ニかアイス≠ニ呼んどるが、本当にそんな世界になるんやでぇ。
体がだるい、眠い、疲れたとか、そんなものはすぐに吹っ飛ぶ。頭はすっきり、気分は爽快というわけや。それにな、北朝鮮のシャブは効き目が切れてから頭痛が起こらん。品質が最高だからや。
量を増すために何かを入れたブツがある。純度の低い出来の悪いブツもある。そんなやつを静脈に打ち込んだら、次の日になってもガンガン頭痛が残って、えらいこっちゃ。本当に頭が割れそうになるでぇ」
話は爆竹のように各所に飛び散った。私はそれを拾い集めながら、核心に迫っていった。ヤクザ幹部の声がしだいに不機嫌な口調に変わってきた。幹部は、沈没工作船の覚醒剤に具体的にどんな形でかかわっていたのか。
オウムが作った覚醒剤[#「オウムが作った覚醒剤」はゴシック体]
一息置いてから、ヤクザ幹部はこう話を続けた。
「オウム真理教(現アーレフ)が摘発される前のことや。東京のある筋から黄色がかったシャブがほんのわずかばかり流れてきた。試供品や。聞いたらオウム製ということやった。舐めると辛いんや。こりゃイカンと思った。あれは気が抜けたビールと同じで売り物にはならん。効き目が薄く、ぬるま湯に入った感じや。中途半端やからイライラしよる。裸の女が隣りにおって、肝心のものがフニャマラだったら、男はイライラするやろ? それと同じや。オウム製は、出来の悪い未完成品やった。一級品の北朝鮮製と比べること自体が間違っとる。北モノは国家機関が製造しておるから品質は保証済みや」
日本に押し寄せる覚醒剤密輸船の出航基地となっているのは、北朝鮮西岸の南浦《ナムポ》港。しかし、この港からは覚醒剤ばかりでなく、スカッド・ミサイルまで送り出されている。
〇二年十二月九日、場所はアフリカ東端のイエメン沖だった。米国主導の「対テロ戦」の一環で、スペイン海軍の艦艇が警戒に当たっていたところ、不審貨物船「ソサン」を発見。船内に十五基分のミサイル本体と弾頭が隠されていた。実は船にはミャンマーの国旗が掲げられていた。が、船籍はもちろん、二十一人の乗組員全員が北朝鮮籍と判明。臨検に対し、北朝鮮側は「海賊行為だ」と米国を痛烈に批判している。〇一年十二月に、奄美大島沖で銃撃戦の末に沈没した工作船も実は、中国の国旗を掲げていた。日本には覚醒剤、中東へはミサイルを、ということか。そこには外貨獲得に執念を燃やす北朝鮮の国家犯罪が透けて見える。
ヤクザ幹部の話に私が言葉を挟んだ。
「自分でもシャブを常用しとるんですか?」
相手の言葉づかいをちょっとまねてみた。幹部は即座に答えた。
「漁師時代はちょくちょくやっとった。体がきつかったからのお。今はやっとらん。ただし、自分が扱うシャブがどんな出来ぐあいか、その味見はする。取り引きにかかわっても、ワシはシャブ中にはならん。シャブ中になるとな、骨の中身が溶けてカスカス、ボロボロになってしまうんや。死んで火葬にされると、シャブ中のヤツは骨の内側がピンク色になっとる。シャブは化学物質やでえ。それが骨に蓄積されるんやろな。それにシャブをやっとるとな、ヤクザは暴れたり頭が変になったり、何かと不始末を起こすもんや」
かつては、組織のトップである親分自身が覚醒剤中毒にはまり込んでしまったケースもあったらしい。
「以前、西日本のある県にこんな親分がおった。六十歳を過ぎてな、二十何歳の若い愛人とシャブ打ちながら、三日も四日も眠らずにセックスしよった。その間、若い衆は別室で待機しよる。交代制でな。万一、どちらかがシャブで気が変になり、死ぬの生きるのと大騒ぎしたら、どうする? 外にでも飛び出したら、どうする? そうした騒ぎが起きてもきちんと対処するのが、若い衆というもんや」
話はあちらこちらに飛んだ。幹部は沈没不審船が積んで来た覚醒剤にどう関与したのか。
「実は、ワシは元受け人ではないんや。商品が問屋から小売店へ届くまでに、いくつか流通段階があるやろ? シャブもそれと同じ。商品はまとまった量で多方面に流れる。それでワシは中間に絡むことになった。そういう役回りや。電話で言える話やない。忙しいんや、電話切るでぇ!」
問屋とは覚醒剤の元受け人、小売店は密売人である。最後は声が不機嫌になっていた。奥歯に物が挟まったような歯切れの悪さだった。
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工作船と覚醒剤(承前)
武装工作船の自爆沈没から二週間しかたっていない二〇〇二年一月六日。今度は福岡県沖の玄界灘に赤サビだらけの小型オンボロ漁船が、今にも荒波で沈没しそうになりながら近寄ってきた。中国船籍の密輸船で、船荷はまたもや北朝鮮産の覚醒剤だった。
見かけとは裏腹に、オンボロ漁船にはGPS(全地球測位システム)が搭載され、乗組員は携帯電話や無線機を所持していた。船長以下七人の乗組員は全員が中国人。密輸船は、工作船沈没事件直後に台湾海峡に面したアモイ(福建省)を出航し、そのまま北上して韓国の東側に広がる黄海へ船首を向けた。そこで北朝鮮の貨物船から日本向け覚醒剤百五十キロ(末端価格九十億円)を受け取り、それから韓国・済州島の南側を通って玄界灘に向かって来た。
工作船沈没事件が二週間前に起きており、日本側は周辺海域の不審船の動きに神経を尖らしていた。第七管区海上保安本部が密輸船の船影を捕捉し、福岡県警、門司税関との合同捜査本部が、覚醒剤の水揚げ前に拿捕、摘発した。
百五十キロの覚醒剤は透明ビニール袋に一キロずつ小分けにされていた。乗組員の出身地は、中国南西部の福建、江西、四川、貴州四省にまたがっており、これまで地縁で結束するとされてきた中国人の犯罪勢力が、その垣根を取り払って幅広く手を組んでいる実態が浮かび上がってくる。密輸船を裏で取り仕切ったのは中国マフィアである。日本向けの覚醒剤密輸で北朝鮮が中国マフィアと結託するのは珍しいことではない。中国籍朝鮮族を介して韓国の犯罪組織とも繋がり、韓国で流通する覚醒剤の大半が北朝鮮産である。
覚醒剤を常用していた韓国の元大統領の息子が逮捕されたことがあった。その覚醒剤も北朝鮮産だった。
この密輸漁船が摘発された時期、国内の覚醒剤市場は大打撃を受けた。水揚げされるはずだった五百キロ以上の覚醒剤が工作船もろとも海中に沈み、その二週間後に密輸漁船から百五十キロが押収されている。そのため覚醒剤が品薄になり、取引価格が異常なほど高騰したという。
自ら覚醒剤を常用し、密売にも深く関わっていた元暴力団組員が当時を振り返った。
「工作船が沈没したときは、値の上がり方がむちゃくちゃだった。その前にも同じようなことがあった。それはテポドン一号が発射されたときだ。北朝鮮がミサイルを発射すると、とにかくシャブの値段がバカみたいに暴騰するんだ」
元組員は、覚醒剤で二十回近い逮捕歴があり、その道のプロフェッショナルである。
「それまでシャブは十グラム五万円で取引されていた。ヤクザ間の売り買いでね。それが八倍の四十万円になった。こんなに高いんじゃ、まとめて十グラムは仕入れられない。それで仕方なく四万円で一グラムずつ買うことになった。ところが、その四万円が十万円に跳ね上がった。最後は仕方なくコンマ単位の取引になり、〇・一グラムを一万円で仕入れるようになった。結局、十グラム五万円だったのが二十倍の百万円になったということだ」
北朝鮮が「人工衛生の打ち上げ実験」と称して中距離弾道ミサイル「テポドン一号」を発射したのは、九八年八月。北朝鮮では朝鮮民族の聖地名を冠して「白頭山一号」と名付けられた。ミサイルは日本上空を通過して太平洋に着弾したが、これで北朝鮮は覚醒剤密輸をしばらく手控えざるを得なくなった。北朝鮮に対する動向監視が厳しくなったからだ。それから三年四カ月後に工作船沈没事件が起きた。
発射実験は大失敗に終わったが、〇六年七月五日の「テポドン二号」など計七発の弾道ミサイル発射後も覚醒剤が高騰した。
「発射前は、ヤクザ間の取り引きで一グラムが四千円から八千円と幅があった。在庫が豊富にある関西は安いし、これは地域差によるものだね。一キロは六百万円から七百万円くらいだった。ところが発射後は、一グラムに四万円出さないと売らないというヤクザが出てきた。
末端の密売価格は、〇・〇三グラム入りのパケなら高くても二万円、だいたいが一万五千円だった。売人によって差はあるが、発射後は、これが三万円以上になった。シャブ好きの芸能人はどんなに高くても買うが、一般の主婦や若者は買う回数を減らすしかない」
国内の覚醒剤市場は、北朝鮮産を抜きにしては成り立たない。それほど日本は「北のシャブ」に汚染されている。
品薄期間が長引くと、今度は「ゴジラ」とか「バクダン」と呼ばれる粗悪覚醒剤が出回る。これは、高純度の北朝鮮産に野菜のアク抜きやパンのふくらし粉に使う重曹《タンサン》を加えて増量したものだ。重曹は白い微粒粉末のため覚醒剤と見分けがつかない。
「そいつを静脈に打つと、体じゅうが火に炙られたように熱くなる。映画のゴジラはガオーッと吠えて火を吹き出すが、それと同じ感じになる。だから粗悪なゴジラ・シャブは『ガオ』とも呼ばれる。それがなぜ、『バクダン』と言われるかというと、体が爆発して内臓を吐き出しそうになるほど気分が悪くなるからだ。
ミサイルを発射したり、北朝鮮が何か世間を騒がすようなことをやると、シャブ好きはゴジラを掴まされることが多くなる。増量剤が少ないシャブは『半ゴジラ』と呼ばれる」
海底で深い眠りに入っていたゴジラが、ついに東京に上陸して大暴れを演じることになったのは、米国が南太平洋で水爆実験を行ない、その衝撃で目を覚まさせたからだった。〇六年十月九日、ついに北朝鮮が核実験を行った。今後、国内では覚醒剤ゴジラが猛威を振るうだろう。増量剤が多すぎたために九州などでは死者が何人も出ている。
海に沈められる覚醒剤[#「海に沈められる覚醒剤」はゴシック体]
二〇〇二年十一月二十八日、鳥取県の境港の近く名和町で、海岸に漂着した覚醒剤約二百四十キロ(末端価格約百二十億円)が発見されている。覚醒剤は二十センチ四方の袋に一キロずつ小分けにされて厚手のビニール袋に詰められていた。この大袋が計六個見つかり、袋は縦と横がともに三カ所ずつロープで縛られていた。梱包のしかたから北朝鮮で製造されたものと見られている。
名和町が位置する鳥取県西部には、発見の前夜から波浪注意報が発令されていた。波の高さが三メートルに達することもあり、一般の漁船は出漁を見合わせていた。一月半ば、私は波高が二・五メートルの中、外房沖で初釣りをしたが、漁船として使っていた釣り船は波のうねりに木の葉のようにもまれた。中には、出港はしたものの途中で引き返す船があったほどである。
天候不良のため、覚醒剤の瀬取り(海上取引)に失敗して、海に流出したのだろうか? 私はこの事件の真相を、ヤクザ幹部に聞いてみたかった。
そのヤクザ幹部がある日、別件の用事で上京して来た。顔を合わせるのは、その日が初めてだった。
「明日の夜、会長と三人でメシでも食おうやないか。会長にはワシがすでに連絡した」
幹部が自分から私の携帯電話に連絡を取ってきたのは、それが初めてだった。幹部が言う「会長」とは、私と幹部の間を取り持ってくれた都内在住の実業家である。二人の付き合いは二十年も前から続いている。
指定された場所は、東京・港区の新高輪プリンスホテルに近い料理店。店は和風造りだった。執拗な取材協力依頼に対し、私は幹部から電話で何度も大声を出されていた。どんなタイプのヤクザなのか。私はおそるおそる座敷に近づいた。一方では、実業家が同席するとわかっていたので心強い安心感があった。
ヤクザ幹部が好んで飲むのは、「壺入りの吉四六《きつちよむ》という銘柄の麦焼酎」と実業家から聞いていたので、私は前もってそれと同じものを購入していた。それに加えて、私自身が皮をむいた手作りの干し柿も袋に詰め込んだ。私はふだんから他人にへつらって自分の利を図るゴマスリだけは大嫌いだ。ささやかながら私なりに気を遣った。
先着していたのは、実業家だけだった。私は、実業家の長期間にわたる協力と助言に感謝するため、正座して深く頭を下げた。
実業家の話では、年齢は私のほうがヤクザ幹部より上らしい。
「一見、怖そうな顔つきをしているが、印象から受けるほど凶暴な男ではない。九州男児の中には、意外と見かけ倒しが多いが、ヤツは男気がある。三回結婚して三回とも離婚しているが、聞けば、五人の子供の養育費として月々三万円を滞りなく払ってきた。まだ成人に達していないのが二人いるらしい。
小指と薬指の先を見たらわかるが、彼の指サックはかなり精巧なものだよ。足の小指を切り取って手に移植する方法もあるらしいが、最近のニセ指(義指)はなかなかのものだ。特殊な樹脂で作られ、シワも刻まれ色だってほかの指と見分けがつかない。話し方の荒いヤツだが、そんな人間だと最初から思っていれば気にならなくなるよ。俺はほかに用事があるので小一時間で帰る。彼とは遅い時間にホテルでまた会うことになっている」
ヤクザ幹部が約束の時間どおり座敷に入って来た。私は再び正座して頭を深く下げ、それまで自分が続けてきた、くどい協力依頼をわびた。同時に、情報を打ち明けてくれたことに対して礼も述べた。
戸が開き、顔を見た瞬間の目つきは確かに鋭く怖さを感じさせた。だからといって、こちらの体が緊張で硬直してしまうほどのものではなかった。中肉中背。さしたる特徴があるわけではなかった。実業家から言われていたので、それとなく指を見る。前もって義指とわかっていなければ、普通は気づかないかもしれない。パリッとした黒めのスーツを着込んでいた。
ヤクザ幹部は張りのある大きな声でこう言った。
「会長は口が軽いから困るでぇ。うっかり口を滑らしよったから、つまらんことを話すハメになったんやでぇ」
幹部も実業家も顔は笑っていた。しばらくはビールでつきあっていたが、そのうち私が持って行った麦焼酎の壺を手に取った。幹部は壺の口に巻かれている細縄をはずし、コルク栓を丁寧に抜き取った。
「よく気がついてくれたなぁ。ワシは単純な男やから、こうした気配りがうれしいんや」
たわいのない話をしているうち小一時間がたち、実業家はヤクザ幹部に「よろしく頼むよ」と言い残して部屋を出た。戸が閉まると、幹部は声を落として私に言ってきた。
「話せんことと話せることがある。そこを承知してもらわんと困る。聞くのは自由や」
私はまず、境港で起きた覚醒剤漂流事件について聞いてみた。
「シャブが海岸に打ち上げられたということは、つまり瀬取り(海上取引)に失敗したことになりますか?」
ヤクザ幹部は「そうやないでぇ」と否定した。
「あれは何日も前に瀬取りに成功して、海岸近くの海に沈めておいたものや。鉛板をロープでつなげたものを網漁のときに使うんや。おもしやな。シャブを網に包んでそのおもしで沈め、あとで引き揚げるつもりやった。ところが、その前に海が荒れてしもうて、ブツが網から外れてしもうたんや。大きな計算違いというわけや。かかわったヤクザは泣いとるはずや」
漁獲水揚げ量が高いことで全国に知られる境港は、ヤクザの間では有名な北朝鮮産覚醒剤の荷揚げ地なのだという。
覚醒剤の荷揚げ地は、かつては北九州が中心で、その仕出し地は九〇年代前半までは台湾が多かった。その後、中国、北朝鮮産の流入が増加するにつれ、荷揚げ地は太平洋、日本海の両岸をたどりながら北上した。密輸にかかわるヤクザも、かつては西日本勢がほとんどで、東日本勢は流通の段階でしかかかわれなかった。
「それが今は、関東のヤクザが密輸そのものに最初から首を突っ込むようになった」
と打ち明けるのは、首都圏で大きな勢力を張る広域組織系列の幹部である。
「ここ十年の間に、九州はもちろんのこと、西日本から千何百人ものヤクザがシノギを求めて関東に入って来ている。その中には、シャブ関係のヤクザが大勢含まれている。そうした西日本勢が関東のヤクザと個人的に交際を深めたことによって、シャブの荷揚げ地も分散するようになった。九州ルートは、一部の代紋による寡占が続いていたので、当局に警戒され身動きが取れなくなってきた。荷揚げ地に限って言えば、シャブ前線は九州から離れつつあり、北へ向かっている。密輸にかかわるヤクザそのものが関東に進出しているからだ」
その荷揚げ地の一つが境港である。昭和初期以後、この港は朝鮮、旧満州への連絡基地になっていた。この港から、大陸で一旗揚げようとする日本人が数多く旅立って行った。しかし、その夢は日本の敗戦によって無残にも打ち砕かれた。大陸で家族がちりぢりになり、大勢が命からがら日本への引き揚げ船に乗り込んだ。かつて大陸へ夢を追って日本人が渡った日本海は、今は中国や北朝鮮から覚醒剤を密輸する「黒い海道」になっている。
セブンスターと呼ばれる北産覚醒剤[#「セブンスターと呼ばれる北産覚醒剤」はゴシック体]
高純度の北朝鮮産覚醒剤は、闇市場では一流ブランドと聞いている。同じ高純度の中国産と区別するために、何か特別な呼称、符丁があるのかどうかが気になっていた。先の組幹部は、次のように教えてくれた。
「それはブツの流通ルート、介在する者によって、それぞれ違うんやないか。でもな、普通は品質をチェックするだけで製造国がどうのこうのとは言わんでぇ。中間で卸をやる者は、あうんの呼吸でどの国のもんか、すぐわかりよるからな。ワシはこんなことを聞いとる。中国産を大陸産∞大陸モノ=A北朝鮮産をワシみたいに北モノ≠ニはっきり言うこともある。これは冗談やなく、中国産のヤジサン=i弥次さん)に対して、北モノをキタサン=i喜多さん)、つまり北産≠ニいうわけや。東海道中膝栗毛と同じで、日本に入ってきたシャブは、東海道を通らんことには全国のどこにも運べんのや」
幹部は話を続けた。
「それとな、北モノをセブンスター≠ニ呼ぶ者もおれば、ナナツボシ∞ナナホシ∞シチボシ≠ニ言う者もおる。七つの星、つまり七星ということや。その呼び名がどこから来たかはワシは知らん」
時には、ラッキーセブン≠ニも呼ばれるらしい。私が「七星」と聞いて思い起こすのは、七星派《チルソンパー》、七星会《チルソンフェ》という韓国のヤクザ組織の名称だ。前者は、周囲の小さな組織を吸収合併して後者に改称したと何年も前に聞いたことがある。
闇市場の特定グループ内で飛び交う「七星」の呼び名の意味するものは何か?
実は、「七星」は、実は北斗七星のことだという。大熊座の尾に当たる北斗七星は、中国など大陸では古来より「王の車」、古代バビロニアでは「大きい車」などと呼ばれてきた。それら七つの星を結ぶとヒシャクの形になるが、その柄の部分にある第七星は「揺光」とも言われ、時や方角を知る際の目安にされる北天の重要な星だった。世界中、どの民族にとっても、星は古くから希望の象徴だった。それは朝鮮民族にとっても同じである。
ところが、武装工作船で密輸入される地上の「七星」は、希望のシンボル、航海者の道しるべになるどころか、人間の体をむしばむ害毒、まさに「|黒い《ゴムン・》七星《チルソン》」だった。天と地ほどのギャップの大きさに、私はただただ茫然とした。
「北朝鮮のシャブに関係する者からミツボシ≠ニいう呼び名も聞きよったこともある。三星ということやろ」
ヤクザ幹部がまた意外な言葉を出してきた。
ナナツボシ≠ノ次いで今度はミツボシ≠ナある。
ギリシャ神話に出てくる巨人猟師オリオン。星座の中の三星はオリオン座のベルトの部分に並んでいる三つの星を指す。ベルトは猟師オリオンの命綱でありそこには獣を討ち取る剣が下げられている。いわば三星は力の象徴であり、物事のかなめを意味する。
韓国に三星《サムソン》という財閥系企業群がある。だが、私が気になったのは、その三星ではない。新宿を拠点に都内各所で暗躍する「黒三星」という中国籍朝鮮族のグループだ。中国語では「ヘイ・サンシィン」と呼ぶが、朝鮮語読みでは「ヘイ・サムソン」となる。私は以前、文字を入れ替えた「三星黒《サムソン・ヘイ》」と聞いていたが、この呼び方はきわめてまれらしい。いずれにしても、闇空の黒星であることに変わりはない。
「黒《ヘイ》」は黒社会を意味する中国語読みで、ほかの二文字は韓国語と同じく中国籍朝鮮族の読み方でもある。
メンバーは吉林省の延辺朝鮮族自治州の出身者である。この朝鮮族自治州には、北朝鮮から逃げ出した多数の脱北者が隠れ住んでいる。一方、都内の「黒三星」には言葉が通じる韓国人アウトローも加わっていると聞く。互いに言葉が通じることが強みになっている。
「七星」、「三星」の隠し名を持つ北朝鮮産覚醒剤と黒社会「黒三星」。その具体的なつながりについて、私は、現時点では詳細はつかめていない。だが、「黒三星」の周辺に覚醒剤の取引関係者、密売人がちらついているのは確かである。
先の幹部の話では、北朝鮮からの覚醒剤密輸入には在日韓国人、朝鮮人がかかわり、北との交渉、連絡、荷受け、運搬・保管、卸と大きな役回りを果たしているらしい。もちろん、ヤクザ関係者も絡んでいる。というより、ヤクザがいくら密輸入を図っても、単独では動きがとれない。そこでパイプ役となる在日関係者が不可欠になる。在日関係者がヤクザに資金を調達させて密輸を主導するケースもある。北朝鮮から運ばれる覚醒剤の取引価格はどのくらいなのか。
「値段か? それはブツの受け渡し場所によってムチャクチャ変わるんや。こっちが北朝鮮の領海まで行けるんやったら、百キロでも三千万から四千万円で買えるやろ。だが、そんな難儀なこと、ヤクザにできるわけがない。漁船は買収できても、近ごろは領海に近づいただけですぐマークされよる。動きから操業船でないとわかれば、不審な船にされる。海上保安部がレーダーで監視しとるんや。
そやから、向こうがわざわざ運んで来よる。シャブ密輸は国家の任務やから、日本側に追跡されようが銃撃されようが、おかまいなしや。向こうは金が欲しくてたまらんのや。ブツを日本の近くまで運んで来れば、その分、値は高くなる。向こうの領海渡しで百キロを仮に三千万円とする。それが日本に近づくにつれ二倍、三倍、それどころか五、六倍に値がつり上がってしまうのや」
百キロの取引価格は、最高値でも一億五千万から一億八千万円というところか。これが末端価格では最低でも六十億円になる。引き取られた覚醒剤は、一キロ、十キロ単位で各地の二次問屋(中卸)へ流され、そこでさらに小分けされ各ルートへ拡散していく。元受け人から二十キロを引き取り、横流しで数千万円の利ザヤを狙っていたのが、目の前にいるヤクザ幹部だった。ところが、この幹部はしきりにボヤく。
「船は沈んで乗組員が死んでも、そんなことはワシらに関係ないんや。ワシらが欲しいのはシャブだけや。だから沈没する前にブツだけは水揚げしておきたかったんや」
北朝鮮との取引は一回に何百キロと大量である。元受け人が用意すべき購入資金も莫大なものになる。ヤクザ幹部はカワハギのキモあえをつまみ、口をモグモグさせながらもキッパリ言った。
「そやから、シンジケートを組むのや」
料理店の箸は、高級仏壇の素材として知られる黒檀だった。インド、スリランカ原産のこの常緑高木は、材質が緻密で堅い。ノコギリでひくと、摩擦熱で煙を噴き出し刃が折れるほどだ。黒檀は、地中の石灰分を吸い上げることで木質が硬化する。シンジケートは、各ルートからの資金調達によって組織全体が強化される。その強化された闇と、北朝鮮の国家犯罪の闇が深く絡みつく。
ヤクザのシンジケート[#「ヤクザのシンジケート」はゴシック体]
幹部は、沈没工作船に積んであった覚醒剤五百キロのうち二十キロ(末端価格約十二億円)を引き受ける手はずになっていたと告白した。
「バブルのときならともかくやな、今はこんな不況やでぇ。ヤクザが自前で四億、五億の金を用意できるわけがない。そこで頼れるのが闇金融や。そやけど、全額を一カ所から融通させるのは難しい状況や。警察の摘発を受けた場合を考え、金融屋は金が回収できなくなるのを恐れている。結局は複数から借りることになる。闇金融には特定のケツ持ちはもちろん、ヤクザ筋の人脈が幅広くくっついておる。それも背後にあるケツ持ちは、それぞれ違った代紋や。例えばA社にはB組系、C社にはD組系、E社にはF組系がついているとする。北朝鮮との取り引きを仮にB組系が計画したとする。その際、B組系は自分の息のかかったA社だけやなく、ほかの二社からもひっぱるのや。そのとき、金融屋と話をつけ、保証人的な役割を担うのがD組、F組系や。その代わり、この二組織は融資の仲介だけやなく、取引計画そのものに直に絡んでくる。目の前にある儲け話をみすみす見逃してなるものか、ということやな」
資金の出どころを分けるのは、リスク分散にもなる。
「失敗した場合、一人で(借金を)背負わずに済むやないか。中国マフィアは、金儲けのためなら、昨日の敵は今日の友になる。それと同じ。日本のヤクザは、外国では昔からジャパニーズ・マフィアと言われてきた。それに対し、ワシらは、バカを言うな、と思っとった。仁義で生きる仁侠世界とマフィアを一緒にされてたまるか、という気持ちやった。ところが、今のヤクザは完全なマフィアになっとるでぇ」
そこで代紋を超えたシンジケートが形成される。
闇金融は、バブル崩壊後もヤクザの大きな資金源となっている。中でも日々のシノギとして最も甘い汁を吸えるのが、多重債務者などを相手にした小口金融である。その回収現場では、取り立ての順序を巡って複数の代紋どうしがツバ迫り合いを起こすのは日常茶飯事。しかし、一方では、ビッグ・ビジネスのために代紋を超えて手を携える。
〇二年暮れに東京・銀座で密航者五十二人の大捕り物劇が繰り広げられたが、これまで摘発された中国からの集団密入国事件では、複数の代紋のヤクザが協力し合っているのが何度も明らかになっている。それは覚醒剤密輸でも同じである。シンジケートには黒幕が付き物だ。だが、その黒幕がシッポをつかませるようなことはめったにない。
ヤクザ幹部はグラスに麦焼酎を注ぎながら、ポソッと言った。
「金銭のモメ事が多いんや」
幹部は一瞬、口元をゆがめ困った顔つきをした。話は続いた。
「金の貸し借りにヤクザが厳しいのは昔と同じやが、今は厳しさが半端やないでぇ。指を落とすぐらいでは済まんよ。指を切るなら首を吊れ、指などニワトリも食わねぇ、と追い込まれ、さらに首を吊るなら遺書を書いて吊れ、と責められる。外にはなかなか出ないが、車で自爆させられ、保険金でやっと帳消しにされるケースもある。ヤクザだからといって、かならずしも拳銃を使うとは限らんのや。昔の武士は腹を切らせたが、現代ヤクザは首を吊らせる。今はそういう時代や。武士の情けとか、そんな言葉は死語になっているけんのぉ。東京のド真ん中で事っ昼間にやな、組長クラスが同じ代紋の組長に撃ち殺される時代じゃけんのぉ」
幹部は時折、関西や九州弁とはまた異なる地方訛を交えて話すことがあった。
組長が組長を射殺したのは、〇二年十一月二十五日午後二時四十分ごろのこと。東京駅八重洲口にある富士屋ホテル前で、山口組の三次団体の組長(50)が胸を撃たれて即死、組長の運転手役(30)も銃撃で全治四カ月の重傷を負った。発砲したのは、同じ山口組に籍を置く三次団体の組長(55)だった。二人とも「阪神ブロック」所属で日ごろは親しい間柄だったが、どうやら二人の間には個人的な金銭トラブルがあったと見られている。
それから一カ月もたっていない十二月十五日未明には、稲川会系の幹部(33)と山口組系の幹部(37)が頭を狙われ射殺されている。現場は、東京・大田区のJR京浜東北線蒲田駅近くの雑居ビル。一人は階段付近、もう一人は二階の飲食店でほぼ即死の状態だった。翌日、拳銃と実弾を持って、「俺がやった」と警察に出頭したのは、元稲川会所属のヤクザ(29)である。
「射殺、発砲事件はちょくちょく起きとる。原因をたどれば、大半は金のトラブルや。だがな、北朝鮮相手にシャブの取り引きをやるときは、金のモメ事はご法度や。モメたら一発で殺されるでぇ。日本には北朝鮮の怖い工作員が潜り込んでいるんやからな。ヤクザも仕事が完了するまでは仲間割れは絶対に禁物や」
日朝間をつなぐ闇コネクション[#「日朝間をつなぐ闇コネクション」はゴシック体]
海上で覚醒剤を受け取った時点で、取引責任は日本側に移る。
「これはあくまでも北朝鮮産が入り始めた九〇年代半ばの話や。警察、海上保安部に気づかれ、陸揚げの途中でブツを海に捨てにゃならんことがある。捨てんでも上陸前に身柄を押さえられ、ブツを押収されることもある。そんな場合は、支払いは約束の半額。前金だけで残りは帳消しにされた。当時は中国産が幅を利かしておるところに割り込むんやから、北朝鮮も売り込みにはかなり力を入れとった。それなりに営業努力をしておったんや。しかし、今はそんな甘いことはないでぇ」
いったん受け取ったら、たとえ水揚げに失敗しても、事前に取り決めた全額を払わなければならない。
「交通事故とは違うんや。免責などあるわけないでぇ。沈没した船を見りゃわかるが、向こうも命がけや。支払いは現金決済やが、これは船に直接渡すのではなく、日本で北朝鮮系の人間に払い込む。半額は事前渡しや。残り半額は、ブツを受け取るときに払うことになっとる。双方が海上から携帯電話で日本国内に連絡を取り、互いに状況を確認したうえで取り引きは終了する。
北朝鮮側は、日本側が金を払い込むまでブツは渡さん。GPS(全地球側位システム)のおかげで瀬取り=i洋上取引)のポイントはどうにでも決められる。取引相手かどうかを互いに確認するためには、色の違う旗を使うんや。赤旗に対して青旗を掲げるとか、色を前もって決めておくのや。それをミヨシ(船首)とかトモ(船尾)に立てる。ドウ(船腹部)には見えづらいから立てん」
取引の仲介に立つ朝鮮籍の在日関係者から、日本側が逆に頼み事をされることがあるらしい。
「それはGPSの運搬や。虫のいい話やが、シャブを受け取りに行くついでに、それを同胞の船に渡してほしいと頼まれる。北朝鮮の船は日本製のGPSを搭載しとるが、実際は日本からは輸出されていないはずや。ところが、向こうはノドから手が出るくらいそれを欲しがっている。運搬を頼まれるのは、GPSだけやないでぇ。GPSとレーダーの一体型航行機器や自動操舵装置まで運ばされるそうや」
武装工作船が動けるのも、覚醒剤で外貨を稼げるのも、そうした日本製の最新機器があるからだ。いまさら、驚くほどのことではないかもしれないが、日朝をつなぐ北朝鮮コネクション≠フ闇は、底なし沼のように深いのである。
「商談はどこでやるか知っとるか?」
ヤクザ幹部がまず漏らしたのは、中国の首都・北京だった。それから急に立ち上がって言った。
「店を移ろうやないか。タクシーでここから十五分ぐらいや」
すでに夜の九時をまわっていた。港区の和風料理店からタクシーで移動した店は、こぢんまりした中華料理店だった。店主との気軽な会話の様子から、幹部がなじみの客であることは確かだった。
交渉は北京、東南アジアで[#「交渉は北京、東南アジアで」はゴシック体]
目の前の組幹部は、こんなことも話した。
「北朝鮮の元山《ウオンサン》港と新潟港を月に一、二回往復している万景峰《マンギヨンボン》号という船があるやろ? あの船で日本から現金が運ばれておるのは、昔から有名な話やでぇ。祖国訪問者や米、白菜だけを運んでいると思っとったら大間違いや。覚醒剤の売上金も運ばれておると聞いたことがあるんや」
五九年から在日朝鮮人の集団帰国事業が始まったが、その第一陣を新潟港から運んだのが万景峰号だった。以降、この貨客船は四十七年間にわたって不定期就航を続けているが、ヤクザ幹部の発言にあるような疑惑は実は数年前から根強くささやかれてきた。しかし、その証拠が突き止められたことは一度もないのである。
日本の若者の間では、スピード(あるいは頭のアルファベットからエス)、アイスなどと呼ばれる覚醒剤。スピードの命名国は米国である。そう呼ばれるのは、注射器で体内に直接注入したときの効き目の早さからだ。米国の麻薬禍の主流はコカインだが、一方では覚醒剤も使われている。ただし、日本と異なるのは、使用者への供給段階での形状が錠剤形であることだ。日本でも錠剤形の密輸入は激増しているが、それをはるかに上回っているのが粉末状のものである。
氷砂糖を砕いたような粗めの結晶は「ガンコロ」、細かい白雪のような粉末状は「ユキネタ」と呼ばれたが、仕出し地が中国、北朝鮮のものは粉末結晶状が大半だ。北朝鮮産の日本への流入手段は、先のヤクザ幹部が証言したように、これまで武装工作船が使われてきた。幹部は北朝鮮産覚醒剤の二次問屋(中卸)の立場にある人物だ。
覚醒剤を取り引きするにあたって、北朝鮮側とどこで商談≠まとめるのか? ヤクザ幹部はまず北京の名を出した。日本側がわざわざ中国まで足を運ぶのか。それは私には意外だった。そこまでしなくても国際電話なり、ほかの通信手段で話が済むのではないか。ましてや、間に仲介者が立っているはずではないか。
「シャブはマツタケや養殖ウナギの取り引きとは違うんやでぇ。大きな金が絡むと同時に、失敗が許されない危険な商取引や。どんな形にせよ、一回は接触せにゃならん。接触するといっても、ヤクザの場合は相手側と大いに飲んで食って、その間、手がはれ上がるくらい両手握手を繰り返すだけの話やがな。要するに、顔合わせというやつや。取引の値段とか日本に持ち込む方法とか、そうした細かい話はすべてブローカーに任せる」
北京で何度か顔を合わせ北朝鮮側の信用度が高まれば、本人の希望しだいでは中国経由で空路、平壌へ入ることもできるらしい。
「費用は日本側の負担やが、そのときは招待という形になる。あるヤクザが仲介者と一緒にその招待を受けて、日本から一億円の現ナマを平壌に運んだことがあるんや。シャブの代金やった。最近は北京だけやなく、香港やマカオ、タイの首都バンコク、それにマレーシアあたりで北朝鮮側と接触するケースが増えている。
北京はヤクザには窮屈な街やが、ほかは商談ができて女遊びも存分にできる。マレーシアは麻薬犯罪に関しては東南アジアでいちばん厳しい国やが、商談場所として利用するだけなら何の問題も起きへん。東南アジアでは北朝鮮の人間がおおっぴらに動き回っているんや。今は病気で中国にいるらしいが、シアヌーク殿下(元カンボジア国王)のボディガードは金日成主席の時代から北朝鮮から派遣されていたんや。東南アジアにも日本並みの北朝鮮ネットワークが広がっている。その意味するところは、シャブが東南アジアのあちこちにストックされておるということや」
日本のヤクザに同行して中国や東南アジアにまで行ける覚醒剤仲介人というのは、どういう素性の男たちなのか。目の前のヤクザ幹部の話では、仲介人の立場、職業はさまざまらしい。
「日本に帰化した元在日韓国・朝鮮人がほとんどや。彼らは帰化前と違って海外と自由に往来でき、それに何といっても北朝鮮とは同胞という強みがある。言葉も通じる。韓国籍から帰化した人間はそうでもないが、朝鮮籍からの帰化者は不自由なく朝鮮語(韓国語)を話せる。朝鮮学校で習っていたから当たり前の話やがな。
ヤクザの水先案内人をやるからといって、仲介人がヤクザかというと、そうではないんや。中国から生鮮海産物や衣料雑貨を輸入する者がいたり、逆に北朝鮮へ中国経由で中古自動車を輸出する者もおる。仲介者になれる条件は、何よりもまず北朝鮮とパイプがあることや。かつて朝鮮学校で教師をしていたという仲介者もおる。有力組織を率いた大物親分が何人もいた。現在も代紋の頂点に立っている者もいる。知ってのとおり、日本には韓国・朝鮮籍のヤクザが多い。だが、シャブの仲介者はヤクザ世界に身を置く者は少なく、単に金儲けと割り切って動いているのや」
覚醒剤の発祥は日本[#「覚醒剤の発祥は日本」はゴシック体]
こんな話をしていたときである。いつ連絡を取ったのか私は気がつかなかったが、ヤクザ幹部が呼び寄せた男が店に入ってきた。五十代後半の紳士然とした雰囲気を持った人物だ。しばらく話してわかったが、男の両親は戦前に来日した在日一世であり、本人は戦後、日本で生まれた。敗戦で朝鮮半島が日本から解放され、両親はそのまま朝鮮籍に戻った。男が国籍を韓国に変更したのは、六五年の日韓条約による国交回復後である。国籍変更勧告に従った者は韓国籍になり、それ以外は朝鮮籍のまま現在に至る。両親が戦前から日本に永住する在日コリアンは現在、約五十三万人。その七割以上は韓国籍である。
男が座ると、それまで饒舌だったヤクザ幹部の口がとたんに動かなくなった。どんな関係にあるのかわからないが、幹部は韓国籍の男の前で気を遣っているように見えた。
「日本人は覚醒剤のことをとやかく言うが、覚醒剤を最初に作ったのは日本だよ」
覚醒剤の話題に対して、男は急にこんなことを言いだした。
「日本が戦争に負ける直前だ。神風特攻隊が片道燃料でアメリカの軍艦に体当たり攻撃した。飛び立つとき、特攻隊は別れの杯を交わし、そのとき支給されたのが覚醒剤だ。死ぬのは、だれでも怖い。そうした恐怖心を消すために特攻隊は覚醒剤を使った。統治されていた朝鮮人も日本軍に徴用され、覚醒剤を使っていた。皮肉なもんでしょう? その日本が今、北朝鮮の覚醒剤に脅かされているんだからね」
男の話は間違ってはいなかった。日本薬学界の草分けだった長井長義・東京帝大医学部教授が、アルカロイドの一種であるエフェドリンを発見したのは、今から一世紀以上前の一八八五年のこと。エフェドリンが抽出されたのは、中国北部が原産の麻黄《まおう》という植物からだった。もともと、茎をせんじて飲めば鎮咳去痰の薬効があるとして漢方に使われていた。このエフェドリンを化学合成して出来上がったのが、メタンフェタミンとアンフェタミン。いずれも覚醒剤だが、日本で使われているのは前者が多い。
覚醒剤は、日本の国家承認の下で製薬会社から「セドリン」「ヒロポン」などの商品名で売り出された。真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦した一九四一年のことだ。「勇気百倍、集中力向上」の源とされた覚醒剤は、戦地となった南太平洋各地の日本軍にも大量に送り込まれた。
四五年八月の米軍による原爆投下で日本は降伏。「ヒロポン」という名の覚醒剤は、敗戦後、製薬会社や旧日本軍から在庫が大量に外部に横流しされた。これに焼け野原で打ちひしがれていた人々が飛びついたのである。
覚せい剤取締法が制定されたのは、敗戦から六年後の五一年。それ以降、覚醒剤はヤクザの独壇場となって闇市場が築かれていく。覚醒剤は密造段階で、「人肉が腐ったような想像を絶する悪臭」(元密造従事者)を発する。一時期、ヤクザが瀬戸内海の離島などで密造したときは、その塩化水素による悪臭には勝てなかった。その後、日韓両国のヤクザによって、密造技術が韓国南部へ移転される。
良質の結晶覚醒剤を作るには、温暖な場所よりは冷気をはらんだ寒冷地が適している。密造は八〇年代まで韓国で続いていたが、ソウル五輪の誘致が決まったのを契機に韓国での取締りが厳しくなり、それ以降は密造地が台湾、香港、フィリピンなどへ広がっていった。それが九〇年代には中国へ移り、九〇年代半ばから北朝鮮が参入する。高純度の覚醒剤を大量に製造するには、蒸留や冷却・送風装置の整った施設が必要とされる。
かつてエフェドリンを抽出した麻黄は、百二十一年の長き歳月を経た今、青少年をむしばむ薬物の「魔王」として原産地の中国、北朝鮮から大量に日本に流入している。
国家が主導する犯罪[#「国家が主導する犯罪」はゴシック体]
日本に北朝鮮産覚醒剤が流入し始めたのは、九〇年代半ばからである。
北朝鮮が覚醒剤密輸に突き進んだ背景には、ドン底に陥った国内の経済問題が大きくのしかかっている。外貨獲得のために、北朝鮮は国家マフィアにならざるを得ないところまで追い詰められていた。
九五年から九七年にかけて、北朝鮮は集中豪雨と日照りに襲われ、農業が壊滅的な打撃を受けている。九九年は降水不足で水力発電所の稼動もままならず、以降、極度の電力不足に陥っている。頼みの綱の火力発電所も窮地に瀕している。核開発の凍結を定めた九四年十月の米朝枠組み合意に基づき、朝鮮半島エネルギー開発機構《KEDO》はその見返りとして、翌九五年から米国の資金拠出で重油を北朝鮮に送ってきた。これまでの供給総量は三百五十六万三千トン。これらの重油は国内七カ所の火力発電所で燃料として使われてきた。ところが、その重油供給も〇一年十一月分の約四万三千トンを最後に中断された。
二〇〇〇年三月に、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の最高幹部である許宗萬《ホジヨンマン》責任副議長と南昇祐《ナムスンウ》副議長が祖国訪問をした。その際、三日続けて会見した金正日総書記の口から出たのが、「苦難の行軍」だった。
それは集中豪雨など自然災害に見舞われた九〇年代半ばから後半にかけての期間を指している。食糧難から餓死者が出た時期である。一方で、飢えと弾圧から中国へ逃げる脱北者が激増していく。
工作船を使った大がかりな覚醒剤密輸が始まったのは、在日同胞から祖国へ送られる金が急に先細りになった時期と重なる。バブル崩壊で在日同胞の金回りが悪くなったこともあれば、プリペイドカード導入により在日のパチンコ店経営者の脱税が難しくなったという一面もあるだろう。それに追い打ちをかけたのが、集金マシンの役割を果たしてきた朝銀の破綻である。
「五九年から在日朝鮮人の集団帰国事業が始まり、八〇年代前半までに十万人ちかい同胞が日本から北へ向かった。朝鮮総連から地上の楽園≠ニかバラ色の国≠ニか言われ、向こうへ行けば、偉大なる首領様(故・金日成主席)が、ほほえみながら両手を広げてお待ちになっているという言葉にダマされたのです。今となっては泣いても泣ききれない気持でいっぱいですが、私の母と姉二人は、地上の楽園≠ノ夢を抱いて祖国へ渡りました。戦後、在日一世の父親は日本人から大きな差別を受ける中で事業に成功しました。そのあとを継いだ私は、母と姉のためを思って、これまでに合計二億円以上の金を北へ送ってきました。が、結果は惨憺たるものです。首領様の懐に飛び込んだつもりが、奈落の底に突き落とされたのです」(さる在日朝鮮人実業家)
ところが、肉親から届く手紙を読むたびに、母国に対する不信と怒りが募ってきた。
「百万円を送っても、本人の手に渡るのは五万円足らず。帰国者の手紙は検閲を受けているので、母もはっきり本音は書けなかった。が、小さな字で書かれた手紙の最後の部分を見て、私はすべてを察しました。『寒くて夜も眠れない。下着が欲しい。マフラー、スカーフが欲しい』と窮状を訴えている。北の冬は零下二十度にもなるのに、まともな暖房装置がない。オンドル(床暖房)で温まろうにも、燃料の石炭、薪がないという状態。母の辛さが目に浮かんできますよ。『日本で食べたモツ焼きが夢に出てくる』とも書いてあった。
二億円も送金したのに、これはどういうことかと朝鮮総連にどなり込んだことがありました。その後、母、姉からは連絡がなくなり、九六年から消息はわかっていません」
そもそも北朝鮮への帰国事業の目的は、在日同胞を分断し、日本に残った家族を金ヅルにするためだったと、この在日実業家は指摘する。苦労の末にやっと手に入れた土地、家を売却させられ、その金を送金に回した在日同胞を何人も知っていると話した。
それでも北朝鮮の経済事情は悪化するばかりだった。貿易に必要な外貨もない。その穴埋めをする最も手っ取り早い方法が、日本への覚醒剤密輸だったのである。
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あとがき
危険な領域に首を突っ込まなければ、外国人犯罪の裏側など見えるものではない。いったい、歌舞伎町の裏側はどうなっているのか。その実態を探るため、一九九二年秋から約三年にわたって歌舞伎町に通った。最初の一カ月は、取材の糸口をどこから引き出すべきか、迷いに迷った。妙案が浮かばないからストレスが高じる。それで酒の肴《さかな》にイナゴの佃煮を食いあさった。そのうち、気分が落ち着いてきた。
弱腰、逃げ腰にならない。結論は、それに尽きた。噛み癖のついた猛犬は、こちらが逃げれば、どこまでも追いかけてくる。私は逃げたために猛犬に追われ、ふくらはぎの肉を食いちぎられたことがある。
それから十年近くたった二〇〇一年秋、ふたたび歌舞伎町の取材を始めることになった。今度はイナゴの世話にならずに済んだが、実は取材当初、自殺志願の若者が取材に同行していた。この若者がいたお蔭で歌舞伎町の取材にすんなり入ることができた。
どういう風の吹き回しか、私は当時、精神科の医者から見放された自殺志願の若者数人と付き合っていた。知人の紹介で訪ねてくるので、追い返すわけにはいかない。だが私は「命を大切にしろ」とか、「死んじゃダメだ」というような言い方はしない。自殺を認めるわけではないが、それは一切、口に出さず、わざと死ぬのを前提にして話を進めた。
「拳銃で頭をぶち抜くと脳漿《のうしよう》が飛び散る。手首を切ると、おびただしい血が流れる。その後始末をする人がいる。自殺するのは簡単だが、人に迷惑をかけるのはよくないことだ。どうしても死にたいときは、自分からサメのエサになってやることだ。それならサメが体をバラバラに食いちぎり、最後は骨まで噛み砕いてくれるから、人に迷惑をかけないで済む」
初めて会った人間から、いきなりこんな言い方をされると、たいがいの若者は狼狽《ろうばい》の色を見せる。励ましたり諭《さと》したりすると、相手は逃げ場所がなくなるから、そういう話は意識的に避ける。半ば冗談めいたことを真顔で話すと、自殺志願者は真剣になって耳を傾けてくる。
「自殺する前に、ほんとうの二日酔いの苦しみを味わったらどうだ? 死ぬときの苦しみは、そんなもんじゃない」
むりやり酒をどんどん飲ませると、自殺志願者は例外なくぶっ倒れた。何種類もの酒をわざとチャンポンで飲ませたから皆、ひどい二日酔いである。体調が回復してから感想を聞くと、一様に「死ぬほど苦しかった」と答える。結果的に自殺した者は一人もいなかった。
ところが二十三歳のT君だけは、「死にたい」の口癖がなかなか治らない。連載の開始日程が決まっていたので、急ぎ取材に取りかからなければならないが、一方でT君のことが気になる。私が忙しさを理由に突き放し、その間に自殺されたのでは、紹介してきた知人に顔向けができないし、それ以上に後味が悪い。仕方なく取材に連れ歩くことになった。本人も「歌舞伎町を見てみたい」と何気なく言っていた。
あるとき、私がちょくちょく立ち寄っていた歌舞伎町の暴力団事務所に同行することになった。T君は、初対面のときから私に「自殺用の拳銃が欲しい」と漏らしていた。何をバカなことを考えているのかと呆《あき》れたが、それはあえて言わず、私は、「わかった。そのうち、売り手を紹介してやる」とだけ伝えておいた。
「この若者が死にたがっている。組長、余分な拳銃があったら、安く譲ってもらえませんか? 一発で頭がバラバラになる口径の大きいやつがありませんか?」
組長には事前に連絡を入れ、芝居を打った。T君を早く現実の世界に引き戻すためである。
「そんな若さで死ぬのはもったいないな。うちの若い衆が抗争で二人撃ち殺されてしまった。ちょうどいいときに来てくれた。新しい組員が欲しかったところだ。事務所に来たからには、組に入ってもらう。わかったか! 最初は便所掃除からだ。何か不始末があれば、ケジメをつけるため指を切り落とさにゃならん。死ぬ気でいるなら、指を落とすぐらいヘイチャラだろ?」
組長が途中で突然、大声を出したため、T君は縮み上がってしまった。体の震えがなかなか止まらなかった。荒療治もときに逆効果になりかねない。
事務所を出たあと、気晴らしに中国クラブに連れて行くと、「いろいろな世界があるんですねぇ」とT君は感心することしきりだった。
その後、T君はお荷物になることもなく、見違えるように明るくなってきた。それまでバッグに忍ばせていたスタンガンと催涙スプレーも、やっと処分する気になった。「だれかに襲われる」という強迫観念があり、護身用のつもりで携行していたのだ。相手は病気である。笑うことはできない。以後、休学していたT君は大学に復学し、無事に卒業。現在は大手通信機メーカーに就職している。
最初の「怒羅権《ドラゴン》」の章で、私が二十代前半の若者から、「ヤクザが仕切っている街で、どうして暴走族が用心棒になれるんですか?」と問いかけられる場面がある。実は、その若者とはT君のことである。自殺志願者を同行させたことは、かえって私の励みにもなった。意外だった。
取材に取りかかる二カ月ほど前の〇一年八月、歌舞伎町の中国クラブが覆面姿の数人組に襲われ、日本人店長(当時59)が真っ先に左胸を刺されて死亡。さらに日本人客と中国、台湾、タイ人ホステスが次々と粘着テープで緊縛され、現金約三百十万円と高級腕時計や貴金属類など七十万円相当が奪われた。強盗団は全員が中国人だったが、大半が本国へ逃亡した。
その一カ月前には、東京・銀座の高級クラブが、青龍刀で武装した中国人グループに襲撃され、やはり現金や貴金属類が強奪された。被害総額は約六百四十万円。この年、首都圏では中国人グループによる同様手口の強盗事件が頻発した。
同年四月には、東京から遠く離れた山形県羽黒町で、中国人グループによる凄惨な強盗殺人事件が起きている。田園地帯の屋敷に四人組が押し入り、中国人の一人が、主婦(当時51)の左胸を包丁で突き刺した。主婦は犯人の左中指に噛みついたまま倒れ込み、そのまま仮死状態になった。噛まれた指が抜けないため、焦った犯人は、胸から引き抜いた包丁を主婦の口中に刺し込んで何度もえぐっている。噴き出る大量の血に犯人も仰天し、主婦の口に雑巾と洗濯ネットを詰め込んだ。居合わせた長女(同16)は手足を粘着テープで縛られたうえ、右太股をカッターナイフで切り裂かれたが、隙を見てウサギ跳びで必死に逃げきった。
二カ月後、十九、二十、二十三歳の中国人三人と地元の元暴力団員(同50)が逮捕された。中国人は、北朝鮮と接する吉林省、遼寧省の出身。就学生として来日したが、授業料未納で日本語学校などを除籍になり、各地で強盗を繰り返していた。
三人とも歌舞伎町に出入していたが、三人を山形県に送り込んだのが、「阿強《アキヨウ》」の通称を持つ謎の上海マフィアだ。暴力団関係者が中国人の強盗実行犯を調達する際、この男を通すといわれる。まさに犯罪者派遣ブローカーである。派遣ブローカーは、犯罪予備軍のスカウトマンでもあり、日頃から金に困っている密入国者や不法滞在者を探し回っている。こんな男がいるから、不法滞在者が次々と犯罪に引き込まれていく。だが「阿強」の確かな本名はわからず、行方はいまだに掴めていない。
〇一年十二月にホテトル嬢殺害事件(大阪・北区)が起きた。ビジネスホテルに出向いた三十五歳の女性が、奪われたキャッシュカードの暗証番号を明かすことを拒んだため、ナイフでメッタ刺しにされる。犯人は福建省、遼寧省出身の十九歳、二十一歳の元留学生。この二人は、その三週間後に大分県で起きた強盗殺人事件の実行犯でもあった。
殺害された建設会社の会長(当時73)は、上半身をメッタ刺しにされ、背中にナイフを突き刺されたまま絶命した。刃先が胸に貫通していた。妻(同72)は鈍器で顔を何度も殴打され、脇腹も切られたが、かろうじて命だけは助かった。
実行犯は、ホテトル嬢を刺殺した先の二人を含め中国人四人、韓国人一人の計五人。いずれも地元の別府大学の留学生、あるいは退学者だった。主犯格だった吉林省出身の男(同23)は中国へ逃亡。男が留学するにあたって、その身元保証人を引き受けたのが殺害された会長だった。
会長は戦前、吉林省で少年時代を過ごしたことがあり、中国人に対して深い親近感を抱いていた。以前から日中交流活動に力を入れ、また面倒見がよいことでも知られ、多くの中国人留学生から「日本のお父さん」と慕われていた。恩を仇で返す残忍無比な犯行だった。
〇三年一月には、神奈川県横須賀市内で、元小学校教諭(当時79)宅が中国人三人組に襲われ、現金六万円と百四十万円相当の貴金属類が奪われた。肺気腫で病床に伏せっていた被害者は、命綱の人工呼吸器を外されたために息絶えた。妻も重傷を負わされた。以前、自宅近くで崖崩れがあった際、数人の中国人作業員が修復工事に来た。元教諭はオーストラリアで日本人学校の校長も務めたことがあり、「人類は皆、友達」が口癖の国際派だった。夫婦は、中国人作業員に連日、お茶やミカンを差し入れ、クリスマス・イブの日は、のし袋に二千円を包んで全員にプレゼントした。すでに無期懲役が確定したが、その作業員の中に主犯格(同53)がいたのである。
二月には、東京・北区でスナックの女性経営者(同63)が他殺体で発見される。肋骨が折れた遺体は毛布に包まれ、荷造り用のビニール紐で何重にも縛られていた。被害額は九百万円。犯人(同29)は黒竜江省出身で、被害者が雇っていた中国人ホステスの同棲相手だった。殺害直後、二人とも成田空港から中国へ逃亡した。
福岡市内で衣料品販売業者(同41)と妻(同40)、長男(同11)、長女(同8)の一家四人が殺害されるのは、その四カ月後である。まず入浴中の妻が頭を押さえられて溺死、次に長男が絞殺され、そこに一家の主が帰宅。それまで人質として生かされていた長女は、父親の前で首にネクタイを巻かれ、その両端を中国人二人が引っ張った。絞殺後、父親も同じ方法で首を絞められたが、その時点では仮死状態だった。夫婦は手錠でつながれ、一家四人はダンベルの重しとともに博多湾に投げ込まれた。父親は溺死だった。そこまでして奪った金は三万七千円にすぎなかった。
犯人は三人とも二十代前半。河南省出身の元専門学校生は国内で捕まり、元私立大学留学生(吉林省出身)と元日本語学校生(遼寧省出身)は中国へ逃亡後に公安当局に身柄拘束された。
私は、ことさら中国人の犯罪を強調しようとするのではない。ただ、事実としてこの数年、こうした凶悪犯罪が増えてきた。そして、その多くに、中国東北部出身者が関与していることも事実だ。そのことに触れると、東北人は猛然と反発してくる。
「東北人は数が多いから目立つんだ。特に凶暴というわけじゃない。凶暴な奴はどこにでもいるじゃないか」
そして彼らが強調するのは、東北部の貧しさである。
「親が金を持っていない。それでも日本に来たがる。みんな、日本に行けば金持ちになれると思い込んでいる。そこが大きな間違いだ。だから生活に困って強盗や泥棒をやる。連中は人殺しをやりたいわけじゃない。福岡で一家四人を殺し、二人が中国で捕まった。そのうちの一人は、俺と同郷(吉林省)だ。周りから性格を聞くと、根は気弱な男らしい。だが顔を見られただけで警察に捕まると思い込んだ。捕まれば刑務所か強制送還だ。それでは金を稼げなくなる。また貧しい生活に戻ることになる。それが怖いから殺してしまう」
知りあいの中国人は、そう語った。
本文に詳述したが、二〇〇二年九月には、歌舞伎町の地元ヤクザを中国人グループが射殺した、いわゆる「パリジェンヌ事件」が起きている。この事件を境に歌舞伎町の裏社会に地殻変動が起きた。ヤクザのプラスにならない、つまりシノギ(経済活動)に関係のない中国人アウトローに対し、地元暴力団が圧力を強めたために、マフィアや他の犯罪集団に連なる中国人の間で歌舞伎町離れが起きたのである。
その結果、犯罪集団は中央・総武線、京浜東北線、常磐線沿線などをはじめ、関東全域に飛び散った。さらに同郷出身者や、かつて手を組んだことがある犯罪仲間を頼って全国各地へ移動した。
「パリジェンヌ事件」から約半年後、歌舞伎町に居残っていた中国人アウトローにさらに大きな圧力がかかった。それが、警察と入管が合同で行なった不法滞在、不法就労者の一斉摘発である。この「新・新宿浄化作戦」には初日だけで延べ千二百人が動員され、機動隊員が歌舞伎町を包囲するなど、相当に厳しいものだった。
歌舞伎町は表面、平和な街となった。だが、それは同時に、歌舞伎町の裏社会を全国に拡散させるという結果をもたらしたのである。
本文で触れた残留孤児二世の佐藤威夫氏は、黒竜江省出身。佐藤氏の話を聞いていると、その同郷意識は強烈であり、吉林省、遼寧省など東北部全体の出身者に強い仲間意識を抱いている。中国人の間で「東北グループ」が最大勢力になるのは当然である。
断わっておきたいが、佐藤威夫氏に取材したのは〇四年三月下旬。インタビューの詳細は、宝島社刊「TOKYO アウトロー戦争」(別冊宝島Real 058)に掲載された。それまで謎の人物だった「大偉《ターウェイ》」が本名を出し、写真まで撮影させたのは初めてのことだった。
本書は、「週刊アサヒ芸能」(徳間書店刊)に寄稿した七十九回の連載(〇二年一月三・十日号〜〇三年八月七日号)から取捨選択し、それに大幅に加筆したものである。連載にあたっては、編集長の佐藤憲氏(当時)、副編集長の竹本朝之氏(同)にひとかたならぬお世話になっている。竹本氏は、闇勢力が蠢《うごめ》く歌舞伎町や上野界隈、総武線沿線の各所にたびたび同行し、徹夜の取材に付き合うことも幾度となくあった。取材を継続しながら一回の休載もなく連載が終了できたのは、ひとえに竹本氏のご支援と忍耐力のお蔭である。
文庫化にあたっては、文藝春秋文春文庫局長の庄野音比古氏、同局編集部長の村上和宏氏に構成から編集にいたるまで助言をいただいた。各氏に対し、ここに深く感謝の意を表する次第である。末尾ながら、この場で名前を明らかにできない多数の協力者に心よりお礼を申し上げる。
二〇〇六年十一月
[#地付き]吾妻博勝
本書は、「週刊アサヒ芸能」(徳間書店刊)二〇〇二年一月三・十日号から二〇〇三年八月七日号に連載した「新宿歌舞伎町 続マフィアの棲む街」を元に、大幅に加筆、再構成したものです。
〈底 本〉文春文庫 平成十八年十二月十日刊