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蛇蠍のごとく
向田 邦子 著
目 次
蛇蠍《だかつ》のごとく
きんぎょの夢
母上様・赤澤良雄
毛糸の指輪
眠り人形
びっくり箱
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蛇蠍《だかつ》のごとく
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●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果) F・O(ゆっくり消えていく) N(ナレーション)
蛇蠍のごとく
NHKテレビで3回連続放送
昭和56年1月10日〜24日
●スタッフ
制作 藤田道郎
演出 江口浩之
布施 実
●主なキャスト
古田修司  小林桂樹
古田かね子 加藤治子
古田塩子  池上季実子
古田 高  横山政幸
梅本庄治  高品 格
梅本須江  内海桂子
石沢清孝  津川雅彦
石沢 環  加賀まりこ
佐久間晃一 小林薫
青木ミナミ 原 悦子
宮本睦子  佳那晃子
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●渋谷パルコあたり[#「渋谷パルコあたり」はゴシック体](昼)
こぢんまりしたビストロ。表に出ているメニューを、メモしている中年男が、ドラマの主人公、古田修司(53)。本日の定食五千円ナリをメモ。更に電話番号も控える。
若いサラリーマンやOLで溢《あふ》れる通りを歩き出す修司。
●パルコ裏通り[#「パルコ裏通り」はゴシック体](昼)
謹厳な顔で真直ぐ前を向き、歩いてゆく修司。
しかし、その目は、せわしなく右、左に配られている。
右も左もラブホテル。
物色しながら歩いてゆく。料金にもすばやく目を配る。
地味な構えの一軒を横目で見る。
向うから、中年の主婦風の女がくる。さりげなくやりすごし、パッと飛び込む。
●ラブホテル・受付[#「ラブホテル・受付」はゴシック体]
フロントの修司。
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修司「恐縮ですが、部屋――見せて頂けるでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
フロントの男、キョトンとする。
●ラブホテル・客室[#「ラブホテル・客室」はゴシック体]
派手なダブルベッド、鏡などの調度を、緊張しながら拝見する修司。
立っている案内係のオバサン。
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修司「あの――」
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修司、のぼせているので、ヘンなところから声が出てしまう。
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修司「この部屋、予約、お願いします」
オバサン「予約?」
修司「今晩八時半――いや、九時になるな、九時から――二、三時間でいいんですが」
オバサン「お客さん――」
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オバサン、小馬鹿にしたような、気の毒そうな顔で――
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オバサン「こういうとこは、予約ってやってないんですけどね」
修司「えっ、あ、そうですか。ハハハハ、なるほど、そうですか」
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●ラブホテル・表[#「ラブホテル・表」はゴシック体](昼)
とび出してくる修司。
さりげなく人の波にまじって歩きはじめる。
●××鉄鋼KK・ビル[#「××鉄鋼KK・ビル」はゴシック体](昼)
昼休みの歩行者天国、バレーボールも終りに近い。ぞろぞろと人の波がビルの入口に吸い込まれてゆく。その中に修司がいる。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
仕事をしている修司、まわりの男子社員、女子社員たち。タイプの音。電話の音――
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修司「宮本君」
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部屋の隅でタイプを打っていた、宮本|睦子《むつこ》(26)がくる。
薄化粧のパッとしないタイプ。
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修司「これ。AグループとBグループ、別々にタイプしたほうがいいんじゃないかねえ」
睦子「ハイ」
修司「ここ――ここも間、離した方がいいなあ」
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言いながら、修司は、メモを示す。
さっきのレストランの名前、地図、電話番号、待ち合わせ時刻が、几帳面《きちようめん》に書き込まれている。メモを押しやり、タイプの下に忍び込ませる。
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睦子「ハイ――」
修司「じゃあ」
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睦子一礼して席へもどってゆく。
つめていた息をフウッと、物凄《ものすご》く大きく吐いてしまう修司。
みんなが見る。
修司、しかつめらしく、仕事にとりかかるが、右手がこまかくケイレンする。
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修司(N)「一生に一度のことをやったもんで、この始末です。こういうのを『小物の証明』というんでしょう」
修司、左手で右手の震えを押さえながら、睦子がメモを見て、それからバッグに仕舞うしぐさを見ている。
修司(N)「宮本睦子といって年はたしか二十七です。つい一週間ほど前、身の上相談を持ちかけられました。
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[#1字下げ]結婚を約束した男に土壇場で裏切られたというのです。母子家庭の子で――今年いっぱいで社をやめて、叔母のやっているバーを手伝うつもりだと言いました。
[#1字下げ]バーを梯子《はしご》して、私も酔いました。生れてはじめて、会社の女の子と腕を組んで夜の街を歩きました。彼女の腕が私を誘っていました。
[#1字下げ]だが、その晩、私は持ち合わせが無かったのです」
修司の手が書類の端に震えた数字をならべている。
夕食代二人分一万二千円。タクシー代――そして、泡くって消す。
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修司(N)「あと二月で、やめてゆく女の子です。卑怯《ひきよう》なようですが、あとくされありません。これを逃したら、私に、こういうチャンスはもう無いでしょう」
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修司、窓の外を見る。
大きなガラス窓にビル。ビル。ビル。
鳩が飛んでいる。
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修司「―――」
大川「部長」
修司「―――」
大川「部長、お電話です」
修司「え? あ」
大川「お宅からです」
修司「―――」
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●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](昼下り)
古い和風の家。
妻のかね子(49)が電話している。
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かね子「すみません。お仕事中――」
修司(声)「なんだい」
かね子「今晩帰りは――いつも通りですか」
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●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
電話している修司。
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修司「――いや今日は、会議(言いかけて)――寄るところがあるから」
かね子(声)「ちょっと――急いだはなし、あるんですけど」
修司「帰ってからじゃ駄目なのか」
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●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体]
かね子。
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かね子「――お願いします」
修司(声)「なんだい、はなしって」
かね子「塩子、おかしいんです」
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かね子、言いかけて、うしろに高(19)が立っているのに気づく。
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修司(声)「塩子がどしたんだ」
かね子「あたし、そっちへ行きますから」
修司(声)「おい――」
かね子「五時半に、受付のとこに立ってますから」
修司(声)「おい、うち帰ってからだって」
かね子「それじゃ、間に合わないのよ。あたしがこんなこと言うの一生に一度のことよ。おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
高、出てゆく。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
受話器を置く修司。
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修司(N)「一生に一度が、二つぶつかりました」
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タイプの手をとめて、背中で電話をきいている感じの睦子を見る。
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修司(N)「なんとも運の悪い男です」
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●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体](夕方)
ビルの地下の店。
仏頂面ですわる修司、かね子。
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修司「なんだい」
かね子「―――」
修司「なんだよ、はなしって」
かね子「――ベッド注文したの、まさか、あなたじゃないでしょうね」
修司「ベッド?」
かね子「ダブルベッド……」
[#ここで字下げ終わり]
一瞬、ギクリとする修司。
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修司「なに言ってンだ、お前は。俺が、そ、そんな、そんなこと、するわけ――」
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真意が、わからない。探り探り――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「今更、そんな、子供の手前もあるだろ。第一、もう、そんな元気ないよ。なに言ってンだ、お前は」
かね子「え?」
修司「布団で沢山だよ。お前こそ、なに言ってンだ、バカ」
かね子「――(呟《つぶや》く)まさかとは思うんですけどね。――そうすると、やっぱり塩子かしらねえ」
修司「どしたんだよ」
かね子「いきなり電話あったんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・古田家・茶の間[#「回想・古田家・茶の間」はゴシック体]
電話が鳴っている。
ヨガをしているかね子。すぐには出ない。
鳴りつづけるベル。
かね子、仕方なく、瞑想《めいそう》的なヨガの姿勢を少し崩して受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「古田でございます」
ベッド屋(声)「こちらロイヤル・ベッドでございます。このたびはどうもありがとうございます」
かね子「モシモシ」
ベッド屋(声)「運び込みの時間なんですが、トラックの都合がつきましたので、今晩お届け出来るんですが――」
かね子「モシモシ――」
ベッド屋(声)「時間がちょっと遅くなりましてね、七時になってしまうんですよ」
かね子「うち古田ですけど」
ベッド屋(声)「え?」
かね子「ベッド、お頼みしていませんけど」
ベッド屋(声)「おっかしいな。古田塩子――ってかた」
かね子「うちの娘ですけど」
ベッド屋(声)「古田塩子さまのお名前で――ダブルベッドの御注文」
かね子「ダブルベッド――それで、うちへ届けてくれっていったんですか」
ベッド屋(声)「はあ、マンションのほうへ」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体](夕方)
修司とかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「マンション?」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、メモを差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「港区北青山五の十。メゾン・タカシマ一〇五号」
[#ここで字下げ終わり]
修司、キョトンとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「どういうことなんだ。こりゃ」
かね子「あたしも、なにがなんだか(言いかける)」
修司「塩子のとこ、電話」
かね子「したんだけど、出かけてンですよ。なんとか先生のとこ原稿取りにいって、そのまま、帰るそうですって」
修司「ああいう小さい出版社ってのは、いい加減だなあ。そのなんとか先生のとこ、電話」
かね子「――まさか、そこまでは、出来ないでしょ!」
修司「うーん、それにしても、ダブルベッド――」
[#ここで字下げ終わり]
夫婦、顔を見合わせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あいつじゃないか。佐久間!」
かね子「あのねえ(言いかける)」
修司「塩子がつき合ってるのは、佐久間だろ、あいつ、どうも、虫が好かんというか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あっちも、オレが乗り気じゃないこと知ってんだよ、そいで――先手打って」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「佐久間さん、会社の寮は、目黒ですよ」
修司「借りたんだよ、新しく!」
かね子「そんなこと、ないって」
修司「どうして判るんだ」
かね子「電話かけて、聞いたんですよ、それとなく」
修司「佐久間にか」
かね子「北青山ってなんですか――って」
修司「とぼけてンじゃないのか」
かね子「そんな感じじゃなかったわねえ。あれ、本当に知らない声ですよ」
修司「だったらどして、それ、先に言わないんだ、人にペラペラしゃべらせといて」
かね子「しゃべるんだって、順番てもンがありますよ。こっちは、順番にしゃべってンのに、あなたが、せっかちに先廻りして怒ったって」
修司「佐久間が借りてないんなら、どして、塩子の名前」
かね子「――聞いたんですよ、ベッド屋さんの人に――電話で」
修司「ベッド屋にサンなんてつける必要ないよ」
かね子「――注文にきたとき、一人で来たんですか、二人でしたかって――」
修司「それで! (のり出す)」
かね子「係が違うから判らないっていうの」
修司「(舌打ち)」
かね子「――なんか向うもね、マズいとこへかけちゃったって感じで、言わないのよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]なんかそういうのあるんじゃないの。二号さんのマンションへ、ベッド入れたりして、本宅にバレるとか」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「カンケイないだろ。この際――」
かね子「友達かなんかの『なに』に名前貸してンじゃないかと思うけど」
修司「なんで、名前、貸す必要あるんだ」
かね子「よく判んないけど、そうでもなきゃ、おかしいでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、不安を押さえるために言っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「見当で、物言うなよ」
かね子「じゃあ、なんなんですか」
修司「住所は違ってたにしてもだ、電話番号がうちになって、塩子の名前書いてあったってことは、こりゃ、なんか、やっぱり――(言いかけて)最近おかしいことはなかったのか」
かね子「――そう言えば、鍵《かぎ》――」
修司「カギが、どしたんだ」
かね子「見馴《みな》れないカギ、持ってンのよ、どしたの、それ、って言ったら、ペンダントだって」
修司「ブラ下げるやつか」
かね子「こういうのがはやってるって言ってたけど、あれ、ほんものだったのかしらねえ」
修司「女親だろ? そんなことで娘が(声が高くなる)」
かね子「お父さん……」
修司「とにかく、塩子にハナシ、聞かないことには、こんなとこで二人で、ああでもないこうでもないっていってたってラチが」
かね子「六時半にね、銀座で逢《あ》うんですって、佐久間さんと、塩子」
修司「バカ、それ、先に言やあいいだろ! そこに行って、ハナシ聞きゃ」
かね子「でも、ベッドは、七時にくるんですよ、マンションのほうへ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、顔を見合わせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子たちの逢うとこは判ってんのか」
かね子「(うなずく)」
修司「お前、そっちだ」
かね子「――お父さん――」
修司「オレは、こっちへいってみる――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、マンションのメモを手にとる。
二人、顔を見合わせる。不安――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(呟く)ダブルベッド……」
[#ここで字下げ終わり]
●レストラン[#「レストラン」はゴシック体](夜)
隅のテーブルで、佐久間|晃一《こういち》(28)が、手紙を読んでいる。
スープがあるが、手はついていない。
前に立つかね子の姿にも気がつかない感じで、食い入るように目を走らせている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――塩子、まだなんですか」
佐久間「――お母さん」
かね子「ちょっと、お邪魔してもいいかしら」
佐久間「――どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、すわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「先、はじめてらっしゃるの?」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、少しなじる感じで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「もうくるんじゃないかしら。時間には遅れない子なのに。すみません――」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら、手紙に、チラチラと目を走らせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「塩子さん、こないですよ」
かね子「え?」
佐久間「代りに、これが、預けてあったんです」
かね子「来られない言いわけ?」
佐久間「いや――」
かね子「―――」
佐久間「つきあうの、これっきりにして欲しいって」
[#ここで字下げ終わり]
ボーイが、肉料理の皿を持ってくる。スープに手をつけてないのを見て、立往生している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「そこ、置いてってください」
佐久間「こんなとき、食いたくないんだけど、坐った以上は」
かね子「コーヒーいっぱいってわけにはいかないわよねえ」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、気弱く笑う。
ガックリしている感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――けんかでもしたの」
佐久間「いや、もっと――なんていうか――(言いよどみながら)電話で言ってた、北青山っての、なんですか」
かね子「ううん、ちょっと――気になったもんだから」
佐久間「――塩子さん、ほかに好きな人、いるんじゃないかな」
かね子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体](夜)
メモを片手に探しあてた修司。
ギクリとする。
とまっているロイヤル・ベッドのトラック。運転手が運転台でラジオを聞いている。
中に入ってゆく修司。
●メゾン・タカシマ・廊下[#「メゾン・タカシマ・廊下」はゴシック体](夜)
狭い廊下に、ダブルベッドが斜めになって、幅いっぱいに突っかえて、進退きわまっている。配送の男二人と、もう一人の男(石沢清孝・38)がいろいろやっている。
入ってゆく修司。
部屋の番号を見ながら、通り抜けようとするのだが、どういうわけか、ダブルベッドは方向を変えるためか、逆にもどってくる。修司も、ベッドに押されて、逆もどりする。
もたもたして、壁とベッドの間にはさまれてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あいたた」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、ごく自然に、修司をベッド係の主任かなんかと間違えてしまう。
修司のほうも、石沢を、同じようにカン違いする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「(ほかの二人に)引いて引いて――。もうちょい引く。ハイ――よし。引いたとこで、廻る――、あ、ちょっと、突っ立ってないで、手貸しなさいよ」
修司「え?」
石沢「その角が弱体なんだからさ。はい、そっち、持ち上げて」
[#ここで字下げ終わり]
押しつけられている上に、ベッドで相手の顔がさだかに見えないので、修司、手を貸してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「はい、持ち上げたままでぐるっと、廻り込んで――」
[#ここで字下げ終わり]
ベッド、また、曲り角で壁にはさまってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男A「あ、ダメだ、こりゃ」
男B「マンションてのは、廊下せまいんだよ。立派なのは外っ側だけでよ」
石沢「文句言ったって、廊下は広がらないの」
修司「思い切って、立てたほうがいいんじゃないかな」
石沢「それも考えたんだけど、ほら電気、アブないから――」
修司「さがってンのか」
石沢「ロッカーがなきゃなあ」
修司「大体、こんなとこにロッカー置いとくなんて非常識だ」
石沢「非常識が常識の世の中デス。腹立ててないで、やりましょう」
修司「セーノ」
石沢・修司「ヨイショ!」
[#ここで字下げ終わり]
ダブルベッド、ようやく部屋の中に入る。
男A、Bは少し離れたところで、カバーに使った布をたたんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「ああ、汗かいた」
石沢「ごくろうさん」
修司「ええ、あ、いやあ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、ポケットから、千円札を出して、修司のポケットにねじ込む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「(小さく)みんなにたばこでも――」
修司「え? (千円札をつまみ出す)こりゃ、なんですか」
石沢「――少ないんだからさ、つまみ出さないでよ。えっ、通産省の役人じゃないんだから、汚職カンケイないでしょ。みんなでたばこでも、って、そういうイミ」
[#ここで字下げ終わり]
修司が絶句したとき、とび込んでくる塩子。
大荷物を手にしている。修司はドアのかげの部分にいたのでとび込んできた塩子には見えない。
塩子、石沢の首ったまにかじりつくようにして、ブラ下る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「ごめんなさーい。なかなか気に入ったのみつからなくて、もうすっごくさが――(言いかけて、凍りつく)お父さん――」
石沢「お父さん――」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、おどろきで、声も出ない感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「お父さん、どして、こんなとこにいるの」
修司「お前こそ、どして、こんなとこにいるんだ」
塩子「―――」
男A「あの、すみませんが、ハンコかサインでもいいすから」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、動けない。
石沢、ポケットから、ペンを抜いて、サインをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男A・男B「どうも」
[#ここで字下げ終わり]
二人、三人をじろじろ見ながら出てゆく。
ドアがしまる。
むき出しのダブルベッドがポツン。
あとはじゅうたんと、灰皿代りのアキカンがひとつの部屋に、三人が取り残される。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子、こりゃ一体、どういうことなんだ」
塩子「―――」
修司「どういうことなんだ!」
塩子「―――」
修司「物には順序ってものがあるだろう。こういう人間とつきあっています。(石沢をにらみ据えながら)どんな職業で、家庭環境はどんなで、親に『会う』……これが第一じゃないのか」
塩子「(しぼり出すように)言えれば、言ってるわ」
修司「―――」
塩子「言いたくても……言えなかったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司じろりと石沢を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「年はいくつだ」
石沢「――三十八です」
修司「十五離れてるのか――。職業は」
塩子「イラストレーター。フリーでさし絵や、題字、なんか、レイアウトも」
修司「――初婚じゃないのか」
二人「―――」
修司「再婚ですか」
石沢「いや――」
修司「?」
石沢「申しわけありません」
修司「(呟く)申しわけない……」
[#ここで字下げ終わり]
修司、ポカンとして、二つ三つ、まばたきをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「実は、結婚は、出来ないんです」
修司「結婚は出来ない……」
[#ここで字下げ終わり]
修司、また繰返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「―――」
塩子「―――」
修司「妻子がいるのか」
石沢「そういうことです」
[#ここで字下げ終わり]
修司、ぐうとのどが鳴ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「妻子がいながら」
[#ここで字下げ終わり]
拳骨を振り立てながらどなりかけて、掌に千円札を握りしめていることに気がつく。修司、札を叩きつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「なに、このお金、どしたの?」
石沢「(ベッド)きたとき、運ぶの手伝ってたんで、てっきり、ベッドの会社の主任かなんかだと思って、たばこ銭にって」
塩子「お父さん、手伝ってくれたの」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、ふっと緊張がゆるむ。小さく吹き出して金を拾おうとする。
突きとばすように小突く修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「こんな、こんな、親、バカにしたはなしがあるか! (石沢に)どういうつもりなんだ! 部屋借りて、こんなもの、運び込むということは」
塩子「待って、部屋借りてっていったの、あたしなの」
修司「かばい立てするな」
塩子「かばってなんかいないわよ。オフィスじゃあ、人がきたり電話も多いから静かなとこでいい仕事」
[#ここで字下げ終わり]
父も娘も、恥かしい。
恥かしい分だけ、突っぱった強い言い方になってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「さし絵かくのにベッドがいるのか!」
塩子「机がいるわ。でもあたしたち愛し合ってるから、机と同じようにベッドもいるのよ」
修司「そういうキザな言い方も、この男から教わったのか」
塩子「―――」
修司「同棲《どうせい》するつもりだったのか」
塩子「ううん。『通い』」
修司「『通い』――」
塩子「この人も、そうだもの」
[#ここで字下げ終わり]
修司は、はあはあと荒い息。
手がブルブル震えている。
娘も、生れてはじめて父親と、愛とか、ベッドなどという言葉を投げつけあった興奮で、体も声も震えている。
震えながら、無理をして、言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「た、たばこでも、のんだら」
修司「なんだ、その言い草は。それが父親に向って言う言葉か!」
[#ここで字下げ終わり]
どなったものの、修司もたばこがのみたい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「言われなくてものむよ!」
[#ここで字下げ終わり]
修司、たばこをさがす。
石沢もさがす。
二人ともあわてている。石沢は、すぐライターで火をつける。
修司は、たばこをくわえたものの、ライターが見つからない。
石沢、火を貸そうとする。修司、頑《かたくな》にこばむ。石沢なおもつけようとする。
修司、たばこをポケットに仕舞ってしまう。そのポケットにライターが入っている。くわえ直し、折れ曲ったたばこに火をつける。
折れ曲った、くちゃくちゃのたばこは挫折した父の姿である。それぞれの思いで苦い煙を吐く二人の男。
塩子、アキカンに水を入れて、二人の男のちょうど真中にそっと置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子」
塩子「―――」
修司「遊びなのか。それとも、真剣なのか」
塩子「真剣です」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、じっと父と子を見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(指さして)名前――」
石沢「石沢です」
修司「アンタ、遊びか、真剣か」
石沢「―――」
修司「遊びか、真剣か」
石沢「遊びです」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、小さく叫びかける。それを言わせまいとするかのように、カブせて言う石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「結婚するアテないんだから、こりゃ、遊びですよ。お父さんに乗り込まれたんじゃ、『申しわけありませんでした』手ついて、引き下るよか、仕方ないな」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――十年若かったら、ブン殴ってるよ。いや。ブン殴るだけのものも(指さして、アンタは、という感じ)無いよ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]嫁入り前の娘に手、出すからにゃ、それ相当の覚悟があるんだろうと思ってたよ。
[#1字下げ]――真剣です。惚《ほ》れました。誰が何といおうと別れません。そう言うんなら、まだしも、まだしも、見所があるよ。それを――なんだい、親にのり込まれたくらいで、オタオタして――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「―――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、たばこをアキカンにほうり込む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(塩子に)帰ろう」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、動かない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子!」
塩子「先、帰って。二人だけで、はなし――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、塩子の目に押されるように、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「下で待ってる――」
[#ここで字下げ終わり]
ドアを出かけてふと、ダブルベッドに気づく。
ドアの外からまた入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「お父さん――」
[#ここで字下げ終わり]
塩子と石沢を突きとばすようにして、とび込み、ダブルベッドに腰をおろす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「はなしがあるんなら、廊下でやンなさい」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、父をにらみつけて、石沢の手を引っぱるようにして出てゆく。
ドア、しまる。
ひとり取りのこされる修司。
何もない部屋、小さなキッチン。
修司、ベッドにすわる居心地の悪さに、窓のところへゆき、窓をあける。すぐ前に点滅するラブホテルのネオン。
今日の昼間の自分の姿が、フラッシュになって、よみがえる。
パッと窓をしめる。
ドアをあける。
石沢の胸に取りすがるようにして、何か訴えている塩子。
振り返りながら入ってゆくマンションの住人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「中、入って、やンなさい。いや、やンなさい――って、その、はなし、しなさいっていうイミだ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「石――石――」
石沢「石沢です」
修司「子供さんは――」
石沢「女の子です」
修司「(にらみつける)」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、会釈する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「下で待ってる」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく修司。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
歩いてゆく修司。
●部屋[#「部屋」はゴシック体](夜)
石沢と塩子。
塩子は泣きたい。泣く代りにせいいっぱいに、言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「(呟《つぶや》くように言う)あたし、あきらめないわよ」
石沢「―――」
塩子「さっき言ったあれ、本当の気持じゃないもの」
石沢「―――」
塩子「あなた、真剣よ。――そのくらい、あたし、判るもの」
石沢「遊びだよ。ゴタゴタは嫌なの」
塩子「わざと卑怯《ひきよう》者のふりして。そういうのも、カッコつけてるっていうのよ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、少し持てあましながら、塩子の必死の目がいじらしくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「さあ、お父さん、待ってるから早く――」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・表[#「メゾン・タカシマ・表」はゴシック体]
植込みの暗いところで、ポツンと立っている修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(ひとりごと)何のために育てたんだ。え?
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]なんのために二十三年も育てたんだよ。あの野郎!
[#1字下げ]叩っ殺してやる。
[#1字下げ]ああ、叩っ殺してやるから――」
ギクリとする。
パトロールの警官が二人立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(あわてて)あ、どうも、ご苦労さまです。ちょっと、娘、待ってますんで」
[#ここで字下げ終わり]
出てくる塩子。
うしろに立っている石沢。
塩子、ちょっと石沢をふり返って、バタバタとかけ出して行ってしまう。
あとから追う修司。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜)
ヨガの本をひらき、手の型をしてみているかね子、しかし、心、ここにない。
何か食べている高。
八時半を打つ時計。
ドアのベル。
とび出す、かね子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
ドアをあける、かね子。修司、塩子、入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お帰ンなさい」
修司「―――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、先に上ってゆく。追ってゆくかね子、塩子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
修司、すわっている。かね子、何か言いかける。廊下を通りかかる塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子!」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、立ちどまる。二人を見て、そのままゆこうとする。
修司、とびかかりハンドバッグをひったくる。
そのまま、茶の間にぶちまけようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「なにすんのよ!」
修司「おい、なか、調べろ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]マンションのカギ、入ってないか、調べてみろ!
[#1字下げ]こいつはな、男と、妻子のある男とマンションで」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――塩子!」
修司「男の方は、これっきりにするって、そいってたけど、本当にそうか、カギを」
[#ここで字下げ終わり]
中身をぶちまけようとする修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お父さん! およしなさい! 親子でも、女のハンドバッグはいけないわよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こんなとこで、なにして――見たくないもの出て来たら――一生、取りかえしのつかないことになるわよ!」
むしゃぶりつくかね子。
塩子、父親から、バッグをひったくるといきなりぶちまける。
茶の間のたたみ一面に色とりどりの小物が飛び散る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「―――」
かね子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
修司とかね子が同時に何か言いかけたとき――
SE 電話のベル
かね子、電話のところへゆこうとして、口紅などを蹴《け》っとばしてしまう。
修司の足許《あしもと》の口紅。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「古田でございます。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はあ、もどっておりますが、どちらさま――は? 資材部の宮本さん――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「宮本! (ギクリとする)」
かね子「あ、主人がいつもお世話さまに――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、口紅、コンパクトなどを蹴っとばしながら、少しあわてて電話口へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●レストラン[#「レストラン」はゴシック体](夜)
昼間、修司が下見して約束したレストランのカウンターから電話している睦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
睦子「あ、部長。通産省に提出する書類のことですけど、正副二通でよかったんでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜)
電話に出ている修司。かね子、塩子、うしろに弟の高。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あ、あれは二通でいい、正副二通」
睦子(声)「足りないといけないと思って。――(ちょっと口調を変えて)あたし、いま、渋谷でひとりでごはん食べてるんです。渋谷の『ローズルーム』」
修司「え? あ、そう」
睦子(声)「ご病人、どうなんですか」
修司「あ、あれは、やっと、落着いた。どうも、いろいろ」
睦子(声)「――じゃあ、おやすみなさい」
修司「あ、どうも。ありがとう」
[#ここで字下げ終わり]
修司、電話を置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「宮本さんて――どんな人だった?」
修司「正月、うち、来なかったかなあ、あ、来たことなかった。二十七、八の地味な――目立たない子だから、母子家庭でねえ」
かね子「宮本さん。ねえ」
修司「書類の部数、気にしてかけて来たんだ。足ンなかったら、あしたの朝早く来て、打つつもりだったんだろ」
かね子「仕事熱心なのねえ」
修司「近頃は、男より女だよ! 男は、マージャンか早くうち帰ることばっかり考えてる」
[#ここで字下げ終わり]
修司、また小物を蹴とばしたりよけたりして、自分の席へもどる。
その間、塩子、スーツのポケットから、何か出して、高の手に押しつける。
高、そっと開く。鍵《かぎ》。
かね子、黙って、バッグの中のものを、拾い集める。
修司、たばこを出して、くわえる。
何も言わず、ため息をつく。
●レストラン[#「レストラン」はゴシック体](夜)
出てゆく睦子。
昼間、修司がメモをした、定食五千円のメニューと、看板の前に立って、坂の上をながめる。
ラブホテルのネオンなど。
ゆきかうアベック。
睦子、ゆっくりと夜の街を歩く。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜)
修司とかね子。
修司、だまってたばこをすっている。かね子、ため息をつく。
こたつブトンのすぐ横に、まだバッグの中身の小さなものが落ちている。拾って、大きなため息をつくかね子。
●高の部屋[#「高の部屋」はゴシック体](夜)
ヘッドフォンをつけて、ベッドにひっくりかえっている高。
受験生の本だらけの部屋。
ノックして、パジャマの塩子が入ってくる。
塩子、黙って、手を出す。
高、知らん顔をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「高!」
高「―――」
塩子「高!」
[#ここで字下げ終わり]
高、あごをしゃくる。
本箱の棚のグローブの上に、のっているカギ。
塩子、手を合わせ、合掌する。
それから塩子、五千円札を一枚高に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高「(ほうり出す)いらないよお!」
塩子「――どうして? お小遣い、無いって、言ってたじゃない」
高「いらないったら、いらないんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、弟の手前、恥かしい。少し顔は引きつっているが、わざとさりげなく笑ってみせ、札を拾い、机の上に置いて、出ていってしまう。
高、そのまま、ヘッドフォンをはずす。
音楽が低く流れ出す。
弟の、哀《かな》しみが流れる。
●石沢家・リビング[#「石沢家・リビング」はゴシック体](夜)
帰ってくる石沢。
ぐったりと、くたびれている。
物もいわず、椅子にすわる。
女房の環《たまき》。
髪も身なりも、全くかまわない。
のっそりと立ってパジャマを持ってくる。
一緒に、半分ねむっているような娘の朝子も出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「おしっこか?」
環「一人で出来るでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく朝子。
パジャマに着がえる石沢。
食卓に、娘の朝子のつくった幼稚園の工作(粘土細工)がおいてある。石沢、ちょっとさわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「朝子の奴、女の子のくせして、不器ッチョだな」
環「あたしに似たんでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
脱いだものを、大ざっぱなやり方で片づけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「ね、なんで帰って来た? 電車? タクシー?」
石沢「タクシー」
環「なんだ……。電車で帰ってくりゃいいのに」
石沢「?」
環「ついたのよ、この裏!」
[#ここで字下げ終わり]
だらだらと大儀そうだった環、急に目を輝かして能弁となる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「え?」
環「ほら! 前から言ってたでしょ。この裏の横丁、この一年で急にキャッチバーがふえて、通りがかりのお客、引っぱりこんでキャアキャアやってたのよ。子供の通学路だしさ、近所のちゃんとした商店もイメージダウンで、堅いお客さんの足が遠のくっていうんで住民運動になってたのよ!」
石沢「ああ、あれか」
環「よくほら、日照権とか、立ちのきの反対とかいろんな住民運動、テレビやなんかで見てたわよ。なんてことなく見てたけど、いざ自分ってなると、いやあ大変なことだわね、ありゃ、お金がからんでくると、みんなクルッて、うしろ向いちゃうのよ。とたんにバランバランになっちゃうのよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]考えたら、ビラ一枚、立看板ひとつだって、即《そく》お金ですもンね。
[#1字下げ]言うだけは言うけど、いざ出すとなったら、細かいっていうかしっかりしてるっていうか――なかなか出すもんじゃないのよ。
[#1字下げ]そこをガン張って、なんとか出してもらって――まあ、やっとついたのよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「え? なにが」
環「モニター・テレビよ」
石沢「え?」
環「キャッチバーのある横丁のあっちこっちにテレビカメラつけたのよ。そのモトが、交番にあるわけよ。ためしに通ってみなさいよ。キャッチマンが、ワアって、よってきて。なんだかんだ言って、引っぱり込もうとするでしょ。そうすると、上から声がして、(声色になる)『青い鳥のキャッチマン、引っ込みなさい。軒下六〇センチのところまで引っ込みなさい』」
石沢「なんだい、そりゃ」
環「上にスピーカーがついてるのよ。お客、キョトーンとして、もう、おっかしいから」
石沢「フーン」
環「『バー、イエロー・パンサーのキャッチマン、引っ込みなさい』」
石沢「―――」
環「なに見てンのよ」
石沢「そういうハナシするときは、イキイキしてるからさ」
環「ひとつぐらいは、夢中になるものないとね」
石沢「―――」
環「飲む?」
石沢「いいや」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、立って、ポツリと、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「石沢クン、引っ込みなさい」
環「?」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、出てゆく。
環、もとの大儀そうな環にもどる。
のっそり立って、ウイスキーを出し、グラスについで、大儀そうにのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「石沢クン、引っ込みなさい(少しひっかかっている)」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・塩子の部屋[#「古田家・塩子の部屋」はゴシック体]
ベッドに、カバーもはずさず、ひっくりかえり、天井を見ている塩子。
SE ドア・ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お母さんだけど」
塩子「―――」
かね子「塩子!」
塩子「ハナシなら、あしたにして」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・ノック
塩子、そのままにしている。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
ノックしているかね子。向いのドアがあいて、高の顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高「うるさいなあ(すべてのものに対して腹を立てている)」
[#ここで字下げ終わり]
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
布団に横になり、天井を見ている修司。
入ってくるかね子。
修司、かね子を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あしたにしてくれって」
修司「―――」
かね子「まさか、と思ってたわ。そこまでのことはする子じゃないと思ってたのに……」
修司「俺のほうのスジじゃないな」
かね子「スジ?」
修司「血筋だよ。俺ンとこは、おふくろもばあちゃんも、そっちの気《け》は全くないね。ああ。器量も悪かった代り、堅いことはもう」
かね子「じゃあ、塩子の『なに』は、あたしのほうのスジだっていうんですか」
修司「お前のほうの親戚《しんせき》にいたろう。ほら葬式で、ありゃお通夜のときか、亭主持ちのいい叔母さんが若い男と間違い起してもめたって――はなしてたじゃないか」
かね子「誰だって、親戚しらべりゃひとつやふたつ、そういうことあるわよ。言わないだけじゃないんですか」
修司「オレのほうはないね。校長とか巡査とか堅いスジなんだよ。お前のほうは呉服屋、菓子屋」
かね子「どうせ、あたしはやわらかいスジですよ。なんでも人のせいにするんだから」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
二人ため息。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「ま、男に見得切られたら、まずかったんだが、気の小さい奴でさ。塩子も、あれ見て目覚めたんじゃないかね」
かね子「そうかしら」
修司「―――」
かね子「そう簡単に諦《あきら》めないと思うな。あたしは」
修司「―――」
かね子「女って、そういうもんよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、たばこの火をもみ消し、パッとスタンドを消す。
天井を向いて目をつぶる。
●イメージ・夜の街[#「イメージ・夜の街」はゴシック体]
歩く睦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「女は簡単に諦めない――なるほど、そういうものかもしれません。なにがしかの気持があればこそ、宮本睦子は私のさそったあのレストランでひとりで食事をしたのでしょう。仕事にことよせて、うちへ電話をかけて来たのでしょう。塩子の騒動がなければ、今頃は」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ・ラブホテル[#「イメージ・ラブホテル」はゴシック体]
例のケバケバしいダブルベッドに腰かけている修司(勿論《もちろん》背広は着ている)。
うしろ向きになって洋服を脱いでいる睦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「そこまで! そこまで!」
[#ここで字下げ終わり]
ストップモーションになる睦子。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体]
天井を見ている修司。
寝巻に着替えているかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「目クソが鼻クソを怒ってはいけないのです。自信をもって娘をどなり説得するためにまず私は、己れを律しなくてはならないのです」
[#ここで字下げ終わり]
目をとじる修司。
F・O
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
仕事をしている修司。
電話、タイプの音。
隅でタイプを打っている睦子。
ちらちら見ている修司。
手帳を出して、番号をしらべながらダイヤルを廻す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ(声)「プレイタウン編集部!」
修司「恐れ入りますが、古田塩子おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体]
小さなタウン誌の編集部。
編集部の女の子、カメラマンなどがいる。
電話を受けたのは、編集部の青木ミナミ(22)。
どういうわけか男の子と同じ身なり。口の利き方も、男の子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「ゴマ塩どした?」
カメラマン「ゴマ塩は――取材じゃないかな? 取材!」
ミナミ「(どなる)取材!」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
電話している修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あ、取材ですか。もどるのは何時頃――」
ミナミ(声)「(まわりに聞いている)ねえ! ゴマ塩、何時にもどるかって」
[#ここで字下げ終わり]
ゴシャゴシャ言う声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ(声)「判んないけど、多分夕方!」
修司「出先、判りませんか?」
ミナミ(声)「判ラーナイ!」
修司「(すこしムッとなる)失礼ですが、あなたは男ですか女ですか」
[#ここで字下げ終わり]
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体]
ミナミ、ちょっとびっくり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「(少し迷って)男の子です」
[#ここで字下げ終わり]
ちょっと女の子っぽい言い方になってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(声)「そうですか。失礼ですが、お名前」
ミナミ「(少し困るが)青木ミナミ!」
修司(声)「青木ミナミさん――」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「女の方じゃないんですか」
ミナミ(声)「どなたですか」
修司「古田です」
ミナミ(声)「古田――あ、ゴマ塩と同じ名前じゃない。やだ! やだ!」
[#ここで字下げ終わり]
修司、電話を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「どいつもこいつも、――いい加減だな」
[#ここで字下げ終わり]
睦子がタイプの手を休めて修司を見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「出かけている。夕方帰る。行先不明――」
[#ここで字下げ終わり]
修司の方がカタカタ震えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(しかつめらしく)大川君」
[#ここで字下げ終わり]
そばの大川、腰を浮かす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「東西建設、ひと押し、してくる。書類!」
大川「はッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・表[#「メゾン・タカシマ・表」はゴシック体]
書類カバンを持った修司。
入ってゆく。
●廊下・部屋[#「廊下・部屋」はゴシック体]
ドアをノックする修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治(声)「アーイ」
[#ここで字下げ終わり]
横着そうな野太い声がして、ドアがあく。
和風スナック「梅干」のおやじ梅本庄治(58)。
小汚ないジャンパー姿で、口に釘《くぎ》を含んでカナヅチを持っている。
棚を吊《つ》っている最中。
雑巾《ぞうきん》バケツを持ってそばにいるのがおかみの須江(55)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「あのね、勧誘は一切お断わりだから」
修司「え?」
須江「そうよ。下手に『うん』なんて言っちまうと、息子夫婦にケンツク、くっちまうわよ」
修司「息子夫婦」
二人「そ」
修司「息子さん、何やってンの」
庄治「なにって、描くやつ。あれなンだ?」
須江「なんかほら、靴下みたいな名前の、ほら」
修司「靴下?」
須江「ストー、パンストじゃなくて、ほら!」
庄治「いま、はやりのやつよ」
修司「イラスト」
須江「それそれ!」
庄治「それだよ」
修司「(さりげなく中へ入りながら)親御さんですか」
須江「(たじろいで)そう正面切って言われると――ねえ」
庄治「『親もどき』だな」
修司「親もどき」
庄治「『がんもどき』ってのあっだろ。『梅もどき』ってのも、あらァ。アレだよ。似てるけど、ちょいと、違うんだよ」
須江「手っとり早くいやあ、親代り」
修司「さっき息子夫婦って(言ったような)」
須江「――夫婦ねえ……」
庄治「そっちのほうも『夫婦もどき』ってやつよ」
修司「夫婦もどき」
須江「二人とも『正式』じゃないもの――あ、お父ちゃん、曲ってるよ」
庄治「え? まっつぐだろ」
須江「右が下ってるよ、ねえ、ほら」
修司「気持下ってる(言いかけ)正式じゃないってのは」
須江「だってさ、男のほう、女房子供、いるもの」
修司「ひどいはなしじゃないですか」
庄治「そら、世間相場から言や、ひでえけどさ」
須江「でもねえ、気持、聞くと、いじらしくてさ。広い世間に一人や二人、加勢してやる人間もいなくちゃ可哀そうだと思ってさ」
修司「可哀そう――ハハ、可哀そうねえ。ハハハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、失笑してしまう。笑いはだんだん大きくなる。
二人、薄気味が悪くなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「あんた、何屋だい」
修司「チチオヤですよ」
庄治「漫才やってンじゃねえんだよ。何屋だって聞いてンだよ」
修司「だから、父親だといってンだ。娘のほうの、父親ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、凍りつく。
修司、正式に入ってドアをしめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「どういう関係ですか」
二人「え?」
修司「イラストレーターの石沢って男と、アンタ方」
須江「――近所のね、石沢さんがよくくる『梅干』って店の」
修司「梅干屋ですか」
須江「梅干も出すけどさ」
修司「ああ。漬物屋」
須江「梅干って、名前なの、店の」
庄治「スナック! 和食スナック!」
須江「石沢さん、しょっちゅううちに夕ごはん食べに来てさ、塩ちゃんもくるようになって――」
修司「塩ちゃん――」
須江「(だんだん声が小さくなる)相談されたのよ……」
修司「娘には、親がいるってことは、親の気持は、考えなかったんですか」
須江「―――」
修司「あんた方も、子供いるでしょう」
須江「子供、いないのよ」
修司「いなくたって、娘もった親の気持(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
やり切れなくなった庄治。口の中から残りの釘をペッと吐き出して、いきなり大声でどなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「やり方、きったねえぞ。そんならそうと、どうして始めに名乗らねえんだ。人に散々しゃべらせといて。そういうのペテンていうんだぞ!」
須江「(とめて)お父ちゃん……こちらさん、似てないもンだから。塩ちゃん、お母さん似なんだ……」
[#ここで字下げ終わり]
●街[#「街」はゴシック体]
公園通りあたり歩いてゆくかね子。
喫茶店の二階入口にある小さい看板「石沢清孝個展」。
階段を上ってゆくかね子。
●個展会場[#「個展会場」はゴシック体]
こぢんまりしたイラストの個展。
入ってゆくかね子。
入口近くに立っている石沢、愛想よく知人にアイサツしている。
しゃれた感じの客が七、八人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「忙しいとこ、どうも」
男「いくら忙しくてもあんたよか暇だよ」
石沢「公私ともにね」
[#ここで字下げ終わり]
二人、笑っている。
石沢、かね子に会釈。
かね子、作品を見て歩きながら、チラチラと石沢を見ている。
入口から、場違いな母子《おやこ》連れが入ってくる。
環と娘の朝子。朝子はペロペロキャンディをなめている。
かまわない身なり、化粧気なしの素顔。
環、スーと石沢のそばに寄り、封筒に入ったものを渡す。
石沢ちょっとびっくりするが、さりげなく受取る。
石沢、朝子の頭をちょっとなでる。かね子、母親を見る。
環は、飾ってあるイラストには、わざと見向きもしないで、娘の手を引いて出ていく。
さりげなく後を追おうとするかね子。
急に向きをかえた石沢と「もろ」にぶつかってしまう。
床にひざをついてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あ!」
石沢「こりゃどうも失礼しました」
[#ここで字下げ終わり]
手をとろうとするのを、固い表情で振りはらう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「(如才ない)わざわざ見に来てくださった方に、どうも――失礼ですが、(入口を指して)ご署名は(いただけたでしょうか)」
かね子「いえ、あの――」
[#ここで字下げ終わり]
振り切って出てゆくかね子。
●通り[#「通り」はゴシック体]
ゆっくりと階段をおり切った母と娘。
上からかけ下りてくるかね子。
すれ違いざま、わざと朝子のペロペロキャンディに着物をくっつけてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あッ!」
環「あら――」
かね子「あらら」
環「やだ、どうしよう」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体]
喫茶店で借りたタオルで、かね子の着物のしみを叩いている環。
朝子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「しみ抜き代って、いまおいくらかしら」
かね子「いいんですよ。あたしのほうも不注意だったんですから」
環「申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
二人の席のすぐ横が大きな鏡になっている。
二人の女の顔が、なまなましく映っている。
一人は化粧し外出着。一人は、ボサボサの髪、素顔。ゆるんだダブダブの衣裳《いしよう》。
二人何となく横の鏡を見る。
環、ふと自嘲《じちよう》して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「親がショッタレしてると、子供まで、ショッタレして見えるわねえ」
かね子「――いいえ。羨《うらやま》しいわ。あたしも、あと十年若かったら、そういう格好してみたい」
環「――(苦く笑う)」
かね子「お楽そうねえ」
環「え?」
かね子「お召物……」
環「お召物なんて代物じゃないけど、いったんこの味覚えたら、やめられなくて――」
かね子「お化粧するのお嫌いでいらっしゃる……」
環「―――」
かね子「あ、ご主人がお嫌いなんだ。よくそういうかたいらっしゃいますわねえ。あたしの存じ上げているかたも、ご主人、芸能関係――音楽のほうですけど、やっぱり、奥さんに化粧するな、オレは昼間、白粉《おしろい》クサいのばかりみてるんだからうちへ帰ったときぐらい、化けないの、みたいっておっしゃって――もう、口紅つけるのもお許しにならないんですって」
環「そんなんじゃないんですよ」
かね子「?」
環「もう、数々やって、アキちゃったのねえ。くたびれたのかな」
かね子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
環、旅の恥は掻《か》き捨てに似た気持で、ポツンポツンと本心を言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「はじめはねえ、あたしも『張り合って』やったんですよ。いろいろ。パックしたり。この辺青く(目のまわり)したり、赤くしたり――ピンクのセーター着てみたり――でも、『キリ』がないでしょ」
かね子「ご主人、おモテになる――」
環「(笑って、うなずく)次から次――病気だわね」
かね子「―――」
環「そのうちに、ふっと――嫌ンなってきたのね。こわい顔して鏡見ちゃ七転八倒してる自分の姿見るのが、浅ましくなって――」
かね子「―――」
環「そんなことで対抗してる自分が、なんていうのかな、娼婦《しようふ》みたいに思えて―――そういうのみんな止《や》めちゃお。なまじ、キレイにして気を引こうと思うから、それで負けたと思うから、ヤキモチやいたり腹立てたりするんだ。とことんやめちゃえば、オリちゃえば、ケンカにならないだろう。居直ったのね」
かね子「―――」
環「さあ、これがあたしの素顔だよ。あんたこれでもうちへ帰ってくる? って感じ」
かね子「――帰ってらっしゃるんでしょ」
環「子煩悩な人だから――」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、子供を見る。
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かね子「結婚なすって――」
環「十年……」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、じっと朝子をみつめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「どちらさまですか」
かね子「あたし?」
環「お名前」
かね子「あたし?」
環「お名前」
かね子「(あわてる)いやですよ。名前、名乗るほどの者じゃございません、ほんの通りがかり」
環「そうかしら。石沢のこと、主人のこと、ご存知で、それでいらしたようにみえますけど。主人のこと、ご存知なんじゃありません」
[#ここで字下げ終わり]
石沢と関係のある女ではないかと思ったらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「いいえ。お名前だけ――」
環「――そうですか。そうね。お名前なんか伺わないほうが、いいわねえ」
かね子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
二人だまってコーヒーをのむ。
甘い音楽が流れる。
のみながら、二人伝票を取ろうとさりげなく相手のスキをうかがう。
二人同時。パッと手をのばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「いけません、これはあたくし」
環「いいえ、これは」
かね子「とんでもない、奥さま」
環「あいた!」
[#ここで字下げ終わり]
もみあっている。
●個展会場[#「個展会場」はゴシック体]
会場の隅、石沢の前で、頭をかいている「梅干」の庄治。
石沢は、くる客に愛想のいいアイサツの合の手を入れながら聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「『ドジ』踏んじまったよ」
石沢「棚吊ってて、絨毯《じゆうたん》にヤケコゲでも作ったんだろ」
庄治「そんなんじゃねえや」
石沢「管理人とケンカか」
庄治「おやじに乗り込まれたんだよ」
石沢「おやじ?」
庄治「塩ちゃんの――」
石沢「また来たのか。(客の姿)あ、どうもどうも! こないだの拝見しましたよ。いいじゃないの。あ、やられたって感じよ! (お世辞)来年はアンタの時代だなあ――ハハハハ」
庄治「こんなとき、よくそんな声が出るねえ」
石沢「(急に真剣な声になる)なんてってた。おやじさん」
庄治「(ため息)ありゃ、とことんやるな。どうするよ、石沢さん」
石沢「――それ、あんたに聞こうと思ってたとこ。あ、来てくれたのワルい。ウレシイ!」
[#ここで字下げ終わり]
調子よくやる石沢。ブスッとして「梅干」帰りかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「ね、せっかくきたんだから、義理でもいいから見てきなさいよ」
庄治「いや、オレこういうのさっぱり判んねえ」
[#ここで字下げ終わり]
帰ってゆく庄治。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「『とことんやる』か。(なんとなく呟《つぶや》く)
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]※[#歌記号、unicode303d] 宮さん宮さん、お馬の前に
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]ヒラヒラするのはなんじゃいな
[#1字下げ]トコトンヤレトンヤレナ
[#1字下げ]あれは朝敵征伐せよとの
[#1字下げ]錦《にしき》のみ旗じゃ知らないか
[#1字下げ]トコトンヤレトンヤレナ
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]オレ、なんだってこんな歌、歌ってんだよ――」
首を振って、苦笑する。
SE 電話のベル
受けていた受付の女の子が石沢のそばに、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
女の子「お電話です」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・部屋[#「メゾン・タカシマ・部屋」はゴシック体]
まだ、ガランとした部屋、カミクズカゴやフライパン、事務用品を買ってならべかけている塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「――あたし。評判どう?」
石沢(声)「そんなことよか、お父さん」
塩子「あの人はカンケイないでしょ」
石沢(声)「塩ちゃん」
塩子「今晩、ほんとはここで晩ごはん食べたいけど、まだ揃《そろ》ってないから、やっぱり『梅干』だな。七時に待ってます」
[#ここで字下げ終わり]
電話を切る。
フライパンをキッチンにおく。
鼻唄まじりにオムレツでも作っているような、フライパンをトントンと引っくりかえすしぐさをしてみる。
手がとまり、鼻唄がとまる。
そのまま、じっと立っている。
親を裏切っている辛《つら》さが急にこみあげてきたのかもしれない。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
札入れから五千円札をつまみ出している修司。
奉加帳を持って立っている大川。
五千円也と書き込まれている奉加帳。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「おめでとう!」
[#ここで字下げ終わり]
社員の席から、若い男と少し離れた女子社員が立ち上って、最敬礼をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「どういうのかねえ、結婚式ってのは冬場に多いねえ。今月もう三組だよ」
大川「そりゃ、寒いから――あったまりたいんじゃないすか」
修司「暖房結婚か」
二人「やだ――」
[#ここで字下げ終わり]
一同笑う。
女子社員の隣りが睦子。
笑っている。笑いながら、修司をじっと見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
大川「(札を受取って袋に仕舞いながら)お宅もぼつぼつじゃないんですか」
修司「え?」
大川「お嬢さん」
修司「いやあ、ありゃ、のんきで――もう」
[#ここで字下げ終わり]
大川、いってしまう。
修司、仕事が手につかない。
●古田家・台所[#「古田家・台所」はゴシック体](夕方)
菜葉を洗いながら、放心するかね子。
水だけが勢いよく出ている。
うしろから、ひょいと手がのびて水道をとめる。高である。
高、冷蔵庫をあけて、チーズを出す。
大きなカタマリをムシャムシャと食べる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あーあ。切って、食べなさいよ。切って――」
[#ここで字下げ終わり]
高、ムキになって食べる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――(ふっと苦く笑って)あんた見てると、気持が安まるわ」
[#ここで字下げ終わり]
高、口を動かしながら、じっと母親を見る。
●バー[#「バー」はゴシック体]
カウンターにならぶ修司と佐久間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「この男を気に入っていたわけではありません。ボオっとしてて、礼儀知らずで、挨拶もロクに出来ない男です。もっとほかにいるだろうと思ってました。でも、妻子のいる男よりはマシです」
修司「塩子とは、どういうつき合い、してたの?」
佐久間「どういうって――」
[#ここで字下げ終わり]
二人、気恥かしい、たがいに顔をそむけ合い、モタモタする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「つまり、具体的に」
佐久間「一週間に一度ぐらい――喫茶店で逢《あ》って、メシ――食って、映画――大体割りカン」
修司「そういうこと聞いてンじゃないんだよ。何ていうか――つきあいの度あい、深さ――」
佐久間「あのォ」
修司「手ぐらいは、こう――」
佐久間「――はあ」
修司「――そこから先――は……」
佐久間「はあ」
修司「こう――(グラスをくっつける)チュッと――」
佐久間「いや――」
修司「まだだったのかい」
佐久間「いやあ、その。イタリー料理やギョーザのあとだったり焼肉だったりで」
修司「え?」
佐久間「ニンニク――」
修司「佐久間君、君、うちの塩子、嫌いなのか、惚《ほ》れてないのか」
佐久間「――嫌いなら、お父さんに呼び出されたってこないすよ」
修司「惚れてたら、イタリーだろうがカンコクだろうが、どしてパァーといかないの。君だけがニンニク食ってるわけじゃないだろ。ニンニクとニンニクが、ぶつかったって、こりゃねえ、マムシとマムシがかみ合うようなもんで何ともないんだよ!」
佐久間「あ、マムシ同士、かみ合っても死なないんすか。ボク、死ぬのかと思った」
修司「この際、マムシはいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、佐久間にたばこをすすめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「猫のラブ・シーンての、みたことあるかい」
佐久間「犬は、まあ、あるけど」
修司「猫が凄《すご》いんだよ。メス猫はね、はじめは、全然関心がないわって顔して、こんなことして、顔洗ってンだよ。そのくせ、よくみると体くなくなしなしなさせて、オスさそってンだな。そいじゃあってんで、オスがチョッカイかけると、猛然と反撃に出るね。ギャオ! ギャオ! アンタ、何するのようって感じでさ、体中の毛、逆立てて背中なんかゴジラの背びれみたいになってるよ。爪出してさ、こうですよ(手をふりあげ、口をあけ、目をむく)。それでいて、物置きの隅とか、後ろ側の戸袋のとことか、逃げられないとこへ入ってくンだ。ギャオ! ギャア歯むき出しながら、オスさそってンだよ。若いオスは、カンちがいするんだなあ。オレは嫌われてる。そこで、引き下ると年とったオスにさらわれちまうんだよ。判ってないんだよ。メスがギャオギャオいうときは、イエスなんだよ。ギャア! ギャア! オスなら、そこを押しつけて、ガァ!」
[#ここで字下げ終わり]
声高に猫の声帯模写をしている自分に気づき、小さくなる修司、佐久間の肩を叩く。
修司「佐久間君、たのむ――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「もう遅いんじゃないかな」
修司「いや、まだ間に合うよ」
佐久間「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●和風スナック「梅干」[#「和風スナック「梅干」」はゴシック体](夕方)
庄治と須江、夫婦げんかをしながら手を動かしている。
突き出しをつくったり、小鉢ものをととのえたり。
ひとりカウンターで、お茶漬を食べている青木ミナミ。
常連らしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「世の中にはな、道ってもンがあるんだよ」
須江「ああ、そうですよ。道がなきゃ人も車も通れないわよ」
庄治「人間のハナシ、してンだよ。道ってやつァ」
須江「表通りだけが道じゃないよ。横丁だって道。裏道だって人の道」
庄治「裏道ってのは、必ず行き止りになってンだよ!」
須江「それ承知でさ、どしても、こっちの道ゆくっていうんだもの仕方ないだろ」
庄治「仕方ないで済むか。俺ァ、もともと気がすすまなかったんだよ。それを」
須江「今頃になって、なに言ってンのよ。そりゃ、はじめはね、お父ちゃんご意見番だったわよ。でも、仕舞いにゃ、けっこう嬉しがってさ、肩入れしてたじゃないの。マンションめっけてやったの誰なのよ! 手付金、立てかえてやったのは、誰なのよ」
庄治「そりゃお前が(言いかける)」
ミナミ「(いきなり笑い出して)その年になっても、夫婦げんか、するんだねえ」
[#ここで字下げ終わり]
夫婦、毒気をぬかれてだまってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「そら夫婦だもの。いくつになったって、夫婦げんかするわよ。ねえ、お父ちゃん」
庄治「猫ナデ声の似合うツラか」
須江「お客さん、入ってンだよ。営業用!」
庄治「ヘン! とにかくな、もうここまで来たら、切れたほうが」
[#ここで字下げ終わり]
とび込んでくる塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「またまた!」
塩子「なによ」
ミナミ「ちょうど言ってたとこ」
塩子「なんだって」
ミナミ「切れたほうがいいって」
塩子「切れる? また、凄いクラシックな、言い方すンじゃない」
ミナミ「ボクじゃないもン」
[#ここで字下げ終わり]
庄治を指さす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「お父ちゃんか。なに言ってんの、今まで応援してくれたじゃないか。裏切ンないでよ」
須江「コロッとひっくりかえるんだから。男らしくないのよ」
庄治「男だから、先考えたンだ」
須江「じゃ今までは男じゃなかったのかい」
塩子「お父ちゃん――(勢い込んで言いかけて)ダメだ。力入れると洩《も》っちゃうわ」
[#ここで字下げ終わり]
胴ぶるい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「早くいきなよ! ほれ!」
須江「出る出るになるまでガマンすると毒だよ」
[#ここで字下げ終わり]
のれんを割ってトイレにとび込む塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「ああやってると、子供だね」
ミナミ「親ってのは、そこダマされンだな。安心してると、パカッと――」
庄治「親不孝なハナシだよ」
須江「加勢しといて――」
庄治「ミナミさんよ。塩ちゃんに言ったほうがいいよ」
ミナミ「なに?」
[#ここで字下げ終わり]
庄治は、うしろ向きで皿小鉢出している。
須江は、かがんで漬物ダルをかき廻している。
戸があいて修司が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「あの、おやじは面倒だぞ。もうカーとアタマに血がのぼってるから」
ミナミ「のり込んだんだって?」
須江「あたしらも、やられたのよ。ガツンと」
ミナミ「ボクンとこ、かけてきたのも、オヤジだな。ボクのことさ、女か男か!」
庄治「男だっていってやりゃいいんだ」
三人「ハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
修司立っている。
庄治、笑いながらふり向いて、アッとなる。
須江も体を起し、ヌカミソだらけの手で、棒立ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「ゴマ塩のオヤジってさあ、たしか堅い会社の――どしたの。どしたの」
[#ここで字下げ終わり]
庄治と須江、ヘタな目まぜ。
修司に気づくミナミ。
修司、夫婦には目もくれず、ミナミの隣りに腰をおろす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「いいとこで、お目にかかった。昼間は、電話で失礼しました」
ミナミ「―――」
修司「塩子の父親です」
ミナミ「―――」
修司「たしか、ミナミさん」
ミナミ「―――」
修司「女性のようだが――性別をいつわるのはよくない趣味だな」
ミナミ「たいがい声でわかるけど」
修司「言葉のほうを信用する人間もいるんです」
ミナミ「―――」
修司「うちの娘は、ゴマ塩と呼ばれてるようですが、どして」
ミナミ「編集部でさ、もっと、ゴマすったほうが、仕事、うまくいくよって」
修司「ゴマスレないのは、うちの筋です」
[#ここで字下げ終わり]
修司、三人に聞かせるように言う。
トイレの、のれんのところまで出かけた塩子の足。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子って名前つけたことからしてそうですが――わたしは、おやじも月給とり、わたしも、一生、サラリーマンで終るでしょう。サラリーってのは、昔、男が働いた分だけもらう塩のことだと聞いたことがあります。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一生地道に、自分と家族の塩だけ働こう。娘にも塩のように地味でいい、地道に、人間として、まっすぐな道を――」
塩子、出られない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「そういう父親の願いを」
[#ここで字下げ終わり]
とび込んでくる石沢。
修司には気づかず、軽薄な感じでまくしたてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「塩ちゃん、まだ? なんだよ、息せき切ってとんできたのに。ミナ公じゃーしょうがねえなあ」
ミナミ「あの(言いかける)」
石沢「待ち人|来《きた》ラズじゃなくて、恋人来ラズ」
[#ここで字下げ終わり]
修司に気づいてアッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――約束が違うじゃないですか」
石沢「―――」
修司「アンタ、ゆうべ何ていった。『申しわけありません』手ついてこれっきりにする。そう言ったんじゃないですか」
石沢「―――」
修司「イラストレーターってのは、ペテン師ってことですか。人の娘だまして、親だまして、こういう年寄、だまして」
石沢「だましたわけじゃないですよ」
修司「だましてるじゃないか」
石沢「だましてはいない。惚れただけですよ」
修司「カッコのいいこと、言うな。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]惚れたら惚れたでやり方、あるだろ。ほんとに惚れたんなら、相手の幸せ、考えるのが、男じゃないのか! 女房子供ありながら」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「その通りです。でもねえ、それ、出来ないのが男じゃないんですか」
修司「――(何かいいかける)」
石沢「その通り出来りゃ、文学も、オペラも――世の中に芸術は生まれないんだよ。間違ってる、いけないと判ってて、みんな」
修司「それ、我慢するのが、人間だろう」
石沢「(失笑する)そりゃまあ(言いかける)」
修司「なにがおかしい!」
[#ここで字下げ終わり]
修司、胸倉をとる。もみ合いになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「最低だよ。男として、最低だよ」
石沢「あんたの娘が惚れてくれたんだ。最低ってこたァないでしょう」
[#ここで字下げ終わり]
一同の手前、石沢も多少、格好をつけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「男としちゃ、お父さんよか魅力があるんじゃないですか」
修司「お前にお父さんと呼ばれる筋合いは」
石沢「そういうイミで言ったんじゃないですよ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢ちょっと笑ってしまう。
修司、カッとなりブン殴ってしまう。
とびだす塩子、石沢をかばう。
ハラハラしてみていた庄治、間にとび込む。須江も。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「(石沢をかばいながら)お父ちゃん、お母ちゃん、よして! アブないよ」
修司「お父ちゃん、お母ちゃん――塩子、お前、この連中をそう呼んでるのか」
塩子「――(仕方なく居直る)そうよ。あたしのこと、本気になって気持聞いてくれたもの」
修司「それでマンションさがしてくれたのか!」
[#ここで字下げ終わり]
修司、庄治にも食ってかかろうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「帰ってよ」
修司「―――」
塩子「出てって!」
[#ここで字下げ終わり]
修司、塩子をにらみつける。
四、五人の客がどっと入ってくる。
修司、その真中を割って、おもてへとび出してゆく。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜明け)
廊下にぼんやり立っている高。部屋に坐っている修司とかね子。
二人とも寝ていない。目を閉じていたかね子、ついうとうととする。
修司、ムッとして、にらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「眠かったら、寝たらいいだろ」
かね子「眠くなんか、ないですよ」
修司「眠くない人間が、どして居眠りするんだ」
かね子「居眠りなんかしてませんよ」
修司「じゃ、こういうの、なんていうんだ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、居眠りをしてみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(呟く)小意地が悪いんだから」
修司「なんだと」
かね子「(また呟く)そういうやり方だから、帰るものも帰らないのよ」
修司「―――」
かね子「殴ることは、ないじゃないの」
修司「こっちだって殴るつもりで行ったんじゃないよ。成行きってもンがあるだろう」
かね子「(また呟く)なんかっていうと、ひとりで出かけてくんだから」
修司「お前も、行きたかったのか!」
かね子「あたしが一緒なら、もっとおだやかにはなし、してますよ」
修司「オレもそのつもりでいったんだよ。相手の出方があんまり(言いかける)」
かね子「お祭りのときと同じだわ……
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]寄附しろって廻ってきた町会の人の態度が悪いっていうんで町会へ文句言いにいったでしょ。けんかして帰ってくるから、寄附いつも千円のとこ、今年は三千円もしなきゃならなくなったでしょ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「こんなときにお祭りの寄附のはなし、するこたァないだろ! カンケイないトンチンカンなはなしするのはお前の一番悪いクセだぞ!」
かね子「――お父さんが出ると、いつもことを大きくしてぶっこわしちゃうってハナシじゃないのよ、カンケイあるわよ」
修司「(たばこをさぐるが、箱はカラ)」
かね子「(反撃に出る)あなたは、人の気持の判んない人なのよ」
修司「人の気持?」
かね子「そう。人間の気持! 家族の気持。女の気持!」
修司「どう判んないんだ!」
かね子「そんなこと、聞くだけ判ってないのよ」
修司「じゃあ、お前は判ってたのか」
かね子「―――」
修司「判ってたら、どしてこんなことになったんだ。娘が現に、女房子供のある男とつき合って、部屋まで借りて、ダブルベッド持ち込むまで、判らなかったんだぞ。お前、人間の気持が判るっていえるのか!」
かね子「あたし一人の責任ですか」
修司「そういうことは母親だろ」
かね子「半分こじゃないんですか」
修司「じゃ、今度はお前行ってこい」
かね子「どこいくの――」
修司「あっちのマンションいって、塩子ひっぱってこい」
かね子「―――」
修司「俺ァな、塩子があの部屋で、あの男とダブルベッド(言いかけて絶句する)一緒にいると思うと、もう、いてもたっても、いられないんだ!」
かね子「―――」
修司「行って塩子、引っぱってこい」
かね子「(呟く)やですよ」
修司「――おい」
かね子「そんなとこ、いくの、やですよ」
修司「お前、母親だろ」
かね子「母親だから、やなのよ」
修司「―――」
かね子「そんなとこ、見たくないわよ」
修司「見にいけっていってンじゃない。引っぱってこいって、いってんだ」
かね子「(動かない)」
[#ここで字下げ終わり]
時計が四時を打つ。
立ち上る修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「―――」
修司「お前がいかないんなら、俺がいく!」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・部屋[#「メゾン・タカシマ・部屋」はゴシック体](夜明け)
ダブルベッドに塩子はねむっている。ただし、相手はミナミである。ベッドに互い違いの姿勢で。
SE ドア・ノック
塩子が目をあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「どなた?」
[#ここで字下げ終わり]
はげしいノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(声)「わたしだ。ここ、あけなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
はげしくノックする修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子! ここ、あけなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●部屋[#「部屋」はゴシック体]
目をさますミナミ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(声)「塩子! 塩子、よし、じゃあ、塩子はいい。石沢君! 石沢君! ここあけなさい。石沢君」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、ベッドの上に体を起し、だまっている。
ノックはますますはげしくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(声)「石沢君!」
ミナミ「いないって言やあいいじゃない」
修司(声)「石沢君!」
ミナミ「ねえ、どして、言わないの」
修司(声)「石沢君!」
ミナミ「いません」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけるミナミの口を、ベッドの上でプロレスの体当りのようにして、ふさぐ塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(声)「石沢君、どしてあけない! 君!」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
ドアを叩き、どなる修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「石沢君」
塩子(声)「帰ってください」
修司「お前に言ってンじゃない。石沢君に言ってンだ。とにかく、ここあけなさい」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「殴ったこと、腹立ててるんならあやまる! はなし、しようじゃないか。あけなさい」
[#ここで字下げ終わり]
中からは、何の返事もない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あけろ! 石沢君、君は卑怯《ひきよう》だぞ。どしてあけない! どして黙ってる! 男なら、ここあけて、どんなつもりでこうしたか、これから、どうするつもりか、はなしする義務があるだろ。(叩いて)卑怯だぞ。オレはそういう男、大嫌いなんだ! あけろ! あけなさい」
塩子(声)「あなた、あけないで」
[#ここで字下げ終わり]
落着いた、人妻のような塩子の声音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――あなた……」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「そうか。それなら、もういい、もういい」
[#ここで字下げ終わり]
●部屋[#「部屋」はゴシック体]
ミナミ、ドアにとびついて、あけようとする。体ごと抑えこみ、あけさせない塩子。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
修司。
隣りのドアがあいて人がのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「もう、親でもなけりゃ、子でもない。勝手にしたら、いいだろ」
[#ここで字下げ終わり]
未練がましく、しばらく立っている。
それから、出てゆく。
●部屋[#「部屋」はゴシック体](夜明け)
塩子とミナミ、また、互い違いにベッドに入る。
塩子の目から涙が流れる。
●石沢家・リビング[#「石沢家・リビング」はゴシック体](夜明け)
イラストの仕事をしている石沢。
アイスノンで頬を冷やしながら。
コーヒーを持って、入ってくる環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「腫《は》れ、引かないわねえ」
石沢「―――」
環「殴ったの、女じゃないわね」
石沢「―――」
[#ここで字下げ終わり]
何かあるらしいという感じで、じっとみている環。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜明け)
じっと坐っているかね子。
●朝の街[#「朝の街」はゴシック体](夜明け)
帰って行く修司。
塩子の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子(声)「あなた、あけないで(エコーでくり返す)」
[#ここで字下げ終わり]
声から逃げるように急ぐ修司。
急に足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「わたしは気がついたのです。中に男はいなかったのではないか。男はうちへ帰っていたのです。塩子は、それを親に見られるのが恥かしくて、かなしくて、わざといるように振舞ったのではないか」
[#ここで字下げ終わり]
歩き出す修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「わたしは急に腹がたってきました。塩子に、あの男に――そして、自分自身にです。あの男の言った通りです。ひと皮むけば、あの男と同じ気持を持っている自分自身に対して。何も出来なくて、その分、腹を立てている自分自身に対してです」
[#ここで字下げ終わり]
修司、いきなり街路樹に向って飛び蹴《げ》りをする。
ぶざまに転倒する。
その横を、脚の長いGパンの新聞少年が走ってゆく。朝霧の中を、起き上り、歩いてゆく父親のうしろ姿。
[#改ページ]
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](朝)
修司、かね子、塩子、高、四人が朝食を食べている。
トースト。紅茶。
目玉焼。おしんこ。
ごく一般的な朝食。
四人、黙々として食べる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「ごくごく一般的な、平和な朝の光景に見えるでしょう。三日前まではそうでした。朝の食卓には、屈託のない笑いがありました。だが、今は、違います。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]娘の塩子が、女房子供のある男に引っかかってしまったのです。
[#1字下げ]つきあっていたまじめな青年を振って、知らないうちに男と一緒にマンションを借りて、ダ、ダ、ダブルベッドまで運び込んでいたことが、表沙汰になってしまったのです」
かね子、沈黙に耐えかねる。わざと普通に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お天気、どうかしらねえ」
修司「天気か? 天気は――曇りじゃないか」
かね子「曇り……ですか」
修司「天気予報は、曇りだな」
かね子「曇りですか」
[#ここで字下げ終わり]
また沈黙。
モグモグとパンを食べる。
かね子、目を白黒させて、話題をさがす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あの、靴ですけど」
修司「靴? 靴――」
かね子「黒でいいですか」
修司「黒に決まってるじゃないか、背広が紺なら。赤い靴持ってるわけじゃないだろ」
かね子「そりゃ、そうですけど。――(呟《つぶや》く)靴は黒……」
[#ここで字下げ終わり]
また間があいてしまう。
高がタクアンを食べる。
バリバリと妙に大きな音がしてしまう。
高、弱って、そのまま、やめる。
気弱く、音のしないように、そっとしゃぶるようにする。
修司、ムッとしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なにやってンだ、お前は」
高「―――」
修司「年寄りじゃあるまいし、いい若い者が、タクアン、歯の土手で、しゃぶる奴があるか! タクアンてのは、食うとき、音が出るんだよ、バリバリバリバリバリバリ、遠慮しないでやれ!」
高「(バリバリ食う)」
修司「そうだよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司もタクアンをとり、口に入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「(口の中で、ほとんど聞きとれぬほどの小さな声で呟く)ごちそうさま」
[#ここで字下げ終わり]
食べた皿を持って、席を立ち、台所のほうへ出てゆく。
三人、何となく息をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高「(これも、姉よりももっと小さな声でモソモソと)ごっさま」
[#ここで字下げ終わり]
スーと出てゆく。
残った夫婦、声をひそめてすばやい会話。
塩子は台所で、水でものんでいるらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「帰りの時間――」
かね子「え?」
修司「帰りの時間。塩子」
かね子「聞いたって(目で言やしませんよという感じ)、
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]――お父さん(聞きゃいいでしょ)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「そういうことは(お前――)」
かね子「帰る時間、関係ないでしょ」
修司「え?」
[#ここで字下げ終わり]
廊下を、スーと通ってゆく塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「ゆこうと思えば、昼間だって――」
修司「え?」
かね子「マンション。借りてる……」
修司「―――」
かね子「塩子だって、あの人――石沢さんだって」
修司「朝っぱらからあの男の名前なんか口にするなよ」
かね子「――二人とも、時間、自由になるんだもの」
修司「だから、イラストレーターだの編集者ってのは、嫌いなんだ」
かね子「――夜は、ここんとこ、ずっと早いですよ」
修司「―――」
かね子「帰ってきただけだって、いいと思わなくちゃ」
修司「―――」
かね子「あたしあれっきり、うち帰って来ないと思ってた……」
修司「………」
かね子「こういうことは、無理したって(ダメ)首にナワつけて、しばっとくわけにゃいかないんだから」
修司「そんなことはお前に言われなくたって」
かね子「シッ――」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、玄関へ出てきた気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「(明るい声)いって参りまーす!」
かね子「(反射的にこれも明るく叫ぶ)いってらっしゃーい!」
修司(N)「女ってやつは、全く芝居が上手です」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
仕事をしている修司。
私語ひとつしない、時折の電話のベルのほかはタイプの音だけ。
タイプを打つ宮本睦子の姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「仕事が手に、つきません。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]塩子のゴタゴタがなければ、あの晩、わたしは、あの子と、生涯ただ一度のアバンチュール――いや、この際、わたしのことはいいのです。それより、今頃は――と思うと――」
●イメージ・メゾン・タカシマ[#「イメージ・メゾン・タカシマ」はゴシック体]
石沢、イラストの仕事をしている。
甲斐甲斐《かいがい》しくコーヒーをいれる塩子。
うしろにダブルベッド。
石沢、塩子をダブルベッドに押し倒す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「クソッタレッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
大川が、ヘンな顔をして立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「クソッタレめが――(言ってしまって)ハハ、ハハハ。これ、死んだおやじの口ぐせ。年をとると、親に似てくるねえ。やんなるよ」
[#ここで字下げ終わり]
大川、義理で笑い、書類を置いていってしまう。
義理でのぞきながら、また考える目になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「こんなことなら、まだあの男のほうがマシでした。塩子が、つい最近までつき合っていた佐久間です。二流の会社につとめている二流の男です」
[#ここで字下げ終わり]
修司、書類に佐久間の似顔絵を書いている。ヘタクソだが、なかなか似ている。
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体]
塩子、ミナミ、カメラマンが仕事の打ち合せをしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「プランタン(店の名前をメモする)」
ミナミ「なんかさ、インテリアが面白いんだってさ。そこんとこ中心に聞いてきて」
塩子「OK。場所」
ミナミ「(地図を描く)」
塩子「そのあと、青山へ廻るから、そっちも段取りつけてよ」
ミナミ「時間、なくなるよ」
塩子「なんの時間」
ミナミ「―――」
塩子「気、廻さないでよ」
ミナミ「待ってんだろう」
塩子「―――」
ミナミ「いかないの」
塩子「―――」
ミナミ「どして」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあいて、誰か来た感じ。
カメラマン、応対しているが、塩子を突つく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
カメラマン「ゴマ塩にお客さん」
[#ここで字下げ終わり]
ドアの外に、のっそり立っている佐久間。
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体]
時間をはずしたせいか、ガランとして誰もいない。
明るいたのしい音楽が流れている。
隅のほうに向き合ってすわる塩子と佐久間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「(無表情で、ポツリポツリと話す)あたし、好きな人、出来たの」
佐久間「――(じっとみつめる)」
塩子「年は三十八歳。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]イラストレーター。
[#1字下げ]奥さんも子供もいるわ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「―――」
塩子「結婚出来ないの、判ってるわ、でも、好きなの」
佐久間「―――」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、バッグをさぐって、カギを出し、テーブルの上に、ガチャンと置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「二人で借りたマンションのカギ」
佐久間「―――」
[#ここで字下げ終わり]
沈黙する二人の間に光るカギ。
甘い音楽。
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
仕事をしている石沢。
ドアをノックする音。
石沢、エンピツをおっぽり出してパッとドアをあけ、抱きすくめる。
ギョッとなる、野球帽をかぶった、小肥りにふとったにきびだらけの冴《さ》えない御用聞き。
もがいて振りはなす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「なんだい、君は」
クリーニング屋「クリーニング屋ですけど」
石沢「うちは、クリーニング、いいんだ。ここ仕事場だから」
[#ここで字下げ終わり]
クリーニング屋、おびえた目で石沢を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「女の子と間違えたんだよ。オレ、そんな趣味ないよ」
[#ここで字下げ終わり]
バタバタと走ってゆくクリーニング屋。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「(くさって)頼まれたって断わるよ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアをしめる。
仕事をはじめる。
手をとめる。
壁の白黒のヌード写真。
見ながらダイヤルを廻す。
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体]
割付けをしているミナミ。
電話を首にひっかけながらしゃべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「ゴマ塩は、出かけてる! 取材!」
石沢(声)「行先、判んないかな」
ミナミ「あっちこっちだから――」
石沢(声)「(声をひそめて)こっち、くるっていってなかった?」
ミナミ「さあ、なんか、夜おそくまで、予定つまってたみたいだけど」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
電話を切る石沢。
ダブルベッドの上にひっくりかえる。
●代々木公園[#「代々木公園」はゴシック体]
芝生に寝ている塩子。
ウォークマンを聞いている。
うつろな目。
●「梅干」・店[#「「梅干」・店」はゴシック体]
開店前の準備をしている庄治と須江。
イモの皮ムキをしたり、タクアンを切ったり、絶えず手を動かしている。
いろりのところにすわっている石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「じゃあ、ここへも来てないの」
庄治「うん……」
須江「あれっきり――ほら、石沢さんが、塩ちゃんのおとっつぁんに(横面)バーンとやられた――」
庄治「(小さく小突いて)よせ、バカ」
石沢「あれっきり、全然?」
須江「全然」
庄治「俺ァまた、そっちへ行きっきりだとばっか、思ってさ」
石沢「いや――」
庄治「塩ちゃん、会社のほうは出てンだろ」
石沢「なんか、やたらと仕事取ってめいっぱい、やってるらしいんだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
たばこをくわえる石沢、ライターがない。
庄治、箱マッチをほうってやる。
(間)
大きなカマで、たきたての飯を、ジャーにうつしている須江。
湯気の向こうから、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「さましてンじゃ、ないかねえ」
石沢「?」
須江「自分の気持をさ、(吹いて)フウッ、フウッってさ、さましてンのよ」
庄治「おやじさんに、ああ出られちゃなあ」
石沢「―――」
庄治「石沢さんよ。あんたのためにも、そのほうがいいんじゃないのかい」
石沢「―――」
庄治「女房や子供のこと考えてさ、このへんで(言いかける)」
石沢「(言わさない)飛行機だけどさ(言いかける)」
須江「ヒコーキ、あたし、ダメ。地ベタに、足、ついてないでしょ。信用出来ないのよ」
石沢「乗ってくれっていってンじゃないんだよ、ハナシ! 飛行機って、こう、こう――。滑走してさ、グーと、グーと、こうアがるでしょ」
庄治「(のり出す)ジェットは、こうだよ(角度を急にして)プロペラはこう。昔のアンタ、赤とんぼなんてのは、バァー(やり出す)」
石沢「そういうハナシじゃないんだよ。ジェットでもプロペラでもいいんだよ。飛行機にゃね、引き返し不能地点てのが、あるんだよ」
二人「引き返し不能地点――」
石沢「(低い位置)これくらいならやめて着陸すること出来んだよ。ところが、ここまでアがっちまうと、もう駄目なんだよ。引き返すこと、出来ないんだよ」
須江「どしても、引き返せっていったら、どうなんの」
石沢「ツイラクしか、手がないね」
須江「おっこっちまうの――」
石沢「ここまで来たら、あとはもう、飛ぶしかないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
二人、また、黙々と手仕事をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「水だって、せきとめられりゃガァっと、いっぺんにあふれるもんなあ」
石沢「(呟く)おやじさんだな。問題は、おやじだよ」
須江「もう、アンタよしなさいよ。逢《あ》やあ、また、これ(けんか)なんだから」
石沢「逢うわけないだろう。もう顔見るのもごめんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
●ビル街[#「ビル街」はゴシック体]
歩いている石沢、見上げる。
ビル、ビル。
●ビル・入口[#「ビル・入口」はゴシック体]
赤電話をかけている石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あ、あの、第二資材部長の古田さん――は、席外している――?
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]地下の――『泉』――喫茶店――」
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体]
修司と上っぱり姿の宮本睦子。
修司、しかつめらしい顔で身上相談にのってやっている。
睦子も切実な感じで訴える。
それは、そのまま甘えであり、求愛である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「ぼくは反対だなあ。ひと口に水商売といったって、ピンからキリまである。君の場合、叔母さんの店なんだから、そりゃもう、大丈夫なのは判ってるよ。だけどね、宮本君、バーはバーなんだよ」
睦子「―――」
修司「将来、結婚したい人があらわれる」
睦子「(じっと修司を見る)」
修司「必ずあらわれる」
睦子「――結婚なんか考えてません」
修司「そりゃね、宮本君、二十七の判断だよ」
睦子「六です」
修司「――二十六か――」
睦子「――うちのためってこともあるけど、あたし、そんなに嫌いじゃないんですよね」
修司「どしても、やめるか。――」
睦子「そういうこと、いろいろ相談したかったのに――」
[#ここで字下げ終わり]
情感をこめて、じっと見つめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「すまなかった」
睦子「あの晩、あたし約束したあのレストラン、いったんですよ。ひとりで、ごはん食べて」
修司「悪かった。必ず、埋め合わせする」
睦子「また、すっぽかされるんじゃないかな」
修司「今度こそ――なんなら、今晩でもいいんだが……実はね、病人なんていったけど、いろいろ、あったんだ」
睦子「?」
修司「娘が、つまんない男に引っかかっちまってさ」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店・外[#「喫茶店・外」はゴシック体]
ガラス窓のところに石沢、立って、中を見る。
話し合っている修司と睦子。
二人の足、(ひざのあたり)ふれ合っている。
修司、睦子のグラスの水をのむ。
ハッとする感じの睦子。
見てしまう石沢。
話し合っている二人。
じっと見ている石沢。
修司が腕時計をのぞく。
悪いけど、先へ立つよという感じで、伝票をつかんで立つ。
残っている睦子のコーヒー。
君はゆっくり休んでゆきなさい、という感じで、肩に手を置いて出てゆく。
石沢、すばやく反対側の物かげにかくれて、やりすごす。
修司が、セカセカと出てゆき、見えなくなったのを見定めてから中へ入って行く。
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体]
コーヒーの残りをのむ睦子。
石沢、そばへゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「いいですか」
睦子「どうぞ、あたし、もう――」
[#ここで字下げ終わり]
すぐ立ちますからという感じ。
石沢、手で制しながら、さも感心したという風に首を振る。
じっと見つめて(石沢としても必死)、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「――なるほど、目の高い男もいるんだなあ」
睦子「え?」
石沢「いまの人、彼氏でしょ」
睦子「(警戒の色)違いますよ。うちの部の部長よ」
石沢「え? あ、そう。部長さん――」
睦子「そう、堅いんで有名な部長さん」
石沢「でも、あんたに、夢中だね」
睦子「いい加減なこと、いわないでください」
石沢「怒るとこ見るとアンタ自分でも気がついている」
睦子「――このビルにつとめてる人ですか」
石沢「全然関係ない人間。このビル、くるの、一年に一ぺんあるかなし」
睦子「(少し安心する)」
石沢「惚《ほ》れてるな、あの目は……」
睦子「――どこがいいのかしら、色気なんかないのに」
石沢「そこがいいのよ。大したことないのに、ほら、こういうの(セクシーなポーズ)多いでしょ。あんたみたいに自分の持ってる宝ものに気がついてない女に――男は、ぐっとくるのよ」
睦子「それでかしら、部長さん」
石沢「さそったでしょ」
睦子「どうするかなあ……」
[#ここで字下げ終わり]
目に意味をもたせてうなずく睦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「つきあってやんなさいよ、一回ぐらい――(切実)」
睦子「ひとのことだと思って、カンタンに、言うわねえ」
石沢「ハハ、ハハハ(複雑に笑う)」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ・ラブホテル[#「イメージ・ラブホテル」はゴシック体]
うしろ向きになってブラウスをぬぐ睦子。
ダブルベッドに腰かけて、上衣を脱ぐ修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
大川「部長、部長!」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
修司、大川。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
大川「お電話です」
修司「(威厳をつくって)だれから」
大川「第二建設の佐久間さんて方――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、電話とる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「おう、佐久間君」
佐久間(声)「はなしがあります。今晩、お宅へ伺って、いいですか」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・玄関[#「古田家・玄関」はゴシック体](夜)
くつぬぎに男物の靴。
階段を下りてきて、茶の間の様子をうかがっている高。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子(声)「さあ、お楽になすって――」
修司(声)「なんだい、はなしって――」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
修司、かね子、佐久間。
ビール、すしなど。
佐久間、固い表情で、押し黙っている。
修司のついだビールにも手を出さない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「どしたの。まあ、ぐっといこうじゃないの」
佐久間「――失礼します」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、いきなり腰を上げ、玄関のほうへゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修 司 )「佐久間君!」
かね子  「佐久間さん!」
[#ここで字下げ終わり]
追いすがる夫婦。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「はばかりか。帰るのか」
佐久間「帰ります」
修司「なんだい、そりゃ。ハナシがあるって、そいったのは君のほうだぞ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こっちだって、いろいろ、その……予定があるのを、都合して帰ってきてるのに――」
[#1字下げ]佐久間「いや。オレ、ボク――(ひとりで、口の中でモゴモゴ)やっぱり――言っちゃいけないんだよ。言ったら卑怯《ひきよう》だ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「え?」
修司「卑怯……」
佐久間「なにも、言わないで――帰ります――帰りますけど――」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、いきなりグラスいっぱいのビールをぐいぐいとのみ干す。
その勢いを借りて急に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「ひとことだけ、言わしてください。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]親は、親は、一体、なにしてたんだ!」
夫婦、顔を見合わせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「――俺はいいよ。俺はいいけど、あんたたちにとっちゃ、たった一人の娘じゃないすか。の、のんき、すぎるよ!」
二人「―――」
佐久間「失礼します!」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、パッと立って出てゆこうとする。
修司、体でとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なにか――聞いたのかい」
[#ここで字下げ終わり]
今度は、佐久間がハッとする番。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「――知ってたんですか」
修司「(辛《つら》い)いやあ、その」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、かね子を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「―――」
佐久間「知ってたんですか」
二人「―――」
佐久間「塩子さんのこと、知ってるんですね」
二人「―――」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、二人をすばやく、かわるがわる見る。二人、しどろもどろ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「そりゃまあ、全然知らないわけじゃないよ」
かね子「この間からねえ、おかしいなって――」
[#ここで字下げ終わり]
二人、さぐりさぐり言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「――(呟《つぶや》く)おかしいな、なんてもんじゃないでしょ!」
修 司/「――君は、ど、どのくらい、知ってンだ」
佐久間\「そっちは、どのくらい、知ってンですか」
修 司 )「いや、どのくらいって」
佐久間  「どのくらいって、うーん(うなる)」
かね子「佐久間さん、だれかに、お聞きになった――」
佐久間「本人ですよ」
かね子「塩子、なんて――」
佐久間「言ってもいいんですか」
二人「――(うなずく)」
佐久間「オレ、言いつけぐちは、嫌なんですよ」
修司「いいから、言ってくれ」
佐久間「好きな人が出来た」
二人「―――」
佐久間「イラストレーターで年は、三十八歳」
二人「―――」
佐久間「女房子供もいる男で――」
二人「―――」
佐久間「結婚できないのは判ってるけど――好きだって――」
二人「―――」
佐久間「二人でマンション借りたって、カギを――」
修司「――その通りなんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
うなずく、かね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「いくらなんでも、恥かしくてねえ、言えなかったの」
[#ここで字下げ終わり]
二人――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「(しぼり出すような声で)ひどいじゃないですか」
かね子「ほんとになんていっていいか――」
修司「この通りだよ。佐久間君、物事にゃ、けじめってもンがあるよ。形だけにしろだ、君とつき合っていながら、その間に別の男とそういうことになってたというのは――」
かね子「塩子にすりゃ、迷ってたのよ。あっち、いっちゃいけない。こっちでガマンしとこ(あ、いけない)」
修司「バカ。とにかく、つき合いはこれまでにしてくれとハッキリ、形をとる前に、そういうことになって、君をコケにしたってことは、こりゃ、女のクズだよ」
佐久間「そういうこと、言ってんじゃないですよ」
二人「?」
佐久間「つき合ってた女の子が、ほかの男、好きになるのはしょうがないよ。オレに魅力、なかったんだから、こりゃ、しょうがないよ。そのこと、腹立ててんじゃないすよ。腹立つけど、怒るスジ合いじゃないよ。オレ怒ってんのは、そういうことじゃないよ」
二人「―――」
佐久間「お父さん、こないだ、何てったすか」
修司「―――」
佐久間「オレに何てったすか」
修司「佐久間君、たのむ」
佐久間「オレが、もう遅いんじゃないかっていったら――『いや、まだ間に合うよ』そういって、オレの肩、こうじわっと、叩いたじゃないすか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お父さん、あのとき、知ってたんじゃないすか」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「―――」
佐久間「塩子さんが、こうなってたって知ってて、ぼくにああいったわけだ」
修司「―――」
佐久間「オレは、なんだよ、オレは、一体、なんなんだよ」
修司「佐久間君――。(絶句してしまう)」
佐久間「こんな人バカにしたはなし――あんたたちが、オレのこと、気に入ってないってことは、はじめてここへ来たときから判ってたよ。それ、こういうことになると、手のひら返すように、これ(肩叩き)ですか! 自分の娘、泥沼から引きずり上げるために、オレ利用してるんじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
修司、たたみに手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「この通り一言もないよ。ただねえ、佐久間君、もう、見栄《みえ》も外聞もなかったんだよ。どんな汚ない手、使っても、あの男から塩子をとりもどしたいっていう親の気持も、どうか――」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、無言。
修司、自分に言ってきかせるように何度もうなずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「親の仕事だよなあ、こりゃ、逆立ちしたって君に頼んじゃいけなかったんだ、申しわけない――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、頭をさげる。
かね子もならう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「こうなった以上、もう、君と逢うこともないだろうが、どうか今度のことは忘れて――誠実な、いい伴侶《はんりよ》をみつけて下さい」
佐久間「―――」
かね子「どうも、長い間」
修司「半年だろ」
かね子「(小さく)こういうときはそういうもんなんですよ。――どうも長い間」
[#ここで字下げ終わり]
夫婦|揃《そろ》ってまた手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「――それ、待って(ください)」
修司「待て?」
[#ここで字下げ終わり]
二人、顔を見合わす。
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「(うめくように言う)オレ、やります」
二人「やります……(?)」
佐久間「やってみます」
二人「?」
佐久間「今からじゃ遅いかもしれないけど――やってみます」
かね子「でもね、佐久間さん、塩子はもうその人とマンションまで借りて」
修司「(わざと露悪的にいう)ダブルベッドまで持ち込んでんだよ。気持はありがたいが」
佐久間「いや、やります」
二人「―――」
佐久間「(ボソッという)惚れたってのは、そういうことですよ」
[#ここで字下げ終わり]
突然、修司がうつむく。
グウッとガチョウの鳴くような声を出す。
それから両手で顔をおおう。
泣いている。
嗚咽《おえつ》。
(間)
かね子も鼻をすする。
ハンカチをさがす。
ポケットをさがすがハンカチがない。
代りにティシュが三、四枚入っていたのをそのまま、わたす。
修司、目のあたりを拭く。
拭きながらあれっとなる。
ガムの噛《か》みカスが目尻にぶら下っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なんだこりゃ」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、鼻をすすりながら見て、アッとなる。
くっついているガム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「アッ!」
修司「(ガムをひっぱる)ガムじゃないか」
かね子「すみません」
修司「お前の噛んだカスか!」
かね子「(おかしい)」
修司「バカ!」
佐久間「あ、マツ毛につくと面倒だ。――あッ! ちょっと待って」
かね子「あ、佐久間さん、あたし――」
[#ここで字下げ終わり]
三人、オタオタやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「最後は極めてみっともないことになりましたが、――私は、こんなに恥かしいと思ったことはありません。今までバカにしていたこの男こそ、男の中の男だったのです。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それに引きかえ、この私、自分の部下の女の子にチョッカイを出し、それも手を出したり引っこめたりしているイクジのなさです。
[#1字下げ]全く全くお恥かしい!」
[#ここで字下げ終わり]
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体](夜)
残業しているミナミ。カメラマンたち。
隅でラーメンをすすり込んでいる塩子。ゲラを見ている。
電話が鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「『プレイタウン』編集部――なんだ、石沢さんか。ゴマ塩?」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、すばやくいないと言ってのサイン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「いない」
塩子「(口で)モ、モウ、帰ッタ」
ミナミ「もう、帰った。――時間? ううんと――」
塩子「(二本指)」
ミナミ「二時間前」
[#ここで字下げ終わり]
ミナミ、塩子の横顔を見ながらからかうように受話器を突き出す。
塩子、見もせずにラーメンをすすり込む。
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体](夜)
ダブルベッドに腰かけて、電話している石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あ、そう。なんか伝言――ない。あ、そう。どうも」
[#ここで字下げ終わり]
電話を切る。
机の上にやりかけの仕事。
●古田家・階段下[#「古田家・階段下」はゴシック体](夜)
二階に向ってどなっているかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「高さん、高! おすし、あるけど、食べない?」
高(声)「いま、いく!」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、玄関の電気を暗くして、茶の間へ入ってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
佐久間が帰ったあと。
灰皿にすいがらの山、ビールびん。
食卓の上には、食べたあとの、大きなすし桶《おけ》。
修司が、たばこをすっている。入ってくるかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「男の子に残りもの、食わすこと、ないだろ」
かね子「だって、もったいないじゃないの。すぐ色変っちゃうし、冷蔵庫へ入れりゃ、ご飯固くなるし、第一、これだって、あなたの月給のうちですからね」
修司「そういうとこで、ケチケチしなくたって」
[#ここで字下げ終わり]
ノッソリと高が入ってくる。
じろりと、すし桶の中を、のぞきこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高「なんだよ。ヘンなの、ばっか」
修司「食い残しに、いいもの、あるわけないよ」
かね子「丼《どんぶり》ものじゃないんだから。おすしでしょ。ハシつけたってひとつひとつ、別っこじゃないの。なんともありませんよ。ほら、高」
修司「よせ、出世前の男の子が、ひとの食いのこし(言いかける)」
高「出世なんかしないから、いいけどさ、イカとトリ貝じゃさ」
修司「食いたかったら、もう一人前頼めよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、やりきれない気持。妙にムキになっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「一人前なんか持ってこないわよ」
高「いいよ、これで」
修司「よせっていってるだろ!」
かね子「(高に)よしなさい」
高「なんだよ。人呼んどいて、食えっていったり食うなっていったり」
かね子「(わざと嫌味に)お父さんがよせっていうんだから、よしたほうがいいわよ」
高「なんだよォ」
[#ここで字下げ終わり]
高、ブスッとして出てゆきかけるが不きげんな顔で坐っている二人がすこし、気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高「(ついのんきに)そうだ、姉さん、もう帰ってくるから、ちょうどいいじゃない」
かね子「ああ、塩子、トリ貝、好きだから」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、すし桶の中で、バラバラになったすしを一カ所に集めようと、ハシをのばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あんなモンに食わすことない!」
かね子「お父さん」
修司「オレが食うよ」
かね子「(はしを押さえる)コレステロールが多いわよ」
修司「コレステ(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
じろじろと父の顔を見ていた高――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高「あれ目どしたの? 赤いよ、ここんとこなんかついてる」
[#ここで字下げ終わり]
ガムがマツ毛にくっついて、白くのこっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(目くばせ)いいの」
高「え?」
かね子「(言うなと片目をつぶる)早く二階!」
[#ここで字下げ終わり]
高、じろりと二人を見て、出てゆく。
修司、白くくっついたまつ毛でパクパクとやけになって、すしを食う。だんだん腹が立ってくる。ムキになって食べる。突っかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「お前、今日、なにしてた」
かね子「え?」
修司「今日一日、なにしてた。アカの他人の佐久間が、いかに惚れてるとはいえだ、アカの他人があれだけ親身に塩子のため、思ってくれるっていうのにお前、今日、一日何してた」
かね子「洗濯したり、買物いったりアイロンかけたり」
修司「それでいいと思ってんのか。母親として、それで済むと(思ってんのか)」
かね子「じゃ、あなたは、今日一日、なにしてたの」
修司「え? そりゃ、俺は会社で、一生懸命、仕事してたよ」
[#ここで字下げ終わり]
少しやましい修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――同じですよ。いつもと同じに――いつもより丁寧に洗濯して、アイロンかけて、くよくよしたり、気が立ったりしてるから、気の抜けた味になったり塩からくなったり、しないように気をつけて、おだいどこして。それより、ほかに何が出来るっていうんですか」
修司「―――」
かね子「主人や子供が外でどうしようと、うちにいる人間はいつもと同じようにして、待ってるよか、ほかにしょうがないのよ」
修司「おれは何もしてないよ。何言ってンだ」
かね子「お父さんのことなんか誰も心配してませんよ」
修司「一緒にすンなよ」
かね子「逆ならよかったのよ」
修司「え?」
かね子「お父さんが浮気してくれたほうがよっぽど楽だったっていってるのよ」
修司「おい」
かね子「世間に例のないことじゃなし、いまさら、家庭破壊するってこともないでしょ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あたしひとりがガマンすりゃ済むことだもの。塩子はそうはいかないでしょ。このままだとあの子、――女の一生、メチャメチャだわ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「太平楽いってるけど――その身になったら――そうは、カンタンにゃ、いかないんじゃないか」
かね子「絶対にやらないって判ってるから、そんなこといってるのかな」
修司「そうだよ」
[#ここで字下げ終わり]
SE 玄関ベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あッ! 帰ってきた!」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、玄関へとび出そうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「娘がうち、帰ってくるの、あたり前だろ。鼻の穴、ふくらまして、飛び出してくことないよ」
かね子「(口の中で)自分だって、同じ顔したくせに」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、夫をちらりとにらんで、出てゆく。
玄関の戸をあける音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(ごく普通の声で)おかえり」
塩子(声)「ただいま……」
[#ここで字下げ終わり]
修司、すわって聞いている。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
靴をぬいでいる塩子、かね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「ごはんは?」
塩子「食べてきた」
かね子「そう」
塩子「あ、門しめていいの」
かね子「うん、しめてちょうだいな」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、門をしめに出てゆく。
かね子、脱兎《だつと》のごとく茶の間にとび込む。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
ちょうど出てゆこうとしている修司の帯をつかむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「どこいくの」
修司「フロ入って、ねるよ」
かね子「まだそんな時間じゃないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、低い声、物凄《ものすご》い早口で、すばやく言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「ハナシ、してくださいよ」
修司「誰と」
かね子「塩子に決まってるでしょ」
修司「はなしなんかないよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、逃げようとする。
帯をつかんではなさないかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お父さん――」
修司「男と、イチャイチャしてきた娘と――」
かね子「そんな言い方」
塩子「(普通の声)門灯、消していいのォ」
かね子「(ごく当り前の声で)いいわよォ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](またパッと凄い声になって)ここへ、呼びますから、ハナシ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なんのハナシ、すんだよ」
かね子「なんでもいいから。怒らないで、普通のハナシ――(親指を立ててみせる)このことはナシ」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、くる気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(のんびりと)晩ごはん何たべたのォ」
塩子(声)「会社でラーメン」
修司「嘘《うそ》つけ!」
かね子「シッ! (恐《こわ》い顔で夫をにらみながら、声はごく普通に)おすし、あるよ。お客さんみえて、とったの、あまってるから。――おつまみよ」
修司「おい――」
塩子「(のぞく)だれ、来たの」
修司「(言いかねる)」
かね子「(一瞬早く)お父さんの会社の人」
塩子「だあれ」
かね子「宮本さん」
[#ここで字下げ終わり]
修司、目を白黒。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「宮本さん? どんな人だっけ」
かね子「資材部の――タイプだった? お父さんの下の女の人、いつか電話かけてきた」
修司「そうそう、タイプのことでなァ。――そうそう」
塩子「ああ――」
かね子「早く手、洗ってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、洗面所へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「おい――」
かね子「(目くばせして)佐久間さんのことは(言わないほうがいいという感じ)」
修司「判ってるよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、すわり直す。
小皿にしょう油をつけたり、ハシを出したりしているかね子を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「宮本というのは、――例の女の子です。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女房がどうして、とっさの場合に、あの子の名前を言ったのか。
[#1字下げ]――冷汗が出てきました――」
●階段[#「階段」はゴシック体](夜)
高がのそのそとおりてくる。心配そうに茶の間をうかがう。
塩子がすわって、すしを食べているのが見える。
入ってゆく高。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
すしをつまんでいる塩子。夕刊をひろげている修司。
番茶を入れているかね子。かね子、そっと修司を突つく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――仕事は忙しいのか」
塩子「ちょうど、締切だから」
修司「フーン」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
修司、新聞の間からチラチラみる。
かね子、また突つく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「編集部ってのは何人いるんだ」
塩子「五人――あ、そうだ、一人やめたんだ」
かね子「なんでやめたの」
塩子「結婚」
修司「正式の結婚か?」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、夫をつねる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「(ギクリとこたえるが、すぐ普通の顔で)結婚てのは、みんな正式なんじゃないかな」
修司「そりゃそうだ。正式でないのは、結婚とはいわないんだ」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、ギュッと夫をつねりながらのんびりと、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お式は、いつなの?」
塩子「さあ」
修司「さあって、式あげないのか」
塩子「あたし、そんなに親しくないから」
[#ここで字下げ終わり]
修司、立ち上る。
かね子、裾《すそ》をおさえるが、振り切るようにして出てゆく。
●縁側[#「縁側」はゴシック体](夜)
暗い縁側に立って夜の庭を見ている修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「居たたまれませんでした。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの男と逢《あ》ってきた娘と、顔を合わせていることに耐えられなかったのです」
●石沢家・玄関[#「石沢家・玄関」はゴシック体](夜)
石沢が帰ってきたところ。
例によって自堕落な格好でドアをあける環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「ただいま」
[#ここで字下げ終わり]
環、びっくりする。
次の瞬間、ふっと笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「なんだい」
環「あなたでも、ただいまなんて言うことあるのね」
石沢「――寝たのか、朝子」
環「こんな遅くまで起きてるわけないでしょ」
石沢「そうか」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、ケーキの箱を環に突き出して奥へ入ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「――珍しいわね。どうしたんだろう」
[#ここで字下げ終わり]
●子供部屋[#「子供部屋」はゴシック体](夜)
ねむっている朝子。
じっとみている石沢。
毛布の外に出している手を中に入れてやりかけ、小さなその手を握っている。それから、朝子のてのひらをひらいて、みつめる。
うしろから環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「なに、みてるの? 手相?」
石沢「子供に手相はないだろ」
環「あるわよ、赤んぼにだってあるもの」
[#ここで字下げ終わり]
石沢が朝子の手を、毛布のなかにいれようとする。
環、そうさせずに一緒に朝子の小さな掌《てのひら》をひろげてみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「父親と縁がうすいって線が出てるんじゃないの」
石沢「おい――」
環「死別じゃなくて、生き別れ」
石沢「目、覚ますぞ」
[#ここで字下げ終わり]
環、小さく笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「どっちにしても、あんまり幸せな手相じゃないわね、朝子は」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、よせ、と目顔でいう。スタンドを消し、環をうながして、部屋を出る。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
ショートケーキを食べる環。
番茶をのみながら夕刊に目を走らせている石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「子供の前で、バカなこというんじゃないよ」
環「ショートケーキって、しみじみ食べると、かなりおいしいもんなのねえ」
石沢「―――」
環「イチゴと生クリームのとり合わせか。なまなましいけど、いいわね。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]イチゴのまわりが、血がにじんだようになるとこも、いいなあ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「―――」
環「色っぽいわねえ。このお菓子。なんか、やきもちやけちゃうなあ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、答えず。
夕刊の向う側。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「―――」
環「夕刊てのは、ずいぶん、人助け、してるなあ」
石沢「え?」
環「夕刊のおかげで、ずいぶん沢山の男が、顔、かくすこと、出来るじゃない」
石沢「―――」
環「新聞社も察しがいいよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そうか、新聞社のエライ人も、ワルイことしてたんだ。そいでさ、夕刊、てのを考えたんだ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「――あんまり飲むなよ。習慣になるぞ」
環「知ってたの」
石沢「―――」
環「はじめは、苦《にが》かったな。クスリだと思って、なめてるうちにこの頃じゃ、おいしいと、思うようになっちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、夕刊をおいて立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「(呟《つぶや》く)よせ、飲むな、とは言わないのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●洗面所[#「洗面所」はゴシック体](夜)
なにかのしぐさをしかけたまま、じっとしている石沢。
●古田家・洗面所[#「古田家・洗面所」はゴシック体](夜)
同じような感じでパジャマの塩子が、じっと立っている。
●石沢家・洗面所[#「石沢家・洗面所」はゴシック体](夜)
じっとしている石沢。
辛《つら》くて苦い顔。
洗面台には、環のと朝子の赤い小さな歯ブラシがコップに入れておかれている。
石沢。
離れたところでじっとみている環。
●古田家・居間[#「古田家・居間」はゴシック体]
昼下り。
どこからか、子供のひいているらしいピアノの練習曲が聞こえてくる。
たどたどしい指のはこび、ときどき間違える。
縁側の障子に、奇妙な影が出来ている。
ヨガの形である。
ピアノ曲――。
SE 玄関のベル
ヨガをしているかね子。
目をあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三河屋(声)「三河屋ですゥ」
かね子「ハーイ! いまいきます!」
[#ここで字下げ終わり]
かね子の影法師、起き上る。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
玄関をあけるかね子。
黒いタイツの上に、巻きスカートをつけただけの格好。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「三河屋さん、今日は間に合ってるわ」
[#ここで字下げ終わり]
三河屋の御用きき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三河屋「じゃあ、また。――あ、奥さん、また、これすか」
[#ここで字下げ終わり]
手をヘンな形で合掌させ、白目を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「それは忍者でしょ。ヨガも忍者も一緒なんだから」
三河屋「はやってんだってねえ」
[#ここで字下げ終わり]
いいながら、三河屋、植込みのかげを気にする。
一人の女が、植込みのところで、中腰になってハンドバッグを抱え込み、コンパクトを出して口紅をつけているところ。
かね子の気配に振り向く。
二人とも、アッとなって、凍りつく。
女は環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「石沢さんの――奥さん」
環「―――」
[#ここで字下げ終わり]
とたんに、環、逃げ出そうとする。
つっかけたダブダブのサンダルを脱ぎ飛ばしながら、門のところまで追いかけ取りすがるかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「待ってください」
[#ここで字下げ終わり]
環も、この段階で観念したらしく、抵抗をやめる。
くくくく、と笑い出す。その唇には、上半分しか口紅がついていない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「おどろいたわね、おどろいた」
かね子「――私だって」
環「(あなたが、という感じで指さして)お母さんだったんだ――」
[#ここで字下げ終わり]
二人の女、硬い顔で息をハアハアさせながら――
ヘンな顔をしてみている三河屋。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
向い合うかね子と環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「どして、ここが――お判りに――あ、ご主人おっしゃったんですか」
環「そんなこと、言う人じゃないわよ。(笑って)お金さえ出せば、なんだって調べてくれるとこ、あるんですよ」
かね子「じゃあ、うちの塩子のことも」
環「(うなずく)そちらも、それで、この間、うちの主人の個展にみえたんでしょ、娘を誘惑したのは、どんな男か見に――」
かね子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・個展会場[#「回想・個展会場」はゴシック体]
会場に入ってくる環と朝子。
朝子は、ペロペロキャンディをなめている。身なりをかまわず、化粧気もない環。
環、スーと石沢のそばに寄り、封筒に入ったものを手渡す。
石沢、朝子の頭をちょっとなでる。
さりげなくみているかね子。
●回想・通り[#「回想・通り」はゴシック体]
帰ってゆく環と朝子。
すれちがいざま、わざと朝子のキャンディを着物にくっつけてしまうかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あッ!」
環「あら――」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・喫茶店[#「回想・喫茶店」はゴシック体]
かね子、環、朝子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「結婚なすって――」
環「十年……」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、じっと朝子をみつめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「どちらさまですか」
かね子「あたし?」
環「お名前」
かね子「あたし?」
環「お名前」
かね子「(あわてる)いやですよ。名前、名乗るほどの者じゃございません。ほんの通りがかり」
環「そうかしら。石沢のこと、主人のこと、ご存知で、それでいらしたようにみえますけど」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体]
茶をいれるかね子。
黙って庭を見ている環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「あたし、奥さんのこと、そうだと思っちゃった」
かね子「あたしが? お宅のご主人の?」
環「(うなずく)」
かね子「(笑ってしまう)あたくし、いくつだと思ってらっしゃるんですか(ちょっとはしゃいでしまって恥じ入る)」
環「年、年関係ないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「親としては、お詫《わ》びしなきゃいけないんでしょうけど」
環「あやまってもらうために来たんじゃないんですよ――本当いうと、なにしにきたのか自分でもよく判らないの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うちにいても、落着かないから――四角いコンクリートの箱の中にすわってると、うちマンションなんですよ。頭の中に、大きな心配ごと抱えてると、マンションていけないわね。空気の抜け穴がないでしょ。ほら水栽培で、フリージァやなんかの球根育てるでしょ。あれと同じで、頭の中で心配ごとが、脳腫瘍《のうしゆよう》みたいにムクムクムクムク育っていって頭が破裂しそうになっちゃうんですよ。居たたまれなくなって外へ出て気がついたら、お宅の前に立ってたの――」
かね子、環の上半分しか紅のついていない唇が気になって仕方がない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――あのォ(気弱く言いかける)」
環「(気がつかずに)悪いのは、うちの主人なのよ。主人のほうから声かけたに決まってンだもの、それに、二十二ですか、お宅の――お嬢さん――」
かね子「三です」
環「ハタチすぎれば、もう立派な大人ですもの。親にどうこう言ったって――」
かね子「(ちょっと頭を下げる)」
環「なんて、それも、見栄《みえ》張った言い方だな。本当のとこいうと腹立ててたんですよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]自分の娘が、妻子のある男と一緒にマンション借りて――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「そこまでご存知なんですか」
環「堅い会社につとめてるらしいけど、親は何してンだろう、知らぬが仏ってこのことだと思って、どんな教育したんですかって、言ってやろう――。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気持の中ではそう思ってたんだけど、奥さんの顔見たら――ああ、知ってたんだな、だからこの間の個展みえたんだな。そう思ったら、あたし、親御さんも辛いだろう、と思って――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(ちょっと頭を下げる)」
環「うちの主人てねえ」
[#ここで字下げ終わり]
言いはじめる環。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あの、お話中ですけど――ここ――(自分の唇を指す)上半分しかついてませんけど」
環「え?」
かね子「口紅……」
[#ここで字下げ終わり]
環、みっともないくらいあわてる。
ハンドバッグを探って、コンパクトを出す。ひらいて顔をうつし、アッとなる。またあわてて、口紅をさがすが、逆上しているのですぐには見つからない。
やっとみつけてつけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「いつも、上だけつけて、こやって(唇をきつく結んで)下へうつすもんだから」
かね子「あたしも、おんなじ――」
[#ここで字下げ終わり]
環、下唇に口紅をつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「(フフと自嘲《じちよう》の笑い)こないだ言ったことと、ずいぶん違うでしょ」
かね子「は?」
環「この間、お目にかかったとき、あたし、自堕落な格好して白粉《おしろい》っ気もなしのボサボサ頭で――居直ったようなこと、いってたでしょ。カガミ見て、おしゃれしてる自分みるのが、浅ましくなったって。そんなことで対抗してる自分がみじめになったから、やめたって」
かね子「オリちゃえば、勝負にならないだろうって――おっしゃったわ」
環「これがあたしの素顔だよ。あんた、これでもうちへ帰ってくる? なんて、大見得切っちゃって――」
かね子「―――」
環「でもねえ。あたしの本当の顔はこっちなのよねえ」
[#ここで字下げ終わり]
ちゃんとした身なり。くっきりした口紅。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「ヤキモチなんて卒業したと思ってたのに、こやって、お宅の前に立ってるんだもの―――」
かね子「―――」
環「今度は主人、いままでと違うのよねえ」
かね子「違うっていいますと」
環「妙にムキになってンの。焦々《いらいら》してるのよ。――本気かもしれないな」
かね子「本気? ってことは、家庭を捨てて、うちの塩子と――」
[#ここで字下げ終わり]
のり出すかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「いえ、あの(言いかけて、ふと気づく)奥さん、口紅のことですけどねえ、はじめから、気づいてらしたわけでしょ」
かね子「ええ。あら、どしてかしらって」
環「どしてそのとき、おっしゃって下さらなかったんですか」
かね子「なんか、言いそびれて、わざとしてらっしゃるのかなと」
環「そんなわけ、ないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
言っているうちに環、だんだん面白くなくなってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「石沢は、家庭は捨てませんよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]子供だっているし、石沢がフリーになったときは、あたしが働いて、うちの経済みてた時期だってあったんですから」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――でも、本気だって」
環「浮気にもね、いい加減と本気とあるのよ。奥さんだって、そのくらい、お判りでしょ」
かね子「うちじゃ、主人が堅物なもんですから」
環「浮気、なすったこと」
かね子「それくらいの甲斐性《かいしよう》があれば、いいと思うんですけどねえ」
環「体、お弱いんですか」
かね子「いいえ。一緒になって二十五年になりますけど、お医者にかかったのは、水虫と親《おや》不知《しらず》ぐらい」
環「(笑う)奥さん、ご存知ないだけじゃないんですか」
かね子「まさか、そのくらい、あたしだって判りますよ。本当に、その気《け》もない人なんですよ。もう、四角四面。日曜日なんか歩行者天国になりますでしょ。それでも、ちゃんと、横断歩道、渡るし、ウナ重なんかだって、ハシから、キチンと四角く区切って食べてくんですもの」
環「そういう人ほど、アブないっていいますけど」
かね子「アブないって、どういうイミでしょ」
環「うちの主人みたいなのは、もう、いろいろやって免疫が出来てるけど、お宅のご主人は、そうじゃないから――なんかあったら……ドーンと」
かね子「そういうことないんじゃないですか」
環「男でしょ」
かね子「そりゃ男ですよ」
環「男なら、その気がない筈《はず》ないわよ。かくしてるか。押さえてるかのどっちか――」
かね子「――堅い男もいるんですよ。うちの主人にそういうとこあったら、こんどのことにしたって、もうすこし、塩子に――お宅のご主人に対しても、理解あると思うんですよ。許さん、もう、絶対」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、ゲンコツをふり廻してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「石沢、殴ったの、お宅のご主人」
かね子「おっしゃってました?」
環「いいませんけどね。女にぶたれたにしちゃ、朝まで腫《は》れが引かないな――と思って」
かね子「(――かるく、頭を下げる)」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子・環「(二人一緒に)奥さんもお辛いわね」
[#ここで字下げ終わり]
二人、顔を見合わせる。
急に笑い出す。
今までの気まずさ、敵意、緊張感、不安をふきとばすように肩を叩きあい大笑いしてしまう。笑っているが、おたがいやり切れないものがある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子・環「(また二人一緒に言ってしまう)笑ってる場合じゃないんですけどね」
[#ここで字下げ終わり]
二人、顔を見合わせて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子・環「やだあ!」
[#ここで字下げ終わり]
二人、少し笑う。だんだん笑いが納まって、また辛い沈黙にもどり、黙って、お茶をのむ。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
まじめくさって仕事をしている修司。
向う隅でタイプを打っている宮本睦子。
修司、ゆうべのことがよみがえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子(声)「だれ、きたの」
かね子(声)「お父さんの会社の人」
塩子(声)「だあれ」
かね子(声)「宮本さん」
塩子(声)「宮本さん? どんな人だっけ」
かね子(声)「資材部の――タイプだった? お父さんの下の女の人、いつか電話かけてきた」
[#ここで字下げ終わり]
タイプを打つ睦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「ゆうべの女房の声がタイプの音と一緒に私の耳についてはなれません。ああいうのを女の直感というんでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
衿《えり》のおくれ毛をかき上げる睦子のしぐさ。
●イメージ・ラブホテル[#「イメージ・ラブホテル」はゴシック体]
ブラウスを脱ぐ睦子。
ダブルベッドに腰かけて、見ている修司。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「どうも仕事になりません。次から次へと妄想は妄想をよび――」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ・メゾン・タカシマ[#「イメージ・メゾン・タカシマ」はゴシック体]
ダブルベッドの塩子と石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「許さんぞ。オレは、絶対に許さんぞ――本当に、仕事になりません」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
封筒に「御見舞」と書いている修司。札入れを出し、三万円入れる。少し迷って、一枚減らす。
さりげなくポケットに入れながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「大川君」
[#ここで字下げ終わり]
大川、立ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「例の書類、東西建設の」
大川「揃《そろ》ってますが――あしたにでも、私が」
修司「あそこの経理部長、後輩なんでね、(オレ)いくよ」
大川「そうですか」
修司「時間によっちゃ、そのままなにするから」
大川「どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、立ってゆく。ドアのそばの睦子のうしろに立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あしたまでに間に合うかな」
睦子「大丈夫です」
修司「たのむ」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら、睦子の肩に手をかけ、じわりと揉《も》むようにする。
ポンポンと二つばかり叩いて出てゆく。
●会社・廊下[#「会社・廊下」はゴシック体]
エレベーターの前に立ってソワソワしている修司。
睦子がくる。
修司、すばやい目であたりを見廻し、パッと封筒を睦子の上っぱりのポケットにねじ込む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「お母さんに、果物でも」
睦子「部長さん……」
修司「こっちのゴタゴタが一段落したら、メシでも食いながら、身上相談、聞こうじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
うなずく睦子。
エレベーターがくる。
悲壮な顔をしてのる修司。
●石沢デザインスタジオ・表[#「石沢デザインスタジオ・表」はゴシック体]
しゃれたドアに、ローマ字の看板。ローマ字を縦書にしたもの。
修司、律義に顔を横にして口に出して読む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「イシザワ・デザイン――日本人だろ。日本語で書けよ、日本語で」
[#ここで字下げ終わり]
ノックする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男(声)「どうぞォ」
修司「(呟く)伸ばすなよ、ケツを!」
[#ここで字下げ終わり]
●石沢デザインスタジオ[#「石沢デザインスタジオ」はゴシック体]
三、四人の男女が、働いている。せまい部屋に、ポスターなどが、いっぱい。ラジカセをガンガン流しながら仕事をしている。
修司――、若い男、リズムに合わせて体をゆすり、修司を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「あの恐れ入りますが、石沢さん」
男「石沢さん、仕事場です」
修司「は?」
男「石沢さん、仕事場!」
修司「すこし、音、小さくしてもらえませんか」
[#ここで字下げ終わり]
音、やや小さくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「仕事場?」
男「電話は判ってンすけどね。場所は、言わないんすよ。『カクシ砦《とりで》』なんつっちゃって――」
修司「すみません、電話番号――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、メモをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男「どなたすか」
修司「友達――いや知り合いの者です」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・表[#「メゾン・タカシマ・表」はゴシック体]
入ってゆく修司。
●メゾン・タカシマ・廊下[#「メゾン・タカシマ・廊下」はゴシック体]
石沢の部屋の前。
ドアをドンドンノックする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢(声)「どなた?」
修司「古田(といいかけて気づき、やや作り声)石沢さん、電報ですよ!」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「石沢さん、電報!」
[#ここで字下げ終わり]
いきなりドアが内側に大きく引かれる。
体重をのせていた修司。
中へ飛び込んでしまう。
石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「電文を言ってください」
修司「え?」
石沢「電報なんでしょ。電文は」
修司「(小学生が読本を読むように大声で)ムスメヲカエセ。ダンラク。チチ」
石沢「(笑ってしまう)ダンラクっていうのはいいなあ、几帳面《きちようめん》なかただ」
修司「石沢君」
石沢「返したくても、返せないんですよ(いないというジェスチュア)」
修司「いい加減なこと、いうな! 塩子! 塩子!」
石沢「ワンルームと洗面所ですからどうぞ――」
[#ここで字下げ終わり]
仕事をやりかけのデスク。
カバーをかけたベッド。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あれから――つまり『梅干』で、あなたに、ガンとやられてから、ぼくたち、逢《あ》ってないんですよ」
修司「そんなバカな。――現にあの晩、塩子は、うちへ帰ってこなかったよ。帰ってきたのは翌朝――」
石沢「ここへ一人で泊ったんでしょう」
修司「やっぱり……一緒じゃなかったのか」
石沢「ぼくは帰りました。――父親にブン殴られて――その晩、その娘を抱くってのは」
修司「――(凄《すご》い目でにらんで咳《せき》払い)」
石沢「お風邪ですか」
修司「露骨なことばは聞きたくないんだ」
石沢「――それと――父親の気持思うと――すまないというか、気おくれしたのかな、やっぱり」
修司「すまないと思う気持があったら、スパッとやめたらどうなんだ」
石沢「スパッと、ねえ。――やめられたら、いいんですがねえ」
修司「やめようと決心したらいいじゃないですか」
石沢「決心は、カンタンですがね、やめるのは大変だ。たばこと同じですよ」
修司「人の娘とニコチン、一緒にするこたァないだろ」
石沢「いけないと思いながら、やめられないってとこは同じですよ。いや、こりゃ惚《ほ》れたという一般論で言ってンですけどね」
修司「自分でも、いいことしてるとは思ってないわけだ」
石沢「だから、この間も殴られっぱなしだったじゃないですか」
修司「謝罪はしない。殴られるほうが悪いんだ」
石沢「判ってます。判ってますけどね。親が出る、っての、おかしいんじゃないかな」
修司「わたしは、塩子の父親(と言いかける)」
石沢「判ってますよ。でもねえ、お父さん――」
修司「そういう呼び方はよし給え。不愉快だ」
石沢「じゃ、古田さん、こりゃ、『犯罪』じゃなくて、『恋愛』なんですよ」
修司「わたしにいわせりゃ、『犯罪』だね」
石沢「おかしなリクツだなあ。人に惚れるのが、犯罪ですか」
修司「君!」
[#ここで字下げ終わり]
いきり立つ修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「タンマ」
修司「なんだと! 人、バカに(言いかける)」
石沢「すみません。うちの事務所で口癖になってるもんで。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いま、コーヒーいれますから。落着いて、はなしませんか」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「コーヒーなんか(言いかける)」
石沢「カッとなって話したって、ロクなこと、ないでしょう。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]殴り合いは、おたがい損でしょう」
石沢、キッチンへ入ってしまう。
修司、あたりを見まわす。
デザイン関係の本が、じゅうたんに積んであるだけの部屋。ダブルベッド。カベに大きな白黒の女のヌード写真。大胆なポーズ。
修司、目をそらす。
そらすが、気になる。
胸のあたり、おへそのあたり――と下って、チラチラ見る。
奥のキッチンで、インスタントコーヒーをいれながら修司の視線を見ている石沢。
写真を見ている修司、入ってくる石沢。修司、あわてて目をそらす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「鉄鋼関係の仕事だけあって、お父さん、いや、古田さん、堅いんだなあ」
修司「君がやわらか過ぎるんだ。やわらかいっていうよりハレンチだよ、恥知らずだよ」
石沢「男はみんな、こんなもんじゃないですか」
修司「自分がそうだからって、人もそうだと思ったら、大間違いだぞ。世間の常識を守ってキチンと生きてる男も」
石沢「一夫一婦制って、ことですか」
修司「ハッキリいえばその通りだ」
石沢「そりゃ建前でしょ、男ならねえ(言いかける)」
修司「ケダモノのオスじゃないんだよ。人間の男はだな、克己心、抑制」
石沢「(笑う)」
修司「なんだい」
石沢「いま、どこ、見てました?」
修司「え?」
石沢「ここと、ここ」
[#ここで字下げ終わり]
二つながら、ヤバイ個所。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「失敬な! 君は」
石沢「いきり立つことはないでしょう。見るほうが正常。見ない奴は、男として、おかしいよ」
修司「――(にらむ)ワナにかけたつもりだろうが、そんなことで」
石沢「砂糖は」
修司「二つ――」
石沢「二つは多いな。糖尿、大丈夫すか」
修司「大きなお世話だ」
石沢「ひとつにしときました」
[#ここで字下げ終わり]
手渡す。
修司、うけとる、かき廻しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――そりゃまあ、あたしも男だ。意馬心猿《いばしんえん》ということもなきにしもあらずだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しかしだ、世の中の秩序、相手の幸福を考えてこそ押さえる克己心と抑制を」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「(呟《つぶや》く)会社の若いOLに惚れても、テーブルの下で足をくっつけたり、その人の水のんだり――食事にさそったりは、しないわけだ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、凍りつく、コーヒーカップがカタカタ鳴り出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なにを言うんだ君は! 言いがかりは、よし給え!」
石沢「間違ったらすみません。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それにしても、やにカタカタいってますねえ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――失敬な」
[#ここで字下げ終わり]
薄気味悪くなる修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「そう、警戒の目で見ないでくださいよ。ぼくが言いたかったのは、ボクもお父さんも――古田さんも同じ男だってことですよ」
修司「―――」
石沢「一皮めくれば、同じこと考えてる男なんですよ。ヌードもみたい、いい女の子みりゃ――ねえ好色なオスなんだよ」
修司「いやその中の節度(言いかける)」
石沢「一人はあっちこっち、ギシギシ、きしませながらやりたいこと、やる男。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一人は、やりたいけど、度胸がなくて、出来ない男」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「それだけじゃないよ!」
石沢「どならないで下さいよ」
修司「やりたいようにやる、っていったな。それじゃあ、徹底的にやったらどうなんだ」
石沢「―――」
修司「そんなに惚れたんなら女房、子供と別れて塩子と結婚する。そういうんなら、ハナシは別だ」
石沢「古田さん(言いかける)」
修司「かっこいいこといってるけど君は両|天秤《てんびん》じゃないか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おやじに殴られると、さっさとうちへ帰っちまう。塩子はあの晩この部屋でひとりで泊って帰ってきたんだぞ。
[#1字下げ]親の手前、君も一緒にいるようなこといって――ここに一人でいたあの子の(激してくる)わたしは、あの子の気持が哀れで――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「じゃ、ボクがここへ泊ったほうがよかったわけだ」
修司「バカな! そんなこと、言ってンじゃないよ! (どなってしまう)白か黒かハッキリしろといってンだ」
[#ここで字下げ終わり]
どなったはずみでズボンにコーヒーをこぼしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「お父さん」
修司「お父さんなんて、呼ぶな!」
石沢「(小さく笑ってしまう)」
修司「笑いごとじゃないよ」
石沢「でも、なんか、お父さん――おかしいなあ、でも、いいよ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、自分のハンカチでコーヒーを拭く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「オレ、なんか、お父さん、好きになってきたなあ」
修司「こっちは、大嫌いだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
にらみつけながら、ほんのすこし、通いあうものがある感じの修司。
●プレイタウン編集部・廊下[#「プレイタウン編集部・廊下」はゴシック体](夕方)
外から帰ってくるミナミ。
入ろうとする。
ドアの横に、佐久間が寄りかかって立っているのに気づく。
たばこをすっている佐久間。
下にはすいがらが山とたまっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「――うちのビル、火事にしないでよね」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間――
ミナミ、ドアの中に入る。
ドア、半開きにして、校正している、塩子の肩を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「なによ」
[#ここで字下げ終わり]
ミナミ、ドアの外を指す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「(外を指す)ずっと立ってるよ」
塩子「だあれ」
ミナミ「もとの彼氏」
[#ここで字下げ終わり]
●プレイタウン編集部・廊下[#「プレイタウン編集部・廊下」はゴシック体](夕方)
塩子と佐久間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「今晩、つき合ってくれないか」
塩子「別れた筈よ」
佐久間「ハナシ、あるんだ」
塩子「なんのハナシ?」
佐久間「―――」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、きつい表情で重たい声でいう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「いっとくけど、石沢さんならあたし、別れたわよ」
佐久間「別れた?」
塩子「心配かけたけど気持決めたの。先いって、泣きみるの判ってるから。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]今のうちなら別れられるもの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「今晩、飲もう」
塩子「ワルいけど、仕事あるの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それに――Aと別れて、すぐBとお酒のむって気には、なれないの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「――判った」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・玄関[#「古田家・玄関」はゴシック体](夕方)
電話口で、大きな声のかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「別れたって――塩子、本当にそういったんですか?」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体](パルコあたり)
電話している佐久間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「はっきりそういってました。すごく辛《つら》そうな顔してたし、やつれてたから、絶対、間違いないすよ」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・玄関[#「古田家・玄関」はゴシック体](夕方)
かね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「佐久間さんの気持が通じたのよ。あの子もバカでなけりゃ一生のこと考えるわよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]よかった――ありがとうございました」
受話器に向かって最敬礼するかね子。
ポカンと見ている高。
●「梅干」・店[#「「梅干」・店」はゴシック体](夕方)
お銚子《ちようし》の用意をしている庄治。
つけものを盛りつけている須江。
ほかに客はいない。
二人、目顔で奥をうかがう。
奥の小座敷(夫婦の部屋)で、こたつに入りポツンと、番茶をのみ、ラッキョウをつまんでいる塩子。
お銚子を一本下げて入ってゆく庄治、あとから須江も。
●「梅干」・小座敷[#「「梅干」・小座敷」はゴシック体](夜)
塩子に盃《さかずき》をもたせて酌をしてやる庄治。須江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「えらい! 塩ちゃん、えらい」
塩子「―――」
須江「よく、思い切ったねえ」
塩子「(ぐっとのむ)自分に命令してみたのよ。逢わないで何日、我慢できるか、やってごらんって」
二人「―――」
塩子「一日目は、すーごく、辛かったの。なんか、仕事してないと、マンションのほうへゆきそうでもう、メチャクチャに仕事とって、もう、必死でやったの」
須江「全然、逢わなかったんだって」
塩子「(うなずく)いろいろ、考えたんだ。このまま、ズルズルっていったら、大変だぞって――」
庄治「恋愛とか愛人ていやァ、聞こえはいいけどさ、日かげ者だよ、昔流にいや」
須江「(片目をかくす)」
塩子「?」
須江「オメカケ」
塩子「あたしたち、そういう言葉から逃げてさ、しゃれた言い方してるけど、実態はそうだもんね。親もかわいそだし」
庄治「まあ、親は、泣きだな」
須江「生まれてから一人前になるまでにおっかさんが洗ってくれた、オシメの数考えたって、横道へそれちゃ、かわいそうだわよ」
塩子「ああ、気持決めたら、お酒がおいしい」
庄治「石沢さんにゃ、言ったのかい」
塩子「(首を振る)」
庄治「まだかい」
塩子「お父ちゃん、言ってくれないかな。『いろいろ考えたけど、これっきりにします』って。『長い間ありがとうございました』って――」
庄治「いっとく」
塩子「(情感をこめて)『……たのしかった』って」
庄治「それもオレが言うのかい」
塩子「うん」
須江「あたし、いうよ」
塩子「―――」
須江「いっぺん、そういうの言ってみたかったからさ。(塩子の口調をまねて、しみじみと)『たのしかった……』」
庄治「けいこ、してやがる」
塩子「(笑う)」
[#ここで字下げ終わり]
店に、人が入ってきた気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あれ、いないのか」
[#ここで字下げ終わり]
塩子、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「石沢さんだ――」
塩子「――(いないことにして、というジェスチュア)」
[#ここで字下げ終わり]
二人、うなずいて障子をたてて、出てゆく。
須江、そっと塩子の靴を足で下に押しこむ。
●「梅干」・店[#「「梅干」・店」はゴシック体](夜)
カウンターに石沢。
庄治と須江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「どしたい」
石沢「うん? うん――」
庄治「バカに元気ないねえ」
石沢「うんとあついの」
須江「お銚子一本アツカン!」
庄治「どなんなくたって、判ってらい」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「落しものしたんだよ」
庄治 )「ガマ口かい」
須江   「いくら入ってんの」
石沢「金にゃ、かえられないもの、入ってたんだ」
二人「なに」
石沢「オレの一番大事に思ってたもんさ」
二人「(目を見合わせる)」
石沢「はじめは、そんなに大事なもんだと思わなかったんだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ところが、失くして、あきらめなきゃなんないってなったら、――判ったんだよ。もしかしたら、今まで逢った、どんなものよか、ステキな、キラキラしたもんだって。これ、失くしたら、もう、一生手に入んない――」
小部屋で聞いている塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「だからあきらめるんだよ。あきらめなきゃいけないんだよ」
庄治「石沢さんよ、アンタ、えらい!」
須江「(小さく)おんなじこといってら」
庄治「(小さく)バカ――。あんた、えらい、それでこそ、男だよ」
石沢「もひとつ、かっこつけついでにいうけどさ、塩ちゃんにそいっといてよ。こんど惚れるときはオレみたいなのじゃなくて女房子供のないマッサラの、男に惚れろって――」
庄治「いっとくよ」
石沢「やけ酒のみにきても、お銚子一本で帰してよ」
須江「アイヨ」
石沢「それから――(くぐもり声になる)」
庄治「どしたい」
須江「やだ。男のくせに泣いてるよ」
[#ここで字下げ終わり]
ガタンと戸があく。塩子が立っている。二人、みつめ合う。
ハダシでとび出してくる塩子。石沢にかじりつく。
胸を叩いて、泣いてしまう。石沢、されるままにしてじっと立っている。
夫婦、黙って見ている。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜明け)
向い合ってすわる修司とかね子。
柱時計のセコンド。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「その晩、塩子は帰ってきませんでした」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
玄関に、二足の靴。
ぬぎすてた二人の洋服、石沢の腕の中でねむる塩子。
●古田家・表[#「古田家・表」はゴシック体](早朝)
新聞少年が朝刊をポストに入れる。
取りに出て、じっと往来を見て立っている修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「もう、胸が煮えくりかえる思いでした。よし、あしたにでもあの石沢の事務所とマンションにのり込んで、ただじゃおかないぞ、と思いながら、――思いながら――その中に、ほんの一滴ですが、こうなってよかった――いや、よかったというのは言いすぎです、よかったとは断じて思っておりませんが、またあの石沢と逢えるということが、ほんのちょっぴり――うれしい――いや、悪くない気がしていることに気がつきました。何たる矛盾、私は、徹底的にあの男を憎まなくてはいけないのです」
[#ここで字下げ終わり]
玄関のところにねまきに羽織をはおったかね子が立っている。
[#改ページ]
●ビル・屋上[#「ビル・屋上」はゴシック体](昼)
修司のつとめるビル。
昼休み。
バレーボール、コーラス、編物、サンドイッチを食べる、エトセトラのOLたち。
すこし離れて、修司と佐久間、柵《さく》に寄りかかり、やたらにたばこをすいながら、互いに顔を見合わさず、しゃべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「塩子、こないだから、うち、帰ってないんだよ!」
佐久間「―――」
修司「あの男と、マンションで」
佐久間「おっかしいじゃないすか。塩子さん、いろいろ考えて、決心して、別れた。そういっ……」
修司「男のほうもそういった。ずっと逢ってない。別れる口振りだったんだが、どんでんがきたんだなあ」
佐久間「どんでん?」
修司「無理して押さえてた分、ドカンとさ、鉄砲水みたいに――こうきちまったんじゃないかねえ」
佐久間「うち、出てったんですか」
修司「――これで、一週間になるから――そういうことになるんだろうな」
佐久間「ど、どういう風に、出てったんですか。出方すけど、つまり、その――正式に、手、ついて、『長い間、お世話になりました』風に」
修司「そう出てくれりゃ、こっちも体でとめてるよ」
佐久間「そいじゃあ」
修司「いつもの通り、朝出てってさ、それっきり――」
佐久間「――ほっといたんですか。あと、ですよ。つとめ先いくとか、マンションいって、ひっぱってくるとか――」
修司「――カミさんはいくって言ったんだがね、いくなといったんだ。十七や八の子供じゃないんだ。二十三にもなって、親、兄弟捨て、うち出ていくからにゃ、それだけの覚悟がある筈《はず》だ。第一、イキリ立ってるとき、手ひっぱったって、火に油、注ぐようなもんだよ」
佐久間「―――」
修司「馬鹿だよ。馬鹿野郎だよ。君という、立派な恋人がありながら――」
佐久間「恋人じゃなかったすよ。オレが恋人なら、こんなことにゃ、なってないです」
修司「いまとなっちゃ、繰りごとだけどさ、どして君、手、出してくれなかったんだ、え?」
[#ここで字下げ終わり]
バレーボールが、とんできて、修司の頭にあたる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「アブない!」
OLたち「スミマセーン!」
[#ここで字下げ終わり]
そんなこともたのしいらしく笑っているOLたち。
修司、投げかえしながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「子供のときから、あとさきの見境のないとこがあったなあ。よくねえ、金魚屋だのチンドン屋のあとくっついていって迷子になったことがあったなあ」
佐久間「―――」
修司「ワルイチンドン屋にひっかかったよ」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・表[#「メゾン・タカシマ・表」はゴシック体]
派手なチェックの上衣《うわぎ》、もっと派手な長いマフラーをなびかせた石沢が、鼻唄まじりにステップを踏みながら、踊るように弾んで入ってゆく。
中から、母親に手を引かれた、三つ四つの可愛い外人の女の子が出てくる。
「オウ、何てかわいいの」という風に、オーバーに肩をつぼめ、くるりと体ごとふりかえったりして、入ってゆく。
(つまり、チンドン屋のイメージ)
●メゾン・タカシマ・廊下[#「メゾン・タカシマ・廊下」はゴシック体]
ベルを押す。
応答なし。カギをあけて入ってゆく石沢。
カギ。
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
無人の室内。
テーブルにメモ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「うちに、着替えをとりに帰っています」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、不安になる。
●古田家・玄関前[#「古田家・玄関前」はゴシック体]
両手に、山ほどの買物を下げて帰ってくるかね子。
葱《ねぎ》、トイレットペーパーなど、いっぱい。
放心して、何も見ない目で、歩いてくる。
玄関の前で、ガックリなり、紙袋をほうり出すようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あーあー」
[#ここで字下げ終わり]
精も根もつき果てたという感じで、すぐには玄関をあける元気もなく深いため息をつく。
中でドタドタと足音がする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高(声)「帰ってきた! お母さん、帰ってきた!」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、ハッとなる。
玄関のすりガラス越しに高の影が見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
高(声)「姉ちゃん、早く、だいどこから! 早く、だいどこ!」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、庭の木戸に体当りのようにぶつかり、勝手口へ走る。草履がぬげてすっとぶがかまわず走る。
●勝手口[#「勝手口」はゴシック体]
台所の戸があいて、ボストンバッグに二つの大きな紙袋を提げた塩子が。
かね子、出逢《であ》いがしらのようになってしまう。うしろにオタオタしている高の顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お帰り」
塩子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、息がハアハアいっていることもあり、すぐには言葉にならない。
にらみ合う二人。
娘のほうも、せいいっぱい無理をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「ただいま、っていうよか、行って参りますかな」
かね子「どこ、いくの」
塩子「聞かなくたって、判ってるでしょ」
かね子「―――」
塩子「石沢さんのマンション」
かね子「なにしにゆくの」
塩子「(恥と怒りで、笑ってしまう)そんなこと、聞く親ないでしょ」
かね子「親だから、聞いてるんだ!」
[#ここで字下げ終わり]
近所の主婦が通りがかりに垣根の外から声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
主婦「お寒くなりましたねえ」
かね子「(急に愛想のいい笑顔になって)ほんと。朝晩は冷えますですねえ」
[#ここで字下げ終わり]
主婦がいってしまうと、急に前の物凄《ものすご》い形相《ぎようそう》になって。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「どんな形にしろ、うち出てくってのは、女の子にとっちゃ、お嫁にゆくのと同じだよ。それ、なんなの、コソコソ泥棒みたいに、お勝手口から――あんた。情ないと思わないの」
塩子「――思わないわね」
かね子「―――」
塩子「お母さんみたいに、見合い結婚で、結婚式の前の晩に、やめようかしらなんて、迷ったなんてのよか、ほんとに好きな人のとこへゆくほうが、ずっと純粋だと思うけどね」
かね子「人、泣かせても純粋っていえるの」
塩子「全然次元の違うこと、一緒にしないでよ」
[#ここで字下げ終わり]
振りはらって出てゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「待ちなさい!」
塩子「なによ」
かね子「親にさからって出てゆくなら、身ひとつで出てゆきなさい」
塩子「―――」
かね子「それはみんな、お父さんが身を粉にして――二流の大学出て、ロクな親戚《しんせき》もない、何のコネもなくて、マジメ一筋、あそこまで歯、喰いしばって這《は》いあがったお父さんの血と汗」
塩子「カンケイないでしょ!」
かね子「カンケイある! カンケイありますよ。セーター一枚にだって、お父さんの苦労がにじんでるのよ。妻子のある男のとこへゆく娘にもたせるために買ったんじゃないよ」
塩子「わかったわ! こうすりゃいいんでしょ!」
[#ここで字下げ終わり]
塩子もカッとなる。
おろおろしている高に、ボストンバッグをぶつけるようにして、紙袋をそのへんにぶちまけてしまう。
色とりどりのセーターやスカートなどが散乱する。
かけ出そうとするのを体でとめるかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「痛! なにすンのよ!」
かね子「持ってゆき――」
塩子「いらないわよ」
かね子「持ってゆき――考えたら、子供がハタチになるまでは、扶養するのは親の義務だものねえ」
塩子「それじゃあ成人式の前に買ってもらったものは、持ってけっていうの」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、地面にかがみ込んで、セーターやスカートを拾いあつめる。
ゴミをはたいて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「これは、おととしだから、ダメかあ、これは、――成人式のときじゃないかい」
塩子「―――」
かね子「これは、あ、これは」
塩子「自分で買ったの――」
かね子「これは、あたしですよ。ウインドーでみて、あんたに似合うと思って――買ってきたら、ブカブカだったけど――」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、紙袋に、入れながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「カゼ、ひかないようにしなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
立ちつくす塩子。
高も弱っている。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
大川が書類を示している。
しかつめらしく点検している修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なるほど。なるほど。なるほど」
[#ここで字下げ終わり]
仔細《しさい》らしく、ひっくりかえしたりして。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「なにが『なるほど』なのか、自分でもよく判らないんですが――。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]『なるほど』――なるほど、こりゃ、便利な日本語です」
大川、ちらりと修司を、見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なるほど。なるほど。なるほど」
大川「――これで刷って――よろしいですか」
修司「なる(言いかけて、あわてる)たのむ」
[#ここで字下げ終わり]
大川、もどってゆく。タイプの手をやすめて、睦子が心配そうにじっと見ている。
修司もチラッと見るが、目をそらす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「私もいろいろ考えました」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ・メゾン・タカシマ[#「イメージ・メゾン・タカシマ」はゴシック体]
ガランとした部屋にダブルベッドがひとつポツンとある。
修司、かね子の前に塩子、石沢。
修司、いきなり石沢を張り倒す。
石沢をかばう塩子を殴り、とめようとするかね子を突き倒し、石沢を殴り蹴《け》る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「これはいけない。こんなことしたって、事態をこじらせるばかりです」
[#ここで字下げ終わり]
画面に大きく、赤いバツ印。
●イメージ・メゾン・タカシマ[#「イメージ・メゾン・タカシマ」はゴシック体]
同じ画面。
修司、いきなり、石沢の前に手をつく。
頭をすりつけて哀願する。
男泣き。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「誰がクソ! あんな奴。頭なんか下げられるか」
[#ここで字下げ終わり]
画面に赤いバツ印。
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
石沢を絞め上げ、雑巾《ぞうきん》バケツの中に首を突っこんでいる修司。
修司、物凄い形相で、何度も何度も突っ込む。
石沢、プウッと水を吹き出し、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「お父さん、ごめんなさい」
修司「なにがお父さんだ。なにがお父さんだ!」
[#ここで字下げ終わり]
また、突っこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「貴様なんかにな、お父さんなんぞと呼ばれる筋合いは、クソ!」
[#ここで字下げ終わり]
また、突っこむ。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
形だけは書類をめくっている修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「こうしてやりたいのはヤマヤマですが――私は静観することにしています。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女房にも『動くな』といってます。いまは火の鎮まるのを待とう。こちらから仕掛けるな。ヘタに動くと、かえってとりかえしのつかないことになるぞ。今朝もそう言い聞かせて出てきたばかりです」
[#ここで字下げ終わり]
修司の手、電話のダイヤルを廻す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「――といいながら、あの男の事務所にダイヤルを廻しているというのは、こりゃ、一体、どういうことなんですかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●石沢デザインスタジオ[#「石沢デザインスタジオ」はゴシック体]
雑然とした中に、ラジカセの音。
体を動かしながら、仕事をしている四、五人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男「(電話とって)あ、石沢クン――あ、なんだ、うちのボスか、ハハ、カクシトリデ! 仕事場です。あ、どちらさん」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
切る修司。
またダイヤルを廻す。耳をすます。
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
カバーをかけたダブルベッドにひっくりかえっていた石沢。はね起きて受話器をとる。
塩子と思った感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「モシモシ! モーシ!」
[#ここで字下げ終わり]
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
修司――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢(声)「モシモシ!」
修司「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
受話器を持つ石沢、緊張する。
警戒の目になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「――(恐る恐る)モシモシ――」
[#ここで字下げ終わり]
答はない。
石沢、受話器に向って、フッフッと息を吹きつける。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
耳に息を吹き込まれる修司。
耳を押さえ、顔をしかめる修司。
切りかけて、修司も息を吹き込む。
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
今度は、石沢が耳を押さえて切る。
切って、急に不安になる。
少し迷って、ダイヤルを廻す。
●石沢家[#「石沢家」はゴシック体]
朝子にお八つを食べさせている環。
自分もつまんだりしている。
かまわない身なり。
化粧気なし。
電話が鳴る。
大儀そうに受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「石沢です」
石沢「――オレ」
環「どしたの?!」
石沢「え? いやあ(言いかける)」
環「珍しいのねえ。あんたが、うちに電話かけるなんて」
石沢「――う、うん。いや、朝子、大丈夫か? いや、あの少し、熱っぽいっていってたから」
環「大したことなさそう。もう一日幼稚園、休めば――」
石沢「そうか。――じゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
電話切る。
環も切って朝子のおでこに額をくっつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朝子「パパ?」
環「うん。(小さく)どしたんだろ」
[#ここで字下げ終わり]
環――
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
石沢、首をかしげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「――あいつじゃないとすると――だれだろ?」
[#ここで字下げ終わり]
少し考えて、あ、もしかしたら、と思い当る。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
終業のベルが鳴っている。
コートを着たりして帰り支度の社員たち。修司も、コートに手を通している。大川らの社員たち、ガヤガヤと、マージャンにさそい合ったり、次々、オフで聞こえてくる。
睦子が打ち上げた書類を、修司のデスクにおく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「はい、ごくろうさん」
[#ここで字下げ終わり]
睦子、チラリと修司を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
睦子「(ほかの社員には気づかれぬように、そっと言う)部長、疲れてるみたい」
修司「ちょっとねえ」
[#ここで字下げ終わり]
机の上を少し片づけたりして、グズグズしている睦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「この時間が一番アブないのです。小さな声で『どうだい、メシでもくわないか』この非常事態のときだと思いながら、こう言いたい気持が、湯玉のように、フツフツと湧《わ》き上ってくるのです。メシはメシですまなくなってしまったら、万一、そんなことになったら――」
[#ここで字下げ終わり]
睦子、席へもどって帰り支度。
修司も、サンダルから靴にはきかえながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(わざと大きく叫ぶ)お先に、さよなら」
一同「さようなら!」
修司「おつかれさん」
[#ここで字下げ終わり]
●和風スナック「梅干」[#「和風スナック「梅干」」はゴシック体](夜)
迷って立っているが、決心して入ってゆく修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「――と勇んで会社を出たものの、まっすぐうちへ帰って、娘の帰ってこない、クシの歯のぬけたようなうちへ帰って、女房と顔をつき合わせているのは、耐えられなかったのです」
[#ここで字下げ終わり]
●「梅干」・店[#「「梅干」・店」はゴシック体]
カウンターで一人でのんでいる修司。
椅子席で、しょう油つぎに、しょう油をつぎ足している須江。
お銚子《ちようし》に酒を入れている庄治。
二人とも、無言。
須江は、修司の背中を、少し薄気味悪そうに見て、おびえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「近頃、くるの?」
二人「え?」
修司「二人――あの――石沢クンと――うちの塩子――」
[#ここで字下げ終わり]
夫婦、顔を見合わせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
庄治「いや、こねえなあ」
須江「ここんとこ、パタッと――ねえ」
修司「フーン。あ、そりゃ、そうだな、なにもこんなとこで逢わなくたって、自分たちでマンション借りてんだ。ハハ、ハハ、ハハハ」
庄治「―――」
須江「―――」
[#ここで字下げ終わり]
ヤカンにたぎる湯の音だけ。
修司、沈黙に耐え切れなくなる。
盃《さかずき》をぐっとあけ、庄治の前に突き出す。
庄治、手を振って、ことわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「いける口じゃないの?」
庄治「いや――」
修司「オレの盃は、受けらンないかい」
庄治「受けらンないね」
修司「(ムッとする)」
庄治「ワルくてさ」
修司「―――」
庄治「なんか、この店が、二人、取り持った『かっこ』になっちまったから」
須江「あのとき、言やあ、よかったのよ。『塩ちゃん、あんた、あの人はよしなよ』って。でもねえ、そう言っちまうと――塩ちゃん、もう、この店、来てくれなくなるもンねえ」
庄治「―――」
須江「お父ちゃん、お母ちゃんって、いってくれてたもんだから――あ、ほんものの前で、すいません」
修司「――子供さん」
庄治「―――」
須江「ないの。この人、タネなし」
庄治「―――」
須江「子供ンとき、お多福カゼしたんだってさ。あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
須江、スッ頓狂《とんきよう》な声をたてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「タネナシ西瓜《すいか》っての、あれ、どして増やすんだろう。タネないのに」
庄治「(小さく)バカ……」
[#ここで字下げ終わり]
修司、苦く笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「世の中にゃ、納得いかないことがあるよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、盃を突き出す。
庄治がうけないのを、ムリに持たせて、つぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「はなし、聞いたときは、あんたたち、恨んだよ。飲み屋のくせして、ポン引きやんのか」
庄治「ポン引きたァなんだよ!」
修司「まあまあ。ケツまで聞きなさいよ。そう思ったけど『けど』だよ、考えたら、こりゃスジ違いだよ。子供じゃないんだ。人のせいにするこたァないんだよ。第一、ここで、意見したって、逢おうと思や、よそで逢える――」
庄治「それにしても、マンションまで探してやるこたァ、なかったよなあ」
修司「ありゃ非常識だね(少し言葉がきつくなる)」
[#ここで字下げ終わり]
以下、夫婦早口の大げんかになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「このシトさあ、道楽の味、知らないのよ。この顔でしょ。これ(マル)はなし、あたしゃ、これ(ツノ出す)だしさ。そいだもンだから、あンた、こんだの塩ちゃんのことじゃあ、自分が浮気するみたいに張り切ってしまってさ」
庄治「そりゃ、お前のほうだろ。ああ、死ぬまでに一度でいい『恋愛』っての、味わってみてえ。なんて、いってたろ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おめえ自分も『まぜて』もらってる気になりやがって」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「父ちゃん! 自分、棚にあげて」
庄治「おい」
[#ここで字下げ終わり]
二人、やり合いかけて、黙々と盃を口にはこぶ、修司に気づいて、やめる。
修司、手酌でつぐ。
酒があふれる。ぐっとのむ。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜)
高が夕食。給仕をしているかね子。
柱時計のセコンド。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(目は空を見たまま)いま、国語なんて、どんなの、やってるの?」
高「――(フフと笑う)」
かね子「なによ」
高「ゆうべも同じこと、聞いたからさ」
かね子「そうだったかな」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お母さんも食べよかな」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、ごはんをよそう。
食卓の上において。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あーあ」
[#ここで字下げ終わり]
深い吐息をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「食べる前にため息ついちゃ、しょうがないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
自嘲《じちよう》しながら、まずそうに食べはじめる。
●「梅干」[#「「梅干」」はゴシック体](夜ふけ)
奥座敷のこたつに足を突っ込み、酔って寝込んでいる修司に毛布をかけてやる須江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(寝言をいう)今頃は半七さん、どこにどうして、おじゃろうやら、テレテレ、テレテレ……」
[#ここで字下げ終わり]
あとはムニャムニャとなる。
須江、店のほうにくる。
酔った客が二、三人のこって少し離れたところでのんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「のんきなもんだよ。ねごとなんかいっちまってさ」
庄治「ねごと?」
須江「『今頃は半七つぁん』だってさ、どこにどうしておじゃろうやら、ヘヘ。腹が立って、夜も寝らンないなんて、けっこう、イビキかいてねてるじゃないか、ねえ」
庄治「―――」
須江「人に文句ばっかいっといて。自分は、今は半七なんだから、なによォ」
庄治「半七ってのは、娘、娘のこったぞ」
須江「え?」
庄治「今頃は、あの二人、どうしてるだろう――ねてても、そのことアタマ離れねえんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、奥座敷をみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「――『今頃は、半七つぁん……』」
[#ここで字下げ終わり]
顔を見合わす二人。
のれんを割って客がのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「すいません。もうカンバンなんだけど」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・表[#「メゾン・タカシマ・表」はゴシック体](深夜)
植込みのかげに立っている修司。
酔いざめと寒さで胴震いがとまらない。
あらかた灯の消えたマンションのなかで、一つ二つだけついている窓。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「(胴震いしながら)ど、ど、どうやって、ここにきたのか、な、なにしに、き、きたのか、自分でも、説明がつかないのです。あの部屋にいまのり込んでゆけば、一番見たくないものを、見なきゃなりません。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]判っているのに、足はひとりでに、動いて、ここに立っているのです」
しばらく胴震いして。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「帰ろう。帰ろう」
[#ここで字下げ終わり]
修司、ハッとなる。
玄関から出てくるのは、石沢。修司、キョトンとする。
思わずとび出してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「ウワッ! (小さく)お父さん。おどかさないでくださいよ」
修司「――どこ行く」
石沢「え?」
修司「どこ、行くって聞いてるんだ」
石沢「行くんじゃない、帰るんですよ」
修司「かえる――」
石沢「(少しバツが悪い、言いよどんで小さく)――うちへ、――(声はますます小さくなる)帰るんです」
修司「うちへ帰る――そうか……」
[#ここで字下げ終わり]
修司、辛《つら》い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「帰り辛いだろう」
石沢「は?」
修司「うち、帰るの何日ぶりだい」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、寝起きで帰ってゆくらしく、半分ねぼけている感じ。
ついうっかりあくびまじりに。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「何日ぶりって――ゆうべも――いやあ、帰るだけなら、毎晩(あとは口の中で)帰ってるから」
[#ここで字下げ終わり]
修司、信じられないという感じで、何回も目ばたきする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「じゃあ君は、毎晩、うちへ帰ってるのか」
石沢「え、まあ」
修司「――塩子は、残して、君はうち、帰ってゆくのか(胸倉をつかむ)」
石沢「お父さん――」
[#ここで字下げ終わり]
マンションへ入ってゆく人が、じろじろ二人をみている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「人がみてますよ」
修司「君は通いか」
石沢「あいたた――」
修司「はなしがあるんだ、ちょっと――」
石沢「どこいくんですか」
修司「あの夫婦の店『梅干』」
石沢「あそこはもう看板ですよ」
修司「叩きおこして、あけてもらおうじゃないか」
石沢「夫婦のトシ、考えてくださいよ。かわいそうだよ。第一、こんな時間、非常識だよ」
修司「非常識なことしといて、なにいうか」
石沢「手、ゆるめてくださいよ。すげえ力!」
[#ここで字下げ終わり]
●バニー・クラブ[#「バニー・クラブ」はゴシック体](深夜)
隅のボックスに修司と石沢。
網タイツのお尻に白いポンポンをつけた、バニーガールたち。
行ったり来たりしている。
悩ましげな音楽。
苦虫をかみつぶしたような修司。
渋面つくりながら、どうしても、キョロキョロしてしまう。
石沢のほうは馴染《なじ》みらしく、常連らしいのに「よお」と手をあげてアイサツしたり、ボーイに「いつものやつ」などとたのんだりして、顔の利くところを見せている。
修司、コチンコチンになっている。
石沢、修司に自分のたばこをすすめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「どうぞ」
修司「(ことわって)『渇《かつ》シテモ盗泉ノ水ヲ飲マズ』」
石沢「トウセン?」
修司「盗むという字に、泉と書く」
石沢「そのくらい知ってますよ」
修司「どこにあるか知ってるかい」
石沢「実際にあるんですか」
修司「ある。中国の、今の山東省にあるんだ。孔子は、名前が悪いといって、そこの水を飲まなかったそうだ」
石沢「物識《ものし》りだなあ」
修司「中学のとき試験に出たんだ」
石沢「(笑ってしまう)孔子か――子ノタマワク――漢文じゃ泣かされたなあ」
修司「漢文の、ハナシ、しにきたんじゃないよ」
石沢「判ってますよ。ただね、孔子さま引き合いに出す人にしちゃ、おかしいなと思って」
修司「なにがおかしい」
[#ここで字下げ終わり]
二人の鼻先をバニーガールのお尻につけた、ウサギのしっぽの丸い玉がいったりきたりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「なにって、そう乗り出されると言いづらいんだなあ……」
[#ここで字下げ終わり]
石沢のほうも、怒られ、いためつけられながらも、修司と一緒にいるのが満更嫌でもないらしい。
修司も、また同様である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「なんだい? 人のこと笑っといて、言いづらいもないだろ。言いなさいよ」
石沢「う、うーん――つまりですねえ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、言いよどみ、何となく、通りかかったバニーガールのお尻を、スーとなでてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「石沢君、いま、なにした?」
石沢「え?」
修司「え、じゃないんだよ。いま、なにやったって聞いてんだ」
石沢「え? ああ――これですか(なでるまね)」
修司「もっと、こうだろ。(実際に女の子の尻をなでてやってみせる)こうやったろ!」
石沢「それが、どうだっていうんですか」
修司「君はな、女房子供捨てて、――まあ、この際、子供はいいとしてもだ、十年連れそった女房捨てて、うちの娘に惚《ほ》れたんじゃないのか」
石沢「惚れましたよ。惚れてなきゃ、こんな、おっかないおとっつぁんに、ど突かれど突かれ、一緒に酒なんかのまないよ」
修司「だったら、どうして、こんなまねが出来るんだ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、通りかかったバニーガールのお尻を石沢のまねをして、かなり、たっぷりとなでる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あ、お父さん、その手つき。いいよ――」
修司「(手をふりはらう)フマジメじゃないか! え?」
石沢「大きな声、出さないで下さいよ。電車の中でやりゃ、チカンだけどさ、これも(さわり)料金、テーブルチャージのうちに入ってんだから。第一、さわって差し上げないってことは、アンタのお尻、魅力ないよ、ってなもんで、お嬢さんたちに失礼だよ。ねえ、そうでしょ? ほら」
[#ここで字下げ終わり]
女の子たち、クスクス笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「ほら、お父さん、ウブだから、困るなあ」
修司「―――」
石沢「ええと、なんのはなし、してたんだっけ」
修司「そっちがいい出しといて、なに言ってんだ」
石沢「え? あれ、ボクでした」
修司「ハナシのほうもいい加減だな。孔子を引き合いに出す男にしちゃ、おかしいとか何とか」
石沢「そうそう。お父さん、さっき言ってた、あれだ。ぼくが毎晩うちへ帰ってるっていったら、急に顔色変えて、人の胸倉こう――」
修司「いや、そりゃ――その――つまり――君は、ずうっと塩子のとこへ居つづけ――うち、帰らないで、ずうっと居っきりだとばっかり思って――奥さんに申しわけないと思ってたもんだから」
石沢「――毎晩、帰ってるんだから、そう恐縮するこたァ(ないんですよ)」
修司「(じっとにらみつける)」
石沢「ヘヘヘヘ(おかしい)お父さん、カッとなったわけだ。夜中になると惚れた男はうちへ帰ってゆく。親捨てて飛び出したうちの娘は、ひとりきりでねむる。塩子の気持は」
修司「いや、そんな(あわてる)」
石沢「お父さん。リクツに合わないもんなんですよ。人間の気持ってやつはね。あっちも本当、こっちも本当」
修司「―――」
石沢「本当の気持はひとつっきゃないってほうが、オレ、不自然だと思うけどね。ウソつきだと思うけどね」
修司「自分に都合のいいリクツつけやがって」
石沢「そうかな」
修司「そうだよ」
石沢「ハナシ、蒸し返しますけどね、お父さんねえ、どっちだったら気に入るんですか。つまり俺がうちに帰んないで、塩子さんと一緒にマンションに入りびたりの方がうれしいか、それとも、うちへ帰ったほうがいいのか」
修司「(困ってしまう)」
石沢「――(たばこをくわえさす)」
修司「どっちも嫌だね。モトンとこが間違ってるんだよ」
石沢「いい顔するなあ。お父さんのそういう困った顔っての、しびれるね」
修司「(ケムリにむせる)お父さんお父さんって気易く呼ぶな」
石沢「まあ、いいじゃないですか。不思議なご縁で、こうなったんだ。呼ばしてくださいよ」
修司「(イジ悪く)そういうのはね、奥さんのお父さんに言いなさい」
石沢「カミさん、おやじさんいないんすよ」
修司「じゃあ、自分のおやじに、いやあいい」
石沢「オレ、おやじの顔知らないんだなあ」
修司「―――」
石沢「――惚れたなあ」
修司「親の前でのろけるんなら、のろけられるような状況にしてからだ(言いかける)」
石沢「すぐ、ハナシ、そっちへもってくンだから――オレ、お父さんに惚れたっていってンだけどなあ」
修司「寒気がするよ」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、笑いながら二人分の酒のお代りをたのんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「ああも言ってやろう! こうも言おう! と思っていながら、――不思議に腹が立たない――いや、腹を立てていながら、この男とずっと話していたい。一緒にいたいという不思議な気持になってくるのです。まるで、大きな伜《せがれ》か弟とのんでいるような。――娘の将来を、私は考えているのでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体](深夜)
思いつめた顔で、食卓にすわっている塩子。
食卓に一冊の本。
「妊娠と出産」
●古田家・玄関[#「古田家・玄関」はゴシック体](深夜)
かなり酔って帰った修司。玄関の上りがまちにのびている。鼻唄をうたっている。靴をぬがせているかね子。
銀座で買ったらしい花束。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「※[#歌記号、unicode303d] お酒はぬる目のカンがいい スルメはアブったイカでいい」
かね子「サカナは、でしょ」
修司「え?」
かね子「『サカナはアブったイカでいい』っていうんでしょ」
修司「オレ、そいったろ」
かね子「『スルメはアブったイカでいい』って」
修司「それじゃ歌詞になってないじゃないか」
かね子「自分でうたっといて、人に文句いうんだから――」
修司「スルメは――(うたいかけて)みろ、お前がいうから、ゴシャゴシャになっちゃったじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
修司、フラフラ、立ち上って、茶の間へゆきながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「全く、ありゃ、どうしようもない男だなあ――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]※[#歌記号、unicode303d] スルメはアブったイカでいい」
[#ここで字下げ終わり]
口ほどには、腹を立てていない。
むしろ上きげんの修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「――娘がゴタゴタ起してるっていうのに、男親ってのは、のんきでいいわねえ」
修司「おい、水! アイスウォーター」
かね子「ごきげんでまあ、誰とのんだんですか。ねえ、このお花、どしたの?」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](深夜)
寝巻に着がえて、胃のクスリを飲んでいる修司。
かね子、花を花瓶にさしながら、面白くない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(ブツブツいう)ひとには、『動くな』こちらからは電話するなって、言っといて、自分ばっかり」
修司「好きで一緒に飲んだんじゃないよ。作戦を立てるにしたってさ、まず、テキを知らなきゃしょうがないじゃないか」
かね子「それで、『スルメはアブったイカでいい……』になるんですか」
修司「にらみ合ってたって、ハナシ出来ないだろ。ハラ割ったはなししようと思ったら、アルコールがいるんだよ」
かね子「(パチンと枝を切る)」
修司「そんなことよか、オレは、あいつが毎晩うちへ帰ってたってきいて、もう(カッとなったといいかける)」
かね子「よかった――」
修司「いま、なんてった」
かね子「よかった、っていったのよ」
修司「お前なあ、塩子の身になって(言いかける)」
かね子「望みがあるわよ」
修司「え?」
かね子「あの人、うち、捨ててないのよ。夫としての体面を保ってうちへ帰れる余地があるのよ」
修司「リクツはそうだよ、そうだけど――うち捨てて、男のとこへ走った子がさ、ま、親としていうべきことじゃないけど……毎晩、十二時になると、男にうち、帰られたら――みじめじゃないかねえ、こりゃ」
かね子「そのくらい、覚悟の上で、出てったんじゃないですか」
修司「女親ってのは、イジ、悪いもんだな」
かね子「お父さんは、塩子がいまのまんま、ずうっと、愛人――日かげ者で、それでいいんですか」
修司「いいと思やあ、こんな苦労してないよ」
かね子「だったら、あの人、うち帰ってくれなきゃ困るのよ。あの人が、塩子のとこ、入りびたりになって、うち、捨てたらそりゃ、塩子は、いっときはしあわせでしょうよ。でも、そうなったら『長く』なるわよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]可哀そうなようだけど、あの子にうんと辛い思いさせたほうがいいのよ。あけがたまでひとりで、眠れないで、涙こぼして――そういう思い、したほうがいいのよ」
言っているうちに自分の言葉に興奮して、激しい言い方になってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「そのほうが、結局、二人のためになるのよ(パチンと枝を切る)」
修司「ヤキモチ、やいてんじゃないのか」
かね子「ヤキモチ? 誰に?」
修司「塩子にだよ。塩子に、女として、お前、ヤキモチ」
かね子「バカバカしい。何いってんの!」
修司「だったら、目、据えていうことないだろ」
かね子「目なんか据えてませんよ。目据えてんのは、そっちでしょ」
修司「オレ?」
かね子「お父さん、この頃、酔っぱらうと、目が据わるんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、茶筒(カン)をとりあげ、あわてて自分の目玉をうつしてみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「そんなもんじゃ、見えないわよ(花を切る)」
修司「花に、当んなよ」
かね子「当ってなんかいませんけどね、あの人が買った花なんでしょ。もらってくる方もくる方だわよ」
修司「せめてもの、詫《わ》びのしるしってとこも、あったんじゃないのか」
かね子「誰に」
修司「お前にさ」
かね子「――花なんかで、ごまかされたんじゃたまんないわよ(言いかけて)お父さん、ずい分、向うの『身』になって、しゃべるわねえ」
修司「冗談じゃないよ。本当なら、これ(ゲンコツ)なんだけどさ」
かね子「これが『スルメはアブったイカ』になったんですか」
[#ここで字下げ終わり]
修司、茶筒のカンで赤んべえをして、瞼《まぶた》の裏を点検したりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「あの人と逢《あ》うのが満更、いやでもないみたいねえ」
修司「え?」
かね子「なんだかんだいってるけど、たのしいんじゃないんですか」
修司「お前なあ(言いかける)」
かね子「お父さん、男の兄弟ないから――。高とも、あんまりしゃべらないし」
修司「人の苦労も知らないで、なに言ってんだ」
かね子「(小さく)図星なもんだから怒ってごまかして――」
修司「(とってつけたように)まあ、何とかして、解決に向って頑張ろうじゃないか」
かね子「―――」
修司「寝るぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体](深夜)
ダブルベッドにひとりでねむる塩子。
枕もとに「妊娠と出産」。
●石沢家[#「石沢家」はゴシック体]
帰ってくる石沢。
環。(身なりはかまっていない)
石沢、花を持っている。修司と同じ花。
石沢はかなり酔って上きげん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「※[#歌記号、unicode303d] お酒はぬる目のカンがいい、スルメはアブッたイカでいい」
環「―――」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、環に花を渡す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「どしたのよ、これ」
石沢「(笑いながら)あの人がさ、こっちにも同じようにしろってきかないんだよ」
環「(女と間違える)あんたでも、ハッキリ物言うときがあるのね」
石沢「え?」
環「その人にも、これと同じもの買ってやったわけだ。その人がさ『ワルいわァ、奥さんにも同じの買って帰ンなさいよ』なんていったわけだ」
[#ここで字下げ終わり]
環、花をほうり投げる。
あわてて拾う石沢。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「男だよ」
環「男? あんた、そっちの趣味あったの」
石沢「バカ言うんじゃないよ。おやじさん――(言いかけて)――事務所の女の子の、オヤジと、飲んだの」
[#ここで字下げ終わり]
環、ハハアと気がつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「なにやってる人? サラリーマン」
石沢「あ、おやじさん、サラリーマン中のサラリーマン。ありゃ、骨のズイまでサラリーマンだね」
環「年、いくつなの」
石沢「五十――あと、二、三年で、停年だな」
環「エリート?」
石沢「部長どまりだな。重役にゃ、ちょっとムリだね。人間が堅すぎるよ」
環「そんな堅いの」
石沢「人間はこうあらねばならぬ。バシッと決めててさ、裏道横丁一切認めないってンだから」
環「あんたと正反対じゃないの」
石沢「ああ、もうやられっぱなし(うれしそうにいう)」
環「大分、弱味がおありのようですねえ」
石沢「水、ちょうだいよ、水。『スルメはアブったイカでいい』か、ハハ、ハハハ。品行方正、学術優等、今でもいるんだなあ、ああいうのが」
環「奥さん、幸せだわね」
石沢「同じじゃないの。いや、いま、品行方正っていったけどさ。けっこう、手数《てかず》は多いんだよ」
環「手数ってなによ」
石沢「(ふざけて、環にボクシングのまね)これでさ、ノックアウト・パンチはないけどさ、ちょこ、ちょこ、ケチなのは、やってンだよ。自分の部下のOLにチョッカイ出してさ。あれ、もう一押しの度胸がありゃ、オレと同じ――(言いかけてやめる)男はみんな、ひとつ穴のムジナですよ」
環「なんか、ハナシが合うみたいねえ、そのかたと」
石沢「全然、噛《か》み合わないってとこで合ってンだろうなあ」
環「――のろけにきこえるなあ」
石沢「のろけ? 相手は男だよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]※[#歌記号、unicode303d] スルメはアブったイカでいい」
環――
F・O
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体]
向き合って坐る、かね子と環。
環は前よりはすこし身なり、髪型、化粧などかまっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お忙しいとこすみません」
環「いいえ。全然お忙しくなんかありませんから」
かね子「―――」
環「なんせ、うちで晩のごはん、食べないでしょ。オフロだって、入ってきちゃうし、女房のすることなんかなんにもないわね」
かね子「申しわけありません」
環「いまに始まったことじゃないから、別に奥さんがあやまることなんか――なんていうと傷つくのかな。お母さんとしては」
かね子「は?」
環「自分とこの娘の前にも、そういう女がいたってことは、やっぱり屈辱かもしれないわね。今までの女はいい加減。どうせならうちの娘だけは真剣に惚れてもらいたかった」
かね子「とんでもない。真剣になんか惚れていただいたら困りますよ」
環「―――」
かね子「毎晩、ちゃんと、お帰りなんですってねえ」
環「おかげさまで帰るだけはね――」
かね子「それきいてあたし、ほっとしたんですよ。『大丈夫だ、まだ道はついている』」
環「道?」
かね子「ご主人が、奥さんとこへもどる道――」
環「―――」
かね子「奥さん、もう少しかまってくださいな」
環「―――」
かね子「お顔立ち、いいんだもの、もちょっとかまったら」
環「主人の浮気がやむっていうんですか」
かね子「(困る)――ご主人ねえ。いいことしてるとは思ってないわよ。すまないと思いながら、帰ったときに、ボサボサアタマで、目やにかなんかくっつけて、ノソッと出てこられたら」
環「それアタシのはなしかしら」
かね子「いえ、『たとえば』」
環「じゃ伺いますけど、奥さんは、どうしてらっしゃるの? どんな風」
かね子「は?」
環「ご主人が――浮気――して、帰ってらしたとき」
かね子「うちの主人、そんな、気の利いたことしませんよ」
環「(クククと笑う)そう思ってらっしゃるの? 奥さん、おしあわせねえ」
かね子「?」
環「主人ねえ、ゆうべ、ずい分堅い人と――一緒に飲んだらしいんですけどねえ。もうすぐ停年のサラリーマン――。会社の部長で、品行方正で通った人らしいけど――フフ、フフフフ、それでも、ひと皮めくれば、部下の女の子と――なんか、コチョコチョ、あるらしいって、笑ってたわ」
かね子「コチョコチョって、どういうことかしら」
環「さあ、うちの主人みたいにドカーンとは、やらないってことじゃないかな」
かね子「そりゃねえ、普通のサラリーマンじゃあマンション借りるなんて芸当、とっても出来ませんよ。お金が自由になるのも、よしあしだわねえ」
環「ほんと、でもねえ、コチョコチョとドカンと、どっちが罪かっていやあ、あたしは同じだって気がするなあ」
かね子「(言いかける)」
環「すくなくともドカンの方は、恥かいてるわけでしょ。満身ソウイで、体はってるわけですよ。そこいくと、コチョコチョのほうは、うわべは、いいご主人、いいお父さんで、スカシてるわけでしょ。そっちのほうがズルくて、インケンだと思いません?」
かね子「でも、ハタ迷惑ってことでいやあ、ドカンのほうが、上じゃないの? 現にうちの娘みたって」
環「ひっかかるほうにも責任あるんじゃないんですか。まあ、お父さんがガチガチなんで娘は、全然別の魅力にひかれたってこともあるんじゃないかな。奥さん、そう思いません?」
かね子「――まあ、ゆうべどなたとお酒上ったか存じませんけど、当て推量で物いわれても、何てお答えしていいか(少し気取る)」
環「(呟《つぶや》く)お酒はヌルメのカンがいい、スルメはアブったイカでいい」
かね子「――(ギクリとする)」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
環「(ポツンという)ごめんなさい」
かね子「―――」
環「なんか、口惜《くや》しくって――。考えたら、あたしたち、被害者同士なのよ。腹立てることないんだけど――」
かね子「――ほんと――」
環「子供でもいなけりゃ、あたし、身、退《ひ》いてもいいんだけど」
かね子「――フフ、心にもないこと、おっしゃってる」
環「―――」
かね子「奥さんご主人に惚れてるわ」
環「―――」
かね子「伊達《だて》にお雑煮《ぞうに》食べちゃいないわよ」
環「(少し笑う)」
かね子「奥さん。あたしね、どんなことしても、ご主人、お宅へ帰してみせますよ」
環「―――」
かね子「そうでなくちゃ、世の中、通ンないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
環、ふっとそっぽを向く。
目に涙がいっぱいたまっている。
見ているかね子。
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体]
佐久間がたずねてきている。応対に出ているミナミ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「古田塩子さん――おねがいします」
ミナミ「ああ、ゴマ塩か。ゴマ塩ね、のびちゃったよ」
佐久間「のびた? どうしたんですか」
ミナミ「気分、悪くなってさ。そこのソファでひっくりかえってたんだけど、うち、ほら、人の出入り、多いでしょ。そいでね、近所でやすんでる」
佐久間「近所――」
ミナミ「すぐ裏のスナック」
佐久間「どこですか、場所――」
ミナミ「―――」
佐久間「おしえてください」
ミナミ「いかないほうがいいんじゃないかな」
佐久間「おしえてください」
ミナミ「―――」
佐久間「おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、言葉はていねいだが、すごい見幕。
ミナミを壁ぎわに押しつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●「梅干」・奥座敷[#「「梅干」・奥座敷」はゴシック体]
ぐったりしている塩子。佐久間が来て、少し離れた椅子席にすわっている。目くばせしあって気をもんでいる「梅干」の夫婦。(二人はすでに知っている)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「カゼなら、帰ってねたほうがいいよ」
塩子「―――」
佐久間「『うち』へ帰って――あったかいおじやでも食べてねてりゃ直るよ」
塩子「―――」
佐久間「いまの風邪は、しつこいっていうからこじらせると」
塩子「カゼじゃないの」
佐久間「―――」
塩子「病気じゃないのよ」
佐久間「――えっ?」
塩子「――自然現象」
佐久間「―――」
塩子「子供が出来たの」
佐久間「――子供――」
塩子「不思議ね。佐久間さんだと、あたし何でもいえるの、本当のこと、ドンドンいって、佐久間さんの困った顔、悲しそうな顔みたいの。これ、どういうのかしら」
佐久間「―――」
塩子「うんと、いやなこと、言って佐久間さん、もっと困らせてみたくなるの、不思議。自分でも判んない」
佐久間「子供、どうするの?」
塩子「あたし生むつもり」
佐久間「―――」
塩子「また、かなしそうな顔させちゃった――」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間――
梅干夫婦。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
修司のデスクの前に、前回、奉加帳を廻したカップルが最敬礼している。
解説役の大川。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「仲人してくれ?」
二人「おねがいします」
修司「君たち、仲人は、大学時代の恩師が――ちゃんと」
大川「先生のほうが、血圧で倒れたんですよ。それみて、奥さんのほうも、フラッといっちゃって――」
修司「式、あしただろ」
大川「この際立っててくれるだけで、立ち仲人でいいですから」
修司「電信柱かポストだね」
大川「奥さんと二人で、ひとつ」
二人「おねがいします――」
修司「判った、やらせてもらいましょう」
二人「ありがとうございます」
大川「(二人の)経歴書やなんかはあとで」
[#ここで字下げ終わり]
三人、席へもどってゆく。
打った書類を出しかけて、そばに立っていた睦子。書類と一緒に、上っぱりのポケットに忍ばせた封書をのせて席へもどってゆく。
「辞表」――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「つとめをかえることで、この間うちから、身上相談をもちかけられていました。これは親身になって相談にのってくれない私に対する、デモンストレーションとみるべきでしょう。女というのは、なかなか手の込んだことをやるもんです」
[#ここで字下げ終わり]
修司、タイプをもって、睦子の席へゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(大きな声)宮本君、すまないけどね、これもう一通。(小さい声)今晩、例のとこでメシ――メシ――」
[#ここで字下げ終わり]
肩に手をおいて、じわっと揉《も》むようにする。
睦子、タイプで、「行キマス」と打つ。
●レストラン[#「レストラン」はゴシック体](夜)
修司と睦子。
修司、誠実に相談にのっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「辞表は(胸のポケット)当分わたしが預っておくよ」
睦子「部長――」
修司「会社の給料じゃ、お母さんに充分な治療が出来ないことも――判らんじゃない。だけどねえ、叔母さんの経営するバーか? そっちへいくことで、本当にお母さんは『治る』のかな?」
睦子「―――」
修司「自分のために娘が不幸になってくのみたら、体の病気は治っても気持のほうが病気になるんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
修司の視線が睦子の襟足、胸を這《は》う。
テーブルの下では、足と足がふれ合っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「わたしの気持からいうと、やめさせたくないね」
睦子「―――」
修司「ところが、やめてもらったほうがいいという気持もあるんだ」
睦子「部長――」
修司「この頃、バカに君がキレイにみえてきてねえ。このままいくと、久米の仙人じゃないけど、雲の上から落っこちるんじゃないか――なんてねえ」
睦子「―――」
修司「やめさせたくない、やめてもらいたい――人間の気持ってやつはあっちも本当、こっちも本当。それが正直なとこなんだねえ」
睦子「―――」
修司(N)「ゆうべきいたあの男のセリフです。いやいやお恥かしい」
[#ここで字下げ終わり]
●ゲームセンター[#「ゲームセンター」はゴシック体](夜)
UFOを撃っている睦子。
うしろから、かぶさるようにして銃の持ち方、ねらい方を「指導」している修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「もっとほかにさそいたいところはあるのですが――とにかく、ここでもうひとつ威勢をつけないことには、やはり連れ込むべきところには連れ込めないのです」
[#ここで字下げ終わり]
バンバンうつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「ほら出た! うつ! またでた! そこ! あ!」
[#ここで字下げ終わり]
ふと、となりで撃っている男に気がつく。
佐久間。
睦子からとびはなれる修司。よォと肩を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「あッ――」
修司「おもしろいとこで逢うねえ――」
佐久間「―――」
修司「どう? 命中するかい」
佐久間「命中なんていわないでください」
修司「そうどなることないだろう」
佐久間「――(凄《すご》い顔)」
修司「どうしたんだ」
佐久間「塩子さん、子供、出来たんです」
修司「(フラフラとしてつかまってしまう)」
[#ここで字下げ終わり]
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](夜)
畳紙《たとうがみ》から留袖を出して、しらべているかね子。
カベに下っているモーニング。
修司、ブスッとして、夕刊をひろげている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(浮き浮きしている)久しぶりねえ、仲人なんて」
修司「―――」
かね子「(指を折って)八月ぶりだわ」
修司「ヤツキか――」
かね子「草履、新調しようかな。傷んでるわけじゃないけど、いま、ああいうの、はやらないのよ。そうだ長ジュバンも――おめでたいときにつくっとくとエンギがいいじゃないの」
修司「(新聞で顔をかくしながら)めでたいことが、もひとつあるぞ」
かね子「え?」
修司「塩子、生れるんだとさ」
かね子「(ぐっとのどのつまるような声)」
[#ここで字下げ終わり]
ポカンと目をあけて無表情――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「こうなったら、石沢君とハナシ詰めようじゃないか」
かね子「―――」
修司「身勝手のようだが、あっちとは別れてもらって、もともと夫婦仲がうまくいってなかったんだろ。だから、塩子とこうなったんだろ。それと――はなしあってみると、そう思ってたほどワルい奴じゃないんだよ。才能もあるらしいし――。人間としても正直だしさ――。そりゃ、はじめは、なんだろうけどさ、十年、二十年たてば――世の中に、ザラにあるはなしだし――あっちの細君もまだ若いんだ。今からならやり直し、きくだろうし、金の工面、出来る職業なんだから慰謝料はらって、ここは、手、ついてあやまってもらってさ」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、いきなり夕刊をひったくる。
ビリビリに破れる夕刊。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「おい――」
かね子「冗談じゃないわよ。お父さん、どこ、どこ押したら、そんなこと、いえるんですか――」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、怒りと興奮のあまり、ブルブルふるえてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「人間として、それだけは絶対にやっちゃいけないことですよ。塩子がそういっても、あたしたちは、絶対に、そんな――そんな――お父さん、アタマ、おかしいんじゃないの」
修司「おい――」
かね子「親が先立ちになって、ワルいこと、させるなんて――それはね、娘に泥棒や人殺しさせるのと同じことですよ」
修司「泥棒や人殺しとはちがうだろ」
かね子「同じですよ。十年一緒に暮した女房に別れろってことは、死ねってことよ」
修司「そう顔色変えてイキリ立つことないだろ」
かね子「お父さん、そういうってことは、浮気をみとめるってことですか。ヨソに子供出来たから別れてくれってことは」
修司「おれに子供が出来たわけじゃないだろ!」
かね子「お父さん、ドカーンだけが浮気じゃないのよ。コチョコチョだって立派な浮気なんですからね。コチョコチョだって子供は出来ンのよ。同じことしてんだもの」
修司「え?」
かね子「そっちのほうがよっぽどインケンでズルイわよ!」
修司「誰がズルいんだ」
かね子「自分の胸にきいてみりゃいいでしょ」
修司「誰がズルイんだ。なんのハナシだ!」
かね子「男同士カバイ合っちゃって」
修司「もってまわったいい方するなよ」
かね子「―――」
修司「ハッキリいえ、ハッキリ!」
かね子「――手がふるえてるわ(少し笑いながら裂けて残っている夕刊をとろうとする)」
修司「ぬれ衣《ぎぬ》だから腹が立ってンだ!」
[#ここで字下げ終わり]
手をはらった拍子に殴ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(むしゃぶりつく)なによ、人、殴ってごまかして!」
修司「オレがいつ、ごまかした!」
かね子「あたしが知らないと思ってなによ! (ひっかく)お父さん、塩子のこと心配してないわよ。自分に都合のいいように」
修司「おい!」
かね子「そういうのをね、自己弁護っていうのよ」
修司「なにいってんだ、お前は」
かね子「あいた!」
修司「おい!」
[#ここで字下げ終わり]
もみ合う夫婦。とび込んでくる高。
オタオタしているが、食卓のコップの水をいきなり二人にぶっかける。
二人――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「(頭から雫《しずく》をたらしながら)絶対に塩子が身を引くべきよ。お父さんもそう思うでしょ、思うでしょ」
修司「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●結婚式場[#「結婚式場」はゴシック体]
新郎新婦をはさんで仲人役の修司とかね子。
二人とも、ゆうべの夫婦げんかの名残りか、顔のあたりを気にして押さえたりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「偕老同穴《かいろうどうけつ》と申します。夫婦の愛情深く、生きては共に老い、死しては、穴を同じうして葬られることでありますが――偕老同穴というものは、本当にいるんですねえ。辞書によりますと、六放海綿目《ろつぽうかいめんもく》、かいろうどうけつ科の海綿動物でして、形はヘチマ形で海の底に立ってユラユラとゆれております。胃袋のなかにドウケツエビが棲《す》んでおります。このドウケツエビが雌雄一対であることから、はじめはこのエビが、偕老同穴とよばれていたんでありますが、のちに、家主のほうの海綿が、そうよばれるようになったとあります。まあエビでも海綿でもよろしい。夫婦はどんなことがあっても別れてはいけません。偕老同穴であります!」
[#ここで字下げ終わり]
大きくうなずくかね子。
●メゾン・タカシマ・廊下[#「メゾン・タカシマ・廊下」はゴシック体]
壽《ことぶき》の引出物のフロシキを抱えた結婚式帰りの修司とかね子。
どんどん入ってゆく修司に追いすがるかね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
かね子「お父さん、帰りましょ。ねえ、帰りましょ」
修司「帰るんなら、お前一人で帰れ」
かね子「こんな格好で――」
修司「―――」
かね子「くるんならちゃんと――出直してきましょ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、かね子の手を振り切り、どんどんドアを叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「わたしだ、あけなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体]
石沢と塩子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子・石沢「お父さん――」
[#ここで字下げ終わり]
二人――
ドア、ドンドン叩く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あけないほうがいい。お父さん(ガーンとくるからというジェスチュア)」
塩子「ううん、あけて――。逃げかくれしたくないの」
石沢「いや、オレひとりで――」
塩子「ううん、あたしも」
石沢「今日のところは――(マズイ)」
塩子「ハーイ、いま、あけます!」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、ドアをあけようとする塩子をバスルームに押し込む。目顔で、出るなのサイン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「ハーイ! ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアをあける。
入る夫婦。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「先日は、どうも、すごいかっこじゃないすか。結婚式(言いかける)」
修司「(固い表情で)家内です」
かね子「――塩子がいつもお世話に」
修司「バカ、いや、いいんだ。その通りだよ。お世話になってるんだ。正式のなにじゃなくて、二号だものなあ。二号の父親と母親です」
石沢「お父さん――まあ、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、室内を見わたす。
ダブルベッド。
食卓。揃《そろ》いのティーカップ。
石沢、二人を椅子に。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「(モーニング)今年の衿《えり》じゃないすか」
修司「腹が出てきたんでね、作ったんだ。ぼつぼつ娘も年頃だ。いつ結婚式があっても、あわてない用心にね」
石沢「それ、言われると――(かね子に)もう、この間から叱られっぱなしですよ」
かね子「―――」
石沢「いま、お茶でも、あ、お父さん、酒のほうが」
修司「単刀直入にきくけどね、どうするつもりだ」
石沢「あ、あの」
修司「子供だよ」
石沢「子供?」
[#ここで字下げ終わり]
バスルームの塩子、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「子供って――なんですかそりゃ」
修司「君、知らないの」
かね子「塩子、まだ、言ってないの?」
石沢「――子供、出来たんですか」
二人「―――」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、ゴクリとつばをのみ込む。のどがなってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「本当の気持、きかせてもらいたいんだ」
石沢「―――」
修司「いま、塩子に子供が出来たって聞いて、君、どう思った?」
石沢「――そ、そりゃ、う、うれしいですよ」
修司「(言いかける)男の見栄《みえ》は、よしてくれよ」
石沢「―――」
修司「いいかっこ、してくれるなよ」
石沢「―――」
修司「あわててくれよ。困ってくれよ。見、見苦しく、取り乱してくれよ。かっこよくさ、子供は生んでくれ、責任はとる、なんて、見得切らないでもらいたいんだよ」
石沢「―――」
修司「未婚の母なんてもてはやされてるけど、生易しいもんじゃないよ。いまはのぼせてるから、判らないけど、あとで、必ず泣くときがくる」
石沢「―――」
修司「だから、たのむ。塩子をいとしいと思う気持があったら、この際、徹底的に卑怯《ひきよう》に振舞ってくれよ。どうか――たのみます」
[#ここで字下げ終わり]
石沢フフ、と笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「お父さんも、人、見る目がないな」
修司「―――」
石沢「もう、たのまれなくたって、あわててるよ。困ってますよ」
修司「―――」
石沢「子供は困るよ。思ってもみなかったなあ」
かね子「(カッとなる)なに言ってンですか。男と女が、こうなれば子供が出来るぐらいのこと。あなた――」
石沢「そうだけど、いやあ、いやあ、子供――子供――いやあ、天バツ――っていっちゃなんだけど、子供――そりゃ――急に――いやあ――」
[#ここで字下げ終わり]
しどろもどろ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「――みっともないけど、こりゃ、手ついて謝まるより、しかたないなあ」
修司「―――」
[#ここで字下げ終わり]
かね子、スリッパが片方バスルームの入口近くに落ちているのに気づく。
ちょっと、という感じで手洗いに立つかね子。
バスルームのくもりガラスの向うに塩子のかげがうつっている。
塩子の目から涙が流れている。
立ちつくす母と娘。
石沢と修司。
●メゾン・タカシマ・廊下[#「メゾン・タカシマ・廊下」はゴシック体](夜)
帰ってゆく夫婦。
ガックリ肩を落して――
●メゾン・タカシマ[#「メゾン・タカシマ」はゴシック体](夜)
バスルームのカガミに泣いてる塩子の姿がうつっている。
外に立ちつくす石沢。
さっきとは、別人のような辛《つら》く重たい顔。
●病院・待合室[#「病院・待合室」はゴシック体]
産婦人科のプレート。おなかの大きい女。母親らしい年配の女など、ベンチに待っている。
「梅干」の夫婦。
となりに赤んぼうを抱いた若い女。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
須江「あたしたちが、もらってさ、育てたってよかったのにねえ」
庄治「すんだことはいうなよ」
須江「あと、三十年長生きすりゃ、育てられるもの」
庄治「これ以上、ゴタゴタのタネ、まくこたァないんだよ」
須江「人、一人、殺したんだよ」
庄治「ちがうな。もっといい花咲かせるために涙のんで、枝一本切ったんだよ。そう思わなきゃ、いらんねえや」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・表[#「病院・表」はゴシック体](夕方)
フラフラしながら出てくる塩子。
「梅干」の二人。うしろを向いて、たばこをすっていた佐久間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
塩子「佐久間さん」
佐久間「うちまで送らせてくれないかな」
塩子「(固い表情で首を振る)」
佐久間「自分にケリ、つけたいんだ。送らせてください」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、夫婦に頭を下げる。
●古田家・玄関[#「古田家・玄関」はゴシック体](夜)
佐久間、塩子、修司、かね子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐久間「お詫《わ》びにきました」
二人「―――」
佐久間「ぼく、いい加減なこと、言っちまって塩子さんのアレ、ウソだったんですよ。オレ、この人にかつがれたんだ。想像妊娠だったんですよ」
二人「想像妊娠」
佐久間「そうです。子供なんかできていなかったんだ」
塩子「ちがうわよ。子供、できたわ。いま病院」
佐久間「(必死)いま、病院へいったら、想像ニンシンだっていわれたんです」
修司・かね子「しかし、佐久間さん」
佐久間「あるんだそうですよ。いや、人間だけじゃなくて犬にも猿にもネズミにも、あるんです。ほんとに、オッパイ大きくなってツワリになってゲポッて吐いておなかふくれてくるんだそうです。塩子さん、それだったんですよ」
塩子「なにいってんの。あたし、いま(オロ)」
佐久間「想像ニンシン! 想像ニンシンだよ」
[#ここで字下げ終わり]
佐久間、必死。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(うなずく)なるほど、なるほど、想像ニンシンか、なるほど」
かね子・塩子「―――」
佐久間「ぼく、この三月で大阪へ転勤になります。三年で東京へもどりますけど――お父さん――ぜひ、寄ってください」
修司「―――」
佐久間「お父さん、ぜひ、よって下さい」
修司「―――」
佐久間「お父さん、おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
それは、塩子にいっている。
うつむいてしまう塩子。
修司、かね子、頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「私に対して言っているんじゃありません。これは塩子に対して言っているんです。こんなにまで踏みつけにされても、この男は塩子に惚《ほ》れてくれているんです。うれしいというか――やりきれないというか」
[#ここで字下げ終わり]
●メゾン・タカシマ・廊下[#「メゾン・タカシマ・廊下」はゴシック体](夜ふけ)
ウイスキーのビンを下げて入ってゆく修司。びっくりする。
石沢の部屋のドアから、ダブルベッドが運び出されてゆくところ。石沢と、若夫婦の三人でやっているが、ラチがあかない。
石沢、修司をみかけて声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「ちょっと、突っ立ってないで手、貸して下さいよ」
修司「え? あ」
[#ここで字下げ終わり]
修司、ウイスキーを廊下の端におき、手を貸す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「どうするの、これ」
石沢「そこの、新婚さんにね、格安で――アタタ、持ち上げて持ち上げて」
修司「そっち、そっち!」
石沢「もうちょい!」
修司「持ち上げたままで、廻り込まなきゃダメだ」
石沢「あんたたち、自分のなんだから、ぐっと――廊下がせまいんだよ」
修司「思い切って立てたほうがいい――」
石沢「立てよう――」
修司・石沢「セーノ!」
[#ここで字下げ終わり]
ベッド、曲り角を曲り切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
若夫婦「あと、大丈夫です」
石沢「じゃあ――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、酒ビンを手に石沢の肩を押すようにして中へ入る。
ガランとした室内。家具は、何もない。
ウイスキーのグラスを合わせる二人。飲む。
(間)
修司、フフと笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「え?」
修司「正反対だねえ、男としちゃさ」
石沢「―――」
修司「その顔だよ。はじめは、虫酸《むしず》が走ったね。ニヤけた二枚目面して、好色―――いや、なんとスケベな奴だろう――」
石沢「――その通りですよ」
修司「ところが――同じなんだ。オレの中にも君と同じムシが住んでいる――」
石沢「―――」
修司「度胸がないから、やらないだけでさ。ほんとは、やりたくてウズウズしてるんだよ」
石沢「―――」
修司「同じ虫、飼ってんなら、やるほうが、みごとだよ。オレ、アンタの相手が自分の娘でなきゃ、オレ、アンタ、許したね。オスとしちゃ、アンタの方が上だ」
石沢「いや、ちがうな」
修司「―――」
石沢「オレは、アンタを軽ベツしてたよ。イクジナシの体裁屋だと思ってさ。そうじゃないんだよ。己れの中のムシ、押さえて、押さえながら生きるのは、こりゃ立派な男の生き方ですよ」
修司「我はタタエツ彼が防備、彼はタタエツわが武勇だな」
[#ここで字下げ終わり]
二人高く笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「アンタ、塩子と別れても、またやるね」
石沢「お父さんも、しけった、ケチな奴、ひとつぐらいやるんじゃないですか」
修司「出来ないね、オレは」
石沢「いや、お父さん、やる。(言いかけて)お父さんか――」
[#ここで字下げ終わり]
修司、ガツンと乱暴にグラスをぶつけ、ぐっとのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「我はたたえつ彼が防備ってうた、あれたしか、乃木《のぎ》大将とステッセル」
修司「『水師営の会見』」
石沢「あの前――なんてったっけな」
修司「(呟《つぶや》く)『昨日の敵は今日の友』」
石沢「(呟く)『語る言葉もうちとけて』」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
石沢「あの二人、あと、年賀状――クリスマスカードか、そういうつき合い、あったのかな」
[#ここで字下げ終わり]
石沢、修司とつき合いを絶ちたくない。
期待の目。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「(辛いがこらえて)それは、なかったんじゃないかな」
石沢「―――」
修司「乃木さん、子供、二人戦死してるからねえ、許したら、死んだ子供にすまないんじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
うなずく石沢。
修司、自分の未練を絶ち切るように、もう一度ガツンとグラスを合わす。
●プレイタウン編集部[#「プレイタウン編集部」はゴシック体]
元気で働く塩子。
ミナミ、電話を受けている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミナミ「ゴマ塩、電話、取材OKだって」
塩子「何時? 時間」
ミナミ「自分でヤンナヨ!」
塩子「モシモシ古田です。何時に伺ったらいいですか。場所――ハイ、ハイ、ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
ミナミ、ほっとする感じ。コーヒーをいれてやっている。
●「梅干」[#「「梅干」」はゴシック体]
ぐったりして、元気のない夫婦。
●石沢家[#「石沢家」はゴシック体]
環と朝子に送られて、出勤してゆく石沢。
環は、すこし身なりをかまうようになっている。
石沢、朝子の顔をなでる。
手を振って出てゆく。
●古田家・茶の間[#「古田家・茶の間」はゴシック体](昼)
ヨガをしているかね子。
御用聞きの声にあわててひっくりかえったりしている。
●第二資材部[#「第二資材部」はゴシック体]
新婚旅行から帰ってきたカップルが修司にみやげを出している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司「いや、ありがとう、新婚てのはちがうねえ、なんか、ピカピカしてるねえ」
[#ここで字下げ終わり]
タイプを打っている睦子。チラリとみる。
そのおくれ毛、胸のあたりをチラリと見る修司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「戦いすんで日が暮れて平和がもどってきました。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]張り切っていた風船がしぼんでしまったような妙に張り合いのない毎日です」
●街[#「街」はゴシック体]
ラッシュの交差点。
人の波の中で、パッタリ出逢《であ》ってしまう修司と石沢。二人、思わず立ちどまり手を出しかける。握手寸前で気づき、複雑なテレ笑いを浮かべながら手を引っこめる。その手を、同じ形で、やあ、という風に軽く振って、それぞれの人の波にのまれて別れてゆく。
おびただしい人の波。中に、たがいに振りかえっている二人の男の姿がある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
修司(N)「乃木大将とステッセルはもう逢ってはいけないのです。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それにしても、このさびしさは、何と説明したらよいのでしょうか」
[#改ページ]
きんぎょの夢
[#改ページ]
●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果)
きんぎょの夢
NETテレビ(テレビ朝日)で放映
昭和46年5月20日
●スタッフ
制作 若杉芳光
演出 大村哲夫
音楽 山下毅雄
●主なキャスト
柿沢砂子  若尾文子
殿村良介  池部 良
殿村みつ子 杉村春子
折口 誠  井川比佐志
ポンちゃん 高山ナツキ
[#改ページ]
金魚の昼寝
鹿島鳴秋
赤いべべ着た
可愛い金魚
お眼々をさませば
御馳走するぞ
赤い金魚は
あぶくを一つ
昼寝うとうと
夢からさめた
(大正8年)
[#改ページ]
●砂子のアパート・茶の間[#「砂子のアパート・茶の間」はゴシック体]
見映えのしない初老の僧が、読経を終えて、帰るところ。
長女の砂子、次女和子、三女信子が送っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「このへんのおすしですからおいしくもありませんけど――ひと口――」
僧「(手を振って)もう一軒廻るとこがありますんで」
砂子「そうですか。では、これを――(お布施)」
僧「どうも」
砂子「ありがとうございました。ごめん下さいませ」
[#ここで字下げ終わり]
三人、恭《うやうや》しく一礼。
僧、ドアを出てゆく。
三姉妹、とたんにダレて、ため息などつきながら、仏壇の前へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「あたしの言った通りじゃない。坊さんなんて、どこ行ったっておすし出されるんだから、ハシなんかつけやしないわよ。三人前で沢山だっていったのに」
信子「お姉ちゃんてさ、ふだんはケチのくせに、こういうときっていうと張り切るんだから」
砂子「親の命日に、おすし一人ケチったって始まらないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
仏壇の位牌《いはい》。
初老の男の黒枠の小さな写真。
前に新聞が供えてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「さ、さ、色の変らないうちに、早くたべよう」
砂子「信ちゃん、お茶いれかえてよ。そうだわ、和ちゃん、アンタこれ、もって帰りなさいよ」
和子「おすし」
砂子「恭一さん、好きなんでしょ?」
和子「――六時や七時に帰ってくるなら苦労しないわよ」
砂子「そんなにおそいの」
和子「ここんとこ毎晩。日曜だって出かけてくのよ」
信子「浮気?」
和子「バカね、これよォ(マージャン)」
信子「なんだマージャン」
[#ここで字下げ終わり]
三人、たべながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「そういうけどねえ、待ってる身になってみなさいよ!」
信子「そんなに面白いのかな、マージャンて」
和子「一生やっても、同じ手は二度つかないんだ、なんていうんだけど――大の男が四人かかって、目、血走らせてやるほどのものじゃないと思うけどねえ」
信子「(ケロリと)ほかに娯楽もないからな」
砂子・和子「え?」
信子「子供でも生めば?」
和子「カンタンにいわないでよ、生んだわ、亭主に見込みがないわじゃどうすんのよ。コブつきじゃパートタイマーにもゆけないじゃない」
砂子「冗談じゃないわよ。二年やそこらで離婚されたんじゃ、こっちがかなわないわよ」
和子「信ちゃんも考えたほうがいいわよ。短大なんか出たって、何の役にも立たないんだから。そんな暇あったらお姉ちゃんのお店でも手伝って、男性の研究でもしてから、結婚したほうが」
砂子「それだけはおことわり。『いらっしゃいませ』はあたし一人で沢山よ」
信子「やっぱり、よくないかな? 水商売って」
砂子「しないですめば、それに越したことはないわね」
和子「結婚するとき、やっぱりハンディかもしれないわね」
信子「――でもお姉ちゃんは大丈夫なんじゃない? こうやってたって水商売の人って感じ全然ないもん」
砂子「(ほっとしながら)当り前よ、和ちゃんの年にはまだOLだったんだもの」
和子「でもさ、やっぱり……普通の『ひと』って感じじゃないな」
砂子「え?」
和子「手つきが違うんだなあ、あたしたちと」
砂子「どうちがうのよ」
[#ここで字下げ終わり]
三姉妹、ハシを止めて、探り合う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「小指」
砂子「小指?」
和子「ピンと立ててるでしょ。素人はアンマリやらないもンね」
砂子「(ギクリとして、引っこめながら)いつも、こうじゃないわよ、何かのハズミよ。あんたたちだって自分じゃ気がつかないでやってるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
ムキになる砂子の見幕に、和子、信子、口をつぐんで食べつづける。
砂子、小指を気にしながら、調子をかえて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「そうだわ、信ちゃん、紫のフロシキ出して頂戴《ちようだい》よ」
信子「紫のフロシキ?」
砂子「今晩、位牌と写真、借りてくわよ」
和子「どこへもってくの?」
砂子「(ニッコリして)お店……」
[#ここで字下げ終わり]
●横丁[#「横丁」はゴシック体](夜)
細い飲み屋横丁の小路。
おでん屋「次郎」の看板。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体](夜)
満員の客。
カウンターの砂子と、手伝いの女の子、ポンちゃん(あくびなどしている)。
砂子の正面に酔客の田中と井上、一つ空席をはさんで、隅にポツンとすわって、おでんをつつく折口誠。
金魚鉢を前に金魚にエサをやったりしている折口。
酔客の相手をする砂子はいっぱしのプロである。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中「へえ、ママ近眼なの」
砂子「ちょっと乱視が入ってんですよ」
井上「それで色っぽいんだ」
砂子「あら、――そうかしら?」
井上「そうか、道理で」
砂子「そういえば――田中さん、めがね――お変えになったかしら?」
田中「また度が進んじゃってね」
井上「年だねえ、まず歯にくる、それから目だね」
砂子「(うなずく)ですってね」
井上「(調子づいてニヤニヤしながら)それから――ハ、メ――」
砂子「(トボけて)ポンちゃん、たばこきれてたんじゃないかしら?」
井上「ヘヘ、ママ判ってるじゃないの」
砂子「(笑っている)」
井上「ポンちゃん、判る? 判る?」
ポンちゃん「(あくび)」
田中「判んないよねえ」
井上「あのねえ、ポンちゃん」
砂子「あんまりヘンなことを教えないで下さいよ。おヨメにゆけなくなっちゃうわ。ねえポンちゃん(目顔で買いものにゆけとすすめている)」
[#ここで字下げ終わり]
田中、井上、尚《なお》もしつこく――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中「だけどさ、本当。年だねえ。オレなんかもう、盆暮《ぼんくれ》だもんなあ」
井上「そりゃまた早いねえ、オレは、まあ、週刊誌といいたいけど月刊誌――なんていっちゃうと、ママ、口説いてもダメだね、こりゃ――」
[#ここで字下げ終わり]
ポンちゃん、肩をすくめている。
砂子、とぼけて笑っている。
折口、ムッとして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「お勘定して下さい!」
砂子「あら、もうお帰りですか」
折口「………」
砂子「八百五十円、いただきます。あ、そうだわ、金魚のエサ、おいくらかしら?」
折口「こりゃ、いいんです」
砂子「でも、毎度ですから」
折口「いや、いいんです」
砂子「そうですか、じゃあ――お借りしときます。いつもすみません」
[#ここで字下げ終わり]
折口、金を払う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「ありがとうございました。またどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
出て行く折口。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「あ、忘れもんよ! 金魚屋さん」
[#ここで字下げ終わり]
週刊誌をわたすポンちゃん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「どうも」
[#ここで字下げ終わり]
折口、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中「へえ、この頃の金魚屋は背広着てんの」
井上「金魚のセールスマンじゃないの」
砂子「そうじゃないんですよ。普通のサラリーマンじゃないかしら?
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]金魚の世話して下さるもンだから――アタシたち、金魚屋さんなんて……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中・井上「フーン」
砂子「(ポンちゃんに)ねえ、今の人、名前何てったかしら」
ポンちゃん「さあ――」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、折口のおいてった金魚のエサの箱をしまう。
●横丁[#「横丁」はゴシック体](夜)
週刊誌をコートのポケットに突っこんで歩き出す折口。
新聞社の上っぱりを着た堀川と戸塚とスレ違う。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体](夜)
田中と井上、すでに出来上って、くどくどやりながらのんでいる。
カウンターにならぶ堀川と戸塚。
改まって、それぞれ「御仏前」の包みを出して、砂子の前に。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
堀川「実はゆうべ、うちへ帰ってから気がついたもんだから。少ないけど、花でも」
砂子「――持ってきてよかった……」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、紫のフロシキから位牌と写真を出す。
別人のように素人っぽい砂子である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
堀川「あ、こりゃ……」
砂子「七年もたってますしねえ、忙しい仕事してらっしゃるかたばっかりだから――とも思ったんですけど、第一、覚えてて下さるかたがあったら――なんて思って」
戸塚「じゃ、ここでおまいりさせてもらおうか」
[#ここで字下げ終わり]
堀川、戸塚、合掌。
砂子、頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「七年もたてば、親の命日だって、うっかりするっていうのに――」
戸塚「いやあ、ありゃ忘れようたって、カンタンに忘れられないやねえ」
堀川「机ならべてゲラみてたのが、いきなりバタンときたんだからねえ」
砂子「本当に、あの時は何から何まで」
[#ここで字下げ終わり]
戸塚、ポケットから、朝刊のゲラ刷りの控えを出して位牌の前へ供える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
戸塚「お供物の代りに、ゲラでもよんでもらおか」
砂子「この匂いがたまンないってよくいってたわ……」
堀川「そうだ……あの日のトップは『××××』だったっけなあ」
戸塚「砂ちゃん」
砂子「とってあるんですよ。あの日の新聞……」
堀川「新聞屋の娘だねエ」
戸塚「しかし、よくガンばったなあ、砂ちゃん」
砂子「皆さんのおかげで――どうにか」
戸塚「おやじさん、鼻高くしてんじゃないの、え! 次郎って名前がよかったんだって、オレの名前つけたから繁昌したんだって」
堀川「そりゃ違うな」
戸塚「え?」
[#ここで字下げ終わり]
客、入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「いらっしゃいませ」
堀川「これですよ。これ、友達の娘にナンだけど、砂ちゃんの色気ですよ」
砂子「ありませんよ、そんなもの」
堀川「いや、あるねえ」
戸塚「ある」
砂子「いやだわ。お父さん、生きてたら怒られちゃう」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、写真をヒョイと裏返す。戸塚、その写真をまたひっくり返して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
戸塚「ヤボいうなって。おかげではやってんだから、よく見とけって――」
堀川「そりゃ違うな」
戸塚「え?」
堀川「砂ちゃんが、本当に見せたいのは――。そんなね、よっぱらいの有象無象じゃないの」
戸塚「え? ああ、ああ、そうか、そうか、そうか」
堀川「ねえ、砂ちゃん、そうだろ」
砂子「あら、堀川さんも戸塚さんも、何のオハナシですか」
戸塚「まあまあ。ああ、うまいわけだ。ただ一人の人のために煮るおでんの味……」
堀川「そうか。こっちはお相伴だったのか」
砂子「あら、そんな」
[#ここで字下げ終わり]
のれんを割って入ってくる殿村良介。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
堀川「ホラホラ、噂《うわさ》をすれば何とやらだ」
砂子「いらっしゃいませ」
戸塚「(小さく)やっぱりなあ、殿村さんだと言い方が違うねえ」
砂子「――同じですよ」
戸塚「いや、違うねえ」
堀川「違う」
[#ここで字下げ終わり]
良介、目顔で二人にあいさつしながら、無言でカウンターにすわって夕刊をひろげる。
毎晩、同じ時刻にきて、同じものを食べてゆく習慣が身についている。
砂子も無言でカンをつけ、おでんをよそう。
良介、ポケットをさぐる。
砂子、だまって、引出しからたばこを出し、封を切ってわたす。
良介、くわえる。
砂子、ごく自然にマッチをする。
戸塚、堀川、ため息。
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砂子「(気づいて)そちら、おつけしましょうか」
戸塚「いや、もう」
[#ここで字下げ終わり]
二人、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「そうですか」
戸塚「思いがけなくおまいりもさせてもらったし――」
[#ここで字下げ終わり]
良介、チラリと目をあげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「ありがとうございました」
堀川「――お先に」
良介「(二人に)もう、アがりですか」
堀川「いや、もう一息」
戸塚「そっちはどうですか」
良介「二つばかり入稿がおくれそうでねえ」
戸塚「週刊誌はラクができないねえ」
堀川「おさきに」
戸塚「ごゆっくり」
[#ここで字下げ終わり]
二人、出てゆく。
砂子、あらためて良介に酌をする。
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良介「(写真と位牌に)今日は――お父さんの」
砂子「七回忌なんです」
良介「なぜ言わない」
砂子「ご心配かけるといけないと思って」
良介「なんでも一人でやるのは、いけないクセだね」
砂子「でも……」
良介「――身のまわりが片づいていないから――法事の席にならぶわけにはいかないにしても――」
砂子「お気持だけで……」
良介「(目礼しながら)――亡くなったとき、ぼくは、大阪支局だったから――お目にかかるのは、はじめてだなあ」
砂子「(オドケて)ふつつかな父ですけど――よろしくおねがいします」
良介「殿村です。はじめまして」
[#ここで字下げ終わり]
良介、位牌に盃《さかずき》をあげる。
二人、顔を見合わせて少し笑う。
●パチンコ屋[#「パチンコ屋」はゴシック体](夜)
ならんではじいている堀川と戸塚。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
堀川「すすんでんのかねえ、あっちのハナシ」
戸塚「さあ、どの程度まで行ってるかしらないけど――こんどは殿村さんも別れるんじゃないの」
堀川「別れなきゃあの人は芽が出ないよ。奥さんで、ずいぶん損してるからな」
戸塚「相手が砂ちゃんでなくても、オレは別れろっていいたいね。それほど親しくはないけどさ」
堀川「しかし、フンだくられるね」
戸塚「退職金前借りしても、金でカタがつくんなら――」
堀川「だけどさ、年上だろ」
戸塚「五つだったかな」
[#ここで字下げ終わり]
二人の肩をたたくポンちゃん。
たばこをかかえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
堀川「なんだよ、ポンちゃん」
ポンちゃん「たばこ買いにきたのよ」
戸塚「高いたばこについてんじゃないの」
堀川「あそんでないで早く店へかえンないと――」
戸塚「気がきかないねえ」
堀川「え?」
[#ここで字下げ終わり]
戸塚、自分のタマを一つかみ、ポンちゃんに差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
戸塚「ゆっくりかえったほうがいいときもあるの」
堀川「あ、そうか」
[#ここで字下げ終わり]
堀川、自分もタマをしゃくって、ポンちゃんに。
ポンちゃん、となりの台ではじきながら、
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ポンちゃん「来てるんでしょ? 殿村さん、ちゃんと判ってたんだ」
戸塚「ポンちゃん、気を利かさなくちゃダメだよ」
ポンちゃん「気、利かしてるじゃない」
戸塚「今晩、締切りだろ」
ポンちゃん「そうか、木曜か」
戸塚「夜中にさ、殿村さんのデスクに夜食とどけにゆくだろ」
ポンちゃん「おでんと茶めしにおしんこ」
戸塚「アタシ、もってく、なんて言うんじゃないよ」
ポンちゃん「そのくらい、言われなくたって――」
[#ここで字下げ終わり]
●新聞社・廊下[#「新聞社・廊下」はゴシック体](深夜)
岡持をさげて歩いてゆく砂子。
企画室、会議室などのプレート。
あわただしく追い越してゆく、皮ジャンパーのお使いさん。
あくびをしながら帰ってゆく社員など――。
砂子「週刊××編集部」のドアを押して入ってゆく。
●編集部[#「編集部」はゴシック体](深夜)
ガランとしたデスク。
二、三人の社員がレイアウトしている。
デスクの江島、足を机にのせてダレている。
うしろに立つ砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
江島「おそいよ! どうして途中で電話かけないの」
[#ここで字下げ終わり]
ふり向いて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
江島「なんだ、『次郎』の定期便か」
砂子「――すみません」
江島「第二会議室でネガ見てるから――」
砂子「いいんですか」
江島「ママにかくすほどの特ダネがありゃ、もちっと部数がのびるってさ」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、笑いながら――
●第二会議室[#「第二会議室」はゴシック体](深夜)
ネガを選んでいる良介。
砂子、そばのテーブルに夜食をならべ終って、ネガをのぞきこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「みんな同じに見えるわ」
良介「よくみると、少しずつちがってる」
砂子「引き伸ばしてみないと、判らないわ」
良介「――人間と同じだな。深くつきあわないと、アラが見えない」
砂子「……こわいわ。アタシもこのへんでやめとこうかしら?」
良介「――締切りの定期便はたしか――」
砂子「三島事件のときからだから――」
良介「半年か」
砂子「夏になったらどうしようかしら? 汗かいておでんてわけにもいかないでしょう」
良介「クーラーがききすぎてるから、ちょうどいいさ」
[#ここで字下げ終わり]
良介、ネガを手繰っている砂子の手をとる。
一本一本指先を愛撫《あいぶ》しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「何にも塗ってないんだね。指輪もしてない」
砂子「おにぎりにぎるでしょ? 赤くしてると、何だか、まずそうで――」
良介「(うしろから抱きすくめる形で)香水も、つけてない」
砂子「食べもの商売って、そういうとこが――だから、土曜の夜は、うんとオーデコロンつけてねるんですよ」
良介「――やめれば、毎晩だって、つけられる」
[#ここで字下げ終わり]
抱きすくめようとする良介の手を、はずそうとする砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「おでんが、さめるわ」
良介「――こんどの土曜日」
砂子「―――」
良介「店、終ってからでいいんだ。あけられないかな」
砂子「―――」
良介「サクラには半端だけど、伊豆へ魚でも食いにゆかないかな。ゆっくりはなしたいこともあるし」
砂子「オハナシなら、東京で、おひるでもいただきながら」
良介「―――」
砂子「殿村さん、アタシ、そういうのいやなんです」
良介「浮気じゃないんだ、そのことは、君だって」
砂子「だから、いやなんです」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、ネガの帯をとってみつめながら、どんどん下へ流してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「カウンターの前に七年、すわってました。その間に――男の人は――二人」
良介「―――」
砂子「二人とも、結婚できる相手ではなかったわ。でも、あたし――」
良介「何もないほうがおかしいよ」
砂子「でも、今度は、殿村さんはちがうんです」
良介「わかった。ちゃんとけりつけて、さそいなおす」
砂子「――待ってて、いいんでしょうか」
良介「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●宝石屋・ショーウィンドー[#「宝石屋・ショーウィンドー」はゴシック体](深夜)
中古品の安直な指輪が光っている。
岡持を下げた砂子がみている。
ガラガラとシャッターがおりる。
ゆっくり歩き出す砂子。
その、しあわせそうな顔――。
パチンコ屋から「蛍の光」が流れている。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体](深夜)
居ねむりしているポンちゃん、目をさます。
カウンターにすわっている中年の女、殿村みつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「いらっしゃいませ」
みつ子「アンタ一人なの?」
ポンちゃん「ああ、ママですか? もう帰ってくるんじゃないかな」
みつ子「じゃ、待たせていただくわ」
[#ここで字下げ終わり]
ゆっくりとたばこをくわえる。
赤く塗った爪。
●深夜の街[#「深夜の街」はゴシック体]
歩く砂子。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体](深夜)
たばこをくゆらすみつ子。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体](深夜)
岡持を下げて帰ってくる砂子。
カウンターのみつ子、ポンちゃん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「ただいま」
ポンちゃん「お帰ンなさい」
砂子「いらっしゃいませ」
みつ子「まあまあ、こんなにおそく出前なさるの?」
砂子「はあ――」
ポンちゃん「毎週木曜って週刊××が締切りなんすよね」
みつ子「――ああ、そう、それで、わざわざ……それは、まあ、ありがとうございます」
砂子「―――」
みつ子「主人がいつもお世話になりまして」
砂子「あの……」
みつ子「今晩もお夜食ご厄介になったんでしょ?……フフ殿村よ……」
砂子「殿村さんの奥さん……」
みつ子「何もアンタそんなにびっくりすることないじゃないの。あ、そうか、あんまりオバアちゃんなんで――五つしかちがわないのよ、アタシが上だけど。子供がないせいかしらねえ、うちの殿村って若く見えるでしょ? ズルイったらありゃしない」
砂子「―――」
みつ子「ああ、ちょっと――ピン」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、砂子のおくれ毛をかきあげて、はずれかかっているピンをとめてやる。
砂子、何となく衣紋《えもん》を取りつくろう、多少うしろめたい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「どうも――すみません」
みつ子「あ、あたしにおとうふとすじと大根。いつも主人――この三つなんでしょう」
砂子「はあ、いつも――ごひいきにあずかりまして」
みつ子「いいえ、御礼言いたいのはあたしのほうよ」
砂子「?」
みつ子「だって――晩のごはんの心配しなくてすむんですもの、前は、夜、何時に帰ってきても、『メシ』。お茶漬たべないとねない人だったのが――こっちへ伺うようになってからは『フロ』『ネル』これだけでいいんですもの。女房としちゃ、こんなラクチンなことはないわよ。本当、大助かり、あら、おいしそうだ」
砂子「――素人の見よう見まねですから――お口にあうかどうか」
みつ子「おいしい。ね、これおだしは何なの、教えて頂戴《ちようだい》よ」
砂子「別に……お教えするほどのものは何にも」
みつ子「いいじゃないの。あたしがつくったってプロにはかないっこないんだから」
砂子「――こんぶとかつおぶしと――あとはお酒を少しフン発するぐらいで――」
みつ子「フーンじゃうちのと同じだわねえ、どこがちがうのかしら?」
砂子「あの――おつけいたしましょうか」
みつ子「やめとくわ。主人が働いてるのに、女房が赤い顔もしてられないでしょ?」
砂子「――じゃあ、いま、お番茶を」
みつ子「――本当に、いたんですか、デスクに」
砂子「はあ?」
みつ子「――そうか、今、逢《あ》ってらしたんですもンねえ」
砂子「はあ、あのおとどけに」
みつ子「フーン、じゃ、今晩は本当か……いえ、あたしは、半分は、本気にしてないのよ。いくら、週刊誌が忙しいったってこんな、ねえ、そんなに毎晩、打ち合わせしなくちゃ本が出せないなんて、アンタの編集部はバカが集ってんじゃないの、そいってるのよ。半分は、浮気の打ち合わせでもしているんでしょって――」
砂子「でも――皆さん本当にお忙しそうですわ」
みつ子「忙しがってうれしがってんのよ」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、バッグからガマ口を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「ねえ、十円でいいのかしら」
砂子「はあ?」
みつ子「ちょっと、アンタ、電話してちょうだいよ」
砂子「あの……」
みつ子「アタシだとうちの良介、出ないのよ、『用もないのに電話するな』って――」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、十円玉をカウンターにおいてダイヤルを廻しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「直通は――二一一八だったわねえ」
砂子「ええと――」
みつ子「あら、こっちからかけることだってあるんでしょ? あ、出た!」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、送話口をふさいで受話器を砂子に押しつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「(小声)アンタ、出てちょうだいよ」
砂子「あの――」
みつ子「あたしがいるっていっちゃダメよ、アンタからって――」
男の声「モシモシ週刊××」
砂子「(進退きわまって)恐れ入りますが殿村さんを――『次郎』でございますが」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、笑いながら受話器に耳をあてている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「――奥さん、お出になりますから――」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、うけとらない。
砂子にあなたしゃべれとサイン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「奥さん……」
殿村(声)「どうしたの、珍しいな。砂ちゃんが電話かけてくるなんて――そうか、さっきのハナシ――気が変ったんだな、モシモシ、モシモシ砂子さんじゃないの?」
[#ここで字下げ終わり]
受話器をひったくるみつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「へえ、こちら、スナコさんておっしゃるの、しゃれた名前ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
当惑の砂子。
●「編集部」デスク[#「「編集部」デスク」はゴシック体]
ガク然とする良介。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「なんだ、お前か」
みつ子(声)「フフ、アタシですみませんでしたわねえ」
良介「どこからかけてるんだ」
みつ子(声)「砂子さんのお店よ。どうせ帰りはあけ方でしょ。ちょうどいい機会だと思ってねえ、お世話になってるごあいさつによったのよ」
良介「用がなけりゃ、切るよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体]
笑いながら、電話しているみつ子、そばに砂子。
タクアンを切りながら、ハラハラしているポンちゃん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「何もそんな――おこることないでしょ、おかしな人ねえ、それからさっきのハナシって、何なの? あ、モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
電話ガシャンと切れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「具合の悪いハナシになるといつもこうなんだから――ズルいわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子もガシャンと切って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「――ねえ、一体、何のハナシ? なんて聞いちゃいけなかったかしら? そっちのほうは、おでんのダシとちがって、ヒミツかな?」
砂子「いえ、大したハナシじゃないんです。デスクで――ネガをみせていただいたもんですから――ネガのハナシを」
みつ子「ネガのハナシねえ、あ、又、電話代、十円でいいのかしら」
砂子「そんな、けっこうですから」
みつ子「あら、とっといてちょうだいよ。それから、これは――」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、バッグから祝儀袋を出して、五百円札を折って包みながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「少ないけど――チップ」
砂子「それは――うちは一切いただかないことになってますから」
みつ子「あら、女同士でチップ出したら失礼かしら」
砂子「別に――そんなことありませんけど」
みつ子「だったら、とっておいてちょうだいよ」
砂子「でも――困ります」
みつ子「どうして?」
砂子「本当に――どうぞ」
みつ子「いやにこだわるわねえ、とってちょうだいよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、ポチ袋を押しつけあう。
プンとふくれてにらんでいるポンちゃん。
●「次郎」の店・表[#「「次郎」の店・表」はゴシック体](深夜)
おでん屋「次郎」の看板の灯が消える。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体]
少しライトの落ちた店内。
看板を抱えて入ってくるポンちゃん。
カウンターに放心したようにすわっている砂子。
前に、祝儀袋。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「感じ悪いオンナ!」
砂子「小ビン、冷えてたかしら?」
ポンちゃん「大ビンしかなかったな」
砂子「大ビンだと、のこっちゃうわねえ――」
ポンちゃん「あたしものもうかな」
砂子「珍しいわねえ、ポンちゃん、ビールきらいじゃなかったの」
[#ここで字下げ終わり]
ポンちゃん、ビールをあけて二つのグラスに満たす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「(グラスをぶっつけて)ママ、おめでとう?」
砂子「ちょっと、アンタ」
ポンちゃん「あたしさ、大きなお世話だけれどほっとしてんだ。だってさ――もしもさ、殿村さんの奥さんが、すっごく感じのいい人だったら――ママ、かえって――困るんじゃないかな」
砂子「ポンちゃん……」
ポンちゃん「いくらさ、会社の人たちが殿村さんの奥さんは悪妻だ、リコンサンセイ! っていったって、やっぱしさ、ママとしちゃ――」
砂子「(うなずく)すまないって気持だった――そうなのよ。だけど、あの奥さん見たら、あたしも――ハラ立ててるくせに、本当のとこは、少し、ほっとしてるのよ。女って浅ましいもンねえ」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、ぐっとあける。
ポンちゃん祝儀袋を指ではじいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「五百円か、ケチ!」
砂子「―――」
ポンちゃん「――捨てちゃうか」
砂子「そうもいかないでしょ……お金ですもン」
ポンちゃん「そうだ。ゴミ用のポリバケツ、買うか」
砂子「ちょっと悪いんじゃない?」
ポンちゃん「――ううん、ママは人が善いんだから、やるときはビシッとやらなきゃ――」
[#ここで字下げ終わり]
●砂子のアパート・廊下[#「砂子のアパート・廊下」はゴシック体](深夜)
ぞうりをもって、足音を忍ばせて帰ってくる砂子。
カギをあけかけると、ドアーがスーとあく。
パジャマ姿の三女信子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「まだ起きてたの?」
信子「(声をひそめて)きてんのよ、和子姉ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
●砂子のアパート・リビング[#「砂子のアパート・リビング」はゴシック体](深夜)
ブラウスの上に砂子の袢天《はんてん》をひっかけた珍なスタイルの和子、思いつめた顔ですわっている。茶を入れる信子。砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「へえ。恭一さん、マージャンじゃなかったの」
和子「千五百円浮いた二千円沈んだっていうの、真にうけてたこっちがバカだったんだけど――まだ二年よ、結婚して。早すぎるわよ」
信子「じゃ、何年たてばいいのよ」
和子「子供はだまって、勉強してなさいよ。それもさ、会社の女《ひと》だっていうんなら、まだハナシは判るわよ。バーのホステスなのよ」
砂子「……あのねえ、和ちゃん」
和子「女房のある男だってわかってて、チョッカイ出すなんて、許せないな、アタシ。水商売なら水商売らしくさ、ルールだけは守ってほしいな」
信子「ルールって何よ」
和子「あたしねえ、言ったのよ。浮気ならカンベンしたげるって、その代りお金で……解決してくれって。そしたら、返事しないのよ」
砂子「………」
和子「水商売は水商売らしくしてもらいたいわよ。大体、向うはプロなんだからさ」
砂子「アンタね、水商売水商売っていうけれど、別に人種が違うわけじゃないのよ」
和子「え? (気がついて)そのくらい、判ってるわよ」
砂子「水商売の女がみんなワルでジダラクで、普通の奥さんの方がチャンとしてるとは限らないのよ。ちゃんとした人の奥さんだって、ひどい人もいるんだから」
和子「お姉ちゃん」
砂子「待ちなさいよ。あたしにいわせりゃ、ご主人に浮気……本気ならもちろんのことよ、ほかの女に目を向けさせるのは奥さんにも責任があると思うわね。うちのお客さまみてると、そうだもの」
和子「あのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、言わせない。
つかれたようにしゃべり出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「一人いるのよ、そういう奥さんが。ご主人はとっても仕事の出来る人で、本当ならもっとエリートコースにのってもいい人なのよ。それが、どして一つ出世がおくれてるかっていうと、奥さんのせいだっていうのよ。誰もうちへ行かないんだって、夜なんかおそくいったら、もう奥さんプーンとして口もきかないんだって。子供もいないのに、うちの中、しっ散らかして、手料理一つロクに作らないで、ローケツ染めかなんかに凝って」
和子「お姉ちゃん、あたし、そんなことしてないわよ」
砂子「何もアンタだとはいってないわよ。ただねえ」
和子「アタシはその人の逆だわね。キミは気がつきすぎて肩がこるって、いつも」
砂子「本人は気がついているつもりでも、ハタからみると、カン違いってこともあるもンなのよ」
和子「ヘンな人と一緒にしないでもらいたいな、アタシはねえ」
砂子「でもねえ、誰がみても感じのいい奥さんだったら、そのご主人」
和子「アタシのハナシ、ちゃんときいてよ、あのねえ」
砂子「とにかくねえ、その奥さんと別れることに、会社中の人が賛成だっていうのよ。そこまできたら、そりゃもう、ご主人も相手の女も……責められないんじゃないの」
和子「……お姉ちゃん……あのねえ」
砂子「え? あの、あの……つまりさ、こういうことなのよ」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、少し一方的に言いすぎたと気がついて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「少し落ちついて考えてみたほうがいいってことね。カッとして逆上したり、飛び出したりしないこと」
和子「だってさ、アンマリなんだもの」
砂子「一晩でもうちあけたら、帰りにくくなるもンよ」
信子「泊めてやんないの?」
和子「終電車、出ちゃったんだけどな」
砂子「タクシーで帰れば帰れるでしょ。そこまで送ってあげるから……さ」
和子「……お姉ちゃん……」
信子「……(小さくポツンと)少しどうかしてるみたい」
砂子・和子「え?」
信子「ううん、お姉ちゃんのほうが……」
[#ここで字下げ終わり]
信子、茶をつぐ。
砂子、のもうとして、ふと手を止め、ピンと立っている小指。
あわてて、ひっこめる。
和子、信子、目を泳がせてだまりこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「ね、一晩だけだから、いいでしょう?」
砂子「そんなこといって、帰りづらくなってもしらないわよ」
和子「たまには気もませたほうがいいの。独身のかたにはお判りにならないでしょうけどね」
砂子「そのくらい、あたしだって」
信子「アタシだってそのくらい」
砂子「えらそうなこといってないで、和子姉ちゃんのオフトン、しきなさいよ。あ、その前にオフロの火いれといて」
信子「ハーイ」
砂子「シーツ、とりかえといてくれた?」
和子「ずい分人使いがあらいのねえ」
信子「このごろすごいんだから、威張っちゃって、新聞とって、耳かきとって……こっちはたまンないわよ」
砂子「お店へゆけば、酔っぱらいに何いわれてもハイハイペコペコしてるのよ。うちに帰ってきたときぐらい威張らせてよ」
●砂子の部屋[#「砂子の部屋」はゴシック体](深夜)
ふとんをならべてねている砂子と和子。
二人とも、天井をみてポカッと目をあけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「……気にさわったら、ごめんね」
砂子「なによ」
和子「……あたしねえ、何もお姉ちゃんのこと、別に水商売だなんて……そんなつもりで」
砂子「バカねえ、つまらないこと気にしないでよ。アタシ、自分でそう思ったこと一ぺんもないもの。いつまでたっても、素人っぽいってみんなだっていってるし……」
二人「………」
砂子「そりゃ、お店にいりゃ、いっぱしのことだっていうわよ。でもねえ、それは、そうしたほうが商売になるからなのよ。いちいち恥かしがったら、お客さんが気遣ってくたびれちまうもン。かえって、ザックバランに、図々しく振舞ったほうが、くる人は気がラクだってことをアタシ」
和子「つまりお姉ちゃんの夜の顔は生活のための……営業用ってわけだね」
砂子「……と割り切りたいと思っているけど……」
和子「………」
砂子「やっぱり長くやってるとねえ」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、フトンの上に手のひらを出してヒラヒラさせる。
小指、立っている。
砂子、小指をつけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「……先のハナシになるけど……お店、売ろうかと思ってるのよ」
和子「……本当?」
砂子「おでんは夏場が弱いし……このへんで思い切って」
和子「あと、どうするの?」
砂子「……ううん……」
和子「……結婚するんじゃないの」
砂子「まだそこまで決めてないわよ」
和子「そんな気がしてたんだ」
砂子「おそまきながら、私も、女一人前のことをしようかなと思って……、ねえ」
和子「……さっきの、ハナシの人でしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、ねむったふりで目をつぶる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「……横顔って変ンないもンねえ」
砂子「………」
和子「七年前の、おつとめしてた頃と同じ。お姉ちゃん、同じ顔してる……」
[#ここで字下げ終わり]
和子、スタンドを消す。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体](夜)
周旋屋の中根が、じろじろと店内を見まわしている。
手を動かしながら応対する砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
中根「まあ、居抜きでナニしたとしていいとこ××万じゃないですか」
砂子「いそいでるわけじゃないけど、出来たら夏までには」
中根「(うなずいて)それはそれとして……ちょっといい出物があるんですけどねえ。いやなあに、ここ放した分に、ほんのちょっとのっけりゃ。場所はね」
[#ここで字下げ終わり]
野菜の包みを抱えて入ってくるポンちゃん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「せっかくだけど、あたしねえ、もう……やる気ないのよ」
中根「なんでまた……もったいないなあ、おたくは、堅いとこがついてるっていうじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる客。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「いらっしゃいませ。じゃ、あとはまた」
[#ここで字下げ終わり]
帰っていく中根。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
客「ビール、もらおうかな」
砂子「ハイ……ポンちゃん、ビール」
[#ここで字下げ終わり]
客、新聞をよみ出す。
砂子、ビールをつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「……(小声で)お店、売るんですか」
砂子「ハッキリ決めたわけじゃないけど、……」
ポンちゃん「フーン……」
砂子「ポンちゃん、いつか、ホラ、スカウトされたっていってたでしょ?」
ポンちゃん「ああ、社交喫茶?」
砂子「……あたしに遠慮しないで、いいクチあったら……」
ポンちゃん「……アタシもオヨメにゆこうかな」
砂子「フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
電話がなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「(とって)次郎でございます」
みつ子(声)「あのねえ、おでんの出前、お願いしたいんだけど」
砂子「はあ? あの……申しわけありませんけど、うち、出前はやってないんですよ」
みつ子(声)「そこを曲げておねがいしたいのよ。モシモシ、こちら殿村ですけど」
砂子「殿村さん……奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
絶句する砂子。
●良介の家・茶の間[#「良介の家・茶の間」はゴシック体]
あたりを気にしながら、しかし、充分、芝居っ気たっぷり電話しているみつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「風邪ひいてねえ、休んでいるのよ、主人が。口がまずいらしくてねえ、朝から、何つくっても、くいたくないの一点張りでしょ、困ってるのよ、何とか助けて頂戴よ」
[#ここで字下げ終わり]
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体]
電話する砂子。
気をもむポンちゃん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「はあ、でも、こちらもお店がありますし」
みつ子(声)「うち、四谷なのよ、タクシーでくりゃ十五分よ、ねえ……タクシー代おはらいするわよ」
砂子「そんなことはいいんですけど……でも」
みつ子(声)「お店なら、かわいい女の子がいたじゃないの、三十分やそこら、大丈夫でしょ? おねがい、主人のカゼにはね、おたくのおでんが一番の妙薬なのよ……それとも、アレかしら! あたしからおねがいしたんじゃ、きていただけないのかしら?」
砂子「……あの……」
みつ子(声)「場所をいうわね、タクシーで四谷三丁目までいらしてねえ、そう、角の白いたてもの……病院の横のたばこ屋で……殿村ってきけば、すぐわかるわ、じゃおねがいします」
砂子「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
電話切れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ポンちゃん「いくことないすよ。人、バカにしちゃって!」
砂子「………」
ポンちゃん「アタシ、いったげる」
砂子「ううん、アタシ、いくわ」
ポンちゃん「ママ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「次郎」の前の小路[#「「次郎」の前の小路」はゴシック体](夜)
ノソノソきかかる折口、岡持を下げてとび出してくる砂子とぶつかりそうになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「あ!」
砂子「あら、いらっしゃいませ」
折口「出かけちゃうんですか」
砂子「ちょっと……出前。すぐもどりますから……どうぞ」
折口「新聞社ですか。重そうだな、そこまで持ちましょう」
砂子「いいんですよ、馴《な》れてますから」
折口「でも……すこしブラブラしてくるから、どうせ……」
砂子「いえ、そこでタクシーひろいますから」
折口「タクシーで出前にいくんですか」
砂子「どうも……すみません」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、折口の手から岡持をうばって小走りに。首をかしげて見送る折口。
●良介の家・寝室[#「良介の家・寝室」はゴシック体]
フトンにねている良介。体温計を突き出すみつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「(うるさそうに)いいよ」
みつ子「よかァないわよ。ハイ……」
良介「さっきと同じだよ、面倒くさいなあ」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、無理に体温計をはさんで強引にこばむ良介の手首をとり、プルスを見る。
良介、目をとじている。
無精ひげののびた顔。
よれよれのゆかた。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「……変るもンだわねえ」
良介「………」
みつ子「二十年前は、……脈みる間中、ジッとあたしの顔みつめてたのに」
良介「………」
みつ子「(うれしそうに)あごのとこ、白いのが光ってるわ」
良介「フン」
みつ子「少しは人並みにしらがになってくれないと、あたしが割《わり》くいますからねえ、ああ、それからね」
良介「……少しだまっててくれよ」
みつ子「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「ハーイ、どなたァ?」
砂子(声)「ごめん下さいませ。『次郎』でございます」
[#ここで字下げ終わり]
良介、はね起きる。
●良介の家・茶の間[#「良介の家・茶の間」はゴシック体]
砂子とみつ子にはさまれて苦り切っている良介。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「たのむほうも、くるほうも、どうかしてるよ」
みつ子「あら、あなたがおこることないでしょ? わざわざ来て下すったっていうのに」
良介「本当にすみません」
砂子「いいえ、お見舞い兼出前ですから……」
みつ子「すぐあっためる?」
良介「あとでいいよ」
みつ子「すぐ、スネルの。いい年して……。こういう人は、どうやってあやしたらいいのかしらね。こちらは、ご商売柄で馴れてらっしゃるんでしょ? 教えて頂戴《ちようだい》よ」
砂子「とんでもない。いつまでたっても、ダメなんですよ」
みつ子「そんなことないでしょ? あの……あら、こちら、何てお呼びしたらいいのかしらねえ。『次郎』さんじゃ男みたいだし……奥さんではないんでしょ?」
砂子「はあ……」
みつ子「じゃ、おかみさんでもないわね……ママ、マダムっていうとホステスだし、ねえ、お嬢さんてのも、ねえ……」
砂子「……砂子と申します」
みつ子「……そうだ、この間、アンタ(良介)、スナちゃんなんてよんでたわねえ」
良介「………」
みつ子「ホラホラ、都合が悪いとすぐだまっちゃうんだから、ハイ……」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、カンをした銚子《ちようし》を……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「のみたくないよ」
みつ子「……何もあたしがお酌するなんていってないじゃないの。砂子さん……一パイ、ついでやってちょうだいな」
良介「いいよ、そんな……お客に……失礼だよ」
砂子「いいえ……一パイ、つがせていただいて、すぐおいとましますから……どうぞ」
良介「……すみません」
みつ子「……やはり違うわねえ。手つきなのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子まねをしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「だめだわねえ、やっぱり。白衣着て注射器もってた女はダメねえ。……あたしねえ、看護婦だったのよ」
砂子「……まあ、そうですか」
みつ子「この人がねえ、テーベで入院してきてねえ、フフ、あとになってずい分後悔したらしいけど、そのときは……まだ学生だったでしょ? 『愛染《あいぜん》かつら』の影響もあったんじゃないの」
良介「よしなさいよ、バカバカしい」
砂子「……あたくし、ぼつぼつ」
みつ子「もう少し、いらして頂戴よ。何もないけど……ガラクタばかりゴシャゴシャしてて、びっくりしたでしょ? 所帯も二十年になると……捨てても捨ててもたまっちゃって……」
砂子「………」
みつ子「こんなつまらないお皿一つでも……いろいろとあってねえ。なかなか思い切って捨てられないもンなのよ。ね、アンタ、これ、覚えてる?」
良介「………」
みつ子「世田谷の……若林に住んでた頃よ、縁日にいって、けんかして……ホラ……あのとき、夜店で値切った」
良介「何をつまらないことを」
みつ子「ほんと、どうしてあたしって、こうつまらないことしきゃいえないのかしら?」
[#ここで字下げ終わり]
良介、やけ気味に手酌でつぐ。
酒をこぼしてしまう。
砂子、半ば身についたしぐさで、台フキンで拭く。
じっと見るみつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「砂子さんて、トクなタチねえ」
砂子「あら、何でしょう」
みつ子「あたしはね、あなたと反対なのよ。好きな先生の前でオムレツ作るでしょう、いいかっこうに作ろうと思うと……かえって、失敗してパンクしちゃうの。気に入られたいって思う人の前へゆくと、どういうわけかしらねえ、一番きらわれることしてしまうの」
[#ここで字下げ終わり]
二人の女、じっと見つめあう。
砂子、少し、みつ子が哀れになってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「人に好かれるタチねえ、砂子さんて」
砂子「………」
みつ子「うちの良介も、あなたみたいな人が大好きなのよ、ねえ……そうでしょ」
良介「………」
みつ子「まただまって、かくすことないじゃないの。ねえ……、砂子さんはどうなの、良介みたいな男、きらいじゃないでしょ?」
砂子「……あたくし、失礼します」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、立ち上りかける砂子の手首をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「脈が早くなってるわ。二百あるわよ」
良介「みつ子!」
みつ子「二人とも、かくすことないじゃないの。アタシが知らないと思ってるの?」
良介「ハッキリいってもいいのか」
みつ子「おっしゃいよ。お前と別れて、砂ちゃんと結婚するっていいたいんでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、良介……みつ子、いきなり笑い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「フフフ、フフフ、困ったわねえ、本当。困っちゃった……何せ一つしかないもの、とりあってるんだもの。どうぞ、ってアゲたいけど、あげるとアタシが困っちゃうし……」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、テーブルの下のバッグから小型のピストルを出して、砂子の胸にピタリと狙いをつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「奥さん」
みつ子「やっぱり、わたしたくないわねえ」
良介「バカなまねは」
みつ子「ワン、ツーのスリー」
[#ここで字下げ終わり]
小さくアッと叫ぶ砂子。
良介。ピストルを叩き落そうとする。
ピストル、ピューと水を吹き出す。
良介。
喘《あえ》いでいる砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「これは、百五十円」
良介「………」
みつ子「オモチャ屋にいくと、こんなのいっぱいあるのよ。お孫さんのですか、なんていわれるのがシャクだけど……フフ、フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
良介、いきなり、みつ子の顔を殴りとばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「バカ!」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、子供のようにウウウと嗚咽《おえつ》して、良介にとりすがる。
良介、じゃけんに引きはなす。
みつ子、狂ったようにとりすがって泣きじゃくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良介「……何て、バカな……」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「おじゃまいたしました」
良介「砂子さん」
砂子「どうぞ……送らないで下さい」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、立ち上りかけて、たぎっているガス台のヤカンに気づく。静かにコックをしめて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「あたし、やっと判ったわ。殿村さんと奥さんて……別れられないのよ。……きっと死ぬまで……一緒のお墓に入るご夫婦なのよ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく砂子。
立ちつくす良介。
まだ泣いているみつ子。
●夜の道[#「夜の道」はゴシック体]
歩く砂子。
●良介の家・茶の間[#「良介の家・茶の間」はゴシック体]
涙を拭いているみつ子。
腕組みしている良介。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「あたし、謝まってくる」
良介「……もう、いいよ」
[#ここで字下げ終わり]
みつ子、涙をふいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みつ子「……おでん、あっためましょうか」
良介「……うむ」
[#ここで字下げ終わり]
●ガン・コーナー[#「ガン・コーナー」はゴシック体]
バンバン撃っている砂子。
●「次郎」の店[#「「次郎」の店」はゴシック体]
一人、ポツンとカウンターにすわって、金魚をかまっている折口。
入ってくる砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「あら……」
折口「……お帰ンなさい」
砂子「ポンちゃんは」
折口「ちょっとそこまでいってくるから、留守番しててくれって」
砂子「まあ、すみません」
折口「いやあ、どうせ、ヒマだから……。ずい分遠くまで出前するんだなあ、ちょうど……一時間」
砂子「帰りにあそんできちゃったの、ガン・コーナーで、バンバン」
折口「へえ」
砂子「あたると、ウサギなんて、キュー、バタン、てひっくりかえるのよ、かわいそうだけど、やっぱり、ねらっちゃうの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それから、シャボテンのかげから、インディアンが、ヒョイ、ヒョイと顔出すの。狙って、バーン、バーンて。おもしろいったらないの、フフ、胸がすーとしちゃった……」
笑いながら涙を拭いている砂子。
見て見ぬフリをする折口。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「またいこうかしら(狙って)バーン、バーン」
折口「バーン、バーンもいいけど……。こっちの金魚、少し弱ってるなあ」
砂子「あら……そうですか」
折口「夜になったら、少し暗いとこへおいてやらなきゃ、不眠症になっちゃうなあ」
砂子「あら、金魚もねむるのかしら」
折口「人間と同じですよ。ちゃんとねむったり、夢をみたりするんですよ。ホラ、みてごらんなさい。こいつ、体の色が少しうすくなって、ボンヤリしてるでしょ? 今、夢をみてるんですよ」
砂子「……どんな夢をみるんでしょうねえ、金魚って……(金魚鉢を叩く)」
折口「あ、そっと叩かなくちゃ、ホラ……また、体の色が濃くなってきたでしょ、夢からさめたんだな」
砂子「……あたしと同じ。あたしも夢をみてたのかしら?」
折口「?」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、折口に酌をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「はじめてだなあ、お酌してもらったの」
砂子「あら、そうだったかしら?」
折口「……なんていうんですか」
砂子「……え?」
折口「苗字《みようじ》」
砂子「苗字……あたしの苗字は……柿沢」
折口「柿沢さん」
砂子「七年ぶりだわ、柿沢さんてよばれたの。タイピストしてた頃によばれたきりで……そうなのねえ。あたし柿沢さんなのねえ」
折口「………」
砂子「……金魚屋さんは」
折口「折口、折口誠」
砂子「折口さん……」
[#ここで字下げ終わり]
砂子、酌をしかけてハッとする。
小指がピンと立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「やだわ、この指」
折口「え?」
砂子「小指の、このくせ、直さないと、おヨメにゆけないな」
折口「(あわてて)いやあ、小指なんて……どっちだっていいすよ。小指だって、親指だって」
砂子「フフ、フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
ムキになる折口に二人とも何となく笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「(テレて)エサ、やるかな」
[#ここで字下げ終わり]
折口、ポケットからエサの箱を出して、パラパラとまく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「※[#歌記号、unicode303d] 赤いべべ着た
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]可愛い金魚」
ごく自然に唱和する砂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
砂子「※[#歌記号、unicode303d] お眼々をさませば
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]御馳走するぞ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口「あれ? こんな古いうたを」
砂子「父がよくうたってたの」
折口「うちは死んだオフクロがね」
砂子「※[#歌記号、unicode303d] 赤い金魚は
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]あぶくを一つ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
折口・砂子「※[#歌記号、unicode303d] 昼寝うとうと
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#3字下げ]夢からさめた」
泳ぐ。あんまり冴《さ》えない和金。
金魚鉢の向うのカウンターの砂子と折口。
砂子の顔、和んでいる。
[#改ページ]
母上様・赤澤良雄
[#改ページ]
●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果)
母上様・赤澤良雄
東京放送で放映
昭和51年6月20日
●スタッフ
制作 石井ふく子
演出 片島謙二
音楽 木下忠司
●主なキャスト
赤澤良雄  内藤武敏
赤澤英子  白川由美
赤澤しま  杉村春子
赤澤 弘  寺宗哲章
赤澤厚子  木村理恵
[#改ページ]
●森口佐江のアパート[#「森口佐江のアパート」はゴシック体]
古ぼけた六畳に二人の老女。
お茶を招《よ》ばれている赤澤しま(71)と、手土産の菓子折を仏壇に供えている森口佐江(71)。
つつましい調度の中で、仏壇だけが不釣合いに大きく立派である。
佐江、手馴《てな》れたしぐさで、燈明をともし、リンをならしながら、しまに話しかける。
仏壇の正面に、微笑《ほほえ》んでいる若い特攻隊員の写真。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「なんのかんのいったって、あんたは幸せ……」
しま「さあ、どうだか」
佐江「『今日び』ねえ、自分のうちから――それも泥つきのよ、自分のうちからお葬式出してもらえるなんて、年寄りとしちゃ一番の幸せじゃないか」
しま「縁起の悪いこといわないで頂戴《ちようだい》よ。今日が引越しだってのにさ」
佐江「あたしってどうしてこう(いいかけて菓子折に気づく)あら? これ……あたしにじゃなくて、ゆずってくれた米屋さん……のほうへなにする……」
しま「まあ、どっちでもいいけど……」
佐江「大きすぎると思ったわよ。やだやだ、出された物は、なんでもここへのっけるのが癖になってるもんだから――あとで、ちゃんと届けとく」
しま「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
バスケットの中から仔猫《こねこ》のなき声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「ああ、よしよし、可哀そう可哀そう」
佐江「もうすぐ広いとこへ出してもらえるからね。あ、そうだ、あんたね、荷物が落着くまで一日、二日は、ひもでつないどいたほうがいいわよ。迷子になると可哀そうだからさ。ドッコイショっと」
[#ここで字下げ終わり]
佐江、すわりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「柱は、あンでしょ、柱……」
しま「ちょっと――いかに三畳だって、柱ぐらいあるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
しま、哀れっぽくなきつづけるバスケットの中の仔猫を、指を入れてあやすようにしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「いえね、息子も嫁も、おばあちゃんは日当りのいい四畳半のほうへ入って下さいって、そういったのよ。でもねえ、あたし、そりゃいけないっていったの。遊びたい盛りの大学生を三畳へ押し込めてよ、うちへ帰っても、部屋が狭いからって、それが『もと』で曲られたら、申し訳が立たないじゃないの。こっちは、亭主の縁こそ薄かったけど、お陽さまだけはたっぷり当ってきたんだから、どうか若い者をいい部屋にって、アンタ」
佐江「どっち向きなのよ、その三畳。南向き? 北向き?」
しま「(聞こえない振りで)ごちそうさま。(バスケットを引き寄せて)さ、行こうね」
佐江「大丈夫なの?」
しま「え?」
佐江「猫のことよ。息子さんやお嫁さん、本当にいいっていったの?」
しま「(一瞬、目が泳ぐが)もう大喜び、さすがはおばあちゃんだ、よく気がつくって―――」
佐江「―――」
しま「何てったって息子がさ、三十年コツコツ働いて買ったうちだもの、ネズミにやられちゃ大変じゃないか。ねえ、タマちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
持ち上げたバスケットの中から、ニャアと小さな返事がかえってくる。
●赤澤家・茶の間[#「赤澤家・茶の間」はゴシック体]
新築の建売住宅。半分ほど家具が運び込まれている。やたらに笑いながら、大浮かれで電話の応対をしている良雄(52)。
うしろの縁先で、三、四人の運送会社の男たちが茶をのみ終り、英子(46)から心付けの祝儀袋を受取って帰るところ。
小さなものを、それぞれの部屋に運んでいる弘(22)と厚子(18)の姿も見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「有難う有難う、本当に大丈夫。いやあ、みんなに手伝っていただくほどの家財道具もないしさ、吹けば飛ぶような『ご新居』だからねえ」
[#ここで字下げ終わり]
英子、かわって受話器を持つと、夫におとらぬ弾んだ声で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「モシモシ。まあ、いつも主人が――有難うございます。おかげさまでやっと、自分のうち――弘!」
[#ここで字下げ終わり]
英子、弘がステレオを引きずってゆくのをみて、アッとなる。打って変ったとがった声で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「引きずったら駄目だっていったでしょ!」
良雄「(受話器を引ったくって)十五年のローンでうち買うと、カミさんがこういう声出すからね、おぼえときなさいよ」
英子「(笑いながら引ったくって)先が長いですからねえ、主人にも長生きしてもらいませんと――」
[#ここで字下げ終わり]
といいながら、良雄がすっていたタバコをひょいと取りあげて、アキカンでもみ消す。
そんなやりとりすら、嬉しくてたまらない、といった感じで、夫婦、やたらに笑う。
そのすきを狙うように、厚子が布に包んだ鳥かごのようなものを運び込んでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「ほんとにお手伝いのほうは――ええ、おばあちゃんや、子供たちもおりますし――ええ、手が揃《そろ》ってますから――お気持だけ戴《いただ》いときます。はあ――」
良雄「落着いたらね、新宅披露マージャンといこうじゃないの? え?」
[#ここで字下げ終わり]
また、ひとしきり笑って電話を切る。
夫婦、食器棚を据えつけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「それにしても、おばあちゃん、遅いわねえ」
厚子「先に来てお掃除してるっていったのにねえ」
良雄「お茶菓子でも買いにいったんだろ」
弘「心配することないって」
[#ここで字下げ終わり]
弘と厚子、荷物をもって自分の部屋に。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「(小声で)おばあちゃん、やっぱり面白くないんじゃないかな」
良雄「うん?」
英子「部屋の割りふり」
良雄「自分からゆずったんだろう? そんなことないって」
英子「………」
良雄「ほかに取柄はないけどさ、根にもたないタチだからね、おふくろは」
[#ここで字下げ終わり]
うなずく英子、夫の上から見下す形。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「あれ、白髪が塊りになってる」
良雄「うち買うと、男は白髪がふえるんだってさ」
英子「すみません……」
良雄「まあ、指輪ひとつ買ってやらなかったんだ。これくらい、仕方ないだろ」
英子「ねー、それじゃ、このうち、あたしのために買ってくれたの」
良雄「(テレて)オラショッと」
[#ここで字下げ終わり]
英子、うれしさをおどけて直立不動の敬礼で表わす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「『有難ウゴザイマシタ!』」
良雄「なにやってンだよ、いい年して」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「ね、引越しの手伝いなら間に合ってますって」
良雄「自分で出なさいよ」
英子「(弾んで)赤澤でございます!」
[#ここで字下げ終わり]
相手は無言。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「モシモシ。あの――新しく越してきた東興印刷の赤澤――ですが。モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話切れる
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「間違い電話第一号か」
[#ここで字下げ終わり]
縁側に弘が立っている。
英子、チラリと見て、気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「――間違い電話――ねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
弘が、電話に近寄る。
SE また、ベルの音
弘が取ろうとする。が、一瞬早く、良雄が取る。
英子、体を傾けるようにして聞き耳を立てる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「赤澤です」
若い女の声「あの、弘さん、お願いします」
良雄「え? ああ、弘――お前」
[#ここで字下げ終わり]
弘、黙って取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
弘「おう、うん。うん」
[#ここで字下げ終わり]
良雄、英子を軽く小突くようにして縁側へ。
夫婦のひそひそバナシ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「ちょっとカスレ声の女の子でしょ」
良雄「うん……」
英子「女親が出ると、黙ってガシャンて切って――男親だと、口利くってのは、どういうの、一体……」
弘「うん、フーン、フーン。うん、うん」
英子「普通のつきあいじゃないわね」
良雄「あんなもんじゃないのか、今の若いのは」
英子「――のんきなこといって……あンたから聞いてみて下さいよ。ねえ」
良雄「何も引越しの最中に騒ぎ立てるこたァないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
良雄、庭に向って大きく深呼吸。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「空気が違うなあ、え? トリの声は聞こえるしさ。やっぱりいいねえ、外は」
英子「ほんと……」
[#ここで字下げ終わり]
たしかに小鳥のさえずる声が聞こえる。
夫婦、ならんでうっとりするが――アレ? となる。
二人、顔を見合わせて立ち上る。
●厚子の部屋[#「厚子の部屋」はゴシック体]
片づけかけの荷物の上に、トリかご。中で陽気にさえずるカナリア。厚子。
あきれている良雄と英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「トリを飼いたいならトリを飼いたい、どうしていわないんだ!」
厚子「先にいえば、いけないっていうに決まってるもの」
英子「だからって、持ち込んじまえば、まさか駄目とはいわないだろう――そういうやり方、お母さん、きらいだわね」
厚子「ねえ、世話、チャンとするから」
良雄「お父さんもねえ、そういうなしくずしのやり方が気に入らないんだよ」
厚子「うちの用、手伝うから! ガラス拭きもお便所掃除もする」
英子「――お父さんにきいてごらん」
厚子「お父さん……(拝む)」
良雄「フクレッ面しないで手伝えよ」
厚子「ハーイ! ピー子、よかったねえ」
弘「なんだよ、もう名前ついているのか。ちゃっかりしてンな、お前、え?」
[#ここで字下げ終わり]
弘、妹の頭を小さく小突く。
ため息をつきかけた英子――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「おばあちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
日傘をさし、バスケットを手に庭のほうから入ってきたのは、しまである。
仔猫のなき声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「夏だわねえ、バスから降りたとたんに――この汗」
[#ここで字下げ終わり]
あっけにとられる一同におかまいなく、バスケットを縁側に置くしま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「アイアイ、ごめんなさいよ。いま『フンシ』のお砂場作ってあげるからね」
一同「――(何かいいかける)」
しま「(いわさない)英子さん、すまないけど、なんか折箱」
英子「おばあちゃん」
一同「あの」
英子「その猫」
良雄「猫飼うのかい」
しま「え? (わざと、とぼける)」
英子「あたし、聞いてないけど――」
しま「え?」
厚子「困るわよ。おばあちゃんが猫飼ったら、あたしのカナリア、どうなるのよ」
しま「え?」
すしや「へい、毎度あり!」
[#ここで字下げ終わり]
顔を出す、すしやの出前持ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
すしや「金ずしでござい」
英子「頼まないわよ、うち」
しま「いいの、いいの。はい、ご苦労さま」
良雄・英子「おばあちゃん」
しま「あたしのおごり」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
大きなすし桶《おけ》からみんなに取り分けているしま。
良雄、英子、弘、厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「英子さん、とろ――あんた好きじゃないの」
英子「……頂いてます」
しま「良雄は赤貝だろ」
良雄「自分で取るよ」
しま「おばあちゃん、えび、いいから――お前、お上り(厚子に)」
厚子「下手《したで》に出ちゃって――」
弘「――猫飼うのも大変だね、おばあちゃん」
しま「(聞こえないフリで)いいねえ。新しいうちでさ、家族五人水入らずで、おすし食べるなんて。極楽だねえ」
良雄「先のこと考えると地獄だけどね」
英子「何とかなるわよ」
弘「『あとは野となれ山となれ』」
しま「そうだ、その意気!」
良雄「落着いたらさ、葛飾《かつしか》のおばあちゃんに――泊りがけで遊びにおいでって」
[#ここで字下げ終わり]
英子の母親らしい。
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英子「そうねえ。でも泊るったって――余分の部屋が――ねえ」
しま「あら、いいじゃないの。年寄り同士、あたしの部屋で」
英子「でも、三畳に二つおふとんはしけないでしょ」
弘「おばあちゃん、オレ、部屋替ってやるよ」
良雄・英子「弘……」
弘「おばあちゃんのほうがうちにいる時間、長いもンな」
しま「お前ね、三畳じゃあ、ガールフレンドにふられるよ」
厚子「お兄ちゃん、うちになんか連れてこないもンね。コーヒー屋がはやるワケナノダ」
英子「ね、弘、さっきの電話のひとねえ、学校のお友達(言いかける)」
弘「ああ、辛え。おばあちゃん、俺、本当に替ってやるからさ」
しま「あーあ、男のくせに涙こぼして」
厚子「ま、あと、二、三年の辛抱じゃないかな」
良雄「なんだい、そりゃ」
厚子「うん。つまり、あと、二、三年で家族が一人減る――(といいかけて、ハッと気づく)」
英子「(少しあわてて)そりゃ、アンタがお嫁にいけば減るでしょうよ」
厚子「あたしよかお兄ちゃんじゃないのかな」
しま「それよかあたしよ。お迎えがきて――お先にさようなら」
良雄「なにいってんだよ」
英子「やあねえ」
しま「やなこたァないだろ。『順』じゃないの。そうすりゃ、お泊りのお客がきても大丈夫だし」
英子「おばあちゃん……」
弘「年寄りってのは死ぬハナシ、好きだね」
良雄「長生きするのに限って、そういうんだよ」
しま「そういってると、裏かかれてポックリ(楽しんでる)」
英子「やめて頂戴よ」
[#ここで字下げ終わり]
SE 猫のなき声
しま、英子のはさんだすしを――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「あ、悪いけど、それ――」
英子「え?」
しま「おなかすかしてるから」
英子「あ、猫ですか」
[#ここで字下げ終わり]
●縁側[#「縁側」はゴシック体]
しま、くる。
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しま「さあ、タマちゃん、おなかすいたろ。ごはん――」
[#ここで字下げ終わり]
いいかけて、ハッとなる。低いうなり声。
バスケットの蓋《ふた》があいて、トリかごはひっくりかえり、縁側のすみで仔猫がカナリアを押さえ込んでいる。
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しま「アッ! シッ! シッ!」
[#ここで字下げ終わり]
大あわてで猫を追いはらう。
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しま「ちょっとォ! ねえ、ねえ、死んでいる……」
[#ここで字下げ終わり]
吹いたり突ついたりするが小鳥はもうぐったりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「ああ……ああ……どうしよう、どうしよう」
[#ここで字下げ終わり]
しま、トリは気持悪いし、困るし、オロオロする。
茶の間の方からは四人の笑い声。
●しまの部屋[#「しまの部屋」はゴシック体]
仏壇に燈明をあげ、合掌しているしま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「ああ、ナンマンダブ ナンマンダブ ナンマンダブ」
[#ここで字下げ終わり]
リンを叩き、妙にむきになって拝んでいる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
すしをつまんでいる英子。
茶を飲んでいる良雄。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「うち、出てくつもりじゃないかしら」
良雄「弘か?」
英子「そんな気がするの。おばあちゃんに部屋ゆずるっていったり」
良雄「………」
英子「どうしてうちへ連れて来ないのかしら」
良雄「けむったいんだろ」
[#ここで字下げ終わり]
SE リンの音、やたらにひびく
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「何べん叩きゃ気がすむんだよ」
英子「一番先にお仏壇片づけたんでしょ」
良雄「それにしたって――」
英子「――ヘソクリの仕舞い場所だから」
良雄「おい、お燈明、気をつけてくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
突然、縁側の方から叫び声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子(声)「いやァ!」
[#ここで字下げ終わり]
●厚子の部屋[#「厚子の部屋」はゴシック体]
空っぽのトリかごを手に、オロオロしている厚子。
良雄。英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「いないのよ、カナリアがいなくなっちゃったのよ!」
良雄「いないったって、カナリアが一人でかごあけて出てくわけないだろ」
厚子「だって、いま見たら、ここがあいて、いないんだもの」
[#ここで字下げ終わり]
戸があいているトリかご。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「(呟《つぶや》く)猫がとったんじゃないの」
厚子「あッ! おばあちゃんの猫」
しま「いいがかりはよして頂戴よ」
[#ここで字下げ終わり]
立っているしま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三人「おばあちゃん」
しま「タマちゃんは、あたしの部屋で昼寝してますよ。やだねえ、なんかあるとすぐ人のせいにするんだから」
厚子「そうじゃないけど」
しま「嘘《うそ》だと思うんなら調べて頂戴よ」
良雄「お前がちゃんと桟《さん》かっとかなかったんだろ」
厚子「おかしいなあ、ピー子!」
しま「ピー子!」
[#ここで字下げ終わり]
●しまの部屋[#「しまの部屋」はゴシック体]
片づけかけの室内。手文庫など。
入ってくる英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「おばあちゃん、入りますよ」
[#ここで字下げ終わり]
仏壇の前に立つ。
お燈明がゆらいでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「やっぱり、つけっぱなしだ。火事にでもなったらどうすンのよ」
厚子(声)「ピー子! ピー子!」
しま(声)「ピー子! ピー子!」
[#ここで字下げ終わり]
英子、手であおって消したはずみに位牌《いはい》を倒してしまう。
英子、直そうとする。
手ごたえ。
ヘンな感じ。
そっとつまみ出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「ギャア!」
[#ここで字下げ終わり]
すさまじい悲鳴と共に、英子がおっぽり出したものは、カナリアのなきがらである。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
カナリアのなきがらをくるむ厚子。
身も世もないという感じのしま。泣いている厚子。
良雄、英子。少し距離をおいて弘。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「たった半日でもねえ、あたしのカナリアだったのよ。名前だって、ちゃんとピー子って(ハナをすする)」
しま「(頭をすりつけて)おばあちゃん、弁償するよ。ね、二羽でも三羽でも」
良雄「金の問題じゃないよ!」
厚子「どうして嘘いったのよ、カナリア、逃げたなんて」
しま「そうでもいわなきゃ――また、ここンとこ(心臓)がクーって」
良雄「心臓がおかしかったら、医者行けっていってるだろ? (小さく)神経に決まってるんだよ。都合のいい時、クーとくる心臓なんだから」
英子「(およしなさいよ、という風に袖を引くが無言)」
しま「そりゃたしかに、嘘いったあたしが悪うござんした。ね、この通り。でもさ、お仏壇にのっけて、手合わせて拝んでたあたしの気持も汲《く》んで頂戴な」
良雄「だからって、見えすいた嘘ついていいって法はないよ」
しま「そんな小意地の悪いいい方しなくたって」
良雄「大体、やり方が気に入らないよ。相談もなしに猫は飼うわ」
しま「あたしは、うちのため、よかれと思って」
良雄「(いわせない)それも、旗色が悪いとなると、すしかなんかでごまかしてさ」
しま「(小さく)みんな、食べたじゃないか」
良雄「食べなきゃ、それこそ角がたつじゃないか」
しま「おすしは食べるわ、猫のことは(いいかける)」
英子「おばあちゃん、今度からは、正直におっしゃって下さいねえ。まさかお仏壇にトリの死骸《しがい》が入ってるなんて」
しま「英子さんも、今度からは黙って人のお仏壇の中、調べないで下さいな」
英子「おばあちゃん、あたしはなにも」
しま「――まあ、ハナシ聞いてると、あたしばっかりが悪者みたいだけど」
良雄「悪者じゃないか」
しま「さあ、どうだかねえ。年寄り、北向きの狭い部屋に押しこんだり」
英子「おばあちゃん、ご自分で、あたしはそこがいいって」
しま「死ぬの待たれたり」
良雄「誰もそんなこといってないだろ」
しま「大体、あたしはこのうちよか、同じ建売なら武蔵境の方が気に入ってたのよ。庭もひろいし、森口さんちにも、お不動さんにも近いし、あっちの方がずうっと」
良雄「そうそう年寄りの都合ばっかり考えちゃいられないよ」
英子「弘や厚子の学校ってこともあるしねえ」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、カナリアを手に立ち上る。
しま、あわてて、帯の間から、ひものついた大きな財布を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「厚子、おばあちゃんと一緒に、カナリア買いにいこ」
良雄「もう、カナリアも猫も――生きもの飼うのは、やめだ!」
しま「良雄――」
英子「その方が、ゴタゴタがなくていいかもしれないわねえ」
しま「………」
[#ここで字下げ終わり]
英子、首すじをもむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「どうしたんだ」
英子「さっき、ギャア! ってなった時、スジでも違えたのかな」
良雄「全くもう……このへんか」
英子「もうちょい右、アイタ……」
[#ここで字下げ終わり]
しま、見るともなく見ている。
SE 仔猫のなき声
しま、ションボリと立ち上る。
黙っていた弘が、わざとくったくのない声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
弘「おばあちゃん。燃やすものあったら出しなよ。たき火は明るいうちにしないとうるさいから」
しま「(口の中で)ありがと……」
[#ここで字下げ終わり]
しま、出てゆく。
●しまの部屋[#「しまの部屋」はゴシック体]
半分散らかっている部屋にペタンと坐っているしま。
放心している。
しま、目は焦点を結ばぬまま、うつつともなく口ずさむ。
[#2字下げ]『青葉茂れる桜井の』
[#3字下げ]落合直文作詞 奥山朝恭作曲
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「※[#歌記号、unicode303d] 青葉繁れる 桜井の
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]里のわたりの 夕まぐれ
[#2字下げ]木の下かげに 駒とめて
[#2字下げ]世の行く末を つくづくと
[#2字下げ]忍ぶ鎧《よろい》の 袖の上《え》に
[#2字下げ]散るは涙か はた露か」
老女は、子供の頃の歌に託して、自分の胸のうちをうたっているらしい。
かすかに仔猫《こねこ》がなく。そばにバスケット。しま、引き寄せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「※[#歌記号、unicode303d] 正成《まさしげ》 涙を打ち払い
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]我子|正行《まさつら》 呼び寄せて
[#2字下げ]父は兵庫《ひようご》に 赴かん
[#2字下げ]彼方《かなた》の浦にて 討死せん
[#2字下げ]いましはここ迄《まで》 来つれども
[#2字下げ]とくとく帰れ 故郷《ふるさと》へ」
うたいながら、そばの手文庫をひょいと見る。
古い手紙の束。
突然、騒々しいスピーカーが軍艦マーチを流し、表を通りすぎてゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
スピーカー(男)「皆様、産地直送のひと塩の干物とワカメ、あさりの特売でございます」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
良雄、英子、弘、厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
スピーカー「産地直送、市価の四割安の大サービスでございます!」
厚子「なんだっけ、あのうた」
弘「軍艦マーチじゃないか」
英子「このうた、なんにでも合うのねえ」
良雄「不謹慎だよ。『海行かば』程じゃないけどさ、これで、みんな戦争にいったんだよ。帰ンなかった奴も沢山いるしさ。それ、パチンコ屋だの、ストリップでダンダンダンタカタッタタカタカタン≠ネんてやってるってのは全く」
英子「あら、お父さん、ストリップいったことあるの」
良雄「聞いたハナシだよ」
厚子「行った顔!」
弘「目玉があわてたよな」
良雄「バカ。とにかくオレはこういうのはやだね。おい、いくら安いからって、あんなンであさりなんか買うなよ」
[#ここで字下げ終わり]
良雄、大あくび。文句をいいながらも平和である。
バスケットを手にしまが出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「行って参ります」
英子「おばあちゃん」
しま「ちょっと、森口さんとこへね」
厚子「猫返しにいくの?」
英子「なにも、いますぐでなくたって」
良雄「あしただって、いいじゃないか」
しま「忙しいとこ抜けて悪いけど、また何か粗相すると、身のおきどこもなくなるからねえ。それに――一晩おいたら、情が移って――離すの、辛《つら》くなるから」
[#ここで字下げ終わり]
いいながら、しま、みんなを見廻してとめてくれるのを待つが、誰も何ともいわない。
軍艦マーチ、遠くなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「さ、タマちゃん、皆さん、ご迷惑をおかけ致しましたって――」
[#ここで字下げ終わり]
バスケットと共に頭を下げて――ついでのような感じで、弘にひもでくくったものを手渡す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「頼んでも、いいかい」
弘「え? あ、燃すもンね」
しま「――いって参ります」
[#ここで字下げ終わり]
英子、何かいいかけるが――結局、いわない。
しま、低唱しながら出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「※[#歌記号、unicode303d] 此一刀《このひとふり》は 往《いに》し年
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]君の賜いし 物なるぞ
[#2字下げ]此《この》世の別れの 形見にと
[#2字下げ]いましにこれを 贈りてん
[#2字下げ]行けよ正行 故郷《ふるさと》へ
[#2字下げ]老いたる母の 待ちまさん」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「手紙じゃないの」
良雄「おい、目通してから燃せよ」
英子「いつかみたいに証券なんか入ってると大変だわ」
厚子「ずい分、古そうね」
英子「どら。あら、板橋の時分のだわ」
厚子「板橋っていうと、あたし、生れたとこ」
英子「小さな社宅でね――まあまあ、おばあちゃんもずい分物持ちのいいこと」
[#ここで字下げ終わり]
半分笑いながら、古ぼけた一通の封書の表書にアッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「遺書」
弘・厚子「え?」
英子「母上様、赤澤良雄」
厚子「お父さんじゃないの」
良雄「えッ!」
[#ここで字下げ終わり]
のんびりと鼻毛を抜いていた良雄、さすがにびっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「遺書。昭和二十年六月、終戦のすぐ前だわ……」
良雄「おい――ちょっと待てよ」
[#ここで字下げ終わり]
英子、中から便箋《びんせん》を取り出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「『母上様、送って戴《いただ》いた千人針をしめて、只今より出撃致します』」
良雄「おい! (ひったくろうとする)」
弘「あ、お父さん、特攻隊で、いく前に書いたやつか」
良雄「かせよ!」
英子「『二十二年間、有難うございました。母上のお慈《いつく》しみのおかげにて、今日まで、ただ一点の火傷も傷あともなく育てていただきましたこの体を、御国のために捧げることは男子の本懐でありますが、未《いま》だ母上に孝養を尽さざることを思うと、腸《はらわた》の千切れる思いが致します』」
弘「オーバーだよな」
英子「死ぬ覚悟で書いたのよ。真面目に聞きなさいよ。『万々一、戦争という事態なく、平和で天寿を全うせし場合、母上に是非々々尽したきこと次の通り』」
良雄「よこせっていってんのが判んないのか」
厚子「やだお父さん、千切れちゃう」
英子「いいでしょ、『一つ、母上を一泊旅行にて、熱海にお連れしたかった』」
厚子「熱海の海岸散歩する」
弘「シッー」
英子「『二つ、木の香の匂う新築の家を建て』」
良雄「(引ったくろうとするが、英子、渡さない)」
英子「『南向きの縁側で、母上の肩を叩きたかった』」
厚子「ウワァ」
弘「(よむ)『三つ、内職の針仕事の際、三十|燭光《しょつこう》はあまりに暗く、目を痛める故、経済のこともありましょうが、六十燭光の電球を用いて下さい』」
英子「『母上の寿命に私の天寿を加え、百歳二百歳までも長生きして下さい。では、お母さん、さようなら』」
[#ここで字下げ終わり]
沈黙――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「(小さく)よせっていってんのに……バカ……何だって今頃、こんなもの――」
英子「いいじゃないの。あたし、感動しちゃった」
厚子「お父さんて、親孝行だったのねえ」
弘「驚いたな、オレ」
英子「そりゃ、お父さん早く亡くして、母一人子一人で育ったんですものねえ」
弘「それにしても、いろいろ公約したもんだよなあ」
厚子「お父さん。おばあちゃん、熱海へ連れてってあげたことありますか」
良雄「―――」
弘「モルタルの香り高き新築のうちは買ったけど、北向きの三畳だもんな、おばあちゃん」
良雄「―――」
英子「母上の肩の代りに女房の筋もんでたわよねえ」
弘「具合悪いよな」
良雄「もう日本中が気が狂ったみたいな時だったんだよ。それ、今頃、引っぱり出されて、どうこういわれたんじゃたまンないよ」
英子「そんな青筋立てて怒ることないでしょ」
良雄「青筋なんか立ててないよ」
弘「青筋は立ってないけど、赤くなってるよ」
良雄「大体、遺書なんてものは、人に見せるもんじゃないよ。死ぬという前提で書いてンだからねえ。面当《つらあ》てがましく出すなっていうんだよ」
厚子「お父さん、死んでたら、こやって笑いながら読むなんてわけにはいかないわよね。みんなさ、涙ボロボロで」
弘「バカだな、お前。お父さんが死んでりゃ、お母さんとも結婚してないわけだからさ」
厚子「あたしたちもいないわけだ」
英子「おばあちゃんも水臭いわねえ。お父さんがこういうもの書いたってこと、これっぽっちもいわないのよ」
厚子「そりゃさ、自分だけの大事な秘密にしときたかったんじゃないの」
弘「それにしてもさ、おばあちゃんも、なかなかやるもんだね」
英子「お父さんもこれ出されちゃかなわないわ」
良雄「猫一匹ぐらいのことで、こんなもの引っぱり出して――だから、年寄りは嫌われるんだ」
英子「――バツが悪いもんだから、怒ってるわ。でもいいわねえ。『未だ母上に孝養を尽さざることを思うと、腸の千切れる思いが』」
良雄「よせっていってんだろ」
[#ここで字下げ終わり]
英子、笑いながら仕舞おうとして、アレ? となる。
もう一枚、便箋がくっついている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「あら――もう一枚くっついてるわ」
良雄「え? アッ!」
英子「『尚《なお》、母上の千人針と』」
[#ここで字下げ終わり]
何故かひどくあわてる良雄。
ひったくろうとするが、英子、渡さない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「『尚、母上の千人針と重ねて、三田村和江嬢の』」
良雄「おい――それは」
英子「『三田村和江嬢の千人針も、私と共に大空に散華《さんげ》することをお許し下さい』」
[#ここで字下げ終わり]
ヘンな沈黙。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
弘「(つぶやく)三田村和江――」
[#ここで字下げ終わり]
今までの笑いは消えて、少しこわばっている英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「あたしの前に、いらしたのねえ」
良雄「そうじゃないんだよ。あの頃はねえ、銃後の女はみんな千人針をだな」
厚子「お母さんさ、やっぱり『やきもち』やけるもン」
英子「バカなこといわないでよ。三年前っていうんならともかくも、そんな三十一年前のこと――バカバカしい」
[#ここで字下げ終わり]
やたらにたばこをふかす良雄。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「(二人に)ほらほら、いつまで坐ってンの。さっさと片づけないと、ごはんに出来ないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
子供を追い立てて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「お前がはじめてだ、なんて、おはなし違うみたいねえ」
良雄「なにいってんだよ。あのな」
英子「――あッ!」
良雄「なんだよ」
英子「そうか――おばあちゃん……あんたにだけ、これ突きつけたんじゃないのよ。あたしにも――」
良雄「え?」
英子「このうち買うときもあたしの意見だったし――今日だって猫のことで、かばってあげなかったし――おばあちゃん、腹立てたのよ。『あんた、調子づいてるけど、良雄が本当に惚《ほ》れたのはアンタじゃないのよ』って――カタキ討ちしたのよ」
良雄「そんなんじゃないっていってンだろ」
英子「――(フッとため息)」
[#ここで字下げ終わり]
●電車の中[#「電車の中」はゴシック体]
バスケットを抱いたしまが乗っている。
かすかになく仔猫。
若いカップルが前に立つ。
車掌がくる。
しま、気を遣って、トントンとバスケットを叩き、車掌にお愛想笑いをする。
●赤澤家・茶の間[#「赤澤家・茶の間」はゴシック体]
食卓の上にのっている遺書。
通りかかる英子。
チラリと目を走らすが、台所へ。
小さい物を運んできた良雄、無視してゆきかけるが、やはり立ち止って、目を走らす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄(声)「『母上様、送って戴いた千人針をしめて、只今より出撃致します』」
[#ここで字下げ終わり]
遠くからじっと見ている英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄(声)「『二十二年間、有難うございました』」
[#ここで字下げ終わり]
●森口佐江のアパート[#「森口佐江のアパート」はゴシック体](夕暮)
バスケットを抱えてゆっくりと入ってゆくしま。
なく仔猫。
子供の三輪車とぶつかりそうになる。
森口と書かれたドアを叩く。返事なし。
しま、ドアの前にしゃがんで待つ。
猫がなく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄(声)「『母上のお慈しみのおかげにて、今日まで、ただ一点の火傷も傷あともなく育てていただきましたこの体を、御国のために捧げることは男子の本懐でありますが、未だ母上に孝養を尽さざることを思うと、腸の千切れる思いが致します』」
[#ここで字下げ終わり]
●赤澤家・しまの部屋[#「赤澤家・しまの部屋」はゴシック体](夕暮)
一人でたばこをすう良雄。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄(声)「『一つ、母上を一泊旅行にて、熱海にお連れしたかった。二つ、木の香の匂う新築の家を建て、南向きの縁側で、母上の肩を叩きたかった』」
[#ここで字下げ終わり]
見ている弘。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
英子、ガラス器を戸棚に仕舞っている。
手伝う厚子。少し離れて弘。
三人ともチラチラと遺書に目をやりながら黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「お父さん、あれ書いたの――」
英子「二十二だから――」
厚子「お兄ちゃんと同じだ」
弘「昭和二十年六月――」
厚子「お母さんその頃、なにしてたの」
英子「女学校の勤労動員でね、軍需工場いってたの」
弘「ああ、旋盤工してたって、その頃か」
英子「六尺旋盤ての使ってね、お母さん、優秀工員だったのよ。このくらいの(直径二センチ五ミリ)長い鋼材、バイトってもんでけずって――風船爆弾のネジ作ってたの……」
[#ここで字下げ終わり]
英子、遠い目になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「一つか二つ、アメリカの、あれはカリフォルニアだったわねえ、うまく飛んで山火事起したって聞いて万歳三唱してたんだから、のんきなもんよねえ」
弘「じゃあ、遺書なんか書かなかったわけだ」
英子「でもねえ、空襲で、死ぬ友達もいたし――あの頃、夕方、サヨナラっていうのは、今とはちがった感じがあったわねえ」
厚子「恋人、いなかったの」
英子「昔はね、今とちがって、そんな――(言いかけて)あ……」
厚子「なによ」
英子「工場に爆弾が落ちたとき、こやって(体で)かばってくれた――体の大きな工員さんがいたなあ……」
厚子「何て名前、その人」
英子「さあ――名前も顔も覚えてない」
厚子・弘「フーン」
[#ここで字下げ終わり]
ガラス器のふれあう音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「お母さんさ、ほんとに平気なの。お父さんに恋人(言いかける)」
英子「そんなことよか、お母さん、羨《うらやま》しくなっちゃった」
二人「?」
英子「自分の息子と――たとえ、一瞬でも、あれだけ気持が通いあうことが出来たら、親としては幸せだわねえ。お母さんはそうじゃないもの……」
[#ここで字下げ終わり]
英子、じっと弘を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
弘「………」
[#ここで字下げ終わり]
●縁側[#「縁側」はゴシック体](夜)
すわってたばこをふかす良雄。
英子がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「ありゃ本当に何でもなかったんだよ。町内の愛国婦人会の、二つ年上の人でさ。あれ、お前、香水つけたのか」
英子「三田村和江さんに負けるといけませんですから」
良雄「バカ……暗いと、余計匂うな」
[#ここで字下げ終わり]
二人ならんですわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「遺書なんて書くもんじゃないな」
英子「―――」
良雄「うまく死にゃいいけどさ、ピョコッと生き残ったりした日にゃ、目もあてらンないよ」
英子「あたしねえ、あれ出したおばあちゃんの気持、考えたの……」
良雄「………」
英子「三十年間誰にもみせなかった宝もの出すなんて、よくよくのことよ」
良雄「………」
英子「北向きの部屋でも、猫飼えなくても、いいのよ。みんながもうちょっとおばあちゃんのこと、考えてあげてりゃ、納得ずくなら、我慢出来たのよ」
良雄「―――」
英子「おばあちゃん、さびしかったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、ガタンと立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「ちょっと――」
二人「え?」
二人「たばこ買いに――」
[#ここで字下げ終わり]
二人、同時に言ってしまって、え? となる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子「(いたずらっぽく)たばこ屋さん、知ってるの?」
良雄「え?」
英子「ここからだと新宿行きの電車にのって、下北沢でおりて、そこから歩いて七、八分の――日の出荘ってアパートよ」
良雄「おい……」
[#ここで字下げ終わり]
厚子がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「ね、おばあちゃん、森口さんとこでしょ。あたし迎えにいってくる」
良雄「お母さんがいくってさ」
[#ここで字下げ終わり]
●森口佐江のアパート[#「森口佐江のアパート」はゴシック体](夜)
猫のバスケットを脇にして茶をのむ、しまと佐江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「壁のペンキが乾くまで、預りゃいいのね」
しま「なんかねえ、刺激性のもンが入ってるらしくて、猫がクシャミして、かわいそうなのよ」
佐江「フーン」
[#ここで字下げ終わり]
佐江ちょっとしまをのぞきこむようにするが、それ以上はたずねない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「なんのかんのいっても、あんたはしあわせ」
しま「そうかしら」
佐江「うち中|揃《そろ》って、泊りがけで『熱海』へゆくなんて、ぜいたくよ」
しま「どうしてもお宮の松、みせたいっていうのよ」
佐江「親孝行じゃないの」
しま「猫のことでも、まあ、気遣ってねえ。ちょうど孫がカナリア飼ってるでしょ。息子ったらね、こういうの。『おっかさん、もし、猫がカナリアとっても気にすることないよ。もし、どしても気がすまないっていうんなら、ヤキトリでもおごってやるんだな、ウハハハ』って」
[#ここで字下げ終わり]
声色入りで、大得意のしま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「なかなかそこまでいえないわ、へえ――」
[#ここで字下げ終わり]
ひとしきり感心してから、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「アンタ、声色、うまいねえ」
しま「ほかに取柄はないけど、こうみえてねえ、子供のときから声帯模写とか、物まねは、もう――そうだ、あたしね、学芸会で、大河内伝次郎やって校長先生に怒られたことあンのよ」
佐江「大河内伝次郎もいいけどさ、蛙《かえる》のなき声できる」
しま「蛙って、ゲエ! グワッ! ゲ、グワッ! ゲ、グワっての?」
佐江「うまいわ、アンタ」
しま「昔はたくさんいたものねえ、蛙」
佐江「ちょっと、やってよ」
しま「(やる)」
佐江「うまいうまい」
[#ここで字下げ終わり]
二人、大笑い。佐江、しまをぐいぐいと押して、仏壇の前へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「なによ、どしたのよ」
佐江「そこ坐ってやってよ。ねえ」
しま「え?」
佐江「(笑いながら)うちの正一ったらね、一番おしまいの手紙に『日本へ帰って、おっかさんと一緒に蛙の声を聞きたいです』って」
[#ここで字下げ終わり]
仏壇の若い特攻隊員の写真。つつましい白菊。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「蛙の声?」
佐江「(笑ってうなずく)だからさ、ちょっと、ひと声」
しま「(ゲエ! ガアガアガアガアとやる)」
佐江「大したもんだわ。こりゃ、下手なお経よかよっぽど供養になるわよ。ああ、おかしい。ああ、ああ、苦しい」
[#ここで字下げ終わり]
大笑いに笑いながら泣いている佐江。
しまも、ゲエゲエやりながら、鼻をつまらせている。
廊下で聞く英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「あんたのとこの息子もよく出来ているらしいけど、うちの正一にはかなわないわねえ」
しま「なによ、ゲエ! ガア!」
佐江「いつまでたっても年とらないで、毎月チャンチャンと恩給はくれるしさ。絶対に親不孝しないもンねえ」
しま「そりゃ一番の親孝行だ。とってもかなわないわ」
佐江「フフフフ」
[#ここで字下げ終わり]
やわらかく笑う佐江。
それがかえって辛くて、しま、ハナをすすりながら、蛙の声をくりかえす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
佐江「(小さく)いっとう最後の手紙にさ、女の名前でも書いてくるかと思えば、蛙のなき声っていうんだもの」
しま「アッ!」
佐江「どしたのよ」
しま「あたし、大変なことしちまったわよ」
佐江「なによ」
しま「女の名前書いてあるの出しちゃったのよ」
佐江「え?」
[#ここで字下げ終わり]
SE ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
英子(声)「ごめん下さい」
佐江「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
戸があく。
英子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「英子さん」
[#ここで字下げ終わり]
二人の老女、あわてて涙を拭く。
●電車の中[#「電車の中」はゴシック体]
すいている郊外電車。ならんですわっているしまと英子。
英子のひざにバスケット。
懸命に抗弁するしま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「本当、悪気があってしたんじゃないのよ。あんたが見ると思えば、おしまいの一枚ははがしといたわよ。ああ、年寄りってどしてこう」
英子「(笑っている)」
しま「まあ、あの子としちゃね、まるっきり女っ気なしで死んでくってのもさびしくて、たまたま千人針くれた人の名前、もったいぶって書き残したんだと思うのよ」
英子「もういいのよ、おばあちゃん」
しま「年も上でね、顔もバンダイ面だし――まあ、器量も気立てもあんたのほうがずっと上」
英子「(おかしい)」
[#ここで字下げ終わり]
車掌がくる。
猫の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「(英子を小突いて)なんか歌おうよ」
英子「うたですか」
しま「(軍艦マーチ)タンタタタタンカタカタカタカタン」
[#ここで字下げ終わり]
英子も唱和する。
猫の声入りの軍歌にヘンな顔をして行ってしまう車掌。
二人の女、足を小突きあって笑っている。
●赤澤家・庭と縁側[#「赤澤家・庭と縁側」はゴシック体](夜)
トリかごの中に二羽のカナリア。(かすかに猫のなき声)暗い中で、昼間とは違った中で、静かにお互いを見直している感じの家族。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
弘「もうけたじゃないか、お前」
厚子「おばあちゃんたらねえ、こんどから、猫がトリとったら、ヤキトリおごるって」
弘「そンときは、オレもさそえよ、え」
[#ここで字下げ終わり]
少し離れた縁側で、しまが片づけものをしている。
手伝う英子。
庭でチロチロと小さくもえるたき火番をしている良雄。
良雄、厚子にささやく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「(どなる)おばあちゃん、お父さんがね、熱海へゆきたいかって」
しま「(どなりかえす)いきたくない!」
英子「うちでゴロゴロしてるほうがラクチンでいいって」
[#ここで字下げ終わり]
こんどは、弘がしまに何か囁《ささや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「(わざとどなる)英子さん! あした美容院へいっておくれって」
英子「美容院? なんで?」
しま「弘が、ガールフレンド、うちへ連れてくるんだって――」
英子「弘……」
しま「そうだ、あたしも、美容院いこう!」
弘「おばあちゃんはいいの」
[#ここで字下げ終わり]
笑っている弘。
たき火番をしていた良雄。
燃すものの一番上にある例の遺書。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「(わざと英子に)おい――これ――焼くほうへ入ってるぞ。取っとくんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
しま、おりて遺書を手にとる。
息子の目を見て、ちょっと笑い、火中に投じる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「おっかさん!」
[#ここで字下げ終わり]
手を突っこもうとするのを制して、オレンジ色の束の間の火の色をみつめる。
みんな見ている。
英子がおりてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「あ、蛙……」
良雄「蛙? 聞こえないよ」
しま「ないてるのよ。聞こえないかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
しま、英子に呟《つぶや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しま「どんな親不孝でもいい。子供は生きてるのが、親より長生きするのが一番の親孝行だよってないてるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
良雄がしまをじっと見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良雄「聞こえないよ」
しま「聞こえるよ」
良雄「聞こえないよ」
しま「聞こえるよ」
[#ここで字下げ終わり]
わざとじゃけんにいい合う母と息子。みつめている英子。
遺書はあらかた燃えつきて細い紫色の煙を上げている。
[#改ページ]
毛糸の指輪
[#改ページ]
●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果)
毛糸の指輪
NHKテレビで放映
昭和52年1月3日
●スタッフ
制作 藤村 恵
演出 松本美彦
音楽 井上尭之バンド
●主なキャスト
宇治原有吾  森繁久彌
宇治原さつき 乙羽信子
丸根清子   大竹しのぶ
元橋時夫   岡本富士太
竹田編集長  森本レオ
[#改ページ]
●ゲームセンター[#「ゲームセンター」はゴシック体](夜)
ウエイトレスの制服の丸根清子(22)が、食品会社サラリーマンの元橋時夫(27)とゲームをしている。恋人同士らしく、二人一緒に同じゲームをしたり、時夫がするのを、のぞき込んだりしている。
清子の方が惚《ほ》れている感じ。
二人のうしろに、ゲーム台が空くのを待っている初老の男、宇治原有吾(60)。
時夫、何か言いながら、バーンと撃つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「お見合い? やだ。なに言ってんのよ。あたしがお見合いなんかするわけないじゃないの」
時夫「そうじゃなくてさ(またバーンと撃つ)」
清子「あたしみたいに親兄弟のない女の子にはね、誰もお見合いのはなしなんか持ってこないの。第一、そんな必要ないもン」
[#ここで字下げ終わり]
清子、甘えながら、ゲーム延長のつもりだろう、小銭を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時夫「――清ちゃんじゃなくてさ」
清子「え。時夫さん……?」
[#ここで字下げ終わり]
清子、十円玉を落す。
うしろの有吾、拾って手渡すが、ショックを受けている清子は顔も見ずに受け取って、礼も言わない。
有吾、ムッとしながらも、このあたりから、二人のやりとりに聞き耳を立て始める。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時夫「課長がね、逢《あ》うだけでも逢ってみろって、しつこいんだよな」
[#ここで字下げ終わり]
清子、明らかにショックを受けている。が、わざとおどけて陽気に振舞う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「ウワァ! 時夫さん、見込まれたわけだ」
時夫「(撃つ)」
清子「ね、どんな人? 美人? 年いくつ?」
時夫「逢ってないから判んないよ」
清子「どこの人? つとめてる人?」
時夫「課長の――奥さんの妹」
清子「出世コースじゃない!」
時夫「『約束してるひといるか』って聞かれてさ、オレ、いないって言っちゃったんだよな」
清子「あったり前じゃないの。あたしたち、別にどうって間柄じゃないもん」
時夫「でもさ、一応、清ちゃんの意見聞こうと思って」
清子「賛成」
時夫「―――」
清子「絶対賛成! チャンスじゃないの。断ったらバカよ」
時夫「じゃあ、清ちゃん、いいの」
清子「勿論《もちろん》! 頑張ってよ。あ、駄目だな、こんなネクタイじゃあ、もっとバチッとしたのしてかなきゃ振られるから!」
[#ここで字下げ終わり]
明らかに無理をしている清子。
じっと見ている有吾。
時夫、バーンと撃つ。的が倒れ、サイレンがウウーと鳴ったりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「やったァ!」
[#ここで字下げ終わり]
手を叩いて大はしゃぎの清子。
点滅し、さまざまな騒音を立てるゲーム台。
有吾、ゲームをしている。
隣りで、ガンを撃っている清子に気づく。
清子、さっきの威勢はどこへやら別人のように沈んでいる。
片目をつぶって狙うが、その目にみるみる涙が溢《あふ》れてくる。有吾、ハンカチを差し出す。
清子、警戒して受け取らない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「新しいアメリカの大統領、何てったかな」
清子「え?」
有吾「アメリカの大統領」
清子「(釣り込まれて)カーターでしょ。ジミー・カーター」
有吾「そうそう、カーター。カーターが本出したじゃないの。ええと、ほら」
清子「ああ、何か新聞に出てたけど――ううんと……」
有吾「『君はベストを尽したか』」
清子「ああ、それ」
有吾「ベストを尽したかい、清ちゃんは」
清子「(え? となる)」
有吾「諦《あきら》めたら負けだよ」
清子「(バーンと撃つ)」
有吾「わたしが思うに、もっと自分の気持に正直に(言いかける)」
清子「間に合ってます(撃つ)」
有吾「――お父さん、おいくつなの」
清子「十年前に死にました!」
有吾「生きてたら、いま――」
清子「(指を折って)五十一」
有吾「わたしの方が十も上だ」
清子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、名刺を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「『味覚天国』編集部、宇治原……」
有吾「ユーゴと読む」
清子「ユーゴ」
有吾「(清子のユニホームを突っついて)喫茶店かな」
清子「そこのレストラン」
有吾「どのくらいになンの、彼氏とのつきあいは?」
清子「一年半……」
有吾「(自分の手の甲に唇をチュンチュンとくっつけて)こういうこともしたわけだ」
清子「やだ。そんなことしてないわ!」
[#ここで字下げ終わり]
色とりどりの毛糸でだんだら模様に編んだ手袋で有吾をぶつようにしてムキになって抗議する清子。
少しずつ警戒心がほぐれている。
●タイトル[#「タイトル」はゴシック体]
『毛糸の指輪』
スタッフ
キャスト
●宇治原家・玄関・表[#「宇治原家・玄関・表」はゴシック体]
つつましい建売住宅の玄関。
「宇治原有吾」の表札、玄関の戸が細目にあいて磨《す》りガラスの中で有吾が靴を磨いているのがうつっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「※[#歌記号、unicode303d] これっきり これっきり
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]もうこれっきりですかァ
[#2字下げ]これっきりこれっきり
[#2字下げ]もうこれっきりですかァ」
低い声でハミングしながら、踊ってるような格好で弾んでいる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
さつき(55)が義妹の土屋悦子(50)に茶を入れている。
部屋の隅に内職用のミシンと人台など。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「かかるったらかかるってまあ、娘一人かたづけるのにこんなにかかるとは思わなかったわねえ」
さつき「今日び、大根一本買ったって百円ですもンねえ」
悦子「義姉《ねえ》さん、大根やにんじんなんて安いもンよ。洋服ダンスに三面鏡だ、冷蔵庫だテレビだって、ズラッと書き出してごらんなさいよ、もう気が遠くなるから」
さつき「――カラ茶だけど――」
悦子「洋服ダンスもね、始めは、このくらい(三本指)のつもりだったのよ、でもねぇ、ズラッと並んでるの見ると、やっぱり、いいものはいいのよね」
さつき「一生にいっぺんだもの。いいじゃないの」
悦子「一生にいっぺんも、義姉さん、五つ六つ集まると、笑ってもいられなくなるのよ。
式と支度で、これ(一本指と片手)で上げようって言ったのがなんだかんだで、これ(二本指)でしょ、もう毎晩夫婦げんか」
さつき「京子ちゃん、自分の貯金出さないの」
悦子「(首を振る)出すものとなったら、ベロも出さないわね」
さつき「親がなんとかやってると思うから、甘えてンのよ、心の中じゃ、手合わせて拝んでるわよ」
悦子「拝んでなんかくれなくてもいいから、親として扱ってもらいたいわね。式の日取りから式場から、みんな二人だけで決めちまって――」
さつき「――相談なしなの……」
悦子「娘持つ親ってのは、みんな、それを楽しみに子供大きくするんじゃないの、それをアナタ楽しい思いは自分たち。お金払うのは、こっちでしょ、何のために今まで苦労したのかと思うとバカバカしくて――子供のない人が羨《うらや》ましいわよ」
さつき「――(玄関の方に声をかける)お茶入りましたよォ」
[#ここで字下げ終わり]
返事の代りに、唄が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「※[#歌記号、unicode303d] これっきり これっきり
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]もうこれっきりですかァ」
手を拭きながら、入ってくる有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「文句言いなさんな。歌の文句じゃないけれど、もうこれっきりなんだから」
悦子「当り前よ、二度も三度も結婚式されちゃ、親はたまンないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、しゃべりながら掌でパタパタと額や頬を軽く叩いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「それにしても式場が気に入らないねえ。名前ばっかしで料理は落ちるぞ」
さつき「いいじゃないの、もう決まったんだから(言いかけて)あんた、何やってんのよ」
悦子「やだ、兄さんたら、男のくせして美顔術」
有吾「顔だけじゃないんだよ、こりゃね、全身の血行をよくして頭脳の老化を防ぐ働きがある」
二人「本当なの」
有吾「孔子もやってたそうだ」
二人「コーシ?」
有吾「子曰《しのたまわ》くの孔子さまですよ、学がないねぇ、どっこいしょ(立ち上る)」
さつき「少し早いけど、おそばでも取りましょうか」
有吾「わたしは(手を振る)作家の先生と打ち合わせを兼ねて昼メシ食う約束になってるから」
悦子「おひるから行って月給もらえるんだから、いいご身分ねぇ」
有吾「出版社ってのは、こんなもんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
鼻唄まじりで出てゆく有吾。女たち、何となくパタパタと顔を叩きながら、少し声をひそめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「――会社の方――どうなの」
さつき「こんどは、大丈夫そう」
悦子「そんならいいけど、仕事運の悪い人だから」
さつき「潰《つぶ》れる心配はなさそうだけど――ひとりだけ年喰ってるでしょ。けむったがられてるんじゃないかと思ってね」
悦子「黙って引っ込んでる方じゃないから」
有吾(声)「※[#歌記号、unicode303d] これっきり これっきり
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#3字下げ]もうこれっきりですかァ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「山口百恵じゃないの」
さつき「こわれたチコンキじゃあるまいし、こないだから、あればっかし」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、どなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「お見舞い、行ったほうがいいんじゃないんですか」
有吾(声)「遊びに行ってケガした奴のきげんなんか取ることないよ(また鼻唄)」
さつき「(悦子に)編集長がね、スキー行って足折ったのよ、もう出てきてるけど。あたしが行くっていうと、くるなくるなってもう」
悦子「気をつけたほうがいいんじゃないの」
さつき「え?」
悦子「兄さん、なんか浮き浮きしてるわねぇ」
さつき「年考えてもの言って頂戴《ちようだい》よ、地位もないお金もない男が、浮気なんか」
悦子「そう思うでしょ、裏かかれたのよ――」
さつき「え?」
悦子「ついこないだ――(チャンバラ)」
さつき「へえ、新司さんでもそんなことあンの」
悦子「あたし、言ってやったのよ、娘が、父さん、長いこと有難うございましたってあいさつした時、うつむかないようにして下さいねって」
さつき「―――」
悦子「義姉さんとこは『子供』って歯止めがないんだから気許しちゃ駄目よ」
[#ここで字下げ終わり]
有吾の弾んだハミング聞こえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●「味覚天国」編集部プレート[#「「味覚天国」編集部プレート」はゴシック体]
古びたビルの一室のドア。
●「味覚天国」編集部[#「「味覚天国」編集部」はゴシック体]
ギブスで固めた片足をデスクにのせて、珍妙に体をねじりながらラーメンをすすり込んでいる竹田編集長。
伝票を手に、唐沢緑、少しはなれてカメラマン、編集部員など。
竹田は坊ちゃんタイプで甘えん坊の弱気。緑は勝ち気なタイプ。そのくせ竹田に惚れているらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「いない人の悪口言いたくないけど、あたし、宇治原さんの採点おかしいと思うな」
竹田「いや、ぼくもね(ズルズル)」
緑「食べもの屋の採点するのにいきなりトイレへ入ってよ、掃除が行き届いてないからって、一つ星にするなんて行き過ぎよ」
竹田「頑固だからなあ、宇治原さん」
[#ここで字下げ終わり]
といったとたんに箸《はし》を一本、床におっことす。拾おうとして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹田「ああツツツツ(いたい)」
緑「(拾ってやりながら)こんなことしてたら今にどこも広告くれなくなるわよ」
竹田「そう言うと余計エコジになるしさァ」
[#ここで字下げ終わり]
箸の先の汚れが気になるが、緑、気がつかずまくしたてるので、竹田仕方なしに食べはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「取材費だって使い過ぎよ。ありゃ、絶対二人分の請求書だわね」
竹田「唐沢さん、ヤキモチ」
緑「あら、なにがヤキモチよ」
竹田「今までは緑さん緑さんだったのが、この頃、オバサン扱いだから」
緑「年寄りほど若い女の子にのぼせるの、女ってものが判ってないのよ」
[#ここで字下げ終わり]
意思表示をしてくれない竹田にあてつけている。
たばこの火をもみ消して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「ああいう人やとっとく義理でもあるんですか」
竹田「先輩から押しつけられちゃ、いやとは言いづらくてねぇ」
緑「いっぺんガーンと言ったほうが(ギブスにさわってしまう)」
竹田「アイタタタ。ねえ、言ってくれない?」
緑「どして女に言わせるのよ? 編集長でしょ! 竹田さん」
[#ここで字下げ終わり]
ノックされて、ドアが開く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「はーい、珍笑軒」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくるのは菓子折を抱えたさつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「あ、宇治原さんの奥さん――」
竹田「あ、どうぞ、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
立とうとしてアイタタとなる竹田。
二人とも少しうしろめたい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「まあ、いつも主人がお世話様になりまして、この間はとんだご災難で」
竹田「いや、自業自得ですよ」
さつき「ああいう人間ですから、ご迷惑おかけしてるんじゃないかと思って」
竹田「いやいや、あ、せっかく奥さんいらしたのに宇治原さんお出かけだなぁ」
さつき「それ、狙って参りましたの。おりましたら、やな顔されますもの。あ、これ、ほんのお口汚し――」
竹田「こりゃどうも。あいたた」
[#ここで字下げ終わり]
デスクの電話が鳴る。
竹田が取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹田「アイタ、『味覚天国』編集部――あ、先生どうも――」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、椅子へのせる小さな手造りのクッションを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「こないだうちから、持ってって下さいって言ってるんですけど、この次この次って」
[#ここで字下げ終わり]
言いわけしながら、編集長のすぐ横の机にバッグを置き、椅子にクッションを置く。
バツが悪いのでたばこをすっている緑。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「あの、そこ、あたしの席なんですけど」
[#ここで字下げ終わり]
さっきの勇ましさはどこへやら、気の毒そうに言う緑。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「あら、主人、たしかここ――」
緑「こんど、あっちに――」
[#ここで字下げ終わり]
隅っこの、小さな一人だけ壁に向った名ばかりの古机。(ほかはスチール、これだけが木の机)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「――失礼しました」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、椅子にそっとクッションを置く。ハラワタのはみ出したきしむ椅子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹田「どうも申しわけありません。アイタタ(電話を切って)島村先生カンカンだよ。徹夜で原稿書いたのに取りにこないって」
緑「あら、宇治原さん、行ってんじゃないの(小さく)」
さつき「あ、そういえば、おひるに著者の方と、打ち合わせがあるからって、出てゆきましたけど」
二人「(困る)」
[#ここで字下げ終わり]
竹田の前の電話が鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹田「モシモシ。宇治原さん? いま出かけてるけど――え? 清子さん」
さつき「――キヨコさん?」
竹田「二時に神田の出雲《いずも》そばの約束だけど十五分遅れる――」
さつき「―――」
竹田「もう出ちゃってンだけどねえ」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、机の引出しをあける。
オーデコロンのびん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「―――」
竹田「ハイハイじゃ連絡あったら、そう言っときます」
緑「よく電話ある――ほら、姪御《めいご》さんよ(さつきに)いろいろ大変ねぇ」
さつき「ええ、なんですか、もう」
[#ここで字下げ終わり]
あいまいにごまかすさつき。
●出雲そば[#「出雲そば」はゴシック体]
古い造りのそばや。
入れこみの座敷もあり、注文を通す独特のかけ声、奥のテーブルにならんでいる有吾と清子。
清子はそばをすすり、有吾は手酌でお銚子《ちようし》をかたむけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「いまならアタシ、どんな大地震、来ても平気だな。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ペチャンコになって死んじゃいたいって気持。あたしサァ、今までは、わりかし毎日、楽しかったわね。でも、時夫さんとこうなってからは――なんていうかなぁ、すごーくむなしいわけ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「『ムナシイ』って字、書けるかい」
清子「ムナ――ええと」
有吾「胸じゃないよ」
清子「空って字」
有吾「本当はキョ……うつろって字だけど、ま、空でもいいか」
清子「毎日、人にコーヒーだのカレーだの、出したり引っこめたりしているわけでしょ。こんなの青春じゃないなって」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、清子の、いろんな色で段々になった可愛い手袋を指の先にひっかけ、もてあそびながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「いや、青春だねえ」
清子「あら、青春てのはさ(言いかける)」
有吾「かっこいいだけじゃないんだよ。金がなくてみっともなくて、見栄《みえ》っぱって、無闇矢鱈《むやみやたら》に腹が立って、そういうのも、青春なんだよ」
清子「そうかなあ」
有吾「過ぎちまうと、それがキレイに見えてくるんだよ。懐しくなってくるんだよ」
清子「(ズズーとそばをすすりこむ)」
有吾「あと五十年もたってごらん。清ちゃんだって若い男の子なんかに『あたしの若い時分にゃGパンてのはやってねえ、女の子はみんなつけまつ毛つけたもんだよ』なんて楽しそうにはなすンじゃないかな」
清子「おじさンときはどうだった?」
有吾「うむ……」
清子「おじさんがあたしぐらいの時――戦争中?」
有吾「日支事変が始まる直前だったねえ。暗い時代でね。二・二六事件、阿部定事件」
清子「ウワァ! ポルノじゃない」
有吾「大きな声出しなさんな」
[#ここで字下げ終わり]
たしなめて、ハッとなる。すぐうしろ横に、さつきが坐っている。
大あわての有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「電、電話かけたほうがいいな、彼に」
清子「かける口実、ないもン」
有吾「なんか借りてるもの、ないの? 本とかお金とか」
清子「あ、マフラー」
有吾「返したいって……」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、ポケットから十円玉を出してから、店のすみの赤電話をあごでしゃくって教えてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「あとでいいわよ」
有吾「思い立ったときにかけると、いいことがあるもんなんだよ、ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
清子を追い立てて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「さっき教えた通り、沈んだ調子で、ショック受けてることを正直に出して、お見合いどうなったか探り入れてごらん」
[#ここで字下げ終わり]
清子が立つのを見てから、おもむろに咳《せき》ばらい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「お前、ソバは苦手じゃなかったのかい」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、つと立って、自分のお茶をもち、同じテーブルに坐る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「ずい分若い作家の先生ね」
有吾「――(ぐっと絶句する)」
さつき「なんて方」
有吾「おまえ、どうして、ここ」
さつき「清子さんていうんでしょ。あなたにあんな姪がいたなんて知らなかったわね」
有吾「姪みたいなもんだってそういったんですよ。可哀そうな子でねぇ、つきあってた男には振られる、身寄りはなしでね、まあ、わたしが父親代りに相談にのってやっているんだよ」
さつき「父親代りがなんでくしゃみが出るほど、オーデコロン、ぶっかけるの? こんなことして、美顔術やるんです」
有吾「年、考えなさいよ。キヨちゃんはハタチか、二十一ですよ。バカバカしい」
さつき「やましくないんなら、かくすことないでしょ?」
有吾「お前、注文通したのか、おねえさん!」
さつき「いつ頃からの知りあいなんですか。もう何回ぐらい(言いかける)」
有吾「※[#歌記号、unicode303d] これっきり これっきり
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]もうこれっきりですかァ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「とぼけて」
有吾「ちょうどよかった。お前にも知恵借りようと思ってたんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
●出雲そば・店内・公衆電話[#「出雲そば・店内・公衆電話」はゴシック体]
電話している清子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「つきまとわれて困ってンの。うん、うん、おじいさんとお父さんの中間かな。え? うんそんな、いやらしいことなんか全然ない。お茶だのごはんだのおごってくれて――うん食べもの雑誌やってるでしょ。おいしいとこすっごく知ってンのよね。ううん、伝票は会社持ちらしい。うん、年だしさ、大丈夫だと思うけど」
時夫(声)「それがアブないんだよ。いくつになっても、男は男だよ。絶対、アブないよ」
清子「うん、じゃあ、もうよす……」
[#ここで字下げ終わり]
清子、甘えている。何のことはない。有吾をネタにしてしゃべっている。
●出雲そば・店内[#「出雲そば・店内」はゴシック体]
有吾とさつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「可愛いじゃないの。恋人とヨリもどしたい一心でわたしの教えた通り、ああやって電話してるんだよ」
さつき「(うたがわしい目)」
有吾「ヘンな目でみられたんじゃ、わたしはともかく、清ちゃんが可哀そうですよ。オヨメにゆけなくなっちまうよ」
[#ここで字下げ終わり]
清子、もどってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「ね、お見合いね、相手の人がカゼひいて、延期になってンだって――」
[#ここで字下げ終わり]
といいかけて、さつきに気づき、語尾がだんだん小さくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「ほう、そりゃよかった。あ、紹介しよう。うちの奥さんだ。清子さん」
さつき「こんにちは」
清子「――どうも」
有吾「いや、こういうことは、父親代理だけじゃ、どうしても行き届かないからねえ。キヨちゃん、この人をおっかさんだと思って、なんでも相談しなさいよ」
さつき「――おつとめですか」
有吾「食堂の――運ぶ係」
さつき「和食? 洋食」
清子「カレーとか、ハンバーグとか、スパゲティとか、簡単なもン」
さつき「じゃあ、そういうものは、食べたくなくなるでしょ」
清子「たまにおでんなんて食べると、おいしくって」
さつき「あら、うち、こんばん、おでんよ、食べにくる」
清子「うワァ」
有吾「なにも、今日|遭《あ》って今日誘うことないじゃないか」
さつき「(聞かない)お住まいは下宿」
清子「会社の寮」
さつき「だったら、たまにはおこたでおでんはいいわよォ」
清子「でも……」
さつき「若い人は遠慮しないの」
[#ここで字下げ終わり]
くさっている有吾。
●宇治原家・茶の間[#「宇治原家・茶の間」はゴシック体]
おでんの土鍋《どなべ》がおいしそうな湯気を立てている。盛大にパクついている清子。
有吾とさつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「あたし、誤解してたな」
さつき「誤解?」
清子「もしかしたら、おじさん、あたしに気があンのかな、なんて思ってたの」
有吾「なにいってるんだ、はじめから、父親代りといってるじゃないか」
清子「そういう『テ』だと思ったのよ。でもさ、オバサン紹介してくれるところみると、もう、絶対安全よね」
有吾「はじめから、安全ですよ」
さつき「おだいこん、煮えてるわよ」
清子「オバサン、洋裁やるの?」
さつき「お直し専門」
有吾「清ちゃんも、なんか作ってもらうといいな」
さつき「時夫さんていったかしら、おつとめは?」
清子「うちのレストランに材料おろしている会社の営業」
有吾「なかなか美男子でね。ありゃもてるねぇ」
さつき「一年半もおつきあいしてたわけでしょ。それ上役から縁談があったからって、そっちへのりかえるってのは、どういうもんかしらねぇ」
有吾「わたしもね、そこんとこが気に入らないんだよ、男としてさ」
清子「あたしも、ショックだったけど、でも、考えてみると、今の若い男の子としちゃ、仕方ないっていうか当り前かなって気もするんです」
有吾「なにが当り前なの」
清子「だって、あたしみたいに、親もない、家もない、お金もない女の子より、ちゃんとした親のいる女の子と結婚するほうがトクだもの。マンションの頭金ぐらい払ってくれるじゃない」
有吾「結婚は取引じゃないんだからねえ」
清子「でも、慈善事業でもないと思うの、とび抜けて美人じゃなかったら、トクなほうえらぶの当り前だと思うんです」
さつき「ずい分かばうのね」
清子「今の男の子って、すごく生存競争|烈《はげ》しいでしょ。そのくらいガメつくないと、生き残れないと思うの、みてると、なんか、可哀そうみたい」
有吾「可哀そうたァ惚《ほ》れたってことよ、ほら、清ちゃん、煮えてるよ」
清子「どれにしようかな」
有吾「あ、それそれ。それはね、迷い箸といって、一番お行儀が悪いんだ」
清子「マヨイバシ」
有吾「それから――ハシのほうまでベタベタに汚してるのもよくないねえ」
清子「(口にいっぱい入れたまま、うん、といった感じの返事)」
有吾「目上の人間に答えるときはハッキリ、ハイという」
清子「ハイ」
有吾「ついでにいっとくけど、人のうちへ上るときは、はきものを必ず帰りにはきやすいようにそろえて上ること」
清子「フン」
有吾「返事は」
清子「ハイ」
さつき「いまどき、そんなやかましいこというお父さんじゃ、娘がグレるんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、清子をチラチラ見ながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「髪形、変えたほうがいいんじゃないかしらねえ」
二人「え?」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、ひょいと前髪を上げたりうしろ手でもったりして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「ほら、こうやったほうがずっと美人にみえるのよ」
有吾「なんですよ、ごはん中に」
さつき「それから、口紅もちょっとピンク系のほうがいいんじゃないの」
清子「これ、ピンクだけど」
さつき「もっとピンクの」
有吾「キヨちゃん、すまないけど、がんも取って頂戴」
さつき「サイズはいくつなの」
清子「サイズって、靴ですか」
さつき「洋服」
清子「ええと」
有吾「ガンモ」
さつき「上から」
清子「すごくあるの、ええと、上がァ」
有吾「ガンモ!」
さつき「お父さん、ヤキモチやいてるわ」
[#ここで字下げ終わり]
おでんの湯気の中で、親子三人のようなやりとり。
●宇治原家・庭[#「宇治原家・庭」はゴシック体](日曜日)
植木の刈り込みをしている有吾。
脚立《きやたつ》を押さえたりして手伝う清子。
縁側で手招きするさつき。
●台所[#「台所」はゴシック体]
さつきに包丁の使い方を習っている清子。
台所の入口で、有吾がよんでいる。
さつき、渡さない。
有吾、ひっぱる。
●庭[#「庭」はゴシック体]
雨どいの修繕をする有吾。
手伝う清子。
●庭[#「庭」はゴシック体]
白菜を漬けるさつき。
手伝う清子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
さつきに仮縫いをしてもらっている清子。
のぞいて、叱られている有吾。
●縁側[#「縁側」はゴシック体]
面白くないふくれっ面で裁ちバサミで足の爪を切っている有吾。
障子があいて、さつきに裁ちバサミを取り上げられる。
中から、二人のたのしそうな笑い声。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
さつきに障子はりをならっている清子。手を貸そうとして追っぱらわれる有吾。
有吾、くさっている。
●バー[#「バー」はゴシック体](夕方)
カウンターで、有吾と時夫がのんでいる。
時夫、少しムッとしている。
父親気取りの有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「たしかに結婚の約束はしてないだろう。しかしねえ、時夫クン、適齢期の女の子を一年半もしばりつけておいたってことに対しては」
時夫「しばりつけたなんてこたァないですよ、ボクたち、五分五分のつきあいってことで」
有吾「男はいいんだ。五十になっても六十になっても、結婚相手をえらべるからね、しかし、女の子には、やはり売りどきってもンがある。こちらに水割りお代り」
時夫「ぼくだったら、ケッコウです」
有吾「キミ、こういう諺《ことわざ》知ってるかなあ。女房は台所から入ってくるような、つまり目下のうちから貰《もら》うほうがいいんだ、目上から貰ったら、男は一生頭が上らない。わたしなんぞは」
時夫「宇治原さんは、清ちゃんと、どういう関係なんですか」
有吾「だからさっきいったように父親代理として」
時夫「子供じゃないんだから、本人同士で話し合いますよ。――取引先と逢う約束があるので失礼します」
有吾「時夫クン」
[#ここで字下げ終わり]
●宇治原家・茶の間[#「宇治原家・茶の間」はゴシック体](夜)
コートやマフラーを脱ぎながらの有吾、さつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「思ったよかいいねぇ、ありゃ野心、将来性、共に七十点はやれるねえ、浮気するけど、大きく道を踏みはずして妻子を泣かすタイプじゃないから八十点、総合点七十五点」
さつき「七十五点でも八十点でもよござんすけど、清子さん、知ってるの」
有吾「歯ならびよし、目も正常」
さつき「黙って逢って、大丈夫ですかねえ」
有吾「なあに、やんわりとした中にも、娘をもつ父親として、クギを打っといたから」
さつき「五寸|釘《くぎ》じゃないの」
有吾「ちゃんとした人間がうしろについている、親なしじゃありませんぞ、というとこみせときゃ、奴《やっこ》さんもそうそう勝手なまねはできんからねえ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やれやれ臨時やといのおやじもくたびれるわ」
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「はーい」
清子(声)「ごめん下さい」
さつき「清子さんじゃない」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
戸をあけるさつき。
うしろに有吾、木枯し。
立っている清子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「清子さん――どしたの、こんなに遅く」
[#ここで字下げ終わり]
入る清子。立ったまま、固い表情で千円札を突き出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「こないだ、借りたタクシー代返します」
さつき「親の仇《かたき》じゃあるまいし、借りたからってすぐ返すことないでしょ」
清子「――時夫さん、やっぱりお見合いすることにしたって」
さつき「そういったの」
[#ここで字下げ終わり]
清子、有吾をにらみつけるようにいう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「夕方、逢ったんですってね」
有吾「―――」
さつき「――いま、そのはなししてたのよ」
清子「あたし、言われたわ。『君は親兄弟がいないっていってたけど、へんな親がついてンだな』って……」
有吾「いや、清ちゃんがジカに聞きづらいこともあるだろうと思って」
清子「余計なことしないで!」
有吾「父親なら、当り前のことじゃないのかね。娘が惚れてる男に逢って、本当の気持をたしかめるのは」
清子「しないわよ、そんなこと。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]本当の親なら――黙って気もんでるだけよ。ノコノコ出てって、トンチンカンなことなんか聞かないわよ」
有吾「―――」
[#ここで字下げ終わり]
小刻みに胴震いしている清子。
外は木枯し。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「とにかくお上ンなさい」
清子「失礼します!」
さつき「風邪ひいたらどうすンの。さ、早く」
[#ここで字下げ終わり]
抵抗するのを引っぱり上げるさつき。
有吾、ハンドバッグを持とうと手を出すが、清子、引ったくるように渡さない。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜ふけ時)
大きな湯呑《ゆの》みを掌であたためるようにして、湯気の中に顔を埋めている清子。少し素直になっている。
有吾、さつき。
時計のセコンド。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「清子さん、あんた、何て言ったの」
清子「―――」
さつき「時夫さんが、やっぱり、お見合いすることにしたってそ言った時――なんて言ったの」
[#ここで字下げ終わり]
清子、少し黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「(カスレタ声で)そうお、そりゃよかったじゃないって」
有吾「ニコニコしながら、そう言ったんだろ」
清子「だってメソメソすんの、やだもン」
有吾「時夫クンの前で、ベソかいたことはないのかい」
清子「人の前で泣くの、口惜《くや》しいもン」
有吾「でもねえ、男ってものは、女が自分のために泣いてくれる顔を見たいもンなんだよ」
清子「――あたし、おなかン中で泣いてたわ。どして判んないのかな」
有吾「若い時は判らないんだよ」
清子「―――」
さつき「清子さん、健気《けなげ》すぎるのね。時夫さんて、少し気が弱いとこあるみたいだから、清子さんのそういうとこ、好きなくせに、シャクにさわるんじゃないかなあ」
清子「―――」
有吾「まあ、いいさ。時夫クンばっかしが男じゃないさ、そのうちいいのがみつかるよ」
清子「そうだ!」
さつき「……清子さん、それ、本当の気持?」
清子「?」
さつき「諦《あきら》めてもいいの。一生、後悔しない?」
有吾「おいおい。せっかく気持に区切りつけたとこなんだから。横からつまンないこと(言うなよ)」
さつき「(言わせない)あたしだったら、これから時夫さんのアパートへ行くわね」
清子「おばさん――」
有吾「おい――」
さつき「『お見合いなんかしないで』『もいっぺん考え直して』むしゃぶりついて、そういうわね」
有吾「なに言ってんだ。相手は若い男だぞ。こんな時間に男一人のアパートに上りこんで、むしゃぶりついたら、どういうことになるか、お前は」
さつき「そうなったらなったで、いいじゃありませんか」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、さつきの急変にびっくりして、オタオタしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「おい! 本当の母親だったらそんなことは絶対にいわないぞ、若い人間のきげん取るようなことを言うんじゃないよ。バカ」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、有吾を無視して清子をみつめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「三十年前のあたしと同じ……」
有吾・清子「―――」
さつき「その頃、あたしね、渋谷の洋裁店で働いてたの。好きな人がいて、ゆくゆくは結婚したいなって思ってたわ、でも、その人、つとめ先の義理で、結婚ばなしがもち上ったの。あたしね、清子さんと同じ――『そうお、そりゃよかったじゃないの』――ニコニコしてそう言ったわ」
清子・有吾「―――」
さつき「あたしね、死んだ父が『お前は、ほかに取柄はないけど、笑い顔だけは悪くないよ』そ言ってくれたの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そのせいかしらねえ、人前ではなるべく笑い顔してよう。男の前で泣いた顔なんか、絶対に見せるのよそう。そう思ってたのよ。
[#1字下げ]でもねえ、夜、お風呂の帰りにその人が、間借りしてる部屋のとこ通ったの、あたし、飛んでって、かじりついて、ワアワア泣きたい――本当にそう思った」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「おい――」
さつき「(答えずに)でも、あたし、しなかったのよ、ふしだらだとか何とか、世間からうしろ指さされるのがこわくて――今でも、その人の名前が新聞にのっかってたりすると、ドキンとするの」
有吾「何て男だ、そいつは」
さつき「あの晩、もう少し勇気があったら……あたしは別の人生を歩いていただろうって……」
有吾「その人生がよかったかどうか」
さつき「(一方的にしゃべる)いま、あの年からやり直しが出来たら、あたし、あの人の部屋に行ってるわね」
有吾「行くだけが勇気じゃないよ。行きたいけど、踏みとどまって行かないのも、もっと大きな人間らしい勇気ですよ」
さつき「清子さん、人間はね、一度しか生きられないのよ。あとで悔いを残さないように、ようく考えて。ね」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、何か言いかけるが、今迄《いままで》にないさつきの目の強さに言葉を呑み込む。
清子、無言で有吾を見、さつきを見る。
時計のセコンド。
ストーブにかけたやかんが、音をたてて、湯気を上げている。
火の用心の拍子木。
だまっている三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関・表[#「玄関・表」はゴシック体](夜ふけ)
帰ってゆく清子。
見送る有吾とさつき。
木枯し。
帰ってゆく清子のうしろ姿を見ながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「本当のはなしか」
さつき「―――」
有吾「今までそういうはなしはしなかったじゃないか」
さつき「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜ふけ)
黙って木枯しを聞いている有吾とさつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「いつ頃のはなしだ……」
さつき「あなたに逢う一年前……」
有吾「俺の知ってる奴か」
さつき「ううん、全然知らない人……」
[#ここで字下げ終わり]
木枯し。
●庭[#「庭」はゴシック体](夜ふけ)
木枯しで、ささやかな植木が風にたわんでいる。
雨戸をしめる手をとめて、放心するさつき。
うしろでたばこをすっている有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「あの子、行かなかったわよ、ねえ」
有吾「―――」
さつき「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜ふけ)
入ってくるさつき。
黙って、たばこをすう有吾に、すがるような目。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「ねえ、行かなかったと思わない」
有吾「さあ、どうかねえ」
さつき「―――」
[#ここで字下げ終わり]
さつき台所へ立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「(呟《つぶや》く)――行ったんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
苦いたばこ……
バタンと台所のドアが開閉する音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「(立ってのぞく)おい! おい!」
[#ここで字下げ終わり]
誰もいない台所。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「おい! おい!」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体](夜ふけ)
ポツンと坐ってレコードを聞いている清子。
迷っている。
青春そのもの、といったレコードがつづいている。
●時夫のアパート[#「時夫のアパート」はゴシック体](夜ふけ)
探しながら来たらしいさつきが表札をたしかめ、つつましいモルタル二階建ての脇についた階段を上ってゆく。
●時夫のアパート・廊下[#「時夫のアパート・廊下」はゴシック体](夜ふけ)
出しっぱなしになった子供の三輪車をよけながら、入ってゆくさつき。
ドアに貼《は》ってある名前をたしかめる。「元橋時夫」。あたりに気を遣いながら中をうかがう。
ためらった末、思い切ってノックする。もう一度ノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時夫「はーい」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあいて、パジャマ姿の時夫が寝入りばならしく大あくびをしながら、顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「あの――こちらに清子さん伺ってませんでしょうか」
時夫「え?」
さつき「清子さん――」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、目を泳がせる。
土間には、女ものの靴はない。
一間きりの部屋にはベッドが一つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時夫「いや、来てないけど――どなたですか」
さつき「いえ、あの、知り合いの者なんですけど、どうもお騒せしました」
[#ここで字下げ終わり]
けげんな顔の時夫。
ドアを閉めて、ホッと溜息《ためいき》をつくさつき、安心したような、拍子抜けしたような――
●アパート・表[#「アパート・表」はゴシック体](夜ふけ)
階段を下りてくるさつき、ハッとなる。
階段の下に、ショールを手に有吾が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「来てなかった」
有吾「―――」
さつき「よかった」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、笑うとも半ベソともつかぬ顔で呟くと、不意に有吾の胸に顔をすりつけるようにする。
肩を叩いて、ショールをかけてやる有吾。
少し離れたところで見ている清子。
清子、二人に覚《さと》られぬように公衆電話のボックスの中に入り、マフラーで顔をかくすようにする。
木枯しの中を、帰っていく夫婦。
じっと見送る清子。
片方の手袋をとりダイヤルを廻す。
●アパート・廊下[#「アパート・廊下」はゴシック体](夜ふけ)
管理人室の外に突き出た赤電話で、寒そうにしゃべる時夫。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時夫「なんだ、清ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話ボックス[#「公衆電話ボックス」はゴシック体]
清子、手袋をもてあそびながら、しゃべる。引っかけたらしく、ほつれて、糸の出ている手袋。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「うちのチチとハハが、ご迷惑かけてすみません」
時夫(声)「父と母――モシモシ、それじぁ、今来たの――」
清子「うちのお母ちゃん」
時夫(声)「モシモシ、あ、夕方|逢《あ》った宇治原って人の奥さんか」
清子「わたしが、時夫さんのアパートに行くんじゃないかって心配して、見にいったのよ」
時夫(声)「いきなりきたからさ、びっくりしちゃったよ」
[#ここで字下げ終わり]
清子、自分に言い聞かすように、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「……あたし、時夫さんの部屋へ行くつもりで来たの。でも――いま、あの二人が、出てくるところ見たら……何だか、気持がスーとした……。もういいわ。時夫さん、あたし凄《すご》く楽しかった。さよなら」
時夫(声)「待てよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●アパート・廊下[#「アパート・廊下」はゴシック体](夜ふけ)
電話している時夫。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時夫「いま、どこにいるの、え?――前の電話ボックス。すぐいく!」
[#ここで字下げ終わり]
ガシャンと切って、とび出す時夫。
●電話ボックス[#「電話ボックス」はゴシック体](夜ふけ)
とびこんでくる時夫、何もいわず清子を抱きしめるようにする。
手袋のほつれた赤い毛糸を引っぱって、清子の左手くすり指に不器用なおっ立て結びをつくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「――どういうイミ?」
時夫「結婚しようってイミ」
[#ここで字下げ終わり]
清子、時夫の胸におでこをすりつけるようにして甘える。
さつきが有吾に甘えたのと同じ形。
――木枯し。
●宇治原家・茶の間[#「宇治原家・茶の間」はゴシック体](夜ふけ)
ねまきの上にどてらを着た湯上りの有吾。
これから湯に入ろうという感じのさつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「風呂桶《ふろおけ》、少し洩《も》るんじゃないか」
さつき「また? こないだ直したのに」
有吾「取替えなきゃ駄目だ、ありゃ」
さつき「頼んだってすぐ来てくれないからねえ」
有吾「買うっていやァ、くるだろ」
[#ここで字下げ終わり]
お互いに顔を見ず、ひとりごとのような夫婦のやりとり。
有吾、耳を指でかきながら、キョロキョロする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「ええと――」
さつき「耳かき? あたし使いませんよ。どっかへ置き忘れたんじゃないの」
有吾「いくらもするもんでもないんだから、二、三本まとめて買っときなさい」
[#ここで字下げ終わり]
二人、夕刊を振ったりして、耳かきを探す。
ドンドンと玄関のガラス戸を叩く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子(声)「おじさん! おばさん!」
さつき「清子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜ふけ)
上りがまちに立って、夫婦の前に左手を突き出す清子。
赤い毛糸の指輪。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「見て! これ見て!」
有吾「なんだい、こりゃ」
清子「時夫さんがゆわえてくれたの」
有吾・さつき「―――」
清子「結婚しようって」
有吾「ほんとか!」
清子「(うなずく)」
さつき「よかった……」
有吾「おめでとう……。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]逆転ホーマーじゃないか! 二死満塁ホームランですよ!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「ほんと。一体どうしてそういうことに――」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、ハッと気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「やっぱりアパート、行ったのね」
[#ここで字下げ終わり]
清子、さつきの視線の意味を覚りハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「ううん、前まではいったの。でも部屋へは入んなかったわ。おもてで逢ったの。ほんとよ、ほんとよ!」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、そうだろそうだろという感じで清子の肩を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「それでわざわざ見せにきてくれたのかい」
清子「(うなずいて)いろいろ有難うございました」
二人「―――」
有吾「気の変わらないうちに結婚式だな」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
茶の間に、緋毛氈《ひもうせん》、金屏風《きんびようぶ》。
ウエディングドレスの清子。
着付けを直してやるさつき。モーニング姿の有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「(改まって)おじさん、おばさん」
二人「―――」
清子「いろいろありがとうございました」
[#ここで字下げ終わり]
さつき、泣いてしまう。有吾に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「なんだか、本当の娘がお嫁にゆくみたいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
有吾もハナをすすっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子(声)「それだけ喜ばれたんじゃあ、面倒みても張り合いがあるわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
留袖の衿《えり》をつけながら、放心していたさつき。悦子に声をかけられて、ハッと我にかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「そうなのよ。今どき珍らしい気立てのいい子でねえ」
悦子「兄さんも――始めは、軽うく浮気の気持も入ってたんじゃないの」
さつき「ご当人は絶対違う。オレは始めっから、おやじ代りだってそう言ってるけど――」
悦子「そういう義姉《ねえ》さんだって、はじめはちょっぴりやきもち妬《や》いてたんじゃないの」
さつき「(笑ってる)」
悦子「どっちにしても、娘持つ親の苦労が判ったでしょ?」
さつき「おかげさまで、やっと『人並み』になれました」
悦子「ハナシ聞くと、アンタンとこの清ちゃん?――そっちの方が出来てるわねえ、うちの京子なんか、もう――結婚式には会社の人やお友達よぶから、親はすみっこにひっこんでろって態度だものねえ」
さつき「――あたしたちも、判ったもんじゃないわよ」
悦子「式はいつなの」
さつき「さあ、ここンとこ、顔見せないのよ。なんかおムコさんの田舎の方へ顔見せにいったってハナシは聞いてるんだけど」
悦子「フーン」
さつき「お祝いのこともあるから、あとで電話してみるわ」
[#ここで字下げ終わり]
式服用のぞうりを箱から出している悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「じゃ、悪いけど、拝借するわね」
さつき「どうぞどうぞ。それで、あたし――あたしたちは十一時に式場へゆきゃいいわね」
[#ここで字下げ終わり]
●「味覚天国」編集部[#「「味覚天国」編集部」はゴシック体]
例の壁ぎわの机にすわって、校正の赤ペンを走らせている有吾。
うしろに竹田、緑、カメラマン、二、三人の編集部員。
有吾のイメージの中にパチパチと盛大な拍手。越天楽《えてんらく》のメロディがうすく流れ出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「(イメージのスピーチ)えー私、花嫁の父親代りをつとめます、宇治原でございます。私ども夫婦とこれなる花嫁との出会いは、まさにテレビドラマよりも奇なりと申しましょうか、子宝にめぐまれなかった私共夫婦にとりまして、花嫁は、短いつきあいではありましたが、可愛い一人娘でございました」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
茶の間に緋毛氈、金屏風。
文金高島田の清子がすわっている。紋付|袴《はかま》の有吾、留袖のさつき。
清子、しとやかに両手をついて別れのあいさつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
清子「おじさん。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おばさん」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「―――」
[#ここで字下げ終わり]
嗚咽《おえつ》する有吾とさつき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑(声)「宇治原さん、宇治原さん」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
宇治原の肩を叩く緑。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「編集長が――なんかおはなしがあるみたいよ」
有吾「え? ああ――」
緑「ハナが出てます」
[#ここで字下げ終わり]
カメラマンたち、編集長のデスクをうかがいながらヒソヒソばなしの感じ。
松葉杖《まつばづえ》の竹田と有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「それはテイのいいクビじゃないか」
竹田「そんな風に取られると困るなぁ。『青物ウイークリー』のほうから、誰かベテラン廻してくれないかって頼まれたもンだから」
有吾「(何かいいかける)」
竹田「うちじゃあ、宇治原さんのせっかくの博学も宝の持ちぐされだし、ひとつこのへんで編集長としてバーンと」
有吾「スーパーの屋根裏の編集長か! ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、顔をこわばらせて笑うと――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「どしてハッキリ言わないんだ。広告もらってる店は、おいしいおいしいとほめて書いてもらいたい。それがいやならやめてくれって」
竹田「宇治原さん」
有吾「孫みたいな女の子連れて、取材費使って飲み食いして、著者はすっぽかす原稿はおっことす。とても面倒は見切れないって――」
[#ここで字下げ終わり]
緑たち、あっけにとられて、有吾のうしろに――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「せっかくだが、お情けの就職口はお断わりします。どうも皆さん、長いこと迷惑かけて――」
[#ここで字下げ終わり]
大見得を切っていた有吾、不意に、沈黙する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「――(小さく)スマナカッタネエ……と言ってやめられたら、『かっこ』がいいんだけどねえ、こう寿命が伸びちゃ――そら一理だ……」
[#ここで字下げ終わり]
自嘲《じちよう》の笑いを浮かべる有吾。
竹田、松葉杖であるきながら、有吾に近づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
緑「―――」
竹田「――こんどはうまくやってよね。(声を落して)年考えて、若い子はやめたほうがいいんじゃないの」
緑「くさらないで。またいいこともあるわよ」
有吾「くさるどころか。あしたは姪《めい》の結婚式。それからうちの娘も近々だからねえ」
緑「あら、宇治原さん、娘さん、いたの」
有吾「――うん。清子といってね」
竹田・緑「え? あら?」
有吾「あんた達も、早く身固めなさいよ。男も女も、年とって自分の子供がないとさびしいよ」
[#ここで字下げ終わり]
素直にうなずく竹田と緑。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「※[#歌記号、unicode303d] 高砂《たかさご》や この浦舟に」
[#ここで字下げ終わり]
口ずさみながら、引出しを引き抜き中を片づけ始める。
●宇治原家・玄関[#「宇治原家・玄関」はゴシック体]
帰ってくる有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「※[#歌記号、unicode303d] 高砂や この浦舟に 帆をあげてェ」
[#ここで字下げ終わり]
ガラリと戸をあける。
上りがまちにさつきが立っている。
こわばった表情。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「なんて顔してンだ」
さつき「清子さん――今日が結婚式ですって」
有吾「え?」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
和服に着がえた有吾、飲んでいる。
さつきものむ。
壁にモーニングと留袖がかかっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「どうしてるかと思って、勤め先に電話したら――今日が式だっていうじゃないの」
有吾「ハーン」
さつき「なんでもね、オムコさんのおじいさんが体の具合が悪いとかでね、式、急いだんですってさ」
有吾「フーン」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、自分の中のさまざまな気持を押さえ、黙って飲む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「いくら急いだって、知らせるぐらい知らせたっていいじゃないの」
有吾「………」
さつき「だれのおかげではなしがまとまったのよ」
有吾「―――」
さつき「心細いときは寄っかかって、いらなくなるとひとことのあいさつもなしにポイなんだから」
有吾「今の若いもンは、こんなもんだよ」
さつき「肩入れして、ソンした――やっぱり他人は他人なのねえ」
有吾「いやあ、悦子もいってたじゃないか、ほんとの親と子だって、小さいうちが花、一人前になりゃ、親はじゃまなんだよ」
さつき「なんだか本当の娘が出来たみたいな気持でいたのにねえ」
有吾「たとえいっときでも、楽しい夢を見させてくれたんだ。いいじゃないか」
さつき「そう言やあ、そうだけど……」
有吾「もともと、ゆきずりにひょいとかかわった他人同士なんだよ、もとの形にもどっただけさ」
さつき「………」
有吾「※[#歌記号、unicode303d] 高砂や この浦舟に 帆をあげて(低唱する)」
さつき「あんたもせっかく、練習したのにねえ」
有吾「(うたいつづける)」
さつき「やめて下さいよ、なんだか腹が立ってきたわよ」
有吾「まあ、怒るな、こりゃ、もともとジジイとババアのうたなんだよ」
さつき「高砂がですか」
有吾「九州|阿蘇《あそ》の神官が、都へ上る途中、高砂というところへ、立ち寄るというハナシなんだよ」
さつき「あら、高砂って場所の名前なの」
有吾「そこで相生《あいおい》の松、つまり一本の根っ子から幹が二本になっている松だな。そのめでたい松の精であるところの尉《じよう》と姥《うば》に」
さつき「ああ、結納にのっかってるほうきで松葉はいてる」
有吾「あの二人にあって、人生についての教えを乞うというんだからねえ」
さつき「尉と姥ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
酒をつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「この姥は落第だわねえ」
有吾「うん?」
さつき「子供生んであげられなかったもの」
有吾「いやあ、尉のほうも――(言いかけて、言いよどむ)
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おう、仕事、変るぞ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「じゃあ、今のとこ――」
有吾「青物ウイークリーの編集長へご栄転だ」
さつき「青物……(言いかけて、左遷の意味を覚る)」
有吾「三十年前か、その男のアパートへ行かなかったのが、運の尽きだったねえ」
さつき「(フフと笑う)本気にしてたの」
有吾「おい……」
さつき「今の若い子見てると、こっちもそのくらいのこと、言いたくなるじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
わざとおどけを言うさつき。有吾は妻のいたわりがうれしい。辛《つら》い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「………」
[#ここで字下げ終わり]
有吾、さつきのグラスについでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「……かげながら娘に乾杯してやろうじゃないか」
さつき「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
二人、カチリと合わせて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「おめでとう」
[#ここで字下げ終わり]
のみかける有吾。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「それから――就職、おめでと!」
有吾「―――」
[#ここで字下げ終わり]
ぐいとのむ有吾。
さびしい二人。
SE 電話がなる
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「宇治原です」
清子(声)「モシモシ、清子です」
さつき「清子さん」
[#ここで字下げ終わり]
有吾ひったくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有吾「モシモシ、今日結婚式だったんだって」
清子(声)「急に時夫さんの田舎で式あげることになったの知らせなくてごめんなさい」
有吾「いいんだよ、そんなことは」
さつき「(割りこんで)モシモシ」
清子(声)「モシモシ、あのね(咳《せき》払い)『あの――お父さん』」
有吾「お父さん」
清子(声)「お母さん」
さつき「お母さん」
清子(声)「いろいろ有難うございました」
[#ここで字下げ終わり]
顔をくっつけあうようにして聞いている夫婦の目に涙が浮んでくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「―――」
清子(声)「フフ。いっぺん言ってみたかったんだ」
二人「清ちゃん、おめでとう」
有吾「――辛いことがあったらいつでもおいで」
清子「―――」
さつき「――待ってるわよ」
二人「(小さく)いっぺん言ってみたかったんだ」
有吾「おい、孫が生れたら、みせにおいでよ」
清子(声)「ハイ!」
[#ここで字下げ終わり]
涙の目で大笑い、電話の向うの清子もたのしそうに笑っている。
●庭[#「庭」はゴシック体](夜)
チラリ、ホラリと白いものが降りはじめる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
同じようなしぐさで涙を拭き、ハナをかんでいる有吾とさつき。
すっかり機嫌の直った夫婦。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
さつき「(うれしいくせに)都合のいいときだけお父さん、お母さんなんだから」
有吾「そんなもんだよ」
さつき「それにしてもアンタも気が早いわねェ。もう孫の心配――(言いかけて)やだ。孫だって――」
有吾「孫でいいじゃないか」
さつき「どうせ、お七夜だの、七五三だのって、たかられるわよ」
有吾「それもよし、これもよし。――お、降ってきたなあ」
さつき「初雪だわ」
有吾「今年もいい年になりそうじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
夜の初雪、だんだんと白さを増して、そろそろ髪に白いものの目立ちはじめた夫婦をはなやかにいろどっている。
[#改ページ]
眠り人形
[#改ページ]
●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果) F・O(ゆっくり消えていく)
眠り人形
東京放送で放映
昭和52年7月3日
●スタッフ
制作 石井ふく子
演出 鴨下信一
音楽 佐良直美
●主なキャスト
園部三輪子 加藤治子
矢島真佐子 長山藍子
守屋周一  船越英二
守屋けい子 泉 よし子
守屋洋子  幸 真喜子
園部友彦  林 昭夫
矢島武男  あびる啓二
関根素子  葦原邦子
[#改ページ]
●道[#「道」はゴシック体]
駅前通り。
日曜の歩行者天国を呼びかけるアナウンス。
家族連れの雑踏の中を園部三輪子(45)が歩いてゆく。
くたびれたズボンとブラウス。
先のとがった流行おくれの中ヒール。
ゆとりのない暮し向きのうかがえるそそけ髪。
もとは美しかったであろう顔立ちは、今はやつれの方が目立っている。
放心して歩いている三輪子に、年輩の主婦が声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
主婦「あいてますよ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子の和服用の大型バッグが、大きく口をあけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「え? ああ、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
反射的にニコッと笑う。
バッグの口をしめ二、三歩行って、ハッと気づく。
ひどくあわててバッグの中を改める。
路上にペタンとしゃがみ、中のものを路《みち》に並べるようにして、一枚の航空券をたしかめてほっとなる。
●回想・三輪子の家[#「回想・三輪子の家」はゴシック体](夜)
お粗末なモルタルアパート。
夫の友彦(うしろ姿・45)が、三輪子の前に飛行機の切符を二枚置く。
行先は大島、三輪子は水をくぐった浴衣姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「大島……(ほっとして笑う)真に受けて損した。日曜のおひるまでに、なんとかしないと、手がうしろへ廻るなんておどかすんですもの。やだ……。いっぺん行ってみたかったんだ、三原山。ねえ、火口のとこのぼるの、今でもラクダなのかしら」
友彦「遊びに行くんじゃないよ」
三輪子「え?」
友彦「こういう時は、子供のない方が気が楽だな」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、事態をさとる。
何か言いかけるが絶句して声にならない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
友彦「――お前は来なくてもいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
友彦の長い指が二枚の切符をもてあそぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
友彦「一人で行くつもりだったのにさ、カウンターに立ったら『大島二枚』そ言ってるんだ。(自嘲《じちよう》して)意気地がないね」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、奪うように一枚を取る。
突然スッ頓狂《とんきよう》な声を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「思い出した!」
友彦「(たばこをさがす)」
三輪子「一番先にね、三原山に飛び込んで心中したの、女学校の先輩なんだ。心中ったって、女同士だけど。そうよ、お作法の先生がいってたわァ。新聞沙汰になって学校の恥さらしだったって。『皆さんはこんな真似だけはなさいますなよ』ここんとこ(鼻の下)、ひげはやしたオールドミスのおばあちゃんでさ。ええと、うん! 生沼《おいぬま》先生! もう亡くなったろうなあ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、やたらにエヘエヘ笑う。
友彦、たばこをくわえる。
三輪子、マッチをする。
つける妻の手も、受ける夫の手も、小刻みにふるえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「アチチチ……熱いの、弱いな。どうせ飛び込むンなら、海の方がいいなあ」
友彦「―――」
三輪子「何、着てこうかなあ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、急に凍りついた顔で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「――本当にこれしか仕方がないの」
[#ここで字下げ終わり]
友彦、切符のまわりをマッチの棒でとり囲む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
友彦「八方ふさがり」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、その一方を崩して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「あした、成城のうちへ行ってみる。兄さんに事情話してお金の工面(言いかける)」
友彦「百万、二百万の金じゃないからね、言うだけ無駄だろ」
[#ここで字下げ終わり]
ごろりと横になる友彦。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
友彦「そのひまに美容院でも行っといで。そのくらいの金は残ってるだろう」
三輪子「どっちにしても成城のうち見ときたいの」
[#ここで字下げ終わり]
●守屋家・表[#「守屋家・表」はゴシック体]
戦前の古いうち。
守屋周一の表札。
少し離れたところに立ってじっと見る三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子(声)「生れて育ったところですもの。見納めになるかもしれないし」
[#ここで字下げ終わり]
いきなり、声がかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
関根夫人「三輪子さんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
隣りの生垣の向うで、麦ワラ帽子、タオルで口をおおって、殺虫剤を撒《ま》いていた関根夫人(65)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「あら、お暑うございます」
関根夫人「お暑う。お変りない」
三輪子「おかげさまで」
関根夫人「そうお、それはそれは」
三輪子「おじさま、お具合は」
関根夫人「相変らず。糖尿って、ハタが辛《つら》いわねえ。向うは食べたい、こっちは食べさせちゃ大変。もう一軒のうちで敵味方……」
三輪子「(笑う)」
関根夫人「たまには、顔見せてやって頂戴《ちようだい》よ。主人は三輪子さん、ひいきだったんだから」
三輪子「ありがとうございます。それじゃあ(失礼します)」
関根夫人「ごゆっくり」
[#ここで字下げ終わり]
入ってゆく三輪子。
見送る関根夫人のうしろに嫁の和子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
関根夫人「変ったわねえ」
和子「?」
関根夫人「――上のお嬢さん……」
和子「ああ……」
関根夫人「こんな時分から知ってるけど、まあきれいなお嬢さんだったわねえ」
和子「あの人がですか」
関根夫人「一年に三つずつ年とってるわね。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ご主人の仕事運が悪いらしくてね、パートでひとのうちに掃除に行ってるらしいって、お隣りの奥さん……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
和子「へえ……」
[#ここで字下げ終わり]
●守屋家・玄関[#「守屋家・玄関」はゴシック体]
細目にあける。
くつぬぎに来客らしい女物の草履がみえる。
三輪子、裏へ廻る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
関根夫人(声)「人間の運なんて判んないわねえ。下のお嬢さん、真佐子さんていうんだけどね、きりょうも、お嫁に行った先もお姉さんよかぐんと下だったのに、今じゃ、逆だものねえ」
[#ここで字下げ終わり]
飛んでいる洗濯物をひろって竿《さお》にかけ、とめ直している三輪子。
洗濯ばさみの具合が悪いらしく、また落ちてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
関根夫人(声)「ご主人がやり手なのね、酒屋をスーパーにしたのが当って凄《すご》い羽振りらしいのよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女ってのは、肩をならべる男次第だっていうけど、ほんとねえ、この頃じゃ妹さんの方が女としても上にみえるものねえ」
●守屋家・茶の間[#「守屋家・茶の間」はゴシック体]
矢島真佐子(38)が来て、兄の周一(52)としゃべっている。
明らかに金のかかった着物。
バッグから取り出すハンカチもレース。
指には大きな石が光っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「別れるつもりかい」
真佐子「今度は浮気じゃないもの。本気だもの」
周一「そん時は、本人もまわりもカーとのぼせてるからさ、そう思うんだよ。あとになってみりゃ――ええと、茶筒は」
真佐子「お茶なんかいいわよ。兄さんお願い、今晩からここ、置いて」
周一「急にそんなこといったって――ええと、茶筒は――」
[#ここで字下げ終わり]
探し始めたので気になる周一、キョロキョロしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「一晩でもうち空けたら、はなし、こじれるぞ」
真佐子「ううん、ハッキリしていいわよ。あたしの部屋、どうせお納戸代りにしてるんでしょ、あたし、かたすから(立ち上りかける)」
周一「待ちなさいよ、けい子もいないしさ、わたしの一存じゃいかないよ」
真佐子「食費はちゃんと払うわよ、そのつもりで、ほら」
[#ここで字下げ終わり]
ボストンバッグをあけようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「(中腰で)金の問題じゃないよ。こっちだって、人間一人送り出そうって騒ぎなんだからねえ」
真佐子「そりゃ妹より娘の方が大事でしょうけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
勝手口から三輪子の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子(声)「おじゃまするわよ」
真佐子「お姉さんだ」
周一「三輪子……」
真佐子「いまのはなし、お姉さんには」
周一「――真佐子」
真佐子「(必死)片づいてから言いたいの」
[#ここで字下げ終わり]
真佐子、ボストンバッグを食卓の下に押し込む。
上ってくる三輪子、ゆとりをみせておどけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「お暑うござんす」
真佐子「(これもおどけて)お暑うござんす」
三輪子「真佐子――お客さんかと思っておだいどこから入ったら、なあんだ、あんただったの」
真佐子「すみません」
三輪子「お義姉《ねえ》さんは?」
周一「出かけてンだよ。洋子と一緒にね」
真佐子「洋子ちゃん、決まったんだって」
三輪子「決まったって――結婚?」
周一「うむ……」
三輪子「それは、おめでとう。そうお。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それで、式は、いつなの、日取り――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「まあ、涼風が立ってからってことで――今日も、式場のことで出掛けてるンだよ」
三輪子「そうお。よかったじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、真佐子がかさばった風呂敷包みをあけようとしているのに気づく。
以下女二人は、明るく、くったくのないやりとり……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「――こういうことは、おんなじに言ってほしいわね」
二人「え?」
三輪子「そりゃ、あたしンとこは、真佐子のとこみたいに日銭の入る商売じゃないから、大したお祝いも出来ないわよ。でもねえ、同じ姉妹でしょ。一人が知ってて一人が知らないってのは」
周一「何いってンだよ」
真佐子「違うわよ。あたしだって、今聞いたのよ」
三輪子「お祝い持ってきたんじゃないの」
真佐子「結婚祝いにメロン持ってくるバカ、ないでしょ」
三輪子「メロンか……」
真佐子「ひがまないでよ」
周一「おい(よせよ)」
三輪子「『ひがむ』って字、どう書くんだっけ」
真佐子「『ひがむ』はね、ええとリッシンベンに」
三輪子「リッシンベン? ニンベンじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
二人、指で――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「二人とも、書きとりなら、うち帰ってやンなさいよ」
二人「ヘヘヘ」
真佐子「商売ものだけど(メロン)」
三輪子「メロンのあとで、出しにくいが、エイッ!」
真佐子「何じゃ、これは」
三輪子「水ようかんでござる」
周一「さっそく招《よ》ばれるか」
二人「どっち?」
周一「――水ようかんでいいじゃないか。メロンは、みんな帰ってからで――」
二人「何時に帰るの」
周一「夕方にゃ帰るだろう」
二人「夕方ねえ」
周一「二人ともゆっくりしてっていいんだろう」
二人「ううん」
三輪子「真佐子、やせたんじゃない?」
真佐子「人、使ってるとね、気苦労が多いんざんすよ」
三輪子「その分、入るからいいじゃございませんか」
真佐子「でもねえ、こうよ」
[#ここで字下げ終わり]
真佐子、左手を出す。指輪がゆるくなっているらしく食卓に落ちる。
大粒のダイヤ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「大粒だなあ。(さわって)重くて持ち上ンないや。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お宅のスーパーマンはお元気なの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「個人のスーパーは元気でないとやれませんの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](はめて)兄上はどうなの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「お変りないようですねえ」
周一「それが一番じゃないか。いま、お茶を、どっこいしょと」
三輪子「真佐子(目で立てと言っている)」
真佐子「今度は、長女に生れよう」
三輪子「(手で制して)気がつきませんで。お召し物の方、働かしちゃ悪いわ」
真佐子「いいえ、ほんのオネマキですから、ご心配なく」
三輪子「本当の衣裳《いしよう》持ちはね、こういう『かっこ』してるの。いいからいいから」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、立って台所へ行く。
鼻唄をうたいながらヤカンをかけたりしている感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「――ねばるのかな(お姉さん)」
周一「さっきのハナシだけどさ。(あっちにも)相談したほうが(いいんじゃないのか)」
真佐子「(固い表情で首を振る)」
[#ここで字下げ終わり]
台所から、ハナ唄まじりのくったくのない三輪子の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子(声)「どんな人なの」
周一「え?」
三輪子(声)「オムコさん! 洋子ちゃんの。この前言ってたお兄さんの会社の人?」
周一「そうじゃないんだよ」
三輪子(声)「年いくつなの?」
[#ここで字下げ終わり]
どうやら、あまり心浮きたたぬ縁組らしい周一。
真佐子、何か答えかける周一に、声を殺して言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「何ていわれても、あたし戻らない覚悟で出てきたんですからね」
三輪子(声)「ねえ、トシ、いくつなの」
周一「二十三!」
三輪子(声)「三十三?」
周一「二十三!」
真佐子「いまならまだやり直し、きくもの」
周一「そういうハナシは、ちゃんと落着いて」
三輪子(声)「商売なんなの」
[#ここで字下げ終わり]
のぞく三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「商売なんなの、って聞いてンの」
周一「そういうハナシは出たり入ったりしないで落着いて」
三輪子「兄さん、こっち来りゃいいのよ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、周一をひっぱるようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「うず巻きのお皿、どこだっけ」
周一「うず巻きの皿?」
三輪子「あれ、水ようかんにうつりがいいのよ」
真佐子「お皿なんかなんだっていいじゃないの」
三輪子「うち、帰った時ぐらい、娘時代に使ったお皿でさ、気分出したいじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子と周一、台所へ。
●台所[#「台所」はゴシック体]
三輪子と周一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「うず巻きってどんなんだ?」
三輪子「水色のガラスの――こないだも、お義姉さん、使ってたわよ」
[#ここで字下げ終わり]
といいながら、別人のように固い顔で声をひそめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「――真佐子、用で来てるの」
周一「うむ、いや……」
三輪子「帰してよ。話あるのよ」
周一「そんなこといったって」
真佐子(声)「メロン、冷やしといたほうがいいんじゃないの」
三輪子「(茶の間に聞かすように)ねえ、正直いってどんな気持? 一人娘をオヨメにやるのって。――(小声ですばやく)おねがいがあるのよ」
周一「なんだよ」
三輪子「(小さな声で)花嫁の父の――(言いかけて声のコントロールを間違えたことに気づく。大声で)花嫁の父のご感想はいかがですか!」
真佐子(声)「決まってるじゃないの。うれしさ半分、さびしさ半分」
[#ここで字下げ終わり]
メロンを手に入ってくる真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「そうでしょ、お兄さん」
周一「まだ実感はないけどね」
真佐子「そのうちに――あ、あるじゃないの、うず巻きのお皿。ほらそこ」
三輪子「あ、なんだ、ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、水ようかんをガラス皿にのせながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「好きだったわねえ、水ようかん」
[#ここで字下げ終わり]
●座敷[#「座敷」はゴシック体]
仏壇に水ようかんを供えながら、どなっている三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「ねえ! ロウソク切れてるけど、新しい箱、どこに入ってンの」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
周一と真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子(声)「ねえ、おロウソク!」
周一「ロウソク?」
真佐子「(どなりかえす)引出しみりゃあるでしょう。ロウソクつけなくたって、おリンだけ叩けばいいじゃないの。(周一に)養子じゃあるまいし、兄さんがいいっていえば、お義姉さんだっていやとはいわないわよ」
周一「一軒のうちってのは、そういうもんじゃないよ。第一、出るのひっこむのってハナシは、武男君もまじえて、よく話し合って」
三輪子(声)「兄さん、ちょっと見てよ」
周一「いま、いくよ!」
真佐子「もう。ハナシも出来やしない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ヘッピリ腰で子供のハナシ、したってしょうがないでしょ。早くいってらっしゃいよ。(ひとりごとで)――お姉さんときたら何でも自分がイチなんだから」
●座敷[#「座敷」はゴシック体]
仏壇の引出しからロウソクの箱を出している周一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「いくらあるんだ」
三輪子「使い込みじゃないのよ、会社のためにお金を操作したら、急に会計検査があって、それで」
周一「そんなことよか、金額! いくらなんだ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、リンを一つ叩いて周一の顔を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「百万か」
[#ここで字下げ終わり]
うしろから真佐子の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「あら、百万じゃオヨメさんムリよ、ヘタしたらご披露だけでそのくらいかかっちゃうわよ」
周一「すぐいくから。お茶いれてなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
周一、追っぱらって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「なんだ百万か(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、泣き笑いといった顔で、周一の目を見ながらリンを叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「二百万……」
[#ここで字下げ終わり]
兄の目を見ながら、次々とリンを叩く三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子(声)「いくつ叩いてンのよォ、暑っ苦しいなあ」
周一「六百万、七百万……」
[#ここで字下げ終わり]
十二回叩き終る。
呆然《ぼうぜん》とする周一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「千二百万……」
三輪子「凄いでしょ(笑っている)」
周一「……期限は」
三輪子「あしたのおひる」
周一「無理だよそりゃ。どしてもっと早く手を打たなかったんだ。友彦君、何してたんだ」
三輪子「やったけど、駄目だったのよ」
周一「うちだって洋子の結婚ひかえてるしねえ。
第一、一介のサラリーマンじゃとてもとても(言いかけて)真佐子のところなら、なんとかなるんじゃないのか」
三輪子「お兄さん、駄目?」
周一「ケタがちがうよ、オレから真佐子に(言いかける)」
三輪子「(首を振る)」
周一「姉妹じゃないか」
三輪子「だからやなのよ。――今のハナシ聞かなかったことにして」
周一「工面出来なかったら、友彦君(どうなるんだ)」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、笑いながらリンを一つ叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「ナムアミダブツ」
周一「縁起でもないこというな」
三輪子「冗談よ」
真佐子(声)「ねえお茶入ってるわよォ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、陽気に出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「お茶よかさ、ビール招ばれたいな!」
真佐子「ああ、いいわねえ」
周一「―――」
[#ここで字下げ終わり]
周一、表面はくったくなく振舞っている二人の妹の姿に暗然となる。
F・O
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
ビールをつぐ真佐子。
三輪子、周一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「では、洋子ちゃんの結婚を祝って」
真佐子「乾杯!」
二人「おめでとう」
[#ここで字下げ終わり]
三つのグラス、ぶつかる。
女二人は、妙にうわずってはしゃいでいるが、周一は弾めない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「どしたのよ、お兄さん、冴《さ》えない顔して」
三輪子「娘はとられる、お金は出てく。いい顔出来ないわよね」
真佐子「でもねえ、お兄さん結婚式だけは、披露宴だけは、ケチらないでよ。帝国ホテルで、フルコースでやるか、なんとか会館で折づめでやるか、一生の思い出がちがってくるんだから」
周一「そりゃねえ、三輪子のときはお父さん全盛のときでさ、真佐子の時は下り坂だったから」
真佐子「やろうと思えば同じに出来たわよ。借金したって」
三輪子・周一「それはねえ」
真佐子「引き出ものだって、お姉さんのときは、銀のシガレットケースで、あたしのときは、おまんじゅうだもの」
周一「出だしはまんじゅうだって今がダイヤならいいじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
周一、言ってからしまったと気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「さすがは長男だ。いいこと言うなあ」
周一「いや、まあ、ダイヤで女のしあわせが計れるもんじゃないけどさ」
三輪子「いいえ。計れますよ。一カラットよりは二カラット、二カラットよりは三カラット、いざって時、お金にかえられると思うだけで心強いわよ」
真佐子「(ギクリとする)いざってどういう意味よ」
三輪子「『いざ鎌倉』バターンてさ」
真佐子「店、つぶれるって言うの」
三輪子「死に別れとか生き別れとか――」
真佐子「そりゃ、ないとは言えないわよね」
三輪子「どっちにしても、慰謝料、先にもらって指にはめてるようなもんよ。女のしあわせじゃないの」
真佐子「やあな言い方……」
三輪子「フフフ失礼いたしました」
周一「酔っぱらうほどのんでないだろう」
三輪子「酔いたいと思って飲めば水道の水だって酔っぱらいますよ、ヒクッ!」
周一「塩豆があったなあ(立とうとする)」
真佐子 )「食べにきたんじゃないから」
三輪子  「奥歯にはさまるのよ、あれ」
[#ここで字下げ終わり]
周一、二人の妹にビールをつぐ。
二人、ぐいと飲む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「そうか。洋子ちゃんも、いよいよおヨメさんか」
真佐子「お祝い、なにがいい」
三輪子「そうだ、お祝い」
周一「いいよ(小さく)それどころじゃないだろ」
三輪子「いいってわけにはいかないわよ」
真佐子「やっぱし、お金かなあ」
三輪子「そりゃお金よォ。(言いかけて)あんまり張り切らないで頂戴ねえ」
真佐子「あら、いつだってさ、お姉さんしのがないように気遣ってるわよ」
三輪子「気遣ってる人が、実家へ遊びにくるのに、ダイヤはめてメロンもってくるの」
真佐子「あたし、遊びにきたんじゃないもの」
三輪子「じゃなにしにきたの。見せびらかしにきたの」
真佐子「お姉さんくるなんて思わないもの」
周一「二人ともきょうだいげんかする年じゃないだろ。ヨイショ」
三輪子「長い一生にはねえ」
真佐子「どこいくのよ」
周一「やっぱり塩豆を」
真佐子「いいっていってんのに」
三輪子「(力説してしまう)大体、塩豆というものは」
二人「え?」
三輪子「間違えたでしょ。長い一生ってのはねえ」
二人「(少しおかしい)(なんなのよ」
[#6字下げ] なんだよ」
三輪子「照る日曇る日あるんですからね、ちょっといいからってアンタ」
[#ここで字下げ終わり]
このあたりから、庭で猫のけんか。
三人、話しながらチラチラと気にする。
うなり声。かなり烈《はげ》しくやり合う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「うわ、すごい」
三輪子「なにもすごくないでしょ」
真佐子「猫のこといってんのよ――どこの?」
周一「また汚しやがった。ブチはとなりだよ、あっちの黒いのは、ありゃ」
真佐子「メス同士じゃないの」
周一「猫のケンカはオスだよ」
真佐子「お姉さん、メロンメロンて言うけどねえ、あれ、親指メロンなのよ」
二人  \「なによ、それ」
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]/「なんだい、そりゃ」
[#ここで字下げ終わり]
真佐子「うちのお客が、熟してるかどうか親指で押してたしかめるのよ。指のかっこにへこんだの、売物になンないでしょ」
周一「それで親指メロンか」
真佐子「メロンぐらいで、声、ふるわせないでよ」
三輪子「栄養が悪うござんすからね、声も震えンでしょ」
周一「キリギリスじゃあるまいし、なに言ってんだ」
[#ここで字下げ終わり]
真佐子見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「――洋子ちゃん、よかったわよ一人っ子で」
三輪子「あたしも、いまそれ、言おうと思ってたのよ」
真佐子「可愛がられた人が、何をおっしゃってンの」
三輪子「え?」
真佐子「お父さん、お姉さんのこと、自慢だったものね。子供ンときから、どこいくんでも三輪子三輪子。一緒に連れてって、うちへお客様きたときだって、ごあいさつに出るのはお姉さんだけ」
[#ここで字下げ終わり]
真佐子、後ろに周一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「お前が小さかったからだろ」
真佐子「お姉さんは『キレイなお嬢さん』あたしは『かわいいお嬢さん』あたしのかわいいはお義理だったわよ。チョコレートだって勉強部屋だって、お姉さんは大きい方とるのが当り前。あたしは、お姉さんのとった残りで」
周一「どこだって、下はそうだよ」
真佐子「うちほどじゃないわよ」
三輪子「とったとったって、人聞き悪いなあ」
真佐子「だって、そうだもの」
[#ここで字下げ終わり]
いったん出て行った感じの猫、またもどってきて、烈しくやりあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「シッシッ! こら!」
三輪子「なにとったのよ」
真佐子「忘れたの。とったほうは忘れて、とられたほうは覚えてるもンなのよ」
三輪子「なによ、いってごらんなさいよ」
真佐子「いいましょうか」
周一「なにも、二十年前の被害届け、出すことないだろ」
真佐子「数え切れないほどあるけどさ、そうよ。猫よ!」
二人「ネコ?」
真佐子「七五三のお祝いだったわね。浦和のおばさんに、お姉さん、黒猫のハンドバッグでさ、あたしが眠り人形もらったの覚えてないの?」
周一「そんなの、あったか?」
三輪子「黒猫のハンドバッグ、黒猫の、あッ! ビロードの、しっぽのついた」
真佐子「背中にチャックついてさ」
三輪子「うん! 目ンとこに赤いガラス玉が、埋まってる」
真佐子「夜なんか光るの」
三輪子「あの頃、はやったのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
二人、けんかしているくせに、昔を思い出して、懐しくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「あれ、すぐ目玉とれちゃうのよ、ブラ下ってさァ(笑う)」
真佐子「目玉がブラ下ってシッポがとれたら、お姉さん、あれ、あたしにくれて、眠り人形ととりかえちゃったのよ」
三輪子「そうだったかな」
真佐子「あの眠り人形、すごく好きだったのよ」
三輪子「そんなら、やだっていやあいいじゃないの」
真佐子「言えないよ。そういう時のお姉さんて、うまいんだから。気がつくと、スーととられてるのよ」
周一「そういうとこあるね、三輪子は」
真佐子「覚えてないかなあ、これくらいの日本人形で――」
三輪子「ここンとこ(おでこ)カパッとのりのついたおかっぱの――」
真佐子「そうよ。赤い麻の葉の着物着てたのよ」
三輪子「まっ白い顔して、ちょっと口あいて、横にすると、キロンて音して、目つぶるのよ」
真佐子「そうよ。下から、キロン、マブタが上るのよ」
三輪子「あれ、死んでるみたいで、ちょっとこわかったなあ。おなかンとこに、このくらいの――あれなんての、オヘソ?」
真佐子「笛よ、笛が入ってて――押すと」
[#ここで字下げ終わり]
二人、自分のみぞおちを押して白目を出す。
日本人形特有の奇妙な声を出して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「アー」
周一「いい年して、なにやってンだよ」
真佐子「あれだけは、まだ目の中に残ってるわね。とられて、口惜《くや》しくてね、夜、フトンの中で泣いたもの」
[#ここで字下げ終わり]
二人(「キロン」
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ] 「アー」
[#ここで字下げ終わり]
白目を出してふざけながらの二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「よしなさいよ、気持悪い」
[#ここで字下げ終わり]
二人 \「キロン」
[#ここから改行天付き、折り返して−2字下げ]
/ 「アー」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「そういうの、きらいなんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
SE 玄関のチャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「あ、お義姉さんたち、帰ってきた。ハーイ! (腰を浮かす)」
男の声「守屋さん、小包み!」
二人「ハーイ!」
三輪子「お中元だな」
[#ここで字下げ終わり]
出ていく二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「ハンコ、下駄箱の上だよ」
[#ここで字下げ終わり]
周一、三輪子の袖を引っぱって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「(小さく)さっきのハナシ、いいのか。金のハナシ」
三輪子「アー」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、ふざけて出てゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
配達員が細長い大きな包みを差し出している。
三輪子と真佐子、出てくる周一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「不足料金? おいくらなの」
配達員「百七十五円なんですけどねえ」
周一「不足料金、誰だ。気がきかないねえ。百七十五円ねえ。ええと財布は」
真佐子「細かいの五十円しかないなあ」
三輪子「細かいんなら任しといてよ。大きいのは駄目だけど、細かいのなら――」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、茶の間にもどってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
バッグから小銭入れを出して、中を改めながら出てゆきかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「ええと百七十五円――」
[#ここで字下げ終わり]
足りないらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「二十円足ンないな(呟《つぶや》く)。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ちょっと失礼」
ことわりながら、真佐子のバッグの中をあけて、アッとなる。
無造作に押し込んだ一万円札、千円札が、かなり沢山入っている。そして、預金通帳も。
反射的にパチンとしめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「すみません。おつりありますかあ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく三輪子、柱にしたたかぶつかってしまう。
●玄関・表[#「玄関・表」はゴシック体]
ハナ唄まじりで帰ってゆく配達員(自転車)。
●納戸[#「納戸」はゴシック体]
四つ五つの小包みを小部屋へ運び込んでいる周一と真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「ハムとウイスキー、ウイスキーとカンヅメのつめ合わせ。芸がないなあ」
周一「お前ンとこのスーパーがもうかるわけだよ」
真佐子「ほんと、かなり来てますねえ」
[#ここで字下げ終わり]
山になっている御中元。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「三輪子、もってくか。友彦クンにウイスキー」
真佐子「あら、奥さまに聞いてからの方がいいんじゃないの」
周一「――居候とウイスキーはちがうんだよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おい、三輪子はどした……」
周一を引っぱる真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「ここでいいんだから、置いて頂戴《ちようだい》よ」
周一「お前の方もなんだけどねえ、あっちの方が」
真佐子「あっちって、なによ」
周一「三輪子に突っかかるんじゃないよ」
真佐子「向うが突っかかるんじゃないの、どうかしてるわよ。――友彦さん、浮気でもしてンじゃないのかな」
周一「――浮気なら、いいんだけどね」
真佐子「え?」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
三輪子が憑《つ》かれたように真佐子のバッグから、中の通帳を出して額面をみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「八百七十万――」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、無造作に投げこまれた一万円札、千円札をつかみ出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「(呟く)ハンコ、ハンコ」
[#ここで字下げ終わり]
中をさぐっていた三輪子、ハッとして凍りつく。
うしろに立っている周一と真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「三輪子……」
真佐子「お姉さん……」
三輪子「―――」
真佐子「――お姉さん……眠り人形じゃないのよ。いかに姉妹だって、お金や通帳(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
いきなり三輪子、通帳やハンコをおっぽり出す。
散らばっている札や通帳の上に、ストンと横になる。
スッと目をつぶって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「アー アー――」
[#ここで字下げ終わり]
みぞおちを押して人形のまねをして、なく。
その声に嗚咽《おえつ》がまじる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「アー アー」
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
二人 「三輪子、およしなさい」
[#1字下げ]「お姉さん、やめてよォ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子(声)「ただいまァ」
真佐子「洋子ちゃん」
周一「洋子」
[#ここで字下げ終わり]
はね起きる三輪子。
金をかき集める真佐子、ザブトンを上にのせてしまう。
入ってくる洋子。大儀そうで元気がない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「ただいまァ――あら、おばさん」
[#ここで字下げ終わり]
洋子、少しヘンなものを感じながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「いらっしゃい」
二人「お帰ンなさい」
周一「早かったじゃないか――もう終ったか」
洋子「途中で気分悪くなったから、先帰ってきたの」
真佐子「あ、そうそう洋子ちゃん、決まったんだってねえ、おめでとう」
三輪子「――おめでとう」
洋子「――(口の中でありがと)」
真佐子「それにしても、随分急だったわねえ。びっくりしちゃった」
洋子「うん……」
周一「仕方ないだろ。グズグズしてたらウエディングドレスだか妊婦服だか判らなくなるもンな」
真佐子「え? え、じゃあ」
三輪子「おめでたなの」
洋子「やだなあ。パパ、言っちゃうんだもの」
周一「いずれは判ること。かくしたって仕方ないよ」
洋子「それにしたってさ、いきなり言うんだもの」
[#ここで字下げ終わり]
周一、みごもっている娘に苦いいたわりの視線を向ける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「少し横になってたほうがいいんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
洋子、ベロを出す。はにかみのまじった笑顔を残して出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「お兄さん」
周一「みっともないことを打ち合けあうのが、身内ってもんじゃないのかい」
二人「―――」
周一「真佐子は、武男君が浮気をしたんで、うち飛び出して来た。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三輪子は、あしたまでに金の工面しないと面倒なことになる。
[#1字下げ]正直に打ち明け合った方がいいんじゃないのか」
三輪子と真佐子がハッとし、おたがいの顔を見つめあう。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「知らなかった……」
[#ここで字下げ終わり]
二人、お互いを見合って大きなため息。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「どーして言ってくれなかったの」
三輪子「そっちだって同じじゃないの」
真佐子「だってさ」
三輪子「上ったとたんに、洋子ちゃんの結婚のこと言われたでしょう。嫌なハナシしにくいわよ」
真佐子「お兄さんには言ったじゃない」
三輪子「そっちだって――」
真佐子「お兄さんもお兄さんよ、どしていってくれなかったのよ」
三輪子「そうよ」
周一「『言わないで』っておっかない顔しておどかすからさ」
真佐子「問題が問題でしょ」
三輪子「バカ正直なのよ、昔から」
周一「オレ一人が悪者か」
二人「当り前よ」
三輪子「どんな人なの」
真佐子「この間から、うちの店のレジやってる子とおかしいのよ。クビにしてっていったら、他人でない方が金銭の間違いをされなくていいんだって居直るのよ。あんまり口惜しいから」
周一「レジの金をバッグに放り込んで、とび出したんだろ」
三輪子「武男さん、テレかくしで言ってるのよ、心の中じゃ、手ついてあやまってるわよ。別れるのなんのってのぼせないで」
真佐子「こっちよりお姉さんよ。――千二百万とはねえ」
三輪子「意気地がないのよ、女房にお金の心配させるなんて……」
周一「一人は金の心配、一人は女の苦労」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「守屋ですが――あ、武男君」
[#ここで字下げ終わり]
●矢島スーパー[#「矢島スーパー」はゴシック体]
赤電話しているジャンパー姿のズングリムックリした矢島武男(40)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
武男「真佐子、そっちへいってないですか」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
周一に、来ていないといってくれ、というサインを送る真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「真佐子ですか」
[#ここで字下げ終わり]
絶対に来ていないと更に強調する真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「来てないけどなあ」
武男(声)「そう。もし、そっち行ったら、すぐ電話するように言って下さいな。――どこに行ったんだろうなあ」
周一「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
電話切れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「出たほうがよかったんじゃないのか」
真佐子「口、ききたくないのよ。それよか――(三輪子に)そっちの方……」
三輪子「いいのよ、少しおおげさに騒いだら、胸がスーッとした」
二人「―――」
三輪子「そうだ、帰る前に洋子ちゃんのぞいてくるわ」
真佐子「お姉ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
●洋子の部屋[#「洋子の部屋」はゴシック体]
ベッドカバーの上に横になっている洋子。
おでこに手をあてている三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「ここ、叔母さんの部屋だったんでしょ」
三輪子「(うなずく)」
洋子「あたしぐらいのとき、何考えてた」
三輪子「何考えてたんだか、『もや』の中、歩いていたような気がする」
洋子「どんな洋服、はやってた?」
三輪子「戦争が終ったばっかりだから――かすりやセルのモンペに、白い木綿のブラウスで――ズックの靴はいて、三つ編みのお下げにしてたわねえ……」
洋子「どんな歌、うたってたの」
三輪子「――ねえ、『四ツ葉のクローバー』っての、知らないかな」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、小声で思い出し、思い出し歌う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「※[#歌記号、unicode303d] うららに照る陽かげに
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#2字下げ]百地《ももち》の花ほほえむ
[#2字下げ]ひと知れぬ里に生《お》うる
[#2字下げ]四ツ葉のクローバー
[#2字下げ]三ツ葉は「希望」「信仰」「愛情のしるし」
[#2字下げ]残る一葉は幸《さち》」
歌う三輪子。
聞く洋子。
ドアがノックされてあく。
周一が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「どうだ、気分は」
洋子「納まった」
周一「真佐子が、用立てるってさ」
[#ここで字下げ終わり]
周一、三輪子を目で招く。
●階段の下[#「階段の下」はゴシック体]
待っている真佐子。
周一と三輪子がおりてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「いらないって、こんなときに意地張ることないだろう」
三輪子「真佐子、小さい時の敵討ちしてるのよ」
周一「返り討ちになってりゃいいじゃないか。きょうだいだろ」
三輪子「出来ない性分もあるわ。落ちぶれたひがみかな。あ、『ひがみ』ってどんな字だっけ」
真佐子「ヤマイダレに――」
三輪子「真佐子……」
真佐子「フフ、ニンベンに、カベっていう字の土がないのよ……」
[#ここで字下げ終わり]
SE ピアノ
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「――誰、ひいてるの」
周一「隣りのオヨメさんだろ」
真佐子「ヒガミにかけちゃ、あたしの方が先輩よ。――もひとつ、言っちゃおかな」
二人「―――」
真佐子「あたし友彦さんのこと好きだったの、オヨメさんになりたいと思ってた」
三輪子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
SE 隣りのうちで弾くピアノが聞こえてくる
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
周一、三輪子、真佐子。
SE ピアノ
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「友彦さん、あたしのとこへピアノ教えにきてたでしょ。長いキレイな指して、背広の肩のとこからたばこの匂いがしたわ。あたし、ならんですわると、ここんとこ(胸)お湯のんだみたいにあったかくなって、しょっちゅうレッスン間違えてた……」
[#ここで字下げ終わり]
SE ピアノ
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「お姉さんは銀行の森本さんだの、復員してきた、なんとか言った色の黒い人――ボーイフレンドいっぱいいたけど、あたしは誰もいなかったし、友彦さんも、あたしと同じ気持でいる――そう思ってたわ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ピアノ
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「雪のふる日だったな。友彦さん、カゼひいたからレッスンお休みだっていうんで、駅前の方へいったら、お姉さんと友彦さん、手つないで歩いてた。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの晩、すごく泣いて、死んじゃおうかなって、思ったんだから――つきあってた人もいたのに、年下なのに、お姉さんて人のものが欲しくなるのよ――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「欲しけりゃ、先にとればいいのよ。残ったみかんが小さいって文句いわれたって」
真佐子「矢島は生活力のあるひとよ。人間も悪くないわ。でも、気持のどこかで友彦さんの長い指とくらべてたのね。あのズングリムックリした指だけは――やだなって思う時があったわ」
周一「そういう気持が態度に出たんじゃないのか。だから、武男君、浮気したんじゃないのか」
真佐子「そうかもしれない」
三輪子「―――」
真佐子「――これでおあいこだわね」
三輪子「おあいこ?」
真佐子「あたしも恥かいたんだから、お姉さんもひとつぐらいひけ目をつくったっていいでしょ。(札束と通帳)」
三輪子「おいとまするわ」
周一「金のこと、どうすンだ」
三輪子「言ってみただけ。愚痴こぼしたかったのよ、真佐子と同じ」
周一「ほんとにいいのか」
三輪子「(うなずく)」
周一「じァ、ウイスキーとハムつつんでかんか」
三輪子「助かります。(自嘲《じちよう》で)盆暮には、いつもお世話になってンの。本当はね、今日もそれ狙って来たんだ」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
大風呂敷にハム、ウイスキー、カンヅメセットなどを包んでいる三輪子。
手伝う周一。見ている真佐子。
突然、笑い出す三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「やだァ、なにしてンだろォ……」
周一「なんだい」
真佐子「どしたのよ」
三輪子「あたしってどしてこう――バカだなあ、バカ! (自分の頭をハムで殴る)」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、風呂敷の中のものを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「旅行にゆくのに、こんなものもって帰ったってしかたないじゃない」
真佐子「旅行?」
周一「どこにいくの」
三輪子「―――」
周一「どこいくんだよ」
三輪子「……大島」
真佐子「嘘《うそ》」
周一「金の工面してる人間が、なにでたらめ言ってンだ」
三輪子「じゃあ見せたげるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、茶の間へ引きかえす。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
笑いながら、大島の航空券を示す三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「ほら、ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
周一、真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「なにしにいくんだ」
三輪子「なにしにって――遊びよ。いったことないから見物――」
周一「それだけか」
三輪子「―――」
周一「本当にそれだけか――」
[#ここで字下げ終わり]
真佐子、いきなり三輪子のバッグの中へ札束を入れる。
通帳とハンコもほうりこむ。
呆然《ぼうぜん》としている三輪子、周一。
真佐子、ゆびわ、おびどめ、時計をはずして、中へ入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「せっかくだけど、返すあてないから(押し返す)」
周一「真佐子、オレに貸してくれ、このうち売って、必ず返す。オレから、三輪子に用立てれば」
真佐子「(叫ぶ)お姉ちゃんもお兄ちゃんも、そんなことどっちだっていいじゃないか! きょうだいでしょ!」
三輪子「マアちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
たたみに手をついて頭を下げる。
そのまま泣いてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「……(泣き笑い)生きてンの、やンなっちゃったの。あの人が、新聞に出るとか警察いくってこともだけど、お金に追っかけられてせまいアパートで、人のうちの掃除して、地べたに這《は》いずるみたいにして生きてくの、くたびれちゃったのよ。いやンなったの、眠りたいの、死んだまねしたいの。(人形のまね)『アー』『アー』ってなりたくなったの」
真佐子「お姉ちゃん――バカ」
周一「(ハナのつまった声で)本当に洋子の結婚祝ってくれる気持があるんなら、夫婦そろって式に出てくれることだよ。三輪子も、真佐子も」
真佐子「だって、あたしは」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話なる
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周一「守屋ですが、友彦クン、え? 金の都合がついたの」
[#ここで字下げ終わり]
ひったくる三輪子、立ったまま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「どしたの! だれが一体。え? 武男さん?」
[#ここで字下げ終わり]
ストンと腰がぬける三輪子、たたみの上にへたり込む。
●三輪子のアパート[#「三輪子のアパート」はゴシック体]
電話している友彦の指。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
友彦「武男さんから電話があってね。真佐子さん、きてないかっていわれてさ、金のことはなしたら、小切手切っとくって――」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
周一、三輪子、真佐子。
三輪子が受話器をおろす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「すぐ帰ります」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「ズングリムックリした指も、いいとこあるじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
三輪子、真佐子の肩をブン殴る。
いきなりダイヤルを廻す真佐子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「あたし……お金のこと……ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
●スーパー[#「スーパー」はゴシック体]
ズングリムックリした武男の指が受話器をにぎっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
武男「どこにいンだよ。忙しいんだからさ。早く帰ってこなきゃ駄目じゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
真佐子、周一、三輪子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「すぐ帰る。じゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
切って――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「あたしも帰ろ」
[#ここで字下げ終わり]
二人の女、立って帰り支度。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
真佐子「あッ! お姉ちゃん――」
三輪子「え?」
真佐子「また、とる」
三輪子「え?」
真佐子「かえしてよ」
三輪子「あ、やだ。忘れてたのよ、これは」
真佐子「ほら、これだもの、ほら」
[#ここで字下げ終わり]
笑いながら、中のものを返す。返しながら、真顔で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「マアちゃんとこで、レジに使ってくれないかな」
真佐子「お姉ちゃんを?」
三輪子「掃除婦のパート一時間四百円だから、それよか安いのはやだけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
見栄《みえ》もわだかまりも捨てた姉と妹。
大きくうなずく周一。
出てくる洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「あら、もう帰るの」
周一「旦那さんが待ってるからね」
二人「ね、おムコさん、どんな指してる」
洋子「指?」
[#ここで字下げ終わり]
二人(「長い?」
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]「みじかい?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「普通」
二人「(なんだ――)」
[#ここで字下げ終わり]
洋子、行きかけて戻る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「どして?」
周一「うん? こっちのハナシだってさ」
[#ここで字下げ終わり]
周一、たばこをくわえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「あ、お兄ちゃんの手、お父さんにそっくりだ」
真佐子「ほんと――」
三輪子「おやこだなあ」
周一「お前たちの手だって――そっくりだよ」
二人「あたしたち? 似てないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、手を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「いやあ、似てるよ」
三輪子「あたし、水かきが大きいんだ」
真佐子「あたしもよ」
[#ここで字下げ終わり]
ながめたり、合わせたりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三輪子「あら」
真佐子「爪の形、同じだ」
二人「やだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
けい子(声)「ただいまァ」
洋子「あ、お母さんだ」
二人「お義姉《ねえ》さん、お帰ンなさい!」
真佐子「あいた! なんでも自分がいちなんだから。おう、いたい!」
[#ここで字下げ終わり]
現金にすっとんでゆく二人。
周一、あとからゆったり立ち上りながら、微笑とも苦笑ともつかない笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
周一「やれやれ、女のきょうだいってやつは、全く」
[#ここで字下げ終わり]
誰もいない部屋。
F・O
[#改ページ]
びっくり箱
[#改ページ]
●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果)
びっくり箱
東京放送で放映
昭和52年10月9日
●スタッフ
制作 石井ふく子
演出 宮武昭夫
音楽 小川寛興
●主なキャスト
岸本厚子  大竹しのぶ
岸本とし江 京塚昌子
米倉友行  高橋昌也
田島良司  真夏 竜
[#改ページ]
●信越線・車中[#「信越線・車中」はゴシック体]
岸本厚子(22)が膝《ひざ》にハンカチをひろげ、みかんを食べている。向い合った座席に眠る田島良司(22)の寝顔をみつめながら食べる。
惚《ほ》れている目。
交差し触れている足が二人の間柄を物語っている。
窓の外を、冬の信州の風景が流れてゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
婦長(声)「岸本さんくに≠ヘどこだっけ」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・病院・ナースセンター[#「回想・病院・ナースセンター」はゴシック体]
産婦人科病棟。
看護婦の厚子が金井婦長(45)に休暇届を出している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「長野です」
婦長「ああ、ぶどうと栗のお菓子がおいしいんだ」
厚子「また持ってきます」
婦長「ハンコハンコ(探しながら)お母さん、仕事してるの?」
厚子「うちで洋裁。リフォームですけど」
婦長「――お直し――」
厚子「婦長さんも何かあったら」
婦長「こう忙しくちゃ、これ(制服)脱いだら、すぐパジャマだもの」
厚子「ここ、七人じゃ無理ですよね」
[#ここで字下げ終わり]
婦長、ハンコに息を吐きかけ、じわっと押しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
婦長「月曜には出てきて頂戴《ちようだい》よ。朝からオペが入ってンだから」
厚子「ハイ。宅間さん、帰るまでに生れるかなあ」
婦長「生れてくれなきゃ。あとがつかえてンだから困るわよ」
[#ここで字下げ終わり]
開けっぱなしのドアから、退院支度の若夫婦と赤んぼうを抱いた初老の母親。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
母親「いろいろお世話になりました」
若夫婦「ありがとうございました」
[#ここで字下げ終わり]
検温をすませて、もどってきた看護婦の津森洋子(27)たちも一緒に、にぎやかに送り出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「おめでとうございます」
厚子「バイバイ(赤んぼうに)」
婦長「あと、お大事に」
母親「あの、これ、皆さんで――(包み)」
婦長「そんなご心配――規則ですから――」
[#ここで字下げ終わり]
婦長、口では断りながら、包みを無視して先に立って送りに出てゆく。
洋子と厚子が包みを前にし、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「――といいながら、頂くことになっております」
洋子「聞こえるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
笑いながら休暇届をチラリと見る。
急に表情を変えて深刻なヒソヒソ話。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「――彼、行くって?」
厚子「(うなずく)」
洋子「子供のこと、話したの」
厚子「……(首を振る)」
洋子「どして?」
厚子「お情けで結婚してもらうの、やだもの」
洋子「彼の気持どうなの」
厚子「五分五分じゃないかな」
洋子「五分五分ねえ」
厚子「うまくいきそうだったら……話す」
洋子「うまくいかなかったら?」
厚子「……(無言)」
洋子「お母さん本当に何にも知らないわけ?」
[#ここで字下げ終わり]
うなずく厚子。
けだるそうに椅子に腰を下ろす。
手紙の文面がダブる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子(声)「(張り切った声)お母ちゃん、お元気ですか。私も張り切って働いています」
[#ここで字下げ終わり]
●信越線・車中[#「信越線・車中」はゴシック体]
眠る良司。靴をぬいだ足が厚子のすぐ横に上っている。
三つ目のみかんを食べる厚子。良司、目をさまして大あくび。
厚子、みかんの皮をむいてやる。
甘いしぐさとは別人の如き勇ましく気負った声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子(声)「この間の非番の日、新宿で知らない男性からお茶に誘われましたが、にらみつけてやりました」
[#ここで字下げ終わり]
笑いかけながら、むせた良司にお茶をついでやる厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子(声)「ひとりぼっちで寂しいこともありますが、女一人で頑張っているお母ちゃんのことを考えると、どんな誘惑にも負けないでやってゆけます」
[#ここで字下げ終わり]
突然、アッと叫ぶ厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「なんだよ」
厚子「名刺持って来た?」
良司「ツブれてしまった会社の名刺出したってしょうがねえだろ」
厚子「………」
良司「――どの程度のおつきあいですかなんて聞かれたら、どうすンの? 腕組んで歩くぐらいにしとくか」
厚子「そういうことはあたしが言うから」
良司「オレは黙ってりゃいいな」
厚子「オレってのは……」
良司「言葉遣いうるさいのか、おふくろさん」
厚子「すごくキチンとしてるの――」
良司「やりにくいな。この際なあ……」
[#ここで字下げ終わり]
腹のあたりをマフラーで包むようにする厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「ハラ、痛いの?」
厚子「ううん、なんでもない」
[#ここで字下げ終わり]
●スナック「チャランケ」・前[#「スナック「チャランケ」・前」はゴシック体](夕方)
ボストンバッグを下げた厚子と良司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「たしかここから二、三分」
良司「たしかって――自分のうちだろ」
厚子「引越してから二回しか帰ってないもの」
良司「いきなり帰って、うちにいるかな」
厚子「一日中ミシン踏んでるに決まってるもの。(ゆきかけて)ね、おじぎ、チャンとしてね」
良司「OK」
厚子「すぐ迎えにくるから」
[#ここで字下げ終わり]
良司、少しげんなりしながら「チャランケ」へ入ってゆく。
歩き出す厚子、気が重い足どりに、あまり上手でない手紙の文字とキチンとした母とし江の声がダブる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江(声)「女一人、生きてゆくことは大変ですが、貧しくとも人にうしろ指をさされない、正々堂々と胸を張った暮しをして下さい」
[#ここで字下げ終わり]
●岸本家・表[#「岸本家・表」はゴシック体](夕方)
同じ作りの二軒が棟をならべて建っている。
「洋裁・仕立物直し致します」の看板。
岸本とし江の表札。
立ちどまる厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江(声)「男性とのおつき合いは、特に慎重にお願いします。キチンとした学歴、威張って名刺の出せる職業、妻子を養ってゆける収入は、夫となる最低の条件だと思います。釣り合いの取れた立派な生活の伴侶《はんりよ》を選んで下さい。情におぼれて道をあやまってはなりません。白い歯を見せ、馴《な》れ馴《な》れしい態度を見せ、つけ込まれることのないように」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、男ものの靴下が出窓の下の植木に引っかかって落ちているのに気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江(声)「くじけそうになったら、歯を喰いしばって頑張っているお母ちゃんのこと考えて下さい」
[#ここで字下げ終わり]
拾い上げて、見上げると、出窓に男ものの縞《しま》のパンツやもも引きがブラ下っている。
ハッとなって、のび上る。ガラス戸越しに、中が見える。
ミシンと人台の奥に、母のとし江の前で、米倉友行(48)が、大きく口をあけて、のどに薬を塗ってもらっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江(声)「二人で心を合せて、お父さんのお位牌《いはい》に恥じないように生きてゆこうではありませんか。かしこ。母より」
[#ここで字下げ終わり]
寝巻の上にどてらを羽織り、帯を締めかけのだらしない姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「あ、しみる」
とし江「まだ、つけてないわよ、アーン」
米倉「もういいよォ」
とし江「つけなきゃ直ンないわよ、アーン」
米倉「アーン」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、自分も口をあけて新婚夫婦の如く甘えあっている。
靴下を手に棒立ちの厚子。
うしろから声がかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男「すみません、そこちょっと」
[#ここで字下げ終わり]
せまい路地いっぱいに葬儀屋が二人、銀色の飾り花や棺らしいものを持って、隣家へ入ってゆく。
厚子、靴下を手に、自分の家の格子戸に押しつけられる格好。
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夕方)
とし江と米倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子(声)「ごめん下さい」
とし江「ハーイ、どなた?」
厚子(声)「……厚子です」
[#ここで字下げ終わり]
とし江と米倉、口をあけたまま、一瞬ポカンとなる。
次の瞬間、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「厚子。あッ!」
米倉「おい、どうする」
とし江「早く、あっち」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、帯を引きずりながら押入れをあけるが、布団や茶箱でいっぱい。
泡くって次の部屋にとびこむ。
格子戸を叩く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子(声)「お母ちゃん、厚子!」
とし江「ハーイ! いま、開けます」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、男ものの下駄を下駄箱にほうり込み、開ける。
固い表情の厚子が立っている。
そのうしろで葬儀屋が物を運び込んでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「どしたの急に。帰るんなら帰るって電報ぐらい打てばいいじゃないの」
厚子「―――」
とし江「突っ立ってないで上ンなさいよ。ただいまもいわないで、どしたのよ」
[#ここで字下げ終わり]
「上ンなさい」と言いながら、上りがまちに仁王立ちになり、上られては困るとし江。
厚子、押しのけるようにして上る。
キョロキョロ見廻す。
とし江、口はにぎやかにしゃべりながら、手落ちがないかと、これもキョロキョロする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「元気そうじゃないの。仕事忙しいんでしょ。急にくるんだもの。びっくりしたわよ」
[#ここで字下げ終わり]
たばこに新聞をかぶせたりしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「お隣りのおばあちゃん、今朝がた亡くなったのよ。なんかこっちまで落着かなくって」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、となりの部屋へゆきかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「すわンなさいよ」
厚子「おみやげ、お仏壇に」
とし江「あとでいいじゃないの、アッ! 待って」
[#ここで字下げ終わり]
言う間もなくパッと襖《ふすま》をあける。
誰もいない。
ほっとするとし江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「おばあちゃん、六十八、九かしら、この前帰った時、あんたにってお餅持ってきてくれた――覚えてるでしょ。あんたもあとでおまいりにいって頂戴よ」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、仏壇に。
亡父の小さな写真。
合掌しかけてふと、台所の間じきりから、帯がシッポのようにのぞいているのに気づく。帯は用心深くそろそろと手繰込まれている。
厚子、帯を持ってぐいと引く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「あ(なにしてンの)」
[#ここで字下げ終わり]
綱引きになる。
力いっぱい引っぱる厚子。
戸がガタガタ鳴って、どてらをはだけた、米倉が転がり出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「――お帰ンなさい」
厚子「だあれ、この人」
とし江「――米倉さん」
[#ここで字下げ終わり]
米倉も厚子も、ハアハア息を切らしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「アッちゃん、力、強いわ」
厚子「(呟《つぶや》く)アッちゃん――」
米倉「あ、いやあ、とし江から、しょっちゅう、話、聞かされてるもんだから」
とし江「(突つく)」
厚子「とし江……」
とし江「お母ちゃん、とっても、お世話になってる人」
厚子「お世話」
とし江「あ、そういう意味じゃないのよ」
米倉「お世話になってるのはこっちの方。三度のメシから着るもの」
とし江「トモさん――」
厚子「そのマフラー、お母ちゃんに送ったのに……」
[#ここで字下げ終わり]
米倉の首に女もののマフラー。
米倉、あわててはずす。
具合の悪い沈黙。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「――お住まいはこの裏のアパート」
米倉「(釣り込まれて)通い≠ネの」
とし江「アンタ――」
[#ここで字下げ終わり]
取りつくろえばつくろうほどボロが出る。
厚子、みやげものを仏壇にのせ、父の写真を直す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「黙ってるつもりはなかったのよ。お正月に帰った時にでも正式に」
厚子「(チンとカネを叩く)」
とし江「――米倉さん、東大、出てるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、居たたまれない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「――たばこ、買ってくる」
[#ここで字下げ終わり]
気弱な笑いで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「ごゆっくり」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく米倉の背を見る厚子。とし江。
●スナック「チャランケ」[#「スナック「チャランケ」」はゴシック体]
熊の木彫りやアイヌの人形。
白樺《しらかば》の木などで北海道ムードの小さい店。
カウンターにマスター(55)とママ(50)。
客は隅でコーヒーをのんでいる良司ひとり。
入ってくる米倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
マスター「おう」
ママ「いらっしゃい」
米倉「いやあ、参ったねえ」
マスター「?」
[#ここで字下げ終わり]
常連らしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「いきなりドカーンときたのよ」
マスター「ダンプでも飛びこんだの?」
ママ「あら、あの道、車入んないでしょ」
マスター「ダンプと一緒に暮してンだ。おどろくこたァねえや。なあ」
米倉「小型ダンプが飛び込んできたのよ」
二人「小型ダンプ?」
米倉「娘が帰ってきたのよ」
マスター「ああ、東京で看護婦してる」
[#ここで字下げ終わり]
たばこに火をつけていた良司、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ママ「とし江さん、あんたのこと、娘さんには――」
米倉「言いそびれてたんだなあ」
二人「それで――」
米倉「オレ、綱引きして負けてさ」
二人「ツナヒキ? (判らない)」
米倉「たばこ――」
ママ「――切れてンだ」
米倉「はなしにゃ聞いてたけど、融通利かないな、あの子は」
ママ「マジメ?」
米倉「上にクソがつくね」
マスター「こういう時は、ズベ公の方がハナシは楽だなあ」
米倉「たばこ……」
[#ここで字下げ終わり]
良司、立ってたばこを差し出す。
米倉、ちょっとびっくりして、いいすか? すみませんという感じで一本くわえる。
良司、ライターで火もつけてやる。
じろじろ見る。
米倉、ヘンな顔をして、これも見返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ママ「どしてるの?」
米倉「……修羅場……」
[#ここで字下げ終わり]
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夕方)
茶を入れるとし江。
固い表情を崩さない厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「お茶なんかいいわよ」
とし江「仇《かたき》のうちへきたって、お茶ぐらい飲むもんなの。『おやこ』だろ」
厚子「親なら親らしくしてよ」
とし江「――(黙って茶をつぐ)」
厚子「どういう人なの」
とし江「カリント、食べるかい」
厚子「年、いくつ」
とし江「巳《み》だから――八かな」
厚子「二つ下」
とし江「カリント」
厚子「(いらない)奥さんや子供のいる人じゃないでしょうね」
とし江「三年前に――ちゃんと離婚してる」
厚子「何してる人? 商売? おつとめ?」
とし江「カリント(お上りよ)」
厚子「カリント作る会社につとめてンの?」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、カッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「看護婦ってのは、そういう口の利き方するのかい」
厚子「―――」
とし江「お母ちゃん、患者じゃないんだからね」
厚子「患者ならもっとやさしくするわよ」
とし江「――そりゃお母ちゃん、威張れた立場じゃないけどさ。娘じゃないか。そんな高飛車な口の利き方してたんじゃ、お嫁のもらい手、ないから」
厚子「ご心配なく。ちゃんといます!」
とし江「――いるわけないよ」
厚子「いたらどうするの」
とし江「ミシンの上で逆立ちしようじゃないの」
厚子「待ってらっしゃいよ」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「厚子!」
[#ここで字下げ終わり]
●スナック「チャランケ」[#「スナック「チャランケ」」はゴシック体](夕方)
たばこをすっている良司。
カウンターで、マスターとママを相手にヒソヒソばなしの米倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
マスター「看護婦ってのがまずかったね」
ママ「看護婦さんて、ふた通りあるらしいわよ」
マスター「男の患者とよろしくやってンのと、オールドミスでさ、ナイチンゲール勲章なんてのもらうのと」
米倉「ありゃ、ナイチンゲールのクチだな」
二人「(ため息)」
[#ここで字下げ終わり]
居心地悪くたばこをすう良司。
ドアがあく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「いらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
入ってきたのは厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「あ」
厚子「待たせてごめん」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて――米倉に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「―――」
米倉「さきほどはどうも――」
厚子「………」
米倉「そちら――(良司)お友達……」
二人「―――」
米倉「――いま、たばこいただいたとこ――ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、マスターたちに、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「(囁《ささや》く)ナイチンゲール」
[#ここで字下げ終わり]
奇妙な感じの三人――
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夕方)
すわっているとし江。
●岸本家・表[#「岸本家・表」はゴシック体](夜)
岸本家にもあかり。
棟を連ねた隣りの小塚家には白黒のくじら幕が張りめぐらされ、葬儀社の男が明日の告別式をつげる紙をはり出している。
どてら姿の米倉が半端な感じでもどってくる。
窓の中をのぞこうとして路地を入ってきた僧侶《そうりよ》にぶつかってしまう。謝《わ》びてやりすごし、またのぞく。
とし江の前に坐る厚子と良司の姿が見える。
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夜)
固い表情で向きあうとし江、厚子、良司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「田島さん」
良司「良司です」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、少し頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「(突ついて)ザブトン。遠慮しないで――」
良司「うん――(敷かない)」
とし江「おとし――」
厚子「おない年」
とし江「あんたに聞いてんじゃないの」
良司「二十二です」
とし江「学校は」
良司「木更津高校」
厚子「東大じゃないけど」
とし江「あんたに聞いてないっていってるでしょ。いま、お仕事」
良司「あの」
厚子「良ちゃん、名刺――」
良司「アッ子。ありゃまずいよ」
厚子「いいから名刺」
とし江「あんたたちそういうおつきあいなんですか」
二人「え?」
とし江「良ちゃん、アッ子。もうそういうおつきあいしてるんですか」
良司「いやあ、そんなんじゃないすよ。腕組んで歩くくらいで――」
とし江「まさか、一緒に住んでるんじゃないでしょうね」
[#ここで字下げ終わり]
そろりそろりと格子戸をあけて入り、玄関の靴などを揃《そろ》えていた米倉、ギクッとして手をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「やめてよ。看護婦の寮に男の子入れるわけないでしょ」
とし江「――どこで知り合ったんですか」
良司「新宿の――」
とし江「新宿――」
良司「喫茶店」
厚子「ヘンな目つきしないでよ。新宿の喫茶店のどこがいけないのよ。上野の動物園で知り合えば健全で、神田の本屋で知り合えば上等だっていうの」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、思わず失笑してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「笑いごとじゃないわよ」
厚子「そうよ」
とし江「厚子、あたしはねえ」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけた時、ゴーンとカネ、お経がはじまる。
美声にして大声の坊さん。
うすい壁を通して、圧倒的な迫力。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「あたしはねえ、こういうやり方」
厚子「え?」
とし江「こういうやり方、あんまり好きじゃないわね」
厚子「え?」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、間に入りながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「――お経が終ってから――」
[#ここで字下げ終わり]
黙ってお経を聞く三人。
米倉、物馴れた感じで、茶ダンスをあけ、菓子を出したり、チョコチョコと台所へ入ってみかんをもってきて、配る。
いやに大小のあるみかん。配ってから、とし江に小さいのがいってるのに気づき、自分の大きいのと取りかえようとする。
いいからとさえぎるとし江。結局取りかえる。
見ている厚子、母と目が合う。
四人、読経とカネを伴奏に時々チラチラと目を上げて相手を見ながら、みかんを食べる。
●岸本家・表[#「岸本家・表」はゴシック体](夜)
となりの小塚家へ入ってゆく弔問の客。お経。
ゴーンとカネがなる。
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夜)
とし江。厚子。良司。
少し離れて、台所との境に半端な感じですわる米倉。
SE ゴーンとカネ
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
僧侶(声)「ナンマンダブナンマンダブ」
[#ここで字下げ終わり]
やっとお経が終る。
四人、申し合わせたように、ほっと吐息をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「あの、おつとめは(言いかける)」
厚子「おつとめ、どこなんですか」
米倉「え? あ、ぼく」
とし江「あたしが先に聞いてるんだから」
良司「インスタントの食品つくる下請け会社につとめてたんすけど、九月にこうなって」
[#ここで字下げ終わり]
体を斜めにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「同じだ……ぼくんとこはね、七月(斜め)」
良司「そうすか」
米倉「構造不況ってやつのアオリでさ。いつの時代でも弱いとこにシワヨセくるねえ」
良司「やってらンないすよ」
米倉「あ、さっきの――」
[#ここで字下げ終わり]
たばこを一本返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「いや、いいすよ」
とし江「あの、どして――(知ってるの?)」
米倉「チャランケ≠ナさ、いや、客が一人いるなとは思ったけど、まさか、アッちゃんが彼氏連れてきたなんて思いもよらないからねえ」
[#ここで字下げ終わり]
まずいこと言ったかな、という感じで笑いかける。
いや、いいすよ、という感じの良司。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「(固い声で)それで、いまは(言いかける)」
厚子「(すばやく米倉に)おつとめしてないんですか」
米倉「帯に短しタスキに何とかで」
良司「同じなんすよ。いやあ、気がラクになったなあ」
とし江「遊んでらっしゃるの」
厚子「お友達の会社、手伝ってるわよ」
米倉「それじゃ、ぼくよかいいや」
とし江「あの、学校」
厚子「さっき聞いたじゃない」
良司「木更津高校――(米倉に)まさか同じ学校ってこたァ――」
厚子「――東大だって」
良司「ああ、東大」
厚子「――ザブトン、敷きなさいよ、敷いてよ」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、ザブトンを押しこむようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「――東大ってのはヘンな学校でね。いやらしい位の秀才もいるけど、ハシにも棒にもかからないのも出るとこなんだなあ。昔、新宿に赤線があった頃ね、あそこのおかみのこれ(親指)が東大出で、応接間に東大の――その頃は帝大か。卒業証書額に入れて、かざってあるんだって。彼氏は、おかみに一日千円もらって、一日中パチンコしてるってハナシ」
とし江「よしなさいよ、子供の前で――」
厚子「毎日、パチンコやってるわけですか」
米倉「あ、ぼく? ――いやあ、ぼくは業界誌からたのまれた原稿書いたり」
とし江「――こういう人がいるんならいると、どうして手紙に書いてこないの」
厚子「そりゃお母ちゃんじゃないの」
二人「女一人で歯をくいしばって」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけた時、台所の方から、隣りの嫁・小塚秋子(37)が黒っぽい通夜のなりでのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「すみませんけど――」
とし江「あ、奥さん」
秋子「オザブトン。余分があったら――あら、娘さん、帰ってらしたの?」
厚子「(固い会釈)」
とし江「なんか急にねえ」
秋子「たまに帰ったのに、隣りがお葬式じゃ、悪いわねえ」
とし江「いいえ、おまいり出来て――よかったですよ」
[#ここで字下げ終わり]
押入れをあけてザブトンを出すとし江。
米倉、小まめに受取ったりして手伝う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「お手数かけて――一、二、三、四」
[#ここで字下げ終わり]
目でかぞえる秋子。
良司、しいているのをはずす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「いいの? じゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
ポンポンと叩いて上にのせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「お借りします」
とし江「あとでおまいりさせて頂きますから」
秋子「おまいりもなんだけど。これ(盃《さかずき》)の相手する人がいないでしょ。うちのは飲めないし。シンキくさくて。よかったらご主人――」
とし江・米倉「(会釈)」
[#ここで字下げ終わり]
秋子、帰ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「ご主人か……」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、笑い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「良ちゃん、あきれたでしょ。あきれかえったでしょ。あたし、良ちゃんに、すごい嘘《うそ》ついてたもンね。うちのお母ちゃんは、教養はないけど、この十年、再婚のハナシなんか耳もかさないで、ジャーって、一日中ミシン踏んで、もう、見かけはフワフワでやわらかいけど気持はすごく堅いんだ、なんて、自慢してたら、――全然ウソだったもんね」
とし江「それはこっちだって同じ。一日中ミシン踏んでるお母ちゃんのこと考えると、誘惑に負けないでやっていますなんて手紙、まにうけて、『今どき珍しい堅い娘なのよ』って、(米倉に)自慢してたのに」
厚子「ミシン踏んでただけじゃなかったもンね」
とし江「厚子。あんたね、この人のことでお母ちゃんのシッポつかんだつもりでいたら、大きに間違いだからね。自分がうしろめたいことしてるから、娘のことも大目にみて、ああいいよ、よかったね、って言うと思ったら大間違いだからね」
良司「――ぼくのこと、気に入らないわけですか」
厚子「どこが気に入らないの、東大出でなきゃいやなの!」
米倉「隣りで人が一人死んでるんだ。大きな声出すのはよしなさい」
[#ここで字下げ終わり]
一同、急に声をひそめて、言い争いをつづける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「親、バカにした口、利いて」
厚子「親なら親らしくしてよ! 娘に恥かかさないでよ!」
米倉「アッちゃん。こういうことは落着いて」
厚子「アッちゃんなんて、馴《な》れ馴《な》れしく呼ばないで下さい」
良司「声、小さく――」
米倉「すしでも取ろうか。空きっ腹だと気が立つから、ビールでも抜くか」
厚子「失礼ですけど、身長体重どのくらいですか」
米倉「さすがは看護婦さんだ。いいこと聞くねえ」
厚子「娘には、釣り合いが大事だなんて言っといて、自分はなによ、ノミの夫婦じゃないの」
良司「よせよ」
厚子「自分がうしろめたいもんだから、良ちゃんにもナンクセつけて」
とし江「あんた達、ただのおつきあいじゃないね。手をつないで歩くだけのおつきあいじゃない」
厚子「だからどうだっていうの! 小言いう資格ないんじゃないの?」
とし江「それが親に向って言う言葉なの? 二十二年間、苦労して育てた母親に」
厚子「あたしね、お母ちゃんのこと、自慢だったのよ。この人にお母ちゃん見てもらいたかったのよ。それ、何よ。お母ちゃんはね、あたしが一番大事にしてるもの、ぶっこわしちまったのよ」
良司「聞こえるよ」
厚子「お母ちゃん、お父ちゃんのお位牌の前で恥かしくないの。このヒモお父ちゃんのじゃないの、お父ちゃんのお位牌の前で」
とし江「ヒモっていい方、よしとくれ」
厚子「じゃ何ていうの?」
とし江「帯!」
米倉「(失笑)ヒモがしめてりゃ、帯だってヒモだよ」
とし江「もうよして!」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、すすり泣く。
SE 台所のガラス戸がコツコツ、ノックされる
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江・厚子「はーい」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、涙声で答え、エプロンで目を拭きながら、立ってゆく。
小塚家の長男、有一が手にいっぱい、箱などを持って立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有一「すみませんが、これ、置かしてもらえますか。せまいもんで、どうも」
とし江「どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、受取って、ハナをすすり、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「このたびは、どうも――」
有一「――奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
感動してしまう有一。これも涙声になって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有一「よその方が泣いて下さるってのに、うちのときたら――シャキシャキして涙ひとつこぼさないんだから」
とし江「取り込みの時は、女は細かい用が多くて泣いていられないんですよ。あとになってさびしくなるもんですよ」
有一「――奥さんに泣いていただくなんて、おふくろもしあわせだ。ありがとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
有一、ハナをすすって帰ってゆく。
とし江、もどってくる。
一同何となくおかしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「涙がかわかないうちに、おまいりにいったほうがいいんじゃないのか」
とし江「よして下さいよ――」
[#ここで字下げ終わり]
といったものの――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「(厚子に)いこうか」
[#ここで字下げ終わり]
●小塚家[#「小塚家」はゴシック体](夜)
つつましい祭壇に焼香するとし江。
うしろで待つ厚子。有一、秋子。
十二、三人の親戚《しんせき》がすしをつまんだりしている。
とし江、終って、厚子をうながす。
厚子、焼香する。
七十ぐらいの老女が黒枠の中から哀《かな》しい目で見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
有一・秋子「ありがとうございました」
秋子「おすしつまんでって下さいな」
有一「どうぞ」
とし江「よばれてこうか」
厚子「あたし、たくさん」
とし江「仏さまのお供養なんだから――いただいてこ」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、固い表情で帰りかける娘を押さえつけるようにしてすしをつまみ、厚子に取ってやる。厚子、手を出さない。
母と娘のうしろで、故人の友達らしい老女、前野ひさと立花雪がひそひそばなし。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ひさ「生きてるうちが花だねえ」
雪「こやって四角いとこ、入ってしまったら、おしまいだ」
ひさ「なんかするんなら生きてるうち。骨になっちゃ、何にも出来ないんだから」
雪「心残りがないように、トロでも頂こう。ナンマイダブナンマイダブ」
[#ここで字下げ終わり]
聞いている厚子。
●裏口[#「裏口」はゴシック体](夜)
小塚家勝手口を出て、うちへもどる母と娘。
前とは少し違った感じになっている。
[#ここで字下げ終わり]
厚子「よくあんなとこで、パクパク食べられるわね」
とし江「食べたくて食べてるんじゃないって言ったろ。仏さまのお供養なんだから、たとえひと口でも箸《はし》つけるものなのよ」
厚子「きまり悪くて、居たたまれなかったわよ」
とし江「恥なら、お母ちゃんとっくにかいてるよ」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、先に入りかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「あ、そうだ塩。トモさん!」
[#ここで字下げ終わり]
どなってしまって、娘の手前少し具合が悪い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「お塩、お塩まいて下さいな。米倉さん」
厚子「良ちゃん。お塩! 良ちゃん!」
とし江「居ないのかな」
厚子「居ない?」
とし江「ちょっと、待ちなさい」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、先に上って塩をとり、上りがまちの厚子にかけ、自分もしるしばかりを肩のあたりにかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「良ちゃん、帰っちゃったの?」
[#ここで字下げ終わり]
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夜)
食卓の上に原稿用紙。原稿を書き馴れた大きな字で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江(声)「二人でめしを食いにいってきます。話のつづきは明日。今夜はぼくのアパートに泊ってもらいます。おやこ水入らずでおやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
とし江と厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「よかった。あきれて帰ってしまったのかと思って、ドキッとしちゃった……」
[#ここで字下げ終わり]
その横顔に、娘の気持を見るとし江。
●スナック「チャランケ」[#「スナック「チャランケ」」はゴシック体](夜)
良司に酒をすすめている米倉。奇妙な連帯感を感じ合っている二人。
マスターとママ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「――(笑いながら)男の好みってやつは、遺伝するもんだねえ」
良司「どういうイミですか」
米倉「おやこで、同じタイプの男に惚《ほ》れてるからさ」
良司「ぼくはヒモじゃないすよ」
[#ここで字下げ終わり]
言ってから、しまったとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「――すみません」
米倉「いいんだよ。ママ! 干物、焼いてよ。ヒモ、ヒモノ、ヒモカワウドン。こういうことば聞くと、このへん(胸)チクッときた時期もあったんだけどね、この頃じゃ、わざと言って楽しんでる。男もこうなっちゃ終りだな」
良司「東大出てンでしょ。どして就職しないんすか」
米倉「惨めなことにどれだけ耐えられるか、人体実験してるんだ――なんてのは、言いわけだな」
良司「―――」
米倉「情の濃い気働きのある女ってのは、かえっていけないねえ。弱い男を駄目にする……」
良司「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](夜)
食卓にひじをつき、じっと原稿用紙の字を見ている厚子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「どこ、行ったのかな」
[#ここで字下げ終わり]
台所から出てくるとし江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「チャランケ≠セろ」
厚子「チャランケ≠ネんて、ヘンな名前」
とし江「アイヌ語でけんか≠チてイミだって」
厚子「あたしたちにピッタシじゃない」
とし江「ほんとだ――」
厚子「――あの人におそわったんでしょ」
とし江「うん」
厚子「上手な字だな」
[#ここで字下げ終わり]
原稿用紙の下の方に、何か書いたものがあるのに気づく。
ひっぱり出す。英語。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「あ――」
厚子「ウワア、あの人、日本字はうまいけど、英語はヘタクソ――」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「これ、お母ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
とし江がひったくるが、厚子、うばって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「よしとくれよ」
厚子「I have to write to my daughter today.
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]『私は、今日娘に手紙を書かなくてはなりません』
[#1字下げ]お母ちゃん、これ、あの人に」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「――戦争中の女学校で英語はダメだからね。毎晩、少しずつ――。おすしでもとろうか」
厚子「あるものでいい」
とし江「精進揚の煮たのとつくだ煮しきゃないよ」
厚子「あ、いいな。そういうの、食べたかったんだ……」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、台所へ立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「My daughter works as a nurse in Tokyo.
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]『私の娘は東京で看護婦をしています』
[#1字下げ]She is twenty-two years old kind girl.
[#1字下げ]『二十二歳のやさしい娘です』」
気持の中で、何かが溶けはじめる。
厚子、ゆっくりとあたりを見わたす。今まで目に入らなかったものが目に入ってくる。
一輪差しのピンクのカーネーション。赤いホウロウのヤカン。小さな鏡台の上のオーデコロンのびん。フタをとって匂いをかぐ。
突然、隣りのうちから、女の泣き声。二女のみどり(35)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
みどり(声)「お母さん! お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
嗚咽《おえつ》がつづく。
盆を手に入ってきたとし江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「――旭川《あさひかわ》へかたづいている娘さんがきたんだ」
[#ここで字下げ終わり]
母と子、黙って嗚咽を聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「いまお母ちゃん死んだら、お前泣いてくれないね」
厚子「――ううん。やっぱり泣くな」
[#ここで字下げ終わり]
二人、ぽそぽそとつつましい、しんみりした夕食をはじめる。
●米倉のアパート[#「米倉のアパート」はゴシック体](深夜)
本と机だけのつつましい部屋。
フトンを敷いている米倉。手伝っている良司。
二人とも酔っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「フトン、そっち」
良司「おたく、ないじゃないですか」
米倉「ボクは毛布でいいよ」
良司「ここから、通ってるわけですか」
米倉「通い夫《づま》。平安朝だ――」
良司「あれ、食費やなんかどしたんすかね」
米倉「平安朝か。まあ、知らん顔してると、女にイヤ味いわれたりしてたんじゃないの」
良司「どこに惚れたんすか」
米倉「君は、あの子のどこに惚れた」
良司「ウーン」
米倉「もともとはメン食いだろ」
良司「そうなんすよ」
米倉「ぼくもそうだったんだがね。おたがい、どうしてこういうことになったかね」
良司「(小さく笑う)」
米倉「――君たちはまだいいよ。釣り合いがとれてさ。こっちなんかノミの夫婦だ。でもな、ノミにゃノミの心ってもんがあるんだ――ええと、枕はね――結婚するんだろ」
良司「おふくろさん、うんて言わないんじゃないかな」
米倉「なんだったら、口、利こうか」
[#ここで字下げ終わり]
良司、アレ? という感じでポケットをさぐる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「おかしいな」
米倉「どしたの」
良司「たしかここに。おかしいな」
[#ここで字下げ終わり]
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体](深夜)
暗い中でフトンをぴったりくっつけて寝る、とし江と厚子。
風が強くなっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「あたしの担当だった未熟児が死んだの。その晩――新宿のスナックでお酒のんだわ」
とし江「あの人とは、その時知り合ったんだね」
厚子「(うなずく)」
とし江「――お母ちゃんのは、なんだろうねえ。ミシン踏んでて、ああ、あたしは一生、下向いて、カタカタカタカタ――同じとこばっかり見て、カタカタカタカタ――死ぬまで、これだけなんだな。さびしくなったのかもしれないねえ」
厚子「――好きな人出来ると、なんか豊かになるね。お母ちゃん、前は赤い花なんか買わなかった。オーデコロンなんかもったいないって言ってたじゃないの。お母ちゃん、綺麗《きれい》になった。前はお婆さんみたいだったけど、若くなった。あたし、見た時、アッて思ったもん」
とし江「親からかうもんじゃないよ」
厚子「ほんとだもン。ペタッとお尻落して坐ンなくなったし」
とし江「―――」
厚子「お母ちゃんも女なんだね」
とし江「――五十になったら、もう、そういう気持はおしまいだと思ってたら、そうじゃないんだね」
厚子「――お母ちゃん、あたしも女よ」
とし江「(笑ってしまう)ほんとだ。どして、二人とも手紙であんなにムリしたんだろ」
厚子「お母ちゃん、健気《けなげ》なことばっかし、書いてくるんだもン。言いそびれちゃったのよ」
とし江「なんでも人のせいにするんだから」
厚子「フフ」
とし江「良司さんと、結婚するんだろ」
厚子「さあ」
とし江「さあってお前」
厚子「そこまでの気持ないんじゃないかな。捕まってソンしたって思ってンじゃないかな」
とし江「こういうおっ母さんが居ちゃ、余計ダメだねえ」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、枕もとのスタンドを消す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「毛布、もう一枚出そうか」
厚子「うん。いい……お母ちゃん、死んだら、泣くからね」
[#ここで字下げ終わり]
風、強くなる。
SE 玄関の戸を叩く音
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「またオザブトンかな」
とし江「そんなら、裏からくるだろ。ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、あける。
良司がいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「あら」
厚子「良ちゃん、どしたの」
とし江「けんかでもしたの」
良司「財布、なかったかな」
厚子「財布、ないの」
良司「ねてからふっと気になってみたら、ないんだよ」
とし江「ないって、お金がないんですか!」
[#ここで字下げ終わり]
胸倉を取らんばかりに聞くとし江にびっくりしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「いや、あの全部」
とし江「お財布ごとですか」
良司「ええ」
とし江「申しわけありません」
良司・厚子「え?」
とし江「全くもう。何てこと、するんだろうねえ。あたしが責任もって、なに[#「なに」に傍点]しますから」
[#ここで字下げ終わり]
いきなり、とし江、ねまきの上に羽織を着ると、二人をぶっとばすようにとび出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「お母ちゃん、どしたのよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、顔を見合わす。
厚子、そのへんを探しながら、
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厚子「沢山、入ってたの」
良司「いや、金は大したことないんだけどね大事なもの入ってたから」
厚子「大事なもの、入ってたって、なによ」
良司「うん、うん――」
厚子「ないわよ。うちには」
良司「そうすると、あと――」
厚子・良司「チャランケ=v
[#ここで字下げ終わり]
●スナック「チャランケ」[#「スナック「チャランケ」」はゴシック体](深夜)
マスターとママから、財布を受取っている良司、厚子。
●米倉のアパート・前の路地[#「米倉のアパート・前の路地」はゴシック体](深夜)
路地を入ろうとする厚子と良司。
いきなり酔っぱらいの初老の男が立ちはだかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
厚子「(びっくりする)」
男「百円! (手を出す)」
二人「え?」
男「タクシー代足ンないんだ、百円」
良司「自分ンち起しゃいいだろ」
男「それが出来ないからたのんでンじゃないか! たのむ!」
厚子「よしなさい出すことないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
良司、ポケットから百円を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男「――返さないよ。代りにこれ!」
[#ここで字下げ終わり]
酔っぱらい、何やら小さな箱を押しつける。
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厚子「なあに、これ(開ける)」
[#ここで字下げ終わり]
ヘビが飛び出す、びっくり箱。
厚子、キャッとなる。
男、笑って、フラフラと出てゆく。
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良司「酔っぱらい!」
[#ここで字下げ終わり]
●米倉のアパート[#「米倉のアパート」はゴシック体](深夜)
半狂乱になったとし江が、壁にかかった背広のポケットを探り、小机の引出しをあけ、枕を蹴飛《けと》ばし、フトンをひっくりかえし、めくって、下を改めている。
あっけにとられている米倉。
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米倉「なにをするんだ」
とし江「お金がいるんなら、どして私に言わないんです!」
米倉「とし江」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、米倉の胸許《むなもと》に手を突っ込み体を探る。
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とし江「情けない真似して。さあ、返して下さい」
米倉「返せ?」
とし江「財布ですよ。返して!」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、いきなりとし江を突き倒す。今まで見せなかった烈《はげ》しい怒り。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「なんてことをいうんだ」
とし江「だって――」
米倉「たしかに、アンタの財布からは、二枚、三枚と抜いたことがある。そりゃ認めるよ、しかし、人のものには手をつけたことないよ」
とし江「それじゃどうしてないんです! 娘が連れてきた人のものに手つけるなんて」
米倉「わたしじゃないといってるのが判らないのか」
とし江「厚子はあの人に惚れてるんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ノック
ドアがあく。
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厚子「お財布あったのよ」
良司「チャランケ≠ノありました!」
とし江「あった――」
厚子「どうかしたの?」
[#ここで字下げ終わり]
凍りついているとし江と米倉。
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とし江「あったの」
米倉「………」
とし江「あたし、なんてこと――なんてことを……」
米倉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、申しわけなさと、取りかえしのつかない後悔、そして、やり切れない米倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「(フフと苦く笑って)別れバナシしてたのよ」
厚子「別ればなし」
米倉「(苦く笑って)そうだな。そういう目で見られるようになっちゃ、もう、おしまいだろうな」
とし江「(うなずく)お母ちゃん、強がってたけど、ほんとはあんた達にきまり悪くて―――子供に意見も出来ないんじゃ母親の資格ないものねえ」
三人「―――」
とし江「――永い間、ありがとうございました」
米倉「こっちこそ、いろいろ世話になりました」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
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厚子「――本当に別れるの」
二人「(うなずく)」
厚子「お母ちゃん、それでいいの、さびしくないの」
とし江「もともと一人だもの。一日ミシン、ガタガタやってりゃ何とか生きてゆけるよ」
[#ここで字下げ終わり]
厚子、いきなりびっくり箱をとり、とし江の鼻の先でフタをとる。
ヘビがニューと、とし江の顔の前に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「キャア!」
[#ここで字下げ終わり]
物凄《ものすご》い悲鳴と共に米倉にしがみつくとし江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「ヘ、ヘビはきらいだって言ってるのに!」
厚子「お母ちゃん。女は、いくつになってもしがみつく人がいた方がいいよ」
とし江「―――」
厚子「英語習ったり、赤いお花買ったりして、暮した方がいいよ。何もなくて、ミシンばかり踏んでおとなりのおばさんみたいに死んじまったら、つまらないじゃないか! 釣り合いとか世間体とか、そんなもの、いいじゃない! ウエディングドレスでも何でも着てちゃんと結婚式、あげるのよ」
とし江「厚子……」
厚子「(米倉に)ねえ、お願い。そうして下さい」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、何か言いかけるが、とし江、さえぎって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「せっかくだけど――もう――」
厚子「どして! どしてダメなの」
とし江「お母ちゃん、取りかえしのつかないこと、言っちゃったのよ」
厚子「何ていったの」
とし江「―――」
厚子「言い過ぎたんなら、謝まればいいじゃない。手、ついて土下座して謝まればいいじゃない! 残りの人生、ひとりぼっちでさびしくてもいいの!」
とし江「―――」
厚子「――(米倉に)お母ちゃんが何言ったか知りませんけど、駄目ですか? 本当にもう、取りかえしがつかないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
米倉、厚子の必死の目、とし江のすがるような目を見る。
ポツンという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「――おたがい、ウエディングドレスって年じゃないからねえ。まあ、指輪ぐらいにしとくか」
とし江「トモさん……」
厚子「――お母ちゃん……」
米倉「そうだ(良司に)指輪もあったの?」
厚子「指輪――」
[#ここで字下げ終わり]
良司、テレながら中から、エンゲージリングをとり出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
良司「ハナシがスンナリいったら出そうと思ってたんだけど――」
厚子「これわたしに!」
良司「決まってるだろ」
厚子「――お母ちゃん――いい」
とし江「(うなずく)」
厚子「あれ、反対するかと思ったら」
[#ここで字下げ終わり]
良司、びっくり箱のヘビをしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「びっくり箱でおどかされて、どうかしちゃったんだ」
とし江「(涙の目で笑う)」
厚子「じゃもうひとつ、びっくりさせてあげようかな」
三人「?」
厚子「あたし、赤ちゃん、出来てンだ」
[#ここで字下げ終わり]
良司、あわててびっくり箱のフタをあけてしまう。
またとび出すヘビ。
しかし、今度はとし江はびっくりしない。
鼻先のヘビを押しのけ、厚子に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「ほんとかい」
厚子「(うなずく)」
とし江「赤ちゃん……」
厚子「怒ってンでしょ」
とし江「――やだねえ。お母ちゃん、オヨメさんになる前に、おばあさんになっちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
泣き笑いのとし江。
●路地[#「路地」はゴシック体]
小塚家の出棺をならんで見送るとし江、厚子、米倉、良司。
手を合わせたり、おじぎをしたりしながら、それぞれ、隣りに囁《ささや》きかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「(良司に)厚子さんおねがいしますよね」
良司「(うなずく)」
厚子「(米倉に)お母ちゃんをよろしく」
米倉「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●信越線・車中[#「信越線・車中」はゴシック体]
向い合った座席で眠る厚子。
安らかな寝顔。
じっとみつめる良司。
厚子の指輪をはめた手が膝《ひざ》の上のみかんを支えている。
眠りが深くなったのか手がゆるみ、みかんが落ちそうになるのを良司、支えてやる。
ジャンパーを脱ぎ、腹のまわりにやさしいしぐさでかけてやる。
●岸本家・茶の間[#「岸本家・茶の間」はゴシック体]
ミシンを踏んでいるとし江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「お茶でもいれましょうか」
[#ここで字下げ終わり]
うしろをふり向いて、ハッとなる。
食卓に坐って履歴書を書いている米倉。
とし江、茶の支度をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「住所ね、アパートの方じゃなくて、ここでいいんじゃないんですか――」
米倉「――勤めが決まってから、そうするよ」
とし江「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
茶筒のそばにびっくり箱。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「びっくり箱か」
とし江「――いろいろまあ、びっくりすることばっかり」
米倉「あっちの方がもっとびっくりしたろ」
[#ここで字下げ終わり]
とし江、うなずいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「人間なんて、フタ開けりゃ、何が飛び出すか判んないもんなのねえ」
米倉「だから面白いんじゃないか」
とし江「これから先も、あるかしらねえ、びっくりすることが」
米倉「死ぬまであるさ」
とし江「あ」
米倉「何だい」
とし江「びっくり箱って英語で何ていうんですか」
米倉「びっくり箱ねえ、ウーン。なんかで見たなあ、ええとねえ、ええと――ウム――そうだ、JACK――IN――THE――BOX」
とし江「ジャック・イン・ザ・ボックス」
米倉「ジャックはスペードのジャック、日本でいやあ、太郎だな」
とし江「ジャック」
米倉「JACK――」
とし江「ジャック・イン・ザ・ボックス」
[#ここで字下げ終わり]
言いながらたどたどしくスペルをならべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「ひとつ覚えた」
[#ここで字下げ終わり]
書き終って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
とし江「どんな子が生れるかしらねえ」
米倉「これも飛び出して見なきゃ判らんさ」
とし江「びっくり箱と同じ――か。あら」
米倉「うん?」
[#ここで字下げ終わり]
びっくり箱のフタの具合がおかしくて、開かない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
米倉「どら」
[#ここで字下げ終わり]
と手をのばした拍子にポンと開き、ヘビが、二人の寄せた顔の前にシュッと飛び出す。
ワッとなる二人の顔のストップモーション。
この作品は昭和六十一年三月新潮文庫版が刊行された。