家族熱
向田邦子
[#表紙(表紙.jpg、横200×縦200)]
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●本文中の記号の意味は左記の通りです。
SE(音響効果) F・O(ゆっくり消えていく) N(ナレーション)
家族熱
東京放送で14回連続放映
昭和53年7月7日〜10月6日
●スタッフ[#「スタッフ」はゴシック体]
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制作      大山 勝美
プロデューサー 鈴木 淳生
演出      服部 晴治
福田 新一
テーマ音楽   ローズマリー・クルーニー
「クローズ・ユアー・アイズ」より
音楽      告井 延隆
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●主なキャスト[#「主なキャスト」はゴシック体]
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黒沼謙造    三国連太郎
黒沼朋子    浅丘ルリ子
黒沼杉男    三浦 友和
黒沼竜二    田島 真吾
黒沼重光    志村 喬
片桐恒子    加藤 治子
島田泉     風吹ジュン
梅沢時子    吉行 和子
門倉孝輔    伊藤 孝雄
尾崎松子    宝生あや子
根岸むつ子   中原 京美
玉木専務    河村 弘二
玉木洋子    中川 七瀬
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●タイトル・バック[#「タイトル・バック」はゴシック体]
「ブラームスの子守唄」(ローズマリー・クルーニー唄)をバックに、黒沼家二十七年の歳月を示す家族の記念写真・スナップ。
謙造と前妻|恒子《つねこ》の結婚式。
長男杉男のお宮|詣《まい》り。
長男におっぱいをのませる恒子。
長男杉男と次男竜二の七五三(恒子と)。
十歳の杉男と母に甘える六歳の竜二のスナップ。
祖父重光、祖母かね、謙造、長男、次男そして生まれたばかりの長女を抱いた恒子。
写真を引きはがしたあとの空白のアルバムがめくられて――。
謙造と新しい妻|朋子《ともこ》の結婚式。
祖母の葬儀。
鯨幕《くじらまく》の前にならぶ重光、謙造、朋子。
成人した杉男と竜二。
竜二だけがそっぽを向いている。
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](早朝)
蝸牛《かたつむり》が「黒沼謙造」の表札の上を、ゆっくり這《は》っている。
雨上りの夏の朝。
タクシーが停る音。ドアを開閉して、走り去ってゆく。
黒沼杉男(26)が、精魂尽き果てたという感じで帰ってくる。
ポストから、二、三種の朝刊を抜き取り大きな牛乳ビンを抱えて、ドアの前へ。
ポケットから鍵《かぎ》を出し、ドアを開ける。
ギイッときしむドア。
入りかけて牛乳ビンを落してしまう。
烈しい音、飛び散る白濁した液体。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](早朝)
ベッドで目をあける朋子(33)起き上ろうとする。
かたわらに眠る夫の謙造(50)。
目を閉じたまま、朋子に腕を廻す、朋子、振りほどいて起きてゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](早朝)
大きなガラスの破片を始末している杉男。
浴衣の衣紋《えもん》をつくろいながら、階段をかけおりてくる朋子の素足。
寝乱れた髪。年よりやつれてみえる素顔がかえってなまめかしい。
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杉男「ただいま」
朋子「――やりつけないこと、するから――みなさい」
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朋子、杉男の手から割れたガラスを取りながら、
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朋子「手術、うまく行かなかったの」
杉男「手術はうまく行ったンだけどね、意識戻らないのが一人いて」
朋子「女?」
杉男「男」
朋子「ずっとついてたの?」
杉男「――ポカッと目開いて、『本当に手術終ったんですか? 今、何時?』――みんな不思議に同じこと聞くなあ」
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あくびをしながら片づけようとする杉男をとめて、
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朋子「いいから寝なさい」
杉男「うん」
朋子「何時まで寝られるの」
杉男「オペ、十一時から……九時」
朋子「起してあげるから(言いかけて)――あら」
杉男「――」
朋子「徹夜すると、杉男さんでも、ヒゲ、伸びるのね」
杉男「――」
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杉男、階段を上りかけて、
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杉男「お母さん」
朋子「?」
杉男「ほどけてる――」
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あわてて締めた半巾帯がほどけかけている。
ゆっくり上ってゆく杉男。
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杉男(N)「母と呼んだが、母ではない。血のつながりのないこの人を母と呼ぶようになったのは、十三年前からだ」
ガラスの破片を片づける朋子。
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●杉男の部屋[#「杉男の部屋」はゴシック体](早朝)
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杉男(N)「この人を母と呼ぶことで家に新しい平安がくる、そう思って呼んだ時期もある。僕と弟をおいて家を出て行った生みの母に、別れの言葉をたたきつける代りに、そう呼んだ時期もあった。今は違う。七つも年の違わないこの人を、母と思いたくない、そういう気持をいじめるために、わざとお母さんと呼んでいる」
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ベッド・カバーもめくらず倒れ込む杉男。
枕もとに麻酔関係の医学専門書。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](朝)
窓をあける朋子。
レースのカーテンが風でゆれ、小鳥の声が一斉に入ってくる。
ベッドで薄く目をあける謙造。
朝の身仕舞をする朋子。
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謙造「杉男、帰ってきたのか」
朋子「もうくたくた。一日に三つも手術なんて、人間の限界、越えてますよ」
謙造「手術ったって、奴が執刀するわけじゃなし」
朋子「あら、執刀医より麻酔医の方が、料金だって保険の点数だって高いんですってよ」
謙造「奴のことになると、くわしいな」
朋子「あなたは何にも話して下さらないもの。何とか大橋を掛ける工事の入札をどうとか、ぐらいで」
謙造「うちの人間に仕事のはなししてるうちは、男も半人前だよ」
朋子「――じゃあ、竜二さんは立派な一人前ってわけね」
謙造「――」
朋子「全然しゃべらないもの。
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[#1字下げ]勉強さぼってアルバイトばっかりして――それも、何のアルバイトしてるか、ひとことも言わないのよ」
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謙造「そういう年頃なんだよ」
朋子「本当の母親だったら、こうじゃないわ」
謙造「いやあ、もっと、言わないね」
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謙造、妻の機嫌を取るように、妻に触れる。
朋子、さっと枕を引っぱり、枕カバーをはがす。
●竜二の部屋[#「竜二の部屋」はゴシック体](朝)
若い母に抱かれオッパイをのんでいる赤んぼうの写真。
ヨウカン色に変色した小さな写真。
ベッドにねそべって見ている竜二。
SE ノックの音
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朋子「竜二さんあけるわよ」
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すばやくサイド・テーブルの引出しに仕舞う竜二。
ドアをあける朋子。ベッドに、裸でうつ伏せになっている竜二。
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朋子「竜二さん、ぼつぼつ起きて――」
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言いかけて、裸体の竜二に気づき、少しひるむ。
が――全然気にしていないといった感じで、
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朋子「みんなと一緒にごはんすませてくれないと、片づかなくて、あと、お母さん大変なのよ。ね。それから、シーツと枕カバー、とりかえるから、出しといて」
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身動きをしない竜二。
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朋子「判ったの、竜二さん! 枕カバーと」
[#ここで字下げ終わり]
言いかける朋子の口をふさぐように、朋子にパンヤの大きな枕をほうりつける竜二。朋子、そんなことは朝メシ前という感じで、パッと受ける。
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朋子「ナイスキャッチ!」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](朝)
青竹を踏んでいる老人の素足。重光(72)である。
朋子がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「一、二、一、二」
朋子「おはようございます」
重光「一、二、一、二」
朋子「おじいちゃま、シーツと枕カバー」
[#ここで字下げ終わり]
シーツと枕カバー、浴衣のわきに、たたんである。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「いただいてきます」
重光「その、縞《しま》の半袖な、あしたまでにたのむ」
朋子「あした、ですか」
重光「これが一番、似合うって言うんだよ。糊《のり》、きつめにな」
朋子「はい――」
重光「一、二、一、二」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、持って出る。廊下でシャツの胸に何か入っているのに気づく。とり出すと定期入れ。
老婦人の写真(尾崎松子62歳)人品のいい行き届いたやや権高な感じ。重光の青竹を踏む(一、二、一、二)声がダブる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「茶飲み友達だろう」
朋子(声)「でも、ここのところ、毎日|逢《あ》っているみたいよ。尾崎さん尾崎さんて、おじいちゃま、夢中ですもの」
[#ここで字下げ終わり]
●洗面所[#「洗面所」はゴシック体](朝)
夫のガウンをたくし上げたりして世話をやく朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――おじいちゃま、このうちに入れるつもりじゃないのかしら」
謙造「うちに入れる?」
朋子「正式に――(再婚)」
謙造「おい」
朋子「もいっぺん、お姑《しゆうとめ》さんの苦労するのかなあ」
謙造「冗談じゃないよ」
[#ここで字下げ終わり]
庭の方から、ゴルフのボールを打つ音。
●庭[#「庭」はゴシック体](朝)
クラブを振って、ひもにつけたボールを打っている重光。
●杉男の部屋[#「杉男の部屋」はゴシック体](朝)
ボールを打つ音を聞いている。目を開いて天井を見ている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「こういうときは体中が耳になったように、家中の音が聞こえてくる。確かにこの家には問題がある。じいちゃんは老いらくの恋を始めたし、おやじは橋の入札のことしか考えていない。弟のつっかかる態度は益々《ますます》烈しくなっている。しかし、完全無欠の健康体というものがないように、完全な家庭というものもあるはずがない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]コーヒーのにおいが流れてくる。まずは平和な家庭の朝だ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「おじいちゃま! 竜二さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●洗面所[#「洗面所」はゴシック体](朝)
謙造がひげを剃《そ》ろうとしている。朋子が朝の食卓を整えている気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「竜二さん! ごはんよォ、起きて頂戴!」
[#ここで字下げ終わり]
重光が鼻唄まじりに割り込んで、謙造を押しのけるように手を洗う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「つきあうのもいいけれど――年、考えて」
重光「え?」
謙造「茶飲み友達でとめといたほうが」
[#ここで字下げ終わり]
重光、みなまで言わせず反撃に出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「あ、あぶない橋、渡ってるんじゃないのか」
謙造「え、そりゃ橋の入札じゃ苦労してるけど、別にアブなかァないよ」
重光「そのはなしじゃない。――逢っているんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
重光、湯気で曇った鏡に、「恒子」と指で書く。
消そうとする謙造。
消させまいとする重光。
うしろを通りかかる朋子。
二人の男、泡食って消す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「馬鹿馬鹿しい。朝っぱらから何をいうかと思えば、第一、居所も知らない人間(言いはる)」
重光「大阪の『つる川』という料亭で、仲居頭をしとるそうじゃないか。知らんこと、あるまい」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、改めて字を消す。
盛大に湯を出す。
また鏡がくもる。
回想・SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「お久しぶりでございます。……片桐恒子です」
[#ここで字下げ終わり]
謙造の顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「仕事のことで、お耳に入れたいことがございます」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・料亭[#「回想・料亭」はゴシック体]
向い合う謙造と前の妻片桐恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「日枝《ひえだ》建設の黒沼――公団のおえらい方のお座敷で、名前を聞いた時は――背中に電気が走りました。忘れよう。一生思い出すまい。もう私には縁のない名前だ。そう思っていましたのに」
謙造「――連中、何って言ってた」
恒子「日枝建設は、黒沼って若僧が担当だが、まあ、脈はないね」
謙造「その通り。この入札をものにすれば、役員昇格は間違いなし。四角い……ピーナッツも、用意したんだが……どのサルに、差し上げたら、いいか……皆目、見当がつかなかったんだ――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、バッグから封筒を出して、テーブルにのせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「のどから手が出るほど、欲しかった――」
[#ここで字下げ終わり]
頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「―――」
謙造「十三年ぶりか」
恒子「十四年……」
謙造「―――」
恒子「胃潰瘍《いかいよう》、大丈夫なんですか」
謙造「このところ、納まってる」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、たばこをくわえる。恒子、馴《な》れたしぐさで、謙造の掌を包み込むように、マッチをつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「はじめてだな、火、つけてもらうの」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、マッチの火を消す。封筒を押しやりながら。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「渋谷で、バーをやらないかというおはなしがあるんです」
謙造「渋谷はどのへん」
恒子「宇田川町――」
謙造「………」
恒子「子供たち、元気ですか(封筒を押しやる)」
謙造「―――」
朋子(声)「グレープフルーツ、そのまま、あがります?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](朝)
朝の食卓を整えながらグレープフルーツの皮をむき、口にほうり込んでいる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「それとも、ジュースにします?」
[#ここで字下げ終わり]
謙造くる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ちょっと傷んでるからお先に(あたしの)おなかの中に捨てております」
[#ここで字下げ終わり]
わざとパクパク食べる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「そんなにいっぱい口に入れて、酸っぱくないのか」
朋子「(声をひそめて)この頃、バカにこういうものが食べたくて」
謙造「―――」
朋子「実はね、生れるの」
謙造「朋子……」
朋子「いっぺん、言ってみたかったの」
謙造「冗談か」
朋子「ほっとした顔してる」
謙造「成人式の時、父親が七十じゃ、生れる子供が可哀そうだよ」
朋子「そうかしら。あたしはステキだと思うけど」
[#ここで字下げ終わり]
夫婦、口をつぐむ。竜二が、出てくる。
時計が九時を告げる。
竜二、電話を気にして離れない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん、顔、洗ったの?」
竜二「―――」
謙造「竜二。お前、耳が悪いのか」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朝刊をひろげながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「聞こえてるんなら、返事ぐらいするもんだ」
竜二「質問が、くだらなすぎるんだよ。聞くならもうちょっとマシなこと(言いかける)」
謙造「そこがいいんじゃないか。うちってのは、会議室じゃないんだぞ。『顔洗ったか』とか『目やにがついている』とか――くだらないこと、言うところによさがあるんじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
バサッとひっくりかえして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「間のぬけたはなし、してるってことは、家庭が平和な証拠だよ」
杉男「いいこと言うなあ」
[#ここで字下げ終わり]
起きてきた杉男。
父の新聞をスーと抜く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら、杉男さん、もう起きたの」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、ハッチの奥にあるりんごを取ってかじる。
SE 電話が鳴る
竜二、りんごをおっぽり出すようにして受話器にとびつくが、先に朋子が取っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます」
[#ここで字下げ終わり]
沈黙。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「モシモシ、黒沼ですが」
[#ここで字下げ終わり]
竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造。
●恒子[#「恒子」はゴシック体]
受話器を手に、こわばる恒子。
恒子、咄嗟《とつさ》に、若い女の声を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「竜二さん、いるゥ?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・茶の間[#「黒沼家・茶の間」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どなた様」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、近寄ってきた竜二に、受話器を手渡す朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「モシモシ。オレ、うん、うん」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朋子。
杉男、うしろから重光。
竜二、一同の視線をからかうようにわざと甘い声で話す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「じゃあ、四時に、うん、じゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
電話切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ガールフレンド?」
[#ここで字下げ終わり]
言ってからハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あ、いけない、また、下らないこと、聞いちゃった」
竜二「そうでもないよ」
朋子「えっ?」
竜二「いい質問だよ」
朋子「あら、そおう。――じゃあ、年、いくつ」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「名前……」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、烈しく笑って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「当ててみな」
朋子「無理よ、見当もつかないわ」
謙造「………」
重光「………」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、烈しく笑いながら兄の肩をどやす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「あとで紹介するよ」
朋子「あら、あたしには、紹介してくれないの」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●恒子[#「恒子」はゴシック体]
恒子、受話器をそっと置く。
●黒沼家・茶の間[#「黒沼家・茶の間」はゴシック体](朝)
家族|揃《そろ》った朝食。
朋子、バターを竜二にとってやる。竜二わざと無視して自分でとる。杉男、さりげなく母をかばう。
急に笑い出す竜二。重光、謙造のとがめるような目、その視線が少し気になる杉男。明るく、まめまめしく世話をやく朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「この人は痛々しいぐらいに気を遣う。その気遣いをことごとに弟ははね返す。その小さな仕草の一つ一つに傷ついているくせに、全く気づかないふりをして明るく振る舞っている。妻におやじは一言も言わない。これがこの十三年続いている、わが家の食卓の情景なのだ」
[#ここで字下げ終わり]
●勝手口[#「勝手口」はゴシック体]
洗濯をする朋子。
枕カバーやシーツを干している。
キビキビ働く朋子。
●外科医局[#「外科医局」はゴシック体]
オペを終ったらしい杉男や先輩の医師達がもどってくる。
看護婦の根岸むつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「黒沼先生、お客さまです」
杉男「だれ」
むつ子「弟さん」
[#ここで字下げ終わり]
ソファから、ヌーと立つ竜二。
●外科・廊下[#「外科・廊下」はゴシック体]
杉男と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「珍しいじゃないか。どうしたんだ」
竜二「―――」
杉男「小遣いでもたかりにきたんだろ」
竜二「一時間なら抜けられるだろ」
杉男「いや、ちょっと人と逢う約束」
竜二「こっちも約束があるんだよ。どうしても逢ってほしいんだ」
杉男「―――」
竜二「オレ、今晩にでもうち出て、あのひとと、同棲《どうせい》するつもりだからさ」
杉男「同棲……おい、竜二、お前」
竜二「顔見たいだろ。オレがどんな女に惚《ほ》れたか、顔見たいだろ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
渋谷、宇田川町のバー小路を先に立ってゆく竜二、あとからついてゆく杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「学校出てからだって、間に合うだろ。第一、どうやって暮してくんだ」
竜二「―――」
杉男「年はいくつなんだ。喫茶店か? バーにつとめているのか」
[#ここで字下げ終わり]
バー「ブーメラン」のドアの前で、立ちどまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「ブーメラン」
竜二「知ってるだろう」
杉男「オーストラリア原住民か? 古い武器だろ。こんなかっこしてほうると、エモノ倒して、ぐるっと廻って、もどってくる」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、いきなりドアをあけ、杉男の背中を烈しく押す。
中へとびこんでしまう杉男。
地味な品のいいつくりの小さなバーのカウンターで、グラスをみがいていた恒子の前にとび出す形となる。
恒子と二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――杉男」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、凍ったように棒立ち、強い視線で母をにらみつける。
恒子が何か言いかける。
次の瞬間、杉男は身をひるがえして、飛び出そうとする。
竜二、兄の体をうしろから羽交じめにして、恒子の前へ押し出す。体をくっつけさせる。
烈しく争う兄弟。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どうして、逃げるんだよ」
杉男「―――」
竜二「どうして顔見ないんだよ! どうして、ハナシ、しないんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、弟を殴り倒して、出てゆこうとする。
竜二、烈しく抗《あらが》い、兄の体を母の方へ、ほうりつけるようにして、表へとび出す。
杉男も出ようとするが、竜二が表からドアを押しているらしくて、あかない。
恒子が言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「顔見せなくてもいい――ハナシ、しなくてもいいから――そこに、すこし、いて頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
杉男の横顔から肩から足の爪先まで視線が、いとおしむように――
立ちつくす杉男。
向う側でドアを押さえている竜二の嗚咽《おえつ》が聞こえる。
恒子の目から大粒の涙がポタポタと落ちる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「胸の底から熱くて大きな塊がつきあげてきた。母が出て行った日から胸の中に大きな粘土の塊ができた。それは怒りと憎しみの冷たい塊だと思ってきた。ところが、それは今は、愛しさと懐しさの熱い塊となってオレを裏切っている」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・庭[#「黒沼家・庭」はゴシック体]
ゴルフ・クラブの手入れをしながら、謙造と秘書の水村頼章が声をひそめて話している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
水村「あの情報、どこから、手に入れられたんです」
謙造「―――」
水村「部長」
謙造「言わぬが花」
水村「どう考えてもルートが判らないって、もっぱらの評判ですよ。あ、奥さん――お早うございます」
[#ここで字下げ終わり]
冷たいものをもってくる朋子。
二人の男、とたんにくつろいだ調子に変って――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「水村さんも大変ねえ、土曜だっていうのにコキ使われて――」
水村「こういう人使いの荒い部長の下についたのが運のツキですよ」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、離れる。
二人、またもとのヒソヒソばなしに戻って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「クスリは利いたかい」
水村「実弾は強いデス」
謙造「―――」
水村「入札が決まったら、部長、次期役員間違いないですよ」
謙造「―――」
水村「それにしても、どこであの凄《すご》い情報」
謙造「言わぬが花だ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子がのんびりと声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「西瓜《すいか》、あがります?」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、これものんびりと、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「タネが面倒くさいからいいや、それからな、あとで、水村君と、一汗かきにいくから」
朋子「ゴルフ? 練習場ですか」
謙造「クツ、出しといてくれ」
[#ここで字下げ終わり]
また、そばへゆきながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「藤棚どうします? 植木屋さん、夕方くるってことになってるでしょ」
謙造「任せるよ」
朋子「だって――」
謙造「うちにいる時間はアンタが一番長いんだから」
水村「甘いなあ、甘いなあ」
朋子「やあねえ――」
[#ここで字下げ終わり]
玄関に、気配。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
汗ダクで帰ってくる重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お帰りなさい。すごい汗。日がかげってから、お出になればいいのに」
重光「夏は日なたを行け、
[#ここで字下げ終わり]
冬は日かげを行け」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「なんですか、それ」
重光「そのくらいの元気がなけりゃダメだってこと、どうだい」
[#ここで字下げ終わり]
弾んで、自分の頭を示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「頭どうかなすったんですか」
重光「――床屋へ行ったんだ」
朋子「あ――すみません」
重光「誰か(きてるのか)」
朋子「会社の水村さん」
重光「土曜は休みじゃないのか」
朋子「入札が大詰めにきてるからでしょ」
重光「これ、入っとった」
[#ここで字下げ終わり]
重光、封筒を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「それから、夕方から――尾崎さんがお見えになる。手落ちのないように――」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
茶菓の支度をしながら、高校の同窓会の写真を見る朋子。
十四、五人の中で一人だけ地味な黒っぽい和服姿の朋子。
隣りに、キリッとしたOL風の時子。
仕事の手を休めて、そえられた手紙を読む朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子(声)「同窓会の写真同封します。地味づくりもいい加減にしなさいよ、クラス一の美女が、十も老けてみえるじゃないの」
朋子「――五十の亭主と二十六の息子がいるんだもの、しかたがないでしょ」
時子(声)「それにくらべて、私の若さ。夫運ナシ、子供運、勿論《もちろん》ナシ、仕事運大いにありの中年女は、まだ青春のまっただなか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]老け込んでなんかいられません。私を見習うべし。マンションへ越しました。夜はたいていおります。一度、のぞいて下さい。待ってます。
[#1字下げ]梅沢時子――」
マンションの地図と番地。
SE 呼びリンが鳴る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
すっとんで離れへゆく朋子。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
重光。
小走りにくる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ハーイ!」
重光「花を片づけなさい」
[#ここで字下げ終わり]
床の間に花、小机に、尾崎松子の写真が飾ってある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「いけたばかりですけど」
重光「心得のない客なら、これでも仕方がないがね、尾崎さんは、遠州流のおゆるしをお持ちだ」
朋子「――はい」
重光「あ、いい、このままにしておこう」
朋子「でも」
重光「いけ直していただくといい」
朋子「――はい」
[#ここで字下げ終わり]
重光、言いながら、ガラス戸に己れの顔をうつして、髪など直している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「はい」
重光「ひとつ屋根の下に住んで、おそわった方が、アンタのためにもいいなあ」
朋子「あの――」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「お見えになった!」
[#ここで字下げ終わり]
重光、朋子を突きとばすように玄関へ。
はずみで、小机の写真が倒れる。
朋子、直して、とんでゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
スリッパのまま、土間へ。
ドアのあて金を外そうとあせる重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「いやいや、お待ちしておりました。ごらんの通りのあばら屋で、お恥かしいんだが、どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
あかないので、朋子、手をかして、やっとあく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「おはこびをいただいて、光栄です」
朋子「おじいちゃま」
[#ここで字下げ終わり]
立っているのは、若い娘、島田泉(22)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「お母さま――」
朋子「は?」
泉「泉です」
朋子「泉さん……」
泉「島田泉です」
朋子「―――」
泉「私のこと、杉男さんからお聞きになってません」
朋子「――(いいえ)杉男さんのお友達でいらっしゃる」
泉「二年前から、つきあってます」
[#ここで字下げ終わり]
重光、じろりと見て、奥へ引っこんでしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん、まだ、病院ですが」
泉「あたし、すっぽかされたんです。オペ終ったらお茶のもうって――一時間たっても、約束の場所にこないんです」
朋子「――急患があったんじゃないかしら、ごめんなさいねえ」
泉「文句、言いに来たんじゃないんです。お母さまの顔、見にきたの」
朋子「―――」
泉「あたしたち、とてもステキなおつきあい、してるんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
泉、少し酔っているらしい。
キラキラした目を上げて、せいいっぱいの微笑を浮かべながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「月に二度か三度、映画見たり、ごはん食べたりするんです。手、握ったり、キスしたりなんてとんでもない。オハナシはいつもお母さまのことばっかし――ご清潔でしょ。二年間、ずっとですよ。今どき珍しいでしょ」
朋子「お酒、のんでらっしゃる――」
泉「ビール、ジョッキに(三本指)あたしね、友達に、アンタに魅力ないからだって、言われたんです。そうかなあ、あたし、ナミだと思うけどなあ、そいでね、エイッて決心して、お母さまのこと見にきたんです」
[#ここで字下げ終わり]
フラフラしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「今度、杉男さんがいる時、いらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
泉が何か言いかけた時、烈しい勢いで、ドアが開く。
とびこんできた竜二。
泉、つきとばされて、朋子の足許《あしもと》に手をついてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「杉男さん」
朋子「――竜二さん。次男の――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、泉をチラッと見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お客さま突きとばしといて。お詫《わ》びどしたの。申し訳ありません」
泉「(朋子に)あたしの名前、覚えていただけました?」
朋子「え? あ――」
泉「泉です」
朋子「泉さん」
泉「島田泉です。おじゃましました」
[#ここで字下げ終わり]
出て行く泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけた時、電話のベル。
SE ベル
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
小走りにかけ込んで、受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます」
尾崎(声)「恐れ入りますが、重光様、おいでになりますか」
朋子「どなた様――」
尾崎(声)「――尾崎と申します」
[#ここで字下げ終わり]
そばに来ている重光、ひったくるように受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「どうされました。お待ちしておりますが」
尾崎(声)「申しわけございません。伺うつもりでおりましたんですが、どうも夏風邪をひいたようで」
重光「そりゃいけませんなあ、お熱は」
尾崎(声)「大したことはないんですが、伜《せがれ》夫婦が、なんですか大事をとりまして、出してくれませんの」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、竜二が大きなボストン・バッグをもって、おりてくるのを見つける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん――」
重光「お見舞いに伺いましょう。はあ、では嫁を代りに――はあ、何か、召し上りたいものを――ご遠慮なくおっしゃっていただきたい」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、竜二が気になって、あとを追う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「――あ、朋子――」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夕方)
竜二を追う朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん、ちょっとお待ちなさい」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、わざと朋子をかまうように、廊下の角に待ち伏せたりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん!」
[#ここで字下げ終わり]
朋子のうしろから追いすがる重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「すまないが、すぐ、見舞いに行ってもらいたいんだ」
朋子「尾崎さんだったら、団地にお住まいなんでしょ、かえって、ご迷惑じゃないんですか」
重光「自分の姑になるかもしれん人間ですよ」
朋子「――おじいちゃま、あたし、そんなおはなし、何にも伺ってないんですけど」
重光「いちいち、アンタに相談しなきゃ、決められんのか」
朋子「おじいちゃま」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、竜二が納戸に入るのを見る。あとを追って納戸へ。
●納戸[#「納戸」はゴシック体](夕方)
ボストン・バッグを入口に置き、納戸の奥で、何か探しものをしている竜二。
入口から呼ぶ朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん、竜二さん」
[#ここで字下げ終わり]
古い箱のかげから顔を出す竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「うちのもの持ち出すのなら、お父さんのいらっしゃる時にして頂戴」
竜二「―――」
朋子「お母さん、前から気がついていたけれど、だまってたのよ。コソコソ泥棒みたいなことして情ない。お金がいるんならいるって、どしてハッキリ言わないの」
竜二「他人に言ったってしかたないもんね」
朋子「他人……」
[#ここで字下げ終わり]
●門[#「門」はゴシック体](夕方)
物かげに、じっと立って待っている泉。
思いつめた顔で、急ぎ足で帰ってくる杉男。
泉、期待するが、杉男、泉に気づかず入ってゆく。
●居間[#「居間」はゴシック体](夕方)
入ってくる杉男。誰もいない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二(声)「あけてみりゃいいだろ」
[#ここで字下げ終わり]
●納戸[#「納戸」はゴシック体](夕方)
朋子ともみあう竜二。
ボストン・バッグの中を改める朋子。
中から下着やスニーカーがころがり出す。
杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「みろよ! さがしてたのは子供の時の成績表――」
朋子「杉男さん、竜二さん、うち、出てくっていうのよ。うち出て、好きな女のひとと、一緒に暮すっていうのよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、成績表、図画などをボストン・バッグの中に叩きこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「出てきたかったら、出てけよ」
朋子「杉男さん、どうして、とめないの。竜二さん、まだ学生なのよ。そんな人とつきあってることも、一言も言わなかったじゃないの。母親として、顔もみたこともない、名前も知らない人と」
竜二「顔はみたことないけど、名前は知ってんじゃないかな」
朋子「―――」
杉男「片桐恒子」
朋子「―――」
杉男「――おふくろだよ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「一生、子供たちには逢わないって約束で出てったと――子供たちにも、そう約束させたって、あたし、それ信じて――」
杉男「――裏切った奴は、出て行けばいいんだよ」
竜二「そんなら、みんな出なきゃなんないじゃないか。おやじも」
朋子「逢ってたの」
竜二「兄貴も――な、ついさっき、な」
杉男「知らなかったんだ。まさかおふくろだなんて思わないでお前のつきあってる女の子だとばっかり」
竜二「うちは、みんな出てかなきゃなんないよな」
朋子「出るのは、あたしよ」
杉男「お母さん」
朋子「(笑ってしまう)別の人、呼んでるみたいに聞こえるわ。フフフ。十三年間、ドブに捨てちゃったなあ――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、出てゆこうとする。
体当りでとめる杉男にハッキリと、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どいて頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく朋子。
●ゴルフ練習場[#「ゴルフ練習場」はゴシック体](夜)
水村が打っている。
すぐうしろのデッキ・チェアに腰をおろしてひと休みの謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「調子悪いじゃないか」
水村「気になることがあると、駄目なんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
水村、手を休めて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
水村「情報源は、一体、どこなんです」
謙造「言わぬが花、と言ったろ」
[#ここで字下げ終わり]
口とは裏腹に、謙造。
謙造の隣りの椅子に腰をおろしているゴルフ・スタイルの恒子に意味のある視線を送る。
水村、気づいて、「?」となる。
小さく会釈を返す恒子。
●街[#「街」はゴシック体](夜)
歩く朋子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
小型テレビが大家族のホームドラマを流している。
ソファにねそべってウイスキーをのみながら、ぼんやり見ている、ムームースタイルの時子。
SE ドア・チャイム
バネ仕掛けのようにはね起きる時子。
小走りにドアにかけ寄り、のぞき穴からのぞき、ほっとしてドアをあける時子。ボストン・バッグをさげた朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「どなたァ? びっくりするじゃない。電話ぐらいかけて来りゃいいじゃないの」
朋子「いいとこじゃない? 賃貸? 分譲?」
時子「人のことより、どしたのよ(ボストン・バッグを見ながら)」
朋子「もらっていい?」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ウイスキーをとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「うち、出てきたの」
時子「愛されているあなたが何言ってるの」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ホームドラマのスイッチを消す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「今晩だけでいいの。泊めてくれない」
時子「――悪いけど」
[#ここで字下げ終わり]
時子、言いかけた時、
SE ドア・チャイム
チャイム、つづけて三つ鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ハーイ! ちょっと待って!」
[#ここで字下げ終わり]
時子、ひどくあわてる。大急ぎでテレビの上のムチ打ち用のギブスをはめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どうしたのよ」
時子「今晩はこないって言ってたじゃないよォ」
朋子「ねえ、どしたのよ。あんたムチ打ちだったの」
[#ここで字下げ終わり]
時子、ウイスキーを片づけて、ドアをあけかけて、やめ、朋子の胸倉を取って低く囁《ささや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「あなたからは、ひとこともしゃべらないで」
朋子「………」
[#ここで字下げ終わり]
時子、ドアをあける。
門倉孝輔が入ろうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「悪いけど、たばこ、買ってきて」
朋子「………」
門倉「たばこ?」
時子「友達、来てるのよ、たばこ、切れて――困ってたの。セブンスター二つ、下の自動販売機――ごめんなさい」
[#ここで字下げ終わり]
門倉の視線をさえぎるようにドアをしめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「――加害者」
朋子「カガイシャ?」
時子「一月前にね、追突されたのよ」
朋子「ああ、その時、ぶつけた」
時子「慰謝料払うっていうから、あたし、いらないって言ったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
時子、ガラガラとうがいをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ムチ打ちが、お酒飲んでいいの? これ、はめてないといけないんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
うがいをする時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「時子。あんた、本当はなおってるんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
鏡台の前で口紅をつける時子。
SE ドア・ノック
時子、急にぎごちない動きになって、姿勢も口のきき方も、硬直する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「(朋子に)あけてくれる」
[#ここで字下げ終わり]
朋子あける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「高校の友達。朋子、門倉さん」
朋子「おじゃま、してます」
門倉「ぼくのうちじゃないですよ」
時子「あら、ぼくのうちじゃないの?」
門倉「――具合、どうなの」
時子「昨日とおんなじ」
[#ここで字下げ終わり]
気まずい沈黙。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「(朋子に)ムチ打ち、なったことはないですか」
朋子「いいえ」
時子「あたしねえ日本中の人にいっぺん味わってもらいたいわねえ。外からみえない病気が一番辛いわね」
門倉「本当に、外からは見えないねえ。二人ならぶと、この人の方がムチ打ちに見えるもんなあ」
時子「―――」
朋子「本当。あたしもムチ打ちだわねえ、ムキになって十三年走ってたら、いきなりうしろから追突されて――ここガーン」
時子「誰に追突されたの」
朋子「前の奥さん……」
門倉「ギブス、貸してあげたらどう? ぼくがこない時は、使ってないんだろ」
時子「―――」
門倉「直ってるのに、つけると『汗モ』になるってさ」
[#ここで字下げ終わり]
時子、いきなりそばの裁ちばさみを手に、門倉にとびかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「アブない!」
門倉「よしなさい! よせ!」
[#ここで字下げ終わり]
もみあう三人。門倉のワイシャツに血。
朋子の手の甲から血がしたたっている。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
謙造に食いさがっている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「何回逢ったの」
謙造「―――」
杉男「何回逢ったんだよ」
謙造「いちいち言う必要ない」
杉男「(立ち上る)」
謙造「――そういう聞き方したら、患者は正直に言わないぞ、医者ならそのくらいのこと、覚えとけ」
杉男「―――」
謙造「何だ、その目は、お前たち生んだ母親だぞ、逢って相談ぐらいしたって」
杉男「相談、子供捨てた人間に、何が判るんだ、あの人が知ってるのは、これくらいと、これくらいの(背の高さ)男の子じゃないか、相談するんなら、十三年育ててくれた人にすりゃいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
部屋の隅で、模型飛行機をいじっている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「オレは、断るね」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
謙造出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「黒沼です。梅沢さん(一瞬判らないのか、すぐ気づいて急に外面のいい声になる)ああ――いつも家内から伺ってるんです」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
電話している時子。少し離れて、門倉に繃帯《ほうたい》を巻いてもらっている朋子。
時子「私の不注意で、けがしてしまったんです」
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
謙造、杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「けが?」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
時子、朋子、門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「大したことありません。ハサミで、手の甲をすこし――」
謙造(声)「モシモシ」
時子「今晩一晩、こちらにお預りします。彼女帰りたくないって――夫婦げんかが出来るひと、羨《うらやま》しいなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
謙造、杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いやあ、お恥かしい。(笑いとばして)恐縮ですが、電話かわっていただけないですか」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、急に、高圧的な物言いになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「すぐ帰りなさい」
朋子「―――」
謙造「なに、ヘソ曲げてるんだ。子供じゃあるまいし」
朋子「―――」
謙造「モシモシ、聞こえてるのか」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「聞こえてます」
謙造(声)「――ヨリをもどしたんじゃないんだよ」
朋子「じゃあ、なんなの――」
[#ここで字下げ終わり]
話しているうちにほどけた繃帯を、体をかがめて結んでやる門倉、少し離れて見ている時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「一家の主婦ってのは小さなことに目つぶって、ゆったり構えてりゃいいんだよ」
朋子「あたし、主婦じゃなかったわ。十三年前に、あなたが欲しかったのは、女中なのよ。奥さんの出てったうちをキレイにして、フトンを干して、病気ばかりしている母親を看病する――夜中にヒキツケ起したり、オネショする男の子の面倒みる、お手伝いが欲しかったのよ」
謙造(声)「馬鹿なこと言うもんじゃない」
朋子「あなたが――あの人とヨリをもどしたから、出たんじゃないんです」
謙造(声)「ヨリをもどしたんじゃないといってるだろ」
朋子「うち中の人が、知ってたのに、あたし一人が知らなかった――いつもと同じだと思って張り切ってパンを焼いたり洗濯してたらいきなりうしろから撃たれてた――裏切られた――そのことが、たまらないんです。そんなことで、もう暮してゆけない――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
謙造、杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「もどりなさい。逢ってじかに話そう」
[#ここで字下げ終わり]
切れる電話。
杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――実家もないのに、どこへゆくんだ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく杉男。廊下に立っている重光。
●杉男の部屋[#「杉男の部屋」はゴシック体](夜)
カバンに簡単に医療器具をつめる杉男。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
朋子と時子、帰り支度の門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あたし、失礼する」
時子「いいのよ。(門倉をあごでしゃくって)ちゃんと帰るうちあるんだから」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、朋子をちょっと見て、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「あたしの方、見ないわ」
[#ここで字下げ終わり]
時子、フフと笑って、ギブスをはずす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「夜明しで飲もうか」
[#ここで字下げ終わり]
SE トントンとノック
顔を見合わす二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉(声)「息子さんが、来てますよ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ドアをあける。
立っている杉男。
●マンション・ガレージ[#「マンション・ガレージ」はゴシック体]
朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「旧約聖書の中に『ロトの妻』のはなしが載っているんだ」
朋子「『ロトの妻』……」
杉男「たしか創世記だったな。悪徳の街ソドムとゴモラを、主は滅ぼそうとしたんだけど、その前に善良なロトという男と、その妻、二人の娘にこう言ったんだ。『逃れて汝の命を救え。ただしうしろをかえりみることなかれ』」
朋子「―――」
杉男「四人は、硫黄と火の降るソドムをあとにして、走り逃れたわけだけど、ロトの妻だけは主の言葉にそむいて、うしろを振り向いてしまったんだ」
朋子「―――」
杉男「ロトの妻は、瞬時にして塩の柱となりぬ」
朋子「塩の柱……」
杉男「黒沼のうちは、腐ってるよ、おやじも、じいちゃん、竜二も――ボクも、――みんな腐ってるよ。お母さんはうしろを振り向かないで、前を向いて走り出した方がいいよ。やり直した方がいいよ」
朋子「―――」
杉男「だって、まだ三十三じゃないか」
杉男(N)「あなたは若い、まぶしいほど美しい。これから恋をして、本当の結婚をすればいいんだ。こう叫びたいのにかろうじてこらえた。――どうしてこんなことを言ってしまったのか、母をひきとめ、呼びもどそうといっても、なんで聖書やロトの妻の話をしたのか、気持というやつはいったん堰《せき》を切るととめどがなくなる。オレはこの母に、本当は何を言いたいのか、自分で自分が恐しくなった」
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
●時子のマンション・寝室[#「時子のマンション・寝室」はゴシック体](朝)
セミ・ダブルのベッドに互い違いに寝ている朋子と時子。
朋子は目をあけて天井を見ている。
右の手に繃帯。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「ヨリをもどしたんじゃないんだよ」
朋子(声)「じゃあ、なんなの」
謙造(声)「一家の主婦ってのは、小さなことに目をつぶって、ゆったり構えてりゃいいんだよ」
朋子(声)「あたし、主婦じゃなかったわ」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・時子のマンション[#「回想・時子のマンション」はゴシック体](夜)
電話している朋子。
手の甲の繃帯のほどけたのを結び直す門倉のねばっこい視線、少し離れたところで見ている時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「十三年前に、あなたが欲しかったのは、女中なのよ。奥さんの出てったうちをキレイにして、フトンを干して、病気ばかりしている母親を看病する――夜中にヒキツケ起したり、オネショする男の子の面倒みる、お手伝いが欲しかったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション・寝室[#「時子のマンション・寝室」はゴシック体](朝)
時子の足が、朋子の顔を蹴《け》っとばす。朋子、のける。
ひとりぐらしの気ままさがうかがわれる散らかった屋内、部屋の隅に積みあげた本など。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「眠れなかったんでしょ」
朋子「ううん、夢も見なかった」
時子「無理して――強がって」
[#ここで字下げ終わり]
時子の足、からかうように、朋子を突つく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――お酒ずい分、飲んだもの」
[#ここで字下げ終わり]
居間のテーブルにウイスキーのビン。グラス。
灰皿いっぱいのすいがら。
ムームーが床にはってかなり酔っぱらった跡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「顔の横に女の足があるって、ヘンな感じ――いいわよ、引っこめなくたって、おたがい様なんだから。やっぱし、結婚してる人は違うなって感心して見てンだから」
朋子「なあに、それ」
時子「カカトがすべすべなのよ――サンダルの季節になりました、レモンの皮でカカトのお手入れをしましょう。なんて、自分の雑誌にはカコミ記事書いてるくせして――自分はやりゃしないのよ。さわってくれる人もいないのに面倒くさいもン」
朋子「言ってる割にゃ、きれいじゃない――あ、そうか、あんたも、出来たわけね」
時子「それ、言いたかったんだ」
朋子「何時」
時子「六時――いつも、今頃、目覚すの」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・寝室[#「黒沼家・寝室」はゴシック体](朝)
ベッドの謙造、うす目をあけて隣りのベッドを見る。
カバーをかけたままのベッド。
SE 目覚し時計が鳴る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子(声)「目覚し?」
朋子(声)「ううん、主人が目さますといけないから、置いてないの」
朋子(N)「妻というのは、主婦というのは、体の中に目覚し時計が入っているのだろうか。うちを出ても朝になるとリーンと鳴って、いつもの時刻に目が覚める」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体]
パジャマ姿の杉男が出てくる。
外を気にしてから、朝刊を抜き取り、牛乳ビンをかかえて入ってゆく。
朝もや。
マラソンの父子《おやこ》が通りすぎる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「新聞を取って、牛乳ビンを抱えて――いつも同じ時刻に通る早朝マラソンの父子に会釈して――、青竹を踏んでいる『しゅうと』に朝のあいさつをする――、身についてしまった朝の習慣を、うちを出たのに、わたしは、気持の中で、反すうしている」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](朝)
青竹を踏む重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「イチニイ、イチニイ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、新聞と牛乳を抱えて立つ杉男に気づいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「――帰ってこなかったのか」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、無言で濡れ縁に朝刊を置いてゆく。
●竜二の部屋[#「竜二の部屋」はゴシック体](朝)
誰もいない部屋、サイド・テーブルの引出しが半開きになって、中から古い写真がのぞいている。赤んぼうにオッパイをのましている若い恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「カーテンを取り替えたり、コーヒー茶碗を新しくして、十三年かかって、前の奥さんの匂いを消したと思っていたけれど――あの人は、次男の引出しの中に、ひそやかに住みつづけていた。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]裏切られていることを知らず、私は、張りきってパンを焼いたりオムレツを作っていた――」
●居間[#「居間」はゴシック体](朝)
そっと電話をかけている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「(囁《ささや》くように、全身で甘えて)アー、オレ――おはよう」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](朝)
起き抜けの恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「竜ちゃん。どうしたの一体」
竜二(声)「あいつ、出ていった」
恒子「あいつ――」
竜二(声)「ゆうべ、出てったよ」
恒子「そういう言い方、よしなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・茶の間[#「黒沼家・茶の間」はゴシック体](朝)
電話している竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「いいの。ゆうべ、出てったんだよ、だからさ、もう電話かけるの遠慮すること、ないって、これからはかけたい時にジャンジャン」
[#ここで字下げ終わり]
いきなりうしろから手がうごいて、受話器を叩きつけるように置く、立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「なにすンだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](朝)
切れた受話器を手に、立っている恒子。
●黒沼家・台所[#「黒沼家・台所」はゴシック体]
赤いほうろうのヤカンがガスにかけてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二(声)「どうして切るんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](朝)
奥へゆこうとする杉男に追いすがる竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どうして切るんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、口を利かない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「いきなり切ることないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
とびかかる竜二と、はらいのける杉男。
竜二、殴りかかる。
もみあう兄弟。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(静かに)かけるんなら、おもてからかけろ」
竜二「なんで! なんでだよ」
杉男「それが家族に対する礼儀ってもんだろ」
竜二「家族って誰だよ。誰と誰だよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、弟をはらいのけて、ゆこうとする。
弟、むしゃぶりつく。
このあたりから謙造、起きてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「血のつながってない人間は家族じゃないよ」
杉男「十三年、一緒に暮せば立派な家族だよ。捨ててった人間よか(言いかける)」
竜二「もう、うち出てったろ」
謙造「うるさいぞ、朝から、兄弟げんかする年じゃないだろ」
竜二「オレに文句いうんなら、そっちにも言ってもらいたいな」
謙造「―――」
杉男「このままでいいの?」
謙造「(新聞をひろげる)」
杉男「(ひったくる)」
謙造「ガタガタさわぐな」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、ホコ先を竜二に向ける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お前は、バカだぞ。逢うんなら、もっと上手にやれ、過激派じゃあるまいし、なにもかも表沙汰にして、派手にぶちこわすこたァないんだ」
杉男「(新聞をひったくって)こっそり逢ってりゃいいの?」
謙造「どこのうちだって、ヤブ突つきゃヘビの一匹や二匹」
竜二「あ、おふくろさん、ヘビ年だよな」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、杉男の手に渡った朝刊をひったくり、竜二のアタマをポカッとやる。年にしては、なかなかすばやい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「逢う必要、ないだろ」
謙造「――しつこいな、お前は、ゆうべから何べん同じこと(出てゆこうとするが立ちはだかる息子に――)男のしつこいのは、嫌われるぞ」
杉男「医者ってのは、しつこいんだよ。しつこくなきゃ、人間は助からないんだよ」
謙造「――ヨリをもどしたわけじゃないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体](朝)
赤いヤカンが烈しく湯気を立てている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じゃあ、何だよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体]
謙造、杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お前がのぼせ上ることないだろ。夫婦のことは夫婦で解決する。お前たちは」
杉男「(にらみつける)」
謙造「いま言うのは、まずいんだよ。もう少し時間がたてば、笑って話す時期が(くるんだよ)」
杉男「言いのがれだよ。――誠意がないよ、二人の人間、天ビンにかけて、ごまかして」
謙造「新聞貸せよ」
杉男「ハッキリすべきだよ。出かけてって、事情説明してもどってもらうか」
謙造「そんな必要ないよ、友達のとこで、二、三日、頭冷して帰ってくるよ」
杉男「帰ってこないよ」
謙造「なに言ってんだ、実家もないのに(言いかける)」
杉男「オレ、帰るなって」
謙造「言ったのか」
杉男「こんなとこ、帰ってきたって不幸になるばっかりだよ」
謙造「何をお前、余計なこと、たきつけたんだよ」
杉男「まだ若いんだから人生やり直したほうがいいんだ」
謙造「おい! 子供の分際で差し出たまね――」
[#ここで字下げ終わり]
重光が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「何か匂うぞ」
三人「え?」
重光「焦げてンじゃないのか」
杉男「アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
四人の男たち、ぶつかりながら台所へ。
●台所[#「台所」はゴシック体](朝)
赤いヤカンが、ガス台で灼《や》けている。
とびこむ四人。
杉男、ヌレぞうきんで、流しへほうりだす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「水かけろ水!」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、水道の栓を烈しくひねる。
すさまじい湯気と音。
一瞬のうちに赤いほうろうに亀裂が入り、バリバリというすさまじい音と共に剥落《はくらく》する。
一同呆然。
重光がポツンという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「朝メシは、どうなるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](朝)
コーヒーを入れている朋子。
まだ目のさめない時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「パンもないんだから」
時子「あるじゃないの」
朋子「カビくさくて食べられないわよ」
時子「編集ってのは夜おそいのよ、朝はたべないの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]十三年ぶりにねぼうするんだって、ゆうべはイキまいてたのに――なによ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お砂糖――」
時子「(いらない)――旦那、いくついれるの?」
朋子「糖尿、気にして、半分(言いかけて)いいじゃないそんなこと」
時子「そうはいっても、夫婦なんてもンは」
朋子「夫婦ってのはねえ、あんたが考えるようなもんじゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
そばの戸棚をあけようとしている時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どうしたのよ」
時子「ヨイショ、ハブラシ、新しいの、たしかここに――」
朋子「(手を貸す)夫婦なんてものは」
[#ここで字下げ終わり]
戸棚があいて、二人の頭の上から、トイレットペーパーの束が山になって、ころがり落ちる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どしたのよ」
時子「ひとりものって、ものが、ある日突然無くなるのよ、カミやハミガキが。だから、つい買いだめしちゃうのよ。――買う割にゃ、減らないのよ、一人だもの――」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体]
ゴルフのクラブを手に持った重光が、表をのぞき、人待ち顔で出たり入ったりしている。
尾崎松子が来る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「お早ようございます。朝顔、咲きました?」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](朝)
食卓のまわりでモタモタしている男三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「パンないよ。パン――」
謙造「月、水、金、あ、今日は、メシの日じゃないか」
杉男「それで、パン、ないのか」
謙造「一食ぐらい、食わなくたって死にゃしないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
重光のはずんだ声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「朝顔もなんですがね、うちの人間の朝の顔も見てやって下さい」
[#ここで字下げ終わり]
重光のうしろから紙包みを手にした尾崎松子。
一同、けげんな顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「こういう形でご紹介するのは、はなはだ不本意なんだが」
竜二「パートのオバサン?」
重光「失礼なこというもんじゃない。尾崎さんとおっしゃる」
三人「オザキさん――」
[#ここで字下げ終わり]
ああと思い当る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「長男です」
松子「お初にお目にかかります」
謙造「どうも」
重光「孫の――杉男」
松子「麻酔のお医者さましておいでになる」
杉男「―――」
重光「竜二」
松子「大学よかアルバイトにお忙しいんですって――伺ってますよ」
[#ここで字下げ終わり]
松子、見まわして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「お嫁さんは――」
謙造 )「ちょっと出かけて(言いかける)」
重光  「おりません」
松子「あ、あら――」
[#ここで字下げ終わり]
松子、当惑するが、そこは年の功でさりげなく、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「何かお手伝いいたしましょうか」
重光「おねがい出来ますか」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、新聞を手にハッチのそばに立っている杉男に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あれか? じいさまの(小指)」
杉男「(新聞でかくして、よせとやる)」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、新聞を手にしかけて、?となる。死亡欄。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お――」
杉男「知ってる人?」
謙造「お通夜、今夜か――」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](朝)
あわてて首にギブスをはめている時子。
ドアをあけて門倉を招じ入れる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「こんなに早く、どしたのよ」
門倉「商売道具、忘れたから――」
時子「それ(取って)この人ね、ピアノの調律やってんの」
朋子「―――」
門倉「けが、大丈夫ですか」
朋子「かすり傷ですから」
門倉「お大事に」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、目礼して出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「――門倉ね、あんたの顔、見にきたのよ。あの人、不幸な人、大好きだから。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]不幸な人みると、ゾクゾクするほど、そそられるっていってたもの、車、ぶつけてムチ打ちした時」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなたにもそう言ったの」
時子「車ぶつけて、ムチ打ちにしといて――それがボクの病気だって」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく門倉の横顔。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](朝)
食卓の朝刊の黒枠の写真をみながら黒いネクタイを結んでいる謙造、食卓を片づけにきた松子。
重光が気をもんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「お使い立てして、申しわけありませんなあ。ええと、これは、こっちかな――」
松子「使いやすいおだいどこ……」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、チラリと見る。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
朋子と時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「息子は、絶対にもどるなって言うのよ」
時子「あなたが息子って言うの聞いてるとヘンな気するなあ、杉男さんと年、いくつもちがわないでしょ」
朋子「息子は息子よ」
時子「―――」
朋子「『ロトの妻』って知ってる?」
時子「?」
朋子「聖書に出てくるはなしなの。ソドムの町がほろびた時に」
時子「ああ、聞いたことある。神様がロトと妻に逃げろっていうハナシでしょ」
朋子「どんなことがあってもうしろを振り向くな」
時子「ロトの妻は振り向いて塩の柱になったのよ」
朋子「知ってるじゃないの」
時子「映画で見たもの。アン・ブライスだったかな、アッという間に塩の柱になっちゃうのよ」
朋子「本当になるの」
時子「なるのよ――。息子さん、そのはなし、したわけ」
朋子「―――」
時子「惚《ほ》れてんじゃないの」
朋子「よしてよ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
時子、あわててギブスを手にする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「また、来た!」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ドアをあける。
立っている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、外面のよさをうかがわせる、サバけた物腰で、時子に向かって明るく笑いとばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いやあ、ハハ。ハハハ、どうも、いい年して、お恥かしい。惚れた弱味でね、お迎えに参上ですわ、ハハハハ、失礼して、いいですかな」
時子「どうぞ――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朋子には別人のように、威圧的に小声で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「スリッパ、ないのか」
朋子「………」
謙造「スリッパ」
朋子「(出す)」
謙造「ムチ打ちですか?」
時子「かるいんです」
謙造「いつも家内がお世話に――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いいお住まいじゃないですか。あ、なんか、あいさつがあと先になって――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「こちらこそ、あたしの不注意でけがさせてしまって」
謙造「いやいや」
時子「いま、お茶」
謙造「おかまいなく」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、時子がキッチンに引っこむのも、もどかしく、せっかちに言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「けがはどうなんだ」
朋子「大したことありません」
謙造「子供っぽいまねはよして――もどりなさい」
朋子「――会社、おくれますよ」
[#ここで字下げ終わり]
ヤカンをとりにきた時子にパッと笑顔を見せる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「PR誌をやっておられるそうですな、景気はどうです」
時子「まあなんとか(引っこむ)」
謙造「そりゃ立派だ(パッと変って)こういうことは、感情的になっちゃダメだよ。理性で考えなきゃ」
朋子「別々のもんじゃないでしょ」
謙造「うちってのは、出た方が負けなんだよ。角力《すもう》と同じだ」
朋子「―――」
謙造「前のだって、自分から飛び出していったので引っこみがつかなくなったんだ。何言われたって、じっとこらえてりゃ何も離婚てことにゃ――、もっとも、それで、お前と一緒になったんだから、いいけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
手をギュッと握る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――(引く)」
謙造「出なければ納まったんだ。今度も同じだと思いなさい」
朋子「―――」
謙造「じいさんが、(小指)引っぱりこむ気だな」
朋子「尾崎さんですか」
謙造「あんなのに、乗りこまれちゃかなわんよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朝刊の黒枠を示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「今晩は一緒にお通夜にゆく。話はそれからだ。いいな」
朋子「(言いかける)」
謙造「(言わさず呼ぶ)おじゃましました」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チャイム
のぞく時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「息子さん――」
謙造「杉男か――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、自分は来ていないと言えとマイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(どなる)いまいきます」
[#ここで字下げ終わり]
●マンション・外・自転車置場[#「マンション・外・自転車置場」はゴシック体]
朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おやじ、なんか――」
朋子「ううん、別に――」
杉男「そう……」
朋子「たばこ、あんまりすうと、体に毒よ」
杉男「うん」
朋子「お医者さんのくせに、ダメじゃないの」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
十二、三の子が自転車の手入れをしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あのくらいだったわね」
杉男「―――」
朋子「わたしがオヨメにきた時、杉男さん」
杉男「―――」
朋子「はじめの一週間ぐらいはムッとして、口もきかなかった」
杉男「(まぶしそうに朋子をチラリと見て)なんか、ちがうな」
朋子「?」
杉男「うちにいる時よか、若くなった」
朋子「そりゃ、あんたたちのお母さん、廃業したから」
杉男「―――」
朋子「杉男さん、その方がいいって言ったじゃないの、あんな腐ったうちにもどるなって」
杉男「―――」
朋子「あたし、お医者さまのいうこと、信用するのよ」
杉男「医者だって、誤診すること、あるから――」
朋子「―――」
杉男「患者の直感の方が正しいこともあるんだ……」
朋子「のみすぎよ、たばこ」
朋子(N)「義理の息子は、たばこばかりすっていた。ケムリの向うの目は、あのうちには、もうもどるな≠ニ言っているように見えた。もどってきて欲しい≠ニ訴えているようにも思えた。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そのゆれ動きは、そのまま、私の気持でもあった」
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
時子と謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「(窓から下をながめながら)同じ女でも違うなあ」
謙造「―――」
時子「朋子さん。三人の男にモテルなんて」
謙造「え?」
時子「ご主人と息子さんと」
謙造「いま、三人て言われたが」
時子「やだ、あたし、数字に弱いんですよ。二と三を間違えちゃった」
謙造「二と三てのは間違えないんじゃないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
ゴミバケツを置きにきた時子と朋子大笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「みせたかったなあ、ご主人の顔。一人は、あたしの恋人だともいえないしさ」
朋子「(笑っている)」
時子「どうするつもり」
朋子「うん……」
時子「こないだ別れた人、いるのよ、友達で。その人言ってたなあ。主人の、サンダルのかかとに汚れがつくでしょ、あれ見てたら吐き気がしてきたって――、そうなったら、もう、ダメね」
朋子「―――」
時子「――ためしてみたら、帰って」
朋子「(迷っている)」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体]
端然とすわって茶をのむ重光と松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「この頃、足の先がヒヤヒヤしませんの。以前は夏足袋はいても冷えましたのに」
重光「話し合う相手がいると、血のめぐりがよくなるんでしょう」
松子「まあ」
重光「実はわたしもね。あなたのお声を聞くと、ここンとこ、白湯《さゆ》のんだみたいにスーとあったかくなってね」
[#ここで字下げ終わり]
茶碗を引きよせ、二つをくっつけて並べ、急須から茶をつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「おヨメさん、いずれはもどられるんでしょ」
重光「わたしンとこは、ヨメがうち、とび出す家系でね、いやわたしのこっちゃない、伜《せがれ》ですが」
松子「―――」
重光「年にしちゃ、よく出来た嫁ですよ。だが、出来すぎだ。四、五日うちあけて、もどった方が――お互いに、ね……」
[#ここで字下げ終わり]
松子、会釈する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「――あら、どっちのお茶碗か、あたくし――」
重光「わたしは、かまいませんよ」
[#ここで字下げ終わり]
松子、急になまめいた目になる。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
散らかっている雑誌を分類、整理している朋子。
時子は、寝室のドアを半開きにして、着替えをしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「新宿タウンタウン」
時子「捨てる」
朋子「マイ代官山」
時子「取っとく」
朋子「―――」
時子「ポイ!」
朋子「公園通りファンタジー」
時子「捨てるわけにいかないでしょ。自分の作ってる本」
朋子「あ、いけない」
時子「名前ぐらい、覚えてよ」
朋子「ごめん」
時子「いくつなのよ」
朋子「え?」
時子「前の奥さん」
朋子「二つ下――主人よか二つ下だったっていうから――」
時子「ご亭主いくつだっけ」
朋子「ちょうど」
時子「五十――ってことは、奥さん四十八か――」
朋子「これは?」
時子「ポイ――あ取っといて――美人?」
朋子「らしいわね」
時子「ぼかして言うわね」
朋子「顔、見たこと、ないもの」
時子「写真ぐらい残ってるでしょ」
朋子「アルバム、そこだけはがしてあるもの――」
時子「そういうもン?」
朋子「あ、一枚だけ見たわ。竜二さん――次男におっぱいのませてる写真。あの子、引出しにかくして、時々、見てるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
●古い写真[#「古い写真」はゴシック体]
赤んぼうにオッパイをのませている若い恒子。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
恒子、コンパクトを出し、口紅を直す。
ドアをノックする音。
ノブが廻って謙造が入って来る。
目で迎える恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いい店じゃないか」
恒子「あがります?」
謙造「いや、水でいい」
[#ここで字下げ終わり]
と言ったものの、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「水ってのも、水臭いな」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、目で笑って、水割りを作りはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「この通り、橋のつく店が、二軒もあるんだなあ」
恒子「そうですか」
謙造「入口のところに、スナック『小さな橋』、あの表に『はしもと』って、てんぷらや」
恒子「気がつかなかったわ」
謙造「ねてもさめても橋の入札が頭はなれないせいだろうな。オレも思ったよか小者だよ」
恒子「あたしもそうだったわ。――あれからすぐ大阪行ったでしょ、アパートさがしたんですけどね、部屋見に行ったら、一軒おいて隣りが黒沼って人なの」
謙造「そこ、入ったのか」
恒子「やめました、思い出して、辛いもの」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、水割りをのむ。氷の音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(無機的な口調で呟《つぶや》く)皆川建設が食い込んでるようですよ」
謙造「皆川建設は勝負にならんだろう」
恒子「でも担当の部長はKU大学ラグビー部よ」
謙造「じゃあ、公団の土橋さんの後輩か」
恒子「(うなずく)」
謙造「卒業して何十年たってンだ。子供じゃあるまいし、ラグビーだサッカーだって(言いかけて)――強いンだよなあ、そっちの方のつながりは」
恒子「まあ、大丈夫なんじゃないですか、気もたせるフリして。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](また無意識的な低い声で)近いうちに、公団の東京出張所長を、お引き合わせします」
謙造、うなずきながら、内ポケットから封筒を出して、カウンターに置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「なんでしょう」
謙造「いつも、君にもらうばっかりだから、たまにはね」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、押しもどす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お気持だけ。いただくのなら、杉男や竜二の成績表の方がいいわ……」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・竜二の部屋[#「黒沼家・竜二の部屋」はゴシック体]
サイド・テーブルの上に古ぼけた小さな写真。
若い恒子が、赤んぼうにオッパイをのませている。
着替えをしている竜二。
階下で電話が鳴っている。
●居間[#「居間」はゴシック体]
鳴っている電話。
走り込み、受話器をとる竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉(声)「黒沼さんのお宅ですか」
竜二「そうです」
泉(声)「弟さん――竜二さんね」
竜二「どなたですか」
泉(声)「泉です。きのう、おじゃました島田泉」
竜二「ああ、兄貴の――」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話ボックス[#「公衆電話ボックス」はゴシック体]
電話している泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「お母様、いらっしゃいますか」
竜二「―――」
泉「お母さま――」
竜二(声)「何か用ですか」
泉「きのうは失礼しましたって――そう伝えていただけます?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「――自分で言ったほうがいいんじゃないかな?」
泉(声)「いらっしゃるんですか」
竜二「いま、居ないけど――これから、おもてで逢《あ》うから、よかったら、くりゃいいじゃない」
[#ここで字下げ終わり]
●電話ボックス[#「電話ボックス」はゴシック体]
顔が輝く泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「いいんですか?」
[#ここで字下げ終わり]
●遊園地[#「遊園地」はゴシック体]
ジェット・コースターに乗る恒子と竜二。
母は息子にしっかりとつかまり、悲鳴を上げる。
その母に素直に甘えている竜二。
華やかで賑《にぎ》わった日もあったのだろうが、今はさびれて、あまり人気のない遊園地。
上ったり下ったりするジェット・コースターの下に泉が立っている。
手を振る竜二。手を上げ、応え、けげんな顔で見上げる泉。
花火などの大きな音。
風船が上ってゆく。
●遊園地・ベンチ[#「遊園地・ベンチ」はゴシック体]
恒子、竜二、泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「おふくろ」
恒子「(何か言いかける)」
竜二「――兄貴の――恋人」
泉「恋人――じゃないわ」
恒子「じゃあ、なんなの」
泉「――恋人ですって言いたいけど、ちがうみたい」
恒子「じゃあ、あたしと同じ。母親ですって言いたいけど、違いますもの」
竜二「おふくろだよ!」
恒子「(笑って)――ひと目、見ときたかったの。あの子が、杉男が、どんなお嬢さんとおつき合いしてるか」
泉「あたしもなんです。杉男さんを生んだ、本当のお母さまってどんなかたか――」
[#ここで字下げ終わり]
●遊園地[#「遊園地」はゴシック体]
木馬に乗る泉、竜二。
見ている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉(声)「竜二さん、どうしてこんなことするの?」
竜二「――(口笛)」
泉(声)「お兄さんのいやがるようなこと、どうしてするの」
竜二「(口笛)」
泉(声)「お勉強、お兄さんの方が出来たんでしょ。小さい時から、お兄さん、みなさいって言われて、大きくなったんでしょ。新しいお母さまにも、お兄さんの方が可愛がられたんでしょ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]だから、口惜《くや》しかったんでしょ。だから、お兄さんの好きなものはきらい、きらいなものは好き――ってなったんでしょ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「(口笛)」
[#ここで字下げ終わり]
見ている恒子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
台所を片づけている朋子。
匂いをかいで顔をしかめ、捨てたりしている。
ふと、テーブルの上の新聞の黒枠が気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「感情的になっちゃダメだよ。理性で考えなきゃ」
朋子「別々のものじゃないでしょ」
謙造(声)「うちってのは、出た方が負けなんだよ。角力と同じだ」
朋子「―――」
謙造(声)「今晩は一緒にお通夜にゆく。話はそれからだ。いいな」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・外科局[#「病院・外科局」はゴシック体]
オペを終り、帰ってくる杉男。
カルテの整理をしていた看護婦の根岸むつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「黒沼先生、お客様」
杉男「(舌打ち)また来たのかい、おい!」
[#ここで字下げ終わり]
しかし、ついたてのかげから誰も出て来ない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おい竜二。あと、もひとつオペ、あるんだから、手間かけるなよ」
むつ子「弟さんじゃないですよ」
杉男「だあれ?」
むつ子「――女の人」
杉男「女――」
むつ子「屋上で待ってますって」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、デスクに坐り、何かはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「行かないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ガタンと立ち上る。
●屋上[#「屋上」はゴシック体]
タオルなど干してある一隅に、女のワンピース姿が見える。
少し離れたところから、その背に、固い声をかける杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「帰って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
女の姿が、こちらを振り向く気配に、今度は杉男の方がうしろを向いて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「それから――竜二に電話をかけないで下さい。そりゃ母親なんだから絶対にかけるなとは言えないけど、あとに入って、十三年辛抱した人の立場考えたら、少し身勝手じゃないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
突然うしろで笑い声、立っているのは泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「泉さん」
泉「誰だと思ったの?」
杉男「―――」
泉「あててみましょうか」
杉男「―――」
泉「お母さま。本当の――杉男さん生んでくれた――」
杉男「?」
泉「十四年ぶりに帰ってきた――」
杉男「どして知ってるの」
泉「ステキなかたね」
杉男「?」
泉「お母さま、涙こぼしてらしたわよ。杉男はひとことも口利いてくれなかった。口、利くどころか、顔も見せてくれなかったって」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・バー「ブーメラン」[#「回想・バー「ブーメラン」」はゴシック体]
竜二に背を押されて恒子の前に飛びこんでしまう杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、凍ったように棒立ち、強い視線で母をにらみつける。
恒子が何か言いかける。
次の瞬間、杉男は身をひるがえして、飛び出そうとする。
竜二、兄の体をうしろから羽交じめにして、恒子の前へ押し出す。体をくっつけさせる。烈しく争う兄と弟。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どうして逃げるんだよ」
杉男「―――」
竜二「どうして顔見ないんだよ! どうしてハナシ、しないんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、弟を殴り倒して、出てゆこうとする。
竜二、烈しく抗《あらが》い、兄の体を母の方へ、ほうりつけるようにして、表へとび出す。
杉男も出ようとするが、竜二が表からドアを押しているらしくて、あかない。
恒子が言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「顔見せなくてもいい――ハナシ、しなくてもいいから――そこに、すこし、いて頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
杉男の横顔から肩から足の爪先まで視線が、いとおしむように――
立ちつくす杉男。
●病院・屋上[#「病院・屋上」はゴシック体]
杉男と泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「お母さま――ややこしいわね。本当のお母さまと新しいお母さま――そうだ、本当のお母さまのこと、お母さんて言うわ。お母さん、言ってらしたわよ、『杉男は、やさしい子だったのにやっぱりお医者さんになると気持がコワくなるんでしょうかね』って――あたし、いいえ、杉男さんは義理立てしているのよ。新しいお母さまのこと、すごく好きだから、あの人にすまないと思って、自分の気持殺して、わざとムリして」
杉男「――いい加減なこと言うな!」
泉「こわい顔――大丈夫。言いません。そう思っただけ」
杉男「―――」
泉「でも、今、言ったこと、本当でしょ。あたってるでしょ」
杉男「冗談じゃないよ。義理の母親だよ」
泉「――愛してるわ、あたしより、あの人のことずっと、愛してるわ」
[#ここで字下げ終わり]
泉、体を投げかけるようにする。杉男、泉を抱き寄せる。
スッとはなれる泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――竜二さん、足くじいたの」
杉男「足、くじいた?」
泉「お母さんに甘えてたわよ。ちょっとでいい、うちへきて看病してくれって」
杉男「うちへ?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](夕方)
車が走り去る音。
恒子に支えられる竜二。
門のところで、恒子肩をはずす。
そうはさせまいとする竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――お母さん、ここから先へは入っちゃいけないの」
竜二「誰もいないよ」
恒子「おじいちゃまがいらっしゃるでしょ」
竜二「いないよ、メシは外だって言ってたもの。ねえ、誰もいないって」
恒子「いなくても、いけないの」
竜二「足、湿布したら、すぐ帰ってもいいから」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、恒子を引きずるように中へ入ってゆく。
●玄関・外[#「玄関・外」はゴシック体](夕方)
もみあう母と息子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どうして」
恒子「お玄関はダメ、入るんなら裏口よ」
竜二「バカなこと言うんじゃないよ」
恒子「痛いでしょ!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
立っている恒子と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「なにしてンの。早く上んなよ」
恒子「同じだわ」
[#ここで字下げ終わり]
見廻す恒子の背中を押すようにして茶の間に。
のこる竜二と恒子の靴。
●居間[#「居間」はゴシック体](夕方)
恒子、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ――お母さん、出た時、ここ、たたみだったのに――」
竜二「―――」
恒子「あと、どこ、作りかえたの」
竜二「だいどこと、二階の、おやじの寝室(言いかけてよす)」
恒子「――コーヒー茶碗もお皿もみんな前のものは、ひとつもないのねえ」
竜二「――すわんなよ」
恒子「(坐って)どういう風に坐ってるの」
竜二「おやじ、じいちゃん、(だんだん小さくなる)兄貴、オレ――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子のすわっていたのは、朋子の席――
恒子、立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「コーヒー、いれようか」
恒子「そんなことより、足、シップした方が、竜二、あんた――足痛くないんでしょ」
竜二「………」
恒子「うそついて――お母さん、帰るわ」
竜二「帰ることないよ。コーヒーぐらいのんできゃいいじゃない」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく恒子。
追いすがる竜二。
二人玄関のそばへ。
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「あ――」
竜二「じいちゃんだ」
朋子(声)「あたしです、誰もいないの?」
竜二「あ――」
[#ここで字下げ終わり]
立ちすくむ恒子、竜二、二階へとサイン。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
竜二、とっさに母の靴を下駄箱におっぽりこみ、ドアをあける。朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――ただいま」
竜二「(無言)」
朋子「お通夜があるんで、喪服着にもどったの。どうしたの、今の時間竜二さんがうちにいるなんて珍しいじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、無言で二階へ上る。
●竜二の部屋[#「竜二の部屋」はゴシック体]
ドアのかげで息をころしている恒子と竜二。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](夕方)
喪服に着がえる朋子。
●竜二の部屋[#「竜二の部屋」はゴシック体](夕方)
恒子、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「もうすぐ出てく」
恒子「(シッ)」
[#ここで字下げ終わり]
廊下がきしんで――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「夜はうなぎでもとっておいて頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
窓の外は夕闇。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
黒ぞうりを手におりてくる朋子。
はきかけて、ふと思いつく。
下駄箱をあけて謙造の靴を出す。足を入れてみる。
目を閉じる。
不意にドアが開く。はずんで上きげんの重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「なにをしているんだい」
[#ここで字下げ終わり]
言い方のやわらかさにふっと正直に言う朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――時子さんに――ゆうべ、やっかいになった友達に、言われたんです。つれあいの靴やサンダルの汚れがいやになったら、もうダメだって」
重光「ためしてたのか」
朋子「――(うなずく)」
重光「(笑ってしまう)で、どうだい――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子も一緒に笑いながら、何か言いかけて――アッとなる。
半開きの下駄箱の奥に女靴――
とり出す朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま、ごきげんなわけわかった。恋人にお留守番させてらしたんでしょ」
重光「いや、いま、そこで別れてきたとこだよ」
朋子「え?」
重光「第一、尾崎さんは、洋服はお召しにならない方だ」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら重光の顔、ちらりと二階を見上げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、二階へ上ってゆく。
●竜二の部屋・廊下[#「竜二の部屋・廊下」はゴシック体](夜)
ノックする朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん。お友達とおはなしするんなら、下へいらっしゃい。そんなとこ、お連れしちゃ失礼よ」
[#ここで字下げ終わり]
無言――。
中でまごつく恒子、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「聞いてるの、竜二さん」
[#ここで字下げ終わり]
中でもみあう気配。
母親を体でとめている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「(小声)母さんは出ることないよ」
朋子「(!)」
朋子「――もう馴《な》れたわ。竜二さんのことでは。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もうあたし傷つかない。あなたが引出しにお母さんの写真を入れて毎日見てることも、あたしの前で、毎日、お母さんに電話かけてたことも、ちゃんと知ってるのよ」
●竜二の部屋[#「竜二の部屋」はゴシック体](夜)
恒子と竜二。
引出しをあける。
写真。アッとなる恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(小さく)ちがうのよ。これ――、あんたじゃない」
竜二「―――」
恒子「杉男ちゃんなのよ」
朋子(声)「いいのよ、怒ってなんかいない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あたり前のことですものね、あたしが、竜二さんでも同じことすると思うもの。
[#1字下げ]でもねえ、これからもあることよ。若いお嬢さんだけは、自分の部屋に連れ込まないでね」
●竜二の部屋・廊下[#「竜二の部屋・廊下」はゴシック体](夜)
うしろに立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん、下へゆこう」
朋子「――(あふれるものを、何かにぶつけたくて、立ち去れない)」
杉男「お母さん、下へゆこう」
竜二(声)「待てよ! いいもン、見せてやるよ」
[#ここで字下げ終わり]
やたら、泣くような、笑うような竜二の声が聞こえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二(声)「ハハ、ハハハ。オレ、バッカだなあ、本当バカだから今まで、間違ってたんだよな」
二人「―――」
竜二(声)「これ、兄貴だってさ、オレだとばかし思ってたら」
[#ここで字下げ終わり]
ドアの下から、写真が出てくる。顔をそむけて見まいとする杉男。朋子、一瞬の動揺を見て、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「見なさい」
杉男「――お母さん――」
朋子「お母さんは、その人よ。遠慮することないわ」
[#ここで字下げ終わり]
目を走らす杉男。
おりてゆく朋子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
立っている重光。
ぞうりをはく朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「――もういっぺん、たしかめてみないのか」
朋子「(首をふって)お体、お大事に――」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく朋子。
おりてくる杉男。
●夜の町[#「夜の町」はゴシック体]
歩く朋子。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
杉男、竜二、重光。
電話が鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「黒沼ですが――あ、水村さん」
[#ここで字下げ終わり]
●電話[#「電話」はゴシック体](夜)
水村(葬儀のある家の廊下など)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
水村「部長からですが、奥様、お通夜の方にまだお見えじゃないんですが、何時《いつ》そちら出られたのか」
横から引ったくる謙造。
謙造「もしもし、おい、朋子、どうしたんだ。喪服着にもどったんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション・表[#「時子のマンション・表」はゴシック体](夜)
入ってゆく喪服の朋子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
ドアがあく。立っているのは門倉、朋子も黙って入る。
一人で飲んでいたらしい門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――時子さんは」
門倉「締切りですよ、おそくなるっていってたな」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、帯じめに手をやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「着がえないで下さい」
朋子「?」
門倉「しばらく、そのままで、いて下さい。ぼくの一番好きな衣裳《いしよう》なんですよ」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、ウイスキーをつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「誰か、なくなったんですか」
朋子「――(うなずく)」
門倉「葬式ですか」
朋子「ええ、あたくしのお葬式」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、強い視線でウイスキーをすすめる。
朋子、ぐっとあける。
●黒沼家・杉男の部屋[#「黒沼家・杉男の部屋」はゴシック体](夜)
写真を見ている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「今頃、杉男さんは母親に会っている。自分を生んでくれた、子守唄を唄ってくれた、あの写真の人をみつめている。気持の隅で私にすまないと思いながら、杉男さんは今、母親に抱かれている」
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
●病院・リカバリー・ルーム[#「病院・リカバリー・ルーム」はゴシック体]
手術を終えた患者のベッド・サイドに坐って、容態を見守る杉男。酸素テントをかけたベッドや、はずしたベッドが並ぶ部屋。
さめない患者は、中年の女。
笑うような泣くような竜二の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二(声)「ハハ、ハハハ。オレ、バッカだなあ、本当バカだから今まで、間違ってたんだよな」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・竜二の部屋・廊下[#「回想・竜二の部屋・廊下」はゴシック体](夜)
杉男、朋子。
ドアをへだてた室内に恒子と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二(声)「これ、兄貴だってさ、オレだとばかし思ってたら」
[#ここで字下げ終わり]
ドアの下から、写真が出てくる。顔をそむけて見まいとする杉男。朋子、一瞬の動揺を見て、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「見なさい」
杉男「――お母さん――」
朋子「お母さんは、その人よ、遠慮することないわ」
[#ここで字下げ終わり]
目を走らす杉男。
おりてゆく朋子。
●病院・リカバリー・ルーム[#「病院・リカバリー・ルーム」はゴシック体]
写真に見入る杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「一枚の写真が、オレを烈しく揺すぶっている。母を憎み、さげすんで、自分の気持に無理にフタをしてきた十三年が、いま、この一枚の写真で、あっけなくひっくりかえろうとしている。さげすみは、いとおしさになり、憎しみは懐しさに変わろうとしている」
[#ここで字下げ終わり]
うしろから、若い女のしのび笑い。看護婦の根岸むつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「それ、黒沼先生ですか」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、あわてて、白衣の下のワイシャツのポケットにしまおうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
辻村(声)「痛いんだよォ! 苦しいんだよォ!」
[#ここで字下げ終わり]
ひとつ置いた隣りのベッドで酸素テントをはねのけて、暴れている若い男の患者|辻村《つじむら》。
年かさの婦長と若い看護婦が、押さえているが、体格がいいのではねとばされる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
婦長「(押し殺した声で)辻村君、駄目じゃないの」
辻村「痛いんだよォ!」
婦長「ほかの患者さんの迷惑になるでしょ、静かにしなさい」
むつ子「ほら、辻村君!」
辻村「痛いんだよォ!」
婦長「あばれたら傷口が開くわよ」
むつ子「辻村君――」
辻村「痛いんだよォ! 苦しいんだよォ!」
[#ここで字下げ終わり]
三人の看護婦をはねとばす辻村を、杉男、体ごと押さえ込む。
蒼白《そうはく》な顔の辻村は、弟の竜二にそっくりである。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「甘ったれるな!」
[#ここで字下げ終わり]
体で押さえつけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「今度、暴れたら、ブン殴るぞ」
辻村「―――」
杉男「痛いのは、君だけじゃないんだ。みんな――みんな苦しいのを我慢してるんじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
辻村、静かになる。
●医局[#「医局」はゴシック体]
杉男にコーヒーをすすめる婦長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「弟に似てたなあ」
婦長「――今の若い子は、同じような顔してるから」
杉男「(飲む)」
婦長「暴れたら傷口が開くの判んないのかしらねえ」
杉男(N)「家庭も同じなのだ。事が起きた時、静かにしていれば平和だが、誰かが感情に走って大きな声を出すと、傷口はパックリと口をあける。これは弟が火つけ役だった」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
カウンターで冷しそばを食べている竜二。
自分のに手をつけず、息子の食べるのを見ている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「再婚するつもりって――おじいちゃま――いくつなの」
竜二「(むせていえない)」
恒子「(背を叩いてやりながら)もう、七十すぎてるでしょ。それで、そんなこと言ってるの?」
竜二「いい年してやってくれるよなあ」
恒子「どんなかたか」
竜二「ババアのくせして、すげえ、お高くとまってやがんの」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、竜二のもう具のなくなったドンブリを手許《てもと》に引き、自分のを押しやる。恒子黙って残りのを食べはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「あ、オレのくいかけ」
恒子「おいしい……」
[#ここで字下げ終わり]
恒子の目がみるみるうるんでくる。
竜二も泣きそうになる。母と黙って冷しそばをすする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「長いの? おつきあい?」
竜二「最近じゃないかな」
[#ここで字下げ終わり]
二人とも鼻のつまった声。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
買物かごから、野菜などを食卓に出している松子。
手伝う重光。
松子が台所へ行くと、仔犬《こいぬ》のようにあとをくっついて行く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「そのかたが、うちをお出になってから」
重光「十四年になります」
松子「おしゅうとさんと、折り合いが悪かったとか」
重光「うちの恥、申し上げるようだが、間違いをしでかしましてね」
松子「間違い――あ!」
重光「どうかなさいましたか」
松子「とげを――」
重光「あ、こりゃいかん」
[#ここで字下げ終わり]
●座敷[#「座敷」はゴシック体]
大きな天眼鏡が松子の指先をアップで見せる。
二人の老人、顔をよせあってとげを抜いているが、なかなか抜けない。
指のまさぐりあいがまるで……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「エイッ!」
松子「あいたた」
重光「あ、ご無礼を、肉をつまみましたか――」
松子「肉≠セなんて――(笑う)」
重光「私としたことが、何とはしたない――」
松子「あら、生命線、お長いこと」
重光「え? どれどれ、そちらは――」
松子「あたくしも、ほら」
重光「お前百までわしゃ九十九まで」
二人「共に白髪のはえるまで――」
[#ここで字下げ終わり]
二人、少し、恥じらって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「やっぱり――ヨリをもどされたわけかしら、息子さん……」
重光「これは、尾崎さんだから、申し上げるんだが」
松子「―――」
重光「色恋じゃあないな」
松子「とおっしゃると――」
重光「伜《せがれ》は、新しい嫁に惚《ほ》れとります」
松子「――オヨメさん、いま――ご実家――」
重光「身寄りのない人間なもんで――友達のとこにね――雑誌の編集をやっている友達のとこに、ころがりこんだようですな」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
時子に校正と割りつけをならっている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「トルツメ=\―活字がひっくり返ってる時はこのマーク」
時子「覚え、いいじゃないの」
朋子「ねえ、時子たのむ」
時子「編集よかブティックにつとめた方が手っとり早いんじゃないの」
朋子「夢だったのよ、娘時代からの――たのむから、手伝わせて――」
時子「ラクじゃないわよ、編集も。文春とか講談社みたいな大どころじゃないんだから。原稿とり、広告とり、割りつけから、集金まで」
朋子「やる」
時子「アタマより足使うんだから」
朋子「ためしてみて」
時子「――そりゃ、手が足りないから欲しいけど――」
朋子「すぐアパートさがすから」
時子「一人暮しなんてね、ハタでみるようなもんじゃないから。大きな松の木に抱きついて、オイオイ泣きたい時もあるんだから」
朋子「松の木がうっとうしくなったのよ、見るのいやになったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チャイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
とんでいく――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「お宅の松の木だ」
朋子「――あけないで、帰ってもらって」
[#ここで字下げ終わり]
しかし、ドア・チャイムが烈しく鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あけないで」
時子「近所から苦情出るわよ」
[#ここで字下げ終わり]
扉、あける。
立っている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おじゃまします」
朋子「帰って下さい。あとで離婚届けにハンを(言いかける)」
謙造「(朋子を無視して時子に)折り入っておはなしが」
朋子「はなしなんかありません」
謙造「そっちがなくたってこっちはあるんだ」
朋子「帰って下さい」
謙造「ここは梅沢さんのマンションだろう。お前にそんなことを言う権利はない筈だ」
朋子「(言いかける)」
謙造「第一、お前に言ってんじゃない、梅沢さんにハナシをしているんだ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朋子には高圧的、時子には社交的と、みごとに切りかえながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子・朋子「―――」
謙造「誠にあつかましいおねがいなんだが、家内を一カ月ほど預っていただけませんか」
朋子「あなた、なに言ってるの」
謙造「お前に言ってるんじゃないと言ったろ」
朋子「あたし、どこかにアパート借りて、自活して(言いかける)」
謙造「ご迷惑は知ってますが、ここへ置いていただけませんか」
朋子「あなた――」
謙造「お前に言ってンじゃない! (時子に)事情がありましてね、ひと月程別居ということに。前の女房とヨリをもどしたんじゃない、天地神明に誓ってやましくないと言っとるんですが、聞きわけがなくて、どうも」
朋子「じゃあ、なんですか」
謙造「――男には、人に言えないこともあるんだ」
朋子「言いのがれよ」
謙造「三年いや五年たったら話す」
時子「あのォ」
謙造「当座の生活費です。たのみます」
[#ここで字下げ終わり]
あっけにとられている時子に分厚い封筒を押しつけ、頭を下げて出てゆく謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「待って――」
[#ここで字下げ終わり]
封筒を時子からひったくって、とび出してゆく朋子。
●マンション・廊下[#「マンション・廊下」はゴシック体](夜)
ハダシでかけてゆく朋子、曲り角のところを曲ったとたん、かくれていた謙造に抱きすくめられる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「なにするの、離して!」
[#ここで字下げ終わり]
バタバタと抵抗する朋子に烈しいキス。
尚《なお》も抵抗をやめない朋子。封筒の口が開き、紙幣が廊下に散乱する。足音が聞こえる。棒立ちになる門倉。
謙造、朋子を離し、立ち去ってゆく。
門倉、黙って散らばった札を拾い集める。
はだしの朋子。半開きのドアから、時子が見ている。
●バー「ブーメラン」・恒子の部屋[#「バー「ブーメラン」・恒子の部屋」はゴシック体](夜)
ソファベッドに竜二がひっくりかえっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ダメよ、もう起きなさい。店あけるんだから」
竜二「もう少し――」
恒子「バーテンさん、来たら帰ってちょうだいよ」
[#ここで字下げ終わり]
誰か来た気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「ドア、あいたよ」
恒子「氷屋さんかな、ハーイ――」
[#ここで字下げ終わり]
下へおりてゆく恒子。
●「ブーメラン」[#「「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
おりて来た恒子。アッとなる。
立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男――」
[#ここで字下げ終わり]
ぎごちなくカウンターに寄る杉男。恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「水割りでいい?」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、無言。
恒子、水割りを作りながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「オレンジ・ジュース大好きだったのが、水割り飲むようになるんだもの、お母さんしわが増えるわけだわねえ」
杉男「―――」
恒子「麻酔の方なんだって? 杉男の奴、注射一本打つだけで、執刀医より高い金取るらしいぞ≠ネんてね、お父さん、けっこう自慢してンの」
杉男「―――」
恒子「たばこ?」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、すすめるが、杉男、手を出さない。
恒子、一本ぬいて火をつける。
ゆっくりふかしてから、杉男の目に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――大阪、行ってから覚えちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
赤く塗った爪をかくすようにして、たばこの火を消しながら、杉男の左手を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「消えたじゃないの?」
杉男「―――」
恒子「模型飛行機作ってて、ナイフで――子供にアブないもの持たすな≠チて、お父さんにどなられたのよ。お母さん、うち出たとき、まだ残ってたのに――傷って、時間がたつと消えるのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
手を取ろうとする。
スーと手を引く杉男。
ドアを軽くノックしてバーテンの片山が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ、バーテンさん」
片山「いらっしゃいませ」
恒子「いいのよ。うちの長男」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ポケットから千円札を出し、カウンターに置いて立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男、なにするのよ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、札をポケットにねじ込もうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「親のとこへ来て、お金払う人がありますか」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ふりはらって出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男!」
[#ここで字下げ終わり]
カウンターに残る千円札。
上から見ている竜二、おりてゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「(笑って)兄貴らしいや」
[#ここで字下げ終わり]
千円札を手にする竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「いらないんならオレ――」
恒子「――お母さん、もらっとく――」
[#ここで字下げ終わり]
●横丁[#「横丁」はゴシック体](夜)
歩く杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「オレは何をしに行ったんだろう。お母さん、髪の形、変えたね=\―何でもない世間ばなしをしたい気持もあった。俺たちの前に姿を見せないでくれ≠ニいいたい気持もあった。しかし、結局、ひとことも口を利かずに帰ってきた」
[#ここで字下げ終わり]
●赤坂の町[#「赤坂の町」はゴシック体](夜)
高級料亭街。黒塗りの乗用車がとまっている。うしろの席で顔をかくすようにしながら油断なく料亭の入口を見張っているのは謙造。運転席に水村。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
水村「部長」
謙造「うむ」
水村「新聞は、まずいんじゃないですか」
謙造「この暗さじゃあ、読めるほうがおかしいやなあ。冬場なら、マスクって手があるんだが――」
水村「部長、顔知られてないから大丈夫ですよ」
謙造「いや、それにしても、張り込みってのは、辛いもんだねえ。刑事の月給、上げないといかんなあ」
二人「あ――」
[#ここで字下げ終わり]
料亭から出てくる二人の男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あれかい」
水村「かっぷくのいいのが、公団の東京営業所長」
謙造「竹部か――」
水村「こっちが早川建設の漆畑《うるしばた》部長でしょう」
謙造「―――」
水村「まさかと思ってましたがね、早川建設が食い込んでるって情報は、正確ですよ」
謙造「ガセネタはつかんじゃこないよ」
謙造「(呟《つぶや》く)オレンジ黄金《おうごん》≠ノはりわけドイツ=v
水村「なんですか、そりゃ」
[#ここで字下げ終わり]
笑いにごまかす謙造。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
カウンターで恒子の手をもてあそびながら飲んでいる竹部。
うしろのボックスに若い客が二、三人。
バーテン。
入ってくる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「いらっしゃいまし」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、さりげなく竹部の隣りをどうぞという感じで示す。
竹部、椅子にのせた封筒を移す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうも」
[#ここで字下げ終わり]
すわりながら、謙造、竹部のネクタイに目をとめ、「お」と小さく叫び声を洩らす。(白地に黄色のヘンなプリント)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(呟く)はりわけドイツ」
竹部「おッ! 失礼だが、あなた、錦鯉《にしきごい》――やられる」
謙造「金と場所があったら、やりたいんですがね、こっちは見るだけで」
竹部「いやいや、これみてはりわけドイツ=\―一目であてるなんざ、どうして、どうして」
恒子「なんですはりわけドイツ≠チて」
竹部「なんべん言ってもママ覚えてくれないんだから」
謙造「錦鯉の種類ですよ」
竹部「山吹はりわけ=v
謙造「オレンジはりわけ=v
恒子「はりわけ≠チて、いうんですか」
竹部「こうね(コースターにコイの絵をかく)金と銀の模様がはりわけになっているのをいうのよ」
恒子「上等なんですか」
竹部「動く宝石っていうくらいだからねえ」
謙造「菊水《きくすい》」
竹部「おッ!」
謙造「金蓬来《きんぽうらい》」
[#ここで字下げ終わり]
竹部、謙造の肩を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「禿白《はげしろ》ドイツに九紋竜《くもんりゆう》」
[#ここで字下げ終わり]
竹部、うれしくなって、謙造の肩をドンドン叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「もう、鯉のハナシっていうと、夢中なんだから」
竹部「いや、こっちのコイは魚ヘンよ。ここにココロのついたほうのコイじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
また手をさわって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹部「(謙造に)いや、それにしても、うれしいですなあ。こんなとこで同好の士ととなり合わせるとは思わなかったなあ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、手を竹部にあずけながら、じっと謙造の目を見ている。
●写真[#「写真」はゴシック体]
若い恒子に抱かれて、オッパイを飲んでいる杉男の写真。
●病院・医局[#「病院・医局」はゴシック体](夜)
放心している杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「朝まで帰れないの?」
[#ここで字下げ終わり]
立っている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん――」
朋子「返しに来たの」
[#ここで字下げ終わり]
封筒に入ったものを出す。のぞく札束。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「?」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・一隅[#「病院・一隅」はゴシック体](夜)
朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「金、返すのはかまわないけど、部屋は、梅沢さんとこにおいてもらえばいいじゃない」
朋子「具合悪いわ。あの人、恋人いるもの」
杉男「あ、いつか見た――あの人」
朋子「(うなずく)一緒に住んではいないけど、時々――」
杉男「―――」
朋子「仕事は、彼女に面倒みてもらうけど、住むのは別の方がいいと思うの」
杉男「――食欲は」
朋子「クスリだと思って食べてるわ」
杉男「夜ちゃんとねてる?」
朋子「ねつかれなくて――杉男さんにマスイでもかけてもらいたい……」
杉男「手術しない人には、かけるわけにはいかないよ」
朋子「あたし、大手術よ、いま精神の大手術のまっ最中。十三年間、主婦だったでしょ。脳みそから背骨からみんな取り外して、独身のOLにもどるんだもの、こんな大手術ないじゃないの」
杉男「―――」
朋子「マスイかかるときってふしぎな気持ね。フワッとしていい気持なのに、心細くて何かにつかまりたい――」
杉男「経験あるの」
朋子「――一回だけ」
杉男「手術したことないって――」
朋子「あるのよ、おヨメにきて、次の年。子供おろしたの」
杉男「――おやじが、そうしろって」
朋子「(首を振る)杉男さんも竜二さんも、あたしに馴れてくれなくて――あたしね、自分で決めたの、月末までに、杉男さんがお母さん≠ト言ってくれたら、生もう。言ってくれなかったら」
杉男「――オレ――」
朋子「病院から帰って、ぐったりしてたら、杉男さん、そばに来て、はじめて言ってくれたのよ。どうかしたの¥ャさな声でお母さん≠ト――」
[#ここで字下げ終わり]
物かげから見ている泉。
歩いてゆく二人。
●不動産屋[#「不動産屋」はゴシック体](夜)
駅前の小さな不動産屋のはり紙を見ている朋子。
うしろから声をかけられる。泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「どのくらいのお部屋、探してるんですか」
[#ここで字下げ終わり]
振り向く朋子に笑いかける泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら、あなた――杉男さんの」
泉「名前覚えてます?」
朋子「――泉さん」
泉「よかった、お母様、案外、覚え、いいんですね」
朋子「もうお母様じゃないわ。だから、部屋探してるんじゃないの」
泉「――本気ですか?」
朋子「冗談に見える?」
泉「予算、どのくらいですか。あたし、部屋探しはうまいんですよ。学校の友達やなんか、みんなあたし――」
朋子「学校、行ってらっしゃるの?」
泉「室内デザインの――今年いっぱいでうちからの仕送りストップだから、就職するか、結婚するかしないと――」
朋子「あなたも大変じゃないの」
泉「あ、それ、オフロないですよ」
朋子「あ」
泉「そういうのはトルコの人向き」
朋子「トルコ?」
泉「トルコにつとめてる人、ほら、いつも湯気で蒸されてるでしょ。オフロいらないんですって」
朋子「(笑ってしまう)今日、初めて笑ったわ」
泉「一人暮しするようになったら、一日いっぺんは笑わないと、体に毒ですよ」
朋子「テレビでも見ようかな」
泉「テレビはダメ、あれはウソッパチ。あ、これ――」
[#ここで字下げ終わり]
持ってて下さいという感じで、大きなバッグを押しつけ、フイと角を曲って居なくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あ、泉さん」
[#ここで字下げ終わり]
中から店の人が声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
店の人「別の物件も、中にありますよ」
朋子「あの――何となく、ですから」
[#ここで字下げ終わり]
シューと音がして、朋子の前にいきなりカンビールが突き出される。泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ドギマギする。
泉、センをぬいてのみながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「場所はこのへんですか?」
朋子「そうねえ」
泉「やっぱり杉男さんの病院のそばがいいのかな。アパートの場所で、その人の好きな人が判るんですって」
朋子「え?」
泉「(のみながら)週刊誌でよんだんですけどね、女の子がアパートさがすでしょ、大抵、好きな人の来やすいとこにしてるもんだって――のりかえなくて、スーとこられるとこ――自分じゃ気がついてなくとも、深層心理で、そうなんですって――」
朋子「面白い意見ねえ」
泉「もっと、こやって飲まなきゃ――あたし、お手伝いに行ってもいいかしら」
朋子「お手伝いって――」
泉「おたく。お母さまうちとび出しちゃって――あと、男だけでしょ。あたし、暇だから(言いかける)」
朋子「さあ、それは杉男さんと(相談して)」
泉「お母さまから言って下さればいいんです。ね、いいでしょ」
朋子「―――」
泉「よかった、カンパイ」
[#ここで字下げ終わり]
カンビールをぶつけてくる。ふざけているようで切実な口調。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
ソファで、ウイスキーをのむ門倉。時子は、ドアを半開きにしてあるベッドルームに誘いたい。
酒をつぐ時子。
グラスに手でふたをする門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「いま、何時」
門倉「もう十時だよ」
時子「『まだ十時だよ』――前はそう言ってた癖に」
門倉「(つぐ)」
時子「いいわよ、ムリに飲まなくても」
門倉「―――」
時子「(笑って)そうだ。あのお金貰お。彼女、ここに置いとこう」
門倉「金は返すって言ってたじゃないか」
時子「お金はどっちでもいいの、心配だもの。朋子、オン出したら、あんたきっと、朋子のアパートたずねてゆくもの。あんた、そういう人だもの。ここに置いとけば、まだ安心だもの。あんたも、あの人の顔見に来てくれるし――」
門倉「――(時計を気にする)」
時子「大丈夫よ。今晩は帰ってきます(甘える)」
門倉「よせよ」
時子「大丈夫よ。あんたがいる間は、彼女入ってこないわよ」
門倉「どうして判る」
時子「ドアのノブに赤いリボン、結んであるもの」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、パッと立ってドアをあける。ノブには何もついていない。
門倉、出てゆく。
●マンション・入口[#「マンション・入口」はゴシック体](夜)
指で、赤いリボンをくるくるともてあそびながら、立っている朋子。
出てくる門倉、赤いリボンをひったくるようにする。
リボンの端が朋子の指環《ゆびわ》にでも引っかかったのか、二人の間に赤いリボンが一瞬ピンと張られたようになって、地面に落ちる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、黙って一礼する。
帰ってゆく門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「(屈託のない声)どしたの? 遅かったじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
帰ってきた謙造が、ネクタイをゆるめている。テーブルで本をめくっている竜二。(本は錦鯉の飼育法)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お前ひとりか」
竜二「うん」
謙造「杉男、どした」
竜二「今晩は夜勤だろ」
謙造「(キョロキョロ見廻す)」
竜二「誰も居ないよ」
謙造「もひとり居るだろ」
竜二「あ、じいちゃんならいない」
謙造「どこ、行ったんだ」
竜二「送ってった」
謙造「誰を」
竜二「ガールフレンド」
謙造「あのバアさんか」
竜二「尾崎さんていわないと、怒られるよ」
謙造「ずっと居たのか」
竜二「らしいね。あ、鯉七十年も生きるの。じいちゃんと同じじゃないか」
謙造「え?」
竜二「この本誰の? どうしてうちに錦鯉の本あンのよ」
謙造「いいから、早くフロでも沸かせ」
[#ここで字下げ終わり]
竜二を追い立て、本をほうり出す謙造。
食卓のフキンを取ると、チンマリした和食。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光(声)「いやあ、包丁さばきといい味つけといいおみごとです」
松子(声)「お恥かしい……」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、和室の床の間を見る。うすぼけた花がいけてある。
●団地[#「団地」はゴシック体](夜)
ゆっくりと歩く二つの影法師。
重光と松子である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「心得のある方がいけると、枝ぶりが生きますな」
松子「お茶だ、お花だ、ツヅミだ、能だ――もう娘時代は親を恨みましたけれど」
重光「一生のお宝じゃありませんか。第一、身こなしがちがう」
松子「あら、どうしましょう」
重光「おっとっと。あぶない」
[#ここで字下げ終わり]
よろける二つの影法師。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「それにしても、お夕食をご一緒願えなかったのが残念で――」
松子「せっかくヨメが支度してくれますのに、外ですませましてはねえ。気に入らないといっているようで、ヨメに気の毒でございますから」
重光「お気が細かい」
松子「あの――こちらで」
重光「いや、お宅の前まで送らせていただきたい」
松子「いえ、そこでございますから、どうか、ここで」
重光「そうですか。では――」
松子「ごきげんよう」
重光「あした、お目にかかれますな」
松子「――おやすみなさいまし」
重光「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
深々とおじぎを交わす、二つの影法師。
松子、階段をのぼってゆく。
見送る重光。
●尾崎家・玄関[#「尾崎家・玄関」はゴシック体](夜)
ハァハァと息をはずませて、松子が上ってくる。先ほどの、背筋をシャンと伸ばした姿とは別人のように、腰を曲げ、てすりにすがるように上ってくる。
あえぎながらベルを押す。
中から嫁らしいジャケンな声。添い寝していたらしく、幾分ねぼけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
嫁(声)「おばあちゃん?」
松子「あたし――すみません。おそくなって」
[#ここで字下げ終わり]
声も別人のように卑屈でいじけている。
ドア、あいて、中へはいりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
嫁(声)「おそいのはいいけれど、せっかくねついたとこベル鳴らされちゃ、起きちゃうでしょ」
松子「ごめんなさいよ」
嫁(声)「(夫に言ってるらしい)おばあちゃん――」
息子(声)「いい年してどこ、フラフラ歩いてんだよ」
松子「どこって――あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
何か蹴《け》とばしたらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
嫁(声)「踏まないでちょうだいよ、せまいんだから!」
[#ここで字下げ終わり]
子供の泣く声。
出しっぱなしのこわれた三輪車。
無表情にしまった鉄の扉が、その中で、余計者扱いされているらしい松子の生活を物語っている。
●団地[#「団地」はゴシック体](夜)
せいいっぱい弾んで帰ってゆく重光。
しかし、こっちも立ち止まって、ひと息ついている。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
ウイスキーをのんでいる時子。窓からおもてをのぞいている朋子。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](深夜)
湯上りの謙造がビールをのんでいる。
床にだらしなく這《は》ったバスタオル、すいがらがいっぱいの灰皿、散らかしている食卓。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
帰ってゆくバーテン。
カギをかける恒子。
●病院・リカバリー・ルーム[#「病院・リカバリー・ルーム」はゴシック体](深夜)
患者(三つ位の女の子)酸素マスクをしている。
急変らしい。
医師、婦長、根岸むつ子たちがこわばった表情で応急処置をしている。
見守る杉男。
酸素マスクのふくらみがだんだん弱くなり停止する。
母親の号泣する声。
●医局[#「医局」はゴシック体](あけ方)
放心している杉男、婦長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
婦長「黒沼先生、少し横にならないと、もちませんよ」
杉男「うちへ帰るよ」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体](あけ方)
誰もいない病院のあけ方の廊下。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「四歳の女の子が息を引き取った。こういう時、病院の廊下は、細長い『ひつぎ』のように思える。あたたかいものに触れたい。やわらかい声を聞きたい。誰かの胸に顔を埋めて、ひよこのように眠りたいと思った」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・茶の間[#「黒沼家・茶の間」はゴシック体](あけ方)
誰もいないあけ方。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](あけ方)
ソファに横になる朋子。ねむれないらしく目をあけている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](あけ方)
ドアを叩く杉男。
ドア、内側からあく。肩かけを羽織った恒子。
おどろきながら杉男を中へ入れる。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](あけ方)
ソファの方に腰を下ろす杉男。
水の入ったグラスをもってくる恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「患者さん、亡くなったんじゃないの」
杉男「どうして判るの」
恒子「お客さまでいるのよ。患者さんが亡くなると、その晩は、飲まずにいられないっていう方――お酒、上げようか」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、水を飲み干す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「これがなきゃ、医者はいい商売だってそのお客様(言いかける)」
杉男「死んだのは――四つの女の子だよ」
[#ここで字下げ終わり]
上衣《うわぎ》を揃《そろ》えていた恒子の手がとまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「手術の失敗?」
杉男「手遅れ。母親の不注意でね」
恒子「―――」
杉男「もう一日、早くかつぎ込んでりゃ何とかなったって――担当の連中が口惜《くや》しがってたよ」
恒子「――寿命なのよ。四つで死ぬ子は、四つで死ぬ寿命だったのよ」
杉男「そんなこたァないよ」
恒子「ううん、医学じゃ判らない『なにか』があるのよ。同じようにカゼひいたって、何ともなく治る子もいるし」
杉男「三つで死ぬ子もいるんだよ」
恒子「患者さん、四つじゃないの」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「光子のことなら――もうお母さん、いじめないどくれ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ソファに横になって目を閉じる。
肩かけをかける恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「妹が死んだ時のことは、今でもはっきり覚えている。びっくりするほど小さなお棺を両手で抱えるようにしておふくろは泣いていた。バンコックから帰ってきたおやじは、おふくろを突きとばすようにして、お棺のフタをあけた。じいちゃんは、花輪の中に、赤い花がまじっているといって玄関で葬儀屋をどなりつけていた。そのことを、オレはいっぺんだけ、あの人に話したことがある。おやじのいない台風の来た晩だった」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・黒沼家・居間[#「回想・黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
烈しい風。電灯が時々消えたりする。
ウイスキーをのんで、酔っている杉男。浴衣の朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「このくらいの――大きなフランス人形の箱ぐらいの大きさなんだよな。オレ、葬儀屋に、そんな小さなお棺あるってことにすごく腹立ってさ。子供の死ぬの、待ってるみたいで」
朋子「―――」
杉男「坊主のお経も腹立ったな。三人の坊主が、混声合唱みたいに、上手に声そろえてお経よむんだよ。リサイタルじゃないんだぞって、もすこしでオレ――お母さんも飲めよ」
朋子「台風くるかもしれないのよ。お父さんだっていないし」
杉男「オレ、いるじゃないか(つぐ)」
朋子「(少しのむ)その時、杉男さん――十二だったわけね」
杉男「――あの時から、ばあちゃん、おふくろに口きかなくなったんだよな」
朋子「全然? ひとことも」
杉男「(うなずく)おふくろ、友達と酒のんで酔っぱらって外泊したんだもんな」
朋子「でも――お父さんずっとバンコックへ出張してたんでしょ。お母さんさびしかったのよ。クリスマスぐらい、昔のお友達と、羽目はずしてさわいだって」
杉男「カゼ引いてねてる子供おっぽり出して、外泊することないじゃないか」
朋子「出かけるときは、七度ちょっとだったっていうじゃないの。肺炎起して死ぬと思えば(言いかける)」
杉男「外泊することないよ。浮気すること(ないよ)」
朋子「――何もなかった、気分が悪くなって朝になったけど、潔白だったって――ご本人はそう言ってらしたって」
[#ここで字下げ終わり]
電気消える。
ローソクをつける朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「嘘《うそ》だよ」
朋子「―――」
杉男「オレ、電話、取ったもの、男からの電話――」
朋子「よしなさい」
杉男「あれ、おふくろの」
朋子「もうよしなさい。それ以上言っちゃいけない――」
杉男「オレ」
朋子「口に出して言っちゃいけない――」
[#ここで字下げ終わり]
もみあう二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「オレ、やなんだよ。そりゃ、浮気もやだよ。だけど、それより、間違いしたくせに、しないような顔して――自分で、その嘘信じてるおふくろ許せないんだよ」
朋子「杉男さん――」
杉男「自分を許さないじいちゃんばあちゃんのこと恨んで、被害者みたいな顔して、このうち出てった――子供捨てて出てったおふくろ、オレ、絶対に」
謙造「暗いとこで何騒いでるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
立っているズブ濡れの謙造。
離れる朋子、杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「コーヒー、入ったわよ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](あけ方)
湯気のたつカフェ・オーレをすすめる恒子。
起き上る杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「大阪へ、帰って下さい」
恒子「大阪へ?」
杉男「こっちへくる前は、大阪にいたんでしょう」
恒子「誰に聞いたの」
杉男「―――」
恒子「その通りよ。うち出てから、ずっと大阪。東京にいると、あんた達に逢《あ》いたくなるから――大阪の『つる川』って料亭で、仲居頭して、働いてたわ」
杉男「東京へ出てくることないじゃないか。こんなとこで店やって、おやじや竜二に連絡してくることないじゃないか。あれから、うちはメチャクチャなんだよ」
恒子「―――」
杉男「大阪へ帰って下さい。オヤジとヨリもどすなんて、やり方、汚ないよ」
恒子「ヨリ、もどしたんじゃないわ」
杉男「(にらみつける)いい加減なこと言うなよ。お母さんは(言いかけて)アンタは、人の気持――血のつながらない男の子、十三年も面倒みた人の気持、考えたことあるのか。三年もばあちゃんの看病した人の気持、考えたら――竜二に逢うぐらいのことはいいよ。でも、おやじさんとヨリもどしたら、あの人、あんまり可哀そうじゃないか」
恒子「アンタ――新しい方好きなんじゃないの」
杉男「―――」
恒子「――杉男。お前、口固い?」
杉男「―――」
恒子「これだけは言わないつもりだったけど――お父さんに逢ってるのは、仕事のためなのよ」
杉男「仕事?」
恒子「お父さんの会社が、大橋の入札で、大詰めにきてるの、あんたも知ってるわね」
杉男「―――」
恒子「お母さん、働いてた『つる川』って料亭、公団のえらい人、常連だったのよ。そこで偶然に、お父さんの名前聞いたのよ。『日枝《ひえだ》建設は、黒沼って若僧が担当だけど、まあ脈はないね』って。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]男の人って、ああいう席で、まあ無防備にしゃべるもんねえ。誰はどこにいくらリベート(言いかける)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じゃあ、その情報――」
恒子「お父さん、のどから手が出るほど欲しかったって――入札うまくゆけば、役員昇格間違いなしですもんね」
杉男「―――」
恒子「光子死なせた罪ほろぼし――」
[#ここで字下げ終わり]
立ち上る杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男」
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](早朝)
ねている謙造。
いきなり体の上に札束が叩きつけられる。
立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「なんだ、お前」
杉男「お母さんから、あずかったんだ。返すってさ」
謙造「杉男」
杉男「きたないまね、よせよ、昔の女房、使って、入札の情報手に入れるなんて」
謙造「――おい」
杉男「男として最低だよ」
謙造「恒子がそう言ったのか」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、笑い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「女ってやつは、みえっぱりというか、かわいいというか、息子に、きまり悪かったんだな」
杉男「―――」
謙造「昔の亭主とヨリもどしたとは、言いにくかったのさ」
杉男「見えすいたウソ、言うなよ。第一、ヨリもどしたんじゃないって言ってたじゃないか」
謙造「バカ者。昔の夫婦がヨリもどしたって、罪にはならん、だが、入札の件は――」
杉男「―――」
謙造「ヨリをもどしたんだよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それでいいじゃないか」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「それで、うち出た人間もいるんだよ」
謙造「一月の我慢だ。一月たてばけりがつく」
杉男「お母さんには、ハッキリ言うべきだよ」
謙造「必要ないよ」
杉男「そっちが言わないんなら、オレが言うよ」
[#ここで字下げ終わり]
とび出す杉男。
謙造、後を追おうとするが、パジャマのズボンをはいていないのに気づく。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](朝)
電話のベル。うすぐらい部屋。
ソファの朋子、体を起す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ねえ、電話だけど、あたし、出ていいのかな。時子! 電話」
[#ここで字下げ終わり]
ベッドルームから出てくる時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「門倉にしちゃ、早いわねえ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]モシモシ。ああ、あんた。息子さん」
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](朝)
電話をかける杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
受話器をふさぐ謙造の大きな手。
はらいのけようとする杉男と無言の争いになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「モシモシ。杉男さん。モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、しっかりとフタをして、低い声でいう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「言ったら、朋子はもう、もどってこないぞ。いいのか、それでもいいのか」
[#ここで字下げ終わり]
うしろに、重光が立ってじっと見ている。
杉男、ひるむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――お母さん、おはよう」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](朝)
朋子、少し離れて時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――おはよう、どしたの、こんなに早く」
杉男(声)「いま、帰ったんだけどさ、元気にしてるかなと思って」
朋子「元気よ。お母さん、今日から就職。時子さんの、編集の仕事、手伝うの」
謙造(声)「そうか、何事も社会勉強だ。しっかりやンなさい」
[#ここで字下げ終わり]
いつの間にか電話の相手がすり変っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた――モシモシ」
謙造(声)「体に気つけて――いいな」
[#ここで字下げ終わり]
電話切れている。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
受話器を置く朋子。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
謙造をにらみつける杉男。
重光、知らんプリをして入りかける。
ドア・チャイムが鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ハーイ、誰だこんなに早く」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆきかけた重光、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「尾崎さんだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お手伝いに見えて下さったんだ」
[#ここで字下げ終わり]
二人をはねとばすようにしてすっとんでゆく重光。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](朝)
重光、少年のようにはずんでカギをあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「はやばやと、お使い立てして恐縮です」
[#ここで字下げ終わり]
立っているのは泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おはようございます」
[#ここで字下げ終わり]
出てくる杉男、謙造、びっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「泉さん――」
泉「お手伝いにきました」
[#ここで字下げ終わり]
うしろから竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「オレがたのんだんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
●国道[#「国道」はゴシック体]
走るナナハン。
男と女が乗っている。
ヘルメットをかぶっているのは竜二。
うしろは泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おろしてよ! おろして!」
竜二「暴れると、落ちるよ」
泉「ねえ、おろして! ちょっと乗ってみないかって言われて腰かけたのよ、こんなに飛ばすと思えば、あたし乗らなかったわよ」
竜二「ヘルメット、貸そうか」
泉「おろして! おろして!」
竜二「――そやってさ、でっかい声出してる方がかっこいいよ。いい女の子がさ、ベソベソして町歩いてるよか、ずっといいよ」
泉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体]
立っている泉。
あっけにとられている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おはようございます」
[#ここで字下げ終わり]
出てくる杉男、謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「泉さん……」
泉「お手伝いに来ました」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、何か言いかける。口を封じるようにうしろから竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「オレがたのんだんだよ」
杉男「竜二、お前――」
謙造「こちら……」
竜二「兄貴の恋人。な?」
杉男「―――」
泉「友達です」
竜二「島田泉さん、な?」
謙造「どうも――(竜二に)お前どうして」
泉「お母さまに、たのまれたんです」
杉男「おふくろ?」
竜二「どっちのおふくろ?」
謙造「バカ、お前、何言ってンだ」
竜二「うち、おふくろ二人、いるんだよな、一人、出てったから、もう一人になったのか」
杉男「よせよ」
謙造「(突きとばして)朋子、この人を知ってるのか(杉男に)」
泉「逢ったんです。不動産屋さんの前で――お母さま、アパート、さがしてらしたとこ、あたしが通りかかったんです。事情があってうち、出たけど、女手がないから面倒みて下さる? って」
[#ここで字下げ終わり]
うしろで、気をもんでいた重光が割り込んでくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「あのお気持は有難いんだが、女手は、あるんだ」
泉「でも、あたし、お母さまから、たのまれたんです。みんなはパンだけど、おじいちゃまだけは、ごはんに、おみおつけだって、おみおつけの実は、おとうふとわかめが一番お好きだって」
重光「でもね」
泉「ちゃんと買ってきたんです。ほら、おとうふ。エプロンだってちゃんと」
杉男「あのねえ」
重光「見えることになっとるんだ、折角だがねえ、お気持だけ」
竜二「わざわざ来たのに、追い帰すことないだろ」
杉男「待ってくれよ」
謙造「どういうことなんだ、こりゃ」
[#ここで字下げ終わり]
半開きのドアから顔を出す松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「まあ遅くなりました、おはようございます」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
謙造が、廊下の一隅に杉男を押しつけるようにして低い声で問いつめている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「約束したのか」
杉男「約束?」
謙造「結婚」
[#ここで字下げ終わり]
エプロンをつけながら廊下の角を曲りかけた泉、足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「そんなんじゃないよ」
謙造「ただの『遊び』か」
杉男「え?」
謙造「ひっかけただけか」
杉男「違うよ」
[#ここで字下げ終わり]
このあたりの二人、目で意味のさぐりあい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「手も出さない結婚の約束もしてない女の子が、朝っぱらから人のうちにノコノコ手つだいにくるか」
杉男「たのまれたって言ってたろう」
謙造「お前にその気がないんなら、今日だけにしてもらった方がいいな。会社でもあるんだよ、アルバイトにちょっと使ったつもりが居すわって、こっちもことわりづらくなって、ズルズル本採用ってのが――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ありゃどうも、質が落ちるな。やとうんなら、金で、パートタイマーの方が」
ギューと床がきしむ、うしろに立っている泉。
泉、身をひるがえす。
●台所[#「台所」はゴシック体]
朝食の支度をととのえている松子のうしろに、まつわりつくようにしている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「なにも食堂じゃないんだから、二人はいりませんよ」
松子「わたくしご遠慮しましょうか」
重光「なにをおっしゃる」
[#ここで字下げ終わり]
冷蔵庫から卵を出している松子。
●居間[#「居間」はゴシック体]
バッグをとりに台所へ走りこもうとする泉を、体でとめる竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「帰った方が負けだよ」
泉「―――」
竜二「兄貴に惚《ほ》れてンだろ。だったら」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、突きとばされる。杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「なにやってンだ。お前は、この間から、いろんなものぶっこわすことばっかりしてるじゃないか」
竜二「オレ、なにぶっこわしたよ、正しい位置にもどしただけじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
もみあう兄弟、泉、すりぬけて、台所へかけこむ。
配膳台の上のバッグをひったくるようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おじゃましました」
[#ここで字下げ終わり]
とび出そうとする。
松子にぶつかる。卵、床に落ちて割れる。
泉、杉男を突き飛ばし、謙造を突きとばして、玄関へ走る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「泉さん!」
[#ここで字下げ終わり]
玄関に立って、ドアをあけてやる竜二。
●国道[#「国道」はゴシック体]
走るオートバイ、のっている竜二と泉。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
重光だけがすわっている。こわばっているが、つとめて気にしないといった風に食卓をととのえてる松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「みんな、なにをしているんだ」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
謙造と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「食いたくないんだよ」
杉男「じいちゃんが気にするから――」
謙造「一月たてば朋子がもどってくるんだ、あわてて、人、いれるこたァないんだ」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
うしろから重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「杉男、お前も、ごはん」
謙造「(口の中で)どいつもこいつもどさくさにまぎれて――なんだ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、超然としている。
●居間[#「居間」はゴシック体]
こわばるものを押さえて、平然と食卓をととのえる松子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
朝食の手をとめて放心する朋子。
見ている時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(ポツンと呟《つぶや》く)十三年、かかったんだ……」
時子「なにが」
朋子「え?」
時子「なにが十三年かかったのよ」
朋子「うちの瀬戸もの、取りかえるのに」
時子「ああ、前の奥さんの――」
朋子「ごはん茶碗、コーヒーカップ、おしょう油つぎ。お取皿、少しずつ、取りかえたわ。女ってケチね、高いの割るときはちょっともったいないなんて――迷ったりして――」
時子「アンタ、わざと割ったの」
朋子「(コーヒーをのむ)」
時子「おっかない」
朋子「女なら当り前でしょ」
時子「――アンタのあと、入る人は、あんたの買った瀬戸もの割って、新しいの買いかえるわけだ」
朋子「―――」
時子「女が、うち、出ると、瀬戸もの屋が儲《もう》かるとは、知らなかったわね」
朋子「―――」
時子「どう? 誰かがあとに入って、あんたの買い揃えた瀬戸もの、ガシャンガシャンてこわされてるって思う気持」
朋子「カンケイないわ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、コーヒーを少しこぼす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「未練がある……」
朋子「あるわけないでしょ」
時子「ある」
朋子「あるとすれば、未練じゃなくて、恨みよ、黒沼って聞いただけで」
時子「でも子供たち、あんたのこと、お母さんてよんでたわけでしょ」
朋子「長男はね」
時子「次男は呼ばないの」
朋子「とんでもない」
朋子(N)「子供の時は、甘ったれて人なつっこいところがあった。口の中で『お母さん』て、つぶやいてくれたこともあった。でも二年続けて大学入試に失敗した頃から、すべての鬱憤《うつぷん》を私に向けるようになった」
[#ここで字下げ終わり]
●国道[#「国道」はゴシック体]
走るオートバイ。
竜二にしがみつく泉、ヘルメットは泉がかぶっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「とばして! もっととばして!」
[#ここで字下げ終わり]
不意に前方に人影(買物の中年の主婦)。
急ブレーキ、きしみ。
買物かごが宙に舞って、中から卵がとび出す。道路に叩きつけられて割れる。
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
起きぬけといった格好で、ゴミバケツを出している恒子。
中から電話のベル、ゆっくりと入ってゆく恒子。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
電話を取る恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ブーメラン――(言いかけて)え? 竜二が事故――」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
電話している泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ケガは大したことないんですけど、人身、やっちゃったんです」
[#ここで字下げ終わり]
すりむいたらしく手に繃帯《ほうたい》の泉。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「いま、どこなの? 病院?」
泉(声)「警察です。竜二さんが一番先にお母さんに知らせてくれって――」
恒子「モシモシ場所はどこなの?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・ポーチ[#「黒沼家・ポーチ」はゴシック体]
ゆっくりと茶をのむ重光と松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「ゆっくりと、流れてゆきますな」
松子「――雲ですか」
重光「時ですよ。タイム」
松子「――私たちの時間は、お若い方の時間とは違いますものね」
重光「一分一秒でも、無駄にしてなるものか、という気がしますよ」
松子「(うなずく)」
重光「こんどご一緒に、夕陽を見ませんか」
松子「夕陽ですか」
重光「この間、のったタクシーの運転手が、夕陽にくわしい男でしてね。都内には、夕陽の名所がいくつかある。というんですなあ」
松子「ぜひ。場所はどこでしょう」
重光「ええとね。ええと」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話ベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「なんだ、いいところで――」
[#ここで字下げ終わり]
二人、ゆきながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「電話なんて不粋なもの発明したのは誰だ」
松子「エジソンじゃございません」
重光「ベルですよ。アレキサンダー・グラハム・ベル」
松子「それでベルが鳴るのかしら」
重光「ユーモアの才能もおありになる」
松子「(出ても)よろしいかしら」
重光「(どうぞと浮かれた身ぶり)」
松子「黒沼でございます」
[#ここで字下げ終わり]
重光、うれしいので、全身でおどけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「事故?」
重光「?」
松子「事故って誰が――竜二さんが、オートバイで人身事故――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、いきなり、受話器をひったくり、別人のような烈しさで叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「ケガの具合は!」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「竜二さんは、軽くアタマ打っただけですけど」
重光(声)「竜二じゃない」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
重光、松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「竜二がはねた被害者のことを伺っているんだ」
泉(声)「全治一週間ていってました」
重光「生命に別状ないんでしょうな」
泉(声)「大丈夫です」
重光「よかった――(ふと気づく)モシモシうちの竜二はオートバイは持っておりませんが。第一、免許証……」
[#ここで字下げ終わり]
●代々木署・交通課取調室[#「代々木署・交通課取調室」はゴシック体]
係官の内田(50)に調書をとられている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内田「無免許の奴が、えらそうに言いわけすンな!」
竜二「なんだよ、その言い方は。――ムチャクチャだよ。横断歩道でもないとこ、いきなりパッととび出してきたんだよ。どうやってよけンだよ」
内田「生年月日!」
竜二「免許証、もってたら、よけられたっていうの?」
内田「生年月日!」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
重光、松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「無免許で人はねたっていうと、やっぱりチョーエキでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
重光、頭を叩いて、何か懸命に思い出そうとしてうなっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「どうなさいました」
重光「ええと、なに建設だったかな。ウーンと――」
松子「ああ、息子さんのおつとめ先。あの、橋の入札がいよいよ大詰めだってさっきも言ってらしたじゃありませんか。そこの渉外部長してらっしゃるって」
重光「まだ度忘れする年でもないんだが」
松子「電話帳か名刺」
重光「電話帳――」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
玉木常務、謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
常務「重役会議の結果だが、入札の件は、黒沼君、君に一任することに決定したよ」
謙造「一任といいますと――」
常務「すべて――」
謙造「やり方も、金額も」
常務「もちろん」
謙造「そうすると、万一の場合の責任もですか」
常務「万一の場合のないようにしてもらわないと。――社としちゃ困るねえ」
謙造「―――」
常務「君にしたって、うまくゆけば役員昇進間違いなしだ。折角手に入れたすわり心地のいい椅子、棒にふるこたァないだろう」
謙造「―――」
常務「若い奥さん、よろこばしてやれるじゃないか」
謙造「―――」
[#ここで字下げ終わり]
SE ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
常務「はい」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる、水村。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
水村「失礼いたします。部長、ちょっと」
謙造「なに?」
水村「ちょっと」
謙造「いいよ」
水村「ちょっと――いま、お宅から電話で」
謙造「なんだって」
水村「次男の方が、交通事故を起されたそうです」
謙造「竜二の奴……」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション・表[#「時子のマンション・表」はゴシック体]
梅沢時子のネームプレートをたしかめてベルをならす謙造。
なかなか出てこない。
謙造、焦《じ》れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「梅沢さん、お留守ですか」
[#ここで字下げ終わり]
ドアが開く。
シャワーをあびていたらしく、頭からしずくをたらし、バス・ローブを巻きつけた門倉。
両方、びっくりしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「こちら、梅沢時子さんの部屋じゃ、ないんですか」
門倉「そうですが――」
謙造「――あの、家内、おじゃましておりませんか」
門倉「――黒沼さんの、ご主人」
謙造「失礼だが、どなた」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、バス・ローブのひもを、謙造の鼻先でヒラヒラさせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「これですよ」
謙造「?」
門倉「ヒモ、合鍵《あいかぎ》使って女のマンションへ上りこんで、シャワーあびて、昼寝してるなんてのは、ヒモぐらいのもんでしょう」
謙造「僕はですな」
門倉「あ、ご心配なく、時子さんのこれ(ヒモ)ですから」
謙造「(中をキョロキョロながめる)」
門倉「ご婦人方、おでかけですよ、お宅の奥さん今日からうちの彼女の編集部につとめるっていってたなあ」
謙造「場所はどこですか」
[#ここで字下げ終わり]
●ファンタジー編集部[#「ファンタジー編集部」はゴシック体]
小汚ない屋根裏部屋のような部屋、壁一面のポスター。
びっくりしている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「編集部っていうからあたし、もっと」
時子「立派なとこだと思ったの? 常識ないなあ、ライフやヴォーグの編集部じゃないのよ。日本のはみんなこんなもン」
朋子「そうかなあ」
時子「うそだと思ったら『アンアン』や『クロワッサン』の編集部のぞいてごらんて。あたし、いっぺん行ったけど、一人の机、三人で使ってさ、ゴタゴタしたせまいとこに人間がいっぱいで、ワーンってしてたから。儲かってる本の編集部はそんなもん!」
[#ここで字下げ終わり]
早口にまくしたてる。
時子のまわりに集る三、四人の男女。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ね、これ、なに」
A「もと、フランス・パン」
B「今は文鎮」
[#ここで字下げ終わり]
一同、どっと笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「このくらいのことでおどろかないでよ、ネエチャン、ジョーチャンなんだから」
朋子「―――」
時子「紹介する、こないだからはなしてた、アルバイト」
朋子「黒沼と申します」
時子「苗字《みようじ》よか名前いっといた方がいいんじゃないの」
朋子「え? ああ」
A「離婚かなんか」
時子「絶対にすると本人がいい張ってますけどねえ」
朋子「もどるつもりなら、就職頼みゃしないわよ」
時子「これで亭主から電話があるとコロッとひっくりかえって尻尾《しつぽ》振ったりすンだから」
朋子「(強く)そんな時期は過ぎたわ」
時子「……そっちから、経理の田宮さん」
朋子「よろしく」
時子「次が広告の」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドンドンとノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「うるさいなあ」
A「来々軒じゃないの」
B「ラーメンのドンブリなら、おもてに出てる!」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあく。
謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「恐縮ですが、こちらに、黒沼――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子と時子、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「あ――」
朋子「(無視して)こちら、広告の」
時子「広告の――ねえ(朋子を突つく)」
朋子「いいの。こちら広告の」
時子「広告の――」
謙造「お仕事中ですが、子供が交通事故やりまして」
朋子「(ギクリとはするが)そんな手は、古いって、そう言って――」
謙造「本当なんだよ、いま、警察から電話があって」
朋子「仕事中ですから帰って下さい」
謙造「――杉男がけがしたんだ――」
朋子「――杉男さん――」
謙造「生命に別状ないんだが――わたしは、入札の件でどうしても逢《あ》わなきゃならん人間がいて、いかれないんだ。かわりに行ってくれないか」
朋子「―――」
謙造「代々木署の交通課だ」
朋子「―――」
謙造「たのむ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、強い視線で朋子を見て、出て行く。
時子、バッグを朋子の手に持たせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「なによ、これ」
時子「(押しつける)」
朋子「あたし、うち出た人間よ、ゆくことないわ」
時子「次男の竜二っていった? あの子がやったんなら、いいわよ、ほっといたって。でも、長男なんでしょ――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]杉男さん――マスイのお医者してる人でしょ? あんたのこと、一番心配してくれた人じゃない」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
時子「あんたのこと、お母さんて呼んでくれた人じゃない」
朋子「――もう、母親じゃないもの。どうもおさわがせして」
時子「無理しないの」
朋子「無理なんかしてないわよ。つづき――お願いします」
時子「じゃ、言ってごらんなさいよ。この人――」
[#ここで字下げ終わり]
田宮を示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「名前と担当」
朋子「え?」
時子「えって、いま紹介したばかりじゃないの」
朋子「え? ああ」
時子「気持は、もう、そっちへ行ってんのよ――」
[#ここで字下げ終わり]
バッグを押しつけ、背中を押すようにする。
●病院・医局[#「病院・医局」はゴシック体]
息を切らし、杉男に報告している看護婦の根岸むつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「竜二が事故?」
むつ子「オートバイで人、はねたんですって。あたし、すぐ黒沼先生に報告するっていったんですけど、婦長さんが、オペ終ってからにしなさいって」
杉男「被害者のけがは」
むつ子「たいしたことないそうです。でも無免許なんで、弟さん、いま警察で」
杉男「馬鹿野郎」
[#ここで字下げ終わり]
●代々木署・取調室[#「代々木署・取調室」はゴシック体]
かけ込んでくる恒子。
取調官の内田と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「竜二!」
竜二「お母さん」
恒子「頭、大丈夫なの」
内田「お母さんですか」
恒子「え? あ――」
竜二「―――」
恒子「はあ、どうも、このたびは申しわけございませんでした」
内田「まあ、坐ンなさい。あんたも人の親ならね、自分の子供のけが、たずねる前に、息子がはねた被害者のケガの心配してもいいんじゃないの」
恒子「あ――本当に――。取り乱しておりまして――そちらの方のおけが、どの程度……」
内田「言われてから、あわくって聞いたって遅いけどさ」
竜二「全治一週間だって」
恒子「よかった」
内田「なにがよかった――」
恒子「あ、いえ。その程度で不幸中の幸いだって――あ、どうも」
内田「――お母さん、いくつなの」
恒子「は」
内田「年」
恒子「四十八でございます」
内田「年にしちゃ若いのはけっこうだ。爪の先っぽ赤くすンのも勝手だけどさ、自分とこの息子が何してるか、そこのとこ、もちっと気つけなきゃ、いけないんじゃないの。まあ、未成年じゃないからねえ、おっかさんに文句いうのもスジ違いかもしれないけど、ひとつ屋根の下に住んでて、あんまり無責任じゃないの? え?」
恒子「申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、母を見て、ちょっといたずらっぽく甘えた笑いをみせる。
恒子も、小さく応える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内田「何がおかしい」
[#ここで字下げ終わり]
●街[#「街」はゴシック体]
急ぐ朋子、人にぶつかっている。
●代々木署・廊下[#「代々木署・廊下」はゴシック体]
ベンチに腰をおろしている泉。
警官にたずねながらソワソワと入ってくる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あ、あんた、今朝みえた――」
泉「―――」
謙造「どして、あんたがここにおられるの」
泉「一緒だったんです」
謙造「一緒――」
泉「竜二さんのオートバイに乗ってたんです」
謙造「アンタ、杉男の、友達じゃなかったんですか」
泉「そうですけど」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、どうも判らんな、といった感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「部屋は――」
泉「(指さして)みえてます」
謙造「え! あ、あーもう来てるの」
[#ここで字下げ終わり]
ノックする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内田(声)「はい!」
[#ここで字下げ終わり]
入ってゆく謙造。
●取調室[#「取調室」はゴシック体]
入る謙造、アッとなる。
内田、竜二。
そして恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「父親です――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、謙造のそばに寄って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「無免許だし、態度もよくないって――一晩泊ってもらわなきゃならないって。いまお詫《わ》びしてる最中――」
謙造「大それたこと、しでかしたんだ。規則通りにこらしめていただいた方が本人のためだよ」
恒子「お父さん――(小さく)そんなこと言って、これ以上曲られたらどうするの」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、外を気にする。
気が気ではない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ね、あなたからも、お詫び申し上げて――」
謙造「――ご迷惑をおかけして、お恥かしい限りです」
内田「お父さん、つとめ先は、ええと」
恒子「日枝建設の渉外部長、いたしております」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、自分の隣りの席を手で示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ちょっと――仕事のことで、あの、電話しなくてはならない用がありまして、すぐ戻ります」
恒子「お父さん――なにもこんなとこで」
謙造「すぐすむから――いやあ、橋の入札のハナシが大詰めにきてまして――公衆電話」
内田「階段の下!」
恒子「申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、すばやくバッグから十円玉を三つ四つ出して、謙造に手渡す。
場所柄にしては少し弾んだ妻のしぐさ。
見ている竜二。
謙造、十円玉を手に出てゆく。
●代々木署・廊下[#「代々木署・廊下」はゴシック体]
出てくる謙造、泉のそばに寄って――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「まことにすまないが、朋子が来たら」
泉「トモ子――」
謙造「家内が来たら――連れ出してもらえませんか」
泉「みえるんですか」
謙造「もう終って、帰ったと。そう言って――あそこ(取調室)へ入れないで、あなた、恐縮だが、どっかへ引っぱり出して下さい」
泉「でも、あたし――」
[#ここで字下げ終わり]
いきなりドアがあいて恒子が出てくる。
謙造、あわてて泉のそばをはなれる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「電話、電話――」
[#ここで字下げ終わり]
目でさがす。
恒子、そばへ寄ってネクタイのゆるみを直しながら囁《ささや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「また、ひとつお役に立つ、アレ――つかめそう、今晩八時――店で――」
謙造「(表を気にしている)」
恒子「もうひと押しで、決まりじゃないの、入札」
謙造「―――」
恒子「電話、あとじゃいけないんですか」
謙造「うーん、とにかく入ろう」
[#ここで字下げ終わり]
恒子を押すように取調室の中へ入って行く。
泉、謙造に小さくうなずいてみせる。
廊下の一隅から警官がくる。その後ろから小走りに朋子。
泉の姿も目に入らぬように通りすぎる。
声をかけようとするが、泉の前を二、三人の警官と掃除のオバサンが通りすぎて間に合わない。
警官、ドアを叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
ドア内側からあく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
警官「お母さんが見えました」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、入りかけて、けげんな顔、坐っているのは、竜二と謙造、係官の内田。
(恒子はひらいたドアの内側にかくれる形ですぐには見えない)
こわばる謙造、そして凍りつく恒子。
表に立ちつくす泉。
●取調室[#「取調室」はゴシック体]
解《げ》せない顔の朋子。
謙造、竜二、内田、ドアの内側の恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――事故おこしたの――けがしたの――竜二さん? 杉男さんじゃあなかったの?」
謙造「えっ――(とぼける)そうだよ」
朋子「あら、たしか、あなた、杉男さんて」
謙造「お前の聞き違いだろ」
朋子「―――」
内田「あの、こちら(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
いきなり笑い出す竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「聞き違えじゃないよ。わざと、そう言ったんだよ。(謙造に)そうだよな、兄貴っていわないと来ないもンな」
謙造「バカなこというもんじゃない」
朋子「なに言ってるの、けが大したことなくて、よかったって」
[#ここで字下げ終わり]
このあたりから、杉男、外に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「とってつけたようなこというんじゃないよ! 兄貴でなくてよかったって、そう思ってるくせして!」
朋子「竜二さん――」
竜二「いつだって、差別してたじゃないか」
朋子「差別なんかしないわよ、でもねえ、竜二さん、犬だって歯をむきだしてかみつくのよか、なついてシッポふってくる方が」
内田「こちら――」
謙造「外へ出て話そう」
朋子「母親で――(言いかける)」
内田「ドア、しめなさいよ、何してンの」
朋子「あら――」
[#ここで字下げ終わり]
振り向いて、アッとなる。立っている恒子、ドアをしめて、中へ入った杉男、息をのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内田「こちら――」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おふくろです」
朋子「いいえ、手伝いです。パート・タイマー――そう十三年間、パート・タイマーとして、働いた人間です」
謙造「朋子――」
朋子「失礼しました」
[#ここで字下げ終わり]
走り出ようとする朋子、とめる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん、帰ったら、マズイじゃないか、息子が無免許で人身事故やったんだよ。両親そろって頭下げて、身許《みもと》引受人にならなきゃ、警察だって、身柄返してくれないよ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、頭を下げて出てゆこうとする。
しかし、竜二がその手をしっかり机の上に押さえて離さない。杉男、竜二のその手を、はなさせようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内田「(謙造に)家庭が乱脈のようですな」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、走り出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん!」
謙造「待ちなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、追う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●取調室・ドアの外[#「取調室・ドアの外」はゴシック体]
朋子に追いすがる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「杉男と言って呼びよせたのは、たしかに悪かった。でもな、そうでも言わなきゃ来てもらえないと思ったんだよ。竜二にしたって、参っている時にアンタに来てもらえりゃ、お互いに気持もほどけると思って」
朋子「それで、だましたんですか」
謙造「言い方がキツいよ」
朋子「違うんですか」
謙造「よいチャンスだと思ったんだよ。これをきっかけにうちへ帰って話し合おう」
朋子「そんなつもり、もう、ないわ」
謙造「じゃ、なぜ、来た」
朋子「―――」
謙造「おまえ竜二といったら、こなかった。杉男といったから来たんだろう」
朋子「―――」
謙造「もしわたしだったら、わたしが交通事故起したとしたら、来たかお前。どうなんだ!」
朋子「妬《や》いてるんですか」
謙造「―――」
朋子「呼ぶんなら、どっちか一人にしていただきたかったわ」
謙造「こんなつもりはなかったんだよ、誰がいったい呼んだんだろう、バカ者が」
朋子「バカはあたし。のこのこくる方が、よっぽどバカだわ」
[#ここで字下げ終わり]
走り出てゆく朋子。
父を突き飛ばすようにして、だっとの如く追う杉男、見ている泉。
●取調室[#「取調室」はゴシック体]
表情を変えず坐っている恒子、竜二。
苦々しげにたばこをつける内田。
●代々木署・廊下[#「代々木署・廊下」はゴシック体]
追いすがり、朋子の手首をつかむ杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「これ、なあに」
[#ここで字下げ終わり]
二人、荒い息を吐きながら、にらみあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「この手はなんなの」
杉男「―――」
朋子「この前、杉男さん、何て言った、黒沼の家はくさってる、家を出てやり直せ、しあわせをつかめ、そう言ったじゃないの、振り向いたらロトの妻になる。塩の柱になる、そう言ってくれたじゃないの、あたし、あの言葉に背中を押されて出たわ、あれ、ウソなの」
杉男「本当だよ」
朋子「だったら、どうして離さないの」
杉男「―――」
朋子「言ってることと、ちがうじゃないの」
杉男「――お母さんだってそうじゃないか、本当にうちのこと、キッパリと捨ててうちを出たなら、どしてもどってくるんだ、子供がオートバイで事故起したぐらいのことで――」
朋子「あなただと思ったのよ」
杉男「―――」
朋子「だから、あたし――」
杉男「――それだけじゃないよ、十三年すごしたあのうちや――おやじ、オレたち家族に対する未練」
朋子「そんなもの、ないわ」
杉男「ある。あるよ。言ってることと、してることがちがうのは、おたがいなんだよ」
朋子「――あたしはどっちか、ひとつにするわ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、手首に食い込む杉男の指を一本一本、はがすようにする。
見ている泉。
●ゲームセンター[#「ゲームセンター」はゴシック体](夜)
ゲームをしている朋子。
ガンでねらって、インディアンをバンバン撃っている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
はなやかに笑っている恒子。カウンターにならんで錦鯉の写真を見ている謙造と竹部。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あら、鯉にも、ハゲがあるんですか」
竹部「あるなんてもんじゃないの」
謙造「黄金《おうごん》系の鯉は、アタマがはげてなきゃ、もうペケ」
竹部「光りものは黒ずんでちゃダメなのよ」
恒子「光りもの、なんてオスシみたい」
謙造「そう言うんだよ」
竹部「アンタ、ママに馴《な》れ馴れしい口、利くじゃないの、鯉の皮さしおいて」
恒子「―――」
謙造「お、この昭和三色《しようわさんしよく》!」
竹部「絶品でしょう」
恒子「昭和三色、っていうんですか」
竹部「大正三色ってのもあるのよ、ほら」
謙造「しかし、なんですな、この手の品評会用のやつは、どうも慣れにくいですなあ」
竹部「そこなんだ。気むずかしくってね、すぐ、かくれちまう」
謙造「ところが、主人の足音、覚えてて、手から、エサ食べるようなのは」
恒子「ダメなのが多いんでしょ」
竹部「肥満型で」
謙造「絶対入賞しないんだなあ」
三人「世の中、うまくいかないもン……」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、三人肩を叩きあって大笑い。
そのスキに、謙造、小声で竹部に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――具体的なハナシは――(表をあごでしゃくって)車の中で」
竹部「(小さくうなずいて)出てこい、出てこい、池の鯉」
恒子「古い――」
竹部「じゃあ、なによ」
謙造「※[#歌記号、unicode303d] 恋はやさし、野辺の花よ」
恒子「(カルメンのカンパネラ)※[#歌記号、unicode303d] 恋は気ままもの 誰の言うこともきかぬ」
[#ここで字下げ終わり]
三人、合唱となる。
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](夜)
くつぬぎのところにペタンと腰をおろして表をみている竜二、少しあいたドアから帰ってくる杉男がみている。
杉男、弟に一ベツもくれず、上ろうとする。
階段を上りかけて職業的な口調で言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「脳波とったのか」
竜二「うん」
杉男「頭、痛くないのか」
竜二「ううん」
杉男「吐気はないか」
竜二「うん」
杉男「物はちゃんと見えるか」
竜二「うん」
杉男「一週間ぐらいは、大人しくしてろ」
[#ここで字下げ終わり]
上ろうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「それだけかよ」
杉男「―――」
竜二「文句いわないの」
杉男「―――アタマが何ともないと判ってからまとめてブン殴るよ」
[#ここで字下げ終わり]
上ろうとする杉男を、とめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「聞くけどさ、もし、地震か火事があったとき、どっちのおふくろを助けるんだ」
杉男「――どっちのおふくろ?」
竜二「生んでくれたおふくろ、見殺しにして、あいつを助けるの」
杉男「どけよ」
竜二「自分、ごまかすなよ、どっち助けるか言ってみろよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、弟の手をふりはらって上衣《うわぎ》を肩にかけ二階へ上ってゆく。
定期入れが落ちる。
竜二、ひろって、中を見ようとする。
中から、恒子がオッパイをのましている写真がおちてくる。兄と弟もみあいになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「正直に言やァいいだろ」
杉男「よこせ!」
[#ここで字下げ終わり]
●ゲーム・センター[#「ゲーム・センター」はゴシック体]
グイグイと、カンビールをのみながら、ゲームをする朋子、つきあっている門倉と時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「バーン! バーン」
[#ここで字下げ終わり]
相当に酔っている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ねえ、ハナシがちがうじゃないの。何かおいしいものご馳走するからつきあえっていうから、出てきたのよ、どっち見たって、あたしたちみたいな中年のアベックなんていやしない」
朋子「バーン、バーン。ねえ、あたし、撃ってるの、カウボーイやインディアンじゃないの」
門倉「なに撃ってるの」
朋子「日本人」
門倉「男?」
朋子「男」
門倉「名前は」
朋子「黒沼謙造(バーン)」
時子「旦那――」
門倉「それから――」
朋子「黒沼――竜二」
時子「次男」
門倉「それから――」
朋子「黒沼のうち、もうみんな!」
門倉「女は、いないの」
朋子「女、殺すの嫌いなの」
二人「―――」
朋子「あら、ウソ、一人いる。撃ちたい女、一人だけいる――」
時子「ああ、前の奥さん」
朋子「ちがう」
時子「―――」
門倉「―――」
朋子「あたし。――お人好しのアタシ。ハタチから十三年間、棒にふったアタシ――自分の子供も生まないで、黒沼の家庭の平和のために、働いて、みんなに気に入られようと一生懸命だった、あたし、撃ってるの。いまから、取りかえしのつかない十三年分のカレンダー、バンバン撃ってるのよ、青春、デイト、ダンスパーティ。スキー、ヨット――楽しいことなんにもなかったもの、ただ働いてたもの」
[#ここで字下げ終わり]
タマがなくなる。
自分のチップを機械に入れてやる門倉。
撃ちつづける朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「そういいながら、憎みながらまだ未練を残した、そんな自分を嘲笑《あざわら》い、踏みにじり、撃ち殺したかった。撃つたびに、血の代りに涙が流れた。お天気雨のように笑っているのに、涙が止まらなかった」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](深夜)
ひとりで、ウイスキーをのんでいる謙造。
●時子のマンション・廊下[#「時子のマンション・廊下」はゴシック体](深夜)
酔った朋子を、門倉と時子が抱えてくる。
朋子、玩具の銃を手に、ねらい撃ちしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「バーン、バーン」
時子「よしなさい、迷惑になるでしょ」
門倉「あぶない」
朋子「バーン」
[#ここで字下げ終わり]
廊下の角を曲りながら撃つ朋子。アッとなる。部屋の前に立っていた老人が、胸を押さえてよろける、重光である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま――」
[#ここで字下げ終わり]
ふらつきながらかけよる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「やだ、これ、おもちゃよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、にっこりして立ち直ってみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「迎えにきたんだ」
[#ここで字下げ終わり]
重光のうしろで会釈をする松子の姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「一緒に帰ろう。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]帰ってくれ」
[#改ページ]
●時子のマンション・廊下[#「時子のマンション・廊下」はゴシック体](深夜)
酔った朋子を、門倉と時子が抱えてくる。
朋子、玩具の銃を手に、ねらい撃ちしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「バーン、バーン」
時子「よしなさい、迷惑になるでしょ」
門倉「あぶない」
朋子「バーン」
[#ここで字下げ終わり]
廊下の角を曲りながら撃つ朋子、アッとなる。部屋の前に立っていた老人が、胸を押さえてよろける。重光である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま――」
[#ここで字下げ終わり]
ふらつきながらかけよる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「やだ、これ、おもちゃよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、にっこりして立ち直ってみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「迎えに来たんだ」
[#ここで字下げ終わり]
重光のうしろで会釈をする松子の姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「一緒に帰ろう。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]帰ってくれ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま。あたし、(もう、気持決めましたから)」
重光「とに角、中で話そう」
松子「中で話そうたって、朋子さんのお部屋じゃないのに。(二人に笑いかける)ねえ……」
時子・門倉「どうぞ――」
重光「ああ、嫁がごやっかいかけて、どうも」
時子「いいえ」
門倉「どうぞ(中へ)」
重光「あの、こちら(門倉)」
時子「『主人』――のようなもの」
重光「(笑って)なるほど、なるほど」
松子「こんな時間に恐縮ですが、ごめん遊ばせ」
[#ここで字下げ終わり]
当惑している朋子を押しこむようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「(時子に囁く)じゃあ、ぼくは、ここで――」
[#ここで字下げ終わり]
帰るよ、という感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「『主人』が帰ったら、かっこつかないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
押し込む時子。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](深夜)
バス・ローブの謙造、ウイスキーを飲みながら、入札関係の書類に目を通している。杉男がくる。
謙造、「飲むか?」という感じで、ウイスキーをすすめ、さりげなく書類を封筒に仕舞おうとする。ウイスキーを押し返し、封筒を見る杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「部外秘……」
謙造「飲まないのか」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ウイスキーの栓をとって匂いをかぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「贈賄の匂いがするよ」
謙造「おい!」
杉男「別れた女房から情報もらって、贈賄やって、そんなことまでして、橋の入札(言いかける)」
謙造「医者ってのは、融通が利かないねえ。女のいうこと、いちいち真《ま》にうけるバカがどこにある。子供たちの消息聞きたい、逢うための、口実だよ」
杉男「公団の東京出張所長紹介したって――」
謙造「なに、お前も恒子に逢ってンじゃないか」
杉男「――ヨリ、もどした方が、まだ、マシだよ。きったねえマネして」
謙造「仕事ってのはな、きたないもんなんだ、いちいちお前たちみたいにアルコール消毒しちゃいられないよ」
杉男「―――」
謙造「そんなことより、じいさん、どこいったんだ」
杉男「―――」
謙造「(小指)のうちじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
朋子、重光、松子。
少し離れて茶をいれる時子。
たばこをすう門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「いろいろと、いやな思いさせたねえ、この通り」
[#ここで字下げ終わり]
テーブルに手をつき、深々と頭を下げる重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま。そのおつむに、最敬礼は似合いませんよ」
重光「このアタマだから、利くんじゃないか、卵の白身で手入れをしてるのも、こういう時のためなんだ」
門倉・時子「(笑ってしまう)」
重光「アンタも、悪いよ」
朋子「あたくし?」
重光「あのくらいのことで、何故《なぜ》うちを出る」
朋子「おじいちゃま」
重光「浮気だとは、思えないのかい」
朋子「浮気……(絶句する)別れた前の奥さんと、逢ってるのを、浮気っていうんですか」
松子「朋子さんが、ドッシリ構えてりゃ、浮気で済んだんじゃないんですか」
朋子「一度や二度じゃないんですよ。子供たちとも逢ってるんですよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]朝、ごはんの時に、向うから子供に電話かかってくるんですよ。うちに上りこんで、子供の部屋に(言いかける)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「それは、あなたが、うち、お出になったからよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]朋子さん、出たり入ったりも、シオドキがあるの。長くなると、女は、もどりにくくなりますよ」
重光、たばこをさがしている。
門倉、重光にたばこを差し出す。
重光、ライターはあるが、たばこを忘れたらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「いいお姑《しゆうとめ》さんじゃないの」
朋子「――(首をふる)」
重光「え? あ?
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そうか……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「そうですよ、あたくし――お初……」
重光「尾崎さん」
松子「松子でございます」
朋子「おはなしは、よくおじいちゃまから」
松子「あたくしの方も、おはなしやら、お写真やらで、何だかもう、何べんもお目にかかってるような気がして」
重光「尾崎さんはね、心配して、一緒に来て下すったんだ」
松子「お力になりますよ」
朋子「折角ですけど、わたし、もどるつもりありませんから」
重光「そりゃ、困る。黒沼のうちも困るが、あたしたちが困る」
朋子「わたしたち……」
[#ここで字下げ終わり]
重光、わざとおどけて、松子の手の上に自分の手を重ね、ポンポンはずませながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「竜二は、いずれは出てゆく人間だ。四人で暮せば――」
朋子「四人――」
重光「あんたと謙造、それと――(自分たち)」
松子「うちの息子が承知しないんじゃないかしら(浮き浮きしている)」
朋子「折角ですけど――もう決めたことですわ」
重光「ダメかい」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション・前[#「時子のマンション・前」はゴシック体](深夜)
とぼとぼと帰ってゆく重光と松子の影法師。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
朋子、時子、門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「(笑ってしまう)年をとると、人間も老獪《ろうかい》になるなあ」
時子「ゴタゴタを丸く納めて、うちへ連れもどす代りに、オレたちのことも、応援してくれっていうんじゃないの」
門倉「バーターというか、等価交換というか」
時子「のって上げりゃいいのに、そっけないんだから」
朋子「何となく、親身になれないのよ」
時子「ごめん遊ばせ。(まねをしかけて)そのへんの馬の骨とはちがいますのよって感じ、ご名門なんだ」
朋子「今は息子さん夫婦と団地に住んでるらしいけど」
時子「団地? あら」
門倉「間に合うだろ」
[#ここで字下げ終わり]
ライターの忘れもの、門倉、手にして立ち上る。
時子も立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「そこまで送ってく」
[#ここで字下げ終わり]
●マンション・下[#「マンション・下」はゴシック体](深夜)
重光と松子、マンション前の夜の路上でケンパをしている。
ゆっくりと、小さく飛ぶ重光、松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「そこでくるッと、うしろ向きになって飛んで……お上手お上手!」
重光「何ていいましたかな、これ――」
松子「あたくしどもは『ケンパ』って」
重光「そうそう。ケンパ。こんな遊びの、どこが面白かったんだか……」
松子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
見ている門倉と時子。二人に気づいてはにかんで、やめる重光と松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「しらが頭のするこっちゃ、ありませんな」
門倉「似合いますよ」
重光「―――」
門倉「とても似合います」
[#ここで字下げ終わり]
ライターをしっかり手渡す門倉。
門倉に甘えるようにする時子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
電話が鳴る。
取る朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「モシモシ」
謙造(声)「友達いるのか」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](深夜)
パジャマ姿で電話している謙造。
スタンドのほの暗いあかり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「あなた……」
謙造「いるのか、友達」
朋子(声)「(つい言ってしまう)いいえ」
謙造「お前ひとりか」
朋子(声)「何か用ですか(言いかける)」
謙造「いま、何時だ」
朋子(声)「十二時ちょっとすぎ」
謙造「いつも寝る時間だな」
朋子(声)「用件をおっしゃって下さい(言いかける)」
謙造「お前はソファにねるのか、ベッドか」
朋子(声)「用がないんなら切ります」
謙造「切ったらすぐかける。何度でもかけるぞ」
朋子(声)「離婚届け、明日《あした》にでもお持ちしますからハンコ」
謙造「目、つぶンなさい」
朋子(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・二階・廊下[#「黒沼家・二階・廊下」はゴシック体]
湯上りにバスタオルを引っかけた杉男。
自分の部屋に入ろうとして、夫婦の部屋のドアが少し開き細くあかりがもれているのに気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「目つぶンなさい。目つぶって、わたしの声を聞くんだ。いやか。オゾ気、ふるうほどいやか」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「今晩から、毎晩、十二時になったら、着てるもの、みんな脱いで横になりなさい」
朋子「切りますよ」
謙造(声)「わたしのとなりに寝ていると思って――目つぶって――わたしのことだけ考えるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・廊下[#「黒沼家・廊下」はゴシック体](深夜)
杉男、自分の部屋に入ろうとするが、廊下がきしみかけるので動けない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「本当にわたしに未練はないのか」
[#ここで字下げ終わり]
ギイと廊下がきしむ。
立ちすくむ杉男。
中の謙造、廊下の存在に気がついたらしい。急に調子をかえて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「それから、じいさんがつきあってる――なんとかいうばあさん――尾崎さんか。あの人の住所判ってるか? じいさん、血圧、高いからねえ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]先方のうちで倒れたりしたらコトだからねえ、知りませんでしたじゃ済まんから、場所たしかめといてくれ」
内側からドアがパタンとしまる。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
受話器を手に朋子、うしろに立っている時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「どうしたの? のぼせた顔して、汗かいてるじゃない。クーラー、きいてないの」
[#ここで字下げ終わり]
ドギマギする朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「どうしたのよう」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
閉店後の店内。
酔った恒子がカウンターでぼんやりしている。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
寝支度の手をとめる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「夫の声がまた聞こえてきた。あの人の体の重み、大きな手、タバコの臭い、二つ並んだホクロの形が強引にまいこんでくる。それを追い払うために、尾崎さんの住所を確かめてくれと言った夫の声をくり返すことにした。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]私は家を出る。あとのことを、全部杉男さんに頼むことにしよう」
●団地[#「団地」はゴシック体](昼下り)
各棟の番号をたしかめている朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「悪い人だとは思わないけどねえ、あのお高くとまってるとこが――弱いなあ」
朋子「行き届いてるかたよ。昔はひとかどの暮ししてらしたらしいわよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何でもお出来になるし、品はいいし――あたしと正反対」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「でも、お母さんは(言いかける)」
朋子「とにかく、うちも知らないじゃハナシにならないから――場所だけ、たしかめといて」
杉男「お母さん、賛成なの」
朋子「賛成も反対もあたしはもううち、出た人間よ、あとの事は杉男さんあなたが」
[#ここで字下げ終わり]
「尾崎洋一郎」と表札の出ている半開きドアの奥から、女二人の争う声が聞こえてくる。掃除の行き届かない玄関、塗料のはげた三輪車。破れ泥だらけの子供の運動靴などが乱雑に脱ぎ散らされた玄関の三和土《たたき》。
声の主は、松子と嫁の久子(30)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子(声)「何だい! その言い方は」
[#ここで字下げ終わり]
浴衣地のヨレヨレのアッパッパをだらしなく着た松子、別人のような態度で、湯のみの茶を玄関の外の土間にパッと捨てる。
アッとなる二人。
●団地[#「団地」はゴシック体]
階段のかげに身を寄せる朋子と杉男。
尾崎家の開け放たれたドアから松子のあられもないとがった声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「いつ、あんたのもン、借りたのよ」
久子「この間うちから、毎度じゃないの。どこ、いくんだか知らないけど、人の腕時計はめて、人の口紅つけて、人の香水」
松子「腕時計は間違えたって言ってるだろ」
久子「わざと、ね」
松子「アンタのもンなんかおっかなくって、誰が借りるかい」
久子「白髪がついてるのよ、ビンのフタに――」
松子「白髪のどこが汚ないんだい。あと三十年もしてごらんよ、あんただって」
久子「おばあちゃん。年、考えてね、みっともないまねしないで頂戴よ」
[#ここで字下げ終わり]
●団地・尾崎家[#「団地・尾崎家」はゴシック体]
せまい部屋に、いっぱいにつめ込まれたごたごたした家具。
子供と赤んぼう。にらみあう松子と嫁の久子、これも暮しにくたびれ、暑さもあって、化粧気もなく、そそけ立っている感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「久子さん!」
久子「なんかっていやァ一張羅《いつちようら》着込んで、厚化粧してクシャミ出るほど、香水つけて――尾崎さんとこのおばあちゃん、ホスト・クラブにでも入れ上げてンじゃないのって、言われてンのよ」
松子「ホスト・クラブ、アハハアだ!」
久子「となり近所の手前もあるわよ」
松子「じゃあ伺いますけどな、年寄り出てけよがしにジャマにするの、となり近所にみっともなくないの。三畳の人の部屋にコタツの箱、入れたりさ、ちょっと夜おそく帰りゃ、ごはんはなし」
久子「おばあちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
夏がけをかぶって昼寝していた洋一郎。
起き上って叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋一郎「うるさいよ! 人がたまに代休とってるってのに、枕もとでガアガア」
久子「せまいんだから、しょうがないでしょ!」
松子「場所ふさぎで、すみませんねえ、ごやっかいかけたけど、もうすぐ出てくから」
洋一郎「出てどこいくんだよ」
松子「黙ってたけどどうしても後添いにって言って下さる方がいるのよ」
久子「(吹き出す)」
洋一郎「脳軟化じゃねえのか」
松子「死んだおじいちゃんの全盛のときみたいな大きなうちなんだから、オヨメさん、うち出たもんでこの間から、手伝いにいってたのよ」
洋一郎「タダ働きさせられて、ポイに決まってるよ!」
久子「そんなひまに、内職のひとつも手伝ってもらいたいわね」
松子「――その時になっておどろくなっていうのよ。とにかく、あたしは、このうちでだけは絶対に死なないから、お棺、タテにしなきゃなんないとこで死ねるかい!」
[#ここで字下げ終わり]
ガシャンとドアがしまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋一郎「うるさいっていってるだろ!」
[#ここで字下げ終わり]
顔を見合わす二人。
稲妻、雷鳴。
●団地の下[#「団地の下」はゴシック体]
夕立ちをさけて雨やどりの朋子と杉男。
二人、だまって烈しい雨足をみつめて立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あたしと同じ」
杉男「―――」
朋子「十四年前のあたしと同じ」
杉男「―――」
朋子「叔父さんのうちに同居してたの。今の尾崎さんとこと同じ。せまくて――自分の部屋もなかったわ。あたし、茶の間に寝てたでしょ、カゼひいて熱あっても、フトン上げて起きないと、うちの人がごはん食べられないのよ。うち、出たいと思ったわ。人間らしい広いとこに住みたい。その時、あなたのお父さんに逢ったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、朋子の肩のしずくをはらい上衣を着せかけてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「みんなに反対されたわ。再婚で十七も年がちがう。大きな子供もいるし――第一、前の奥さんと生き別れっていうのは、あとあと尾を引くんじゃないか――でも、あたし、あのうちに住みたかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おフロ場やご不浄、遠慮しないで伸びのびと使いたかった。そのためには、何でもしようと思ったわ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
朋子「はじめに打算があったのよ」
杉男「そうじゃないよ」
朋子「ううん不純だったのよ。だから十四年目にバツ受けたのよ」
杉男「そんなに自分いじめることないよ」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
懸賞当選者の封筒書きをしている朋子。
編集部は、ほかに誰もいない。
門倉が来ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「ちがうな、それは」
朋子「?」
門倉「人間てやつは、いい方にも自分を飾るけど、悪い方にも飾るんだなあ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]『露悪《ろあく》』もかっこつけてることに変りはないですよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「そうかしら」
門倉「あなたは広い、黒沼の家に惚《ほ》れたと思ってる。女は、入れものだけには惚れないんだ」
朋子「でも、あたし、たしかに」
門倉「建物の中には、必ず、男がいるんです」
朋子「―――」
門倉「いま、ここにご主人がおられたら、きっとこう言ってるんじゃないか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お前は、あのうちに惚れたんじゃない。オレに惚れたんだ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「この人の目は、油を塗ったように光ることがある。どこかで見たことがあると思ったら、強引に結婚を申し込んだ時の、夫の目と同じだった」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
歩いてゆく杉男。
朋子の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「はじめに打算があったのよ。不純だったのよ。だから十四年目にバツ受けたのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
看護婦や患者、ストレッチャーとすれちがう。
立ってじっと杉男をみつめる母の恒子の姿をみつけ、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
恒子「白衣着てるとこ、一目見たくて――」
杉男「帰って下さい」
恒子「杉男……」
杉男「ここは病人とつきそいのくるところなんだ。早く帰って下さい」
恒子「そんな、じゃけんな言い方、しなくたって」
杉男「香水くさい人間のくるとこじゃないんだ。早く帰って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、身をひるがえして、出てゆく。
配膳車の脇をすり抜けた拍子に、大きくスカートをカギ裂《ざき》してしまう。
スカートは大きくめくれて垂れ下り、下があらわになってしまう。
棒立ちの恒子。
杉男、立ちすくむ母に躍りかかるように近づき、白衣を脱いで母の体を被ってやる。そのまま、引きずって、そばの医局のドアに突き飛ばすようにほうり込む。
●医局[#「医局」はゴシック体]
ころがり込む恒子。つづいて杉男。
びっくりする看護婦の根岸むつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「針と糸!」
むつ子「ハリとイト?」
[#ここで字下げ終わり]
むつ子、びっくりしながら、手術用のか? と専門用語で問いかえす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「そうじゃないよ。普通の。破れたの縫うやつ!」
むつ子「ああ、針と糸――ええと――」
[#ここで字下げ終わり]
むつ子、けげんそうに恒子を見ながら、引出しをさがす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「ないの? 女の子なんだから、針と糸ぐらい、すぐ出るとこに置いとかなくちゃダメだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
むつ子、針と糸を出す。杉男、引ったくると、恒子の方へじゃけんなしぐさでほうりつける。
病室からのインターフォンが鳴って、看護婦を呼ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「(呟《つぶや》く)黒沼先生、どうかしてる……」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆくむつ子。
恒子、ついたてのかげでつくろいはじめる。
ドアのところで、番をするように、そっぽを向いて立っている杉男。
見まいとするが、白い布のついたての向うから、恒子のきぬずれの音。シルエットがみえる。
立っている杉男、若い母親の恒子に抱かれて、オッパイをのんでいる写真とダブル。
あらわな母の下肢。
写真。
かがみこんだ母のうなじ。
写真。
つくろう指先、みつめる杉男。
写真。
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
竜二がドアを叩く、あかない。うしろに泉。
竜二、ポケットからカギを出してあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「合鍵《あいかぎ》もってるの」
竜二「こないだ、おふくろからとりあげたんだ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアあかない。泉、かしてごらんなさいという感じで手伝う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ブーメラン――」
竜二「イミ知ってる?」
泉「ええと、あれは、どこのものだったかな」
竜二「ニューギニア」
恒子「オーストラリア」
[#ここで字下げ終わり]
うしろに立っている恒子。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
ブーメランをいたずらしている竜二。
開店の準備をしている恒子、手伝う泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「オーストラリア原住民の古い狩猟の武器でエ……」
竜二「こうやってほうって」
恒子「本当に投げないでちょうだいよ」
泉「エモノを倒す」
恒子「(うなずく)」
泉「ときには、ぐるっと廻ってもどってくる」
恒子「―――」
泉「あ……フフ。そういうイミあったのか」
恒子「え?」
泉「お母さんの気持――十四年ぶりに、ぐるっと廻って、もどってきた」
恒子「イミなんかないわよ。お客さまからおみやげにいただいたの、思い出してお店の名前にしただけ」
泉「(首を振る)投げると、――エモノを倒す――何狙ってるんですか」
恒子「(それには応えず竜二に)アブないって言ってるでしょ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](泉に)ブーメランてねえ、エモノが倒れないときには、グルッともどって来て、自分が倒れてしまうこともあるのよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「―――」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
宛名《あてな》を書く朋子。
沢山の封筒がならんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「封筒に表と裏があるように、女にも表と裏がある。表が本当の姿なのに、女は化粧をした顔を素顔だと思って生きている」
松子(声)「場所ふさぎで、すみませんねえ、ごやっかいかけたけど、もうすぐ出てくから」
洋一郎(声)「出てどこいくんだよ」
松子(声)「黙ってたけどどうしても後添いにって言って下さる方がいるのよ」
朋子(N)「本当の姿を覗《のぞ》きこむのがこわいのだ、おぞましいのだ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・座敷[#「黒沼家・座敷」はゴシック体](夕方)
一分のスキもない和服姿、端然とすわって花バサミを鳴らし、花を活ける松子。
少し離れて見ている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「『まこと』の花ですな」
松子「は?」
重光「あなたのことですよ」
松子「お上手をおっしゃって」
重光「わたしが言ったんじゃない、世阿弥《ぜあみ》のことばです。若い頃の花は『まことの花にあらず、ただ一時の花なり』」
松子「―――」
重光「『まことの花』です――実にいい――」
松子「おそれいります」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
放心する朋子。
耳がかゆい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「耳かきはいつものところにあるだろうか。杉男さんは自分の部屋に持っていくと、なかなか返してくれない」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
小物入れの引出しがスーとあく。
中に耳カキ。
棚の上に救急箱、フタがさけて、クスリがみえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「風邪薬もきれていた」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
無人の水道。コップ、冷蔵庫、食器。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「いつものコップでうちの水が飲みたくなった。同じ水道の水なのにどうしてこうも違うのだろう。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]冷蔵庫のホウレン草やトマトも気になった」
●階段[#「階段」はゴシック体]
カメラが上ってゆく。
ちょっと立ちどまる。
床板がきしむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「あの階段は何段あったのだろう。十三年もいたのに数えたことはなかった。――でも私はからだで覚えている。トントン、トントンと上って、ギュウときしむところが一つあって、トントンて二階になる」
[#ここで字下げ終わり]
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体]
二つならんだベッド。整理タンスの引出しがあいて、キチンと整理された夏もののセーター。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「暗がりでも、どこになにがあるか、わたしは分っている。ベッドにぶつからないで、出したいものを今でも出すことができる。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ここまで思い出して、私はアーッと声を立てそうになった」
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
カウンターの恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「十三年前に家を出たあの人も同じだったに違いない。もしかしたら、今でも私よりはっきりと思い出すことができるのではないか――」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
朋子の前に時子が、アイスクリームを突き出している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「何考えてたかあててみようか」
朋子「(食べはじめる)」
時子「里心がついたんでしょ」
朋子「とんでもない。(宛名)女の名前もずい分いろんなのあるなあ。どんな顔して、どんな人と結婚して、どんなうちに住んでるのか」
時子「フフフ」
朋子「しあわせなのか、ふしあわせなのか――いまどんな顔してなにしてるか、考えると面白いじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
言えば言うほど、見すかされている朋子。
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体](朝)
マラソンの父子《おやこ》が走ってゆく。
パジャマ姿の杉男が、新聞をとりに出てくる。新聞をとって、門の外に朋子が立っているのに気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん」
朋子「おはよう」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、家にとびこんで叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん、帰ってきた!」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・洗面所[#「黒沼家・洗面所」はゴシック体](朝)
ひげをそりかけの謙造、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おかあさん、帰ってきた!」
謙造「落着け、バカ」
[#ここで字下げ終わり]
●座敷[#「座敷」はゴシック体](朝)
青竹を踏んでいる重光のリアクション。
●台所[#「台所」はゴシック体]
上半身ハダカでソーセージをかじっていた竜二の意外な顔。
●居間[#「居間」はゴシック体]
顔にシェービングクリームを残した謙造が入ってくる。
朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ひげそりクリームがないんだよ。それから、かおそりまけのクスリ」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「夏掛けの衿《えり》がね、汚れたから、新しいのととりかえておくれ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(少年のようにはずんでまつわりつく)ね、ね、ボクの水着、ブルーと白のシマシマの奴、いくらさがしてもみつからないんだよね、あれ、出しといてよ」
朋子「ひげそりクリームは洗面所の、上から二番目の引出しに入ってます。縞《しま》の水着は、お納戸の夏物、水着って書いた洋服箱の中、みてちょうだい――」
謙造「おい朋子――」
朋子「着がえをとりにきたんです」
謙造「帰ってきたんじゃないの」
杉男「お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、バッグをあけて書類を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「これに、ハンを」
杉男「離婚届け――」
謙造「おい!」
重光「――わたしの夏掛けの衿はどうなるんだ」
朋子「尾崎さんに取替えてもらって下さい」
重光「じゃ、頼まん!」
[#ここで字下げ終わり]
重光、癇癪《かんしやく》を起し夏掛けをひったくり、憤然として出てゆく。
その姿を見送ってから、朋子、三人に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「実は、お願いがあるんです」
三人「―――」
朋子「尾崎さんを、はっきりした形で、この家へ迎えてほしいんです」
謙造「尾崎さん?」
杉男「お母さん!」
朋子「シーッ(重光の方を気にして)」
杉男「なに言ってんだよ、あんなガサツな――(言いかける)」
朋子「杉男さんは黙っていて頂戴。――(謙造に)女手がなかったらこのうちやってけませんよ」
謙造「お前がもどってくりゃいいんだよ。第一わたしゃね、あのばあさんの住所たしかめとけとは言ったけど、まさか家へ入れるとかそんなつもりは」
朋子「それが自然じゃないんですか」
竜二「不自然だよ。おれは反対だね」
朋子「子供はだまってらっしゃい!」
謙造「茶のみ友達でいいじゃないか。年考えなさいよ年。あの年で再婚なんて」
朋子「再婚のどこがいけないの。あなただって再婚でしょ」
謙造「―――」
朋子「年、年って言うけど、おじいちゃまと尾崎さん、たしか八つちがいよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あたしとあなたは十七ちがい。あっちの方がよっぽど自然だわ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「とにかくねえ」
朋子「立派な方よ。何でも出来るし品はいいし」
杉男「冗談じゃないよ(言いかける)」
朋子「(にらみつけながら)このうちの主婦としてピッタリなかたよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おじいちゃまと話し合って、そのはなし、うまくまとめて(言いかける)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「そんな必要ないね」
竜二「あんなのがきたら、オレうちにいないね」
謙造「お前がもどればいいんだよ」
朋子「あたしは(言いかける)」
竜二「パートやとやいいんだよ」
謙造「そんなものやとうことない」
竜二「だってゴミ捨てたり冷蔵庫の中のもの」
謙造「何がクサろうが、ゴミがたまろうがほっときゃいいんだよ。目に余ればもどってくるべき人間がもどってくるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
離婚届けを破く謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――一枚十円ですもの、このカミ、十枚買ったって、百円だわ。あとで送りますから、ハンを(言いかける)」
謙造「ごたごたしたはなしはあとにしてくれないか。例の橋の入札、今日なんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく謙造。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](朝)
謙造に追いすがる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「なんだよ」
杉男「――やましいことしてるんじゃないだろうな」
謙造「(振り払う)暑くなるぞ。今日も」
[#ここで字下げ終わり]
杉男を振りとばし、天つき体操をしてみせる。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](朝)
夏掛けをおっぽり出して、憤然と籐椅子《とういす》に腰かけている重光。
ヒョイとうしろから、派手な帽子をかぶせる竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「ホテルだって何だってあンだからさ、外で逢やァ、いいじゃない」
重光「なんのハナシだ」
竜二「じいちゃんと、彼女」
重光「(絶句する)」
竜二「オレ、じいちゃんには悪いけど、反対だからね」
[#ここで字下げ終わり]
キョトンとする、重光。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体]
ボストン・バッグに着がえをつめている朋子。
ノックして、ドアが開く。
杉男、外から、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「無責任だと思うな」
朋子「なにが無責任」
杉男「――尾崎さんのこと」
朋子「どうして」
杉男「自分は出てくから、あと、どうなってもいいって感じするんだなあ」
朋子「そんなことないわよ。あたしはねえ」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけた二人。
うしろに重光が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「(朋子に)尾崎さんのこと、言ってくれたそうだな」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
重光をまん中にして、対立する朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「尾崎さんのどこが気に入らないんだ」
杉男「どこって――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ボストン・バッグを手許《てもと》においている朋子に、腹を立てている。それをハッキリ言えない分だけ松子の存在に向ってあたりちらしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「あの年で、新しいとこ入ったって、うまくいかないって」
朋子「そんなことないわよ。いくつになったって、女ってのは順応性がでるのよ」
杉男「オレ、やだね」
朋子「第一、杉男さん、うちにいる時間、みじかいじゃないの。そんな目くじら立てること」
松子「おはようございます」
[#ここで字下げ終わり]
キチンと和服を着こなした松子、入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「おう、尾崎さん」
松子「ごきげん、いかがでいらっしゃいます? (言いかけて)あら、朋子さん、どう遊ばしたの。お気持変って、もどっていらしたの?」
朋子「いえ、当座の着替え、とりに――」
松子「困りましたわねえ。――あら、杉男さん、病院の方、まだおよろしいの?」
杉男「(はあ)」
松子「あ、これ。いま入りしなにおとなりの――山本さまのお手伝いさんから――なんか大掃除の日どりの――回覧板」
朋子「ああ見たらおとなりへ(腰を浮かす)」
松子「あたくし、致しましょ、こちらお隣りの今村さまの奥さま、こないだうちから、バラの虫よけのお薬のこと、お伺いする約束になってましたから――なんですか、この頃ご近所とも親しくしていただいて――」
重光「恐れ入ります!」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「人間の品というのは、うしろ姿にも、出るもんだねえ」
杉男「本当にそう思ってるの」
重光「え?」
杉男「じいちゃん、あの人、品がいいと思ってるの」
朋子「杉男さん――」
重光「突っかかる言い方、するじゃないか」
朋子「――(杉男さん、よしなさいと目でとめている)」
重光「まあ、当節、あれ程の(と言いかける)」
杉男「じいちゃん、知らないんだよ。あの人の本当の姿(言いかける)」
朋子「杉男さん」
杉男「うちに居てヨレヨレのアッパッパ着て、口紅や腕時計黙って使わないでくれって嫁さんと言い合いしてる、あの人の」
朋子「よしなさい! 杉男さん」
杉男「こっちじゃ上品ぶってるけどさ、言葉遣いだって、湯呑《ゆのみ》のお茶、ザアって玄関へブンまけて」
朋子「よしなさい」
杉男「狭いとこで、息子や嫁に邪魔にされて、もうすぐこのうち出てくんだって毒づいて」
[#ここで字下げ終わり]
重光のひざの上の拳《こぶし》がふるえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――やめて」
杉男「御免あそばせだの、ごきげんようなんてもんじゃないよ。――じいちゃん、なんにも知らないで」
朋子「杉男さん!」
杉男「―――」
重光「それが、どうだと言うんだ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、杉男をにらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――上品ぶって、見栄《みえ》はって――」
重光「かわいいじゃないか」
二人「―――」
重光「女らしくて――かわいいじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
重光の拳ぶるぶるふるえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――気持、変んないの」
重光「女はお体裁つくらなくなったら、おしまいだよ」
杉男「じゃ、じいちゃん、うち出て結婚しろよ」
重光「――なんで、わたしがうち出るんだ」
杉男「あの人は、このうちが目的なんだよ、ゴタゴタした狭いとこ脱け出すために、じいちゃん、利用してるんだよ」
朋子「杉男さん、言いすぎよ」
杉男「このうちが目的じゃないんなら、うち出て結婚すりゃいいじゃないか」
重光「―――」
杉男「みろよ、出来ないだろ。あの人は、じいちゃんなんか愛してないんだよ。じいちゃんよか、このうち(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
朋子の手が、杉男のホオで鳴っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「あら、どう遊ばしたの」
[#ここで字下げ終わり]
言って庭先に立っている松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「あたくし、ご遠慮しましょうか」
重光「いや構いません、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
松子、少しためらうが上ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「どうぞこちらへ」
[#ここで字下げ終わり]
松子坐る。
庭は蝉《せみ》時雨《しぐれ》。
重光ぽつんと言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「結婚していただけませんか」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、杉男ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「結婚――」
[#ここで字下げ終わり]
松子、まあと、目を輝かし、恥じらう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「――まあ、お若い方の前で――。こういうことは一人の時にお伺いしとう御座いましたわ」
[#ここで字下げ終わり]
ハンカチをもてあそんで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「息子夫婦が何と申しますやら」
重光「ただし――このうちを出て老人ホームに入っていただきたい」
松子「老人ホーム」
[#ここで字下げ終わり]
絶句する松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「ど、どうして『アナタ』がこのうち出なくちゃいけないんですの。このうち建てたの『アンタ』でしょ」
[#ここで字下げ終わり]
お体裁もなにもかなぐり捨てて、迫る松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「土地買って、家建てたの、アンタでしょ。アンタ、出ることないじゃないの。出るんなら、息子たちや孫たちがオン出りゃいいのよ! そんな馬鹿な話どこにあるの」
[#ここで字下げ終わり]
重光の胸ぐらをとらんばかり。重光、哀《かな》しい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「フフフフ。いいなあ、尾崎さん」
三人「―――」
朋子「あたし尾崎さん好きになっちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、松子の乱れた裾前《すそまえ》をさりげなく直してやりながら、微笑《ほほえ》みかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「尾崎さんて、正直な方なのね。あたし、もっと上品ぶった気取り屋さんかと思った――」
松子「―――」
朋子「ステキ。あたしはこうじゃなかったわ。十四年前にあたし、叔父のうちに居候《いそうろう》してたんです。広いこのうちに住みたかった。でも黒沼に求婚された時、見すかされちゃいけない、と思ってそのこと一言も言わなかったわ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]わたしの方が、よっぽど、お体裁屋。血のつながらない子供達のこと、手やいたり、ちょっと、にくらしかったりしたのに、すこし可愛いみたいにふるまって。前の奥さんにやきもちやいてるくせに、平気な顔してみせて――迷ってるのに、キッパリ決心したみたいに――。あたし……(泣いてしまう)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――お母さん――」
[#ここで字下げ終わり]
SE 蝉時雨
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「蝉時雨か……」
松子「――お庭がいろいろと、手入れが大変だわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「老人ホームのほうがラクかしら、ね」
[#ここで字下げ終わり]
はにかんで笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「尾崎さん――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、うれしい。
杉男を自分の肩でど突く。
どうだと言いたげに。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――じいちゃん、庭の手入れは俺やるよ」
三人「―――」
杉男「ここに住みなよ」
重光「―――」
杉男「俺から、おやじさんに話すよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光うなずく。
●居間[#「居間」はゴシック体]
赤ワインをグラスに注《つ》いでいる朋子。
杉男、重光、松子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「なんかつまむものは――」
松子「わたくしがみてきましょう」
[#ここで字下げ終わり]
松子、立って台所へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松子「チーズがいいかしら。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ええと、冷蔵庫――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「チーズ切りは、わかります? そこの、小さい引出しの右から二番目」
松子「右から二番目……」
[#ここで字下げ終わり]
居間の三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どこに何が入ってるか、尾崎さんに申し送りしとかなくちゃ」
重光「そんなことは二人でやりゃいいじゃないか」
杉男「そうだよ」
[#ここで字下げ終わり]
SE バタンという音
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「引出し脱けたのかしら、わかりました?」
[#ここで字下げ終わり]
三人のぞく。
ハッチから松子の姿が見えない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「下じゃないですよ、引出し」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、のぞいてアッとなる。
チーズ切りを手にのめっている松子。
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
五つ六つのグラスがガチャンと合わされる。
役員と謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
「落札おめでとう」
役員(「おめでとう」
「黒沼君、やったじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
謙造のグラスに役員たちのグラスが次々と合わせられる。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
電話に出ている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おめでとうございます」
謙造(声)「一番にアンタに知らせたくてね」
恒子「ありがとう」
謙造(声)「いや、お礼を言うのは、こっちだよ」
恒子「―――」
謙造(声)「みんなアンタのおかげだ」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体]
ねている松子。
応急処置をしている杉男。
棒立ちの重光。
●居間[#「居間」はゴシック体]
電話をかけている朋子。
●団地[#「団地」はゴシック体]
耳栓をして昼寝している洋一郎。近所のうるさいピアノの音にまじって電話が鳴っている。
●団地の前[#「団地の前」はゴシック体]
近所の主婦と笑い興じている久子。
小さく電話が鳴っている。
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体]
松子の寝ているそばで呆然《ぼうぜん》としている重光。
●門の前[#「門の前」はゴシック体]
立って待っている朋子。
中から杉男が出てくる。
「駄目だった」という表情。
蝉時雨、近づいてくる救急車のサイレン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「尾崎さんはあきらめなかった。息子を捨て、家庭を捨てて、夢を追いかけた。夢に爪をたてるようにして、這《は》い上ったこの人を、私はほめてあげたい。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]蝉時雨が見事に生きた人に、手向けのお経を読んでいる」
[#改ページ]
●回想・黒沼家・門の前[#「回想・黒沼家・門の前」はゴシック体]
立って待っている朋子。
中から杉男が出てくる。朋子に、駄目だった、という表情。
蝉時雨。
近づいてくる救急車のサイレン。
●病院[#「病院」はゴシック体]
白衣の杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「蝉時雨と救急車のサイレンが、まだ耳に残っている。オレはあの時、本当は母の肩を抱きたいと思った。母の肩をゆすぶって、どうしてこう人生というのはうまくゆかないんだと、叫びたかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]尾崎さんが亡くなって、じいちゃんは急に年をとった。母の出て行った荒れた家に一人で坐っているのかと思うと、哀れになる。
[#1字下げ]そして今日は、尾崎さんの初七日だと言っていた」
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体]
重光が出かけてゆく。誰もいないうち。
自分で、鍵をかけて、ちょっと振りかえって出てゆく重光。
●団地[#「団地」はゴシック体]
ゆっくりと階段を上ってゆく重光。白い菊の花を持っている。ついてゆく朋子。子供たちがふざけながらかけ下りてくる。
重光をかばう朋子。
●団地・尾崎家[#「団地・尾崎家」はゴシック体]
ごたごたした荷物で足の踏み場もない室内。戸の一隅をあけて、そこに形ばかりの祭壇をしつらえてある。
笑っている黒枠の松子。
香華を手向ける重光。
朋子。よそよそしい感じの長男・洋一郎と嫁の久子。さわいでいる男の子と、むずかる赤んぼう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「靴の箱を、どけてやって頂けませんか」
[#ここで字下げ終わり]
写真の上にあたるところに靴の箱が高く積上げてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「土足の下では、仏が可哀そうだ」
朋子「おじいちゃま……」
久子「この通りでしょ。置場がないんですよ」
洋一郎「久子……」
[#ここで字下げ終わり]
洋一郎、目で、おろせ、といっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋一郎「お宅さんみたいに広くないもんだから」
[#ここで字下げ終わり]
久子、面白くない。立って、がさつな手つきで、箱をおろす。積み上げた箱が、崩れて、重光と朋子の頭の上から靴やぞうり、子供の長靴などが降ってくる。
表情も変らず、身動きもしない重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋一郎 「どうも」
久 子 「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
重光とかわって朋子が、線香を上げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋一郎「毎日、おじゃましてたらしいすねえ」
重光「見えていただきました」
久子「(洋一郎に)おばあちゃん、随分、働いていたみたいよ。買物からごはんの支度から掃除、洗濯」
重光「いや――(言いかける)」
朋子「お掃除やお洗濯は、おたのみしなかったんじゃないんですか。ねえ」
重光「(うなずく)」
久子「あら、でも、お嫁さん、お出になっちゃったんで、もう、うちの中、メチャメチャだって――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おもどりになったんですか?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「いえ――」
久子「なんか知らないけど、おばあちゃん、くたびれたんじゃないんですか」
重光「いや、そんな、お洗濯やなんかは、おねがいしなかったんですよ」
久子「だって、お嫁さん、うちにいらっしゃらなかったんでしょ」
朋子「あの、尾崎さんは、ちょっとしたおかず作ったりお花いけたりぐらいで、あとは、おじいちゃまと二人で、お茶たてたりおはなししたり」
洋一郎「まあ、死人に口なしだから、言っても仕方ないけど――態《てい》のいい女中代りに使われたんじゃないですか」
朋子「とんでもない。――おじいちゃま、正式に、お迎えしたい、そう言ってらしたんですよ」
洋一郎「そう言やあ、日当、払わなくて済むもんな」
重光「お待ちなさい」
朋子「なんてことおっしゃるんですか!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの日、おじいちゃま、結婚して欲しいって申し込まれたんですよ、そのすぐあとで尾崎さん、急に発作起されて」
[#1字下げ]洋一郎「それもおかしいっていうんだよ。――いい年して、なんか、『わるさ』でもしたんじゃないの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「なんということを」
洋一郎「そうでもなきゃ、あんな丈夫なおふくろが、倒れるなんて、おかしいよ」
朋子「――あたしと長男がずっと、そばに、居たんですよ」
久子「奥さん、うち、出たんじゃないんですか」
朋子「着がえ、とりにもどったんです。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]長男も、麻酔の方ですけど、医者ですから、ご不審があれば、いつでも」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「もういい、よしなさい」
朋子「でも、本当にあの時は結婚申し込んだだけで(言いかける)」
洋一郎「おふくろが行くったって、オレはやらないね。息子がついてて――うば捨てみたいなこと、出来ませんよ。第一、あの年で、血のつながりのないとこ、入って、苦労すンの、見えてるよ」
朋子「……尾崎さん、息子さんや、お嫁さんのことほめてらしたわ。よく気のつく、やさしい息子とオヨメさんだって――」
二人「―――」
朋子「でも、これだけは言わせて下さい。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]尾崎さん、うちにみえてらした時は、本当にたのしそうでしたよ。結婚申し込まれた時、本当にうれしそうでしたよ!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「おいとま、しよう」
[#ここで字下げ終わり]
●団地[#「団地」はゴシック体]
重光に手を貸して、ゆっくりと階段を下りてくる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「そんなに母親思いの気持があるんなら、生きてる時にもっと大事にすりゃいいじゃないの、お体裁いって――」
重光「――いや、本心だろうよ」
朋子「――(おじいちゃま)」
重光「本当の『おやこ』なんて、あんなもんさ。毎日、鼻つき合わして、暮してりゃ、あんなもんさ」
朋子「―――」
重光「――離れて暮してるから、キレイにみえるんだよ」
朋子「――おじいちゃま……」
重光「小さいことは、目つぶって――もどってこないか」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
カウンターに入ってシェーカーを振るまねをしている竜二、恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「いっぺん、やってみたかったんだ」
恒子「もっと、こう。8の字書くようにやるのよ」
竜二「オレ、アルバイトしちゃいけないかな」
恒子「そんなことしたら、お父さんに叱られます」
竜二「ねえ、一時間、いくらくれる?」
恒子「シェーカー、かしなさい。――かしなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
電話をとる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございますが」
[#ここで字下げ終わり]
横から、ひったくる時子、赤鉛筆で朋子の頭を小突きながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「『公園通りファンタジー』編集部でございます。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あ、今西さん――ねえ、いつになるのよ。原稿出来たってイラストが入ンなきゃ入稿出来ないのよ、え! 今夜七時? 『カプチーノ』――OK!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「役に立たないなあ」
時子「未練があるのよ」
朋子「そんなもの、ないわよ」
時子「ある。今晩あたり、黒沼のうちへちょっともどってみようかな、と思って」
朋子「冗談じゃないわよ。――『カプチーノ』あたし、ゆく」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話鳴る
朋子、手をのばすが、時子とって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「――黒沼でございます」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設[#「日枝建設」はゴシック体]
電話をかけている謙造、びっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子(声)「失礼、『公園通りファンタジー』編集部でございます。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](小さく)みなさい、間違えちゃったじゃないよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(おかしい)――実はこちらが黒沼なんですが――家内お願いします」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
朋子に受話器をわたす時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どんな御用件です」
謙造(声)「逢《あ》って報告したいことがあるんだ」
朋子「例の大橋の落札のことなら伺いました」
謙造(声)「そうじゃない、別のはなしだよ」
朋子「なんでしょう」
謙造(声)「逢って話す。今晩七時に、赤坂の『いな垣』――いつかメシ、食った――あそこへ来てくれ」
朋子「あたし、その時間、仕事が、モシモシ、あって」
謙造(声)「待ってる、必ずきてくれ、いいな」
朋子「あなた」
[#ここで字下げ終わり]
電話切れてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ね、カプチーノってどこ?」
時子「いいわよ、無理しなくたって」
朋子「地図描いて」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設[#「日枝建設」はゴシック体]
謙造、再び受話器を取り上げ、ダイヤルを廻しかけて、ふっと自嘲《じちよう》して――やめる。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
電話がチンと鳴る。
ソファのところで話していた恒子と泉、電話を意識する。
が、電話はそれ切り、鳴らない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「誰か、かけてるんじゃないかな」
恒子「だれかしら」
泉「杉男さん――」
恒子「(首を振る)間違いでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「電話って、かかる前に、ため息つきますね」
恒子「ため息?」
泉「ハア……って、受話器が肩で息するんです。夜なんか特にそう。あたし――あ、いま、いまかかるなって、判るの」
恒子「電話、待ってらっしゃるのね」
泉「――前は、夜七時から十時の間に、よくかかったんです。いない時、かかると大変だから、あたし、どこへも出かけないで、じいっと電話のそばで待ってたんです。待ってるのって、ここ苦しくなりますね。電話よりあたしの方が先、ため息ついたりして――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、黙って自分の首から首飾りをはずして、泉の首にかけてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「古くさいけど、ガマンしてね」
泉「これ――」
恒子「おまじない。杉男があなたのこと、好きになるおまじない」
泉「――あ……ため息ついた――(電話をみる)」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話鳴る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男からじゃないの」
泉「まさか……」
[#ここで字下げ終わり]
笑っているが、少しは、アテにしている。
二人の女、同時に手をのばす。
ちょっとゆずり合って、恒子がとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ブーメランでございます」
謙造(声)「わたしだ――」
恒子「あ――」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設[#「日枝建設」はゴシック体]
謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「常務取締役になったよ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
恒子、泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「常務取締役――」
[#ここで字下げ終わり]
入口から、竜二が入ってくる。
たばこやセロリ、おつまみなどの袋を抱えて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「そうすると、営業担当重役ってわけですか」
謙造(声)「いま、社長に呼ばれて、内示という形でね」
恒子「おめでとうございます」
謙造(声)「アンタには、一番に知らせたくてね」
恒子「ありがとう――今晩、お待ちしてます」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、静かに電話を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どしたの、ねえ、なあに」
泉「―――」
恒子「―――」
泉「竜二さんのお父さん、重役になったんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
●料亭「いな垣」[#「料亭「いな垣」」はゴシック体](夜)
たばこをすって待っている謙造。
廊下に足音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
仲居(声)「お連れさま、お見えになりました」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、パッと立ち上る。電灯を消すと、フスマのかげに身をかくし、入ってくるところを、いきなり抱きすくめる。
あまりのことに声も出ない――女は時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あ、こりゃどうも」
[#ここで字下げ終わり]
あわてる謙造。
バツが悪く立ちすくむ二人。
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体](夜)
パルコあたりのテラス風のティールーム。
若いイラストレーターの眉村が、作品を朋子に渡しながら、説明している。
真うしろの席に、門倉がいて、聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
眉村「全体の感じはこんなとこ、いいかしら」
朋子「お願いします」
眉村「こっち、ハーフトーンにして、ここにリード、平明《ひらみん》で二行ね」
朋子「リードって、なんですか」
眉村「リード知らないの?」
朋子「それから、ヒラミン」
眉村「リードは、見出しの文句。平明は、平べったい明朝の――あんた、バリバリみたいにみえるけど、経験ないわけだ」
朋子「全然、あ、このケイ――」
眉村「子持ちケイ」
朋子「あら、ほんとに子持ちだわ。このケイ」
眉村「あんた、まさか、子持ち――」
朋子「だったんですけど、最近、やめました」
眉村「え?」
[#ここで字下げ終わり]
朋子の肩を叩く時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「時子――」
時子「ここ代るから、すぐ行きなさい」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら、すぐうしろの席の門倉に気づく、が知らんプリをして――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どこへ」
時子「『いな垣』。――ご主人待ってる」
朋子「なに言ってるの、代りに行って。もどる意志はありませんて、ハッキリ言ってきてくれるって」
時子「――ご主人、重役になったわよ」
朋子「――(重役?)」
時子「一番先に、女房に報告したかったって――」
朋子「―――」
時子「来てくれるまで、何時間でも待ってるって――」
朋子「―――」
時子「あたしね、いきなり抱きすくめられちゃった」
朋子「えッ」
時子「ご主人によ、フスマのかげにかくれて、パッと飛びつくんだもの。あんたと間違えたのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]時子、門倉に聞かせている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
時子「それにしても、若いわ。とても五十とは思えないわね。あたし、息つまって、バタバタあばれちゃったわよ。(門倉に)ね、行くべきよね」
朋子「門倉さん」
門倉「――(仕方なく振り向いて)行った方がよさそうだな」
[#ここで字下げ終わり]
●街[#「街」はゴシック体](夜)
歩く朋子。
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体](夜)
口紅をつけている恒子。
まず上唇に口紅を山型につけ、それを下唇にうつすようにする。
そばで見ている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「へえ、口紅って、そやってつけるの」
恒子「じろじろ、見るんじゃないの、女がお化粧するとこみると、嫌われるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
●料亭「いな垣」[#「料亭「いな垣」」はゴシック体](夜)
廊下に立つ朋子。
先導の仲居が、中に声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
仲居「お連れさまがお見えでございます」
[#ここで字下げ終わり]
フスマをあけて朋子、身がまえる、が、座卓の向うに謙造は、キチンとすわって待っている。
拍子抜けの朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「役員に昇格が決まったよ」
朋子「おめでとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
言いかける朋子を、謙造、制して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「待ってくれ」
朋子「別れた夫婦だって、おめでとうぐらい(言いかける)」
謙造「その言葉は、うちの茶の間で言ってくれ、お前の手料理で祝杯あげたいんだよ」
朋子「(言いかける)」
謙造「だから、今晩は、おめでとうなんて、言わないでもらいたいんだ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、自分の盃《さかずき》を差し出してもたせ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ほかの人には……」
謙造「え?」
朋子「おじいちゃまや、杉男さんには、重役になったことおっしゃった」
謙造「まだ誰にも言ってないよ。今晩は、お前だけに言いたくてね」
[#ここで字下げ終わり]
酌をする謙造。
のみなさいと目で――
朋子、のむ。
●「カプチーノ」[#「「カプチーノ」」はゴシック体](夜)
門倉と時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ヤキモチやかない」
門倉「(コーヒーをのんでいる)」
時子「あたし、抱きしめられたのよ。ここんとこ、押しつけられたのよ。朋子のご主人、ひげ、こわいのね。チクチクした――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ヤキモチやかないの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「間違えられたんだろ」
時子「リクツはそうよ。でも、男なら、おだやかじゃないと思うけど――」
門倉「―――」
時子「いま頃、朋子、逢ってるんだな、ご主人に。駄々こねないで、もどりなさい。――年ちがうご主人て、奥さん子供扱いすンのよね。お酌してやって――、おどしたり、泣き落しに出たり――それでも駄目なら、肩抱いて――」
門倉「―――」
時子「いま、ヤキモチ、やいてる」
門倉「いいよ。その顔。女のヤキモチやいてる顔、好きだな(女らしいよ)」
時子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・医局[#「病院・医局」はゴシック体](夜)
疲れ切って、ソファでうたた寝をしている白衣の杉男。
ふと、人の気配でうすく目をあける。
目の前にうすぼんやりとした女の顔が、いや、首のあたりがある。
首には、赤い紅玉の玉を連ねた首飾り。
泉である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「どんな夢見てたの?」
杉男「いや、こうくたびれると、夢の切れっぱしもみないなあ」
[#ここで字下げ終わり]
泉、指で首飾りをさわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「面会時間終ってるから、入口でとがめられたんじゃないの」
泉「大丈夫。こうやって通ったもの」
[#ここで字下げ終わり]
泉、ハンカチを目にあてて、しゃくり上げてみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「臨終にかけつける家族にみえるでしょ。受付のおじさん、痛ましそうな顔して、会釈してくれた――」
杉男「――(苦笑する)」
泉「女って凄《すご》いでしょ、必死になると、どんな恥かしいことでも出来るのよ」
杉男「男はダメだな、そこまでは智恵が廻らない」
泉「どしたの、杉男さん、いつもとちがう、やさしいのね」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら、泉、首飾りをさわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「このごろ、そういうの、はやってるの? 首飾り、似合うよ。すごくいい」
泉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
二人の体が近づく。
看護婦のむつ子がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「黒沼先生、そろそろ時間ですから……」
杉男「五〇二号室だね、すぐ行く」
[#ここで字下げ終わり]
ゆきかけて、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「似てるなあ、そっくりだ」
泉「―――」
杉男「色も、かたちも、同じなんだ――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]オレ、おふくろが、これとそっくりな首飾りするの好きで、うち中でメシ食いにゆくときや、PTAやなんかのとき、これ、してよって、口出してたらしいんだ」
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「あれは小学校の、一年の――入学式のときだったかなあ――いや、入学式にはランドセル、しょってゆかないもンな、黒い皮の大きなランドセル背負って、一年三組、黒沼杉男って書いたハンカチ安全ピンでとめて、学校の正門入るとこで、友達の顔みつけたんだ。かけだしたとたん、自転車とぶつかりそうになって、おふくろ、とっさにオレかばったんだけど、そのとき――おふくろの首飾りの糸が切れて――」
泉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
どぶ、真新しい黒皮のランドセル。名前を書いたハンカチ。そして、糸が切れてパッととび散る紅玉の首飾り。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「あ、きれいだなと思ったなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
泉、杉男の目を見つめながら、いきなり自分の首飾りの糸を引き千切る。
パッと廊下に散乱する赤い玉。
拾いあつめる白衣の杉男。
一緒にひろう泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「あの時もおふくろと一緒に、オレ、ひろったんだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドブの中までさがしたんだけど、結局、三つか四つ、足りなくて――首飾り、少しみじかくなって――」
言いかけて、
杉男「それにしても、よく似てるなあ、そっくりだ――(言いかけて――)もしかしたらこれ……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「―――」
杉男(N)「間違いなくおふくろの首飾りだった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おふくろは、彼女の胸を借りて、オレの前に立っている。彼女もまた、おふくろの首飾りを借りて、オレの目をみつめている」
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
くっきりと濃く口紅を引き直す恒子。
コンパクトをのぞき、化粧直しをする。
見ている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
尾高(声)「ママ、どうしたの。バカに色っぽいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
カウンターに立つ恒子。
尾高、手を重ね、たわむれかかる。
そばに立って、グラスを拭きながら見ている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
尾高「いや、いつも色っぽいけどさ、今晩は特別。ねえ、なんかいいこと、あンじゃないの」
恒子「さあ、どうでしょう」
尾高「――そうか、いい人、くるんだ」
恒子「(笑っている)」
尾高「そうだ。ね、バーテンさん。そうなんだろう?
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あ、また、バーテンさんかわったじゃないの、若くていい男、めっけてくるねえ。ママ、メン食い!」
竜二、尾高にもてあそばれている母の手が気になる。
恒子、ドアをチラチラと気にしている。
外側からあく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「いらっしゃいまし」
[#ここで字下げ終わり]
しかし、入ってきたのは別の客――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「―――」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●料亭「いな垣」[#「料亭「いな垣」」はゴシック体]
謙造と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「恒子と――前の女房と逢ったことは認める。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二、三度逢って、杉男の今の仕事のこと、竜二のことを、話し合ったことは認めるよ。逢ったのは、それだけだ、絶対にそれだけだ、手もにぎってないんだ。(手をにぎるがふりはらわれる)
[#1字下げ]ここなんだよ。一時間ばかり話して、あとは、車をよんで、先に帰らせた。なんなら、証人呼ぼうか」
謙造、手を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「やめて下さい――」
仲居「お呼びでいらっしゃいますか」
謙造「お銚子《ちようし》、お代り」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
ドアを気にして、ウイスキーをあける恒子。
カウンター内の竜二。尾高。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
尾高「大体ね、寄ってたかって教えすぎるね。先輩面して。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]その専務は、『そば屋の出前持ち』でゆけっていうのよ。テイクバックのとき(やってみせる)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おそばやさんねえ」
尾高「常務はね、荒神《こうじん》ぼうきで、そっとはく気持で――こうやれっていうしさ――。そばやと荒神ぼうきじゃ、全然ちがうじゃないね。ママも、そう思うでしょ」
恒子「え?」
尾高「人のはなし、聞いてないんだから。――ね、誰がくるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
●料亭「いな垣」[#「料亭「いな垣」」はゴシック体](夜)
謙造と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「正式発表ということになりゃ、夫婦|揃《そろ》って、社長や専務のうちにもごあいさつにゆかなきゃならん。お祝いも届くし。パーティもある。そのとき、家内がおりませんじゃ、かっこがつかないんだ。――今夜一緒に帰ろう」
朋子「(悪い気はしていない)あなたって意外に身軽なのね。そこにいたと思ったら、いつの間にかスーッととなりにきてるのね。前の方にも、こうなさったんじゃないの」
謙造「殴るぞ――」
朋子「―――」
謙造「あしたの晩、待ってるよ、手料理で乾杯したいんだよ、七時には帰ってくる。――いいね」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
最後の客を送り出し、おもてに立って外を見ている恒子。
かなり酔って、フラフラしている。
助ける竜二に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「水入らずで、カンパイしよ!」
竜二「のみすぎだよ」
恒子「おめでとう!」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](深夜)
重光がひとりポツンと、籐椅子《とういす》にすわって、庭の闇をみつめている。
入ってくる湯上りの杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「晩めし、ちゃんと食ったの」
重光「うむ」
杉男「食うもの食わないと、体に毒だよ」
重光「―――」
杉男「フトン、しいてやろうか」
重光「いや、いい」
杉男「うまいブランデーもらったから――一ぱいやると、よくねられるよ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
ブランデーをのむ重光と杉男。
電話が鳴る。
杉男と重光、時計を見る。一時を廻っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「竜二の奴だな――全くもう。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](取って)黒沼ですが」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「竜ちゃん?」
[#ここで字下げ終わり]
酔った恒子の声に、びっくりする杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おか――(言いかけた言葉をのみこむ)」
重光「?――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
酔っている恒子。
ソファで酔いつぶれている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「やだ、竜ちゃん、ここにいるんだ――そっちにいるわけないじゃないねえ、フ、フ、フ、フ」
杉男「―――」
恒子「お父さん、まだ?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
散らかっている。
杉男、重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「さっき帰ってきて、もうねた」
恒子(声)「帰ってるの?」
[#ここで字下げ終わり]
重光、何か言いかける。
杉男、電話を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「―――」
[#ここで字下げ終わり]
起きてくるパジャマ姿の謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おい、水――といっても返事はなし――か」
[#ここで字下げ終わり]
少し酔っている。
謙造、台所へ入って水をのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「なに見てンだ(ゴクゴクのんで)竜二はまだか」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
酔いつぶれている竜二。
恒子、謙造がいるように話しかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ねたの――うち帰ってねたの――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お話、違うんじゃないんですか。ちょっと寄って『いろいろありがとう』ひとこと言ってもらいたかったのよ。
[#1字下げ]それだけでいいのよ、それで、あたし、気が済んだのよ、それを――うち、帰って、ねた――なによ」
ぐいぐいのむ。
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](深夜)
ねそべって天井を見ている謙造。
となりのベッドにうつる。ライトを消す。
●時子のマンション・台所[#「時子のマンション・台所」はゴシック体](深夜)
暗がりの中にひそやかな足音。
そっと冷蔵庫があくと、中から牛乳のパックをつかみ出す。
コップにあけてのむ。
パジャマ姿の朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「半分、残しといてよ」
朋子「――いただいてます」
時子「今晩は帰ってこないと思ったなあ」
朋子「どして」
時子「――あんたのご主人、魅力あるもの」
朋子「―――」
時子「前の奥さん、未練なかったのかなあ――」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家[#「黒沼家」はゴシック体](朝)
歯をみがいている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「竜二! 竜二!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]杉男! 杉男!」
出てくる重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「杉男は出かけたらしいな」
謙造「病院ですか」
重光「さあ」
謙造「竜二――」
重光「竜二は外泊だ」
謙造「外泊?」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体](朝)
母親のベッドからずり落ちそうになってねている竜二。
ネグリジェやガウンやでうまっている室内。
はりめぐらしたビニールのひもにパンティストッキングや下着が干してある。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](朝)
だらしなくソファに酔いつぶれている恒子。
ドンドンドンドンとドアを叩く音。
恒子、目をさまし、フラフラしながら立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「集金なら、おひるからにしてよ、夜おそい商売なんだから」
[#ここで字下げ終わり]
ドアをあける。
立っているのは杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男――」
[#ここで字下げ終わり]
胸もあらわにガウンも着ていない母に目をそむける杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「いま、何時?
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もう、朝なの?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「竜二、竜二!」
恒子「竜二、上。あの子、お酒のみすぎて――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、母を押しのけるようにして、階段の上り口で叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「竜二!」
[#ここで字下げ終わり]
ベッドの上で目があかない竜二。
いきなりほうり出す杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「なんだよ!」
杉男「どして帰ってこない!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]だらしのないマネすンな」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「親のうち、泊って、どこ悪いんだよ」
杉男「けじめのないマネ、すンなって言ってンだ」
竜二「蹴《け》とばすこたァないだろ」
恒子「お母さんが悪いの、のませたのお母さんなんだから」
[#ここで字下げ終わり]
ドアを叩く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアをあける。
若いバーテンの竹見。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「竹見さん」
竹見「急に大阪のハナシが決まったもんだから」
恒子「大阪はどこ」
竹見「ミナミ。『キートン』って店だから、あっち来たら寄ってよ。――ええと、オレのコート」
恒子「ソコ。竹見さんも元気で」
竹見「あいさつ、それだけ」
恒子「いやなこと、聞きたくないでしょ」
竹見「とぼけんじゃないよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]給料五日分。未払いだろ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「キレイにやめた人なら、言われなくたって払ってるわよ」
竹見「これだから、女の経営者はいやだね。バーテンが、これ(ポケットに入れる)やンの常識よ」
恒子「そう、バーだの喫茶店なんて、客だまして、水売る商売だもの、そのくらい判ってるわよ、でもね、限度があるんじゃないの」
竹見「―――」
恒子「なんなら、出るとこ出ようか」
竹見「へン、朝、見るとトシだね」
恒子「水商売の女を朝見るほうがバカなの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ゆうべおそいんだから、早くしてちょうだいよ」
二階の兄弟、じっと聞いている。
あらわになった母の胸、乱れた髪、だらしのない立居。
ガタンと竜二が音を出してしまう。
下においてある上衣《うわぎ》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹見「バカにせき立てると思ったら、くわえ込んでンじゃないの?」
恒子「え?」
竹見「(親指)」
恒子「なに言ってンのよ、息子よ」
竹見「そんな若いの」
[#ここで字下げ終わり]
のぞく竹見。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹見「それにしても、息子とはうまいねえ、ツバメってよか人聞きがいいもんな。(せせら笑って)年考えてやンないと、あとで泣き見るよ」
[#ここで字下げ終わり]
かけおりてゆく竜二、竹見を殴りつける。
とめる杉男、恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「なんてこというんだよ! なんてこと」
杉男「よせ、よせ!」
恒子「竜二、よしなさい」
[#ここで字下げ終わり]
もみあう四人。
割れるガラス。
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
出てゆく竹見、ゆがんだネクタイを直しゴミ置場にツバを吐く。
大きいポリ袋をけっとばす。
のら猫が、二、三匹、とび出して逃げる。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
のろのろしたしぐさで割れたグラスを片づけている恒子。
杉男も竜二も何も言わない。
杉男、竜二が鼻血を出しているのに気づく。
だまって白いハンカチを差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「鼻血?」
竜二「やられたからじゃないんだよ、オレ、鼻粘膜が弱いのかな、朝なんかしょっちゅう、出ンだよね」
恒子「女の子がいないからじゃないの。アンタ、たまってんのよ」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、グウッとうめくようにする。
母にぶつかってゆく。
メチャメチャにブン殴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「なによォ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]痛いじゃないのよォ。
[#1字下げ]頭痛いんだから、やめてちょうだいよォ」
杉男、弟を引きはなす。
恒子――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「飲みすぎて、気分悪いっていうのに、みんなで寄ってたかって――もう――」
[#ここで字下げ終わり]
急に口を押さえてうめきはじめる。
ウ、ウッと、うめき、背中を波うたせながら嘔吐《おうと》している恒子。
顔をそむけている竜二。しばらく見ているが、やがて背中をさすってやる杉男。
くだけて散る母の赤い首飾りのイメージ。
黒い皮のランドセル。
嘔吐する母、背をさする杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「昔のおふくろはもうどこにもいなかった。年をとり、いぎたない下品な汚れた姿があった。おぞましさに顔をそむけて、とびだそうとしたが、何故《なぜ》か体はかなしばりにあったように、そこから動けなかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]自分にも説明できない熱いものが、急にこみあげてきた」
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
編集部のプレートを見ながらしばらく立っている杉男。
ノックして入ってゆく。
顔を上げる時子。
打ち合わせの最中。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「あら――」
杉男「黒沼です。いつも義母《はは》が――」
時子「あんたがハハっていうと、なんかへんな気するなあ。朋子のことじゃないみたい――」
杉男「出かけてるんですか」
時子「ううん。クビにしたの」
杉男「クビ――」
時子「全然、役に立たないんだもの。おじいちゃまの、ガールフレンドが倒れました。お葬式についてゆきます。初七日のおまいりです。遅刻、早退《はやび》けはするし――別居してるご主人に呼び出されちゃのこのこ出かけてゆくし、やっぱりダメねえ、主婦ってのは」
杉男「ご迷惑かけて」
時子「真《ま》にうけてるわ。冗談よ。なんかね、うちへもどって晩ごはん食べながら話し合いするってことになったんでしょ。彼女、買物して帰るっていってたわよ」
[#ここで字下げ終わり]
●スーパー[#「スーパー」はゴシック体]
野菜、くだものなど、買物をする朋子。
棚の上に、手をのばしてレモンを取ろうとする。うしろから手がのびて、ヒョイとレモンをつかみ、カゴの中に入れる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――杉男さん――」
杉男「(カゴの中をのぞきこみ)スキヤキとサラダだな。オレ、スキヤキよりステーキがいいなあ」
朋子「おじいちゃまはスキヤキの方がお好きだもの」
杉男「じゃあ、子供だけステーキ」
朋子「(笑ってしまう)子供って年じゃないでしょ。……杉男さん、昔からそうだったわねえ、よく買物一緒についてきて、子供だけ、お肉にしてよ、ステーキにしてよって――駄々こねてた。こっちは予算があるし困ったのよ」
杉男「――おやじさんに、泣きつかれたんじゃないの。もどって来てくれって――」
朋子「慰謝料のこともございますのでね、ちゃんと話し合おうかなって思ったの――」
杉男「気つけた方がいいよ。おやじさん丸めこむのうまいから、あ、オレ、ぬた、食べたいなあ」
朋子「ステーキにぬた、合わないんじゃない」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、はしゃいで大きなミルクのカンを手にして、ほうり上げる。スーパーの店員、声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
店員「だんなさん。それお特用になっていますよ」
朋子「え?」
店員「奥さんじゃなくて、御主人の方――」
杉男「え?」
店員「新婚じゃないんですか」
朋子「やだわ」
杉男「冗談じゃないよ」
[#ここで字下げ終わり]
憤然としてはりぼてのミルクを棚にもどす杉男。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
電話をかけている恒子。馴《な》れ馴れしい口調。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「一人ぐらい、なんとかなるでしょ。バーテンさん居なきゃ店あけられないわよ。一人廻して――今晩からよォ。たのむわよ」
[#ここで字下げ終わり]
電話切って、入口に重光が立っているのに気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま……」
重光「―――」
恒子「お久しぶりでございます」
重光「元気そうだな」
恒子「おかげさまで」
重光「いい店じゃないか――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、内ポケットから祝儀袋を出す。
押しやりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「おめでとう」
恒子「ありがとうございます」
重光「――まあ、こうやって店も出したことだし――おたがい納得ずくで別れたんだ。未練がましい真似はやめて(言いかける)」
恒子「水割りでよろしいかしら」
重光「いや、わしは(いらない)」
恒子「お小言《こごと》言いにいらしたんですか。あたしはまた、お礼にみえたのかと思った」
重光「あんたに何で礼を言わなきゃならんのだ。自分の胸に手を当ててようく考えたら」
恒子「おじいちゃま(言いかける)」
重光「人の道にもとるマネは」
恒子「――そうそう。申しおくれまして――このたびは、重役御昇進、おめでとうございます」
重光「え?」
恒子「あら、おじいちゃま御存知なかったんですか」
重光「あ、いや(絶句する)」
恒子「橋の落札をものにした大手柄、みとめられたんですよ。異例の抜擢《ばつてき》じゃないかしら」
重光「―――」
恒子「『おまえの情報のおかげだよ。ありがとう』――なにも、手ついてあいさつしろと言ってませんよ。でもねえ、利用するときはチヤホヤしといて――あとはそれっきりってのはおじいちゃまのお好きな、人の道にもとるんじゃないんですか」
重光「―――」
恒子「お小言おっしゃるんなら、ご自分の息子が先じゃないかしら」
重光「………」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](夕方)
弾んで帰ってくる謙造。
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](夕方)
ベルを押しかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光(声)「あいている」
[#ここで字下げ終わり]
あける謙造。
立ちはだかるように立っている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ただいま」
重光「―――」
謙造「どしたの。シブイ顔して――実はね、常務取締役――営業担当重役になりました」
重光「馬鹿者!」
[#ここで字下げ終わり]
一喝して、重光、居間の方へ。
●居間[#「居間」はゴシック体](夕方)
重光を追う謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「なんです、馬鹿とは。息子が重役になったって報告してるんですよ、バカ呼ばわりはないんじゃないですか。おめでとうのひとことぐらい言ったってバチあたりませんからね」
重光「小汚ないまねをして、出世したせがれに、おめでとうが言えるか……」
謙造「ヤキモチじゃないんですか」
重光「ヤキモチ?」
謙造「息子に対するヤキモチ。年甲斐《としがい》もなく――見苦しいよ」
重光「なにがヤキモチだ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]せがれの出世を喜ばない親がどこにいる。わしはね、今、お前が別れた女房から恥をかかされてきたところだ」
このあたりから台所に勝手口から荷物を抱えた朋子と杉男が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あのねえ、お父さん、今の世の中、当り前のことじゃ生きちゃ行けないんですよ。腕こまねいて餓死するのを待つようなバカはどこにもいませんからね。いくらシャレたことを言ったってですよ、いくら人間的に立派だとほめられたって、お父さんの一生みてごらんなさい、ヒラに毛の生えたぐらいの肩書きしかないじゃないですか」
重光「――別れた女房から情報もらって、利用して――そのおかげで重役になるよかましだろう」
謙造「何言ってるんですか、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
とびこんでくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「やめろよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光と謙造、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「本当ですか、今の話。本当ですか?」
[#ここで字下げ終わり]
ハッチの向うで凍りついたように立ちつくす朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「朋子……ああ本当だよ、その通りなんだよ、ヨリをもどしたわけじゃなかったんだよ。何べん言ったって、お前は信用しなかったじゃないか、これでわかったろ」
朋子「ヨリをもどしたのも、いやだと思ってた。でも、いまのはなしは、もっと――もっと、いやだわ」
[#ここで字下げ終わり]
バッグを手に出てゆきかけて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん」
重光「待ちなさい」
[#ここで字下げ終わり]
思いかえし、居間の方にくる。謙造に向って――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「重役昇進、おめでとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
身をひるがえし出てゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男 )「お母さん」
重光  「待ちなさい朋子」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、抱きとめようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「出てゆく人間が違うだろう」
[#ここで字下げ終わり]
重光、謙造をにらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「わたしに出て行けっていうんですか。(笑ってしまう)何言ってるんだ。わたしはこのうちの戸主ですよ。どこの世界に戸主が、うちを出てくなんてハナシ――第一、これは、わたしのうちじゃないか」
重光「そうじゃない。これはわたしのうちだ。昭和二十四年に、坪四百五十円で買ったわたしのうちだ」
杉男 )「じいちゃん」
謙造  「お父さん――」
重光「(大喝する)出てゆけ!」
[#ここで字下げ終わり]
重光の拳《こぶし》が、烈しくふるえている。立ちつくす朋子。
杉男。そして謙造――
[#改ページ]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夕方)
朋子、謙造、杉男、重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「重役昇進、おめでとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
身をひるがえして出てゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男 )「お母さん」
重光  「待ちなさい朋子」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、抱きとめようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「出てゆく人間が違うだろう」
[#ここで字下げ終わり]
重光、謙造をにらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「わたしに出て行けっていうんですか。(笑ってしまう)何言ってるんだ。わたしはこのうちの戸主ですよ。どこの世界に戸主が、うちを出てくなんてハナシ――第一、これは、わたしのうちじゃないか」
重光「そうじゃない。これはわたしのうちだ。昭和二十四年に、坪四百五十円で買ったわたしのうちだ」
杉男 )「じいちゃん」
謙造  「お父さん――」
重光「(大喝する)出てゆけ!」
[#ここで字下げ終わり]
重光の拳が、烈しくふるえている。立ちつくす朋子。
杉男。そして謙造――
謙造、重光をにらみかえす。
ゆとりをみせて、食卓の上の夕刊に手をのばす。
一面の下。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「南の風、曇のち晴れ」
一同「―――」
謙造「あしたの天気だよ――雨なら、レインコート持ってかないとね」
[#ここで字下げ終わり]
二階へ上ってゆく謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「待って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
追おうとする朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「行くことはない。――うち出てく支度ぐらい、一人で出来る」
朋子「おじいちゃま、何おっしゃるんですか、あたしは他人ですよ、誰とも血のつながってないアカの他人ですよ、実の息子に出てけ、なんて、出てゆくんならあたしが」
杉男「……お母さん……」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、朋子を引きずるようにして縁側から重光の部屋の方へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(小さく)頼むから――今、さからうとまずい」
朋子「だって、杉男さん」
杉男「じいちゃん、普通じゃないよ」
[#ここで字下げ終わり]
塑像のように立ち、体を硬直させ、手をブルブルとふるわせている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「そうでなくったって血圧が高いんだ。これ以上、興奮させて、万一のことがあると――」
朋子「だからって――」
杉男「たのむから、今晩一晩だけでいい、じいちゃん納まるまででいいから」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、重光を見る。
立ちつくす重光。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
バッグに着がえをつめる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光(声)「馬鹿者!」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
立っている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「ヤキモチじゃないんですか」
重光「ヤキモチ……」
謙造(声)「息子に対するヤキモチ。年甲斐もなく――、見苦しいよ」
重光「何がヤキモチだ!
[#ここで字下げ終わり]
何がヤキモチだ!」
荒い息をつく重光の耳に、また謙造の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「あのねえ、お父さん、今の世の中当り前のことじゃ生きちゃ行けないんですよ。腕こまねいて餓死するのを待つようなバカはどこにもいませんからね。いくらシャレたことを言ったってですよ、いくら人間的に立派だとほめられたって、お父さんの一生みてごらんなさい、ヒラに毛の生えたぐらいの肩書きしかないじゃないですか」
[#ここで字下げ終わり]
重光、テーブルの上のものを叩きつける。
離れたところにいた朋子と杉男。
はっとして居間の方へ。
床に割れたものの破片。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「(呟《つぶや》く)出てゆけ……出てゆけ」
[#ここで字下げ終わり]
そして、玄関を出てゆく気配。
朋子、走り出てゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
朋子、一人で立っている。
はだしで三和土《たたき》に下り、ノブに手をかける。
そのまま、じっと立っている。
●門[#「門」はゴシック体](夜)
バッグをさげた謙造、出てゆきかけて振りかえる。
黒沼謙造の表札。
少しためらい、立っている、それから歩き出す。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
ノブに手をかけて立っている朋子。
うしろに杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どこ、行くのかしら、男は、実家、ないわけでしょ、うち出て、どこ、行くのかしら」
杉男「どこって――一晩ぐらい、ホテルでも、いくんじゃないの、おやじ、しっかりしてるから、どっかのお手軽なビジネス・ホテルかなんかに決まってるって――」
朋子(N)「ドアのノブには、まだ夫の手のひらのぬくもりが残っているように思われた。一度逃げたカナリヤは、また鳥かごの中にとじこめられた。代りにオスが出て行った」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
誰もいない店内。
カウンターで、恒子がひとり。
ドアがギイと開く。
立っているのは竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「竜ちゃん――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、ちょっとこわばったようなはにかんだ感じでカウンターに坐る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「来ちゃだめだって言ったでしょ」
竜二「―――」
恒子「うち帰って、勉強しなさい」
竜二「勉強なら、ここで出来るもン」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、ちょっとテレながら、本やノートなどを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「大学って、こういうので勉強すンの? むつかしそうじゃないの、お母さんには判んないなあ。――これは――」
竜二「経済学」
恒子「読んで――」
竜二「読むって?」
恒子「声出して読んで、母さんに聞かせて」
竜二「やだよ。小学生じゃあるまいしさ」
恒子「だって母さん、竜ちゃんの小学生のとき、知らないもの。見てないもの――読むの聞きたい……」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、笑って本を閉じかけるが、母の必死の顔を見て、思いかえす。
本をひろげて――わざと小学生風の大きい声で、小学校一年の国語読本の一ページ目を暗唱する。
恒子、じっと聞いている。恒子の目に涙が浮かんでくる。竜二の声が、小さくくぐもってくる。涙声になる。じっと聞いている恒子。
(低く聞こえてくる子守唄)
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
ひとりで坐っている朋子。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
杉男が、重光の血圧を測っている。
無言で天井を見ている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「(小さく呟く)馬鹿者――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、また体がふるえる。
朋子が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――やっぱり血圧、少し上ってるな、(重光に)大きな声出したり、怒ったりしちゃダメだよ、二、三日静かにしてないと――お母さんも、いるじゃないか」
重光「朋子」
朋子「(そばへ寄る)」
重光「わたしの、わたしの死に水は、すまんがあんた取っておくれ」
朋子「おじいちゃま、それは」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけるが、杉男の訴える目の色に気押されて、小さくうなずく。
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](深夜)
ベルが鳴っている。
かけて出てきてあける朋子。
帰ってきたのは竜二。
竜二、朋子にびっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(小さく)お帰りなさい」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、出てきた杉男に、小さく聞く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どして、いるんだよ」
杉男「―――」
竜二「出てった人間が、どしているんだよ」
杉男「もどって来たんだよ」
竜二「だって、いっぺん、出たんだろ。自分から、このうち(とび出してと言いかけ)」
杉男「じいちゃんが、帰ってこいっていったんだよ」
竜二「(何か言いかける)」
杉男「よせ」
竜二「だってさ」
杉男「今夜は何も言うな。じいちゃん、血圧上ってるから」
竜二「血圧、関係ねえだろ」
杉男「カッとさせるとアブないんだよ。黙って、ねろ」
[#ここで字下げ終わり]
少し離れた廊下の物かげで聞いている朋子。
ゆきかける竜二を呼びとめる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「竜二」
竜二「なんだよ」
杉男「お前、今までどこにいた」
竜二「(振り離してゆこうとする)」
杉男「どこで飲んでた」
竜二「どこだって、いいだろ」
杉男「(ぐいと引きもどす)ほかに、こなかったか」
[#ここで字下げ終わり]
立ち去ろうとした朋子、足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「ほかに、誰か来なかったかって、聞いてるんだ」
竜二「誰って――だれ?」
杉男「―――」
竜二「泉さん? おやじ?」
杉男「おい」
竜二「泉さんは来てなかったけど、おやじさん、きてのんでたよ」
朋子「―――」
杉男「おい! 本当か。(二階へ上ろうとする竜二を引きずりおろすようにして)本当か!」
竜二「本当だったら、どうなんだよ?」
[#ここで字下げ終わり]
物かげで聞いている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おい、竜二!」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、竜二をしめあげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「本当か!」
竜二「本当だよ。カウンターにすわってハイボール」
杉男「いい加減なこと言うな。おやじさん、いつからハイボールになった」
竜二「――冗談」
杉男「どっちなんだ。本当か冗談か」
竜二「痛いだろ、今夜は誰も客がいない」
杉男「タチの悪い冗談、二度と言うな!」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、竜二の手を離し、居間に来かけて棒立ちになっている朋子に気づく。
弟をどけて、朋子の前にすっとんでくる杉男。
●ビジネス・ホテル[#「ビジネス・ホテル」はゴシック体](夜)
簡単なシングル・ルーム。
ベッドカバーをめくらずに、その上に横になる謙造。
天井を見て、じっとしている。
サイド・テーブルに電話がある。
目が泳ぐが、やめてたばこを出す。
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](深夜)
横になっている朋子。
目をあけている。
隣りのベッドが気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「朋子、朋子。おめでとうは、うちの茶の間で言ってくれ。お前の手料理で祝杯あげたいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
ねがえりをうつ朋子。
●杉男の部屋[#「杉男の部屋」はゴシック体](深夜)
ねがえりをうつ杉男。
ドアがあく音、廊下を歩く足音。
杉男、うす闇の中で、目をあけて聞いている。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](深夜)
ねている重光の様子を見る朋子の影。
●階段[#「階段」はゴシック体](深夜)
おりてくる杉男のハダシの足。
●洗面所[#「洗面所」はゴシック体](深夜)
廻っている洗濯機。
洗濯ものをよりわけて、入れている朋子。
(浴衣のねまきの上にかっぽう着、ひっつめ髪)
うしろから杉男――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん――」
朋子「あら! そっとやってたつもりだけど、聞こえた?」
杉男「夜中に洗濯すること、ないじゃないか」
朋子「たまってるの、やなのよ、気になって。ねつかれないし――ちょうどいいと思って」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ほうりこむ。見ている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さんの、出てないけど、たまってンでしょ。お出しなさい」
杉男「いいよ」
朋子「お母さん、洗ってってあげる――」
杉男「キレイ好きだね」
朋子「それしか取柄ないもの」
杉男「そんなこと、ないよ」
朋子「そうよ。――ゴルフ場の事務やってる時、お父さん、みえてたでしょ。一番はじめに、ごはんにさそわれた時、言われたもの。『掃除や洗濯、好きですか』」
杉男「(手伝う)」
朋子「おヨメに来てみて、言われたわけ、わかったわ」
杉男「あの頃のうち、すごかったもんな。ばあちゃんは、寝たっきりで――」
朋子「あたしね、五人の家族が、あんなに沢山の洗濯物、出すなんて知らなかったなあ。あんたも、竜二さんも、よく汚したもの――野球でもう、ドロドロ」
杉男「ばあちゃんの、おしめもあったしね(手伝う)」
朋子「おばあちゃま、お見送りして――杉男さんの下着がだんだん――大人の匂いがしてきて――下着、あたしに出さなくなって――」
杉男「―――」
朋子「その分、おじいちゃまの肌着が何日着ても脂っぽくならなくなって――それから――竜二さんが――大人になって――洗濯してる人には、ちゃんと判るのよ」
杉男「――うちの歴史だね」
朋子「思い出――」
杉男「そういう、かっこ、一番好きだな」
朋子「―――」
杉男「アタマ、引っつめて、着物で、かっぽう着」
朋子「それはね、杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
顔を見合わす二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おやじさんじゃないかな。泊ってるとこ、報告するつもりでかけてンじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
恒子がかけている。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](深夜)
鳴っている電話。
入ってくる杉男。
あとから朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「黒沼ですが」
恒子(声)「あなた――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、硬直する。
このあたりから、重光、のぞいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん……」
杉男「(とっさに)違います」
[#ここで字下げ終わり]
ガシャンと切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――間違い電話」
朋子「そうお……」
[#ここで字下げ終わり]
重光――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「なあに、さっき言いかけたの」
朋子「杉男さんが言ってたこと。あたしがあたま引っつめて、着物着て、かっぽう着かけるの、好きっていったこと――あれ、あたしが好きなんじゃないのよ。杉男さん生んでくれた本当のお母さんがいつも、してらしたかっこうなんじゃないの?」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
重光――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「誰が電話をかけているのか、すぐに分った。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出て行った家にまい戻り、気持の飢えを満たすように、いそいそと洗濯をしていた、私の未練を嘲笑《あざわら》う声に聞こえた」
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
受話器を置いて、ウイスキーを飲む恒子。
F・O
●日枝建設・常務室[#「日枝建設・常務室」はゴシック体]
デスクの謙造。
朋子が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「五分でいいんです。出られないんですか」
謙造「居ないとまずいんだよ。かまわんから言いなさい。別に、インターフォン切れば、誰にも聞こえやしないよ」
朋子「おじいちゃま、落着きました。もう大丈夫です。いつもの通り、お帰り下さい」
謙造「そうはいかないよ」
朋子「見えすいた真似はやめて下さい。一軒のうちの主人が、うち出てるなんて、長つづきすることじゃないわよ。
[#1字下げ]あたし、ゆうべはおじいちゃまのために、泊ったんですよ。あれ以上気持たかぶらすと、アブないって杉男さん言うから、それであたし――一晩だけ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ノックの音
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアをあけてのぞく。
玉木専務。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「ちょっといいかね」
謙造「あ、専務」
玉木「お、こりゃこりゃ、奥さん。
[#ここで字下げ終わり]
このたびはおめでとう」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ほら、玉木専務――、お祝い、おっしゃって下すってるじゃないか」
朋子「え? ああ――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おかげさまで――有難うございます」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「いや、大きな声じゃ言いにくいけど、わが社は同族会社みたいなもんですからねえ、血縁関係なしで、しかも黒沼君の年で、役員というのは前代未聞じゃないの」
謙造「皆様のおかげで」
玉木「橋のおかげだよ、ねえ、入札さまさまだ、ハハハ」
謙造「いずれ家内ともどもごあいさつに」
玉木「そんなことよか、この間うちから話している、アレ――出来てきたもんだから」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、見合い写真を謙造に手渡そうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「専務、そのはなしは、家内の方に願えませんか。(朋子に)実は、こないだうちからね、杉男に、こちらのお嬢さんと見合いをさせたらどうかって、はなしをね」
朋子「杉男さんと、ですか」
玉木「いや、ウカツなはなしなんだが、麻酔医なんての、あったなぐらいに思っとったところが、こないだの新聞にバーンと出たでしょうが、親バカでね、医者はいいけど、研究所みたいなとこ入って食えないんじゃかわいそうだと思っとったのがもう、いっぺんに引っくり返ってね、こりゃ、ぜひひとつ、と思って! 奥さん」
朋子「あの――あ、実はあたくし」
謙造「お前、よく伺って」
玉木「(ドアの外に叫ぶ)洋子! 洋子!」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる娘の洋子(21)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「実物が写真とどけに来たもんでね、長女の洋子です。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]黒沼さん、奥さん――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「はじめまして」
謙造「どうも――」
朋子「あのあたくし」
謙造「よかったじゃないか、お目にかかれて。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いや、実は、うちの長男、家内のいうことだけは、よく聞きますんで――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「どうだい洋子、こんなキレイなお母さんがご一緒なんだよ。よっぽど磨いてかないと、かすんじゃうぞ」
洋子「―――」
朋子「おいくつですか」
洋子「二十一です」
謙造「これがうちに来たのと同じだ」
朋子「あたくし、ハタチです」
玉木「しかし、うちは初婚だよ――」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
玉木と洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「どうした?」
洋子「ずい分、若いお母さん」
玉木「後妻だよ、いやなら別居すりゃいいんだ、気にするこたァないよ。しかし医者はいいぞォ」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設・常務室[#「日枝建設・常務室」はゴシック体]
謙造と朋子。
朋子、見合いの写真を押しやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「たのんだよ」
朋子「何おっしゃるの、あたしはうち、出た人間です」
謙造「いや、まだ、うちの人間だ。オレの女房だ」
朋子「本当に、女房と思ってらしたんですか」
謙造「思っているから、やったんじゃないか。お前、よろこばせたかった」
朋子「わたしがよろこぶと思ってらしたの?」
謙造「夫のよろこびは妻のよろこびじゃないか」
朋子「やり方によるわ」
謙造「小さいことに目つぶって、大きいしあわせだけ見るやり方の方が」
朋子「しあわせって小さなものじゃないんですか」
謙造「子供っぽいんだよ、そういうリクツは」
朋子「とにかく帰って下さい」
謙造「お前がうちにいるんなら、今夜にでももどる」
朋子「それは出来ないわ」
謙造「じゃ、オレももどらんぞ、オレはな、何としても、お前にもどってもらいたいんだ。そのために、じいさんがそういうんなら、三日や四日のホテル暮しなんか、なんでもないんだ」
朋子「(言いかける)」
謙造「どうだった、久しぶりに帰って、ゆうべは、よくねむれたか、どっちのベッドでねたんだ」
朋子「帰ります」
謙造「待てよ、オレのベッドか」
朋子「起きて洗濯したわ」
謙造「夜中に洗濯か、どんな気持だった。いやだったか、いやじゃなかったろ、口じゃ文句いっても内心は」
朋子「(出ようとする)」
謙造「本当の気持は――たのしかった、オレも、一晩うちあけて、体で判ったんだよ、いつものベッド、いつもの枕、自分のうちの洗面所――そういうものに未練のあるうちは――人間自分のうちを捨てられないんだ」
朋子「いいえ、あたしは」
謙造「とにかく、見合いのはなしだけは、すぐやつに話してくれ、頼んだぞ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子が何か言いかけるのを、口を封じるように、インターフォンを押す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「水村君、会議に出るから、書類|揃《そろ》えてくれ」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・医局[#「病院・医局」はゴシック体]
杉男の前に見合い写真。
洋子の品のいい笑顔。
朋子、写真をパタンと閉じて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「返事は直接、お父さんにして頂戴。あたしは取り次いだだけ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、たばこをくわえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「返事に困ると、たばこ、すうのね」
杉男「『ノオ』の時は、尚更《なおさら》ね」
朋子「便利なものなのね、たばこって」
杉男「そうでなきゃ、こんなに売れないよ」
朋子「あたしもおぼえようかな。たばこ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一人で生きてくとすると、『ノオ』っていうことも多いんじゃない?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「決めたの?」
朋子「おじいちゃまを、たのむわね」
杉男「お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
看護婦の根岸むつ子がのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「黒沼先生。ミーティングはじまりますけど」
杉男「すぐ行く。――待っててくれないかな。二十分で終るから、一緒にメシ食おう。オレ、おごるよ」
朋子「慰謝料の交渉、杉男さんにたのもうかしら」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、たばこの火を消し、肩に手をおいて、立ってゆく。
朋子、すいがらをもみ消し、見合い写真をひろげる。
その上に、バラの花びらが散ってくる。
水を取りかえてないらしく、枯れかかっている。
朋子、花びんを手に立ち上る。
●洗面所[#「洗面所」はゴシック体]
花びんの水をかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「水がにごってると、花はすぐ枯れるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
ついでに、カガミに自分の顔をうつす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「もう一度、水取りかえて、やり直し――花は咲かないかな」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、失笑してしまう。
●医局[#「医局」はゴシック体]
花びんを手にもどる朋子、びっくりする。
杉男の席で、見合い写真を見ているのは泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「泉さん……」
泉「(ニコニコして)お見合い写真て、ちゃんと見るの、はじめて」
朋子「泉さん、うつしたこと、おありにならない」
泉「ありません。――お母さま、もってらしたんですか」
朋子「――主人の、会社の方から、無理に、たのまれて――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、取ろうとするが、泉は渡さない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ステキなかた――ご両親そろってて、ご両親も大学、出てて、立派なおうちがあって――歯ぎしりなんか一ぺんもしないでも、欲しいもの、手に入ると、女ってこういう『いい顔』になるのね」
朋子「―――」
泉「泣きたいくせにガマンして、グチャグチャに傷ついてるくせに、ケロンとしたふりしてると、こういう『やな顔』になるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
泉、フフ、フフフと笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「あたしが笑ってるときは、泣いてンだ。そう思って下さいね」
[#ここで字下げ終わり]
泉、バッグから、ハンカチに包んだものを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「これ、杉男さんに返して下さい」
朋子「もうすぐもどってくるわ、ご自分で返したら」
泉「(首を振る)『ご利益《りやく》なかったわ』そう言って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
ハンカチを朋子に押しつけて出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「泉さん」
[#ここで字下げ終わり]
追いかけようと、立ち上る。
はずみに、ハンカチの中の、糸の切れた赤い玉が、パッと、写真の上に落ち、テーブルからこぼれて、床の上に飛び散る。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
帰ってゆく朋子。
さっきの赤い玉のとび散るシーン。
そしてハンカチに包んだ赤い玉を受け取った時の、杉男の顔が回想になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「どしたの? これ」
杉男(声)「いや、なんでもないんだ」
朋子(声)「杉男さんのプレゼントしたネックレス?」
杉男(声)「いや――」
朋子(声)「古いもんねえ」
杉男(声)「―――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子の足がとまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「ネックレスは母親のものに違いない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]赤い玉は、生んだ母親と生まれた息子の、血のつながりにみえた」
●編集部[#「編集部」はゴシック体](夕方)
ラーメンをすすりこみながら、校正をしている大崎。気ぜわしくネガを見ながら赤鉛筆でチェックしているカメラマン。
原稿を見て、レイアウトをしている田中。同じくラーメンをすすりこみながら、電話で印刷屋と交渉している時子。
そばで、ハガキをならべ当選者をえらんでいる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「おそいのよあしたの朝一番じゃ、何時になってもいいから、ゲラ、今晩中に出してくれないかな。そりゃねえ、入稿おくれたのは認めるわよ、認める! 出来てたのよ、原稿。出来てたって、おひるすぎまで、ハンドバッグに入れて持ち歩いてりゃ世話ないわよ。え? そうよ、うちの新米のアルバイト! え? 若くないのよ、いいとこの奥さんで、いま出るの、引っこむのでもめてて、もう全然ヤクに立たないの! まあ、こっちの手落ちは重々認めるけど――うん。たのむ、ゲラ、今晩中! ね。大場印刷さんとは長いつきあいじゃないの、OK、OK、すみません、じゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
電話切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「すみません」
時子「面倒見切れないわよ」
朋子「申しわけない」
時子「すみません。ごめんなさい。申しわけない。あやまる言葉って、この三つしかないのかねえ」
カメラマン「ないらしいね」
大崎「もういいじゃないの」
田中「お時さん、やいてンじゃないの」
時子「そりゃやいてるわよ。――こっちは、やくとこ、ないってのに、この人は、その気になりゃ、もどるとこあンだもの。それで悩んでるなんて、かわりたいってなもんよ」
朋子「じゃ、かわってよ」
時子「――どしていきなり東京って書くのよ。北海道から青森――北から順!」
朋子「すみません……」
[#ここで字下げ終わり]
うちにポツンといる重光のイメージ。
はがきの恒子という字がぐんと大きく迫ってくる。
手をとめる朋子。
●料亭[#「料亭」はゴシック体](夜)
着物姿の恒子が待っている。
あらわれる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうもお待たせして。毎日あいさつ廻りでもう――」
恒子「お忙しいところお時間割っていただいて」
謙造「いや、こっちが一席、もうけなきゃならんとこ、話が逆になって――」
恒子「(改まって)このたびは、ご昇進、おめでとうございます」
謙造「ありがとう。
[#ここで字下げ終わり]
あんたのおかげだよ」
恒子、目を閉じて無言。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうしたの……」
恒子「おねだりしても、いいかしら」
謙造「え?」
恒子「いま、おっしゃったこと、もう一度聞かせて頂けます?」
謙造「(少し当惑するが)――ありがとう……あんたのおかげだ……」
恒子「フフフフ。そのひとこと、聞きたくて、アブないハシ、渡ったんですもんねえ」
謙造「(酒をつぐ)あんたのおかげだよ」
恒子「言葉通りに受け取って、いいのかしら」
謙造「君が情報提供してくれなかったら、わが社は落札出来なかった。ぼくの役員昇格もあり得なかった」
恒子「――本望だわ」
[#ここで字下げ終わり]
盃《さかずき》に口をつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あたし、心配してたんですよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女ってカンちがいが多いでしょ。大したことしてないくせに、自分一人の力でうまく行ったんだ。自分こそ功労者だ。そう思い込んで、お前なんか御用済みだぞって迷惑がられてるのに気がつかないで……ひとりだけ有頂天になってる――あたし、それじゃないかって」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「とんでもない、すべて、君のおかげだよ」
恒子「じゃあ、公団のおえら方とおつきあいのためにゴルフはじめたことも、お役に立ってたわけね」
謙造「(頭を下げる)ごくろうだった」
恒子「見て、このマメ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、てのひらを謙造の前に。
全身に媚《こ》びをみせて――。
謙造、内ポケットから封筒をとり出す。
「御礼」と書かれたかなりの分厚いもの、それを恒子の掌にのせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「なんですの」
謙造「ほんの、気持だ」
恒子「――気持って、こんなに角《かど》ばって、冷たいものなんですか」
謙造「―――」
恒子「もっと、血の通った、あったかいもの、頂きたいわ」
謙造「感謝の気持ってやつは、どうも形にあらわせないのが残念だな」
恒子「……あらわせるンじゃないですか」
謙造「どうやって――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、謙造の手をとり自分の掌で包み込む。
謙造、引こうとするが、させない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「昔の――昔の、はなしして下さるだけで、いいんです。杉男が三つの時、十円玉のみ込んでしまって、あなたが、縁側のとこでさかさまにしたら、ポトンと吐き出したこと。竜二が、あたしの口紅でおじいちゃまの滝とコイのかけ軸にいたずら書きして、二人で落してくれる表具屋さん廻って大汗かいたこと――おじいちゃまたちのお留守に杉男いれて、おやこ三人がオフロに入ったら、あとで杉男がそれごはんのときしゃべってしまって、おばあちゃまに皮肉いわれたこと。杉男」
謙造「あのねえ」
恒子「そういう、ハナシだけでいいんですよ。あの頃はたのしかった、なつかしいってハナシだけ」
謙造「はなしだけで済むかな」
恒子「(期待)」
謙造「片桐さん」
恒子「(手をひく)」
謙造「一番はじめに、ここで逢《あ》った時、たしか、私は聞いた筈だ。なんであんたは、わたしにこういうことをしてくれるのかって――あんた――昔の、うち出た時の不始末、自分の不注意で光子死なせたおわびのしるしだって――」
恒子「言葉通りに、取ってらしたの?」
謙造「あんたと、十二年暮した人間だ。あんたは、昔通り言葉通りの人だと思っていたが――」
恒子「女の気持が判らないんですか」
謙造「判ってても、判らないフリをしなきゃならん時がある。その方がおたがいのためでしょう」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、札束を押しやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「こんなもの、いただくためにやったんじゃないわ、こんなもの」
[#ここで字下げ終わり]
ぱっと払う。
謙造、ひるまず、テーブルにのせ、たたみに手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「このたびは、いろいろありがとうございました」
[#ここで字下げ終わり]
深々と頭をさげる。
恒子、札束をはらう。謙造の顔にあたる。恒子、すすり泣きながら、その顔を平手打ちにする。
謙造、たじろがず、泰然と殴られている。
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体](夜)
「本日休業」の札がゆれている。
中から、うすあかりがもれている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
衣服を乱し、ガックリ気落ちした恒子が酒をあおりながら、ダイヤルを廻している。
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](夜)
これも暗い中に重光がすわっている。
電話が鳴っている。
重光、立って出てゆく。
●居間[#「居間」はゴシック体]
電話をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「モシモシ黒沼ですが」
[#ここで字下げ終わり]
答はなく、代りに息遣いが聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「どなたです。どなたですか? なぜ名前をおっしゃらない。モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
女のすすり泣く声が聞こえる。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
ドンドンと戸を叩く音。
電話をおく恒子。
戸があいて杉男が入ってくる。
暗い中にガックリとしてすわっている母を見る。
何も言わない恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「どしたの」
恒子「―――」
杉男「具合でも悪いの?」
恒子「――お母さんもう駄目。体中の力いっぺんに脱けてしまった――」
杉男「―――」
恒子「風船。――ムリして大きくふくらましてた風船がブシューっていっぺんにしぼんじゃった」
[#ここで字下げ終わり]
笑いながら、急に泣き出す恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、急に杉男にしがみつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「もう、母さん、生きてンのやンなった。なにもかもやンなっちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
すすり上げる恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「駄目じゃないか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そんな弱気で――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(泣きじゃくる)」
杉男「元気出さなきゃダメだろ」
恒子「母さん、ひとりぼっちだもの」
杉男「オレがついてるじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
抱きしめる杉男。
そのポケットから赤い玉がころがり出る。
●ディスコ[#「ディスコ」はゴシック体]
踊っている泉と竜二。
●編集部[#「編集部」はゴシック体](夜)
時子ほか編集部員の前に、大きな菓子折を差し出している重光。
びっくりしている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「お仕事中、恐縮なんだが――嫁を一時間ほど貸していただけませんか」
朋子「おじいちゃま」
時子「なんかご用ですか」
重光「お恥かしいんだが、このところめっきり足腰が弱りましてね。涼風が立つ頃には、外出《そとで》も、かなわんようになるんじゃないかと思いましてね」
朋子「なにおっしゃるんですか。おじいちゃま、まだまだ」
重光「(言わせない)今のうちに、あいさつをしておきたいところがありまして。こう思いましてね」
時子「――サンセイの人、手をあげて」
全員「ハーイ、いってらっしゃい!」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
針目を通している杉男。
見ている恒子。
その針で赤い玉をつないでいる恒子。
指先を突いてしまう。
指先を吸いながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「なにかつけるもの、救急箱、ないの」
恒子「上に――」
[#ここで字下げ終わり]
オレ、ゆく、という感じで上ってゆく杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「そこの鏡台の前のとこ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体](夜)
そばまで来て、ハッと気のつく朋子。
しかし、重光はしっかりと手首をにぎってはなさない。朋子を中へほうり込むようにして入る。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
恒子、朋子、重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま――」
[#ここで字下げ終わり]
おりかけた杉男、そのまま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「嫁の朋子。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ] 片桐恒子さん」
女二人、無言のあいさつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「一度、引き合わせておきたいと思っていたんだよ」
二人「―――」
重光「あんたも、逢って一度礼が言いたかったんじゃないか。二人の子供育ててもらったお礼が――うん?」
恒子「ありがとう、ございました」
重光「朋子も、礼を言わんならんな。この人の力ぞえで、謙造は、役員になったんだ」
朋子「―――」
重光「朋子――」
朋子「――ありがとう、ございました」
重光「これで五分五分だ(笑う)。なあ(朋子に)おたがいに、言い分もあるだろうが、わたしに免じて――どうだい、いっぱいよばれて、水に流すわけにはいかないか……」
[#ここで字下げ終わり]
やさしく、朋子に言う重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「嫁におやさしいのねえ。おじいちゃま。昔と同じに――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、朋子に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あたしも、よくしていただいたわ。でも、そのせいで、ときどき、おばあちゃま、やきもち、やいてらしたけど」
重光「(何か言いかける)」
恒子「あの日のこと、おぼえてらっしゃいますか? 謙造がバンコックに出張してた時、おばあちゃま、おどりの会に行ってらして。おじいちゃま、あたくしにお習字を教えて下さってた。こうやって、うしろにすわって、手添えて――」
重光「わたしはハイボールを」
恒子「気がついたら、縁側におばあちゃま、立ってらして――そこにあったじょうろ≠フ水をいきなりザーってあたしたちに」
重光「ハイボールといってるのが」
恒子「あたくしが、ごたごた起したとき、あたくしのこと、許してくださらなかったの、おばあちゃまだった――」
朋子「―――」
恒子「おじいちゃまも謙造みたいに、外で浮気なさればよろしかったのよ。ご立派ってことになってると、お辛いわねえ」
重光「その通りだ。遅まきながら今から頑張るかな」
[#ここで字下げ終わり]
それがどうしたと言った顔で恒子を見据え、屈託のない高笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「ハハ、えー、年寄りが恥をかいたところで、一杯、カンパイといこうか。――どうも年をとると、恥をかくことが多いな」
[#ここで字下げ終わり]
じっと耐えていた重光の体がぐらりと前へかたむく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま!」
[#ここで字下げ終わり]
かけおりてくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃん!」
朋子「杉男さん、あなた――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どうしてここに」
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
誰もいない暗い居間に電話が鳴る。
帰ってきた感じの謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おーい! おい! 誰もいないのか!
[#ここで字下げ終わり]
ハイ、黒沼です!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「おじいちゃまが、倒れました」
謙造「朋子! お前――」
朋子「―――」
謙造「どこで!」
朋子(声)「ブーメランです」
謙造「ブーメラン!」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
ソファに寝る重光。
それぞれの気持で立っている朋子、杉男、恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「おじいちゃまは気力がつきたのだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女二人の視線の火花と重い空気に、心臓が耐えきれなかったのだ。わたしには杉男さんが母の所にいたことが、住まいになっているらしい二階から下りてきたことが、心に刺さった。
[#1字下げ]あれほど母を憎み、蔑《さげす》んでいた彼が――
[#1字下げ]私を裏切っていたのは夫だけではなかった」
[#改ページ]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
点滴をしている重光、目を閉じて、ねむっているらしい。
白衣の杉男が、点滴のスピードを調節したり針の固定をやり直したりしている。
枕許《まくらもと》につきそう朋子。
杉男は朋子の横顔を気にするが、朋子は全く杉男の方を見ない。少し固い表情。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「うちを出てから、この人はまた美しくなった。強くて悲しい目をするようになった。しかし、その目でオレをみてくれない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの時、確かにオレはおふくろの店の二階にいた。そのことを、この人は許してくれていない」
●回想・バー「ブーメラン」・二階[#「回想・バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体](夜)
救急箱を持って下りかけた杉男、ハッとなる。
重光が朋子を恒子に引き合わせている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま――」
[#ここで字下げ終わり]
おりかけた杉男、そのまま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「嫁の朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して−3字下げ]
片桐恒子さん」
[#ここで字下げ終わり]
女二人、無言のあいさつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「一度、引き合わせておきたいと思っていたんだよ」
二人「―――」
重光「あんたも、逢って一度礼が言いたかったんじゃないか。二人の子供育ててもらったお礼が――うん?」
恒子「ありがとう、ございました」
重光「朋子も、礼を言わんならんな。この人の力ぞえで、謙造は、役員になったんだ」
朋子「―――」
重光「朋子――」
朋子「――ありがとう、ございました」
重光「これで五分五分だ(笑う)。なあ(朋子に)おたがいに、言い分もあるだろうが、わたしに免じて――どうだい、いっぱいよばれて、水に流すわけにはいかないか……」
[#ここで字下げ終わり]
やさしく、朋子に言う重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「嫁におやさしいのねえ。おじいちゃま。昔と同じに――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、朋子に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あたしも、よくしていただいたわ。でも、そのせいで、ときどき、おばあちゃま、やきもち、やいてらしたけど」
重光「(何か言いかける)」
恒子「あの日のこと、おぼえてらっしゃいますか? 謙造がバンコックに出張してた時、おばあちゃま、おどりの会に行ってらして。おじいちゃま、あたくしにお習字を教えて下さってた。こうやって、うしろにすわって、手添えて――」
重光「わたしはハイボールを」
恒子「気がついたら、縁側におばあちゃま、立ってらして――そこにあったじょうろ≠フ水をいきなりザーってあたしたちに」
重光「ハイボールといってるのが」
恒子「あたくしが、ごたごた起したとき、あたくしのこと、許してくださらなかったの、おばあちゃまだった」
朋子「―――」
恒子「おじいちゃまも謙造みたいに、外で浮気なさればよろしかったのよ。ご立派ってことになってると、お辛いわねえ」
重光「その通りだ。遅まきながら今から頑張るかな」
[#ここで字下げ終わり]
それがどうしたと言った顔で恒子を見据え、屈託のない高笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「ハハ、えー、年寄りが恥をかいたところで、一杯、カンパイといこうか。――どうも年をとると、恥をかくことが多いな」
[#ここで字下げ終わり]
じっと耐えていた重光の体がぐらりと前へかたむく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま」
[#ここで字下げ終わり]
かけおりてくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃん!」
朋子「杉男さん、あなた――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どうして、ここに」
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
杉男、朋子、目を閉じる重光。
枕頭台に置いた小さな時計のセコンド。
杉男、朋子に何か言いかけるが、硬い朋子の横顔に、口をつぐみ、出て行こうとする。
SE 控え目なノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアが開く。
花を持った恒子。
杉男、朋子、そして目をあいた重光、それぞれの表情。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お見舞いさせていただいて、よろしいでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
朋子と重光が口を開くより先に、杉男が恒子にとびつくようにして、体ごと廊下に押し出している。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
体で恒子を押し出す杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男――」
杉男「―――」
恒子「お見舞いぐらいさせてくれたって」
杉男「ここへ来たら、誰が居るかくらい判ってるだろ」
恒子「この間のお詫《わ》びもしたかったのよ」
杉男「誰に」
恒子「おじいちゃまに」
杉男「倒れてから、あやまったって、遅いよ。年寄りにあそこまで言うことないよ」
恒子「―――」
杉男「帰ってくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
朋子、少し開いたドアを気にする。重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「朋子――」
朋子「おじいちゃま……」
重光「あんたが嫌でなかったら――(入れて)茶のいっぱいも……」
朋子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
もみあったあげく、杉男に突きとばされ花を落す恒子。
小走りに出てくる朋子。
花を拾う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どうぞ」
杉男「お母さん」
恒子「―――」
朋子「おじいちゃま、どうぞって」
[#ここで字下げ終わり]
一礼する恒子。
●病室[#「病室」はゴシック体]
恒子の持って来た花を花びんに移している朋子。
重光、恒子。
ベッドの裾《すそ》に立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「受付にお花だけ置いて帰るつもりだったんですけど」
杉男「そうすりゃ、いいんだよ」
重光「なにも仇《かたき》同士じゃないんだ。せっかく来たのにコソコソ帰るこたァない」
朋子「いま、冷たいものを」
恒子「おかまいなく」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
沈黙に耐えかねたように杉男、たばこを出す。
ライターが、カチカチ言うばかりで火がつかない。
みな気にするが、黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「マッチ――(立とうとする)」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、バッグをあけ、金色の、外国製らしいライターを出して、火をつけるが、杉男は一瞬早く(朋子への遠慮)たばこを箱にもどしている。
空《むな》しく燃え上るライターの火。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――医者が病室でたばこすっちゃいけないよな」
重光「孫としてなら、いいじゃないか」
杉男「え?」
重光「せめて、ケムリだけでも、すわせてくれ」
朋子「おじいちゃま、たばことめられたから、ケムリだけでも、ご馳走して上げてちょうだい」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、たばこをくわえる。
恒子、杉男の前にライターを押しやる。
杉男、ぱっとつけて返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「(恒子に)あんたも、のむんだろ――」
恒子「(朋子に)あがらないんでしょ」
朋子「ええ、あたしは――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あ、どうぞ、ご遠慮なく」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「じゃあ、失礼して――」
[#ここで字下げ終わり]
火をつけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「うち、出るまでは、いただかなかったのに――」
重光「そんなこたァ、ないだろ。時々、わたしのを(失敬して)やってたんじゃないのか」
恒子「ご存知だったんですか。おじいちゃまには、かなわないわ。なんでもお見通しなんだから」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、ちょっと声を落して、女同士が話をする時特有の、声をひそめた話し方で、朋子に話しはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「そうなの。『つわり』の時っていうと、もうたばこすいたくてすいたくて。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]杉男の時も――竜二の時も、そうなんですよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
恒子「特に初産《ういざん》だったせいだわねえ、杉男の時がひどくて――もう我慢出来ないの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ムカムカしてくると、謙造にたのんで、たばこすってもらって、ケムリこっちへフーって、吐き出してもらったりしたわ」
朋子、にこやかに聞いているが、杉男手荒く灰皿にたばこをこすりつける。
床に立った、安定の悪い灰皿が、烈しい音と共に、ひっくりかえる。
朋子、起こして、灰皿を恒子の前に置きながら、にこやかに切りかえす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「じゃあ、杉男さんや竜二さんのたばこ好きなの遺伝かしら。――二人とも、かくれてすってたんですよ」
恒子「まあ――」
朋子「杉男さんは、高三、竜二さんは――ワルくて中二の時――そうだったわね」
杉男「―――」
朋子「本箱の辞書のうらに、にきびとり専門のクリームと一緒に、たばことライター、かくしてるんですよ」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、敗北感に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「威張れないわねえ、杉男」
朋子「ほんと。白衣着て、先生先生、なんて言われたって――ダメなんだから」
恒子「時々、言ってやって下さいよ、世話かけたこと――」
[#ここで字下げ終わり]
二人の女、短かく笑う。
が、そのあとに、こわばった沈黙。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――(話題をさがして目を白黒させる)この絵は?」
朋子「はあ――ここの部屋のですけど」
杉男「なんかの複製だろ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、急に、朋子に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「うち、帰って、持ってきてくれないか」
朋子「は?」
重光「掛軸だよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]『僧童遊戯図』、あれ、持ってきてもらいたいんだ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「『僧童遊戯図』って、どんなのだったかしら」
杉男「ほら、あの(言いかける)」
恒子「なつかしいわあ、『僧童遊戯図』。あの布袋《ほてい》様のお腹《なか》の前で、男の子二人が遊んでいる絵でしょ、子供の顔があどけなくて、――わたし、あれが一番好きだったわ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、恒子を全く黙殺する。
やさしく朋子に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「風鎮《ふうちん》は、水晶の――判ってるだろ」
朋子「――でも、ひと月で退院できるのに――」
重光「見たいんだよ」
杉男「オレ、持ってきてやるよ」
重光「朋子に頼んでるんだ」
恒子「―――」
朋子「――はい」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
恒子のすぐ横にある電話のベルが鳴る。
朋子が取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「二十八号室の黒沼(言いかける)」
謙造(声)「モシモシ」
朋子「あなた……」
[#ここで字下げ終わり]
恒子――
●日枝建設[#「日枝建設」はゴシック体]
電話している謙造。(うしろに玉木専務とその娘の洋子)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「病人の具合、どうだい」
朋子(声)「落着いてます」
謙造「そうか」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、受話器から伝わる気配で、察したらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「誰か見えてるのか」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
朋子、杉男、重光、恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ええ……
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]片桐さん……お見えです」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「―――」
謙造「―――」
朋子「……かわりましょうか」
謙造(声)「いや、いい」
[#ここで字下げ終わり]
ハッキリと聞こえる声。
立ち上る、恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(呟《つぶや》くように)おじゃま、いたしました。お大事に」
朋子「(恒子に)あの――」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく、恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「モシモシ! あのね(声をひそめて)杉男、いつも何時に、そこ、のぞく?」
朋子「何時って――」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設[#「日枝建設」はゴシック体]
謙造、玉木、洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「六時なら、あくだろ。――六時でいいな。じゃあ、その頃玉木専務が見舞いに伺うそうだから」
朋子(声)「モシモシ」
謙造「よろしく、たのむ。いいな」
[#ここで字下げ終わり]
SE ガチャンと切る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「六時――」
謙造「勝手に決めて申しわけありません」
玉木「いやあ、こっちは一日、暇なんだから。なあ洋子」
洋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
洋子は、何も言わず、ちょっとはにかんで、父の目を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「わたしの代りに、父上のお見舞いってことで――」
謙造「その席に偶然にうちの長男が――」
玉木「料亭で、シャッチョコばって見合いするよか、自然でいいよ。第一、安上りだ」
謙造「段取りは万事家内が――」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、頼むと片手拝み。
ふと、かたわらの洋子に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「それにしても珍しいじゃないか。見合いしろっていうと、やだやだって騒ぐくせに――今度はいやに大人しいな」
洋子、笑って答えない。
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
杉男、少しあいたドアを気にしている。重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おふくろは、小走りに廊下をかけながら、気持はゆっくりと歩いている。オレが後から追いかけていって、何か一言、声をかけるのを背中で待っている」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
歩いてくる恒子、曲り角で立ちどまる。
期待――ふり向く。立っているのは朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ――」
朋子「お見舞いいただいて、ありがとうございました」
恒子「お大事に」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、にこやかにあいさつを返しながら目で杉男をさがすが、見えない。
●病室[#「病室」はゴシック体]
重光の点滴の具合をみる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「二人は何を争ったのだろう。絶ちきったはずの過去、黒沼家に対する執着の強さを、まるで優勝カップを競《せ》り合うように、競《きそ》いあった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一人は十四年前に、一人は今絶ちきったはずのものが、一歩も譲らず、奪いあった。よしてくれと叫びたいのを耐えて、オレはただ黙っているだけだった」
重光。杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「あの人は、じいちゃんに頼まれた掛軸を取りに家に帰った。家にいたときとは違う目でまわりをながめながら、あの人は家の中へ入ってゆく」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体]
門の外に立つ朋子。門。
カギをあけて入ってゆく。
玄関をあけ、中へ――
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
入ってゆく朋子。
●居間[#「居間」はゴシック体]
立つ朋子。
散らかっている。
ながめ、台所へ。
●台所[#「台所」はゴシック体]
ここも散らかり、汚れている。
冷蔵庫をあけて中をしらべる。
水道を出し、水をのむ朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「汚れた部屋にため息をつき、冷蔵庫の中を調べ、いつもの仕草で水を一杯飲む。飲み終るとコップを三回振って、水を切るのがあの人のやり方だ」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
ここも、散らかっている。
籐椅子《とういす》に腰をおろす朋子。
その、きしむ音を聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「本当はもう一人、家に戻りたいと思っている人間がいる。――『僧童遊戯図♀G柄を覚えている』とうわずった声を出したおふくろだ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
ひとりウイスキーをのむ恒子。
目はどこも見ていない。
じっとあけて、そのグラスを、烈しく叩きつける。
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体]
朋子、袋戸棚をあけて、軸ものの箱を出している。
小さな鼻唄。
自分でもびっくりしている感じ。
箱をいくつも出して、中を改めている。
いきなりうしろから声。竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「何してンの」
朋子「竜二さん――」
竜二「何してンの」
朋子「あててごらんなさい」
竜二「―――」
朋子「泥棒――」
竜二「ドロボー?」
朋子「何か、金目《かねめ》のもの、ないかな。どれとどれ、持ち出そうかなと思ってるの」
竜二「持ち出すって、どういうイミだよ」
朋子「決まってるじゃないの。このうち、出てくとき、持って出るのよ。お父さん、離婚届けになかなかハンコ、押してくれないし、つとめたってアルバイトじゃあ、大したサラリーにならないのよ。十三年もお手伝い代りに一生懸命働いたんですもの、このくらいのもの、いただいたって、いいんじゃないかなんて思ってんだけど、いけない」
竜二、箱をひったくる。
朋子「(さびしい)冗談よ。(フフフ)これはね、おじいちゃまにたのまれたの。病室のカベに絵、かかってるンだけど、おじいちゃま気に入らないのよ。あたしに『僧童遊戯図』の軸と風鎮持って来てっていわれたの」
竜二「――じゃあ、出てくっての、ウソ?」
朋子「いずれは、そうなるでしょうね。でも、今日明日ってわけには、いかないわねえ。おじいちゃまの容体、落着いてからでないと」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、――ポツリという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「――そンなら、いいけどさ」
朋子「竜二さん……」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、テレながら――わざと乱暴に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「掛軸探す暇あったら、うちン中の面倒みてくれっていいたいよォ。もうガッチャガチャでさ、やってらンないよォ」
朋子「――竜二さん」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、テレかくしに、どんどん箱をおろす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「うえ、すげえほこり!」
朋子「………」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
入りかけた泉、びっくりする。
足許《あしもと》の床に、ころがっているグラスの大きな破片。
はしゃいだ声で、電話をしている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「居抜きでいいのよ、イヌキ! 聞こえないの? イヌキ! そう、居抜き――居抜きでね、この店、処分したいのよ。もう、パーっと。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どうせならね、買ったところで面倒みてもらいたいの、北進不動産に――そう、もう、グラスから仕入れた酒からお客まで一切合財つけてイヌキ。え? あんた、なにいってンのよ、うち、お客スジいいのよ、夏枯れ、不景気カンケイなしよ。え? 帰るのよ、大阪、気が変ったのよ、出来るだけ早く処分――足許みないでよ、アンタ――」
泉に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ――泉さん――ね、あんた、この店、やるつもりない?」
泉「お母さん――」
恒子「あんたなら格安でいい、タダでいい」
[#ここで字下げ終わり]
(声)「モシモシ! モシモーシ!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――(お母さん……)」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
絵をおろし、僧童遊戯図の軸を壁にかけている竜二。手伝う朋子。見ている重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「洋風の部屋に掛軸って、なんかヘンだな」
重光「いいものはいいんだ、この方がずっといい」
竜二「この絵、どうすンの」
朋子「ナース・センターに返しにゆかなきゃ」
竜二「あ、オレ、いく」
朋子「じゃ、おねがい」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、絵をかかえて出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(重光に)竜二さん、どうかしてる」
重光「うん」
朋子「今迄《いままで》と全然風向きがちがうんですもの」
重光「ほう」
朋子「あたしに、やさしいみたい――今までみたいに、突っかかるような口の利き方じゃなくて――おかしいなあ、本当のお母さんに逢ってるわけでしょう。その分あたしに冷たくしてあたり前なのに、ここンとこ、なんか違う……」
重光「幻滅したんだろう、母親に」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「おそまきながら、アンタの有難味が少し判ったんじゃないのかな」
[#ここで字下げ終わり]
大柄な看護婦の島村タミ子が検温にきて――たちまちのぼせたように目許をうるませる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タミ子「あら、やだァ、あたし、だってそんなにお世話してないけど」
重光「――すまんがアンタのこっちゃ、ないんだ」
タミ子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
少しおかしい朋子。
SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「二十八号室の黒沼」
泉(声)「お母さまですね、泉です」
朋子「泉さん――」
泉(声)「ご病人、いかがですか」
朋子「ありがと、いまのとこ落着いてるわ。――あ、モシモシ。ここに杉男さんいないのよ」
泉(声)「いいんです、お母さまから伝言していただければ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
ぼんやりと片づけものをしている恒子。
電話している泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「今日夕方、杉男さんと竜二さん、一時間ぐらい拝借出来ないでしょうか」
朋子(声)「モシモシ」
泉「ブーメラン、たたんで、大阪へ帰るんですって」
朋子(声)「ブーメランたたむ――」
泉「それで、お別れにおやこ三人――水入らず――(声が小さくなる)――杉男さんと竜二さんと、三人で、写真とりたいんだけど、かまいませんかって――」
朋子(声)「もしもし。泉さん、あなた、いま、どこからかけてるの?」
泉「ご自分でかけたらっていったんですけど、厚かましくてとても言えないからって――だからあたし、代って、たのんで上げますって、そ言ったんです。ね、お母さま、いいですよね、今日夕方、一時間でいいんです」
朋子(声)「――今日夕方でなきゃダメなの?」
泉「杉男さん、都合悪いんですか、お見合い、今日ですか」
朋子(声)「そんな――お見合いなんて、別に」
泉「声の感じ、変ったみたい、アタシのカン、あたるンだけどな」
朋子(声)「お見合いに関してはハズレよ。いいわ、今のこと二人に必ず伝えましょう」
[#ここで字下げ終わり]
恒子。
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
杉男と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「両方とも、ことわるね」
朋子「どうして――お母さま、大阪へお帰りになるのよ」
杉男「もともと、来た方が間違ってたんだよ」
朋子「お別れに、記念写真」
杉男「写真なら、子供の時のが何枚もあるよ」
朋子「いまの、いまのが欲しいのよ。行って頂戴、あたし引き受けたんだもの、義理が立たないわ」
杉男「――義理も判るけど、あんまりつまんないこと、引き受けてこないで欲しいな」
朋子「見合いは、お父さんに文句言って頂戴。第一、お見合いってことじゃないんだから、いやならあとで、そう言えばいいのよ。専務のお嬢さんで、ことわるのも角が立ったんでしょ」
杉男「メシ食う時間、なくなるよ」
朋子「一食や二食たべなくたって、人間なんて死なないわ。でも、写真、ことわったら、お母さん、あと、生きてく希望、なくすんじゃないの。おねがいだから、行って頂戴。なるべく早くもどって来て――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
ポラロイドカメラをかまえる泉。
フラッシュ。
杉男、竜二を両脇にした恒子の笑顔の構図のいくつか。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「杉男さんも竜二さんも、もっと笑って! 笑ってるの、お母さん一人じゃないの」
恒子「笑いたくなきゃ普通の顔でいいけど、顔だけはちゃんと出してちょうだいよ、竜ちゃんなんかヘタしたら、アタマの毛しかうつってないんじゃないの」
竜二「顔出してるよ。ちゃんと」
恒子「子供のときから、床屋さんきらいだったねえ竜二は。あ、こんどはこっち、バック。もう、いくのやだやだって、泣くの」
竜二「あのカンバンがやなんだよ」
泉「ああ、赤と青の、ねじりん坊」
竜二「下品だよ、なんかさァ」
杉男「バカ、ありゃ、ちゃんとイミあるんだぞ」
三人「どんなイミ」
[#ここで字下げ終わり]
三人( 「あの赤と青の」
[#2字下げ]「ねじりん坊」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「赤は動脈、青は静脈をあらわしてンじゃないか」
泉「それがどうして、床屋のカンバンなの? お医者さんなら判るけど」
杉男「昔は床屋が瀉血《しやけつ》っていって、いらない血ぬいたらしいんだな」
泉「あ、カミソリもってるから――」
恒子「動脈と静脈――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、パッと杉男の手を取って、自分の手首にあてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ね、どれが動脈で、どれが静脈?」
杉男「静脈はこれ――。この青い浮き上ってるの――」
恒子「動脈は?」
杉男「動脈は大事だからさ、体の中の方に入ってンだよ」
恒子「でも、ケイ動脈は出てるじゃない」
竜二「ああ、そいで、人殺す時、首はねるわけだ」
泉「やだ、おっかないはなし――ね、あたしも一枚欲しいんだけど――お母さん、おねがい」
[#ここで字下げ終わり]
パッと恒子にカメラを渡し、泉、杉男のとなりに割り込む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ここ、うつして!」
[#ここで字下げ終わり]
泉、強い視線で杉男をみつめ、体をくっつけるようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(呟く)動脈と静脈……」
[#ここで字下げ終わり]
フラッシュ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おふくろの手は、昔と同じに青く静脈が浮いてみえた。動脈と静脈と呟くおふくろの言葉を、この時は格別気にもとめず、別れのさびしさを、はしゃいでごまかしているのだな、と思っていた」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](夕方)
看護婦の根岸むつ子が、同じく看護婦の島村タミ子に廊下に押し出される。むつ子と一緒に果物かごを抱えた洋子も、廊下へはじき出される。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「あたし黒沼先生にたのまれたんですよ。こちらお連れしてくれって」
タミ子「何先生が何ていったってダメなのよ、病人ワルイんだからお見舞いどころじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
中から朋子が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「せっかくお見えいただいたのに――申しわけありません。なんですか急に」
[#ここで字下げ終わり]
中から田原医師が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「先生――」
田原「ご家族の方、今晩は詰められた方がいいかもしれませんな」
朋子「(うなずく)」
田原「黒沼君、どうしたんだ? (むつ子に)君、黒沼君、オペ、入ってンのか」
むつ子「いえ、三時半に終ってますけど」
田原「どこ、いったの」
むつ子「ちょっと……」
朋子「あの――今、電話しましたから、すぐまいると思います。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](洋子に)申しわけありません。ちょっと取り込んでまして」
もの凄《すご》いいきおいでかけ込んでくる謙造。
朋子や医師を、なぎはらうようにして病室へとびこむ。
洋子には目もくれない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体](夜)
「本日休業」の札。
しかし、中からあかりが洩《も》れている。だらしなく酔っている恒子。
泉、見ている。
のみかけの酒。
子供たちとうつしたポラロイドの写真。
杉男と泉のもある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「『ジジキトク ダンラク スグカエレ、ダンラク クロヌマ』古い手だなあ」
泉「本当じゃないんですか」
恒子「誰も嘘《うそ》だって言ってやしないわよ、神様も古い手、使うなあって――感心してンのよ」
泉「………」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体](夜)
かけ込んでゆく杉男、竜二。
少し離れたベンチに、果物かごを持った洋子が静かにすわっている。
かけ込んでゆく杉男をじっと見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「じいちゃん!」
杉男「――大きい声、出すな」
[#ここで字下げ終わり]
立って、杉男が吸い込まれたドアをじっと見ている洋子。ドアの外に果物かごをおきリボンを直し、ちょっと中をみつめるようにして帰ってゆく。恋をした女の目。
●夜の街[#「夜の街」はゴシック体]
一人歩く泉。
床屋の看板の横を通る。
赤と青のねじりん坊、サイケ調に迫る。
また歩く。
また、床屋の看板。
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体](夜)
杉男を呼び出して、ヒソヒソバナシの泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ほっといて、いいんですか」
杉男「だって、こっちも今夜がヤマの、死にかけてる人間(言いかける)」
泉「同じだわ」
杉男「―――」
泉「あたし、スカーフ、忘れたの気がついて、取りにかえったんです。中へ入ったら――みえないんです」
[#ここで字下げ終わり]
二階、のぞいたら――
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体](夜)
ハシゴ段の中段から、そっとのぞく泉。
暗いスタンドの光の中で、大きな裁ちバサミで何かを細長く、二センチ幅くらいに切り刻んでいる恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(声)「何、切ってたの」
泉「―――」
杉男(声)「どして言わない」
泉(声)「――古い下着、パンティ――」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「古くなって、黄ばんで、もうはけなくなったパンティ。もったいないっていうよか、きまり悪くて、捨てられないで、とっといたパンティ――細かく切ってたの、お母さん、死ぬつもりじゃないかな」
[#ここで字下げ終わり]
うしろで、引きつったような哄笑《こうしよう》。
謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お若いのに、取越苦労するお嬢さんだねえ」
二人「―――」
謙造「現代は使い捨ての時代なんだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]下着、切り刻んでたぐらいで自殺じゃないかって気廻されたら」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――でも、あたしも死ぬ時は、そうすると思うわ」
二人「―――」
[#ここで字下げ終わり]
泉、杉男をじっと見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どうなすったの」
[#ここで字下げ終わり]
朋子――
二人( 「いや――」
[#2字下げ]「別に――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「なにか――」
泉「――お見舞いに、伺ったんです――」
朋子「いまのとこ、ちょっと落着いてますけど、心臓が――」
泉「――お大事に――」
[#ここで字下げ終わり]
帰ってゆく泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「何か、あったんじゃないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
二人( 「いや、別に」
[#2字下げ]「なにも――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「じいさんのそば、離れないでくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子をいったん室内へ押し込み、ドアをしめて、杉男と目を見合わせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「大丈夫だよ。――そんなこと、する人間じゃないよ」
杉男「――(自分に言い聞かせるように小さくうなずく)店、たたんで、大阪へ帰るって言ってた――」
謙造「じゃあ、引越しするんで、片づけてンだよ。間違いないよ。人さわがせな、全く」
[#ここで字下げ終わり]
二人、ドアをあけて入りかける。
立っている朋子。
紺のアイの地に地味なサビ朱の帯。
一瞬、それが廻る。
赤と青のネオン看板に見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(呟く)動脈と静脈……」
朋子「(遠慮した声で)コーヒーでも入れましょうか」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、棒立ちになっている杉男に気づく。
謙造、貧乏ゆすり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――お湯もらってくるわ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
帰ってゆく泉に、追いすがる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「何があったの」
泉「―――」
朋子「あたしに言えないことなの?」
泉「―――」
朋子「おねがいします。言って頂戴」
泉「お母さま。もし今晩、自殺しようとしたら、何なさいます」
朋子「自殺――」
泉「なに、なさいます。女として、何なさる? ちゃんと答えて――」
朋子「――あたしだったら、日記やいて」
泉「それから」
朋子「引出しの中、かたづけて、汚れもの、残ってたら、洗濯するか捨てるか」
泉「どやって、捨てます?」
朋子「―――」
泉「人にみられたら、やだなって思う下着。ゴムが伸びたり、黄ばんだ下着――どやって捨てます?」
朋子「判らないようにカミ袋に入れて、そっとゴミ捨て場へ――どして、そんなこと、聞くの」
泉「――ハサミで、細かく切ってたんです」
朋子「あの人――」
[#ここで字下げ終わり]
訴えている泉の目。
●病室[#「病室」はゴシック体](夜)
杉男と謙造を廊下にひっぱり出す朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ゆかなくて、いいんですか」
二人「――え!」
朋子「ほっといて、大丈夫なの?」
謙造「朋子、お前。――(知ったことをさとる)こっち、ほっといてゆくわけにもいかんだろう」
杉男「―――」
謙造「第一、うち、出た人間だ」
朋子「うち、出ても、血は、つながってるわ」
杉男「―――」
朋子「遠慮しないで、ゆきなさい」
杉男「―――」
朋子「じゃあたし、いく」
[#ここで字下げ終わり]
ゆきかけるのを、杉男、押さえる。朋子の目を見て、頭を下げて、出てゆく。
中から竜二が、ヘンな顔でのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「ねえ、どしたの」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
中で電話が鳴っている。
外から、ドンドンとドアを叩く杉男。
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
必死の顔で赤電話をかける竜二。
いてもたってもいられない感じ。
そばに朋子。
●病室[#「病室」はゴシック体]
ねむる重光。
つきそう謙造。耐えている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
ドアをこわし、とびこむ杉男。
下、二階、誰もいない。
●病室[#「病室」はゴシック体]
ねむる重光。
謙造、朋子。
廊下を行ったりきたりしているらしい竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「『ブーメラン』にいないとなると、あと――」
朋子「……(ア、という感じ)」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の街[#「夜の街」はゴシック体]
雨の中を歩く杉男。
イメージの赤と青のネオンの看板。
雨に、赤のネオンが流れて、血のように見える。
さっきの恒子の顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ね、どれが動脈で、どれが静脈?」
[#ここで字下げ終わり]
歩く杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「どれが動脈で、どれが静脈?」
[#ここで字下げ終わり]
ネオンの赤い血の色が廻る。
雨――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(のんびりした声)竜ちゃん、床屋さんいかなきゃダメでしょ。竜ちゃん――床屋さん、きらいなんだから竜ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](夜)
門が少しあいている。
立つ杉男。
中へ入る。
庭へ入り込む。
暗い中から、恒子の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「杉男ちゃん。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]竜ちゃん。
[#1字下げ]ごはんよォ!
[#1字下げ]早くいらっしゃい――」
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「杉男ちゃん。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]竜ちゃん。
[#1字下げ]ごはんよォ、ごはんよォ」
甘いのんびりした声はすすり泣きに変る。
とび込む杉男。
暗い中に恒子がうつ伏せになって倒れている。右手にナイフを握っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お母さん!」
杉男、ナイフをもぎとり、とっさに手首をしらべる、首をみる。たたみの上に血のりがないかたしかめる。
何ともない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
恒子「フフフ。お母さんも、死んだまね、うまいでしょ」
杉男「――死んだまね……」
恒子「アンタ、子供ンとき、コガネ虫の死んだまねするの、うまかったじゃないの。丸まってコロッと死ぬんだって、ヘタだなあって、お母さんによく教えてくれたけど、お母さんだって、やりゃちゃんと出来ンだから」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、のどからグウとうめき声をもらす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「バカヤロウ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]バッカヤロ!」
母の体を押し倒し、メチャメチャに殴りつける。殴りながらも母も子も泣いている。
SE 電話が鳴る
電話をとる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――黒沼です」
朋子(声)「――杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体](夜)
電話をかけている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま、
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]峠を越したわ」
うしろに謙造。
ドアの前に竜二。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
杉男、少し黙って受話器を手にしている。
声にならない報告をしているかのようにみえる。
恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「そちらも――大丈夫なのね」
杉男「――ありがとう……」
杉男(N)「おふくろが握っていたのは、果物ナイフだった。うちで一番切れない――りんごの皮もむけない果物ナイフだった。さびしくて、辛くて、――とても生きてゆけないと思って――しかし、本当に死ぬには、未練がありすぎて――本当はみんなにとめてもらいたくて、死んだフリをして、死んでしまいたい気持をごまかして――きっと生きてゆく――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](夜)
重光、謙造、竜二、そして朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(呟く)――うち、家族、六人だったのね」
謙造「何言ってンだ、オレ、お前、じいさん、杉男、竜二」
朋子「それにもう一人――」
謙造「――すまない……」
朋子「怒ってるんじゃないわ、子供にとって、当り前よ、あたしだって、そうするもの」
謙造「―――」
朋子「血には勝てないのよ」
謙造「―――」
朋子「――口惜《くや》しいけど、口惜しいけど、素敵ねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
かすかに笑っている朋子の目から、大粒の涙がポロッと落ちる。
[#改ページ]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](夕暮)
窓から外を見ている朋子。
うしろにベッドで夕刊をひろげている重光の姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「病室の窓から中庭のブランコが見える――」
[#ここで字下げ終わり]
●中庭[#「中庭」はゴシック体]
ブランコが二つ下っている。
ひとつは、ほとんど静止したままだが、ひとつはかなり大きくゆれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「ひとつは、とまったままだが、ひとつは、人がおりたすぐあとなのか、大きくゆれている。ブランコというのはあきらめの悪いタチなのだろう。人がおりてもすぐにはとまれなくて、未練がましく夕闇の中を前と同じように前後にゆれている。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それは、そのままいまの私の気持でもあった」
白衣の杉男がくる。ブランコのすぐ脇を通りすぎようとして、ヒョイと片手でゆれているブランコをとめようとする。力の余ったブランコはおかしな格好にねじれて、とまる。
杉男、ブランコの綱を押しながら、恐らく重光の病室のあたりだろう、上を見上げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光(声)「なにが見えるんだい」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
朋子と重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「別に、なにも……桃でもむきましょうか」
重光「あんた、お上り」
[#ここで字下げ終わり]
重光、夕刊を置く。
手がインキで少し汚れたのを気にしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「もう、夜のつきそいは、なくても大丈夫だろ」
朋子「ええ、でも……」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、さりげなくぬれタオルをしぼって重光の手をふく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「つきそいベッドじゃ休まらんだろ。早く家へ帰って足腰伸ばして、やすむといい」
朋子「あたしは、ここが一番、安まるんですけど……
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]時子のとこ、ときどき恋人がきて、泊ってるんです」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「自分のうちがあるのに、人に迷惑かけるこたァないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
このあたりから杉男が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま。あたし、うち出た人間(言いかける)」
重光「わたしも年甲斐《としがい》もなく、カンシャク起したからあんた責める資格はないんだが――」
[#ここで字下げ終わり]
起してくれ、とサイン。朋子、ベッドをななめにして、上体を起す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「ここで天井見てるうちに――わたしだったらどうしたかな――ふっとそう思ったんだよ」
朋子「おじいちゃま……」
重光「――あの晩は、言い過ぎた。あそこまで言うことはなかったかなってね」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・黒沼家・居間[#「回想・黒沼家・居間」はゴシック体](夕方)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「小汚ないまねをして、出世したせがれに、おめでとうが言えるか……」
謙造「ヤキモチじゃないんですか」
重光「ヤキモチ?」
謙造「息子に対するヤキモチ。年甲斐もなく――見苦しいよ」
重光「なにがヤキモチだ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]せがれの出世を喜ばない親がどこにいる。わしはね、今、お前が別れた女房から恥をかかされてきたところだ」
このあたりから台所に勝手口から荷物を抱えた朋子と杉男が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あのねえ、お父さん、今の世の中、当り前のことじゃ生きちゃ行けないんですよ。腕こまねいて餓死するのを待つようなバカはどこにもいませんからね。いくらシャレたことを言ったってですよ、いくら人間的に立派だとほめられたって、お父さんの一生みてごらんなさい、ヒラに毛の生えたぐらいの肩書きしかないじゃないですか」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「――別れた女房から情報もらって、利用して――そのおかげで重役になるよかましだろ」
謙造「何言ってるんですか、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
とび込んでくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「やめろよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光と謙造、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「本当ですか、今の話。本当ですか?」
ハッチの向うで凍りついたように立ちつくす朋子。
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体](夜)
すっかり暗くなっている窓の外。
朋子、杉男、重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「謙造の言い分にも一理あるかもしれん……」
杉男「じゃあ聞くけど、じいちゃんがあの立場ならやってる? 昔の女房から情報もらって」
重光「わたしは銀行屋だから、そういうイチかバチかということはなかったが――」
杉男「もし、あったら――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、朋子をみて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「やっとったろうね」
朋子「おじいちゃま」
杉男「ルートをつかんで、金にぎらして、入札に便宜をはかってもらう――贈賄だよ――」
重光「ああ、そうだ」
杉男「表沙汰になったら、これ(手錠)だよ」
重光「その通りだ」
杉男「でもねえ、法にふれるってことは……」
重光「サラリーマンにとっては、会社の方が大事なんじゃないか、会社のためになり、ひいては自分の出世にもつながる。ことわる人間は、まずないだろうな」
杉男「オレは、ことわるね」
重光「杉男、お前、いくつだ」
杉男「―――」
朋子「二十六」
重光「若いうちはみんなそう言うんだ。謙造の年になりゃ、やってるよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、疲れたらしく、横になる。
手伝う朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「(呟《つぶや》く)花も雪も、はらえばきよき袂《たもと》かな」
二人「―――」
重光「ほんに、ほんに、昔のことよ」
二人「―――」
重光「あと十年もすりゃ、笑って話せるようになるさ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「心にもないこと、おっしゃって」
杉男「年寄りってのはヘリクツ、うまいね」
重光「うむ?」
杉男「お母さんにもどってもらいたいもんだから、無理して――」
重光「いや、無理してないよ、本心だよ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
受話器を手に凍りついている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――『面倒なことになった』――どういうことなんですか」
竹部(声)「――アンタもいいタマだよ。店で紹介してくれた日枝建設の黒沼さん、あんたの昔のご主人だそうじゃないの」
恒子「でも、いまはアカの他人です」
竹部(声)「そいじゃァ、心配するこたァないだろうが、あの人もタダじゃすまないね」
恒子「モシモシ――お目にかかって、おはなしを」
竹部(声)「尾行がついてると、まずいんでね、刑事の。うかつなとこへは動けないんだ」
恒子「――モシモシ。黒沼はどうなるんでしょう。モシモシ、モシモシ……」
[#ここで字下げ終わり]
SE 切れる――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
二人連れの客が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――いらっしゃいませ――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](夜)
SE ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
のぞく謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「さあ、どうぞどうぞ――玉木専務がお見舞いにみえて下すったから」
[#ここで字下げ終わり]
起き上る重光。
花を持った玉木洋子を押し込むように入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら、先日は失礼致しました」
洋子「――玉木洋子と申します。――父と母が伺わなくてはいけないんですけど、よん――よん」
謙造「よんどころない用事」
洋子「よんどころない用事で」
謙造「あのね、お父さん――ご名代なんです」
朋子「おそれ入ります」
重光「ご丁寧にどうも――」
謙造「ご紹介しましょう、これがうちの長男の杉男です。この病院で麻酔医やってます」
杉男「(一礼)」
洋子「(一礼)」
謙造「麻酔医といったって、一般的にはまだね(言いかける)」
杉男「ごゆっくり」
謙造「杉男」
杉男「ちょっと用があるから」
謙造「少しぐらい、いいじゃないか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あ、そうだ(折詰を出す)、お前(朋子に)、晩メシまだだろ、ほら、トロの色変らないうちに、失礼してやりなさい」
折詰を朋子に押しつけ、高圧的に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あ、それから、明日、夕方からいっしょに出かけるから、みなりちゃんとして――」
朋子「あの、どこへ」
謙造「あいさつ廻りだよ――役員になった――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子の何か言いかける口を封じるように、洋子に笑いかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ここんとこ、家内、こっちへ泊りこみでね、いってみりゃ別居生活みたいなものなんですよ。食うもの、着るもの不便なもんでしてね。女の偉大さが、骨身に沁《し》みてわかったような、わかんないような」
[#ここで字下げ終わり]
らいらくそうに笑いながら、折詰のフタをとり、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ほら――」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあいて、竜二が顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん」
竜二「あれ――揃《そろ》ってンじゃない」
謙造「ああ、勢揃いだ」
[#ここで字下げ終わり]
洋子に気づく竜二に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「次男の竜二です。玉木専務のお嬢さんだよ」
洋子「はじめまして――」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、ペコンと頭を下げて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「あ、オレ――」
謙造「お前に買ってきたんじゃない、こりゃ、朋子に買ってきた差し入れなんだから」
朋子「いいわよ、お上ンなさい」
竜二「なんかさ、こっちの方がうちみたいだね」
[#ここで字下げ終わり]
SE ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる看護婦の葛尾《くずお》チエ、若くてグラマー。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「検温、おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
朋子にわたしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「これで、ご家族全部ですか」
洋子「いえ、あたしは――」
謙造「いや、いいじゃないですか。家族になって下すっても」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、朋子の顔をにらむようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「じいちゃんの病室に集った元家族は、前よりも家族らしくみえた。おやじが勝手にしくんだ見合いは腹立たしかったが、母の柔かい表情だけはうれしかった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戻るつもりがあるのかもしれないな、と思われた」
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体](夜)
朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(呟く)花も雪も、はらえばきよき袂かな」
杉男「あれは花や雪じゃない、泥だよ」
朋子「ほんに、ほんに、昔のことよ」
杉男「泥も、歳月がたてば、落ちるのかな」
朋子「――しみは残るわ」
杉男「―――」
朋子「しみがいやだから、許せないから、もうもどらない。しみには目をつぶって暮してゆく――どっちにしようかな――迷ってるの」
重光(声)「朋子! 朋子!」
朋子「ハーイ!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おじいちゃまが倒れなかったら、今頃、アパート探して、正式にうち出てたのに――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おやじはじいちゃんに感謝してンじゃないかな。いい時に倒れてくれたって――」
重光(声)「朋子! 朋子!」
朋子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、部屋に入って行く。
通りかかる看護婦のチエ、ドシンと杉男の肩をどやす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「黒沼先生、今の人お見合いでしょ! ちゃんと判ンだから」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
バスタオルをひっかけたガウンでウイスキーをのんでいる謙造。
夕刊をひろげている杉男。
謙造は上きげん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いい娘さんじゃないか」
杉男「―――」
謙造「いいねえ、実にいい。伸び伸びとまっすぐ育ってるねえ」
杉男「―――」
謙造「もらうんなら、ああいうのだねえ」
杉男「植木じゃないよ」
謙造「バカ。女と植木は同じなんだよ、日当りの悪い所で育ったいじけた枝ぶりは、どうやったって直らないんだ、お前のつきあってる、あの――泉って女の子、ありゃ、日当り悪いぞ」
杉男「(立とうとする)」
謙造「お前が所帯持てばいいんだよ、そうすりゃ、このうちは丸く納まる」
杉男「どういう意味だよ」
謙造「何かコトがありゃ女手がいるんだ。新しいことが起ればとりまぎれて、古いゴタゴタは、かまっていられなくなる――」
杉男「なしくずしにしようってわけか……」
謙造「ミもフタもない言い方するな。子供じゃあるまいし」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おい、あした玉木専務に逢うからな、返事決めとけ――それから、フロ出るときガスの元――」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話が鳴る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「黒沼です――」
恒子(声)「恒子です」
謙造「――なんか、ご用事でしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
●「バー」ブーメラン[#「「バー」ブーメラン」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「大変なことになりました」
[#ここで字下げ終わり]
恒子――
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「大変なこと――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]なんですか、その大変なことって」
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「公団の東京出張所の竹部さんが近く参考人として、呼ばれるそうです」
謙造「―――」
恒子「モシモシ」
謙造(声)「聞こえてる」
恒子「あたくしは絶対にそちらの名前は出しません」
謙造(声)「アンタが出さなくたって、元をたぐってゆけば、わたしは引っかかってくるんだよ」
恒子「――あなた……」
謙造「………」
恒子「申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(こわばるが精一杯虚勢をはって)何であんたがあやまるんだ――いや、心配することはないよ」
[#ここで字下げ終わり]
電話を切る謙造。
呆然《ぼうぜん》としている。
イスの背もたれにかけたタオルをとりに来た杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「どしたの」
謙造「―――」
杉男「電話、だれから」
謙造「うん? いや」
杉男「なにかあったんじゃないの」
謙造「いいから早くフロ、入れよ」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●杉男の部屋[#「杉男の部屋」はゴシック体](深夜)
本を読んだまま、ねむってしまった杉男。
何か気配を感じて目をさます。
起き上って、枕もとの灰皿をたしかめる。
まわりを見廻して、出てゆく。
●竜二の部屋[#「竜二の部屋」はゴシック体](深夜)
ドアをノックし、手荒くあける杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おい、竜二! たばこ、大丈夫か」
竜二「なんだよォ」
[#ここで字下げ終わり]
ねぼけて起きない竜二をゆりおこし、まわりをたしかめる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「何かこげくさいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](深夜)
おりてくる杉男。
暗い部屋。
誰もいない。
庭の方に気配。
ポッと赤いものが見える。
白いケムリが流れてくる。
●庭[#「庭」はゴシック体](深夜)
背中をみせてうずくまり、たき火をしている謙造。
書類を破り、どんどん火中に投じている。
杉男――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「なにしてンの?」
謙造「―――」
杉男「なにしてンの」
謙造「たき火だよ」
杉男「夜の夜中にたき火することないじゃないか。不用心だよ」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら、黙々と書類を裂き、火中に投じる謙造の背中に異様なものを感じる。
何か言いかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「朋子とは、別れることにしたよ」
杉男「なに言ってンだよ、さっきは見合いしろ、結婚しろ、そうすれば、お母さんもどってくるからって」
謙造「お前、朋子と、いくつちがいだ」
杉男「え?」
謙造「たしか七つだったな。――母親と息子が七つしかちがわないってのは、やっぱりイカン」
杉男「なに言ってんだよ、言うことがおかしいじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら、杉男、破りかけの書類を手にとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――入札の書類じゃないか、どして、夜中に――会社の――書類――」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
謙造「――万一のことがあったら、あと、頼む」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、激する気持をそのまま、烈しく紙を裂いて火の中に投げこむ。
虫の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おやじは、あの人に惚《ほ》れている」
[#ここで字下げ終わり]
●病院[#「病院」はゴシック体](深夜)
つきそいベッドに眠る朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「つきそいベッドに眠るあの人の幸せを、第一に考えている」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・庭[#「黒沼家・庭」はゴシック体](深夜)
何も言わず火をみつめる父と息子――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おやじは闇の中を白く流れる煙だけをみつめて、オレの目は一度もみなかった」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
まだ誰も来ていない。
鼻唄まじりで机のまわりを片づけている朋子。
入ってくる時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おはよう。――懸賞のアテ名、全部書きました。読者のページの校正も終りました。今日は、何をやりましょう」
時子「(ジロジロ見る)」
朋子「なによ」
時子「仕事、わたさない方がよさそうだな」
朋子「――つきそいってひまなのよ。ね、たのむから、何か向うで出来る仕事――」
時子「心、ここにない時は、ミスが多いんだなあ」
朋子「―――」
時子「もどろうかなって、迷ってる」
朋子「――まさか」
時子「迷うことがどして恥かしいの、モタモタ迷うよりキッパリ決める方がどして上等なの。あたしね、迷う人間の方が好き。人生の一大事を、パッと思い切りよく決められるなんて、大ざっぱなのよ。いいじゃないの、七転八倒して迷いなさい」
朋子「――迷ってるわけじゃないけど、おじいちゃま、あたしを頼ってるでしょ」
時子「それ口実。未練があるのよ」
朋子「そうかな」
時子「黒沼っていってごらん。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]黒沼謙造って――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼謙造……」
時子「前よか――言い方やわらかいもの――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
杉男、入りかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光(声)「朋子! 朋子!」
[#ここで字下げ終わり]
入ってゆく杉男。
看護婦のチエが血圧を計っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「お嫁さん、いま、おでかけでしょ。静かにしないと、計れないじゃないの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あ、黒沼先生。おはようございます」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おはよう。いつも――どうも」
チエ「ちょっとお嫁さんいないと、このさわぎなんだから――」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆくチエ。
杉男、窓から外を見ている。
風が強いせいか、無人のブランコが、烈しくゆれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「はなしがあるんじゃないのか」
杉男「どして、判るの」
重光「生れた時から見てるんだ。ヘタな医者より、みたては、利くよ」
杉男「―――」
重光「――タチの悪い病気だったら言ってくれよ。覚悟しなきゃならんからな」
杉男「じいちゃん、心臓は大丈夫だよ」
重光「本当の事言ってくれ」
杉男「言っても大丈夫かな」
重光「今心臓は大丈夫と言ったろ」
杉男「離婚するんじゃないかな」
重光「朋子とか。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どうして。
[#1字下げ]おかしいじゃないか。ゆうべは」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おやじさん、もしかすると、アブないらしいんだ」
重光「アブない――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、自分の手を前に出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「(手錠)これか」
杉男「―――」
重光「―――」
杉男「いまのうちに別れりゃ、あっちは、まだキズつかなくてすむ、そう思ってるんじゃないかな」
[#ここで字下げ終わり]
重光、じっと考えている。
杉男。
ゆれているブランコ。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
小走りにかけてくる朋子。
カミ袋をさげて――
●病室[#「病室」はゴシック体]
かけこむ朋子、ハッとなる。重光とチエがもみあっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら――(少しバツが悪い)すみません。おそくなって、腕時計忘れたもんで――つい、うっかりして、あら、あたしの時計」
[#ここで字下げ終わり]
枕頭台をさがす。
重光、ポカンと天井を見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「あら?」
[#ここで字下げ終わり]
ヘンな顔をする。
チエ、だまって具合悪そうに手首を差し出す。
その手首に女ものの腕時計。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら――これ、あたしのですけど――」
チエ「――(大弱り)いま、黒沼さんが、上げる、どうしてももらってくれっておっしゃって――」
朋子「おじいちゃまが――ですか」
[#ここで字下げ終わり]
朋子も困ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「とんでもない、規則ですからいただくわけにはゆきませんて申し上げたんですけど、もー、すごい勢いで――(小さく)発作起すといけないと思ってとりあえず、お預りしたんですけど」
朋子「おじいちゃま、看護婦さんにこんな形でお礼差し上げたら、かえって失礼ですよ、第一、あたしの使い古しの腕時計」
重光「いい加減なことを言うもんじゃない!」
[#ここで字下げ終わり]
烈しい剣幕でどなりつける重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「これは、さっき、わたしがデパートいって買ってきた時計じゃないか、なに、言ってるんだ」
朋子「おじいちゃま――」
重光「(チエに)朝ごはん、まだなの」
朋子「なにおっしゃってるんですか、朝食、さっきあたしが」
重光「――(チエに)食べさせてくれないんだ」
朋子「おじいちゃま……」
重光「こちらどなたさん――かな……」
朋子「おじいちゃま」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
謙造と玉木専務。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「専務。そりゃ、はなしが違うんじゃないですか。私は私利私欲のためにやったんじゃない。会社の為を思って――この入札をものにすれば、業界七位から一躍三位に(言いかける)」
玉木「シッポを出しちゃ、元も子もないよ。まあ、君の一存でやったこと(言いかける)」
謙造「専務!」
玉木「――とは言っとらんが――この際、君も進退には充分気をつけて――社としても、出来るだけの手は打つ」
謙造「(少しほっとしながら)あ、あの、見合いの件ですが、うちの長男の奴、ひどくお嬢さん気に入りましてねえ、早速おつきあいを」
[#ここで字下げ終わり]
必死に食い下る謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「なにそれ?」
謙造「洋子さんの件ですよ。専務の名代として見舞いにみえる形で、お見合い――」
玉木「え? (わざととぼける)あ、なるほど、見舞いと見合い。一字違いか。こりゃ聞き違えても仕方ないな」
謙造「聞き違い――じゃあ、専務、あれは見合いじゃなかったといわれるんですか」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、インターフォンのスイッチをオンにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「竹元さんに電話してすぐ来てもらってくれ――顧問弁護士の竹元さん――大至急!」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、取りつくしまもない。ショック。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
カウンターで放心している恒子。
化粧気もなし。
髪も乱れている。
泉が聞いているが、心、ここにない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「具合悪いんじゃないんですか」
恒子「え?」
泉「具合悪いんじゃないんですか」
恒子「ううん、別に――」
泉「顔色、普通じゃないですよ」
恒子「(急にフフフと笑い出す)なにもヒカンすることないのよ、あたしのせいでああなったんだもの、あたしが責任とりゃいいのよ」
泉「――?」
恒子「杉男、あんたの方を向くわよ」
泉「え、そんな――お見合いしたんですよ、杉男さん」
恒子「その話、こわれるわよ」
泉「どうしてですか?」
恒子「みててごらんなさい。むこうから断ってくるわよ」
泉「―――」
恒子「もしかしたら、わたしたちに番がまわってきたのかもしれない」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
竜二が重光をゆすぶっている。
重光はチエの手首をにぎってはなさない。
すみに朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「じいちゃん、どうしたんだよ、オレの顔、判るだろ」
重光「洗たく屋のご用聞きだろ」
竜二「じいちゃん――」
重光「(チエに)あとでパチンコへいこ!」
朋子「おじいちゃま」
重光「どうぞ、もう、お引き取り下さい、マルナカホールの八番が出るんだよ、打ちどめなしだ」
竜二「じいちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
入口に立って見ている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん……」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、目でうったえるが。
杉男も辛くて居たたまれない。
すっと出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、足早に歩いてゆく。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
立っている杉男。
うしろから泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おじいさん、おかしいんですって? 急にコウコツになっちゃったんですって」
杉男「―――」
泉「お母さんも、おかしいのよ、さっきブーメランのぞいたら、何言っても、ぼんやりして――あたしのせいだ――あたしのせいでああなったんだって――」
杉男「―――」
泉「どうしたのかしら」
杉男「―――」
泉「なにがあったの?」
杉男「―――」
泉「あたしには言ってくれないの?」
杉男「………」
泉「(小さく)お見合いした人には、言うんじゃないの」
杉男「誰にも言わないよ、自分にだって、言いたくないんだ」
泉「杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
●病室・廊下[#「病室・廊下」はゴシック体](夜)
外出着に着がえた朋子が、ドアの横のベンチに腰をおろして待っている。
謙造がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうしたんだ。中にいりゃ、いいじゃないか」
朋子「『出てけ』って、おっしゃるんです」
謙造「出てけ?」
朋子「興奮して『出てけ!』ってどなるかと思うと、急に――『どちらさんでしたかな』って、おじいちゃま、普通じゃないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、中へ入る。
●病室[#「病室」はゴシック体]
謙造、ねている重光をじっと見る。重光、これもじっと見返す。入ってくる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おかしくなったのは、いつからだ」
朋子「今朝――急に。ゆうべまで何ともなかったのに」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、重光の真意を覚《さと》ったらしい。
重光の耳許《みみもと》に口をよせて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お父さん――くるべきものが、きました」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、痛ましそうに重光を見る。重光、せいいっぱいの剥《む》けた目で、朋子を見返す。
謙造、内ポケットから書類を出し、朋子に差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――離婚届け――」
謙造「お前にもどってもらうために役員昇格は、辞退しようか、そうも考えたんだ。前の女房のおかげで上った月給じゃ使いにくかろうとも思った。しかし、男ってのは、浅ましいねえ。一度手に入れた常務取締役の名刺は、どうしても返したくないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、重光にも聞かせている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
謙造「十三年間、よくやってくれた。(頭を下げる)慰謝料は、出来るだけのことをさせてもらうよ」
朋子「―――」
謙造「それじゃ」
朋子「あたし、あいさつ廻り、一緒にゆくつもりで」
謙造「おれひとりでゆくよ」
[#ここで字下げ終わり]
重光をチラリとみて、出てゆく謙造。
離婚届けを手に立ちつくす朋子。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
杉男、離婚届けをもてあそびながら朋子に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「よかったじゃないの」
朋子「杉男さん……」
杉男「このほうがお母さんもしあわせだよ」
朋子「――あたし、判らないわ。ゆうべは、一緒にあいさつ廻りに行ってくれっていってたのよ。だから私、洋服着がえて、重役になったお礼に会社関係のお宅廻ろうって――どして一晩で」
杉男「容態と同じでね、気持ってやつも、急変があるんだろ」
朋子「―――」
杉男「じいちゃんが正気ならお母さんも出にくいけど」
朋子「――女って、甘ったれなのね。うち出て、別れたいって言ったくせに、引きとめてもらいたいって気持、あったわ」
杉男「―――」
朋子「考えたら、この十三年杉男さんが気持のよりどころだったのかもしれない。十三の男の子があたしになついて一日一日と大人になってく、――誰よりもあたしの気持を一番判ってくれる――辛いことやさびしいことがあっても、杉男さんだけは判ってくれる――あたし、それが支えになって、やってこられたのよ。今度のことも、杉男さんが、父を許してやってくれ、そう言ったら、許そう。もどれといったらもどろうって、あたし――」
杉男「お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
思わず朋子の手を握る杉男。
ハッとなって我にかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――別れの握手……」
[#ここで字下げ終わり]
笑って、手を引く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション・廊下[#「時子のマンション・廊下」はゴシック体](夜)
ベルを押す朋子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
ベッドにいる門倉と時子。
ベルにおどろき顔を見合わす。
●マンション・廊下[#「マンション・廊下」はゴシック体](夜)
朋子、カギを出してあけようとして気づく。ノブに結んだリボンが、解けたらしく、下に落ちている。
リボンをひろい上げたとき、うしろから女の声。門倉の妻、澄子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
澄子「いま、お帰りですか」
朋子「は?」
澄子「いつも主人がお世話になっております」
朋子「どちらさま……」
澄子「そういえばお判りでしょ。私、門倉の家内です」
朋子「あ」
[#ここで字下げ終わり]
ドアの内側の門倉と時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
澄子「ごあいさつ、それだけですか」
朋子「――あの実はあたくし」
澄子「相沢さん。お名前は時子さん。とぼけたって、ちゃんと調べてあるんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
出ようとする門倉を体でとめている時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
澄子「カギ、あけて下さいな。このマンションだって、主人がはらってンでしょ。第一、立ちばなしじゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、リボンを手に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お入れしたいんですけど、私も入れないんです」
澄子「カギもってるじゃないの。主人のガウンがあっても、あたし、おどろかないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
カギをうばおうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「いまあけると、恥かく人間が中に二人いるんです」
澄子「二人?」
朋子「ときどき友達に貸してるんです。恋人とあいびき用に。ノブに赤いリボン結んである時は、『入らないで下さい』意味、お判りでしょ」
澄子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
中の門倉、時子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](深夜)
酒をのんでいる朋子。
時子、門倉、三人とも相当に酔っている。
時子、酔いのまわった手で、朋子の手首に赤いリボンを結ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「どしてわたしたちのことをかばったのよ」
朋子「(ぐいぐいのむ)仕方がないでしょ、あの場合は」
時子「もし(りんごをむいているナイフをとって)奥さんにこれやられたら、どうするのよ」
朋子「そんなら、それでいいもの」
時子「(門倉に)惚れたでしょ」
門倉「―――」
朋子「――ご迷惑かけたけど、あした、アパート、探すわ。就職も、もっと収入のいいとこ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、バッグから書類を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「なにこれ、あ、離婚届――」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら離婚届をヒラヒラさせる。
その書式を読み上げながら、うつぶしてしまう。
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](早朝)
表に報道記者の群。
パジャマ姿の謙造に警察手帳を示す刑事二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
刑事「黒沼謙造さんですね」
謙造「そうですが」
刑事「贈賄容疑で逮捕します」
[#ここで字下げ終わり]
うしろに杉男。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
ソファにのびている朋子を起す門倉。
床にのびている時子。
朋子、目をさます。
門倉、テレビの画面を示す。
逮捕された謙造が、玄関を出てゆく画面。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
アナウンス「今日未明、東京検察庁は、東京都大田区田園調布、日枝建設常務取締役、黒沼謙造50歳を贈賄容疑で逮捕しました。黒沼は先に逮捕された公団の竹部に、入札の便宜をはかってもらうため、二百万円相当の金品を贈ったほか、数回にわたり、渋谷などの高級クラブで接待していたものです。早朝の逮捕にもかかわらず、黒沼はある程度覚悟していたのか……」
[#ここで字下げ終わり]
棒立ちの朋子。
目をさまして、これもガク然となる時子。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
杉男と朋子。
うしろに、青ざめた顔の竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「こうなること、予期してたんじゃないかな。お母さん、巻き込んじゃすまない。そう思ったんだよ」
朋子「それで、おじいちゃまも杉男さんも急に私に冷たくなったのね」
杉男「―――」
朋子「――うち、出るとき、なにか、あたしにことづて――」
杉男「今からでも遅くないから……早く離婚届けにハン押してくれって――」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
正午のニュースらしいテレビの画面を見ている重光。
謙造逮捕の画面。
入ってくる朋子に気づき、あわてて画面を消す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「どなたさんかな」
朋子「おじいちゃま――」
[#ここで字下げ終わり]
とびついて泣いてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ひどいわ、水くさいでしょ」
重光「(その背をさすって)ボケの芝居はむつかしいねえ。藤山寛美さんにでもおそわらなくちゃ」
[#ここで字下げ終わり]
口ではおどけ、さりげなく目頭を拭く。
●面会室・待合室[#「面会室・待合室」はゴシック体]
待合室に入りかけて、アッとなる。
恒子がすわっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お待ちしておりました」
朋子「―――」
恒子「あたくし、面会に参ったんじゃございません。あなたに――お詫《わ》びに伺ったんです」
朋子「お詫びに――」
恒子「わたくしがあんなことをお耳に入れたばかりに――申しわけございません。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まわりの者から、いま余計なことをいうとかえって不利になるといわれて思いとどまっておりますけど、出来たら、自首して同じ刑に服したいと」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お気になさることはないんじゃないでしょうか。黒沼は仕事のためにはどんなものでも利用するひとです。いやだな、と思うこともありましたが、今の女房にすまないなんて情に流されずにやったことを、法をおかしたことはいけませんけど、私だけでもほめてやろうと思っております」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●面会室[#「面会室」はゴシック体]
金網ごしに謙造と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「……あなた……」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、夫の目を見つめながら、離婚届けを破り捨てる。
謙造――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おやじは容疑者から刑事被告人と呼び名が変った。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]季節も秋になっていた」
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
休業の札がゆれている。
掃除をしていないドアのなかに吹き寄せられた枯葉がたまっている。
初秋。
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
看護婦の葛尾チエが、大きな花びんに花を活けている。
花は、百合《ゆり》とカーネーションなど白一色のもの。
見ている重光。
私服の杉男が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「白い花って、病室にはよくないんですよ」
重光「どうしてかな」
チエ「さびしいじゃないの、白にピンクのもの、まぜた方がいいのよ、特にご年輩の部屋にはね」
重光「――今日のわたしには、この方がいいね」
チエ「黒沼さんも変ってるわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
チエ、杉男に目礼する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「あら、黒沼先生、もうお帰りですか」
杉男「うん、今日は、ちょっとね。オペ、代ってもらって――」
チエ「へえ、珍しい……黒沼先生でもそういうことあるのね」
[#ここで字下げ終わり]
苦笑しながら、白い花をさわる。
切り落した茎などをまとめて出てゆくチエ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「白い花だけを活けたいというおじいちゃんの気持が、オレには判った。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]今日は、おやじが保釈で帰ってくる」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「――帰るのか」
杉男「うん。誰もいないうちに、ひとりでカギあけて帰ってくるってのも、かっこ悪いだろうと思ってさ」
重光「何時だ?」
杉男「夕方――四時か五時頃っていってた――」
重光「――普通にしてやれよ……」
杉男「――(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](夕方)
地味な和服姿。
かっぽう着の朋子が、門のあたりを掃ききよめ、バケツで水を打っている。
帰ってくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――お母さん……」
[#ここで字下げ終わり]
目で、ちょっと笑う朋子。
杉男、何か言いかけた時、ドアがあいて、バッグを持った竜二が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「竜二、お前、どこいくんだ」
竜二「旅行」
杉男「旅行?」
竜二「一泊旅行」
杉男「お前、今日がどんな日か判ってるだろ。なにもこんな日に旅行いくことないじゃないか」
朋子「行きなさいって言ったの、あたし――」
杉男「お母さん」
朋子「まさかとは思うけど――家族まで写そうとするカメラマンはいないと思うけど――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、何故《なぜ》か目であたりを見廻しながら、不自然なほど大きい声で言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「万一、竜二さん、うつされたりしたら、いけないもの。出世前の男の子が、こんなことで、週刊誌やなんかに出てはいけないもの。それに、お父さんも、自分の姿、息子にも見せたくないんじゃないかしら」
竜二「――(この人が)小遣いくれてさ、行ってこいって言うんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、心遣い有難うという感じで、朋子に頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん、早くいらっしゃい」
竜二「行ってきます」
[#ここで字下げ終わり]
竜二が、言い終らぬうちに朋子、大きい声で生垣に向って叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「子供はうつさないで下さい! おねがいします。どうしてもうつすのなら、私だけにして下さい」
[#ここで字下げ終わり]
生垣のかげからカメラマンらしい男が顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「竜二さん、大丈夫よ。早く行きなさい……」
杉男「――着いたら、夜でも、電話しろ」
竜二「うん」
[#ここで字下げ終わり]
ちょっと朋子に頭を下げて、出てゆく竜二。
朋子、竜二をかばうように立ってあたりをうかがう。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
こっちも花を活けている。
着物姿の恒子、赤いバラ。
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](夕方)
白い花。
ベッドに横になり、目をあけて天井を見ている重光。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夕方)
居間で新聞をひろげ、待つ杉男。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
玄関に立つ朋子。
車のドア、あく音。
男たちの声(「きたきた!」
[#3字下げ] 「どいてください!」
男たちの(「あけろよ!」
[#2字下げ]  「おい!」
もみあう気配。
ドアをあけようとする朋子。
うしろからとめる杉男。
出てゆく朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おかえりなさいまし」
[#ここで字下げ終わり]
夫をかばって、中へ入る。
その姿に、フラッシュ。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
赤いワイングラスが三つ。
カンパイをするように合わせられた時――
酔った男の声「バッカヤロオ!」
ガラスが割れる音。
石が投げられたらしい。
ガックリと顔を伏せる謙造。
杉男、立ち上る。
朋子――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「別れてくれ」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
また石、ガラス割れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お前はまだ若い。世間をせまく生きることはないんだ」
朋子「カンパイ!」
[#ここで字下げ終わり]
三つのグラスがカチリと合う。
のみほす杉男に、朋子が言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん、家の方は大丈夫よ。さあ、早く病院にもどってちょうだい」
杉男「今晩はいいんだよ。気がかりなクランケはもういないし」
朋子「もどってちょうだい」
杉男「お母さん」
朋子「今晩は、あたしがお父さんのそばにいてあげたいの」
謙造「朋子――(杉男に)真《ま》にうけるバカがあるか。さあ、久しぶりにうちのメシ(言いかける)」
朋子「杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
じっと見る。
杉男、立って、出てゆく。
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体](夜)
出てゆく杉男。
ちょっとふりかえり……。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
湯上りの謙造の足の爪を切る朋子。
大きな足をてのひらで包み込むように切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――朋子――」
朋子「なにもいわないで、いつもと同じようにして下さいって、私言った筈《はず》よ」
[#ここで字下げ終わり]
パチンパチンと切って――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「駅前の栄楽ってラーメン屋、つぶれたんですって。それから、お隣りの猫ね、またお腹《なか》大きいの――」
[#ここで字下げ終わり]
パチン、パチン。
謙造、朋子の髪をさわる。
うう、と嗚咽《おえつ》してしまう。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
待っている恒子。
泉が来ている。
トランプをもてあそぶ泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「賭《か》けましょうか。キングが出たら、――くる、クイーンが出たら――」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあいて、杉男が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――今日、保釈ですってね」
杉男「―――」
恒子「――帰ってきたんじゃないの」
杉男「帰ってきた」
泉「うちにいなきゃダメじゃないの、みんなでごはん――」
恒子「竜二は――」
杉男「旅行にいった」
恒子「じゃ、いま、うちには――」
杉男「水割り――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、水割りをつくりかけるが、手がふるえて氷がつかめない。
じっとみている泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「なんか、あたし――バーって、バーって、走りたくなっちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
●原っぱ[#「原っぱ」はゴシック体](夜)
杉男にサッカーをならっている恒子と泉。
恒子、和服の裾《すそ》を乱してボールを蹴《け》り、走る。
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
謙造と朋子。
●原っぱ[#「原っぱ」はゴシック体](夜)
笑いながら、泣きながら、走り、ころび、ボールを追い、奇妙なサッカーに、それぞれのたかぶったものを託す三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おふくろは、笑いながら、泣きながら、闇の中の白いボールを蹴っていた。何かに夢中になって体をせめていなければいたたまれない気持は、オレも同じだった。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]瞼《まぶた》の裏に浮かぶあの人の姿を追い払いたくて、それぞれの高ぶったものをボールに託して、奇妙な夜のサッカーに汗と涙を流した」
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
謙造と朋子。
●原っぱ[#「原っぱ」はゴシック体](夜)
走る三人。
[#改ページ]
10
●黒沼家・夫婦の部屋[#「黒沼家・夫婦の部屋」はゴシック体](早朝)
まだカーテンの引いてある、うす暗い室内。
朋子は謙造のベッドに眠っている。
甘えの残る寝姿。
うつつの中で、手が夫をたしかめる。
しかし、謙造の姿はない。
●階段[#「階段」はゴシック体](早朝)
はだしでおりてくる朋子。
浴衣のねまき。
寝乱れた髪。
●居間[#「居間」はゴシック体](早朝)
夫の姿をさがす朋子。
ここもうす暗く無人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた――」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた……」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、台所をのぞく。
居ない。
●納戸[#「納戸」はゴシック体](早朝)
なかなか戸があかない。
やっとあけてのぞく。
ブラ下ってゆれているものがある。
小さく声にならない悲鳴をあげ、立ちすくむが、それは、サンド・バッグ。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](早朝)
のぞく朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた!」
[#ここで字下げ終わり]
縁側から、はだしで庭にとびおりる。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](早朝)
走り出た朋子。
パジャマのまま、郵便受けのすぐそばで配達されたばかりの朝刊を読んでいる謙造。
紙面を見る食いつくような目に、朋子、声をかけられず棒立ち。
謙造、背を向けたまま――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――おはよう」
朋子「おはようございます」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朋子のはだしに気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「庭へおりる時は、庭下駄をはきなさい。足、ケガしたらどうするんだ」
[#ここで字下げ終わり]
門の外を、いつもの早朝マラソンの父と幼い息子が走ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――おはようございます」
[#ここで字下げ終わり]
父と子、ギクッとして足をとめる。
父は、じろっと見て、息子を引っぱるようにして走り去る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
謙造「まだ有罪と決まった訳じゃない。問題は、公判だよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、急に語調を変えて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おみおつけの実は、ワカメにしてくれないかな。なにが辛いって、おみおつけのまずいのにゃ参ったねえ。薄くて、本当に目玉が映るんだ」
[#ここで字下げ終わり]
新聞を持って入ってゆく。
新聞配達が、まだ新しい朝刊をポストに差し込む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ご苦労さま」
[#ここで字下げ終わり]
新聞少年、目をそらし、行ってしまう。
朝刊を抜き取り、夫のあとを追う朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「不幸も幸せと同じように、女を酔わせるものがある。刑事被告人となって戻った夫の虚勢を張った大きな背中も、世間の冷たい視線も、わたし一人で受けとめている実感があった。――体にはまだ、ゆうべの高ぶりが残って――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](朝)
店のソファに寝ている杉男。
テーブルやカウンターに、昨夜の名残りのグラス。
目をあいている杉男。
●回想・黒沼家・居間[#「回想・黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
三つの赤いワイングラス。
朋子、謙造、杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「カンパイ」
[#ここで字下げ終わり]
三つのグラスがカチリと合う。
飲み干す杉男に、朋子が言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「家の方は大丈夫よ。さあ、早く病院にもどってちょうだい」
杉男「今晩はいいんだよ。気がかりなクランケはもういないし」
朋子「もどってちょうだい」
杉男「お母さん」
朋子「今晩は、あたしがお父さんのそばにいてあげたいの」
謙造「朋子――(杉男に)真に受けるバカがあるか。さあ、久しぶりにうちのメシ(言いかける)」
朋子「杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
じっと見る。
杉男、立って、出てゆく。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](朝)
杉男。
二階から、恒子がおりてくる。
宿酔《ふつかよい》らしく、頭を押さえながらフラついておりてくる。
椅子につまずいたりしながら、カウンターに寄りかかり、飲み残しのグラスの水で紙につつんだ粉薬を飲もうとする。
うしろから、はらいのけるようにして薬を取り上げる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「なにすンのよォ。お母さん、気持、悪いんだから」
杉男「(母の手を強く握る)」
恒子「宿酔のクスリよ」
[#ここで字下げ終わり]
ひったくって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――なんて言って――(のむまねして)」
[#ここで字下げ終わり]
ガクッとカウンターにうつぶして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「バタッと死ねたらお母さんも立派なんだけど、そんな度胸ないの」
杉男「―――」
恒子「まだ疑ってンの? うそだと思ったら、なめてごらん。そうか、あんた、専門家だもの、なめなくたって判るわね」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、匂いをかぐ。
恒子、クスリを飲む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――オレも貰おうかな、ゆうべ飲みすぎたもんな」
恒子「クスリまで、つきあわなくてもいいの、あんたはそんなに飲んでやしない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]飲みすぎて泊ったんじゃない。お母さんのこと心配してくれて、朝まで一緒にいてくれたのよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「いや、オレ(言いかける)」
恒子「気持はうれしいけど、気つけなくちゃいけないのは、あたしよか、お父さん。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ほら、よく新聞に出てるでしょ。汚職――お父さんのはやる方だから、贈賄か……つかまった人が自殺するってのはなく、よく……(だんだん声が小さくなる)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「そんないじましいこと、する人間じゃないよ」
恒子「――もうあたしが心配することないのに、なにいってんだろ」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
重光、ベッドで朝刊を読んでいる。
謙造の記事がのっているらしい。
SE ノック
重光、サッと新聞をたたんで、机の下にかくす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「はい」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おはようございます」
重光「おはよう」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、重光の顔を見ない。
ブラインドの具合など直しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ご気分、いかがです? ゆうべはよくおやすみになれました?」
重光「そっちはどうなんだ」
朋子「は?」
重光「帰って、きたんだろ」
朋子「ええ、思ったより元気で――。目方は二キロ減ってましたけど」
重光「クサイメシは、実《み》にならんらしいな」
朋子「おじいちゃま……」
重光「ほう。なるほど、ねえ」
朋子「?」
重光「髪が濡れとる」
[#ここで字下げ終わり]
嫁をかまう重光。
どぎまぎする朋子。
重光、笑う。
ドアがあいて謙造が入ってくる。
テレかくしのようにいきなりまくし立てる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「売店、十時からだってさ、たばこの自動販売機ないのか」
朋子「あとで、買ってきますから」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、そんなことより、おじいちゃまにごあいさつをという感じで、突つく。
一晩のうちに狎《な》れた妻のしぐさを取りもどしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あ――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうも、このたびは、ご心配かけて――。ゆうべ、帰ってきました」
[#ここで字下げ終わり]
改まって、あいさつする。
しかし、重光は、謙造が入ってきた時から、天井を向いて、謙造の顔を見ない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いろいろ、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
プイと横を向く重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま」
[#ここで字下げ終わり]
朋子が、取りなすように声をかけるが、取りつくシマがない。
SE ノック
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「はい」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあいて看護婦の根岸むつ子が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「あのォ」
朋子「あ、――いつも、杉男がお世話になってます」
むつ子「(一礼して)黒沼先生、今朝何時頃、うち、お出になりましたでしょうか?」
朋子「え?」
むつ子「大至急連絡をとりたい用が――いま、お宅に電話したんですけど、どなたもお出にならないもんで」
朋子「あら、杉男さん、ゆうべから、病院の方へ泊り(言いかけて――)泊りだったんじゃないんですか」
むつ子「いえ――(困ってしまう)」
謙造「(笑いとばす)病院といって、友達のとこ泊ってンだろ。あいつも隅におけないな」
朋子「――もう、くるんじゃないかしら」
[#ここで字下げ終わり]
むつ子、口の中で、失礼しましたといって、出てゆく。
朋子と謙造、目があう。
三人、それぞれ黙っている。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
ベンチに腰かけ、たばこをすっている謙造、朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「すぐ、担当の医者呼んだ方がいいよ。伜《せがれ》があいさつしてるのに、返事も出来ないなんて、ありゃ相当重いぞ」
朋子「あなた……(声が大きい……)」
謙造「――こっちだって、来たくて来てるんじゃないんだ。いろんなものを押さえて来てるのに、ひとことぐらい――」
朋子「(灰皿をもってくる)」
謙造「ああいう人間なんだよ。人のあやまちを絶対に許さない狷介《けんかい》だよ――自分だけ立派だと思ってるらしいが、なに、結局オレをケムたいんだよ。だから、あの年で気の許せる一人の友達もできないんだよ」
朋子「あなた――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男が立っている。
二人を見る視線がまぶしい。
朋子も同じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おはよう」
杉男「――じいちゃん、どう」
朋子「――お元気よ」
謙造「杉男。お前、ゆうべ、どこへ泊った」
杉男「病院だよ。病院の宿直室」
[#ここで字下げ終わり]
病室へ入ってゆく杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
杉男、重光の脈をとろうとして、ハッとなる。
低く呟《つぶや》く重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「馬鹿め……どの面さげて『只今帰りました』だ。馬鹿者が――」
[#ここで字下げ終わり]
ののしりながら、その目がうるんでいる。
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
玉木専務と謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おっしゃる意味が判りませんが」
玉木「意味なんてないよ。言葉通りさ。ゆうべ保釈になって、なにも今朝、出社することはない。しばらく自宅で休養した方がいいんじゃないかと思ってね」
謙造「休職しろ、といわれるんですか」
玉木「その方がおたがいのためじゃないかな」
謙造「……おたがいじゃないでしょう、会社のため、とハッキリ言って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、たばこをすすめるが、謙造ことわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おかげで、禁煙の習慣がつきましたんで」
玉木「―――」
謙造「この間の、見合いの件ですが」
玉木「おい、君」
謙造「うちの長男の奴、どうも……お嬢さん、すっかり気に入ったようでしてね、ぜひ結婚を前提としたおつき合いを(言いかける)」
玉木「黒沼君。君、何かカン違いしとるんじゃないか。わたしは、娘を代りにお父上の見舞いにはやったが、なにも見合いのつもりは」
謙造「専務。自慢ばなしをするつもりはありませんが、取調べの検事にほめられましたよ。サラリーマンのカガミであるってね。大分皮肉がまじってましたが――」
玉木「―――」
謙造「何しろ、今度のことは、役員昇格が目あての個人の功名心からやったことで、会社上層部も直接の上司も――全くあずかり知らないことである――徹頭徹尾、これで押しまくったんですから」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、たばこをくゆらす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「―――」
謙造「検事は、公判もそれで押し切れるかね、といっとりましたが――ひょっとして、縁戚《えんせき》になるかもしれないお宅に、とばっちりがいってはいけない。そう思いましてね」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「(取って)ここにいる。君だ」
謙造「黒沼ですが」
[#ここで字下げ終わり]
相手は何も言わない。
謙造、さりげなく玉木から離れるようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「モシモシ」
恒子(声)「わたしです」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
電話している恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「このたびは、おめでとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
謙造、玉木。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうも――」
恒子「―――」
謙造「なんか火急の御用件」
恒子(声)「ぜひ、お手渡ししたいものがあるんですけど」
謙造「――請求書だったら、まとめて送って下さい」
恒子(声)「モシモシ」
謙造「いま、会議中なもんで……これで」
[#ここで字下げ終わり]
ガシャンと切って、何か言いかける玉木の口を封じるように、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうです。近々にお嬢さんもご一緒にみんなでメシでも……」
玉木「――洋子にそういっておこう」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、ゆっくりと玉木のシガレット・ケースからたばこをとってくわえ、火を待つ。
玉木、ライターをつける。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
カウンターの恒子、封書をもてあそびながら、耐えている。
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
「急募ホステス」のハリ紙を破いている泉。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
ぼんやりしている恒子。
入ってくる泉。だまってハリ紙をカウンターに置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「あたしじゃ、ダメかしら」
恒子「泉さん……」
泉「『さよなら』言うつもりで来たんだけど、これ見てたら気が変ったんです。――あたし、ホステスになれませんか」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
泉、バッグから、口紅を出して、濃く引く。
アイシャドーを出して、目の上を青くくまどる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ダメですか」
恒子「そんなことしたら、杉男に叱られるんじゃないの」
泉「好きなら、怒るでしょうけど――」
恒子「―――」
泉「あきらめの悪い女だって思ってらっしゃるんでしょ、女のプライドどしたの、未練がましいわよって、おっしゃりたいんでしょ」
恒子「未練なら、あたしの方が、ずうっと上……」
泉「―――」
恒子「男を引きとめるのは、赤や青じゃないのね」
泉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設・デスク[#「日枝建設・デスク」はゴシック体]
謙造、恒子の声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「ぜひ、お手渡ししたいものがあるんですけど」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、電話機に手をのばす。
が、思いとどまってインターフォンを押す。
謙造「留守中の書類と手紙!」
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
カウンターの上に、小さな、わさび漬がのっている。
ボストン・バッグをもった竜二。
カウンターに恒子、ソファでナプキンを折っている泉。
恒子、ウイスキーをあおりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「また、わさび漬とは月並みなおみやげねえ」
竜二「おみやげなんて、そんなもんだって」
泉「そうね、おみやげはわさび漬かヨーカン、お見舞いはメロンかカステラ。決まってンのよね」
恒子「それにしたって、わさび漬ってこたァないでしょ(笑)。そこいくと、お母さんのはそんじょそこらにころがっているもんじゃありませんよ」
竜二「なによそれ」
泉「なんですか」
恒子「お父さんが来たら、渡して上げようかなって思ってる物……」
竜二「おやじさんに?」
恒子「生れて初めての別荘暮し、ご苦労さまでしたってごほうび」
竜二「別荘――ああ、刑務所のこと、そういうんだってね」
恒子「まだ有罪になったわけじゃないんだから、刑務所じゃないわよ。拘置所でしょ」
竜二「ねえ、なによ、それ」
恒子「わさび漬だのヨーカンなんてもんじゃないわね」
竜二「食いもの――」
恒子「羊なら食べるけど――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、懐中から分厚い封書を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――片桐恒子様
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]黒沼謙造」
中の便箋《びんせん》をチラチラさせる。
大きな男文字がならんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「おやじさんの字じゃないの」
泉「(読む)十三年前、あなたが家を出てから、私の胸に大きな洞穴が出来ました。それを満たすことなく索漠とした年月が流れました。久しぶりに聞くあなたの声は、この開かずの間《ま》に、息を吹きこんでくれました。なつかしいの一語に尽きます。わたしの体に、あなたの声に感応するものが突き上げてくるのが判りました」
[#ここで字下げ終わり]
ハッとして顔を見合わせる泉と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「ラブレターじゃない」
泉「(返す)」
恒子「どしたの」
泉「なんか悪いもの」
恒子「(かまわないわよ、という感じで押しやる)」
泉「ぜひ近日中にお目にかかりたく――いや逢《あ》いたい。どうしても逢いたい」
恒子「―――」
泉「杉男のこと、竜二のこと、話したいことが山ほどあります。あなたの――電話で言っておられた例のはなしも、ぜひくわしく伺いたい。入札の件、暗礁《あんしよう》にのり上げていたところです。あなたが宴席で耳にしたどんな小さな事実も、細大|洩《も》らさず教えて下さい。誰と誰と、何月何日、どこで逢ってどんな話をしたか。かげで糸を引く人物は誰なのか」
竜二「ラブレターじゃないの」
恒子「―――」
泉「ぜひ、近日中に、お目にかかりたく思います。杉男のこと、竜二のこと。話したいことが山ほどあります。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あなたの――はなしも、くわしく伺いたい。入札の件、暗礁にのり上げているところです」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「これ――」
恒子「出すとこへ出せば贈賄|幇助《ほうじよ》の罪であたし共犯になるのよ」
二人「―――」
恒子「出しはしないけど……」
[#ここで字下げ終わり]
二人――
●病室[#「病室」はゴシック体]
見舞いに来ている玉木洋子。
重光、朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「お見舞いは有難いが、お父さんに叱られるんじゃないのかな」
洋子「パパは関係ないんです。――この間のお花には、こっちの花びんの方が似合うと思って」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる竜二に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「あ、竜二さん、元気?」
竜二「―――」
朋子「玉木専務のお嬢さんでしょ――洋子さん」
竜二「―――」
洋子「お水、あたしが――」
[#ここで字下げ終わり]
花びんを手に、立ちかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「お母さま、ちょっと――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、一緒に廊下に。
●洗面所[#「洗面所」はゴシック体]
朋子と洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「もう、いらっしゃらない方がいいんじゃないですか」
洋子「――どうしてですか」
朋子「だって――主人は、いま、刑事被告人です」
洋子「杉男さんがしたんじゃないわ」
[#ここで字下げ終わり]
花をもてあそびながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「あたし――今まで、お見合いっていうと、おっくうだったんです。でも、今度だけは、逢う時に予感がしたんです。そういうヨカンて信じてもいいんじゃないかしら」
朋子「―――」
洋子「いけません?」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
重光に訴えている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「大したこと、ないだろ」
竜二「でも、おふくろさん、出すとこへ出せば、共犯になる証拠書類だって」
重光「そんなバカなまねは、しないよ」
竜二「判んないって――泉さん、いってたよ。おやじさん、保釈になってから全然連絡してないから、お母さんアタマに来てんじゃないかって。イザとなると女って、なにをするか判んないって――」
重光「―――」
竜二「ほっといて大丈夫かな」
重光「よっかかるな。重いんだよ、お前は」
[#ここで字下げ終わり]
●医局[#「医局」はゴシック体]
杉男に訴えている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「じいちゃん、気にしてないけどねえ――あの手紙、表沙汰になると――いろいろ書いてあるんだよな」
杉男「上京してこい、くわしくハナシ聞きたいっていう手紙だろ」
竜二「それもあるけど――なつかしいとか――出てってから、胸に穴ぼこがあいたとか、オレ、ドキッとしたな。いい年して凄《すげ》えハゲしいんだよな――」
杉男「―――」
竜二「あれ、出されて共犯てことにでもなったら、新しいおふくろさん、立場ないんじゃないかって、泉さん――そいってたよ。今度こそ、このうち出てくって」
[#ここで字下げ終わり]
表から、そっとのぞくようにして帰ってゆく洋子。
●病室[#「病室」はゴシック体]
重光、ふざけて、ベッドの上で朋子を拝んでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「なんですか、おじいちゃま」
重光「いやあ、忙しいとこ手間かけてすまん」
朋子「野菜スープぐらいで、拝まないで下さいよ。やあねえ。すぐ帰って作ってきます」
重光「そうしてくれるかい。あれ、のむと、力、つくような気がしてね。ああ、それからね、あの――私の部屋の机の引出しに、黒塗りの箱があるんだ。あん中には、私の、その実は、ヘソクリが入っとるんだ。あれ、箱ごと持ってきて下さい」
朋子「出来ることは何でもしますから――ね、おじいちゃま、謙造に、やさしいことば、かけてやっていただけないでしょうか」
重光「―――」
朋子「強がってますけど、こたえてると思うんです。当座だけでも『元気出せ』とか」
重光「元気出す必要がどこにある。反省してりゃいいんだ」
朋子「―――」
重光「黒沼の家ではじめてじゃないかな。これ(手錠)で警察のごやっかいになった人間は」
朋子「たしかに世間に顔向け出来ないことしてますよ、でも家族まで背中向けたら」
重光「当然だろう。ハレンチなことしたんだ。甘やかすことはない」
朋子「でも」
重光「あれは、人間のクズだ」
朋子「―――」
重光「馬鹿者が」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・台所[#「黒沼家・台所」はゴシック体]
スープを作っている朋子。
ピアノを調律する音が聞こえてくる。
●居間の一隅[#「居間の一隅」はゴシック体]
古ぼけたピアノを調律している門倉。
手伝う時子。
朋子、くる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「時代がたってるから、直らないんじゃないかしら」
門倉「完璧《かんぺき》とはいかないけど、ソナチネぐらいならなんとかなりますよ」
朋子「ソナチネ――」
時子「朋子、言ってたじゃないの。ご主人、子供の頃ピアノをいじったことがあるって、ソナチネぐらいひけるらしいのよって――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ご主人、当分うちでしょ。退屈しのぎにちょうどいいと思って――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「(時子が)別れの記念に、ピアノ調律していってくれっていうもんでね」
朋子「別れの記念――」
時子「あたしたち、別れるの」
朋子「―――」
時子「あんたが、黒沼のうち出て、あたしのとこでフラフラしてる間は、あたし、別れるのいやだったのよ、だって、この人、あんたに惚《ほ》れてたもの」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、黙々として、鍵盤《けんばん》を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「この人――弱いもの、不しあわせなものみると、じっとしていられなくなるの。ご主人に裏切られて、うちへ飛び込んできた時の、あんた――」
門倉「もう、いいじゃないか」
時子「いまは、輝いているもの、好みじゃないでしょ」
門倉「―――」
時子「ご主人が逮捕されてから、あんた、キラキラしてきたもの」
朋子「―――」
門倉「皮肉なもんだなあ。世間が、いや法律かな、法律がご主人許さなくなったら、あなたがご主人許して、かばいはじめた」
朋子「主人のことハッキリ許してるわけじゃないんだけど」
時子「じゃ、なぜもどったの」
朋子「―――」
門倉「目に見えない――なにかと張り合ってるんじゃないですか」
朋子「門倉さんて、時々、――なんていうか」
時子「女の気持、見すかすような、ドキッとすること言うでしょ。それに参ったんだ、あたし――」
朋子「ほんとに、別れるの」
時子「(うなずく)」
朋子「――(時子に)未練、ないの」
時子「ないわ」
朋子「十三年たって、まだ、あきらめられない人もいるのよ。それが、女よ」
時子「――あたしは大丈夫。子供もないし――」
門倉「―――」
時子「なにか、弾いて――」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、美しい小品を弾く。
時子、泣いている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
杉男が来ている。
恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「手紙って、なあに」
杉男「――とぼけないでくれよ。おやじが、入札の情報くれって出した――」
恒子「昼間からお酒はまずいかしら」
杉男「焼くか、渡すかしてもらえないかな」
恒子「どうして?」
杉男「万一表沙汰になったら、辛い思いする人間がいるじゃないか。おやじもうちも、メチャメチャだよ」
恒子「コーヒーにする?」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、恒子のふところに封筒が入っているのに気づく。
手をのばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「何するの」
杉男「―――」
恒子「なんて、怒ることないんだよねえ。アンタ、二十五年前は、ここに手入れて、オッパイのんでたんだもの」
杉男「―――」
恒子「アンタ、飲んでない方のオッパイも、手でさわってないと、承知しなかった――」
杉男「―――」
恒子「そうだ、左の乳首のとこにね、あんたが歯立てたあと、あるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、懐ろをゆるめて、杉男の前に大きく開きかける。
杉男、顔をそむける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お父さん、元気?」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・客間[#「黒沼家・客間」はゴシック体]
弁護士の今里と謙造。
茶を出している朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「家内です。弁護士の今里さん。こみ入ったはなしがあるから、呼ぶまで、はずしてくれ」
朋子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
探しものをしている朋子。
謙造がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「それからな、杉男の見合いのはなし――あれ早急《さつきゆう》にまとめてくれ」
朋子「あら、だってあのおはなし、この際――ご遠慮したほうが」
謙造「なんで遠慮する必要がある。会社のためにやったことじゃないか。使いこみしたわけじゃなし、本来なら功労者ですよ。重役と縁戚になっても、何の不思議もないだろう」
朋子「でも――」
謙造「(低くハッキリと)オレの、今後がかかってるんだ――」
朋子「―――」
謙造「なにをしてるんだ」
朋子「おじいちゃま、株券やなんかみんな持ってきて欲しいって」
謙造「病院へもってこいっていうのか」
朋子「枕の下においてねないと、心配だって」
謙造「死に欲が出たんじゃないのか。出世しなかった男は、最後はそうなるんだ」
朋子(N)「法を犯して傷ついて戻った息子を、父親は蔑《さげす》み、病んで気弱になった父親に、息子は冷たい。熱いはずの血のつながりは、どこで、何故《なぜ》、冷えてしまったのだろう」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体]
スープのビンを取り出している朋子。
重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「すぐあたためましょうか」
重光「あしたいただこう、それよか、例のもの」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、株券を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「あ、これだこれだ。それからね、今晩はこっちはいいから、うち、帰りなさい」
朋子「だって、おじいちゃま、夜、お咳《せき》が出ると」
重光「他人の寝息が気になって、ねむれないんだ。一人でゆっくりねかしてくれ」
朋子「……ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、株券を改めながら、枕の下に仕舞う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「よろしく、たのむよ」
朋子「え? ――はい……」
[#ここで字下げ終わり]
少し腑《ふ》に落ちないが、返事をする。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夕方)
杉男と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃん、怒るの、ムリないよ。オレ、おやじの、そういうとこ大嫌いだな。トカゲのしっぽ切りで、ていよく会社、追っぽり出されるのが目に見えてるから、重役と縁戚になろうとしてンじゃないか。息子の結婚を、おやじの安全弁にするなんて、とんでもないよ!」
朋子「――そういうだろうと思ったわ」
杉男「たしかに、バイタリティはあるよ。仕事もできるよ。だけど、目的のためには前の女房も利用する。人の気持を傷つけても上へのぼる、そういうやり方、オレ、絶対に許せないね。そこだけは、お母さんの前だけど大嫌いだね」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・廊下[#「黒沼家・廊下」はゴシック体](夜)
うす暗い廊下に、たどたどしいピアノの音が聞こえている。
ポツリポツリ間違えながら弾くソナチネ。
背を丸めて弾く謙造のうしろ姿。
台所から入ってきた朋子。
そのうしろ姿と、ピアノを聞く。
さまざまな思いをこめて弾く謙造。
居間で電話が鳴っている。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
電話をとる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます。あ、杉男さん――え? おじいちゃまがみえない」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](夜)
電話している杉男。
空のベッドにパジャマがきちんとたたんである。
足元に揃《そろ》えて置かれたスリッパ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「うちへ帰る前に、様子を見ようと思ってのぞいたら、いないんだよ。九時の消灯前に見廻りにきた時は、ちゃんとねてたっていうんだけどねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
朋子、うしろに謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(ひったくって)パジャマのままか!」
杉男(声)「いや、ちゃんと洋服に着がえてから出てる。いま、心当り、みんなで探してるんだけどねえ」
謙造「屋上見てくれ、屋上!」
朋子「お金は持って出てるかしら」
杉男(声)「金ねえ――」
朋子「そうだわ。フトンの下見て下さい、今日もってった株券やなんか、入れてあるけど」
杉男(声)「(さぐって)ないな、なんにもない」
[#ここで字下げ終わり]
かけ込んでくる看護婦の葛尾チエ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
チエ「屋上も洗面所も見ましたけど」
杉男(声)「着がえて出てるとこみると外だな」
チエ(声)「そういえば――駄目なら、うちへ帰りたい、タタミの上で死にたいって、いってらしたわ」
謙造「すぐ、そっち、行く!」
杉男(声)「いや、じいちゃんの方がうちに帰るってこともあるから、そっちにいた方がいいよ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
謙造と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「こんな時間にどこへ行ったんだ――」
朋子「心臓、大分弱っていたんですよ。なるべく車椅子使うように言われてたのに――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
帰ってゆく泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おやすみなさい」
恒子「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
泉を見送り、ビニール袋のゴミを出している恒子。
歩き出した泉。フラフラとくる老人が少し気にかかるが、ふりかえって歩いてゆく。
ドアの中に入る恒子。
中からカギをかけようとするが、ドアはギーと外側から開く。
体ごと押すようにしてあけながら入ってきたのは重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま」
[#ここで字下げ終わり]
重光、血の気のない顔で荒い息をととのえながらやっと言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「いっぱい、飲みにきた……」
恒子「おじいちゃま、入院してらっしゃるんじゃないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
重光、よろけながら、高いバーのとまり木に腰かけようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「いつ退院なさったんです。つきそいなしで一人でいらしたんですか」
[#ここで字下げ終わり]
重光、手を貸そうとするのをはねつけ、やっと上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「水割り、もらおうか」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、カウンターにもどるが――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お顔色、よくないですよ。おじいちゃま、こんなことしてらしてはいけないんじゃないんですか」
重光「水割り――」
[#ここで字下げ終わり]
早く、と手でせきたてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「まさか病院抜け出していらしたんじゃないでしょうね」
重光「ゆずってもらいたいものがあるんだ」
恒子「―――」
重光「あんたが一番大事にしとるもんだ」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
重光、紙袋の中から書類を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「タダとはいわん。私に売ってくれ」
恒子「―――」
重光「これでどうだ。年寄りのヘソクリ全部と引きかえに、どうだい、わたしに売ってくれないか」
恒子「おじいちゃま」
重光「たのむ」
[#ここで字下げ終わり]
じっと恒子を見る顔色は、もはや生きている人のそれではない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま、誰かお迎え呼びましょう」
重光「たのむ……売ってくれ」
[#ここで字下げ終わり]
株券を押しやり、じっとみつめる重光。
恒子、帯の間から手紙を出す。
重光、受け取りたしかめる。
株券を押しやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま、こんなものいただくいわれ≠ヘありませんから」
重光「これは、取引きだ。受け取ってくれ」
[#ここで字下げ終わり]
重光、よろけながら下りる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「片桐さん、あんた――まだ――若い。きれいだよ。女として――まだ、大丈夫」
恒子「おじいちゃま、水割り」
[#ここで字下げ終わり]
重光、水割りに口をつける。
笑いかけて、ポケットから札を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「そこまで、お送りしましょう」
[#ここで字下げ終わり]
重光、手を振ってことわり、せいいっぱい姿勢を正して、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「元気で――やりなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の町[#「夜の町」はゴシック体]
気力だけで歩いてゆく、重光。
スレちがう人、けげんな顔で道をよける。
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](深夜)
往診カバンをさげた杉男が、かけ込んでゆく。
ドア、内側から開く。
立っている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「うち、帰ってない?」
朋子「(うなずく)」
杉男「病院からの連絡――」
朋子「(首を振る)」
[#ここで字下げ終わり]
出てくる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「強心剤、もってきてるから、こっちへよってくれれば――なんとかなるんだけど――」
[#ここで字下げ終わり]
立っておもてを見る三人。
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](深夜)
竜二に訴えている泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「入院してる人があんなとこに来てる筈《はず》がないと思ったけど、気になってのぞいてみたの――」
竜二「それ、じいちゃんだよ、なんだって、そんなとこ――」
泉「――竜二さん、あの手紙のこと、おじいさんに話さなかった」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](深夜)
よろけながら入ってゆく重光。
ドアにもたれかかり、やっとベルを押す。うち中に、か弱いベルが小さくひびく。
ドアが内側からあく。
あけたのは杉男。重光を抱きとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「謙造か!」
[#ここで字下げ終わり]
もう、目の見えないらしい重光、杉男に呼びかける。
内ポケットから封書を出す、うしろに立つ朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重光「おい、謙造。これからもあることだ。女にうかつな手紙は、書かんことだな」
杉男 )「じいちゃん……」
朋子  「おじいちゃま……」
重光「マッチないか。早く、火つけて――」
朋子「おじいちゃま」
重光「マッチ……早く、火を」
[#ここで字下げ終わり]
うしろからとび出す謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
倒れる重光を抱きとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「お父さん! お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
声は号泣になっている。
●病院・病室[#「病院・病室」はゴシック体](深夜)
ドア半開、廊下に体を出して外を気にしている竜二。
電話のベル。
泉とる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(声)「――竜二か」
泉「――はい」
杉男(声)「じいちゃん、いま、うちへ帰った。すぐに帰ってこい」
[#ここで字下げ終わり]
その声の重さから、死を察する泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――判りました(切る)」
竜二「どうしたの」
泉「いま、おじいちゃん、うち、帰ったって――」
竜二「――(ハッと気づく)」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](深夜)
横たえられた重光。
顔には白布。
謙造、朋子、杉男。
謙造、手紙を朋子に差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「読みなさい」
朋子「―――」
謙造「読んでくれ」
朋子「―――」
謙造「お前には何もかくしたくないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、手紙をひろげ押しつける。
朋子、少し迷う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃんが、命と引き換えに、取りかえして来たんだ。表沙汰になったら、このうちのみんなが、いたたまれなくなる――そう思ったじいちゃん――いや、それよりじいちゃん、お母さんに読ませたくなかったんだよ! だから、行けばどうなるか判ってて――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子に必死で訴える杉男。
朋子、便箋をたたんで、封筒に入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「朋子……」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、封筒を重光の合掌したこわばった手の下に入れる。
杉男、手伝って重光の懐ろに入れてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃんと一緒に、灰にした方がいいよ」
[#ここで字下げ終わり]
かけ込んで来る竜二。
とびついて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「おじいちゃん、死んだよ」
竜二「じいちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
うっと声をあげて、竜二、泣く。
杉男と朋子、涙をこらえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「おじいちゃまは息子を憎んでいる、長い間、わたしはそう思っていた。自分にないバイタリティに反発していると思っていた。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]でもあの憎しみや反発は、愛の形だった。同じ血が流れている親子だけがもつ、強くて濃い、愛の形だった」
[#改ページ]
11
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体]
喪服の恒子が片桐と書いた不祝儀の袋に鏡台の引出しから新しい札を出し、入れている。
入れてから、ふと手をとめて鏡を見る。
鏡の中の自分の顔をじっとみつめる。
急に帯じめをほどいて引き抜く。
たたみの上に、黒い帯じめ、黒い帯、黒いしごき、が次々とほうられる。帯――。
数珠がその上にころがる。
迷った末に葬儀にゆくことをやめにしたらしい。
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体]
電柱に黒枠の「黒沼家」の矢印。喪服の男女が鯨幕《くじらまく》を張りめぐらした黒沼家へ入ってゆく。
近所の主婦たち三、四人が、子供の手を引き汚職の件であろう、ひそひそ話をしている。
門の脇に告別式のはり紙。
受付の天幕と机。
祭壇は、重光の部屋らしく、庭の方から焼香者の列が出来ている。
読経の声。
喪服の泉が受付へ。
会葬者記帳の係は、黒いブラウスの看護婦の根岸むつ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「―――」
むつ子「(会釈)」
泉「あ、杉男さんとこの看護婦さんね。いつも白いの着てるから、判らなかった」
[#ここで字下げ終わり]
むつ子、会釈しながらチラリと奥をうかがうようにする。いいのかしらという感じ。泉、その視線を意識しながら名前を書く。
読経の声。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
葬壇に、黒枠の重光の写真、謙造、朋子、杉男、竜二、親戚の男女。
焼香台に立って焼香している玉木専務。
ふと、謙造と朋子のうしろで耳打ちしている若い娘に気づく。親戚の娘が手伝いに来ている感じだが、玉木専務の娘、洋子である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「――洋子――」
[#ここで字下げ終わり]
洋子、あ、パパという風に、目で、あいさつをして、中へ入ってゆく。
玉木、謙造たちを見る。謙造、平然。
しかし、朋子は、当惑のこわばった表情で、硬い会釈を返す。焼香台にすすむ泉。杉男と視線があう。
●台所[#「台所」はゴシック体]
喪服の上にエプロンをつけて立ち働く洋子。
リビングで茶の支度をする親戚の老婦人。
入ってくる玉木。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「失礼します」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、切れ者らしく老婦人に、あたりのやわらかいあいさつ。洋子には別人のように固く低い声音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「洋子」
洋子「パパ」
玉木「どうして来た。くるなと言った筈《はず》だぞ」
洋子「お湯足ります? もう一回、わかしましょうか」
玉木「すぐ帰んなさい」
洋子「どして?」
[#ここで字下げ終わり]
父と子は低い声でやり合う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「言わなくたって、判るだろ」
洋子「でも――どうしてもお見合いしろって、すすめたのパパじゃないの。お父様が逮捕されたからって、てのひらかえすようなまね(あたし、やだわ)」
玉木「――お前、あの伜《せがれ》に惚れたのか」
洋子「あの、お湯――」
玉木「洋子」
[#ここで字下げ終わり]
立っている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お忙しいところ、おまいりいただいて、恐れ入ります」
玉木「奥さん」
朋子「お嬢さま、お使い立てして」
洋子「あら、これ、私が強引におねがいしたのよ」
朋子「申しわけございません」
玉木「謝るのは、手前の方ですよ、あまり、お親しくもない人間がうろちょろしていちゃ、邪魔になって仕方がないよ」
謙造「いやもう、よくやっていただいてますよ」
玉木「黒沼君」
謙造「専務、火葬場へいらしていただく車は三号車ですから」
玉木「火葬場?」
朋子「あなた、専務さん、お忙しいでしょうに、ご遠慮した方が」
洋子「あたし、伺ってもいいでしょうか」
玉木「洋子」
洋子「三号車ですね」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
焼香が終った感じの泉、列から離れて、縁側の端から上って、奥へゆく感じ。
さっきから奥を気にしている竜二、立とうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「立つな」
竜二「だって――」
杉男「みんないなくなったら、じいちゃん可哀そだろ、すわってろ」
[#ここで字下げ終わり]
あいている喪主のざぶとん。
竜二、立って奥へ入ってゆく。
杉男、奥は気になるが、耐えて坐っている。
重光の写真、読経。
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
入りかけた竜二。
曲りかけたところに、泉が立っているのに気づいて足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木(声)「洋子、無茶なこというもんじゃないよ」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体]
謙造、朋子、玉木、洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
玉木「火葬場までゆくというのは、ごく親しい間柄の方々だけなんだよ」
洋子「でも、パパ」
玉木「第一、杉男君には、御両親公認でつき合ってる娘さんがいるらしいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
廊下の泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「初耳ですな、何かの間違いじゃあ(言いかける)」
玉木「興信所ってのは、金取って調べるんだ、そうそう間違えはしないだろう。インテリアの学校にいってる――名前はたしか島田――島田泉」
謙造「ああ――あれか、いや、あれにゃ我々も迷惑しているんですよ、ああいう厚かましいのには、ハッキリ言わなきゃダメだよ(朋子に)」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
こわばる泉。
出てゆこうとする。
曲り角で竜二にぶつかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「手伝ってくれないかな」
泉「(失礼します)」
竜二「たのむから――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、体で抱きとめる。
●納戸[#「納戸」はゴシック体]
懸命に探しものをしている竜二、しゃべりまくる。
聞いていない泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「じいちゃんがさ、すげえ大事にしてたパターがあンだよ、木で出来た、昔ゴルフはじめた時に誰かにもらったすげえ古めかしいやつ。それを、じいちゃんのお棺の中に入れてやろうと思って――」
[#ここで字下げ終わり]
暗い納戸に読経が聞こえている。
泉の頬に涙が流れている。
木のパターを手にした竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「―――」
泉「お葬式って、助かるわね。泣いてたって――ヘンに思われないもの。おおっぴらに涙拭けるもの。ね?」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、泉を抱きしめてしまう。
唇を押しあてる。
読経高まる。
泉、ハッとなる。
半分あいてる納戸の戸の向うに、杉男が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――探しものか」
竜二「(パターを示す)じいちゃんのお棺の中に入れてやろうと思って」
杉男「いいこと、思いついたじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
衝撃をせいいっぱい押さえていう杉男。
竜二、兄にパターを手渡す。パターがふるえている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
馴染《なじ》みらしい客が三人連れで入ってきてカウンターに坐って、キョロキョロする。
いるのは泉だけ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
客「あれママ、どしたの?」
泉「ちょっと――」
客「君、新顔?」
泉「留守番です」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](夜)
電柱の黒枠の矢印のはがされたあと。
鯨幕など取り払われているが、花輪を取り片づけた名残りの、生花や、こわばったつくりものの花が、路上に落ちている。
しんとしている家の中。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
仏壇の前に、小机、骨箱と写真の前に香華がゆれている。
坐っている謙造と杉男。椅子に竜二。
竜二は、杉男の横顔をみつめるが、杉男はそのまま。
●居間[#「居間」はゴシック体]
すし桶《おけ》の片づけ、小皿、茶碗や灰皿を洗い、片づけている朋子と時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あと、やるから――」
時子「このくらい手伝わせてよ、昼間仕事でこられなかったんだから。これ(仕舞うところ)」
朋子「そこ」
時子「急だったわね」
朋子「弱ってはいたけど、も少し大丈夫だと思ってたのに」
時子「病院抜け出して、出かけたんだって?」
朋子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
コートを着ている時子。朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「お葬式って、あとがいやなのよね。さびしくてさ」
朋子「なんでもそうよ。あとの方がいや」
時子「おじいちゃん、あんたのことかばってくれたもンね」
朋子「突っかえ棒が、なくなったみたい――」
時子「あたしじゃ役に立たないけど、なんかあったらいつでも」
朋子「ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
奥から出てくる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうも、いろいろ」
時子「おやすみなさい」
朋子「おやすみなさい」
謙造「それじゃ」
[#ここで字下げ終わり]
時子、ドアをあける。
立っている喪服の女。
恒子である。
朋子、謙造。
時子、朋子と謙造の感じで事情を祭して、これもこわばって棒立ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おまいりさせていただいても、よろしいでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
謙造、何か言いかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、入ってゆく。
時子、朋子の顔をみつめる。
ドアがしまる。
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体]
表札のところに、しばらく立ちつくす時子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
ぞうりをそろえている恒子。
朋子、謙造。
中から出て来た杉男、ハッとなる。
朋子、会釈して案内に立つ。
杉男、ためらうが、朋子の視線に負けて体をあけ、母親を通す。
奥で竜二のおどろいた顔。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
仏壇の前の小机の前に坐る恒子。
黒枠の重光の写真、骨箱をみつめる。
うしろに謙造、杉男。
竜二は籐椅子《とういす》にすわっている。
恒子、紫の風呂敷に包んだものを供え、その上に香典の包みをのせる。
謙造、何か言いかけて、朋子の姿が見えないのに気づく。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
茶の支度をしている朋子。
入ってくる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうしてむこうにいないんだ」
朋子「―――」
謙造「これからわたしと一緒に、やってくつもりなんだろ。そう思ったから、もどってきたんだろう」
朋子「―――」
謙造「――こっちにいなさい」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、引っぱるように連れてゆく。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
合掌している恒子。
杉男、竜二、しぐさのひとつひとつをじっとみつめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(終って)――ありがとうございました」
謙造「わざわざどうも――」
朋子「(頭を下げる)」
恒子「ずい分、急でいらしたんですねえ」
杉男「入院してるくせに、夜出かけたりするからだよ」
恒子「―――」
謙造「伜の不ざまな姿を見たくなかったんでしょう。公判がはじまれば、見たくなくっても、呼び捨ての名前が、新聞の――そうまん中じゃないにしても、のることは確かなんだ。ああいうタチだから、耐えられなかったんじゃないかな」
恒子「――申しわけございません」
謙造「別に、あんたが――そちらが、あやまるこたァないでしょう」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「では、これで――」
朋子「いま、お茶を」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、腰を浮かす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おかまいなく」
謙造「かえって御迷惑だろう。こちら――店一軒持っておいでだ。今の時間はああいう商売、かき入れでしょう」
恒子「もう、そろそろ、お仕舞いですけど」
朋子「(立とうとする)」
謙造「いいから――(ここにいなさい)」
恒子「あの――恐れ入りますが、ちょっとお手洗いを――」
朋子「あ、あ、どうぞ――そこ出た(教えかける)」
恒子「判っております」
[#ここで字下げ終わり]
一礼して、出てゆく。
竜二、失笑してしまう。おかしいから笑ったわけではない。この場のぎごちない息苦しさから解き放たれたかったのだ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「――そりゃそうだよな、もと居たとこだもの」
謙造「――竜二」
[#ここで字下げ終わり]
かすかに戸を開け、しめる音がする。しんとした夜の静寂の中のかすかな気配。
なんとも間の悪い奇妙なとき。
謙造、杉男、竜二、そして朋子。
謙造と朋子、供えられた紫の風呂敷が少し気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「なにか、お盛《も》りもの、いただいたのかしら」
謙造「うむ――」
竜二「お線香かなんかじゃないの」
朋子「………」
[#ここで字下げ終わり]
水を流す音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
戸の開閉のかすかな音。
恒子を期待するが、――それきり。
杉男、さりげなく立ってゆく。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
出てくる杉男、手洗いの方を気にしてハッとなる。
ギュウと床がきしむ音、階段の下にスリッパが脱いである。
階段の下から五段目あたりに、白足袋。喪服の恒子が立っている。
恒子、またギュウと床を鳴らす。
放心しているが、杉男に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お母さんが居た時と、おんなじ」
杉男「お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
笑いかけ、また鳴らす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ほらね、あんた小さい時、よくこやって(手をひろげてゆするようにする)あそんでたのよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ここで――。そうよ。七五三のお詣《まい》りの時に、紋つきはかまでここでふざけてて、おっこって――ここ(おでこ)に大きなコブつくったのよ。――お母さんが一生残るモンですからお願いしますって、写真屋さんにたのんで、おでこの傷、修正してもらったのよ、お父さんたら、バカ、そのままのコブの写真の方がよかったのに、余計なことするなって、お母さんにお小言――」
恒子、ハッとなる。
杉男のうしろに朋子が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――このところ、取り込み続きでお掃除がゆきとどいてないんですよ。足袋が汚れたんじゃないかしら」
恒子「――いいえ、大丈夫……」
[#ここで字下げ終わり]
階段をおりかけて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ここ、ギュウって鳴るのご存知でした」
朋子「――ええ、一日いっぺんは、その音、聞かないと、なんかへんなんですよ――でもねえ、はじめは気がつかなかったんですよ、それ、教えてくれたの、杉男さん――ね? あたしがおヨメにきて三月ぐらいたった時かしら『ここ鳴るんだよ、面白いよ』って――」
杉男「―――」
恒子「―――」
朋子「あの時の杉男さんの服装まで覚えてるわ、黒のビロードのズボンに白い衿《えり》のついたセーラー服みたいな」
恒子「金のバックルのついたよそゆき――あたしがデパートで三千八百円で買ったものだわ」
謙造「片桐さん」
[#ここで字下げ終わり]
立っている謙造、手に紫の風呂敷を持っている。
謙造のうしろに、竜二ものぞいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「これは、頂戴するわけにはいかないんだよ」
恒子「どうしてでしょう」
謙造「失礼だと思ったが、中身を改めさせていただいた」
朋子「(夫を見る)」
謙造「じいさんの株券と預金通帳だよ」
朋子「やっぱり……」
恒子「こちらこそ、いただくいわれがありません」
謙造「どうしてだ。じいさんは、あの晩、病院脱け出してあなたの店へ、これ、届けにいったんじゃないんですか」
恒子「――でも、一通の手紙と引き換えでは、いただき過ぎだわ」
謙造「手紙だけじゃない、そのほかいろんなものと引きかえに、これ差し上げたんじゃないのか」
恒子「いろんなものって、なんでしょう」
謙造「それは――わたしより、あなたご自身の方がご存知でしょう」
恒子「――失礼して――」
[#ここで字下げ終わり]
草履をはこうとする恒子。
立ちはだかるようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「あなたは黒沼の家とは縁を断った人間だ――もう、これっきりにして欲しい、じいさんもそれが言いたくて、これをあんたの所に持っていったんじゃないか」
恒子「申し上げにくいんですけど、――あの晩、おじいちゃま、普通じゃなかったわ」
謙造「普通じゃなかった――」
恒子「お体は弱っていらしてもおつむだけはしっかりしてらっしゃると思ってましたけど」
謙造「ボケてるようにみえましたか」
杉男「ウソだ!」
朋子「それじゃあ、おじいちゃま、あんまり可哀そうですよ」
恒子「おじゃま、いたしました」
[#ここで字下げ終わり]
出てゆく恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「待ちなさい! 待ちなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、下駄をはこうとして、モタついてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「杉男!」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、包みをひったくるようにして、飛び出してゆく。
見送る朋子。
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体](夜)
門のところで恒子にタックルするように追いつく杉男。
体ごと、門柱に母の体を押さえ込む。
恒子の頭のところに「黒沼謙造」の表札。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「みっともない真似するなよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、恒子の手に包みを握らせようとする。
恒子、涙を浮かべ子供のように嫌々をする。
ふりはらう恒子。
包みはほどけて株券や証券、通帳などが路上に散乱する。それを踏むようにして恒子、小走りにかけてゆく。
見送る杉男。
ドアがあいて、朋子、うしろに謙造、竜二の姿が浮び上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「あの人はお焼香に来たのではなかった。十三年前にすでに葬ったはずの、自分の過去に対面にやってきた。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]残していった未練な執着に、喪服を着て会いに来たのだ」
●門[#「門」はゴシック体](朝)
かっぽう着の朋子が、髪をかき上げながら出てくる。
生き生きとした感じ。
差し込まれた朝刊を抜き、牛乳ビンを抱えて、庭木戸から入ってゆく。
入りながら、くもの巣をはらったりしている。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
縁側から晴れやかな声をかけてしまう朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おじいちゃま、お早うございます!」
[#ここで字下げ終わり]
言いかけて、アッとなる。
パジャマ姿で青竹を踏んでいるのは杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(重光の声色で)『おはよう』」
朋子「―――」
杉男「(声色で)『わたしの敷布は、のりをきつめにたのむ』」
朋子「いやァよ、杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
泣き笑いになってしまう。
黒枠の重光。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「そっくりで、こわいみたい」
杉男「――十三年の習慣ってのは、急には直らないんだね」
朋子「(うなずく)冬でも、六時になると起きてここに坐ってらしたわ。おばあちゃまは、お弱かったせいね、いつもごはんギリギリまで休んでらしたけど――」
杉男「―――」
朋子「ここで、朝刊わたすと――」
[#ここで字下げ終わり]
二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男・朋子「(声色で)『おみおつけの実は、なんだい』」
[#ここで字下げ終わり]
二人笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――前の、お母さまの時も、そうだったの?」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、だまって、供えもののブドウを一粒とって、口に入れて出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(わざと明るくどなる)竜二さん! あなた! 起きて下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体]
ベッドで目をさまし、天井を見ている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「あなた! 竜二さん!」
[#ここで字下げ終わり]
朋子の声にダブッて、恒子の声が聞こえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「あなた! 杉男さん! 竜ちゃん! 早く起きてちょうだい」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体](朝)
ベッドでたばこをすっている恒子。
●イメージ・黒沼家・階段[#「イメージ・黒沼家・階段」はゴシック体]
ひっつめ髪に地味な和服、かっぽう着の恒子が、階段を急いでのぼってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あなた! 杉男ちゃん、竜ちゃん、早くしないと学校におくれるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
例の個所がギュウときしむ。
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体](朝)
恒子。
ギュウという音だけが聞こえてくる。
●黒沼家・階段[#「黒沼家・階段」はゴシック体](朝)
上ってゆくパジャマ姿の杉男。
足許《あしもと》でギュウときしむ音。
足がとまる。
牛乳ビンをかかえて通りかかった朋子。
動けない。
杉男、ギュウと鳴らす。
鳴らしてから、下にいる朋子に気づく。
目をそらし、上を見る。
立っている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「杉男さんが聞いているのは、階段のきしみではない。幼い日に聞いて耳に残っている母の声である。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]後から入った人間には、わりこむことのできない熱いものが、濃いものが、そこにあった」
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
のろのろしたしぐさで、ゴミを捨てている恒子。
髪にはクリップ。だらしのない身なりにサンダルばき。
●黒沼家・縁側[#「黒沼家・縁側」はゴシック体]
洗い上げた大量の洗濯ものがひるがえっている。
時子が来ている。
茶の支度をする朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「また盛大に洗ったもんねえ」
朋子「女がうちあけると、こうも汚れるもんかと思うわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ふと手をとめて、ガラスの汚れをみつける。
とんでいって、かっぽう着の裾で拭く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「風が出てきたし、夕方にはみんな乾くな」
時子「洗濯って、そんなにたのしいの」
朋子「キレイに洗うと、スキッとするじゃない」
時子「あたし、洗濯たのしいと思ったこと、いっぺんもないけど」
朋子「自分のものばかり洗っているからよ」
時子「――(茶をのむ)あれっきり?」
朋子「え?」
時子「前の奥さん」
朋子「うん」
時子「いい時来たなあ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いっぺん、顔見たいと思ってたんだ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ワルい趣味」
時子「ごたごたするようだったら、はなしつけて来てあげようか」
朋子「人のことよか自分でしょ。門倉さんとは、本当に別れたの?」
時子「近々、サヨナラ・パーティやるの。それで本当にバイバイ」
朋子「―――」
時子「なあにその顔」
朋子「男と女って、そうカンタンに別れられないのよっていう顔」
[#ここで字下げ終わり]
二人、茶をのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ご主人は?」
朋子「今日から出かけたわ、昨日までは、毎日そこで弁護士さんと打ち合わせしてたけど――」
時子「どうなの? 見通しは」
朋子「さあ。弁護士さんは、何とか無罪にもってゆくつもりらしいけど――」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
玉木専務にあいさつしている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「このたびの父の葬儀に際しましては過分のおこころざしをいただきまして」
玉木「いやいや、行き届かなくて、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
玉木、シガレット・ケースを出してすすめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(断りながら)いい話じゃなさそうですね」
玉木「カンがいいねえ、黒沼君」
謙造「取調室できたえましたからね、うっかりたばこをもらうと、あとロクなことはなかったですよ」
玉木「先手、打たれると言いづらいんだが――東和建材へ出向してもらえんかな」
謙造「――社をやめろということですか」
玉木「やめろとは言ってない、出向だ」
謙造「――同じことじゃないですか」
玉木「状況がよくないんだよ」
謙造「―――」
玉木「ヘタすると、くらいこむんじゃないかな」
謙造「実刑ですか」
玉木「まあ、せいぜい半年かそこらだと思うがね」
謙造「専務!」
玉木「わたしの意見じゃない、社の顧問弁護士の(言いかける)」
謙造「冗談じゃない、実刑だけは避けよう、無罪にもってゆくように出来るだけのことはする」
玉木「ああ、するつもりだ。君の愛社精神にこたえるために社長以下全力を」
謙造「それでしたら(言いかける)」
玉木「力には限界がある。万万一の時に、個人の思惑で贈賄をした人間を役員にして、何らの処置もしなかったでは会社の道義も問われることになる」
謙造「―――」
玉木「君が心から社の発展を思う気持でやったのなら我々の気持は判る筈だ」
謙造「決して、見殺しにはしない、今しばらく我慢してくれ、とつづくわけですな、みごとなもんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造の笑いは苦くひきつっている。
●街[#「街」はゴシック体](夕方)
ぼんやりと歩いている謙造。
前からくる子連れの若い女とぶつかりそうになる。
女はかなりの大きさのおなかの目立つマタニティドレス。
夫の若い男がかばう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
夫「あぶない!」
謙造「あどうも」
妻「――あら、朋子さんのご主人――黒沼さんじゃありません」
謙造「えっ」
妻「木之内です、同じ高校の、結婚式でお目にかかった……」
謙造「あ、朋子のお友達――」
妻「(夫にちょっと誇らしげに)黒沼さんよ。テレビや新聞で有名な――ほら」
夫「ああ――」
妻「朋子さん、元気ですか。気を落さずにがンばってって、そ言って下さい」
謙造「どうも――」
妻「オジちゃん、バイバイって――」
[#ここで字下げ終わり]
連れている三歳位の男の子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男の子「オジイちゃん、バイバイ」
妻「オジイちゃんじゃないでしょ、オジちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
苦笑してバイバイと手を振って歩き出す謙造。
ふり向く。
若い男、寄りそう。
おなかの大きな、若妻。
そして手を振る幼い子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「クラスメートか――」
[#ここで字下げ終わり]
苦いものがこみあげる。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
カウンターの恒子、びっくりする。
入ってくる謙造。
ソファのところで花をいけている泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いっぱい飲んだら、すぐ帰る」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、すわろうとして、泉に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「? あんた、どうして……」
泉「アルバイトなんです」
恒子「およしなさいって言ったんですけどね」
泉「――あたし、たばこ買ってきます」
謙造「たばこならある、ここに――いなさい」
[#ここで字下げ終わり]
泉、はずさなくていいんですかという感じで、恒子の顔を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「なんかあったんですか」
謙造「いや、別に、葬式出してくたびれてるだけだろ」
恒子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
三人、黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「この店は、音楽は、ないのか」
恒子「ええ」
謙造「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・廊下[#「黒沼家・廊下」はゴシック体]
古ぼけたピアノでたどたどしくソナチネを弾く朋子。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
黙って、酒を飲む謙造。恒子、泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「これ、いっぱい飲んだら帰る」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話鳴る
泉がとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ブーメランでございます」
竜二(声)「今晩、どっかで逢えないかな」
泉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●街・公衆電話[#「街・公衆電話」はゴシック体](夜)
かけている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「失礼します」
[#ここで字下げ終わり]
切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男さんじゃないの?」
泉「いえ」
恒子「そう、なんか声が似てたみたいだけど」
泉「別の人ですよ」
謙造「なかなか世の中、うまくいかないもんだねえ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、泉を、苦くやわらかい視線で眺める。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「もう、あきらめました」
謙造「そりゃ早い。あきらめるのは、わたしぐらいの年になってからでいい――」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体](夜)
しばらくそのまま切れた受話器をもっている竜二。
●黒沼家・杉男の部屋[#「黒沼家・杉男の部屋」はゴシック体](夜)
ピアノのソナチネが聞こえてくる。
リポートを書いている杉男。ピアノがとだえる。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
灰皿をもってくる朋子。
ピアノはフタのあいたまま、しかし、謙造の姿はない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――あなた……」
[#ここで字下げ終わり]
●杉男の部屋[#「杉男の部屋」はゴシック体](夜)
謙造、杉男のうしろにいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「どしたの、珍しいじゃない」
[#ここで字下げ終わり]
本などさわって、立っている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「見合いのはなしならオレ」
謙造「そんなんじゃない。――女房を選ぶなら、年のあまり違わないのにしろって言いに来たんだよ」
杉男「よっぱらってンじゃないの」
謙造「男っていうのは酔った方が本心をいうことがあるんだ」
杉男「―――」
謙造「なまじ年が違いすぎると、何かコトがあった時、巻きぞえにしちゃ可哀そうだ、なんて仏心が起るからな」
杉男「――向うがそれでいいっていうんなら、いいじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「男っていうのは、コンプレックスと一緒には暮せないんだよ」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
朋子。
小型テレビのチャンネルを廻す。
「ディスコ」の風景。ちょっと見て次を廻す。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
カウンターに、時子と門倉が並んでいる。時子はかなり酔っている。
カウンターの中で恒子。
帰り支度のバーテン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
バーテン「(さりげなく)ママ、お先――」
恒子「お疲れさま」
[#ここで字下げ終わり]
バーテン、そっと帰ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「帰ろう。もう、看板だよ」
時子「―――」
門倉「迷惑だよ。出よう」
恒子「――も少し、いらして下さいな」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、二人のグラスにウイスキーをつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「あ、もう(手で断わる)」
恒子「あたくしのおごり」
[#ここで字下げ終わり]
手をのばして、スイッチをひねる。
暗くなる店内。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「―――」
恒子「――ゆうべは、失礼致しました」
時子「あ――」
恒子「―――」
時子「知ってらしたんですか」
恒子「入ってらした時、あ、あの時、玄関から出てらした方だな――すぐ、判りました」
時子「―――」
恒子「あの方のお友達でしょ」
門倉「(時子に)ママの方が役者が上だな」
恒子「どうぞ。あたくしも――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、自分もつぐ。
二人、グラスに口をつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「朋子に頼まれて来たんじゃないんです。あたしの一存で――どんなかたか、おはなし、いろいろ聞いてるもんで――すごく興味っていうか――あの」
門倉「彼女、ママに、別れ方のコツをおそわりに来たんじゃないかな」
恒子「別れ方のコツですか」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、並んだ二人を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「―――」
門倉「―――」
恒子「フフフ、教える資格はないわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、ぐっと飲む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「自分でも納得して、キッパリ別れたつもりでいるでしょ。思い切って遠くの土地へ行って、新しい仕事はじめて――昔の暮し、すっかり忘れたつもりでいるでしょ。そうはいかないのよ。体の中に残ってるのよ」
時子「―――」
門倉「―――」
恒子「古くなったカンヅメ、あけたこと、おありになる?」
門倉「古くなると、カンが、こう、ふくれてきて、カン切り、こうやると、物凄《ものすご》い勢いでプシュー」
恒子「それと同じ、十年たったからもういいだろう、十三年たったからもう大丈夫だろ。フフ。大間違い。無理して押さえこんでた分だけ――」
門倉「中で発酵したのかな」
恒子「謙造が保釈で出てきた時、あたし、夢を見たんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ・ホワイト・スクリーン[#「イメージ・ホワイト・スクリーン」はゴシック体]
遍路姿の謙造と恒子が歩いてゆく。
同行二人の菅笠。手甲《てつこう》、脚絆《きやはん》、草鞋《わらじ》でさんや袋をさげ、数珠と鈴を持って、金剛杖《こんごうづえ》をついて、黙々と歩いてゆく。
鈴の音だけがひびく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子(声)「夢の中で、しあわせだったでしょう」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子(声)「体が、とけるみたいだったでしょう」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
目がうるんで、小さくあえいでいる恒子。
同じたかぶりの中にいる時子。
二人の女を交互にみつめ、大きく吐息をつく門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「昼間はいいのよ。夕方がいけないの。日が暮れて、あたりが暗くなって、昔だったら、豆腐屋さんのラッパが聞こえてくるあの時間が、買物かごさげた主婦で八百屋や魚屋のごったがえすあの時間が、一番アブないのよ」
時子「―――」
恒子「今迄《いままで》、六切れ買ってたお魚が突然一切れになるのよ。うっかり、そのブリ六切れ頂戴って言いかけて――やだ、あたし、何言ってンのかしらって笑いながら、急に、涙が――」
時子「あたしは、ずっと一切れだったわ。二切れになったのは、たったの半年」
門倉「―――」
時子「また一切れにもどるのよ」
恒子「――お魚なんか買わないことよ。夕方は、一人でおもてなんか歩かないことよ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、時子のグラスにぶっつけてぐっとのむ。
F・O
●黒沼家[#「黒沼家」はゴシック体]
洗濯ものを取りこむ朋子。シーツに霧を吹き、アイロンをかける朋子。
玄関で謙造の大きな靴を磨く朋子。
ふと思いついて、靴をはいてみる。
SE ギュウときしむ音
ハッとして階段を見上げる。
誰もいない。
SE 豆腐屋のラッパ
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
カウンターの恒子。
ステンド・グラスからさしこむ夕陽。
豆腐屋のラッパが聞こえてくる。
市場のざわめきもダブってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男(声)「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、奥さん、今日はブリ安いよお買い得だよ!」
恒子(声)「じゃあ、ブリ六切れ頂戴!」
[#ここで字下げ終わり]
ハッとなる恒子。
●黒沼家・台所[#「黒沼家・台所」はゴシック体](夕方)
刻みものをしている朋子。
竜二が水をのみにくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「珍しいじゃないの。竜二さんが晩ごはんに間に合うように帰るなんて」
竜二「だってさ、おやじさん、参ってるから、なるべく一緒にメシ食ってくれって――(お母さんが)そういうからさ」
朋子「ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
入ってくる杉男。
うしろから、刻みかけのキュウリをとって、つまみ食い。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「杉男ちゃん。お母さんが包丁使ってる時、手を出したらアブないでしょ!」
[#ここで字下げ終わり]
また声が聞こえてくる。
●街[#「街」はゴシック体](夕方)
買物かごを手に歩く恒子。
夕方の買物の主婦にまじって放心して歩いてゆく。
八百屋、魚屋の呼び声。
小さい子供を連れた主婦とぶつかる恒子。
魚屋の呼び声。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
謙造にビールをつぐ朋子。
杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃんとこ、ポカッとあいてる感じだね」
竜二「変えりゃいいじゃない、ならび方」
謙造「当分、このままでいいよ」
朋子「急に変えたら、おじいちゃま、さびしいわよ」
竜二「そうか。そうだな」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、ひと口、ハシをつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(どうですか、という感じで口許をみる)」
謙造「こりゃ、うまいや」
竜二「刑務所ってのもひとつぐらい、いいことあるね。出てきたら食べものの文句、言わなくなったもんな」
杉男「バカ」
謙造「この野郎。言いにくいこと、よくはっきり言うね」
朋子「親子ですもの、いいじゃないの」
杉男「あっ、本当、うまいや――」
[#ここで字下げ終わり]
SE ガタンと戸が開く音
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら――」
三人「―――」
朋子「誰か来たんじゃない?」
三人「え?」
朋子「お勝手の戸、あいたみたい」
杉男「気のせいだろ」
謙造「そういうの『空耳』っていうんだ」
竜二「ソラミミってどういう字書くの」
杉男「なんだ、お前、知らないのか」
謙造「空――(上を指す)の耳」
竜二「ああ、――空か――」
謙造「どうしたんだい、朋子」
[#ここで字下げ終わり]
杉男と謙造、アッと凍りつく。
ハッチの向うに、買物かごをさげた恒子が、放心して立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(鋭く)お母さん!」
[#ここで字下げ終わり]
立って、うしろを見て、立ちすくむ朋子――。
[#改ページ]
12
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体]
夕食、謙造にビールをつぐ朋子。杉男、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃんとこ、ポカッとあいてる感じだね」
竜二「変えりゃいいじゃない、ならび方」
謙造「当分、このままでいいよ」
朋子「急に変えたら、おじいちゃま、さびしいわよ」
竜二「そうか、そうだな」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、ひと口、ハシをつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(どうですか、という感じで口許を見る)」
謙造「こりゃ、うまいや」
竜二「刑務所ってのもひとつぐらい、いいことあるね。出て来たら食べものの文句、言わなくなったもんな」
杉男「バカ」
謙造「この野郎。言いにくいこと、よくはっきり言うね」
朋子「親子ですもの、いいじゃないの」
杉男「あっ、本当、うまいや――」
[#ここで字下げ終わり]
SE ガタンと戸が開く音
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あら――」
三人「―――」
朋子「誰か来たんじゃない?」
三人「え?」
朋子「お勝手の戸、あいたみたい」
杉男「気のせいだろ」
謙造「そういうの『空耳』っていうんだ」
竜二「ソラミミってどういう字かくの」
杉男「なんだ、お前、知らないのか」
謙造「空――(上を指す)の耳」
竜二「ああ、――空か――」
謙造「どうしたんだい、朋子」
[#ここで字下げ終わり]
杉男と謙造、アッと凍りつく。
ハッチの向うに、買物かごをさげた恒子が、放心して立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(鋭く)お母さん!」
[#ここで字下げ終わり]
立って、うしろをみて、立ちすくむ朋子――。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(何か言いかけ、言葉をのむ)」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、ハッと気づく。
アッと声にならない叫びをあげ、身をひるがえして出ようとするが、立ちどまってひきつった笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「やだわ、あたし――どうして、――どうしてこんなとこ入ってきたのかしら。やだ、やだわ」
謙造「なにか――」
朋子「……ご用件でしょうか」
恒子「さ、さ、裁判の、ことで……」
謙造「裁判?」
恒子「玄関から、ちゃんと伺うつもりでいたのに……そこの角曲ったら、つい、昔の癖が出たのかしら。フラフラっと、お勝手から……気がついたら、ここにいるの」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、台所へかけこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「そんな……言いわけにならないよ(小さく恒子に)自分の立場考えたら、こんな非常識な真似……」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、体で押し出そうとするが、恒子居間の方へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「でも、裁判のことで、ぜひ、打ち合わせをしといた方が(居間の謙造に訴えかける)」
謙造「そんな必要はないんじゃないですか」
恒子「でも、公判がはじまったら、私も参考人として、呼ばれるはずで、今のうちに」
謙造「その時は、弁護士を通して、キチンとした話し合いを」
恒子「第三者が間に入ったら、話しづらいこともあるんじゃないですか」
謙造「どうしてですか、ほかの人間じゃない、弁護士なんだ、話しづらいことはなにも……必要があれば、弁護士を通して連絡しますから」
恒子「(口の中で)失礼いたしました」
朋子「待って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、謙造に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お話し合い、あるんなら、うちで(奥の部屋)していただきたいわ」
謙造「……朋子」
朋子「そのほうが、あたし……お願いします」
謙造「………」
杉男「………」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、とび出して、恒子の手をひっぱるようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あ、……恐れ入りますが」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、恒子の前に。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お玄関からどうぞ」
恒子「?」
恒子「………」
朋子「お手数《てかず》でも、お玄関からお廻り下さいって……竜二さん」
竜二「いっぺん上ったもの、また入り直すこと……ないじゃないか……」
朋子「でも……お勝手は、あたしが、買物かごさげて、出入りするとこですもの……」
恒子「………」
朋子「お客様を、お勝手からお入れするなんて……失礼よ」
恒子「………」
[#ここで字下げ終わり]
朋子と恒子の視線が、火花を散らす。
謙造も杉男も口をはさめないものがある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(にこやかに恒子に微笑《ほほえ》みかける)どうぞ……いま、お玄関をあけますから」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、出ていく。
その背中に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん、おじいちゃまの部屋、電気つけて……お仏壇の戸、あけといて頂だい。お線香の新しい箱、あ、あとであたしやるわ」
[#ここで字下げ終わり]
言いながら朋子、玄関に。
追いすがる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「わざわざ上げることはないだろう、このまま帰した方が……第一、弁護士もいないとこで話したって……おい、朋子」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、答えず玄関へ。
見送る杉男、竜二。
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体](夜)
屈辱に顔をこわばらせて出てゆきかける恒子。
ドアが開いて、朋子が……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どうぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、入っていく。
ドアが閉まる。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
坐っている杉男。
立ってウロウロしている竜二。
重光の部屋の方を気にして行きかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「ここにいろ」
竜二「だって……」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、行きかける。
杉男、押しつけて坐らせる。
カネの音。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
重光の写真に合掌している恒子。うしろに謙造と朋子。
謙造は、たばこに火をつける。
恒子、供えてあるブドウを見て、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじいちゃま、ぶどうより柿の方がお好きじゃなかったかしら」
朋子「でも、この二、三年は、柿は冷えるとおっしゃって……ぶどう召し上っていらしたわ。ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造に同意を求める感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「え? うむ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、向き直る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おまいりいただいて、有難うございました」
恒子「………」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、あたりを見廻して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「この部屋だけはちっとも変らないわねえ、わたしのいた頃とおんなじ、ほかは、ずい分変ったみたいだけど」
謙造「十三年も経てば、うちも、人間も変って当然でしょう」
恒子「……変らないものもありますけど……」
謙造「公判の打ち合わせと言われたようですが、一日一刻を争うようなことですか」
恒子「……(あの)」
謙造「そうでなければ、後日、改めて弁護士立ち合いのもとで」
朋子「あなた、あたしからお願いしたいことがあったんです。それで、お引きとめしたんですから」
謙造「………」
恒子「………」
朋子「おじいちゃまのお骨は、近いうちに日を選んでお寺の方に……納骨しにゆくつもりでおります、それで……」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、にこやかだが、ハッキリと恒子を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「こちらへおまいりにみえていただくのは、これでおしまいにしていただけませんか」
謙造「念を押すまでもないよ、そのくらい(言いかける)」
恒子「四谷の明仙寺《みようせんじ》だったわねえ」
朋子「杉男さんや竜二さんとお逢《あ》いになるんでしたら、どうか外で」
恒子「明仙寺の住職さん、息子さんの代じゃなかったかしら」
朋子「あなたがまだこのうちにいらっしゃる時分に、わたしと謙造が知り合ったのでしたら、まだまだはなしは判ります。でも、あたし、謙造とはじめて逢ったの、あなたがお出になってから半年あとですよ」
恒子「ゴルフ場におつとめだったんですって? キャディさん?」
朋子 )「事務です」
謙造  「経理だよ」
朋子「事情があって、前の方はうちを出られたけれど、ハッキリと、納得して縁を断たれた、そう伺って、このうちに入りました。それから十三年間あたくし」
恒子「あ、灰……」
[#ここで字下げ終わり]
謙造のたばこの灰が落ちそうになっている。恒子、線香立てを取って、謙造の方へ差し出す。朋子が受け取る。
謙造「あ、いや(大丈夫だから)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなたが、もし私の立場でしたら」
恒子「(にっこりして)わたくし、人のあとには入りません」
朋子「………」
謙造「朋子、灰皿、持って来なさい(この人には)私から、ハッキリ」
朋子「ご自分で……(取っていらして下さい)二人だけで(話させて下さい)」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、ためらうが、朋子の強い視線に追い立てられるように立って、たばこの灰のあとを気にしながら出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「……うしろ姿も、年とるのねえ」
朋子「………」
恒子「謙造ですよ、背中のあたりが」
朋子「……そういうおっしゃり方は、もう、なさってはいけないんじゃありません?」
恒子「あら? どうしてでしょう」
朋子「もう、アカの他人の筈《はず》です」
恒子「他人でなかった頃の名前で呼んではいけないのかしら」
朋子「遠慮なさるのが当然だと思いますけど」
恒子「あなた、お若いのねえ」
朋子「(何か言いかける)」
恒子「子供達のことも、杉男、竜二って、呼び捨てにしてはいけないんですか」
朋子「杉男さん達のこと、言ってはおりません。主人のことを」
恒子「……主人……」
朋子「………」
恒子「あたしも、心の中では、主人て呼んでるのかな……」
朋子「片桐さん(言いかける)」
恒子「気持の中でなんて呼ぼうと、あなたにご迷惑はかけないんじゃありません」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、絶句する。
不意に、恒子が両手で顔をおおう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「ああやだ。やだやだ」
朋子「………」
恒子「みっともないわねえ、あなた、笑ってらっしゃるんでしょ」
朋子「笑ってなんかいません、でも、困っているんです」
恒子「ごめんなさいね、あたし、自分でも、こんなことする女だなんて今の今まで思ってもみなかった」
朋子「………」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
貧乏ゆすりをしている謙造。
気にしている杉男。
二つのカップにコーヒーをいれている竜二。
持ってゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「出すこと、ない」
竜二「お茶いっぱい出さないで、追い返すことないだろ」
杉男「オレ、持ってく」
謙造「持ってくなら……(オレ、と言いかけて、お前いけ、というジェスチュア)」
竜二「あ、サトウ」
[#ここで字下げ終わり]
取りに行ったりしている。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
ショールを引きよせ、帰り支度の恒子。
朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「おじゃまをいたしました」
朋子「おかまいもいたしませんで」
恒子「公判、いつなんでしょう」
朋子「さあ……」
恒子「有罪になるとよろしいけど」
朋子「ええ(耳を疑う)」
恒子「え? あら、わたし……無罪っていうつもりで……」
朋子「あたくし、有罪になってもおどろかないつもりです、いっそサバサバして、新規巻き返しだって」
恒子「そうねえ、まだお若いんですもの、これから結婚だってなんだって」
朋子「え?」
恒子「あら、御存知なかったんですか?」
朋子「(なんでしょう)」
恒子「無罪になったら、黒沼へもどる。有罪になったら……罪をつぐなってから……お前と二人でお遍路の旅に出よう」
朋子「誰がそんなこと……」
恒子「謙造が……」
朋子「いい加減なこと言わないで下さい。あの人がそんなこというわけ……」
恒子「フフフフ」
朋子「いつ、どこで言ったんです」
恒子「ゆうべ、あたしの店で」
朋子「嘘《うそ》です!」
恒子「……白い着物きて、六根清浄《ろつこんしようじよう》。八十八の札所、一緒に廻ろうなって」
朋子「お酒の上の冗談(言いかける)」
恒子「謙造はベッドの中で、冗談言わない人よ」
朋子「………」
[#ここで字下げ終わり]
朋子が小さく叫んだのと同時に、いきなり障子に褐色のものがとび散り、瀬戸物の割れる音。
廊下で、コーヒー茶碗を盆から落し、呆然《ぼうぜん》と立ちすくむ杉男。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
重光の部屋の方から物音、瀬戸物のこわれる音。
とび出す竜二を突き飛ばすようにして、スリッパを飛ばして、出てゆく謙造。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
かけ込む謙造、うしろから竜二、縁側に飛び散るコーヒー・カップの破片。障子に残る褐色の飛沫《しぶき》のあと。
立ちつくす杉男。
帰ろうとする恒子につめ寄っている朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「待って下さい」
恒子「おじゃましました」
朋子「待って!」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、謙造に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ゆうべ、ブーメランにいらしたんですか」
謙造「――聞いたのか」
朋子「本当なのね」
謙造「言いわけになるが、会社で不愉快なことがあって、それでつい足が向いて」
朋子「あなた(言いかける)」
恒子「およしなさい、子供の前で――」
朋子「二人とも、はずして頂戴」
恒子「失礼しました」
朋子「待って下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、杉男を突きのけ、朋子をふりはらい、竜二の横をすりぬけて玄関へ。
謙造、追いかけようとして、コーヒー・カップの破片を踏んだらしく、小さく叫んで立往生。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「お母さん!」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、竜二の手を強く引っぱる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「そこまで一緒に行こ」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の道[#「夜の道」はゴシック体]
歩いてゆく恒子。竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「ねえ、どしたの。ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、答えず、どんどん歩く。
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
白い道を遍路姿の謙造と恒子が歩いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「六根清浄」
謙造(声)「六根清浄」
[#ここで字下げ終わり]
杖についているカネの輪がなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「六根清浄」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、ふり向く。
謙造の姿は、いつの間にか遍路姿の竜二になっている。
恒子、おどろいてキョロキョロする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どうしたんだよ。ねえ、お母さん」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の道[#「夜の道」はゴシック体]
ハッとなる恒子、竜二が恒子の体をゆさぶるようにしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「お母さん!」
恒子「え? あら、お父さん」
竜二「お父さん?」
恒子「お父さん、(小さく)どこ行ったのかしら」
竜二「え?」
[#ここで字下げ終わり]
ヘンな顔で母親を見る竜二。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
障子の大きなしみ、縁側で、コーヒー・カップの破片を片づけ、縁側を拭いている朋子。たかぶるものを押さえて拭いている。部屋の中では、謙造が足を消毒している。
救急箱をあけて、手伝っている杉男。三人とも、何も言わない。
障子の大きなしみ。
朋子、手がすべって、大きな破片を取り落す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「不、不器用な奴だな、お前って奴は、この間、ふすまはりかえたばっかりだってのに――そんなことで、よく医者がつとまるな」
杉男「―――」
謙造「そうか、麻酔医ってのは、『切った、はった』やるわけじゃないからいいのか」
杉男「―――」
朋子「―――」
謙造「第一、コーヒーなんか出すこたァないよ。今後もし来たら上げることないから。どうかしてるよ」
[#ここで字下げ終わり]
ガタンと烈しく音を立てて、救急箱のフタを閉じる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「どうかしてるのは、そっちじゃないか」
謙造「―――」
朋子「―――」
謙造「――言わなかったのは、悪かったけどね。一パイ飲みに行っただけなんだよ」
杉男「キレイな口、利くなよ」
謙造「――おい――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、出てゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「待て! 何だその言い草は。何だその目つきは!」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、日常のたまったウップンを杉男にぶつけてしまう。
胸倉をとって小突き廻す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「医者ってのは、そんなに偉いのか! 人間の心の弱味ってのが判らないのか。やり切れなくなって、一パイの酒を飲みに行っただけだぞ。それが」
杉男「それだけじゃないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
吐きすてるように言って、出てゆこうとする杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どういうイミだ」
朋子・杉男「―――」
謙造「どうして言わない。朋子!」
朋子「子供の前で言ってもいいんですか」
謙造「ああ」
朋子「杉男さん、ここにいて頂戴」
杉男「―――」
朋子「あなた。もし、有罪になったら、どうなさるの」
謙造「そんなことがないように、弁護士と協議してるんじゃないか」
朋子「それでも有罪になったら」
謙造「東和建材に出向ということになるだろうが、食うに困ることは(言いかける)」
朋子「あの方とお遍路の旅にゆかれるんじゃないんですか」
謙造「遍路? あの、白い着物きて、廻る、アレか?」
朋子「―――」
謙造「なんでオレが。第一、オレは、神も仏も――(笑ってしまう)」
朋子「笑いごとかしら」
謙造「(笑いながら)誰がそんなこと――」
朋子「あの方、言ってたわ。『謙造はベッドの中で、冗談言わない人よ』って――」
[#ここで字下げ終わり]
居たたまれず出てゆく杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「ベッド――何をいってるんだ!」
[#ここで字下げ終わり]
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
じっと庭の闇をみつめる杉男。
重光の部屋の方から声高に言い合う声が聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「バカバカしくてはなしにもならないよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、言い争いながら来る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「子供のけんかじゃないんですよ。根も葉もないこと、言うわけないでしょ」
謙造「おい、杉男! お前の知っている、あのほら、なんてったかな、女の子、お前のつきあってたあの女だ」
杉男「――泉さん?」
謙造「そうだ、泉さん――あの人、すぐここへ呼べ!」
杉男「?」
謙造「わたしがブーメランへいった時、あの子がいたんだよ。わたしが入ってったら、たばこ買いにいくって席外そうとしたの、オレがとめたんだ。ここにいなさい、一ぱいのんだらすぐ帰るって」
朋子「―――」
杉男「―――」
謙造「オレのいる間、あの子は、ずっといたんだよ」
杉男・朋子「―――」
謙造「なに、ぼんやりしてンだ。早く電話――くるのがなんなら電話でいい。早く」
朋子「杉男さん――(もう、いいの)」
杉男「―――」
朋子「――わかりました。嘘なのね」
謙造「――オレは、――そこまでいい加減な男じゃないよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、立って居間へゆき、ついであったビールをぐっとのみ干す。やり切れない。残る朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「(呟《つぶや》く)――嘘だとしたら――なんだってこんな――見えすいたすぐバレるようなウソつくんだろう……」
朋子「未練があるのよ、執着があるのよ」
杉男「―――」
朋子「――こわいわ……」
杉男「―――」
朋子「こわい……」
杉男「―――」
杉男(N)「やりきれなさ、腹立たしさ、申し訳なさと一緒に、やはり恐ろしさがあった。何か気になる不安定なもの、目を離せないものを――おふくろの中に感じたせいかもしれない」
[#ここで字下げ終わり]
●パチンコ店[#「パチンコ店」はゴシック体]
あまり流行《はや》っていないさびれた店。
レコードだけが騒々しいが、客はまばら、恒子と竜二が並んで坐っている。
竜二は、すでに玉を全部使ってしまってカラ。
恒子、ラストの玉が、ゆっくりと落ちてゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「アウト! さ、いこ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、竜二の腕を押さえる。
タマはないのにバネをはじく。
まるでタマが、ぐるぐる廻って落ちてゆくように目で追いながら――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「よく来たのよ、お父さんと二人で、おじいちゃまも、おばあちゃまも、昔気質の、キチッとした方だったでしょ、新婚だっていうのに、うちの中じゃ、手も握れないんだもの。お父さん、本買いにゆくとかなんとか用作っちゃ、お母さんさそって、その頃、パチンコ屋はやりはじめでね。二人でならんで――杉男がおなかにいた時も――あたしはこっち側で、お父さんはこっち側、入らないときはいいんだけど、入ると困ってねえ。賞品もって帰るとおじいちゃまたちにバレちゃうでしょ。フフフ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お母さんの方がうまくて、よくたばこなんか――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「もう、帰ろうよ」
恒子「お父さん、あの頃、たばこは『光』のんでた、一日、二十本――」
竜二「オレ、帰る」
恒子「ここは昔からあるのよ。角のキンギン・ホールの方が入るんだけど、お父さんもお母さんもここの方が落着いて好きだったわ。ここでならんでパチンコしてると、あたしたち、夫婦なんだなって――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、すっと立って少し気にしながら出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
[#1字下げ]恒子「――ね、たばこもいいけど、今日はヨウカンにしない。大丈夫よ。帰りに二人で、食べながら、歩きたい――暗いから大丈夫よォ……」
[#ここで字下げ終わり]
隣りに甘えている恒子。
●夜の街[#「夜の街」はゴシック体]
竜二、少し歩いて、やはり気になる。
立ちどまり、Uターン。
●パチンコ屋[#「パチンコ屋」はゴシック体](夜)
客のまばらな店内。
さっきの席をのぞく竜二。
恒子の姿はもうない。紅のついたたばこの吸いがらがいっぱいにたまっている。
おぞましそうにみつめ、少し立っている竜二。
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
ベッドにねている泉。
予感がして、電話機を見る泉。
ベルが鳴る。
すぐにはゆかず、少し待って、飛びつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「泉です――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あ、杉男さん」
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
夕食後、ライトを落した部屋で、あたりをはばかる感じで電話している杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「ちょっと話したいことあってね。――逢えないかな」
[#ここで字下げ終わり]
縁側の方から湯上りの朋子が入りかけて足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「大したことじゃないんだけど、聞きたいことがあるんだ――」
[#ここで字下げ終わり]
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「今、すぐじゃダメ?」
杉男(声)「これから?」
泉「診察してもらいたいの。フフ。冗談よ。カゼひいてねてるの。おクスリいただきたいの」
杉男(声)「カゼなら、あったかくしてねてるのが一番いいんだよ」
泉「おねがい、どこで待ってたらいい?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体](夜)
靴をはいている杉男。
朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「こんな時間に病院?」
杉男「ちょっと気になるクランケ、いるから」
朋子「いってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
外出着の泉。口紅をつけている。
電話が鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――泉です――竜二さん」
[#ここで字下げ終わり]
●電話ボックス[#「電話ボックス」はゴシック体](夜)
電話している竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「元気?」
[#ここで字下げ終わり]
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
泉、ブラシをかけたりしながら、電話。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ううん、元気じゃない。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]かぜひいてる」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二(声)「熱あるの」
泉「大したことないけど、食欲ないの」
竜二(声)「見舞いにいくよ」
泉「ううん、いい。パジャマ着てねてるから」
竜二(声)「富士見荘だったよね、何号室だっけ」
泉「ねてるから――。ほんとに来ないで」
[#ここで字下げ終わり]
ブラシをかけながら電話を切る。
●医局[#「医局」はゴシック体](夜)
杉男にクスリをもらっている泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じゃあ――おやじさん、すぐ帰ったわけ?」
泉「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・「ブーメラン」[#「回想・「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
カウンターの恒子。ソファのところで、花をいけている泉。入ってくる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いっぱい飲んだら、すぐ帰る」
泉「――あたし、たばこ買ってきます」
謙造「たばこならある。ここに――いなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●医局[#「医局」はゴシック体](夜)
杉男、泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「本当に、水割りいっぱいのんで帰ったわ」
杉男「―――」
泉「時間にして、三十分――二十分ぐらいかな」
杉男「―――」
泉「どして、そんなこと聞くの」
杉男「いや、別にどうってことじゃないんだけど」
泉「――お母さんと、ヨリもどしたんじゃないかって、気にしてんじゃないの」
杉男「―――」
泉「それは大丈夫。あたし、ずっと一緒だったもの」
[#ここで字下げ終わり]
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
ドアの前で、ノックをする竜二。手には紙袋、烈しく叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「泉さん!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]泉さん!
[#1字下げ]具合悪いんじゃないの?
[#1字下げ]泉さん!」
となりの部屋で赤ん坊が泣く。
ドアから、若い主婦が顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
主婦「留守なんじゃないの? (小さく)何時だと思ってんのよ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・階段[#「黒沼家・階段」はゴシック体](夜)
パジャマ姿の謙造が上ってゆく。
あとから、朋子もついて上る。朋子の足が、ギュウときしむところを踏む。
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体](夜)
葬式の夜、喪服で階段のきしむところを踏んでいた恒子の姿。
●黒沼家・階段[#「黒沼家・階段」はゴシック体](夜)
朋子の足がとまる。ハッとなる謙造。
電話のベル。ギクリとする二人。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
電話をとる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます――杉男さん――(ホッとする)」
[#ここで字下げ終わり]
うしろから謙造。
●医局[#「医局」はゴシック体](夜)
杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「泉さん、同じこと言ってたよ、おやじさん、水割りいっぱいのんだだけで帰ったって、その間ずっと、泉さん、一緒だったって」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
朋子、謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――今晩は、泊り? おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体](夜)
帰ってゆく泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉(声)「杉男さん、なんであたしにそんなこと聞くの? もしなんかあったら、新しいお母さんが可哀そうだって思ってるんでしょう?
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]杉男さん、一体どっちのお母さんの味方なの?
[#1字下げ]生んでくれたお母さん、かわいそうだと思わないの?
[#1字下げ]やっぱり、若いお母さんの方が好きなんじゃないの?」
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
帰ってくる泉。
ハッとなる。
ドアの前に大きな紙袋。グレープフルーツや牛乳のパックなどがのぞいている。
●医局[#「医局」はゴシック体](夜)
ふと手を休める杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「おふくろは今、何をしているんだろう。はしたないことをしてしまった自己嫌悪で酔いつぶれているのか、それともわざとはしゃいで笑っているのか」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体](夜)
「本日休業」の札が出ているのに、あかりがついている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
いつものように着物を着がえ、ちゃんと化粧をしてカウンターでグラスを拭く恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「どっちにしても、おふくろはときどき、あの階段のきしみを聞いているのではないか」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・階段[#「黒沼家・階段」はゴシック体](夜)
ひとりで上ってゆく恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(N)「その度に、心の立てつけがゆがんでくるのではないか」
[#ここで字下げ終わり]
●医局[#「医局」はゴシック体]
杉男――
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体](朝)
出かけてゆく竜二。
老いた大工のトメさんが箱を持って入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
トメ「おはようござんす」
竜二「トメさん珍しいじゃない」
トメ「なんか直しあっからすぐ来てくれってね」
竜二「どこだろ、直しって」
トメ「坊ちゃんよ、アルバイトばっかしてっと、また大学落っこちるぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●階段[#「階段」はゴシック体]
朋子とトメ。
トメ、例のきしむところにのって、やってみている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
トメ「うちも人間と同じでね、古くなりゃ、あっちこっちがギシギシしてくるって」
朋子「気になって、嫌なのよ、なんとか直らないかしら」
トメ「直して直んないこともないけどね」
[#ここで字下げ終わり]
杉男が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「直すの?」
朋子「いや? 杉男さん、直さない方がいい?」
杉男「直した方がいいよ」
朋子「子供の頃からそこ鳴ってたでしょ。思い出があるらしいから」
トメ「そういやあ、前の奥さんも――あ――いけね」
[#ここで字下げ終わり]
トメさん、あわてる、ちょうど出てきた謙造に――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
トメ「旦那、おはようござんす」
謙造「よォ! トメさん、元気そうじゃないか」
トメ「いやあ、旦那も、いい顔色だよ。ヘタすっと、こっちの方が刑務所帰り――あ、オレ、どして、こう口に毒があンのか」
謙造「仕事は口でするんじゃないんだから」
トメ「それにしても、派手に出たねえ。うちのカカアなんざ、新聞ふり廻してさ、『うちのトオちゃん、五十年越しのお出入だよ』なんて、自慢してやがる」
朋子「こんどは、なんかいいことして出ないと――トメさんの肩身狭いわねえ」
トメ「なあに、悪に強けりゃ善にも強いっていうから――あ、また言ってやがら」
[#ここで字下げ終わり]
仕方なくみんな笑っている。杉男、笑いながら階段を上ってゆく。
SE 電話が鳴る
●居間[#「居間」はゴシック体]
朋子が出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます。あ、洋子さん」
[#ここで字下げ終わり]
うしろに謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さんですか。ちょっとお待ち下さい」
[#ここで字下げ終わり]
謙造が電話をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「杉男です」
朋子「あなた」
謙造「ハハハハ。父子《おやこ》ってのは、声が似てるでしょう。洋子さんも一瞬、間違えたんじゃないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
向うも笑っているらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「デイトのお誘いですか。え? カンがいいでしょう。父子だから、パッと判るんですよ。場所と時間、言って下さい。――え? 大丈夫大丈夫。杉男にはわたしが責任もってゆかせます。病院の近くで昼休みだったら――十二時半、ホテルセンチュリーの『ライムライト』――はいはい。じゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、メモをとる。電話切る。
うしろでネクタイを結びながらの杉男、受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「何番?」
謙造「え?」
杉男「電話番号。電話して、ことわるよ」
謙造「――おい」
杉男「どして勝手に決めるんだよ。本人にひとこともいわずに勝手に――無茶苦茶だよ。お母さん番号――」
朋子「たしか四二八の」
[#ここで字下げ終わり]
ダイヤルを廻しはじめる杉男の手を押さえる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「無理を承知でやってるんだ」
杉男「―――」
謙造「はじめてだぞ。おまえに物、頼むのは」
杉男「(何かいいかける)」
謙造「結婚しろとは言ってないよ。三月半年、つきあってみないかといってるんだ」
杉男「いやだね、オレは、絶対に」
朋子「肩書きなんかなくてもいいわ。こここわしてマンション建てればなんとか食べるくらいのことは」
謙造「オレにマンションの管理人やれっていうのか」
杉男「お母さん、電話番号!」
朋子「杉男さん――あたし、いくわ」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体]
出てゆこうとして杉男、気づく。じっと立っている謙造。
●喫茶店[#「喫茶店」はゴシック体]
すわっている朋子。
入ってくる洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ごめんなさいね。杉男さん、急にオペがとびこんで」
洋子「――いいんです。杉男さんこないこと、わかってましたから」
朋子「洋子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
洋子、しばらく黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「コーヒーでよろしい?」
洋子「――人を、好きになるのって胃が悪い時と似てますね」
朋子「―――」
洋子「なんか……このへんがいつも……」
[#ここで字下げ終わり]
さわやかに笑うが、泣き笑い――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(いじらしい)」
洋子「父や、会社とは関係なしに、杉男さんとおつきあいできないでしょうか」
朋子「―――」
洋子「杉男さん、あたしのこときらいなのかしら。そうならあたし引き下ります。でも、もし父のことが原因で」
朋子「――でも杉男さんの方からいえば、あなたとおつきあいすること自体、イミをもってくる――そう考えて――ご遠慮した方が、って思っているんじゃないかしら」
洋子「それがいやなんです。そういう話はよく聞きます。でもわたしは」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ハッとなる。
立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「おそくなりました」
朋子「杉男さん――オペ、どうしたの」
杉男「クランケが、ドタン場になって手術はいやだっていい出してさ」
朋子「―――」
杉男「気が変ったんだろ」
朋子「―――」
杉男(N)「卒直に言えば、見合いどころではなかった。うちのため、この母のため役に立つのなら、節を屈しても、仕方がないという気持があった。それよりも、おふくろのことがもっと大きく気にかかっていたのだ」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション・廊下[#「時子のマンション・廊下」はゴシック体]
入ってゆく朋子。ベルを押す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉(声)「あいてるよ!」
朋子「(びっくりする)」
[#ここで字下げ終わり]
ドアが内側からあいて、ガウン姿の門倉が、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「おそいなあ。出かけるよ、もう」
朋子「門倉さん」
時子「びっくりしたでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
うしろに、パンやミルクなどを持った時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「あなたの言った通り。またヨリ、もどっちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
中へ引っぱりこまれる朋子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
パンを食べる二人。コーヒーをのむ朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ほかに男もいるのに――もっといい男だって沢山いるのに――この人しか見えないのよ、まわりの建物や人はみんな白黒なのに――この人のまわりだけ、色がついて見えるのよ」
門倉「――このセリフ、誰が言ったと思います」
朋子「?」
時子「あの人よ」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・バー「ブーメラン」[#「回想・バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
門倉と時子。恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「子供の頃『ぬり絵』ってあったでしょ。ベティさんやテンプルちゃん。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お二人とも、お若いから知らないかしら」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
門倉「『喜一』のぬり絵でしょ」
時子「あったあった、ベティさんて、目がパッチリして」
門倉「頭でっかちのマリリン・モンローみたいなの、姉がやってたの、おぼろげにおぼえてるなあ」
恒子「思い出って、あれと同じね。色がついていないのよ。でもねえ、好きな『ぬり絵』だけは、思い出して、自分で塗るの。黒沼のうちのカーテンの色、杉男が一年生の時、迎えにもってったえんじ色の雨傘。謙造の使ってたハブラシの柄はブルーだったわ。あたしは赤で杉男はキイロ」
門倉「―――」
時子「―――」
恒子「毎晩、あたし『ぬり絵』してるんですよ。この間、デパートへいって、これ買ってきたの、ほら」
[#ここで字下げ終わり]
クレヨンの大箱を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「三十色よ、すごいでしょ、杉男の野球帽は、この色とこの色。謙造のネクタイの中で一番好きなのは――これとこの色の水玉。竜二って、おかしな子でねえ、男の子のくせに、こんな色のセーターがいいんですって」
二人「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
朋子、時子、門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ノイローゼじゃないかしら――って門倉が」
朋子「ノイローゼ――」
門倉「――気をつけた方がいいんじゃないかなあ……」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
杉男が来ている。恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あんたは、三千百二十グラム」
杉男「あ、生れた時の目方」
恒子「竜二が二千九百七十グラム」
杉男「ちゃんと覚えてるじゃないの」
恒子「忘れる母親はいないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、こめかみのあたりをもむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「頭痛いの?」
恒子「あんたが病院でマスイの注射するからよ」
杉男「え?」
恒子「この頃は、ねぼけない?」
杉男「ねぼけるって――」
恒子「子供の頃、アンタよくねぼけたのよ。あれは小学校一年生のときよ、日曜日で、おじいちゃまたちおるすだからって、お父さんとお母さんと三人で昼寝してたのよ、そしたら、アンタ急にガバッて起き上って、『あ、大変だ、学校おくれるよ』――ランドセルせおってでかけようとしたのよ」
杉男「オレが?」
恒子「お父さんたら『バカ。今三時だぞ、ねぼけるんじゃない!』エンガワのとこで、こやって体ゆすって――あの時、お父さん、大工のトメさんからもらった派手なゆかた着てたのよ――」
杉男「――(言いかける)」
恒子「あんた、まだねぼけてて、『ウソだ、いかないとおくれるよ』っていうもんだから、お母さん、紋付きに着がえて、一緒に学校へいったのよ」
杉男「紋つき――日曜日だろ、オレ、ねぼけてたんだろ」
恒子「手つないで、校門入ろうとしたら、いきなりおそば屋の出前もちがぶつかって、目の前でおそばが――ザァって」
杉男「あれは、三年のときじゃないか。入学式と三年とごちゃごちゃに」
恒子「――お父さん、よくおそば食べるとき、クチャクチャかんでおじいちゃまにバカにされてたねえ。『お前、そばの食べ方だけは田舎者だね』おじいちゃま、今でも、かまないでツルツルツルって召し上っていらっしゃる」
杉男「じいちゃん、この間、死んだじゃないか」
恒子「どうして知らせてくれなかったの」
杉男「――(お母さん)」
恒子「今頃、おばあちゃまと二人で廻ってるわよ。お遍路さんのかっこして――六根清浄」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
白い道を遍路姿の謙造と恒子が歩いてゆく。杖《つえ》についた金の輪が鳴る。
同行二人の笠。ならんでゆく二つの影法師。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
杉男、放心している恒子をゆさぶるように呼びかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん……
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お母さん!」
ドアが開く。
白い服の泉が入ってくる。突然小さく叫ぶ恒子。びっくりするような素早い動作で走り出して壁の飾りもののブーメランを取り、いきなり泉に殴りかかる。
悲鳴をあげる泉。
[#改ページ]
13
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
白い道を、遍路姿の謙造と恒子が歩いてゆく。杖についた金の輪が鳴る。
同行二人の笠。ならんでゆく二つの影法師。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
杉男、放心している恒子をゆさぶるように呼びかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん……
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お母さん!」
ドアが開く。
白い服の泉が入ってくる。突然小さく叫ぶ恒子。びっくりするような素早い動作で走り出して壁の飾りもののブーメランを取り、いきなり泉に殴りかかる。
悲鳴をあげる泉。
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
遍路姿の恒子が、同じく遍路姿の朋子を、杖で烈しく打ち据えている。悲鳴を上げて逃げまどう朋子。驚いてとめる謙造。
謙造「なにするんだ! やめなさい!」
謙造がとめればとめるほどたかぶり、ふり切って、打ち据える恒子。血が飛んで朋子の白装束を赤く染める。
謙造「やめろ! やめろよ!」
謙造の声は、杉男の声でもある。
その声が、こだま[#「こだま」に傍点]のように重なり合い、朋子の悲鳴とあいまってひびき合って、それも恒子を追い込んでゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造 )「やめろ!」
杉男   「やめろよ!」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、謙造にも打ちかかる。
謙造、体で朋子をかばって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造・杉男「早く逃げろ!」
恒子「待ちなさいよ! あなた、この人をかばうのね!」
謙造・杉男「よせ! よしなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
もみあう三人のスローモーション。
恒子の白装束に飛び散る血、血まみれになって倒れる朋子。
重なりあってひびく謙造と杉男の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夕方)
ブーメランを手にした恒子を羽交じめにして取り押さえる杉男。
呆然《ぼうぜん》としている泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「どうしたんだよ! お母さん!」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、ハッとして現実にもどる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あたし――」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、いきなり笑い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「こんなもの持って――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やだわ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「笑いごとじゃないよ、ヘタしたら大ケガするところじゃないか、一体どしたんだよ」
泉「お母さん、どうかしてる……」
恒子「――竹見と間違えたんだ」
杉男・泉「竹見……」
恒子「前いたバーテンよ、仕入れ、ごまかして、これ(懐ろに入れる)やってたのがバレて、やめてもらったんだけど、金のことですったもんだがあったのよ」
杉男「(何か言いかける)」
恒子「こないだも、夕方、あたしが一人で居る時みはからって来て、人のことおどかすのよ、あたしね、よし、こんど来たらこれだって――(ブーメラン)」
杉男「バーテンと泉さんと間違えるなんて……おかしいよ」
恒子「いつくるか、いつくるかってビクビクしてたのね、どうかしてるわ」
杉男・泉「(顔を見合わす)」
恒子「そのバーテンね、杉男のこと、あたしのこれ(親指)だと思ってヤキモチやいてンの。あたしに気があったのかしらねえ――(言いかけて突然ドアの方を見て)いらっしゃいませ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男も泉もドアを見る。誰も入ってこない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「やだ、お客さま、来てませんよ」
恒子「――やあねえ、いま、いらしたんじゃないの」
泉「え?」
恒子「おもてに立って、いま入ろうとしたのよ、カウンターにいても、わかるのよ、ほらまた――いらっしゃいませ」
[#ここで字下げ終わり]
微笑《ほほえ》む恒子、次の瞬間、フフとくちびるをゆがめて引きつった笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――(呟く)いざとなると、あの人かばうのね……」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ブーメランを手にしたまま外へ出てゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男――」
泉「帰るんですか」
杉男「いやちょっと――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、表へ出てゆく。
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
杉男、「営業中」の札をはずして、ひっくりかえす。裏側の「準備中」の方を出して、かけ直す。
出てくる泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「ねえ、お母さん――普通じゃないみたい」
杉男「竜二、いまどこにいるかな――連絡とれないかな」
泉「もうすぐ、ここへくるわ」
[#ここで字下げ終わり]
竜二がくる、二人を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「(泉さん)さそったのはオレだよ、文句言えた義理ないよな」
杉男「(とりあわない)――竜二、お前今晩ここへ泊れ」
竜二「なに言ってンだよ、いつかよっぱらってここへ泊ったら、けじめがないってオレのこと蹴《け》っとばしたの誰だよ」
杉男「オフクロから、目、離すな……」
竜二「―――」
杉男「――気持が、すこし、参ってるらしい。アブないものかくして――今晩一晩、ついててくれ」
泉「―――」
竜二「―――」
杉男「――病院の、当直の方、何とかなったら……オレ、かわろう――」
竜二「―――」
杉男「うちの方は、あとで――連絡しとく」
[#ここで字下げ終わり]
中から、恒子の呼ぶ声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「杉男! 杉男ちゃん――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、竜二を、店の中へ押し込む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「――どこか、ケガしたんじゃない?」
杉男「いや大したことないよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、肩のあたりの痛みに気がついて押さえる。
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
本を見て編物をしながら待っている朋子。夕食の支度の上にフキンのかかった食卓。
朋子、時々フキンを持ち上げつまみ食いをしながら編物をしている。
男物の編込み模様のセーター(謙造のらしい)。安らかな妻のひととき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「二目一度の表編み。一つかけて――」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「はーい、ちょっと待って――一つとばして――」
[#ここで字下げ終わり]
編んでから受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます」
[#ここで字下げ終わり]
相手は何も答えない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「モシモシ、黒沼でございますが」
[#ここで字下げ終わり]
相手は無言。
朋子、切る。
小さな予感を払いのけるように、また声を立てて模様編みを始める。
SE 電話鳴る
朋子、とる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます」
[#ここで字下げ終わり]
相手、また無言。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どなたですか。モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
少し衣服を乱した恒子が電話をかけている。
ほかには誰もいない。
うす暗い店内。
受話器の朋子の声が聞こえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「モシモシ、どなたですか」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
朋子、受話器の向うに女の呼吸を聞く。
ガシャンと切る。
また、すぐ電話が鳴る。
すぐ、とらない。
しばらく受話器が鳴っている。
鳴りやんだところですばやく受話器をとり、ダイヤルを廻す。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](夜)
酔って電話に出ている時子。
そばに門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「なんだ朋子……(ホッとする)――珍しいじゃないの――元気?」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「おねがいがあるんだけど。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何でもいいから、あたしとしゃべって――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子(声)「どうしたのよ」
朋子「とにかく電話切らないで――少し、しゃべってて――門倉さん元気? やっぱりヨリもどして、つきあってるの?」
[#ここで字下げ終わり]
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
時子、門倉の目を見ながらしゃべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「朋子、どうしたの――あんた誰からか電話がかかるんじゃないの。リーンとかかってきて、受話器とるとなんにも言わない電話。そのくせ切ると、すぐかかってくる――」
朋子(声)「そうなのよ」
時子「イクジのない声、出すんじゃないの」
朋子(声)「だって」
時子「そういう時のやり方教えて上げる」
朋子(声)「警察にいうの?」
時子「こっちからかけるのよ」
朋子「―――」
時子「あの人に、こっちからかけるのよ。負けたくなかったら先手打って同じことするのよ」
朋子(声)「出来ないわ、そんなこと」
時子「あたしは、したのよ。門倉の奥さんから、夜中に電話がかかってくるとあたしも同じこと、したの。十回もやると、かかってこなくなるわ」
[#ここで字下げ終わり]
電話を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「――自分じゃする度胸ないもンだから――人に言ってる」
門倉「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
ためらいながら、決心してダイヤルを廻す朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「ブーメランでございます」
[#ここで字下げ終わり]
朋子しばらく黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子の顔。
朋子の顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
恒子(声)「――どなたさま」
[#ここで字下げ終わり]
それぞれに聞く、相手の呼吸。
朋子、電話を切る。
やり切れなくなる。
SE ドア・チャイム
ギクッとして立ち止る。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
ドアを開ける朋子。
コート姿の杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「門、しめていいの」
朋子「ううん、お父さん、まだ――顧問弁護士と打ち合わせがあるから、今晩は遅くなるって、竜二さんも――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、こわばって、いつもと違う朋子に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「どうかしたの」
朋子「いやな顔してるでしょ、あたし」
杉男「―――」
朋子「――浅ましい……」
[#ここで字下げ終わり]
SE 電話鳴る
朋子、ビクッとする。
●居間[#「居間」はゴシック体](夜)
杉男、鳴っている電話機をとる。
何か言いかける。
横あいから、朋子がしゃべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「黒沼でございます」
杉男「―――」
朋子「モシモシ、モシモシ――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、相手が誰か察する。
受話器の向うの気配を聞く二人。
杉男――、朋子、受話器をおく。
目で杉男に語りかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――おかしいな、竜二に目離すなって言っといたのに」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・表[#「バー「ブーメラン」・表」はゴシック体]
竜二が小走りに外から帰ってくる。
「本日休業」の札のドアを押して、入ってゆく竜二。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体]
クスリを恒子に手渡している竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「クスリ屋叩き起したんだけどさ、お母さんのいう頭痛薬ってないよ、これじゃダメかな」
[#ここで字下げ終わり]
放心している恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「どしたの」
恒子「電話――とると、名前言わないで切るのよ――誰かしら」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](深夜)
居間で電話のベルが鳴っている。
立とうとする杉男を押さえて行かせない朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
朋子「(目で訴える)」
杉男「出た方がいいよ」
朋子「(出ないで)」
杉男「別の人間がかけてるかもしれないじゃないか」
朋子「判るのよ、出ないで」
杉男「オレ、出て、バカなまねするなってどなってやる」
朋子「(やめて)」
[#ここで字下げ終わり]
SE また電話のベル
もみ合っているうしろに、帰ってきた謙造、少し酔っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(不快)なにやってンだ。電話が鳴ってるのが聞こえないのか」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、受話器をとろうとする。とびつくようにして、とらせない朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「(おい)」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、朋子の目の色で察する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「さっきから、鳴りつづけなの」
謙造「―――」
朋子「あたしが出ても、何も言わないで黙ってるの。あなたが出るの、待ってるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
電話のベル、やむ。
時計が十二時を打つ。
ベル、また鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――『鉄輪《かなわ》』だな」
朋子・杉男「カナワ?」
朋子「なんですか、それ?」
謙造「『鉄の輪』とかいて『カナワ』とよむんだが、じいさんの謡曲の中にあったろ? 別れた前の女房が、恨んで、夜中に、ウシの刻か――どうこうするってやつ――アタマのてっぺんに鉄の輪のせて――あれ、お前と見にいったんじゃなかったか」
朋子「……あたしじゃないわ……」
謙造「そうか? そうだったかな」
朋子「―――」
謙造「ねる時は、電話切りかえない方がいいな」
[#ここで字下げ終わり]
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](深夜)
ねている朋子、かすかな電話のベルで目をさます。
いびきをかいてねむる謙造、ねがえりをうっている。
起き上り、出てゆく朋子。
●階段[#「階段」はゴシック体](深夜)
おりかけるねまきの朋子のはだしの素足が、きしむ個所を踏む。
ギュウと鳴る。
●回想[#「回想」はゴシック体]
喪服を着て、白足袋で階段を踏んでいる恒子の姿。
ベルの音。
●居間[#「居間」はゴシック体](深夜)
暗い中で、電話だけが生きもののように鳴っている。
見ている朋子。
階段のきしみが聞こえてくる。
●階段[#「階段」はゴシック体](深夜)
おりてくる杉男の足。
きしむところにとまる。
●回想[#「回想」はゴシック体]
喪服を着て、白足袋で、きしみを踏み、幼児のように手をひろげ、杉男に笑いかけている母の姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お母さん、居た時とおんなじ」
[#ここで字下げ終わり]
笑いかけ、また鳴らす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男ちゃん、あんた小さい時、よくこやって(手をひろげてゆするようにする)遊んでたのよ。こやって――こやって――」
[#ここで字下げ終わり]
ベルの音。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
カウンターでダイヤルを廻す恒子。
長椅子で、うたたねをしている竜二。
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](深夜)
沢山の謡曲本の中から「鉄輪」をさがし出す朋子。
居間からの電話のベルにダブって、鉄輪の一節が聞こえてくる。
※[#歌記号、unicode303d] あら恨めしや、捨てられて、捨てられて
思ふ思いの涙に沈み人を恨み
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
「鉄輪」のつくりの恒子があらわれる。
前シテ・女
面|生成《なまなり》、鬘《かつら》、帯、着付(赤地)箔《はく》(縫箔)腰巻、腰帯、打杖《うちづえ》。
頭には鉄輪台を戴き、火をともして鬼形。
※[#歌記号、unicode303d] 夫《つま》をかこち、或時は恋しく、または恨めしく、
起きても寝ても忘れぬ思いの――
SE 電話のベル
SE 近づく足音
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](深夜)
障子があく。
小さく叫び声をあげる朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん……」
[#ここで字下げ終わり]
散らばった謡曲本と「鉄輪」の本。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
SE ベル、また鳴る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「(やり切れない)」
杉男「――申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
頭を垂れる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「どして、杉男さんがあやまるの」
杉男「―――」
朋子「あやまらないでよ。あやまられると、杉男さんもあっちの人みたいで――いやなのよ」
杉男「―――」
朋子「――言う方が無理ね。杉男さん、あの人の子供ですものね」
杉男「――(お母さん……)」
[#ここで字下げ終わり]
SE またベル鳴る
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あたしが何をしたっていうの。あたし、あの人から謙造を盗《と》ったわけじゃないのよ。あの人がうちを出たあと、あの人とはじめて逢《あ》ったのよ。あの人の出ていったあとのメチャメチャになったこのうちを片づけて、あの人の捨てていった子供育てたのは、あたしじゃないの。どうして、あたしが恨まれなきゃならないの」
杉男「恨みだけじゃないよ」
朋子「―――」
杉男「このうちがなつかしいんだよ。階段のきしみや、そういううちの匂いや、そういうものが、なつかしいんだよ」
朋子「なつかしいのは、うちじゃないわ、人間よ。十三年一緒に暮した夫。生んだ子供たち――」
杉男「―――」
朋子「その気持は判るわ。あたしもこのうち出てる間中、このうちがなつかしかったもの、理屈ぬきで帰りたいと思ったもの。でも、あの人はもうそう思ってはいけないのよ。なつかしく思うのは自分の気持の中だけ。もうどんなことあっても絶対にこのうちの敷居またがないで生きて行くのが当り前じゃないの」
杉男「その通りだよ」
朋子「杉男さんから、キチンとはなして――」
杉男「―――」
朋子「どして黙ってるの、どして返事しないの」
杉男「話しても、効果がうすいんじゃないかな」
朋子「―――」
杉男「少し、やられてる」
朋子「―――」
杉男「(自分の頭を指す)普通じゃないよ」
朋子「――真似してるんじゃないの」
杉男「マネ――」
朋子「オカしいってフリすれば、人のうちの台所にだってなんだって、スーと入ってこられるわ。自分のしていること自分にきまりが悪いから、まわりも許さないから、おかしいふりをしてみせて、――自分でそのつもりでいるんじゃないの」
杉男「ちがう!」
朋子「杉男さんは、女の気持が判らないのよ。女って、それくらいのことを、やってのける(と言いかける)」
杉男「マネじゃない。あれは……病気だよ」
朋子「―――」
杉男「絶対に、病気だよ!」
朋子「――気がついたのは……いつ?」
杉男「いつ――今日。前から普通じゃないなとは思ってたんだけど、やっぱり――そう思ったのは今日の夕方だよ」
朋子「どして、お父さんに言わないの」
杉男「酔いがさめたら、あしたにでも言うよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人、気づく。
謙造が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた――」
謙造「気がついてたよ。ただ、聞きたくなかった」
杉男「だから、酒のんで酔ってかえってきたのか……」
謙造「―――」
[#ここで字下げ終わり]
三人、黙っている。
またベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「どうする?」
杉男「専門家にみせた方がいいよ」
謙造「……(うなずく)」
杉男「学会へ行ってた脳外《のうげ》の教授があした帰ってくるから――」
謙造「―――」
杉男「それまでは目離すなって、竜二に言っといたんだけどなあ……なにをしているんだ……」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
ベッドでねむる恒子。
スタンドを暗くして足音を忍ばせて下へおりる竜二。
すわって、一パイのむ。思いついて、ソファの下にかくしてあったブーメランを取り出す。
泉の悲鳴、逃げまどうイメージが浮かんでくる。
叫ぶ泉。
逃げる泉。
胸、のど、髪の毛。
ブーメランをもって立ち上る竜二。
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](深夜)
泉、ドアをあける。
ブーメランを持って立っている竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「これ、預ってもらおうと思って」
泉「―――」
竜二「おいとくと、アブないから」
[#ここで字下げ終わり]
泉、ドアから手を出して、ブーメランを受け取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「おやすみなさい」
竜二「……おやすみ――」
[#ここで字下げ終わり]
ドア、しまる。
泉、中でブーメランを手に――立っている。
パッとドアをあける。
まだ立ち去りかねていた竜二。泉の強い視線にそのまま中へ入る。
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](深夜)
竜二、泉を抱きしめようとする。
泉、ブーメランで体をカバーするようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「お母さんは、大丈夫なの」
竜二「おふくろのはなし、しないでくれよ」
泉「ほっとくと、杉男さんに叱られるんじゃないの」
竜二「そんなに心配なら、自分で見てりゃいいんだよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たのむから、おふくろや兄貴の名前――言わないでくれよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「コーヒーのむ?」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
うなずく竜二。
泉、コーヒーをわかしはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「竜二さん、変ったわね『おふくろ』って言い方」
竜二「―――」
泉「前は――男の子が一番大事にしてるミニカーの名前いう時みたいに、口の中でとても大事そうに発音してたのに――この頃は――ちがうもの」
竜二「―――」
泉「いま、一番大事にしてるミニカーは、なんて名前なの」
竜二「―――」
泉「――イズミじゃないわね(つぶやく)」
竜二「そうかもしれないよ」
泉「セコハンでもいいの? お兄さんのお下《さが》りでもいいの? 言っときますけど、あたし新車よ。でも、気持の上では、お兄さんのお古だもの」
[#ここで字下げ終わり]
挑発するように見る泉。
竜二、立ち上る。
SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「……泉です……(小さくアッと叫ぶ)」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜明け)
電話している杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「気になってのぞきにきたらおふくろは、よくねむってたけど、竜二がいないんだ。どこへいったか」
[#ここで字下げ終わり]
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜明け)
泉、竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「竜二さん、ここにいるわ」
竜二「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜明け)
杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――すぐ、こっちへ、もどってこい。そういって下さい」
泉(声)「杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
電話を切る杉男。
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜明け)
あわただしく着替えをする泉、コーヒーが沸いている。
竜二、こわばったまま――
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜明け)
ねむる恒子。
のぞきこむ杉男。
よってくる泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「どして、あのまま、電話を切るの」
杉男「―――」
泉「竜二さんが、どしてあたしのアパートに来たのか、なにをしてたのか、聞きたくないの」
[#ここで字下げ終わり]
かすかに身動きする恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「静かにしてくれないか」
泉「あたしも、あなたのお母さんみたいにウソ言おうかな。竜二さんと寝たのよって」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、いきなり泉のほほを打つ。
恒子、目をあける。
かすかに微笑して、またねむりに入ってゆく。
竜二がうしろに立っている。
F・O
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体](外)
入ってゆく朋子。
●時子のマンション・廊下[#「時子のマンション・廊下」はゴシック体]
ドアが内側からあいて、五歳位のオモチャをもった男の子(マモル)が出てくる。
うしろから門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
マモル「パパ、バイバイ」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、黙って手を振る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
マモル「(小さな声で)オバチャン、バイバイ」
[#ここで字下げ終わり]
うしろのほうに時子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「――バイバイ。(門倉に)そこまで――送ってったら」
[#ここで字下げ終わり]
門倉、少年と一緒に出てゆく。
廊下の角に半分かくれた朋子に気づいて複雑な会釈。
子供の手を引いて、去って行く。
●マンション・中庭[#「マンション・中庭」はゴシック体]
マモルと何かゲームをして遊ぶ門倉。
遠くの植込みのかげで、半分うしろ向きで、じっと立っている女。
上のベランダからならんで見ている朋子と時子。
時子の目に涙がいっぱい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
マモル「パパ! ヘッタクソだなあ、ダメじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
時子、黙って部屋の中へ入る。
●時子の部屋[#「時子の部屋」はゴシック体]
インターフォンをとる。
時子、朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「管理人さんですか。三〇五号室の梅沢ですけど――今月いっぱいで、引越したいんですけど」
門倉「時子」
[#ここで字下げ終わり]
立っている門倉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「ええ。すぐ手つづき、おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
●日枝建設[#「日枝建設」はゴシック体]
デスクの上で、辞表を書いて、窓から外を見ている謙造。
ビリビリに破く。
●医局[#「医局」はゴシック体]
洋子がたずねてきている。持参したらしいケーキの折り。
花びんに赤いバラをさしている。
たばこをすっている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「見ておいていただきたいものがあるんだ」
洋子「あたくしに?」
杉男「(うなずく)」
洋子「あ、判った……アレでしょ。ほら、フォルマリン漬けの――標本。おなかの中から出した赤ちゃんとか――そういうのでしょ。あたし、ああいうの、割りに強いんですよ」
杉男「生きてるものですよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、ドアを半開きにする。
ベンチで、看護婦の根岸むつ子と楽しそうにしゃべっている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「母親です」
洋子「お母さま……」
杉男「ぼくを生んだ、本当の母親」
[#ここで字下げ終わり]
恒子――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「十三年前にうちを出て、今はバーのマダムをしてます」
[#ここで字下げ終わり]
何がおかしいのか、笑っている恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「少し神経をやられているらしい。十三年前、ぼくらと暮してた頃と、いまの区別が、時々つかなくなる――」
洋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
ベンチの恒子は、むつ子を相手に、楽しそうにしゃべっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「上から貼《は》るか下から貼るか」
むつ子「障子ですか――あたしたち、寮にいるでしょ、障子はったことないんですよね」
恒子「上から貼るか下から貼るか」
むつ子「上から――」
恒子「下から――上から貼るとほら、紙のつぎ目のとこ、こうなって、ほこりがたまるじゃないの」
むつ子「あ、そういえば(そうだわ)」
恒子「あたし、知らなくてねえ、おしゅうとさんに叱られたなあ」
むつ子「だから――ねえ」
恒子「障子はりって、はがす前がたのしいのよ。いつもはほら、ちょっとこんなことしても(指先にツバをつけて、破くまね)叱られるのが、この日だけは天下ご免でしょ。もう杉男も竜二も大はしゃぎでね。物指しだの、おもちゃの刀やなんかで、エイッ! ブスッ! エイ! ブスッ! フフ、フフフフ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]子供だけじゃないの。あたしもね、ふだん、しゅうとやしゅうとめがうるさいから、こんなになってるでしょ(四角く)。ウサばらしね。ちょっと杉男ちゃん、お母さんにもかしてよ、なんてね。エイ! ブスッ! エイッ! ブスッ!」
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
洋子を送っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「気が変ったでしょ」
洋子「(首を振る)お母さま、あと何十年も生きるわけ、ないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、黙ってちょっと頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「じゃあ、さよなら」
[#ここで字下げ終わり]
帰ってゆく洋子。
杉男、ベンチを見る。
恒子の姿が見えない。
むつ子、出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「なんのはなし、してた」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・庭[#「黒沼家・庭」はゴシック体](夕方)
買物かごをさげて、夕方の買物から帰ってくる朋子。
ねぎなどの野菜がのぞいている。入りかけて、飛んで洗濯ものが植木にひっかかっているのに気がつく。
庭の方へ廻り、洗濯ものを取って、重光の部屋の縁側から上ろうとして、アッとなる。
障子の内側から、いきなり物指しが突き出される。
引っこんだ物指しは、また突き出し、次々と穴をあけてゆく。
それから、女のマニキュアした指がのぞく。ビリビリと烈しく障子を破いてゆく。
その桟だけになった障子から恒子の顔が見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男ちゃん、どうしたの? 手伝ってくれるっていってたのにちっともやってくれないじゃないの。夕方までにはってしまわないと、また、おばあちゃまに叱られるのよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]杉男ちゃん! 竜ちゃん!
[#1字下げ]ほんとに、しょうがないわねえ……」
立ちすくむ朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「そこで、なにをしてらっしゃるんですか」
恒子「アッ!」
朋子「お帰り下さい。無断で人のうちに上りこまないで下さい」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、上ろうとする朋子に、切り出しナイフを持ち、身がまえる。
障子まで赤く染めた夕焼けの中で向いあう二人の女。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「助けて!
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誰か来て!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
恒子「それ以上、こっちへ来たら一一〇番へ電話しますよ」
朋子「一一〇番呼びたいのは、わたしの方です」
恒子「杉男! 竜ちゃん! 来て頂戴!」
[#ここで字下げ終わり]
かけこんでくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「杉男さん……」
恒子「おそいわねえ、学校の帰りに野球してたんでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、恒子のそばにゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――紙、オレ、切るよ」
恒子「オレ、じゃないでしょ。ボク」
杉男「―――」
朋子「―――」
恒子「ボクって、いったら、切らせてあげる(小刀を示す)」
朋子「―――」
杉男「――ボク……」
[#ここで字下げ終わり]
杉男の声は泣いている。
杉男、小刀を取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「さあ――一緒に帰ろう」
恒子「帰るって、どこへ帰るの?」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・チァイム
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ、お父さん! (杉男に)会社で面白くないことあったのよ。鳴らし方ですぐ判るわ。ハーイ! お帰りなさーい」
[#ここで字下げ終わり]
すばやい動きでとんでゆく恒子。
あとから朋子、杉男――
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
内側からドアをあける恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「お帰りなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
アッとなる謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――(絶句する)」
恒子「あら、どうしたの。どして、こんな急に白髪ふえたの」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、恒子のうしろの杉男の表情、杉男の手の切り出しナイフ、こわばった朋子の表情から、察するものがあったらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「――年、とったからだよ」
恒子「フフフ。『浦島太郎』みたいなこと、言ってる」
謙造「『浦島太郎』か、わたしのこと、いくつだと思っているんだ」
恒子「わたしよか二つ上ですもの、三十七に決まってるじゃありませんか」
謙造「それは、あんたが、うちを出ていった年ですよ」
杉男「………」
朋子「杉男さん。片桐さん、お送りして」
恒子「片桐さん――あ」
[#ここで字下げ終わり]
恒子の中で、少し正気にもどるものがある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あたし、あたし――おじゃましました」
杉男「一緒にいこう」
[#ここで字下げ終わり]
杉男がひっこんだすきに、恒子、ぞうりをはいてとび出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あ、わたしのぞうり」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](夕方)
うすぐらい中を、帰ってくるサラリーマン、買物帰りの主婦。急ぎ足で、恒子、走りぬけようとして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ、モクセイ! いい匂い……今年は早いのかしら」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・居間[#「黒沼家・居間」はゴシック体](夜)
夕食後。
謙造、杉男、竜二、朋子。
みな、黙りこくっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「診察の方は――」
杉男「あした、迎えにいって――必ず受けさせるよ」
謙造「人さまに迷惑かけたら、コトだからな」
杉男「――うむ」
謙造「今夜は大丈夫かな」
杉男「あとでのぞきにいくよ」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「オフロ、入ってちょうだい」
謙造「先入ってくれ」
杉男「竜二――」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、立って出てゆく。
●風呂場[#「風呂場」はゴシック体](夜)
竜二、入りかけてアッとなる。
湯気の中に女の首すじ、肩、恒子らしい。
湯を使う音。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
杉男と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「そんなバカな」
竜二「自分でのぞいてみろよ。たしかに、おふくろさん」
杉男「――よっぱらったんじゃないのか」
[#ここで字下げ終わり]
言いながらも、ほんの少し不安な杉男。
●風呂場[#「風呂場」はゴシック体](夜)
のぞく杉男と竜二。
誰もいない。
しかし、バス・マットは、くっきりと足型に濡れている。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
洗濯したパジャマを手に入りかける朋子、凍りつく。
ベッドにうしろ向きに坐っている恒子。
恒子、入ってきたのを謙造と思っているのだろう、ゆかたを肩からすべり落す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あなた」
朋子「―――」
恒子「会社、忙しいの?」
[#ここで字下げ終わり]
うしろからのぞく謙造も棒立ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「恒子!」
[#ここで字下げ終わり]
廊下の杉男。
杉男、くるりとうしろを向く。
柱に額をつけたまま、目を閉じる。
階段を上ってきた竜二が、まだ何も気づかずに、例の個所をギュウときしませる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「上ってくるなよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上ってくるな!」
叫ぶ杉男。
●黒沼家・門[#「黒沼家・門」はゴシック体](夜)
杉男につきそわれて帰ってゆく恒子。
いきなり立ちどまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あ、――いけない。サンルーム、カギかけたかしら」
杉男「かけた」
恒子「ガスの元栓――」
杉男「しめたよ」
恒子「出かける時、ちゃんとしないと、おばあちゃまがうるさいから――」
杉男「大丈夫だよ。いこう」
[#ここで字下げ終わり]
見送っている竜二。
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体]
無惨な障子を見ている謙造。
入ってくる朋子。
謙造、障子越しに暗い庭を見ながら、ポツリという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「オレと、別れてくれないか」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
14
●夜の道[#「夜の道」はゴシック体]
手をつないで歩く杉男と恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――忘れもの、ない?」
杉男「え?」
恒子「ハンカチ」
杉男「もった」
恒子「チリガミ」
杉男「もった」
恒子「給食費も持ったわね」
杉男「持ったよ」
[#ここで字下げ終わり]
初老の男とすれちがう。
恒子、丁寧に一礼する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男ちゃん。ダメじゃないの、校長先生にごあいさつしなくちゃ――」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](夜)
メチャメチャに突き破り、引きはがして、骨だけになった障子。
じっと見ている謙造。
入ってくる朋子。
謙造、障子越しに暗い庭を見ながら、ポツリという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「オレと、別れてくれないか」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・黒沼家・庭[#「回想・黒沼家・庭」はゴシック体](夕方)
買物かごをさげて夕方の買物から帰ってくる朋子。
ねぎなどの野菜がのぞいている。入りかけて、飛んで洗濯ものが植木にひっかかっているのに気づく。
庭の方へ廻り、洗濯ものを取って、重光の部屋の縁側から上ろうとして、アッとなる。
障子の内側から、いきなり物指しが突き出される。
引っこんだ物指しは、また、突き出し、次々と穴をあけてゆく。
それから、女のマニキュアした指がのぞく。ビリビリと烈しく障子を破いてゆく。
その桟だけになった障子から恒子の顔が見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「杉男ちゃん、どうしたの? 手伝ってくれるっていってたのにちっともやってくれないじゃないの。夕方までにはってしまわないと、また、おばあちゃまに叱られるのよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]杉男ちゃん! 竜ちゃん!
[#1字下げ]ほんとに、しょうがないわねえ」
立ちすくむ朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「そこで、なにをしていらっしゃるんですか」
恒子「アッ!」
朋子「お帰り下さい。無断で人のうちに上りこまないで下さい」
[#ここで字下げ終わり]
恒子、上ろうとする朋子に、切り出しナイフを持ち、身がまえる。
障子まで赤く染めた夕焼けの中で向いあう二人の女。
●回想・夫婦の部屋[#「回想・夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
洗濯したパジャマを手に入りかける朋子、凍りつく。
ベッドにうしろ向きに坐っている恒子。
恒子、入ってきたのを謙造と思っているのだろう、ゆかたを肩からすべり落す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あなた」
朋子「―――」
恒子「会社、忙しいの?」
[#ここで字下げ終わり]
うしろからのぞく謙造も棒立ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「恒子!」
[#ここで字下げ終わり]
廊下の杉男。
杉男、くるりとうしろを向く。
柱に額をつけたまま、目を閉じる。
階段を上ってきた竜二が、まだ何も気づかずに、例の個所をギュウときしませる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「上ってくるなよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上ってくるな!」
叫ぶ杉男。
裸の肩をみせ、放心している恒子。
朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「オレと、別れてくれないか」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
謙造と朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「たのむ」
朋子「―――」
謙造「恒子がああなったのは、オレの責任だ」
朋子「―――」
謙造「十三年ぶりに電話がかかって来た時に、ハッキリ断ればよかった」
[#ここで字下げ終わり]
回想・SE 電話のベル
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子(声)「お久しぶりでございます。片桐恒子です。仕事のことで、お耳に入れたいことがございます」
謙造「橋の入札のことで、行きづまっていた。正直いって、ワラでもつかみたい気持だった」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・料亭[#「回想・料亭」はゴシック体](夜)
恒子の赤くマニキュアした指が、テーブルの上の封筒を押しやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造(声)「情報の黒幕のリストは、のどから手がでるほど、欲しかった」
恒子(声)「子供たち、元気ですか」
[#ここで字下げ終わり]
恒子の目。
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](夜)
深く頭を下げる謙造、朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「今さら、こんなこと言えた義理ではないんだが――ほうっておくわけには――勿論《もちろん》、籍も抜いてある。アカの他人だ、しかし――」
朋子「あたしも同じこと、考えてた――」
謙造「―――」
朋子「さっき、あなた、恒子! って呼んだわね。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あたし、あの人が肌をみせてすわってたことよりも、あの声の方が心に刺さったわ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「―――」
朋子「残していった二人の子供や、あなたや、このうちに対する未練――精神のバランスが狂うほどの未練――あたし、負けたと思ったわ。でも、もっと決定的に負けたのは、あなたのあの声よ、あたし、あんな声で呼ばれたこと、一度もなかった――」
謙造「―――」
朋子「別れたほうがいいわ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの人の面倒、みてあげなくちゃ、気の毒よ。
[#1字下げ]でも、あたしは、なんなの?
[#1字下げ]十三年間、あの人の捨ててった子供を育てた、あたしはなんなの?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「―――」
朋子「たばこ、ください」
謙造「たばこ? 朋子、お前、いつからたばこ――」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、謙造のすいかけのたばこをうばいとり、馴《な》れない手つきですう。むせる。
謙造、背中を叩こうとするが、朋子、身をひいてむせびながら涙を拭く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「ああ、にがい、にがい――」
[#ここで字下げ終わり]
ガタンと音。
竜二が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いっぱいのまなきゃねむれんなあ(竜二をさそっている)」
竜二「オレ、ちょっと――友達ンとこ」
謙造「何時だと思ってるんだ」
朋子「いってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「お母さんが心配なのよ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」・二階[#「バー「ブーメラン」・二階」はゴシック体]
ベッドでねむる恒子。
見ている杉男。
●泉のアパート・廊下[#「泉のアパート・廊下」はゴシック体](夜)
表札の前に立っている竜二。
ノックしかけるが迷い、やめて、立っている。
隣りのドアに若いサラリーマンが入ってゆく。
赤ん坊の泣き声。
テレビの歌番組。
出しっぱなしの三輪車、子供の野球道具。
平均的市民の健康な暮しがここにある。
立っている竜二。
いま入ったドアがあく、若い主婦。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
主婦「ちょっと、島田さんなら、中にいるんじゃないの? (呟《つぶや》く)そんなとこに、いつまでも立ってられたら、落着いてねられやしない」
[#ここで字下げ終わり]
ドアがあいて泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「コーヒーぐらいならごちそうしてあげる」
[#ここで字下げ終わり]
●泉のアパート[#「泉のアパート」はゴシック体](夜)
コーヒーをわかす泉と竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「おふくろさん、本格的にここの(頭の)パーツがぶっこわれたらしい。ハハ、ハハ、ハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
竜二の笑い声が引きつり、嗚咽《おえつ》にかわる。
じっとみつめる泉。
黙ってコーヒーを手渡してやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「早く、お母さんとこ行ってあげなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・重光の部屋[#「黒沼家・重光の部屋」はゴシック体](深夜)
障子をはる朋子。
ブランディをのむ謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「このうちの障子も、ずい分何回も、はりかえたわねえ」
謙造「―――」
朋子「きた当座は、障子のはり方も知らなくて、おばあちゃまにずい分いや味いわれたわ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はるあとから杉男さんや竜二さんが、いたずらして破いて。――やっと破らなくなって、あたしもはるのうまくなったら、もうお仕舞なのね」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「―――」
朋子「たばこ――」
謙造「またむせるぞ」
朋子「のりの匂いが、いやなのよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、何か心にひっかかるものがあるらしい。
朋子の目をのぞきこむようにする。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
下の長椅子にすわっている杉男と竜二。
竜二がポツンという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「おふくろ、どして、うち出たの」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](深夜)
となりの部屋で、たばこをすっている謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「不始末をしたからさ」
[#ここで字下げ終わり]
寝室から朋子の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「外泊ですか」
謙造「それよりも、子供死なせたことだろうな」
朋子「―――」
謙造「あの頃、わたしは、バンコックへ出張でね、一年ばかり、うちをあけてた。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]わたしは、向うで現地の子と……適当にやっていたし、そのニュースが耳に入っていたんだろうねえ。『しゅうとめ』と折り合いが悪くてクシャクシャしてたんだろう。友達と酒を飲んで、あけ方帰って来た」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(声)「何もなかった、潔白だったって――」
謙造「たとえ、何かあったとしても、やってゆくつもりでいた、子供も三人いたし、わたしも威張れた夫ではなかった――」
朋子「―――」
謙造「しかし、かぜをひいていた光子が、肺炎になって、助からなかった――おふくろは、あの晩母親がついててやれば助かったといって――ひとことも口を利かなかった。恒子は、三日目にうちを出て行ったよ」
朋子(声)「光子さんて、杉男さんが可愛がってたんですってね」
謙造「―――」
[#ここで字下げ終わり]
SE 風の音
謙造、少しあいた窓をしめる。
そのまま立っている。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](深夜)
SE 風の音に雨がまじる
杉男。
竜二。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「窓、しめた方がいいんじゃないかな」
杉男「え?」
竜二「窓。しめないと、カゼひくよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、窓をしめながら、ふと手がとまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「窓か――」
竜二「まあ、オレたちでかいからさ、光子みたいに肺炎になって死ぬこともないけどさ」
杉男「――窓か、窓……」
[#ここで字下げ終わり]
SE 風雨の音
何か思い出せそうで思い出せない杉男。
●病院・医局[#「病院・医局」はゴシック体]
杉男のところへ朋子が来ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「邪魔は判ってるんだけど――気になって」
杉男「いま、脳波調べて、データが揃《そろ》ったところで荒井教授の特診のアポイントメントとってあるから」
朋子「――ひとつだけ、言っていい」
杉男「―――」
朋子「杉男さん、背負いこむことないわよ」
杉男「―――」
朋子「お母さん……、杉男さん、まだ若いんだから」
杉男「そんなつもりじゃないよ。オレたち捨ててったおふくろだからね、診断がついたら、身寄りの人間に引き取ってもらうよ。今頃おやじさん連絡してるんじゃないかな」
朋子「――謙造は自分で面倒みるつもりじゃないの」
杉男「―――」
朋子「別れてくれっていわれたわ」
杉男「そんなバカな! もとは夫婦でも、いまはあかの他人じゃないか」
朋子「あの二人、いつまでも、気持の上では夫婦よ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いっぺん夫婦だった男と女って、どんなに歳月がたっても、他人にはなれないのよ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「―――」
朋子「それとね、あたし、謙造のそういうとこ、嫌いじゃないの、籍入ってないんだから、どうなっても責任ないって――いうのよか、情があって好きだわ」
杉男「オレ、お母さんのそういうとこ嫌いだな。欲しいものありゃ、とりゃいいじゃないか。どんなに相手に同情しても、これだけはゆずれないと思ったら」
[#ここで字下げ終わり]
根岸むつ子に手を引かれて入ってくる恒子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
むつ子「こちらで少しお待ち下さい」
杉男「お世話さま」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、アッとなる。
しかし、恒子は少し焦点のぼんやりしたおだやかな笑顔をむける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「いつ頃でいらっしゃいます?」
朋子「は?」
恒子「お目立ちにならないから、春かしら?」
朋子「あ、いえ――」
恒子「このへんでわかりますのよ(眉のあたりを指す)。あたしね、若い頃から、何にもあたらなかったけど、これだけは当るの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おめでたになると、眉とこのへんがちがうのよ」
目の下をさわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「――(小さな叫びを上げる)」
恒子「フフ、実はあたくしもそうなの。ほーら、いい年してお恥かしいけど、こればっかりはさずかりものですものねえ」
[#ここで字下げ終わり]
小さく叫び声をあげる朋子。
そして杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――(うめく)お母さん!」
[#ここで字下げ終わり]
杉男の目にたじろいで、顔をそむける朋子。
小走りに出てゆく。
恒子、二人の様子で、何か感ずるところがあるらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「――今のかた、どなた――」
[#ここで字下げ終わり]
思い出せない自分にいらだって不安になっている。
●道[#「道」はゴシック体]
歩く朋子。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
荷物を運び出したガランとした部屋。
段ボールの箱が大小、二つ三つころがっているだけ。
紙コップで缶ビールをのむ時子。
SE ドア・チャイム
時子、飛びつく様にドアにかけ寄り、ドアのかげに身を隠す様にしてあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「あなた!」
[#ここで字下げ終わり]
とびつく。
入ってきたのは朋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「どう言う訳か、あんたとそっくりなのよ、チャイムのならし方――」
朋子「ああ、門倉さん!」
時子「来るわけないのに、万一来たらどうしようか、と思うと出てゆけないのよ――バカの見本」
朋子「―――」
時子「今頃、また新しいのさがしてるかな――奥さんとこへのこのこ帰る様な人じゃないもの。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの人の奥さんね、知り合った頃、ここに赤アザがあったのよ、顔の半分、こっち側にベタッと。みんな、わるいと思って、こっち側にしか坐らなかったのを、あの人、わざとこっち側に坐って一緒にお茶のんだのよ。でも結婚して、奥さんが手術して、アザとってしまったら、スーッと気持が冷えて、次はアタシ――フフ、フフ、あの人、女が不幸せで、みにくいうちがいいのよね。みちたりてくると、あきるのよ――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
時子「口がうまくて、ええかっこしいで、いい加減で、実がなくて、無責任で、嘘《うそ》つきで、気分屋で、外面がよくて、ヒモで、気取り屋で、タカリ屋で、怠け者で――もう男としちゃカスだと思ったけど――ほかの人に無いとこあったわねえ。あたしが『ひとりで淋しい』って言ったら『男にあきたっていうまで、一緒にいてやる』って言って――仕事もなにも休んで、三日四晩あたしと一緒にいてくれたの」
朋子「―――」
時子「何かあったんじゃないの」
朋子「――子供出来ちゃった」
[#ここで字下げ終わり]
時子、ビールを手渡す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「……おめでとう」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、ビールに口をつけず、むき出しの床にこぼす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「もう、大事とってる?」
朋子「(首を振る)」
[#ここで字下げ終わり]
時子、じっと朋子を見る。
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「病院なら、一緒についていってあげる。こうみえたって、あたし先輩なんだから――」
[#ここで字下げ終わり]
笑う時子。
●日枝建設・重役室[#「日枝建設・重役室」はゴシック体]
玉木専務と謙造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「山科《やましな》コン包――? だんだん出向先が格下げですねえ」
玉木「マージャンと同じでね、いいパイが来たときに、つもっといた方がいいんじゃないの」
謙造「――専務、トカゲのしっぽ切りっての御存知ですか」
玉木「わたしは、爬虫《はちゆう》類は苦手でね」
謙造「ワニ皮のベルトしておられるじゃないですか」
玉木「もらいものまでは、仕方ないだろ」
謙造「ベルトももらいもの、ネクタイももらいもの。フトコロもいたまず、手を汚さず、気に入らないだとか、何とか言いながら、けっこう重宝なさってるじゃないですか」
玉木「やめるつもりならいいけどね、黒沼君、いるつもりなら、言いたい事の半分にすることだな」
謙造「これで一割ですよ。公判はまだ先のことでしょうが――お嬢さん、お元気ですか」
玉木「君の奥さん――前の細君の方だが――お元気かね」
謙造「――元気です」
[#ここで字下げ終わり]
●黒沼家・表[#「黒沼家・表」はゴシック体](夕方)
バドミントンをして遊んでいる子供達。
帰ってくる朋子。
●黒沼家・玄関[#「黒沼家・玄関」はゴシック体]
帰ってくる朋子。
玄関のところに杉男が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「病人、ほうっておいて大丈夫なの」
杉男「診断の結果はまだだけど――さっき口走ってたあれ――妄想か、想像妊娠か、どっちかだって」
朋子「(ドアをあけながら)想像妊娠って、本当にあるの」
杉男「あるらしいね。人間だけじゃなくて犬や猫や、ネズミだって」
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
ドアをあけた朋子、中へ入る。
杉男もあとから追って入りながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さん、お母さんのは」
[#ここで字下げ終わり]
口ごもりながら、言いかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あたしのも想像妊娠」
杉男「嘘だ!」
朋子「本当よ。杉男さんや竜二さん見てると羨《うらやま》しかったもの。あんなやさしい母親思いの息子持ったら、女として幸せだなって、ねたましかったもの。毎日そう思って見てたからあたし、出来てもいないのに、そんな気になったのね」
杉男「嘘だ!」
朋子「どうして嘘だって判るの」
杉男「おふくろが――そういった時、お母さんの顔色が」
朋子「忙しいんだから、そこどいてちょうだい」
杉男「晩メシの支度なら、オレ手伝うよ」
[#ここで字下げ終わり]
杉男を振り切って階段を上ってゆく朋子。
あとを追う杉男。
例のきしむところを踏む。
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](夕方)
荷物を片づけている感じの朋子。
半端な感じで廊下に立っている杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「まさか、うち出て行くんじゃないだろうね」
朋子「杉男さん。あたし、お父さんから、別れてくれって言われたのよ」
杉男「生まないの」
朋子「想像妊娠なのよ、生まれるわけないでしょ」
杉男「生まれれば、俺の妹か、弟だよ」
朋子「――本当のお母さんのこと考えないの? あたしに生れるって判ったら、あなたのお母さん、生きてく元気なくすんじゃないの」
杉男「自業自得だよ」
朋子「お母さんのこと好きなくせに」
杉男「子供の時は、ステキなおふくろだと思ってたよ。だけど、今は――憐《あわれ》みしかないな。うす汚れて、下品になって――メチャクチャで――外泊して、子供死なせる様な母親なんて」
朋子「光子さんの事、好きだったのね」
杉男「オレになついていたから――そこのとこに、小さいベビー・ベッド、あったんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
窓際を指す杉男。
朋子、窓を少しあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「風邪ひいて、熱があったのに、窓あけっぱなしで出かけて――朝帰った時は、肺炎起して――」
[#ここで字下げ終わり]
バドミントンの音、聞こえてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
杉男「今でも覚えてるなあ、雨と風が強くて」
[#ここで字下げ終わり]
まわりの色が消えてセピアの色調。
画面はそのまま十三年前の色になる。
●回想・夫婦の部屋[#「回想・夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
ベビー・ベッドに三歳位の女の子が寝ている。
スタンドのほのぐらい光の中に、窓があいてバタンバタンといっている。
外は烈しい風雨。
雨が吹きこんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(声)「夜通し、窓がバタンバタンて、気になって、夜中に、しめに来たんだけど、金具がさびついて――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男の声がだんだんと力弱く、心許《こころもと》なくなってくる。
バドミントンの音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男(声)「そうじゃない。夜中に光子の顔、見に来たんだ。窓はしまってたけど、そこのとこにバドミントンの羽根がひっかかってたんだ。窓あけて、それ、とって、しめようとしたら、しまらなかった。そのままにして寝て、朝起きたら雨が吹きこんで、光子はぬれて肺炎になって」
恒子(声)「申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・重光の部屋[#「回想・重光の部屋」はゴシック体]
ふすまのすきまから少年がのぞく感じ。
小さなフトンに白布をかけた小さななきがら。
しゅうと、しゅうとめの前に手をついて頭をたれている恒子の後ろ姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
しゅうとめ(声)「あやまったって、光子は生き返りゃせん。熱のある子供を窓をあけっぱなしの部屋におきっぱなしにして外泊するなんて」
[#ここで字下げ終わり]
ガラリとふすまをあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
少年「お母さん、ボク」
恒子「(ふり向く)杉男さん、またねぼけたのね」
[#ここで字下げ終わり]
出てくる恒子。
やつれはてているが、杉男にはやさしい声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「自分の部屋へいっておやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●回想・夫婦の部屋[#「回想・夫婦の部屋」はゴシック体]
セピア色調。風雨に窓がバタバタといっている。
やつれた恒子がやわらかい口調で、うしろ向きの少年に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「バドミントンの羽根ひろったっていうけど、どこにあるの。引出しの中さがしたってないでしょ。杉男ちゃん、寝ぼけた時の話、人にすると笑われるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
●夫婦の部屋[#「夫婦の部屋」はゴシック体](夕方)
朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「ねぼけたんじゃないよ。雨にぬれて、死んだニワトリみたいにくっついたバドミントンの羽根のかたち、ちゃんと覚えてるもの」
朋子「そのハネ、どしたの」
杉男「おふくろがかくしたんだ。妹を死なせてしまったことで一生、苦しむのをかわいそうだと思って」
朋子「自分で罪をかぶったのね」
杉男「――あ」
朋子「なにか」
杉男「じいちゃんだけは、オレ、言ったんじゃないかな」
[#ここで字下げ終わり]
●重光の部屋[#「重光の部屋」はゴシック体](夜)
天袋などをさがす朋子と杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「じいちゃん、一日も欠かさず日記つけてたからね」
朋子「昭和三十五年かしら」
杉男「いや三十四年じゃないかな」
[#ここで字下げ終わり]
ほこりだらけの古い日記をめくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「十二月十九日」
朋子「あ――」
[#ここで字下げ終わり]
破りとられている頁。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「一週間分破いてある」
朋子「おじいちゃま知ってらしたのね」
[#ここで字下げ終わり]
重光の写真。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「知ってて、嫁を犠牲にして孫をかばったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「なにをしているんだ」
杉男「―――」
朋子「―――」
謙造「さがしものか――なにかいいものでもみつかったか」
杉男「みつかったよ」
謙造「なんだい」
杉男「光子を死なせたの。オレだってこと」
謙造「―――」
杉男「おふくろさんじゃないってこと判ったんだよ。本当のこといえばおふくろうち出なくて済んだんだよ」
謙造「おい」
杉男「それから(言いかける)」
朋子「それだけよ、それだけでしょ。杉男さん」
[#ここで字下げ終わり]
朋子の強い視線に言えない杉男。
●病院[#「病院」はゴシック体]
廊下のすみ。
杉男が車椅子の恒子に聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「お母さんどうして言わなかったの。窓あけたのは杉男だって。光子を死なせたのは自分じゃないって」
[#ここで字下げ終わり]
体をゆするようにする杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「(ゲラゲラ笑う)くすぐったいじゃないの。いやあねえ、おかあさんくすぐったがりなんだから」
[#ここで字下げ終わり]
クククと笑う。
かなしい杉男。
ついたてのかげで聞く謙造と朋子。
恒子、看護婦に押されて立ち去る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「足が利かないのか」
杉男「神経からきてるらしい。強度の欲求不満から――誰かに抱いて欲しいと思いつめると、こうなることがあるらしいよ」
[#ここで字下げ終わり]
二人――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「直る見込みは」
杉男「―――」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「――おふくろさん、オレにくれないかな」
謙造「おい――」
杉男「オレ、一生面倒みるよ」
謙造「自分の年考えろ。あんな病人かかえこんだら、お前結婚も(言いかける)」
杉男「義理で言ってるんじゃないんだ。そうしたいんだよ、そうしないと気持が落ちつかないんだ、安らぎがないんだ」
謙造「―――」
杉男「いいだろ」
謙造「―――」
杉男「その代り一度でいいからうちに連れて帰らせて欲しいんだ、うちのことばっかり言ってるらしい。一時間でいいんだ。たのみます」
朋子「いつでも――どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
消えているブーメランのネオン。はり紙。
さがしながらくる洋子。
●バー「ブーメラン」[#「バー「ブーメラン」」はゴシック体](夜)
片づけものをしている竜二。
ノック、入ってくる洋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「あ、洋子さん――」
[#ここで字下げ終わり]
二階からおりかけの泉、そのまま。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「あら、お休みなの」
竜二「どうして、ここが」
洋子「杉男さんから伺ったの。本当のお母さんがやってるって伺ってきたんですけど」
[#ここで字下げ終わり]
出てくる泉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
泉「もうおしまいなんです」
洋子「こちら――」
竜二「あの――」
泉「ここのホステス」
洋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
みつめあう二人の女。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「ちょっとおふくろ、具合が悪くなって――」
洋子「それも聞いてます」
泉「ね、竜二さん、あたしの予言あたったわね。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](洋子に)この店の、ブーメランてどういう意味かご存知ですか、これオーストラリアの原住民の武器でブーメランていうんだけどね、こやって投げて、エモノをとるの。
[#1字下げ]もし投げて、エモノにあたらないとグルッともどってきて、自分が傷ついたりたおれたりするんです」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
洋子「お母さん、立ち上れるんですか」
竜二「(首をふる)」
泉「人をねらうと自分にあたるのね。(洋子に)やってみます?」
[#ここで字下げ終わり]
泉、ブーメランをつき出すが、洋子、手を出さない。
●黒沼家・庭[#「黒沼家・庭」はゴシック体]
秋の気配。
落葉、秋の花など。
ゆっくりと恒子の車椅子を押す杉男。
居間にいる謙造と朋子。
たのしげな恒子の話し方。
笑い声が聞こえてくる。
こたえている杉男のはずんだ声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
恒子「あらあら、こけがすっかりダメになっちゃったじゃないの」
杉男「あ、ほんとだ」
恒子「お母さんがせっかく毎日、お米のとぎ汁をかけて丹精したのに」
杉男「となりの猫が、オシッコ、ひっかけたんじゃないかな」
恒子「おとなりって、今井さん」
杉男「今井さん、もうずい分前に越しただろ」
恒子「今、だあれ」
杉男「竹越さんていったかな」
恒子「しょうがないわねえ、おとなりさんの名前ぐらいおぼえときなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
庭の恒子。杉男。
上ってくる杉男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
杉男「もうすぐ連れて帰るから――」
朋子「連れて帰ることないわ。(二人に)あの人、ここに住んだ方がいい。病院より、ここで暮した方がいいわ」
謙造「朋子――」
朋子「このうちに帰りたくて気持も体も、ボロボロになったんでしょ、そうしてあげて」
謙造・杉男「―――」
朋子「十三年――みじかかったわ。毎日たのしいことばかりでもなかったけど、退屈することなかったわ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ただ楽しいことよりもっと大事ないろんなことも教えてもらった。――後悔していません」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「出てゆくのか」
朋子「(明るく笑う)やり直し」
杉男「お母さん――」
[#ここで字下げ終わり]
うしろに竜二が立っている、泉も。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「オレも出てゆくよ」
謙造「―――」
竜二「友達がさ、赤倉でペンションやってるんだ。一緒にやらないかっていうから、オレ」
謙造「大学どうするんだ」
竜二「向かない人間がムリしていくことないよ」
[#ここで字下げ終わり]
竜二、泉を見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「泉さん、一緒にこないか」
泉「(杉男の方を見て言う)あたし、東京にいたいの。東京で、住み込みの口、さがしているんです」
杉男「泉さん――」
[#ここで字下げ終わり]
杉男、はじめて泉をじっと見る。
目を見合う二人。
竜二。
杉男、深く頭を下げる。
恒子が何か昔のなつかしい歌をうたっている。
●時子のマンション[#「時子のマンション」はゴシック体]
ガランとした室内。
窓から外を見ている朋子。
時子――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
時子「――知っている病院だから――」
朋子「―――」
時子「ウデもたしかだし」
朋子「―――」
時子「どうしたの?」
杉男(声)「生まれればオレの妹か弟じゃないか!(エコー)」
朋子「――行くわ」
[#ここで字下げ終わり]
SE ドア・ノック
あく、立っている謙造。
謙造、時子に何か言って頭を下げる。
時子、出てゆく。
こわばった表情で、言葉を待つ朋子。
謙造、意外にやわらかな口調で、低い声でポツリポツリと話す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「久しぶりに暇が出来たんで街を歩いたんだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]今までは、仕事だ出世だ――目の色かえて――何の花が咲いて何の花がちったのか知らない間に年月がすぎていた。
[#1字下げ]落葉をひろったのも生まれてはじめてだよ」
美しく紅葉した落葉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
謙造「いろんな、大事なものを、見落して生きてきたってことに気がついた。人の気持もふみにじった。人の苦しみにも気がつかなかった。もう一度、やり直せたら――
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もう遅いか――」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「―――」
[#ここで字下げ終わり]
謙造、包みを破く。
産衣《うぶぎ》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子「あなた――どうして」
謙造「杉男に聞いた。――どうしてひとこと言ってくれない」
朋子「―――」
謙造「生んでくれ、オレと別れてもいいから生んでくれ。どこかに、小さい、新しいあったかいものが、血を分けたものが生まれて育っていると思えば、オレも生まれかわったつもりで、一からやり直せるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
朋子、謙造を見る。
彼の目に光るものがある。
朋子、産衣を腹にあてがう。
●墓地[#「墓地」はゴシック体]
黒沼家の墓参りをする謙造と朋子。
ユニフォーム姿の竜二(読経が終って――)墓地横の道路からクラクション。
ユニフォーム姿の竜二、オウと手を上げ、墓に一礼し、かけてゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竜二「おやじさんたのみます。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](ふり返って)体、大事にね」
●墓地の道[#「墓地の道」はゴシック体]
秋の気配の中を帰ってゆく謙造と朋子。
謙造、何かひろう。泥に汚れた白い毛糸のベビーソックス。そばの生垣にさしてやる謙造。
見ている朋子。
●黒沼家・サンルーム[#「黒沼家・サンルーム」はゴシック体]
恒子の車椅子を押している杉男。
恒子は実に楽しげに無心に笑っている。
何か花の説明をしているらしい杉男。
うしろで洗濯ものをほしている泉、これも安らかな微笑。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
朋子(N)「家というものは、なんと不思議なものだろう。暗いもの、恐しいもの、楽しいもの、悲しいものをみんなのみこみ、そしらぬ顔で過ぎてゆく。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]熱い心でかかわりあい、あるいはわざと冷たく背中をむけ、泣き笑った家族も、時の大きい流れの中で、いつかは穏やかな日常の顔に戻り、滅びてゆく。
[#1字下げ]そしてその代りに同じ血をもった新しい家族が、また同じようなしたたかなドラマをくり返すのだろう」
●墓地の道[#「墓地の道」はゴシック体]
帰ってゆく謙造と朋子。
二人を見送っている白いベビーソックス。
この作品は昭和六十一年一月新潮文庫版が刊行された。