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だいこんの花
向田邦子
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だいこんの花
NETテレビ(現・テレビ朝日)
「だいこんの花・第四部」として30回連続放映
一九七四年九月五日〜一九七五年三月二七日
●スタッフ
プロデューサー 木村 幹
演出      山内和郎
大井素宏
音楽      冨田 勲
横山菁児
●キャスト
永山忠臣    森繁久彌
誠    竹脇無我
永山 勇    長谷川哲夫
悦子    真屋順子
相馬京太郎   大坂志郎
静子    加藤治子
井村健太郎   松山英太郎
ロクさん    浅若芳太郎
石川源助    牟田悌三
たつ    春川ますみ
はな子   むつみ愛
宇佐見クン   今村広則
久米編集長   金子信雄
土岡ひろし   入川保則
内山      信実恭介
秋子      小牧りさ
風見比呂子   松本留美
順子      水野久美
小虎      都家かつ江
久米純子    桜田淳子
遠藤タツ子   水の江滝子
倉島まり子   いしだあゆみ
進一    三ツ木清隆
徳造    大宮敏充
ふみ江   桜むつ子
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●永山家・廊下[#「永山家・廊下」はゴシック体](朝)
朝。
[#1字下げ]パジャマ姿の誠が起きてくる。大あくび。
[#1字下げ]片手に電気カミソリ、片手でヘソを掻《か》きながら茶の間をのぞく。
[#1字下げ]朝食の膳立《ぜんだ》てがやりかけになっている。
[#1字下げ]台所から忠臣《ただおみ》の声。
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忠臣(声)「おーい、誠!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]舌打ちしながら、台所へゆく誠。
●台所[#「台所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]かつお節をかきながらどなっている忠臣。
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忠臣「誠!」
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[#1字下げ]入ってくる誠。
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誠「誠じゃないよ。どして、オレのかみそり、使うんだよ」
忠臣「え? あ」
誠「使おうと思ったら、白いヒゲがさ、ほら! お父さんにもちゃんと買ってやったろ?」
忠臣「ありゃ型が古いんだよ」
誠「あのね」
忠臣「『親のものは子のもの。子のものは親のもの』嫁さんもらおうかっていう男が、カミソリぐらいでガタガタ言うな」
誠「それとこれとは(言いかける)」
忠臣「葱《ねぎ》、知らないか、葱」
誠「葱?」
忠臣「たしか一本あったと(思ったんだがねえ)」
誠「あッ……」
忠臣「お前……」
誠「ゆうべ、夜中に、オレ……ハムと……インスタント・ラーメンに」
忠臣「一寸《いつすん》ぐらい残しときなさいよ。え? 葱入れない納豆なんてものは」
誠「カラシとかつぶし入れりゃ大丈夫だって」
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[#1字下げ]出てゆこうとする誠に、
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忠臣「これ、ほら、そっち……(納豆の小鉢《こばち》をわたし)空手《からて》でゆくなよ、え?」
誠「(こっちも中ッ腹で)朝なんかね、牛乳一本でいいんだよ。毎朝、おみおつけだ納豆だ……こんなうち、ないよ」
忠臣「バカモノ。朝メシしっかり食わないから、お前ンとこの」
誠「道路工事やってんじゃないんだからさ」
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[#1字下げ]忠臣、ナベを手に追っかけて、父子、言い争いしながら、茶の間に。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]食卓につく忠臣と誠。
[#1字下げ]忠臣は馴《な》れた手つきで朝食をつけ、誠は朝刊をひろげながら父子げんかのつづき。
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忠臣「出版社だって同じことですよ。だからお前ンとこで出す本は、ヘナヘナして、腰が決ンないんだよ」
誠「女性向きだからね、そんな」
忠臣「ほら、新聞!」
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[#1字下げ]邪魔ですよ! とばかり小意地悪く払いのける。
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誠「なんだよ」
忠臣「どこの世界にね、年とったおやじにメシの支度させて、のうのうと新聞よんでる倅《せがれ》が」
誠「だってさ、オレ、手伝うと、ヘタだ、不器ッチョで見てらんないから、手、出すなって言うじゃないか」
忠臣「たまにはね、手伝いましょうかぐらいいったって、バチは……アチチチ。大体、お前がモタモタしてんだよ。つきあって半年だろ? いまだにラチがあかんというのは、男として欠陥が……ほら、茶碗《ちやわん》ぐらい取ンなさいよ」
誠「(手荒に受け取りながら、わざとブッキラ棒に)もうすぐなんだから……文句言うんじゃないよ」
忠臣「えッ!」
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[#1字下げ]ハッとなる忠臣。
[#1字下げ]態度は一変。自分のことのように興奮、感動して……笑みくずれる。
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忠臣「比呂子《ひろこ》さんかッ!」
誠「今晩……帰りに……話してみようかと思ってんだ」
忠臣「プ、プロポーズか!」
誠「ツバ、とばすんじゃないよ」
忠臣「……そうかァ……とうとう決めたか……カアッ!」
誠「……(食べながら)お父さん……いいだろ」
忠臣「……(うれしいくせに鹿爪《しかつめ》らしく)まあ、いろいろ難はあるがね、今どきの若い娘にしちゃ、マシなほうだろ」
誠「(食べている)」
忠臣「それじゃあなにか、今晩、お前は、比呂子さんのお宅へあがって」
誠「彼女、兄さん夫婦と一緒だから……今晩は二人で……メシでも食いながら」
忠臣「いや、こういうハナシは、親御さんの前に両手をついてだな『お嬢さんを頂戴《ちようだい》(やりかける)』」
誠「両親は岡山だから」
忠臣「魚がうまいぞ、岡山は」
誠「魚はカンケイないよ」
忠臣「わたしも一緒に」
誠「そりゃまた、あとでね、機会作るから」
忠臣「……この節は、何でも当人同士だね。ま、いいだろ……そうか……比呂子さんか……」
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[#1字下げ]忠臣、ちょっとガッカリするが、気を取り直して、茶ダンスから何やら取り出して、ニヤニヤする。
誠「なんだよ」
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[#1字下げ]誠、のぞきこむ。
[#1字下げ]忠臣、わざと焦《じ》らして体でかくす。誠、見て……
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誠「アレ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]日高のカウンターをバックに忠臣が、若い娘(比呂子)の肩を抱くようにしてうつっているスナップ。
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誠「比呂子さんと一緒じゃないか。こんなの、いつ撮ったの」
忠臣「ヘヘヘヘ」
誠「アレ?」
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[#1字下げ]もう一枚は、ご存知、「海軍」の京太郎と源助が、両側にまじったスナップ。
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誠「日高のおじさんも石川のおじさんも一緒じゃないの。アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]更に、もう一枚は、それに静子、たつの女房《にようぼう》たちもまじって、なごやかにうつっている。
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誠「おばさんたちまで……ケッ! 参ったね」
忠臣「いずれ、コトが決まれば、お妃《きさき》教育は、この連中に頼まにゃならんからな」
誠「そういうことはね」
忠臣「(言わさない)おい誠。今晩な、プロポーズをやってだ、それからどうする?」
誠「どうって」
忠臣「(乾杯)やんだろ」
誠「そら、まあ、ね」
忠臣「どこでやる? バーか?」
誠「(警戒)お父さん、来なくていいからね。こういうことは、(二人だけ)」
忠臣「……帰りに『日高』へ寄れ」
誠「『日高』?」
忠臣「比呂子さんと一緒に顔見せてくれよ。な、アタシにも、おめでとう、言わせてくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、何か言いかけるが、父の哀願の目にあうと言えなくなる。
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誠「九時過ぎになるよ」
忠臣「何時でも待ってるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、食べかけて、ふとハシをおく。
[#1字下げ]スナップを手に立ち上る。
[#1字下げ]アレ? もう食べないの、という感じで見上げる誠。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]仏壇。燈明《とうみよう》をともしている忠臣。
[#1字下げ]亡妻の写真に比呂子と自分のスナップを供えている。
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忠臣「母さん……やっと決ったよ。比呂子さんていってね、年は二十三だ。ちょっとお化粧は派手だけど、いい娘さんだよ。母さん、生きてたら、いろいろ教えてもら……(ふっと絶句する)早く死んじまって、バカだよ、母さんは……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鼻をすする忠臣。
[#1字下げ]ふと、入口に立っている誠に気づいて、テレくさくなる。
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忠臣「(急ににぎやかな声になって)おい、今日はうんと洒落《しやれ》てけよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部のドア[#「「女性時代」編集部のドア」はゴシック体]
[#1字下げ]くわえたばこの久米編集長が悠々《ゆうゆう》と入ってゆく。
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]附録の料理の本を手に電話口でペコペコあやまっている誠。
[#1字下げ]隣りの席の土岡ひろしが、たばこをくわえさせて、ライターをつけてやったりしている。
[#1字下げ]OLの秋子、カメラマンの内山。
[#1字下げ]うしろに立って、嬉《うれ》しそうに観察する久米編集長。
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誠「申しわけありません。おっしゃる通り塩は『ひとつかみ』じゃなくて、『ひとつまみ』です。こっちのミス・プリ……いや、誤植で……はあ。はあ……今月号に早速訂正とお詫《わ》びをのせますから……はあ、引きつづきご愛読いただければ……はあ、申しわけありません。以後気をつけます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「そうお。今日のお詫び担当重役は誠ちゃんなの?」
土岡「出がけに床屋いったってんで、一番遅くきたんすよ。それでね、電話当番……」
誠「そりゃたしかに、ミス・プリやったこっちも悪いけどさ、女だろ? 五人前の味つけに、塩ひとつかみ、入れたらどんなことになるか判《わか》んないほうがどうかしてるよ」
土岡「近頃《ちかごろ》の女の子は、そういうのが多いの」
久米「うちの本、買って下さるのはみんなそういうかたなのよ。日本中の若い女の子が、何から何までご存知だったら、うちの会社はあしたにでもパターンよ」
土岡「そういうわけか」
久米「そういうわけよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「ほらほら誠ちゃん」
誠「『女性時代』編集部です。このたびはどうも申しわけありません。全くミス・プリで、塩は、ひとつまみ、はあ? あ、カメラの内山さん……あ、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんなあきれかえる。内山取って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内山「あ、どうも……はあ、はあ」
秋子「あわてないでね、永山さん」
土岡「被害|妄想《もうそう》にもなるよな。朝から立てつづけだもの……」
久米「可哀《かわい》そうだと思ったら、秋子ちゃん、お茶、入れてやって頂戴。ついでにわちき[#「わちき」に傍点]にも一杯……」
秋子「ハイ!」
久米「そうそう。(土岡と誠に)奥村さんねえ、資料まとめて今晩七時に伺いたいっていうんだけど、アタシゃ、座談会はずせないんでねえ。誠ちゃん、つきあって頂戴な」
誠「はあ……」
久米「編集プラン、ようく説明して……」
誠「はあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、自分の席にもどる。あいまいな返事の誠を、気にする土岡。
[#1字下げ]誠、少し迷うが、立って久米のデスクに、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あのう、編集長……」
久米「『すみませんが、今晩は早目に帰りたいんですが……』」
誠「編集長……どして、そんな」
久米「そのくらい判んなくちゃ、『長』のつく名刺は、持てないのよ。誠ちゃんのネクタイ見りゃ、そのくらい……」
誠「いや、あの……」
久米「お見合いざんすか」
土岡「いや、その段階じゃないな」
誠「いや、その」
土岡「七時の奥村さんの件は、ぼくが代りますよ」
誠「土岡さん……」
久米「男の仲好《なかよ》しって、いやらしいわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店・店[#「石川酒店・店」はゴシック体]
[#1字下げ]主人の源助を相手に油を売っている忠臣。
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源助「誠さんがお嫁さんねえ……。ついこの間までヒャラーリヒャラリーロ、なんて『笛吹童子』の歌、歌ってたと思ってたのになあ」
忠臣「おたがい、年とるわけだよ」
源助「いや、艦長はお年の割にゃお若い(言いかける)」
忠臣「石川のお世辞聞きに寄ったんじゃないんだよ。ま、そんなわけだからして今晩、ほんの心祝い」
源助「(言わせない)(どなる)えー、永山さん、二級酒一本、お届けね」
忠臣「おいおい、あたしはね、二級酒はやりませんよ」
源助「(小さく)ということにして、いつも特級お届けしてるじゃないすか」
忠臣「判ってる判ってる」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろのレジで、ニヤニヤしている娘のはな子。
[#1字下げ]伸び伸びとした女の子だが、鼻の頭に小豆《あずき》粒大の「ほくろ」がある(通称、鼻黒)。
[#1字下げ]多少、あわてる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「(小さくブツブツ)なんだ、はな子の奴《やつ》、いたのか。おい、永山さんとこな、二級酒一本お届けよ!」
はな子「……ということにして特級酒三本お届け!」
源助「おい、はな子!」
はな子「大丈夫よ、お母ちゃんには言わないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]片手拝みの源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「鼻黒一水! いつもすまなく思っておるぞ!」
はな子「(ふざけて敬礼)ハッ! 艦長殿!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]石川酒店の前かけで手をふきながら出てくる、たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ちょいと永山さん。人の娘だと思って鼻黒鼻黒……気易《きやす》く呼ばないで下さいよ」
忠臣「いやあ、奥さん」
たつ「ちゃんとはな子って名前があンだから」
忠臣「だけどさ」
たつ「そろそろ年頃なんですからね、ほら、お父ちゃんもそんなとこでポカッと鼻毛なんか抜いてないで、同じつきあうにしても、はな子の縁談のひとつも持ってきて下さるかたと」
忠臣「そうすると、元艦長永山忠臣なんて人間はお呼びでないわけだ。では、ご無礼」
源助「艦長! (引っぱって、たつに)おい、何てことを」
たつ「だってあんた。一日も早くスーパーにしようと思って、こっちはやりくりしてるってのに、店の酒ちょろまかして」
源助「おい!」
たつ「おまけに人の娘つかまえて鼻黒なんていわれたんじゃあ、結婚に差支《さしつか》えるでしょ!」
源助「あいた、おい」
忠臣「あいたた、いたいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はな子、団子になってもみあう三人をさばいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「(サラリと)結婚のハナシは五年早いよ」
たつ「お前、そんなのんきなこといってたら」
忠臣「いいじゃないか、なあ鼻黒」
たつ「また鼻黒。もうそのほくろ、取っちゃおうかねえ」
忠臣「冗談いっちゃいけませんよ。このほくろがいとしくて、一生そばで見ていたい……そういう男にめぐりあうまでは、なあ鼻黒一水!」
はな子「ハッ! 艦長殿(敬礼)」
忠臣「(こたえて)とんびがタカを生んだってのはこのことだね。では、ご無礼……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悠々とゆきかけて、アッと気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうだ、忘れとった。今晩八時『日高』……で乾杯だ」
源助「今晩八時『日高』……」
たつ「ちょっとアンタ!」
源助「誠さんのお嫁さんが決ったんだよ」
たつ「ちょいと永山さん、どしてそれ言わないのよォ!(ブン殴る)」
忠臣「あいた!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の看板[#「「日高」の看板」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]灯《ひ》がともっている。
[#1字下げ]中からにぎやかな笑い声。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターに例のスナップをおいて、盃《さかずき》をかたむける忠臣。
[#1字下げ]京太郎、板前のロクさん。酌《しやく》をする静子。
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京太郎「艦長。おめでとうございます」
忠臣「おめでとうはまだ早いだろ。ま、いいか」
静子「これで永山さんも、お楽が出来ますわねえ」
忠臣「奥さん、その節はひとつ『お妃教育』のほうを」
静子「そんな教育なんて」
忠臣「比呂子さんねえ、親元はなれて育っとるせいか、女として一通りのことがどうも」
京太郎「あ、それなら、うちの静子……お茶、お花」
忠臣「相馬に言っとるんじゃないんだよ。ねえ、奥さん」
静子「あたしよりも、石川の奥さんの方が苦労してらっしゃるし」
忠臣「ありゃね、気はいいんだが、どうも人間がガサツ(外をうかがって)」
静子「そんな」
忠臣「あたしとしては、ぜひ奥さんにお引受けを」
京太郎「それなら、うちの静子」
忠臣「あんたにいってんじゃないんだよ。それから式はやっぱり」
京太郎「来年の春でしょうなあ」
忠臣「アンタに言っとりゃせんよ。奥さんに」
静子「まあ、おつきあい半年で春でしょうねえ」
忠臣「暮じゃいけませんかな」
静子「暮にお式……」
京太郎「正月は新婚ホヤホヤの誠さんとおやこ三人でおめでとう……いいんじゃないすか」
忠臣「アンタにゃ聞いてないって」
たつ)「こんばんはァ」
源助  「おそくなりました!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる石川夫婦。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「おう!」
静子「まあ、石川さん、お揃《そろ》いで」
ロク「いらっしゃいまし」
忠臣「さあ、こっちこっち」
源助「あれ? 誠さんたち……」
京太郎「あわて者だねえ、石川も」
忠臣「今頃はプロポーズのまっ最中じゃないの」
京太郎「『……比呂子さん、ぼくと結婚して下さい』」
忠臣「月並なんだよ、相馬のは」
京太郎「(ムッとなって)じゃあ、何ていやあいいんですよ」
源助「まあまあ相馬|中尉《ちゆうい》」
静子「あなた……」
忠臣「ほらほら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、京太郎に酌をしてやって……一同、盃をあげる。忠臣、写真に乾杯しながら、うっとりとため息。
[#ここで字下げ終わり]
●レストラン[#「レストラン」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]向いあう誠と比呂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「やっぱりそうだったのね」
誠「(え?)」
比呂子「誠さん、今晩きっと申し込んで下さる……あたし、そんな気がしたの。だから、一番似合うドレス着てきたのよ」
誠「……返事は、いますぐでなくてもいいんだ。ご両親やお兄さんたちに相談してからでも」
比呂子「ううん、あたしの気持は決ってるわ」
誠「……比呂子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]比呂子の手を取る誠。
[#1字下げ]比呂子、手をあずけながら、誠の目をじっと見ていう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「誠さん一人なら、あたし、この場でOKだわ」
誠「比呂子さん……」
比呂子「でも、お父さんと一緒じゃあ、あたし、自信がないの」
誠「………」
比呂子「誠さん、あなた次男だったわよね」
誠「でもね、兄貴とおやじはソリが合わないんだよ。兄貴の嫁さんとも、どういうもんか」
比呂子「そりゃ、お父さん、悪い人じゃないわ。でも、ナミじゃないもの。いろいろと大変な人ですもの」
誠「そりゃ判《わか》ってる。だからぼくが、かげになり日向《ひなた》になって」
比呂子「何をして下さるの? 男の人は会社へ行ってしまうからそれでいいわ。でも、お嫁さんはそのあとの一日、おしゅうとさんと鼻つきあわせて暮さなきゃならないのよ」
誠「でもねえ、おやじも年だから、そういつまでも今の元気は」
比呂子「元気がなくなるってことは、体が弱るってことだわ。どっちにしても、世話をするのはあたしよ……」
誠「………」
比呂子「別居するか、老人ホームにいって頂くか……」
誠「それは……」
比呂子「誠さん、あたしを取るか、お父さんを取るかって……聞いたら?」
誠「………」
比呂子「誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
(間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「親を捨てるわけにはいかないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]比呂子、手を外す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「……それじゃあ、あたしたち、サヨナラね」
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]にぎやかに飲む京太郎、源助、静子、たつ。
[#1字下げ]喜色満面で電話をかけている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、勇。誠の奴な、とうとう決めたぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ウイスキーのグラスを片手に電話している勇。
[#1字下げ]レース編みをしている妻の悦子。
[#1字下げ]こちらは万事、当世風。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「フーン」
忠臣(声)「フーンてこたァないだろ、おめでとうぐらい言ったらどうだね。情のうすい奴だな、お前は」
勇「なにも、あわてて電話で言うこたァないだろ」
忠臣(声)「そういうとこがお前の冷たいとこなんだよ、あのな」
勇「ハッキリしたら、一緒にうちへも(言いかける)」
忠臣(声)「あのな」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎たちと忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うまくゆきゃ来年の今頃は、初孫だな。ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器を持った勇、だまりこむ。
[#1字下げ]ふっと気にする悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん、何か」
勇「いやあ」
忠臣(ガンガンひびく声)「おい、お前ンとこはどうしたんだよ。悦子さん、冷え性じゃないのか」
勇「なにいってんだよ!」
悦子「やあねえ」
忠臣(声)「ハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]上きげんで笑いながら受話器を置く忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「長男にも報告しとかんとね」
源助「艦長(盃)」
忠臣「お。(ぐっとのんで)めでたいときの酒はうまいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、盃をあげる。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]相当に廻《まわ》っている一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なにしてんだろな、誠の奴」
京太郎「もう見えますって」
源助「そうだ、ガラッとあいて、誠さんが顔出したら」
たつ・静子「タンタンタン タカタカタン」
忠臣「奥さん、そりゃまだ早い」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入口の所に男のかげ。
[#1字下げ]戸がかすかに開く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠……」
京太郎・源助「おめでとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戸があいて入ってきたのは井村健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「健ちゃん、あんた大阪じゃなかったの」
健太郎「夕方の新幹線でね……それにしても『おめでとう』ってのはいいカンだね」
一同「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、改まって京太郎の前に立って言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「おやじさん、急なんだけどね、近々に東京に転勤になることに」
京太郎「(制して)健太郎さんよ、アンタ、向きが違うんじゃないのかい。アンタ、生んで育ててくれたおっかさんにケツ向けてなにもあたしのほう向いて」
健太郎「おふくろのご亭主《ていしゆ》なら、俺《おれ》にとっちゃおやじだからね」
京太郎「ケッ! こうなると、もう血も義理もないね。ヘ、もつべきものは息子だってさ」
たつ「息子がいなくてすみませんでしたねッ!」
忠臣「ひがむなひがむな」
静子「健ちゃん、あんた転勤て、本当なの」
健太郎「入ったとたん、いきなりおめでとうだろ? どして判ったのかな」
源助「いや、それはねえ、ちがうのよ、健太郎さん」
たつ「誠さんのね、結婚が今晩決るの」
源助「そいでね、比呂子さんてったかしら、その人とここにくることになってんのよ」
健太郎「なんだ。おめでとうはオレじゃなかったわけだ」
忠臣「ひがむなひがむな。それにしても何してやがんだろうなあ、誠の奴は」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]一人だけ残っている土岡が帰り支度をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「たばこのすいがらは大丈夫と……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]コップの水を入れて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「今晩、火事が出ると、つかまるのはオレだもんな。ハイ、OKOK……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電気を消しかけてハッとなる。
[#1字下げ]立っている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「誠ちゃんよ、オレ、ナリはでっかいけど気は小さいんだからさ、おどかさないでくれよな」
誠「土岡さん、一ぱい、どうすか」
土岡「誠ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」のプレート[#「バー「かもめ」のプレート」はゴシック体](夜)
●バー「かもめ」の店[#「バー「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]小ぢんまりした品のいいバー。
[#1字下げ]すでに相当廻っている誠と土岡。
[#1字下げ]ママの順子が相手をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「誠ちゃんよ、今になって『やめにした』はないだろ? オレはね、早けりゃ式はこの秋、そう思ってさ、月賦《げつぷ》でダーク・スーツを」
誠「だから言ってるだろ? 『恥かしながら、振られました』って」
土岡「振ったのか振られたのか!」
誠「振られたの!」
順子「へえ、こんなにステキなひと振る女の子がいるのねえ」
土岡「うれしいねえ、だからオレ、『かもめ』のママさん大好きさ」
順子「ありがと」
土岡「ね、こいつ、誠ちゃんていうの、永山誠……」
順子「さっきから、何べん同じこといってんのよ」
土岡「それからさ、まり子さん」
順子「まり子ちゃん、すぐくるわよ、この人、酔うと同じこと何べんもいうから、きらいよォ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながらも、情のある感じの順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「まり子さん……」
順子「いま、くるわよ。まり子ちゃんも女だけど、あたしだって女よォ」
誠「(酔っている)女なんてものは、いっぱいいるんだよ。だけどね、親ってのは、おやじってのは、一人っきゃいないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立っているまり子、その言葉にハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「(小さく)なに当り前のこと言ってんだよ。酔っぱらったのか、おい」
誠「おやじってのはね、捨てることは、出来ないんだよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠をじっとみつめるまり子。土岡、気がつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「あれ、まり子さん、なに突っ立ってんのよ。ほら、誠ちゃん」
誠「ねえ、土岡さん」
土岡「この人ね、まり子さん。ぼくのごひいき。(引き合せて)誠ちゃん。ぼくの弟……みたいなもン。ハイ二人とも……ドーゾヨロシク」
まり子「こんばんは」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しかし、ムキになって言いかけている誠には目に入らない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「親ってのはね、いらなくなったから、ポイってわけにゃいかないんだよ。ちり紙交換だってね、持ってってくれないんだよ」
土岡「バカ。こんなとこへきてちり紙交換のハナシする奴《やつ》があるか。だからお前さん、振られるんだぞ。ほら、まり子さん、こっちこっち」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、まり子を、自分と誠の間にすわらせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「失礼します」
土岡「どうぞどうぞ」
誠「ねえ、土岡さん」
土岡「土岡さんじゃないんだよ。キレイな人が隣りにすわったらね、こやってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、誠の腕をとって、まり子の肩を抱くように仕向けてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「こう。ほら!」
順子「手間がかかるわねえ。この弟さんは」
土岡「ママさん。ぼくの苦労が判るでしょ? さ、誠ちゃんも、まり子さんも、カンパイといこう。あ、なんだまり子さん、ないよ。まり子さんに水割り!」
誠「カンパイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、どなりながら、まり子の肩に廻《まわ》した手をもどそうとする。
[#1字下げ]とたんに飛び上るまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「キャァ! 痛い痛い!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠の背広の袖《そで》のボタンがまり子の髷《まげ》の飾りにからまって、取れなくなったらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いた、いたいたあいたァ」
土岡「どしたの」
順子「ちょっとまり子ちゃん」
誠「あれ? あッ!」
まり子「いたたた」
順子「袖のボタンとからまったんだわ」
誠「え? あッ! すみません」
まり子「痛いのよ、アイタタ」
誠「あッ」
土岡「お前動くな、バカ。オレが」
まり子「いたたたた」
誠「どして、ボタンが(取ろうとする)」
まり子「いたたた」
順子「あたしがやるから、動かないでよ。ちょっとひろしちゃん、この人、押えて、早く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]酔って、フラフラしている誠を支える土岡。
[#1字下げ]袖と髷とおかしな格好に固定される誠とまり子。
[#1字下げ]ほどいてやりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「ちょっと、ご縁があるんじゃないの」
土岡「おい、誠ちゃんよ、お安くないぞ、畜生!」
まり子「え? やだわ、ママ」
順子「やだわはないでしょ? お世辞でもね、光栄だわぐらいのこといいなさいよ」
まり子「すみません」
誠「こちらこそ、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]恐縮している誠。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]待ちくたびれて酔いつぶれた忠臣が京太郎と源助にかつがれるようにして帰るところ。
[#1字下げ]世話をやく健太郎。
[#1字下げ]見送る静子とたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「わたしは帰りませんよ。待つといったら何時までも」
健太郎「永山さん、若い者はね、若い者同士で、やってんですよ。お祝いはまたの機会ってことで……今晩はお開き、ね」
忠臣「昔はこうじゃなかったね。嫁とるってときに、親おっぽり出しってこたァ」
京太郎「石川、そっちだ」
源助「ハッ!」
忠臣「日本の家族制度も、わたしらの代で……」
京太郎・源助「セーノ」
忠臣「こら、わたしは帰らんぞ」
静子)「お気をつけて」
たつ  「あーあ、手がかかるわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●道[#「道」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]タクシーがとまる。
[#1字下げ]ドアがあいて、フラフラと誠が下りてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おやすみなさい」
土岡「おい誠ちゃん。お前さんはまだなんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]つづいておりた土岡、これもフラフラしながら、誠を車内へ押しこもうとしてもみあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん、オレ……」
土岡「バカ、一緒におりてどうすんだよ。オレがぐるっと送りゃいいんだけどさ、さっきからションベン……判るだろ?」
誠「判る判る」
土岡「まり子さん、たのむ」
誠「おう! (胸を叩《たた》く)」
土岡「タクシー代、あるか」
誠「あるある」
土岡「原稿、落すなよ」
誠「大丈夫大丈夫」
まり子「おやすみなさい」
土岡「おやすみ、おい誠ちゃん、元気出せよ」
誠「大丈夫大丈夫」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をあげてタクシーを見送る土岡。
[#1字下げ]あわてて、生垣《いけがき》の前で立ちションをしようとして犬に吠《ほ》えられる。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]忠臣が源助にかつがれて帰ってきたところ。
[#1字下げ]指揮をとるのは京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ハイ、段があるから、気をつけて」
源助「アイタ、フウ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]重くて、息も絶えだえの源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「さあ、艦長、あっちへ……」
忠臣「何時だ」
京太郎・源助「……」
忠臣「いま、何時だと聞いとるんだ」
源助「……一時、ちょっと廻ったとこですが」
忠臣「一時……夜中の一時か」
京太郎「さあ、艦長、お茶の間へ」
忠臣「待て。あいつら、何をしとるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、顔を見合せて答をさぐりあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「何ってその……」
源助「ねえ……」
忠臣「恋人同士が今の時間までだな、時をすごす健全な場所が」
京太郎「そりゃまあ、深夜スナックとか」
忠臣「そんなとこへゆくくらいならどして『日高』へ寄らないんだ! え?」
京太郎「痛い痛い、艦長、アタシをしめあげたって」
忠臣「わたしだけならともかく、相馬も石川も、細君たちまで、お祝いを言いたい……待ってて下すってるってのに、すっぽかすってのは、一体、どういう了見なのか」
源助「ひょっとして……」
忠臣「なんだよ、石川」
源助「いや……別に、その」
忠臣「何だ、言いなさいよ」
源助「……誠さん、来にくくなったんじゃないすかねえ」
忠臣「どういうイミだ、そりゃ」
源助「つまり(小さく)振られたんじゃないのかなって」
忠臣「バカを言え、バカを! うちの誠はな、そりゃ大学は一流とは言わんよ、成績も、長男みたいに一番で秀才じゃあなかった。しかしね、ここ(ハート)がありますよ。人間として、男としてね」
京太郎「艦長、そりゃ、あたし共だって」
忠臣「見てくれだって、相馬や石川よかなんぼいいか」
二人「………」
忠臣「あんないい奴を振る女がいたら、あたしはね」
京太郎「石川! バカ……(よせと目くばせ)」
源助「もとへ!」
忠臣「うむ!」
源助「誠さんは、振られたんではないんであります」
忠臣「当り前だ!」
源助「誠さんは……そうだよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、急に調子が変って、下世話なヒソヒソバナシになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「……意気投合してさ……」
京太郎「え? あ……」
源助「……昔とちがって、今は入りいいとこ[#「とこ」に傍点]があちこちにあるもんなあ(ウインク)」
京太郎「うむ……」
源助「うちの母ちゃん、口説いて……やっとうんと言わした晩もこうだったよなあ『おい、いいだろ』『だってエ……』『どうせ一緒になるんじゃないか』『だってエ』」
京太郎「アタシは、それ、言えなかったねえ。静子は、男にそういうことをいわせない、こう、品というか」
源助「うちの母ちゃんは、男にそれ言わせる、こう、女としての迫力が」
忠臣「おい!」
二人「は……」
忠臣「それじゃあなにか、誠は、比呂子さんと、その……」
源助「艦長、怒らないの。ね、今は当り前なんだから」
京太郎「見て見ぬフリ」
忠臣「バカモノ! 誠はな、そんな不潔な奴じゃないよ、比呂子さんだってな、式もあげないうちから、男に肌身《はだみ》を許すようなそんないい加減な娘ではないよ!」
源助「(小さく)それじゃあどこへいったのよ」
京太郎「石川(よせよ)」
忠臣「お前達の言い草は、この親をブジョクするもんだぞ!」
二人「ハッ!」
忠臣「バカモノ! 相手を見て物を言え」
二人「ハッ!」
忠臣「とっとと帰れ!」
京太郎「ご無礼しました」
源助「おやすみなさい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]帰ってゆく二人。虚勢を張って、そっぽを向く忠臣、二人の姿が見えなくなるのを待って、ガックリとしてため息をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠の奴、何しとるんだろうなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート・まり子の部屋[#「まり子のアパート・まり子の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]女の部屋らしい調度。三面鏡などあるが、ホステスにしては、落ちついたつつましい感じ。
[#1字下げ]ソファで伸びている誠。
[#1字下げ]足許《あしもと》に「女性時代」編集部のハトロンの封筒が落ちている。
[#1字下げ]そっとドアがあいて、地味なブラウスとスカートに着がえたまり子が入ってくる。
[#1字下げ]足音をしのばせて、裁縫箱をとる。
[#1字下げ]誠をのぞきこむ。
[#1字下げ]ドアから、弟の進一が顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん」
まり子「シッ!」
進一「出来た」
まり子「(そっちゆくわ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆくまり子。
●まり子のアパート・進一の部屋[#「まり子のアパート・進一の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]進一の勉強机の上に、インスタント・ラーメンのドンブリが二つ、湯気をあげている。
[#1字下げ]向いあって食べるまり子と進一。
[#1字下げ]参考書、受験関係の本。
[#1字下げ]進一は頭にアイスノンをくくりつけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おいしい。進ちゃん、あんた大学受けるよか、コックになったほうがいいんじゃないの」
進一「(プンとして、コショウをやたらにかける)」
まり子「ウッ(むせる)」
進一「何て名前……」
まり子「あの人? 永山さんていったかしら?」
進一「なんだ、恋人じゃないの」
まり子「やだわ、今晩はじめてみえたお客さんよ」
進一「フーン。姉さんが店のお客、うちへ連れてきたの、はじめてだからさ」
まり子「あんまり気分が悪そうだったからよ」
進一「それにしたってさ」
まり子「進ちゃんがいなかったら、うちへあげたりしないわよ。それとね……身につまされたからよ」
進一「?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガタンと音がする。
[#1字下げ]ハシをとめるまり子。
●まり子の部屋[#「まり子の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]目を覚して、キョロキョロしている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お水、あげましょうか」
誠「あの、どして、こんなとこ」
まり子「気分は、直ったかしら」
誠「あの、いま、何時」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]腕時計を見る。
[#1字下げ]三時を過ぎている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「晩ごはん、食べないで、お酒飲んだんじゃないの」
誠「ご、ご迷惑かけました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上衣《うわぎ》をつかむ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「大丈夫かしら」
誠「どうも……申しわけない」
まり子「アパートの前右へゆくと表通りですからね、そこでタクシー」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]飛び出してゆく誠。
[#1字下げ]ドアから進一も顔を出す。
[#1字下げ]見送るまり子。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]上りがまちのところで伸びている忠臣。
[#1字下げ]帰ってくる誠。まだ酔いが残っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだよ。こんなとこで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上って、忠臣を奥へ引っぱってゆこうとする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら! お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、目をさます。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠、お前」
誠「こんなとこで寝てたら、風邪ひくだろ」
忠臣「ごまかすな!」
誠「お父さん」
忠臣「あいさつはそれだけか」
誠「え?」
忠臣「あいさつはそれだけかというとるんだ! お前はな、比呂子さん連れて、九時には、『日高』へ来ることになっとったんだぞ! それ、すっぽかしといて」
誠「あ、そうか……」
忠臣「おい、誠」
誠「すまなかったと思ってるよ。だけどね、こっちにもいろいろ事情が」
忠臣「どんな事情だ!」
誠「――(言えない)どうって――いいだろ! なにも、帰ってすぐ玄関先で――人の胸倉、とっつかまえて聞かなくたって――あとでいうよ」
忠臣「どして言えないんだ。プロポーズどうなったんだ」
誠「――(ゆこうとする)」
忠臣「おい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]取っつかまえて――
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お前、今迄《いままで》、どこにいた!」
誠「え?」
忠臣「誰《だれ》とどこにいた!」
誠「――どこって」
忠臣「まさかお前、比呂子さんと――その、口に出して言えんようなやましいところにシケ込んで」
誠「そんなんじゃないよ」
忠臣「それじゃあ、どこにいた」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]押しのけてゆこうとする誠。ゆかせない忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どして、アタシの目、見てひるむんだ」
誠「ひるみゃしないよ」
忠臣「じゃどしていわない! 誰とどこにいたのか、プロポーズのハナシは一体どうなったのか」
誠「(静かにいう)今晩は何にも聞かないでくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってゆく誠。ハッとして足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「――あ、原稿――(忘れた……)しょうがない。あしただ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見送る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何かあったね、ありゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]牛乳屋がきたらしい。
[#1字下げ]ビンのふれあう音――立っている忠臣。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米編集長の前で大弱りの誠。秋子やカメラマンの内山がニヤニヤと見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「原稿忘れたって、どこ? 電車のアミ棚《だな》?」
誠「いや、それがその、バー」
久米「もっと大きなお声でおっしゃいな」
誠「バーの」
久米「バーはどこのなんてバー? カワイ子ちゃん、いるとこ?」
誠「場所はたしか赤坂――あの、土岡さんくると判《わか》るんですが」
久米「ひろしちゃん、どしたの」
秋子「時田先生ンとこで原稿待ち」
誠「どうも申しわけありません」
久米「アチキにあやまるこたァないのよ。でもねえ、編集者が原稿忘れるってことは、武士が大小忘れてきたのと同じでねえ、あんまりお手柄《てがら》にはならないわねえ」
誠「全くどうも――。土岡さん、きたら、バーの名前聞いて、すぐとんでって」
久米「じゃあ、その前に、この伝票、計理へもってって頂戴《ちようだい》。接待費使い過ぎだっていったらね、エサまかなきゃお魚はかかンないのよってあちきの代りに演説してきて頂戴」
誠「はあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、伝票を持って出てゆく。
●「女性時代」編集部・廊下[#「「女性時代」編集部・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]ドアを出た誠。
[#1字下げ]しおたれた身なりの男倉島徳造(62・まり子の実父)がキョロキョロしている(レインコート姿)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あのお」
誠「はあ」
徳造「女性――女性時代の編集部ってのは」
誠「ここですが」
徳造「あ、さいですか、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひざを曲げた卑屈なおじぎ。迷いながらドアを入ってゆく徳造。
[#1字下げ]場違いな感じにちょっと気にしながら、計理のドアを入ってゆく誠。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってきたもののオタオタしている徳造。
[#1字下げ]秋子、内山、編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「あの、どちらさま」
徳造「……永山ちったかな、たしか」
秋子「永山はうちの社員ですけど」
徳造「だからね、永山って人、尋ねてきたんだけどね」
秋子「永山、今、ちょっと席を外してますけど」
久米「秋子ちゃん、どんなご用件か……承って……」
徳造「あちらさん……」
内山「編集長」
徳造「そいじゃあ、あんたでもいいんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ブツブツ言いながら、編集長の席へ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どうもその……なんですわ。うちの姪《めい》がアンタンとこの永山さんに、えらいお世話になったようで」
久米「……永山というと誠ちゃん……」
徳造ははじめから、おどかすつもりはなかったらしい。娘|可愛《かわい》さと大事なタマに虫がつくのを恐れる気持、半々といったところ。
徳造「うちの姪のアバト[#「アバト」に傍点]に何か大事なもの忘れてったもんだからね。お届けかたがた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]レインコートの下から「女性時代」のハトロンの封筒を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「ああ、それは……奴《やつこ》さん、原稿忘れたって、青くなってたけど……」
徳造「そいでね、お届けかたがた一体どういうつもりで、うちの姪とつきあったのか、アスビかシンケンか」
久米「あの……失礼ですが、あなた」
徳造「ですからね、うちの姪の……叔父さんでさ」
久米「いや、ですからさ、あなたの姪御さんは、一体どこのどういうかたか……いきなり言われても、こっちはチンプンカンプンで」
徳造「……言いのがれしとるね、アンタ」
久米「はあ」
徳造「あんたね、バーのホステスってのはね、男をアパートに引っぱりこんでると思ったら大間違いだよ。うちのまり子はね」
久米「下へゆきましょう」
徳造「……え?」
久米「お茶でものみながら、つづきを伺いましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]耳をそばだてる一同。
[#1字下げ]徳造を引っぱって出ようとする久米編集長。
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長、伝票OKです。ガタガタいったすけどね、ぼくが適当に」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、ヘンな空気に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あの、何か」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目で言うなと合図して出てゆく久米と徳造、残る誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「今のオッサン、だあれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]冷たい視線の秋子、ツンとして横を向く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「永山さんも男ね、ゲンメツしたわ」
誠「どしたんだよ」
内山「色々と面倒くさいことになってるよ、永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]ビルの地下にある小ぢんまりした地味なコーヒー専門店。
[#1字下げ]向きあう久米と徳造。
[#1字下げ]一万円札を二、三枚、素早く徳造のポケットに入れる久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あッ! なにを」
久米「まことに些少《さしよう》ですが、お車代です」
徳造「いや、あたしゃそんなつもりで」
久米「ようく判っております。ただね、うちの社員とお宅の姪御さんのことは……こりゃ子供じゃないんだ。まして野中の一軒家じゃあるまいし、お互いに意気投合すればこそ、さそいさそわれたんじゃありませんかな?」
徳造「そりゃ、まあ」
久米「ま、そっちのことはともかく、わざわざ原稿お届けいただいて、ありがとうございました(封筒を取りあげる)」
徳造「いや、アタシはただ、永山って人がアスビかシンケンか……」
久米「ありがとうございました」
徳造「あたしゃ、こんなつもりできたんじゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]押し返そうとするのを押しとどめて、有無を言わさず帰す久米。
[#1字下げ]このあたりで誠が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「ごくろうさまでした。ハイ、どうも……」
徳造「そいじゃあ、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]金を手に帰ってゆく徳造。間に入ろうとする誠。目でとめる久米。出てゆく徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「金、金、渡したんですか」
久米「出世払いでいいのよ。二十年たって、ワチキが老人ホームにいるって聞いたら、ウイスキーの一本もブラ下げて」
誠「冗談じゃないすよ。ぼく、気分が悪くなったんで、ただソファに休んだだけで」
久米「こんどから、原稿だけは忘れないで頂戴よ」
誠「編集長!」
[#ここで字下げ終わり]
●フルーツ・パーラー[#「フルーツ・パーラー」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣と比呂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「(あきれて)失礼ねえ、あたしが誠さんとホテルに泊ったなんて……」
忠臣「いやすまん。間違いならこの通り、いや、あたしゃ、てっきりそうだとばっかり……」
比呂子「いやだわ。もうこれっきりにしましょうって別れた人と、どしてそんなこと」
忠臣「別れた? それじゃ、比呂子さん、アンタ……誠と結婚のハナシは……」
比呂子「あら、誠さん、何にも言わなかったんですか」
忠臣「あとで話す。今晩は何も聞かないでくれ……」
比呂子「……言いにくかったのねえ……」
忠臣「誠のどこが気に入らないんだ? 月給か? それとも」
比呂子「誠さんが気に入らないんじゃないの」
忠臣「比呂子さん、どうか本当のことを言って……(言いかけて)まさか、わたし……」
比呂子「……(うなずく)」
忠臣「………」
比呂子「……誠さん、言ってたわ。『親を捨てるわけにはいかないよ』って……」
忠臣「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]明るい音楽が流れている。若い恋人同士の顔も見える。
[#1字下げ]忠臣、じっとすわっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「……それにしても、誠さん、ゆうべ……一体、誰と……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気になっているらしい比呂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠の奴……バカ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話を受けている秋子。
[#1字下げ]うしろに久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「はあ、永山ですか。著者のお宅、一軒廻って、今日は早目にうちへ帰るって言ってましたけど」
久米「精神的|宿酔《ふつかよ》いですの、って」
秋子「あの、どちらさま……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]席を立つ久米。
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体]
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、恐れ入りますが、ご住所……すみません」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]住所を教えている秋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「二十の十八の六です、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もどってくる久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「どしたの」
秋子「うちの住所って」
久米「男? 女」
秋子「女」
久米「教えたの?」
秋子「まずかったかしら」
久米「ウーム」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]コーヒーを招《よ》ばれている忠臣。
[#1字下げ]レース編みをしている悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「誠さんのおはなしねえ、結納《ゆいのう》はいつ頃《ごろ》に」
忠臣「(話の腰を折って)そこの奥ンとこねえ、たしか六畳がひとつ、あいてたねえ」
悦子「え?」
忠臣「(ゴマスリ風に)年だねえ。この頃は、酒なんかも前の半分でねむくなるしねえ、年とるとハタの人間の手がかかンないように……自然に……出来てんだねえ」
悦子「(気がつく)お父さんがそんな筈《はず》、ないでしょ? 夏の疲れが出たんですよ」
忠臣「奥の六畳(言いかける)誠が新婚の間だけでも、気を利《き》かして」
悦子「あ、コーヒー、こぼさないで下さいね」
忠臣「まあ、長男もいるんだから……誠が新婚の間だけでも、あたしがこっちにその……同居してだな(言いかける)」
悦子「あ、そうそう。来週からね、そっちの六畳で編物教室、はじめようと思って。遊んでてももったいないでしょ?」
忠臣「あ、あ、そう」
悦子「あーあ、こぼして。コーヒーってしみになるんですよ」
忠臣「どうも、おじゃまさんでした……」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ハラハラしている源助。
[#1字下げ]マス酒をキュッとあける忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長。あーあ、大丈夫ですか」
忠臣「石川、男は長生きすると子不孝だぞ、覚えとけよ」
源助「艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ひげのしずくと涙をそっと拭《ふ》いてフラフラと出てゆく。
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]帰ってくる忠臣。
[#1字下げ]アレ? となる。表札をたしかめている若い娘。
[#1字下げ]ホステス風の派手な身なり。まり子。
[#1字下げ]忠臣、近よる。
[#1字下げ]まり子、さりげなく離れる。
[#1字下げ]忠臣、気にしながら入ってゆく。
[#1字下げ]まり子、また住所と表札をたしかめている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あの……」
まり子「あ」
忠臣「何かこのうちの人間にご用ですかな」
まり子「いえ、あの」
忠臣「出版社につとめる次男で誠というのがおりますが」
まり子「はあ、あの……」
忠臣「(やっぱり)……誠はまだですが、どんなご用件」
まり子「はあ、実はゆうべのことでお詫《わ》びに」
忠臣「ゆうべのこと(!)ゆうべ、誠が何か……」
まり子「うちの店へみえて下すって」
忠臣「あなたの店、と申しますと……バーとか、そっちの……」
まり子「赤坂の『かもめ』という」
忠臣「『かもめ』さん」
まり子「それで、そのあと気分が悪くなって、帰りにアパートへ」
忠臣「アンタのアパート! 誠が……」
まり子「それで……あ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立っている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠! お前、こちらさんのアパート」
まり子「あの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、物凄《ものすご》い顔でにらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何しにきたんだ! 会社へゆすりにくるだけじゃ足りなくて、うちにまで」
まり子「違います! あたし、お詫びに」
忠臣「おい、一体、どうしたんだ」
誠「お父さんは関係ないんだよ!」
忠臣「いや、ハナシの具合じゃあ、タダごとじゃないよ。父親として」
誠「(聞いてないでまり子に)外で話そう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子の腕を引っぱって垣根《かきね》の外へ。
[#1字下げ]取りのこされる忠臣、気が気ではない。
●永山家・垣根[#「永山家・垣根」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お金はお返しします。いくらだったんでしょうか(バッグをあけかける)」
誠「金のことだけ言ってんじゃないよ。ぼくはね、まさか」
まり子「あたしだって……今日、美容院から帰ったら、弟が、久しぶりに父(言いかけて)叔父がきたっていうんです。それで、永山さんの忘れてった原稿の入った封筒もって出てったって聞いて、『しまった』って」
誠「ぼくはね、そりゃ、ゆうべ君のアパートに上りこんで迷惑かけたよ。でもねえ、因縁《いんねん》つけられて、金ゆすられるようなことは……」
まり子「判ってます。だから、あたしこやってお詫びに」
誠「常習犯じゃないんだろうな、グルになって」
まり子「ひどい! そんな……ひどいわ。あたし……お店のお客さん、うちへあげたの、永山さんがはじめてです。でも、今までにも、叔父があたしのお客さまの名刺みて、いやがらせの電話かけたりしたことがあったもんで、もしやと思って、それで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、必死の訴え。
[#1字下げ]誠も哀れになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「感じのいいかただな。これからもときどきみえてくださるかな、そう思ってたのに……こんなことになって、あたし……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、金を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、いくらでしょうか」
誠「……(押し返して)叔父さんだか何だか知らないけど……君も苦労するなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、たまらなくなる。
[#1字下げ]生垣にすがって、すすり泣く。
[#1字下げ]誠、大弱り……。
[#1字下げ]自転車を引いて通りかかった源助が、びっくり。見てはいけないものを見たという感じでかくれる。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]泣くまり子。
[#1字下げ]遠慮勝ちに肩を叩いてやる誠。
[#1字下げ]生垣越しにチラチラのぞいている忠臣。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酒を飲む忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「だらしがないぞ。え? たとえ、どのような傷手《いたで》をうけようとだ、ヤケになってホステスと一夜のあやまちをおかしてだな、それでガタガタしてるってのは」
誠「あのね、アヤマチじゃないんだよ、指一本」
忠臣「言いのがれはよせ。女のアパートへ泊って、何が指一本だ!」
誠「あのね」
忠臣「何もなかった女がうちまでたずねてきて、生垣に取りすがってよよと泣くか、バカ」
誠「あのね」
忠臣「おい、誠。男らしく、ハッキリしろ。まり子っていったか、キチンと手をついてわびるなり、金で解決するなり」
誠「そんなんじゃないんだよ」
忠臣「わたしはね、こういう到らない倅《せがれ》を持って、父親として……父親として……」
[#1字下げ]とたんに威勢が悪くなる忠臣。
誠「……父親として、なんなんだよ」
忠臣「……父親として……」
[#1字下げ]忠臣、誠に酒をついでやる。
誠「どしたんだよ」
忠臣「(小さく)手をついて謝りたい心境だと言っとるんだよ」
誠「え?」
忠臣「お前みたいのをな、嘘《うそ》つきっていうんだぞ」
誠「何が嘘つきだよ」
忠臣「嘘つきじゃないか。ゆうべから、お前……ウソのつきっぱなしじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]じっとみる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「一から十まで本当のこといわなくたっていいだろ」
忠臣「……比呂子さん、やめたのか」
誠「うん」
忠臣「どしてやめた」
誠「振られたよ」
忠臣「ウソ、言うな」
誠「あ、このマメ、いけるわ」
忠臣「……おい誠。お前な。このうち、出てけ」
誠「お父さん……」
忠臣「このうち出て、好きな女と一緒に暮せ」
誠「(お父さん)」
忠臣「……子は親を捨てられないけどな……親は子を捨てられるんだぞ」
誠「お父さん……」
忠臣「バカモノ。お前って奴は、本当に」
誠「せっかくだけどね、オレ、出てかないからね」
忠臣「おい……」
誠「文句言い言いでもね、朝メシに、おみおつけと納豆、食いたいからね」
忠臣「こいつ……(泣いてしまう)わ、わたしだって、そうそういつまで……倅のためにメシの支度なんか出来ないからね。あしたから朝は……牛乳一本……」
誠「やだよ、そんなの」
忠臣「そう思ったら、出てってくれって」
誠「お父さんの葬式出したら出てくよ。海軍関係の香典が集るからね。それ、ごそっといただいてね」
忠臣「バカ……バカだぞ、お前は」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、水っぱなをすすりながら、紙を探す。
[#1字下げ]誠、紙を出してやる。
[#1字下げ]忠臣、ハナをかみながら、せいいっぱい威張る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そんなこったから、女にうちへ押しかけられるんだぞ。しっかりしろ、しっかり」
誠「あやまってんのか、怒ってんのかどっちなんだよ」
忠臣「両方、一ぺんにやってんじゃないか。そのくらい判んないのか、バカ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら、涙を拭く忠臣。
[#1字下げ]ついでやる誠。
[#1字下げ]静かな秋の夜。柱時計の音がひびいている。
[#改ページ]
[#改ページ]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]かっぽう着の忠臣が誠の靴《くつ》を磨《みが》いている。
[#1字下げ]ペッペッとツバを吹きかけてみがく。
[#1字下げ]奥から誠が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ、きったねえなあ」
忠臣「こうやると光るんだよ。タダなんだから文句をいうな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]かっぽう着の袖《そで》でつやを出す忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「もういいよ。早く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、揃《そろ》えてやりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あれ、それ、わたしの靴下じゃないの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠の靴下の先をひっぱる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「似てるけどね、違うんだよ。あ、何すんだよ」
忠臣「おい、誠。靴下だけは毎日、取りかえろ。男なんてものは、いつ何時、人前で靴を(ぬがねばならんか)」
誠「判《わか》ってるよ……アッ!(忘れた)」
忠臣「封筒だろ。いいよ。わたし(取ってくる)お前、靴はいてろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小走りにかけこむ忠臣。
[#1字下げ]ひっぱられてのびた靴下をはき直している誠。
[#1字下げ]「女性時代」の封筒を抱えてくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほれ! 嫁さんももらわないうちに物忘れするようじゃあ、お前、先が思いやられるぞ」
誠「(口の中で)いってまいり(言いかける)」
忠臣「こやってると、お母さんみたいだろ」
誠「お母さんはね、もっと上手に靴そろえてくれたよ」
忠臣「ぜいたくいうな。あ、そうだ、帰りは何時だ」
誠「そんなこと、判んないよ。編集の仕事はね、時間なんてあってないようなもんなんだからさ」
忠臣「それじゃあ困るんだよ。帰るっていうからメシ、作って待ってりゃおそいだろ。ごはん残っちまってさ、お父さん、いつも昼間はチャーハンだからね。晩メシ食うなら食う。食わないなら食わない。ハッキリとだな……ヘ、何だか奥さんみたいだな」
誠「奥さんはそんな偉そうな口、きかないってさ」
忠臣「いやァー、この頃《ごろ》の若い奥さんはどうしてどうして」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ポケットをさぐっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(若妻らしく)『あなた。ハンカチお持ちになった?』」
誠「気持悪いよ、そんな」
忠臣「『あら、そうだわ。あなた、すみませんけど……少し、置いてって下さらない?』」
誠「え?(気がついて)この間、小遣いやったばっかしだろ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ポケットから千円札を二、三枚、出して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「パチンコってのはね、パチンコ屋がもうかるように出来てんだから」
忠臣「『お気をつけて行ってらっしゃい』」
誠「気持悪いっていってるだろ」
忠臣「ハハハ。おい、帰りな、夕刊買ったらな、捨てないでもってこいよ。それからな、マンガの週刊誌もな、あの、何ちったかな」
誠「判ったよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「植木|鉢《ばち》、ひっくりかえってるよ」
忠臣「おう!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、庭先でひっくりかえっている植木鉢を起しかけて、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、誠!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]モタモタと誠を追って出てゆく忠臣。
[#1字下げ]門のところでやっと追いつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ハアハア)声かけてんだから待ちなさいよ」
誠「なんだよ」
忠臣「(改まって)お前、比呂子さん嫌《きら》いじゃないな」
誠「え?」
忠臣「比呂子さんだよ。きらいで別れたわけじゃないんだねと聞いとるんだよ」
誠「なに言ってんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]父を押しのけてゆこうとする誠。
[#1字下げ]忠臣、追いすがって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい誠!」
誠「……振られたひとのこといったってはじまらないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]行ってしまう誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「フン、無理しおって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠の背中……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まあ、まかしとけ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]胸を叩《たた》く忠臣――
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣が京太郎と源助に全員集合をかけたところ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「へえ、誠さんが……」
京太郎「水商売の女にねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]重々しくうなずく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「一体、いつのハナシなんすか」
忠臣「この間……ほら、誠の奴《やつ》が、いよいよ今晩、申しこむっていうんで……」
京太郎「ああ、お祝いしようってんで、みんなでここで待ってた……何時になっても誠さんたち、こないってんで……」
忠臣「あの晩ですよ」
源助「おかしいんじゃないすか。比呂子さんという結婚の申し込みまでしようってひとがいながら、なんでまた水商売の女と……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、沈痛にだまりこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、だまって、コマをもてあそぶ忠臣をじっと見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「(思い入れで)(ははあ、なるほど……)」
京太郎「(おい、なんだよ)」
源助「(いや……そうか、やっぱり)」
京太郎「おい……石川……なんだよ」
源助「(したり顔で)まあ、男なんてものは、そんなもんじゃないんすか。振られたときにウサ晴らすのは、やっぱり、酒と、女だもンなあ」
京太郎「え? あッ! なるほど」
源助「誠さんも二十《はたち》や二十一じゃないんだよ。艦長も、あんまり固いこといわないで」
忠臣「バカモノ! 何の証拠があってそんなことを言うんだ!」
源助「だって……」
忠臣「誠は振られたんじゃない!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どなった忠臣、急に低い声で、つぶやく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「振られたんじゃないんだよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を見合す二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「艦長……」
忠臣「相馬|中尉《ちゆうい》」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川一水!」
源助「ハッ!」
忠臣「お前たちとは、巡洋艦『日高』で運命を共にしてきた仲だ。洗いざらい恥を話そうじゃないか」
二人「………」
忠臣「実はな、このわたしが原因なんだよ」
二人「艦長が?」
忠臣「この間の晩な、誠が帰ってきたのはあけがたの四時だったよ。わたしはね、てっきり、その比呂子さんとどこかのその、なんだ……くらげのしるしのついとる……」
源助「連れこみホテル……」
忠臣「そういうとこへしけ込んだ。そう思ったよ。ご時世とはいいながら情ない奴《やつ》だ。式の日まで待てんのか!」
源助「艦長……そりゃね」
忠臣「(押えて)ところが、どうも様子がおかしいんだね。『何も聞かんでくれ』といってね、バカに沈んどるんだ。こりゃ、なんかある……わたしは」
源助「(したり顔で)比呂子さんとしっくりいかなかったんだ。あっちの方がうまくいかないってのは、結婚しても」
京太郎「石川!」
源助「いや、相馬中尉」
忠臣「(押えて)黙って聞きなさいよ。誠が泊ったのは、比呂子さんとじゃないんだよ」
二人「(顔を見合す)」
忠臣「比呂子さんが誠の申し込みを断ったのは、誠のせいじゃないんだよ。比呂子さんに『お父さんを取るか、あたしを取るか』迫られて……誠の奴……『親を捨てるわけにはいかないよ』」
京太郎「誠さんなら、そういうだろうなあ」
忠臣「(うなずいて)すまんことした……そう思って、うち帰ってきたら、門のとこに若い娘が立っとるんだよ。聞いたらね、赤坂の『かもめ』ってバーの」
二人「ホステス!」
忠臣「ゆうべ、誠さんがうちのアパートに……って」
二人「泊ったんですか」
忠臣「そこへ誠が帰ってきたんだよ。何だかもう凄《すご》い見幕でね、『何しにきたんだ! 会社へゆすりにくるだけじゃ足ンなくて、うちへまで』とか何とか言って」
源助「もみあいになってさ。誠さんはこう迫るね。女は生垣《いけがき》に取りすがって、よよよよと泣きくずれる」
忠臣「石川……お前!」
京太郎「どして知ってんだよ」
源助「艦長のお宅、配達にいってね、チラッと……ありゃ、ただごとじゃないぞ……そうは思ったんすけどね、言っちゃ悪い……(そう思って)」
京太郎「そのホステスっての……」
源助「これがほっそりしたいい女……ありゃ誠さんでなくても、このアタシだって、フラフラッと」
忠臣「(ピシャリとやって)『これは、すべてこの私、永山忠臣の責任である』」
二人「艦長!」
忠臣「私という人間がいなかったら、誠の結婚バナシもまとまっていた。ヤケ酒をのんでつまらんホステスにひっかかりはしなかったんだよ。なあ、そうだろ?」
二人「うーむ」
忠臣「この際、私のとるべき態度は何であるか」
二人「それはねえ、艦長!」
忠臣「比呂子さんを呼び出して、手をついてたのむことですよ。『比呂子さん、私が身を退《ひ》こう。だから、思い直して誠と結婚してやってもらいたい』」
二人「あのねえ」
忠臣「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、ですよ。なあ、そうだろう」
京太郎「決めてんなら、なにもアタシたち、呼びつけるこたァないじゃないすか」
源助「ほんとよ、この忙しいのに」
忠臣「おやじは辛《つら》いよ(いい気分)」
京太郎「帰ろか」
源助「帰りましょう」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠と土岡ひろし。となり合ってデスクに座っているが、土岡はムッとして誠の顔を見ない。
[#1字下げ]そっぽを向くように座っている。
[#1字下げ]誠はそれを気にしている。
[#1字下げ]うしろで耳をほじりながらニヤニヤして見物している久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん」
土岡「(聞えないフリ)」
誠「土岡さん。例の特集、四段組みですか、五段組みですか」
土岡「………」
誠「土岡さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、そっぽを向きながら、五本指をひろげてパッと出してみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「五段組みか……」
久米「ヘヘヘヘ」
土岡「秋子ちゃん、秋子ちゃんたら秋子ちゃん」
秋子「前借り伝票なら編集長のとこ!」
土岡「そうじゃないの! ぼくのポイント帳!」
秋子「なにいうてんの。ポイント帳やったら永山さんの机の上にあるやないの」
土岡「取って頂戴《ちようだい》っていってんの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、立ち上って誠の机の上のポイント帳を取って、土岡のデスクにポンとのせる。
[#1字下げ]歌い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「※[#歌記号、unicode303d]どこまでつづく ぬかるみぞ」
二人「?……」
久米「※[#歌記号、unicode303d]三日二夜を食もなく
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]雨ふりつづく 鉄かぶと」
[#1字下げ]カメラマンの内山が、フィルムを巻き戻《もど》しながら聞く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内山「なんすか、そりゃ」
久米「軍歌……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠が立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん、メシ食いにいきませんか」
土岡「(そっぽを向いて)秋子ちゃん、鴨南《かもなん》うどん一つたのんで」
誠「土岡さん。ハナシがあるんですよ」
土岡「痛いな、おい!」
誠「どしても聞いてもらいたいことが」
土岡「言いわけなんか聞きたくないよ」
誠「土岡さん」
土岡「あいた!」
久米「誠ちゃんもひろしちゃんもね、プロレスやるんなら、オンモいってやって頂戴!」
二人「あ、編集長!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、心得があるらしく、二人の男を軽々と廊下の外へつまみ出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「カッコいい!」
内山「すごいすね、編集長」
[#ここで字下げ終わり]
●フルーツ・パーラー[#「フルーツ・パーラー」はゴシック体]
[#1字下げ]比呂子と向きあう忠臣。
[#1字下げ]比呂子は、やたらにフルーツ・パフェをパクついている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「比呂子さんもまあ、苦労性というか何というか……わたしが若夫婦と一緒に暮すと思ってたの?」
比呂子「お父さん……」
忠臣「若い者と年寄りってのは、食べものひとつ、テレビ番組ひとつ取ってみても好みがちがうんだよ。一緒に暮して、ごたごたするくらいなら、はじめから別《べ》っこのほうがなんぼいいか……」
比呂子「………」
忠臣「あたしゃはじめからそのつもりでいるのに誠の奴……比呂子さん、アンタたちね、二人でアパートに(住みなさい)」
比呂子「あたし……気が変ったの」
忠臣「気が変った?」
比呂子「お父さんと三人で暮すのもいいな、と思って……」
忠臣「比呂子さん……」
比呂子「どうしても気が合わなくてけんかするようだったら、アタシがパートタイマーでつとめてもいいわけでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ニッコリ微笑《ほほえ》みかける比呂子。
[#1字下げ]忠臣、比呂子の手をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「比呂子さん、ありがと。ありがとう。永山忠臣、この通りだ」
比呂子「……なんていっても、もう遅いのよね。あたしことわったんですもの」
忠臣「いや比呂子さん、そんなことはね、かまわんじゃないか(十円玉を出す)ほら、そこの赤電話から、誠の会社へ電話かけて『今晩、逢《あ》わない』誠の奴、コロリと」
比呂子「女の口からは……いえないわ。それに……誠さん、どこかのバーの女の人と……何かあったんでしょ?」
忠臣「比呂子さん、アンタだってほかの女がハナもひっかけないような男じゃ張り合いがないだろ? いや、かえってね、こういうことがあると、あとでアンタ、シッポつかんでさ嬶《かかあ》天下になれるの!」
比呂子「………」
忠臣「ひとことだけ聞くよ。比呂子さん、あんた誠のことを……アイ、アイ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、愛している、と言いたいのだが、テレくさくて、言いよどむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「愛してる……いるんだろうね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]下をむいて、大きくうなずく比呂子。
[#1字下げ]うなずく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アイシテる……か。いっぺん言ってみたかったんだよ、ハハ」
比呂子「はあ?」
忠臣「いやいや、こっちのハナシだがね、比呂子さん、バーの女がなんだ、アンタにゃね、あたしがついとるじゃないか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大見得を切る忠臣。
●「女性時代」資料室[#「「女性時代」資料室」はゴシック体]
[#1字下げ]誠と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん、ぼくは天地神明に誓ってまり子さんには、指一本(言いかける)」
土岡「(そっぽを向いたまま)指一本触れなくて、どして、彼女の叔父さんが編集部までゆすりにくるんだよ」
誠「土岡さん、だから、あれは、叔父さんの誤解だって言ってるじゃないすか。ぼくは本当に天地神明に誓って」
土岡「誠ちゃんよ。お前さんの神様ってのはキリストさまか仏さんか?」
誠「え?」
土岡「日頃、オサイ銭もあげない奴が何が天地神明だ」
誠「土岡さん」
土岡「そりゃね、男と女だよ、何したって自由だよ。だけどね、オレが紹介したその晩のうちにだよ」
誠「土岡さん違うんだよ」
土岡「道だってね、追い越すときは、お先に失礼ぐらいのあいさつは」
誠「ちがうってこれほど言ってるのが」
土岡「もういいよ。ただね、弟だと思ってつきあってきた人間にはね、さびしいってことだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡行こうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、追いすがる。
[#1字下げ]その拍子に積みあげた資料がドカッと落ちる。
[#1字下げ]凄いほこり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「うワッ、プップッ」
誠「うわ、すげえほこり」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、資料をもとの棚《たな》へもどす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……あのあと、まり子さんがうちへ金を返しに」
土岡「きたのか」
誠「……叔父さんが迷惑かけたって……」
土岡「………」
誠「土岡さん。今晩『かもめ』へ飲みにゆこうじゃないすか」
土岡「………」
誠「潔白を証明しなきゃ納まらないですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を出す内山カメラマン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「なんだよ、また現像失敗かよ」
内山「永山さん。きてまっせ」
誠「きてるって、誰《だれ》?」
内山「おやじさん」
誠「おやじ?」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]デスクに山のようにアンパンをつみあげて、大得意の忠臣。
[#1字下げ]久米編集長、秋子、ほかに編集部員の市原、正木と和子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いや、いつも誠の奴がお世話になりまして……」
久米「いやいや、こちらこそ」
忠臣「何かごあいさつのおしるしと思ったんですが」
久米「おう、サクラアンパンですか。こりゃ珍しい」
忠臣「さすがは編集長。お目が高い! 一目見てサクラアンパンとはうれしいですなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、やたらに久米の肩をどやして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「さあさあ、諸君も遠慮なくやって下さいよ。あ、お嬢さん。アンパンには、お煎茶《せんちや》もさることながらお番茶が……あ、いれていただける、どうもどうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お茶をいれている秋子。
[#1字下げ]忠臣、アンパンを秋子にすすめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうですか、おひとつ……」
秋子「はあ」
忠臣「さあ、パクッと……(自分も食べて)うまいですぞ。このヘソのサクラの塩|漬《づ》けが何とも(モグモグ)……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]秋子と和子、クスクス笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「カエルにヘソなし、ボラとアンパンにおヘソありといいましてね、ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#1字下げ]うしろから土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おう」
誠「おうじゃないよ、何しにきたんだよ」
忠臣「うん。ちょこっとご挨拶《あいさつ》にね」
久米「結構なおみやげを頂いたとこよ、誠ちゃん」
誠「アンパン! バカの一つ覚えじゃないんだからね。こんなもの、誰も食わないよ」
忠臣「おい、何てこと」
久米「いやいや、おいしくいただいておりますよ」
忠臣「みろ、さ、土岡さん、どうぞどうぞ」
土岡「はあ、いただきます」
忠臣「誠、お前もひとつどうだ。このサクラアンパンな、死んだ母さんの大好物」
誠「いらないよ。(アンパンを払う)」
土岡「誠ちゃん……(ひろって)」
忠臣「ありがとよ、土岡さん。いつも邪険にされてるの」
誠「なにしにきたんだよ」
忠臣「実はね、改まってご挨拶に」
誠「ご挨拶?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、目を白黒させてアンパンをのみこむと、久米の前に立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「えー、改まってお願いが……」
久米「あたくしに?」
忠臣「仲人《なこうど》をお引き受けいただきたい」
編集長
誠  )「仲人!」
土岡
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、ポカンとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「口ではチャランポランなことおっしゃっとるようだが、どうしてどうして、ひとかどの人物であると……私はにらんどります。うちの誠も、このおやじに次いで編集長を敬愛いたしとります。そこで是非仲人を」
誠「お父さん、何言うんだよ。仲人ってのはね、結婚のハナシが決ってから」
忠臣「お前に言っとるんじゃないんだよ。(編集長に)色々とドジを踏んだようでございますが、このほど目出度《めでた》く」
誠「お父さん、頭、おかしいんじゃないのか」
忠臣「お前は……ひっこんでりゃいいんだよ」
久米「なにおやこでもめてんの。いや、お父さん。仲人なんてのは親御さんがこうと思っても、若い人は当人同士で決めておるかもしれない。いや、昨今はそんな形式的なことは省略しようという風潮がですな」
誠「いや、編集長、あの」
久米「いいのよ、誠ちゃん。お父さん、お気持だけお受けして、仲人の件はご辞退」
忠臣「いやあの」
誠「お父さん!(父をつきとばして)編集長! ほんとはね、ハナシさえ決れば、仲人はぜひ編集長に、こう思ってますよ。でも、相手も決ンないのに……」
忠臣「(小さく)決ったんだよ」
誠「え?」
忠臣「(大声で)えー、花嫁の名はですな、比呂子さんと申しまして」
誠「比呂子さん! お父さん」
忠臣「現代っ子で、チャッカリしてる面もありますが、なかなかにくめん娘でございます。いずれ、お引き合せの上ですな」
誠「お父さん、何言ってんだよ。比呂子さんは、この間ハッキリと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、片目をつぶってみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
忠臣「今、まとめてきたんだよ」
誠「ちょっと、こっちきてくれよ」
忠臣「いたた、いたいよ、おい!」
久米「なに内輪もめしてんのよ」
土岡「誠ちゃん、親父《おやじ》さんに乱暴しちゃいけないよ、おい!」
誠「みんなかまわないで下さいよ。お父さん、こっち!」
忠臣「あいた! いたたた、親に向って何てまね……」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下の一隅[#「廊下の一隅」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣をしめあげている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしてそういう勝手なまねするんだよ。こっちにひとことの相談もなしに」
忠臣「テレくさいもんだから、怒ってやがる」
誠「冗談じゃないよ。お父さんね、自分のやってることがどんな」
忠臣「お前のためよかれと思ってやったんじゃないか。ありがとうございますと感謝されこそすれ、こんなお前、胸倉とって」
誠「いい恥さらしだよ。第一ね、オレは、結婚のハナシなんか、寝耳に水だからね」
忠臣「だからさ、こっちがまとめてやったんじゃないか」
誠「迷惑だよ」
忠臣「強がるのはよせよ。ま、お前にも男のメンツってもんがあるだろうさ。いっぺん振られた女にノコノコ頭下げにはゆけんだろう。そう思って、親が頭下げてまとめてやったのにだな」
誠「余計なことするなっていうんだよ」
忠臣「余計なことだと。おい、誠」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あわや取っ組みあいの父子。
[#1字下げ]ドアのすき間からうかがっていた土岡、とび出してくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「まあまあ二人とも、誠ちゃん、親に向ってなんてことすんだよ」
忠臣「土岡さん、(哀れっぽくもちかける)親不孝な倅《せがれ》もって……お恥かしい……」
誠「みっともない親もって、こっちのほうがよっぽど恥かしいよ!」
土岡「誠ちゃん、よせ!」
誠「二度とつとめ先へなんかこないでくれよ」
忠臣「誠」
誠「仕事の邪魔だからね、早く帰ってくれよ」
忠臣「……そりゃどうも……ご無礼したね。土岡さん、夜でも、遊びにいらっしゃい」
土岡「……伺います、お気をつけて……」
忠臣「ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ゆきかけて……忠臣、ふとポケットをさぐって立ちどまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうもこの節は、何でも高くなって、フルーツポンチ……三百五十円だと思ったら四百五十円に値上りでねえ。クリームソーダ二はいも飲まれたもんだからして……帰りは歩いて帰るか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、知らんプリをしてソッポを向いている。
[#1字下げ]土岡、ポケットをさぐって、千円札を二、三枚出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「お父さん、これ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手渡そうとする。
[#1字下げ]土岡をはねのける誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そういうこと、しないで下さいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ポケットから札を出す。
[#1字下げ]忠臣のポケットにねじこむと、土岡の背を押して、「女性時代」編集部のドアをあけて、中へ入ってしまう。[#1字下げ]バタンとしまるドア。
[#1字下げ]ドアを見つめ、トボトボと帰ってゆく忠臣。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]ムッとした表情で黙々と仕事をする誠。
[#1字下げ]じっと横顔をみる土岡。
[#1字下げ]誠の机の上にアンパンの山。
[#1字下げ]久米編集長、そっとアンパンを取って、自分の机の上にのせる。二つに割って食べる。
[#1字下げ]黙々と仕事をする誠の背を見ながらアンパンを食べる久米。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]壁紙をはりかえている勇。指図している悦子。
[#1字下げ]感心したり、あきれたりして見物している忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「こんなもんかな」
悦子「ちょっと曲ってんじゃない」
勇「こうかい?」
悦子「右、ちょい上……あ、それじゃ上りすぎよ……ハイ、OK」
忠臣「なるほどねえ、たまの代休にはカベはりかい」
勇「いや、この頃はね、手間賃結構高いからね」
悦子「高くたって、うまけりゃいいのよ」
勇「この間たのんだのなんか、三日たったら、あっちこっち紙がプクプクふくれてきてさ」
悦子「あれなら、勇さんのほうがよっぽどマシですもんねえ、あ、こんどこっち、お願いね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、脚立《きやたつ》を動かしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「ヨイショッと、あ、お父さん、下、押えてくれよ」
忠臣「ここか」
勇「誠の奴、どしたの? 結婚のハナシまとまったの?」
忠臣「うん? うん」
勇「(チラリと見て)あいつも、お父さんに似て、あわて者だからね」
忠臣「何だよ」
勇「ハッキリ決ってから発表しろって」
悦子「決ったら、何かお祝いをっていってたんだけどねえ」
忠臣「まあ、決ったら電話するけどね」
勇「どしたんだよ、バカに元気ないじゃないか」
忠臣「陽気のせいだろ」
勇「晩メシ、食ってけるんだろ」
忠臣「うん? うん(うれしい)」
勇「オレたちね、夕方、ちょっと出かけるけど」
忠臣「一緒にいこか」
勇「いや、ちょっと、この近所にね、上役が越してきたんだよ。引越しの手伝いにゆくのは何だかゴマすってるみたいだからさ」
忠臣「それだけはよせよ」
勇「だからさ、その代り、片づいた頃いって、おめでとうございますの挨拶をさ」
忠臣「アタシも一緒に」
勇「お父さんはいいよ。ここで留守番しててくれよ。パッと切りあげて、たまには一緒に晩メシでも」
悦子「(目くばせ)あなた、ちょっと……」
勇「え?」
悦子「ちょっと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、目くばせで夫をさそって、ダイニング・キッチンへ。
[#1字下げ]忠臣、見送る。
●ダイニング・キッチン[#「ダイニング・キッチン」はゴシック体]
[#1字下げ]悦子と勇のヒソヒソバナシ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「『調べる』って、家探しか?」
悦子「シッ! この前、お父さんにお留守番たのんだでしょ! あのときだって、洋服ダンスから鏡台のひき出しまで……」
勇「………」
悦子「別に何を、どうするっていうんじゃないと思うの。でもねえ、見られたくないものだって、あるじゃないの」
勇「ウーム」
忠臣「(声)おーい、ごちそうなんかいらんよ。ビールと冷やっこに枝豆でもありゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]のぞく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「悦子さん、代りに何か作っとこうか」
悦子「あのねえ、お父さん……(勇を突つく)」
勇「いやあ、一緒に晩メシ、なんて言っちゃったけどさ、やっぱり上役だからね、こんにちはさよならってわけにもいかないと思うんだ。悪いけど今日のとこは、借りにしといてくれないかな」
忠臣「あ、さいですか」
[#ここで字下げ終わり]
●パチンコ屋[#「パチンコ屋」はゴシック体]
[#1字下げ]パチンコをする忠臣。
[#1字下げ]大当り、にぎやかな音楽。
[#1字下げ]しかし、忠臣の目は放心している。
●バー「かもめ」[#「バー「かもめ」」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、土岡、まり子、ママの順子。
[#1字下げ]まり子が、誠の前に頭を下げている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「この間は、本当にご迷惑かけて……何ておわびしたらいいか」
誠「いや、そのハナシは」
順子「何いってんの。外のハナシ、お店の中へもちこむのはヤボよっていったでしょ!」
土岡「『福は内、話は外』」
順子「ひろしちゃんのいうことは、何だか間が抜けてるわね」
土岡「アイタ」
誠「いや、ママさんね、ぼくは、何ていったらいいのかなあ。潔白をね、こう、土岡さんに証明したいっていうか」
順子「ちょっと。二人とも、あたしの目、見て……」
誠・まり子「え?」
順子「あたしの目」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「シロ!」
誠「ママさん、土岡さん」
土岡「よし! 『かもめ』のママさんがいうんだから、信じるよ!」
誠「ありがとう」
まり子「ああ、これで、スーッとした。あたし、この間から、気が重くて……」
土岡「それじゃあまあ、手打ちのカンパイといくか」
順子「では……(グラスをあげて)永山誠とまり子ちゃんが何でもなかったお祝い……ヘンなの」
誠「それでいいんですよ」
土岡・まり子「カンパイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ホステスがまり子に何やら耳打ち。
[#1字下げ]まり子、え? と顔をくもらせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(小さく)いるっていっちゃったの?」
ホステス「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、しょうがないわね、という感じで、席を立つ。
[#1字下げ]チラリと気にする誠。
[#1字下げ]順子も、チラリと見る。席がさびしくなったのをにぎわすように陽気にしゃべりはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「でもねえ、あたしに言わせりゃ、ひろしちゃんが情ないわね」
土岡「アレ? どしてぼくが悪いのよ」
順子「恋愛ってのはね、百人一首じゃないのよ。お手つき、ありなのよ」
誠・土岡「え?」
順子「『しのぶれど 色にいでにけり わが恋は』」
土岡「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]バカでかい声でパッと順子のひざに手をつく土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「そのコツよ。『物や思ふと人の問ふまで』っていうとこまでポカンと指くわえてるから……アンタ、人にもってかれちゃうのよ」
土岡「『ももしきや 古き軒端《のきば》のしのぶにも 猶《なほ》あまりある昔なりけり』」
順子「ハーイ」
土岡「オレさ、これね、もも引きだと思ってさ、平安時代にどしてもも引きがあったのかな、なんて」
順子「あら、ひろしちゃんも、そう思ってたの? あたしもなのよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑っている順子と土岡。
[#1字下げ]誠、そっと立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「おい。トイレはあっちだぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」更衣室・前[#「バー「かもめ」更衣室・前」はゴシック体]
[#1字下げ]狭くうす暗い通路で向いあう、まり子と父の徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お店には来ないでって言った筈《はず》よ」
徳造「恐《こわ》い顔すると、目つきがきつくなっぞ」
まり子「……十万なんてお金、急にはどうしようもないわよ」
徳造「ママさんに泣きつきゃ何とかなるだろ?」
まり子「一体、何にいるお金なの」
徳造「だからさ……(そっと小指を出す)具合が悪いんだよ」
まり子「誰《だれ》が? お父ちゃん?」
徳造「親に恥かかせんなよ。(小さく)ふみ江だよ」
まり子「そんな人、知らないわ」
徳造「お父ちゃんが色々と世話になってるんだよ」
まり子「………」
徳造「父親が世話になってる人なら、お前にとっちゃ」
まり子「関係ないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]このあたりから誠がトイレをさがす感じでくる。ふと、二人の姿をみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「邪険なこというなよ、なあ、十万」
まり子「帰ってよ」
徳造「十万が無理ならこれだけでもいいや。な」
まり子「お父ちゃん」
誠「お父ちゃん……(ハッとなる)」
まり子「お父ちゃん、あたしね、お父ちゃんが病気なら、どんなことしてたって、お金|工面《くめん》する。でもね、そんな逢《あ》ったこともない女のひとのために……」
徳造「こんど、引き合せるよ」
まり子「何て紹介するの?」
徳造「お前、死んだ母ちゃんに似てだんだんイジワルになってきたな」
まり子「………」
徳造「なあ、これ(片手)でいいんだよ」
まり子「そんなこという前に、あたしに返すお金があるんじゃない?」
徳造「まり子……」
まり子「『女性時代』の永山さんの原稿届けにいって、お父ちゃん、なにしたのよ」
徳造「え? あ……ありゃ、オレがいらないってのに、ムリに車代だってんで……」
まり子「小さい時、お父ちゃん、あたしが一番好きだったお正月の着物売って、競馬に使っちゃったことあったわね。今度もそれと同じよ。一番大切にしてるものを、お父ちゃん、メチャメチャにしちゃったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]物かげの誠、ハッとなる。そのはずみにうしろにかけてあった防犯ベルがリーンとけたたましく鳴ってしまう。
[#1字下げ]三人、それぞれびっくりする。
[#1字下げ]あわてて押えようとする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん」
誠「あ、どうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび出してくる順子、土岡、ホステス、バーテンたち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「どしたの?」
土岡「なんだなんだ」
まり子「やだ! 永山さん、防犯ベル押しちゃったんだわ」
土岡「バカ! 何やってんだよ。とめろ! とめろ!」
順子「どうやるの、ちょっと誰か!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、ヒョイととめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうも、おさわがせしてすみません」
誠「いや、ぼくが……どうも」
順子「あーあ、よかった。ここで火事になったら、みんな揃《そろ》ってムシヤキよ」
土岡「ママさんと無理心中なら光栄だなあ」
順子「まり子ちゃんとっていいたいくせに……さ、みんなのみ直しのみ直し」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同中へ入ってゆく。
[#1字下げ]入ろうとするまり子の袖《そで》をつかむ徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「待っててよ、いま……(持ってくるから)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何となく入りかねて、立ちどまっている誠。まり子、モジモジしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あの……こちら、永山さん(じゃあ)」
誠「(ブスッとして)……この間は」
徳造「うちのまり子がいつも」
まり子「(固い表情でそれ以上言わせない)……叔父です」
誠「叔父さん……(あれ?)」
まり子「父の……弟、なんです。ご迷惑かけて……申しわけありませんでした」
誠「いや……その」
徳造「あんなつもりじゃなかったんすけどね、ハナシがかけちがって、ども……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]卑屈な笑いでごまかす徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡(声)「おーい、誠ちゃん」
まり子「永山さん……どうぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]中へお入りになって……と懸命に目で訴えているまり子。
[#1字下げ]誠、父と娘に心を残しながら店の中へ入ってゆく。そのうしろで、二、三枚の一万円札を徳造のポケットに押しこむまり子。
[#1字下げ]片手拝みの徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「叔父さんか……」
[#ここで字下げ終わり]
●おでん屋[#「おでん屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]屋台に毛の生えた程度の小店。
[#1字下げ]カウンターにならぶ誠、まり子。相当に酔って、ゆれている土岡。三人の前にコップ酒。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「とうふにね、とうふにとうふ」
誠「ぼくは大根にスジ!」
まり子「あたしも……同じもの」
土岡「同じものなんて、お安くないよ。オレも同じものにしよ」
誠「ほら、土岡さん、しっかりしてよ」
まり子「ああ、おいしそう、あたしね、おでん、一番好きなの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おでんの湯気の中で、はじめて笑顔をみせるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そうやってると……」
まり子「なあに?」
誠「え?(気がついてやめる)いや、別に」
まり子「……水商売の女じゃないみたいでしょ?」
誠「うん……」
まり子「そう言われるの、一番うれしいの」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店・表[#「「日高」の店・表」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]のれんをしまっているロクさん。「日高」の灯が消える。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]カウンターには相当に廻った忠臣を中心に、なぜか両脇《りようわき》をこれも酒の入った静子とたつの両|女房《にようぼう》が固めて、京太郎と源助は、端に押しやられている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そりゃね、比呂子さん……ここへも連れてきたからあんたたちも知っとるだろうが……いま時の娘ですよ。チャッカリしとりますよ。でもねえ、水商売の女よかいいと思うんだ」
静子「そりゃあ……あれ、どこが違うんでしょう。どっか違うのねえ、いっぺんそっちのほうへつとめた人って」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何故《なぜ》かたつは、憤然としてガブガブコップ酒をあおっている。
[#1字下げ]以下ひとことひとことに、眉《まゆ》をさか立て烈《はげ》しい反応を示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そりゃ奥さん、お酌《しやく》してさ、お愛想《あいそ》言ったり手握られたりするの商売にしてりゃ、普通の娘とは違ってきますよ」
京太郎「まあ、遊び相手にゃいいけどさ」
源助「何てったって男よろこばすコツ、知ってるもんなあ」
京太郎「一生つれそう配偶者にはねえ」
忠臣「いや、誠にしたって恐らくそんな、恋愛の、結婚のっていうんじゃないと思うんだ。でもねえ」
源助「いや、アブない。誠さんの性格じゃ、アブないなあ」
京太郎「あの人、責任感がつよいから、それにウブだしなあ」
忠臣「あたしも、それがおっかないんだ。ひょんなことからズルズルッと深みにはまってさ」
京太郎「ま、ここで多少、あこぎなことしても、花嫁さんだけは固いとこからもらわなくちゃ」
静子「(たつに)水商売の人って……やめて何年たっても、お酒つぐ時とか、着物の着方とか、どっか違いますよねえ」
忠臣「ありゃフシギだねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドシンとコップをカウンターに置くたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ちょいと奥さん! あんたさっきから、水商売の女がどうのっておっしゃってますけどねえ、そういう自分はどうなのよ」
静子「え? え?」
たつ「小料理屋のおかみさんてのは、水商売っていわないんですか! 奥さんは男にお酌したり、お愛想言ったり、手握られたりしてないっていうの? え?」
静子「あ、あ……そりゃ、そうですけどさ、あたしは、奥さん……」
京太郎「ちょっと奥さん、うちの静子は、いやな客が手握ろうものなら(振り切って)こう! こうよ!」
源助「そこがまた、奥さんのいいとこじゃないの」
忠臣「いや、奥さんの場合はね、レッキとした亭主《ていしゆ》がここにいるんだから」
静子「そうですよ、主人の前で万一、手握られようとあたし、絶対にやましくないわね!」
忠臣「第一、奥さんはね、根っからの水商売じゃありませんよ! 素人《しろうと》のお嬢さんから、銀行員の奥さんになられて、それから未亡人になられて、それで相馬と再婚なすった。こりゃアンタ、ゲンミツに水商売とはいえませんよ」
京太郎「艦長!(うれしい)」
たつ「でもねえ、水商売は水商売じゃないの」
忠臣「これはね、『妻は夫にしたがいつ』ですよ。アタシがいうのはね、結婚前にまだ連れそう男も決まらないうちに、酔客にはべりだ、女の色香をもって職業とする女は、えてして貞操観念が」
たつ「永山さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきなりぶっとばされる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あいた! 奥さん、何てことを」
たつ「人見て物言ってもらいたいわねえ」
源助「おい、何怒ってんだよ」
たつ「お父ちゃんはどうなのよ」
源助「いたいよ」
たつ「(小さいが凄味《すごみ》のある声で)お父ちゃんも水商売出の女は、だらしがないって思ってるの? え?」
源助「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]じっとにらむたつの目にハッとなる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「思ってない、絶対に思ってない」
忠臣「何言ってんだよ、そっちで……」
源助「水商売の女っていっても、人によりけりじゃないすか。ダメもあるけど、中にはとびきり上等の身もちがよくてつつましい女も」
たつ「お父ちゃん(しなだれかかる)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]突然、すすり泣く静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「(京太郎に)あなた、あたし、やっぱり水商売なの」
京太郎「何いってんだ。お前はちがうっていってるだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二組の夫婦にはさまれて、ゲンナリの忠臣。
[#1字下げ]戸があく。石川の娘、はな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「こんばんはァ」
忠臣「おう、鼻黒一水!」
はな子「はッ! 艦長殿!」
忠臣「お迎え、ご苦労。お前ンとこのダメな父ちゃんと母ちゃん、引っぱって帰ってやれ」
はな子「ハッ! 鼻黒一水、お父ちゃんとお母ちゃんを連れて、これより帰還いたします」
忠臣「よし!……(小さく)石川の女房……ありゃひょっとして水商売の出かねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
●おでん屋[#「おでん屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]誠とまり子。すっかりのびている土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん、聞いてたんでしょ?」
誠「いや……見たことあるなとは思ったけど、話の中身までは?」
まり子「そうお(ほっとして)困った叔父なの。色々世話になったことがあるもんだから……ことわり切れなくて……」
誠「おたがい、おやじで苦労するなあ」
まり子「あら、あたし、叔父さんよ」
誠「……(え? ああ)そうか、ごめん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]木枯しの音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「肉親か……どう考えたらいいのかなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(ポツリと)あたし、親なんか……肉親なんか、いらない」
土岡「(むっくり起き上って)バカなこといっちゃいけないよ。オレみたいに、親も兄弟もない人間に言わせりゃ、涙の出るほどゼイタクだね。病気でねたっきりでもいい。どんな困った肉親でもいい……この世の中に、血のつながった人間がいたら、どんなにあったかい気持でいられるか……アンタたちにゃ判《わか》んないんだよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]じっと聞く誠とまり子。
[#1字下げ]木枯し……
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]フラフラ帰ってくる誠。
[#1字下げ]手におでんのおみやげを大事そうにもっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ただいまァ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]入ってくる誠。食卓にうつぶしてねむっている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「だらしがないなあ。ほら、カゼひくだろ。ちゃんとあっち行って、寝なきゃダメだよ、ほら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]動かそうとするがダメ。
[#1字下げ]誠、あきらめて、自分のレインコートをかけてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「昼間はなんだよ、バカな真似《まね》して、二度とああいう真似したら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、うす目をあく。
[#1字下げ]途端に胸を押えて、テレかくしに大芝居。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウーム」
誠「どうしたんだよ」
忠臣「ウーム! ウーム」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]胸をかきむしる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! 苦しいの? え? お父さん! しっかりしろよ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ウームと悶絶《もんぜつ》する。白目。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! 死んじゃ駄目《だめ》だよ! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんにパッと目をあく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「バカモノ……そういう時はな、カガミもってきて、鼻ンとこにあてるんだ。くもれば生きてる、くもらなきゃ一巻の終り!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんに忠臣をぶっとばす誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「冗談もいいかげんにしろよ。こっちは本気にするだろ!」
忠臣「イタイな、ヘヘ、お前みたいなジャケンな奴でも親が死ねば泣くんだなあ」
誠「当り前だよ!」
忠臣「昼間の態度じゃ、泣かないかと思ったよ」
誠「フン」
忠臣「なんだ、そりゃ……」
誠「……(邪険におしやる)」
忠臣「(匂《にお》いをかいで)おでんじゃないか。お、あったかいや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、あけてやらない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あけてくれたっていいだろ」
誠「タヌキじゃないんだからね、死んだまねなんかすンじゃないよ。まだ、ここンとこがおかしいよ」
忠臣「気の小さい奴だな(あけて)お、こりゃうまそうだ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]つまみながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「今まで、どこでのんでた」
誠「どこだっていいだろ」
忠臣「まさか……こないだの『かもめ』の、まり子って」
誠「そうだよ」
忠臣「おい!」
誠「土岡さんもいっしょにね」
忠臣「(モグモグやりながら)比呂子さんな、お前を、『愛し』とるぞ」
誠「カンケイないよ」
忠臣「気が変ったって……お前にその気がありゃ、もッぺんつきあいたいって」
誠「……せっかくだけど、やめとくよ」
忠臣「おい、誠……ワタシのため思う気持はうれしいけどね」
誠「うぬぼれんじゃないよ」
忠臣「え?」
誠「死んだまねしたからいうわけじゃないけど、お父さん、生きたってあと、十年かそこらだからね。オレはまだまだ五十年は固いもンな、親のため考えて嫁さんえらべないよってさ」
忠臣「よし、そっちがそうならこっちにも考えがあるからな。石にかじりついても百まで生きて……」
誠「あれ?」
忠臣「なんだよ」
誠「玄関のほうでなんか、音が」
忠臣「泥棒《どろぼう》かな」
誠「取られるものなんかないよ」
忠臣「そういうこった」
誠「お巡《まわ》りさんのパトロールじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
●門[#「門」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]小型懐中電灯で表札を照らしているのは徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「永山チューシンか……」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]おでんを食べる忠臣。
[#1字下げ]見ている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「比呂子さん、ほんとにいいのか」
誠「白紙だね」
忠臣「まり子っていったか、あのホステスはどうなんだ」
誠「あれも白紙、もともとなんにもないよ」
忠臣「ほんとだな」
誠「しつこいよ」
[#ここで字下げ終わり]
●門[#「門」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]のぞきこんでいる徳造。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「秋だね」
忠臣「そりゃ年寄りのいうセリフだ、バカ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]虫の声。
[#改ページ]
[#改ページ]
●墓地[#「墓地」はゴシック体]
[#1字下げ]すすきの穂がゆれる初秋の地に、父と子の姿が見える。
[#1字下げ]永山家代々之墓と彫られた墓に、閼伽桶《あかおけ》の水をかける忠臣。
[#1字下げ]香華《こうげ》がゆれている。
[#1字下げ]赤銅《あか》の花筒を逆さまにして、水とゴミを振りながら、大あくびをする誠。
[#1字下げ]誠は、あくびを連発。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ちゃんと、捨てなさいよ、ちゃんと」
誠「やってっだろ、ちゃんと。あッ! ザアザアかけんじゃないよ。はねかえるだろ?(またあくび)」
忠臣「毎日くるわけじゃあるまいし……年に一度か二度だろ? 母さんの墓まいりにくるのは……(あくびのまね)あーあ、あーあやっとるってのは、どういうのかねえ」
誠「日曜だってのにね、昼前から叩《たた》き起されりゃ、あくびも出るよ」
忠臣「何言っとるんだ。お前が日曜出勤だっていうから、ひる前にしたんだろ? そっちが悪いんじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、墓の草を引き抜きながら叱言《こごと》をいう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集ってのはね、日曜も祭日もないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、左右の花筒に用意の花をさす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほら、曲ってっだろ」
誠「まっすぐだよ、祥月命日《しようつきめいにち》ったってさ、今年は……あれ? 去年十三回忌やったろ? 普通十四回忌ってのはやンないんじゃないの」
忠臣「いいじゃないか。やったって……悪いことしてるわけじゃなしさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、誠をうながして墓前に。
[#1字下げ]忠臣はしゃがみ、誠は立ってそれぞれ合掌。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……母さん。本当ならね、誠のとなりに、永山家の嫁になるべき娘がならんで、おまいりするところなんだが、誠の奴《やつ》がモタモタしとって、今日のとこは間に合わないんだ」
誠「そのハナシはもういいだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、忠臣の話の腰を折るように大きく伸びをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ、同じ東京と思えないね、みどりがあるせいか空気がうまいや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、深呼吸をして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ぼつぼついこうか」
忠臣「まあ、あわてるな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、悠々《ゆうゆう》と風呂敷《ふろしき》包みを開く。
[#1字下げ]マホウビンと包み。
[#1字下げ]包みをあけると、まんじゅう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なにやってんだよ」
忠臣「なにって、ほら……母さんの好みだったそばマンジュウじゃないか。はいよ、母さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、墓前にそなえ、誠に差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほれ」
誠「いいよ」
忠臣「ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、強引に誠にマンジュウをもたせて、自分もパクつく。
[#1字下げ]誠、仕方なく、モグモグやりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「こんなとこで、マンジュウ食ってる奴なんかいないよ」
忠臣「いいじゃないか。母さん一人じゃ。食べにくいってさ。お、そうだ、熱い番茶もあるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、用意の女ものの茶碗《ちやわん》を出して、マホウビンから、茶をつぎ、墓前に置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「母さんが死んでから、あたしもお茶いれるの、うまくなったよ。もうぼつぼつ、こいつの嫁さんがいれてくれてもいいと思うんだがね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]チラチラと誠をうかがいながら、亡妻に語りかける忠臣。
[#1字下げ]ソッポを向いて、マンジュウを食べる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……母さんからも意見してもらいたいんだが、どうも、誠の奴、水商売の女にイカれて、だな」
誠「いい加減なこというんじゃないよ」
忠臣「まあいいさ。永山家の嫁だけは、身持ちのいい固い娘さんを迎えたい……わたしは、頑張《がんば》るつもりだからね、母さんも草葉のかげから……グッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]食べながらしゃべる忠臣、マンジュウにむせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何やってんだよ! ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]父の背中を叩く誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「エッ! エッ! 母さんの墓の前でね、母さんの好物だったそばマンジュウがつかえて死んだら、あたしは本望だねえ」
誠「マンジュウがつかえたぐらいで死ぬわけないだろ!」
忠臣「ああ、じゃけんに叩く……おい、誠、お前、今晩メシはうちで食うな?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あわれっぽく訴える忠臣。
[#1字下げ]墓前の父と息子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「食うよ」
忠臣「本当だな!」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]ガランとした編集部にただ一人、原稿に手を入れている土岡。
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おそくなってすみません。ちょっと、出がけにガタガタしたもんで」
土岡「おデイトなら、いいのよ、誠ちゃん」
誠「土岡さんこの頃《ごろ》、物の言い方が編集長そっくりになってきたなあ」
土岡「おデイトじゃないの?」
誠「おってとこまでは同じなんすけどね」
土岡「おやじさんか……」
誠「お、前川先生の原稿、入ったじゃないすか」
土岡「入ったこたァ入ったけどさ、よくまあ、いい年ぶっこいて、恥かしげもなくこういうセックス記事が書けると思うね。たのんどいて言っちゃナンだけどさ」
誠「一字書いてはカネのため」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]チーンとカネが鳴る。
[#1字下げ]仏壇には、燈明《とうみよう》がともり、亡妻繁子の写真が微笑《ほほえ》んでいる。
[#1字下げ]お経をとなえながら、カネを叩く忠臣。
[#1字下げ]うしろに、合掌、珠数《じゆず》をまさぐる京太郎と静子の夫婦。
[#1字下げ]忠臣、ひときわ声をはりあげ、盛大にカネを叩いて、お経は終る。
[#1字下げ]京太郎夫婦も合掌。
[#1字下げ]忠臣、いやに改まって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「このたびは、ご多用中のところ、わざわざおまいりいただいて」
京太郎「とんでもない。奥さんには、可愛《かわい》がっていただいたすからねえ。それにしてももう十四年ねえ」
忠臣「……『光陰矢の如《ごと》し』ですよ」
静子「すばらしい奥様でいらしたそうですねえ」
京太郎「ああ。こんな身勝手な、艦長のところに部下が集まるのは、みんな奥さんのお人柄《ひとがら》のせいだって、もうみんな」
忠臣「何をいっとるか!」
静子「あたくし、お目にかかれなくて本当に残念で」
忠臣「失《な》くなった繁子ね、面《おも》ざしが、奥さんそっくり……ほら……」
静子「そういえば……」
京太郎「艦長! 今だから、白状しますがね、あたしが前の女房《にようぼう》に死に別れて、ずうっとやもめ通そう……そう決めてたのが……静子にあって、急に宗旨がかわったのも……艦長の奥さんに……あこがれてたっていうか」
忠臣「(いい気分)判《わか》っとった判っとった」
静子「それにしても、石川さんのご夫婦おそいですねえ」
忠臣「……実はね、声かけてないんだ」
静子「ええ?」
京太郎「艦長!」
忠臣「気持はあるんだろうが、あの……石川ンとこの細君が一人まじると、声はでかいわ、亭主《ていしゆ》、どついとるかのろけとるかどっちかだからねえ……しんみりと思い出ばなしでもしようかってときは……」
京太郎「そりゃまあ、お気持は判りますがね」
忠臣「それとね、今日はあんたがた夫婦にたのみというか相談というか」
京太郎「我々でお役に立つことが」
忠臣「アンタもなんだけどね、今日はひとつ奥さんに」
静子「あら、何でしょう」
忠臣「誠の奴に言ってきかせてもらいたい。まあ、女房子供がいるわけじゃないんだ。ホステスと何かゴシャゴシャするのも、大目に見よう。だけどね、こりゃ、『遊び』にしてもらいたい。嫁ということになったら、どうか堅気《かたぎ》の娘さんを」
京太郎「やっぱり『かもめ』ってバーの、ええと」
忠臣「まり子[#「まり子」に傍点]っていうんだがね……大丈夫だとは思うんだが、奥さん、念のために」
静子「あの、誠さん、比呂子さんのほうは」
忠臣「いやあ、女の子というのも判らんもんだねえ。おやじといっしょじゃいやあよ、といって、誠の奴、振っといて……こんどは『気が変った。父さんと一緒でもいいわ』こりゃ一体」
京太郎「誠さんに未練があるんだ」
静子「そうですよ。親なんてものは、いくら丈夫だっていったって、あと五十年六十年生きるわけじゃなし」
忠臣「奥さん……(びっくり仰天)」
静子「何ていったって本人ですよ」
忠臣「なるほど……」
静子「あら、あたし……」
忠臣「いやいや、極めて率直なご意見で」
静子「いやだ、どうしましょう」
京太郎「アタシ、引っぱってるのが判んないの? 本当にもう……」
忠臣「いやいや。奥さんのおっしゃる通り」
静子「ほんとに申しわけございません」
忠臣「ま、ま、あっちでゆっくりお茶でも」
静子「わたくし、いたしますから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、腰を浮かせたところへ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いや、今日は奥さん、アンタ、お客さんだ」
比呂子(声)「ごめん下さい」
三人「あれ?」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
廊下から茶の間へくる忠臣、京太郎、静子を迎えるように比呂子が、菊の花束をもって立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「比呂子さん」
京太郎・静子「………」
比呂子「こんにちは……あら『日高』の……」
京太郎・静子「おじゃましてます」
忠臣「比呂子さん。あんた、よく覚えて(大感激)いてくれたねえ」
比呂子「え? (キョトンとしている)」
忠臣「そやって、死んだ母さんの一番好きだった白い菊もって……あたしがたった一回、チラッといった母さんの命日、ちゃんと覚えてくれてさ……」
比呂子「あら? 今日、お命日だったんですか」
忠臣「え? 比呂子さんアンタ、それできてくれたんじゃなかったの?」
比呂子「ううん。あたし……(ちょっと困って)エプロンやなんか置きっぱなしになってるから取りにきたんです」
忠臣「だって白い菊……あんたいつも、お花っていやあ、黄色いバラと決っとったじゃないか」
比呂子「だって、今日、バラ一本二百円もすンですもの」
忠臣「なんだい、そうか……」
京太郎「こりゃいいや。艦長! 正直でいいじゃないすか」
静子「そこが比呂子さんのいいとこだわねえ」
忠臣「そういやあそうだけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]比呂子、何となくキョロキョロと奥をうかがう感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ああ、誠ならね、あいにくと、今日は日曜出勤なんだ」
比呂子「ちょうどよかった……だって、いっぺんサヨナラしたのに顔合せるなんて、かっこ悪いですもんね」
忠臣「とにかく、そんなとこに立ってないで……」
比呂子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]比呂子、上りながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「そうだ。お別れにお線香あげてこよう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]テレくさそうに笑いかけて忠臣の部屋のほうへ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハイ、そうして頂戴《ちようだい》」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見送って、三人、顔を見合す。
[#1字下げ]声をひそめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長! 脈がありますよ」
静子「本当にきらいだったら、エプロンなんか取りにきませんよ」
忠臣「そうかな」
京太郎「誠さん、何時に帰ってくるんです」
忠臣「夕方……晩メシ、うちで食うっていっとったから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カネの音、聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「……(奥を指して)引きとめといて……一挙にパッと……」
忠臣「やるか!」
静子「誠さんのお気持、どうなんでしょうねえ」
忠臣「そらアンタ、いっぺん振られたかっこになっとるから……男のメンツってやつでこう(そっぽ向いてる)やっとるけど……なあに、女が折れて出りゃ」
京太郎「艦長。こりゃ大丈夫」
忠臣「ひとつ、二人で」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、あっち持ちあげこっち持ちあげして、たのむよ、という感じのジェスチュア、二人、うなずきあう。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カネの音、聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(上きげんで)比呂子さん、誠、いないから……夕方まで手伝ってって頂戴ね」
比呂子(声)「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、ほらねという感じでクスクス笑い。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠と土岡が原稿に手を入れている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「日曜はいいねえ。仕事がはかどって……」
誠「電話もかからないし、人もこないし」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「おどかすんじゃないよ。だれだよ」
誠「ハーイ、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドアがあく。
[#1字下げ]立っているのは倉島まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「まり子さん……」
まり子「差し入れにきたんです」
土岡「差し入れって……」
誠「どして、そんな」
まり子「あら……おとというちの店に飲みにいらしたとき、そう言ってらしたでしょ? 今度の日曜は|〆切《しめきり》だから日曜出勤だって……」
土岡「そんなこといったかなあ」
誠「ウーム」
まり子「日曜はそば屋もカレー屋も休みだから、昼メシが困るって」
誠「そ」
土岡「それでわざわざ」
まり子「……『サバずし』買ってきたんですけど、おきらいかしら」
土岡「大好物です」
まり子「永山さんは」
誠「(少し迷うが)いただきます」
まり子「よかった……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、包みをあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「悪いなあ、たまの日曜日に」
土岡「女の人って、洗濯《せんたく》とか、いろいろやることあンでしょ?」
まり子「……(誠をみつめながら)……この間のお詫《わ》びのしるし」
誠「あ、ああ、この間のことは、もう……ぼくだって酔っぱらって君のアパートで迷惑かけたんだし」
土岡「あ、そうかそうか、まり子さんとしちゃ、これ……誠ちゃんに持ってきたわけだ」
まり子「やだ。土岡さん、あたし、そんなつもりで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドアがドーンとあく。
[#1字下げ]入ってきたのは久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「あら! あらまあ」
誠・土岡「編集長……」
久米「おじゃまだったかしら」
土岡「何いってんですか、編集長」
誠「さ、どぞどぞ……」
久米「ほんとにいいの?」
土岡「あの、彼女……まり子さん……」
久米「まり子さん……」
土岡「赤坂の『かもめ』のまり子さん」
久米「あ、ああ……この間、誠ちゃんが原稿忘れた」
誠「(うなずく)」
まり子「あの、こちら編集長……それじゃあ、うちの、父……叔父があの節はどうも申しわけ(ありませんでした)」
久米「すんだことすんだこと。そーお、あなたがまり子さん……」
まり子「………」
久米「それにしても、お前さんがたが日曜出勤してくるはずだわねえ。こういうキレイなかたが……」
土岡「いや、はじめてですよ。なあ、誠ちゃん」
誠「どうすか編集長」
久米「『バッテラ』じゃないの。こりゃうまそうだ」
まり子「どうぞ」
土岡「では……と手出すようじゃ、編集長もカンがにぶいすよ。こりゃ、誠ちゃんにもってきたんすからねえ」
誠「土岡さん」
まり子「お二人にもってきたんです。さ、どうぞ……」
久米「せっかくすすめて下さるんだから……ひろしちゃんよ、アタるの覚悟でご馳走《ちそう》になろうじゃないの」
まり子「あたし、お茶いれますから」
三人「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体]
[#1字下げ]石川酒店の前かけをしめた源助が配達の自転車を押しながらくる。
[#1字下げ]永山家の前に、一人の初老の男が表札を見上げて立っているのをみつける。男は倉島徳造。
[#1字下げ]よれよれのレインコートから、ウイスキーのポケットビンを出し、勢いをつけるようにぐっとのむ。
[#1字下げ]うしろの源助に気がついて、ウイスキーをしまおうとしてむせてしまう。
[#1字下げ]源助、背中を叩《たた》いてやりながら。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「大丈夫すか」
徳造「え、え、ども」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、あいまいにうなずきながら、さりげない感じではなれて、フラフラと隣家のほうにゆきかける。
[#1字下げ]源助、気にしながら入ってゆく。いったんはなれた徳造、再びフラフラときて、「永山忠臣」の表札を見上げる。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]中から、忠臣、京太郎、静子、比呂子の笑い声がひびいてくる。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]お茶をついでいる比呂子。忠臣、京太郎、静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「お茶なら、あたくしが」
忠臣「いやおくさん。いずれはこういうこともしてもらわにゃならんのだから……ね、比呂子さん……アンタ、いやじゃあないんだね」
比呂子「だって、あたし、誠さんに」
忠臣「いいのいいの。あんたのうしろにはね、このあたしがいるの。そのまたうしろにはね、日高の」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎がドンと胸を叩く。
[#1字下げ]静子もにっこりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「あとになって考えりゃね、すったもんだしたことも、なつかしい思い出ですよ。あたしらだって……なあ。こうなるまでにゃ、いろいろと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]庭から入ってくる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長。おもてに押し売りみたいのがいますよ。チャンとカギかけとかないと……」
忠臣「石川……」
源助「定期便の配達に(上りました!)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけてアレアレとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「なんだ、相馬|中尉《ちゆうい》……奥さんも。昼間から、珍しいじゃないすか。あれ比呂子さんも……こりゃまたどうしたんすか」
忠臣「いや、そのね。(ドギマギ)」
京太郎「いや、ちょっと近所まできたもんだから(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]比呂子、ケロリと、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「今日、亡《な》くなった誠さんのお母さんの……十四回忌なんですって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]キッとなる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「九月十九日……忘れてたこっちも悪いけど……艦長、どしてひとこと、教えて下さらないんすか!」
忠臣「いや、その……」
源助「相馬中尉には、参列を許されて、どして石川一水には」
忠臣「石川! そういうつもりは」
源助「それではどういうつもりでありますか。亡くなった奥様には、この石川は、格別に目をかけていただいて」
忠臣「いやすまんすまん。ごく内輪にと思って」
源助「この石川は内輪の人間じゃないんでありますか」
京太郎「まあ石川」
源助「だまれ!」
京太郎「上官に向って、おい!」
源助「そっちがそういう水臭い態度なら、こっちも、そうさせてもらいましょう」
忠臣「なんだよ」
源助「たまりにたまった勘定を、キレイサッパリ」
忠臣「ちょっとご無礼」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立ち上って逃げ出す忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長! 逃げるとは卑怯《ひきよう》だよ」
忠臣「バカモノ。永山忠臣、これしきのことでテキにうしろをみせると思うか、ハバカリにゆくんだ!」
源助「艦長!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく忠臣。
[#1字下げ]追いすがる源助と二人、もつれあうようにして出てゆく。
[#1字下げ]ドア・チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「ごめん下さい」
静子・比呂子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]返事をしたものの、なにかしら、といった表情の女二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「押し売りだろ」
比呂子「じゃ、あたし……」
静子「うまく(追っぱらってね)」
比呂子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく比呂子。
●トイレの前[#「トイレの前」はゴシック体]
[#1字下げ]ドンドンと外から戸を叩く源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長! 艦長!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、中から、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「入ってますよ、やかましい! あ、紙がない。紙!」
源助「え? カミ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]泡《あわ》くって紙を探している源助。
[#1字下げ]伝票しか出てこない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「伝票しかないんでありますが」
忠臣「バカモノ! そんなもので尻《しり》がふけるか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑いながら、チラリとのぞいて玄関へ出てゆく比呂子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]出てゆく比呂子。立っている徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「ごめん下さい」
比呂子「あの……」
徳造「あのね」
比呂子「すみません、うち、間に合ってるんですけど」
徳造「あんたね、誰《だれ》なの。誠って人の妹?」
比呂子「え? あの」
徳造「あたしゃね、押し売りじゃないの。ああ、アンタ一体、だれなの」
京太郎「どしたの? 比呂子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]奥から出てくる京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「あの……」
京太郎「すみませんがね、間に合って(言いかける)」
徳造「ああ、アンタがおとっつぁんか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]酒の勢いをかりて乗り込んできた感じの徳造。
[#1字下げ]前後左右にゆれながら、ロレツも多少あやしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「え? あの(言いかける)」
徳造「うちのまり子が、その……なんだ……あんたンとこの倅《せがれ》さんに、えらく『お世話』になってるそうで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気配に気づいて出てくる静子も、不安そうに立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まり子さん……(思い出しかける)」
徳造「赤坂の『かもめ』ってバーにつとめてる……まり子……」
京太郎「ああ、ああ……」
徳造「ああ、ああってね、アンタのんきな顔してっけどね、ホステスだってバカにしちゃエけないよ。え? 人の娘のアパート、泊ってさ、そんで、知らんプリってのは」
比呂子「……(棒立ち)」
静子「あなた……」
京太郎「……ああ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]事態をさとる三人。
[#1字下げ]ノソノソ出てくる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あたしゃ何もユスリたかりにきたんじゃないんだよ。ただね、白か黒か、アスビかシンケンか」
源助「あの、紙」
京太郎「紙どこじゃないんだよ」
徳造「倅の無責任は、親の無責任でしょ? でしょ?」
京太郎「いや、あたしゃ、親じゃあ(言いよどむ)」
徳造「(聞えない)アンタだって、妹として誠って兄《あに》さんの」
源助「何いってんだよ。この人はね、誠さんの妹じゃないんだよ。いずれは誠さんのお嫁さんになる人」
静子「石川さん!(とめる)」
京太郎「バカ! 石川」
源助「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]フラフラゆれていたのが、とたんにキッとなる徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「お嫁さんになる人ってえと、イイナズケってわけか……」
静子「いえ、まだハッキリ決ったわけじゃあ、アナタ……(京太郎に何とかうまくとりなせと突つく)」
京太郎「え、うん、その……比呂子さん、アンタ、奥へ……」
静子「比呂子さん(いきましょ)」
比呂子「いいえ、あたし」
源助「あの、紙」
京太郎「バカ! 紙どころじゃないって(いってっだろ)」
徳造「ヘヘヘヘ、アンタの息子さん、やり手だねえ」
京太郎「あのねえ、アタシは親じゃないって」
徳造「アンタが親でなきゃ誰が親だい? え? そっちは親ってツラじゃねえしさ。アンタがおとっつぁんで(京太郎)、あんたがおっかさん(静子)だろ?」
源助「何いってんだよ、こっちはね(二人)」
京太郎「(源助をぶっとばして手をつく)申しおくれましたが、あたしは、いまおはなしの永山誠の親がわり」
源助「相馬中尉!」
京太郎「相馬というもンです」
源助「ちょっと……一体、こりゃ」
京太郎「こっちにいるのが家内で、母親代り、どうも誠が、何か不始末をしでかしたということですが」
源助「(小さく)艦長を出したほうがいいよ。いるんだから」
静子「石川さん、シッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、源助のシャツの袖《そで》をひっぱるようにして物かげへ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「永山さんは(出さないほうが)」
源助「奥さん」
忠臣(声)「おーい、紙どしたァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、茶の間から紙を出して源助に、「出さないで」「どならせないで」とジェスチュア。
[#1字下げ]合点とばかり引っこむ源助。
●トイレ前[#「トイレ前」はゴシック体]
[#1字下げ]とんでゆく源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、紙どしたんだ」
源助「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、鼻をつまみながら戸をあけ、横を向きながら、中へ紙を入れてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「玄関に人がきてんじゃないの、誠がどしたとかいってたけど」
徳造(声)「アンタじゃハナシが判《わか》んないんだよ。永山チューシンってシト、出してもらおうじゃないの!」
忠臣「え? 永山チューシン? おーい、永山忠臣ならここにおりますよ。一体、どしたの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どなりながらとび出してくる忠臣。廊下の向うに立って、必死に押えようとサインする源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ご免!」
忠臣「あ、何をする!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、いきなり体当りをくらわせると、アタマに巻いた豆しぼりの手拭《てぬぐ》いを忠臣の口に押しこんでサルグツワ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「グッ! グッ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]わめきあばれるのを再びトイレへ押しこめようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウオ! ウオ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ケダモノのようにうめきながらあばれる忠臣。
[#1字下げ]体当りで上になり下になりして必死に押えこむ源助。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どうやらなんだねえ。うちのまり子は、うちの姪《めい》は、誠って人にもてあすばれた[#「もてあすばれた」に傍点]わけだ」
京太郎「いや……それは」
徳造「ハナシの決ったいいなずけがありながらだよ。いくらホステスだからって、アンタ、人ンちの娘……姪に手、出すってのはさ」
京太郎「誠さんはそういう人間じゃあ」
徳造「ま、本人もいない、親もいないじゃハナシにもなンないや。とにかくね、白か黒か、アスビかシンケンか、そこンとこ、ハッキリ」
京太郎「判りました」
徳造「それによっちゃ、こっちにも覚悟があるから、ああ」
京太郎「よく本人に問いただしましてですね」
静子「あたくしからもよく……」
京太郎「それから、今後、ハナシがこじれるようでしたら、表通りの『日高』という小料理屋へ……あたしどもがやってる店ですから」
徳造「表通りの目高」
京太郎「目高じゃなくて『日高』」
徳造「今日ンとこは帰るけど、逃げかくれすんなよ、え?」
京太郎「責任をもって」
静子「どうも申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、カッコをつけて出ようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「ウオ! ウオ!」
徳造「何か……声がしてるけど」
静子「プロレスかなんかの中継でしょう」
京太郎「どうも」
静子「お茶もさしあげませんで……失礼いたしました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]押し出すように送り出す。
[#1字下げ]静子、パッと立って玄関の戸をしめる。
[#1字下げ]そこへ源助を引きずるようにして、ころがり出てくる忠臣。
[#1字下げ]口からサルグツワを引っぱり出しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい! どしてワタシを……出さないんだ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけるが、アゴがバカになっていてフガフガ。柱のかげに棒立ちになっていた比呂子、とたんに張りつめていたものがいっぺんにゆるんで……ワッと泣き出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠の奴……大バカヤロオだ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]サバずしを食べたあとの折が片づけられている。くわえ楊子《ようじ》で、茶をのむ久米編集長。
[#1字下げ]仕事をする誠と土岡、たまった新聞の綴《と》じこみを楽しそうに手伝うまり子。
[#1字下げ]誠は、ポリポリと衿《えり》などかいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「編集長も物好きだなあ。なにも、お偉方がわざわざ日曜出勤なんかしなくたって」
久米「チョンガーには判んないのよ。うちでカミさんにね、家庭サービスが悪いの、なんのってチクチクとやられるよか、ここにすわって鼻毛ぬいてるほうが、ずうっといい日曜日だわねえ」
まり子「フフフ」
久米「お、まり子ちゃん、アンタ、新聞とじこむ手つき、なかなかいいわ」
まり子「前にやったことあるんです。タイプのご用あったら、やりましょうか」
土岡「へえ、まり子さん、おつとめしてたことあンの」
まり子「ええ……高校出てすぐ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、ポリポリと衿をかいている誠に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん、どうかなすったんですか」
誠「うん、ちょっと……」
土岡「かゆいの? 誠ちゃん」
誠「うん? うん」
久米「カイカイか、ははあ、誠ちゃん、アンタ、アレルギー体質だったわねえ」
まり子「……それじゃア、サバに当ったんですか?」
誠「ここンとこ、ずっと出なかったから大丈夫だと思ったんだけど」
土岡「顔も赤いよ。おかしいよ、誠ちゃん」
まり子「あら、どうしたらいいかしら」
誠「いや、まり子さん、悪いんじゃないんだ、ああ(かゆい)」
久米「カイカイになると判ってサバ食べるんだから、いいとこあるでしょ、誠ちゃんて男……」
まり子「重ね重ね……あたし……申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]ひとりすわっている忠臣。怒りで手がブルブルふるえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ひとりでやる)おい! 誠! お前という男は、もう何といったらいいか! こんなクソッタレの大バカ者とは今日の今日まで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「血圧が上るな、第一、一生の大事に、高声《たかごえ》はいかん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目を閉じ、心を静めて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(静かに)おい、誠。お父さんはな、今日という今日ほど、お前という倅を、恥かしいと思ったことはないぞ。奇《く》しくも母さんの十四回忌に、お前は母さんの写真を目をあけてみることが出来るか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]声涙共に下る名調子でおっぱじめたとたん……人を小馬鹿《こばか》にしたようなチリ紙交換車のアナウンス。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
アナウンス「えー、毎度おなじみちり紙交換でございます」
忠臣「うるさい!」
アナウンス「ご家庭の古雑誌、古新聞、ボロ切」
忠臣「取りこみ中だ! あっちいってやれ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]遠ざかってゆくアナウンス。
[#1字下げ]忠臣、立ち上って、動物園のクマのようにいったりきたり、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウーム、全くもう、帰ったら、ただじゃおかないからな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドシンバタンと玄関へ出てゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]上りがまちに仁王立ちの忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「バカヤロ! 大バカヤロ! カッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、キックボクシングをやる。
[#1字下げ]とたんに玄関の戸があく。
[#1字下げ]まり子と土岡に抱えられるようにしてぐったりと入ってくるのは誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、どしたんだ!」
土岡「ジンマシンなんですよ」
忠臣「ジンマシン」
まり子「どうも申しわけありません。あたくしが、サバずしを」
忠臣「サバずし」
誠「まり子さんが悪いんじゃないんだよ。オレが」
忠臣「アッ! アンタは」
まり子「いつぞやは失礼をいたしました」
忠臣「アッ! アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]極度の興奮のために、アッ、アッと声にならない声を出しながら、まり子を指さしながら叫ぶ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「お父さん、そんなびっくりしなくても大丈夫ですよ。サバに当ったジンマシンなんて、抗ヒスタミン剤のんで一晩もねりゃ」
誠「大丈夫大丈夫」
土岡「さ、まり子さん、そっちもって……」
忠臣「待て!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、まり子をハッタとにらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アンタは、帰ってもらいたい」
まり子「あの……」
忠臣「このうちに一歩も上ってもらいたくないんだ!」
まり子「………」
誠「お父さん……何てこというんだよ」
土岡「心配してわざわざ送ってきてくれたってのに……」
忠臣「今さっき、アンタの叔父さんと称する男が、ここへきて」
まり子「え! ほ、ほんとですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、忠臣にむしゃぶりついてゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ほんとにきたんですか。それで……何て、何ていったんでしょうか。何て……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すすり泣いてしまうまり子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]ぐったりと柱によりかかっている誠。
[#1字下げ]すすり泣くまり子。
[#1字下げ]痛ましそうにみる土岡の前で、オーバーな忠臣の大演説。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ブスッ! こやってな、出刃包丁《でばぼうちよう》をタタミにブスッとつき立てて……」
まり子「出刃包丁……ほんとですか……」
忠臣「『おう! うちの姪を、どしてくれるんだい!』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣「切られ与三《よさ》」よろしく見得を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「比呂子サンとかいうレッキとしたいいなずけ」
誠「冗談じゃないよ、オレ、婚約なんかした覚えは」
忠臣「お前は口出すな! 『いいなずけがありながら、人の姪に手出して』」
誠「お父さん」
忠臣「『遊びか真剣か、黒か白か』」
誠「あのねえ」
忠臣「『ハナシによっちゃタダじゃおかねえから、そう思え……』」
土岡「お父さん……歌舞伎《かぶき》やってんじゃないんだから」
誠「お父さん、本当に出刃包丁」
忠臣「ウソだと思ったら、相馬や石川に聞いてみろ! もう比呂子さんは、ワァッと泣いて帰っちまうし……もう、さすがのあたしも万策つきてだな、ああ、何と情ない倅《せがれ》をもったことか」
誠「お父さん」
土岡「誠ちゃん、お前さん、横になってろよな、オレが」
誠「いや、土岡さん……お父さん、オレね」
土岡「待てよ、お父さん、誠ちゃん、潔白ですよ」
忠臣「土岡さん、ヘタなかばいだてはね、本人のためにならないから」
土岡「いや、お父さん」
まり子「お父さん、私のいうことを」
忠臣「待ちなさいよ、あたしゃね、アンタみたいなかたにね、お父さんなんて馴《な》れ馴《な》れしく呼ばれる筋合いは、ないねえ」
まり子「………」
誠「お父さん、何もそんな言い方」
まり子「……失礼いたしました。永山さん、どうか、私の言い分も……聞いて下さい。永山さんと私は、本当に指一本……何にも、何にもございません。ただの……お客さまとホステス……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悲しい涙が、ポロポロと頬《ほお》を伝うまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「本当にそれだけでございます」
忠臣「それじゃ、なんで、あんな男が……美人局《つつもたせ》じゃないんだろうね」
まり子「ツツモタセ」
誠「お父さん!」
忠臣「ほう美人局知らんの? これだから戦後の教育は……あのねえ、色じかけで男をたらしこんどいて、あとになってからこれ(親指)が出てって、ゆするのを、ツツモタセって」
誠「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]体当りで誠、父親に食ってかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「言っていいことと悪いことが」
まり子「あんまりです! あんまりです!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すすり泣くまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの人はあたしの本当の……叔父なんです。両親を早くなくして、あたし達兄弟……世話になったもんで……それで……困った人ですけど、あたしの身を心配してくれる気持は、本当なんです。だから、ついムキになって……(言いかけて)まさか叔父、お金を頂戴《ちようだい》したりは」
忠臣「いつもやってるのかい」
誠「お父さん」
まり子「……(下うつむく)もし、ご迷惑をおかけしたんでしたら、あたし、お返しを」
誠「お父さん、そんなこと、ないんだろ! ないよね!」
忠臣「まあ、今日のとこは相馬や石川がおったから……なんだけど……ホステスにヒモはつきものだっていうけど」
まり子「(しゃくりあげながら、ハッキリと忠臣の目を見て言う)ヒモではありません。私の……叔父です……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんな、打たれてだまってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「二度とこういうことのないように……ようく言います。ですから、どうか……どうか……お許し下さい(たたみに手をつく)」
誠「まり子さん」
まり子「色々ご迷惑かけました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、とび出してゆく。
[#1字下げ]みんなだまってすわっている。ふと気づくと、まり子のバッグが置き忘れてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・土岡「アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、手をのばす。
[#1字下げ]誠、土岡の手をふりはなすようにして飛び出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「バカモノ! ゆくことない! あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、したたかに足を踏まれたらしい。
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体]
[#1字下げ]しゃくりあげながら歩くまり子。
[#1字下げ]うしろから追う誠。
[#1字下げ]追いついて、バッグを差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん……」
まり子「……もう……店へもおいでにならないで」
誠「いや、ゆく」
まり子「永山さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、肩を抱くようにして、そっと叩く、嗚咽《おえつ》してしまうまり子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]踏まれた足をもんでいる忠臣。何かを予感するように苦い表情でじっとすわっている土岡。
●「日高」の店・表[#「「日高」の店・表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]本日休業の札がゆれている。
[#1字下げ]しかし、中に灯《ひ》がついている。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]風呂《ふろ》帰りに寄ってのんだらしいたつが、クダを巻いている。
[#1字下げ]とめている京太郎と静子、そして源助。
[#1字下げ]カウンターの端で、風呂道具をもったまま、人形焼をパクパクやっているはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「どしてとめンのよ。これから永山さんとこいって、お線香あげるってのが、どしていけないのよ!」
源助「よせっていうんだよ! そういうツラアテがましいマネ」
たつ「ツラあてがましいまねさせたのはどこのどなたさんなのよ」
京太郎「まあまあ奥さん」
静子「あたしたち、石川さんとこにも声かけたんだとばっかり思ってたもんですから」
源助「何もさ、三回忌や七回忌じゃなし……そんな十四回忌の年回に、よばれなかったからってなにもそんな」
京太郎「いや、こなくてよかった。しびれ切らしてヘタクソなお経聞かされて、おまけに、アンタ、ホステスの叔父さんてのがどなりこんでもう……」
静子「ほんとよ奥さん」
たつ「フン。永山さんも変ってるわよ。そりゃ、ちょっとばかり亡《な》くなった奥さんに似てるかもしれないけど、生きてるときに全然おつきあいのなかった人よんどいて……戦後のスイトンやスケソウダラの時代、一緒に女同士の苦労したこのあたしって人間を、忘れてんですもンねえ」
源助「いや、何も、艦長だってそんな深い意味があって、よばなかったんじゃなくてさ」
たつ「なら何なのよ。それともなんなの? 法事によぶんでも中尉《ちゆうい》と一等水兵ってのは差別が」
京太郎「まあまあ奥さん」
たつ「まあいいわよ、たとえお経の席に呼んでいただけなくたって亡くなった奥さんには、お世話になってんだから。何とかご恩返したいって思ってんだから……」
源助「もうよしなよ(酒)」
たつ「(ぶっとばしてぐいぐいあおる)何だかまあ誠さんが、何か女のことでゴタゴタやらかしたらしいけど、……そういうことならね、そこのお上品ぶってる奥さまよか苦労してる女のほうが」
静子「ちょっと奥さん、あたしだって、女一人前の苦労ぐらいしてるつもりよ」
たつ「あら、おことば返すようですけどねえ、奥さん、どんな苦労してらっしゃるの、ええ!」
源助「よしなっていってるだろ!」
たつ「え? 奥さん」
京太郎「かまうなって」
静子「だってあなた」
たつ「ああ、あたしやっぱりお線香あげにいってこ」
源助「よしなっていってるのが……」
たつ「ドッコイショッと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目の前にヌッと立つ娘のはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「……お母ちゃん、あしたの朝、いっしょにおまいりにいこ」
たつ「うん……」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート・表[#「まり子のアパート・表」はゴシック体](夜)
小雨がふっている。ぬれた髪、ぬれたコートのまり子が、どこを歩き廻ったのか、足を引きずるように帰ってくる。
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子にタオルを手渡している進一。
[#1字下げ]ぬれた髪を拭《ふ》くまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「どこ、歩いてたんだよ、ズブ濡《ぬ》れじゃないか」
まり子「そうお。お父ちゃん、帰ったの」
進一「ひと足ちがい」
まり子「フーン。お金のこと、何か言ってなかった」
進一「別に」
まり子「大丈夫なのかなあ(不安)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、洋服ダンスをあける。
[#1字下げ]着がえを出しかけてハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あたしの……モヘヤのコート、知らない」
進一「あッ……」
まり子「まさかお父さん」
進一「そういえば大きなフロシキ包み……」
まり子「どして、進ちゃん……アンタ……」
進一「どんな腐った親だって、親は親だよ、親の荷物、あけろとは言えないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]姉も弟も悲しい……。
[#1字下げ]ガラス戸の外の雨滴……。
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]仏壇の前で、線香に火をつけている長男の勇。ゴルフの帰りの身なり。
[#1字下げ]うしろに忠臣と誠。
[#1字下げ]勇は、カンカンに怒っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「電話一本ですむことだろ! 自分たちばっかりで法事やってさ」
誠「法事ったって、別に坊さんよんだわけじゃないんだからさ」
勇「それにしたってね」
忠臣「どっちみち、お前、つきあいゴルフだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、ヤケ気味に、カーンとカネを叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そんなプンプンして拝んだって、母さん、よろこばないってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろをにらむようにしながら、合掌する勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「長男さしおいて、何だい」
忠臣「いいじゃないか、帰りの車ン中で命日思い出したってだけで、お前としちゃ上出来だよ」
勇「判《わか》ってりゃ昼間からきたよ」
忠臣「こなくて幸いだよ。なあ」
誠「………」
忠臣「勇がきてたら、肝つぶしてたな、え? おい」
誠「フン……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、拝みながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「なんだよ」
忠臣「なにって、女が二人入り乱れてさ、それに、美人局まがいのおどしがまじって、もう泣いたり吠《ほ》えたりの大|修羅場《しゆらば》だよ」
勇「なんだよ、そりゃ、誠、お前、なんか」
忠臣「拝むんなら、チャンと拝みなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]茶の間で電話のベル。
[#1字下げ]誠、腰を浮かす。
[#1字下げ]忠臣、追って出てゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠をけとばすようにして受話器を取る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「モシモシ、永山でございます」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の街[#「夜の街」はゴシック体]
[#1字下げ]公衆電話口の比呂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「モシモシ、モシモシあンた、まり子さんじゃないの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガシャリと切る比呂子……。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、切っちゃった……」
誠「なんか……」
忠臣「いや気配でね、そうじゃないかって……あ、そうか、もしかしたら、比呂子さん……(打ち消すように)間ちがい電話だな……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]父と子、だまっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「比呂子さんには、かわいそうなことしちまったよ」
誠「………」
忠臣「何てったって、目の前でさ、惚《ほ》れてる男がホステスと何かあったって聞かされちゃ……女としてこれ以上|辛《つら》いことは」
誠「何もないっていってるだろ! 第一、あの人、うちへよんだのはお父さんだからね、オレは、もう、もう」
忠臣「もう、何なんだよ」
誠「あの人とは……」
忠臣「おい!」
誠「たとえ冗談でも、親を捨てろっていったひとと、暮す気にはなれないよ」
忠臣「キレイごというな。お前はな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話がなる。
[#1字下げ]忠臣、手をのばす。
[#1字下げ]こんどは誠がとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「永山です」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「モシモシ」
忠臣(声)「ほら比呂子さんだ」
誠(声)「オレ、ちがうと思うな」
忠臣(声)「じゃ誰《だれ》だ、まり子って女か」
誠(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、だまって切る。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ポツンという)……お前、惚れたろ」
誠「え?」
忠臣「さっき、あの、まり子って女のハンドバッグもって、追っかけたろ。お前、あのとき、オレの足を……」
誠「………」
忠臣「あんなにギュッと足ふまれたの、はじめてだよ」
誠「………」
忠臣「女に惚れるってことは、親もなにもほっぽらかしてゆくってことなんだねえ」
誠「そうじゃないよ」
忠臣「まあいいさ、だけどな。あれだけはよせ」
誠「お父さん」
忠臣「たのむ、あれだけはよしてくれ」
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、父の目を見る。
[#1字下げ]おまいりを終えた勇が入ってくる。
[#1字下げ]忠臣だまって、ウイスキーを出す。
[#1字下げ]三人のグラスにつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「誠、お前、どしたんだよ」
忠臣「うん? まあ、今日ンとこはカンベンしてやれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラス戸の雨のしずく……。
[#1字下げ]グラスを合せるおやこ三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それにしても……(誠に)おい、これから色々と大変だなあ…」
誠「………」
忠臣「まだかゆいか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ぐっとあける誠。
[#1字下げ]苦い酒。
[#1字下げ]ガラス戸を走る雨のしずく。
[#改ページ]
[#改ページ]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]はな子が、客の応対をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「どうもありがとございました! またどうぞ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]奥から、物凄《ものすご》いたつのどなり声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ(声)「ちゃんと言いなさいよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店・茶の間[#「石川酒店・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]一張羅《いつちようら》の背広に着がえている源助が、たつにネクタイで首をしめあげられている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「どこゆくのよ! え? 一張羅着こんじゃって」
源助「いたたた。だから、ちょっと、義理で」
たつ「義理ってなんなのよ。夕方の一番忙しい時間にね、店、ほっぽらかして出かける義理がどこにあンのよ」
源助「義理とフンドシは欠かせないんだい」
たつ「だから、その義理ってのはなんなのよ。どこゆくのよ!」
源助「(小さく)言えばお前は、誤解すんだよ」
たつ「なんだって! ちょっとアンタ!」
源助「(居直る)おい! オレは男だぞ!」
たつ「当り前じゃないのよ。父ちゃんは男でアタシは女だよ。だから一緒になったんだろ!」
源助「アタタ、ネクタイが痛むよ。男がな、一家の主《あるじ》がな、女房《にようぼう》にいちいちことわらなくちゃ出かけられないのかよ!」
たつ「ああ、いいよ。出かけられるモンなら出かけてみな!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]仁王立ちで、体ごとさえぎるたつ。
[#1字下げ]突進する源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「行って……(どんとぶつかる)まいります!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はじきとばされる源助。
[#1字下げ]娘のはな子がとめに入る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「お母ちゃん、カンベンしてやンなよ」
源助「はな子……」
たつ「父ちゃんびいきなんだからお前は!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]これも背広を着こんだ京太郎が出かけようとして、静子に嫌味《いやみ》をいわれている。
[#1字下げ]カウンターで支度をしているロクさん。
[#1字下げ]ふくれている静子。プンとしてハンカチを突き出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「そこ、芸者さんのくるとこでしょ?」
京太郎「行きたくて行くんじゃないんだよ」
静子「さあ、どうですかねえ」
京太郎「静子……これも、みんな誠さんのため艦長のため……」
静子「(小さく)とか何とかいって……誠さんと芸者さんとどういうカンケイがあるんですよ」
京太郎「あのね……」
静子「いいですよ、お店はね、あたしとロクさんで何とかしますから、どうぞ、ごゆっくり遊んでらして下さいませ」
京太郎「遊びにゆくんじゃないっていってるだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっと戸があく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「すみません。まだ準備中なんすけど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってきたのは比呂子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「こんばんは……」
静子・京太郎「比呂子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]日高夫婦、意外な……という感じ。
[#1字下げ]比呂子もモジモジしている。
[#1字下げ]人のいいロクさん、困って……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「……誠さんと、待ち合せすか」
静子「ロクさん……」
比呂子「(小さく笑って)誠さんとは、サヨナラしたから……でも、おじさんとおばさんには、いろいろお世話になったでしょ? それと、お勘定、お勘定してなかったから」
静子「お勘定って……比呂子さん」
比呂子「永山のお父さんと、ご一緒した分……」
京太郎「冗談じゃありませんよ。あれは永山さんのおごりじゃないの」
比呂子「でもあたし」
静子「いいのよ。比呂子さんがそんな心配しなくたって」
京太郎「(改まって)比呂子さん、あきらめちゃダメですよ」
比呂子「おじさん」
京太郎「比呂子さんがどういう気持で、今日、うちの店、みえたか……」
比呂子「………」
京太郎「『おじさん、誠さんとのこと、よろしくお願いします』そう、受け取って、いいんでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]図星の比呂子、下うつむく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「……でも、誠さんには、好きな人いるんでしょ?」
京太郎「あれはね、一時の気の迷い」
静子「そうよ。比呂子さんに振られて……」
比呂子「あたし、振るつもりなかったんです。ただ……誠さん、すごくお父さん思いだから……結婚する前に、あれくらいいっといたほうが……そう思ったのに、誠さん、真にうけて……それで」
静子「判《わか》るわよ、比呂子さん。親一人子一人のとこへお嫁にゆくんですもの。そのくらいねえ、言っておかなきゃ、あと心配だわよねえ」
比呂子「でも……もう、おそいんです」
京太郎「比呂子さん。悪いようにはしないから、安心して待ってらっしゃいよ。ではいってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]有無を言わさず、スーッと出てゆく京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あなた……」
比呂子「あの、ケンカなすったんですか」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]外出支度の忠臣が、京太郎と源助に、置手紙を書かされている。
[#1字下げ]忠臣、半紙に墨痕《ぼつこん》リンリンと大書しすぎて、二枚にまたがってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「急用が出来たので」
忠臣「急用が出来たので……」
京太郎「出かける」
忠臣「出かける」
源助「遅くなるが……ああ、いっぱいだ」
忠臣「遅くなるが……」
京太郎「心配するな。忠臣」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、新しい半紙に書く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「心配するな。忠臣……何なんですよ。人に置手紙まで書かせてさ、どこ、引っぱってこうっていうの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、ニヤニヤする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「相馬|中尉《ちゆうい》!」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川一水」
源助「ハッ!」
忠臣「軍艦だってな、行先が判らんでは出港するわけにはいかんのだ。目的地を言いなさい、目的地を」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、ニヤニヤしてゆずりあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「相馬中尉」
京太郎「石川、お前から……」
源助「まあまあ」
忠臣「なにをモタモタ」
京太郎「(耳打ち)」
忠臣「中野新橋……三業地じゃないの、まさか芸者あげて」
二人「(うなずく)」
忠臣「芸者……ほんとか! おい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]取り乱してしまう忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いやあ、持つべきものは戦友だねえ。恥かしながら永山忠臣、ここ一年ばかり、ビンツケ油の匂《にお》いにはご無沙汰《ぶさた》をしておるんでねえ……いやあ……何かこう、聞いただけで身内に力がみなぎってくるねえ」
二人「艦長、あの……」
忠臣「いやいや。ここンとこ、誠と比呂子さんの婚約がつぶれたり、バーのホステスと、ゴシャゴシャして、ゆすられたり……いやなことがつづいたからねえ。慰労会をもよおしてやろうという諸君のあったかい気持は死んでも……あ、そうか、お座敷遊びとなると、これじゃヤボだなあ。ちょっとご無礼して、着がえを」
二人「艦長!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、取りすがる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ちょっとお伺いしておきますが、今晩は誠さん何時に帰られますか」
忠臣「誠? あんな奴《やつ》のことは」
源助「何時に帰られますか!」
忠臣「……|〆切《しめきり》じゃないからねえ、おそくとも九時かそこらにゃ……いや、あんな奴のこたァ、いいんだよ。こやって置手紙も書いたんだしさ」
源助「そうじゃないんですよ。誠さんが帰ってなきゃ、ねえ、相馬中尉」
忠臣「え?」
京太郎「艦長、出かける前に、あたしのハナシをよく聞いて下さいよ」
忠臣「判っとるの。アンタのいうことはね、ちゃーんと」
京太郎「艦長」
忠臣「ムヤミにさわるな。今の若い芸者は、昔とちがってすぐキャァ! なんて声出すから」
源助「そうじゃないの!」
忠臣「お座敷着に、酒こぼすな、弁償金とられたら」
源助「そうじゃないっていってるでしょ!」
京太郎「……(静かに)艦長は、今晩、大変にモテるんであります」
忠臣「そりゃ、アンタ、昔から、太平洋とお座敷に出りゃ、永山忠臣の右に出るものは」
京太郎「(さえぎって)特に小虎姐《ことらねえ》さんという芸者が艦長に首ったけ」
忠臣「(いい調子)小虎。イキな名前だな、美人か」
京太郎「お座敷だけでは足りないってんで『ナー様、お宅まで送らせてェ』」
忠臣「初会から、そこまではムリだろ」
源助「いや、大丈夫。絶対そうなる!」
忠臣「うれしいこと言ってくれるねえ!」
京太郎「艦長、小虎姐さんといちゃつきながら、ごきげんで帰ってくる。誠さん、玄関に出迎える」
忠臣「ヘヘヘ、妬《や》くな妬くな」
源助「『お父さん、おそくまでどこいってたんだよ』こうくるわ」
京太郎「その目の前で……小虎姐さん、艦長のホッペタにチュッ!」
忠臣「おうおう!」
源助「おい、倅《せがれ》の前でよしなさいよ。それでもかまわずチュッチュッ!」
忠臣「おうおう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]信じられない忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「恥かしながら永山忠臣、絶えて久しくそういう恩恵はこうむっとらんもんだからして、うむ。聞くだに血|湧《わ》き肉おどる心地が……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、ちょっとヘンだなと気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どして、そういうことが判るんだ。え? そりゃ、私は玄人《くろうと》衆にもてることにかけては、自信がありますよ。しかしね、いっぺんもあったことのない何とか……小虎姐さんに」
京太郎「筋書ですよ」
忠臣「スジガキ?」
京太郎「筋書……」
忠臣「そうすると、送ってくれるのも、玄関先でチュウも……」
源助「みんな筋書」
忠臣「もてるってのも」
京太郎「スジ書」
忠臣「アンタらは、この永山忠臣をなぶりものにしようってのか! 昔の上官を寄ってたかって」
京太郎「まあまあ。アタシのいうことおしまいまで聞いて下さいよ。艦長の、そういう有様を見て、誠さんは何というか」
忠臣「え?」
源助「いやいや相馬中尉、それぐらいじゃ足ンないんだよ。艦長ねえ、小虎姐さん帰ったあとも、ポウッとして……『いい女だねえ、いやあ、一目で意気投合しちまってさ』」
京太郎「そうそう。『枯木に花が咲くってのは、このこったねえ』とか何とか……」
源助「『茶飲み友達としてつきあって、まとまるものなら後添《のちぞ》えに』なんて口走っていただく……」
忠臣「(あっけにとられている)」
京太郎「さあ、誠さんは何というか」
忠臣「うーん、誠の奴なあ」
源助「お父さん、もててよかったじゃないか……とは……言わないねえ」
京太郎「絶対に言わないねえ」
忠臣「まあねえ、あの通り固い奴だから……アタシを仏壇の前に連れてくわなあ。『父さん、目上げて母さんの写真見られるか。恥かしいと思わないのかい。よりによって、水商売の人と……』」
源助「判ってるじゃないの」
京太郎「まあ、そんなとこでしょうよ。そこで艦長、何と答える!」
源助「何と答える……」
忠臣「(気がつく)アッ! うむ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひざを叩《たた》く忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『誠、お前、人のこと、いえた義理か』」
二人「(うなずく)」
忠臣「自分は『かもめ』のまり子か? バーのホステスにうつつを抜かしおって、よく人に意見が出来るな……」
二人「(うなずく)」
忠臣「見直したぞ! え? 相馬も石川も、アタマいい! 感服した……」
二人「ハッ!」
忠臣「ということは……あたしゃ、本当に芸者にもてるわけじゃないんだね。いわば、アテ馬」
京太郎「やめときますか」
忠臣「参りましょう」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」[#「バー「かもめ」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]飲んでいる誠。まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「もう……店へはおいでにならないでっていったのに」
誠「いや、ゆくって、言った筈《はず》だよ」
まり子「永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カウンターのところからちらちら見ているマダムの順子。
[#1字下げ]二人、無言ですわっている。
[#1字下げ]誠、たばこを出す。
[#1字下げ]マッチをつけようとするまり子。
[#1字下げ]その手を押えるようにして、自分でライターをつける誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん……」
誠「君には、そういうことしてもらいたくないんだ」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]嬉《うれ》しさとさびしさの入りまじった気持で、まり子、手にしたマッチを箱にもどす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ホステス達「いらっしゃいませ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]新しい客が入ってきた気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「あーら、いらっしゃい」
土岡「お! 誠ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]客は久米編集長と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん……編集長……」
久米「おじゃまだったんじゃないの」
土岡「河岸《かし》、かえますか」
誠「土岡さん、何いってんだよ、さ、こっちこっち」
まり子「いらっしゃいませ、さ、どうぞ」
久米「ひろしちゃん、あちきたちはあっちで、飲みましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カウンターにゆこうとする久米と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長! 土岡さん。ママも、見てないで……早く!」
順子「ご一緒でもかまいませんて……」
誠「そんなんじゃないすよ。ただ、この間、うちのおやじが、彼女に失礼なこと言ったもんだから、あやまりに……」
土岡「あーあ、おやじさんのいる人はいいなあ。いろいろとオハナシする口実があってさ、こっちは、何もいないから、手も足も出ないよ」
誠「土岡さん……」
久米「ぼやくなぼやくな。ひろしちゃんにはワチキがついてるじゃないの、ほう、これがかの有名な『かもめ』ですか。なかなかいいお店じゃないの」
誠「そうか、編集長、はじめてか」
土岡「ママ。うちの編集長……」
久米「久米です」
順子「順子と申します。はじめまして」
久米「なるほどなるほど。まり子ちゃんといいママといい、美人てのはひとつとこに固ってこう……おいでになるもんなのねえ」
順子「まあ……お上手ねえ」
土岡「……うちの編集長ね、こんなアタマしてるけど、(口は)うまいんだ。この手でね、オレたちもコロリ……(誠に)なあ」
誠「安月給で働かされてんですよ」
久米「さあさあ、みんなで、にぎやかにやろうじゃないの。まり子ちゃん、どうしたの? すみっこで……」
まり子「(小さく)あの、この間は、いろいろご迷惑をかけて」
久米「何だかあんた、いつも謝ってるみたいなシトだわねえ」
まり子「………」
順子「………」
久米「女はあんまり謝っちゃダメよ」
まり子「……ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見ている誠。
[#1字下げ]まり子にグラスを持たせてやる久米。
[#1字下げ]手をそえて、誠のグラスにカチンとぶつけてやる。
[#1字下げ]まり子のグラスにぶつけようとしていた土岡、アテがはずれて仕方なく順子のグラスにぶつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「ちょっとひろしちゃん、グラス割らないで頂戴《ちようだい》よ」
[#ここで字下げ終わり]
●「はまの家」の一室[#「「はまの家」の一室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]見事な年増《としま》芸者の小虎姐さんが、三味線を爪弾《つまび》きながら、小唄《こうた》をうたっている。
[#1字下げ]いい気分で盃《さかずき》をなめている京太郎と源助。
[#1字下げ]小唄を口ずさみながら、廊下をチラチラ伺っている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「渋いのどですなあ」
忠臣「渋いのはいいんだけどね、……まだなの?」
京太郎「え?」
忠臣「まだこないの?」
京太郎「きてるじゃないすか」
忠臣「え? じゃ、あの、ばあさん芸者がそうか」
京太郎「小虎姐さん……」
忠臣「あのシトが、アタシにチュウすンの? え?」
京太郎「あれでもね、艦長、アタシの小学校のときのクラスメートなんすよ。特に頼んで……引き受けてもらったんすから……」
忠臣「それにしたってさ、芸者っていうから、もちっと何とか……」
京太郎「やめときますか」
忠臣「やめなくてもいいけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]多少、ガッカリしている忠臣。
●「はまの家」の一室[#「「はまの家」の一室」はゴシック体](時間経過)
[#1字下げ]相当に廻《まわ》った忠臣と源助が、小唄をうたっていい調子。
[#1字下げ]小虎が、二人に悟られないように京太郎の胸倉を取って廊下に連れ出す。
●「はまの家」廊下[#「「はまの家」廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]凄《すご》い見幕で、京太郎に迫る小虎姐さん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「話が違うじゃないのよォ。年は少しいってるけど、そりゃ粋《いき》で様子のいい男だっていうから引き受けたのに……」
京太郎「……そう言わないでさ、トラちゃん、この通り!」
小虎「……あんなクソジジイ……」
京太郎「昔さ、お医者さんごっこした仲じゃないの? ねえ、トラちゃん」
小虎「あーあ。ゆうべの夢見が悪いと思ったわよ」
京太郎「すまない……」
小虎「第一さ、水商売だっていうだけで女を色眼鏡で見るなんて考えかた、あたしゃ納得出来ないからねえ」
京太郎「トラちゃん、あんたは別、あんたみたいな実《じつ》のある女なら、何商売だっていいのよ。でもさ、ね、普通はそうはいかないじゃないの、艦長ね、大事な次男坊の一生がかかってんのよ。人助けだと思ってさ」
忠臣「おーい、小虎姐さん、どこいったァ」
京太郎「ほらほら」
小虎「ま、どっちみち本気じゃないんだから」
京太郎「そうそうマネだけすりゃいいんだからたのむよ、トラちゃん」
小虎「(鼻声で)ハーイ、ナー様、ごめんなさいねえ。……こうすりゃいいんでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といってから、小虎姐さん、おっかない目で京太郎をギュッとにらんで、つねる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「あたたたた。さて、ぼつぼつ誠さん帰ってきたかな。帰ってなきゃ、せっかくのお芝居も無駄《むだ》になっちまうもんなあ、ちょっと電話を……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]無人の茶の間に電話が鳴っている。
[#1字下げ]食卓の上には忠臣の書き置き。
●「はまの家」の一室[#「「はまの家」の一室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣に酌《しやく》をしている小虎。
[#1字下げ]源助もお流れを頂戴している。
[#1字下げ]電話している京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「おそいな、誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]徳造が、玄関の戸をガタガタゆすって声をかけている。
[#1字下げ]中から電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「ごめん下さい! こんばんは! こんばんはっていってんのが聞えないの! え? おい! 永山チューシンいないのォ? 居留守じゃないだろうなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どこかで一パイひっかけてきたらしく、前後左右にゆれながら、どなっている。
[#1字下げ]小汚ないハンケチをひっぱり出すはずみに、たばこを落とす。
[#1字下げ]電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「電話が鳴ってるよォ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、庭のほうをのぞきこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「本当にいないの? この前もいない。こんどもいない。いつきたらいるんだよ。人、バカにしやがって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鳴っている電話のベル。
●バー「かもめ」[#「バー「かもめ」」はゴシック体]
[#1字下げ]カウンターに寄りかかって、ぼんやりしているまり子。
[#1字下げ]肩を叩《たた》くママの順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、ママ……」
順子「どしたの? 永山さん帰っちゃったら、とたんに元気なくなったんじゃないの?」
まり子「そんなこと……あ、いらっしゃいませ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]元気をつけて、客を迎えるまり子。
[#1字下げ]見ている順子。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]帰っている誠。
[#1字下げ]ネクタイをゆるめながら忠臣の書き置きを見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何が急用だよ。どうせ『日高』で」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話が鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「永山です。モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●「はまの家」の一室[#「「はまの家」の一室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器をもつ京太郎、ニンマリして、源助にOKのサインを送って切る。
[#1字下げ]うなずく源助。
[#1字下げ]小虎相手に、オダをあげている忠臣。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだ、間違い電話か。すみませんぐらい、いったらどうなんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]切って……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ケ。だんだん言うことがおやじに似てきたね」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の表[#「「日高」の表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]「日高」の看板をみながら、迷っている徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「『目高』じゃないんだよ。『日高』……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カップヌードルに湯を入れている誠。
[#1字下げ]玄関でベルが鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「おーい。誠ォ、いま帰ったぞォ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ベルがジャンジャンなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あいてるよ! あいてる! 酔っぱらって……なんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]腰を浮かせた誠の耳に小虎の嬌声《きようせい》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「ただいまァ! ただいま!」
誠「あれ?」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]小虎姐さんに支えられて、もたれあって立っている忠臣。二人で小唄をうたって、いいきげん。
[#1字下げ]とび出してくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「ただいまァ」
誠「お父さん……」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]なんだなんだねえ、こんな息子の一人や二人……とくるね」
誠「(小虎に)どうも……すみません……あ、オバサン、ぼくやりますから」
忠臣「おい、バカ、オバサンとは何ですよ。何いっとるかねえ。古典的な教養がないな。今の若い者は、粋《いき》すじのお姐さんつかまえて……何てことを、こちらな、小虎姐さん。お姐さんてよぶもんだ」
小虎「はじめまして、小虎と申します」
誠「はあ、ど、も。いろいろご迷惑をかけてすみません。ほら、お父さん、しっかりしろよ」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]こんな息子の一人や二人、欲しくばあげましょ、のしつけて」
小虎「とか何とかいって……ご自慢の息子さんでしょ! まあ、まあ、お座敷でもねえ、散々聞かされたのよ。ほんにおとっつぁんよかなんぼかいい男だわ」
忠臣「おやじに似たいい男っていってもらいたいねえ」
誠「……ほら、お父さん、悪いだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]わざと小虎にもたれかかる忠臣をひっぺがそうとするが、忠臣、しつこくはなれない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、悪いだろ、オバサン、じゃないか、お姐さん、手、はなして下さい」
小虎「ほら、ナーさま」
忠臣「いいんだよお前は、いやあ、人間長生きァするもんだねえ。この年になって枯木に花が咲こうとは、永山忠臣、夢にも思わなかったねえ」
誠「え?」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]一目見たとき好きになったのよ、ってうたが……いや、はじめはね、アンタも義理、わたしも義理……でもね、義理から出た誠ってことも、あるじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]よろけたはずみを利用して、小虎姐さんの頬にチュッとやる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アッ!」
小虎「(小さく)あッ! そんな約束しないわよ」
忠臣「ま、ま、いいじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]棒立ちになる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! 何てまね。オバサン……お姐さん、どうもすみません。お父さん、あやまンなきゃダメじゃないか」
忠臣「あわてるな、バカ。わたしらはね、思い思われ……(小虎をつついて)お返し……」
小虎「え?」
忠臣「(小さく)お返し……約束じゃないの」
小虎「あ、そうか、(やれやれ)ナーさま」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小虎もチュッをやる。
[#1字下げ]誠、またまた棒立ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アッ!」
忠臣「ヘヘ、お前な、人のことバカにしとるけどな、どうしてまだまだ捨てたもんじゃないんだよ。こういうキレイどこが、お前……何、ポカンと口あけて突っ立ってんの? 上ってお茶でもいかがですかって、おすすめせんかい(よろける)」
小虎「あぶない」
誠「お父さん……あの……上って、お茶でも」
小虎「いえ、もう、ここで……」
誠「そうですか。どうも、いろいろご迷惑を」
小虎「ナーさま、おやすみ」
忠臣「握手、握手!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上りがまちにへたりこみながら、手を出して握手をせがむ忠臣。
[#1字下げ]小虎、手をにぎってやって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「バイバイ」
忠臣「もう帰っちゃうの。姐さん……」
誠「あ、ちょっと待って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小虎を追って外へ飛び出す誠。
[#1字下げ]生垣《いけがき》で様子をうかがっていた京太郎と源助がかくれる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あの、……父がどうも失礼なことをして……申しわけありません」
小虎「はあ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小虎、律義《りちぎ》に頭を下げる誠にびっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「いいんですよ、芸者はね、これが商売……」
誠「すみません……」
小虎「おやすみなさい」
誠「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もう一度、一礼して、入ってゆく。
[#1字下げ]京太郎と源助が、ノソノソ出てくる。
[#1字下げ]じっと玄関を見て立ちつくす小虎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いや、ごくろうさんごくろうさん」
源助「チュッの一幕はうまくいったの?」
小虎「………」
京太郎「どしたのよ、トラちゃん」
小虎「いい息子さんだねえ、あんなクソジジイはどっちでもいいけどさ、あの息子さんのおっかさんになれるんなら……」
源助「おいおい」
京太郎「それじゃあ、ハナシが違っちゃうのよ、いこいこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立ち去り難《がた》い感じの小虎を引っぱってゆく京太郎と源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「すぐそこに、アタシの店があるから、そこで一パイのみ直して」
源助「(小さく)相馬中尉。大丈夫でありますか?」
京太郎「え?」
源助「奥さん大丈夫でありますか?」
京太郎「うむ、じゃ、そのへんの、別ンとこで一パイ」
源助「お供しましょう。さ、姐さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]上りがまちにへたりこんでいる忠臣。
[#1字下げ]じゃけんにゆり起す誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん! 一体、何のまねなんだよ!」
忠臣「こうこなくちゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、誠に見つからぬように、視聴者にウインクを送る。
●永山家・廊下[#「永山家・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣をひっぱって奥へ連れてゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、お父さん! ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]茶の間のテーブルにカップヌードル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ、ラーメン、駄目《だめ》になっちまったじゃないか。お父さん、そんなに酔ってやしないだろ! 自分で歩けよ、ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターに陣取って静子を相手にオダをあげている徳造。
[#1字下げ]ロクさんに聞いている健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あっち行きゃいない。こっちいきゃ留守だ。どしてそういう卑怯《ひきよう》な態度取るの? え?」
静子「別に逃げかくれしてるわけじゃ」
徳造「だって、アンタね」
静子「主人、いつも店にいるんですけど、今日は、どうしてもって義理がありまして」
徳造「あんた、この前、永山さんとこでさ、逢《あ》った時さ、永山誠のおっかさん代り……って、そういったよねえ」
静子「申しました」
徳造「だったら聞くけどさ。誠さんて人ね、うちのム……ム、姪《めい》のまり子……ね、まり子とどういう気持でつきあってんのか、アスビかシンケンか」
静子「あ、どうぞおひとつ」
徳造「アンタね、酒で人のこと丸めこもうたって、そうは問屋が」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながら、意地汚なくグビグビのむ。
[#1字下げ]ロクさんもすかさず、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「ヘイ、刺身、お待ち……」
静子「どうぞおひとつ」
徳造「なんだこりゃ。あたしゃ、こんなもンたのまないよ。たのまないもン手つけてさ、そいであとになってフンだくられたひにゃ、あわねえよ」
静子「まあまあ、固いことおっしゃらないで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、割りバシを割ってもたせる。
[#1字下げ]徳造、つい一切れつまんで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「お、近海もンだ。いいネタ使って……イタさんの包丁もさえてら」
ロク「旦那《だんな》、お目が高いすね」
徳造「こう見えたってね、昔は……アンタ……昼間から、車のりつけてさ、そばはどこ、うなぎはどこ……金にあかしたゼイタクしたもんだよ」
静子「そうでらっしゃいますか。それでお口が肥《こ》えてらっしゃるんだわ」
徳造「もう、カカアが半端《はんぱ》なもンならべようもンなら『こんなもン、食えっか!』バッて、卓袱台《ちやぶだい》、蹴《け》っくりかえしてね、やったもんさ」
静子「まあ……おひとつ」
徳造「いや、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ロクさん、健太郎に耳うち、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「誠さんの(小指)?」
ロク「(小指)ってわけじゃないんでしょうけどね、何かこう」
健太郎「あったわけか」
ロク「その人の叔父さん……」
健太郎「ふーむ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とびこんでくるたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「おそくなってごめんなさい!」
静子「奥さん……(ほっとする)」
たつ「おどかされてるって……ね、どいつよ! え? どこにいんのよ!」
静子「奥さん、シッ!(まずい)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]キッとなる徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おどかしてるだと! そりゃ、アタシのこってすかい」
静子「とんでもない。奥さん、何いってんですよ。うちの主人、たしか、石川さんとご一緒だっていってたから、行先ご存知じゃないでしょうかって……そういっただけなのに……そんな(目くばせ)」
たつ「だって奥さん、ヘンな人がきて、こわいからってアンタ」
徳造「おう! 何かカン違いしてんじゃないの? あたしゃね、ゆすりたかりじゃない。おどかしにきたんでもないのよ。ただね、永山誠って男が、うちのまり子にどういう気持で……」
静子「まあまあおひとつ」
徳造「アンタね、酒のませりゃいいと思ってっかも知ンねえけどね。『うわばみ』じゃないんだから」
静子「(目くばせで)(奥さん)……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつもやっと事態を察して、お銚子《ちようし》を取りあげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「いやだ、あたし、なにカン違いしたんだろ。すみません。ささ、どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]体ごと迫るたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「アンタ、誰《だれ》だい」
たつ「誰って……何ていえばいいんだろ、誠さんの応援団てとこかしらねえ」
徳造「肝心の親が出ねえで、取っかえ引っかえヘンなのが出てきやがんだから、もう、ラチがあきゃしねえや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながら、酒をのむ。静子、たつに代ってもらった感じで、カウンターの中へ入る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「……お母さんたちでモタモタしてないで……永山さん、呼びゃいいじゃないか」
静子「あのかた呼んだら、こんなに(ゴシャゴシャ)なっちゃうでしょ? アンタも中へ入ってて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、徳造が気になって仕方がない感じ。
[#1字下げ]徳造もチラチラと健太郎を気にしている。
[#1字下げ]いきなり徳造がケッと大声を出す。
[#1字下げ]ロクさんの如《ごと》きは出刃に手をかける。
[#1字下げ]一同、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「……クッシュン」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]後半は極めて気勢の上らないくしゃみに一同ほっとする。
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]酔ったふりの忠臣をやっと引っぱってきた誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら! だらしがないよ。ヨイショッと」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]一目見たとき好きになったのよォ」
誠「全くもう! ちゃんと寝巻に着がえないと……駄目じゃないか」
忠臣「おい誠、いい女だろ? え? 小虎姐さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、フトンをしきながら、じゃけんな返事。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「大虎だか小虎だか知らないけどね……」
忠臣「バカ。芸者の権兵衛《ごんべえ》名といってね、そういう名前のほうがイキなんだよ。※[#歌記号、unicode303d]一目見たとき好きになったのよォ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、チラチラと誠を見ながら、挑発《ちようはつ》をはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「姐さんも姐さんですよ。なにも倅の前で、チュッチュッ……やらんでもいいんだよ(やに下る)」
誠「枕《まくら》、枕……(さがしている)」
忠臣「いや、全く……※[#歌記号、unicode303d]一目見たとき」
誠「ほら、ちゃんと寝巻!」
忠臣「どうだろなあ。小虎姐さん。向うも茶飲み友達としておつきあい願いたいと言っとるそうだが……」
誠「ヒモ……ヒモ……と、(探している)」
忠臣「ヒモとは何だ。ヒモとは。いやしくも巡洋艦『日高』の艦長までつとめたこの永山忠臣に向ってヒモ呼ばりは許さんぞ!」
誠「寝巻のヒモだよ。ちゃんと、一緒にしとかなきゃダメじゃないか。あーあ、こんなとこに……」
忠臣「わたしはね、そういういい加減なことはしませんよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]チラチラとうかがいながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まとまるものならまとめてだな、キチンと人を立てて、……正式に『後添え』として迎えたい」
誠「水は入ってるな、よしと……(水差しをたしかめている)」
忠臣「水じゃないんだよ。おい誠、お前、酔っぱらってんじゃないのか。わたしはねえ、『後添え』に、といっとるんだぞ」
誠「(全く問題にしない)ああ、そうかいそうかい」
忠臣「おい誠、わたしは芸者を後添えに」
誠「もらえるもンならもらってみなよ」
忠臣「(ポカンとする)」
誠「ちゃんと電気消して寝てくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆこうとする誠。
[#1字下げ]大あわてで引っぱる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「待ちなさいよ」
誠「なんだよ」
忠臣「お前よく平気でいられるな。わたしは芸者を」
誠「お父さん、もてたつもりで調子にのって……みっともないよ」
忠臣「バカモノ。お前、その目でチャンと見たろ。ナーさま、チュッ!」
誠「やっぱりなあ、水商売の人ってのは、人間が出来てるね」
忠臣「ええ?」
誠「ありゃね、倅の前で恥かかしたら可哀《かわい》そうだ。そう思って調子合せてくれたんじゃないか。オレが見てなかったら、お父さん、横《よこ》ッ面《つら》バチーンだよ」
忠臣「そうじゃないんだよ。あのな」
誠「(仏壇を示す)お母さんがね、笑ってるよ、ヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]行ってしまう誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、おい誠、それが倅のいうことばか! おい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ガックリすわりこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハナシが違うじゃないか。え? おかしいな、どしてこうなったのかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、考える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『茶飲み友達としてつきあって後添えに迎えたい』……私がいうんだよ。そうすると……誠の奴《やつ》が……そうだよ。わたしを仏壇の前に引っぱってゆくんだよ。『お父さん、目上げて、母さんの写真見られるか! 恥かしいとは思わないのかい。よりによって水商売の人と』こうくる筈《はず》なんだよ。そこでわたしが(どなる)誠! お前、人のこと、言えた義理か!」
誠(声)「夜中にデカい声出すんじゃないよ」
忠臣「……(小さく)『お前、人のこと言えた義理か。自分はかもめ[#「かもめ」に傍点]のまり子か? バーのホステスにうつつを抜かしおって、よく人に意見が出来るな』こうこなくちゃいけないんだよ。おかしいな、どこで間違ったのかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつと徳造がもめている。そばに静子。カウンターに健太郎とロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「なんだと! もういっぺん言ってみなよ」
たつ「ああ、何べんでもいってやるわよ。あんたね、二言目には『ゆすり』じゃない、『たかり』じゃないっていうけどね、あんたのやってることは、立派な『ゆすりたかり』なのよ」
静子「奥さん」
徳造「女だと思ってカンベンしてやってりゃつけ上りやがって」
たつ「つけ上ってンのはそっちだろ! こっちが下手に出りゃ調子にのって、酒だ、刺身だ」
静子「それはね、こっちが差し上げたんですからさ」
たつ「本当に言いたいことがあンなら、どして誠さんの会社へいっていわないのよ。こんなとこへきて、意地汚なくごちそうになって……」
徳造「アタシャね、そんなんじゃないんだよ。アスビかシンケンか」
たつ「本当に聞くだけなら、お酒なんかに手出すんじゃないよ。頂くものは頂いて、難くせもつけるんじゃあね、とってもやってらンないわよ」
静子「奥さん、もうやめて頂戴よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造いきなりバッとテーブルの上のものを払う。飛び散る皿小鉢《さらこばち》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう! 勘定!」
一同「………」
徳造「勘定してくれ! ビシッと勘定払って、それから、ハナシのほうもビシッとつけようじゃねえか」
静子「お勘定だなんてとんでもない、どうかもう……(たつに)奥さん(徳造に)失礼いたしました」
徳造「さあ、勘定してくれ!」
たつ「奥さん、なに謝ってんのよ。勘定っていってんだからさ、割れた皿小鉢の分までビシッと頂戴しなさいよ」
静子「奥さん……やめてっていってるでしょ!」
たつ「紙入れも出さないで勘定勘定ってさわいでるけどね、恥かかないうちに、黙って帰ったらどうなのよ」
徳造「なんだと!」
たつ「奥さん、おひねり(目で包んでやれとサイン)」
徳造「見損なうない! オレはそんなつもりで」
たつ「じゃどんなつもりよ」
静子「奥さん、よしてっていってるでしょ」
健太郎「ハナシは、ボクが」
たつ「健ちゃんはいいのよ。奥さん早く」
徳造「オレはそんなつもりで。そんなつもりできたんじゃねえんだぞ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、うながされて、札を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「失礼ですが、お車代……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]わたしかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「なめるな!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子をパッと突き飛ばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]母をかばって健太郎が飛び出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「何すんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、徳造を突きとばす。
[#1字下げ]相当|廻《まわ》ってフラフラしていた徳造、もろにぶっとんで、ガラス戸に当る。ガラスは割れて大きな音を立てる。
[#1字下げ]アッと頭を押える徳造。
[#1字下げ]押えた手に真赤な血、一同アッとなる。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]番茶を飲みながら夕刊をひろげている誠。
[#1字下げ]寝巻に着がえた忠臣が入ってくる。
[#1字下げ]だまってすわる。
[#1字下げ]誠、だまっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「わたしも、お番茶を、(もらおうか)……ま、いいや。自分でつごう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]哀れっぽく自分でつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お前な、お前……」
誠「なんだよ」
忠臣「人のこと、笑いもンにしたけどな、人のこと言えた義理か」
誠「なんのハナシだよ」
忠臣「お父さんが水商売の女にもてる筈ないってバカにしたけどな、自分はどうなんだ、自分は」
誠「え?」
忠臣「『かもめ』のまり子か? バーのホステスにボーッとなって」
誠「オレがいつボーッと」
忠臣「なっとるじゃないか、今だって、お前『かもめのジョナサン』の広告、じいっと見とるじゃないか」
誠「あのね」
忠臣「水商売の女ってのはな、金なんだよ。こんな親かかえた金のないペエペエサラリーマンに、本気で惚《ほ》れると思ってんのか……」
誠「お父さん!」
忠臣「(ブツブツ)少し路線が違っちまったけど、これでもいいんだよ」
誠「なにブツブツいってんだよ。あのね、あの人はそんな人じゃないよ!」
忠臣「みんな、自分の相手だけはそんな人じゃない、そう思ってひっかかるんだ。悪いことはいわないよ。な、お父さんも、小虎姐さんのことはキッパリとあきらめよう。だからお前も、『かもめ』のまり子とはキッパリ手を切って(もらいたい)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話がなる。
[#1字下げ]誠、取ろうとする。
[#1字下げ]忠臣、体当りでとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「女からだな、待ちなさい。その電話はアタシが」
誠「なにいってんだよ、(取って)モシモシ、あ、『日高』のおばさん」
忠臣「なんだ、『日高』か」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、出ようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ケガしたって、モシモシ誰が」
忠臣「誰がケガしたの? ロクさん?」
誠「彼女の叔父さん……」
忠臣「え? 誰なの?」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」[#「「日高」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]頭をタオルで押えてわめいている徳造。たしかに血が出ている。
[#1字下げ]あやまっている健太郎。
[#1字下げ]カウンターにかくれるようにして電話している静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「百十番呼んでもらおうじゃねえか!」
健太郎「どうも申しわけありません」
たつ「健ちゃんが悪いんじゃないのよ、物のはずみなんだから」
徳造「わびなんか聞きたくねえんだよ。百十番」
静子「おわびしているんですけど、とにかく百十番呼べってもう」
たつ「あんたね、百十番よんだら、自分がたかりとおどしで、ガシャン(手錠)になンのよ」
徳造「ヘン、その前に傷害現行犯でしょっぴいてやらァ」
静子「お知らせするのもどうかと思ったんですけど、主人、まだ帰りませんので」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠。忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「すぐゆきます!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切ってとび出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あッ! どして電話切るんだよ。誰がケガしたの、おい! まさか奥さんじゃないだろうな! おい!」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」更衣室[#「バー「かもめ」更衣室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]着がえをしているホステスたち。まり子もいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ホステスA「お先にさよなら!」
まり子「さよなら、おやすみなさい」
ホステスB「おつかれさまァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を出すママの順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「ちょっとまり子ちゃん」
まり子「………」
順子「電話、永山さん」
まり子「本当ですか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと顔が輝くまり子。
[#1字下げ]順子を突き飛ばすようにして店へ。
●「かもめ」[#「「かもめ」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器をとるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お待たせしました。まり子です。え? 叔父がケガ……モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]公衆電話をかけている誠。
[#1字下げ]横に立っている健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ケガは大したことないけど、とにかく、いまうちのそばの平岡病院に」
まり子(声)「モシモシ」
誠「くわしいことは病院で話します。とにかく申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子、うしろに順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「環状七号線を……右に入った平岡病院ですね。あの、何か持ってゆくもの」
誠(声)「ぼくの方で揃《そろ》えます!」
まり子「すみません、すぐゆきます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「一緒にいったげようか」
まり子「大丈夫です」
順子「世話かける『お父さん』だわねえ」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話口でどなっている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どして私に言わんのだ。そういう男がきたんならきたとどして……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]落花|狼藉《ろうぜき》のあとに帰ってきたらしい京太郎が、電話口に出ている。片づけている静子とロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いや、ご報告しなかった静子も悪いんですが、こういう場合に艦長が出られると、ますますハナシがこんがらがってですな」
忠臣「こんがらがってもだな、わたしが誠の父親じゃないか。どして私をさしおいて、頭越し外交を」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関に音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誰だ? 誠か。あ、モシモシ、誠が帰ってきたから、じゃあまた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]切る忠臣。
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どした、ケガは。お前も水臭い奴《やつ》だな。何もいわずに飛び出すことはないだろ」
誠「ええと……ねまきと……タオル……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながら奥へ入ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい! お前、何も病院までくっついてゆくこたァないだろ? 甘い顔していいわいいわでやっとると、つけ込まれるぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠。浴衣《ゆかた》とタオルをもっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あとは……」
忠臣「おい、そりゃあたしのねまきじゃないか」
誠「あとはスリッパ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]廊下のスリッパをつつむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あとは湯のみを……」
忠臣「おい! それ誰にもってくんだ!」
誠「ケガ人だよ」
忠臣「ゆくことない!」
誠「お父さん……」
忠臣「ゆくことないよ!」
誠「どいてくれよ」
忠臣「誠、お前、自分のしてることが判《わか》ってるのか。それはな、まり子って女の叔父さんにもってくんじゃないだろう。彼女にもってくんだろう」
誠「……お父さん」
忠臣「誠、お前、今行ったら、抜き差しならなくなるぞ、それでもいいのか!」
誠「………」
忠臣「………」
誠「お父さん、先、寝ててくれよ」
忠臣「……誠……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]父親を押しのけて出てゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(呟《つぶや》く)バカモノ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]さびしい忠臣。
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ベンチにすわっている健太郎、中にいるよという感じでドアを示す。
●病室[#「病室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]頭に繃帯《ほうたい》をして眠る徳造。
[#1字下げ]ベッドサイドにすわるまり子。
[#1字下げ]荷物をもって入ってゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん……」
誠「どうも申しわけありません……」
まり子「あたし……恥かしくて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ウウ、と誠の胸に取りすがって嗚咽《おえつ》してしまうまり子。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]一人ぼっちの忠臣。
[#1字下げ]柱時計の音。
●病室[#「病室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠の胸にすがって泣きじゃくるまり子。
[#改ページ]
[#改ページ]
●永山家・洗面所[#「永山家・洗面所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]歯をみがいている誠に食い下っている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「病院はどこなんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、知らん顔をして磨《みが》いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、誠。病院はどこなんだと聞いとるんだよ。あの男の……まり子ってホステスの叔父さんか? 入院してる病院は、どこの何て病院なんだ」
誠「お父さんは関係ないんだよ」
忠臣「何いっとるんだ。あのな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、答えたくないので、うがいをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、誠! やせても枯れてもお前はわたしのおやじだぞ!」
誠「逆だろ」
忠臣「え? あ、そうか、やせても枯れても、わたしはお前のおやじなんだよ。それをだな、どうして」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、じゃまだよという感じで忠臣を押す。
[#1字下げ]忠臣、食い下る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい誠。その態度は」
誠「お父さんが出るとね、話がややこしくなるんだよ」
忠臣「それじゃ済まないんだよ、こういうことは(言いかける)」
誠「子供じゃないんだからね、自分のことは自分でカタ、つけるよ」
忠臣「偉そうな口、利《き》けた義理か。うちまで押しかけられたってのだって、いい恥さらしなのに『日高』にまで」
誠「日高のおじさんたちにはすまないと思ってるよ。だから、オレが」
忠臣「おい、誠」
誠「子供のケンカに親が出るっていってね、みっともないんだよ」
忠臣「何を言っとるか! 向うはすでにして親が出ておるんだぞ」
誠「……(チラリとあって)叔父サンだろ」
忠臣「親も叔父さんも同じこってすよ。向うが向うなら」
誠「あのね」
忠臣「こういうことは、本人よりもまわりのものが、キチンと話決めたほうが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ゆきかける。
[#1字下げ]忠臣、パジャマの裾《すそ》を押えて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい! 何病院だ!」
誠「放してくれよ」
忠臣「そうか。そんなら言うな。ああ、東京中に何百何千病院があるか知らんけどな、頭ケガした、六十がらみの男はそう何百人もおらんだろうさ。しらみつぶしに探してみつけ出してみせるからな」
誠「お父さん。見つけるのは勝手だけどね……絶対、行っちゃ困るからね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言い捨てて、茶の間のほうへ行く誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、誠!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]追う忠臣。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
すでに朝食の用意の出来た食卓で、朝刊をひろげる誠。
いきなり朝刊をひったくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何すんだよ!」
忠臣「わたしの目を見ろ」
誠「ヤクザ映画やってんじゃないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]新聞を引ったくろうとする誠。
[#1字下げ]放さない忠臣。
[#1字下げ]新聞がビリビリと破れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「目を見ろといったら、目を見るんだ!」
誠「なんだよ」
忠臣「ひとことだけ聞く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、日頃《ひごろ》チャランポランなこの男にしては珍しく、ゆっくりと真剣に聞く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『遊びか。真剣か』」
誠「?」
忠臣「『かもめ』のまり子だよ。『遊びか真剣か』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、父とにらみあう。
[#1字下げ](間)
[#1字下げ]そして、誠も珍しく、ハッキリと答える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん。オレは『真剣』」
忠臣「(言わせない。かぶせて)待て! ちょっと待て」
誠「お父さん」
忠臣「遊びだな? 遊びだろ?」
誠「『遊び』じゃないよ」
忠臣「おい、相手は水商売だぞ。バーのホステスだぞ。『真剣』に惚《ほ》れるバカが」
誠「お父さん……」
忠臣「(ゆっくりと)遊びならいいんだよ。どんな不始末しようと若気のあやまちで、すむこった。でもな、『真剣』だけはよせ。やけどするのは、お前だぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]返事のかわりにタクアンをつまむ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まあいいさ。そっちがそういう態度なら、こっちにもね……ああ。永山忠臣、最後の力を振りしぼって、絶対、阻止してみせるぞ!」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]ベッドの上に起き上っている徳造。(ベッドのヘッドに倉島徳造のプラスチックの名札)枕頭台《ちんとうだい》を片づけているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「な、まり子。お前な、あの永山誠って男に対して、アスビかシンケンか」
まり子「お父ちゃんもくどいわね、何べん同じこと聞くのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ノックの音がして入ってくる看護婦のエミ子。
[#1字下げ]若くてボイン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
エミ子「……体温計……」
まり子「どうもご苦労さまでございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、チラチラと体温計を見るエミ子の胸のあたりをのぞく。
[#1字下げ]まり子、気がついて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(目で)お父ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、目をそらしてとぼける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、熱は」
エミ子「もう平熱だわね」
まり子「それじゃあ、退院のほうは」
徳造「あわてるこたァないだろ。たまに入院したんだ。肝臓や心臓のほうも……ありゃ、なんだドックか、人間ドック」
まり子「お父ちゃん。本当にドックに入るつもりなら、あたしが別の病院……(言いかけてエミ子に気づく)すみません」
エミ子「(笑って)倉島さん、おとなしくしてなきゃ駄目《だめ》よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]行ってしまうエミ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん、みっともないマネしないでよ」
徳造「なんだよ」
まり子「どこみてたのよ(にらんでいる)」
徳造「お前な、目つきが死んだ母ちゃんに似てきたなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、黙って片づけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「横になんなきゃ駄目でしょ?」
徳造「横になってしゃべると、話に力が入ンないんだよ」
まり子「………」
徳造「さっきのつづきだけどな。おい、まり子、本当にどっちなんだよ。『アスビか真剣か』」
まり子「どっちでもないわね」
徳造「なんだそりゃ」
まり子「そうね。強《し》いていやあ……『仕事』だわね。『商売』だわね」
徳造「(じいっとまり子の顔を見ている)」
まり子「あたしと永山さんはホステスとお客。『遊びも真剣』もないでしょ。商売商売」
徳造「嘘《うそ》つけ……」
まり子「……(お父ちゃん)」
徳造「親の目、ごまかそうたってそうは問屋が……たばこ、取ってくれよ」
まり子「入院してるときぐらい、たばこへらさなくちゃ駄目でしょ」
徳造「手で(一本だけ)……お前は、あのシトに惚れてるよ。本気だよ」
まり子「お父ちゃん……(取ってやる)」
徳造「ま、いいさ。いかに親だって惚れるな、たァ言えねえや」
まり子「………」
徳造「だけどな、相手はどうなんだ? 遊びじゃねえのか、お前と同じくらい、シンケンなのか」
まり子「あの(言いかける)」
徳造「お父ちゃんはな、そこンとこが心配でさ、やな[#「やな」に傍点]顔されながら、あっち行ったりこっち行ったりして、それでお前、あげくの果ては、突き飛ばされてこの始末だよ、な」
まり子「気持はうれしいけどね、迷惑なのよ。お父ちゃんのおかげで、あたしがどれだけ肩身のせまい恥かしい思いしてるかお父ちゃん、考えたことあるの?」
徳造「オレはな、ひとことだって、お前のおとっつぁんだなんていってやしないぜ。どこいっても、叔父さんです、叔父さんです」
まり子「迷惑は同じことよ! ほら、灰皿《はいざら》!」
徳造「あの永山って男な、あれゃ、いいなずけがいるんだぞ」
まり子「知ってるわよ。お客様に奥さんがいようがいいなずけがいようが、ホステスに関係ないでしょ」
徳造「強がってやがる。あのな、まり子」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん、勉強の道具もってこいってどういうイミだよ」
まり子「あ、進ちゃん」
徳造「おう、進一、勉強ちゃんとやってっか」
まり子「進ちゃん、ちょっと」
徳造「おう、どこ、ゆくんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、進一を引っぱって、廊下へ。
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]廊下で立ちバナシのまり子と進一。
[#1字下げ]看護婦や医師が通りかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さんのそばについててほしいのよ」
進一「オレが?」
まり子「永山さんや永山さんのお父さんや……お父ちゃんが、お酒のんであばれた『日高』っていうの……そこの人たちも、もしかして来ると思うのよ。お父ちゃん……何いうか判《わか》んないでしょ?」
進一「だってさ、オレ……」
まり子「本当はあたしがついてりゃいいんだけど、どうしても、ゆかないとまずい集金があるのよ」
進一「(うなずく)」
まり子「誰《だれ》かきても、なるべく会わさないで。ヘンなこといったら、進ちゃん……(とめて)」
進一「判ったよ」
まり子「お姉ちゃん、なるべく退院させるか早く別の病院へうつすかするから、それまで進ちゃん……」
徳造「おい、帰る前にな、たばこ、三つ四つ、買っといてくれや。それからジュース買う金」
まり子「おいてくわよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]出かけようとする健太郎を送り出している京太郎と静子。
[#1字下げ]静子、お見舞いと札のかかったくだものかごを手わたす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「やっぱりアタシたちが行ったほうがいいんじゃないの」
静子「前に永山さんのお宅へみえたときも逢《あ》ってるしねえ」
健太郎「いや、こういうことはね、事務的に処理したほうがいいんだよ。それと、突きとばしたのはボクなんだから」
静子「でもねえ、物のはずみよ。健ちゃん一人が責任感じることはないわよ」
健太郎「何もさ、傷害事件じゃないんだから。ごめんなさいって頭下げりゃすむことなんだからさ」
京太郎「せっかくの東京転勤で帰ったそうそう、なあ……」
健太郎「なあに、当分、あいさつ廻《まわ》りで、時間は融通がきくからね、それと、あの、倉島っていったっけ、あのオッサンの姪《めい》……問題のまり子ってホステスが、いい人でさ、あとも、そうごたつかないんじゃないかな」
静子「そんならいいけど」
健太郎「それよか問題は永山のおやじさんだよ。誠さんからもね、どんなことがあっても、病院の名前は教えないでくれって」
京太郎「まあ、艦長としちゃ、乗りこんでって一席ぶちあげたいとこだろうけど」
静子「そういうこと、お好きだから」
健太郎「何てカマかけられても絶対に」
京太郎「教えない」
静子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の歌声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]敵は幾万ありとてもォ」
京太郎「艦長だ!」
静子「(見舞いのくだものかご)あら、どうしましょう」
健太郎「しまって……カウンターのうしろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、大あわてでしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]すべて烏合《うごう》の勢なるぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる忠臣、まるで、マラソンでもするようなトレパンに運動|靴《ぐつ》。肩には旧式の水筒とにぎりめしを入れたフロシキをタスキにかけて張り切っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]烏合の勢にあらずとも 味方に正しき道理あり」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、びっくりしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「永山さん……」
京太郎「艦長……一体これはどういう」
静子「あの、遠足かなんかおでかけですか」
忠臣「健太郎クン。病院へ見舞いにゆくのに、空手《からて》はいかんねえ。せめて果物かごぐらい」
京太郎「は……」
静子「あの……」
健太郎「そうか。永山さん、ボクが病院へ見舞いにゆくと思ってんだ。ハハ。苦労性だなあ」
忠臣「え? あの」
健太郎「ハナシはね、ゆうべ、キチンとついたんですよ。そりゃ突きとばしたぼくも悪かった。でもね、もとはといえば、言いがかりつけてクダ巻いた向うにも問題があるってことで」
忠臣「どうなったの」
健太郎「まり子って人がね『一切は私どもの責任です。そちらはお詫《わ》びの必要はありません。お見舞いも辞退します』」
京太郎「いやあ、あたしもそれ聞いてね、ああ、よかった……」
静子「一時はもうどうなることかって、ねえ……」
忠臣「(小さく)フン。そんな、アンタ、相手はおとなしく引っこむタマじゃないだろ?」
三人「え?」
忠臣「まあいいでしょ。みんなでそやってね、口裏合せてあたしをのけ者にしようっていうんなら、それでいいんだよ。こっちだってその覚悟で出てきてるんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、足踏みしてみせる。運動靴。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長……」
忠臣「かくなる上は一軒一軒病院たずね歩いてね、草の根を分けても、あの、まり子ってホステスの叔父さんをさがしてみせますよ」
健太郎「じゃぼくは(目くばせ)いってまいります」
忠臣「ご一緒しましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎の腕を取る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「せっかくだけどね、永山さん、本当にお見舞いじゃないんですよ、東京転勤のあいさつ廻り」
忠臣「フーン」
静子「さ、さ、永山さん、お茶でもおひとつ」
京太郎「艦長、久しぶりに、ひとつどうすか(将棋)」
健太郎「(小さく)母さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、静子に外で待ってるからくだものかご……という目くばせ、静子も、OKの目くばせ。
[#1字下げ]目ざとくみつける忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「健太郎クン、それ、何なの」
健太郎「え?」
忠臣「どうして、こういう目、すンの」
健太郎「いや、別にそんな……目のカッコじゃないかな」
忠臣「奥さんもこんな目して……何かしめし合せてるなあ」
静子「いやですよ、永山さん」
京太郎「さあ、艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]将棋盤をもってくる京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「景気つけに一本つけますか?……」
忠臣「うむ……そんなことはしておられんのだが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながら、ついすわってしまう。
[#1字下げ]そのうしろを、くだものかごを体のうしろにかくした静子が、そっと蟹《かに》のように横ばいをしながら、戸口へ移動する。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと忠臣がふり向く。
[#1字下げ]あわてる静子。
[#1字下げ]入口で気をもんでいる健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ほら、艦長! どっち向いてんですか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ぐいともどされる忠臣。
●石川酒店・茶の間[#「石川酒店・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]外出着に着がえているたつ。
[#1字下げ]帯を結ぶのを手伝わされている源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ほら、お父ちゃんときたらどこに力入れてんのよ。もちっとシャキッと」
源助「シャキッとやってっだろ」
たつ「そんなヘッピリ腰じゃあねえ、女の帯はしめらンないのよ!」
源助「(小さく)文句いうんならひとりでやンなよ」
たつ「なんてったの」
源助「え? いやあ、その、アタシも一緒にいったほうがいいんじゃないかなって……」
たつ「お父ちゃんはいかないほうがいいのよ。弱気なんだから……ああいう厚かましいのはね、すぐつけこんで『オンブに抱っこ』ってくるに決ってんのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ボール箱にジュースの缶《かん》づめをつめ合せて見せにくるはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「お母ちゃん、こんなとこでいいかな」
たつ「バカだね。はな子、そんなパイカンなんて高いの入れることないよ。もっとさ、カサ張って見映《みば》えがして」
はな子「安いの……」
たつ「判ってんなら、ちゃんとやンなさいよ!」
源助「商売もン、ケチケチするこたァないだろ」
たつ「そんなこといってるから、こっちはいつになったってスーパーになんないのよ。え? お父ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お、鼻黒一水、元気でやっとるかね!」
はな子「ハッ! 艦長殿!」
源助「艦長!」
たつ「ちょっと、永山さん、人の娘つかまえて鼻黒鼻黒……」
忠臣「(とり合わないで、はな子に)病院のお見舞いだろ?」
はな子「ハッ! 艦長殿」
たつ「(言わせない)ほらほら。はな子! いつまで缶づめいたずらしてんのよ。早くお店お店」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はな子、小さく敬礼して店へ出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長。また勇ましいかっこうで……今日は何でありますか」
忠臣「奥さん、お荷物は……ヘヘ、今日はね、奥さんのお供して、病院へ見舞いにね」
たつ「あら、永山さん、あたし、これからデパートゆくんですよ」
忠臣「デパート」
たつ「お父ちゃん、自分はこんなかっこしてるくせに、あたしには、キレイにしてろキレイにしてろ、着物買ってこいよ、なんて」
源助「ヘヘヘ」
忠臣「なにがヘヘだい、まあ、いいですよ。戦後三十年、かくも無残に昔の上官を裏切るかねえ」
源助「艦長」
忠臣「なあに、こっちだって、目もありゃ耳もあるんだ。何とかしてさがし出して」
源助「艦長『コブタケノリ』(ニヤニヤ)」
忠臣「え?」
源助「『コブタケノリ』」
忠臣「何だい、そりゃ」
源助「新製品なんすがね、コブとナメタケとのりを一緒にしたやつ。酒のつまみにいけるのなんの」
忠臣「コブタケノリ?……」
源助「かるーく」
忠臣「大丈夫かい(カアちゃん)」
源助「着物買いにゆくときゃ(大丈夫大丈夫)さあさあ」
源助・忠臣「コブタケノリコブタケノリ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]意地汚なくだまされる忠臣。
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]徳造を見舞っている健太郎とたつ。
[#1字下げ]健太郎はくだものかご。
[#1字下げ]たつは缶づめセットを差出している。
[#1字下げ]少しはなれたところで心配そうに、英語の辞書をめくっている進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あたしゃね、おどかそうとか、ね、金が欲しいとか……そういう気持は、これっぱっこもなかったんだよ」
たつ「そりゃもう……ねえ」
健太郎「よく判ってますよ」
徳造「そらね、話つけにいったんだ。酒出されたって刺身出されたって手つけないほうが正しい[#「正しい」に傍点]よ。リクツはそうだよ。でもね、せっかくすすめてくれるものをだ、いらねえよじゃあ、そいじゃあ、あンまり愛嬌《あいきよう》がないじゃないの。第一、失礼だアな」
たつ「そうですよ。親の仇《かたき》じゃあるまいし」
徳造「酒が廻りゃ、つい声もでっかくならァ。なあ、売りことばに買いことばさ」
健太郎「いや、とにかく、この通り」
徳造「誰《だれ》だってね、好きで娘に水商売させてやしないんだよ。背にハラはかえられなくてさ」
健太郎「たばこですか」
徳造「ヘイ、どうも……ひがみっぽいのかねえ。だまされてんじゃないのか。もてあすばれてんじゃないのか。相手が本気なら本気でさ、どんなうちに住んでて、どういう親がついてンのか、しらべたいじゃないの、ね、親として、当り前の」
たつ「あら、アンタ、まり子って人の、おじさんじゃないの?」
進一「………」
徳造「え? いやあ、叔父さんですよ」
たつ「だって、いま、娘って、ねえ」
健太郎「………」
徳造「こんな時分から娘みたいにかわいがってたもンだから……」
二人「……(ヘンな顔)」
徳造「それにしても永山誠って男はひどいねえ。レッキとしたいいなずけがありながら」
たつ「あのねえ……」
進一「そのハナシ、よしなよ!」
健太郎「あ、灰皿……」
徳造「アンタ、『目高』のあととりかい」
健太郎「『日高』ってんですけどね」
たつ「健太郎サンはね、本当の息子さんじゃないの。奥さんの連れっ子さん……」
徳造「あンた、これ(小指)いンの?」
健太郎「え? いや」
たつ「健太郎さん、まだ、ひとりよねえ」
徳造「フーン、ひとり者か。そいで(たつに)あンた、酒屋だっていったねえ」
たつ「ええ。酒屋ですけど」
徳造「息子、いないの? 年頃《としごろ》のさ、息子」
たつ「うちは娘が一人だけど、それが……なにか」
徳造「(小さくブツブツ)酒屋は酒だけだけど、飲み屋に嫁にやりゃ、肴《さかな》がついてら。第一へたなサラリーマンよか……いいよ、こりゃ。そうかって牛を馬に乗りかえるってわけにもいかないか……」
二人「え?」
徳造「いやいや、こっちのハナシ……」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話・ボックス[#「公衆電話・ボックス」はゴシック体]
[#1字下げ]電話帳をめくりながら電話している忠臣。
[#1字下げ]ボックスの外に待っている人が二、三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あのね、モシモシ。お宅の病院にね、頭けがした入院患者がね、え? 名前? 名前ちょっとね、忘れたもんで。年の頃は六十がらみ……ええ。そういう人物はおりませんか。モシモシ。うむ、ふむ、おらない? もしもし。アンタね、口止めされとるんじゃないだろうね。え? あ、こりゃどうもご無礼しました。ほんとにおらないんですね。あ、そう。どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切って、悠々《ゆうゆう》と電話帳をめくってしらべている忠臣。
[#1字下げ]待っている人たち、ドアを叩《たた》いたり、地団太をふんだり。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米編集長、誠、土岡。
[#1字下げ]カメラマンの内山はネガをしらべている。それぞれ忙しく立ち働く編集部員たち。
[#1字下げ]鼻毛をぬいて、割りつけ用紙に植えつけている久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「いやあ、キレイにくっつくもんだねえ。あたし思うんだけどねえ、田植えってのは、鼻毛植えるのから考えついたんじゃないかしらねえ、ねえ、ひろしちゃんよ、お前さん、どう思う」
土岡「非常にユニークなご意見なんすけどねえ。文化人類学的に見ると、どんなもんですかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、隣りの誠の手許《てもと》をのぞきこんで……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「なんだよ、誠ちゃん。どして、それ、四段組みにすんだよ」
誠「え?」
土岡「え? じゃないだろ? それは、前のと合せて、特集だから『五段組みよ』って、念押したじゃないの」
誠「あ、そうか」
土岡「誠ちゃん、お前さん、今日おかしいよ。ポーッとしてさ」
久米「『心ココニアラズンバ見レドモ見エズ』」
誠「いや、そんなことないすけどね」
土岡「編集長、こんなのに、月給払うこたァないすよ」
久米「まあまあ、ひろしよ、ひがむなひがむな。そのうちにお前さんだってね、仕事が手につかないくらい舞い上ってさ、うれしいことがめぐってくるって」
誠「そんなんじゃないすよ。もう、バカバカしいことでね、ちょっとなにしてるだけで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる、秋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「永山さん、面会のかた」
誠「ぼく」
久米「む、男のかた? 女のかた」
秋子「おんなのかた」
久米「美人?」
秋子「(うなずく)」
久米「ひろしちゃん」
土岡「帰り、いっぱいやりましょ」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部・廊下[#「編集部・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]うしろを向いて立っているのは比呂子。
[#1字下げ]びっくりする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「比呂子さん……」
比呂子「……この間から、何べんも……ここの……ビルの下のところまできたわ。でも、入る勇気がなかったの。もう一日待てば、会社のほうへ……もしかしたらうちのほうへ、誠さんから電話があるかも知れない。そう思って、あたし……どこへも出かけないで電話を待ったわ。でも、電話は鳴らなかった……」
誠「………」
比呂子「もう、遅いのね。『お父さんを取るか、あたしを取るか』なんていったこと……あれは本心じゃなかった。あのくらい言っとかないと、大変なお父さんだから……そういってもきっと、誠さん、折れて、当座はアパートで暮して、子供でも生れたら一緒に……そういってくれる……タカをくくってたのよ。アタシ……」
誠「………」
比呂子「でも、もうおそいのよね。誠さんの気持は、もう、あたしにはないのよね」
誠「………」
比呂子「いいの。判ってたの。でも、どっちにしてもハッキリさせないと、アタシ……毎日、毎日、電話待ってんのがたまらなくなって、ハッキリ誠さんの口から……」
誠「すまない……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずく比呂子、フフと笑う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
比呂子「ああ、これでサッパリした!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑いかけた顔が、急にゆがむ。
[#1字下げ]いきなり、両手で顔をおおって嗚咽《おえつ》する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]肩を叩くわけにもゆかず、辛《つら》い誠。
[#1字下げ]ドアから顔を出す土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「誠ちゃんよ、前川先生から原稿の|〆切《しめきり》、あと二日……あ、いいや。オレ、適当にいっとくわ、どうも、おじゃまさんでした……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]引っこむ土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「比呂子さん、悪いのはボクなんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけてハッとなる。
[#1字下げ]立っているのは勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「兄さん」
勇「誠、お前……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]比呂子、泣きながら頭を下げ、走り去ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おい誠、お前……」
誠「……」
勇「あの人、比呂子さんて人じゃないのか」
誠「うむ」
勇「どうなってんだ。え? 勤め先まで押しかけられて……みっともないぞ」
誠「いや、オレねえ」
勇「オレじゃないよ。きのうも何かあったんだろ? おやじさんの口ぶりだと、なんだかバーのホステスが家へまで押しかけて、その男だか何だかも来たっていうんだろ?」
誠「兄さん、違うんだよ」
勇「言いわけすんな! 夕べ色々聞こうかと思ったけどさ、親の前じゃ言いづらかろう、そうかってお前だけ引っぱって、飲みにゆくわけにはいかないしさ、こやってきてみりゃ……この始末だ。一体どしたんだよ」
誠「どしたって、色々からみあってね。ひと口じゃ言えないんだよ」
勇「……ちょっと出よう」
誠「電話待ちなんだよ」
勇「お前、オレに聞かれるとまずいハナシがあるんじゃないのか」
誠「そうじゃないよ」
勇「そんなら二十分やそこら」
誠「待ってくれよ、本当に今大阪から電話待ち」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もみ合っている所へ顔を出す久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃん、お廊下で濡《ぬ》れ場はいけませんよ。屋上か下のキッチャ店、あ、こりゃどうも……」
誠「兄貴です。編集長……」
久米「久米です、どうも……失礼を」
勇「永山です。弟がいつもお世話に」
久米「いやいや、こちらこそ」
勇「なんですか、ポーッとして、お役に立ってるのかどうか……」
久米「いやいや、多少ポーッとしてるとこが、誠ちゃんの身上でしてねえ」
勇「目に余ることがありましたら、ひとつビシビシと」
久米「はあ、おケツひっぱたいてますから……(小さく、小指)帰ったの?(勇にお愛想《あいそ》笑い)チョンガーってのはいいですなあ。あたしも、このへんからやり直したい心境ですワ、ウハハ」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]看護婦のエミ子につるしあげられているまり子。徳造のベッドは空っぽ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、どこへいったんでしょうか」
エミ子「そりゃ、こっちで聞きたいわね」
まり子「申しわけありません」
エミ子「とにかくね、こんな患者さんは初めてだわね。検温にくりゃこのへんさわるしねえ(胸)」
まり子「申しわけありません」
エミ子「十日で一割の利子つけるから、お金貸してくれなんていうのよ」
まり子「それで……貸したんですか」
エミ子「まさか、でもさ、二言目にはこんなグラマーの看護婦さん、はじめてだ。『愛染かつら』をリバイバルで作ったら、アンタ絶対に主演だよ、なんてうまいこといっちゃって……」
まり子「あの、たしか弟がついてた筈《はず》なんですけど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「あれ、姉さん」
まり子「進ちゃん、どこいってたのよ」
進一「お父ちゃんがさ、週刊誌買ってきてくれって」
まり子「いなくなったのよ」
進一「え?」
[#ここで字下げ終わり]
●パチンコ屋[#「パチンコ屋」はゴシック体]
[#1字下げ]賑《にぎ》やかなレコード。
[#1字下げ]どこかで一パイやったのだろう、ゆれながらタマをはじいている徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おーい、出ないよォ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ジャラジャラと出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「サンキューサンキュー」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]レコードに合せてうたいながら、上機嫌《じようきげん》でタマをはじく。
[#1字下げ]毛糸の正ちゃん帽の下に繃帯《ほうたい》がみえている。
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子と進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「もしかしたら、うちに帰ってるかもしれないから……」
進一「もし、帰ってたら」
まり子「すぐ電話して……」
進一「うん」
まり子「あ、それから……すまないけど、お父ちゃんの……あっちのうちにも電話して……」
進一「やだよ。ヘンな女が出るもン」
まり子「進ちゃん……お父ちゃんがもし帰ったら、連絡下さいって……」
進一「(うなずいて)どこ、ほっつき歩いてんだろ」
まり子「どこまで迷惑かけたら、気がすむのかしらねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ため息をつく。
[#1字下げ]姉弟のうしろを、例の遠足スタイルの忠臣がくたびれ果てた格好で入ってゆく。
[#1字下げ]看護婦に病室を聞いたりしている。
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]空っぽのベッド。
[#1字下げ]憤然としてエミ子に食い下っている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほんとにいないの? え? あンたかくまってんじゃないだろうな」
エミ子「冗談言わないでよ。あたしもねえ、随分ヘンな患者知ってるけど、こんな倉島さんみたいなのははじめてよ!」
忠臣「クラシマってのか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ベッドヘッドの倉島徳造の名札をみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「倉島徳造……そんなにひどいの?」
エミ子「メチャクチャよ。人のオッパイはさわるしさ、お尻《しり》もスーでしょ」
忠臣「ほう……」
エミ子「さっきなんか、十日で一割の利子払うから一万円貸してくれ、なんていうのよ」
忠臣「ほう……」
エミ子「あんたねえ、友達?」
忠臣「え?」
エミ子「友達ならねえ意見してよ。このまんまじゃあねえ、病院、追ン出されるわよ!」
忠臣「いや、あたしは別に友達じゃないよ、友達どころか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あッ!」
忠臣「あンたは……『かもめ』の」
まり子「まり子です。いつぞやは……又、この度は叔父が重ね重ね……」
忠臣「ウーム」
まり子「もうあたし、何とおわびしたらいいか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何か事情がありそうだと察して、出てゆくエミ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「とに角、一言|挨拶《あいさつ》をせねばと思って、アンタ、ああ、もうヘトヘトだ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]へたりこむ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、大丈夫ですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣を支えるまり子。
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]徳造のベッドに伸びている忠臣。
[#1字下げ]茶をのませているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうぞ」
忠臣「はい、どうも。いやもう、朝から一軒一軒、病院しらみつぶしに……探した探した。何せ、名前も聞いてない、顔も知らない。ただアタマにケガした六十がらみの男っていうだけだからねえ」
まり子「あの、永山さん……息子さんの誠さん……ここの病院、教えなかったんですか」
忠臣「(うなずく)どういうつもりか知らんがね、まあ奴《やつ》としちゃ、年とった親に心配かけたくないという気持からだと思うがね」
まり子「……あの……何か果物でもむきましょうか」
忠臣「果物? いいねえ(のり出しかけるが)いや、間に合うとります。ヘタにフルーツなんかたのむと、目の玉とび出るほどフンだくられるからね」
まり子「……お父さん、ここはバーじゃありません!」
忠臣「ちょっと待っていただきたい。なるほど、ここはバーじゃない。失言した私が悪かった。しかしね、わたしはバーのホステスに『お父さん』と馴《な》れ馴《な》れしく呼ばれる筋合いは」
まり子「いえ、あの、あたし、そういうつもりで……」
忠臣「それとも何ですかな。アンタはうちの誠と、その何というか、わたしをお父さんと呼んでも不思議はない間柄《あいだがら》に」
まり子「違います。そんなこと絶対に」
忠臣「そんなら、どうして」
まり子「永山さんのお父さん、というつもりで」
忠臣「そんならそう呼びゃいいんだ。誤解を招くような呼び方は、以後絶対につつしんでもらいたい……」
まり子「申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]キチンと頭を下げてあやまるまり子が、少しフビンになる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「果物……もらおうか」
まり子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]素直にりんごをむきはじめるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アンタに、ひと言だけ聞きたいんだけどね」
まり子「ハイ」
忠臣「あンたの叔父さんじゃないけど『遊びか、真剣か』……どっちなんだね」
まり子「フフフ」
忠臣「何がおかしいの」
まり子「すみません。だって同じこと聞かれたもんだから」
忠臣「同じこと?」
まり子「ハイ。今朝、叔父に……」
忠臣「それで、アンタ、何て……」
まり子「『遊びでもないし、真剣でもない』って」
忠臣「そりゃ、どういうことなんだ! え?」
まり子「(静かに)仕事です、っていいました」
忠臣「仕事?」
まり子「ハイ。お客とホステスという、仕事上のおつきあいです」
忠臣「ほんとだな、間違いないだろうね」
まり子「間違いございません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]安心したとたんに、現金にもコロリとやさしくなる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あンた、えらい。いやあ、あたしゃね、バーのホステスちゅうたら、もう男の鼻毛ぬくこと考えてるいい加減な女ばっかしかと思ってたら、いやいや、立派に職業として割り切っておる女性もおるんだねえ」
まり子「……(どうぞ)」
忠臣「いや、ありがと。それで何かね、収入《みいり》の方は沢山あるの?」
まり子「まあ、女一人暮して、あと弟一人の学資を何とかしてやれるくらいのことは」
忠臣「そりゃ立派なもんだ。お、アンタ、爪《つめ》、赤く塗ってないねえ」
まり子「ええ……」
忠臣「いつもそうなの」
まり子「赤いの似合わないもンですから……」
忠臣「アンタ、ホステスにしちゃ地味な方だろ」
まり子「ええ、まあ……」
忠臣「土岡クンや誠がひいきにするだけのことはあるんだねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、会釈《えしやく》しながらそっと時計を見る。
[#1字下げ]五時。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それにしても、アンタの叔父さん、どこいったんだろうなあ」
まり子「ほんとにもう……面倒ばっかりかけて……」
忠臣「アンタも苦労するなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」の店[#「バー「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話を受けているマダムの順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「え? お休み? まり子ちゃん、どしたのよ。アンタが休むなんて珍しいじゃないの。え? お父さんがいなくなった? モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「忙しいところ本当にすみません。ええ、心当りを探しているんですけど」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」[#「「かもめ」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「それでお父さん、ケガの方はどうなの?」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「三、四日入院すれば……って……あたし、ここにいれば、永山さんにご迷惑かけそうなんで、どこか別の病院へ移したいんですけど、父はここに頑張《がんば》るんだって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポンとその肩を叩く誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」[#「「かもめ」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]順子、笑って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「誠ちゃんがきたのね」
まり子(声)「あら、ママ、あたし、ただ永山さんて……」
順子「声で判《わか》るのよ。電話切るわね、フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る順子。
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どう、具合は」
まり子「それが……いなくなっちゃったんです」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
●ストリップ劇場[#「ストリップ劇場」はゴシック体]
[#1字下げ]小さな小屋。
[#1字下げ]かぶりつきで、右に左にどよめきながら声援送る、徳造。繃帯は正ちゃん帽にかくれて、ちょっぴりしか見えない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「よおよお!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、口の中に指を入れてヒュウヒュウと口笛をならす。
[#1字下げ]隣りの老人もまねる。
[#1字下げ]これが何と忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「よおよお(ピューピュー)」
徳造「ああ! 今夜ねむれないよォ!」
忠臣「アタシも今晩ねむれないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、すごい! やるじゃないですか、という感じで徳造をつつく。
[#1字下げ]徳造、いや全くこたえられないねえ、といった感じで、小突き返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「なんだなんだ! 特出しはどした!」
忠臣「トクダシ、どしたの!」
徳造「引っこみはまだ早いのよ」
忠臣「早いのよ!」
徳造「あ、ああ……」
忠臣「ああ、ああ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おめあてのスター嬢が引っこんで、その他大勢がおでましになった感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「ぐっと落ちるねえ」
忠臣「随分と場数《ばかず》ふんでおられる……」
徳造「いやいや、どうすか。一パイ(ポケットウイスキー)」
忠臣「こりゃどうも。袖《そで》すりあうも、ストリップの縁ですかな」
徳造「つまみもどぞ(イカ)」
忠臣「こりゃこりゃ(ムシャムシャやりながら)よく、おでかけですか」
徳造「いや。ここは滅多にこないんだけどね、ちょいとこのへん通りかかったもんだから」
忠臣「いつもは」
徳造「まあ、船橋、浦和」
忠臣「ほう……」
徳造「この節はね、アンタ……(耳打ちで)相模原《さがみはら》がいいの」
忠臣「相模原? 相模原のどのへん」
徳造「なんなら、こんど」
忠臣「お供できますか」
徳造「(胸を叩《たた》く)」
忠臣「おうおう待ってました!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]肩を叩きあったりして、意気投合してしまう忠臣と徳造。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話を受けている静子。
[#1字下げ]カウンターに京太郎、ロクさん、客たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「はあ? 倉島さん、ていいますと、ああ、ゆうべ、うちの店でおケガなすったあのかた……いえ見えてませんけど……だって、誠さん、あのかた平岡病院に入院してるんでしょ? どしてそんな」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話している誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「夕方から病院ぬけ出して、帰ってこないんですよ。自分のうちにも帰ってないし……はあ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器をひったくる京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「誠さん、もしかしたらアンタのうちじゃないの。アンタや艦長が帰ってると思って、じかにナンクセつけにいったんじゃないの?」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・廊下[#「平岡病院・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いや、そうかも知れないと思ってうちへも電話してるんですけどねえ、おやじもいないし……はあ、どこいったのかなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]空っぽのベッド。
[#1字下げ]じっとすわっているまり子。
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「『日高』にもぼくのうちにもきてないなあ」
まり子「心配かけて、申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、たばこを出す。
[#1字下げ]マッチをつけるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「君にそういうことして貰《もら》いたくないっていった筈だよ」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、自分のライターで火をつける。マッチの炎をじっとみつめているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「やけどするよ」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
●屋台のラーメン屋[#「屋台のラーメン屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]すっかり意気投合してラーメンをすすりこんでいる忠臣と徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うちはね、倅《せがれ》が二人」
徳造「うちは一姫二太郎」
忠臣「いいお子持だ。それで上のお嬢さんは、もう、かたづかれた?」
徳造「いやいや。その、なんだ、うちでね、花嫁修業をね」
忠臣「お茶、お花」
徳造「料理ね。なんだかんだ金かかってもう」
忠臣「それも娘もった男親のたのしみでしょう」
徳造「ま、そうだけどね、(汁《しる》をすする)」
忠臣「おつれあいは」
徳造「ずっと以前にポックリいってね」
忠臣「同じ身の上だ」
徳造「で、あンた、こっちのほう(小指)」
忠臣「え? まあ、その……すすめてくれるなにもあるしねえ、粋《いき》スジの姐《ねえ》さんで、ぜひ後添えに直りたいわァ、なんてのも二人や三人、おることはおるんだが、何せ、その格式を重んじるうちだしねえ、帯に短かしたすきに何とやらで……いやあ、何の某《なにがし》という名のある家というのも『きゅうくつ』でいかんですわ」
徳造「ちょっと出るんでも女中が、『旦那《だんな》さま、どこ、おでかけですか』なんてね」
忠臣「するとあんたも、おひとり」
徳造「え? いやあ、うちにゃね、娘と息子がいるもんで、チャンとしてないとさ、よそにね、うち持たして(小指)」
忠臣「ほう。妾宅《しようたく》を……黒|板塀《いたべい》に見越しの松ですな」
徳造「そんな大したんじゃないけどね」
忠臣「いや、大したもンだ。ま、わたしはその分、倅夫婦がね、もう上げ膳据《ぜんす》え膳でね、『お父さま、今日は、歌舞伎《かぶき》の切符お取りしてございます』『あしたは箱根の別荘へもみじをみにいってらっしゃい』」
徳造「別荘があンなさる」
忠臣「軽井沢にひとつ、箱根にひとつ……いや、ほんの犬小屋です」
徳造「あたしゃ別荘はなんだけど……馬をちょいとね」
忠臣「馬をもっておいでになる!」
徳造「北海道に……」
忠臣「『厩舎《きゆうしや》』をお持ちになってらっしゃる!」
徳造「『ホッカイダイヤ』っているでしょ。あれね、うちから出た馬なんすよ。おっかさんの『バラモア』ね、あれ、あたしンとこの」
忠臣「『ホッカイダイヤ』こんど買いましょう。しかし、なんですな。ゴルフだ芸者だ、歌舞伎だ文楽だってのも正直いってあきますな」
徳造「娯楽はストリップにとどめさしまさ」
忠臣「粋人はみなさん、そういっておられますな」
徳造「こやって、わざと小汚ないなりしてね」
忠臣「そうそう、よれよれの服着て、おしのびでストリップ見物」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といってから、二人、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「もしや、名のあるお方……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、それぞれかっこをつける。相手にそう思ってもらいたい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ま、いわぬが花としておきますか」
徳造「そういうこった」
二人「ウハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]待っている誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「やっぱり、警察に捜索願い」
誠「もう少し待ってみたら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]廊下に二人のデュエット。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣・徳造「(ストリップのテーマ)」
まり子・誠「あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●病室の廊下[#「病室の廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]看護婦の制止もきかずもたれあいながら、フラフラ入ってくる忠臣と徳造。
[#1字下げ]途中でさすがに忠臣はアレ? と気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あれ? ここは平岡病院じゃないの。あれ、あたし、さっきここへきたなあ。あんたなんでこんな病院……誰か入院してんの? え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび出してくる誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん」
忠臣「あッ! 誠」
まり子「お父ちゃん!」
徳造「あ! まり子」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんに二人、気がつく。
[#1字下げ]徳造の正ちゃん帽が上へずり上って……繃帯が見えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ! あんたは!」
徳造「永山チューシン!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、それぞれ相手を指さして口、あんぐり。
[#1字下げ]そして、もっとびっくりしている誠とまり子。
[#改ページ]
[#改ページ]
●平岡病院の廊下[#「平岡病院の廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣と徳造、それぞれ相手を指して、口あんぐり。
[#1字下げ]そしてもっとびっくりしている誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、これは一体、どういう」
誠「お父さん、どして、一緒に」
まり子「病院ぬけ出して、どこ行ってたのよ!(むしゃぶりつく)」
忠臣「ちょっと待ちなさい。そうか、この男が倉島徳造……」
徳造「(そうか、永山忠臣)(まずかったな、こりゃ)……」
誠「いや、あっちこっち心当り聞いて、さがしてたんだけど、よかった……。だけどさ、どこでお父さん」
まり子「どこにいたのよ!」
誠「お父さん、どこで逢《あ》ったの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]四人、もつれあうようにして病室へ。
●病室[#「病室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、誠、まり子、徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ね、どこいってたのよ」
忠臣「おどろきなさんなよ。え?(言いかける)」
徳造「おもてでね、バッタリ」
忠臣「何をいっとる。これですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ストリップのまね。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「よしなよ、よしなって(必死でとめる)」
忠臣「『ちょっとだけよ』って」
まり子・誠「ストリップ!」
忠臣「それもアンタ、かぶりつきで、乗り出しちゃって『ヒュウヒュウ!』『エバちゃん、ステキよ!』『こっち向いて頂戴《ちようだい》!』」
誠「お父さん、よしなよ」
まり子「……(お父ちゃん……)(情ないやら恥かしいやら)本当なの」
忠臣「いや、わたしも、この年になるまでずい分いろんな人間、見てきたけどね、ここまでの人物ははじめてだね。え? 病院脱け出してストリップ見にいってさわいでるってのは」
誠「お父さん(言いかける)」
徳造「あのねえ」
忠臣「それも、タダのケガじゃないんだ。よその店へ難くせつけにいってさ、突き飛ばしたんだか突き飛ばされたんだか……」
徳造「何いってんだよ、あたしゃね、ガーンて、ガーンて(突きとばされたんじゃないか!)」
誠「お父さん、あのね」
忠臣「とにかく、百十番呼べって騒いで入院しといてだ、それでストリップってのは」
誠「お父さん、ちょっと待ってくれよ」
まり子「本当に申しわけ」
誠「まり子さんはいいんだよ。お父さん、どこで、こっちの……この人、見つけたんだよ」
徳造「ヘヘ、そこンとこ、聞いてくれなくちゃ……」
忠臣「いえ、だからね、わたしなりに、そういう人物のゆきそうなところはどこであるか。うむ! パチンコ、ストリップ!」
誠「嘘《うそ》言うんじゃないよ! お父さんも行ってたんじゃあないか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、うれしくなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「そうなんだよ。アンタ、誠さん、アンタ、えらい!(誠の手をとって握手しようとする)」
忠臣「あんたね、馴《な》れ馴《な》れしく、人の倅《せがれ》の手なんか……握手なんかしないでもらいたいね」
徳造「ヘ。二人ならんでね、『ヒュウヒュウ』って、やったくせして、かっこつけんじゃねえや」
忠臣「かっこつけてんのはそっちだろ! フン。なんだい。一姫二太郎で、娘には、金にあかして花嫁修業させてる、嘘八百じゃないの!」
まり子「……(お父ちゃん)」
忠臣「これ(小指)に一軒うち持たせて、今日は呉服屋、あしたは宝石屋とぜいたく三昧《ざんまい》やらしてるの」
まり子「よくもまあ、そんな、口から出まかせ」
徳造「そっちはどうなんだよ? え? 長男次男がデキブツで、上げ膳据《ぜんす》え膳、今日は歌舞伎《かぶき》、あしたは別荘、大ぼら吹きやがって」
誠「別荘?」
徳造「なんですか、その……箱根と軽井沢に立派な別荘がおアンなさるそうすねえ。おう、まり子、こんど一緒に招《よ》んでいただこうじゃねえか」
誠「お父さん!」
忠臣「そんならな、こっちも言わしてもらおう、おう誠。こちらは北海道に厩舎《きゆうしや》もってな、バラモアか、競馬馬、お持ちだそうだから、こんど拝見に伺おうじゃないか!」
誠「お父さん、よせっていってんのが!」
まり子「やめて下さい、もうやめて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ののしりあっていた二人の父も誠もだまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、忠臣に頭を下げ、誠にも下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「本当に……申しわけありません。あたし、もう、恥かしくて……」
誠「まり子さん。あんた、あやまることないよ。それにね、うちのおやじだって一緒に見てたんだから」
徳造「そうだよ」
忠臣「なんだその言い草は。そりゃね、たしかにわたしはストリップを観賞しとったよ。だけどな、人の金で入院しとる病院ぬけ出して、見てたんじゃないからね」
誠「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]かけこんでくる看護婦のエミ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
エミ子「倉島さん! ああよかった。一体どこいってたの!」
まり子「どうも、ご心配かけて」
忠臣「どこいってたと思う。ストリップよ、ストリップ!」
エミ子「ストリップ? アンタ、さそったんでしょ」
忠臣「おい、何をいうか、あのな」
エミ子「とにかくね、早くベッドでやすんで下さい。いま、先生が見えますから、それから、面会のかたは、もう時間過ぎてますからね、早くお帰りになって下さい」
忠臣「あのね」
誠「お父さん(エミ子に)すみません、すぐ帰りますから」
エミ子「困るわよ、わたしの責任になっちゃうんだから」
まり子「申しわけありません」
エミ子「早く横にして……ああ……酔っぱらって……傷口にアルコールは一番いけないっていったでしょ!」
まり子・誠「申しわけありません」
忠臣「誠! なんでお前、あやまるんだ!」
誠「お父さんが飲ませたんだろ」
忠臣「何をいうか! あのな」
エミ子「あ、いけない、体温計」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]エミ子、体温計をとりに出てゆく。
[#1字下げ]徳造、フラフラと立ってエミ子のあとからついてゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どこゆくのよ、お父ちゃん」
忠臣「お父ちゃん」
徳造「水だよ、水」
まり子「水なら、ここにあるでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]水をのませるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「さ、お父さん、帰ろう」
忠臣「ちょっと待て。(まり子に)あんた、今、なんていった?」
まり子「……あ」
忠臣「『お父ちゃん』て聞えたが、わたしの空耳かねえ」
まり子「あの……」
誠「お父さん……それはね」
忠臣「親も嘘つきなら、娘も嘘つきだねえ。え? 父親なら父親となぜハッキリ言わないんだ! 叔父さんです、叔父さんです」
誠「お父さん、そのハナシはね、あとで」
まり子「永山さん。いいんです。(とめて)嘘をついて、申しわけありませんでした」
忠臣「叔父さんじゃないのね」
まり子「父でございます」
忠臣「どうもそうじゃないかと思っとったんだ」
まり子「どうも申しわけありませんでした」
忠臣「いやいや、まり子さんていったかな? アンタ、あやまらんでもよろしい。かえってよかったよ、うん、これで誠も目が覚めたろ」
誠「お父さん……」
忠臣「(一段と声を張り上げて、誠に聞かせる)まあ、本人はともかく、こういう父親抱えた女に惚《ほ》れたらどういうことになるか、おそまきながら気がついたろうからね、あたしゃかえってよかったと(思っとります)」
誠「お父さん!」
徳造「言わしておけばつけ上りやがって。なんだい、おい。まり子。お前も気ィついたろ? なあ? 永山誠って本人はともかくだ、こういう大したこともねえのにでっかい面《つら》する舅《しゆうと》のあっとこへ、オレは、絶対、嫁になんぞくれてやンねえからな。そう思え」
まり子「お父ちゃん、何いってるのよ!」
忠臣「おい! 気つけて口|利《き》いてもらいたいね。永山家の嫁はね、もっとちゃんとした親もった、キチンとしたうちの娘を……」
誠「お父さん」
忠臣「放せ! おい! 放せ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まだわめいている忠臣を引っぱって出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうも申しわけありません」
徳造「何でい! バッカヤロ!(のり出す)」
まり子「(押えつけて)お父ちゃん……どこまであたしに恥かかしたら気がすむのよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]力の脱ける徳造。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]カウンターは、忠臣をまん中に、源助、静子、たつがならんで飲んでいる。
[#1字下げ]カウンターに京太郎とロクさん。
[#1字下げ]忠臣、何やらストリップの仕方バナシ。
[#1字下げ]京太郎、源助が、目を輝かして聞き入っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いやあ、金髪ヌードっていうから入ったら、金髪は金髪でも染め[#「染め」に傍点]でね、これがレッキとしたやまとなでしこ」
源助「じゃ、黒いわけだ」
たつ「お父ちゃん、どしてのり出すのよォ!」
源助「あいたた」
京太郎「艦長、黒か金髪かどっちなんでありますか」
静子「あなた! いやあねえ」
忠臣「だからさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、まわりをキャアキャアいわせて仕方バナシでやっている。
[#1字下げ]少し離れたテーブルで、誠にビールをついでいる健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「ストリップか……」
誠「これで、健太郎さんもさ、気が軽くなったんじゃないの」
健太郎「アタマだからね、後遺症でも残ったらどうしようって思ってたからねえ。まあ、ストリップ見にゆく元気がありゃ、大丈夫だ」
誠「(ついでやる)」
健太郎「どうも。それにしても、永山さんとバッタリとは……ナ」
誠「世の中、せまいというか、何ていうか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]仕方バナシの忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いやあ、しかし、驚いたねえ。わたしもこう見えて、歌舞伎、文楽にはじまってストリップに至るまで日本の古典的芸能には」
静子「あの、ちょっと伺いますけど」
忠臣「ハイハイ、なんですかな、奥さん」
静子「どして、ストリップが古典的芸能なんでしょうか」
たつ「奥さん、いいこという! あたしも、今それ聞こうと思ってたの」
忠臣「これだから、女というのは。よろしいか、では承るがストリップを一番はじめにごらんになった女性は誰《だれ》かご存知かな」
一同「?」
忠臣「天照大神《あまてらすおおみかみ》」
静子・たつ「ほんと? ほんとかしら」
源助「そらほんと!」
京太郎「日本歴史で習ったじゃないの。天照大神が何か面白《おもしろ》くないことがあるってんで」
源助「そうそう。ヒス起して天の岩戸へかくれたんだよ」
京太郎「誰が何てってもあけてくれない。世の中まっくら、ああ、困ったって時にあれは誰だっけ」
源助「天のうずめの命《みこと》ってボインのグラマーが」
京太郎・源助「ターンタン
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#3字下げ]タカタカタンタン(やり出す)」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子・たつ「よしなさいよ!」
忠臣「岩戸にかくれておられた天照大神……何かおもてが騒がしいぞ。みんな楽しそうにやってるけど、何かしら? そっとあけてのぞいてごらんになった」
京太郎「そこをすかさずアメノタヂカラオノミコトがぐっと戸を引きあけた」
忠臣「おわかりかな」
静子・たつ「ほんとかしら、神代《かみよ》の昔から」
忠臣「大体、女性はね、いやらしいいやらしいっていいながら、こう手の間からチラチラと」
誠「ほらお父さん、ダラダラこぼして……あ、ぼくやります。全くもう、だらしないんだから」
忠臣「お前はいいんだよ。健ちゃんと子供同士、あっちで七ならべでもやってろ」
誠「七ならべはないだろ」
忠臣「とに角ね、ストリップ……え? あれ、何のハナシだっけ」
京太郎「何のハナシって、艦長から言い出されたんじゃないですか」
源助「(小さく)ボケたかな、この頃《ごろ》」
忠臣「ボケとりはせんよ。何いっとるか。あ、そうだ、あのね。わたしも歌舞伎、文楽、ストリップと、そうですよ、古典的芸能にかけては、人後に落ちんと思っとったけれども、いや、上には上がいるもんだねえ」
京太郎「そうすると、倉島徳造って人物」
忠臣「いや、くわしいのなんの」
源助「ほう」
忠臣「ありゃ、大分月謝払っとるねえ」
京太郎・源助「ほう」
忠臣「何せね、これはというのが……ストリップ嬢ね、おるともう、その子の出るとこ、船橋だろうが、浦和だろうが、相模原だろうが、厚木だろうが、ついて廻《まわ》って通ったってんだから……」
京太郎・源助「ほう」
忠臣「もう、どこにどんなかっこうのほくろがあるか……目ェつぶると出てくるってんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女二人、白い目。
[#1字下げ]互いにつぎあって、どんどんのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「……艦長も水臭い。ゆくんならゆくとどして一言、声かけてくれないんですよ」
京太郎「ほんとですよ。なあ。こっちもお供してさ、一緒にウンチクのほう、伺えたのにさ」
静子・たつ「ちょっと! アンタ!」
源助「あいた!」
京太郎「いや、だからさ、もしアタシたちが一緒にストリップいってりゃ……なあ、石川」
源助「そうですよ。相馬|中尉《ちゆうい》もアタシも顔知ってんだから『あ! いた!』ってことで……その場で病院へしょっぴいてゆけたんだよ、ねえ」
たつ「とか何とかうまいこといっちゃって!」
静子「でもねえ、それだけ全国のストリップですか、通ったお金、みんな娘さんの稼《かせ》ぎなんでしょ?」
忠臣「まあねえ、水商売してかせいだ金だから、いいようなもんだけど」
たつ「ちょいと永山さん、そういう言い方ないでしょ? え? 水商売だろうと何だろうとね、女が……若い女がお金かせぐってことはね、並大抵の事じゃないのよ。え? それもね、どこの会社に勤めてます! 大きな声でいえる商売じゃなきゃ尚更《なおさら》に大変なもんなのよ。そうでしょ! ホステスして稼いだ金だから、ストリップに使っていいってことは絶対にないんですからね」
源助「おい、お前……」
忠臣「ちょっと奥さん、どしてアンタ、そんなに急に怒るの」
たつ「娘が辛《つら》い思いして稼いだお金なら、尚大事に使うのが本当じゃないの。よし、あたし行って説教してきてやる!」
源助「もうねてるよ!」
誠「おばさん、夜は面会禁止だから」
忠臣「とに角大変な人物だよ、ありゃ。おまけに叔父さんじゃない、父親だっていうんだからねえ」
京太郎「いや、あたしらもね、おかしいなと思ってたんだ……」
静子「やっぱり親だったんですねえ」
忠臣「それにしたってさ、嘘つくこたァないよ」
静子「父親だってこと辛くて、きまり悪くて言えなかったんじゃないんですか、そのホステスさん……」
忠臣「まあ、その気持も判《わか》るがね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、たばこを探しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ああいうおやじ持ったら、子供は哀れだねえ」
誠「(健太郎に言う)自分はいいつもりでいるんだから、やンなるよ」
健太郎「(笑いながらついでやる)」
たつ「あら永山さんだって、そう大して違わないんじゃ」
源助「バカ、よせ」
静子「おたばこですか」
忠臣「いや……ありました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たばこ、しわくちゃの新生が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あれ、間違えてもってきちまったな。……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ひん曲ったのを一本くわえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……しかし、にくめんとこもあったねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たばこをくゆらす徳造。たばこは忠臣のピース。
[#1字下げ]まり子……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん、たばこ、変えたの」
徳造「永山チューシンのだよ」
まり子「貰《もら》ったの?」
徳造「マチガエたの……ヘヘ、なんだか愛嬌《あいきよう》のあるシトだね、ありゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子……。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]騒いでいる一同。
[#1字下げ]一人ビールをのむ誠……。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話でガンガンどなっている誠(相手は印刷所)。
[#1字下げ]となりに土岡、いそがしそうに働く編集部員たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(早口でまくしたてる)指定通りにやって下さいよ。指定通りに! 子持ケイって指定したのに花ケイになってる。|新8《しんはち》って指定したのに|並8《なみはち》になってる。もうメチャクチャだよ! どうなってんの! 一体! 拾いはいい加減だしさ、こんなのね、校正しろってもってこられたって出来ないよ! ちゃんと指定通りに組み直してからもってきてもらいたいね! たのみますよ本当に!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガシャンと切る。
[#1字下げ]うしろの久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃん、首すじでもおもみしましょうか」
誠「編集長……」
久米「血圧がお高いんじゃないかと思ってね」
土岡「出がけに、おやじさんと、これ(一戦)やったらしいすね」
久米「年寄りいじめちゃダメよ、誠ちゃん」
誠「いじめたかないすけどねえ、もう、メチャクチャだから……」
久米「メチャクチャ、けっこうじゃないの」
誠「編集長、人ごとだと思ってのんきなこといってますけどねえ」
久米「まあまあ。一本いかが?(たばこをやって)ねえ、誠ちゃんよ、アンタ、いま、お父さんのことメチャクチャっていったけどね、メチャクチャってことは、頭が働く、体も利くってことでしょ?」
誠「それがねえ、編集長かえって困るんですよ。頭でもモウロクして、ぼうっとしてるとか、体がきかないから、うちでゴロゴロしてるとか……そんならまだいいってんですよ。何食ってもハラひとつこわさないって人間ですからね。口も八丁、手も八丁、それで、すこしピントがずれてるってのが一番始末が」
久米「悪いだろう。そりゃ判る、でもね、誠ちゃんまだしあわせよ」
誠「………」
久米「これで……縁起でもないハナシだけど、あと何年、いや、十何年か先に、ねえ、体が不自由にでもなられてごらんなさいな。ああ、あの頃はよかった、ずい分困ったこともしてくれたけど、あの頃のほうがよかった、そう思うもんなのよ」
誠「そういうもんかな」
土岡「そういうもんよ」
土岡・久米「『孝行をしたい時には親はなし』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、同時に言ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「デュエットするこたァないけどね、こりゃ、日本のことわざの傑作だね」
土岡「……ぼくみたいにね、親のない人間は、ああ、いっぺん親孝行ってもンがしてみたい。そう思ってんだよ。生きてたらああもしてやろう、こうもしてやろう。ところが誠ちゃんみたいに親のいる人間は、親不孝(言いかける)」
誠「そういうけどね土岡さん、現実にはね」
土岡「判るけどさ」
誠「土岡さんには判んないの」
土岡「判るよ、そのくらい」
誠「その身になってみなきゃ判んないの」
土岡「あのね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話がなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「ほらほら、お電話よ。心をしずめて、お返事して頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、手をのばす土岡を目で制してわざと誠に取らせる。
[#1字下げ]誠、取って、全員の注目を浴びていることに気づく。
[#1字下げ]わざと平静に丁寧に応対する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お待たせしました。『女性時代』の編集部でございます」
[#ここで字下げ終わり]
●街の公衆電話[#「街の公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]電話をしているのは、忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あッ!(口をふさいで)まずいな。誠が出ちゃった。ヘッ! 気取った声出しおって……」
誠(声)「モシモシ、モシモシ」
忠臣「あわてるな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、手を放して、いきなり衣紋《えもん》を抜き、シナをつくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(中年女の声色《こわいろ》)あのォ、おそれ入りますけど、おたくに土岡さんてかた、いらっしゃいます?」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、土岡、久米編集長、編集部員たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡なら、おりますが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、オレっという感じで自分を指さしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どなたさまですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、オレ出るよ、という感じ。誠、よせ、と放さない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、紙に大きく男、女と書いて見せる。
[#1字下げ]誠、女を示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「モシモシ、どなたさまですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お、とのり出す久米。
[#1字下げ]誠、受話器を押えて、素早く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ババア。すこしオカシイ」
土岡「え?」
誠「モシモシ、お名前とご用件を、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]身をくねらせている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アタシからっていえば判るのよォ。早く土岡さん出して頂戴《ちようだい》よォ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]弱った誠、受話器を差し出しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アタシっていえば判るっていうんすけどねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米編集長、部員たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「アタシ? 心当りないけどなあ」
久米「無理しない無理しない。ほらほらうれしそうな顔してるよ」
土岡「モシモシ」
久米「(小声)おう、お前か。会社へ電話なんかよこすない(声色)」
誠「編集長(よしなさいよ)」
土岡「モシモシ、モシモシ」
忠臣(声)「はなれて……みんなから、はなれて……」
土岡「モシモシ、みんなからはなれろって、モシモシ」
誠「はなれろですか、ハイハイ、編集長、じゃまですって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ご丁寧に人払いをやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]電話している忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「土岡さん。これからわたしの言うことに、あなたはただハイとだけ返事をして戴《いただ》きたい」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]ヘンな顔をする土岡。(聞いたような声だな)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「あれ? モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]少し離れて見ている、誠や久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「わたしは永山忠臣であります」
土岡「あ、やっぱり。声聞いてそうじゃないかな」
忠臣(声)「ハイとだけお答え願いたい」
土岡「え? ああ、ハイ」
忠臣「実は折り入って、土岡さんにお頼みしたいことがあります」
土岡「あの、お頼みって一体どういう」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハイとだけお答えを戴きたい」
土岡「……ハ、ハイ」
忠臣「いま、十分ぐらい、お手がはなせますかな」
土岡「ハ、ハイ」
忠臣「では、恐縮ですが、下のキッチャ店にお運びをいただきたい」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]土岡。少しはなれて見守る誠と久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ハ、ハイ」
忠臣(声)「尚、いまの電話の件は、うちの倅《せがれ》にはどうかご内聞に」
土岡「ハ、ハイ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あと、何やらハイハイといって切る土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「何言われてもハイハイなのねえ、ひろしちゃん」
土岡「あの、忙しいとこ、言いにくいんすけど、十分ほど」
久米「ひろしちゃん。イエスとノーを、ハッキリ言ってらっしゃいよ。一生の問題よ」
土岡「はあ」
誠「相当な迫力らしいじゃないすか」
土岡「深情《ふかなさけ》……いってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米に肩を叩《たた》かれて出てゆく土岡。
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]すでにコーヒーをすすって待っている忠臣。
[#1字下げ]土岡がやってくる。
[#1字下げ]手を振る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「お父さん、どしたんです、急に」
忠臣「まあまあ、土岡クン、アンタもコーヒーでよろしいな。あ、心配せんでいいの。今日は、アタシのおごりだから」
土岡「はあ、それじゃあ、ご馳走《ちそう》になりますけど、一体どしたんです。誠ちゃんのことで何か」
忠臣「まあまあ。気ぜわしい人だな、アンタも。どうです、一服」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たばこをすすめる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「あ、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ライターをつける土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ズバリ、答えて頂きたい。土岡ひろし君、アンタは、『かもめ』のまり子に、惚《ほ》れとるでしょ?」
土岡「(むせる)お父さん。そのハナシは」
忠臣「(背中を叩いてやりながら)どうだね、土岡クン。土岡クン、こりゃ男と男のハナシなんだ。おたがいかくしだてのないとこで話そうじゃないの。どうだい、土岡ひろしは倉島まり子に惚れとるでしょ?」
土岡「恥かしながら、惚れておりました」
忠臣「そうこなくちゃいけない」
土岡「でもねえ、お父さん、それは、前のハナシでしてね。いまは、誠ちゃんが」
忠臣「アンタは黙っとりゃよろしいの。第二問」
土岡「お父さん」
忠臣「第二問。あんたは親というものを、どう考えておられるか」
土岡「オヤ?」
忠臣「オヤ? という顔をしなさんな。土岡クン、君は、誠にこう言われたことがあったそうだね。『どんな困った親でもいるだけ幸せだ』って」
土岡「いやあ、誠ちゃんたらね、『そんなら、うちのおやじのしつけて』なんて、おっとっと」
忠臣「まあ、いいでしょ。もう一問。よろしいか。惚れた女に父親がいる」
土岡「お父さん……」
忠臣「(言わさない)それも、世間的にみりゃ、理想的な父親とは言いかねる父親だ。君はどう思うかね」
土岡「親のない子はいませんよ。赤いバラにはトゲがある、惚れた女にゃ親がいる。当り前のことじゃないですか」
忠臣「君は、その親を、父と呼ぶかね」
土岡「惚れてしまえば一蓮託生《いちれんたくしよう》……親とよべたら、男としてこれにすぎる幸せは……お父さん、罪なこと聞かないで下さいよ」
忠臣「土岡クン。父と呼んでやってくれ給え」
土岡「はあ?」
忠臣「『かもめ』のまり子を、ぐいと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、土岡の腕をぐいと引っぱる。以下、この人にしては小さな声でヒソヒソバナシ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「自分のものに……」
土岡「(大声)お父さん、そりゃ出来ませんよ。そんなねえ、親友の惚れてる女、横取り」
忠臣「横取りしたのは、誠じゃないか。紹介したのは、土岡さん、アンタじゃないか、え? 君も人がいいねえ。そうだろ」
土岡「しかしですねえ」
忠臣「(小さく)誠には、結婚の申し込みまでしたのがおるんだよ。しかもだ、奴《やつ》には、レッキとした父親がおるじゃないか(自分を指す)」
土岡「はあ?」
忠臣「この上、もう一人、おやじ抱えこんだら、どうなるの」
土岡「うむ、そういえば」
忠臣「このセチ辛い世の中に、父親二人養ってゆく器量はこりゃ誠には」
土岡「そりゃムリだ」
忠臣「だったら土岡クン。君が張り切ればみんなが幸せになれるんだ」
土岡「しかしねえ」
忠臣「(小さく)土岡クン……この通り(拝む)」
[#ここで字下げ終わり]
●「ビーワン」入口[#「「ビーワン」入口」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってくる久米と誠。
[#1字下げ]ためらう誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長、悪いんじゃないすか」
久米「誠ちゃん。アタシたち別にひろしのこれ(小指)拝見にきたんじゃないのよ。誠ちゃんの翻訳の内職のことで……ね、編集部じゃ出来ないオハナシ、しにきたのよ」
誠「そりゃそうですけどね。(ブツブツ)電話の感じじゃ相当な年増《としま》だしな、あんまり美人て感じでもないから……」
久米「だから、絶対、拝見しないようにしましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、揃《そろ》って首を入口のほうに曲げながら入ってゆく。
●「ビーワン」[#「「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]首を曲げながらすわる久米と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「エチケットってのは、首が痛いもんだわねえ」
誠「……編集長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡の声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡(声)「カンベンして下さいよ、それだけはカンベンして下さいよ」
久米「やられてるやられてる」
土岡(声)「世の中にはね、出来ることと出来ないことがありますよ」
誠「相当、苦戦のようじゃないすか」
久米「のぞきたいけどのぞかない、ああ、辛いとこだわねえ」
土岡(声)「いかにお父さんのたのみでも」
誠「え? あッ! お父さん……」
久米「あらら!」
忠臣「土岡クン、わたしがこれほどたのんでも」
土岡「お父さん。それやったら、ぼくと誠ちゃんの友情は、ぶっこわれるってことですよ」
忠臣「いや、誠はそんな了見のせまい男じゃないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、とびこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
忠臣「誠!」
土岡「……誠ちゃん」
誠「さっきの電話……そうか。何か聞いたことのある声だなとは思ったんだよ」
忠臣「ヘッ! 三十年、聞き馴《な》れた声、聞きちがうんだから、大した耳じゃないね」
誠「それにしても土岡さんも、一体、どしたんですか、え? 一体、何の用で……」
土岡「それはその……」
忠臣「まあ、いいじゃないか。これは私とひろし君の」
誠「お父さん、土岡さんに何頼んだんだよ」
忠臣「……ノー・コメント」
誠「土岡さん」
土岡「……ノー・コメント」
誠「……まさか、金じゃないだろうな」
忠臣「おい、誠、お前、何をいうか、そんなねえ、わたしは」
誠「それじゃなんだよ」
忠臣「………」
土岡「金じゃないよ」
誠「じゃなんだよ。お、お父さん、どして言えないんだよ」
忠臣「………」
土岡「……誠ちゃん。こりゃ、死んでもいえないことなんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、カッとなって、父を小突く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん。みっともないマネしないでくれよ」
忠臣「おい、誠……」
土岡「誠ちゃん、よせよ、おい」
誠「子供のつとめ先まで押しかけて、恥かかして……お父さん、まり子さんのおやじさんのこと、クソミソにいってたけどね、自分のやってることも、五十歩百歩じゃないか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、すばやく金を出して、忠臣のポケットにねじこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、わたしは金を借りにきたんじゃあ」
誠「とっとと帰ってくれよ!」
土岡「誠ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]間に入る久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「お父さん、申しわけありません。|〆切《しめきり》で気が立っているもんで……どうもはや。誠ちゃん……ごめんなさいはどしたの」
土岡「ぼくがいけなかったんすよ。お父さん、どうもすみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]憤然として、ソッポを向く誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「よそさんの息子さんのほうがよっぽどやさしいんだから……もう……」
[#ここで字下げ終わり]
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]ねている徳造。
[#1字下げ]体温計をとって目もりをみている看護婦のエミ子。
[#1字下げ]少しはなれたところでまり子に封筒を渡している健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「わずかですが……入院費の一部に」
まり子「なになさるんです」
健太郎「とにかく……」
まり子「とんでもない。そんな困ります。ご迷惑かけたのは、こっちなんですから」
健太郎「いや、それじゃあ」
徳造「まり子、せっかくこちらさんがおっしゃってんだから」
まり子「お父ちゃんは黙って……」
徳造「いや、あのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]起き上る。はずみで何か落っことす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
エミ子・まり子「あーあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、パッとひろってやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「すいませんすねえ、アンタ、名前、なんちったっけ、日高の……」
健太郎「健太郎です」
徳造「日高の健太郎か……」
まり子「すみません」
徳造「こないだから見てっけど、アンタ、やさしいねえ」
健太郎「突きとばしといて、やさしいもないでしょう」
徳造「『昨日の敵は今日の友』っていうじゃないの。え? ひとつさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「いや、そりゃ、こっちからおねがいしたいですよ」
徳造「じゃあ、おたがい、根にもたない!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、握手。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、健太郎さんよ、これからは友達だ」
まり子「お父ちゃん、調子づいて……すみません」
健太郎「いやあ、友達、けっこうですよ」
エミ子「ちょっと、友達はいいけど、アンタ、ストリップ、さそっちゃダメよ」
徳造「もうしないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポンとエミ子の尻《しり》を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
エミ子「いやァ! もう!」
まり子「どうもすみません。お父ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]エミ子が出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃんたら、もう!」
健太郎「まあ、いいじゃないですか。病人怒ったって」
徳造「ほらほら。やさしいんだ」
まり子「………」
徳造「アンタね、会社つとめてんだってね、月給いくらもらってんの」
まり子「お父ちゃん」
健太郎「大したことないすよ」
徳造「大丈夫な会社なんでしょ? 何かあっとドサッとぶっつぶれるなんてこたァ」
健太郎「資本がデカイですからね、まあ、つぶれる心配は」
徳造「アンタ、たしか、日高のおかみさんの連れっ子さんだっていったね」
まり子「お父ちゃん。失礼よ、そんな」
徳造「友達だろ。失礼なことないだろ、あのね、そいで、おやじさんに男の子は」
健太郎「ないんですよ。それでね、ぼくのこと、実の息子みたいに……」
徳造「あの親は、物判《ものわか》りがいいよ。ああ、少くとも永山チューシンよか」
健太郎「はあ」
まり子「お父ちゃんたら」
徳造「そいで、なんでしょ? あすこの店は、自分ちの、地所なの、店の権利やなんかは」
まり子「お父ちゃん。いかになんだって失礼よ!」
徳造「(異常ともみえる熱心さで食い下る)そいで、これもいないんでしょ?(小指)」
健太郎「誠さんとちがってこのご面相ですからね、サッパリもてなくて」
徳造「今どきの女は男見る目がねえなあ。(まり子を見ながら)ちゃんとしたとこにつとめて、うちは商売やってて、親も悪くねえ。どうせ惚《ほ》れるんなら、こっちに惚れてもらいたかったねえ……」
まり子「……お父ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎と静子に健太郎。(開店前。見舞いから健太郎が帰ってきたところ)
[#1字下げ]入口のほうでロクさんに手伝わせて、酒をはこんでいるたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「惚れられたって、健ちゃん、アンタ……」
健太郎「だからね、おやじさんのほうにさ。まり子さんに用言いつけてさ、そのすきに言うんだなあ。うちのまり子は、ああ見えてとってもつましい。女房《にようぼう》にしたら一生のトクだ。アンタンとこ、小料理屋やってんだから、まり子なら店の手伝いはできるし、ベッピンだから、店、はやるよォ。どうだろ、健ちゃん、ひとつ、うちのまり子と……」
たつ「見込まれたんだ、こりゃ牛を馬にのりかえようって算段だわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と静子、あっけにとられている。
[#1字下げ]たつも寄ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「……『かもめ』へのみにこいっていうんだなあ、お安くしとくからさ、ありゃ立派な親だよなあ」
静子「冗談じゃありませんよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきり立つ静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「健ちゃん。それだけは、ご免ですからね。母さんね、もうぜいたくいわない。こんなね、みだれたツケマツゲでも、目の青いお嫁さんでもいい! でもねえ、あのひとだけは『かもめ』のまり子って人だけは、やめておくれ」
健太郎「母さん」
静子「あんな親がついてる娘さんじゃ、とっても母さん……」
京太郎「まあ、待ちなさいよ静子……なにも健太郎クンだって……」
健太郎「そうだよ。ぼくはただ惚れられたっていっただけだろ」
静子「とにかく、アンタのお嫁さんは、水商売の人は絶対におことわり」
たつ「……ちょっと奥さん、水商売水商売っておっしゃいますけどねえ、人によるんじゃないの?」
静子「いいえ、絶対におことわり!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガシャン!
[#1字下げ]たつが酒のびんをおっことす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「オバサン」
京太郎・静子「奥さん」
たつ「どうも、おじゃまさんでした!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見事な尻をふりたてて、出てゆくたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「どしたの、オバサン……」
京太郎「どうも、こないだうちから、石川の細君は水商売のハナシが出るとプンプンしてンなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●石川家・茶の間[#「石川家・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ねころんでテレビをみながら、袋菓子を食べ、笑っている源助、いきなり蹴《け》とばされる。
[#1字下げ]たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「あたた! 何すんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、テレビをパチンと消して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お父ちゃん、あたしがここへお嫁にくる前にどこへつとめてたか、しゃべったんじゃないの」
源助「いいや」
たつ「本当?」
源助「本当」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、袋菓子をとって、パクパクたべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「どしたのよ」
たつ「……くやしい……」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]久米編集長とママの順子。誠とまり子がすわっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「どしたの、ひろしちゃんは」
久米「奴《やつこ》さん、すねてこないの。誠ちゃんに花もたせてんじゃないのかな」
誠「土岡さん、どうかしてますよ」
[#ここで字下げ終わり]
●おでんや[#「おでんや」はゴシック体](屋台・夜)
[#1字下げ]ひとりでのんでいる土岡。
[#1字下げ]おでんやのおやじ、酌《しやく》をしてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「おやじさん、息子、いるの?」
おやじ「二人いるよ」
土岡「あ、そう。間に合ってるか……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇がきている。
[#1字下げ]忠臣とのんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「どうもこの間からおかしいとは思ってたんだよ」
忠臣「お前に言やあ心配するだろうと思ってさ」
勇「赤坂の『かもめ』か」
忠臣「まり子っていうんだがね」
勇「まり子……」
忠臣「本人はそう悪い子でもなさそうだけどね、うしろについてんだよ(親指)」
勇「男? ヒモ?」
忠臣「男やヒモなら切れるからいいよ」
勇「え?」
忠臣「父親なんだよ」
勇「おやじか」
忠臣「これが、のんべでだらしがなくて、女癖が悪くて、ストリップ気狂い。おまけにゆすりたかりの常習犯ときてるんだ」
勇「お父さん。そりゃ絶対にまずいよ」
忠臣「判っとるよ、あんなのに親戚面《しんせきづら》してのりこまれたら、この永山家は」
勇「お父さん、オレから誠に……」
忠臣「(ポツンと)言ったってダメだね」
勇「お父さん」
忠臣「……この年になるとな、勇。目も耳も、おぼつかなくなってくる代りに、先が見えてくるんだよ」
勇「……お父さん」
忠臣「……三月先、半年先、一年先、……ぼんやり見えてくるんだよ。こう、見えたものは、どう足掻《あが》いてもダメなんだよ」
勇「………」
忠臣「そういうのを、人の運命っていうんじゃないのかねえ」
勇「………」
忠臣「こうすると(目を半眼に閉じて)見えるんだよ。誠とあのまり子という女がいっしょにいるんだよ。そのまん中に、わたしと、あの……向うの徳造っていったかな、おやじが……ゴッタゴタゴッタゴタ……」
勇「(ためらい)」
忠臣「おい、勇。なんかあったらたのむな……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、だまって父の盃《さかずき》についでやる。
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]順子と久米が談笑している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「あしたのお天気、あしたのお天気ってさっきからそればっかりいってるけど、ママさんあしたゴルフ?」
順子「いえ、そうじゃないんですけどね、実はね、子供の遠足なの」
久米「子供の遠足?」
順子「(うなずく)」
久米「子供さん……何年生」
順子「小学校の二年」
久米「女のお子さん」
順子「男の子」
久米「ほお」
順子「………」
久米「じゃあ、あしたは朝早くおきて、おむすびつくるってわけか」
順子「のり巻。かんぴょう煮て……」
久米「かんぴょう入のり巻ねえ。遠足のお弁当にはあれが一番だ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、だまって酒をのむ。
[#1字下げ]そして、一隅の誠とまり子。まわりに人がいないような二人だけの世界。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「父のことでは、子供のときから、辛い思いばっかり」
誠「(うなずく)」
まり子「これがうちの父です。胸張って人に紹介できる人が本当に羨《うらやま》しかった」
誠「ぼくも同じだなあ」
まり子「でも、うちの父にくらべたら永山さんのお父さんは」
誠「恥かしい気持は……同じだよ」
まり子「………」
誠「……ぼくたち、同じ境遇なんだなあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見つめあう二人。
[#改ページ]
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]着物の諸肌《もろはだ》ぬぎといっても、下はラクダのシャツ姿の忠臣が、庭で木刀の素振りをやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「エイ! トオ! ハア! オッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]起きてくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん」
忠臣「エイ!」
誠「お父さん」
忠臣「ヤッ!」
誠「年寄りの冷水っていうだろ。夜になって、スジが違ったなんてったって知らないよ(大あくび)」
忠臣「自分の頭のハエも追えンくせして、人の心配して……あくびしてるひまに早くメシ……」
誠「(大あくび)あとでいいよ」
忠臣「あとってお前(上りながら)何時だと思ってんだ。え? 早くしないと、おくれるぞ。いかに出版社だって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、朝刊をひろげて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「今日はね、ひるすぎでいいんだよ」
忠臣「ひるすぎ」
誠「〆切と日曜がダブったからね、ま代休だな」
忠臣「何だか知らんがジダラクな勤めだねえ」
誠「たまにゃ休まないと体がもたないよ」
忠臣「……とか何とかうまいこと言って……誠!」
誠「なんだよ」
忠臣「行くつもりだろ」
誠「え?」
忠臣「平岡病院ですよ。『かもめ』のまり子のおとっつぁん、見舞うつもりなんだろ。午前中休みとって、午後二時の面会時間待っとるんだろう」
誠「(新聞の見出しを読む)『松茸《まつたけ》は相変らず高根の花』」
忠臣「あ、松茸じゃないんだよ。あのね」
誠「『ライオンのボス、交替』か、動物園も忙しいね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、誠から新聞をひったくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何すんだよ」
忠臣「行くことないよ」
誠「………」
忠臣「娘がついてんだ。何でお前がゆく必要がある!」
誠「………」
忠臣「お前は、あのおとっつぁん……倉島徳造の見舞いにゆくんじゃないんだよ。まり子って女に逢《あ》いに……そうだよ。バーへゆけば、金がかかる。ほかに客もいる。病院なら、タダだよ。二人っきりで、話も出来る。それでお前は」
誠「お父さん!」
忠臣「図星じゃないか。おい、誠、絶対にゆくことはならんぞ! わたしが許さん!」
誠「お父さんの指図は受けないよ」
忠臣「おい、誠!」
[#1字下げ]気負い込んで何か言いかけた忠臣、ふっとだまってしまう。
忠臣「よそう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガクンと肩を落して、目はあらぬ方に。
[#1字下げ]誠、少し気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……お父さん、お茶いれて……くれよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ちょっときげんを取る感じで言う誠。
[#1字下げ]忠臣、聞えないのか黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……(お父さん……)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]不意に忠臣、両手で顔をおおう。
[#1字下げ]のどの奥を、ク、クと鳴らして、嗚咽《おえつ》をこらえている感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(お父さん……)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、そのまま、よろよろとよろめきながら出てゆく。
[#1字下げ](以上はもちろん、芝居《しばい》であります)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]追ってゆく誠。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]仏壇の前で、手で顔をおおったまますわる忠臣。
[#1字下げ]微笑《ほほえ》みかけている亡妻繁子の写真。
[#1字下げ]忠臣の肩が小刻みにふるえている。
[#1字下げ]入口に立つ誠。
[#1字下げ]忠臣。チラリと見て……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……母さん……(男泣き)どして、先に死んだんだ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、やれやれという感じで、行こうとする。
[#1字下げ]哀れっぽく呼びかける忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい誠……ちょっと、ここへすわってくれ……」
誠「……母さんの写真、ダシに使って泣き落しはね、ごめんこうむるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、水っぱなを横に払って、いきなりたたみに両手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「たのむ。五分でいいんだ、母さんの前にならんですわってくれ」
誠「お父さん。何やってんだよ」
忠臣「誠、わたしが今迄《いままで》、たたみに両手をついてお前に物を頼んだことがあったか」
誠「……あのねえ」
忠臣「七十になった父親が、こうやってたのんでるんだ。な、五分、五分だ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、しかたなくすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「わたしと一緒に、母さんの前で座禅を組もうじゃないか」
誠「ザゼン?」
忠臣「まず、姿勢はな、結跏趺坐《けつかふざ》といってな」
誠「お父さん、オレ、用があるから」
忠臣「(立たせない)左足のかかとを右ひざのとこにのっけるんだ、ほら……ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、忠臣の見幕に押されて仕方なくすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アグラじゃないんだよ。ケッカフザ。左足のかかとを右ひざにのっける、アイタタタ……(ひっくりかえる)」
誠「スジいためるよ。そんな……」
忠臣「そいじゃあ、ケッカフザは略して、手はこう。こう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひざの上で印を結ぶ。
[#1字下げ]誠、ゲッソリしながらつきあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「目は半眼にとじる。バカ。全部閉じたら睡眠じゃないか。な、こうやって、目を半眼に閉じて、妄念《もうねん》を払い、己《おの》れの心の奥を見据《みす》える……これが座禅というんだぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、チラチラと横目で忠臣を見ながらやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いいか。妄念を払ったか」
誠「………」
忠臣「心を静めて、ようく考える。人生とは何か。男が生きるということは、どういうことなのか。男にとって、女とは一体、何なのか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドア・チャイムがかすかに鳴っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あれ、お父さん、誰《だれ》かきた……」
忠臣「まだ、妄念が払えとらんな。男にとって、生涯《しようがい》の伴侶《はんりよ》とは一体どういう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドア・チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、うちだよ」
忠臣「バカモノ。座禅の最中に立つバカがあるか。たとえ、地震がこようと、火事が起ろうと、絶世の美女が声をかけようと」
誠「お父さんは、動かないかい」
忠臣「ああ。動かない。たとえ死すとも、永山忠臣」
小虎(声)「ごめん下さい」
誠「あれ? 女のひとだよ」
忠臣「え! まさか『かもめ』のまり子」
小虎(声)「ちょっと! 誰《だれ》もいないの!」
誠「まり子さんの声じゃないなあ」
忠臣「それじゃあ誰だい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]現金にも目をあいて、立とうとする忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「死んでも動かないんだろ。そやって座禅組んでなよ」
小虎(声)「ごめん下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリして、外を気にしながら、座禅をつづける忠臣。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]戸をあける誠。びっくり仰天。
[#1字下げ]にっこり立っているのは、何と小虎|姐《ねえ》さん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「おはようございます」
誠「あ、あの、いつかのオバサン……っていっちゃあいけないんだ、お姐さん」
小虎「オバサンでいいのよ。そう呼んでもらったほうがうれしいわァ、ああよかった。いえね、息子さん、たしか出版社、おつとめって聞いたでしょ? ああいうとこは朝ゆっくりだから、今時分なら、多分大丈夫だろうと思って……」
誠「あの、いま、おやじ(呼びますから)」
小虎「あんなクソジジイなんか、どうでもよろし」
誠「はあ」
小虎「あたし、息子さんにお詫《わ》びにきたのよ。この間は」
誠「あの、今呼びますから、奥で座禅組んでますから」
小虎「あのね、これ、つまンないもンだけど、お詫びのおしるし」
忠臣「おう、小虎姐さんじゃないか、どしたんだ。芸者が、ひる前にのこのこ出てくるなんて、一体」
小虎「あら、ナーさま、アンタは座禅組んでりゃいいのよ、あたしはね、こちらの息子さんに」
忠臣「(誠に)おい、何をポオッとしてんだ。お上り下さいのあいさつはどうしたんですよ」
誠「あ、どうぞお上り下さい」
小虎「言われない前から、もう上ってるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]茶をいれている誠。
[#1字下げ]すわっている小虎。
[#1字下げ]そして、小虎に無理やり座禅を組まされている忠臣。
[#1字下げ]忠臣は、スキを見て、座禅をやめて、話に加わろうとするが、小虎にはばまれて駄目《だめ》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうぞ(茶)」
小虎「頂きます。あ、おいしい……」
忠臣「あたしがいれりゃ、もっとおいしいんだが」
小虎「座禅組んでる人がペラペラしゃべっちゃダメでしょ?(誠に)まあ、こないだの晩は、お酒の上とはいいながら……ねえ、お玄関先で、チュッ! なんてはしたないまねしちまって……あたし、もうきまり悪くて」
忠臣「きまり悪がる年かい」
小虎「(小突く)息子さんに何と思われたろう。そう思って」
誠「いや、こないだのことは、おやじが悪いんですから」
忠臣「どして悪いの」
小虎「あンたは、座禅組んでりゃいいのよ。ねえ、誠さん、あたしあんたにひとこと言いたくてきたのよ。誠さん、アンタ、水商売の女とつきあってるんだってねえ」
忠臣「小虎姐さん、ひとつ意見をして(やって)」
小虎「片目あいて。それじゃ座禅じゃなくて、丹下|左膳《さぜん》だろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小虎、別人のようにしみじみと……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「誠さん、ようく、相手の女、見なさいよ。化粧の下の、本当の心、ようく見なさいよ」
誠「………」
小虎「水商売の女ってのはね、二通りいるのよ。海千山千の女と……そりゃ、つましい女とね」
忠臣「おいおい、姐さん」
小虎「座禅は黙れ。女はね、氏、素性じゃない。商売じゃない、器量でもない。気だてよ、気だて」
誠「オバサン……」
小虎「そこのとこを、ようく見なさいよ」
忠臣「今、そういうことを言われると困ンだよ」
小虎「だって、本当のことだもの」
忠臣「おい誠、台所に梨《なし》があったろ。あれ、もってこいや」
誠「あ、梨ね(立とうとする)」
小虎「誠さん、アンタ、立つことないのよ、永山忠臣、アンタ……」
忠臣「アタシ?」
小虎「早く、梨!」
忠臣「座禅しろったり、梨もってこいったり、もう、人を何と思っとるのかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ブツブツ言いながら立ってゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
小虎「……誠さん、アンタ、いやでしょ?」
誠「はあ」
小虎「こやってさ、父親のガールフレンドがたずねてくるの……やだなって思うでしょ?」
誠「え? いやあ、別に、そんな……」
小虎「でもねえ、これは、アタシのことじゃないけどさ……これから先も、お父さんに茶飲み友達が出来ても……あんまりジャケンにしなさんなよ。(しみじみと)人間てのは、いくつになっても、一人で生きるってのは淋《さび》しいもンなのよ」
誠「……オバサン……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]梨を持って、出てくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハイ、お待ちどおさん、こりゃ今どき珍しい長十郎でね」
小虎「どうもおじゃまさん」
忠臣「小虎姐さん。もう帰っちまうの?」
小虎「誠さんに逢えりゃもう用はすんだんだから」
忠臣「おい、そりゃないだろ」
小虎「誠さん。サヨナラ」
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](昼)
[#1字下げ]開店前で椅子《いす》がテーブルに上っている。
[#1字下げ]京太郎と将棋をしている忠臣。酒を配達にきた源助が見物している。
[#1字下げ]姉さまかぶりで少し離れて、拭《ふ》き掃除をしている静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「なんだ、トラちゃんも水臭い。艦長のとこまできて、どして、あたしンとこ素通りすんのよ」
忠臣「いや、あたしもね、相馬ンとこ、声かけようかなと思ったんだけどさ(チラリと静子を見て)差しさわりがあっちゃいけないと思って」
静子「(チラリとみる)」
源助「こっち(お面相)はどうあれ、左褄《ひだりづま》は左褄だもンなあ」
静子「(チラリ)」
京太郎「なにいってんのよ。トラちゃんとアタシは、小学校のときの同級生ですよ」
源助「そうそう。一緒にお医者さんごっこした仲だってねえ、相馬|中尉《ちゆうい》……」
忠臣「まさか初恋、なんてンじゃないだろうね」
京太郎「艦長……」
静子「あの、ちょっと伺いますけど、トラちゃんて、どういうかた……」
京太郎「いや、あの、そりゃ、ねえ」
忠臣「相馬のね、初恋のひと」
京太郎「艦長! あのね、トラなのよ、トラ」
源助「そうそう、多摩動物園のねメストラ」
忠臣「(お座敷遊びの戯《ざ》れ歌)トラトラ、トラトラ!」
静子「知らないと思って……中野新橋の芸者さんでしょ?」
京太郎「静子……」
静子「こないだ三人であそびにいって……永山さんに首ったけで、チュッてお芝居打ってもらって、失敗したひとでしょ?」
京太郎「静子、アンタ、どしてそんなこと」
静子「女は女同士……ね……」
源助「あッ! うちの母ちゃん」
京太郎「石川! お前、どして……」
忠臣「軍の秘密は、たとえ女房《にようぼう》といえども洩《も》らしてはならん。あれほど言ったのに……ウーム」
源助「相馬中尉! 申しわけなくあります!」
京太郎「でもねえ、静子、トラちゃんは、アタシに惚《ほ》れてるんじゃないんだよ、どうやら、誠さんに」
静子「え! だってアナタ、おやこほど年がちがうじゃないの」
京太郎「こないだ、いってたよなあ、『あんなクソジジイなんかどうでもいいの』」
源助「『あんな息子さんのおっかさんになれるなら……』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、うっとりしてみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(やに下って)父子《おやこ》して惚れられてるんだから、ラクじゃないよ」
京太郎「艦長……」
源助「長生きするね、この分じゃあ」
静子「ほんと……」
忠臣「え?」
京太郎「いえいえ、こっちのハナシ」
忠臣「ところでな、相馬」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川」
源助「ハッ!」
忠臣「お前たちは『椿姫《つばきひめ》』を知っているか」
京太郎「『ツバキヒメ』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、ペッとツバキを吐く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ツバキ姫」
忠臣「汚ないマネするんじゃないよ、そっちのツバキじゃないの、花のツバキ」
京太郎「ああ、あのオペラの」
源助「ああ、あれだ、あれ、肺病やみのお妾《めかけ》さんが」
京太郎「若い金持の息子と相思相愛になるってやつ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、乾杯の歌をうたい出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「ララ、ラララ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、唱和する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
四人「いざ盃をあげて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見事な大合唱で、オペラ「椿姫」の「乾杯の歌」を歌い終る忠臣、京太郎、源助。そして紅一点のソプラノ熱唱の静子。
[#1字下げ]それぞれポーズをとって、……男三人、ため息をつきながら、拍手。
[#1字下げ]静子の如《ごと》きは、まだ歌い足りないらしくアーとラストをいやに長くのばして歌っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「奥さん、奥さん、もういいの。奥さんのお声のいいのはようく判《わか》りました」
静子「あら、いやですよ」
京太郎「いやあ、久しぶりに歌ったなあ」
源助「もっと歌いたいすな、アー」
忠臣「石川、お前はいいんだよ」
静子「『椿姫』ねえ……思い出すわァ……」
忠臣「ほう、奥さん『椿姫』をご存知でいらっしゃる」
静子「あれは、藤原歌劇団だったわねえ」
忠臣「藤原義江が、アルフレッドをやった」
静子「椿姫は砂原美智子さんだったかしら」
忠臣「わたしなんぞは、オペラも見とりますがデュマの原作を坪内|逍遙《しようよう》先生翻訳で読んどりましてね、ありゃ、われらの青春の歌という感じだったねえ」
源助「ラララ(また歌い出す)」
京太郎「いや、わたしもね、どして知ってんだか判んないけど、『椿姫』のハナシはね」
忠臣「あんたたちはいいんだよ。あのねえ、奥さん」
源助「艦長、何でまた急に『椿姫』を」
忠臣「だからさ、これから、そのハナシするとこじゃないの。相馬、ポカッと立ってないで……歌ったあとのおしめり(のど)の心配ぐらいしなさいよ」
京太郎「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、ビールを抜く。
[#1字下げ]忠臣、のどにしめりをくれて……
[#1字下げ]歌劇『椿姫』より、ヴィオレッタのアリア「ああ、そはかの人か」がうすく流れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「椿姫というのは、ありゃご存知と思うがパリーの……上流階級専門の……何というか」
京太郎「水商売!」
忠臣「そうなんですよ」
静子「一種の、お妾さんみたいなものかしらねえ」
忠臣「遊び女《め》ですな。それにぞっこんイカれてしまったアルフレッドという若い男が……ありゃ、地方の豪農の一人息子なんだよ」
源助「なるほど……」
忠臣「アルフレッドは、椿姫を一目見たときから恋のとりこになり果てる。家を忘れ、仕事を忘れ……」
静子「アルフレッドはたしかうちをとび出して椿姫と同棲《どうせい》するんでしたよねえ」
忠臣「そうなってからじゃ手遅れだから、気もんでるんじゃないの」
三人「はあ?」
忠臣「椿姫のほうへハナシをもどしてだ……そこへのりこんでくるのが」
静子「アルフレッドのお父さん……」
忠臣「(突然、藤原義江風に歌い出す)※[#歌記号、unicode303d]わたしはあなたにだまされているアルフレッドの父親だァ」
静子「(これも、ソプラノで)※[#歌記号、unicode303d]おお、お父さまァ」
忠臣「お父様とは何だ。わたしはね、椿姫、あンたにお父っつぁんとよばれる筋合いは」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と食いかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「まあまあ、艦長」
忠臣「……というようなやりとりがあったと思うんだが……さてそのあと、アルフレッドの父親は、椿姫に懇願するんだねえ、(オペラ風)※[#歌記号、unicode303d]椿姫よ、どうか息子と別れて下され。身を引いて下され」
京太郎「(椿姫のつもりで)※[#歌記号、unicode303d]お父さま、何と無慈悲なそのおことばァ」
源助「※[#歌記号、unicode303d]私は、あのかたを愛していますゥ(取りすがる)」
忠臣「よしなさいよ、気味の悪い。そんなアンタ、無精ひげのはえたうす汚ない椿姫なんてねえ」
静子「思い出したわ。アルフレッドのお父さん、椿姫に、わたしを助けると思って、どうか、息子に『あいそづかし』を言ってくれってたのむのよ」
忠臣「奥さん! その通り! ※[#歌記号、unicode303d]おお椿姫、おねがいだ。この年寄りを助けると思って」
京太郎「※[#歌記号、unicode303d]いや、いや、それはいや」
源助「※[#歌記号、unicode303d]別れたら、アタシは死にますゥ」
京太郎・源助「※[#歌記号、unicode303d]いや、いや」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]別れてくれェ」
京太郎・源助「※[#歌記号、unicode303d]いや、いや」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]別れてくれ」
京太郎・源助「※[#歌記号、unicode303d]いや、いや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ジェスチュア入りの物凄《ものすご》い三重唱に、出勤してきたロクさん、肝をつぶしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「一体どしたんすか」
静子「オペラの練習してるのよ」
ロク「はあ、オペラ……(サッパリ判らない)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人の男たち、歌い終って、ハアハアいっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「それで、どうなるんでしたかねえ」
忠臣「それでね」
静子「息子を思う父親の情に動かされて、椿姫は、『あいそづかし』を承知するのよ」
源助「判った! 艦長、そのおとっつぁんの役、やりにゆくわけだ」
京太郎「いま、アタシもそれ言おうと思ってたのよ」
静子「そうすると、これから……病院へいらっしゃるんですか」
忠臣「そこなんですよ。今病院へゆけば、面会時間だから、あのまり子という娘もきてますよ。ところがね、誠の奴も、いっとるんだなあ」
三人「誠さんが……」
忠臣「日曜出勤の代りだから今日は昼すぎからゆきゃいいんだ、なんて言っとったがね」
京太郎「まあ、誠さんとしちゃ、責任を感じて見舞いにいってるんだろうけどねえ」
忠臣「いや、違うね、ありゃ、責任でいっとるんじゃない。愛情でいっとるんだ」
源助「そうすると、見舞いじゃなくて」
京太郎「逢《あ》い引きですか」
忠臣「(うなずく)」
一同「(ため息)」
源助「そこへ艦長がのりこむってのはだめ」
静子「ヤブヘビですよ。第一、あっちのお父さんが入ったら、またオハナシが……こんなんなっちゃう」
京太郎「こんがらかっちまうなあ」
忠臣「奥さん、はなはだ申しわけないが、ご主人を、今晩、二時間ほど拝借出来ませんかな」
静子「はあ!」
京太郎「艦長、どこへお供するんでありますか?」
忠臣「察しが悪いねえ、正面切って堂々と敵陣へ乗り込むんじゃないの」
京太郎「そうすると『かもめ』というバーに」
忠臣「(うなずく)どっかへ呼び出してコソコソたのむなんてマネはいやなんだよ。金を払って、堂々と客としてのりこむ、しかるのちに、情理をつくしてたのむ――と」
京太郎「なるほど」
忠臣「それと、なんだ……誠が、どういうところで酒をのんでおるか、視察するのも、後学のためになると思って……ねえ」
京太郎「ごもっとも」
忠臣「一人でゆこうかとも思ったんだが」
京太郎「副官としてお供いたしましょう」
忠臣「ありがとう、では、出撃は今夕、六時」
京太郎「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎敬礼。
[#1字下げ]忠臣ゆったりと答礼。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長! わたくしはどうなるんでありますか」
忠臣「え? ああ、お前か」
源助「相馬中尉にだけ出撃を命じられて、この石川には」
忠臣「バクダン三勇士じゃないんだから、何も三人でゆくこたァ」
源助「艦長! 中尉をさそって、水兵を袖《そで》にされるのでありますか!」
京太郎・忠臣「石川……」
源助「石川も『かもめ』にお供させて下さい。『かもめの水兵』ってウタもあるじゃないですか。艦長!」
忠臣「よし、ついてこい!」
源助「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、ロクさんと顔を見合せていささかゲンナリ。
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]ベッドに起き上っている徳造。まり子。
[#1字下げ]見舞いにきている誠、果物の包みを差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「すみません、またりんごなんすけど……」
まり子「……永山さん。あたし困ります。いらしていただくだけだって恐縮してるのに」
誠「とんでもない。いやあ、病院のお見舞いってのは、何がいいのか、ぼくもおやじも病気したことがないもんで、サッパリ判んなくて」
徳造「ほんといってね、一番うれしいのは、缶《かん》ビール」
まり子「お父ちゃん、何いってんのよ」
徳造「(誠に笑いかけて)すぐ冗談まにうけんだから……ヘヘ」
まり子「ご心配かけてすみません。二、三日で退院て思ってたんですけど、なんだか脳波がどうとかって……大したことじゃないらしいんですけど」
誠「やっぱり、ぶつけたときの後遺症なのかな」
まり子「五年前に、酔っぱらって車道に飛び出して、単車にはねられたことがあったんです」
徳造「まり子、バカ……お前。しゃべんなっていったろ、しゃべるとなんかあったとき不利なんだよ」
まり子「お父ちゃん……」
誠「交通事故ですか……」
まり子「………」
徳造「……ええと、今何時だ」
誠「三時ちょっと廻《まわ》ってますけど」
徳造「あ、そう、そうお」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、いやにソワソワして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どうも、誠さん、忙しいとこ、すみませんでしたね」
誠「いやあ……」
徳造「どうも、本当に、すみません……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ペコペコ頭を下げて、誠を送り出そうとする感じ。
[#1字下げ]誠、もっと居たい……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「はあ……」
まり子「あ、いま、お茶をいれますから」
徳造「こんなとこでお茶なんかのましたら、かえってワリイよ。なあ、誠さん、忙しいとこ失礼だよ」
誠「いや、そんな忙しくないすから、かまわないんすけど」
まり子「じゃあ、おりんごでも」
徳造「おりんごも何だけどさ、まり子、お前もいいから」
まり子「お父ちゃん……」
徳造「(ブツブツ)今日、お前、集金だから面会にこないってから……」
まり子「え?」
徳造「いやこっちのハナシだけどさ、あ、そうだ、二人で、そのちょこっと表いってコーヒーでものんどいでよ」
まり子「え?」
誠「いや、ここでいいですよ」
徳造「遠慮しないで……いってらっしゃいよ、ねッ!(時間をチラチラみながら)アンタも、(まり子と)ハナシしたくて、きたんでしょ? だったらさ、こんな親父《おやじ》の前じゃあ、やりにくいでしょ?」
まり子「お父ちゃん……」
誠「いや、ぼくは、そんなんじゃあ」
徳造「ほんとにさ、ね、二人とも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手で追っぱらっている徳造。
[#1字下げ]ドーンとドアがあく。
[#1字下げ]両手に荷物を抱えた中年の女が、尻でドアをあけながらうしろ向きに入ってくる。
[#1字下げ]女は徳造の内妻ふみ江(50)。
[#1字下げ](ボサボサの頭。いささかだらしない着付け、あまり趣味のよろしくない着物。態度もガサツでことばもぞんざいだが、情のある人柄《ひとがら》。もちろん美人ではありません。)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「おそくなってごめんねえ。まあ、バスが混んで混んで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ペラペラしゃべりながら入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あッ! あの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]びっくりするまり子と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「そいからさ、缶ビールってのは、セン抜きいらないんだっけかねえ。おもての、箱みたいなガシャンてので買ったんだけど……」
徳造「お、おい」
ふみ江「するめだろ? ちゃんと買ってきたわよォ……。アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子と誠をみて、さすがに、棒立ちのふみ江。
[#1字下げ]固い表情のまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「やだよ。どうしよう」
徳造「あの、あのな、紹介すらァ、こいつな、その、なんだ。ずっとお父ちゃんの面倒みてくれてる……ふみ江……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、突然、パッと身をひるがえして、外へとび出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠に対して、バツの悪い徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「何だよ、その態度は。親に向って……え?(ふみ江に)なあ……」
ふみ江「あたしゃ、いいけどさ……」
徳造「(誠に)いつまでもネンネで、やンなるよ……ねえ……(ふみ江に)気にすんなよ、お前……」
ふみ江「(うん……)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、そっと出てゆく。
●病院・廊下[#「病院・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]廊下の一隅。給食車などがおいてある窓ぎわにじっと立っているまり子。
[#1字下げ]うしろに立つ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さんには、一番恥かしいとこ……一番見せたくないとこ、見られちゃうのねえ」
誠「どこのうちだって、引っくり返せば、いろいろハラワタが出てくるさ」
まり子「それにしたって……いい年して……みっともないわよ」
誠「それ、言ったらお父さん可哀《かわい》そうだよ」
まり子「人のことだから、永山さん、そんなきれいごといっていられるのよ。現実に自分の父親が、うち飛び出して、わけの判んない女の人と一緒に住んでるってなったら……」
誠「そりゃ気持は判るけどさ」
まり子「判るもんですか。永山さんみたいな固いお父さんもった人には、アタシの気持なんか」
誠「……うちのおやじだって五十歩百歩だよ。こないだも芸者がね、それも、すげえバアさん芸者に送られて帰ってきてさ、玄関先で、チュッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言ってしまってから大テレの誠。
[#1字下げ]そしてまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……お、お父さんがですか」
誠「……そ、それでね、小虎って芸者なんだけど、おやじときたらもう、のぼせちゃって、後添えにしたいとか何とかもう……」
まり子「本当ですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、行きがかり上、だんだんオーバーになってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おまけに、今朝なんか朝っぱらからその芸者がうち押しかけてきてさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろを通りかかる看護婦のエミ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さんに逢いにきたんですか」
誠「もう、鼻の下のばしちゃってね、見てらンなかったなあ」
まり子「……あのくらいの年になってもそういうこと」
誠「……まあ、子供としちゃ、そういう親の姿、見たくないけどねえ……考えてみりゃ……おやじさんも可哀そうだもんなあ……」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]エミ子、給食車のうしろにすり寄って聞き耳を立てる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「女房に先立たれた男ってのは……ぼくなんかまだ判んないけど、さびしいもんじゃないの? そういうさびしさってのは、子供じゃ、埋めること、出来ないもンねえ」
まり子「(小さくうなずく)」
誠「人間なんて、一人じゃ生きられないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]病室の戸があいて、ふみ江が、洗面器をもってくる。洗いものにゆく感じ。
[#1字下げ]まり子のほうを向いて、すまなそうな顔で会釈《えしやく》をする。
[#1字下げ]まり子、そばへゆく。
[#1字下げ]誠も、何となくうしろへ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……あの……父が、いつもお世話になってます」
ふみ江「……(うれしくなる)お世話だなんて……まり子さんでしょ?……いっぺんごあいさつしようかって思ってたんだけどね、うちの人が、そのうちそのうちってもんだから。あ、いつも、お金、すいません」
まり子「……いいえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]病室のドアのところまで出てきて、のぞいている徳造。ほっとしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「(調子にのって馴《な》れ馴《な》れしく)ね、(誠を)まり子さんの(親指)?」
まり子「そんな……ちがいます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、またしても当惑する。
[#1字下げ]誠も弱る。
[#1字下げ]徳造、形勢悪しとみて、ドアから引っこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……(誠に)すみません」
誠「いや、別に……」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」の表[#「バー「かもめ」の表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、京太郎、源助の三人がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「『かもめ』と」
源助「アッタ!」
忠臣「『かもめ』よし!」
京太郎・源助「レッツゴー」
忠臣「待て!」
二人「はあ」
忠臣「作戦開始にあたって、一言注意しておく。これは遊びではない!」
二人「ハッ!」
忠臣「酒に酔い痴《し》れ、美女の色香にまどわされて、本来の目的を忘れぬこと」
源助「艦長は『椿姫』のおとっつぁんでいく」
京太郎「我々は、すべからくエンゴ射撃をすること」
忠臣「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層フンレイ努力セヨ」
二人「ハッ!」
忠臣「イザ出撃!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入口にいたホステス、びっくりする。
[#1字下げ]三人、軍艦マーチを合唱しながら、入ってゆく。
●バー「かもめ」の店[#「バー「かもめ」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]順子、まり子、ホステスたちに大モテの忠臣、京太郎、源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「誠ちゃんのお父さまがみえて下さるなんて、光栄ですわ。ねえ、まり子ちゃん」
まり子「本当。あたし、もう、びっくりしてしまって」
忠臣「いやいや。こりゃなかなかいいお店だ」
順子「いつも、誠ちゃんには……ご令息には、ごひいきいただいております」
まり子「ママでございます」
忠臣「こりゃこりゃ。ごあいさつがおくれまして。いつも倅《せがれ》の奴が」
順子「よくひろしちゃんたちからお噂《うわさ》伺ってたんですよ。とっても面白そうなお父さまだって……あたし、一度お目にかかりたいと思ってたの……」
忠臣「こりゃどうも。いや、おきれいなママさんだなあ。あのお名前」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]早くも順子の手などさわる忠臣。京太郎と源助、両脇《りようわき》から突つくが知らん顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「順子と申します」
忠臣「ジュン子さん。ジュンは巡洋艦の巡ですかな」
順子「いえ。順番の順」
忠臣「従順の順ですな。ありゃいい字だ」
順子「おそれ入ります」
忠臣「あ、ご紹介いたしましょう。両名とも、わたしが巡洋艦『日高』の艦長をしておりました時分の部下でして……相馬中尉」
京太郎「相馬であります!」
忠臣「石川一水」
源助「石川であります!」
忠臣「お見知りおきを」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、パッと敬礼する。
[#1字下げ]女たちも釣《つ》られて敬礼。一同、大笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、のっけからゴキゲンになってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「まあ、こちら海軍さん」
二人「ハッ」
順子「道理で、スマートでいらっしゃる」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]男三人、それぞれ、自分のことだと思って、テレながらかっこをつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「いやあ、それほどでも」
忠臣「まあ、差しさわりがあったら、お許し願いたいんだが、どうも陸軍は、マジメだがヤボったいですな。そこゆくとわが海軍は……」
順子「あたしね、誠ちゃんのお父さまがもと軍人さんだって伺って、あ、困ったなって思いましたの。でもねえ、いま、海軍て伺って、ほっと一安心……」
忠臣「はあ?」
順子「だって、海軍さんなら、サバケていらっしゃるから……(意味をもたせて)まさかヤボはおっしゃらないだろうって……ねえ、まり子ちゃん……」
まり子「え? ええ……」
順子「ご理解のあるお父さまで、よかったわねえ、まり子ちゃん」
まり子「え、ええ……」
忠臣「(あとへ引けない)なんですよ。え、まり子さん。何、固くなってんの? 昨日や今日、あった仲じゃなし、ラクにしなさいよ。ラクに」
まり子「ハイ」
忠臣「ハイだって。いいねえ。今どき、ハイ、なんていう娘さんは、そうザラにゃいませんよ。いいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]だんだん様子がおかしくなるので、顔を見合せて気をもむ京太郎と源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「まずいよ、こりゃ」
京太郎「何とかしなくちゃいけないよ」
京太郎・源助「艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]両脇に、それぞれ美女がピタリくっついてすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ホステス達「いらっしゃいませ」
京太郎・源助「お、こりゃこりゃ」
忠臣「おう、おう。かわいいねえ、こんばんは、こんばんは。さあ、皆さん、何召し上るの」
京太郎・源助「艦長……」
忠臣「遠慮しないで、まり子さん、皆さんの注文、お聞きして」
まり子「はあ、でもあの……」
忠臣「ほらほら、早く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人のホステス、それぞれ注文する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ママさんも、まり子さんも上って頂戴《ちようだい》よ。今晩はねアタシのおごりだ」
ホステス「うワァ!」
忠臣「ほらほら、そっちのお嬢さんがたも、こっちいらっしゃい。いつも誠がお世話になってんでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三、四人、ドヤドヤとくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ホステス「いらっしゃいませ」
忠臣「ハイ今晩は」
京太郎「艦長……『美女の色香に迷わされることなく』」
忠臣「いたいな。どして人の足、けっとばすのよ。おお、いたい。あ、あたし、お代りいただきます……」
源助「『酒に酔い痴れず本来の目的を』(目くばせ)」
忠臣「石川、お前がウインクしたってね、ダメなの。ハハハ」
京太郎「艦長、(小さく)『椿姫』」
源助「ペッペッペッ!」
忠臣「なにを小汚ないマネしてんだ。エチケットを心得なさい、エチケットを」
京太郎・源助「艦長……」
忠臣「いや、それにしてもみなさん、上品でいらっしゃる。お化粧といい、ご衣裳《いしよう》といい……これでお勘定がこなかったら、どこかのお宅の応接間で親戚《しんせき》のお嬢さんに囲まれてのんでるってとこだなあ。ねえ、相馬、石川」
京太郎・源助「……艦長」
忠臣「特にまり子さんはいい。地味でねえ。欲をいえば、その胸ンとこにブラ下げてるジャラジャラが少々目ざわりなんだがね」
順子「まり子ちゃん。これは、海軍さんの勲章と同じですのよって、お父さまにおっしゃい」
忠臣「勲章!」
まり子「(笑いながらうなずく)」
忠臣「いや、またまたうれしいことを言って下さる。こうみえても永山忠臣、戦勲により勲一等|瑞宝《ずいほう》章を」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]突然、京太郎がうたい出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「※[#歌記号、unicode303d]タンタンタン タタカタンタンタンタン(乾杯の歌)」
忠臣「バカモノ。歌はまだ早いよ。そうだ。ママさん、まり子さんも、こんど、日曜にね、うちいらっしゃい。勲章をお目にかけよう。ありゃ、なかなかグッド・デザインでね」
京太郎「タンタンタン」
忠臣「やかましいの。あのね」
源助「※[#歌記号、unicode303d]別れてくれエ」
忠臣「おい、石川一水!」
京太郎「※[#歌記号、unicode303d]別れてくれエ」
源助「ペッペッペッ!」
京太郎「ツバキヒメ、ツバキヒメ」
忠臣「うるさいっていってんですよ。人がせっかく、ハナシを」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女たちにカクテルがくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
女たち「いただきまーす」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、グラスを合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「※[#歌記号、unicode303d]タンタンタン」
忠臣「やかましいっていっとるのが」
源助「『皇国の興廃この一戦にあり』」
忠臣「何をネゴトいっとんだ」
京太郎「※[#歌記号、unicode303d]タンタンタンタン(半泣き)」
順子「あら、それ、『椿姫』じゃないの」
京太郎「ハッ!(意味をこめて)『椿姫』であります」
まり子「あたし、あのオハナシ好き。義理と人情の板バサミになって、椿姫って、死ぬほど好きな恋人のことをあきらめるのよね」
京太郎「その通り……(言いかける)」
忠臣「若い人が何をいうか、人生はあきらめたら行きどまりだ」
京太郎・源助「艦長! ※[#歌記号、unicode303d]タンタンタン……(必死)」
順子「そう! 乾杯の歌よ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]順子も唱和する。
[#1字下げ]忠臣、ますます調子を出してしまう。
[#1字下げ]順子とまり子の腕をとって、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(藤原義江風に独唱)※[#歌記号、unicode303d]いざ盃《さかずき》をあげて」
源助「相馬中尉……もはやこれまで……」
京太郎「……しかたない。こっちも作戦変更とゆくか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と源助も立ち上って盃をあげて、大合唱。
●「かもめ」の表[#「「かもめ」の表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]「かもめ」の看板にしがみついて必死の抵抗をする土岡。
[#1字下げ]ひっぺがそうとしている誠と久米編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、土岡さん!」
久米「ひろしちゃん! はやくゆきましょ!」
土岡「『かもめ』は許して。まり子さんは誠ちゃんだろ。ママは編集長といいムードだろ。オレ、ヘビの生殺しだものなあ」
誠「何いってんですか、さ、早く」
久米「男だろ、ひろしちゃん。レッツ・ゴーよ。ああ、重たいわねえ、このシト」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」の店[#「バー「かもめ」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]出来上った忠臣、京太郎、源助、乾杯の歌の大合唱(忠臣はまり子の肩を抱いて、ママのとなり)。
[#1字下げ]入ってくる久米、誠、土岡、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
京太郎・源助「誠さん……」
誠「お父さん、こんなとこで何やってんだよ」
忠臣「アッ! 誠……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]さすがに大あわての忠臣、よろける。
[#1字下げ]はずみで手にしたグラスの酒を順子の着物にもろに浴びせてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「キャァ!」
まり子「ママ……」
誠「あッ! お父さん……」
忠臣「あ、こりゃいかん。こりゃ、失礼した、ごかんべん願いたい」
誠「お父さん。ごかんべん願いたいですむ問題じゃないだろ! ママ、この着物……これ」
土岡「総絞りっていうんだよな」
誠「総絞り……高いよなあ」
久米「安かないわねえ」
京太郎・源助「(顔を見合せている)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一生懸命に拭《ふ》いている順子、まり子、ホステスたち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あついおしぼりおねがい」
忠臣「おしぼり」
誠「おしぼりじゃないよ、お父さん! ママ、申しわけありません。ボクが弁償」
忠臣「あわてるな。(フラフラしながら)ああ、何十万、何百万の着物か知らんが、わたしも、もと巡洋艦『日高』の艦長ですぞ。ああ、何年かかっても軍人恩給をもって返済いたしましょう。(大見得を切る)」
誠「お父さん!(体当りでとめる)」
忠臣「お前はどいておれ。ついでに本日の勘定ならびにチップは、すべてこの永山忠臣に」
まり子「いいえ、私が不注意だったんですから」
誠「まり子さん」
順子「大丈夫よ、誠ちゃん。着物なんてしみぬきに出せば大丈夫」
久米「そうそう。人生は『着物』じゃない。『気持』なのよ。ねえ、ママ」
順子「(ニッコリうなずく)」
土岡「ああ、どっち向いても……ぼくの出る幕ないじゃない……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリする土岡。
[#1字下げ]そして、尚《なお》もカッコをつける忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい! 勘定書はどした!」
誠「(さすがにカッとなる)お父さん! どこまで恥かかしたら気がすむんだよ!!」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店・茶の間[#「石川酒店・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつにぶっとばされている源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「なんだって。もういっぺんいってごらんよ」
源助「もういっぺんもういっぺんて、さっきから何べん同じこと言わせるんだよ」
たつ「理屈に合わないから言ってんじゃないのよ。どしてお父ちゃんが、バーのホステスの、総絞りの着物三分の一、弁償すんのよ! え?」
源助「だから、いったろ? こういうことはオレたち三人の連帯責任」
たつ「冗談じゃないわよ。店の仕事サボってバーへいって遊んできた。悪いから母ちゃんにたとえマガイ[#「マガイ」に傍点]でも絞りの着物買ってやろう。これならハナシ判るわよ。どして父ちゃんが弁償しなきゃなンないのよ! え!」
源助「アイタ! おーいはな子ォ、はな子ォ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を出すはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「はな子、父ちゃんかばったら、母ちゃん、きかないからね」
はな子「(ニヤニヤして)おやすみなさい」
二人「はな子……」
はな子「夫婦ゲンカに子供は出ないことにしたんだ」
二人「はな子!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠が、忠臣を引き立てるようにして帰ってくる。門柱にしがみついて動かない忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら! お父さん! 何やってんだよ。もう、おっぽってくよ! ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関のところで寄りかかっていた男がフラフラ出てくる。
[#1字下げ]すしの折をブラ下げた勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「何やってんだよ」
誠「兄さん、どしたんだよ」
勇「うまいすし食わせようと思ってさ、寄ったらいないからさ、……そっちこそ、どしたんだよ」
誠「どしたも、こしたもないよ。もう、オレ、やだよ」
忠臣「やなのは、こっちのほうだよ。勇、父さんな、いじめられてんだよ」
誠「何いってんだよ、ほら!」
勇「おい! いかになんだって親だろ。あんまりジャケンにするなよ」
誠「兄さん、知らないから言ってんだよ。ほら、さ」
勇「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の息子に支えられて入ってゆく忠臣。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]二人前のすしの折を突つく忠臣、勇、誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「もう恥さらしもいいとこだよ」
忠臣「何が恥さらしだ。わたしはね、率直に過失をみとめてだ……うむ、このトロはいけるわ」
誠「何がトロだよ。『軍人恩給をもって何年かかっても返済する!』バーのまん中でやられてみろよ」
勇「ハハハ」
誠「ハハハじゃないよ」
忠臣「おい、穴子、お前好きじゃないか」
誠「いらないよ!(突き返して)あんまりね、みっともないマネしないでくれよな」
忠臣「みっともないマネしとるのは、そっちだろ。え? バーのホステスにうつつをぬかして」
誠「お父さん……うッ! ああ」
勇「ワサビだろ? お前、弱いなワサビに」
忠臣「そもそも、今晩、わたしらが『かもめ』にいったのだってだ、本来の目的は……あ、エビ、どしたの、エビ」
勇「エビ? さっきお父さん、食べたじゃないか」
忠臣「え? エビ? 食べないだろ」
誠「シッポ、お父さんの前にあるだろ? エビのシッポ!」
忠臣「これ、ワタシの食べたの」
誠「人の前にシッポおくバカ、いないよ。お父さん、人のこといえないからね。今朝だって、朝っぱらから芸者がたずねてきてさ」
勇「お父さんとこへか」
誠「みっともないよ、いい年して」
忠臣「おい誠、お前。自分の親には、どして、そうジャケンなんだ」
誠「え?」
忠臣「まり子のおとっつぁんが、これ(小指)病院に引きこんでるのをみて、お前、何てった……」
誠「お父さん……」
忠臣「『女房失《にようぼうな》くした年寄りは、さびしいもんだ。いくつになっても人間は一人じゃ生きられないもんですよ、まり子さん』」
誠「どしてそんなこと……」
忠臣「今日ね、様子見に病院いってね、こういう(ボイン)看護婦からきいたよ」
誠「それはね、それは」
忠臣「お前、バカにあっちのおとっつぁんの肩もつなあ。え? どういうんだ、そりゃ」
誠「お父さん……」
忠臣「自分の親父《おやじ》悪者にして、あっちの親父立てるこたァないだろ? え?」
誠「(弱って)ヘヘ。やきもちやいてら」
忠臣「おい!」
勇「物食う時ぐらい静かにしてくれよ。まあ、二人ともみっともないマネ、よしてくれよ。長男としてたのむよな」
忠臣「あッ! 勇、お前エビ食ったろ」
勇「食わないよ、お父さんだろ」
忠臣「シッポ一つしかないじゃないか。たしかエビは二つ……あ、タコもない」
誠「オレ、食わないよ」
忠臣「シッポがないと思って、食わない食わないって」
誠「……あれ? タコはシッポがなかったかな」
勇「ないだろ」
誠「ないよ、タコ、イカ、カニ、みんなシッポは、あれ」
勇「イカはあるだろ」
誠「ないだろ」
忠臣「エビはシッポがあるんだよ。エビとカニとイカは」
誠「エビはあるよ」
勇「カニもイカも、みんなないよ」
忠臣「シッポ出してンのは、誠、お前ひとり」
誠「そっちじゃないか」
勇「なんでもいいから、おとなしく食ってくれよ。ああ、ショウ油こぼして」
[#ここで字下げ終わり]
父子三人、文句をいいながら、酒をつぎ、こぼれたしょう油を拭きあって、秋の夜、すしを食べている。
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]もうみんな帰ってしまったあと。順子とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ママ、いろいろ、すみませんでした」
順子「まり子ちゃんがあやまることないでしょ?」
まり子「………」
順子「……面白いけど……大変なお父さんだわねえ」
まり子「……わたし、今晩どしていらしたのか、何を言いたくて見えたのか、判っているんです……」
順子「………」
まり子「『うちの誠とつきあうの、やめてくれ』そう言いにいらしたのよ……」
順子「まり子ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]すしをつまみ、酒をのむおやこ三人。
[#1字下げ]忠臣がわさびで泣いたりしている。
[#1字下げ]世話をやく二人の息子。
[#改ページ]
[#改ページ]
●まり子のアパート・リビング[#「まり子のアパート・リビング」はゴシック体]
[#1字下げ]誰《だれ》もいない部屋で電話が鳴っている。
[#1字下げ]ねむそうな声と共に襖《ふすま》が半分開いて、まだパジャマの進一があくびをしながらのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん、電話が鳴ってるよ、姉さん」
まり子(声)「ううん、進ちゃんときたら……電話ぐらい出てちょうだいよ。姉さん、手が離せないんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]チェッという感じで受話器をとる進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「もしもし、倉島ですが、あ永山さん……姉さーん! 姉さん! 電話」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てくるまり子。
[#1字下げ]髪をキリリとスカーフで結んで、エプロン姿。
[#1字下げ]洗濯《せんたく》のやりかけらしく、手には洗剤の泡《あわ》がついている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「電話って誰よ。人呼ぶときは、ちゃんと相手の名前(エプロンで手を拭《ふ》きながら)……日曜ってのは、忙しいんだから……」
進一「永山さん」
まり子「永山さん?」
進一「『息子のほうの永山です』って」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一を押しのけ、泡だらけの手で、受話器を取るまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「もしもし、まり子です!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一、チェッ! 現金だな、という感じで出てゆく。
●羽田空港・公衆電話[#「羽田空港・公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]電話をしている誠。
[#1字下げ]足許《あしもと》にボストン・バッグと北海道みやげの包みが沢山。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おはよう」
まり子(声)「おはようございます……なんてもう、お昼ですよ」
誠「あ、そうか」
まり子(声)「電話、札幌からですか?」
誠「羽田。今着いたとこ」
まり子(声)「お帰りなさい。あら、永山さん、出張から帰るのたしか月曜日、あしただって……」
誠「そのつもりだったんだけどね、取材が、思ったよか早く終ったもんだから……(ちょっとテレて)早く、顔見たい人も……いるしね」
まり子(声)「……お父様のことでしょ?」
誠「あんなの、どっちだっていいですよ。(小さく)判《わか》んないのかな」
まり子(声)「モシモシ」
誠「あ、ちょっといけるおみやげがあるんだ。どうせ、昼から病院のほう、いくでしょ? あっちで……あ、そうだ、お父さんの具合は」
まり子(声)「おかげさまで、脳波のほうも心配ないそうなんで……あしたにでも退院てことに……」
誠「そう。間に合ってよかった。じゃあ、病院のほうで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろの人を気にして気ぜわしく電話を切る誠。
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体]
[#1字下げ]受話器を持ったまま、ヘンな顔のまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ。あら? 永山さん、今日のこと知らないのかしら?」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体]
[#1字下げ]ジャンパーの下に一升|瓶《びん》を忍ばせた源助が、直立不動の姿勢のまま、そっと銭箱から一万円をくすねようとする。
[#1字下げ]足音。鼻唄《はなうた》をうたってごまかす。
[#1字下げ]娘のはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「何だはな子か? お前、たまの日曜だってのにボーイフレンドと、どっかいかないのか」
はな子「フフフ」
源助「何だよ」
はな子「お父ちゃんてさ、やましいときっていうと、ボーイフレンドの話にするね」
源助「ケッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はな子、ニヤニヤして行ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「やましいとは何だ。やましいとは」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助。わざと大きな声でどなりながら、銭箱から一万円をくすねる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「一家のあるじが自分で稼《かせ》いだ金、(だんだん小さくなる)をだな、その、何だ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]棒立ちのまま、一万円札をしまおうとする。
[#1字下げ]うしろに、たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「(上きげんで)ああ、その通りだわねえ」
源助「お、母ちゃん」
たつ「ほんと。どうぞどうぞご遠慮なく、一万円ね。ハイハイ。来月のお父ちゃんの小遣いから差っ引くから……はい、いってらっしゃい……」
源助「……お前……そ、そんな」
たつ「アンタ、バカに姿勢がいいけど、……一升瓶、かかえてると、おなか冷えるわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、パッとめくって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「特級酒一本とウイスキー一本、永山さんお届けね。はな子! ちゃんとつけときなよ」
はな子「ハーイ」
源助「あーあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリする源助。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](表)
[#1字下げ]「日曜に付き休業」の札。しかし、中からは声が……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎(声)「おやじさん、オレ手伝うよ」
静子(声)「手伝うことありませんよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]ねじり鉢巻《はちまき》で重詰めを作っている京太郎。
[#1字下げ]プンプンしている静子。
[#1字下げ]間に入って健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いいじゃないの。せっかく健ちゃんが手伝ってくれるっていうのにさ」
健太郎「見てるとやりたくなんだよな。このカマボコ、こっちでいいのかな」
京太郎「間にササのハッパ。そうそう、ハシさばきがいいね。ええとダシ巻ダシ巻」
静子「ふだんはねえ、ロクさんにまかせきりの人が、永山さんのためっていうと……これなんだから……」
健太郎「女にはね、戦友の味は判んないの」
京太郎「健ちゃん! お、あんた、ほんとに手つきがいいよ。いやあ、こりゃおどろいた」
静子「子供の時分からね、お母さん目玉焼作らせて、オハギにアンコつけさせてっていってた子なんですよ。ううん、男の子のくせに包丁持つのが好きなんだから」
京太郎「ちょっと! 男が包丁もってすみませんでしたねえ。(小さく)いやなら、嫁にこなきゃいいんだよ」
健太郎「ほらほら。おやじさんも母さんも何、子供みたいなこといってんだよ。母さんもふくれてないで、笹《ささ》のハッパぐらい切ってやンなさいって」
静子「(切りはじめる)永山さんとこ、一体なにがあるんですか?」
京太郎「人寄せだってさ」
静子・健太郎「人寄せ?」
京太郎「客はたしか『四人』ていってたなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]重詰めをもってきた京太郎。
[#1字下げ]酒をもってきた源助。
[#1字下げ]そして軍服姿の忠臣。
[#1字下げ]そして、いつもの食卓の横に白布でおおった小机が置かれてその上に麗々しく、さまざまな勲章、アルバム、双眼鏡、軍刀がおかれている。
[#1字下げ]あっけにとられている京太郎と源助。
[#1字下げ]得意満面の忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長、これは一体どういうことでありますか」
京太郎「海軍記念日は五月二十七日だし終戦記念日は八月十五日」
忠臣「察しの悪い連中だねえ」
源助・京太郎「(顔を見合せるが、判らない)」
源助「本日のお客さんは、一体どなたとどなた」
京太郎「きのうから何べんきいても、考えりゃ判るだろ? カンが悪いな……そりゃムリだっていうんですよ、人のハラの中まで」
忠臣「この間、諸君らを引率して『かもめ』というバーへ乗り込んだろ」
源助「ああ……」
京太郎「残念ながら、作戦は失敗に終りましたなあ」
忠臣「勝敗は時の運だ、もう言うな」
二人「ハッ!」
忠臣「いやね、うちへ帰って、胸に手をあてて考えて、ハッとしたんだ。わたしはあのとき、約束をしたことを忘れとった……」
二人「約束?」
忠臣「『元巡洋艦の艦長永山忠臣は、武勲により勲一等瑞宝章を拝受した。これはなかなかのグッド・デザインであるからしてぜひ諸君にもお目にかけたい。こんど日曜日にお揃《そろ》いでいらっしゃい』」
源助「ウーン、そういえば」
京太郎「いっておられたなあ」
忠臣「男子の一言、金鉄の如《ごと》し。約束を反古《ほご》にしたとあっては、永山忠臣(と見得を切る)」
源助「そこで、四人ていうと」
京太郎「順子っていったっけか? ママと、まり子さん……あれ?」
忠臣「それに、橋わたしをやってもらった土岡クン……誠の友達の……それと、あの、クリクリ坊主《ぼうず》の編集長」
源助「艦長! それは」
京太郎「まあまあ石川。わたしに言わせなさいよ。ねえ、艦長、約束を大切になさるお気持は判りますよ。しかしねえ、艦長はこの間、何のために『かもめ』へゆかれたんでありますか。『椿姫』のおとっつぁんの心境で、まり子さんてホステスに、どうか倅《せがれ》から手を引いてくれ、あきらめてくれって」
忠臣「そうですよ」
京太郎「こう『切りたい』って思ってるんでしょ? それならどうして、お宅へ呼ぶんですか」
源助「アタシもそれ言いたいの」
京太郎「艦長の作戦は間違ってますよ」
忠臣「凡人はそう考えるんだ……」
二人「艦長……」
忠臣「相馬中尉」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川一水」
源助「ハッ!」
忠臣「二人に聞くがね、アダムとイブは、何故《なにゆえ》にりんごを食べたのか」
京太郎「アダムとイブねえ」
源助「イチジクのハッパで、なに[#「なに」に傍点]をかくしたアベックですな(ヘンな格好)」
忠臣「いやらしいかっこしなさんな。よろしいか。アダムとイブは、りんごが食べたくて食べたんではないんだ。禁止されたから、いけないといわれたから食べたんだ」
二人「はあ(ポカンとしている)」
忠臣「燃え上っておる二人に、離れろ切れろということは、かえって、こう」
京太郎「日本の心中物なんかみてもじゃまが入れば入るほど、こうなって、遂《つい》には心中」
忠臣「そうなんだよ。縁起でもないことをいいなさんな、とにかくね、このやりかたはもう古いんだよ」
源助「なるほど」
忠臣「かくなる上は、ゆったりとかまえる」
二人「ゆったりとかまえる」
忠臣「惚《ほ》れるなら、それもよかろう。つきあうのを、やめろともいいますまい」
二人「うむ!」
忠臣「ただし……『永山家』というのはこういう家であるぞということだけは心得ておいてもらいたい」
源助「判った! まり子さんに、こういうものをみせる。元軍人の由緒《ゆいしよ》正しい家柄《いえがら》であることを、言ってきかせる」
忠臣「その通り!」
京太郎「それから……おもむろに、艦長の部屋に連れていって……」
源助 )「仏壇!」
京太郎  「どうしてアタシのいおうとすることを」
源助「亡《な》き奥様の写真をみせる」
京太郎「上品で、やさしくて、あったかくて……ひっそりと内助の功をつくした女性であった……得意の弁舌をふるわれる」
源助「……彼女はハッとなる。『とても私なんかにはつとまらないわ……』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、二人の肩を叩《たた》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「その通り!」
京太郎「そんなら何も、編集長だのママだの呼ばなくたって、まり子さん一人」
忠臣「角が立つじゃないの。それとね、あのママさん、なかなか苦労人のようだから」
京太郎「側面から」
忠臣「そういうこと」
源助「それにしてもよく誠さんがウンといわれたなあ」
忠臣「いないの」
二人「いない?」
忠臣「いかにわたしでもね、奴《やつ》がおったらこんなことは出来ませんよ。うまい具合にね、奴《やつこ》さん北海道へね」
京太郎「出張ですか」
忠臣「帰りはあしたの朝だっていうから……」
源助「今頃《いまごろ》は、何も知らないで毛蟹《けがに》かなんかパクついてるわけだ」
忠臣「ええと……お重と、酒と……」
源助「ついでにフルーツの缶詰も……」
忠臣「気がつくねえ、石川一水」
京太郎「到来ものですが『ういろう』を少々」
忠臣「(押しいただいて)『国破れて山河あり、戦友の情けあり』。かたじけない」
二人「艦長!(感激)」
忠臣「(とたんによそよそしくなって)ハイ、お二人とも、ごくろうさん」
二人「あれ?」
忠臣「ハイ、ごくろうさん。お帰りは、縁側から出てって頂戴《ちようだい》よ。せっかく玄関、掃除したんだから」
源助「艦長、我々に帰れとおっしゃる」
京太郎「そりゃないでしょう? この間、『かもめ』へ一緒に伺った仲じゃないですか」
源助「美人のママさんもくるってのに、設営だけさせといて、ハイサヨナラってのは、ちいっとアコギじゃないすか? 艦長!」
忠臣「気持は判るがね、今日のところはうちうちで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お、きたきた。一時の約束なのに、バカに早いな」
二人「ハーイ」
忠臣「あんたたちはいいのよ、早くそっちからお帰り下さい」
誠(声)「ただいまァ!」
三人「うむ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を見合せる三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あの声は」
二人「誠さんじゃないですか」
誠(声)「ただいまァ! お父さんいないの?」
忠臣「(ガックリ)まずいとこへ帰ってきたねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戸をガタガタゆする音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長、どうなさるんですか」
忠臣「ウーム……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といってる間に、誠、庭から廻《まわ》ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何だ、いるんなら、玄関ぐらいあけてくれよ。あ、日高のおじさん、石川さんも」
二人「……お帰ンなさい……」
誠「いやあ、タクシーがひろえなくて、大荷物かかえてもう……ドッコイショっと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上りかけて、アレ? となる。忠臣の軍服、その他の陳列物にびっくりする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうしたの、これ?」
忠臣「う、うん……」
源助「実はねえ、誠さん」
忠臣「(言いかける源助の向うズネをかっぱらって)友達がくるんだよ」
誠「友達?」
忠臣「古い……友達がね」
誠「友達ってだれだよ。あれ、このお重、『日高』のおじさんとこで」
京太郎「ええ、まあ」
誠「どうもすみません、あ、お酒……」
源助「え、まあ」
誠「ほんとにどうも。お父さん、甘ったれるのもいい加減にしなきゃダメだよ」
忠臣「あの、その何だ、誠、お前、アタマがむさ苦しいぞ、床屋ゆけ」
誠「え?」
忠臣「いま相馬と石川が帰るから、そこまで一緒にゆく」
誠「お父さん、オレ、そんな床屋なんて、第一、出張から帰ってそうそう……何いってんだよ。それよかさ、何だってこんなもの引っぱり出したんだよ。え?」
京太郎・源助「………」
誠「あーあ、軍服なんか着込んで、一体、誰《だれ》がくるんだよ」
源助「ヘヘヘ、誠さんのご存知の」
誠「え?」
忠臣「おい! 石川! 相馬(目で帰れ)」
源助「我々はおじゃまですか」
京太郎「(小さく)苦労するときは、相馬、石川。きれいどこがきて、いい思いするときは上官一人。日本も負けるわけだ」
忠臣「オイ! バカモノ」
誠「あれ? 戦友がくるのに、どして、二人とも帰っちゃうの? お父さん、お客さん誰なんだよ」
二人「では、失礼」
忠臣「おい、誠、連れて床屋へといっとるのが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おいおい、ぶつかるといかんから裏から出てって頂戴よ」
二人「判《わか》ってますよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、プンプンして出ていってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、あのね、ほんとにどしたんだよ」
忠臣「卑怯《ひきよう》な奴だな、お前は、一日早く帰るなら帰るとどして言わんのだ」
誠「オレが帰ってきちゃ都合が悪いことでもあるの? え?」
忠臣「(小さく)やりにくいんだよ」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子・土岡・久米「ごめん下さい」
忠臣「あ、いらした!」
誠「あれ? あの声は……」
忠臣「ハーイ、ただいまァ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっとんでゆく忠臣を追い越すようにとび出す誠。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]とび出す忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三人(声)「ごめん下さーい」
忠臣「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラス戸の向うにみえている四人の姿。
[#1字下げ]とびおりる忠臣を突きとばすように、戸をあける誠、アッとなる。
[#1字下げ]久米、順子、土岡そしてうしろに、遠慮勝ちにいるまり子。
久米  「どうも……」
土岡 )「おじゃまいたします」
順子
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あッ! これは一体……お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣、誠、久米、土岡、まり子、順子。
[#1字下げ]忠臣は、軍艦マーチの伴奏入りで、アルバムを繰り、地図を示しながら、ブチあげている。
[#1字下げ]ゲンナリしている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうぞ、ごらん下さい。これが、わたくしが艦長をしておりました巡洋艦『日高』でございます。(アルバム)ご順にそちらからご順にお廻しを」
誠「お父さん、そんな古ぼけた軍艦の写真なんてね、迷惑だよ」
久米「まあまあ、誠ちゃん。ほう、これが巡洋艦ですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子も順子ものぞきこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「駆逐艦と巡洋艦というのはどう違うんですか」
忠臣「土岡さん。あンた、いい質問なさる。そもそも巡洋艦というのは」
誠「お父さん、短かくやンなよ」
忠臣「お前はあっちいきなさいよ」
順子「誠ちゃん……」
忠臣「まあ、おやじの話の腰折ることしか考えとらんのだから、まあ、編集長もこういうのに月給はらうんだから、ラクじゃありませんな」
久米「いやいや」
忠臣「え……あ? あれ? 何のハナシ」
順子・まり子・土岡「巡洋艦」
忠臣「ああ、巡洋艦!」
誠「しっかりしなよ」
忠臣「お前が余計な半畳入れるからいけないんだよ。そもそも巡洋艦というのは、戦艦と駆逐艦のちょうど中間にありましてね、速力の速いこと、行動力の俊敏なることね」
久米「山椒《さんしよう》は小粒でピリリと辛いというわけですな」
忠臣「さすがは、編集長。名言です。それと、耐波性ね」
順子「タイハセイ」
忠臣「どんな大波、横波がきても、ビクともしないのがわが巡洋艦の特長で……おい、誠、氷がないよ」
まり子「あたくしやりますから」
忠臣「あ、まり子さん。あんた立たなくてもよろしいの。ここはお店じゃないんだから、酒の面倒はね、誠が」
誠「お父さん!」
忠臣「そういうイミでいったんじゃないよ。こいつ、まり子さんのことになると、目、三角にして怒るんだ、ハハ」
誠「………」
忠臣「まり子さんに、『いろいろ』とお聞かせしたくて、お呼びしたんじゃないの、ほれ! ほれ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、誠の尻《しり》をひっぱたいて立たせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「すみません」
誠「あやまるのはこっちのほうですよ。みんな、どうもすみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、シブシブ立って台所へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「さ、さ、どうぞどうぞ、あいつが仏頂面《ぶつちようづら》してすわっとると、どうも酒がまずくていけませんよ。ささ、編集長さん、土岡さん」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]氷を出している誠。
[#1字下げ]うしろにくる土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「誠ちゃん、すまない」
誠「土岡さんも……おやじの気性知っててどして……どして断わってくれなかったんですよ」
土岡「誠ちゃんね、あんた居なかったから、そんなこと言えんのよ。四人揃って遊びにきてくれ。男の約束を果させてくれ。電話攻勢のすごいこと。四人揃って伺いますっていうまで、もう一時間おきにリンリンリンリン」
誠「全くもう……」
順子「ひろしちゃんばっかりいじめないでね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ママ……」
順子「みんなで伺いましょっていったのは、アタシなのよ。まり子ちゃん、はじめはね、『あたしは、ご遠慮します』っていってたわ。でもね、あたし、こいっていわれたら伺ったほうがいいっていったの。だって、こちらのお父さんて、口じゃあなんだかんだおっしゃってるけど……だんだん情が移るタイプじゃない?」
土岡「『虎穴《こけつ》に入らずんば虎子《こじ》を得ず』おっかない思いしなくちゃ実るものも実らないってね」
誠「土岡さん……」
土岡「ああ、オレも人が好《い》いね。たまの日曜に人の恋路のお手伝いしてんだものなあ」
順子「ひろしちゃんにもそのうちいい人、できるわよ」
忠臣「ママさん! ママさん、どこいったの? ご不浄《ふじよう》ですか」
順子「ハイハイ、ただいま。誠ちゃん、あんまり気もまないの。大丈夫よ、フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]順子、何か期するところあるらしく、肩を叩いて出てゆく。
[#1字下げ]茶の間からは、忠臣が仕方バナシをしているらしい話し声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おやじの奴……何か魂胆があるんじゃないかな」
土岡「え?」
誠「いや、いいんすけどね、ただ約束だけで、呼ぶかなあ(ブツブツ)」
土岡「何、ブツブツいってんだよ。あ、手伝おうか」
誠「いいすよ」
土岡「それとね、意外と、伺おう伺おうっていったのは編集長なんだなあ」
誠「編集長?」
土岡「オレにまかせとけってね、あ、そうだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、内ポケットから、封筒を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「計理から預ってたんだ」
誠「あ、前借り……」
土岡「まり子さんのおやじさんの、入院費だろ」
誠「彼女、とんでもないっていうんですけどね、知らん顔も出来ないじゃないすか」
土岡「………」
誠「ぼくが原因でケガしたようなもんですからね」
土岡「そうだそうだ。持ってってあげなさい。あーあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、ヤケになって氷を口にほうりこむ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]酒が廻って、ますます調子づいている忠臣。勲一等を見せびらかして、大威張り。
[#1字下げ]久米、土岡、順子、まり子、そして、苦い顔の誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そもそもわが永山家と申しますのは、仙台藩のご祐筆《ゆうひつ》をつとめとりましてね」
久米「仙台藩というと、これですな(片目をつぶる)」
忠臣「さよう、独眼竜《どくがんりゆう》、伊達《だて》政宗。名君です。おまけに母方は、岡崎藩の御典医の娘という」
久米「そりゃご名門だ」
忠臣「どうか家系図を……まり子さん、どうぞ、ごらんになって頂戴」
まり子「拝見します」
誠「あ、ほこりになりますから」
忠臣「お前(言いかける)」
久米「(言わさない)誠ちゃんはいいの、そうですか。いや、なかなか由緒正しいお家柄でいらっしゃるわけだ」
誠「今どき家柄なんて」
忠臣「(押しのけて)まあ、正直申しまして、金のほうは三井、三菱《みつびし》というわけにはゆきませんでしたが、こと家柄に関しては」
久米「そうしますと、なんでしょう、代々お嫁さんも、レッキとした家柄の娘さんを」
忠臣「編集長さん、あんたは、こわいようによみとるお方だなあ。それなんですよ、わたしのいいたいのは。何のなにがしの娘、品行正しく、男の手などにぎったことのない無垢《むく》の娘さんをですな、しかるべき仲人《なこうど》を立てて、その」
誠「お父さん!」
久米「誠ちゃんはいいの」
忠臣「まり子さん、アルバムをみて頂戴、これがね、わたしのバアさんの実家《さと》かたの一族だ。ね、ベッピンはおらんが、気品がありましょ?」
まり子「すばらしいご一家ですねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]素直にアルバムをみるまり子。
[#1字下げ]誠、アルバムをひったくろうとするが、忠臣、押えている。
[#1字下げ]ハラハラしている土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「お父さん、まあ、一パイ」
久米「そうしますと、何ですか、お父上は、終戦のときは、……その、兵隊の位で申しますと」
忠臣「大佐です(胸を張る)」
久米「海軍大佐。こりゃ大したもんだ」
忠臣「まあ、みなさん、ご存知ないだろうが、昔の大佐といったら、もう神様みたいなもんでしたよ。どこへゆくにも、副官がついてね、まあ、自分ですることといったら、便所へ入って、尻を拭くぐらいのものでしたなあ」
誠「お父さん!」
順子「ホホホホホ」
久米「そうでしょうそうでしょう」
忠臣「私など嫁もらうんでも、いろいろ海軍に届けを出しましてね、その娘の父親は、どういう氏素性の人間であるか」
誠「お父さん!」
久米「誠ちゃん……」
忠臣「ママさん、勲章いじってないで、ついで頂戴」
順子「ハイハイ、ついなつかしくて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]順子、勲章を手にしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なつかしい……ママさんどなたか、海軍関係の方でも」
久米「(とぼけて聞く)ママさんのお父さんもたしか海軍だったわねえ」
順子「ええ……」
忠臣「フーン。そうお、で、一水、一等水兵? 二等水兵?」
順子「いえ」
忠臣「いいのよ、ママさん、わたしが大佐だからって、なにもそんな……昔は昔、今は今。固くならないでおっしゃい」
順子「実は……『少将』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]飛び上る忠臣、そして、誠、土岡、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「少将!」
順子「はあ」
忠臣「お名前は」
順子「村岡行輝と申します」
忠臣「村岡少将! うむ! たしか、大村大将の麾下《きか》でその人ありとうたわれた村岡少将!」
順子「(ほほえんでうなずく)」
忠臣「これはこれは、存ぜぬこととは言いながら、少将閣下のご令嬢に、『ついで頂戴』などと……いや全く、永山忠臣、この通り!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]平伏する忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「いやですよ、どうかお手をお上げになって下さいな」
まり子「ママさん、本当なんですか、あたし、そんなこと、全然……」
忠臣「それにしても、少将閣下のご令嬢がどして、バーのママさんを」
順子「父が事業に失敗をしましてね、借金を残して亡《な》くなったもんですから、母と弟を抱えて……女がまとまったお金をかせげる仕事っていえば、ほかにありませんものねえ。まり子ちゃんも同じだけど……」
まり子「………」
土岡「そうです!」
忠臣「それにしても、ママが海軍少将の……」
順子「それで、あたくし、店の名前、『かもめ』ってつけたんですのよ」
忠臣「ウーム!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリとなる忠臣、とたんにうれしくなる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ヘヘヘヘ、ハハハハ、ママさん! ママ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、順子と握手。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「いやだわ、どしたの、誠ちゃん」
誠「ハハ、世の中ってなあ、面白《おもしろ》いもんだなあ。捨てたもンじゃないすね編集長(つぐ)」
久米「ヘヘヘヘ」
誠「さ、のんで下さいよ、土岡さん」
土岡「頂きましょう」
誠「まり子さん……」
まり子「……(あたしは……)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ことわりながら、ひかえ目に、しかし、うれしそうに笑うまり子。ひとりガックリしている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さんも、のみなよ」
忠臣「悪酔いしてきた……」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]酔いつぶれて、座布団《ざぶとん》を二枚つなげた上にねている忠臣。
[#1字下げ]毛布を出す誠。手伝うまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「これじゃうすいかな(毛布)」
まり子「酔いざめは、体が冷えるっていうでしょ? もう一枚」
誠「もう一枚……もう一枚ね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]探す誠。
[#1字下げ]まり子、かけてやる。
[#1字下げ]ブツブツいいながら、ねがえりをうつ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「水……水くれェ、誠」
まり子「お水ですか」
忠臣「女みたいな声出すなよ。男は男らしく……え? あら」
まり子「ご気分、いかがですか」
忠臣「ご気分て、アンタ……アンタ、まり子さん。どしてこんなとこにいるの? え? 年はとっておったって、私は男ですよ。男の寝室に若い女がのこのこと」
誠「失礼なこというんじゃないよ」
忠臣「なんだ、誠、お前もいたのか」
誠「オレがね、死んだオフクロの写真見せるからって、ここへ引っぱってきたんじゃないか」
忠臣「あ、そう、そいで、編集長や、ママ……あ、そうだ、村岡少将のご令嬢」
誠「さっき帰ったよ」
忠臣「帰った? 帰られた? なぜ、私を起さんのだ。え? 少将閣下のご令嬢をお見送りもせんで……失礼なことをしちまったじゃないか、バカモノ」
誠「今はそんなこと、ね、いいんだよ」
忠臣「それでまり子さんはどして一緒に帰らなかったの?」
誠「ここからね、一緒に病院へゆくから」
忠臣「あ、そう、病院ね」
まり子「長々、おじゃまして、申しわけありません」
忠臣「いえいえ。かまいませんよ、あ、まり子さん、あんた、写真みたの? 誠の、母親……」
まり子「見せて戴《いただ》きました」
忠臣「どうお。立派な母親だと思うでしょ」
まり子「はい」
忠臣「もういっぺん、ようく見て頂戴ナ」
誠「そんな、ね、何べんもみせなくたって」
忠臣「お前はあっちで片づけものでもしてろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、まり子を仏壇の前へすわらす。
[#1字下げ]おもむろに水でしめりをくれて、演説を始めようとする。
[#1字下げ]チェッ! という感じで誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん、ぼつぼつ」
忠臣「ぼつぼつって、なにも病院ゆくのに一分一秒、争うことないだろ。まり子さん、写真ようくみて」
誠「あのねえ」
忠臣「わたしの家内……誠の母親はね、名前を、繁子といってね」
誠「名前は言ったよ」
忠臣「お前はいいっていうんだよ。繁子といってね、そりゃ、立派な女だった。気立てがよくて、美人でねえ、まあ、美人てとこは、アンタも同じだが」
まり子「とんでもございません」
忠臣「心があったねえ、繁子には。花にたとえれば、『だいこんの花』だった。小さくて白くて、誰にも知られずにひそやかに咲いて、ひそやかに散る大根の花だった。でもねえ、母なる大地にしっかと根をおろして、立派な息子を二人も生んで、育てあげた、……これも大根の花の」
誠「お父さん、もういいよ」
忠臣「お前はあっちいってなさいっていうんだよ。品があってやさしくて、あったかくて……自分は、つましくしても、主人や子供にはおいしいもの食べさせよう」
まり子「(写真を見ながらうなずく)」
忠臣「夫のいうことには絶対に服従でハイ、ハイ。あたしなんか何にも知らないのよ、といいながら、本当は、何でも知っていたんだねえ」
まり子「(大きくうなずく)」
忠臣「夫がどんな無理言って、バカヤロ! といって、手をあげても、だまってぶたれてくれた……ああいう女は、もう、いなくなったろうねえ」
まり子「……同じだわ」
忠臣「え?」
まり子「死んだ母と同じ……」
忠臣「あンたのお母さんも……だいこんの花だっていうの」
まり子「色はそんなに白くありませんでしたけど」
忠臣「それじゃあ、ごぼうの花だ」
誠「お父さん……」
まり子「うちの父というのがあの通りの人間ですから、母はそりゃ苦労しました」
忠臣「あのおとっつぁんじゃあ、そうだろう」
まり子「根は、悪い人間じゃないんです。でも、人にたのまれるといやっていえなくて、町工場やってはつぶし、やってはつぶしで、気が弱いくせにお体裁屋なもんですから、つい、見栄《みえ》をはってしまって……」
忠臣「そういう男を亭主《ていしゆ》にもつと、女は苦労だねえ」
まり子「出来もしないのに、外で大きなこと言って帰ってくるんです。人をみれば威張って……自分だけおいしいもの食べるのは平気で……」
忠臣「おっかさん、大変だったろうねえ」
まり子「お金のことから何から、尻ぬぐいはいつも母でした。言ってもしかたない。そういう人のところへお嫁にきたお母さんに女の運がなかったんだって……文句もいわずに……」
忠臣「まあ、うちの繁子は、そこまでの苦労はしとらんけどねえ」
誠「ヘヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろで笑い出す誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アハハハハハ」
忠臣「何がおかしい、人がしんみりしたハナシしとるのに、何を」
誠「そっくりだから、おかしくってさ、ハハ」
忠臣「え?」
誠「まり子さんのお母さんと、うちのお母さん」
忠臣「何がそっくりだ? え? わたしはね、いやしくも巡洋艦『日高』の艦長までつとめた男だよ。そこらの町工場のおやじと十把《じつぱ》ひとからげにされて」
誠「人間としちゃいい勝負なんじゃないの。お母さん、死ぬ前に言ってたもんなあ。『お父さんはそりゃ軍人としては立派かもしれない。でも、人間としてみたら、欠点だらけの男だわねえ』って」
忠臣「おい!」
誠「『チャランポランで、外面《そとづら》がよくて、見栄っぱりで……お母さんそういうお父さんが憎めないの。こういう人と一緒になったのが女の運とあきらめて、せいいっぱいたのしくやってるのよ』」
忠臣「(ガックリ)」
まり子「……どこも同じですねえ」
誠「そうなんだよ」
まり子「何だかお話伺ったら……お目にかかったこともないのになつかしくて……」
誠「改めて、お線香あげてやって下さいよ。お父さん、いいだろ」
忠臣「……ハイ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またしても、ケチョンの忠臣。
[#1字下げ]ローソクに火をともす誠。
[#1字下げ]線香を立てて、写真を見て、合掌するまり子、ならぶ誠。
[#1字下げ]うしろでションボリの忠臣。
[#1字下げ]チラリとみて、ニヤリとする誠。
●平岡病院・病室[#「平岡病院・病室」はゴシック体]
[#1字下げ]徳造のところに健太郎がきている。
[#1字下げ]つきそっているふみ江。
[#1字下げ]健太郎、封筒を差し出している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「あした退院だって聞いたもんで……これ、入院費の足しに」
徳造「さいすか、どうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造の手をピシリとはたくふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「あんた! お気持だけ頂戴《ちようだい》しときますよ」
健太郎「いや、困りますよ。ぼくが突きとばしたんで、こういうことになったんですから」
徳造「もう根にもっちゃいないけどね」
ふみ江「それにしたって……まり子さんからね、こういうものは、絶対に頂かないでくれって、あたし、頼まれてんのよ、だからさ」
健太郎「それじゃ、ぼくの気持がすみませんよ。そんな大した額が入ってるわけじゃないんですから」
徳造「ほらほら、せっかく健ちゃんがそう言ってんだからさ」
ふみ江「だって、取ったらあたしがまり子さんにおこられるのよォ」
徳造「だってお前、人の好意を無にするってのはかえって失礼だろ」
ふみ江「アンタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もみあっているところへ、ドア、ノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ハーイ、まり子さんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、答えながら封筒を健太郎に返そうとするのを、妙に素早《すば》しこい手つきでひったくって自分の枕《まくら》の下に押しこむ徳造。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]チラリとみている健太郎。
[#1字下げ]入ってきたのは看護婦のエミ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
エミ子「倉島さん、あした退院ですってね、おめでとう」
ふみ江「おかげ様で」
エミ子「あしたの朝、請求書持ってくるけど、ちゃんと計理の方へ払ってから退院して下さいね」
徳造「俺《おれ》ァな、若え時分に食い逃げってのはやったけどよ、病院の食い逃げだけはしたことないよ」
ふみ江「あんた」
エミ子「フフフ、もう一晩だから、おとなしくしててよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆくエミ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「バイバイ、あわくってかけ出すと、ころんでオッパイぶつけるぞ」
ふみ江「アンタ……」
健太郎「ハハハ。それじゃあ、ぼくはこのへんで……」
ふみ江「そうですか。おかまいもなくてすみませんねえ」
徳造「健ちゃんよ。アンタ、本当にまり子の店へ『かもめ』へのみにいってやって頂戴よ」
健太郎「いや、こっちは安サラリーマンですからね、高いとこへはゆけませんよ」
徳造「シケシケすんなって、ツケはアタシにしときゃいいから」
ふみ江「大きなこといっちゃって……」
健太郎「じゃあ」
ふみ江「本当に……(金)いいんですか」
健太郎「どうか、あと、お大事に……」
ふみ江「ありがとうございました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく健太郎。ドアがしまるのを待ってふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「アンタ、まり子さんに怒られたって、知らないから」
徳造「領収書出したわけじゃなしさ、言わなきゃ判りゃしないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、封筒をふみ江のふところに。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「あ、アンタ」
徳造「そっちの足しにしなよ」
ふみ江「だってそれじゃあ」
徳造「まり子だってさ、お前の神経痛の分まで面倒みちゃくれねえんだから……」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]出てくる健太郎、ちょっとふり返って、かなわないという感じ。
[#1字下げ]向き直って行こうとして、アレ? となる。
[#1字下げ]果物らしい包みをもって入ってくる誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「お揃《そろ》いですね」
誠「おう、健太郎さん」
まり子「またみえて頂いたんですか。お忙しいところをどうも」
健太郎「あした退院と聞いてね……」
まり子「あの……まさか……(言いかけて)いえ……別に」
健太郎「いや、ちょっとね、お祝いというのか……ご挨拶《あいさつ》にきただけですから」
まり子「そうですか」
健太郎「じゃあ」
まり子「どうもご迷惑をおかけしました」
健太郎「誠さん(冷やかしで)『かもめ』ばかしいかないで、たまには『日高』でものんで下さいよ」
誠「そのうち、いきますよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手を振って帰ってゆく健太郎。
●病室[#「病室」はゴシック体]
[#1字下げ]手にツバをつけて金を数えているふみ江。
[#1字下げ]競馬の新聞をひろげて印をつけている徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ハーイ」
徳造「バカ、金」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、大あわてで金を封筒に入れて、枕の下へ。
[#1字下げ]入ってくるまり子。
[#1字下げ]チラリとヘンな顔。うしろから誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「お、誠さん、いらっしゃい」
誠「どうですか、具合は」
ふみ江「おかげであしたねえ、退院」
誠「安心しましたよ」
まり子「永山さん、北海道へ出張にいらしてね、おみやげ沢山いただいたのよ」
徳造「そりゃそりゃどうも」
ふみ江「まあ、大きな蟹《かに》だ……すぐ冷蔵庫、いれたほうがいいわ」
まり子「そうですね」
ふみ江「ナースなんとかって部屋に大きいのあるから……」
徳造「ふみ江、お前、一緒についてってやれよ」
ふみ江「じゃあ」
まり子「すみません。(誠に)ちょっと……重い思いして折角もってきて下すったんですもの、おいしくいただかないとバチが当るでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠に笑いかけて出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どうすか、会社のほう、景気は」
誠「え、まあまあです」
徳造「まあまあなら、このご時世に結構なこってさ。ね」
誠「はあ」
徳造「おとっつぁん、永山忠臣さんは元気ですかい」
誠「ええ、あっちも、まあまあです」
徳造「親もまあまあ、子もまあまあか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、迷っているが、思い切って、内ポケットから封筒を出して枕の下にねじこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「誠さん……どしたの? え」
誠「入院費の足しにして下さい」
徳造「冗談いっちゃいけねえよ。こんなもン受け取ったら、まり子の奴《やつ》にアンタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といっているが、ちゃんと受け取っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうか……」
徳造「……そうお。ワリいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]立ち話しのまり子とふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「日高の健太郎さんから、お見舞い金……」
ふみ江「よっぽど黙ってようかと思ったんだけど……まり子さんが不義理しちゃうと気の毒だと思ってさ」
まり子「言ってもらってよかった……お父ちゃんときたら、全く……」
ふみ江「ね、今の誠って人、アンタのこれ(親指)?」
まり子「そんなこといったら、誠さんに悪いわよ」
ふみ江「惚《ほ》れてるわね、アンタに。惚れてなきゃ、こんな病院までのこのこくるもんですか」
[#ここで字下げ終わり]
●病室[#「病室」はゴシック体]
[#1字下げ]競馬の新聞をふり廻《まわ》して、誠にしゃべっている徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「そうさね、アタシだったら『ハマエイト』一本でゆくねえ」
誠「『ハマエイト』ねえ」
徳造「それとね『ミネノヒトツマツ』これに目つけて、この」
誠「『ミネノヒトツマツ』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるまり子。うしろからふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どした、蟹、しまったか」
まり子「お父ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、静かに言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「よそさまからお見舞い頂いたら、頂いたって、ちゃんと言って頂戴ね」
徳造「え? あ、ふみ江、バカヤロ」
まり子「お礼だっていわなきゃいけないし、第一、頂く筋合いないところからだったら、お返ししないといけないから」
徳造「………」
まり子「お父ちゃん。まさかほかに、頂きゃしなかったでしょうね。健太郎さんとこのほかは」
徳造「もらわねえよ」
まり子「ほんと?」
誠「まり子さん、お父さんがもらわないっていってんだから」
まり子「あの、石川って酒屋さんとこからは、まさか」
徳造「あすこはおめえ、安い缶詰のつめ合せでごまかしやがってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、いきなり父の枕の下に手を入れようとする。
[#1字下げ]誠、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん、よしなさい。お父さんにそんなマネしちゃいけないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、振りはらって中へ手を入れる。
[#1字下げ]封筒が二つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「何すんだよ」
まり子「井村健太郎。あら、これ……」
徳造「それね、オレの友達からの見舞い」
まり子「ウソ!『女性時代』の封筒じゃないの。お父ちゃん、どして受け取ったの! どして、あたしにいわないの! 誰からももらわないなんて……どしてウソ言うの。これじゃあ、二重取りじゃないの!(涙が出てくる)」
徳造「いや、オレは」
誠「そうじゃないんだ」
まり子「誠さんも、どしてこんなマネ、するんですか! どして、お父ちゃんにジカに渡したりするんです!」
誠「そ、そうじゃないんだよ(とっさに嘘《うそ》をつく)今、今、お父さんが赤エンピツ落したスキに、黙ってそっと……だから、お父さん、本当に知らないんだよ」
徳造「そうそう、そうなんだよ」
まり子「もう、もうこれ以上、あたしに恥かかせないで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんな、黙ってしまう。
[#1字下げ]まり子、涙を拭《ふ》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん、外へ出ましょう」
[#ここで字下げ終わり]
●病院・屋上[#「病院・屋上」はゴシック体]
[#1字下げ]繃帯《ほうたい》や白衣が干してある。夕焼を背に立つ誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「きれいな夕焼だなあ」
まり子「………」
誠「女の人と二人だけで夕焼見るの、はじめてだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、黙って缶ジュースを手渡す。自分も一つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「病院て、お酒売ってないから、ジュースで乾杯しましょう」
誠「お父さん、退院おめでとう」
まり子「それと……サヨナラ」
誠「サヨナラ?」
まり子「楽しかった……フフ。親、入院させといて、楽しいなんていうとバチが当るけど、あたし、本当に楽しかった」
誠「そりゃ、ぼくだって」
まり子「もっともっと長く入院していられたら、どんなにいいか……永山さんにも逢《あ》えるし……そんなこと考えちゃった」
誠「ぼくも同じだよ」
まり子「これであしたからは、また『かもめ』のまり子にもどるわけよね。男の人のお酒の相手して冗談口きいて……あたしもお酒のんで、チップいただいて……」
誠「………」
まり子「一人でもいいお客つかまえて……もしうまくいったら、なるべくお金廻りのよさそうな男の人、恋人にして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、わざといっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(ぐいとのんで)あたしと弟の生活費に十五万、父に十万、衣裳《いしよう》代に十万、合計三十五万、毎月いるのよ。とてもとても、普通のサラリーマンじゃムリでしょ?」
誠「まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ぐっとのんでジュースの缶を床にポーンとほうる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山誠さん、サヨーナラァ!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ウイスキーをのむ忠臣と誠。
[#1字下げ]誠、珍しく酔っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「毎月三十五万か」
誠「お父さんもね、色々ごくろうであった」
忠臣「なんだよ」
誠「オレとまり子さん、引き離そうとしてさ、いろいろ作戦立てたけどさ、そんな必要ないわけだ。ハハハ、大日本帝国海軍バンザイだろ! ハハハ」
忠臣「おい、誠、お前、歌、うたってみろ」
誠「歌なんてね、うたいたくないね」
忠臣「いいから、うたってみろ。『海ゆかば』でも『軍艦マーチ』でも、何でもよし」
誠「よし、それじゃあな、アレ、いく。アレ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]演歌をうたう誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「オンチじゃないな」
誠「こうみえたって、オレ、音楽はね、ずうっと5だから」
忠臣「だけどな、お前は、オンチだぞ」
誠「お父さん」
忠臣「(静かに)人間音痴だといっとるんだよ」
誠「人間音痴」
忠臣「どして、彼女がお前にアイソづかしを言ったか、判るか? え? 一番好きな男にこれ以上恥をみせたくなかったんだよ」
誠「………」
忠臣「サヨナラということは、アイ・ラブ・ユーというこっちゃないか」
誠「……お父さん」
忠臣「そのくらい判らんで、一人前のツラすんな、バカモノ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ついでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ヘ、ワタシもバカだね、こんなこといって、敵に塩を送っとるんだから」
誠「………」
忠臣「さ、風呂《ふろ》の加減でも見てくるか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、立って出てゆく。
[#1字下げ]誠、出ていったのを見すまして、パッと受話器にとびつく。
[#1字下げ]忠臣、スーッと入ってくる。誠、そしらぬ風ではなれる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「十一時か……そうか(ブツブツ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく。
[#1字下げ]誠、ダイヤルを廻す。
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話がなる。まり子がでる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話している誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん。昼間いったこと、ぼくは信じないからね」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おやすみ」
まり子(声)「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]立ち聞きしている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『ぼくは信じないからね』ヘッ! 歯が浮くようなセリフをいうなよ。バカ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]中から誠の弾んだ声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「(どなる)お父さん、いい日曜だったね。そうだ、久しぶりに背中、流してやろう……」
忠臣「一人で流すよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだ、そこにいたのか、流してやるよ」
忠臣「間に合っとるよ。お前、クソ力でゴシゴシやるから、アカより先に皮がむけちまうよ」
誠「ゼイタクいうもんじゃないよ。タダの三助なんだからさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もつれあうようにして風呂場の方へゆく父と子。
[#改ページ]
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]食卓の前にすわり込んで、あれこれ指図をしている忠臣。
[#1字下げ]食卓の上に、テーブルこんろを取りつけながら、台所に向って叫んでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「豆腐は、一丁を八つぐらいに大きく切ってね、角、こわさないように盛って頂戴《ちようだい》。それから、ネギはね……おーい、聞えとるの」
源助「聞えてますよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酒の配達にきて、そのまま、手伝わされている源助。たらちりの支度をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「それだけでっかい声でどなって、聞えなきゃツンボだよ。あッ! いけね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]豆腐を、床に取り落してしまう。あわてて、かき集める。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「ネギはね、青いとこ、スパッと切って捨てなさいよ。ネギの青いとこは……ありゃ、おいしくないからね。それから、切りかただけどね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、どなるだけでは足りなくて、台所へ入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「切り方はね、あれ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、しゃがんで豆腐と悪戦苦闘しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ナナメ切りですか、それとも、ブツブツと」
忠臣「石川、アンタ、そこで何やってんの? あーあ」
源助「豆腐ってやつは、どしてこう」
忠臣「おい、バカモノ! いっぺん、下におっこったのを、どして皿《さら》へもどすんですよ。ああ、小汚ないねえ。もう、そりゃ、いいから」
源助「どうも相すみません」
忠臣「(手伝いながら)何をやらしてもドジだねえ。手伝ってんだか、用、ふやしてんだか判《わか》んないよ」
源助「(ムッとする)艦長、おことばを返すようでありますが、わたくしは、相馬|中尉《ちゆうい》のように、毎晩包丁を握っているんじゃないんであります。(小さく)店、おっぽらかしてきてんだから、こき使われるわ、文句いわれるわじゃあ、たまンないよ」
忠臣「(あわててゴマをする)お! この白菜の切り方、いいねえ。え? 石川!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]茶の間で電話が鳴っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「石川……」
源助「(ツッケンドン)電話がなってますよ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣、電話を取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「モシモシ、永山ですが、あ、奥さん」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつが電話している。
[#1字下げ]はな子と宇佐美クンが、客と応対したり、ビールを運び出したり大忙し。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あ、永山さん、すみませんけどねえ、うちのお父ちゃん、いってるでしょ?」
忠臣(声)「え? お宅の旦那《だんな》?」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣。
[#1字下げ]源助が、豆腐などを盛った大皿を運んで入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……ってことは、石川一水だねえ」
たつ(声)「なにいってんですよ。一時間も前に、永山さんとこビールとどけてくるって出たっきり、鉄砲玉で帰ってこないのよ。お宅で油売ってんじゃないんですか」
忠臣「あ、石川ならね、そうそう。さっき、ビールとどけにきましたよ。どうだ上って手伝ってゆかんか」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつ、はな子、宇佐美。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん! 冗談じゃないわよ。うちらみたいな商売の夕方ってのはね、かき入れどきなのよ! そうそう人のうちの人間、使われたんじゃあ、たまンないわよ」
忠臣(声)「奥さんもケンカッ早い人だねえ。人のハナシ、おしまいまで聞いてから食ってかかりなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣。
[#1字下げ]うしろで、食卓の用意をしながら、聞耳をたてて、パントマイムの源助(いないといってくれ)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いいですか、『手伝ってゆかんか』といったところが、石川の奴《やつ》、『艦長の命令にそむくようでありますが、カアちゃんがおっかないので帰ります。ハッ!』といって帰ったんだよ」
たつ(声)「本当ですか」
忠臣「うそだと思ったら、奥さん、きて、たしかめたらいいでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、泡《あわ》くって手を振る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(小さく)大丈夫、来やせんよ」
源助「艦長(言いかけて)ハクション」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつ、はな子、宇佐美。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「モシモシ、お父ちゃんいるんでしょ! 出して下さいよ」
忠臣(声)「奥さんもうたぐり深い人だなあ。居ないといったら居《お》りません」
たつ「永山さん、一緒になって十八年ですからね。亭主《ていしゆ》のくしゃみぐらい聞きゃ判るわよ、モシモシ。あ、お待たせしてすみません。はな子! 宇佐美クン! どうもすみません。手がなくって……どうも」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話を切る忠臣。
[#1字下げ]帰り支度の源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「帰るの?」
源助「ああ、帰ったら、修羅場《しゆらば》だなあ」
忠臣「……(さびしい)そうか、帰っちまうのか」
源助「……誠さん、もうじき帰ってこられるでしょ?」
忠臣「倅《せがれ》だなんていっても、女ができるまでだね。惚れた女が出来てみなさい。親なんかおっぽらかしで、帰ってきやせん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、哀れになる。
[#1字下げ]酌《しやく》をしてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……この頃《ごろ》ね。ひとりでのむだろ。酒の味が、違うんだよ……」
源助「………」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」[#「バー「かもめ」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターにママの順子とまり子。ホステスたちも、立ったりすわったりで客は一人もいない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうしたんでしょうねえ」
順子「不景気がひびいてるんじゃないの」
まり子「……お客さまの一人もこないお店って、さびしいな……」
順子「こういうとき、スーッとドアがあいて誠さんが、入ってくるとまり子ちゃんの顔がパッと違っちゃうんだけど」
まり子「いやだ、ママ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スーッとドアがあく。
[#1字下げ]入ってきたのは、勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「(小さく)残念でした」
勇「………」
女たち「いらっしゃいませ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、さりげなく店内や女たちを見渡しながら……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「お、こりゃこりゃ。どっと美女にとりかこまれて、光栄だなあ」
順子「いらっしゃいませ。さっと『ひとたて』終ったとこなんですのよ。さ、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、すわる。
[#1字下げ]ホステスのユミ子とママがすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「こりゃ落着いたお店だ」
順子「ありがとうございます」
勇「いや、友達に、いい店だからのぞいてごらんよっていわれてね」
順子「ありがとうございます。何を」
勇「水割りもらおうかな」
ユミ子「水割りおねがいします」
勇「(じろじろ見て)キミ、名前、なんていうの」
ユミ子「ユミ子と申します」
勇「ユミ子さん……ユミ子さんか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、キョロキョロして、自分のそばにこない女たちに視線を走らす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「みんな、こっちいらっしゃいよ。え? さ、にぎやかにのもうじゃないの。ささ、こっちこっち」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子とほかの女たち、勇のそばに、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「さ、つめてつめて、あ、君たちも、何かたのんで……」
女たち「(適当にたのむ)」
勇「きみ、なに子さん?」
ラン子「ラン子です」
勇「ラン子さん。イキな名前だねえ、お次は」
みどり「みどりです、よろしく」
勇「みどりさん、お次、なに子さん」
まり子「まり子と申します」
勇「……まり子さん。そうお、フーン」
ラン子「ねえ、これですもんねえ」
勇「うむ? なによ」
ラン子「どのお客さまも同じなのよ。順に顔見て、まり子さんのとこへゆくと、みんな『そう、まり子さんていうの』って、あとは、まり子さんとばっかし、お話するのよね」
順子「ラン子ちゃん……(たしなめる)」
勇「いや、そういうつもりじゃないけどさ。そうか、君がまり子さん……」
ラン子「ほら、もうやってる!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ボーイが水割りを持ってくる。
[#ここで字下げ終わり]
勇「ま、お嬢さんがたと一緒に乾杯しよう。(まり子に)あの、君、生れは……」
まり子「……東京です」
ラン子「ほらね」
順子「ラン子ちゃん。……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]間があいてしまう。
[#1字下げ]案外|生《き》マジメな勇、話のつぎ穂がなくて、ヘドモドしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ラン子「いいのよ、まり子ちゃんにいろいろ聞きたいんでしょ?」
勇「いや、そういうわけじゃないんだよ。こちら、ママさんでしょ?」
順子「どうぞよろしく」
勇「こっちが、なに子さんだっけ」
ラン子「あたしラン子。そちらは……」
勇「え? ボク? ぼくは……ナ、ナ、永……長島」
順子「四番ね」
勇「ミスター・ジャイアンツですよ。ハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女たちに酒がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
女たち「長島さん、いただきます」
勇「カンパーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドアがあく。
[#1字下げ]久米編集長を先頭に入ってくる土岡、そして誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「こりゃこりゃまた、風通しがいいわねえ」
順子「あら、久米さん」
久米「いやあ、こうしょっちゅうきてたんじゃあ接待費じゃ落ちないから、今晩はやめようかっていったんだけどね」
土岡「いやあ、いいカンだったじゃないすか。こういうときなら、ゆっくりまり子さんとさ、オハナシも出来るじゃないか。え? 誠ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]びっくりする勇、ふりむく。
[#1字下げ]テレながら、入ってくる誠。勇、弱ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「さ、誠ちゃん。入った入った。子供が病院へ連れてこられたみたいな顔しないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠、アッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「兄さん!」
勇「……おう……」
土岡「お、こりゃ、お兄さん」
久米「え? 誠ちゃんのお兄さん?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]びっくりしているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『お兄さん……』」
勇「あ、編集長……どうも、とんだとこで……」
久米「いやいや、おたがいさまですがね」
勇「誠の奴がいつも、お世話に」
久米「いやいや、こちらこそ」
誠「ちょっと兄さん……どしたんだよ」
勇「え?」
誠「何しにきたんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小さい声だが、気色ばんでいる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「何しにってお前、バーへ、ゴルフにくるバカないだろ。酒のみにきたんだよ」
誠「あのね」
ラン子「ねえ、ほんとにこちら、永山さんのお兄さん」
勇「う、うん」
誠「そうだよ、どして?」
ラン子「苗字がちがうから……弟は永山さんでしょ? お兄さんは長島さんだもの……あ、そうか、親のどっちかがちがうんだ」
勇「……よせよ(目で)」
順子「ラン子ちゃん……」
誠「へえ、オレ、知らなかったなあ。兄貴も永山っていうんだとばっかし思ってたら、いつの間にか長島って苗字かえてんだねえ」
久米「この次は『王』ってかえんじゃないの」
誠「兄さん、ちょっと」
勇「なんだよ」
誠「(小さく)おやじさんに頼まれて来たんだろ」
勇「そうじゃないよ」
誠「じゃあ、何できたんだよ」
勇「よせよ、みっともない」
誠「みっともないのはどっちだよ」
久米「ほらほら、誠ちゃん。兄弟ゲンカしちゃダメよ」
土岡「(口まねで)バーってのは、たのしくお酒のむところなのよ」
久米「ひろしちゃん、この頃、物まね、お上手になったわねえ」
順子「さ、誠ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、みんなになだめられるが面白くない。勇をギュッとにらんで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「紹介するよ。まり子さん」
勇「それは、もうすんでるよ」
誠「長島サンとしてだろ」
まり子「誠さん……」
誠「(改まって)まり子さん、兄貴です」
勇「どうも……」
まり子「はじめまして……まり子でございます」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣がチビチビやりながら待っている。
[#1字下げ]柱時計は十時半。
[#1字下げ]忠臣、大きなため息をついて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おそいなあ、何しとるのかねえ。(グイとのんで誠の口まね)『まり子さん、そりゃたしかに、君のお父さんは世間の父親からみりゃ理想的な父親とはいえないだろう。でもねえ、ぼくだって……おやじ抱えてんだ。アナタの気持はよく判りますよ。まり子さん……』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、自分で自分の手首をつかむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(まり子のまね)『あら、誠さん、いけませんわ、そんなことなすっちゃ。あたしは、誠さんみたいなかたを好きになってはいけない女なんです。お放しになって』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、両手で引っぱり合いの演技。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アホクサ……やめた、それにしても、誠の奴、どこで何してんだろうねえ。年とったおやじがゴハン食べないで待ってるっていうのに……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と言いながら、けっこうつまみ食いをしている忠臣。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]無理やり引っぱってこられたらしく、ブンむくれにふくれている誠。
[#1字下げ]茶漬《ちやづけ》をすすめている悦子。
[#1字下げ]和服に着がえている勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「どしたの、誠さん。タラ子のお茶漬、誠さん大好きじゃないの」
誠「けっこうです……」
勇「食いたくないってものは無理に食わせることないよ」
悦子「あなた、召し上るでしょ?」
勇「オレは食うよ」
悦子「……それにしても、兄弟が、バッタリ逢《あ》うとはねえ」
勇「……(フン……)」
誠「兄さん、スパイみたいなマネ、やめてくれよ」
勇「スパイとは何だよ。スパイとは」
誠「スパイじゃないか。まり子さん、見たいなら、どしてオレに言わないんだよ」
勇「バカ。ちゃんと、紹介されてだな、親兄弟が逢うってことは、……正式に認めたってことになるじゃないか」
誠「……だからって、名前までウソいってノコノコゆくこたァないだろ」
勇「ウソいったわけじゃないけどさ、永山っていったら、女だって、警戒して、本性みせないだろ」
誠「女っていわなくたって、ちゃんとまり子って名前が、第一キツネか狸《たぬき》みたいな言い方しないでくれよ」
悦子「そりゃ誠さんにしてみりゃ、愉快じゃないと思うけど……あたしたちにしてみりゃ、また別の心配もあるのよ。本当に大丈夫なひとなのかしら? 誠さんだまされてんじゃないかしら」
誠「だますなんて……義姉《ねえ》さんもひどいよ。そんなひとじゃないって。どうみたってホステス、水商売って感じしないんだって。地味でひかえ目で……兄さんも感じいいと思ったろ?」
勇「正直いって、悪かなかったよ」
誠「ほら、ね。逢やあ判るっていってんだよ。義姉さん、ウソだと思うんなら、こんど、ここへ連れてくるよ」
勇「軽はずみなマネはよしてくれよ。オレがウンていったなんて思われたんじゃあ」
誠「兄さん……」
勇「いいか誠。店でちょっと見たとこじゃあ、感じは悪くなかった。だけどな、ホステスなんてものは」
誠「『何てもの』とは何だよ、兄さん、どしてそういう言い方すんだよ!」
勇「まあ、しまいまで聞けよ。ホステスってのは、それが商売なんだよ。男に感じいい女だなと思わせる、指名がくる、金になる」
誠「兄さん」
勇「まあ、オレの経験だと、バーの女は、二通りあるね」
悦子「あなた、そんなに、『経験』があるんですか(チクリ)」
勇「バカ。『経験』たって、どうこうってないよ。こう……見てさ、二通りあるっていうんだよ。厚化粧で、ベタベタ色気ふりまくタイプと、地味づくりで、ひかえ目で……それで男の気持をじんとくすぐるタイプだな。店のママとか、ナンバーワンなんてのは、色気よりも地味タイプが多いんだよ。つまりな、それも『計算』なんだよ」
誠「兄さん……」
勇「本当に水商売に向いてる、男から金しぼるのは、そっちのタイプだね。お前はな、そこに気がついてないんだよ」
誠「統計とかね、一般論じゃ人間は判んないよ」
悦子「(勇に小さく)夢中になってるときに、そんなこといったって……」
勇「まあ、百歩ゆずってだな、お前のいう通りの女だとするよ。な、でも、オレは反対だね」
誠「兄さん」
勇「大変な『おやじ』抱えてるそうじゃないか」
誠「親のない子はいないよ」
勇「その通りだよ。ナミの親ならオレも、黙ってるよ。だけどな、ゆすりたかりの常習犯で、金と女にだらしのない(言いかける)」
誠「ゆすりたかりは可哀《かわい》そうだよ。言い方が悪いからそうなったんでさ、本人はそんなつもりじゃないよ」
勇「……もうかばってんのか、お前」
誠「お父さんからつまんないこと聞いてるらしいけどね、そっちのいうことも話半分に聞いてもらいたいね。まあ、向うのおやじさんもたしかにメチャクチャだけど、うちのお父さんもいい勝負なんだから」
勇「お父さん引きあいに出して向うのおやじさんかばうのはよせよ」
誠「年寄りと一緒に住んでない人間にゃ判んないよ」
勇「判るよ、自分の親のことぐらい」
誠「(強く)判んないよ。年寄りと一緒に暮すのが、どんなことか、こりゃ、暮してみなきゃ絶対に判んないよ。兄さんもね、人に説教する前に、お父さんと、一週間でいいから暮してみろよ。そうすりゃね、人の親のこと、文句いえなくなるんだよ」
勇「ヘリクツもいい加減にしろ!」
誠「何がヘリクツだよ」
悦子「あなた、誠さんも、よしなさいよ」
誠「親、人に押しつけといて、デカい口、利《き》くんじゃないよ」
勇「(カッとなる)よし、そんなら、おやじさんこっちに引き取ろうじゃないか!」
悦子「あなた」
勇「二言目には親の面倒みないっていわれたんじゃ、口も利けないからね。あしたにでも引きとるよ。おい、向うの六畳、あけとけよ」
悦子「だって、あたしの編物教室」
勇「そんなもの、やめちまえ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと立ち上る誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「誠さん」
誠「どうも」
勇「おい、あした連れにゆくからな!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「あなた……(困るわよ、という目)」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]食卓に寄りかかってうたた寝をしている忠臣。
[#1字下げ]入ってくる誠、だまってすわる。手のつけてないたらちりのナベ。
[#1字下げ]忠臣、ちょっと身動きする。
[#1字下げ]夢でも見たのか、フフフと、うれしそうに笑って、またねむってしまう。
[#1字下げ]じっとみつめる誠。哀《かな》しい。
[#1字下げ]目をさます忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お、どこいってたんだ」
誠「ちょっと兄さんとこ」
忠臣「変ったこと、あったかい」
誠「……ううん……何にもないよ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店・表[#「「日高」の店・表」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]日曜に付き休業の札。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎が、カウンターの中から、外に向かって釣竿《つりざお》を振っている。
[#1字下げ]パジャマ姿で起きてくる健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「何が釣れるんすか」
京太郎「おう、健ちゃん、早いねえ。たまの日曜なんだから、ゆっくりねぼうしなさいよ」
健太郎「これ以上ねたら、目が溶けてなくなるからよせって人間もいますからね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「……また、釣り?」
健太郎「ふだんの日は客を釣って、日曜は魚釣りか」
静子「永山さんとご一緒なんでしょ?」
京太郎「たまに一人息子がうちにいるんだからさ」
静子「『水入らずにさせてやろうっていう気持が判んないか』っておっしゃるんでしょ。ハイハイ、判ってます判ってます。お気をつけていってらっしゃいまし」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体]
[#1字下げ]はな子があたりをうかがっている。
[#1字下げ]バスを誘導でもするようにピッピッと笛を吹く。
[#1字下げ]釣支度の源助が、おっかなびっくり出てくる。
[#1字下げ]不意にたつが出てくる。
[#1字下げ]ピーとならす。横っとびにかくれる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「朝っぱらから、ピイピイピイピイうるさいね、何やってんのよ」
はな子「何でもない」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、じろりとみて引っこむ。
[#1字下げ]はな子、また鳴らす。
[#1字下げ]源助、出てゆこうとする。
[#1字下げ]とたんに出てくるたつ。
[#1字下げ]はな子、ピーとならすが間に合わない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お父ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とっつかまって、もみあいになる夫婦。
[#1字下げ]はな子、ピーピーとやたらにならしている。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣の前にすわる釣支度の京太郎と源助。
[#1字下げ]源助は、頬《ほお》に引っかき傷。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「せっかくのおさそいだけどねえ、わたしは、釣りどころじゃあないんだよ」
京太郎「艦長。お気持は判りますがね」
源助「艦長!」
忠臣「石川。出がけに、奥さんに……やられたな」
源助「いや、ビールの箱運んでて、ちょいとその」
忠臣「夫婦げんかをしてまでも、この永山忠臣を連れ出してやろうという気持はうれしいがね、とてもそういう心境になれないんだよ」
二人「艦長……」
忠臣「……わたしが出かける。夜まで帰らんとなったら、誠は、必ずや、あの女……まり子をうちに引っぱりこみますよ」
京太郎「誠さんはそういうお方じゃない!」
源助「そう!」
忠臣「いや私もね、そういうお方じゃない。そう思ってたよ。でもねえ、相馬、石川。惚れると……男は変わるんだよ」
京太郎「そうですなあ。私も今の静子にあったとたん、コロリと人間がかわったって」
源助「いや、あたしもね、うちの奴《やつ》に逢ったとたん、働き者になった、人がかわったって」
忠臣「あんたたちのことは何も聞いとらんの。とにかくね、エンエンと、長電話するか、うちへ引っぱりこまずとも、……うむ! そうだ!」
二人「え?」
忠臣「夜、わたしがビク下げてさ、『オーイ、釣れたぞ』と帰ってくる。電気が消えてる。『おーい誠! 誠!』※[#歌記号、unicode303d]呼べど答えず、探せど見えず」
二人「艦長」
忠臣「あわてて誠の部屋にとんでゆく。洋服ダンスは空っぽ……」
源助「……かけ落ちでありますか」
忠臣「……ということになっとりはせんか……そう思って糸を垂れたって楽しくなんかないじゃあないか」
京太郎「ちがうなあ、ちがうんだなあ」
忠臣「何が違う」
京太郎「日曜だってのに一日中、うちにいて、どこへもゆかない。じっと誠さん見張っていられる。どういう気がします」
源助「なるほど!」
京太郎「それよりも、お父さんはお前を信じているぞ! そういわないまでも、ポンと肩を叩《たた》いて、釣りにゆく。信用されたら、人間、悪いことは出来るもんじゃありませんよ」
源助「それとね艦長、どっちにしても闘いはこれからじゃないすか。長期戦にそなえて体をきたえとかないと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、起きてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウーム」
誠「あ、日高のおじさん……あ、石川さんも……ずい分、早いすね」
京太郎・源助「おはようございます」
誠「おはようございます。(目をこすりながら)あ、そうか、釣りか……」
忠臣「誠、お前、今日はどっか出かけんのか」
誠「……いや、別に」
忠臣「そうか、月給日前だから、金がないか」
誠「………」
忠臣「お父さん、出かけてもいいか」
誠「あ、いいよ」
忠臣「これからだと帰るのは夜おそくなるけどな、お前、たのむぞ」
京太郎・源助「(こうこなくちゃ)」
誠「お。(二人に)すみません。おねがいします。お父さん、あんまり迷惑かけちゃダメだよ」
忠臣「ヘン!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](昼)
[#1字下げ]植込みのかげに、仔猫《こねこ》がいる。首輪に鈴がついているらしく、りんりんと鳴る。
[#1字下げ]大掃除スタイルの誠が、チョッチョッと舌を鳴らして仔猫を呼んでいる。
[#1字下げ]そのうしろに立つ勇。勇も同じように猫を呼ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(兄さん……)」
勇「……近所の猫か……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人とも、ゆうべの今日なので、ぎこちないような、テレくさいような……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「こないだからときどきうちの庭チョロチョロしてんだけどね」
勇「生れて、二月ってとこだな」
誠「もうちょっとたってるだろ」
勇「三月っていうと、こんなだぞ」
誠「そうかな」
勇「巣鴨《すがも》にいた頃、ちょっと飼ってたじゃないか」
誠「トラ猫だろ」
勇「チビ……あいつ、結局、帰ってこなかったなあ」
誠「うむ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]首に巻いたタオルで顔を拭く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「何てかっこしてんだ、お前」
誠「おやじさんの部屋の本箱片づけてんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、中へ入ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「手伝おうか」
誠「いいよ」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]本箱から本を出している誠。
[#1字下げ]手伝う勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いいよ、一人でできるから」
勇「手伝うよ」
誠「おやじさん連れにきたんじゃないの」
勇「……お前も案外、執念深いな」
誠「……フン」
勇「帰って、言ったのか」
誠「え?」
勇「おやじさんにだよ。ゆうべの一件をさ」
誠「言わないよ」
勇「何も言わないのか」
誠「うむ」
勇「オレが『かもめ』へいったことも、売り言葉に買い言葉でオレがおやじさん引きとるっていったこともか」
誠「言ったってしかたないだろ」
勇「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、少し片づけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「あ、いけねえ、オレ、お線香上げんの忘れてたよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、仏壇の母親の写真の前にすわる。
[#1字下げ]誠、片づけの手をやめて、うしろにすわる。
[#1字下げ]勇、ローソクをともして、線香をつける。
[#1字下げ]カネを叩いて、合掌する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「逆ならなあ、問題はなかったんだよなあ」
誠「え?」
勇「おやじさんが……写真になっててさ、お母さんが残ってりゃ、おたがいにラクだったってことさ」
誠「男の年寄りがひとり残るとみじめだからなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ハーイ」
老人の声「ごめん下さい」
誠「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく誠。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]七十近い老人が新聞の集金にきたところ。
[#1字下げ]金を払う誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、新聞代ね。ええと千と……あ、お釣りありますか」
老人「ええと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]モタモタとカバンの中をさがして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
老人「あ、ないねえ。大きいのがつづいちまったもんだから」
勇「細かいの、あるぞ」
誠「じゃあ、千円……」
勇「千円でいいのか」
誠「細かいのは、こっちにあるから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]老人、金を受け取り、領収書を手渡して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
老人「へい、どうも、ありがとござんした」
誠「どうも……」
誠・勇「気をつけて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]思わず二人、同時に言ってしまう。
[#1字下げ]おぼつかない足どりで出てゆく老人。
[#1字下げ]二人、じっと立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……あとで、くずしてきて、返すよ」
勇「兄弟で返すも返さないもないだろ」
誠「お茶でもいれるか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってゆく勇と誠。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]茶をいれる誠。
[#1字下げ]見ている勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「お前、手つき、いいな」
誠「男がね、お茶いれるのうまいなんて自慢にもなんないよ」
勇「早く女房《にようぼう》もらって、そういうことは女にやらせないと、お前、貧乏ったらしくなるぞ(あ、つまンないこと言ったな、という感じ)」
誠「だからさ」
勇「おい、だからって、何もあわててもらうこたァないぞ。不出来な女房は、六十年の不作ってのはな、ありゃ本当だね」
誠「あのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら、茶をつぐ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アチチチ(こぼしてしまう)」
勇「なんだよ、あーあ」
誠「ええとフキンフキン」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ハーイ。また集金かな」
勇「いいよ、オレ、出る」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく勇。
[#1字下げ]玄関ベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造(声)「こんちはァ」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]カギをあける勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「こんちはァ(戸を叩く)」
勇「ハーイ、ちょっと待って下さいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戸をあける勇。徳造と菓子折をもったふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あ、どうも。こないだうちは、いろいろと」
昼間から一パイきこし召しているらしい徳造、フラフラゆれながら挨拶《あいさつ》。どうやら、勇を誠と間ちがえているらしい。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]支えているふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ほら、だからくる前は、お酒ひかえときなっていったのに……」
徳造「あのね、つまンねえもんだけど、快気祝いのおしるし」
勇「え?」
ふみ江「ちょっと、アンタ、このシト、誠さんじゃないよ。似てるけど……ちがうよ」
勇「あの、ああ、こないだケガして入院したまり子さんの……(お父さん……)」
徳造「え? アンタ、誠さんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、倉島さん」
徳造「おう、誠さん。いたいた」
勇「快気祝いもっていらしたんだとさ」
誠「そんな固いことしなくたって」
ふみ江「いろいろ迷惑かけてすいませんでしたねえ」
誠「迷惑かけたのはこっちなんですから……こんな、困るなあ」
徳造「まあ、快気祝いなんてのは縁起もンていうか常識だからさ、そんな、恐れ入るこたァねえんだよ」
ふみ江「アンタが常識なんていうと、皆さん、お笑いになるよ。ねえ、人の倍も非常識にやってる人がさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]人なつっこく笑いかけるふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠)「あの、どうぞ、上って、お茶でも」
勇  「どうも、ご苦労さまでした」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上げたい誠と帰らせたい勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「いえ、あの、どうぞ、おかまいなく。さ、アンタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造も帰りたくない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あの、永山チューシンはいないの」
誠「あいにく、釣りにいっちまったんですよ」
徳造「ほう、釣りか。いいご身分だねえ。いやね、忠臣たァ、ずい分ケンカもしたけどさ、ありゃ何だ、将棋だか碁の相手は、にくらしいような、こう、なんだ」
ふみ江「『碁仇《ごがたき》はにくさもにくしなつかしい』ってんだろ」
徳造「それそれ! まあ、たまにゃ、ゆっくりハナシでもすっかと思ったんだけど、そうかチューシン居ないのか」
勇「あの、うちのおやじ、『タダオミ』っていうんですけどね」
誠「兄さん。チューシンだってタダオミだって同じだろ」
徳造「あ、こっちが兄《あに》さんか。似てるけどちがうと思ったよ。なるほど、二人ならぶと、兄さんが利口で、弟のほうがやさしいや」
ふみ江「アンタ! どうもすみません」
徳造「あの、アンタ……兄さんのほうも、つとめ人? 会社、どこなの?」
ふみ江「アンタ……さ、玄関先で失礼しようっていってたろ! アンタ」
誠「どうぞ、あの、上って」
勇「夕方になると、込むんじゃないかな、日曜は家族連れが」
徳造「ハバカリは」
ふみ江「さっき、駅でしたばっかしだろ」
徳造「なこといったって、お前」
ふみ江「おもて、出てすりゃいいだろ」
誠「トイレ、そこの突き当りですから」
徳造「さいすか。すいませんねえ、どっこいしょ。(ふみ江に)お前も上ンなよ。ああ、ションベンションベン」
ふみ江「アンタ! 人ンちのハバカリ、汚しちゃダメだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]苦い顔の勇。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]結局上りこんでしまった徳造とふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「へえ、男の兄弟二人ねえ」
誠「はあ」
徳造「長男の方がうち出て、奥さんとマンションか……フーン」
勇「おやじがこいつの方が気があうっていうもんですから」
徳造「それもあっけど……アンタの奥さんと、チューシンとソリが合わないんじゃないの?」
勇「え? いや、そんな……」
ふみ江「よしなっていうのよ。人のうちのこと、そんな……」
徳造「アンタの奥さん、親アンの? おとっつぁん」
ふみ江「アンタ」
勇「ありますよ」
徳造「立派なシト? ダメなシト」
勇「大学教授ですからねえ、まあ、何ていうか」
徳造「そいじゃあ、あわないや。あのね、チューシンみたいな舅《しゆうと》にゃね、立派な親もった女の子はダメよ。うん。どっちかっていやあね、困った親ね、たとえていやあ、このアタシみたいなのもった娘だとね、ああ、うちの親に比べりゃ、もったいないぐらいのいい舅だ。こう思ってね、辛抱すんだな。ね、ハハハ」
ふみ江「何いってんだろ、全く」
誠「ハハ、そりゃ当ってるかもしれないなあ」
勇「(突ついて)バカ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ハーイ、日曜は集金が多くて……」
勇「いいよ、オレ、出るよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、いったん廊下へ出て、目くばせ。誠、え? となりながら出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「(目顔で)おい、いい加減に帰せよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇・誠「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、出てゆく。
[#1字下げ]誠、茶の間へ戻《もど》る。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]勇、出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いささか中ッ腹で戸をあける。
[#1字下げ]まり子が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「あ、あの『かもめ』の」
まり子「あ……ゆうべはどうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけてアレ? となる。
[#1字下げ]チビた小汚ない靴《くつ》と安手な女もののぞうり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、この靴……うちの」
勇「……お父さんがみえてますよ」
まり子「……伺ってるんですか!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、勇、まり子、徳造、ふみ江。
[#1字下げ]まり子、徳造のもってきたのより大きな菓子折を三つも出す。
[#1字下げ]やはり快気祝い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「これ、おそれ入りますけど、『日高』っておっしゃったかしら、あちらさんと石川さん、酒屋さんの方へ」
誠「わたしときますけどね、困ったなあ、お父さんからもいただいてるし、快気祝いの二重取りってのは」
まり子「義理はあたしの方でするからいいっていったのに……余計なことして……」
徳造「不義理したわけじゃなし、ちゃんと義理して怒るこたァねえだろ」
ふみ江「まあまあ、入院料も、健太郎さんと誠さんから二重取りしたんだからさ、快気祝いも」
徳造「よせ、バカ」
勇「……(じろりと誠をみる)」
まり子「本当に色々ご迷惑かけました。さ、お父ちゃん」
徳造「ま、待ちなよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、じろじろと兄弟をみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「似てるけど、ちがうね」
誠・勇「………」
徳造「兄貴の方は出世するよ。アタシが保証すらァ。ドンドンえらくなら。でもね、弟の方は、そうえらくはなんないね」
誠「その通りですよ。三流出版社じゃあね、大したことないです」
徳造「あたしゃね、前《ぜん》はね、男は出世しなきゃ、金がなきゃダメだ、そう思ってたよ」
ふみ江「工場《こうば》で失敗して一文なしになったでしょ? 骨身にしみたんじゃないですか」
徳造「だからね、まり子の奴にもね、『金のある男、つかまえろ』ってね、そういってたの」
まり子「お父ちゃん!」
徳造「金がある奴ァ、みんな悪い奴ってこたァないんだよ。金があって、いい人間だっているんだから、そういうの、さがせってね」
ふみ江「だからさ、永山誠って人とつきあってるって聞いてね、それがアンタ、安サラリーマンだっていうでしょ? うちの人、心配しちまってね。オレ、自分の足で調べたんだって……もう……」
まり子「おばさん……そのハナシはもう」
ふみ江「あら、ごめんなさいよ」
誠「いや、その通りだからいいんですけどね」
勇「まあ、そっちのご希望にもあわない、となりゃ、なかったご縁というか」
誠「兄さん、待ってくれよ」
徳造「まあまあ、こっちのハナシちゃんと聞きなさいよ。だから、前《ぜん》はそう思ってたけど、このシトみててね、気持がかわったのよ。これならいいなってね」
まり子「(お父ちゃん……)」
徳造「金があったって、二号かこって女房泣かす男よか、このくらいのがいいだろ」
まり子「お父ちゃん、もう帰ろう」
徳造「兄さんがおっぽらかした、ああいうおやじの面倒みて、ちゃんとやってるってとこがね、気に入ったんだよ。チューシンは、ちょいと気に入らないけどさ」
まり子「お父ちゃん……どうもおじゃまを」
誠「まり子さん……」
まり子「おばさん、昼間からお酒のまさないでっていったでしょ?」
ふみ江「あたしもいってんだけど……」
徳造「誠さん、まり子とつきあっていいから、うん、アタシゃみとめてやっから」
まり子「お父ちゃん(引きずりながら)酔っぱらいの言うこと、真にうけないで下さい。本当にもう申しわけありません」
徳造「いてえな、おい。あの、永山チューシン何時に帰ってくるの。もう少し待って」
まり子「お父ちゃん! 失礼いたしました」
[#ここで字下げ終わり]
●夕方の道[#「夕方の道」はゴシック体]
[#1字下げ]フラフラ帰ってゆく徳造。支えるふみ江。
[#1字下げ]固い表情でついてゆくまり子。
[#1字下げ]ふみ江、チラリとみて……申しわけなさそうに、会釈《えしやく》する。
[#1字下げ]父も哀れ、ふみ江も哀れ、我身も哀れで、涙ぐんでしまうまり子。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酒をのんでいる勇と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「オレは、絶対、反対だからな」
誠「兄さん」
勇「酒ぐせが悪いとか、女にだらしがないってのなら、まだ判るよ。だけどな、あのおやじさん、倉島っていったか、ありゃ飛び切りメチャメチャだよ」
誠「判ってるよ。でもね、人間は悪くないよ。いってることだって、そうそうメチャメチャってわけでもないしさ」
勇「おまけに、女房だか二号だかわけのわかンない女と一緒なんだろ」
誠「ふみ江さん、いいひとだよ」
勇「お前……しょい込んで自信あるのか」
誠「………」
勇「オレはな、たしかに成績もよかった。ポンと一流のとこへも入ったよ。人並み以上に出世してる。だけどな、自分の限界も知ってるつもりだよ。だから、せめて女房の係累《けいるい》までしょい込まないように……ちゃんとしたとこからもらったよ」
誠「兄さんは偉いよ」
勇「皮肉か、そりゃ」
誠「……しょい込む自信なんて、オレにだってないよ。でもねえ、惚れた女に親がいたら仕方がないだろ。オレは兄さんと違うからね。親の身許《みもと》調べてから惚れるなんて芸当は出来ないね」
勇「(ムッとするが、こらえて)まあ、いいよ。百歩譲って、あの親でも目つぶるとするよ。でもな、お前、親を二人抱えこむんだぞ」
誠「………」
勇「お前に親がなきゃ、オレは黙ってるよ。親で苦労するのも人間らしくていいだろ。黙ってるよ、でもな、二人はムリだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]釣支度の忠臣、表からそっと入ってきたらしい。台所の方から立ち聞く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしてオレが二人、抱えこむんだよ」
勇「誠」
誠「兄さん、ゆうべ、大口叩いたじゃないか。お父さんはオレが引きとる。あしたにでも引きとりにゆくって」
勇「……あれはな、売りことばに」
誠「兄さん、やり方がずるいよ。そりゃね、ちゃんと生活費くれてるっていうかもしれないけどね、年寄りは金じゃないんだよ。毎日一緒に暮すってことがどれだけ大変か、兄さん、考えたことあンのかよ」
勇「お前は、お父さんの面倒みる、その代り、この家の権利は」
誠「権利も金もいらないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「………」
誠「お父さんはね、兄さんいた時のお父さんじゃないよ。体は丈夫だけど、どっかもうろくしてんだよ。いうことは益々《ますます》チャランポランだしさ、閑《ひま》だから金は使うしさ」
勇「おふくろならとうに引きとってるよ。でも……今、おやじ引き取ったら、オレたち夫婦の生活はメチャクチャだよ」
誠「オレはどうなんだよ。え? いつまでも犠牲になるのはやだからね」
勇「親、捨てるってのか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「自分とるか、親取るかって時にはね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガタンと物音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇・誠「あれ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]台所でハナをすする音。
[#1字下げ]泣いている忠臣。
[#1字下げ]二人、ギクッとする。
[#1字下げ]目を見合せて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇・誠「帰ってきた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、暗黙のうちに明るくコミックに話題をもってゆく(芝居をする)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「(おどけて)自分とるか親とるかって時には、どうすんだよ(ついでやる)」
誠「(これもわざとわるぶって)自分取るに決ってんだろ。親なんてポーイだね」
勇「ヘ、えらそうに……お前はお父さんが捨てられないよ」
誠「捨てられるよ。捨てたって、兄さん、拾ってくれると思うからね、オレ、平気でポーン」
勇「オレ、拾わないからね、オレのマンションだと、お父さん、早死にするっていってたから……」
誠「じゃあ、ずっとここでオレが面倒みんの? オレ、先、死ぬんじゃないかなあ」
勇「おやじを二人もしょい込んで面倒みようって人間が、なに弱気なこといってんだ」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]立ち聞きの忠臣、いきなりビクをひっくりかえす。中からうなぎがとび出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウワッ! ウワアッ! 誠、助けてくれ!」
誠(声)「お父さん」
勇(声)「どしたんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ビクの中からはい出している五、六匹のウナギをつかまえようと格闘している忠臣。
[#1字下げ]とびこむ誠と勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウワッ! ウワッ!」
勇「お父さん」
誠「どしたんだよ」
忠臣「いきなりとび出しちまったんだよ。あ、みてないで、ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人も、うなぎをつかまえようとして大さわぎ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「オレ、長いものはダメなんだ」
忠臣「バカ。ザル! ザル! そっちだ、ほら」
誠「ウワッ!(ぶつかる)」
忠臣「アイタ! おい、そっちそっち、流しの下にはいりこむとお手あげだぞ」
勇「おい、つかまえたぞ……あ、逃げた!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大さわぎで、涙をかくしている忠臣。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]やっと騒ぎが納まって……
[#1字下げ]三人、まだフウフウいっている。勇、忠臣についでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ああ、びっくりした」
勇「びっくりしたのはこっちだよ」
誠「お父さん、いまさ、何のハナシしてたか知ってるかい」
忠臣「(知っているが)え? なんのハナシだい」
誠「お父さん、捨てちまおうかってハナシ、な、兄さん」
勇「うん……」
忠臣「フーン、わたしをどこへ捨てるの」
誠「捨て場がないから困ってんだよ」
忠臣「老人ホームってとこがあるじゃないか」
誠「あんなとこ入ったって三日もたたないうちに追ン出されてくるからね。かえって面倒くさいからね」
忠臣「じゃ、どうすんだ」
勇「オレンとこだな」
忠臣「アタシはマンションはダメなんだよ」
誠「だったら、態度を改めてくれなくちゃ困るからね。パチンコで一日千円も使ったりさ、うなぎつってきてビクひっくりかえしたりされちゃ、とってもやってけないからね」
忠臣「……(指を気にしている)」
勇「どしたの」
忠臣「うなぎにかみつかれた」
誠「うなぎがかむかよ」
忠臣「かんだんだよ」
誠「どら……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠よりも早く勇が忠臣の指を吸う。
[#1字下げ]忠臣、じっとされるままにしている。
[#1字下げ]いきなり、ウ、ウ、ウと嗚咽《おえつ》してしまう。
[#1字下げ]二人の息子も黙っている。わざと冗談で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ヘ、年とるといろんなとこがゆるむからやンなるね」
勇「目だろ、鼻だろ」
誠「(ハナガミ)ほら」
忠臣「(チーンとかむ)」
誠「ケツだろ」
忠臣「何いうんだ。わたしはアンタ、そっちのしまりは」
誠「ごはん中でもブウブウやるじゃないか」
忠臣「ありゃ昔からですよ」
勇「威張るこたァないんだよ」
忠臣「エヘン(咳払《せきばら》い)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の息子、鼻をピクピクさせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「お父さん」
忠臣「まあのめ」
勇「やったろ、あ、くせえ」
誠「これじゃ、マンションはムリだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑い、泣きながら酒をのむおやこ。
[#改ページ]
10
[#改ページ]
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酔った忠臣を、健太郎が送ってきたところ。
[#1字下げ]二人、「広瀬中佐の歌」を歌いながら、入ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、誠、今帰ったぞォ!」
健太郎「ほらほら、永山さん、あぶない!」
忠臣「あ、そうだ。おい、副官、ちょいと待て」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、生垣《いけがき》に向って、立ちションの構え。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「永山さん、何やってんですか、ほら」
忠臣「おい、副官、健太郎クン、連れション、つきあえよ」
健太郎「ダメダメ。ほら、中、入ってやって下さいよ」
忠臣「だって、出たいのよ」
健太郎「ほら、どっこいしょッと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もつれあって入ってゆく。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]上りがまちのところで伸びている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、誠! 誠、水! 水くれ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]台所から、コップで水をくんでくる健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「水どした! 水!」
健太郎「ハイハイ」
忠臣「あーあ、このコップじゃないんだよ。水のむコップはね、ここンとこに金のスジの入った……(ゴク)ほら、誠! こぼれたら、拭《ふ》きなさいよ」
健太郎「ぼくね、誠さんじゃないんすけどね(拭いてやる)」
忠臣「え? あ、健ちゃんか」
健太郎「誠さん、まだ帰ってないすよ。茶の間も、電気、消えてるし……靴《くつ》もないし」
忠臣「……ああ、うまかった。健ちゃん。健太郎クンよ。ま、ここへならんで、腰かけて頂戴《ちようだい》」
健太郎「え?」
忠臣「ね、ちょっと、五分……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、チラリと腕時計をのぞく。
[#1字下げ]帰りたい。が、ガックリすわっている忠臣を見捨てても帰れない。ならんで腰をおろす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なあ、健ちゃん。お前さんなあ、お嫁さんもらうときは、ようく考えて……いいの探しなさいよ。遊びはいいんだよ、なあ、子供じゃないんだから……一夜の浮気は許す! だけどな、本気で、結婚考える相手は……かたぎ[#「かたぎ」に傍点]の娘さんにしろ」
健太郎「………」
忠臣「間違っても、バーやキャバレーの女に惚《ほ》れるな。お前さんをこれまでにしてくれたおっかさんを泣かすなよ。なあ、おっかさんが、このひとならいいわ……そういって、心から祝ってくれる相手、さがして、うちに引っぱってこい。それを、親孝行っていうんだよ。なあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、たばこを出す。
[#1字下げ]忠臣、一本とる。火をつけてやる。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンター内に京太郎とロクさん、静子。源助と風呂《ふろ》帰りのたつが、一パイやっている。
[#1字下げ]少しはなれたテーブルに長《なが》ッ尻《ちり》の客が二人。酔って、クドクドやりあっている。(今西と田中)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「弱くなられたなあ、艦長も……」
源助「昔は、ああじゃなかったけどねえ」
京太郎「ああ……一升やそこら飲んだって、シャンとしてたよ」
静子「誠さんのことが、こたえてんじゃないんですか」
京太郎「そういやあ、ここンとこへきて、ガタッと……」
静子「そうよ」
たつ「あら、長男のときもそうだったわよ。勇さんときも……」
源助「うむそういやあ、そうだ……ありゃ、何年前だ」
たつ「五年……」
京太郎「いや、もっとよ」
たつ「奥さん、あんた知らないわよ」
京太郎「そうよ。あたしゃ、まだ、やもめでさ。静子のシの字も知らなかった頃《ころ》だもの」
源助「はじめはね、長男の嫁が決まったってんで浮き浮きしてたんだよ。ところが、途中から、ガックリされてさ」
京太郎「勇さんのお嫁さん、ありゃ大学教授か、いいとこのお嬢さんで……よくいやあ、お嬢さん育ち」
源助「ハッキリいやあ、お舅《しゆうと》さんと一緒はいやよ、ってんでさ……」
京太郎「マンションで別に所帯もつって判《わか》ったときは、荒れたなあ…」
源助「ここで……大の字になってさ……死ぬまでのむぞ!」
京太郎「あンときの誠さんが、泣かせたねえ。『お父さん、オレは、大丈夫だよ』(静子に話して聞かせる感じで)まだ大学生だったんだけどね、『オレは、お父さんの気に入る嫁さんもらってやるよ』」
源助「そうそう。『どんなことあっても、オレはうち出てかないよ』」
京太郎「艦長、ウ、ウ、ウって男泣きに泣いちまってさ……こちとらまでほろりとしたもんだったっけがなあ」
静子「永山さん、誠さんご自慢でしたもンね。『奥さん、うちの誠は親孝行です』口ぐせだったでしょ? それ、引っくりかえされたんですもンねえ」
たつ「まり子、っていった?」
源助「ホステスか?」
たつ「お父ちゃんたち、あってんだろ? ね、美人?」
源助「美人だな」
京太郎「ま、いい女だね」
源助「細面《ほそおもて》でスラッとしてね」
たつ「細面でスラッとしてりゃいい女なの! えッ!」
源助「細いから美人だとはいってないだろ、太目だっていい女はいますよ」
たつ「フン、あとがおっかないもンだから……」
京太郎「まあねえ、世間なみの……うちだって、倅《せがれ》が嫁にホステス引っぱってきたっていったら、もめるわな」
源助「これが世間なみじゃないときてるから、よけい大変だよ」
京太郎「おまけにあの父親がついてちゃなあ」
源助「水商売とダメおやじの二本立てじゃあ、なあ」
たつ「水商売ってほうは、人によりけりだと思うけどねえ」
静子「奥さん、ね、男の子いないからそんなのんきなこといっていられるのよ」
たつ「奥さん……」
静子「息子もってごらんなさい。やっぱり困るわよ」
たつ「どんなつましい娘でも?」
静子「あたしはやだわね。どんな事情があるにせよ……バーにつとめるってことは、男のひとと、こう、ヒザなんかピタッとくっつけて、すわるわけでしょ? それで、お酒のんだり、冗談いったりして……手なんかさわられて……スカートなんかスーなんて、こんなことされたりするわけでしょ?」
京太郎「おさわりバーじゃないんだから、そこまでのこたァ」
源助「まあ、酒飲みゃ、男はさわるな」
たつ「さわらせない女だっているわよ!」
京太郎「倅の嫁か……あたしもやっぱりやだね。嫁は、ウブなほうがいいなあ。『おとうさま、おひとついかが』なんて、困るよ」
静子「あたしもそれ言いたいのよ。永山さんもいってらしたじゃないの。『惚れるのはしかたがない。親でもとめようがない。でも、嫁にするのだけは、思いとどまるようにみんなも、力を貸してくれ』って……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戸があいて、客が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「すみません、ぼつぼつカンバンなんすけど……(言いかけて)誠さん」
京太郎)「お、誠さん」
静子   「あら」
誠「すみませんが……ちょっと、いいですか」
京太郎「どうぞどうぞ」
静子「誠さんなら、カンバンもなにもありませんよ。さ、さどうぞ」
誠「あの、おやじさん」
京太郎「つい、さっきまでのんでらしてね、いまさっき」
静子「健ちゃんが送ってったわ」
誠「すみません」
源助「いまね、誠さんの噂《うわさ》してたのよ。なッ!」
たつ「こんばんは」
誠「あ、石川のおじさんたちも……ちょうどよかった」
静子「ちょうどよかったのはこっちよ。さ、さ、今晩はね、みんなで誠さんに意見しちゃお」
京太郎「そりゃいいや、さ、どしたのよ」
誠「ちょっと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、入りかけた首をひっこめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
四人「?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いったん引っこんだ誠、まり子を押し出すようにして入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「まり子さん……」
静子)「まり子さん……」
たつ  「それじゃあ、この人」
誠「紹介します。まり子さん……日高のおじさんと石川のおじさんは」
京太郎「こないだお店のほうで」
源助「そうそう。『かもめ』で……」
誠「こっちが、『日高』のおばさん。こっちが石川のおばさん」
まり子「はじめまして。まり子でございます」
静子・たつ「どうも」
まり子「いつぞやは、父が大変なご迷惑をおかけしまして」
京太郎「いやあ、そのハナシは……もう」
まり子「お詫《わ》びに伺おうと思っていたんですけど……」
誠「まあ、今晩はね、お詫びもなんだけど、みんなに見といてもらおうと思って……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]四人、顔を見合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(まり子を指さして)ぼくのPTA、みたいなもんだからね、何せ、オムツの時分から知ってんだもの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうぞよろしくお願いいたします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]四人、当惑した会釈《えしやく》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まあ、PTA、なんていわれても弱っちまうけどねえ」
静子「さ、どうぞ、どうぞお掛けになって」
たつ「こっちいらっしゃいよ」
誠「じゃあ(すわる)」
まり子「失礼します」
源助「『かもめ』の帰りですか」
誠「ええ」
たつ「ほら、ロクさん、なにポーッとしてみてんのよ。誠さんとまり子さんにグラス! コップ!」
静子「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、あわててグラスをもってくる。
[#1字下げ]たつ、ひったくるようにして、手にもたせて、ついでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あたくしは……」
たつ「遠慮しなさんなよ。お近づきのしるしに……さ、ほら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、誠についでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「乾杯しましょ!」
源助「おい……(とめるが)」
たつ「カンパーイ!」
静子「はじめまして……」
誠「よろしく」
京太郎・源助「どうも……(シブシブ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、四人にグラスをぶつける。
[#1字下げ]多少複雑な乾杯。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「なんだ、ハナシにきいてたのよか、ずっと地味な感じじゃないの」
まり子「………」
誠「見てもらえば判ると思ったんだ。おばさんたち味方につけとかないとね、おやじの奴《やつ》……」
田中「おーい、酒!」
静子「ハイ、お酒ですか」
田中「お銚子《ちようし》握ってたらね、いわれなくたって、もってこいよ! え!」
静子「相すみません。ただいま」
田中「なんでえ……客おっぽらかして、勝手にワァワァさわいでやがって」
静子「申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]田中、酒ぐせが悪いらしく、目を据《す》えてブツブツいっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「その後お父さん、どうですか」
まり子「おかげさまで、もうすっかり、あの節は、いろいろ」
京太郎「いやいや。そういうイミで聞いたんじゃないのよ。そう、すっかりいいの」
源助「アンタも、おとっつぁんで苦労するなあ」
たつ・静子「ほんと……」
誠「いや、ぼくもね、おやじじゃ泣かされてたわけですよ。でもね、彼女にくらべたら、文句いえないなって……」
源助「いや、誠さん、艦長なんかまだまだいいほう。こっちは悪すぎるよ」
京太郎「おい、石川!」
まり子「いえ、本当なんですから……」
源助「すみません」
田中「おーい、酒どしたんだよ、酒!」
静子「はい、只今《ただいま》!」
田中「只今只今って、手前たちばっかし、浮かれてやがって」
京太郎「ロクさん、ぬるくてもいいから」
ロク「へい、大丈夫かな……」
たつ「お店、くたびれるでしょ?」
まり子「もう馴《な》れました」
たつ「つとめて何年になるの」
まり子「三年です」
たつ「三年……その前は……アンタ……」
まり子「おつとめしてました」
誠「彼女、タイプ出来るんですよ」
たつ「そうお」
田中「おい! 何グズグズしてんだよ!」
静子「ハイハイ。どうも申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お銚子をもって、とんでゆく静子、まり子が気になる。
[#1字下げ]おいて帰ろうとする静子の手首をつかむ田中。ぐらぐらゆれて、もう半分正体がない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中「おう、酌《しやく》ぐらいしてったらどうなんだよ。あいそのないうちだな、え?」
静子「あ、はい、どうぞおひとつ」
田中「そんなさ、はなれてよ、棒ッキレみてえに突っ立っていうこたァねェだろ。もちっとこう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]田中、抱き寄せて、いきなり頬《ほお》にくちびるをくっつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「アッ! 何をなさるんです!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]反射的に手で防ごうとする静子。はずみで、したたかに田中の頬を打ってしまう。
[#1字下げ]カウンターの一同も、アッとなる。
[#1字下げ]田中、いきなり、テーブルの上の物を横にはらって、仁王立ち、目を据えている。
[#1字下げ]今西は、何が何だか判らず、オタオタしている。
[#1字下げ]京太郎、とんでゆく。
[#1字下げ]誠もゆこうとするが、ロクさんが目でとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中「何だそりゃ」
静子「………」
田中「何だそりゃ、っていってんだよ! 客に手あげるってのは、どういうことなんだよ!」
静子「申しわけございません」
京太郎「いや、どうも。とんだ不調法で……申しわけ」
田中「お前に聞いてないよ」
京太郎「いや、アタシは、この店の主人なもんで」
田中「主人はいいんだよ。殴った人間に手ついて、あやまってもらおうじゃないか」
静子「(立ったまま)はずみだったんでございます。本当に申しわけございません」
田中「『手、ついて』あやまれっていってんだろ」
今西「いいじゃねえかよ。な、田中さん帰ろ」
田中「俺《おれ》ァな、手ついて謝るまでは、ここ、動かねえからな」
たつ「ちょいと、アンタ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出ようとするのを体当りでとめる源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「(小さく)よしな、よしな。お前が出たら、ことが面倒になんだよ」
たつ「だってアンタ」
源助「よしな、たのむからよ」
田中「おう、突っ立ってねえで、何とかいったらどうなんだよ」
京太郎「おことば返すようですが、お客さん」
静子「あなた」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]制して、静子、下にすわって、手をつこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「申しわけ……」
京太郎「よしなさい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いつもの京太郎とは、別人のような態度で、静子を立たせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「あやまることないよ」
静子「あなた」
田中「何だと!」
京太郎「お客さん。これはアタシの家内です」
田中「それがどした!」
京太郎「はずみとはいいながら、お客さまに手をあげた家内は、たしかに悪うござんしょう。でもねえ、何にもないのにいきなり、客を殴るバカはいないんじゃないですか。殴られるようなことをなすったから、殴られた」
田中「おい、ここは、幼稚園か。え? 酒のませるところだろ、酒屋で買やあ、一升千円の酒、倍にもしてのませるとこじゃねえか。手のひとつもにぎって、はっ倒されたんじゃあ」
京太郎「女の手、さわりたかったら、バーやキャバレーへいって下さいな!」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ハッと表情を硬くするまり子、そして……誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
田中「何だと!」
京太郎「銀座にだって赤坂にだって、そういう店が何百軒とあんでしょ! そこいきゃ、手さわろうが、オッパイいじろうが、したい放題、バカ高い請求書さえ覚悟すりゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、下を向いて耐えている。誠、まり子の心中を察して、まり子の横顔を見、京太郎をにらみ……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「何やったって、横っ面《つら》なんか張られやしないよ。そっちいって下さいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきなり飛び出すたつ。
[#1字下げ]烈《はげ》しい勢いで京太郎に食ってかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ちょっと、相馬さん。アンタ、何てこというのよ」
田中「なんだよ、お前は」
たつ「うるさいわね、(田中をぶっとばして)アンタね、何て心ないこというのよ」
田中「おい、何だよ」
たつ「アンタはじゃまだってのよ」
京太郎「奥さん」
たつ「奥さんじゃないわよ。相馬さん、アンタね」
源助「おい何すんだよ!」
たつ「お父ちゃんは引っこんどいでっていうの!」
静子「奥さん、いったいどうなすったのよ」
たつ「どしたもこしたもないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、源助や田中をはりとばし、京太郎の胸倉をつかまえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「相馬さん、あんた、バカじゃないの、えッ!」
京太郎「バカとは何だよ、バカとは」
たつ「そりゃね手前のカアちゃん、チューってされてよ、土下座してあやまれっていわれてさ、アタマくるのは判るわよ。言いたいこといって、タンカ切りゃ、胸はスッとすンでしょうよ。でもねえ、そのために、グサッて胸、突き刺される人間もいるってことがどして判んないの! えッ!」
京太郎)「アッ……」
静子   「まり子さん」
たつ「何も、バーへゆけって、アンタ、あてつけがましい言い方するこたァないでしょ!」
京太郎「いや、あたしは、そんなつもりで……」
静子「あたしがいけないんです。本当にまり子さん」
田中「どっちみてあやまってんだよ!」
たつ「アンタはね、帰って下さいよ。ああ、お勘定なんかいらないから(小さく)お父ちゃん、おっぽり出して!」
源助「そんなこといったって……」
ロクさん、あたしにまかして、といった感じで、小腰をかがめ、何やら、あいさつしながら、送り出している。
田中「何でえ! おい」
今西「さ、いこいこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ロクさん、二人を送り出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まり子さん、本当にどうも……」
静子「あたしがいけないんですよ、いい年して」
たつ「そうよ。そんなにね、カアちゃん大事なら、店になんか出さないで、床の間、飾っときゃいいのよ、店へ出しておくんなら、手にぎられるぐらい」
源助「相馬|中尉《ちゆうい》はヤキモチヤキだから……」
京太郎「おい! お前んとこだって」
たつ「何のハナシしてんのよ!」
京太郎「まり子さん、気、悪くしないで下さいね。アタシはそんなつもりで」
まり子「いいんです、あたし、別に……」
誠「大丈夫ですよ、おじさん、おばさんもさ……」
たつ「ね、まり子さん、誠さんもさ、うち、いって飲み直そ」
誠「おばさん」
たつ「こんなとこにいるとね、また何言われるか判んないからね、バーがどうの、水商売がどうのなんていわれないとこでさ、ゆっくりハナシ、しようじゃないの」
京太郎「奥さん、なにもそんな」
誠「いや、おばさんお立ちにならなくたっていいじゃありませんか」
静子「さ、新しいのぬいて(ビール)気分直して下さいな」
まり子「(立ち上る)あたくし、失礼いたします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やはりさびしそうなまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そこまで送ってくよ」
四人「………」
誠「どうも……ごちそうさまでした」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の道[#「夜の道」はゴシック体]
[#1字下げ]歩く誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「かえって悪いことしちゃったなあ」
まり子「ううん。あたし、何とも思ってません……」
誠「………」
まり子「『日高』のご主人のいわれたこと、本当ですもの」
誠「まり子さん……」
まり子「日高のご夫婦も……石川さんのご夫婦も……みんな、すてきな人たちね……」
誠「………」
まり子「とってもおもしろかった……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]口ではたのしげに言いながら、まり子の目はやはりうるんでいる。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子の帰ったあとの店。
[#1字下げ]京太郎と静子、源助とたつが、だまってすわっている。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、食卓に寄りかかってうたた寝をしている。番茶をのんでいる誠。ふと気づいて自分の上衣《うわぎ》を羽おらせてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「え? ああ、いま何時だ」
誠「一時……」
忠臣「よくまあ、体と金がつづくな」
誠「………」
忠臣「『かもめ』へいったんだろ。年とった親がねないで待ってるってのに……親不孝な奴《やつ》だよ全く」
誠「(夕刊に目を走らせながら)お父さん、もしも」
忠臣「お前だけは、そういうことはないと思っとったけどねえ。『お父さん、オレはお父さんの気に入ったひと、嫁さんにするよ』お前、小さいときから」
誠「お父さん、人のハナシ、ちゃんと聞いてくれよ、あのね、もしも、まり子さんが」
忠臣「ソバガキ食うか。信州から送ってきた」
誠「ソバガキはいいんだよ。あのねもしもまり子さんが、バーにつとめてなかったら、ホステスでなかったら、お父さんまさかこんなに反対はしないだろ」
忠臣「あのな」
誠「あの人の人柄《ひとがら》は、悪くないだろ、お父さんは、まり子さんの職業に対して……」
忠臣「だからどうだっていうんだ。うん? 今すぐやめられはせんだろ。『乞食《こじき》と役者と水商売』っていうんだよ」
誠「何だい、そりゃ」
忠臣「三日やったらやめられないっていうんだよ。ああいう父親と弟かかえてさ、やめられるか」
誠「………」
忠臣「……うまくゆかないのが世の中だよ。ソバガキ食うか」
誠「(首をふる)」
忠臣「……(口の中でブツブツ)お前が逆立ちしたって、あの女は、ムリだよ。ま、苦しむだけ苦しめ。そのうちに目が覚めるさ……」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]ラーメンをはこんでくる進一。
[#1字下げ]放心しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん……ラーメン」
まり子「え? ああ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一、食べはじめるが、まり子はそのまま……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん……」
まり子「………」
進一「……店、やめろよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、自分の心中を言い当てられて、あわてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「やだ、進ちゃん、何いうのよ」
進一「店なんかやめろよ。あとのことは、何とかなるって」
まり子「何いってんのよ。ここでやめるくらいなら、お姉さん、つとめやしないわよ。お父ちゃんの借金かえして、進ちゃん、大学出るまでは頑張《がんば》らなくっちゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カラ元気でラーメンをすすりこんで……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、進ちゃん、今日の、いやにコショウが利《き》いてんじゃない」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一、じっと姉の目を見る。
[#1字下げ]目をそらすまり子。
●永山家・廊下[#「永山家・廊下」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]忠臣、ふと気づく。じっと立って、暗い庭をみつめている誠。
[#1字下げ]忠臣、少しうしろに立っている。
[#1字下げ]そっと肩を叩《たた》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あしたは忙しいんだろ。いい加減にねろ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]ゲラ刷りの校正をやっている誠。ネガを見ているカメラマン。電話の応対をしている秋子。みんな忙しそうに働いている。久米編集長ひとり、デスクに足をのせて、鼻毛をぬいている。
[#1字下げ]土岡が入ってくる。
[#1字下げ]久米パッと起き上って、OKかい、と聞く、
[#1字下げ]土岡、ダメでした、とサイン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「(ダメかい)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、そばへよる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「計理の奴、ハンコ、押さないんすよ」
久米「どしてダメなの。レッキとした接待費……」
土岡「執筆者打ち合せに使ってるんだってね、汗かいて説明したんすけどね、ここんとこバカに『かもめ』が多いのはどういうわけだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「感じのいいお店でさ、ママさんも気が利いてるし、第一、ぼらないって」
土岡「いったんすけどねえ。久米さんのこれ(小指)がいるんじゃないのってね、少し来月分にまわしてくれって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、立ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、あわてて伝票をかくす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ぼくの分、払いますよ」
久米「誠ちゃんは、あっちいってらっしゃい」
誠「編集長、この中にはぼくの分も入ってんじゃないですか。いや、おかしいと思ったんだ。ぼくのところへきた請求書、これなんすけどね、(見せる)こんな筈《はず》ないでしょ! そいでまり子さんにいったら、ママがね、学割りにしてあげるわよっていったそうすけど……そっちへ廻《まわ》ってんだ。あの、ぼく(紙入れを出そうとする)」
久米・土岡「いいのよ、いいの!」
誠「でも、それじゃあ、気がすまないですよ」
土岡「いいってのに」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]秋子が呼ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「おひる、たのむかたァ、まず、幸楽のラーメン」
誠「ハーイ!」
秋子「あとはだあれ……」
久米「おいおい、誠ちゃん、お前さん、この間からラーメンばっかしだけど、大の男が、今日もラーメン、あしたもラーメンじゃあ、体もたないわよ」
土岡「ほかにお金がかかるものしかたないよな。武士は食わねど、大恋愛だろ。な」
誠「土岡さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドア、ノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってきたのは健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「あの、永山君、いますか」
秋子「永山さん……」
誠「お、健太郎さん」
健太郎「忙しい? 一緒にメシでもと思って」
誠「あ、秋ちゃん、オレ、ラーメン、取り消し!」
[#ここで字下げ終わり]
●てんぷら屋[#「てんぷら屋」はゴシック体]
[#1字下げ]天丼《てんどん》を食べる誠と健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「ゆうべは……どうも……」
誠「え?」
健太郎「おふくろとおやじさんが……まり子さんに失礼なこと言ったって……一足ちがいで……ちょうど帰ったあとだったもんで」
誠「いや。別にどうってことないすよ」
健太郎「……大きなお世話かもしれないけど……」
誠「………」
健太郎「誠さん。彼女、店、やめさせた方がいいよ」
誠「………」
健太郎「誠さんが言えば、彼女やめるよ」
誠「………」
健太郎「女の気持は判んないけど……惚れてる男から、やめてくれっていわれたら……うれしいんじゃないかなあ」
誠「言えたらいいたいですよ」
健太郎「………」
誠「ぼくだって、そのこと考えたよ。いや、ぼく以上に彼女だって考えたと思いますよ。でも、やめて……あとはどうするんだ……あの人には、おやじさんと弟の」
健太郎「それがかえっていけないんだよ。まり子さんがバーへつとめてる限り、あのおやじさんは自分で働かないよ。娘に金せびって」
誠「だからって、今、やめたら」
健太郎「誠さん。町歩いてみろよ。飢え死にした人間がころがってるかい」
誠「君のいう通りだよ。でもねえ、ぼくが突然、おやじに……あしたからは一人で食ってくれっていったら……おやじ、どうするだろう……そう思うと……やっぱり、いえないよ」
健太郎「……それが誠さんのいいとこなんだなあ」
誠「イクジがないんだよ」
健太郎「実のないカラ勇気よか……ずっと本物だよ。でもねえ、それじゃあ、一歩も前へ進まないんだよなあ……」
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体]
[#1字下げ]ふみ江がきている。キョロキョロとまわりを見廻す。
[#1字下げ]茶をいれるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、お父ちゃん」
ふみ江「相変らず仕事の方はウダツが上ンないけど、元気でね、やってるわ……まあ、いいアパートだわねえ」
まり子「前はね、もっと小さなとこにいたんですけど、カゼひいて休んだ時、店のママだの、仲間がお見舞いにきて……あんまりみっともないんで……こっちへ越したの」
ふみ江「やっぱり、見栄《みえ》はる商売なんだろねえ」
まり子「まわりが派手だから……しかたないの。お茶どうぞ」
ふみ江「おかまいなく……のこのこ伺っちゃいけなかったのかもしれないけどさ、退院すっとき、まり子さん、うちへもいっぺんいらしてっていってくれたでしょ? うれしくてさ……つい、のこのこ」
まり子「本当はこっちが伺わなくちゃいけないんですけど……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、たたみに手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いつも父が、お世話に……」
ふみ江「そういわれると、ごあいさつに困るわねえ。……亭主《ていしゆ》に先だたれただらしのない後家と、やもめが一緒に暮すのに、あんた、お世話もへったくれもないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]となりの部屋で聞く進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ごめんなさいね。長い間、おばさんのこと誤解してた……」
ふみ江「娘としちゃアッタリ前よ。おっかさんの一周忌もすまないうちに、ころがりこんできたんだもんねえ」
まり子「………」
ふみ江「おいしいお茶だ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、すすって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「(ポツンと)あんた、お店、やめた方がいいんじゃないの」
まり子「おばさん……」
ふみ江「まり子さん、誠さんて人に惚れてる。そうだろ」
まり子「………」
ふみ江「あの人はかたぎでサラリーマンで、人間もうちも固い……そうだよねえ」
まり子「(うなずく)」
ふみ江「一緒になりたいって思ってんなら、やめなさい」
まり子「でもおばさん」
ふみ江「まり子さん、あんたがバーへつとめようってきめた時は、それこそ、清水《きよみず》の舞台から飛びおりる気持だったろ?」
まり子「死んだ気で……そう思った」
ふみ江「もいっぺん、その気になんのよ。女も度胸、一生にいっぺん、ここ一番て時には」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おもてのドアをドンドン叩く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おーい、まり子! タクシー代かしてくれや!」
まり子「あ、お父ちゃん!」
ふみ江「まり子さん、あたしがきてること内緒」
まり子「おばさん」
ふみ江「早く!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]次の間にかくれるふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おーい、まり子、千円千円!」
まり子「ハーイ、いまいくわよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一も顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「何だよ」
まり子「進ちゃん(だまって、と目でサイン)」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート・玄関[#「まり子のアパート・玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]ドアをあけるまり子、進一。
[#1字下げ]昼酒をのんでいるらしい徳造がゆれながら立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん」
徳造「すまねえけどな、千円貸してくれや。でっかいのはアンだけどよ、細けえのが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ブーブーとクラクション。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「うるせえな。千円ぱっこのハシタ金で乗り逃げなんかするか! 心配すんな、チップも払うっていったろ!」
まり子「進ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、エプロンのポケットからがま口を出して、千円札を進一に渡して払ってこいとサイン。
[#1字下げ]進一、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、百円ばっかな、チップやってくれ、あーあ、ドッコイショ」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート・部屋[#「まり子のアパート・部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]どっかと大あぐらの徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「傷はいたまないの」
徳造「おう。もう大丈夫だ。もっとも中身の方は色々とさ、アタマ、いてえけどさ」
まり子「競輪、負けたんでしょ」
徳造「アスビはアタマ使わねえんだよ。世話になった友達がな……こうなっちまってさ」
まり子「なによ」
徳造「パタンだよ。この、なんだ、金融引きしめと不景気でさ、パタンだよ」
まり子「……(用心)」
徳造「えらい世話になった男なんだよ。いや、オレばっかじゃねえ。死んだお母ちゃんの葬式ンとき、一番沢山香典を」
まり子「何て人よ」
徳造「オ、大川ってんだ」
まり子「お父ちゃんの『世話』になった人ってのは、大川、中川、小川……みんな川がつくのね」
徳造「(ぐっとつまるが)ま、ここで百万ばっか、ポンと出してやりゃ、倉島徳造の男も立つんだけどさ、無い袖《そで》はふれねえや。せめて、十万……五万でも……」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、たたみに手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「まり子、この通りだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「判ったわ、五万円でいいのね」
徳造「お前、どしたんだ。いつも百万ダラ文句いうのに、気持が悪いな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、小ダンスの引き出しから金を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん……よせよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]襖《ふすま》があいて、ころがりこむふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「まり子さん。やることないよ」
徳造「ふみ江、お前、どしてこんなとこにいるんだよ」
ふみ江「まり子さん。やることない。大川も小川も中川もみんなウソ。こんどの日曜にゃ、競輪の券に化けちまうんだよ」
まり子「いいのよ、おばさん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、金を父の前において、キチンとすわり直す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん。悪いけど、これでおしまいにしてね」
徳造「おしまい……」
まり子「お店やめることにした」
徳造)「まり子……」
進一  「姉さん!」
まり子「すぐに次のおつとめ探すわ。でも固いとこじゃ、せいぜい、自分と進ちゃんの食べてくだけで精一杯だと思うの。お父ちゃん、自分の分は、自分で働いて何とかやってって頂戴《ちようだい》」
徳造「……やめンのか」
進一「姉さん……オレ、賛成だよ! オレ、アルバイトでも何でもする」
ふみ江「あたしも、神経痛が具合いいからね、仕立て物して、何とか、こっちは(胸を叩く)」
徳造「そうか、やめるか……」
ふみ江「アンタ、娘、食いものにして、ノラクラ遊んでるって言われたら、それこそ男がすたるだろ」
徳造「そりゃ、おめえ」
ふみ江「だったら、おめでとう、長い間ごくろうさんて……(教える)さ、さ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そうなると、見栄《みえ》っぱりの徳造、すわり直してかっこうをつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「まり子、長い間、苦労かけてすまなかったな。こりゃな、(金)タ、退職金てか慰労金だ、とっといてくれ」
まり子「お父ちゃん……」
ふみ江「お前さん、上出来……」
進一「かっこいいよ、お父ちゃん……」
徳造「といったようなもンのだ……半分はもらっとくか」
ふみ江「ほら、これだから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ほろりとしたり、あきれて笑ってしまったり、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「……おい、まり子、誠さん……放すな……」
まり子「……(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」[#「バー「かもめ」」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]開店前の店。
[#1字下げ]ママの順子とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「(フフと小さく笑って)今日言うか、あしたいうかって、思ってたわ」
まり子「ママ……」
順子「ねえまり子ちゃん。あたしねえ、この商売して、十年になるの。若い女の子たちも、そうねえ、入れかわり立ちかわり、三百人じゃきかないでしょうねえ、出入りがあった……その中には、本気で人を好きになって、ホステスやめたい……そういってやめてった人も沢山いたわ」
まり子「………」
順子「でもねえ、やめた半分が……半年たたないうちにこの商売にもどってくるのよ」
まり子「………」
順子「それで……本当に結婚して、幸せになってるのは、もどらない半分の……そのまた半分の半分の……女の子だわねえ」
まり子「………」
順子「水さすつもりで言ったんじゃないのよ。そのくらい、大変だってこと……」
まり子「(うなずく)」
順子「あたしでできることがあったら、何でもするわよ。だから……くじけちゃダメよ」
まり子「ママ、ありがとうございます」
順子「さ、早くゆきなさい」
まり子「ママ……」
順子「一番先に報告したい人がいるんでしょ?」
まり子「………」
順子「誠ちゃん、今晩、|〆切《しめきり》じゃない?」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話でガンガンどなっている誠。
[#1字下げ]校正をしている土岡と編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そんな、無茶ですよ。そりゃね、お具合が悪いのは、判りますけどねえ、〆切ギリギリになっていわれても差し替えがきかないんですよ。はあ」
久米「みじかくしてもいいから、かっこつけて下さいなって」
誠「枚数のほうは、はあ、レイアウトで何とかしますから……はあ、あしたの朝までにかっこつけて下さい。おねがいします!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]バーンと切って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「無責任だよな、全く!」
土岡「電話機こわすなよ、誠ちゃん。編集長、恋愛中でイライラしてる奴の前に社の備品おくのやめたほうがいいすよ」
久米「そうねえ」
誠「二人とも〆切だってのに何いってんすか……さてと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドア、ノック。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡・誠「ハイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おじゃましていいでしょうか」
誠「まり子さん……」
久米「おや、集金にしちゃおそいわねえ」
まり子「フフフ、〆切だって伺ったものですから……陣中見舞いに上りました」
誠「まり子さん」
土岡「ね、お店のほう遅刻でしょ? 大丈夫ですか」
まり子「いいんです」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、紙袋からウイスキーと紙コップ、おつまみを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「お、こりゃこりゃ。バー『かもめ』の出張サービスですかな」
まり子「いいえ、あたくし個人の……(ニコニコして)これは、お勘定はいらないんですよ、だってあたし、今日限りお店やめたんですもの」
三人「やめた!」
誠「まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話なる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「やめたって、本当に『かもめ』……やめたの」
まり子「ハイ……」
誠「まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡が、電話をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いいとこで何だよ。あ、モシモシ『女性時代』編集部……え? 永山……おい」
誠「え? あ、モシモシ、あ、『日高』のおばさん」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話している静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あ、永山さんが、お具合、悪いんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、久米、土岡、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「え? おやじさんが」
静子(声)「カゼ気味でいらしたでしょ? それと血圧が……夕方めまいがして、ええ。お医者さん、今、お帰りになって、二、三日ねてれば大したことないって、おっしゃいましたけど……誠、誠って」
誠「すぐ帰ります」
土岡「お父さん、大丈夫かい」
久米「まり子さんも、一緒にいらっしゃい」
まり子「……いいんでしょうか」
誠「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]布団《ふとん》にねている忠臣。
[#1字下げ]枕《まくら》もとに源助、静子、たつ。
[#1字下げ]京太郎が仏壇に線香をあげている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お仏壇にね、お線香……」
源助「いま、あげてますよ」
忠臣「それからね、繁子の写真をこっち向けて」
源助「相馬中尉、写真、こっち向き」
たつ「永山さん、そんな情ない声出すほどのことないでしょ!」
京太郎「そうですよ、二、三日、おとなしくしてりゃ直るって、お医者さんも」
忠臣「もう年だからね、こんどは繁子がお迎えに、あ、誠はどしたの」
静子「すぐ帰りますって……」
忠臣「あの親不孝に、意見をしなけりゃ、あたしは死んでも死に切れませんよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、起き上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男たち「ほらほら艦長!」
静子「永山さん、ねてなきゃいけませんよ」
たつ「大丈夫よ、もともと大したことないんだから」
忠臣「どっこいしょっと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、起き上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠がくる前に永山忠臣、ぜひお願いしておきたいことがある。すまないが、水を一口」
京太郎「ハッ!」
忠臣「ありがとう。(口をしめして)相馬中尉」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川一水」
源助「ハッ!」
忠臣「ならびにおつれあいの両夫人がた」
女たち「ハイ……」
忠臣「これから、私のいうことをようくお聞きいただきたい」
四人「はい……」
忠臣「わが人生をふりかえるに心残りが二つある。一つは、わが力到らずして日本を敗戦に到らしめたこと。一つは次男、誠の嫁を決めずして命を終ることだ」
たつ「……随分、違うのならべるわね」
静子「シッ!」
忠臣「日本のことは、もはや言うまい。しかし、誠の嫁は今からでもおそくはないのだ」
京太郎・源助「ハッ!」
忠臣「どうか、誠の嫁は、堅気の娘にしてもらいたい。何のなにがしでなくともよろしい。女子大など出ておらんでもいい。ただ、後見人として、くれぐれも水商売の娘だけは」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]かけこんでくる誠。そして、うしろから遠慮勝ちに入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、どしたんだよ」
忠臣「おう、誠」
四人「誠さん」
たつ「あら、まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]部屋に入ろうとする誠。
[#1字下げ]まり子の手を引っぱって、入れようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「さ、まり子さん、こっちへ」
忠臣「待ちなさい! 誠、そのかたは、どういう資格でうちへお上げしたか知れんけどね、敷居の中へ入るのはご遠慮願いたい」
誠「お父さん……」
忠臣「わたしはいま、ここにおいでのよったりに、お前の後見役を頼んでいたんだ。ほかは何も心残りはない。ただ、誠の嫁だけが気がかりだ。どうか、私が死んでも、水商売上りの女だけはうちに入れないでもらいたい」
誠「お父さん、あのね(言いかける)」
忠臣「誠、お前はどういうつもりで連れてきたか知らんが、わたしはね、酔っぱらった男の手にぎった手でさわられて『お父さま』なんて言ってもらいたくないんだよ」
誠「お父さん」
まり子「……失礼いたしました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、くちびるをかみしめ、敷居のところに出ようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、まり子さん」
たつ「お待ちなさいよ、まり子さん。あたしも一緒に出ましょ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、まり子の手をとって、敷居の外にピタリとすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「おい、たつ、お前」
たつ「永山さん、水商売の女は座敷に上っちゃいけないそうだから、ここでごあいさつしましょ! 永山さん、あたしもね、お父ちゃんと一緒になる前は、水商売だったんですよ」
源助「たつ!」
京太郎・静子「奥さん!」
たつ「十七の年から三年間、小料理屋で働いてましたよ! お酒ものんだ、男に手もにぎられました! お尻《しり》なでられたことも、ここンとこ、手、突っこまれて、ピシリッてやったこともあったわ。でもね、永山さん、あたし、気持だけはほかの……親がかりでお稽古《けいこ》ごとして暮してるお嬢さんがたよか、よっぽど固かったわよ。あたしはね、永山さん、ハタチでお父ちゃんと一緒になったけど、その時まで……ほんとにキレイな体だった。ね、お父ちゃん、そうでしょ、ねえ」
源助「うん……」
たつ「もっと大きな声でハッキリいっとくれよ。お父ちゃん、はじめての晩に、『お前、ほんとに生娘《きむすめ》だったんだなあ、俺《おれ》ァ、幸せだ』ってオイオイ泣いたじゃないか」
京太郎「石川……(少しおかしい)」
忠臣「ほんとかい」
源助「ハッ! そうなんであります!」
忠臣「ウーム」
たつ「お父ちゃんに聞くけどね、水商売上りの女房《にようぼう》もらって、損したって思ったことあったかい!」
源助「なにいうんだよ! お前みてえに、働きもンでつましくて、所帯もちのいい女はいねえよ。俺ァ、『めっけもンした』ってそう思って」
たつ「永山さん、誰《だれ》も好きで水商売やる娘はいないのよ! あたしだって、父親が仕事でしくじって、妹が胸わずらって、それでしかたなくなったんじゃないか」
源助「艦長……」
忠臣「奥さん……まり子さん……こっちへ入って頂戴《ちようだい》」
たつ「入ろ。まり子さん」
忠臣「何といったらいいか、その……」
誠「お父さん、まり子さん、店やめたよ」
忠臣「やめた!」
たつ「ほんとにやめたの」
まり子「はい、やめました」
静子「弟さんとお父さん……どうなさるの」
まり子「……何とかやってみます」
誠「あしたから、まり子さんの職探しだな。彼女、タイプができるから」
京太郎「タイプぐらい出来たって、初任給いくらにもならんだろう」
源助「どっかに固くて、ちょいと金になるいいつとめ口ないかねえ」
静子「うちはどうかしら」
京太郎「え?」
静子「手が足りない、お前の親戚《しんせき》にいいのいないかっていってたじゃありませんか」
京太郎「なるほど」
静子「ねえ、永山さん。うちの店でもやっぱり、水商売かしら」
たつ「奥さん! あんた、アタマいいわァ」
京太郎・源助「艦長!」
忠臣「後見人に寝返られちゃ、永山忠臣、勝味はありませんよ。誠、まり子さん、どうするんだ……」
誠「まり子さん……」
まり子「つとめさせていただきます」
誠「よろしくお願いします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ガックリするが……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「相馬! 奥さん、永山家の大切な嫁さん候補生だからして、ひとつ悪い虫のつかんように頼みますよ」
京太郎・静子「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子……
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]乾杯をする京太郎、静子、健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「お母さん、お見事!」
静子「これでゆうべの罪ほろぼしが出来たわ」
京太郎「……でもなあ」
二人「え?」
京太郎「あのおやじさん、大丈夫かねえ」
静子「その時はその時」
健太郎「カンパイ!」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]こっちもコップ酒をのんでいる。
[#1字下げ]たつ、源助、はな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あーあ、胸がスーッとした。長い間、ここにためといたもの、いっぺんに吐き出した気持でさ」
源助「いい度胸だよ、お前は」
たつ「はな子、びっくりしたろ、お母ちゃんが水商売上りだなんてさ」
はな子「あたし、とっくに知ってたもン」
たつ「え? お前、誰に聞いたんだい」
源助「おい、手カンあけろよ」
たつ「お父ちゃんだろ」
はな子「いい女だったって。ライバル五人もけっとばして結婚したんだって、ね、お父ちゃん!」
たつ「お父ちゃん! それが娘に向っていうことかい」
源助「あいた!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いつもの石川家……
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ハナ唄《うた》をうたいながら湯上りの誠がくる。食卓のみかんをポンとほうりあげ、またもどす。弾んでいる。
[#1字下げ]ノソノソ忠臣が起きてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、お風呂は無理だよ」
忠臣「誰も入るとはいっとらんよ」
誠「ララララ」
忠臣「ヘ、浮かれてやがる」
誠「お父さん、『日高』へゆくのもいいけど、まり子さんに迷惑かけちゃダメだよ」
忠臣「日高も物好きだよ、全く」
誠「ラララ」
忠臣「お前も、トシだな」
誠「何だよ」
忠臣「学生の頃はさ、うれしいとよく逆立ちしたもんだけどさ、その年じゃ、出来ンだろ」
誠「出来るさ」
忠臣「尻がもち上ンないさ」
誠「よし、みてろ! ハッ!」
忠臣「ほらみろ」
誠「まてまて。もういっぺん、ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、逆立ち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ヘヘ、どうだい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、自分も逆に首かたむけながら、誠の顔をみて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「逆さになってごまかしてんな。ヘヘ、まり子さんのこと、うれしくて泣いてんだろ」
誠「泣いてなんかいないよ」
忠臣「泣いてる、ほら、ハナと涙が出てるじゃないか」
誠「あ、よせよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、バランスを失って忠臣の上にひっくりかえる、父と子の重ね餅《もち》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、たたた……おやじ、つぶすバカがあるか、ああ、いてえ」
誠「つぶれるような体かよ」
忠臣「ああ、いたたた」
誠「こっちのほうがよっぽどいたいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、もたれあってさすったり……。
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11
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●永山家・台所[#「永山家・台所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]上きげんの誠が、朝食の用意をしている。
[#1字下げ]鼻唄《はなうた》まじりで、お粥《かゆ》の湯気をあげている土鍋《どなべ》の加減をみて、カメから梅干を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! おお、すっぺえ、ウー、お父さん、ああ、みるだけでツバがたまってくるな、お父さーん」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]アチ、アチといいながら、梅干と土鍋を盆にのせて、茶の間に運んでゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! ちょっと起きてくれよ! お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どてら姿の忠臣が起きてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なんですよ。たまに、人よか先に起きると、鬼の首でも取ったみたいにさわぐんだねえ」
誠「お粥、出来てるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、気味が悪そうに誠の顔をみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「水はさ、お米の五倍でいいんだよね」
忠臣「誠、お前、死に目が近いんじゃないの」
誠「あと梅干とかつぶし……」
忠臣「逆縁だけは、わたしは、やだからね」
誠「ギャクエンてなによ、アチチチ」
忠臣「親よか先に子供が、いく[#「いく」に傍点]ことですよ。倅《せがれ》の葬式出すのはやだっていっとるんだ」
誠「あついうちにお上りよ」
忠臣「風邪ったってね、大したことないんだから、何もお粥|炊《た》かなくたって……」
誠「梅干はひとつでいいよな」
忠臣「一体、どしたんですよ」
誠「お父さん、今日一日、おとなしく寝てなきゃ駄目《だめ》だよ。『風邪は万病のもと』っていってね、こじらすと、あとが面倒くさいんだから。あ、お父さん、このコブのつくだ煮、いけるよ」
忠臣「……おい、今日は何日だ」
誠「(とぼけて)前かけもってきてやろうか」
忠臣「今日何日だって聞いとるんだよ、木曜だろ、木曜ってことは……ア!」
誠「秋はメシがすすむね」
忠臣「そうか。今日は、あの……まり子が、はじめて『日高』につとめる日じゃないか」
誠「箸《はし》よか散蓮華《ちりれんげ》のほうが食べいいかな」
忠臣「散蓮華なんかどうだっていいんだよ。そうか、まり子が……『日高』へ……誠、お前、それで、気よくして、早起きして、お粥つくって……、ヘ、現金な奴《やつ》だよ」
誠「(パクパク食べている)」
忠臣「おい誠、ひとことことわっておくがな、まり子さん、『日高』へつとめたからって、わたしが認めたと思ったら大間違いだぞ」
誠「判《わか》ってるよ」
忠臣「まあ、手近なところで、ゆっくりと人となりをみせてもらって、すべてはそれからという」
誠「くどいよ」
忠臣「そうだ、(ひとりごと)少し早目に出かけて、いろいろ言わんといかんなあ。バーと小料理屋の違い。ウイスキーと、日本酒はどうちがうか。お酌《しやく》のしかた」
誠「そうくるだろうと思ったんだ」
忠臣「え?」
誠「お父さん、ゆくことないだろ。そういうことは、『日高』のおじさんやおばさんがちゃんと」
忠臣「いや、しかしね」
誠「月給はらってる人間が言やあいいんだよ。お父さん、カゼひいてんだしさ、今日は一日、うちでねてなきゃダメだよ」
忠臣「しかしねえ、今日が初日だろ? 『おめでとう。しっかりやンなさいよ』って、激励」
誠「カゼが直ってからいきゃいいんだよ」
忠臣「そうはゆきませんよ。まり子が『かもめ』をやめたについちゃ、わたしにだって一半の責任はあるんだから、こりゃ、義理からいっても人情からいっても、いの一番に出かけていって、『よくやった、えらいぞ』」
誠「直ってからでいいんだよ」
忠臣「……ああ、そうかい。そんなにいうんなら、いきませんよ。(小さく)まあいいさ、こっちだって手もありゃ足もあるんだ」
誠「あとで、義姉《ねえ》さんくるからね」
忠臣「義姉さんて、悦子かい」
誠「(タクアン、バリバリ)」
忠臣「よぶことないだろ。あの人とは気が合わないって、知っとるくせして……おかゆ、塩が入ってないよ!」
誠「入ってるよ」
忠臣「利《き》いてないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子が庭から入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「おはようございます」
誠「あ、義姉さん忙しいとこすみません」
忠臣「おやすみなさい」
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、自分の部屋に引っこんでゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「義姉さん、せっかくきてくれたのに……お父さん!」
悦子「いいのよ、誠さん」
誠「全くもう、勝手なんだから……すみません」
悦子「今日一日、表へ出さなきゃいいのね」
誠「おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]廊下でくさっている忠臣。
●「日高」の居間[#「「日高」の居間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]京太郎、静子、健太郎の朝食。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「あ、こりゃうまいや。母さん、いいとこへ後妻にきたよ。朝っぱらから、こんなうまいかます[#「かます」に傍点]のひと塩が食えるなんてさ」
静子「朝っぱらから大きな声で後妻後妻っていうことないでしょ?」
京太郎「しかしなあ、東京転勤もいいけどさ、え? 健ちゃんよ。いかに母親のとつぎ先とはいえだ、エリートサラリーマンが、小料理屋から出勤してるってのは、出世のさまたげじゃないの」
健太郎「お女郎屋やってるわけじゃあるまいし、大威張りですよ。うちの社の連中もね、いっぺん、井村クンのうち、飲みにゆきたいって……」
京太郎「割引きにしとくよ。なあ」
静子「あんまりいうと、調子にのる人間ですからね」
健太郎「今日からは、キレイな子もくるしさ」
静子「まり子さんはね、大事な預りものですからね」
健太郎「冗談だよ、でもさ、大丈夫かなあ」
静子「健ちゃん、あんた、お代り」
健太郎「おやじさん……また、ノコノコやってきて、……え? やらかすんじゃないの? いや、ボクね、お母さんが、まり子さんにうちへこないかって言ったって聞いたとき、えらい! よく思いついた、そう思ったよ。でもさ、あとになって、こりゃまずいぞ……あの倉島徳造っておとっつぁんにとっちゃ渡りに船じゃないか、タダで酒のめるってんで……」
静子「いえ、あたしもね」
京太郎「いや、そのことはアタシだって」
静子「だから、ちゃんとね」
京太郎「そう……」
静子「釘《くぎ》、さしてあるの」
健太郎「クギって」
静子「まり子さんにね、ちゃんといってあるの。うちはね、店の人間の家族は、お客扱いしないことに決めてあるのよ。いらしても、ここでお茶は差上げるけどお酒は出しませんからねって……」
京太郎「酒がのめないと判ってりゃ、いかにあのおとっつぁんでも、きやしないだろ」
健太郎「……お茶か……」
静子「ちょっとかわいそうな気もするけど……あとになって気まずい思いするのもいやだし……」
京太郎「女はチエが働くよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、立ち上って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「朝のうちに床屋でもいってくるかな」
静子「まり子さんくると思って……こないだいったばっかしでしょ!」
健太郎「お母さん、妬《や》いてんの?」
静子「何いってんですよ。早くたべてゆかないと、会社、遅刻でしょ!」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]トーストをかじっている進一。うしろで、まり子がスカーフでキリリと頭をしばって、片づけものをしている。洋服ダンスから、派手なドレスを二十着ばかり重ねてひっぱり出して、選《よ》っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「これは、直せば着られるな。これも……えーい! みんな、処分!」
進一「姉さん、人が食ってるのに、うしろでバタバタやることないだろ」
まり子「ごめんね、急に取りにくるっていうのよ」
進一「それ、みんな処分しちまうの」
まり子「お店へね、アクセサリーなんか売りにきてたおばさんが、まとめて買いとってくれるっていうから……あ、進ちゃん、あんたも身のまわり、片づけといて頂戴《ちようだい》よ、このアパートもあと一週間なんだから……」
進一「ぼつぼつやってるよ」
まり子「こんどのとこ、四畳半で可哀《かわい》そうだけど……」
進一「勉強出来りゃ、ゼイタク言わないって……それにしても、よく思い切ったなあ」
まり子「ええと……これもいらない! これも、いらない!」
進一「さあ、オレも頑張《がんば》って、一発で大学入ンないと……あ、……(急に真顔になって)姉さん、オレ、この間から言おう言おうと思ってたんだけどさ」
まり子「なあに」
進一「おやじ……大丈夫だろうな」
まり子「ちゃんと言ったわ。絶対にこないでって。どしても用があってくるんだったら、昼間、お酒抜きで来て頂戴って……」
進一「何かあったら、電話くれよ。オレ、すぐとんでって、引っぱって帰るから」
まり子「……ありがと」
進一「姉さんの一生がかかってんだから。遠慮することないよ!」
まり子「……おたがい、苦労するね」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店・茶の間[#「石川酒店・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]こっちも朝食。源助、たつ、はな子、宇佐美クン。たつはプンプンしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お父ちゃん、ピチャピチャ音たてて食べンの、やだって言っただろ!」
源助「音、たててないだろ」
たつ「たててるから言ってんの! ねえ、はな子、お父ちゃん、ピチャピチャ音立てて食べてたよね」
はな子「どっちだっていいじゃない」
たつ「はな子! お前、何かっていやあ、父ちゃンの肩もって……」
源助「立ってんのは、お前のハラだろ! え? こないだうちからプンプンプンプン人に八つ当りばっかしやがって……何だってんだよ!」
たつ「大体ね、『日高』の奥さんは、ずるいっていうのよ」
源助「何がずるいんだよ!」
たつ「人に恥かかせて、いいとこだけ自分がとっちまうんだから」
源助「何だよ」
たつ「タンカ切ったのは、このアタシなんだよ。『あたしも若いとき水商売してました! 水商売の女、敷居の中へ入れないっていうんなら、まり子さん、さあ、いっしょに縁側へ出ましょ!』こういったのは、アタシなんだよ」
源助「(はな子に)お前たちにも、みせたかったね。ああ、まるっきり新派の舞台だよ、お母ちゃん、ひとりでさらっちまいやがんの」
たつ「そうじゃないだろ。そのあとで、まり子さんが、バーをやめましたっていったら、すぐ日高の奥さんが『うちはどうかしら』『ねえ永山さん、うちの店でもやっぱり水商売ですかしら』」
源助「ありゃよかったよ。さすがの艦長もヘドモドしちまってさ、『奥さん、よろしくたのみますよ』」
たつ「人、バカにしてるってのよ。何もその場でいい役もってくことないじゃないか」
源助「おい、そいじゃあ、うちへつとめさせりゃよかったってのか! そりゃなスーパーにでもしたあとならハナシは別だよ。だけどさ」
たつ「そりゃさ、うちじゃあ、宇佐美クンの月給はらうのがやっとなんだから」
宇佐美「どうもすみません」
はな子「あやまることないよ、さ、お代り」
宇佐美「すいません」
源助「そりゃ、オレだって考えたよ。同じ店員なら、若いベッピンのほうが客もくる。働くこっちも張り合いがある」
たつ「お父ちゃん、いい年して」
源助「あいて! おしまいまで聞きなっていうんだよ。だけどさ、あのおとっつぁん……あのおとっつぁんがピーンときたんだよ」
たつ「倉島徳造」
源助「うちは、菓子屋じゃない、酒屋だよ。あんな、ウワバミにおとっつぁん面《づら》してのり込まれてみろ、どんなことになる。だから、だまってたんじゃねえか」
たつ「お父ちゃん……男ってのは先、見る目があるんだねえ」
源助「お代り!」
たつ「……今に『日高』は泣かされるよ、あのおとっつぁんにさ……」
源助「まあ、くるな、といったらしいけどね」
たつ「それで引っこむような人間かね? ああ、たのしみだ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]店のテーブルには、まだ椅子《いす》が上っている。
[#1字下げ]静子と一緒に掃除をしているまり子。絣《かすり》の着物にエプロン姿も甲斐甲斐《かいがい》しい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まり子さんもまあ、初日だからって、なにもこんなに早くくることないのに」
まり子「とんでもない。これからもこの時間に伺います」
静子「あら、まり子さん、あんた、お雑巾《ぞうきん》もつ手つき、いいわねえ」
まり子「ほかに取得ないんですけどおそうじと洗濯《せんたく》は」
静子「大好きなの? そうお……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろから京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いや、あたしゃね『かもめ』で一目見たときから、『あ、つましいひとだな』『家庭的なひとだな』『これじゃあ、誠さんが惚《ほ》れるの、ムリはないな』って」
静子「あら、あなた……陶仙堂に瀬戸ものみにいったんじゃないんですか」
京太郎「いや、ロクなのなかったもんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「おそくなりました」
静子「ロクさん……おそいどころか、いつもよか一時間も早いじゃないの。あーあ、まり子さんの力って、大したもんだわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]悦子が茶ダンスの中を片づけている。
[#1字下げ]表を豆腐屋のラッパが通ってゆく。(外は夕暮)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]声をかけるが返事がない。悦子、立ってゆく。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってゆく悦子。布団《ふとん》は、人の形に丸くなっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん、晩のおかずですけどねえ。たらちりでどうですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]声なし。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]布団をめくると中は座布団。誰《だれ》もいない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、とび出す。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]悦子のぞく。いない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]背広姿の忠臣がソロソロと玄関の戸をあけて脱走しようとしている。
[#1字下げ]タッチの差でとびこんで、つかまえる悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん!」
忠臣「しもた!」
悦子「お父さん、どこ、いらっしゃるんです?」
忠臣「ちょっと、病院まで、ノドにオクスリぬっていただこうと思って」
悦子「そうじゃないでしょ?」
忠臣「ねえ、悦子さん……」
悦子「………」
忠臣「物は相談なんだけどねえ、悦子さん、あんただって、『まり子』って女のこと、気になるでしょ?」
悦子「そりゃ……まあ、ねえ」
忠臣「ひょっとしてひょっとするとだ……誠の奴《やつ》の嫁になるかもしれない……ということは、アンタの義理の妹になるわけだからねえ」
悦子「そうなるんですか」
忠臣「赤坂のバーにいたのがアンタ、やめて『日高』へつとめが替ったってこたァ、アタシにしてみりゃ、『外濠《そとぼり》』埋められたようなもンじゃないの、ドンドン近づいてくる感じでしょうが」
悦子「そりゃ、ねえ」
忠臣「アンタも聞いてるだろうけど、今日が初日なんだよ。だからさ、アンタも一緒にチョコッと偵察《ていさつ》にいこうじゃないの」
悦子「ゆくのはいつでもゆけるでしょ? お父さんはまず風邪を直して……」
忠臣「……悦子さん、あのねえ」
悦子「さあ、お寝巻に着がえましょ」
忠臣「自分でやりますよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリしている忠臣。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]カメラマンとネガを選んでいる誠。
[#1字下げ]久米編集長に伝票のサインをもらっている土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いやあ、タクシー代もこう上ると、何だか請求しにくいですねえ」
久米「ワチキのポッポが痛むわけじゃないのよ。どうぞご遠慮なく」
土岡「……もう一枚です、すみません」
久米「ハイヨ、と」
土岡「夕暮ですねえ」
久米「たそがれだわねえ」
土岡「|〆切《しめきり》じゃない……差し当って、仕事しなくていい夕方ってのは、男にとっちゃ、こう、何ていうんすかねえ」
久米「ひろしちゃんも廻《まわ》りくどい言い方する人だねえ。お酒がのみたいんでしょ?」
土岡「あの……花束かなんか、どうなんすかねえ」
久米「ハナタバ?」
土岡「あのほら、今晩でしょ? 誠ちゃんの……彼女……」
久米「ああ『日高』の初日か……」
土岡「花束かなんかもってパッと、こう……」
誠「え? いや、そんな……何のハナシかと思ってこのへんで聞いてたら……そんなとんでもないすよ、あのどうかおかまいなく」
久米「ひろしちゃんも気が利《き》かないわねえ」
土岡「編集長」
久米「ゆくとおじゃまなの」
誠「そ、そんなんじゃないすよ、どうぞ、きてやって下さいよ。そんなねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドアがノックされる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「どうぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スーッとあいて、顔を出すのは倉島徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あの、誠さん、いる? 永山誠」
誠「お父さん」
土岡・久米「倉島さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる倉島徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
倉島「どうもどうも。せんだっては、どうも」
久米「いやいや。こちらこそ」
誠「あの、今日は、なんか」
倉島「いや、別に、なにっていうほどの用じゃないんですけどね、ま、おかげでまり子の奴もちいっとばかし固いとこへつとめ替えることが出来たんでね、ひとこと礼をいいたくてさ」
誠「いやあ、ボクのせいじゃないですよ。『日高』のおじさんやおばさん」
徳造「そりゃ、日高のおじさんおばさんのせいだろうけどさ、やっぱしなんだよ、永山誠って人間がみんなに可愛《かわい》がられてればこそじゃないの。ね、そうでしょ!」
久米「そりゃ、誠ちゃんの人徳でしょう」
土岡「女にも男にも、年寄りにもモテる奴はもてるんだ」
久米「おかげでね、いつもこっちのひろしが割くってますがね」
徳造「ああ、アンタ、ひろしか。誠とならんじゃ気の毒だ。ハハハ」
土岡「調子いいね、このお父さんは」
誠「あの」
徳造「誠さん、仕事、終ったんでしょ?」
誠「はあ?」
徳造「いえね、まり子の奴ね、(甘ったれ声で)きまりが悪いから、お父ちゃん、当分はこないでよ……なんていうんだけどね、父親として、そんなマネが出来っかっていうんだよ、なッ! そだろ」
誠「いえ、まあ」
徳造「大事な一人娘がどんなとこでどんなアンバイで働いてるか、見ときたいじゃないの。悪い客はこねえかどうか。酒ぐせの悪い奴がいてさ、まり子の手でも握ったひにゃ誠さんに申しわけが立たねえもんな」
誠「あの……」
徳造「だからってって、アタシがノコノコ出かけたんじゃあ、『日高』を信用してねえみてえで、なんだから、ここはひとつ、誠さんと一緒に『おめでとう』ってんで、にぎやかにくりこめば」
誠「あの、いや、いいんですけどね」
徳造「どっちみち、誠さんゆくんでしょ? いかない筈《はず》ないやねえ」
誠「ゆくことは、ゆきますけどね」
久米「あの、お父さん、倉島さん、誠ちゃんまだお仕事が残ってますんでね、ちょいと下でお待ちを頂いたほうがいいじゃないのかな」
誠「え? 編集長……」
久米「誠ちゃんはいいの。アタシもすぐ下りてきますけどね。ひろし、それまでお相手をして頂戴」
土岡「え? あの、ボクが……ああ、さいすか」
久米「割にね、いけるコーヒーのませる店ですよ。さ、どぞどぞ」
誠「編集長……」
久米「ひろし、なんならケーキもお取りして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造を押し出すようにする久米。
[#1字下げ]土岡に引っぱられて出てゆく徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長……あの、おやじさんの面倒は、ぼくが」
久米「ま、こっちおすわンなさいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、自分の席に誠をすわらせて、自分も椅子をもってきて、正面にかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃんよ。お前さん、ほんとにいい男だねえ」
誠「(やに下って)いやあ、それほどのこたァないすよ」
久米「ご面相のこといってやしないの、人間のこといってるの」
誠「なんだ……いや、そっちのほうも、大したことないすよ」
久米「いや、いい人間だ。昨今、カネとたいこでさがしたって、お前さんみたいないい男はいない。でもねえ、あたしにいわせりゃ、それがお前さんの欠点だねえ」
誠「編集長……」
久米「人から物たのまれて、イヤといえない男なんだよ、お前さんは。でもねえ、人間、それじゃ通らないときがあるんだねえ」
誠「………」
久米「まあ、惚れた女の父親だ。面と向って言いにくいこともあるだろうさ、その分、あたしがお説教しといてあげるから……三十分たったらおりといで」
誠「……すみません」
久米「それから、これだけはいっとくよ。今晩も、これからも、あのおやじさんを娘の働いてるとこへは連れてかないことだな」
誠「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]徳造を相手に、土岡が奮闘している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ケーキ、いいんすか。よかったら、ショートケーキ」
徳造「ショートケーキ、ショートケーキって、ガキじゃないんだから……電気がつく時間になって、ケーキ食ってられるかい」
土岡「そりゃそうだ、ハハ」
徳造「ハハ、なんて笑ってるけど、土岡さんてったか、アンタ、胸ン中、煮えくりかえるような気持でしょ!」
土岡「はあ」
徳造「はあ、って、アンタだろ? まり子の奴に惚れてたってなあ」
土岡「いや、あの、そんな」
徳造「いやあ、まり子は目が高いよ。誠さんもいいけどアンタもいいや」
土岡「そんな……」
徳造「そいでさ、アンタ、親はいンの。おとっつぁん、おっかさん」
土岡「いや」
徳造「いないの?」
土岡「はあ」
徳造「両方ともいないの」
土岡「はあ」
徳造「フーン。こっちのほうが面倒くさくなくてよかったのになあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「いや、どうもお待たせして……うん? なんのオハナシしてたの」
徳造「いえね……誠さんにゃ、ほかにいうとこないんだけどね、安月給とあのおやじ……永山チューシンだけは、気に入ンないねえってね」
久米「困りましたなあ。こりゃ両方とも、あたしたちの力じゃどうしようもない」
土岡「ほんとだ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ネガを選びながら、心ここにない誠。
[#1字下げ]カメラマンの内山。お茶をいれる秋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「ね、ね、今のひと……永山さんの恋人のお父さんでしょ?」
誠「う、うん……」
内山「物好きだなあ、永山さんも。オレなら、どんな美人でも親見たとたん、やめてるな」
誠「そういきゃ簡単だけどね」
[#ここで字下げ終わり]
●「ビーワン」[#「「ビーワン」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]久米、土岡、徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「実は、あたしにも娘が一人いるんですよ」
徳造「やっぱし、バーにつとめてんすか」
久米「そうならおやじは左うちわで大助かりなんすがね……あ、こりゃ、失礼」
徳造「アンタ、そういうけどね、娘に金もらうってのは、こりゃなかなかね、我慢のいるこってさ」
土岡「編集長ンとこのお嬢さんはまだ高校生ですよね」
久米「ついこないだまでヘソ出して昼寝してたのが、この頃は、ボーイフレンドから電話がかかってきたりしてね」
徳造「色気づいたんだ、ハハ」
久米「そいでね、まあ、あたしは言ってやったんですよ。ヘンなのにひっかかるなよ。親孝行だと思って」
徳造「そうそう。女の子はね、いい男つかまえるのが一番親孝行」
久米「ところがね、娘の奴に逆襲されたねえ、『お父さん、親孝行もいいけど、子孝行のほうもちゃんとやってくれるんでしょうね』」
土岡「子孝行?」
久米「『子供に恥をかかせない』『子供の幸福をじゃましない』」
土岡「なるほど子孝行ねえ」
久米「ゆきたいな、と思うとこも……娘の迷惑になってやしないかと考えてやめにする……」
土岡「もう一杯のもうかなってときに、あ、これ以上のんで乱れたら、まり子が恥をかく。我慢しとこう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]このあたりから、徳造、目をつぶって聞えないフリをはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「父親ってものは、なかなか、辛《つら》いもンですよ」
土岡「萩原朔太郎曰《はぎわらさくたろういわ》く、『父親は永遠に悲壮である』」
久米「うむ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スースーねむったフリの徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「アレ? おやすみかな」
土岡「お父さん、倉島さん」
徳造「え? ああ……何か言ったすか」
二人「………」
徳造「どうも、近頃糖尿の気があってねえ、やたらノドがかわいてねむくてもう。誠さん、おそいすねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人ガックリする。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]口あけの客が五、六人。
[#1字下げ]京太郎、ロクさん、静子、そして、甲斐甲斐しく立ち働く、まり子。
[#1字下げ]カウンターに陣取って、一杯やりながら眺《なが》めている源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「一番さん、お刺身、一緒盛りで三人さま」
ロク「ハイ! お刺身一緒盛りで三人さん!」
まり子「お銚子《ちようし》、おねがいします」
静子「ハイ、お銚子ただいま!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、くる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(源助に)いらっしゃいまし」
源助「やだなあ、アタシはアンタ、客じゃないのよ。身内じゃないの」
静子「どう、石川さん。アタリでしょ?」
源助「いやあ、まり子さん、あんた、洋服にジャラジャラブラ下げてたときもよかったけど、絣《かすり》は、もっといい」
京太郎「こりゃヘタすると、誠さん、さらわれるかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]新しい客が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いらっしゃいまし。どうぞ」
源助「ほんとにいいねえ」
京太郎「何だかさ、『かもめ』にいた時分よか明るくなったみたいな気がするんだがねえ」
源助「ほんと。これじゃあ、アタシだって毎晩くるねえ」
ロク「そりゃ、無理でしょ」
源助「ロクさん……」
ロク「おっかない人がついてるから」
源助「見くびってもらっちゃ困るねえ。あんなかかあ一人や二人……」
静子「言いつけますよ、あら……健ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]奥から出てくる健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「へえ。うちの店でもこんなにはやることあンの」
静子「いつもおそい健ちゃんが、早く帰ってのぞきに出てくるくらいですもン。はやって当り前でしょ?」
健太郎「いや、そういうわけじゃないけどさ。永山さんがのりこんできてさ、つまンない説教なんかしたらかわいそうだなと思って……オレのいうことだと永山さん、割りと聞くからさ」
京太郎「うまい具合にお風邪だから」
源助「そうでなけりゃ、もうとっくに、ここにすわって……」
京太郎「やってるやってる」
健太郎「へえ、永山さん、風邪か……」
京太郎「艦長は風邪。あっちのおやじさんは」
源助「くるなって足どめしたってから……」
健太郎「そんならいいけどさ、揃《そろ》ってるからねえ、両方……こっちも気廻しちまうよなあ」
静子「まあ、当分は大丈夫らしいわ」
まり子「おかみさんこちら、お盃《さかずき》、大きいほうで……」
静子「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]また客が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子・静子「いらっしゃいまし」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]湯どうふのなべを突ついている勇と悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん! お先、いただきますよ!」
勇「食いたくないってもの、無理に食わすことないよ」
悦子「だって……あなた」
勇「お父さん、早く起きてこないと、タラ、食っちまうよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]布団から首だけ出している忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(哀れっぽく)頭がいたいから、食べたくないの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ところが手はモソモソ動いて、布団の中でズボンをはこうと悪戦苦闘。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タラでもフグでもどうぞお二人だけであがって頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇と悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「あなた(酌をする)」
勇「うむ」
悦子「あたしも一杯頂こうかしら」
勇「珍しいな、え?(ついでやる)」
悦子「タタミの上にすわって、障子があって……お酌ってのも、いいもんねえ」
勇「何のかんのいったって、日本人なんだよ」
悦子「こうやってみると、マンションてのは、味気ないわねえ」
勇「こっちへ住むか? いずれは誠だって結婚するだろうしさ……いや、いまつきあってるまり子か? それかどうかは別としてさ……おやじかかえて新婚てのもかわいそうだから……ま、一番いいのは、オレたちがこっちへうつって、誠の奴がアパートに住めゃ」
悦子「そうねえ」
勇「お前がその気になってくれると」
悦子「でも、あのお父さんじゃあ、とってもあたしの手には負えないわねえ」
勇「(ガッカリ)」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]布団に寝たまま、靴下《くつした》をはこうとして、悪戦苦闘している忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ひとりごと)ああ、今頃は誠の奴、日高へいって……やに下っとるだろうな。ああ、布団の中で靴下はくってのは、あいた……」
[#ここで字下げ終わり]
●おでん屋の屋台[#「おでん屋の屋台」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ならんで屋台に腰をおろす誠と徳造。
[#1字下げ]徳造は、相当に酔っている。誠も相手をしたので、少し廻っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、永山誠。あたしゃね、アンタのこと気に入ったよ」
誠「そうですか。どうもありがとうございます」
徳造「ございますってこたァねえだろ。そういう固苦しい、アイサツすっとこはやだけどさ、ほかンとこは、いいよ。ああ」
誠「アブないすよ、ほら」
徳造「今晩あたりさ、ね、日高へさ、まり子ンとこへゆきたい。人情だよ。な、そこンとこをじっとこらえて、いかない。えらいもンだ」
誠「いやあ、ぼくよかお父さんのほうがえらいすよ。お酒だってきらいじゃない」
徳造「ああ、大好き!」
誠「娘のつとめた店で、まり子さんのお酌でのみたい……そこンとこをぐっと我慢して、今晩はそっとしといてやろう……その気持……感動したなあ」
徳造「父親ってのはね、辛いもんなんだよ」
誠「えらいよ。判ってたってなかなか……」
徳造「誠さん、このあと、どうすンの?」
誠「ぼくですか。そりゃ……このまま、まっすぐうちへ帰りますよ。あ、お勘定」
おでん屋「……ヘイ、千二百五十円」
徳造「あ、ここはオレ……あ、いいの、悪いな。あ、そう。やっぱりまっすぐ帰る……」
誠「お父さんも……帰ンでしょ?」
徳造「え? ああ、あたしも誠さんと同じよ。駅で電車にのってさ、まっすぐ帰るに決ってんじゃないの」
誠「ハハハハ」
徳造「ヘヘヘヘ」
誠「そいじゃあ、ぼくはこっちだ、お父さんはこっち……」
徳造「まっすぐ帰ろう!」
誠「駅まで送ってきましょうか」
徳造「いいのいいの。アンタも、うちにゃ忠臣が待ってんでしょ? 早く帰ってやンなよ。ねッ」
誠「それじゃあ、気をつけて」
徳造「どうも、ごっつおさん」
誠「まっすぐ帰って下さいよ」
徳造「誠さんもね、まっすぐだよ」
誠「どうも、おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]右と左に別れてゆく二人。
[#1字下げ]少し歩いて、二人とも振りかえる。相手もふりかえっている。しかたない、ワザと元気に手を振って、それぞれの道を歩き出す。が、心はもちろん反対であります。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]食後の茶をのんでいる勇。なべものの片づけをしている悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん、本当に食べないつもりかしら」
勇「ハラがへりゃ、夜中でも何でも起きてきて食べるんだから……」
悦子「じゃ、判るとこに出しといたほうがいいわねえ。あら、たら、これしかのこってないの?」
勇「おやじ、豆腐が好きなんだから、だいじょうぶだって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]十時を打つ時計。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「それにしても誠の奴、おそいなあ」
悦子「残業かしらねえ」
勇「寄ってんじゃないのか、あっち……」
悦子「日高?」
勇「人、よびつけて、おやじ出すなっていってるひまに自分が帰ってきて、見張ってりゃいいんだよ。こっちは、おやじの番兵じゃないんだから」
悦子「本当よ。お父さん、お茶入りましたよォ」
勇「オレ、持ってくよ。全く、手間かけるねえ、赤んぼよか始末が悪いよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、父の大きな茶碗《ちやわん》を手に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「アチアチ。でっかい茶碗でもう……」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]茶碗をもって入ってくる勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「ほら、お父さん、お茶、あんまり手間かけちゃダメだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら、アレ? となる。
[#1字下げ]フトンをまくる。
[#1字下げ]中はザブトン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん。
[#1字下げ]カウンターには、居すわっている源助、フロ帰りにやってきたらしいたつ。立ち働くまり子、そして椅子《いす》席に満員の客。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「そんなお前、目、三角にして文句いう前に、え? まり子さん、おめでとうぐらいのあいさつが」
たつ「ちゃんといったわよ。何もね、お父ちゃん、まり子さんの親じゃあないんだから」
京太郎「いや、奥さん、石川もね、心配してんのよ」
たつ「それがお節介だっていうのよ。ちゃんとさ、相馬さんだって奥さんだってついてんだから……何もお父ちゃんが、店おっぽらかしてつきっきりで気もむことないのよ」
源助「だってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]客のところにいた静子がやってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あら、奥さん……」
たつ「こんばんは」
静子「お風呂《ふろ》のお帰りでしょ? それじゃあ、かけつけは、冷やのほうがいいわね。ロクさん、冷やで」
ロク「ヘイ!」
たつ「フン、考えたらおかしなハナシだわねえ。うちでのみゃタダ……まあ、原価のお酒をよ、ここで飲みゃ、倍とられてんだから」
静子「やだわ、奥さん」
京太郎「人聞きの悪い……」
源助「バカ、お前」
たつ「冗談でいってんのよ。お父ちゃんも、目、白黒させるこたァないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はじめから、たつは、雲行きがおかしい。
[#1字下げ]客につかまっていたまり子もくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(たつに)いらっしゃいまし」
たつ「ちょっと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、上から下まで点検して……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「どう。大丈夫?」
まり子「おかげさまで」
たつ「何かね、困ったことあったら、あたしンとこへいらっしゃいよ」
まり子「ハイ」
たつ「こっちの奥さんよか、目方の分だけ苦労してんだから」
静子「あら、奥さん、あたしだって、女ひと通りの苦労ぐらい」
たつ「奥さんの苦労はね」
客(大川)「おーい、酒!」
静子・まり子「はーい、三番さん、お銚子、ねがいます!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とやっている。
●「日高」表[#「「日高」表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]中の客の笑い声が表まで聞えている。
[#1字下げ]少し酔った誠がやってくる。手をかけ入りかける。
[#1字下げ]どこにかくれていたのか、パッととび出す徳造。
[#1字下げ]誠の腕にブラ下り、押し出すようにして、一緒に入ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ! お、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]徳造に押し込まれるように入ってしまう誠。
[#1字下げ]びっくりしている誠、そして、一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、一体、どこに」
徳造「いやあ、アハハハ」
一同「誠さん、ども、こんばんは」
まり子「お父ちゃん……」
徳造「絶対こねえ、なんていったようなもンの、やっぱり気になって……ね、ハハ。誠さん、アイコだよ、ね、恨みっこなし、ハハ」
誠「そりゃまあ……」
まり子「誠さんと一緒にきたの」
誠「え、ええ……」
徳造「『お父さん、一緒にいきましょ』」
誠「………」
静子「いらっしゃいませ」
誠「どうも……このたびは」
徳造「このたびなんて、アンタ、すぐ小むずかしいアイサツ……あ、こりゃはやってら。この前あたしがきたときはガラガラだったのにさ、今晩は一杯だ。やっぱし、何だね、言っちゃなんだけどさ、若いきれいなのが入ると入らないじゃあ、ねえ」
源助「そら、奥さんには悪いけど、ちがうねえ」
静子「あら、別に悪いことなんかありませんよ。その通りですもの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、ムクれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まあ、別にうちは色気で売ってんじゃないから、まり子さんがきたからどうってことじゃないんじゃない。今までだって、このくらい一杯になったことだってあったしさ」
静子「あなた、およしなさいよ」
京太郎「誠さん、お酒ですか」
誠「いや、ボクは……」
源助「まあまあ、まり子さんの就職を祝って、乾杯といこうじゃないすか」
たつ「とか何とかいって自分がのみたいもンだから」
京太郎「まあ、一杯……」
誠「そうですか。それじゃあ、お父さん」
徳造「あ、どうも……すみませんすねえ」
まり子「あ、お父ちゃんは……いいんです。あっちでお茶でも」
徳造「え?」
まり子「よそでのんできたんでしょ?(つとめて明るく)お父ちゃん、お酒のみにきたんじゃない、ほら、忘れてるでしょ? ごあいさつ……娘がいろいろお世話に(教える)」
徳造「ああ、そうか、バカヤロ、そのくらい言われなくたって、おめえ……(フラフラして立ち上り)どうも、このたびは、娘がいろいろ」
まり子「どっち向いてやってんのよ。そっちは石川さんじゃないの」
誠「いいじゃないの。『日高』のお酒は、石川さんから、きてんだもの。ねえ、そうですよねえ」
源助「その通り」
徳造「ま、不束《ふつつか》な娘ですが、ひとつ、よろしく」
京太郎・静子「こちらこそよろしく」
まり子「じゃ、お父ちゃん、気をつけて……」
徳造「何だよ、まり子、わざわざ親があいさつにきてるってのに、水一杯のませねえで追ン出すのか」
まり子「お父ちゃん……じゃあ、あっちでお茶」
静子「そうねえ、倉島さん、どうぞ」
徳造「なんだい、え? 誠さんはお酒で、アタシはお茶ってのは、ずい分差別待遇」
誠「あ、お父さん、こっちで一杯」
まり子「(目顔で)誠さん……」
京太郎「(小さく)クセが悪いんだから……」
誠「ぼくが面倒みますよ。せっかくみえたんだから、さ、お父さん……」
徳造「そうですか。ヘヘ。この倅《せがれ》は話せるねえ。そいじゃあ一杯」
たつ「一杯にしときなさいよ」
徳造「あのねえ、アンタ、酒屋のおかみさんだな。あのねえ、人がこれから酒のもうってときにね、そういう、水ブっかけるようなこと言うってのは、酒屋の女房《にようぼう》らしくないねえ、えッ」
まり子「お父ちゃん!」
誠「さあ、いいじゃないですか。さあ、まり子さんの就職を祝って、カン(やりかける)」
大川「おーい! ネエちゃん! お酒ないよォ!」
まり子「ハーイ」
徳造「ちょっと待ちなよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]フラフラ出ていく徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「ひとこと断っとくけどな、この子はな、あっしの娘なんだよ、な」
まり子「お父ちゃん」
徳造「お前はひっこんでろ。手塩にかけて育てた大事な娘なんだよ、ネエちゃん、なんて、心易《こころやす》く呼んでもらいたくねえなあ、え!」
大川「なんだよ、このじいさんは」
まり子「どうも申しわけございません」
静子「倉島さん、さ、あちらへ」
誠「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、ふりはなして、もう一人の、まり子のうしろでのぞきこんでいる中年の客、今西をにらみつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう。おめえ、うちの娘のケツ、さわったんじゃあねえだろな」
今西「何だと!」
まり子「お父ちゃん、何にもしないわよ!」
徳造「もう、ホステスじゃねえんだから、気易くケツだの、オッパイだのさわってくれんなよ。さわンなら、そこにおいでの誠さんにことわって」
まり子「お父ちゃん!」
誠「お父さん」
京太郎「どうも申しわけございません。酔っとりまして、どうも」
今西「客を何だと思ってんだよ」
京太郎「どうも、いやはや」
源助「申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一緒になってあやまっている源助をド突くたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お父ちゃんがあやまることないだろ!」
今西「帰ろ帰ろ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]シラけた客たち、一斉《いつせい》に立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「どうも申しわけございません」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」表[#「「日高」表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]客がどんどん帰ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今西「何だ、あのじじいは」
相棒「どっかでのみ直そ。なッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]一同に取り巻かれて、徳造がやられている。
[#1字下げ]京太郎、静子、まり子、ロクさん、誠、源助、たつ。
[#1字下げ]そして、うしろには健太郎の顔もみられる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「非常識もいいとこだわよ!」
徳造「なにが非常識だい!」
たつ「お客、みんな帰っちまったじゃないの」
徳造「やましいとこあるから、いたたまれなくなったんだろ」
まり子「お父ちゃん! きちゃいけないってあれほどいったのに、どしてきたのよ!」
誠「そりゃ、ぼくが(言いかける)」
徳造「おう、おれはお前の父親だぞ。娘がはじめてつとめるって日に、挨拶《あいさつ》にきてどこが悪い!」
京太郎「挨拶ならアタシたちにして下さいよ。何も、お客さんにあんなアイサツするこたァないでしょ!」
源助「やりすぎだよな」
たつ「あんたのすることが、どれだけ自分の娘に恥かかしてるか、アンタ、判んないの!」
まり子「お父ちゃん、みんなにあやまって帰って頂戴!」
京太郎「まあ、あやまってくれなくてもいいよ。これから、こんなことのないようにして下さいな。ねえ、そうでないとまり子さんだって」
たつ「まあ、まり子さんも、このへんでハラ決めるんだわね。新しいつとめしくじりたくない、誠さんとのこと大事にしたいって思うんなら、どっちかひとつ取ること、考えた方がいいんじゃないの」
まり子「お父ちゃん、お願い、もう二度とこないで!」
徳造「(キッとなる)そいじゃなにか、『おやこ』の縁、切るってのか!」
まり子「誰もそんなこといってないじゃないの。ただ、あたしの働いてるとこへ」
たつ「ちょっとまり子さん、切れるもンならアンタ、スッパリ切っちまいなさいよ。お父さんだって、五体ちゃんと揃《そろ》ってんじゃないの。働こうと思やあ、アンタ」
誠「ちょっと待って下さいよ、それじゃあ」
まり子「誠さん、かばわないで! 縁を切るとはいわないけど、もうこのへんでお互い、別《べ》っこにやってもいいんじゃないの? あたし達はあたし達、お父ちゃん達はお父ちゃん達」
徳造「キレイな口、きいて……そりゃ親を見捨てるってこっちゃねえか」
まり子「ちがうわよ」
誠「まり子さん」
まり子「誠さんは黙ってて! あたし、この店やめたくないの! 誠さんとのことも……失《な》くしたくないんです! だから、もう、お父ちゃんのことかばい切れない! お願いだから……もう、来ないで!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリ肩を落す徳造。戸があく。みんな、ハッとして見る。
[#1字下げ]忠臣が立っている。(徳造はうしろ向き)
[#1字下げ]   「艦長!」
一同 (「永山さん」
[#1字下げ]   「お父さん」
[#1字下げ]忠臣、一同には答えず、徳造の肩を叩《たた》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(表へ出て)二人で、飲み直そうじゃないの」
徳造「お、永山チューシン」
忠臣「来るなっていわれるってのは……さびしいもンだねえ。え? 徳造さん」
徳造「……じゃあ、アンタも」
忠臣「お父さんはくるな。うちにいろ……ハハ。人間、年とるってのは情ないもンだ。誰も好きで年とったんじゃないんだけどねえ。若いもンにいやがられる……」
誠・まり子「………」
忠臣「まあ、こっちがいいと思ってすることが若いもンにゃ、迷惑ってこともあるんだろうよ。息子を思う気持、娘を心配する気持は、なかなかくみ取ってもらえないで、ちょいとやりかたがマズイと、引っこんでろって、ねえ……」
徳造「(小さく)……ま、こっちもよかねえけどさ」
忠臣「でもねえ、アタシャね、どんないい娘でも、それからどんなに困った親でも、親捨てるような娘は倅の嫁にゃ、したくないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造の肩を叩《たた》く忠臣。徳造、酔いも手伝って、ウ、ウウと嗚咽《おえつ》してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん……」
忠臣「ほら、まり子さんも、お父っつぁんに一杯ついで、言いすぎた、ごめんなさいって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ついでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん……」
徳造「オレが悪いんだよ、オレが……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]見ていた京太郎たち、ほっとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「(京太郎を突ついて小さく)さすが!」
京太郎「年の功だねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつが、忠臣に盃《さかずき》をもたせる。まり子がつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(誠に)いただいても、いいのかい」
誠「なに言ってんだよ。(わざと乱暴に)飲みたくてきたんだろ」
忠臣「そいじゃあ(盃をあげて)まり子さん、就職おめでとう」
まり子「……ありがとうございます……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]また、涙ぐんでしまうまり子。
●永山家・門[#「永山家・門」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]帰り支度の勇と悦子が出たり入ったりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「何してんだろうなあ。お父さんも誠も」
悦子「『日高』に電話してみましょうか」
勇「もう帰ってくるだろ。全く、もう……」
[#ここで字下げ終わり]
●ラーメン屋の屋台[#「ラーメン屋の屋台」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ならんでラーメンを食べる忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「熱は本当に大丈夫かな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おでこにさわる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「大丈夫だよ。わたしの風邪はね、酒のんでラーメン食べりゃ、直っちまうんだ。お、コショウとってくれ」
誠「(かけてやりながら)お父さんさ、まり子さんのおやじさんのこと、毛嫌《けぎら》いしてたと思ったら、そうでもないんだね(うれしい)」
忠臣「え? 好きじゃありませんよ。あんな男、きらいだよ」
誠「きらいにしちゃ、かばってたじゃないか」
忠臣「惻隠《そくいん》の情という奴ですよ。子供にじゃけんにされてる親同士」
誠「いつ、オレがジャケンにしたよ」
忠臣「しとるじゃないか。一日中ねてろ。『日高』にやんな」
誠「そりゃね、体を心配して」
忠臣「うまいこといって……じゃまにしとるじゃないか」
誠「そうじゃないよ。あ、お父さん、支那竹《しなちく》」
忠臣「いいよ」
誠「やるよ」
忠臣「その代り、チャーシューもってくんだろ」
誠「年寄りは脂肪よくないからね」
忠臣「あッ! おい! チャーシュー、とっといたんじゃないか」
誠「それじゃ返すよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]廻しかけて、ふと気がかわり、パクッと口に入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ! 返すっていっといて(食べちまったじゃないか)」
誠「コレステロールがたまって、早死にされちゃやだからね。油っ気はみんなオレ食っちゃうからね」
忠臣「……(うれしくて涙ぐんでしまう)とか何とかいって……うまいものはみんな食っちまうんだから……」
誠「泣くことないだろ」
忠臣「コショウがきいたんだ、バカ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ならんでラーメンをすする父と子。木枯らし。
[#1字下げ]誠、父に自分のコートを着せかけてやる。
[#改ページ]
12
[#改ページ]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](新居)
[#1字下げ]ジーパン、鉢巻《はちまき》の誠が、進一と洋服ダンスを運び込んでいる。
[#1字下げ]前の、モダーンなアパートにくらべて、ぐんとつつましく、木造二階建ての二階。
[#1字下げ]六畳四畳半の二間という安いアパート。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「エイショッと」
進一「あ、永山さん、頭、気をつけて」
誠「大丈夫大丈夫、ヨイショッ……」
進一「姉さん、洋服ダンス、ここでいいの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スカーフで頭をしばったまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そっちじゃなくて、ここ……こっち向けて」
誠「よし、こっち廻《まわ》そう、ウム!」
進一「エイショッ……」
まり子「すみません……」
進一「このへんかな」
誠「もうチョイ、こっちじゃないの」
まり子「そうね、もうちょっと」
二人「ヨイショ!」
まり子「あ、進ちゃん、あと、下に、靴《くつ》の箱」
進一「靴の箱ね、OK!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一、とりにゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん、時間、大丈夫ですか」
誠「ひるまでにゆきゃ……出版社ってのは、残業手当も出ない代り遅刻もうるさくいわないから、こういう時は助かるんだ、ええと……次は」
まり子「……誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、スカーフを取って、……改まって礼を言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「何から何まで有難《ありがと》うございました」
誠「え?」
まり子「アパート探しから、引越しの手伝いまで………」
誠「……そのくらい当り前じゃないか。それと、どうせ引越すんなら、うちに近いほうがいいと思って」
まり子「ここなら日高へも誠さんのお宅へも五分ですもンね」
誠「それにしても……前のアパートにくらべると、何だか、かわいそうみたいな気がするなあ」
まり子「とんでもない。前が身分不相応だったのよ。これだって今のあたしの収入だったら、贅沢《ぜいたく》なくらい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、言いながら、食器|棚《だな》の位置を変えようとして一人で引っぱる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ヨイショッと」
誠「あ、どっち、これ」
まり子「もうちょっとこっちのほうが使い勝手がよさそうだから」
誠「よし。セーの、ヨイショッと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ずらしかけて誠、急に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、そうだ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、泡《あわ》くって、鉢巻をはずす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん」
まり子「は?」
誠「(口ごもりながら)ぼくは、結婚を前提にしたつきあいのつもりなんだけど……」
まり子「(誠さん……)」
誠「……そう思ってて、いいですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、コクンとうなずいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「はい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]答えながら、髪の毛にはくもの巣をブラ下げ、頬《ほお》は汚れ、すすをつけた誠の、場ちがいな場所での改まったあいさつに思わず笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「え?」
まり子「顔がまっくろ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]自分のエプロンで汚れを拭《ふ》いてやるまり子……
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣が、毛筆を振るって封筒書きをしている。
[#1字下げ]そばで、名簿を見ながら、京太郎と源助が、あれこれ言っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「今村良之助殿と……」
源助「ハイ。お次が、内川|少尉《しようい》殿………」
忠臣「三重県……内川も年とったろうなあ」
京太郎「還暦で、三人の孫に囲まれて、どうにかやってるよ、という年賀状がきたっけなあ」
源助「こんどの日高の会は、何人集まるか」
忠臣「まあ、年々、減る一方じゃないの。ぼつぼつ鬼籍に入る人間もいるしねえ」
源助「キセキ……(判《わか》らない)日本もなあ、奇蹟《きせき》が起きてりゃ、負けやしなかったんだよ。元寇《げんこう》のときの神風……ねえ、ブウっての」
忠臣「何をいっとるんだろうな。キセキというのはね、ミラクルじゃないの」
京太郎「鬼の籍とかいて、キセキ……」
源助「鬼のセキ……何すかそりゃ」
忠臣「あの世へ引越すこってすよ」
源助「てことは、つまり、(白目を出して)これすか、チーン、ナンマイダアー」
忠臣「わたしも、あと何回、日高の会に出席出来るか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]水っぱなをすする忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「何を気の弱いことをおっしゃるんですか」
京太郎「こやってなつかしい艦長の字で、案内状がくる……それたのしみに一年間、働いてる連中がいっぱいいるんですよ。ね、艦長」
忠臣「有難う。次は……」
源助「江藤一水……」
忠臣「福島県……」
京太郎「誠さん、もうおでかけですか、お早いすねえ」
忠臣「ええええ。ジーパンはいてね」
源助「ジーパン」
京太郎「出版社ってのは、いいすなあ。服装が自由で」
忠臣「なあに、会社へいったんじゃないよ」
二人「え?」
忠臣「引越しの手伝いですよ」
二人「引越し?」
忠臣「まり子のね、引越し……」
源助「ああ、まり子さん」
京太郎「そうだ、二丁目のとこに手頃《てごろ》なアパートがめっかったからっていってたなあ。引越し、今日か」
忠臣「まあ、日頃は、手紙出しにゆくのもおっくうがる奴《やつ》が、周旋屋歩きから、引越しの手伝いまでするんだから……」
京太郎「『惚《ほ》れる』ってことは、そういうことなんだなあ」
忠臣「自分とこの天井からはくもの巣がぶら下っとる。ガラスはくもっとる。はばかりの金かくしは汚れとっても、平気なくせして、今頃は、彼女のうちで真黒になって働いとるんだ。いい気なもんですよ」
源助「艦長、次、いきましょう」
京太郎「大沢中尉……」
忠臣「群馬県……全く親不孝なハナシですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](新居)
[#1字下げ]まだ片づいていない荷物の間で、一息入れるまり子。
[#1字下げ]誠。
[#1字下げ]茶を入れるまり子。
[#1字下げ]一服すう誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、マッチ」
誠「あるから……(大丈夫)進ちゃん、お茶!」
進一「ハーイ! どうも!」
まり子「カラ茶ですけど……」
誠「ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、茶をのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「『日高』は、何時からだっけ」
まり子「六時。でも、四時にはいって、お掃除したり、いろいろ」
誠「すまないけど、その前にね……おやじのとこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一、入ってきてすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「え?」
誠「言いにくいんだけど、ハガキの十枚でいいんだ。持って、あいさつにいってもらえると……ありがたいんだなあ」
まり子「あ、ああ。お父さまのとこ……」
誠「古くさくてバカバカしいと思うだろうけど、先に頭ひとつ下げとくと、あと、ずうっとラクだから……」
まり子「判りました。ご近所に越してきたんだし、あたしもごあいさつに伺わなきゃと思ってたんです……」
進一「姉さん、こっちいいから、いってこいよ」
まり子「ありがと」
誠「どうもすみません」
まり子「やだ、誠さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、すわり直す。あいさつのリハーサル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『このたび、ご近所に引越して参りました。何かとお世話になるかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします』これでいいかしら」
誠「上等!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣とまり子(絣《かすり》の着物)。
[#1字下げ]まり子、リハーサルの通り、おっぱじめるが、緊張しすぎてつかえたりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『このたび』」
忠臣「ハイハイ」
まり子「『このたび』」
忠臣「足袋はまっ白ね。いいねえ」
まり子「そっちのタビじゃないんです」
忠臣「どっちのタビなの」
まり子「このたび」
忠臣「このたび、ハイハイ」
まり子「『ご近所に引越して参りました』」
忠臣「おうおう」
まり子「何かとお世話になるかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします」
忠臣「こちらこそ、よろしく」
まり子「これ、ごあいさつのおしるしでございます」
忠臣「こりゃこりゃ、ごていねいに、引越しのオソバの切符ですか」
まり子「いえ。あの『ハガキ』」
忠臣「ハガキ。ハガキは、食べられないからねえ。どっちかっていやあ、オソバの切符のほうがよかったんだけど……ま、いいでしょ。ありがとう」
まり子「じゃあたくし、これで」
忠臣「あ、まり子さん、ちょっと上ってね、お茶のんでらっしゃい」
まり子「よろしいんですか」
忠臣「どうぞどうぞ。倅《せがれ》の惚れてるひとをね、玄関先で追いかえしたとあっちゃ、あたしが誠におこられますよ。さ、どうぞどうぞ。スリッパ、そこね」
まり子「ハイッ!(うれしい)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ホクホクしている。
[#1字下げ]何やら魂胆があるらしい。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]原稿に手を入れている久米編集長。カメラマンの内山を相手に出来上った写真を、選《よ》っている土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「見出しはこれかなあ」
内山「こっちのほうが自信あンすけどねえ」
土岡「そっちはカメラ雑誌に出して頂戴《ちようだい》、うちの読者はね、お嬢さまなのよ」
久米「そうよ、毛穴のポツポツまでお目にかける芸術写真は、ダメよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とびこんでくる誠(ジーパン)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「お、誠ちゃん、おはよ」
誠「どうも、おそくなってすみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]秋子、びっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「へえ、永山さんでも、そんなかっこすることあンの」
誠「今晩はどうせ……ね、竹田クンと組んで、新宿の街頭の……ね、占い師探訪にゆくから……」
土岡「とか何とかいっちゃって……」
誠「え?」
土岡「お疲れさんでした!」
誠「え?」
土岡「引越しの手伝いでくたびれたろ。まあまあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、誠をすわらせて肩をもんでやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん、いいですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米編集長も立ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「ギューギューもんでやって頂戴」
誠「アイタタ……」
久米「あーあ、わちきも、もう十か十五若がえって、女の子の引越しの手伝いしてみたいわねえ」
土岡「若がえるだけじゃムリなんじゃないすか」
久米「人のこといえないでしょ? え? ひろしちゃん、アンタの若さで、え?」
土岡「お言葉返すようですけどね、編集長。ぼくは、誠ちゃんみたいなマネはしないな。『オレ、引越すよ』このひとことで、銀座、赤坂、六本木の女の子が、どっと束になって引越しの手伝いに」
久米「くる夢をみながら、ひざ小僧を抱いて『ひとり寝の子守唄』」
土岡「編集長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、苦労人らしく、口ではかまいながら、誠に小声で囁《ささや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「お父さんとこに、あいさつにゆかせたの?」
誠「はあ、今頃……」
久米「上手におやりよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]煎茶《せんちや》をいれているまり子。
[#1字下げ]口やかましく教えている忠臣。
[#1字下げ]明るく、素直に従っているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あーあ、そんなに沢山お茶のハッパを入れて……あのねえ、まり子さん、これはねえ、お番茶じゃないの。お煎茶なんだ。ね。煎茶のハッパは、一人前、茶サジに中山一杯。これが大体の見当じゃないの」
まり子「ハイッ! すみません」
忠臣「あやまっているひまに、サッとやり直す。そうそう。それから、お湯をついで……あーあ。熱いのをジカに急須《きゆうす》についじゃダメですよ、いったん湯ざましについでから……静かに急須につぐ。そうそう。ついだら、心静かに、……待つ……」
まり子「お茶の入れかたってむずかしいもンなんですねえ」
忠臣「まあ、むつかしいっていやあ、むつかしいけどねえ。普通こういうことは、母親が、しつけとして娘に教えるものなんだけどねえ。アンタのおっかさんは……」
まり子「……うちのお母ちゃん(言いかける)」
忠臣「自分の母親のことを人前で話す場合は、『うちの母』といいなさい」
まり子「ハイッ! うちの母は……(張り切って言いかけて……)アレ?」
忠臣「アンタのおっかさんがどしたの?」
まり子「うちの母は……あれ? 何のハナシしてたのかしら」
忠臣「アンタね、肩の力、抜きなさいよ。普通、お茶の入れかたは、母親が娘に教えるもんだってハナシ」
まり子「あッ! そうでした。うちの母は、父が仕事に失敗して、毎日、お針の内職してたもんですから、暮しに追われてそういうこと子供に教えるひまもなかったんだと思います」
忠臣「まあ、そういうことだろうけど、女が、アンタ、二十歳《はたち》過ぎて、満足にお茶もいれられないじゃあ、世間は通りませんよ」
まり子「ハイッ!」
忠臣「もういいだろう」
まり子「いれて、いいですか」
忠臣「やってみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、茶を入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あーあ。どして、いれながら急須を上下に上げ下げするの。品がないことしちゃいけませんよ」
まり子「ハイッ!」
忠臣「アンタは返事はいいんだけど、本当に物を知らんねえ。お茶をつぐんだってね、まず自分の茶碗にちょっとついでから、客のにつぐ……」
まり子「ハイッ! すみません」
忠臣「お茶は、最後の一滴まで、出し切って……ハイ、それでよし」
まり子「ああ……(ため息)」
忠臣「これくらいで『ああ』なんて、ため息ついて、どうするの?」
まり子「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ピョコンと頭を下げるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうそう。お茶のいれかたもなんだけどね、おじぎのしかた……これ、あんたに言いたいねえ」
まり子「おじぎ?」
忠臣「そう。おじぎ。そもそも、おじぎをさせたら、その人間の氏素性が判るというくらい、大事なもんだ、ちょっとやってみなさい」
まり子「あの、おじぎ、するんですか」
忠臣「そう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、たたみに手をついておじぎ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うむ。かっこうは一応つけとるけど……うむ、こっちへいらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、立って、ドンドン出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ためらいながらついてゆくまり子。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]仏壇の前。亡妻・繁子の写真を持ち出して、こんどはおじぎの講釈をやっている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そもそも、わが永山家というのは、礼儀正しい家柄《いえがら》とされております。中でもわたしの亡《な》くなった家内ね、誠の母親という人は、実にいいおじぎをする人だったねえ」
まり子「……(うなずく)」
忠臣「女らしく、つつましく、……そこはかとない色気があった。……やってごらん」
まり子「(おじぎ)」
忠臣「もう一息、品格がほしいねえ、毅然《きぜん》としておかすべからざる気品……ハイッ! もういっぺん」
まり子「(おじぎ)」
忠臣「固い固い。威あって猛《たけ》からず……」
まり子「ハイッ!」
忠臣「うむ、手の位置……そうそう。そんなとこだろうね」
まり子「ハイッ!」
忠臣「まあ、おじぎひとつにしても、その家の家風があるように、障子のはりかた、布巾《ふきん》のしぼりかたから、洗濯《せんたく》物の干しかた、掃除のしかた、つけもののつけかた、ごはんのたき方にも、永山家、独特のやり方ってものが、ありますよ。アンタも追い追いにだな、そのへんを判っていただいて、果してうちの家風に順応してやってゆけるかどうか、そうだ!」
まり子「は?」
忠臣「日高ゆくのは、四時だっていったねえ」
まり子「はい」
忠臣「その前は何してんの?」
まり子「なにって、うちで」
忠臣「行儀見習いにきたらどうかねえ」
まり子「あの、お宅へですか」
忠臣「さよう。こういうことは、口でいうよりもね、うむ、まず、手はじめに今日からやンなさい」
まり子「は、はい……」
忠臣「縁側を拭《ふ》いてね、それから、ここン所を片づけて、ああ、その前に洗濯物がたまっとったなあ」
まり子「あ、あの……」
忠臣「いやなの」
まり子「(明るく、笑いながら)いいえ、教えていただきます」
忠臣「よろしい! 教えましょう。ただし、誠の奴には(内緒だよ)」
まり子「ハイッ!」
忠臣「まり子さん、あんた、本当に返事はいいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ホクホクしている忠臣。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん。
[#1字下げ]まり子が明るくきびきびと立ち働いている。
[#1字下げ]カウンターにならぶ久米編集長、順子、そして土岡。
[#1字下げ]忠臣が、自分のうちのように大きな顔をして、酒をついで廻っている。
[#1字下げ]まり子は、時々、こちらに笑顔を向けたりしながら、客の間を小まめにまわって、空のお銚子《ちようし》を下げたり、割り箸《ばし》を取りかえたりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうですか、編集長! え? ママさん……うちの嫁候補生は」
久米「いや、おどろきました」
順子「ほんと。びっくり。まり子ちゃん、絣がよく似合うわ」
まり子「(笑っている)」
忠臣「いやいや、日本の女ならね、みんな絣が似合うんですよ」
京太郎「いいですなあ、絣は。いや、うちの家内もね、今日は違うの着てますが、絣着せるともう」
忠臣「アンタのハナシじゃないのよ」
久米「そういやあ、ママ、この頃、あれ着ないわねえ、ほら、黒い絣でさ、チョビチョビッと、赤の入ったの」
順子「ああ、あら、久米さん、あれ、お好き」
久米「好きだなあ。平がなで、『お、ん、な』って書いた感じでね」
土岡「ああ、ぼくだけだなあ。絣の似合う女性がそばにいないの」
忠臣「下宿の雌猫《めすねこ》に、絣のチャンチャンコでも着せるんだな」
土岡「お父さん……」
忠臣「まあまあ、一杯。むさ苦しいお酌《しやく》でなんですが」
静子「永山さん、あたくし、おつぎしましょう」
忠臣「あ、さいですか、それじゃあ、奥さん」
静子「どうぞ」
順子「どうも、おそれ入ります」
久米「あ、こりゃこりゃ、どうも」
土岡「あ、ぼく、手酌でやりますから」
久米「そういうこというから、ひろしちゃんは女にもてないのよ」
忠臣「そう。ゆったりかまえて……」
静子「どうぞ」
土岡「あ、どうも……」
忠臣「何も、ふるえてこぼすこたァないじゃないか」
土岡「何もふるえたわけじゃないすけどね」
忠臣「とにかくいいでしょう!」
土岡「いや、全くいい!」
順子「ほんと、いいわァ」
久米「ママ、心の中でしまった。手放すんじゃなかった、って思ってんじゃないの」
忠臣「ママさん、申し上げときますが、引き抜きはいけませんよ。なあ、相馬」
京太郎「はッ! 絶対におことわりいたします」
順子「ご心配なく。もうあきらめておりますから」
忠臣「さすがは海軍少将ご令嬢、立派なお覚悟です」
静子「あの、何かおつくりしましょうか」
久米「では、みつくろって……」
静子「ロクさん、おねがいしますね」
ロク「ヘイッ!」
忠臣「どうです、いいでしょう」
土岡「お父さんもまあ、同じこと、なんべん言うんですか」
忠臣「いやいやあたしがいいといったのは、こんどは、奥さんですよ。まり子さんもいいが『日高』の奥さんもいいでしょう」
久米「いや、お父上、あたしもね、今、それ言おうと思ってたんですよ」
順子「ほんと。おきれいで、お品がよくて、お色気がおありになって」
京太郎「いやあ、どうも……」
静子「いやですよ、何おっしゃるかと思えば」
京太郎「いや、うちへくる客はね、みなさん、そうおっしゃって」
忠臣「相馬はいいんだよ。あのねママさん、編集長、わたしはね、まり子さんをこの店につとめさせるということについては、正直いって迷いました」
久米「そうでしょう。そういっちゃ失礼だが、こちらも、一種の水商売」
忠臣「そうです。海軍兵学校ではないが、永山家の嫁候補生は、しかるべき固いところで、花嫁教育を受けさせたい」
久米「ごもっともです」
忠臣「まあ、『日高』でもいい! わたしにそう決断させたのは、この奥さんのお人柄であります」
静子「あらあら、大変なことになってきたわ」
京太郎「まあ、及ばずながら、私ども夫婦でお預りしてですな」
忠臣「相馬はいいといってるんだよ。わたしはね、まり子さんをつとめさせてるとは思っとりません。花嫁教育を受けに毎晩通わせておるとこう思っとります。奥さん、かまいませんからね、ビシビシきびしくですな、バーの水を洗い流して」
久米「あのお、お父上」
忠臣「あたくしですか」
久米「おことばを返すようですが、バーの『水』も水によりけりなんじゃあ、ありませんかね」
忠臣「何とおっしゃる」
久米「バーといってもいろいろです。高い勘定書しか能のないところもあります。しかしねえ、お父上、ママの人柄が、店中にこうみなぎって、男の人生の憩いの場という店も、あるんですなあ」
忠臣「なるほど」
久米「私はね、永山誠は目が高いと思ってます。よくぞ『かもめ』の店に、『かもめ』の店にいる女の子に目をつけた」
忠臣「ママさんがご立派だから、とアンタはそういいたいわけだ」
久米「お父上! くれぐれも水商売だからといって、まり子さんを色めがねでごらんにならないでいただきたい。古今東西の歴史をみわたしても、伊藤博文の夫人は、もと名妓《めいぎ》であった」
土岡「千円札の人か」
忠臣「そういやあ、明治の元勲の令夫人には、多いそうですな」
久米「わたしはね、お父上、今ややまとなでしこは、家庭にはない! 夜の巷《ちまた》にひっそりと咲いている」
忠臣「夜の巷に咲くだいこんの花ですか」
久米「は?」
忠臣「編集長、惚《ほ》れておいでになりますな(順子に)」
久米「え? いや、お父上……」
土岡「お父さん! 目が高い!」
久米「こらひろし!」
順子「いやですよ。こんな子持ちに惚れて下さるかたなんて……」
静子「まあ、お子さんがおありになる……」
忠臣「子供は関係なし! 男が女に惚れてどこが悪いんだ。わたしも家内に惚れとりました。ここの相馬も、奥さんに、ゾッコン」
京太郎「艦長……」
静子「永山さんたら」
忠臣「編集長はママさんに惚れておいでになる。そして、誠はまり子さんに……ねえ、まり子さん……」
まり子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米と順子……。だまってすわっている。
[#1字下げ]土岡、やにわに目の前のビール瓶《びん》にチュッとキスする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アンタ、何やってんの」
土岡「ぼくは、この人に惚れてます」
忠臣「汚ないマネしなさんな。ほらほら」
静子「まあ、お子さまがおいでになるなんて」
順子「小学校二年なんですよ」
静子「お嬢さん」
順子「男の子……」
静子「あたくしのとこもねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ついでやりながら、まり子を静子に押っつけるようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほらほら、奥さん、まり子さんの花嫁教育たのみますぞ。昼間はわたくしがやりますから、夜は、奥さん……」
静子「はあ、昼間って永山さん」
忠臣「いやいや。(画面にウインクして)こっちのハナシ……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酔った忠臣が土岡にオンブされるようにして帰ってくる。土岡も酔っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ほらほら、お父さん、お父さん! アブないなあ」
忠臣「お父さん、お父さんて、ひろし君も物好きだねえ」
土岡「何が物好きですよ」
忠臣「わざわざあたしを、送ってこなくたって、編集長やママさんと一緒にタクシーにのりゃいいのにさ」
土岡「ぼくだってね、送る相手がいりゃ」
忠臣「こんなクソジジイ、送ってこないか」
土岡「そういうこと。どっこいしょ」
忠臣「エッコラショ。おーい誠!」
土岡「誠ちゃん、まだじゃないかな。今晩は新宿で取材だから……」
忠臣「いや、帰ってるよ、電気ついてるじゃないの! おーい! ただいまァ!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]玄関をドンドン叩《たた》く忠臣。
[#1字下げ]うしろから支える土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、誠! 誠」
誠「判ったよ。野中の一軒家じゃないんだから、叩かなくたってあけるよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと玄関が開く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣・土岡「ただいまァ!」
誠「あれ、土岡さん……」
土岡「お父上を、たしかに送りとどけましたよ」
誠「そうか、日高で……一緒だったのか」
土岡「じゃあ、誠ちゃん、おやすみ」
誠「なんだよ、土岡さんも! ちょっと上ってお茶ぐらい飲んでったっていいじゃないすか」
忠臣「さ、ひろし君」
土岡「やめときましょ。誠ちゃんとこのお番茶はおいしいけどさ、なんかっていやあ『お父さん』『誠』『お父さん』『誠』親のない子にゃね、目の毒、耳の毒なのよ」
誠「冗談じゃないすよ。もういつだってケンカでね」
忠臣「そうなの。いじめられてンのよ。年とった父親を、一体何と思っとるのか。大体、わたしがその気になんなきゃ、誠なんか、この世に生れとりゃせんのだ」
土岡「ハハハ、こりゃいいや」
誠「そんなことよかね、お父さん、一体どしたんだよ」
忠臣「え?」
誠「どしてこんなにキレイになってんの? 茶の間も、台所も、キチンと片づいてさ」
忠臣「ああ……(そのことか)」
誠「洗濯物がたまってたろ。キチンと洗って干してあるしさ。冷蔵庫の中の、いかれたものもちゃんと捨ててあるしさ、お父さん、どしたんだよ。まさか、日高のおばさんや、石川のおばさん、こき使ったんじゃないだろうね」
忠臣「すぐこれだ。聞いて頂戴《ちようだい》よ、ひろし君。年とったおやじが汗水たらして働いとること考えないで、人にやってもらったんだろう。どしてこういう風に考えるんだろうねえ」
土岡「誠ちゃんよ。そんな、お父さんの衿《えり》がみとっつかまえて、口とんがらす前に、え? どうもごくろうさまのひとことが」
誠「いや、おかしいんだなあ。お父さんにしちゃ、キチンとしすぎてるよ」
忠臣「自分一人が働いてる気になってるんだから、いやンなるね。あたしだって、ムダメシ食っちゃいませんよ」
土岡「今日び、家政婦さん、高いすからねえ」
忠臣「一時間四百円としたってアンタ……四、八、三千二百円だ。ねえ。ああ、ほんと、一日働いたら節々がいたいよ」
誠「(ヘンな目でみている)」
忠臣「(土岡に)みて。疑り深い目!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]忠臣と誠の朝食。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お代り、いいの?」
誠「うん。お茶」
忠臣「食べないねえ、え? いい若いもンが、朝メシ一|膳《ぜん》なんて情ないよ。わたしらの若い頃は、朝二膳、昼三膳の夜三膳」
誠「頭使う商売はね、メシ、食わないんだよ」
忠臣「どこ使ってんだか」
誠「昔の日本人はね、メシの食いすぎ!」
忠臣「いや、わたしにいわせりゃ、日本人が米を食わなくなってから、日本人としての、自覚というか」
誠「あのね、お父さん」
忠臣「あのね、じゃないんだよ。とにかく日本人は、米を」
誠「米もなんだけどね、(改まって)お父さん、昔は昔、今は今なんだからね」
忠臣「何ですよ、そりゃ」
誠「昔は上官でも、今は平等だってことだよ。昔の上官カサにきて、うちの仕事、手伝わしたりしないでくれよね」
忠臣「ヘヘヘ」
誠「ヘヘヘじゃないんだよ。オレが日曜にまとめてやるから。ね、そのまま、おっぽっといてくれよ」
忠臣「わたしがやってるんだから、そんないちいち」
誠「……お父さんのやった仕事か、そうでないかぐらい、オレだって、まあ、いいよ。あとであっちが痛い、こっちがだるいっていわないでくれよね」
忠臣「お前、疑ってる目だな」
誠「え!」
忠臣「やもめ通してね、十年もやってりゃ、うちの仕事もうまくなりますよ。倅がいたって、うちの仕事なんか手伝いもしない奴なんだから……それでうたぐり深い目つきされちゃ、かなわないよ」
誠「……(朝刊のかげからチラリと見る)」
忠臣「まだ疑ってる……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話でどなっている土岡。
[#1字下げ]そばで、レイアウトをしている誠。
[#1字下げ]うしろで鼻毛をぬいている編集長。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いいすか、もいっぺんいいますからね、チャンとメモして下さいよ。『人妻は午後、何をしているか』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大きな声で言ってしまってテレる土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ってとこで、エクスクラメーション・マーク。そう。ビックリ・マーク、入れて下さい。そうそう。『夫の知らない空白の三時間』」
久米「おお、凄《すご》い!」
土岡「編集長! 好きでつけたんじゃないすよ。それもこれも、売るための……あ、すみません、こっちのハナシです。はあ、はあ、そうですそうです。じゃ、広告のハシラは、それでやって下さい。おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切って、汗を拭く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お疲れさん!」
久米「ひろしもなかなかやるじゃないの。『夫の知らない空白の三時間』とはねえ」
土岡「いやあ、オマンマのためとはいいながら、お恥かしい」
久米「いやいや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そうだ……」
土岡「え!」
誠「いや……別に……(小さく)ちょっと私用で電話を使わして下さい」
久米「日本の国内ならいちいちことわらなくてもけっこうよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ダイヤルを廻す。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]無人の茶の間に電話が鳴っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハーイ。まり子さん、出て頂戴」
まり子「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小走りにくるまり子、受話器をとって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ、永山でございます」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]アッとなる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(受話器を押えて)まり子さん」
まり子(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、受話器をおく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あの、すみませんけど、竹沢先生のとこ、原稿取りにいってきます」
久米「ハイ、いってらっしゃい」
誠「ついでに私用で三十分ほど」
土岡・久米「日本国内なら、三十分でも一時間でも……ドーゾ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・廊下[#「永山家・廊下」はゴシック体](便所の前)
[#1字下げ]まり子に指図して便所掃除をやらせている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「世間の人はね、豚は汚ない、臭い、そういいますよ、でもねえ、こりゃ豚にとっちゃ迷惑なハナシでね。もともと汚ない動物なんて居《お》りゃせん、無精をして汚なく飼うから汚ないんだ。ハイ、そこ、もういっぺん、キュッキュッと」
まり子「ハイッ」
忠臣「はばかりも同じことですよ。飲んで食って出して、生きてく人間にとって、はばかりは台所と同じように神聖な場所ですよ。ね、そうでしょ」
まり子「ハイッ!」
忠臣「そこゆくと、死んだわたしの家内なんぞは、いき届いとったねえ。もう、はばかりにチリ一つ落ちておらんかった。わたしはねえ、うちの家内の掃除したはばかりだったら、平気で落っことしたゴハンツブだって食べられたねえ」
まり子「あの、トイレに落ちたゴハンツブを、ですか」
忠臣「中へ落ちたんじゃないのよ。床《ゆか》ですよ。そのくらいキレイだってこと、『汚ないとこほどキレイに』これが永山家の、グフ! エホ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、大演説がすぎて、むせてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あッ、大丈夫ですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、背中を叩く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何をするの!」
まり子「は?」
忠臣「あンたどこさわった手で人の背中叩いとるの? え? 大根や人参《にんじん》さわった手じゃないでしょ? はばかりの金かくし掃除した手で、アンタ、ヒョッとして舅《しゆうと》になろうって人間の背中、叩くって法は」
まり子「(いたずらっぽく)あの……お言葉かえすようですけど」
忠臣「何ですよ」
まり子「おそうじする手にキレイも汚ないもないんじゃあないんですか」
忠臣「うむ……(つまり)そりゃ、理屈だねえ……そいじゃ叩いて頂戴……びっくりして直っちまったよ」
まり子「すみません」
忠臣「ヘヘ。ビシビシいわれても、ビクビクせんとこが、いいねえ。アンタは」
まり子「もう一回やりましょうか」
忠臣「そうだねえ。もういっぺん、キュッキュッと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、みがきはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「キュッキュッキュッキュッ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんにうしろで誠のどなり声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なにやってんだよ!」
二人「アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立っている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠!」
まり子「誠さん!」
忠臣「(さすがにあわてて)なんだお前、こんな時間にどしたんだ。腹でも痛くなったのか」
誠「お父さん、一体、なにやってんだよ! えッ!」
忠臣「なにって、まり子さんと、その……ねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ゴムの手袋に、ブラシをもったまり子も困っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さんと、なにやってたんだよ」
忠臣「なにって、お前に見られて、やましいようなマネはしとりませんよ」
誠「きのうからヘンだと思ったんだよ。お父さん、自分でやった、オレがやったっていってたけどね、男のやった仕事と、女の片づけかたじゃちがうんだよ。おかしいと思ってかえってきたら、案の定じゃないか。お父さん! まり子さんはね、まだうちの嫁じゃないんだよ」
忠臣「当り前じゃないか。わたしはまだ正式にウンとはいっていませんよ。ハハ。便所の前で、ウン、だって」
まり子「やだア(笑う)」
誠「二人共笑い事じゃあないよ! お父さん、どんなつもりか知らないけど……」
まり子「誠さん、いいんです。これはね」
誠「まり子さん、黙ってて下さいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、もみあいながら、茶の間のほうへ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、逃げようとする忠臣を、ドンと押してすわらせる。
[#1字下げ]ゴム手袋をはめたままのまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そんななにも、ただいまもいわずにガアガアどなるこたァないじゃないの。まあ、お茶でもいれましょ」
誠「お茶なんかいらないよ! お父さん、まり子さんは、うちの嫁じゃないんだよ! 女中じゃないんだよ」
忠臣「くどいねえ。同じことを何べんいうんだ」
誠「そんなら、どしてこんなマネさせるんだよ。え! 人のうちの便所そうじまで」
まり子「誠さん、あの」
誠「まり子さんはだまってて下さいよ! あのねお父さん」
忠臣「わたしはね、永山家の家風というものを判ってほしかった。それだけのこっちゃないか」
誠「永山家の家風と便所掃除とどういう関係があるんだよ」
忠臣「だからね、その」
誠「……お父さん。言っとくけどね、もう二度とこういうマネはしないでくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いつにない誠の言い方にガックリする忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……どうもすみませんでした」
まり子「ちょっと待って……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけたとたん庭から声あり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、詫《わ》びはこっちにも言ってもらおうじゃねえか」
まり子「お父さん」
誠「倉島さん……」
忠臣「アッ!」
徳造「新しいアパート越したからと思って、のぞいてみたら、進一の奴《やつ》、姉ちゃんは永山さんちへ手伝いにいってるよっていいやがる」
まり子「進ちゃんたら……」
徳造「きのうもいった、今日もいった……おう、まり子、お前、金もらってんのか。一時間いくらでパートタイマーやってんだ」
まり子「お父ちゃん!」
徳造「俺ァな、たしかに貧乏してるよ。娘、働かして、食わしてもらったこともあら、だけどな……よそのうちの便所掃除させるために娘、育てた覚えはねえんだよ」
まり子「お父ちゃんたら! やめて!」
徳造「そんなにおつとめしなけりゃ、もらってもらえないんなら、もう、キレイサッパリやめちまえ!」
誠「本当に申しわけありません。ほら、お父さん、お父さん」
忠臣「いや、今日のとこはアタシが」
まり子「待って下さい。永山さんも、誠さんも待って下さい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、父の手をとってすわらせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん。見当外れなこと、いわないでね」
徳造「何だと」
まり子「やらせて下さいっていったのはアタシなのよ」
徳造「え?」
まり子「あたしは、小さいときからお母ちゃん、ずっと内職で……お茶のいれかたも、あいさつのしかたも、ちゃんと躾《しつ》けてもらうひまなかったでしょ? そんなひまのないうちにお母ちゃん死んじまったじゃないの。だから、あたし、永山さんにおねがいしたの。おひるから一日三時間、お手伝いに上ります。その代り、ビシビシ仕込んで下さいって……」
誠・忠臣「まり子さん」
まり子「お父ちゃん、花嫁学校の月謝って、知ってる? 物すごく高いんだから。それ、ここじゃあ、お茶とお菓子がついてタダなのよ。そんなとこでブスッとしてないで、『うちのまり子をよろしく仕込んで下さい』って挨拶《あいさつ》のひとつもしてくれないと、肩身がせまいじゃないの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子の目が笑っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん……お父さん(突つく)」
忠臣「うむ……(参っている)」
まり子「ほら、お父ちゃん」
徳造「ども……ま、その、なんだ。まり子の奴、よろしく、たのンまさ」
忠臣「まあ、及ばずながら、やってみましょ」
誠「フン」
まり子「あ、すみません。今、手をなにして、すぐお茶いれますから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]台所へ立ってゆくまり子。
[#1字下げ]忠臣、テレくさいのでこれもあとを追って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、まり子さん、お菓子はね、そこの黒いほうの戸棚《とだな》のね」
徳造「誠さん、会社のほうは」
誠「え? ええ、あと、ちょこっとのぞきゃいいんすけどね」
徳造「チョコッとアッシとつきあって下さいな」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
●ホルモン焼屋[#「ホルモン焼屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]新橋駅前の、ゴミゴミしたところの感じ。
[#1字下げ]屋台に毛の生えたようなところで、梅割りをのみ、ホルモン焼を食べる誠と徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どうすか。悪くないでしょ!」
誠「悪くないすね(おいしくない)」
徳造「あっしはね、さっきのハナシ聞きながら、パッと考えた」
誠「ほう……」
徳造「成程、まり子は永山チューシンにとっちゃ、倅《せがれ》の嫁だ。永山家の家風ってもンをわからせる。そら、当り前だ。イチャモンつけたアッシが悪かった」
誠「いや、倉島さん、あのねえ、あれはおやじが悪いんすよ」
徳造「そのハナシはもういいの。それよかね、アッシの側《がわ》ね」
誠「ガワっていうと」
徳造「つまりだ。倉島のうちからすりゃアンタは、娘の婿《むこ》だ」
誠「はあ、いずれは、そう呼んでいただきたいと(シチャシチャかんでいる)」
徳造「倉島家の婿になるからには、倉島家の家風をのみこんでもらいたい」
誠「はあ」
徳造「うちは、なんのなにがしの子孫でもないよ。身分もない。金もないよ。でもねえ、誰に遠慮もなく、見栄《みえ》もはンないで、面白《おもしろ》おかしくやってきたよ」
誠「いや、それが本当の人間の暮しですよ」
徳造「アンタね、それ、あしたの朝まで噛《か》んでたってかみ切れないよ。いい加減のとこでのみこまなくちゃ」
誠「あ、そうですか(のみこむ)グッ!」
徳造「酒はスコッチか? 一人前何千円のビフテキなんて思うから、大変なんだ。ベートベンだの、歌舞伎《かぶき》なんて思うから気が張るんだよ。ちょいと体かがめてさ、酒はチュウ、肉はホルモン、見るものはストリップ! こう、決めりゃ、アンタ、世の中|恐《こわ》いもンなしだよ、な? そうだろ!」
誠「そうだ!」
徳造「それが、倉島家の家風よ」
[#ここで字下げ終わり]
●ストリップ劇場[#「ストリップ劇場」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ストリップ嬢のアンヨの間から、かぶりつきで「観賞」している誠と徳造がみえる。
[#1字下げ]誠、徳造にならって、するめをかみ、ポケットウイスキーをぐいのみしながら、ヒューヒューと指を口に入れて、口笛を吹く。
[#1字下げ]肩を叩きあって、至極仲よくやっている。
[#1字下げ]徳造、何か仕方バナシで説明している。
[#1字下げ]なるほどといった感じで拝聴している誠。
[#1字下げ]演技、クライマックスに達した感じ。
[#1字下げ]徳造、何かヤジる。
[#1字下げ]誠もまねる。
[#1字下げ]徳造、うれしくなって、自分の小汚ないハンチングを誠の頭にのっけてやる。
[#1字下げ]二人、肩を組んで、たのしくやっている。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇がきている。
[#1字下げ]まだ帰らない誠を待っている感じ。忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おそいなあ。何してやンだろうなあ」
忠臣「『日高』へ廻《まわ》ったら、勇がきてるからすぐこっちへ帰れっていってあるんだけどね」
勇「オレ、帰るわ」
忠臣「いま、お茶いれるよ」
勇「もう、腹ドブンドブンだよ」
忠臣「もう帰るの」
勇「あ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、内ポケットをゴソゴソやって封筒を出す。
[#1字下げ]忠臣にとって、さびしいような、うれしいような辛《つら》い時間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「これ、今月分」
忠臣「……(モゴモゴ)すまんな、いつも」
勇「じゃあ」
忠臣「うむ……悦子さんによろしくって、たまにゃ遊びにおいでって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇が腰を浮かしたとたん、玄関からドカドカ入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「※[#歌記号、unicode303d]花ちゃんがだめなら
[#ここで字下げ終わり]
[#3字下げ]多摩ちゃんがいるさ」
[#1字下げ]忠臣も勇もあっけにとられている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「※[#歌記号、unicode303d]お金がだめなら
[#ここで字下げ終わり]
[#3字下げ]愛情があるさ
[#2字下げ]とくらァ、おう、今帰ったい!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠、お前……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]フラフラ入ってくる誠の頭の上には、徳造の小汚ないハンチングが……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おう、兄貴、きてたのか! どうだい! 景気は! カアちゃんとうまくやってっか!」
勇「どしたんだ、お前」
誠「ヘヘヘ、ハハハ、いやあ世の中、おもしろいよ」
勇「お前、どうかしたんじゃないのか、え? 小汚ないハンチングなんかかぶって、どしたんだよ」
忠臣「あれ? どっかで見たことが……うむ、まり子のおとっつぁんの、倉島徳造の……」
誠「おごってもらっチッタイ」
二人「おごってもらっチッタイ」
忠臣「あの男にか」
誠「おう、梅割りのんでよ、ホルモン焼ガバッと食って威勢つけてさ、そいから、二人でストリップよ」
忠臣「行ったのか」
誠「いやあ、凄《すご》いぜよ、兄貴。この頃のストリップはね」
忠臣「バカモノ! お前はそれでも永山家の倅か!」
勇「なにやってんだよ、お前は、え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ホルモン焼のスジがはさまったらしく、爪《つめ》でせせっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「下品なマネはよさんか! さっきから聞いてりゃ、品のない歌はうたう、帰ってもまともにあいさつもせん、おまけにホルモン焼の、ストリップの」
勇、誠のポケットから競輪の予想表を抜いて、バンとテーブルの上におく。
勇「競輪じゃないか、いったのか」
誠「研究しとけってもらったんだよ」
忠臣「誠! お父さんは許さんぞ! 断じてそういう下品な輩《やから》とつきあうのは」
誠「ちょっと待ってくれよ。お父さん、昼間何をやった? まり子さんに便所掃除させてたじゃないか」
忠臣「だからさ、それは永山家の家風を覚えてもらおうと思って」
誠「なるほど、結婚すりゃ、お父さんにとって、まり子さんは倅の嫁だよ」
勇「もう決ったのか」
誠「まだだけどさ、でもね、まり子さんのおやじさんにすりゃ、オレは娘の婿だよ」
忠臣「それがどした!」
誠「嫁に家風を教えるのが当り前なら、婿があっちの家風をちょいと勉強したって、悪いってこたァないだろ」
忠臣「え? うーむ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、すわる。
[#1字下げ]ハンチングをとって……いつもの誠にもどる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん。オレね、今晩いろんなこと考えさせられたよ。サラリーマンになったら出世しなくちゃなンない。小さい家よかでかい家に住みたい。背広も高い方がいい。品のいい言葉使ってしゃべる人間のこと上等だ、そう思ってやってきたよ。でもねえ、生き方、暮し方ってのは、色々あるんだよなあ……」
二人「………」
誠「食いたいもの食って、見たいもの見て、楽しんで、そして安らかにねむる、そういう見栄はらない暮しも人間らしくていいなあ。オレ、本当にそう思ったよ」
勇「家にはそういうもンはなかったなあ……」
誠「そうなんだよ」
勇「(しみじみと)いつも、上見て暮してきたもンなあ」
忠臣「………」
誠「お父さん、なにも、オレ、ずうっとこういうマネするっていうんじゃないんだよ。ただね、永山家には永山家の家風があるけど倉島家には倉島家の家風があるんだよ。こっちの家風に合わないから、人間としてダメだ、みたいな言い方はしちゃいけないと思うんだよ。みんなそれぞれのやりかたで、(夢中になって言っている)」
忠臣「花嫁教育は、ほどほどにやれってこったろ」
誠「お父さん」
忠臣「あーあ、倅に意見されるようじゃあ、ワタシもおしまいだねえ」
誠「お父さん。倉島さんがね、こんど一緒にストリップにゆこうってさ」
忠臣「ヘン!」
誠「ゆかないの?」
勇「ゆくよ。ゆくよな、お父さん」
忠臣「まあ、わたしも、倉島家の家風を研究しましょ」
勇「まあ、ストリップどまりにして、競馬、競輪はカンベンしてくれよ」
忠臣「判ってますよ、うるさいなあ。お前は帰れ」
勇「なんだよ。誠が帰ってこないうちは、もちょっといろ、帰るな、お前が帰ってくりゃ、もう帰れ。現金なもんだよ、全く」
忠臣「まあ、ひがむなひがむな、いま、お茶いれてやるから」
誠「あ、オレ、番茶よか玄米茶がいいな」
忠臣「自分でいれろ、自分で」
誠「お茶は一番文句の多い人間がいれる、これが永山家の家風じゃないの?」
忠臣「こいつ!」
勇「今日のとこは、判定でお父さんの負けだね」
忠臣「まあ、先にアメ、シャブらせといてね、そのうちに」
誠「お父さん、お手やわらかにたのむよ」
勇「ああ、お茶のハッパ、こぼして……」
誠「トシだね」
忠臣「文句いうんなら自分でやれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ワイワイやりながら、茶をのむ父と息子たち……。
[#改ページ]
13
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]来客にそなえて食卓をととのえている忠臣。
[#1字下げ]中腰で、ブツブツ言いながら、いつもの席にすわって、目で席順を決めている。表を豆腐屋のラッパが通ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ええと、わたしがここで、こっちが誠で……と、まり子さんがこっち……あ、そうか、やっぱりまり子は、誠のとなりだろうな。誠がそっちでまり子はこっちと、そうすると、勇がそこか、悦子がとなり……あ、そうか、まり子さんの弟、どこにするかだなあ。弟はやっぱり、姉さんのとなり……あれ、そうすると、わたしが……うむ、まり子の弟をこっちにすると……あれ、名前、何てったかな。おーい、まり子さん! まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]答えがない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん! まり子さん! あれ、どこいったのかねえ。はばかりかな。まり子さん! まさかあんまりコキ使うから、逃げて帰ったんじゃないだろうね。まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気ぜわしく、どなりながら立ってゆく忠臣。
●台所[#「台所」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]配膳《はいぜん》台の上には鍋《なベ》ものの用意がととのっている。
[#1字下げ]入ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勝手口から、鍋に豆腐を入れたまり子がいそいで帰ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、お豆腐、もめんごし三丁でしたね」
忠臣「あ、おとうふ買いに出てたのか」
まり子「ハイ」
忠臣「あーあ、お豆腐はもっとそっと……。豆腐買いにゆくときは、いいですか、行きはどんなに急いでもいい。かけ出してゆきなさい。その代り、帰りは、ゆっくり……そおっと、帰る。これが常識じゃないの」
まり子「あ、そうか。お豆腐ってこわれやすいもんですもんねえ。(口の中でブツブツ)お豆腐は、行きはいそいで帰りはゆっくり(覚えている)」
忠臣「その反対は何だか判るかね」
まり子「その反対……っていうと……行きはゆっくり、帰りはいそぐ……」
忠臣「氷屋ですよ」
まり子「あ、氷屋……ほんと!」
忠臣「何にも知らないねえ、アンタは」
まり子「今日は二つ、利口になっちゃった」
忠臣「利口になったのはいいけど……それ、すぐ水張っとかないと(豆腐)」
まり子「ハイ! あ、お取皿《とりざら》、これでいいですか」
忠臣「それそれ。あ。五枚|揃《そろ》いだから、もう一客、いるなあ。ええとああ、そこンとこにブドウの模様のがあったでしょ?」
まり子「ブドウのですか」
忠臣「いや、ブドウよかスジのほうがいいかな」
まり子「スジ……スジ」
忠臣「スジっていうよかシマ……ああ、口でいうよかあたしがやりましょ。あんた、あっちでコンロ、出しといたから、あれ、拭《ふ》いといて頂戴《ちようだい》」
まり子「ハイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、茶の間へ。
[#1字下げ]忠臣、戸棚《とだな》に首をつっこんでゴソゴソやりかけて、ハッと気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうだ、まり子さん! まり子さん!」
まり子(声)「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またすっとんでくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あのね、アンタの弟、名前、何てったかな」
まり子「進一です」
忠臣「そうそう、進一クンか」
まり子「(うなずく)」
忠臣「口やかましいジジイだから、今日のとこは、何いわれてもハイハイっていっとくのよって、アンタ、そういったろ?」
まり子「え? いいえ、そんな」
忠臣「あわてて……言った顔だねえ」
まり子「……(フフ、と笑って)本当のこというと、……言いました」
忠臣「かくしたってすぐ判《わか》るんだ。あんたの三倍もお雑煮食べてたから、嘘《うそ》いったって、……あ、酒がまだだなあ。石川の奴《やつ》、何モタモタしてんだろなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]酒の配達にきて、油を売っていた源助がたつに油を絞られている。
[#1字下げ]ロクさんと一緒に重詰を作りながら、仲裁している京太郎と静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お酒、配達するのに何時間かかんのよ! え!」
源助「いや、だからさ、ねッ! 日高へ届けて、それから、艦長ンとこ配達しようと思ったらさ、相馬中尉がオレもいくから、一緒にいこうって」
京太郎「いや、どうせ、持ってくもンがあるからって」
たつ「なに、それ」
静子「なにって、奥さん、ごらんになりゃ判るでしょ? いろいろね、つめ合せて、お届けするの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子も面白《おもしろ》くないらしく、多少プンプンしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ね、どしたのよ。何かあンの?」
源助「艦長がね、まり子さんと弟、晩メシによんで、長男夫婦に引き合わそうっていうのよ」
たつ「ねッ、ねッ! じゃあさ、『きまった』ってわけ?」
京太郎「いや、そこまではまだらしいんだけどね」
源助「それにしても、え? 二歩前進、三歩前進だよ、ねえ。相馬中尉!」
京太郎「まあね、アタシのみるとこ、ここ一週間ばかり……ね、まり子さん、うちの店へ出てくる前に、艦長のうちへ手伝いにいってるじゃないの。あれで、ぐっと情況がよくなってるね。まあ、艦長は物知らない知らないって文句いってるけどさ」
源助「いやいや。あれ、うれしくてしょうがないのよ」
京太郎「ああ。何てったって、人に文句いって、物教えてりゃ機嫌《きげん》のいい人なんだから」
静子「そういやあ、永山さんここンとこ、お顔の色艶《いろつや》がいいわ」
たつ「そうすっとさ、まり子さん、今日はお店休みってわけ?」
静子「九時には参りますっていってたけど……あと片づけもあるから、無理しなくていいのよって」
たつ「まあ、おたくも大変ねえ。面倒くさいの、やとうわ、やとったと思ったら、休まれるわ、おまけにお重とどけるわ。ロクさんもラクじゃないわねえ」
ロク「いや、馴《な》れてます」
たつ「とにかくね、どこまで面倒見のいいこったか」
源助「いやそういうけどね、お前、一緒にタマの下くぐった戦友ってもンは」
京太郎「石川、アタシにいわせなさいよ。奥さん、それから静子もきいてもらいたい。アンタらからみりゃおかしいと思うだろう。戦後三十年もたって、今更艦長! 相馬|中尉《ちゆうい》でもないだろう。でもねえ、アタシが腸チブスにかかって、軍医もサジを投げたとき、艦長が、自分もハラ下しでフラフラになりながら三日三晩、寝ずの看病をして下すった。もし、艦長のあの看病がなかったら、相馬京太郎は、この世に生きては」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勢いこんでいいかける京太郎の話の腰を、折る女たち。
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たつ「そのハナシなら」
静子「なんべんもききましたよ」
京太郎・源助「あのねえ」
たつ「あたしにいわせりゃね、アンタたちのそういう態度が、永山さんを毒してるわね」
京太郎・源助「ドクしてる?」
たつ「そうよ。毒してるわよ」
静子「奥さん、あたしもそれ言いたかったの。何かっていやあ、『相馬中尉』(敬礼して)『ハッ!』『石川一水』『ハッ!』これで用が足りると思ってるその精神! それが」
京太郎「静子、あのね」
源助「奥さん、それ言っちゃいけない。それは」
たつ「お父ちゃんじゃないのよ。そう! 奥さん、その精神が永山さんをダメにしてんのよ!」
静子「あたしたちはいいのよ。主人がハッ!(敬礼)ならあたしもハッでいいですよ。でもねえ、まり子さんや、あのお父さんは、部下でも何でもないのよ」
たつ「そう! それなのよ。ところがさ、何かあるっていやあ、うちのお父ちゃんがお酒とどける。相馬さんがお重とどける。そいで、ハッ! ハッ!(敬礼)やってんでしょ!」
静子「永山さん、とたんに『日高』の艦長のつもりになってタンタタンタンタカタカタンタタンタンタン(軍艦マーチ)てなっちゃうのよ!」
たつ「今日だってゆきゃ、それよ。そのつづきで、永山さん、いい気持で威張るに決ってんだから」
静子「おまけに誠さんがやさしいときてるから」
たつ「年とったお父さんがかわいそうだと思うのね。よっぽどでなきゃ言わないから」
静子「それと、男は、そこまで気がつかないのよ」
たつ「そう!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スクラムを組まんばかりに肩を組んで物凄《ものすご》い勢いでまくしたてる静子とたつの見幕にびっくりしている京太郎と源助、そして、ロクさん。
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源助「そりゃ、オレたちだって判ってるよ」
京太郎「アタシたちだって、言ってるよ、艦長に。(源助に)なあ、ご意見してるよなあ」
たつ「ダメダメ、大きいこといったって」
静子「『相馬中尉!』っていわれると、『ハッ!』」
たつ「『石川一水』『ハッ!』ヘビにみこまれたカエルなんだから」
静子「そこが軍隊の魔力なんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の女房《にようぼう》、パッと目と目を見合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子・たつ「奥さん……」
静子「あたしたちがいって(ガンと一発のジェスチュア)」
たつ「(うなずく)」
京太郎・源助「おい?(判らない)」
静子「あなた、お重はあたしがおとどけしましょ」
たつ「お父ちゃん、お酒はあたし、もってくわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポカンとしている京太郎と源助。
●永山家・台所[#「永山家・台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子が忠臣に叱言《こごと》をいわれながら、大根の千六本をやっている。
[#1字下げ]うしろで、のぞきながら気をもんでいる誠。(帰ってきたばかりの感じ)
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忠臣「トントントントントントン。もっと軽やかにトントントントン……あーあ、包丁ってのは、おっかないもンじゃないんだから、……ね、左手の爪《つめ》、スレスレのとこを、……トントントントン」
まり子「トントントントン」
忠臣「口でトントンいったってね、大根は切れないの。ね、ハイ、トントントントン」
誠「お父さん!」
忠臣「大きな声出すと手切るだろ。はいトントントントンあーあ、何ですよ。え? これじゃあ千六本てよか十六本ですよ。まり子さんあンた、今まで、千六本、やったことないの?」
まり子「うち、おみおつけの実は、『いちょう』に切ってたんです」
忠臣「永山家は、大根のおみおつけは千六本と決ってるの」
誠「切り方なんて千六本だろうといちょうだろうと、腹ン中へ入っちまえば同じだろ」
忠臣「お前はあっちいってなさいよ。ノコノコ台所へ出てくる男は出世しないぞ」
誠「お父さんはどうなんだよ」
忠臣「わたしは、もはや一役も二役も終っとる人間ですよ」
誠「お父さん、オレはね、(言いかける)」
静子・たつ(声)「ごめん下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと勝手口の戸があいて、岡持を下げた静子と、酒を持ったたつが入ってくる。
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静子・たつ「こんばんは」
忠臣「お、これはこれは。奥さんがた」
静子・たつ「おとどけにあがりました」
誠「お父さん! また……甘ったれちゃいけないって、言っといたのに……」
静子「いいんですよ。どうせ商売ものなんですから」
忠臣「売れのこりの余ったもの、つめてきて頂戴っていったんだから、あ、お酒は二本ね」
まり子「どうも、すみません」
静子・たつ「いいのよ」
たつ「ちょっと、上らせてもらいましょうよ」
静子「そうねえ」
忠臣・誠「どうぞどうぞ」
静子「失礼します。あら、まり子さん、刻みもの?」
まり子「千六本教えていただいてるんですけど、なかなかうまく出来なくて」
誠「いい加減にしろって言ってんですけどねえ、きかないんですよ。オバサンたちからも言って下さいよ」
忠臣「お前は判ってないんだよ。女にとって、主婦にとって台所仕事というものは」
誠「あのねえ、お父さん」
忠臣「(言わせない)毎度引き合いに出してなんだけども、うちの繁子……亡《な》くなった家内ね、この人は実に包丁さばきのいい人だったねえ。朝布団の中で目をさます。みそ汁《しる》の匂《にお》いがプーンとしてトントントントン……包丁の音が聞えてくるんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目を閉じてうっとりとなる忠臣。
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誠「それはね、昔のハナシなんだよ。オレたちはね、朝はパンとミルク(言いかける)」
忠臣「アタシは、ごはんとおみおつけにしていただきたいね。それにアンタ、一週間にいっぺんは大根の実でないと。大根てのはこの、ジアスターゼが」
誠「あのね」
忠臣「そのアンタ、大根がですよ、こんな(まり子の切ったの)十六本じゃあ、アタシはやだねえ」
たつ「あのねえ、永山さん。理屈はたしかにその通りよ。でもねえ、今は世の中がちがうのよ!」
静子「奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけるたつをひじで突つく静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「本当にそうねえ。なんのかんのいっても女はやっぱり炊事、洗濯、掃除がチャンと出来なきゃ」
忠臣「奥さん! さすが、いいことおっしゃる。いやあ、私はね、かねがね奥さんこそ、今や数少くなった日本の女だと思っとりましたよ、うちの繁子に似ておいでなのはお顔立ちだけではない!」
静子「恐れ入ります」
忠臣「奥さん。ひとつ、まり子さんに千六本のお手本をみせて下さいな」
静子「え? じゃあ、ひとつお目にかけましょうか」
たつ「奥さん! 何もわざわざやってみせなくたって……まり子さんの身になってごらんなさいよ。ううん。(小さく)苦労しない人は思いやりがないんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠も、ちょっと面白くない。静子、かまわず、まり子にほほ笑みかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まり子さん(場所、かわって下さる?)」
まり子「おねがいします」
忠臣「ほうら、まり子さん、ようく拝見しなさいよ」
まり子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、トントンと、これがみごとにヘタクソ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「エイショ! エイショッと!」
忠臣「奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、あきれかえる。
[#1字下げ]忠臣、太い一本をつまみあげて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何ともはや」
静子「(いたずらっぽくにっこり笑って)凄いもんでしょう?」
たつ「まあ、人はみかけによンないっていうけど……奥さん、本当にヘタクソねえ」
静子「生れつき手先が不器ッチョでしょう。お嫁にいった当座は、相馬の前の……主人ですけど、舅《しゆうと》に叱《しか》られましたの。でもねえ、しまいには、しかたない、お前の刻んだ、太い千六本のほうが味があっておいしいよって、とってもかわいがってくれましたのよ。『嫁は、気だてだよ』って……」
忠臣「ウーム」
静子「まり子さん、アンタも悲観することないのよ。あたしだって、ちゃんとつとまったんですもの」
まり子「……(おかみさん)」
たつ「奥さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、静子の背中をドンとどやす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あら、奥さん、包丁もってるのに危ない」
誠「オバサン……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつのかげで、片手拝みの誠。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎と源助とロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「大丈夫かねえ」
源助「二人共、鼻の穴、ふくらまして出てったからなあ」
京太郎「何かやらかしてんじゃないだろうねえ」
源助「偵察《ていさつ》にいきますか……」
ロク「いいじゃないすか」
二人「え?」
ロク「たまにはクスリですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ケロッというロクさんにくわれる二人。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]すっかり用意の整った食卓を前に、忠臣が、静子とたつに酒をすすめている。
[#1字下げ]土鍋をはこんでいるまり子。テーブルに盃《さかずき》を配っている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「さあさあ、どうぞおひとつ」
静子「いえ、もうあたしたちは……ねえ奥さん」
忠臣「まあ、そうおっしゃらずに……連中がくるのは七時でしょ? まだ時間もあるしさ、……手伝っていただいたおかげで、用意のほうも整ったんだしさ」
たつ「いいじゃないの、一杯頂いていきましょうよ」
誠「どうぞどうぞ。兄貴はいつだって遅れるんだから、あ、まり子さん……(ついで)」
まり子「はい」
忠臣「コップで……お二人とも強いんだ……」
静子「いやですよ。いくらなんだって、宵《よい》の口から赤い顔してちゃねえ」
たつ「すみません、じゃあ、いっぱいだけ、奥さん」
静子「では、ひとくち……」
誠「どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子つぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いいねえ、『ウバザクラといえども、サクラはサクラかな』」
誠「お父さん!」
静子・たつ「はあ」
忠臣「いやいや。相馬と石川に言っといて下さい。今後、お前らは来んでもよろしい。代りに夫人がたを(言いかける)」
たつ「あ、そうそう。忘れないうちに……ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]束ねた伝票を出すたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「え? なあに、これ」
たつ「九、十、十一月の分……」
誠「あ、伝票……どうもすみません。月末でいいですか」
忠臣「こんなにあったかなあ。計算違ってんじゃないの」
たつ「永山さん! うちは間違えたことなんかありませんよ」
忠臣「ちょっと、まり子さん。そこの引き出しからソロバン」
まり子「ソロバンですか」
忠臣「その下、そこそこ」
まり子「ハイ(出す)」
忠臣「ハイじゃないのよ。あたしがよみあげるから、アンタ、入れてごらん」
まり子「あの、ソロバンですか」
誠「お父さん、何も今やンなくたっていいじゃないか」
忠臣「何を言うか、家計をあずかる主婦にとってソロバンはね。よろしいか、ええと、願いましては千二百五十円なり、三百八十円なり、二千とんで五十」
まり子「三百……いくらでしょうか」
忠臣「何をモタモタしとるんだろうね」
誠「オレ、やるよ」
忠臣「お前はいいんだよ。まり子さん、アンタ、ソロバン出来ないの」
まり子「ええ。ソロバンは……ダメなんです」
忠臣「あのねえまり子さん、ソロバンはダメなんですじゃあすみませんよ。ようし、あしたから、あたしが仕込んで差上げましょう。出来なかったら遠慮|会釈《えしやく》なくソロバンでポカリ!」
誠「お父さん! でっち奉公じゃないんだから」
たつ「誠さん、(制して)永山さん、どうぞ、(ソロバンを前におく)」
忠臣「え?」
たつ「永山さんのお手並、拝見しようじゃないの?」
忠臣「あたしの? そりゃアタシはアンタ、二、一、天作の五ってのは、昔から得意ではあったけども(モタモタやっている)」
たつ「(恐ろしく早口でよみあげる)願いましては千二百五十円ナリ、三百八十円ナリ、二千とんで五十六円ナリ、三千七百二十円ナリ、六百八十円ナリ、五百七十八円ナリ、三百四十円ナリ、千八百十と三円では……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、丸っきり出来ない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「早口ことばやってんじゃないんだから、そんな……ええと七百五十」
たつ「ダメダメ。丸っきりダメじゃないのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、ソロバンをひったくって、ソロバンで忠臣をぐいと小突く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あいたた。何するんだ! え?」
たつ「なにをって、自分の出来ないの棚《たな》にあげて、まり子さんいじめるからよ!」
忠臣「アタシはね、サムライですぞ」
誠「何いってんだよ、お父さん」
忠臣「軍人はサムライですよ。武芸百般には通じとってもソロバンの如《ごと》き商人《あきんど》のアンタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こんどは静子が、ニッコリ笑って……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「武芸百般ておっしゃいますと」
忠臣「剣道、柔道、空手、ひと通り心得ております」
静子「ホホ。そういえば、へっぴり腰で、やあ、なんてやってらしたわねえ(小馬鹿《こばか》にした口ぶり)」
忠臣「へっぴり腰とは何だッ、ヘッピリ腰とは、心得のないものに判ってたまるかい!」
静子「お言葉かえすようですけど、実は、あたくしもいささか」
忠臣「おやりになる……」
静子「ハイ」
忠臣「なにを」
静子「薙刀《なぎなた》を……」
忠臣「面白い! ぜひお手合せを願いましょう!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]唖然《あぜん》として聞いていた一同、とび上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん」
まり子「永山さん」
たつ「奥さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気の強い忠臣、早くもひたいに癇癪筋《かんしやくすじ》を立てて、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、よしなよ。おばさん」
忠臣「とめだて無用。武士がヘッピリ腰と、はずかしめられてのめのめ引き下れるか、さあ、奥さん!」
静子「……お相手させて頂きます」
誠「おばさん」
忠臣「おう! 婦女子といえど、容赦はしませんぞ!」
静子「心得ております」
たつ「奥さん、大丈夫なの?」
まり子「(誠に)ねえ、いいんですか?」
誠「言い出したらきかないんだから……」
忠臣「いざ!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつと誠の照らす大型懐中電灯の光の輪の中に、青眼に木刀をかまえた忠臣と、薙刀代りのほうきを、八双《はつそう》にかまえた白|鉢巻《はちまき》、タスキ姿も勇ましい静子が浮かび上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ヤア!」
静子「オウ!」
忠臣「エイ!」
静子「トウ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]じりじりと追いつめられる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「エイ!(仕かける)」
静子「ヤア!(ダメ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ハアハアいい出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「エイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]裂帛《れつぱく》の気合いと共に木刀をはたき落される。忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「オッ!」
忠臣「小しゃくな! よし、こうなったら、素手でまいるぞ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とびこむところを、ほうきで下から突き上げられて、忠臣、急所を押えて、うずくまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウーム!」
誠「お父さん!」
まり子「永山さん、大丈夫ですか」
忠臣「アタタ、男子の急所をねらうとは、奥さん、ひどい……」
静子「いやだわ、どうしましょう。申し訳ございません。あたくしとしたことが……はずみとはいいながら、はしたない事を……」
誠「大丈夫大丈夫。お父さん、ほら」
忠臣「アタ、アタタ……」
たつ「奥さん! ああ、胸がスーッとした」
忠臣「アタ、アタタ」
まり子「本当に大丈夫ですか?」
たつ「一時間もたちゃ平気……」
忠臣「何をいっとる。アタ、アタタ」
悦子(声)「ごめん下さい!」
勇「こんばんはァ! 上るよ!」
誠「あ、兄さんたち! ハーイ、どうぞ!」
たつ・静子「じゃ、あたしたちは、これで……(目でサイン)どうも失礼いたしました」
忠臣「アタ、アタ、アタタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どやどやと入ってくる勇と悦子、ヘンな格好でうずくまる忠臣をみて、びっくり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「どしたんだよ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まだチラホラの客。
[#1字下げ]カウンターで大笑いの京太郎、健太郎、ロクさん、静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「(母にビールをついでやる)お母さん、やるじゃない!」
静子「悪いと思ったけど、気がついたら、ヤア! やっちまってたの」
健太郎「永山さんはね、そのくらいしたほうがいいって、ねえ、おやじさん」
京太郎「そりゃ、そうだけどさ」
健太郎「おやじさんも、気つけたほうがいいんじゃないの? カワイ子ちゃんに横目使ったりすると、エイ! トウ!」
京太郎「冗談じゃありませんよ。なあ、ロクさん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑いながら、ビールをつぐ健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「今頃、永山さん、少しはおとなしくやってるかな」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、誠、まり子、進一、勇、悦子が酒をのみ、ちりなべを囲んでいる。
[#1字下げ]大笑いの一同。シュンとして、気勢の上らぬ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「そうか。残念だったなあ、え? 一足ちがいでさ、面白いもン見損なったよ」
誠「いや、本当にみせたかったよ、ねえ、まり子さん」
忠臣「フン、親不孝どもが揃いおって、アタタ、アタ……」
悦子「アタタ、アタタって、お父さま、どこやられたんですか」
忠臣「悦子さんもはしたない。ご婦人の前で口にすることの出来ないとこに決っとるじゃないの」
勇「急所か……」
誠「そうなんだよ」
勇「アハハハ」
誠「進ちゃん、ほら(ついでやる)」
進一「大丈夫ですか」
忠臣「やさしいのは、進一クンだけだ、アタタ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]男ども改めて大笑い。
[#1字下げ]まり子と悦子もおかしい。二人とも、目を見合せて、なんとなく笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「石川さんか? 酒屋のおかみさんのほうがやったってんならともかくさ、あのしとやかな『日高』の奥さんがやったってのは、よくよくのことだよ」
誠「オレも、一瞬、我が目をうたぐったね」
勇「お父さんがあんまりまり子さんのことしごくから、見るに見かねたんじゃないの」
誠「その通りだよ」
忠臣「『しごく』なんて人聞きの悪い……あ、イタタ、声出してもいたいよ」
誠「いたけりゃ、大きな声出さないでおとなしくしてりゃいいんだよ」
悦子「やられてんでしょ? まり子さん」
まり子「いいえ。教えていただいただけなんですけど」
悦子「あたしにも覚えがあるのよ」
勇「そうそう、やられてたなあ、お前も」
悦子「三ヶ月にわたって、もう……(明るくカラリと)あんまりなんでね、とっても、お父さまのご用はつとまりません、失礼させていただきますって、サッサと別になっちゃった……」
勇「お父さん、ほどほどにしないと、まり子さんにも逃げられるよ」
誠「オレもそれ言いたいんだよ。あのね、お父さん」
忠臣「ちょっと、ちょっと、アタタ……わたしからひとこと」
誠「演説するといたいから……ね」
忠臣「ひとことことわっておくが、まり子さんは、まだ正式にうちの嫁として認めたわけじゃないんだから」
誠「判ってるよ」
忠臣「嫁候補の一人として、まあ、兄弟や嫁にもみてもらう。そのつもりで今夕はお集りを、アタタ」
誠「ほら、動かないほうがいいんだよ」
進一「本当に大丈夫かなあ」
忠臣「進一クン、君はやさしい。いい青年だ、遠慮しないでワタシの分もお上りよ」
誠「そんな虫の息でいうことないだろ」
悦子「それにしても、よくお店、おやめになったわねえ」
まり子「ちょうど、潮時《しおどき》だと思ったんです。いまやめなかったら一生やめられないって……」
勇「つとめて、何年になるの」
誠「三年……」
まり子「三年です」
悦子「お母さん、何年前に」
まり子「今年で七回忌です……それまでは、何とかやってたんですけど」
悦子「それでお父さんは、どこへおつとめ……」
まり子「え、ええ……つとめ先、言えるようだといいんですけど……」
誠「昔はね、町工場なんか経営して、景気のよかった時代もあったんだよ」
進一「怠け者なんですよ」
まり子「運も悪かったんです」
忠臣「倉島徳造はね、いや、アンタのお父さんはね、あたしにいわせりゃ」
徳造(声)「こんばんは」
一同「あれ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドンドンと玄関のガラス戸を叩《たた》く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「まり子! 進一、きてんだろ! こんばんは」
まり子・進一「お父ちゃん!」
誠「倉島さん……いま、いきます」
忠臣「お父っつぁん、よんだの?」
まり子「いいえ……どしてきたんだろう、あ、誠さん、あたし出ます……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]すでに一杯きこし召《め》しているらしく、フラフラしている徳造。
[#1字下げ]支えるふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「いいよ! 庭から廻っから。勝手知ったる他人のうちだい、オットット」
ふみ江「ほら、アンタ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]庭から廻ってゆく。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]フラフラ、庭から入ってくる徳造、ふみ江。
[#1字下げ]茶の間に忠臣、悦子、進一。
[#1字下げ]縁側に誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん、どしてきたのよ」
徳造「きちゃ悪いのか」
誠「そんな……どうぞ、上って下さい……」
徳造「いや、ここでけっこう。そんなアンタ、招かれもしねえのに、のこのこ上りこんでゴチになったといわれたんじゃあ、倉島徳造の男がすたらァな」
誠「まあ、そう言わないで、いやあ、よばないつもりじゃなかったんですけどね、兄貴もね、倉島さんには、お目にかかってるけど、弟の進ちゃんはまだだから……まあ、今晩のとこは、おたがいの兄弟同士の引き合せってことで……ね、まり子さん」
徳造「誠さん。アンタ、気、使わなくたっていいんだよ。おう、永山チューシン、どしたい。今晩は、バカに色艶が冴《さ》えねえな」
忠臣「そんなとこ、突っ立ってないで……あけっぱなしはサブいよ」
誠「さ、倉島さん」
まり子「お父ちゃん、上ってあいさつして……」
ふみ江「アンタ、皆さんもそう言って下さるんだから。いえね、どしてもひとことあいさつしたいっていうもんだから、よしなっていったんだけどね」
徳造「(ふり切る)おう、兄《あに》さん、久しぶりすねえ」
勇「その節はどうも」
徳造「となりは、嫁さんですかい、いいなりしちまって」
誠「とにかく上って」
徳造「いや、今晩は上ンない! その代りね、ひとこと、報告にきたんだ」
まり子「なに? お父ちゃん、報告って」
徳造「(ふみ江を指して)ちゃんと、することにしたんだよ」
まり子「ちゃんとするって……」
徳造「ま、今晩、こやって、進一までよばれて、ガン首そろえてるとこみると、いずれはまり子はこのうちの嫁だよ、そだろ」
忠臣「いや、あたしは、まだ正式には」
徳造「じゃ、略式でもいいや。しかるに、親のアタシに、声がかかンないってことはだ、ヘンな女とくっついてやがるから……ってこってしょ」
まり子「お父ちゃん……」
徳造「いや、いいんだよ、その通りだよ。な、これじゃ、お前の結婚式のときだって、かっこがつかねえや、そこで、考えた! 籍入れて、パアッと結婚式あげてみせようじゃねえか」
まり子「結婚式って、お父ちゃんが!」
忠臣「結婚式……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]びっくりしたり、あきれかえったりの一同。
[#1字下げ]しかし、いきなり笑い出すふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ハハ、ハハハハハだ!」
まり子「おばさん……」
ふみ江「ちょいとアンタ、それ言いたくてアタシのこと、引っぱってきたのかえ? 人、バカにするのも大がいにおしよ。まり子さん、うちの人ったらね、いい年ぶっこいて、自分の娘よか若い女の子に色目使って」
徳造「おい! バカ!」
ふみ江「ゆきつけのパチンコ屋の女の子に……赤い皮の腕時計、買ってやってんのよ」
まり子「お父ちゃん!」
徳造「腕時計ぐらい何だってんだ。いつもオール二十、ザッザッ、ザッザ出してくれてるネエちゃんだから、たまにゃ」
ふみ江「人にみつかって、かっこがつかないもンだから、籍入れるの、式あげるのってごまかして!」
誠「とにかく上って」
ふみ江「アンタね、その前にすることあんだろ! 何てとこ勤めてます! ちゃんと人前でいえるとこに、仕事めっけて、ハナシはそれからじゃないのかい! え?」
忠臣「ハーハーハークション!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターでションボリすわるまり子。
[#1字下げ]慰さめ顔の京太郎、静子、健太郎、ロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「娘よか一足先に結婚か」
まり子「母が亡くなって七年ですから……おばさんにも、ふみ江さんていうんですけど、別に、どうこうって気持、ないんです。あんな父の面倒みてくれて、すまないなって気持ですけど……」
静子「まあねえ、勇さんやなんか、みんな集ってるとこで、いきなり言われたら、ねえ」
健太郎「おやじさんの気持も判《わか》るけどねえ」
京太郎「娘の晴れの席に痴話ゲンカもちこんじゃあいけないやねえ」
静子「永山さん、そういうこと、おきらいなタチだから」
健太郎「今ンとこ、女っ気どころか全然もててないからねえ、永山さんはねたましいんじゃないの?」
静子「案外、それもあるわねえ」
京太郎「どっちにしてもまり子さんは、苦労だなあ」
静子「どうするの? それで」
まり子「誠さんが、オレにまかせろ、考える……っていってくれてんですけど」
京太郎「『老いらくの恋』か……いや、あたしもね、いい年して、こいつに惚《ほ》れてね、ちゃんと式あげたから判るんだけどね、お父さんの気持が……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]客が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「いらっしゃいまし!」
京太郎「お、編集長さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]客は、久米とママの順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、ママ」
順子「久米さんがね、顔見にいこうってさそって下すったもんだから……」
静子「いらっしゃいまし」
順子「まり子ちゃんがお世話になっております」
久米「どう? 元気にやってる?」
京太郎「元気は元気なんですけどね、この人もいろいろと大変だ」
久米「世の中に大変でない人なんていないのよ。あ、お酒お酒」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、すわりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「そうだ。忘れないうちにメモしとかなきゃ……(手帳を出して)ええと(プラモデルの名前とナンバー)だったね、ママ」
まり子「なんですか、それ?」
久米「ママの息子のね」
順子「あたしは何べん聞いてもダメなの。男の子のオモチャってむつかしいわねえ」
久米「二、三日待ちなさいって、必ず、さがしてきたげるから」
順子「よろこぶわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]少しはなれたところで、じっとみている健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「(小さく)こっちも老いらくの恋じゃないの」
静子「健ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・台所[#「永山家・台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]エプロンをかけた悦子が洗いものをしている。
[#1字下げ]汚れた皿を下げてくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、義姉《ねえ》さん、あと、ぼくやるから」
悦子「いいわよ、もう一息だから……そんなことよか、誠さん、あなた、ほんとに大丈夫なの?」
誠「え?」
悦子「まり子さんは、感じいい人だわ。でもねえ、あなた、あのお父さんと一生つきあってく自信、あるの」
誠「………」
悦子「うちのお父さんだけで大変なのに……あなた、父親運が悪いわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酔って食卓にもたれてねている忠臣を、ゆり起している勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「ほら、そんなとこでねこんだら、カゼひくだろ。お父さん! お父さん。おい誠、手貸してくれよ、重くてもち上ンないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]くる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いつもオレ一人でやってんだからね」
勇「判った判った。どうも、ごくろうさんです。ドッコイショ!」
誠「ほら、お父さん」
忠臣「まだいたいんだよ、アタタタ」
誠「自分が悪いんじゃないか、ほら」
勇「お父さん、世話やかすんじゃないよ」
忠臣「オレよかもっと世話やかしてるおやじがいるからね、あの年で結婚式……ヘヘ、ありゃ一体、どういう気してんのかねえ。子不孝というか」
誠「ほら、文句はいいから、起きなよ、ヨイショ」
忠臣「アタタタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手を拭きながらの悦子がみている。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]働いている誠、土岡、秋子、内山たち。
[#1字下げ]編集長のデスクの電話が鳴る。
[#1字下げ]誠と土岡、同時にとろうとして、結局、誠がとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「女性時代編集部……」
順子(声)「久米さんいらっしゃいますか」
誠「久米さん……編集長、只今《ただいま》出かけてるんですが」
順子(声)「お出先は……」
土岡「(判らない)」
誠「ちょっと判らないんですが、一時間ぐらいでもどると思いますよ」
順子(声)「どうも失礼いたしました」
誠「あの、どちらさん……モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]切れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「女だろ」
誠「うむ」
土岡「誠ちゃんも、カンが悪いねえ、声で判んないかなあ」
誠「え?」
土岡「『かもめ』のママ……」
誠「あ、どこかで聞いたことあると思ったけど……そうか『かもめ』のママだ」
土岡「ありゃ、本気だね」
誠「まさか、せいぜい浮気だろ」
土岡「浮気じゃあ、逢《あ》ったこともない、ひとの息子のオモチャは買ってこないね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]デスクの上のプラモデルの箱。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ママの息子のか」
土岡「この頃、編集長、何かっていやあマンガやプラモデルのハナシするだろ?」
誠「そうか……どっち向いても……」
土岡「まり子さんのおやじさんといい、うちの編集長といい……狂い咲きの季節かね、こりゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドアがあく。
[#1字下げ]若い娘、純子が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「あの、どなたさま」
純子「こんにちは(ニッコリ)」
秋子「あの?」
純子「あら、パパ、出かけてるのね」
秋子・内山「パパ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]つかつかと久米のデスクのそばへくる純子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
純子「あら、あなた、永山さんでしょ」
誠「え?」
純子「あなた、土岡さん」
土岡「え?」
純子「ちゃんと写真で知ってるの。パパがいつも、誠ちゃんとひろしちゃんのハナシしてるから」
誠「ああ」
土岡「編集長の……お嬢さん」
純子「純子です。はじめまして」
誠・土岡「どうも……」
誠「あの、編集長、いまちょっと……でかけてんですけど……」
純子「ちょうどいいの。パパに用があってきたんじゃないんですもの、永山さんとオハナシが……あら、これなあに……プラモデルじゃないの?」
土岡「いや、その、これは、ちょっと、その、来月号の特集に使うもんで……」
純子「ね、コーヒー、ごちそうして下さらないかしら」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]誠と純子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
純子「お願いがあるんです」
誠「判った! 今月号の懸賞の一等のフランス製のスカーフ、そっとアタシにっていうんでしょう」
純子「そんなんじゃないわ」
誠「お砂糖は、二つ?」
純子「……アタシを『かもめ』ってバーへつれてってほしいの」
誠「『かもめ』」
純子「永山さんの恋人、『かもめ』にいたまり子さんて人なんですってね」
誠「何でもしゃべっちゃうんだなあ、編集長……」
純子「ママも素敵だけど、まり子さんも素敵だ。でも、永山さんのお父さん、すごく頑固《がんこ》でなかなかウンていわなかったんですってね。それに比べたら、オレは物判りがいいおやじだって、すごく威張るの」
誠「ミルクは?」
純子「いれないで。……でもねえ。この二、三週間かな、パタッと、ハナシしなくなったんです」
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]じっと誠の目をみつめる純子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「………」
純子「前は、『かもめ』のママさんは、お前と同じ名前なんだ、だから、お父さん、ひいきにしてんだっていってたのに……この頃は……」
誠「………」
純子「ママに頼まれてきたんじゃないの、あたし、自分の、自分ひとりの気持で……」
誠「………」
純子「お願い、あたしを『かもめ』へ連れてって」
誠「いって、どうするの」
純子「どんな人かみてみたい」
誠「それで」
純子「………」
誠「(笑う)そういうのをね、思いすごしっていうんだなあ」
純子「思いすごし?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる久米。
[#1字下げ]誠、気がつかない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長ってのは、ほら、陽気にワァって騒いじゃう方でしょ? ね? ああいうタイプの男はダメなの、モテてもカラモテでね」
純子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、編集長に気がつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「娘の思うほど、パパはもてない……なんていうと、君に悪いけどさ」
純子「……本当?」
誠「本当」
純子「何かあったら、相談にのって下さる」
誠「うん」
久米「どした。小遣いせびりにきたんだろ」
純子「パパ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すかさず、手を出す純子に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃん、彼女の手のひらにおやじの前借り伝票でものっけといて頂戴《ちようだい》な」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]フフと笑う純子、その頭を小さく小突く久米。
●ビルの屋上[#「ビルの屋上」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]夕焼を背に、たばこをすう誠と久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「男が女に惚れる。こりゃ、どう止めようったって止められないもンですよ。正しいとか悪いとか、そんな理屈じゃ、どうしようもないもンですよ。でもねえ、どんなことがあっても、お嬢さんに心配かけちゃいけないよ」
久米「………」
誠「娘にとって父親ってのは、最初の男と同じだっていうじゃないですか。絶対のもンですよ。その絶対のものに裏切られるってのは、そりゃさびしいもンだって……まり子さんがしみじみいってましたよ」
久米「………」
誠「お嬢さんに……まり子さんと同じ気持味あわせたりしないように……頼みますよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、うなずいて、ゆっくりたばこを踏み消す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「お説教はそれでおしまいですか」
誠「……編集長」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、ポケットから、名刺とメモを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「東亜印刷株式会社」
久米「五十人ばかりの小さな会社だけどね、手がたくやってるとこだ。今、営業を探してるんでね、倉島さん、ゆく気があるんならと思って、紹介状書いといた」
誠「編集長……」
久米「お説教ついでに、今晩同じこと、もういっぺんいうんだな。『結婚式』よか『就職』の方が先じゃないんですか。これ以上、娘に苦労かけちゃダメだよって……」
誠「……編集長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]頭を下げる誠。
●「ホルモン焼屋」[#「「ホルモン焼屋」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠と徳造。
[#1字下げ]紹介状を押しいただく徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「誠さん、俺《おれ》ァやる! こんどはやるよ!」
誠「頼みますよ、これ以上、まり子さんに苦労かけちゃかわいそうだよ」
徳造「まり子よかね、アンタだよ。アンタの口ききで入って迷惑かけたら、アンタの面目丸つぶれだもンなあ」
誠「お願いしますよ」
徳造「ようし! 酒もやめる! たばこもよす! 競馬、競輪、ストリップも……」
誠「倉島さん、それがいけない」
徳造「ヘ?」
誠「みんなよすから、さびしくなって、エイ! みんなやっちまえ! ってもとに戻《もど》るんですよ。酒は働いた日だけ、たばこは一箱」
徳造「競馬、競輪、ストリップは」
誠「休みの日だけ」
徳造「おう!(胸を叩《たた》く)あいて」
誠「それから、これ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]内ポケットからお祝と紅白の水引のかかった包みを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「ヘ?」
誠「ご結婚おめでとうございます」
徳造「誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造の顔が下うつむく。
[#1字下げ]水っぱなをすすって、誠の肩をポンと叩く。もひとつポンと叩いて、涙声で……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あ、あ、ありがとよ」
[#ここで字下げ終わり]
●結婚式場[#「結婚式場」はゴシック体]
[#1字下げ]ささやかな神前結婚式の式場。
[#1字下げ]借着らしいダブダブのモーニング姿の新郎の徳造と、これも借着の色紋付のふみ江が、神官、巫女《みこ》の前で、三々九度の盃。
[#1字下げ]居並ぶのは誠、忠臣、まり子、進一、久米編集長、土岡、京太郎、静子、源助、たつ。
[#1字下げ]水っぱなをすする徳造。
[#1字下げ]目がうるんでいるふみ江。
[#1字下げ]じっとみる誠、まり子、そして忠臣。ふるえる手でのむふみ江。
[#1字下げ]静子が京太郎を突つくようにすると、「あの時、あたしたちも……」その目がいっている。
[#1字下げ]うなずく京太郎。
[#1字下げ]たつが、源助を小突く。
[#1字下げ]鼻をすする源助。
[#1字下げ]徳造がのむ。巫女がついで……ふみ江をうながす。
[#1字下げ]ふみ江、こらえ切れずウ、ウと泣いてしまう。
[#1字下げ]まり子の目にも涙、じっと誠をみつめる。
[#1字下げ]うなずく誠。
[#1字下げ]静子、たつが泣いている。
[#1字下げ]そして、チーンとハナをかむ忠臣。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ケチな引出物の折詰を肴《さかな》に一杯やっている忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「※[#歌記号、unicode303d]高砂《たかさご》や この浦舟に帆をあげて……」
忠臣「まさに、『高砂』だね、ありゃ」
誠「え? なによ」
忠臣「倉島徳造とあの花嫁ですよ、花嫁ったって、五十は出てるけどさ」
誠「そういうの、高砂っていうの?」
忠臣「今の若いもンはこれだから……みんな、結婚式の時に何かっていやあ『高砂や』なんてうたうけどね、もともとは、こりゃ能なんですよ」
誠「お能」
忠臣「祝言物《しゆうげんもの》といってね、作った人は世阿弥《ぜあみ》だったかねえ。九州|阿蘇《あそ》の神官が都へ上る途中、高砂という所へ立寄るんだよ」
誠「場所の名前か……」
忠臣「そこで相生《あいおい》の松の」
誠「アイオイって何だよ」
忠臣「相生ってのはね、相手のアイに生れる、アイオイ。一本の根っ子から、幹が二本生えてる木があるだろう。相生の松ってのは、めでたいとされてんだよ」
誠「ああ、それ相生ってのか」
忠臣「相生の松の精であるところの」
誠「尉《じよう》と姥《うば》」
忠臣「ジョウはじいさん、ウバはバアさん」
誠「あるだろ? 結納によくのっかってる、ほうきもった」
忠臣「そうそう。ありゃ、松葉掃いてんだよ。ジョウとウバにあって、古今の松の神秘にことよせて人生についてきかされる、という」
誠「その通りだよな」
忠臣「え?」
誠「今日の結婚式さ。ほんと……高砂だよ。よかったよなあ……」
忠臣「フン……(食べている)」
誠「もう人生の峠はとうに越したっていう男と女がさ、二度目の伴侶《はんりよ》みつけて、三々九度なんてのは……オレ達にゃ判んない味わいがあるんだろうなあ」
忠臣「あたしにいわせりゃ、老醜だね」
誠「泣いてたくせに、強がりいって」
忠臣「泣いとったのは、日高と石川のカミさん達じゃないか?」
誠「お父さんも泣いてたよ」
忠臣「カゼっ気なんですよ」
誠「そいじゃあ、酒なんかのんでないで、早くねなよ」
忠臣「あ、そのカマボコ」
誠「カマボコカマボコって、子供みたいになんだよ、ホラ」
忠臣「人にものくれる時にはもっと丁寧にしなさいよ。ハシサバキの悪い奴だな、しょう油!」
誠「しょう油ぐらい自分で……」
忠臣「お前のと一緒でいいや」
誠「まり子さんもこれで安心だよな」
忠臣「お前はね、よその親にゃやさしいんだよ」
誠「なんだよ」
忠臣「もしも、もしもですよ。アタシが若い女に惚れて一緒になりたい。結婚式もあげたいっていったら、お前何ていう。いい年して、お父さん! 世間体考えろ! 反対すンに決ってんだよ。惚れてる女のおやじだと、ハイ、就職探しましょ! ハイ、結婚式、ハイ貸|衣裳《いしよう》、みんな一人で飛び廻ってさ」
誠「ひがむんじゃないよ」
忠臣「ああ、どしてオタフク豆、食べちゃうの、それ一つぶしかないんだから」
誠「食べたい物、先言ってくれよ。エビ食いたい、カマボコ食いたい、ハムもオレだ、オレの食うもンないじゃないか」
忠臣「全く、自分の親にはジャケンなんだから……」
誠「口惜《くや》しかったらね、お父さんも相手さがしてきなよ」
忠臣「相手がいりゃ、結婚式あげても文句いわないんだな」
誠「ああ、文句どころか、帝国ホテルで式あげて、新婚旅行は世界一周させてやるよ」
忠臣「相手がいないと思って大口叩きおって、あとでほえ面《づら》かくなよ」
誠「みつかってからいばりなって」
忠臣「あ、アタシのダテ巻!」
誠「もう! みんな食いなよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やりあいながら、酒をのむ父と子。
[#改ページ]
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●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]昼下り。
[#1字下げ]開店前の椅子《いす》をあげた店内で、京太郎が静子に散髪をしてもらっている。
[#1字下げ]茶をのみながら、羨《うらやま》しそうに見ている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いやあ、いい手つきだ……」
静子「いやですよ、永山さん」
忠臣「奥さんの手つきもいいけど、相馬の顔もまあ……。鼻の下、伸ばしちまって」
京太郎「艦長……」
静子「ほら、動かないで下さいよ(グイと直される)」
忠臣「まあ、その手つきなら、ねえ、万々一、相馬がポックリいって[#「いって」に傍点]も、床屋やりゃ、奥さん一人食べてくぐらいのことは」
京太郎「艦長……」
静子「あなた……(また、ぐいと直しながら、忠臣に)今晩は、何時なんですか」
忠臣「え? ああ、倉島徳造ンとこのお招《よ》ばれですか? 一応七時ってことなんでね、六時半に誠の会社へ」
京太郎「誠さんの会社へ行かれるんでありますか?」
忠臣「いや、それで今朝、出がけにひと騒動あったんだけどね、『お父さん、編集部へこなくていいから、下の喫茶店で待ってろ』こうなんだよ」
京太郎「いや、そりゃね(言いかける)」
忠臣「あたしは、いってやりましたよ。『お前の会社は、なにか? 事務机一つおいて、電話共有かなんかでやっとるモグリ出版社か! そりゃね、ひとつの事務室に、いくつもの会社があるってとこなら、そりゃ、あたしだって遠慮しますよ、でもねえ、編集長だって、土岡ひろしクンだって、よく知っとる仲じゃないか。いつも倅《せがれ》がお世話になっとります、みかんの一袋も買って挨拶《あいさつ》ぐらい』」
京太郎「艦長」
静子「永山さん」
忠臣「『誠、お前は、そんなにこのおやじが恥かしいのか。なぜ人前に』」
京太郎「まあまあ艦長、お気持は判りますけどね、子供ってのは、親に、自分の仕事場みられるの、テレくさいんですよ」
静子「健太郎もそうですけどね、うちじゃ子供でも、世間へ出りゃいっぱしの顔したいんですよ」
京太郎「そうそう。悪気はないの!」
忠臣「あたしは犬じゃありませんよ。おもてで待ってろ、とは何事だって」
京太郎「まあまあ艦長」
静子「あなた……動くとあぶないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、ぐいと、手荒く、京太郎の頭を引きもどしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まり子さん、本当にいいんですか? お店のほうは、ねえあなた」
京太郎「そりゃね、まり子さんいてくれりゃ、こっちは助かるけど、なあに一晩ぐらい……」
静子「そうですよ。あのお父さんが永山さんと誠さん、招ぶっていうんなら、ねえ、まり子さんも一緒のほうが」
忠臣「いや、今晩のとこは、アタシと誠にこいっていうんだから……いいじゃないの。それと、何てったって勤めは勤めですよ」
静子「そりゃ、そうですけどねえ……」
京太郎「しかし、なんだってまた、まり子さんのお父っつぁんが、艦長と誠さんを」
忠臣「向うの口上ではね、まあ、『今回、就職の面倒もみてもらった。晴れて、結婚式ということについても、ひとかたならぬお世話になった。アバラ家でお恥かしいが女房《にようぼう》の手料理で、ご馳走《ちそう》をしたい』とこう言うんだねえ」
静子「いいとこあるじゃあありませんか、倉島さんも」
忠臣「まあ、ご馳走といったところで、あの連中のこってすからね、どうせ、大したもんじゃないと思うがね」
静子「あら、永山さん、ご馳走なんてものは、『味』じゃなくて、気持ですよ」
京太郎「そうそう。大体、馳走という意味からして、主人がもてなすためにあちこち走り廻《まわ》ってととのえるという意味から発しているんだから」
忠臣「そりゃ、アタシが教えたんじゃないの」
京太郎「あれ、そうですか」
忠臣「あたしゃ、本当はね、そんなとこへのこのこ出かけてって、ご馳走になんかなりたくありませんよ。でもねえ、誠の奴《やつ》が、お父さん、せっかくいうんだからって、否応《いやおう》なしなんだねえ」
京太郎「そりゃ、誠さんにすりゃ、あれだけ惚《ほ》れてるまり子さんの親だもの……」
忠臣「まあ『牛に引かれて善光寺参り』ってのはこのこってすよ」
京太郎「艦長」
忠臣「え?」
京太郎「気をつけて下さいよ」
忠臣「え?」
京太郎「今晩はどんなことがあっても腹を立てない」
忠臣「そら無理だ。大体あたしはねえ、あの倉島徳造って男とは、人間のタチが違うんだ。することなすこと、カンにさわってだな」
京太郎「カンにさわっても顔に出さない。ましてや口に出して」
忠臣「いや、相馬、そういうけどねえ」
京太郎「誠さんが可愛《かわい》かったら、どんなことがあっても」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、いきなり京太郎を蹴《け》っとばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「アイタ!」
静子「(言わせない)そこが永山さんのご立派なとこだわねえ(うっとりと)」
忠臣・京太郎「え?」
静子「いえね、あたくし、前から感心してましたの、永山さんて、そう言っちゃなんですけど、ふだんはお叱言《こごと》の多い方でしょ?」
京太郎「そりゃもう、艦長の」
静子「でもねえ、ここ一番てときはぐんと度量が大きくなるのよねえ」
京太郎「え?」
静子「さすがは、元巡洋艦『日高』の艦長さんだけのことはおありになるって、あたくし」
忠臣「え? まあ、そりゃねえ」
静子「今晩だって、みててごらんなさいな、お茶がぬるくても、オカンがあつくても、けっこうけっこう」
京太郎「いや、そうはいかないのよ、もう叱言に関しちゃアイタ!」
静子「お料理がお口にあわなくても、お給仕がゆきとどかなくてもぐんと大きく、けっこうけっこう」
京太郎「そうはいかないのよ」
静子「(アナタ!)やっぱり、軍艦一|隻《せき》を預って人の上に立たれたお方はちがうんですねえ」
忠臣「そら奥さん、ポンポン蒸気の船長とはワケがちがいますよ。何百人という部下の生死をにぎっておった男です。小さなことにこだわっとったら」
静子「そこなのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戸があいて、出勤してくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おそくなりました」
静子「まり子さん」
まり子「あら、永山さん、いらしてたんですか」
忠臣「いえね、今晩はアンタのおとっつぁんにお招きいただいてるってハナシをしてたとこ」
まり子「ご迷惑かけて、本当に申しわけありません。あたし、お呼び立てしたらかえって失礼だから、よしなさいっていったんですけど、どうしてもって」
京太郎「まり子さん、あのねえ、いま、アタシたちからも、ようく(申し上げたから)」
まり子「あたしも、この間、いったんですけど、本当にむさくるしいとこで、散らかってますし……もう、永山さん、きっとあきれると思うんです。おばさんもいい人ですけど、キチンとしてるってほうじゃないし……いろいろお気に召さないだろうって」
静子「まり子さん、そのことならね」
まり子「いらしても、きっとご気分こわされると思うんです。今から、お詫《わ》びをしておきます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]頭を下げかけるまり子におうように笑いかける忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん。見そこなっちゃいけませんよ」
まり子「はあ?」
忠臣「わたしはね、今こそ、どうしようもないクソジジイだが、元はといえばいやしくも、巡洋艦『日高』の艦長をつとめた人間ですぞ」
まり子「はあ……」
忠臣「こまかなことにいろいろ文句つけるほど、卑小な人物ではないつもりだ」
静子「(うなずく)」
忠臣「何があっても、間に入るアンタや誠が困るようなことは、絶対にないから、安心して待っとりなさい」
まり子「はあ」
忠臣「ぬるいお茶もいいじゃないか、欠けた茶碗《ちやわん》も、風流じゃないか。散らかった住いも、味があるじゃないか。お気持だけでうれしく頂戴《ちようだい》いたしましょう」
静子「(まり子に)そういうかたなのよ、永山さんて」
京太郎「(これも調子を合せて)そうでなくちゃ、三十年もつきあってないよ」
忠臣「(ゆったりと笑う)ハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]半信半疑のまり子……うなずきあう京太郎と静子。
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ウイスキーにのし紙をかけているはな子。
[#1字下げ]忠臣、源助、たつ。
[#1字下げ]店でほかの客の応対をしている宇佐美クン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「艦長殿、のし紙はどうするんでありますか」
忠臣「粗品ってかけて頂戴、粗品……」
はな子「これだな」
忠臣「それだそれだ。あ、ちょっと待ちなさいよ。鼻黒一水!」
はな子「は?」
忠臣「下にね、永山忠臣と書いとかんとね」
源助「ヘイ、艦長(硯箱《すずりばこ》)」
忠臣「はい、ありがと、なんだい、こりゃ、ほこりのたまった硯箱だねえ。え? 筆なんかガチガチになっとるじゃないか。商人がこんなこっちゃダメですよ? え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、だまって忠臣に枡《ます》をもたせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ハイ、永山さん」
忠臣「奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、無言で枡に冷酒をつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こりゃ一体、どういう風の吹き廻しかねえ?」
たつ「永山さん、言いにくいこといいますけどねえ、気悪くしないで聞いて下さいよ」
忠臣「何だね、また、改まって」
たつ「永山さん、一体、誰《だれ》に死に水、とってもらうつもりなの」
源助「おい! バカ! 死に水とは何だよ、縁起でもないこというんじゃないよ」
たつ「お父ちゃんはいいのよ。お父ちゃんの死に水はアタシがとってやるから、ガタガタいわなくたっていいのよ。アタシは永山さんに聞いてんだから」
忠臣「奥さん。先のみじかい人間に、何も死に水の話しなくたって」
たつ「永山さん、そりゃ永山さんには、いまだにいい部下がいるでしょうよ。相馬|中尉《ちゆうい》、ハッ! 石川一水、ハッ! でもねえ、永山さん。アンタの死に水とるのは、誠さんと、誠さんのお嫁さんなのよ」
忠臣「アタシは誰の世話にもなりません!」
たつ「人間その通り出来たらみんなもっと威張ってるわよ。人間てのはね、十月《とつき》十日かかって生れる代り、死ぬときも、なかなかどうしてポックリ死ねないのよ」
源助「バカ、お前。なんだって、死ぬ話」
たつ「だからね、今晩、倉島徳造のとこであんまり威張るなっていってんのよ」
忠臣「あのね、奥さん」
たつ「このままゆきゃ、まり子さんは、誠さんと結婚するわよ。永山さん、アンタ、長男の世話になる気はないんでしょ」
忠臣「勇の嫁とはソリが合わないんだよ」
たつ「だったらね、今日のとこは、何いわれても、ハイハイ、下手《したで》に出て」
忠臣「おい、石川、お前の細君はみかけによらず苦労性だねえ」
たつ・源助「はあ?」
忠臣「わたしが誠に恥をかかすようなマネ、するわけがないじゃないか」
たつ・源助「永山さん……」
忠臣「まあ、何ですよ。人間、トシとると、体がきかなくなる代り、ユトリが出来るのかねえ。人の落度に腹が立たなくなるんだねえ。到らないのが人間だ。手落ちがあるのが人生だ。なあ、鼻黒一水!」
はな子「ハッ! 艦長殿!」
源助「艦長!(小さく)今日はバカに上出来じゃないすか?」
たつ「……大丈夫かねえ」
源助「え?」
たつ「(小さく)こういうときに限って、何かコトが起るんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ポカンとしている久米編集長、土岡、そして誠。カメラマンの内山と秋子もびっくりしている。
[#1字下げ]ひかえ目な態度で全員にあいさつをする忠臣。何のつもりかケチなバラの花束など抱えている。(ウイスキーの箱も)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お忙しいところを、なんでございますが、永山誠のおやじでございます」
誠「お父さん!」
忠臣「いつも、倅がお世話さまに」
誠「お父さん! 編集部へはくるなっていったろ。忙しいんだから、下のビーワンで六時半に」
忠臣「いま、いくよ。ガアガアいうな。いや、倅はくるなといったんですがね、ひとこと編集長さん以下皆さんにごあいさつをと思いまして」
久米「そりゃそりゃ、ごていねいに」
誠「ごあいさつならもういいから。下で……ね、下!」
忠臣「下、下って、いわれなくたってゆきますよ。あ、そちら、秋子さん、とおっしゃいましたか? 何かと思ったんですが、イモはふとるから、アンパンも月並だって倅が文句いいますんでね、今日は、お花を……」
秋子「まあ、ステキ」
久米「ほう、バラの花束とは、お父上、さすがは元海軍大佐。スマートなもんじゃないの」
土岡「いやあ、お父さん、見直したなあ」
忠臣「それじゃあ、あたくしはこれで……誠、下にいるけど、あたしは待つのはかまいませんよ。仕事、チャンとすましてから……な、どうもご無礼を」
誠「どうしたんだよ、一体、え? 死に目が近いんじゃないの」
内山「永山さん!」
忠臣「おじゃまをいたしました」
久米「まあまあ。お父上、秋子ちゃん。お茶!」
忠臣「いやいや、お仕事中、おじゃまをしては」
久米「社員何千人、何百人て大会社じゃあるまいし。ごらんの通り、チマチマとやってるとこですよ。秋子ちゃん、早くお茶」
誠「編集長、いいですよ。下で待たしときますから」
土岡「誠ちゃんも……お父さん、タクシーじゃないのよ、下で待たしとくっていい方ないだろ」
久米「下でお茶飲まなくたって、上で飲んでらして下さいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、殊勝らしく誠をチラリとみて、
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忠臣「皆さん、こんなにおっしゃって下さるんだが、おすすめにしたがってもいいもんかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながら、忠臣、チャッカリと久米の前に腰をおろしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(小さく)お前、迷惑ならお父さん、下で待ってるよ」
誠「とか何とかいいながら、チャッカリすわってるくせに……」
土岡「誠ちゃん、そんないい方、するんじゃないよ」
誠「編集長、土岡さんも……かまわないで下さいよ」
久米「誠ちゃんは、いいの。だまってキリのいいとこまでやっちゃいなさい」
秋子「どうぞ(お茶)」
忠臣「あ、どうかおかまいなく」
誠「ほんとに、かまわないで下さい。全くもう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ブツブツ言いながら、仕事を片づけている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「何ですか、今晩は、お揃《そろ》いでお招《よ》ばれだそうですな」
忠臣「ひょっとすると親戚《しんせき》になるやも知れん相手でございますから……よろこんで、出向いとるようなわけで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ヘンな目でジロリとみる。
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久米「そりゃそりゃ。お父上もいろいろとごくろうさまなことですな」
忠臣「これも、浮世の義理というやつで……」
土岡「あ、お父さん、その椅子《いす》、スプリングが出てますから、ボクのクッション」
忠臣「こりゃこりゃ。土岡クンは、いつもながら、おやさしい……」
誠「(じろり)」
忠臣「それにしても。子供というのは、どうも親を見くびっとっていけませんな」
久米「見くびってますか」
忠臣「ああ、見くびっとります。まあ、こっちも年のせいか、人、困らせるのが面白《おもしろ》くなりましてね、年中、知っててバカいっとりますから、いけないんだろうが」
久米「ハハハ」
忠臣「しかしねえ、親なんてもンは、ちゃんと判っとるんだ。ここ一番てときは、倅に恥はかかしません。そのへんのところが全く判ってない」
久米「誠ちゃん、お前さん、朝から何だか気もんでたようだけど」
土岡「そうよ。お父さん、こうおっしゃってんだから、安心していってらっしゃい」
誠「(立って父のそばへくる)(低く)お父さん、今のひとこと忘れないでくれよな」
忠臣「お聞きになられましたか。こうやっておどかすの」
久米・土岡「ハハハハ」
忠臣「(小さく)今晩はな、何いわれても、怒らない。毒舌はつつしむ。ああそうかいそうかい。けっこうけっこう。ニコニコして帰ってくりゃいいんだろ」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ちびたオンボロの二軒の棟割《むねわり》長屋。
[#1字下げ]古いガラス戸に、それだけが真新しく、不似合いな「倉島徳造・ふみ江」のバカデカイ表札。メモを片手に、やっとさがしあてたという感じの誠と忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、ここだここだ」
忠臣「また、小汚ないとこだねえ。掃除もロクすっぽしとらんぞ」
誠「お父さん、毒舌はつつしむっていったろ」
忠臣「オホン」
誠「ごめんください」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと玄関の戸があいて、上りがまちから、パッとタビのまま、タタキにとびおりるふみ江。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をとるようにして、
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ふみ江「おそいじゃないか、タツ子さん! あれ!」
忠臣「え? タツ子さん」
ふみ江「え、いえね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]奥から、すでにして、ほろ酔いの徳造、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう! 永山忠臣、よくきたな。誠さんも、さ、上ったり上ったり」
誠「失礼します、お父さん」
忠臣「タツ子さん? あの、誰かくるの?」
徳造「いえね、そりゃ、あとでいいんだよ。な」
ふみ江「うん。さ、どうぞどうぞ」
忠臣「あーあ、玄関中に下駄《げた》ぬぎ散らして……」
誠「お父さん!」
忠臣「(小さく)聞えないようにいったじゃないか。(ニッコリして)ハハハ、こりゃいいお住まいだ」
誠「(小さく)見えすいたお世辞、いわなくてもいいんだよ」
忠臣「いちいちうるさいな、お前も」
徳造「なにもめてんの? さ、上ったり上ったり。それにしてもおとなりさんおそいな」
誠・忠臣「おとなりさん」
ふみ江「いえ、こっちのハナシ。さ、どうぞ」
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[#1字下げ]少し気になる二人。
[#1字下げ]汚なくせま苦しい四畳半の茶の間に、茶ダンスや内職のやりかけの造花やボール箱が山と積まれて、散らかり放題。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小さなチャブ台に、ベコベコのアルミなべが湯気を立てている。「ねぎま鍋《なべ》」。
[#1字下げ]ほつれたセーターにワタの出たチャンチャンコの徳造が、なべを作ってもてなす。
[#1字下げ]酌《しやく》をするふみ江。
[#1字下げ]キョロキョロ見廻している忠臣。誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「(小さく)おい、おとなりまだか、みてこいよ。さ、平らにしとくんなさいよ」
ふみ江「汚ないとこですいませんねえ。もうかえってくるよ」
誠「とんでもない……あの、おとなりさんが、なにか」
ふみ江「いえ……別に……」
忠臣「花に囲まれて……こりゃ風流だ」
ふみ江「アタシの内職。ハハ」
誠「どうですか、新しい勤めのほうは」
徳造「いや、オカゲサンでね」
ふみ江「ほら、アンタ、アレ、お見せしないと」
徳造「え? ああ、そだ。おう(目で)」
ふみ江「昨日ね、名刺が出来てきたんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、うしろにかけた背広のポケットから、名刺入れを出して、徳造に。
[#1字下げ]徳造、二人に名刺を差し出す。
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忠臣「東亜印刷株式会社、営業部、倉島徳造」
ふみ江「何年ぶりかねえ。うちの人が人さまにお目にかけられる名刺もてたのさ」
徳造「おかげさんで……どうもいろいろ、娘とおやじ、二人して面倒みてもらってりゃ世話ねえや」
誠「お礼はうちの編集長にいって下さいよ」
徳造「小さいけど、情のある会社でさ、アッシのこと、えらく買ってくれてね」
ふみ江「アッシもいいけど、煮つまってるよ。うちの人ね、ねぎま鍋だけは、人にやらせないのよ」
誠「なつかしいなあ。死んだおふくろが、よくねぎま鍋つくってくれたんですよ。ね、お父さん」
忠臣「母さんのネギマは、もっとマグロ、上等のとこだったけどね。こりゃ冷凍だ」
誠「お父さん」
ふみ江「ハハ。さすが目が肥《こ》えてるわ。バレちゃった」
誠「どうもすみません」
徳造「その代りね。うちは、七味だけは、金かけてっから。薬研堀《やげんぼり》までいって、ちゃんと」
忠臣「七色トンガラシなんざ、凝ったとこで、千円も買やあ一年分もあるだろ」
誠「お父さん……」
徳造「さ、どんどんやってくれ。おい、どしたよ、おとなり」
ふみ江「今日は、早く帰ってくるっていってたんだけどねえ。帰りに美容院にでも寄ってんじゃないのかい」
徳造「まさか」
誠・忠臣「あの、おとなり……」
徳造「いやいや」
ふみ江「さ、どうぞ。この通り散らかってるけどさ、ま、ゆっくりしてって下さいよ」
誠「おいしい……」
徳造「しっ散らかってたって味に変りはねえや。なあ(忠臣に)バラしちまうとね、アッシがこいつに惚《ほ》れたのはね、『だらしのねえ』ってとこにね、参ったんだよ」
ふみ江「よしなよ」
徳造「前のカカアね、まり子の母親。いい女だったけど、これが几帳面《きちようめん》でね。チリッパ一本おっこってねえ、どこあけてもピシッとしてさ。うちへ帰っても気が休まんねえんだ。ところが、こっちくっと、だらっとできてさ、女ってなあ、二つうめえ具合にゃいかねえな。几帳面は情がねえ。情がありゃ、ダラシがねえ」
忠臣「ところが、二つながらそなわった女もいるんだねえ」
徳造「いるかねえ。女はどっちかじゃねえのかい」
忠臣「いや。いるねえ。死んだわたしの家内ね。こいつの母親。繁子っていうんだが、これが、実にキチンとしてて、しかも、情があったねえ……」
徳造「まあ、死んじまった人間のこと言われたって、なあ、こっちは、ハイ、サイデスかってなもんでさ」
忠臣「そういっちゃ失礼だが、うちの家内をお見せしたかったね。ひかえ目で、礼儀正しくて(すわり直すふみ江)みめうるわしく情けあり……人知れず楚々《そそ》として咲くだいこんの花のごとき」
誠「お父さん、いい年してのろけんじゃないよ」
徳造「大根の花かカボチャの花か知らねえけどさ、オレにいわせりゃ、花よかダンゴだね。な」
忠臣「何だい、そりゃ」
徳造「花ってやつは、思い出す分にゃいいだろさ。でもなあ、ボタンつけちゃくんねえンだよ」
忠臣「ボタン?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とれそうな忠臣の背広のボタン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「あら、ボタンおっこちそうだ、アタシ、つけたげようか」
忠臣「間に合っとります」
誠「お父さん」
徳造「強情はンないでさ、つけてやるってんだから」
忠臣「間に合っとるっていっとるのが」
誠「お父さん。つけてあげるっていうんだから」
忠臣「自分のボタンは自分でつける! さわらんでもらいたい」
誠「なにもケンカ腰でいうこたァないだろ。せっかく親切でいってくれるんだから」
忠臣「親切とお節介を、混同しないでもらいたいねえ」
誠「お父さん、約束がちがうじゃないか。今晩は何があっても怒らないって」
忠臣「ことと場合によりけりですよ。なんだい、人よんどいて、ねぎま鍋。おまけに、わたしの大切にしているだいこんの花を、くそみそに」
タツ子(声)「こんばんはァ!」
ふみ江「あ、おとなり……」
徳造「帰ってきたか! おう!」
忠臣・誠「あの……」
タツ子(声)「上るわよ!」
ふみ江「どうぞ! タツ子さん、おそかったじゃないのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドカドカと入ってくるタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「おお寒む! いま、『花見せんべい』の前通ったらさ、みそせんべいのぶっこわれ安売りしてたから買ってきた! ハイヨ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、入りながらポンと、袋ごとドサッとほうり投げてよこす。
[#1字下げ]忠臣の顔に当りそうになるのを、誠、体ごとかばうようにして受けとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣・誠「アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、入ってくる。(大柄《おおがら》な男装の年増《としま》。サバサバした人柄)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「アッ! あれ? ごめんなさい! お客さん?」
ふみ江「何してんのよ、タツ子さん。あいさつもしないうちに、見合いの相手にセンベ袋ぶつける人がありますかよ」
忠臣「見合いの相手?」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]キョトンとするタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「見合いって、アッシのこと?」
ふみ江「うん……そういうわけ(人のいい笑顔)びっくりしただろ?」
忠臣「その見合いの相手ってのはアタシ……」
徳造「ま、そういうわけだ。ハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ただびっくりの誠と忠臣。
[#1字下げ]そして相手のタツ子。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]帰ってゆく客。
[#1字下げ]送り出している静子、ロクさん、京太郎。
[#1字下げ]カウンターの端のところで放心しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「ありがとう存じました」
京太郎・ロク「ありがとざんした!」
静子「またどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、もどってきて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まり子さん、三番テーブル、お片づけたのみますよ」
まり子「………」
静子「(そっと)まり子さん」
まり子「え? あ! すみません」
静子「気になるんでしょ?」
まり子「ええ……」
京太郎「大丈夫大丈夫。そりゃね、艦長お一人ってんならこっちも気もむけどさ、誠さんがついてるじゃないの」
静子「大丈夫よ」
まり子「でも、うちのお父ちゃんと全然ちがうでしょ?」
京太郎「大丈夫大丈夫。今晩は、何いわれても、艦長ニコニコして、そうかいそうかい、けっこうけっこう、そういって帰ってこられるって、なあ(静子に)」
静子「絶対大丈夫」
まり子「そうですか?」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]大得意の徳造とふみ江。
[#1字下げ]あきれたり当惑したり、怒ったりの忠臣、誠。
[#1字下げ]そしてタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「まず、紹介すらァ、永山……」
ふみ江「女が先。レデ・ハーストだろ!」
徳造「あ、そうか、タツ子さん苗字《みようじ》はなんだっけ」
ふみ江「遠藤……だよね、遠藤タツ子」
タツ子「そうだけどね……(忠臣をじろじろ見る)」
徳造「そこで、こっちが、永山チューシンだ」
忠臣「タダオミ!」
徳造「字は同じだから、固いこといいっこなし」
ふみ江「こっちが息子さんの誠さん」
誠「はじめまして……」
ふみ江「この人と、まり子さんがね」
忠臣「まだ、決ったわけじゃありませんよ!」
徳造「おう忠臣は酒が足ンねえンじゃねえのか。見合いなんだからさ、もちっとうれしそうな顔しなよ」
忠臣「(何かいいかける)」
ふみ江「タツ子さんもさ、女なんだから……ニッコリして、お酌《しやく》のひとつもさ」
タツ子「(これも何か言いかける)」
忠臣「ひとこと申し上げておくが、私と倅《せがれ》は、今夕、たしかに、お招きをいただいた。しかしねえ見合いという話は聞いておりません。したがって、うれしそうな顔をしろといわれてもだな」
タツ子「アッシもそうだよ。ねぎま鍋ごっそすっから、おいでよっていうからさ、ノコノコきたら、見合いだっていうんだもの。きもつぶしちまったわ」
忠臣「こういうのがね、アンタがたの流儀かも知らんが、わたしは嫌《きら》いだね。物には順序があるでしょうが、どして前もってひとこと、見合いなら見合いと」
徳造「おう、永山忠臣、アンタ、それでも軍人か」
忠臣「元海軍大佐、永山忠臣を侮辱するか!」
誠「お父さん!」
徳造「戦争にゃ奇襲攻撃ってやり方もあったろ! 敵の不意をつくやりかただよ」
ふみ江「真珠湾は、あれで負けたんだよね」
忠臣「フン! とにかくね、永山忠臣、どういう氏素姓か判らん方と見合いをする気持はこれっぽっちも」
徳造「氏素姓たって、別にどうてことねえだろ。こっちは、元海軍のヤモメで、今プランプランして、息子に食わしてもらってるじいさんだよ」
忠臣「ちゃんと軍人恩給がありますぞ」
徳造「こっちは、後家さんでさ、今はマンションの掃除婦をして」
忠臣「マンションの掃除婦……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の目の中に一瞬、フン、といった表情が横切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほう。そりゃ、お疲れだろう、そう、マンションの掃除婦さん」
ふみ江「マンションたって、この裏にね、新しく建った十階建のすこし立派な(言いかける)」
忠臣「誠、失礼しよう」
誠「お父さん」
徳造「待ちなよ」
忠臣「え?」
徳造「おう、永山忠臣。前ぶれなしに見合いの段取りしたのが面白くねえってンなら、手ついてあやまらァ。だけどな、相手が掃除婦だからってんで、『帰る』ってんなら、俺《おれ》ァ勘弁しねえぞ」
忠臣「いや、そういうわけじゃないけどね、(小さく)物には釣合《つりあ》いってもンが」
誠「お父さん! どうも申しわけありません。どうもうちのおやじ、頑固《がんこ》なもんで急なお話だし……まあ、正直いって、ボクもびっくりしちまって……何しろ父は、年もぼつぼつ七十ですし……見合いなんて想像もしてなかったもんで」
徳造「誠さん、アンタ、気使わなくていいんだよ。なァ! 俺ァ永山忠臣に腹、立ててんだよ、いまな、『掃除婦』ってったとき、パッと小馬鹿《こばか》にした目ン玉しやがったんだよ」
忠臣「いや、そんなことは」
タツ子「いいのよ、アッシだって、軍人とコンニャクは大嫌いだもん」
忠臣「あたしゃ、コンニャクは大好き」
誠「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そっぽを向き合う誠と忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「永山さん、タツ子さんも、さあ、(徳造に)あんた(困っている)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、ふっと調子を変えてぽつんという。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おらあね、二人共|淋《さび》しいだろうと思ってさ」
忠臣「………」
タツ子「………」
徳造「年とって、つれ合いなしで生きていくなあ淋しいこったよ、なあ」
ふみ江「こんな気働きのない亭主《ていしゆ》でも、ないよかましだもんね。寒い時に『寒いねえ』そう言えるだけでもいいんだよ。一人ぽっちよか、なんぼか暖《あ》ったかい気持になるじゃないか」
徳造「人っていう字見てごらんな。(手でやってみせる)こやってよっかかり合ってるじゃねえか。え」
忠臣「(少し感動しているくせに、わざとしらばくれて)人によっかからないでやってける人間だっているんだ」
誠「お父さん、よしなって!」
ふみ江「言っちゃなんだけど、あたし達さあ、今しあわせだもんだからねえ、自分達だけいい思いしちゃって、お天道様にバチ当ると思って、(徳造指して)この人、永山さんが可哀《かわい》そうだって」
忠臣「永山忠臣、人に哀れみは受けません」
誠「お父さん、何を怒ってるの。お父さんの年になって見合いの話があるなんて、冥利《みようり》につきることじゃないか、ありがとうございますって、お礼ぐらい言わなきゃ」
忠臣「若年寄りみたいな言い方はよせ! 折角のご好意だがね、あたしゃ、淋しくもなんともありませんよ。こうやって目をつぶると、死んだ家内の顔がふっと浮かんでくるんだよ。二人の倅も親孝行してくれる。まあ、次男の方は……わたしの気に入らん嫁を」
誠「お父さん」
忠臣「とも角も見合いの席で、きちんと正座も出来ない様なご婦人にだなあ。昵懇《じつこん》に願わなくてもやっていけるんだ、あたしは」
ふみ江「永山さん、タツ子さんの足はね」
タツ子「よしなさいよ、言う事ないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドッコイショッと立ち上るタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「タツ子さん!」
タツ子「帰ろ帰ろ!」
誠「お父さん! どうも申し訳ありません」
忠臣「お前はいいんだよ」
ふみ江「タツ子さん、もっとねぎま鍋……」
タツ子「気づまりなとこで食べるよか、あっしはこれでいいや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、いっぺん渡したせんべいの袋をとりあげて、ポリポリやりながら帰ろうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おい! 見合いどうすんだよ!」
忠臣「ま、とに角、この話はお断わりしましょう。ま、見合いはご縁がなかったけれども、家で掃除の手が足りない時、お頼みするやもしれんから」
誠「お父さん! 申しわけありません」
タツ子「(屈託なく笑って)その時は、割引きでやったげるわよ。じゃ、どうも……」
ふみ江「タツ子さん……(片手で拝んでいる)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]帰ってゆくタツ子。
[#1字下げ]誠、頭を下げる。
[#1字下げ]徳造、ムッとして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「きれい事言うない!」
忠臣「なんだと!」
徳造「もてない男に限って、死んだ女房《にようぼう》の思い出とかなんとか、キザな事言いやがる」
忠臣「おい! もう一ぺン言ってみろ!」
誠「お父さん! 今日はどんな事があっても怒らないという約束じゃないか!」
忠臣「怒ってなんかいませんよ。ただ、あんまりバカバカしいから」
ふみ江「まあまあ、おひとつおひとつ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江がすすめる。
[#1字下げ]誠ものむ。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターで大むくれの忠臣。誠。
[#1字下げ]前に京太郎、静子、源助、たつ、ロクさん、そしてまり子。
[#1字下げ]忠臣以外は割と気楽に笑っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「へえー、艦長がお見合いねえ」
忠臣「だまし討ちにするのも、いい加減にしてもらいたいね」
誠「だまし討ちってことはないだろう。倉島さんにとっちゃ好意だよ」
まり子「ほんとに申し訳ありませんでした。お父ちゃん、何やってんだか、もう、あたしがついていきゃ良かったなあ」
誠「ついていきゃ、もっと大騒動になっているよ」
忠臣「わたしは、見合いと判ってたら行きませんよ」
誠「お父さん、怒る方がおかしいよ。別に被害にあった訳じゃないしさ」
たつ「そうよ」
京太郎「ま、あたしが見るとこ、こりゃ、倉島さんののろけだね」
一同「のろけ……」
静子「あたしも、今それ言おうとしたのよ。あの人達、幸せなのよ」
誠「あ、そりゃね、ご当人達もそう言ってたよ。自分達だけいい思いしちゃ悪いって、僕《ぼく》もその気持判るな」
京太郎「いや、誠さんの年じゃ無理だ」
誠「おじさん」
京太郎「本当の淋しさとか、人恋しいって気持が判るのは、人生盛りを過ぎてからだね。若い時分の色恋は、こりゃ子供のままごとだよ」
誠「ままごとはないでしょ」
京太郎「いや、あたしに言わせりゃ、ままごとだ。ミエちゃんがダメなら、マリちゃんがあるさ」
誠「そんな事はないですよ」
京太郎「ところがね、中年過ぎて惚れるってことはね、こりゃ、闇夜《やみよ》に提灯《ちようちん》なんだよ。ああ、これこそめぐり逢《あ》いだな。今、この提灯を離したら、もうこれから先の世は闇だな」
静子「そうなのよ、本当に提灯なのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と、京太郎の手を握る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いや、僕達だって提灯ですよ」
まり子「そうよ、あたし達だって提灯ですよ」
源助「まあまあ、のろけちまって」
忠臣「何が提灯ですよ、そんなことよかね」
源助「提灯もなんだけどねえ。(といって、パンと手を叩く)あのお父っつぁん、仲々やるねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、ヘッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「そうなんだよ、やっぱりなんのかんのと言ったって、父親なんだよなあ」
たつ「何一人でへらへら言ってんのよ、言いなさいよ」
源助「娘を嫁にやる父親の気持なんだよ。婿《むこ》はやさしくて申し分ないよ。ところが、その上にだ、実にこうるさい舅《しゆうと》がいたとすらあ」
忠臣「そりゃ、あたしのことかい、え?」
源助「まあまあ、つれ合いのいる舅なら、まだいいんだよ。ところがヤモメときたら、やきもちやくからねえ、あんまり若い二人がいちゃつくと……」
たつ「それで、永山さんに何かこうくっつけておけば、まり子さんのいじめ方も少ないだろう……」
一同「成程」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、いきり立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい! お前達、ぐるか?」
誠「お父さん」
静子「永山さん」
まり子「そんなぐるなんてとんでもありません」
忠臣「いや、ぐるだ。ぐるになってあたしを邪魔ものにするのか!」
誠「何言ってんだよ、お父さん!」
まり子「とんでもない! あたしだって、今さっきはじめて、その話聞いてびっくりしてます。知ってたらとめてます、あたし」
誠「お父さん、それ本当に誤解だよ」
忠臣「ああいいよ、とに角こうなったら、意地になってあの話、絶対|蹴《け》とばしてやるからな。誰《だれ》がなんて言ったって、ポーンと」
誠「もう蹴とばしてるじゃないか」
京太郎「そんなに、はしにも棒にもかからない女なんですか」
源助「ブスなんですか?」
誠「ブスじゃないすよ。よく見ると仲々いい顔立ちだよ。感じ悪くないと思うなあ」
忠臣「誠、お前はあんな女が好みか」
誠「好みじゃないけどさ」
忠臣「とに角ね、人前で大あぐらかいてさ、見合いの席でいきなりセンベ袋をぶつけるような女ね、ありゃ女じゃないね。まり子さん、お父っつぁんにね、永山忠臣を見損なうなってよく言っといて下さい。え!」
たつ「そいじゃ、永山さん、念のために伺いますけどさ。一体どんな人ならウンというの」
京太郎「それ、伺おうじゃないすか」
忠臣「そうね、年の頃《ころ》は四十五、六。(静子をさして)まあ、奥さんのような女だなあ」
一同「(小さく)あつかましい」
誠「お父さん、自分の年考えろよ」
京太郎「ま、いいのいいの」
たつ「言うだけ言わせようじゃないの」
忠臣「一に気品と色気ね、それから、料理、洗濯、掃除、それから女ひと通りの教養ね。字がきれいで、まず和歌、俳句ぐらいはやって貰《もら》いたいね」
一同「贅沢《ぜいたく》も、ほどほどにしなさいよ」
忠臣「色は白くて、目元はパッチリ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、呆《あき》れてうたう。
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一同「※[#歌記号、unicode303d]小さい口もと 愛らしい
[#ここで字下げ終わり]
[#4字下げ]わたしの人形は よい人形」
[#1字下げ]忠臣、ガックリする。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]土岡と誠、ラーメンをすすっている。
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誠「ああ、やっぱりインフレだね、このチャーシュウの薄いこと」
土岡「誠ちゃんなんかまだいいや、おれのなんかすかして週刊誌が読めらあ」
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[#1字下げ]二人、ツルツル食べている。
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土岡「それにしてもさあ。七十近い年で見合いとはねえ、男にすたりはないっていうけど、本当だね」
誠「怒ることないっていうんですよ」
土岡「でもまあ、気持は判るなあ。お父さんにしてみりゃねえ、見合いの相手が掃除婦のガサガサおばさんていうのが気に入らないんだよ」
誠「でもね、おやじが喜ぶような相手がくる訳ないじゃないすか。そこんとこ、全然判ってないすよ」
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[#1字下げ]入ってくる久米編集長。
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久米「お、随分ごゆっくりなお昼ですね」
二人「お帰ンなさい」
土岡「どうですか、例の手記」
久米「手記もなんだけどね、誠ちゃんの父上、お見合いなすったんですってね」
誠「あれ? 編集長、どしてそんなこと」
久米「いや、そこでばったり倉島さんに会ってさ」
土岡「あ、まり子さんのお父さん……」
久米「永山チューシン、見合いさした。双方、大乗り気だから、これ絶対まとめてみせる。もしそうなったら、仲人《なこうど》は編集長に頼みますよってんで、すごい鼻息だったわよ」
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[#1字下げ]手をブラブラやって見せる。
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誠「(びっくりして)双方、乗り気だって、一体どうなってるんだろう」
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●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]仏壇の掃除を手伝わされているまり子。忠臣。
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忠臣「仏間は三月に一ぺんでいいから、こやってキュッキュッと、あ、そこのすみ、きれいにふいてね」
まり子「はい」
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[#1字下げ]忠臣、繁子の写真に息をふきかけながら、袖口《そでぐち》でガラスをふいている。
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まり子「本当に似てますねえ」
忠臣「うむ?」
まり子「日高のおかみさん、そっくり」
忠臣「実物はね、もうひと廻り美人だったねえ」
まり子「恋愛ですか、それともお見合いですか?」
忠臣「見合い恋愛だな、ありゃ。見合いしてしかるのちに恋愛に発展した」
まり子「やっぱりラブレターなんか」
忠臣「書いた書いた、毎日、もう巻紙でサラサラですよ」
まり子「やっぱり『候文《そうろうぶん》』ですか」
忠臣「候文の時もあるし、まあ、当時|流行《はや》った新体詩、詩の一種ね、あれを使って(と言いかけて)誠はどういうのくれたの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、黙って笑う。
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忠臣「くれないの?」
まり子「ええ」
忠臣「あの男はダメだね、そういう情緒は全然|判《わか》ってないんだから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]茶の間の方から、リンリンと電話のベルが聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、電話」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]小走りに入って、電話をとるまり子。
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まり子「永山ですが……あ、誠さん」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠が電話している。
[#1字下げ]うしろに久米と土岡がいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、まり子さん。又来てるのか。適当でいいすからね、本気にやるとバテるよ」
まり子「大丈夫ですよ」
誠「あ、まり子さん、夕べの見合いの件だけど、お父さんに断わりに行ってくれたのかな」
まり子「いいえ、まだ。明日にでも行こうかと思って……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]電話しているまり子のうしろに忠臣が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「えっ、そんな筈《はず》ないと思いますけど……双方乗り気だなんて、いやだ、お父ちゃん、どうしてそんな言い方してんだろう。どして、そんな間違いを言ってるんだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、電話をひったくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「もしもし、何を言っとるんだ。双方乗り気だなんて何を言ってるんだ。相手は知らぬが、わたしはそんな……徳造を出しなさい! 徳造を……なに、そこにいない! おい! あんなねえ、ガサツな掃除婦に……徳造、徳造いないの、よし! こうなったら、もう誰にも頼まん、わたしが行ってきっぱり話をつけてくる!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガチャンと電話をきる忠臣。
[#1字下げ]当惑するまり子。
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ドンドンと戸を叩いている忠臣。雨が降り出している。
[#1字下げ]傘《かさ》を持たない忠臣、ぬれはじめている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ご免下さい、ご免下さい。(返事がない)倉島さん、倉島さん。倉島徳造、いないのかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と、尚《なお》もドンドン戸を叩く。うしろからタツ子の声がする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「カギなんてかかってないよ」
忠臣「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろを振り向かないで、ガラス戸をバッとあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、あれ、どうしてこういう無用心なことするのかねえ」
タツ子「とられるもん、何にもないからよ。アハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]屈託のない笑いを見せ、すぐとなりの棟割長屋の玄関の戸をあけているタツ子。タツ子も、傘がないのでぬれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(タツ子に声をかけて)あ、あんた、夕べの……」
タツ子「急に降り出して、天気予報も当んないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立っている忠臣をみて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「あんた、入んないと、ぬれるよ」
忠臣「そんなこと言ったって、留守の家に入り込むってわけにも……」
タツ子「構わないよ。アッ(と急に叫ぶ)」
忠臣「えっ!」
タツ子「洗濯物、びしょぬれだ。あんた、悪いけど、とりこんでおくれよ」
忠臣「え!」
タツ子「あんた、早く。一寸《ちよつと》足が悪いからさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おったてられるようにして、目の前にある洗濯物をとりこむ忠臣。
[#1字下げ]女物の下着。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ヘッ、大きなズロース!」
[#ここで字下げ終わり]
●タツ子の家・茶の間[#「タツ子の家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]洗濯物をとりこんでいる忠臣。
[#1字下げ]散らかっている室内の色んなものを、蹴っとばして、払いのけながら、タオルをもって走ってくるタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「頭(ふきなさいという仕草で、忠臣にタオルを渡す)」
忠臣「あんた、女だろ。ズロース、男にとりこんで貰って恥かしくないのかい」
タツ子「アハハハ(と、笑って)そうか、まじってたか。でもさ、お尻《しり》のない人間なんていないわよ」
忠臣「それもそうだけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]洗濯物を渡しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「となりへ話をつけに来たんだけど、いないんだからしょうがないな。丁度いいから、あんたに言っとくよ。夕べの話だけどね。どうこんがらかったか知らんが、お互いにその気になってると、徳造が言ってるというんだ。そっちはどうだか知らんけど、私としては、大いに迷惑だ」
タツ子「へえー、そんなこと言ってんの」
忠臣「まあ、この際、はっきりとしとこうと思ってね。私は恥らいと色気、この二つのない女は、女と認めんのだ」
タツ子「そりゃそうだ」
忠臣「そんな訳だから、なかったご縁と諦《あきら》めて、まあ、念のために言っておくが、あなたもまだ老い朽ちる年でもないんだから……先があるから言っとくが、男にズロースをとりこませたりだな、大あぐらで(大きなジェスチュアで演説をぶちながら、ふっとよりかかっている異様な家具に頭をぶつける)アイタッ!(から草の大風呂敷《おおぶろしき》に包まれているのは、明らかに黒塗りのピアノである)何だこりゃ、おかしなかっこうの洋服ダンスだね、え」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひんめくろうとする忠臣。
[#1字下げ]途端に今までのあけっぴろげだったタツ子が、はにかんで別人の様に、その手を押える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「やめてよ! やめなさいよ」
忠臣「あいたた……」
タツ子「見ないでよ、きまり悪いじゃないの」
忠臣「きまり悪いって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、パッとめくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ああ、ピアノだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッとおおいをめくる。
[#1字下げ]見事な黒いピアノが現われる。
[#1字下げ]忠臣、ビックリする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こりゃ、また不似合いだね、え? 一体誰が弾くの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、小娘のようにはにかんで、小さく、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「アッシ……」
忠臣「あんた、弾けるの」
タツ子「まだ習って一年だけどさ」
忠臣「習うって、あんたピアノを習ってんの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]コクンとうなずいて、ぽつりぽつりと話し出すタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「あっしね、日曜日だけ、ピアノの先生のとこ、掃除に行ってんのよ。そこに小さな子がピアノを習いに来てるでしょ。いいなあ、あっしもあんな風に弾けたらな、と思ったのよ。そいでね、先生に何年かかってもいいから教えて下さいって頼んだの」
忠臣「………」
タツ子「ちゃんと月謝払ってさ、指が硬くなってるから、人の五倍はかかったわね。それでも一年目に『アマリリス』弾けた時には、うれしかったなあ……」
忠臣「………」
タツ子「このピアノも月賦《げつぷ》で買ったのよ。こないだ、やっと来たの」
忠臣「ふうん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、小さく、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「さわってもいいかい」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家・茶の間[#「徳造の家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]鍋ものをつつきながら、晩酌《ばんしやく》をやっている徳造とふみ江。仲むつまじくやっている。
[#1字下げ]ポツンポツンとピアノ「アマリリス」のメロディーが聞える。
[#1字下げ]小さく歌っている忠臣の声も聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あれ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、立ってのぞきに行く感じ。
●タツ子の部屋[#「タツ子の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]たどたどしくピアノを弾くタツ子。
[#1字下げ]さっきのメロディーの続き、後ろに立つ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「御主人はいつ?」
タツ子「終戦のちょっと前に……戦死……」
忠臣「陸軍? 海軍?」
タツ子「軍属」
忠臣「それで、軍人は嫌いって言ってたんだな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずくタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「子供さんは?」
タツ子「息子が一人いたけど、去年嫁貰って……」
忠臣「今は?」
タツ子「福岡にいる」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポツンポツンと弾くピアノ。
[#1字下げ]忠臣、後ろで聞いている。雨の音。いいムード。
●徳造の部屋[#「徳造の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]徳造とふみ江、のぞいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「永山忠臣もやるねえ……え。もう座りこんで一緒にピアノ弾いてらあ。どうだい、俺の目に狂いはねえだろう」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]またまたションボリしているまり子。
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん、帰って来ている健太郎が慰さめている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「じゃ永山さんとしては、今、どなり込みに行ってるわけだ」
まり子「お父ちゃんも又、何勘違いしたんだか」
京太郎「よりによってなあ、艦長みたいに格式を重んじる方に、掃除婦さんをあてがうだけだってまずかったのになあ」
健太郎「掃除婦さん、関係ないだろう、人間なんて、職業よか中味じゃないか」
静子「理屈はそうよ。でもね……永山さん人一倍そういうこと気になさるから」
健太郎「昔は海軍大佐だって今は一人の、年寄りじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]客が入ってくる。びくっとするまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さんになんておわびしたらいいかと思って」
健太郎「なにも、まり子さんがあやまることないと思うけどねえ……」
まり子「今晩、帰りにお寄りになるんでしょうね」
京太郎「さあどうかな」
静子「そうね、ここんとこ一晩おきだから」
まり子「まっすぐ家に帰るのかなあ」
京太郎「ちょっと、行った方がいいんじゃないかな」
まり子「でもあたし」
健太郎「僕が手伝うよ。もともとこういう事きらいじゃないから」
静子「まり子さん、いってらっしゃいよ。こじれるとね、あとがめんどうだから」
まり子「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]向い合ってすわるまり子と誠。まり子、ため息をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「気にすることないよ」
まり子「でも今頃《いまごろ》どんなことになってるかと思うと私」
誠「だいたいね、七十近くになって見合いの話があったってことだけで、感謝感激もんだよ。たとえ気にくわない相手だってさ、怒ることないんだよ。はたから見てると、親父《おやじ》さんのやってることはマンガだよ。君の親父さんもなかなか面白いことやるよ」
まり子「でも永山さん、かんかんになって怒ってらしたわよ」
誠「うぬぼれてるよ。自分を考えろっていうんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ちょっと間。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「こうやってると、もう家《うち》の人みたいだね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、だまってはにかむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そういやあ、僕たち愛してるとか、結婚してくれってとうとう言わなかったね」
まり子「なんだか、すうっとここに入って、すわっちゃったみたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子の手をにぎる誠。にぎりかえすまり子。いいムード。
[#1字下げ]とたんに玄関でガタンという音。
[#1字下げ]さっきのピアノ曲(アマリリス)を歌いながら帰ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]腰を浮かす若い二人。
[#1字下げ]ドタンドタンと歌いながら入ってくる忠臣。
[#1字下げ]いきなり大きな紙包みをテーブルの上にガタンと置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん」
まり子「永山さんどうもこの度は、かさねがさねごめいわくを」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をついて、あやまりかけるまり子。ところが忠臣は一言も答えず、歌いながら、上きげんで紙包みをほどく。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てくるのは小さな卓上ピアノ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、一体何だよこれは」
まり子「あの父……うちのお父ちゃん、いえ父はちゃんとおわびをしたんでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あの……と、いいかける。
[#1字下げ]ポツンポツンと「アマリリス」をひいている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「人は見かけによらないねえ」
二人「え?」
忠臣「うわべだけで人を判断しちゃいけないんだよ。この年になって、まだまだ女が分ってないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、びっくりしている。
[#1字下げ]忠臣、ポツンポツンと「アマリリス」をひく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「長生きするもんだよ」
誠「お父さん、あの人」
忠臣「長い間、掃除婦やって男の子育てたんだとさ。そのためにリューマチになって、正座が出来ないんだと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]又「アマリリス」をひく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ありゃ、うちの母さんとは違うけど、新種のだいこんの花だね」
誠「お父さん、あの人とつきあうつもりなの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、「アマリリス」をひいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「人という字を見てごらん。『寄りかかりあっているじゃないか』……あんたのお父さん、あじなこというねえ」
[#ここで字下げ終わり]
「アマリリス」を歌いながら、ふらふらと自分の部屋に入っていく忠臣。顔を見合せる二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ねえ、ひょっとして、永山さん、あの、その、見合いの相手の女の人のこと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、小さくうなずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「でも、あれだけクソミソに言ってたからねえ。そんな筈ないと思うけどなあ」
まり子「判らないわよ。いくつになったって、……男と女ですもの……」
誠「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、父にならってポツンポツンと「アマリリス」をひく。
[#1字下げ]まり子、じっと聞いている。
[#1字下げ]忠臣の歌も遠くから聞えてくる。
[#改ページ]
15
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]朝食の支度の出来た茶の間。パジャマにセーターを羽織った誠が忠臣を探している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]呼びながら誠がやってくる。ここも無人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! おかしいな、朝っぱらからどこいったのかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勝手口から外をのぞいたりして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]また茶の間にもどる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]庭の木立ちの間から、人の気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだ、どこいってたんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけてふり向いて、あれ? となる。
[#1字下げ]入ってきたのは、京太郎と源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あッ……なんだ。(お父さんじゃないのか)」
京太郎・源助「おはようございます」
誠「どうしたんですか。またずい分、早いすねえ」
京太郎「いえね、この間うちから騒いでる『日高』の会。出欠の返事も揃《そろ》ったとこで、名簿作りをやろうってことになったんですがね」
誠「まあ、どうぞ、上って下さい」
源助「艦長も、人が悪いよ。九時集合って号令かけんすよ。いや、あたしンとこはいいんですがね、相馬|中尉《ちゆうい》ンとこは夜のおそい商売だってのに」
誠「年寄りは、早起きだから……どうもすみません」
京太郎「いやあ、誠さんがあやまることないですよ」
源助「あれ、朝ごはんまだすか」
誠「ええ……」
京太郎「……艦長は……」
源助「はばかりですか」
誠「それがね、いないんですよ」
京太郎・源助「いない?」
誠「いつもだと、早く起きて、おみおつけがさめるってガアガアいうのが、今朝に限ってシーンとしてんですよ。おかしいなと思って起きてみたら……」
源助「はばかりにしゃがんでんじゃないんすか」
誠「ちゃんとあけてみたんすけどねえ。いないんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、源助、どなりながら奥に。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「艦長! 艦長!」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]廊下から、声をかける、京太郎と源助。うしろから誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「艦長!」
誠「さっきも声かけたんですけどねえ」
京太郎「艦長!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリとあける。
[#1字下げ]布団《ふとん》はもうあがっている。
[#1字下げ]どういうわけか、文机《ふづくえ》の上には硯《すずり》と巻紙、まわりに、書き損じの巻紙が引き千切って散らばっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「あれ?」
京太郎「何だ、こりゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、それぞれ、ひろって読む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「『わが人生まさに古稀《こき》を過ぎ候《そうら》えば、もはや泉も涸《か》れたるものと思い居《お》り候いしところ、いかなる天の慮《おもんばか》りなるか、青天の霹靂《へきれき》のごとき……』」
源助「『君に相い逢《あ》う前の、一|碗《わん》の水はただの水に候。君に逢いてより後の水は、わが命を充《み》たす甘露とも覚え候』」
誠「『まこと恋とはキューピッドの射れる矢に候。胸にぐさと刺さりし恋の矢は夜となく昼となく我が心を』」
三人「何だ、こりゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんにドンドンと玄関を叩《たた》く音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一(声)「ごめん下さい!」
誠「あれ?」
進一(声)「ごめん下さい! 倉島です!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]飛び出して玄関をあける誠。うしろに京太郎と源助。
[#1字下げ]立っている進一。廃品回収のリヤカーに、くくった段ボールやヤカンなどと一緒にのせられてぐったりしている忠臣(派手なトレパンに鉢巻《はちまき》、運動靴《うんどうぐつ》)。
[#1字下げ]面白くなさそうな顔でくっついている廃品回収のおじさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「進ちゃん!」
源助「艦長!」
京太郎「一体、どうされたんでありますか」
忠臣「(気息奄々《きそくえんえん》)」
誠「どしたの、進ちゃん」
進一「ぼくね、予備校、ゆく途中で、ヒョッとみたら、永山さんが、電柱に抱きついてね、ハアハアいってヘタバってるんですよ。かついでこようと思ったんだけど、永山さん重いでしょ? 弱ってたら、(その人が)のっけてやるって」
誠「どうもすみません。お父さん……いい年して、ランニングなんかやるからだよ」
京太郎「お年、考えなきゃダメじゃないすか!」
源助「ヘタしたら、そのまま一巻の終りだよ」
誠「(廃品回収のおじさんに)どうも、すみませんでした。お父さんもチャンと、ほら、お礼いわなきゃ」
忠臣「(ハアハアいいながら)あたしゃ、ぼつぼつ七十になるけどねえ、段ボールと一緒にリヤカーにのっかったのははじめてだねえ」
誠「お父さん!」
京太郎・源助「艦長!」
誠「ほんとにすみませんでした。進ちゃん、助かったよ。ほら、お父さん」
忠臣「(まだハアハアいいながら)進一クン、しっかり勉強して、こんどこそチャンと大学入れ……」
誠「(あきれかえって)そんなかっこで説教したって、利《き》かないよ」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠、京太郎、源助にかつがれるようにして入ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだってまた今朝に限ってマラソンなんてやったんだよ」
京太郎「誠さん、文句いう前に、ブドウ酒かなんか」
源助「気つけグスリ!」
誠「ブドウ酒なんてないなあ」
京太郎「ブランデーでも何でもいいから」
忠臣「あたしはウイスキーのほうが」
京太郎「艦長! 起き上らないで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ブランデーをつぐ誠。おいしそうにのむ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「もう一杯|頂戴《ちようだい》」
誠「晩酌《ばんしやく》やってんじゃないんだから。年、考えろっていってるだろ! こんな寒い朝にマラソンなんかすりゃ、おかしくなるの当り前じゃないか」
京太郎「無茶ですよ」
忠臣「ガアガアいうな。いや、人間、なにをするにも、まず体だからねえ。(小さく)恋も情熱もすべては肉体がもとですよ」
三人「え?」
忠臣「いえいえ、こっちの話」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、天突き体操をはじめようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! よしなっていってるだろ」
京太郎「艦長!」
誠「年寄りは年寄りらしくしてくれよ」
忠臣「(小さく)フン、年寄りらしくしてなんぞおられるかい」
誠「お父さん、どうかしてんじゃないのかい? 朝っぱらからマラソンしたりさ、変な手紙書いたり」
忠臣「え? アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、文机のそばに散らばる書き損じの巻紙にアッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「『わが人生、まさに古稀を過ぎ候えば、もはや泉も涸れたるものと、思い居り候いしところ』」
源助「『君に逢いてより後の水は、わが命を充たす甘露とも覚え候』」
誠「『まこと恋とは、キューピッドの射れる矢に候』」
[#ここで字下げ終わり]
三人 (「なんだよ、こりゃ」
「なんすか、こりゃ」
[#1字下げ]忠臣、見るも気の毒なほど大あわて。
[#1字下げ]三人の手から巻紙をひったくる。
[#1字下げ]あたりに散らかった書き損じを両手でかき集めて、尻《しり》の下にたぐりこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「人の手紙を黙って見るってのはどういうことなの!……たとえ父子《おやこ》といえども戦友といえども、絶対にだな」
誠「あれ、お父さん、赤くなってら」
忠臣「何をいうか。わたしはね、もともと血色がいいんだ。赤くなんぞ……なっとらんよ!」
源助「それにしても、汗なんかかいちまって」
京太郎「艦長、一体どうされたんで……あ、そうか、これ見られたんで……ハハ。ヘヘ、テレてるんだ」
源助「……ってことは、これ、これ、艦長。ラブレターの下書き」
誠「お父さん……どうなんだよ。え! まさかこれ、本もののラブレター」
京太郎・源助「艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こと、ここに及んでは、忠臣、とぼけて居直るよりほかに道はない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何をいっとるんだ。わたしがこの年でラブレター書いて、一体誰に出すんだね。え?」
三人「(そりゃ、まあ、そうだけどさ)」
忠臣「こりゃね、お、お、お手、お手本ですよ」
三人「お手本?」
忠臣「いやあ、この間ね、まり子さんに聞いて、わたしは、あきれちまったねえ。誠、お前はただの一通もまり子さんにラブレターを出しとらんそうだな」
誠「今どきねえ、ラブレターなんて古いんだよ」
忠臣「何が古い!」
誠「ラブレターなんてもンはね、電話のなかった時代のもンなんだよ。十円出しゃ話通じる世の中に、誰が二日も三日もかかるラブレターを」
忠臣「夢がないねえ、お前たちは。二日かかる、三日かかる……そこがいいんじゃないか。昔はね、たとえ隣りに住んどる相手にでも、『フミ』を書いたもンですよ」
京太郎「そういやあ」
源助「書いたなあ」
忠臣「アンタたちも書いたかい」
京太郎「書いたなんてもんじゃありませんよ。前の家内のときはね」
源助「アタシャね、艦長もご存知の通り、金釘《かなくぎ》流ですよ。それでもね、今のカアちゃん、モノにしようってときは、いや、書いたねえ。『愛の手紙文例集』なんての買ってきてね、丸うつし……」
京太郎「アタシャね、昔も書いたけど、今の静子ね、あのときだって、書いたねえ。『齢《よわい》五十になんなんとするヤボな男が、恋という字を書く、このおののきがあなたにわかっていただけるでしょうか』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、あきれかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「へえ、こりゃ、すごいや」
源助「どうもごちそうさまでござんす」
忠臣「アンタね、朝っぱらから、鼻の下のばして、よだれこぼさなくたっていいの」
京太郎「艦長……」
忠臣「まあねえ、こういう連中だって書いとるんだ。お前が、その若さで、いま書かずしていつ書くんだ。え? いっぺんもラブレターを書かない男の人生なんて、味気ないもンだとは思わないか」
誠「そういうけどさ……(口の中でモゴモゴ)何書いたらいいか……第一、書くことなんかないよ」
忠臣「ロマンの判《わか》らん男だねえ。犬だって恋してほえれば、そのなき声は韻《いん》を踏んでいるというじゃないか。書くことがないなんて雑駁《ざつぱく》なことでどうするんだ」
京太郎「それで、お手本を示されたんでありますか」
忠臣「そうですよ。ああ、昔取った杵柄《きねづか》とはいうものの、最早や五十年も遠ざかっとるねえ、詩藻《しそう》のほうもにぶっとるんじゃないか、こう思ってねえ。倅《せがれ》に意見するには、具体的な手本がなくちゃいかん……そう思ってだな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、やたらに汗を拭《ふ》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「フーン、お手本ねえ……」
源助「お手本にしちゃ、ずい分と、書き損じをなすったもんですなあ」
忠臣「こっちのほうも、手のほうも落ちとるもんだから……いやあ、久しぶりに手習いをした。お経写すばかりが手習いじゃないね。恋文を書くのは、こりゃ、若返りにいいわ」
誠「若返りもいいけどさ、ラブレター書いたりマラソンしたり……あんまり、人びっくりさせないでくれよな」
源助「それにしても、ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、落ちている書き損じを読む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「老いの身の、心|臆《おく》しつつも、おぼつかなく書き送るこの文を、君は黒きピアノの片方《かたえ》にて読み給《たま》うかと思えば、わが胸は」
誠「ピアノ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、パッとひったくって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「よしなさいっていってるだろ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の文机の横に小さな卓上ピアノ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「あれ、このピアノ、……艦長が弾かれるんでありますか」
忠臣「わたしがひいちゃいけないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何かあるぞ、という感じで、首をかしげる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いやあ、マラソンといい、ラブレターといい、ピアノといい、ここンとこ、艦長、バカに若返られて……うむ、そうだ。若返ったといやあこの間のお見合いのハナシ、どうされました」
忠臣「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]テレくさいのでトボける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「見合いですよ、見合い!」
源助「カンカンになって怒ってらしたじゃないですか。まり子さんのおやじさんとこへ招かれてったら、前ぶれなしにいきなり見合いさせられたって」
京太郎「しかも相手は、言っちゃなんだが、マンションの掃除婦さんで、到底、女とはいえないガラッパチだったって……」
忠臣「いやまあ、その」
誠「そのハナシはね、まり子さんから、上手にことわってもらうことに……」
忠臣「いや、わたしはね、なにもそんな、ピシャッとことわらんでもねえ。いまことわったら、二重に相手を傷つけることになるじゃないか。(だんだん口の中で小さな声)こういうことは時間をかけて自然のうちにだな……おお、今日もいい天気だねえ」
誠「(なんかおかしいなあ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、誠の視線をはずして、卓上ピアノで「アマリリス」を弾く。
●タツ子の家[#「タツ子の家」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]作業服のタツ子が、トーストをかじりながら……出勤前にピアノをさらっている。「アマリリス」。
[#1字下げ]ふと手をとめて、ピアノの上の封書をとる。中から達筆の巻紙の手紙。大きな字、タツ子読む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「『老いの身の、心臆しつつも、おぼつかなく書き送るこの文を、君は黒きピアノの片方にて読み給うかと思えば、わが胸は、青春の喜びに打ちふるえ申し候』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、ハハハハと屈託なく笑って、あとは、目で手紙をよみ進む。おかしいらしく、笑っている。
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]まり子がきている。
[#1字下げ]小さなチャブ台で徳造とふみ江が朝食。
[#1字下げ]ピアノの「アマリリス」がかすかに聞えてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「まり子さん、ごはん、まだじゃないの」
まり子「ううん。パン、食べてきた」
徳造「おう、ふみ江のおみおつけな、うめえぞ」
ふみ江「納豆もあるからさ、一|膳《ぜん》、上ってきなよ」
まり子「ごちそうになろうかな」
徳造「親のうちきて、ごちそうもねえだろ」
まり子「お父ちゃんが、朝、ちゃんと起きて、ごはん食べるなんて……ねえ」
徳造「朝メシ、しっかり食っとかなきゃ、会社いったって役に立たねえや」
まり子「ちゃんと勤めてんの」
徳造「誠さんの手前、こんどはしくじれねえからな」
ふみ江「さ、まり子さん」
まり子「いただきます……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ハシをつけかけて、アレ? となる。ピアノ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(小さく)あれ、この曲、どっかで聞いたことあるなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](朝・時間経過)
[#1字下げ]まり子、徳造、ふみ江が朝食をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さんてね、昔は、巡洋艦の艦長さんで、海軍の……大佐かな、……ハッ! ハッ! ってとこにいたでしょ? 何ていうのかな、格式みたいのにやかましい……あ、おばさん、このおつけものおいしい」
ふみ江「もっとあるから……お上りよ」
まり子「(パリパリたべながら)まあ、一人じゃあさびしいだろうって、お見合いの心配してくれたってこと、うれしいとは、思ってると思うのよ。でもねえ、やっぱり掃除婦さんてのは……」
徳造「ダメだってのか。身分違いだってのか」
まり子「身分ちがいってよか話があわないと思うのよ。永山さんてね、チャランポランなとこもあるけど、昔流の教養もあるし」
徳造「それがどしたってんだ、人間なんてもンはな」
ふみ江「アンタ。お茶こぼすだろ」
徳造「さましてくれよ。俺《おれ》ァ、猫舌《ねこじた》なんだから」
ふみ江「判ってるよ。(フウフウ吹く)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、気を使いながら言い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「だからね、せっかくだけど、このハナシ、なかったことにしてもらったほうがいいと思うのよ」
ふみ江・徳造「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]食事も終り、楊子《ようじ》で歯をせせっていた徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、まり子。そらなあ、永山忠臣から出た話か」
まり子「え?」
徳造「断ってくれっていったのは、永山忠臣かっていってんの!」
まり子「ううん。永山さん、ハッキリ言ったわけじゃあないけど、あのこと、大分、怒ってたから……」
徳造「おかしいじゃねえか、なあ、おい」
ふみ江「話があわないわねえ」
まり子「え?」
徳造「永山忠臣は、遠藤タツ子に首ったけだぞ」
まり子「遠藤タツ子って……ああ、お見合いしたとなりの掃除婦さん」
ふみ江「こないだうちから、毎日みたいにラブレターがくんだって」
まり子「ラブレター……」
ふみ江「それがね、アタシもチラッとみせてもらったんだけど、巻紙にね、スミでサアってすごくうまそうな字でかいてあるだろ。『何てよむんだろう』って二人して首ひねっちまってさ」
まり子「ほんと?」
徳造「現になあ、こないだ……おう、そうだよ、見合いしたその翌晩にさ、忠臣なあ……」
ふみ江「そうなのよ。タツ子さんとこ上りこんで、一緒にピアノなんか弾いてんのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ピアノ曲「アマリリス」うすく聞え出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、そういえば……」
二人「え?」
まり子「永山さん、うちでもこの曲弾いてたわ。これ……『アマリリス』っていうのよね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タンタンタンタンと、メロディーを口ずさむまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「永山さんとこ、ピアノあンの?」
まり子「あの晩、帰りに卓上ピアノ買ってきたわ、それで、『タンタンタンタンタンタンタン』て……弾いてたっけ」
ふみ江「ねえ……そうなのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]作業服姿で庭のほうから声をかけるタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「おはよござんす!」
ふみ江「おはよう」
徳造「おう」
タツ子「あのさァ、アッシ、ガス代借りてたんじゃない?」
ふみ江「何言ってんのよ。あれは、おとといもらったじゃないか」
タツ子「あ、そうか。いつも借りてるもんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、言いかけて、まり子に気づいて、ちょっと会釈《えしやく》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「………」
ふみ江「噂《うわさ》をすればなんとかってけどさ、あのシト……」
徳造「おう、ちょうどいいや。あのな、これな、うちの娘」
ふみ江「おとなりのタツ子さん」
まり子「……はじめまして」
タツ子「へえ、親に似ない、きれいな娘さんじゃないのよ」
ふみ江「この人がね、永山さんとこの……息子さんと」
タツ子「ああ……そうか、そうか、ハハハ」
徳造「おう。タツ子さんよ。永山忠臣、ラブレターよこしてるか」
タツ子「物好きな人だよ。ハハハ、じゃ、いってまいります」
ふみ江「いってらっしゃい」
タツ子「(まり子に)どうも」
まり子「(会釈)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をふって、出てゆくタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの人?」
ふみ江「どう?」
まり子「永山さんがくさすほど、変な人じゃないみたい」
ふみ江「タツ子さん、いいわよ。サバサバしてるけど、情があってさ」
徳造「俺ァ、おめえってもンがなきゃ、チョッカイかけてんな」
ふみ江「また……」
まり子「お父ちゃん……」
徳造「冗談だよ。女って奴《やつ》はすぐ冗談、真にうけやがるから」
まり子「それにしても、永山さん、どして黙ってんだろ」
ふみ江「きまり悪いんだろ? 年も年だしさ、はじめにガーンとやっちまったから……途中でひっこみがつかないのよ」
まり子「どしたらいいかな」
徳造「おう、まり子。お前な、何にも知らねえフリしてろ」
まり子「それで、どうすンのよ」
徳造「まあ、いいじゃねえか。ハハ、面白くなってきたねえ」
ふみ江「ほらほら、早くしないと、会社おくれるよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]名簿の整理をする忠臣、京太郎、源助。二、三百枚のハガキを県別に畳いっぱいにひろげて、名簿を作っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ええと、福島県、どこだ、フクシマ」
京太郎「福島県は上。そこ」
源助「お次が熊本県……クマモト」
京太郎「熊本は九州だから下じゃないの。大体日本地図の通りになってんだから」
源助「静岡県……は」
忠臣「うるさいねえ、いちいち」
源助「いやあ、酒屋ってのは灘《なだ》や伏見じゃないすけどね、うまい酒の出るとこは判ってるけど、そのほかはもう……群馬県……は」
忠臣「アタシがやりますよ、もう」
源助「いいですよ、群馬の今西少尉……」
京太郎「あ、そうだ、艦長」
忠臣「なんですよ。急に大きな声出して」
京太郎「今西少尉の未亡人!」
忠臣「それがどしたの」
京太郎「艦長がお見合いされたときいてね、こないだから考えてたんですよ。茶のみ友達にピッタリじゃないか」
源助「おう! 今西少尉の奥さんなら……年格好といい……」
京太郎「第一、美人だわァ」
源助「昔、今西少尉よくのろけられたもンなあ」
京太郎「和歌もよむ、お花もいける……場所も宇都宮なら大したことないしさ……」
源助「『日高』がとりもつ、『縁かいな』とくら」
京太郎「まあ、そういっちゃ、まり子さんのおやじさんに悪いけど、マンションの掃除婦さんよかお話があうんじゃないんですかねえ」
忠臣「……大阪府」
二人「艦長……」
忠臣「せっかくだが、ご辞退しましょう」
二人「艦長……」
忠臣「あンたら、わたしをいくつだと思っているんだ。もう色の恋のいうシャバッ気は残っちゃおりません」
京太郎「ですからさ、茶のみ友達」
忠臣「茶は一人でのみます。酒は、諸君らとくみかわせばそれでよろしい」
二人「しかし……」
忠臣「それとだ、永山忠臣、掃除婦を疎《うと》んじて、海軍少尉の未亡人になびいたとあっては、わたしの男がすたりますよ」
二人「艦長……(顔を見合せる)」
忠臣「職業に貴賤《きせん》はありません。そのくらいのことがどして判らんのかねえ。岡山県」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、全然判らない。
●「女性時代」編集部・表[#「「女性時代」編集部・表」はゴシック体]
[#1字下げ]「女性時代編集部」のドアに只今《ただいま》会議中の札がはってある。
●編集部[#「編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米、誠、土岡、みんな珍しく、キチンと居ならんで、編集会議。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「なるほど『ラブレター特集』ねえ」
土岡「(ドンと誠の肩を叩《たた》いて)只今恋愛中の人は違うよなあ、プランの出しかたが」
誠「そういうわけじゃないんすけどね。ほら、この頃、懐古調がはやってるでしょ?」
内山「そういゃあ、アンチーク・ブームだよなあ」
秋子「洋服だって、一九二〇年代のムードやしねえ」
誠「それと、電話だ、新幹線だって便利になりすぎて、情緒ってもンがないと思うんですよ」
久米「そうねえ。いきなり、『ねえ、ラブ・ホテルにいこ』これを恋愛だと思ってる連中には、クスリになるかもしれないわねえ」
土岡「今月の特集はラブレターを書こう=v
内山「まず、手はじめに永山さんのをサンプルにのっけるか」
誠「ぼくが書いてないから言ってんじゃないすか」
久米「そこいくと、昔の人間は教養があったねえ。『忘れねばこそ思い出さず候』なんて、すばらしいじゃないの」
誠・土岡「なんですか、そりゃ」
久米「紺屋高尾という、遊女の書いたラブレターですよ」
土岡「遊女、ですか」
久米「この人ね、遊女でもなかなかの人物でね、仙台の伊達《だて》の殿様の恋人だったんだけどね、『忘れねばこそ思い出さず候』わたしはあなた様を思い出すなんて、そんなことはございません。なぜなら、片時もあなた様を忘れたことがないからでございます」
誠「なるほどねえ」
土岡「いっぺんでいいから、そういうラブレターをもらってみたいもんだなあ」
久米「フフフフフ」
土岡「もらったことありそうに笑ってるねえ」
久米「わたし? いやいや」
土岡「もらってる」
誠「もらってますね」
久米「いやいや、アタシなんざ、頂けるものは請求書ぐらいでねえ」
土岡「またァ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]じゃれているとドアがスーッとあく。小学生の男の子(良一)半分顔をのぞかせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「おッ! 坊主《ぼうず》か、いま、いくな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]良一、ニコッと笑って、ドアの外へ。誠と土岡、気にしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長、今の、……坊ちゃんですか」
土岡「バカ。シッ!」
久米「(トボケて)では、と、面白いご意見が出たとこで、今日の編集会議は終りとしますか」
[#ここで字下げ終わり]
●「ビーワン」の店[#「「ビーワン」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]ショートケーキを食べている良一。
[#1字下げ]首にハンカチを巻いてやろうとしている順子。
[#1字下げ]たばこをくゆらしながら見ている久米。
[#1字下げ]良一、ハンカチをいやがる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「ほらほら。これやらないと、こぼすでしょ! クリームのしみはとれないのよ」
久米「いいじゃないの。男がヨダレかけなんかかけてものなんか食えるかってんだ。なあ」
良一「ウン!」
順子「これですものねえ。もうこの頃ママなんかいらないんですって。ぼく、久米のおじちゃんの方がいいって……こうなんですよ」
久米「どした、この間のプラモデル、つくったか」
良一「ウン」
順子「ウンじゃないでしょ? ありがとはどしたの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]口のまわりをクリームだらけにして、コクンと頭を下げる良一。
[#1字下げ]久米、その小さな頭を小突くようにして呟《つぶや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「……男の子って……いいなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]順子、うなずきながら、良一と久米を交互にながめる。
[#1字下げ]幸せそうな、その横顔。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]窓ぎわでたばこをすいながらの誠と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そうか、『かもめ』のママの子供か」
土岡「子供が……遊びにくるとこみると……」
誠「(うなずきながら)男の子だもンなあ、おやじさんが欲しいんだろ」
土岡「……ありゃ、書いたクチだね」
誠「え?」
土岡「ラブレターさ」
誠「『忘れねばこそ思い出さず候』か……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]巻紙で手紙を書いている忠臣。
[#1字下げ]表で豆腐屋のラッパ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(書きながら)『寝ては夢、覚めては現《うつつ》幻の……』……月並だなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]千切って捨てる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『床しき君、懐《なつか》しき君、無二の君』こりゃ、シラノ・ド・ベルジュラックか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、仏壇の笑いかけている亡妻繁子の写真に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっとんでゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「母さん……面目ない、許しておくれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]拝んで、写真をくるりとひっくり返す忠臣。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ほうきとハタキを持ったまり子がのぞいて笑いをかみ殺している。
[#1字下げ]ハタキを落してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「なんだ、まり子さん、いるの」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]忠臣、大あわてで書きかけの手紙をしまう。
[#1字下げ]障子があいて、まり子が顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「掃除が終りましたけど、お茶でもいれましょうか」
忠臣「お茶もなんだけど、ぼつぼつ『日高』へゆく時間じゃないの。あんまりコキ使うと相馬や奥さんにどやされるからねえ。早く行って頂戴よ」
まり子「ハイ(のぞきこんで)ここンとこ、毎日、お習字なんですねえ」
忠臣「字というものは、気持があらわれるもんだねえ。心さびしい時は、さびしい字、それから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、巻紙をひろげて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、この字が、どう見える? うん、わたしの気持……」
まり子「本当のとこ、いってもいいんですか」
忠臣「おう、いって頂戴。私は、オベンチャラと蜘蛛《くも》は大きらいな男です」
まり子「(いたずらっぽく)クモだァ……」
忠臣「ウア!」
まり子「と思ったら、糸クズでした」
忠臣「まり子さん! どして年寄りかまうの!」
まり子「ごめんなさい」
忠臣「……え? なんの話してたんだっけ」
まり子「字には気持があらわれるって話」
忠臣「そうだ、さあ率直にいって頂戴(示す)」
まり子「永山さん……はずんでいらっしゃる」
忠臣「うむ!」
まり子「パアッと若返って、はなやいでいらっしゃる」
忠臣「まり子さん、アンタ、はなせる人だねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、何かいいかける。
[#1字下げ]とたんにパラパラと雨の音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「雨だわ」
忠臣「雨!」
まり子「天気予報は晴れっていってたのに」
忠臣「この空の色じゃあ……本降りになるなあ」
まり子「お洗濯しなくてよかったですねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子を突きとばすようにしてスックと立ち上る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん」
忠臣「傘をもってかんといかんなあ」
まり子「え? 誠さんだったら、ドシャブリになれば、タクシーで帰ってくるんじゃないんですか」
忠臣「誠のこといってんじゃありませんよ」
まり子「え?」
忠臣「リューマチは、雨にぬれるといけないんだよ」
まり子「誠さん、リューマチですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、まり子を突きのけるようにして、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山さん! 傘だったら、アタクシが……」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]傘を一本抱えてとび出そうとする忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、あんた鍵《かぎ》しめていって頂戴」
まり子「あの、永山さん、どちらへ」
忠臣「いってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ポケットから櫛《くし》を出して、あわてて髪をとかして、雨の中へとび出してゆく。
[#1字下げ]けげんな顔で見送るまり子。
●マンション裏口[#「マンション裏口」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]ポリバケツなどが積んである裏口から、出てくる五、六人の掃除婦のオバサンたち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
松本タエ子(50)「ああ、本降りだわ」
井上光子(48)「ぬれても惜しくないもの着てるからいいけどさ」
タツ子「ほんとだ」
一同「どうも、おつかれさん」
タツ子「サヨナラ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、新聞を頭の上にのっけて、走り出そうとしてハッとなる。
[#1字下げ]恥じらいながら、傘を差しかけている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「永山忠臣、お迎えに参りました」
タツ子「………」
忠臣「どうぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、とっさに何を言っていいか返事に困っている。
[#1字下げ]モタモタしながら、傘にはいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タツ子さん……もし、お急ぎでなかったら、お茶をつきあっていただきたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]直立不動の姿勢で礼儀正しく、申しのべる忠臣に、アッケラカンのタツ子。
[#1字下げ]そして、もっとびっくりしているオバサンたち。
●喫茶店「エル」[#「喫茶店「エル」」はゴシック体]
[#1字下げ]古典的なあまりはやらない小さな店。
[#1字下げ]ガラスにうつる雨脚を見ながら、向いあってすわる忠臣とタツ子。
[#1字下げ]レジには、若い当世風の化粧のウェイトレスが、ガムをかみながら、マンガをよんでいる。(「小さな喫茶店」のメロディーが、うすく流れている。)
[#1字下げ]忠臣、何か小さな箱のようなものを、タツ子に贈っている。
[#1字下げ]タツ子、グイと忠臣の前に押し返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうかお納め願いたい」
タツ子「そんな、困るわよ」
忠臣「そうおっしゃらずと」
タツ子「もらう義理なんかないよ」
忠臣「そんな大層なもんじゃありませんよ。気は心というか、先だっての失礼のおわびのしるしというか」
タツ子「弱ったなあ。高いもん……じゃないわよね」
忠臣「それを言って下さるな」
タツ子「あけてもいい?」
忠臣「どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、ビリビリッと破る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「ハンドクリーム!」
忠臣「手が荒れてたんじゃ、ピアノが可哀そうだと思ってね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、忠臣の顔をみつめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「(わざと陽気に)へえ、永山さんて、案外とこまかいとこに気がつくんだねえ」
忠臣「……亡《な》くなったご主人におこられるかな」
タツ子「もう三十年だもの。化けても出ないだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、クリームのフタをとり、匂《にお》いをかいだりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「失礼だが、……タツ子さん、あなた、そやってると、なかなか美人だ」
タツ子「ハハ、よしなさいよ」
忠臣「それと、女らしい……そうなんだよ。アンタは、もともとは、女らしいひとなんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、クリームの瓶《びん》をもてあそびながら、ポツンポツンと話しはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「主人と夫婦らしい暮ししたの、一年とちょっとだったかなあ」
忠臣「軍属だっていってたねえ」
タツ子「(うなずく)子供の顔も知らないで、死んじまったからねえ。戦死の公報入ったとき、可哀そうで可哀そうで……。もっと生きてたかったろうって……そう思ってさ」
忠臣「(うなずく)」
タツ子「遺骨の箱ったって、砂だけで骨も入ってないんだけどね、アッシ、言ったのよ。『今日から、女らしくすンの、やめるからね』って、アンタ以外の人には女らしいとこ、みせるの、やめにするからねって……」
忠臣「女らしいとこを封じこめることで、ご主人の菩提《ぼだい》をとむらわれたのか……」
タツ子「……かつぎ屋やったり掃除婦したりして子供育ててるうちに、習い性となるってのかねえ、本当にガラガラになっちゃった。ハハハ」
忠臣「……ご主人とは恋愛結婚……」
タツ子「ウン」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、だまっている。
[#1字下げ]雨のしずくがガラス戸を伝ってゆく。
[#1字下げ]ガムをかみながらマンガをよんでいる女の子、チラッチラッとこちらを見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「せっかくだから、つけようかな」
忠臣「(うれしい)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、ちょっぴりとって、手にぬる。
[#1字下げ]忠臣、少年のような真剣なまなざしで見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「あ、スベスベになった、ほら」
忠臣「………」
タツ子「ああ、いい匂いだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、おどけて手を鼻先でスンスンやる。
[#1字下げ]不意に、タツ子が手で顔をおおう。小さく嗚咽《おえつ》する。
[#1字下げ]忠臣、びっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「……(わざと明るく)嬉《うれ》しいから、泣きマネしちゃった……フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子の目に涙が光っている。
[#1字下げ]忠臣、目をしばたたく。ハンカチで涙を拭《ふ》く。
[#1字下げ]レジの女の子が、びっくりしたような目で見る。
[#1字下げ]窓を伝う雨のしずく。
[#1字下げ]向きあってすわる老いた恋人たち。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターにすわる忠臣。またうっとりして盃《さかずき》をあげ、「恋はやさし野辺の花」を低唱する。
[#1字下げ]そばの誠、京太郎、静子、健太郎、ロクさん、源助、たつ、キョトンとする。
[#1字下げ]客の帰った後始末をしているまり子、チラリとみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]恋はやさし 野辺の花よ
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]夏の日のもとに 朽ちぬ花よ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「また、随分古い歌うたうんだな」
健太郎「聞いたことあるけどさ、これ、なんの歌だっけ」
忠臣「うたの文句の通りですよ。ズッペ作曲、歌劇『ボッカチオ』より」
静子「恋はやさし野辺の花」
一同「※[#歌記号、unicode303d]恋はやさし 野辺の花よ
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]夏の日のもとに 朽ちぬ花よ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]熱い思いを胸にこめて」
一同「※[#歌記号、unicode303d]疑いの霜を冬にもおかせぬ
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]わが心の ただひとりよ」
[#1字下げ]一同、二番が出てこない。ツンタッタ、ツンタッタと伴奏のみをくりかえす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「(思い出す)あ、そうだ、二番はね、
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]※[#歌記号、unicode303d]胸にまことの露がなけりゃ」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「※[#歌記号、unicode303d]恋はすぐしぼむ 花のさだめ」
忠臣「次はアタシにうたわせて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、低くしみじみと思いをこめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]熱い思いを胸にこめて」
一同「※[#歌記号、unicode303d]疑いの霜を冬にもおかせぬ
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]わが心の ただひとりよ」
[#1字下げ]一同、アーとかっこをつけて歌い納める。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「こやって聞くと、昔の歌ってのもいいもんだねえ」
誠「ほんと。歌詞もクラシックでなかなかいいよねえ」
健太郎「『胸にまことの露がなけりゃ
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#2字下げ]恋はすぐしぼむ 花のさだめ』
[#1字下げ]なんて名文句じゃないの」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「誠さん、大丈夫でしょうねえ」
誠「はあ」
たつ「まり子さんのことよ。アンタ胸にまことの愛はあるんでしょうね」
静子「大丈夫よね、ほかの人ならともかく、誠さんなら」
健太郎「名前からして『誠』だってさ」
忠臣「語呂《ごろ》合わせでつけたんじゃありませんよ」
京太郎「なんだか、みんなで誠さんとまり子さんのために歌ってあげたようなもんだなあ」
まり子「……(チラリと忠臣を見る)」
源助「恋人たちのために乾杯といくか」
忠臣「何が恋人たちだい」
誠「お父さん」
たつ・静子「永山さん、どしたのよ」
忠臣「一通のラブレターも書かない。チャンと口に出して『愛してます』とも『惚れてます』ともいってない。それで恋人たちだなんて、チャンチャラおかしいや」
誠「お父さん……」
忠臣「お前たちな、そういうことを口に出して言ったりするのは、ヤボくさい、かっこ悪い、ツーといやァカアだからいいんだっていうかもしれないけどねえ。恋ってのは、もっと丁寧に……大事に、育てなきゃいけないもんだよ。お前たちみてると、何と、今日のこの一瞬を、無駄《むだ》にしてるのかって、腹が立ってくるんだよ。恋というものは」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる客(徳造)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「いらっしゃい!」
まり子「あら、お父ちゃん……」
徳造「心配すんな、今日は水いっぱいで帰るからよ」
誠「まあ、倉島さん、どうぞ」
徳造「いいんだよいいんだよ、みんなガン首そろえて、にぎやかにやってるじゃねえか」
京太郎「いまね、恋の話でね」
徳造「コイコイか」
静子「コイコイじゃなくて、恋……」
徳造「出てコイ出てコイ池のコイ」
源助「そうじゃないの、アイ・ラブ・ユーのラブ」
健太郎「誠さんとまり子さんのオハナシ」
たつ「いまね、永山さんが偉そうに、恋のお説教ブってるからね、みんなであきれかえってたとこなのよ」
徳造「へえ。そらおもしれえな。オレも聞こうじゃねえか」
まり子「お父ちゃん」
徳造「永山忠臣、なんてったの?」
まり子「お父ちゃん、帰ろうね」
徳造「ラブレターは、巻紙に筆で書くべし」
誠「……(アレ?)」
徳造「朝は早くおきて、マラソンで体をきたえるべし」
誠「………」
まり子「お父ちゃん」
徳造「雨がふり出したら、傘をもって、恋人を迎えにゆくべし」
忠臣「徳さん、アンタ、どしてそんなこと」
徳造「永山忠臣、アンタを見直したよ。俺ァね、アンタが掃除婦だって見下さねえでつきあってるってきいて、えらい! ひとことほめてやろう、そう思ってさ」
誠「お父さん。それじゃあ、この間の見合いしたあのおばさんと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、いたずらをみつかった少年のようにはにかんで、コクンと頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こんなつもりじゃなかったんだよ。何というか、全く突然に足、すくわれたというか……」
一同「………」
忠臣「見合いのあと、双方のり気だって、徳造さんが言いふらしてるって聞いて、どなりこみにいったら、アンタたち夫婦は留守だったんだよ。そいで、あの人のうちに上って文句いってたら何かこう、コツンとぶつかるんだねえ。唐草の風呂敷《ふろしき》かけた、変なかっこの洋服ダンスみたいのがあってさ。何だこりゃ、っていったら、あのパッパしてた女が、急にきまり悪がって『みないでよ!』っていうんだ。パッとのけたら、黒ぬりの立派なピアノなんだよ」
誠「ピアノ……」
忠臣「ピアノの先生ンとこに、日曜日だけ掃除にゆくんだそうだけどね、子供たちがピアノひいてるのみて、アタシもひきたいと思ってね、何年かかってもいいからってちゃんと月謝はらってピアノ習いはじめたっていうんだよ。一年かかって『アマリリス』をひけたときは、うれしかったって……三十年、働き通した手で、ひいてくれた……それ、きいてたら……急に、首のうしろンとこ、ガーンとブン殴られたようになって、……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずく静子。
[#1字下げ]驚いている一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「年甲斐《としがい》もないと笑って下すって結構だ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ヨロヨロと立って、出てゆこうとする。
[#1字下げ]その肩をポンと叩く徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「永山忠臣、しっかりやれ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく忠臣。
[#1字下げ]静子、まり子に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まり子さん、(目で)送ってっておあげなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子と誠、忠臣のトンビとマフラーをもって、追いかける。
[#1字下げ]じっとすわっている一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「(しみじみと)※[#歌記号、unicode303d]恋はやさし 野辺の花よ」
たつ「※[#歌記号、unicode303d]夏の日のもとに 朽ちぬ花よ」
[#ここで字下げ終わり]
●夜の街[#「夜の街」はゴシック体]
[#1字下げ]フラフラと先にゆく忠臣に追いついて、トンビを着せかける誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、お父さん」
まり子「永山さん、大丈夫ですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]両側から支えようとするのを、ふりはらう忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「二人とも、自分の頭のハエも追えないで、人の世話なんかやくな」
誠「お父さん」
忠臣「うしろ見ないでやるから、え? 恋人同士なら恋人同士らしく、歩いてみろ」
誠「何いってんだよ、ほら」
忠臣「ほら、じゃないんだよ、みろ。今晩みたいに月がキレイで、寒くて……え? こんないい晩は、生涯《しようがい》に……いや、今晩は生涯に二度とめぐってはこないんだぞ、クソジジイの世話やくひまにすることがあンだろ」
二人「………」
忠臣「ゆっくりこい……後ろなんかみないから、安心しろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、フラフラと先にゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]恋はやさし 野辺の花よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そのうしろ姿をみながら、誠とまり子、立っている。
[#1字下げ]誠、まり子の手をとる。寄りそうまり子。
[#1字下げ]肩に頬《ほお》をつけるようにする。
[#1字下げ]塀《へい》に二人の影法師がうつっている。
[#1字下げ]そのまま少し歩いてゆく二人。
[#1字下げ]そして、抱きあって一つになる影法師。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]寝る前の自己流の体操をしている忠臣。
[#1字下げ]誠の帰ってきた気配にあわてて夕刊をひろげて、顔をかくす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「お父さん、玄関しめるよォ」
忠臣「おう!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#1字下げ]これも何となくテレくさそう(口の脇《わき》に口紅のあとがかすかに残っている)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どした? まり子さん、帰ったか」
誠「うん」
忠臣「夜道は危ないぞ。『日高』まで送ってかなきゃダメじゃないか」
誠「雨はもう上ってるからね、大丈夫だよ」
忠臣「……フン」
誠「お父さんも案外|嘘《うそ》つきだね」
忠臣「なんですよ」
誠「つきあってるならつきあってるって、一言いやあいいじゃないか」
忠臣「あ、また値上げだ」
誠「とぼけるんじゃないよ。それにしても、マメだよな。え? 七十にもなってさ」
忠臣「あしたはくもりか」
誠「ずっとつきあってくつもりなの? え? 茶のみ友達としたってさ、お父さん、これから先のこと、どう考えてんのか」
忠臣「先のない人間に先のこと、先のことって言うなよ」
誠「………」
忠臣「……いや、ちがうかな、先のことをあれこれ考えると楽しいねえ」
誠「お父さん……あのねえ」
忠臣「(ひょいと新聞をずらして)おい、赤いのがついとるぞ」
誠「え? アッ!」
忠臣「それでいいんだよ、そうこなくちゃ」
誠「え? いや別に、そんな、ついてないよ、なんにも」
忠臣「ハハ、赤くなってやがる」
誠「なに言ってんだよ、あ、お父さんもついてるよ」
忠臣「え! バカも休み休みいいなさい。わたしたちは、チュウどころか、まだ手もさわっとらん、清い間柄《あいだがら》」
誠「衿《えり》にゴハンツブがついてるっていったんだよ」
忠臣「そんならそうとハジメに言いなさいよ、全く、親からかって」
誠「それにしてもお父さん、まさか本気じゃないだろうねえ」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d]恋はやさし 野辺の花よ」
誠「ごまかさないでさ」
忠臣「あ、(口紅)まだついてるぞ、お前」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やりあいながら、一抹《いちまつ》の不安の残る誠。
[#1字下げ]そして、上機嫌《じようきげん》の忠臣。
[#改ページ]
16
[#改ページ]
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]向いあい顔を寄せあうようにして、話している誠とまり子。目を見つめあい、目で笑っている。まり子が、誠の耳もとに何か囁《ささや》く。うなずく誠。しかし、店内にうすく流れるムード・ミュージックにじゃまされて、話の内容は聞えない。
[#1字下げ]ドアのところに久米編集長と土岡がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いやあ、愚痴は言いたくないすけどねえ編集長、商社につとめてる連中の、ぼくは五分の一すからねえ、ボーナスが……」
久米「ひろしちゃんよ。おゼゼが欲しかったら出版屋なんかおやめなさい!」
土岡「ところが、これがやめられないから弱ってんじゃないすか。アッ」
久米「おッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、誠とまり子に気づく。
[#1字下げ]手をふれあいながら語りあう恋人たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「頭《かしら》左!」
土岡「曲れ右、前へ進め!」
久米「オイチニイサンシイ」
土岡「ゴオロクシチハチ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、店の外へ。
●「ビーワン」[#「「ビーワン」」はゴシック体](表)
[#1字下げ]ガラス越しに誠とまり子が見える。
[#1字下げ]久米と土岡、立ちどまる。
[#1字下げ]恋人たちのくちびるの動きに合せてゆっくりと甘いセリフを言う。
[#1字下げ]しかし、恋人たちは、熱っぽい目で現実的な話をしている。
[#1字下げ](会話のたびに下段にテロップがあらわれる)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「(誠の口まね)『愛してるよ、まり子さん』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](テロップ――誠『また物価が上ったなあ』)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「(まり子のまねで)『うれしいわァ、誠さん』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](テロップ――まり子『ラーメンが二百三十円ですものねえ』)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「(誠)『毎晩、まり子さんの夢を見てねむるんだ……』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](テロップ――誠『その割には月給は上ンないしねえ』)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「(まり子)『夢の中のあたしって、どんななの?……』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](テロップ――まり子『やってけるわよ。あたし、ケチンボだから』)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「(誠)『とってもすばらしいよ』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](テロップ――誠『おやじってコブまでついてるし……』)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「(まり子)『いやだ……恥かしい……』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](テロップ――まり子『大丈夫……』)
[#1字下げ]ガラス戸越しの二人、手をにぎりあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米・土岡「やってらンないな。いこいこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米と土岡、行ってしまう。
●「ビーワン」の店[#「「ビーワン」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]誠とまり子、話をつづける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「それにしても、この頃《ごろ》、うちのおやじ、ちいっとおかしいんじゃないかなあ」
まり子「すっかり若がえったみたいねえ、永山さん」
誠「若がえるのは悪いことじゃないけどさ、年相応ってことがあるからね」
まり子「やっぱり……この間のお見合いの相手の……遠藤タツ子さんて人のせいかしら?」
誠「いい年して、毎日ラブレター書いてさ、返事がこないかってんで、郵便のくる時間になると表に立ってるってんだからね」
まり子「それで、返事は……」
誠「あのオバサンね、筆不精なんだってさ」
まり子「一通もこないの?」
誠「タツ子さんらしい、サッパリしていいっていってんだから、手がつけらンないよ」
まり子「……ね、本気かしら?」
誠「まさか。君もそのうち判《わか》ると思うけど、うちのおやじね、珍しもの好きなんだ。冷凍食品が出ると、もう、いろんなの山ほど買いこんできてさ。それで、三月もするとアキちゃうんだなあ」
まり子「そうすると、こんどのタツ子さんも冷凍食品てわけ?」
誠「まあ、そんなとこだと思うけどね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑う二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「昼飯いっしょに食べよう。ちょっとイケる天プラ定食の店が」
まり子「あたし、ラーメンでいい……」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]びっくりしている悦子。
[#1字下げ]忠臣《ただおみ》が、勇の洋服ダンスをあけて、あれこれ物色している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん。いきなり背広貸してくれっておっしゃったって……」
忠臣「なにも、質屋にもってこうっていうんじゃないのよ。今日一日いっぺん手通したら、ちゃんとアイロンかけてブラシかけてお返ししますから。あ、こりゃいい柄《がら》だなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひっぱり出して、当てて鏡をみている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「でもねえ、お父さん」
忠臣「これだったら、ワイシャツは白じゃつまンないねえ。やっぱりブルーかしら? あ、ブルーよかピンクがいいかな。ね、勇はピンクのワイシャツもってないの」
悦子「固いつとめですからねえ、ピンクのシャツ着て会社へはゆけませんよ」
忠臣「そんな、……悦子さん……ツンツンした物の言い方してると、器量が落ちるよ。あ、こっちのほうがいいかな」
悦子「ねえ、お父さん(言いかける)」
忠臣「いや、誠の奴《やつ》、安月給だろ? みかけはサイドベンツとか何とかかっこいいんだけど、布地がよくないんだ、仕立ても悪いしねえ。そこいくとやっぱり勇のは、いいわ……あ、これにあうネクタイどれだろ」
悦子「お父さん、一体、こんなの着てどこいくんです?」
忠臣「いや?……ハハハハ。わたしもまさかこの年でこんなことになるとは夢にも思わんかったからねえ。冠婚葬祭は、和服と軍服で間に合うとタカくくっとったんだが……まさか毎日同じ服ってわけにもいかんじゃないの」
悦子「毎日ってどっかいらしてんですか」
忠臣「(背広を着てみて)おやこってのは有難《ありがた》いねえ。体のくせまで……ほらピッタリだ」
悦子「お父さん、あのねえ」
忠臣「あ、それから悦子さん、勇のオーデコロン、あッ! そこのバラの花ね、ちょっとクルクルッとかっこよく包んで頂戴《ちようだい》」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]花ビンのバラの花。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「花って……あの、これですか」
忠臣「とげ、刺さるといけないから、手のあたりそうなとことってね。あ、おひるまでにいかないと間に合わないから、急いで頂戴」
悦子「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、派手なネクタイを何本も衿元《えりもと》にあててみながら口ずさむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 恋はやさし 野辺の花よ 夏の日のもとに 朽ちぬ花よ」
[#1字下げ]あっけにとられている悦子。
忠臣「何、ポカンとしてるの。バラの花! 早く!」
[#ここで字下げ終わり]
●マンションの裏口[#「マンションの裏口」はゴシック体]
[#1字下げ]正午。マンションの裏手、ポリバケツなども積んであるが、ささやかな芝生もある一隅。冬の陽《ひ》がやわらかくあたっている。忠臣とならんで腰をおろすタツ子。
[#1字下げ]掃除のおばさんの一群が、少し離れたところに陣取って、チラチラ二人を見ている。
[#1字下げ]忠臣は、勇から借用してきた派手な背広を着込み、アスコット・タイを結んで洒落《しやれ》のめしている。バラの花を受け取る タツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「困ったなあ。こんなとこで花なんかもらってさ」
忠臣「大丈夫大丈夫。根もとンとこに、水しませたガーゼで、くるくるってやってきたから……あ、あついお番茶もね、ちゃーんと持参いたしましたよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]肩からかけたマホウビンをおろす忠臣。持参の風呂敷《ふろしき》包みをひらく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それからね、手製でお恥かしいんだが、弁当も……」
タツ子「お弁当なら、アッシだって、ちゃんと」
忠臣「いや、持っておいでだろうけど……こっちへもハシをのばして頂きたいと思ってね。あ、ナフキンもありますぞ、どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]甲斐甲斐《かいがい》しく世話をやく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「何様のおひるじゃないんだからさ、ナフキンなんて、こっぱずかしいよ」
忠臣「いやいや。たとえ、目刺し一匹、梅干一個のおかずだって、心ゆたかに食べたいじゃないの。『いただきます』」
タツ子「『いただきます』」
忠臣「ああ、おいしいなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑っているおばさんたち。
[#1字下げ]忠臣、ニッコリ笑いかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おいしいですねえ皆さん」
タツ子「ヘヘ。みんな笑ってるだろ」
忠臣「何がおかしいんだ。大体ね、日本人だけですよ。昼飯をせかせか食うのは。フランス人なんぞはアナタ、前後二時間はかけてですな、昼飯を、あ、この蓮《はす》の煮たの、いけますぞ。ドーゾドーゾ」
タツ子「いいの。自分の、あッから」
忠臣「遠慮は無用!(とってやる)」
タツ子「あーあ、いい笑いもンだよ(明るく)」
忠臣「笑いたい奴にゃ笑わせときゃいいんです。口惜《くや》しかったらボーイフレンド連れといでって……そもそも……そもそも……何のハナシ、アレ? しとったかな」
タツ子「情ないボーイフレンドだね。そもそもフランス人なんぞは二時間かけて昼飯を、ってとこ」
忠臣「あ、そうだ。ランチタイムには自分のうちへ帰って、夫婦水入らずでゆっくりと昼ごはんをたのしむ。或《あるい》は恋人同士がレストランでランチを共にする。日本みたいに、かけそばザァッと立ち食いして、楊子《ようじ》で歯せせりながら職場へ帰るなんて国は、世界中どこ探したって……アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]汁気《しるけ》の多いオカズを、背広におっことす忠臣。
[#1字下げ]ひどくあわてて、ハンカチをさがすがない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なんだよ、悦子さんも気が利《き》かんねえ、ハンカチとカミぐらい入れといてくれたって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、首のタオルをとって拭《ふ》いてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「息子さんの……借りてきたんだろ」
忠臣「いやあ。永山忠臣こんな背広の五着や十着……」
タツ子「フフフ。しみつけると、やな顔されるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やわらかく笑いかけるタツ子。忠臣、フッと素直になって……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「息子一人大きくするのに、親がどれくらい苦労したか、そこンとこ考えもしないで、ちょっとこっちに落度があると、もう、ガアガアいうからねえ」
タツ子「まだね、ヒトリ(独身)のうちはいいんだよ。これで嫁でももらってごらんな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、タツ子を見る、うなずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うちも、いずれは、ねえ」
タツ子「じゃあ、今のうちが『ハナ』だ。あ、ゴハンツブついてるよ」
忠臣「ありがとう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]食べる二人。ちょっとハシをとめて……忠臣、熱い視線でじっと見る。
[#1字下げ]はにかんだ微笑を返すタツ子。
[#1字下げ]マンションのどこかでピアノをさらっている。ロマンチックなメロディー。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ピアノだな……」
タツ子「弾いてるのは、子供だね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]聞く二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、そうだ。あしたの晩、二時間ほど、時間をなにして頂けませんかな」
タツ子「あしたの晩」
忠臣「(改まって)失礼だが、タツ子さん、パーティにおさそい申し上げたい」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]マンションの帰りらしく、同じ背広で弁当の包みを下げマホウビンを肩から下げた忠臣が、編集長の机の前に立って何やら切符を差し出している。
[#1字下げ]けげんな顔で、押しつけられている久米編集長と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「あしたの晩ねえ」
土岡「パーティ券……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]半紙を半分に切ったのに、筆で赤くケイを引き、パーティ券と大書したケッタイな券。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「十時より十二時まで。於『日高』会費二千円ナリ」
久米「こりゃ、胴元はお父上ですな」
忠臣「いやあ、いっぺんやってみたいと思っておったんですがね。近頃のヤング共は、何かっていやあ、パーティ券つくって仲間うちに売って、自分の分浮かすとか、小遣いかせぐってェじゃあありませんか」
久米「そうそう。うちの連中なんぞもよくやっとるようですな。アタシもしょっちゅう買わされとります」
土岡「十二月十九日ってことは、クリスマス・パーティですか」
忠臣「まあまあ。いささか趣向はあるんですが、それは当日までのおたのしみということで……ぜひ、お買上げをいただきたい」
土岡「一枚二千円か」
忠臣「美人のお酌《しやく》つきで酒は飲み放題。サカナはロクさんが腕をふるって用意をいたしますしねえ。まあ、当節の物価にしちゃ、絶対のお値打ちですぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カメラマンの内山や秋子たちものぞきこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「二千円やったら、安いわねえ」
内山「二枚もらっとくかな」
忠臣「おっとっと。せっかくだが……残りは、四枚しかないんでねえ。編集長さん二枚、土岡さん二枚ということでお買上げをいただきたい」
久米「わたしが二枚」
忠臣「(小さく)ママさんと、かもめのママさんとお揃《そろ》いで……」
久米「こりゃどうも……お心づかい恐れ入ります」
忠臣「いえいえ。はい、ひろし君、四千円」
土岡「四千円惜しいっていうんじゃないんですがね。恥かしながら、僕《ぼく》は……その……」
忠臣「判ってるの。(物凄《ものすご》く大きな声で)一緒にゆく恋人やパートナーがいないっていいたいんでしょ?」
土岡「お父さん、何もそんな大きな声で言わなくたっていいじゃないですか」
忠臣「あら? 大きな声だったかしら? どうもこの頃年のせいかなあ。大小の区別するとこがこわれたのね。小さい声出そうと思うと大きな声が出ちまうの」
土岡「お父さん……(くさる)」
忠臣「編集長のお連れはママさん、(小さな声で)ひろし君のパートナーは誠でいいじゃないの」
土岡「誠ちゃんとですか? だって誠ちゃんにはまり子さんという恋人が」
忠臣「ハイ、お二人様合せて八千円なり。毎度|有難《ありがと》うございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]頂戴をする忠臣。
[#1字下げ]久米、しぶしぶ財布を出しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「まあ、お父上のおすすめとあればしかたないか……(土岡に)誠ちゃん、どこいったの」
土岡「木村先生ンとこですよ。もう帰ってくると思うんすけどねえ」
忠臣「いやいや。こんなとこまで来て、うちで見なれたツラを見なくてもけっこうです。いやあ、編集長さん。さすがはいい財布をお持ちでいらっしゃる。ワニですかな」
久米「これ、蛇皮《へびがわ》……」
[#ここで字下げ終わり]
●編集部・廊下[#「編集部・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]口笛を吹きながら、誠が帰ってくる。原稿入りのハトロンの封筒を抱えて、弾んでいる。
[#1字下げ]編集部のドアのところで、これも弾んで口笛を吹きながら出て来た忠臣と鉢合《はちあわ》せをしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・忠臣「失礼!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]同時に言ってから、互いに相手に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さんじゃないか」
忠臣「なんだ、誠か!」
誠「誠じゃないよ。どしたんだよ、その格好は」
忠臣「どうもおじゃまさん」
誠「ちょっと待てよ、お父さん、何しにきたんだよ」
忠臣「何しにって、お前、このへん通りかかったからちょいとごあいさつ」
誠「アッ! この背広、兄貴のじゃないか、あーあ、派手なネクタイなんかしちゃって……、あ、これ、マホウビン……ね、どしたんだよ!」
忠臣「わたしがマホウビンかついで歩いちゃ悪いっていうの? 今日び、ちょっと喫茶店入ってコーヒー一パイ飲んだって、二百円三百円とられるご時世ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、いったん閉めたドアを小さく開けて、編集部に聞えよがしにどなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ましてやだ、倅《せがれ》はそんなに小遣いなんぞくれないしさ」
誠「お父さん(しめようとして小ぜりあい)こんなとこで人聞きの悪いこといわないでくれよ。ね、お父さん、一体何しにきたんだよ。オレにことわりなしに職場へきちゃ困るってあれほど言ったのに、お父さん」
忠臣「あいとるぞ、お前(ズボンのファスナー)」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠が一瞬のスキをみせたところで、脱兎《だつと》のごとく逃げ出す忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●ビルの廊下・外れ[#「ビルの廊下・外れ」はゴシック体]
[#1字下げ]ハアハアいってヘタバっている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あーあ、三十六計逃げるにしかず。とはいうものの、押し売りってのはラクな商売じゃないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米の机の前で、久米と土岡からパーティ券を示されてガックリしている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いやあ、すごくあわてて、人、振り切って逃げてったですからねえ、何かやらかしたとは思ったけど、まさかパーティ券の押し売りだとは……」
久米「誠ちゃん、お父上つかまえて押し売りは悪いわよ」
誠「押し売りですよ。どうもすみませんでした」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、財布を出して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あの、一枚二千円でしたよね」
土岡「何やってんだよ、誠ちゃん」
久米「買いもどす必要なんてないわよ。お父上、何か趣向があるらしいから、ね、ひろしちゃん、みんなでたのしく伺おうじゃないの」
土岡「いきましょいきましょ」
誠「趣向ってなんだろう。『日高』もひどいよ。こんなことになってんなら、ひとことこっちにことわってくれたってさ」
久米「なにブツブツいってんの」
土岡「しかしなんだねえ、お父さん、若くなったねえ。ありゃ身なりのせいだけじゃないよ」
誠「若くもなりますよ。もう、普通じゃないんだから。いい年して……全く」
土岡「この間見合いした掃除婦さんか」
誠「遠藤タツ子っていうんですけどね、もう毎日ラブレターは書くわ、もう」
久米「いいじゃないの。『死んで花実が咲くじゃなし』」
土岡「あーあ、お父さんといい編集長といい……年寄りがやってくれるよなあ」
久米「ひろしも頑張《がんば》ってチョウよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、パーティ券をもてあそびながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店・前[#「「日高」の店・前」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]客が入ってゆく。
[#1字下げ]中から京太郎、静子、ロクさんそしてまり子のいらっしゃいまし、の声がひびく。
[#1字下げ]つづいてもう一組の二人連れのサラリーマンが入ろうとする。
[#1字下げ]ぶつかるようにまり子の手を引っぱった忠臣が出てきてはねとばしてしまう。(忠臣は出たきり帰ってないらしく、勇の背広)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人連れA「アッ! なんだよ!」
まり子「あら、どうもすみません」
二人連れB「ああ、いてえ、人がせっかく入ろうと思ってんのにさ」
まり子「すみません、いらっしゃいまし」
二人連れ「おい、じいさん、若い子にかまっちゃダメだよ!」
忠臣「何をいうか。この人は倅の嫁になる人間じゃないか。何も知らんくせして……さあさあ。迷ってないで入ったり入ったり」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、二人を追っ立てるようにして中へ追いこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人連れ「何だよ、ここは。暴力飲み屋か」
まり子「本当にどうも……」
忠臣「まり子さん、あんた必要以上に愛想よくするこたァありませんよ。常に女としての誇りをだな……」
まり子「ハイ! それは、いつも考えております。あ、永山さん、三枚分六千円ですね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、チラリと中をうかがってから手を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何だか悪いねえ」
まり子「とんでもない」
忠臣「倉島徳造……いや、あンたのおとっつぁんとあのふみ江さんか、あの二人にもね、いささか趣向がありますのでぜひご出席いただきたいって……」
まり子「よろこんで伺うと思います」
忠臣「こんどはね、けんかは吹っかけないからって」
まり子「ハイ……」
忠臣「あ、それからね、ちいっと、その、身綺麗《みぎれい》にしてきてもらいたいんだなあ。なんせそのパーティだから」
まり子「……っていうと、タキシードとか」
忠臣「あんたのおとっつぁんがタキシード着たらチャップリンだよ」
まり子「フフ、似てますよね」
忠臣「まあ、普通の背広でもいいけど……キレイなの……ね」
まり子「よくいっときます。あの趣向ってなんですか」
忠臣「まずは当夜のおたのしみ……」
静子(声)「まり子さん! どしたの!」
まり子「ハーイ、いまいきます!」
忠臣「あ、まり子さん」
まり子「は?」
忠臣「やっぱり返そう(六千円)」
まり子「永山さん」
忠臣「パーティはね、あたしからご招待しましょ」
まり子「でも、そんな……」
忠臣「まり子さんから金なんか取ったら、誠の奴に何て怒られるか。(小さく)それと、倉島徳造にも世話になってるこったし……ね、これ」
まり子「でも、……本当にいいんです」
忠臣「まあまあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろからたつの声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「まり子さん、あんたも売りつけられたの?」
まり子「あら、石川さん」
忠臣「お……」
たつ「そんなお金ね、わたすことないわよ、ちょいと永山さん」
忠臣「あいたた」
まり子「あの……待って下さい」
たつ、バタバタする忠臣の首根っ子をつかまえて「日高」へ引っぱりこむ。
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たつに引きずられてカウンターにすわらせられる忠臣。
[#1字下げ]オロオロするまり子。
[#1字下げ]びっくりする京太郎、静子、ロクさん。
[#1字下げ]そして、カウンターでチビチビのんでいた源助も驚いて立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク  /「いらっしゃいまし……あれ?」
京太郎  |「艦長」
静子   |「奥さん、どうなすったのよ」
源助  \「おい、お前」
忠臣「あいたたたたた……おい、石川、お前の女房《にようぼう》はこの年寄りを何と思っとるのか……全く」
たつ「(ぐいと突きとばして)年寄りは年寄りらしくしたらどうなのよ! え! 永山さん」
忠臣「どうしてそう人を突きとばすんだろうね……まり子さん、助けて頂戴よ」
たつ「いい年して……不良大学生じゃあるまいし、パーティ券なんか売っちゃって」
忠臣「いや、それはねえ」
たつ「夕方さ、はな子が『お母ちゃん、六千円立替えといたよ』っていうじゃないの。なんだいっていったら、永山さんからパーティ券買わされた(三枚出す)……もうあきれかえってさ!」
源助「そりゃね、あの」
たつ「お父ちゃんもお父ちゃんだけどね、ねえ、相馬さんも……奥さんもついててどしてこんなマネさせるのよ。えッ!」
京太郎・静子「でもねえ」
たつ「デモじゃないでしょ! これ会場は『日高』なんでしょ!」
京太郎「うちだけどさ、艦長がね、どしてもやりたいって」
忠臣「わたしはね、いろんなことをやりましたよ。巡洋艦の艦長もやった。戦後はオンボロ会社の重役もやって会社二つばかり作っちゃつぶしました。若い時分は、面白《おもしろ》半分に無銭飲食もやったし、本屋でエロ本万引したこともあります」
まり子「本当ですか」
忠臣「そのくらいのことは、男ならみんなやっとるんだ。だけどねえ、いまだかってパーティ券てのを作ってサバいたことだけはないんだよ。いっぺんぐらいはみんなサバけるかしらとかさ、赤字になンないかなあ、なんてね、ドキドキする気持を味わってから死にたいじゃないの」
たつ「死ぬ死ぬっていやあ何でも通ると思ってんだから」
京太郎「いいじゃないすか。別に減るもんじゃなし……一年に一ぺんぐらい早仕舞いしてさ、忘年会兼クリスマスのパーティやったってバチは当ンないだろと思ってね」
たつ「そんなら何も会費制にしなくたってさ」
京太郎「タダでやれっていうの?」
忠臣)「そりゃ悪いよ」
源助  「アコギだよ」
静子「まあまあ奥さん、せっかく永山さんが会費制にして……ね、パーティ券つくってなにしたいっておっしゃるんだから……うちも、いただいた会費以上に……ね、ご損はかけませんからさ」
たつ「奥さんがそやって永山さんの肩もつからいい気になってつけ上るのよ」
忠臣「なんという言い草だ!」
たつ「何だかね、永山さんが売る券てのはウサン臭いのよ!」
京太郎・源助「大丈夫だよ、本当に」
静子「まあ、奥さん、おすわりになってさ……一杯……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、すわりながら忠臣の背広を引っぱる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「チンドン屋みたいな派手な背広着ちまってまあ……」
忠臣「チンドン屋とは何だチンドン屋とは」
京太郎「よしなさいよ、奥さん」
源助「お前、十二月になっと、いつも気がたかぶるな」
たつ「こないだの掃除婦さん……相変らずあの人に夢中なんだって?」
静子「ええもう大変……」
たつ「永山さん、アンタ年いくつなのよ、え?」
源助「よしなっていうんだよ」
京太郎「酒が足ンないんだ、まり子さん、ついでついで」
まり子「どうぞ」
たつ「どうぞってアンタ、これ、うちで入れてる酒でしょ? うちで飲みゃ原価なのにここで飲みゃ倍になンだから」
源助「また言ってやがる。あのな、酒ってものは酒屋でのむものじゃねえんだ、酒ってもンはな」
たつ「お父ちゃんはいいのよ。ねえ、永山さん、アンタ、年考えてね、やンなさいよ」
京太郎「いいじゃないの、奥さん。あたしゃね、この頃《ごろ》の艦長みてると、何ていうかなあ、ほほえましいっていうか、うれしいっていうか」
源助「そうなんだよ。普通なら……ねえ、冬は寒いや。年寄りは背中丸くしてさ、ちぢこまって歩いてら。ところがだ、ここンとこ艦長は……ねえ」
京太郎「おう。背スジのばしてピンシャンだよ」
忠臣「背中なんか丸めていられるかい。あ、まり子さん、マフラーそっちへかけといて頂戴《ちようだい》。シミつけると勇の奴《やつ》うるさいから」
まり子「ハイ」
静子「あら、それご長男のですか。道理で派手だと思ったわ」
たつ「気が知れないわねえ」
静子「まあねえ、けっこうなことなんでしょうよ。ここのとこ、ねえ、永山さん、深酒もなさらないし……」
京太郎「そう。酒もたばこも適量。ねえ、人間恋をするとこんなにも変るもンかって、あたしゃ感心してんのよ」
源助「それと気持のやさしさね、我々に対する毒舌もここンとこちょいと少なくなってきたもンなあ」
忠臣「年をとってから人にめぐりあうと、物のあわれが判《わか》るんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しみじみという忠臣の肩のフケをやさしくはらってやるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ありがとよ、まり子さん」
京太郎「目がちがってきたねえ。こう、なんというか、初めて恋をする少年の恥じらいがただよっているんだなあ」
忠臣「(恥じらう)」
静子「少年ねえ」
たつ「イケ図々《ずうずう》しい少年もいるもんだわ」
静子「奥さん……」
たつ「相馬さんやお父ちゃんがそやって面白がってさ、もち上げるから、永山さん調子にのるのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]このあたりから帰ってきた健太郎が、うしろで聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「別にもち上げるわけじゃないけどさ」
源助「身につまされるっていうか、ねえ、相馬|中尉《ちゆうい》……」
京太郎「あたしらだってね、ひょっとするとこういうことになるかも知れないなって……ねえ」
たつ「こういうことってなによ!」
静子「あたしたちが先に死んで、アナタたちが生き残るってことですか」
京太郎「そンときにね、しょんぼりと生きてるよか、ねえ、年下の後家さんと知りあって、モヤモヤホンワカとしたものがあったりしたら……なあ、石川」
源助「年甲斐《としがい》もないって笑いとばせないんだなあ」
忠臣「……(うなずく)」
静子「あたし、先死ぬの!」
たつ「死んだら、これ幸いとばかり別なのめっけようと思って」
静子「そいで永山さんに加勢してんだ!」
京太郎・源助「いや、なにも」
たつ「男ってのはこれだから!」
静子「そうですよ。永山さんだって、なんですか。え? お目にかかったことないけど、亡《な》くなった奥さん『絶対』で、もう、よく出来た家内だった。あたしに似て大根の花だった……それがクルンと引っくりかえって、恋はやさし、野辺の花よ、とこうなるんですもンねえ」
[#1字下げ]健太郎、笑ってしまう。
たつ「まり子さん、ようく見ときなさいよ。誠さんだってねえ、このお父っつぁんの血引いてんだから、判ったもんじゃないわよ」
まり子「あたし、それでもいいと思ってるんです」
一同「まり子さん……」
まり子「生きてる間だけ、あたしのこと思ってくれたら……それでいいんです。もし、先に死んだら……そりゃ、すぐ別の人とってのはさびしいけど……でも、永山さんみたいに何年もたってからなら、あたしならいいわ。だって、一人でショボンとしてたらかわいそうですもン」
健太郎「いいこというなあ、まり子さん」
一同「健ちゃん……」
静子「アンタ、帰ってたの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、サカナになって右を見たり、左を見たりして肩をつぼめている忠臣に酒をつぐ。
[#1字下げ]自分もグラスについで……カチンと合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「『老いらくの恋のために……乾杯!』」
忠臣「……健太郎クン……男の気持はね、男しか判んないんだよ」
静子「……(小さく)健ちゃんね、人のことだと思ってそんなのんきなこといってんのよ。息子さんの立場になってごらんなさいよ」
たつ「そうよ、ま、そのうち、誠さんたちも音あげるんじゃあないの」
健太郎「いいじゃないの。え? 別に恋愛したって他人に迷惑かけてるわけじゃなしさ、女のいうことなんか気にしないで頑張って下さいよ」
まり子「……お体だけは気をつけて」
健太郎「まり子さんも味方だってさ」
忠臣「健ちゃん、アンタやさしいねえ。あ、そうだ。これ、一枚どうかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パーティ券。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「え? オレも買わされンの?」
忠臣「一枚二千円なんだけどね」
健太郎「オレ、ここンちの、半分は義理だけどさ……息子だよ」
静子「しかたないでしょ? あたしたちも買わされたんだもの。ねッ!」
京太郎・ロク「(渋い顔でうなずく)」
健太郎「へえ……おやじさんも……」
たつ「永山さん、どこまであつかましいのよ! この人は!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]勇がきている。誠とビールをのみながら、忠臣の帰りを待っている。
[#1字下げ]テーブルの上にも、まわりにも、色とりどりの色紙を輪つなぎにしたものが、山と積まれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「なんだい、こりゃ?」
誠「オレに聞いたって知らないよ」
勇「いい年して……幼稚園の生徒じゃあるまいし……まさか内職じゃないだろうな」
誠「こんな内職ないだろ。第一、オレ、ちゃんと食うぐらいのことはやってるよ」
勇「オレだって、お前、ちゃんと毎月」
誠「兄さん(ビール)」
勇「うむ(のんで)おい誠、おやじ、どうかしてるぞ」
誠「オレもそう思うよ。背広だけならともかくバラの花まで持ってくとはなあ」
勇「ありゃ普通じゃないって悦子もいってたよ。とにかくね、花もって、マホウビン下げて、弁当持って、一体どこいくんだよ」
誠「弁当?」
勇「おお! 何かね、四角い風呂敷もってんだってさ。悦子がさわってみたらホカホカあったかいっていうんだよ」
誠「そうだよ。会社へきたときもマホウビンかついでたよ。おかしいなとは思ったけどさ、まさか弁当までは」
勇「昼飯におくれるってんでソワソワしてたっていうんだけど……おい、まさかその何とかって女のとこじゃないだろうな」
誠「タツ子っていうんだけどね。遠藤タツ子」
勇「そこいったんじゃないのか」
誠「でも、その人、マンションの掃除婦してる人だよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話がなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おやじだろう、意見することがある。少し早く帰ってこいって」
誠「(とって)モシモシ」
タツ子(声)「こんばんは! 昼間はありがと!」
誠「え?」
タツ子(声)「何て声出すのよ。アッシよ、タツ子!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]キョトンとする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子(声)「遠藤タツ子!」
誠「ああ……」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]大あぐらで電話をしているタツ子。そばで、ニヤニヤしている徳造とふみ江(造花の内職をしている)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「ねえ、この電話さ、どっからかけてると思う? となりのね、倉島さんとこ、今日からね、電話ついたのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、手でオレにかわらせろ、とやって、受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、永山忠臣。元気でやってっか。オレンとこな、今日から電話ついた。うん、印刷所の方でね、何か急の用があったとき電話がなくちゃ不便でいけねえってんで、つけてくれたんだ。こんど何かあったら電話してくれ」
ふみ江「アンタはいいのよ。お邪魔だってさ」
タツ子「モシモシ。あのね、折角電話ひけたんだからどっか掛けろってからさ。あ、そうだ、昼間は花ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器を握る誠。
[#1字下げ]耳をよせて聞く勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「え? 花?」
タツ子(声)「バラの花よ。アンタ、自分でくれといてもう忘れてんの? しっかりしなよ! そいからさ、お弁当もおいしかったわよ! ごちそうさま」
誠「弁当……」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]タツ子、徳造、ふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「でもさ、今日みたいなことされっとさ、仲間が冷やかしてさ、掃除に身が入ンないから……もう、しないでよね。気持はうれしいけどさ。アッシだってテレちまうしさ」
誠(声)「モシモシ」
タツ子「ハハ。若い声出しちまって……あのね、今日のこと夢の中で主人に言いつけるからね。ハハ。もしかしたら、アンタ、夢の中でさ、アッシの主人にブン殴られっかも知ンないよ。二十七で死んじまったからね。力あるから……ハハ」
ふみ江「……二十七で……ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「モシモシ、あの、お話中ですが」
タツ子(声)「モシモシ、アレ?」
誠「ぼく、息子のほうなんですが」
タツ子(声)「え? 息子さん」
誠「おやじ、まだ帰ってこないんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]あわてるタツ子。
[#1字下げ]徳造、ふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「え? そいじゃアンタ、誠って人? やだ、どして早くいわないのよォ! どうしよう。やだ! ああ、キマリ悪い!」
ふみ江「タツ子さんもまた……相手確めてからしゃべりゃいいのにさ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠と勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おやじ帰ったら、そう言っときますから……どうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話切って……顔を見合せて、ため息をつく兄弟。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ほろ酔いで帰ってくる忠臣。
[#1字下げ]派手な背広、マホウビン、風呂敷《ふろしき》包み。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 恋はやさし 野辺の花よ
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]おーい、誠、帰ったぞォ。あれ、この靴《くつ》は勇じゃないか。勇きてんのか……どっこいしょ!
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]※[#歌記号、unicode303d] 夏の日のもとに 朽ちぬ花よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってゆく忠臣。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]フラフラ入ってゆく忠臣。渋い顔をしてすわる、誠と勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なんだい、親が帰ってきたんだぞ。お帰りなさいぐらい言ったらどうなんだよ」
勇「まあ、そこすわりなよ、お父さん」
忠臣「ここはアタシの家ですよ。倅《せがれ》にすわれっていわれなくたってすわりますよ。全く、礼儀作法のなっとらん倅だねえ。お帰りなさいのアイサツ」
二人「お帰エンナサイ」
忠臣「ハイ、ただいま」
誠「ただいまのアイサツは、この人にした方がいいんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、亡妻繁子の写真を忠臣の鼻先に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アラ」
誠「お父さん、お母さんの写真まともにみて、ただいまがいえるかい」
忠臣「(ちょっとひるむが)ただいま。(写真を指でさわって)母さんも変んないねえ」
勇「死んだ人間が変るわけないだろ」
忠臣「そこがつまんないんだよ」
勇「お父さん、『いくつ』だよ」
忠臣「親不孝な奴だな。親の年、忘れたのか」
誠「お父さん、胸に手あてて、今朝から何をやったか考えてみなよ!」
忠臣「そんな、お前、いちいち胸に手なんぞあてなくたって、自分のしたことぐらい」
勇「恥かしいとは思わないの」
忠臣「人間、恥かしいなんていってちゃ何も出来ません!」
二人「お父さん!」
勇「お父さん。お父さんは元軍人だよ。海軍大佐で巡洋艦『日高』の艦長で……それをほこり[#「ほこり」に傍点]に生きてきた人間じゃないか」
忠臣「サイデゴザイマスネエ」
勇「お父さん、相手は掃除婦だよ!」
忠臣「それがどした。たしかに私は元海軍大佐だ。でもね、今や、無為徒食して倅に食わせてもらっとる身だ。それにくらべたらタツ子さんは立派な職業婦人。人間としたら私より上です」
二人「お父さん」
勇「釣合《つりあ》いってもンがあるだろ。せめて、お花の先生とか」
忠臣「勇、お前は大学も一流、つとめ先も一流だ。しかしな、そんなこと言うようじゃ人間として二流だぞ」
勇「世間体ってもンがあるだろ」
忠臣「お前はすぐそれをいうんだ。二言目には世間体……」
誠「お父さん、オレもそう思うね」
忠臣「誠。お前」
誠「常識ってもンがあるよ。五十、六十ならともかく、お父さん来年は七十だよ」
忠臣「八十だって九十だって、あたしはねえ好きとなったら」
勇)「色気狂いだね」
誠  「恋狂いだよ」
忠臣「……(しみじみと)年とった人間は、人を好きになってはいかんのか……」
誠「いけないとはいわないけどさ」
勇「オレにいわせりゃ、もうそんな年じゃないね」
忠臣「ほう。恋愛にも停年があるっていうのかい」
二人「………」
忠臣「わたしもねぇ、お前たちぐらいの頃にゃ年寄りをそんな目で見たもンさ。五十にもなって好いた惚《ほ》れたってのはどういうこったって、うす汚ないな。六十になって、まだ食い意地がはってやがる。七十にもなって、まだ金が欲しいかねえ……ハハ。若気のいたりだったねえ。自分が年とってみてやっと判ったんだがねえ。年とっても同じなんだよ。うまいもの食べりゃうまい。金も欲しい。人も恋しい」
二人「………」
忠臣「いや、若い時みたいに先の希望がないせいか、その気持はもっと切実だねえ……」
勇「だからって、いい年して女狂いしていいって法は」
忠臣「『相みての のちの心にくらぶれば
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]昔は物を 思はざりけり』」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「百人一首じゃないか」
忠臣「死んだ母さんの好きな歌だったよ。これはいつもハーイって繁子がとったもンさ。あの頃は気がつかなかったけど……いい歌だねえ……」
二人「………」
忠臣「その人に逢《あ》ってからの、こまやかな気持にくらべたら、昔は何とザッパクに生きてきたことだろう。そういうイミだけど……本当だねえ。人生が判ったと思い、女の気持が判ったと思ってたのは、思い上りだったってことが、人生七十にしてやっと判ったんだよ。あの頃、この気持が判っとったら、もっと母さんにも優しくしてやれたって、そう思うよ」
二人「………」
忠臣「勇、お前、ほんとに悦子さんの気持判ってやってると思うか」
勇「………」
忠臣「誠はどうだい」
誠「………」
忠臣「女ってものはな、いくつになってもかわいいもンだぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の息子、ちょっと打たれるが……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「だからってね、オレたちね、いきなりヘンなの引っぱってこられて、おふくろと呼べっていわれても」
誠「オレも反対だな」
忠臣「誰《だれ》もそんなこと、考えとりゃせんよ」
二人「本当だね!」
忠臣「取越苦労するとハゲるぞ。お、そうだ、勇、お前パーティ券買わンか、一枚二千円」
勇「いらないよ」
誠「そうだよ、それもあるんだ。お父さん、みっともないまねしないでくれよ。会社まできてさ」
忠臣「(とりあわずに)ヘヘ、面白い趣向があるんだけどね、本当にいらないの」
勇「いらないったらいらないよ。そんなことよかね、物笑いにならないように気つけてくれよな」
忠臣「『相みての のちの心にくらぶれば』」
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]フラフラ出てゆきかける忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、勇、あしたのパーティな」
誠「パーティなんかやめちまえよ!」
忠臣「そうはゆきませんよ。お金出して買っていただいたんだ。まあ、楽しみにしてこい」
勇「ゆくことないよ」
誠「いかないわけにいかないだろ。何仕出かすか判んないんだから」
忠臣「(小さく)ヘン、知らんもんだから、えらそうに……きてびっくりすンなよ」
二人「お父さん……」
忠臣「あ、お前たち、手遊ばしてないで、しゃべるんならその輪つなぎやっといてくれや」
二人「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の表[#「「日高」の表」はゴシック体](夜)
「誠に勝手ながら、本日 閉店させていただきました」のハリガミ。
[#1字下げ]しかし、中は明るく、拍手、笑い声がもれている。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]幼稚園の学芸会の如《ごと》き輪つなぎとクリスマスの飾りがゴシャゴシャになっている。
[#1字下げ]椅子《いす》とテーブルは片づけられて、まん中がガランとした店内。
[#1字下げ]軍服に勲章をつけた忠臣が挨拶《あいさつ》している。
[#1字下げ]苦虫をかみつぶしたような誠。その横にまり子。そして、それぞれパーティにふさわしい身なりの京太郎、静子、健太郎、ロクさん。
[#1字下げ]源助、たつ、はな子、久米、順子、土岡、徳造、ふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「えー、本日は年末、お多用中のところをお集りいただき誠に有難《ありがと》うございます。そもそも一九七四年という年をかえりみまするに、田中首相の」
誠「短く! 短く」
忠臣「えー、短く……うるさいな、とにかく……なんだっけな」
誠「今年一年、色々お世話になりましたっていやあいいんだよ」
忠臣「えー(ついつられて)今年一年、色々と……それだけじゃないんだよ」
久米「誠ちゃん。お父さんのご挨拶にチャチャ入れんじゃないのよ」
土岡「お父さん、ガンバッてチョウダイ!」
忠臣「えー、私もお世話になりましたが、そこにおります、倅の誠……一歩前!」
誠「やだよ」
忠臣「一歩前といったら前」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、シブシブ前へ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「え、こいつが、生れて始めての恋愛をいたしまして」
誠「お父さん」
忠臣「めでたく射とめましたのが、そこにおりますまり子さんでございます。まり子さん、一歩前」
まり子「ハイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造も一歩前へ出る。
[#1字下げ]ふみ江、ぐいと袖《そで》を引いて。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「アンタはいいの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]順子、ほほえみかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「実は私、はじめは反対だったんでありますが、相思相愛の二人に、見事に寄り切られまして……その」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、拍手。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……お静かに。ところが、オクテというのか、グズというか、どうも、キッスぐらいはやらかしたようなんでありますが」
土岡「よおよお」
忠臣「結婚の申し込みというのは、やったのかやらないのか、モタモタしているんであります」
誠「大きなお世話だよ」
忠臣「お前はだまっとれ。私も年であります。いつ何どきお迎えがこないとも限りません。そこで、今晩は皆様お立ち合いのもとに、誠とまり子さんの婚約を祝っていただきたい。そう思いまして」
誠「お父さん」
京太郎「艦長……そのつもりでパーティを」
忠臣「誠、異存はないんだろ」
誠「うむ」
忠臣「まり子さん」
まり子「……はい」
忠臣「では、本日、只今《ただいま》、めでたく婚約成立いたしました」
[#ここで字下げ終わり]
一同(「おめでとう」
「おめでとうございます」
[#1字下げ]一同、拍手。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「致らぬ者たちではございますが、どうかよろしく」
誠・まり子「……(挨拶)」
まり子「永山さん、ありがとうございます」
誠「まり子さん、今日からは、お父さんて呼んでやってくれよ」
まり子「いいんですか」
忠臣「当り前です」
まり子「では、お父さん。よろしくお願いします」
誠「こちらこそ、よろしく(教える)」
忠臣「こちらこそ……小学生じゃないんだから、そのくらい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スーッとガラス戸が細目にあく。
[#1字下げ]のぞくのはタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「あら、タツ子さん」
忠臣「え? お見えになったの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、大テレにテレながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「さ、どうぞ、こちらへ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「……道に迷っちまってさ。(徳造に)アンタの地図、いい加減だね」
徳造「え? そうかい」
タツ子「あら……よかったの? きても」
忠臣「ご紹介しよう。遠藤タツ子さん……恥かしながら、わたくしの……ガールフレンドだ」
徳造「よおよお」
ふみ江「シッ! アンタ」
忠臣「そちらから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、端から一同を紹介する。
[#1字下げ]一同それぞれ挨拶。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうだ、もう一人、引き合せたい人がいるんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、内ポケットから繁子の写真を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、お母さんの……」
忠臣「亡《な》くなった家内です。この方が、タツ子さんだ」
タツ子「(ニッコリおじぎ)はじめまして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんな、じっと見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「そうだ、アッシもね、紹介しとくかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子も、ポケットから小さな写真、若い男。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「亡くなったご主人……」
タツ子「ウン」
忠臣「永山忠臣と申します。はじめまして」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大マジメで敬礼する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「………」
徳造「実はね、今、誠さんとうちのまり子が婚約したんだよ」
タツ子「そうお、そりゃおめでとう」
忠臣「ありがとう」
久米「では、フィアンセ同士のために乾杯とまいりましょう」
忠臣「乾杯の音頭は、ひとつ、編集長さん」
久米「では乾杯!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、乾杯。
[#1字下げ]健太郎、そっとレコードをかける。
[#1字下げ]「奥様お手をどうぞ」
[#1字下げ]忠臣、タツ子の前にすすみ出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「踊っていただけますか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、踊り出す。
[#1字下げ]続いて、誠とまり子、久米と順子。
●「日高」表[#「「日高」表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]閉店の札。
[#1字下げ]よっぱらいが足で蹴《け》っている。
[#1字下げ]中から聞える「ラ・クンパルシータ」の調べ。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]「ラ・クンパルシータ」の調べにのって、ロマンチックかつ格調高くタンゴを踊る忠臣。
[#1字下げ]恥じらいながら踊るタツ子。心にしみるようないいムード。じっと見ていた誠とまり子も踊り出す。
[#1字下げ]つづいて久米と順子、京太郎と静子、源助とたつ。徳造とふみ江。
[#1字下げ]固くなってはな子と踊る土岡。
[#1字下げ]一同を順々にみながら酒をのみレコード当番をしている健太郎とロクさん、派手にシャッセを入れたりして、ひときわ目立つ忠臣のカップル。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]踊り過ぎたらしい忠臣が、座布団《ざぶとん》を二枚つなげてうつぶせに伸びている。足をもんでいる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そこだそこそこ、そこがギュッとつれる[#「つれる」に傍点]んだよ」
誠「だからいってるだろ。そンときは大丈夫だって、あとが痛くなるって……こんなこと(まね)やるからだよ」
忠臣「いやあ、タツ子さん、うまいのにおどろいたねえ。昔、ご主人とよくダンスホール通ったっていってたけど、ありゃ相当月謝を……アタタタタ……」
誠「もんでんだからおとなしくしてくれよ」
忠臣「それにしてもお前たちは、いくじないねえ」
誠「なんだよ」
忠臣「チークダンスぐらいするかと思ったらさ」
誠「先が長いからね、焦《あせ》らなくたっていいんだよ」
忠臣「そんなこといってるうちに人間、トシをとるんだぞ」
誠「トシをとると、人間もズルくなるね」
忠臣「何ですよ」
誠「オレの婚約にかこつけてさ、あの人みんなに紹介したんだろ」
忠臣「何をいうか、お前の婚約イチ。忘年会が二。三、四がなくて、五がタツ子さん」
誠「ま、いいけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、もみながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お母さん、公認らしいから、何もいわないよ」
忠臣「おい、誠」
誠「ただし、体、ムリしないでやってくれよね」
忠臣「ハイ」
誠「それから、他人に迷惑をかけないこと」
忠臣「ハイ」
誠「派手な背広着たかったら、オレの着てっていいから」
忠臣「ハイ」
誠「兄貴はうるさいから」
忠臣「ハイ。そこくすぐったいんだよ、イヒヒヒヒ」
誠「いい年して、くすぐったいもないだろ(ギューギューやる)」
忠臣「年とったってくすぐったいものはくすぐったいんだよ。それにアタシは筋肉が人よか十年は若いんだってさ(小さく)だから、恋が出来るのかしら」
誠「調子づくんじゃないよ(ギュウギュウ)」
忠臣「アイタタタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]外を火の用心が廻《まわ》ってくる。
[#改ページ]
17
[#改ページ]
●永山家・門[#「永山家・門」はゴシック体](早朝)
[#1字下げ]牛乳配達がガチャガチャと音を立てながら配達してゆく。
[#1字下げ]買出しスタイルのまり子が小走りにやってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おお、寒い」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手に息を吐きかけながら、開いてないかな? といった感じで、表の戸をあける。
[#1字下げ]戸はスーッとあく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、開いてる……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ろうとするうしろから、新聞少年が朝刊をポストに入れようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、こっち頂きます。どうもごくろうさま!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]朝刊を手に、牛乳箱から牛乳を取り、中へ入ってゆく。
[#1字下げ]玄関の前で声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ごめん下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]間髪を入れず、忠臣の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「あいとりますよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、戸に手をかける。ガラリと開く。
[#1字下げ]しかも、上りがまちのところに座布団を二枚重ねて、何とも大げさな買出しスタイルの忠臣が待ち構えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ウワッ! 永山さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](早朝)
[#1字下げ]まり子、入る。忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おはようございます」
忠臣「ハイ、おはよう」
まり子「待ってらしたんですか」
忠臣「さよう。先刻《さつき》からね、今か今かとお待ちをしておりました。うしろ、キチンと閉めてね」
まり子「ハイ。まだおやすみかと思ってたわ」
忠臣「とんでもない。人に命令して呼び立てたからには、指揮官は先頭に立って実行しなくちゃ、部下はついてきませんよ。そうでしょ」
まり子「ウウウ(寒い)」
忠臣「あ、それからね、まり子さん」
まり子「ハイッ!」
忠臣「さっきわたしのことを、永山さんといったようだが、誠とあんたはもう婚約をしてるんだから……ね、『お父さん』とおっしゃい」
まり子「あ、そうでした、『お父さん』」
忠臣「それでよろしい。それにしても『日高』は遅いな。ま、ここで二人して震えておっても仕方がない。上ってお茶でもいれて頂戴《ちようだい》」
まり子「ハイッ!」
忠臣「あ、上る前にちょっと……」
まり子「は?」
忠臣「服装の点検を行なう」
まり子「ハイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、素直に両手をひろげるようにして見せ、くるりと廻《まわ》って見せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、そのかっこで、シャケだの、何だのかついで構わないの」
まり子「ハイッ!」
忠臣「ウーム、ちょいと『しゃれ過ぎ』だがいいでしょう。合格! お上りなさい」
まり子「ハークシュ!」
忠臣「アンタ、返事の代りにクシャミするの」
まり子「ごめんなさい!(ベロを出す)」
忠臣「ハタチ過ぎたらベロは出さない!」
まり子「ハイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](早朝)
[#1字下げ]お茶を入れているまり子。忠臣にしごかれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ええと……表のカサに、ひびが入ってるものでェ……」
忠臣「そうそう。それから?」
まり子「かさが内側に、こう巻き込んでる方が上等でェ……」
忠臣「それから?」
まり子「それから……ええと」
忠臣「裏側のヒダはどういうのがいいの?」
まり子「あ、そうだ! ヒダがつぶれてなくて、スッと一本一本ハッキリしてるほうがァ上等である……」
忠臣「そう。それが椎茸《しいたけ》の見分け方ね。よく覚えたねえ」
まり子「(茶)どうぞ」
忠臣「ハイ、ありがと。まり子さん、あんた、物覚えはいいんだけどねえ」
まり子「あたし、高校の時、暗記もの得意だったんです。歴史の年号なんて、少年十字軍は一二一二、とか」
忠臣「イチニイイチニイもいいんだけどね。まり子さん、アンタ、物言う時『なんとかデェ』とか『何とかがァ』って、お尻《しり》の方上げるくせね。よくほら、全学連みたいな学生がさ、街頭演説でやってるけど、あたしゃ好かんねえ、ああいう言い方は。今のハヤリかも知れんけど、やはり、普通にね、品よく言いなさい」
まり子「ハイッ!」
忠臣「では、次に黒豆の選び方……」
まり子「黒豆はァ(尻上り)」
忠臣「ほらほら、また……」
まり子「あ、もとへ! 黒豆ハ……」
忠臣「黒豆は?」
まり子「黒豆は黒くて」
忠臣「当り前じゃないの。白かったらインゲン豆だ」
まり子「ウフフフフフ」
忠臣「アハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]隣りの家で赤ん坊が泣いている。
●イメージ[#「イメージ」はゴシック体]
[#1字下げ]泣きわめく赤ん坊を背中にくくりつけ、ネンネコ半天を着た誠が、ガラガラを振りながら子守りをしている。廊下あたり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「よしよし、オラオラオラオラ。なあ、泣くんじゃないよ。こっちの方がよっぽど泣きたくなるだろ。ほら、よしよしよしよし……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]泣きわめく赤ん坊。
[#1字下げ]忠臣とまり子の笑い声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おーい、まり子! 何とかしてくれよ。お父さん! 代ってくれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら、茶の間をのぞく。若妻スタイルのまり子(絣《かすり》の着物にかっぽう着)が、正月用の塗りものを出している。
[#1字下げ]指図している忠臣。
[#1字下げ]二人、なぜか笑いながらやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「笑ってないでさ、まり子!」
まり子「暮は忙しいんですからね。子供の面倒ぐらいみて下さいよ」
誠「そういうけどね……お父さん、笑ってんなら代ってくれよ」
忠臣「何をいっとるんだ、自分の子供だろ!」
誠「こんなに泣くとは思わなかったよ」
忠臣「お前の小さい時、そっくりだ」
誠「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣とまり子、笑っている。赤ん坊は、ますます泣く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ねえ、何とかしてくれよォ。おうよしよしよしよし、まり子、お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の笑い声、ますます大きくなる。
[#1字下げ]そして……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠!」
まり子「誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●誠の部屋[#「誠の部屋」はゴシック体](早朝)
[#1字下げ]布団を抱えこんで、物凄《ものすご》い寝相で眠る誠。
[#1字下げ]ふと、目を覚す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ね、まり子さん、物凄い寝相だろ」
まり子「ほんと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目の前に忠臣とまり子の顔。赤ん坊の泣き声はまだうすく聞えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あれ?」
忠臣「何、ねぼけてんだ。早く起きたり起きたり」
まり子「おはようございます」
誠「あれ、まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ねぼけてよく判《わか》らない。
[#1字下げ]赤ん坊、また烈《はげ》しく泣く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、オレの子供……赤ん坊」
忠臣「え? 何をねぼけとるんだよ。あの……(言いかけてハッとなる)おい、赤ん坊って……おい、誠、お前たち、もうそういうことになってんのか! おい」
誠「え? お父さん、そんな、オレ……違うよ!」
まり子「やだ! お父さん、何おっしゃるんですか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、忠臣を突きとばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あいたた。何も突きとばすことはないじゃないの。おおいたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]また赤ん坊の声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、泣いてる」
忠臣「泣いてるって、隣りの赤ん坊じゃないか。(まり子に)この十月に生れたんだけどね、よく泣くんだよ」
誠「そうか、隣りのか……ハハ、ハハハハ」
忠臣「なに、ねぼけとるんだ」
誠「お父さん、……あの、どしてまり子さん、うちにいるんだよ」
忠臣「ヘッ! まだねぼけてら。今日は忙しいんだ。早く起きて留守番しておくれ。さ、まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣とまり子、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まだよく覚めないアタマを振りながら、誠、パジャマの上にセーターを羽織って、あくびをしながら起き上る。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣とまり子、つづきをやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「では、次はかつお節だ」
まり子「(用心しながら)かつお節は、ええと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣……両手の人さし指を叩《たた》き合せるようにして、助け舟を出してやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、そうだわ。かつお節同士で叩いてみて、叩いてみて」
忠臣「(小さく)カーン、カーン」
まり子「そうそう。カーンカーンて澄んだ音のするのが上等でした」
忠臣「ハイ、その通り」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まだ六時だよ。一体、どしたんだよ。どしてこんなに早い時間にまり子さんがうちにいるんだよ」
忠臣「ヘヘ、勘の悪い男だな」
誠「え?」
忠臣「今日は何日だと思っとるんだ。十二月もあと、二十八、二十九(かぞえる)」
まり子「買出しにゆくんです」
誠「買い出し?」
まり子「築地《つきじ》の河岸《かし》へ買出しにつれてって下さるって」
忠臣「お正月用品をね、買いにゆくんですよ」
誠「あのね(言いかける)」
まり子「誠さんのお茶碗《ちやわん》これですよ」
誠「ね、お茶よかさ、あのねえ」
忠臣「まり子さん。シャケ、いってみよう。荒巻の選び方」
まり子「ハイ! 荒巻は」
誠「あのねえ」
忠臣「お前はいいんだよ。ハイ、荒巻は?」
誠「お父さん」
忠臣「荒巻にお父さんはないの」
まり子「ええと」
忠臣「これでしょ? これ(自分の目玉を指す)」
まり子「そうだ! 目玉をよく見ること」
忠臣「そうそう」
まり子「目玉がしっかりして透き通ってるのを選ぶこと」
忠臣「そうです。目玉がとれたり、こんな(誠)ねむそうで目やにのついてるようなのは、古くてうまくないからね」
まり子「ハイッ!」
忠臣「次は……」
誠「ちょっと待ってくれよ。シャケだの、そんなもの、このへんのマーケットだって売ってるだろ? なにもこんな早く叩き起して、築地までゆかなくたって」
忠臣「モノが違うんですよ。黒豆一合買うんだって、どうせなら物がよくて値の安いとこで買う方が得じゃないか」
誠「五十円、百円得したってね。交通費で損しちまうじゃないか。タクシー代も上ったしさ、第一、十人、二十人の大人数ならハナシは別だけどさ、うちは何人だよ、え? お父さんの計算てのは、そういう風に尻抜けなんだからやンなるよ」
忠臣「判ってないねえ。お前って男は」
誠「お父さんが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関ベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「おはようございます」
忠臣「お、日高だな、あいてるよ!」
まり子「ハーイ、只今《ただいま》……」
忠臣「いいから。(どなる)おーい、相馬。庭から入ってくれェ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎とロクさん、庭から廻ってくる。
[#1字下げ]いずれも、防寒服に身を固め、肩から買出し用のカンカンをブラ下げて入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・ロク「おはようございます」
まり子「おはようございます」
誠「あ、ロクさんも……」
忠臣「ロクさんもって……ねえ。こっちは本職じゃないの。石川何しとるんだろな。ま、お茶いっぱいのんでいこうよ。さ、上った上った」
京太郎)「では……」
ロク   「お邪魔します」
誠「早くから大変ですねえ」
ロク「いや、こっちは馴《な》れてますから」
忠臣「今、こいつに言ってきかせとったんだよ。うちみたいに小人数のうちで、どして築地まで正月用のものを買出しにゆくかっていうからね」
誠「交通費も上ったのに、かえって損じゃないか。いや、損なのはいいですけどね、こやって朝早くから人叩き起して迷惑かけて」
忠臣「そりゃねえ」
京太郎「まあまあ、理屈は誠さんの言う通り」
忠臣・京太郎「でもねえ」
京太郎「艦長、アタシに言わして下さいよ、ねえ。たとえ同じ値段でも沢山の中から選ぶ。こりゃ目、こやしますわ。ねえ」
忠臣・京太郎「それから」
京太郎「艦長、アタシ! そういっちゃ失礼だが、おふくろさんにそういうことを教わってないまり子さんに、おせちのこととか荒巻のこととか、日本の伝統的な正月料理の真髄を教えたい……ねえ、艦長、そういうことでしょ!」
忠臣「いいとこ、みんな自分でいっちゃうんだから」
まり子「お茶、どうぞ」
京太郎「どうも」
誠「まあ、そんなら判りますけどね」
忠臣「こいつはアタシが言うと反対するくせに、他人がいうとすぐ納得するんだ。どして親のいうこと信用せんのかねえ」
京太郎「石川の奴《やつ》、どしたのかな」
忠臣「まあ、ねぼうか夫婦げんかだね。昔からあの男は、ここ一番て時に必ずドジ踏むねえ」
京太郎「そうそう。ほら、あの海戦の日の朝も……」
忠臣「いざ出撃って時になってハラ下しをしおって、物の役に立ちゃせん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関ベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「石川であります! どうもおそくなりました!」
忠臣「きたきた」
京太郎「あいてるからね、庭から廻って頂戴」
忠臣「相馬、ここはアタシのうちですよ。そういうことはこのうちの人間のいうことじゃないの」
誠「そんなことどっちだっていいだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]これも物凄く着ぶくれた源助が庭から入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「おはよございます」
誠・まり子・ロク「おはよございます」
忠臣「おそいなァ」
源助「すみません」
忠臣「さあ、いこう、いざ出撃」
源助「ちょっと……艦長」
忠臣「なんですよ、おそくきた人間にお茶なんか出ませんよ。まり子さん、いいから」
源助「そうじゃないんであります。女房《にようぼう》の奴が、お父ちゃん、風邪ひくといけないから、大事な体だからって、まあ、いっぱい着せてくれたのはいいんすけどね、ここまでくる間にもう汗びっしょり。一、二枚脱いでかないと気分が悪くなるんじゃないかと思って、ちょっと失礼……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上りこむ源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「着がえるの? 時間がないんだから早くしなさいよ」
京太郎「こりゃ着ぶくれだよ」
誠「重いもンかついで帰ってくるんでしょ? これじゃ、あついよなあ」
源助「綿入れはぬいで、オーバーぬぐとポケットがなんだから、下のジャンパー、あ、ジャンパーぬぐと、金の入れ場所」
忠臣「早くしなさいよ。全く、石川って男はここ一番て時にドジを」
源助「カイロ、出すか」
一同「カイロ、入れてんのか!」
源助「ちょっと失礼」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、ズボンのジッパーをはずしかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なにするんですよ。え! ご婦人の前で」
源助「はあ、いや、アタシはカイロを出そうと思って」
忠臣「カイロだろうと何だろうと、ご婦人の前でズボンのベルトから下に手かけちゃいけませんよ。ましてや、まり子さんは、いずれはこのうちの嫁となる人間じゃないか」
まり子「あの、あたし、あっちいってますから」
誠「いいじゃないの。知らない仲じゃないしさ、親戚《しんせき》みたいなつきあいで、オナカからカイロ出すぐらいでギャアギャアいうことないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、ズボンの上から手を入れて、
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源助「あ、こっちから出ちゃったか」
忠臣「全く、人騒がせな。もういいだろ、じゃあまり子さん、アタシの……(目で)では、誠。ちゃんと留守番」
誠「オレも十一時にうち出てくからね。それまでには帰ってきてくれよ」
ロク「そんなにおそくなりませんよ」
忠臣「さあさあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、立って玄関へゆきながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「毎年のことだけど、河岸へゆくってのはいいねえ。これで、本当に年の暮って感じがするねえ」
誠「そういう素人《しろうと》が押しかけるんで、河岸は混んで迷惑してるって新聞にのってたけどね」
忠臣「どして出がけにそういう人の気を悪くするようなこというのかねえ、え?」
京太郎「そこが『おやこ』のいいとこじゃないですか。さあさあ、あたしたちは、靴《くつ》、こっちだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、ドカドカと玄関に。
[#1字下げ]京太郎とロクさん、源助は庭から。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](早朝)
[#1字下げ]源助の手伝いでゴムの長靴をはき終わる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何を買うんだか知らないけど、大げさなかっこして」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、ロクさん、玄関の外から、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いやあ、こういうことは景気つけですからね。いいじゃないすか!」
忠臣「おーい、まり子さん!」
まり子「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、大きな米櫃《こめびつ》をかつげるように直したものをもって小走りに出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだい、こりゃ」
忠臣「見りゃ判るでしょ? これにね、うちのと、あのほら(小さな声)タツ子さんとこのと、ついでだから倉島徳造のうちにもおスソ分けしてやろうかと思ってさ」
誠「へえ。ガールフレンドの分も……しょってくるの。お父さん、買出し時代じゃないんだから。こんなものかついだらあとでヘタバルよ」
忠臣「大丈夫大丈夫」
誠「まり子さん、手伝うことないから、いい加減にして」
まり子「大丈夫、皆さんついてらっしゃるし」
誠「ほんとにすみません。よろしくお願いします」
忠臣「お前がペコペコ頭を下げなくたって」
京太郎「さ、いきましょいきましょ」
忠臣「では、これより河岸へ出発。全員、歩調をとれ!」
誠「お父さん……」
全員「いって参ります」
誠「いってらっしゃい」
忠臣「オイチニイサンシイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、米櫃をかついで一人で大乗り。歩調をとる。
[#1字下げ]とたんにつまずいて、ひっくりかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
一同(「艦長!」
「お父さん」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ウーム」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、足首を押えてうなっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、どしたの!」
京太郎「大丈夫でありますか!」
まり子「お父さん!」
誠「立ってごらんよ、ねえ、お父さん」
忠臣「アイタ、アタタタ……」
誠「立てないの? え?」
ロク「ネンザだな、こりゃ」
一同「ネンザ?」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]布団の上に足を投げ出してすわる忠臣。
[#1字下げ]片足の足首は、ぐるぐる巻き。
[#1字下げ]誠、京太郎、源助、ロクさん。繃帯《ほうたい》を巻くまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アタ、アタタ……」
誠「ここ一番て時にドジ踏むのは、お父さんじゃないか」
まり子「大丈夫かしら」
京太郎「ネンザなら、四、五日ねてりゃ……」
忠臣「どうか諸君、わたしに構わずに出撃してくれ」
京太郎)「それじゃあ、ゆきますか」
ロク
源助「せっかく早起きして出てきたんだから」
忠臣「相馬! ロクさん。どうかうちの嫁にわたしの代りに色々教えてやってもらいたい」
京太郎)「ハッ!」
源助
忠臣「石川はいいんだよ、アタタ」
まり子「では、お父さん、いって参ります。お大事に」
忠臣「ああ、楽しみにしてたのになあ」
誠「泣くこたァないだろ、全くもう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]挙手の礼で見送る忠臣。
[#1字下げ]あきれている誠。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]布団の上に大あぐらの忠臣。そばにメリケン粉の袋と酢のビン。ドンブリにメリケン粉を入れ、酢をまぜて、こねている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ああ、すっぱい! 目にくるな、こりゃ……ウーム」
忠臣「そりゃお酢入れすぎだよ。ドブンドブンじゃないの。もちっとメリケン粉入れて……ドバッと入れると飛ぶだろ? そっと静かに」
誠「こんなもの塗ったくってないで医者行ったほうがいいと思うけどね」
忠臣「大丈夫ですよ。打ち身くじきってのはね、これはってじっとしてるのが一番いいんだ。あ、そのくらいでいいだろ。それをね、そう。そこのネルの布にベタッとぬって……」
誠「あーあ(目をシバシバさせる)」
忠臣「あ、上をくるむビニール……」
誠「これでいいだろ」
忠臣「何だい。こりゃ何かのフクロじゃないか、Mサイズ……パンツの袋じゃないか」
誠「足くるむのに何だっていいだろ。ほら!」
忠臣「アイタ! 痛いっていってるのにどしてそうじゃけんなんだろうねえ」
誠「『歩調取れ』なんて浮かれるからこんなことになるんだよ」
忠臣「アッ! おう、ツベタイ……うー、ツベタ」
誠「年考えてね、バカなまねやめてくれよ」
忠臣「暮に河岸へ買出しにゆくのがどしてバカなまねなんだ。……それにしても全く残念だねえ。まり子さんに手を取ってだな、しゃけはどんなのがいいか黒豆はどんなのが、あ、きついよ。まあ、いろいろと実地教育をしようと思ってたのに、ほんと残念な(ことしたよ)」
誠「『日高』のおじさんやロクさんがついてんだから……お父さんがついてて見当違いな文句をガアガアいうよかいいってさ」
忠臣「見当ちがいとは何ですよ、見当ちがいとは。わたしはね、こと味覚に関する知識にかけては……あ、ゆるいよ。それじゃグズグズじゃないの」
誠「文句いうんなら自分でやりなよ!」
忠臣「そこ、もっと……そうそう、あ、いま何時だい」
誠「十時廻ってるよ。ぼつぼつ出かけるからね」
忠臣「何を手間どってるんだろうねえ。みんなでまり子さん連れて遊びにいったんじゃないだろうねえ」
誠「(何いってんだよ)そのうち帰ってくるって」
忠臣「いや、何だかんだでけっこう大荷物だからねえ。おい誠、そこの角まで迎えにだな」
誠「男が三人もついてんだから……お父さんが気もむことないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、そのへんを片づけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、まり子さん帰ってきても、あんまり面倒かけちゃダメだよ。『日高』だってゆかなくちゃなんないんだしさ、自分ちの大掃除だのお正月の用意だってあるし、だから……」
忠臣「(小さく)まり子さんのことになるとよくお気がおつきになりますことねえ。足いためて、ひとりぼっちで寝てるおやじのことなんかこれっぽっちも考えないんだから」
誠「何ていったの」
忠臣「ううん。今年もあとわずかだねえって……そいったの。さあ、まり子さん威勢よく帰ってくるぞォ!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体]
[#1字下げ]買出し帰りの、京太郎、源助、ロクさん。
[#1字下げ]一同、大荷物。まり子だけが小さな包み。まり子はションボリして元気がない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「それじゃあ今日のところは、相馬さんに二万円、石川さんに一万円……拝借しておきます。なるべく早くお返ししますから」
京太郎「そんなまり子さん、金のこたァどっちだっていいのよ」
源助「あたしだって、ヘソクリの五万や十万……いつだっていいんだから、あんなものは」
京太郎「それよか……まり子さん……艦長には言わないほうがいいんじゃないの」
源助「アタシもそう思うなあ。艦長ってかたは、それでなくたって叱言《こごと》の多いかたなんだから」
京太郎「まり子さんが河岸でガマ口すられたって聞いたらさ」
源助「待ってましたとばかり、言うだろうなあ」
京太郎「言うのなんの。(忠臣の口まねで)『一体、ガマ口、どこへ入れといたんだ』」
源助「『そんなだらしのないことでは、一家の主婦はつとまりませんぞ』」
京太郎「『第一、金の有難味《ありがたみ》が判ってないんじゃないの? サラリーマンのうちの一万円はホステスがチップでもらう一万円とはわけがちがうんだ』」
源助「相馬|中尉《ちゆうい》……」
ロク「……旦那《だんな》!」
京太郎「あ、いい年して……何てことを……ごめんなさいよ、まり子さん」
まり子「いいんです、本当なんですもの……」
京太郎「やっぱり、言うことないよ」
源助「ほんと。オレたち三人が黙ってりゃ……こやって、ちゃんと買物だってしてきたんだしさ」
京太郎「正直に言ってさ、わざわざ怒られるこたァないじゃないの」
まり子「いつかは判ることだし……本当にいいんです。あたし、正直に話してあやまります」
源助・京太郎「でもねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ロク「お、誠さん」
誠「あ、お帰ンなさい」
まり子・一同「ただいま……」
誠「どしたの、そんなとこで立ち話しなんかして……」
一同「いや、その」
誠「(どなる)お父さん! まり子さん、帰ってきたよォ! いやもう、さっきから、『おそいな』『どしたんだろう』って一人で気もんでたから」
まり子「……足、大丈夫ですか」
誠「大丈夫大丈夫。あ、ぼく、ちょっと時間がなんだから……夜でもまた」
まり子「……いってらっしゃい。あ、みなさんもお忙しいでしょうから」
誠「そうだそうだ。上ると、おやじヒマでしょ、何だかんだいって放さないから……」
源助「そうなんだけどさ……」
京太郎「まり子さん一人で大丈夫かな」
誠「え?」
まり子「大丈夫です。どうもいろいろありがとございました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、誠と一緒に帰ってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]布団《ふとん》をたたんだものに寄りかかっている忠臣。
[#1字下げ]大げさに足をぐるぐる巻きにして座布団をあてて高くしている。
[#1字下げ]食卓の上に、買ってきたものを次々にのせるまり子。
[#1字下げ]点検する忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「昆布《こんぶ》は……ちゃんと利尻《りしり》昆布って……」
まり子「ハイ、言いました」
忠臣「あ、これこれ。これが利尻昆布ですよ。ハイ、お次は椎茸……うむ、これも合格だ」
まり子「かつぶしとするめ」
忠臣「するめは」
まり子「五島の剣先するめっておっしゃいましたよね」
忠臣「左様。それからゴマメ……黒豆……いいでしょう。それからシャケと……数の子……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、出す。
[#1字下げ]シャケは片身、数の子はほんの少量。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん……アンタ、わたしの言うことを(力みすぎてむせてしまう)なに聞いとったのかねえ。え? 荒巻は一匹! そういったでしょうが。こんな片身のシャケはね、こりゃシャケじゃないんだよ。数の子だってどしてこんな……ねえ、まり子さん。うちは、たしかに金は余ってはおりませんよ。私の軍人恩給と勇の仕送りと誠の安月給とでささやかにやっておる所帯ですよ。でもねえ、お正月ぐらい豪勢に迎えたいじゃないの。正月の買物はケチケチしないでやンなさい、みんな使ってきていいからって、アンタに充分な金を渡した筈《はず》ですよ。一体、どうしてこういうしみったれたマネを」
まり子「お父さん、申しわけありません。実は、アタシ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、たたみに手をついて詫《わ》びようとした時、庭から入ってきた進一が声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「姉さん……ああ助かった」
まり子「進ちゃん」
進一「多分ここだと思ったんだけどさ、やっぱしいい勘だったよ」
まり子「どしたのよ」
進一「ね、税金、どっちはらうんだっけ? どっちの紙かな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]色の違う二種類の書類を示す進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「人のハナシ、なに聞いてんのよ。こっちって言ったでしょ?」
進一「あ、そうか、オレもたしかこっちだと思ったんだけどさ」
忠臣「何叱言いわれてんだい、え? 進ちゃん」
進一「あ、永山さん、あれ、足どうかしたんですか」
忠臣「年の暮ってのはね、いろいろとコトが起きるねえ」
まり子「ちょっとね、ネンザ……」
忠臣「おう、進ちゃん、上ってお茶のんでゆきなさい」
まり子「いいんです。あの」
忠臣「まあいいじゃないか。まり子さん、コーヒーでもいれて……さ、お上り」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、出来たらこのまま進一を帰したい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「いいのかな」
まり子「う、ううん……」
忠臣「若いもンが遠慮しちゃいかんよ。いやね、いまあンたの姉さんに叱言いってたとこなんだよ。せっかく河岸まで買物にいったってのに、どしてこう意気地のない買い方をするのかねえ」
まり子「あのォ……」
進一「ずい分いろいろあるじゃないすか。うちなんか正月らしい正月なんてしたことないもンな。これだけありゃすごいデラックスみたいに思うけどなあ」
忠臣「まあ、人さまのことだから何ともいえんけど、わが永山家はだな、アタタタ」
まり子「お父さん、大丈夫ですか」
忠臣「進ちゃん、ちょっと肩かして頂戴《ちようだい》。オシッコにゆきたいんだけどね、この人使うと誠の奴にどやされるといけないから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]進一の肩につかまって立ち上り、アイタアイタといいながら出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……ううん、進ちゃんたら……言いそびれちゃったじゃないの……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]御用納めは終ったらしく、ガランとした室内に久米・土岡・誠の三人だけがいる。
[#1字下げ]土岡、受け取った原稿を久米に見せびらかしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「へえ、よく取れたわねえ。玉井さんだけは年があけてからだと覚悟してたけどねえ」
誠「土岡さん、鬼の催促だったもんなあ」
土岡「このままじゃ使えませんからねえ、内容はあるんだけど……文章がねえ、すごいんだから」
久米「ひろしちゃんよ、お正月にさ、オコタの中ででもリライトして頂戴。どうせ遊びにゆくとこもないんでしょ?」
土岡「遊びにゆきたし、金はなし、やらしていただきます」
誠「あ、うちへ遊びにきて下さいよ。土岡さんきてくれるとおやじよろこぶんだ、こっちも助かるし……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、ポケットをゴソゴソやって何か探している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ゆくのはいいけど、どうせまり子さんもきてんだろ? アテられるからなあ」
誠「何いってんですか、きて下さいよ。おやじね、足くじいちまって……」
土岡「足くじいた? どしたの」
誠「いやあ、まり子さん連れて河岸へ正月のもの買出しにゆくって張り切りすぎてね」
土岡「じゃあ、当分大変だね」
誠「それでなくたって大変なのに、全くもう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、封筒を二つ出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「ハイ、これひろしちゃん。ハイ、こっちが誠ちゃん」
土岡「あ、これ、いつかの……内職の……」
誠「原稿料……」
久米「いやあ、どっち向いても不景気なのねえ。年があけたらにして頂戴っていうからね、ちょっと出かけてね、『ゆすぶって』きたの」
土岡「いやあ、こりゃ助かるなあ、ボーナスが思ったよかよくなかったすからねえ」
誠「(押しいただいて)どうも有難うございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、こんどはひき出しからウイスキーの瓶《びん》を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「というところで、乾杯といきますか。お歳暮の残りだけど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、グラスをもってくる。
[#1字下げ]久米、ついで、カチンと合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「では、さらば昭和四十九年……」
土岡「いろんなことがありました」
誠「何てったってニュースのトップは田中サンだろうな」
久米「いやいや、永山サンも相当ニュースがあったんじゃないの?」
土岡「あったねえ。大恋愛をして、大反対を押し切って……今や結婚は目前、おっとっと、早くしまっときなさいよ(封筒)」
久米「誠ちゃんよ。自分でかせいだおゼゼ丸々使えるのもこれでおしまいよ。ようくかみしめてお使いなさいよ」
誠「いやあ、払うアテがあるんですよ。そうだ、まだ『日高』の分が残ってたなあ」
土岡「飲み助のおやじさんもって誠ちゃんも苦労が多いなあ」
久米「飲めなくなったらあのお父さんはおしまいよ。若い時の苦労は買ってでもしろ。来年はもっともっと苦労して頂戴」
土岡「いわれなくたって……なあ……まり子さん、うちへ入りゃ、いろいろと毎日苦労のタネまきちらして暮すようなもんだよなあ」
誠「ガンバリますよ」
久米「応援するわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カチリと乾杯。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]カウンターで、日高と石川酒店の伝票をつき合せてソロバンをはじきあっている静子とたつ。
[#1字下げ]ロクさんは魚の下ごしらえ。
[#1字下げ]まり子は掃除をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あらやだ! ね、お父ちゃん、こんなに飲んだかしらねえ」
静子「何かねえ、出すの気がひけるんだけど……これでねえ、奥さん、永山さんとお宅の分はこれに(体のかげで、何やらサイン)なってんですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、チラチラ見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あら、奥さん、そんなこと言ったら、うちだってお宅へ入れるお酒はみんなこうなってますよ」
静子「すみません、お安くしていただいて」
たつ「まあ、これみるとさ、売った分みんな飲んじまった勘定になるんだもンねえ」
静子「出すの、気がひけたんですけどさ、何せ、ねえ、みえる回数が多いから」
たつ「お風呂《ふろ》屋が近いってのがいけないのよ。つい帰りに一杯ってことになるでしょ? そうすると、こっちとそっちを相殺《そうさい》にして……うちがいくら払うの?」
静子「ええとねえ」
たつ「ねえ、永山さん払ったの」
静子「あそこはねえ……あるとき払い」
まり子「すみません」
たつ・静子「あら、まり子さんが頭下げるこたァ……ねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、一緒に言ってしまって……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「第一、あなた、お金すられちゃってそれどこじゃないでしょ」
まり子「アタシのお金じゃないんですけど……」
たつ「このままってわけにもいかないでしょ?」
まり子「パッといやあよかったんですけど、あやまりそびれてしまったし……」
たつ「いやあ、言わないほうがいい」
静子「そうねえ。嫁として気心が知れてからなら……ねえ、失敗したって笑って勘弁してもらえますよ。でもねえ」
たつ「そうなのよ。今じゃあまだまだ、水商売出の女はお金の有難味を知らない。だから失《な》くすんだ……永山さん、言いたくて待ってんだから」
静子「こんどだけは、永山さんには……ねえ」
たつ「ね、まり子さん、いくらスラレたの」
まり子「おばさん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気の早いたつ、紙入れを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「遠慮はなし。アタシとアンタはね、水商売上り……同期の桜じゃないの」
静子「ちょっと奥さん」
たつ「奥さんも……こんどはアタシにさせて頂戴よ」
静子「奥さんのお気持は判るんですけどねえ、アタシたちは心配しないほうがいいんじゃないかしら」
たつ「それ、どういうイミ? え? あたしはねえ、奥さん」
静子「まり子さん、お父さんに相談してみたらどうかしら?」
まり子「お父ちゃん……お父ちゃんにですか」
静子「そう。永山さんから預ったお金すられてしまった。どうしようって……相談してみるのよ」
たつ「奥さんも心ないこというわねえ。そう言っちゃなんだけど、倉島徳造……あら、ごめんなさい……倉島さん、そんなゆとりあるわけないでしょ?」
静子「あってもなくても、とにかく言うだけでも言ってみるのよ、まり子さん……アンタ、今までにお父さんにお金の無心したことないでしょ」
まり子「ありません。たのんだって無駄《むだ》ですもの」
静子「それがいけないのよ。父親ってねえ、頼られてるって思うとうれしいんじゃないの? 張り切れるんじゃないの、いま倉島さんにそういう気持になっておいてもらうと……結婚してから楽よあなた……」
たつ「……奥さん、アナタ、苦労してない割にゃいいこというわねえ」
静子「アタタ! 奥さん、いたいわよ」
まり子「……(うなずく)電話借りていいですか」
静子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]晩酌《ばんしやく》の食卓で電話をとる徳造。
[#1字下げ]そばで、造花の内職をしながら聞くふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「なんだと。金おっことした?」
ふみ江「いくら?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずきながら電話をしている徳造。耳をすり寄せるふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「よし判った。そんなお前、五万スラレたなんて永山忠臣にゃ言うな。うん、うん。やせても枯れても親がついてんだ。父ちゃんが何とかしてやろうじゃねえか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずくふみ江。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#1字下げ]横でこれも気をもむ感じの静子とたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ほんと? お父ちゃん」
徳造(声)「ああ、大舟にのった気でいろ」
まり子「お父ちゃん……」
徳造(声)「待ってろよ」
まり子「どうもすみません……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切るまり子。
[#1字下げ]その肩を叩く静子とたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「ほうら、ね。人間頼られりゃ悪い気はしないのよ」
まり子「でも、お父ちゃん、五万なんてお金どうやって……」
たつ「競馬競輪に使うんじゃなし。たまにはクスリ!」
静子「そう!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子とたつ、弾んでいる。
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]徳造とふみ江。
[#1字下げ]徳造、紙入れを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「……二万しかねえや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]自分の腕時計を外す徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「あと……金目のもンは、と……」
ふみ江「(自分を指す)」
徳造「何だ、そらァ」
ふみ江「このうちで、あと金目のものっていやあ、(自分に)決ってるじゃないか」
徳造「ヘン。こういうときなあ、蚊の目玉ぐれェのでもいいからダイヤの指環《ゆびわ》でも買っといてりゃ、すまねえ、そいつ曲げてくれって言えンだけどさ」
ふみ江「あと三万円だろ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、いきなりうしろの壁にかかっていた状差しをおろし、パッとひっくり返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「何やってんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、ニヤニヤしながらハガキなどをひっくり返す。
[#1字下げ]中から紙にくるんだものが出てくる。中をあけると金。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おッ!」
ふみ江「あーあ、これでまたヘソクリのかくし場所考えなきゃなんないや」
徳造「……すまねえな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラッと戸があく。
[#1字下げ]タツ子の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子(声)「入るよォ!」
ふみ江「あら、タツ子さん(ガラス戸をあける)」
タツ子「ねえ、電気代いくらだっけ」
徳造「電気代もいいけどよ、永山忠臣ケガしたんだってよ」
タツ子「ケガ? どしたの!」
ふみ江「大したことないらしいんだけどね、足、ちょっとひねって歩けないんだってさ」
タツ子「フーン。あのじいさん、カンシャク持ちだからイライラしてるよ、そりゃ」
徳造「どうだ、見舞いにいかねえか」
タツ子「見舞いって、アッシが? やだよ。そんな」
ふみ江「そうだ、アンタゆきゃ永山さんよろこぶわ」
徳造「そりゃ、恋人が行かなくちゃ」
タツ子「倉島さん、殴るよ!」
徳造「どしても顔出さなきゃなんねえ用もあるしよ。な、いこいこ」
ふみ江「ね、空手《からて》ってわけにもいかないんじゃないのかい。お見舞いってかお歳暮をさ……」
徳造「シャケなんかどうだ」
ふみ江「シャケ? いいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]布団に寄りかかって、テレながら、相好をくずしている忠臣。
[#1字下げ]タツ子、徳造、ふみ江の三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「いいうちだねえ」
忠臣「いやいや、ほんのあばら家です。(改まって)お見舞いをいただいて、永山忠臣恐縮(正座しようとして)アイタタタ」
タツ子「よしなよ、永山サン。あっしもこやってんだからさ」
ふみ江「オアイコってことでいいじゃないの」
忠臣「それじゃあ、これでご無礼させていただくか、アタタタ」
タツ子「これ、使いなよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、風呂敷から、小さな低い椅子《いす》のようなものを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「あっしの使ってるやつだけど。足痛いときにゃ便利だよ」
忠臣「ああ、そういやあアンタ」
タツ子「リューマチになってからは、ズーッとこのお世話になってんだけどね」
忠臣「これ……わたしに」
タツ子「お見舞い……」
忠臣「こりゃ何より……お志有難く頂戴いたします。どっこいしょッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]台所から茶道具をもって入ってくるまり子が手を貸す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さんもまあ、ケガしたなんて教えたんだろ。この暮の忙しいのにお見舞いをいただいて……人騒がせなことしちゃいけませんよ」
まり子「すみません」
徳造「いいじゃねえか。なあ、恋人にきてもらってうれしいんだろ。そんなら文句いわねえで素直によろこびゃいいんだよ」
ふみ江「アンタ……」
忠臣「そら、まあ、そうだけどね。いや、今日は足が痛いってのに倅《せがれ》は会社いって帰ってこない。まり子さんは『日高』があるしさ」
タツ子「長男のお嫁さん東京にいるんだろ」
忠臣「ソリが合わないのよ、気取り屋でね。まあ、具合が悪いときに電気がつく時間になってひとりでいるってのは、いやなもんだなと思ってたら、『日高』で気|利《き》かしてね、まり子さんよこしてくれて、やれうれしやと思ったら、こんどはアンタがただ、あ、まり子さん。藤村の羊カンがあったろ、あれ」
まり子「はい(うしろの戸棚《とだな》から出す)」
忠臣「到来ものですけどねえ、(タツ子に)羊カンお好きですかな」
タツ子「うん。アタシ、きらいなものないもの」
忠臣「そりゃよかった、わたしはねえ」
徳造「(ふみ江)おう、アレ……」
ふみ江「あ、そうそう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、フロシキから荒巻一匹を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、お歳暮のしるしだ。取っといてくれや」
忠臣「え? あッ! おう、シャケじゃないの」
徳造「こりゃな、もらい物じゃねえぞ。なあ、ちゃんと金出して買ったナニ[#「ナニ」に傍点]だ、なあ」
ふみ江「そんな……いやだねえ」
忠臣「そりゃそりゃどうもご丁寧に、こりゃ見事な荒巻だ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]現金な忠臣、ホクホクする。入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、誠さんお帰りなさい」
誠「ただいま……アレ、倉島さん(タツ子をみてびっくり)あ……」
タツ子「こんばんは」
徳造「足けがしたってからね、恋人引っぱってきてやったんだよ」
タツ子「恋人恋人っていいなさんなよ。冷汗かいちまうよ」
誠「どうも、お忙しいところを」
忠臣「いや、この連中そんなにお忙しくないんだよ」
誠「お父さん。ケガったって、ちょっと足ひねっただけなんで……大ゲサなんすから」
忠臣「全くじゃけんな倅でねえ、他人様《ひとさま》のほうがよっぽどご親切ですよ。まあ、シャケはうれしいねえ。いや今朝がたね、この人と一緒に河岸へ行ってね、いろいろ教えながら暮の買物をしようと思った矢先に、これ(足)でしょ? 皆さんのも……あ、そうだ、まり子さん、アンタ今朝の買物じゃ、こちらがたへお分けする分どころか……まあ、どういうつもりか知らんけどね、言った半分も買ってこないんだよ。徳さん、あんたンとこよっぽど『つめた』正月してたんだねえ」
誠「お父さん、よしなよ!」
徳造「ハハ恥かしながらその通りだい……」
誠「そんなねえ、正月だからって、無理してタイの尾頭つきにかまぼこなんて山ほど買うのは古いっていってんですよ」
忠臣「お前はいいんだよ。まあ、シャケなんかもね、『一本』っていったのに片身だからねえ。やっぱり、こう一本ブラ下ってないと年の暮って感じがしないじゃないの」
ふみ江「そら、まあ、ねえ」
忠臣「ちょうどいい。まり子さん、これ」
誠「なにもいますぐあけなくたって」
忠臣「お前はいいっていうんだ。到来ものを目の前であけて拝見する。お礼のことばにも実がこもるってもンですよ」
誠「なんだかんだいって子供と同じなんですよ、いただいたものはすぐあけてみないと気のすまないタチで」
ふみ江「西洋式はそうだってねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、あける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どら、どら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やせた貧弱なシャケ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こりゃこりゃ。見事なのは箱だけだ」
誠「お父さん……」
忠臣「スラッとしたやせぎすのシャケだねぇ」
誠「いただいといて、文句いって……どうもすみません」
忠臣「まり子さん、荒巻の見分け方いってごらん」
まり子「ええと、荒巻はァ……」
忠臣「荒巻は」
まり子「目玉がしっかりと透き通ってて」
忠臣「どんよりとにごってるねぇ」
まり子「うろこのはがれているようなのは安もので」
忠臣「大分はがれてるねぇ。ああ、油焼けもしてるね」
誠「お父さん……よしなっていってるだろ」
忠臣「実地勉強してんじゃないの、それから」
まり子「形は大きいほうが味がいい……(サラリと)お父ちゃん、変なの買ってくるから恥かいちゃうじゃないの」
徳造「そういうなよ。これだって清水の舞台からとびおりたつもりでさ」
タツ子「(さえぎって)ちょっと……永山さん、本当のこというとねこのシャケね、買ったの、アッシなんだ」
忠臣「え?」
ふみ江「タツ子さん……」
徳造「おい、何をいうんだよ。こりゃオレが」
タツ子「アッシがね、こないだうちからお弁当ごちそうになったりしてるから、お金出すっていったのよ」
忠臣「え? いやぁ、こりゃこりゃどうも。知らぬこととは言いながら大変なご無礼を」
タツ子「貧弱なシャケですいませんでしたねぇ」
忠臣「いやいや、とんでもない。冗談真にうけられちゃ困るなぁ。大事に切っていただきましょ」
タツ子「ハハ。実はね、これ、半分こ出して買ったのよ」
忠臣「え? じゃぁ、半分こ?」
タツ子「ってのもウソで、本当は、やっぱし倉島さん一人で、『なに』したんだよ」
忠臣「アンタね、人かまっちゃいけませんよ」
タツ子「かまいたくもなるじゃないの。アンタね、人見てことば変えちゃいけないよ」
忠臣「いや、その」
タツ子「ものは『気持』もらわなくちゃ」
誠「いいこといって下さるなぁ。本当、悪気はないんですけれどね。口に毒があるんですよ」
徳造「猛毒だ、フグだね。こりゃ」
誠「お父さん、いいガールフレンドもってよかったねぇ」
忠臣「フン……」
誠「これからもどうかズケズケいってやって下さい。お願いします」
忠臣「つまらんこと、たのまんでもいいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子とふみ江、笑っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(徳造に)本当にどうもすみませんでした」
徳造「いや、いいんだよ。いいんだよ。あやまンなきゃなんねえのは、こっちのほうなんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、すわり直して、忠臣の前に手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「どうも、今朝ほどは、まり子の奴《やつ》がドジふみやがって」
誠 )「え?」
忠臣  「ドジって、何やったの」
まり子「お父ちゃん、あの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とっさにあわてるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「いやあ、親がだらしねえもんで、ホステスなんぞやらしたのが悪かったんだなあ。夜型ってのかい? 朝はポーッとしてやがんだろなあ。みごとにガマ口すられちまいやがって……」
忠臣)「ガマ口……」
誠   「まり子さん……」
忠臣「アンタ、河岸でガマ口すられたの?」
まり子「そうなんです。人ごみで押されて……気がついたらなくなってたんです。買物は相馬さんと石川さんが貸して下すったんですけど」
忠臣「それで、アンタ少な目にしか買ってこなかったのか」
まり子「どうも申しわけありませんでした」
誠「どして言ってくれないの。今朝あった時もひとことも」
忠臣「いや、あたしにだって、この人はひとことも」
まり子「今朝すぐにおわびしようと思ったんです。でも、言いかけたら進ちゃんがきちゃったんです。あたし……弟の見てる前で……叱《しか》られるの、辛《つら》くて……」
徳造「(得意)心配すんな。ちゃんと親がついてんだ。ほれ(金の包み)これからもあるこった。たとえ百円でも誠さんのかせぎ、粗末にしちゃいけねえぞ。(忠臣と誠の二人に)ま、こんどだけは勘弁してやっとくんなさいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一緒に頭を下げながら困っているまり子。
[#1字下げ]憮然《ぶぜん》とする忠臣。複雑な表情の誠。
●永山家・門[#「永山家・門」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]帰ってゆく徳造、ふみ江、タツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ね、アンタ、あのお金さ、おおっぴらに渡しちゃいけなかったんじゃないの」
徳造「え? そうか?」
ふみ江「そうだよ」
タツ子「すんじまったこと言ったってしかたないよ」
忠臣(声)「タツ子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふり向く三人。
[#1字下げ]玄関のところに忠臣が立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タツ子さん、お正月には遊びにきて下さいな」
タツ子「ありがと」
忠臣「いいお年をどうぞ」
タツ子「永山さん、アンタも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立って見送る忠臣。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]たばこをすっている誠。
[#1字下げ]部屋の隅《すみ》に、餅《もち》屋から配達された切餅が大きな俎《まないた》の上に重ねてある。
[#1字下げ]食卓を片づけているまり子。
[#1字下げ]びっこを引き引き入ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「動くと直りがおそいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、黙ってすわる。
[#1字下げ]まり子、すわり直して手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうも、今朝のこと申しわけありませんでした」
忠臣「まり子さん、アタシはさびしいね、さびしいっていうよか面白《おもしろ》くないね」
まり子「は?」
忠臣「アンタ、誠と婚約してから、アタシのことお父さんと呼んで下すってるねえ」
まり子「ハイ……そう呼んでもいいって……」
忠臣「いけないっていってんじゃないんだ。呼んで下さるからには、アタシはアンタの父親のつもりでいたんだよ。叱言もいうけど、いずれはこの嫁に死に水とって頂こう、それなのにだ、イザって時はこの父親にはひとことも打明けてはくれないんだね。黙ってあっちのおやじさんに」
まり子「いえ、そういうつもりでは」
忠臣「さびしいね。面白くないね。この年の暮に誠の嫁が決った。思ったよか気立てのいい娘だった、ほのぼのとした気持でいたのが急に冷たい隙間風《すきまかぜ》がピュッと……こう」
誠「お父さん、それじゃ聞くけどね。まり子さんが、今朝正直にそういったら、お父さん何て言ったよ」
忠臣「え?」
誠「スラれたものは仕方がない。くよくよするな、そうアッサリ勘弁したかい」
忠臣「そ、そりゃあ、まあ、気をつけなさいぐらいのことは言ったかもしれんけども」
誠「そんな筈《はず》ないだろ。ボンヤリしてるからとられたとか、金の有難味が判ってないとか、クドクドクドクドいじめるに決ってんだよ」
忠臣「いじめるとは何だ、いじめるとは」
誠「偉そうな口|利《き》いてるけどね、お父さんは叱言が多いよ。意地が悪いよ。さっきだって、倉島さんのもってきたシャケに難くせつけて、タツ子さんて人にやられてたじゃないか」
まり子「あれは、うちの父が安もの買ってきたから」
誠「まり子さんは黙っててくれよ。お父さんはね、自分が粗相すりゃアハハですませるんだよ。そのくせ人がしくじると勘弁しないんだよ。そうでなきゃ、まり子さんだってアッサリ言ってるよ、クドクドいうから」
忠臣「言われないようにすりゃいいんだ」
誠「人間だからね、間違いはあるよ!」
忠臣「居直ってやがる! 今からこれじゃあ先が思いやられるな。おい、誠、お前かばうのもいい加減に」
誠「かばうかばわないじゃないんだよ。仲よく暮すためには、人のあやまちは許してさ」
忠臣「救世軍みたいなこというな。永山忠臣、七十歳までこれでやってきたんだ。今更、ヘコヘコしておべんちゃら言ってまで仲よく暮したいとは思いません! 正しいものは正しい。間違っとるものは間違っとる。これからもビシビシいうから」
誠「とっても一緒にやれないね!」
忠臣「それじゃあ出てったらいいだろう!」
誠「言われなくたって出てくよ。まり子さん、年があけたらアパートさがそう」
忠臣「まあ、アパートでもマンションでも探せ。ここ間貸しすりゃ左うちわの右クーラーで暮せますよ」
誠「フン!」
忠臣「ああ、サバサバした」
誠「まり子さん、送ってくよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、黙って立ち上って台所へ。
[#1字下げ]父と子、にらみあってソッポを向く。
[#1字下げ]まり子、入ってくる。いきなり大きな包丁を忠臣に突きつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん!」
忠臣「ウワッ! まり子さん、何するの!」
まり子「この包丁でいいんですか。お餅切るの」
忠臣「え?」
まり子「今晩が切り時だっていってらしたでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、すわって、餅切りの用意。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・忠臣「まり子さん……」
まり子「大きさはこのくらいでいいですか」
忠臣「まり子さん……」
まり子「誠さん、アタシ、アパートやマンションに住むのやなんです。子供の時からずうっと間借りだったでしょ? いっぺんでいいから庭のある家住んでみたいって思ってたから……」
忠臣「まり子さん……」
まり子「フフフ、いくらケンカしたって、誠さん、うちなんか出てくもんですか。あたし、ちゃんと判ってんだ……」
忠臣「………」
誠「………」
まり子「あ、お父さん、このくらいで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、こみあげて物が言えない。ハナをすすりながら小さな声で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……もっと、小さく」
まり子「え?(聞きとれない)」
忠臣「……もっと小さく」
誠「(これもハナ声で)大きな声で言わなきゃ聞えないだろ」
忠臣「もっと小さくって言ったんじゃないか」
まり子「このくらいかしら」
忠臣「そうそう、あ、餅はね、大根切りながら切ると切口にくっつかなくていいんだ。大根……」
まり子「大根ですか、ハイ」
誠「オレ……(もってくるよ)」
まり子「いいえ、あたし」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、立って台所へ。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]大根をもって、くすンと笑うまり子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]餅を切っている誠。
[#1字下げ]タツ子の椅子《いす》にすわって叱言を言っている忠臣。大根をもって入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あーあ、そんなハッパのついたまんま持ってくる人がありますか。一寸位にブツッと切って……」
誠「ほらほら、もう叱言いってる」
忠臣「叱言じゃないだろ。教えてんだろ。あーあ、お前の切り方は何ですよ。馬が食べるんじゃないんだから」
誠「ウマ年はもう終ったの」
忠臣「え? そうすると、来年は何だ、ネ、ウシ、トラ、ウ、タツ、ミ、ウマ、イヌか」
まり子「ウサギじゃないんですか」
忠臣「来年ウサギなら今年はトラだったんじゃないか。ウソばっかし言ってんだ」
誠「ウサギってのは、ありゃなかなか助平な動物らしいね」
まり子「本当ですか」
誠「お父さんと同じじゃないか」
忠臣「わたしはあんなに耳は長くありませんよ。福耳といってね、晩年運がいいっていう」
誠「耳じゃないってさ、エッチだっていってんの」
まり子「(笑っている)」
忠臣「ほらほら、笑ってないで切った順にならべる。そっちそっち」
誠「言われなくたってちゃんとやるよ」
忠臣「お前、どしてお餅またぐんですよ。お正月のものをどして、アタタタ」
誠・まり子「ほら、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]けんかしながら餅を切る三人。
[#1字下げ]台所には荒巻がブラ下っている。
[#改ページ]
18
[#改ページ]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]永山忠臣の表札。門松。どこかのラジオが新春らしい謡曲を流している。羽子板をつく音も聞えてくる。
[#1字下げ]静かな山の手の元旦《がんたん》の朝。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「お父さん! お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]和服姿の誠が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、ねえ、帯の結びかたこれでいいのかな……(言いかけて)あれ? お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]無人の茶の間。しかし、食卓の上には、重詰め、屠蘇《とそ》の道具、取り皿《ざら》など、すぐ食べるばかりにしつらえられてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! おかしいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、結びかけた帯をシッポのように引きずりながら忠臣の部屋をのぞく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠入るが、ここにも居ない。
[#1字下げ]片づいた室内、仏壇、花、笑いかける亡《な》き母の写真。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どこいったんだよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、小声だがちょっと改まって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お母さん、あけましておめでとう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]写真をもどして、写真の前に供えてある本に気がつく。「女性時代」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あれ、オレのとこの本じゃないか、なんでこんなもの仏壇に……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手にとって、ハッと気がつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そうか。お父さん……オレのつくった本、お母さんの写真に供えてたのか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]参ったなといった感じでペラペラとめくりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おふくろには見せたくない記事ものってんのになあ……お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どなりながら、ペラペラめくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「一九七五年のあなたの運勢……土岡さんのやった特集だな。ネ、ウシ、トラ年と……ええとオレは……(ブツブツ)これか、『あなたは、いささか気が弱い。今年はそれを克服せよ。一月元旦、必ず恋人とキスしてみせる。これが出来ないようでは、今年の運勢はのぞみなし……』フン。言われなくたってね、そのくらい……(凄《すご》む)こうやりゃいいんだろ。こうやりゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]写真のカバーガールにキスのまね。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子(声)「ごめん下さい」
誠「あ、まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]雑誌をおっぽり出してすっとんでゆく誠。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]和服姿、髪も美しく結いあげたまり子が立っている。
[#1字下げ]上りがまちの誠、帯のシッポを引きずっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(改まって)あけましておめでとうございます」
誠「おめでとう」
まり子「どうか本年もよろしくお願いいたします」
誠「こちらこそ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、改まってあいさつして、ふっと笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、誠さん、帯……」
誠「ううん。どうも、こういうことはブキッチョで……おやじがいないもんだから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、上って結びながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、お父さん、どうなすったの?」
誠「起きてみたらね、影も形も見えないんだよ」
まり子「どこいらしたのかしら……あ、初詣《はつもうで》」
誠「ゆくとしたって一人でいくような人間じゃないって、ボクとかねまり子さんとか、『日高』の連中とか、ワイワイひっぱってゆきたいほうなんだから」
まり子「そうだわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら、二人、茶の間のほうへ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠とまり子。美しくしつらえられた食卓。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、ちゃんと出来てる……」
誠「ね、ほら……ったって、出したのはお屠蘇の道具ぐらいで、あとは、お重詰めだって何だっておやじさんは号令だけで……ほとんどまり子さんが作ったようなもんだけどさ、とにかく、こやっていつでもお雑煮祝えるようになってんだよ。それで、おやじさんだけ姿が見えないってのは」
まり子「まさか蒸発……」
誠「してくれたら、ほっとする人間いっぱいいるんだけどなあ」
まり子「悪いわ、そんな」
誠「いや、ほんと、でもまあ間ちがっても蒸発なんかするタマじゃないな」
まり子「どこいらしたんでしょうねえ、お父さん、あたしに九時にお雑煮だから時間厳守でいらっしゃいよって何度も念押してらしたのに」
誠「そのうちに帰ってくるんじゃないの、(言いながら)もしかしたら、……二人だけにしてやろうなんて、気|利《き》かしてるのかもしれないしね」
まり子「……フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子の手を取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(小さく)よし、やるぞ!」
まり子「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子にキス。いまやまさに……という瞬間。まり子がキャッと叫ぶ。
[#1字下げ]いつの間に入りこんだのか獅子舞《ししまい》が、獅子の頭《かしら》を縁側にのせるようにして口をあき、うっとりとラブ・シーンを見物している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ! なんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんにパッと頭を振り立てて獅子が立ち上る。にぎやかな太鼓と鉦《かね》の獅子舞いのお囃子《はやし》と共に、頭と足が陽気な「振り」で舞い出す。
[#1字下げ]あっけにとられる誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どっから入ってきたんだろうな。あのねえ、うちは間に合ってんだけど……あのねえ」
まり子「いいじゃないの。獅子舞いって縁起がいいんでしょ?」
誠「そりゃそうだけどさ、あの、玄関のほうへ廻《まわ》って下さいな、あの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しかし、獅子は、オタオタする二人をからかうように、不器用ながら大きく舞い、誠をおどかすように大きく口をあけて迫り、まり子にすりよってじゃれるようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「キャア!」
誠「ね、本当にたのみませんから……すみませんけど……」
まり子「いやァ!」
誠「ちょっと、何するんだよ。たのまないっていってるのに……しつこいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]尚《なお》も、おどかし、ふざける獅子舞い。まり子、逃げ廻り、誠にかじりついたりしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ね、お金あげたら帰るんじゃないかしら」
誠「お金、お金」
まり子「あたし……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、バッグから百円玉を出してわたす。
[#1字下げ]獅子、口でいったん受けとるが、首を振ってイヤイヤをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「百円じゃイヤだって……キャア!」
誠「なにするんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子をかばって獅子の頭をぶっとばすようにする。
[#1字下げ]とたんに中から声あり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アタタ! 親に向って何てまねするんですよ」
誠「え? あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッとかぶりものを取る。中から忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・まり子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そして、うしろ足からニコニコあらわれるのは健太郎。
[#1字下げ]ポカンとしている二人の前で、かっこをつけてならんでアイサツ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「えー、あけまして」
健太郎・忠臣「おめでとうございます!」
誠・まり子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]キチンと着物を着がえた静子が健太郎を探している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「健ちゃん! 健ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ねまきの上に、静子のらしい半天を羽おり歯ブラシをくわえた京太郎が起きてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「どしたの?」
静子「居ないんですよ」
京太郎「居ないことないだろ。ゆうべ、除夜の鐘一緒に聞いておやすみなさいって」
静子「本当に居ないんですよ。布団《ふとん》の中に座布団、こやって……裏が……あいてるんですよ」
京太郎「あいてる?」
静子「まさか……駆け落ちとか」
京太郎「そんな相手いるのか!」
静子「聞いてませんけど……あ! 会社のお金使いこんで、ジョーハツ」
京太郎「正月早々、縁起でもないこというもんじゃないよ」
静子「だって……あなた」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろから、獅子の頭を入れた大風呂敷《おおぶろしき》を抱えた健太郎が、そっと入ってきた感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「(いきなり大声で)あけましておめでとう!」
京太郎・静子「(とび上って)健ちゃん……」
京太郎「親、おどかさないでくれよ」
静子「健ちゃん、アンタどこいってたの」
健太郎「ヘヘヘ」
静子「ねえ、その大荷物(なんなの)」
健太郎「さあ、おトソおトソ!(とぼける)」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]正月用の和服に改めた忠臣が、まり子に屠蘇をついでやっている。まり子、緊張して盃《さかずき》を取りあげ、三度に分けて、しとやかにのみ、作法通り、くちびるのふれたところを人さし指の腹でそっと触れ、ふところの懐紙で拭《ぬぐ》う。じっと見ている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うむ、その通り、よく出来ました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ほっとしてニッコリ。
[#1字下げ]ふっと緊張がゆるむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ああ、おいしかった!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ベロでくちびるのまわりをペロリとなめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん! ブチこわしじゃないか」
まり子「は?」
忠臣「『ハ』じゃありませんよ。お屠蘇とか三々九度なんて改まったときに『ああおいしかった』っていう人がありますか」
誠「いいじゃないか、本当においしかったんならおいしかったって言ったってさ」
忠臣「お前はいいんだよ。そりゃね、永山家でのむお屠蘇がおいしいといって下さる気持はうれしいけどねえ、その調子でアンタ、三々九度やられたんじゃあ」
まり子「あら、あたし、そんな」
誠「三々九度のときはやらないよ」
忠臣「先のことがどうして判《わか》るんだ。あ、それからね、まり子さん、くちのハタをペロペロやるのもお行儀が」
誠「正月そうそう説教しなくたって」
忠臣「説教じゃありませんよ。こういうことはね、(いいかけてふっと気づく)あ、そうだ。三々九度っていやあね、お前たち、式、どうするんだ。え? こうなったらアタシはなるべく早いほうが」
誠「お父さんがそう言うんなら早くするか……」
まり子「……(うつむいてうなずく)」
忠臣「フン、自分たちだってせいとるくせして、人のせいにして。ええと、二月三月の大安は……」
誠「そのハナシは、あとでゆっくりでいいじゃないか。なにもお屠蘇の最中にあわてて日取りまで決めることないだろ」
忠臣「年寄りは先が短かいんだよ」
誠「先のみじかい年寄りが獅子舞いなんかするかよ」
忠臣「ヘヘ。二人とも度胸がないね。え? 天下晴れて堂々のフィアンセ同士じゃないか。猿廻《さるまわ》しが見てようが獅子舞いが見てようが、やりかけたらだな、キッスすりゃいいんだよ」
まり子「お父さんたら、いやだァ、もう」
誠「ヘラヘラしてないでついでくれよ!(お屠蘇)」
忠臣「テレくさいもンでおこってら、あたしよかまり子さんがいいんだろ、まり子さんついでやって頂戴《ちようだい》」
まり子「でも、あたし、まだここのうちの人間じゃあないんですけど……いいんですか」
誠「半分そうみたいなもんだから、いいって」
まり子「じゃあ……(つぐ)」
忠臣「三度に分けて……そうそう」
誠「(のみながら)オレもおかしいと思ったんだよ。本職にしちゃブキッチョだしさ、やたらとまり子さんかまうしさ」
忠臣「近頃《ちかごろ》の若いものはダメだねえ。え? 近頃はこないけどね、万歳とか獅子舞いってのは正月の縁起ものなんだから、チャンとおひねりをはずんで、ハイごくろうさんとだね」
まり子「百円じゃいけなかったのかしら」
忠臣「いけないとは言いませんけどね、お金をムキ出しってのは」
誠「ほら、お父さん……(お屠蘇の盃をもたせる)それにしても、あんなもの、どこで借りたの」
忠臣「だからさ、健太郎クンの会社の忘年会で獅子舞いの余興した奴《やつ》がおってさ……(一礼して作法通りにのむ)嫌味《いやみ》な部長にかみついたりしてさ、いろいろ面白かったっていうから、よし、それでいこう!(グフッとむせる)」
誠「ほら、お父さん」
まり子「(拭《ふ》いてやる)」
忠臣「ありがと。健ちゃんにムリして借りてもらってさ、それから、アンタ、夜の夜中に空地でこっそり練習ですよ」
誠・まり子「外でやったの」
忠臣「『日高』の裏のとこに、立ちかけのマンションがあるだろ」
まり子「ああ、あそこ……」
忠臣「もう寒いわ、腰がいたいわで……」
誠「物好きの一語に尽きるね」
忠臣「そういうな。人間、フロンティア・スピリットを失ったらおしまいですよ」
誠「フロンティア・スピリットもいいけどさ、年考えて……ね、もう今年はバカなことやめてくれよね、年のはじめにこれだけはたのんどくからね」
まり子「(下を向いて笑っている)」
忠臣「人のことばっかしいって……自分はどうなんだ」
誠「自分てなんだよ」
忠臣「お前はね、人間は悪い男じゃないけれども気が弱いんだよ。ここひとつってときに気おくれするところがあるんだよ。今年はひとつそこをだな」
誠「判ってるよ。今日だってね、ちゃんとね、(小さく)これだけはやってやろう! 決めてんだから」
忠臣「え? なんだそりゃ」
まり子「何ですか」
誠「え? ま、いいじゃないの。(ブツブツ)そんな、人前でギャアギャアいうもんじゃないしさ」
忠臣「何いっとるんだ、ハッキリしない奴だな。そもそも男子たるもの」
誠「男子たるもの、ハラがすいてんだよ。ええと、お取り皿は……」
まり子「ハイ(手渡す)」
誠「さあ、いくぞ! うわァ、今年はまた張り切ったねえ。まり子さん、これだけつくるの大変だったよなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、勇んで重詰めのフタをパッパッとあける。
[#1字下げ]美しくしつらえられた一の重、二の重、三の重……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「手とり足とりわたしが教えてね、二日がかりだ、ハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、箸《はし》をのばそうとしたとたん、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、なにをするんだ!」
誠「え?」
忠臣「えじゃないよ、箸をひっこめなさいよ!」
誠「どしてよ?」
忠臣「そういうことをされちゃ困るんだよ」
誠「え? 何いってんだよ。お屠蘇祝ったら、一杯やりながらお重のもの突っついて、それからお雑煮。毎年そやってたじゃないか」
忠臣「今年はね、困るんだよ」
誠「どして!」
忠臣「(口ごもりながら)夕方からお客さまがみえるじゃないか」
誠「お客って、だれ?」
忠臣「お客様はお前、いろいろ見えるじゃないか。日高の夫婦だの石川ンとこの……」
誠「お重詰めならアッチのほうが本職だろ」
忠臣「お前ンとこの編集長さんや土岡クンにもいらっしゃいって声かけたしさ」
誠「くるかどうか判んないって」
忠臣「それから、まり子さんのお父さんだの進一クン」
まり子「あの、うちの父なんかにこんなお重詰めなんか出すことないですから」
忠臣「そんなことはありません。まり子さんもこれくらい出来るようになりましたってとこ、お目にかけて安心をしていただく、あ、それから、ついでに、タツ子さんもみえるしさ」
誠「タツ子さん……あ、それで……お父さん」
忠臣「それから、勇夫婦がくるじゃないか! ね、くるんだよ、いろいろ」
誠「あのね、お父さん(箸をふりたてて迫る)」
忠臣「(まり子に)まあ、うちは昔から人の集るうちでねえ、よくこうズケズケ物をいうのに人が集る、やっぱり永山さんの人徳だなんて」
誠「そいじゃあさ、ハシっこの方からキレイに食べて、あとちゃんとしとけば(箸を入れる)」
忠臣「(ハタイて)失礼じゃないか、いやしい奴だな」
誠「じゃあ、オレたちお預け?」
忠臣「まり子さん、お雑煮にしよう」
まり子「ハイ……」
誠「チェッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、まり子さん、おもちはね、そこにある新しい『もちアミ』でね」
まり子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、立ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お前は立たなくたっていいんだよ」
誠「水のみにいくの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく誠。
●台所[#「台所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]餅《もち》アミに餅をのせているまり子。うしろから誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「袖《そで》、もってようか」
まり子「ううん、大丈夫」
誠「餅のやく匂《にお》いって好きなんだ」
まり子「あたしも……ね、さっきいったこと、なあに」
誠「うん?」
まり子「今日、これだけはやってやるぞって……なにするの?」
誠「それはね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、キスをしようとする。
[#1字下げ]忠臣が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、セリはね、出来上る直前に……」
まり子・誠「アッ!」
忠臣「どしたの」
誠「お父さんこなくたっていいんだよ、三人入るとね、きゅうくつなんだよ」
忠臣「そいじゃあお前が向うへゆきゃいいじゃないか。あ、まり子さん、もち焼くハシはね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、くさって茶の間へ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠、直してあるお重詰めをあけて、赤いカマボコをパッと頬張《ほおば》る。
[#1字下げ]台所からもどってくる忠臣。
[#1字下げ]誠、半分のみこみかけてグッとむせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何をやっとるんだ」
誠「グッ! グッ!」
忠臣「嫁もらおうって男が、カマボコのつまみ食いか」
誠「(そういうけどね……ことばにならない)」
忠臣「イジの汚ない奴だな全く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]むせる誠。背中を叩《たた》いてやる忠臣。
[#1字下げ]まり子がのぞいて笑っている。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]獅子の頭《かしら》がカッと大きな口をあいて、静子をおどかす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「キャア!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鉦《かね》と太鼓の獅子舞いのメロディー。(健太郎のポケットのカセット)
[#1字下げ]獅子、尚もすりよったりして、悪さ[#「悪さ」に傍点]をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「いやあ! あなた!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっとんで出てくる京太郎(着物に着がえている)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「あ! なんてマネするの! よしなさいよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、とめに入る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「アンタ獅子舞いだろ! 正月早々女子供おどかしちゃいけませんよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子、こんどは京太郎に迫る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「(少し気味が悪い)わア! やだよ! よしなさい! 静子! おひねり! おひねり!」
静子「ハ、ハイ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]年始にきているロクさん、自分の財布から千円札をぬいて出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ロクさん、千円やるこたァないよ。五百円! 五百円!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、すかさず下から手を出して千円札を頂戴する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子・京太郎「アッ!」
忠臣・健太郎「ヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと頭をはずす二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「あ、艦長」
静子「健ちゃん」
忠臣「えー、あけましておめでとうござい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、ポケットからカセットを出す。陽気な獅子舞いのメロディーが流れている。
[#1字下げ]大得意の二人。
[#1字下げ]あきれかえっている「日高」夫婦。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]みかんを食べている誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、誠さんておみかんそっちのほうからむくの?(尻《しり》のほうから)」
誠「え? うん。いつもこっちだけど」
まり子「あたしはこっち……うちじゃあ、お母ちゃんが……あ、いけない、うちの母が……」
誠「おやじいないときは何てよんだっていいって」
まり子「うちの母がね、こっちからむいたほうがスジがよくとれるのよって」
誠「そうかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、新しいみかんを手にヘタのついたほうからむいてみる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、ほんとだ……」
まり子「ね?」
誠「そうだ、まり子さん、小さいときこういうのやらなかったかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、みかんのフクロを歯でかみ切って、実を二つに折りひらくようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、『お獅子!』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子もやりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「よくお母ちゃんがつくってくれたわ」
誠「うちもなんだ。お正月なんか、コタツに入ってね、兄貴と二人でおふくろがつくってくれるの待って取りっこしたっけなあ」
まり子「……ね、お父さんやってるかしら」
誠「え? ああ、これ?(獅子舞い)『日高』のおじさんたち、おどろかそうと思ってさ、汗かいてんじゃないの」
まり子「お父さん、お若いのねえ」
誠「何しろ目下恋愛中だからね、手がつけられないよ」
まり子「フフフ」
誠「タツ子さんか。あの人にみせたくて、お重、手つけるなっていうんだからもう」
まり子「……あたしたちよか情熱的ね」
誠「ぼくたちだってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、みかんの「お獅子」を手にもったまま、まり子にキスをしようとする。
[#1字下げ]その寸前、玄関チャイムが鳴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ」
誠「(チェッ! 何だよ)」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ、ただいま」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土間におりて、戸をあけるまり子。
[#1字下げ]うしろから誠。
[#1字下げ]いきなり獅子舞いが入ってやりはじめる。
[#1字下げ]誠、カッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「もう判ったよ。あのねえ、こういうことはね、いっぺんやりゃいいんだよ。二度はしつこいの、やめなよお父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ド突く誠。
[#1字下げ]舞っていた獅子、よろける。パッとかぶりものをはずす。本職の獅子舞い。
[#1字下げ]居直って大怒りの獅子舞い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
獅子舞い「なにすンだよ!」
誠・まり子「アッ!」
誠「本職じゃないか」
獅子舞い「どしてくれんだよ、正月そうそうド突かれて黙って引っこんでいられるかよ!」
誠「すみません、実は、おやじが獅子舞い」
獅子舞い「何だと! おやじが獅子舞いだ? いい加減なこというんじゃないよ!」
誠「ほんとなんですよ。ほんとに獅子舞い……言ったって判んないか……本当にどうもすみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ならんでペコペコ頭を下げる誠とまり子。
●石川酒店・表[#「石川酒店・表」はゴシック体]
[#1字下げ]源助、たつ夫婦が、上機嫌《じようきげん》で獅子舞いを見物している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「いいねえ。え?」
たつ「元旦そうそう獅子舞いがきてくれるなんて……お父ちゃん、縁起がいいじゃないか」
源助「商売|繁昌《はんじよう》ってことだろよ」
たつ「はな子! 宇佐美クン。こっちきてごらん! お獅子がきてるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はな子と宇佐美クン、出てくる。
[#1字下げ]このへんまでは、マジメにつとめていた獅子が、急にフザけはじめる。
[#1字下げ]いきなり源助の頭をパクッとやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ウワッ! おっかないマネすんなよォ」
たつ「ヘ、お父ちゃん、男のくせしてなによ、おっかながっちまって!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子は、こんどはたつのボリュームのある尻《しり》にくらいつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「アイタ! ちょっと何すんのよ! 助平なまね、よしなさいよ」
源助「おい! よしなさいよ」
たつ「お父ちゃん、何とかしてよ! はな子も宇佐美クンも笑ってないで!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子、ますます大あばれ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「待ちなさいっていってるのが」
たつ「やめないと百十番するからね! ちょっと」
忠臣「アタタ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子は、たつに烈《はげ》しく突きとばされて往来にひっくりかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「乱暴なまねはよしなさいよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]かぶりものの下から出てくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助)「あッ! 艦長!」
たつ  「永山さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろ足もころんで、京太郎がすねをさすっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「あたァ、おう痛ァ」
源助「なんだ、うしろ足は相馬|中尉《ちゆうい》じゃないの!」
京太郎「なにもさ、せっかく景気つけてやってるのに突き飛ばすこたァないじゃないの」
たつ「じゃあ伺いますけどねえ、相馬さん、景気つけってのは人のお尻にかみつくことなんですか! えッ!」
京太郎「艦長! そんな……奥さんのお尻にかみつかれたんでありますか!」
忠臣「わたしがかみついたんじゃありませんよ。このお獅子が……」
京太郎「そういうことするって話じゃなかったでしょ? うしろ足に断わりなしに勝手なまねされちゃ困るなあ」
源助「まあまあ、いいじゃないですか、ねえ、やせてショボンとしたケツならお獅子もかじっちゃくれないのよ」
忠臣「そうそう。物事は何でもいいほういいほうと取るのが長生きのコツですよ。ハイ、あけましておめでとう」
京太郎「おめでとうございます」
源助「おめでとうございます」
たつ「……おめでとうございます」
忠臣「鼻黒一水。おめでとう」
はな子「ハッ! 艦長殿!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おなか、本当にすかないんですか」
誠「だって、さっきお雑煮食べたばっかりだからねえ」
まり子「じゃあ、お茶でもいれましょうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]中腰になって、立とうとするまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さんもさ、バタバタしないで、たまにはゆっくり……ハナシでもさ」
まり子「でもねえ、お父さんて、お手伝いにきててもすぐお茶にしてくれ、りんごむいてくれでしょ? くせになっちゃったのかしら」
誠「せっかく水入らずなんだから」
まり子「そうね」
誠「おやじも、これでけっこう気使ってるつもりかもしれないな」
まり子「フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、恥じらいながら微笑《ほほえ》む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そうだ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子の手を取って近寄る。
[#1字下げ]ハッとなり、急におっかない顔になってキッとにらむまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん、それだけはやめて下さい!」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]必死に言うまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あたし、ホステスなんかしてたでしょ? だから、そういうことにだらしがないって思われるの一番|辛《つら》いんです。それに、もしそういうことになったら、あたし恥かしくてお父さんの顔見られないんです。だからおねがいします。結婚式がすむまで待って下さい!」
誠「まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こんどは誠がテレてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「弱ったな、そういうつもりじゃなかったんだけど……」
まり子「え?」
誠「いやね、どうってことないんだけど、まあ、今日中にまり子さんとキスしてやるぞ! なんて決めたもんだから……ま、その程度のこと……だったんだけど」
まり子「え? いやだ! いやだ! アタシ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、手で顔をおおって消え入らんばかり。
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ごめん下さい!」
まり子「ハ、ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]立っている土岡。小走りに出てくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、土岡さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろから、誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さん……いらっしゃい」
土岡「どうも……あけましておめでとうございます」
誠「おめでとうございます」
まり子「おめでとうございます。本年もどうぞよろしく」
土岡「こちらこそ……」
誠「まあ、どうぞどうぞ」
土岡「お父さんは……書き初めですか、それとも、すでにしてのみつぶれておいでですかな」
誠「とんでもない。もうあっちこっち飛んで廻ってますよ」
まり子「どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上りかけていた土岡、ハッとしてやめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ってことは、誠ちゃんとまり子さんと水入らず……だったってわけか」
誠「え、ええ、まあ、そんなわけじゃないんすけどね」
まり子「そんなんじゃありませんから、どうぞ」
土岡「……おじゃましました」
誠「土岡さん」
土岡「ハハ、とんだ三枚目になるとこだったよ」
誠「土岡さん、ほんとに上って下さいよ。(手をひっぱる)ほら、まり子さんも(すすめて)」
土岡「いやいや。こりゃ、首にナワつけて引っぱりこまれても上れません。おこたでほんのり上気して、びんのほつれも悩ましいまり子さん。ノコノコ上ったらバカですよ。どうも」
誠・まり子「土岡さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もみあってるとこへうしろから声あり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ひろし君、正月そうそうプロレスですか」
土岡・誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]門のところから忠臣が久米と順子と順子の子供を押し出すようにして入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、編集長!」
まり子「ママ!」
久米「いやあ、駅前でね、モタモタしてたら、お父上に拿捕《だほ》されちまってね」
順子「あけましておめでとうございます」
まり子「おめでとうございます」
順子「まあ、まり子ちゃん、もう若奥さまみたいねえ」
まり子「あら、そんな……」
順子「イタについてるわよ」
忠臣「しょっちゅうきとりますからね、もう半分うちの嫁ですよ。さ、お嫁さん、スリッパスリッパ」
まり子「はい!」
誠「さあどうぞどうぞ!」
久米「それじゃあ、いっぱいよばれてゆきますか。さ、坊主《ぼうず》も上った上った」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]順子の背を押すようにして上ってゆく久米。
[#1字下げ]まり子を手伝ってスリッパを出す誠。
[#1字下げ]土岡、……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「あーあ、どっち見ても目の毒だなあ」
久米「今年はいいことある。必ずありますよ、ひろしちゃん」
忠臣「さがして進ぜましょう!」
土岡「またまたお父さん、調子のいい」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣がみんなに、重詰めをいちいち開けては披露《ひろう》している。久米、順子、土岡、子供、しかたなく感心した様子で拝見している。
[#1字下げ]とめている誠。酒をついだり、大忙しのまり子。(土岡は、子供の相手をさせられている)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうです。え? これ、みんなアタクシとまり子さんの合作です」
順子「まあきれいだこと」
久米「こりゃお見事だ。見ているだけでヨダレが出ますな」
誠「編集長、その通りなんですよ。お父さん、お上り下さいっていうんじゃないんだから見せびらかすんじゃないよ」
土岡「あれ? これ、ご馳走《ちそう》して下さるんじゃないの?」
忠臣「いや、その、誠に申しあげにくいんですが、その……頭数が揃《そろ》わないもんで……ほら、何でしょ? あとからきて、食い散らしたあと、こう、ハシ、なにするってのは」
久米「ありゃわびしいもンですな」
土岡「どなたがいらっしゃるのかな」
順子「ひろしちゃんも……ニブいわねえ、判《わか》ってるじゃないの」
久米「そうそう。お父上が惚《ほ》れておいでの……」
土岡「ああ、いつか一緒にタンゴおどった……」
久米「遠藤タツ子さん」
忠臣「いやいや、ほかにもあなた例の『日高』ね、それから石川の両戦友も参りますし、それから……それから大物を忘れとりました。まり子さんのお父さんとおつれあい……」
まり子「いやだ、うちの父なんて、そんな」
忠臣「おお、それと長男もおっつけくることになっておりますので、ひとつ、お重のほうはそれまでにらみ鯛《だい》の鯛ということでご勘弁を」
誠「ほんとにすみません……(土岡に)全く、恥かしいですよ」
忠臣「何が恥かしいんだ。ねえ、編集長さん。実は、ほかにもいささか趣向がございますんですが、そちらは皆様お揃いになってのお楽しみということで」
土岡「趣向ってなにかしら?」
誠「お父さん、オレ、うしろ足はやだからね」
久米「うしろ足ってなあに」
忠臣「バカモノ! 手品のタネアカシをする奴があるか。さ、さ、ま、どうぞ」
久米「いやいや、けっこうけっこう。こっちはアルコールがありゃ、もう」
忠臣「まり子さん、坊やにね、ダテ巻切ってあげて頂戴」
まり子「ハイ」
忠臣「あ、それから……うむ、白菜、あれ、お出ししなさい」
まり子「ハイ」
誠「(小さく)正月そうそうつけものなんてなんだよ、ケチ!」
まり子「誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、立ってゆく。
[#1字下げ]つづいて誠も。
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]つけものの石をもち上げようとしているまり子。手伝う誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん、大丈夫よ。このくらい」
誠「着物が汚れるよ」
まり子「大丈夫よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろからヒョイと手が伸びて白菜の漬物《つけもの》をつかむ。
[#1字下げ]順子である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ママ……」
順子「あたしやるわよ。まり子さん、出かけてらっしゃい」
まり子「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろから、久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃんもまり子さんも、朝からお父上がベッタリだったんじゃないの?」
誠「おやじは出たり入ったりあったんですけどね、まあ、なんだかんだせわしくて……」
順子「初詣にいってらっしゃい」
誠・まり子「初詣?」
順子「二人して、おまいりして、『破魔矢《はまや》』いただいていらっしゃい」
久米「お父上は、ボクたちがお守りしてましょ」
誠「いいのかな」
まり子「……いいのかしら」
久米・順子「(うなずく)」
誠「じゃ、おことばに甘えて『初詣』にいかせて頂きます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出かけようとする二人の間に割りこむ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「初詣いいねえ! 今日はあったかいからマフラーなしでいいよねえ」
誠「マフラーってだれの」
忠臣「アタシ……お前はいらんだろ」
誠「お父さんもいくの?」
忠臣「当り前じゃないか。三人水入らずでさ」
誠「オレ、あしたいく……」
まり子「ママ、あたしやります(白菜)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米と順子、ガックリのウインク。面白くない誠。忠臣だけがみんなの顔を順々にみて、ちょっと怪訝《けげん》そうにしている。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]門灯に灯《ひ》が入っている。
[#1字下げ]門松に暮色。京太郎と源助の笑い声が聞えてくる。軍歌、手拍子など、忠臣の声も聞える。
●台所[#「台所」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]お燗番《かんばん》をしているまり子。茶の間のざわめき。何となくそばにくっついている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まあ、ぼくの希望としては、なるべく早く式をあげて……」
まり子「(うなずく)」
誠「それから子供のことなんだけど」
まり子「………」
誠「一、二年先でもいいって気もするんだけど、おやじがほら、兄貴ンとこにいないしねえ。まだかまだかってうるさいと思うんだ。だから」
まり子「なるべく早く……」
誠「悪いけど……」
まり子「あのォ……」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、いたずらっぽく笑いかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そんな事よか先にしなきゃならないことがあるんじゃないんですか」
誠「え?」
まり子「今日中に……でしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、クッと笑ってちょっと唇《くちびる》を突き出すようにする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「じゃあ」
まり子「ドウゾ」
誠「そういわれると、ちょっとやりにくいんだけど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんに声あり、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎)「すみません」
源助   「お銚子《ちようし》、おかわり願います!」
まり子「ハーイ」
誠「チェッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またしてもアウトの誠。
[#1字下げ]まり子、お銚子の温度を見たりしている。
[#1字下げ]入ってくるほろ酔いの忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あのね、まり子さん、お酒はもうこのへんでいいから。いいわいいわでのませたらキリがないよ」
誠「お父さん、いつもごちそうになってんだろ。ケチなこというんじゃないよ」
忠臣「じゃあ、これ一本でおしまいだ」
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、もつれあうようにしながら茶の間へ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎、源助が酔っている。
[#1字下げ]忠臣、誠、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうぞ……(酌《しやく》)」
京太郎・源助「こりゃこりゃどうも」
忠臣「まり子さん、そんな連中にサービスなんかしなくてよろしい。酒は手酌で」
誠「お父さん……あ、ぼく(やりますよ)」
源助「いいのいいの、誠さんが気使わなくたって」
京太郎「艦長のにくまれ口気にしてたら三十年もつきあっちゃいられませんよ」
源助「艦長がお世辞いうようになったら、香典の用意ですよ」
京太郎「正月そうそう縁起でもない」
誠「いやあ……ブッ殺しても死にゃしないですから」
忠臣「そんなことよか……一体どうしたんだろうね」
誠「え?」
忠臣「タツ子さん……いや、あんたのおとっつぁんおそいねえ」
まり子「夕方までには揃って伺いますっていってたんですけど……」
忠臣「何をしとるんだろうなあ。あ、タツ子さんみえたら相馬と石川は帰っていいから」
源助「これだ……」
京太郎「帰ります帰ります。いとしい恋人を一目拝ませていただいて退散しますよ」
誠「ほんとにもう」
忠臣「いや、帰られちゃ困るんだ。おい相馬。お前、うしろ足! 例の余興、お目にかけてから帰ってくれ」
京太郎「ハイハイ、判っております」
忠臣「それと、勇ですよ! おやじのとこへあいさつにもこないで何をしとるんだ」
京太郎「いやあ、勇さん、こないだ課長になられたんでしょ?」
源助「それじゃあ大変だわ。うちにだって部下の二人や三人お年賀にみえるだろうしさ」
忠臣「いやあ、あそこは細君が切り切りしとるからねえ、人の集るうちじゃありませんよ」
誠「お父さん……くるって、くるって」
忠臣「全くもう、親を何と思っとるのかねえ。全く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
ふみ江(声)「ごめん下さい」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造(声)「あけまして、おめでとうござい!」
まり子「あッ! お父ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび上ってパッと顔が輝く忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タツ子さんがお見えになった」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、素早く懐中から櫛《くし》を取り出して髪をなでつけ、着物も改めて、……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「チャンとなってるかしら」
誠「早くゆきなよ!(ポンと尻をはたく)」
忠臣「あ、相馬! 例の用意!」
京太郎「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]まり子、そして、ぶつかりながら飛び出す忠臣。うしろから誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ようこそようこそ。さ、さどうぞ! いやあ、さっそくおいでをいただいて、永山忠臣これにまさる光栄は……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]オーバーにやりかけた忠臣、アレ? となる。
[#1字下げ]立っているのは、ほろ酔いの徳造とふみ江だけ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あれ、タツ子さん……一緒じゃないの」
ふみ江「それがねえ」
徳造「こられねえンだとさ」
忠臣「どうなすったの。まさかお風邪ひかれたとか」
徳造「いや、丈夫でピンピンしてンだけどね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣のうしろから、京太郎が、獅子舞いの一式をもって顔を出す。うしろから源助も。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「じゃどうして……」
徳造「福岡から息子夫婦が出てくんだとさ」
ふみ江「もうねえ、タツ子さん浮き浮きしちまってさ、まあ、日頃は、あんな薄情な息子なんかいなくていいなんていってたのが、こはだ好きだけどアンタのとこ買いおきある? なんてもらいにきたりしてさ」
忠臣「そうか、息子さんがみえるのか」
徳造「まあ、息子じゃしょうがねえよなあ」
誠「さ、こんなとこで立ちばなしするこたァないじゃないの、どうぞどうぞ」
徳造「そいじゃあ、どっこいしょっと」
ふみ江「ほら、大丈夫……ちょっと入ってるもんだから、すみません」
忠臣「ちょっと徳さん……」
徳造「なんだい。え? 永山忠臣が徳さんていうときゃアブねえんだ。なんだい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、コショコショと徳造に耳打ち。
[#1字下げ]ポンとひざを叩く徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おもしれえ。一丁、乗ろうじゃねえか」
誠  )「お父さん(なんだよ)」
まり子  「お父ちゃん(なんなのよ)」
忠臣「ねえ、二人してバァーとのりこんで、え? にぎやかに……息子さんにもごあいさつをかねてやらかそうじゃねえか[#「ねえか」に傍点]」
徳造「おうよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]怪訝な顔の一同の中で忠臣と徳造のみ大張り切り。手を重ねあって、見得《みえ》を切っている。
●タツ子の家[#「タツ子の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]獅子舞いが陽気にやっている。ささやかな正月の飾りもの、そして、重箱や屠蘇の道具のならぶ小さなチャブ台。
[#1字下げ]その前にすわって、じっと獅子舞いをながめるタツ子。
[#1字下げ]そのうしろのピアノの上に、息子と一緒の写真。
[#1字下げ]頭は忠臣。うしろ足はどうやら徳造。酔っているらしく徳造の足はもつれて、不器用この上ない。二人、舞いながら、ときどき顔を出してけんかをオッパじめる(カセットは陽気に鳴っている)。笑いながら、みているタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい、うしろ足しっかりやっとくれよ」
徳造「うるせえな忠臣! ちゃんとやってらい!」
忠臣「ちゃんとやってないから言ってるんじゃないか!」
徳造「アタマだと思って威張るない!」
忠臣「なんだと」
タツ子「まあまあ、永山さんも倉島さんも、正月そうそうケンカするんじゃないよ」
忠臣「そうおっしゃるけどねえ、タツ子さん」
徳造「いや、忠臣の野郎が」
タツ子「ほらほら、二人ともちゃんとやっとくれよ! ご祝儀《しゆうぎ》あげないよ」
忠臣「では、徳さん」
徳造「おう忠臣」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子カッコをつけて舞いはじめる。笑いながらみているタツ子。
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子、ふみ江、進一もきて、ナベをつついている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そうお……。息子さんこなかったの?」
ふみ江「急用が出来たってさっき電話がきたんだってさ」
まり子「年にいっぺんなんだから無理しても帰ってあげればいいのに」
進一「大きくなりゃ、親なんて面倒くさいってとこあるもんなあ」
ふみ江「男の子はそうかもしれないねえ。お嫁さんでももらっちまえば、親なんて余計もンだもの……ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子舞いのカセット、聞えてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「永山さん、やってるやってる」
ふみ江「タツ子さんションボリしてたから……にぎやかで……よかったよ……」
まり子「それと、お父さん、永山さん……タツ子さんと同じですもンね」
二人「え?」
まり子「ご長男、こないのよ、まだ……」
進一「あの、勇さんて人?」
まり子「お重に手つけないで待ってたのに……」
[#ここで字下げ終わり]
●タツ子の家[#「タツ子の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]さしつさされつの忠臣とタツ子。
[#1字下げ]徳造は、獅子に半分体を突っこんで伸びている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「徳さん! 徳さん! ほら、うしろ足! しっかりしなさいよ!」
タツ子「いいよいいよ。寝かしときなよ」
忠臣「半分出来上っとるとこへもってきて、これ(獅子舞い)やったんでいっぺんに廻っちまったんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、ひざかけを徳造にかけてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「さ(忠臣に酌)」
忠臣「こりゃどうも……いやあ、ご令息にごあいさつをと思って伺ったんだけども」
タツ子「わざわざお目にかけるような出来のいい息子じゃないんだ。そのヘンのブラ下りでさ。ハハ」
忠臣「おたがいさまだ……わたしのとこもね、親がなくて、一人で生れたような気でいるんだから……しかし、アンタのとこは、ねえ、ご主人早くに亡《な》くされて女手ひとつでさ、掃除婦して息子さん育てたんだ。母親を一人で正月させちゃいけませんよ」
タツ子「いやあ、親なんてこんなもんだよ。このくらいで普通だよ」
忠臣「そうなんだねえ。(ぐっとのんで、ポツンと……)『親は思えど子は更に』ってねえ。親はいろいろと子供のことを考えて、ああもしてやろうこうもしてやろう。こんなに心配してるんだから、子供のほうもちっとは親のこと考えてくれてるかと思やァ、子供にゃ子供の生活があって……親までは廻ってこないんだよ」
タツ子「(ついで)でもさ、おかげさまでにぎやかなお正月だったよ」
忠臣「………」
タツ子「ありがと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]獅子頭をマクラにねむったフリの徳造、うす目をあけて聞いている。
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]酔った忠臣をかつぎこんでいる誠。
[#1字下げ]忠臣、獅子頭を手にわざとスネている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、お父さん。しっかりしなよ」
忠臣「おい! 勇まだこないのか!」
誠「こないっていってるだろ!」
忠臣「おい、勇ンとこへ電話しろ! どしてこないっていえ!」
誠「向うもお客さんだよ。こられりゃくるよ」
忠臣「ようし、そんならこっちから、いくぞ!」
誠「お父さん……ほら、チャンとねまきに着がえて寝ないと風邪ひくって」
忠臣「おい! お重どした」
誠「食うなっていうからそのまま残ってるよ……」
忠臣「それな、みんな庭にバアッとブチまけろ!」
誠「お父さん……」
忠臣「それからな、門しめちまえ!」
誠「まだいいだろ。オレ、ねるときしめるから」
忠臣「いや、しめろ! それからな、今日限り勇の奴《やつ》は息子と思わん! そういってやれ!」
誠「なにいってんだよ」
忠臣「親を親とも思わん奴を息子と思う必要はないんだ。今日限りあんな奴は」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇(声)「おーい、寝たのかァ」
誠「あ、兄さん」
悦子(声)「ごめん下さい」
誠「お父さん、兄さん……」
忠臣「何時だと思ってるんだって」
誠「お父さん」
忠臣「おやじは寝たってそういえ!」
勇「おーい、誠! お父さん!」
誠「ハーイ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、意地になって布団をひっかぶる。
[#1字下げ]誠しかたなく出てゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]へたりこんでいる勇。悦子。出てくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「いやあ、おそくなってごめんごめん」
誠「どしたんだよ、お父さん待ちくたびれてさ、カンカンだよ」
悦子「ごめんなさいね。朝からお客がひっきりなしでねえ。やっと一息ついたとこで、道順が先だから、ちょっとアタシの実家に寄ったのよ。そしたら引きとめられちゃって……」
誠「(小さく)そんなことだろうと思ってたけどさ。おやじさんには……」
勇「ひがむからな。判った判った」
誠「おーいお父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上ってゆく三人。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]お屠蘇をついでいる誠。
[#1字下げ]受ける勇、悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! すねてら。じゃオレがやるよ」
勇「じゃあ……おめでとう……」
誠「おめでとう」
悦子「ことしもよろしく」
誠「よろしく」
勇「ねてんのか、おやじさん……」
誠「出かけて帰ってきたもんだからね、相当これだしさ(酔っている)」
勇「フーン」
誠「それと、スネてるんだよ」
勇「俺《おれ》のこと怒ってたろ。あんな奴はもう息子と思わん。勘当だ、そう言ってたろ」
誠「そんなこと言ってないよ」
勇「イヤー言ったよ。そういうこと言う人間なんだよオヤジは」
誠「言わないって言ってるだろ」
勇「言ったんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきなり障子がスーとあく。
[#1字下げ]獅子の頭が、ヌーと入ってくる。
[#1字下げ]オハヤシのカセットが陽気になり出す。頭をかぶって入ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇・悦子「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]酔っぱらっているがおどり出す忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「お父さん……」
忠臣「おい、誠、うしろ足やれ」
誠「やだよ、オレ」
忠臣「やれったらやれ!」
誠「出来ないよ、そんな」
忠臣「やりゃ出来るって、ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、しかたなくうしろ足に入る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それ、いくぞ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひときわ派手に舞いはじめる獅子。
[#1字下げ]じっと見ている勇。
[#1字下げ]そして悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それ、テンテレツクでこうかっこつけて、テレツクテンでこうなるんじゃないか」
誠「どっちだっていいだろ」
忠臣「アタッ! 誠、ヘタクソだなお前は。人の足ふんで、おおいた」
誠「よろけたのはそっちだろ」
忠臣「そっちじゃないか。全くブキッチョだなお前という男は、え!」
誠「ピンチヒッターなんだからね、文句いわないでくれよ」
忠臣「文句いってるのはそっちじゃないか。マジメにやれ、マジメに」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]不器用ながら舞い出す父と子。
[#1字下げ]目をうるませてじっと見ている勇と悦子。
[#1字下げ]舞い続ける父と子。
[#改ページ]
19
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]衣服を改めた京太郎と静子が、結婚祝いを持ってあいさつにきている。忠臣と誠。
[#1字下げ]忠臣のうしろには、祝いものが積んである。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「このたびは、誠さん、おめでとうございます」
静子「ささやかでございますが、お祝いのおしるしでございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、紫の袱紗《ふくさ》に包んだものを差し出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それはそれはご丁寧に」
誠「ありがとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、一礼して受け取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほら、袱紗はお返ししなくちゃダメじゃないか」
誠「あ、そうか」
忠臣「(小さく)現金てのは、一番うれしいんだ……」
誠「お父さん……」
忠臣「まあまあ、お平らに、いまお茶をいれましょう」
静子「どうぞおかまいなく」
忠臣「まあまあ」
誠「あ、オレがいれるよ」
京太郎「ヘヘ、誠さんがブキッチョな手つきでお茶いれるのも、もうすぐおしまいだなあ」
静子「ほんとねえ」
忠臣「あ、そのお茶じゃないんだよ、そこの……ほらそれ……桜の……いいからアタシが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]焦《じ》れったがりやの忠臣、モタモタする誠を押しのけるようにして自分で支度をはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こういうめでたい日にはね、昔から昆布茶《こぶちや》か桜湯と決っとるんだ。ほら、ポカッとみてないでハナビラを茶碗《ちやわん》に入れなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、桜の塩漬《しおづけ》を各自の茶碗に入れ分ける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あーあ、そんなに沢山入れたらショッパイじゃないか。桜湯というのはね、お湯をついだとき桜の花が二、三輪、フワッと茶碗の中に花ひらいて、かすかに塩味が命じゃないか、お前みたいにドサッと」
誠「とるよ」
忠臣「ああ、なめた手で……」
誠「お父さんだってなめてるじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そんな父と子のやりとりを感慨深げに見る京太郎、そして静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いいじゃないですか。オムツのときから知ってる誠さんだ、ねえ。なめた手だろうと何だろうとよろこんで頂きますよ」
誠「すみません」
静子「あーあ、そんなとこで(ズボンのお尻《しり》)手、拭《ふ》いて」
京太郎「いやあ、誠さん、こんな時分から、これ(ズボンで手を拭く)やるくせがあってね、亡くなった奥さんがよく、メッ! ってやっておられたっけなあ」
忠臣「まあ、何ですよ。こいつの晴れ姿を一番見せたいのは繁子ですよ」
京太郎・静子「(うなずく)」
忠臣「当日はせめて写真をフトコロに入れて、ねえ」
京太郎「仲人《なこうど》として、遺漏《いろう》のないようつとめさせて頂きます」
誠「よろしくおねがいします」
静子「でもねえ、あたくし何ですか……申しわけないっていうか……」
忠臣「なにが」
静子「まあ、主人はねえ、長いおつきあいですから、なん[#「なん」に傍点]でしょうけど、私は後添えに入ったものですし……石川の奥さん差しおいて」
忠臣「いやいや、奥さん、それはねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣が乗り出したとたん、玄関に声あり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ごめん下さい!」
たつ「ごめん下さい!」
忠臣・京太郎「お、石川じゃないか」
誠「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、立とうとする。忠臣とめて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい! 庭から廻《まわ》ってくれェ!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]一張羅《いつちようら》の背広を着込んで張り切っている源助。たつも改まった着物。源助は大きな包みを抱えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「庭からだって」
源助「ハーイ。では失礼します」
たつ「ちょっとお父ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、ネクタイの歪《ゆが》みを直して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ちゃんとあいさつすんのよ」
源助「判《わか》ってるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、いそいそと木戸から入ってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣。誠。少し席をさがって、場所をゆずっている京太郎と静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「おじゃましますよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助を引き立てるように威勢よく入ってきたたつ。
[#1字下げ]先客の京太郎と静子に気づいて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あら、相馬さん」
源助「なんだ。相馬|中尉《ちゆうい》、みえてたんですか」
京太郎「いまきたとこ、な」
静子「ご一緒になっちゃった……」
誠「どうぞどうぞ……」
忠臣「さあさあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、縁側の靴脱《くつぬ》ぎに草履をぬぎかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あら、相馬さんたちは庭から上ったんじゃないの」
京太郎「え? ああ、あたしたちは玄関から……」
たつ「そうお。そうですか。やっぱり仲人さんともなると待遇が違うわねえ」
一同「?」
たつ「仲人さんは玄関から。あたしたちは庭から上れ」
源助 /「おい、何てことを」
忠臣  |「いや、あのねえ」
京太郎 |「そういわれると、なあ」
静子 \「奥さん。いやですよ」
誠「そんなことないですよ、さ、どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]石川夫婦上ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ひがみたかァないですけどねえ。三十年もたって、まだ中尉と一等水兵はこんなに差別があるなんて知らなかったわよ。(小さく)位の下のとこへ嫁にきたアタシに運がなかったんでしょうよ」
忠臣「なにをブツブツいってんだ、さ、座布団《ざぶとん》」
誠「どうぞ」
たつ「お座布団なんかけっこうですよ。アタシたちはそんなもの……畳の上にジカにすわらせていただきます。お座布団はどうぞ仲人さんに」
京太郎・静子「奥さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、石川夫婦のために桜湯の用意。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あのねえ、ひとことだけ申し開きをしておくけど、私は何も相馬が中尉《ちゆうい》で位が上だから仲人をたのんだんじゃありませんよ。お頼みした久米編集長が、勤め先の縁なんてものはい[#「い」に傍点]っとき[#「っとき」に傍点]のもんです。それよかもっと身近な人がよろしいといって辞退をされた」
源助「(小さく)あの人、ほら、いま、バーのママさんといい仲だから」
忠臣「余計なことはいわんでいいの。ま、そうなると誠をよく知ってくれてるのは、相馬と石川だ。ねえ。わたしの気持としては、二組のご夫婦に媒酌人《ばいしやくにん》をつとめていただきたいんだが、そうもならないとなると……そこなんだよ、奥さん」
たつ「………」
忠臣「相馬の奥さんはたしかに後添えであたらしい。しかし、面《おも》ざしが、アンタもご存知の通り死んだこいつの母親にそっくりなんだ」
たつ「そりゃ、このへん似てますけどねえ」
忠臣「わたしとしては、せめて死んだ母親にこの子の晴れ姿をみせたい……そんなとこでね、まあ、アンタをさしおいて、なんだけど、たのんだようなわけなんだ。まあ、面白《おもしろ》くない気持も判る。アンタが怒ってくれる、その気持もうれしいんだよ。この通りだ。どうか気持を納めて頂きたい。(小さく)それと、この次ってこともあるし、あ、いや、こっちのハナシだがね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をついて頭を下げる忠臣。
[#1字下げ]そうなるとオッチョコチョイのたつ、感動してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん、あたしはねえ、そんな了見のせまい女じゃありませんよ。人のいうこと、そうそうマトモにとられちゃうっかり冗談もいえやしない」
忠臣「奥さん……」
たつ「言ってみただけですよ。(静子に)奥さん。何でも言いつけて下さいよ。お手伝いしますからさ」
静子「奥さん……ご一緒にやらせていただきましょうよ」
忠臣「(お辞儀をしている)」
誠「どうかよろしく」
源助「そうこなくちゃ。ああ、桜の花ってのはこやるとオツだなあ」
たつ「お父ちゃんも! そんなもの、つまんでないで……ホラ!」
源助「え?」
たつ「えじゃないだろ! これ!(包み)」
源助「あ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、すわり直して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ええ、このたびは、誠さん、おめでとうございます」
たつ「おめでとうございます」
源助「つまらないものですが、お祝いのおしるしを」
忠臣「こりゃこりゃ、どうも」
誠「ありがとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]畳の上に大きな包み。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい石川、まさか酒や缶詰《かんづめ》じゃないだろうな」
たつ「永山さん! お祝いに商売ものはもってきませんよ!」
忠臣「あいた!」
たつ「お父ちゃん、あけなさいよ!」
源助「よしなさいってんだよ」
たつ「お目にかけようじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、ビリビリと紙を破く。立派な桐《きり》の箱。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「さあ、永山さん! これでも商売もんですか! え!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッとあける。
[#1字下げ]上等な夫婦《めおと》茶碗と、同じく夫婦の湯呑《ゆのみ》のセット。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「お、こりゃみごとだ」
静子「いい絵柄《えがら》……」
源助「親戚《しんせき》にね、伊万里《いまり》の窯元《かまもと》がいるんすよ、そこへ特にたのんでね……」
忠臣「伊万里か……めおと[#「めおと」に傍点]とはうれしいねえ、え?」
誠「大事に使わせていただきます」
忠臣「おい、誠」
誠「うむ」
忠臣「玉木さんな……大阪の、あそこからきたのも夫婦茶碗だろ」
誠「(小さく)いいじゃないか、そんな」
忠臣「ダブっとるわけだ」
源助「ダブったの? え?」
誠「……あの、こっちを使わせていただきますから」
忠臣「あっちはどういう絵柄だっけなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、うしろの祝いものの山をゴソゴソやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「玉木さん、玉木さん……と」
誠「あとにしなよ、お父さん」
忠臣「これだこれだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ひろげる。同じく夫婦の茶碗。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ダブっとるんだねえ」
たつ「気が利《き》かなくてすみませんでしたねえ!」
静子「あら、こっちのほうがずっとお品がいいわよ」
京太郎「モノがちがうわ」
誠「ぼくたち、こっちの方を使わせて(もらいますから)」
忠臣「そうすると、こりゃ、『浮く』わけだ」
誠「うむ、……まあ、ね」
忠臣「そいじゃあ、これは、アタシが、『なに』させてもらうわ。いやいや。また、ふえちまった」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、押しいただき、手に持ってスタスタ出ていってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]四人、ポカンとして見送る。
[#1字下げ]誠、こともなげに、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「この間うちから、ああなんですよ」
四人「え?」
誠「なにかっていっちゃ、人のお祝いの上前はねるんですよ。電気スタンドとか、置時計とか、ダブるでしょ? お祝いが……あ、すみません」
たつ・源助「いやあ、いいんですよ」
誠「そうするとね、あ、これアタシがもらっとこう。特にめおと[#「めおと」に傍点]のものがダブると、もうホクホクしちまって、……あとでおやじの部屋のぞいてごらんなさいよ。すごいから……『死に慾《よく》』っていうんですかねえ」
京太郎「『死に慾』ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]電気スタンドや置時計、夫婦茶碗などが、ごったがえしている。
[#1字下げ]上機嫌で片づけている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、誠! ぼつぼついかないと会社おくれるぞォ! ※[#歌記号、unicode303d] ターンタカタン(結婚行進曲)」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、京太郎、静子、源助、たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「判ったよ!」
忠臣(声)「タンタカターン」
誠「浮かれちまって……どっちが結婚するのか判んないよ」
四人「………」
誠「あの、すみませんけど、ぼく時間だもんで」
四人「どうぞどうぞ、いっていらっしゃい」
誠「ごゆっくり……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠出てゆく。忠臣の歌聞えている。四人、顔を見合す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長が夫婦茶碗もってったってしょうがないだろうになあ」
静子「ね、もしかしたら」
たつ「……奥さん、あたしもそのこと考えてたのよ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女二人、目くばせ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「え?」
静子「男はこれだから……」
たつ「ニブいねえ」
静子「永山さん、ほら、おつきあい[#「おつきあい」に傍点]してるひとがいるでしょ?」
たつ「のぼせ上っちゃって、ラブレター書いたりお弁当もってったり」
京太郎「ああ、マンションの掃除婦やってる」
源助「タツ子さん」
たつ「あの人と……一緒になるつもりじゃないの」
京太郎・源助「まさか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言ったようなものの、愕然《がくぜん》とする男二人。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]結婚行進曲をハミングしながら、片づけている忠臣。アレ? となる。
[#1字下げ]京太郎、静子、源助、たつが硬い顔をして取り囲んでいる。京太郎代表格で、低い声で……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長……間違っておりましたらお詫《わ》びをするんでありますが、その、……艦長は、ひょっとして『ご再婚』のおつもりが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、柄にもなく大いにはにかんで下うつむき、コクンとうなずく。
四人(「艦長……」
「永山さん……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「やっぱりあの……」
静子「タツ子さんてかたと」
忠臣「(うなずく)」
源助「ケ、ケッコンするんすか」
たつ「本気なんですか」
忠臣「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
四人(「艦長!」 (つめよる)
「永山さん!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣、別人のようにはにかみ、小さくなって四人に背を向けて、畳のケバをむしりながらポツンポツンと言う。
忠臣「なにも今すぐっていうんじゃないんだよ。いかになんでも倅《せがれ》と一緒ってわけにもいかんじゃないの。(口の中で)奴《やつ》はアンタ、初婚だし、アタシは再婚だからねえ」
四人「え?」
忠臣「え? いや、とにかくね、誠のほうが一段落してから、ぼつぼつ……と考えとるんだが……まあ、住居の問題もいろいろあるし」
四人「は?」
忠臣「いかに何でも、新婚夫婦二組がひとつ屋根の下に鼻つきあわすというのはどういうもんかと思ってねえ、ハハ、ハハハ」
四人「(顔を見合せる)」
忠臣「それと、仲人の問題も」
四人「仲人?」
忠臣「わたしの気持としては、今度は石川夫婦に頼みたいとこだがねえ。タツ子さん紹介してくれたのは、倉島徳造だからして、あっちを立てなきゃならんかなと迷ったりしてねえ」
四人「あの……(言いかける)」
誠(声)「いってまいりまーす」
四人「いってらっしゃい!(言ってから)あの、誠さん」
忠臣「まだ何も……(言っとらん)誠の奴、自分のことで頭がいっぱいだからねえ。あ、もちょっと内緒にしといて頂戴《ちようだい》な」
四人「それでタツ子さんは……ウンていったんですか」
忠臣「そっちのほうもね、あ、そうだ、相馬、今晩『日高』の小座敷あけといてくれ」
四人「?」
忠臣「エヘヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何かもくろみ[#「もくろみ」に傍点]のあるらしい忠臣。
●マンション・裏口[#「マンション・裏口」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]例の如《ごと》くマホウビンを下げ何やら包みを抱えた忠臣が、あたりを窺《うかが》いながら入ってゆく。
忠臣「あッ! タツ子さん……」
[#1字下げ]しかし別人の掃除婦。忠臣、くさって顔をかくし、壁にはりつくようにしてかくれる。
[#1字下げ]その肩をポンと叩《たた》くのは、管理人の坂本|惣市《そういち》(53)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
坂本「モシモシ」
忠臣「は?」
坂本「失礼ですが、どちらへ」
忠臣「え?」
坂本「何階のなんというお宅をおたずねですか」
忠臣「(目を白黒……)あの……五階の佐藤さん……」
坂本「五階には佐藤さんというお宅はありませんがねえ」
忠臣「いや、四階の田中さん」
坂本「四階の田中さん?」
忠臣「いや、三階の三木さんだった……」
坂本「ちょっとこちらへきて頂きましょう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、逃げようとする。
[#1字下げ]坂本、すばやく衿首《えりくび》をつかまえて管理室へ引きずりこもうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「無礼者! 放せ! 放さんか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]バタバタ大あばれの忠臣。
●マンションの管理室[#「マンションの管理室」はゴシック体]
[#1字下げ]机の上には、忠臣の荷物が並んでいる。
[#1字下げ]マホウビン。包みをあける忠臣。ショートケーキが二つ。紙の皿《さら》、ナフキン。
[#1字下げ]坂本。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
坂本「なにもあけて下さいとは言っておりません。どういう目的で当マンションを徘徊《はいかい》されておったのか、念のために官、姓名を(お伺い)」
忠臣「(聞いてない)ようくごらん頂きたい! マホウビンはあったかい紅茶です。こっちはショートケーキ」
坂本「モシモシ」
忠臣「永山忠臣、空巣と間違えられておめおめと引き下るわけにはいかないんだ。さあ、ハダカにでも何でもして気のすむように調べたらいいだろう?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、脱ごうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
坂本「それには及ばないと言っとるじゃないですか」
忠臣「さっきから聞いてると、アンタ、無礼だなあ。一体どういう権限で」
坂本「自分は、このマンションの管理一切を預っている管理人として」
忠臣「カンリ人ってのは、人をうさん臭い目で見るのが商売かね」
坂本「うさん臭いマネをするからウサン臭い目で見られるんです」
忠臣「何だと!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もみあっているところへ顔を出すタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「あのねえ、ロビイのトイレ紙がきれてるよ! あら、永山さん」
忠臣「タツ子さん……」
タツ子「アンタ、こんなとこで何やってんの?」
忠臣「いや、その……」
坂本「遠藤さんのお知り合いですか」
忠臣「ハハ、ハハハ。さよう、知り合いです。いやあ、今ね、この方と色々(タツ子に笑顔で取りつくろって)オハナシをしておったんだ」
タツ子「あ、そうお。あ、トイレット・ペーパー」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]坂本、戸棚《とだな》をあけて出している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タツ子さん、忘れないうちにお願いしておくんだが、今晩七時に『日高』へお越しを願えンだろうか」
タツ子「『日高』って、いつか行った小料理屋」
忠臣「折入ってお話したいことがあるもんで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]トイレット・ペーパーを出している坂本。
[#1字下げ]チラリチラリと二人を見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(にこにこして、お世辞をいう)管理人さんも色々と大変だ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎と静子にあいさつしているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「短い間でしたけど……本当によくして頂いてありがとうございました」
京太郎「やっと、おなじみさんの顔おぼえてもらったとこでやめられちまうのは、うちとしては、なあ……」
まり子「すみません。わがままいって……」
静子「お嫁にゆくんでなけりゃ、ねえ……少しお給金上のせしても引きとめたいとこだけど……こればっかりはねえ」
京太郎「まり子さんやめると、売り上げが落ちるんじゃないか」
静子「覚悟しといて下さいよ」
まり子「やだわァ」
静子「あ、それからこれはね、ほんの気持」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]寸志と書いた封筒をわたす静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……あの、これ……」
京太郎「ささやかだけどね、退職金」
まり子「そんな……三月も働いてないのに……退職金なんてとんでもない」
静子「兼お祝いってことで……いいじゃないの」
京太郎「そんなに沢山入ってないから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、押しつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……どうもありがとうございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と静子、顔を見合せてため息。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「とうとう結婚式ねえ……」
静子「一時はどうなることかしらって思ったけど……」
京太郎「艦長、物凄《ものすご》く反対だったもんなあ」
まり子「このへんにすわって言ってらしたんじゃないんですか(カウンター)誠は、絶対水商売の女なんかとは結婚させない! って……」
静子「そうなのよ」
京太郎「それがいまやまり子さんまり子さんだもんなぁ」
まり子「皆さんが後押しして下すったおかげです」
静子「それもないとはいえないでしょうけどさ、まり子さん、あんた運がよかったわァ」
まり子「は?」
静子「だって……永山さん、自分も好きなひと出来たでしょ? 理解が違うわよ」
京太郎「何にもなくて、倅だけが頼りってよかねえ、廻りにモヤモヤッとしたたのしいものがありゃ、どしたって人にもやさしくなるわなあ」
静子「タイミングよかったわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]夫婦、言ってからまた顔を見合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まあ、そのへんでとめといてくれりゃいいんだけどねえ」
静子「本気なんでしょうかねえ、永山さん」
京太郎「ありゃ冗談て顔じゃないだろ」
静子「そうすると、今晩、部屋とっといてくれっておっしゃったのも……」
京太郎「うむ、ひょっとしたら、あの人とそのハナシ……」
まり子「あの……」
静子「(まり子に)……永山さん、再婚したいって」
京太郎「おい、静子……」
静子「あ、そうか。誠さんには言うなって言ってらしたわねえ」
まり子「あの、本当ですか。お父さん、本当に」
京太郎「まあ、今のうちに誠さんと相談して何か対策立てといた方がいいかも知れないなあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずく静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ちょうどよかったわ。今晩、誠さんと……買物の打合せして、帰りにお兄さんのマンションへ伺うことになっているんです」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇と悦子。誠とまり子がきて、四人で夕食。
[#1字下げ]勇、誠にビールをつぎながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おやじさんが再婚? ハハハハ、おい誠、お前な、いい年して冗談真にうけるなよ」
誠「冗談じゃないんだよ」
まり子「(うなずく)」
悦子「本気だっていうの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、うなずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おかしいじゃないか。この前、二人でさ、おやじさん問いつめたら、『茶のみ友達だ、気廻すな』」
誠「様子がちがってきたんだよ」
まり子「(うなずく)」
誠「いやあ、この間うちからおかしいとは思ってたんだよ。オレンとこへくる結婚祝いでダブるのがあるだろ? スタンドとか置時計とかさ。そうすると、二つあってもしょうがないだろって、サッサと自分の部屋へしまいこんじまうんだよ」
勇「でも、そりゃさ、おやじは昔から慾張りだったじゃないか。何でも人の持ってるもんよこせよこせって」
悦子「年とると、余計そうなるんですってよ」
誠「いや、オレもそうだと思ってたんだよ。とうとう死に慾が出たかなって笑ってたんだけどさ。今日、夫婦茶碗がダブったとき、チラッとね、アレ、おかしいな」
勇「夫婦茶碗もしまっちまうのか」
誠「オレ、出かけたあとで、日高や石川の連中に白状したらしいんだなあ」
悦子「それで、まり子さんが……ってわけね」
まり子「何だか、言いつけるみたいで気がひけるんですけど」
勇「いやぁ、こういうことは言ってもらわないと……」
悦子「そうよ。こっちだっていきなり言い出されるよか……ねえ」
誠「オレもさっき聞いてさ、びっくりしてんだけどねえ」
勇「こっちはもっとびっくりだよ」
誠「まあ、おやじの腹づもりとしちゃ、オレたちと一緒ってのはいかになんでも具合が悪いから、すこしあとに……」
悦子「誠さん、それ……結婚式のこと?」
誠  )「うん」
まり子  「ええ」
勇「ちゃんとやる気なの!」
誠「やる気だろ? 住むとこの心配までしてるらしいから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]突然、笑い出す勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おい、親父《おやじ》そろそろ七十だぞ。え? 結婚式よか葬式のほうが似合う歳《とし》だよ、なあ」
悦子「あなた、縁起でもない」
勇「いやぁ、本当だよ。七十じじいがどんな顔して三々九度やンのかねえ」
誠「ヘヘヘヘ」
勇「ああ、オレ、腹がいてえ」
誠「オレだっていたいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、大笑いするが、ふっとだまってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「……笑いごとじゃないよ」
誠「そうだよ。笑ってる場合じゃないよ」
勇「オレは絶対に反対だからね」
誠「オレだって賛成じゃないよ。だけどさ、こう、なんてのかなあ、問題が問題だからねえ、絶対に反対……って」
勇「言えないってのか」
誠「絶対とはいえないんだなあ」
勇「おい、誠、お前がそんなこったから」
誠「まあ、待ってくれよ。そりゃね、おやじがあの年でだよ、人から金でもかき集めて会社つくる、事業でもするっていうんなら見込みがないからよせっていうよ。でもさ」
勇「バカ。事業ならまだ判るよ。七十じじいが結婚してどうするんだよ」
誠「七十だから結婚しちゃいけないって法律はないからね」
勇「お前、賛成なのか!」
誠「賛成じゃないけどさ。兄さんみたいに絶対反対とはいえないっていってんだよ」
勇「悦子、お前どうだ」
悦子「……正直に言ってもいい?」
勇「言いなさいよ。歯に衣《きぬ》きせてキレイごと言ってたんじゃあ突込んだ相談は出来ないよ」
誠「そうだよ」
悦子「じゃあ、言うわ。あたし、何だか……ほっとするなあ……」
勇・誠「ほっとする……って、それ、どういう」
悦子「あたしたち……これはまり子さんも同じことになるけど、手が省けるってことだわね。そりゃお父さん悪い人じゃないわ。ハタで見てる分にゃ面白い人よ。でもねえ、内に入って一緒に暮すとなりゃ、そりゃそりゃハタ迷惑なかたよ」
誠「その通り……」
悦子「お嫁さんが出来れば、その分……ねえ……助かるもの。ごはんの世話から……第一病気になったときの看病……まり子さん、あなただってそう思うでしょ」
まり子「(当惑している)ええ……まあ」
勇「女はこれだから……どしてこう目先のことしか考えないのかなあ」
誠「いや、兄さん」
勇「まあ、オレにいわせろよ。相手はいくつだよ」
誠「五十……」
まり子「五、六……」
勇「だったら尚更《なおさら》だよ。オイ、こりゃヘタすると、オレたち、親父の相手を背負いこむってことだぞ」
誠「兄さん……」
勇「嫁さんもらってさ、張り切りすぎて親父がぽっくりいっちまう」
誠「死ぬもンかい」
勇「人間だもの、判るかい。親父ぽっくりいく。あとにのこった人をだな、誰《だれ》がどやって面倒みるんだ? まさか親父死にました。ハイ、出てって下さいとは言えないだろ。そうなるとアカの他人をだな」
まり子「あの……」
勇「なあに、まり子さん……遠慮しないで言いなさいよ」
まり子「あの人、タツ子さんて人、そういう人じゃないと思いますけど」
勇「いやあ、人間なんて判んないって……」
誠「オレね、そういうことよか、何てのかな、やなんだな。親父さんが、ほんわかとさのぼせてる、茶のみ友達でワイワイやってる分にゃいいんだよ。でもさ、結婚てことになると、何てのかな、やなんだなあ」
勇「オレもやだね」
まり子「……(小さく)やっぱり、年とったら人を好きになったり結婚したりしちゃいけないってことなのかしら」
勇「いけないとはいわないけど、正直いってハタ迷惑だね」
まり子「……何だか……かわいそうみたい……」
誠「(チラリとまり子を見る)」
勇「そこが肉親とそうでない人間の違いだなあ。理由なくオレはやだね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、だまってビールをのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おい、お前からな、結婚だけは勘弁してくれって……上手にいってくれよ」
誠「どしてオレが言うんだよ」
勇「オレが言うとケンカになるからさ。頼むよ、な」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]複雑な誠。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターの前で、忠臣が奇妙な格好で立っている。
[#1字下げ]両手を揃《そろ》えて前にあげ、片足を曲げて一本足。
[#1字下げ]両眼を閉じている。フラフラしないように必死に頑張《がんば》る。ストップウォッチをもって計っている、健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「五秒!……十秒」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]奥から出てきた静子……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「なにやってるの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カウンターであきれ顔の京太郎とロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「若さのテストやってんだとさ」
静子「若さのテスト?」
ロク「あやってね、何秒立ってられるかで、年齢が出るんだそうですよ」
健太郎「二十秒……あ、薄目あいちゃダメですよ」
忠臣「薄目なんぞあいとりませんよ」
健太郎「二十五秒」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、目をつぶって、フラフラしたまま、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こりゃ平衡感覚のテストといってね、なかなかむつかしいんだ。あ、奥さん、お見えになったらね」
静子「はあ?」
忠臣「お見えになったらですよ、わたしのお客様が……手順よく酒と料理を出してバッと退《さが》っていただきたい」
静子「ハイハイ」
健太郎「三十秒」
忠臣「それから相馬」
京太郎「ハイハイ」
忠臣「ロクさん」
ロク「ヘイ!」
忠臣「料理のほうも吟味してね、おいしいもの見つくろいで……値段はかまわないから」
二人「ハイハイ」
忠臣「あ、ただしね、小骨のあるものはやめて頂戴よ。ありゃハナシに身が入ンないから」
二人「ハイハイ」
忠臣「それから……あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、よろけてダメになってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「おまけして、四十秒ってとこだなあ」
忠臣「今のはねえ、しゃべって気が散ったからじゃないか。それで、……わたしの平衡感覚はどのくらいなの」
健太郎「おまけして五十代ってとこだなあ」
忠臣「おまけして四十代じゃないの」
健太郎「そりゃちょっと厚かましいですよ」
静子「一体どしたのよ」
健太郎「いやね、レンアイにはまず若さですよっていってさ、これ見てたら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、女性週刊誌をみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あなたの肉体年齢をテストする」
健太郎「うちの会社ではやってるんだけどさ」
忠臣「健ちゃん、次いこう」
京太郎「大丈夫ですか、艦長」
忠臣「これくらいでヘタバっとったら、アンタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、電話帳をもってきて、二冊、床に積む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「なにやンだい、え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、電話帳をまたいで立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「こやって飛び上って、両足を空中でポンと合せて、またおりる。またとび上る。これ、二十秒間に何回出来るかってテストなのよ。十二回で二十代、十五回出来たらスポーツ選手なみ」
忠臣「よし、いくぞ!」
京太郎「艦長、そりゃちょっと無理じゃないかな」
静子「あとでご気分でも悪くなられると……ね、せっかくタツ子さんがお見えになるのに」
忠臣「だからこそ、その前に己《おの》れの若さをためしたいんじゃないの。健ちゃん、いいかい」
健太郎「ヨーイ、ハイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ヨタヨタと飛びはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「一回!」
一同「………」
健太郎「二回」
忠臣「(フラフラ)」
健太郎「三回!」
京太郎「艦長、やめて下さいよ」
静子「永山さん!」
健太郎「四回!」
静子「健ちゃん、やめてちょうだい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、五回目に遂《つい》に両足を開いてのびてしまう。
[#1字下げ]ハアハアいっているところに戸があく。
[#1字下げ]タツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「こんばんは」
一同「あ……いらした」
忠臣「……(虫の息)」
タツ子「永山さん、どしたの……」
[#ここで字下げ終わり]
●道[#「道」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]歩く誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん」
誠「うむ?」
まり子「お父さんに言える? 結婚はやめてくれって……いえる?」
誠「………」
まり子「あたし、何だかかわいそうで……もし、誠さんにそう言われたら、お父さんガックリすると思うの。生きてく元気がなくなるんじゃないかなって……そう思うの」
誠「(うなずく)遠廻《とおまわ》しに……いうよ」
まり子「おねがいします……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん、健太郎がカウンターにいる。
[#1字下げ]何となく小座敷を気にしている。
[#1字下げ]客が入ってくる。
[#1字下げ]四人、妙に静かな声で……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
四人「……いらっしゃいませ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]客、ヘンな顔。
●「日高」の小座敷[#「「日高」の小座敷」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]卓上には、静子心づくしの赤いカーネーションが揺れている。
[#1字下げ]忠臣とタツ子。
[#1字下げ]忠臣、いきなり改まってすわり直す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タツ子さん、実は、改まってお願いが」
タツ子「あら、アンタも?」
忠臣「は?」
タツ子「実はね、アッシもアンタに相談があンのよ」
忠臣「相談と……おっしゃると……」
タツ子「ヘヘ、いい年してきまり悪いんだけどさ、アッシ、結婚申し込まれちまったのよ!」
忠臣「グッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]絶句する忠臣。
[#1字下げ]タツ子、実に無頓着《むとんちやく》に大きなハトロンの袋から、いろいろなものを出してひろげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「このシトなんだけどさァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]写真は、坂本のマジメくさった顔。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、こりゃ、昼間|逢《あ》った……マンションの」
タツ子「管理人の坂本さんて人なんだけどね」
忠臣「……この男がアンタに、結婚の申し込みを、ウーム」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]お銚子《ちようし》を持って入りかけた静子、ハッとする。
[#1字下げ]京太郎、どうしたんだ、という風に見る。
●「日高」の小座敷[#「「日高」の小座敷」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]呆然《ぼうぜん》とする忠臣の前にドンドンひろげてみせるタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「いきなりだろ? アッシは、びっくりして笑い出しちまったんだけどさ、マジメなんだよ、相手は。ええと、これが家族……奥さん五年前になくして子供二人だってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]子供たちの写真。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「子供の通信簿まで入ってんだから笑っちまうよ。それから、これが、うちの権利書のうつしか……去年の納税証明書……それから……健康診断書。レントゲン写真までついてんだからねえ、アハハハハ」
忠臣「………」
タツ子「あんまり大マジメだからさ、いきなりことわるのも悪いじゃないか。そいでね、二、三日考えさせてくれってそいってきたんだけどさ。永山さん、どう思う……」
忠臣「(沈痛に)タツ子さん」
タツ子「うん?」
忠臣「あたくしも二、三日考えさせて頂きたい」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターのそばの京太郎、静子、ロクさん、健太郎、それぞれ、顔を見合せて……
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ウイスキーをのみながら父の帰りを待っている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「『お父さん。最初の孫は、やっぱし男の子が欲しいだろ。名前、お父さんつけてくれるよね』なんて切り出すのも、効果あるなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、グイとのんで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「さもなければだ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関があく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アレ? 帰ってきたのかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スーッと忠臣が入ってくる。ハトロンの封筒を手に、ガックリと元気がない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、どしたんだよ。具合でも悪いんじゃないの」
忠臣「(小さく)どうもない」
誠「元気がないよ」
忠臣「どうもない……」
誠「お父さん」
忠臣「アーア(大きなため息)おやすみ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、封筒を、置き放しにしていってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、封筒が気になる。
[#1字下げ]廊下を気にしながら、そっとあける。
[#1字下げ]中から、坂本の写真、レントゲン写真などが出てくる。
[#1字下げ]レントゲン写真を電灯にすかしてのぞきながら、サッパリ判らず、首をひねる誠。
●喫茶店「エル」[#「喫茶店「エル」」はゴシック体]
[#1字下げ]奥まった一隅に向きあってすわる忠臣と坂本。
[#1字下げ]前に紅茶とショートケーキ。なぜか「小さな喫茶店」の歌が低く流れてくる。レジでガムをかんでいる女の子。男二人の無言の視線。
歌(甘く)「※[#歌記号、unicode303d] 小さな喫茶店に入った時も二人は
[#3字下げ]お茶とお菓子を前にして一言もしゃべらぬ
[#3字下げ]そばでラジオは甘い歌をやさしく歌ってたが
[#3字下げ]二人はただ黙って向きあっていたっけ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]歌の文句の通りに向きあってすわる男二人……
[#1字下げ]やがて忠臣が口を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「坂本さん。年は……」
坂本「この三月で五十三に」
忠臣「五十三ねえ。わたしより十七も若いか……」
坂本「は?」
忠臣「いやいや。健康のほうは……」
坂本「水虫と痔《じ》を」
忠臣「ほう! 水虫と痔……」
坂本「永山さん、あなたも」
忠臣「近年は納まっとりますが」
坂本「自分も……この二、三年は」
忠臣「日本の男は、多かれ少かれこの二つに縁があるんじゃないですかな」
坂本「そうらしいですなあ」
忠臣「そうすると、健康には自信がおありというわけだ……」
坂本「腕立て伏せなら十一回……」
忠臣「……若さだなあ」
坂本「は?」
忠臣「……ということは、その、なんですか、男性としての能力に於《お》いても……その」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の男、恥じらいながらも、誠実にクソマジメに話し合う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
坂本「自分は五年前に家内を失くしましてからこっち、その……その、何です……つまり」
忠臣「孤閨《こけい》を守ってこられた……」
坂本「さようです。そんなわけで、こればかりは……試みるというわけにも」
忠臣「いきませんなあ、ハハ……」
坂本「しかし、結婚生活に支障は絶対に……」
忠臣「腕立て十一回なら大丈夫でしょう。いや、実を申せば、私も、若い時分には絶倫」
坂本「絶倫」
忠臣「いやいや、昔のハナシでね、そうですか……」
坂本「自分はこれといって地位もない。食ってくのがやっとです。土地も借地であります(言いかける)」
忠臣「失礼だがアンタは……もと……」
坂本「陸軍上等兵であります」
忠臣「わたしは海軍大佐ですよ」
坂本「ほう海軍大佐……」
忠臣「どうぞハナシをつづけて下さい」
坂本「そんなわけでタツ子さんにきていただいても決して贅沢《ぜいたく》な暮しはさせてあげられません。しかし、自分は」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]長々とやりかけるのを、せっかちな忠臣、制して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ご趣味は」
坂本「ありません」
忠臣「ほう。無趣味が趣味ですか」
坂本「強《し》いていえば、シャボテンを増やすぐらいのことですか」
忠臣「シャボテンをふやす」
坂本「自分でふやしたシャボテンを眺《なが》めながら二級酒をのむのが楽しみといえば楽しみ」
言いかけて坂本、ふと喫茶店の壁にかけてある古風な風景画の額縁が少し曲っているのに気づく。
坂本「失礼……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立って正しく直す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「坂本さん、あなた、曲ったことがお嫌《きら》いとみえる」
坂本「町なんか歩いてましてね。ポスターが曲ってはってあるのみると、もう、直したくて直したくて。釘《くぎ》なんぞもこう、曲って出っぱってるのみるとウズウズしますよ。金ヅチがないと、はいてる下駄《げた》ぬいでこうトントンとやりたくなります」
忠臣「よくいえば几帳面《きちようめん》、悪くいえば」
坂本「融通がきかない」
忠臣「ハハ(いきなり)……もう、手は握ったの」
坂本「(紅茶を吹き出す)見損なわないで頂きたい!」
忠臣「なるほど、清い間柄《あいだがら》ですな」
坂本「当り前です。永山さん、自分は(言いかける)」
忠臣「坂本さん、実は私も、彼女に結婚を」
坂本「申し込まれたんでありますか。どうもさっきからそうじゃないかと思ってたんだ。それで、彼女は何と答えを」
忠臣「答えもなにも、私はまだ申し込んでおりません。これから申し込もうかな」
坂本「……うむ!」
忠臣「どうなさる、坂本さん。アンタ、プロポーズを引っこめますか」
坂本「引っこめません」
忠臣「それでは、陸軍対海軍の争いですな」
坂本「お互いに実力をもって……」
忠臣「おう! といいたいところだが……」
坂本「え?」
忠臣「坂本さん、ゆずりましょう」
坂本「永山さん」
忠臣「……人間、どうリキンでも勝てないものがある。それは年齢ですよ」
坂本「………」
忠臣「坂本さん、どうか、私の分も彼女を幸せにしてもらいたい」
坂本「ありがとうございます!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ハナをすすり、手をとりあう男二人。
[#1字下げ]ガムをのばしながら、気持悪そうにみている女の子。
[#1字下げ]紅茶のカップをぶつけあう二人……
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]徳造、ふみ江、まり子、忠臣。そしてタツ子もきている。
[#1字下げ]忠臣、フロシキからハトロンの封筒を出しタツ子に返す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「タツ子さん。率直に申し上げる。実は、この永山忠臣も、あなたに恋着《れんちやく》をしておった男です」
タツ子「レンチャクって何だっけ」
忠臣「深く恋い慕うことですよ」
徳造「自分で言って解説してりゃ世話ァねえや」
ふみ江「セッパつまったハナシなんだから、ヤジとばすんじゃないよ」
忠臣「私は、あなたに結婚を申し込むつもりで」
タツ子「本当かい!」
忠臣「(うなずく)つもりでおったんだが、本日限りキレイサッパリとあきらめることにした」
まり子「お父さん……」
徳造「おい、永山忠臣……どしたんだよ」
ふみ江「アンタは黙ってなよ」
忠臣「さっき、この坂本という男に逢《あ》ってハナシをきいたんだが……なかなかいい人間だ……」
タツ子「ちょっと永山さん……」
徳造「そいじゃあオレたちはどうなんだよ。せっかく肩入れしてやったってのにパーか、え?」
ふみ江「アンタってば」
タツ子「そんなことよかね、アッシのいうこと」
忠臣「まあまあ、わたしはねえ、ほかのことはともかく、あなたに対する愛情と、それから人生を楽しく送ることにかけちゃ自信をもっとります。結婚しても決してあなたを退屈させるようなことはないと(思っとります)」
タツ子「あのねえ」
忠臣「まあまあ、しかしだ。それにくらべて、この坂本|何某《なにがし》、趣味は無趣味、シャボテンふやしてそれ見ながら二級酒のむのが楽しみという朴念仁《ぼくねんじん》だ。マジメだが、面白くもおかしくもない。しかしねえ。わたしにないものがひとつある……」
一同「………」
忠臣「それは……若さですよ。七十は逆立ちしても、五十三にかなわないんだよ……」
一同「………」
忠臣「タツ子さん。どうかこれだけは忘れないで頂きたい。永山忠臣、恋着すればこそ身を退《ひ》いたのだと……涙をのんで後進に道を……」
徳造「永山忠臣、偉えぞ。それでこそ男の中の男だい!」
忠臣「徳さん、ありがとよ」
タツ子「フフフフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑い出すタツ子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「?」
忠臣「タツ子さん」
タツ子「すごいね。最後になって二人の男にもてるなんてさ」
忠臣・まり子「最後?」
ふみ江「タツ子さん、それ、どういう意味よ」
タツ子「実はねえ、今朝、福岡の息子から手紙がきてさ、子供が生れるんだって……」
忠臣「お孫さんか……」
タツ子「そいでね、おっかさんもいつまでも掃除婦してないでこっちへきて孫の守りでもしなっていうのよ」
ふみ江「そいで、タツ子さん」
タツ子「いこうかなって、そう決めたとこ」
忠臣「タツ子さん」
タツ子「ごめんね、色々心配してもらって……」
忠臣「うーむ、なんという……うーむ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリしている忠臣に、酒をつぐまり子。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンター。タツ子を中にして忠臣と坂本がすわっている。
[#1字下げ]京太郎と静子。ロクさん、健太郎もいる。
[#1字下げ]二人の男、同時にタツ子に酌《しやく》をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「あーあ、こんなにモテたの生れてはじめてだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、グッとのんで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「はじめての、……終りだろうなあ」
忠臣・坂本「………」
坂本「自分は……この三年間、タツ子さんが、坂本さん! トイレット・ペーパーなくなってるよ! ってとりにきてくれるのが、……生活の中の唯一《ゆいいつ》のたのしみでした……あなたのためにひげをそって、安物だけど毎日ちがったネクタイをして……」
忠臣「おたがい……青春だったんだねえ」
坂本「青春か……」
タツ子「そうだねえ。アッシも……三十年ぶりの青春だったのかな」
坂本「最後の青春だな……」
忠臣「なあに、あんたは若いんだ。これからまだまだ」
坂本「(首を振る)」
忠臣「タツ子さん、お別れにひとつお聞かせねがいたいんだが、あなた、二人のうちどっちの男をえらんでいらしたかな」
京太郎「艦長……そういうことは……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]タツ子、二人の顔を等分にみて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
タツ子「言わぬが花にしとくよ」
忠臣・坂本「(フン)」
タツ子「……まあ、孫の守りしながら二人の顔思い出してりゃ、たのしくていいもンね」
坂本「(渋いのどで低くうたい出す)※[#歌記号、unicode303d] ほたるの光」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣も唱和する。
[#1字下げ]タツ子もうたう、一同、大合唱。
[#1字下げ]戸があいて、誠とまり子が入ってくる。
[#1字下げ]「ほたるの光」の大合唱。
[#1字下げ]健太郎が説明している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠、まり子さんもこっちおいで。タツ子さん、福岡へゆかれるんだよ」
誠「そうだってねえ」
忠臣「どうだ、お前たちも一緒にうたえよ。え? わたしとこの男は青春への別れのうた、お前たちは独身生活への別れのうた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠とまり子もうたい出す。
[#1字下げ]忠臣、坂本、タツ子がグラスを合せる。
[#1字下げ]うたいつづける一同……
●夜の道[#「夜の道」はゴシック体]
[#1字下げ]凍《い》てつく道を、泥酔《でいすい》した忠臣が誠にかつがれるようにして帰ってゆく。
[#1字下げ]「ほたるの光」を口ずさむ忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、お父さん、しっかりしろよ」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] ほたるの光 窓の雪」
誠「『窓の雪』もいいけどさシャンとしてくれよ。グニャグニャしてたら、歩けないだろ」
忠臣「窓の雪ってばな、この頃《ごろ》どして東京は雪がふらないんだ」
誠「そんなことオレにいったって、気象台に聞いてくれよ」
忠臣「地球も薄情になったね、今晩みたいなときは、ねえ、雪でも降って欲しいじゃないか」
誠「アブないっていってんだろ、なにしてんだよ」
忠臣「よし、雪をふらしてやるぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ポケットから紙を出す。
[#1字下げ]それを細かく細かく千切って、パッと巻き散らす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それ! どうだ!」
誠「お父さん!」
忠臣「お前な、お前な」
誠「なんだよ」
忠臣「タツ子さんな、二人のうちに絶対わたしを選んだ。お前そう思わないか」
誠「さあね」
忠臣「言わぬが花よといったあの目の色で、わたしはピーンと、アッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]下駄の鼻緒が切れる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あッ! 鼻緒切れちゃった」
誠「お母さんのバチが当ったんだよ」
忠臣「(すわりこんで)それを言うな」
誠「ガックリすンなよ。な」
忠臣「おい、誠、お前はいま青春だぞ。青春の『ただなか』にいるんだぞ。いまという時を大事にしろ」
誠「判ってるよ」
忠臣「いや、判ってない。お前たちは判ってない!」
誠「泣くこたァないだろ。失恋した分もさ、孝行してやるから」
忠臣「夫婦茶碗、返すからな」
誠「取っときなよ。取っときゃ役に立つかも知れないって……」
忠臣「いや、もうねえ、もう……アッ! わたしの紙の雪が、上から降ってきた」
誠「え? あッ! お父さん、本物の雪だよ」
忠臣「バカ言え、わたしの作った紙の雪じゃないか」
誠「紙の雪がどして冷たいんだよ」
忠臣「『ほたるの光 窓の雪』タツ子さん、さよならァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]チラチラ降り出してきた雪の中をもたれながら帰ってゆく父と子。
[#改ページ]
20
[#改ページ]
●まり子のアパート[#「まり子のアパート」はゴシック体](昼前)
[#1字下げ]ふみ江が掃除をしている。進一の本を束ねて、ひもでしばっている。まり子の荷物はすでに送り出されて、あとは進一の引越しを待つばかりといった室内。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ヨイショと!」
ふみ江「まり子さん、手伝おか」
まり子「おばさん、もうあたしたちだけで大丈夫よ」
ふみ江「そういわないで手伝わして頂戴《ちようだい》よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、まり子に囁《ささや》くように言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「……嬉《うれ》しくて仕方ないんだからさ。いえね、あたし、まり子さんがこのアパート借りたとき、ここに長く住むようじゃいけないなって、そう思ったのよ。一日も早くここ出て、永山さんのとこへ……お嫁にゆくようでなきゃいけないなって……」
まり子「……おばさん……」
ふみ江「そっちのほうも願い通りうまくいったしさ、おまけに荷物送り出したあと、たとえ一晩でも、アンタが、あたしたちのうちへ帰って、そこからお嫁にいってくれる……こんなうれしいことないのよ」
まり子「……ありがとうございます」
ふみ江「うちももう少し広いと、進ちゃんにきてくれって言えるんだけど……ああ狭くちゃ落ちついて勉強なんか出来ないもンねえ」
まり子「土曜、日曜は、そっちへ泊まるっていってますから」
ふみ江「本当にきてくれるかねえ」
まり子「あの子、調子いいから、いきますって。それにしてもねえ、進ちゃんみたいな人に住み込みの家庭教師にきてもらおうって人もいるんだから……」
ふみ江「世の中いろいろだ……」
まり子「毎日、すわって勉強してくれてるだけでいい。そういう雰囲気《ふんいき》つくってくれるだけでいいっていうんですって」
ふみ江「大きなうちなんだって?」
まり子「うちは大きいけど、食べものはおいしくないんですってさ」
ふみ江「おいしいもンこさえて待ってるって……」
まり子「すみません」
ふみ江「あ、そうそう。それから、結婚式ンときだけどさ、草履はやっぱり、金か銀のでないとダメかねえ」
まり子「何だっていいわよ。あ、それから、お父ちゃん……モーニング(心配)」
ふみ江「借り着だけど、ちゃんと頼んであるから(大丈夫)」
まり子「よろしくおねがいします」
ふみ江「フフ、あの人ったらさ、もう張り切っちまってさ、毎晩練習で大変よォ」
まり子「練習って……あの、最後にやる父親のあいさつっての?」
ふみ江「ううーん。そうじゃなくて……(言いかけて)まあいいじゃないの、当日のおたのしみってことでさ」
まり子「当日のおたのしみって……おばさん……」
ふみ江「みんなをアッと言わせることよ。フフ。あ、それ、廊下へ出しとかなきゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]古新聞を持って出てゆくふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「みんなをアッと言わせるって……何だろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]不安なまり子。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](昼前)
[#1字下げ]忠臣、京太郎、源助が、結婚通知の返事を確認して、控えに出欠の印をつけている。
[#1字下げ]忠臣は、心中何かあるらしく、一人悦に入ってニヤニヤしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「井上武春、出席」
源助「井上、井上……誰《だれ》だ、こりゃ」
京太郎「誠さんの大学ンときの友達だろ」
源助「井上、井上……ハイ、出席」
京太郎「お次が、村岡順子……」
源助「村岡順子……順子……聞いたことあるなあ」
京太郎「『かもめ』のママさんじゃないの」
源助「『かもめ』のママさん」
京太郎「ほら、村岡少将のご令嬢」
源助「ああ、ああ、そうか。村岡少将か。世が世なら、これもン(飛び上って敬礼)ですよ」
忠臣「ヘヘヘヘ」
二人「艦長……」
忠臣「(小さく)少将ぐらいでビクビクしなさんな」
二人「艦長、あの……」
忠臣「ヘヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠が起きてくる。
[#1字下げ]パジャマにセーターを引っかけ、大あくびをしながら……まだ目もあかない感じ。
[#1字下げ]おまけにパジャマのズボンを手で押えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、『ゴム通し』ってのどこにあったかなぁ」
忠臣「ゴム通しだ?」
誠「パジャマのね、ゴムが切れてさ、中へスーと、アッ、いらっしゃい……」
京太郎・源助「おはようございます」
誠「ずい分お早いですね」
忠臣「お前が遅いんだよ」
誠「休む前にね、仕事、片づけなきゃなんないからねえ(あくびしながら)残業残業でさ……あ、ぼくの……」
忠臣「ぼくの、じゃないよ。え? お前の結婚式の、出席かどうか、名簿作るんで、皆さん、早々とおいで下さってんじゃないか……そんなとこで突っ立ってないで……ありがとうございます(しなさいよ)」
誠「どうもすみません(ズボンがずり落ちたりする)」
源助 )「いやいや」
京太郎  「とんでもない」
忠臣「大体、こういうことはお前がする仕事ですよ」
源助「いいじゃないですか。ねえ。こういうめでたい仕事はやってても楽しいですよ」
京太郎「それと、誠さんてのは、人気があるんだなあ。え? 欠席ってのはほとんどゼロじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、パジャマのズボンを押えてすわり、ハガキをみたりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そりゃね、誠もなんだけど、わたしという人間の何というか」
源助 )「そりゃもう……」
京太郎  「判《わか》ってます判ってます」
忠臣「論より証拠。これをみて頂きたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、いやに勿体《もつたい》ぶって、懐中から一通の出欠のハガキを出す。
[#1字下げ]恭《うやうや》しく押し戴《いただ》いて披露《ひろう》する。
[#1字下げ]ハガキ一パイに、物凄《ものすご》く大きく出席の文字。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「出席……こんなバカでっかく書かなくたって判るってんだよ」
忠臣「バカでかいとは何だ。バチ当りなことを(いうもんじゃないよ!)」
誠「(裏がえして)何てよむんだ。……もっと判りやすい字を書いてくれよ。ええと、楠元重成《くすもとしげなり》ってよむのかな。こりゃ」
京太郎「クスモト」
源助「シゲナリ……」
忠臣「(にんまり)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と源助の二人、いきなり感電でもしたようにビクンと飛び上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「楠元重成!」
京太郎「あ、あ、あの楠元中将閣下でありますか!」
忠臣「(鷹揚《おうよう》にうなずく)」
源助「あの、本当に艦隊司令長官の楠元閣下……」
忠臣「(うなずく)」
京太郎「本、本当に、ご出席されるんでありますか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、快心の笑みを浮かべながら、ゆったりとハガキを二人の前に突き出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]飛び上り、硬直して敬礼する二人。
[#1字下げ]誠、ただ口、あんぐり。
[#1字下げ]以下、いろいろ言いかけるが興奮し切っている三人には、全く聞いてもらえない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あのねえ、お父さん」
忠臣「いやァ、身の程をわきまえぬ失礼とは思ったんだが、とにかく、近況報告もかねてご案内を申し上げたんだよ。手前、次男がこのたび結婚をいたしますが、万々一、閣下のご来臨がいただけましたならば望外の幸せでございますと……長々と(巻紙のしぐさ)ね……しかしね、ご高齢でもあることだし、まさかと思っておったんだよ。ところが、今さっきですよ。え? 速達で『出席』……もう、わたしは、郵便受けのところで、ひざがガクガク震えたねえ」
誠「あのねえ、あの」
京太郎「夢のようでありますなあ、艦長」
源助「自分なんぞは、もう、遥《はる》か彼方《かなた》で豆粒のようなお姿を拝んだきりで」
京太郎「わたしだって、ジカにお目にかかるのはこんどがはじめてですよ」
忠臣「永山忠臣、これでいつ死んでも悔いはありません!」
誠「あのねえ」
忠臣「いいか相馬、まず、お迎えの車を用意!」
源助「ハッ!」
忠臣「石川、お前じゃないんだよ。相馬に言っとるんだ。私も、お世話を申し上げるが当日は、閣下につききりで」
源助「しかし、艦長、相馬|中尉《ちゆうい》は仲人《なこうど》……」
忠臣「仲人なんかどっちだっていいんだ。とにかく、中将閣下にご無礼があっては、永山忠臣、腹を切ってお詫《わ》びをせにゃならんから」
誠「お父さん! そのシトは一体、何なんだよ」
忠臣「そのシトとは何だ! 無礼な言い方をするもんじゃないよ」
誠「だって、オレ、楠元なんて人聞いたことも」
忠臣「人のハナシをどこで聞いてんだろうねえ。海軍中将楠元重成閣下。艦隊司令長官じゃないか」
誠「え? 司令長官は山本|五十六《いそろく》だろ」
忠臣「山本閣下は連合艦隊司令長官じゃないか。我々の艦隊司令長官ですよ」
誠「オレ、そんな人、知らないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけるが、聞いてもらえない。
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忠臣「相馬」
京太郎「ハッ!」
忠臣「当日は、閣下を主賓としてお迎えするのであるからして、すわり心地のいい格調ある椅子《いす》を用意する」
京太郎「ハッ!」
誠「お父さん……」
忠臣「うむ! それから、ここにつけるほら」
源助「菊の花!」
忠臣「ボーンと飛び切り大きい」
京太郎「こう盛り上ったの!」
忠臣「まず、閣下におことばを戴いて、乾杯の音頭をだな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]遂《つい》にどなってしまう誠。
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誠「いい加減にしてくれよ!」
忠臣)「誠……」
二人  「誠さん……」
誠「大将だか中将だか知らないけどね、オレはそんな人間に逢《あ》ったこともないからね」
忠臣「おい、誠、お前は」
誠「逢ったこともない人間がどして主賓なんだよ。乾杯の音頭は、うちの編集長が」
忠臣「そいじゃあ、お前ンとこの編集長には、最後の手締の音頭をシャンシャンシャンと」
誠「お父さん! オレは」
忠臣「お前な、逢ったこともない、知らないといっとるが、閣下はお前をようくご存知なんだぞ」
誠「あの」
忠臣「(言わさない)そもそもお前が生れたとき、名前をつけていただこうと思って、書面を以《もつ》てお願いしたんだよ。そしたら閣下は御直筆で『至誠尽忠』の四文字を賜わった、この中から選べと、こういう意味の」
誠「でもねえ、オレは」
京太郎「艦長、迷っておられたっけなあ。至……イタルがいいか、誠がいいか」
源助「ツクスがいいか、タダシがいいか」
忠臣「まあ、わたしはイタルがいいと思ったんだが、死んだ母さんが、誠という音がやさしくて一番好きだというもんだからして、お前は、誠になったんだぞ」
誠「オレ、お母さんに感謝するよ。永山イタルじゃ、オレ、たまんないよ!」
忠臣「どっちにしても、閣下はお前の名付け親みたいなもんなんだぞ」
誠「それにしたってねえ」
忠臣「そうだ、閣下が乾杯の音頭をとられるときには、『軍艦マーチ』を流そうじゃないか」
源助「タンタンタンタカタッタ」
京太郎・忠臣「タタタタタ」
誠「やめてくれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どなる誠。
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誠「お父さん! お父さんの結婚式じゃないんだよ! オレの結婚式なんだよ」
忠臣「当り前じゃないか。なにを言っとるんだ」
誠「名付け親だか何だか知らないけどね、そういう人間にのさばられるのは迷惑だよ」
忠臣「のさばるとは何だ、のさばるとは!」
誠「のさばってるじゃないか。乾杯たのんだ編集長はずしてさ、そんな人間」
忠臣「おい、誠」
京太郎・源助「まあまあ誠さん」
誠「スピーチもいいよ、乾杯もいいよ、軍艦マーチでも何でもいいけどね、そういうのは、別の……二次会でやってくれよ!」
三人「あの……」
誠「ハッキリいっとくよ。結婚式にはオレのこと本当に知ってくれてる人だけを招《よ》んだ筈《はず》だよ。そんな、三十年も昔の肩書で人招ぶのはやめてくれよ!」
忠臣「お前な、海軍中将というものがどういうものか、艦隊司令長官がどういうものか、判ってないから、そんなバチ当りが言えるんだぞ。そりゃもう雲の上のお方なんだ。わざわざご来臨たまわるというのに」
誠「閑《ひま》だから出てくるんじゃないか! 閑で、タダ酒が飲めるから」
忠臣「馬鹿者《ばかもの》!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、いきなり誠をブン殴ろうとする。京太郎と源助、体当りでとめて……
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京太郎「まあまあ、艦長!」
源助「誠さんも……落着いて」
忠臣「放せ! こういう無礼者は」
誠「とにかく、オレは絶対断わるからね!」
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[#1字下げ]出席のハガキを叩《たた》きつけて、パッと飛び出す誠。ズボンがずり落ちるのを手で押えて、格好悪く出てゆく。
京太郎・源助「誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人に押えられながら忠臣、身を震わせている。
●倉島家・茶の間[#「倉島家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]あっけにとられているまり子。安来節の練習をしている徳造。そばでけっこう得意げなふみ江。
[#1字下げ]徳造は、手ぬぐいをスットコかぶり。
[#1字下げ]ステテコの上に浴衣《ゆかた》の裾《すそ》を端折《はしよ》り、鼻の下にはチョビひげをつけ、ザルをもって大乗りでやっている。
[#1字下げ]ふみ江も茶碗《ちやわん》を叩いて、歌う。
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徳造「※[#歌記号、unicode303d] 安来千軒 名の出たところ」
徳造・ふみ江「※[#歌記号、unicode303d] 社日桜に 十神山」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]身ぶりたっぷりにやる徳造。
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まり子「お父ちゃん! 披露宴でやる余興って、それなの!」
徳造「どうだい? いやあ、この間からもう猛練習だよ。なあ」
ふみ江「もう、手ぬぐい出せ、ザル出せ! 手ぬぐいの柄《がら》が気に入らない……もう、うるさいのなんの」
まり子「お父ちゃん!」
徳造「みんなアッというぞ。何せな、オレのは、そんじょそこらの安来節たァワケが違うんだぞ。本場も本場、出雲《いずも》の人間に手取り足取りでおせえてもらったんだ。ああ、もとで[#「もとで」に傍点]がかかってんだから」
まり子「お父ちゃん! あのねえ」
徳造「このなこう、パッパッとザルン中に入ったゴミとって捨ててさ、パッと目に入ったゴミ取るとこな、ここ、ようく見てくれって永山忠臣にいっとけよ。(ふみ江に)おう、もういっぺんはじめっからやろ」
ふみ江「アイヨ」
徳造「※[#歌記号、unicode303d] 安来千軒」
ふみ江「(合いの手)」
まり子「(叫ぶ)やめてよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造とふみ江、びっくりしてやめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん、あたしに恥かかせるつもりなの?」
徳造「何言ってんだよ。本日は、ご多忙中、わざわざ娘の結婚式においでいただいてありがとざんした。親として、何かお礼の気持を伝えたい……ほんの引出物代りにつたない芸をお目にかけて」
まり子「ハナの穴にマッチ突っこんで、アラエッサッサってやるのが、親の気持だっていうの!」
ふみ江「まり子さん。あのねえ」
まり子「お父ちゃん、場所考えてよ、場所」
徳造「ああ、ちゃんと考えてら。葬式に安来節やンなら間違ってるよ。でもな、めでたい婚礼の席でめでたい安来節やってどこが」
まり子「お父ちゃん、お客のことも考えてよ。誠さんの会社の人もくるのよ。勇さんの関係の人だって」
徳造「おう、言っとくけどな、安来節ってのは、日本の伝統的な」
まり子「下品よ! そんな」
徳造「品ぶるない!」
まり子「お父ちゃんが安来節やンなら、アタシ結婚式出ないから!」
ふみ江「まり子さんたら、花嫁さんがこなくちゃ結婚式になンないじゃないの」
まり子「だって、あたし恥かしくて行かれないもン!」
徳造「いやなら出るな!」
ふみ江「アンタ……ね、まり子さん、あたしから言ってきかせて……(小さく)やめさせるから……ね」
徳造「俺《おれ》ア、やめねえぞ。誰が何てっても、安来節、パアッと」
まり子「お父ちゃん! どしてもやるっていうんなら……」
徳造「くるなっていうのか!」
ふみ江「アンタ……まり子さん」
徳造「そうかい。こんな親で、恥かしくてお目にかけらンねえっていうんなら、行くのよそうじゃねえか」
まり子「……お父ちゃん」
徳造「ああ、行かねえよ。誰が何てったって行かねえ。うちで一人で安来節踊ってるから安心しな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造わざと面白おかしく踊り出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「※[#歌記号、unicode303d] 安来千軒……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガックリしているまり子。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]編集長、土岡、カメラマンの内山、秋子たちの拍手の中で、お祝いを受け取っている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
内山「誠にささやかですが、編集部一同からのお祝いのしるしです」
秋子「永山さん、おめでとう!」
誠「どうも有難《ありがと》うございます」
久米「ああ羨《うらやま》しいねえ」
土岡「羨しがってないで編集長もどうぞ」
久米「あら、いただけるの?」
土岡「ただし、再婚の場合は、お祝いは半額ですよ。それでもよろしかったらどうぞ」
久米「ひろしちゃん、人のこと言う前に、アンタいつ頃《ごろ》になったら結婚祝いもらえるの」
土岡「みんなにお祝い出して、ぼくは一生いただくチャンスがないんじゃないかなあ」
久米「ほら、すぐ泣く……」
誠「土岡さん、心配するこたァないですよ。ぼくみたいにあんなおやじ抱えてたって、嫁さんくるんだから」
土岡「かえっていいんじゃないかなあ。お父さん、すこし借りるかなあ」
誠「ああもう、『のし』でも『かつぶし』でも何でもつけて貸しますよ」
久米「猫《ねこ》じゃあるまいし『かつぶし』はかわいそうだわよ」
誠「いや、ひげなんか生やしてますけどね、やってることは猫以下ですよ」
久米「艦隊司令長官。楠元中将閣下か」
土岡「頭《かしら》ナカッ! (敬礼)※[#歌記号、unicode303d] タンタンタンタカタッタッタカタカタン(軍艦マーチ)か……」
誠「(中ッ腹)人の結婚式と海軍記念日間違えてんだからもう、ハナシにも何もならないですよ」
久米「まあまあ誠ちゃんよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「お、誠ちゃん、ご面会よ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドアのところにまり子の顔がのぞいて恥じらいながら会釈《えしやく》している。
●「ビーワン」の店[#「「ビーワン」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なるほど、安来節ねえ」
まり子「ここ(鼻頭)黒くぬってね、ここにマッチの棒かなんか入れて大まじめで練習してんの」
誠「アハハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子はムキになっているが、誠は何となくおかしくて笑ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「何がおかしいの」
誠「だってさ、おかしいじゃないか」
まり子「あたし、全然おかしくない」
誠「ハハハハ、君のお父さんいいとこあるよ」
まり子「誠さん、あたしの身になって考えてみてよ」
誠「そりゃね、気持は判るけどさ、そんなにムキになって怒ることもないと思うけどねえ」
まり子「人のことだと思って、簡単にいわないでよ」
誠「安来節ぐらい、いいほうだって。艦隊司令長官でさ、これ(敬礼)でさ、タンタンタンタカタッタよかよっぽどましだよ」
まり子「そうかしら、あたし、そっちのほうはまだ判るような気がするなあ」
誠「まり子さん」
まり子「海軍中将と安来節をくらべてごらんなさいよ。海軍中将のほうがずっと……」
誠「ずっと、なんなんだよ」
まり子「かっこがいいわよ、スマートよ」
誠「それじゃあ、まり子さんは、お父さんがもしシャンソン歌うんなら文句いわないのかい」
まり子「……ええ、まあ」
誠「安来節だろうとシャンソンだろうと、ぼくにいわせりゃたかが余興だよ。君だって三分か五分赤い顔してりゃすむことじゃないか。でもねえ、逢ったこともない海軍のえらいのがきてだよ乾杯なんてデカいツラされるのは、こりゃ本質的な(問題だよ)」
まり子「それだって三分か五分の辛抱じゃないの。それでお父さんの気がすむんなら、それくらいのこと」
誠「人の親だと、ずい分かばうんだな」
まり子「誠さんこそ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきり立つ二人にうしろから声がかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「まあまあご両人……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]くわえたばこでニヤニヤしている久米編集長、横には土岡もいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長……」
久米「結婚式もすまないのに夫婦げんかってのは気が早いんじゃないの」
土岡「まあまあ、おコーヒーでも飲んで気をしずめて頂戴《ちようだい》、すみません。こちらおコーヒー二つ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]カウンターで忠臣が、怒り、愚痴っている。
[#1字下げ]下ごしらえをしながら、時々お義理に相鎚《あいづち》を打っているロクさん。
[#1字下げ]カウンターに伝票をひろげて、ソロバンをはじいて勘定の精算をしているたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「もう無礼というか物知らずというか、楠元中将閣下御直筆のハガキをだな、こうやって、パッとほうり出すんだからねえ」
ロク「今の若い人に大将中将ったって……ねえ」
忠臣「でもねえ、ロクさん、親子じゃないか。え? 親のよろこびは子供のよろこび、親の感激は息子の感激じゃないの。ちがうかねえ」
ロク「そりゃまあ、そうですけどね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、茶を入れて、すすめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「どうぞ……」
忠臣「はいどうも……(ホクホクして)頂戴いたします……あら、何だ、お茶か……」
静子「お酒のほうがいいかと思ったんですけど……今晩、ご長男……勇さんがお見えになるんでしょ?」
忠臣「ええ。まあ、何ですかね、親子三人水入らずで晩メシ食おう、用意はオレがするから何にもしないで待っててくれ、なんてねえ」
静子「それじゃあ、今晩はシラフで早目にお帰りにならなきゃ……」
忠臣「あんな親不孝な倅《せがれ》のツラ見ながらメシなんか食いたかないですよ。あ、相馬はどしたの」
静子「もう帰ってくると思うんですけどねえ」
忠臣「夕方、寄るっていっといたのに……」
たつ「あ、奥さん、お宅のほうからねえ、六千二百三十五円……」
静子「うちのほうが差し上げるのね」
たつ「ちょっと、オカシイと思ったら、ちゃんとやってみて下さいよ(ソロバンを突き出す)」
静子「とんでもない。六千二百……」
たつ「まあ、うちのお酒も上ったけど、お宅の(小さく)お勘定も上ったわねえ」
静子「これでも身内勘定になってるんですけどねえ」
忠臣「ちょっとちょっと、お勘定もいいけど人のハナシも聞いて頂戴よ。え! 奥さん。アンタだって健ちゃんという息子さんがいるんだ。人ごとじゃありませんよ。そのうちドカーンとやられて、あ、すみません、もういっぱい……」
静子「ハイハイ」
忠臣「(小さく)本当はお酒のほうがいいんだけど」
静子「あら、茶柱が立った。わ、縁起がいいんだわ」
忠臣「縁起なんかよかありませんよ。結婚式に名付け親が出るのがどこが悪いんだ! え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、自分で言っているうちに激してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『お父さん、そこまでのお心使いありがとうございます』ねえ、礼のひとつも言うと思いきや……そんな人間、逢ったこともない。閑だから、タダ酒、タダメシ食いに出てくるんだ! もう、礼儀を知らんというか親を馬鹿にしておるというか、やっぱり戦後の教育が間違っておるんだよ!(たつに)ちょっと、あんたね、人が物言っとるのにどしてソロバンガシャガシャやっとるの。こっち向いて人のハナシ、親身になって」
たつ「そっち向かなくたって聞えてますよ。間違ってるのはね、永山さん、アンタのほうですよ」
忠臣「何をいうんだ! わたしのどこが間違っとるか! わたしはねえ、万々一、楠元中将閣下に失礼な振舞いなどするやつらがおったならば三々九度の最中だろうと何だろうと直ちに中将閣下と共に結婚式場を退場するつもりでおります」
たつ「手がつけらンないわね」
静子「奥さん!」
たつ「永山さん。普段はいいわよ。ね、おい、相馬、ハッ! 石川、ハッ! 軍艦マーチうたおうと、頭《かしら》中ッやろうといいですよ。でもねえ、結婚式のときぐらいは、誠さんに恥かかさないようにしてやるのが親のつとめでしょうよ!」
忠臣「それじゃあ、親は恥かいてもいいのか」
たつ「どっちか一人が恥かかなきゃなンないんなら、親がかきゃいいでしょ!」
静子「奥さん!」
たつ「お婿《むこ》さんは、誠さんなのよ、永山さん!」
忠臣「うむ! いわせておけば……」
静子「奥さん(とめて)……あたしは、……誠さんが悪いと思うわねえ」
忠臣「奥さん……ああ、奥さんはやっぱり私のことを一番よく判ってて下さる……」
たつ「……ちょっと永山さん。この人、相馬さんの女房《にようぼう》なのよ。何かっていうと、手、さわって……奥さんも奥さんよ。永山さんの機嫌《きげん》とるようなこというから、あとでみんなが」
静子「……(目でまあまあ)……あたしねえ。誠さんの……『言い方』が悪いと思うの」
忠臣「『言い方』が悪い……」
静子「(誠のまねで)『お父さん』」
忠臣「(ムッとしている)」
静子「『お父さん』……」
忠臣「え、あたし?」
静子「『お父さん』」
忠臣「『ハイ』」
静子「『まあ、名付け親がきてくれるのはうれしいけどさ。軍艦マーチは勘弁してくれよ。それとさ、乾杯の音頭は編集長にたのんじまったからさ……ね、オレの顔も立ててスピーチだけにしてくれよ』」
忠臣「……『うむ』」
静子「乾杯や軍艦マーチは『日高』で盛大に二次会やってくれるっていうから、そっちでやってくれよ」
忠臣「え? 『日高』で二次会?」
静子「(うなずいて)『たのむよ、な、おやじさん』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドンと肩を叩《たた》く。
[#1字下げ]忠臣、いたずらをさとされた子供のようにうなずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そんなとこで勘弁するか」
静子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子の肩を、奥さん、よくやったという風にドシンと叩くたつ。
[#1字下げ]笑いながら見ているロクさん。
●「ビーワン」の店[#「「ビーワン」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、まり子、久米、土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃんよ。結婚式ってのはね、オリンピックの開会式じゃないのよ。何から何まで、絵にかいたようにうまくゆかなくたって……それはそれで御愛嬌《ごあいきよう》なのよ」
土岡「そうそう。海軍中将が出てこようと、安来節やストリップが飛び込もうと、誠とまり子の愛情や未来には関係がないんだよ」
誠・まり子「……そりゃそうですけどね」
久米「二十何年育ててくれたこと考えりゃ、一回ぐらい恥かいてあげたっていいじゃないの」
土岡「ぼく、海軍さん好きだな。かっこいいもの」
久米「アタシも安来節、大好き」
誠・まり子「(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
●倉島家・茶の間[#「倉島家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]すきやきの用意をして待っている徳造とふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「(柱時計を見上げて)おそいなあ、まり子の奴《やつ》……」
ふみ江「お嫁にゆく最後の晩だから、うちでごはん食べるっていってたのにねえ」
徳造「何してやがんだろなあ」
ふみ江「……来ないかもしれないよ」
徳造「え?」
ふみ江「今朝……怒ってたもの」
徳造「安来節か……」
ふみ江「あーあ、高い肉奮発して損しちまったかなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、ゴロンと畳に引っくりかえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「(ポツンと)貧乏はしたくねえもんだよ。娘までバカにしやがる……」
ふみ江「………」
徳造「オレが、もし大会社の社長だってみろってんだ。結婚式に安来節やったって誰もよせたァいわねえだろ」
ふみ江「かえってサバけてる、面白い社長さんだ……」
徳造「落ちぶれてるばっかりに下品だ、よせって言われるんだよ」
ふみ江「アンタ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと戸があく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子(声)「ただいまァ!」
ふみ江「あ、まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、目をギョロリと動かすがわざと目を閉じて眠ったフリ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おお、寒む寒む!」
ふみ江「おかえりなさい……さ、……」
まり子「おそくなってごめんなさいね。あ、スキヤキ! 食べたかったんだ。うわァ! すごい肉。無理しちゃって、オバサン……」
ふみ江「たまにはね。……フフ」
まり子「ほら、お父ちゃん、そんなとこでどしたのよ。早く、ほら……」
ふみ江「フフ……(すねてるのよ、という感じで笑う)」
まり子「あ、そうだ。ハイ、お父ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、紙包みを父親の腹の上にのせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「なあに、それ」
まり子「さがしたさがした、もう。ないもんねぇ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、包みをあける。
[#1字下げ]中から出てくるのは粋《いき》な豆絞りの手拭《てぬぐ》い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「豆絞りの手拭いじゃないの」
まり子「今朝みた安来節の手拭いね、八百屋さんかなんかのヤボったいのだったでしょ。アレじゃ冴《さ》えないだろうと思って……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]狸寝入《たぬきねい》りの徳造、起き上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「まり子、お前、安来節の手拭い……(こみあげる)」
まり子「お父ちゃん、間違えないようにチャンと踊ってよ」
徳造「……(手を振る)」
まり子「どしたのよ」
徳造「やンねえよ、やンねえよ」
まり子「やらないって、安来節……」
徳造「親の冗談、真に受けるバカがあるかい。安来節はな、今晩、別れの宴で、お前に見してやるつもりだったんじゃねえか。なあ」
ふみ江「(うなずく)」
まり子「お父ちゃん!」
徳造「ヘ、やっぱり豆絞りはいいねえ、粋で……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、豆絞りをひろげ、そっと涙を拭《ふ》いてスットコ被《かぶ》りしてみせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「※[#歌記号、unicode303d] 安来千軒、とくらァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]涙声でうたう徳造。
[#1字下げ]うるんだ目でみているまり子、ふみ江。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣が一人で待っている。食卓にはウイスキー。チビチビ飲みながら、首をかしげて小抽斗《こひきだし》などを探している。
[#1字下げ]壁には海軍の軍服が下っている。(入ってくる誠からは見えないところ)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ええと、ここにないってことは……おかしいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]柱時計が八時を打つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何をしとるんだろうねえ。誠といい、勇といい……どいつもこいつも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと玄関の戸があく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「ただいまァ!」
忠臣「何だ、誠の方が先じゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#1字下げ]今朝の言い争いのバツの悪さが、多少残っている。父親の顔を見ないようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あれ、兄さん、どしたの? もうとっくにきてると思ってすっとんで来たのにさ」
忠臣「なにをグズグズしてんだか……」
誠「フーン、まだか……」
忠臣「食い物の方はオレがみんな用意しとくから、酒だけ買っとけばいいっていうからさ。もう、ハラペコですよ」
誠「そのうち、くるんじゃないの……」
忠臣「飲んで待ってるか……」
誠「うむ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、誠に水割りを作ってやる。これも顔を見ないで渡す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(お)」
誠「(うむ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、のみかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、そうだ。これでいいんだろ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポケットをさぐって、テレて怒ったような顔で、わざと乱暴に何か食卓におっぽり出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何ですよ。おー」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]胸につける、大きな菊の花。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「うちの会社でさ、出版記念会やった時のだけど、新品だから」
忠臣「………」
誠「楠元中将か……ここにつけるやつ……」
忠臣「誠……お前……バカだな、こんなものいいんだよ」
誠「いいって……いるんだろ」
忠臣「いいんだよ。まあ、折角来て下さるっていうんだからさ、な、スピーチの一つもお頼みすりゃそれで両方の顔も立つってもんじゃないか」
誠「お父さん」
忠臣「編集長にな、乾杯の音頭とる時だけはくわえタバコは勘弁して下さいっていっとけ……」
誠「……お父さん……フン、人に気もませるんじゃないよ」
忠臣「年をとるとね、それも楽しみの一つなんだよ」
誠「全くもう……オレ一人の時はいいけど、他人がふえるんだから」
忠臣「まり子か」
誠「もう呼びすてにしてら」
忠臣「嫁にさんつけてよぶの」
誠「いいけどさ」
忠臣「それにしても勇はおそいな、先に食うか……といっても……」
誠「インスタント・ラーメンしかないよ」
忠臣「親をひぼし[#「ひぼし」に傍点]にする気かねえ。ええと、どこ、しまい込んだかねえ」
誠「何、キョロキョロしてんだよ」
忠臣「たしかにここに入れといたのがないんだよ。うむ、そうだ。いつか、ほら、お前ンとこの編集長だのさ、かもめの……ママさんにお目にかけたろ?」
誠「え?」
忠臣「勲章ですよ、勲章……」
誠「そんなもン、どしているんだよ」
忠臣「どしてって、お前、軍人が勲章を佩用《はいよう》しないで、公式の席には出られませんよ」
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ブラ下った軍服に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、これ、着てくつもりなの!」
忠臣「ええと……あ、そうだ!(思いつく)」
誠「お父さん、オレの結婚式に軍服!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またしてもカッとなる誠。尻《しり》をおっ立てるようにして、ひき出しから勲章を取り出す忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あったあった」
誠「何べん言ったら判るんだよ! こんなもの着て、勲章なんかつけて出られたら、笑いものだよ、チンドン屋だよ!」
忠臣「何てことをいうんだ! チンドン屋とは」
誠「お父さん、戦争終って何年|経《た》ってると思ってんだよ!」
忠臣「何年経とうと、我々には昨日のことなんだよ」
誠「軍国主義はもう終ったんだよ!」
忠臣「主義主張を言っとるんじゃないんだ。我々が生涯《しようがい》を捧《ささ》げたものをいつくしんで、どこが悪いんだ!」
誠「それはねえ。終戦と一緒に滅びたんだよ! 今更、こんな時代錯誤のお化けみたいなマネしないでくれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、激しく軍服と勲章を叩きつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何をするんだ! お前な、お前な、これを、これを否定するということは、わたしの人生を否定すると同じことなんだぞ!」
誠「(ぐいとのむ……)肯定なんか出来ないね」
忠臣「(勲章をひろいながら)あ、取れちゃった。それじゃあ、お前は、わたしの人生は無駄《むだ》だったというのか! えッ?」
誠「ああ、無駄だね。少なくとも、日本のためには、オレたちのためには何のプラスにもなってないね」
忠臣、千切れた勲章を手に怒りと興奮でワナワナとふるえ口が利《き》けない。誠もたかぶって、父親を妙にいじめてしまう。
誠「お父さんの乗った巡洋艦『日高』か。あれ、どうなったの。轟沈《ごうちん》したの? それとも、ポンコツか……」
忠臣「………」
誠「どっちにしてもそのほうが、イサギいいよ。昔の軍服着てさわいでるよかよっぽどマシだよ!」
忠臣「(低く)生き恥をさらして、すまなかったな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]軍服と勲章を引ったくるようにしてパッと出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! とにかくね、それ着てくのはやめてくれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、グイとのんで……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「血圧が高いんじゃないかな。何かっていうとすぐ怒るんだから、ありゃ、調べたほうがいいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]柱時計の音。誠、聞いている。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]軍服に着がえた忠臣が亡妻の写真の前にすわっている。
[#1字下げ]線香を手向ける。手がブルブルふるえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「母さん……生き恥さらしたねぇ。倅《せがれ》にまでバカにされちまったよ……ハハ、ハハハハ。そうかって、死ぬってのもなかなかむつかしくてさ。ちょっとやってみるか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]腰ひもを手に忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「こうやるだろ。母さん見ておくれ……エイショッと」
[#ここで字下げ終わり]
●廊下[#「廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん。兄さんおそいからさ、ウナギでも……あれ、線香くさいな、お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと襖《ふすま》をあけて、アッとなる。鴨居《かもい》にひもを通して輪にして、ブラ下ろうとしている父。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! 何してんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とびこむ誠。体当りで父親を押し倒す。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ひもをうばい、父の体をゲンコツで殴りながらの誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何てまねするんだよ! 何てまね」
忠臣「何を勘違いしてんだよ。ブランコしてたんじゃないか」
誠「ブランコ……」
忠臣「ブーランコブーランコ」
誠「夜更《よふ》けにブランコするバカがあるかよ!」
忠臣「ブーランコブーランコ」
誠「二度とこんなまねしたら、オレ本当にブン殴るからね(といいながら殴っている)」
忠臣「(ハナをすすりながら)ブーランコブーランコ」
勇(声)「おーい! おーい!」
誠「あ、兄さん! お父さん、早くそれ脱いで……早く!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]安っぽいすしの折詰めをひろげる勇。
[#1字下げ]拍子抜けの忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『みゆきずし』……なんだ、駅前のすし屋じゃないか」
勇「うん……」
忠臣「おい、勇、お前、なんていったんだよ。え? 誠の独身最後の夜を、おやこ三人水入らずで祝おうじゃないか。オレがご馳走《ちそう》はみんな用意するから、そっちは酒だけ」
勇「そのつもりだったんだけどさ。いろいろとね、予定が狂ったんだよ。ほら、しょう油」
誠「ダメならダメって電話くれりゃあさ。スキヤキの用意ぐらい、したのにさ」
忠臣「そうですよ。大体お前はね、安請け合いなんだよ。調子ばっかりよくってさ」
勇「あ、おれ(酒、つごうか)」
忠臣「自分でやりますよ」
勇「悪いと思ってるよ」
忠臣「全くもう……同じ兄弟で、どしてこう違うかねえ。勉強はお前の方が出来たけど、全く、人情の機微というものが……」
誠「いいじゃないかよ。ハラがへってりゃ何でもうまいって……」
勇「(ついで)おう、いよいよだな。え、おめでとう」
忠臣「こんなね、そっくりかえったようなマグロのスシでおめでとうっていわれたって、うれしくないってさ」
誠「お父さん……いいじゃないかよ」
忠臣「実がないんだよ。お前は」
勇「(耐えてのんでいる)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドンドンと玄関の戸を叩く音。
[#1字下げ]若い男、三宅の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三宅(声)「ごめん下さい!」
三人「? うちだな」
三宅(声)「永山課長のお宅はこちらですか」
忠臣・誠「永山課長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]突然、勇の顔がパッと輝く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おッ! 間に合ったか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣と誠をブッ飛ばすようにしてとび出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「?」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇の部下の三宅が籠《かご》をひろげている。
[#1字下げ]杉《すぎ》のハッパの上に、目の下一尺はあろうというみごとな大鯛《おおだい》。勇、うれしそうにシッポをもったりしている。
[#1字下げ]びっくりしている忠臣と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三宅「いやあ、弟さんのお祝いだって聞いたもんですから、新幹線の中で気が気じゃなくて……」
勇「三時間も延着だもンなあ」
三宅「あ、それから、これ穴子ずし」
勇「よくここが判ったなあ」
三宅「マンションの方へ電話して……奥さんから」
勇「そう。どうもごくろうさん……」
誠「あの、上ってお茶でも」
三宅「いや、ちょっと廻《まわ》るとこありますから」
勇「じゃ、改めて……」
三宅「どうも……」
勇「ごくろうさん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]帰ってゆく三宅。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「兄さん……」
勇「いやあ神戸へ出張した奴に、明石《あかし》の鯛をたのんだんだけどさ、間に合ってよかったよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鯛をブラ下げて、うれしそうに笑う勇。その背中をどやしつけながら、またしても泣いてしまう忠臣……。
忠臣「全く、お前って奴は……どしてそうならそうと言わないんだよ。え?」
勇「……間に合わないもの言ったって仕方ないじゃないか。おい、片身刺身にしてな、片身チリにしてやろうや」
誠「チリったって、豆腐や春菊」
勇「あそうか、そういうものもいるのか」
忠臣「鯛だけで鯛チリが出来ると思っとるんだから……全く、お前って奴は……」
誠「冷蔵庫に何かあるだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ハナをすすりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それじゃあ、久しぶりに得意の出刃をふるうか」
勇「大丈夫かい」
誠「けがしたって知らないよ」
忠臣「めでたいめでたいだ……ハハ。ハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鯛をブラ下げて泣き笑いの忠臣。うれしい勇と誠。
●倉島家・玄関・表[#「倉島家・玄関・表」はゴシック体]
[#1字下げ]モーニングを着た徳造がケチな植木にジョウロで水をやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江(声)「あんた、あんた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てくる留袖《とめそで》のふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「何も、出かける前になって、植木に水やンなくたっていいだろ」
徳造「だっておめえ、朝やンの忘れたから」
ふみ江「入って……」
徳造「いいんだよ」
ふみ江「中入って、まり子さんあいさつしたいっていってんだから」
徳造「やだっていってんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ジョウロをもってバタバタあばれる徳造を玄関にひっぱりこむふみ江。
●倉島家・茶の間[#「倉島家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]たたみの上に文金高島田のまり子がすわっている。
[#1字下げ]ふみ江に押されるようにして入ってくる徳造。気圧《けお》されたようにすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父ちゃん。長い間」
徳造「それ以上、言ってくれるな。この父ちゃんは何もしてやれなくって……本当に……すまなかった」
まり子「(首を振る)長い間、ありがとうございました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をついて礼をいうまり子。徳造、嗚咽《おえつ》してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おばさん。お父ちゃんを、よろしく……おねがいします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]涙を拭《ふ》きながらうなずくふみ江。
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]ゆらぐ香華《こうげ》、モーニング姿の誠が母の写真にあいさつしている。うしろに紋つき袴《はかま》の忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『お母さん、おかげでぼくも一人前になれました。これから行って参ります』そういわないのか?」
誠「そういうことはね、おなかの中で言やあいいんだよ」
忠臣「あ、そう……」
誠「男はね、口に出してそういうことをペラペラいうもんじゃないんだよ」
忠臣「あ、そう……」
誠「じゃ、いくか」
忠臣「うん……」
誠「忘れものはないかな。……ないな……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出ていってしまう誠。
[#1字下げ]忠臣、亡妻の写真に……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「わたしにゃ、何のあいさつもないんだ……ハハ。いってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]靴《くつ》をはいている誠。出てきて、草履をはこうとする忠臣。鼻緒がきつくてなかなかはけない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしたの」
忠臣「おろしたてはどうもきついな」
誠「どら……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、土間にひざをつくようにして、父の鼻緒をゆるめてはかせてやる。
[#1字下げ]不意に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……長い間、ありがとう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こみあげてしまう忠臣。両手で顔をおおって泣く。
●結婚披露宴・会場[#「結婚披露宴・会場」はゴシック体]
[#1字下げ]金屏風《きんびようぶ》を背に立つ新郎新婦。その横に仲人役の京太郎と静子。司会の健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「えー、ではこれより、新郎新婦の前途を祝って乾杯を行いたいと思います」
忠臣「ちょっとお待ちをいただきたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]横からマイクの前に進み出る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ここにおいでの皆様方はみな、本日の花婿《はなむこ》花嫁にゆかりのある方々でいらっしゃいます。花婿花嫁が、本日かようにめでたい日を迎えることの出来ましたのも、みな、ここにお集りの皆様のそれぞれのおはげましのたまものでございましょう。そこで、お礼の気持をこめまして、乾杯のシャンペンは、新郎新婦自らにつがせてやって頂きたいと存じます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]拍手が起る。ポンポンと勢いよくシャンペンがぬかれる。誠とまり子、シャンペンをもってついで歩く。
[#1字下げ]徳造、ふみ江。
[#1字下げ]勇、悦子。
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん。
[#1字下げ]源助、たつ、はな子。
[#1字下げ]久米、土岡、順子。
[#1字下げ]忠臣、健太郎。
[#1字下げ]それぞれ万感をこめて、誠さん、まり子さん、おめでとう、と言って受ける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「では、乾杯の音頭を、新郎の上司であります久米編集長におねがいいたします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、グラスをもってマイクの前に。いつもふざけているこの人にしては別人の如《ごと》き堂々たるあいさつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「御指名を頂いて誠に光栄でございますが、本日ここに、新郎誠君の名付け親がお見えになっていらっしゃいます。楠元重成さんでございます。お許しが頂ければ、楠元さんとご一緒に乾杯の音頭をとらせて頂きたいと存じますが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同拍手。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……編集長さん……」
久米「楠元さん……」
健太郎「楠元さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]紋つき姿の人品のいい老人、楠元、登場する。
[#1字下げ]新郎新婦の前でよろける。パッと手をかす誠。
[#1字下げ]忠臣、うれしい。
[#1字下げ]誠とまり子、楠元の手を引いて久米の横へ。
[#1字下げ]京太郎、源助、大感激。
[#1字下げ]久米と楠元、発言をゆずりあって……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「では……新郎新婦の前途を祝って」
楠元「乾杯!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]グラスをあげる一同。
[#1字下げ]目を見交してのむ誠とまり子。うれしい忠臣。
[#1字下げ]湧《わ》き起る祝婚の歌……。
[#改ページ]
21
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]うす暗い中で八ミリ映写機がガタガタと音を立てている。
[#1字下げ]壁の白布にうつるのは、誠とまり子の結婚|披露宴《ひろうえん》のスナップ。
[#1字下げ]映写技師をつとめる京太郎と源助。笑いながら、そして、目をしばたたきながら感激も新たに見入る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ヘヘ、誠さんテレちまって……」
源助「目、見なきゃ、目。うれしそうに笑ってるよ」
京太郎「まり子さんがいいねえ、え?」
源助「いやあ、あたしが見たお嫁さんの中で最高」
京太郎「ま、いまの若い娘さんの中であれだけ文金高島田の似合うひとはいないんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と源助のことばにいちいち大きくうなずきながら、見入る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「こうやってならぶと、まさに男雛《おびな》と女雛《めびな》、だねえ」
源助「似合いの美男美女ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひときわ大きくうなずく忠臣。
[#1字下げ]フィルムは、次に、仲人役の京太郎と静子、それから、源助、たつ夫婦をうつす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「あ、出てきた出てきた。いやあ、花婿花嫁もよかったけど、媒酌人ご夫婦もなかなかよかったすよ。特に奥さん!」
京太郎「本当のこというとね、アタシ……うちの静子に惚《ほ》れ直しちまったよ」
源助「アタシも、うちの母ちゃん、見直したねえ」
京太郎「女は留袖《とめそで》着ると、どしてああ色っぽくなるのかねえ」
源助「ほんと……」
忠臣「あのねえ、あんたたちのはもういいから」
二人「は?」
忠臣「すまないけどねえ、もういっぺん誠とまり子さん……花婿花嫁ンとこうつして頂戴《ちようだい》」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人ゲンナリする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「艦長……」
京太郎「お言葉かえすようですけどねえ、もう、さっきから、何十回うつしたか……」
忠臣「(とぼけて)何度見ても、いいねえ」
源助「いいですけどねえ。ま、我々も仕事があるし……ねえ、相馬|中尉《ちゆうい》」
忠臣「でもさ、何時間かかるもんじゃなし、もういっぺん」
京太郎「もういっぺん、もういっぺんでもう三時間もやってるんですよ。ね、今日のところはこのへんで……」
忠臣「あのね(言いかける)」
源助「とにかく、開けましょう」
京太郎「こう暗くちゃハナシも出来ないわ」
忠臣「暗くたって、ハナシ出来ますよ。何もあけなくたって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しかし、二人はパッと立って、どんどんカーテンをあけ雨戸を繰る。
[#1字下げ]昼の光がさしこむ茶の間。
[#1字下げ]忠臣、ガッカリして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ブツブツ)ジャケンだねえ、え? 親の気持というものが全然|判《わか》っとらんのだから……いい死にかたしないよ、二人とも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人はかまわず別の話題。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ああ、いいお天気だ……」
源助「いやあ、誠さん、新婚旅行にゆかれてから、天気予報が気になってさ」
忠臣「そうなんだよ、神奈川県……なんて普段見ないとこ見てるねえ」
京太郎「まあ、新婚なら、雨だろうと雪だろうとかまわないようなもんだけど……」
源助「いやあやっぱり、お天気のほうがいいすよ」
京太郎「今頃《いまごろ》、誠さんたち……何してるかねえ」
源助「水入らずで散歩ってとこじゃないすか、カメラぶら下げて……」
京太郎「『まり子、こっち向いて』『もっとこっち……』なんて」
源助「『まり子』はちょっと早いんじゃないの」
京太郎「『まり子さん、こっち向いて』『いや、まり子とお呼びになって』」
源助「『そんな……急にはムリだよ』『でも、そう呼んで欲しいの、あたし』」
京太郎「『じゃあ、よんでみるかな。まり子』『うれしいわ……』」
忠臣「(憮然《ぶぜん》として)二人とも、年はいくつだい」
二人「………」
[#ここで字下げ終わり]
●旅館の庭[#「旅館の庭」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子の肩を抱くようにポーズをとっている誠、画面の外から老人(横沢善吉・65)の声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉(声)「ハイ、もう一歩前!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、そのまま一歩前へ出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉(声)「あ、それじゃあ、出過ぎだ。半歩後退!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、半歩うしろへ下る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉(声)「あ、それでいいだろ。では……もっと楽しそうに、新婚さんらしい顔して……そうそう、ハイ、ワンツーパッ! はいよし!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カメラのシャッターを切っている善吉のそばに老妻のミツ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうもありがとうございました」
まり子「ありがとうございました」
善吉「いやいや。袖ふり合うもなんとやらですよ。シャッター押すぐらいお安い御用だ」
誠「(善吉の胸のカメラをみつけて)あの、何でしたら、シャッター……」
善吉「ほう、やって下さるか」
ミツ「すみませんねえ」
誠「どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]善吉とミツ。ならんで直立不動の姿勢で立つ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(カメラをかまえながら)旧婚旅行ですか」
善吉「そう、その通り。実はね、あたしら、戦争のドサクサに一緒になったもんだからね。新婚旅行はおろか式もあげてない始末でさ。まあ、四十年にわたって、バアさんにやいのやいの言われてきたんでね、お迎えがくる前に借り返そうと思ってね」
誠「そうですか」
ミツ「今の若い人はいいわねえ。あたしたちは時代が悪かったから……」
誠「ハイ、いきますよ。ワンツー……あーあ、もっと旧婚旅行らしくも少しくっついて」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子もふざけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ご主人……奥さまの肩ぐらい、こう、なさってもいいんじゃないかしら」
善吉「こうかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]善吉、不器用な手つきで、老妻の肩を抱こうとして、よろけてしまう。ミツもよろける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アッ! 大丈夫ですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]かけよる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉「大丈夫大丈夫。アンタ、親御さんは……」
誠「はあ、おふくろはもういないんですが、おやじが……」
善吉「ほう、お父さん……それで年寄りにやさしいんだ」
誠「いやあ、けんかばっかりですよ」
善吉「そう、お父さんがおいでなのか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]善吉、誠をじっと見る。
[#1字下げ]ミツの泥《どろ》をはらってやっているまり子。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣。京太郎、静子、ロクさん。静子ごはんをよそった茶碗《ちやわん》を忠臣に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「はい、どうぞ」
忠臣「あら、いきなりごはんなの」
京太郎「誠さんからたのまれてるんですよ。まずメシを食わしてくれ」
静子「お酒はごはんがすんでから……って……」
忠臣「……いただきます」
静子「ロクさん、赤ダシ」
ロク「ヘイ、只今《ただいま》」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、食べる。
[#1字下げ]三人、何となくじっと見ている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あのね、動物園のサルじゃないんだから。……人がごはん食べてるとこ、じいっと見ないで頂戴よ」
三人「すみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、こんどはそっぽを向く。忠臣、少しポソポソと食べて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なにも、取ってつけたようにソッポ向くこたァないじゃないの。普通にしてりゃいいんですよ、普通にしてりゃ。……何年食べもの商売やってるんだい」
三人「すみません……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、それぞれ手を動かしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「誠さんたちも、晩ごはんかしらねえ」
京太郎「そんなとこだろうなあ」
静子「あ、おしょう油(かけましょう)」
京太郎「ダイニング・ルームで、こう向かいあって……」
忠臣「いやいや。あたしはね、誠たちに言ったんですよ。洋式のホテルはよせ、ありゃつまらんよって。それよかね。和風の……日本間で……ね、おこたの上で差し向かいで食べるほうがなんぼか情があっていいもんだよってね」
京太郎「これが、オレの生涯《しようがい》の伴侶《はんりよ》だなってひとから、初めて魚の身をむしってもらう。ごはんよそってもらう。もう、うれしくてねえ、……アタシたちのときもそうだったなあ」
静子「およしなさいよ……」
忠臣「フン……」
京太郎「じゃまなおやじさんもいないし……」
忠臣「おいおい」
京太郎「いやあ、正直なとこそんなもんですよ。本当に水入らずで……いいねえ」
ロク「いいすねえ」
静子「目に見えるようだわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うっとりする三人、ところが……
●旅館・部屋[#「旅館・部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ごはんをよそっているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハイ……どうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]相手は老妻のミツ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ミツ「はい、ありがとさん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そして、こたつを囲んでいるのは、誠、まり子、善吉、ミツの二組である。
[#1字下げ]上機嫌で誠に酌《しやく》をする善吉。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉「さ、ぐっとぐっと……」
誠「はあ、どうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、さすがにあまり嬉《うれ》しくない。
[#1字下げ]シブシブ盃《さかずき》を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉「おいあんた……名前、なんちったっけな」
誠「誠です」
ミツ「何べん同じこと聞くのよ。ちょっとお酒が入るとこうなのよ。もうろくする年じゃないんだけど……」
善吉「誠か……おい、誠クン」
誠「ハイ」
善吉「あんた、もうちっとうれしそうな顔しなさいよ。お嫁さんもだよ。その顔は、新婚旅行にきてる花婿花嫁の顔じゃないよ」
誠・まり子「……(当り前……)」
善吉「それとも何かな。本当は、結婚なんかしたくなかったんだけどオナカにさ……出来ちまって、しかたなくとか」
まり子「いやだわ、そんなんじゃありません」
ミツ「おじいさん! 相思相愛で、お父さんの反対押し切って結婚にこぎつけたってハナシ、さっき聞いたばっかしじゃないの。もう忘れっぽいんだから」
善吉「だったらね、もっとうれしそうな顔しなさいよ。ね」
誠「はあ、……」
善吉「旧婚のこっちのほうがよっぽどうれしそうにしてるよ、え? お、もっともさ、こっちはこんなバアさんと二人きりじゃなくて、こういうピチピチした若い新婚さんと一緒でさ、若返るなあ(ミツの肩を抱く)」
ミツ「よしなさいよ、いい年して。いえね、うちじゃあ息子たちがじゃけんなもんでね、この人ったらアンタのこと実の息子みたいな気がするなんていい出してねえ」
誠「そりゃ、どうも……」
善吉「おう誠クン。今晩はひとつね、大先輩として結婚生活の秘訣《ひけつ》をこの……(言いかけて)あ、吸物がぬるいな」
まり子「あっため直してもらいましょうか(ちょっと失礼)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、立つ。
●旅館・次の間[#「旅館・次の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]立って出てゆこうとするまり子を追って出てくる誠。
[#1字下げ]まり子の袖をひっぱる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん……」
誠「(声をひそめて)何とかなんないかなあ(奥の二人)」
まり子「わたしも、機会みてそれとなくいおうと思ってるんだけど……あんまりたのしそうにしてるから……つい、いいづらくて……」
誠「この分じゃあ、ずうっと一緒のつもりだよ」
まり子「……(ため息)」
善吉「おい、誠クン! 誠クン」
誠「ハーイ……(ゲンナリ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すごすごもどってゆく誠。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ふところからいろいろ紙切れを引っぱり出している忠臣。
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ええと旅館の電話番号……あ、これは違うか。ええと……どこへ書いたかな」
京太郎「(小さく)何も長距離かけるのに、うちの電話使うこたァないでしょ。うち、帰ってかけたって」
静子「あなた、アメリカへかけるわけじゃないんですからさ」
忠臣「あったあった。ではちょいとお電話拝借……」
静子「どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
●旅館・部屋[#「旅館・部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酔った善吉が、人生訓を垂れている。
[#1字下げ]ウンザリして聞く誠とまり子。
[#1字下げ]楊子《ようじ》で歯をせせりながら、他愛《たわい》なくあくびをしている老妻のミツ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉「そもそも結婚生活の秘訣とは何であるか。それは我慢である」
誠「はあ……」
善吉「忍耐である……これなくして結婚生活は」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話がなる。
[#1字下げ]誠とまり子、手を伸ばすが、調子づいて体ごとアタックした善吉にさらわれる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉「モシモシ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器を耳にした忠臣、びっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「モシモシ」
善吉(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、静子、ロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あれ、そちらはあけびの間じゃありませんか」
善吉(声)「あけびの間? モシモシ」
忠臣「永山誠ってのは、そこじゃないんですか」
善吉(声)「永山誠……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話かわる気配があって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「モシモシ」
忠臣「モシモシ」
誠(声)「あ、お父さん」
忠臣「おい、誠、今出た人は誰《だれ》なんだ」
[#ここで字下げ終わり]
●旅館・部屋[#「旅館・部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、まり子、善吉、目をさますミツ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(モグモグしながら)誰ってね、こっちであった横沢さんて人なんだけどね」
忠臣(声)「横沢……」
誠「旧婚旅行でこっちみえてんだってさ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、京太郎、静子、ロクさん。帰ってきた健太郎、ネクタイをゆるめながら入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「旧婚旅行でも何でもいいけどさ、お前たち一緒に晩メシ食ってるのか」
誠(声)「うん……」
忠臣「お前たちがお呼びしたのか」
誠(声)「いや、そうじゃないんだけどね。記念撮影のシャッター押してもらったりしたことから知り合ってね、何だかオレのこと息子みたいな気がするなんていってね」
忠臣「押しかけてきたのか」
誠(声)「ま、そういうことだね」
忠臣「何という察しの悪い。おい、その人物を出しなさい、あたしが意見を」
誠(声)「お父さん、あのねえ」
京太郎「艦長、そういうことはおだやかに」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もみあっている一同。
●旅館・部屋[#「旅館・部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、まり子、善吉、ミツ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、言わなくたっていいからさ、こっちが適当にやるから」
忠臣(声)「モシモシ」
善吉「おとっつぁんかい」
誠「はあ」
善吉「よし。あたしからちょっと……」
誠「あ、あの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]善吉、誠から受話器をひったくって……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
善吉「モシモシ、アンタ、誠クンのおとっつぁんかい」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、京太郎、静子、健太郎、ロクさん。入ってくる源助、たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いかにも、永山誠の父親です。どういうご縁で知りあわれたかは存じませんがね、まあ、あなたも相応のお年ならだな、晩メシのときぐらい新婚夫婦を水入らずにしてやるくらいの(言いかける)」
善吉(声)「(聞いていない)モシモシ、ひとこといっておくけどねえ。え、おとっつぁん、アンタ、新婚夫婦の邪魔しちゃダメだよ。え? 年寄りは年寄りらしく引っこんで」
忠臣「自分|棚《たな》にあげて、何をいうんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どなりかける忠臣から、受話器を引ったくる京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「モシモシ、あの、お気持はうれしいんですが、どうか誠さんたちを水入らずでたのしませてあげて下さいな」
[#ここで字下げ終わり]
●旅館・部屋[#「旅館・部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]こっちも善吉から、誠にかわっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「モシモシ、あ、おじさん……」
京太郎(声)「なんだ、誠さん……」
誠「すみませんが、おやじさんたのみます」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話を切る京太郎。
[#1字下げ]忠臣、静子、健太郎、ロクさん、源助、たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「(ため息)」
忠臣「全くもう、何てこった!」
源助「一体どうされたんでありますか」
たつ「どしたのよ、永山さん」
忠臣「もう滅茶苦茶……」
京太郎「誠さんたちにね、旧婚旅行のじいさんばあさんがへばりついて離れないらしいのよ」
静子「お部屋へ押しかけてきて、ごはんまで一緒なんですってさ」
健太郎「誠さん、年寄りにやさしいから、見込まれたんだ……」
忠臣「世の中には何という察しの悪い人間がおるんだろうねえ。親のワタシでさえ遠慮したってのに……」
一同「ええ?」
忠臣「いや、実はね、わたしもここ何年と温泉なんて思いをしとらんしさ、まあ、誠の奴《やつ》はイザとなるとイクジがないから『大丈夫』かどうか、その、見とどけてやらにゃいかんと思ってね」
一同「あの……」
忠臣「いやいや、もちろん、宿は別《べ》っこにとりますよ。でもまあ、晩メシぐらいは一緒に、なんて思っておりました」
[#ここで字下げ終わり]
一同(「艦長!」
「永山さん!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……思っておったけどもやめたといっとるじゃないか。なにもそうそう手入れの悪い歯むき出して迫るこたァありませんよ。親のワタシがこらえて一人で留守番をしとるというのに、それを何だい。どこの馬の骨だか判らん年寄りがへばりついて……」
たつ「大丈夫よ。誠さんだって子供じゃないんだから適当に追っぱらうわよ」
源助「いやあ、誠さん人がいいから」
健太郎「イヤっていえないタチだもんなあ」
静子「そうなのよ」
京太郎「まず、蛇《へび》にみこまれた蛙《かえる》だね」
忠臣「まあ、こうなったら、ワタシの出来ることといったら……なんだねえ。帰ってきたら、心をこめてねぎらってやることだねえ。鍋《なべ》ものの用意でもしてさ、『さあ、お帰りお帰り。大変だったろう。今晩はアタシが、世話やいてやる。二人は箸《はし》さえ動かしとればいいから』こうやりゃいいんだ」
一同「……(顔を見合す)」
忠臣「冷たいシャンペンの一本も用意して……パンパーン。ねえ。風呂《ふろ》もわかす。布団《ふとん》もしいてやる」
一同「……(目くばせ)」
忠臣「気のつく親父《おやじ》もって、誠もしあわせだよ」
健太郎「違うんだなあ」
忠臣「え? 健ちゃん、何が違うの」
健太郎「永山さんのいうこと、みんな、逆にするといいんじゃないかな」
忠臣「逆? 逆っていうと」
健太郎「ナベもの用意する。これOK。シャンペン冷やしとく。ベリグッド」
忠臣「(大得意)」
健太郎「そこでもひとつ、永山さんがいない。これでザッツOK」
忠臣「あたしがいない?」
健太郎「『二、三日留守にする。二人で水入らずでやり給《たま》え』なんて置手紙して」
源助「なあるほど」
たつ「最高!」
京太郎「そう出来りゃなあ」
静子「うちへ帰って、もういっぺん本当の新婚旅行をやり直す。そりゃよろこぶわよ」
たつ「永山さん、アンタ、それ出来たらね、これから何年生きるか知らないけど、まり子さんの待遇がちがうわよ」
源助「おい、何てこと」
たつ「いいじゃないよ、本当のことだもの。新婚生活のはじめに思いやりみせてくれた……女は一生忘れないわよ」
静子「ほんと。死に水とるんだって気持がこもりますよ」
忠臣「……熱海がいいかな、それとも、伊東のほうが魚がうまいか」
[#ここで字下げ終わり]
一同(「艦長! さすが!」
「永山さん、えらいわァ!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誠たちが帰ってくるのが七日だから……うむ。おい相馬」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川」
源助「ハッ!」
忠臣「それから二日ばかりあけてくれ」
京太郎・源助「は?」
たつ「ちょっと永山さん、うちのお父ちゃん連れてくの」
静子「……あの、店のほう……どうするんですか」
たつ「ちょっと、営業妨害しないでくださいよ」
源助「艦長、それはちょっと……」
京太郎「お供したい気持は山々なんでありますが……ちょっと、なあ」
忠臣「あ、そうお……」
静子「誰か、いいお供はいないかしらねえ」
健太郎「あのさ、まり子さんのおやじさん」
たつ「倉島徳造……ダメダメ。あの人、永山さんとソリが合わないんだもの、大ゲンカして帰ってくるのがオチ」
静子「あとでまり子さんがかわいそうよ」
京太郎「そうだ! 艦長……ほら、碁会所の仲間」
源助「うむ!」
京太郎「あの連中、つのって……団体で……」
源助「ほら、相馬中尉、熱海に、湯川一水のやってる温泉旅館あったじゃないすか」
京太郎「うむ、二月はヒマだっていってたから、うんと割引きにさして……」
源助「それと、中島少尉はバスの会社の重役……」
京太郎「あそこで……バス、仕立てさすか」
忠臣「相馬! 石川! さっそく用意!」
二人「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●旅館・部屋[#「旅館・部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]座布団をならべた上にうつぶせになっている善吉。
[#1字下げ]腰をもまされている誠。
[#1字下げ]茶を入れているまり子。
[#1字下げ]ミツは、広縁の籐椅子《とういす》で、口をあいてねている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ヨイショヨイショ」
善吉「もっと上、そこそこ、おい誠、おやじさんのやりつけてるとみえてなかなかスジがいいよ」
誠「ウム!」
善吉「もっと右、そこそこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目を見合ってガックリしている誠とまり子。
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体]
[#1字下げ]くたびれきってトボトボと帰ってくる誠とまり子。
[#1字下げ]二人、我が家の門を前に、思わず同時にため息をついてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「あーあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人とも苦笑い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「とんだ新婚旅行だったなあ」
まり子「老人ホームの遠足のつきそいって感じ……」
誠「参った参った」
まり子「一日早く帰ってきたんでお父さん、びっくりするんじゃないかしら」
誠「あんなとこにいるくらいなら、まだうちの方がいいってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑いながら入ってゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ただいま」
まり子「ただいまァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]内側から戸がガラリとあく。
[#1字下げ]何と中から、十人ほどの老人が一斉《いつせい》にじろりと誠たちを見る。
[#1字下げ]老人たちは立ったりすわったり。とにかく玄関いっぱいで、誠たちの入るスキもない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あの……みなさんがたは……」
まり子「……あのォ」
下村「あんたがたも被害者ですかい」
誠・まり子「ヒガイシャ?」
井口「年寄りばっかしだと思ってたら、こんな若いのもさそってたのかい」
誠「あの……」
大島「いや、そうじゃないだろ。ただいまって入ってきたじゃないか」
誠「あの、皆さんがた、一体どういう」
まり子「あの、お父さんのお友達でしょうか」
誠「あの、おやじ、いないんですか」
[#ここで字下げ終わり]
一同(「お父さん……」
「おやじ……」
下村「というと、アンタ、永山さんの倅《せがれ》さんか!」
誠「はあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんにどっと誠をとり囲む老人たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
下村「こりゃ一体どういうことなんだ!」
井口「責任とってもらおうじゃないか」
大島「とにかく金だけでも返してもらいたい」
誠「金?」
大島「そうだよ、一人一万円!」
誠「ちょっと……ちょっと待って下さい。(どなる)お父さん、お父さん!」
下村「そのお父さんがいないから、騒いでるんじゃないか」
誠「いない。留守ですか」
下村「いや、たしかにいたんだが我々の姿みて奥へ引っこんだきり」
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上ってゆく誠。
[#1字下げ]まり子もつづく。
[#1字下げ]廊下にも老人たちが立っている。
[#1字下げ]玄関の老人たちが口々に叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
下村たち「倅が帰ってきたぞォ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]廊下の老人たち、誠にとりすがる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
老人たち「何とかしてもらおうじゃないか! 責任とってもらいたいね!」
誠「ちょっと待って下さい。お父さん! お父さん!」
まり子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関いっぱいの靴《くつ》とぞうり。下駄《げた》。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]ここにも老人たちがいっぱい。廊下や玄関の老人たちも移動してついてくる。口々に叫ぶ。
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「すみません」
まり子「ちょっと通して下さい」
誠  )「お父さん!」
まり子  「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]ここにも老人たち。みんな口々に同じことを叫ぶ。誠、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、押し入れをあける。
[#1字下げ]いない。
●トイレ[#「トイレ」はゴシック体]
[#1字下げ]あける誠。中から、身じまいをしながらの老人が出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、失礼」
中津「金返しとくれよ」
誠「ちょっと待って下さい。お父さん!」
中津「おい! 逃げる気か!」
誠「逃げやしませんよ。お父さん! お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]ここにも老人がいっぱい。勝手に冷蔵庫をあけてのぞきこんだり、お湯をわかしたりしている。誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・まり子「お父さん!」
下村「いくら呼んだってねえ、逃げちまってるんだから無駄だよ」
井口「息子なら責任とってもらおうじゃないか」
一同「おう!」
誠「アイタタタ、ちょっと待って下さい。とにかく、あっちでおはなし伺いますから……」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]すわる誠とまり子。
[#1字下げ]下村たち老人、まわりをぐるりと取り囲む。あふれた連中は、縁側に目白押しにすわり或《ある》いは立っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
下村「あたしたちはね、なにも疑ってやしないよ。永山さんが本当に三十二万円スられたんなら、そう信ずるよ」
井口「でもねえ、こっちもなけなしの虎《とら》の子はたいたんだよ。盗《と》られましたハイごめんなさいじゃあすまないって、そいってんだよ」
坂井かね「うちのおじいさんなんか、もうガッカリして、寝込んじまってるからねえ。何とかしてもらわないと」
誠「どうもオハナシがよく判《わか》んないんですがあの、うちのおやじは」
下村「そうか、息子さんアンタ何も知らなかったのか」
井口「あのね、あンたのおとっつぁんが、みんなで熱海ゆこうって持ちかけたのよ」
誠「アタミ?」
下村「なんでもね、昔、軍艦のってた時分の部下が熱海で旅館やってる。それからバス会社やってるのもいるから、その連中に渡りつけて、世間相場の半額で二泊三日、賑《にぎ》やかにやろうってんで……」
かね「会費は一人一万円でさ、……何人集まったんだっけ……」
全員「三十二人」
誠「そのお金を、おやじが預って……」
下村「パチンコやってて、気がついたらなくなってたっていうんだよ」
誠「パチンコ……何でそんな大金持って……」
下村「あのなんだ元部下の『日高』か……それから酒屋」
誠「石川さん」
下村「あの二人がくっついて、警察へいってさ、被害届け出したってから、まあ、本当なんだろうよ」
井口「でもね、だから勘弁してくれっていわれたってさ」
大島「こちとら、働いてポンポン金の入ってくる身分じゃねえんだから」
かね「そうだよ。気がねしいしい倅に小遣いもらってさ、それチビチビためたお金、なに[#「なに」に傍点]されて、ねえ」
誠「判りました。どうもご迷惑かけて申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠とまり子、頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ぼくも一介のサラリーマンです。今すぐ三十二万、耳をそろえろといわれても、ちょっと……その……」
まり子「あたしたち新婚旅行から帰ったばっかりなんです」
一同「へえ、そうなの、そりゃ(などガヤガヤ)」
誠「まり子さん……それは……」
まり子「結婚式にお金も使いましたし、今すぐにはなんですけど、必ず……ねえ」
誠「(うなずく)ぼくの責任で必ずご納得のゆくようにいたします。ですから、今日のところはこれで……」
下村「そうかいアンタがた新婚旅行の帰りかい」
二人「はあ」
下村「判ったよ。じゃあ、息子さんに下駄預けるから……」
誠「申しわけありません」
下村「話まとまったら、駅前の下村って碁会所の」
誠「ああ、おやじがときどき伺ってる……」
下村「あそこへ連絡してくださいな」
誠「今週中に必ず……」
下村「みんな、そういうことで……」
一同「いいとも」
誠「それじゃあ……本当にどうも」
下村「あんたも、おやじさんで苦労するなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おかまいもいたしませんで……」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]ゾロゾロ帰ってゆく一同。最敬礼で見送る誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうも申しわけありませんでした」
まり子「お気をつけて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]戸をしめて二人、ため息をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あーあ」
誠「全くおやじの奴……」
まり子「それにしても、どこいらしたのかしら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]下駄がポツンと残っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どっかにかくれてんじゃないかな」
まり子「お父さん!」
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、また探しはじめる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●風呂場[#「風呂場」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]風呂|桶《おけ》のフタがスーと細くあく。中から手がのびて、背を向けているまり子の手をギューとつかむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「キャア!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]キョロキョロ庭のあたりをのぞいていた誠、びっくり仰天。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! どうかしたのか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こけつまろびつ、何かにぶつかりながらとんでゆく。
●風呂場[#「風呂場」はゴシック体]
[#1字下げ]うしろから手をつかまれてギャーッと凍りついているまり子。
[#1字下げ]とびこむ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、アッとなる誠。
[#1字下げ]風呂桶の中からヌーとあらわれたのは何と忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
忠臣「いやはや、風呂の中にかくれるってのは骨なもんだねえ。こうと判ってたらもっと大きい風呂桶にするんだったよ」
誠・まり子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきりたつ誠。
[#1字下げ]そのうしろから顔を出す勇と悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「なにやってんだ、お前たちは」
誠「兄さん、もう……聞いてくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣、誠、まり子、勇、悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「いやあ、おかしいなと思ったんだよ。うちからゾロゾロゾロゾロじいさんばあさんが団体で出てくるだろ」
悦子「一体、何があったんでしょうねえって言いながら入ってきたとこなのよ」
勇「あれは抗議団体ってわけだ」
誠「いやもう、やられたのなんの……ペッコペッコだよ。まり子さんまで小突かれてさ」
まり子「あたしはいいんですけど……(誠がかわいそう……)」
勇「それにしても、何だってそんな大金持ってパチンコになんかいったんだよ」
忠臣「家へ置いといて空巣に持ってかれたらどうするんだ。大体な、お前たちはさっきからわたしに白い目を向けるけどね、私は盗られたんだよ。被害者ですよ。文句いうんなら盗った奴にいってもらいたいねッ!」
勇「ヘリクツもここまでくりゃいうことないよ」
誠「いつもこれだからこっちは馴《な》れてるけどさ。それにしても三十二万とはねえ」
忠臣「まあ、相馬や石川も、ヘソクリはたいて助けてくれるとはいってるんだがねえ」
勇「オレンとこも、こないだ台所改造したばっかしだからねえ」
誠「こっちだって、式だ旅行だで……前借りしてるくらいだからねえ」
忠臣「いいですよ。自分の尻《しり》ぬぐいは自分でやります。お前たちの世話にゃなりません」
誠「そうはいかないよ。ほっとけば、じいさんばあさん、また押しかけてくるよ」
まり子「あの……少しなら、アタシ……貯金(言いかける)」
誠「(小さく)まり子さんはいいんだよ」
勇「こうしたらどうかなあ。今すぐ金を返すのは勘弁してもらって、日延べってことにしたら」
一同「日延べ?」
勇「陽気がよくなってから熱海に、出かけるんだよ」
一同「うむ!」
勇「それまでにみんなで……何とかすりゃ」
悦子「それがいいわ」
忠臣「それじゃ、そういうことであしたにでも」
勇「お父さんが言ったんじゃあ信用がないんだから、日高や石川の連中に間に立ってもらったほうが……(誠に)お前もついて……な」
誠「うむ」
忠臣「おやじに向って何もそうハッキリ物言わんでもいいじゃあないか(ブツブツ)」
勇「(誠に)お前も災難だなあ。え? 新婚旅行から帰ってさ。しあわせいっぱいでポーッとしてるとこ、カウンター・パンチくったようなもんだもんなあ」
誠「ポーッとなんかなれないんだよ」
悦子「あれなの? ずうっと、その……おじいさんたちと一緒だったの」
まり子「ええ。それであたしたち、一日早く帰ってきたんです……」
勇「それでうちへ帰りゃこれじゃあ、ますます踏んだり蹴《け》ったりだよなあ」
忠臣「わたしもね、電話でそれ聞いてたから、気|利《き》かしたんじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、抽斗《ひきだし》から、手紙に墨痕淋漓《ぼつこんりんり》と大書したものを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「『三日ほど留守にする。二人で水入らずでやり給え』忠臣」
勇「お父さん、それで旅行ゆく気になったのか」
忠臣「人の気持も知らないで、金落っことしたことばっかし責めるんだから……全く。恩知らずというか……もう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、肩を落して自分の書いた紙をビリビリと破る。
[#1字下げ]みんなその音を聞いている。不意に悦子が言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん、うちへいらっしゃいな」
一同「え?」
悦子「うちへ、二、三日泊ってゆけばいいのよ」
忠臣「アタシが、……勇ンとこへ……」
悦子「何も熱海へゆかなくたって……ねえ。そうすれば、誠さんたち、ここでもういっぺん新婚旅行のやり直しが出来るじゃないの」
誠「いやあ。義姉《ねえ》さん。そんな……」
まり子「本当にいいんです、あたしたち。ねえ(誠に)お父さんと一緒でも」
忠臣「ドッコイショッと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立ち上る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「下着の替えだけ持ってきゃあいいねえ、悦子さん」
誠・まり子「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スタスタ出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「(悦子に)おい、本当にいいのか」
悦子「長男の嫁ですもの、そのくらいのこと……当り前でしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、自分の役目に酔っている。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]戸棚《とだな》をあけて、つまみ食いをしている忠臣。
[#1字下げ]電話が鳴る。
[#1字下げ]食べながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハイハイ。こちら永山ですが……奥様?……あ、悦子さんですか、出かけとりますが。失礼ですがあんたさん、どなたさま……京子さん……ほう悦子さんのお友達でいらっしゃる。あたくし、舅《しゆうと》の永山忠臣と申します。いつも悦子さんがお世話に……あ、いえいえ。それで、本日はどんなご用件……は? 格別ない。おしゃべりでもしようと思った。なるほどなるほど。あの、なんでしたらお遊びにおいでになりませんか。いま、悦子さん出かけとりましてね、アタシ一人で退屈……は、ゆかれない。そうですかそりゃ残念だなあ。アッ! 切るんなら切ると一言ぐらい言いなさいよ、なんだね全く……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話切って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「缶《かん》ばっかりで、ロクな菓子のないうちだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]キョロキョロさがしている。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]スキヤキの用意が出来ている。誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「二人で鍋《なべ》ものなんてはじめてだな」
まり子「ほんと……」
誠「義姉さん、気利かしてくれたからな」
まり子「あの方、ちょっと冷たいかなと思ったら、そうでもないのね」
誠「見かけとか口のきき方で損してるんだよ。つきあうと案外ね、オッチョコチョイのとこもあっていい人だよ」
まり子「アチチチ(なべをかける)」
誠「あ、ぼくやるよ」
まり子「あたし……」
誠「こっちの方が馴れてるから……」
まり子「でも……」
誠「君はこの次からでいいよ」
まり子「そうお? 誠さんとこのスキヤキ、どうするの?」
誠「うちはね、鍋あつくするだろ。それから、肉の脂《あぶら》で鍋焼いてね、肉入れて……それから合わせといたタレを少しずつ入れながら煮るやつ」
まり子「うちはね、肉の脂とかして肉入れるとこまでは同じだけど、そのあとお砂糖ふりかけるの」
誠「サトウ? フーン」
まり子「それから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドア・チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造(声)「おーい、永山チューシン!」
まり子「お父ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子、玄関をあける。
[#1字下げ]一升ビンを抱えた徳造がころがりこむ。相当に出来上っている。
[#1字下げ]かかえるようにしてふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おーい、永山チューシン」
ふみ江「ほら、アブないだろ」
まり子「お父ちゃん、しっかりしなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「アレ? どしてアンタたちここにいるの?」
ふみ江「今晩、まだ新婚旅行じゃなかったの?」
誠「いや、それがねえ、色々ありまして」
まり子「一晩早く帰ってきちゃったのよ」
徳造「なんだ、オレはね、永山忠臣がさびしがってると可哀《かわい》そうだと思ってさ、これ抱えて」
ふみ江「あの、永山さん」
まり子「お兄さんのとこいってるのよ」
徳造「勇さんのマンションか」
まり子「お義姉さんが気利かして下すったの」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]椅子《いす》にすわって泣いている悦子。
[#1字下げ]その上に、縦横にはりめぐらされたビニールのひも。
[#1字下げ]色とりどりのレースのついた女物のパンティが十枚とブラジャーなどがブラ下っている。
[#1字下げ]悦子のらしいエプロンをかけて憮然としている忠臣。
[#1字下げ]あきれかえっている勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なにも泣くほどのことはないじゃないの……ズロース洗濯《せんたく》したくらいで」
悦子「あんまりよ。あたし……もう、恥かしくって……目の前に河でもあったら飛び込みたい心境よ」
忠臣「(小さく)飛び込むんならベランダからでもどうぞ」
勇「お父さん!」
悦子「お父さんは女の気持が判らないのよ。そういうことされると、女がどれほど辛《つら》いか、居たたまれないか、お父さんは」
忠臣「人がせっかく親切でやったのに。そんなに洗われたくなかったら汚れたズロース十枚も貯めなきゃいいんだ」
勇「お父さん! いかにおやこだってね。人のうちのひき出し黙ってあけるってのは、いけないよ!」
忠臣「なるほどねえ。親捨てて別に所帯もつとそういう口を利くのか」
勇「何も捨てたわけじゃないよ。悦子とソリが合わないっていうから、とりあえず別に暮らすってことで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、エプロンをはずす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうも、差し出たまねしてすみませんでしたね。お邪魔さん」
勇「お父さん」
忠臣「ひき出しあけるのにいちいちお断わりしなくちゃならないとこでは、とてもゆっくり手足のばして眠れませんのでね。失礼しましょ」
悦子・勇「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]スタスタと出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん、待って下さいよ。あたし、そんなつもりで……」
勇「お父さん!……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]玄関で誠と自分のグラスに持参の一升ビンから冷酒をつぐ徳造。
[#1字下げ]誠、まり子、ふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なにもこんなとこで……ちょっと上って下さいよ」
徳造「いやいや。せっかく勇さんたちが気利かしてるってのにさ」
ふみ江「そうですよ。いかにすすめられたって、ハイサイデスカってのこのこ上ったら」
徳造「よっぽどのトンマだよ。ここで乾杯して帰るからな。まり子、近頃のお父ちゃん上出来だろ」
まり子「うん……えらい!」
ふみ江「ヘッ! 自分でほめてりゃ世話ないわね」
徳造「誠さん、まり子、結婚おめでとう!」
誠  )「ありがとうございます」
まり子  「ありがと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガツンとグラスをぶつける徳造。
[#1字下げ]ぐっと一息にのみ干して、グラスを下におく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「(カッコをつけて)アバヨ!」
誠「倉島さん、本当に帰っちゃうんですか」
徳造「アバヨといったらアバヨだい!(ふみ江に)おう! いこ」
ふみ江「アイヨ!」
まり子「じゃあ、また……」
誠「この次、改めて……どうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、出てゆく。
[#1字下げ]戸をしめるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、いけない。オレ、倉島さんていっちゃった……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、パッと戸をあける。ふみ江に支えられて、門を出かかっている徳造の背に叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、おやすみなさい!」
徳造「(小さく)お父さん……ありがとよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うれしいまり子。
[#1字下げ]茶の間から電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、とんでゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話に出ているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「永山でございますが……あ、お兄さん」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話している勇。
[#1字下げ]まだかわいていないパンティを取り込んでいる悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おい、おやじさん、出てったからな」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話している誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「出てったって……兄さん、え……パンティ、洗濯したって、モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇と悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「留守中に家探ししてさ、悦子のパンティを十枚も」
悦子「なにもそんなこと言わなくたっていいでしょ」
勇「言わなきゃ判んないよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そいで怒って出てっちゃったの? うん、判った判った。義姉さんにどうもすみませんでしたって、うむ、じゃ、どうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん。お兄さんとこ(出てったの?)」
誠「何やってんだろうなあ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」表[#「「日高」表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]フラリとくる忠臣。
[#1字下げ]細目に戸を開き、入りかける。
[#1字下げ]なつかしいカウンターが見える。京太郎、ロクさん、静子の声。酔客の……陽気な声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三人「いらっしゃいまし!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、スーとしめて出てゆく。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#1字下げ]スキヤキの用意はそのままになっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「先、食べようよ。どうせ、そのへんフラフラ寄ってから帰ってくるんだからさ」
まり子「待ちましょうよ」
誠「ハラペコなんだけどなあ」
まり子「あと、三十分……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]時計は八時。
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]店先で立って枡酒《ますざけ》をのんでいる忠臣。
[#1字下げ]ほとんど酒のなくなった枡をベロベロなめている。
[#1字下げ]源助、たつの目を盗んで、そっとつごうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長……」
たつ「お父ちゃん! 永山さんもね、そんなイジ汚なく枡ベロベロなめるんじゃないのよ」
源助「よしなよ!」
たつ「もうこのくらいにしてお帰ンなさいよ。孫の顔見るまでは体丈夫にしとかないと! え? どうせ子守りでコキ使われるんだから」
忠臣「子守りまでして長生きしたくないね」
源助「いいじゃないですか。アタシがお手伝いしますよ」
たつ「何いってんのよ。お父ちゃん、あ、宇佐美クン、かまわないから戸しめて頂戴」
忠臣「どうもお邪魔さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]横からスーと出てきたはな子。つと忠臣を突つく。缶ビールがひとつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(口の中で)うれしく思うぞ、鼻黒一水」
はな子「(これも口の中で)ハッ! 艦長殿」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#1字下げ]誠は貧乏ゆすり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「キリがないよ。はじめようよ」
まり子「もう三十分」
誠「かっこつけて出てったからねえ、帰りづらいってんで、そのへんで飲んでんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・門[#「永山家・門」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]永山忠臣の表札の下で、寄りかかって缶ビールをのむ忠臣。
[#1字下げ]フラフラと入ってゆく。
●庭[#「庭」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]立っている忠臣。茶の間のカーテンに誠とまり子の影が映っている。入りたい。ゆきかける。ガラス戸に手をかけるが入れない。
[#1字下げ]立っている。寒い。
[#1字下げ]衿巻《えりまき》の中で首をすくめて立っている。
[#1字下げ]誠とまり子の笑い声。
[#1字下げ]忠臣……小さな声で低くうたい出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 埴生《はにゆう》の宿も わが宿
[#2字下げ]玉のよそい うらやまじ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]暖かそうな灯《ひ》のもれる冬枯れの小さな庭に、哀《かな》しい老人の歌が流れる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠の肩によりそうようにして笑いあっていたまり子。
[#1字下げ]ハッと耳をすます。忠臣のかすかな歌声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「※[#歌記号、unicode303d] のどかなりや 春の空
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#3字下げ]花はあるじ 鳥は友」
[#ここで字下げ終わり]
誠・まり子「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠とまり子、立ってカーテンをあける。
[#1字下げ]木の蔭《かげ》にかくれるようにして立ってうたっている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] おお わが宿よ たのしとも
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]たのもしや」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・まり子「お父さん……」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 書《ふみ》読む窓も わが窓
[#2字下げ]るりの床も うらやまじ」
誠「お父さん、上ンなよ」
まり子「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、おりて手をとって上げようとする。テレもあって、木にしがみついて涙声でうたい続ける忠臣。
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] きよらなりや 秋の夜半《よわ》」
誠・まり子「早く、ほら、お父さんてば……」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 月はあるじ 虫は友」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]仕方なく二人も唱和する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
三人「※[#歌記号、unicode303d] おお わが宿よ たのしとも
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]たのもしや」
[#1字下げ]ハナをすすり、うたいながら、忠臣を押すように上げる二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なにしてんだよ、ほら!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]わざとジャケンに扱う誠。忠臣にはそれがたまらなくうれしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なんだ、スキヤキか」
まり子「待ってたんですよ、お父さん」
忠臣「あたしもね、そんなとこじゃないかと思ってさ……(ハナをすすりながら)勇ンとこはさ、食べものケチだろ。泊るって出てったもののこっちへ帰りたくてさ、ワザとズロース洗濯しちゃった」
誠「(ドンと殴って)なにいってんだよ」
まり子「お父さん、あたしは……自分で洗いますからね」
忠臣「さあ、スキヤキスキヤキ」
誠「今泣いたカラスでもうのり出してんだから」
忠臣「まり子さん、袖」
まり子「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鍋を火にかける忠臣。牛脂をのせる。鍋がジュウジュウいいはじめる。
[#1字下げ]酒をつくる誠。
[#1字下げ]忠臣の袖をひもでしばるまり子。
[#1字下げ]おやこ三人、それぞれの姿で……
[#改ページ]
22
[#改ページ]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]茶の間の電気はもう消えている。犬の遠吠《とおぼ》え。夜廻《よまわ》りの拍子木。風が枯れた枝を鳴らしている。凍るような冬の夜中。
[#1字下げ]しかし、忠臣の部屋だけはポツンと灯がともっている。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]寝つかれない忠臣。布団に腹這《はらば》いになって、「夏目漱石全集」を読んでいる。(第一巻『我輩は猫《ねこ》である』)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『我輩は猫である』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二階の床がギイときしむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「猫だな、まさに猫ですよ。なにも新婚の夫婦が二階に寝とるからって、はしたない想像をするこたァないんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、我と我が想像を打消して再び読みはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『我輩は猫である。名前はまだ無い』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]再びギイという音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『どこで生れたか頓《とん》と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめ/\した所でニヤー/\泣いて居た事丈《ことだけ》は記憶して居る』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ギイという音は絶えたかと思うとまた起る。
[#1字下げ]だんだん近づいてくる。
[#1字下げ]忠臣、読み続けながら、上目使いに二階を見たり、気にしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「猫じゃないな。猫では……気にするな気にするな。みっともないぞ、永山忠臣。『我輩はこゝで始めて人間といふものを見た』人間……もしかしたら……泥棒《どろぼう》……、そんなバカな。ちゃんと戸締りをしたのにどして泥棒が入るんだ。『然《しか》もあとで聞くとそれは書生《しよせい》といふ人間中で一番|獰悪《だうあく》な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕《つかま》へて煮て食ふといふ話である」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]足音、廊下を通る気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(気にしながら)『然《しか》し其當時は何といふ考《かんがへ》もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた』……猫じゃないな、こりゃ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、そっとスタンドを消す。
[#1字下げ]うす暗がりの中で、何かを探しそっと出てゆく気配。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]木刀を手に足音をしのばせ、まるで泥棒のような格好で忠臣が、足音のする茶の間の方に忍び足で歩いてゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]電気をつけない暗がりの中で、怪しい人物が押入れをあけて、ゴソゴソやっている。
[#1字下げ]おどりこむ忠臣。木刀をふるって……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子 /「泥棒」
忠臣 \  「泥棒!」
まり子「アイタァ……痛ァ……」
忠臣「お……まり子さん、まり子さんじゃないか」
まり子「痛ァ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、電気をつけようとオタオタする。が、あわてているので食卓にぶつかったりしてラチがあかない。
[#1字下げ]ドドドドと階段をおりる足音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん! どしたの! まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠が茶の間におどりこみ、電気をつける。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]アッとなる。
[#1字下げ]ネグリジェにガウンを羽おったまり子が、肩を押えてうずくまり、木刀を手にしたねまき姿の忠臣がオタオタしている。まり子の手には水枕《みずまくら》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうしたんだよ」
まり子「水枕探してたら、いきなりうしろから、アイタ……」
誠「お父さん! 何てことするんだよ」
忠臣「いや、あたしは、てっきり泥棒だと思ったもんだから……まさかまり子さんが、そんな……」
誠「たしかめてからブン殴りゃいいじゃないか!」
忠臣「そういうけどねえ、お前、暗い中にギイ、ギイッて足音がしてさ、人のうちの押入れあけてゴソゴソしてるのがおりゃ、泥棒だと思うじゃないか」
まり子「すみません。あたし、お父さん目を覚すといけないと思って……」
忠臣「年寄りってのは目ざといんだよ」
誠「それにしたってさ、こんなもの持ち出して……殴りどこが悪かったら警察ザタだよ」
忠臣「夜の夜中に家探しする方が……あら、水枕じゃないの。どしたの」
まり子「誠さん、熱があるんです」
忠臣「熱?」
誠「大したことないんだけどね、まり子さん、冷やした方がいいっていうもんだから……水枕はたしか茶の間の押入れにあったと思ってさ」
忠臣「どしてあたしを起さないの。え? このうちのどこに何が入ってるか、こいつは何も知りやせんのだから、え? まり子さん、こんどから私を起しなさいよ」
まり子「ハイ……」
忠臣「(誠に)大丈夫か、お前」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手を出して支えかけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あたしが心配するこたァないねえ。もう、まり子さんがついてんだ……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]朝の光が植木やガラス戸を照している。雀《すずめ》のなき声、廊下のカーテンはまだあいていない。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]忠臣、布団の中ですでに目を覚し身をもて余している。
[#1字下げ]枕もとの時計は七時半。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ひとりごと)うむ、おそいな、いかに新婚だからといって朝寝はいけませんよ。ひとつ、起きてわたしが朝の支度を……しちゃいけないんだねえ。こっちは親切のつもりでも、若い連中はツラアテととるからね。ガマンしましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、また布団にもぐりこむ。
[#1字下げ]雀の声。忠臣また首を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「雀がないてら。あいつらは嫁、舅《しゆうと》ってのはないのかねえ。のんきでいいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ため息をついて……布団の中でラジオ体操をおっぱじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「さあ、元気にラジオ体操を始めましょう。まず足の運動。オイチニイサンシイ! 五、六、七、八!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、布団の中でラジオ体操。ヤケ気味で掛布団を蹴上《けあ》げて、派手にやっている。
●台所[#「台所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]セーターにスカーフをきりりとしばったまり子が朝食の支度。
[#1字下げ]トントンとおぼつかない手つきで、みそ汁《しる》の実を刻んでいる。
[#1字下げ]起きてくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほう。おみおつけの実はおねぎかい」
まり子「あ、お父さん、おはよございます」
忠臣「はい、おはよ」
まり子「割合いとごゆっくりなんですね。お父さん、年寄りは早起きだなんておどかすからもっと早いのかと思ったら……」
忠臣「(小さく)ヘ、手加減してるのが判らんのかねえ」
まり子「は?」
忠臣「いえいえ。あのごはん……」
まり子「今、スイッチ切れました(電気|釜《がま》)」
忠臣「あ、そう、おみおつけのダシは……」
まり子「はい。ゆうべのうちに煮干しお水に漬《つ》けときましたから」
忠臣「結構結構、で、おみそは」
まり子「はい。仙台みそと八丁みそを……」
忠臣「ちゃんとまぜたのね」
まり子「はい」
忠臣「結構結構。ええと……あとは別にないか……あ、そうだ、そうだ、おつけもの……」
まり子「今朝は白菜と、相馬さんとこから戴いた奈良漬を」
忠臣「まり子さん、ちょっと……」
まり子「は?」
忠臣「手……」
まり子「手?」
忠臣「手、こっち、出してごらん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、変な顔をしながら両手を出す。
[#1字下げ]忠臣、その指先の匂《にお》いをスンスンと嗅《か》ぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「はい、よろしい。何もつけてないねえ。いえね、クリームの匂いなんかする手でつけもの出されたんじゃあ台なしだからねえ」
まり子「(ほっとしてうなずく)これからも気をつけます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ゆきかける。
[#1字下げ]まり子、いっぺんに力がぬけてほっとため息。
[#1字下げ]忠臣、急に向きをかえて戻《もど》ってくる。あわてるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん」
まり子「ハ、ハイ」
忠臣「あんたねえ、色々小うるさい舅だと思うでしょ?」
まり子「とんでもない。色々教えて頂いて有難《ありがた》いと思ってます」
忠臣「そうお、そんならいいんだけど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、スタスタと茶の間の方へ。
[#1字下げ]まり子、ほっとする。
[#1字下げ]おどけてその背にペロリと小さくベロを出す。忠臣、クルリとふり向く。指をなめたりしてあやうくごまかすまり子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]食卓の前にすわって朝刊をひろげる忠臣。
[#1字下げ]まり子が入ってきて膳立《ぜんだ》てを始めるが、何かソワソワと落着かず、途中でやたらと柱時計を気にする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(新聞をたたみながら)ええと、今日は……」
まり子「(心、ここにない)今日一日は保《も》つんじゃないんですか」
忠臣「え?」
まり子「あら、お天気のハナシじゃあ……ないんですか」
忠臣「いえね、今日はまり子さんに何を教えようかと思ってねえ」
まり子「ああ……(そっちのハナシですか)」
忠臣「塗りもののしまい方は」
まり子「教えていただきました」
忠臣「だしのとり方も」
まり子「教えていただきました」
忠臣「古くなったのりをつくだ煮にするのも」
まり子「教えていただきました」
忠臣「それから」
まり子「教えていただきました」
忠臣「何を教えていただいたの?」
まり子「は?」
忠臣「私はまだ何も言っちゃおりませんよ。いい加減だねえ、アンタ……」
まり子「すみません」
忠臣「何をソワソワしとるのか知らんけど、人のハナシ」
まり子「(時計をみながら)あと一分か」
忠臣「卵でもゆでてるの」
まり子「いいえ、別に……(突然)ハイッ!」
忠臣「何も言っちゃいませんよ。何いってんだ」
まり子「すみません」
忠臣「そうだ、今日はお天気もいいことだからして、永山家独特の小カブのぬか漬をお教えしよう」
まり子「カブですか」
忠臣「いやあ、今時分の小かぶというのはね、甘味があって、一年中で一番おいしいんだ。今日はね、誠が出てったらすぐにだな。……あ、そうだ、誠、どうなの」
まり子「ええ、それが……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、時計を見上げて……突然大声で叫ぶ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さぁーん! もういいわよォ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]叫びながらバタバタと走って出ていってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(あきれかえって)何をやっとるんだろうねえ、あの連中は……」
[#ここで字下げ終わり]
●若夫婦の部屋[#「若夫婦の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]文句をいいながらくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いかに新婚だってねえ、朝っぱらから舅の前で、『もういいかい、まあだだよ』……かくれんぼするこたァないだろ。はしたないねえ、全く!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと戸をあけて……ちょっとたじろぐ。寝ている誠のおでこにおでこをつけているまり子。片手に体温計。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「イヤッ!」
忠臣「あ、こりゃご無礼!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、あわててうしろを向く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、何か……ご、ご用でしょうか」
忠臣「いや、別に、ご用じゃないんだけど……風邪の具合はどうかなと思ってね……入ってもいいかな」
まり子「どうぞ」
忠臣「どうだい」
誠「どうも……ねえ。頭が痛くてさ」
まり子「熱も全然下らないんです」
忠臣「そうか、さっきもういいわよっていったのは、熱計ってたのかい」
まり子「ええ……」
忠臣「そんならそうと言いなさいよ。で、どのくらいあるの」
まり子「七度四分です!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]意気込んだ忠臣、拍子抜け。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「七度……あのねえ、熱があるってのは、八度から上のことをいうんですよ。そんな七度台で(ギャアギャア大騒ぎ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、言いかけるが、誠とまり子は二人だけでしゃべっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「節々がだるいんでしょ?」
誠「うん。何だかこう……抜けるみたいにかったるいんだなあ。手なんかね、こやって力入れようと思っても入ンないんだ」
まり子「(アーン)」
誠「(アーン)」
まり子「のどが赤くなってるけど……痛い?」
誠「痛くはないけど、痛がゆいってのかなあ。ホラ、潮干狩の時、使う、こういうの(手でまね)あれで、このへん(のどの奥)ガリガリってやったらスウッとするだろうなって気持だね」
まり子「流感だわね」
誠「やられたか……」
まり子「お休みした方がいいんじゃない」
誠「行ってゆけないことはないけど……」
まり子「ひどくなってみんなにうつしたりしたらかえって迷惑よ」
誠「今なら|〆切《しめきり》でもないし……」
まり子「何だったら、アタシから電話しましょうか」
誠「いや、電話はボクがするよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]苦々しく聞いている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あの、お話中ご無礼ですけどねえ」
二人「あ、お父さん(いたのか)」
忠臣「会社、休むの」
誠「うむ。熱があってフラフラしてたんじゃあ、行ってもしょうがないしさ」
忠臣「しょうがないってこたァないだろ」
誠「え?」
忠臣「サラリーマンというものは、毎日出勤することに意義があるんじゃあないのかね」
誠「お父さん……」
忠臣「役に立とうが何だろうがとにかくゆく、それがサラリーマンの……いや、それよかな誠。お前、今日あたり休んだら人は何というか判ってるのか」
誠「何だよ」
忠臣「『ヘン、新婚ホヤホヤの女房《にようぼう》に看病してもらいたくて、大したこともないのに休んでやがる』」
誠「言う奴《やつ》には言わしときゃいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、布団をかぶろうとする。
[#1字下げ]ひっぺがす忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、何すんだよ」
まり子「お父さん、風邪ひくじゃありませんか」
忠臣「まり子さんは黙っとりなさい。いいか。『精神一到何事か成らざらん』人間、やろうと思えば出来ないことはないんだ。わたしなんぞは、決戦の朝、四十一度二分の高熱があった。しかし、私は体をマストにしばりつけて精神力だけで闘ったもンだ」
誠「あのね、お父さん(言いかける)」
忠臣「それが男だぞ! 女房に甘い、イクジなし、ズル休みとののしられて、お前はのめのめとうちで寝ていられるのか!」
誠「……まり子さん、ワイシャツとってくれよ」
まり子「誠さん……出かけるんですか」
誠「オレね、会社の奴に何だかんだいわれるのは平気だけどね、枕もとでガアガアやられちゃ寝てても落着かないからね。会社行った方がよっぽどマシだよ」
忠臣「ああ、その意気その意気。元気でいってらっしゃい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ヤケッパチで起きて、パッパッと忠臣をふりはらうようにシャツを着る誠。忠臣を恨めしそうににらむまり子。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]相変らずくわえたばこの久米編集長。前に立って大演説をぶっている土岡。そのうしろで、やりかけの仕事を前にぐったりとしている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「今やねえ、女性向きの出版はハレンチか、さもなくば大資本か、どっちかの時代だと思うんすよ」
久米「なるほど……」
土岡「自分とこで出した本をうちに持って帰れる、親兄弟に見せられる、それじゃあ駄目《だめ》なんだよ。コッパズかしくて、とても家族になんぞ見せられない!……それでなくちゃ売れないんですよ」
久米「なるほど……」
土岡「さもなけりゃ、湯水のようにオゼゼを使って、パリだローマだマドリッドだ。特派員をジャンジャン派遣して、読者をゆかずして行った気にさせるか……二つに一つしかないと思うんすよ」
久米「……なる(言いかけて)誠ちゃん、アンタおかしいんじゃないの」
誠「いやあ、別になんともないですよ」
土岡「ねえ、編集長……ぼカァ」
久米「ひろしちゃん、ハレンチでいく度胸あるの?」
土岡「それがないから我社の返本率は四割六分なんじゃないすか」
久米「度胸もない、オゼゼもない。となると……」
土岡「すると」
久米「知恵で勝負だわねえ」
土岡「知恵もな……(言いかけて)誠ちゃん、お前さんやっぱりおかしいよ」
誠「大丈夫ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら、立って久米たちの所へ歩み寄ろうとして、よろめいてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「誠ちゃん……(支える)お前さん、本当に普通じゃないよ」
誠「いやあ、ちょっと立ちくらみしただけですよ」
久米「いかに新婚ホヤホヤとはいいながら、大の男が立ちくらみってのは……アレ? 誠ちゃん、お前さん、トロンとした目して……え? ホッペも赤いわねえ」
土岡「熱があるんじゃないの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、おでこにさわり、自分のにもさわって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「秋子ちゃん、体温計」
秋子「そんなものありません」
土岡「ありませんて……」
内山「この前ほら、土岡さん、熱計ってて、机の角へガシャンやっちゃったじゃないすか」
土岡「あ、そうか……」
誠「そんなもの、いらないすよ」
久米「風邪ですねえ、こりゃ」
土岡「いまはやりの流感ですよ」
久米「無理して出てくることないじゃないの。え? うちでおとなしくおねんねしてりゃ」
誠「冗談じゃないすよ。新婚ホヤホヤだからズル休みしたなんていわれたんじゃあたまンないすよ」
土岡「誰《だれ》もそんなこと言いやしないだろ」
久米「そうそう、たとえ心の中でチラッと思ったとしても、誰も口に出してなんかねえ、みんな」
内山)「そうですよ」
秋子  「ほんま」
誠「(小さく)ヘン、言ってるじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、えこじ[#「えこじ」に傍点]になって、メモを見ながらダイヤルを廻して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「モシモシ吉岡先生のお宅……あ、先生ですか、『女性時代』の永山」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]受話器をひったくる土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「土岡ですが、お原稿は……あ、今日の夕方七時」
誠「(ひったくって)では七時に」
土岡「(ブッとばして)土岡が取りに」
誠「モシモシ(取ろうとする)」
土岡「(ゆずらない)土岡が取りに伺います。(体で受話器をかばって)ごめん下さい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ハアハアいっている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「熱があるのにプロレスするからみなさいよ。ほら、誠ちゃん、目廻してるじゃないの」
土岡「誠ちゃん! 誠ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・縁側[#「永山家・縁側」はゴシック体]
[#1字下げ]縁側に座布団をしいてすわる忠臣。
[#1字下げ]その横で、縁に腰かけて小かぶの皮をむいているまり子。(皮は、くるくると廻すようにして、柿《かき》の皮の要領でむく)
[#1字下げ]大ザル一パイの洗い上げた葉つきの小かぶ。庭には、大きなつけもの桶《おけ》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハイ、ブキッチョだけど、まあいいでしょう」
まり子「すみません」
忠臣「全部むけたら……お尻《しり》のとこに」
まり子「お尻ですか」
忠臣「アンタのお尻じゃないの。かぶのお尻」
まり子「ああ、フフフ」
忠臣「十文字の包丁目を入れる」
まり子「十文字ですか」
忠臣「そうすると、早く漬かるのよ」
まり子「あ、なるほど」
忠臣「あ、いいいい。十文字はアタシがやるから。まり子さん、アンタ、つけこみやって頂戴《ちようだい》」
まり子「ハイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、器用に包丁を使って十文字の切れ目を入れながら、口やかましく指図する。寒い。
[#1字下げ]まり子も忠臣もガタガタしながらやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「桶は充分に洗い上げてあるね」
まり子「ハイ。ジャアジャアお水流してやりましたから。あら、風が出てきたわ。(小さく)誠さん、大丈夫かなあ」
忠臣「え? 風が出たって、つけものはどうってこたァありませんよ。どら、桶見せて」
まり子「ハイ」
忠臣「うむ、合格合格! それにね、小かぶを並べて入れる、そうそう。あ、重ねないの、並べて入れるって言ったでしょ? そうそう。サッサとハイ、その上に軽く塩をふる」
まり子「ハイッ!」
忠臣「ちょっと多いな。もっとへらして、そうそう。満遍なく。パッパッ!」
まり子「ねえ、お父さん、誠さん大丈夫でしょうかねえ(言いかける)」
忠臣「仕事中はおしゃべりはしない!」
まり子「ハイッ!」
忠臣「パッパ! パッパッ!」
まり子「(ヤケ気味)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、塩が目に入ってしまう。入ってくる京太郎。(着ぶくれて黒い旧式の皮のマスクをしている)これもガタガタふるえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アッ!」
まり子「あら」
忠臣「あらじゃありませんよ。アタシはかぶじゃないんだから。え? アタシにまで塩ブンまくこたァありませんよ」
まり子「すみません」
京太郎「ヘヘヘ。まり子さんも大変だなあ」
まり子「あら、相馬さん」
忠臣「なんだ、相馬かい」
京太郎「ヘイ、お約束のイカの黒づくり」
忠臣「こりゃこりゃどうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]縁側において、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「小かぶのつけものですか」
忠臣「いやあ。もう手取り足とり大変だ……」
まり子「もう一から教えていただいてます」
忠臣「なんだ、相馬でも風邪ひくのかい」
京太郎「チンパンジーだってひくっていいますからねえ」
忠臣「それにしても古くさいマスクだねえ」
京太郎「本皮ですよ、艦長」
忠臣「ハーハーハックショイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]このあたりから忠臣、少し様子がおかしく、流感の気《け》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……ね、誠さん、大丈夫でしょうか」
忠臣「新婚ホヤホヤってのは、これだからねえ。え? 相馬。舅がくしゃみしたって、お父さん、いかがですかじゃないんだよ。誠さん、大丈夫かしらだものねえ」
まり子「あら、お父さん、あたしそんなつもりでいったんじゃあ……」
京太郎「誠さん、どうかされたんでありますか」
忠臣「いやあ、ちょっとばかり風邪っ気だってんで甘ったれとるからね。どなって叩《たた》き出してやったんだよ。あ、まり子さん、ちょっと待って、その上にね、『迎え水』といってね。パッパッと水を少しかけるんだが……」
まり子「迎え水ですか、ハイッ!」
忠臣「あ、あんた手がなにだから(塩まぶれ)あたしがとってきましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立ってゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おお、寒む寒む!」
京太郎「(声をひそめて)熱あったんじゃないんですか、誠さん」
まり子「ええ。扁桃腺《へんとうせん》が弱いから、熱出なきゃいいなと思ってるんですけど」
京太郎「……そうか……艦長……誠さんがうちで寝てると……え? まり子さんが看病で、自分がいろいろ教えられないもンだから追ン出したんだ……」
まり子「そういうわけじゃないんですけど」
京太郎「いや、そうに決まってますよ。艦長ってのはそういう方なんだから……」
まり子「……(かぶをいれている)」
京太郎「まり子さん……電話……」
まり子「は?」
京太郎「そっと電話してみた方が……」
まり子「そんなことすると、また、お父さん……『それくらいのことで、つとめ先に女が電話をかけるとは何事だ!』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、水をもって出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、何、どなってるの」
まり子・京太郎「いえ、別に……」
忠臣「あ、いかん、水だけもってきてヒシャク忘れちまった。年とるとこれだから……」
まり子「あたし……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、立ってゆく。
[#1字下げ]京太郎、こんどは忠臣にすり寄って……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「(囁《ささや》く)『風邪は万病のもと……』」
忠臣「それがどうしたの」
京太郎「誠さん、無理しない方がいいんじゃないすか」
忠臣「これがね、結婚して三年五年たってるんなら休ませますよ。しかしねえ、新婚早々鼻風邪ぐらいで休ませたとあっちゃ、おやじがついとってあまりにもだらしがないじゃないの」
京太郎「しかしねえ、艦長」
忠臣「男の意地にかけても這《は》いずってもゆきなさいといってだな」
まり子(声)「お父さん、竹のでいいですか」
忠臣「竹じゃなくてアルマイトの小さいの」
京太郎「あ、あたしが判りますから……失礼」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、上って台所へ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何だい、人のうちにずかずか上りこんで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、見送ってから……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……誠の奴……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気になる感じ。
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]アルマイトの小さなひしゃくを手渡しながら、まり子に囁く京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まり子さん、出かけなさい」
まり子「出かけるって……あの、あたし別に」
京太郎「何か買物あるでしょ。帰りに誠さんの会社……通りがかりにちょっとのぞいたフリして……おかしかったら連れて帰る……」
まり子「でも、お父さん……」
京太郎「(まかせとき、と胸を叩く)上手に……お芝居……」
まり子「(うなずく)」
忠臣「まり子さん! どしたの」
まり子・京太郎「ハーイ、只今《ただいま》!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、不器用な目くばせで、庭の方へ。
●庭[#「庭」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎、ひしゃくを忠臣に。このあたりから源助が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(てっきりまり子と勘違いして)迎え水というのはね、まり子さん」
京太郎「ハイッ!」
忠臣「塩をまく……(いいかけて)あたしゃね、小料理屋のおやじにつけもの教えるほど閑《ひま》じゃありませんよ」
源助「ヘヘヘヘ」
京太郎・忠臣「なんだ、石川かい」
源助「定期便の配達でござい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一升|瓶《びん》をおく源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ご苦労」
源助「ほう、かぶのつけものでありますか。相馬|中尉《ちゆうい》もマメだなあ」
京太郎「いや、あたしは見物でね」
忠臣「まり子さん! まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、小走りにくる。
[#1字下げ]京太郎、目くばせ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(いきなり大きな声)お父さん!」
忠臣「ウワッ! 何ですよ」
まり子「あたし、忘れていたんです!」
忠臣「何、忘れてたの!」
まり子「ハイッ! 特売」
忠臣「トクバイ?」
まり子「ハイッ! 男ものの下着が物凄《ものすご》く安く買えるんです。お父さんのシャツやズボン下、毛玉が出てモコモコになってるんで、あの、それで……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ムキになっていうまり子にびっくりしている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ヘタだねえ」
忠臣「え?」
京太郎「あ、そりゃ、いった方がいい。そういやあ、うちの静子も朝から、これからいかなくちゃって張り切ってたわ、な、石川、お前ンとこの奥さんもそうだろ」
石川「え? いやあ、うちは別に」
京太郎「シッ! バカ。一緒にゆくって、そいってたじゃないか(蹴っとばしたり)」
忠臣「あの、まり子さん……」
まり子「お父さん、いってもいいでしょうか」
京太郎「いってらっしゃい、いってらっしゃい。かぶでも大根でもアタシが手伝いますから」
忠臣「あのねえ、ちょっと……」
京太郎「石川も手伝うといってますから、どうかごゆっくり」
まり子「すみません、お願いします」
忠臣「まり子さん、あたしはまだいいとも……」
京太郎「いってらっしゃい!」
源助「(つつかれて、よく判らないながら)いってらっしゃい……」
まり子「いってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、支度をしに奥の部屋へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「フン。亭主《ていしゆ》がカゼで早退《はやび》きしてくるかもしれんというのに、よく特売なんかにゆけるねえ。ハークション」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部・廊下[#「「女性時代」編集部・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]編集部のドアの前で、髪の乱れを直しているまり子。
[#1字下げ]気がせいて、小走りにきたらしくハアハアいっている。
●永山家・縁側[#「永山家・縁側」はゴシック体]
[#1字下げ]つけもの桶を前に、ならんで腰をおろし、ポカンとしてたばこをすっている京太郎と源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「どこまでゆかれたんだろうなあ」
源助「え?」
京太郎「艦長ですよ。ちょっとたばこ買いにって、もう小一時間じゃないの」
源助「どっこいしょ」
京太郎「どこいくの」
源助「アタシは店があるから」
京太郎「待ちなさいよ。おい石川、人、置き去りにするって法はないだろ?」
源助「しかし、早く帰ンないとカアちゃんが」
京太郎「※[#歌記号、unicode303d] 軍律きびしいなかなれど
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#2字下げ]これが見捨てて置かりょうか
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]歌の文句にもあるじゃないの」
[#1字下げ]ガックリしてすわる源助。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米に挨拶《あいさつ》している和服のまり子。誠の席のあたりを気にしながら、それでも若奥様らしい落着いた物腰。
[#1字下げ]土岡、内山、秋子など……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「主人がいつも、お世話になっております」
久米「いいわねえ、新婚ホヤホヤの若奥様がちょっと言いにくそうに『主人……』しびれるわねえ」
土岡「編集長、まり子さん……いや、奥さん、赤くなってるじゃないすか!」
まり子「あの……このへん通りかかりましたもんで……ちょっと」
久米「そりゃそりゃ」
まり子「あの、つまらないものですが、これ、みなさんで……(菓子折)」
久米「こりゃ、どうも」
土岡「ごちそうさま、ほら!」
一同「ごちそうさま!」
まり子「あの……主人……」
久米「え? 主人? 主人はさっき」
土岡「そうですよ、つい一時間前に」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勢いよくドアがあく。
[#1字下げ]何やら抱えた忠臣が、にぎやかに入ってくる。
[#1字下げ]土岡や内山のかげにかくれて、まり子の姿は見えない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「あ、お父さん……」
まり子「……お父さん」
忠臣「いつも愚息がお世話になっております。これ、つまらないものですが、ほんのお口よごし」
久米「こりゃこりゃどうも」
忠臣「えー、今年はまだいっぺんもこちらへご挨拶に伺っとりませんので、通りがかりにちょいとお寄りをした次第ですが……ええと、誠の奴は……」
久米・土岡「あの」
まり子「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]三人、言いかけるが、持ってきた包みのひもをほどいて中身を披露《ひろう》しようとしている忠臣には判らない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、お嬢さん、お茶をいれて下さいな。これはね、今どき珍しい今川焼……あ、実は誠の奴、ちょいと風邪気味で出かけましたんでね、ブッたるんでおるんではないか、ひとつ活を入れてやろうと」
まり子「お父さん……」
久米「今日はいやにダブリますな、え?」
忠臣「まり子さん、あんた……どしてここに、特売にいったんじゃなかったの」
まり子「ええ、あの、特売の帰りに……あの、誠さん……いえ、主人」
久米「いえ、つい一時間ばかり前にねえ」
土岡「熱はあるし、目はトロンとしてねえ、いかにも苦しそうなんですよ。ところが、本人は帰ンないって頑張《がんば》るんだなあ」
久米「まあ、こっちも大立ち廻りでね、うち帰って寝てろ! やっと追ン出したとこなんですがねえ」
忠臣「え? それじゃあ」
まり子「今頃、うちに帰ってるのかしら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]机の下からいきなりヘンな声がする。
[#1字下げ]「ビーワン」のボーイが、床の上にならべてある出前のコーヒーカップをとりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ボーイ「まだじゃないかな」
一同「え?」
ボーイ「永山さんなら、さっきまでうちの店で休んでたすよ」
忠臣「うちの店って……」
ボーイ「下のビーワン」
忠臣「ああ、地下のキッチャ店」
ボーイ「早く帰った方がいいんじゃないすかっていったんすけどね、うち帰っても落着いてねてらンないからって……」
忠臣・まり子「それで……」
ボーイ「十分くらい前にフラフラって出てったけど」
忠臣「あいつ……」
まり子「大丈夫かしらねえ」
忠臣「ハークション!」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体]
[#1字下げ]カンカンになっているたつが、はな子や宇佐美クンをどなりとばしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「どこいったか知りませんて……セン抜きだの、カン切りが見つからないっていうんじゃないんだよ。大の男がどこいったか、え? 判んないの!」
宇佐美「そんなこといったって、おかみさん。オレ、旦那《だんな》の番兵じゃないよ」
たつ「全くもう、はな子もどこに目つけてんだろうねえ」
はな子「お母ちゃん、アタシねえ、目は二つしきゃないからね」
たつ「え?」
はな子「お店の品物、万引きされないように見張ってろ、お父ちゃん見張ってろ。二ついっぺんにみてらんないよ!」
たつ「そういう口へらずなこといってるとお嫁のもらい手……あ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、びっくりする。店から誠を支えるようにして入ってきたのは静子である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「奥さん、誠さん……どしたのよ!」
静子「二丁目のバス停のとこでね、誠さん……こやってつかまってたのよ」
誠「いやあ、はじめからタクシーにのりゃよかったんすけどね、タクシー待ってたらバスがきたもんで、ついのっちまったのが……どうも……」
静子「すごい熱なのよ。とにかく、ここが一番近いからと思って……」
たつ「はな子! 奥、布団しいて……」
誠「いや、うちへ帰れますから」
静子「フラフラしてるじゃないの。少し納まってから……ね、まり子さんに迎えにきてもらってもいいし……」
たつ「さ、こっちこっち」
誠「いや、ほんとに帰れますから」
静子「強情はらないの」
たつ「そうよ。誠さん、アンタ、小さい時から熱に弱いんだから」
静子「あ、奥さん、あたし(で)大丈夫ですから……」
たつ「やだ、奥さん、誠さんならアンタ、このくらいから知ってるのよ。あたしに任せといて下さいよ」
静子「あら奥さん、あたしねえ、息子扱いつけてるから」
たつ「奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子とたつ、争うようにして誠を支えて入ってゆく。
●石川酒店・茶の間[#「石川酒店・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]座布団の上に横になって、ぬれタオルをのせている誠。
[#1字下げ]その枕もとでやりあう静子とたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「大体まり子さんがいけないわよ。朝から熱があったっていうんでしょ? どして、出かけさせるのよ」
誠「いや、それは」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひとことごとに、誠、おでこのタオルを落っことしながら起き上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ・静子「誠さん、アンタはいいのよ」
誠「まり子は休めっていったんですよ。でもね、おやじが……いや、ぼくがね、大したことないから」
静子「そうですよ。どしてまり子さんがゆかせたいもんですか。永山さんの手前、べタベタしてるっていわれるのが辛さに、それでまり子さん」
誠「いや、あの」
たつ「誠さんはいいっていってるのよ。でもねえ、奥さん、アタシが女房《にようぼう》なら、誰が何てったって休ませるわね」
静子「そりゃあたしが女房だって休ませたいわよ。でも、そうできないとこが、まり子さんの切ないとこじゃないの」
たつ「ねえ奥さん。人間は体が『もとで』なのよ。忠犬ハチ公じゃあるまいし、毎日出かけてゆきゃいいってもんじゃないのよ」
静子「そのくらい判ってるっていってるでしょ! でもねえ、舅がいると、そうはいかないもンなのよ」
たつ「舅が何だっていうのよ。あたしなら、舅張り倒したって」
静子「フン。苦労したのなんのっていってるけど、舅で気使ったことのない人はこれだから」
誠「あの」
たつ・静子「誠さんはいいのよ、あのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はな子……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「ケンカしてるひまにすることあンじゃないの」
たつ・静子「え?」
はな子「まり子さんに電話……」
誠「あの、ぼく、本当に一人で帰れますから」
たつ「フラフラしてるじゃないの、無理よ」
静子「じゃあ、あたし、送ってくわ」
たつ「送ってくんならアタシが」
静子「奥さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もみあう二人。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]帰ってきた忠臣が、京太郎と源助に意見をされている。
[#1字下げ]ダイヤルを廻しているまり子。途中でナンバーを間違えたらしく、二度ほど廻し直す。
[#1字下げ]忠臣はゾクゾクと寒気がして気分が悪いらしく、丸っきり元気がない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「ほうら、ごらんなさいよ、艦長!」
源助「『精神一到何事か成らざらん』も時と場合によりけりですよ」
京太郎「そういう精神主義はもうはやらないんですよ」
忠臣「ウウウ(寒気)」
京太郎「ウウウじゃないでしょ! 誠さんにもしものことがあったら艦長の責任ですからね」
忠臣「何をいっとるんだ。七つ八つの子供じゃあるまいし、大の大人が……本当に具合が悪かったら、誰が何といおうと、うちで寝てりゃいいんだ。……あ、まり子さん、そんなね、大騒ぎして電話かけるこたァありませんよ」
源助・京太郎「艦長!」
忠臣「ハラがへりゃ、ほっといたって……おお、サブ」
源助・京太郎「(冷たくじろり)」
まり子「あ、モシモシ、お義姉《ねえ》さん」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]電話に出ている悦子。
[#1字下げ]そばに作りかけの造花。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「え? 誠さん? きてないけど……一体どしたのよ。誠さん会社でしょ? どして今時分うちへなんかくるのよ、モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#1字下げ]忠臣、京太郎、源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ええ……あの、ちょっと……誠さん、風邪っ気で……それで会社早退きして……あの」
悦子(声)「まり子さん、あんたたちケンカしたんでしょ?」
まり子「そんなんじゃないんです。あの」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「帰ってくるわよ、大丈夫よ。え? ああ、もしこっち寄ったら、すぐ電話……ハイハイ、ようく判りました。(ニヤニヤして)あ、お父さんによろしくね。(電話切って)ああいいなあ、新婚か……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子、忠臣、京太郎、源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、お義姉さん」
忠臣「迷子じゃあるまいし、そのうちに帰ってくるよ。ああ、さむ……寒気がするなあ」
源助「寒気がしてるのは、誠さんでしょッ!」
京太郎「艦長、この際ながら、言いにくいこと申し上げますけどねえ」
忠臣「まり子さん、布団しいて頂戴《ちようだい》」
まり子「お布団ですか」
忠臣「何だかゾクゾクしてきたねえ。あたしも流感じゃないかなあ」
源助「都合が悪くなると、すぐこれだ」
京太郎「まり子さん、布団なんかしくこたァありませんよ」
忠臣「おい、何をいうんだ」
まり子「お父さん(言いかける)」
静子(声)「ごめん下さい」
京太郎「うむ、うちの静子じゃないか」
たつ(声)「ただいまァ!」
源助「あ、うちの母ちゃん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、腰を浮かすところへ、両側から誠を支えるようにして静子とたつが上ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん!」
忠臣「誠……お前」
京太郎・源助「どしたんだい、え?」
誠「そこのバス停のとこで日高のおばさんに助けられちゃってさ」
たつ「さっそく、うちへ連れてきたのよ」
静子「通り合せてよかったわよ。この熱じゃあ、いかになんだって(言いかける)」
忠臣「どこでどう助けて貰《もら》ったか知らんけどね、大の男が女に抱えられて」
誠「いや、オレ、一人で大丈夫だっていったんだけどさ」
静子「そうなのよ、わたしたちが無理やりにお連れしたんですよ」
たつ「これからのこともあるから、永山さんに意見しようって……ね、奥さん」
静子「あ、誠さん、ハナシあとにして早く横になった方がいいわ」
たつ「まり子さん、あたしたちはいいから、早く」
まり子「すみません」
静子「足の方あったかくしてね」
たつ「湯たんぽ、いれて……」
誠「どうもすみませんでした」
静子「お大事にね」
たつ「病気なんだから、大威張りでねてなさいよ、えッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子に支えられるようにして入ってゆく。
[#1字下げ]忠臣、あとからのこのことついてゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、まり子さん、誠の方、ひとたて終ったら、アタシの布団しいて(頂戴)」
たつ)「永山さん」
静子  「ちょっとお待ちになって下さいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]女たち、体当りのようにして忠臣を引き据《す》える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アイタタ、何するんですよ」
たつ「ちょっとおすわンなさいっていってんですよ」
忠臣「おい、石川、お前ンとこの細君(言いかける)」
たつ「永山さん、いい加減にして下さいよ」
京太郎「いやあ、今あたしたちもそいってたとこなのよ」
たつ「永山さんは、いつでも一番騒がれていないと機嫌の悪い人なのよ」
源助「でもねえ、お嫁さんが入ったんだから」
たつ「そう!」
静子「永山さん、まり子さんは誠さんのお嫁さんなんですよ。永山さんのお嫁さんじゃないんですよ」
忠臣「そのくらい判ってますよ」
静子「いいえ、判ってない!」
たつ「判ってない!」
静子「判ってたら、今日みたいなマネするわけないわよ」
たつ「そうよ!」
忠臣「あのね、アタシも、頭が痛いの、背中がゾクゾク」
たつ「フン、誠さんの向う張って……」
忠臣「え?」
たつ「人に騒がれようと思って仮病使うんじゃないのよ」
忠臣「仮病! 何ということを、わたしはねえ、本当に」
源助「(小さく)艦長のいつものやりくち……」
京太郎「まるで子供なんだから」
忠臣「あのねえ、本当に」
静子「お風邪ならお風邪でいいですけどさ(本気にしていない)これ以上まり子さんに世話かけちゃだめよ」
忠臣「何をいうか! わたしは本当にゾクゾク」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小走りに入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、お医者さま、よんだ方がいいと思うんですけど」
忠臣「あ、それなら、アタシも一緒にみていただくから(言いかけるがダメ)」
京太郎「かかりつけはね、うちと同じ……」
静子「下沢先生! あ、まり子さん、あたし、電話……ええと……」
京太郎「電話帳、そこにあったろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、電話帳を探してかけようとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「奥さん、下沢先生もいいけど、年よりでしょ! それよか、うちのかかりつけの……」
源助「今西先生の方が……なあ」
京太郎「でも、誠さん、子供の時から知ってるから」
忠臣「下沢クンはね、ありゃ海軍の」
たつ「永山さんはいいのよ! 軍医はあらっぽいわよ。今西先生の方が」
まり子「あの、どっちでもいいですから、往診を」
静子「じゃあ一応かけてみて、ダメだったら奥さんの方に」
忠臣「電話ならアタシが」
[#ここで字下げ終わり]
たつ「永山さん、アンタ、本当に具合悪いんならおとなしく寝てなさいよ!」
[#1字下げ]はじきとばされる忠臣。
[#1字下げ]電話のダイヤルを廻す静子をかこんでワイワイいっている一同。
[#1字下げ]忠臣、黙って出てゆく。
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]湯豆腐を突ついている徳造とふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「アチチチチ(豆腐を口から出す)」
ふみ江「ほらほら。猫舌のくせにあわてるから」
徳造「ベラ棒め、湯豆腐ってのはな、口の天井《てんじよう》やけどしながら食うのが通なんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関の戸があく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しかし、それきり声はしない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「どなたァ? 集金?」
徳造「進一じゃねえのか」
ふみ江「進ちゃん?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、ひょいと立って障子をあけてアッとなる。
[#1字下げ]上りがまちにぐったりと伸びているのは永山忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「あらら」
徳造「永山チューシン……」
ふみ江「どしたのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江に抱き起される忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「永山さん、アンタ、具合が悪いんじゃないの」
忠臣「……風邪……熱出てね、フラフラ……」
ふみ江「ほんとだ、アツいわ」
忠臣「徳さん……直るまで……ここにやっかいになっていいかい」
徳造「え? アンタがかい」
忠臣「実はねえ、徳さん。誠の奴も風邪でさ、寝込んでるんだ。新婚そうそうのまり子さんに舅の看病は可哀そうだと思ってね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お人好しの徳造、ぐっときてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう永山忠臣! この倉島徳造が引受けたぞ! 何日でもスッパリと直るまでゆっくり養生してってくれ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大見得を切る徳造。
●若夫婦の部屋[#「若夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]水枕で寝ている誠。
[#1字下げ]枕もとにクスリの袋。
[#1字下げ]ぬれ手拭《てぬぐ》いをとりかえているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、どこいらしたのかしらねえ」
誠「あれっきりか」
まり子「相馬さんや石川さんたちは、なあにそのうちにフラッと日高に寄るでしょうなんて帰ってらしたけど……」
誠「ま、そんなとこだろ」
まり子「お父さん、本当に具合が悪かったんじゃないかな。それみんなで仮病だ仮病だっていったでしょ。腹立てて、それでお父さん」
誠「そのうち帰ってくるって……」
[#ここで字下げ終わり]
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]茶の間のまん中に布団をしいて寝ている忠臣。布団の中から小うるさく徳造とふみ江に指図する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「水枕がつべたすぎるんだよ。タオル、もう一枚(入れて)脳が冷え込んじまうよ」
ふみ江「タオルね、ハイハイ」
忠臣「それからね、ネギミソを作ってもらいたいの」
ふみ江「ネギミソ」
徳造「なんだい、そりゃ」
忠臣「ネギをね、こまかく切ってね、それにミソをまぜて、グラグラ煮立ってるお湯を入れてのむとね、カゼの妙薬なんだ。永山家独特のね」
ふみ江「ネギミソね」
忠臣「あ、ネギは青いとこはいけませんよ、白いとこね。それからまん中のフカフカのとこもとって……」
ふみ江「ハイハイ」
忠臣「それからミソは……ミソよかスースーするねえ。スキマッ風が入るんじゃないの」
ふみ江「安普請《やすぶしん》ですみませんねえ」
忠臣「そこンとこ、羽おりかなんかかけて……(隙間風《すきまかぜ》を防ぐ指図)ヤカンに湯気は立ててるね」
ふみ江「ハイハイ」
忠臣「湯タンポ、あついな。ヤケドしちまうよ」
ふみ江「湯タンポ?」
忠臣「湯タンポはいいから、ネギミソ先にね」
ふみ江「ハイハイ(うんざりしている)」
徳造「ミソ先だとさ」
ふみ江「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]台所へ立つふみ江に、くっついて徳造。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]さすがに中ッ腹でネギを刻むふみ江に、横から片手拝みの徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「こらえてくれや。な、まり子の苦労をオレたちが代ってやってると思って、な」
ふみ江「判ってるけどさ」
徳造「この通りだ、な、ふみ江」
忠臣(声)「おーい、徳さん!」
徳造「おう、いまいくよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]寝ている忠臣。徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「足がだるいんだよ。座布団入れて……(高くして)」
徳造「高くすんだな。アイヨ。ドッコイショ。重てえ足だな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の足をもち上げて下に座布団をあてがう徳造。
[#1字下げ]ネギとミソを持って、涙を拭《ふ》きながら入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ねえ、やっぱしさ、まり子さんに電話した方がいいんじゃないのかねえ」
忠臣「たまには気をもませた方がいいんだよ。あ、徳さん、電気暗くして……ついでに足もんでちょうだいな」
徳造「俺《おれ》ァね、アンマじゃねえん(言いかけるが)アイヨアイヨ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]さすがに面白《おもしろ》くない徳造。しぶしぶもみ出す。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話に出ている勇。悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「きてないったらきてないよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]パジャマの上に毛布をかぶって、電話に出ている誠。
[#1字下げ]支えているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほかにゆくとこあるかなあ」
勇(声)「『日高』じゃないのか」
誠「風邪ひいてるからねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]勇、悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「そんなら、どして外へ出したんだよ」
誠(声)「出したんじゃないだろ。ひとりで出てったんだろ」
勇「何にもなくてひとりで出てくわけないだろ。お前たちが何か言ったんだろ」
誠(声)「一緒にいない人間に言ったって判んないよ!」
勇「おい、誠。アッ! 何だよ! あいつ、いきなりガシャンと切りやがる」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「面白くないんでしょ? 新婚なのに親が一緒じゃねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]毛布をかぶった誠。まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(プンプンしている)一緒に暮さない人間がデカい口|利《き》くなっていうんだよ!」
まり子「電話で兄弟げんかすることないでしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話なる。
[#1字下げ]誠、中っ腹で乱暴にとる。
[#1字下げ]てっきり兄と思って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「何だよ! オレたちだってねベストつくしてるよ!……ア、モシモシ、あ、おばさん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]え? となるまり子。
●倉島家・茶の間[#「倉島家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]寝ている忠臣の裾《すそ》に廻って足をもんでいる徳造。ブツブツ文句をいっている忠臣。その横から電話のコードが伸びている。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]毛布をかぶって、声をしのばせて電話しているふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「まあ、こっちも一生懸命に看病してんだけどさ。何せ、叱言《こごと》の多い人だろ。うちの人もいい加減、頭にきてんのよ」
まり子(声)「そうお、まさかと思ってたらそっちへいったの」
ふみ江「もしもケンカでもしちまったら、間に入って困るのはまり子さんだと思ってさ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……判ったわ。すぐ迎えにゆきます」
誠「倉島さんとこへころがりこんでたのか……全くもう……」
[#ここで字下げ終わり]
●倉島家・茶の間[#「倉島家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]オーバーに毛布をかぶった忠臣が、まり子に引っぱられて帰るところ。
[#1字下げ]押し出すようにする徳造とふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「帰ンないっていってるんだよ。アタシはここに」
徳造「ほらほら、永山忠臣! この期《ご》に及んでジタバタするない」
まり子「(ハッキリと)お父さん。帰りましょ」
忠臣「………」
まり子「お父さん……」
忠臣「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]犬の遠吠《とおぼ》え。
[#1字下げ]夜廻りの拍子木。冬の夜。
[#1字下げ]忠臣の部屋に灯《あか》りがともっている。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣のとなりに誠の布団。枕を並べて寝ている父と子。
[#1字下げ]誠、寝ながら父に意見をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「体が丈夫な時には、どんなバカやってもいいから……」
忠臣「………」
誠「病気の時だけはおとなしくしてくれよね。笑われるのはオレたちなんだから」
忠臣「おい、寝ながら叱言いうってのは、きき目がうすいもんだねえ」
誠「え?」
忠臣「声が、横にひろがって、重《おも》しがきかないんだよ」
誠「マジメにきいてくれよ、全く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハイ、二人とも……これのんで、ぐっとあったまって下さいな」
二人「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、チラリとみて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「玉子酒じゃないか」
誠「玉子酒。へえ……」
忠臣「こりゃうれしいねえ。まり子さん、あんた気がきくねえ」
まり子「うちじゃあ、風邪ひくといつもお父ちゃん、父が……」
忠臣「(のみながら)……お父ちゃんでいいよ、まり子さん……」
まり子「(うれしい)」
忠臣「徳さんが足もんでくれたよ」
まり子「お父ちゃんがですか」
誠「そんなことさせたの?」
忠臣「ありゃ、わたしにしてくれたんじゃないねえ。娘がかわいいから、その分わたしに……親ってのは有難いもんさ」
まり子「………」
誠「(フウフウ吹きながら)思い出すなあ」
まり子「?」
誠「風邪ひくとよくお母さんが作ったっけなあ」
まり子「玉子酒ですか」
誠「おやじさんと兄貴だけ玉子酒で、オレ、チビなもんでレモンとハチミツのお湯なんだ。早く大人になって風邪ひいて玉子酒のみたいと思ってたけど……」
忠臣「本望達してよかったな、え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけたとたんにむせる忠臣。
[#1字下げ]背中を叩くまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほらほら、のみながらしゃべるから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と、いいかけて、自分もむせてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ゲッ!」
忠臣「バカモノ! 人のこという前に自分……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ゴホンゴホンとむせる父と子。
[#1字下げ]誠を叩き、忠臣を叩き、大忙しのまり子。
[#1字下げ]しあわせな冬の夜の三人。
[#改ページ]
23
[#改ページ]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]まり子を連れて買物に来ている忠臣。
[#1字下げ]あれこれと口うるさく指図して、大得意。
[#1字下げ]源助、たつ(二人とも手仕事をしながら、相手をしている)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ええと、あとは、サラダオイルを二本と」
源助「サラダオイル……いつものですな」
たつ「小さい方ね……」
まり子「ええ。それと……」
忠臣「(小さく)カン……」
まり子「あ、缶詰《かんづめ》……」
源助「缶詰は」
たつ「いつものシャケね、ハイハイ」
忠臣「ちょっとちょっと。缶詰ってやあ、いつもシャケカンだと思ってんだから。たまには、カニカンも買いますよって……ねえ、まり子さん」
まり子「カニカン……二つ。このカニカンはお安いので……」
たつ「はいはい、カニカン二つね」
忠臣「あ、まり子さん、缶詰買う時は、店の人まかせにしないでね、ようくカンを見る」
まり子「ハイッ!」
忠臣「こう、フタのとこがふくれてるのはね、古くなって中にガスがたまっとる証拠だから……絶対に買わない」
まり子「あ、ふくらんでるのは古いんですか」
源助「ちょっと……」
たつ「永山さん、うちはね、そんな古いものは売りませんよ。何をいってんのよ!」
忠臣「知識として言っとるんじゃないの。逆にね、へっこんでるのはいいの。ヘコカンといってね、こりゃ新しいんだ」
たつ「まあ、永山さんときたら、男のくせに変なこと知ってんだから……」
忠臣「そりゃね、家内を亡《な》くしてやもめ暮しをしとれば、自然に生活の知恵も身についてきますよ」
源助「ま、こやって、綺麗《きれい》なお嫁さんお供に連れてさ、教えながら買物してりゃ、艦長、言うことなしじゃないすか」
忠臣「まあ、倅《せがれ》のヨメに見てくれりゃいいんだけども」
源助・たつ「ええ?」
忠臣「年甲斐《としがい》もなく若い後添え貰《もら》ったなんて思われるとまり子さんに気の毒だから、もう私は」
たつ「ちょっと! うぬぼれるのも大がいにしなさいよ、えッ!」
忠臣「そうド突くことないじゃないの」
[#1字下げ]笑っているまり子。
忠臣「だからね、気を使っとるといってるじゃないか。道歩くんでも、私が端の方歩いてさ。ねえ、万々一、自動車でも飛び込んできたら、パッ! 私が身をもってかばってやろう。それが誠に対する」
店先で、にきび盛りの男子高校生が三人ばかり、積んであるインスタント・ラーメンを品定めしている。
たつ「ほら、はな子、お客さんだよ! はな子!」
はな子、口いっぱいに頬張《ほおば》りながら出てくる。いらっしゃいませ、と言っているらしいが、聞えない。
たつ「どういうんだろうねえ。口いっぱいに物頬張っちゃって……お客さんがみえてんのに、それじゃあお前」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつに背中を叩《たた》かれているはな子。
[#1字下げ]まり子、ごく自然に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いらっしゃいませ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆくまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いらっしゃいませ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ニッコリあいさつするまり子の美しさに、テレて、ラーメンをもどして行ってしまう高校生たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、いいんですか。またどうぞ……」
源助「ヘヘ、まり子さん、あんまり美人なもんで、テレてやがる」
まり子「そんな……あたし、言い方がヘタだから買わないでいってしまったんだわ」
たつ「いやあ、あの連中、いつもアタシだのはな子なんかにさ、買うの買わないの、買わないんならいじンなさんなよ! なんてどなられてるから……」
はな子「(モグモグしながら)たまにやさしくされたんで調子狂ったんだ……」
忠臣「まり子さん、ちょうどいい機会だから言っておくんだけど……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、咳払《せきばら》いして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、ここはバーだのカフェじゃないんだから。そんなお愛想するこたァありませんよ」
たつ)「永山さん」
源助  「艦長……」
忠臣「あんたはもう水商売じゃないんだ。堅気の奥さんなんだから」
まり子「……ハイ」
忠臣「同じ『いらっしゃいませ』ひとこと言うんでもな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]さっきからこらえていたたつ、忠臣の胸倉をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ちょっと永山さん……」
忠臣「あいたたた……何すンのよ」
たつ「ちょっとこっち……」
忠臣「いたいってのに……」
たつ「こっちいらっしゃいっていうのよ」
まり子「あの……」
たつ「まり子さんはいいの。ちょっとね、永山さんに言って聞かすことがあんだから」
忠臣「おい、石川(助けを求める)」
たつ「お父ちゃんもいいのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、忠臣を引きずって、少し離れた羽目板に押しつける。まり子に聞えないように、押し殺した小さい声で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん、あんた何てこと言うのよ」
忠臣「え?」
たつ「えじゃないわよ、何て思いやりのないこというんですよ。ニッコリして『いらっしゃいまし』いったぐらいで、今更バーだの水商売だのっていうこたァないでしょッ!」
忠臣「だってさ」
たつ「それでなくたってね、いっぺんああいうとこの水くぐった女は、気持のどっかにひけ目な思い抱えて暮してんのよ。それ何ですよ、グサッと突き刺すようなこといって……」
忠臣「いたたた」
源助「おい、もういいじゃないか、な、艦長だって悪気があっていわれたんじゃないんだから」
たつ「言われる身になンなさいっていってんのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]羽目板に押しつけられて、フウフウの忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あたしゃね、羽子板の押絵じゃあないんだからそう押しつけないでもらいたいね。まり子さん、早く次いこ。ヘヘ、まり子さんにね、ネクタイ選んで貰うんだ……ねえ、まり子さん」
たつ「お愛想笑いなんかしたって間に合わないわよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●洋品店[#「洋品店」はゴシック体](ウインドー)
[#1字下げ]ネギや大根などのシッポのはみ出た買物かごを抱えたまり子と忠臣が、小綺麗な洋品店のウインドーの前で、ネクタイの品定めをしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ね、まり子さん、あれどうだろ」
まり子「あの、ポチポチですか」
忠臣「ポチポチじゃありませんよ。そのこっちの……」
まり子「シマですか」
忠臣「モダーンじゃないの」
まり子「お父さんがなさるんですか」
忠臣「ネズミのフラノの上衣《うわぎ》ね。あれにいいと思うんだけど、どうかしら」
まり子「うーん、ちょっと……」
忠臣「派手だっていいたいらしいけどね、若い人は地味に、年とったら派手にっていうのが」
まり子「でも、高そうですよ」
忠臣「うーむ。正札がひっくりかえってて判《わか》らんなあ。意地の悪い店だねえ。どうしてもっと見やすいように」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら忠臣、かがんでウインドーのガラスの下から、正札をのぞきこんでいる。
[#1字下げ]うしろから近寄った若い男(竹内)まり子に声をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹内「まり子じゃないか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ビックリするまり子。
[#1字下げ]人の好さそうな竹内がなつかしそうに肩を叩く。
[#1字下げ]忠臣、立ち上ろうとして、すぐ上に竹内がいるので立つに立てず、下から仰いでオタオタする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹内「アッてこたァないだろ。久しぶりだなあ。え?」
まり子「どうも、いろいろお世話になりました」
竹内「いきなりやめちまうからさ、うちの部長なんかもね、まり子どしたって大騒ぎだったよ」
忠臣「あの……」
竹内「結婚したって本当なの」
まり子「ええ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]竹内、買物かごにチラリと目を走らせて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
竹内「相手はどんな(言いかける)」
忠臣「どっこいしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]モタモタと起き上る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、お父さん」
竹内「お父さん」
まり子「主人の父です。あの……前のお店のお客さま」
忠臣「そりゃそりゃ、嫁がお世話になりましたようで」
竹内「あ、いや……」
忠臣「ま、おかげさまでしあわせにやっとりますので、昔のおなじみの方にもそういう風にお伝えを」
竹内「は、はあ、どうも……失礼しました」
まり子「ごめん下さい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]正面きって挨拶《あいさつ》する忠臣にびっくりして、あわてて行ってしまう竹内。
[#1字下げ]まり子、何となく忠臣に小さく会釈《えしやく》する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何て名前だっけ……今の……」
まり子「竹内さんです」
忠臣「おなじみだったの」
まり子「いいえ……別に……ごく普通の……」
忠臣「フーン。……別に何でもないのね」
まり子「(いきり立つ)お父さん! あたし、そんな……何おっしゃるんですか」
忠臣「あいたたた……」
まり子「そりゃ、ああいう商売ですから、手ぐらいさわられましたよ。でもねえ、そんな……あたし、誠さんのほかは……ウソだと思ったらママに聞いて下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]物凄《ものすご》い見幕で迫るまり子。つるし上げられる忠臣。
[#1字下げ]通りがかりの人も立ちどまって見物している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、皆さん、何でもないんですから、どうぞ……どうぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、みんなをやり過ごして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さんも短気だねえ。え? 何かあると思やあ、聞きやしませんよ」
まり子「……(うなずきながら、忠臣の衣紋《えもん》を直してやる)」
忠臣「でもねえ、まり子さん、誠には言わん方がいい……」
まり子「え?」
忠臣「男ってものはヤキモチやきなもんだ。何もなかったといっても、聞きゃいい気持はせんだろう」
まり子「でも、あたし、誠さんにはかくしごとしないで暮そうって」
忠臣「……あたしひとつの胸に納めときゃいいんだよ。さ、いこ、いこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、不本意だが仕方ない。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、誠、まり子。
[#1字下げ]まり子の弟の進一が来て四人で夕食。(ちり鍋)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら進ちゃん、遠慮しないで」
忠臣「箸《はし》のばした、箸のばした」
進一「悪いなあ。三人前しかなかったんでしょ」
まり子「(フザけてわざと)そうよ……急にきて晩ごはん食べてゆかれたんじゃあ、たまンないわよ」
誠「大丈夫だって、なべもの[#「なべもの」に傍点]ってのはこういうとき便利だよねえ」
忠臣「借りてきた猫《ねこ》じゃないんだから、もっとちゃんとすわって……」
進一「でもねえ、おやじさんに言われてんだよなあ。姉さんとこいっても上ンないで帰れ。新婚のとこで長居したらバカだぞって」
忠臣「いっぱしのこといってるねえ。え?」
誠「そんなことで気もむよかね、大学入試の心配したほうがいいんじゃないかな」
忠臣「お、こんどは、こっちがいっぱしの口だ。え? 進ちゃん。こいつ、嫁さんなんかもらってデカい口きいとるけどね、勉強のほうは兄貴みたいに出来がよくなくてさ」
誠「お父さん、何もそんな」
忠臣「君と同じ二浪なんだよ」
誠「お父さん」
忠臣「それも一流とは申しかねる大学……」
まり子「お父さん……」
忠臣「まあ、金使わずに表口から入っただけがめっけもンだがね」
誠「ほらほら、お父さん(こぼしてるよ)進ちゃん、ほら、こっち煮えてるよ……」
進一「アチチチ……」
誠「なんだ、進ちゃん、猫舌?」
進一「アイスクリームは強いんだけどね」
誠「オレと同じだ」
忠臣「アタシも……」
誠「お父さんはアツいのも強いだろ。口に入れるものは、何でも強いんだよ」
忠臣「人聞きの悪いこと言いなさんな」
誠「あ、今日のタラ、いけるよ」
忠臣「いいだろ。まり子さんと二人で……ねえ。駅前の市場までいったんだもの」
誠「フーン」
まり子「お魚はやっぱりあそこですね」
忠臣「安くてイキがいいんだから」
誠「あ、どした、アレ?(アチチ)」
忠臣「あーあ、ダラダラこぼして……まり子さん(拭《ふ》いてやって頂戴《ちようだい》)」
まり子「ハイ(拭いてやる)」
誠「(フガフガ)ネクタイ」
一同「え?」
誠「ネクタイ……買ったの」
忠臣 )「え? ああ、ネクタイねえ」
まり子  「ああ」
忠臣「見たことは見たんだけどねえ」
誠「そうか、派手なの買うって、まり子さんにとめられたんだろ。(進一に)もう、このごろヤングの向う張っちゃって」
忠臣「そうじゃあないんだよ。ちょっとその、……人に逢《あ》ったもんだからして」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、何となく、ほのめかしたい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(ごく自然に食べながら)誰《だれ》に逢ったの?」
まり子「あの、あたしの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、わざと目で制して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、あたしのね、古い友達ですよ」
進一「やっぱり、海軍のですか」
忠臣「さよう。名前は……(わざとまり子に)ありゃ、何てったかな……タ、タ」
まり子「竹内」
忠臣「そうそう、竹内一水だ、ハハ。ねえ、まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけようとするまり子に、忠臣、わざとウインクをして、多少楽しんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほう、お嫁さんですか。きれいなかたですな、なんてね、お世辞いわれちゃった。……ねえ、まり子さん(またウインク)」
まり子「え、ええ」
誠「なに、目パチパチやってんだよ」
忠臣「え? いや、目にゴミ……いや、逆さまつ毛かな」
誠「逆さまつげ?」
忠臣「ほらほら、進ちゃん、ポン酢がなくなってるじゃないか、まり子さん」
まり子「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、手をのばす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「レンゲがきてないなあ」
まり子「レンゲですか」
忠臣「あ、いい、いい、あたしが……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣腰を浮かして台所へゆこうとする。
[#1字下げ]電話がなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ(声だけ)」
忠臣「あ、あたしが出よう」
まり子「いいです」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話に出るまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ。永山ですが」
重森(声)「まり子さんですね」
まり子「まり子ですけど……あの……」
重森(声)「重森ですよ」
まり子「シゲモリ……ああ、重森さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、さりげない風でその脇《わき》を通って台所へゆく。誠、チラリと気にするが、進一と食事をつづける。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]レンゲを探しながらの忠臣。
[#1字下げ]電話をしているまり子が見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「男の声だねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●バー「かもめ」[#「バー「かもめ」」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターから電話している重森(30)。そばで、気をもんでいるママの順子。
[#1字下げ]うしろに飲んでいる久米と土岡も見える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重森「久しぶりだなあ、まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]受話器をもつまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ほんと、お久しぶり……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]少なからず、当惑しているまり子。
[#1字下げ]誠も進一もチラリと気にしながら食事をつづける。忠臣、わざと台所に立って、横をすりぬけて、盗み聞きにいく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「急だったもんですから、ごあいさつもしませんで……」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターで電話している重森。横の順子。久米と土岡がうしろに見える。
[#1字下げ]重森は、地方出身の素朴《そぼく》な感じの男だが、やや杓子定規《しやくしじようぎ》でヤボなところがある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重森「実はねえ、君に頼まれてた……例のハナシ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、進一、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「例のハナシっていいますと……」
重森(声)「弟さんの……」
まり子「(小さく)弟……」
重森(声)「大学入試の件……」
まり子「ああ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、こっちをチラチラ窺《うかが》っている進一を、気にする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重森(声)「モシモシ。変な時間に電話して差し障《さわ》りがあるんなら、昼間のほうが……」
まり子「いえ、別にかまいませんけど……」
重森(声)「昼間コソコソするなにじゃないしさ、かえってね、ご主人いるときのほうがいいだろうと思ってね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、台所から出たり入ったり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そりゃ、あたしもそのほうが……(誠に)あの、ちょっとお友達から……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、電話コードを台所のほうへいっぱいに引きこんで、体でかばうようにして話す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ。失礼しました」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]重森、順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重森「実はこの間うちからたのんでた助教授なんだけどね。口|利《き》いてやってもいいっていうんだ……」
まり子(声)「まあ、よろしいんでしょうか」
重森「いやあ、そこから先が言いにくいんだけどね、少し包まなきゃならないらしいんだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子。うしろに誠、進一。忠臣、またうしろを通りかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、包むって……いいますと、どれくらい」
重森(声)「最低で二十万円は……」
まり子「二十万……現金(でしょうか)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ギクリとして足をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(口の中で)二十万……」
重森(声)「小切手は、まずいさ」
まり子「そうですねえ」
誠「お父さん、なに立ったりすわったりしてんだよ。落着かないだろ」
忠臣「う、うん、いろいろと揃《そろ》ってないからね」
まり子「ハイ、ハイ……いつ頃《ごろ》……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、忠臣が聞き耳を立てていることに気づく。変にカンぐられたくないと気を廻《まわ》してしまう。殊更《ことさら》に明るくハッキリと応対する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、やっぱり、そういうことは早いほうがいいでしょうねえ。あたしのほうはいつでも……はあ、あしたでもけっこうです。ええ。いえ。そういうとこじゃなくて……ええ、そこのほうが、ええ。あたしは有難《ありがた》いんですけど……ハイハイ。では、もういっぺん、おつとめ先のほうにお電話を差し上げて、……ハイ、それから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]チラチラと忠臣……。
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]重森と順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
重森「いやあ、何だかブローカーみたいで気がひけるんだけどさ」
まり子(声)「とんでもない」
重森「まり子さんだって、弟さん、今年こそ入ってもらわないと大変だもんなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子。うしろに忠臣、誠、進一。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そうなんです。本当にありがとうございます」
忠臣「フン(よそよそしいアイサツしおって)」
まり子「それでは、ごめん下さいませ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切るまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「どうもすみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、席にもどる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
進一「だあれ? 友達?」
まり子「うん……高校ンときの……クラスメート」
進一「フーン」
忠臣「クラスメート、フーン。男なの、女なの」
まり子「……オ……(言いかけて)女です」
忠臣「女……なんて人」
まり子「重、重森さん」
忠臣「シゲモリ……」
まり子「重なるっていう字に」
忠臣「重箱の重ね」
まり子「森……」
忠臣「木が三つ……名前は」
誠「ほら、お父さん名前なんかどうだっていいじゃないか。(ハシに)春菊がブラ下ってんだよ。(進一に)これだからねえ。食べた気しないよ、全く」
進一「うちのおやじさんも同じだな」
誠「どこの親もね、年とると……」
忠臣「フン(小さく)知らんもんだから、のんきなこといっとるんだ」
誠「え?」
まり子「(すまして)お父さん、ビール、お代りもってきましょうか」
忠臣「ビールで、籠絡《ろうらく》しようたって、そうはね、問屋が」
まり子「え?」
誠「なにブツブツいってんだよ。お父さん、なんだかおかしいよ」
進一「どっか悪いんじゃないんですか」
忠臣「いやあ、ご心配いただいてなんだけどね。あたしはどこも悪かありませんよ。ただね(小さく口の中で呟《つぶや》く)見たくないもの見たり、聞きたくないもの聞くとね、いろいろと心配になってさ」
誠「ハッキリ言いなよ、ハッキリ」
忠臣「何でもありませんよ……」
誠「ひとりごとってのは恍惚《こうこつ》の第一歩だっていうけど……大丈夫かねえ」
まり子「……誠さん……(悪いわよ)」
忠臣「(ブツブツ)ま、これも、あたしの胸ひとつに納めておきましょ」
誠「まだいってる……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、言いながら進一にビールをつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら、進一クン。ぐっとぐっと」
まり子「あ、誠さん、これ以上のませたらダメ。進ちゃん、食べたらパッと帰って勉強して頂戴よ」
進一「なにかっていうと勉強勉強だからね、やンなるよ」
誠「合格したら、二人でぶっ倒れるまで飲もうや」
進一「飲みましょう!」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話のそばで、グラス手に重森、順子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
順子「ううん、重森クンも気がきかないわねえ」
重森「え?」
順子「まり子ちゃんなら、あたしにもひとことしゃべらせてくれりゃいいじゃないの」
重森「あ、そうか。オレって男は全く気がきかないよなあ」
順子「自分で判ってるからまだいいけど……」
重森「そうか。電話だってさ、なにも遠慮しいしいオレがかけるこたァなかったんだ。ママに呼び出してもらってさ」
順子「そうよ。アタシから話したって間に合ったわよねえ」
重森「そうか……」
順子「お舅《しゆうと》さんも一緒なんだから、気使ってあげて頂戴よ」
重森「すみません」
順子「親切して、叱言《こごと》いわれてりゃ世話ないわね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑いながら順子、久米たちの席にゆく。ほっとした感じで、久米のとなりにすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「『どっこいしょ』」
順子「ひろしちゃん」
久米「なあに、そりゃ」
土岡「いえね、ママが編集長のとなりに腰おろすときは、そういう感じがするんだなあ」
順子「いやあねえ。人おばあさん扱いして……」
久米「ひろしはね、そういうこと言うからモテないのよ」
土岡「いやあ、おばあさん扱いなんてとんでもない。何ていうかなあ。ああ、ここだけが人生の安らぎの場所なのよ。惚《ほ》れてる人のとなりにすわるって感じがこう……伝わってくるんだなあ」
順子「蹴《け》っとばすわよ。それどこじゃないんだから」
久米「どしたのよ、ママ……」
順子「あたしがついてて……ああ(ため息)電話番号教えろっていうから教えちゃったんだけど、まさかすぐ電話するとは思わなかったのよ」
二人「え?(判らない)」
順子「人柄《ひとがら》も判ってるし、別にやましいオハナシじゃないんだから、誠さんには話せば判ってもらえると思うのよ。でも、あのお父さんがねえ。大丈夫だったかと思って、あたし……」
久米「女のハナシってのは、どしてこう変なとこから入るのかねえ」
土岡「それだけじゃあサッパリ判らないすけどね」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・台所[#「永山家・台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]食器を洗っているまり子。布巾《ふきん》をもって手伝っている誠。
[#1字下げ]二人、声をひそめて何やらひそひそバナシ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]本を見ながら、ひとりで碁を打っている忠臣。チラリと台所のほうを見る。
[#1字下げ]立ってのぞく。
[#1字下げ]仲むつまじい二人。誠に飛び散った洗剤のアワを拭いているまり子。二人のひそひそバナシ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「フン、うしろめたいもんだから、おべんちゃら言ってごまかしとるに決ってんだ。誠の奴《やつ》……気がつかんのかねえ、全く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ビシッと石をおく忠臣。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「言わないほうがいいな」
まり子「え?」
誠「おやじさん……(うしろ)」
まり子「あら、それは(言いかける)」
誠「言わないほうがいいって」
まり子「でも一軒のうちにいて、かくしごとするなんて、アタシ、そういうの好きじゃないの」
誠「気持は判るけどさ、融通がきかないだろ……考えかたが……」
まり子「そりゃ……ねえ」
誠「たしかに、コネ使って裏口入学するのはよくないよ。ボクだって大反対だけどさ、現実問題として」
まり子「うちの弟、そう出来るほうじゃないし、もう一年浪人すること考えると……」
誠「それと、キミだって、もしおっこったとき」
まり子「そうなの。あの時お金惜しんだばっかりに……って思うのは」
誠「でもさ、おやじさんにいやあガタガタいうって……」
まり子「あたし、反対されるよりも、重森さんとのこと疑われるのがいやなの……。スマートとはいえないけれど、もったいないくらいいい人なの」
誠「そうだろうさ。亭主《ていしゆ》がいるのにこんなに骨折ってくれるんだもの」
まり子「でも、お父さん、やっぱり、あたしのこと水商売の女って目で」
誠「黙ってりゃいいって。波風立てることないよ」
まり子「そうしようかな」
誠「ボクが判ってりゃ、それでいいだろ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、誠の胸に顔を埋めるようにして甘えてハッとする。
[#1字下げ]水を飲みにきた忠臣、コップを蛇口《じやぐち》に差し出そうとして、やめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「お父さん……」
忠臣「どうもご無礼しました」
まり子「あの」
忠臣「水、のもうと思ったんだけど、やめよ。いいのいいの。おやすみなさい」
まり子「お父さん」
忠臣「(捨てゼリフで)何でも胸ひとつに納めてのみこんどくと、のどもかわくわ。あ、やっぱり、水のませていただこ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の顔を見ながらゴクゴクとのむ忠臣。
●銀行・入口[#「銀行・入口」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってゆくまり子。
[#1字下げ]あとをつけた感じで看板のかげで見ている忠臣。
[#1字下げ]世も末といった表情でため息をつく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ちょっと毛糸買ってきますだなんて……毛糸売ってる銀行がどこにある。男に渡す二十万をおろしに来たんじゃないか……全く、何という……」
[#ここで字下げ終わり]
●街[#「街」はゴシック体]
[#1字下げ]歩くまり子。
[#1字下げ]うしろから、ついて見えがくれにゆく忠臣。
●公衆電話ボックス[#「公衆電話ボックス」はゴシック体]
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#1字下げ]少しはなれているところから窺っている忠臣。
[#1字下げ]何か甘えてしゃべっている感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『あなた、二十万、いまおろしてきたわ。だから、おねがい。昔のこと、主人や舅にバラさないで。せっかくつかんだ女の幸せをメチャメチャにしないで頂きたいの』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]芝居気たっぷりにやっている忠臣。
[#1字下げ]子供が二人、じっとみている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「子供はカンケイないの、あっちいって。シッ! シッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●電話ボックスの中[#「電話ボックスの中」はゴシック体]
[#1字下げ]電話している、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あなた。二十万円、いまおろしてきたわ。でもねえ、あたし何だか気がとがめてきちゃったの……」
誠(声)「なんだいまになって、なにいってんだ……」
まり子「だって、誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]ラーメンをすすりながら電話している誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「コネ使うことに気がとがめるっていうんなら、よしなさいよ。でもね、オレに気がねすンならかまわないよ。うん。オレは一流の大学じゃないしさ、コネも……いや、本当のことだからいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]編集部一同、何となく聞き耳を立てている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「コネもないしさ。ひがみやしないって、ああ。あとで後悔しないように、いっといで、いっといで」
久米「おうおう。カッコつけちまってまあ」
土岡「これぞ男のカガミ。亭主のサンプル」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話ボックスの中[#「公衆電話ボックスの中」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「それじゃあ、アタシ……逢《あ》うの、喫茶店なんてよして『かもめ』にします。『かもめ』で、ママに立ち合ってもらって……それなら、正々堂々ですものね……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]外からうかがっている忠臣。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、久米、土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そんなことする必要ないよ。愛情ってのはね、まず信頼関係……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気負って言いかけて、ニヤニヤしている久米や土岡の視線に気づく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あ、モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話ボックスの中[#「公衆電話ボックスの中」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「それじゃあ、今晩出かけてもいいかしら? ええ、すみませんけど、晩ごはんの支度してゆきますから、出来たら早く帰ってお父さんと」
誠(声)「判った判った」
まり子「じゃあ、いってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話を切る誠。久米と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米・土岡「ごちそうさまでござんすねえ」
誠「え?」
久米「なにがどうなってんのかよくわかンないけど、羨《うらやま》しくて泣きたい気持」
土岡「(フザけて泣いている)」
誠「いい加減にして下さいよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]京太郎と源助がきている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長、久しぶりの非常呼集でありますなあ」
源助「何でありますか。え? 久しぶりにストリップにでも繰り込もうじゃないか、でしょ?」
京太郎「タンタンタン、タタタカタン……ああ」
忠臣「バカ者めが……」
二人「は?」
忠臣「わたしの顔をよくみて物を言いなさい。これがストリップにくりこもうかって男の顔かい」
二人「艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、沈痛な口調で……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「相馬中尉」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川一水」
源助「ハッ!」
忠臣「実は……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]重々しく口を切ったとたん、茶をもって入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いらっしゃいませ」
京太郎「おじゃましてます」
源助「どうかおかまいなく」
まり子「(茶碗《ちやわん》をくばりながら)少しお湯があつすぎて、うまく入らなかったんですけど……」
忠臣「(小さく)お茶は正直ですよ」
まり子「は?」
忠臣「(小さく)心に乱れがあるとおいしく入らないもンなんだ」
まり子「……(首をすくめて小さく笑って)お見通しなんでこわくて……(明るく二人に笑いかけて)あの、あたくし、ちょっと出かけますので……」
京太郎「さては、誠さんとおデイトだな」
源助「水入らずでレストランでさし向い」
忠臣「そんなんじゃなさそうだね」
まり子「(チラリと忠臣を見て)……お友達……高校のときの友達と……久しぶりに……」
源助「ほう、そりゃそりゃ」
京太郎「たまにはそういうこともなくっちゃねえ」
まり子「お父さん、失礼させていただいて着がえてきますから」
忠臣「(よそよそしく)どうぞどうぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、出てゆく。
[#1字下げ]忠臣、憮然《ぶぜん》として腕を組んでいる。
[#1字下げ]二人、さっきからの忠臣のよそよそしい言い方がすこし、気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「艦長……」
忠臣「高校時代の友達……フン……」
二人「艦長……」
忠臣「『あの声でとかげ食うかやほととぎす』」
二人「………」
忠臣「……相馬、石川……恥かしながら、誠の結婚は失敗だったよ」
二人「何をいわれるんでありますか」
京太郎「まり子さん、いいお嫁さんじゃないですか。そりゃね、正直いってバーのホステスと聞いて我々も反対しましたよ、でもねえ」
源助「近くば寄って目にも見よ、つきあえばつきあうほどいいひとじゃないすか。うちの母ちゃんなんかもう物凄《ものすご》い肩入れのしようでさ」
京太郎「そりゃうちよ。たとえ三月だって預ったからには、まるで自分とこの娘みたいな気がするって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]例により先を争ってペラペラやり出すのをとめる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……(凄んで)今晩、これから、どこへゆくと思う」
二人「え?」
忠臣「うちの嫁がどこへ出かけるか……」
二人「?」
忠臣「……男に逢いにゆくんだよ」
二人「オトコ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、顔を見合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「オトコっていうと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、それぞれ親指を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……昔の男ですよ」
二人「昔の男……」
京太郎「そうすると、まり子さんにはこれがいた……」
源助「そ、それは、やっぱり、バーにつとめてた時分の……」
忠臣「(重々しくうなずいて)ゆうべ電話があったの……」
二人「電話……」
忠臣「それもアンタ……一家|揃《そろ》って晩メシの最中ですよ」
京太郎「じゃあ誠さんもいらした」
忠臣「誠どころか、進一クン」
源助「まり子さんの弟……」
忠臣「そこへリーンだ」
京太郎「何という恥知らずな」
源助「それでまり子さん……」
忠臣「さすがに口ごもってねえ……電話そこまで引っぱって……まあ、わざと何でもないといった風をよそおってしゃべっておったがね」
二人「そ、それで……今晩……」
忠臣「……(うなずいて)二十万、金作って」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、またしても、びっくり仰天。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「二十万!」
忠臣「スネにキズがあるんだろうよ。今日、銀行いって金おろして……」
京太郎「ゆすられてるんですか」
忠臣「(うなずく)」
源助「誠さん、このこと」
忠臣「のん気な奴でねえ、爪《つめ》の先ほどもうたぐっていないんだねえ、これが……もう、私は何といったらいいか、腹立たしいというか哀れというかもう……」
[#ここで字下げ終わり]
●若夫婦の部屋[#「若夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]地味な品のいい和服を着つけしているまり子。
[#1字下げ]姿見に自分の姿を写し、帯締めを口にくわえてふと、ためらう。迷っている……。
[#1字下げ]ハンドバッグをあける。
[#1字下げ]封筒に入れた金包みを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そうだわ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふっと笑みをもらす。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、京太郎、源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(悲痛な面持《おもも》ち)相馬」
京太郎「ハッ!」
忠臣「石川」
源助「ハッ!」
忠臣「二人とも、このわたしに力をかしてくれるかい」
源助「艦長!」
京太郎「今更そのお言葉は水臭いであります!」
忠臣「ありがとう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、手をついて礼を言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「永山忠臣、これより死を賭《と》して永山家の名誉を守ろうと思っている」
二人「艦長」
忠臣「私の気持からいえば、この際キッパリと離縁」
二人「リエン……」
忠臣「……といいたいところです」
二人「………」
忠臣「いいたいところだが、誠はあの嫁に惚《ほ》れておるんだよ。それを考えると……むげ[#「むげ」に傍点]な振舞いも出来んじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人も沈痛にうなずく。
[#1字下げ]忠臣、ふところから懐剣を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
二人「ウワッ! 艦長」
忠臣「これは、わたしのひいじいさんが岡崎藩主より拝領したものです。わたしは、これにかけて、今夜、嫁をこの家から一歩も外へ出しません」
京太郎「艦長、しかし……相手の男はどうするんです。そのままほうっておくわけにはいかんでしょう」
忠臣「だからですよ。嫁をここに引き据《す》えて、どこのどいつか、何時にどこで逢うことになっとるのか、口を割らせます」
二人「……それで……」
忠臣「……私が出かけて」
二人「艦長……」
忠臣「まず情理をつくして話し合う。君は一人の女の人生をメチャメチャにしたいのか」
二人「うむ!」
忠臣「それでもダメなときは」
二人「その時は」
忠臣「刺し違えて死ぬつもりです」
二人「艦長!」
忠臣「なあに。日本が負けた時滅んでいた命だ。かわいい倅《せがれ》のためにくれてやると思やあ」
二人「艦長……」
忠臣「死人に口なし、嫁のアヤマチは私と一緒にあの世へもっていってやれる……諸君さえ黙っててくれりゃ誠も知らずに夫婦仲良く一生が送れるに違いない」
源助「艦長、そこまで考えられるとは」
京太郎「父親の愛というのも偉大なもんだなあ」
忠臣「……とはいうもののだ」
二人「え?」
忠臣「相手は、ひょっとして、これ(ヤクザ)」
二人「やーさま」
忠臣「かもしれん。かえり討ちにでもあったら」
二人「我々に助《すけ》っ人《と》についてこい……」
忠臣「力をかしてくれるといったねえ」
二人「艦長……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、顔を見合せたとたん、廊下に衣《きぬ》ずれの音。
[#1字下げ]忠臣、反射的に懐剣をフトコロにしまう。
[#1字下げ]にこやかに入ってくるまり子。普段着にもどっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あら、まり子さん、アンタ、出かける支度……」
まり子「フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ピタリと坐《すわ》る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん」
忠臣「………」
まり子「お願いがあるんですけど」
忠臣「お願い?」
まり子「私の代りに、人に逢って頂けないでしょうか」
三人「(えッ!)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]びっくりして、声も出ない三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ヒ、ヒ、ヒト……あ、あ……」
まり子「その人に逢って、これを渡して頂きたいんです。いえ、頼んだ方がいいか、それともやめにした方がいいか、お父さんにその場で決めて頂きたいんです」
忠臣「あ、あの……」
まり子「何だか、アタシ二十万ぐらいで大学入れるってハナシ、少しアヤフヤな気がしてきちゃって……」
忠臣「え? 大学へ入る?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポカンとする三人。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]帰ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ただいまァ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関をあけてびっくりする。
[#1字下げ]上りがまちに、手をついて、出迎えているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おかえりなさい」
誠「あれ、まり子さん……『かもめ』へ出かけたんじゃなかったの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、誠のハトロン紙の荷物を受け取りながらフフフと面白そうに笑っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ね、どしたの」
まり子「……お父さんにお願いしちゃった」
誠「お父さんが? お父さんがいってるの?」
[#ここで字下げ終わり]
●「かもめ」の店[#「「かもめ」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターで、重森と一杯やりながらの忠臣。順子。
[#1字下げ]二人の間に、金の入った封筒。
[#1字下げ]上機嫌の忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いやあ、嫁の気持としちゃね、弟のためにおぼれる者はワラにもすがりたかろう。しかしねえ、わたし個人の気持を言わせて頂ければ、こういうことなしに正々堂々表口から」
重森「いやあ、ぼくも口を利《き》いたようなものの心配で、ジカに問いただしたんですが……どうも確証がないんですね。アテのない金、お預りするわけにはいきませんからね。それなら、こっちから言い出したハナシだけどなかったことにして頂こう。そう思って出てきたんですよ」
忠臣「なかなか率直な方だ」
重森「いやあ、ポン引きとしちゃ落第です」
忠臣「率直ついでに伺うんだが、美人の嫁でなくて舅でガッカリでしょう」
重森「いやあ(言いかけて)……ま、これくらいは……(ちょっぴり)」
忠臣「もひとつ、率直なとこお聞かせいただきたいんだが」
重森「はッ!」
忠臣「重森君、キミはうちのまり子さんに、嫁に……惚れておいでになった……」
重森「………」
順子「永山さん……」
重森「惚れてました。しかし、さらわれました」
忠臣「ハハ、こりゃいい」
重森「でもねえ、永山さん。これだけは信じて下さい。ボクは、まり子さんに、これっぽっちも変な気持は……ただ、やめる前の約束を、結婚したからといって果さないんでは、男としていかにも器量が小さいじゃないか、情ないじゃないか。そう思って」
忠臣「判っとる判っとる。誠の奴が割り込まなけりゃ、アンタ、今頃、まり子さんと結婚してたわけだ」
重森「………」
忠臣「ということは、アタシの倅になってたわけだ」
重森・順子「え?」
順子「いやだわ、永山さん。まり子さんは、息子さんのお嫁さんでしょ?」
忠臣「あ、そうか。そうすると、君とは逢ってなんかいないわけだ」
重森「……人と人とのめぐり逢いってのは不思議なものですね」
忠臣「そこが人生の面白さじゃないの。そうだ、重森君、奇《く》しき人の世の縁《えにし》を祝って今夜はたのしく飲もうじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣と重森、グラスをぶつける。
[#1字下げ]ニッコリ笑ってみている順子。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]ヘベレケになった忠臣が帰ってきたところ。
[#1字下げ]玄関からひっぱってきた感じの誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしたんだよ。こんなにヘベレケになるまでのむバカがあるかよ」
忠臣「そういうけどね、重森君と意気投合してさ」
誠「シゲモリ」
まり子「ほら、あの人よ」
誠「ああ……あの……」
まり子「お父さん、重森さんとのんだんですか」
忠臣「おい、誠。アブないとこだったぞ。お前な、もう少しでまり子さん、女房《にようぼう》にできないとこ……(フラフラ)」
誠「お父さん、なにいってんだよ」
忠臣「わたしが女なら、永山誠を選ばないで重森某を選んでるね。あの男の方が男前はちょっと武骨でなんだけど、月給は一万二千円高いんだぞ。第一、うるさいおやじもついてないんだ」
まり子「お父さん……」
忠臣「だからな、そいっといた、うん。こういう交通戦争の世の中だ。いつ何どき倅がボーンとやられて嫁が後家にならないとも限らない。それをまつために、アンタ、独身でいる間は、うちへ年賀状よこしなさいってな。そしたら、嫁をアンタにゆずってやろう……」
誠「いい加減にしなよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、アレ? となる。
[#1字下げ]忠臣の内ポケットから封筒がはみ出している。
[#1字下げ]破れている封筒。
[#1字下げ]誠、出してかぞえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、二枚、足ンないじゃないか」
まり子「……のんじゃったんだ」
誠「お父さん……」
忠臣「そうおこるな。若い者だけにおごらせるわけにゃいかんじゃないか」
誠「お父さん……」
忠臣「あーあ、まり子さん、今晩の酒はとってもおいしかったよ」
まり子「よかった……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、金のことでまだ文句いいたそうな誠を目で制して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……あたしって、男運のいい女なのね」
誠「え?」
まり子「結婚前のお客さま。それから旦那さま。お舅さん、みんなステキな男ばっかり……」
誠 )「フン」
忠臣  「ヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、それぞれかっこをつける。
[#1字下げ]まん中で、しあわせなまり子。
[#改ページ]
24
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]朝食前の食卓。
[#1字下げ]忠臣がひとりすわって朝刊をひろげている。柱時計を見たり、タクアンをつまみ食いしながら、若夫婦が揃《そろ》うのを待っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『東京地方、北の風晴午後一時曇。札幌、北西の風曇時々雪。仙台、北西の風晴時々曇。新潟……』おそいな。何をグズグズしとるのかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]洗面所のあたりから、誠とまり子の笑いふざける声が聞えてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子(声)「やだァ、誠さん」
誠(声)「やだったってさ、毎朝こういう顔してひげそるんだよ」
まり子(声)「うーん、わざとやるんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]などなど。たのしそうに笑っている。
[#1字下げ]忠臣、フンといった面持《おもも》ちで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「朝っぱらから、なにをキャアキャアやっとるんだ、全く……『福岡、北西の風曇時々晴』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑い声はつづいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「鹿児島……那覇《なは》……カンケイないか……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]バサッと新聞をひっくりかえす。
[#1字下げ]すでに隅《すみ》から隅まで読んでしまったらしく、広告欄に目を走らす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『牛山英語スクール』……こりゃ面倒くさいな。今更英語は……『村岡きもの学院』……きもの着つけ教えます。うむ。こりゃいいかなあ。モデルはピチピチした若い女の子だしねえ。実地にこう、やらしていただいて……資格も取れるわけだからして、一石二鳥じゃないか。ひとつ行ってみるかな……月謝はいくらぐらい……あッ! まさか男はダメなんてこたァないだろうな。ダメだなんていったら、『昔から芸者屋の箱屋は、男に決っとるじゃないか』って、おケツまくって、ヨシっていうまですわり込んで……まだふざけてやがる……。何しとるんだろうねえ。舅《しゆうと》をほっといて」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふざけて笑いながら入ってくる誠とまり子。
[#1字下げ]誠はあごのあたりにクリームか何かついている感じ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「こっちよ、こっち(ついてるわよ)」
誠「え? こっち」
まり子「そっちじゃなくて、こっち……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑いながらまり子、拭《ふ》いてやったり……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「朝っぱらから、お楽しそうでけっこうでございますねえ」
まり子「……だって誠さんたら、こんな顔しておひげそってんですもの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、舌を頬《ほお》の右と左に入れてふくらませて、まねをして笑いころげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あたしゃ全然おかしくないけどねえ」
まり子「だってさ……誠さんたら、わざとやるんですもの」
忠臣「生れてはじめて男がひげそるとこ見たわけじゃあるまいし、朝っぱらからキャアキャア笑いころげるほどのこたァないと思うけどねえ」
誠「いいじゃないか。おかしいときに笑ったって」
忠臣「(小さくブツブツ)物事にはね、つつしみというものがあるだろうといってるんだよ」
誠「え? 何ブツブツいってんだよ。ハッキリ言わなきゃ判《わか》んないよ」
忠臣「ハッキリ言ったら、お前たちが赤い顔するだろうと思ってさ」
誠「なんだよ、え? なによ」
忠臣「新婚の夫婦なんだからね、夜、二人きりになったら、くすぐろうが甘ったれ声出そうが、あたしゃ耳に栓《せん》してますよ。でもねえ、朝っぱらからイチャイチャやるこたァないんだ」
まり子「……お父さん、あたし、そんなつもりで……やだわ」
誠「ケンカするよかいいだろ」
忠臣「そういってしまえば実もフタもないけどね、死んだ母さんなんてのは、新婚の時代でもだな、つつましいというか、恥じらいがあったねえ。人前では、毅然《きぜん》として甘ったれた声なんかは決して出さなかったねえ」
誠「そういうのは、今は流行じゃないの」
忠臣「『はやりすたり』じゃありませんよ。それが日本の女の……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、忠臣、オホンと小さくのどがつまる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(咳《せき》を二つ三つ)」
誠「日本の女もいいけどね(言いかける)」
まり子「誠さん(目でとめて)すみません、気をつけます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]サラリとあやまるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あやまるこたァないよ。笑ったぐらいでいちいちあやまってたら」
忠臣「(咳をしながら)まり子さんも気がきかないねえ」
まり子「え?」
忠臣「『ゴホンといったら灰吹』」
誠・まり子「ハイフキ?」
忠臣「昔の灰皿《はいざら》のことですよ。『ゴホンといったら灰吹。ツーといったらカー。ゲエといったら金《かな》だらい』というんだ」
誠「きたないだろ。メシ前に」
忠臣「たとえバナシですよ。女はそのくらい気が利《き》かなくちゃいけないといってるんだ(また咳)舅が咳をしたら、背中をさするとか、ちり紙を出すとか」
まり子「あ、ちり紙……」
忠臣「言われてからじゃおそいんだよ。まあ、近頃《ちかごろ》のお嫁さんは、亭主《ていしゆ》といちゃつくのはお上手だが、舅に仕えようなんて気持はこれっぽっちも」
まり子「あら、お父さん、あたし」
誠「ちゃんとやってるだろ?」
忠臣「なにをやってるの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]困っているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ハイハイってさ、お父さんにさからわないでやってんだろ? いいほうだって」
忠臣「そうかねえ」
誠「そうだよ」
忠臣「何かっていやあ、お前がかばうから、あたしは物がいえないけどね」
誠「え?」
忠臣「(小さくブツブツ)こんなことで永山家の嫁として大丈夫なのかねえ」
まり子「あの、あたし、ぼつぼつですけど、教えて頂いて(言いかける)」
誠「メシにしよ。メシメシ」
まり子「ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ごはんを出す。忠臣、ひとりでブツブツいいながら腰を浮かす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、お父さん……」
忠臣「うん。ちょっとね、母さんの……仏壇のお燈明《とうみよう》消すの忘れたから……ドッコイショ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ちょっとフラついて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(小さく)少し頭が痛いなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]後頭部をトントンと叩《たた》きながら、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(小さく)文句ばっかり言うから頭が痛いんだよ」
まり子「誠さん……(たしなめる)」
誠「(どなる)先、食べてるよ、いただきます。おみおつけ、なあに」
まり子「ねぎと油あげ」
誠「あ、それ、おふくろもよく作ってくれたなあ。唐がらしかけるとうまいんだ」
まり子「唐がらしですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんに廊下でドターンと物の倒れる大きな音。誠、びっくりして箸《はし》をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……お父さんじゃないかしら」
誠「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、パッと立ってとび出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(ゆっくり食べながら)あわてるから転ぶんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんにまり子の切迫した物凄《ものすご》い叫び声。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん! お父さんが!」
誠「うッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、茶碗《ちやわん》と箸をおっぽり出して、障子にぶつかりながらとび出してゆく。
●忠臣の部屋・廊下[#「忠臣の部屋・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]廊下に倒れている忠臣。
[#1字下げ]呆然《ぼうぜん》としているまり子。
[#1字下げ]とびこんでくる誠。
[#1字下げ]忠臣、すでに意識はないらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! どしたんだよ! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]抱き起して、名を呼び、ゆすろうとする誠。
[#1字下げ]まり子、ガクガクしながら必死で言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「待って……。誠さん、待って!」
誠「(聞えない)お父さん! しっかりしなよ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]烈《はげ》しくゆすろうとする誠を、まり子、突きとばすようにしてやめさせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ダメなのよ」
誠「あッ!」
まり子「そういうことすると、よけいいけないのよ!」
誠「だって……あ、いびきかいてる」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、体をグダッとしているがゴウゴウといびきをかいている。
[#1字下げ]以下、まり子と誠、早口で、必死のやりとり。
まり子「お父さん、血圧高かったでしょ?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「じゃあ、脳出血……」
まり子「だと思う」
誠「すぐ110番……119番、あ、先|布団《ふとん》しいてねかせなきゃ、まり子さんそっち……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、忠臣を座敷の中に引っぱってゆこうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ダメ! 動かしちゃいけないのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、目をとじ、胸に手を当てて、つぶやく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「落着いて……落着いて……。『脳出血で倒れたときはどうするか』『一つ、まず、動かさない』」
誠「(ハアハア言いながら、うなずく)」
まり子「『二つ、着ているものをゆるめる』誠さん、帯ゆるめて……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ガクガクしながらやろうとするが、手がふるえてうまくゆかない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「しっかりしてよ! あ、あたしやる!(やりながら)それから……それから……『三つ、動かさないようにしてねかせて』……誠さん、早く! 布団しいて!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ばね仕掛けのように押入れをあけ布団をひっぱり出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「シーツなんかいいから早く!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、フウフウ言いながら布団をしく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『次に動かさないようにして、そっとねかせる』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人で、ねかせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『枕《まくら》はやや高くして、体の上に何かかけて冷えないようにする』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、毛布をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『部屋は暗くして……』誠さん、カーテン!(引いて)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、カーテンを引く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『それから、医者を呼ぶ』誠さん、早くお医者さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、とび出そうとして、何かにつまずく。まり子、その体をゆさぶるようにして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん! 落着かなくちゃダメじゃないの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そのとき、忠臣の手足がぐぐッとケイレンする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「アッ!」
誠「ケイレン起してる! お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、またもや忠臣をゆすって呼んでいる誠を突きとばすと、自分のかけているエプロンを手早くはずして丸めて忠臣の口に押しこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(小さく)あ、バカモノ(といいかけて、またイビキをかく)」
誠「あ……」
まり子「誠さん、ワリバシ……」
誠「ワリバシ?」
まり子「早く台所からワリバシ!」
誠「ワリバシ、何すンの」
まり子「いいから早く! それから脱脂綿……」
誠「脱脂綿なんてどこにあるか判んないよ!」
まり子「茶ダンスの上の救急箱の中! 早く!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、また盛大にぶつかってころがるように走ってゆく。
[#1字下げ]まり子、肩で息をしながら……目を白黒させて、いびきをかく忠臣を見守りながら思い出そうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ほかに何か手落ちはなかったかな……あの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドドド、とすさまじい足音を立てながら誠がとび込んでくる。
[#1字下げ]手には、長いサイバシと救急箱。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「これはサイバシじゃないの、ワリバシっていったでしょ!」
誠「(上ってしまっている)ああ……ワリバシってどういうんだっけ」
まり子「こっちはいいから、早くお医者さんに電話……」
誠「ああ……うちのかかりつけ、何ていったっけ……ええと」
まり子「下沢先生じゃないの、しっかりしなさいよ!」
誠「下沢……下沢」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっとんでゆきかけてまた首を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「兄貴ンとこ! それから日高や石川さんとこは」
まり子「下沢さんの次に知らせて!」
誠「ああ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっとんでゆく。
[#1字下げ]まり子、脱脂綿の袋を破く。ハシに巻きつけて、忠臣の口から、エプロンを引っぱり出し、代りに噛《か》ませようとする。
[#1字下げ]忠臣、エプロンをかんでなかなかはなさない。
[#1字下げ]まり子、引っぱる。忠臣、イビキをかきながらエプロンをかむ。どうやら面白《おもしろ》がっているらしい。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]気も動転しながら、電話している誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「モシモシ! あ、兄さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]勇、悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「え? お父さんが倒れた? すぐゆく!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]パジャマの京太郎。うしろから、静子と健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「何、艦長が倒れた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろの二人呆然とする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「脳出血の発作らしい……モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いま、下沢先生のとこ電話してるんですけどねえ、いくらかけても出ないんですよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]京太郎、静子、健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「誠さん、あたしが下沢先生ンとこ寄って連れてきますよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、京太郎を突っついて、ボクが、とパントマイム。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おねがいします! あ、それから石川のおじさんとこにも」
京太郎(声)「こっちから電話しますから、誠さん、早く艦長のそばについててあげなさい!」
誠「どうも!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切って、とび出してゆく誠。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]とびこむ誠。まり子、大きな脱脂綿を巻きつけたワリバシを忠臣の口の中に入れようとして苦戦している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「兄貴も、みんなすぐくるって……」
まり子「下沢先生は!」
誠「日高が迎えにいってくれるって」
まり子「そっち押えて」
誠「……(心細くなってしまう)これっきり、ダメなのかなあ……(涙声でハナをすする)」
まり子「そんな気の弱いことでどうするのよ! お父さん、心臓が丈夫だし、一生懸命看病すりゃきっと直るわよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、手に力が入る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ゲッ! ゴホン(とむせる)」
誠「あ、意識がもどった」
まり子「お父さん……」
忠臣「……脱脂綿が大きすぎるんだよ」
二人「アッ!」
忠臣「あたしゃカバじゃないんだから、こんな大きなものは口に入りませんよ」
二人「お父さん!」
忠臣「とはいうものの、まり子さん、アンタ、おみごと!」
まり子「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あきれかえって口もきけないまり子、そしてカッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、そ、そ、それじゃあ、今、の、シ、シバイなんですか」
忠臣「芝居じゃありませんよ。まり子さん、どのくらいやれるかためしたんじゃないの」
二人「お父さん!」
誠  )「何てことするんだよ!」
まり子  「何てことするんですよ!」
忠臣「アイタタタ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人にこっぴどくド突かれる忠臣。
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]往診にきた下沢医師を一同であいさつ、見送っているところ。誠、まり子、勇、悦子、京太郎、静子、源助、たつが、せまい上りがまちに目白押しで、口々に詫《わ》びと礼を言っている。(京太郎はパジャマの上にセーター、源助は、ネルのねまきにチャンチャンコ)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「先生、どうも申しわけありません」
勇「何とも、お恥かしい……」
まり子・悦子「本当に申しわけございません」
京太郎「私どもがついてて、本当に何ともはや」
静子「まさか、ねえ……」
たつ「ほんとですよ」
源助「お忙しいところをどうも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、くつベラを出したりカバンを取ったり、コートの衿《えり》のかえりを直したり、懸命のサービス。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
下沢「まあ、何ともなくてよかったですよ」
勇「そうおっしゃられると、もう……」
誠「ほんとに申しわけありません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]下沢医師、靴《くつ》をはき終って、立ち、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
下沢「それにしても、若奥さん……」
まり子「あたくし……」
下沢「あなたのご処置は立派でしたよ、うん。血圧の高いお舅さん抱えたお嫁さんとしては百点満点だ」
誠「……そうですか(得意)ふだんから、おやじ血圧のこと口にしてるもんで……(まり子に)本かなんかで読んでたの?」
まり子「ええ……万一のときにはあわてちゃいけないと思って……でも、足がガクガクしちゃって……何やったのかあたし」
茶の間のほう、のれんの奥で、チラチラ立ち聞きしている忠臣の顔が出たり引っこんだりしている。
静子「普段から心掛けてたってイザってときにはなかなか出来るもんじゃありませんよ」
たつ「そうよ。まり子さん死にものぐるいでやったんでしょ?」
悦子「それ、狂言だなんて……ねえ」
勇「全くもう……」
下沢「まあ、イザってときにちゃんとやってもらえるかどうか予行演習したんでしょ。あんまり怒らないであげて下さい……」
勇・京太郎「そうおっしゃられると、どうも」
誠「以後、気をつけますから」
下沢「では」
[#ここで字下げ終わり]
「ごめん下さいませ……」
一同(「ありがとうございました」
「申しわけありませんでした」
[#1字下げ]一同、板の間に頭をすりつけて送り出す。
[#1字下げ]スッと引っこむ忠臣。
[#1字下げ]ガラス戸がしまる。
[#1字下げ]待ちかねていたように一同ふり向いて叫ぶ。
「お父さん!」
一同(「艦長!」
「永山さん!」
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠、まり子、勇、悦子、京太郎、静子、源助、たつに取り囲まれて、つるしあげをくっている忠臣。すきあらば逃げ出そうとするが、たつが押えて放さない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「冗談にもほどがあるよ」
勇「もう、今日って今日は、あきれかえって口がきけないよ」
悦子「真青になってとんできたこっちの身にもなって下さいよ」
静子・たつ「そうですよ」
京太郎・源助「ほんとだよ、ひどすぎるよ!」
まり子「申しわけありません」
たつ)「まり子さん、アンタ、なにあやまるのよ」
静子  「一番の被害者はまり子さんですよ」
勇「お父さん、やっていいいたずらとねえ」
忠臣「ヘン。みんな、ガアガアガアガア言いたいこといって人責めとるけどねえ、これがもし本ものだったらって考えてみなさいよ」
[#ここで字下げ終わり]
一同(「え?」
「ほんもの?」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうですよ。バターンといって、え? 息ひきとってりゃ、今頃はあたしゃこうなってたんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、食卓の布巾《ふきん》を顔にのせるまねをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「よしなよ(ひったくる)」
勇「縁起の悪いまねして……」
忠臣「そうじゃないか。『生きてるうちはずい分人困らせたけど、こやってアッサリ死んじまうと判ってりゃもっとやさしくするんだったわねえ』なんて、みんなでオンオン泣いてるとこですよ」
たつ「バカバカしい! 誰《だれ》が泣いたりするもんですか」
誠「そうだよ!」
忠臣「ヘッ! 『お父さん、もう、これっきりダメなのかなあ。親不孝をカンベンしてくれよな』って、男泣きに泣いてたのはだれだい」
誠「何言ってんだよ。オレは……冗談じゃないよ」
忠臣「泣いたくせして……ねえ。まり子さんが証人だ」
まり子「……(困ったりあきれたり)」
勇「とにかくね、朝っぱらから、みんな仕事おっぽり出してすっとんできてんだから、たまンないよ」
忠臣「ヘン。人間、こういうときに腹ン中が判るってけど本当だね」
勇「なんだよ」
忠臣「取るものも取りあえず寝巻でかけつけてくれた人間もおるってのに、血のつながった倅《せがれ》がキチンとネクタイしめてさ」
悦子「お父さん、それはねえ」
勇「ちょうどネクタイ締めてたときに電話があったんじゃないか」
悦子「そうですよ。あたしなんか、ほら見て下さいよ、毛玉の出た普段着のセーターじゃないの」
誠「お父さん、そんなねえ(言いかける)」
京太郎「あたしらだってね、好きでこんなかっこしてやしないですよ。もう、びっくりしちまって……」
源助「そうですよ。今になってさむくてさむくて」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、ガタガタふるえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、すみません。いま何か羽織るものを……」
誠「お父さん、人の着るものにナンクセつけるなんて、とんでもないよ」
勇「そうだよ、自分のしたこと(言いかける)」
忠臣「だからさっきから言ってるじゃないの。何も悪気があってやったんじゃないのよ」
一同「それにしたって」
忠臣「この年になるとね、いろいろ先のこと考えるんだよ。急にバターンといったときに」
誠「気持は判るけどさ、何もこんなに念入りにやるこたァないだろ」
京太郎「そうですよ、あたしらだってついてるんだ。誰が艦長を粗略に扱いますか。もうすこしまわりの人間を信用して下さいよ」
忠臣「……思いやりのないこというねえ」
一同「え?」
忠臣「(小さく)なんのかんのいったってね、わたしの気持なんてものは誰一人判っちゃくれてないんだ」
[#ここで字下げ終わり]
「お父さん……」
一同(「艦長……」
「永山さん……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「相馬、お前には静子さんという女房《にようぼう》がついてる。石川には細君がついてる。勇には悦子さん、誠にはまり子さん……。みんな、バターンといこうがキューと伸びようが、心のこもった看病がしてもらえるんだよ。でもねえ。あたしは一人ぼっちなんだよ」
一同「………」
忠臣「いざ鎌倉ってときにどういう目に逢《あ》うのかしら。ちょっとたしかめてみたとこでそう目くじら立てておこるこたァないじゃないか」
一同「そりゃまあ気持は判るけどさ(判りますがね)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、切々と訴える忠臣が少し可哀《かわい》そうになってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「永山さん、安心なすったでしょ? まり子さん、ちゃんとやって下すったんですもの」
忠臣「奥さんあたしはね、それ言いたかったの」
京太郎「下沢先生もいってらしたなあ、満点だって」
忠臣「ああ、百点満点ですとも。いつどこで覚えたか知らないけどねえ」
まり子「いえ、もう、夢中で……」
忠臣「『誠さん、ゆさぶっちゃダメじゃないの!』物凄い勢いでこいつをぶっとばしてまで、あたしの体心配してくれるんだからねえ」
誠「ほんと、オレ、ほら、ここンとこアザになっちまったよ」
悦子「よくなすったわよ、あたしなんかオロオロするだけでとってもダメだったわ」
忠臣「まあね、これでアタシもいつ何時倒れても安心ですよ」
勇・誠「冗談じゃないよ」
京太郎・源助「もう勘弁して下さいよ」
たつ「永山さん、二度は利《き》きませんからね」
忠臣「……フン。みんないい年して口の利き方を知らないねえ。『何ともなくて本当によかった。おめでとうございます、これからもお体を大切に』」
勇「自分で言ってりゃ世話ないや」
誠「ほんとだよ」
たつ「ああいやこう言うんだから……」
源助「昔からだよ」
京太郎「これだけは直ンないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、口々に忠臣の身勝手と調子のよさを言い立てるが、自分に都合の悪いことは聞いてない忠臣、まり子に……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、ありがとよ、わたしはね、今日って今日はほんとあんたのことうちの嫁だなって、そう思ったねえ。アンタに看病してもらってる間に、ふっと、死んだ母さんに世話してもらってるような気がしてさ……」
まり子「そうですか(みんなの手前、少し恥じらう)」
忠臣「そこそこ。その恥じらいがいいんだよ。ダリアやバラじゃない。花にたとえれば『だいこんの花』ねえ。人知れずか細い茎に咲き、人知れずこぼれ散り……」
勇「(腕時計を見る)さてと……」
誠「時間だろ」
忠臣「『ほのかな白いだいこんの花』」
勇「今からいったって遅刻だけどさ、今朝、会議だから」
誠「あ、皆さんも……どうぞもう」
忠臣「だいこんの花というのは、おいおい。人がせっかく死んだ母さんの『だいこんの花』の」
誠「そのハナシになると長いから……」
京太郎「じゃあ、我々もぼつぼつ……ねえ」
源助「店、おっぽってきてるから」
忠臣「おいあの……なにもハナシの途中でセカセカ帰らんでもいいじゃないか。全くもう」
悦子「じゃあ、まり子さん、あとおねがいね」
静子「……(小さく)上手におやンなさいよ」
たつ「(大きく)そうよ。仮病だったんだから。病人じゃないんだから、ね、まり子さん」
まり子「ええ……」
誠「(肩をぶって)じゃあ、たのむな」
忠臣「ヘン。役に立たないのがいっぱし亭主ぶって……みんないってらっしゃい。サヨウナラ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米のデスクに、誠と土岡。うしろで立ち働く編集部員。
[#1字下げ]電話が鳴ったり、ラーメン屋がラーメンをとどけにきたり。ネガをしらべているカメラマンの内山など。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「それじゃあ、ウーンてぶっ倒れておしまいまでやったの」
誠「そりゃね、心配だからためしたいって気持は判りますよ。でもねえ、ちょっとやってやめるもんじゃないですか。うちのおやじときたらラストまでやるんですからねえ」
久米「好奇心が強いというか生命力が旺盛《おうせい》というか」
誠「ハタ迷惑なハナシですよ、もう、朝からクタクタですよ」
土岡「くたびれたのは、誠ちゃんよかまり子さんだろ」
誠「いやあ、女ってのは大したもんですねえ。物凄い顔してね、こういう顔があったかってな威厳のある顔してね、あンときのまり子さん」
土岡「まり子さん?(からかい)」
久米「まり子さんて呼んでるの、へえ、誠ちゃん」
誠「いや、まり子」
土岡「まり子? よび捨て?」
久米「無理しないのよ、誠ちゃん」
誠「いやあ、つまりうちの女房……」
土岡「ニョーボ、イヤッホッ!」
久米「言うわ、言うわ」
誠「いや、カ、カ、彼女……」
土岡「どっちでもいいけど、ま、お疲れさんでした」
久米「あたしゃねえ、誠ちゃんのお父上の気持判るわねえ」
誠「編集長、うちのおやじに言うのだけは止《や》めて下さいよ。これ以上何かしでかされたらたまらないですからね」
久米「いや、本当よ。だってそうでしょ? 火事だの地震てのはよく予行演習ってのやるけど、病気ってのはやらないものねえ」
土岡「そういやあそうだ」
久米「一病息災じゃないけど、みんなひとつぐらい弱いとこ持ってんだから……ねえ、イザってときにそなえて訓練をやっといたほうがいいわねえ」
土岡「オレは何が弱いかな」
誠「土岡さんは、胃と水虫じゃないすか」
土岡「アイタタのカイカイか……サマになんないね」
誠「こっちも、どうすることも出来ないなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といっているうちに久米、うーむと苦痛の表情物凄く苦しみはじめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「編集長」
土岡「なにやってんですか」
久米「ウーム、ウーム、く、くるしい、高血圧、リハーサル、リハーサル」
誠 )「おやじのハナシしたら、まねしてんだ」
土岡  「いい加減にして下さいよ」
久米「うーむ、うーむ、ワチキは真剣なのよ。みんな、アタシを見殺しにする気なの。ウーム、ウーム」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]内山や秋子、みんな集ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「なにしてはるの、編集長」
内山「『仁義なき戦い』じゃないすか」
久米「誠ちゃん、キミのお父上はしあわせだわよ。ワチキを見なさい。え? 見殺しじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子に手伝わせたらしく、衣裳《いしよう》を入れた茶箱や柳行李《やなぎごうり》が盛大に散らかっている。地味だが品のよさそうな着物が二十枚ほど出してある。帯なども……
[#1字下げ]忠臣、その中の十枚ほどをもったいつけてまり子に御下げ渡し。仏壇の前。繁子の写真。ゆらぐ香華《こうげ》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「母さんアンタの着物を誠の嫁にゆずるよ、異存はないね」
まり子「あの……これ、あたし、いただけるんですか」
忠臣「(重々しく)これはね、みんな亡《な》くなった家内の繁子の着物です。これとこれはね、繁子が嫁入りのときに実家《さと》から持ってきたので……あ、そうじゃない。こっちはね、あたしが大尉《たいい》になったときに、ほんの心祝いに買ってやった大島です」
まり子「いい柄《がら》……(クンクン)」
忠臣「少しかび臭いけどね、物はどうして、今どきのものとはわけがちがいますよ」
まり子「手ざわりがゴリッてしてる……」
忠臣「長男の嫁をさしおいて……まり子さん、あんたにゆずるというのは、今朝のお手柄ね、あの働きに対する金鵄《きんし》勲章。そう思って戴きたい」
まり子「金鵄勲章……」
忠臣「最高の名誉ですぞ」
まり子「ハイッ!(頂戴《ちようだい》する)」
忠臣「明日からは、いや、今晩から、さっそくこの母さんの形見を着て、ね、永山家の嫁として恥かしくないよう修業にはげんでもらいたい」
まり子「ハイッ!……(押しいただくが不安になる)あたしに出来るかなあ……」
忠臣「『成セバ成ル!』」
まり子「ハイッ!」
忠臣「(小さく)それから、このことは悦子さんには……言わんほうがいい」
まり子「あ、そうですか」
忠臣「あの人も、ああみえてけっこう欲張りだから、母さんの着物|狙《ねら》ってたからね、アンタがゆずられたとなるとヤキモチやくといかんから」
まり子「あの……だったら、これお義姉《ねえ》さんと半分ずつ」
忠臣「いいのいいの、アンタにゆずりたいの」
まり子「いいんでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながらも、まり子、悪い気はしていない。肩にあててながめたりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「その分、しっかりやって頂戴。うむ、あたしも仕込み甲斐《がい》があるねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、少しげんなりしながら、自分にといって下しおかれた以外の着物を手でさわろうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、それは、まり子さんじゃないの。まり子さんはそっち……ね」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]たつがブンブクレにむくれながら、ガシャンガシャンと一升|瓶《びん》をカウンターの端に並べている。
[#1字下げ]忠臣が、静子に取っときの和服を勿体《もつたい》をつけてご下賜《かし》になっている。相当にカビ臭いらしく、静子も鼻をクンクンやりながらたつに気を使ってひかえ目なお世辞をいっている。
[#1字下げ]静子とたつの間に入って、二人の顔色をうかがいながら下準備をしているロクさん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「……昔の柄って奥床しいこと、ねえ奥さん」
たつ「(ガシャンガシャン)」
忠臣「お気に召していただけてほんとにうれしい……」
静子「でもねえ、永山さん、こんな立派なもの私頂戴できませんわ。ご長男のお嫁さんもおいでに」
忠臣「あの人は、洋服でいいんだ」
静子「それじゃあ、まり子さん」
忠臣「まり子には、ちゃんとね、別のをやりました。これはぜひ奥さんに着ていただきたいのよ」
静子「でもねえ、何べんも申し上げるようですけど、あたくしは亡くなった奥さまを存じ上げませんでしょ? お形見っていう意味でしたら、石川さんの奥さんのほうが……」
たつ「(ガシャンガシャン)」
忠臣「これはね、誰にもゆずらないでわたしと一緒にお棺の中へ入れてもらおうと、そう思ってましたよ。でもねえ、今朝のほうびとしてまり子にゆずるのと一緒に、奥さん、あなたにも着ていただいて」
静子「でも……(たつを気にする)」
たつ「(ガシャンガシャン)」
忠臣「乱暴にあつかうと瓶が割れるじゃないの(小さく)死んだ家内は、一升瓶ひとつ扱うんでも、音なんか立てたこたァなかったねえ。いや、そういう意味で、奥さん、あなたは死んだ家内と生きうつし」
静子「買い被《かぶ》っていらっしゃるのよ、永山さん」
忠臣「どうか、ひとつ、これを着ていただいて、うちの嫁に、日本の女の、嫁の『心』を教えてやっていただきたい」
静子「永山さん、あたくしねえ、とてもそういうお役目は」
たつ「ねえ、永山さん。よけいな口はさむようですけどねえ、永山さん。奥さんのお下りまり子さんに着せて、そいで、同じように仕込もうってわけですか」
忠臣「え?」
たつ「『着せて』そいで『仕込む』ってわけですかって聞いてんのよ」
忠臣「何て言い草だろうねえ。『着せて仕込む』……サルに赤いチャンチャンコ着せて仕込むんじゃあるまいし。下品な言い方やめてもらいたいねえ」
たつ「あたしがお嫁さんだったら、やだわねえ。女なんてものは十人集りゃ十人違うんだもの。死んだおしゅうとめさんと同じようにやれっていわれたって、困っちまうわよ」
忠臣「そうか、ハハそうか。アンタにも『長襦袢《ながじゆばん》』かなんか、あしたもってくるから」
たつ「いりませんよ、あたしね、何も着物もらわないからってひがんで言ってんじゃないのよ。第一、身幅があいませんからね。間に合ってますよ。まあ、あんまりね、お嫁さんに古いもの押しつけないことだわね」
忠臣「古くたってね、いいものはいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、エプロンのポケットからチリ紙を出して、チーンと物凄い音でハナをかむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「フン、うちの家内はチーンなんて、バカでかい音立ててハナなんかかまなかったねえ。そうですよ、わたしの前でハナかんだの、みたことないなあ」
たつ「お化けじゃあるまいし、ハナかまない人間がいますかよ」
忠臣「奥さん、そういやああなたもハナかむなんてとこ、人におみせにならないねえ。ほんと、奥床しい。ま、そういう意味でも家内の着物を」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、オーバーなくしゃみの前ぶれ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「ファー」
忠臣「?」
静子「ファー」
忠臣「……?」
静子「ファクショーイ! ウフフ、ごめんなさい……」
忠臣「(イヤな顔して)奥さん、アンタわざとやってらっしゃる」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]フフ、奥さん、よくやったと肩を叩くたつ。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]繁子のお下りの地味な和服のまり子が、忠臣にレッスンを受けている。
[#1字下げ]歩き方。
[#1字下げ]忠臣、まず手本を示す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「スッスッスッスッ。たたみ一畳を三歩半で歩く」
まり子「スッスッスッ……」
忠臣「スッスッスッはいいけど縁《へり》踏んでるじゃないの。女はタタミの縁をふむもんじゃないの」
まり子「ハイ。スッスッスッ……」
忠臣「それじゃ、松の廊下ですよ。しとやかに、たおやかにスッスッスッ」
まり子「スッスッスッ」
忠臣「スケートやってんじゃないのよ」
まり子「やだァ、アハハハハ」
忠臣「あーあ、いい若妻が、どしてそうノドチンコ見せて笑うのかねえ」
まり子「やだァ、あたし、そんなヘンなものくっついてません」
忠臣「なにをいってんだろうねえ。あのねえ、まり子さん、あんた思ったよか明るいのはいいけどねえ、笑い方がお行儀が悪いねえ」
まり子「あら、笑い方にもお行儀があるんですか」
忠臣「大ありです。アハハハ。天井向いて笑うのは下の下。馬だってそんな笑い方はしませんぞ」
まり子「ハイ……」
忠臣「本来。婦人が人前で喜怒哀楽の情をあらわに示すことは恥ずべきことですよ」
まり子「でも、おかしい時は」
忠臣「笑ったらよろしい。但《ただ》し(口を押えて)オホホホホ」
まり子「そうやると、お父さん、まるで『オカマ』みたい」
忠臣「……まり子さん、女としてその種の言葉は絶対に口にしてはいけない」
まり子「え? ああ……ああ……」
忠臣「舅に向って、ああという嫁がありますか」
まり子「ハイ」
忠臣「よろしい。では次に、夫が帰ってきた時の出迎え方。やってごらんなさい」
まり子「は?」
忠臣「はじゃないの。誠が帰ってきました。どうするの」
まり子「『ただいまァ!』」
忠臣「そりゃ、誠じゃないの。アンタですよ、妻はどうするか」
まり子「(おそるおそる)『おかえンなさーい』」
忠臣「突っ立ったまま言うの?」
まり子「(忠臣に気がねしながら、甘えるしぐさ)『くたびれたでしょ……』」
忠臣「チャームスクールやってんじゃないの。私はね、今や失われつつある日本の妻の美しいマナーについて言っているんです」
まり子「ハイ……すみません」
忠臣「まずイソイソと玄関に走り出る」
まり子「イソイソ」
忠臣「口で言わなくてもいいから、態度で示す」
まり子「え?」
忠臣「キョトンとしてないで、玄関に走ってゆかなきゃダメじゃないの。ねえ、ようく拭きこんだ廊下やたたみを、白足袋がスッスッとすべってイソイソと夫を出迎える」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、小走りに走り出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうそう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うれしそうについてゆく忠臣。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]手をついているまり子。
[#1字下げ]うしろに忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうそう、三つ指ついて……」
まり子「『おかえンなさーい』」
忠臣「そこまでやったんなら、『おかえンなさーい』じゃなくねえ、『お帰りなさいませ』」
まり子「お帰りなさいませ」
忠臣「そうそう、まり子さん、ほんと母さんの着物がよく似合うわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ゲンナリしているまり子。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]菓子折をカウンターに二つおいて、あいさつしている誠。京太郎、ロクさん、静子。そして、つとめから帰ってきた健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「今朝は、本当にお騒がせして申しわけありませんでした。これ、つまらないものですが」
京太郎「誠さん、何のまねですか、こりゃ……」
誠「これ、ひとつは石川さんのとこ」
静子「こんな義理がたいことなさらなくたって……ねえ」
健太郎「いいじゃないの、永山さんの全快祝いってことでもらっとけば」
誠「そうですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]菓子折を押しやる誠に微笑《ほほえ》みかける静子。
[#1字下げ]自分の着物を示しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「誠さん、なつかしいでしょ?」
誠「え?(判らない)」
京太郎「見覚えがあるんじゃないですか、その着物」
誠「着物って、おばさんの?」
静子「ピンとこないかしらねえ」
京太郎「お形見ですよ。亡くなったお母さんの」
誠「へえ、おふくろ、こんな着物着てたかなあ」
静子「こんなもんなのかしらねえ」
誠「顔やなんかはハッキリ覚えてるんですけどねえ、着物まではどうも」
健太郎「男の子なんてそんなもンだって」
京太郎「いやあ、奥さまの着物をまり子さんにゆずるついでにこれ(静子)にも、下すったらしいんですけどね」
静子「永山さん、亡くなった奥さまのこと、よっぽど気に入ってらしたのねえ」
誠「生きてた時はそれほどじゃあなかったんですけどねえ。死んでから、だんだんそういう風に言うようになったなあ……」
静子「……まり子さんのこと、奥さまそっくりに仕込むんだって張り切ってらしたから……まり子さん、当分、大変だ……」
健太郎「おゆずりの着物着せて、永山さん、やる気だな……」
京太郎「でもねえ、誠さん、艦長にとって亡くなった『奥さま』ってのは、今や生き甲斐のひとなんですよ。そこんとこ考えて……」
静子「あんまりきつく言わないで……間に入って上手に……ね……」
健太郎「おやじさんと死んだおふくろさんと女房《にようぼう》の間に立ってさばかなきゃなんないんだから……こりゃロクさんの包丁さばきよかむつかしいや」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大きな魚を三枚におろしているロクさんのみごとな包丁さばき。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「うーん……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]用意の出来た食卓で待つ忠臣とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おそいなあ、誠の奴《やつ》」
まり子「もう帰ってきますよ」
忠臣「ガラリとあいて、『ただいま』ときたら、まり子さん、いいね」
まり子「ハイ」
忠臣「イソイソと出迎えて、三つ指ついて『お帰りなさいませ』」
まり子「ハイ」
忠臣「歩く時は爪先《つまさき》から」
まり子「スッスッスッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラーリ……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ただいまァ!」
まり子「あッ誠さん」
忠臣「それ行け!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと飛び出すまり子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]上りがまちのほうを向いて、しゃがみこみ、靴《くつ》を脱ぎかけている誠。
[#1字下げ]小走りにとびこむまり子。三つ指ついてあいさつしようと張り切りすぎて、ひざから着地してしまう。その拍子にスリッパ立てをみごとに蹴《け》とばして、誠のオデコにガツーンとぶつかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お帰りなさいませ(言いかけて)アッ!」
誠「アイタ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろからノソノソ出てくる忠臣、びっくりしている。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]まり子におでこに大きなバンソウコウをはってもらっている誠、カンカンになっている。
[#1字下げ]ひとりでチビチビやっている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「痛い?」
誠「痛いよかね、バカバカしいよ!」
まり子「すみません」
忠臣「怒るこたァないじゃないか。つとめから帰る。女房が三つ指ついて『お帰りなさいませ』男として、冥利《みようり》につきるハナシじゃないか」
誠「やりつけないことするから、物けっとばしたりするんだよ、時代劇やってんじゃないんだからね」
まり子「時代劇だって、やだわァ(笑う)」
誠「時代劇じゃないか。いまどきね、三つ指ついてなんて、そんな」
忠臣「(小さく)まり子さん、笑うときは……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、口に手をあててシナをつくる。まり子仕方なく口に手をあてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なにやってんの」
忠臣「え? なにって、笑い方教えてんじゃないの」
誠「笑い方、教える?」
忠臣「まり子さんもいいんだけどね、この人ノドチンコ丸出しで笑うのよ。それでね、あたしが」
誠「お父さん、それじゃあ、泣き方も教えるの? 怒り方も教えるの!」
忠臣「……(なにもそこまで、いうこたァ)」
誠「いい加減にしてくれよ! なにかっていっちゃ死んだ人間引き合いに出してまり子さんに」
忠臣「死んだ人間とは何だ、死んだ人間とは、お前を生んだ母親じゃないか」
誠「オレだって、お母さん大好きだよ。でもねえ、なにも、まり子さん、おふくろそっくりにする必要がどこにあるんだよ! まり子さんもまり子さんだよ、なにもハイハイってしたがうこたァ(ないよ)」
まり子「でもあたし何も出来ないでしょ、だから、とにかく、素直に言う通りやってみようって……」
誠「やってみることないよ」
忠臣「誠、あたしはねえ」
誠「まり子さんはオレの女房なんだよ。どういう笑い方しようとオレがいいっていうんだからいいじゃないか。余計なまねはしないでくれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、おでこがいたいので、つい強い口調で言ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……差し出たまねしてすみませんでしたねえ。あしたからもうなんにも言いませんから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ウイスキーのビンとおかずの小鉢《こばち》を抱えて立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、あとで着物返して頂戴」
まり子「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]布団《ふとん》に腹ばいになってチビチビやっている忠臣。枕《まくら》もとに取り返した着物。タバコに火をつける。ほの暗い仏壇の写真に向ってベソをかく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「母さんの着物は誰にもやらないよ。あたしが死ぬときもってってやるから……待ってておくれ……」
[#ここで字下げ終わり]
●庭[#「庭」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]廊下に電気がともる。誰かトイレに起きたらしい。
[#1字下げ]犬の遠吠《とおぼ》え。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]寝巻に半天を羽織ったまり子が起きてくる。
[#1字下げ]アレ? となる。
[#1字下げ]忠臣の部屋の障子のあたりから煙が吹き出している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ゴホンゴホンとむせる音)」
まり子「アッ! 誠さん! 大変よ!」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]とびこむまり子。
[#1字下げ]煙を吹き出している忠臣の布団。
[#1字下げ]むせているらしい忠臣。まり子、いきなり枕もとの水さしの水をかける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん! 早くきて!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]むせている忠臣をひっぱり出すまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん、早く、水! 水!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび込む誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「え? 水?」
まり子「あたしがやるから、誠さんお父さんみて!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]モタモタしている父と子を蹴とばすようにして台所へ走るまり子。
●台所[#「台所」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]汲《く》み置きのバケツの水を手に引きかえすまり子。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]いぶっている布団に水をかけるまり子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]食卓を片づけて布団をしいているまり子。
[#1字下げ]水にぬれたらしく胴ぶるいしている忠臣。
[#1字下げ]つるしあげている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「寝たばこは絶対にするなっていったじゃないか」
忠臣「いや、灰皿《はいざら》にのせたつもりが」
誠「お父さん、焼け死ぬのは自業自得だけどね、大事出したらご近所にどうやってあやまンだよ!」
忠臣「アイタタタ」
まり子「誠さん(とめて)お父さん……あたし、合格かしら?」
忠臣「え?」
まり子「今朝は合格だったけど、今のはどうかしら」
誠「まり子さん……」
まり子「……お父さん、あたしのことテストなすったのよ、寝たばこで火出しそうになったときちゃんとやれるかどうか」
忠臣「まり子さん……あんた……やさしいんだねえ」
まり子「え?」
忠臣「合格だよ、まり子さん。いや、やり方も機敏でね、よかったけれど、こういうやさしさね、年寄りがいじめられてるのみていられないという」
誠「お父さん、それじゃワザとやったの」
忠臣「え? いや、その」
誠「一日に二度も、人ためしたの!」
忠臣「何もそうムキになってどならんでも」
誠「お父さん! 冗談もいい加減にしてくれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またつるし上げる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アイタタタ、一体どっちが罪がかるいのよ。あやまちだっていやあ怒り『ためした』っていっちゃ怒りさ」
誠「どっちも悪いよ!」
まり子「誠さんだってシーツにやけこげつくったじゃないの」
忠臣「ほれ、みろ。男なら、誰だっていっぺんや二へんは」
まり子「お父さん、今日はあたし、だまってますけどね、こんどからこんなことしたら、庭に立たせてバケツの水ぶっかけますからね」
忠臣「まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子布団をはいで忠臣をねかせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「電気毛布、6にセットしときましたからね、すぐあったまりますよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、顔を出さないでもぐりこむ。
[#1字下げ]まり子、出てゆく。
[#1字下げ]誠、そのまますわっている。
[#1字下げ]忠臣、手だけ出して自分で衿《えり》の具合を直す。
[#1字下げ]誠、直してやらない。
[#1字下げ]犬の遠吠え。
[#1字下げ]まり子、入ってくる。繁子の写真をもっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、ハイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、チラリと顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お……」
まり子「ここでいいですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の枕もとにおく。
[#1字下げ]忠臣、手でちょっと直したりする。
[#1字下げ]誠、ポツンと言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……先に死んだ人間て、得なとこあるね」
忠臣・まり子「?」
誠「オレ、この頃思うんだけどさ、お母さんて普通の女の人だったと思うんだよ。まあ、キレイなほうだったけど、そう取り立てて頭のいいほうでもなかったし、なにから何までよく出来た……そういう人じゃあなかったと思うよ。お父さん、よく『気が利《き》かない』だの『バカ』だのってどなってたじゃないか」
忠臣「………」
誠「しとやかだった、品がよかったっていうけどさ、いつもそうじゃあなかったよ、台所で立ってお鍋《なべ》からつまみ食いしていたこともあったしさ、オナラだって」
忠臣「何をいうか、母さんが人前でオナラなんて……ワタシは十九年間一緒にいて、母さんのオナラなんぞただのいっぺんも」
誠「オレ、聞いたことあるんだよ、学校から帰ったらさ、お母さんしゃがんでたらいで洗濯《せんたく》してたよ。ただいまっていったら立ち上った拍子にプウって……」
忠臣「……ごめんなさいっていったろ」
誠「(ううん)お母さん、歌うたってごまかしてやがんの。※[#歌記号、unicode303d] 真白き富士の 気高さを」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 心の強いたてとして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]歌いながら、笑い、そして涙ぐんでいる父と子……。
[#1字下げ]じっとみるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「フン……」
誠「オレあのときのお母さん、すごく可愛《かわい》くて好きだな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「だいこんの花もいいけどさ、ゆっくりやってくれよ」
忠臣「この人、細いから三浦大根だ、いや、時なし大根かな」
まり子「……フフフ」
忠臣「あ、まり子さん、着物ぬれちまったかな」
まり子「すこし水がかかったくらいですけど」
忠臣「あした、二人で虫干しするか」
まり子「ハイ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、衿のあたりを直してやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 真白き富士の気高さを
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]心の強いたてとして」
[#1字下げ]うたいながら、思い出し笑いする忠臣、誠、まり子……。
[#改ページ]
25
[#改ページ]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠が帰ってきたところ。出迎えるまり子。誠、ハトロン紙の封筒を上りがまちに叩《たた》きつけるようにして極めて機嫌《きげん》が悪い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「全くもう! 何回、足運ばせたら気が済むんだよ!」
まり子「川田先生の原稿、まだ出来ないの?」
誠「どういうのかねえ、ありゃ、こっちが催促すると、『ヘン、袋張りしてんじゃないんだ』タダで書いてるわけじゃないんだからねえ、大がいにしろってんだよ」
まり子「ブン殴っちゃえ」
誠「殴れるくらいなら殴ってるよ。オレね、子供生れても、絶対編集者になんかしないからね、ああ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドシン、ドシンと上ってゆく誠。まり子、怒ってるな、という感じでちょっと見送り、靴《くつ》を直して入ってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣がすわって待っている。
[#1字下げ]ネクタイをゆるめてすわる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『袋張り』がどうかしたの?」
誠「え? 何でもないよ。(口の中でブツブツ)うちでのほほんとしてる人間に言ったって判《わか》んないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「男はね、出先に何があっても顔に出すもんじゃないんだよ。右の頬《ほお》を打たれたら左の頬を」
誠「オレはキリストさまじゃないからね」
まり子「お燗《かん》つけていいですか」
忠臣「はい、いいですよ。『袋張り』っていやあ、昔はよかったね。ヤキイモなんか貰《もら》うと、こう二つにこやった袋でさ、ありゃ古新聞てこともあったけど、キングとか、ああいう雑誌の古もあったねえ。あたしゃいつか、やきいも食べながら、ふッと袋にのってる小説のつづきがよみたくなってさ」
まり子「へえー(多少、お義理であいづち)」
忠臣「ちょっと待てェってやきいも屋追っかけてさ、袋の残りみせてもらったんだけど、とうとうつづき、みつからなかったねえ。ありゃ、誰《だれ》の小説だったのか(言いかける)」
誠「(まり子に)あった?」
まり子「え?」
誠「ゆうべ言ったじゃないか」
忠臣「人がハナシしてんのだから聞きなさいよ。ありゃたしか吉川英治」
誠「使わないスキー道具の中に古いシールがあるの、出しといてくれって。カメラの内山君に貸す約束したからって、そいったじゃないか」
まり子「探すつもりでいたんだけど」
誠「どしたのよ」
まり子「いろいろ用が増えちゃって」
誠「用がふえたって、一日うちにいるんだろ。物置さがすひまぐらい」
まり子「でも……(忠臣を目で示して)いろいろ……」
誠「何やったの」
まり子「イカの黒づくりのつくりかただの」
誠「イカの黒づくり?」
忠臣「相馬がね、みごとなイカをとどけてくれたんだよ。それでね、まり子さんに永山家独特の黒づくりの作り方を、あ、まり子さん、あれ、もってらっしゃい」
まり子「あしたの晩が食べ頃《ごろ》って、お父さん」
忠臣「少し若いけど、もう大丈夫ですよ(目で持ってこい)」
まり子「ハイ(中腰)」
誠「イカの黒づくりもいいけどね、頼んだことはちゃんとやってくれよ」
まり子「ごめんなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ヘヘ、妬《や》くな妬くな」
誠「なんだよ」
忠臣「昼間、わたしがまり子さんひとり占めにしてると思って……お前、やきもち妬いてんじゃないか」
誠「お父さん、オレそんな」
忠臣「女々しい奴《やつ》だな」
誠「お父さん、そんなんじゃないよ」
忠臣「やきもち妬くなよ、え? 昼間はともかく、こやって帰ってくりゃ、あたしがハナシしかけたってまり子さんとしゃべってさ、こっちなんかおっぽりぱなしでやれンだからさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]やりあってるところへまり子、塩辛の小壺《こつぼ》と見ごとな毛蟹《けがに》の大皿《おおざら》を運んでくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ほうら、みごとな毛蟹じゃないか」
誠「毛蟹か……オレは越前蟹のほうが好きだよ」
まり子「あら、おいしそうよ」
忠臣「蟹に八つ当りするんじゃないよ。さあ、食べましょう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、のり出して。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ええと……あれ? まり子さん、アレがきてないねえ」
まり子「え?」
忠臣「レモンですよ」
まり子「あ、いけない!」
忠臣「忘れたの? 八百屋さんゆくとき、忘れなさんなって、あれほどいったのに」
まり子「ああ……何か忘れたんじゃないかと思ってたらレモン」
誠「いいじゃないか、レモンなんかなくたって」
忠臣「そうはゆきませんよ。蟹食べるのに酢じょう油がなくっちゃ」
誠「レモンでなくたって、お酢でいいじゃないか」
忠臣「どうしてそうザッパクなこと言うのかねえ、酢はねえ、すっぱいばかりでツーンときて……せっかくの蟹が台なしになっちまうんだよ」
まり子「あの、お酒上ってて下さい。あたし、ひとっ走り八百屋さん」
誠「行くことないよ。この寒いのに、レモンのひとつや二つ買うのに、風邪でもひいたらバカバカしいよ」
忠臣「あったかくしてゆきゃ大丈夫ですよ」
誠「ゆくことないっていってんだろ!」
まり子「だって……」
誠「蟹なんてどやって食ったって大して変りないよ。酢でいいよ、酢で」
忠臣「レモンと酢じゃあねえ、味が全然(言いかける)」
誠「お父さんはねえ、食いもののこと言いすぎるよ。大の男がさ、一食ぐらい何食ったっていいじゃないか」
忠臣「若いということは実に思いやりのないことを言うもんだねえ。一日一回の晩メシとして、わたしがあと何年生きられるというんだ。三百六十五日カケル三としたって」
誠「三年で死ぬわけないだろ!」
忠臣「とにかくね、一食一食を大事にさ、一期一会《いちごいちえ》の気持で食べたいじゃないか。まだ三十年五十年先のある人間とはね」
誠「だからってねえ」
まり子「……いってまいります」
誠「(強く)ゆくことないよ!」
まり子「だって……(目で……お父さんが……と訴える)」
忠臣「まり子さん、衿巻《えりまき》出して頂戴《ちようだい》」
まり子「お父さん……」
忠臣「アンタ使いにやると誠に怒られるから、アタシがいってきましょ」
まり子「そんな、あたしいきますから」
忠臣「いいの、あたしいってまいります」
まり子「お父さん」
誠「ああ、食いたい奴がゆきゃいいんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣とまり子、争って立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どっこいしょと……アイタタ」
まり子「いってまいります」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]台所へ走り出すまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カッとなる誠、追ってゆく。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]買物かごをもってとび出そうとするまり子。
[#1字下げ]押える誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ゆくなっていってるだろ!」
まり子「だって……(目で茶の間を示して)ゆかないわけにいかないでしょッ!」
誠「オレがゆくなっていってんだろ」
まり子「だって……お父さん」
誠「かまうことないよ。ゆくなよ!」
まり子「誠さん、あたしの立場が判ってないのよ!」
誠「立場もクソもないよ、よせったら」
まり子「いってまいります」
誠「そんなにゆきたきゃいけよ。ただし、帰ってきたって」
まり子「うち入れないっていうの」
誠「亭主《ていしゆ》の言うこと聞けないような奴は女房じゃないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子も意地になる。
[#1字下げ]誠の押えるかごをひったくって、バシャッと戸をしめ、出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「バッカヤロ!」
[#ここで字下げ終わり]
●門[#「門」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]出てゆこうとするまり子。ショールを手にうしろから追ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、これ(ショール)」
まり子「……お父さん」
忠臣「誠、出てゆけっていったんじゃないの」
まり子「……(うなずく)」
忠臣「あたしのために……ごめんなさいよ」
まり子「お父さんのせいじゃないですよ。誠さん、仕事のことでイラついてたから……八つ当りしてるのよ」
忠臣「まり子さん、すこしこらしめてやるといいわ」
まり子「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ショールを羽織らせてやりながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「今晩一晩、徳さんのとこへ泊めてもらって」
まり子「あの、あたし、お父ちゃんのとこへ泊るんですか」
忠臣「たまには、亭主にヤキモキさせるのもテ[#「テ」に傍点]じゃないの? ね?」
まり子「え、ええ」
忠臣「じゃあ、風邪ひかないようにね」
まり子「あ、あの、あたし……」
忠臣「あとのことは、心配しなくていいから……さ元気、出して……」
まり子「ええ……」
忠臣「徳さんによろしくいって頂戴よ」
まり子「はい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ためらうまり子を押し出すようにする忠臣。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠と忠臣、食卓の前にすわっている。ブスッとして夕刊をひろげ、ソッポを向きながら水割りをのんでいる。忠臣、誠のグラスに氷を入れてやったり、世話をやこうとするが、誠、ほっといてくれよ、という感じでグラスを渡さない。
[#1字下げ]忠臣、誠の顔色をうかがいながら、ゴマスリ風に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どっち向いても景気の悪いハナシばっかしだねえ」
誠「……(だまってのんでいる)」
忠臣「お前ンとこはどうなの」
誠「いいわけないだろ」
忠臣「ああ、そう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](間)
[#1字下げ]グラスに当る氷の音。
[#1字下げ]ガラス戸をゆさぶる風の音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「そうだ、裏の吉井さんの三毛ね、四匹も生んでね。ブチが二つと三毛が一つと、どういうわけかまっ黒がひとつまじってんだよ。みんなでおとっつぁんはどの猫《ねこ》だろうってんで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#1字下げ]ガタガタと玄関のガラス戸をゆする音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あッ! 帰ってきた!」
忠臣「え?」
誠「帰りにくいもんだから、玄関でベル押してんだ。バカだね、あいつも……ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび出してゆく誠。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]靴下のまま飛びおりてカギをあける誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「はいはい! いまあけるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うしろに変な顔をした忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「これにこりてレモンぐらい買っとけよな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながらあけて、アレ? となる。
[#1字下げ]風に吹込まれるように、首をすくめて飛びこんできたのは、長男の勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「うう、寒む!」
誠「兄さん……」
勇「晩メシ、すんだか? いやあ、ちょっといけるシューマイみつけたもんだからね、久しぶりでいっぱいやろうかと思って」
誠「あ、あの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、ドンドン上りながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「おお、お父さん、元気そうじゃないの。うう、寒む!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]茶の間に入ってゆく勇。
[#1字下げ]玄関から、表をのぞいて待っている感じの誠。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]先にすわって、シューマイの折をあけている勇。
[#1字下げ]忠臣、つづいて誠が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「これからか(食事前)ちょうどよかった。これね、みかけはパッとしないけど、いけるんだよ。(誠に)お前、シューマイ、好きだろ」
誠「うん……」
勇「あれ、まり子さんは?」
誠「う、うん、ちょっとね、出かけてんだ」
忠臣「(ホクホクしながらグラスを出して)いいタイミングだよ。おやこ三人たまには水入らずでメシ食おうじゃないか」
勇「カニとシューマイか。取り合せ悪かったかな」
忠臣「そんなこたァありませんよ。カニシューマイってのがあるくらいだ。ほら、誠、ボヤッとしてないでつぎなさいよ」
誠「カニシューマイもいいけど、おそいな」
忠臣「おそいって、だあれ?」
誠「え?(小さく)まり子……」
忠臣「自分で出てけっていったくせして、なに言ってんだろうね、お前は」
誠「え? だって……」
勇「なんだ、お前、けんかしたのか」
忠臣「まり子さんね、今晩は、おとっつぁんのとこ泊るってさ。『お父さん、誠さんのことよろしくおねがいします』って……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]え? となる誠。
●徳造の家[#「徳造の家」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]徳造、ふみ江と一緒に、ささやかな夕食に加わるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「おう、遠慮しねえでやってくれよ」
まり子「頂いてます」
ふみ江「頂いてます……なんて……まり子さん、他人行儀な。ここはアンタのうちじゃないのよ」
まり子「ハイ、お父ちゃん(酌《しやく》をする)」
徳造「お、ありがとよ。それにしても、お前がこんな時間にフラッととびこんでくるなんて、珍しいこともあるもんだよな」
まり子「ううん。ちょっとこのへんまでお使いあったから」
ふみ江「(チラリと、表情をうかがう)」
徳造「誠さん、元気にやってっか」
まり子「うん。すごく元気、あ、それからね、お父さん……永山のお父さんがよろしくって」
徳造「フーン。忠臣も元気かい」
まり子「うん」
ふみ江「あら、ちょっとさめちまったわねえ、あ」
まり子「あたし、あっためてくる……」
まり子、鍋を手に台所へ。
まり子の鼻唄《はなうた》をうたうのが聞える。
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]徳造、ふみ江の目をみる。ふみ江も見返す。その目が何かあったんじゃねえのかな……といっている。
[#1字下げ]ふみ江、小さくうなずいて、そっと立ってゆく。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ささやかな台所で、鍋を温めているまり子(鼻唄)。
[#1字下げ]うしろに立つふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「けんかしてきたんだろ」
まり子「(鼻唄がとまる)」
ふみ江「お父さん」
まり子「(首を振る)」
ふみ江「誠さんと?」
まり子「(うなずく)」
ふみ江「泊めてあげたいとこだけど……追い返すわよ、まり子さん」
まり子「おばさん」
ふみ江「一晩でもうちあけるとね、しこりが残るもンなのよ。だからね……お帰ンなさい」
まり子「………」
ふみ江「帰りづらいようだったら、勇さんとこいくんだわね」
まり子「お兄さんとこ?」
ふみ江「悦子さんていったっけ、お義姉《ねえ》さんに打ちあけンのよ」
まり子「………」
ふみ江「相談されて悪い気する人はいないの。そのほうがあとあとのため。ね、そうしなさい」
まり子「……(うなずく)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]盃《さかずき》を手にのぞいている感じの徳造。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]毛蟹とシューマイを突つきながら、酒をのんでいる忠臣、誠、勇。
[#1字下げ]上機嫌で、こまめに二人の息子の世話をやく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なんだ、ブキッチョな奴らだな。身が残ってるよ、ほら、蟹ってのはね、この先のとこがおいしいんじゃないか。貸しなさい、アタシがむしってやるから」
勇「いいよ」
誠「自分でやるってさ」
忠臣「もったいないんだよ、貸しなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、器用に身を出しながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……勇ンとこも夫婦げんかだろ」
勇「あれ、悦子の奴、電話してきたの?」
忠臣「電話もなにもないけどね、お前の顔に書いてあるんだよ」
誠「(勇につぐ)」
勇「いやあ、ヤキモチもほどほどにしろっていうんだよな」
忠臣「これ(小指)でもバレたのか」
勇「そんなのいないけどさ、ゆうべね、バーの女の子がうちの前まで車で送ってきたんだよ。そしたらさ、アヤしいとか、もう、ギャアギャアいうからね、今朝、これ(けんか)だよ」
誠「へえ、兄さんのとこでもやるの」
勇「やるさァ」
忠臣「兄弟で夫婦げんかしてりゃ、世話はないねえ。(蟹の身)どうだい、うまいもンだろ、お、誠のもやってやろうか」
誠「いいよ」
忠臣「まあ、アタシにいわせりゃ、お前たちは女房に甘いね。女なんてものはね、たまにはガーンてとこみせないとつけ上るんだよ。あ、しょう油か、よしよし」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ついでやったり、大忙し。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まあ、こういう場合は、先にしっぽ振ったほうが負けだね。そこンとこよく考えてだな」
二人「……うむ……」
忠臣「……とはいうものの、お前たちにゃ出来ンだろうな。口じゃ強がっとるけど、なあに、早く仲直りしてカアちゃんと差向いで、なんて思ってるに決ってんだから……」
勇「冗談じゃないよ。大体、うちの奴はナマイキだよ」
忠臣「……なこといってたって、十時になりゃ、じゃあぼつぼつなんて靴ベラさがすくせして(誠に)な?」
勇「おう、誠、今晩はトコトンやろうじゃないか」
誠「兄さん……」
忠臣「(誠に)お前はどうなんだ? 便所へゆくふりして徳さんのとこへ、まり子さん迎えにゆこうなんて考えてんじゃないのか」
誠「(ゆきがかり上、あとへひけない)冗談じゃないよ。よし、今晩は徹底的にやるぞ!」
忠臣「そうこなくちゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ホクホクしている忠臣。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]紅茶をごちそうになっているまり子。
[#1字下げ]悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「夫婦げんかっていうから、何かと思ったら。……まり子さん、そんなの夫婦げんかのうちには入ンないのよ」
まり子「そうかしら」
悦子「そうよ。悪いのはお父さんじゃないの。いいわ。あたしが、いっしょについてってね、お説教してあげるわよ」
まり子「そんな、お義姉さん……お義兄《にい》さんのお帰りもまだだし、あたし一人で帰れますから。ただ、ちょっとグチ聞いてもらいたくて」
悦子「あんまり頼りにならないけど、何かあったらいつでも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「モシモシ、永山……あら、あなた」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]相当に廻《まわ》った勇が、二人の手前、かっこをつけて電話している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「オレだ。いま、おやじさんとこにいるけどね、今晩こっちへ泊るから! ああ」
悦子(声)「モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、電話をひったくって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、悦子さん。勇はね、あたしが責任をもって預るから」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]悦子。まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「モシモシ。お父さん、あの、まり子さん、こっちへきてるんですけど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、電話のそばにゆく。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電話に出ている忠臣。勇、誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「え? まり子さんそっちへいってる?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、バネ仕掛けのように飛び上って忠臣のそばへ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(誠に)まり子さんきてんだってさ、お前……(出るかい)」
誠「(虚勢を張って)別にハナシなんかないよ!」
忠臣「別にハナシなんかないそうだ、あ、悦子さん、今晩ね、二人ならべてようく意見しとくから、うん、そっちも女だけでね、ゆっくりと骨休めして頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]悦子、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「モシモシ! お父さん……アッ!」
まり子「切っちゃったんですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、受話器を置く。
[#1字下げ]二人、ため息。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]男三人が食い散らした蟹やビール瓶が散らかって、落花|狼藉《ろうぜき》。暗い中に柱時計だけが動いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「※[#歌記号、unicode303d] 敵は幾万ありとても」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣の布団をまん中に勇と誠が、それぞれパジャマや寝巻の上に半天などを羽織って酒をのんでいる。半分つぶれている勇。忠臣、ひとりでハッスルして、酒瓶を叩《たた》いてうたっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] すべて烏合《うごう》の勢なるぞ
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どした? おい(勇の尻《しり》をピシャンと叩いて)里心がついたんじゃないのか」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「冗談じゃないよ、カアちゃん恋しいのはそっちだろ(誠)」
誠「たまにはセイセイするよ」
忠臣「おい、こやってると思い出すなあ。え? ありゃ、誠が中学入った年か。逗子《ずし》に離れ借りてみんなで泳ぎにいったことあったろ」
勇「あったあった」
忠臣「あンとき、母さん、何かの用で東京へ帰っちまってさ、おやこ三人で泊ったことがあったじゃないか」
誠「うむ……あンとき、夜中に布団の上で角力《すもう》とって騒いでさ。家主が怒ってどなりこんできたよな」
勇「負けるからよせってのに、お前が突っかかってきたんだよ」
誠「今なら負けないけどね」
勇「やるか!」
誠「ようし!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]布団の上で取っ組み合う兄と弟。
[#1字下げ]忠臣、目を細めて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「昔のまんまだねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]ソファに腰かけて、じいっと考えている悦子。
[#1字下げ]湯上りのまり子が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お風呂《ふろ》、お先にいただいてすみません」
悦子「ゆかた……丈《たけ》、大丈夫かしら」
まり子「ええ、ちょうど」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、すわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「判ったわ」
まり子「え?」
悦子「焚《た》きつけてるの、お父さんなのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、あたしもそう思うとも言えずあいまいに笑っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さん、あたしたちに息子取られたと思いこんでるとこあるでしょ? だから……ね、夫婦げんかを幸い、おやこ三人水入らずで……ってハラ[#「ハラ」に傍点]なのよ」
まり子「それで……お父さん……」
悦子「え?」
まり子「あたしに、『お父さんのとこへ泊っておいで』って……」
悦子「すすめたんでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子立って、ウイスキーとグラスを二つ持ってくる。つぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「のみましょうよ、まり子さん」
まり子「お義姉さん」
悦子「こうなったら、長期戦よ。女は女同士、団結して……向うが頭下げてくるまでは、まり子さん、アンタも帰ンないでね」
まり子「ええ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、ガチリとグラスを合せる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子 /「頑張《がんば》りましょう!」
まり子 \  「よろしくお願いします!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・廊下[#「永山家・廊下」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]庭から冬のやわらかい朝日が差し込んでいる。無人の廊下に、かつおぶしをけずるリズミカルな音が聞えている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「おーい、勇! 誠! 起きなさいよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]白いかっぽう着に手拭《てぬぐ》いを姉さまかぶり。本格的な身支度でかつおぶしをかいている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「勇! お前の会社、早いんだろ? ぐずぐずしてるとおくれるぞ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガリガリかきながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おーい、誠! お前も一緒に起きて、ごはんすましておくれよ。あんまりお父さんに手間かけないでさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]文句をいいながらも、うれしくて仕方のない忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「勇! 誠! 勇! 誠!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]起きてくる寝巻の勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「うるさいなあ、ねてらンないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パジャマの誠も、目をこすりながらくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「大安売りやってんじゃないんだからね、一ぺん呼べゃ判るっていうんだよ」
忠臣「あーあ、二人ならんで立つと、手許《てもと》が暗いよ。でっかくなりおって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、揃《そろ》って大あくびをしながら、テーブルの上にのせてある朝刊に同時に手を伸ばす。
[#1字下げ]二人、暗黙のうちに朝刊を分けあってハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「オレ、トイレ、イチだからね」
勇「なにいってんだよ、お前、イチはオレだよ」
誠「ずるいよ、そんな」
勇「長男が一、次男は二」
誠「なんだよ、アイタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、争うが、勇が勝って行ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いい年して……何やってんだろうねえ。子供の時と同じじゃないか」
誠「全くもう。横暴だよ。クソすンのにね、長男も次男もあるかってんだよ」
忠臣「おい誠、ガマン出来なかったら庭にしろ。あとでお父さんが穴掘って埋めといてやるから……」
誠「え?」
忠臣「お前、昔よくやったじゃないか」
誠「子供じゃないんだからね、いい加減にしてくれよ!」
忠臣「ウハハハハハ。いいねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小突かれながら、それもうれしい忠臣。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]ダイニング・テーブルで、トーストとハムエッグスなどを食べているまり子と悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「まり子さん、トーストお代り」
まり子「もう、けっこうです」
悦子「誠さんが一緒でないと食欲もないんじゃないの」
まり子「そんなこと……やだわ。ただ……うちにいると、お父さん、おしょう油つげとか、とんがらしが来てないとか、しょっちゅう立ったり坐《すわ》ったりでしょ? 何にも用がないとかえって……」
悦子「落着かないのかしら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、ガリガリとパンをかじる。
[#1字下げ](間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「向うも、たべてるかしらねえ」
まり子「………」
悦子「……お父さん、張り切って世話やいてるわよ、きっと……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠、勇、ならんで朝食。
[#1字下げ]甲斐甲斐《かいがい》しく世話をやく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「勇、おみおつけにふきのとう。いいから、お父さん、いれてやるよ」
勇「あーあ、そんなに沢山入れたら、苦いよ」
忠臣「バカ。苦いとこが風味があるんじゃないか。誠も入れてやろうか」
誠「入れたよ、もう」
忠臣「勇、おみおつけ、お代りだろ」
勇「ゆうべのみすぎたからねえ、そうは食えないよ」
忠臣「誠……」
誠「オレもいい」
忠臣「何ですよ。たまに親子三人水入らずだと思ってさ、早起きして本格的にダシ取って作ったってのに……張り合いがない奴《やつ》らだよ、全く。あ、勇、大根おろし、シラスがいいのか、カツオブシか」
勇「おろしだけでいいや」
忠臣「誠、お前」
誠「(手をふっていらない)」
忠臣「ゆずみそもあるぞ」
勇「食った気がしないよ、うるさくて」
忠臣「なにいってんだ。あ、それからな、勇も誠も出しとけ」
二人「え?」
忠臣「遠慮しないで出しときなさいっていっとるんだ」
二人「え?」
忠臣「下着ですよ、パンツ……ついでがあるから洗っとくから」
二人「いいよ、そんな」
忠臣「いいって……今日は風があるから、夕方までにかわくだろ。(勇に)誠に貸してもらってさ。な」
勇「いいんだよ」
忠臣「(取り合わない)あとで風呂場の洗濯《せんたく》かごに入れとけよ」
二人「あのねえ、そんなことしなくても(言いかける)」
忠臣「それからね(ワクワクしながら)おかずは何にしようか」
二人「え?」
忠臣「なにキョトンとしとるんだ。あーあ、こんなとこにゴハンツブくっつけて……(とってやって食べたりしながら)今晩のおかずですよ」
二人「あの……」
忠臣「勇は何が食べたいんだ。スキヤキか?」
勇「お? いや、オレ……今晩は別に……」
誠「なにいってんだよ。お父さん、兄さんは、今晩はマンションの方に」
忠臣「(知らん顔をして)お前ンとこ会社ひけるの、五時っていったな、そうすると、帰るのは六時か」
二人「お父さん」
忠臣「誠、お前も早く帰ってこいよ、寄り道しないで……な」
勇「お父さん、オレ」
忠臣「おい、みっともないまねはよせよ。昼間電話してさ、『悦子、ゆうべはごめんな。オレ、帰りたかったんだけど、お父さんに引きとめられてさ、帰るに帰れなかったんだよ。今晩は早く帰るから。おみやげなにがいい? ケーキか、いちごか』」
勇「そんなこといわないよ!」
忠臣「だったら、六時だな。勇は六時、誠は何時……おい、お前も徳さんとこへ……あ、そうじゃないのか、まり子さん、勇のとこか、ヒョコヒョコ迎えにいって……敵の軍門に下るんじゃないだろうな……」
誠「そんなことしないけどさ」
忠臣「女房どもが詫《わ》びを入れにくるまでは、え? 十日だろうが二十日だろうが、男三人ここで頑張ろうじゃないか。な、おい!」
二人「うむ……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体]
[#1字下げ]自転車を押しながら、酒の配達の源助と京太郎がやってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「いやあ、石川もよく面倒見て差し上げてるよなあ」
源助「はあ?」
京太郎「その酒、二本で一本てことにしてんだろ?」
源助「相馬|中尉《ちゆうい》……ご存知だったんでありますか」
京太郎「でもなあ、石川も偉いけどあんたンとこの細君、これもえらいわ。知ってて知らんプリってのはなかなか出来るもんじゃないよ」
源助「人の前じゃド突いてますけどね、二人きりになると、ああ見えてやさしいのなんの」
京太郎「明るいうちから鼻の下のばしなさんな、アンタ、それでなくたって、ここ(鼻の下)が長いんだから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、入ってゆく。
●庭[#「庭」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってゆく京太郎と源助。アレ? となる。
[#1字下げ]かっぽう着の忠臣が、物干竿《ものほしざお》を高くもち上げている。
[#1字下げ]上にはためいている二枚の柄《がら》の違う男もののパンツ。
[#1字下げ]忠臣、満足そうにながめる。
[#1字下げ]忠臣、はずんで軍艦マーチをハミングする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「頭《かしら》、中!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ハッとはためくパンツに敬礼する。
[#1字下げ]あっけにとられる京太郎と源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長……」
京太郎「一体どうされたんでありますか」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]ほこりだらけのつづらから、古ぼけて茶色になった通信簿や小学校の頃の勇や誠の図画、習字などを取り出して悦に入る忠臣。
[#1字下げ]手伝わされている京太郎と源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうだい、見てごらんよ。え? これが勇が二年のときのお習字だ」
京太郎「『空と海』」
源助「『二ねんさくら組ながやまいさむ』」
忠臣「こっちが誠ですよ」
京太郎「『一ねんうめぐみながやままこと』」
源助「『いぬねこ』」
京太郎「ハハ、はじっこに墨をつけちまって……」
源助「泡《あわ》くってこすったあとだ、こりゃ」
京太郎「いいねえ、子供の字ってのは」
忠臣「何ともいえない味があるねえ、こりゃいい、わたしらがまねようったってまねの出来ないもンですよ。それからね、ね、こっちが図画だ。ね、ぼくの母さん……どうだい、子供の発想というものは」
京太郎「艦長、こんなものをどうしてまた」
忠臣「あ、それそれ、それがね、通信簿ですよ。勇はオール5でしょうが、ところが誠ときたひにゃ算数はダメ理科もよくない」
源助「艦長」
忠臣「同じ兄弟で、どうしてこうもちがうもんかねえ。まあ、そこのとこが面白《おもしろ》いんだがね。いい、これなんかいいねえ(工作)」
京太郎「いや、ほんとにかわいくていいですけどね」
源助「なんだってこんなものを」
忠臣「判っとるじゃないの。え? 今晩帰ってきてね。三人で鍋でもつつきながら酒をのむときにね、こういうものがありゃ、また一段とハナシもはずむってもんですよ」
京太郎「そうすると、今晩も勇さんこっちへ帰ってみえるってわけですか」
忠臣「まあ、男なら、あとへ引けないんじゃないの」
源助「そうすると、まり子さんもやっぱり……勇さんのマンションで」
忠臣「女二人がしみじみと反省してね。やっぱり私たちが悪うございました、もう二度と男をふみつけにするようなことは致しませんからお許し下さい。二人|揃《そろ》って手をついて詫びを入れてくるまでは、断じて倅《せがれ》を帰さん覚悟です」
京太郎・源助「艦長」
忠臣「そうだ。長期戦にそなえて……勇の布団も干さなきゃいかんなあ。うむ、寝巻も……」
京太郎・源助「艦長」
忠臣「わたしはね、すくなくみて五日、長びけば一週間から十日をみてるのよ。ハハ、今頃《いまごろ》、女たちはどんな顔しとるかねえ。二人でショボーンとしてるねえ、きっと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、顔を見合せてため息。
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]しゃれたエプロンをかけたまり子と悦子。
[#1字下げ]まり子は悦子にケーキの作り方を習っている。テーブルの上には、ケーキの型や、のし棒、パイ切り、オレンジ、干した果物のびん詰、パラフィン紙などの道具。
[#1字下げ]浮き浮きして、たのしそうなまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「次にメリケン粉をふるいにかけて……」
まり子「あら、さっきふるいましたけど」
悦子「二度やらないとね、キメ細かく上らないのよ」
まり子「へえ……」
悦子「出来たらね、それにアーモンドの粉と塩と水を……まぜるの」
まり子「……自分のうちでケーキやくなんてはじめてだわ。何だかすごく上品なことしてるみたい」
悦子「………」
まり子「うちなんか、しょっちゅう貧乏ぐらしだったでしょ。お母ちゃん……母がいつも働いてたもんで……十円二十円|貰《もら》って、これでお八つ買っといで」
悦子「あたし、それがやらせてもらえなかったの」
まり子「たまにうちで作ってくれたってお好み焼……」
悦子「ウワア。あれどうやってつくるの」
まり子「あんなの。作り方もなんにもないですよ。メリケン粉にお塩チョッピリ入れて、あと、サクラエビだの切りイカだのカツブシやネギ……もうあるものみんなほうりこんで、ジュッと焼いて、ソースつけて食べりゃいいんですもの」
悦子「ね、これねえ(メリケン粉)ケーキやめにして、お好み焼にしない?」
まり子「お好み焼ですか(ガッカリする)」
悦子「まり子さんのハナシ聞いてたら、急に食べたくなっちゃったのよ。ね、いいでしょう? ケーキのほうはあとで教えてあげるから」
まり子「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、笑いながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「お父さんも、たまにはいいことして下さるわね」
まり子「本当。こういうことでもなけりゃ、お義姉さんにケーキのつくり方なんか習えませんものね」
悦子「まあ、何日こういうことがつづくか判らないけど、音《ね》をあげるのはどっちにしたって男に決ってんですもの」
まり子「こっちは気が楽ですよね」
悦子「お掃除にしたって洗濯にしたって、お父さん一人でやれっこないもの」
まり子「いいとこ、二、三日じゃないかな」
悦子「まあ、お父さんは頑張るつもりでも……ご令息たちが……ねえ……」
まり子「(うなずく)」
悦子「男三人でいるのと女房《にようぼう》のとこへ帰るのと、どっちがいいか……判ってるわよね」
まり子「……と思いますけどね」
悦子「やれるもんならやってごらんなさいってとこだわね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、かっこをつけるが、ふと、まり子をみて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「そうか。まり子さん、新婚ホヤホヤですもンね。あたしみたいな、古女房みたいなわけにはいかないか……」
まり子「やだ、お義姉さん、あたしだって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけたとたん電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]受話器を取ろうとするが、手がメリケン粉だらけ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あたし(取ります)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、取って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ。永山……(言いかけて)誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、嬉《うれ》しさで顔がパッと輝く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「電話下さるんじゃないかと思ってたの。ゆうべはごめんなさいね。あたしねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]ビルの廊下にある売店の赤電話から電話している勇、びっくりしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「モシモシ! モシモシ、まり子さん、あのぼくね、勇なんだけどな」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]絶句するまり子。
[#1字下げ]そばで、まっ白い手の悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「え? あッ! お兄さん……やだァ、あたし、てっきり誠さんだとばっかり……声がそっくりなんですもの」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「兄弟だからね。あ、あの……うちの奴、いますか」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子、悦子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「は、はい、お義姉さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子、粉だらけの手で受話器に飛びつきかけて、まり子の手前、ちょっとよそよそしくする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「……『何のご用ですか』って」
まり子「お義姉さん……」
悦子「『三晩でも四晩でも、お気のすむまでお父さんとこへお泊り下さい』って、そいって頂戴《ちようだい》」
まり子「お義姉さんたら……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、強引に受話器を渡してしまう。汚れた手ではさむようにして持つ。まり子手で押えてやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「モシモシ」
勇(声)「なにバカなこといってんだよ。あのな、今晩うちでマージャンやるからな、席つくっといてくれよ」
悦子「マージャンて、あのお客様?」
勇(声)「うん。課の若い連中だ。ハラすかしてゆくから、なんかこうボリュームのあるもの」
悦子「そりゃ、つくりますけど……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]悦子ほっとする。うれしいのだがまり子の手前ちょっと困って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「あなた、まり子さん、こっちにみえてるのよ……」
[#ここで字下げ終わり]
●公衆電話[#「公衆電話」はゴシック体]
[#1字下げ]勇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「あ、まり子さんか? 誠の奴が待ってるから、早く帰ってやンなさいって」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体]
[#1字下げ]電話している悦子。
[#1字下げ]受話器を支えるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「ハイ、判りました。お客さんみえるの七時ね、ハイ、ハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話切って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
悦子「一人じゃテレくさいもンだから、マージャンのお客連れて帰るんですって。あきれちゃうわね。あ、まり子さん、あなたどうなさる?」
まり子「……あたしも帰ってみようかな」
悦子「でも、お父さん、大丈夫かしら」
まり子「大丈夫ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]例によって電話の音、入ってくるラーメン屋、右往左往する内山や編集部員たち、そして、電話でどなっている土岡、鼻毛をぬいている久米編集長。黙々と校正をやっている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「何やってんだよ。え? 題字は白ヌキって指定してあるじゃないの。そうよ、指定と全然違うからどなってんの! 東京印刷さん、今日どうかしてるよ。出がけにカアちゃんとケンカでもしてきたんじゃないの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガシャンと切る土岡、チラリと見る誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「おうおう。カアちゃんのいない人がえらそうにおっしゃることねえ」
土岡「それでなくたって忙しんだから、あんまり手間かけないでやってくれってんだよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]バタンとすわる拍子にこんどは机の上のものをバッと落っことす土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ、土岡さん」
久米「ひろし、お前さん、早いとこカアちゃんもらわなくちゃダメだ」
土岡「そんなんじゃないすよ」
久米「いやいや。これじゃ体によくないわねえ。誠ちゃん、お前さんとなりでそそる[#「そそる」に傍点]ようなこというんじゃないの」
誠「(小さく)それどころじゃないですよ」
内山「いやいや。相当なもんですよ。『まり子さんまり子さん』こっちまであてられますからねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といっているところへ、秋子のデスクに電話。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「『女性時代編集部』ハイ……永山さん、お宅から電話」
久米「ほらほら。噂《うわさ》をすれば何とやら」
土岡「『誠さん、今晩、何時にお帰りになる!』」
誠「そんなんじゃないっていってるじゃないすか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、みんなの手前、かっこうをつけて電話のほうへ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「おいおい誠ちゃん。みんなの前だからって、奥さんに偉そうな口きくことないのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、機先を制された感じで受話器をとって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(テレながらも相当甘い感じで)……こっちから電話しようと思ってたんだけどね。おやじのいうこと、いちいち真にうけることないから」
忠臣(大声)「モシモシ!」
誠「あッ! お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]かっぽう着の忠臣。
[#1字下げ]そばに通信簿や絵画など。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「何をあわてとるんだ。あのね、今晩は間違いなく七時に帰るんだろう」
誠(声)「モシモシ!」
忠臣「これから勇のとこへも電話するけど、ご飯の都合があるからね、寄り道しないでちゃんと帰ってきておくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]カッとなる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あのねえ」
忠臣(声)「いやあ、お前たちの子供の時の絵だの通信簿が出てきたんだよ。それをサカナにね、今晩こそおやこ三人、夜を徹してだな」
誠「忙しいんだからね、つまんないことで会社へ電話かけないでくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガシャンと切る誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「あらあら。こんどは誠ちゃんが荒模様なの」
誠「全く、やってらンないすよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こんどは土岡のデスクの電話。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ハイ『女性時代』……はい。誠ちゃん、お宅……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]カッとなる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「しつこいよ。電話するなっていったろ……」
まり子(声)「誠さん」
誠「まり子さん」
まり子(声)「あたし、電話は初めてなんですけど」
誠「いや、今おやじさんと間違えて」
まり子(声)「あたし、今、下の喫茶店にいるんですけど……」
[#ここで字下げ終わり]
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]ゆうべ、レモンを買いに出たままの身なりで、買物かごをヒザにのせたまり子が、コーヒーを前に誠と向きあっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ゆうべのこと……強情はってごめんなさい」
誠「(モゴモゴ)いやあ、こっちも……悪いのは、まり子さんじゃないしさ」
まり子「……お義姉さん、いたかったらずっといてもかまわないっていって下すったんですけど……お義兄さんもまっすぐ帰って見えるっていうし……」
誠「そりゃ、いたら悪いよ」
まり子「……ごめんなさいって帰ればかまわないかしら」
誠「あやまる必要もないって。お父さんとけんかしたわけじゃないんだから」
まり子「それにしたって……お父さん、もう二、三日水入らずですごしたかったわけでしょ?」
誠「うむ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、コーヒーをぐっとのんで、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そうだ!」
まり子「?」
誠「あわてて帰ることないよ」
まり子「誠さん……帰ることないったって、あたし、ゆくとこっていうとお父ちゃんとこぐらいしかないし、あそこだってせまくて」
誠「誰《だれ》もそんなこといってやしないじゃないか」
まり子「え?」
誠「ヘヘ、ヘヘヘヘ(楽しそうに笑う)」
まり子「ねえ、何よ」
誠「久しぶりに、二人で外でメシ食おうよ」
まり子「え? あ、だってあたし、こんなかっこう」
誠「かっこなんてかまわないって、そうだ。メシ食って映画見て、どっかでダンスでもしてこうか」
まり子「……誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]びっくりしながらも、うれしいまり子。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]カウンターで愚痴をこぼす忠臣。京太郎、静子、ロクさんが聞き役。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「親の心子知らずというけど、全くだねえ。物置きひっくりかえしてさ、子供の時の図画だの通信簿探してみせてやろうって、あたしの気持を」
静子「ハイ、おひとつ(酌《しやく》)」
忠臣「おまけにですよ、寄せ鍋《なべ》の支度して待っとるというのに、電話があってさ、原稿待ちでおそくなる、帰りは十一時すぎだって」
京太郎「勇さんもおそいんすか」
忠臣「長男の方もね、脱けられないつきあいがあるから帰りは十二時近くなるって」
静子「男の方はね、外へ出ると色々とおつきあいがあるんでしょ?」
忠臣「それにしたって千載一遇のチャンスじゃないの。一刻千金の宵《よい》をあいつらは何と考えておるのかと思うと、わたしは……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、うむと顔をしかめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「どうなさいました?」
忠臣「いやあ、半日がかりで探しものやったもんだから、体の節々が……あいたたた」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]肩がこったらしく、首を曲げたりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「おもみしましょうか」
京太郎「余計なことはしない方がいいんじゃないの」
忠臣「へえ、相馬、やきもちやいとるのか……」
京太郎「そうじゃないんです。あとで勇さんと誠さんにもんでもらいたい……そう思っておいでなんだからさ」
静子「(ああ……)差し出たまねして申しわけありませんでした」
忠臣「いえいえ。それにしても勇といい、誠といい、なにをしとるのかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●勇のマンション[#「勇のマンション」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]差し向いで夕食の勇と悦子。
●ディスコテック[#「ディスコテック」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ヤングにまじって踊る、誠とまり子。
[#1字下げ]頬《ほお》をよせあって、おあつい二人……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ねえ、もう帰ったほうがいいんじゃないの。お父さん一人で……かわいそうみたい」
誠「さびしがりやだからね、ギリギリまで日高で油売ってるって、それと少しこらしめたほうがいいんだよ……」
まり子「そうね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]改めてまり子を抱きしめ、ステップをふむ誠。
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]酔った忠臣が帰ってくる。
[#1字下げ]パトロールの若い巡査とスレちがう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「モシモシ」
巡査「は?」
忠臣「いま、何時ですかな」
巡査「十一時十分前ですが」
忠臣「あ、丁度よかった。いや、次男がね、十一時に帰ってきますんでね。いやあ、待つ身の長さといいますけど、本当ですな。時間つぶすのに、随分酒代使いました。ハハ」
巡査「大丈夫ですか」
忠臣「それからね、今晩、夜通しで、これ(一杯)やりますんで、おやかましいとは思いますが、ひとつお見逃しを……ハハ、ハハ、いや、お役目ご苦労さんであります」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、敬礼をして入ってゆく。
[#1字下げ]何だ、ありゃといった感じの巡査。
●門[#「門」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]フラフラしながらカギをさがす忠臣。
[#1字下げ]とたんに中にパッと電気がつく。
[#1字下げ]玄関が開く。
[#1字下げ]まり子が、いつものなりで、にこにこしながら出迎える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「おかえりなさい」
忠臣「……まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上りがまちには、これもいつものセーターに着がえた誠が、いつもと同じのんびりした表情で、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おかえり……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、口をパクパクやりかけるが、まり子、すましていう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、寄せ鍋の用意が出来てますよ。さ、早く早く」
忠臣「出来てますよって、用意したのはアタシじゃないの……」
誠「ブツブツいってないで、早く上ンなよ。なにポカンとしてんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、あ、とか、うんとかいいかけるが、誠とまり子に有無をいわさずにひっぱりあげられて、あ、あ、といいながら茶の間の方へ。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣をドンとすわらせる誠。布巾《ふきん》をとるまり子。
[#1字下げ]食卓の上は、寄せ鍋の用意。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あのねえ(言いかける)」
まり子「お酒はと……」
誠「いいから、すぐメシにしようよ」
まり子「そうね」
忠臣「あのねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠とまり子、忠臣にしゃべらせない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「今年はいつまでも寒いねえ」
まり子「ほんと、あ、誠さん、ガスお願い……」
誠「OK(つける)」
忠臣「あのねえ。どして、まり子さん、帰ってきちゃったの(言いかける)」
誠「おう、いい小柱じゃないの」
まり子「冬は貝がおいしいのよね」
忠臣「あの勇は」
誠「火はこんなもんかな」
まり子「あ、もっと強火……」
誠「兄貴はね、今頃、義姉さんとメシ食ってるって」
忠臣「え? うちへこないの」
誠「え? どして兄さん、うちへくるの」
忠臣「あれ、今朝言ったじゃないの。え? おやこ三人水入らず(言いかける)」
誠「それはゆうべやったじゃないか」
忠臣「だってさ」
誠「ああいうことは一晩やりゃいいの」
まり子「ああそうだわ。お父さん、どうもおそくなってすみませんでした」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、にこにこして買物かごからレモンを三つ出してテーブルの上にのせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……まり子さん、随分長いお使いだったのねえ」
まり子「フフ、やだわ、お父さん」
誠「さあ、寄せ鍋寄せ鍋」
忠臣「(チラリと二人をみて)……しめし合せてやってんだから、とても勝目はないねえ、いただきます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]小ドンブリをそろえてやる誠。袖《そで》を結んでやるまり子。
[#1字下げ]二人の顔を見ながら、箸《はし》をとる忠臣。
[#改ページ]
26
[#改ページ]
●永山家・台所[#「永山家・台所」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]ヤカンの湯をジャーに移しているまり子。
[#1字下げ]茶の間の忠臣と誠のやりとりにハッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なんだって? まり子さんがパートタイマーに出る?」
まり子「誠さん! アチチチ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]朝食を終えて、楊子《ようじ》で歯をせせりながらおどろく忠臣。
[#1字下げ]まだモグモグやっている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いや、なにもいますぐパートタイマーやるっていうんじゃないけどね……一日中うちにいてボーッとしてても勿体《もつたい》ないから」
まり子「誠さん(困るわよ、そんなハナシ)」
誠「いいじゃないか。ほんとのハナシだもの」
まり子「でも、あたし……そんな……困るわよ」
忠臣「なるほど。パートタイマーねえ。それで、どういうところへお勤めになりたいの? やっぱり、バーとかスナックみたいなとこ」
誠「お父さん! なんてこと言うんだよ」
まり子「いいのよ。……そういうところじゃなくて、もっと固いとこの、事務とか……ほら、アタシ、学校出てちゃんとしたおつとめ、ほんのちょっとで……あっちのほうにつとめたでしょ? だから、世間のこともも少し勉強したいと……」
誠「社会勉強になって金になるんだから……悪いことじゃあないだろ」
忠臣「(小さく)フン。キレイごと言いおって……」
誠「え? なんだよ」
忠臣「いや、お二人のお気持はようく判《わか》りましたっていったの。小うるさい舅《しゆうと》が日がな一日つきっきりでいろいろ教えたのがお気に召さないわけだ」
まり子「あの、お父さん」
誠「そういうわけじゃないけどね、まあ、あんまりしごくとさ、くたびれるしさ」
まり子「誠さん……お父さん、あたし、いろいろ教えていただくこと、とってもうれしいんです。ただ、教えていただくこともひと通り終ったような気がしたもんで、それであの」
忠臣「言いわけしなくていいの。どうせアンタが誠にそう言ったんでしょ。毎日、辛《つら》くてたまらないわ。このくらいなら外へおつとめに出たほうがよっぽどマシだ」
誠「そうじゃないよ、きのうは、廊下をオカラ[#「オカラ」に傍点]でみがくのならった、今日は白菜つけたって、ガサガサに荒れた手見せられりゃねえ」
まり子「誠さん、いいのよ」
誠「パートタイマーのことはオレが言い出したんだよ」
忠臣「(静かに)判りましたよ。今日からは、口が裂けてもまり子さんには物を教えませんから。ああ、パートタイマーにゆこうと、ひっくりかえってマンガよんでようと、お好きなようにして頂戴《ちようだい》」
まり子「お父さん……」
誠「なにもそういう風にとるこたァないだろ。ほどほどにしてくれって、そういうつもりでさ」
忠臣「(他人行儀に)どうもごちそうさま」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……(お父さん)」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]亡妻の写真の前で、怒りを押えて座禅を組んでいる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「怒らなかったよ、母さん。『バカモノ!』ここまで出かかったけど、ぐっと押えて、ごちそうさまって立ってきたよ。母さん、ほめて頂戴……ああ……うーむ……それにしても近頃《ちかごろ》の若い者は……」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠を送り出しているまり子。コートの肩のゴミをはらって、甘えながら文句をいっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ひどいわよ。いきなりあんなこというんですもの」
誠「ああ、パートタイマーのこと? あのくらい言ったほうがいいんだって」
まり子「あたしの身にもなってよ。一日中、顔つき合せて暮すのに……困るわよ」
誠「根にもたないタチだから大丈夫だよ」
まり子「ううん。判ってないんだから……お父さんね、人に物教えたりお説教したりするの大好きなのよ。生甲斐《いきがい》なのよ。そりゃグチこぼしたあたしも悪かったけど、ああいう風にいわれたら困るわよ」
誠「怒るなって……(オデコを突つく)それもこれも君のためを思えばこそなんだからさ」
まり子「そりゃ判ってるけど……いや、お父さん出てくる……」
誠「こやしないよ(キス)いってまいります」
まり子「いってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]仏壇の前で座禅を組んでいる忠臣。
[#1字下げ]居ねむりをしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]コックリコックリ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん」
忠臣「ウワッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]目をさましてびっくりする。かっぽう着、髪をスカーフでキリリとしばったまり子が手をついている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、支度出来ましたから」
忠臣「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ねぼけている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「支度、出来ました」
忠臣「支度ってなんなの」
まり子「やだなあ、お父さん。自分でおっしゃっといて忘れたんですか。ゆうべ日高からいただいた小いわし。開いて一夜干しつくるからって」
忠臣「ああ……『いわしの一夜干し』ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ホクホクしかかるが、ハッと気づいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「やめときましょ。あんたコキ使うと誠の奴《やつ》にまた怒られるから」
まり子「お父さん……」
忠臣「アンタもアタシに物習うよかパートタイマーのほうがいいんでしょ?」
まり子「つまンないこといってないで、早く!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]背中を押されて、忠臣、しぶしぶ立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「また教えるの? あとで文句いったって知りませんよ」
[#ここで字下げ終わり]
●縁側[#「縁側」はゴシック体]
[#1字下げ]座布団を二枚重ねですわって指図をしている忠臣。
[#1字下げ]つけ汁《じる》の中から開いた小いわしを出して、尾を金串《かなぐし》に通しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ああ、そんなはじっこのとこ通したんじゃ落っこっちゃうじゃないの。もっと、そうそう。そこそこ」
まり子「ハイ」
忠臣「ザルにひろげてもいいんだけどね、金串に通して干したほうが、何というか趣きがあってね、おいしそうだからね」
まり子「アイタタ」
忠臣「手、気をつけなさいよ」
まり子「ハイ。それでこれ、何時間ぐらい干すんですか」
忠臣「そうねえ、今時分だったら、三時までかな。陽《ひ》がかげる前にサッと取りこむのがコツですよ」
まり子「三時まで」
忠臣「それからね、まり子さん、今日みたいに風のある日はいいけどね、もし風のない日だったらどうする?」
まり子「風のない日ですか、うーん……(考えて)判りました!」
忠臣「どうするの」
まり子「風のある日まで待ちます」
忠臣「イワシはどうなるの」
まり子「え?」
忠臣「もらいものだったら、いわしはくさっちまうねえ」
まり子「……そしたら、普通に焼いてたべちゃう……ってのはダメですか……」
忠臣「そういうときはね、扇風機使うの」
まり子「扇風機?」
忠臣「そう、いわしをつけ汁につけて、こやるまでは同じね。そのあと扇風機でパーッとかわかす」
まり子「お父さん、考えたんですか」
忠臣「う、うん……まあ」
まり子「頭いいんですねえ、お父さん」
忠臣「そらアンタ、あんたたちとは食べてるお雑煮の数がちがいますよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大得意の忠臣。
[#1字下げ]庭から入ってくるはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「チワース! 石川酒店でございます!」
まり子「あら、はな子さん……」
忠臣「おう鼻黒一水! 今日は何だ、御用聞きか」
はな子「ハッ! 艦長殿」
忠臣「今日は間に合っとります」
はな子「間に合ってるはいいけどさ、あんまりお嫁さんいじめちゃかわいそうだよ」
忠臣「え?」
はな子「しごくのもほどほどにしないと、病気したときやさしくしてもらえないから」
忠臣「誰《だれ》がそんなこというんだ。お前ンとこのおっかさんか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子が必死で目くばせをするが、のんきなはな子はケロリとしてしゃべる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「(うん)まり子さん、よく我慢してるって、お母ちゃんね、あれみてるとアタシを舅のあるとこは可哀《かわい》そうでお嫁にやれないって」
まり子「はな子さん……(およしなさいよ)」
忠臣「うーむ、何ということを……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]椀《わん》など塗りもの皿小鉢《さらこばち》を改めている静子。
[#1字下げ]帳面につけている京太郎。
[#1字下げ]カウンターにすわって、体をふるわせて怒っている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「十二、十三、十四、十五、十六(かぞえている)」
忠臣「もうわたしはね、腹が立って腹が立って……。わたしだってねえ、好きでにくまれ役買って出てるわけじゃありませんよ、そうでしょ?」
京太郎「そりゃそうですよ。誰だってねえ(上の空で)……おい、いくつなの」
静子「二十二枚」
京太郎「二十二か」
忠臣「それもこれも、誠のためを思えばこそ」
京太郎「次、うずまき、いこう」
静子「うずまきですね。一、二、三、四」
忠臣「はずれた女房《にようぼう》は六十年の不作というじゃないか。そう思って、米のとぎ方からダシのとり方」
京太郎「あ、あのね、フチ欠けてるの、別にして数えなさいよ」
静子「ハイハイ。一、二、三、四」
忠臣「この寒いのに、教えるほうだって楽じゃありませんよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といっているうちにも、ドドドと家鳴り震動して話し声が中断する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あ、またはじまったわ。五、六、七、八」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子は、音に負けまいとして大きな声を出して皿を数える。
[#1字下げ]京太郎は、メモで、心ここにない。
[#1字下げ]忠臣も負けずにしゃべろうとして頑張《がんば》る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「大体、人に物教えるときには座布団にすわってヌクヌクしてたんじゃダメだからね、わたしはいつも率先してだな(ダダダダ)」
京太郎「やっておいでですよ艦長は」
静子「十七、十八、十九……」
京太郎「ほら、欠けてるのかぞえてるじゃないの」
静子「え?」
京太郎「欠けてるのかぞえてるっていったんですよ」
静子「え?」
忠臣「この寒いのに、イワシをひらいてさ、ねえ」
京太郎「(大きな声で)キズのないのだけかぞえなさいって」
忠臣「この寒いのにイワシを」
静子「ああ、ハイ(ブツブツ)じゃ、はじめからやり直しだわ。一、二、三、四」
忠臣「イワシをひらいてねえ、一夜干しのつくり方を教えてさ、それでアンタ悪口いわれたんじゃあ」
静子「ヒビはどうしましょうか」
京太郎「ヒビねえ、ヒビは」
忠臣「ヒビだって切れますよ。あたしはね、誠のためもあるけどね、何も知らない嫁に日本の伝統を仕込むということは日本のためだ、そう思って」
京太郎「持ってみてねえ、ミシッて音のするのは、はねて……」
静子「ミシッと……あ、こりゃ大丈夫だわ」
忠臣「日本の……あのねえ、人のハナシ、身を入れて聞きなさいよ」
京太郎「ハイハイ、伺ってますよ」
忠臣「そういう人の気持も判らんでだな、石川の細君はしごきだの嫁イビリだの」
静子「十七枚だわねえ、無事なのは」
京太郎「十七枚。うずまきは一番気に入ってたのになあ。値だって張ったしさ」
静子「一枚、いくらでしたかねえ」
京太郎「こんどから、うずまきは人見て出しなさいよ」
忠臣「あのねえ、うずまき(つい言ってしまって)二人とも人のハナシ、身を入れて聞いて頂戴って言ってるの!」
二人「ハイハイ」
忠臣「何がうずまきだ」
二人「すみません」
静子「ほんとに永山さん、大変ですわねえ」
忠臣「とってつけたようなお世辞をおっしゃらんでもいいですよ」
静子「あら、お世辞だなんて……石川さんの奥さんも、永山さんのお気持はようく判っているんですよ。ただ……ほら、あの方、ポンポンおっしゃるタチだから」
京太郎「そうそう。ハラはサッパリしていい人だよ。なあ」
静子「そうよ、あたしなんかよりも情にあついんじゃないですか」
忠臣「そうじゃないね。あの女はね、大体、亭主を尻《しり》の下にしいてだな」
ガガガガという音一層|烈《はげ》しくなって、忠臣、熱をこめて何かいっているらしいのだがサッパリ聞えない。
忠臣「……ですよ」
二人「は?」
忠臣「ナマイキだといったんですよ、ああいう女はいっぺんガーンと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガガガガガ……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「やかましいな、なんなの、ありゃ」
京太郎「工事やってんですよ」
静子「おとなりがスナックになるらしいんですけどね」
忠臣「スナック?」
京太郎「これが昼夜兼行の突貫工事でね。いや、うるさいのなんの」
静子「ゆうべからねえ、商売にならないんですよ」
忠臣「非常識な奴らだな。となり近所の迷惑をどう考えとるのかねえ!」
京太郎「まあねえ、工事の音だけならねえしかたがないですよ。だけどね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]若い男のダミ声で、「なみだの操《みさお》」をがなる声が、ガンガン聞えてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「だけどねえ」
静子「またはじまったわ……」
京太郎「日がな一日あれなんですよ。もう頭がオカしくなっちまってねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ますます頭にくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ようし、わたしが行ってやめさせてくる」
京太郎「ダメですよ、ああいう連中は言ったって」
忠臣「まあ、待っとりなさい」
[#ここで字下げ終わり]
●工事現場[#「工事現場」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]スナックのための基礎工事をやっている。二、三人の男が働いている。中の一人、ひときわガッシリした若い男、手島三郎が、手を動かしながら「なみだの操」をがなっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「※[#歌記号、unicode303d] あなたのために 守り通した 女の操
[#2字下げ]今さら他人《ひと》にささげられないわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、入ってくる。
[#1字下げ]いきなり、どなりつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「やかましい!」
手島「※[#歌記号、unicode303d] あなたのけっしてお邪魔はしないから」
忠臣「やかましいといっとるのが聞えンのか!」
手島「あんた誰だい」
忠臣「お前たちみたいな無礼な連中に名前を名のる必要はあるまい!(胸を張ってかっこをつける)」
手島「ちょいとこれ(頭がおかしい)じゃねえのか、ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]また歌いながらやり出す手島。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「やめろというのが判らんのか!」
手島「何だと!」
忠臣「近所迷惑も大がいにせい!」
手島「何が近所迷惑だよ。おい、じいさんよ。工事の音ってのはな、こりゃ、しょうがねえんだよ。手前ェのうちだって建つときにゃデッケエ音出したんだよ」
忠臣「それにしたって心づかいというものがあるだろう。バカでっかい声で歌うたって、それがどんなに人さまの迷惑になっとるか」
手島「歌、歌っちゃいけねえって法律でもあンのかよ!」
忠臣「(つまるが)歌、歌わなきゃ工事が出来ンなら、そんな工事はやめなさい!」
手島「おう、人に指図すんのかよ」
忠臣「指図ではない。命令だ!」
手島「言わしとけばつけ上りやがってこの野郎!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手島、忠臣の胸倉をつかまえて手をあげるが、急にはなす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「フン。タダじゃおかねえとこだけど年に免じて勘弁してやらァ、じゃまだからあっち行きなよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ポンと軽く小突かれる。よろめく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「クソッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]くやしいが、相手はガッシリした若い男、忠臣、足許《あしもと》をパッと蹴《け》って出てゆく。
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]工事現場でのウップンをぶつけるようにグッと枡酒《ますざけ》をあおる忠臣。
[#1字下げ]たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「お代り!」
たつ「ちょっと永山さん。いま何時だと思ってんですよ」
忠臣「お代りといったらお代りだ!」
たつ「(つがない)もういいでしょ!」
忠臣「かしなさい(ビンをとって自分でつごうとする)」
たつ「(押えて放さない)」
忠臣「おーい、石川! 石川一水!」
たつ「ご用聞きにいってますよ、第一ね、人の亭主つかまえて石川一水ってこたァないでしょ!」
忠臣「今日に限っておらんというのは、全く」
たつ「主人に何かご用ですか!」
忠臣「ああ用だねえ。お前は一体どういう女房教育をしたんだといってね」
たつ「女房教育? ちょっと永山さん、それどういう意味ですよ」
忠臣「大体ね、石川だけじゃないんだよ、教育の悪いのは。倅《せがれ》は父親をバカにする。若い者は年寄りをバカにする」
たつ「人のことはどうだっていいですけどねえ、女房のこと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、スキをみて一升|瓶《びん》をうばってつごうとする。
[#1字下げ]さえぎる、たつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん! みっともないマネよしなさいよ。全く酒に意地汚ないんだから」
忠臣「意地汚ないとは何だ」
たつ「意地汚ないじゃないの。昼間からよっぱらって、それで小意地悪くお嫁さんしごいちゃね、たまンないわよ」
忠臣「何だ、その言い草は!」
たつ「巡洋艦の艦長だか何だか知らないけどね、あんまり人迷惑なまねはしないほうが」
忠臣「ナマイキいうな!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、カッとなってたつを小突く。
[#1字下げ]たつもカッとなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「なにすンのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと手をはらう。
[#1字下げ]そのとたん、顔を突き出すようにした忠臣の左目にもろに当ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うむ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔をおおってうずくまる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「……(呆然《ぼうぜん》)永山さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●石川家・茶の間[#「石川家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]目を押えてうずくまる忠臣。オロオロして濡《ぬ》れタオルをもってあてがおうとしているたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「ほんとに、まあ、何てことを」
忠臣「いりませんよ、こんなもの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]パッと払う忠臣。忠臣の左目はみごとなパンダになっている。忠臣よろよろと立ち上って出てゆこうとする。さえぎるたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「のきなさい! のけといっとるのが」
たつ「(体当りでとめる)いいえ、のきませんよ!」
忠臣「のけといったら」
たつ「待って下さい。おねがいします!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、物凄《ものすご》い力で忠臣をぐいぐいと引っぱって茶の間に引きもどす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あいたた! 何をする!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、忠臣を上座にすえてパッと両手をついて頭をすりつける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん、申しわけありません」
忠臣「フン。男が顔に手あげられて申しわけないの挨拶《あいさつ》ですむと思っとるのか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、尚《なお》も立とうとする、たつ、取りすがる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん、この通りですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、言いかけるが、たつ、言わさない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん、あたし、ぶつつもりじゃなかったんですよ。ほんとにはずみで」
忠臣「はずみだってだな、男の顔に」
たつ「ですからこの通り……ね、この通り……いえ、あやまるだけじゃ足りないっておっしゃるんでしたら、どんなお詫《わ》びでもしますよ、その代り……どうか、うちの父ちゃんに、わたしが殴ったってこといわないでもらいたいんですよ」
忠臣「そうはいかないね、あたしは石川を呼びつけて」
たつ「(ワッと泣き出す)」
忠臣「泣き落しがきく年かい」
たつ「永山さん、あたしねえ、出てくとこないんですよ」
忠臣「え?」
たつ「実家がないんですよ、アタシは……」
忠臣「実家って……アンタ……」
たつ「永山さんがこのこといやあ、うちのお父ちゃん、あたしに出てけっていいますよ。そりゃね、ふだんは、アタシがお尻の下にしいてますよ。でもねえ、お父ちゃんにとって海軍は絶対なんですよ。永山さんは神様なんですよ。それ、ブン殴ったとあっちゃ……『出てけ!』これですよ」
忠臣「いやそこまで」
たつ「うちのお父ちゃん、ああみえて頑固なんですよ。いったん言い出したらききませんからね。意地と義理で……言うに決ってます……」
忠臣「うーん」
たつ「あたし……今更、このうち出て……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]鼻水と涙でかきくどくたつ。その最中に、女客。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
女客「ごめん下さい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、別人の如《ごと》くすごい声でどなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「いま取り込み中だからあとにして下さいな!(また前にもどって)永山さん、助けると思って……おねがいします」
忠臣「………」
たつ「はな子の結婚きめるったって母親がいないんじゃあ……ねえ、永山さん」
忠臣「奥さん、わたしも男ですよ。そこまで言われて、いやとはいえんじゃないの」
たつ「永山さん」
忠臣「いいですか。わたしのいう通りいいなさい」
たつ「は?」
忠臣「『まあ、永山さん、お顔どうなすったんですか』」
たつ「え?」
忠臣「『まあ永山さん』言うの」
たつ「まあ、永山さん」
忠臣「『お顔どうなすったんですか』」
たつ「『お顔どうなすったんですか』」
忠臣「実はねえ、殴られたの……」
たつ「(アッ)(気がつく)」
忠臣「日高のとなりがね、工事中なんだよ。そこで工事やってる若僧が」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガタンと音。
[#1字下げ]二人、気にするが音はそのまま。実は、立ち聞きしていた宇佐美クンが段ボールの箱を倒しかけたもの。宇佐美、倒れかかる箱を手で押えて聞き耳を立てる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いや、そいつがあんまり生意気なもんだから注意したら、『なにを!』いきなりバシーン!」
たつ「永山さん……」
忠臣「気つけぐすりをいただこうかしら」
たつ「気つけぐすり……」
忠臣「酒に決ってるじゃないの」
たつ「永山さん、かばっていただいてお言葉かえすようですけどねえ。けがしたときにお酒はいけませんよ!」
忠臣「そうか。なにもあわてて飲むこともないわけだ。(ひとりごとで)ま、こういうことがあった以上、酒は一生奥さんがタダでおとどけ下さるだろうからねえ」
たつ「え?」
忠臣「いたたたた……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話を受けている土岡。そばに編集長、内山や秋子たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「モシモシ。あ、まり子さん、じゃないんだな、奥さんだ、ハハ、御無沙汰《ごぶさた》してます」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「まあ、土岡さん。いつも主人がお世話になっております」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]土岡、久米ほか。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いいなあ、奥さんが主人ていうのきくと何ともいえない甘さとお色気があって」
久米「(横からひったくって)モシモシ、久米さんでございます」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ああ、編集長さん……いつも主人が、お世話になっております」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米、土岡、ほか編集部員たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「主人……ほんと。しびれるわァ」
土岡「(ひったくって)かして下さいよ。モシモシあの誠さんですか」
まり子(声)「はあ、お忙しいとこ申しわけありませんけど」
土岡「今ちょっと出かけておりますが」
久米「(ひったくって)あの、晩のおかずだったらワチキがお伺いしときましょうか。たいちりにとろろいもですか。それとも」
土岡「(ひったくって)どこかで待ち合せの約束ですか」
まり子(声)「いえ、そういうんじゃないんですけど……」
土岡「どうしました。さては、お父さんとけんかでも」
まり子(声)「そうじゃないんですけど」
土岡「お父さん、お元気ですか」
まり子(声)「それがちょっとケガしたんです」
土岡「え? お父さんがケガなすった!」
久米「お父上がケガ!(ひったくって)一体、どうなすったの?」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「大したことはないんですけど、主人もどりましたら電話でも」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米、土岡、内山、秋子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「わかりました、すぐに帰しますから」
まり子(声)「いえ、大したことありませんから電話でけっこうですから」
久米「いま閑《ひま》ですからね、すぐ追い帰しますよ、安心して待ってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る。
[#1字下げ]ドアがあいて誠が帰ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「やっととれましたよ。川田先生の」
土岡「そんなものどうだっていいって」
久米「誠ちゃん。すぐうちへお帰ンなさい」
誠「え?」
内山「お父さん、ケガしたんだって」
誠「え? おやじがケガ」
土岡「まり子さんに聞いても大したことないっていうだけなんだけどね」
久米「とにかく早く帰っておあげなさいな」
誠「おやじの奴、何やったのかなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体]
[#1字下げ]たつ、客が入ってくるが、ボーッと考えごとをして気がつかない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
客「ごめん下さい、ごめん下さい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ビール箱を片づけている源助、気づいてとんでくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「いらっしゃい!」
客「ごま塩ちょうだい」
源助「ごま塩。ハイハイ」
客「包まなくていいの」
源助「さいですか。百十円いただきます。ありがとざんした」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]送り出して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「おい!」
たつ「あ、ああ」
源助「ああじゃないよ。なにボーッとしてんだよ」
たつ「え?」
源助「お前何だか今日おかしいよ、どうかしたんじゃないのか」
たつ「別に。ううん何ともない。(バカデカい声)あ、いらっしゃいまし」
源助「いらっ……誰もきてやしないじゃないか、おかしいよ、本当に」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]物かげでのぞく宇佐美。ヘヘ、と笑う。
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]誠がすっとんで帰ってきたところ。布団の上に起き上っている忠臣。左目のまわりは更に一段とまっ黒になっている。小さな氷のう[#「氷のう」に傍点]とぬれタオルを手に忠臣を助け起しているまり子。
[#1字下げ]誠が切迫した口調でいろんなものを忠臣に見せて、視力をたしかめている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「これは!」
忠臣「『女性時代』お前ンとこの雑誌じゃないか」
誠「これは何色」
忠臣「アオ」
誠「これは!(週刊誌のページ)」
忠臣「わたしの好きな桜田淳子ちゃん」
誠「これは」
忠臣「お前の親指だ。爪《つめ》が伸びとるぞ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠。ほっとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「視力のほうは異常ないな」
まり子「さっきから、念のためにお医者さんへいきましょっていってるんだけど、お父さん大丈夫だ大丈夫だって」
誠「お父さん、一体誰に殴られたの」
忠臣「おやすみなさい」
誠「お父さん……」
忠臣「言いたくないね」
誠「フーン。そうか、じゃあひとことだけ聞くけどね、そのけんか、お父さんのほうが悪いんだろうね」
忠臣「え?」
誠「どこで誰とやったか知らないけどさ、先にチョッカイ出したのはお父さんのほうなんだね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣……黙っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
まり子「どうなんですか、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、布団にもぐろうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
まり子「(小さく)あとで何か故障があったとき……なんだから、ちゃんと聞いとかないと……」
誠「お父さん! ちゃんといわなきゃダメだよ」
忠臣「(かっこをつけ)日本も終りだねえ」
誠・まり子「え?」
忠臣「正義正論なんてものは通らないんだ、年寄りはバカにされて、代りに若い者と暴力が大手を振るってまかり通る時代なんだよ」
誠・まり子「お父さん」
忠臣「誠もまり子さんも気をつけたほうがいい。工事現場なんぞで、ガアガアガアガアやかましくやっとっても決して注意をしてはいけないよ。ハタ迷惑な声で流行歌をわめいとっても『静かにしてくれ』なんぞといっちゃいけないんだ」
誠・まり子「………」
忠臣「言い終るか終らないうちに、『老いぼれのくせに生意気いうな!』バーンと殴り倒されて」
誠「ほんとかよ」
まり子「(カッとなる)お父さん、場所はどこです!」
忠臣「え?」
まり子「相手は誰なんですか」
忠臣「どっこいしょっと(ねてしまう)」
まり子「ねえ、お父さん(食い下る)」
誠「(目でとめて)よしなって」
まり子「え?」
誠「(小さく)口から出まかせに決ってるじゃないか。どっかでつまんないチョッカイ出してやられたに決ってるよ」
忠臣「(パッと起きる)チョッカイとは何だ! チョッカイとは。私はウソなんていってませんよ」
誠「それじゃ、どこなんだよ、場所は」
忠臣「日高のとなり」
まり子「日高のとなり?」
忠臣「スナックの工事やっとるんだよ」
まり子「それで殴った相手は」
忠臣「そこの若い労務者ですよ。あなたのォけっしてお邪魔はしないから、と歌っとる奴ですよ」
まり子「(口の中で)ようし!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、凄《すご》い目でパッと出てゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]サンダルを突っかけてとび出そうとするまり子に追いすがる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どこゆくんだよ」
まり子「決ってるじゃないの、お父さん殴った人にアタシ」
誠「まり子さん」
まり子「年寄り殴るって法はないわよ」
誠「いや、ハナシ聞かなきゃ判ンないよ。おやじもバカなこといったんじゃないかなあ」
まり子「たとえどんなこといったにしてもよ、相手は年寄りじゃないの。誠さん、うちのお父ちゃんねえ、いつかけんかで殴られて帰ってきて、打ちどころが悪くてあとで耳がおかしくなったことあるのよ。だから、人ごとじゃないのよ」
誠「だからってまり子さんが」
まり子「ひとこといってやるわよ」
誠「アブないよ! まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび出すまり子を追って、誠もとび出してゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「まり子さん、まり子さん、誠! 二人ともどしたの?」
[#ここで字下げ終わり]
●工事現場[#「工事現場」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]まり子が手島の前に飛び出そうとするのを体当りでとめる誠。
[#1字下げ]あきれてポカンとしている手島。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「いかに何だってね、年寄り殴るなんてひどいわよ!」
誠「よせ! よしなさいよ、キミは引っこんでろよ!」
まり子「誠さん」
誠「ひっこんでろってのが(判んないのかよ)」
手島「なにガタガタやってんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ほかの労務者もくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男「なんだよ、この連中は」
手島「いやあ、オレもサッパリ判んねえんだけどよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]以下いきり立って、早口のやりとり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「判んなきゃ言ってやるよ。昼間アンタがブン殴った年寄りがいたろ、ありゃね、オレのおやじだよ」
手島「なんだと」
誠「おやじはね、ここンとこがはれて、こんなになって、パンダになってるよ。相手は年寄りじゃないか(言いかける)」
手島「言いがかりはよせってんだよ」
誠「言いがかりだと!」
手島「いいがかりじゃねえか。殴りもしねえもンが、どしてパンダになんだよ」
まり子「なにいってんですか! お父さんはね、ここんとこまっくろになって」
誠「そうだよ。殴っといて言いのがれはよせよ!」
手島「なにいってんだよ、この野郎!」
誠「チキショウ!」
手島「あ、なにすンだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、むしゃぶりついてゆく。が、相手の方がけんか上手。パッと出したアッパーは、誠の右顔面に見事に決まる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アッ!」
まり子「誠さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とびこんでくる京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「誠さん」
誠「クソッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]向ってゆこうとする誠を体ごととめる京太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「誠さん、いけない、いけない!」
手島「ヘン、弱いくせしやがって、バッカヤロ!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]左目パンダの忠臣のとなりに、右目パンダの誠がならんでいる。
[#1字下げ]冷したり大童《おおわらわ》のまり子。興奮している京太郎と静子。そして源助。
[#1字下げ]まり子に手を貸しながらチラチラと忠臣に目を走らせて落着かないたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ヘヘ、パンダが二頭になっちまったじゃないか。カンカンにランランだ」
京太郎・源助「艦長!」
京太郎「いやあ、何も教えて下さらんもんだからさ、昼間、艦長があの若僧にこれ(ゲンコツ)やられたってことも知らなかったのよ。おまけに、今度は誠さんじゃないの」
静子「もう、びっくりしちゃって……」
源助「艦長も水臭い! どして殴られたんなら殴られた! ひとこと言ってくれなかったんですか!」
京太郎「そうですよ。第一うちはとなりじゃありませんか! どしてひとこと」
静子「そうですよ。それだけぶたれてどしてうちへ声かけないでお帰りになったんです!」
忠臣「そうも思ったんだけどね。迷惑かけてはいけないと思ってだな、這《は》うようにしてもどってきましたよ」
源助「全くもう、何てこったい! 艦長だけならともかく誠さんまで……」
忠臣「フン。だらしがないねえ。え? 親の仇討《あだう》ちにでかけて返り討ちとはねえ」
京太郎「いやあ艦長、誠さんは立派でしたよ。あたしが体当りでとめなかったら」
まり子「そうですよ、お父さん、誠さん向ってゆこうとしたんですよ。それ、あたしと相馬さんが必死にとめたんです」
誠「……テキはこっち(ケンカ)はプロだよ。ド素人《しろうと》が向ってったのがバカなんだけどさ、あんまり腹立ったもんだから……いや、おやじさん殴ったのはしょうがないって気もすンですよ」
忠臣「おい……」
京太郎・源助「誠さん」
誠「いや、このおやじですからね、全部が全部正しいなんて信じられないですよ。けんかなんてもンは、はずみってこともあるし売り言葉に買い言葉でついカッとなるってことだってありますからね。でもねえ、オレ、殴っといて『オレは殴ンない、言いがかりつけるな』そういわれてカッとなったな」
たつ「………」
源助「男のくせに卑怯《ひきよう》だよ。やったらやったとどして言わないんだ」
まり子)「そうよ」
静子   「そうですよ! ねえ、奥さん」
たつ「……(蚊のなくような声で)ほんと……」
京太郎「(ポツンと)届けた方がいいな」
忠臣・たつ「えッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とび上る二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「届けるっていうと」
たつ「ケ、ケ、ケイサツへとどけるの?」
京太郎「そうですよ。こういう時に泣き寝入りするから、町の暴力がはびこるんだ!」
源助「そうだ! とどけましょう。なんだったら、相馬|中尉《ちゆうい》、我々で被害届けを」
静子「その方がいいかもしれないわねえ」
たつ)「あの」
忠臣  「ちょっと、ちょっと待って頂戴」
一同「は?」
忠臣「被害届けは、もうちょっと考えてからにしようじゃないの」
誠「うむ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、フラフラと立ち上る。源助、みて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「どしたのよ、おい。顔色がよくないよ」
たつ「あたし、ケガに弱いもんだから……ちょっと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]モゴモゴいいながらフラフラと台所へ、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「大丈夫? 奥さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、手を貸して台所へ。
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]静子とたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「本当に大丈夫ですか」
たつ「(ええ……)」
静子「フフ、奥さんてお体格の割には気が小さいのねえ。あたしなんか、もう、少しぐらい頭の痛い時でもケンカって聞くと張り切っちゃって……健太郎の小さい時なんかねえ(言いかける)」
たつ「……奥さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつの低い思いつめた声にびっくりする静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「?」
たつ「奥さん、あたし、どうしていいか判んない……」
静子「え?」
たつ「……永山さんブン殴ったのあたしなのよ」
静子「奥さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、誠、まり子、京太郎、源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「届けるのは反対だね」
京太郎・源助「艦長……」
忠臣「わたしはねえ、そりゃやられた本人だから届けたいですよ。でもねえ、場所が『日高』の隣りだからねえ。相馬も顔を知られてるしさ、万一、出てきてお礼まいりとか……ねえ、おっかないことになると……」
京太郎「艦長! それがいけないんですよ。お礼まいりをおそれて届けないから町の暴力が」
源助「相馬中尉、うちに電話下さいよ。オットリ刀でとんでゆきまさ」
忠臣「それとね、まあ、届けるとなると新聞にも出ることになる。『元巡洋艦日高艦長海軍大佐永山忠臣。殴られる』……これは、どういうもんかねえ。帝国海軍の名誉を汚《けが》すことになりはせんかと」
誠「元の肩書なんか載らないよ」
忠臣「ああそう。しかしねえ、届けるというのは」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]静子とたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「そうですか。いえ、何だかおかしいとは思ってたんですけどね、そうお……」
たつ「奥さん、あたし……」
静子「永山さんもスネにキズがあるから届けろとはおっしゃいませんよ。だから……ね、奥さん、もう少し時間もたせて……」
たつ「え?」
静子「あたし、やってみます」
たつ「あの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「石川のオバサン、大丈夫ですか」
静子・たつ「大丈夫大丈夫」
[#ここで字下げ終わり]
●工事現場[#「工事現場」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ラーメンを食べ終り、たばこに火をつけながら「なみだの操」をうたう手島。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「※[#歌記号、unicode303d] 私に悪いところがあるのなら
[#2字下げ]教えて きっと直すから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]前にスッと立つ静子。じっとみつめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「(気味が悪い)なんだよ」
静子「お食後のお休みのところを失礼いたします」
手島「(食われてモタモタ)」
静子「折り入ってお願いがございます。聞いていただけませんでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]折り目正しくたのむ静子に毒気を抜かれて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「はッ……はあ……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]茶の間に移って、カンカンガクガクやっている忠臣、誠、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うーん、しかしねえ、届けることによって海軍の名折れ」
誠「海軍は関係ないって」
忠臣「お礼まいり」
京太郎「覚悟の上です」
たつ「でも、商売に差支《さしつか》えるじゃないんですか。変なのがウロウロしてたら」
忠臣「そうそう」
京太郎「アタシだって男ですよ。ロクさんもいるし、健太郎クンだっているしさ」
源助「届けましょう、艦長」
忠臣「いやそれとねえ、あたしがためらう理由のひとつは、これ(誠)ですよ」
一同「は?」
忠臣「私はもうお釣《つ》りの人生です。何をどう書かれようとかまいません。しかしねえ、こいつはまだこれからです。それが、町でケンカをして殴られたとあっちゃ……差しさわりがあるんじゃないの」
京太郎「ウーン」
源助「そういやあなあ」
忠臣「嫁さんもらったばっかりにつまらんことで新聞に出たんじゃあ、まり子さんの実家に対しても申しわけが立たない。第一、こいつの会社にも」
誠「そっちのほうは、オレ、かまわないよ」
忠臣・たつ「え?」
誠「正直言ってオレも殴られましただからねえ、あんまりかっこよくないけどさ、やっぱり黙ってひっこんでちゃいけないと思うんだよ」
忠臣・たつ「しかし、まり子さんが……」
誠「まり子さん、いいよね」
まり子「(うなずく)」
誠「オレね、あいつが殴ったこともなんだけど、殴ったくせに殴らないってシラ切ってることが許せないんだよ、お父さん、これから警察いって届けてくるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立ちかける誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おい誠」
たつ「待って下さい!」
[#ここで字下げ終わり]
「奥さん」
一同(「おい……」
「おばさん」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「その労務者の人ウソいってないのよ、本当に永山さん殴ってないのよ」
一同「え?」
源助「それじゃあ、誰が」
京太郎「誰が殴ったのよ」
たつ「あたしです、あたしが殴ったんですよ」
一同「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、ビックリ。折も折、玄関の戸があく気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子(声)「どうも遅くなりました!」
たつ「あ、奥さん」
まり子「……ハーイ」
静子(声)「さ、どうぞお上りになって……どうぞどうぞ」
京太郎「どうぞって……」
源助「誰かほかにいるのかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、出迎えの感じで出ようとした鼻先に小走りに入ってくる静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「(玄関のほうに)さ、こっちこっち早く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]怪訝《けげん》な顔の一同の目の前に具合が悪そうに現れたのは、話題の主、手島三郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・忠臣「あッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、目でうながす。
[#1字下げ]手島、廊下に長いスネを折って不器用そうにすわる。手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「どうも、昼間は殴ってすいませんでした」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、キョトンとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「殴った?」
たつ「じゃあ……この人が……」
誠「おかしいじゃないか。一体、どっちがお父さん殴ったんだよ」
手島)「オレだよ!」
たつ  「あたしですよ」
静子「奥さん……」
手島)「え?」
たつ  「え?」
誠「ちょっと待ってくれよ。お父さん、一体どっちに殴られたんだよ」
たつ)「アタシだって」
手島  「オレだっていってるだろ」
誠「おかしいな、アンタ、さっきオレは殴ってないって、それでオレのこと……」
手島「いやあ、そっちの方も謝まらァ、どうもすいません」
誠「いや、オレの方はいいんだけどね、一体どっちが」
たつ「本当にアタシが殴ったのよ。ただ、永山さんのこと殴ったって判ったら、アタシ、お父ちゃんに離縁されちまう。そう思ってさ、永山さんに手ついてたのんだのよ」
京太郎「それで艦長は……こっちのお兄さんに殴られたことにしたってわけか」
忠臣「いや、たしかに胸倉つかんでやられたけどさ、なぐりはしなかったんだよ」
源助「そんなら、どして殴ったって」
手島「何か知らねえけどよ、こっちの奥さんがきて、『アンタが殴ったことにしてくンないと一人の女の一生がメチャメチャになるんだ。家庭がこわれるんだ。だから、目つぶってあやまってくれ。その代り、私の責任で絶対に警察|沙汰《ざた》にしないから』って……そいわれて……オレ、キレイなひとに弱いもんだから」
忠臣「それできたのかい……フーン、おい兄さん、アンタも案外いいとこあるねえ」
手島「……オレも年寄り抱えてっからよ」
忠臣「おとっつぁんかい」
手島「いや」
忠臣「おっかさんか」
手島「うん」
忠臣「親孝行してるか」
手島「時々小遣い送るぐらいだな」
忠臣「よろこぶだろ」
手島「さあ、どうかな、あ、オレ、もういいよな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]テレながら、立ち上る手島。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「どうもまあ……かえってごめんなさいねえ」
手島「いや、いいけどさ……」
まり子「あの、お茶でも」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手島、手をふってゆきかけ、ふとふり向いて忠臣にいう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
手島「じいさんよ、アンタどういう人か知ンねえけどさ、しあわせだよな、みんなにこんなに心配してもらってよ」
忠臣「そりゃまあ、人徳だねえ」
一同「(ヘヘヘ)」
手島「そいから……(誠に殴るまね)勘弁してくれよな」
誠「いやあ、こっちが悪かったよ……殴んないのに殴ったといわれりゃ……(ゲンコ)やンの当り前だよ」
手島「じゃあ」
誠「どうも」
忠臣「おう、元気でやれよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をふって帰ってゆく手島。
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]源助の肩をもむたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「あンた」
源助「何だよ」
たつ「離縁なんていわないよね」
源助「したきゃしてもいいぞ」
たつ「うん!」
源助「あいててて」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるはな子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
はな子「お母ちゃん」
たつ「何だよ」
はな子「宇佐美クンが月給上げてくれないかって……」
たつ「なんだって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]のぞいている宇佐美。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「この不景気によくもまあそんなことが」
宇佐美「(小さく)おかみさん、そんなこといっていいのかな。オレ、おかみさんの秘密(小さく)」
たつ「ああ、永山さんぶん殴ったことならお父ちゃんもみんな知ってるよ。それがどしたい?」
宇佐美「おやすみなさい……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・脱衣所[#「永山家・脱衣所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]湯上りの誠。まり子に髪の毛をタオルで拭《ふ》いてもらっている。
[#1字下げ]パジャマ姿。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ほら、ちゃんと拭かないと……頭に水気がのこってると風邪ひくのよ」
誠「判ったよ」
まり子「ね、こっち向いて」
誠「何日ぐらいで消えるかなあ」
まり子「パンダのあと……そうねえ、早くて一週間」
誠「早く消えるクスリないかなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といってるところへ忠臣の声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「ワンツ! ワンツ!」
誠・まり子「?」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]入ってくる誠とまり子、びっくりしてしまう。
[#1字下げ]トレパン姿の忠臣がグローブをはめて、天井からブラ下った『サンドバッグ』を叩《たた》いてボクシングの練習。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
まり子「どしたんですか」
忠臣「いやあ、おそまきながら(グローブ)きたえようと思ってさ。男は腕っぷしがたたなきゃダメだぞ、おい」
誠「そりゃそうだけどさ」
忠臣「こうでいいのか」
誠「それじゃダメだよ。この感じで……こう、ワンツ! ワンツ!」
忠臣「ワンツ! ワンツ!」
誠「フットワークは、こう」
忠臣「ワンツ! ワンツ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠が教え忠臣はまねる。父もパンダ、息子もパンダ。
[#1字下げ]見守りながらおかしいまり子。
[#改ページ]
27
[#改ページ]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]昼下りの店内。椀《わん》などの塗りものに艶布巾《つやぶきん》をかけている静子。
[#1字下げ]カウンターにすわり込んで雛《ひな》人形のカタログを見せながら相談を持ちかけている忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「顔はねえ、これが一番いいんですよ」
静子「ほんと。目もと口もと……品のいいこと……」
忠臣「衣裳《いしよう》も、ほら……」
静子「渋いけど、よさそうですねえ」
忠臣「わたしもこれが一番気に入ってるんですよ。ところがね……お値段のほうも……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、何やら秘密めかして体のかげで、ゴショゴショとサイン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まあ、お雛様とも言えませんわねえ。昔ならうち一軒のお値段だわ」
忠臣「まさにインフレーションですなあ」
静子「どこまで上るんですかねえ」
忠臣「大蔵大臣は一体何をしておるんでしょうなあ、全く……まあ、大蔵大臣責めとってもラチはあかんのだけども……まあ、予算からいけば……このへんなんだがねえ」
静子「これでもけっこうなお値段ですけどねえ」
忠臣「もうひとつ、ねえ……」
静子「そうですわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、カタログをひっくりかえしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あら、永山さんのお宅、お雛様……(言いかけて)そうですわね、男のお子さん二人ですもの、お雛様より鍾馗《しようき》様だわねえ」
忠臣「いや、うちにもね、亡《な》くなった家内が嫁入り道具に持ってきた、実にみごとなのがあったんですがね……戦災で……」
静子「まあ」
忠臣「よせばいいのに、疎開《そかい》に出したんだねえ。貨車ごと汐留《しおどめ》の駅でB29にやられて……」
静子「もったいない……」
忠臣「バアさんゆずりとかで、そりゃ立派なお雛さまでしたよ。特に内裏《だいり》さまのお顔ね、わたしはね、奥さん、今でもこう目を閉じると、焼けてしまったうちのお雛様の顔が目の前にフワァッと浮かんでくるんですよ」
静子「焼けてなくしたものっていつまでも目に残りますものね。それにしても……永山さん、お舅《しゆうと》さんのカガミ[#「カガミ」に傍点]ですわねえ。お嫁さんのために、お雛様を買ってやろうなんて」
忠臣「シッ! 内緒なんだから、大きな声で……」
静子「すみません」
忠臣「そりゃね、わたしだって、倅《せがれ》からの小遣いと軍人恩給をチビチビためた分をボーンとはたくのは痛いですよ、でもねえ、まり子さんが『あたしなんか、いっぺんも、おひな祭りなんかしたことなかったなあ……』そういってるの聞いて、これが見捨てておかれますか、奥さん」
静子「おえらいわ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とやっているところへ、バーンと戸があく。
[#1字下げ]フラフラと、入ってきたのは、京太郎。目が据《すわ》って、手が前に泳いでいる。口をパクパクあけているが声にならない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あなた……」
忠臣「相馬、どうしたんだ」
京太郎「あ、あ、あ」
静子「あなた……」
忠臣「おい、相馬しっかりしなさいよ。一体、どうしたんだ」
京太郎「……当った」
静子「当った?」
京太郎「当った……当った」
忠臣「バカ者……フグは気をつけろとあれほど言ったのに……肝《きも》は食ったのか! 肝は」
京太郎「(手を振る)」
忠臣「トラフグかショーサイか」
京太郎「ホンコン」
忠臣「ホンコンフグか、ありゃ猛毒なんだよ」
京太郎「フグじゃないの。ホ、ホ、ホ」
静子「あなた、フグじゃないのね、本当に大丈夫なのね!」
京太郎「大丈夫だけど、当ったんだよ。これ買ったら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎、反物を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まあ、派手な、これ、あたしに?」
京太郎「二千円で一枚くじ引けっていうから、ガラガラガラって廻して、白い玉十五ひろったら、大当り……香港《ホンコン》」
静子・忠臣「ホンコン……」
京太郎「香港」
静子「ホンコンて……あのホンコンですか」
京太郎「切符があ、あ、あたったのよ」
二人「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またガラッと戸が開く。とびこんできたのは源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「やったやった! 相馬|中尉《ちゆうい》! やったじゃないすか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、やたらに京太郎の背中といわず肩といわず叩きまくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「いや、いま表通りの福引所の前通ったら……記念セールの特賞が出たっていうでしょ? ひょいとのぞいたら……『特賞香港招待・相馬京太郎殿』」
静子「あなた」
忠臣「香港招待! 相馬!」
京太郎「……静子、水……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」小部屋[#「「日高」小部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]やたらに水をガブガブのみながらまだハアハアいっている京太郎。
[#1字下げ]そして興奮気味なのは源助と静子、腹に一物《いちもつ》ある忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「それにしても相馬中尉らしいじゃないですか。え? 奥さんのために着物買って、それで香港の切符引きあてるなんてさ」
静子「(うれしいくせにわざと)でもねえ、石川さん、着物ったってこれよ。アタシの年考えて下さいよ。こんな派手なの」
源助「それで香港ゆけるとなりゃ安いもんじゃないですか」
静子「そりゃそうですけどさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣一人は、三人とちょっと距離を置いた感じでわざと目を閉じている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「いや、ほんと、おめでとうございます」
京太郎「……おめでとうはいいけどさ、どうしよう」
源助「どうって、決ってるじゃないですか。切符からホテル代までオール招待なんでしょ?」
静子「もってくのはお小遣いだけでいいんですって」
源助「そりゃいってこなきゃ、相馬中尉、海外旅行ははじめてなんだからいいチャンスですよ」
静子「ほんと。店一軒やってるとこういうことでもないとなかなかねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]突然、忠臣が感慨をこめていう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……香港か……」
一同「………」
忠臣「香港ねえ」
一同「………」
忠臣「ああ、香港の沖合……洋上二百キロの海底に我がなつかしの『日高』はねむっておるんだねえ」
京太郎・源助「うむ! そういえば……」
忠臣「香港島の……ありゃ何といったかな、一番高い丘の上……ビクトリア・ピークか、あの上に立って日高に黙祷《もくとう》を捧《ささ》げつつ、心ゆくまで『海ゆかば』をうたう……まあ、そういう日が……いよいよ来たんだねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、芝居気たっぷりに京太郎の顔をじっとみつめ、立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「艦長……」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 海ゆかば 水漬《みづ》く屍《かばね》……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静かに出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あ、永山さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]店のほうへ送ってゆく静子。
[#1字下げ]忠臣、低く「海ゆかば」をハミングしながら、静子に悠然《ゆうぜん》たる敬礼をして出てゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「(呟《つぶや》く)永山さん、ご自分がゆきたいんじゃないかしらねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しかし、小部屋の京太郎と源助は、陶酔の表情で「海ゆかば」を合唱している。
[#1字下げ]口をつぐむ静子。
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体]
[#1字下げ]鼻唄《はなうた》をうたいながら洗濯《せんたく》ものを干しているまり子。
[#1字下げ]庭から「海ゆかば」をうたいながら入ってくる忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、お父さん、お帰りなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ゆきすぎて、また思い直して、まり子に重々しく言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「近々のうちに香港のほうへ出かけることになると思うから」
まり子「香港!」
忠臣「スッ頓狂《とんきよう》な声を出しなさんな」
まり子「お父さんが香港いくんですか」
忠臣「舅に対しては『いらっしゃる』という」
まり子「いらっしゃるんですか」
忠臣「ゆくことになるんじゃないのかねえ」
まり子「あの、いつ! 誰《だれ》と、それであの」
忠臣「あわてるんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、わざと悠々と入ってゆく。
[#1字下げ]あわてて追いすがるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん! お父さん、本当に香港(ゆくんですか)」
忠臣「シッ! まだはっきりとなに[#「なに」に傍点]したわけではないんだが、いずれ、このわたしにということになるから(ブツブツ)」
まり子「は?」
忠臣「そのときになって、あわてることのないように、嫁として今から心の準備をしておくように」
まり子「ハイ……」
忠臣「それから、今のことは、一応我々だけの機密事項ということにしておいてもらいたい」
まり子「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]重々しく言う忠臣にまり子、つい敬礼をしてしまう。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎、静子、源助、まだ興奮して騒いでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「それにしても、『香港』とはねえ」
静子「ほんと。あなたがこんなにくじ運の強い人だなんて、あたし、知らなかったわァ」
源助「いやあ、こっちだって。大体、相馬中尉は、くじ運は弱いほうだもの」
京太郎「そうよ。あみだくじ引きゃ、いつだって最高がお使いだしさ、戦後の三角くじ、あ」
源助「あったあった」
京太郎「あれだって宝くじだって、いや、車券、車券ね、自慢だけど、あたったためしなしって男なんだから」
静子「ね、宝くじでも買いましょうか」
京太郎「いいねえ。前後賞つき一千万円! ポーンと当るんじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、腹巻から財布をさがす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「相馬中尉! 宝くじなら、この石川もぜひ相乗りで……」
静子「やだわ、石川さんたら!」
京太郎「いやあ、それにしても、本当おどろいたねえ、香港とは(まだ言っている)」
源助「それで、ゆかれるのは」
京太郎「来月だったかな。各商店会からの当選者が集まって……」
源助「グループ作って!」
京太郎「そういうこと」
源助「そうすると、それまでに、あの何ていうのかな、こういうの(四角いの)」
静子・京太郎「パスポート」
源助「あれ取らなきゃ。相馬中尉、横文字のサイン練習しとかなくちゃ」
京太郎「キョータロー・ソーマ、そのくらい……静子、紙!」
静子「なにも、いますぐでなくたって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながら紙を出す。
[#1字下げ]京太郎、エンピツをなめなめ早くもレッスン。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「それから……ほら、これ! これもやンなきゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、腕をまくって注射のまね。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「予防注射……」
京太郎「(わざと甘えて)しなきゃダメかしら」
源助「ダメダメ、あれしなきゃねえ、外国へは出られないよ」
京太郎「アタシ、チクンは弱いのよ。もう、子供のときから注射だけはダメでね、もう泣いて泣いて、看護婦さんに押えつけられて」
源助「じゃあ、今度も泣くんですな」
京太郎「石川……」
静子「大丈夫大丈夫。あたしが押えててあげますよ」
源助「オレ、帰ろ……」
京太郎「まあ、いいじゃないの。おい、静子(目顔で酒を)」
静子「え? いいんですか。石川さん、まだお仕事が」
京太郎「いいじゃないの、一杯ぐらい。酒屋のおやじがコップ酒の一杯やそこらで……」
源助「じゃ、祝酒といきますか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、コップに冷酒をつぐ。
[#1字下げ]二人、ガチンと合せて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「しかし……こんどのことを一番喜んでおられるのは艦長じゃないの」
源助「そうそう。戦後三十年片時も忘れたことのない『日高』に別れのあいさつが出来るんだものなあ」
京太郎「艦長、不肖相馬京太郎、ご名代《みようだい》をつとめさせて頂きます!」
源助「ハッ!(敬礼)」
静子「………」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・忠臣の部屋・廊下[#「永山家・忠臣の部屋・廊下」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]襖《ふすま》がしまっている。
[#1字下げ]中から、忠臣のうたう「海ゆかば」のメロディーが洩《も》れてくる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ネクタイをゆるめながら、誠が食卓についたところ。
[#1字下げ]膳《ぜん》をととのえているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「(父の席をさして)どしたの」
まり子「え? ああ、お父さん」
誠「どっか具合でも悪いの」
まり子「ううん、そうじゃないんだけど」
誠「珍しいこともあるもんだねえ。え? いつも一番先にそこへすわってさ、酒だメシだって騒いでんのが……どしたの」
まり子「ううん……(アイマイに笑う)」
誠「いないの? そういやあ今日は玄関にも出てこなかったなあ。どっか出かけてんの」
まり子「ううん。うちにいる……いらっしゃることはいらっしゃるんですけどね」
誠「あンなのに、いらっしゃるなんていうこたァないけどさ……いるのに出てこないってのは」
まり子「お父さーん、たらこ[#「たらこ」に傍点]ですけどねえ、焼きますか? それとも生でお酒かけて上りますかァ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]返事なし。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……お父さ(叫びかけて)そうだ、呼ぶなっていわれたんだわ……」
誠「呼ぶな?」
まり子「緊急の用をしているからどんなことがあっても声をかけるな」
誠「緊急の用ってなんなの!」
まり子「何か片づけものみたいなんだけど……」
誠「片づけもの?」
まり子「あれは、三時頃だったかしら? 表から帰ってらしてから、ずうっとお部屋にこもりっ切りなの」
誠「フーン」
まり子「あたしがお八つにお茶もってったんだけど、『あけないでよろしい! そこ、置いときなさい』って……」
誠「フーン」
まり子「トイレへ一回いったぐらいかしら、何かゴソゴソやってて……『あたしがよしというまで、あけてはなりませんぞ』」
誠「何やってんのかなあ、まさか形見分け」
まり子「形見分け?」
誠「うちさ、いろんなガラクタがあるじゃない。あれをね、碁盤はオレで掛軸は兄貴とかさ、分けてんじゃないかな」
まり子「そうかしら」
誠「あと、部屋の模様替えとか……おやじ、何か急にやって、人びっくりさせるの趣味だからさ、あ、そこ何かついてる」
まり子「……(取ってもらって寄りそったり)」
誠「(おやじ)無理に出てこなくてもいいって……」
まり子「悪いわ……」
誠「それにしても、こないねえ」
まり子「お父さん、ごはんですよ!」
誠「お父さん!」
まり子「お父さん!」
誠「お父さん! どしたんだよ!」
まり子「お父さん! ごはんですよう」
忠臣(声)「先にはじめておくれ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を見合す二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おかしいよ、こりゃ。どっか悪いよ(立とうとする)」
まり子「あたし」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、廊下へ。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]廊下のまり子。
[#1字下げ]中からは、忠臣のうたう荘重な「海ゆかば」が流れてくる。
[#1字下げ]まり子、「お父さん」といいながら襖をあけかける。
[#1字下げ]中では、正式の軍服に勲章を佩用《はいよう》した忠臣が、白い手袋の手で挙手の礼、「海ゆかば」のあい間に……呟いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『日高』の御霊《みたま》よ、とこしえにねむれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]そして、足許《あしもと》にはオールドファッションの旅行カバンが口をあけ、下着や亡妻の写真、位牌《いはい》などが揃《そろ》えてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、本当に……ゆく気なんだわ」
誠(声)「おーいどしたんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、そっとはなれる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠、貧乏ゆすりをしながら夕刊をひろげて待っている。
[#1字下げ]入ってくるまり子。
[#1字下げ]その足音を忠臣と間ちがえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「晩メシどきにハラがすかないってのは間食のしすぎじゃないのかな(ふと見上げて)なんだ、お父さんじゃないのか」
まり子「え、ええ……」
誠「どしたの、具合悪いんじゃないの」
まり子「ううん、やっぱり香港……」
誠「ホンコン?」
まり子「あ、いえ……(小さく)言っちゃいけないっていわれてたんだわ」
誠「ええ?」
まり子「ううん……あ、あの、ホ、ホ、ホンコン風邪……はやってんですってね」
誠「ああ、ホンコン二型ってやつだろ? いま、編集長がやられてさ、鼻水とくしゃみでしまらないったらないよ」
まり子「お得意のくわえたばこもできないわけね」
誠「ありゃハナがつまるとダメらしいね、苦しくて」
まり子「フフフ。先、たべましょ、お父さんおなかがすかないらしいから」
誠「え? おかしいな。こんなことは今までいっぺんもなかったけどねえ」
まり子「そのうち、食べたくなりゃみえるでしょ? 先、はじめてましょうよ」
誠「うん……いいけどさ、おかしいな」
まり子「お酒でしょ?」
誠「メシでいいや、それにしてもおかしいな(まだ気にしている)ね、昼間なんかあったんじゃないの」
まり子「え?」
誠「けんかするとかさ」
まり子「ううん。お父さん、すごいごきげんだった」
誠「フーン。ますます判んないな」
まり子「ハイ(ごはん)」
誠「いただきます(言いかけて)ちょっとみてくるよ」
まり子「誠さん(それは……)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]廊下に足音。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、お父さん」
忠臣(上機嫌《じようきげん》な声)「あのねえ、水入らずでお食事中なんだけど……あ、あけなくていいの、あけなくていいの。あたしは胸がいっぱいで、今晩はごはんいただきたくないから……」
まり子「……でも、お父さん」
誠「食わないとダメだよ」
忠臣(声)「いいの。(戸を押える感じで)おい誠、メシ終ったらな、久しぶりに『日高』へいってみようじゃないか」
誠「日高?」
まり子「いってらっしゃい、あたし、いいから」
忠臣(声)「今晩きっと集ってね、相談がまとまったとこなんだよ」
誠「相談?」
忠臣(声)「いいから……お前が一緒のほうがハナシ早くていいだろ。そのつもりで酒ひかえとけよ」
誠「(サッパリ判らない)」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]入ってゆく忠臣と誠。京太郎、静子、健太郎、ロクさん、源助、たつの常連がカウンター前にズラリ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・静子・ロク「いらっしゃいまし」
たつ「あら永山さん……」
源助「なんだ、誠さんもご一緒じゃないすか」
健太郎「珍しいなあ、どうぞどうぞ」
誠「こんばんは。おやじがいつもお世話になってます」
京太郎「固いアイサツは抜き」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、てっきり自分にハナシがくると思いこんでいるのでホクホクして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「『メダカサン メダカサン オオゼイヨッテナンノソウダン』(古い小学校の国語)」
源助「いやあ、艦長、さすが!」
たつ「永山さん、勘がいいわァ」
健太郎「ほんと。すごいもンだねえ」
誠「勘がいいのは食いものだけなんすけどね」
ロク「いまお電話しようかなんていってたんですよ」
忠臣「そうじゃないかと思ってね、倅《せがれ》同道でまかり出たんだが……ご用件というのは(カッコをつける)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつが突き出すのは奉加帳。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「奉加帳……なんだい、こりゃ」
源助「なんだいって、冷たいなあ、艦長」
たつ「相馬さんがね、香港ゆくことになったでしょ?」
忠臣「え?」
誠「へえ、おじさん、香港ゆくんですか」
京太郎「買物したらね、招待券が当っちまったの」
誠「へえ、そりゃ凄《すご》いや」
たつ「それでね、お小遣いだけはこっち持ちだっていうから、みんなで……これ」
誠「そりゃもう。大したこと出来ないけど出させてもらいますよ。あ、いま、持ち合せないんであとで女房《にようぼう》にとどけさせますから」
源助「ニョーボだってさ!」
健太郎「ごちそうさまだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、大はしゃぎ。
[#1字下げ]忠臣、ひとり呆然《ぼうぜん》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ゆくのか?……相馬、お前ゆくのか、フーン、ゆくの!」
たつ「それでね、いまもいってたとこなのよ。相馬さんにね、香港いって、たまには浮気のひとつもしてらっしゃいって……」
京太郎「もう、みんなしてハッパかけるハッパかける」
源助「そう。カアちゃん一人守ってるのが男じゃないぞ。ねえ奥さん」
静子「(はしゃいで)ええ。もう、旅の恥は何とやらっていいますものね。大目にみましょうって……」
忠臣「フーン、本当にゆくの……」
誠「なにいってんだよ。ほら、お父さん奉加帳……いつもお世話になってんだからさ……え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、フラフラと立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「……お手洗いですか」
忠臣「いえ、奥さん、ちょっと」
静子「は?」
忠臣「(目くばせ)ほら、昼間の(小さく)お雛様《ひなさま》の……ハナシのつづき……」
静子「あ、ちょっと……」
たつ「なんかっていうと奥さんひっぱって……(明るく)相馬さん気つけなさいよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]笑っている一同。
●「日高」の小部屋[#「「日高」の小部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]小テーブルの上に、形だけ雛人形のカタログをひろげる忠臣。
[#1字下げ]すぐ横の違い棚《だな》に燭台《しよくだい》がある。忠臣、何となく火をつけて卓上におく。お銚子《ちようし》を持って静子がくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あら、出しっぱなしで……ゆうべ、このへん工事停電だったもんで……さどうぞ」
忠臣「ハイどうも」
静子「お決まりになりまして(雛人形)」
忠臣「……(声をひそめて)奥さんも一緒にゆかれたほうがいいなあ」
静子「は?」
忠臣「ああいうとこへ男を一人で出しちゃいかんなあ」
静子「……あの」
忠臣「病気ですよ」
静子「病気……」
忠臣「(小さく)ローソクみたいに溶けてくるっていうからねえ」
静子「鼻が、ですか」
忠臣「鼻もだけども……」
静子「………」
忠臣「……(恐ろしそうに身をふるわす)」
静子「まあ……」
忠臣「相馬も気が弱いから、さそわれるとノーといえんたちだから。あ、そうだ。あたしはちょっとそこの碁会所をのぞいてこよう。あ、お銚子はあっちのほうへ廻《まわ》して頂戴《ちようだい》。ドッコイショ」
静子「永山さん……お帰りになるんですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立ち上る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、なんだよ、きてすぐさァ」
忠臣「いや、ちょっとそこの碁会所にね。誠、お前、たまなんだからゆっくりしといで」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく忠臣。
●「日高」の表[#「「日高」の表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]出てくる忠臣。
[#1字下げ]追ってくる静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「永山さん、ちょっと……」
忠臣「ハイハイ」
静子「あの……あたくし、昼間からチラッとそう思ってたんですけど……ひょっとして永山さん……香港に行ってみたいってお気持」
忠臣「残念ながらありませんなあ。こうみえてもね、わたしは練習艦隊当時、上海《シヤンハイ》からシンガポール、マルセーユと世界はあまねく一周して参りました。まあ、南極はどうだというんならともかく、香港ではとてもとても」
静子「まあ、そうでしょうけどねえ」
忠臣「まあ、強《し》いていえば、香港沖にねむる『日高』に心がひかれないといえば嘘《うそ》になるが……何もわたしがゆくこたァない。それだけはたのまれてもお断わりです。どうか相馬を……ただし、くれぐれも一人では」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずいて入ってゆく静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アダムとイブはどうしてりんごを食べたのか。いけないといわれたからである。ゆきたいときには『ゆきたくない』これが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]中から声、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子(声)「あなた、あたしねえ、香港ゆき賛成出来ないんですけど」
忠臣「ヘヘ(しめしめ)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手を打って、こおどりしながら帰ってゆく忠臣。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎、静子、源助、たつ、健太郎、ロクさん、誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「賛成出来ないって……そ、それ、行くの反対だってことなの?」
静子「(うなずく)」
京太郎「静子……」
源助「どしたんですか、奥さん急に」
誠「おばさん、どしたんですか」
たつ「おかしいわねえ。つい今さっきまで……ねえ、あたしの分もおいしい中国料理食べてらっしゃい、見てらっしゃいっていってたのが」
健太郎「ねえ、どしたの……」
静子「……実は、今年のはじめに運勢見てもらったんですよ」
京太郎「運勢って、あたしの……」
静子「旅行はよくないって……特に遠いとこは……アブないから見合せるようにって」
京太郎「事故かい……」
源助「飛行機ってやつは、おっこちると……なあ。タンコブじゃあすまないから……」
誠「気にするこたァないんじゃないかな」
健太郎「そうだよ」
静子「思い出さなきゃよかったんですけどねェ」
たつ「フフフフフ。奥さんて案外とやきもちやきなのねえ」
静子「奥さん……」
たつ「心配になったんでしょ? 相馬さんに浮気されたらどうしよう」
静子「奥さん、やだわ、そんなんじゃあ」
たつ「……いいのよ、口じゃどうぞどうぞ、旅の恥はかき捨てなんていってたって……ねえ、イザとなりゃそんなもんよ。旅行がよくないなんて……いいとこあるわねえ」
源助「へえ、奥さんでもヤキモチやくの、へえ」
誠「へえ……そういうことですか」
京太郎「あのねえ、あたしゃ何も浮気をするなんて」
静子「浮気だなんて誰《だれ》も言ってないでしょ! 今年は旅行は……いやねえ、あたし、嘘なんか言ってませんよ。ほんとにそう言ったのよ! 二丁目のほら、たばこやさんのすぐ向いにある四柱推命でみる人が……ねえ、ロクさん、ほんと、あたし行ったわよね」
ロク「ヘヘヘ」
たつ「ハイハイ、わかりましたわかりました、それでいいじゃないの」
静子「ねえ、嘘だと思うんなら、こんど……あしたでもご一緒しましょうよ。前までは見料千円だったのが、今年から千五百円に値上りしたけど」
たつ「そんな、口からツバキとばして言わなくたって」
静子「だって、奥さん、あたし」
源助「まあまあ。奥さんも……」
京太郎「ほんとにアブないっていうの」
静子「あたしも、だまってようかなと思ったんだけど……つい……」
源助「いっぺん口に出していっちまうと、なあ……」
たつ「ま、何でもないとは思うけどねえ……もし落っこったりしたら……あたしたちもねざめが悪いわよねえ」
健太郎「でもねえ、飛行機事故ってのは地上の事故よりずっと率は低いっていうけどなあ」
静子「でも落ちたら、確実にダメだわね」
京太郎「……(ゲンナリする)」
誠「そういわれるとなんだけど、せっかくの切符……ねえ」
源助「誰もいかないってのは、もったいないよ」
京太郎「(静子)アンタ、どうなの」
静子「どうって、なんですか」
京太郎「四柱推命よ、旅行は」
静子「別に、いけないとはねえ」
ロク「そいじゃあ、おかみさんゆきゃいいんですよ」
誠「そうですよ、おじさんのものはおばさんのもの」
健太郎「いっといでよ、お母さん」
静子「あたしはダメ」
誠・たつ・源助「どうして」
静子「一人で旅行なんて……とってもとっても」
源助「だって、ほかに当った人もいるんでしょ」
京太郎「いや、この人はしっかりしてるようにみえて、一人じゃあ何にも出来ないのよ……時間音痴に方向音痴ときてんだからアタシが一緒でなけりゃ……」
源助「こんどは、相馬中尉のほうが心配なんだ」
静子「いやですよ、第一あたくしじゃあ……香港の沖に沈んでる軍艦に、これ(敬礼)したって……ねえ……」
たつ「これ(敬礼)は……男でなくちゃ(源助を押し出すようにして)……どっちにしても無駄《むだ》にしちゃいけないわよ」
源助「じゃあ、健太郎さん」
健太郎「会社があるからダメですよ」
源助「それじゃあ」
静子「(京太郎に)ねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、京太郎を突つく。
[#1字下げ]以下、口の中でセリフ半分マイム半分のやりとり、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「え?」
静子「(石川さん、どうかしらとマイム)」
京太郎「石川? ゆずるの?」
静子「いつもお世話になってるんですもの……ね? ねえ」
京太郎「うむ……」
静子「当らないと思えば、いいじゃありませんか」
源助)「……(モジモジしている)」
たつ  「ううん(咳払《せきばら》い)」
誠「(ロクさんと目を見合せて、だまって飲んでいる)」
京太郎「思い切ってゆずるか……」
源助「相馬中尉! いいんでありますか!」
たつ「何だか悪いわねえ、いえ、うちのお父ちゃんねえ、今年はどっちの方角もいいのよ。香港ていうと、こっちが北海道として、北でしょ、そうすると」
静子「あら、北海道はこっちでしょ?」
たつ「あら奥さん……こっちが北海道でこっちが九州……」
男たち「いや、こっちが北海道で……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんな立って、方角を体で示しあう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どっちにしても香港は、西南じゃないかな」
源助「そうそう、鹿児島の向うだから西南戦争のもっと南だ」
京太郎「まあ、おっこちないように」
たつ「いやですよ、相馬さん……(言いかけて)まさかこの切符半額でなんていうんじゃあないでしょうねえ」
京太郎・静子「ポン引きじゃあるまいし、いやですよ奥さん」
源助「なにか棚《たな》からボタモチで、どうも……」
たつ「お父ちゃん、今年はいいことあるわよ!」
源助「相馬中尉! それでは不肖石川一水、御名代として」
京太郎「たのむぞ、石川」
静子「よろしくおねがいいたします」
誠「よかったよかった。これで一件落着だ……ま、どうぞ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助につぐ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、ぐっとあけて、調子づいてしゃべりまくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「正直いうと、死ぬまでにいっぺんは行ってみたかったんですよ。いや、このくらいの時分(子供)にね、近所に中国の女の子がいてね、リイちゃんリイちゃんていってたけど、この子が、まあ、首筋だの手首足首の細いこと……子供心にフラフラッとしたの覚えてるなあ」
京太郎「向うはほら、昔、纏足《てんそく》なんていってさ」
源助「『キャシャ』ってのはこういうこというんだな」
静子「向うの人は手足がキレイなんですってねえ」
京太郎「夢が叶《かな》うわけだ……ハハ」
[#ここで字下げ終わり]
ロク  「旦那……」
誠  )
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
健太郎 「オジサン、オジサン(オバサンがやばいとサインするが間に合わず)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、いきなり源助のグラスをひったくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「おい……(なにを)」
たつ「相馬さん、せっかくですけどねえ、お気持だけ戴《いただ》いときましょ!」
源助「おいおい、それじゃあゆくなっていうの?」
たつ「奥さんも人の亭主《ていしゆ》だと思って、え? あっちの人は手足がキレイなんですってねえ……自分はヤキモチやいて、相馬さんゆかせないくせに、人のアンタ」
静子「奥さん、あたし、別に」
京太郎・源助・誠「あのねえ」
たつ「もうねえ、こうなったら、ロクさん、アンタ、いってらっしゃいよ」
ロク「え? アッシですか」
たつ「そういっちゃなんだけどねえ、ロクさん、アンタ、そう大したボーナスもらったわけでもないでしょ? だったら香港ぐらいねえ」
ロク「いやあ、とんでもない! そんな」
静子「そうだわ、ロクさん! ねえ、あなた(小突く)」
健太郎「なるほどロクさん……」
京太郎「そうか。それが一番いいや。ロクさん、遅まきながらボーナスだと思って」
ロク「とんでもない。どうかもう」
誠「そりゃいいや。いってらっしゃいよ」
たつ「遠慮するこたァないわよ。近頃は、つとめたての女の子だって、パリだなんだって出かけんだから」
静子「ロクさん……」
京太郎「いっとくれよ、な、もったいないよ、切符が」
ロク「お気持はうれしいんすけどね、それだけは勘弁して下さいな」
一同「え?」
ロク「飛行機、ダメなんですよ」
京太郎「乗れないの?」
ロク「あんな鉄の固まりが空飛ぶってのが、どしても信用出来ないんすよ。棒がないことにゃどうも」
静子「遊園地の子供飛行機じゃないんだから、突っかい棒ってのはねえ」
ロク「それと、シッポがあるってのも……ねえ……気に入らねえんだ……」
誠「ヒコーキ……あ、なるほど、シッポがあるよなあ」
健太郎「シッポねえ」
ロク「どしても行けってんなら、やめさせてもらいまさ」
京太郎「ロクさん、アンタも短気だねえ」
たつ「ロクさんがダメだとすると……」
誠「お金でももらったほうがいいんじゃないかな」
京太郎「そうするか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、うなずく。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]気の早い忠臣、まり子に梅干のカメを持ってこさせて小さな容器に移しかえている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「これでいいですか(入れもの)」
忠臣「はい、けっこうけっこう」
まり子「あの、香港て、一体、誰《だれ》といらっしゃるんですか」
忠臣「おう、スッパイ! ツバがチュッととんじゃった……」
まり子「それから、飛行機とか費用は」
忠臣「いやあ物事はあきらめちゃいかんねえ。ダメだと思ってもくじけず試みる。いや、ほんと……」
まり子「このくらいで」
忠臣「もっと『好多《ホオウトウ》』」
まり子「え?」
忠臣「広東《カントン》語でね、沢山ていったのよ、香港は広東語だからね」
まり子「あの、お父さん……ちゃんと教えて下さいな。香港ゆくってオハナシ」
誠(声)「ただいま!」
まり子「あ、誠さん」
誠(声)「おもてしめたよ!」
まり子「あ、すみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ハイ、お帰り」
誠「なんだよ。人さそっといて先帰っちまってさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、フフと笑いながらウイスキーを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、先帰って損したよ。あれからが面白《おもしろ》かったんだから」
忠臣「ほう……」
誠「日高のおばさんて案外とやきもちやきだね」
忠臣「ほう」
誠「おばさんが、おじさんの香港行き反対してさ」
まり子「香港て……あの、日高のおじさんが」
誠「商店会の福引きで当ったんだけどね、結局、石川さんとこもダメ、ロクさんもダメでさ……なんだかんだで結局」
忠臣「ヘヘヘ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、得意になってウイスキーをつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「気がつくのがおそいねえ」
誠・まり子「え?」
忠臣「森の石松じゃないけどさ。誰かの名前を忘れてやあしませんかっていうんだよ、ハハハハ」
まり子「あの、それで……香港の切符……」
誠「結局……あした、返すってことで」
忠臣「(愕然《がくぜん》)返す?」
誠「返して、金でもらうってことにね」
忠臣「ほんとか!」
誠「うん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガタンと立ち上る忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「バカモノが……」
まり子「お父さん」
忠臣「おやすみなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆく忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! どしたんだよ」
まり子「お父さん、香港ゆくつもりでいたのよ」
誠「え?」
まり子「その切符、自分のとこへ廻《まわ》ってくる、そう信じて支度してたのよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あきれかえる誠。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電気もつけず、まっ暗な中で布団《ふとん》にもぐりこんでいる忠臣。顔も出さず、もぐっている。細目に襖をそっとあけてのぞく誠とまり子。
[#1字下げ]ほの暗い中に、旅行カバンや壁から下った軍服が浮かんで見える。
[#1字下げ]改めてあきれかえる誠。「お父さん」と言いながら入ろうとする。袖《そで》を引き、目顔で止めるまり子。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠とまり子は朝食の終ったあと。忠臣の分だけ、手をつけてない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「そんなことする必要ないよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]出かける誠、靴《くつ》をはいている。
[#1字下げ]上りがまちのまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「だって……あそこまで思い込んでたのに……お父さん可哀《かわい》そうよ。お金に取りかえるくらいなら、安くゆずって下さいってあたし……たのみに」
誠「いったら物笑いだよ、土台思い込むほうが非常識だよ。そうだろ。『日高』のおじさんの当った切符をさ、自分がもらえると思い込むなんて……いかに昔の上官だからって、思い上りもはなはだしいよ」
まり子「可愛《かわい》らしいじゃないの、子供みたいで」
誠「子供って年じゃないよ」
まり子「(小さく)年寄りは子供と同じだっていうじゃないの」
誠「そういうことするとくせになるからね。このへんでガツーンと思い知らせたほうがいいんだよ」
まり子「でもねえ……お父さん、あたしに……『近いうちに香港へゆくことになる』なんて言っちゃったでしょ? 合せる顔がないと思うの」
誠「自業自得だよ。少しは困ったほうがいいんだって」
まり子「そりゃそうだけど……」
誠「日高へ頼みになんかいかないでくれよ。みっともないよ!」
まり子「ハイ……」
誠「それほど香港へゆきたかったら、酒とパチンコやめてさ、軍人恩給ためてゆきゃいいんだよ、そうだろ」
まり子「ハイ……いってらっしゃい……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]土岡が電話をかけている。そばで、気を使いながら恐縮している誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「そうそう。香港往復。うん『日にち』はいつでもいいの。なるべく安い切符……うん一人」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]灰ののびた土岡のたばこ。灰が落ちる。誠、土岡の洋服の灰をはたいて灰皿《はいざら》をあてがう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ほら、こないだ、団体の……何とかパックで切符が余ってるから、誰かゆく奴《やつ》いないか、タダみたいな値段でゆずってやるっていってたろ……うん。あれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]拝む誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いやあ。飛行機の切符っていうとお前ンとこだけど、いやあ、持つべきものは友達だよなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ゴマスリ風に短かくなったおたばこを消してさし上げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ほんと。オレね、お前ンとこに足向けてねてないよ。うん。ゆく人間はね、オレのコ、恋人のおやじさんでさ」
誠「(拝む)」
土岡「いっぺん、香港へいってみたいって……モシモシ、え? 一足違い? ってことはダメなの? あ、そう。ダメ、モシモシ。それ、早くいえよ。え? うん。なんだよ。うん。それじゃあな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、溜息《ためいき》。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「バッカヤロ! 気もたせやがって」
誠「どうもすみません」
土岡「誠ちゃん、あやまるこたァないよ。うーん、香港の切符……なあ」
誠「ちゃんと買やあいいんですけどね」
土岡「どっかにいいコネないかいな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「誠ちゃん、例の香港ねえ」
土岡「お! 持つべきものは上役だねえ。うれしいじゃないの、誠ちゃん」
久米「ポンと胸を叩《たた》いて(言いかける)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、言わさずにまくしたてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「こっちも胸を叩いたんすけど、いま、アウトでねえ、頼みの綱は編集長だったんすよ。なあ、誠ちゃんが親孝行出来るか出来ないかの瀬戸ぎわですよ。こいつを男にしてやって下さいましな」
久米「いや、あのねえ(たばこをくわえているので早くしゃべれない)」
誠「甘ったれたハナシでお恥かしいんですけどね」
久米「あのねえ」
土岡「親孝行に何の恥かしいことがあるの! ねえ編集長、あ、どうぞどうぞ。ほら、誠ちゃん、椅子《いす》をお引きして」
久米「あのねえ、ワチキにもしゃべらせてちょうよ!」
土岡・誠「は?」
久米「恥かしながら」
土岡「恥かしながら」
久米「この通り……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]坊主頭《ぼうずあたま》を叩く久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「坊主頭がどうかしたんすか」
久米「たより甲斐《がい》のない上司と笑ってちょう。お詫《わ》びのしるしに頭を丸めたの、この頭に免じて」
土岡「はじめから丸まってるじゃないすか! 全くもう!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、久米をド突く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「アイタタタ」
誠「土岡さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]帳面つけをしている京太郎。頭を下げている静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「思い直した?」
静子「どうぞ、いらして下さいませ(わざと丁寧に頭を下げる)」
京太郎「じゃあ、アタシが香港へいってもいいっていうの」
静子「いい年して、やきもちなんか妬《や》いて、きまり悪くて」
京太郎「ま、妬いてもらえないようでも、亭主として困るけどさ」
静子「すみません」
京太郎「ねえ、二人で行こうか」
静子「だって切符は一枚」
京太郎「一人分、お金出して買やあいいじゃないの」
静子「お店どうするんですか」
京太郎「なあに、三日やそこら休んだっていいしさ……あ、なんなら、まり子さんにパートタイマーできてもらって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガタンと戸があく。
[#1字下げ]顔を出すまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ごめん下さい」
京太郎・静子「まり子さん」
京太郎「こりゃまたおあつらえ向きにあらわれたねえ」
静子「あなた……」
京太郎「いえね、アタシと静子が香港ゆく間、まり子さんにパートタイマーお願いしようかな、なんてね」
まり子「え? あの、それじゃあ、香港いらっしゃるんですか……」
京太郎「いや、今になってアタシにゆけなんていってんだけど、一人でいってもつまンないから、二人で」
まり子「あ、あそうですか。そりゃそのほうがいいですよね、そうですか、そりゃよかったわ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と言いながら情ないこわばった笑いをみせるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あの、まり子さん……何か御用……」
まり子「(あわてる)いえ、いいんです。お二人で香港いらっしゃるんなら、それでもう……ほんとよかった」
静子「まり子さん、あなた……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話が鳴る。
[#1字下げ]京太郎が取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「『日高』ですが……おう、誠さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子……
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話をしている誠。
[#1字下げ]うしろに土岡、久米、ほか一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうも甘ったれたお願いでお恥かしいんですが、香港の切符……おやじにゆずっていただけないでしょうか」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎、静子、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「え? 切符を艦長に……」
まり子「あッ……」
誠(声)「もちろんお金は、お払いいたします」
京太郎「そんな、金はともかく、そうか艦長がねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]受話器をひったくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「まり子さん」
まり子「モシモシ、誠さん」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]びっくりする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん……」
まり子(声)「あのね、香港ね、相馬さん、ご夫妻でいらっしゃるってことに決ったの。だから、ね、今朝のハナシは」
誠「まり子さん、君どして『日高』にいるんだよ。君もたのみにいったんじゃないのか!」
まり子(声)「誠さんだって同じじゃないの、でもね、そういうわけだから」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]その電話をひったくる京太郎。まり子、静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「モシモシ、誠さん、今晩何時にお帰りですか」
誠(声)「モシモシ」
京太郎「今晩七時頃、ちょっとお伺いしたいんですが……」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎と源助を案内してくる誠。
[#1字下げ]忠臣は布団をかぶっている。まり子、忠臣を起そうとしているが、ダメ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「もう、一日|不貞寝《ふてね》でね、ほらお父さん! まるでガキですよ」
まり子「お父さん! 相馬さんたちがおみえですよ」
誠「お父さん、ひっぺがすよ!」
京太郎「まあまあ誠さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と源助、忠臣の枕《まくら》もとにキチンとすわる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「艦長!」
京太郎「本日は、お願いがあって参りました」
忠臣「(顔も出さない)」
京太郎「実は、私どもの名代として香港へご出立をねがいたいんでありますが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の布団がピクリと動く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長」
京太郎「香港島は、ビクトリア・ピークから、われらが日高に別れのごあいさつをおねがいいたします」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、手が出て顔が出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「うん、どうするかなあ」
誠「待って下さい」
京太郎「誠さん」
誠「いや、昼間あんな電話かけといて待って下さいもないんですけどね、やっぱりこれはゆずっていただいちゃいけないですよ、それじゃあ、あんまり甘ったれてるよ!」
まり子「誠さん」
忠臣「誠……」
誠「これから何年生きるか判んないけどねえ、おやじさんのためにならないよ。昔の上官タテにして何かっていうとみんながいうこときくって思ってる思い上りは」
京太郎「いいじゃあないですか。この世智辛《せちがら》い世の中に、一人ぐらいこういう方がいたっていいじゃないですか」
源助「艦長がいて下さるおかげで、我々もブウブウいいながら毎日面白くやってるんですよ」
京太郎「生きてくたのしみのひとつですよ」
忠臣「みなさい。この二人はよく判ってるんだ」
誠「お父さん……(二人に)そういっていただくと……」
京太郎「艦長、いっていただけますね」
忠臣「うむ、まあ、たってとあらば」
まり子「お父さん!」
誠「どして素直にありがとうっていえないんだよ!」
忠臣「バカ者……いっぺんでもな、上官とよばれた男は、たとえハラの中で手を合せてもそういう口はきけないんだ」
京太郎・源助「(誠に目でうなずく)」
誠・まり子「(代りに頭を下げる)」
誠「お父さんは、日本一のワガママ者……いや、幸せ者ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
●羽田空港[#「羽田空港」はゴシック体]
[#1字下げ]見送りの人垣《ひとがき》は誠、まり子、京太郎、源助、たつ。
[#1字下げ]まん中に忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どんなことがあってもパスポートだけはおっことさないでくれよ」
忠臣「耳にタコ!」
まり子「人前で腹巻のお金出しちゃダメですよ」
忠臣「耳にタコ!」
京太郎「艦長、『日高』のために我々の分も黙祷《もくとう》を」
忠臣「それも耳にタコなの」
源助「……艦長、こっちは(小指)くれぐれも気をつけて」
忠臣「耳にタコっていってるだろ。少しは気のきいたことがいえんのかねえ」
たつ「永山さん、生水のんじゃダメだよ!」
忠臣「耳にタコタコ!」
まり子「お母さんの写真……」
忠臣「耳にタコ……あ、ここに入ってるよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]搭乗《とうじよう》アナウンス。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「さあ、いよいよだ」
たつ「永山さん、人に迷惑かけちゃダメですよ。え? 香港にゃ部下はいないんだから」
忠臣「耳にタコ、あ、そういやあ、相馬、お前ンとこの奥さんは今日はお見えになって下さらないのねえ」
京太郎「艦長……ほら……例の……(耳打ち)」
忠臣「え? ああ、そうか、すまないねえ、色々」
京太郎「いやあ、お役に立って何よりっていってましたよ」
たつ「さ、永山さん」
忠臣「まり子さん。只今《ただいま》よりうるさい舅《しゆうと》は香港にいってまいります。二泊三日であるが、どうか新婚の気分で」
誠「なにいってんだよ、早く!」
たつ「いってらっしゃい!」
忠臣「バンザイはどしたの」
京太郎・源助「バンザ(やりかける)」
誠「それだけはやめて下さいよ。お願いします!」
[#ここで字下げ終わり]
●別れの窓[#「別れの窓」はゴシック体]
[#1字下げ]見送る一同、空気穴に頬《ほお》を押しつけて別れを惜しむ忠臣。
[#1字下げ]京太郎と源助。しめし合せて、やっぱり叫んでしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「永山艦長、バンザーイ、日高、バンザーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、涙のたまった目で、うなずきながら出発してゆく。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]健太郎に手伝わせて雛《ひな》人形を飾りつけている静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「あ、この内裏さま、鼻ンとこが修繕してあらァ」
静子「アンタ、忘れちゃったの? 五つのときだったかな、お雛様もちだしていたずらして」
健太郎「オレがこれしたの?」
静子「お父さんにお尻《しり》ぶたれて泣いたのよ」
健太郎「フーン」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながらゴミを吹く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「あーあ、ひと様のお宅なんだから汚さないで頂戴《ちようだい》よ」
健太郎「でもさ、永山さんもいいとこあるよな」
静子「(笑っている)」
健太郎「ハタ迷惑な人間だけど、いなくなったらみんなさびしくなる。そんな人だねあの人は……」
静子「もう、飛び立った頃かしらねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]雛人形を取り出しながらの母と子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]帰ってくる誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、うれしそうな顔してらしたわねえ」
誠「そりゃうれしいだろうさ、得な人間だよ全く、おお寒む」
まり子「あ、カギ、あたしが」
誠「いいよ、オレやる……それよか」
まり子「熱燗《あつかん》でしょ、ハイハイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、先に上ってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]電気をつけるまり子。アッと叫んでしまう。
[#1字下げ]緋毛氈《ひもうせん》に大きくみごとな雛壇。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とんできた誠も口あんぐり。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしたの、これ……」
まり子「誰が一体……おかしいわねえ」
誠「うち出るときは、何にもなかったろ」
まり子「サッパリ判んないわ……アッ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]下の段に手紙がある。「まり子殿、忠臣」とある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さんだわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、よむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「『永山家の嫁に、ささやかな雛の人形を贈りたいと思っていたのだが、帯に短したすきに長し、思案するうちに今日の香港ゆきとなり、乏しきヘソクリは小遣いに流用となった。よって、今年は、相馬夫人のご厚意により、夫人愛用の雛人形を拝借して間に合せることにした。ただし、女の初孫誕生までには必ず間に合せる故《ゆえ》、気長にお待ち願いたい」
誠「まずは、水入らずで雛の宵《よい》を楽しみ給《たま》え。 忠臣』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]顔を見合せる二人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……お父さんたら……あたしが、生れて一ぺんも自分のお雛様もったことないわっていったの、覚えてらしたのね……」
誠「おやじも、自分の頭のハエもおえないくせに、お節介なことするよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]といいながらうれしい誠。
[#1字下げ]お雛様の前の白酒をとって、二つの盃《さかずき》につぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「少し早いお雛様だけど……」
まり子「ね、あれ、なんていうの、旅行の無事をいのるって、フランス語だったかしら?」
誠「ボンボヤージュ」
まり子「……お父さん、ありがとうございます」
誠・まり子「ボンボヤージュ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
28
[#改ページ]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]膳立《ぜんだ》てをしてある食卓。まだ飾ってある雛《ひな》人形。まり子がおみおつけの鍋《なべ》をもって入ってくる。
[#1字下げ]すわりながらどなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん! お父さん、ごはんですよう! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひげのそりあとをタオルで拭《ふ》きながら誠が入ってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん!」
誠「いくら呼んだってこないよ」
まり子「え? あッ……そうか」
誠「おやじは今頃《いまごろ》香港のね、ホテルで朝メシ食ってるよ」
まり子「そうか。お父さん香港じゃない。どうかしてるなあたし……(自分の頭を叩《たた》いている)ごはんていうと一番先にお父さん……もう、頭の中にしみついちゃったのね」
誠「うるさいからね、無理ないけどさ」
まり子「(ごはんをよそいながら)あ、パンのほうがよかったかしら」
誠「え?」
まり子「誠さん、パン好きでしょ? お父さんと一緒だと……お父さんごはんとおみおつけ党だし……二種類支度することないっていうでしょ? そうだ……パンにすりゃよかったなあ」
誠「あしたの朝でいいよ(ちょっとテレながら)二人で食べりゃごはんだってパンだってどっちだっていいって」
まり子「ウフフフ、あ、ついてる(誠のあごにクリームのあと)」
誠「……もっとこっちおいでよ」
まり子「ここでいいわよ」
誠「(もっとこっち)」
まり子「いつものとこのほうが落着くもン」
誠「こっち……」
まり子「ハイ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子の頬《ほお》に軽くキスしようとする。
[#1字下げ]まり子はにかみながら応じかけるが突然キャッといって飛びはなれる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんだよ」
まり子「……廊下がギイって……」
誠「廊下がギイ?」
まり子「何だか、お父さんがのぞいてるみたいで……」
誠「いかにおやじだって香港からのぞくわけないだろ」
まり子「そりゃそうだけど、何だかバァ……って出てきそうな気がするのよ」
誠「バカバカしい」
まり子「でも判《わか》んないわよ。いきなり押入れがスーッとあいて……『ヘヘ、まり子さん……』なんて……『アタシのこと香港へいったと思ってたんでしょ? 実はね、羽田で飛行機にのるフリして、アンタたちよか先に帰ってきたのよ』なんて」
誠「いい加減にしなよ。ほんとに……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠も少し気味が悪くなってあたりを見廻《みまわ》す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まあ、そのくらいのことはやりかねない人間だけどさ、香港だけはちゃんと行ったって……」
まり子「そうね。あんなに行きたがってらしたんですものね」
誠「人の切符まで横取りしたくらいだもの」
まり子「今頃どうしてるかな……お父さん」
誠「ホテルのボーイに文句つけてんじゃないの。トーストがなま焼けだの、コーヒーがぬるいとかさ」
まり子「そうじゃないわよ」
誠「え?」
まり子「そうじゃないの、お父さんね、ホテルでなんか朝ごはん上らないわよ。近所のおいしいとこでお粥《かゆ》食べるんだって張り切ってらしたから」
誠「食い意地張ってるからなあ」
まり子「生命力のある証拠ね」
誠「ありすぎるよ、ありゃ。(急に調子をかえて)すまないと思ってるんだ……」
まり子「……うちのお父ちゃんで馴《な》れてるもの」
誠「……ありがと……」
まり子「やだわ。女房《にようぼう》に頭なんか下げないでよ」
誠「じゃ、こうだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、たまに忠臣のいない気易《きやす》さで、ふざけてまり子の手の甲にキスをする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ウハッ! エリザベス女王みたい」
誠「ヘヘ……」
まり子「おみおつけさめちゃうでしょ、あ、いけない」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、泡《あわ》くって立とうとする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なによ」
まり子「とんがらし……」
誠「とんがらしなんかいいから……すわっといでよ」
まり子「でも」
誠「おやじ、いないんだからさ、とんがらしなんてどうだっていいって」
まり子「そうね、じゃあ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、チラチラと見つめあって食べる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、そうだ、言ってもいいかしら」
誠「うん?」
まり子「(箸《はし》をおいてわざと改まって言う)『今晩、何時にお帰りになりますか』」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言ってからペロリとベロを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なあに、それ?」
まり子「いっぺん言ってみたかったの。だってお父さんたら、『男は外へ出たら七人の敵があるんだ。言った時間に帰れると思うな』っておっしゃるんだもの」
誠「……『五時に帰るよ』」
まり子「五時? だって、会社……」
誠「原稿取ってそのまま帰ってくりゃいいの。いつも残業残業なんだから、たまにゃ……」
まり子「じゃあ、一緒にお雛様返しにいって下さる?」
誠「よし、それじゃあ一緒に日高へいって、かるく一杯やって」
まり子「あらァ、ごはんはうちでたべたいわァ」
誠「だから、かるくっていってるじゃないか」
まり子「それから、ちょっとブラブラして、あ、あたし、植木買いたいの」
誠「いいねえ、鉢植《はちう》え抱えて帰って……それから晩メシか……」
まり子「ね、ステーキなんかどう?」
誠「おやじがいるとスキヤキになっちゃうからね」
まり子「ステーキとサラダ」
誠「ワインでものみながら、いろいろとさ……話し合おうよ」
まり子「そうね、ゆうべは……話すつもりだったのに……(小さく)甘えちゃったから」
誠「フフン……家族計画のこととかさ」
まり子「お父さんがいると、はじめは男の子にしてくれ。『名前には日高の文字を必ず入れてくれ』って」
誠「男なら『高雄』」
まり子「女なら『高子』」
誠「キリンの赤んぼうだね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、プッと吹き出す。ゴハンツブを盛大に吹き出してしまう。
●石川酒店[#「石川酒店」はゴシック体]
[#1字下げ]出勤の誠がまり子と一緒にワインを買いにのぞいたところ。
[#1字下げ]買物かごを下げた静子もきている。店番はたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ステーキだったらやっぱり赤だろうな」
まり子「お肉は赤、お魚は白っていうわね」
誠「こんなとこ、どうかな」
まり子「高いんじゃない」
誠「(小さく)この店にあるんだもの、大したことないって」
たつ「聞えてるわよ、誠さん」
誠「あれ、いけね」
静子「いいわねえ。若夫婦が肩寄せ合ってワイン選んでるなんて」
たつ「こういうことがなくちゃ嘘《うそ》よ」
静子「あたしねえ、奥さん、永山さんが香港へいくのはどっちだっていいんですよ。何も香港いかなくたって、東京でだって好き放題してらっしゃるんだもの」
たつ「そうですよ。いまの日本によ、あのくらいのんきに威張ってる人はちょっといないわよ」
静子「でもねえ、たとえ三日でも四日でも、誠さんとまり子さんが水入らずで楽しめる……そう思うと、もう」
たつ「そうなのよ。何だかねえ、こっちまでウキウキしちゃって……新婚気分……フフ、あ、奥でどう、お茶でも」
誠「いや、ぼくこれから会社ですから」
たつ「そうお」
まり子「あ、そうそう。(静子に)お雛様ありがとうございました。夕方でも誠さんとお返しに上りますから」
静子「いいのよ、あわてなくたって……それよりね、水入らずで楽しくおすごしなさいな」
たつ「あたしね、お父ちゃんにいってんのよ。永山さんが帰るまでは、お宅へおじゃましちゃいけないって……」
静子「あたしもなのよ。主人たらね、何かうまいものお届けしようかっていうから、およしなさいっていったのよ。誰《だれ》もゆかない、二人だけにしとくのが一番のゴチソウよって」
たつ「男ってのは、判ってないのよねえ、そのへんのとこが」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と言いながら、たつは何かゴソゴソ探している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まあ、並大抵のお舅《しゆうと》さんじゃないんだから……まり子さんも骨休めしなくっちゃねえ」
まり子「フフフ」
静子「誠さんね、ねぎらっておあげなさいよ」
誠「はあ……やってます」
静子「まり子さん、甘えてる?」
まり子「それがかえって気が抜けちゃって」
静子「気が抜けちゃしょうがないわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]大きなお尻《しり》を見せて、かがんでゴソゴソ瓶《びん》をさがしているたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「気なんか抜けてやしませんよ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、ゴミだらけの安物らしいシャンペンの瓶を抱えて立ち上る。
[#1字下げ]頭のゴミやくもの巣をはらいながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「これ、もってらっしゃいよ」
誠・まり子「え?」
たつ「商売ものでなんだけど」
まり子「いけませんよ。こんな高いもの!」
たつ「いいのいいの、本当のとこいうとねクリスマスの残り。ゴミはらえば、ほらね、チャンとしたもんですよ。あたしはね奥さんみたいに立派なお雛様も持ってないから、せめてこんなもンでね……」
誠  )「いいのかなあ」
まり子  「ねえ」
静子「せっかくのお気持ですもの、いただきなさいよ」
たつ「今晩、ポーンとあけてね、水入らずでやって頂戴《ちようだい》よ、ねッ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうも、おそくなって(すみません)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、アレ? となる。
[#1字下げ]編集部のまん中に大トランク、唐草の風呂敷《ふろしき》包み。ヒモでくくった本や布団《ふとん》包み。へたりこんで汗を拭いているのは土岡。
[#1字下げ]そばでワイワイやっている編集長、カメラマンの内山、秋子ほか編集部員。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どうしたんですか、土岡さん」
土岡「どうもこうもないよ」
久米「アパート、おん出されたんだってさ」
土岡「オン出されたんじゃありませんよ。こっちからオン出てやったんじゃないすか」
誠「何かやらかしたんすか」
久米「下宿のおばさんとこの娘に乱暴しちまったのよ……」
誠「ほ、ほんとですか」
土岡「何いってんですか編集長は!(突きとばして)まあ、誠ちゃん、聞いてくれよ。下宿のオバハンの飼ってる猫《ねこ》、誠ちゃんも知ってるよな」
誠「ああ、ドタッとしたうす汚れたの」
土岡「あいつがさ、ラブ・シーズンになると、所かまわずオシッコすンのよ」
誠「オシッコ……」
土岡「それがなみのオシッコじゃないのよ。男性ホルモン入りの、もう、鼻も曲りそうに臭いやつなんだよ」
久米「ありゃ臭いわ。イタチの何とかと張り合うね。シャーッと引っかけられたら三月はこれ(鼻つまみ)だわね」
誠「猫ションかけられたってわけですか」
土岡「オレのいない間に部屋に入ってさ、一番大事にしてる夏目漱石全集の初版本にシャーですよ」
誠「窓あけといたんでしょ!」
土岡「ちゃんとしめといたよ!」
内山「その猫ね、前足で窓あけるんだってさ」
誠「チャンとカギしときゃいいじゃないすか」
土岡「カギがこわれてんだよ! カギが! そいでね、オレがガンガンどなったら、『アンタだって、夜おそくステレオかけるじゃないか』とこうくるのよ!」
秋子「大きくかけたんでしょ!」
土岡「とんでもない。タタタターン。このくらいですよ。第一ね、オレはベートーヴェンだよ。ベートーヴェンと猫ション一緒にされてたまるかってんだよ!」
久米「『猫フンジャッタ猫フンジャッタ』ってのは、あれ、ベートーヴェンじゃなかったかしら」
内山「ちがうんじゃないすか、あれ? そうかな」
土岡「とにかくね、売りことばに買いことばでさ、ゴミの捨て方から酔っぱらって帰るときの階段ののぼり方まで文句つけられちゃね、こっちもやってらンないすからね、『アンタンとこだけが下宿屋じゃないよ!』」
誠「布団袋までかついでオン出てきたってわけか」
土岡「おい! みんな……三畳一間でもいいからね、どこかあいてるとこ探してくれよ、な、あ、それから、編集長、毎度ですが、ケンリ、シキ、といろいろいりますんでひとつ前借り伝票」
久米「ハンコ押すのはいくつだってポンスカ押すけど、そうそう計理も貸さないわよ」
土岡「不況ムードだもンなあ」
誠「金もなんだけど、シャツ買うんじゃないすからねえ、たとえ半年でも住むとこでしょ? 慎重に探したほうがいいんじゃないかなあ」
秋子「二、三日泊るとこ、ないの?」
土岡「東京に親戚《しんせき》はないしねえ」
久米「うちも娘が受験でなけりゃなあ」
内山「うちも二間のアパートにお袋と一緒だから」
土岡「……ま、いいすよ。今晩は、ここで椅子《いす》でもつなげてごろ寝して、ゆっくりさがします」
久米「われわれがついてて、こんなとこでねかせるってのはねえ」
誠「土岡さん、荷物はこれだけですか」
土岡「う、うん」
誠「無理すりゃタクシー一台で乗り切るな」
土岡「え?」
誠「今晩一緒に帰りましょうや」
土岡「え!」
誠「うちへ泊って下さいよ」
久米「誠ちゃん」
土岡「冗談じゃないよ、そんな、そんなこと出来ませんよ! 新婚そうそうのとこへ、そんな」
誠「(言わさない)うちは猫はいないから大丈夫ですよ。あ、編集長、例の見出し、早く決めて下さいよ」
久米「う、うん……誠ちゃん、いいのかい」
土岡「冗談じゃないよ。オレ、橋の下に寝たって、誠ちゃんのとこへはゆけませんよ」
誠「さあ、仕事仕事」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、自分の役目に酔っている。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]雛人形をしまっているまり子。
[#1字下げ]食卓には、二人分のワイングラス。忠臣のいるときとは全然違うムードの洋風にセットされている。
[#1字下げ]まっ白いテーブルクロスにカーネーション。ナイフとフォークなど。
[#1字下げ]まり子、いつもより華やかな衣裳《いしよう》。浮き浮きと、雛人形の歌をハミングしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「※[#歌記号、unicode303d] 明りをつけましょ ぼんぼりに」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]内裏さまの男雛《おびな》と女雛《めびな》を手にとって……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「そうか、アンタたちもけっこう大変よね。いつも、下から三人官女や五人|囃子《ばやし》が見てんですものねえ。二人っきりで水入らずってのは、箱にしまわれてるときだけなのよねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しまいながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あたしたちの気持が判るでしょ?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「ただいまァ!」
まり子「アッ! 帰ってきました帰ってきました、あたしのお殿さまがお帰りだわ。では、失礼いたします……」
誠(声)「ただいまァ!」
まり子「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]お雛様を置く手ももどかしくとび出すまり子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]飛び出してくるまり子、土間にとび下りてカギをあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「ただいまァ」
まり子「ハイハイ、ただいま」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ガラリとあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お帰りなさーい!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]体ごとぶつかるように甘えてしなだれかかる。しかし、入ってきたのは誠にあらずバカでかい唐草の風呂敷包み。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ウワッ!」
誠「なにやってんの。そっち持った持った」
まり子「誠さん、これ一体……」
土岡「どうも……」
まり子「あら、土岡さん……いらっしゃいませ」
土岡「いや、どうも申しわけない」
まり子「は、あ、いいえ。さ、どうぞどうぞ、うわァ、それにしても凄《すご》いお荷物ですねえ?」
誠「そりゃ凄いさ。何しろ、土岡さんの全財産だもンねえ」
まり子「全財産」
誠「あの、土岡さん、今晩からうちに泊るから」
まり子「え? あの」
土岡「いや、一晩か二晩でいいんすけどね。どうも……本当に新婚そうそうのとこへヤボというか無神経というか」
誠「そんなとこでブツブツいってないで早く、ほら、まり子、お持ちして」
まり子「え? あ! さ、どうぞどうぞ、ヨイショッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]はこびこみながら、まり子、誠の顔をチラチラみている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……(小さく)お泊りなの……(ゲンナリ)」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]大荷物を運びこんでへたりこんでいる誠、まり子、土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いや、いまになって考えりゃ、次のアパート見つけてから飛び出したって間に合ったんだけどねえ、もう、カッとなってさ」
誠「ハラが立つってのは理屈じゃないもンなあ」
まり子「それにしても、朝、お一人でこれだけの荷物まとめるの大変だったでしょ」
土岡「人間、カッとなると大した力が出るもンですよ」
誠「あ、あの……おやじさんの部屋片づけて……(めくばせ)」
まり子「そうね」
土岡「お父さんの部屋? 冗談じゃないよ、お父さん追ン出すなんてそんな。ぼくはここ。茶の間でけっこうですよ」
誠「いや、大丈夫だって、いまいないから」
土岡「え?」
まり子「ゆうべから香港に……」
土岡「え? ああ! そうか!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]愕然《がくぜん》とする土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「いやあ、さっきからおかしいと思ってたのよ。これだけ騒いでるのに出ておいでにならないとこみると、お風呂かなと、それにしてもおかしいな……そうか、香港か……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]土岡、泡くって、あけかけた包みを結び直して両手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「どうも、とんだおじゃまをいたしました」
誠「土岡さん」
まり子「いやだ、どうなすったんですか」
土岡「知らぬこととは言いながら、よいしょっと」
誠「土岡さん、そりゃ何のまねですか」
土岡「ドッコイショッと。誠ちゃんもひどいよ。ひとこと、おやじさん香港だって言ってくれりゃ、おれもこんな恥かかなかったのにさ」
誠「土岡さん、帰るってんすか」
土岡「当り前じゃないの。今晩あたり泊ったらボクは笑いもンですよ。あしたから会社へゆけないよ」
まり子「土岡さん……ちょっと待って下さいよ」
誠「冗談じゃないすよ。ここで土岡さん帰ったらね、ぼくが笑いもンだよ!」
土岡「放せよ。帰らなきゃオレの男が立たないの!」
誠「帰したらこっちの男が立たないよ」
土岡「あいた!」
誠「おい、まり子さん、まり子。とめて!」
まり子「土岡さん、待って下さいよ。いま、土岡さんお帰ししたらあたしも笑われるんですから」
土岡「夫婦そろってヤクザ映画みたいなこと……アイタタ」
誠「さあ、これ、おろして」
土岡「帰してくれっていってるのだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、うちかしら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]出てゆくまり子。
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]とび出してくるまり子。
[#1字下げ]つづいて唐草の大風呂敷を背負った土岡が、制止する誠ともみあいながらヨタヨタと出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「待って下さいよ、土岡さん」
土岡「とめてくれるな誠ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関チャイム。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ。いまあけます!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、戸をあける。アッと叫ぶ。また入ってくる大きな唐草の風呂敷。風呂敷包みを先にして入ってくるのは徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「アッ! お父ちゃん!」
徳造「どっこいしょッと」
誠「あ、倉島のお父さん……」
徳造「あーあ、重かった」
土岡「へえ、こりゃまた唐草の風呂敷がダブる日ですね」
徳造「なんだい、土岡さんじゃないの。どしたい、そのかっこは」
土岡「いやあ、ボクよかそっちは」
まり子「そうよ、お父ちゃんこそどしたのよ」
徳造「誠さん。この通りだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]上りがまちに両手をつく徳造。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
徳造「何にも聞かずに、二、三日ここへ泊めてもらいてえんだ」
まり子「お父ちゃん……」
徳造「ふみ江の野郎、亭主《ていしゆ》を何だと思ってやがんだ! あんまり人見下した態度しやがるから、出てけ! ったら、女房は、財産の半分はもらう権利がある。うちのこぎりで引いて半分にしてくれってから」
まり子「お父ちゃん、夫婦ゲンカする年じゃないでしょ!」
徳造「お前に頼んでやしないよ。オレはな、誠さんに」
まり子「あのね、お父ちゃん」
誠「ま、とにかく上って下さいよ」
徳造「ほうれみろ、誠さんは話が早いや」
まり子「ちょっと待ってよ。これ、一体、何なのよ」
徳造「何ってお前……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]包みをあける徳造。
[#1字下げ]中からは、将棋盤、枕《まくら》、どてら、寝巻、三尺帯などくだらないものがころがり出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「お父ちゃんはのぼせ性だろ。ソバガラの枕でないとダメだからさ、まずそいから、このうちは忠臣も誠さんもデッカイから、どてら借りるったって引きずっちまうからよ、どてらとそれから」
まり子「いい加減にしてちょうだいよ。お父ちゃん、うちは旅館じゃないのよ!」
土岡「申しわけない!」
まり子「あッ! いけない。アタシ土岡さんに言ったわけじゃないんです。お父ちゃん、いえ、父が、いい年してあんまり甘ったれたマネするから」
誠「何てこというんだよ。ねえお父さん、どうぞ上って下さいよ。ねえ、一人泊るのも二人泊るのも同じだよ! 遠慮することないって」
土岡「いや、そういうわけにはいかないよ!」
徳造「あの、ってことは、土岡さんもここへ泊りにきたわけかい」
土岡「いや、知らなかったもんでね。誠ちゃんに引っぱられて、ノコノコついてきちまったんだけど……いま帰るとこなんすよ」
徳造「どして帰るの? たまにゃアンタ、永山忠臣とアッシとさ三人で酒でものんでさ、この不景気をいかに乗り切るか」
土岡「その永山忠臣がいないんすよ」
徳造「忠臣どこいった」
土岡「香港」
徳造「え? あッ! そうか!」
誠「いやあ、あんなの関係ないですよ。さ、上って下さいな」
徳造「いや、そうはいかないよ」
ふみ江(声)「ごめん下さい」
まり子「ハーイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラリと戸があく。
[#1字下げ]ふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら、おばさん」
ふみ江「あ、やっぱりここだった! この人が飛び出してから、ハッと気がついたのよ。そうだ、永山さん香港へいってた! ってさ……水入らずでいるとことびこんじゃ申しわけない。首にナワつけて引っぱって帰ろうって……」
まり子・誠「おばさん……」
ふみ江「さ、アンタ、帰ろ!」
徳造「待ちなよ。おう誠さん香港てのはどっちの方向だ? こっちか」
誠「さあ……」
土岡「そっちじゃないすか」
徳造「おう!(ふみ江に)そっち向ってようく礼をいいな! 本来なら帰っちゃやンねえんだけどよ、忠臣がいねえのにおやじがノコノコ上りこんで水入らずのジャマしてるとあっちゃ、なあ……帰ってきた忠臣に合す顔がねえや。今晩のとこはこらえて帰ってやるから」
土岡「じゃあご一緒にそこまでいきましょ」
誠「土岡さんはいいじゃないすか!」
まり子「そうですよ。土岡さんは泊ってって下さい」
土岡「いたいっていうんだよ」
ふみ江「どしたの。この人も夫婦げんかしたの」
土岡「いや、まだチョンガーなんですけどね」
まり子「アパートでもめごとがあったんですって」
誠「うちへ泊りゃいいんだよ」
土岡「そういうわけには」
徳造「おう、せまいとこだけどね、うち泊ンな」
土岡「いや、それは」
徳造「いいから、うちへ……」
誠「お父さん、いいって、土岡さんはうちへ」
土岡「アイタタタ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二つの唐草の風呂敷がもみあっている。
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]京太郎と源助、ロクさん、静子、たつ。石川夫婦は風呂帰り。みんな黙って盃《さかずき》をなめている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「バカに静かだな」
静子「永山さんが一人いらっしゃらないとこうも違うもんかしらねえ」
たつ「そりゃ、一人で三人分のんで食べてしゃべってんですもの、火が消えたようになるわよ」
京太郎「今頃はどうしてるかなあ」
源助「まあ、どっかの観光客向けのお手軽なナイトクラブなんかで、中国奇術かなんかみて」
京太郎「いや、そっちもなんだけど、誠さんの方」
たつ「そりゃもう、仲よくやってるに決ってるじゃないの」
静子「実はね、夜、お揃《そろ》いでお雛様返しにくるって言ってたでしょ? それがさっき電話があって……」
ロク「『ちょっと取りこみがあったもんで、あしたお返しします』っていうんですよ」
源助・たつ「取りこみ……」
京太郎「可愛《かわい》らしいじゃないの。水入らずで甘えてますから、ともいえないとこだから、ヘヘ、取りこみ……」
源助「春宵《しゆんしよう》一刻値千金か」
静子「しみじみと夫婦の味をかみしめているんじゃないの……」
たつ「あーあ。もいっぺん、あのヘンからやり直したい……」
京太郎「お互い、そりゃ無理だ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、笑いながら……
●永山家・忠臣の部屋[#「永山家・忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]唐草の大風呂敷や布団袋の間に、借りてきた猫のように小さくなって坐《すわ》っている土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「失礼します」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子が襖《ふすま》をあける。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、お風呂どうぞ」
土岡「どうもすみません」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]米ツキバッタのように手をつく土岡。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#1字下げ]まり子、風呂の加減を見てきた感じで濡《ぬ》れた手をエプロンで拭きながら食べ散らした食卓を片づける。
[#1字下げ]ブスッとして新聞をひろげている誠。まり子も少し面白《おもしろ》くない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どした、土岡さん……風呂……」
まり子「いま、入るとこ……すみませんなんて遠慮して……引っぱってきて、かえって悪かったんじゃないの」
誠「そりゃ、遠慮もあるだろうさ」
まり子「あら、何だかアタシが悪いっていってるみたいね」
誠「いいと思ってんの?」
まり子「誠さん……」
誠「土岡さん、気がねしいしいきたんだよ。ひけ目のあるとこもってきて、君がさ、倉島のお父さんに帰れよがしにしてるの見りゃ居たたまれないよ」
まり子「シッ! 聞えるわよ。あたしは、何も土岡さんに帰れとは言ってないのよ。お父ちゃんに」
誠「同じことだっていってんだよ」
まり子「……じゃあ、どうぞどうぞお泊り下さいって、お父ちゃんも引きとめればよかったの! え? 誠さん」
誠「……そりゃね、土岡さん引っぱってきたオレもいいとは言ってないよ。でもね、男にゃ男の義理ってもンが」
まり子「そりゃ判るけど……」
誠「だったら、ふくれるなよ」
まり子「ふくれてやしないでしょ!」
誠「ふくれてるじゃないか」
まり子「こういう顔です!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話のベル。
[#1字下げ]言い合う誠とまり子。
[#1字下げ]同時にとろうとして手がぶつかり合う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ」
女子交換手「東京××局の××××ですか」
まり子「ハイ、そうです」
交換手「永山誠さんですね」
まり子「はい永山ですが」
交換手「香港の永山忠臣さんからです」
まり子「あ、お父さん……誠さん」
誠「お父さん?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、受話器をとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
交換手「料金受信人払いのお申し込みになってますが、よろしいですか」
誠「モシモシ。あ、それは料金こちら払いってことですか」
交換手「よろしいですか」
誠「はあ、どうぞ。モシモシ! モシモシ!」
[#ここで字下げ終わり]
●香港のホテル[#「香港のホテル」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣とガイドの陳さん。
[#1字下げ]以下、忠臣、陳さんにインスタントレッスンを受けながら東京に電話をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(広東語のつもり)ハローハロー」
陳「(発音を直す)ウェイウェイ」
忠臣「(広東語)ウェイウェイ(言い直す)」
誠(声)「モシモシ、モシモシ」
忠臣「(広東語)みんな元気でやっているか」
陳「(発音を直す)」
忠臣「(広東語)仲よくやっているか(言い直す)」
誠(声)「モシモシ! モシモシ!」
忠臣「モシモシというのはね『ウェイウェイ』というんだよ」
陳「(発音を直す)」
誠(声)「お父さん! 元気なの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]陳さんに向って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「元気だっていうのは何て言うの」
陳「(広東語)ワタシ元気」
忠臣「きのう、まり子さんよりきれいな娘さん二人もつれて食事しに行ったんだよ。名前はランランとカンカンていうんだよ(広東語をまぜる)」
誠(声)「そりゃ、パンダの名前じゃないか、ええ、お父さん、ふざけてないでさ、あのねえ」
忠臣「ふざけてなんか、おりませんよ。郷に入らば郷に従え。広東語で挨拶《あいさつ》をしておるんじゃないか」
誠(声)「広東語もいいけどさ、元気なの」
忠臣「だから言ったじゃないか。さっきのはね広東語で『こちらも元気であるよ』という意味の言葉なんだよ」
誠(声)「体は大丈夫なの」
忠臣「(広東語)『大丈夫』」
誠(声)「それから……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子に電話をとられたらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子(声)「モシモシ、お父さん」
忠臣「おう、まり子さん」
まり子(声)「元気ですか」
忠臣「いやあ、元気だよ。日本人というのはどうしてこう挨拶が月並みなんだろうねエ。中国ではねエ『こんにちは』というのは『食飽《シクパオ》』。汝《なんじ》はちゃんとメシを食ったか」
陳「(『食飽』の発音を直す)」
忠臣「(言い直す)『食飽』。まり子さんも言ってごらん」
まり子(声)「(まねる)『食飽』ですか?」
忠臣「『食飽』じゃなくて『食飽』。支那に四声ありといってね、発音が」
誠(声)「モシモシ! モシモシ!」
忠臣「いいかね、わたしの言う通り発音してごらん。『食飽』」
誠(声)「モシモシ、あのねえ、お父さん、中国語のレッスンは日本へ帰ってからゆっくり聞くから」
忠臣「いや、本場のねえ」
誠(声)「このねえ、この電話、料金こっち払いなんだろ? 長々と中国語講座やっちゃあねえ」
忠臣「そいじゃあやめるけどさ、どうだ、そっちは仲よくやっとるか」
誠(声)「うん」
忠臣「ヘン、うれしいくせしてわざと押えた声出しおって、体裁つくるな。嬉《うれ》しかったら嬉しいとハッキリ言え」
誠(声)「(話を切り換えて)そっちは元気なんだね。食い過ぎとか、人に迷惑かけてないね」
忠臣「どうしてそう旅の楽しみに水をさすようなこと言うのかねエ。永山忠臣、日本におる時はなんだけれども、異国の地にあっては、一日本人として恥かしくない振舞いをだな、モシモシ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あのさ、中国語でサヨナラってなんだっけ」
まり子「中国語でサヨナラ?」
誠「おやじ、行く前にけいこしてたろ。そうでも言わないと電話切らないからさ。料金がたまンないよ。あれ、黙ってると一晩中でもしゃべってるよ」
まり子「ええと、サヨナラはサヨナラ……あ、そうだ『再見《チヨイキン》』」
誠「モシモシ、お父さん『再見!』」
[#ここで字下げ終わり]
●香港のホテル[#「香港のホテル」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣と陳さん。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「なまってるねえ『再見!』」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ワイワイだかハオハオだか知らないけど、調子出してやってるよ」
まり子「うちにいる時よか元気そう」
誠「帰ってきたら当分はうるさいよ、ハナシで……」
まり子「ほんと……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の電話が転機になって、とがっていた夫婦の空気がふっとなごむ。
[#1字下げ]まり子、誠に甘えるようにする。誠も肩を抱く。
[#1字下げ]とたんに廊下にギイギイと足音。パッと離れるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「バカだな、おやじがくるわけないだろ」
まり子「だって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]またギイ……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「土岡さんなら風呂だろ。いくらなんだってまだ出やしないって」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ギイギイ……
[#1字下げ]まり子、障子を開けてアッとなる。タオルで覆面《ふくめん》して唐草の風呂敷を背負った土岡が、抜き足差し足で忍び出ようとしているところ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「アッ!」
誠「土岡さん!」
土岡「武士の情けだ。見逃してくれ!」
誠「土岡さん……何てまねを」
土岡「今晩泊ったらオレは男がすたるんだよ」
誠「帰したら、オレの男が……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドタンバタンと取っ組みあう二人。あきれてみているまり子。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]二つならべて敷いた布団の上で寝酒をのむ誠と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「さ、ぐっとぐっと」
土岡「頼むよ、誠ちゃん。まり子さんとこいって寝てくれよ。あしたはお父さん、帰ってくるだろ……」
誠「なにいってんの、さ、ぐっとぐっと」
土岡「ああ、オレは泣きたいよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●若夫婦の部屋[#「若夫婦の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]布団の上でパジャマのまり子がドシンバタンと美容体操をしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「一、二、三、四、エイヤッサッ! アイタタタ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・玄関[#「永山家・玄関」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]内側から玄関の格子戸《こうしど》が開く。まり子。
[#1字下げ]宿酔《ふつかよ》いの生あくびをしながら靴《くつ》をはいている誠と土岡。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「奥さん、どうも色々、この通り(最敬礼)」
まり子「いやですよ、土岡さん。どうかアパート見つかるまでご遠慮なく」
誠「そうだよ。まあ、今晩おそくになるけどおやじさんも帰ってくるしさ。土岡さんきてるっていったらみやげ話にも張り合いあるしさ」
土岡「とんでもない。(まり子に)今晩は必ず(誠を)早目に帰しますから」
まり子「土岡さん」
土岡「ほんとうにこの通り……」
誠「さ、土岡さん」
土岡「いってまいります」
まり子「いってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
●庭[#「庭」はゴシック体]
[#1字下げ]風にひるがえる洗濯もの。干しているまり子。ふと耳をすます。
[#1字下げ]見事な「江差追分《えさしおいわけ》」が聞える。追分はだんだん近づいてくる。今村元大佐。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「※[#歌記号、unicode303d] 大島小島の間とる船は ヤンサノエー
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]江差通いか なつかしや 北山しぐれて
[#2字下げ]江差が曇る 面舵《おもかじ》たのむよ 船頭さん」
[#1字下げ]当り前のような顔で、木戸から入ってくる今村。あっけにとられているまり子。
[#1字下げ]今村、庭に突っ立ってくりかえしてうたう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「※[#歌記号、unicode303d] 面舵たのむよ 船頭さん」
まり子「あのォ」
今村「おかしいな。永山はおらんの?」
まり子「永山ってあの、お父さんのことでしょうか」
今村「ははあ、そうか、アンタ、次男の嫁さんか」
まり子「はあ」
今村「名前はまり子さんだ」
まり子「あの、失礼ですけど、どちらさま」
今村「どっこいしょっと(縁に腰をおろす)永山は留守かい」
まり子「香港へいってるんです」
今村「ホンコン……ああ、そういやあ言っとったなあ。ビクトリア・ピークに立って香港島の沖合にねむる『日高』に『海ゆかば』をうたってくるって……そうか、香港か」
まり子「あの」
今村「いやあ、永山がおりゃ、わたしの追分きけば、どこにいても『よお!』ってね、出てくるんだ。そうか留守かい、ドッコイショ(上って)どら、奥さんにお線香をあげさせてもらおうかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どんどん上ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、追う。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]仏前に線香をあげ、カネを叩《たた》き合掌|瞑目《めいもく》する。
[#1字下げ]うしろで待つまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「なつかしい。この顔だったねえ(繁子の写真)。永山には過ぎた細君でね、わたしら、ようくごちそうになったもンだ」
まり子「あの……本当に失礼ですけどどちら様でしょうか」
今村「ああ、わたしか。ハハ、さっきの歌きいてピンとこないかな。『※[#歌記号、unicode303d] 悪路高島及びもないが』……追分ですよ」
まり子「追分……」
今村「(重々しく)駆逐艦『追分』の艦長です」
まり子「追分……」
今村「今村元大佐であります」
まり子「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、思わず敬礼をしてしまう。
[#1字下げ]今村も答礼して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「永山とは練習艦隊の時分からの悪友でねえ。二人でようくよからぬことをしたもんだ。今思い出してもな、おかしいのはありゃ、マルセーユ……いや、カルカッタだったなあ。町歩いとってね」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけて、突然、アッとなる今村。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「ウム! 地震だ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]叫ぶやいなや、いきなり、体ごとまり子の上におおいかぶさるようにしてかばう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「危ない!」
まり子「え? あ、あの……」
今村「……うむ、最初のショックの割にはゆれが少なかったが」
まり子「は? 地震ですか。あたし、感じませんでしたけど」
今村「女性はホルモンの具合で感じがにぶいんだねえ。それと、大きな声ではいえんが、関東地区はこの二、三日が……危ないんだ」
まり子「地震があるんですか……」
今村「倅《せがれ》が地震研究所につとめとるもんだからして……」
まり子「……本当ですか」
今村「口外してはなりませんぞ。日本中がパニックになる……いや、実はわたしも、予言の当ることを祈るわけではないが、万一の時を思って永山に今生《こんじよう》の別れを告げにきたんだ……」
まり子「そうだったんですか」
今村「お嫁さん。大きな声ではいえないが非常の際の覚悟は出来とるかな」
まり子「ハイッ! グラッときたら、火の元を消して」
今村「非常持出しの用意は」
まり子「非常持出し……」
今村「米、缶詰《かんづめ》、懐中電灯、トランジスタラジオ、着替、それから、現金、通帳、実印、株券、その他の書類」
まり子「そうか……」
今村「すぐそろえる!」
まり子「ハイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]威厳をもって命令する今村に、まり子またもハッと敬礼、とび出してゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]大あわてで、リュックサックに非常持出しをつめているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「トランジスタラジオと、ええと、あと懐中電灯……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]今村、廊下に立って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
今村「現金と通帳も忘れんように」
まり子「ハイッ! いれました!」
今村「それから、水は大丈夫かな」
まり子「水?」
今村「風呂桶《ふろおけ》に水を一杯に張ってあるか」
まり子「あ、いけない!」
今村「水道の栓《せん》をいっぱいにひねって、直ちに用意!」
まり子「ハッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すっとんでゆくまり子。
●風呂場[#「風呂場」はゴシック体]
[#1字下げ]水道の栓を全開にしているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して7字下げ]
今村(声)「※[#歌記号、unicode303d] 泣いたとて どうせゆく人 やらねばならぬ
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#3字下げ]せめて波風 おだやかに」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、今村の見事な追分をききながら、栓がはずれているのを直している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「地震か……今ぐらぐらっとくると、お父さんだけ助かるのかな。どうせ死ぬんなら誠さんと一緒がいいな。あとで電話しようかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら出てゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]入ってくるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あの、お水、もうすぐ一杯に……あら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]無人。
[#1字下げ]そして、非常持出しのリュックもない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ! モシ! 追分さん! 追分大佐! 追分……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]庭をみる。はきものがない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あッ! もしかして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、ころがるように走り出る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「モシモシ! モシモシ! 追分さん! 追分大佐!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]電話をとっている京太郎。ご用聞きの途中で将棋をさしていた源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「え? 駆逐艦『追分』の艦長だって?」
源助「追分がどしたんですか」
京太郎「今村大佐でしょ? おられますよ。ええ、艦長とは大の親友で……追分もお上手だけど、モシモシ、でもねえ、今は北海道でご病気の筈だけどなあ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「それじゃあ、今のはニセモノ……」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎、源助。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「それでなくなったものは、現金で四万円に通帳……え? 実印も」
源助「すぐ銀行に電話しなくちゃ」
京太郎「まり子さん、一緒に警察へいきましょう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]買物かごを下げて帰ってくる静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「警察……どうかしたんですか!」
京太郎「まり子さんが、詐欺《さぎ》に引っかかったのよ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ショボンとしてあやまるまり子。帰ったばかりでネクタイをゆるめながらあきれている誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「おかしいと思わなかったのかなあ」
まり子「だって、駆逐艦『追分』の今村大佐」
誠「ニセモノだったんだろ!」
まり子「すごく素敵に追分うたうし、お父さんのことだって、亡《な》くなったお母さんのことだってちゃんと知ってるし」
誠「それで、現金から実印までもってかれりゃ世話ないよ!」
まり子「誠さん、その場にいないから、ひとごとみたいに言えるのよ!」
誠「大体、君はね、海軍に甘いよ」
まり子「どういう意味、それ!」
誠「何でもおやじのいうこと、ウノミにしすぎるよ。いくら舅《しゆうと》だってね、いいものはいい! 間ちがってるものは間ちがってる。もっとハッキリ」
まり子「じゃあ誠さんは海軍は間違ってるっていうの」
誠「結果的にはね、君みたいにおやじの機嫌《きげん》取りにさ、海軍ていうと、何でも恐れ入るってのは、きらいだっていうんだよ」
まり子「ちがうわ! あたし、海軍が好きなんじゃないよ」
誠「?」
まり子「海軍だって陸軍だって何だっていいのよ。あたしね、ホステスしてたとき、誠さん、好きになったわ、でもとても結婚なんか出来ないと思ってあきらめたわ。それが、お父さんの反対押し切ってやっと結婚出来たでしょ? 本当にうれしかった。だから、一生|嫌《きら》われないでこのうちにおいてもらいたい……そう思って……あたし、海軍が好きなんじゃないのよ。誠さんが好きなのよ! 誠さんのお父さんにも気に入られたいのよ! だから、海軍ていうと、つい」
誠「……バカだなあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]すすり泣いてしまう、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「もういいよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]背中をさすってやる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ほら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ハンカチを貸してやる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「もったいないから紙でいい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、泣きながらエプロンからハナ紙を出してハナをかむ。
[#1字下げ]電話。
[#1字下げ]まり子、ハナをすすりながら手をのばすが、誠、取る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「はあ、永山ですが? は、捕まった……」
まり子「……捕まった!」
誠「勲章から足がついた……そうですか……はあ、碁会所ですか、はあ、父はよくいってるようですが……」
まり子「(うなずく)」
誠「そこで海軍話きいて……そうですか、はあ、自慢話の好きな人間ですから……はあ、はあ……そうですか……。はあ、ではあしたでも女房《にようぼう》がそちらへ伺って、はあ……どうもいろいろご迷惑をかけました」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「碁会所で知りあった人なの!」
誠「息子に捨てられた父親なんだってさ」
まり子「そうお……いい声で追分うたってたけど……」
誠「その人、君みたいなやさしい嫁さんがいないんだろ、きっと……」
まり子「……誠さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まり子を抱きよせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さんに何てあやまろうかな」
誠「おやじにはオレからいうよ」
まり子「ううん、アタシ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]湯気で曇ったガラスのむこうは温かそうに灯《ひ》のともった茶の間。
[#1字下げ]誠の胸に顔を埋めて甘えているらしいまり子のシルエット。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(つくり声)「今晩は!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠とまり子少し離れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「ごめん下さい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人もっと離れる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「永山さーん、お留守ですか」
誠・まり子「ハーイ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、パッと離れる。
[#1字下げ]まり子髪のほつれを直しながらあわてて飛び出してゆく。障子にぶつかったりしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハーイ、ただ今!」
[#ここで字下げ終わり]
●玄関[#「玄関」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]衣紋《えもん》をつくろいながら飛び出してくるまり子。
[#1字下げ]後から誠。
[#1字下げ]ガラス戸の外の人影、せわしなくガラス戸をガタガタとゆする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ハイハイ。今、開けます」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、あわてて鍵《かぎ》をあける。
[#1字下げ]ガラリと開いて……立っているのは中国服の忠臣、ご丁寧に白いつけひげまでして凝った扮装《ふんそう》。
[#1字下げ]おまけに山ほどの荷物をかつぎ、振り分けしてフウフウ言っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! そのかっこうはなんだよ」
忠臣「ああ……(フウフウ言いながら)どうだ似合うだろ」
誠「あれ、十一時に着くんじゃなかったの?」
まり子「飛行機、早く着いちゃったんですか」
誠「早く着くったってさ、四時間てのは」
忠臣「しゃべってないで、早く……取っておくれよ、気が利《き》かないねえ」
まり子「ハイ、ハイ」
忠臣「一行の中に具合の悪い人が出てね、早い便で帰るって言うんでね、わたしも便乗してさ……さあ、それみんな持っておくれ」
誠「また凄《すご》い荷物だねえ、一体何なの」
忠臣「ああ、いやはや、もう……ドッコイショ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣ドンドン入ってゆく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「やっぱりうちはいいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、荷物をかついでフウフウいって入ってくる。誠とまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「それにしたってさ、羽田から電話ぐらいかけりゃいいのにさ」
まり子「そうですよ、お迎えに行ったのに」
忠臣「ヘヘ、たまにはね、お前たちの手間かけないで一人でやろうと思ってさ、どうだい、えらいだろ」
誠「それで世間並だけどさ」
忠臣「どうだい、仲良くやっとったか」
誠「う、うん……(ごまかして)お父さんその服どしたんだよ」
まり子「すごく似合いますよ」
忠臣「あれ、まり子さん、泣いた顔だねえ」
まり子「いえ……あの、さっき、ね、ねぎ切ったんです。(誠に)ね、ね」
忠臣「ヘヘ、誠もここんとこ赤いもんつけて(口のまわり)」
誠「え?(あわててこする)」
まり子「やだ何もついてませんよ!」
誠「何言ってんだよ!(小突く)」
忠臣「まあいいでしょういいでしょう。舅もいちゃ、ゆっくり夫婦げんかも出来んからねえ、ゆっくりとけんかして……くもりのち晴れというところか」
誠「ま、そんなとこだね(テレている)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と、いいながら忠臣、荷物の中からどんどん山のような袋菓子を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん、これなんですか」
忠臣「なにって見りゃ判るじゃないの、お菓子ですよ。香港というところは、胡麻《ごま》のおいしいところだねえ、あ、そっちが甘栗《あまぐり》でね、そっちが竜眼《りゆうがん》の干したのだからまぜないようにね」
誠「それにしてもこんなにいっぱい」
忠臣「だってお前、日高だの石川んとこだの徳さんとこだのさ……あ、上に積まないのよ、つぶれるでしょうが。あ、それは西瓜《すいか》のタネだ。袋が破れてるからそっとね、あ、まり子さん、そっちの干したなつめ」
誠「なつめもいいけど『日高』はどうだったの? ちゃんと香港島のビクトリア・ピークか、あの上で」
忠臣「ああ、ちゃんとやりましたよ。おりからの夕日に海はキラキラと光ってねエ、わたしは海ゆかばをうたいながら……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と、言いながらモゾモゾと腰を浮かす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしたの」
忠臣「まり子さん、紙入ってるね」
まり子「紙? あ、トイレですか?」
忠臣「やっぱりうちでないとダメだねエ。どうもそっちのほうは内弁慶で」
誠「早く行ってきなよ、ほら」
忠臣「あっ!」
誠「なんだよ、紙入ってるってさ」
忠臣「まり子さん、お番茶!」
まり子「はい」
忠臣「そうだ、一にお番茶。二に、はばかり。三にお風呂……そう思いながら帰ってきたんだ。まり子さん、いれて頂戴《ちようだい》。あ、そうだ、やっぱりはばかり先に……いや風呂にしようか」
誠「どっちなんだよ」
忠臣「やっぱりお番茶飲んで落ち着いたとこではばかりに行ってからお風呂にしよう。まり子さん」
まり子「ハイッ!」
忠臣「ああ……うう……(こらえている)」
誠「帰ってくるそうそうこれだもんなあ」
まり子「(小さく)やっぱりこのほうがいいわね」
誠「え?」
まり子「二人もいいけど……三人のほうが、あたし、いいな」
忠臣「嬉しいことを言ってくれるねえ、まり子さんに何かおみやげと思ってね翡翠《ひすい》の指輪」
まり子「買って下すったんですか!」
忠臣「と思ったんだが、百万、二百万だからねえ、そんなのはめておっことすと家庭不和のもとだから……」
まり子「……あ、ないんですか」
誠「恨みっこなしでみんな駄菓子《だがし》にしましたって言うんだろ」
忠臣「そうなの……ああ(ふるえている)」
誠「早くお茶をのんで、いってきなよ」
忠臣「(茶をのみ、ふるえながら)やっぱりうちはいいねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あきれ、笑いながら山のように菓子の袋を出すまり子と誠、忠臣のつけひげをひっぱがす。
●風呂場[#「風呂場」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]湯気でくもるくもりガラスの中で誠が忠臣の背中を流している気配。
[#1字下げ]下着やタオルを揃えて乱れかごの中に入れるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お湯加減どうですか」
誠(声)「とってもいいよ!」
忠臣(声)「大へんけっこう!」
誠(声)「もう、すごいアカだよ」
まり子「お父さん?」
誠(声)「ああ、背中なんかボロボロ、まるでひじきだよ、香港で風呂に入ンなかったんだろ」
忠臣(声)「帰ってきてさ、お前にまとめて流させてやろうと思ってさ。あ、ギュウギュウやったら痛いだろ」
誠(声)「ガマンガマン(ザァー!)」
忠臣(声)「いたいっていうんだよ(ザァー!)」
忠臣(声)「ところでさまり子さん、留守中変ったことはなかったの」
まり子「あのねえ、お父さん」
誠(声)「何にもないよ、二日や三日であるわけないだろ、ほら、ちゃんとそっち向いて……(ザァー!)とにかくね、お父さんはしあわせだよ!」
忠臣(声)「いたいよ、おい!」
誠(声)「じっとしてなよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ザアザアと湯をかける音。くもりガラスに父と息子の裸があたたかく浮かんでいる。
[#1字下げ]笑いながら乱れかごに二人分の下着と寝巻を丁寧にそろえるまり子。
[#改ページ]
29
[#改ページ]
●永山家・庭[#「永山家・庭」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]大げさな気合いをかけながら、白鉢巻《しろはちまき》、たすきがけも物々しい忠臣が、木刀の素振りをやっている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「エイ! オウ! ヤア! タア! オウ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]気負うものの年は争えない。フウフウ言ってしまう。
[#1字下げ]木によりかかり茶の間のほうをチラチラ見ながら、体は横着して声だけ掛声をかけている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「エイ! ヤア! トウ!」
[#ここで字下げ終わり]
●若夫婦の部屋[#「若夫婦の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]布団《ふとん》の中にもぐっている誠を起しているまり子。忠臣の掛声が聞える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん! 誠さんたら……早く起きて、いっぺんに朝ごはん済ませて頂戴《ちようだい》よ」
誠「なんだよ。たまの日曜ぐらいゆっくり寝かしてくれたっていいだろ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]首を出す誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣(声)「エイ! ヤア! オウ!」
誠「うるさいなあ。やかましくてねてらんないよ」
まり子「あれはね、お父さんのジェスチュアなのよ」
誠「ジェスチュア?」
まり子「誠、いい加減に起きて一緒にメシにしようって……」
誠「毎日ブラブラして閑《ひま》もて余してる奴《やつ》と一緒にされちゃたまンないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ねぼけまなこで布団の上に起き上る。大あくびで頭をボソボソ掻《か》いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ。全くもう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、背中からバルキーセーターを羽織らせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「日曜だから」
まり子「………」
誠「どっか行こうか」
まり子「どっかって……どこ?」
誠「だから、これから考えンのさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、まだアクビをしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どこ、いきたい」
まり子「どこって……あたし、どこでもいい」
誠「張り合いがないなあ。そういうのはね、君のいけないとこだよ。ゆきたいとこない人間なんておかしいよ。ちゃんとさ、どこそこへゆきたい……ハッキリいわなきゃダメだよ!」
まり子「そんな、怒ることないでしょ?」
誠「だってさ」
まり子「……(小さく)あたし、誠さんと一緒ならどこでもいいっていったつもりなのに」
誠「……なあんだ、そうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、テレながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「そんなら、はじめからそういやあいいのにさ」
まり子「そのくらい判《わか》らないほうがどうかしてるわよ」
誠「そうかな」
まり子「そうよ」
二人「フフフ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、誠の肩に自分の肩をぶつけるようにして甘える。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「映画見にいこうか」
まり子「あたしも、いま、そう言おうと思ってたの」
誠「『エマニュエル夫人』なんか、どうかな」
まり子「……ほんとのこというとね、見たかったの……あれ」
誠「このテ[#「テ」に傍点]のやつは、女一人じゃゆきづらいもンな」
まり子「そうよ、困るわよ」
誠「じゃあ、メシ食って一休みしたら、ぼつぼつ……あ、おもてでさ、なんかうまいもの食おうよ。だから、朝はさ、かるうく……」
まり子「ね、どうする?」
忠臣(声)「エイ! ヤア! オウ!」
まり子「お父さん……」
誠「お父さんて……映画に?」
まり子「………」
誠「冗談じゃないよ、戦争映画ならともかくも、おやじと一緒にポルノ見られるかよ」
まり子「……そういやあそうねえ」
誠「常識だよ」
まり子「すみません。でも……何ていったらいいの? 『あの、申しわけありませんが一日だけおひまいただいてもいいでしょうか』」
誠「ダメダメ」
まり子「え!」
誠「下手《したて》に出るからつけ上るんだよ。さりげなくこういくんだよ。……『お父さん、ちょっと出かけてくるよ』」
まり子「そりゃ、誠さんは息子だからそれでいいけど……あたしは……」
誠「まり子さんもさ、ごくあったり前って顔してさ、『お父さんいってまいります』」
まり子「どこゆくの……って」
誠「いわないんだよ。ニコニコしてさ、『おみやげ何がいいかしら』」
まり子「なるほどねえ」
誠「いちいちお伺いを立てるってやり方は古いんだよ。ね? にっこり笑って人を斬《き》る」
まり子「(片目をつぶって)ようし、丹下|左膳《さぜん》でゆくぞ!」
誠「……とはいうものの、はじめのうちはゴシャゴシャ文句いうと思うんだよ。ま、そンときはオレが……」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]素振りを終えて、木刀を小脇《こわき》に、汗を拭《ふ》きながらすわって待っている忠臣。茶を一口のんで発声練習をする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「アーアーアー」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]もう一口、口をしめして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ドレミファソラシド」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ドーと長くひっぱって今度は下る。ただし、ドシラソファミレドというべきところを、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ドシラソファミドレ(と下る)ア、ア、アー」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくる誠とまり子。二人、腹にイチモツある感じ。
[#1字下げ]ところが今朝の忠臣はバカに機嫌《きげん》がいい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おはよう」
誠「え? ああ(食われて口の中でオハヨウ)」
忠臣「日曜だってのに、ばかに早いじゃないか。え?」
誠「う、うん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠たち、出鼻をくじかれた感じでモタモタするが、目くばせしあって陣を立て直す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あのォ」
誠「あのねえ、お父さん」
忠臣「ハイハイ、何でございましょう」
誠「いや、別に、なにってほどのことじゃないんだけどね」
忠臣「ハイハイ」
誠「あの」
忠臣「ハイハイ」
誠「あのねえ」
忠臣「ハイ」
誠「いちいち返事しなくたっていいんだよ。やりにくいよ」
忠臣「ハイハイ、え、あ、そう」
誠「あの、お父さん……ちょっとオレたち出かけるから」
忠臣「え?」
誠「(まり子を突つく)」
まり子「……あ、『お、お父さん、行ってまいります』」
忠臣「あ、いってらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人完全に食われる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「……いってらっしゃい」
まり子「あの……」
誠「へえ、どこへいくか聞かないの?」
忠臣「どしてそんなこと聞くの?」
誠「どしてって……うるさく聞くタチだからさ」
まり子「……あの、おみやげ何がいいかしら?」
忠臣「そんな……おみやげの心配なんかしないで、ゆっくりいっておいで」
まり子「お父さん」
誠「お父さん、死に目が近いんじゃないのかねえ。今日はおかしいよ」
忠臣「別におかしくも何ともありませんよ。舅《しゆうと》として当り前のことを言っとるだけじゃないか。ねえ、年寄りは年寄り、若い者は若い者。たとえ一緒に暮しておってもだ、日曜位は別々に楽しまなくっちゃいけませんよ」
誠「お父さん。……本当にどうかしてるよ」
忠臣「ただし……出かける時間だけどねえ、あと一時間ほど待ってくれんかな?」
誠「あと一時間?」
忠臣「実は、お前たちに折入って頼みがあるんだよ」
誠「頼み……」
まり子)「なんですか」
誠    「なによ」
忠臣「まあ、いいじゃないか。そのうちに相馬と石川がくるから……みんな揃ったとこで話しましょ? さ、まり子さん、ご飯にして頂戴」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、気になる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・まり子「お父さん」
忠臣「さあ、ごはんごはん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、何故《なぜ》か上機嫌である。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]靴《くつ》ぬぎに京太郎と源助のらしい靴とサンダルがならんでいる。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]忠臣、誠。茶を入れるまり子。京太郎、源助が揃ったところ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「何ですか、艦長」
源助「折入ってたのみがあるってのは」
忠臣「まあまあ。お茶でものんで……一息入れてからにしなさいよ」
まり子「どうぞ」
京太郎「どうも」
源助「何だろうなあ」
京太郎「いや、そこで石川にバッタリ逢《あ》ってね、一体何だろう……」
誠「いやあ、ぼくたちにも同じこといってんですよ」
源助「あの、まさか金……いや、金だとこっちも手いっぱいなもんで……気持はあっても用立てるゆとりが」
京太郎「そりゃ、こっちだって同じよ」
忠臣「金じゃありません」
京太郎「それじゃあ、『もめごと』の仲裁とか」
忠臣「そんなんじゃないの」
誠「なんだよ、もったいつけてないで早く言いなよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、黙って自分の座布団を横にどかす。
[#1字下げ]畳に手をついて頭を下げる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……」
京太郎・源助「艦長!」
誠「一体何のまねだよ」
忠臣「どうか、曲げて承知してもらいたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、一枚のハガキをテーブルにのせる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「『十三時ショー』出演依頼書」
源助「『十三時ショー』ってのはテレビの番組じゃないの」
京太郎「そうよ。あの早口のさ、何とかって女優さんが司会してるのだろう」
源助「そうそう」
誠「十三時ショーに誰《だれ》が出演するんだよ」
まり子「お父さんがお出になるんですか」
忠臣「アタシも出るけどね、みんなも一緒に」
一同「みんなも一緒?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、ハガキを読む。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「かねてご応募の当番組『ファミリー・ソング』にご出演をお願いすることになりました。来たる三月七日午前十一時までに第10スタジオにおいで下さい」
京太郎「あと五日じゃないの」
まり子「永山忠臣様ならびにご出演の……」
源助「相馬京太郎様。あれ、相馬|中尉《ちゆうい》も出るんでありま……あれ? 相馬静子……奥さんも一緒じゃないの」
京太郎「次みなさいよ。石川源助」
源助「え?」
京太郎「石川たつ……」
源助「うちの母ちゃんも……艦長!」
誠「永山誠……まり子……」
まり子「え? あたしもですか!」
誠「お父さん!」
忠臣「だから、みんな一緒に出るっていったじゃないの」
源助「ねえ、艦長、出る出るって一体なにをやるんですか」
忠臣「そこに書いてあるでしょうが」
京太郎「曲名『大楠公《だいなんこう》』」
誠「趣向……『七福神』なんだよ、こりゃ」
忠臣「物を知らんねえ。『大楠公』を知らんのか」
誠「ダイナンコウ……」
まり子「バンソウコウなら知ってるけど」
忠臣「そんな歌あるの? ほら、宮城前にあるでしょが、馬にのってこんなかっこした……勇ましいのが……」
源助「ああ、あれだ。ほら」
京太郎「※[#歌記号、unicode303d] 青葉|繁《しげ》れる桜井の」
忠臣「それですよ。落合直文作詞。日本の名曲です」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]京太郎と源助、なつかしそうに合唱する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「※[#歌記号、unicode303d] 里のわたりの夕まぐれ」
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 木の下かげに駒《こま》とめて」
三人「※[#歌記号、unicode303d] 世の行末をつくづくと しのぶ鎧《よろい》の袖《そで》の上に 散るは涙かはた露か」
忠臣「二人ともちゃんと歌えるじゃないの」
誠「これ、うたうの?」
まり子「あたしたちもうたうんですか!」
忠臣「だから七福神じゃないの」
一同「七福神?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、サッパリ判らない。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「七福神て……」
まり子「福神漬《ふくじんづけ》……じゃないんですか」
源助「ああ、ナタ豆なんか入ってる」
忠臣「七福神ですよ、七福神、七人のほら、神様がいるじゃないか」
京太郎「ああ、恵比須《えびす》、大黒、布袋《ほてい》様に……」
忠臣「あれですよ。え? 面白い趣向じゃないの」
誠「あのね」
忠臣「いや、この『ファミリー・ソング』ってのは、出たい人間が一杯いてさ。もう申し込んでも申し込んでもなかなか当らないって評判なんだけどね。七福神という趣向がよかったんだねえ。一発でOK! ですよ」
誠「あのねえ、お父さん、ちゃんと筋道たててさ、話してくれよ。七福神が一体なんなんだよ」
忠臣「勘の鈍い男だな、みんなでさ、七福神のかっこして出るんですよ」
京太郎・源助「え?」
誠「オレも?」
忠臣「だからさ(もう焦《じ》れている)わたしだろ? 相馬に奥さん、石川と細君、誠とまり子さん……七福神じゃないの?」
京太郎「七福神のかっこをするんでありますか」
忠臣「いやあ、それで目下悩んどるんだけどねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、何やら大きな紙を出す。七福神の絵姿の下に扮《ふん》する人間の名前をあてはめて書いてある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まあ、わたしは打出の小槌《こづち》をもっとって縁起がいいから、大黒さまということにしてだな。恵比須さまは鯛《たい》を抱えとる商売の神様だから、ひとつ相馬にやって貰《もら》って」
京太郎「わたしが恵比須さま」
忠臣「石川は馬面《うまづら》だからねえ、この寿老人《じゆろうじん》なんてのは」
源助「艦長! わたしがこのかっこするんでありますか?」
忠臣「それから、弁天さまはまり子さん、あんたやって頂戴。誠、お前どうする? 残ってるのは毘沙門《びしやもん》さまと布袋さまだけど」
誠「(カッとなる)冗談じゃないよ。なんでオレがそんなかっこして……テレビに出なきゃなんないんだよ!」
忠臣「どなることはないだろ、えッ!」
誠「オレはね、オ(むせてしまう)」
まり子「(背中を叩《たた》く)」
忠臣「何ですよ、ハッキリ言いなさいよ」
誠「あんまりバカバカしくて、むせちゃったよ!」
京太郎「まあまあ、誠さん、あたしに」
源助「あたしに言わせて下さいな」
誠「いや、ぼくが……ねえお父さん、百歩ゆずって歌うたったとしてもだよ。七福神てのはもう! ばかばかしくて……オレね、そんなまねしたら会社にいられないからね」
京太郎「あたしだって……物笑いですよ」
源助「そうですよ」
誠「誰が何ていったって、オレ、出ないからね」
忠臣「まり子さん……」
まり子「あたしだって……お友達やなんか見てるし……きまり悪くて……」
忠臣「相馬……」
京太郎「それだけは勘弁して下さいな」
忠臣「石川……」
源助「あたしもなんすけど、うちの母ちゃんにぶっとばされンのがオチだから」
京太郎「あたしだって……とてもうちの静子にいえませんや」
忠臣「みんな、やだっての? 出ないっていうのね」
誠「当り前だよ。そんなに出たかったらお父さん一人で出りゃいいじゃないか」
忠臣「……それじゃあ、あたしはどうなるんだ。え? 永山忠臣、嘘《うそ》を言ったことになるじゃないか。向うさんはそのおつもりで予定組んどるのに、今更出られませんじゃあ、この永山忠臣は信義にもとる行為をしたということに」
誠「お父さん、物には順序ってもンがあるだろ? ね? テレビに出て歌うたいたい。いけないとは言わないよ。閑《ひま》もてあましてんだからさ。人に迷惑かけなきゃ何やったっていいよ。でもね、人、巻きぞえにしないで貰いたいんだよ。どしても一緒に出たいんなら、出たい。どして前もって」
忠臣「信じていたんだよ。そりゃ普段は、みんなさ、あたしのこと、ああだこうだといってるよ。でもね、ここ一番という時には、お願い致しますと手ついたら、『うむ、よし! やろう、お父さん! 艦長! やりましょう』こういって賛成してくれる人間たちだ。そう信じて」
誠「事と場合によるよ!」
京太郎「まあ、ご自分のお楽しみは、ご自分一人でなさるんですな」
誠「そうだよ」
忠臣「(ポツンと小さく)自分一人の楽しみなら、諸君にこんな迷惑はお願いしとりません」
一同「え?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、うしろを向いて茶だんすの小抽斗《こひきだし》から一通の封書を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「福島県石川郡……小峰小太郎」
源助「あッ! 小峰一水じゃないすか」
忠臣「さよう、わたしの当番兵として、ようく面倒みてくれた小峰一水です。いま、福島の息子のとこにおるんだが、どうもこの間うちから体が思わしくないんだねえ」
京太郎「寝込んでいるんでありますか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、重々しくうなずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それでね、『夢は枯野をかけめぐる』じゃないが……(たどたどしい筆跡の手紙を示しながら)思い出されるのは『日高』の頃《ころ》の思い出である。あの頃、艦内余興大会で七福神の布袋さまの役で出て、艦長が大笑いをされたことなど懐《なつか》しく思い出しております。ご近所に住まっておられるそうですが、相馬中尉、石川一水はお達者でありますか。二十何年前、わたしがお宅に伺った時、庭でシーシーとおしっこをさせた次男の誠さんはボツボツお嫁さんを迎えられた頃でしょうねえ……メンメンと書いてあるんだよ」
一同「………」
忠臣「どうも、手紙の具合じゃあ、小峰の病気は……直らんらしい」
一同「………」
忠臣「そこでだ、懐しい顔を揃えて、ほうれ、みんなこんなに元気だぞってとこをみせてやりたいじゃないか。小峰ゆかりの七福神のいでたちで、七人揃って……小峰のよく口ずさんでいた『青葉繁れる』を歌って出たら、どんなに喜んでくれるか……そう思ってねえ……つい勇み足を」
京太郎)「艦長……(のり出す)」
源助   「艦長(これも続く)」
源助「出させて頂きます」
京太郎「七福神でも八犬伝でも何でもやらせて頂きます」
忠臣「相馬! 石川!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人の手を握る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「しかし、艦長、三人では……」
忠臣「三馬鹿《さんばか》大将しか出来んねえ」
源助「カアちゃんを口説きますよ!」
京太郎「よし、あたしも静子を」
忠臣「口説いてくれるかい」
京太郎「五人揃えば」
源助「五人|囃子《ばやし》ですよ」
まり子「お父さん……あたし」
忠臣「まり子さん、あんた」
誠「まり子さん、出ることないよ!」
まり子「ううん、いいの。あたし、出ます」
忠臣「まり子さん、ありがとうよ」
京太郎「これで六人か」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、何となく誠をみつめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……オレは……出ないよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、京太郎、源助が何か言いかけるが、忠臣、目でとめて……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まあ一人ぐらい、何とかなるさ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠と四人……
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体]
[#1字下げ]京太郎の説明にあきれかえっている静子。大笑いしている健太郎。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「七福神て……あの七福神ですか」
京太郎「うむ」
健太郎「考えたなあ、永山さんも……自分と誠さんとまり子さん、それに一番近い二人の旧部下とその女房《にようぼう》……合せて七福神てのは、ほんと、極めて日本的なグッド・アイディアですよ。ウハハ、ウハハハ、考えりゃ考えるほどおっかしいよ」
静子「健ちゃん、アンタね、自分のことじゃないから、笑っていられるのよ」
健太郎「え?」
静子「アンタね、その身になって考えてごらんなさいよ。このままのかっこで、テレビに出てよ、歌うたうんだって恥かしいってのに、七福神なのよ。そういうカッコして、あンた……永山さんたちとならんで……冗談じゃありませんよ」
京太郎「静子……それじゃあ、アンタ、出ないっていうの」
静子「(切口上)出ると思ってらしたんですか」
京太郎「いや、よろこんで出てくれるとは思ってないけどさ、まあ、事情が事情だから、曲げて承知をしてもらえるんじゃないか……ってね」
静子「あたしね、どっちかっていえば古い女ですよ。『嫁《か》シテハ夫ニ従ヘ』……万一、店がつぶれて、あなたが乞食《こじき》になっても」
京太郎「おいおい、店なんかつぶれませんよ、なにいってんの」
静子「たとえばのハナシですよ。たとえあなたが乞食になっても、それがアタシの運命だ……そう思って、よろこんで橋の下の掘立て小屋で暮しますよ。でもねえ、七福神はいやなのよ!」
健太郎「女ってのは、すごいたとえ[#「たとえ」に傍点]をいうもんだねえ、どうして乞食がよくて、七福神のほうがいやなのか、オレ、サッパリ」
静子「女はね、理屈じゃないのよ、第一、こんなかっこしてテレビに出たら、あたし、きまり悪くてクラス会にゆかれないわよ」
京太郎「静子……アタシが、こやってたのんでもダメかい」
静子「……お友達みんな、テレビ見てるもの……」
京太郎「亭主《ていしゆ》の義理よか、年に一度のクラス会のほうが大事なのか」
静子「どうしても出ろとおっしゃるなら、あたくし……実家へもどらせて頂きます」
健太郎「ウハハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、腹を抱えて笑っている。
[#1字下げ]深刻な顔の夫婦。ムッとする京太郎。
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京太郎「何がおかしいのよ、え? 健ちゃん」
健太郎「お母さんも、姉ちゃんジョーちゃんだけど、おやじさんもムキになってさ……もう、オレ、ハラがよじれちゃったよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人も、さすがに少し、一時のたかぶりがさめる。
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健太郎「念のために聞くけどさ、七福神のなにやるのよ」
京太郎「あたしはね、魚あつかってるから恵比須さまやれっていうんだけど」
健太郎「ああ、釣竿《つりざお》と鯛もってる……これか、ピッタシじゃないの。お母さんは、なんなのよ」
京太郎「女の神様っていうと、弁天さま(言いかける)」
静子「あら、アタシ、弁天さまなの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]現金にニッコリする静子。
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京太郎「え? いや、その」
静子「弁天さまって、あの、フワフワッての着て……竜宮城《りゆうぐうじよう》の乙姫《おとひめ》さまみたいな格好して」
健太郎「琵琶《びわ》ひいてる……美人じゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]静子、恥じらいながら京太郎をぶつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「ううん、はじめから、そう言って下さりゃいいでしょ?」
京太郎「いや、言いにくいんだけどさ、弁天さまはまり子さん」
静子「あ、ああそう、そうですか。それじゃあ、やっぱりアタシは失礼します」
京太郎「……でもねえ、もう一人のこれ、吉祥天、これ、やっていただきたいって艦長が」
健太郎「吉祥天……あ、これも凄《すげ》え色っぽいよ、ね、お母さん」
京太郎「静子……」
静子「吉祥天ねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]満更でもない様子。
●石川酒店・表[#「石川酒店・表」はゴシック体]
[#1字下げ]日曜に付き本日休業の札がゆれている。
●石川酒店・茶の間[#「石川酒店・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]源助がたつに、散々ど突かれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お父ちゃん! 人のことね、何だと思ってんのよ! え?」
源助「アイタタ!」
たつ「あいたじゃないのよ。アタシだってね、女のはしくれなのよ、まり子さんと相馬の奥さんが弁天さまと吉祥天やって、どして、あたしが布袋さん、やンなきゃなンないのよ」
源助「アイタタ!」
たつ「第一ね、お父ちゃん、よくまあ、そんなこといわれて、のめのめ引き下ってこられたわねえ。お父ちゃん、自分の女房をバカにされてんのよ。えッ!」
源助「痛いっていうんだよ」
たつ「あたしねえ、みんな一緒に、まり子さんも相馬さんの奥さんも、みんな同じなりで歌うたうっていうんなら、ええ、ゴジラだってウルトラマンだって、何だってやりますよ。でもねえ、みんないいかっこして、一人だけ……こんな、ツルッパゲの頭で……やなこった!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ひときわ盛大にど突く。
[#1字下げ]すっとんだ源助、鼻をぶっつけたらしく、手で押えてウーンとうなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「お父ちゃん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助の手の間から、たらたらと赤いものが、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「鼻血! お父ちゃん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、いいんだ、と手を振って、ポケットからちり紙を出し、不器用にねじって鼻の穴にねじ込む。
[#1字下げ]はな子と宇佐美クン、びっくりして出てくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「……お父ちゃん(大丈夫?)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]源助、いつになく静かな口調でたのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「ぶちたかったらぶってくれ。蹴《け》っとばしてくれ。気のすむまで悪口雑言いってくれていいんだよ」
たつ「………」
源助「その代り。どうか……一緒に出てくれないか」
たつ「お父ちゃん、あたしはねえ」
源助「……オレだって、正直いってきまり悪いよ。やだよ。でもなあ、テレビ見て、小峰の奴がどんなによろこぶかと思うと……恥かいてもいいと思ったんだよ」
たつ「………」
源助「ひとつ軍艦に乗り組んで、もしも、ドカーンとやられたら、みんな一緒に海の藻《も》くずだな……一蓮託生《いちれんたくしよう》ってのはこのことだな……そういう気持で、ひとつ釜《かま》のメシ食った人間ってのは、こりゃ二十年たっても三十年たっても同じなんだよ」
たつ「………」
源助「女にそれを判ってくれって言ったって無理だよ。判ってくれなくたっていいさ。でもな、たのむから……な、出てやってくれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]たつ、すでにホロッとしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「……素面《しらふ》でなくてもいいんだろうね」
源助「……(おい)……」
たつ「店のお酒、水筒に入れてってさ、出る前にグイッとひっかけて出るからね」
はな子「……お母ちゃん、そうこなくちゃ」
宇佐美「旦那《だんな》、いい女房もってしあわせですね」
源助「ヘン。羨《うらやま》しいだろ」
たつ「あーあ、こんな不細工な栓しちまって、まあ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]電話を受けている忠臣。
[#1字下げ]誠、まり子。勇と悦子が遊びにきている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(喜色満面)そうか、奥さん、出て下さる?……いやあ、うれしいねえ。それで石川の……え? 細君も……そうか。いやあ、口じゃあポンポン言ってるけどねえ、おたつさんてのはありゃいい女ですよ。うん、情が濃くってねえ。まあ、育ちはよくっても、どこか底冷たいのよか女としちゃずっと上だねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]プンとする悦子。
[#1字下げ]ムッとする勇。
[#1字下げ]誠とまり子、気を使って、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・まり子「お父さん……」
忠臣「それじゃあなんだ、今ンとこ七福神には一人足らんがねえ、早速、今晩から練習といこうじゃないか。うん、『日高』で八時からってのはどうだい。日曜だから店は休みだろ、うん。それじゃあ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話を切る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ありがたいねえ。持つべきものは部下……いや、友ですよ」
勇「それに引きかえって言いたいらしいけどねエ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と早くも食ってかかる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ああ、そうだね。他人《ひと》さまが出てくださるのに、実の倅《せがれ》が二人とも、『オレはいやだ、みっともない』」
誠「当り前だよ。オレだって兄さんだってね、そんなのに出たら、きまり悪くて会社に(ゆかれないよ)」
忠臣「二人とも、大した働きをしとらん証拠だよ」
勇「どういう意味だよ、そりゃ」
忠臣「男として抜きん出た力量を持っておればだ、一回や二回テレビに出てだな、逆立ちをしようが裸踊りをしようが、かえって愛嬌《あいきよう》になるってもんですよ。能がないからバカにされるんだ」
誠「物には限度ってもンがあるンだよ」
勇「非常識だよ」
悦子「まあねえ、あたしは……お父さんがどしてもっておっしゃるんなら、しかたないって思うわよ。お面でも何でもかぶって出ますけどねえ……実家でなんていうかと思うと……」
忠臣「悦子さん、お実家《さと》のご両親、なんておっしゃるの?」
勇「決ってるだろ。こんな『かっこ』をさせるために娘、嫁にやったんじゃないっておっしゃるに決ってるよ」
忠臣「ご立派なうちのお姫《ひい》さま頂戴すると、あとがやりにくいねえ」
悦子「お父さん、なにもそんな。まあ、あたしは見栄《みえ》っぱりなんでしょうよ。まり子さんみたいにサバサバいかないのね」
まり子「あたしは、どうせドブ板ふんで出てきたんですから……笑われても『モトッコ』ですから」
忠臣「そんなことありませんよ。まり子さんのね、倉島家というのは、まあ、徳さんの代になってからはちょいとこれ(傾く)になったけど、もとは、どうしてどうして、ちょっとしたもんだって……」
まり子「そんなことありませんよ。もともと町工場に毛のはえた」
忠臣「(目くばせして)いやいや。成り上りに限って、お父さまだの家柄《いえがら》だのってさわぐの。もともといい人間はね、自信があるから平気で恥かけるのよ」
勇「お父さん。あてつけがましいこと言ったってね、オレも悦子も出ないっていったら出ないんだよ。未練がましいまねはよしなよ」
誠「オレが駄目《だめ》って判ったもんだから、とばっちりがそっちへいってんだよ」
勇「全くもう……」
忠臣「……ああ、同じ父子《おやこ》でもずい分ちがうもんだねえ」
誠・勇「え?」
忠臣「『正成涙をうち払い わが子|正行《まさつら》呼び寄せて』ねえ……わたしはこれから兵庫へ戦いにおもむくぞ。かなたの浦で討死にする覚悟である。『汝《いまし》はここまで来つれども とくとく帰れふるさとへ』お前はまだ幼い、くにへ帰れ、というんだよ。そのとき息子の正行は何といったと思う」
誠「知らないよ、そんなこと」
忠臣「『父上いかにのたまうも 見捨てまつりて我ひとり いかで帰らん帰られん この正行は年こそは いまだ若けれもろともに 御供仕えん 死出の旅』父が帰れ。お前まで死ぬことはないといってるのに、倅のほうは、お父さんがどうおっしゃろうとどうして父を見捨てて帰ることが出来ましょうか。どうか死出の旅に連れていってくれ……どうだい。生きるの死ぬのってハナシじゃない、たかがテレビに出て歌うたうのに、いやだっていうんだから、親不孝というか何というか」
勇「ハナシがちがうんだよ。オレだってね、お父さんが銅像にでもなるような立派な人間なら言うこと聞きますよ」
忠臣「それじゃあなにか、銅像にならないような人間のいうことはきけんというのか」
誠「口惜《くや》しかったら銅像になってみなよ」
忠臣「あんなの簡単じゃないか、西郷さんなら……だろ? 正成は馬にのって……(まね)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、あきれる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あッ!」
誠・勇「なんだよ」
忠臣「あのな、正成ののっとる馬な、ありゃオスかなメスかな」
誠「バカバカしいってのはそこからきてんの!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]おかしい女たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それにしても、一人足らんなあ」
まり子「あッ!」
忠臣「なによ、まり子さん」
まり子「うちのお父ちゃ……いえ『父』」
忠臣「徳さん、やってくれるかな」
まり子「ああいうの好きですから」
忠臣「まり子さん、たのんでみてくれるかい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずくまり子。
●「日高」表[#「「日高」表」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ここも、「日曜ニ付キ本日休業」の札。
[#1字下げ]しかし、中からは時ならぬ男女混声の大合唱が聞えてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
男女の声「※[#歌記号、unicode303d] 青葉繁れる桜井のォ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣の指揮でまじめに練習をしている京太郎、静子、源助、たつ、まり子。それに徳造。
[#1字下げ]カウンターで心配そうに見守るふみ江。茶をついですすめる健太郎。
[#1字下げ]会釈《えしやく》するふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「※[#歌記号、unicode303d] 里のわたりの夕まぐれ
[#2字下げ]木の下かげに駒とめて」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一人一人の口のそばで耳を傾けていた忠臣、割りばしでテーブルを叩《たた》く。一同やめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「誰だろうな、調子っぱずれがまじってるなあ」
京太郎「アタシじゃないすよ、こうみえたって唱歌はずっと甲だからねえ」
源助「アタシだって……」
静子「あらあたしだって、学芸会にはいつも独唱よ」
たつ「あたしだって、奥さんいい声ねえなんて……」
徳造「オレだって、どこの宴会でも徳さん徳さんて大もてよ」
忠臣「じゃもういっぺん、はじめっからやりましょう」
一同「※[#歌記号、unicode303d] 青葉繁れる桜井のォ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、目くばせする。
[#1字下げ]一同、パッとやめる。
[#1字下げ]徳造のみ取り残されてうたい続けるが、それは歌というより全く浪花節《なにわぶし》である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「※[#歌記号、unicode303d] 里のわたりの夕まぐれとくらァ」
忠臣「徳さん」
ふみ江「アンタ……(立ち上る)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同はあきれ、健太郎は吹き出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それじゃ浪花節じゃないか」
徳造「なんだと、オレァちゃんと歌ってるじゃねえか」
忠臣「歌ってないから言ってんだよ」
ふみ江「アンタ、ちゃんとやンなきゃダメじゃないのよ」
徳造「やってっだろ、ちゃんと」
ふみ江「よせよせってのに、出がけにいっぱいひっかけちまったもんだから」
忠臣「こういうのが一人まじると、ほかの人間がうまく歌ってもダメになっちまうんだよ」
まり子「すみません。あとであたしが責任もって練習させますから」
ふみ江「まり子さん、あたしが……(やるから)」
忠臣「ちゃんとやって頂戴よ」
静子「お酒がさめれば大丈夫ですよ、ねえ」
たつ「大丈夫大丈夫」
徳造「オレねえ、二番が好きなんだよ。なあ、正成がよ、おい、正行、おとっつぁんとこへこい! って呼びよせてよ、まあいっぺえのめや……ってなもんでさ」
京太郎「徳さんがやると、大楠公も感じ違うねえ」
忠臣「デン助劇場ですよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、楽しく笑いながらまたうたい出す。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ひとりポツネンと留守番している誠。
[#1字下げ]ウイスキーをなめながら夕刊をひろげている。
[#1字下げ]ふと低く口ずさむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「※[#歌記号、unicode303d] 父上いかにのたまうも
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]見捨てまつりて 我ひとり
[#1字下げ]いかで帰らん 帰られん
[#1字下げ]この正行は 年こそは
[#1字下げ]いまだ若けれもろともに
[#1字下げ]御供仕えん 死出の旅」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]土岡、誠、内山、秋子たちが仕事をしている。
[#1字下げ]久米が、蛮声を張りあげて歌う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米「※[#歌記号、unicode303d] 青葉(うたいかける)」
誠「その歌はやめて下さいよ。耳にタコが出来るほど家で聞かされてるんですから」
久米「いやあ、これは違うのよ。
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]※[#歌記号、unicode303d] 青葉シゲちゃん 昨日は
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]いろいろお世話になりました
[#2字下げ]わたしは今度の日曜日
[#2字下げ]東京の学校へ帰ります」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
久米・土岡「※[#歌記号、unicode303d] あなたもよくよく勉強を
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#3字下げ]なされて下さい たのみます」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なんですか、そりゃ」
内山「替え歌みたいだなあ」
久米「子供の時分によく歌ったのよ」
秋子「けったいな歌やねえ。それ、なんのCMソングなん?」
久米「参ったねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とやっていると、電話のベル。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「女性時代編集部……永山……あ、まり子さん……ハイハイ判りました。主人でしょ? 今、出しますけど……どうもこの度は、大楠公と七福神で大変ですねえ」
誠「土岡さん」
久米「ひろし、かまってないで……早く渡してちょうよ」
土岡「主人が横でヤキモキしてますから、ハイ……」
誠「(代って)モシモシ、え? 倉島のお父さんが駄目になった?」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]電話しているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「ゆうべね、お酒のんじゃって、大声あげて練習したらしいのよ。今朝起きたら、ウンもスーも全然声が出ないんですって、それでねえ、お医者さんに行ったら、ここ当分は声使っちゃいけませんて……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠、久米、土岡たち。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「それでなんなの(ややジャケンな言い方)」
まり子(声)「なにって言われると困るんだけど……お父さん……困ってらっしゃるから……」
誠「自業自得だよ。困らせときゃいいんだよ」
まり子(声)「そりゃそうだけど……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、土岡、うしろで聞いている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしても出たかったらさ、六人で出りゃいいんだよ。福神漬《ふくじんづけ》のコマーシャルじゃないんだから、どしても七人でなきゃやれないって規則はないんだから」
まり子(声)「ハイ」
誠「遊んでるんじゃないんだからねえ。つまんないことで電話かけてこないでくれよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガシャンと電話を切る誠。何か言いかける土岡を久米が目でとめる。
[#1字下げ]そのまま仕事をやりかける誠。ふと手をとめる。自己|嫌悪《けんお》。
●縁側[#「縁側」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]取り込んだ洗濯物をたたんでいるまり子。
[#1字下げ]洗濯物をもてあそびながらの忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、ケンツク食わされたんじゃないの」
まり子「フフフ」
忠臣「ねえ、嫁のあんたが出てくれるってのに、勇と誠ときたら全くもう」
まり子「……あれで普通ですよ」
忠臣「そうかねえ」
まり子「あたしだって……もし、普通の家からお嫁にきてたら、七福神のかっこするの、やだって言ってますよ」
忠臣「………」
まり子「でもあたし……あんな商売してたでしょ? だから……あたしもやっと、こういう家のお嫁さんになれましたってとこ……別に誰に見せるってわけじゃないんだけど……誰かに見せたいなって……そういう気持がどっかにあるんじゃないのかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]サラリとしゃべるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん。あんた……可愛い人だねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]洗濯物をたたむのを手伝う忠臣。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]残業をしながら、ウイスキーをのんでいる久米、土岡、誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「オレが出るって、土岡さん……」
久米「いやいや。ひろしちゃんは音痴、アチキが出ましょう」
土岡「編集長! ぼくが『イチ』じゃないすか、ずるいよ」
誠「いいですよ、二人とも。無理しなくたって」
土岡「無理じゃないの。本当に出てもいいの、出たいの」
誠「そんなこといって……あしたの朝になって……ゆうべは、あんなこと言ったけど、やっぱり七福神はみっともないから勘弁してくれよ……言うに決ってんだから」
久米「そんなことないわねえ」
誠「編集長」
久米「誠ちゃんねえ、肉親だから……腹が立ってるのよ」
土岡「そうなんだよ。アカの他人なら一緒にバカやってさわいでもそうハラが立たないんだよ」
久米「他人の親には寛大。自分の親は勘弁ならない。こりゃ、人の子の常だわねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]久米、誠についでやる。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]巻紙でサラサラと手紙をしたためている忠臣。
[#1字下げ]レース編みをしているまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「懐《なつ》かしの顔ぶれで小峰一水の当り芸七福神をと思ったのだが、ままならぬは浮世の常。神様の頭数もおひとかた不足となった。そこで残念ながら、七福神はあきらめ『大楠公』の合唱を病床にお届けする」
誠(声)「ただいまァ」
まり子「あ、誠さんだ……ハーイ、いま、ちょっと、編目が……すぐゆきまーす!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]編目の都合で迎えに立てないまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「玄関しめるよォ」
まり子「お願いしまーす! ええと、一目すくって……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]と、やっている。
[#1字下げ]誠、入ってくる気配。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「※[#歌記号、unicode303d] 青葉繁れる桜井の
[#ここから改行天付き、折り返して−1字下げ]
[#1字下げ]里のわたりの夕まぐれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]アレ? となる忠臣、まり子。
[#1字下げ]ほろ酔いで入ってくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「※[#歌記号、unicode303d] 木の下かげに駒とめて」
まり子「……(食われて小さく)おかえりなさい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うたいながらテーブルの上に小さな包みをおく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「なあにこれ」
誠「編集長と土岡さんからね、ノドをよくするクスリだってさ」
忠臣「フーン、そりゃうれしいねえ、まり子さんものんで頂戴」
誠「オレも、のもうかな」
忠臣 /「誠」
まり子 \「誠さん」
誠「……オレ、恵比須でも大黒でも何でもいいからさ、なるべく目立たないので……うしろでやらしてくれよね」
まり子「誠さん、出てくれるの!」
誠「しょうがないだろ。六福神じゃカッコがつかないもの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]クスリをのむ誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(うれしいくせに)おい誠、お前、歌詞間違えないでくれよ、え?」
誠「大丈夫だよ」
忠臣「あぶないと思ったら、掌《てのひら》にでも書いとけよ」
誠「大丈夫だよ。※[#歌記号、unicode303d] 青葉シゲちゃん昨日は……じゃないか」
忠臣「そりゃ替え歌の方ですよ。大丈夫かねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●十三時ショー[#「十三時ショー」はゴシック体]
[#1字下げ]永山チームの七福神が勢揃《せいぞろ》いしている。
[#1字下げ]司会の黒柳徹子サン、すでにして吹き出しておいでになる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
黒柳「ハイ、お次は……永山チューシンさんのグループでいらっしゃいますね」
忠臣「タダオミとよみます」
黒柳「永山忠臣さん……失礼致しました。それにしても七福神とはまあ、おめでたい……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]吹き出してしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「随分笑い上戸でいらっしゃるが司会の方は大丈夫ですかな」
黒柳「何とかつとめさせて頂きます。それで……皆様、なんですか、七福神関係のお仕事をしてらっしゃる」
忠臣「全然関係ございません」
黒柳「関係ない……フクジンヅケ」
忠臣「関係ございません」
京太郎「我々は海軍でございます」
黒柳「海軍のお仲間……そうですか」
忠臣「わたくし元巡洋艦『日高』の艦長をつとめておりまして、その折に、こちらにおります相馬中尉が」
誠「みじかくみじかく」
黒柳「まあ何ですか、うしろの毘沙門《びしやもん》さまがみじかくみじかくとおっしゃってますが……こちらもやはり海軍関係」
忠臣「いや、倅でございます」
黒柳「まあ、息子さんですか」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]小さなテレビをみている久米、土岡、ほか。
[#1字下げ]司会の黒柳サンが紹介している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
黒柳「それでは、昔の戦友が病床の小峰一等水兵におくる『大楠公』……うたっていただきましょう」
土岡「よおよお、待ってました」
久米「なかなか、よき眺《なが》めじゃないの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、拍手。
●十三時ショー[#「十三時ショー」はゴシック体]
[#1字下げ]七福神。
[#1字下げ]黒柳さん。
[#1字下げ]伴奏がはじまる。
[#1字下げ]スタジオ……拍手。
[#1字下げ]とたんに忠臣……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「しばらく! しばらくお待ちいただきたい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同びっくり、伴奏やむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「重大なことを忘れておりました。暫時《ざんじ》の御猶予《ごゆうよ》を……」
京太郎・源助「艦長」
静子「どうなすったんですか」
たつ「おしっこじゃないの、え? 永山さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]どっと笑うスタジオ内。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いや、実は、事前にうがいをするのを、忘れとりまして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、大黒のズダ袋から、マホウビンを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「ちょっと、ガラガラペッをさせていただいて」
誠「お父さん! やめなよ!」
黒柳「まあ、最近の大黒さまは、中からジャーが出て参ります。あの、ちょっとお時間があれですので、どうかお早目に……」
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]大笑いの一同。
[#1字下げ]テレビの画面がやっと『大楠公』をうたい出す。とたんにカネがなる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「※[#歌記号、unicode303d] 青葉しげれる桜井の
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]里のわたりの……」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
黒柳「ご苦労さまでございました。まあ、お支度に時間がかかってしまいまして、お歌のほうがゆっくり伺えなくて本当に残念でしたわねえ。ホホホホホホ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]編集長もみんな笑っている。
●永山家・表[#「永山家・表」はゴシック体](夕方)
[#1字下げ]帰ってくる忠臣。まり子、誠、三人ともぐったりと、くたびれている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「あーあ」
忠臣「まあ、くたびれたことはくたびれたが、それで一人の病人が生きる希望をもてたと思えば、ねえ」
まり子「そうですよ」
忠臣「それにしても、もっとうたいたかったねえ」
誠「うがいなんかするからだよ」
忠臣「いや、そういうけどね、わたしの、ガラガラペッてのは、小峰一水にはなつかしい筈《はず》だよ。わたしはいつも、小峰にうがいぐすり作らせて、やっとったからねえ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]門から入ってゆく三人。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「あ、手紙がきてるんじゃないの」
まり子「あたくし、とりますから」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、取り出す。
[#1字下げ]ハッとする。黒枠《くろわく》の中に小峰の文字。
[#1字下げ]まり子、そっとしまう。
[#1字下げ]チラリと、忠臣の目が泳いだような。
●台所[#「台所」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]夕食の支度のまり子が、誠に葉書をみせている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「小峰……それじゃあ、見せたい相手は亡《な》くなってたのか……」
まり子「お父さん(どうする?)」
誠「せっかく、いい気分で帰ってきたんだ。今晩一晩はこのままにしておいてやろうよ……」
まり子「そうね」
誠「あしたの朝、オレからいうよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣が淡々と歌う「大楠公」が流れてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] このひとふりはいにし年
[#2字下げ]君の賜《たま》いしものなるぞ
[#2字下げ]この世の別れのかたみにと」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠の手の黒枠の葉書。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣に酒をつぐ誠。忠臣、誠とまり子につぐ。忠臣、妙に静かである。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしたんだよ。くたびれたんだろ」
忠臣「(ポツンと)わがままいって、すまなかったな」
誠・まり子「……お父さん……」
忠臣「たとえ間に合わなくても……供養《くよう》にはなったろうよ」
誠・まり子「……お父さん……」
まり子「どしてお父さん、そのこと……」
忠臣「お前たちの素振りで判ったさ」
誠・まり子「………」
忠臣「……いつ、だったんだい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、しかたなく葉書を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「四日前か……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、じっと見入る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「小峰の奴も、息子が二人いるっていってたから、きっと、どっちか一人ぐらいは、気|利《き》かして、今日のテレビの前にお骨を置いて見せてくれたろうよ……」
誠「(だまってのむ)」
忠臣「考えてみりゃ戦後三十年|経《た》ってるんだ。『日高』の生き残りも、一人欠け二人欠けして……減ってゆく年になったんだねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、父についでやる。
[#1字下げ]沈んでいる父を引き立てるように……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「……何人生き残ってるか知らないけどねえ。お父さんぐらいしあわせな人間はいないんじゃないかなあ」
忠臣「そうかねえ」
誠「この忙しいのに七福神の格好してさ、一緒に恥かいてくれる人間が六人もいるなんて、最高のしあわせだよ」
忠臣「シブシブだったじゃないか」
誠「シブシブだってさ、しあわせだよ」
まり子「そうですよ、お父さん」
忠臣「七福神じゃないけど、やっぱり、あたしに福があるんじゃないかしら」
誠「ほら、すぐそやってうぬぼれる」
忠臣「……しかしなあ、小峰の奴が死んでると知ってたら……四番を歌ってやりたかったねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]しみじみ歌い出す忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「※[#歌記号、unicode303d] 共に見送り見かえりて
[#ここで字下げ終わり]
[#2字下げ]別れを惜しむ折からに
[#2字下げ]またも降りくる五月雨《さみだれ》の
[#2字下げ]空に聞ゆるほととぎす
[#2字下げ]誰か哀れと聞かざらん
[#2字下げ]あわれ血に泣くその声を」
[#1字下げ]父に酒をつぐ誠。
[#改ページ]
30
[#改ページ]
●永山家・若夫婦の部屋[#「永山家・若夫婦の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]うとうとしていたまり子、目を覚す。
[#1字下げ]そばにいた誠がいない。スタンドの光の中で、ちょうど起きて部屋を出てゆく誠がみえる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、誠さん、おトイレ?」
誠「うん」
まり子「廊下の電気、まだ直してないから……足許《あしもと》、気をつけて」
誠「大丈夫だよ。生れたときから住んでるうちだからね、真暗闇《まつくらやみ》だって……(大あくび)平気だよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人とも、寝ぼけた夜中の声。パジャマの誠、ノソノソ出てゆく。
●廊下[#「廊下」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]真暗の廊下、パジャマをたくしあげて腹などポリポリ掻《か》きながら、誠がくる。まだ目があいていない。
[#1字下げ]忠臣の部屋の明りが洩《も》れているのに気づいて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、電気つけっぱなしで寝ちゃ駄目《だめ》じゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら来かけて何かに蹴《け》つまずく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ウワアッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]つまずいたのは火鉢《ひばち》。
[#1字下げ]その上に段ボールの空箱やガラクタがやたらに積み上げてあるのが誠の頭上にドサドサッと落ちてくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「アイタタタ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガラクタの中にオルゴールが入っていたらしい。転がってフタが開いて、ひどく明るくのんびりした曲が鳴りはじめる。襖《ふすま》があいて忠臣が顔を出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「どうしたの?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]向うずねを打って、痛さに声も出ない誠。さすりながら、うなっている。
[#1字下げ]あわてて駆けおりてきたまり子、びっくりして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さん、あッ! 一体どうしたんですか」
誠「お父さん! ああ、痛え……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、腹立ちまぎれに、鳴っているオルゴールのフタをしめて止める。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](深夜)
[#1字下げ]足をさすりながら中へ入った誠とまり子、びっくりする。
[#1字下げ]部屋はまるで引越し前夜のように、荷物がまとめられている。押し入れも開かれているがカラッポだし、仏壇も亡妻の写真のみで、あとは荷作りが済んでいる。
[#1字下げ]誠殿、勇殿などと大書した箱。碁盤も縄《なわ》でくくられて、とにかく、いつも通りなのは積み上げた布団《ふとん》だけといった有様。
[#1字下げ]忠臣、鉢巻をして細引をもてあそんでいる。
[#1字下げ]まり子はびっくりして、言葉もなく、キョロキョロしている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、一体どういうつもりなんだよ」
忠臣「……(無言)」
誠「酔狂な真似《まね》はやめてくれよ。そりゃね。年寄りだからさ、夜中に目覚めることもあるかも知れないけどさ、何も夜の夜中に片づけものするこたァないだろ!」
忠臣「……そうはいかないんだよ」
誠「どうして!」
まり子「片づけものなら、昼間あたしがお手伝いするのに」
忠臣「いそがないとね、時間がないんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]今夜の忠臣はいつもとは違う。声も低く、動作も妙に静かである。沈んでいるというより、悟り切ったと言おうかすべて諦《あきら》めて覚悟の上で淡々と振舞っている(正確には見せて[#「見せて」に傍点]いる)。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「時間がない……どういう意味だよ」
忠臣「(黙って荷作り)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠とまり子、顔を見合せる。置時計の音がいやにハッキリ聞える。針は二時半を指している。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、時間がないって……ハハ、ハハハ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、不吉な予感を打ち消すようにわざとオーバーに笑い出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん……何かっていうとね、すぐお迎えがくるとか母さんのとこへゆきたいなんて言うけどね、無理だよ、そりゃ」
まり子「そうですよ、この中で一番丈夫なのはお父さんじゃないの」
誠「そうだよ。一緒のもの食ってさ、オレとまり子さんは腹の具合がおかしくなっても、お父さん、平気だったじゃないか。風邪だってひかないしさ……あと五年や十年、今のまんまピンピンしていられるって!」
まり子「ですからね、こんな、誠殿なんてマネは(やめて下さいよ)」
忠臣「……(静かに)誰《だれ》も死ぬなんて言っとりはしません……」
誠「じゃあ、なんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、鉢巻を取って荷物の間にキチンと正座する。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「二人には、世話になったねえ……」
誠・まり子「お父さん……」
忠臣「……どうして、今まで気がつかなかったのかねえ。年をとって、世の中のことが判《わか》ってるつもりでいたが……ハハ、うぬぼれていたんだねえ。いや、長いこと迷惑をかけてすまなかった。許しておくれ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手をついて頭をさげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠  )「お父さん、ちゃんと言ってくれよ」
まり子  「ねえ、どうなすったんですか」
忠臣「……わたしはね、このうちを出てゆきます」
誠「出てゆく……」
まり子「出てどこいらっしゃるんです!」
忠臣「……(小さく呟《つぶや》く)」
誠「お父さん!」
忠臣「老人ホームに入るよ」
誠・まり子「お父さん!」
忠臣「(わざと落着いて笑いながら)二人とも何時だと思ってるんだ。うむ? 他人様《ひとさま》はねむっておいでの時間じゃないか。高声《たかごえ》立てなさんな」
誠「だってお父さん、やぶから棒に老人ホームなんて」
まり子「どしてあたしたちにひとこと」
忠臣「フフフフ」
誠「ね、どこの老人ホームなんだよ」
忠臣「もうおそい。ねておくれ」
誠「お父さん、ハナシ、ちゃんとしてくれよ」
忠臣「もう決めたことだから、いいんだよ(わざと静かに)」
誠「お父さんそれじゃ済まないよ。兄さん、このこと……知ってんの?」
忠臣「(首を振る)」
誠「それじゃあ、日高や石川の」
忠臣「(首をふる)わたしの一存で決めたことだよ」
まり子「お父さん……」
忠臣「おやすみなさい」
誠「……よし。あしたの晩、みんなに集ってもらうよ、そこでキチンと話し合おうじゃないか。ねえ、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、返事の代りにオルゴールのフタをあける。さっきの明るいのんびりしたメロディーが夜の部屋にひびく。
[#1字下げ]誠、やり切れない。
[#1字下げ]ひったくって、フタをしめて曲を止める。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]誠とまり子の二人だけの朝食。
[#1字下げ]忠臣の席は、用意だけで本人はいない。
[#1字下げ]誠、ポソポソとかきこんでいる。まり子は、よそったごはんを前に箸《はし》を取るのだが少し胸がむかつくらしい。
[#1字下げ]生つばをのみこんで、少し迷ったあげく箸を置く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どしたの?」
まり子「声掛けたんだけど、先食べてくれって。もう荷作りに夢中……」
誠「お父さんもだけどさ……(あごをしゃくる)」
まり子「ああ、あたし……何だか……ここんとこが一杯で……」
誠「君が心配することないよ。今晩にはみんな集って相談するんだから、くよくよしないで……食べるものちゃんと食べなきゃダメだよ」
まり子「ハイ……」
誠「おやじときたら、突然つまんないこと言い出して心配かけるんだから……」
まり子「ね、今晩……何かつくらなきゃいけないでしょうねえ」
誠「メシ食いにくるわけじゃないんだから……手のかからないものでいいよ、立ったりすわったりしないでさ。君もハナシに加われるように……すしかなんかでいいじゃないか」
まり子「そうね……それにしてもお父さん、一体どうしたっていうんでしょうねえ」
誠「うん」
まり子「……お代り……」
誠「いいや」
まり子「人のこといって……自分だって……」
誠「……今日一日、気をつけた方がいいなあ」
まり子「気をつけるって……」
誠「時々新聞に出てるじゃない? 敬老の日なんかにさ、世をはかなんで……(まり子を見る)」
まり子「……誠さん……」
誠「大丈夫だと思うけど、目放さない方がいいな」
まり子「……(うなずく)」
誠「ああやって荷物も片づけちまったし……フッとさびしくなって、おふくろの写真抱いて……」
まり子「……よしてよ、誠さん!」
誠「………」
まり子「誠さん、今日一日、会社休むってわけには」
誠「いかないよ、そんな……」
まり子「……あたし、一人じゃ心細くて……(小さく)ふみ江おばさんか……誰かにきて貰《もら》おう」
誠「それにしても、どこの老人ホームに入るつもりかな。タダってわけにもいかないだろうに、手続きのことなんか、これっぽちも言ってないってのが、不思議だよなあ」
まり子「……ね、老人ホーム入るっての、嘘《うそ》じゃないかしら」
誠「嘘?」
まり子「もしかしたら、お父さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ハッとなるまり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠を蹴とばすようにして飛び出してゆく。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](朝)
[#1字下げ]部屋中が引っくりかえっている。ガラクタに囲まれて至極楽しそうに古着の整理をしている忠臣。
[#1字下げ]とびこむまり子、つづいて誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「お父さん!」
忠臣「あ、まり子さん、どしたの」
まり子「ああよかった! え? いえ……(うしろの誠に)大丈夫だった」
忠臣「夫婦で何をあわてとるんだ。そうだ、おい、誠。これ、お前にどうかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]恐ろしく旧式のフロックコートなど、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「いらないよ、そんなの」
忠臣「『物』はいいんだけどねえ、毛皮つけてまり子さんのオーバーにならないかしら」
誠「そんなことよかねえ、お父さん、ゆうべのハナシ」
忠臣「『せくな急ぐな天下のことは』どうせ今晩、皆さん集ってくれるんだろ? その時にまとめて話をしようじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、わざと悠々《ゆうゆう》と二人をいなして、また旧式の古着をつまみあげる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「これはどうだ? うん? お前がいやなら、勇に廻《まわ》すぞ」
まり子「……(誠に小さく)今日一日、目を放さないようにするわ……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずく誠。
●喫茶店「ビーワン」[#「喫茶店「ビーワン」」はゴシック体]
[#1字下げ]勇と誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「何か心当りはないのか」
誠「なんだよ」
勇「だから、おやじさんが、うちにいるのいやになるようなさ」
誠「ありゃね、こやって兄さん呼び出したりしないよ。そりゃ、小競《こぜ》り合いはしょっちゅうやってるよ。でもさ、一晩寝りゃ、おたがいに何言ったって忘れるってくらいのもんだしさ」
勇「まあ、そんなとこだろうなあ」
誠「いくら考えても、サッパリ見当がつかないんだよ」
勇「それで、ワケは言わずじゃあなあ」
誠「今晩、みんなの前で話す……これ一点張りなんだよ」
勇「……見せつけたんじゃないのか」
誠「なにを」
勇「新婚のさ、甘いとこ」
誠「兄さん……」
勇「よくあるだろ? 若夫婦とひとつ家にいて、年寄りが一人ポツンと取り残されて……生きるのいやになってくってやつさ」
誠「なに言ってんだよ」
勇「……最悪の場合な。オレ、一緒に暮すよ」
誠「おやじさんと? 兄さんが? でもさ、おやじさんと義姉《ねえ》さん……」
勇「折り合いもへったくれもないよ」
誠「でもねえ、おやじさん、マンションは息がつまるって。泊りにいったって、いつも一晩で帰ってくるじゃないか」
勇「だからさ……オレが、あの家へもどるんだよ」
誠「え?」
勇「お前にマンション、貸してやるよ」
誠「こっちは構わないけど、義姉さん、何ていうかな」
勇「ま、ウンとはいわないな」
誠「(うなずく)」
勇「でもな、おやじさんに変なまねされてさ、新聞ダネにでもなってみろよ。オレも一番大事な時期だし……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]二人、ため息と共に、たばこに火をつけあう。
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]ふみ江が来て、茶をのんでいる。忠臣、まり子。
[#1字下げ]ふみ江はまり子に言われたらしく、コチコチに固くなって、当りさわりのない話題を探そうと目を白黒させている。
[#1字下げ]忠臣は、落ちつき払って茶をのむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「……い」
忠臣「?」
ふみ江「い」
忠臣・まり子「?」
ふみ江「(咳《せき》をして、声をととのえ)い、いい陽気に」
忠臣「ああ、いい陽気……」
ふみ江「……なりましたねえ」
忠臣「なりましたねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江、あとがつづかない。
[#1字下げ](間)
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「……(庭を見て)ほ、ほ、本当に……いい陽気になりましたよ」
忠臣「いい陽気ですねえ」
ふみ江「は、は、花は咲くし、鳥は鳴くし」
忠臣「鳥って、お宅の方、何か鳥がきますかな」
ふみ江「い、いえ、別に……スズメとカラスぐらいですけど」
忠臣「ああ、スズメとカラス」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、おかしくなる。笑いをこらえて茶をつぐ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「……すみません」
忠臣「いえいえ、どういたしまして」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ](間)
[#1字下げ]ふみ江、咳払いして、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「……これから一月二月《ひとつきふたつき》が、一年中で一番いい陽気でしょうねえ」
まり子「暑からず寒からず……」
忠臣「たしかにいい陽気ですけどねえ。この時季というのは、どうも家出とか」
ふみ江・まり子「………」
忠臣「世をはかなんで……あの世へ引越しをする、なんて人間も多いんですねえ」
ふみ江「はあ……」
まり子「(お父さん)」
忠臣「ところで徳さん……ご主人はお元気ですかな」
ふみ江「はあ、おかげさまで……」
忠臣「そりゃそりゃ。あの人も、そういっちゃなんだが、わたしと同じでね、悪い男じゃないがはた迷惑な人間です。今から心掛けて『終り』を考えておかないといかんなあ」
ふみ江・まり子「終りを考える……(ギクッとする)」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、ドギマギしているふみ江を見て、静かに茶を飲み干す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「わたしは片付けものがあるんで、これで……どうかごゆっくり」
ふみ江「ハッ!(オタオタして)いってらっしゃいまし!」
まり子「おばさん」
ふみ江「あらやだ、あたし……どうかしてるよ」
忠臣「ハハ、ハハハハ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手で、そのまま、そのまま、と制しながら出てゆく忠臣。
[#1字下げ]後姿を見送ってガックリするふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ふみ江「ごめんなさいよ、まり子さん。『自殺』だの『家出』なんて言葉使わないようにしてって、あんなに言われてたのにさ……年甲斐《としがい》もなく、どしてこうオッチョコチョイなんだろ」
まり子「いいのよ、おばさん」
ふみ江「……(忠臣の部屋の方をうかがって)……大丈夫かねえ」
まり子「すぐ覗《のぞ》くってのもなんだから……少したったら」
ふみ江「お茶でも、もってくふりして」
まり子「(うなずく)」
ふみ江「それにしても永山さん、一体どうしたんだろうねえ。ご長男はともかくさ、誠さんて、いい息子がいるのに……まり子さんだって本当によく尽したしさ」
まり子「……足りなかったのかなあ……」
ふみ江「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]茶をのむ二人。
[#1字下げ]縁側にサッカーのボールがころがってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あら?」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ボールはコロコロと縁の下へ落ちる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「誠さんの……サッカーのボール、どこからころがってきたのかしら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、庭へおりてひろいながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「あ、つつじのつぼみがふくらんでる」
ふみ江「どらどら」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ふみ江も下におりる。
[#1字下げ]そのすきに忠臣が足音も立てずに通りすぎる。いつの間に着がえたのか、外出姿である。
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]久米と土岡、内山と秋子たちに、みやげの菓子を披露《ひろう》して挨拶《あいさつ》している忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「あ、こりゃうまそうな草大福だなあ」
久米「それにしても、どうも判りませんなあ。え? 『お別れの挨拶に伺いました』というのは一体……」
土岡「外国旅行にでもいかれるんですか」
忠臣「いやいや、そんな楽しいとこじゃありませんです。いうなれば『旅路の果て』という……」
久米「まあ、おかけ下さい」
忠臣「いやいや。お忙しいのにおじゃまをしてはいけません。まあご挨拶抜きで出かけようとも思ったんですが、今後とも倅《せがれ》がお世話になることでもあるし……やはりお目にかかって、今生《こんじよう》のお別れを申し上げるのが礼儀だろう……かように考えまして……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]秋子、茶をつぎながら内山に言う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
秋子「どういう意味やろ? 判る?」
内山「サッパリ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]首をひねる土岡と久米。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「ということは……やっぱりどっかお出掛けになるってことですか」
忠臣「倅は何も申しませんでしたか」
久米「……何にも」
忠臣「まあ『長い草鞋《わらじ》』と申しますか」
土岡「『長い草鞋』ヤクザ映画だなあ」
久米「……お帰りはいつ頃」
忠臣「さあ、帰ることはありますまい」
久米「お父上……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いかけるのを制して、内山のカメラに目をとめる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「失礼だが、君……写真の方の……」
内山「はあ……」
忠臣「記念に一枚、撮《うつ》していただけないかなあ。この五、六年、写真というものをうつしてもらうなんてこともないもんで、黒枠用も」
久米・土岡「黒枠?……」
忠臣「いやいや。これは口がすべった……ハハ、そうだ、みんな一緒に記念撮影といきましょう」
久米「記念撮影……ですか」
土岡「いいですけどねえ。お父さん、一体どうなすったんです。おかしいですよ」
忠臣「いや、おかしくありません。あ、そこのお嬢さん、となりにいらっしゃい」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんな、変な顔をしながら忠臣を中心にしてならぶ。
●「女性時代」編集部・廊下[#「「女性時代」編集部・廊下」はゴシック体]
[#1字下げ]誠がくる。
[#1字下げ]「女性時代・編集部」のドアをあけたとたん、パッとフラッシュ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「ウワッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、もう一度びっくりする。
[#1字下げ]ならんでいる中央にいるのは忠臣。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! こんなとこで何してんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]電話のベル。
[#1字下げ]土岡がとる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
土岡「『女性時代』……あ、まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]オタオタしてまり子が電話している。
[#1字下げ]そばでこれもオロオロのふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「主人お願いします! 主人! モシモシ! 誠さん、いないのよ。ちょっとのスキに、お父さん家出しちゃったのよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]誠。うしろに忠臣、以下全員。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「家出? なに言ってんだよ。お父さん、こっちにきてるよ!」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]えッ? となるまり子。ふみ江。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「え? お父さん、編集部へいってるの? ああ……(ほっとしてぐったりしてしまう)」
[#ここで字下げ終わり]
●「女性時代」編集部[#「「女性時代」編集部」はゴシック体]
[#1字下げ]電話を切って、カッとする誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、どして、黙って出てきたんだよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、久米のデスクの黄色いチューリップの匂《にお》いをかぎながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「いいねえ、春は」
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]軽く突きとばす。
[#1字下げ]忠臣、よろけながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「皆さん、さようなら!」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]客が二、三人。さびしい店内、ロクさんはカウンター。
[#1字下げ]健太郎が、京太郎の上っぱりを着て手伝っている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「(客の注文を受けた感じで)ヘイ、ロクさん、イカ刺し一人前、一緒盛り一人前」
ロク「ヘイッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]健太郎、魚を作るロクさんの手許をみながら……。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
健太郎「そいで……おやじとおふくろさん、永山さんとこ……(行ったの)」
ロク「なんせ急すからね。旦那もおかみさんも、びっくりしちまって……」
健太郎「老人ホームねえ。まあ、普通の人が入るってのなら別におどろかないけどさ、永山さんだからなあ」
ロク「あの人は、そういうとこにいられる人ですかねえ」
健太郎「ウーン(サッパリ判らない)まず無理だと思うけどねえ」
[#ここで字下げ終わり]
●永山家・茶の間[#「永山家・茶の間」はゴシック体](夜)
誠、まり子、勇、悦子、京太郎、静子、源助、たつが目白押しに並んでいる。みんな黙っている。時計のセコンド。源助が咳払い。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「なにしてんだろうな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]立とうとするのをまり子、制して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「(廊下に向って呼ぶ)お父さん、皆さん、お揃いですよオ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ギイーと廊下をきしませて忠臣がゆっくりと入ってくる。和服姿。黙ってすわる。
[#1字下げ]一同、待ちかまえていたように一斉《いつせい》に叫ぶ。
「お父さん!」
一同(「艦長!」
「永山さん!」
[#1字下げ]忠臣、まあまあと制して、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「今夕は、お忙しいところを、私のために、お集りをいただき」
勇「前説はいいからさ。ねえ、お父さん、ちゃんと筋道立ててハナシをしてくれよ。一体、どして急に老人ホームに入るなんてこと(言いかける)」
忠臣「(静かに)先を急ぐな」
勇「………」
忠臣「それでなくたって、年寄りは先がみじかいんだ。ハナシぐらいゆっくりとしようじゃないか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同黙って顔を見合せる。忠臣、おもむろに座布団《ざぶとん》をはずしてキチンと坐り直し、一同を見廻して、畳に手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「長い間、いろいろと……有難《ありがと》う……」
[#ここで字下げ終わり]
「お父さん」
一同(「艦長」
「永山さん」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「自分でも判っていたんだよ。わたしという人間が、どんなに身勝手で、はた迷惑な人間か、ねえ。昔、上官だったという、かりそめの縁をタテにとって、おい相馬、おい石川……言いたい放題のわがままをいった……。よくぞガマンをしてくれた」
京太郎・源助「艦長!(言いかける)」
忠臣「言うな……なにもいうな。ハラの中じゃ手を合せていたんだ。それから……誠……お前たちにとっても……大変な父親だったなあ」
勇・誠「(お父さん……)」
忠臣「悦子さん、まり子さんも、よく辛抱してくれた。わたしは日本一の不出来な舅《しゆうと》だったと(思っとります)」
まり子・悦子「お父さん(言いかける)」
忠臣「(言わせない)しかしねえ、物には限度というものがある。わたしはね、このへんで、自分の人生にこう……線を引きたくなったんだよ」
一同「線を引く……」
忠臣「こやって……赤い線をスーと(マネ)このまま、わたしがここにおったんでは、みんなのためにならない。その時期にきている……そう思ったんだよ、わたしがいなければ、誠とまり子さんも、もっと伸び伸びと新婚生活をたのしめるだろうし」
誠「お父さん……」
忠臣「(言うな)……熟慮に熟慮を重ねた結果、このへんで諸君の前から姿を消そう。そう決心したんだ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同、口々に叫びかける。
[#1字下げ]たつ、前にとび出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「永山さん、きのうのことだったらね、この通り! この通りですからさ、気分直して下さいな」
忠臣「え?」
たつ「いま、みんなにごあいさつがあったのに、あたしにだけ何にもないとこみると、やっぱりそうなんでしょ」
忠臣「?」
源助「おい、お前(どしたんだよ)」
たつ「昼間からね、意地汚なく枡酒《ますざけ》のむから……あたし……つい……業《ごう》つくばりのゴクツブシって」
源助「そんなこと、いったのか! えッ!」
忠臣「売り言葉に買い言葉ですよ。あたしだって、トンガへいって角力《すもう》とりになれとかさ」
たつ「永山さん、すみませんでした(たたみに頭をすりつける)でも、あたしねえ、口じゃポンポンいうし、突きとばしたりもしたけど、おなかの中じゃあ、永山さんのこと……」
忠臣「おたつさん、いいのいいの」
たつ「本当よ、永山さん。あたしねえ、言っちゃなんだけど、永山さんのお葬式のときに、女で一番泣くのはアタシだって……」
静子「あら、奥さん……(不平)あたしだって」
たつ「年月が違うんですよ、年月が。後添えに入って二年だか三年てかたと、十何年のおつきあい、一緒にされちゃかなわないわねえ」
静子「奥さん、あたしねえ」
たつ「永山さん、本当ですよ。あたしね。今、こやってしゃべってたって、永山さんのお葬式のこと考えると……(鼻をすする)もう涙が……」
静子「(小さく)あたしだって……亡《な》くなった奥さまに似てるっていわれてごらんなさいよ。とても、ひとごとに思えないのよ。なにも一人だけ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]みんな、多少あきれて女二人のやりとりをきいている。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「よしなさい……」
忠臣「おたつさん、ありがとう、あんたの気持はね、判ってた。ポンポンしてる女ほど気持はやさしいぐらいのことは、ちゃんとね」
静子「……あの……永山さん、それじゃあ、あたしの……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]恐る恐るこんどは静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「は?」
京太郎「どしたの?」
静子「きのう……夕方、おみえになったとき……ロクさんもいたんですけどね、永山さん、ほろ酔いで、『奥さん、今何時かな』って腕時計のぞくフリしてあたしの手……」
京太郎「にぎったの!」
静子「……ちょっと、さわったんですよ。あたし、税金のことでイライラしてたもんだから……つい、ピシャッてやって……『永山さん、そろそろお孫さんのお出来になるお年でしょ!』って……」
たつ「十八や十九の小娘じゃあるまいし……思いやりのないことしたもんねえ」
忠臣「奥さん、そんなこと、気になすってらしたの?」
静子「永山さん、どうか、ご機嫌《きげん》直して下さいな。ね、あたしの不用意なひとことで」
忠臣「失礼ですが奥さん。永山忠臣、婦女子の一言で、男子の一生の進路を変えるほど卑小な男じゃありません」
一同「………」
忠臣「それに、あたしは、奥さんのそういうところも……好きだったねえ」
静子「………」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]こんどは京太郎と源助がモソモソする。
[#1字下げ]二人顔を見合せていたが、パッと同時に手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎・源助「艦長! 申しわけありません」
忠臣「うむ!」
京太郎「我々は、こないだの日曜日、艦長をおさそいしないで、嘘を言って……二人だけで釣《つ》りに出かけたんであります」
源助「さそわなくちゃ悪い、と思ったんですが、何しろウルサイから……」
京太郎「弁当つくってこい、みみずつけろ、それで釣った魚は、一番でっかいやつ持って帰っちまうんだもンなあ」
源助「クソ面白《おもしろ》くないから、たまにゃ二人だけでいこうってんで」
京太郎・源助「申しわけありません! 以後、つつしみますからどうか」
忠臣「(笑いながら)今更、何をいうか」
京太郎・源助「ヘ?」
忠臣「去年の早慶戦だって、二人でいってるじゃないか。先月の鶴見のストリップ……あ」
静子・たつ「ストリップ」
忠臣「あ、いや……とにかく、そんなことじゃないんだよ。もっと何というか、人間として本質的なというか奥の深い」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]勇、ポケットから封筒を出して、忠臣の前に……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「先月と今月の分……」
悦子「おくれてすみませんでした。お届けしなきゃって思いながら、ついつい物入りがつづいたりで……一日延ばしになっちゃって」
勇「それからさ、今月から……ね、これだけだけど(体のかげで指を三本出して)……なにしたから……」
悦子「昨今の物価高も判ってたんですけどねえ。こっちも、いっぱいいっぱいなもんだから」
勇「だからさ、ね、つまんない考え起さないで」
忠臣「そんなことじゃないって言ってるだろ」
悦子「お父さんも水臭いのよ。あたしに、もっとあれしろこれしろっていって下さりゃ、何だってするのよ。それ、お高いだの育ちがいいからって……毛嫌《けぎら》いなすって、まり子さんばっかり」
まり子「あら、お義姉さん、あたし、そんな……いけなかったのはあたしだと思うんです。気がつかないし、何も出来ないんで、お父さん、きっと……」
京太郎「艦長、ねえ、みんなもこういってるんですよ。ひとつ、今までの我々の到らないところは水に流して……ねえ、これからも、一緒にたのしくやってゆこうじゃないですか」
源助「本当。到らないところは改めますよ」
たつ・静子「永山さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]いきなり笑い出す誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一同「誠さん」
誠「そのくらいにしといたほうがいいんじゃないのかな」
一同「え?」
誠「オヤジさんの思うツボだっていうんですよ。ここで、悔い改める、なんていうと、ますますつけ上って……あのとき、ああ言ったじゃないか……あとで散々な目にあうの判ってんだ」
京太郎「それじゃあ……」
たつ「……今の(永山さんの)お芝居《しばい》だっていうの?」
誠「こっちは、ちょいちょいやられてますからね。お父さん、文句があるんならあるで、ちゃんと言いなよ。こんな、人さわがせな」
忠臣「誠、お前みたいな奴《やつ》をな、極楽トンボっていうんだぞ」
誠「え?」
忠臣「人の気も知らないで、のんきな奴だ。まあ、お前はそれがいいとこだがね」
誠「それじゃあ、お父さん」
忠臣「伊達《だて》や酔狂で荷作りが出来るか」
京太郎「それじゃあ、老人ホームにゆかれるってのは」
源助「本当なんですか」
忠臣「荷物もみんな整理した。つまらんもンだが、諸君への形見もみんな名前を記しておいてある。帰りにもっていってくれ」
一同「………」
誠「お父さん。老人ホーム老人ホームって、一体どこの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、聞えないフリで手をつく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「みんな、長い間本当にありがとう。わたしがいなくなっても、どうか体を大事に……末長くしあわせに……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣の声が涙でとぎれる。源助がハナをすする。京太郎がすすりあげる。たつ、静子も泣いてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
京太郎「艦長……どんなにお止めしても、もう……駄目なんでありますか」
忠臣「錨《いかり》を切って船出した船は、二度と岸へはもどれんのだ」
京太郎「(男泣き)ではせめて……何か……我々に出来ることは」
源助「艦長」
忠臣「(無言)」
源助「おねがいです。何か、何かあるでしょ?」
京太郎「艦長、我々に最後の御奉公をさせて下さい!」
源助「おねがいします」
勇「お父さん……何でもいってくれよ」
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、一同の目を順々に見る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「(ひかえ目に)真にうけてもいいのかな」
[#ここで字下げ終わり]
\「艦長!」
一同 |「永山さん!」
/「お父さん!」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「信じてもいいのかしら」
一同「当り前じゃないですか! 言って下さい! さあ早く」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、急に別人のように現金な顔になる。ホクホクしながら、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「それじゃあ、これをお願いしようかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]何やら立派な、パンフレットを出す。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠・勇「ライフ・ケア・ド・アタミ」
京太郎「豊かな老後のためのマンション……」
静子「永山さん、そこへ、お入りになるんですか」
源助「ずい分デラックスなとこじゃないの、千百五十万円!」
一同「千百五十万円!」
まり子「あら、これなんですか」
たつ「(ひったくる)勇、五百万円。誠、三百万円」
勇・誠「え!」
勇「(ひったくる)相馬京太郎、二百万円。石川源助、百五十万円」
誠「お父さん、これ、みんなに出させようってつもりなの」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]あきれかえって、ことばもない一同。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! 老人ホーム老人ホームって、みんなに金出させて入るつもりだったの!」
忠臣「……みんな、何でもしますっていったじゃないか」
勇「程度問題だよ」
悦子「そうですよ、こんな豪華なとこ」
勇「第一、オレに五百万も金あるわけないだろ」
誠「オレだって三百万なんてとてもとても」
京太郎「アタシだって二百万ありゃ、店改装してるよ」
たつ「うちがどして百五十万も出さなきゃなんないのよ」
忠臣「さっき言ったことと逆じゃないか、そういうのをね『食言《しよくげん》』というんだ」
誠「冗談じゃないよ、全く。あのね。お父さん……」
忠臣「まあ、あたしのハナシも聞いとくれよ。そりゃ一口に一千万ていやあ、安かァありませんよ。でもねえ、熱海の海を一望のもとに見下す山の上に建っているんだよ。設備のいい個室でさ、温泉は出る、冷暖房完備、ボタン一つで夜中だってお医者さんがきてくれる。三度の食事はちゃんと栄養士さんが」
たつ「月々のかかりはどうするんですよ!」
忠臣「そりゃ二人の息子がほうっておかんでしょう」
誠・勇「お父さん」
忠臣「娯楽設備も完備しててねえ、詩吟の会、俳句のグループ、釣りのサークル、もう……」
勇「お父さん、オレね、そういうのを決して贅沢《ぜいたく》だとは言わないよ。でもねえ、それは、今の日本の生活水準から言ったら上の部だよ」
京太郎・源助「そうですよ」
誠「それと……こういうとこへ入る人は、本人が……入る本人がだよ……若いときから真面目《まじめ》に働いた人だと思うんだよ。息子や人の金あてにして入るとこじゃないよ」
忠臣「アタシは資格がないというの」
誠「お父さん、さっきオレのこと極楽トンボだっていったけど、お父さんこそ極楽トンボじゃないか。戦争が終ってから、お父さん、本当に腰|据《す》えて働いたことあったかい」
勇「……そうだよ。人におだてられて変な会社つくってつぶしたり……お母さんが仕立てものの内職してたときだって、お父さん、晩酌《ばんしやく》欠かしたことなかったじゃないか」
忠臣「………」
まり子「あら……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]さっきの資金割り当ての紙の下にもう一枚。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「『面会予定表』」
たつ「第一日曜……勇夫婦。第二日曜、誠夫婦」
京太郎「第三日曜、相馬夫婦並びに石川夫婦。第四日曜、女性時代編集部一同など、若い人大歓迎」
たつ「まだ書いてあるわよ。相馬は三段重ね幕の内、石川はアルコール一切。冗談じゃないわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同更にあきれかえって、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「用意がいいっていうか厚かましいっていうか」
忠臣「なにもその通りしろとは誰《だれ》も言っとりゃせん。第一、金がなくて入れないのに、面会もクソもないじゃないか」
誠「お父さん! もうオレはあきれて物もいえないよ。夜中に荷物かたづけて老人ホームゆくって人びっくりさせといてさ、フタあけてみりゃ」
勇「そうだよ。五百万出せ、三百万出せ」
京太郎「艦長、ちいっと、おいたが過ぎるんじゃありませんか」
源助「我々、とってもここまではつきあえないなあ」
たつ「そうですよ、虫がよすぎるのよ!」
静子「ちょっとねえ……」
忠臣「あたしはね、どしても出してくれとは言っとりません。ただ頭の中でね、足し算をしたんじゃないか」
勇「だってお父さん、みんなが出すこと見越して申し込んだんだろ」
忠臣「………」
誠「ペテンじゃないか! えッ!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、スッと立ち上る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、逃げ出すんじゃないよ」
忠臣「はばかりですよ」
勇「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]手を振り切って出てゆく忠臣。
●廊下のすみ[#「廊下のすみ」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]忠臣、ふと立ちどまって、口惜しそうにコブシを柱にあてる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「もう一息ってとこまでこぎつけたのになあ……カア!」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]ぐったりしている一同。
[#1字下げ]京太郎と源助、同時に大きなため息、つられて女たちも。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
勇「(頭を下げる)何ともはや……お詫《わ》びのことばもありません」
誠「いや、オレ……いや、ぼくがいけないんすよ。よくたしかめてから皆さんに声かけりゃよかったんだ」
勇「そうだよ」
誠「そういうけどね、兄さんだって見てりゃ、そう思ったって……」
まり子「そうですよ。夜中に深刻な顔して片づけものして……『長いこと世話になったねえ』……っていわれりゃ……あたしだって……」
誠「いや、親のこと言いたくないすけどね、ここまでメチャメチャだとは思わなかったもんで……どうも」
源助「なにも誠さんが謝るこたァないすよ、ねえ」
たつ「そうですよ。一番ひどい目にあってるのはアンタたちじゃないの」
勇「それにしても、何だってまた老人ホームに」
京太郎「あたしもいま、そこンとこ考えてたんだけど……やっぱり……こっちもいけなかったんじゃないかなあ」
一同「?」
京太郎「(しみじみと)自分じゃ気がつかなくても、歳月ってやつはなれ[#「なれ」に傍点]を生むんですよ。気持は持ってても、ついゾンザイに扱ってしまうんだねえ」
源助「おたがいそれもあるんだろうけど、こっちは毎日の暮しに忙しくて、そこまでゆっくり考えない……」
京太郎「ひがみってもンもあるしなあ」
たつ「……やっぱり、あたしたちがいけなかったのかねえ」
源助「多少はあるかもしれないなあ」
静子「ここにいて楽しけりゃ、知らないとこ入りたいって気持にもならないわよねえ」
誠「そう言って頂くのは有難いですけどねえ」
勇「甘えだよ、そこから先は……」
京太郎「知らず知らずのうちに、艦長にさびしい思いをさせてたのかも知れないねえ」
勇「……長いな(トイレ)」
誠「形勢が悪いから、当分、出てこやしないよ」
勇「全くもう……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]とたんに縁側から声がかかる。ほろ酔いの徳造である。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
徳造「よお!」
まり子「お父ちゃん」
勇・誠「倉島さん」
徳造「にぎやかに集ってるじゃねえか」
誠「まあどうぞ。今時分、珍しいですね」
まり子「どうしたのよ、お父ちゃん」
徳造「あれ、永山忠臣、どしたい」
誠「それがねえ」
まり子「今ね(言いかける)(大さわぎ……)」
徳造「(上りながら)どしたい? ハナシ、決ったかい」
一同「ハナシ?」
徳造「熱海のマンションのハナシ……」
まり子「お父ちゃん、どしてそのこと……」
勇「倉島さん、知ってたんですか」
徳造「うん。パンフレット見してさ、どうだいいとこだろってね、さんざっぱら自慢してやがったよ。持つべきものは倅と戦友だって」
一同「………」
徳造「いや、オレはね、いかに孝行息子でも戦友でも、今日び、そこまで面倒は見切れねえだろっていったんだけどさ、忠臣の奴、こうなったら一六勝負《いちろくしようぶ》だ! なんてね、みんなのツラじゃあ、これ(金)はダメだったらしいな」
誠「一六勝負はいいんすけどね、どうしてそういう気持になったのか」
勇「倉島さん、何か聞いてませんか」
徳造「うむ……忠臣の気持ねえ」
まり子「お父ちゃん、何か聞いてんでしょ?」
徳造「(ポツンと)飽きたんじゃねえのかな」
一同「飽きた」
徳造「みんなの親切だの、海軍のコレ(敬礼)とかさ……毎日ずうっと同じことやってきたからさ……忠臣……飽きちまったんじゃねえのかな」
一同「………」
徳造「新しいとこゆきゃ……忠臣の気性だ。ハナシはうめえし、けっこう人気者になれら。死ぬまでにもういっぺんそういう思いしてえ。そう思ったんじゃねえのかな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ガタンという音がする。
[#1字下げ]誠、ハッとする。
[#1字下げ]まり子、目で答えて立って見にゆく。
[#1字下げ]みんな黙っている。
[#1字下げ]まり子がもどってくる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どした、お父さん」
まり子「布団かぶってねてる……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]一同大きなため息。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「『飽きた』か……」
勇「いい気なもんだなあ」
まり子「……お父ちゃんもペラペラペラペラ言わなくてもいいことを」
徳造「え? そうか……(フラフラしながら)あれ、まり子、お前、やつれたな。どしたんだ。アンバイでも悪いのか」
まり子「ううん……別に……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、立って台所へゆく。
[#1字下げ]静子とたつそれぞれに目を泳がせてまり子の横顔をうかがう。
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]流しに向って立っているまり子。少し気分が悪いらしい。胃のあたりをさすっている。
[#1字下げ]うしろから静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
静子「まり子さん、あなた……もしかしたら」
まり子「……(ふり向いて、はにかんだ微笑)あしたあたり病院へいってみようと思ってるんです」
静子「早いほうがいいわよ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]入ってくるたつ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
たつ「まり子さん、あんた、ひょっとして」
静子「あ、そのハナシならアタシ……」
たつ「言っちゃったの? ううん、あたし、言いたかったのに……」
静子「……まり子さん。いいお知らせだったら……一刻も早く永山さんに言ってあげなさいよ」
たつ「奥さん! そのくらい、アタシに言わせたっていいでしょ!」
[#ここで字下げ終わり]
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体](夜)
[#1字下げ]布団の中に、みの虫のようにくるまっているらしい忠臣。手が出て枕《まくら》もとの亡妻の写真をひっぱりこむ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「母さん、作戦は失敗したよ」
[#ここで字下げ終わり]
●「日高」の店[#「「日高」の店」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]カウンターにウイスキーを運びこんでいる源助。
[#1字下げ]京太郎と静子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
源助「艦長、大丈夫すかねえ」
京太郎「こっちも気になってね。ひる前に電話したんだけどね……」
静子「朝ごはんはちゃんと上ったそうですよ。ひとことも口はお利《き》きにならないそうですけど」
源助「まあ、あれだけのことやりゃ、いかに艦長とはいえど、きまり悪いでしょうよ」
京太郎「いや、久しぶりにもめたねえ」
源助「それにしても、これ(敬礼)に『飽きた』とはねえ。言ってくれるじゃないすか」
静子「本心ですかねえ」
京太郎「半分は……本心だろうよ」
源助「半分……」
京太郎「あとの半分は……なんていうのかねえ。あたしにもよく判んないけど……」
静子・源助「?」
京太郎「みんながどれくらい自分のこと思ってくれてるのか、試したくなって……」
静子・源助「(うなずく)」
京太郎「年とると……ああやって、みんなにムキになって怒られるってことも……楽しみというかしあわせのひとつなのかもしれないねえ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]うなずく二人……。
●永山家・縁側[#「永山家・縁側」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]ポツンと坐《すわ》って、放心している忠臣。
[#1字下げ]その目はどこも見ていない。
[#1字下げ]おもてを子供達がはしゃいで駆け通るが、忠臣の表情はピクリとも動かない。
[#1字下げ]少しかがんだ背中は、まさしく「老い」そのものである。
[#1字下げ]玄関の戸があく。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「ただいまァ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]放心している忠臣には聞えないらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠(声)「ただいまァ……まり子さん! まり子さん」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]言いながら入ってくる誠。縁側にすわっている忠臣にびっくりする。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「こんなとこで、何してんだよ」
忠臣「え? ああ、誠か……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ちょっと空を見上げて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「もうそんな時間か」
誠「まだ、二時だけどさ……イラストたのんでるとこが、この近所なんだよ。コーヒーのんで待ってても金がかかるからね、うちで……あ、まり子さんは」
忠臣「お使いだろ、どっこいしょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]ゆきかける忠臣を呼びとめる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん、ちょっと」
忠臣「?」
誠「そこすわってくれよ」
忠臣「………」
誠「まり子さん、いないから言っとくけどね、きのうみたいなまね、二度としないでくれよな(強く言う)」
忠臣「………」
誠「お父さん、文句いったらバチが当るよ! そうだろ。オレだってベストつくしてるしさ、まり子さんだって、日高や石川のオジサンたちだって、みんなお父さんのために」
忠臣「……だから、有難がって、じっとしてろっていうのか」
誠「……まあ、そういう」
忠臣「お前のいうことはそれだけか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、プイと立って行ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! なんだよ全く!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、上衣《うわぎ》をぬいで叩きつけるようにおく。ネクタイをゆるめてゴロリと横になる。
●縁側[#「縁側」はゴシック体](午後)
[#1字下げ]雲水が立っている……忠臣である。
[#1字下げ]饅頭笠《まんじゆうがさ》に墨染めの衣。座布団を枕にごろ寝をしていた誠、目をさます。
[#1字下げ]のぞきこんでいる異様な姿に一瞬ハッとするが、夢を見たと思ったのだろう、一旦《いつたん》、目を閉じるが、またパッと目をあけてはね起きる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
忠臣「……達者で暮せよ」
誠「お父さん、何だよ、そのかっこは」
忠臣「見りゃ判るだろ。雲水ですよ」
誠「ウンスイ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]玄関の方へスタスタゆく忠臣を追って誠も出てゆく。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]草鞋《わらじ》をはいている忠臣。うしろで誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「どこゆくんだよ」
忠臣「雲水という字の通り。行く雲、流れる水の如《ごと》く、ゆくえ定めぬ旅ですよ」
誠「お父さん!」
忠臣「まり子には挨拶《あいさつ》をしないでゆくが、夫婦仲よく」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、カッとしてしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「判ったよ。お父さんも元気でね、せいぜい人に迷惑かけないようにやンなよ」
忠臣「え?(びっくりしてしまう)」
誠「止めると思ったんだろ! ゆくな、うちにいてくれって止めると思っただろ! ハハ。そう思ったら大間違いだからね。オレはね、お父さんのそういう甘ったれたとこが大きらいなんだよ。とめてくれるだろうと思って、人の顔見い見いやってるってのが」
忠臣「バカモノ! とめたって、とめたって、こんな家にいられるか! 年寄りの気持の判んない奴《やつ》と一緒に暮すくらいなら、橋のたもとで物乞《ものご》いする方がよっぽど幸せだよ」
誠「そう思ったらそうすりゃいいじゃないか」
忠臣「長いこと世話になってすまなかったな」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、とび出してゆく。
[#1字下げ]誠、チラリと迷うが、黙って立っている。
[#1字下げ]バシャンと閉めて、少し開いた戸の間から、門を出てゆく父のうしろ姿が見える。
[#1字下げ]とめたい。しかし、投げつけた言葉の手前、ゆけない。
[#1字下げ]じっと立っている。ピシャンと閉めて中へ入ってゆく。
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]すわる誠。忠臣の湯のみ。
[#1字下げ]立って出てゆく。
●忠臣の部屋[#「忠臣の部屋」はゴシック体]
[#1字下げ]荷作りはそのままになって散らかっている。
[#1字下げ]誠、ふとそばのオルゴールに手をふれる。無意識にあける。昨夜ののどかな明るいメロディーが聞える。
[#1字下げ]誠、急に走り出てゆく。
[#1字下げ]鳴り続けるオルゴール。
●玄関[#「玄関」はゴシック体]
[#1字下げ]裸足《はだし》でとび出す誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●門[#「門」はゴシック体]
[#1字下げ]とび出してくる誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]向うから並んで帰ってくる女子高校生三人をぶっとばして、どなりながらかけてゆく誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん! お父さん! お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
●台所[#「台所」はゴシック体]
[#1字下げ]勝手口から、悄然《しようぜん》と帰ってくる誠。
[#1字下げ]上りかけて、汚ない足に気がつき、雑巾《ぞうきん》を探しかけてアッとなる。
[#1字下げ]雲水姿の忠臣が、水道を出しっぱなしにして水をのんでいる。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「お父さん!」
忠臣「(さすがにバツが悪い)カ、母さんの写真、忘れたから取りにかえったんじゃないか。水のんだらすぐゆくよ」
誠「お父さん!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、いきなり飛び上って、忠臣をひっつかまえ、メチャメチャにブン殴る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「バッカヤロ! バッカヤロ!」
忠臣「あ、いた! おい! いたいじゃないか、よせよ」
誠「いたくたっていいんだ! バッカヤロ!」
忠臣「おい、よせ……親に向って」
誠「親なら親らしくしろよ。人に、こんなに心配かけて」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]半泣きでブン殴る誠。その手を抑えるのは、まり子。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……あっちへゆきましょ」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、忠臣を押すようにして茶の間へ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「まり子さん……」
[#ここで字下げ終わり]
●茶の間[#「茶の間」はゴシック体]
[#1字下げ]まり子に強引にすわらされる忠臣。そして誠。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
まり子「……お父さん。どこかお出掛けみたいですけど、当分うちにいて下さらないと困りますからね」
忠臣「え?」
まり子「これからは色々と用も増えるし、お父さんにも手伝っていただかないと……」
忠臣「え?」
まり子「……『子守り』なんかもしていただきたいし……」
忠臣「子守り!」
誠 /「う、うまれるの!」
忠臣\「出来たのか!」
まり子「(うなずく)」
誠「生れるか!」
忠臣「いつ、いつなの!」
まり子「……十一月」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子、忠臣の笠をはずす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「初孫か……永山家に後継ぎが出来るのか……」
誠「……(感動)」
忠臣「フフフフ。(笑ってしまう)成程ねえ。一人の人間が年老いてもう生きることに飽きる頃《ころ》になると、次の命が芽ばえてくるんだねえ」
まり子「お父さん、孫と遊べば飽きないんじゃないですか」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]忠臣、うなずく。
[#1字下げ]それから、少しもじもじして、誠の顔を見ないで小さな声でいう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「もう少し……」
誠「え?」
忠臣「もう少し……生きても、いいかなあ」
誠「お父さん……」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]誠、哀れさといとしさで胸がいっぱいになる。
[#1字下げ]抱きしめる代りにブン殴ってしまう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
誠「バカなこというもんじゃないよ。孫が生れたらさ、一緒に凧《たこ》あげたり、酒のむこと教えてやるっていってたろ! どしてそんなこと」
忠臣「あいた! 何かっていやあ、お前はぶつなあ」
誠「あたり前だよ、バカなこといったら、いつだってこやって(またぶって)ブン殴るからね!」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]まり子がウイスキーを出す。二つのグラスに……
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「まり子さん、ありがとう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]それから、誠のグラスに乱暴にぶつけて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「おめでとう」
誠「……(口の中で)ありがとう」
[#ここで字下げ終わり]
[#1字下げ]胸を熱くして見ているまり子。
[#1字下げ]忠臣、ひと口のんでハナをすする。
[#1字下げ]まだ涙の残った目で笑いながら……うたうように呟《つぶや》く。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
忠臣「めでたやな、めでたやな」
[#ここで字下げ終わり]
この作品は平成三年二月新潮文庫版(前篇・後篇)が刊行された。