タツモリ家の食卓3
対エイリアン部隊
著者 古橋秀之/イラスト 前嶋重機
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)甲冑《かっちゅう》少女
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|匂いつけ《マーキング》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)00[#「00」は縦中横]式装甲|戦闘《せんとう》服
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CONTENTS
1 『お買い物』
2 『出陣』
3 『赤くて三倍速いやつ』
4 『天落つる夜』
5 『救出』
6 『みんなの「普通」』
7 『最初の任務』
8 『あとがき』
[#改丁]
1 『お買い物』
昼食のあと。
龍守《たつもり》家の一行は、駅前のマルタンデパートを目指してぞろぞろぞろ。
午後の日差しの中、陽子《ようこ》を先頭に、バルシシア、忠介《ただすけ》が続き、忠介の頭にはミュウミュウが引っつき、足元にはカーツが長い尾をぴんと立てて歩いている。
陽子はたびたび歩調をゆるめては、このちょっと変な一団をちらりとふり返り、
――ちょっと変だけど、「すごく変」……ってほどじゃないわよね。
自分にいい聞かせるように、そう思う。
実際、陽子と忠介はもともと普通の人間だし、ミュウミュウは一見ただの女の子だし、カーツはただの猫《ねこ》だ。もし、問題があるとすれば……。
「む、どうした」
陽子の視線に気づき、バルシシアが怪訝《けげん》な顔をした。その表情の動きにつれて、メタルブラックの肌《はだ》がキラリンとハイライトの位置を変えた。
「わらわの顔に、なんぞついているか?」
「ううん、ごめんなさい。なんでもない」
――外国の人だと思えば普通よ、普通。あのくらいのてらてら感[#「てらてら感」に傍点]は個性個性。
と、陽子《ようこ》は再び自分にいい聞かせた。
「おかしなやつじゃ」
バルシシアは口をとがらせながらシャツの襟元《えりもと》を引っぱり、
「忠介《ただすけ》、この服が変なのではないか?」と、服のせいにする。
話をふられた忠介は、
「いやあ、似合ってますよ」
今バルシシアが着ているのは、忠介のシャツとジーパンだ。たしかに、バルシシアは動作が大ざっぱなせいか、男物の服がよく似合う。サイズも忠介とそう変わらない。
とはいえ、忠介は聞かれればなんでも「似合う似合う」と答えるので、ちゃんと考えて発言しているのかはわからない。
――殿下に似合うお洋服って、どんなのかしら。
陽子は思案顔で歩を進める。今日の「お買い物」のテーマのひとつは「殿下のお洋服」だ。
その陽子の背にむかって、
「やはり、マントがないと格好がつかんじゃろ」と、バルシシア。
しかし、陽子がこわい顔でふりむき、
「……それだけはやめて」というと、バルシシアは視線をそらしながら、
「背中がすうすうしよるわ」と、小さな声でいった。
陽子とバルシシアは出がけに一〇分ほど、忠介のシャツの上に自前の真っ赤なマントを着用するか否かでもめていたのである。
それからしばらくして、ぶつぶつと文句をたれながら歩いていたバルシシアが、
「む、忠介よ、あれはなんじゃ」と、顔を上げた。
「あれって……はあ、自動販売機ですが」
「ふむ…」
バルシシアは赤いコーラの自販機に歩み寄ると、その腹のあたりを拳《こぶし》でこづいた。さほど力をこめた様子ではなかったが、
ごわん。
と大きな音を立てて、自販機の外板が拳の形にへこんだ。
「ちょっと、なに!?」といって、陽子がふり返った。
『なにごとかね!?』とカーツ。しっぽの毛が逆立って、狸《たぬき》みたいになっている。
「ギギッ!?」といって、ミュウミュウが忠介の髪の毛を引っぱった。
いてててて、とミュウミュウの手を押さえながら、
「えーと、殿下……自販機がなにか?」と忠介《ただすけ》。
「……ふん、笑止な」
バルシシアは拳《こぶし》にこびりついた塗料のかすをパラリと払い、とがった歯をむいてぎらりと笑った。
「このように貧弱な装甲が実戦に耐えうると思うてか。こんなものは、本気を出せば一撃《いちげき》じゃ」
自販機と戦うことを考えていたらしい。
そこに、
「ジッセンに耐えなくていいの」
と陽子《ようこ》がいうと、バルシシアはきょとんとした顔で、
「……なぜじゃ」
「なぜって……」
『そもそも、この機械の用途を知らずに戦闘《せんとう》を想定することがナンセンスだな』
とカーツ。しっぽで自販機を叩《たた》きながら、
『忠介、このいかにも原始的な機械はいったいなにかね』
「ええと、自動販売機っていうのは……」
忠介は自販機にチャリンチャリンと小銭を入れ、プーガタンとコーラを買った。そして、陽子にむかって「大丈夫、こわれてないよ」とそのコーラをふりながら、
「こういう、えー、飲み物とかを売る機械です」
忠介は缶《かん》を開けて、ふた口、三口とコーラを飲んだ。そして、
「ミュウ」と頭上から手を伸ばすミュウミュウに缶を手わたすと、ミュウミュウは忠介の肩の上で、缶を両手でささえてコーラを飲み始めた。
「それ、見たことか。敵の兵姑《へいたん》を叩くは兵法の基本じゃ」
『「敵」ではない』といって、カーツがしっぽを打ち鳴らした。『この星系は現在、停戦協定にもとづく中立状況下にある。不用意な発言はつつしみたまえ』
「……今のは冗談じゃ」
『グロウダイン流のユーモアは理解しかねるな』
「ふん」口をへの字に曲げるバルシシアに、
「ヘータンとかキョーテイがどうかは知らないけど、地球じゃ誰《だれ》も自動販売機こわしたりしないの」と陽子。
そこに、
「え、いやあ、駅前の通りだと、夜中に酔っ払いの人とかヤンキーの人がこわしてるよ」
「そういうのは特別!」陽子がぎろりと忠介をにらむと、
「ギギッ!?」と身をこわばらせたミュウミュウの手元からコーラがしょびしょびしょび「ああ〜、ちべたちべたちべた」と忠介《ただすけ》。
そして――
ジャングル公園に寄って水道で頭を洗い、脱いだTシャツでその頭をふいた忠介は、上半身裸で駅前への道を行く。肩の上にはそのTシャツをかぶったミュウミュウ。
背中にぽかぽかと陽《ひ》の光を感じながら、忠介はなにやらわけもなく楽しくなって「はっはっは」。その頭上で、ミュウミュウがかぶるTシャツがはたはたとはためいた。
そのさまを見て、
「む…」
バルシシアは着ていたシャツを脱ぎ、タンクトップ姿になった。サイズが大きいので、ぶかぶかの胸のあたりがちょっときわどい。それからバルシシアは、脱いだシャツをマントのようにはおり、胸元でそでを結んで、
「うむ、これでよい」にかりと笑った。
再びぞろぞろと歩き出す彼らの姿をちらりちらりとふり返りながら、
――しまったなあ……。
と、陽子《ようこ》は思った。
はたはたはた――とシャツがはためき、
「はっはっは」と忠介が笑い、
カカカカカ、とバルシシアがそれに続いて笑う。
――「すごく変」な団体になっちゃった。
さて、マルタンデパートの前までくると、陽子はくるりと一同をふり返った。
「おニイ、ちゃんと服着て」
「あ、はいはい」と、忠介がミュウミュウを肩から降ろした。
「殿下は……(ちょっと不満げに)いいわ、そのままで」
「ふん」と、バルシシアが腕を組んだ。
「あと、大尉」陽子はカーツの上にかがみこみ、小さな声で
「……ごめんなさい。外で待っててくれる?」
カーツは耳をぱたぱたっとふり、
『なぜかね』
「なぜって……」陽子はデパートの入口《いりぐち》をちらりと見た。
透明なガラス戸に、白いプラスティック板の注意書き。単純なシルエットで描かれた犬の絵に、交通|標識《ひょうしき》のような「丸に斜め線」の禁止マークがかぶさり、その下に「ペットのおもちこみはご遠慮《えんりょ》ください」。
目ざとく陽子の視線を追ったバルシシアが、にたりと笑った。
「見よ、これより先は畜生が入ることはまかりならぬのじゃ! 去《い》ね、くそ猫《ねこ》。やせ尾をたれて去ぬがよいわ!」
カーツと注意書きを交互に指さし、カカカカカ、と大きな声で笑うバルシシアを、道ゆく人々がふり返った。
その横では、いまだ上半身裸の忠介《ただすけ》が「ミュウミュウ、はなしてはなして」「ミュウ〜」ミュウミュウとTシャツのとり合いをしている。
――すっごくはずかしい。
赤面する陽子《ようこ》を見上げ、カーツは、
『了解した』
意外とあっさりいうと、しっぽをぴんと立て、デパートの外壁《がいへき》にそって歩き始めた。
「あ……ごめんね」
と、その後ろ姿にむかって陽子がいったとき、ぷるるるる、と、忠介の尻《しり》ポケットの携帯電話――ハイパーウェーブ・コミュニケーターのベルが鳴った。
「あ、えーと、えーと」忠介は携帯電話の通話ボタンを押し「はい、もしもし?」
『私だ』
忠介はカーツの尻を目で追いながら、
「あ、大尉?」
昨日〈アルゴス〉の島崎《しまざき》に説明してもらったのだが、カーツが遠くにいても、この携帯電話で話をすることができる。もっとも、これは半分は、カーツの身に着けた〈ベル〉の万能通信機としての機能に負うものだ。
ともあれ、カーツはふり返りもせずに、携帯電話を通して、
『なにかあったら連絡してくれたまえ』といい、
「あ、はいはい」
と答える忠介にしっぽをひゅっとふると、角を曲がって消えていった。
さて、それから。
カーツをのぞいた一行は、エスカレーターで五階の紳士服売り場へ。まずは簡単な用件――忠介の下着|購入《こうにゅう》――からすませてしまう計画だ。
陽子は忠介のTシャツを選びながら、
「おニイ、パンツは自分で買って」
「あ、うん。えーと、サイズはいくつだったっけ」
「L」
「うんうん、L、L」
忠介はワゴンに積まれたトランクスの山をごそごそとあさった。そして、どアップの三白眼《さんぱくがん》と「※[#著作権表示記号、1-9-6]さいとうたかをプロ」の文字がプリントされた「ゴルゴパンツ」を手にとって、
「陽子《ようこ》、これは?」
「そんなの駄目《だめ》」
……「自分で買え」といいながら、陽子は忠介《ただすけ》のパンツにけっこううるさい。
「ええーと、それじゃあ」なおもごそごそとワゴンをあさる忠介の体を、「ミュウ」ミュウミュウがよじ登った。腰から背中、肩を乗り越え「ミュウ」ワゴンの中に転げ落ちる。
「あっ、大丈夫?」
「ミュウウ〜」
トランクスの山に頭を突っこんでじたばたしていたミュウミュウが、やがてもこりと起き上がった。そして、頭から顔にかぶさったトランクスを手で払いのけようとして、
「ミュウ?」ミュウミュウは「ゴルゴパンツ」を頭巾《ずきん》のようにかぶった形になった。
「はっはっは」忠介はミュウミュウをだき上げ、「陽子陽子、見て見て」
陽子はそちらをちらりと見ると、
「遊んでないで、ちゃんと選んで」
――怒られてしまいました。
それでもなんだかうれしそうに、再び「ええーと」とワゴンをあさる忠介の横で、バルシシアは「ふむ」と一枚の「ゴルゴパンツ」を手にとり、「ふむ」びよんびよん、と腰のゴムを伸ばし、「ふむ」自分の腰にあてて、
「どうじゃ?」
「いやあ、似合います似合います」
「おニイ、適当なこといわないの」と陽子。そして「殿下、それ男物」
「む……今のは冗談じゃ」
バルシシアは顔面にちかちかと攻撃紋《こうげきもん》をまたたかせながら、そっぽをむいた。そして、
「…む?」と顔を上げ、「忠介、じどうはんばいき[#「じどうはんばいき」に傍点]が歩いておるぞ」
「えっ」忠介がふりむくと、
「そこじゃ、そこじゃ」
「はあ」
忠介はバルシシアが指さす方向に目をむけた。だが、シャツの棚《たな》とステテコ姿のマネキンのむこうにあるのは、「従業員用」と書いてある、搬入口の無愛想な鉄扉《てっぴ》だけだ。
「えーと、自販機はたしか階段のあたりにありますけど」ジュースのやつが。
「いや、そこの扉《とびら》のむこうにおったのじゃ」
「はあ」
――じゃあ階段のところから「歩いてきた」のかなあ。でもどうやって?
ぼえーっと鉄扉を見ている忠介の体のむきを、陽子がぐいっともどした。
「そんなわけないでしょ」
陽子《ようこ》は忠介《ただすけ》の背中にシャツをあててサイズを見ながら、
「みんな、ふざけてばっかり」だんだん機嫌《きげん》が悪くなってきた。
バルシシアは鉄扉《てっぴ》を指さしたまま二、三度口をぱくぱくさせたが、やがて、
「ふん」と鼻を鳴らすと、別のトランクスを手にとって、ゴムをびよんびよん。
一方、忠介は背筋をぴんと伸ばし、ひざをかくんと曲げて陽子に背中を貸しながら、ひまになった頭をぼえーっと売り場内にめぐらせた。
平日の昼間だけあって、あまり人がいない。客は自分たちだけで、あとは店員のおばさんだ。
「おニイ…?」
陽子が忠介の腕にきゅっとしがみついた。
売り場やレジのわきをうろうろしていた店員のおばさんたちが一斉《いっせい》に、すすすすす、と近寄ってきた。
――あれ? なんだろう?
と思いつつ、忠介はもう片方の手でミュウミュウをだきかかえた。
いくらもしないうちに、五人のおばさんがずらりと忠介たちの前に並んだ。「なにかお探しでしょうか」という感じの営業スマイルがなんだかこわい。高い服を買ってるときならともかく、安売りのパンツを選んでるときに並ばれるとすごくこわい。
「あの……いったい――」陽子の手に力がこもった。
「えー、なにかご用でしょうか」と忠介。
すると、おばさんたちは一斉に、デパートの制服の下から拳銃《けんじゅう》をとり出してかまえた。そして、もう片方の手で、制服の胸の「○」に「丹《たん》」の字の企業ロゴをべりっとはがした。その下に現れたのは「地球」とそれを守る「腕」のマーク。
「われわれ〈青い地球〉に、〈リヴァイアサン〉を引きわたしてもらおう!」
「あ…」
「おニイ!?」
「ギッ!?」
身を硬くする陽子とミュウミュウに、
「大丈夫、大丈夫」といいながら、忠介は両手を頭の高さに上げ、
――えーと、どうしよう。
と考えた。
――ちょっと前にもこのデパートで似たような目にあったなあ。たしか鈴木《すずき》さんが相手で、やっぱり「ミュウミュウをわたせ」っていわれたっけ。あのときは事情がぜんぜんわからなかったし、相談する人もいなくて困ったなあ。そういう今も、事情はよくわからない。そういや同じ日に、軍人さんの格好した〈青い地球〉の人たちにミュウミュウをさらわれそうになったけど、この人たち、ミュウミュウをどうしたいんだろうか。聞いても怒られないかなあ。なんだか怒られそうな気がするなあ。
「えーと、この子をどうするんですか?」一応聞いてみた。
「貴様が知る必要はない!」やっぱり怒られた。
――うーん、困った困った。どうしよう。
忠介《ただすけ》はにゅにゅにゅにゅにゅ、と口元をゆがめてなやんでいたが、やがて、はっと顔を上げた。なにか思いついたらしい。
「はっはっはっはっは」
突然笑い出した忠介に、〈青い地球〉のメンバーらが、びくっと反応した。
「どうしたの、おニイ!?」と陽子《ようこ》。
忠介が思いついたのは、ポケットに入っている、例の携帯電話のことである。これがあれば鈴木《すずき》にも島崎《しまざき》にも、カーツにだって相談できるし助けにもきてもらえるのである。いやあ、これは便利だ。文明の利器バンザイ。
忠介はそう思いつつ、こちらに拳銃《けんじゅう》をむける〈青い地球〉のひとりに、
「ちょっと電話していいですか?」
すると、〈青い地球〉は銃口を動かしながら、
「駄目《だめ》だ!」
「えっ、困ったなあ」
おまけに忠介はその場で身体検査をされて、携帯電話をとられてしまった。
「ミュウ!」ミュウミュウが忠介から引きはなされ、〈青い地球〉のひとりにかかえられた。
腕を後ろ手にねじられ、リノリウムの床にねじ伏せられながら、忠介は再びにゅにゅにゅにゅにゅ。
「えーと」陽子の顔を見上げて「……どうしましょう」
「もう…!」
なんだかピンチである。
と、そこに、
「どうした忠介、けったいな格好をして」とバルシシア。
状況をまったく理解していない。自分にむけられた銃口を意識すらしていない。ついでにいえば、ここが男物の売り場であることも結局理解していないようだ。バルシシアは大きな筆文字で「闘魂《とうこん》」と染め抜かれた赤いトランクスを腰にあてながら、
「これはどうかの?」
「え、はあ、似合――」
「だまれ!」
忠介の頭が、拳銃のグリップでなぐりつけられた。
「…貴様ッ!」
ブン、と音を立てて、バルシシアの黒い肌《はだ》に赤い攻撃紋《こうげきもん》が展開した。その体がはらむ異常なエネルギーの片鱗《へんりん》を目《ま》のあたりにし、
「――ッ!!」
〈青い地球〉のひとりが、思わず発砲した。
銃声に混じって、バルシシアの重金属製のボディが弾丸を弾《はじ》く、ヂィン、という鈍い音がした。跳弾が天井にあたり、ぱらりと破片を落とした。
「〈黒いの〉に銃はきかんぞ!」
さきほど忠介《ただすけ》をなぐったひとりが、銃口を忠介の頭にむけながら叫んだ。
「動くな、エイリアン!」
「……なんじゃ、貴様ら」
腕を組み、ゆっくりと周囲を見まわしたバルシシアに、
「殿下…」と、陽子《ようこ》が声をかけた。やはり拳銃《けんじゅう》を突きつけられている。
「この娘の命が――」という〈青い地球〉に、
「たわけ」と、バルシシアはいった。「なんのつもりか知らぬが、貴様らが盾にしておるは、おのれ自身の命ぞ」
「なに…?」
バルシシアの黒い顔に、まがまがしい笑みが浮かんだ。
「そのふやけた頭を使って、ようく考えよ。わらわの供の者を毛ほどなりとも傷つけたとき、貴様らの命があると思うか」
「……!」
〈青い地球〉たちは理解した。今、この場を支配しているのは、自分たちではない。この不死身の怪物なのだ。
「わ……われわれは、たとえ自らの命をうしなおうとも――」
「そうじゃ、その愚かしさは万死に値するぞ!!」
ブオン、とバルシシアの全身の攻撃紋が光を増した。陽子に拳銃を突きつけていた〈青い地球〉が、ひっ、と声を上げた。そのすきをついて前に出たバルシシアの手がその拳銃をとり上げ、同時にそのつま先が、背後で忠介にむけられていた銃をけり飛ばした。
「殿下――!!」と陽子。
「ふん、わかっておる」バルシシアの顔面から、攻撃紋の光が、すうっと消えた。
バルシシアは両手で拳銃の銃身とグリップをつまんで、粘土細工のように軽くひねった。そして、部品のすきまから発条を飛び出させながらぐにゃりと曲がったそれを肩越しにぽいと放った。それから、完全に気圧《けお》されている〈青い地球〉のメンバーの手からミュウミュウをとり上げて忠介にわたし、そして、残る拳銃を片はしから同様にねじりこわし、ぽいぽいぽい。そうしながら、
「聞け、くせ者ども。わらわも今はこの惑星《ほし》の流儀《りゅうぎ》にならう身じゃ。此《こ》たびは特別に見逃してつかわすによって、命冥加《いのちみょうが》を噛《か》みしめながら去《い》ぬがよい」
といって、今度はワゴンからトランクスを手にとってびよんびよん。
「さっさと消えぬか。わらわはいそがしいのじゃ」
と、そのとき。
ドドドン――!
重い破裂音とともに、バルシシアの体が弾《はじ》き飛ばされ、商品のシャツをばらまきながら棚《たな》に突っこんだ。
「え――!?」
陽子《ようこ》は音のした方向――バルシシアが飛んでいったのと逆方向――にふりむいた。
いつの間にか開いていた搬入口の鉄扉《てっぴ》のむこうから、自動販売機が歩いてきた[#「自動販売機が歩いてきた」に傍点]。
それは、たしかに自動販売機に似ている。あるいは、洗濯《せんたく》機や冷蔵庫にも似ている。
四角い鉄の箱が、短い手足を生やしたような外観のそれは、00[#「00」は縦中横]式装甲|戦闘《せんとう》服。陸上自衛隊の擁《よう》する歩兵用装備だ。
重機関銃や無反動砲を装備した00[#「00」は縦中横]式は、無論、野戦用の兵器だ、屋内での活動は想定されていない。しかし――
「われわれの『敵』は、SATやレンジャー部隊が対応できるものではない」と、ブリーフィングの際、中隊長・神谷《かみや》誠《まこと》一尉はいった。「本作戦は古今おこなわれたいかなる戦闘ともその性質を異にする。強《し》いていうならば、『屋内における対戦車戦』と考えてもらいたい」
――そんな、馬鹿《ばか》な……。
と、倉本《くらもと》翼《つばさ》三尉は思った。いまだ、神谷の言葉が信じきれずにいる。
デパートの搬入用径路を利用した部隊展開は、被災地派遣プログラムの応用でどうにかなった。一般市民の避難誘導《ひなんゆうどう》は、神谷の胡散《うさん》くさい「協力者」が、すみやかにおこなった。
そして今、目標のひとつ、〈黒いの〉あるいは〈グロウダイン〉と呼ばれる個体が、機銃弾を受け、商品棚を倒しながら転倒した。
『命中ッ!』と、倉本のヘッドセットに報告が入った。
指揮車のモニター越しの倉本の目には、それはただの少女にしか見えなかった。しかし、神谷の言葉を借りれば、それは「00[#「00」は縦中横]式をはるかに超えるパワーと耐久性をもつモンスター」だ。
神谷に促されるままに、倉本は発砲を許可した。そして、口から飛び出そうとする心臓を飲みこむように、二度、三度とのどを鳴らし、右手で眉《まゆ》のはしをひねった。緊張《きんちょう》しているときに出るくせだ。モニターを見つめる倉本の少年じみた横顔は、今、はっきりと青ざめている。
――私は、人を殺してしまったのかもしれない。
倉本がそう思ったとき、
『くわああっ!!』
モニターに映るその少女――いや、〈グロウダイン〉が、倒れた棚《たな》をはねのけ、怒声とともに立ち上がった。
思わず硬直する倉本《くらもと》の肩に、神谷《かみや》の手が置かれた。
「問題ない。すべて順調だ」
神谷の言葉には、心の中にしみこんでくるような、不思議なひびきがあった。倉本は自分の中の不安が急速に静まるのを感じながら、それでも、この状況と、神谷に対する違和感をぬぐいきれずにいた。
倉本小隊のみの単独任務。明らかに、神谷の独断による不正規の運用――と、倉本には思える。だが、倉本が、自らの知る限りの手段でとった確認の結果は、すべて「神谷一尉の指示に従うように」とのことだった。まるで「君がなにを問題としているのかわからない」というように。
そして今、自分の目の前には、神谷がいった通りの「不死身のエイリアン」がいる。これまでの段階で、神谷のいったことにはなにひとつまちがいはなかった、ということになる。
だが、
――それでは、私はどうなのだろう?
と、倉本は考えた。
――ほんの数日前まで、宇宙人と戦うことなど考えもしなかった自分は「まちがっていた」のだろうか?
今まで自分の属していた世界が、足元からゆらぎ、くずれていく。いったい、なにを信じたらいいのかわからない。
「心配はいらない――君はただ、自分のなすべきことをなせばいい」
倉本の内心を見透かしたかのように、神谷はいった。
「私を信じたまえ」
――いまだ迷いはある。しかし今は、迷うことは許されない。
倉本はうなずき、ヘッドセットのマイクにむかって、
「第一班は射撃《しゃげき》姿勢を維持。第二、第三班、前へ」といった。
「くわああっ!!」
バルシシアは商品棚をはねのけ、立ち上がった。そして、機銃弾のあたった側頭部を手で押さえながら、半ば本能的に、その射線をさかのぼって視線を走らせた。
いつの間にか搬入口の鉄扉《てっぴ》が開き、その奥に暗緑色に塗られた箱型のもの[#「もの」に傍点]――00[#「00」は縦中横]式装甲|戦闘《せんとう》服がいた。
「なにをするか!」バルシシアは00[#「00」は縦中横]式を指さし、「不届きなじどうはんばいきじゃ!!」
「殿下、それちがう、それちがう!」と、床に伏せた陽子《ようこ》。
「なに? では、なんなのじゃ?」
「なにって――おニイ、あれなに!?」
「ええーと、たしか、装甲|戦闘《せんとう》服とかいう……」前にテレビで見たことがある。
「なに、戦闘服。いわれてみれば、下級氏族《しもじも》の用いる倍力服に似ておるような……」
バルシシアは腕を組み、ふむむ、と思案顔。それから、再び陽子に、
「あれはおとこもの[#「おとこもの」に傍点]かの?」
「そんなの知らな――」
陽子の言葉が終わらないうちに、ドドドン――とフロア中の空気をふるわせながら、00[#「00」は縦中横]式の腕部に装備された重機関銃が火を噴《ふ》いた。
「くわっ!」
ガギィン、と再び側頭部に機銃弾を食らい、バルシシアは転倒した。続く数発の弾は、商品|棚《だな》を破壊《はかい》しながらフロアを縦断し、コンクリートの壁《かべ》に外気に通じる大穴を開けた。
一方バルシシアにあたった機銃弾は、一旦《いったん》天井にはねて、これまた伏せている忠介《ただすけ》の目の前に「わっ」ごきんと落ち、床にひびを入れた。機銃弾は油性ペンくらいの大きさの、鉄だか鉛だかの塊だ。ロケット型をしたその先端が、今はぐにゃりとひしゃげている。
――こんなのがあたったら、普通死んじゃうよなあ。
忠介は首をまわし、倒れたバルシシアをそろりと見た。すると、バルシシアは勢いよくはね起きながら、
「ぅおのれ〜〜〜ッ!!」[#「「ぅおのれ〜〜〜ッ!!」」は太字]元気です。
もとより、グロウダインの肉体がこの程度の攻撃《こうげき》で傷つくはずもない。数日来の空腹による省体力モードのため次元振動コートもままならぬ身ではあるが、それでも、バルシシアの肉体は着弾の衝撃《しょうげき》に対して反射的に抗力を発揮している。
次いで、ドドドドド――と再び始まる銃撃を、バルシシアは腹に足に、そして顔の前にかざした腕に受けた。忠介から借りたシャツやジーパンは見る間にボロ布の束と化し、その中から、金属製の光沢をもつ黒い肌《はだ》があらわになった。
ガギギギギィン――と派手な音を立てながら、機銃弾はバルシシアの肌の上で火花を散らし、跳弾となってフロアをはねまわった。
「わあ!」「きゃあっ!」「ギギギッ!」
マネキンやワゴンや商品棚が、次々と倒れ、あるいは弾《はじ》け飛んだ。遠くの天井で、照明のランプがばりんと割れた。あぶない、すごくあぶない。
――〈青い地球〉の人たちは大丈夫かな。
と、忠介が周囲を見まわしてみると、何人ものデパガ姿の後ろ姿(というか、尻《しり》)が、すごい勢いで匍匐《ほふく》前進して遠ざかっていくのが見えた。
――じゃ、そっちはいいとして……。
「こっちいこう、こっち」
と陽子《ようこ》にいって、忠介《ただすけ》が柱の陰にむかって匍匐《ほふく》前進を始めたとき、
「陽子!」と、バルシシアが叫んだ。「あれがじどうはんばいきでないのなら――叩《たた》きこわしてもかまうまいな!」
そこに、
「あ、でも殿下、中の人が怪我《けが》しないように気をつけて」と、バルシシアを見上げながら、忠介。
「なに、それはやっかいじゃの」
バルシシアの気がそれた瞬間《しゅんかん》――
ガギィン「くわっ!」またしても側頭部に弾があたり、バルシシアは引っくり返りながら、床に散乱したシャツの中に突っこんだ。
「あっ、殿下――」
忠介はバルシシアを見て、それからちょっと顔を上げて、搬入口の前で発砲を続ける00[#「00」は縦中横]式を見た。両ひざをついた00[#「00」は縦中横]式の、右腕に固定された重機関銃の銃口から、大きなマズルフラッシュがバリバリと出ているのが見えた。が、バルシシアが転んだのを見てか、それもまた止まり――そして、後方から同型の00[#「00」は縦中横]式が二体、三体と姿を現した。
後続の00[#「00」は縦中横]式は、ひょこり、ひょこり、と、どことなくユーモラスな足どりで搬入口を出て、左右にわかれて歩いていく。右側に二機、左側に二機。
それぞれの足元を、ヘルメットに野戦服姿の自衛隊員が腰をかがめて小走りについてまわる。自動小銃を背負っているが、その銃を忠介たちにむけるつもりはないようだ。00[#「00」は縦中横]式を先導《せんどう》したり、進路の障害物をわきにのけたりしている。
「くわあああっ!!」[#「「くわあああっ!!」」は太字]
バルシシアが再び元気に立ち上がった。ブオン……と全身がうなりを上げ、攻撃紋《こうげきもん》がまばゆく発光した。体重が増加し、床板にびしびしとひびが入り始めた。
「ギギギギギッ!!」
と叫ぶミュウミュウをギュッとだき締《し》めながら、忠介は、
「あの……殿下、殿下?」
だが、その声はバルシシアの耳には入らない。
「貴様ら全員、ひねり殺してくれる!!」[#「「貴様ら全員、ひねり殺してくれる!!」」は太字]
バルシシアは空気をびりびりとふるわせながらそう叫ぶと、
「どおおりゃあああッ!!」[#「「どおおりゃあああッ!!」」は太字]
むかって右側に歩いていく00[#「00」は縦中横]式を目指して走り出した。
ドドドドド――と再び銃撃が始まったが、今度はバルシシアを追って機銃の射線が動き、破壊《はかい》の中心が遠のいていく。
忠介《ただすけ》は「ギギギ」のミュウミュウをかかえて中腰に立ち上がり、陽子《ようこ》の手を引いて、柱の陰に移動した。とりあえず、ここなら直撃《ちょくげき》はこない。多分。
柱にもたれて座り、荒れた息を整えていると、忠介の胸に陽子がギュッとしがみついた。
「おニイ、どうしよう」
忠介はいつものように、
「大丈夫、大丈夫」といってから、
――さて、どうしよう。
にゅにゅ〜と考えた。そして、
「あっ、そうだ。鈴木《すずき》さんたちに電話しよう」
陽子の顔が、ぱっと明るくなった。
「してして!」
「うんうん」忠介は尻《しり》ポケットに手をやり、「あ」
「なに」
「さっき電話とられちゃった」
「もう……バカ!」
陽子の猫《ねこ》パンチが、忠介のわき腹にどしっと入った。
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2 『出陣』
二時間前、〈突撃丸《とつげきまる》〉機関部。
塔のごとき竜骨《りゅうこつ》をとり巻くように配置された、六基のハイパードライブ――位相幾何シールドを施された、巨大な黒いタンク――から生え出た様々な太さのパイプが、あるものは固定用のフレームにそい、あるものは中空をわたって、〈突撃丸〉の装甲面に、Cプラス副砲群に、また、中央の竜骨にむかって伸びている。
暗い機関部に、一層黒ぐろと輪郭を浮かべるそれらの構造物が、奇妙に生物的な印象をもつのは、あるいは、タンクの内部から発する獣《けもの》のうめきにも似た震動《しんどう》のためかもしれない。
界面下|潜航艦《せんこうかん》を生き物にたとえるなら、ハイパードライブはその心臓だ。ことに、複数の大型ドライブによって同クラスのいかなる艦よりも高速に機動し、大口径のCプラス主砲から必殺の対艦思考弾体《ギルガガガントス》を発射するグロウダインの高速御座砲艦にとって、それは存在意義そのものといってよい。
だが、今――御座砲艦〈突撃丸〉は、その存在意義をうしないかけている。
〈突撃丸《とつげきまる》〉のもつ六基のハイパードライブのうち、運転を継続しているのは、すでに一基のみ。その一基さえも、万全の状態にあるとはいえない。
数日前、銀河連邦|艦《かん》〈スピードスター〉との交戦の際に、六基のドライブはすべて機能停止に陥った。そのうち三基はタンクを破壊《はかい》され、残る三基も配管の破損による急激なエーテル減圧によって瀕死《ひんし》の状態となった。
ハイパードライブは、単なる機械的なエンジンではない。タンク内の高圧エーテルに保持された次元|渦動《かどう》は、疑似的な生命体ともいうべき、精妙にして繊細《せんさい》な存在なのだ。鋼《はがね》の体に生命を宿すグロウダインにとって、それは「道具」というよりは、生死をともにする「同朋《どうほう》」に近い。
だが、戦闘《せんとう》によって破損し、機能低下した与圧装置には、三基のハイパードライブの「生命」の維持に必要なエーテル圧をたもつことは不可能だった。もっとも被害の少ない三番基に圧力が集中され、バルブを閉じられた二基のドライブは死んだ。
今、唯一生き残った三番基のタンクのはし――反動推進による上下感覚からすれば、「上端」――には、ひとりの小柄な老人が座している。
〈突撃丸〉機関師、アルルエンバー。
アルルエンバーは動かない。節くれ立ったやせぎすの体を古木のように折り曲げ、深いしわの刻印された顔を伏せている。やせた銀髪のすきまから見えるのは、くすみきった銅の色の地肌《じはだ》だ。
アルルエンバーは身の丈ほどもある巨大な万能レンチを、両腕でかかえるようにしてタンクの表面に立てている。両目を閉じ、第三眼すらも意識から外し、レンチを通して伝わるハイパードライブの振動に集中している。低く、弱く、不規則に変動するそのひびきは、深傷を負った獣《けもの》の、苦悶《くもん》のうめきだ。
そのひびきに、こつこつと、硬く小さな音が加わった。フレームを拳《こぶし》で叩《たた》く音だ。
片目をうすく開けたアルルエンバーの前に、長身の青年――砲術師ザカルデデルドがフレームを伝って降り立った。
「お加減はいかがか、ご老体」
ザカルデデルドが問うたのは、アルルエンバーの体調だ。ドライブの破損と応急処置から一〇〇時間あまり、アルルエンバーは不眠不休でその調整にあたっているのだ。
だが、
「さて……上手《うま》くない」とアルルエンバーが答えたのは、ドライブの具合のことだ。
交替をうながしにきたザカルデデルドは、しかし、アルルエンバーの表情を見てそれをあきらめた。この老人が、不調のドライブを残してこの場を動くわけがない。
ザカルデデルドはアルルエンバーの前にひざまずき、目の前の床――タンクの表面に手をあてた。手のひらから伝わってきたのは、あまりにも弱々しい、病的な振動だ。ザカルデデルドは神妙な顔つきで、
「いっそ、楽にしてやりとうございますな……」と、つぶやいた。
アルルエンバーは答えなかった。眉間《みけん》の深いしわをさらに深くしながら、再び目を閉じ、振動に集中した。
この最後のドライブを生かしているのがアルルエンバーなら、弱った二基に引導《いんどう》をわたしたのも彼だ。さらには、〈突撃丸《とつげきまる》〉が建造され、六基のドライブに生命が宿されてよりこのかた、その管理を一身に引き受けてきたのも彼である。〈突撃丸〉の界面下航行能力の、一刻も早い回復――バルシシア皇女の身の安全と、グロウダイン帝国の戦略的優位がかかったその命《めい》さえなければ、あたかも我が子のように世話をしてきたドライブの苦しむさまを、だまって見ているはずもない。
アルルエンバーの渋面に、
「……や、これは出過ぎたことを」と、ザカルデデルドがあわてていい足したとき――
アルルエンバーが刮目《かつもく》し、勢いよく立ち上がった。ザカルデデルドの見上げたその体がふたまわりも大きく感じられたのは、決して気のせいばかりではない。枯れ木のようだった両腕に力がみなぎり、にわかに金属的なつやを帯びた皮膚《ひふ》に、赤い攻撃紋《こうげきもん》が展開した。アルルエンバーは巨大なレンチを腰だめにし、ザカルデデルドの頭部にむかって打ちふった。
同時に、バン、と音を立ててザカルデデルドの頭上で配管の一部が弾《はじ》け飛び、高圧のガスが噴出《ふんしゅつ》した。
反射的に身を伏せたザカルデデルドの頭上すれすれの空間をないだレンチが、彼の背後にあった頭ほどもあるボルトをかみ、バルブを閉鎖《へいさ》した。
ガスの噴出は止まった。が、今度はタンクの上に伏せたザカルデデルドの体に、異常な振動が伝わってきた。しょせんは応急処置――生き残りのポンプや燃料タンクを死んだドライブからはがしたパイプでつないだ継ぎはぎの配管系には、ハイパードライブの運転に必要とされる精妙な圧力調整は望むべくもない。さらに強まった振動[#「振動」に傍点]、いや、連続する衝撃[#「衝撃」に傍点]が、ザカルデデルドの体をはね上げた。
アルルエンバーはタンクの頂上から飛び降り、フレームをすばやく伝ってポンプの制御板にとりつくと、何十ものレバーやつまみを操作した。かと思うと、タンクの周囲を駆けまわり、巨大なレンチを生き物のように操りながら、配管のあちこちに設けられたバルブを直接操作し始めた。しかし――
バン――と、配管の一部が破裂した。
アルルエンバーははねるように破損箇所に移動すると、破裂したパイプにつながる経路を閉鎖し、周囲のバルブを調整して圧力を逃がした。だが……機関部全体がはげしく鳴動し、バ、バ、バン――と、さらにいくつかのパイプが弾け飛んた。もとより、トータルの負荷が即製のシステムの限界を超えているのだ。
「ご老体――」
ザカルデデルドはタンクの頂上から顔を突き出し、眼下をうかがった。鳴動するうす闇《やみ》の中を、赤い攻撃紋《こうげきもん》が光の尾を引いて縦横《じゅうおう》に駆けめぐっている。アルルエンバーは見えざる敵と戦うがごとく、血管のように入り組んだ配管の合間《あいま》を駆け抜け、レンチをふるっている。
と――アルルエンバーはフレームを駆け上り、ザカルデデルドの頭上を大きく飛び越えて、タンクの上に降り立ち、身を伏せた。
「ご老――」
ザカルデデルドがふりむきながら再度呼びかけると、返事の代わりにレンチがうなりを上げて飛んできた。身の丈ほどもあるそれを胸元で受け止め、ザカルデデルドは二歩、三歩とよろめいた。
アルルエンバーは顔を横むけ、タンクの表面に耳をつけながら、
「五番基から八番、一〇番管を二本ずつ、六番基から三番管と二次加圧ポンプを――急げ!!」
「……はッ!」
ザカルデデルドはレンチを背負い、タンクから飛び降りた。
ゴゴゴ……と通路が振動し、照明が二、三度、またたくように明度を落とした。
「まあ……またハイパードライブがもだえていますわ」
と、磁力式のコンテナカートを押していた、青い髪の従軍女官、メルルリリスが、天井を見上げて立ち止まった。
「苦しんでいるのですわ、かわいそうに」
と、カートに並んで歩く、赤い髪の従軍女官、リルルメリスが相づちを打った。
「でも、仕方ありませんわ、殿下のためですもの」と、再びメルルリリス。
「ええ、殿下と故国《おくに》のためですものね」と、リルルメリス。
ふたりは再び並んで歩き出すと、倉庫に入った。
ハイパードライブ破損によって図らずも長期化してしまった航海のため、各種備品のチェックとその運用の見直しを計る――これが現在ふたりに与えられた任務である。
倉庫の片すみには、ジェダダスターツの「処刑場」がある。
壁《かべ》と柱に、まるで虫のまゆのように張りついている巨大な球形のそれから、
ヂィ―――……。
ガガガガガ……。
と、かすかな音がもれてくるのを聞き、メルルリリスは、ふっとため息をついた。
「……艦長《かんちょう》さまは今日も鍛練《たんれん》、鍛練」
そこに、
「あら、お顔が拝見できなくて残念ね」とリルルメリス。
メルルリリスは攻撃紋《こうげきもん》をちかちかと顔に浮かべながら、
「そんなことじゃありません! ただ、そのお心の苦しみはいかばかりかと……」
「その心配は、殿下にこそ必要なものではなくて?」
「……そうね」メルルリリスの顔から、攻撃紋の光がしゅんと消えた。
メルルリリスは当座の必要品目をカートに詰め、リルルメリスはチェックボードを片手に在庫数の確認をしながら、話し続ける。
「ああ、殿下……きちんとお食事はされているのかしら」と、リルルメリス。
「きちんとお休みになっているのかしら。心配ですわ」と、メルルリリス。
「ええ、とても心配。夜も眠れません」
「あら、あなた毎晩、大きないびきをかいて寝ているくせに」
「失礼ね。いびきなどかきません」
「いいえ、かいてます。ひと晩に三度は起こされます」
「あら、自分のいびきで起きているのではなくて!?」
「まあ! いうにこと欠いて――」
メルルリリスが大声を出しかけたとき、
ごそり……。
という物音が聞こえた。
ふたりは顔を見合わせたのち、足音をしのばせ、物音のした方向――弾薬・食料備蓄区画へとむかった。
すると、暗い倉庫の中、立ち並ぶキャビネットのすき間から、荷の山のごとく、巨大な尻《しり》がはみ出しているのが見えた。ごそごそという音は、その陰から聞こえてくる。
「そこにいるのはどなたですか!?」
「そこでなにをしておいでですか!?」
それら鋭《するど》い詰問に、
「お……」
と顔を上げた巨大な尻のもち主は、操舵《そうだ》師ボラランダルであった。
もぐもぐと動く口のはしにかす[#「かす」に傍点]をつけ、手にはかじりかけの四角い粘土状の塊、床の上にべたりと座ったその肥満体の周囲には、爆発《ばくはつ》性レーションのパッケージが散乱している。
「まあ、なんてこと! 艦内《かんない》一丸となってこの苦境を乗り切ろうというこのときに……!」
「このありさま、いったいなんと申し開きをなさるおつもりかしら!?」
ふたりはそろって腕を組み、ボラランダルを見下ろした。それに対して、
「いやはやご婦人がた、これもまた、わが忠心のなせるわざでござる」
さして悪びれた風もなく、ボラランダルはレーションに起爆反応ジェルをこってりと塗りつけた。
「殿下の苦境を思うと、口にするものはすべて砂をかむがごとく、食うても食うても食うた気がせぬゆえ、ついこのように――うむ、もぐもぐ」
ボラランダルがレーションの塊をごくりと飲みこむと、その体内で、どむっ、と鈍い爆発《ばくはつ》音がひびき、腹の肉がたぷんとゆれた。黒い皮膚《ひふ》の上を、攻撃紋《こうげきもん》にそって光の波がちりちりと走り抜けた。
「……まあ、なんて厚かましい!」と、メルルリリスがいった。
「なんてふてぶてしい!」と、リルルメリスがいった。
「ときをわきまえなさい!」
「恥をお知りなさい!」
ふたりのうち、やや手の早い赤髪のリルルメリスが、ボラランダルの背を強く突いた。
「むは…!」
なおも食事を続けていたボラランダルがその拍子にむせ返り、口からレーションのかけらがぽろりと落ちた。
すると、
ドムッ――!
床の上に落ちたかけらが爆発し、
ドドドッ――
「「きゃああああっ!?」」
その衝撃《しょうげき》でくずれたキャビネットと荷物の山が、三人の姿をおおいつくした。
やがて、キャビネットを押しのけながら、ボラランダルが立ち上がり、
「うむ……ご婦人がた、お怪我《けが》はござらんか?」
といって、いまだ手にしていた食べかけのレーションを、もうひと口。
メルルリリスとリルルメリスが、ぼこり、ぼこり、と荷物の山から頭を出した。ともに、顔面には燃えるように輝《かがや》く攻撃紋が浮き出ている。
「「きいいいいっ!!」」
ふたりは甲高い叫び声を上げながら、周囲の食料品のパッケージを、手あたり次第にボラランダルに投げつけ始めた。
現地語で単に「太陽系」と呼ばれるこの星系において、グロウダイン帝国、銀河連邦、そして原住種族である地球人の各勢力は微妙な均衡《きんこう》状態にあり、本国からの一刻も早い支援が望まれている。
だが、ハイパードライブが瀕死《ひんし》の状態にある現在、帝国領への長距離通信は不可能。本国に待機する〈吶喊《とっかん》遊撃|艦隊《かんたい》〉本隊は、旗艦〈突撃丸〉がこの星系に足止めを食っているということを、知るよしもない。また一方では、単身地球上に落下したバルシシア皇女の身の安全も、早急に確保しなければならない。
とにもかくにも、ハイパードライブの一刻も早い修繕《しゅうぜん》――機関師アルルエンバーがその任にあたる一方、――なにか代替的な通信手段はないか、また、せめて本艦《ほんかん》の地球への到着を早める手段はないか。
発令所のオルドドーンは、観測師ゼロロスタンを相手にその検討をしている。
しかし、これといった妙案も浮かばず、両者が途方に暮れていたとき――
はや数日の間続いているハイパードライブの異常振動の中に、
ドムッ……。
と、遠い爆発《ばくはつ》音を聞きつけ、ゼロロスタンは眉《まゆ》をひそめた。
「どうした?」
同席するオルドドーンの怪訝《けげん》な表情に対し、ゼロロスタンは耳をすませ、額《ひたい》の第三眼を凝《こ》らした。索敵・通信担当氏族の出のゼロロスタンは、艦内でもっとも鋭敏《えいびん》な感覚のもち主だ。
やがて、
「いえ、ボラランダルが……あのでぶが、女子《おなご》らとじゃれておりもうす」とゼロロスタン。
「困ったものだの」と、オルドドーンはいい、ふたりは元の思案にもどった。
だが、
「……む!?」
ゼロロスタンのハイパーウェーブ知覚が、なにかをとらえた。
第三眼をもって、発令所の壁《かべ》を凝視《ぎょうし》していたゼロロスタンが、
「ええい、ノイズが邪魔《じゃま》だ……失礼!」
発令所を飛び出し、居住区を抜け、メンテナンス用エアロックから減圧もそこそこに艦の外装上に出ると、通信用アンテナを伝ってその先端に至った。
虚空に身を乗り出し、第三眼を凝らしたゼロロスタンは、声にならぬ声で、
(……なんと!)と叫んだ。
数分後、〈突撃丸《とつげきまる》〉乗員一同――機関師アルルエンバーをのぞく――は発令所に招集された。
空席の玉座――皇族専用席を前にして、各々序列にならう形で席をとった一同に対し、ゼロロスタンが先ほど自ら発見した航行体に関しての説明を開始した。
目視に加え、各種観測機器を用いて正確な位置、速度等を割り出されたそれ[#「それ」に傍点]は――
「――連邦方式の救難信号を発しつつ、浅深度|潜航《せんこう》と基準界面浮上を繰《く》り返しながら、およそ二〇光速の速度にて太陽系――いや、刻々たる軌道修正により、地球へとむかっておりもうす。予測到達時刻は、約九〇分後!」
「それにしても、二〇光速とは……通常の高速艦の戦闘《せんとう》機動に匹敵する速度じゃな」と、オルドドーン。
「連邦の放った恒星間|誘導《ゆうどう》弾! それに相違ござらん!」と、ゼロロスタンはいった。
「さような考え、うかつに口に出すでない」と、オルドドーン。「救難信号は正式なものじゃ。連邦からの使節なり捜索隊なりの艦《かん》が、なんらかの理由で操縦《そうじゅう》不能に陥ったものと考えるが妥当であろう」
「解せぬことにございます」と、操舵《そうだ》師ボラランダルがいった。「慣性移動にあらず、はたまた等加速運動にあらず……地球への正確なる軌道修正、なんの操縦不能でありましょうか」
「決まっておる! 迎撃《げいげき》すればわれらにその外交的負債を負わせ、放置すればかの惑星もろともにバルシシア殿下を亡きものとする、連邦側の卑劣なる策略ぞ!」
「う、む……実際に地球に衝突《しょうとつ》したとして、その被害はどれだけになるのか」と、オルドドーンが問うた。
「かの航行体の発する重力波を見まするに――」と、ゼロロスタン。「その質量のみにても、惑星表面の様相を一変させるに十二分。衝突地点からの熱と衝撃波が地表全土をなぎ、巻き上げられた粉塵《ふんじん》によって何千時間にもわたって陽《ひ》の光はさえぎられ、かの惑星の物質|循環《じゅんかん》系は破壊《はかい》されましょう。無論、殿下にとってはなにほどのこともありませぬが、地球人らの生命維持は困難と思われもうす」
「と、いうことは……」
「さよう、地球人|龍守《たつもり》忠介《ただすけ》の死とともに〈リヴァイアサン〉ミュウミュウの安定状態はうしなわれ、これすなわち、〈キーパー〉による恒星|爆破《ばくは》のひきがねとなりもうす!」
「うむ……」
オルドドーンは思案した。
――この状況から自分たちに打てる手にはどのようなものがあるか。その中で、戦略的に最適なものはどれか。
そしてまた、星系防衛システムはおろか、次元|防壁《ぼうへき》の一層とてないむき出しの惑星に棲《す》む、水泡《すいほう》のごとき脆弱《ぜいじゃく》な生命とその社会――このような、あまりにも無防備な世界が銀河の片すみに存在することに、オルドドーンは驚《おどろ》きの念を新たにした。
……と、彼の思考が、ついわき道にそれたとき、
「考えるまでもござらん!」ゼロロスタンが叫んだ。「Cプラス砲撃による撃沈! 当艦の界面下航行が不可能な現在、それ以外にいかなる手段《てだて》がありましょうや!」
「落ち着け。……砲術師、砲の使用は可能か?」
「……おそらく、一斉《いっせい》射のみならば」と、砲術師ザカルデデルドがいった。「それ以上の負荷には、ハイパードライブが耐えられますまい」
「心もとないことだ……しかも、われらの攻撃がかの目標を破壊したとて、その残骸《ざんがい》はやはり致命的な相対速度をもって地球に至るのではないか?」
「あいや、その心配にはおよびもうさん」とゼロロスタン。「くだんの航行体の軌道修正はあくまで追尾的なものなれば、航行能力をうしなえば、ただ慣性移動にて地球への軌道からそれていくのみにござる」
「やはり、そこが解せぬところでございます」と、ボラランダル。「地球への確実な打撃《だげき》を期するならば、到達時の予測位置にむけて加速するものではござらんか」
「ふん、単に航法装置の精度が悪いのであろう。おおかた、廃船利用の対地特攻|艦《かん》じゃ」と、ゼロロスタン。
「……ともあれ、必要なのは航行体の破壊《はかい》ではなく、その機動を封じることじゃな。逆をいえば、いかに船体を大破させようと、その一点を打ちもらせば、脅威はそのままに残る……」
オルドドーンはそこまでいったところでしばし黙考《もっこう》し、やがて、
「……望まれるは、とにもかくにも、必中の一撃、ということか」と、つぶやいた。
「まさか、参謀《さんぼう》どの――主砲の使用をお考えか」と、ザカルデデルド。
〈突撃丸〉の主砲とは、すなわち皇族《ギルガガガントス》射出専用の超電磁カタパルトだ。
オルドドーンが重々しくうなずくと、
「なんと!」ゼロロスタンが叫んだ。「皇家にあらざる者が主砲に弾ごめらるるは、無謀にして不敬にござる!」
たしかに――対艦弾体たるギルガガガントス以外の氏族の者が主砲の超電磁バレルによる加速にさらされ、かつハイパードライブのエネルギーをおのが身に通すことは、およそ考えがたい暴挙だといえる。また、物理的な側面を別にしても、皇族にのみ許されるその行為を模倣するということに対する心理的抵抗は、グロウダインにとっては計りしれぬものがある。
しかし、
「……いや、理にかなってはござる」と、ザカルデデルドはいった。「限られたハイパードライブ出力を小質量、すなわちしかるべき一人《いちにん》に適用し、目標航行体に搬送、現場にて破壊活動をおこなう……ということにございますな」
「さよう、元来は皇家のみわざなれば、其《そ》をまねるは不敬のそしりをまぬがれまい。されど、この状況にあってこれをおこなわぬは不忠と心得る」
「されど……!」
「いや、しかしながら参謀どの……!」
それら抗議の声に対し、オルドドーンは自らの髪をつかみ、ぐいと横に引いた。と――その大きな頭が、首からぽろりととれた。オルドドーンは眼前の床に自らの生首を叩《たた》きつけるように、ガン、と置いた。
床の上の生首は、目玉をぎょろりと動かし、周囲をねめつけながら、
「すべての責任《せめ》は、この首が負う」といった。
その気迫に、一同は重くうなずくのみであった。
さて――次なる問題は、「誰《だれ》を送るか」ということである。
目標航行体の、航行機能の破壊《はかい》――その任をはたすために、その者はいくつかの要素をそなえている必要がある。
主砲からの射出時にその体にかかる負荷に、能《よ》く耐えること。
敵艦《てきかん》に至ったのち、その機能を破壊するための打撃《だげき》力を有すること。
また、作戦成功の際には、その者は航行体とともに恒星間空間へ流されていくことになる。回収は不可能とみてよい。無論、そうしたことに臆《おく》する者はいないが……ここでうしなわれるのは、〈突撃丸〉の機能に大きな影響《えいきょう》を与える人物ではないことが望ましい。
「されば、拙者が! 拙者こそが適任でござる!」
真っ先に名乗りを上げたのは、先ほど反対したゼロロスタンである。
「わが矮躯《わいく》はドライブに負担かくることなく、高速にて敵艦に至ることができもうす!」
そこに、
「あいや、されど確実な破壊を期するならば」と、ボラランダルがいった。「おぬしの身は、少々目方に欠けるといわざるを得まい」
「俺《おれ》では足りぬと吐《ぬ》かすか!」
「それそれ、そこもいかん。おぬしは気が短い。首尾よく敵艦にとりついたところで、中枢に至る前に暴発してはてるが落ちじゃ」
「貴様ッ!!」
立ち上がったゼロロスタンを無視して、ボラランダルは一同を見まわし、ぽんと腹を叩《たた》いた。
「おのおのがた、それがしの皮下脂肪はなんのためにあるとお思いか」
「怠惰と食い意地の結果であろうが!!」とゼロロスタン。
「だまらっしゃい! この突き出た腹はこれすなわち破壊力の塊。この身を一発の粘着|榴弾《りゅうだん》として敵艦に打ちあたらば、その撃沈は確実と存じまする」
「このでぶが! その腹でバレルを詰まらせるが落ちじゃ!!」
「的外れたそしり、やめてもらおうか」
と、そこに、
「さて……その意見、あながち的外れというわけでもござらん」と、ザカルデデルドがいった。
「バレルに詰まりはしないまでも、ドライブ出力が不安定な現在、射出質量はなるべく抑えとうござる。さもなくば、充分な加速得られずして、それこそ的を外す恐れもござるゆえ」
「ならば…ッ!!」
身を乗り出すゼロロスタンを制しながら、ザカルデデルドは、
「さりとて、ボラランダルのいい分にもまた一理ある。ゼロロスタン、おぬしもおのが身が打撃行動に適さぬことは重々承知していよう。重要なのは、必要にして充分な能力をもつ者を、確実に目標まで送り届けることぞ」
「その人選をしておるところではないか!」
「うむ、そこでだ」ザカルデデルドはオルドドーンにむかって居住まいを正し、「参謀《さんぼう》閣下、不肖このザカルデデルド、重量も中程度にて、各種|戦闘《せんとう》技能もそこそこ、まね事程度ながら機関師の心得もありもうす。さよう、ハイパードライブを直すことはできずとも、こわすことはできましょう」
「馬鹿《ばか》者! おぬしが薬室に入って、誰《だれ》が主砲の操作をするのだ!」
「その程度のこと、おぬしらでなんとかいたせ」
「必中を期す一撃《いちげき》、素人に任せられるものではあるまい、ここはやはりそれがしが」
「貴様はだまっておれ、肥満体!」
首を突き出し、攻撃紋を顔に浮かべ、つかみ合うようにして意見を戦わせる男たちを見ながら、
「まあ……どうしましょう」と、メルルリリスがいった。
「どうしましょう、ゼララステラさま」と、リルルメリスがいった。
終始おもしろげに議論を見ていた航海師ゼララステラは、
「そうねえ……」といって、ほほほ、と笑った。
じつのところどれも一長一短といった三人の男たちに対し、ゼララステラには、明らかに今回の任務に対する適性があった。
ゼロロスタンほどではないにしろ体重は軽く、航海師としてのエネルギー制御能力をもち、また、皇家の傍系として、その潜在《せんざい》的な打撃力には十二分なものがある。
ゼララステラが笑いを収め、長衣の裾《すそ》を直して立ち上がろうとしたとき――
紛糾する議論をおさめたのは、いかなる言葉でもなく、ただ、無言、であった。
それまでひと言も発することなく座していたひとりの男が、ゆらりと立ち上がった。
場の空気を露《つゆ》ほどにもかき乱すことのない、流れるような動き。だが、表情を抑えた半眼が一同を見下ろしたとき、発令所内には深エーテルのごとき充実した圧力が満ちた。
ゼララステラにも増して――あらゆる点からいって、その男、〈突撃丸〉艦長《かんちょう》ジェダダスターツは適任であった。
艦内《かんない》において、バルシシア皇女の侍従以外のつとめを負わぬという立場、主のためにのみふるわれる異常な戦闘力、体質的なエネルギー制御適性。そしてなにより、皇女のために命を賭《と》することに対し、側居《そばい》役たるジェダダスターツには、第一位の優先権[#「優先権」に傍点]がある。
「……行ってくれるか」
オルドドーンの言葉は、問いではなく、確認であった。
ジェダダスターツは無言をもって答えた。
議論はもはや不要であった。一同は一斉《いっせい》に行動を開始した。
オルドドーンはゼロロスタンとともに目標航行体の詳細な軌道計算にとり組み、ザカルデデルドとボラランダルはアルルエンバーの指揮の下、主砲発射にそなえた機関部の改修と調整を開始した。メルルリリスとリルルメリスは彼らの間を走りまわり、連絡や雑事にあたった。
その中にあって、ジェダダスターツは不動。発令所の中央やや後方、現在は空席となっている玉座のわきに侍し、両目を閉じて立つばかりだ。
そしてもうひとり――玉座の反対側には、航海師ゼララステラが立っている。
あたかも不在の主をはさむような形で、玉座の両わきに立つふたりの間に交わされた会話は、しかし、相当に不穏《ふおん》なものであった。
「ここでおはてになるおつもりですの? 艦長《かんちょう》さま」
ゼララステラの発したその問いに対し、
――死ぬつもりも、死なぬつもりもない。
ただ、おのれの立つべき位置が、死線のきわにあるというだけだ――そうした思考を、ジェダダスターツは上手《うま》く言葉にすることができない。また、その思いは今や艦内に共通するものであり、ことさらに口にする必要のないはずのものだ。
だが、無言のジェダダスターツに対し、ゼララステラはさらにいった。
「でも、あなたがお亡くなりになったら、あなたの復讐《ふくしゅう》はどうなってしまうのでしょうね?」
ジェダダスターツは彫像のように動かない。だが、「復讐」という言葉に対して、彼の攻撃紋《こうげきもん》にほんのわずかな反応が走ったことを、ゼララステラの鋭敏《えいびん》な知覚は見逃さなかった。
ゼララステラはなおも、ジェダダスターツの表情を探るような笑みを浮かべながら、
「しかし同時に、これは千載一遇《せんざいいちぐう》の好機……ともいえますわね。惑星上にあって身動きとれず、母艦からのエネルギー支援とてなく、殿下の運命はまさに風前の灯《ともしび》。私たちの力がほんのわずかおよばぬだけで、少なくとも[#「少なくとも」に傍点]、皇族のひとりの運命がついえる[#「皇族のひとりの運命がついえる」に傍点]ことになるのですわ……いかが?」
なにがしかの挑発ともとれるゼララステラの言葉を、しかし、ジェダダスターツはただ受け流した。ゼララステラは続けて、自らのほおに手をあて、思案顔を作りながら、
「ああ、それでも、あなたは殿下のために死力をつくして戦うのでしょうね。まったく、なにがなにやら……わたくし、あなたのことがちっともわかりません」
そこまでいったとき、艦内各所に散っていた乗員が、発令所にもどってきた。オルドドーン、若手の三人組、ふたりの女官……機関師アルルエンバーだけが、ハイパードライブの制御のため現場に残っている。
「おふたかた、いよいよでござる」
どすどすと足音を立てて、オルドドーンが玉座の許《もと》に歩いてきた。
「……おや、なんの話をしてござったか?」
「いえ…」といって、ゼララステラはほほえんだ。「ただ、艦長さまの身にご武運あれと」
「ハイパードライブを次元刀に同調――」
と、機関師席についた砲術師ザカルデデルドがいった。本来その席に着くべきアルルエンバーは、今、機関部から手をはなせずにいる。
ジェダダスターツは腰に帯びた次元刀を抜き、顔の前で水平にかまえた。
ギィィン――と音を立て、一・二メートルの刀身に浮き出た刃紋に、金色の光が走った。脈動するその光が、柄を伝ってジェダダスターツの体に流れこんだ。
このように、次元刀を媒介にして流れこむエネルギーを、全身で制御する――バルシシア皇女のCプラスガントレットにあたる機能を、ジェダダスターツは全身をもってはたすことになる。
「同調確認――ご気分はいかがにござるか」
と、モニターを見、ついで、ジェダダスターツをふり返りながら、ザカルデデルドがいった。
ジェダダスターツは無言のまま、わずかに首を横にふった。
体内に循環《じゅんかん》する巨大なエネルギーから生じる律動。あたかも我が身の内に、いまひとつ、巨大な心臓が生じたような感覚――だが、それは病んだ心臓だ。異常な振動が混じっている。
「……さようでございましょうな」ザカルデデルドはため息をついた。「しょせんは急場しのぎ、いつまでももつものではありませぬ。目標までたどり着ければ上々とお考えくだされ」
ジェダダスターツはうなずき、金色の光の帯を空中にひらめかせて次元刀を鞘《さや》に収め、発令所の中央にむかって歩き始めた。
「艦長《かんちょう》さま、お待ちください」
その背に声をかけ、ゼララステラが歩み寄った。そして、
「〈祝福〉を――」
といって、長身のジェダダスターツにむかって顔を上むけ、その黒い唇《くちびる》に口づけた。ゼララステラの銀色の肌《はだ》の表面に赤い攻撃紋《こうげきもん》が浮かび、見る間にそれは金色の光を放ち始めた。その光がジェダダスターツの体に流れこみ、黒い肌に走る金色の筋を、さらに強く発光させた。
その口づけは、バルシシア皇女の出陣に際して儀礼《ぎれい》的におこなわれるものより、長く、強かった。ハイパードライブとの同調と界面下機動の能力を生来そなえているギルガガガントスとちがい、主砲による加速の際、ジェダダスターツの肉体には壮絶な過負荷がかかることになる。その肉体が微塵《みじん》に破壊《はかい》されるか否かは、ゼララステラによる〈祝福〉――次元振動コートの強度にかかっているかもしれぬ。
それゆえに、ゼララステラはそこに、おのが全身全霊を投入した。手足の力をうしない倒れかける体をジェダダスターツの腕がささえ、なおも口づけは続いた。
ゼララステラは唇をはなすと同時によろめき、かたわらのオルドドーンにささえられた。
「……艦長さま、あなたも殿下も、けして死なないでくださいませね」
浅く息をつきながら、ゼララステラはにんまりと笑った。
「だって……あなたがた、とてもおもしろいんですもの」
ジェダダスターツはその言葉に、無言をもって答えた。
そして、ジェダダスターツは発令所の中央部に天井から降りてきたシリンダーに歩み入り、一同は主砲発射準備を開始した。
「ジェダダスターツ閣下ご入室、推進剤挿入、尾栓《びせん》ロック、砲身開放」
シリンダーが天井に引きこまれ、〈突撃丸《とつげきまる》〉の竜骨《りゅうこつ》――主砲バレルの末尾にセットされた。減圧ののちシリンダーの天井が解放され、艦首《かんしゅ》の開口部にむけて、暗い、長いトンネルが通じた。
「コンデンサ、駆動コイル、緊急《きんきゅう》調整ずみ」
トンネルの内部に、六列の灯《ひ》が点《とも》った。だが、正常な運転時に比べると、その光は弱々しく、不規則に明滅している。
「ハイパードライブ、出力最大」
機関部で、配管を組み替えられたハイパードライブにむかい、機関師アルルエンバーが、
「許せ……」と、つぶやいた。
寿命と引き換えに、主砲発射に必要な、一時的な高出力を得る――そのような調整を施されたハイパードライブが、断末魔《だんまつま》の悲鳴にも似た咆哮《ほうこう》を上げ、艦全体をふるわせた。
シリンダーの中で居合《いあい》のかまえをとるジェダダスターツの体にも、その振動が、心臓を引き裂かれるような苦痛とともに伝わった。ますますはげしくうなりを上げる次元刀の柄から流れこむエネルギーが、虹《にじ》色の光となってその全身を駆けめぐった。着衣の下に帯びた竜角の首飾りが、その余波を受けてちりちりと鳴った。
「目標確認、照準固定」
〈突撃丸〉の姿勢制御スラスターが作動し、一定の率で加速を続ける目標航行体の予測位置に、艦の軸が合わせられた。
「――主砲発射準備、完了」
砲術師席にもどったザカルデデルドがふり返った。
その視線の先で、オルドドーンが重々しくうなずいた。
「ジェダダスターツ、出陣!!」
「はッ!」
主砲がトリガーされ、艦全体が鳴動した。
ジェダダスターツは〈突撃丸〉の竜骨、すなわち全長一〇〇〇メートルの超電磁バレルを突進し、界面下空間に射出された。
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3 『赤くて三倍速いやつ』
マルタンデパートの白い外壁《がいへき》に色とりどりのパンジーが映える、ひざほどの高さのレンガ製の花壇《かだん》。鼻先でゆれる葉の匂《にお》いをかぎながらレンガの上を歩いていたカーツが、ふとその足を止めた。
青いパンジーの花に、アゲハチョウがとまっている。狩猟本能を刺激されたカーツは、大きな羽根をゆっくりと動かすアゲハチョウに視線を据《す》えながら、頭を低くし、高く上げた尻《しり》を左右にふり――
と、そこに、
「よう」と、声をかける者があった。
全身黒ずくめのスーツに、黒い帽子とサングラス。対地球外知性体対策組織〈アルゴス〉のエージェント、鈴木《すずき》だ。
鈴木がカーツの横に腰を下ろすと、アゲハチョウは飛び去った。鈴木は背後の白い壁《かべ》を親指で指しながら、
「連中は中か?」
カーツは鈴木《すずき》の顔を見上げ、
『そうだ』と答えると、首を背にまわし、ぺろぺろと毛づくろいを始めた。
鈴木はふところからタバコをとり出しながら、
「あんたは入らんのか?」
『ペットは入館禁止だそうだ。ここは君たちのルールに従おう』
「そいつはどうも」
『そういう君は、忠介《ただすけ》たちを監視《かんし》していなくていいのかね』
「してるさ、遠巻きにな」
鈴木はタバコに火をつけ深くひと吸いし、ぽわ、と煙の輪を吐いた。
「〈リヴァイアサン〉を安定させている要因がはっきりしない以上、なるべく連中の日常をかきまわしたくない。そうでなけりゃ、どこかに閉じこめておくところだが」
『なるほど……「日常」を保護《ほご》しようとする行為自体が、「日常」の破壊《はかい》につながる、というわけか』
「ああ、そういや島崎《しまざき》先生も、なにかそんなことをいってたな。不確定性がどうとか、箱の中の猫《ねこ》がこうとか」
『どういう意味かね』
「さあな。猫のことはあんたが専門だろう」
鈴木はそういうと、タバコを口にくわえ、ふところから黒い携帯電話をとり出した。
「もうひとつ、あんたの専門分野がある。これを聞いてくれ」
鈴木が携帯電話を操作すると、カーツの〈ベル〉に、ごく短い信号が転送された。
『救難信号《メイデイ》か』
「なにかわかるか?」
『軍籍《ぐんせき》ではないな……はっきりとはいえんが……』
カーツは反射的に耳をぱたぱたと動かし、繰り返し再生される、ノイズ混じりの信号に集中した。そして、鈴木を見上げて、
『深宇宙探査船、おそらくは――』
「〈マッパー〉」と鈴木。
カーツは金色の目に怪訝《けげん》な表情を浮かべ、しっぽをくねらせた。
地球人は――あるいは〈アルゴス〉は、銀河連邦やグロウダイン帝国の内情について、カーツが想定しているよりも多くの情報をもっているようだ。これはいかなる情報源によるものか。また、この事実はカーツと銀河連邦にとって吉といえるのか、はたまた凶といえるのか。
一瞬《いっしゅん》の躊躇《ちゅうちょ》ののち、
『――その通り』と、カーツはいった。『混入した感情コードに〈アカデミー〉の超|形而上《けいじじょう》論理学形式の思考なまり[#「思考なまり」に傍点]がある』
「えらいさん、だな」
『いけ好かん連中だが、重要だ。……この信号はどこから?』
「ほんの目と鼻の先だ」と、鈴木《すずき》はいった。「現在、ここから一〇光時ほど。三〇分ほどで地球に衝突《しょうとつ》するコースをとっている」
カーツの身がこわばり、しっぽがひとまわり太くなった。
『おだやかではないな』カーツは耳をぱたぱたっとふり、『だが、現状、私には打つ手がない……』
そこに、
「いや、じつはな――」
鈴木はカーツに、ひとつの「打つ手」を提案した。
簡潔《かんけつ》な説明が終わったちょうどそのとき、鈴木のタバコをもつ手が、ぶるぶるぶる、とふるえ出した。
「ん……」
鈴木は半ば無意識に、尻《しり》を浮かして体の位置をずらした。すると、
ぼごぼごん!
いままで座っていた場所に、拳《こぶし》から頭ほどもある、いくつものコンクリートの塊が落下し、レンガを突きくずした。
カーツは「ジャアッ!!」と声を上げて飛びのき、
『なにごとかね!?』
鈴木は帽子を押さえ、白い壁《かべ》を見上げた。壁の一部に大きな穴が空き、ぱらぱらと小片を落としている。
「五階……たしか、紳士服売り場だったな。忠介《ただすけ》のパンツでも買ってたのか」あたり。
次いで、鈴木はカーツにむかって、
「あんたは〈マッパー〉のほうをたのむ」
『了解した――〈スピードスター〉!!』
ギュン、と音を立てて飛来した銀色の航行体――〈スピードスター〉のコクピットに収まるカーツに、
「お互い、たいへんだな」と、鈴木がいった。
『君たちの努力は評価している』
「そいつはどうも」
ギュン、と〈スピードスター〉が飛び去ると、鈴木はタバコを口にくわえ、ふところから携帯電話をとり出した。そして、左手に携帯電話、右手にタバコをもちながら、
「鈴木だ。何人かこっちにまわしてくれ」
といって、足早に歩き始めた。
「――ああ、それから種子島《たねがしま》に伝言をたのむ。――『今から猫《ねこ》が行く』」
「どおおりゃあああッ!!」[#「「どおおりゃあああッ!!」」は太字]
機銃弾の嵐《あらし》の中を、バルシシアはバゴバゴドガドガと一直線に駆けた。
バゴバゴというのは質量を増加させたバルシシアの足が床を割る足音で、ドガドガというのはスチール製の商品|棚《だな》をまるで空《から》の紙箱みたいにはね飛ばす音だ。これに00[#「00」は縦中横]式の機関銃のドドドドという発射音と、その弾が棚やらバルシシアの体やらにあたるガギギギギンという音が加わってバゴバゴドガドガドドドドガギギギギン。
ちなみに、現在発砲している00[#「00」は縦中横]式は最初の一機目だけだ。これに左右に展開しつつある四機が加われば、バルシシアといえどもただではすむまい。
だが、彼らがそうするひまもなく、バルシシアは障害物つきの十数メートルをまたたく間に走破し、
「どりゃッ!!」
高く跳躍《ちょうやく》すると、「右側」の一機に飛びげりを食らわせた。
ガゴォン! と大きな音を立てながら、バルシシアの足は00[#「00」は縦中横]式の前面装甲にヒット。次いで00[#「00」は縦中横]式は、ドズン! と音を立ててあおむけに転がった。
「退避《たいひ》!」と叫んで、周囲の野戦服姿が物陰に飛びこんだ。
数メートル横にいたもう一機の00[#「00」は縦中横]式が、着地したバルシシアに機関銃の銃口をむけた。
だが、そこはすでにバルシシアの間合いだ。
「ふんッ!!」
バルシシアがすばやく、そして大きく踏みこみながら体あたりをすると、重量半トンの機体が、ガゴォン! と宙に浮きながらすっ飛び、これまたあおむけに倒れた。
「あおむけに転ぶと起き上がれない」。これが00[#「00」は縦中横]式の最大の弱点といわれている。手足をばたつかせながら起き上がろうとする00[#「00」は縦中横]式を見下ろし、バルシシアはぎらりと笑いながら、
「ハッハァ!!」
超重量化した足を踏み降ろした。
ズドバキィン! とバルシシアが踏みこわしたのは、倒れた00[#「00」は縦中横]式の右腕に固定された機関銃だ。要するに、弾の出るところさえこわしてしまえば、残る機体はただのひょこひょこ歩く四角い箱にすぎない。次いで、最初に転がしたもう一機の00[#「00」は縦中横]式の機関銃もバキンとこわすと、バルシシアは、ふふん、と勝ち誇った顔で、横たわる機体を見下ろした。
と、その後頭部にガギィン「くわっ!」と弾があたり、バルシシアは横たわる00[#「00」は縦中横]式の機体の陰に、前のめりに転げこんだ。
「くそ、いまいましいやつらじゃ」
バルシシアは後頭部をさすりながら、機体越しに周囲をうかがった。
搬入口の前の一機に加え、壁《かべ》にそって左方(今の位置からは正面)に展開した二機が、射撃《しゃげき》姿勢をとって発砲を開始している。バルシシアはためしに全身に気合《きあい》をこめて立ち上がったが、先ほどの三倍の密度でドドドドガギギギン「くわわわっ!」と、飛来する機銃弾の嵐《あらし》を浴びてあおむけに転んだ。これでは身動きがとれない。
「うーむ」
バルシシアは倒れた00[#「00」は縦中横]式の陰であぐらをかき、思案した。ドドド、ドドドド――と断続的な射撃が続き、何百発もの機銃弾に削られた周囲の壁や天井が、バルシシアの黒い肌《はだ》と00[#「00」は縦中横]式の暗緑色の装甲の上に、白い粉となって降り注いでいる。
そして、
『こら、撃《う》つな! 撃つな!』と味方に叫びながら手足をばたつかせる倒れ00[#「00」は縦中横]式[#「倒れ00式」に傍点]を、
「うるさい。わらわは今、考えごとをしておるのじゃ」
ゴワンとなぐって静かにさせたとき、
「……ふむ」バルシシアの頭に妙案が浮かんだ。
『機銃がききません――化け物め!』
『三番機、小破!』
『四番機小破ッ!』
『くそッ、動けねえ……!』
『隊長、指示願います――隊長?』
「…あ、あの……」
言葉をうしなう倉本《くらもと》の頭から、神谷《かみや》がヘッドセットをとった。
「機銃はきいている[#「きいている」に傍点]。ききかたがちがう[#「ききかたがちがう」に傍点]だけだ。たしかに、われわれのもてる装備で戦闘《せんとう》中の〈グロウダイン〉の肉体を破壊《はかい》することは不可能に近い。だが、やつの体力をうばい、『ガス欠』を引き起こすことは可能だ」
「『ガス欠』……?」倉本は眉《まゆ》をひそめた。
「続けたまえ」といって神谷は通信を切り、ヘッドセットを倉本に返した。
「神谷一尉……?」
「問題はない」
神谷はうすく笑っていた。
その表情に、なにか得体のしれないものを感じ、倉本は息を飲んだ。
『こら、撃つな! 撃つな! (ゴワン……バキン!)うわ――(プツン)』
『四番、どうした!』
『やつめ、今度はこっちに――(「どおおりゃあああッ!!」)うわあ…!!』
『二番――寺山《てらやま》! 落ち着け寺山!』
「なにも、問題はない」と、もう一度、神谷《かみや》はいった。
バルシシアは目の前に横たわる00[#「00」は縦中横]式の機体に手をかけると、ロックされた前面装甲を、まるで冷蔵庫を開けるようにバキンと開いた。そして、半畳ほどもある分厚い装甲板を、拳大《こぶしだい》のヒンジをねじ切りながら、片手でちぎりとった。
「うわ――!」
00[#「00」は縦中横]式の着用者が、外気にさらされた。まるで風呂桶《ふろおけ》にあおむけにはまりこんだような――
「無力」を絵に描いたようなその姿に、天井の照明に逆光で照らされた黒い顔が、ぎらりと笑いかけた。
「――げふ、げふっ!」
セメントの粉にむせるその男に、バルシシアは装甲板をひょいとかかげて、
「借りるぞ」
といい、00[#「00」は縦中横]式をまたいで、
「どおおりゃあああッ!!」[#「「どおおりゃあああッ!!」」は太字]
装甲板を顔の前にかまえ、ガギギギギンと弾を弾《はじ》きながら、バゴバゴドガドガと走り出した。
バルシシアがむかったのは、距離的に近い、搬入口の一機だ。
相手の動きは鈍い。間合いに入ってしまえばこちらのものだ。装甲板で弾をしのぎながら接近して、一機ずつしとめればよい。
バルシシアの意図を察知して、搬入口の00[#「00」は縦中横]式が射撃《しゃげき》姿勢を解き、立ち上がった。そして、バルシシアから距離をとろうと、ひょこりひょこりと歩き始める。どうやらこれが精いっぱいの速度らしいが、
「遅いわッ!!」
その背に迫ったバルシシアが、装甲板を放り捨てながら跳躍《ちょうやく》し、跳びげりを放った。
と、そこに、
ゴォン!
赤い、大きな塊が横手から飛び出し、空中にあるバルシシアの体に打ちあたった。塊にはね飛ばされ、棚《たな》を引っくり返しながら落下したバルシシアは、一回転して床に這《は》いながら、それ[#「それ」に傍点]を見上げた。
全身を血のような赤色に塗りたくられた00[#「00」は縦中横]式。
赤い00[#「00」は縦中横]式は右腕を上げ、機関銃の銃口をバルシシアにむけた。
「ぬうッ!!」
バルシシアはすばやく立ち上がりながら、赤い00[#「00」は縦中横]式のふところに踏みこみ、体あたりした。
ガゴォン! と大きな音を立てて両者は衝突《しょうとつ》し、それぞれの後方に弾かれた。バルシシアは転びかけながらもどうにか踏みとどまり、そして、赤い00[#「00」は縦中横]式もまた、一歩、二歩と後退したのち、姿勢を回復――倒れない。
「む!?」
怪訝《けげん》な顔をするバルシシアに、赤い00[#「00」は縦中横]式は再び銃口をむけ、躊躇《ちゅうちょ》なく発砲した。
ドドドドド「がががッ!?」。
何十発という至近弾の直撃《ちょくげき》を受け、バルシシアの意識が遠のきかけた。――が、バルシシアはブオン、と音を立てながら自らの体表面を強化し、「くあッ!!」再び体あたり。
だが、赤い00[#「00」は縦中横]式はやはり倒れない。衝突《しょうとつ》の直前に腰を落とし、前傾姿勢をとってバルシシアの勢いを受け止めている。他《た》の00[#「00」は縦中横]式がおこなうことのなかった挙動だ。しかも、反応が数段速い。
……赤い00[#「00」は縦中横]式は「転ばない」。
この一点によって、バルシシアの優位はうしなわれた。体あたりによる転倒が狙《ねら》えない今、この距離は、バルシシアにとっても、より大きな危険を伴う。
「くッ」
バルシシアは反射的に飛びのき、距離をとろうとした。
だが、そのあとを追って、赤い00[#「00」は縦中横]式はその四角い胴体を前のめりにしながら突進し、バルシシアを突き飛ばした。そして、数体のマネキンを倒しながら尻《しり》もちをついたバルシシアに銃口をむけ、再度連射。バルシシアが反射的に腕でかばう頭部をさけ、攻撃紋の浮いた腹に機銃弾を叩《たた》きこむ。
「がががががッ!?」
バルシシアは身を折りながら床を転がり、射線をさけた。
だが、その動きが鈍ってきている。
機関銃はきいている。バルシシアの体力を確実にうばっている。いうなればそれは、ボディブローのようにきいているのだ。
赤い00[#「00」は縦中横]式の機関銃が、ガキン、と音を立てて動きを止めた。弾切れだ。
と同時に、
「この……ッ」
バルシシアが、床に転がっていたマネキンをつかみ、赤い00[#「00」は縦中横]式に投げつけた。恐ろしい勢いで赤い00[#「00」は縦中横]式の頭部(というか、胴体の上半分)にあたったそれは、バカン、と粉々に砕け散った。
赤い00[#「00」は縦中横]式の姿勢が、ぐらりと傾いた。
バルシシアはさらに、両手にもったマネキンを、バカン、バカンと投げつけ、傾ききった機体に「だあッ!!」体あたりした。
赤い00[#「00」は縦中横]式はあおむけに倒れながらごつい機械の腕を伸ばし、バルシシアの髪をつかんだ。そして、機体の倒れる勢いに腕部のモーターの力を上乗せしてバルシシアを引き倒し、その頭部を床に叩《たた》きつけた。そして、自らはその反動を利用してうつぶせになり、短い両手を床に打ちつけ、起き上がった。
「お…のれェッ!!」
バルシシアは床に顔をつけたまま、赤い00[#「00」は縦中横]式の右足をけりつけ、払った。前のめりに倒れる赤い00[#「00」は縦中横]式は、全体重をかけて右手をバルシシアに叩きつけた。バルシシアは寸前でそれをさけ、横転しながら起き上がった。
一方、床を割りながら右手を、さらに左手をついた赤い00[#「00」は縦中横]式は、腕を伸ばしながら、再び姿勢を回復した。そこにバルシシアが踏みこみ――衝撃《しょうげき》にそなえて前傾姿勢をとる赤い00[#「00」は縦中横]式のふところでくるりとむきを変え、その腕をかかえながら腰を沈めた。赤い00[#「00」は縦中横]式の勢いを利用する、一本背負いに似た形だ。
だが、赤い00[#「00」は縦中横]式はすばやく重心を移動すると、機体を横にさばきながら腕をふった。バルシシアは半ば以上自分の力によって前のめりに回転し、床に叩きつけられた。
昨夜遅く、町玉駐屯地《まちたまちゅうとんち》の整備場にて――
真っ赤な00[#「00」は縦中横]式を前に、整備班の小田切《おだぎり》一士が、その機に施した「特殊な調整」について、倉本《くらもと》に説明した。
「この一番機――手力《たぢから》曹長《そうちょう》の機体は、バランサーの設定をルーズにしてあります。簡単にいうと、ほかの機体より『転びやすい』ってことで――あ、いえ、この場合、『転びやすい』ほうが『転びにくい』んです。なにしろ、中に入ってるのがタヂさんですから」
怪訝《けげん》な顔をする倉本に、
「あ、つまりですね」
といって、小田切は右手にもっていたレンチを、顔の前で垂直に立てた。
「これが00[#「00」は縦中横]式の機体だとして――通常は、機体の軸が傾くとバランサーが働いて、こんな風に自動的に姿勢が補正されます」
小田切は左手の人差し指でレンチの頭を押しながら、それを軽く傾けた。そして、指を放し、少し間を置いてから、元通り垂直にした。
「歩行の際も、基本的には同様です」
小田切はレンチの頭をゆらしながら、右から左に動かした。
「一応、動歩行[#「動歩行」に傍点]ではありますが、ある程度以上バランスをくずすことはありません。たとえ、着用者がそうしようとしてもです。00[#「00」は縦中横]式は『転びたくても転べない』ようになってるんです。これはもちろん安全を考えてのことですが――」
小田切はレンチの頭をぐぐっと押し、ある一点を越えたところで、ストンと水平に寝かせた。
「逆に、許容範囲《はんい》を超えた力が加えられると、なすすべもなく倒れてしまうことになります。……一方、タヂさんの機体は、タヂさんの体の動きが、ほぼダイレクトに反映されるようになってます。『転びたいときに転べる』わけです」
小田切《おだぎり》はレンチを再び垂直に立て、ぱたん、ぱたん、と左右に倒した。
「これがどういうことかというと――大きな力が瞬間《しゅんかん》的に加わるとき、例えば大きな物がぶつかるとか、足元がくずれるとかいった場合、タヂさんは自ら反対側にバランスをくずすことによって、その力に耐えることができるんです。こう――相撲《すもう》の立ち合いみたいな感じです」
小田切は左手の人差し指と傾けたレンチの頭を突き合わせるようにして、ぐっ、ぐっ、と力を入れた。
「加えて、前方に体を投げ出すことによって、あの機体は通常の00[#「00」は縦中横]式の数倍の速度での歩行、いえ、『走行』が可能です」
小田切は左手を引っこめると、レンチを傾けたまま、とっとっとっと、と水平に動かした。
「もちろん、これらは着用者がタヂさんだから可能なのであって、ほかの人間ではこうは行きません。あのバランス感覚というか、姿勢の先読みのセンスというか――いってみれば、タヂさん自身が、標準より数段高性能なバランサーになっているわけです」
「危険はないんでしょうね?」と、倉本《くらもと》はいった。
「はい?」
倉本は、無意識に眉《まゆ》のはしをいじりながら、険しい顔で赤い00[#「00」は縦中横]式の機体を見上げた。
「通常の運用をしていれば、00[#「00」は縦中横]式が衝突《しょうとつ》に耐えたり、走ったりする必要などないはずです。そんな無理な設定をして、手力《たぢから》曹長《そうちょう》の体になにかあったらどうします」
倉本の、普段より若干きつめの口調に、小田切はしゅんとして答えた。
「はあ、それは……その通りです」
結局、時間がとれ次第、一番機の調整および塗装を通常にもどすことを約束させて、倉本は整備場をあとにした。
去りぎわに、寺山《てらやま》と小田切の話し声が、小さく聞こえてきた。
「馬鹿《ばか》だなオタ。適当にごまかしときゃいいのによ」
「……オタっていうの、やめてくださいよ」
柱の陰で流れ弾をさけ、ドドドドドバカンガゴンドガシャ――という騒音《そうおん》を聞きながら、
「どうしよう、おニイ。このままじゃ、殿下かむこうの人たちか、どっちか死んじゃうかも……」と、陽子《ようこ》がいった。
忠介《ただすけ》の胸にしがみつく陽子の腕に、力がこもった。そのまねをしてか、「ミュウ〜」ミュウミュウが首っ玉にしがみついた。
両手に花のモテモテ感に、忠介が思わず「はっはっは」と笑い出すと、
「なに笑ってんのよ」
猫《ねこ》パンチが忠介《ただすけ》のわき腹にどしっ。
「はうっ」
「おニイ、なんとかして」といって、陽子《ようこ》が怖い顔をした。
「はあ、えーと」
ミュウミュウの頭をくしゃくしゃし、にゅにゅにゅにゅにゅ、と、しばしなやんでいた忠介はやがて、
「あ、そうだ」はっと顔を上げた。なにか思いついたらしい。
そして忠介は、「よっ」といって、いきなりTシャツを脱ぎ出した。
「ぎゃっ、なによ!?」と、陽子がいった。
鉄の棺桶《かんおけ》にも似た00[#「00」は縦中横]式の機体の中で、手力《たぢから》隼人《はやと》曹長《そうちょう》はふいごのように息をついていた。機内の空気がうすい。そして暑い。00[#「00」は縦中横]式の空調機能が手力の呼吸に追いついていない――そんな感じだ。
ヘッドギアのすき間に溜《た》まった汗が目に入りそうになるのを、手力は顔を傾けてさけた。これは上手《うま》くない。そういえば、二番機の寺山《てらやま》がしていたハチマキ――いや、バンダナというのか。あればいい考えだ。自分も今度――
『すげ……班長、あんたスーパーマンだ!』と、その寺山の声がした。
「おお」と、手力は答えた。
すでに、機体は限界に近い。モーターの灼《や》ける匂《にお》いが、機内にまで漂っている。また、フレームがゆがんだのか、そこここの関節にねじれたような感触がある。
自分の体もだ。右肩と右ひじ、左ひざ、それに両足首。おそらく脱臼《だっきゅう》している。
それにしても、暑い。
スチール棚《だな》の立てる、ガコン、という音が聞こえた。
00[#「00」は縦中横]式の機内には、音は二重に聞こえてくる。ヘッドギアのスピーカーを通して聞こえる外部マイクの音と、装甲を通して体にひびいてくる振動。前者のほうが鮮明《せんめい》だが、後者のほうがより実感をともなって感じられる。
一方、00[#「00」は縦中横]式の視覚まわりには「実感」はない。密閉構造の00[#「00」は縦中横]式にのぞき窓の類《たぐい》はなく、あるのは着用者の顔の前に設置された六インチのモニターだけだ。連動する外部カメラの視界は狭く、特に自分の足元がおぼつかない。他《た》の機体と視覚を共有し、指揮車と先導《せんどう》要員の指示に従って、ようやくどうにか歩きまわることができる。
「テレビゲームみたいでしょう?」
と、いつだったか、整備班の小田切《おだぎり》がいっていたことを思い出す。そういうものはやったことがない、という手力に小田切が見せた携帯用ゲーム機の画面は、コンピュータ画像の背景の中を漫画のロボットが走りまわる、といったもので、正直、手力にはなにがなにやらわからなかった。だが、目の前にある、ハガキ大に切りとられデジタル補正された視界――その、現実感を削《そ》ぎ落とされた風景は、たしかに、かつて見たそれに似ているように思える。現実より、ゲームに近い。
そして、今、ゲームの画面[#「ゲームの画面」に傍点]の中で、倒れたスチール棚《だな》を、ガコン、と押しのけながら立ち上がったもの――黒い肌《はだ》に発光する紋様、00[#「00」は縦中横]式を凌駕《りょうが》する怪力と耐久性をもつ、少女の形をした戦車ともいうべき「宇宙人」――〈グロウダイン〉。中隊長、神谷《かみや》一尉の語るその存在を、手力はつい先ほどまで、現実とは受け止められずにいた。半信半疑……いや、半ば以上は、なにかの冗談だと思っていた。だが今は――
『戯《ざ》れごとは終《しま》いじゃ!!』
スピーカーからの音声がびりびりと割れ、全身の装甲がふるえた。ブオン、と音を立てて〈グロウダイン〉の全身の紋様が光を増すと、自動的にカメラの露出《ろしゅつ》が補正された。暗く輝度《きど》を落としたモニターには、光の線でできた人影のみが残っている。不|明瞭《めいりょう》なその表情は、怒っているようにも、笑っているようにも見える。
――まったく、なんという――
手力《たぢから》の体の奥底から、不可思議な感動がわき上がった。
――なんという怪物だ。
巨大な兵器を見上げるような畏怖《いふ》とともに、そう思った。
こんな連中が、どこからか大挙してやってくるならば、なるほど、それは「地球の危機」というべき状況かもしれない。
――では……自分は今、体を張って「地球の危機」を押しとどめているのだ。
我ながら子供じみた発想に、手力は苦笑した。
今さっき、寺山《てらやま》は自分を「スーパーマンだ」といったが、まさかこんな不格好なスーパーマンはいないだろう。赤い冷蔵庫をかぶったスーパーマンなど――
『殺すぞ!!』と、〈グロウダイン〉が叫んだ。
――次は、本気でくる。
モニターに映る非現実じみた映像より、〈グロウダイン〉の声の調子から、また、装甲に叩《たた》きつけられる固体のような殺気から、手力はそう判断――いや、実感した。
暗いモニターから、〈グロウダイン〉が光の筋を引いて、視界の外に消えた。
手力は衝撃《しょうげき》にそなえ、腰を落とした。これまでと同様、赤いペンキの塗られた装甲から〈グロウダイン〉の気配を、その接触のタイミングを読み、体重移動――今だ!
だが、
『だっしゃああああッ!!』[#「『だっしゃああああッ!!』」は太字]
怒れる〈グロウダイン〉の拳《こぶし》――その速度と重量は、手力の予想をはるかに超えていた。
桁《けた》外れの衝撃とともに、モニターが光をうしなった。代わりに、
ジュガッ!
打ち抜くというよりは削りとるような音を立てながら、前面装甲を突き破って、赤熱した拳《こぶし》が機内に突入した。熱と振動をはらんだ拳が手力《たぢから》のほおにかすり、じゅっと皮膚《ひふ》を焼いた。
「うおッ!」
手力は一声|吠《ほ》えると両手で〈グロウダイン〉の腕をつかみ、そのひじが逆関節になるように、機体の重量をかけた。だが、〈グロウダイン〉は自ら地面に倒れこみながら、つかまれた腕で一番機を床に叩《たた》きつけた。
床に衝突《しょうとつ》したとき、ヒンジが弾《はじ》け、手力機の赤く塗られた前面装甲が機体から外れた。そのまま機体は床を転がり、あおむけになって止まった。装甲は拳に貫かれたまま、〈グロウダイン〉の手元に残った。
視界が急に開け、粉塵《ふんじん》混じりの風が顔に吹きつけてきた。あおむけになった機体の中で、手力の体はむき出しになっていた。手足を動かし立ち上がろうとしたが、もはや完全に、引っくり返った亀だ。
その手力をのぞきこむようにしながら、
「どうした、そこまでか」〈グロウダイン〉――バルシシアがぎらりと笑った。
その顔を見上げながら、
――なるほど、宇宙人も、人間と同じように笑うのだな。
……と、手力は若干ピントのずれた感想をいだいた。先ほどまでのモニター越しでは、ただ怪物的な像が浮かぶだけで、怒っているのやら笑っているのやら、判別はできなかった。
バルシシアは先ほどまで軽々と扱っていた装甲板を、胸の高さまで、ゆっくりと、重そうにもち上げた。バルシシアの体に走る攻撃紋《こうげきもん》が、ブ、ブン……と、不規則な音を立てながら明滅した。まるで「電池切れ寸前」といった感じだ。
「敵ながらあっぱれ、といっておこう――そのほまれをいだいて死ね!!」
そういって、バルシシアが装甲板をふり下ろそうとしたとき、
「殿下〜」忠介《ただすけ》の、間の抜けた呼び声が背後からかかった。
「なんじゃ、邪魔《じゃま》するでない」
面倒くさそうにふり返ったバルシシアが、きょとんとした顔になって、
「……なんのまねじゃ、それは」
上半身裸の忠介は、売り場の洋服かけの部品の細い棒に、脱いだTシャツを結びつけたものをかかげていた。手製の白旗である。
「はっはっは」
白旗を小さく左右にふりながら、わけもなく楽しそうに歩いてくる忠介に、ミュウミュウをだいた陽子《ようこ》が、腰をかがめながら、そろりそろりとついてくる。
「……けったいなことをしよる」
毒気を抜かれたバルシシアは、装甲板をがらりと放り出し、その場にどかりと座りこんだ。とがった歯の間から、ぶしゅうう、と蒸気のような呼気がもれ、その黒い肌《はだ》から、攻撃紋《こうげきもん》の光が消えた。じつをいえば、先ほどの手力《たぢから》機の装甲を貫いた一撃で、バルシシアはほとんど体力を使いはたしていたのだ。
と、そのとき――
搬入口の近くに立つ、無傷の00[#「00」は縦中横]式――寺山《てらやま》機が、左腕を上げ、バルシシアの背にむけた。
寺山機の左腕には、対戦車|誘導《ゆうどう》弾が装備されていた。
手力機から転送されていた映像が途絶えたとき、
「――手力さん!」と、倉本《くらもと》は思わず叫んでいた。
「まだだ」と、神谷《かみや》はいった。
なるほど、二番機――寺山機からの映像では、あおむけになった手力機は、手足をじたばたと動かしている。少なくとも、死んではいない。
だが、〈グロウダイン〉は転倒した手力機に歩み寄ると、手にした装甲板をふりかぶった。
倉本は口元を押さえ、息を飲んだ。
しかし、〈グロウダイン〉は装甲板をふり下ろす代わりに、なにやら背後を気にしながらそれを足元に捨て、力の抜けた様子でその場に座りこんだ。
くくくっ、と、神谷ののどが鳴った。かと思うと、それは見る間に狂ったような笑い声に変わった。
「ははははは! 見ろ、『ガス欠』だ!!」
神谷は倉本の頭からヘッドセットを引ったくり、
「二番機、対戦車誘導弾《MAT》だ! 今なら倒せる!」
『はっ、しかし……』と、二番機の寺山がいった。『あの、今、子供が白旗をもって――』
指揮車のモニターにも、手力機にむかって歩く、旗のようなものをかかげた少年と、幼児をだいた少女の姿が映っていた。
「だまされるな、擬態《ぎたい》だ! もし見た目通りの子供であったとしても――エイリアンに与《くみ》する者はすべて敵だ!!」
『それに、班長を巻きこむ恐れも……!』
「かまわん!」
「そんな――!」
そこに、
『はっ、その点は自分もかまいませんが、その前に――』
と、手力の声がした。手力機の無線はまだ生きていたのだ。
手力は続けて、
『隊長、こちらの少年が、責任者と話がしたいといっています』
「話すことなど――」
神谷《かみや》がいい終わるより早く、倉本《くらもと》はコンソールのマイクに飛びついた。
「――了解しました! 全隊、戦闘《せんとう》を中止して下さい!」
すると――
「……貴様もエイリアンの手先か!!」
突然神谷が拳銃《けんじゅう》を抜き、倉本の背にむかってかまえた。
「――!」
背中にむけられた銃口の感触が、倉本に、神谷に感じていた違和感の正体を確信させた。
自分の中の基準に照らして、出会うものすべてを「敵」と「味方」に分類する――それが、神谷の自信、神谷の迷いのなさの正体なのだ。
――神谷一尉のいう通り、エイリアンはたしかに実在した。それが恐ろしく強力な存在であることもわかった。いわれるままに、先制|攻撃《こうげき》までしてしまった。
だが、
『あのー、ひょっとして、おとりこみ中でしょうかあ?』
と、手力《たぢから》機のマイクを通して、少年の声が聞こえてくる。
友好の可能性は残されている。
正直いって、倉本にはまだ、なにがなにやらわからない。今、自分になんらかの判断ができるわけではない。
しかし、同時に、
――神谷一尉に判断をゆだねてはならない。
直観的に、そう思った。
「……戦闘は中止です。追って指示があるまで待機しなさい」と、倉本はマイクにいった。
「貴様……!!」
倉本はゆっくりとふり返り、銃口をまっすぐに見返した。
――自分はここで、殺されるかもしれない。
不思議に落ち着いた気もちで、そう思った。
――だが、少なくとも、この戦闘は止まる。これだけ大|騒《さわ》ぎをして、小隊長である自分を撃ったあとで、小隊の指揮がとれるわけがない。
倉本の顔に浮かぶ殉教《じゅんきょう》者の表情を見て、神谷の顔が変わった。今しがた見せていた別人のような興奮《こうふん》ぶりから、いつも通りの、自信に満ちた微笑へ。
「なるほど、どうやら私は悪役にされてしまったようだ……ならば、不本意ながら、悪役らしい行動をとらせてもらうとしよう」
神谷は倉本に意識させるように銃口を軽く動かすと、ヘッドセットのマイクにむかって、
「二番機、MAT発射だ。さもないと、倉本《くらもと》三尉が死ぬ」といった。
「なっ!?」
『え……中隊長、それはいったい――』
「わからんか、人質だ! 撃《う》たなければこの女を殺す!」
「……そんなことをして、どうなるんです」と、倉本はいった。
「異星人があれひとりだけということはないでしょう? 次からはもう、あなたのいうことなど誰《だれ》も聞きませんよ。馬鹿《ばか》みたいだわ」
「挑発のつもりかね、倉本三尉。こちらに先に引き金を引かせようと? ――その手には乗らん!」
神谷《かみや》は拳銃《けんじゅう》のグリップで倉本をなぐった。そして、コンソールに倒れこむ倉本に再び銃口を突きつけながら、
「それに……残念だったな! おまえたちでなくとも、重装小隊はいくらでもある! そして、われわれ〈青い地球〉はどこにでもいる! 地球人類の誇りにかけて、エイリアンもその犬どもも、皆殺しだ!!」
倉本は上体を起こしながら神谷をにらみつけた。左はおが裂けていた。
「あなた……異常だわ」
「そうではない。われわれをとり巻くこの世界[#「この世界」に傍点]が異常なのだ。あれらエイリアンこそがその異常の原因――われわれは異常を排除し、世界を正常化せねばならん!」
『――倉本三尉!?』
『隊長、どうしました!?」
隊員たちが無線で呼びかける中、神谷はヘッドセットにむかって叫んだ。
「どうした二番機、MATだ! カウントしてほしいのか!? よかろう! 五、四、三――」
『う……』
「――二、一!」
『……班長、ごめん!』と、寺山《てらやま》は叫んだ。
ブシュン――!
寺山機の左腕に装備された、大きな筒型をした発射装置から、細長いミサイルが飛び出した。
「む、いかん――伏せろ!」
と、手力《たぢから》が叫んだ。もっとも、そういった本人は逆さ亀状態なので伏せようがない。
白煙の尾を引いて飛ぶミサイルは、倒れたスチール棚《だな》と商品と瓦礫《がれき》の氾濫《はんらん》する紳士服売り場を突っ切って、バルシシアにむかって飛んだ。
忠介《ただすけ》はその軌跡を目で追いながら、
――あ、鉄砲の弾ほど速くないんだあ。
と、のんきな感想。
バルシシアにとっても、それは同様だったらしい。ミサイルが頭部に命中するかと思われたその瞬間《しゅんかん》、バルシシアはそれを、片手でガキンとつかんだ。
「なんじゃこれは?」
「捨てろ! 爆発《ばくはつ》するぞ!」
「なに、爆発とな?」
そういったバルシシアの口が、瞬間、耳まで裂けた。
途方もない大口をあんぐりと開けながら、バルシシアは腕一本ほどもあるそれを、丸々飲みこんだ。
手力《たぢから》が絶句した。
「うわ」忠介《ただすけ》もちょっと驚《おどろ》いた。
そして、
ズドンッ――!!
フロア全体をふるわせる衝撃《しょうげき》が、バルシシアの腹の底からひびいた。その全身の攻撃紋が、まばゆく光った。
バルシシアが、小さな板のようなものを、ぺっと吐き出した。床の上にカロンと落ちたそれは、高熱のため半ば溶けた、ミサイルの尾翼《びよく》だ。
「空腹は最高のなんとやら、と猫《ねこ》のやつめがいっておったが……」
バルシシアは引き締《し》まった腹をぽんと叩《たた》いた。口から黒い煙がポッと出た。
「うむ、なかなかじゃな」
あっけにとられる一同を尻目《しりめ》に、バルシシアは身軽に立ち上がると、その場で二、三度屈伸をし、上半身をぐいっ、ぐいっ、とひねった。「充電完了」というか、「体力余ってます」という感じで、攻撃紋に光の波がちりちりと走っている。それから、寺山《てらやま》機にむかってぎらりと笑い、
「どれ、もう一番、稽古《けいこ》をつけてくれようか!」
『うわああっ!?』
寺山が叫ぶと同時に、倉本《くらもと》は吹き出した。
「あは、あははは……た、食べ……食べちゃった!」
引きつり気味のその笑いは、異常な状況に対する不安の裏返しだ。
「……なにがおかしい!」
倉本にむかって怒鳴る神谷《かみや》の態度も、また同様。
「だって、あなたさっき、『今なら倒せる』って……あれを[#「あれを」に傍点]!?」といって、倉本はさらに笑う。
「だまれ!」
倉本《くらもと》は神谷《かみや》の顔と、自分にむけられた銃口を見据《みす》えた。神谷に対して感じていた底知れない違和感は、もはや感じなかった。
この男は、自分と同じくらい、無知で、無力だ。自信にあふれた態度も、今見せている異常な怒りも、それを隠すための仮面にすぎない。異星人そのものに比べれば、なにほどのこともない。
「……あなた、馬鹿《ばか》みたいだわ」
「貴様ァッ!!」
神谷が引き金にかけた指に、力がこもったとき、
「よぉし、そこまでだ」指揮車の後部ドアが開いた。
マルタンデパートの地下倉庫の暗がりをバックに、指揮車の内部照明に照らされて、ひとりの男が立っていた。黒スーツに黒帽、サングラス。手にした小型|拳銃《けんじゅう》を、神谷にむけている。背後には、同様の黒ずくめの男が数名。
「――エイリアンの犬ども!!」
と神谷は叫び、倉本の手を後ろにねじりながら、そのこめかみに銃口を突きつけた。
「やめとけ。その嬢《じょう》ちゃんを殺したところで、逃げられんぞ」と、黒服の男――〈アルゴス〉の鈴木《すずき》はいった。
倉本に人質としての価値は認めていない、ということだ。
「それにな……『地球を守ろう』ってやつが、地球人と刺しちがえてどうする。本末転倒だろう」
「だまれ! 貴様らに地球人を名乗る資格はない!」
神谷が銃口を鈴木にむけた、その瞬間《しゅんかん》――
「……ふッ!?」
倉本は全身で伸び上がり、神谷のあごに後頭部を打ちあてた。引き金が引かれ、鈴木の隠れたドアに、銃弾がガンとはねた。神谷の力がゆるんだすきに、倉本は自由なほうの腕のひじで神谷のわき腹を突き、体重をかけて倒れこんだ。
せまい指揮車内では、小柄な倉本のほうが、動作の自由がきく。倉本はあおむけになった神谷の体の上ですばやくむきを変え、銃口をこちらにむけようとする腕を体全体で押さえながら、右手の拳《こぶし》を神谷の顔面に打ちこんだ。
神谷は獣《けもの》のような声を上げ、倉本をけり飛ばした。自由になった手で拳銃をかまえなおし、銃口を倉本にむけ、
「――雌犬《めすいぬ》が!」
パン、と銃声が鳴った。
右肩を撃《う》ち抜かれ、神谷があおむけに倒れた。撃ったのは鈴木だ。
やがて、荒い息をつきながら、倉本が立ち上がった。鈴木に警戒《けいかい》の混じった視線をむけながら、うめく神谷《かみや》に歩み寄り、その手から拳銃《けんじゅう》をとり上げた。
「私が雌犬《めすいぬ》なら……あなたは狂犬だわ」
「たいしたもんだ」といって、鈴木《すずき》がにやりと笑った。
「……どうも」と、倉本《くらもと》はいった。
『隊長!? どうしました、隊長!?』
『倉本三尉、応答して下さい!』
――と、いくつもの声が、無線から流れてくる。
その中にあって、
『うわあ、くるな! くるなあっ!』と、寺山《てらやま》。
『あの〜、もしもーし、もしもーし? ――あ、殿下、ちょっと待って待って』と、忠介《ただすけ》。
[#改ページ]
[#挿絵(img/tatumorike3_101s.jpg)入る]
[#改丁]
4 『天落つる夜』
瀕死《ひんし》のハイパードライブがその死力をつくしてジェダダスターツに与えた初速は、約三〇光速。すでに〈突撃丸《とつげきまる》〉から五光分ほどのごく近距離を通過した目標航行体を、追撃する形だ。
その速度をもって、ジェダダスターツが目標に到達するまで、二〇秒。
目標が地球に到達するまで、さらに一五分。その間に、ジェダダスターツは目標航行体の航行機能を掌握《しょうあく》、もしくは破壊《はかい》しなければならない。
ここまで引きつけてからの射出は、主砲の使用準備に手間がかかったためでもあるが、最適なタイミングを計ったためでもある。ドライブ出力も、ジェダダスターツの界面下機動能力も、ともに心もとない。長距離砲撃のリスクは最小限に抑える必要があった。そのために、航行体に到達したあとの行動時間が削られることになったが、その点はジェダダスターツの状況判断と打撃力に賭《か》けたということになる。
虹《にじ》色に光る界面下空間を、ジェダダスターツは次元刀の柄に手をあて、体を丸め、弾丸のように貫いていく。射出時のドライブの出力が不安定だったため、その体に不|均衡《きんこう》な推力がかかり、彼は今、五秒ほどの周期で自転している。
ジェダダスターツは、あえて姿勢を正そうとはしない。そのために使う力が惜しい、ということもあるが、常に全方位を知覚し、全方位からの攻撃《こうげき》に対すべく自らを訓練してきた彼にはその必要がないためでもある。
丸めた体をゆっくりと前のめりに回転させながら、ジェダダスターツは自らの進行方向に意識を凝《こ》らした。その方向から、切迫した調子の救難信号が聞こえてくる。
やがて、彼の知覚が目標をとらえた。基準界面すれすれを、上へ[#「上へ」に傍点]、下へ[#「下へ」に傍点]、エーテルをかき乱しながら飛ぶ、巨大な航行体。
と、同時に――目標も彼の接近をとらえたようだ。
虹《にじ》色の虚空の一点から、高出力のレーザー砲撃が、シャワーのように降り注いできた。
相当の精度をもって飛来するパルスレーザーを、次元刀の刃を抜かずに鞘走らせて[#「抜かずに鞘走らせて」に傍点]右へ左へとさばきながら、
――これは、まるで……。
ジェダダスターツの精神に、ふと、追憶《ついおく》が忍び入った。
一五周期ほど昔――
グロウダイン帝国の辺境に位置する、惑星オルバババノスU。その中でもさらに都市部からはなれた荒野を、幼い少女を背に、ひとりの少年が駆けていた。
少年の名はジェダダスターツ。背負った少女は、彼の妹、ルナスステニアだ。
すでに三昼夜を駆け通してなおおとろえぬ俊足をもって、一路首都へとむかうジェダダスターツの背で、ルナスステニアはころころと笑った。
ルナスステニアの体は、病《やまい》に冒されていた。
酸化腫《さんかしゅ》――手足の先から感覚と運動能力が徐々にうしなわれ、やがては全身が砂鉄の塊のようにくずれおちる、難病だ。
ジェダダスターツの住む辺土には、これに対処できる医師はいなかった。ここ数年来、各地で続発する反乱|騒《さわ》ぎをさけ、身分ある者はすべて、要塞《ようさい》化した首都へと避難《ひなん》している。
無論、そうした者たちに対し、なんらかのつてがあるわけではない。
――妹を助けられるものならば、この身を売ってもよい。さもなくば、刃を突きつけてでも……。
とても目あてといえるものではない。だが、ジェダダスターツはほかに手立てをもたなかった。
「――兄さま、兄さま」
ジェダダスターツの背から、ルナスステニアが呼びかけた。
ルナスステニアの体内に広がった酸化腫は、神経とエネルギー路の流れを阻害し、その身に大きな苦痛をもたらしているはずだ。だが、兄を気づかってか、ルナスステニアは苦痛を表に出すことなく、終始にこやかに話しかける。
「病気になると、兄さまがやさしくしてくださるから、うれしいです。兄さまはとても足が速くて、わたしはいつもおいてきぼりだけど、病気になると、兄さまがおんぶしてくださるから、うれしいです」
「……あまり、しゃべるな」
ジェダダスターツはそういって、さらに足を速めた。
さらに丸一日を通して荒野を駆け、最後の丘を越えると、暮れゆく巨大なオルバババノスの太陽を背にそびえ立つ、首都の建造物群の黒々とした威容が見えた。
故郷の村を発ってより始めて、ジェダダスターツの顔に、笑みが浮かんだ。
「助かるぞ」
ただひとこと、妹にそう告げて、ジェダダスターツが丘を駆け降りようとしたとき――
首都は、巨大な火球に飲みこまれた。
首都への核|爆撃《ばくげき》を皮切りに、オルバババノスUは衛星軌道上に陣を敷《し》いた朝廷|艦隊《かんたい》からの、苛烈《かれつ》な対地攻撃にさらされた。
先年よりこの地に頻発《ひんぱつ》する反乱も、それを御しきれぬ現地政府も、ともに容赦せず――朝廷軍指揮官の判断は、じつにグロウダイン的であったとはいえる。
レーザー砲、核爆弾、はては巨大質量兵器までが投入され、半ばプラズマ化した大気と地殻《ちかく》表層が強大な磁気と放射線とともに荒れ狂う破壊《はかい》の嵐《あらし》が、惑星そのものを砕かんとする勢いで地表全土を蹂躙《じゅうりん》した。
そして、数日後。
廃墟《はいきょ》と化した首都に設けられた朝廷軍の野営地に、ひとりの賊《ぞく》が侵入した。
賊は少年であった。
ただ一本、腕ほどの太さの鉄鋼樹《てっこうじゅ》の丸太を引っ提げたその少年――ジェダダスターツに、火器や刀剣で武装した兵が、片はしから打ち倒され、打ちのめされた。
ジェダダスターツを止めたのは、地上部隊の指揮官をつとめる、武芸長ドルガガルスだ。
窓を割って営舎に突入したジェダダスターツが、浮足《うきあし》立つ兵の合間《あいま》をすり抜け、高く跳躍《ちょうやく》し、最奥に座す武芸長を一足に襲《おそ》ったとき――
脳天を破砕する勢いで打ちふられた丸太を、ドルガガルスは体をかわしながら手にした鉄扇《てっせん》で受け止め、糸を巻きとるようにくるりとふった。勢いをそらされたジェダダスターツの体は、大きく回転しながら床に叩《たた》きつけられた。
たちまちに数名の兵がその上におおいかぶさり、ジェダダスターツを押さえつけ、その体の自由をうばった。
「委細は知らぬが――死ににきたか、小僧」
ドルガガルスはジェダダスターツを見下ろした。そして、兵のひとりに目顔でうながし、正面から床に押しつけられた少年の頭を自由にさせた。
と――
ジェダダスターツの顔が、勢いよく上《うわ》むいた。その口には、なにか小さな塊がくわえられていた。
ギイィィィ――![#「ギイィィィ――!」は太字]
前歯の間ではげしいうなりを上げながら赤く輝《かがや》くそれは、彼の妹、ルナスステニアの残した竜角《りゅうかく》だ。
ジェダダスターツは両腕を封じられたまま、竜角を吹き矢のように放った。眉間《みけん》を目がけて弾丸のように飛んできたそれを、ドルガガルスは弾き[#「弾き」に傍点]の力をこめた左手のひらで受け止めた。だが、竜角は強化された手のひらの皮膚《ひふ》を、そして筋肉を貫き、そこで止まった。
「ほっ」
ドルガガルスの顔に、笑みが浮かんだ。好奇の笑みだ。
「小僧、なにが気に入らぬか知らんが……獣《けもの》のように暴れて死ぬれば満足か」
「仇《あだ》を討てば、死んでもよい」と、ジェダダスターツは答えた。
「仇……仇とな。おまえの仇とはなんだ」
「妹を殺した者だ」
「妹とは、これか」
ドルガガルスは、左手の甲をジェダダスターツにしめした。左手を貫き、手の甲から先端をのぞかせた竜角が、次元振動の残滓《ざんし》にちりちりと鳴っている。
ジェダダスターツは、強い光を放つ両眼を竜角に据《す》えたまま、うなずいた。
「おまえの妹は、どのように死んだ。爆撃《ばくげき》に遭《お》うたか」
ジェダダスターツはわずかにかぶりをふり、
「病《やまい》だ」といった。
「ほっ」
「医者を求めてきたが、会えなかった」
「ほっ、それで仇討ちとは、筋ちがいもいいところだな」
ジェダダスターツは口をつぐんだ。飲みこまれた言葉の代わりに、一段強さを増した眼光がドルガガルスの顔に投げつけられた。その視線を平然と受け止めながら、
「ほっほ、よい、よい。きちんと筋の通った恨みなど、あろうはずもない。おまえがそういうなら、おまえにとってはそうなのだろうさ」と、ドルガガルスはいった。「だが、わしを倒して仇《かたき》を討ったと考えるのは甘いぞ。わしなどは、ただの駒のひとつにすぎぬさ。此《こ》たびの軍をひきいるは、恐れ多くもグロウダイン帝国第一皇女、ブラムダダリア殿下……未来の女帝だ」
「どこにいる」
「ほっ、やる気充分だな。強いぞ、皇家の仁《じん》は」
「関係ない」
ドルガガルスはジェダダスターツの手にしていた丸太をもてあそびながら、
「ほっ! だが、こんなものでは、犬も殺せん……いや、おまえひとりが犬死にだ、小僧」
刺すような目でにらみつけるジェダダスターツの前にどかりとあぐらをかき、
「聞け、小僧」
ドルガガルスはにたりと笑った。
「わしがおまえに、人|斬《き》りを教えてやる」
――思えば、自分はあのひとことにのせられて、やみくもに腕をみがいてきたのだ。
と、ジェダダスターツは思う。
だが、はたして――自分が求めていたものが、本当に「復讐《ふくしゅう》」だったのか、ジェダダスターツには判然としない。
わきからそれをけしかけたドルガガルスは、ずいぶんとあとになって、
「おまえの恨みなのだから、おまえの好きにすればよい」あっさりといったものである。
怪訝《けげん》な顔をするジェダダスターツに対し、ドルガガルスはさらに、
「わしはただ、おまえのように面白い小僧が、あのようなところではいつくばって死ぬることもなかろうと、そう思ったまでさ」と、笑った。
これもまた、ドルガガルス一流の酔狂――ジェダダスターツの半生は、その酔狂につき合わされたことになる。
今さら、それを恨むつもりはないが……。
――思えば、ずいぶんと、遠まわりをしたものだ。
とは、思う。
「兄さま、兄さま、お星さまがたくさん降ってきます」
最後の夜、光の尾を引いて降る、雨のごとき軌道|爆撃《ばくげき》を見上げながら、ルナスステニアはころころと笑った。
「まるで、夜空が丸ごと落ちてくるみたい。いえ――私が天に昇っていくみたい。吸いこまれそう。ねえ、兄さま」
ジェダダスターツはもはや「しゃべるな」とはいわなかった。代わりに、妹の体をかきいだき、ともに天を見上げた。
地の上に、並んであおむけに寝転びながら、
「兄さま、ねえ、兄さま――」
妹はいつまでも話し続け、兄は無言でそれに答えた。
そして――
磁気と粉塵《ふんじん》の嵐《あらし》の吹き荒れる、余熱をもった何百というクレーターの残るガラス化した大地のただ中に、ジェダダスターツをひとり残し、ルナスステニアは逝った。
爆撃《ばくげき》はまるで、死を覚悟したジェダダスターツをさけていったかのようだ。気がつけば、手の中に赤い竜角《りゅうかく》ひとつを残し、妹のくずれた体は狂風に吹き散らされていた。
嵐の中にひとり立ち上がり、ジェダダスターツは途方に暮れた。
自分だけが地上に残されたことの意味がわからず、かといって、無意味――と考えることもできなかった。
――妹よ、俺《おれ》になにを望む。
言葉の多いわりに肝心なことは口にしない妹であったから、ジェダダスターツはいつも、おのれの察しの悪さに辟易《へきえき》しながら、その答えを探したものである。
それは、あるときは一輪の水晶花であり、あるときはジェダダスターツの自作する玩具《がんぐ》の類《たぐい》であったが……あるいはルナスステニアは、単に兄の困惑する姿が見たかったのかもしれない。寝台の上に半身を起こしては、ただ笑いながらそのさまを見ていたものである。
今回も、「足の速い兄さま」を、たまには置き去りにして困らせてみたかったという、それだけのことなのかもしれない。
そうであったとしても、ジェダダスターツはただ困惑し、迷うばかりだ。
迷うことが、妹への供養《くよう》である。
「……手のかかるやつだ」
そうひとりごちながら、地上にあって妹にしてやれることを考え――
――首のひとつも、そなえてやるか。
ジェダダスターツの思考がそこに至ったのは、誰《だれ》かに対する恨みというよりは、無意識に、もっとも不可能に近い行為を選択した結果といえる。その過程で死ぬことを、心の奥底では望んでいたかもしれない。
だが、首をとりにいった先で、図らずもジェダダスターツはドルガガルスに天賦《てんぷ》の才を見出され、また、とるべき首は、帝国の中でもっともとりにくい首だと告げられた。不可能に近い「復讐《ふくしゅう》」のみがその身の目的に据《す》えられ――そのような状況が、ジェダダスターツを極限の剣士に成長させた。
だが、彼自身にとって、それはどうでもよいことだ。
ただ、自然とこのような道を歩んできたというだけのことだ。
そして現在――
雨のごときレーザー砲撃《ほうげき》の彼方《かなた》を見据《みす》えながら、ジェダダスターツは思う。
――妹よ。
おまえとあの日見たのも、このように落ちてくる空だったか。
この空のむこうにひと足先に行ったおまえは、今も笑いながら俺《おれ》を見ているのか。
ならば、今日、俺もそこに行こう――
……だが。
そうした想《おも》いは、やがて接近とともに急速に巨大に、かつ明瞭《めいりょう》になる目標航行体の姿によって、意識の片すみに押しやられた。砲撃の彼方に存在するのは、ほほ笑む妹ではなく、倒すべき敵であった。
見る間に視界のすべてをおおった、エーテルのしぶきを上げて突進するその巨体は――
――竜《りゅう》…?
ジェダダスターツは自分たちが追ってきた「竜」――〈リヴァイアサン〉を、いまだその目で見たことがない。目の前のそれは、グロウダインの間に半ば伝説として伝えられる〈リヴァイアサン〉のイメージに合致するが――
――いや、ちがう。
生きた次元|渦動《かどう》ともいうべき〈リヴァイアサン〉に対して、この航行体は、あくまでも物質的な存在だ。
全長約一〇キロメートルの、銀色の流線型。
大まかにいえば、その姿は先日交戦した連邦|艦《かん》〈スピードスター〉に似ていた。だが、水銀のしずくのようになめらかな〈スピードスター〉とちがい、その表面はごつごつと不規則に節くれ立っている。
その表面に走る虹《にじ》色の筋は、〈突撃丸〉の艦体表面や、グロウダイン各人の皮膚《ひふ》に走る攻撃紋を思わせた。だが、整然とした、幾何学的な印象をもつそれらとちがい、目前に迫りつつあるその筋は、ざらついた銀色の面を血管や神経の束のように有機的に流れている。
筋の狭間《はざま》には、イボのようなものが無数に存在している。眼球状のレーザー砲座だ。先ほどからの砲撃はこれらから発している。レーザー眼の「視線」は現在も、接近するジェダダスターツを追って動いている。
銀色の面が視界一杯をおおった。ジェダダスターツはレーザーの集中砲火を次元刀でさばきながら、航行体に到達。壮絶な相対速度を切っ先にのせ、次元振動を帯びた銀色の表面を切り裂いて内部に突入した。艦内に突入し、その中枢を目指すという、当初の予定通りの行動だ。
が――
装甲を貫いた先になにがしかの空洞《くうどう》があることを期していたジェダダスターツが飛びこんだのは、みっしりと詰まった金属製の細胞組織の層であった。次元刀の鋭利《えいり》な刃を先頭に、航行体の表面を深々と切り裂きながら数十メートルを突き進んだジェダダスターツの体は、運動エネルギーを使いはたしたところで止まった。
硬質ながら思いのほか柔軟なその組織は、ジェダダスターツの自由をうばうように左右から圧力を加えてきた。と同時に、周囲の細胞の間から、半透明の粘液がじくじくと染み出してきた。そして、
ドンッ――!
粘液――おそらくは、液体|爆薬《ばくやく》の一種――が爆発し、大量の細胞の破片とともにジェダダスターツを中空に放り出した。
――自爆――!?
否、爆発の規模は直径五〇メートルほど。巨大な航行体にとっては、表面が多少削られた程度だ。体内に侵入する異物を、ああして排除するしくみなのだろう。しかも、爆発によって生じた傷は、周囲の組織が寄ってきて、急速に修復されている。
巨体の巻き起こすエーテルの乱流に巻きこまれ、きりきりと回転しながら、ジェダダスターツは後方に吹き飛ばされた。銀色の広大な面が、眼下を滑るように流れていく。
ジェダダスターツは〈突撃丸《とつげきまる》〉から次元刀を介して搬送されるエネルギーを体表面の攻撃紋に誘導《ゆうどう》し、周囲のエーテルを弾《はじ》いておのが身を加速。航行体の表面に相対速度を合わせ、つま先から接触。限られた推進能力を銀色の「地面」へのダウンフォースに変え、自らの足で地をけって駆け出した。
その間も、レーザー眼からの砲撃は止《や》むことがない。銀の表面を平行になぎ、また、足元の凹凸《おうとつ》に乱反射しながら襲《おそ》いくるレーザーが、次元刀の刃によって作られた空間のゆがみにとらえられ、あるものは空しく中天を撃《う》ち、あるものはさらに足元に反射した。
二〇光速のエーテルのむかい風を切り裂きながらジェダダスターツがむかうのは、航行体の先端方向だ。
航行体内部への侵入が困難なら、表面に露出《ろしゅつ》した構造物を打撃目標とするのはどうか。例えば、この航行体の目=\―感覚器の類《たぐい》をつぶせば、地球への正確な機動は困難になるだろう。その種の構造物が存在する可能性が高いのは、進行方向にあたる先端部だ――そうした判断を、ジェダダスターツは瞬間《しゅんかん》的に下していた。
進路状のレーザー眼を破壊《はかい》し、虹《にじ》色の筋――航行体のエネルギー路――を飛び越えながら、ジェダダスターツは全長一〇キロの航行体のボディの半分以上にあたる道程《みちのり》を、三分ほどで走破した。
だが、先端近くに至っても、これといった構造物は見あたらなかった。この航行体は、体内深くにもったハイパーウェーブ・レーダーのような器官に知覚を頼っているのかもしれない。
心臓が痛む。いや、自前の心臓ではない。次元刀を介して同調した母艦《ぼかん》のハイパードライブに限界が近づいていることが、切迫した体内感覚として感じられる。
と――急速に先細りになる銀の表面に、段差があるのが見えた。いや、段差ではなく、ひだ[#「ひだ」に傍点]だ。ひだはおおむね航行体のボディの軸と平行に、進行方向にむけてゆるやかな螺旋《らせん》を描きながら先端部に至っている。近寄っては、それはあまりにも巨大なため、巨大な壁《かべ》とその足元の深い溝にしか見えないが、遠目には、皮をねじってまとめたように――あるいは、細長い花のつぼみのようになっているのかもしれない。
……その印象は、ジェダダスターツ本人が思っていたより、正確だったといえる。
最先端部まであと数十メートルというところで、航行体が異常な振動を始めた。
足元が急激にもち上がり、体がはね上げられた。同時に生じた強力なエーテル乱流に巻きこまれ、一瞬《いっしゅん》方向感覚をうしなったジェダダスターツが次に見たものは、渦《うず》巻くエーテルを飲みこむ、巨大な漏斗《ろうと》状の構造物だった。つまり、航行体のねじれた先端部が、アサガオが花開くように、口≠開けたのだ。
――!
異常な吸引力が、航行体そのものよりはるかに巨大なエーテルの渦を作り出した。ジェダダスターツはなすすべもなく「花」の中心の暗い開口部に飲みこまれた。
ジェダダスターツを飲みこんだ直後に開口部は閉じ、同時に航行体内部のエーテル圧が高まり始めた。
急速に加圧され、深エーテルのごとき虹《にじ》色の輝《かがや》きを放ち始めるトンネル状の空間の彼方に、ジェダダスターツは巨大な次元|渦動《かどう》の存在を感じた。
ここは、この航行体のハイパードライブの内部――いや、いうなれば、この航行体そのものが、エーテルの呼吸と圧縮《あっしゅく》によって次元渦動を維持する、巨大な〈半開放型ハイパードライブ〉ともいうべきものなのだ。
この細長い気管=\―いや食道≠ゥ――を通り抜けた先にある次元渦動、それこそがこの航行体の中枢だ。それを破壊《はかい》すれば、ジェダダスターツの目的は達成される。
だが、今の彼は航行体に飲みこまれた生き餌《え》にすぎない。まともにぶつかれば、ただ分解・吸収されるばかりだ。
ジェダダスターツは抜刀し、食道≠フ壁に切りつけた。超高圧に耐えるその組織が、研ぎすまされた次元刀の刃に切り裂かれた。裂け目の入った食道≠ェ内圧に負け、大量のエーテルをジェダダスターツもろとも航行体の組織内に吐き出した。
と、そのとき――
ジェダダスターツの心臓が、音を立てて破裂した。
いや、数光時をへだてた距離にある〈突撃丸《とつげきまる》〉のハイパードライブが、この瞬間に最後の時を迎えたのだ。
ジェダダスターツの精神にひと筋の動揺が走ったその瞬間、
ドンッ――!
航行体の異物排出システムが、先ほどと同様、ジェダダスターツの体をボディの外に弾《はじ》き飛ばした。
推力をうしなったジェダダスターツの体は木《こ》の葉のように舞いながら航行体をはなれた。二〇光速で遠ざかる航行体は瞬時《しゅんじ》に光の点となり、ドップラー効果のかかった救難信号のみを残して、宇宙背景放射の中にかすんで消えた。
――……不覚!!
ジェダダスターツは空《むな》しく自転しながら、虚空にとり残された。
「宇宙空間への放置」――それは、不死身にして無敵のグロウダインを無力化する、数少ない手段のひとつでもある。
いや……正確には、グロウダインは不死身でも無敵でもない。彼らもまた、基本的には惑星の重力にしがみついて生きる者だ。宇宙規模で考えれば、グロウダインの活動圏もまた、無に等しいものだといえる。恒星間の虚空をわたることを常態とする〈リヴァイアサン〉や〈キーパー〉に比べれば、その存在のなんと卑小なことか。
刻々と絶望の色を濃《こ》くする状況にあって、ジェダダスターツはさらに思考しつつ、周囲の空間を見わたした。我が身を責めて時間を空費することこそしなかったが……もはや、打つ手はないように思えた。
……だが。
航行体の去った太陽方向から、共用周波数帯の通信波を発しつつ、ひとつの光点が接近してきた。
『応答せよ! 本艦《ほんかん》の前方を漂流中のグロウダイン、応答せよ! 本艦は銀河連邦艦隊所属のマルチプル・タスク・システム、MTS07-2885〈スピードスター〉、指揮官は特務|監察《かんさつ》官カーツ大尉だ――』
そのころ、マルタンデパート五階。
「はい、わかりました、はい、はい……それじゃ、今から行きます」
いまだあおむけの手力《たぢから》機につながったヘッドギア(無線機内蔵)にむかって話をしていた忠介《ただすけ》は、陽子《ようこ》をふり返ると、
「なんか、地下の倉庫にこいって。鈴木《すずき》さんが」
「え?」と、ミュウミュウをだいた陽子。「鈴木さんって、あの鈴木さん?」
「うん、ハゲの鈴木さん」と、失礼な忠介。
「なんで鈴木さんが自衛隊の無線に出てくるのよ」
「あっ、なんでかなあ」
「そういう大事なこと、ちゃんと聞いとかなきゃ駄目《だめ》でしょ」
「うんうん、ごめん」
そういいながらふり返った忠介が、ヘッドギアを指して、
「あ、これ、ありがとうございました」
「うむ」と答えた手力《たぢから》曹長《そうちょう》は、別の隊員の助けを借りて機体から抜け出し、今は忠介《ただすけ》の横に座っている。
忠介は立ち上がって、瓦礫《がれき》と鉄くずの山と化したフロアを見まわした。無傷の00[#「00」は縦中横]式や生身の自衛隊員が、バルシシアが倒した機体を起こしたり、中から着用者を助け出したりしている。
「あの……片づけとか、手伝ったほうがいいですか?」と、忠介がいった。
「あたしたちは関係ないでしょ!」と、陽子《ようこ》。
「気にせず行きなさい」
と、座ったまま手力はいった。平気な顔をしているが、この場にいる人の中では、この人が一番重傷。右のほおには大きな火傷《やけど》があるし、骨折やら脱臼《だっきゅう》やらで全身ポキポキらしい。
「はい、それじゃ……あ、でも、怪我《けが》、大丈夫ですか?」
「うむ。君たちこそ、怪我はないか」
「えーと…」忠介と陽子は、壁《かべ》ぎわの試着コーナーを見た。
一番怪我をしていなくてはいけないはずのバルシシアは、カーテンからにゅっと顔を出しながら、
「ハ、貴様らとは体の出来がちがうわ!」一番元気。
「それはよかった」といって、手力が笑った。
ちなみに今、バルシシアはボロ布と化した服の代わりに、売り物の服を身につけているところだ。「泥棒《どろぼう》みたいでやだけど……」と陽子はいったが、まさか女ターザンみたいな格好で家に帰るわけにもいかないので、しぶしぶ承知。一応、あとで代金が払えるように、タグはとっておいてある。
ほどなくして、試着室から出てきたバルシシアは、忠介と陽子にむかって胸をはり、
「どうじゃ?」
バルシシアの着ているのは、その辺から拾った男物のシャツとジーパン。ちょっとほこりをかぶってしまっているが、家を出たときに着ていた忠介の服と、そう変わらない。
「いやあ、似合います似合います」
「……早く行きましょ」といって、陽子が忠介の背を押した。機嫌《きげん》が悪い。
そのあとに続きながら、
「あとは、これに合うマントじゃの」とバルシシア。
「マントはいいの!」
と陽子がいったそのとき、陽子のだいているミュウミュウが、額《ひたい》のぽっち[#「ぽっち」に傍点]から、シャキン、と角《つの》を伸ばした。
「きゃっ!?」
「あ、どうしたの、ミュウミュウ?」
「るるるるる……」
ミュウミュウはのどの奥を鳴らしながら、角《つの》を天井にむけた。視線はその先、はるか天空を見つめている。
かと思うと、ミュウミュウはしゅるっと角を引っこめ、陽子《ようこ》の肩にほおをあてて、
「ミュウ……」といって、寝に入った。
陽子がちらりと横を見ると、護衛《ごえい》についてきた自衛隊員が、ひとりは目を丸くして、ひとりは思わず自動小銃に手をかけながら、ミュウミュウを凝視《ぎょうし》している。
「うう〜……」と、陽子はうなった。ますます機嫌《きげん》が悪い。
[#改ページ]
[#挿絵(img/tatumorike3_125s.jpg)入る]
[#改丁]
5 『救出』
太陽系来訪の日以来、カーツ大尉はバルシシア皇女と同様、地球上に幽閉された身であった。少なくとも、彼自身はそう考えていた。
彼に残された装備は、黄金の〈ベル〉と〈スピードスター〉のコアユニットのみ。コアユニットに装備されたハイパードライブの出力は、救命|艇《てい》として必要最低限のものだ。地球の重力をふりきるだけの能力はない。
また、バルシシアとの交戦の際に衛星軌道上に放棄した一三基のメインドライブ、そのうちの一〇基はいまだ使用可能なはずだが、こちらは回収手段がない。
一度、〈アルゴス〉サイドから「地球人の協力による回収計画」の提案があったが、それは棚上げになっていた。交換条件として提示された「ハイパードライブ一基の譲渡《じょうと》または貸与」を、カーツが認めなかったためだ。
「現住生物に対するその種の技術供与の権限は、私には与えられていない」というのが、その理由である。
「なるほど」と、それを聞いた島崎《しまざき》はいった。「われわれのような『準』知的種族にハイパードライブに代表される恒星間航行技術を与えることは、かならずしも銀河連邦にとって利益にはならず、むしろグロウダインのような敵対勢力を生む可能性がある……こうした場合、それらを与えないこと[#「与えないこと」に傍点]が、われわれに対する権利の制限であると同時に、有効な封じこめの手段になっているわけですね。うん、うん……それは慎重にもなるわけです」
「そこをなんとかならんか」という鈴木《すずき》に対し、
「駄目《だめ》だ」とカーツ。
「じゃあ、こっちの協力もなしだ。ロケットの手配も金がかかるんでな。ボランティアってわけにはいかん」
……そういうわけで、超光速・操縦《そうじゅう》不能状態で地球に迫る宇宙船があったとしても、カーツにはなすすべもなかったはずなのだが、
「いや、じつはな」と、つい先ほど、デパートの前で鈴木はいった。「こういうときのために、いつでも飛ばせるロケットが、以前から用意してある。衛星軌道までは送ってやるから、あとはなんとかしてくれ」
カーツは鈴木の顔を見上げ、ぱたぱたっ、と耳をふった。
「まあ、そんな顔をするな」と、鈴木。「あんたが地球人に地べたでおとなしくしていてほしいように、俺《おれ》たちもあんたにおとなしくしていてほしかったのさ。せいぜいバルシシア程度にはな」
鈴木はタバコをひと吸いし、ぽわ、と煙の輪を吐いた。
「……しかし、地球のピンチとあっちゃ、そうもいかん。ロケットの運賃はまけておく」
「その他《た》の条件は?」
「さて、な。『地球、グロウダインおよび〈リヴァイアサン〉に対し、慎重かつ公平、善意をもった対応を期待する[#「期待する」に傍点]』ってとこか。航行手段《あし》をとりもどしたあんたがどう動こうが、こっちにゃ手も足も出ん」
カーツはほおひげを立て、にやりと笑った。
「了解だ――いや、いうまでもなく、私には君たちの処遇に対する責任がある。この〈ベル〉にかけて、悪いようにはせん。安心したまえ」
「そいつはどうも」と、鈴木はいった。
地球製ロケットのペイロードとしてコアユニットごと軌道上に打ち上げられたカーツは、ハイパードライブを始めとする〈スピードスター〉の各種装備を回収した。ごつごつとした機械の塊がコアユニットを中心に組み合わさり、その上を銀色の液体外装がおおい――〈スピードスター〉は数日ぶりに、全長五〇〇メートルの白銀の偉容をとりもどした。
カーツのコマンドによって一〇基のハイパードライブが咆哮《ほうこう》し、〈スピードスター〉はくだんの宇宙船にむかって、ほぼ正面からむかい合う形で一直線に加速した。
『――メイデイでおじゃる! メイデイでおじゃる!』
〈スピードスター〉による感覚・思考の支援を得たカーツは、救難信号を発しながら突進するその宇宙船の正体を特定した。
〈マッパー305〉――〈アカデミー〉の深宇宙探査船だ。
銀河連邦政府に対して大きな発言力をもちながら半ばその枠を外れ、政治に興味《きょうみ》をしめすことなく、ひたすらに知を究めんとする学究組織〈アカデミー〉。その探査船がこの星系を訪れたのは、〈リヴァイアサン〉の存在を嗅《か》ぎつけたためか、はたまたなにか別の研究テーマを見つけたためか。
カーツは彼らの「研究」に興味はない。ただ、そのトラブルの原因を知る必要がある。
――船体の故障か?
……いや、〈マッパー〉に故障はありえない。〈マッパー〉は超長期かつ広|範囲《はんい》にわたる探査旅行に耐えるべくデザインされた、燃料不要・メンテナンスフリーのバイオメカニカル・ラムシップだ。その恒常性は通常の生物の域を超え、たとえ質量の三〇パーセントをうしなっても数分のうちに常態を回復するという。
――では、積み荷に由来するトラブルか?
……いや、〈マッパー〉に積み荷はない[#「積み荷はない」に傍点]。〈アカデミー〉の主たる構成員であるクレメントUのトリ・ホシテ族は、超高精度の知覚力と超高圧の思考力、そして完全な記憶力《きおくりょく》をもっている。あらゆる事象を見、記憶し、そして思考実験の中で完全にシミュレートする彼らの目的は、〈マッパー〉によってこの銀河全域をマッピングし、〈アカデミー〉の集合意識の中に完璧《かんぺき》に再構築することだといわれている。
はたしてそのようなことが現実に――しかも、たかだか数百隻の探査船に――可能なのか、また、可能だとしても、そのようなことにどれだけの意味があるのか、カーツにはわからない。ともあれ、〈マッパー〉の積み荷は搭乗者と「知識」のみ。物質的存在をいちいちかかえこんでは、長期の探査旅行など不可能だからだ。
そして――
『〈マッパー305〉! 応答せよ、〈マッパー305〉! 貴船は惑星への衝突《しょうとつ》コースに乗りつつある。至急|回避《かいひ》せよ! 至急回避せよ!』
カーツの呼びかけに対する〈マッパー305〉――その搭乗者〈教授21MM〉の返答は、
『助けるでおじゃる! 誰《だれ》か助けるでおじゃる!』完全なパニック状態。
トリ・ホシテはその知覚力、思考力、記憶力に由来する銀河最高ともいわれる知性をもつが、意志力や精神力といった要素に決定的に欠ける面がある。完璧に近い洞察力《どうさつりょく》の裏返しなのか、自分の意のままにならない状況に出会うと、容易にパニックを起こすのだ。
『落ち着きたまえ!』
『もう駄目《だめ》でおじゃる〜〜っ!!』
――こいつはやっかいだ。
カーツは思案した。
――〈マッパー305〉はあと一五分で地球に到達し、甚大な被害をもたらす。それを回避《かいひ》するためには、〈マッパー305〉の制御を回復するか、その航行機能を破壊《はかい》するか……。
「制御の回復」は、〈教授21MM〉のまともな対応が望めない今、不可能に近い。
残る「航行機能の破壊」は、事実上、「船体そのものの破壊」ということになる。〈マッパー〉はそれ自体が、ひとつの〈生きたハイパードライブ〉ともいうべき存在だからだ。
いささか乱暴な手段をとることになるが、現在カーツのもてる装備でも、「破壊」は可能だ。モジュール化された構造をもつマルチプル・タスク・システムならではの戦法――〈スピードスター〉のハイパードライブのうちいくつかを、ミサイル代わりにぶつけてやればよい。
しかし、その前に〈マッパー305〉から〈教授21MM〉を救出しなければならない。トリ・ホシテ族は銀河連邦の組織の基幹をささえる最重要種族なのだ。見殺しは、できる限りさけなければならない。
そのための手段を講《こう》じるべく、カーツはさらに思考した。
――限られた時間のうちに〈教授21MM〉を救出し、そののちに〈マッパー305〉を破壊するには……。
と、そのとき。
〈スピードスター〉の観測システムによって拡張されたカーツの感覚が、〈マッパー305〉に接近する小さな弾体をとらえた。その進路を逆算したカーツは、それがグロウダイン艦《かん》〈突撃丸《とつげきまる》〉からの砲撃であることを確認した。
――まずいな……。
グロウダインはなによりもまず、〈マッパー305〉の破壊を優先するだろう。それを阻止する手段はカーツにはない。ただ全力で先を急ぎ、かつ、目を凝《こ》らすだけだ。
カーツが〈マッパー305〉に最接近するのは約七分後。それに対して、弾体は〈マッパー305〉の防衛システムを無効化しながら、あと数秒で――着弾した。
次いで、〈マッパー305〉の表面で小|爆発《ばくはつ》が起こった。免疫システムが作動し、突入した弾体を体外に排出したのだ。
カーツは若干|安堵《あんど》しつつ、そのさまを見守った。
だが――
体表面から放り出された弾体が加速し、再び〈マッパー305〉にとりついた。
――まさか……対艦思考弾体《ギルガガガントス》!?
ありえない。〈突撃丸〉の主たるバルシシアは現在地球にあり、また、一隻の砲艦に二体以上の皇族《ギルガガガントス》が乗艦することは、通常考えられない。だとすると……。
――その機能をもたない氏族を、無理矢理《むりやり》射出したのか――なんと無謀《むぼう》な!
だが、カーツはすぐに思い直した。無謀こそはグロウダインの流儀《りゅうぎ》だ。主のためになすべきことがあり、そのために使うべき[#「使うべき」に傍点]生命がある――そうした状況下にあって、グロウダインは迷うことがない。銀河連邦に所属する諸《しょ》種族が、「異質」とし「機械的」といって恐れる、これこそが「グロウダインの忠義」だ。
――だが、その「忠義」は使える[#「使える」に傍点]……!
カーツはのどの奥で、満足げにうなった。
「ジェダダスターツによる〈教授21MM〉の救出」と「カーツによる〈マッパー305〉の破壊《はかい》」――ジェダダスターツはその交換条件を承諾《しょうだく》した。
ジェダダスターツの回収のために消費された時間を差し引いて、残り時間は約六分。
全長五〇〇メートルの白銀の機体の先端に座し、居合《いあい》のかまえをとったジェダダスターツが、『こちらにも、推力を』といった。
『なに――いや、よかろう。君の次元刀に同期をとる』
本来ならば、今、〈スピードスター〉は〈マッパー305〉を全力で追うべきであり、他《た》のことにドライブの出力を割くべきではない。また、莫大《ばくだい》なエネルギー容量を誇るギルガガガントス以外の氏族の体に、〈スピードスター〉の巡洋|艦《かん》クラスのドライブから発する強大なエネルギーを通すことは、明らかに無謀に思える。
……だがカーツは、銀河連邦的な常識を超える、グロウダインの戦術的判断に賭《か》けた。
ハイパードライブの一基が次元刀を介してジェダダスターツの体内にエネルギーを送り、その攻撃紋《こうげきもん》を虹《にじ》色に光らせた。ジェダダスターツの体内に、再び「第二の心臓」が宿った。今度は病んだ心臓ではなく、力強い鼓動をひびかせる、巨大な心臓だ。だが、全身を打つその巨大な力は、制御を誤れば、今度こそジェダダスターツの体を粉々に砕きかねない。
『……機[#「機」に傍点]を合わせよ』
『了解だ』
ジェダダスターツの言葉は少なかったが、カーツはその意志を理解した。
次元刀を、そしてドライブの一基を介し、ジェダダスターツの感覚の一部が、カーツにも伝わってくる。その体内に刻まれるリズムが徐々に収束し、高まっていく。それが頂点に達したとき、ジェダダスターツはなんらかのアクションを起こす。
そのタイミングに合わせて最大出力が出せるように、カーツもまた、残り九基のドライブの回転を調整していった。
そして、その[#「その」に傍点]瞬間《しゅんかん》――
ハイパードライブの咆哮とともに、
『鋭《エ》ヤッ!』
ジェダダスターツが抜刀した。太刀《たち》先から延長された次元振動の刃が進行方向の空間をなぎ、エーテルの海を大きく断ち割った。
瞬間《しゅんかん》的にエーテル抵抗をうしなった空間を、〈スピードスター〉は最大出力で駆け抜け――一光時あまりの距離を一瞬にして走破し、〈マッパー305〉の至近に至った。
全長一〇キロメートルの〈マッパー305〉と、五〇〇メートルの〈スピードスター〉――まさしく、鯨《くじら》と小舟だ。〈マッパー305〉の巻き起こすエーテル乱流にあおられて、〈スピードスター〉が大きくゆらいだ。
ジェダダスターツは躊躇《ちゅうちょ》なく〈スピードスター〉の機首をけり、〈マッパー305〉の表面にむかって落下した。乱流の中、〈スピードスター〉の機体を目的の位置につけることは困難と判断したのだ。
〈マッパー305〉の体表面でイボのようなレーザー眼が一斉《いっせい》に目を開き、着地したジェダダスターツに照準した。
『もっと力を』
『了解だ』
カーツはドライブをもう一基、ジェダダスターツにリンクさせた。そのエネルギーがジェダダスターツの肉体の限界を超えつつあることは、自身のことのように感じられる。
だが、ジェダダスターツは次元刀でレーザーをさばきながら、
『もっとだ』
『――!』
カーツは絶句しながらも、さらにもう一基のドライブをジェダダスターツにまわした。
明らかな過負荷に全身を発光・振動させながら、ジェダダスターツは地をけって駆け出した。もはや次元刀をふるう必要はない。レーザーは彼の速度に追いつけない。〈マッパー305〉の銀色の体表面に押しつけるように我が身を推進しながら、ジェダダスターツは進行方向に移動。
先端部から数百メートルの地点で、
『そこだ』と、カーツはいった。『その直下に〈マッパー305〉の航法脳がある。〈教授21MM〉はそこにいる』
ジェダダスターツは応答する代わりに次元刀を一閃《いっせん》させ、深く切り裂かれた〈マッパー305〉の体組織の中に飛びこんだ。
『敵味方識別信号を転送する。〈マッパー305〉の免疫システムの作動を抑えられるはずだ』
カーツが送ったその信号パターンを、ジェダダスターツはおのが体表面から発信しながら、さらに次元刀をふるい、体内深くに切りこんだ。
その一方で、カーツは〈教授21MM〉に呼びかけた。
『〈教授21MM〉! 聞こえるか、〈教授21MM〉! 今から救助の者が行く!』
『ひええ、助けるでおじゃる! 助けるでおじゃる!』
と――
界面下航行に適応し、四次元的に折りたたまれた脳組織のひだの間から、黄緑色に発光する粘液が、じわりと染み出してきた。
――液体|爆薬《ばくやく》? いや、ちがう……?
粘液はその一端を触手のように伸ばしてきた。ジェダダスターツが次元刀に弾《はじ》きの力をこめ、それを焼き払おうとした瞬間《しゅんかん》、
『待て! それ[#「それ」に傍点]が〈教授21MM〉だ。すまんが体内に入れてやってくれ』
『助けるでおじゃる! 早く助けるでおじゃる!』
発光粘液――〈教授21MM〉はジェダダスターツの口からずるりと侵入すると、その体内に浸透した。
『……入った』
『よし、脱出したまえ!』
ジェダダスターツは攻撃紋《こうげきもん》からの信号パターン発信を停止。〈マッパー305〉の免疫システムが作動し、爆発とともにジェダダスターツを体外に弾き飛ばした。
〈スピードスター〉はすばやく機体を寄せ、体を丸めながら回転するジェダダスターツを回収した。脱出と同時に肉体の限界を迎えたジェダダスターツは、〈スピードスター〉の表面につかまることもできない。カーツは外装の一部を液化し、彼の体を塗りこめるように固定した。
〈教授21MM〉は、ようやく身の安全を確認したのか、ジェダダスターツの体内で、ほう…と、安堵《あんど》の思念をもらし、そして、
『しかし、この粗雑な体は破壊《はかい》寸前でおじゃるのう。それでなくとも雅《みやび》が感じられぬでおじゃる。やれやれ、無粋、無粋。代わりはないのでおじゃるか?』といった。
『……気にしないでくれたまえ、グロウダイン。非礼に関しては私から謝罪《しゃざい》する』と、カーツ。
『無粋を無粋といったまででおじゃる。おほほほほ』
ジェダダスターツは無言であった。
カーツは続いて、〈マッパー305〉の破壊のための準備を開始した。ハイパードライブを切りはなし、最高出力で稼働《かどう》させ、〈マッパー305〉の体内――次元|渦動《かどう》の本体――に撃《う》ちこむ――残り時間は約四分。救出作業が順調に進んだので、かなり余裕がある。
……だが。
〈マッパー305〉が急加速を開始した。
『なに!?』
〈マッパー305〉は残りの距離=時間を急激に消化しながら、それまでに数倍する速度で地球を目指し――あの速度では〈スピードスター〉のドライブが追いつけない!
『くそ、なぜ今になって――!?』
『おほほほほ、そんなこともわからぬでおじゃるか』と、〈教授21MM〉はいった。『今しがたまで、まろが〈マッパー〉の本能的暴走を抑制していたのでおじゃる。〈マッパー〉はあの惑星が発する正体不明の深深度波信号によって呼び寄せられているのでおじゃる。まろがあれの脳からはなれたゆえに、今は全速力なのでおじゃる』
『……それを先にいいたまえ!!』
『おほほほほ、未開惑星のひとつやふたつ、いいではおじゃらぬか』
『ことは惑星ひとつの問題ではない! この星系には〈キーパー〉が駐留している――』
『おほほほほ、めずらしくもないでおじゃる』
『そして、あの惑星には〈リヴァイアサン〉だ!』
『なに、〈リヴァイアサン〉。それはちと興味《きょうみ》深いでおじゃるな。まろの完全知覚をもってしても、〈リヴァイアサン〉の存在は完全には把握《はあく》できぬでおじゃる』
『あの惑星は〈キーパー〉の実験場なのだ。だが、〈リヴァイアサン〉を安定させているなんらかの要因が惑星もろともうしなわれたとき、この星系は即座に〈キーパー〉の焼却対象になる!』
『なに、それはまことでおじゃるか』
『本当だ。われわれは〈リヴァイアサン〉を手に入れそこねるだけでなく、グロウダインとの関係の悪化や――』
カーツの台詞《せりふ》を終《しま》いまで聞かず、
『ひええええ!』と、〈教授21MM〉は叫んだ。『なんとかするでおじゃる! なんとかするでおじゃる! 死ぬのはいやでおじゃる!』
と、そのとき、それまで無言だったジェダダスターツが、
『……拙者を、機首へ』といった。
そして、再び〈スピードスター〉の機首に座したジェダダスターツは、
『機を合わせよ』といった。
先ほどの〈マッパー305〉への接近の際と同様、ジェダダスターツのエーテル斬《ぎ》りに乗じて、ミサイル化したハイパードライブを撃《こ》ちこむ計画だ。
すでに破壊《はかい》寸前まで肉体を酷使しているジェダダスターツにとって、体内のエネルギー圧を最大限まで高めるそのひとふりは、おのれ自身に対する致命の一撃《いちげき》となるかもしれない。
――だがそれは、この男を止める理由にはならない。
カーツはグロウダインの行動|規範《きはん》を理解しつつあった。つまるところ、それはカーツ自身が銀河連邦の安寧に身を捧げることと同質の行為なのだ。
ジェダダスターツの体内のリズムと、一〇基のハイパードライブのうなりが高まった。
と、そのとき――
『待つでおじゃる!』
ジェダダスターツの体内から、〈教授21MM〉が叫んだ。
数分前、マルタンデパート地下倉庫――
「……指揮系統の混乱からあなたがたに危害を加えることになってしまい、もうしわけありません。すべての非は当方にあります。ただ……この件が地球側の総意によるものでないということだけは、どうか、ご理解下さい」
自衛隊の野戦服を着た、小柄で眉《まゆ》の太い女の人――倉本《くらもと》三尉がそういうと、バルシシアが腕を組んで「ふん」といい、ミュウミュウをだいた陽子《ようこ》がものいいたげに口をとがらせた。
そして忠介《ただすけ》は、
「いやあ、そうでしたか〜」といって、後ろ頭をぽりぽり。
「ま、これにて一件落着、ってことだ」と、なぜかそこにいる鈴木《すずき》。
用件はそれだけだったらしい。どちらかというと、帰るついでに寄らされたという感じ。
龍守《たつもり》家一行は鈴木と倉本に見送られながら、デパートの裏口を出た。まだ昼下がりといった時間で、青空には大きな雲が、ぽかりぷかりと浮いている。
それはさておき、
――なんで鈴木さんが仕切ってるのかなあ。
というのが、陽子じゃないけど忠介にも気になったので、
「あのー」と声をかけてみたところ、
「お、そうだった」
鈴木はふところから黒い携帯電話をとり出し、
「今度はなくすな」といって、忠介に手わたした。
見ればそれは、先ほど〈青い地球〉のおばさんたちにとられてしまった、忠介の携帯だ。
「あ、えーと……?」
――なんでこれが鈴木さんから出てくるのかなあ。
新たな疑問に気をとられて、忠介の思考はわき道にそれ、
――まあ、なにかと気の利いた人なんだなあ。
と、わかったようなわからないような結論。
一方、一行に並んで歩く倉本は、バルシシアの横顔をそっと見て、
――直接見ると、意外に人間らしいわね……。
と思った。モニター越しには「人型をしたなにか」としか思えなかったのだが。
と同時に、ふと、自分にむけられる視線を感じてふりむくと、視線の元には、異星人の同行者の、小さな女の子をだいた中学生くらいの少女がいた。ミュウミュウと陽子だ。陽子は口をとがらせて、上目づかいに倉本の顔をにらみつけている。
――私も今、こんな顔をしていたのかしら。
と、倉本は思った。野戦服、小銃、そして00[#「00」は縦中横]式――この少女にとっては、自分たちは異星人以上に非日常的な存在なのだろう。
自分や神谷《かみや》が異星人に対していだいていた感情も、これと同様、未知なるものへの恐れだ。
倉本《くらもと》は立ち止まり、陽子《ようこ》にむかって軽く腰を落とし、
「……本当に、ごめんなさい」といった。
陽子は思わず、ミュウミュウを倉本から遠ざけるようなしぐさをした。が、やがて、
「……怪我《けが》、してますね」といった。
陽子の視線から、倉本は自分のほおの傷を思い出した。ほお骨の上を拳銃《けんじゅう》のグリップでなぐられたあとだ。倉本は大きく腫《は》れ始めているそこにそっと触れ、
「平気よ」といって、笑った。
陽子の表情がゆるんだ。
倉本は続けて、ミュウミュウを目でしめして、
「妹さん?」
「ミュウ?」とミュウミュウ。
「……ちがいます」と陽子。
「あら、でもよく似てるわ……」
そういいながら、
――私の恐怖心が、この子たちを傷つけてしまうところだったんだ……。
陽子とミュウミュウの顔を見比べながら倉本が思った、そのとき、
「ミュウ!」
陽子の腕の中で、ミュウミュウが上をむいた。その額《ひたい》のぽっち[#「ぽっち」に傍点]から、ドリルのような角《つの》が、倉本の鼻先でシャキンと伸びた。
「きゃっ!?」と、倉本がのけぞり、
「キオオオオン……」
と、ミュウミュウがいった。その目は雲の彼方《かなた》の天空を、まっすぐに見つめている。
「え、どうしたの、ミュウミュウ?」忠介《ただすけ》がふりむいた。
「ミュウちゃん?」
陽子の腕をすり抜け、その肩をぽんとけって、ミュウミュウは風船のように空中に浮かび上がった。ふわりと滞空したミュウミュウの額で、天を指した角が、青く光りながら、ぎゅるるるる、とまわり始めた。そして、
ひゅんっ。
ミュウミュウは青空にむかって急速に上昇し、またたく間に雲の中に消え、
ドォン――!
雲を吹き散らしながら爆発《ばくはつ》した。
火球の中から飛び出した紡錘《ぼうすい》形の光の塊が、ものすごい速度で一直線に飛び上がった。その航跡を見上げた倉本《くらもと》が、
「あれは……!?」といい、
「まだだ――伏せろ!」と、鈴木《すずき》が叫んだ。
ドォン![#「ドォン!」は太字]
ドォン![#「ドォン!」は本文より1段階大きな文字]
ドォン![#「ドォン!」は本文より2段階大きな文字]
光の塊――航行形態の〈リヴァイアサン〉は、雷鳴を一〇倍したような轟音《ごうおん》とともに上昇しながら、さらに爆発《ばくはつ》し、爆発し、爆発した。
天から地への、叩《たた》き伏せるような衝撃《しょうげき》に続いて、ゆり返すように生じた突風が土煙を空中に巻き上げた。
「わっ」
「きゃあっ」
忠介《ただすけ》と陽子《ようこ》が、風にあおられ、折り重なるように倒れた。
上空の火球は爆発のたびに巨大さを増し、最終的には、視界のほとんどを赤黒くおおった。その火球を散らし、また巻きこみながらさらに上昇する光の塊は、天を貫く光の柱のように見えた。
……おそらくは、次の爆発で、地上を巻きこんで焼きつくせる大きさだ。
だが、
ギュオン――
と大気を振動させながら、〈リヴァイアサン〉は自らの身を引き絞り、巨大な柱から棒、そして針のように細めた。次いで、今度はその長さを急速に縮《ちぢ》め、空中に消えた。
ぱたりと風が止《や》み、あとにはなにごともなかったかのように、ぽかりとした青空だけが残った。
「界面下|潜航《せんこう》か――」と、地に伏せた鈴木がつぶやき、
「うむ」と、ただひとり腕を組んで直立し、第三眼で天をあおぐバルシシアがいった。
コンクリの路面にあおむけに転がった忠介が、胸の上にのった陽子の頭をくしゃくしゃしながら、
「はっはっは、すごいすごい」といった。
『目標の惑星から界面下航行体が出現したでおじゃる! ああ! あれが! あれが〈マッパー〉を呼び寄せていたのでおじゃる! 脱皮、脱皮――脱皮を繰り返しているでおじゃる! ひえええ! 大きいでおじゃる! 超巨大でおじゃる! ああ……』
余程のショックを受けたらしく、〈教授21MM〉は雅《みやび》な嘆息を残して気絶した。
やがて、カーツの拡張された知覚にも、そして天文学的レベルにおいてはさほど鋭敏《えいびん》ともいえないジェダダスターツの感覚にも、はっきりとそれが感じられた。
結晶質の空間|衝角《しょうかく》で基準界面を突き破り、地球から一〇光秒ほどの位置に出現したそれは、ハイパードライブの中枢部に似た、しかし、あまりにも巨大なエーテル渦動《かどう》だ。そのボディ――虹《にじ》色に光る紡錘《ぼうすい》形の全長は、約一〇〇〇キロメートル。
『〈リヴァイアサン〉!!』と、カーツがいった。
――あれが、そうか。
と、ジェダダスターツは思った。
〈リヴァイアサン〉は空間をふるわせながら〈マッパー305〉から地球へのコースを逆にたどり始めた。〈リヴァイアサン〉も〈マッパー305〉も、ともに減速も進路変更もしない。
『衝突するつもりか!?』
いや――〈リヴァイアサン〉のエーテルをまいて回転する衝角が、その動きを止め、逆回転しながら体内に収納された。それとともにその全長が縮《ちぢ》み、紡錘形の巨体は鞠《まり》のように、円盤《えんばん》のようになり、さらにその全長を負の領域にまで縮め、虚空に穴をうがつエーテルの大渦巻《メールシュトローム》と化した。渦巻《うずまき》の奥は、虹色の界面下空間に通じている。
――……似ている。
と、ジェダダスターツは思った。紡錘形の航行形態もそうだが、近づくものすべてを飲みこもうとする渦巻は、先ほどジェダダスターツが飲みこまれた〈マッパー305〉に――その口≠ノ似ている。……いや、〈マッパー〉が〈リヴァイアサン〉に似ているのか。
だが、形は似ていても、その規模は比ぶべくもない。
やがて、〈リヴァイアサン〉――空間に開いた大渦巻のもとに到達した〈マッパー〉は、全長一〇キロの、〈リヴァイアサン〉に比べれば芥子《けし》粒のようなその体を、ためらうことなく渦の中に放りこんだ。
〈マッパー〉の船体はエーテルの渦に引き裂かれ、たちまち分解された。船体の中から現れたエーテル渦動が、渦の中心、界面下空間へと飲みこまれていった。
『〈マッパー〉を、食った……ということか』
ヴオオオオ……![#「ヴオオオオ……!」は本文より1段階大きな文字]
大渦巻――〈リヴァイアサン〉が、エーテルをふるわせて咆哮《ほうこう》した。
先ほどの爆発《ばくはつ》の影響《えいきょう》で、いくつか交通事故が起きたらしい。通りの何カ所かで長いクラクションが鳴り、遠くでサイレンの音が聞こえている。
「――ああ、わかった。しかし、ちゃんと縮んで[#「縮んで」に傍点]くるんだろうな? バケモノみたいなのに落ちてこられたらたまらんぞ」
と、鈴木《すずき》は黒い携帯電話にむかっていった。〈リヴァイアサン〉を追跡する〈アルゴス〉と、話をしているようだ。
ミュウミュウの去った空をぼえーっとながめる忠介《ただすけ》の横で、バルシシアが、
「む、きたぞ」といった。
バルシシアの視線の先で、街路樹《がいろじゅ》の葉が、ざざざ……と渦巻いた[#「渦巻いた」に傍点]。渦《うず》の中心から青く光る角《つの》がにゅっと突き出し、角が回転しながら進むと、光の塊が空中に生じ、風と葉を巻きこみながらあとに続いた。ひとかかえほどの大きさの光の塊は、見る間に裸の子供の形になり、忠介の腕の中に飛びこむと、
「ミュウ」
「おかえり〜」
その後ろに立っていた倉本《くらもと》が、忠介にむかって、
「その子は……それ[#「それ」に傍点]はいったい、なんなの?」
といった。顔が青ざめている。
忠介は、にゅい、と笑って、
「ミュウミュウです」
「そうじゃないでしょ」
陽子《ようこ》はいつものように猫《ねこ》パンチを入れる代わりに、忠介の腕を両手でギュッとつかんだ。始めて会った日に続いて二度目とはいえ、ミュウミュウの変身を目《ま》のあたりにして、緊張《きんちょう》しているのだ。
陽子が説明を求めるように鈴木のほうを見ると、
「さあな」といって、鈴木は肩をすくめた。「俺《おれ》も知りたいよ」
「あ、陽子、ミュウミュウの着るものどうしよう、着るもの」
陽子は答えなかった。
忠介の腕にだかれたミュウミュウが、目を細めながら、
けぷっ。
と、小さなげっぷをした。
[#改ページ]
[#挿絵(img/tatumorike3_152s.jpg)入る]
[#改丁]
6 『みんなの「普通」』
さて、それから。
帰る道々、
「うー、お風呂《ふろ》入りたーい……」
と陽子《ようこ》が低〜い声でいうので、忠介《ただすけ》は家に帰るとすぐに風呂掃除を始めた。
正確には、ミュウミュウを着替えさせて、陽子とバルシシアにお茶を入れて、そのあと。
ちなみに龍守《たつもり》家における家事分担は、普段は七割くらいは陽子がやってくれていて、その間忠介はごろごろしたりぼーっとしたりしているのだが、陽子は機嫌《きげん》が悪いときには何もしてくれないので、そういうときには忠介ができる限りのことをする。
そういうわけで、
「あ、大尉忘れてた」と忠介が思い出したのは、風呂の掃除を終えて、風呂|桶《おけ》に水を張り始めてからのことであった。
ミュウミュウを頭に引っつけて居間に入りながら、
「大尉、迎えに行ったほうがいいかなあ」
と忠介《ただすけ》がいうと、せんべいをバリバリかじりながらテレビを見ていたバルシシアは、
「ふん、くそ猫《ねこ》め、じどうしゃにでもひかれておればよいな」
普段ならここで陽子《ようこ》が「そんなこといわないの」と突っこむところだが、今は無言。
それがかえって変な迫力をかもし出して、バルシシアは思わず陽子をふり返り、
「……今のは冗談じゃ」といった。
しかし、陽子はなおも無言。
「あ、そうだ。電話すればいいんだ、電話。いやあ、便利だなあ〜」
ねえ陽子、と同意を求めながら、忠介は鈴木《すずき》にもらった携帯電話をとり出した。
しかし、陽子はさらに無言。
陽子はすごく疲れたりすごく機嫌《きげん》が悪かったり(このふたつはたいていセットだけど)すると、全然しゃべらなくなる。さらに機嫌が悪くなると、部屋にこもって出てこなくなる。
「……えーと」
忠介が短縮《たんしゅく》ダイヤルでカーツの番号を出していると、カリカリカリ、と、縁側《えんがわ》のサッシを引っかく音がした。
『開けてくれたまえ』カーツの声だ。
「あ、はいはい、おかえりなさい」
携帯をしまい、サッシを開けた忠介が、
「うわ」といった。
その声に視線を投げた陽子とバルシシアも、ぎょっとした顔になった。
カーツが太っていた。
カーツは猫としてはさほど大柄ではない。毛のかさ[#「かさ」に傍点]も入れて、だいたい二リットルのペットボトルくらいの大きさだ。
だが、それが今、どういうわけか、ふたまわりもふくれている。なんというか、ボクサーがいきなり相撲《すもう》とりになったような感じ。特に腹の部分がぷくっとふくれて、水を入れた風船みたいになっている。
ぎょぎょっとする一同の視線の中、たっぷんたっぷんたっぷん、と腹をゆらしながら入ってきたカーツは、忠介の顔を見上げて、
『忠介、すまないが、私が入れる程度の大きさの、広口の容器を用意してくれたまえ』
忠介はカーツが口になにか小さな塊をくわえていることに気がついた。直径二センチくらいの球形で、紫っぽい金属色をしている。ちなみに、それをくわえたまましゃべれるのは、カーツの声が首輪につけられた〈ベル〉から発しているからだ。
「えーと、これでいいですか?」
忠介が風呂《ふろ》場からもち出してきた洗面器を目の前に置くと、
『うむ、いいだろう』
カーツは口にくわえていた塊を洗面器の中にコロンと落とし、その上に、
エレエレエレ〜ッ、
と、大量の液体を吐き出した。黄緑色のどろっとした粘液状で、微妙に発光している。
自分の体重ほどもある液体を吐き出し終わったカーツは、あっけにとられる一同にむかって、
『紹介しよう。〈アカデミー〉の〈教授21MM〉だ』といった。
粘液の一部が触手のようににゅっと伸び、紫色の金属球――よく見ると、カーツの〈ベル〉に似ている――が声を発した。
『おほほほほ、みなの者、よきに計らっておじゃれ』
「え……あ、どうもどうも」と忠介《ただすけ》。
「なんじゃ、また連邦の犬が現れたか!」
といって、バルシシアが立ち上がった。その顔に、ブン、と攻撃紋《こうげきもん》が浮かんだ。
すると、
『ああ!』と〈教授21MM〉が叫んだ。『この惑星は湿度が低すぎるでおじゃる! まろはかわいてしまうでおじゃる! なんとかするでおじゃる! なんとかするでおじゃる!』
『忠介、彼を収容できる密閉容器はないかね』
「あ、えーと、タッパとかでいいですかねえ」
『早くするでおじゃる! 早くするでおじゃる!』
「……なんなのじゃ、こやつは」と、バルシシアがいった。
それまでだまっていた陽子《ようこ》が、
「……また、宇宙人」ぽつりといった。
『うむ、彼はトリ・ホシテ族。すなわちクレメントUの――』
カーツの言葉を途中でさえぎるように、
「……この人も、うちに住むのね」と、陽子がいった。
『それが望ましい』
陽子はそれに対し、「いい」とも「悪い」とも答えなかった。
だまって立ち上がって、じろりと忠介のほうを見た。
「はい?」と、ミュウミュウをだいた忠介。
「ミュウ?」と、忠介にだかれたミュウミュウ。
陽子はきびすを返し、階段を上っていった。
「あ…」とその背を見送る忠介に、
『早くするでおじゃる! 早くするでおじゃる!』と、〈教授21MM〉がいった。
二階で、バタン、とドアの閉じる音がした。
その夜、鈴木《すずき》と島崎《しまざき》が龍守《たつもり》家を訪れ、〈教授21MM〉と〈キーパー〉をも交えて、今日あったことと、今後の方針について話し合った。
陽子《ようこ》は下りてこなかった。
鈴木と島崎が帰り、〈キーパー〉が消えたあと、忠介《ただすけ》は食事の準備をしようとした。が、カーツ以外の三人は、特に腹は減っていないらしく、忠介自身もなんだか腹が減らない。そこで、忠介はカーツの猫缶《ねこかん》だけ開けてから階段を上り、陽子の部屋の閉じたドアの前に、ピタリと正座した。
とんとん、とドアを叩《たた》き、
「陽子〜」
返事はない。
が、部屋の中でごそりと音がして、続きを待っている気配がするので、忠介は続けて、
「えー、さっき下で話してた内容だけど――」
と、報告開始。
「まず、昼間の自衛隊の人たちは、〈青い地球〉の人たちにだまされてたらしいです。こわれたものとかそういうのは、〈アルゴス〉のほうでなんとかしてくれるって」
忠介はちょっと間を空けて返事を待ってから、
「それから、ミュウミュウがドカーンって飛んでったけど、あれは別にOKだそうです。『順調に育ってる』って、〈キーパー〉も喜んでました。でも、なんか近所まできた宇宙船を引き寄せて食べちゃったらしくて、そういうのって『OK』なのかなと思うけど、『食っちまったもんはしょうがないだろう』って、鈴木さんが」
ちょっと返事を待ってから、
「あと、〈教授〉――今日大尉が連れてきた、あのアメーバみたいな鼻水みたいな人は、なんだかああ見えてけっこうえらい人らしくて、あの人が本国に連絡して、銀河連邦側としては、地球は一応、自然|保護《ほご》区とか、そんな扱いにしてくれるみたいです」
ちょっと返事を待ってから、
「その教授には、あのあとペットボトルに入ってもらったんだけど、なんか部屋が暑いっていうんで冷蔵庫に入れてみたら、気に入ったらしいです。『冷え冷えでおじゃる』って、喜んでた。んで、今も入ってます。だから、えー、冷蔵庫開けたときにびっくりしないように」
ちょっと返事を待ってから、
「それから、こないだの、殿下の仲間の人たちが、地球にくるみたい。こわれたエンジンの代わりを、大尉が貸してあげるそうです。あと何日かでこっちに着くって」
ちょっと返事を待ってから、
「で、俺《おれ》たちはこれからどうしましょう、って鈴木さんに聞いたら『せいぜい普通にしててくれ』ってさ」
ちょっと返事を待ってから、
「――以上、報告終わり」
忠介《ただすけ》は陽子《ようこ》の返事を待った。
三〇秒ほどして、
「……普通って、なによ」と、ドアのむこうから、陽子がいった。
「え…」
「だって……普通にしろっていったって、みんな普通じゃないじゃない! 空飛んだり、爆発《ばくはつ》したり、ロボットと戦ったり!」
「あっ、ごめん」
「なんでおニイがあやまるのよ!」[#「「なんでおニイがあやまるのよ!」」は本文より1段階大きな文字]
「あ……ごめん」
「もう…! みんなもっと普通にしてよ、バカ!」[#「「もう…! みんなもっと普通にしてよ、バカ!」」は本文より1段階大きな文字]
ベッドの上に座った陽子は、
「う〜〜〜っ」とうなりながら、枕《まくら》を両手でもって、バンバンと布団に打ちつけた。
このところ、毎日毎日、変なことが起こる。
宇宙人が居候《いそうろう》を始めたり、屋根の上に変なパラボラアンテナがついたり、自衛隊のロボットに襲《おそ》われたり、宇宙人の追加がきたり。
その上「普通にしろ」。
馬鹿《ばか》にしてる、と思う。
兄とふたりでごはんを食べたりテレビを見たり、そういう毎日が陽子にとっての「普通」だったのに、その「普通」を踏みにじるようにして家の中にどかどか入ってきて――
それでも、兄が自分のとなりにいてくれれば、そこには、小さな「普通」がたもたれていたはずだ。
しかし、今、兄の腕の中には、もっとも「変」で、すべての「変なこと」の原因であるミュウミュウが居座って、兄を独占している。
もちろん、ミュウミュウが悪いわけではない。ミュウミュウの正体がなんであれ、兄を必要としているらしい、ということはわかる。
それに、そのことが「地球の平和」にとって重要だ、というのは、理屈はよくわからないが、鈴木《すずき》や島崎《しまざき》のような大人《おとな》が真剣に話し合い、宇宙人やロボットや鉄砲をもった人たちが次々とやってきたりするところをみると、本当らしく思える。
それでも。
――なんで、それがおニイなのよ。
と、陽子《ようこ》は思う。
――ほかの人だっていいじゃない。
と、思う。
――おニイは、あたしのおニイなのに。あとからきて、ずるい。
要は、小さな子供が弟や妹にパパママをとられて嫉妬《しっと》するのと同じことなのだが、それでも、本人にとっては一大事だ。
ベッドの上にうつぶせになり、枕《まくら》に顔を押しあてながら、
「うう〜〜〜っ」と、もう一度陽子がうなったとき――
とんとん、と、部屋のドアがノックされ、
「陽子〜」と、忠介《ただすけ》の声がした。
――まだいたんだ。
陽子はそれを無視した。
するともう一度、とんとん「陽子〜」
――なによ。あたしはほんとに怒ってるんだから。
と、陽子は思った。
とんとん「陽子〜」
――今出てったら、まるで、かまってほしくてすねてたみたいじゃない。
とんとん「陽子〜」
とんとん「陽子〜」
――しつこいわね。
そう、しつこいのである。この種の単純作業に際して、忠介は異様に気が長い。放っておけば、おそらくひと晩中でもやっている。
しかも、そうした行為に、自ら喜びを見出してしまうタイプ。
とんとん「陽子〜」
とん「陽子〜」
ととんととんとんとん「陽子〜」
即興《そっきょう》の節をつけ始めた。
ととんと「陽子〜」とんとんとん、
「陽子〜、陽子〜」とんとととん、
ととんとととんととん「陽――」
「うるさいわねッ!!」[#「「うるさいわねッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
陽子が思わずドアを開けると、ドアの前に正座し、左手をひざに、右手を胸の前にかまえて、楽しそぉ〜な顔をしていた忠介《ただすけ》が、
「あ…」と、陽子《ようこ》の顔を見上げた。
それから忠介は、正座をしたまま、すすすすす、と一八〇度回転。陽子に背をむけ、ぴたりと止まった。
「……なによ」
と陽子がいうと、忠介は首を軽くかしげ、肩越しに自分の背中をつんつんと指して、
「どうぞ〜」といった。
「なによ、それ……」
忠介は答える代わりにもう一度、つんつん「どうぞ〜」
陽子が、兄の体の部位の中で一番好きなのは、その背中である。のっぺりして間の抜けた感じが、ぼーっとした顔や無駄《むだ》に大きい手にも増して、いかにもおニイらしい、と思う。
その背中に「どうぞ〜」されて、陽子の中に、もやもやしたわけのわからない感情がわき上がってきた。
陽子は顔を真っ赤にして、
「……もお〜〜〜っ!」といった。
小さな足がふり上げられ、忠介の背中にげしげしとけりが入った。
どしどしどしっ、と衝撃《しょうげき》に体を泳がせながら、
「はっはっは」と、忠介。
それから、陽子はその場でぺたりと座りこみ、
「もお〜〜っ!」
まるで和太鼓を叩《たた》くように、両手の拳《こぶし》で、どどどどどっと背中を連打。
「はっはっは」
そして、陽子は今度は忠介の肩甲骨のあたりにどしっ頭突き。
「う〜っ」怒りのうなりをもらしながら、どしっ、どしっ。
続いて、どしっと忠介の背中に額《ひたい》をつけたまま、わき腹に手をまわし、ギュッとしがみつき、
「う〜っ、うっ、うっ……う〜っ」そのうなりに、しゃっくりとおえつが混じり始めた。
やがて、からまった感情の塊がほどけ、陽子は忠介の肩の上にほおをあてて、
「……うぅ〜」と、満足げにうなった。
忠介は陽子の柔らかな髪をくしゃくしゃとなでながら、
「大丈夫、大丈夫」といった。
ところで。
階段から二階の廊下に顔を出し、その一部始終を見ていたカーツ大尉は、状況が落ち着いたと判断し、居間にもどった。
あぐらの上にミュウミュウをのせテレビを見ていたバルシシアは、カーツに気づくとあごで二階をしめし、
「どうしたのじゃ?」といった。
そのしぐさをまねながら、
「ミュウ?」とミュウミュウ。
カーツはちゃぶ台に飛び乗り、後ろ足で耳の後ろをかきながら、
『さて……この惑星の習俗は理解しかねる』といった。
しばらくして、二階から下りてきた陽子《ようこ》は、カーツとバルシシアにむかってぺこりと頭を下げた。
「あの、さっきはごめんなさい。大声出したりして……聞こえた?」
「うむ、なかなかでかい声じゃった」と、バルシシア。
「ごめんなさい」と、もう一度、陽子。「人にむかって『普通にしろ』なんて、失礼よね」
「いやいや、案ずるな。わらわは至って普通じゃ」
『うむ、その種の価値判断は各人の主観によるところが大きいからな』と、カーツがいった。『しかし、あえて客観的な基準を求めるなら、母集団の規模からいって、銀河連邦における各種標準値を適用するのが妥当だろう』
「なんの標準か。連邦の人間など、みな、ふぬけの屁理屈《へりくつ》屋じゃ」
カーツは耳をぱたぱたっとふって、
『ふむ――君たちの鉄血的かつ未開的に偏向された視点からすれば、そう見えるかもしれん』
「――聞き捨てならんぞ、猫《ねこ》!」バルシシアの顔に攻撃紋《こうげきもん》が展開した。
「……喧嘩《けんか》やめて」と、陽子がいった。
また怒鳴られるかと身がまえるカーツとバルシシアに、
「ねえ、殿下、大尉――」
と、陽子は静かにいった。
「さっきおニイと話したんだけど……どういうのが『普通』かって、みんな、それぞれの国によってちがうと思うの」
ここまでいうと、ひとつ深呼吸をし、
「……だからこれからは、家の中のことはみんなで相談して、『みんなの普通』を決めていきましょ」
『ふむ――了解だ』
カーツは二、三度耳をぱたぱたさせ、それからしっぽをひゅっとふった。
『ならば、とりあえず、私の管理地域における|匂いつけ《マーキング》の許可を得たい』
その言葉を聞いた陽子は軽くのけぞるようなしぐさをして、それから、ふうー、と静かに息をついた。
「検討しましょう」
そこに、
「なんじゃ、貴様また小便をたれるつもりか!」
といったバルシシアが、はっと陽子《ようこ》の顔を見た。
「マントもあり[#「あり」に傍点]かの?」
「……検討しましょう」
バルシシアは満足げに笑いながら、腕を組んだ。
「ならば、わらわも了解じゃ」マントがけっこう重要らしい。
「あのー」忠介《ただすけ》がそろりと手を上げた。「『月に一度はジロウマルを洗ってもいい』っていうのは?」
陽子は忠介をじろりと見て、
「それは駄目《だめ》」
「ええ〜」
三日後、陸上自衛隊|町玉《まちたま》駐屯地《ちゅうとんち》。
倉本《くらもと》翼《つばさ》三尉は、格納庫にむかう前に、まず女子トイレの洗面台で、自分の身なりを確認した。
眉《まゆ》の太い、少年じみた顔が、鏡《かがみ》の中から倉本を見返している。左目の泣きぼくろの下にできた傷には、今は絆創膏《ばんそうこう》が貼《は》られている。
神谷《かみや》一尉――もとい、〈青い地球〉の工作員――は中隊から消え、先日「急病で退任」した前中隊長が、何事もなかったかのように復帰した。
これに異をとなえる者は、いや、疑問をいだく者さえいなかった。「〈アルゴス〉の鈴木《すずき》」と名乗った黒服の男が「あとは適当にどうにかしておく」といっていたが……本当に「適当にどうにか」してしまったものらしい。まるで、あのデパートの一件が、夢かなにかだったとでもいうように。
――しかし、あれは現実だ。
と、ほおの絆創膏を確認するように触りながら、倉本は思った。
――依然自分は、理解を超えた状況の「流れ」の中から抜け出せずにいる。
だが、考えてみれば、これまでに自分が自らの意志で行動していたことなど、はたしてあったのだろうか。これまでもずっと、ただ状況に流されていただけではないのか。
あの日、〈アルゴス〉の鈴木は、倉本にひとつの選択をせまった。
いわく……。
エイリアンと直接接触した倉本の小隊を自衛隊の組織の中に放置しておくことは、情報管理の点からいって好ましくない。ゆえに、各小隊員は除隊処分とされるか――
「――ってのはつまり、あんたらがこれから普通のOLやサラリーマンになろうというなら、それはそれでいいんだ。しばらくは監視《かんし》をつけさせてもらうが、情報公開はこっちでもしていく。じきにあんたらの見たことは機密でもなんでもなくなるだろう。ま、善良|無辜《むこ》の一市民として、せいぜいよろしくやってくれ」鈴木《すずき》はここでひと息置き、「さもなくば――」
――さもなくば、小隊ごと〈アルゴス〉の管理下に編入されるか。
「〈アルゴス〉……?」
「俺《おれ》たちの同僚――地球を守る正義の味方になるか、ってことだ」
終始無表情だった鈴木の口のはしが、「正義の味方」の部分で苦笑を浮かべた。照れ……いや、自嘲《じちょう》かもしれない。
「経験者は優遇するぞ」
神谷《かみや》も鈴木も、いってしまえば、その行動や発言の内容に大差はない。だが、おそらく神谷なら真顔で発したであろう「正義」という言葉を、鈴木は冗談めかして――どこか迷いながら口にした。
先日のエイリアンが「敵」だといわれても、「味方」だといわれても、その言葉を信じきることは、倉本《くらもと》にはできなかっただろう。だが鈴木の場合は、彼自身が、自らの判断を疑い続けている。
その迷いは、
――私とおなじだ。
と、倉本は思った。
かつて神谷に対して感じたような違和感は、鈴木に対しては感じられなかった。
昨日、倉本は手力《たぢから》曹長《そうちょう》を小隊長室に呼び、鈴木の提案について相談した。
自分ひとりでは、いまだ答えが出せずにいた。
体のあちこちに包帯を巻いた手力は、いつものようにまっすぐに椅子《いす》に腰かけ、
「はっ、『正義の味方』でありますか」
といって太い腕を組み、小さな四角い頭をかしげ、
「……そうですな。宇宙人が実在するとなれば、正義の味方も必要になるかと思います」
「そう……そうですね」と、倉本は答えた。
たしかに、対エイリアン用の阻止力は不可欠だ。通常の警察《けいさつ》では、あの黒い少女型エイリアンや、幼女に擬態《ぎたい》した航行体に対応することはできないだろう。だが、
――自分たちにその任が務まるのか。
と、倉本は思った。
――あれら怪物的な存在に、自分は立ちむかえるのか。いや、自分はともかく、部下の身を再び危険にさらす権利が自分にあるのか。
正規の組織行動から逸脱する以上、その全責任は――部下の命さえも――自分の肩にかかってくる。
だがしかし、それをいうなら、自分は指揮官として、そのための教育と訓練を受けてきたのではないか。自分と、自分の小隊が適任――少なくとも、唯一の経験者であるということはわかっている。ここで逃げ出すのは、ただの責任放棄ではないのか。それに――
もし、自分が鈴木《すずき》のいう「無辜《むこ》の一市民」への道を選ぶならば、それなりに平凡で幸福な人生が送れるだろう。宇宙人のことなどは、テレビの特番で見れば充分だ。……しかしそれは、今自分が乗っている得体のしれない「流れ」から脱出するということではなく、ただ流され続けるというだけのことなのではないのか。
今、自分には、選択の機会が与えられている。
「流れ」とむき合い、その一部に働きかけることができる可能性が、自分には与えられている。
倉本《くらもと》はしばらくの間、無言で考え続けた。無意識に眉《まゆ》のはしをいじっている。
やがて、
「……手力《たぢから》曹長《そうちょう》」と、倉本はいった。「私たちが宇宙人と再び出会うとき、相手はひとりふたりではなく、大挙してやってくるかもしれません。また、私たちと戦うための戦術を用意し、強力に武装しているかもしれません。それでも……私たちは勝てると思いますか?」
「勝てます」
あっさりと、手力は答えた。
「もし戦うことになれば、かならず勝ちます」
「……はあ」
若干拍子抜けし、怪訝《けげん》な顔をする倉本に、手力はこともなげにいった。
「なぜなら、勝てないときには、倉本三尉は『戦え』とはいわれないでしょうから」
「あ……」
つまり、倉本の判断に、自分の命をあずける――手力はそういっているのだ。
――はたして、自分にそんな責任が負えるのだろうか。
再び表情を暗くする倉本に、
「倉本三尉」と、手力が呼びかけた。「あなたとちがい、自分は将たりえない人間です。目の前の敵と戦うことしかできません。一朝ことあらば、前線で真っ先に死んでいくでしょう。……しかし、自分は、それでよいと考えます」
「……そんな。『死んでよい』などと、軽々しくいわないでください」
「自分には、そのようにしか考えられません。なぜなら、自分は細かいことに頭を使うのが苦手なので……人の命をあずかるより、代わりに死んでしまうほうが楽なのです」
「『楽』って――」倉本は絶句した。
それから、勢いよく立ち上がりながら、
「そんないいぐさがありますか!!」
目を丸くする手力《たぢから》を、倉本《くらもと》は真っ赤な顔で見下ろした。
三秒後、
「……は」手力は肩をすぼめ、大きな手で頭をかいた。
妙な愛嬌《あいきょう》のあるそのしぐさに、倉本は思わず吹き出した。
ひとしきり笑ったあと、
「手力さん」と、倉本はいった。
「はっ」
「『細かいこと』は私が考えます。それが私の仕事ですから……しかし、あなたも楽をしよう[#「楽をしよう」に傍点]などと思わないでください」
「はっ……もうしわけありません。おっしゃる通りです」
小さな四角い顔に苦笑を浮かべ、さらにひとまわり身を縮《ちぢ》める手力の姿に、倉本はもう一度吹き出した。
そして、現在――
格納庫の中はいまだ、先日の交戦の後始末に追われていた。
何機もの00[#「00」は縦中横]式が装甲を外され、フレームをむき出しにして、部品交換や動作チェックを受けている。
――あれからもうひと晩考えて、自分なりの結論は出た。あとは各隊員の意向を聞き、各々の進退を決めることになるが――とにかく、自分の決心はついている。
そのことを、まずは手力にいおうと思い、倉本は通路にはみ出た機材をよけながら、格納庫の奥にむかった。
しかし、手力がいると思われた最奥の支持架には、装甲と四肢《しし》のパーツを外された手力機のフレームが固定されているばかりだ。
――例によって、トイレにでも行っているのだろうか。
と、倉本が思ったとき、
「おーい、オタぁ、翼《つばさ》ちゃんのほくろはど〜つちだあ〜?」
手力機のひとつ横の支持架の前で、歌うように節をつけながら、寺山《てらやま》三曹《さんそう》がいった。
寺山のむかう自分の機体には、満身創痍《まんしんそうい》の手力機とちがい、戦闘《せんとう》による損傷はなかった。そのため、整備も早々に終わったのだろう。今は完全に格納状態になっている。
そして、
「左です」との声に、
「お、サンキュ」
寺山は自機にむかってなにか細工をすると、
「よっしゃ、完《かん》ッ璧《ぺき》! これぞ画竜点睛《がりょうてんせい》! なあオタ――」
ふり返った寺山《てらやま》の真後ろには、小田切《おだぎり》ではなく、倉本《くらもと》翼《つばさ》本人が立っていた。右手を立てて腕を組み、小首をかしげて太い眉《まゆ》のはしをいじっている。
「うわ!?」
不意を突かれた寺山は、マジックをもった右手で敬礼した。それから思わず、今しがた自分がいじっていた装甲面を隠すように体をずらそうとしたところを、倉本に目顔で押さえられた。
寺山機の前面装甲には、ひとりの少女の絵がペンキで描《えが》かれていた。先日、整備班の小田切一士が描《か》いていたものが、完成していたらしい。
装甲面の暗緑色をバックに、片ひざをついた姿勢の西洋風の白銀の甲冑《かっちゅう》。漫画のロボットを思わせる重厚なその甲冑が、背と腹が別れるようにぱくりと割れて、中から小柄な少女が、甲冑に手をついて、伸びをするように姿を現わしている。服は着ていない。中性的な、透きとおるような肢体《したい》の背中から、天にむかって大きな純白の翼が伸びている。そして、髪の短い、子供じみた顔の上に――これは寺山のしわざだろう、マジックで泣きぼくろが描き足されている。
――よく描けてる。
倉本は、小田切の意外な才能を認めた。が、目の前の寺山にむかっては、
「……先日、『続きは勤務時間外に』といったはずですが?」
わざと威圧的な表情を作りながら、そういった。そして、
「はっ、少々手が空《あ》いたもので……」といいつくろう寺山に、
「では、手すきのところ、各班班長に伝令をお願いします。『明朝|一〇時《ヒトマルマルマル》よりミーティング。最重要の用件ゆえ、欠席することのなきよう』」
「は……」
一瞬《いっしゅん》、とまどいの表情を見せる寺山に、
「復唱ッ!!」と、倉本はいった。
「はッ!! ――『明朝一〇時よりミーティング。最重要の用件ゆえ、欠席することのなきよう』ッ!!」
「よろしい――駆け足ッ!!」
「はッ!!」
いつの間にか、庫内の騒音《そうおん》が半分がたやんでいた。
小隊員のほとんどが、整備の手を止め、顔を上げていた。ある者は通路を駆け出す寺山を見送り、ある者は倉本と目を合わせて、苦笑しながら敬礼をした。
低い笑い声がもれ始める中、それらに軽く答礼を返すと、倉本は寺山機をふり返り、「甲冑少女」の顔を見上げた。
眉の太い、少年のような面ざしは、寺山の描き足したほくろを差し引いても、やはり、倉本に似ている。
――少し、美化されているようだけど……。
面はゆい気もちとともに、さらに観察する。天をあおぐ少女の目元や口元は、あどけなさを残しながらも、飛翔《ひしょう》への決意に引き締《し》まっている。それ以外にも、期待、不安、希望、自信――様々な感情が読みとれるのは、倉本《くらもと》自身の内心のせいかもしれない。
倉本はそっと目を閉じ、背後の騒音《そうおん》に耳をすませた。隊員の呼び合う声、発電機とモーターのうなり、金属の打ち合う音――人の群れのもつエネルギー。
――これが、私にあずけられた力だ。
と、倉本は思った。
――私たちは、この力を使って、私たちにしかできない仕事をする。
「ほう」背後から、手力《たぢから》の声がした。
手力は、ふり返る倉本の顔と「甲冑《かっちゅう》少女」を交互に見比べ、
「上手《うま》いものですな」といって、大きな笑みを浮かべた。
「……ええ」
倉本は、もう一度「甲冑少女」を見上げた。
重い甲冑を脱ぎ、翼《つばさ》を広げるその姿は、まるで、さなぎの殻《から》を割って羽化する蝶《ちょう》のように見えた。
こうして、倉本重歩小隊は人類初の対エイリアン用実動部隊として新生した。
彼らに〈アルゴス〉からの初の任務が与えられるのは、意外と早く、この時点から三日後のことである。
だが、その任務の性質は、倉本の予期せぬものであった。
その際に、「甲冑少女」の描かれた装甲が、見るも無残な姿に成りはてることを――
倉本も手力も、まだ、知らない。
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7 『最初の任務』
さて、その「任務」当日の朝。
ピンポーン、と、龍守《たつもり》家のチャイムが鳴った。
「よう」と玄関先に現れたのは、いつも通りの黒服にサングラス姿の鈴木《すずき》だ。
「あ……どうぞ」と陽子《ようこ》がいうと、
「いや、ここでいい」と鈴木。「むかいのアパートでちょっと工事をするんでな。犬をあずかってくれ」
「はあ、犬って、ジロウマルですか」と、奥からミュウミュウをだいて出てきた忠介《ただすけ》。
「工事って……?」
サンダルを履《は》いて表に出た陽子が、
「ぎゃっ!?」と叫んだ。
「え、なになに?」
郷田《ごうだ》荘の前の道路に、何台かの暗緑色の軍用車両が停《と》まっている。そのうちの一台の後部ドアが開き、中から二機の「自衛隊のロボット」――00[#「00」は縦中横]式が出てきた。
かと思うと、また別の車両からは、どこかで見たことのあるような、黒やら銀色やらの肌《はだ》をした人たちがぞろぞろぞろ。
そのうちのひとり、体格がよくて顔が大きいのが、こちらに手をふってきた。
「これはこれは、みなさまがた!」バルシシアの参謀《さんぼう》、オルドドーンだ。
「え、あ……どうも」と、忠介《ただすけ》が頭を下げたとき、
「なんじゃなんじゃ」と、バルシシアが出てきた。
「おお、殿下!」
オルドドーンはどすどすと駆け寄りながら、
「お会いしとうございましたァ〜〜ッ!!」
「……おお、ようきた、オルドドーン!」と、バルシシアが声を上げた。
と――
「なに、殿下が!」
オルドドーンを追うように金属人間の一団――〈突撃丸《とつげきまる》〉の面々がどやどやと駆けてきて、またたく間にバルシシアをとり囲み、
「殿下!」
「殿下ッ!」
「殿下ァッ!」
各人がバルシシアの正面に位置しようとして押し合った。打ち合う体がガキンガキンと火花を散らし、押しのけられたひとりが龍守《たつもり》家の門柱をボコンと倒した。
「なんなの、おニイ……?」
陽子《ようこ》が忠介の腕を、ギュッと握った。
人類初の対エイリアン用実動部隊、倉本《くらもと》小隊の初の任務は「宇宙人の引っ越しの手伝い」であった。
「宇宙人」とはグロウダイン帝国〈突撃丸〉の乗員の面々、「引っ越し」の先は龍守家のおむかいの木造アパート「ハッピーハイツ郷田《ごうだ》荘」である。
グロウダインとの交戦を予期していた倉本小隊にとって、これは意外ななりゆきだったが――
「オーライ! オーライ!」
アームを作業用に換装した二機の00[#「00」は縦中横]式が資材を運び、野戦服姿の隊員とともに、郷田荘の庭に、グロウダイン用に改造した仮設トイレを手ぎわよく組み立てている。元来施設科用に設計された00[#「00」は縦中横]式にとっては、この種の作業はお手のものだ。
一方グロウダインたちは、
「お……少々床が柔《やお》うござるな。みな、重量制御に気を使え」
「パワープラントは屋外でようござるか」
「ああ! 電磁シャワーユニットはこちらにお願いいたしますわ!」
などと口々にいいながら、自衛隊員にまさる手ぎわのよさで、自分の体より大きい機材をひょいひょいと郷田《ごうだ》荘に搬入していく。
そのさまを、太い眉《まゆ》をいじりながら、半ば呆然《ぼうぜん》と見ていた倉本《くらもと》は、
「――地球のかた、もうしわけござらんが、少々資材をお貸しいただけますかな」
と、グロウダインのひとり――オルドドーンに声をかけられ、
「え……は、はい、どうぞ」と答え、「二番機――」と指示を出しかけたところを、
「あ、いやいや、それにはおよびませぬ――何人か、こちらにまいれ」
オルドドーンはぎしりと車体を傾かせながら自衛隊のトラックによじ登ると、そこに積まれた鉄骨や補強入りの鉄板を、集まってきた部下たちにほいほいとわたし始めた。まるで発泡《はっぽう》スチロールの塊を扱うような気安さだ。
その後、作業は二陣営が協力する形で進行した。グロウダインのほうが、小まわりがきく上に腕力も作業精度も数段|勝《まさ》っているが、資材をアームで仮固定したり、踏み台代わりになったりと、00[#「00」は縦中横]式が役に立つ場面も多い。ともあれ、総じて大柄な金属製の肉体をもつグロウダインが、全高二・二メートルの箱形の00[#「00」は縦中横]式と並んで働くさまは、まるで異世界の風景画のように、妙にしっくりと収まっている。
その光景を見ながら、
「……『対エイリアン部隊』って、もっとちがったことをするのかと思ってました」と、倉本はつぶやいた。
「なんだ、あんな連中と喧嘩《けんか》でもしたかったのか」と、横に立つ鈴木《すずき》がいった。
倉本は肩をすくめ、
「この間、神谷《かみや》一尉――いえ、〈青い地球〉の男がいっていました。今われわれがいるこの世界は異常で、その原因は彼ら異星人の存在にある、って。……ひょっとして、彼らのいっていることは正しいんじゃないか……鈴木さん、そんな風に思ったりすることはないですか?」
「さあな」と、鈴木はいった。「異常だろうが正常だろうが、現にいるもんはしょうがないだろう。『まちがってる』といったところで、消えてくれるような連中じゃない。せいぜい仲よくやっていくさ」
倉本は小さくため息をつき、
「そう……そうですね」といった。
ところで、今、郷田荘の屋根の上には三人のグロウダインがいる。バルシシアと、ジェダダスターツと、ゼララステラだ。
屋根の上に仁王立ちになったバルシシアは、先日デパートからもってきた服の上につけた真っ赤なマントをはためかせながら、
「それそれ、気をつけよ。そこの鉄骨がかしいでおる。しかしなんじゃな、そのパイプは少々曲がっておるが、ほかにないのかほかに。おや、どうしたそこの四角いの、手が休んでおるぞ」
――と、役に立っているのかいないのかわからない采配《さいはい》をふるっている。
実際の指示は地上のオルドドーンが鈴木《すずき》や倉本《くらもと》に相談しながら出しているのだが、バルシシアは細かいことは別に気にならないようだ。カカカと笑いながら背後のふたりをふり返り、
「小さきとはいえ、城が建つのはめでたいことじゃ! のう!」
ゼララステラはにこにこと笑いながら、
「ええ、本当に。小さくてぼろっちくて」といい、口元に手の甲をそえて、ほほほほほ、と笑った。
ジェダダスターツは無言のまま、わずかにうなずいた。
バルシシアはもう一度、
「のう!」といい、さらにカカカカカ、と笑った。
そのさまを龍守《たつもり》家の玄関先から見ながら、
「……殿下、すごく楽しそうね」と、陽子《ようこ》がいった。
「うんうん、よかったねえ」と忠介《ただすけ》。
「ミュウ」と、忠介の頭に引っついたミュウミュウ。
状況がどれだけわかっているのか、忠介のわきのジロウマルも、
「ヘッハッハッハ」わけもなく楽しそう。
一時間もすると、郷田《ごうだ》荘は木造アパートの本体に得体のしれない機械や配管、補強資材の張りついた、サイボーグじみた奇妙な建物《たてもの》になってしまった。
パワープラントのスイッチが入れられ、いわば即席のグロウダイン用生命維持ユニットとなった郷田荘が、低いうなりを上げて稼働《かどう》を開始すると、
「うむ、上出来じゃ」と、自分はなにをしたわけでもないバルシシアがいった。
「これも殿下のご采配と、地球のみなさまのおかげにございます」と、オルドドーン。
「うむ、ジエータイとやら、礼をいうぞ」バルシシアはそういって、背後に立つ倉本をふり返り、ぎらりと歯をむき出して笑った。「……先だっての無礼は、大目に見てつかわす」
「は…」思わず呼吸が止まりかける倉本の背後で、
「はっ、ありがとうございます」と、大柄な自衛隊員――手力《たぢから》曹長《そうちょう》が敬礼した。
ちなみに、先日バルシシアと死闘《しとう》を演じた赤い00[#「00」は縦中横]式、手力機はいまだ修理が完了しておらず、駐屯地《ちゅうとんち》にある。手力本人も、まだ何カ所も包帯を巻いたままだ。バルシシアの赤熱化した拳《こぶし》がかすったほおには、大きなガーゼがあててある。
「『先だって』……とは?」
と、オルドドーン。デパートの一件は知らされていないらしい。
倉本《くらもと》は緊張《きんちょう》した。現時点では友好的なグロウダインが、仲間が襲《おそ》われたと知ったとき、どんな行動に出るか……。
だが、そんな倉本の表情を見て、バルシシアはふん[#「ふん」に傍点]と笑い、
「ちと、遊んでやったのじゃ」
「おお、殿下がお世話になりましたか。これは重ね重ね、かたじけのうござる。お礼の言葉もござらん」
大きな頭を深々と下げるオルドドーンに、
「あ……はい…」
と倉本が答え、その肩にぽんと手を置いて、
「いやあ、気のよいかたがたで、よかったですな」と、手力《たぢから》がいった。
やがて、自衛隊は撤収《てっしゅう》を開始した。工具を片づける野戦服姿の背後を、二機の00[#「00」は縦中横]式が輸送車にむかってひょこひょこと歩いていく。
「おや」
そのうちの一体に、オルドドーンが目を留めた。00[#「00」は縦中横]式二番機――寺山《てらやま》機だ。
「二番機、止まれ」
と、倉本はヘッドセットに短く指示を出すと、オルドドーンを見上げ、
「……この機がなにか?」
オルドドーンの視点は、寺山機の前面装甲の一点に留められていた。
暗緑色の装甲面にペンキで描《えが》かれた少女。武骨な甲冑《かっちゅう》を脱ぎ捨て、輝《かがや》く翼《つばさ》を広げる妖精《ようせい》じみた姿。その少年のような太い眉《まゆ》と、左目の下のほくろは……。
「さて、これは……」
オルドドーンは、「甲冑少女」と倉本の顔を、交互に見比べた。
「あ……ええ」と、倉本はうなずいた。
オルドドーンは得心顔でうなずき、
「いや、よう似てござる。まさに生き写しですな」
「いえ、それほどでも……」倉本は思わず、少々場ちがいな謙遜《けんそん》をした。
「うむ……ふむ」
大きなあごに手をあて、なにごとか思案していたオルドドーンが、
「……この装甲を、お借りしてよろしいですかな」といった。
「はい…?」
「では、失礼――」といったオルドドーンの右の手のひらが、
グォン――!
異常な震動《しんどう》音とともに赤熱した。次いで、
ジュガッ!
寺山《てらやま》機の前面装甲、「甲冑《かっちゅう》少女」のわきに、オルドドーンは張り手をかますようにして手のひらを押しあてた。
暗緑色の装甲面に、塗料と金属の焼ける匂《にお》いとともに、赤熱した手形が残った。見る間に赤味は引いて、それは鈍い銀色の、叩《たた》いたというよりは削りとったような、きれいにくぼんだ跡になった。
声をうしない、口を半開きにして見上げる倉本《くらもと》にむかって、オルドドーンの巨顔が大きな笑みを浮かべた。
「わが身の感謝《かんしゃ》の念、筆舌につくしがたきゆえ――どうぞ、お収めくだされ」
と――
「おお、さればそれがしも!」
「拙者とて感謝の念は負けませぬぞ!」
口々にいいながら、作業を終えたグロウダインがわらわらと寄ってきた。
『え……!?』
寺山機をとり囲んだグロウダインは、
「感謝いたす!」
「感謝いたす!」
「感謝いたす!」
ジュガッ! ドガッ! バゴォン!
装甲を灼《や》き、削りとりながら、寺山機の前面装甲に次々と手形を刻印した。
『うわ……ッ!』
連続する衝撃《しょうげき》に、寺山機の内部で被弾をしめす警報《けいほう》音が鳴り、非常ランプが点灯した。
グロウダインとしては比較的小柄で非|戦闘《せんとう》的な印象のメルルリリスとリルルメリスまでが、
「えいっ」「えいっ」
ジュガガッ!!
まるでひとりの人間が両手をついたような、右手と左手のセットの手形を残す。
そして、
「うむ、わらわからも礼をしようぞ」
腕を組み、寺山機の前に立ったバルシシアが、とがった歯をむき出して、ぎらりと笑った。
「おお殿下、もったいないことでございます」
オルドドーンの太い指が、寺山機の装甲のうち、さりげなく残してあった「いい場所」を指ししめした。
「……このあたりが、ちょうど空いてございますな」
「甲冑《かっちゅう》少女」のななめ上――機体の中心の上端近くにあたるその場所は、機内にいる寺山《てらやま》の、ちょうど顔面にあたる部分だ。
思わずあとずさる寺山機に、オルドドーンが、
「おお、これは気がつかず、もうしわけござらん――おささえいたす」
といって、胸部バーをがしりとつかんだ。それにならって、寺山機の両腕を、ふたりのグロウダイン――ゼロロスタンとボラランダルががっちりと押さえつけた。ふたりはともに、快活に笑いながら、
「地球のかた、お気をつけあれ。殿下の弾き[#「弾き」に傍点]はわれらとは桁《けた》ちがいの高出力ゆえ――」
「さよう、不用意に動かれますと、頭が消し飛びますぞ」
いわれるまでもなく、寺山は先日のバルシシアと手力《たぢから》の戦いを間近に見ている。その拳《こぶし》が手力機の装甲を貫くさまも、また、現場から回収された、大穴の空いた装甲も……。
「殿下、出力調整《てかげん》のほど、なにとぞ慎重に――」
と、オルドドーンがいった。ギルガガガントス家の人間は対艦《たいかん》弾体としての氏族的特性ゆえに、なにごとにも直線的にあたろうとする傾向がある。
一方、そのように声をかけられたバルシシアは、
「うるさいのう」
口をとがらせ、シャツの袖《そで》をまくりながら、
「そんなものは、適当でよかろう」
『ちょっと待て! ちょっと待てェ!』
ふたりのグロウダインは、モーターをうならせてもがく寺山機を軽々と押さえながら、
「はっは、いやいや、遠慮《えんりょ》することはござらん」
「ははは、さよう、名誉なことにございますぞ」
『班長! 隊長!』
「あ、あの……」うろたえる倉本《くらもと》から、
「隊長――よろしいでしょうか」
「は…?」
手力が指ししめすヘッドセットを、倉本は自分の頭からとり外し、手わたした。
「寺山、心配はいらん」
ヘッドセットにむかって、手力はいった。
「もし、貫通したらな――」
自分のほおにあてられたガーゼを指しながら、
「中でよけるといいぞ」
『班長ォッ!』と、半泣きの寺山。
「うるさいやつじゃのう」
といいながら、バルシシアが気合をこめると、右手のひらに攻撃紋《こうげきもん》のエネルギーが集中し、目もくらむほどに発光した。そして、
ギオン――!
とうなりを上げる右手をふり上げ、
「行くぞおッ!」
『――うわあああ!』
ジュガァン――
と、青空にこだまする音を聞きながら、
「ほほほ……みなさん、楽しそうですこと」と、屋根の上のゼララステラがいった。
そのわきに座して、ジェダダスターツは無言だ。
その黒い横顔を見ながら、
「あら、めずらしい」
と、ゼララステラはいった。
「笑っていらっしゃるのね、艦長《かんちょう》さま」
さて。
〈アカデミー〉の〈教授21MM〉の存在によって、この星系における銀河連邦勢力はグロウダイン帝国に対するイニシアティブを得た。
〈アカデミー〉を構成するトリ・ホシテ族は必要に応じて集合離散を繰り返す不定形生命体であり、各個体間の共時性的な思考伝達経路による即時性通信ネットワークをもつ。そのネットワークこそが〈アカデミー〉の集合自我の基盤《きばん》であり、銀河連邦の政体をささえる情報的基盤にもなっているのだ。連邦の政治に対し無関心・非協力の態度を貫くトリ・ホシテが、最重要種族として認められている理由はこれである。〈アカデミー〉はいわば、連邦の神経系なのだ。
〈アカデミー〉の一員がこの星系に駐留《ちゅうりゅう》するということは、この星系の情報的距離が連邦領内に等しくなったということを意味している。緊急《きんきゅう》の際には、主力艦隊の即時動員さえも可能だ。
しかし、カーツはそれを望みはしない。
たしかに、艦隊の戦力によって、この惑星を壊滅《かいめつ》させることは容易だろう。だが、そうして得られるものはなにもない。〈キーパー〉がこの星系を消去し、すべてを――〈リヴァイアサン〉さえも――無に返すだけだ。
――重要なのは、戦力の大小ではない。バランスを維持することだ。
〈教授21MM〉の来訪により、カーツは一枚の強力な切り札「母国への通信手段」を得た。だが、その事実によって、グロウダインに無用の危機感をいだかせてはならない。特に、バルシシア皇女とその臣下を引きはなしておくことは、得策ではない。そう、「グロウダインの忠義」を軽視してはならない。
それゆえに、カーツは――〈アカデミー〉の権限を利用し――〈突撃丸《とつげきまる》〉にハイパードライブを貸与し、地球への来訪を許した。これで、この惑星上における戦力は圧倒的にグロウダインが有利になる。その気になれば、わずか九名のグロウダインが、地球全土を焦土と化すことも可能だろう。
しかし、グロウダインもそれを望みはすまい。
理由はカーツの場合と同様。〈キーパー〉はその状況を許さない。
――われわれはみな、いつでもこの状況を破壊《はかい》することができる。それが、このゲームのルールだ。
重要なのは、バランスを維持することなのだ。
〈キーパー〉はそう希望している。カーツと〈教授21MM〉はそれを理解している。グロウダインもまた、それを理解している。
だが、〈リヴァイアサン〉はどうなのだろうか。その思惑を推し量ることは、カーツにはできない。
そして、この惑星に棲《す》む原住種族、地球人たち――一部は友好的であり、一部は敵対的だが、その行動原理にはいまだ理解不能な点が多い。カーツやグロウダインが、この小さな惑星の上で必死にバランスをとろうとしている今このときにも、彼らは自らの依《よ》って立つ足場をくずそうとするかもしれない。まったくもって、不可解な種族だ。
だが、ひょっとすると、このゲームの勝敗の鍵《かぎ》を握っているのは、彼ら地球人なのかもしれない……。
……というようなことを考えながら、カーツは忠介《ただすけ》のかまえる古タオルにむかって、プシャーッと放尿し、ぷるぷるぷるっ、と下半身をふるわせた。
これをかわかしたあとで小さく切って、宇宙人部屋の「銀河連邦領」の四すみに貼《は》りつけよう、という計画だ。いうなれば、匂《にお》いつけ用のマーカー。忠介の発案である。忠介は普段は気が利かないくせに、こういう変なところには気がまわる。
「ミュウ」
忠介の頭に引っついていたミュウミュウが、タオルに手を伸ばした。
「あっ、ミュウミュウ、ばっちいばっちい」
「そうとも、くそ猫《ねこ》の小便なぞに触れたら手が腐るぞ」と、横からバルシシア。
バルシシアは〈突撃丸〉の面々が船からもち出してきた衣類を「帝国領」のベッドの上でばさりばさりと広げては、クローゼットに詰めているところである。中にはマントがいくつもあるが、
「これが儀礼《ぎれい》用で、これが略式で、こちらは普段着用じゃ」
といわれても、忠介には区別がつかない。全部ハデハデだなあ、と思う。
ちなみに、バルシシアが今着ているのは忠介のジャージ。これはこれで、別に嫌《きら》いではないらしい。
それはさておき、
「ミュウミュウよ、近う、近う」と、バルシシアがミュウミュウを手招いた。
「ミュウ」
忠介《ただすけ》の肩をとん[#「とん」に傍点]とけって、ミュウミュウがふわりと浮いた。バルシシアは「国境線」を越えて飛んできたその体を受け止めると、普段着用(多分)マントで全身をくるむようにしながら、
「うむ、やはりよう似合う。まっこと、わが帝国にふさわしい。のう、忠介?」
「似合います似合います」
「ミュウミュウよ、いずれ儀礼《ぎれい》用マントをつけて朝廷に参ずる日のために、今から歩きかたを練習しておくがよいぞ」
「ミュウ?」と、ミュウミュウがバルシシアの顔を見上げた。
バルシシアは、ふと天井を見上げながら遠い目をして、
「マントのはしを踏んづけて転ぶのは、あれはとても恥ずかしいものじゃからのう……」
ぺろぺろとしっぽの先を手入れしていたカーツが、そのしっぽをひゅっとふって、
『HA、HA!』
「貴様にはいっておらん!」
と、そこに、
「おニイー」
と、階段の下から陽子《ようこ》の声が聞こえ、カーツとバルシシアはびくっと体をふるわせた。
「もう、すんだー?」
ベランダに出て小便タオルを干していた忠介は、
「あ、うん、今終わったー」と階下に答えた。
それから三人にむかって、にゅい、と笑い、
「ごはんにしましょう」と、忠介はいった。
[#地付き]〔了〕
[#改ページ]
[#挿絵(img/tatumorike3_200s.jpg)入る]
[#改丁]
8 『あとがき』
というわけで(前巻あとがき参照)、担当ミネさんのキャラを立ててみる実験。
プルルルル、ガチャ。
「はい、もしもし?」
『ミネミネだにょ。原稿《げんこう》はもうできたかにょ?』
「はっ、あのっ、すいません――」
『あっれェ〜、おかしいにょ? 「この月末にはできる」って聞いたにょ? 古橋《ふるはし》センセイはウソをついていたのかにょ?』
「いえ、そ、そういうわけでは……」
『裏切り者にはしかるべき制裁を加えるにょ?』
「はああっ、もっ、もうしわけ……えぐっ、えぐぐっ」
『泣くほど怖いかにょ?』
怖いです。
まあそんなこんなで、今回もミネさんはじめいろいろな人に叱《しか》られたりはげまされたりなぐさめられたりいたわられたりして、けっこうダメな感じの私でしたが、まあ原稿《げんこう》も上がったし、結果オーライ。
今このあとがきを読んでいるあなたも含め、みなさんにありがとう。
ところで、先日パソコンのデータを整理していたら、『タツモリ家』のキャラクターの初期案のラフが出てきたですよ。これがまた、われながら意外な感じがして新鮮《しんせん》。
――あっ、カーツが猫《ねこ》じゃない。バルシシアが金属製じゃない。ミュウミュウが幼児じゃない。あと陽子《ようこ》が地味だ(チョイ役だった)。
忠介《ただすけ》はあまり変わってないですね。最初からあんな感じ。ま、それはいいんですが――
その中に、メカっぽいピッタリスーツを着たお姉サマがひとり。
――あれ、誰《だれ》だコレ?
付属のキャプションを見てみると、
「機械知性の生体端末。性格は享楽的、かつ呑気《のんき》ですっとぼけた感じ」
あ、これ〈キーパー〉の原型だ。そうか、同居するはずだったんだ。
……うーむ。
なんで「テレビ」にしちゃったのかなあ。[#「なんで「テレビ」にしちゃったのかなあ。」は太字]
謎《なぞ》。
昨日、三巻のイラスト描きをひかえた前嶋《まえしま》重機《しげき》氏と、ミーティングしたりビール飲んだりしてたですよ。普段はメールのやり取りメインなんですが、やはり直接会うと作品世界への理解もいっそう深まろうというものです。
古橋(以下「古」)「えーと、ゴルゴパンツというのはこんな感じだー」
とか、
前嶋(以下「前」)「精神寄生体ってどうなったん?」
古「ごめん、書いてるうちに出なくなっちゃった……」
とか、
古「そういや前から気になってたんだけど、殿下の耳のフシギ突起物、コレなに?」
前「なにって、カナード翼《よく》に決まってるやん。[#「カナード翼に決まってるやん。」は太字]特攻の時にはこれで方向を制御すんねん」
古「あっ、そうだったのか! するとアレか、あえて耳なのは姿勢制御のため三半規管《さんはんきかん》とリンクしてるから、とか」
前「あ、そうやな。そうそう、それや」
古「わ、なんかSFっぽい。っていうか面白いからよし!」
前「ちなみにデザインは例のお手伝いロボの耳を参考にしてみました。耳機械|萌《も》え〜」
古「耳機械って……なんでマルチ耳がコレになるの」
前「だって俺《おれ》、後ろに出っ張るより横に出っ張るほうが好きやもん。ムカシロボみたいで」
古「いや、気持ちはわからんでもないが、それはもはやマルチとちがう」
……なんかこう、前嶋《まえしま》氏とワタクシ、長所と短所が似たところにあって、その相乗効果が被害を拡大している[#「被害を拡大している」は太字]のではないかという気がします。いや、コレはコレで面白いと思うんですが。
そんな感じで、『タツモリ家』はまだ続きます。ちがう小説も書くので、次巻はかなり先になってしまう予定ですが、それまでみなさんお元気で。
「ところで、四巻はミネさん、どんなキャラやりたいですか」
『いいかげんにするにょ』
んじゃまた。
[#地付き]二〇〇〇年一〇月
[#改ページ]
底本:「タツモリ家の食卓3 対エイリアン部隊」電撃文庫、メディアワークス
2001(平成13)年1月25日初版発行
入力:
校正:
2008年4月5日作成