タツモリ家の食卓
超生命襲来!!
著者 古橋秀之/イラスト 前嶋重機
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)竜《りゅう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)空間|衝角《しょうかく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)額《ひたい》の宝石状のぽっち[#「ぽっち」に傍点]
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CONTENTS
0  『光世紀の死闘』
1  『忠介、犬を洗う』
2  『忠介、変な生き物を拾う』
3  『特攻、一五〇光速!』
4  『忠介、今度は宇宙人を拾う』
5  『〈リヴァイアサン〉暴走』
6  『忠介、ごはんを所望する』
7  『あとがき』
[#改丁]
0  『光世紀の死闘』
天の川銀河の中心から五〇万光年の距離にあたる銀河間空間――茫洋《ぼうよう》たるエーテルの海のただ中に、ふたつの対照的な存在があった。
一方は冷徹《れいてつ》な狩猟者であり、もう一方は手負いの野獣《やじゅう》であった。
一方は超技術の産物であり、もう一方は超自然の産物であった。
一方は人類の保護《ほご》者であり、もう一方は人類への脅威であった。
〈キーパー〉と〈リヴァイアサン〉。
虹《にじ》色の妖怪《ようかい》、意志をもつエーテル渦動《かどう》、空間をも巻き込みながら巡航する、巨大な超電磁生命体――〈リヴァイアサン〉がわれわれの銀河を訪れたその理由を、〈キーパー〉は知らない。当初、彼らは敵対する理由をもたず、互いの存在に興味《きょうみ》すらもたなかった。
だが、〈リヴァイアサン〉が発生させる重力|震《しん》によって一〇〇個目の発電用ダイソン球が破壊《はかい》されたとき、〈キーパー〉の意思決定論理は〈リヴァイアサン〉の駆除を決定した。
〈キーパー〉は自らを構成する神経単位――電磁的に透明な、レンズ型の重力制御ユニット――の一部を直径五光日の範囲《はんい》に配置し、重力ネットを展開した。だが、〈リヴァイアサン〉は航行体の先端から結晶質の空間|衝角《しょうかく》を伸長、重力子の網を空間ごと切り裂き、逃走した。
〈キーパー〉が螺旋《らせん》状の編隊を組み、集中・加速した重力子の束を打ちこむと、〈リヴァイアサン〉はハイパーウェーブの悲鳴を上げながら基準界面下に潜航《せんこう》、超高圧の深エーテル中を五億光速の速度で突進した。
〈キーパー〉は基準界面に現れる重力波の残滓《ざんし》を読みとりながら、ユニットを環《かん》状に展開し、重力ゲートを形成。光世紀単位の距離を一瞬《いっしゅん》にして跳躍《ちょうやく》し、移動した先でさらに〈リヴァイアサン〉の位置と進路を確認、さらにゲートを形成し、跳躍。逃亡者は深エーテル中を矢のように突き進み、追跡者は基準界面上を次々と跳躍しながらそのあとを追った。
そして、現在。
連続的なエーテル潜航に疲労し、基準界面に浮上した〈リヴァイアサン〉を、先行した〈キーパー〉の球殻《きゅうかく》状の包囲網がとらえた。
〈キーパー〉はユニットをフル稼働《かどう》させ、球の中心を焦点に超高重力を発生させた。空間をもゆがめるすさまじい力に、〈リヴァイアサン〉は引き伸ばされ、ねじられ、圧縮《あっしゅく》された。虹《にじ》色の巨体が苦悶《くもん》にゆがみ、その色彩を目まぐるしく変化させた。あらゆる時空間から隔離され、光さえも抜けることのできない重力の檻《おり》の中で、〈リヴァイアサン〉はついに死を迎えようとしていた。
だが――
ギオオオオオオオ――!![#「ギオオオオオオオ――!!」は太字]
〈リヴァイアサン〉の断末魔《だんまつま》の悲鳴が空間をゆるがし、瞬間、人工の重力場を攪乱《かくらん》した。荒れ狂う超電磁ノイズは基準界面におよび、ハイパーウェーブネットワークによって構成される〈キーパー〉の思考回路をも寸断した。
一時的に統合意識から切りはなされた〈キーパー〉は――〈キーパー〉を構成する個々のユニットは、状態を自動的に「殲滅《せんめつ》モード」に移行。逃走する〈リヴァイアサン〉に雲霞《うんか》のごとく群がり、重力子のつぶてを雨のように降らせた。
重力弾の着弾した虹色の体表面が渦《うず》を巻いてゆがみ、〈リヴァイアサン〉の体内に通じる黒い穴を開いた。全身に穿《うが》たれた無数の穴から嵐《あらし》のようなノイズを噴き出しながら、〈リヴァイアサン〉は空間をふるわせてさらに吠《ほ》え、巨体を波打たせて驀進《ばくしん》した。
〈リヴァイアサン〉は、他のいかなる生命体にも似ていなかったが、生命の本質ともいえるひとつの特性をそなえていた。すなわち、強力な生存・種族維持本能。〈リヴァイアサン〉はエーテルのしぶきを上げて、界面下に急速潜航、超深深度に至ると、恒星の死にも似た爆発《ばくはつ》とともに、無数の幼体――自らの分身を放出した。破壊的な重力|衝撃《しょうげき》波が基準界面にまでおよび、〈キーパー〉のユニットを数百体破壊した。
――やがて、エーテルの凪《な》ぎとともに、〈キーパー〉は意識を回復。知覚をとぎすませ、自らのダメージを走査しつつ、空間に残る複数の重力波の痕跡《こんせき》をさぐり出した。
数秒間の思考ののち、〈キーパー〉は自らの組織を分割・再編成。拡散した破滅の種子を追って、次々と跳躍《ちょうやく》し始めた。
[#改ページ]
[#挿絵(img/tatumorike1_015s.jpg)入る]
[#改丁]
1  『忠介、犬を洗う』
ホームルームが終わったあと、教科書を鞄《かばん》に突っこむ手をふと止めたまま、龍守《たつもり》忠介《ただすけ》は校庭に面した窓の外をぼーっと眺《なが》めていた。春の日差しの中を、モンキチョウが二匹、ひらひらりんと飛んでいる。
いつだったか、今日みたいな天気の日の朝に、陽子《ようこ》が大きく伸びをして「今日は空気の中に『元気のもと』が入ってる」といった。
わが妹ながらかわいいことをいうなあ。ポエムだなあ。
そんなことをふと思い出す、土曜の昼どきである。
「忠介ー、今日これからどうする?」と、教室の戸口から眼鏡《めがね》ノッポの清志《きよし》の声がした。
「んー」と、忠介はふり返った。
一見、立ったまま寝ているように見える。が、じつはちゃんと起きている。もともとこういう顔なのである。
線のように細い目、柔らかなカーブを描く眉《まゆ》、額《ひたい》の真ん中にほくろがひとつ。おまけに福耳。
ホトケ顔だ、と、よくいわれる。
「タツモリタダスケ?」
「ほら、いるだろ三組の、あの仏像みたいなやつ」といういいかたもナニだが、
「ああ、あいつな」通じてしまうのだからしょうがない。
しかし、「そういう表現はどうか」と、眼鏡《めがね》の位置を直しながら清志《きよし》はいう。「仏像といってもいろいろあるからな。たとえば東大寺大仏と中宮寺《ちゅうぐうじ》の菩薩《ぼさつ》半跏《はんか》像では、だいぶちがう」
そこに、「みんな同じだ、そんなのは」とチビの憲夫《のりお》が突っこむ。
ま、それはさておき――
その憲夫が清志の横から顔を出し、
「飯食ってゲーセン行こうぜー」といった。
「んんー」
ゲーセンはけっこう好きだ。あまりゲームにくわしくない忠介《ただすけ》にはだいたいどれも同じに見えるのだが、ともあれボタンを押すと中の人がパンチとかビームとか出すのはすごく楽しい。あと車のやつとか鉄砲のやつとか、それと、ええとなんだっけ、音楽に合わせて踊るやつ。ふたり用の機械に三人で乗って押し合いながらやったりして、店の人に怒られたけど、あれむちゃくちゃ面白《おもしろ》かったなあ。
――でも、今日はゲーセンって感じじゃない。なにかがちがう気がする。
「んんんー…」
忠介の口元が、にゅにゅにゅ、とゆがんだ。一見「寝ながらなんか食ってる」みたいに見えるが、これはなやんでいる顔である。
忠介が、はっと顔を上げた。
「そうだ、今日はジロウマルを洗おう」
「あ…?」
「じゃっ!」
忠介は鞄《かばん》をかかえ、憲夫と清志を戸口に置いて、急ぎ足で教室をあとにした。昇降口を抜け、校門を出たあたりで、自然に駆け足になった。
ジロウマルというのは、龍守《たつもり》家のおむかいの「ハッピーハイツ郷田《ごうだ》荘」の犬である。
忠介には別に、ジロウマルを洗う義務はない。が、しかし。
忠介は犬洗いが好きだ。
犬はいい。
特に、西園寺《さいおんじ》さんちのレオン(ゴールデンレトリーバー)とか池田《いけだ》さんちのラッシー(シェットランドシープドッグ)なんかは、ほんとにいい感じ。毛足が長くて、じつに洗いでがありそうだ。しかしまあ、ああいう高そうな犬は飼い主がちゃんと世話しているので、忠介が手を出す余地はない。ちぇっ、残念。
一方、郷田《ごうだ》荘のジロウマル(雑種)は、あんまり世話がちゃんとしていないくちである。
ジロウマルの飼い主であり郷田荘の大家でもあった郷田のおじいさんはおととしに亡くなったのだが、郷田荘の権利を受け継ぐことになる息子さんは現在外国に住んでいて手続きもままならないとかで、犬、アパートともに、なしくずしに現状維持。で、ジロウマルの日々の餌《えさ》やりとか散歩とかは一〇四号室の張《ちょう》さんか二〇一号室のトシさんか二〇三号室のヤヨイさんか、とにかくだれか気のついた人が適当にやっている。週に二、三度は忠介《ただすけ》も散歩に連れていくし、陽子《ようこ》は寝る前に「ジロちゃん、今日はちゃんとごはん食べた?」と聞いている。餌代やその他の諸経費は、龍守《たつもり》家が立て替えて郷田さんの息子さんに請求《せいきゅう》している。それと、保健所の案内等は郷田荘あてにくるので、去年と今年は忠介が予防接種に連れていった。
そのようにして、周囲の人々の善意によってなんとなく生きているジロウマルであるが、これというのも、だれかれかまわず愛想をふる、人好きのする性格ゆえのことだろう。人徳である。いや、「犬徳」っていうのかな。
忠介は鞄《かばん》を玄関に放りこみ、郷田荘に向かった。郷田荘の玄関先の犬小屋につながれたジロウマルは、先ほどから忠介の足音を聞きつけ、すでに大|興奮《こうふん》のていである。ちぎれそうなほどにしっぽをふり、その場でぐるぐるまわっている。今年で一〇歳。犬としてはけっこうな歳《とし》だが、いやいや、若い若い。
「オンッ」
ハスキーの血が入った大柄な体が、忠介にどしっとのしかかった。
「はっはっは」
べろべろとほおをなめるジロウマルの首のあたりをわしわしとかいてやってから、忠介はまず、庭先のスチール物置《ものおき》から散歩ひもとスコップとうんこ袋をもち出した。犬洗いは散歩をすませてから、が基本である。ジロウマルがおどり上がるようにしてオンオンと吠《ほ》えた。
さて、それから。
忠介とジロウマルはいつもの散歩ルートを行き、ジャングル公園に入った。
「ジャングル公園」というのはバスケのコートくらいの広さの児童公園である。ブランコやすべり台と並んで大きなジャングルジムがあるため、地元の子供たちにそう呼ばれている。
公園全体から、真新しいペンキの匂いがした。先日からおこなわれていた、何年かに一度の補修工事が終わったのだ。
鉄棒は青、ブランコは黄、すべり台は赤、そして高さ二・五メートルほどのジャングルジムは赤青黄の三原色にこってりと塗り分けられ、それぞれ「ペンキぬりたて」の貼《は》り紙をつけられている。足元の地面には、色とりどりのペンキがぽたぽたとたれている。
新品同様になったジャングルジムを見て、忠介は「これ、こんなに小さかったかなあ」と思った。
幼いころには、この原色ぴかぴかのジャングルジムは山のように大きく見えたものである。「初登頂」に成功し下界を見下ろしたときのことを、忠介《ただすけ》はよくおぼえている。当時は今より建物《たてもの》が少なくて、はるか遠くまで風景が見わたせた。遠い山並みに沈む夕日を見て、感動しながら転落して、頭に巨大なたんこぶを作った。
今でもときどき、
「はっはっは、たしかこの辺だ、この辺だ」
といって、忠介の父は忠介の頭をぐりぐりとさする。そして、
「あれ以来だな、おまえの頭が悪くなったのは」と、ひどいことをいう。
だから、というわけでもないが、忠介はここにくるたびについ立ち止まってしまう。なにか大事なものを、ここに置き忘れてきたような気がして――
「はっはっは、そりゃきっと脳みそだ脳みそだ」それにしてもひどい親父《おやじ》である。
そんなことを思い出しつつ、ふと気がつくと、忠介はジャングルジムの鉄パイプに右手をかけていた。
手のひらに、黄色いペンキがべっとり。
「ああ〜」
なにかふくもの、ふくもの。
忠介は思わずジロウマルの背中に手を伸ばした。が、危険を察知したジロウマルはさっと距離をとって難を逃れた。
「え〜と」
忠介は周囲を見まわしたあと、おもむろに「なむ〜」と両手を合わせた。力をこめて手のひらをすり合わせると、ペンキと手あかの混じった黒っぽいこよりがむりむりとできていく。
「はっはっは」けっこう楽しい。
忠介はなおも「はっはっは」と笑いながら、なむなむとジャングルジムを拝んだ。はたから見ると、かなり怪しい。
で、それから。
「ちょっとごめん」
といって、忠介はジロウマルを近くの街灯の支柱につないだ。ジロウマルはしっぽをふりながら、忠介を見上げて「オンッ」と吠《ほ》えた。
「しー」
とジロウマルにいいながら、忠介は公園のはしにむかった。公園のフェンスのむこうは、小さな雑木林になっている。フェンスを乗り越え、湿った土を踏んで雑木林に分け入っていくと、いくらも行かないうちに、ブロック塀《べい》が現れた。ここで林は終わり。塀のむこうは人の家の裏手だ。
塀の足元に、だれが捨てていったのか、工事用の青いビニールシートがあった。
忠介はなるべく音を立てないように塀に近づき、
「ナーオウ…」と、小さく猫《ねこ》の鳴きまねをした。
シートの下で、ごそりと物音がした。
忠介《ただすけ》はシートのはしをそっとめくった。シートの下には、みかん箱サイズの段ボールがあった。これは数日前に、忠介がもってきたものだ。
「クロさん、調子、どう?」
段ボールの中にはバスタオルが敷《し》かれ、一匹の猫が横になっていた。少々毛づやが悪いものの、どこかキリッとした気品を感じさせる、大きな黒い猫――クロさんは顔を上げ、金色の目で忠介を見つめた。多少|警戒《けいかい》しているが、起き上がって逃げ出すほどではない。それに、ポッコリとふくれた腹が、いかにも動きにくそうだ。
野良猫のクロさんは、お産が近いのだ。
忠介はそのようすを一瞥《いちべつ》すると、
「おじゃましました」
といってシートをもどした。
今日はまだ、生まれないらしい。
教室を出たところで、
「陽子《ようこ》〜っ!」と呼ばれて、龍守《たつもり》陽子はふり返った。
廊下のむこうから、鞄《かばん》をもった美咲《みさき》が追いかけてきた。
立ち止まった陽子に、美咲が追いついた。長身の美咲が並ぶと、身長一四二センチの陽子は余計に小さく見える。
「これからごはんでしょ? マツヤ行こ、マツヤ!」
といって、美咲はなぜか空手のようなかまえをとり、
「キムチっ! ギュウっ! メシっ!」と、突きを放った。
「行かない」
足をガニ股《また》にふんばった正拳《せいけん》突きのポーズの美咲を捨て置き、陽子はつかつかと歩いていく。
「ああ〜ん、つれないわあ。なんで?」
と、あとを追う美咲に、
「今日はおニイがもう帰ってるかも――」と、陽子はいった。
「あ〜」と、美咲はいった。「陽子はおニイが好きだからねえ。うひゃー、ブラコン、ブラコ〜ン、お兄ちゃん大好きっ子〜!! うっしゃっしゃっしゃ」
龍守陽子はよく怒る。特に「おニイ」関係のことをからかうと、十中八九、大きな目をこぼれ落ちそうなくらいに見開いて、「もおーっ!」と顔を真っ赤にして怒り出す。それがまた、とてもオモロかわいい。
そのさまが見たくて毎日せっせと陽子をからかう美咲なのだが、今日はどうやら不発。陽子は歩調をくずさず、なにやらむずかしい顔をしながら、つかつかと家路を急ぐ。
「どしたの、いったい?」
「今日みたいな日は、きっと」と、陽子《ようこ》はいった。「おニイがジロちゃん洗おうとするから」
「…はい?」と、美咲《みさき》はいった。
三〇分ほどかけて近所をひとまわりしてから、忠介《ただすけ》はジロウマルにブラシをかけた。冬毛の抜けたのがモコモコとれて、なかなか楽しい。ブラシをかけ終わると、ジロウマルは忠介を見上げ、「ヘッハッハッハ」としっぽをふった。いつもなら、ここで餌《えさ》が出てくるのである。
しかし、今日は食事の前のお楽しみがあるのである。ふふふ。
忠介はブラシを物置《ものおき》にしまうと、物置の横に立てかけてあった青いタライを手にした。
そのとたん、ジロウマルのしっぽが、後ろ足の間にぴゃっと巻きこまれた。
犬小屋の前に置いたタライに、バケツに汲《く》んだ風呂《ふろ》の残り湯と湯わかし器のお湯を、ざぱー、ざぱー、と数杯ずつ。腕まくりをした手を突っこんで「うむ」と人肌《ひとはだ》の温度を確認し、
「ジロウマルー、おいでー。気もちいいぞう」と、忠介はいった。
犬小屋の中でジロウマルが、キューン、と鳴いた。
ジロウマルは水が大|嫌《きら》いである。飲み水程度ならいいが、体が浸《つ》かる量の水を見ると逃げ出そうとする。池とかドブとかには近づかないし、ときには水たまりすらも大きくよけて通る。
ジロウマルはまだ仔犬《こいぬ》のころ、近所の川でおぼれたことがあるのだ。
忠介も、そのときのことはよくおぼえている。なぜかというと、忠介もそのときいっしょにおぼれたからである。というか、まず最初におぼれたのは水遊びをしていた忠介で、ジロウマルはそれを助けようと飛びこんだところまではあっぱれだったのだが、あえなく二重遭難。結局ふたりで、当時元気だった郷田《ごうだ》のおじいさんに救助されることになったのだった。
ちなみにそのときの水深は五〇センチくらいだったそうである。郷田さんはてっきりふたりでじゃれ合っているのだと思って一分ぐらい笑って見ていたそうである。
そのような体験から、ジロウマルは大量の水を恐れる。タライを見るだけでもう失神寸前。
一方、忠介は同じ体験をしながらも、別に水|嫌《ぎら》いになることはなかった。というかむしろ、水遊びは好きだ。泳げないけど。
去年|憲夫《のりお》たちと海に行ったときも、
「忠介ー、あんま沖に行くなよー」
「はっはっは、大丈夫、大丈がぼごぼげぼ」
とかやってたら、憲夫と清志《きよし》が金を出し合って浮輪《うきわ》を買ってくれた。
「おまえはずっとこれもってろ」いやあ、助かるなあ。はっはっは。
ま、それはさておき――
忠介は「はっはっは」と笑いながら腰のあたりをもってジロウマルを犬小屋から引っぱり出し、よいしょとかかえ上げた。全力でもがくジロウマルは、パシャリとタライに座らせるとおとなしくなった。腰を抜かしたのである。
それから、茫然《ぼうぜん》自失《じしつ》、うつろな目をしたジロウマルに手桶《ておけ》でジョポジョボとお湯をかけ、ありがたい犬シャンプー(人間用の五倍のお値段)をつけて泡立てながらわしわしとこすった。
と、ここでジロウマルがわれに返った。パニックを起こしてキャンキャン吠《ほ》えながらあばれ、忠介《ただすけ》の腕や脚にがぶがぶとかみつきまくる。でも忠介は平気。「はっはっは」と笑いながら、もがくジロウマルをつかまえ、さらにわしわしと洗う。
キャンキャンキャン!「はっはっは」わしわしわし。
がぶがぶがぶがぶ。「はっはっはっは」わしわしわしわし。
「……おまえ、ほんとに犬好きなのか?」
いじめているようにしか見えんが、と、昔、憲夫《のりお》や清志《きよし》にもいわれたが、要するに忠介は犬という動物が好きだしジロウマルという個体も好きだが、それとは別に、いやひょっとするとそれ以上に、犬洗いという行為そのものが好きなのであった。じつに楽しい。
キャンキャンキャンキャンキャン!「はっはっはっはっは」わしわしわしわしわし――
「おニイっ!!」
鋭い声に、ジロウマルがびくっと体をふるわせた。
「あ」と、忠介は顔を上げた。
いつの間にか、郷田《ごうだ》荘の門柱のわきに、陽子《ようこ》が立っていた。大きな目をくわっと見開き、腰に手をあてて仁王立ちになると、小柄な体が何割か大きく見える。
忠介の手をすり抜けたジロウマルが、陽子の後ろに逃げこみ、キューン、と鳴いた。
「ごめんねジロちゃん、こわかったね」
と、陽子は泡だらけのジロウマルをだき、背中をなでた。そして、忠介をギロッとにらんで、
「かわいそうだからやめてっていったでしょ!」
「あー、うんうん」
忠介は手桶にお湯を汲んで、立ち上がった。
「でも、ちゃんとすすがないと」
「もう……」
陽子の手が、逃げようとするジロウマルの体をギュッと押さえた。
「ごめんねジロちゃん」
手桶のお湯がかけられると、ジロウマルは、キャイイーン、と鳴いた。
数分後――
バスタオルで体をふき、ドライヤーで体毛をかわかし終わるころには、ジロウマルはすっかり落ち着いていた。切り替えが早いというか物忘れがはげしいというか、もうすっかり上|機嫌《きげん》で「ヘッハッハッハ」としっぽをふっている。
忠介《ただすけ》はジロウマルの耳を綿棒で掃除し、それが終わると今度は歯みがきを始めた。あごに手をあてて口を開けさせ、ガーゼを巻いた指でジロウマルの歯と歯ぐきをこする。思わず知らず、自分の口まで「いー」と開いている。
「……おニイ、聞いてる? ちゃんとこっち見て」と、陽子《ようこ》がいった。
忠介は、「いー」の顔のままふり返った。
「いーへまふ」
「ジロちゃんがいやがること、しちゃダメでしょ」
「んんー」
忠介の口元が、にゅにゅにゅ、とゆがんだ。
たしかに、陽子のいうことももっともだなあ、とは思うのだが、いやしかし、洗うときれいになるし、楽しいしなあ。それに、ときどき洗ったほうが健康にいいんだ。でもこれいいわけかなあ。ジロウマルくらいの毛の長さなら、ぬれタオルでふいたりすれば、無理に洗わなくてもいいような気がするなあ。でもやっぱり洗うのは楽しいからなあ。
「んんんー」
「ヘッハッハッハ」
ジロウマルにほおをべろべろとなめられつつ、忠介はなおも、にゅにゅにゅ、となやんだ。無意識に、ジロウマルの毛皮をわしわしとこすっている。
忠介が、はっと顔を上げた。なにか思いついたらしい。
「そうだ、陽子」
「え、なに?」
「ごはんにしよう」
いろいろ考えているうちに、よくわからなくなってしまったらしい。
ジロウマルに餌《えさ》をやって、忠介と陽子は家に帰った。
忠介のジロウマルに噛《か》まれた傷を消毒すると、陽子は救急箱をぱたんと閉め、
「待ってて、今なにか作るから」といって、エプロンのひもをきゅっとしめた。
「んんー」と忠介は居間の床に転がって新聞を読み始めた。
広げた新聞と、開いたふすまのむこうに、台所で立ち働く陽子の後ろ姿が見える。
忠介は妹の尻《しり》を見るのが好きだ。
フライパンジャージャー、水道キュキューッ、包丁トントントン。
リズミカルな台所仕事の音を背景に、エプロンとスカートのはしをひらひらさせながら小さなおケツがくりくり動くのを見ていると、なんだかもう、すごく幸せな気もちになる。
ジャージャー、キュキューッ、トントントントントントン。
ひらひら、くりくり、くりくりひらりん。
うーん。幸せ。
「――でね、そのときに美咲《みさき》がいったのよ」
トントントン、と包丁の音を伴奏に、陽子《ようこ》は忠介《ただすけ》に話しかける。
「んんー」
「――それであたしが、そんなのあたりまえっていったら、あの子――」
「んんー」
「――だってさ。バカみたい」
「んんー」
「……聞いてる、おニイ?」
「んんー」ぜんぜん聞いてません。
包丁の音がぱたりと止み、陽子の手が、さっとスカートを押さえた。
われに返った忠介は、ガサガサッと音を立てて寝返りを打った。
「……おニイ、またお尻《しり》見てたでしょ」
忠介は新聞に頭を突っこむようにして、ガサガサガサ、と首をふった。
「んもおーっ、信じらんない!」
と、顔を真っ赤にして、陽子が叫んだ。
「スケベ、スケベ、スケベ!!」
キックキック、キックの鬼と化した陽子は、忠介の背にストンピングの嵐《あらし》。
すると「はっはっは」なぜか笑い出す忠介。
じつは妹にけられるのもけっこう好きなのである。
「もうっ、なに笑ってんのよ!」キックキックキック。
「はっはっはっはゲフッ」いいのが入りました。
さてちなみに、昼食はヤキソバ。
具のキャベツとウインナーにコショウがきいていて、
「うまいうまい」
声に出していいながら忠介がうまうまと食べると、
「でしょ」陽子の機嫌《きげん》は簡単に直ってしまった。
「うんうん、うまいうまい」
別に陽子の機嫌をとるためにいっているわけではない。実際、忠介は妹の作ったものを食べて、まずいと思ったことはないのである。――というかそもそも、ものを食ってまずいと思ったことがあまりない。幸せな味覚のもち主である。
しかし、「それはどうか」と清志《きよし》はいう。「なにを食ってもうまいというのは、ほんとうにうまいものを知らんということだ」
そこに、「食ってうまけりゃどっちでもいいだろうが」と憲夫《のりお》が突っこむ。
ま、それはさておき――
「あ……」
ヤキソバを食べながら新聞を見ていた忠介《ただすけ》が、ふと、ひとつの記事に目を留めた。
「『武装テロ再び/〈青い地球〉ホノルル空港で発砲』だって。父さんたち大丈夫かな」
「え、どれ」
陽子《ようこ》が新聞をのぞきこんだ。栗《くり》色の髪が、忠介の目の前でふわりとゆれた。
「なんでそんなことするのかしら。あぶないじゃない」
「んんー、『米国政府の、エイリアンについての秘匿《ひとく》情報の公開を要求する』んだって」
「エイリアンって、あの、映画の?」
と、口の前で手を「シャーッ」と動かしながら、陽子がいった。
「んんー……宇宙人、って意味じゃないかなあ」
映画の新作情報とかの話じゃないよなあ。多分。
「その人たち、頭おかしいんじゃないの?」と、陽子はいった。「宇宙人なんて、いるわけないじゃん」
「いやあ、さがせばいるかも」
「たとえば、どこに」
「んんんー……宇宙とか」
「ウチュウにだれがいようが関係ないじゃない。そんなの、なんで気にするのよ」
「んんー、なんでかなあ」よくわかりません。
……そもそも忠介は、他人のことはよくわからない。
宇宙人のことを考えながら鉄砲を撃《う》ったり爆弾を作ったりするのは、ひょっとするとすごく楽しいのかもしれない。でも、それでまわりの人が怪我《けが》をしたり迷惑したりしたら、楽しくなくなってしまわないんだろうか。俺《おれ》らが野球とかサッカーしてる途中でだれかが怪我したら、なんだかつまらなくなって、そこでお開きになっちゃったりするのになあ。
っていうか、この人たちはなんで宇宙人のことを知りたがっているんだろう。それから、この人たちのいうことが本当だとしたら、なんでそれを隠そうとする人がいるんだろう。なんで人がいいたくないことを聞きたがったり、人が聞きたいことを教えてあげなかったりするんだろう。両方に、なにか特別な事情があるんだろうか。
「んんんー」やっぱりよくわからない。
「おニイ、やめて」と、陽子がいった。
「あ」
忠介は、目の前にあった陽子の頭を、無意識のうちにくしゃくしゃといじりまわしていた。「猫《ねこ》っ毛」というのか、陽子の髪は柔らかいくせっ毛で、ふわふわとしてじつにさわり心地がいいのだ。
でもこわい顔でにらまれたからやめる。
「もおー、なんで人の頭いじるのよう」
と、陽子《ようこ》は手鏡《てかがみ》をのぞき、髪を直しながら文句をたれた。
考えごとをするとき、つい手近なところにいる人の頭をいじってしまうのは、忠介《ただすけ》のくせである。清志《きよし》は頭の位置が高くてさわりにくいからあまりやらないが、憲夫《のりお》の頭はよくいじってこれまた怒られる。
「それはグルーミングというやつだな」と、いつだったか、清志がいっていた。「日本語でいえば『毛づくろい』だ。健康維持のほかに、仲間同士のコミュニケーションや気分を落ち着けるなどの効果があるという」
「ああ、ヒマなとき、ちん毛いじったりするよな」と、憲夫がいうと、
「そんなことしてるのか、おまえは」と、清志。
「なっ、ばっ、バカおめ、するだろ普通っ!?」
顔を真っ赤にする憲夫に対し、清志はあくまでひややかに、
「その手で僕《ぼく》に触るな」
「てめっ」
忠介がそれを見ながら「はっはっは」と笑っていると、
「おめ、なに笑ってんだよ」なぜかどつかれた。
ま、それはさておき――
「おニイは床屋さんになるといいよね。毎日人の頭いじれるから」と、陽子がいった。
「んんー」
「あと、ペットの床屋さんとか」
「トリマーな」
「うん、そうそれ、トリマー」
うーん、それもいいかもなあ。毎日洗いまくりだなあ、犬。もしくは猫《ねこ》。
そんなことをいいつつ、べろりべろりと新聞をめくって、最後にテレビ欄《らん》。
「あ、そうか」と、忠介がいった。「今日、父さんがテレビに出るんだっけ」
「あっ、そうそう、ビデオ録《と》らなきゃ! おニイ、テープ買ってきてくれる?」
陽子はタンスの一番上の引き出しから財布をとり出した。
「おつりでアイス買っていいから」
忠介は新聞から顔を上げ、
「やったあ」といった。
晩ごはんはロールキャベツ。
「今日のは会心のできだから、食べる前によおーく見てよ」
と陽子《ようこ》がいうので、忠介《ただすけ》は「ふむー」とロールキャベツに注目、五秒間。
「はい、よろしい」と、陽子がいった。
「いただきます」と、忠介はいった。
『サイエンス最前線実況ハイパーウェーブ天文台』は、午後六時半から始まった。
テレビの中で、ヘリコプターの回転|翼《よく》とエンジンの音をバックに、窓から身を乗り出した女性レポーターが、風圧に髪を乱しながら大声をはり上げている。
「ハイ! 今私は、ハワイはニライ島の、サイクロプス天文台の上空にきています! ごらんいただけますでしょうか!? 壮観ですね――この、大きなお皿!」
「あれ……むこうまだお昼なの?」と、陽子がいった。
「うーん、ここは録画なんじゃないかな。ハワイじゃ四、五時間進むはずだから」と、忠介がいった。
レポーターの顔から画面が切り替わり、深い色の森と、巨大な鏡面《きょうめん》の一部が映し出された。鏡面は巨大な丸皿状らしいが、あまりに大きいので、全体を見ることができない。皿のはしにこびりつくように立っている建築《けんちく》物群とくらべても、同じ人工物という気がしない。森の中にあって静かに空を映す、鏡《かがみ》の湖面――そんな感じだ。
「天然の地形を利用した、直径一・二キロの超・超大型パラボラアンテナ! これが、世界最大のハイパーウェーブ望遠鏡なんですね!」
「へえー、すごいんだあ」と、茶碗《ちゃわん》におかわりをよそいながら、陽子がいった。
「うんうん、すごいすごい」と、茶碗を受けとりながら、忠介がいった。
「――このサイクロプス天文台は、現在進行中の、天文学史上、いえ、人類史上最大のプロジェクト『アズマ計画』の本部でもあります。では、その『アズマ計画』について、今から一二時間後の午前〇時に、龍守《たつもり》博士に解説していただくことになっています。それではさっそく、一二時間後の私に交代しまーす!」
画面が切り替わった先は、暗い、広い部屋。天井が高い。画面奥の大モニターを始めとして、大小のモニターや計器が光を放ち、ヘッドセットをつけたスタッフが、なにか専門用語でやりとりしている。まるで、SFや戦争映画に出てくる「作戦司令室」みたいだ。
「あっ、出た出た!」と陽子がいった。
画面の中央には、ふたりの人物が立っている。ひとりはテレビ局のロゴが入ったジャンパーを着た、先ほどの女性レポーター。もうひとりはやや長身の、白衣を着た中年の男。
「どーもー、志村《しむら》ですゥー」
と、女性レポーターが画面にむかって愛想をふった。
「そして、こちらが波動宇宙論の第一人者であると同時に『アズマ計画』の中心人物のひとりでもある、龍守|達夫《たつお》博士です」
と志村レポーターがいうと、白衣の男――龍守博士はカメラに向かって手をふって、
「陽子《ようこ》ちゃーん、見てますかー。ついでに忠介《ただすけ》生きてるかー。お父さんです」といった。
「はっはっは」と、忠介が笑った。
「もう……バカみたい」といいながら、陽子もまんざら不愉快そうではない。
「あのォ……博士?」と、志村《しむら》レポーターがいった。
細い目を一層細めてにこにこと手をふり続ける龍守《たつもり》博士に、ひとりの人物がスッと近づいた。そして、博士の後ろを通りすぎざまに、手にした水色のファイルで後ろ頭を叩《はた》いた。ぱかん、といい音がして、周囲に集まっていたスタッフから笑い声がもれた。
「あれ……今の、お母さんだ」と、忠介がいった。
「撮影《さつえい》見にきたのかしら」と、陽子。
両親は同じ研究所で働いているが、部署がちがうのでたまにしか会えない――と、ふたりは聞いている。
はっとわれに返った龍守博士が、
「日本のみなさん、こんばんは。ご紹介にあずかりました龍守です」といった。
画面外に消えたファイルの主をあっけにとられた顔で見送っていた志村レポーターもまた、その声でわれに返り、
「……では、さっそくですが、博士に『アズマ計画』の概要についてご教授いただきたいと思います」といって、龍守博士にマイクをむけた。
「えー、『アズマ計画』というのは〈アルゴス・システム〉の構築《こうちく》・運用を目的とする、国際共同プロジェクトです。現在、二八ヵ国の政府と一一八の研究機関の協力を得て運営されています」
この種の説明は何度もしているのだろう。龍守博士の話しぶりはよどみがない。
「その〈アルゴス〉というのは?」
「〈アルゴス〉は、ネットワーク化したハイパーウェーブ望遠鏡《ぼうえんきょう》による即時性天体観測システムです。全世界三八ヵ所のハイパーウェーブ天文台と、衛星軌道上にある六基のハッブル改型宇宙望遠鏡から得られるデータを統合して、ほぼ全天・リアルタイムの観測とデータ解析をおこなっています。……ここで強調したいのは『リアルタイムの観測』という部分ですね」
「ええと……それは、つまり?」
「えー、従来の光学、電波および重力波観測では、光速度を超えた観測は不可能でした。たとえば、一〇〇光年先の恒星が発する電磁波、つまり可視光線や電波などは、一〇〇年|経《た》たないと地球に届きません。これまでわれわれが見ることができたのは、その星の一〇〇年前の姿というわけです。しかし、ハイパーウェーブ望遠鏡は、その星の、今この時点における姿をとらえることができるのです」
「ハイパーウェーブというものについて、もう少しご説明いただけますでしょうか?」
「えー、ハイパーウェーブというのは、簡単にいうと、『四次元電磁波』です。われわれのいる通常空間――アズマ・タツモリ型五次元時空モデルにおいては『基準界面』と呼称します――は、みなさんご存知の通り光速度不変の原理に支配されており、電磁波は秒速三〇万キロの速度を超えることはできません。しかし、AT時空モデルによって導き出された『基準界面下の次元』におけるエーテル波動、すなわちハイパーウェーブの伝播《でんぱ》速度は、エーテル深度に比例して増加します。現在は基準界面における光速度のおよそ五〇〇億倍の速度の深深度波までが確認されています。これは、われわれの所属する銀河のはしからはしまでを、およそ一秒で通過する速度です」
「そのハイパーウェーブを利用すべく作られたのが、ハイパーウェーブ望遠鏡《ぼうえんきょう》であり、〈アルゴス〉である、というわけですね」
「はい――といっても、個々の望遠鏡の構造は、基本的に電波望遠鏡と変わりません。実際、現在|稼働《かどう》しているハイパーウェーブ望遠鏡は、そのほとんどが電波望遠鏡を改修したものです。〈アルゴス〉にとってもっとも重要な部分は、個々の望遠鏡から得られたデータの統合・解析をおこなうニューロネットワーク・アーキテクチャです。〈アルゴス〉とはギリシア神話に登場する一〇〇の目をもつという巨人からとった名前なのですが、〈アルゴス・システム〉とは、いうなれば、このサイクロプス天文台を含む無数の『目』が有機的に連結した『オバケ望遠鏡』というわけです。――こちらをごらんください」
龍守《たつもり》博士は背後の大モニターをふり返った。大きな映画館のスクリーンほどもある大モニターには大小無数の光点が表示され、その粗密のバランスが、画面を横断する太い帯を形作っている。
「まあ、きれい! まるで、天の川のようですね!」と、志村《しむら》レポーターがいった。
「ええ、われわれが肉眼視しているものとはだいぶ形がちがいますが、天の川そのものです」
と、龍守博士はいった。
「これは、地球から見たわれわれの銀河の中心方向の、〈アルゴス〉による処理映像です。ドットの一個一個が恒星をしめし、ハイパーウェーブを強く発しているものほど、明るく、大きく見えるように設定してあります。真ん中の、ちょっと目立つところが銀河中心核ですね。ちなみにこの映像は完全にリアルタイムで表示しているわけではなく、通常運転時には、二四時間のスパンで解析データを更新しています。更新はここの時間で〇時――(ちらりと腕時計を見て)あと数分後ですね」
ここまでいったところで、龍守博士は軽くひと息置いて、
「なにかほかにご質問は?」
「それでは――」と、志村レポーターはいった。「『アズマ計画』がエイリアンの地球侵略計画の一部であるという事実に対しては、どうお考えですか?」
「え?」龍守博士はきょとんとした顔で、「そんなことないですよ?」
「とぼけるな!」
突然、志村《しむら》レポーターは龍守《たつもり》博士の鼻先に右手を突き出した。どこから出したのか、その手には小型|拳銃《けんじゅう》が握られていた。
「その口から真実を語れ! その腐った奸計《かんけい》を!」
ざわざわと、観測室のスタッフがざわめいた。
「志村さん、志村さん……?」と、テレビ局のクルーもあわてている。
「はあ、えーと……」
銃口を見つめる龍守博士の口元が、にゅにゅにゅ、とゆがんだ。忠介《ただすけ》が困ったときの表情に似ている。あるいは「寝ながらなんか食ってる」ようでもある。
龍守博士は両手を肩の高さに上げながら、
「まあ、落ち着いて話し合いましょう」といった。
しかし、
「だまれ、侵略者におもねる寄生虫め!」
と、あまり話が通じてない感じの志村レポーターは、龍守博士に拳銃を突きつけながら、左手を自分の右肩にかけた。そして、べりっと音を立てて、肩口から布きれを引きはがした。
「地球人類の――」
と、いいかけた志村レポーターが、言葉を止め、立ち位置を変えながら画面にむかって手招きをした。
「カメラさん、寄って寄って」と、ギョーカイ口調。
テレビ画面に、志村レポーターの右肩がアップになった。テレビ局のロゴがあったはずの位置に、何本かの糸くずとともに、「地球」とそれを守るようにかかえこむ「腕」をあしらったマークが現れている。よくコンビニの袋に印刷されている「地球にやさしい」マークに似ている。
再びカメラが引くのを待ってから、志村レポーターは大声をはり上げた。
「地球人類の誇りに懸けて! われわれ〈青い地球〉は、決してエイリアンの陰謀《いんぼう》に屈服はしない!!」
広い室内が静まり返った。全員が息を飲んで状況を見守る中、表示機器のたぐいが立てる規則的な電子音のみが時を刻む。
そして――
ポーン、と、時報の音が室内にひびきわたった。
と同時に、志村レポーターと龍守教授の背後の、メインモニターの映像が切り替わった。それまで小さなドットの集合体だった「天の川」の中に、何十もの巨大な円が生じ、まばゆい光を放った。無数の光る円が画面の半分以上をおおい、圧倒的な光量の逆光によって、ふたりの姿がシルエットになった。
「な…!?」
ふたりがふり返ったその瞬間《しゅんかん》、一直線に飛んできた水色のファイルが、志村《しむら》レポーターの側頭部を打った。
「ッ!?」
ひるみつつふり返った志村レポーターに、白衣の裾《すそ》をひるがえしながら、ファイルの主――龍守《たつもり》兄妹の母が駆け寄った。そして、拳銃《けんじゅう》をかまえた志村レポーターの腕をとり、後ろ手にねじりながら床に押し倒した。それから、志村レポーターの手から拳銃を叩《たた》き落とし、自らの白衣のえり元にとりつけられたマイクにむかって、「確保したわ」といった。
一方、龍守博士は、自分に突きつけれられた銃口のことも忘れ、観測室の中央に駆け出していた。室内はすでに大|騒《さわ》ぎになり、怒鳴るような応酬があちこちでおこなわれている。
カメラマンの動揺からか、中継画面がぐらぐらとゆれ、緊迫感を余計に盛り上げている。
「なんだこれは!?」
「強力なハイパーウエーブバースト! 数は……無数!」
「データこっちにもまわせ!」
「超新星クラスだ…!」
「観測態勢をレベル2に! 並行して、過去二四時間のデータを洗え!」
「了解、レベル2態勢に移行します!」
「三〇分後に幹部会議を招集、それまでに個々のバーストの座標を特定してくれ。おおまかでいい」
「問い合わせが殺到しています! ワシントン、アレシボ、ノベヤマ――なんだこれは!?」
「どうした!?」
「通信に強力な介入が――」
ピュイィイ、と、ラジオのチャンネルを合わせるような音が室内にひびき、やがてそれは、ノイズ混じりの人の声になった。
『(ザザッ)応答せよ! 応答せよ、地球!!(ザッ)こちらは銀河連邦の――!!』
そこまでいうと、その声は、ザザザザザ……と、ノイズにまぎれて聞こえなくなった。
と――
「こっち撮《と》って、こっち」
画面が移動し、固定された。その中央には、志村レポーターを床に組み敷《し》いた姿勢のままの、龍守母が映し出されている。手招きする龍守母に、カメラがぐっと近寄った。
「忠介《ただすけ》君、陽子《ようこ》、ちゃんとごはん食べてる? 学校行ってる?」
と、アップになった龍守母はいった。そして、
「こっちはこの通りバタついてるけど……ま、心配しないで、そっちはそっちでしっかりやんなさい」といって、笑いながら片目をつぶった。
ザザッ、と画面が乱れ、日中の録画画面に切り替わった。
ヘリコプターの羽根とエンジンの音をバックに、窓から身を乗り出した一二時間前の志村《しむら》レポーターは、なにごともなかったかのように、
「ハイ! たいへんよくわかりました! それでは続いて、貴重な資料映像をまじえながら、視聴者のみなさんに『アズマ計画』の歴史をごらんいただきたいと――」
「――なんなの、この番組?」と、陽子《ようこ》がいった。
「さあ…」と忠介《ただすけ》はいった。
それから、ロールキャベツをつつきながら、
「うまいね、これ」といった。
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2  『忠介、変な生き物を拾う』
翌日、日曜の朝。
「もう…!」
陽子《ようこ》はがちゃりと音を立てて、乱暴に受話器を置いた。土曜の夜から何度も国際電話をかけているのだが、サイクロプス天文台には一向につながらない。「現在この回線はたいへん混雑しています」というような意味の、英語の録音メッセージが流れるばかりだ。
一方、玄関に腰かけた忠介《ただすけ》は、鼻歌混じりでスニーカーを履《は》いている。
「おニイ、どこ行くの」
「んー、ジロウマルの散歩」
「もう、お父さんたちがたいへんなことになってるかもしれないのに」
「んんー」と、忠介はいった。「でも、いそがしいんだろうし、心配するなっていってたし。むこうから連絡がくるまで、こっちは普通にしてたほうがいいよ」
「それはそうだけど……」
「じゃ、行ってきまーす」
忠介《ただすけ》が表に出ると、その足音を聞きつけたジロウマルが、オンオンと吠《ほ》えた。
「もう……」
この場合は、忠介のいうことが正しい。それはわかっているのだが、ときどき陽子《ようこ》は、兄ののんきぶりが腹立たしくなる。
しかし――
閉まりかけた玄関のドアがカチャリと開いた。
そして、ドアのすきまからにゅっと顔を突っこんだ忠介が、
「大丈夫、大丈夫」といって、にゅい、と笑った。
「……うん」
そういわれると、なぜか納得してしまう陽子であった。
「ヘッハッハッハ」
今朝も元気なジロウマルに引っぱられて遊歩道を行きながら、忠介はにゅにゅにゅと考えた。
陽子には「大丈夫」といったものの、じつのところ、丸っきり根拠はない。そもそも、父さんの仕事の内容もあまりよく知らないし、なんで鉄砲でねらわれたりするのかもわからない。
あのレポーターの人、父さんになにかいわせようとしてたみたいだけど、鉄砲突きつけながらいわせたセリフじゃ、意味ないんじゃないかなあ。それともあの人は、俺《おれ》にはよくわからない理由があってああいうことをしてたのかなあ。なんだかよくわからない理由で父さんが死んじゃったら、ちょっといやだなあ。
でも、よくわかる理由で死んじゃっても、やっぱりいやだよなあ。たしか郷田《ごうだ》のおじいさんは癌《がん》で亡くなって、癌ってすごくわかりやすいけど、やっぱり悲しかったもんなあ。
理由がわかってもわからなくても、人が死ぬのは悲しいなあ。今生きてる人も、多分一〇〇年ぐらいのうちに、みんな死んでしまうんだなあ。それはきっと、郷田のおじいさんのときの六〇億倍くらい悲しいことなんだなあ。考えるだけで悲しくて死んじゃいそう。
……なので、忠介は考えるのをやめた。ふと気がつくと、歩道わきのベンチに座ってジロウマルの体をわしわしとこすっていた。
なにかもっと楽しいことを考えよう、と思いながら、忠介は立ち上がった。
――そうそう、今日はクロさんに子供が生まれてるかもしれない。
動物でも人間でも、赤ちゃんが生まれるのはうれしいなあ。世界中集めると、これはさっきの、六〇億ゴウダノオジイサン(という単位を今考えた)分の悲しさを埋め合わせるぐらいうれしいことなんだろうなあ。いやあ、めでたいめでたい。
「はっはっは」
いつでもどこでも楽しい気分になれるのは、忠介の特技である。
「得な性格だな」と、よく清志《きよし》にいわれる。うーん、そうかも。
そんなこんなで、忠介《ただすけ》とジロウマルは散歩を続け、ジャングル公園に入った。
ジロウマルが耳をぱたぱたっとふって、「オンッ」と吠《ほ》えた。
「え、なに?」
周囲を見まわした忠介は、
「……あれ?」といって、立ち止まった。
いつもの風景に、なにやら妙な違和感があった。
三秒後、ようやくその違和感の正体がわかった。
ジャングルジムの様子が変なのだ。
赤青黄色のカラフルな鉄パイプが、一辺五〇センチの格子状にきっちりと組まれて……いたはずなのだが、いたるところがぐにゃぐにゃと曲がり、全体が前衛芸術のオブジェみたいになっている。
それにしても、変な曲がりかただ。きれいな弧を描いているかと思うと、渦《うず》を巻くようにねじれたり、また、本来一定の長さであるはずの格子の一辺一辺が、長くなったり短くなったり。あまつさえ、途中で枝分かれしたり、知恵の輪みたいに不自然な形にからまったりしている部分もある。見たところ、すごい力でねじ曲げたという感じではなく……なんというか、まるででこぼこの鏡《かがみ》に映した像のような、空間ごとねじ曲がったようなゆがみかただ。
忠介は曲がった鉄パイプにさわってみた。生がわきの赤いペンキに、指紋がついた。しかし、鉄パイプの表面には、継ぎ目や工具のあとは見あたらない。真新しいペンキの、とろりとした光沢があるだけだ。形をいじってから、またペンキを塗ったんだろうか、とも思ったが、どうもそうではないらしい。胸の高さの黄色いパイプには、昨日忠介が手をついたあとが残っている。
つまり――だれかが、手を触れずに[#「手を触れずに」に傍点]この鉄パイプを曲げたのだ。
さらに観察を続けるうちに、忠介は気がついた。
パイプのゆがみは、忠介から見て、だいたい左上手前から右下奥にかけて、直径七、八〇センチの範囲で直線状に現れている。まるで、「なにかが通りすぎたあと」のようだ。「きれいに並んだ線香の煙の中を、小さな空気の渦が吹き抜けたあと」とでもいうか……。
「オンッ」と、再びジロウマルが吠えた。
ジロウマルは耳をぴくぴくさせ、ふんふんと地面の匂いを嗅《か》ぎながら、忠介を引っぱってジャングルジムの裏にまわった。そして、地面の一点をふんふんふんふん。
「……?」
ジロウマルの嗅いでいる地面に、奇妙な穴が空いていた。砂利を載せた土が、まるで風呂《ふろ》の栓を抜いたみたいに、渦を巻いて地中にすべりこむ形で固まっている。ちょうど、空から落ちてきた「なにか」が、ジャングルジムを突き抜けて地面にどぶんと[#「どぶんと」に傍点]飛びこんだ――そんな感じだ。
ジロウマルはなおもぴくぴくふんふんと捜査を続け、ジャングルジムと地面の穴の延長線上を進んだ。
数メートル行ったところで、平らな地面から、ソフトクリームの先っちょみたいなものが飛び出していた。つま先でつついてみると、ぽろりとくずれた。土の塊だった。
――さっきの穴のところに飛びこんだ「なにか」が、ここから飛び出して、それから――
忠介《ただすけ》が目をやったその先には、公園の敷地と雑木林を区切るフェンスがあった。金網の一部が、腰ほどの高さでぐにゃりとゆがんでいる。
――あっちはクロさんの……。
忠介はちょっと迷ってから、ジロウマルを街灯につなぎ、フェンスを乗り越えた。
なんだかドキドキする。クロさんが心配なのが半分、面白《おもしろ》くなってきたのがもう半分。
雑木林の中に入って数歩歩いたところで、林の奥から、ミュウミュウと仔猫《こねこ》の鳴き声が聞こえてきた。
――あ、クロさんの子供、生まれたんだ。
思わず忠介が顔をほころばせたとき、同じく林の奥から、
「フシャ――――――――――――ッ!」という威嚇《いかく》の声が聞こえた。
忠介がガサガサと下生《したば》えを鳴らしながら駆けつけると、ブロック塀《べい》の足元の青いビニールシートの前で、全身の毛を逆立てたクロさんが、
「カ――――――――――――――ッ!」といった。
「うわあごめんなさい」
あまりの迫力に、忠介は逃げ帰りそうになった。
が、踏《ふ》みとどまってよく見ると、クロさんの視線はこちらにはむいていない。
クロさんはビニールシートを守るように、地面に足を踏んばって仁王立ちになっている。シートの下では、ミュウ、ミュウ、ミュウ、と、何匹かの仔猫が母を求めて合唱している。
そして、クロさんの前の地面には――よくわからない生き物がいる。
形と大きさは、だいたいラグビーボールぐらい。透明で、ぷるぷるして、全体がうすく光っている。クラゲというかホタルイカというか……昔、テレビの動物番組で見たクリオネとかいうのに、ちょっと感じが似てるかも。しかし、なんだか輪郭がぼんやりとしていて、目を凝《こ》らしても、細かいところがはっきりとは見えない。ただ、頭(というか、胴体のはし)の先っちょに角《つの》のようなものがあって、ぼやけた体の中で、ここだけはかっきりと鮮明に見える。ドリルみたいにねじれていて、青く光っている。
忠介の見ている前で、その生き物の体が、ぶるぶるぶる、とふるえた。頭のあたりに小さなさけ目が生じ、かと思うと、見る間にそれは口のような器官になった。
生き物は頭をもたげ、口を開いて、仔猫そっくりの声で「ミュウ」と鳴いた。
「ギャルオゥ―――――――――ルァルゥ――――――――ッ!」
クロさんは体を大きく見せるように背を高く突っぱり、引きつったステップを踏《ふ》み始めた。
ついで、生き物はクロさんに光る角《つの》の先端をむけた。角が光を増し、ネジのように回転しながら数センチ伸びた。それから、生き物が再び体をふるわせると、胴体の一部が触手のようにニュッと伸びた。ミュウ、ミュウ、と鳴きながら、生き物はクロさんにむかってふるふると触手を伸ばした。
「シャッ!」
クロさんのネコフックが、ふるえる触手を払った。
すると――
生き物の鳴き声が止まった。そして、その全身がまたもやぶるぶるとふるえ出した。体の先端にむけて、全身を虹《にじ》色の色彩が走った。虹の波が行き着いた結晶質の角が、その色を青から赤に変え、さらに伸びた。
「ギ…」
と、生き物が鳴いた。
「ギ、ギ、ギ、ギギギ……」
赤い角がその光を増し、きゅるるるる、と回転し始めた。角の周囲の空間が、陽炎《かげろう》のようにゆらめいた。
「フシャ――――――――――――ッ!」
「ギギギギギギギギ……!!」
「ハイごめん」
忠介《ただすけ》の右手が、生き物をひょいと拾い上げた。
「かみつかれるかも」とか「毒があるかも」とかいった考えが頭のすみをかすめはしたのだが、「ケンカはいかんなあ」と思ったら、なんというか、ついとっさに。
生き物の手ざわりは、熱くもなく冷たくもなく、固くも柔らかくもなかった。ただ指先に、振動のようなものが伝わってくるだけだ。指先に力をこめると、ブゥン、と、同じだけの力で押し返してくる。
ついでにいうと、重さもない。水っぽい感じかと思ったら、むしろ振動する「空気の塊」というか――こうなると、生き物なのかなんなのかもよくわからない。
と――
いきなり生き物(?)がずしりと重くなり、忠介はあわてて左手をそえた。今度は、まるで石みたいな重さだ。ますますわけがわからない。
「フウゥ……!」
なおも警戒《けいかい》体勢のクロさんに、
「じゃ、クロさん、またね」
といって、忠介《ただすけ》は漬物《つけもの》石か鉄床を運ぶような格好で、雑木林をあとにした。
それから、フェンスのきわで、こちらにしっぽをふるジロウマルを見ながら、この生き物をかかえたままどうやってここを越えようか、まさかむこうに放り投げるわけにもいかないし、などと考えていると、
「ギギ、ギギ、ギ……」と、生き物が鳴いた。
――まるで、昆虫《こんちゅう》の出す警戒《けいかい》音みたいだなあ、やっぱり怒ってるのかなあ。いよいよかみつかれるかなあ、それとも、この角《つの》で刺されたら俺《おれ》死んじゃいそうだなあ。
などと思いつつ、ちょっとドキドキしながら、
「ナ……ナーオウ」と、忠介はいった。
いや、さっきミュウミュウいってたから、猫語《ねこご》で通じるかなと思って。
すると。
生き物は突然ふわりと軽くなり、忠介はバランスをくずしてコケそうになった。
生き物の体の振動が若干おさまり、角の色が、燃えるような赤からすずしげな青に変わった。生き物は忠介の顔をあおぎ見るように頭(というか体の前半分)をもたげ、
「ミュウ」と鳴いた。
「……はは」やってみるもんである。
忠介の見ている前で、生き物の角がゆっくりと回転した。光る角は体の中に引っこみ、その先端だけを青い宝石のように体のはしからのぞかせた位置で、止まった。
ジロウマルがぱたぱたとしっぽをふりながら、
「オンッ」と吠《ほ》えた。
さて、それから。
「ナーオウ」
「ミュウ」
「オンッ」
「ナーオウ」
「ミュウ、ミュウ」
「オンッ、オンッ」
と会話(?)しながら、忠介とジロウマルと変な生き物は散歩を続けた。
やがて、忠介の左手にだかれている生き物の触手がするりと伸びて、忠介の首にゆるく巻きついた。生き物は触手で自分の体をふわりと持ち上げ、忠介の首筋をはい上がった。
「うひゃひゃひゃ」こそばゆい。
やがて、生き物は猫の子ほどの重さになって、頭のてっぺんに落ち着いた。
「ナーオウ」
「ミュウ……」
生き物の鳴き声がとだえ、代わりに、猫《ねこ》がのどを鳴らすような、くるるるる……という振動が、忠介《ただすけ》の脳天に伝わってきた。
忠介はなんだか楽しくなって、
「はっはっは」と笑った。
ちなみに後日、
「龍守《たつもり》さんちのタッちゃんが、頭にへんなもの[#「へんなもの」に傍点]を載せて、笑いながら歩いていた」
という話が近所のおばさんを経由して陽子《ようこ》の耳に入り、忠介は、
「おニイ、恥ずかしいから変なことしないでよ!」と怒られることになるのだが、
「はっはっはっは」とりあえず、今は楽しい。
散歩から帰ってジロウマルに餌《えさ》をやったあと、忠介は裏口から自宅に入り、風呂場《ふろば》にむかった。
例の変な生き物は、忠介の手の中で、まるで眠っているように、くるるるる……と、ゆるやかに振動している。
忠介は、脱衣場からもってきた赤いバケツに黄色いタオルを敷《し》いて、生き物を入れた。
青く光る角《つの》を伸ばし、忠介にむかって、
「……ミュウ」と鳴く生き物に、
「しー」といって、忠介は風呂場を出た。
風呂場の戸がパタンと閉じた。
生き物は触手でバケツの内側をぴたぴたと叩《たた》き、ミュウミュウと鳴いた。
しばらくそうしたのちに、鳴き声を止め、ぶるぶると体をふるわせた。
その体が急速に体積を増し、バケツをがたんと倒した。
その生き物はなおも体をふるわせ、自らの形態を大きく変え始めた――
さて。
台所では、陽子がなにやら鍋《なべ》にお湯をわかしていた。醤油《しょうゆ》とシイタケの匂いがする。
忠介は陽子の機嫌《きげん》をうかがうように、
「ただいまー、今日のお昼はなにかなあ」といった。
すると、陽子はふり返りもせずに、
「今日はなに拾ってきたの?」うっ、なぜそれを。
ふりむいた陽子は、うろたえる忠介を見上げて、
「おニイが玄関で『ただいま』っていわないときは、だいたいなんか拾ってきてる」といった。
むむ、そうだったのか。
「……次からちゃんと玄関でいいます」
「そうじゃなくて」
陽子《ようこ》は腰に手をあてながら、
「うちは生き物は駄目《だめ》っていってるでしょ。おニイとジロちゃんだけで手いっぱいなんだから」
あっ、「生き物」にカウントされてしまった。
と、それはさておき、たしかに忠介《ただすけ》はよく生き物を拾ってくる。虫とかカエルとかの場合もあるし、犬|猫《ねこ》など「大物」の場合もある。たいていは陽子に怒られて拾ったところに返しに行くのだが、犬猫の場合はもらい手をさがしてこなければならない。
「ちゃんと世話できないのに、『かわいい』とか『かわいそう』とか『めずらしい』っていうだけで連れてきちゃうのって、すごい無責任なんだからね」
「うんうん」
忠介は素直にうなずいた。まったくその通りだなあと思う。毎回思う。
陽子の肩から、ふっと力が抜けた。
「で、今日のはなに?」
「……えーと」
忠介は慎重に言葉をさがした。
なんといったものか、あれはどうにも説明しづらい生き物だと思う。かといって、「なんだかよくわかりません」とか「名状しがたい感じ」とかいったら陽子は多分怒ると思う。
忠介は「よくわからないもの」が好きだ。その正体がわかると楽しいし、わからないままでもなんだか面白《おもしろ》い。しかし、陽子は「よくわからないもの」が、どうも嫌《きら》いらしいのだ。なぜかはよくわからない。理由を聞くと「いやなものはいやなの!」といってまた怒る。
多分その理由は本人にもわからなくて、わからないことが嫌いな陽子にとってはそのこと自体もまたいやなことのひとつなのだと思う。そういうわけで、陽子が「よくわからないもの」を嫌う理由は結局よくわからないのだが、陽子のそういうところはよくわからなくて面白いので忠介は好きだ。
ともあれ、多分今この場では、「わかりません」とはいわないほうがいい。「今から調べるから」も駄目《だめ》。昔、用水路でヒルみたいな生き物をつかまえてきたときも、あとからちゃんと図鑑《ずかん》で調べて、
「あれはナミウズムシというのだそうだよ、陽子」といったのだが、
「いいから捨ててきて!」
……と、どうにもウケが悪かった。第一印象って大切なんだなあ、と思う。
とにかくこの場では、あの生き物が、別に学術的に正しくなくてもいいから、なにか「名前のついているもの」であることをしめさなければならない。決して「よくわからないけど、透明で、伸縮《しんしゅく》自在の光る角《つの》があって、触手と口があったりなかったりして、ぶんぶん振動しながら重くなったり軽くなったり」とかいってはいけない。
「んんー、ええーと……」
忠介《ただすけ》の口元が、にゅにゅにゅ、とゆがんだ。
陽子《ようこ》はその表情をちょっと誤解して、
「大っきいやつなのね? ワンワン? ニャンコ?」といった。
「んんー、その伝で言うと……ミュウミュウ」と、忠介はいった。
「ミュウミュウ?」
「そう、ミュウミュウだ」ミュウミュウ鳴くから。別にうそはついてないぞ。
「ミュウミュウって、なによ?」
「うん、見たらわかるよ」だんだん自信が出てきました。
陽子を先に立てて風呂場《ふろば》へむかいつつ、忠介は、われながら「ミュウミュウ」はいいネーミングだなあ、と思った。「かわいい鳴き声に注目」って感じで、「ぶんぶん」とか「にゅるにゅる」とか言うより、だいぶ印象がいい。
風呂場の曇《くも》りガラスの向こうから、ミュウ、ミュウ、と、小さな鳴き声が聞こえてきた。
「ほーら、かわいい声だねえ」声に注目。
「……やっぱりニャンコじゃないの?」
「ちょっとちがうんだなあ」
忠介は陽子の前にまわり、がちゃりと戸を開けた。
「……あれ?」
風呂場の中には、変な生き物はいなかった。
代わりに、三歳ぐらいの小さな女の子がいた。素っ裸で、頭に黄色いタオルをかぶり、床の上にぺたりと座っている。かたわらに、赤いバケツが転がっている。
女の子が顔を上げた。タオルがはらりと床に落ちた。女の子はきれいな青い目をしていた。それと、額《ひたい》に小さな青い宝石みたいなものがついていた。
青い目で忠介の顔を見上げて、女の子は「ミュウ」といった。
「ええーっと……」
そのまま固まってしまった忠介の横から、
「どうしたの?」
といって、陽子が風呂場をのぞき込んだ。
「……」沈黙《ちんもく》。
それから、忠介の顔を見て、もう一度風呂場をのぞきこんで、また忠介の顔を見た。
そして、
「――なに考えてんのよっ!!」[#「「――なに考えてんのよっ!!」」は本文より1段階大きな文字]
と、ものすごい声でいった。
「うわあごめんなさい」と忠介《ただすけ》。
と――
女の子が風呂場《ふろば》から、トコトコトコ、と出てきた。
そして、「ミュウ」といいながら「ごめんなさい」の姿勢で硬直している忠介のシャツをつかみ、忠介の体をするするとよじ登った。空気みたいに軽い。
それから、女の子は忠介の肩の上におさまると、忠介の頭をかかえ込むようにしてほおをあて、目を閉じ、くるるるる……と、のどを鳴らし始めた。
「えーと、この子は」
と、忠介はいった。
「……なんでしょう?」
「あたしが聞いてるの」と、陽子《ようこ》はいった。
「お名前は?」
「ミュウ」
「……おうちはどこ?」
「ミュウ、ミュウ」
なにをたずねても、女の子は「ミュウ」としか答えない。言葉はしゃべれないらしい。
「うんうん、やっぱりミュウミュウだ」
との忠介の主張に陽子は、
「そんな、動物の名前みたいに……」
と、顔をしかめたが、かといってこの子の素性がわかるわけでもない。
「ミュウミュウでいいよね」と、本人に、忠介。
「ミュウ」
なしくずしに、そういうことになってしまった。
ところで、昼ごはんはそうめん。
陽子のシャツ(ぶかぶか)を着た女の子――ミュウミュウをあぐらの上に載せて、忠介はお椀《わん》からそうめんを少しずつ箸《はし》にとっては、手慣れた動作でミュウミュウの口に運んでいる。
ミュウミュウはそうめんのはしを小さな口に含んでは、ちゅるちゅる、ちゅるちゅる、と吸いこんでいく。じつにかわいい。また、忠介がつられて口を尖《とが》らせているのも、じつにオモロい。
ふたりの姿は、まるで親子か兄妹のように、しっくりとなじんでいる。忠介の寝ているようなのんき顔とそっくりな表情を浮かべ、ミュウミュウは寝ながらちゅるちゅる、寝ながらもぐもぐ。たいへんほほえましい。
……なぜだかそれが、陽子には面白《おもしろ》くない。
ミュウミュウがひと玉分のそうめんを食べると、忠介《ただすけ》は首を横に伸ばした不自由な姿勢で、自分の分のそうめんをずぞぞぞと食べ始めた。陽子《ようこ》はミュウミュウにむかって手を広げて、
「こっちにいらっしゃい」といった。
できるだけやさしくいったつもりなのだが、ミュウミュウは陽子を一瞥《いちべつ》すると、眉《まゆ》をひそめ、「ミュウ」といって、忠介の胸元にギュッとしがみついてしまった。
もともと、陽子は子供に好かれるほうではない。
「あ〜、子供は人の顔色ちゃんと読むからねえ」
と、いつだったか、家に遊びにきた美咲《みさき》がいった。
「陽子はす〜ぐぷりぷり怒るからあ。うひゃー、怒りんぼ怒りんぼ、ぷりぷり娘〜!!」
次いで、美咲は横にいた忠介の首っ玉にしがみつき、そのほおをムニュ〜とつまみながら、
「それにくらべて、忠介おニイの、この『さわっても怒らない大きい動物』風の安心感! キャ〜、ステキ!」といって、さらにムニュ〜、ムニュニュ〜〜〜。
「んんー」と、忠介は困ったような、うれしいような、あとほっぺたが痛いような顔をした。
「もおーっ!」と、陽子はいった。「おニイ! 怒んなさいよ!!」
「んんー、えーと……どんなふうに?」と忠介。
「うっしゃっしゃっしゃ」と美咲は笑った。
ま、それはさておき――
やっぱり自分は怒りっぽいんだろうか、それでこの子に嫌《きら》われてるんだろうか、などと陽子が思っていると、ずぞっ、ずぞぞっ、とすばやく食事を終えた忠介が、ミュウミュウを正面に見ながら、
「……この子は(もぐもぐ)陽子に似てるよね」といった。
「え…」
いわれてみると、ミュウミュウの顔全体の作りは、それから髪の毛のくせのつきかた、目の大きいところなども、自分に似ているような気がする。今の自分というより、写真で見たことのある、小さいころの自分だ。
忠介はミュウミュウのほおを両手でムニムニしながら、
「うーん、かわいいなあ」
「ミュウ〜」とミュウミュウはいった。
と、そこで陽子は気がついた。
自分は、自分に似た子が兄にだかれているのを見て「自分の場所がとられた」ような気がしていたのだ。この歳《とし》で「おニイにだっこ」でもあるまいに。
ようするに、自分はこの小さい子に、やきもちを焼いていたのだ。
「……バカみたい」と口の中で呟《つぶや》いて、陽子は苦笑した。
忠介のひざの上で、ミュウミュウがふりむいた。そして、陽子の顔を見て、青い目を細めながら、「……ミュウ」といった。
食事のあとは尋問タイム。
「ジャングル公園のとなりの林の中にいたのね?」
「うん」
「そのときにはもう、服は着てなかったのね?」
「うん、うん」
忠介《ただすけ》の回答を、陽子《ようこ》はひとつずつメモに記していく。
「それ、どうするの?」と、忠介がいった。
「決まってるでしょ。警察《けいさつ》よ、警察」
「ええ〜」
「あったり前じゃない」と、陽子はいった。
「ちゃんと届けなかったら誘拐《ゆうかい》になっちゃうわよ。まさか『拾ったから自分のだ』なんて思ってないでしょ?」
あ、ちょっと思ってた。
というか、すでに忠介は、自分のひざの上の女の子が、あの変な生き物だと確信している。鳴き声も、のどの鳴らしかたも、体重が妙に軽いところなんかも同じだし、額《ひたい》の青い突起《ぽっち》も、似たようなのがたしかについていた。いい換えれば、その他の部分はまるっきりちがうのだが、まあ口とか触手とかニョキニョキ生やすぐらいだから、人間の姿になったりもするんだろう、と、そのへんの判断はじつにおおらかである。
で、自分になついてるみたいだし、食べ物は普通の人といっしょで大丈夫っぽいし、これはもう「うちで飼える」な、と。
……しかし、それをいったら忠介になついているご近所のお子さんだって「拾ったら、うちで飼える」ことになってしまうのである。そのへん、やはりちょっと抜けている忠介である。
「んんー」
にゅにゅにゅ、となやんでいる忠介に念を押すように、
「その子のご両親も心配してるだろうし」と、陽子はいった。
「うーん、そうかなあ」
「決まってんじゃない」
ミュウミュウの親ってどんなのだろう、と忠介は思った。やっぱり透明で、伸縮《しんしゅく》自在の光る角《つの》があって、触手と口があったりなかったりして、ぶんぶん振動しながら重くなったり軽くなったりするんだろうか。うーむ。
一方、陽子にとっては、ミュウミュウはただの迷子の女の子だ。いや、「ただの」ではない。あちこち普通の子とちがったところがあるし、裸で歩いていたというのも尋常ではない。どこかの施設から抜け出してきたのかもしれないし、なにかの事件に巻きこまれているのかもしれない。とにかく、かわいいからといって、うちに置いておいていいものじゃない、と思う。
「うーん」
「考えることなんかないでしょ」
忠介《ただすけ》が考えているのは、ここで陽子《ようこ》に「この子は多分、見た目通りの女の子じゃなくて、ほんとは透明で、伸縮《しんしゅく》自在の光る角《つの》があって、触手と口があったりなかったりして、ぶんぶん振動しながら重くなったり軽くなったりするよくわからない生き物だよ」というべきか否かということなのだが……信じる信じないは別にして、いった瞬間《しゅんかん》に怒られそうだなあ。
結局、こわいからやめた。
で、それから。
一一〇番に電話をした陽子が、
「迷子の届けは出てないけど、婦警《ふけい》さんがきて、あずかってくれるって」といった。
「んんー」と、忠介は言った。
押し入れから引っぱり出してきた陽子のお古のズボンを履《は》いたミュウミュウは、忠介のひざの上で、足をパタパタさせている。
まあ、警察は妥当なところかなあ、と、忠介も思う。
警察に届ければ、いずれどこかの動物園とか研究所とかに連絡がついて、テレビの動物番組でよくあるみたいに、ミュウミュウをもともとの棲み家に返してもらえるかもしれないし。
そういえば、ミュウミュウの棲み家って、どこだろう。多分、日本じゃないよなあ。
「んんんー」あれこれ考えながら、忠介はミュウミュウの頭をくしゃくしゃとなでた。
ミュウミュウの髪の毛は、ふわふわしていて、とてもさわり心地がいい。陽子の髪質に似ているが、それよりもっと軽くて柔らかくて、羽毛のような感じだ。
「……うふふふふ」
忠介は怪しい笑い声をもらしながら、なおもミュウミュウの頭をくしゃくしゃくしゃ。
「ミュウ〜」といって、ミュウミュウは目を細めた。
「あ、そうだ」
忠介は台所のほうに首を伸ばしながら、
「警察の人って、いつくるの?」
「夕方になるみたい。それまで見ててって」と、洗い物をしながら、陽子がいった。
忠介は居間の柱時計を見上げ、
「……まだ何時間かあるね」
「え?」
「ちょっと出かけてきまーす」
外は暑くもなく、寒くもなく、そよそよといい風が吹いている。
忠介《ただすけ》はミュウミュウを肩に載せて、駅のほうにむかった。
例によって、肩の上で忠介の頭をかかえこんだミュウミュウが、くるるるる……と、のどを鳴らし始めた。
と――
道の向こうから、変なふたりづれが歩いてきた。
ひとりは中肉中背の中年男。葬式帰りみたいな黒ずくめのスーツに、黒い山高帽とサングラス。
もうひとりは細身で長身の青年。束ねた茶髪にふちなし眼鏡《めがね》。カジュアルシャツの上に長い白衣をだらりと着て、大きな箱形の機械を背中にしょっている。さらに、両肩の上には頭よりも大きいパラボラアンテナがはり出し、くりん、くりん、と回転している。また、機械から伸びた何本かのケーブルが、左腕にくくりつけた「モバイルなんとか」みたいな携帯端末につながっている。全体的には、なんというか、大学生とチンドン屋を足して二で割ってマッドサイエンティストをかけたような感じである。
白衣の青年は携帯端末のモニターに一心に見入りながら、大股《おおまた》に歩を進めている。黒服の男は青年の数歩あとについて、奇妙に印象のうすいしぐさで、すうっと歩いている。
――変な人たちだなあ。
変なものを見るとついジロジロ見てしまうのは、忠介の悪いくせである。それでよく陽子《ようこ》に怒られる。あと、よく奇抜な格好をした兄ちゃんにからまれたりもする。
ジロジロジロ、と青年を見ながらすれちがいかけたとき、青年がふと顔を上げた。はからずも目を合わせてしまった忠介は、軽く会釈をしながら、
「すごい機械ですね」といった。
青年の顔が、パッと輝いた。よくぞいってくれた、というように、
「ええ、これは超電磁干渉計の一種で――」
青年の背後に、黒服の男がすっと近づき、耳打ちした。
「……時間がない」
青年の顔が、しゅんと暗くなった。
「……いやあ、なんでもないです。つまらないものですよ」
と忠介にいう青年の、ひどく残念そうな顔の両わきで、パラボラアンテナが、くりん、とまわった。
「いやあ、つまらなくはないでしょう」と忠介。すごく面白《おもしろ》いです。
青年は軽く肩をすくめ、ほほえんだ。それから、忠介の肩に載ったミュウミュウに気づくと、
「やあ、かわいいなあ」といって、ニカリと笑った。前歯が一本欠けている。
「ミュウ」といって、ミュウミュウが笑い返した。
忠介と青年は再び会釈をし、すれちがった。あとに続く黒服は、帽子に手をあてて、わずかに頭を動かした。忠介《ただすけ》にあいさつをしたようにも見えるし、ただ帽子の位置を直したようにも見える。が――
サングラスの下で、黒服の目がすばやく動き、忠介の風体を上から下まで観察した。次いで、その視線が忠介の肩の上のミュウミュウに止まった。
と、そのとき。
「ミュウ!」と、ミュウミュウが叫び、
『ピピピピピ!』と、携帯端末が大きなアラーム音を立てた。
「わっ、なんですか?」
と、忠介がふり返ると、青年は中腰になって、携帯端末のモニターに視線を走らせている。その肩では、先ほどまでの三倍くらいのスピードで、パラボラアンテナがくるくるまわっている。黒服が青年の背後を守る位置に移動しながら、すばやく周囲を見まわした。右手がふところにもぐっている。
忠介の頭の上で、ミュウミュウが身をこわばらせ、
「ギギ…」といった。
青年の視線が、忠介の上に止まった。
青年は携帯端末と忠介を何度か見くらべてから、ふっと肩の力を抜き、
「すいません、びっくりしました?」といって、頭をかいた。
忠介は、「いえいえ」といいつつ、ちょっとどきどき。
それから、青年は視線を上げて、ミュウミュウに、
「や、ごめんね」といって、ニカリと笑った。
「…ミュウ」といって、ミュウミュウが力を抜いた。
黒服が、無言のまま、わずかに頭を下げた。
再び頭を下げ合って、忠介はふたりとすれ違った。
ちょっと歩いてから、ちらりと後ろをふり返ってみると、青年が黒服にむかって、
「多分、ノイズを拾っちゃったんですね……ちょっと感度下げてみます」といっていた。
忠介の頭の上でミュウミュウが、くるるるる……と、のどを鳴らし始めた。
数分後、ジャングル公園。
かすかにペンキの匂いがする公園の中では、赤青黄の三色に塗り分けられたジャングルジムを、数人の子供が見上げている。まだペンキがかわいていないので、登れないのだろう。
そこに、青年と黒服が入ってきた。
「近い……近いですよ」
とつぶやきながら、青年は中腰になって左腕のモニターをのぞき、そろりそろりと歩いていく。ジャングルジムのまわりにいた子供たちが、物めずらしげに寄ってきた。
黒服が立ち止まり、ふところからタバコをとり出した。パッケージを叩《たた》いて一本抜き出し、口にくわえようとしたところで、ぽろりと落とした。
かがんで拾い上げたところで、またぽろりと落とした。
黒服は自分の手を見つめた。指先が、小刻みにふるえていた。
青年がふり返り、
「鈴木《すずき》さん?」といった。「どうかしましたか?」
「いや……」
黒服の男――鈴木はようやくタバコを拾い上げると、公園のすみのベンチに座った。
とたんに、全身からどっと汗が出た。
今日は決して暑くはない。ベンチは木陰にあり、むしろすずしいくらいだ。だが、ポケットから出したハンカチで額《ひたい》をぬぐっても、汗はあとからあとからわいて出てくる。
体が、なにかに反応しているのだ。
その反応は、強いていうならば「恐怖」のそれに近い。ただし、「恐怖」が精神的なものだとすれば、その感覚はもっと肉体に密着したものだ。
獣《けもの》がより強い獣に出会ったときに起こす、肉体的な反応。あるいは、次の航海で沈む船から逃げ出していく鼠《ねずみ》が感じているもの。人間としての理性が見すごしたなにかを、肉体が感じとっているのだ。
鈴木はその感覚を決して軽視しない。それは彼自身の生命を何度となく救ってきた、一種の才能なのだ。だが同時に、鈴木はその感覚に身をまかせはしない。精神力が恐怖を克服できるように、理性は肉体を支配できる。鈴木の信条だ。
鈴木はタバコに火をつけ、深く煙を吸いこんだ。そして、足を組み、タバコをくゆらせながら、吸いこんだ煙が自らの体内をめぐるさまをイメージした。
鈴木はゆっくりと煙を吐き出した。手のふるえが止まり、汗が引いた。筋肉の緊張が解け、呼吸が独特のリズムを刻み始めた。
鈴木はタバコをくわえ、帽子とサングラスを外した。刃物のような光を放つ目と、見事なバーコードハゲが現れた。髪を乱さぬように細心の注意を払いながら、鈴木はハンカチを頭に押しあて、汗をぬぐった。
公園にいた男の子のひとりが、いつの間にか、ベンチの近くに立っていた。黒ずくめの「変なおじさん」をしげしげと見ている。
鈴木は男の子を一瞥《いちべつ》すると、帽子とサングラスを身につけた。そして、再びタバコを大きく吸い、空を見上げ、煙を吐き出した。
ぽ、ぽ、ぽ、と、空中に三つの煙の輪が連続して生じ、男の子の目が丸くなった。次いで、鈴木が口をすぼめ、ふっと息を吐くと、煙の矢が三つの輪をくぐり抜け、その先で、ぽわっと広がり、大きな輪になった。
「……すげえ」と、男の子がいった。
――よし、自分は平常だ。リラックスしている。
鈴木《すずき》は視線を足元に置き、周囲の気配を読みながら、自分の記憶をたぐった。
車を降りてからここまでの道のりを記憶の中でたどり、通ってきた風景のすべて、すれちがった人間のひとりひとりを詳細に思い出す。
ひとりの少年の顔が、脳裏に浮かび上がった。眠るような細い目、額《ひたい》に仏像を思わせるほくろ。小さな女の子を肩車していた。こちらは、額の同じ位置に、なにか宝石の飾りのようなものをつけていた。
――あの少年……いや、女の子のほうだ。
あの娘を見た瞬間《しゅんかん》、自分はたしかになにかを感じた。奇妙な、ねじれたような違和感。あれはいったいなんだったのか。
と――
すぐそこに同様の感覚をおぼえ、鈴木は顔を上げた。視線の先に、ジャングルジムがあった。
鈴木はふところから携帯|灰皿《はいざら》をとり出し、タバコをもみ消しながら立ち上がった。
「おじさん、もう一回、『ふっ』ってやってよ、『ふっ』って」
と、かたわらの男の子がいった。鈴木は視線もむけずに、
「そのうちな」といい、公園の中央に歩き出した。
男の子は鈴木の腰のあたりにまとわりつきながら、
「ねえ、やってよ、ハゲのおじさん」といった。
鈴木の足が止まった。
鈴木は男の子のほおをつまみ、ぐいっとひねった。
男の子は鈴木の顔を不思議そうに見上げ、ほおをこすり、それから、顔をくしゃくしゃにして、大きな声で泣き始めた。
その泣き声を背後に、
「……なあ、学者先生」と、鈴木が呼びかけると、
「はあ、島崎《しまざき》です」と、青年が答えた。
白衣の青年――島崎はなおも中腰で、携帯端末のモニターを見ながら公園の敷地内をふらふらと蛇行《だこう》している。何人かの子供が、くすくすと笑いながらそのあとについて歩いている。
鈴木はジャングルジムのかたわらに立ち、その頂上を見上げながらいった。
「なあ先生、あんたがさがしてるのは、こいつじゃないのか?」
「え?」
島崎は顔を上げて、鈴木があごでしめすジャングルジムを見た。
三色に塗り分けられた鉄パイプが、ぐにゃぐにゃと不可思議な形に曲がっている。
「……すごい!」
背中の機械をがたがたとゆらしながら、島崎《しまざき》はジャングルジムに駆け寄った。そのままてっぺんに駆け登りそうな勢いでパイプに手をかけながら、
「これは明らかに――あ」
生がわきのペンキの皮膜が破れ、島崎の手に、黄色いペンキがべっとりとついた。島崎は無造作に、自分の着た白衣にペンキをなすりつけながら、
「これは明らかに、基準界面の非ユークリッド化の痕跡《こんせき》ですよ!」
すごい、すごい、といいながら、島崎はジャングルジムの周囲をぐるぐるとまわり、左腕の携帯端末をいじり始めた。肩の上のパラボラアンテナが回転を速め、『ピピピピピ!』と、携帯端末がアラーム音を立てた。
「まちがいない!」
鈴木《すずき》はわずかにうなずき、ふところから黒い携帯電話を取り出した。
「人手をまわしてくれ。サンプルの採取だ。物《ぶつ》はジャングルジム……そう、ジャングルジム。子供が登るあれだ。大きさは縦横二・五メートル、高さも二・五――」
ジャングルジムを見上げた鈴木の目が、ふと一点に止まった。
曲がった赤いパイプの表面に、指紋がついている。手を置いたというより、指でつついたような形だ。高さからいって、小さな子供のものではない。
「それと、指紋の照合をたのむ」と、鈴木はいった。
さて、忠介《ただすけ》の目的地は駅前のマルタンデパートであった。
一階の日用雑貨コーナーの浴室用品の棚の前で、忠介はシャンプーハットを吟味し始めた。
家でミュウミュウの頭を洗うためである。
――警察《けいさつ》の人にあずける前に、きれいにしてあげなくちゃなあ。
と、これはいいわけである。ほんとはただ単に洗いたいだけ。
忠介は、裸足《はだし》のミュウミュウを床の上にぺたりと立たせ、ふたつのシャンプーハット――右手に水色の『ファンシーハット』、左手にピンクの『あらえるモン!』をもって、ふむむむむ、となやんだ。サイズと固さとを確認し、ミュウミュウの頭に交互に載せ、なぜか自分の頭にも載せてみたのちに、「うむ」と『あらえるモン!』に決定。
それから『ファンシーハット』を棚にもどす際に、忠介はふとシャンプーの並んだ棚に注目。無香料無着色の『赤ちゃんのお肌《はだ》に安心・ベビーシャンプー』。むむむ、これは買いか?
と、そのとき。
「ミュウ!」
ミュウミュウが忠介のシャツをキュッとつかんだ。
「え?」
忠介《ただすけ》がふり返ると、どこかで見たふたりづれがいた。
黒服、黒帽、サングラスの辛気臭いおじさんに、白衣の「(大学生+チンドン屋)÷2×マッドサイエンティスト」風のお兄さん。『ピピピピピ!』と大きな音を立てながら、遠くの通路を右から左へ早足で歩いていく。
「んんー」とその姿を見送りながら、
――なんだかよくわからないけど、楽しそうだなあ。
などと忠介が思っていると――
一旦《いったん》通りすぎたふたりは、ダカダカッと音を立てながらもどってきた。
「いました!」と、白衣の青年――島崎《しまざき》が、忠介を指さして叫んだ。
その横をすり抜けて、黒服の男――鈴木《すずき》が飛び出した。
「……龍守《たつもり》忠介!」と、鈴木が叫んだ。
「はい、なんでしょう?」っていうか、なんであなた俺《おれ》の名前知ってるんですか?
鈴木は廊下を一直線に駆けてくる。なんだかすごい剣幕《けんまく》だ。
「そこを動くな!」
「はあ」
忠介は素直に、『ベビーシャンプー』を棚にもどしかけたポーズで、ぴたりと止まった。
「ミュウウ!」ミュウミュウが、忠介の足にしがみついた。
「あ…」
忠介が目をやると、ミュウミュウの額《ひたい》の宝石状のぽっち[#「ぽっち」に傍点]が、青から赤に色を変えた。ミュウミュウは身をこわばらせ、
「……ギ……ギギギギギ……!」
――これはいけない。なんだかすごくいけない。
思わず、忠介はミュウミュウをひょいとかかえ上げ、鈴木から逃げるように駆け出した。
「待て、その娘は――」
忠介の背後で、鈴木の声が急速に遠のいていく。忠介の足はけっこう速いのである。
鈴木はふところから携帯電話をとり出した。
「鈴木だ。今、マルタンデパートの一階にいる。龍守忠介が出口にむかった。――かかえている娘に気をつけろ。おそらく、そいつが例のやつ[#「例のやつ」に傍点]だ」
デパートの出入り口から、黒ずくめの男がふたり、早足で入ってきた。黒服、黒帽に、サングラス。なんだかさっきのおじさんにそっくりな人たちだな、と思ったら、ふたりの黒服はこちらを見て走ってきた。
忠介は反射的に、カキッと方向を変えてエスカレーターに飛び乗った。そのまま八階まで駆け上がり、買い物客をすり抜けながら黒服がついてこないことを確認し、文房具売り場を駆け抜け、しめ切った鉄の扉《とびら》のむこうにとびこむ。
扉《とびら》のむこうは、従業員用の階段になっていた。段ボールの積まれた踊り場を抜け、階段を中ほどまで駆け登り、ようやく忠介《ただすけ》は立ち止まった。
売り場のざわめきが、遠く聞こえる。ここなら多分見つからない。
忠介は階段に座った。ぜーはーと呼吸を整えながら、正面にだいたミュウミュウの顔をのぞきこんだ。
「ギギギ……」と声を立てるミュウミュウの顔には、表情がない。
笑いもせず、怒りもせず、口だけを「いー」の形に開いて、
「ギギギギギ……」と、のどの奥から昆虫《こんちゅう》っぽい声を出している。
ちょっとこわいぞ、と思いつつ、忠介はミュウミュウのほっぺたを両手で包み、
「(ぜーはー)大丈夫、(ぜーはー)大丈夫」といった。
無表情に虚空を見ていたミュウミュウの目が、まばたきをし、くりっと動いて、忠介の目をとらえた。
額《ひたい》のぽっち[#「ぽっち」に傍点]の色が、赤から青に変わった。ミュウミュウは目を細めて、
「……ミュウ」といった。
「うんうん、(ふーはー)安心、安心」
といって笑いながら、忠介は自分の額をぬぐった。走ったので汗が出てきた。こめかみのあたりがずくんずくんと鳴っている。
ようやく少し落ち着いて、
――あの人たち、なんなんだろう。なんで追いかけてくるんだろうか。
忠介がにゅにゅにゅと考えていると、
「ミュウ」
ミュウミュウが小さな手を伸ばし、忠介のこめかみを触った。そして、汗のついた手を不思議そうにながめると、匂いを嗅《か》ぎ、舌を出してなめた。
「これこれ、ばっちいばっちい」
おなかをこわすからやめなさい、といいかけた忠介が、そういや犬や猫《ねこ》は年中自分の体なめてるけど、なんで平気なのかなあ。あれ不思議だなあ。おなかがすごく丈夫なんだろうか――などと考えていると、ミュウミュウは忠介の体をよじ登り、今度は直接、汗の浮いた額をぺろりとなめた。
「あ、これ、いけません」
と、そのとき――
扉のむこうから『ピピピピピ』という音と「こっちです!」という声が聞こえた。
「わっ、またきた!」
再び立ち上がって逃げ出そうとしたとき、立ちくらみとひざの力が抜けるのとが同時に起こって、足元がふらついた。
「あ…」
島崎《しまざき》と黒服のひとりが扉を開けて入ってきたのと同時に、忠介《ただすけ》は階段を踏《ふ》み外し、ミュウミュウをかかえたまま、背中から踊り場に落ちた。
忠介は身長よりも高く積まれた段ボールに、ななめに突っこんだ。段ボールが、中に入っていた紙箱のくずをまき散らしながらくずれた。
キュオン――と、なにか甲高い音がした。
「あっ、大丈夫ですか!?」
と島崎が叫び、あわてて段ボールをとりのけ始めた。その横で、黒服は右手をふところにして軽く腰を落とし、身がまえた。
が、しかし、
「あれ……?」
段ボールの下に、忠介の姿はなかった。代わりに、正方形のパネル状に組まれたリノリウムの床が、直径一・五メートルほどの範囲で、渦《うず》を巻くようにぐにゃりとゆがんでいた。
キュオン――という甲高い音とともに、七階の踊り場に積まれた段ボールの上に、忠介とミュウミュウが落ちてきた。ドドッと音を立てて、くずれた段ボールから女物の下着がぶちまけられた。
そこに、
「龍守《たつもり》忠介」と、頭上から声がかかった。
「はい?」と、パンツの山の中から顔を出した忠介。
三、四メートルほど先に、黒服の男――鈴木《すずき》が立っていた。
「こっちにくるんじゃないかと思ってた。――いや、理由は聞かんでくれ。ただのカンだ」
そういいつつ、鈴木は帽子をずらしながら天井のほうを見上げ、
「天井から降ってくるとは思わなかったがな」
冗談なのか、それともただの事実の説明なのか、無表情なのでよくわからない。
よくわからないので、忠介は、
「はあ、どうも」と、あいまいに答えた。
忠介の胸元で、ミュウミュウが、
「ミュウ」といった。
「あ…」と、忠介はいった。
ミュウミュウの額《ひたい》に、紫色のブラジャーが引っかかっている。正確には、その額の角[#「額の角」に傍点]に、引っかかっている。
ミュウミュウの額には、赤く光る角《つの》が伸びていた。ぽっち[#「ぽっち」に傍点]のあった位置から、ドリルみたいにねじれた一五センチくらいの角が、垂直に生えている。まるで、おとぎ話に出てくるユニコーンみたいだな、と忠介《ただすけ》は思った。
「龍守《たつもり》忠介、さっそくだが、単刀直入にいおう」
鈴木《すずき》はふところから小型の自動|拳銃《けんじゅう》をとり出し、銃口を忠介にむけた。
「その娘をこちらにわたしてくれ」
鈴木は「その娘」というところで、一瞬《いっしゅん》、銃口をミュウミュウにむけた。
「ギギ……」と昆虫《こんちゅう》声を出すミュウミュウに、忠介が、
「大丈夫、大丈夫」というと、
「ミュウ…」
ミュウミュウの角《つの》がきりきりと回転しながら縮《ちぢ》んでいき、小さな突起をのこして、額《ひたい》の中に引っこんだ。紫色のブラが、はらりと落ちた。
鈴木は銃口をミュウミュウからそらした。意識を直接むけなければ、警戒《けいかい》はされないようだ。
一方忠介は、再び自分にむいた拳銃を見て、
「……それ、本物ですか?」
「本物だ」
忠介はあわてて両手を上げた。
黒服、黒帽、サングラスに、拳銃まで加わると、鈴木の格好はまるっきり大昔の映画に出てくるスパイみたいだ。
――自分はスパイ映画のチョイ役みたいに「消され」てしまうんだろうか、いやだなあ。
などと思いつつ、忠介はちょっとドキドキしながら、
「ええーと、冥土《めいど》のみやげに教えてほしいんですが」
なんだそりゃ、と思いつつ、鈴木は視線で続きをうながした。
「なんでこの子をほしがるんですか?」と、忠介。
「……教えれば、素直にわたしてくれるか」
「えー、……場合によります」
鈴木の右はおが、わずかにもち上がった。笑っているのだ。
「駆け引きのつもりか」
「はあ、ええと、そうなんでしょうか」
「いいだろう。君もすでに、この件に関《かか》わっている人間だ。こちらから聞かなければならんこともある」
と鈴木はいい、それから、しばらく言葉をさがしたのちに、
「まず、信じられんとは思うが――その娘は、人間の形をしているが、人間ではない。なにか、ちがうものだ[#「ちがうものだ」に傍点]」といった。
「あ、はいはい、そうですね」と、忠介はいった。
「……話が早いな」
多少調子を狂わせながら、鈴木《すずき》は話を続けた。
「われわれがその娘を確保しようとするのは、それが危険な存在だからだ。野放しにしておけば、いずれ死傷者が出るかもしれん」
「うーん」
「うそだと思うか」
「いえ……でも、人死にを気にする人が、鉄砲使うのって変だなと思って。きっと、まだほかに理由があるんですよね?」
「一本とられたな」と言って、鈴木は片はおで笑った。「もうひとつの理由だが――その娘はあるとり引きの材料なんだ。六〇億の人命が懸《か》かっている。……いや、とり引きというよりは脅迫だな。こちらに選択の余地はない」
鈴木は右手にもった拳銃《けんじゅう》をちらりと見て、
「ちょうど、今の俺《おれ》と君の関係だ」
「うーん」と、忠介《ただすけ》はいった。「それ、どれくらい急ぎなんですか?」
「急ぎ?」
「時間があるなら、警察《けいさつ》の人とかとも相談したいし」そっちにミュウミュウをわたす約束しちゃってるし。
「いったろう、選択の余地はない」
鈴木は呆《あき》れた顔をしながら、拳銃の先をわずかに動かし、
「おとなしく、いう通りにしてくれ。念のためにいうが――こいつで撃《う》たれると、とても痛いし、血が出るし、多分死ぬぞ」
「でも、問答無用で撃ってこないってことは、おじさんも別に俺を撃ちたいわけじゃないんですよね」と、忠介はいった。「んんー、その『とり引き』っていうのも、きっと、どうにか丸くおさめる方法があるんじゃないでしょうか」
「なかなか面白《おもしろ》い観点だ」と、鈴木はいった。「だが、今は一刻も無駄《むだ》にはできん」
「あっ、そうなんですか。困ったなあ。それじゃあ、うーん、ええと……」
忠介が顔を上げた。
「……どうしましょう?」
「その娘をわたせ」
「あっ、そうか」と言って、忠介は再び考え込みはじめた。「うーん、困ったなあ」
別に、からかっているわけでも、時間|稼《かせ》ぎをしているわけでもない。忠介は大まじめである。
――ええと、このおじさんはミュウミュウを引きわたせといっていて、なんでかっていうとそれは「あるとり引き」に使うからで、その「とり引き」では、ミュウミュウと六〇億人の命が引き換えになるらしい。……ということは、おじさんが「とり引き」をする相手は地球上の人間を全滅させる力があって、そうしてでもミュウミュウを手に入れたがっている。でも「人類全滅」とかいい出す人にミュウミュウをわたしちゃっていいんだろうか。かといってわたさないでほんとに全滅させられちゃったらいやだし困る。ところで「とり引き」の人自身はそれで困らないんだろうか。困ってもいいからミュウミュウがほしいんだろうか。それはいったいなんでだろう。ひょっとして、変な生き物がものすごく好きなんだろうか。そっちの人の話も聞いてみないとわからないなあ。
「んんんー」
忠介《ただすけ》はにゅにゅにゅとなやみながら、無意識にミュウミュウの頭をくしゃくしゃくしゃ。
「ミュウ〜」と、ミュウミュウがいった。
そこに――
『ピピピピピ!』と、上のほうから大きな音がひびいた。島崎《しまざき》がふたりの黒服を引き連れて、階段を駆け下りてきた。
黒服たちは鈴木《すずき》とむき合っている忠介とミュウミュウを見つけると、ふところから拳銃《けんじゅう》をとり出し、階段の上からミュウミュウをねらった。
「……ギギギ!!」
ミュウミュウの角が赤い光を灯しながらシャキンと伸び、ふたりの黒服を指した。
「ミュウミュウ!」
忠介が飛び出しそうになるミュウミュウを押さえると、ミュウミュウは忠介の顔を見上げ、それからくるりとむきを変えて、踊り場の突きあたりに向かって駆け出した。
「わっ!?」すごい力だ。
忠介はミュウミュウに引きずられ、パンツをまき散らしながら踊り場を横切った。
突きあたりの壁《かべ》にぶつかる寸前、ミュウミュウの角が、ぎゅるるっ、と高速で回転した。
キュオン――
と甲高い音がして、壁に直径一・五メートルほどの大きさの丸い穴が空いた。ぶち抜いたというより、ゴムの膜の一点に空いていた小さな穴が、ぎゅんと広げられた感じだ。
屋外の空気が突風となって吹き込んできた。穴のむこうには青空が見えている。
ミュウミュウと忠介の姿を銃口で追う黒服たちに、
「撃《う》つな!」と、鈴木がいった。
ミュウミュウは忠介を引きずりながら、そのままの勢いで壁の外に飛び出した。
壁の穴が、カメラのシャッターを閉じるように、しゅんと閉じた。
突風がおさまった。鈴木の足元に、パンツがはらりと落ちた。
「……すごい!」
アラーム音を立てながら駆け下りてきた島崎が、渦《うず》を巻いてゆがんだ壁を、なめるように観察し始めた。
「……あいつら、落ちて死んだりしてないだろうな」と、鈴木がつぶやいた。
「え? ……あ」
島崎《しまざき》は左腕の端末をのぞきこみ、数秒後、
「移動しています……徒歩にしては速いですね」といった。
鈴木《すずき》は、ふん、と息をもらした。
そのようすを見た島崎が、
「そういえば、彼となにか話していたようですが」
「いや……しかし、面白《おもしろ》い坊主だな、あれは」
「親が親なら……ですかね」と、島崎はいった。
「うわは――――――――――っ!!」
と声を上げながら、忠介《ただすけ》はミュウミュウにしがみついたまま、七階分の高さを落下した。
目に映えるデパートの白い壁《かべ》が、すごい勢いで上っていく。壁に触れた靴《くつ》の先が、ジッと音を立てて削れた。
地表がぐんぐん近づいてくる。デパートの前の通りを自動車が往来している。手前の歩道を紙袋をぶら下げたおばさんやサラリーマン風のおじさんが歩いている。歩道のタイルの模様がはっきり見えてくる。
「ぶつかるぶつかるぶつか――!!」
「ミュウ!」
ミュウミュウの角《つの》が、キュンと音を立てた。
忠介の視界が、くりんと回転した。
地上三メートルほどの高さで、忠介とミュウミュウの勢いが方向を変えた。真下にむかっていた運動方向が九〇度以上曲がって、水平よりやや上むきになった。まるで、回転するボールが、空中で見えない床にあたって横に跳ねたようだ。
しかし、忠介にはなんの加速も衝撃《しょうげき》も感じられない。自分はただまっすぐに落ちていて、風景だけがぐるっとまわったように思える。
忠介とミュウミュウは放物線を描いて車道を飛び越え、むかいの歩道に着地した。正確には、まずミュウミュウが着地し、忠介はその上に肩車の形で落ちた。ミュウミュウは勢いの乗った忠介の体重を軽々とささえ、そのまま走り始めた。小さな裸足《はだし》が目まぐるしく動き、たたたたた、と地をけった。
「わはあ――」
忠介はミュウミュウの小さな頭にしがみついた。腕のすきまから飛び出た角が、ぎゅんぎゅんまわっている。
「――はは、すごいすごい!」
忠介は風に髪をなびかせながら二度、三度と背後をふり返り、そして、
「はっはっは」と笑った。
「ミュウ〜」
忠介《ただすけ》を背負ったミュウミュウは、たたたたた、と軽快な足音を立て、歩道をすごい勢いで駆けていった。
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3  『特攻、一五〇光速!』
惑星表面に、ごく小規模な空間|歪曲《わいきょく》を確認――
その観測結果は、カーツ大尉の意識に転送され、彼自身の感覚に翻訳《ほんやく》された。ほおひげがちりちりとうずく。
真紅の襟《カラー》によって彼ののど元に固定された金色の〈ベル〉を通じて、彼の意識は〈スピードスター〉の思考装置《シンカー》にリンクしている。
〈ベル〉は超小型にして超強力なハイパーウェーブ通信機であり、精巧なセンサーであり、補助的なシンカーであり、かつ身分証明のための装置でもある。中でも、特務監察官の身分をしめす〈黄金のベル〉は、まさしく凝縮《ぎょうしゅく》された権力、結晶した正義。金色に輝く〈ベル〉を身につけた者、身につけることを許された者は、その瞬間《しゅんかん》から銀河連邦の代表者として、銀河における法と正義の代行者となるのだ。
そして、〈ベル〉を彼の魂とするならば、〈スピードスター〉は彼の肉体だ。
武装と積載能力を犠牲にして巡洋艦《じゅんようかん》クラスのハイパードライブを一三基、使い捨てのCプラスブースターを三六〇基|搭載《とうさい》した、マルチプル・タスク・システム。カーツ自身によって〈|スピード狂《スピードスター》〉と名づけられたそれは、銀河連邦の技術力が創造しうる最速の航行体だ。推進・探知・武装・生命維持・中央制御――各種機能モジュールの集合体であるそれは、液体外装のなめらかな鏡面《きょうめん》におおわれ優美な流線型をなしている。出港時には全長五〇〇〇メートルのサイズがあった機体は、巡航中に次々とブースターを切りはなし、現在は一〇分の一ほどになっている。
黄金の魂と白銀の肉体を得たカーツに与えられた任務は「〈リヴァイアサン〉の捕獲《ほかく》」。困難をきわめる任務であり、しかも、そのために許された時間は、決して多くはない。
〈リヴァイアサン〉の生態については不明な点が多いが、その幼体が成長のためのエネルギーを恒星やその他の大質量天体に求めるということは充分に考えられた。事実、〈リヴァイアサン〉はそのように行動し、〈キーパー〉はそれに対処した。すなわち、幼体が逃げこんだ恒星系の、超新星化による焼却。
オリオン腕に属するこの星域で、約二〇時間のうちに二〇〇を超える恒星が爆破《ばくは》された。
なおも増加する爆発の分布を基に、〈リヴァイアサン〉が逃げこんだ可能性が高く、〈キーパー〉がまだ訪れていない、いくつかの星系が選出された。そのひとつがこの星系だ。
天体の運行に依存する重力ゲートを利用することなく、恒星間を超高出力の界面下巡航のみで押しわたる――あたかも〈リヴァイアサン〉そのもののように――この力技ともいえる奇策によって、彼は銀河連邦政府の期待通りに、ほかのだれよりも早く、この辺境星系に到達することができた。
意外なことに、この放置された星系にはごく初歩的な文明が存在した。天然の対有機生命フォーミングがなされた第三惑星上に存在する、惑星レベル文明だ。
カーツはその惑星に小型の界面下巡航体が侵入した痕跡《こんせき》を発見した。まちがいない。〈リヴァイアサン〉の幼体だ。しかし、なぜ〈リヴァイアサン〉は、主星でもガス巨星でもなく、この小さな星を選んだのか。この惑星が放射する電磁的な有意信号に引き寄せられたのだろうか。
カーツは〈スピードスター〉をこの惑星の衛星軌道に乗せ、それらの信号を記録し、解析し、数分のうちに彼らの言語と通信手段をマスターした。そして、〈アルゴス〉と名乗るこの惑星の代表者と接触し、〈リヴァイアサン〉の引きわたしを求めた。
巨大質量の陰に隠れた幼体を強力な超電磁ノイズで無力化し、位相幾何ケージで捕獲する――それが〈スピードスター〉に与えられた機能だ。しかし、今それをすれば、この惑星上に芽生えた幼い文明は一撃《いちげき》で破壊されてしまうだろう。――彼らが自らの手で〈リヴァイアサン〉を捕獲することができるならば、そうせずともすむ。これはカーツの慈悲だ。
カーツはその目を、そしてひげを――〈スピードスター〉のハイパーウェーブセンサーと重力波センサーを、眼下の惑星に据《す》えた。現地の知性体が〈地球〉と呼ぶ、青い星に。
そして、今――
カーツの繊細《せんさい》なほおひげが、地球の表面に発生した小さな空間|歪曲《わいきょく》をとらえた。彼ら〈地球人〉は、〈リヴァイアサン〉の捕獲《ほかく》にてこずっているのだろうか。無理もない。この小さな星の、それも基準界面のみという、ごく素朴な世界に生きてきた者たちにとっては、幼体とはいえ、〈リヴァイアサン〉は想像を超えた世界から現れた妖怪《ようかい》だ。だが、彼らはその妖怪を、自らの手でとらえねばならない。これは彼らに与えられた、克服すべき試練なのだ。
彼らにも、またカーツにも、決して多くの時間は与えられていない。〈リヴァイアサン〉が彼らの手に負えないとあれば、カーツは苦しい決断を下さねばならない。苦しいが、必要な決断だ。銀河連邦は、なんとしても〈リヴァイアサン〉を手に入れなければならないのだ。
カーツはのどの奥でかすかにうなった。そして、彼に「その決断」を迫る者が、まだ現れぬことを祈りながら、その「目」を周囲の空間にめぐらせた。
だが――そう時を置かずに、「それ」は現れた。
その予兆はまず、かすかなハイパーウェーブの形をとって現れた。
あるときは高く、またあるときは低く、美しい旋律をもってひびくその波長は――
――グロウダインの戦歌《いくさうた》だ!!
カーツの全身の体毛が逆立った。瞳孔《どうこう》が収縮《しゅうしゅく》し、針のように細くなった。
そのころ、駅前の通りでは――
たたたたた、と、ミュウミュウはマルタンデパートから数百メートルばかり走ったが、まだ速度をゆるめない。
その肩の上でびゅんびゅんとうなる風の音を聞きながら、忠介《ただすけ》はにゅにゅにゅと考えた。
――さて、これからどうしよう。黒ずくめのおじさんとの話もまだ途中だし、かといって警察《けいさつ》のほうの約束もあるし……。まあ、おじさんのほうは多分どうにかして追いかけてくるだろうから、交番かどこかで待ってて、直接お巡りさんと話をしてもらえばいいのかな。うん、そうだそうだ、そうしよう。
でもその前に一旦《いったん》家に寄ったほうがいいな。陽子《ようこ》が心配するだろうし。っていうか、陽子もいっしょにきてくれたほうが、なにか説明するとき話が早い。俺《おれ》だとよく、話してる途中になんだかわからなくなっちゃうからなあ。いや、よくできた妹がいると助かる助かる。
そう心に決めた忠介が、
「ミュウミュウ、次の信号、右に――」といいかけたとき、
「ミュウ?」ミュウミュウがぴたりと立ち止まった。
「わっ」
手前に投げ出された忠介は歩道の上を一回転して両手をつき、それから、ミュウミュウをふり返った。
ミュウミュウは空を見つめていた。額《ひたい》から伸びた角《つの》の色が、いつの間にか青くなっている。
雲の出始めた空の一点にぴたりとむけられた青く光る角は、きり……きりきり……と、左右にゆっくりと回転している。まるで、ラジオのチャンネルかなにかを合わせているみたいな感じだ。
「ミュウミュウ?」
忠介《ただすけ》が呼びかけると、ミュウミュウは空を見上げたまま、
「ミュウ……」とつぶやいた。
グロウダイン! 重力地獄のふちよりはい出る悪鬼の種族! 不死身の金属人間によって構成される修羅《しゅら》の軍団! 銀河連邦に対する最大の脅威、宇宙を蝕《むしば》む癌《がん》細胞――グロウダイン帝国!!
カーツは「戦歌《いくさうた》」の発信源をさぐりながら、自前の脳髄《のうずい》と〈スピードスター〉のシンカーを高速で回転させた。
――彼らがこちらの存在に気づいているとは限らない。ここは対探知機能をフル稼働《かどう》させてやりすごすか? いや、彼らがこの辺境星系に偶然通りかかったとは考えにくい。おそらくは、彼らの目的もまたここにあるのだ。その目的は〈リヴァイアサン〉か、この〈スピードスター〉か……どちらにせよ、この星系に居座られては、発見されるのは時間の問題だ。
ならば、いっそこちらからしかけてみるか――
わずか数秒間の、だがきわめて高密度な思考ののちに、カーツは星間共用周波数帯で広域信号を放った。
『この宙域を航行中のグロウダイン艦《かん》に告ぐ。本艦は銀河連邦艦隊所属のマルチプル・タスク・システム、MTS07-2885〈スピードスター〉、指揮官は特務監察官カーツ大尉だ。貴艦との邂逅《かいこう》を喜ばしく思うとともに、銀河核条約にもとづく友好的な接触を望んでいる。願わくは、貴艦の船籍《せんせき》と座標を知らされたし――』
この通信は駆け引きの第一手にすぎない。だが同時に、半ばはカーツの本心でもある。だれが好き好んでグロウダインと事をかまえようとするものか! また、彼らにとっても、それは同様のはずだ。この〈スピードスター〉はただ足が速いだけの小舟にすぎないが、背後に控える連邦の主力艦隊との衝突《しょうとつ》には、いかに好戦的な彼らとても、二の足を踏《ふ》むはずだ。わが身を盾として膠着《こうちゃく》状態を作り出し、後続部隊を待てば、状況はこちらに有利に展開するはず――
しかし、次の瞬間《しゅんかん》。
はげしい重力震と可視光ノイズをともなって基準界面下から飛び出した無数の弾体が、直径三〇キロの散布界を描きながら、〈スピードスター〉から五〇キロの空間を通過した。
――基準界面下からのCプラス砲撃《ほうげき》!
カーツの全身が緊張し、〈スピードスター〉に戦闘《せんとう》形態への変形をコマンドした。地球にむけて開かれていたセンサーが収納され、ハイパードライブが運転を開始。鏡面《きょうめん》の液体外装におおわれた機体が、生き物のように形を変えた。
並行して、カーツの視線が砲撃《ほうげき》の軌跡をさかのぼり、地球から五光時の距離に、急速に接近しつつある界面下航行体を発見した。
「戦歌《いくさうた》」の固有パターン、航行体の接近速度、先の砲撃の弾速と分布――こまぎれの情報を統合し、カーツは航行体の――いや、敵艦[#「敵艦」に傍点]の船籍《せんせき》を特定した。
――くそ……最悪だ!!
カーツののどの奥から、低いうなりがもれた。
敵艦《てきかん》はグロウダイン帝国の高速|御座《ござ》砲艦〈突撃丸《とつげきまる》〉。指揮官はバルシシア・ギルガガガントス15-03E――グロウダイン帝国第三皇女、〈鉄拳《てっけん》皇女〉バルシシアだ。
この情報は、ふたつの不利な条件をカーツにしめしている。
今むき合っている者が、こちらを確実に破壊する能力をそなえていること。
そして、今むき合っている者が、交渉の可能な相手ではないこと。
時を置かずして、〈突撃丸〉の第二|斉射《せいしゃ》が基準界面を襲《おそ》った。先ほどとは逆方向の、より〈スピードスター〉に近い空間に、虹《にじ》色に発光する亜光速の砲弾の嵐《あらし》が出現した。はげしい重力|震《しん》に、カーツのほおひげが、ちぎれんばかりにふるえた。
同時刻、〈突撃丸〉発令所――
「なりませぬ、なりませぬぞ殿下!」
全身に怒気と磁気を帯び、どすどすと足音を鳴らしながら、発令所に飛びこんできた者があった。
大柄な男だ。二メートル近い長身で、全体にごつごつとした、大ざっぱな印象のある体つきをしている。樽《たる》のような胴体に丸太のような手足、ひときわ大きな顔面。戦略神官の官服が似合わぬことおびただしい。
大男がむかう発令所の中央、通常の艦ならば艦長席が位置する場所には、玉座にも似た豪奢《ごうしゃ》な装飾をほどこされたシートがあった。御座砲艦にのみ置かれる、皇族専用席だ。
玉座には、ひとりの少女が座っている。
歳《とし》のころは一六、七といったところか。玉座に劣らず手の込んだ華美な軍服を身につけ、その上に、真っ赤なマントをはおっている。だが、それらに増して目を引くのは、きずひとつないメタルブラックの肌《はだ》と、しなやかな銅線のような赤銅色の髪だ。線の整った横顔に、この世のものとも思えぬ美しい光沢が浮かんでいる。
少女は玉座の上で脚を組み、ひじかけにほおづえをつき、うすい笑いを唇《くちびる》のはしに浮かべている。そうして両目を閉じ、額の第三眼に意識を集中している。ハイパーウェーブの視覚で、五光時の距離の先を見|据《す》えているのだ。
「殿下、バルシシア殿下!」と、大顔の大男がいった。
「……なんじゃ、騒々しい」
バルシシアと呼ばれた少女が、片目を開いた。その瞳《ひとみ》は、第三眼とそろいの、煌々《こうこう》と輝く赤色をしている。
大男はバルシシアの前に立ち、手早く略礼のしぐさをすると、かみつくように顔を突き出していった。
「殿下、先の発砲はいかなるよしにございましょうか!?」
「ああ」バルシシアはさもつまらなそうにいうと、再び目を閉じた。「あれがどうかしたかの」
「どうかしたか、ではございませぬ!〈開闢帝《かいびゃくてい》〉のいにしえより伝わる銀河核条約をひもときますれば、『まず第一射を撃《う》たんとほっすれば、すべからく共用周波数帯にて宣戦布告の義をとりおこなうべし』と――」
バルシシアは、蝿《はえ》を追うように手をふり、
「誤射じゃ」
「は?」
「誤射とあらば、いたしかたあるまい。不届きな砲術師は追って重々に処罰するゆえに、おぬしもそう気をもむでない」
バルシシアがそういったとき、観測師から声が上がった。
「第二|斉射《せいしゃ》、基準界面に到達――誤差、二‐四‐二!」
バルシシアは声とは逆方向の砲術師席に頭をめぐらせた。その口元がまがまがしい笑みを浮かべ、ノコギリのようにとがった歯を、ぎらりとのぞかせた。
「第三斉射。よくねらえ」
「はッ!」と、砲術師がこたえた。
「殿下――!!」
大男が再び口を開いた瞬間《しゅんかん》、発令所全体が轟音《ごうおん》とともにはげしくゆれ動いた。〈突撃丸《とつげきまる》〉の副砲、九〇門のCプラス砲が一斉に火を噴き、緩衝《かんしょう》装置を経てもなお抑えきれぬ衝撃が、艦全体を震動《しんどう》させた。
ゆれる床に足をとられた大男の体が、ガン、と音を立てて床に吸いついた。尻《しり》もちをついた形だ。それを見たバルシシアが、カカカ、と笑った。
「どうしたオルドドーン。足元がおぼつかぬようじゃな。気分が優れぬのなら、部屋で休んでおるがよい。無理はいかんぞ」そこでふと思案顔を作り、「いや、それとも……前から思っておったのじゃが、おぬしの頭はちと大きすぎるようじゃ。逆立ちでもしたほうが安定《すわり》がよいと思うが、どうであろうの?」といって、にたりと笑う。
「……おおせとあらば、そのようにもいたしましょう」
大顔のオルドドーンは、黒い岩のような巨顔にむすりとした表情を浮かべながら、床に座りこんだ。
「されど、それがし戦略神官オルドドーン、この頭にて帝室におつかえする身にございますれば――」
オルドドーンは大きな手で自分の側頭部を叩《はた》いた。ガキン、と、金属を打ち合わせる音がした。
「これで大きすぎるということは決してございませぬ」
「わかったわかった」バルシシアはにたにたと笑いながら、「頭が大きいのではのうて、頭以外のところが小さすぎるのじゃな」
オルドドーンの口元が、への字にゆがんだ。
そこに、再び観測師から声が上がった。
「第三|斉射《せいしゃ》、基準界面に到達――狭夾《きょうさ》しました!」
バルシシアは砲術師席に頭をめぐらせ、
「連射せよ」
「はッ!」と、砲術師が答えた。
「や、これはしたり!」
むすりとだまりこんでいたオルドドーンは、弾かれるように立ち上がった。
「殿下、なりませぬというのに!!」
だが、その声は再び起こった轟音《ごうおん》にかき消された。船体上における配置や給弾システムの都合によって微妙に連射性能の異なる各砲が、一定のリズムを刻みながら船体をふるわせた。
腰を落とし、連続した震動に耐えるオルドドーンにむかって、
「カ、カ、カ!」と、バルシシアは大笑した。「心地よいひびきじゃのう! 腹の底にズズンとくるわ! 天上世界のたえなる調べもかくあろうて! のう!」
「殿下――」
一段低くなった声が、砲撃《ほうげき》の轟音を圧してバルシシアに届いた。オルドドーンの黒い巨顔が深刻な渋面を作り、その表面に、電子回路にも似た赤い紋様が浮かび上がった。
「われらが任務《つとめ》をお忘れか。ここで騒《さわ》ぎを起こすは、竜《りゅう》のあぎとの前にて鼠《ねずみ》を追うがごとき愚行にございますぞ」
「なに、愚行……と、申したか」
「おそれながら」と、オルドドーンはいった。
バルシシアの目が、すっと細まり、刺すような光を帯びた。つややかな黒い顔に、オルドドーンと同様の赤い紋様が浮かんだ。
「わらわに攻撃紋《あかきかお》をむけてさようにぬかすは、当然その首を懸《か》けてのことであろうな」
「無論にございます」
「よくいった」
バルシシアはぎらりと笑い、
「……ジェダダスターツ!」と叫んだ。
ふたりの背後に、音もなく、黒い人影が現れた。
身の丈はオルドドーンとほぼ同じだが、並べてみると明らかに頭身がちがう。一切|無駄《むだ》のない細身の体格。同様に飾り気のない黒い軍服の上から、鋼線を束ねて作ったような肉体が見てとれる。そして、腰には刃わたり一・二メートルもある大太刀を帯びている。
大太刀の男――ジェダダスターツは、床に片ひざをつき、顔を伏せた姿勢で静止した。その両目は固く閉じられ、額《ひたい》の第三眼のみが赤く輝いている。
バルシシアは親指でオルドドーンを指し、
「首をはねよ」といった。
ジェダダスターツは床に顔をむけたまま、わずかにうなずいた。
立ち上がりもせず、顔を上げもせず、ジェダダスターツは床すれすれの低い姿勢から太刀を抜き――いや、抜く手も見せずに――約二メートルの高さにあるオルドドーンの頸部《けいぶ》を切断した。
一瞬《いっしゅん》、空間に虹《にじ》色の光の帯が閃《ひらめ》いたかと思うと、
「あっ――」
といったオルドドーンの首がほろりと宙に浮き、次の瞬間、ガン、と音を立てて床に吸いついた。首をうしなった体が、腕を前に突き出して、バタバタとあばれ出した。
「痴《し》れ者が!!」
バルシシアは立ち上がり、床の上の生首にむかって大喝《だいかつ》した。
「竜《りゅう》を恐れるにあまって鼠《ねずみ》から逃げることこそ愚の骨頂、よしんば竜が出たならば、竜を相手に戦うまでじゃ! そも、〈開闢帝《かいびゃくてい》〉の名を口にしながら『猛《たけ》る竜を見てなお笑う』の気概をもたざるは、われらが父祖の名をけがすおこないと知れ!」
ひと息にそういったのち、バルシシアはどかりと玉座に座り、ふん、と息をもらした。
そこに、
「敵艦《てきかん》、界面下に潜航《せんこう》しました!」と、観測師が報告した。
バルシシアはあさっての方向を向いたまま、答えない。今なお続く砲撃《ほうげき》にもすっかり興《きょう》が冷め、さっさと終わらぬものか、と勝手なことを思う。
だが――
観測師の声が、叫び声に変わった。
「敵艦、本艦に急速接近! 速度、三〇光速!!」
重力波の荒れ狂う極彩色の界面下空間を、〈スピードスター〉は銀の矢となって駆ける。
砲弾が至近距離をかすめるたびに、液体外装の表面に波紋が生じる。その情報はカーツの背筋を走る冷感となり、皮膚《ひふ》をわたるさざ波となる。
カーツはその感覚を楽しんでいる。狩られる獲物《えもの》であると同時に狩人でもあるという、この状況を楽しんでいる。
カーツは自らの獣性《じゅうせい》を肯定し、その本能を解放した。脳髄《のうずい》の奥底から発する原始の歓《よろこ》びが電子神経系を駆けめぐり、一三基のハイパードライブを咆哮《ほうこう》させた。
〈スピードスター〉は界面下の高圧のエーテルを切り裂き、進行方向から雨あられと飛来する砲弾をランダムな機動で避《さ》けながら、弾道の消失点にある〈突撃丸《とつげきまる》〉を目指す。
〈スピードスター〉に武装はない。手もちのカードは速度と特殊装備のみ。
これは賭《か》けだ。チキンレースだ。さあグロウダイン、早く「奥の手」を出すがいい。さもなければ正面|衝突《しょうとつ》だ……!
「撃《う》ちかたやめ!」
バルシシアの命令に、
「はッ!」と、砲術師が答え、砲撃の震動《しんどう》がやんだ。
「……面白《おもしろ》い! 面白いぞ!!」
そういって立ち上がったバルシシアの目の前を、オルドドーンの体が走り抜けた。首のないオルドドーンは、両手を前に突き出し、どすどすと足音を鳴らしながら、玉座の周囲をぐるぐるとまわっている。
「見よ、あの鼠《ねずみ》め、こちらにかみついてきおるわ」
そういったバルシシアの前を、首なしのオルドドーンがどすどすと走り抜けた。
「連邦の将兵はふぬけぞろいと思っておったが、なかなかどうして、あっぱれな覇気《はき》じゃ」
そういったバルシシアの前を、首なしのオルドドーンがどすどすと走り抜けた。
「血迷うてのこととはいえ、その意気に免じて、わらわが直々に――」
そういったバルシシアの前を、首なしのオルドドーンがどすどすと走り抜けた。
「――ええい、うるさいわっ!」
バルシシアが背中にけりをくれると、オルドドーンの体はばたりと倒れ、床の上でぜんまいじかけの人形のようにばたばたとあばれた。
「なりませぬ! なりませぬぞ!」
玉座のわきに立つジェダダスターツにかかえられながら、オルドドーンの生首が叫んだ。
「かような暴挙は敵方に余裕なき証左なれど、窮鼠《きゅうそ》をさらに追い詰めるは下策にございます! ここは守りに徹《てっ》しつつ、余裕をもって後退いたせば、有利に講和を結ぶ好機がおとずれましょう! ときに応し矛をおさめることもまた、いくさのありようのひとつにございますぞ!」
バルシシアの口から、ため息がもれた。
「前から思っておったのじゃが……おぬしはほんに、うっとうしいやつじゃの」
オルドドーンはすました大顔で、
「良薬は口に苦く、良臣は主《あるじ》にうとまれるものにございます」といった。
〈突撃丸《とつげきまる》〉の全長は一〇〇〇メートル強。黒い武骨《ぶこつ》な船体の表面には、今、虹《にじ》色に光る筋が幾重にも走っている。艦首《かんしゅ》から艦尾にむけて流れるその筋は、ときに分岐し、また合流し、電子回路にも似た幾何学的な紋様を形作っている。竜骨《りゅうこつ》をとり巻くようにして艦の腹部に内蔵された六基のハイパードライブ。そこから引かれたパワーラインだ。
艦の装甲表面を走るラインはまた、艦全体から針鼠《はりねずみ》のように突き出されたCプラス砲の基部や、艦首の船首像《フィギュアヘッド》にもつながっている。
フィギュアヘッドは、このごつごつとした艦には似合わぬ、美しい裸婦像だ。両腕の先と腰から下とを埋めこむ形で艦首に固定され、なめらかな銀色の肌《はだ》が、黒い装甲面によく映えている。背を反らし、ゆたかな胸を前方に突き出し、声なき声を朗々と発するその姿は、まるで生きているかのように見える。
いや――生きているのだ。
裸婦像のゆたかな銀髪は重力|震《しん》に波打ち、閉じられた両目の上の第三眼は煌々《こうこう》と輝いている。全身を走る攻撃紋《こうげきもん》は虹色の光に満たされ、あたかも音楽を奏でるように、複雑にして繊細《せんさい》なパターンを刻々と形作っている。彼女の体から発したパターンが黒い装甲面に伝わり、脈動する光の旋律となって船体を流れていく。
彼女の名はゼララステラ。ハイパードライブの生きた調律装置にして「戦歌《いくさうた》」の歌い手、〈突撃丸〉の航海師だ。
そして今、艦の装甲面を包む虹色の光が、不意におさまった。ゼララステラの体もまた光をうしない、体表面には赤い攻撃紋のみがのこった。
続いて、艦首の装甲が、ゼララステラの埋め込まれた円板状のプレートを残して、ぱくりとふたつに割れた。艦首の中央にのこったプレートが、わずかに振動しながら艦内に――艦の中心を貫くパイプ状の竜骨の中に、引きこまれた。
発令所の中央に、天井から直径二メートルほどのシリンダーが下がり、開閉口が開いた。シリンダーの中には、先ほどまで艦首にあったプレートがあった。ふたりの女官が駆け寄ってプレートを運び出し、ロックを外してゼララステラを解放した。
ゼララステラは立ち上がり、発令所の気圧をたしかめるように深く息をついた。一糸まとわぬその体から赤い攻撃紋の輝きが消え、見事に均整のとれた肢体には、銀《しろがね》の光沢のみがのこった。バルシシアを指して「結晶のような端麗《たんれい》さ」と言うならば、このゼララステラには、水銀のしずくのような、まろやかな美しさがある。
女官が広げもつ長衣の袖に手を通すゼララステラに、バルシシアは儀礼的に、
「大義であった。よき歌であったぞ」といった。
ゼララステラはそちらにちらりと目をむけたのちに、つんと横をむいた。
「さあ、どうだか」
オルドドーンやジェダダスターツほどではないが、ゼララステラもまた、大柄な体格をしている。親子ほども丈のちがう少女にむかって、ゼララステラは子供のようにすねている。
「わたくし、せっかく気もち良く歌っておりましたのに――殿下はわたくしの歌などより、あたりもしないドカンドカン[#「ドカンドカン」に傍点]のほうがお好みなのでございましょう?」
航海師の職務には高度なハイパーウェーブ知覚とエネルギー制御の能力が要求される。その希有《けう》な才能のため、航海師は艦内《かんない》においては皇族に次ぐ地位を認められている。また、皇家の傍系の出自の者がその任にあたることも多い。ゼララステラもそのひとりだ。皇女であるバルシシアに対してこのような態度がとれるのも、その点によるところが大きい。
――が、それだけではない。
「まあ、そう申すな」
と、バルシシアはとりなすようにいった。
「これよりわらわが――」
「殿下! なりませぬ!」
と、オルドドーンの生首が叫んだ。バルシシアが眉《まゆ》をひそめてふり返ると、ジェダダスターツが胸の前にささげもっていたその生首を、すっと差し出した。
バルシシアのまわしけりが、ひと抱えもある大生首を打ち飛ばした。
「なりませぬぞ――――――っ!」
と叫びながら居住区につながる通路の彼方《かなた》に飛んでいく生首を見送り、ふん、と鼻を鳴らしてから、バルシシアはゼララステラに向き直り、
「――これよりわらわが直々に片をつけるによって。そのほうには、ことがすんだのちにまた存分に歌うてもらおうぞ」と言った。
「……まあ!」
ゼララステラの顔が、ぱっと輝いた。
「それでは殿下が手ずから連邦の小舟をぶぅち[#「ぶぅち」は太字]こわして、監察官とかいうかたをぶぅち[#「ぶぅち」は太字]殺しておしまいになるのね! ああ……そのかたは反動推進系の爆発《ばくはつ》に巻きこまれて皮膚《ひふ》と体毛を焦がして脂っこい脂肪をじゅわじゅわ出しながら焼け死んでしまうのかしら、それとも急減圧で目の玉と舌を飛び出させて口をぱくぱくさせて全身の体液を沸騰《ふっとう》させながら窒息死してしまうのかしら、それとも宇宙放射線にさらされて皮膚も内臓もゲドゲドのギドギドになってしまうのかしら、それとも推進系と通信系を破壊《はかい》された船の中でただひとり生命維持装置の作動限界時間を待つうちに恐怖と絶望にまみれて発狂して涙とよだれと鼻汁とその他もろもろのアレをたれ流しながら死んでしまうのかしら、それともただ単に、ギトギトしたオイルをもらしながらつぶれた機械に挟《はさ》まれて鼻と口から生暖かい血と粘液と白っぽかったりピンク色っぽかったりの内臓を吐き出しながら肉の塊だかくず鉄だかなんだかわからないぐちょげちょになってしまうのかしら。――ああ、なんて……」
そこまでいうと、ゼララステラは額《ひたい》に手の甲をあて、よよよ、とよろめいた。……かと思うと、口を耳まで裂けるほどに開き、ケタケタケタケタ、と笑った。
「なんて面白《おもしろ》いんでしょう!」
「まあその……うむ、そうか。苦しゅうない」
今挙げられたもろもろの死にざまは、どれもグロウダインにはなじみのないものだ。バルシシアはどう応じたものかわからない。ともあれ、バルシシアはこの航海師が少々苦手であった。なにかと調子が狂うし、ちょっと気味が悪い。
さて、それから。
「籠手《こて》をもて」
バルシシアが命じると、ジェダダスターツは無言で一礼し、発令所の壁際《かべぎわ》の台に置かれていたガントレットを手に、バルシシアの足元にひざまずいた。そして、ガントレットを片方ずつ、バルシシアのひじの高さにささげもった。
ガントレットは倍力服のマニュピレータを外してきたかのような、ごつい機械式のものだ。
バルシシアは右、左、と腕を通すと、巨大な鉄塊ともいうべきそれを、軽々と目の高さにもち上げた。そして、手話のように複雑な手の形をいくつか試したのちに、ぐっと拳《こぶし》を握った。
ガントレットが機械的な音を立てながらロックされ、ギオン、と金属的な音を立てた。手の甲にセットされたホイールが回転し、全体が振動し始めた。左右のガントレットに一基ずつ搭載《とうさい》されたハイパードライブ中継器が、作動を開始したのだ。
「Cプラスガントレット、起動確認。ハイパードライブ同調」
と、機関師が眼前のモニターを見ながらいった。
同時に、ガントレットの表面を走るパワーラインが金色の光を帯び、その光はまたたく間にバルシシアの腕、そして全身の攻撃紋《こうげきもん》に伝わった。バルシシアが二度、三度と拳《こぶし》を握ると、ギオン、ギオン、という音とともに、全身をめぐる金の光が強弱した。
バルシシアはとがった歯をのぞかせながら満足げな笑みを浮かべ、
「出るぞ」といった。
ジェダダスターツが深く一礼し、一歩後ろに下がった。入れ替わりに歩み出たゼララステラが、バルシシアにむかって身をかがめ、黒い唇《くちびる》に口づけた。
ゼララステラの攻撃紋が金色に輝き、次いで、バルシシアの体をめぐる光がその強さを増した。
そののち、唇をはなしたゼララステラが、
「ご武運を」といい、
「うむ」
バルシシアはゼララステラが降りてきたシリンダーに入っていった。
砲術師、観測師、操舵《そうだ》師、機関師が主砲発射準備を開始した。
「バルシシア殿下ご入室、推進剤|挿入《そうにゅう》、尾栓《びせん》ロック、砲身開放」
シリンダーが開閉口を閉じ、天井に引きこまれた。そして、発令所の直上、〈突撃丸《とつげきまる》〉の中空の竜骨《りゅうこつ》の末尾にセットされ、自動的にロックされた。
すみやかな減圧がおこなわれたのちに、シリンダーの天井が開いた。頭上ははてしなく続く暗いトンネルになっている。はるか遠くに見える光の点は、虹《にじ》色の界面下空間に開かれた、艦首《かんしゅ》の開口部だ。
「コンデンサ、駆動コイル、ともに正常」
トンネルの内部に、バルシシアを開口部にいざなうように、六列の灯《あかり》が規則正しく点《とも》った。
「ハイパードライブ、出力最大」
竜骨をとり巻くように配置された六基のハイパードライブが、振動のトーンを上げた。そのエネルギーの一部がガントレットに、そしてバルシシアの攻撃紋《こうげきもん》に循環《じゅんかん》し、少女の全身を虹色の光が駆けめぐった。バルシシアが両の拳《こぶし》を握ると、ガントレットに同調した六基のハイパードライブが、グオン…、とうなりを上げ、艦全体をふるわせた。
「目標確認、照準修正」
観測師がとらえた敵艦の現在位置、速度、進路に、砲撃の到達時間を加えて算出した予測位置に、艦の軸が合わせられた。
「――主砲発射準備、完了しました」
砲術師が、ジェダダスターツをふり返った。
大太刀の男、ジェダダスターツは〈突撃丸〉の艦長だ。御座砲艦の艦長は、指揮官である皇族の側居《そばい》役であると同時に、その不在時の指揮官代理でもある。その際には代わって玉座に着くことすら許されている立場だが、ジェダダスターツはそのようにしたことはない。バルシシアのいるときと同様、玉座のわきに起立したままだ。
そして今、バルシシアの前では儀礼的に閉じられていたジェダダスターツの両眼が刮目《かつもく》し、同様に自ら封じていた声が、ひとつの命令を発した。
「バルシシア殿下、ご出座!!」
「はッ!」
砲術師が主砲をトリガーし、艦全体が鳴動した。
〈突撃丸〉の主砲は口径二メートルのCプラス砲。そのただ一発の砲弾は、皇女バルシシアその人だ。
駆動コイルに流れる強大なパルス電流がプラズマ化した推進剤を加速し、推進剤に推されたシリンダーが〈突撃丸〉の竜骨――全長一〇〇〇メートルの超電磁バレルを突進した。この艦自体が、巨大な超電磁カタパルトなのだ。
射出時の速度は、約一五〇光速。
艦首《かんしゅ》からシリンダーごと射出されたバルシシアは、砲によって与えられた勢いを保ちながら、Cプラス機動を開始した。
バルシシアがガントレットの拳《こぶし》を握りしめると、〈突撃丸《とつげきまる》〉のハイパードライブから発する次元振動が虹《にじ》色の波となって全身を駆けめぐり、そのエネルギーの余波が、体を包みこむシリンダーを破裂させ、後方に吹き飛ばした。バルシシアは体内に荒れ狂うエネルギーを皮膚《ひふ》に集中、うなりを上げて振動する体表面が高密度の界面下エーテルを弾き、その体を超電磁流体力学的に推進した。拳の力加減と体内からわき出るリズムによって、バルシシアは自身の歌を歌い、空間を馳《は》せる。
バルシシアを追うように、〈突撃丸〉の副砲が一斉《いっせい》に火を噴いた。Cプラス砲弾の群れは巡航するバルシシアを追い抜き、重力波のうなりを上げながら敵艦にむかう。バルシシアへの迎撃を分散させると同時に敵艦の回避機動を制限する、援護《えんご》射撃だ。
バルシシアは拳をさらに強く握りしめ、加速。砲弾の群れの中にわが身をすべりこませた。
Cプラスガントレットを装備したグロウダイン皇族は、母艦そのものと同様の、だがはるかに小型で高速の界面下航行体――いわば、知能をもったミサイルとなる。Cプラス砲の初速に母艦のハイパードライブから供給される巨大な推力を加えて機動し、確実に敵艦に至り、自身に蓄えた運動エネルギーを開放、文字通り艦砲射撃に等しい一撃を見舞う。
一発必中にして一撃必殺。これが銀河に敵するものなきグロウダイン皇家、特攻貴族ギルガガガントスの戦法だ。全長一〇〇〇メートルの超電磁バレル、六基のハイパードライブ、九〇門のCプラス砲――御座砲艦〈突撃丸〉のすべては、ただバルシシアを支援するために存在する。
「フ……」口元から、われ知らず笑みがもれた。
バルシシアは特攻が好きだ。
超電磁バレルの中でおのが身にかかる加速度と、砲口から射出される瞬間《しゅんかん》の解放感。
早鐘《はやがね》のように打ち鳴る心臓の音と溶け合う、ハイパードライブの振動。
わが身が虹色の界面下エーテルの中を突き進み、その体内をまた、振動するエーテルが通過していく。体が宙に溶け、意識のみが光の中を高速ですべっていくかのような、その疾走感。
また、敵艦からの迎撃を寸前で回避《かいひ》する際の、生死の交錯する、結晶のような瞬間。
そして――敵艦の中枢をおのが拳で破壊する、その手ごたえ!!
「――ハハハハハハハ!」
バルシシアはハイパーウェーブの哄笑《こうしょう》を上げ、虹色の空間を貫きながら、一路敵艦に突進する。
斉射《せいしゃ》を繰《く》り返していた〈突撃丸《とつげきまる》〉が沈黙し、数十秒後、ひとつの弾体を射出した。
――きたか!
カーツの全身にふるえが走った。恐怖か、それとも歓《よろこ》びか。
弾体は自ら弾道を変化させ、さらに数秒後に〈突撃丸〉から斉射された砲弾の群れにまぎれこんだ。だが、カーツの目は、そして繊細《せんさい》なひげは、それを見うしないはしない。〈突撃丸〉に搭載《とうさい》された、ただ一発の対艦思考弾体《ギルガガガントス》、〈鉄拳皇女〉バルシシア――笑っているのがやつだ[#「笑っているのがやつだ」に傍点]。
カーツは速度を維持したまま、バルシシアの動きを見守った。チキンレースはいまだ続行中。こちらの「奥の手」をしかけるのは、充分に引きつけてからだ。
およそ一五〇光速の速度をもつバルシシアとCプラス砲弾の群れば、急速に距離を詰めてくる。接触まであと〇・四、〇・三、〇・二――今だ!
〈スピードスター〉の機体が、水銀の粒が弾けるように、無数のパーツに分離した。各々に小型のハイパードライブを装備した六〇基の捕獲《ほかく》ユニットが分離し、のこる本体のサイズは三分の一ほどになった。カーツの「奥の手」――対〈リヴァイアサン〉用の捕獲システムが、バルシシアを包むように展開した。
だが、戦いの「呼吸」をつかむことにかけては、生まれついての機動兵器であるバルシシアに、はるかに分があった。
「うぬッ!?」
半ばは経験、半ばは遺伝《いでん》設定された本能から、バルシシアは包囲が完成する寸前に急加速し、捕獲ユニットの間をすり抜け、後方に控えていた〈スピードスター〉の直前に出現した。
――ッ!
無限に引き伸ばされたかのような、凍った時の中、カーツの「目」はバルシシアの動作をとらえていた。
バルシシアは、体を丸めてくるりと前転し、進行方向に片足を突き出した。
舞うように美しい動きだ。
次いで、両手をふり、ネジのように回転。
輝く両の拳《こぶし》が、螺旋《らせん》の軌跡を描いた。
そして――
「だッしゃあああああああああッ!!」[#「「だッしゃあああああああああッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
バルシシアが怒号した。その足に集中された強力な次元振動により、〈スピードスター〉の液体外装が沸騰《ふっとう》しながら流れ去った。キリのように回転するバルシシアの体は、露出《ろしゅつ》した〈スピードスター〉の装甲を紙のように貫き、機体内部に突入した。
優に機体を貫通する勢いをもっていたバルシシアの体が、ぴたりと止まった。バルシシアは〈スピードスター〉の機体から受ける抗力を体内に吸収し、
「ふんッ!」
熱に変えて体表面から放出した。
ズドオン!!
〈スピードスター〉の機体の中ほどが、大きくえぐられた。
カーツはシンカーから転送されたダメージの情報――二基のハイパードライブを破損――を、片足をもぎ取られたような喪失感として知覚した。
Cプラス砲弾の群れが、周囲の空間を通過した。はげしい重力|震《しん》が、悪夢のBGMとなって虹《にじ》色の空間をふるわせた。
「――ハッハァ!」
爆発《ばくはつ》のショックで〈スピードスター〉から弾き出されたバルシシアは、再びガントレットを作動。〈スピードスター〉を追撃《ついげき》した。
白銀の機体を、再び衝撃《しょうげき》が襲《おそ》った。
Cプラス砲による運動エネルギーをすでに使い果たしたバルシシアの体は、今度は〈スピードスター〉の装甲にめりこみ、止まった。水銀の海のような液体外装が、広大な本体表面をすべり、バルシシアの体を塗りこめた。
次の瞬間《しゅんかん》、波打つ鏡面《きょうめん》から、虹色の激光と超電磁ノイズのうなりを放ちつつ、武骨《ぶこつ》な拳《こぶし》が突き出た。ガントレットの放つ光に押しのけられるように液化エーテルが後退し、大きな輪を描いた。
両足を機体に突きこんだバルシシアは、高々と上げた右手を〈スピードスター〉の装甲に打ち下ろした。
ドオン、という衝撃とともに、カーツの皮膚《ひふ》に幻痛《げんつう》が走った。拳を打ちこまれた装甲面に、大きな裂け目が生じていた。
Cプラス砲による初速はあくまで敵艦《てきかん》内部への突入のためのものだ。拳さえ届けば、特攻状態のギルガガガントスは素手で戦艦をも打ちこわす。
「ハァハ、ハ、ハ! 脆弱《ぜいじゃく》なり、連邦艦艇――」
バルシシアは再び拳を頭上にふり上げた。ガントレットがはげしいうなりを上げた。
「その弱きを恥じながら死ね!!」
カーツの背筋が凍り、内臓が恐怖にえぐられた。銀河連邦の技術力の結晶、天|翔《かけ》る白銀の機体も、破壊《はかい》の化身ギルガガガントスの前ではただの紙飛行機にすぎなかった。
カーツは〈鉄拳《てっけん》皇女〉の真っ赤な口を、ナイフのような歯の並ぶ悪鬼の笑みを幻視した。
しかし、そのとき――
黄金の〈ベル〉が、キン、とすんだ金属音を立てた。
絶望と混乱の中にあってなおおとろえぬカーツの意志は、〈スピードスター〉のもうひとつの「奥の手」をトリガーした。
「ギッ!!」
忠介《ただすけ》の肩の上で、ミュウミュウが叫んだ。
「ミュウミュウ?」
忠介はミュウミュウを肩から下ろし、その顔をのぞきこんだ。
ミュウミュウは身をこわばらせ、角《つの》を赤く光らせながら、
「ギギギ……!!」
「あ……えーと、えーと」
いきなりのことに、忠介はちょっとおろおろしたのち、ミュウミュウをギュッとだきしめ、
「大丈夫、大丈夫」根拠なし。
ボン、と音を立てて、島崎《しまざき》の背の機械が火を噴いた。
「うわっ、あちちちち」と機械を下ろす島崎に、
「大丈夫か、先生」と、鈴木《すずき》が聞いた。
「ええ、なんとか……」
「なにが起こった」
島崎は左手の端末を操作しながら、
「さあ……なにか強力なノイズが……」
鈴木は黒い携帯電話をとり出すと、いずこかへ電話をかけた。
「鈴木だ。今から二〇秒前に……」
腕時計を見ながら話す鈴木の声色が、急に変わった。
「なに? ……そうか、わかった」
鈴木はふところに携帯電話を放りこみながら、
「急ぐぞ。いよいよ時間ぎれかもしれん」
「なんですって?」
「わからん。だが……」
鈴木はいった。
「〈アルゴス〉が、システムダウンした」
対〈リヴァイアサン〉用、超電磁ジャマー。それが〈スピードスター〉の隠しもった、第二の切り札だ。破壊《はかい》的なまでに強力な超電磁ノイズに直撃《ちょくげき》され、バルシシアは意識をうしなった。
バルシシアが気絶したのは、ほんの数秒だ。だがそれは、カーツが生来の自信と機知を回復するのには充分な時間だった。
――力の大きさは問題ではない。重要なのは、それをもちいる意志、知性、そして魂だ。おのがもてる力を、正しい目的に、的確な手段でもちいること――すなわち、「正義」こそが最大のパワーなのだ。正義なき力などは、克服されるべき物理現象にすぎない!
カーツは不敵な笑みをもらした。白銀の体は傷ついたとても、その黄金の魂はいまだ健在だ。
捕獲《ほかく》ユニットが意識をうしなったバルシシアを包みこむように展開し、六〇の頂点をもつサッカーボール状組織を構成した。本来〈リヴァイアサン〉をとらえるための装備であるそれは、特攻状態のギルガガガントスさえも拘束できるだけの性能がある。
バルシシアが意識を回復すると同時に、完成した位相幾何ケージが彼女を周囲の空間から隔離した。
「――おのれ!!」
バルシシアは拳《こぶし》を握りしめた。だが、母艦《ぼかん》からのエネルギー供給を断たれ推力をうしなったバルシシアは、ケージ内の隔離空間に、なすすべもなく宙|吊《づ》りになるばかりだ。
「小細工を弄《ろう》すかあッ!」
バルシシアの叫びは、もはやだれにも届きはしない。
――捕獲成功。
カーツはこの結果に満足し、のどを鳴らした。
グロウダインはもっとも重要な駒《こま》の一枚を封じられた。また、無敵の皇族《ギルガガガントス》がとらえられたという事実は、彼らの内部に少なからぬ動揺を生むことだろう。
『〈突撃丸《とつげきまる》〉に告ぐ。こちらは〈スピードスター〉。本艦は貴艦の指揮官であるバルシシア・ギルガガガントス15-03E殿下を保護《ほご》している。銀河に名だたる〈鉄拳《てっけん》皇女〉を迎えることができ、たいへん光栄に思う――』
皇女の処遇については、追って交渉だ。もちろん、その主導《しゅどう》権はこちらにある。
――さあ、帰らせてもらおうか。道を開けたまえ、グロウダイン!
カーツは捕獲ユニット群と〈スピードスター〉のハイパードライブの出力を上昇させ、長距離航行にそなえた。すでにCプラスブースターを使い切っている〈スピードスター〉には、銀河連邦の勢力圏まで帰還《きかん》する能力はない。〈キーパー〉の来訪にそなえ、この星系から適当に距離をとったところで回収を待つことになる。この点については予定通りだ。
結果的に〈リヴァイアサン〉の獲得には失敗したが、代わりに銀河連邦は強力なカードを一枚手に入れたことになる。満足すべき結果といえるだろう。
だが――
カーツの満足は数秒ともたなかった。砲弾の嵐《あらし》が再び〈スピードスター〉を襲《おそ》ったとき、彼は瞬時《しゅんじ》におのれの過ちを悟った。
――くそ!
カーツは〈スピードスター〉を、球形のケージの陰に身を寄せるように配置した。だが、〈突撃丸《とつげきまる》〉の砲撃は続く。ケージもろとも破壊《はかい》しようという勢いだ。
――私はなんという間抜けだ! グロウダインに人並みの知能を期待するとは!
たしかに、たとえCプラス砲弾が直撃しても、皇女は死にはしまい。捕獲《ほかく》ユニットが破壊され、解放されるだけだ。
だが彼らは、こちらを刺激すれば、皇女に危害が加えられるとは考えないのか?
いや……あるいは、それをねらっての行動か。
捕虜《ほりょ》となるくらいなら、いっそ殺してしまえと。
カーツは砲撃の彼方《かなた》に、異質な思考の片鱗《へんりん》を見た思いがした。人質をとられてなお、黙々と砲撃を続ける鉄《くろがね》の兵士たち。人に似て人でない、昆虫《こんちゅう》のごとき感性――
――よかろう、怪物ども。望み通り、おまえたちの主人は細胞ひとつのこさず消滅させてやる。
カーツは捕獲ユニットに緊急用の抹消《まっしょう》プロセスをコマンド。捕獲ユニットが出力を上げた。カーツのトリガーによって、ケージの内部は超強力な次元振動に満たされ、バルシシアの体は金属原子の雲と化す。
もはやこちらにも選択の余地はない。自分が生き延びる可能性すら、今なお急速に減少しているのだ。現時点でとりうる最善の行動は、敵の戦力を少しでも削《そ》ぐこと。それ以外には考えられない。
――つまるところ、われわれは相容れない存在なのだ。
意外なことに……彼自身にとってじつに意外なことに、トリガーの瞬間《しゅんかん》、カーツの心中にあったのは、皇女に対する憐《あわ》れみだった。異質なものとはいえ、知性を宿す生命体を自らの手で抹殺することに抵抗があった。
カーツの電子的に加速された思考が、ミリセカンドの単位で躊躇《ちゅうちょ》した。
それは、致命的な遅れだった。
その瞬間、Cプラス砲弾の一発がケージを直撃し、捕獲ユニットの一基が破損した。ケージの一角が破れ、〈突撃丸〉からバルシシアへのエネルギー供給が回復した。バルシシアはガントレットを起動、捕獲ユニットをさらに一基破壊しながらケージを飛び出した。
――しまった!
カーツは即座にバルシシアの捕獲を断念し、捕獲ユニットを散開、〈スピードスター〉は〈突撃丸〉に背をむけ、最大速力で機動。
「逃げるかッ!」
バルシシアが〈スピードスター〉のあとを追って加速、その背にとりつき、輝く拳《こぶし》を〈スピードスター〉の装甲に打ち下ろした。
〈スピードスター〉の機体が、ズン…とふるえた。
次いで――
「だッしゃああッ!! ブッこわれよッ!!」[#「「だッしゃああッ!! ブッこわれよッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
バルシシアは両の拳《こぶし》を掘削機のごとく高速にふるい始めた。
ガガガガガガガガガガガガガガガ――
バルシシアの拳はやすやすと装甲を破り、〈スピードスター〉の機体を掘り進んでいく。カーツは真っ赤に灼《や》けた鋼鉄製の蟻《あり》におのが皮膚《ひふ》を食い破られ、もぐりこまれるような感覚を体内に覚えた。
一路地球への軌道を急ぎながら、カーツは着実におのが心臓にむかってくるその幻痛《げんつう》に耐えた。機体を伝って聞こえてくる破壊《はかい》音が、確実に大きくなってくる。彼は今、蟻に体内にもぐりこまれた巨象であると同時に、巨大な機械の中に隠れた小鼠《こねずみ》でもある。
また一基、ハイパードライブが破壊された。
だが、カーツの口元には、今なお不敵な笑みが宿っている。まだこちらの策は進行中だ……。
一〇秒後――
地球の重力場は、界面下空間においてはエーテルのゆがみに見える。可視光ノイズが減少した、四次元的な暗いへこみだ。カーツはゆがみにとらえられるように〈スピードスター〉を機動させ、地球の周回軌道に入った。
ゴオン、と、カーツの頭上で大きな音がした。
あと一撃《いちげき》で、バルシシアの拳はコアユニットの外装を突き破り、カーツを叩《たた》きつぶすことができる。バルシシアは輝く拳をふり上げ――
そのとき、〈突撃丸《とつげきまる》〉からのエネルギー支援が不意に途絶《とだ》え、ガントレットが光をうしなった。
「なにッ!?」と、バルシシアが叫んだ。
一基一基が小型のハイパードライブと次元振動装置を装備した、捕獲《ほかく》ユニット。いまだカーツの制御下にあるそれらは、いうなれば一種のCプラスミサイルだ。群れをなして〈突撃丸〉にむかっていたそれらのうちの一基が、迎撃をくぐり抜け、今、〈突撃丸〉を直撃したのだ。
――よし!
次の瞬間《しゅんかん》、〈スピードスター〉の機体が分解した。カーツは一三基のハイパードライブ(うち三基は破損)を始めとする各種装備を放棄、〈スピードスター〉の中枢、全長五メートルのコアユニットのみが地球への突入回廊へ射出され、補助ドライブによるCプラス機動を開始した。
地球に降り立ち、〈アルゴス〉と交渉、〈リヴァイアサン〉を確保しつつ増援を待つ――
これが、カーツの出した新たな行動方針だ。
皇女は機体もろとも周回軌道上に置き去りにする。不死身のグロウダインとて、推力をうしなった状態で宇宙空間に放置されれば手も足も出ない。バルシシアはなすすべもなく、ただ衛星となって地球の周囲をめぐるのみだ。
――私の勝ちだ、グロウダイン!
カーツがそう思った瞬間《しゅんかん》――
カン…、と、コアユニットの機体を伝ってかすかな音が聞こえた。
――まさか…!?
「のォがすかああッ!!」と、コアユニットにとりついたバルシシアが叫んだ。
バルシシアははげしいエーテル風に髪をなびかせ、ガン、ガン、ガン、と、外装に爪《つめ》を立てながら、自らの腕力のみをもってコクピットにむかう。
やがて、カーツの頭上で、ガン、とひときわ大きな音、次いで、ギギギ……と、金属のきしむ音がした。
「こざかしきかな、連邦の走狗《そうく》――」
と、バルシシアはいった。
「まさに犬のごとく死ね!!」
――くそッ!
カーツは反射的に〈スピードスター〉を基準界面に浮上させた。
〈スピードスター〉は地球大気中に直接出現した。
「なッ!?」
ドンッ――
衝撃《しょうげき》波が〈スピードスター〉の機体表面をなぎ、バルシシアの体を吹き飛ばした。
「ゥおォ――――――のォ――――――れェ――――――――――――――――ッ!!」
凄《すさ》まじい対気速度に、バルシシアの体は見る間に赤熱し、赤い尾を引きながら地表に落下していった。
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4  『忠介、今度は宇宙人を拾う』
ミュウミュウの「ギギギギ」は、すぐにおさまった。
きりりり……と角《つの》を引っこめると、ミュウミュウは忠介《ただすけ》の体をよじ登り、肩の上でのどを鳴らし始めた。
いつの間にか、空には重い雲がたれこめていた。
……と思うと、ぽつぽつと、大粒の雨が降り始めた。
「わ、まずいまずい」
忠介はミュウミュウをぬらしてはいけないと思い、肩から下ろそうとした。だが、
「ミュウ〜!」よほどこの位置が気に入っているらしい。
「えーと」
忠介はちょっと考えたのち、シャツを脱いでミュウミュウの頭にかぶせた。
「ミュウ〜」これは気に入ってくれたらしい。よかったよかった。
Tシャツ一丁になった忠介は、シャツをかぶったミュウミュウを肩に、小走りに家路を急いだ。雨がTシャツにしみて、おまけに風が肌寒《はだざむ》くなってきて、
「へっくし!」と、忠介《ただすけ》はくしゃみをした。
そのとき。
キィィィィィン――
と、なにか甲高い音が空から聞こえてきた。ジェット機みたいな音だ。
飛行機が頭上を通るときには、口を半開きにして空を見上げ、飛行機が見えなくなるまで見送るのが忠介の習慣である。よく陽子《ようこ》に怒られたり清志《きよし》にせせら笑われたりするが、なぜかやめられない。あとサッカーの試合の最中とかにやると憲夫《のりお》にどつかれる。
で、いつも通りに空を見上げると――
頭上の雨雲に、大きな円形の穴がパッと空いた。一点を中心に押しのけられた感じだ。
と同時に、
キュドンッ!!
とすごい音がして、すぐそこの空き地に、三階建てくらいの高さの土煙が立ち昇った。次いで、はね飛ばされた小石やら瓦礫《がれき》がばらばらと降ってきた。中には人の頭ぐらいの大きさのものもある。
「うわあ!」
忠介はミュウミュウを肩からひっぺがしてかかえこみながら、ぬれた道路に伏せた。近所の家の屋根や路駐の車が、がしゃがしゃぼこんぼこんと音を立てた。目の前で、ごん、と瓦礫がはねた。
やがて、降ってくるのがぱらぱらとした小砂利ばかりになると、忠介は立ち上がり、目をこすりながら空き地のほうを見た。そこはたしか、市の「なんとか建設予定地」だけど、用地買収がうまくいかなくて何年も放っておかれているところだ。ちょうど土煙が立っているところには、廃ビルがそのままのこっていたはず――だったのだが。
うすれ始めた土煙の中、ビルが建っているはずのところは、むき出しの鉄骨と瓦礫の山になっていた。
――よく見えなかったけど、空からなにか大きな塊が落ちてきたような……。
いつの間にか雨がやんでいた。雨雲に空いた穴のむこうには、青空が明るく見えている。
忠介はミュウミュウを胸にだいて、鉄条網の破れ目から空き地に入り、瓦礫の山をおよび腰でのぞきこんだ。あたりには、ほこりと灼《や》けた鉄の匂いがする。曲がった鉄骨が、三階のあたりでぎしぎしと音を立てている。
あまり近づかないほうがよさそうだ。くずれてくるかもしれない。
忠介が距離をとろうとしたとき――
ボゴォン、と音を立てて、瓦礫の山の中からロボットの手みたいなものが飛び出した。
「うわっ!?」と叫んで、忠介は飛びのいた。
次いで、瓦礫《がれき》をふり落としながら、ひとりの人影が立ち上がった。
多分同い歳くらいの、女の子だ。……人間だとしたら。
女の子はボロボロの軍服みたいなものと真っ赤なマントを着て、全身からぶすぶすと煙を上げている。両手のひじから先に、ごつごつとして不釣り合いに大きい、機械式のグローブ(?)をはめている。顔や腕に見えている肌《はだ》が、鈍く赤く、まるで灼《や》けた鉄みたいに光っている。忠介《ただすけ》の顔にまで、ひりひりと熱が伝わってくる。それから、目も赤く光っていて、ちょっとこわい。
と――
女の子が顔をしかめ、ずっ、と鼻をすすった。
すると、赤く光を放っていた体が、すっと暗くなった。皮膚《ひふ》から出る熱を、体内に引っこめた[#「引っこめた」に傍点]――そんな感じだ。
女の子の肌は、そのまま色をうしない、真っ黒になった。黒人……というふうでもなくて、なんというか、乗用車の表面みたいなメタリックな感じ。目は変わらず赤く光っている。それと、顔や腕に、赤く光る筋がのこっている。額《ひたい》にはミュウミュウのによく似たぽっち[#「ぽっち」に傍点]がある。
女の子は、ずずずーっ、と鼻から息を吸い、それから、ぶしゅうう、と口から煙を吐いた。
「……えーと、あのー」
大丈夫ですか、と忠介はいおうと思ったが、やめた。
すごく元気そうだし、すごく機嫌《きげん》が悪そうだから。
黒い女の子は瓦礫の山の上に仁王立ちになり、真っ赤な目でカッと空を見上げると、ごつい拳《こぶし》をふり上げた。全身を走る赤い光が、ぎゅんとその拳に集中した。
「ぅおのれェ――ッ!!」[#「「ぅおのれェ――ッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
女の子が叫ぶと、空気がびりびりとふるえ、ご近所の窓ガラスがぱりぱりぱりんと割れた。
次いで、女の子は光る拳をかたわらの鉄骨に叩《たた》きつけた。ごおん、と音を立てて、鉄骨がひん曲がった。
すると――
もう一本、三階から曲がった鉄骨が落ちてきて女の子の頭にゴワンとあたり、女の子はズゴンと重そうな音を立てて、あおむけに倒れた。
「……ええーと、あのー」と、忠介はいった。「大丈夫ですか?」
今度はあたりどころが悪かったのか、あおむけに倒れた女の子は、ぴくりとも動かない。黒い肌に走る赤い筋が、すうっと光をうしない、見えなくなった。
再び、ぽつぽつと雨が降り始めた。
女の子の黒い肌にあたる大粒の雨が、熱したフライパンに触れたみたいに、じゅんじゅんと音を立てて蒸発している。
からから……と、瓦礫《がれき》の破片が鉄骨から落ちてきた。またくずれてくるかもしれない。
頭を打ったら動かさないほうがいいんだっけ、とも思ったが、ここで下敷《したじ》きになるほうが、もっとあぶなそうだ。
「あのー……」
忠介《ただすけ》は女の子の肩をつついてみたが、
「あちち」とても触れない。
忠介はTシャツを脱ぎ、ミュウミュウのかぶっているシャツとともに、左右の手首に巻きつけた。
その手を女の子の首筋の下に差しこむと、ぬれた布から、しゅう…と湯気が上がった。なんだかアイロンみたいだなあ、といらんことを考えつつもう片方の手を腿《もも》の下に入れ、忠介は、
「よっ!」と力をこめた。
が、女の子の体は動かない。
「……と、あちちちち」
いったん手を放して、両手をふーふー吹いたのち、忠介はもう一度、
「ふんぬ……あぢぢぢぢぢぢ!」と力んだ。
しかし、いったいなにでできているのか、女の子の体はびくともしない。
忠介はもう一度、
「ふんぬ――」
女の子の体が、ずずっと動いた。
見ると、かたわらでミュウミュウが忠介のまねをして、女の子の腕を引っぱっている。
「わ、ミュウミュウ、力もちだなあ」
そこで、今度はミュウミュウに任せるようにしてみると、ミュウミュウは軽々と女の子を背負って歩き始めた。ただ、身長が足りないので、女の子のつま先が引きずられて、地面に深いみぞを掘っている。
試行錯誤《しこうさくご》の末、重さの大部分はミュウミュウにあずけ、忠介は女の子の両足首をもつ、手押し車のような格好になった。
――さて、これからどうしよう。
安全なところに寝かせて、救急車? でも俺《おれ》、早く帰らなきゃいけないから、ちゃんと看《み》てられないし。
「ええーと」
忠介は道路のほうを見た。鉄条網のむこうに通行人が集まり始めていたが、忠介たちを遠巻きにながめるばかりで、なにか手伝ってくれそうな感じではない。
――よし、このまま家まで行っちゃおう。
「レッツゴ〜」
「ミュウ〜」
三人は手押し車もどきの格好で、空き地を抜け、通行人の群れの間を通りすぎた。
上半身裸の忠介《ただすけ》は、周囲に愛想をふりながら、
「いやいやはっはっはっは、へっくし」わりと楽しい。寒いけど。
〈スピードスター〉は地上数メートルを消音モードで浮遊し、雑木林の中をすべるように進んだ。そして、茂みの中にゆっくりと着陸し、迷彩機能を作動。白銀の機体が、茂みにまぎれて見えなくなった。
カーツはハッチを開いて地上に降り立った。コクピットから出るのは数百時間ぶりであり、また、非調整|環境《かんきょう》下に歩み出すのは生まれて初めてのことだ。
スカイブルーの毛並みに金の瞳《ひとみ》、赤い首輪《カラー》に金色の〈ベル〉。体重一・五キロの若い牡猫《おすねこ》――地球流にいうならば、それが彼の外見だ。
カーツは湿った腐葉土を踏みしめ、草の匂いを嗅《か》いだ。木々の間をわたる風が、その背をなでた。彼はそれらの新鮮な感覚を堪能《たんのう》し、満足げにのどを鳴らした。
このような原始惑星での活動は予期していなかった。だが、黄金の〈ベル〉をもつ特務監察官は、その育成過程において、あらゆる状況に対処すべく訓練されている。いついかなるときであれ、彼の明晰《めいせき》な頭脳、鋭敏な感覚、しなやかな肉体が、法と正義の顕現《けんげん》であることに変わりはない。
〈リヴァイアサン〉の現在位置はそう遠くない。〈ベル〉は〈リヴァイアサン〉の発するハイパーウェーブを、微弱ながらはっきりととらえている。〈リヴァイアサン〉を追えば、いずれ〈アルゴス〉とも接触できるだろう。そして、おそらくはバルシシア皇女とも。
彼女の着地の際に発生するはずの、莫大《ぼうだい》な運動エネルギーの開放――巨大|爆発《ばくはつ》は、いまだ観測されていない。ギルガガガントスの十八番であるエネルギー吸収がおこなわれたのだろう。すなわち、現在皇女は無傷で、しかもメガトン級のエネルギーをその体内に蓄積している。
カーツは不敵な笑みをもらした。相手にとって不足はない。状況は不利であればあるほど、克服する価値もまた高くなるのだ。
と、そのとき――
ぱらぱらっ、と音を立てて、頭上からなにかが降ってきた。カーツの体に緊張が走った。彼の鼻先になにかがあたった。彼は桃色の舌を伸ばし、それをなめとった。無味無臭。真水の水滴だ。
――これは……。
カーツがその単語を思い出すまでに若干の時間がかかった。
――あめ……そう、「雨」だ。
「水惑星」の対流圏に存在する、巨大な水循環の一部。広大な面積に降り注ぐ、天然のシャワー。なんと壮大にして無意味な現象か!
カーツは雨粒が木々の葉を打つリズムを、地面から濃く立ち昇る土の匂いを、しばしの間、楽しんだ。だが――
カーツは体全体をぶるりとふるわせた。この、毛皮にしみこむ水はいただけない。体温が無駄《むだ》にうばわれてしまう。
少し行った先に、ばらばらと大きな雨音を立てる青い塊があった。見たところ、化学|繊維《せんい》製のシートらしい。少しの間雨をしのぐには、ちょうどよさそうだ。
カーツは頭を下げ、青いシートの下にすべりこんだ。そして、
「シャ――――――――――――ッ!」
何者かの威嚇《いかく》を受け、反射的に矢のように飛び出した。
カーツは数十メートルを突進し、フェンスの金網に首を突っこんで止まった。
シートの中で見たのは、闇《やみ》に光る金の目――どうやら現住生物のテリトリーだったようだ。背後から、ミュウ、ミュウ、と、いくつもの小さな鳴き声が聞こえてきた。
カーツは呼吸を整えつつ、自らの軽率を笑った。そして、金網から首を抜こうとした――が、金網はがっちりと首に食いこんでいる。
――しまった! なんらかのトラップか!?
彼はうなり声を上げながら金網と格闘《かくとう》し始めた。
そして――
それからの道のりは、苦難の連続だった。
カーツは苔《こけ》むした塀《へい》からすべり落ち、腰を強打した。
乗用車がはね飛ばした泥水《どろみず》を、全身にかぶった。
犬に吠《ほ》えかかられた。
どぶに落ちた。
そして今、「ニャンコニャンコニャンコ!」と奇声を発する幼稚園児の群れに追いまわされた彼は、やみくもに走って逃げたのち、暗い箱の中に飛びこんだ。
直線的、人工的な構造をもつ、その狭い空間には、獣《けもの》の匂いがした。厚手の布が敷《し》かれ、獣毛《じゅうもう》が散らばっている。
――ここも獣の巣……いや、飼育施設の一種か。
すぐに立ち去らねば、と思ったが、不意に全身の力が抜け、カーツは埃《ほこり》じみた布の上にしゃがみこんだ。全力での運動と精神的緊張によって、彼は極度に疲労していた。
ほんの数百メートル――〈スピードスター〉に乗っているときにはゼロに等しいその距離が、こんなにも長く感じるとは。まったく、この惑星はあなどれない。
――だが、私はくじけはしない。〈|黄金のベルの男《マン・オブ・ザ・ゴールデンベル》〉は、決してあきらめない!
彼がそう思ったとき、アーチ型にくり抜かれた箱の入り口から、巨大な鼻面が、にゅっと入ってきた。
雨が降ってきたというのに、忠介《ただすけ》は帰ってこない。どこに行ったのかもわからない。
陽子《ようこ》は傘《かさ》をもって近所をぐるりと一周したが、忠介は見つからなかった。あきらめて家で待つことにして帰ってきた陽子は、家の前で、
「シャ――――――ッ! フシャ――――――――ッ!!」という猫《ねこ》の声を聞いた。
見ると、むかいの郷田《ごうだ》荘の玄関先で、ジロウマルがうろうろしている。犬小屋の中に入りたいけど入れない、といったふうな感じ。ときどき小屋の中をのぞきこんでは、
「カ――――ッ!」
と威嚇《いかく》されて、ピャッと逃げる。
陽子が近づいていくと、ジロウマルは助けを求めるように陽子を見上げた。
「もう……しっかりしてよ、ジロちゃん」
毎度のことである。人(犬?)のいいジロウマルは、よく野良猫に小屋を占拠されてしまうのだ。
陽子はJの字型に曲がった傘の柄を犬小屋に差しこみ、ガタガタと動かした。
「こらっ、出ていきなさいっ! しっ、しっ!」
「シャ――――――ッ!」
犬小屋の中の猫は、傘の柄をよけながら、なおも声を上げた。
傘の柄の先が、猫の首輪に引っかかった。
これ幸いと力をこめて引っぱり出そうとする陽子と、抵抗する猫が、綱引きのような状態になった。片手をついた無理な姿勢の陽子と、前足を突っぱって全力で踏《ふ》んばる猫の力が拮抗《きっこう》し、綱引きは数十秒にわたって続いた。
と――
不意に猫の力が抜け、その体が傘に引かれてずるりと出てきた。陽子が傘をもち上げると、首輪でぶら下がった泥《どろ》だらけの猫の体が、ボロ雑巾《ぞうきん》のようにぷらんとゆれた。白目をむいて、舌をでろりと出している。
「きゃっ、たいへん!!」
陽子はあわててボロ猫を地面に下ろし、呼吸をたしかめた。息はしているが、のどからヒューヒューと音がしていて、なんだかあぶないかも。
「……どうしよう」
――えーと、とりあえず家の中に……。
陽子がボロ猫をだき上げたとき、
ボゴォン!
と、龍守《たつもり》家の一階の壁に大穴が空いた。
数分前――
忠介《ただすけ》とミュウミュウは黒い女の子を背負って家に帰った。正確には、背負っていたのはミュウミュウで、忠介は足をもってただけ。
門柱のチャイムを押したが、陽子《ようこ》は出てこない。出かけてるのかな、と思いつつ、忠介は女の子を家に運びこんで布団に寝かせた。シーツが泥《どろ》だらけになったが、まあ怪我《けが》人のためだし、しょうがないと思う。
靴《くつ》(これも重かった)はミュウミュウに足をもち上げてもらって脱がせたが、腕の機械は外しかたがわからなかった。服も脱がせるのがたいへんそうなので、マントだけとった。
それがすむと、忠介は布団のわきに正座をした。
病人とか怪我人の前で、つい居ずまいを正してしまうのは、忠介のくせである。体育の授業中にだれかが捻挫《ねんざ》したりすると、その横で「気をつけ」をしたりしてしまう。もちろんそれで相手が早く回復するわけではないのだが、でもなぜかしてしまう。ちなみに疲れると「休め」になる。
さて、ひざに手をあててぴたりと正座をした忠介は、にゅにゅにゅにゅにゅ、と口元をゆがめながら、
「うーむ」といった。
「ミュウ〜」と、忠介の横でミュウミュウがいった。
見ると、ミュウミュウもまたひざに手をあててぴたりと正座をし、口元を忠介そっくりに、にゅにゅにゅにゅにゅ、とゆがめている。
ま、それはさておき、忠介は考えた。
――えーと、まずは救急車を呼ばなきゃかな。でも、ミュウミュウがいないと、この人を運ぶのはたいへんそうだ。この場合、救急車よりレッカー車とか呼んだほうがいいんだろうか。レッカー車って、どこに電話すれば出してもらえるんだろう。自動車ナントカ協会? あと警察《けいさつ》かな。そうだ、警察の人がきたら相談してみよう。
それにしても、今日はなんだかいろいろなことが起こって、考えることがいっぱいあって、たいへんだなあ。早く陽子が帰ってこないかなあ。どこ行ってるのかなあ。
この時点で、自分がふらふらと出歩いていたことは、すっかり棚に上げている忠介である。
と、そのとき。
「む……」と、黒い女の子――バルシシアがうなった。
グロウダインの不死身の秘密はその身体構造の意識的かつ五次元物理学的なコントロールにある。質量制御、エーテル凍結、次元振動……銀河連邦の最先端技術に匹敵する機能が、彼らの体には、生まれながらにして宿っているのだ。
だが、それとても完璧《かんぺき》ではない。
意識的に不死身となる[#「意識的に不死身となる」に傍点]彼らは、攻撃《こうげき》時においては無敵だが、不意打ちに対しては圧倒的に弱い。先の鉄骨|直撃《ちょくげき》も、拳《こぶし》をふるった直後のすきに入ったために、大きなダメージとなったのだ。
グロウダインにとって「死」や「敗北」は怠惰と不注意によってもたらされるものであり、それゆえに恥ずべきものとされている。
「む……」
バルシシアは先ほどの状況を思い出し、おのが油断を恥じながら目を開いた。
現住生物とおぼしき生き物が、バルシシアの顔をのぞきこんでいた。バルシシアのふたつの目と額《ひたい》の第三眼は、反射的にその戦力を見きわめた。
体形はグロウダインに類似。サイズはバルシシアよりひとまわり大きいが、この低重力星に適応した肉体は、軽く、柔らかすぎる。動きもにぶそうだ。また、その表情からは戦意も警戒《けいかい》心もまったく感じられない。そもそも、この目は開いているのかいないのか。寝ているのか。
「あのー、大丈夫ですかあ」む、なんじゃ起きていたのか。
ともあれ、これ[#「これ」に傍点]は問題外だ、とバルシシアは思い、次いで、そのとなりの生き物を見た。
その瞬間《しゅんかん》――
本能的に全身が緊張し、戦闘《せんとう》態勢になった。皮膚《ひふ》の攻撃紋《こうげきもん》が活性化し、体重が増加した。
「くわああッ!!」
バルシシアは上体を起こしながら両手足で後ずさり、その背で、
ボゴォン!
と、壁《かべ》をぶち抜いた。
バルシシアの目はそれ[#「それ」に傍点]に、ひたと据《す》えられている。
それは一見、最初の生き物と同種の、幼体のようだ。
だが、決してそんなものではない……!
戦闘種族の本能が、敵戦力の優位を告げていた。いや、それは「戦力」という言葉で表現することすら無意味な、巨大な存在だった。
バルシシアの反応に影響《えいきょう》され、
「ギギギギギ……!」と、それはいった。
バルシシアの第三眼が、強力な超電磁ノイズをとらえた。目の前の存在からもれ出すエネルギーが、基準界面下で急速に膨《は》れ上がっていく。
深エーテルのふちに潜《ひそ》む、巨大なエーテル渦動《かどう》生命体――グロウダインはそれを「竜《りゅう》」と呼ぶ。
バルシシアの全身が硬直した。
生まれて初めて出会う「さけられぬ死」を前に、バルシシアはただ恐怖した。
と――
先ほどの問題外[#「問題外」に傍点]が、竜《りゅう》を――基準界面に映し出された竜の影[#「影」に傍点]をだき、
「大丈夫、大丈夫」といった。
「……ミュウ」と、影[#「影」に傍点]はいった。
竜の本体は再び、エーテルのはるか深みに潜《もぐ》っていった。ノイズが減少し、ごく低レベルで安定した。
問題外[#「問題外」に傍点]はバルシシアに、
「ね」といって、にゅい、と笑った。
壁《かべ》の穴が、ぱらりと破片を落とした。
バルシシアは恐怖の余韻《よいん》の残る目で、影[#「影」に傍点]を、そして問題外[#「問題外」に傍点]を見た。
――こやつ、なに者じゃ……?
と、そこに――
「おニイ、今のなに!?」
といって、なにかボロ布の塊のようなものをかかえた人影が飛びこんできた。
「おニイ、今のなに!?」といって、陽子《ようこ》は部屋の中に飛びこんだ。
「あ、おかえり」と、忠介《ただすけ》がいった。
部屋の真ん中には布団が敷かれていた。
布団のわきには忠介が正座し、ミュウミュウをひざの上にだいている。壁に空いた大穴のところに、なにやら色の黒い女の子が尻《しり》もちをついている。
女の子が布団をはねのけて忠介とミュウミュウからはなれようとして、勢いあまって壁にあたり、壁をくずしてしまった――そんなふうに見える。
――でも、まさか……。
お相撲さんじゃあるまいし、と陽子が思ったとき、胸のあたりで、キン、と甲高い音がした。胸にだいていたボロ猫《ねこ》がもがき、陽子の肩をけって、タンスの上に飛び乗った。
「フシャ――――――――ッ!!」と、ボロ猫が威嚇《いかく》の声を上げた。
女の子が、がばっと立ち上がった。床がみしっと鳴った。
「――連邦の犬か!」
「え……いや、猫じゃないでしょうか」と、忠介はいった。
ボロ猫の首輪についている金色の玉が、キィン、と鳴った。その音が、ピュイィイ、と調子を変えて、ラジオから出る声のようになった。
『いかにもだ、グロウダイン!』
そうか犬だったのか、と忠介が素直に納得していると、
「ふんッ!」
女の子は床を踏《ふ》みしめ、ボロ猫《ねこ》にむかって拳《こぶし》を突き出した。
その足が、ズドッ、と音を立てて畳と床板を踏み抜いた。また、その拳が、ギオン、と部屋中の空気をふるわせながら、タンスを一撃《いちげき》で粉々にした。
「なッ!?」と、陽子《ようこ》がいった。
ボロ猫は寸前でその拳をよけ、畳の上に降り立ち、『〈スピードスター〉!!』といった。
「おのれッ!」
バキバキバキ、と床板を割りながら、女の子がボロ猫を追って身をひるがえした。
「ちょっと、やめ、やめ――」と陽子。
そこに、
バゴォン!!
と壁《かべ》を突き破って、銀色の流線型をしたものが飛びこんできた。
「うわっ!」忠介《ただすけ》がミュウミュウとともに床に伏せた。
「ぬうッ!?」女の子のごつい手のひらが、銀色の物体の鼻面をがしりと受け止めた。
「シャ――――ッ!!」と、ボロ猫が叫んだ。
「――やめなさいッ!!」[#「「――やめなさいッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
部屋の中の動きが、ぴたりと止まった。
肩を怒らせた陽子が、ほこりの舞い散る部屋の中央にずんずんと歩み入り、ボロ猫の首輪をつかんでもち上げた。ボロ猫は、ギャワワワワ、といってあばれたが、陽子がブンとひとふりすると、雑巾《ぞうきん》のようにプランとぶら下がった。
次いで、陽子は女の子をギッとにらみつけた。女の子がたじろいだ。
「なんでおうちこわすのよッ!!」[#「「なんでおうちこわすのよッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
「む……いやその」
女の子は、おろろろろ、と周囲を見まわし、
「……苦しゅうないぞ」
「苦しゅうなくないッ!!」[#「「苦しゅうなくないッ!!」」は本文より1段階大きな文字]
忠介は「ギギギ」が出ないように、ミュウミュウをギュッと抱いた。
再び状況は五秒間硬直。
と、そのとき。
ピンポーン、と、チャイムが鳴った。
陽子はちらりと忠介を見た。
「あ、はいはい」
忠介《ただすけ》はミュウミュウを連れて玄関にむかった。とりあえずあの場から抜け出せてほっとする。
玄関を開けると、例の黒服の男が立っていた。黒服はにこりともせずに、
「よう」
と言い、そのうしろで白衣の青年が、
「やあ、どうも」といって、ニカリと笑った。前歯が一本欠けていた。
「嬢《じょう》ちゃん、タバコ吸っていいか?」と、黒服、バーコードハゲの男――鈴木《すずき》がいった。
「……はい、どうぞ」
陽子《ようこ》は来客用の切り子ガラスの灰皿《はいざら》を、鈴木の前に差し出した。「嬢ちゃん」と呼ばれるのは気に入らないが、今日の客の中では、この人が一番まともそうだ。
「俺《おれ》たちは――」
タバコに火をつけながら、鈴木はいった。
「〈アルゴス〉という団体で働いている。君たちのご両親の、なんというか、まあ、同僚だ。担当は対地球外知性体交渉および情報管理。まあ、宇宙人相手の外交官みたいなもんだと思ってくれ」
「はあ……」
陽子は眉《まゆ》をひそめながら、となりの部屋をちらりと見た。
ペンキのべっとりついた白衣を着て背中に変な機械を背負った青年――島崎《しまざき》は、「うわあ、うわあ」といいながら、部屋に飛びこんだ銀色の物体をペタペタと触っている。
陽子の横では、忠介のジャージを着た、色の黒い女の子――バルシシアが、あぐらをかき、ちゃぶ台の上にトントンといらだたしげに指を打ちつけている。
風呂場《ふろば》のほうから、ギャオオオ、という叫び声とシャワーの水音、それに「はっはっはっは」という笑い声が聞こえてきた。
「信じられんか」
「いえ……わかりません」
「それでいい」と、鈴木はいった。「俺が信じろといったところでしょうがない。そのうち、信じたくなったら信じてくれ」
「そうします」
と、陽子はいった。しかし、変な話ではあるが、「信じなくていい」といわれると、かえって信用できそうな気がする。
しばらくして、バスタオルにくるまれた青い猫《ねこ》――カーツ大尉をかかえて、忠介が居間に入ってきた。腰のあたりにはミュウミュウがひっついている。
そして、ドライヤーの温風をあてられながら、
『まったく、なんという原始的な設備だ! 君は私を溺死《できし》させる気か!?』と、カーツはいった。
「はっはっは、ごめん」と忠介《ただすけ》。
バルシシアが首を伸ばし、
「ハ! ヤワじゃのう」といった。
カーツはバルシシアに歯をむき出しながら、「シャッ!!」と威嚇《いかく》の声を上げた。
バルシシアの顔に、ブン、と音を立てて、赤い光が走った。ちゃぶ台に打ちつけていた指が、メキッと音を立てて天板にめりこんだ。
陽子《ようこ》がキッとにらむと、カーツは耳を伏せて視線をそらし、バルシシアはあわてて指のあとをこすり始めた。
「しかしまあ、なんだな……」
ふう、と、鈴木《すずき》がタバコの煙を吐いた。
「まさしく、泰山《たいざん》鳴動《めいどう》してなんとやら、だ。こんな小さな猫《ねこ》一匹が、地球を丸ごと脅していたとはな」
『失敬な』と、カーツはいった。『私は君たちにチャンスを与えたのだ』
「おっと、気に障ったら許してくれ」
といって、鈴木は両手を上げた。
「俺《おれ》たちは依然、あんたらに逆らえる立場にはない。銀河連邦にも、グロウダイン帝国にもな」
『……なぜ帝国のことまで知っている?』
カーツはバルシシアの顔を見上げた。だが、バルシシアは怪訝《けげん》な顔で首を横にふった。
「それはですね――」
説明しかけた島崎《しまざき》を、鈴木は目顔で制した。
「このちっぽけな星も、生きのこりに必死なのさ」と、鈴木はいった。「俺たちは猫一匹――おっと失敬、あんたひとりを恐れはしないが、あんたの背後にある力を恐れている。あんたも同様だろう。この惑星をつぶすのはわけもないが、最大のカードは、どうやらいまだこちらの手にあるようだ」
『〈リヴァイアサン〉か』と、カーツはいった。
「竜《りゅう》じゃな」と、バルシシアはいった。
一同の視線が、忠介とミュウミュウに集中した。
「はい、なんでしょう?」と、忠介はいった。
そして、
「……なんだかぜんぜんわかんない」と、陽子がいった。
すごく機嫌《きげん》が悪そうだった。
「えー、まず、これが銀河系」
といって、チラシの裏に、島崎《しまざき》が大きな円を描いた。
「ここが中心核で、こう、いて座腕、オリオン腕、ケンタウルス腕とあって――」
と、中心から何本かの線をゆるい渦《うず》巻き状に引き、その中の一点を指した。
「太陽系は、オリオン腕の、このあたりです」
ちゃぶ台の上に乗ったカーツが、説明を引きついだ。前足を「中心核」の周囲にくるりとまわしながら、
『銀河連邦は銀河中心部の直径三万光年の範囲《はんい》に存在する、約五〇〇〇万の星系国家の連合政体だ。各星系間は重力ゲートによる定期航路によって密に結ばれている。対するグロウダイン帝国は――』
カーツは前足の爪《つめ》を一本出すと、太陽系を含む「腕」を銀河の中心にむけて少しさかのぼったところに、小さな円を描いた。
『だいたいこのあたりだ。支配星系は三七』
「待て待て」
バルシシアは身を乗り出し、ふたまわりほど大きな円を描いた。
「このくらいはあるじゃろう」
『現実を直視したまえ。君たちは勢力範囲の観点からいえば、きわめてローカルな存在だ』
「なにっ」
「……だが、あんたらはその『ローカルな存在』を恐れているな」と、鈴木《すずき》がいった。
『警戒《けいかい》していることは認めよう』と、カーツはいった。『たしかに、われわれはグロウダインの封じこめ――重力ゲートの封鎖《ふうさ》に、多大な戦力を割いている。グロウダインが銀河中心核から遠く隔たった星域に存在することは、われわれにとって大きな幸運だ』
「ははあ……なんで?」と忠介《ただすけ》。
『重力ゲートの開通は巨大質量の幾何学的配置――平たく言えば「星のめぐり」に支配されている。恒星の密度が高い星域ほど、高い頻度《ひんど》でゲートが開通する。しかるに、グロウダインの支配星域は、この星系と同様、ほとんど閉じた世界といっていい。これがもっと「交通の便」がいい星域であったなら、すでに銀河系全域がグロウダインに支配されているだろう』
ふふん、と、バルシシアが鼻を鳴らした。
『最悪の運命――あってはならんことだ』
むっ、と、バルシシアが口をへの字に曲げた。
「えーと、つまり」と、忠介はいった。「(バルシシアを指し)この人たちはすごい田舎に住んでて、たまにしかないバスで都会に攻めていくんだけど、都会の人はバス停で待ちかまえてて追い返しちゃう……って感じですか」
なにやらえらく牧歌的な風景になってしまったが、
『そんなところだ』と、カーツはいった。
「えーと、それじゃあ」と、忠介《ただすけ》はいった。「バスに乗らずに動ける人はいないんですか。自分で車持ってるとか」
『存在する』
カーツは即答した。
『〈リヴァイアサン〉と〈キーパー〉だ』
カーツの説明を忠介が自分なりにまとめると、以下のようになる。
まず、〈リヴァイアサン〉というのは超深深度エーテル、つまり異次元の奥深くに棲む生き物で、異次元空間をすごい速度で移動し、ときどきこの次元にも顔を出す。その際にはすごい「空間の地震《じしん》」みたいなものが起こって、近くにある星がつぶれたり爆発《ばくはつ》してしまったりする。悪気はないのだろうが、すごく迷惑な生き物にはちがいない。
ところで、銀河連邦とグロウダイン帝国は敵対関係にあり、ずいぶん長いこと小競り合いをしていたのだが、どちらもいまいち決め手に欠けていた。連邦には決定的な攻撃《こうげき》力をもつ兵器がなかったし、グロウダインには攻撃の機会が限られていた。
しかし、〈リヴァイアサン〉はそのどちらの条件もそなえている。
上手《うま》く〈リヴァイアサン〉をつかまえて飼いならすことができれば、どんな戦艦《せんかん》やミサイルよりも、速くて強力な兵器になる。ただひとまわり泳いでくるだけで、相手は星ごと全滅だ。もちろん、〈リヴァイアサン〉はものすごく大きいし速いので、普通はつかまえられない。でも、子供のうちにつかまえれば、いうことを聞くようにしつけることができるかもしれないし、それが無理なら殺してしまうこともできる。
〈リヴァイアサン〉の子供がこのあたりにいるかもしれないとわかったとき、連邦はカーツ大尉を、帝国はバルシシア皇女を、それぞれの陣営の一番速い船(といっても〈リヴァイアサン〉の何百分の一かのスピードだそうだ)に乗せて送り出した。〈リヴァイアサン〉を手に入れた陣営が、戦争に勝つのだ。
一方、〈リヴァイアサン〉の子供は地球に落ちてきて、忠介に拾われた。それがミュウミュウだ。なんで今の姿になったのかはわからない。『おそらく、その形態をとって君たちに保護《ほご》されたほうが、生存確率が高くなるからだ』と、カーツ大尉は言っている。
そして今――
カーツ大尉もバルシシア皇女も、ミュウミュウを自分のほうにわたせといっている。
うーん、どうしよう。
「うーん、どうしよう」
忠介はにゅにゅにゅとなやみながら、ミュウミュウの頭をくしゃくしゃくしゃ。
「ミュウ〜」とミュウミュウ。
『考えるまでもないだろう』と、カーツはいった。
金色の〈ベル〉を誇示するように、青地に白い毛の生えた胸をそらしながら、
『これは君たちのような辺境の原始文明が銀河連邦の協力者として認められる、千載一遇のチャンスなのだからな』
「さよう、考えるまでもない」と、バルシシアはいった。
ノコギリのような歯をむき出してぎらりと笑い、
「われらグロウダインに刃むかう者には、死あるのみぞ」
「うーん」
「別におニイが考えることじゃないでしょ」
と、陽子《ようこ》がいった。機嫌《きげん》が悪い。
「ちゃんと警察《けいさつ》に話して――」
「そちらは話をつけておいた」と、鈴木《すずき》がいった。「どのみち、警察の領分じゃない」
陽子は口をとがらせた。
「おニイの……兄の領分でもないと思います」
それから、ミュウミュウをちらりと見て、
――こんなややこしい子は、だれでもいいから連れていっちゃってくれればいいのに。
と思ったが、さすがにそこまではいえない。
「ああ、本当は俺《おれ》たちの仕事だし、上層部《うえ》の意向もおいおいからんでくるだろうが――」と、鈴木。「なにぶん、切り札をにぎっているのは君の兄さんだ。龍守忠介《たつもりただすけ》の発言権を認めないわけにいかんさ」
そういいながらも、鈴木の口調には余裕がある。どちらかというと、忠介の反応を楽しんでいるようだ。
「うーん……鈴木さんは、どう思ってるんですか?」と、忠介。
「むずかしいところだな」
鈴木はタバコの煙を吐き、
「今、あわててどちらかの陣営と手を結んで、そっちがつぶれちまったら目もあてられん。個人的な意見をいわせてもらえば……できればそちらで(と、タバコの先でカーツとバルシシアを指し)話をつけてもらうか、先に戦争でもなんでもしてもらって、勝ったほうと組みたいところだ。共倒れになってくれるならなおいい」
と、身もふたもないことをいう。
「……『よって、この件は当分保留』というわけにはいかんか?」
『それは認められない』と、カーツはいった。『われわれに与えられた時間は限られているのだ』
「ああ――あんたらお互い、相手側の第二陣が先にきちまうかもしれないしな」
『それもあるが――』
と、カーツがいいかけたとき、それまでだまっていたミュウミュウが、
「……ミュウ!」と叫んだ。
カーツの首輪にセットされた〈ベル〉が、キン、と音を立てた。カーツはびくっと体をふるわせながら天井を見上げ、
『くそ……早すぎる!』と言った。
「ん……なんだ?」と、鈴木《すずき》も天井を見上げた。タバコをもつ手が、ぶるぶる、とふるえ出した。
「うぬ……ッ!!」バルシシアの顔面に、赤い光が走った。
と――
居間のテレビのスイッチが、ひとりでに入った。
真っ黒な画面いっぱいに、赤い、太い線で描かれた顔が現れた。「画面」そのものが、横長の「顔面」になった形だ。
まっすぐな線で描かれたふたつの目と、ゆるやかなカーブを描く眉《まゆ》。ちょん、ちょん、とふたつの点で表現された鼻の穴。これまた単純な線でしめされた大きな口。どことなく、忠介《ただすけ》に似ている。ちょっと間の抜けた感じだ。
「なにこれ……?」と、陽子《ようこ》がいった。
『みなさんこんにちは。私は〈キーパー〉です』と、テレビはいった。
数分前――
〈キーパー〉は太陽から黄道面に直行した〇・二天文単位の座標に、突如として現れた。正確には、〈キーパー〉を構成する神経単位のごく一部。隊列をなす直径一万二〇〇〇キロのレンズ型の重力制御ユニット、九〇〇体。
天の川銀河に存在する知性体の中で、自在に重力ゲートを開き、あらゆる空間に出現することができるのは、唯一〈キーパー〉のみだ。この機動力こそが、〈キーパー〉をして銀河系人類の保護《ほご》者/調停者たらしめている。
個々のユニットは太陽表面から八〇万キロの距離を取り、太陽に片面をむけながら黄道面にそった環状《かんじょう》に自らを配置。全体として、太陽すれすれをめぐる人工惑星のリングとなった。
そして今、龍守《たつもり》家の居間で――
『私は〈キーパー〉です。私は「最大多数の人類の生存とその幸福への支援」を目的とするステラーフォーミング・システムです』と、テレビ画面の「顔」がいった。
落ち着いた、男の声だ。すこし電子音声っぽいざらつきが入っている。また、声に合わせて口がぱくぱくと動いている。
カーツがちゃぶ台の上で居住まいを正した。テレビに正対してきちんと座り、敬礼にあたるしぐさなのか、長い尾をひゅっとふった。
『私、銀河連邦軍特務監察官カーツ大尉は、銀河連邦政府を代表して〈キーパー〉に敬意を表する』
バルシシアもまた、背筋を正してテレビにむき直り、赤い両目を閉じた。
「われ、グロウダイン帝国第三皇女バルシシア・ギルガガガントス15-03Eは、ギルガガガントス朝廷を代表して〈キーパー〉に敬意を表する」
「えーと」
忠介《ただすけ》は思わずぴしっと正座をしながら、
「僕《ぼく》らもケイイをヒョーしたほうがいいんでしょうか」
『はい、私は歓迎します』
といって、〈キーパー〉はにこりと笑った『私は現在、あなたがたに対し、中立ないし友好的な状態にあります。私はこの関係が維持され、さらに友好的なものとして発展することを希望しています』
「あっ、どうもどうも。よろしくお願いします」
といって、忠介はぺこりと頭を下げた。いやあ、いい人みたいだ。よかったよかった。
『私は用件に移ります』
と、〈キーパー〉はいった。
『私はこの惑星に〈リヴァイアサン〉の幼体が侵入したことを確認しました』
「あ、はいはい、この子ですね」
と、忠介はミュウミュウをだき上げた。ミュウミュウ人気者だなあ。
『はい、私は肯定します。それは〈リヴァイアサン〉の幼体です』と、〈キーパー〉。『――それゆえに、私はただ今から一〇分後に、この星系の主星を超新星化し、焼却処理をおこないます。あなたがたは即刻|退避《たいひ》してください』
「あ、はいはい……はい?」と、忠介は言った。
〈キーパー〉の額《ひたい》に、「00:10:00:00」という赤いデジタル表示が現れ、チキチキチキ……と、カウントダウンを始めた。
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5  『〈リヴァイアサン〉暴走』
「チョウシンセイカって、どういうこと?」と、陽子《ようこ》がいった。
「えーと、太陽を爆発《ばくはつ》させて、太陽系を丸ごと吹っ飛ばす……ってこと、かな?」
「冗談でしょ?」
『いいえ、私は否定します。先ほどの発言は正式な告知です』と、〈キーパー〉。
「……そんなことしたら、みんな死んじゃうじゃない!」と、陽子は叫んだ。
「ギッ!」とミュウミュウが叫んだ。
ミュウミュウをギュッとかかえこみながら、そりゃそうだなあ、と忠介《ただすけ》は思った。たいへんだ。
「〈キーパー〉、いくつか聞きたいことがある」と、鈴木《すずき》がいった。
『はい、私は質問を受けつけます』
と、〈キーパー〉。その額《ひたい》では、なおもカウントダウンが進行している。
「なぜそんな大げさなことをする。それに、太陽系を消滅させて、俺《おれ》たちにどこに行けと?」
『私は第一の質問に回答します。超新星化による焼却は、私のもてる手段のうち、もっとも確実に幼体を処理できる方法だからです。私は続いて第二の質問に回答します。私はあなたがたの退避《たいひ》先については関知しません』
「はい、質問! 質問です!」と、島崎《しまざき》が手を上げた。
『はい、私は質問を受けつけます』
「あなたのいう超新星とは、炭素|爆燃《ばくねん》型超新星ですか、鉄の光分解型超新星ですか」
『私は回答します。私は後者に類似する形を予定しています』
「タイプUか……私たちは、恒星にそうした反応が起こるためには、少なくとも私たちの太陽の一〇倍以上の質量が必要だと考えています。あなたはその質量をどうやって調達するのですか。あるいは、なにか代替的な手段が存在するのですか」
『私はあなたがたの太陽の中心に重力ゲートを開き、質量注入をおこないます。また、私は人工重力場による崩壊《ほうかい》促進も並行しておこないます』
「なるほど」と、島崎がいった。「そんなことが可能なのか……すごい技術だ!」
「喜んでどうする」と、鈴木《すずき》がいった。「〈キーパー〉、われわれ地球人は、地球以外に行くあても、その手段ももっていない。われわれに死ねというのか。『人類の生存と幸福』とやらはどうした」
『私は第一の質問に回答します。私はあなたがた地球人の生死については関知しません。私は続いて第二の質問に回答します。私は「最大多数の人類の生存とその幸福への支援」を目的としています』
「それはおかしいだろう。ここには六〇億の人類がいる。関知しないとはどういうことだ」
『私は回答します。あなたの提示した前提条件には誤りがあります。現在この星系に存在する人類の個体数は一一です。この数と比較して、〈リヴァイアサン〉の確実な駆除は優先されます』
「一一……?」
『私とバルシシア、それにグロウダイン艦《かん》の乗員だ』と、カーツがいった。『〈キーパー〉の発言に矛盾はない。〈キーパー〉は君たち地球人を〈人類〉とは認識していないのだ』
『はい、私は肯定します。私は地球人を〈人類〉と認識していません』と、〈キーパー〉。
「なに…!?」
「えーと」と、忠介《ただすけ》はいった。「それじゃ、どういうのを〈人類〉っていうんですか?」
『それは多分にイデオロギー的な問題だが――』と、カーツはいった。『〈キーパー〉の基準をいうならば、それにはふたつの条件がある。ひとつは「〈キーパー〉との意志疎通が可能な論理的|基盤《きばん》を有すること」、そしてもうひとつは「恒星間航行の実際的手段を持つこと」だ。君たちはふたつ目の条件を満たしていないために、〈人類〉とは認められない』
『はい、私は肯定します』と、〈キーパー〉。
「そんなの、あんたたちのルールじゃない! なんで勝手に決めるのよ!」と、陽子《ようこ》。
「まあ……妥当な条件設定ではありますね」
と、島崎《しまざき》がいった。
「銀河規模で考えるなら、生まれた恒星系から一歩も出られない生き物のことは、人間扱いするに値しないんでしょう。死のうが生きようが、他者への影響《えいきょう》はない。われわれは、ガラパゴスのゾウガメに等しい存在だというわけですよ。いや、この場合、ハイアイアイのハナアルキかな」
「そんな……」と、陽子《ようこ》がいった。
鈴木《すずき》が苦々しげに口元をゆがめた。
〈キーパー〉の額《ひたい》のデジタル表記は、すでに五分を切っている。
あと五分で、太陽系は消滅するのだ。
バルシシアは先ほどから姿勢をくずし、ちゃぶ台を、とん、とん、と叩《たた》いている。
カーツは、ぱたっ、ぱたっ、と、不満げにしっぽをふっている。
重い沈黙の中、とん、ぱたっ、とん、ぱたっ、という音だけがひびいている。
にゅにゅにゅとなやんでいた忠介《ただすけ》が、ふと顔を上げた。
「えーと……〈キーパー〉?」と、忠介がいった。
『はい、私は〈キーパー〉です』と、〈キーパー〉がいった。
「最大多数の……ってことは、あなたにとっては、〈人類〉の人数が、より多いほうがいいわけですよね」
『はい、私は肯定します。それは私の目的に合致します』
「えーと、もう何年か待ってもらって、僕《ぼく》らががんばって、その、恒星間航行ってのをやったら、僕らは〈人類〉ということになって、えーとえーと、そしたら〈人類〉がいっぺんに六〇億人増えて、それはあなたにとってもいいことなんじゃないでしょうか」
『はい、私は肯定します。私はその状況を歓迎します』
「えーと、じゃあ、その将来性を見こんで、なるべく地球人が死なない方法で解決、ってわけにはいきませんか?」
『なるほど』と、〈キーパー〉はいった。『私はその提案に興味《きょうみ》をおぼえました』
テレビの中の〈キーパー〉の口元が、にゅにゅにゅにゅにゅ、と波線になった。なにか考えているらしい。
しばらくして、〈キーパー〉の額のカウントが、チキチキチキ、と逆転し、その数字を増やした。
額の表示が「70:02:43:92」という数値をしめして点滅し、再びカウントダウンを始めた。
『〈リヴァイアサン〉を放置することの危険性とあなたがた地球準人類の将来的発展の見込みとを比較検討した結果、私は現在のカウントに六九時間五八分三〇秒〇八の猶予期間を加算することを決定しました』
のこり、七〇時間。
「……でかした、忠介《ただすけ》。三日もあればなんとかなる」
といいながら、鈴木《すずき》は黒い携帯電話をとり出した。
「いや、なんとかしなけりゃならん」
それから――
〈キーパー〉をも交えて相談し、一同の出した結論はこうだ。
まず、ミュウミュウをロケットに乗せて、地球から放り出す。そして、地球軌道の内側に展開した〈キーパー〉が重力ゲートを開き、ミュウミュウをロケットごと、今度は別の恒星系へ放り出す。〈キーパー〉はロケットを追ってジャンプし、遠くはなれたその星を爆発《ばくはつ》させて、ミュウミュウを「処理」する。……これで、地球は安泰だ。
だが、陽子《ようこ》が反対した。
「それじゃ、この子を見殺しにするんですか!」
どこかに行ってしまえばいい、とは思ったが、行った先で殺されてしまうのでは話が別だ。
「嬢《じょう》ちゃん」
「陽子です。嬢ちゃんじゃありません」
「嬢ちゃん、あんたのいってるのは『牛さんがかわいそうだから食べないであげて』ってのと同じことだ」と、鈴木はいった。「ひとつの命をかた[#「かた」に傍点]にして、のこり全員が生き延びる――世の中そんなもんだ。『尊い犠牲《ぎせい》』なぞときれいごとをいうつもりはないが、俺《おれ》はそのやりかたを支持する」
「だって、こんな小さい子なのに……」
『単なる擬態《ぎたい》だ』と、カーツはいった。『君たちにそのような感情をいだかせるために〈リヴァイアサン〉が身につけたギミックにすぎん』
「〈キーパー〉、ゆるしてあげてよ!」
『いいえ、私はその提案を却下します』と、〈キーパー〉はいった。『〈リヴァイアサン〉を放置することは私の目的遂行に対し、多大な障害をもたらします』
「そんなの、あんたの勝手じゃない!」
『はい、そしていいえ、私は〈キーパー〉です。私は「最大多数の人類の生存とその幸福への支援」を目的とするステラーフォーミング・システムです。私の行動は公的な動機に基づいています』
「もう!」陽子は周囲を見まわし、「殿下! バルシシア殿下!」
「なんじゃ」
「殿下はこの子がほしかったんでしょ? 連れて帰ってあげて!」
「〈キーパー〉は恒星《ほし》の恵みと滅びをつかさどる神じゃ。その定めに逆らうことはできん」
と、バルシシアはいった。黒い顔に、苦り切った表情が浮かんでいる。「竜《りゅう》」に「神」――自分とは次元の異なる巨大な力をもつ存在と対峙《たいじ》している今、バルシシアはおのれの非力を恥じるばかりだ。
「もう……!」陽子《ようこ》はふりむいて、「おニイ、なんとかいってよ!」
忠介《ただすけ》は、にゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅ、と口元をゆがめて考えこんだまま、答えない。
本当に、これが一番いい方法なんだろうか。もっとほかにやりかたはないんだろうか――
くしゃくしゃと髪をいじられたミュウミュウは、
「ミュウ〜」と目を細めている。
忠介にだかれ、安心しきっている。
「……おニイ!!」
「嬢《じょう》ちゃん」と、鈴木《すずき》がいった。「すまないが、騒《さわ》ぐならよそでやってくれ。〈リヴァイアサン〉を刺激すると厄介《やっかい》だ」
「……すこし、休んだほうがいいですよ」と、島崎《しまざき》。
陽子は島崎をにらみつけると、音を立てて二階に上がっていった。
島崎は鈴木にむかって、困ったような顔をして肩をすくめた。
「どうも、きらわれてしまったようですね」
「なんだ、好かれたかったのか」と、鈴木はいった。
――父さんが歩いてる。
忠介は首を真上にむけ、雲突くような父の背中を見上げながら、そのあとを小走りについていく。本物の父さんがこんなにでかいわけがないから、これは夢で、夢の中の俺《おれ》は小さな子供なんだなあ、と、夢の中で思う。
納得してる場合じゃない。父さんを止めなくちゃ。
大きな父は小さな段ボール箱をかかえている。箱の中には小さな仔犬が入っている。
忠介が拾ってきた仔犬《こいぬ》を、父が捨てにいこうとしている。
仔犬はキュンキュンと鳴いている。
――まって、父さん。
忠介はそういって父を追いかけるが、父は大きな歩幅で忠介を引きはなしていく。
忠介は全力で走るが、走れば走るほど大きな背中は遠ざかっていく。
キュンキュンと鳴く声も遠ざかっていく。
――まってよ、父さん!
いつの間にか父の姿は消え、どこか遠くからキュンキュンという鳴き声だけが聞こえてくる。
いつの間にか、まわりは見たこともない風景になっている。
カラスが鳴いている。
さわさわと枝をゆらす森が、夕闇《ゆうやみ》に沈んでいく。
すごい勢いで日が暮れていく。
忠介《ただすけ》は心細くなって、泣きながら走る。
知らない道を、泣きながら、どこまでも走る。
ぺろりとほおをなめられ、忠介は気がついた。
忠介は畳の上に転がっていて、体には毛布がかけられていた。いつの間にか寝てしまっていたらしい。今日はいろいろあって疲れたからなあ、と思う。
鼻の奥がつんとした。寝ながら泣いていたらしい。
ずずっと洟《はな》をすすった拍子に、涙がまた一粒、ぽろりとこぼれた。ミュウミュウが、その涙を、ぺろりとなめとった。忠介が柔らかい髪をなでると、
「ミュウ」といった。
いつの間にか日が暮れていて、窓の外は真っ暗になっていた。
蛍光灯《けいこうとう》の下で、島崎《しまざき》、カーツ、バルシシアが、〈キーパー〉の顔の映ったテレビを囲んで、なにごとか話し合っている。少しはなれたところでは、鈴木《すずき》が携帯でどこかに電話している。ときどき大声を交え、いらだたしげにタバコの灰を灰皿《はいざら》に落としている。
「おニイ、起きたの?」
いつ二階からもどってきたのか、となりに陽子《ようこ》が座っていた。疲れた顔をしている。
「うん……」
忠介はもそりと起き上がり、目をこすり、ずっと洟をすすった。そして、ぼーっとミュウミュウの頭をなでながら、
「悲しい夢、見た……」といった。
「……いつもの、ジロちゃんの夢?」と、陽子はいった。
「…うん」
夢で見た光景は、忠介が六つか七つのころ、ジロウマルを拾って帰ってきたときの記憶だ。父は怒らなかったが、うちでは飼えないといって、段ボール箱をもち上げた。無言で歩いていく父のあとを、忠介は泣きながらついていった。
犬がほしくて泣いていたわけではない。なんというか……なにか得体のしれない、巨大で恐ろしいものにおびえていたように思う。それがなんだったのか、どんなものだったのか、今の忠介にはよくわからない。しかし、夢の中の幼い忠介は、わからないなりに、はっきりとそれを感じている。起きると忘れてしまうのだけど、そのときはむちゃくちゃこわくて悲しくて、その夢を見るたびに泣いてしまう。
ところで、実際には、ジロウマルは再び捨てられることはなかった。龍守《たつもり》親子がいくらも行かないうちに、郷田《ごうだ》のおじいさんと行き会ったのだ。
「ちょうど番犬がほしかった」と、郷田さんはいったのだけど、本当のところはわからない。なにしろ郷田さんは、出かけるときも戸じまりなんかしない人だったから(アパートの管理人としてちょっと問題アリ)。ちなみに、それから一〇年の間に、郷田荘は三回|泥棒《どろぼう》に入られたので、ジロウマルは結局、番犬としてはあまり役に立っていないと思う。
ともあれ、いつもならここは、
「ジロちゃん、今日も元気だったじゃない」と、陽子《ようこ》がいうところだ。「なんで泣くのよう。バカみたい」と。
そして忠介《ただすけ》は、
「はっはっは、そーだね」といって笑う。いつもなら、それで上手《うま》くおさまる。
しかし、今日は――
忠介にかける言葉が見つからず、陽子は口をつぐんだ。
「……トイレ」といって、忠介が立ち上がった。
「ミュウ」といって、ミュウミュウがその腰に引っついた。
そこに、
「……ミュウちゃん、こっちいらっしゃい」と、陽子はいった。
ミュウミュウは少しためらったのち、忠介のシャツのすそをつかんでいた手をはなし、陽子のほうに歩いてきた。陽子が両手でだき上げると、
「あ……」
さほど力を入れていないのに、ミュウミュウはふわりともち上がった。その体には、手触りだけがあって、重さがほとんどない。
――この子は、自分とはちがうものでできてるんだ……。
思いがけずそのことを実感して、陽子は動揺した。
「陽子?」と、忠介がいった。
「……ううん、なんでもない」
忠介が部屋を出ていくと、陽子はミュウミュウをひざにだき、その顔をのぞきこんだ。
自分とよく似た、しかし、もっと幼く、無防備な顔。
陽子はミュウミュウのほおをそっとなでた。軽くてふわふわしたほおは、マシュマロのようだ。
それから、額《ひたい》の青いぽっち[#「ぽっち」に傍点]に触れてみると、一見冷たそうに見えるそこにも、人肌の温もりがあることがわかった。
ミュウミュウが目を細め、
「ミュウ〜」といった。
たしかに、いろいろと変わったところはある。しかし――いまだに、この子が人間でないとは信じられない。みんなでこの子を殺す相談をしてるなんて、どうしても信じられない。
そこに――
「陽子《ようこ》ちゃん、ちょっといいかな」と、声がかかった。島崎《しまざき》だ。
島崎は陽子の正面に腰を下ろし、あぐらをかいた。そして、前歯の欠けた口元で笑いかけた。
「……なんですか」
陽子は島崎をにらみつけながら、ミュウミュウをギュッとだきしめた。
「ギッ」と、ミュウミュウがいった。
島崎は笑いを引っこめ、困ったように頭をかいた。
「……陽子ちゃんは、僕《ぼく》たちのことをひどい連中だと思ってるだろうね」と、島崎はいった。
「いえ……」と、陽子はうそをついた。
「いや、いいわけするつもりはないんだ。今回に限らず、僕たちはいつも、自分のために、ほかの生き物や環境《かんきょう》を犠牲《ぎせい》にしている。それはまちがいない。でもね――」
島崎はそっと手を伸ばし、ミュウミュウの髪に触れた。
「この子は……〈リヴァイアサン〉は、僕らが普通にいう意味での『生き物』とは、ちょっとちがうんだ。どちらかといえば、台風とかオーロラとか、恒星の燃焼《ねんしょう》みたいな、そういった『現象』に近いものじゃないかと思う。それが、ほんの一瞬《いっしゅん》でも、こんなかわいらしい形をとって僕たちの前に現れたのは、それだけでも、とても幸運な出会いだったと思うんだ」
「幸運……?」
「本当なら、僕たちはお互いの存在に気づくこともなく、ただすれちがうか、あるいは蟻《あり》みたいに相手を踏《ふ》みつぶして、そのまま通り過ぎてしまうか……そんなふうに出会っていたかもしれない。それが、今同じ場所にいて、こうして触れ合うことができるっていうのは、とてもすごいことなんだよ」
島崎はミュウミュウの髪の手触りをたしかめながら、
「ひょっとしたら、この子は、ただ僕らの形をまねているだけなのかもしれない。でも、なんていうか……ソフトクリームの形をした雲は、決してソフトクリームそのものじゃないけど、それでも、ソフトクリームみたいにすてきなものだと思うんだ」
そういって、島崎は頭をかいた。
「ちょっと、変なたとえだったかな」
「いえ…」と、陽子はいった。「でも、それじゃあ、なおさら……」
「……ここまででも、もう天文学的にラッキーなことだったんだよ」
島崎は、もうしわけなさそうにいった。
「今回はこれで精いっぱい。でも、次に会うときは、僕らはきっと、もっとお互いのことをよく知って、もっともっと仲良くできる。きっとね」
島崎はミュウミュウの小さな手をとって握手しながら、困ったような顔をして、笑った。
「ミュウ」と、ミュウミュウはいった。
陽子《ようこ》は黙ってうなずいた。島崎《しまざき》の言葉のすべてに納得したわけではないが、島崎が自分を気づかって話していることは理解できた。
そして――
忠介《ただすけ》がトイレから帰ってきた、ちょうどそのとき、
「よし!」と、鈴木《すずき》がいった。
鈴木は黒い携帯電話をふところに放りこみながら、注目する一同に、
「NASAにわたりがついた。行くぞ」と言った。
何重もの検問をくぐり、忠介の乗った車は、米軍基地へ入っていく。米軍の飛行場から、輸送機でアメリカのロケット発射場へ直行する予定だ。
「ロケットって、日本でも飛ばしてるんじゃないですか?」と、忠介がいうと、
「いつでもってわけじゃないからな」と、鈴木はいった。「ちょうどフロリダで衛星打ち上げの予定があったんで、ねじこませてもらった」
忠介はぎりぎりまでミュウミュウについていく。忠介が横にいるときが、ミュウミュウはもっとも安定しているからだ。発射直前に、ミュウミュウは忠介と引きはなされ、ひとりでロケットに乗せられる。
――でも、ミュウミュウが自分からはなれようとしなかったり、あばれてロケットをこわしてしまったりしないだろうか。
忠介がそういうと、
「〈|アルゴス《うち》〉の研究班が作った試作型の超電磁ジャマーが、発射場で待ってる」と、鈴木はいった。「そいつで行動不能にした上で、ロケットに詰めこむ予定だ。ちゃんときくといいがな」
「はあ……」
忠介はなおも、にゅにゅにゅにゅにゅ、と考える。本当に、それしか方法はないんだろうか。なにか見落としていることはないんだろうか。
「ついたぞ」と、鈴木がいった。
真夜中の飛行場の一角が、夜間照明に照らされていた。滑走路灯が、闇《やみ》の中に長い光の線を描いている。
鈴木が車から降りた。忠介はミュウミュウをだいて、陽子とともに真夜中の飛行場に降り立った。島崎とふたりの異星人は後続車に乗せられていて、少し遅れている。
すぐ近くに、カーキ色に塗られた輸送機があった。夜の風に混じって、低いアイドリングの音が聞こえる。強い照明を当てられて闇の中に浮かび上がる輸送機を、忠介は口を開けて見上げた。飛行機って、近くで見るとでかいなあ。
やがて、野戦服を着て自動小銃をもった一団が、こちらにやってきた。
リーダーらしき男が鈴木《すずき》に駆け寄り、
「例のものは――?」といい、
「あの、少年が連れている娘だ」と、鈴木は答えた。
「わかった」といって、男は鈴木に銃口をむけた。
「――!?」
同時に、忠介《ただすけ》と陽子《ようこ》にも銃口がむけられた。
「え? え?」
ミュウミュウが忠介から引きはなされ、
「ミュウ!」と叫んだ。
男が野戦服の右肩から徽章《きしょう》を引きはがした。徽章の下から、「地球」とそれを守る「腕」のマークが現れた。
「〈リヴァイアサン〉は、われわれ〈青い地球〉がいただいた!」と、男は叫んだ。
「……情報が早いじゃないか」と、両手を上げながら、鈴木はいった。
男は、ふはははは、と、勝ち誇るように笑った。
「これが異星人の侵略兵器だということはお見通しだ!」ちょっとまちがっている。
忠介たちは頭に手をのせさせられ、無理やり地面に転がされた。
「ミュウミュ――!」
後頭部を小銃の銃床でなぐりつけられ、顔を路面に押しつけられた。
「ミュウウ……!」
ミュウミュウの声が、トーンを上げる輸送機のエンジン音にかき消された。
軍人に化けた〈青い地球〉のメンバーは次々と輸送機に乗りこみ、離陸準備を開始した。
その中のひとりがかかえていたミュウミュウが、
「ギ、ギギ……」と、昆虫《こんちゅう》のような声を発し始めた。
ミュウミュウの体重が急に重くなった。
「!?」
取り落とされ、輸送機の床に着地したミュウミュウは、自分をかかえていた男のズボンをつかみ、片手で投げ飛ばした。男は機内の壁《かべ》に叩《たた》きつけられ、もっていた小銃が暴発。跳弾が機内を跳ねまわり、火花を散らした。
「ギ、ギギ、ギギギギ……!!」
ギュイイイイ――
額《ひたい》の角《つの》が、はげしい光と音を放ちながら、一気に一メートルほども伸びた。
「うわあっ!?」
メンバーのうち数人が、自動小銃をミュウミュウにむけた。
自分に向けられた複数の殺意に、ミュウミュウが反応した。
「ギオオオオオオオオ!!」[#「「ギオオオオオオオオ!!」」は太字]
とミュウミュウは叫び、次の瞬間《しゅんかん》、その体が破裂した。
ドォン――
輸送機の壁《かべ》を破って、夜の闇《やみ》の中に、大きな光の塊が飛び出した。全長一〇メートルほどの、虹《にじ》色にはげしく発光する紡錘《ぼうすい》形。
ギィィィィィン――![#「ギィィィィィン――!」は太字]
光の塊は空間を貫くような音を立てながら高速で回転し、東の空にむけて一直線に飛んでいった。
「どうしました!?」
後続車から、島崎《しまざき》とバルシシアとカーツ、それに鈴木《すずき》の部下の黒服が降りてきた。
鈴木は黒服に向かって、
「警備《けいび》を呼べ!」
といって、大穴の空いた輸送機を指した。
「例の連中だ」
『〈リヴァイアサン〉!』と、カーツが叫んだ。『成長しているぞ……すでに二|齢《れい》になっている!』
後頭部をさすりながら立ち上がった忠介《ただすけ》に、陽子《ようこ》がしがみついた。
「ミュウミュウなの? ……あれが!?」
「真東にむかいましたね――地球を脱出しようとしてるんでしょうか」と、島崎。
「かもしれぬ」
バルシシアは両目を閉じ、第三眼を凝《こ》らした。
「だが、まだそこまでの力はない。手負うた獣《けもの》のごとく、あがいておるのじゃ」
カーツの胸元の〈ベル〉が、キン、と鳴った。
『速度は、この惑星の脱出速度の六分の一程度だ』
島崎が、額《ひたい》に指をあてて暗算した。
「……それでもマッハ五を優に超えますよ」
「極超音速で飛行する〈リヴァイアサン〉をつかまえろってか」と、鈴木がいった。「どうやって? そもそも追いつけないだろう」
『追いつくだけならば、〈スピードスター〉でも充分に可能だ。だが、捕獲《ほかく》用の装備がない』と、カーツがいった。
「〈キーパー〉に協力をあおぐというのは……?」と、島崎がいった。
『ロケットの件と同様だ。〈キーパー〉にその種の精密作業[#「精密作業」に傍点]は期待できん。地球もろとも破壊《はかい》されるぞ』
鈴木《すずき》は携帯電話をとり出した。
「……鈴木だ。逃げられた。そう、逃げられちまったよ。一応追跡してくれ。攻撃《こうげき》? ああ、それもいいかもしれんな。なんとかできるならしてくれ」
それから、鈴木は携帯をたたんでふところに放りこみ、
「カーツ、一応聞いておくが――〈リヴァイアサン〉を撃《う》ち落とすことは可能か? たとえば、機銃や対空ミサイルのたぐいで」
『ハイパーウェーブレーザーか、Cプラスミサイルならば、あるいは』
「……やれやれ、やはり打つ手なしか」
鈴木はタバコをとり出し、口にくわえた。
それから、深くひと吸いし、ふう、と煙を吐いて、
「この世の終わりってのは、意外とあっけないもんだな」といった。
「いやあ、最後にすごいものが見られますよ」
といって、島崎《しまざき》が頭をかいた。
「超新星を間近に見ることになるなんて、思わなかったなあ……」
陽子《ようこ》が忠介《ただすけ》の腕をギュッとつかんだ。
「どうしよう、おニイ……みんな死んじゃうの……?」
「ん……」
忠介は陽子の肩をだいて、自分の胸に引き寄せた。そして、
――そうか、みんな死んじゃうのか。
と、ぼーっと考えたが、いまいち実感がわかない。
――みんな死んじゃうのかあ。
と、もう一度思う。
陽子も父さんも母さんもジロウマルも憲夫《のりお》も清志《きよし》も美咲《みさき》ちゃんも、今日初めて会ったこの人たちも、それからミュウミュウも――
あっ、具体例を挙げたら、なんだか急に悲しくなってきた。ものすごく悲しい。泣きそう。
楽しいこと考えなきゃ、なにか楽しいこと。
そこで忠介は、〈リヴァイアサン〉の去った空を見上げた。
――まるで流れ星みたいだった。ミュウミュウは、ああやって宇宙を飛ぶ生き物だったんだなあ。
「きれいだったなあ……」
うんうん、よいものを見た、と、そこまで考えて、ふと、忠介は表情を曇《くも》らせた。なにかが頭のすみに引っかかっている。
「んー」
忠介は口元をにゅにゅにゅにゅにゅとゆがめながら、陽子の頭をくしゃくしゃくしゃ。
「……おニイ」と、陽子《ようこ》はいった。
「んんんー」くしゃくしゃくしやくしゃくしゃ。
「やめて、ちょっと、おニイ、やめなさい」
「んんんんんー」くしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃ。
「もう、やめてってば!」
「あっ、そうか!!」
忠介《ただすけ》は顔を上げ、
「ええーと」
と周囲を見まわしたのち、足元にいたカーツの前に両手をついて視線を合わせた。
「カーツ大尉!」
『なにかね』
「あの、俺《おれ》をミュウミュウのところまで連れていってもらえます?」
『あいにく〈スピードスター〉はひとり乗りだ』と、カーツ。『それに、どのみち君たちの体格ではコクピットに入れない』
「外につかまっていけばいいじゃろう」と、バルシシアがいった。
カーツはぱたっとしっぽを打ち鳴らし、その言葉を否定した。
『君とちがって、われわれの肉体は繊細《せんさい》なのだ。機械的支援がなければ、加速にも界面下|潜航《せんこう》にも耐えられん』
バルシシアは、ふん、と鼻を鳴らし、
「ふぬけが竜《りゅう》に会《お》うてなんとする」といった。
「はあ、話してみます」と、忠介。
「ハ、『おとなしく殺されよ』と?」
「いいえ」
といって忠介は、にゅい、と笑った。
「『殺されないから大丈夫』って」
「ふん…?」
バルシシアは怪訝《けげん》な顔で忠介の顔を見た。最初に見たときと同様、どう見ても戦闘《せんとう》的ではない表情で、へらへらと笑っている。
「…ハ」
バルシシアの黒い顔に、笑みが浮かんだ。口元からノコギリのような歯がのぞいた。次いで、バルシシアは拳《こぶし》を握りしめた。ギオン、と音を立ててガントレットが作動し、黒い肌《はだ》に金色の光が走った。
「猛《たけ》る竜を見てなお笑い、神の定めをも打ち曲げようてか――おぬしのような青びょうたんが!!」
「わっ、すいません」と、忠介《ただすけ》。
「面白《おもしろ》いやつじゃ!」
バルシシアは真っ赤な口を開け、カカカカカ、と大笑した。〈リヴァイアサン〉と〈キーパー〉の力を前に鬱々《うつうつ》としていた自分が、急に馬鹿《ばか》らしくなった。
「忠介というたな」
「はあ、はい」
「わが〈祝福〉、心して受けよ!」
光る機械の手が忠介の後頭部をがしりと押さえ、ぐきっと横にひねると、バルシシアの顔にむけてぐいっと引き寄せた。黒い熱い唇《くちびる》が、忠介の唇に触れた。
「あぢぢぢぢ」ほんとに熱い。
「あーっ、キスした!」と、陽子《ようこ》が叫んだ。
バルシシアの体を走る金色の光がその顔にむかって流れ、そして、唇を通じて忠介の体に流れこんだ。
忠介は三秒ほど手足をバタバタさせたのち、ぐたっと力を抜いた。バルシシアが手をはなすと、ととと、とたたらを踏《ふ》み、後頭部と口元を押さえながら「はぢはぢはぢ」首が首が、唇が唇が。
「……あれ?」
忠介は、口元から手をはなし、しげしげと見つめた。手の表面をうすい金色の光がおおい、皮膚《ひふ》全体が、ブウン……と、かすかなうなりを発している。
「これで何分かはもつじゃろう」と、バルシシアはいった。
『次元振動コートか』
カーツはほおひげを立ててにやりと笑った。
『……それにしても、めずらしいものを見た。グロウダインが他種族に唇を許すとはな』
「腰抜けは相手にせぬだけじゃ」といって、バルシシアはぎらりと笑った。「われらが始祖は竜《りゅう》とさえも契《ちぎ》ったというぞ」
『HA、HA! そいつは眉つば[#「眉つば」に傍点]だな!』
「ぬかせ、やせ猫《ねこ》」と、バルシシアはいった。「早う船を出せ」
『よかろう――〈スピードスター〉!!』
ギュン――!
と空気をうならせ、一同の目の前に、全長五メートルほどの銀色の物体が飛んできた。サーフボードにエンジンをつけたような、平たい流線型。龍守《たつもり》家に突っこんできた、あれだ。
腰ほどの高さに浮遊するそれにカーツが飛び乗ると、機体表面をおおう銀色の液体がカーツをよけるように後退し、むき出しの機械が現れた。
そして、カーツが機体の中央部のカプセルの中におさまると、液体は元通りに機体を包み、なめらかな曲面にもどった。
銀色の機体――〈スピードスター〉が、カーツの声を発した。
『乗りたまえ!』
「は、えーと……どこに?」と、忠介《ただすけ》はいった。
「乗ればいいのじゃ、乗れば」
バルシシアは忠介の首根っこをつかんで〈スピードスター〉の上にズンと飛び乗り、銀色の表面に、光る爪《つめ》をガキンと突き立てた。
次いでバルシシアは、余った腕で忠介を小わきにかかえると、
「出せ!」といった。
ギュイイイイイ――
〈スピードスター〉のハイパードライブがうなりを上げ始めた。
「おニイ――!?」と、陽子《ようこ》が叫んだ。
「どうする気だ、忠介!?」と、鈴木《すずき》がいった。
「あ、えーと」と、荷物のようにかかえられた忠介がいった。
忠介は物事を簡潔《かんけつ》に説明するのが苦手である。
で、代わりに、にゅい、と笑って、
「大丈夫、大丈――」
ドンッ! と音を立て、〈スピードスター〉が急加速した。
「ぶわ――――――――――――――――――――――――――――っ!」
忠介の声は、機体が風を切る甲高い音とともに、夜空に吸いこまれていった。
街の灯《あかり》は、はるか下方をあっという間に流れていった。
今飛んでいるのが、山の上なのか、海の上なのか、わからない。どのくらいの高さなのかもわからない。いつの間にか雲が出てきたらしく、どこもかしこも真っ暗で、どっちが上だか下だかもわからない。ただ、ごわーっ、と、すごい爆音《ばくおん》だけが聞こえる。
すごい速度で飛んでるからさぞかし寒いのかと思うと、顔やら体の前面が、ちょっと熱い。さっきの次元ナントカがないと焼け死んじゃったりするんだろうか、などと忠介が思っていると、そのナントカのきき目がうすれてきたのか、急に顔が熱くなってきた。おまけに風圧がのしかかってきて、耳がキンとしてきて、息ができなくなって、バルシシアの腕が食いこんできて――
すると、バルシシアがまたキスしてくれた。
「あぢぢぢぢ」助かったけど、これはこれでキツい。
ところで、忠介にとって、キスというのはさっきのが生まれて初めての体験である。
よく「ファーストキッスは○○の味」とかいうけど、まあレモンとかイチゴとかってことはなかろう、そういうのはあくまで比喩《ひゆ》表現であって、普通に考えたらそりゃ「唾液《だえき》の味」だよなあ――と忠介《ただすけ》は思っていた。
だが、バルシシアのキスは明確に「なにか」の味がした。それも、よくおぼえがあるものだ。えーと、えーと。
――そうだ、「鉄棒」だ。
それも、小さいころ逆上がりの練習をしていて、どういうわけか鉄棒に顔面をぶちあててしまったときの、鼻の奥につんとくる匂い、口の中に広がる血の味、顔面にじわーっと広がっていくしびれと温かさ……そういったいろいろな感覚が混じり合って一体となった感じ、あれに似ている。
「ファーストキッスは鉄棒の味」
うーん、あんまりうれしくない。
緊急事態にあっても、相変わらずいらんことを考えている忠介である。
さてそれから、三人は濃《こ》い霧《きり》のような雲を抜け、その上に出た。
満天の星明かりの下、はてしなく続く雲海が、その輪郭をうっすらと浮かべている。
やがて、東の空が白んできた。と思ったら、地平線(雲平線?)のむこうから、太陽がものすごい勢いで昇ってきた。
闇《やみ》と星明かりの世界が、あっという間に輝く色彩に塗り替えられていく。青い空と、真っ白な雲と、金色の朝日。
「うわあ〜」
忠介はその光景に感嘆の声を上げ、
「はっはっはっはっは」思わず笑い出した。
そのさまを見たバルシシアが、カカカと笑った。
「のんきなやつじゃ!」
そして――
『忠介、いよいよだ』と、カーツがいった。
忠介の目にも、雲海をかき乱しながら飛ぶものの姿が、行く手に小さく見えた。〈リヴァイアサン〉だ。
「寄ってもらえます?」
『了解した』
〈スピードスター〉はさらに加速し、またたく間に〈リヴァイアサン〉に接近した。
〈リヴァイアサン〉の全長はスピードスターの倍くらい。前後が細まった、長い体をしている。虹《にじ》色に光る体は、赤く光る角《つの》――空間|衝角《しょうかく》を先頭に、
ギィィィィィン――![#「ギィィィィィン――!」は太字]
と音を立てて回転し、雲を巻きこみながら突進している。
忠介《ただすけ》はその姿を見て、「ちょっと鯨《くじら》っぽい感じだな」と思い、「ロケットみたいでもあるな」と思い、「やっぱりなんだかよくわからんものであるな」と思った。そして、そう思いつつ、
「ミュウミュウ!」と叫んだ。
反応はない。
「ミュウミュウ――!」
忠介の声は、〈リヴァイアサン〉に届く以前に、〈スピードスター〉自体の起こす音にかき消されているようだ。
「どうにかして、気を引けませんか」
と忠介がいうと、バルシシアが、
「猫《ねこ》! 竜《りゅう》の上につけよ!」といった。
〈スピードスター〉が〈リヴァイアサン〉の真上に位置をとると、
「ここにつかまっておれ」
と言って、バルシシアはかかえている忠介を、〈スピードスター〉のノーズに押しつけた。
ゴキッと額《ひたい》をぶつけながら、忠介は両手でノーズをかかえこんだ。
次いでバルシシアが、
「パワーをまわせ!」というと、
『了解した。君のガントレットに同期をとる』と、カーツがいった。
バルシシアが拳《こぶし》を握ると、ギュオン、と、〈スピードスター〉のハイパードライブがうなりを上げた。バルシシアの黒い肌を、虹《にじ》色の光が走った。
『だが注意しろ、バルシシア。いかに君とて、巻きこまれたら――』
「ハ」
バルシシアはカーツの言葉を終《しま》いまで聞かず、機体表面に突き立てていた爪《つめ》を放し、〈スピードスター〉をはなれた。そして、
「どおおおりゃああああ――――――――――――――――ッ」
攻撃紋《こうげきもん》を輝かせながら、〈リヴァイアサン〉に向けて落下していった。
そのとき――
ギオオオオオ――[#「ギオオオオオ――」は太字]
と〈リヴァイアサン〉が鳴き、その回転を速めた。虹色の体が、その光を真っ赤に変えた。
そして、その体が急激に膨張《ぼうちょう》し、
ドォン![#「ドォン!」は太字]
と、爆裂《ばくれつ》した。雲海に大きなしぶきを立て、まばゆい光を放ちながらちぎれていく体の中から、発光する衝角《しょうかく》を先頭に、さらに巨大なものが現れた。
三|齢《れい》となった〈リヴァイアサン〉の体だ。
「なッ!?」と、バルシシアがいった。
『脱皮したぞ!』と、カーツがいった。
先ほどまでの体を脱ぎ捨て――いや、内側から突き破って、桁《けた》ちがいの巨体が出現した。
ギィィィィィィィン――![#「ギィィィィィィィン――!」は本文より2段階大きな文字]
空間をも巻きこむ、すさまじいパワーを秘めた回転に飲みこまれかけたバルシシアは、寸前でガントレットを作動させ、横跳びに回避した。
バランスをくずして失速するバルシシアを、先まわりした〈スピードスター〉の機体が受け止めた。バルシシアは、ガン、と音を立てて両足と片手をつき、〈リヴァイアサン〉の巨体を見上げた。
「く……ッ!!」バルシシアののどの奥から、うなりがもれた。
この位置からでは、巨大化した〈リヴァイアサン〉は、横腹しか見えない。正確なところはわからないが、体長は一〇〇メートルは下るまい。武装|艦艇《かんてい》の一〇〇メートルは恐るるに足りないが、相手は「竜《りゅう》」――破壊《はかい》的、天文学的なエネルギーの塊だ。しかも、ここに見えているものは氷山の一角、基準界面上に現れた、その本質の、ほんの一部なのだ。
バルシシアのみぞおちに冷たい感覚が生じ、体内を走るエネルギー路を萎縮《いしゅく》させた。その四肢《しし》を恐怖が支配し始めた。
そのとき――
「はっはっはっは」と、忠介《ただすけ》が笑った。
忠介は〈スピードスター〉のノーズにしがみつきながら〈リヴァイアサン〉を見上げ、
「でっかいなあ〜〜〜」といった。
「忠介――おぬし、恐ろしくはないのか!?」と、バルシシアは叫んだ。「見よ! 竜はわれらに目もくれぬ! われらを蚊ほどにも意識することなく、ただ自らが在るだけで皆殺しにするぞ!」
「はあ、やっぱり大きいですからねえ」と、忠介はいった。「どうにか気づいてもらえませんかねえ」
『しかし、上手《うま》く注意を引いたとして――君は本当にあれ[#「あれ」に傍点]とコミュニケーションがとれるのか? 勝算はあるのだろうな!?』
「大丈夫」
といって忠介は、にゅい、と笑った。
「話せばきっとわかります」
『なっ――』カーツが絶句した。
「……ハ、よういうた!」
バルシシアが忠介の首根っこをつかみ、ぐいともち上げた。
「おぬしの胆力《たんりょく》、分けてもらうぞ!」
「え?」
ぐきっと首がひねられた。忠介《ただすけ》にとって人生三回目の「あぢぢぢぢぢぢ」。
次いでバルシシアは、忠介を再びゴキッと銀色の機体表面に押しつけると、
「猫《ねこ》よ、もう一度行くぞ」といって、ぎらりと笑った。「今度は全身全霊《ぜんしんぜんれい》をもってあたる」
『……了解した!』バルシシアの言葉の意味を、カーツは即座に理解した。
〈スピードスター〉は再び上昇し、〈リヴァイアサン〉の直上、やや前方に位置をとった。
「忠介よ」
バルシシアは銀色の表面をけって〈スピードスター〉からはなれ、
「あとはまかせた――!」
といって、〈リヴァイアサン〉の前方の空間に落下していった。
「え、はい? なんですか?」と、よくわかっていない忠介。
〈スピードスター〉が急上昇し、〈リヴァイアサン〉とバルシシアから大きく距離をとった。
そして、
「ふんッ」
バルシシアはおのが体内に蓄積していた地表|衝突《しょうとつ》時の運動エネルギーを、熱に変換した。
ズドオン!!
核|爆発《ばくはつ》に匹敵する高熱が一気に放出され、〈リヴァイアサン〉の直前に、瞬間《しゅんかん》、巨大なプラズマ球を発生させた。
「うわあ!」
〈スピードスター〉が衝撃《しょうげき》波にあおられた。忠介は機体の縁から下をのぞきこみ、髪を焦がす爆風を顔に受けながら、
「あの――殿下!?」
『(ザザザザザッ)心配は(ザッ)らん。エネルギーを放出して落下し(ザザッ)けだ。追って回収する』
と、カーツがいった。爆発の影響《えいきょう》か、声にノイズが混じっている。
『君は君自身の(ザザッ、ザッ)をはたしたまえ(ザザザッ)』
〈スピードスター〉は熱をはらんだ上昇気流の中を降下した。
雲海は完全に吹き散らされ、〈リヴァイアサン〉ははるか眼下に大海原をのぞみながら、空中に浮遊していた。体の回転は止まり、虹《にじ》色の体表面には色彩の波紋が何重にも浮かんでは消えている。人間でいえば、「目を白黒させている」といったところだろうか。
〈スピードスター〉は〈リヴァイアサン〉の空間|衝角《しょうかく》の先に位置をとった。衝角だけでも〈スピードスター〉の倍の長さがある。
忠介は、風にふらつきながらも、〈スピードスター〉の上に立ち上がり、〈リヴァイアサン〉とむかい合った。
〈リヴァイアサン〉は体表面の波紋を止め、
ギギ、ギギギ――[#「ギギ、ギギギ――」は太字]
と警戒《けいかい》音を発した。衝角《しょうかく》が赤く光り、ブン……とうなり始めた。
忠介《ただすけ》の手がそっと伸び、衝角の先端に触れた。
「……大丈夫、大丈夫」
それから、
「ミュウミュウ、いっしょに帰ろう」といって、忠介は、にゅい、と笑った。
と――
忠介の指が触れた衝角の先端から、青い光が〈リヴァイアサン〉の全身に、一瞬《いっしゅん》にして広がった。そして次の瞬間、
ヒュンッ――
〈リヴァイアサン〉の巨体は傘《かさ》をたたむようにねじれながら、細く、短くなり、一瞬にして、三歳の幼女のサイズにたたまれた[#「たたまれた」に傍点]。
幼女――ミュウミュウは忠介の胸に飛びこむと、
「……ミュウ」といった。
一〇〇メートル超の巨体のなごりは、額《ひたい》から生える一五センチほどの角《つの》――衝角の先端――だけとなり、それも、きりきり……と体内に引きこまれ、青い宝石状のぽっち[#「ぽっち」に傍点]になった。
忠介の胸の中で、ミュウミュウは青い目を細め、くるるるる……と、のどを鳴らし始めた。
『よくやった、忠介』と、カーツがいった。『このまま発射場に向かうか?』
「いえ……どこか、テレビのあるとこに行ってもらえます?」
と、忠介はいった。
「〈キーパー〉と、話がしたいです」
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6  『忠介、ごはんを所望する』
その日の夕方、忠介《ただすけ》はミュウミュウを連れて帰宅した。空港まで迎えにいった鈴木《すずき》が、横につきそっている。
陽子《ようこ》は玄関先で眉《まゆ》をひそめた。
「……なによ、その格好」
忠介とミュウミュウは、おそろいのアロハシャツの上に花輪《レイ》をかけていた。忠介がハワイのサイクロプス天文台に寄ったというのは鈴木から聞いていたが……なぜアロハ?
「いや、父さんが『この格好じゃないと税関通れない』って」
いわば密入国にあたる忠介に対し、パスポートとかいろいろは〈アルゴス〉の人がなんとかしてくれたのだが、深刻な顔の父に、
「こればかりはどうにもできん……!」といわれて着てきたのだ。
「……それ多分、お父さんにだまされてるのよ」と、陽子はいった。
「あっ、そうかあ」忠介はぽんと手を打ち、「なんだか変だと思った」
鈴木《すずき》が無表情のまま、ぷかりとタバコの煙を吐いた。
それから、
「あとこれ……えーと、おみやげ」といって、忠介《ただすけ》は陽子《ようこ》に小さな紙箱を手わたした。
ハワイ名産、マカダミアナッツ・チョコレート。
「もしつかまったら、これを見せるんだ……!」
といって父にわたされたのだが、なんだ、あれも冗談だったのか。ドキドキしてたのに。
と――
チョコレートの箱を受けとった陽子の目から、ぽろぽろっ、と、涙がこぼれた。
「あっ」と、忠介はいった。「ごめん、チョコ嫌《きら》いだったっけ?」
――あれ、でも陽子はよく食べてるよなあ、チョコレート。じゃあきっとナッツがいけないんだな、ナッツが。泣くほど嫌いなのか。
「ごめんなさい、俺《おれ》が食べます俺が食べます」
忠介が箱をとりもどそうとすると、陽子は箱をギュッと握り、
「う〜っ」とうなった。
この週末は、本当にいろんなことがあったのだ。両親の職場でなにか大事件が起こって、かと思うと兄が裸の女の子を拾ってきて、それからいきなり宇宙人とか出てきて、地球の危機とかいわれて、よくわからない理由でみんな死ぬんだといわれて、拾った女の子は怪獣《かいじゅう》に化けて飛び出していって、兄もそれを追って宇宙人といっしょに飛び出していって、なんだかわけがわからなくてすごく不安になって――
で、ここにきて、アロハシャツとマカダミアナッツ・チョコレート。
陽子は忠介とマカダミアナッツ・チョコレートに対して理不尽な怒りをおぼえ、
「うう〜っ!」泣きながら、忠介の頭をチョコレートの箱でぱこぱこと叩《はた》いた。
「あっ、ごめん、いや、ごめん」と忠介は頭をかかえ、
「ギギッ!?」と、ミュウミュウがいった。
やがて、
「ごめんごめん」
忠介は陽子をギュッとだき、柔らかな髪をくしゃくしゃとなでながら、
「でも、もう大丈夫、大丈夫」といった。
陽子は忠介の胸に額《ひたい》を押しあて、ずずっと洟《はな》をすすり、
「……うん」といった。
さて、それから――
「……あずかるって、うちでですか?」と、陽子がいった。
「そうだ」といって、鈴木は来客用の切り子ガラスの灰皿《はいざら》に、タバコの灰を落とした。
陽子《ようこ》は忠介《ただすけ》にだかれたミュウミュウをちらりと見た。
忠介とミュウミュウは、そろいののんき顔で、チョコレートをコリコリと食べている。
「でも、なんで……?」
鈴木《すずき》はタバコをぷかりとふかし、
「そうだな、たとえ話をするなら……この娘は、地球を、いや太陽系を吹き飛ばす威力のある爆弾《ばくだん》だと考えてくれ。地球上のどこに置いても、爆発したらアウトだ。また、地球の外に放り出す安全確実な手段もない。わかっているのは、龍守《たつもり》忠介の横に置いておけば起爆する可能性が低いということだけだ」
「でも、たしか〈キーパー〉が――」
陽子がそういったとき、居間のテレビのスイッチがひとりでに入った。
『こんにちは、龍守陽子。私は〈キーパー〉です』
と、黒字に赤線で描かれた顔――〈キーパー〉がいった。
『私は現在、「ミュウミュウ」と呼称される〈リヴァイアサン〉の個体に対し、観察的な立場をとっています。なぜならば、私は龍守忠介の提案に非常な興味《きょうみ》をおぼえたからです』
「提案って……?」
陽子が忠介の顔を見ると、
「えーとね」と、忠介はいった。「まず、なんで〈キーパー〉がミュウミュウを退治しようとするかっていうと、それが〈人類〉の迷惑になるからなわけで」
『はい、私は肯定します。私は「最大多数の人類の生存とその幸福への支援」を目的としています。私は目的遂行の障害となる存在を排除します』
「で、ミュウミュウがいい子にしてれば、退治される理由はなくなるけど、もしあばれたときのことを考えたら、やっぱり念のために退治しちゃおうと〈キーパー〉は考えるわけで」
『はい、私は肯定します。私は目的遂行の障害となりうる一定以上の可能性をもつ存在をも排除します』
「でもね」といって、忠介は、にゅい、と笑った。「ミュウミュウが〈人類〉になったら、みんな上手《うま》くいくと思うんだ」
『はい、私は肯定します。それは私の目的に合致します』
「え……だって、ミュウちゃんは怪獣《かいじゅう》じゃない」と、陽子がいった。
「怪獣でもいいんだ」と、忠介はいった。「〈人類〉の条件は……ええと、なんでしたっけ」
『はい、私は回答します。私の定義する〈人類〉とは、「私との意志疎通が可能な論理的|基盤《きばん》を有すること」、そして「恒星間航行の実際的手段をもつこと」というふたつの条件を同時に満たす存在です』
「で、ミュウミュウは大人になればよその星に行けるし、それまでに〈キーパー〉と話ができるようになってれば、もう立派な〈人類〉ってことになるよね」
『はい、私は肯定します。その場合、私はミュウミュウを〈人類〉であると判断します。現在その判断は保留中ですが、私はミュウミュウと龍守《たつもり》忠介《ただすけ》の間に初歩的な意志疎通を確認しています。よって、私はミュウミュウおよび〈リヴァイアサン〉を準人類と認定し、その意志疎通能力のさらなる発展を期待します』
「ついでに、〈リヴァイアサン〉を押さえておくことは、地球人類――おっと、地球『準』人類の〈人類〉への昇格や、きたる星間政治への参加の際の、重要な切り札になる」と、鈴木《すずき》はいった。「で、俺《おれ》たちが君らに望むのは、〈リヴァイアサン〉ミュウミュウを、成体となるまでに、せいぜい手なずけておいてもらいたい、といったところだ」
「はあ…」
陽子《ようこ》はむずかしい顔をして、考えている。
忠介とミュウミュウがチョコレートを食べる音が、コリコリとひびいた。
「もちろん、こちらからもできる限りのバックアップはするし、これは嬢《じょう》ちゃん、あんたにとっても一番安全な道だ」と、鈴木はいった。「なにしろ、地球が吹っ飛んじまったら元も子もないんだからな」
そして――
「……わかりました。おあずかりします」と、陽子はいった。
それから忠介にむかって、
「おニイ、ちゃんと世話するのよ」
「やったあ」と、忠介はいって、ミュウミュウの頭をくしゃくしゃとなでた。
「ミュウ〜」と、ミュウミュウがいった。
「それはよかった」
といって、鈴木は居間のドアをふり返った。
「入っていいぞ」
「え…?」と、陽子。
「ふん、待ちくたびれたわ」
『まったくだ』
ドアを開けて、入ってきた者があった。
バルシシアと、カーツだ。
アロハシャツの上に花輪《レイ》をかけ、大きなスーツケースを肩にかついだバルシシアは、ずんずんと部屋の中に歩み入りながら、
「して、わらわの寝所はどこじゃ? 案内《あない》せよ」といった。
その足元をすり抜けながら、
『私のプライベート・ルームもだ』と、カーツがいった。
「え……ちょっと、なに? なんですか!?」
「ああ、いい忘れたが、銀河連邦とグロウダイン帝国の代表各一名もここであずかってもらう」と、鈴木《すずき》がいった。
「……そんなの聞いてません!」
「悪いな嬢《じょう》ちゃん。なにぶん、地球人は立場が弱い」
「だからって、なんで――!」
『それだけ〈リヴァイアサン〉は重要なのだということだよ、陽子《ようこ》』と、カーツがいった。『私は銀河連邦政府を代表して、ミュウミュウが〈人類〉と認定され次第、彼女を銀河連邦市民として受け入れることを約束しよう』
「なにをいうか。竜《りゅう》の子はわが帝国の臣民となるのじゃ」
青いしっぽをねらって、ドカッ、とスーツケースが下ろされた。カーツはそれを寸前でよけ、「シャッ」と声を上げた。カーツとバルシシアの視線が、空中で火花を散らした。
「そんなのどうでもいいわよ! 喧嘩《けんか》ならよそでやって!」
『やれやれ、今やこの星は銀河でもっともホットな場所なのだということを、君はまだよく理解していないようだな』
陽子は大きな目をむいて、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「だから、なんでそれがうちなのよっ!」
『HA、HA! 困ったお嬢さんだ!』と、カーツはいった。
「苦しゅうないぞ」といって、バルシシアがカカカと笑った。
『すばらしい』と、〈キーパー〉がいった。『私はこの状況に、非常に興味《きょうみ》をおぼえます』
鈴木が、ぽわ、と空中に煙の輪を吐いた。
「もう、おニイ! なんとかいってよ!」と、陽子がいった。
「んんー」
忠介《ただすけ》は口元をにゅにゅにゅとゆがめながら、ミュウミュウの頭をくしゃくしゃといじった。
「ミュウ〜」と、ミュウミュウがいった。
「おニイっ!」
忠介が、はっと顔を上げた。なにか思いついたらしい。
「そうだ、陽子」
「なに」
忠介は一同の視線を集めながら、
「ごはんにしよう」といった。
[#地付き]〔了〕
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■あとがき■
みなさん大丈夫です古橋《ふるはし》です。ちゃんと生きてます小説も書いてます。この本が証拠です。持ってかえってよくたしかめてみてください。どうしても心配な人は二冊買ってみると、ほら、聞こえるでしょう、幸せの足音が。え、聞こえない? じゃもう一冊。
某月某日。新作についてのミーティング。
「やはり、ウケをねらっていかねば」
と、担当ミネさん。
「実験的なものとかひたすら濃く煮詰めたものもたまにはいいかもしれませんが、職業作家としては、基本的に、より多くの読者が喜ぶものを書いていくべきではありませんか」
「ははあ、たしかに」
いわれてみればたいへんもっとも、というかあたり前な話なのだが、はずかしながら、わしは今まで読んだ人がいやな気分になるようなものしか書いてこなかったよなあ、とか思ったりして。加えて、これまでも自分なりに面白《おもしろ》かろうと思うことは書いてきたが、「だれにとって面白いのか」とか、あんまり考えてなかったなあ。駄目じゃん。
そこで、
「電撃の読者さんには、どういうのがウケるんですかねえ」
というと、ミネさんきっぱり、
「それは『普通の男の子が主人公で女の子がたくさん出てくるやつ』ですな」
うわっ、やけに具体的なものいいがステキだ!
「しかし、逆をいえば、そこさえ押さえておけばいくらでも売っていきようはあるわけですから、あとは好きなだけ古橋《ふるはし》さんの色を出していただけるわけです」
「なるほど……考えてみます」
某月某日。
「宇宙モノみたいな感じで行ってみようかと思います。流行《はや》ってるっぽいし」
「それはよさそうですね。流行ってるっぽいし」
「ヒロインは宇宙|怪獣《かいじゅう》が擬態《ぎたい》した女の子」
「おお、いかにもウケそうではないですか」
「銀河帝国の王女さまとかがからんできて」
「たいへんよいですね」
「あと、主人公にはブラコン気味のかわいい妹がいて」
「じつにけっこうです。その調子でお願いします」
某月某日。
「あれから、いろいろ考えてキャラを立ててみまして」
「どうなりましたか」
「王女さまが不死身の金属人間になりました」
「はあ……まあ、そういうニーズもあるでしょう」
「で、怪獣娘のほうは、おでこにこう、電磁波を受信する器官がありまして」
「電磁波……ですか」
「近くで携帯とか使われると『ふいっ?』とふりむいたりして、これがたいへんかわいらしい。いわゆる『萌《も》え』要素です」
「……古橋さん、もう少し話し合う必要があるようです」
某月某日。
「例の電磁波の子ですけど」
「ああ、怪獣《かいじゅう》の――どうなりました?」
「ドリルが生えました。ぎゅんぎゅん回ります、ぎゅんぎゅん」
「……」
某月某日。
同業者のアキヤマ君こと秋山《あきやま》瑞人《みずひと》氏に、
「今度はちゃんとねらってるんだよ。もうバッチリバッチリ」というと、
「いや、それ、話聞いてると、いつも通りみたいなんですけど」
「え……そう…?」
そんなこんなで、『怪獣娘』こと『タツモリ家の食卓 超生命|襲来《しゅうらい》!!』、書けました。
イラストは前作『ブライトライツ・ホーリーランド』から引き続き、マエシマ君こと前嶋《まえしま》重機《しげき》氏に引き受けてもらえました。いそがしいとこ、すまんス。
で、また例によって表紙のラフ見せてもらったりして、
「あっ、売れそう」
「今回はケツでなくて脚線美や」
たのもしいなあ。
それと、担当ミネさん、装丁のデザイナーさん、校閲さん、営業さん、その他この本の製作・流通に関わるすべての人に感謝します。だって、今挙げた人がひとりでも欠けたらこの本出ないので俺《おれ》困る。だからひとり残らず感謝。
あと、忘れちゃいけない読者さん。いてくれてうれしいです。マジでマジで。
次回は『タツモリ家の食卓2 恐怖の精神寄生体(仮)』の予定。どうぞよろしく。
[#地付き]二〇〇〇年三月
[#改ページ]
底本:「タツモリ家の食卓 超生命襲来!!」電撃文庫、メディアワークス
2000(平成12)年5月25日初版発行
入力:
校正:
2008年4月5日作成