タツモリ家の食卓
第6回 ドッグファイト!
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[#改丁]
陸上自衛隊、町玉|駐屯地《ちゅうとんち》、夕刻。
一日の合同訓練を終えたグロウダイン一座は、休憩所代わりにあてがわれた倉庫で食事をとっていた。四角いパッケージの盛られた皿を中心に、黒い金属質の肌をした、ノッポ、チビ、デブの三人の男たちが、車座になって座っている。
今日の夕食は、軍用のプラスティック爆薬である。金属人間であるグロウダインたちは、おのおの四角いパッケージをやぶり、白い塊《かたまり》をナイフで切っては口に運んでいる。
通常、この種の爆薬の起爆には導爆薬や電気信管が用いられるが、グロウダインは自前の胃袋に同様の機能を持っている。いくらかの塊を飲み込んでは、胃の中で加熱し爆発させ、熱と運動エネルギーを体内に吸収しているのだ。
「……気に入らぬな」
チビのグロウダイン――ゼロロスタンは、爆薬の塊を飲み下しながら、そうつぶやいた。
ドッ――と体内で爆発音が生じ、全身の攻撃紋《こうげきもん》に赤い光が走った。
「どれ、気に入らぬならそれがしが片づけてくれよう」
そういって、デブのボラランダルが、ゼロロスタンの手もとから、食べかけの爆薬をかすめ取った。この男、食い物にかけては手が早い。
「そうではないわ!」
ゼロロスタンが引ったくるようにして爆薬を取り返すと、むかいに座るノッポのザカルデデルドがいった。
「では、なにが気に入らぬと?」
「ふん」
ゼロロスタンは、倉庫内にちらりと目を走らせ、次いで、アイコンタクトによる光言語で、ふたりの同胞に告げた。
(そこに、そこに、そこ……ほれ、そこにもカメラが回っておる)
一座の中でも特に鋭敏な感覚を誇《ほこ》るゼロロスタンは、わずかな作動音や赤外線によって、そこここに仕掛けられた隠《かく》しカメラの位置を、造作もなく特定した。
(それに、見よ。あのようにこそこそと。胸くその悪いことだ)
倉庫の開け放たれた入り口からやや離れた位置に土嚢《どのう》が積まれ、半ばその陰に隠れながら、野戦服にヘルメット姿の自衛隊員が二名、こちらをうかがっている。彼らはグロウダインの護衛兼監視の係だが、「食事」中は万一の暴発事故を案じて、こうして距離を取っているのだ。
「まあ、そういうな」
ザカルデデルドは、あえて声に出していった。密談のそぶりを見せるのは上手《うま》くないと判断したのだ。
「より多くの情報を欲するのは、いずこの軍も同じこと。まして地球人は肉体的に脆弱《ぜいじゃく》きわまる種族なれば、慎重《しんちょう》にもなろうというものだ」
「脆弱をいいわけにするなら、相応に小さくなっておればよいのだ」
ゼロロスタンの顔の攻撃紋に、赤い光がちりちりと走った。
「ふむ……」
ザカルデデルドはあいまいにうなずいた。ゼロロスタンのいうことも、わからぬではない。グロウダインの価値観からすれば、戦力的に優位に立つ彼らに対し、地球人は恭順《きょうじゅん》の意を示すか、少なくとも賓客《ひんかく》に対する礼を取るべきだろう。このように、つかず離れず、事実上の監視体制を敷くというのは、筋の通らぬことだ。
ゼロロスタンは地球人のそうした態度を無礼《ぶれい》のふるまいとし、いらついている。
一方ザカルデデルドは、それを地球人特有の、不可思議な性質と考えている。
ザカルデデルドはふと、倉庫の壁に高く掲《かか》げられた、一枚の分厚い鉄板を見上げた。倉本《くらもと》小隊の00[#「00」は縦中横]式装甲戦闘服から取り外された前面装甲だ。暗緑色のその表面には、少女の肖像がペンキで描かれ、その周囲には、削り取られたような銀色の手形がいくつもついている。その中には、ゼロロスタンやザカルデデルド自身の手形もある。
その視線を追って装甲板を見上げたゼロロスタンが、
「……ふん」と鼻を鳴らし、顔面の光を収めた。
この装甲板は、地球‐グロウダイン間の友好の印として、皇女《おうじょ》バルシシアを始めとするグロウダインの面々が手形を刻んだものだ。この品をグロウダインが送り、地球人側はそれを受け取り、これによって、停戦は成った。
グロウダインは銀河有数の好戦的種族だが、自ら結んだ講和を一方的に破棄《はき》したりはしない。彼らは自らの名誉《めいよ》に賭《か》けて、約定を守る。その、ある種の誠実さは、宿敵たる銀河連邦さえも認めるところだ。
――だが、地球人はいまだ、われわれを仮想敵とみなしている……?
そこが、腑《ふ》に落ちぬ。地球人には、グロウダインが名誉に賭けて発した言葉が信じられぬというのか。その是非《ぜひ》は置くとして……それならば、いったい地球人はなにを信じて生きているというのか。
こうなると、ことは異種族間|折衝《せっしょう》の様相を帯びてくる。外交技能を持つオルドドーン参謀《さんぼう》ならばいざ知らず、異星の流儀《りゅうぎ》は一介の砲術師たるザカルデデルドの考えの及《およ》ぶところではない。
思案顔のザカルデデルドを捨て置いて、ゼロロスタンとボラランダルは、顔を突き合わせて話し合っている。
「まあ、そうくさるな、ゼロロスタンよ。これも本国《おくに》からの援軍がくるまでのことだ」ボラランダルの言葉に対し、
「うむ、たしかに……ところでおぬし、増援にはいずこの軍が当たると思う?」と、ゼロロスタンがいった。
「そうさな……もぐもぐ……うむ」
ボラランダルは爆薬の塊を飲み込み、体内で着火した。ドムン、とにぶい爆発音が響《ひび》き、肥満した腹の肉が、ぶるんとふるえた。
「われら〈吶喊遊撃艦隊〉の本隊に加え、地上兵力として〈疾風突入旅団〉か〈轟雷覇道師団〉……いや、〈リヴァイアサン〉獲得の任の重要性から見て、おそらくは、第二皇女ゾルルミナス殿下が直々《じきじき》に〈爆熱降下兵団〉を率いておいでになるだろう。大兵力をもって銀河連邦と地球に圧力をかけ、ミュウミュウ殿と忠介《ただすけ》殿をわれらが帝国にお迎えするのではないか」
「うむ、俺もそのように見た」と、ゼロロスタン。
「しかし、もし二の姫さま[#「二の姫さま」に傍点]がおいでになるとすると、バルシシア殿下の進退が、ちと心配だの」
「うむ――」
ゼロロスタンは同意した。〈リヴァイアサン〉捕獲のためにこの辺境星系に派遣されたバルシシアと〈突撃丸〉は、その任を果たせなかったばかりでなく、銀河連邦のカーツ監察官との戦闘によって自力での帰還が不可能となり、結果として、地球や銀河連邦に対し大きな借りをつくることになった。この無様《ぶざま》ともいうべき事態をまねいたバルシシアを、第二皇女が戦地における裁量権を利用して処断しようとする可能性は十二分にある。
「――されど」と、ゼロロスタン。「二の姫さまは義を知るおかたじゃ、この腹切ってお願いたてまつれば、悪いようにはなさるまい」
「おう、その時はそれがしも道連れじゃ」といって、ボラランダルが突き出た腹をぽんとたたいた。「のう、ザカルデデルド」
自分たちの死について意気揚々と語る同胞に対し、
「ああ、うむ……」と、ザカルデデルドは生返事を返した。
おのれの命を惜《お》しむつもりは毛頭ないが、さて――第二皇女ゾルルミナスの前に命を投げ出すことが、主君たるバルシシアのために自分たちがとるべき、最適な行動といえるのか……。
ザカルデデルドの頭はふたりの同胞より、やや複雑にできていた。だが、〈リヴァイアサン〉をめぐる状況はさらに複雑怪奇に絡《から》み合い、ザカルデデルドの分を超えて、高度な戦略性を帯びている。
やがて、
――やれやれ、へたの考え休むに似たり、か。
ザカルデデルドは肩の力を抜き、そして、ふたりの同胞のやり取りをながめた。
「――それ、このようにナイフを逆手に持ち、一心に絞り[#「絞り」に傍点]つつ……ここだ、この一点に突き立てるのだ。絞りが足りねば、腹の気が刃を弾《はじ》く。怯懦《きょうだ》が忠義にまさるは一生の恥《はじ》ぞ」と、ゼロロスタン。
「うむ、こうか」とボラランダル。
「馬鹿者、位置がちがう! それではエネルギー袋を貫いて自爆してしまうぞ。貴様、二の姫さまにはらわたを浴びせるつもりか!」
「そう怒鳴《どな》るな。それがしは手もとがよく見えぬのだ」
「このでぶがッ! その腹、切る前にまず引っ込めよ!!」
――腹切りの作法についてやいやいと話し合う同胞のほうが、ただ迷っている自分より、よほど前向きに動いている。
さらに、ザカルデデルドが倉庫の壁ぎわに目をやると、そこにはひとりの男がいた。
〈突撃丸〉艦長、ジェダダスターツ。彼は食事を早々にすませると、あの場にひとり座している。長大な太刀《たち》を手もとに置き、物もいわず、身動きひとつせず――思考すらしていないのではないかと思える。
だが、それが正しい[#「それが正しい」に傍点]、と、ザカルデデルドは思う。
ジェダダスターツは主のために必要とあらば、今この瞬間にでも、全霊を込めた斬撃《ざんげき》を繰り出し、あらゆるものを断ち切るだろう。そのための緊張《きんちょう》を、この男は超人的な意志力によって四六時中《しろくじちゅう》保っている。その精神がゆらぐことは決してない。装填《そうてん》された弾丸、居合《いあい》にかまえられた刃に、迷いは不要なのだ。
「……ふむ」
ザカルデデルドは息をつくと、大きく切った爆薬の塊をぱくつき始めた。そして、
「どうした、いきなり」と怪訝《けげん》な顔をするゼロロスタンに、
「死ぬべきときには死ぬ、食うべきときには食う。そういうことだな」と、答えた。
「なんじゃ、当たり前のことをもったいつけて」
「死んだあとでは、食うものも食えんからのう」
ボラランダルが身を乗り出し、爆薬のパッケージを一度にふたつ、わしづかみにした。
すると、ゼロロスタンがその手を払い、
「貴様は絶食じゃ!!」
その怒声に反応し、入り口の向こうにいた自衛隊員が、びくりと身をふるわせた。
ザカルデデルドが苦笑しながら片手を上げ、「問題ない」というしぐさをすると、ふたりの自衛隊員のうち、小柄なほうが、小さく手をふり返してきた。
――彼らとも、近いうちに戦うべき運命《さだめ》にあるかもしれぬ。
と、ザカルデデルドは思った。
――だが、そのときは、そのときだ。
「おいオタ、なに手ェふってんだよ」
土嚢の陰に隠れながら、自衛隊員のひとり、寺山三曹が、小柄な小田切一士をこづいた。宇宙人を見てみたい、という小田切をこっそり連れてきたのは寺山だ。下手《へた》なトラブルが起きれば、責任を問われることになる。
「だって、むこうもほら、手を上げてます」
「『ぶっ殺すぞ』って意味かもしんねえだろ。相手にすんな」
「でも、笑ってるみたいですよ」
「わかるもんかよ。あいつらバケモンだぞ」
「だれが化け物じゃと?」
頭上からの声にふたりがふり返ると、ひとりの少女が腕組みをして立っていた。黒い金属質の肌に、赤銅色の髪。赤いマントを夕風になびかせている。グロウダイン帝国第三皇女、バルシシアだ。一歩後ろには、つきそいの手力《たぢから》曹長が立っている。
「うわあ、出た!」寺山が尻餅《しりもち》をつき、
「は、どっ、どうも――!」小田切が飛び上がって敬礼した。
そのさまを見たグロウダインが、
「殿下!」
「おお、殿下ッ!」
「よくぞおいでくださったァ!」
倉庫から飛び出し、一直線に駆《か》け寄ってきた。
「ひゃあ!」
頭をかかえて伏せた寺山の周囲に、グロウダインにけちらされた土嚢がどさどさと落ちてきた。
「お――これは失礼いたした」と、寺山を踏《ふ》みつけそうになったボラランダル。
そのさまを指さして、バルシシアがカカカと笑った。
「それ、しゃん[#「しゃん」に傍点]としろ、寺山」
手力が笑いながら寺山の首根っこをつかんで引き立て、そして、
「では殿下、ごゆっくり」といって、バルシシアに敬礼した。
「うむ」
バルシシアはグロウダインの面々を引き連れ、倉庫に向けて大股《おおまた》に歩いていった。
その背を見送ると、手力は土嚢のひとつに腰掛けた。
「ど、どうもタヂさん、お久しぶりです」と、小田切がいった。
「おう」
「……班長、よくあんな連中とつきあってられますね」と、寺山がいった。
手力は先日からただひとり、事態の中心地である龍守《たつもり》家の監視任務に当たっている。グロウダインのみならず、銀河連邦の代表者や超生命体〈リヴァイアサン〉などが集う、一触即発《いっしょくそくはつ》の火薬庫のような場に寝起きしているのだ。
しかし、
「うむ。話してみれば、気心も知れてくるものだ」と、こともなげに、手力はいった。
「なにか新しいことはわかったんですか? 彼らの弱点とか」と、小田切。
「弱点? そうだな……」
手力は小さな頭をかしげた。
「彼らは目上の者に弱いらしい」
「なんスか、そりゃ」
「決してならず者の集団ではないということだ。指揮官との交渉さえ上手く運べば、われわれの生き残る道もあるだろう」
「ははあ……」
そんなやり取りをしているところに――
「おおい、小田切、パーツがきたぞう!」
と、遠くから声がかかった。整備班の同僚だ。
「あ、はい! 今いきまーす!」小田切が手をふって答えた。
「なんだ、パーツとは」手力の問いに、
「00[#「00」は縦中横]式の追加装備っスよ。その……対グロウダイン用だとか」と、寺山が答えた。
「ほう。使えそうか?」
「さあ、どうだか」寺山は肩をすくめた。
「なにをいうんですか」小田切がいった。「新パーツを取り付ければ、00[#「00」は縦中横]式の性能は数倍に跳《は》ね上がりますよ、たぶん!」
「たぶん≠チてなんだよ、おい」
小田切は寺山のぼやきを無視して、
「改良強化型00[#「00」は縦中横]式――パワード・ゼロ≠ニ呼びましょう。いやゼロ・カスタム≠フほうがいいですかね」
「おう」と手力。「で、今度はなに色に塗るつもりだ」
「悩むところですねえ」
小田切はそういって笑うと、ふたりに敬礼して、格納庫へ向かって駆け出した。
「あんたら、なんでそんなにのんきなんスか」と、寺山が手力にいった。「00[#「00」は縦中横]式の性能が多少上がったところで、あんな連中とやりあえるわけがないでしょう」
「まあ、そなえあればなんとやら、だ」
「そなえたところで、どうにもなりゃしませんよ」
「もしそうだとしても、寺山、心配することはない」
手力は笑いながら、寺山の肩をたたいた。
「人間、死ぬのは一度きりだ」
バルシシアは倉庫の中に迎えられると、上座にすえられた。背後にはジェダダスターツが立ち、前方には三人組がかしこまって座った。
「ささ、殿下、たんとお召しくだされ」
目の前に、爆薬のパッケージが積み上げられた。
「うむ」
バルシシアはそのひとつをつかむと、口をあんぐりと開けて、開封もせぬそれを、ひと息に飲み込んだ。ズン、と腹の底でにぶい爆発音が響き、庫内の空気をふるわせた。続けて、ズン、ズン、ズン、と、またたく間に三本のパックをたいらげたところで、バルシシアはふと手を止め、
「苦しゅうない、おぬしらも食うがよい」といった。
「は、それでは失礼をば……」
ボラランダルがそろりと伸ばした手を、横にいたゼロロスタンがはたいた。
「もうしわけもござらん。殿下がおいでになるとは知らず、われらはすでに食事をすませてしまいもうした」
「ふむ……?」
バルシシアは周囲を見回した。開封されたパッケージに、切りかけの爆薬。食事をすませた≠ニいうふうではない。バルシシアが好きなだけ食べ終わるまで、遠慮《えんりょ》しているのだ。
しかし、皇族たるバルシシアは、他の氏族の者とは桁《けた》違《ちが》いのエネルギー容量を誇る。この程度の爆薬であれば、目の前の一山はもちろん、たとえ一〇〇万トンでも腹に収まってしまうだろう。
そこで、
「……この惑星《ほし》の食い物は口に合わんのう」
といって、バルシシアは手にしたパッケージを山の上においた。
「はっ、されば、なにか代わりのものを――」
立ち上がりかけるザカルデデルドを、バルシシアは片手で制した。
「いや、わらわはもうよい」
「は……」
「かといって、地球人のせっかくのもてなし、まさか捨ててしまうわけにもいくまいて。おぬしら、あとで片づけておけ」
すると、
「は……ははあっ!」
ゴスゴスゴスッ、と、三人組は目の前の床に額を打ちつけて平服した。
「われらはよき主君《あるじ》にめぐまれもうした!」そういったゼロロスタンは、顔を上げると、同胞に向かって「のう!」
「おう!」
「いうまでもない!」
ボラランダルとザカルデデルドも同意した。
「なんじゃなんじゃ、たかが食い物のことで、大げさなことをもうすでない」
バルシシアは顔面にちかちかと赤い光をまたたかせながら、照れ隠しにぷいと顔をそむけつつ、
「……それにしても、オルドドーンの奴《やつ》めはどうしたのじゃ」といった。
「はっ、参謀閣下は昼から、本国《おくに》との連絡のため、〈アルゴス〉に出向いておりもうす」と、ザカルデデルドがいった。
「それは聞いておる。なにやら重大な報告があるというから、こうして出向いてきたのじゃ」
それだのに、呼んだ当人がおらぬとはけしからん、と、バルシシアはいった。
「重大な報告、ともうしますれば……やはり、重力ゲートの開通、でございましょうか」と、ザカルデデルドがいった。
「いよいよ援軍の到着、ということですかな」
とボラランダル。
恒星間における移動は、基本的に、大重力源の幾何学《きかがく》的配置によって開く重力ゲートに依存《いぞん》する。そして、天然のゲート開通には各種天体の運行をはじめとする膨大《ぼうだい》な変数が絡むため、直前まで正確な座標と時刻はわからない――が、ともあれ、辺境に位置するこの太陽系には、銀河中央部に広がる銀河連邦より、ほど近い星域に位置する帝国領からのゲートが開く確率のほうが、断然に高い。
と、そこに――
どすどすと足音を立てて、大柄なグロウダインが入ってきた。バルシシアの参謀、オルドドーンだ。
「おお、殿下! お待たせいたし、もうしわけもござりませぬ」
「あいさつはよい」
バルシシアが手をひとふりすると、三人組が一歩後ろに下がり、オルドドーンがバルシシアの正面に座った。そして――
「ご報告もうしあげまする」オルドドーンは大きな顔面をぐいと突き出した。「〈アルゴス・システム〉の予測によれば、これより一週間後、この星系の主星より一〇光日の位置に、帝国領ザムダダダスタ星域からの重力ゲートが開通いたすとのこと」
おお……と、一同がどよめいた。
「いよいよでござるな」
「おうとも」
「それにそなえ、現在、本国では増援艦隊が編成されつつあり――」と、オルドドーン。
「おお、そこでござる」
「増援にはいずこの軍が?」
三人組がいいかわしていると、
「……まあ、おおかた下の姉上がおいでになるのじゃろうな」と、バルシシア。
「あ……」
一同の間に、重い空気がよどんだ。
「なんじゃ、その顔は」バルシシアは一同の顔を見回した。「案ずるな。こたびの失態はすべて、わらわの責任《せめ》になるものじゃ。おぬしらの首が飛ぶことはない」
バルシシアは無意識に、爆薬のパッケージを手に取って、もてあそびながらいった。その手が小刻みにふるえていた。ふるえは見る間に全身に広がり、ブゥーン……という電気あんま機のような振動となって、床面をガタガタとふるわせた。
「それにわらわは、姉上のせっかん[#「せっかん」に傍点]には、な、慣れておるゆえ、なな、なにほどのこともないのじゃ。下の姉上は、し、死なない程度に手加減してくれるじゃろうしの。おぬしらが気に病むことは、ななななにもないのじゃ。ふは、ふはは、あああ安心せよ安心せよ」ブゥーンガタガタガタ。
「おお、殿下……」
「われらがために、そこまで……」
三人組が感じ入っているところに、
「いや、そのことでござりまするが――」と、オルドドーンがいった。
バルシシアの体の振動が、ぴたりと止まった。
「なんじゃ、姉上はおいでにならぬのか」
「いえ、こたびの援軍の主力となりますのは、第二皇女殿下にあらず――」
オルドドーンの大顔面が、深刻な表情を浮かべていた。
「……第一皇女ブラムダダリア殿下率いる、〈殲滅蹂躙艦隊〉にございます」
「なにいッ!?」[#「「なにいッ!?」」は太字]
バルシシアがパッケージをにぎりしめた。瞬間的に加わった異常な圧力によって加熱され、プラスティック爆薬が爆発した。次いで、床の上の爆薬が誘爆し、倉庫の屋根を吹き飛ばした。
「うむッ!?」
「なんだァ!?」
地面に伏せながら、手力と寺山が叫《さけ》んだ。何人かの自衛隊員が駆け寄ってきた。
「なな、なんでもない! なんでもないぞ!」土煙の中から、バルシシアの声がした。「み、みなの者、うろ、うろ、うろろろろ」
うろたえるな、と言いたいらしい。
同時刻、龍守家の台所にて――
『そう、〈彗星皇女〉ブラムダダリアの〈殲滅蹂躙艦隊〉――居住惑星への大規模直接攻撃、そして惑星環境の完全破壊を旨《むね》とする、最悪の根絶艦隊だ!』
と、赤い首輪をした青い猫――特務監察官カーツ大佐はいった。
『グロウダインめ、この惑星の住人すべてを人質代わりにして、〈リヴァイアサン〉を強奪《ごうだつ》する腹だな』
『こちらでも同様の情報は確認しています』
そういったのは、カーツと同じくらいの大きさの赤い猫――ケイト少佐だ。なぜか、床に置かれた洗面器の中に入っている。
『ただちに牽制《けんせい》のための高速艦隊の派遣を手配しました。しかし――』
カーツはうなずいた。
『おそらく、この星系への到着はグロウダインが先になるだろう。連邦政府としては、〈リヴァイアサン〉がグロウダインの手に入るくらいなら、いっそだれの手にも入らない[#「だれの手にも入らない」に傍点]ことを望むだろうな。よろしい。いざとなれば、私が対地攻撃《ダモクレス》ユニットをもって、状況を終了させる[#「状況を終了させる」に傍点]』
カーツがそういうと、ケイトは目を伏せた。
『……大佐』
『かまわんよ』カーツはいった。『私はこの〈ベル〉に誓って、あたうかぎりの手を尽《つ》くすのみだ。私や地球人たちを犠牲《ぎせい》とするのが銀河連邦にとって最善と判断したならば、私は無論そうする』
『でも……』
『おっと、任務に私情をはさむべきではないな、少佐』
『……了解しました。でも、気をつけて。大佐……カーツ』
『もちろんだよ、ケイト――では、交信を終了する』カーツはしっぽをひゅっとふった。
と――
カーツと向かい合っていたケイトの体の色があざやかな赤から発光する黄緑色に変わり、次いで、その輪郭《りんかく》がどろりと崩《くず》れた。首に着けていた〈ベル〉が、発光粘液の中に、ぽとりと落ちた。よく見ればそれは、特務監察官の〈黄金のベル〉ではなく、〈アカデミー〉の構成員の身分をしめす〈紫色のベル〉だ。
生体共時性通信機の機能を持つ〈アカデミー〉の〈教授21MM〉を利用して、カーツは銀河連邦本国に連絡をとっていたのだ。
そして、一旦《いったん》洗面器の底にとろりと溜《た》まった発光粘液――〈教授21MM〉が、今度は〈ベル〉を中核にしながら伸び上がり、
『そちはなにをいっているのでおじゃるか!』
といった。
『なんのことだ?』
『自殺作戦など許さぬでおじゃる! まろは死ぬのはいやでおじゃる! 〈リヴァイアサン〉など捨て置いて、今すぐ脱出するでおじゃる!』
『そうもいかん。われわれには、この地ではたすべき任務が――』
『つまらぬ任務とまろの命と、どちらが大事でおじゃるか!』
カーツは不満げに耳をばたつかせた。だが、トリ・ホシテ族に公共の利益を説いてもせんないことだ。知性アメーバである彼らには、「個人」や「集団」といった概念が希薄なのだ。
代わりにカーツは、しっぽをぱたりと床に打ちつけ、
『落ち着きたまえ。私とて犬死にするつもりはない――ひとつ、考えがある』といった。
そのころ忠介はジャングルジムのてっぺんで、ぼーっと阿呆《あほう》みたいな顔をしながら、暮れゆく空を見上げていた。
ジャングルジムの足もとにはリュックサックが置かれ、それから、ジロウマルがひもでつながれている。
そのジロウマルが突然、耳をぴんと立てて、
「オンッ」っと吠《ほ》えた。
「おニイ」と、忠介に声がかかった。
ジャングルジムの下に、エプロン姿の陽子《ようこ》が立っていた。「ヘッハッハッハ」としっぽをふりながら、ジロウマルが陽子の足もとにまとわりついている。
「あれ、どうしたの陽子?」と、足もとを見下ろしながら、忠介。
「やっぱり忘れてる」といって、陽子はむっとした。「今日は鈴木《すずき》さんたちがくるから、はやく帰るっていってたでしょ」
「あっ、そうだったっけ」
「もお〜」陽子はほおをふくらませ、「はやくミュウちゃん呼んで」
「はいはい」
忠介は尻ポケットから黒い携帯電話を取り出した。正確には、携帯電話型のハイパーウェーブ・コミュニケーターだ。
「ミュウミュウ? 帰るよー」
携帯電話に話しかけながら、忠介は頭上を見上げた。真っ赤に染まった空に大きな虹色の光の塊が現れ、そして、UFOか羽虫のような不規則な動きで、ぎゅぎゅぎゅっ、と動いたかと思うと、ふっと消えた。
同時に、地上一〇メートルあたりの空間に、青く光るドリルのようなものが、にゅっと突き出た。それから、ひと抱えほどの虹色の光の塊が、空気を巻き込みながらあとに続いた。光の塊は三歳ほどの裸の幼児の姿になると、忠介の頭に引っつき、
「ミュウ」といった。
忠介が幼児――ミュウミュウを頭に引っつけたままジャングルジムを降りると、陽子は忠介のリュックから着替えを出し、ふたりがかりでミュウミュウに着せた。
ふと、忠介が手を止め、顔を上げた。
「今日、カレー?」
「えっ」
陽子は思わず自分の腕を鼻に当て、
「……匂《にお》いかがないでよ、エッチ」
「あ、ごめん」
ミュウミュウが服を着終わると、忠介はリュックを背負い、ジロウマルの散歩ひもを持って歩き始めた。ミュウミュウは忠介の頭に引っつき、その後ろに、手ぶらの陽子が続く。
帰り道は西にむかって伸びていた。風呂屋の煙突の横に沈もうとする夕日が、やけに赤くてでかかった。
「すっごい夕焼け」と、陽子がいった。
「うん」と、忠介。「……まるで、この世の終わりみたいだ」
「……なにそれ」陽子が立ち止まった。
忠介はジロウマルに引かれながら、そのまま歩いていく。
「あのね、俺、今日みたいな夕焼けのとき――」
忠介は歩きながら、ぼーっと空を見上げていた。
「『このまま世界が終わってしまえばいい』って思ったことがある」
こんなふうに、忠介はときどき、よくわからないことをいう。
リュックをしょった忠介の背中が、急に遠くなっていくような気がして、陽子は少し不安になった。まるで、兄がこのままどこか知らないところに歩いて行って、消え失《う》せてしまいそうな感じ。
「変なこといわないでよ。日が暮れるくらいで」
陽子は口を尖《とが》らせた。
そして、再び足早に歩いて忠介に追いつくと、その背に手を伸ばし、少しためらってから、リュックからたれている肩ひもの端をにぎった。
「……だいたい、世界がどうとか、そんなのおニイが決めることじゃないでしょ」
「あっ、そうかあ」
忠介はぽんと手を打ち、うんうん、そうだなあ、とうなずいた。
「よかったあ」
「なによ、それ」
それから、一行は無言のまま、ひと塊になって家路を歩いた。
ジロウマルのひもを忠介が持ち、忠介のリュックを陽子がつかまえ、忠介の頭にはミュウミュウが引っついて、満足げに目を閉じている。
太陽は、もうほとんど沈んでいる。
まわりの家から、晩ごはんの匂いが漂ってきている。
街灯の明かりが、ちらほらとつき始めた。
そうして、家の前まできたとき――
「あ」忠介が立ち止まった。
陽子は思わず、リュックのひもをぎゅっとにぎった。
忠介は陽子をふり返ると、
「やっぱりカレーでしょ」といって、にゅい、と笑った。
忠介たちが家に帰るのとほぼ同時に、〈アルゴス〉の鈴木から電話がかかってきた。
今日はミュウミュウの「教育方針」を決める、という予定だったのだが、なんでも、急な用事が入ったとかいう話。
みんな、ほんとにテキトウなんだから、とぷりぷり怒《おこ》りながら陽子は夕食の支度《したく》を始め、忠介はミュウミュウを背中に引っつけながら、ちゃぶ台をふいた。
と、そこに、
『帰ったのかね、忠介?』
そういいながら、カーツがふすまをかりかりと開けて入ってきた。
「あ、どうも、ただいま大佐」と、忠介。「あの……それは?」
カーツはその口に、小さな缶をくわえていた。
『うむ――忠介、私はミュウミュウと話がしたい』
「あ、はいはい」
「ミュウ?」
忠介がミュウミュウを床に下ろすと、カーツはくわえていた缶を畳の上にぽとりと落とし、前足でミュウミュウの前に押し出した。
『ミュウミュウ、これを受け取ってくれたまえ』
ネコスキー・ウルトラプレミアム。
先日発売された、「ネコ大好き、ネコスキー」シリーズの最高級ランク商品だ。忠介が試しにいくつか買ってきたもののひとつである。これまでの「ネコスキー」は、カーツにいわせれば「せいぜい家畜の飼料に毛が生えた程度」のものだったが、このウルトラプレミアム缶だけは、自信をもって「こたえられないうまさだニャア」といえる逸品《いっぴん》だ。
『銀河連邦政府を代表して、これを君に贈ろう。これは贈賄《ぞうわい》のたぐいではなく、公正なる贈与だ。友好の印と理解してもらいたい』
「……ミュウ?」と、ミュウミュウが首をかしげた。
現在地球と自分自身のおかれた危機に対し、いかなる手を打つべきか――カーツの出した結論、それは「〈リヴァイアサン〉ミュウミュウの懐柔《かいじゅう》」だ。
どういうわけか、グロウダインは〈リヴァイアサン〉に対し、いくぶんかの「同胞意識」を、そして、皇族たるギルガガガントスに対するような、「強者への敬意」をも持っているようだ。カーツには実に馬鹿馬鹿しく思えることだが、ここはひとつ、その認識を利用させてもらおう。
つまり――
たとえ、グロウダインの〈彗星皇女〉ブラムダダリアがミュウミュウをうばい去ろうとしたとても、ミュウミュウが銀河連邦への帰属を自らの意志で決定したならば、その意志を尊重しないわけにはいくまい――カーツは、そう見ている。
カーツはミュウミュウに背を向け、長い尾をぱたぱたとふった。
『ミュウミュウ、君は私のしっぽで遊ぶのが好きだったな。さあ、相手をしようじゃないか』
それから、その場でころりと転がり、
『それとも、私の腹部のやわらかい毛をなでてみるかね?』
「ミュウ」
カーツにうながされて、というよりは目の前に広げられた腹に機械的に反応して、ミュウミュウが手を伸ばし、わしゃわしゃわしゃ。
『うむ、む、ど、どうかね、実にいい手触《てざわ》りだろう! うほっ! そっ、そこはっ……いや、かまわん! 存分に楽しんでくれたまえ!! うほっ、ほほほっ!』
カーツがびくびくと四肢《しし》を痙攣《けいれん》させていると、バタン! と玄関のドアが大きな音を立てた。
「ギッ!?」ミュウミュウの手に力がこもり、カーツはギャワッと叫んで悶絶《もんぜつ》した。
玄関からどかどかと入ってきたのは、自衛隊に出向いていたバルシシアだ。
「あら、殿下、今日は晩ごはんいらないんじゃなかったの?」
「それどころではない!」と、バルシシアは怒鳴った。「ミュウミュウはあるか!?」
「あ、はいはい、ここに」と、忠介が答えた。
「うむっ!」
バルシシアはだだだだだっと階段をかけ登り、すぐさまどどどどどっと下りてきた。手には一冊の冊子を持っている。
「のけいッ!」
バルシシアは床に伸びてぴくぴくしているカーツをちゃいっと足でのけると、
「おお、ミュウミュウは今日も可愛《かわい》いのう。ほんに、可愛くてよいお子じゃ」
と、急に猫なで声を出し始めた。
バルシシア、内心は必死である。上の姉上<uラムダダリアの襲来の前に、できるかぎり失点を取り戻しておかねばならない。
この星系を訪れたそもそもの目的、「〈リヴァイアサン〉の獲得」には事実上失敗したバルシシアだが、ミュウミュウが自らグロウダイン帝国への帰順の意をしめしたならば、それはある意味彼女の功績となる。そうなれば、バルシシアとその部下は、ブラムダダリアの怒りを買わずにすむかもしれぬ。今はそこに賭けるしかない。
なにしろ、第一皇女ブラムダダリアは、惑星のひとつやふたつ、その日の気分で壊滅させてしまう、はげしい気性の持ち主なのだ。
そして――
「それそれ、仲よくしようぞ。わらわの宝物を見せてつかわすによって。近う、近う」
「ミュウ?」
バルシシアはミュウミュウをひざにのせながら、秘蔵のお宝ファイルを開いた。
ファイルの中身は、忠介にいって雑誌から切り抜かせた俳優のグラビアだ。わりと貧乏くさい趣味である。
「そうれ、見よ。里見浩太朗はよい男じゃのう。なに、気に入らぬか? では高橋英樹はどうじゃ。ほれほれ、大きい顔じゃのう。欲しい写真があれば遠慮なくいうがよい。わけてつかわすぞ」
「ミュウ」
「ぬっ!?」
ミュウミュウが切り抜きのひとつに手を伸ばすと、バルシシアは絶句した。
「そ、その役所広司は……ぬぬぬ…………ええい、ギルガガガントスに二言はないぞ!」
バルシシアは身を切るような思いでファイルから切り抜きを抜き取り、ミュウミュウに手渡した。
「だ、大事にするのじゃぞ、大事に」
ミュウミュウはしばらくその切り抜きをぺらぺらさせながらながめていたが、くしゃくしゃっと丸めると、ぽいと投げ捨てた。
「ああっ……!?」
一瞬虚脱状態になったバルシシアの脇《わき》に、復活したカーツがすべりこんできた。
『ところでミュウミュウ、私の肉球をさわってみたくないかね?』
「失せよ、くそ猫」バルシシアはカーツからミュウミュウを引きはなした。「ミュウミュウはわらわと仲よくしておるのじゃ。のう?」
「ミュウ?」
と、そこに、
「ミュウミュウ、ごはんだよー」と、忠介が手招きした。
晩ごはんはカレーライス。
「ミュウ」バルシシアの腕をすり抜けたミュウミュウが、ふわりと跳躍し、ちゃぶ台の上を越えて、忠介のひざの上に収まった。
『「あ……」』
毒気を抜かれたカーツとバルシシアの前で、忠介はミュウミュウの両手を持って合わせ、
「いただきます」といった。
[#地付き]〈しばらくお休み〉
☆突然ながら☆
休載のお知らせ※[#ハート、1-6-30]
古橋秀之氏は『ブラックロッド』三部作、『タツモリ家の食卓』に続いて電撃文庫の書き下ろしシリーズをスタートすることを決意! そのための取材(宇宙旅行等)、執筆直前の精神集中(電波受信等)、しかる後に執筆そのもの(自動書記箸)を行うべく準備段階(監禁等)に入りました。そのために連載中の『タツモリ家の食卓』はしばらくの間、休載します。
期待の新作の発売予定は2002年春
……くらいかなあ。
朗報を待て!