タツモリ家の食卓
第5回 寝る子は育つ
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[#改丁]
地球表面から三六〇〇〇キロの静止軌道上に、一隻の宇宙艦があった。
グロウダイン帝国の高速御座砲艦〈突撃丸〉。黒い装甲面にいくつものささくれた大穴を空けた武骨《ぶこつ》な船体は、漆黒《しっこく》の背景に半ば溶けこみ、屍《しかばね》のように沈黙《ちんもく》している。
その船体の表面に、巨大なレンチをかつぎ、くすんだ銅の色の肌を真空にさらしながら、小柄な老人があぐらをかいている。〈突撃丸〉機関師、アルルエンバー。他の乗員が地上に降りたのちも、彼はただひとり軌道上にのこり、艦を守っているのだ。
地球への到着当初、
「まがりなりにも軌道上に戦力を保有することによって、他方面への軋轢《あつれき》が生じはしまいか」
という参謀《さんぼう》オルドドーンの懸念《けねん》から、
「乗員はすべて地球上に降り、艦は軌道上に放棄《ほうき》する――」
そのような方針が唱えられたが、ただひとり、このアルルエンバーが強硬に反対した。
「たとえ機能停止寸前といえども、主のために艦を維持するは臣下の務めである」
そう主張し、床に根を生やしたようにすわりこむ老機関師に、一同は困惑《こんわく》した。アルルエンバーは、乗員の中にあってジェダダスターツ艦長と一二を争う偏屈《へんくつ》である。
だが、僥倖《ぎょうこう》というべきか、そのような、彼なりの「忠義」の在り方に連邦監察官カーツは理解を示した。
その結果、アルルエンバーはひとり軌道上に残り、〈突撃丸〉の整備に当たることになった。
心臓部ともいえるハイパードライブの全基全壊を始め、艦の受けた被害は甚大《じんだい》である。その上、補修用の設備も補給物資もなく、彼になしうることはごくわずか、正式な回収時のための状況|把握《はあく》や下準備等に限られていた。
それらもすでにおわり、今の状況でなしうることは、なにもない。
主君や同朋たちが眼下の惑星上に囚《とら》われているのと同様、彼もまた、軌道上にあって虜囚《りょしゅう》の身であるといってよい。老機関師は今、地球を見下ろしながらただ静かに座し、体力を温存している。
船を生かすことを第一の存在意義とする機関師が、生命の火の消えた船にひとり座す――この状況は、先の戦闘において己が任をはたしきれなかったアルルエンバーが自らの身に課した、罰《ばつ》であるかもしれない。
あるいは、知覚力にたけた観測師ゼロロスタンならば、この身を包む静寂《せいじゃく》の中に、恒星風のうなりを聞き、地球からもれる各種電磁的信号を読みとることもできるだろう。だが、エンジンのうなりに長年慣らされた身には、それはやはり死の静寂としてしかとらえられない。
が――
ゴオン……!
船体を震わせる衝撃に、アルルエンバーは目を見開いた。
なにか、大きなエネルギーを持った物体が、船体に衝突したのだ。
――軌道ゴミの類《たぐい》か、あるいはなんらかの「攻撃」か。
アルルエンバーはレンチを手に立ち上がり、衝撃の発生地点にむかった。
ほどなくして、その発生源[#「発生源」に傍点]は、船体のアールのむこうからひょっこりと頭を出した。
『アルルエンバー!』
老機関師の第三眼に飛びこんできたのは、グロウダインが真空中のコミュニケーションに用いる、光言語である。
『これは……殿下』
アルルエンバーはその場に腰を下ろし、両手をつくと深々と頭をたれた。
「殿下」と呼ばれたのは、〈突撃丸〉の主、バルシシア皇女である。真っ赤な軍服にマントをはおり、両手にはCプラスガントレットを装備している。
バルシシアは平伏するアルルエンバーに大股《おおまた》に歩み寄ると、ガンガン、と足を踏《ふ》み鳴らした。「おもてを上げよ」のサインだ。
両目を閉じ、顔を上げるアルルエンバーに、バルシシアはさらに、
『苦しゅうない、刮目《かつもく》せよ』
といって、その目の前にどかりとあぐらをかいた。
『久しいの。大事ないか』
『は』アルルエンバーは答えた。『殿下こそ、なにゆえのお越しにござるか』
場合によっては不敬ともとれるいいようだが、こうした率直なものいいは、彼の美点でもある。バルシシアは気にした風もなく、
『なんでもない。散歩の途中《とちゅう》に寄ったのじゃ。おぬしのようなしわくちゃ顔も、しばらく見んと物足りなくなるから不思議じゃの』
『散歩、とは…?』
『散歩ではない』と、今度は銀河共用の無線言語がふたりに呼びかけた。
バルシシアの頭上に、〈突撃丸〉に匹敵するサイズの、巨大な銀色の流線形の物体がせまった。
『今回のフライトの目的は〈スピードスター〉の追加装備の運転試験および、龍守《たつもり》忠介《ただすけ》の飛行試験だ』
〈スピードスター〉の機首に貼《は》りついている忠介が、
『あ、どうもどうも。はじめまして』といって、ぺこぺこと頭を下げた。
忠介は今、NASAから借りてきたという宇宙服姿だ。背には大きなバックパックを背負い、胸の前には胴体くらいの半鏡面処理されたカプセルがくくりつけられている。バックパックには生命維持装置に加えて〈アルゴス〉製の次元振動ジェネレータが入っており、胸のカプセルには、
『ミュウ』ミュウミュウが入っている。
バルシシアはアルルエンバーにむかって、『どうじゃ、どうせ船も動かんのじゃし、そろそろ地上に降りてこぬか。ひとりで座っておるのもあきたろう』といった。
『君さえよければ、この帰りに地上まで護送しよう。再び軌道に上がることも、必要に応じて検討する』と、カーツ。
『は、なれど……』
いいよどむアルルエンバーにむかって、バルシシアはにたりと笑い、
『わかっておるわ。おぬし、わらわの身より、このボロ船のほうが心配なのじゃろ?』
『は、あいや』
『苦しゅうない!』
バルシシアはカカカと笑いながら立ち上がり、黒い船体をけり、〈スピードスター〉にむかって飛び上がった。
〈スピードスター〉が、高速機動にそなえ、ハイパードライブの回転を上げ始めた。
バルシシアはガントレットを使って機動し、忠介の横にズンと着地。銀色の機首からアルルエンバーを見下ろしながら、
『〈突撃丸〉はわらわの体も同然じゃ、しっかと守っておれ!』といった。
それから――
バルシシアは惑星間の空間を馳《は》せる〈スピードスター〉の機首に腕組みをして立ち、
『爽快《そうかい》、爽快!』
真空中に大口をあけて笑った。
忠介はバルシシアのよこに四つんばいになり、両手足を固定されている。
〈スピードスター〉の機内に入ることもできるのだが、今日は宇宙服のテストをかねているので、こんな格好だ。
『猫よ、もっと飛ばせ!』
『了解だ――これより界面下|潜航《せんこう》に移る』
〈スピードスター〉の機体がグンと加速した。
忠介は全身に風圧に似た――いや、深い水中のような圧迫感を感じ、思わず目を閉じた。界面下潜航にともなう、界面抵抗だ。
宇宙服の表面が、ブン……とうなりを上げて振動し、圧力に抵抗した。グロウダインの体表面や、バルシシアの〈祝福〉にあたる機能が、この宇宙服には仕込まれている。それがなければ、加速やエーテルの圧力をもろに喰らって死んでしまうそうだ。もっとも、安全装置は何重にもセットされているし、いざという時にはカーツやバルシシアに助けてもらうことになっている。
一瞬の急加圧ののち、圧力は急速に弱まり、安定した。忠介が目を開くと、一行は見渡すかぎりの虹色の光に包まれていた。地球人が初めて目にする界面下空間。加圧のため発光するエーテルが、スペクトルを目まぐるしく変えながら後方に流れ去っていく。
『わは〜』
忠介はヘルメットの中であほうみたいな表情《かお》をぐるりとめぐらせながら、
『きれいだなあ〜』といった。
『うむ、そうであろう』と、なぜか自慢げなバルシシア。
『陽子《ようこ》もくればよかったのに』
『ほんにのう』
陽子はこの手のイベントに対して妙に保守的なところがあって、今回も結局「家で待ってる」といって聞かなかったのである。
バルシシアは髪とマントをエーテル風になびかせ、両目を閉じ、第三眼のとらえるハイパーウェーブを満喫《まんきつ》した。
『界面下機動《はやがけ》の妙味、おいそれと味わえるものではないというに、おしいことじゃの!』
『同感だな』と、カーツ。
銀河連邦、グロウダインの両陣営を通じ、界面下航行を体感[#「体感」に傍点]する立場にある者は少ない。カーツもバルシシアも、それを自らの「特権」と認識し、享受《きょうじゅ》している。
そしてもうひとり、その「特権」を生得《しょうとく》的に持つ者がいた。
『ミュウ!』
忠介の胸のカプセルに収まっていたミュウミュウが、額の角――空間|衝角《しょうかく》をシャキンと伸ばした。青く光る角が、カプセルの半鏡面処理された窓をつらぬいて、にゅっと突き出た。
『あ――』
忠介の目の前で、青い角が、ドリルのようにぎゅるっと回転した。そして、
ヒュン――
回る角を中心にして、カプセルに穴が開き、大きく広がった。バシュ、と空気がもれ、ミュウミュウの体がぽこんと飛び出した。カプセルの穴は一瞬で空間ごと縮まり、元通りにふさがった。ミュウミュウはカプセルを開かず、また、傷ひとつつけることなく、その中から抜け出したことになる。
ミュウミュウの肌は今、忠介の宇宙服やバルシシアと同様、次元振動を帯びて発光している。光る素足が忠介の肩をとん[#「とん」に傍点]とけり、頭上に跳《と》んだ。
『ミュウミュウ――!?』
忠介は体をひねってミュウミュウを見上げた。ミュウミュウの体は強力なエーテル風にもまれながら後方に吹き飛ばされ、あっという間に見えなくなり、そして――
虹色の光の中、ちかっ、と、ひときわまばゆい光が生じた。
数瞬の間を置いて、もう一度、ちかっ。今度はもっと強い光だ。
ちかっ、ちかっ、ちかっ――
光っているのは、瞬間的に輝き、ふくれ上がっては消えていく光球。ミュウミュウが脱皮しているのだ。
やがて、
ドォン――
と、ごく近い距離で光球が爆発した。比較物がないので距離感はつかめないが、視界をおおいつくす大きさだ。忠介の体にエーテルを媒介《ばいかい》にして爆圧が伝わり、宇宙服の表面が、ブゥン、と音を立てた。
光球の中から、青く光る衝角が突き出し、周囲の空間を巻き込みながら回転した。エーテル渦動《かどう》生命体〈リヴァイアサン〉の航行形態。通常空間では虹色の光の塊《かたまり》と見えるその体は、界面下空間にあっては、周囲のエーテルとの明確な境界を持たない、紡錘形《ぼうすいけい》の光の渦《うず》だ。先端部の衝角のみが、確固とした存在感を持っている。
高速に流れる虹色のエーテルの中、〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウの衝角の先が、〈スピードスター〉の機首に、グッとせまってきた。遠目には針状の形をしているはずのそれは、今は巨大な柱――いや、壁にしか見えない。ミュウミュウの衝角と〈スピードスター〉の表面をおおう液体外装、ふたつの壁に、忠介とバルシシアははさまれた形になった。虹色の周辺光が衝角の発する青い光に圧倒され、その光を照り返す銀色の液体外装が、衝角から発する静かな圧力を受けて、ゆったりとたわみ始めた。
忠介は周囲を見回した。上下の視界をおおうふたつの豊は、前方と左右では何十メートルか先で途切れ、虹色の開けた空間につながっている。しかし、後方は――
この位置からだと、頭上の衝角と足元の機体は、ともに、背後に無限に伸びているように見える。先日銀河連邦から送られてきた追加ドライブを装備した〈スピードスター〉の全長は、現在約一〇〇〇メートルだ。一方、ミュウミュウのサイズはどれほどになっているのか。多分、衝角だけでも〈スピードスター〉より大きいんだろう、と、忠介は思った。
どうやって忠介たちの位置をとらえているのか、ミュウミュウの衝角は頭上すれすれの位置をたもっている。忠介は両手のロックを外してそろりと立ち上がり、手を頭上に伸ばして衝角の壁面[#「壁面」に傍点]に触《ふ》れてみた。すると、指先の触れた位置から、ブブン、と音を立てて、きれいな緑色の光の波紋《はもん》が広がった。
なんだか楽しそうだな、と、忠介は思った。
と――
ミュウミュウが〈スピードスター〉からはなれた。低い天井《てんじょう》のように頭上を圧していたミュウミュウの巨体は、急速に上昇し、虹色の空間の中に小さく浮かんだ。
『基準界面に浮上するようだな――先回りする』
〈スピードスター〉はミュウミュウを追い、その衝角の前方に位置をとった。加えて、地球人には本質的に知覚できない、四次元方向への機動。一瞬、エーテルが急加圧され、宇宙服の表面が高いうなりを発した。先ほど潜航の際に感じたのと同様の、界面抵抗。いうなれば、「次元の壁」だ。
「壁」を抜けると、忠介の前に、見慣れた宇宙空間が広がった。暗黒の虚空《こくう》にぶちまけられた、細かな星々、そして流れるような銀河。
ただ、先ほどまですぐそこに大きく見えていた地球は跡形もなく、常に半身をあぶるように照りつけていた太陽も、だいぶ小さく、弱々しく見える。
――なんだか、ずいぶん遠くまできてしまったみたいだ。
忠介がふと心細く思ったとき、
『ミュウミュウが出るぞ』と、バルシシアがいった。
その言葉通り、空間が大きく振動したかと思うと、星を散らした背景をぐにゃりとゆがめ、「次元の壁」を突き破って、青く光る衝角の先端があらわれた。ズズズ――と、衝角はなにもない空間に、立ち木が成長するように伸びていく。いや、大きさから見て「塔」と表現したほうがいいかもしれない。
やがて、衝角が伸びきると、それに続いてミュウミュウの本体、虹色に光る次元渦動があらわれた。まるで、糸の代わりに綿を通した針が、布をつらぬいてきた感じ。ちなみに、衝角が「光る塔」なら、こちらは「光の竜巻」だ。紡錘形の巨体が、太陽のように光を放ち、はげしく回転しながらふくれあがっていく。圧倒的な存在感だ。
完全に基準界面に姿をあらわすと、ミュウミュウは〈スピードスター〉の横をすり抜けた。けっこうな距離と速度差があるはずだが、ミュウミュウの体があまりにも巨大なため、通過には十数秒かかった。
『さて、ミュウミュウを回収しなければ』と、カーツ。『忠介、幼児の形態に戻るようにいってくれないか』
すると、ミュウミュウの体に複雑な光のパターンが浮かび、巨大なネオンサインのように、ちかちか、と発光した。
『なんじゃ?』とバルシシア。
ミュウミュウを見上げながら、
『え、なになに?……駆《か》けっこ?』と、忠介。
『ミュウミュウがそういったのかね?』とカーツが問うた。
『えー……多分、なんとなく』
忠介の言葉を肯定《こうてい》するように、ミュウミュウの体が二度、三度とうねり、そして急加速した。
『ふむ、望むところじゃ!』
バルシシアは腕を組み、ミュウミュウの飛び去る方角をあごでしめし、
『追えい!』
『やれやれ、仕事をふやさないでくれたまえ』
カーツのコマンドによって、〈スピードスター〉の二四基のハイパードライブが、エーテルを震わせて咆哮《ほうこう》。白銀の機体はミュウミュウを追って加速した。
ミュウミュウは〈スピードスター〉が追いつくのを待つように、速度をゆるめながらぐるぐると螺旋《らせん》を描いて機動した。さらに、紡錘形の体をほとんど球に近い形にまで縮めたかと思うと、急激に伸び上がりながら加速。輝く巨体は一瞬で星の狭間《はざま》に遠ざかり、光の点となった。
そして、
ドォン、ドォン――ドォン![#「ドォン、ドォン――ドォン!」は太字]
エーテルの爆圧をともなう光球が、小、中、大――いや、小、大、極大と、連続的に発生し、破裂《はれつ》した。光球の爆発――ミュウミュウの脱皮にともなって、強力な超電磁ノイズが太陽系全域にまき散らされた。
『うおっ!?」
バルシシアは手を上げて第三眼をかばい、
ヴオオオオン……![#「ヴオオオオン……!」は太字]
空間を震わせて、ミュウミュウが吠《ほ》えた。
『まさに怪物だな……!』
〈スピードスター〉の外装を波立たせながら、カーツがいった。
『はっはっは』と忠介。
ミュウミュウ楽しそうだなあ。
と――
羽虫《はむし》のように不規則な軌道を描いていたミュウミュウの姿が、ふとかき消えた。
『うむ?』
『また潜航したな』
次の瞬間、
ゴォン――!
〈スピードスター〉の機体を、はげしい衝撃が襲った。
そして、機体の軸と直交する、急激な加速。
『わあ!?』
『ぬおお!?』
ヴオオオオ――![#「ヴオオオオ――!」は本文より1段階大きな文字]
機体の下方から、ミュウミュウの咆哮が響いてきた。
衝角の先端が、機体を突き上げているのだ。
『やめたまえ――やめたまえ、ミュウミュウ!』
カーツの叫びをかき消すように、加速はさらに増し、空間が轟《とどろ》いた。
その頃《ころ》、龍守家の居間では、鈴木《すずき》と島崎《しまざき》が、忠介一行の行動をモニターしていた。
ちゃぶ台の上に広げられたノートパソコンから出た何本かのケーブルが、テレビの上のチューナー――〈アルゴス・システム〉の端末につながっている。パソコンの液晶画面を見ていた島崎は、鈴木にむかって、
「ミュウミュウの九齢への脱皮を確認しました。これまで確認された形態の中では最大のサイズですね。体長は約一〇万キロ」といった。
「地球よりでかいってことか」
「ガス巨星なみです。木星よりは小さいですが」と島崎。「正確には、天王星よりは大きくて、土星よりは小さいです」
「そいつはよかった」
ぷかりとタバコをふかす鈴木に、島崎は続けて、
「まだまだ、こんなものじゃありませんよ。〈キーパー〉の話では、完全に成長した〈リヴァイアサン〉は全長一〇〇〇億キロにおよぶそうです」
「一〇〇〇億……てのは、どれだけでかいんだ」
「そうですね、えー、身近な例でいうと……」
島崎は周囲を見回し、となりの部屋に目を留めた。仏壇の前に、くだものかごが置かれている。島崎はいったん席を立って、仏壇にむかって、
「ちょっとおかりしますね」
と頭を下げ、かごからリンゴをとって戻ると、それを鈴木の目の前に置いた。
「このリンゴを太陽とします」
無言でうなずく鈴木に、島崎は続けて、
「このリンゴから一〇メートル先に米粒が落ちていると思ってください。それが、われわれのいる地球です。また、ここから五〇メートル先にはビー玉が落ちています。それが木星です。ちなみに、現在のミュウミュウの大きさは、え――……ソラマメの粒程度ですね」
島崎は、架空《かくう》の「米粒」や「ビー玉」を指した指先をさらに高く上げ、
「先日まで〈突撃丸〉がいたのは海王星軌道付近、約三〇〇メートルの位置です。ハイパードライブなしでは、地球まで半年かかるといっていましたね。単純に比較はできませんが、参考までに……地球人の手になる、パイオニアやボイジャーなどいくつかの無人探査機は、地球から打ち出されたのち一〇年あまりの時間をかけて海王星軌道を通過しています。そして、この尺度でいうと〈リヴァイアサン〉の成体は――」
お手上げ、というように両手を広げ、
「全長六・七キロメートル、まさに天文学的です」
鈴木は無表情のまま、
「そいつは、大したもんだな」といって、ぷかりとタバコをふかした。
「あぁ〜っ」
台所のほうから、低い、不満げな声が聞こえてきた。
お茶の盆を持って入ってきた陽子は、ちゃぶ台に盆を置くと、鈴木の前からさっ[#「さっ」に傍点]とリンゴをとり上げた。
「また勝手にとってる」
先日の羊羹《ようかん》の一件を、陽子はまだ根に持っているのだ。
「あ、それは……」と島崎がいいかけたところに、
「うまそうだったもんでな」と、鈴木。
「……もう、いやしいんだから」
ぶつぶついいながら、陽子はリンゴを持って出ていった。
島崎が頭をかきながら、
「すいません」
というと、鈴木は無言で肩をすくめた。そして、陽子のおいていった盆から湯飲みをとりながら、
「連中は、今どの辺だ?」
「あ、ええと……」
島崎はパソコンのモニターをチェックし、
「太陽からだいたい一二億キロ。黄道面からだいぶ外れてますが、距離的には木星軌道の外側くらいです。まあ、〈リヴァイアサン〉にとっては、庭先で遊んでいるようなものですね。
……お、またダイブしたようです」
衝角の先に〈スピードスター〉を引っかけたまま、ミュウミュウはたわむれに潜航と浮上を繰り返し、一〇〇万キロ単位の距離を跳躍した。
機体にかかる強大な界面抵抗とその結果生じるフレームのきしみを、自らの背骨の痛みとして認識しながら、
『――このままでは機体がもたん!』と、カーツが叫んだ。
『根性じゃ、根性で耐えるのじゃ!』
『ミュウミュウ、ちょっとタンマタンマ……!』
ヴオオオオン……![#「ヴオオオオン……!」は太字]
ミュウミュウは忠介たちの言葉に聞く耳を持たず、さらに加速。
『防御形態をとる! バルシシア、次元振動を!』
『……心得た!』
〈スピードスター〉のハイパードライブが咆哮し、バルシシアの体にエネルギーを送り込んだ。同時に、なめらかな鏡面を成す液体外装の中でフレームが組み代わり、白銀の矢を思わせる機体はバルシシアと忠介を内部にとり込みながら変形し、直径三〇〇メートルの球体を成した。
機体の内部で、バルシシアは全身に攻撃紋を展開し、
『ぬうん!』
ハイパードライブから供給されたエネルギーを次元振動に変換し、両手のガントレットから放出。球体化した〈スピードスター〉の表面が、うなりを上げながら、金色の光を帯びた。バルシシアの体を次元振動ジェネレータに使った、防御態勢だ。
輝く金色の鞠《まり》と化した〈スピードスター〉を、巨大な衝角の先端――全体のサイズからすれば、それは恐ろしくするどい――が突いた。見事に重心をとらえられ、ビリヤードの玉のように弾《はじ》かれる〈スピードスター〉を追って、ミュウミュウは再びダイブ。界面下から衝角を伸ばし、再び玉を突き上げた。
『バルシシア、振動数が不十分だ!』
『もっとパワーを回せ!』
『あ〜、ゆれが……なんか吐《は》きそう……』
衝撃、さらに衝撃。
小猫が毛糸玉にじゃれつくように、イルカがビーチボールで遊ぶように、一〇万キロの海魔は、三〇〇メートルの金の鞠を相手にたわむれる。
「……もうちょっとしたら、お散歩[#「散歩」に傍点]はなるべく太陽系の外でしてもらいましょう。万一地球や太陽が巻き込まれたら大惨事ですからね」と、島崎がいった。
「その前に、〈キーパー〉のお墨つき[#「お墨つき」に傍点]をもらわなけりゃならんな」と、鈴木。
「そうですね。惑星間レベルにとどまっていればこその『保留期間』ですから――」
「そこからはみ出しつつある現在の状況を〈キーパー〉がどうとらえているか、が問題だな」
鈴木がそういったとき、居間のテレビのスイッチがひとりでに入り、黒地に赤線でできた「顔」が表示された。〈キーパー〉のインターフェースだ。
『みなさんこんにちは。私は〈キーパー〉です』
〈キーパー〉の顔が、にこりと笑った。
『私は回答します。〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウは、私の定義する〈人類〉の条件、「恒星間航行の実際的手段をもつこと」を順調に満たしつつあります。じつによろこばしい状況です』
鈴木は肩をすくめ、
「もうひとつの条件はどうだ?」といった。
『私は回答します。〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウは、私の定義するもうひとつの条件、「私との意志|疎通《そつう》が可能な論理的基盤を有すること」に関して、なんら変化を見せていません。この件について、私はいまだ判断を保留しています』
「現状維持、といったところですね」
「時間だけがすぎている、ともいえるぞ」と鈴木。「――〈キーパー〉、あんたが決定を下すのはいつだ?」
『私は回答します。それはミュウミュウと私の間に意志疎通が確認されたとき、またはミュウミュウの成長にともない、確実な駆除《くじょ》処理が不可能になる直前です』
「後者は時期的にいつごろになりますか?」と島崎。
『私は回答します。〈リヴァイアサン〉の生態については不明な点が多いため、正確な判断は下せませんが、私の最も有効とする予測は、現時点から四八五時間二三分五二秒後です』
「四八〇……あと二〇日、ですか。その日限がきたら――」
『私は駆除処理を実行します』と、〈キーパー〉。
「駆除処理」とは太陽の超新星化による〈リヴァイアサン〉の焼却。当然、その過程で太陽系も消えてなくなることになる。
〈キーパー〉がテレビから消えるのを確認したのち、
「……そろそろ、本気でミュウミュウの教育について考えなければいけませんね」と、島崎はいった。
「二〇日で、どうにか仕込めるか?」
と問う鈴木に対して島崎は、ふう、と息をつき、微妙な表情をした。
「そう悲観したものでもないとは思います。なにも日本語や、その他の言語を完全に習得する必要はありませんから。要は、普段忠介君と接しているように、〈キーパー〉とも基礎的な意志の交換ができるようになればいいわけです。ただ、少々心配なのが――」
島崎はやや表情をくもらせ、
「ミュウミュウは地球を訪れた初日に、地球人の幼児の形態を獲得し、忠介君との意志疎通(と思われる行動)を実現していますが、その後は現在まで、外見的にも反応的にもほとんど変化していません」
「ああ、その辺については仮説が出てたな」と、鈴木。「〈リヴァイアサン〉=ミュウミュウは、『忠介に会ったときの陽子』の外見――つまり『龍守忠介が身内として受け入れやすい形態』に擬態している、と」
島崎はうなずき、
「当初の変態≠ェ、忠介君に受け入れられ、保護されるためのものだとすれば、ミュウミュウはすでに目的をはたし、これ以上変化する必要を感じていない。とも考えられます。むしろ、われわれがそうしているように、意図的に現在の状況――『安全な環境』を維持しようとしているのかもしれません。とすると――」
「これ以上。人間として$ャ長することはなく、時間切れ……ってわけか」
「ええ……こうなっては、『刺激しないように』とばかりもいっていられません。なんらかの方法で、ミュウミュウのコミュニケーション能力の発達をうながす必要があります」
「やっかいだな。まるで爆弾の解体だ。まちがった線を切ればドカン、切らなくてもドカン、だ」
「まあ、そう悲観したものでもないと思いますよ」と、島崎はもう一度いった。「いまや地球に収まらない存在にまで成長したミュウミュウは、それでも忠介君を保護者として認めています」
「『まだ』認めている、というだけかもしれん」
「それはそうですが……ともあれ、真に憂慮《ゆうりょ》すべきは、ミュウミュウの人格(というものがあると仮定します)が、われわれとの、特に忠介君との接点を失うことです。まずはわれわれのほうから、ミュウミュウが『人格を持ち、コミュニケーションが可能な存在』であると信じるべきでしょう」
「信ずるものは救われる、ってか」
「ええ……鈴木さん、『パスカルの賭《か》け』って、知ってますか?」
「なんだ、それは」
「人は神の存在を信じるべきか否《いな》か、という話です」と島崎。「もし神がいるならば、神は最後の審判のとき、その存在を信じる者を天国に、信じない者を地獄に送るでしょう。もし神がいないならば、信じるも信じないも関係ありません。人は死とともに、ただ平等に消えさるのみです。つまり――」
島崎はメモ用紙をとり出し、ボールペンで何行かの短い文を書きつけた。
[#ここから1字下げ]
A‐1・神を信じる/神は存在する
[#地付き] → 天国行き
A‐2・神を信じる/神は存在しない
[#地付き] → なにも起こらない
B‐1・神を信じない/神は存在する
[#地付き] → 地獄行き
B‐2・神を信じない/神は存在しない
[#地付き] → なにも起こらない
[#ここで字下げ終わり]
「神を信じた場合(A)と信じなかった場合(B)の報酬《ほうしゅう》とリスクを比較すれば、われわれは神を信じたほうがいいに決まっている、ということになります」
「詭弁《きべん》だな」といって、鈴木は片ほおで笑った。
「問題は『神はいるかいないか』じゃなく、『そこにいるのは神か悪魔か』ってことじゃないのか? 悪魔だったら『どのみちアウト』だ」
鈴木は島崎の置いたボールペンを手にとって、新しいメモ用紙に、似た文を書いた。
[#ここから1字下げ]
A‐1・神だと信じる/神だった
[#地付き] → 天国行き
A‐2・神だと信じる/悪魔だった
[#地付き] → 地獄行き
B‐1・悪魔かと疑う/神だった
[#地付き] → 地獄行き
B‐2・悪魔かと疑う/悪魔だった
[#地付き] → 地獄行き
[#ここで字下げ終わり]
島崎は肩をすくめ、
「それでも、僕たちのすべきことは変わりませんよ」
鈴木は続けて、
「それと、もうひとつ。『信じるべきか否か』ってことは――」
といいながら、ふたつの文の上に線を引いた。
「『信じていない』ってことだな」
[#ここから1字下げ]
A‐1・神だと信じる/神だった[#「A‐1・神だと信じる/神だった」に取消線]
[#地付き] → 天国行き[#「天国行き」に取消線]
A‐2・神だと信じる/悪魔だった[#「A‐2・神だと信じる/悪魔だった」に取消線]
[#地付き] → 地獄行き[#「地獄行き」に取消線]
B‐1・悪魔かと疑う/神だった
[#地付き] → 地獄行き
B‐2・悪魔かと疑う/悪魔だった
[#地付き] → 地獄行き
[#ここで字下げ終わり]
島崎は苦笑いしながら、頭をかいた。
「たしかに、僕たちには天国行きの切符を受けとる資格はないのかもしれませんね」
「まあ、忠介たちに期待しよう。うまくいったら、俺たちは便乗すればいい」と、鈴木はいった。
そこに、
「……今〈キーパー〉がいませんでした?」
そういいながら、陽子が再び入ってきた。
「あ、もういっちゃいましたよ」と島崎。
「まあ、奴《やつ》もなにかと忙しいんだろう。地球の相手だけしてるわけじゃあないだろうからな」
そういう鈴木の前に、皮をむいたリンゴの皿がおかれた。
陽子はとがめるような目を鈴木にむけ、楊枝《ようじ》さしをさし出しながら、
「いってくれたら、ちゃんと冷やしたのがあるんです」といった。
「すまんな」といって、鈴木は灰皿でタバコをもみ消した。
その手元のメモに、陽子が目を留めた。神とか悪魔とか、変なことが書いてある。
「……なんですか、それ」
「宗教論争さ」といって、鈴木は楊枝をとった。
「あ、どうも」
島崎は鈴木から楊枝さしを受けとりながら、
「陽子ちゃん、陽子ちゃんは、神さまっていると思いますか?」
「え……?」
陽子は少しむずかしい顔をして、
「さあ……いるんじゃないですか? だって、教会とかクリスマスとかあるんだし」
鈴木と島崎は、ちらりと顔を見合わせた。
「たのもしいですね」
「そうだな」
「……ふたりとも、なに笑ってるんですか」
といって、陽子は口をとがらせた。
「なんだか、やな感じ」
忠介たちは夕方近くに帰ってきた。
「ただいまー」
という縁側の声に陽子たちが出てみると、庭先に着陸した〈スピードスター〉のコアユニットから、妙によれよれになった一行が降りてきた。
カーツの毛並みはぼさぼさに乱れ、バルシシアの軍服はあちこちがぶすぶすとこげている。宇宙服姿の忠介は、顔のまわりになにかこびりつかせている。
そして、三人に共通する、憔悴《しょうすい》しきった表情。
「どうでした?」という島崎に、
『……報告の前に、少し休憩をとりたい』
「うむ」
カーツとバルシシアはよろよろと縁台にむかった。
一方、
「……おニイ? なんかくさい」
「あー、うん、ちょっとゲロ」と、忠介。
「いったいどうしたの?」
「いやあ、ミュウミュウがずいぶんよろこんじゃって」
「なにそれ」
なんだかよくわからないが、いわれてみるとミュウミュウだけが、忠介の頭に引っついた形で、すうすうと満足げに寝息を立てている。
忠介の宇宙服を脱がすために、鈴木と島崎が両脇に立った。
陽子は忠介の頭からミュウミュウをそっと引きはがした。
「……ミュウ」
ミュウミュウは目を閉じたまま、二、三度手足をばたつかせると、陽子の首にしがみついて、くるるるる……と、のどを鳴らした。
「よく寝てるみたい」
宇宙服のバックパックのロックを外しながら、「まさに『寝る子は育つ』ですね」と、島崎がいった。
すると――
縁台に上がりかけていたカーツとバルシシアが、同時にふりむきながら、
「うげえ」という顔をした。
[#地付き]〈つづく〉
[#改段]
古橋秀之の挨拶
みなさんこんにちは、作者の古橋秀之です。
昨日、担当ミネさんからお電話がありまして、『タツモリ』の掲載ページに余白ができるのでなにかいい穴埋めはないか、っていうかなんか書け。というお話。
「なんか適当に広告とかじゃ駄目なんですか」
『それじゃ芸がないから駄目だって、編集長が』
どうしましょう?
――とまあ、このように、このシリーズに関しては、内輪ネタというか、書いてる側の舞台裏やらなにやらを積極的にオープンにしていこう、という裏コンセプトがありまして、それゆえ、文庫のあとがきなどで担当ミネさんの人となりについてあることないこと書いたりしてしまっているわけですが、
『いや、まあ、あれはミネさん≠ニいうキャラクターであって、別に私自身のことだとは思ってませんから』とは御本人の弁。
ちなみに、ミネさんが担当する他の作家さんには「いや、あれはそっくりだ。まさにああいう感じだ。ミネさんそのものだ」と、おほめいただいておりますが、まあ、御本人がおっしゃるように、あくまでネタであります。だって、「私ら、ホントは別に仲よくないですもんね」
『……』
※編集部注[#「※編集部注」は太字]
「この挨拶はフィクションです。実在の人物・団体・担当編集者とは一切関係はありません」[#「「この挨拶はフィクションです。実在の人物・団体・担当編集者とは一切関係はありません」」は太字]
ちなみにこの原稿、前の行のカッコの中は空白にしてミネさんに回してあります。出来上がった本を見るまで、私自身もなにを言われるかわかりません。ふわー、ドキドキ。
――と、このような感じで担当ミネさんが(あとがきで)活躍する『タツモリ家の食卓』シリーズ1〜3巻、電撃文庫より発売中です。
ではミネさん、最後にもうひとことどうぞ。
※編集部注[#「 ※編集部注」は太字]
「古橋秀之、及び『タツモリ家の食卓』を今後ともよろしくお願いいたします。こんな嘘つきの作家ですが、嘘つきは作家の職業病であり、だから締切破るのもただの脳の病気です。と言うわけで今度破ったら手術しましょう。もちろん麻酔無しで、頭蓋骨を開いて、電極を差し込んで、百万ボルトぐらいの電圧でビリビリと……(以下略)。なおこの編集部注もフィクションです。実在の人物・団体……(以下略)」[#「「古橋秀之、及び『タツモリ家の食卓』を今後ともよろしくお願いいたします。こんな嘘つきの作家ですが、嘘つきは作家の職業病であり、だから締切破るのもただの脳の病気です。と言うわけで今度破ったら手術しましょう。もちろん麻酔無しで、頭蓋骨を開いて、電極を差し込んで、百万ボルトぐらいの電圧でビリビリと……(以下略)。なおこの編集部注もフィクションです。実在の人物・団体……(以下略)」」は太字]