タツモリ家の食卓
第4回 張さんのおみやげ
[#挿絵(img/D-hp13_241.jpg)入る]
[#挿絵(img/D-hp13_242.jpg)入る]
[#改丁]
趣味《しゅみ》は盆栽《ぼんさい》。
――というと、
「いきなり人生終わってんな、おい」
などとチビの憲夫《のりお》にいわれたりするのだが、ともあれ、盆栽は忠介《ただすけ》の趣味なのである。
龍守《たつもり》家のおむかい、郷田荘《ごうだそう》の庭先の日当たりのよいところに作られた棚に、マツ、ウメ、サンザシ、カイドウ、ヒメリンゴなどなど、全部で一〇個ほどの鉢《はち》がならんでいる。その前に、頭にミュウミュウを引っつけた忠介は立っている。
すでに、日当たりのバランスをとるためにひと鉢ひと鉢を少しずつ回転させ、いくつかの鉢は日陰に移した。日照だけでなく、水やりや肥料のタイミングも樹種によって微妙《びみょう》にちがうが、忠介はそれぞれに気をつけて世話をしている。鉢土の表面がかわいたら水をやるもの、逆にかわかしてしまってはいけないもの。ヒメリンゴはそろそろ肥料の時期かなあ。
それらがひと通りすむと、忠介は剪定《せんてい》ばさみを片手に腕を組み、にゅにゅ〜、と悩んだ。いくつかの鉢に、どう見ても伸びすぎている枝がある。こういうのを放っておくと、見栄《みば》えがよくないだけでなく、ほかの枝が成長できなくなったりして、具合が悪いのである。
それはわかっているのだが――
「んんー」
忠介はにょきっと伸びたウメの若枝の、外側にむいた芽のすこし上にはさみを当てた。くくくっ、と指に力を込めつつ、まるで自分の指を切り落とそうとでもいうように、手元から顔をそらした。普段、あまり表情らしい表情のないホトケ顔に、精いっぱいの痛そうな表情が浮かぶ。
「ミュウ〜」
忠介をまねて顔をそむけながら、ミュウミュウが忠介の髪をきゅーっと引っぱった。
やがて、ふう、と息をついて、忠介は力を抜いた。枝はまだ切れていない。はさみの刃は樹皮に小さな傷をつけただけだ。それから、軽く呼吸をととのえて、忠介はもう一度、
「んんんー」くくくくっ、と指先に力を込める。
「ミュウウ〜」ミュウミュウも、再び忠介の髪をきゅきゅーっ。
忠介は再び手をはなし、ふうー、と深呼吸して、さらに、
「んんんんんー」くくくくくくっ。
「ミュウウウウ〜」きゅきゅきゅきゅーっ。
ぷちぷちぷちっ、と、何本かの髪の毛が抜けた。
「――いたたたた、ミュウミュウ、痛い痛い」
「ミュウ?」
「……なにやってんだ、おまえは」
いつの間にか、忠介の横にチビの憲夫が立っていた。学生服に、鞄《かばん》を持っている。学校帰りに忠介の様子を見にきたのだ。
「あ、いやあ」
忠介は左手でミュウミュウの手を押さえながら、
「はさみ入れるの、苦手なんだよね」と答えた。
「『木が痛がるから』ってか」
「え、木はべつに痛くないと思うよ」
忠介は小首をかしげ、一秒間ほどにゅ〜っと考えてから、
「だって、木だし」
話を合わせたつもりが身もふたもない切り返しをされて、憲夫はちょっとむっとしながら、
「じゃあ、なんなんだよ」
「んー、なんとなく」
なんだそりゃ、といいながら、憲夫は盆栽の棚を見回した。
「盆栽のことはよくわかんねえけど……なんだか『生えてるだけ』って感じだよな」
憲夫のいうとおり、棚に並んだ盆栽は、どれも枝葉が伸びっぱなしになっていて、専門用語でいう「荒木」の状態になっている。憲夫はそんな言葉は知らないが、素人目《しろうとめ》に見ても、なんだかボケた印象だ。
「『盆栽』ってより、ただの『植木』だ、こりゃ」
「はっはっは、そうかも」
忠介は「盆栽」が「植木」であっても、ぜんぜんかまわないのである。
「いったいなにが楽しくてやってんだ、こんなの」
「んんー」
忠介は三秒間ほどにゅにゅ〜っと考えてから、
「なんでかなあ」
「もういい、おまえと話してると日が暮れる」
と憲夫。押さえ役の清志《きよし》が入らないと、なんだかきつい感じになる。
と、そこで、
「あれ、今日は清志は?」と、忠介は聞いた。
「いっしょだぜ」といって、憲夫は背後をふり返った。「おい、なにしてんだよ」
メガネノッポの清志は、郷田荘の門柱にすがりつくような格好で、あたりをきょろきょろと見回していた。青ざめた顔で、腰が引けている。
「この辺には、あああ、アレがいるだろうアレが」
「アレって――ああ、あの猫か」と、憲夫。
清志は先日龍守家を訪れた際に、猫型異星人であるカーツに遭遇《そうぐう》し、泣いてビビりまくったのだ。もっとも、清志は異星人|云々《うんぬん》についてはなにも知らない。単に猫が駄目《だめ》なのである。
憲夫も清志と同様、カーツのことはただの「龍守家の飼い猫」だと思っている。その名前は、
「たしか、『大尉《たいい》』だっけ?」
「あ、えーと」と、忠介。「彼は昇進して、現在は大佐です」
「……おまえんちは猫が出世するのか」
変な家だな、といって憲夫が変な顔をしたとき、道路のむこうからガコガコと重い音が聞こえてきた。
ガコガコと鉄下駄《てつげた》を鳴らしながら走ってきたのは、ジャージ姿のバルシシアである。手には犬の散歩用のひもを持っている。そして、そのひもにはうわさの主、カーツ大佐がつながれている。
「どうしたどうした、ぺーすが落ちておるぞ! もたもたしておるとふむぞふむぞ!」
それっ、と声をかけて、ガガガガガ、とバルシシアがスピードを上げた。まるで短距離走のようないきおいだ。鉄下駄の歯にしっぽを踏《ふ》まれそうになったカーツもまた、必死の形相《ぎょうそう》でペースを上げた。
「よしよし、その調子じゃ! 死ぬ気でいくのじゃ、死ぬ気でな!」
カカカカカ、と笑うバルシシアはやがて、郷田荘の門の前でガガッと立ち止まった。散歩ひもがピンと張り、いきおいあまって首つり状態になったカーツが、ギャワワワワ、とパニックを起こして、ひもの半径分の空間を駆け回った。
「おう、なんじゃ貴様らか」
バルシシアに声をかけられた憲夫が、
「なんだとはなんだよ」と、むっと眉《まゆ》をひそめた。
しかし、バルシシアは気にした風もなく、
「苦しゅうないぞ」
にかりと笑いつつ、あばれるカーツをとり押さえ、散歩ひものフックを首輪から外した。
「今日はここまで!」
バルシシアがバシッと尻《しり》を叩《たた》くと、いまだパニック状態のカーツはギャオッと叫《さけ》んで一直線に飛び出した。たまたまその進行方向にいた清志が、「ひゃああっ!?」と叫んで駆《か》け出した。ひとりと一匹は、道路を一直線に駆けていった。その様子を見たバルシシアは、カカカカカ、と愉快《ゆかい》そうに笑った。
「あ、おい……!」
憲夫は清志の姿を目で追うと、
「悪ィ、またそのうちくるわ」
忠介に手をふり、鞄を小わきに駆け出した。
憲夫の背を見送る忠介に、背後から声がかかった。
「おっ、今のは忠介君のご学友でありますか」
「あ、はい」と忠介。
声の主は、カーキ色のタンクトップに、軍パンにブーツ、小さな角刈り頭の巨漢――自衛隊の手力《たぢから》曹長《そうちょう》だ。先ほどバルシシアの駆けてきた方向から、こちらは郷田荘の犬、ジロウマルを連れて走ってきていた。
「おそかったの」と、バルシシア。
「はっ、もうしわけありません」手力は敬礼して答えた。
バルシシアと手力は、ジロウマルの散歩とカーツの特訓をかねて近所をひと回りしてきたのだが、手力・ジロウマル組はバルシシアのペースに引きはなされてしまったのだ。
手力は散歩用品を庭先の物置にしまうと、代わりに出してきたドッグフードを餌皿《えざら》に開けた。
今日の散歩は、ジロウマルには少々オーバーペースだったらしい。地面にへたり込んで息を荒げていたジロウマルだが、目の前に餌皿と水皿が置かれると、しっぽでぱたぱたと地面をはきながら、「オンッ」といった。
「ヨシッ」
手力の号令で餌を食べ始めるジロウマルの横で、「ふんっ、ふんっ」と屈伸《くっしん》をしたり腰を回したりしていたバルシシアは、
「まだ動きたりんのう」といった。「どれ、もうひと回りしてくるか」
「お供いたしましょう」
小さな顔に人好きのする笑みを浮かべながら、手力がバルシシアに、ついで忠介に敬礼した。
「では」
「あ、いってらっしゃい」
「ミュウ」
バルシシアと手力は、ガッガッガッ、と鉄下駄とブーツの足音を鳴らしながら走り出した。
余談ながら、このところよく近所に出歩くようになったバルシシアは、妙に子供受けがいい。ちょうど今も、下校中の小学生の集団を追い抜くと、
「あっ、ガングロのお姉ちゃんだ!」
と、甲高《かんだか》い声を上げながら、子供たちはバルシシアと手力の周りにわらわらとまとわりついていく。
「誰《だれ》がガングロじゃあっ!」
バルシシアが一喝《いっかつ》すると、きゃあ、と声を上げて、子供たちは蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げ出した。が、バルシシアらが再び走り出すと、くすくすと笑いながら、ふたりのあとをついていく。きゃあきゃあ、くすくす、という声は、やがて、角を曲がって遠のいていった。
静けさを取りもどした庭先で、忠介は再び盆栽を前に腕を組み、にゅにゅ〜となやんだ。
ぽっぽー、と、電線にとまったハトが鳴いた。
忠介は伸びすぎたウメの枝にはさみを伸ばしながら、
「んんんんー」くくくくくっ。
「ミュウウウ〜」きゅきゅきゅーっ。
と、そこに、
「ずいぶん、にぎやかだったでした[#「だったでした」に傍点]ねえ」と、男の人の声がした。
ジロウマルがぱたぱたっとしっぽをふり、「オンッ」と吠《ほ》えた。
「ジロウマルも、お元気だったでしたか」
ふり返った忠介が、
「あ……張《ちょう》さん」といった。
「えっ、張さん!?」と、龍守家の玄関先で、陽子《ようこ》が声を上げた。
「ええ、こんにちは、張さんですよ」と、張さんは答えた。
中国出身の張さんは、郷田荘の元住人だ。以前留学生として郷田荘に住んでいて、それから故郷に帰って就職したけど、何年か前に単身出向で再び日本にきて、ついこの間まで郷田荘に住んでいた。歳《とし》はまだ三〇そこそこで、日本語はちょっと下手だけど、英語がペラペラで頭が良くて、国際派のエリートの人である。今もスーツをぴしっと決めて、手には鞄と小さな紙袋を持っている。
「どうぞ、上がってください。おニイとミュウちゃんは先に手洗って――やだ、どうしよ、なんにも出すものないわ」
陽子は居間に通した張さんにお茶を出すと、
「張さん、ちょっと待っててくださいね」
「あ、おかまいなく――」
張さんにみなまでいわせずに、財布を片手にぱたぱたと表に出ていった。
そして――
「……陽子ちゃん、ずいぶんしっかりなさったですねえ」と張さんがいうと、
「はいー」と、ミュウミュウをかかえて居間に入ってきた忠介が答えた。
張さんと龍守家のつきあいは長い。郷田のおじいさんとともに、龍守兄妹はずいぶん可愛《かわい》がってもらったものである。
学生時代はともかく、会社員になってからもわざわざ安アパートである郷田荘に越してきたのは、張さんもこの土地に愛着があったからだろう。
もっとも、理由はそれだけではなくて、
「なにより、お家賃がお安いですから。お家賃がお安いと、飛行機のお金ができて、たくさんご家族に会えますね」
学生のときにすでに故郷に奥さんがいたという張さんは、二、三ヵ月に一度は奥さんと娘さんに会いに帰っていた。娘さんは陽子よりいくつか年下で、ということは今一〇歳かそこらだ。忠介が昔写真を見せてもらったとき、
「もっともっと、たくさんお会いしたいですね」
と、張さんはちょっとさびしそうな顔をしたものである。
まあ、それはさておき。
郷田のおじいさんが亡くなってから、郷田荘と龍守家は少しだけ距離が離れてしまったので、張さんにとっては何年か前の陽子の印象が強いのだろう。まだ幼かった陽子はたいへんなお兄ちゃん子で、
「今のその子――ミュウちゃんみたいに、ずっと忠介君にくっついてましたですね。ほんと、そっくりです」
張さんはそういうと、目を細めて、ふふふ、と笑った。
「おぼえてるですか? ちょっとでもはぐれると陽子ちゃんが泣いてしまうものだから、忠介君、ズボンのお尻にひもをつけて持たせてあげて。ジロウマルのお散歩の時は、三人でつながって歩いていたでしたね」
「あー、そうでしたねえ」と忠介。
あれ、けっこう楽しかったんだけど、陽子はもうやらないだろうなあ。
ふふふふふ、ともう一度笑ってから、張さんは、
「そうそう、お母さんにごあいさつ、よろしいですか」といった。
「あ、はいはい」
ここでいう「お母さん」とは、龍守家の「お仏壇のお母さん」のことだ。張さんはとなりの部屋の仏壇の前に正座すると、持ってきた紙袋から小さな包みを出し、経机《きょうづくえ》に置いた。それから、線香を二本立てて、チーン、と鈴《りん》を鳴らした。
「張さんがまだ学生さんだったとき、郷田さんとお母さんに、よくお茶にお呼ばれしましたですよ」
ちょうど、このお部屋だったですよ、と、居間にもどった張さんはいった。
「おふたりとも、甘いものが大好きだから、こおんな(と、ちょっと大げさな仕種《しぐさ》で)大きな羊羹《ようかん》を全部切って。張さん、見てるだけでおなかいっぱいだったでしたよ」
忠介君、おぼえてるですか、と聞かれ、忠介は、
「いやあ……」と答えた。
なにぶん、お仏壇のお母さんはもう一〇年も前に亡くなった人なので、忠介にはあまり記憶がない。むしろ張さんの方がよく覚えているくらいだ。
「おじいさんもお母さんも、いなくなってさびしいことですけど、思い出が楽しいは、よいことですね」と、張さんはいった。
「そうですねえ」と、忠介は答えた。
「それに、いなくなってしまう人の代わりに、新しくお会いになる人もいますですからね。陽子ちゃんや、ミュウちゃんみたいに」
とてもよいことですね、と、張さんはいった。
「そうですねえ」と、忠介は答えた。
やがて、一五分もしないうちに、張さんは「もう行かなくては」といい出した。
「陽子ちゃんには悪いけど、張さん、お仕事の途中《とちゅう》だったですよ」と張さんはいい、続けて「でも、今日はちょっと安心したですよ」といった。
「え……安心って?」と、忠介。
「ほら、張さんたち、この間、急にお引っ越しが決まりましたでしょう。張さんたちはいいお部屋、見つけていただいたですけど、もしかしたら、あとには怖《こわ》い人がお引っ越しされてるんじゃないか、そう思ったですよ」
「あ……」と、忠介はいった。
ついこの間まで郷田荘に住んでいた張さんたちは、郷田荘にグロウダインの人たちが越してくるのと入れ替わりに、〈アルゴス〉の要請《ようせい》で立ち退《の》いていったのだ。やむなしとはいえ、張さんたちは急に追い出された形になる。地上げかなにかだと思ったとしても、無理はない。
「いやあ、みんないい人ですよ」
「そうみたいですね。だから、張さん安心したですよ」
張さん、仕事が忙しいのに、わざわざ様子を見にきてくれたのだ。いい人だなあ。
玄関で靴をはく張さんに、
「またきてくださいね」
と忠介がいうと、張さんは少し困った顔をして、
「実は張さん、会社で異動があって、中国に帰るのですよ。また日本にこれるかは、わかりませんのですよ」
「えー、そうなんですかあ」
「でも、中国に帰ったら、手紙を書くですよ」
陽子ちゃんによろしく、といって、張さんは帰っていった。
張さんが出ていくと、入れ替わりに〈アルゴス〉の鈴木《すずき》が龍守家を訪れた。
陽子はまだ帰ってきていない。
相変わらずの黒ずくめにサングラス姿で、
「よう、邪魔《じゃま》するぞ」といって躊躇《ちゅうちょ》なく上がりこむ鈴木に、
「あ、どうも、こんにちは」とあいさつしつつ、
――いわれてみると、この人すごく悪そうだよなあ。
と、忠介は思った。
その悪そうな鈴木は、ポケットからライターくらいの大きさの機械をとり出し、それを持った手を居間の壁にむけて、さっ、さっと移動させた。まるで、小さな懐中電灯で壁全体をくまなく照らそうとしているような格好だ。
やがて、手にした機械が「ピピピッ」と音を立てると、鈴木はふすまの上の桟《さん》に手を伸ばし、指先ほどの塊《かたまり》をとり出した。
「あれ、なんですか、それ」と忠介が聞くと、
「盗聴器だ。今の客のみやげだな」と、鈴木。
「え、張さんの?」
「奴《やつ》から目をはなしたろう?」
「あ、手を洗ってるときかなあ」
鈴木は同様の作業を続行しながら、
「奴はこの部屋のほかに、どこか入ったか?」
「あ、えーと、あととなりの部屋に……なんで張さん、そんなの持ってきたんですかねえ」
「張|平文《へいぶん》は〈青い地球〉の協力者だ。何年も前からな」
「ええー、そうなんですか?」と、忠介はいった。「張さん、いい人なのに」
「ああ。金銭、女がらみ、暴力ざた、その他トラブル一切なし。職場や取引先での評判も上々だ。身元もしっかりしてる。どこをとっても『善良な市民』だな。〈青い地球〉の末端《まったん》には、そんな奴が多いんだ」
「……鈴木さん、張さんを捕まえたりするんですか?」と忠介が聞くと、
「そこまでひまじゃない」と、鈴木は答えた。「このやり口を見ればわかるだろう。奴は素人だ。これまでしてきたのも、〈青い地球〉への情報提供――せいぜいうわさ話程度だ。そんな連中をいちいち捕まえてたら、豚箱がいくつあっても足りん。本気で相手をするのは、この間の自衛隊の件みたいな、相当やばい奴だけさ」
「よかったあ」忠介は表情をゆるめ、「でも張さん、なんでこんなことするんですかねえ」
「さあな。犯罪に手を出すタイプじゃなかったはずだが……おまえたちのためを思ってのことかもしれんな」
鈴木はいったん言葉を切って、にやりと笑った。
「なにしろ、最近この家には『怖い人』が出入りしてる」
結局、居間と仏壇の部屋をくまなく走査し、鈴木は全部で三つの盗聴器を見つけ出した。桟の上にふたつ、タンスの裏にひとつ。
「――ま、こんなとこだろう」という鈴木に、
「うーん、それとっちゃったら、張さん困りませんかねえ」と忠介。
「置いておくと、俺が困るんだがな」と鈴木。「それに、陽子もいやがるだろう、こういうのは」
「んんー、そうですねえ」
忠介がにゅにゅにゅとなやんでいると、
「……おい」
と、鈴木がいった。
「これは奴が置いていったものか?」
鈴木が指しているのは、仏壇の前の経机の上に張さんが置いていった、小さな包みだ。
「あっ、そうですね。おみやげかなあ」
「いや、まさかとは思うが……忠介、いったん外に出ろ」と、鈴木はいった。
忠介と鈴木がミュウミュウを連れて表に出ると、ガッガッガッ、と音を立てて、ちょうどバルシシアと手力が帰ってきた。
それから――
「よし、包みを開けてくれ。なるべくそっとだ」と、鈴木は黒い携帯にいった。
龍守家の外には鈴木や忠介らとならんで、手力の赤い00[#「00」は縦中横]式が待機している。
『ふむ』
携帯のむこうから、バルシシアの声と、がさがさという物音が聞こえてきた。
毒ガスの類《たぐい》ならビニール袋に放り込め。爆発物なら食っちまえ[#「食っちまえ」に傍点]――仏壇の前のバルシシアは、そのような指示を鈴木から受けている。万一、ふいに爆発しても、バルシシアなら死ぬようなことはない。
『包みの中は紙箱じゃ。実が詰まっておる感じじゃな』
「開けてくれ。スイッチの類に気をつけろ」
『開けたぞ』
「中身はなんだ」
『にぶい緑色の、四角い、細長いぱっくが二本入っておる……これはアレかの、ぷらすちっく爆弾とかいう』
鈴木の表情に、緊張《きんちょう》が走った。
「起爆装置はあるか」
『はて、そのようなものは見当たらんが……紙の注意書きが貼《は》ってあるぞ』
「読めるか」
『地球の文字は読めぬ』
「……しばらく様子を見てくれ」
一分ほど間を置いてから、鈴木は自ら家の中に入っていき、そして、緑色の塊を持って出てきた。
忠介は思わずミュウミュウを背後にかばいながら、近づいてくる鈴木にむかって、
「それ、爆弾ですか?」
「いや」
鈴木は忠介に塊を見せた。緑色のビニール面の中央に、印刷された紙のラベルが貼ってあった。いわく「創業参百年 神田|鵬屋《おおとりや》本舗《ほんぽ》 本格|抹茶《まっちゃ》羊羹『利休』」。
「えーと、これって……」と忠介。
鈴木はうなずき、
「羊羹だ」といった。
陽子は不機嫌《ふきげん》だった。
「張さん、たしかあんこっぽい[#「あんこっぽい」に傍点]のが好きだったから――」
と、わざわざ駅のむこうの「風月堂」までいってきたのに、帰ってくると張さんはもう帰っていて、おまけに、
「なんで張さんのおみやげ、鈴木さんが開けちゃってるんですか!」
今にも羊嚢の箱のふたで鈴木の頭をぱこぱこと叩き始めそうないきおいの陽子に対し、
「すまんな」と、さして悪びれもせず、鈴木。
盗聴器云々のことは話さなかったが、「爆弾かなにかかと思った」とはいった。「そんなわけないじゃない。バカみたい」と陽子。
状況的には、まぎらわしい荷物を置いてさっさと帰っちゃった張さんや、張さんの都合も聞かずに出かけてしまった自分自身の方が悪いのだが、陽子はそのへんの判断はすべてフィーリングでおこなう。概《がい》して、あんまり筋は通っていない。
ちなみに「張さんのおみやげ開けちゃった事件」の実行犯であるところのバルシシアは、難をさけるため、宇宙人部屋に引っこんでテレビを見ている。
「もおー!」
と、ほおをふくらませる陽子を見上げながら、
「あのー」
忠介は陽子の持ってきた風月堂の包みを手元に引き寄せ、
「これ、食べていいの?」
「あんこっぽいの」は忠介も好きだ。余談ながら、和菓子屋の包装紙とあんこの混じった匂《にお》いも大好き。ちゃぶ台に顔を寄せて、ふすー、と匂いをかぐ。
しかし陽子は、
「駄目」
忠介の鼻先から包みをとり上げると、
「あたしが全部食べる」といって、二階に上がってしまった。
「えー?」
なんでそういうことになるのか、忠介にはよくわからない。
その日の夕方、忠介は夢を見た。
急速に暮れていく砂利道《じゃりみち》を、父の背中を追って、幼い忠介は走っている。
父は小わきに段ボール箱をかかえている。箱の中から、キュンキュンと仔犬《こいぬ》の鳴き声が聞こえてくる。
――父さんに追いつかないと、仔犬が捨てられてしまう。
忠介は足を速めた。何度も転びそうになりながら、必死で父のあとを追った。
いつまでたっても追いつけなくて、どんどん引きはなされていって、しまいに忠介は、ひとりで闇《やみ》の中に取り残される――それが、いつもの夢だ。
しかし、今日は。
忠介は父に追いついた。そして、段ボールを引ったくって、その場でふたを開けた。すると――
段ボールに入っていたのは、仔犬ではなかった。
小さな箱の中は、龍守家の居間になっていた。ミニチュアみたいな家具がならんだ真ん中に、小さなちゃぶ台が置かれ、ふたりの小さな人が向かいあっている。
郷田のおじいさんと、お仏壇のお母さんだ。
ちゃぶ台の上には、大量の羊羹がのっている。郷田のおじいさんとお仏壇のお母さんは、ちゃぶ台をはさんでにこにこ笑いながら、その羊羹をぱくぱくと食べている。大皿の上に山盛りになった羊羹が、ふたりの間で、漫画みたいにみるみるへっていく。
お仏壇のお母さんがふと顔を上げ、忠介と目を合わせ、にこりと笑った。その間も手と口は休まず、にこにこ、ぱくぱくと羊羹を食べている。
郷田のおじいさんが手をふって、
「忠坊《ただぼう》、早くこないとなくなっちゃうぞう」といった。
いつの間にか、父の姿は消え、忠介は箱をかかえ、暗い砂利道にひとり立っている。
見知らぬ夜道のただ中で、明るく楽しげな箱の中をのぞきこみながら、
――ああ、早くいかなくちゃ。
と、忠介は思った。
自分がかかえている小さな箱に入ろう、という考えを、なぜか不自然とは思わなかった。
そして、忠介が頭から箱の中に入ってしまおうとしたとき――
くいっ、と、腰のあたりがなにかに引っぱられた。
体をひねって見てみると、ズボンの後ろのベルト通しに、小さなフックが引っかけられていた。フックは細い革ひもにつながっていて、革ひものもう一方のはしは、小さな女の子の手ににぎられていた。
女の子は忠介から一メートルほどのところに立っている。手には革ひものあまった部分を、何重にも巻きつけている。
――ミュウミュウ?
忠介は一瞬そう思った。が――
その女の子はミュウミュウではない。
陽子だ。
歳は三つくらいだろうか。忠介と初めて会ったころの陽子だ。
「おーい、忠坊ー」
箱の中から、おじいさんが再び忠介を呼んだ。
忠介が思わず箱をのぞきこむと、今度は陽子が、革ひもをもう一度、くいっ、と引っぱった。口をとがらせ、怒《おこ》ったような顔をしている。
「あ、えーと」
忠介は手元の箱と背後の陽子を交互に見比べた。幼い顔ににゅにゅにゅとなやんだ表情を浮かべながら、何度も何度も、おろおろと顔を動かした。
「忠坊ー、忠坊ー」と、おじいさんが忠介を呼び、
くいっ、くいっ、と、陽子が革ひもを引っぱる。
どっちにいったらいいのかわからなくなって、忠介は、途方に暮れた。
『――忠介……忠介』
ほおに当たる柔らかい感触《かんしょく》で、忠介は目が覚めた。
カーツが両の前足を交互に押し当て、体重をかけて、忠介のほおをこねこねしていた。
「んあー?」目をこすりながら、忠介は起き上がった。
「ミュウ〜?」と、ミュウミュウ。
『忠介、すまないが、私の食事の用意をたのむ』
いつの間にか、部屋の中は真っ暗になっている。
「あ、はいはい……」
と忠介が答えた時、階段の灯《ひ》がぱちりとついて、陽子が下りてきた。
「ごめん大佐、今、ごはんにするね」
こちらも寝起きの頭をぽりぽりとかいてそういうと、げふう、と大きなげっぷをする。
「うー、気持ち悪ぅ〜い」
それから、陽子は台所からとってきたカーツの猫缶を開けると、
「あれ、おニイ、殿下は?」といった。
「あ、うん、なんかメモが」
忠介はちゃぶ台の上にのこされていたそれを、陽子に見せた。チラシの裏にマジックで、郷田荘の建物らしき絵と、そこにむかう矢印が描かれている。
「あ、前のアパートにいってるんだ。じゃあご飯も食べてくるわね」
バルシシアは基本的になんでも食べるので、普段は忠介たちといっしょに食事をしている。が、それだけでは足りないので、時々郷田荘にいって、ゼララステラたちとともに、爆発物を主とするグロウダイン用の食事をとるのだ。
陽子は大儀《たいぎ》そうに腹をさすると、
「……それじゃあ、おニイとミュウちゃん、今日はラーメン食べてくれる?」といった。
「えっ、いいの?」
なんでもおいしく食べる忠介はカップラーメンの類も好きなのだが、
「ああいうのはお菓子の仲間だから、ご飯の時に食べちゃ駄目」
と、普段は陽子に止められている。しかし、ああいうのは禁止されると余計に食べたくなるものである。今日はちょっとラッキー。
「やったあ」
うれしそうに買い置きの戸棚をごそごそする忠介に、
「ごめんねー」というと、陽子は座布団《ざぶとん》をまくらにして横になった。「うー、苦しぃ〜」
「……どれくらい食べたの?」
「大福と草もちとぼたもち……を、(うぷぅ)四つずつ」
『健啖《けんたん》は結構だが、今すこし自己管理を強化すべきだな』とカーツ。
「余計なお世話ですう〜」
そして――
「あちちちち、はいミュウミュウ、ふーふーして、ふーふー」
「ミュウ」
ずぞぞぞぞ、とカップ麺《めん》をすする忠介とミュウミュウを、横になったままながめながら、
「張さん、またくるかなあ」と、陽子はいった。
「さあ」と忠介。「中国に帰るっていってたから……」
「そう」陽子は表情を曇らせ、「おニイ、張さんとどんな話したの?」
「ええと、郷田のおじいさんの話とか、お仏壇のお母さんの話とか、あとそれから――」
忠介は陽子の話を思い出した。ズボンにつけたひもをにぎって、忠介のあとをついて回っていた陽子。先ほど小さい陽子の夢を見たのは、昼間、張さんとその話をしたからだ。
「……あたし、バカみたい」
そういって口をとがらせている陽子と、夢の中で見た小さな陽子は、当たり前だけど、そっくりだ。
忠介の顔が、いつの間にか、にゅい〜、と笑っていた。
その表情に気づいた陽子が、
「なによう」といった。
「あ、いやあ」忠介はあわてて話をそらし、「そうだ、おみやげの羊羹、いつ食べようか」
すると、陽子は口元を押さえながら、
「ごめん、あんこの話しないで」
といって、もう一度、げふ、とげっぷをした。
「出ちゃいそう」
余談ながら、その後張さんが龍守家を訪れることはなかったし、手紙が届くこともなかった。
だから、張さんがどこでなにをしているのかはわからないのだけど――
故郷の奥さんや娘さんと仲良く暮らしているといいな、と、忠介は思う。
[#地付き]〈つづく〉