サムライ・レンズマン
著者 古橋秀之/イラスト 岩原祐二
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)明鏡止水《ミズカガミ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|早抜き《クイックドロウ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)レンズマン秘[#「レンズマン秘」に傍点]
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SAMURAI LENSMAN
CONTENTS
まえがきに代えて――友人から、ちょっとひと言
1.サムライ降臨
2.アルタイル柔術
3.ワイルド・キャット
4.青いガンマン
5.負《ネガ》爆弾投入
6.レンズマンの帰還
7.〈フリードマン・シェル〉
8.スターシップと茶の湯
9.第二銀河の“酔いどれ屋”
10.次なる目標は――
11.サイクロプス、目覚める
12.アルゲス脱走
13.オンローの誤算
14.母なる地球
15.サムライ・ロード
16.名誉ある死
17.まどろみの時
あとがき
[#ここで字下げ終わり]
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まえがきに代えて――友人から、ちょっとひと言
アインシュタインを出し抜いた男の名は、ネルス・バーゲンホルム。銀河の大開拓時代の前夜、試験的運用の段階で足踏みしていた“ロードブッシュ・クリーブランド式装置”を、彼はその指先でちょんとつついて完成させてしまったのだ。それがすなわち、今やどの宇宙船にも、あるいはちょっとばかり気の利いた宇宙服にさえ積んである慣性中立化装置《バーゲンホルム》――相対論的慣性系の枠を飛び越え、光速の数百万倍の速度での自由航行《フリーフライト》を可能にする、魔法の箱だ。続く数年の間に、他星系への植民や、いくつかの異星人との友好的な(あるいは敵対的な)接触が行なわれ、地球《テルス》人の抱えていた、資源、人口、その他の諸問題は一挙に解決した。
しかし、いいことばかりは続かない。歴史上、有効な新技術の多くがそうしてきたように、バーゲンホルムの装置もまた、新たな社会問題を発生させた。犯罪の横行だ。恒星間にまたがって存在する麻薬業者や宇宙海賊を取り締まることのできる組織が、当時はまだ存在していなかったのだ。確かに、いくつかの星系レベルの警察はあった。しかし、他星系に、そして他種族の文化圏に逃げ込んだ犯罪者を、どうやって追いかけるのか? 言葉どころか身振りも通じない現地人の間から、こちらには個人の見分けさえつかない異星人のくせ者を、どうやって見つけ出すのか? かてて加えて、相手が警察を騙《かた》りだした日には、もうお手上げだ。向こうが犯罪者、こちらが法の番人であって、その逆ではないことを、どうやって証明するのか?
のちの銀河パトロールの創設者、太陽系評議員ヴァージル・サムズがこの問題に頭を悩ませていたところに、再びネルス・バーゲンホルムが登場。彼はサムズに助言した。
「惑星アリシアで、“レンズ”を受けとりなさい」
“レンズ”は数百万の結晶体からなる、その名の通りレンズ型の物体で、特定の個人の生命と精神に合わせて完全に調整された疑似生命体だ。レンズは所有者と肉体的に接触している間は独特な生命の光を放つが、所有者以外の者が身に着けようとすると、機能を停止するだけでなく、はげしい拒絶反応によってその者を抹殺してしまう。また、レンズは着用者の精神を拡張し、強力な精神感応能力者《テレパス》にする。早い話が、完全な身分証であると同時に、完璧な通信・翻訳機というわけだ。
レンズはアリシアの超高度な精神文明の産物で、彼ら以外には製造も分析も不可能。そして、高潔にして思慮深きアリシア人は、それにふさわしい人格と能力を持つ者にしかレンズを与えない。つまり、惑星アリシアが不可侵であるかぎり――事実そうなのだが――犯罪者やその予備軍がレンズを手にすることはありえない。この神秘のアイテムはまったく、サムズが欲していたもの、それそのものだった。
さあ、これでおぜん立てはそろった。アリシアに認められた十数名のレンズ所有者――“レンズマン”たちを中心に銀河パトロールが組織され、銀河パトロールを後援するものとして銀河評議会が設立された。当初一〇〇の惑星から始まった“銀河文明”には、一〇年後には二〇〇〇、一〇〇年後には一〇〇万の惑星政府が加盟し、さらに成長を続けた。銀河バトロール史上もっとも高名なレンズマン、あの[#「あの」に傍点]キムボール・キニスンの時代には、銀河間の虚空を越え、第二の銀河系、ランドマーク星雲への植民さえ始まったのだ。
ところで、この実に喜ばしく、かつ発展的な状況を作り出したネルス・バーゲンホルムとは、そもそも何者だったのだろうか? ある者は、その業績から彼を「真に天才的な科学者だ」と言った。またある者は、彼の異様に正確な未来予測から「あれは科学者というより予言者だ」と言った。実際、彼には少々神がかり的なところがあったとも言われているが――さて、その正体は?
いやいや、きみたちはまだそれを知らなくてもいい。いずれちょうどいい時期がきたら、きっと教えてあげよう。
それじゃ、|またいつか《クリア・エーテル》!
[#地付き]きみたちの親愛なる友人 アリシアのユーコニドールより
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1 サムライ降臨
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麻薬業者《ズウィルニク》が籠城《ろうじょう》を始めて、もう三日目になる。
スパイ光線から遮蔽され、また物理的にも堅固に装甲された貿易商バルマーの要塞ビルは、宇宙港街の一角にあって、恒星トランジアの青みがかった陽光に照らされていた。巨大な建物全体を包む不可視の防御スクリーンが、ときおり風に当たってぱりぱりと音を立て、わずかに発光している。
建物の周囲を何重にも取り囲んだ武装警察の間をぬって、ひとりの人間型種族《ヒューマノイド》の若者が歩いてきた。髪は金、目は青。体格はよく、目鼻立ちは端正で、銀河パトロールの黒と銀の制服がよく似合っている。そして、腰に下げられたデラメーター熱線銃にもまして目を引くのが、右腕のプラチナ・イリジウム製の腕輪にはまった、輝くレンズ。まったくもって絵になる若者、絵に描いたようなレンズマンだ。
もっとも当の若者は、そうした自分の外見を意識している風もない。いらだたしげに頭をかきながら指揮車に歩み寄り、ドアを開けると「なにか進展は?」と言った。
「いえ、なにもありません」補佐役であるアルデバラン人の警部は、若者の緊張を解くように、ゆっくりと言った。「あせりは禁物ですよ、ビル」
この現場を指揮する“ビル”ことウィリアム・モーガンは、一年前にウェントワース・ホールを出たばかりの新レンズマンだ。若さゆえに気がはやりがちなところがあるが、これはしかたのないところだろう。レンズマンの育成にはひとり当たり一〇〇万クレジットという金額がかけられているが、実地の経験ばかりは、金で買ってくるというわけにはいかない。
「今日のうちに、軍事情報部《MIS》のレンズマンが到着するはずです。なにか助言がいただけるかもしれません」警部はそう言って、自前のポットを手元に引き寄せた。「コーヒー、いかがですか?」
「ありがとう、いただきます」ビルは警部の差し出したプラスティックのカップを受けとった。ビルはアルデバランの小惑星帯の出身で、警部とは、言わば同郷だ。警部の好む、アルデバラン・ボレガをたらしたアルタモント風コーヒー(香りが強く、同僚の多くには評判が悪い)の、数少ない理解者のひとりでもある。ビルはカップをふうふうと吹きながらコーヒーを飲み干し、それから「もうひと回りしてきます」と言って歩き出した。じっとしていられないのだ。
小惑星帯の鉱夫ステーション出身のビルは、身の回りに麻薬で身を持ち崩した人間を多く見てきた。一歩間違えれば、彼自身がそうなっていたかもしれない。それだけに、ビルの麻薬捜査の任務への想いは強い。今追い詰めている麻薬業者《ズウィルニク》が万が一にも逃げおおせるようなことは、我慢がならないのだ。いっそ周囲の住民を避難させて、デュオデック爆薬で建物ごと吹き飛ばそう、と言い出す彼を、警部は幾度もなだめた。確かに、ボスコーン戦争が終わったのちも、犯罪の根は銀河文明の土壌に深く食い込んでいる。だが、犯罪者を街ごと爆破して回っては、市民の生活が立ち行かなくなってしまう。今はもう、あの[#「あの」に傍点]キムボール・キニスンがやったように、強行的な手段で犯罪と戦っていく時代ではないのだ。
……とはいうものの、経験豊かな警部は、年若き上司の覇気を好ましくも感じていた。この現場が、若いレンズマンにとって、よい経験となるといいが……。
ふいに、ビルが立ち止まった。そして、怪訝《けげん》な顔をする警部をふり返って、右腕のレンズを指し、それから頭上を指すジェスチャーをした。思考波によるテレパシー通信。レンズを使用した高汎用性テレパシーは、原則的に、ある程度の神経組織を――あるいは精神を――持っている生物なら誰でも送受信できるが、レンズマン専用の帯域を使って行なわれる場合は他の者には聞き取れない。
『トランジア第二惑星のレンズマン、トランジア第二惑星のレンズマン、応答せよ。こちらはMISのレンズマン、クザクだ。現在、貴星の衛星軌道上で固有速度を同調している』
『こちらトランジア麻薬局のモーガン』ビルはレンズを通じ、軌道上のレンズマンに応えた。『ようこそ、MISのクザク』
『トランジアのモーガン、早速だが、貴下の状況を知りたい』レンズ通信に特有の率直さで、クザクは言った。
ふたりのレンズマンの間で高密度のレンズ通信が行なわれ、必要な情報がすみやかに伝達された。麻薬業者《ズウィルニク》のボスの名はバルマー。表向きは実直な貿易商をよそおいながら、陰ではヘロイン、ペントラム、ニトロラーブ、最悪の麻薬シオナイトといった、人間の尊厳を侵す薬物を扱ってきた奸物《かんぶつ》だ。ビルら、トランジアの麻薬捜査局の働きによって正体をあばかれたバルマーは、手下とともに自分のオフィスに立てこもった。ビルはトランジア警察の武装部隊を率いて建物を包囲したが、バルマーはオフィスを建物ごと要塞化していた。建物を包む宇宙艦並みの防御スクリーンに阻まれ、状況は膠着《こうちゃく》している。そして――地球《テルス》系種族出身のレンズマンの多くは、生まれついての精神感応能力者《テレパス》ではない。新人レンズマンであるビルもまた、いまだ経験が浅く、自らの思考の入出力を完璧には制御できていなかった。状況報告に混じって、いくつかの連想がクザクに伝わった。
『――なるほど、きみはこの件が片づきしだい、初めての休暇をとって家族に会うのだな』
『すみません、レンズマン・クザク』ビルは赤面した。『無論、任務が最優先です』
『いや……では、なるべく早く片づけるとしよう』冗談というにはあまりに平然とした口調で、クザクは言った。『今から突入する』
『え――クザク?』
数秒後、問題の要塞ビルの頂上に向かって、天を裂くような轟音《ごうおん》とともに、一条の光線が走った。高空からのビーム砲撃? いや、光線と見えたのは、なにか発光する弾体の軌跡だ。
光弾の正体は、|銀河パトロール《GP》の制式装甲宇宙服。つまり、MISのクザクが、軌道上で宇宙服のバーゲンホルムを作動させ、このトランジア第二惑星の重力と宇宙服の推進機能を利用して、猛スピードで垂直降下してきたのだ。
クザクは空力加熱にまばゆく発光しながら要塞ビルの防御スクリーンに突き当たり、貫通した。パレイン式・改良型のスクリーン穿孔機《せんこうさ》を使用し、スクリーンを瞬間的・局部的に中和したのだ。クザクは有慣性状態に移行しながら、要塞ビルの屋上に悠々と落下していき、地上のビル・モーガンからは見えなくなった。
要塞ビルの中には武装した麻薬業者《ズウィルニク》が無数にいる。単身の突入は自殺行為だ。クザク自身も、先ほどの通信でそのことは承知しているはずだが……。
『クザク!?』ビルはレンズを使って呼びかけた。だが――
『『クザク!?』』レンズには、クザクの思考波の代わりに、ビルの思考そのままの、不可思議なエコーが返ってきたのみだ。
『クザク、応答を!』
『『クザク、応答を!』』
やがて、内部からスイッチを切られたのか、建物を覆うスクリーンが消滅した。状況を理解できぬまま、ビルは指揮車をふり返った。
「突入命令を――彼を援護します!」
しかし、警部は胸の前で両手を広げ、かぶりを振った。
「……あれは、MISのクザクですな」なにもかも承知、という口調で、彼は言った。「ならば、余計な手出しは無用。なぜなら、彼はサムライだからです」
「サムライ……?」
「アルタイルの日系社会の一階級と聞いています」警部は言った。「最強の戦士です」
ビルがその言葉の意味を理解したのは、それから数分後のことだ。クザクとのレンズ通信が回復し、内部から解錠された要塞ビルに武装警官隊とともに入ったビル・モーガンは、生々しい破壊のあとをそこに見ることになった。
――これを、ひとりの人間がやったのか……?
状況は酸鼻をきわめていた。床も、壁も、天井も、銃弾と熱線になめ尽くされ、装甲服を着た戦闘員の死体が、放り出された武器とともに、いたるところに転がっている。拳銃、機関銃、ビーム小銃から可搬式《セミポータブル》ビーム砲まで、ありとあらゆる銃器がたったひとりの人間に対して持ち出され、しかもその足を止めることができなかったのだ。
「……彼はいったい、どんな武装をしているんだ?」思わず腰のデラメーター銃に手を伸ばしながら、ビルはつぶやいた。
「クザクはカタナのみを用います」ビルのあとに続きながら、警部が言った。「それが、サムライの流儀だからです」
「しかし、これは明らかに――いや、待てよ?」ビルは床に転がる死体を観察し、不可解な点に気づいた。麻薬業者《ズウィルニク》のうち、ある者は大口径の銃弾に肉をえぐられ、またある者は高出力のビームに半身を蒸発させられている。これは、彼ら自身の武器による傷害ではないか? 同士打ち? ――いや、中には手持ちの武器で自分の頭を吹き飛ばした[#「手持ちの武器で自分の頭を吹き飛ばした」に傍点]姿勢で転がっている死体もある。いったいどういうことだ?
クザクの思考波に導かれ、ビルらは要塞ビルの奥へと進んでいった。ところどころで、廊下を遮断する防火隔壁が、あるいは強化コンクリート壁のど真ん中が、なめらかな断面を見せつつ、長大な刃物で切り抜かれたような穴を開けている。クザクは自分の進路を、文字通り切り開きながら進んでいったのだ。
やがて、ビルらは建物の地下深くにある、バルマーの執務室――いや、機能の点から、司令室と言ったほうがいいだろう――に着いた。そこにはふたりの男が待っていた。ひとりは生きており、ひとりは死んでいた。
「トランジアのモーガン、到着しました」ビルは右腕を上げ、生きているほうの男――GP装甲宇宙服を着ている――にレンズを示した。
男は宇宙服の右腕のカバーをスライドさせた。彼の腕にも、ビルと同様のレンズが光っていた。「MISのクザクだ」
クザクはすでに宇宙服のヘルメットを脱ぎ、素顔を表にさらしていた。真っ白で表情のない、陶器の仮面を思わせる顔は、アルタイル人の特徴だ。長い黒髪を後頭部で束ね、腰には先ほど警部が言った通り、デラメーターの代わりにひと振りの日本刀を下げている。
「この男は……?」ビルは、クザクのかたわらにうつ伏す死体に目を向けた。絨毯《しゅうたん》に、濃い血の染みが広がっている。
クザクはうなずき、死体のかたわらにひざまずいた。その肥満した男は、ビルらが追い詰めた麻薬業者《ズウィルニク》、バルマーだ。バルマーは刃渡り六インチ([#ここから割り注]約一五センチメートル[#ここで割り注終わり])ほどの直線型のナイフを握り、自らの腹に突き立てた形で息絶えていた。クザクは血にまみれた太い指からナイフをもぎ放し、手にとった。その際の動作から、ビルは彼が盲目であることに気がついた。次いで、クザクはバルマーの着衣でナイフの血糊をふき取り、宇宙服の腕部に着けたホルダーに収めた。もともと、彼の持ち物であったらしい。
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「麻薬業者《ズウィルニク》バルマーは、腹を切って果てた」白い顔が、無表情のままに告げた。「彼は悪人だったが、その死は名誉あるものだった」
「……自決ということですか?」ビルの脳裏に、廊下の死体の姿が浮かんだ。
クザクはゆっくりとかぶりを振った。肯定とも、否定ともとれるしぐさだ。
「名誉ある死だ」と、もう一度、彼は言った。
*
アルタイルのサムライ――MISのクザクは、その日のうちにトランジアを去った。彼が追っているのは麻薬業者《ズウィルニク》のリーダーだ。死んだバルマーは惑星レベルの元締めに過ぎない。
「ここ数年、多数の星域で、大規模な麻薬組織が暗躍している」トランジアを去る前に、クザクは言った。「麻薬だけではない。誘拐と人身売買、貨幣の偽造、武器の密売、そして海賊行為――あらゆる組織的犯罪が徐々に活性化している。ボスコーンの残党勢力が、再結集しつつあるのだ」
「ボスコーン……!」ビルは思わず息を飲んだ。
最大の宇宙海賊組織――いや、超銀河規模の犯罪帝国ボスコーンと銀河パトロールとの熾烈《しれつ》な戦争は、すでに五年前に終結していた。一時は鳴りをひそめた彼らの活動は、しかしその後、より散発的な、無軌道な形で復活し始めていた。巨大な毒蛇の頭は叩き潰《つぶ》されたが、その死体の腹から無数の小蛇が這《は》い出してきたのだ。――そして今、その小蛇は互いに絡まり合い、飲み込み合いながら、新たな巨体を成しつつあるという!
「バルマーの舌は多くを語らなかったが、わたしの知っているふたつの名を告げた」クザクは言った。「“デイルズ”と“ガーセン”。デイルズはこのトランジアや太陽系《ソル》を含む星域担当の中級幹部、そしてガーセンはさらにその上位に位置する者と考えられる。ともにカロニア人だ」
これらの人物についての情報を求めてトランジア星系にやって来たクザクは、片手間とばかりにこの第二惑星の麻薬組織の中枢を壊滅させたが、麻薬業者《ズウィルニク》バルマーからはさほどの情報を得られず、ほとんど手ぶらでクロヴィアのMIS本部に帰還することになった。
「この惑星におけるボスコーンの活動は抑制された。しかし、彼らについて新たな情報が得られたならば、即刻連絡をいただきたい」クザクはヘルメットをかぶると、宇宙服のバーゲンホルムと推進機を作動させ、轟音とともに衛星軌道上の快速艇へと飛んでいった。地上に降りてきた時と同様、あざやかな退去だった。
「なんてすごい人だ……」感極まったように、ビルは言った。
「そう、確かに彼は傑出した人物です。しかし――」老警部は、ビルをさとすように言った。「われわれには、われわれの持ち場があります。平和を維持することは、巨大な犯罪を叩くことと同様か、それ以上に困難な、そして重要な任務なのですよ」
しかし、その言葉は、ビルの心に届いているのか。若いレンズマンは、暮れゆく空の天頂に昇る明星――クザクの宇宙服の噴射炎を、その光が星の狭間に消えるまで見上げていた。
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2 アルタイル柔術
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銀河調整官キムボール・キニスンは、囚われの身であった。
空調の効いた広いオフィスは彼の監獄であり、永遠に続く単調なデスクワークは彼を責めさいなむ拷問だった。そう、惑星クロヴィアの銀河パトロール最高基地《ウルトラ・プライム》にあって、キムボール・キニスンは囚われの身となっていたのだ。
銀河調整官直々の決裁を必要とする書類の山、そのひとつひとつに、キニスンは目を通し、サインをし、一時間に一五〇件という驚異的なペースで「処理済み」の箱に放り込んでいく。とは言うものの、それらはすでに、各分野の専門家からなる優秀なサポートチームによって吟味され、調査され、考察され、計画立案され、足りないものはキニスンの承認のみという状態にまで仕上げられているのだ。そう、彼のすべきことはサインのみ。ただひたすらに、書類にサイン、書類にサイン、書類、書類、書類、サイン、サイン、サイン――おれはサイン専用の機械か!?
その爆発的な思考のほとばしりを、キニスンはあやういところでおのが頭蓋に押し込めた。隣室にデスクを持つ彼の秘書官は、マナルカ人だ。マナルカ人のテレパシー受信能力はレンズマンのそれほど強力ではないが、ほんの壁一枚むこうの感情の爆発には、さすがに反応するだろう。
キニスンは右腕のプラチナ・イリジウム製の腕輪にはまったレンズに目をやった。そして、彼自身の生命力を反映して生き生きと輝くそれを見ながら、脱出計画[#「脱出計画」に傍点]を検討した。
……やがて、キニスンは平静をよそおいながら秘書官に呼びかけた。
『アイリーン』
『どうしました、閣下?』と、理知的かつ女性的な響きを持つテレパシーが答えた。
『あー、うむ、職務上の問題が発生した』キニスンは手もとの書類を意味もなくめくりながら言った。『詳しいことはレンズマン秘[#「レンズマン秘」に傍点]に属するためここでは言えないが、かなりの重要性を帯びた事件が存在している。なにをおいても最優先で処理しなければならん』
『わかりました』と、アイリーンは言った。『では、具体的な指示は閣下に下していただくとして――どういった人物をその件にあてますか? 候補者をリストアップしますので、必要条件を提示願います』
『うむ、まず、地球《テルス》系人類の男性、基礎運動能力評価A+[#「+」は上付き小文字][#「A+」は縦中横]。射撃、格闘、超G級宇宙艦の操縦と各種宇宙作業、それに変装、交渉、大組織運営の技能を有し、無慣性工学、超次元物理学、銀河歴史学、星間民俗学と主要七汎用言語に堪能、加えて、基本的思考能力は一二等級以上――無論、レンズマンであることが望ましい』
『「頑固」と「駄々っ子」の項目は必要ありませんか?』
秘書官の冷ややかな皮肉を、キニスンは無視した。
『さて、なんのことだかわからないが、当面は必要ないだろう』
『ではお答えします、閣下。その条件に合致する人物はただひとり――「クロヴィアのキムボール・キニスン」のみです』
『おや、なんてことだ!』キニスンは椅子から立ち上がった。『わたしが直々に出向かねばならんとはね。しかし、ことは最重要の用件だ。背に腹は代えられん。遺憾《いかん》ながら、理由は極秘で今は言えない』
『閣下――』
『こうしてはいられない! 銀河の危機だ! では、|失礼するよ《クリア・エーテル》!』
執務室からロッカールームへと飛ぶように移動するや、キニスンは堅苦しい高官用の制服を脱ぎすてて、独立レンズマンの象徴であるグレーの制服――各々の体格に合わせて仕立てられたやわらかな革のスーツを身につけ、そして、すばやい身ぶりで各部のフィットを確認した。徹底してシンプル、徹底して実用的。グレー・スーツはまさしく、|宇宙の男《スペースマン》のための第二の皮膚だ。それ以上でもそれ以下でもなく、それゆえに、最高なのだ。
彼は鏡に映った自分の姿を眺め、自らが何者であるかを確認した。ここにいるのはいったい誰だ? そう、グレー・レンズマンだ。“任務解除”資格を持ち、いかなる階級、いかなる管区、いかなる職域にも属することのない、銀河パトロールの全権代行者。自らの意志以外の何者にも拘束されず、宇宙を股にかけて翔ぶ男だ。そうとも、おれは今すぐにも、三〇〇万光速のスピードで恒星間宇宙に飛び出し、エーテルを存分に呼吸するぞ!
彼は制服とセットになるゴーグルと帽子《キャップ》をつかむと、大股にロッカールームを飛び出した。向かう先はもちろん、専用快速艇の格納してある宇宙港だ。
「まあ、キム!」本部ビルの一階のホールで、キニスンは赤毛の美女に呼び止められた。彼の妻、クリスだ。キニスンの面差しとクリスの髪を受け継いだ三歳の息子、キットの手を引いている。クリスはいたずらっぽい目でキニスンの姿を眺め回し、「やっぱり、グレー・スーツのあなたがいちばん素敵だわ」と言った。
「あ、いや……きみたち、なぜここに?」と、キニスンは言った。最高基地《ウルトラ・プライム》の敷地に居をかまえているとはいえ、ふたりが理由もなく司令本部ビルを訪ねてくることはありえない。
「ついさっき、アイリーンから連絡があったの」クリスは答えた。「じつは、あなたがそろそろ爆発[#「爆発」に傍点]するころだと思って、なにかあったときにはすぐにわたしを呼ぶように頼んでおいたのよ。ふふ、彼女はわたしのスパイだったというわけ。ついでに、『急遽《きゅうきょ》、半日の特別休暇を組みました。どうぞご家族でおくつろぎください』ですって。彼女、とても気が利いてるわね」
「む……うむ、彼女は、じつに優秀な秘書だからね」キニスンはしどろもどろになりながら、秘書官に思考を飛ばした。『アイリーン、わたしの負けだ』
『なんのことかわかりませんが、閣下』アイリーンの返事はあくまで冷静だ。『たいへんお疲れのご様子でしたので、今日は存分に休養なさってください』
「……パパはおでかけするの?」キットがスーツの裾をつまみながら、キニスンを見上げた。
「お出かけは中止だ。今日はずっといっしょだよ」キニスンは笑いながら息子を抱き上げ、それから三人は本部ビルを抜けて歩き始めた。
「また、おはなしのつづきをしてくれる?」キットが言った。
「もちろん。ええと、どこまで話したっけかな?」とキニスン。
「もくせいたいきけんのかいぶつノラゴーラが、ぬるぬるのしょくしゅをエミリーのふとももにのばしたところだよ」
「……キム」クリスは皮肉まじりの表情を浮かべながら、キニスンに言った。「あなたってなにをやらせても超一流のスーパーマンだけど、作家にだけはならなくて正解だったと思うわ。……ふう(と、ため息をつき)、太ももに触手!」
「なにを言うんだ、クリス」キニスンはむきになって言い返した。「わたしはもちろんストーリーテラーとしても超一流だ。少年のための物語とはかくあるべし。すなわち、最速の宇宙艦、奇怪な暗黒星団、異星の美姫、それに醜悪な複眼の怪物!」
「ぬるぬるのしょくしゅも?」とキット。
「もちろん、ぬるぬるの触手もだ!」
「ねえ、キム――」
クリスがさらに口をはさもうとしたその時、深い知性の響きを持った思考波が会話に割って入った。
『――では、このトリッグおじさんは、キット坊やのために、できるだけ触手をぬるぬるさせておくことにしよう』
レンズから地球《テルス》人の汎用帯域に向けて発信されたその思考波は、リゲル第四惑星のレンズマン、トレゴンシーのものだった。リゲル人であるトレゴンシーは、先端が無数に枝分かれした触腕を四本も持っており、触手には事欠かない。
「すまない!」キニスンが叫んだ。「トリッグ、きみのことを言ったわけではないんだ」
「ほら、見なさい!」クリスが決めつけた。「この子に種族的偏見を植えつけるようなお話はひかえてほしいわ。ねえ、トレゴンシー?」
『いや、なにも問題はない』と、トレゴンシーは答えた。『だが強いて言うなら、わたしの地球《テルス》式ジョークが理解されなかったことが残念だね。ところでキム、休暇中にすまないが、もしよければ今からトレーニングセンターにきてほしい。クリスにキット、少しの間、きみたちのパパを借りてもQX(OK)かね?』
「もちろんQXだとも!」ふたりに代わって答えると、キニスンは手にした帽子をキットの頭にかぶせた。「キット、グレー・レンズマンのグレー・キャップだ。きみには二〇年ばかり早いが、特別にあずけるとしよう」キニスンは帽子の短いつばをぐいと引き下げ、キットの視界がふさがれた隙をついて、クリスに顔を寄せ、すばやくキスをした。
「夕食までには帰るよ」キニスンはそう言うと、ふたりを置いて駆け出した。
「もう……本当に落ち着かない人!」クリスは愛情のこもった苦笑とともに、夫を見送った。
キットは帽子の位置を直しながら、父の背に呼びかけた。
「パパ、おはなしは?」
「お話は、今夜寝る前に! 約束しよう!」一旦ふり返って大きく手を振ると、キニスンは短距離走者のようにペースを上げた。『――それで、きみの用件はなにかね、トリッグ?』
『うむ、きみは“デイルズ”と“ガーセン”という名前を知っているかね?』と、トレゴンシーが答えた。
『“デイルズ”の方は聞いたことがあるな。たしか……ボスコーンの派生勢力に属する、麻薬組織《ズウィルニク》のリーダー。カロニア人だ。足取りをつかんだのか』
『残念ながら、答えは「否」だ。わたしは配下の軍事情報部《MIS》を捜索にあてているが、つねにいま一歩のところでおくれをとっている。“デイルズ”は狡猾《こうかつ》だ。そして、その背後にいて姿を見せない“ガーセン”は、さらに抜け目ない人物と予想される』
『そいつはやっかいだな』キニスンは言った。『カロニア人はアイヒやオンローのような超種族に比べれば、肉体的にも精神的にも非力だ。だが、われわれ地球《テルス》人に酷似した種族的特性を持つ彼らは、銀河文明圏に深く食い込んで存在し、腐敗と堕落を増殖させる。アイヒやオンローが猛獣のように危険だとすれば、狡猾なカロニア人は体内の癌《がん》細胞のように危険だ』
『同感だ。さらに言うならば、癌の摘出手術を行なうには、大きな錠《なた》ではなく、するどいメスが必要だ。つまり、彼のような犯罪者を追うには、大規模な組織より、特別な権限を与えられた個人が適している。そうだろう、キム?』
『グレー・レンズマンの出番だな!』キニスンは背後をふり返った。『しまった、息子から帽子を取り戻さなければ!』
『残念ながら、その任にあたるべき独立レンズマンはきみではないし、もちろんわたしでもない』トレゴンシーは言った。『われわれはあまりにも多くの責任を背負い、柔軟性と機動性に欠けている』
『なんてことだ!』キニスンが叫んだ。『きみまでわたしをサイン係にしたがるのか!』
『そこで、サイン係どのにはもう一筆お願いしたい』トレゴンシーは平然と答えた。リゲル人はいつも平然としているのだ。『わたしは銀河調整官であるきみに、ひとりのレンズマンの“任務解除”を申請する。クザクという男だ』
『クザク――シン・クザク。うわさの“サムライ”か……きみの意見を軽視するつもりはないが、それほど優秀な男なのか? グレー・スーツを着るほどに?』
『充分に資格がある』トレゴンシーは答えた。『きみも、実際に会って判断するといい』
『このあたりに来ているのかね?』
『わたしに同行している』と、トレゴンシーは言った。
*
数分後、キニスンはトレーニングセンターの一室に着いた。ヴァレリア人向けに加重され、大気の成分を調整された、広々としたそのトレーニングルームには、球技用のゴールポストや各種運動器具がならび、数十人のヴァレリア人が思い思いの運動をしている。また、部屋の一角にはヴァレリアの神、ノシャブケミング神の一五フィート([#ここから割り注]約四・六メートル[#ここで割り注終わり])もある黄金像が立ち、室内全体を見下ろしている。ヴァレリア人は信心深いのだ。
簡易式のエアロックをくぐるなり、六フィート半([#ここから割り注]約二メートル[#ここで割り注終わり])の身長と、ビア樽のような胴回りを持つ大男が駆け寄ってきた。オランダ系ヴァレリア人の突入部隊を率いる、ヴァンバスカーク大尉だ。
「これはこれは、おちび閣下! 調子はどうです?」キニスンの背を、巨大な掌がどやしつけた。
「もちろん絶好調さ。きみこそどうだ、ヴァレリアの大猿め!」キニスンは笑い返しながら、ヴァンバスカークの腹に強烈なフックを叩き込んだ。常人ならば内臓が破裂せんばかりの衝撃を、ヴァレリア人の腹筋はやすやすと受け止めた。遺伝的には地球《テルス》人の――地球《テルス》のオランダ人植民者の子孫ながら、幾世代にもわたって、地球《テルス》の三倍近い重力を持つ惑星ヴァレリアに適応していった彼らの肉体は、強固な太い骨と強靱《きょうじん》きわまる筋肉の塊なのだ。
「トレゴンシーがきているはずだが?」キニスンは周囲を見回した。
「ああ、いいところに間に合いましたぜ。ドラム缶の旦那は、ほら、あちらに」そう言ってヴァンバスカークは、自分が今きた方向を指さした。格闘用のマットの中央に、人だかりができている。
「そらそら、銀河調整官閣下に場所を空けな!」たくましくずんぐりとしたヴァレリア人たちの間をかき分けるようにして、ヴァンバスカークとキニスンは人垣を抜けた。
ぽっかりと円形の空間が空いた中央には、五人の人物が立っていた。四人はヴァレリア人、ひとりはリゲル人。リゲル人を四方からヴァレリア人が囲んでいる形だ。
リゲル人の姿は、見慣れぬものには異形の怪物と映るに違いない。太い円筒形の胴体の上に、ドーム状の頭部が貼りつけられたように乗っており、そこには大小の穴――口腔《こうこう》と鼻孔が前後左右にひとつずつ配置されている。胴体の下には、象のようなずんぐりした脚が四本。胴体の中ほどには、こちらは象の鼻を思わせる骨のない触腕が四本、これまた前後左右に向かって生えている。ただ、その先端部に何重にも枝分かれした触手状の指を持つ点が、象の鼻とは違う。
全体にずんぐりしたその姿は、彼の故郷、リゲル第四惑星の高重力――地球《テルス》の二倍――に適応したものだ。その点で、リゲル人とヴァレリア人は似ている。そう、ドラム缶とビア樽程度には似ていると言える。
そして、その触腕の一本には、キニスンの腕にあるものと同様のアリシアのレンズが埋め込まれ、非常に強力な、生きた光を放っている。彼、リゲルのトレゴンシーは、銀河文明圏にただ四名しか存在しない“第二段階レンズマン”――アリシアの“導師《メンター》”から直接に高等訓練を受けた、超人的レンズマンたち――のひとりなのだ。
「こいつはちょっとした見物ですぜ」ヴァンバスカークがキニスンに耳打ちした。なるほど、リゲル人の格闘などというものは、めったに見られるものではない。彼らは戦いを好まないからだ。しかし、それは彼らが憶病だという意味ではない。その必要が生じれば、彼らは誰よりも冷静に、かつ効率的に、戦闘を実行するだろう。一見鈍重そうな体がすべるように動き、四本の腕が鞭《むち》のように縦横にふるわれる――その姿はまさに、死の舞踏を舞う殺戮《さつりく》の神だ。
そして、今――四方から四人の屈強なヴァレリア人に囲まれたトレゴンシーは、四本の触腕をゆらゆらと動かしながら、『いつでもいい。きたまえ』と、思考波を通じて言った。
「おまえら、失礼のないように、やさしく揉《も》んでさしあげろよ!」ヴァンバスカークが野次を飛ばした。
観衆から低い笑いのもれる中、ヴァレリア人の突入隊員たちは、すばやく視線を交わしてタイミングを計り、いっせいに飛び掛かった。ひとりは触腕につかみかかり、ひとりは太い脚の一本にタックルし、ひとりはドーム状の頭部にフックを浴びせ、ひとりはドラム缶に似た胴に蹴りを入れた。
おそろしいスピードとパワーの込められたそれらの技の、どれかひとつでも決まったならば、トレゴンシーは確実に地に伏していたことだろう。しかし、一瞬ののち、大きな音を立ててマットに転がったのは、ヴァレリア人たちのほうだった。トレゴンシーが行なったのは、ほんの一挙動。足を踏み替えて体をずらしながら、わずかに触腕を振っただけだ。だが、どうしたわけか、四人の巨体はおのおのトレゴンシーの肉体に触れた一点を中心にくるりと回転し、マットに叩きつけられた!
「――|信じられねえ《ノシャブケミング》!」ヴァンバスカークが叫んだ。「こっちはヴァレリア人が四人だぞ!? 悪魔だって這いつくばるはずだ!」
「ほう――ほう!」キニスンが身を乗り出した。
『やあ、キム』トレゴンシーが、キニスンのがわの触腕を振りながら言った。『あいさつがおくれてすまない。この通り、取り込み中だったものでね』
「いや、見事なものだ!」キニスンは手を叩いた。「今のはきみが最近凝っているという、ジュードーとかジュージュツとかいう奴だな?」
『うむ。正式には“アルタイル柔術”という。地球《テルス》の失われた武術《マーシャルアーツ》を起源とし、アルタイル第二惑星の地球――日系移民者の間に伝承されてきたものだ。――今の試合はどうだったね?』
最後のひと言は、人垣の片隅にあぐらをかいて座っている人物に向けられたものだ。アルタイル人特有の真っ白い肌に、仮面のような無表情。周囲をヴァレリア人の巨体に取り巻かれていることを差し引いても、存在感は不可思議に薄い。ふと目をはなしたすきに、あとかたもなくかき消えてしまいそうな……まるで、幽霊のような男だ。
男はゆるりとした動作で立ち上がった。背丈はキニスンよりやや低く、体重は五〇ポンド([#ここから割り注]約二三キログラム[#ここで割り注終わり])ほど軽そうだ。黒と銀の銀河パトロールの制服に、刃渡り三フィート([#ここから割り注]約九〇センチメートル[#ここで割り注終わり])もある日本刀をたずさえている。キニスンは男が盲目であることに気がついた。しかし、トレゴンシーに歩み寄る足取りは確かだ。視覚に頼らずに行動している――その意味では、いくぶんかリゲル人のしぐさに似た印象を受ける。
「なかなかよい。だが――」アルタイル人は低い声で言いながら、刀のさやの先でトレゴンシーの体のいくつかの点に触れた。「この足が遅い。そのため体の軸がずれ、こちらの腕に余計な力みが生じ、技の効果を半減させた。そもそもの原因は(と、倒れたヴァレリア人のひとりを指し)彼が仕掛けた虚の動きにまどわされ、反応にわずかながら遅れを生じたことだ。虚実の見切りは頭ではなく、皮膚感覚をもってしなければならない」
『うむ、気をつけよう。指導に感謝する。ところで――』トレゴンシーは地球《テルス》式のしぐさで触腕を振りながら、盲目の男の注意をキニスンにむけた。『紹介しよう。こちらはキムボール・キニスンだ。説明は要らないだろうね。そしてキム――』
「この男がシン・クザクか」キニスンはじろじろとアルタイル人――クザクの体をながめ回した。ぶしつけとも取れる態度だ。「銀河パトロールの重鎮にむかって、まるで教師のような口をきくんだな。しかも、リゲル人にむかって頭を使うな[#「頭を使うな」に傍点]とは!」
『彼が言っているのは、頭に使われるな[#「頭に使われるな」に傍点]、つまり、自らの全存在を総合的に使いこなせ、ということだ。実に含蓄が深い意見だよ。キム、クザクはわたしの部下であり、友人であると同時に、柔術の師匠なのだ』
「師匠? つまり、彼はきみ以上の実力者だと?」
『格闘術においては、両銀河にならぶものはないだろう』
「まさか!」キニスンは叫んだ。「この細腕で、巨竜のごときヴェランシア人をえいや[#「えいや」に傍点]と投げ飛ばすとでも言うのか!?」
『ふむ……地球《テルス》人には、ものごとを一面的な見方から判断しようとする傾向がある。キム、アリシア人から高等訓練を受けたきみでさえ、その悪癖から完全に自由であるとは言えないな』
「一面的、ね。そりゃあ、きみには裏も表もないだろうさ。しかし、それとこれとは話が別だ。彼をひっくり返して背中から見れば、身長一〇フィート([#ここから割り注]約三メートル[#ここで割り注終わり])の怪力男《ヘラクレス》に見えるというのかね?」
『その判断基準こそが一面的なのだよ。アルタイル柔術は体格や筋力を競うものではなく、彼我の完全なる調和を目指すものだ』
「すまない、ひょっとして、わたしのレンズがくもっているのかな」キニスンは右腕にはめたレンズをみがくしぐさをした。「きみの言うことがよくわからん」
『ふむ、これは翻訳しにくい概念だからね――その目で見たほうが早いだろう』トレゴンシーは、クザクの側の触腕をひらめかせた。『クザク、今からわたしと試合をしてもらえるかね? デモンストレーションだ』
「……|心得た《QX》」クザクは無表情にうなずいた。
リゲル人とアルタイル人は、人の輪の中央に歩み出ると、互いにいくらかの距離をとった。トレゴンシーが触腕をいっぱいに伸ばして、触れるか触れないかというところだ。それから、クザクは腰の刀をかたわらに置きながら、マットの上にあぐらをかいた。しかし、リゲル人は座らない。肉体の構造上、座ることはできないのだ。
「……さっきより、すげえことになるんですかい?」ヴァンバスカークが、すっかり毒気を抜かれた様子でキニスンにささやいた。
「達人同士の戦いだそうだ」キニスンはそう言って、にやりと笑った。「きみたちのような素人[#「素人」に傍点]相手とはわけが違うぞ」
「うへっ」ヴァンバスカークは肩をすくめた。銀河パトロール随一の白兵戦のエキスパートも、こう言われては形なしだ。
いつの間にか、他の訓練をしていた隊員たちまでが周囲に集まり、息を呑んでふたりの来訪者を見守り始めた。
「ドウモ……」クザクは左右の拳をマットに突き、頭を下げた。日本式の礼法だ。
『ドウモドウモ』トレゴンシーは触腕のうちふたつを合掌するように合わせ、返礼した。礼としては略式だが、リゲル人は頭を下げるために必要な細い首や柔軟な背骨を持たないので、しかたがない。
クザクは座ったまま背筋を伸ばし、トレゴンシーは合掌を解いて触腕を自然に波打たせ、その状態でふたりの動きは止まった。互いに相手の動きを待っているように見えるが、自分から動きだしはしない。トレゴンシーの触腕が、わずかに、ゆるやかに動いているのに対し、クザクは微動だにしない。
膠着《こうちゃく》状態のまま、一分、また一分と時は過ぎた。見物人にも物音ひとつ立てるものはいない。高い天井で空調装置が動く音だけが、静かに響くのみだ。
やがてついに、トレゴンシーが均衡を破って動いた。
『バンザイ!』トレゴンシーはそう叫ぶや、四本の触腕を天に向け、枝分かれした触指をいっぱいに開いた。まるで、太い幹と四本の枝を持つ立ち木が、一斉に花開いたようだ。
「アリガトウ」クザクは再び拳をマットに突いて一礼すると、すうっと立ち上がった。
トレゴンシーはクザクに歩み寄ると、その肩に触指を置いた。
『見事だ、クザク』
「いや、あなたの理解と上達こそ目覚ましい」
言い交わすふたりに、キニスンが割って入った。
「あー、今のはつまり――なんなのかね?」
『うむ』トレゴンシーは説明した。『アルタイル柔術の目的が“完全なる調和”にある、とは先にも言った。わたしとクザクはともにその境地を目指したが、残念なことに、その精妙なバランスを乱したのはわたしのほうだった。わたしは自分の技量が彼に遠く及ばぬことを認め、すべての手を挙げて彼を讃《たた》えた。彼はわたしの礼に自らの礼をもって応えた。これによって、調和は再び回復された。“完全”はいまだ得られぬが、そこに至る“道”こそが貴いものであると、彼らは考えている』
「しかし、彼は――ただ座っていただけじゃないか!」
「レンズマン・キニスン」クザクが静かにかぶりを振り、つぶやくように言った。「真に座ることは、真に立つことと同様、まことに難しい。わたしは生まれてよりこのかた、いまだ立っても座ってもいない」
「謎掛けはもうけっこう!」キニスンは両手を頭の横で広げた。「トリッグ、わたしは確かにきみの実力を認める。四人のヴァレリア人を一度に投げ飛ばすなんて芸当は、わたしはもちろん、当のヴァレリア人にだってできやしない。だがクザク、申し訳ないが、率直に言わせてもらう。きみにあれと同じことができるとは、わたしにはどうしても思えんのだ」
『キム、その発言は彼に対する侮辱ともとれるぞ』トレゴンシーの思考が、非難の響きを帯びた。
「要らぬ誤解をさけるためには、だ」キニスンは小首をかしげ、クザクの表情をうかがった。「わたしがきみの実力を認めるのがいちばんてっとり早い。そうじゃないか、ミスター・サムライ?」
次いで、キニスンは周囲を見回し、ひとりのヴァレリア人隊員の手元に目を留めた。格闘用の、指先の出る軽いグラブ。ヴァレリア人は彼の意を汲み、グラブを外してキニスンに手渡した。
『キム、きみは勘違いをしている』トレゴンシーは言った。『この室内の全員で五種競技をするなら、もちろんきみがトップの成績をおさめるだろう。単なる体力を問うなら、ヴァンバスカークが一番だ。だが、シン・クザクの真価はそのようなところにはないのだ』
「きみこそものごとを複雑に考えすぎだな、トリッグ」キニスンはグラブをはめると、ナックルの部分のパッドを、音を立てて打ち合わせた。「ふたつの石をぶつけ合えば、どちらが固いかはすぐにわかる」
「……そして、石のひとつが失われる」クザクが静かに言った。「レンズマン・キニスン。わたしには、あなたと争う理由がない」
「ふむ。それでは、わたしはこの試合に、トレゴンシーからの申請があった、きみの“任務解除”を賭けよう。きみの活動に必要だそうだが、わたしとしても、グレー・スーツを軽々しく与えるわけにはいかないのでね。理由はそんなところでどうだ?」
「これも、デモンストレーションということか」
「そういうことだ」キニスンがボクシング・スタイルのかまえをとると、あたりの空気が張り詰め、ヴァレリア人たちが後退した。
『すまない、クザク。これもキニスン流といったところだ。つきあってやってくれ』トレゴンシーも、周囲にならって後ろに下がった。
「さあ、きたまえ!」再び円形に空いた格闘用の空間の中央で、キニスンは軽く上体をゆらしながら、クザクを手招いた。「なんならその腰のカタナを使うといい。遠慮は要らん」
「では、そうさせていただく」
キニスンの視界から、クザクの姿が消えた。
同時に、なにかがキニスンのひたいをとん[#「とん」に傍点]と突いた。目の前に、死角から踏み込んだクザクが立っていた。ひたいに当たったのは、彼が持った日本刀の、黒塗りのさやの先端だ。
あっけにとられるキニスンから一歩下がり、クザクは一礼した。
『どうかね、キム』トレゴンシーの言葉に、キニスンはわれに返り、表情を引き締めた。「もう一度だ」キニスンは三歩下がると、肉体と精神のすべてを研ぎ澄ませ、軽快なフットワークで左右に動き始めた。「いったいどんなマジックを使ったか知らんが、二度は通用しない」
キニスンは超人的な知覚力を最大に働かせ、クザクの全身を隅々まで、表面から内部までも、観察し、監視した。筋繊維の一本の収縮、神経パルスのひと打ちたりとも見逃しはしない。
一方、クザクは自然体で立ったまま、微動だにしない。だが、今や生きた分析機と化したキニスンは、クザクの体内を巡る、生化学的かつ力学的なエネルギーの流れをはっきりと知覚した。よく統制のとれたパワーが、その全身をよどみなく高速で循環している――なるほど、これは見た目以上のものかもしれん。要注意だ。
しかし、待ちの姿勢はキニスンの流儀ではない。彼はすばやく踏み込んだ。左と見せかけて右へ。そして、二、三のフェイントの動きを交えた軽いジャブ。クザクはフェイントに惑わされず、最後のジャブのみに反応する。
だが、そのジャブもまたフェイントだった。キニスンは自分の腕が伸び切る直前に、クザクに向けて強烈な精神衝撃を放った。その余波を受け、観客の最前列にいたヴァレリア人が、鼻をはじかれたようにのけぞった。
と同時に、クザクの見えぬ目が、キニスンをとらえた。その瞬間、巨大な鋭い思考波が、キニスンの精神に稲妻のように襲いかかった。キニスンは反射的に防御を固めたが、不意を突かれた肉体が一瞬パニックを起こし、足をもつれさせた。
『――こいつは驚いた!』トレゴンシーへの秘話帯域で、キニスンは叫んだ。『聖なるクロノ神の尻尾にかけて――彼の精神衝撃は第二段階レンズマンのそれに匹敵するぞ!』
『もちろんだ。なぜならそれは、第二段階レンズマンであるキムボール・キニスンが放った攻撃的思考波そのものだからね』と、トレゴンシーが言った。
『なに? どういうことだ』
『“明鏡止水《ミズカガミ》”と呼ばれる技術――アルタイル柔術の術理の、精神格闘術的応用だ。つまり、彼は自らの精神を、完全な調和的静止の状態に置くことによって鏡面化したのだよ。彼に敵対した者は、攻撃の意志を反射され、自分自身を害することになる。もし手加減していなかったなら、きみは一撃でノックアウトされていただろう』
『ふむ……? はじめて聞くテクニックだな。わたしは地球《テルス》人としては最高レベルの精神的訓練を受けたと自任しているが、アリシアの導師《メンター》は、そんな話はおくびにも出さなかったぞ』
『アリシア人はすべてを知っているが、すべてを教えるわけではない』トレゴンシーは言った。『きみにはきみの、クザクにはクザクの、それぞれにもっとも適した“道”があるのだ』
――これら超高圧の思考波による会話は一瞬で行なわれ、キニスンはその後たっぷりと時間をかけて、マットに尻餅をついた。
「……もう充分と思う」ヴァレリア人がどよめく中、クザクがキニスンを見下ろし、一礼した。「わたしはデイルズについての調査を続行したい。では、|これにて失礼《クリア・エーテル》」クザクはキニスンの答えを待たずに、エアロックへ歩き始めた。ヴァレリア人の人垣が後ずさり、大きく道を空けた。
「いや、まだだ!」キニスンが叫んだ。「バス、その男を止めろ!」
「|ホイきた《QX》!」
キニスンの声にはじかれたように、ヴァンバスカークと部下の隊員たちが、クザクに向けて殺到した。一部は背後から、それ以外はエアロックの前に先回りして――一番のチビでも四〇〇ポンド([#ここから割り注]約一八〇キログラム[#ここで割り注終わり])を超えるという、巨大な筋肉の塊が約二〇名、雄たけびを上げながら、雪崩のようにクザクを襲った。
だが、クザクは眉ひとつ動かさず、すっと腰を落とし、歩を速めた。クザクの肩に背後から組みついたヴァレリア人が、空中で巨人の手にひねられたように半回転し、後続の仲間を巻き込んではじき飛ばされた。次いで、クザクは速度も姿勢もまったく変えることなく、前方のヴァレリア人の群れに飛び込んだ。
『あのように、アルタイル柔術は一対多の状況でもっとも効果を発揮する』トレゴンシーが、状況を解説した。『今見せているのは、奥義の一手、“|武者走り《ムシャバシリ》”という技だ。精妙にして完全なバランスをたもちながら走る彼に対しては、いかなる攻撃、またいかなる防御も無効なのだ。キム、地球《テルス》には独楽《こま》という玩具《がんぐ》があるだろう。高速回転する独楽は静止して見えるが、触れるものすべてを弾き飛ばす。あれと同じことだよ』
だが、その言葉はキニスンの頭に入ってはこない。彼は今、信じられない光景を目で追うので精いっぱいだ。――床の上をすべるように走る、幽霊のような男。その男に触れただけで、樽のようなヴァレリア人が、一〇人も、二〇人も、次々とはね飛ばされ、床に叩きつけられていく。クザクに向かっていく者も飛び下がろうとする者も、その体に接触した端から、まるで木の葉が風に巻かれるように、高々と空中に放り投げられていく。
[#挿絵(img/hundosi_042.jpg)入る]
ひときわ大きな音を立てて、ヴァンバスカークの巨体が背中から落ちた。彼は床をごろりと転がって跳ね起きたが、再び踏み出すことには躊躇《ちゅうちょ》した。
「|なんてこったい《ノシャブケミング》! あいつはバケモンか!?」
クザクはエアロックの前で立ち止まり、室内をふり返った。呼吸も服装も、そして表情も、いささかも乱れてはいない。なにごともなかったかのような風情だ。
「レンズマン・クザク!」キニスンが呼び掛けた。「きみのグレー・スーツを手配しよう。受け取っていきたまえ」
「ありがとう、グレー・レンズマン・キニスン。だが、なるべく早急に願いたい。わたしはすぐに出立したい」クザクの顔には、なんの感慨も浮かんではいなかった。たった今[#「たった今」に傍点]、任務解除を受けたというのに[#「任務解除を受けたというのに」に傍点]!
クザクは姿勢を正すと、あっけにとられるキニスンにむけて深く一礼し、きびすを返して歩み去った。
「……ふうむ」キニスンはクザクの去った扉をながめながら、つぶやいた。「気にくわん男だな。まったく気にくわん」だがやがて、その顔には、わき出るような笑みが浮かんだ。「気にくわんが、しかし……じつに面白い!」
『きみらしい感想だ』トレゴンシーは満足げに触腕をうねらせた。
それから、キニスンがふと周囲を見回すと、部屋中のヴァレリア人が床にはいつくばり、黄金像に向かって祈っていた。
「ノシャブケミング、ノシャブケミング! ああ、あいつは第九地獄の悪霊に違いねえ!」
「ふむ! たとえそうだとしても――」キニスンは手近な隊員の丸まった背を張り飛ばした。「彼はレンズマンだ。ということは、われわれの仲間さ。なんとも頼もしいことじゃないか!」
キニスンはグラブをふり上げながら、部屋の中央に歩きだした。
「さあさあ、みんな顔を上げろ! お楽しみはこれからだ! 誰か、銀河調整官をぶん殴ってみたい奴はいないか!? 遠慮は要らない! マジックなし、悪霊もなしでお相手するぞ!」
[#改ページ]
3 ワイルド・キャット
[#挿絵(img/hundosi_045.jpg)入る]
[#挿絵(img/hundosi_046.jpg)入る]
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トランジアのバルマー事件の終結から半月後、ビル・モーガンは一〇日間の休暇をとった。「ボスコーンの暗躍を前に、休暇などとは」そう言って予定を取り下げようとする彼を、警部が説き伏せたのだ。
「犯罪は常に存在します。しかし、それを理由にあなたが自分の生活を失うべきではない。われわれの戦いは持久戦なのです。今は休暇をお楽しみなさい。われわれは――そしてあなたがたレンズマンは、市民の生活を守る立場にありますが、同時にその市民社会を構成する一員でもあるのですから」こう粛々と説かれては、さすがのビルも反論できなかった。彼が故郷のアルデバランへの客船の手配を始めると、警部はさらに言った。「そうそう、おみやげには本場物のボレガをひとビン、お願いしますよ」
トランジアからアルデバランまでは、太陽系《ソル》をはさんで五〇〇光年ほど。ビルは半日かけて恒星間連絡船を乗り継ぎ、一旦アルデバラン第二惑星の大宇宙港に降りると、そこから貸し宇宙服を借りて小惑星帯へ。アルデバラン航宙局の管制に従って宇宙服で一時間ほど飛ぶと、鉱夫ステーション“エルバ”の灯が見えてきた。いくつもの採鉱艇の航行灯と噴射炎が、エルバを中心に集まり、そして散っていく。遠目に見れば、ビルの宇宙服もそれらの光のひとつだ。彼は、故郷に帰ってきたのだ。
エルバ・ステーションは、小は直径二〇フィート([#ここから割り注]約六メートル[#ここで割り注終わり])から大は三〇〇フィート([#ここから割り注]約九〇メートル[#ここで割り注終わり])まで、様々なサイズのシリンダー型モジュールが無造作に集合した、ある種の菌類の模型のような姿をしている。直径一マイル([#ここから割り注]約一・六キロメートル[#ここで割り注終わり])弱の小惑星を核にした基幹部――“エルバ”とは、もともとその小惑星につけられた名だ――を中心に、整備所、換金所、貸しロッカー、派手に電飾された歓楽街などのモジュールが連結されている。また、長く何本も伸びた桟橋には、電動ノコギリの刃のように何十もの固定座が並び、隕石鉱夫の採鉱艇が何十も鈴なりに繋留《けいりゅう》されたまま、固定座ごと桟橋の基部の鉱石搬入所に引き込まれていく。
ビルが地球《テルス》のGP養成課程にいた五年の間に、いくつもの構造物が事故や老朽化のため廃棄され、あるいは新たに付け加えられて、エルバの外見はずいぶんと変わってしまっている。ちなみに、新しいモジュールにはみな、新興の惑星開発企業〈フリードマン宇宙開拓社〉のロゴが描かれている。フリードマン社はエルバと小惑星帯全体の権利を買い取り、山師の巣窟だったこの小惑星帯を、近代的な採鉱場に変えつつあるのだ。
『バーゲンホルムを一時停止し、固有速度を同調せよ。バーゲンホルムを一時停止し、固有速度を同調せよ――』
ビルはエルバからの自動アナウンスにしたがって宇宙服のバーゲンホルムを停止し、復活した固有速度をウルトラウェーブ・ビーコンに合わせて調整した。それから、バーゲンホルムを再始動し、エルバに向けて微速前進。宇宙服一丁で採鉱艇の群れの中に入って行くことになるが、無慣性状態ならば、万一船体や噴射炎に接触しても、押し退けられるだけで、大事故には至らない。
ステーションに近づくにつれて採鉱艇の灯は密度を増し、いくつかの流れになって桟橋に向かっていった。そして、その中に不規則な動きをする一隻があった。ずんぐりした小型の船体から突き出た二本の作業アーム――牽引《トラクター》/圧迫《プレッサー》ビームユニットを装備したタイプだ――を器用に使いながら、他の艇の間にすべり込み、するすると流れを渡っていく。その船腹に手書きで書かれた赤い丸と〈ラッキーストライク〉の船名を見ると、ビルはふと笑みを漏らし、行列の間をぬって蛇行する採鉱艇を追って、推進機の推力を強めた。
〈ラッキーストライク〉号は、桟橋の目の前に来ると、ふた回りほど大きな、毒々しい赤色に塗られた採鉱艇の前にすべり込んだ。二本のアームを同時に使い、赤い採鉱艇を圧迫《プレッサー》ビームで、固定座を牽引《トラクター》ビームでとらえ、赤い採鉱艇を押し退けながら着床。船体を固定座にロックし、バーゲンホルムを切ると、固有速度の微妙なずれ[#「ずれ」に傍点]が復活し、固定座の緩衝装置《ダンパー》を軋ませた。
一方、押し退けられた赤い採鉱艇は、〈ラッキーストライク〉号を押し返そうにも、相手はすでに完全に固定されて、鉱石搬入所に向けて動き始めてしまっている。そこで、推進機を噴かしてさらに別の船を押し退けようとするが、押された方もおとなしく場所を譲りはしない。こちらも推力を増して押し返す。その押し合いの余波を受けて後続の採鉱艇の列が乱れ、やがてそれは周囲一帯を巻き込む大混乱となった。気の荒い鉱夫たち――いずれも熟練した宇宙船乗りだ――が、牽引ビームを投射し合い、船体をぶつけ合いながら、固定座を巡って「椅子取りゲーム」を始めたのだ。
そうしている間に、〈ラッキーストライク〉号には宇宙服を着たフリードマン社の作業員が取りつき、貨物室から鉱石のサンプルを抜き取り、腕ほどの大きさの細長いポッドに封印した。そして、〈ラッキーストライク〉号のエアロックから、これも宇宙服姿の小柄な鉱夫が出てくると、作業員は鉱夫に向けてポッドを投げ、〈ラッキーストライク〉号の船体を蹴って、となりの採鉱艇へと漂っていった。完全な流れ作業だ。あとをふり返りもしない。
鉱夫はゆっくりと飛んでくるポッドに手を伸ばした。が――若干身長が足りず、ポッドを受けそこね、指先で弾いてしまった。ポッドは鉱夫の頭上を越えて、中空へと漂っていった。サンプルポッドは言わば、隕石鉱夫たちの数週間分の労働の結晶だ。これを窓口まで持って行って評価を受けなければ、鉱石の換金ができない。
鉱夫は腰から銃を抜いた。宇宙作業者が無重力環境の中で移動したり小物を取ったりするのに使う、|牽引ビーム銃《トラクターガン》だ。銃口から放たれた牽引ビームが遠ざかるポッドを捉え、鉱夫の手もとに引き寄せた。
それから、鉱夫はポッドを片手に下げ、鉱石搬入所に向けて自動的に移動する〈ラッキーストライク〉号をあとにして、真空下《ふきさらし》の桟橋の上を、吸着ブーツで歩いていった。行き先は、エルバの玄関、エントランス・モジュールだ。
ビルは宇宙艇同士の乱闘場面から抜け出すのに手間取り、数分遅れでエントランス・モジュールのエアロックをくぐった。モジュールの内部は、エルバの他の区画と同様、|AAAAAA《ストレートA》型――つまり、酸素呼吸で温血の直立人間型――種族用に環境調整された、円筒型のホールになっている。シリウス人やデシルヴァ人、ヴァンデマール人など雑多な種族の隕石鉱夫が、重力プレートの内張りによって弱加重された円筒の内壁を歩いて、あるいはホール中心部の無重力領域に渡された何本もの手すりにそって、それぞれの目的地へと向かう。ある者は鉱石サンプルを持って搬入手続きに、またある者は換金した札束をびらつかせながら、歓楽街に。
「――ざけンなよ、てめえ!」
ビルがホールに入った途端、あたりに怒声が響き渡り、鉱夫たちがなにごとかとふり返った。声の主は小柄な女。先ほどの〈ラッキーストライク〉号の鉱夫だ。なにやら鉱石の査定でもめているらしく、搬入手続きのカウンター係に食ってかかっている。
「四〇ったら四〇だ! 一ミロだってまからねえ!」小柄な体のどこからこんな声が出るのか。女鉱夫が怒鳴ると、ホール中の空気がびりびりと振動した。
「そうは言ってもね」カウンターの男は、癖なのだろうか、鼻の横の指先ほどもある大きなほくろをいじりながら、かたわらの分析機の指針をあごで示した。「ほら、見なって。純度三〇パー足らず。ってこたあ、ただの石っころも同然だ。ま、いいとこ、ひと桶二五クレジットだね」
「馬鹿野郎、ンなわけあるかよ! だいいち、二五じゃ燃料《ガス》代だけで足が出らあ」
「こっちの知ったことかい。手でも足でも好きなだけ出してくんな」
「なんだとこの――」お望み通りとばかりに、女鉱夫が握り締めた拳を振りかぶった時、そのこめかみに、どこかから飛んできた、毒々しい真っ赤な色のヘルメットが打ち当たった。
「キャァーット!!」ヘルメットとそろいの真っ赤な宇宙服を着た大男が、ビルの背後から飛び出した。「てめえ、今日こそただじゃおかねえ!」
[#挿絵(img/hundosi_052.jpg)入る]
キャットと呼ばれた女鉱夫は、一度はよろめいてカウンターに手を突いた。だがそれから、ヘルメットの当たったこめかみを押さえながらふり返り、とぼけた顔を作りながら、「おや、なんの話だい」と言った。
「今さっき、おれの船の前に割り込みやがったろうが!」
「あ、なァ〜んだ。そんなこと」キャットはにやりと笑った。こめかみから、たらりと血の筋がたれた。「へっ、あんたがあんまりすっトロいからさ。あたしゃあんたと違って忙しいんだ」
「このアマ!」大男が吠えた。「口のきき方ってもんを教えてやろうか!!」
「おあいにくだね!」キャットが吠え返した。「こちとらそこまでパーじゃねえや。てめえに教えを請うくらいなら、ザブリスカのフォンテマに頼んだほうがましってもんだ!!」
「言いやがったな!」大男は床を蹴った。巨体は低重力のため高く宙に舞い、何人もの鉱夫の頭上を飛び越えた。
「おい!」キャットはほくろ[#「ほくろ」に傍点]のカウンター係をふり返った。「そいつをもういっぺん計り直しときな! 今度ごまかしやがったらぶっ飛ばすぞ!」それからキャットは、カウンターに駆け登り、垂直に飛び上がった。入れ替わりに飛び込んできた大男は、鉱石をぶちまけながら、カウンターの中に突っ込んだ。
キャットは頭上二〇フィート([#ここから割り注]約六メートル[#ここで割り注終わり])ほどの高さに渡された手すりをつかみ、体操選手のように脚を振りながら体を持ち上げた。「ここまできな、うすのろ!」
大男はひと声吠えると、ほくろの男を突き飛ばしながら、キャットを追って飛び上がった。キャットは棒の上でくるりと体を回転させ、遠心力を利用して、さらに上方の手すりに飛び移った。そして、さらに上、さらに上へ――ホール中央の無重力地帯へ。
――おい、喧嘩だぜ!
――なんだ、またあの女か。
――誰か賭ける奴はいねえか!? 俺は山猫に三〇だ!
物見高い連中が騒ぎ始めた。頭上を見上げる者、駆け寄ってはやし立てる者。ふたりを追って空中に飛び出す者もいる。
ビルは騒ぎに背を向け、カウンターに歩み寄った。そして、床に転がったほくろ男に手を差し伸べると、「やあ、災難だね」と言った。
「お、どうも」ほくろ男は、ビルに引き起こされながら言った。「……いや、まったくだよ。あの山猫《ワイルドキャット》め、いつもあの調子だ。いや、ありゃあ山猫なんて可愛いもんじゃねえ、ラデリックスの猫鷲《キャットイーグル》だな」
「はは、うまいこと言うなあ」ビルは笑いながら、床にばらまかれた鉱石のひとかけらを手に取った。「これはボロヴァ鉄だね。この辺じゃちょっとめずらしいな」
「しかし、こう純度が低くちゃね」
「確か、三〇パーだって?」ビルは慣れた様子で鉱石を両手の間に転がした。鉱夫が鉱石の質量を計る手つきだ。
ほくろ男が、ビルの手から鉱石を引ったくった。「三〇パーだよ。何度計ったってね」
「そいつはどうだろう?」ビルが言った。「あんたの分析機の目盛りをきちんとGP基準に合わせれば、また違う結果が出るんじゃないかな。仕事に使う道具なんだから、ちゃんと調整しておいた方がいいね」
「……あァ?」ほくろ男の目つきが凄みを帯びた。伊達に年中荒くれ者の相手をしているわけではない。「あんた、おれに因縁つける気か?」
「いやいや、商売は信頼関係が大切ってことさ」ビルは、あくまで気さくな調子で言った。
「そうだな……仮に、ぼくがある種の貴重品――宝石みたいなもの――を持っているとする」
「ああン?」
「あんたがそれに値をつける。あんたのつけた値を見て、ぼくはあんたの見る目[#「見る目」に傍点]に値をつける。お互いの価値を認め合えばこそ、取り引きは成立する。これはまったく公平かつ対等な関係だ。ほら、例えば――」ビルは宇宙服の右手首の気密リングを外し、生身の手首をのぞかせた。白い肌に直接触れるプラチナ・イリジウム製の腕輪と、その中央でまばゆく輝く――
「レ……ッ!」ほくろ男は絶句した。
「ああ、このお宝[#「お宝」に傍点]の値打ちがわかるなら、安心だ」ビルは宇宙服の手首を元に戻しながら、にやりと笑った。「あんたは優秀で正直な商人に違いない」
さて一方、キャットと赤宇宙服の大男の戦いは佳境を迎えていた。無重力下の格闘は、小回りの利くキャットにやや有利だ。彼女は手すりから手すりへ、クレヴェニアの角猿《つのざる》みたいに飛び回りながら大男の動きを攪乱《かくらん》し、ときおり鉄棒競技のように回転しながら強烈なキックをかます。だが、よほど腹に据えかねているのか、何度でかいの[#「でかいの」に傍点]を食らっても、大男はあきらめない。鼻血を垂らしながら執拗にキャットを追い続けたすえ、ついに、蹴りにきた足をつかむことに成功した。大男は野獣のような声を上げながら、キャットの体を引き寄せた。が、次の瞬間、キャットはつかまれた足を支点にして、空いた方の足で大男のあごを蹴り飛ばした。大男はたまらず手を放し、ふたりの体は血と汗の玉を散らして回転しながら離れていった。
「この糞アマ……!」大男はどうにか手すりにつかまると、腰からビーム銃を引き抜いた。キャットひとりを手掛かりのない空中に取り残し、背後のやじ馬がわっと声を上げて四方に散った。手すりにしがみつき、自らの姿勢を落ち着けるのに手間取りながら、大男はよろめく銃口でキャットの姿を追った。しかし、彼と同時に、キャットも腰のトラクターガンを抜いていた。キャットはすばやく、そしてためらわなかった。体を丸め、両腿の間から銃を突き出し、即座に引き金を引いた。銃口から放たれた牽引ビームが大男の胸を捉え、反作用でキャットの体を彼に引き寄せた。大男もまた引き金を引いた。彼の銃から放たれた殺人的な熱線は、キャットの髪をかすめ、遠いホールの壁に焦げ目を作った。次の瞬間、大男の目前にまで迫ったキャットは、股間《こかん》にトラクターガンをかまえたまま、伸びをするように、思い切り両足を突っ張った。キャットの両脚と背筋《はいきん》、そして牽引ビームのパワーが、空中キックの形で大男のみぞおちと顔面に炸裂《さくれつ》した。
やがて、やじ馬の歓声と口笛の中、キャットは大男の体を床に突き落とした。男は前歯を折って、気絶していた。
「……けっ、手間ァ取らせやがって」
毒づきながら着地したキャットの背後で、拍手をする者がいた。
「お見事」
「なーにがお見事だ、文句あんのか、この――」ふり返ったキャットの目が、大きく見開かれた。「……ビル!?」
――お、なんだなんだ、キャットの男《イロ》か?
――馬鹿、あの山猫が男になつく[#「なつく」に傍点]もんかよ。
――どうせあいつも引っかかれるさ。
やじ馬がささやき交わす中、ビルはキャットに大きく歩み寄ると、小柄な体を抱き締めた。対するキャットは、意外なことに顔面パンチもタマ蹴りも出さず、おとなしくその行為を受け入れた。ほう……? と、周囲から低いため息がもれた。
「ただいま、姉さん」と、ビル・モーガンが言った。
「え、あ、その…………お帰り」と、キャット――キャサリン・モーガンは言った。
「相変わらず、無茶してるみたいだね」
「べ……別に、年中こんなことしてるわけじゃねえって」キャットの宇宙線焼けした顔が、真っ赤になった。「年中してるじゃねえか!」背後で誰かが叫ぶと、やじ馬がどっと笑った。
「ンだとコラ!?」キャットは体をひねりながら怒鳴り、それから「ちょっと待ってな。今、用事を済ませちまうから」と言ってビルから身を離し、やじ馬を威嚇しながらカウンターに向かった。
「……で、どうよ?」キャットは床に伸びている大男を親指で指しながら、ほくろ男に向かって肩を怒らせ、すごみを効かせた表情を浮かべた。「多少はさっきと違う値《ね》がついたかい? え?」
「いや、悪かった! どうやらこっちの勘違いだ」とほくろ男は言い、それから、キャットの背後に立つビルにちらちらと愛想笑いを送りながら、見積書にペンを走らせた。「あんたの言う通り、こりゃ四〇の値打ちはあるな。いや、四〇どころか四二、三――ええい、キリのいいとこ、四五でどうだい、ええ?」
威勢よく叩き出された見積書を受け取りながら、キャットは拍子抜けした様子で「……ああン?」と言った。
*
たいていの隕石鉱夫は女と寝るとき以外は自分の採鉱艇で眠るものだが、中にはステーションの一角に住居をかまえる変わり者もいる。キャット・モーガンもそのひとり。鉱石の搬入と換金を済ませると、キャットとビルは連れ立って、キャットの“家”――荷台を居住用に改装した、中古の貨物艇――へ向かった。
貨物艇はエルバの外れ、いくつかの共用居住モジュールを通った先に停めてある。その内のひとつを通る際、ビルは通路の脇に座り込むひとりの男に気がついた。体を強ばらせ、小刻みに震える様子に、最初は急病人かと思われた。だが、男の顔には、歯を食いしばり、頬をひくつかせながらも、まぎれもない歓喜の表情が浮かんでいる。これは――
「ああ、ありゃシオ中[#「シオ中」に傍点]だ。近ごろ増えてんだよ」ビルの懸念に答えるように、キャットがつぶやいた。
シオナイトは、惑星トレンコのみで産出される、最悪の麻薬だ。幻覚効果も中毒性も、他の麻薬の比ではない。……が、しかし、それは本来、鉱夫街に流れてくる性質のものではない。末端でグラム当たり二万クレジットにもなるその“高級麻薬”は、一介の鉱夫に手が出せる代物ではないのだ。その希少性ゆえに、シオナイトの社会的毒性[#「社会的毒性」に傍点]はごく低いものとされていた。広く蔓延《まんえん》するには、あまりにも微量だったのだ。
だが、ここ数年、その状況が変わりつつある。シオナイトが急激な値崩れを起こしながら、麻薬市場に大量に出回っているのだ。最悪の麻薬は「うわさに聞く幻のドラッグ」ではなくなった。ちんぴらが売りさばける値段になり、路地裏で人を殺せば得られる金額で手に入るようになったのだ。かつてのように靴底の隠し容器でではなく、今や樽《バレル》単位で星々を巡るシオナイトの薬禍は、銀河文明を確実に蝕みつつあり、そして、その猛毒性の触手は、このエルバ・ステーションにも確実に伸びてきている。
「……あの様子じゃ、あいつも次あたりポックリ行くな」固く目を閉じ、引きつった笑いをもらすシオナイト中毒の男をながめながら、キャットは吐き捨てるように言った。「まあ、ああいう手合はさっさとくたばりゃいいんだけどよ」
ビルは答えなかった。
路上の男を見下ろすビルの思い詰めた表情に気づくと、キャットはその肩を叩いて、
「行こうぜ」と言った。
その後、キャットとビルはさらにいくつかの廃棄寸前のモジュールを抜けた。どれもまだ、一応気密は保たれているが、空気は淀み、冷えきっている。照明はおおむね非常灯のみ。加重はされていたり、いなかったりだ。
終いに、ふたりはあるモジュールの貨物搬入用エアロックの前に立った。キャットの貨物艇は、このエアロックに常時ドッキングしているのだ。
「リッキー? 今帰ったぜ」キャットがインターホン端子に結線して呼びかけると、宇宙服のスピーカーに、何人もの子供の声が聞こえてきた。
『姉ちゃん、お帰り!』
『おみやげは!? ねえ、おみやげは!?』
「へへへ、で〜っかいのがあるぜェ。見て驚けよ」
エアロックの内扉が開いた。無重力の船内には、五歳から一五歳くらいまで、五人の子供たちが顔を並べていた。すべて人型《ヒューマノイド》ではあるが、その種族はまちまちだ。ほっそりしたマナルカ人に、人間型の猫のようなヴェギア人、背が低くずんぐりしたトミンガ人に、全身ピンク色のチクラドリア人がふたり。
『おつかれさま、姉さん』年長の少女が、マナルカ式テレパシーで言った。『大きいおみやげって――あら!』
「おうよ」キャットはビルの胸を掌で叩いた。「こいつが今日の掘り出しもん――本物のレンズマンだ!!」
「……ビル兄ちゃん!!」子供たちは歓声を上げながら、ビルに飛びついた。
「やあ、みんな大きくなったなあー」吸着ブーツに足を取られ、仰向けにのけ反りながら、ビルは弟たちの体を受け止めた。「レイ、マギー、仲良くしてたかい? ドロシー、ずいぶん綺麗《きれい》になったね! リッキー、おねしょのくせはもう直ったかな」
『まだよねえ、リッキー?』マナルカ人のドロシーが、くすりと笑った。
「ほんの、時々だ」ヴェギア人のリッキーは、不満げに尻尾をくねらせた。
「レイもおねしょするのよ!」チクラドリア人のマギーが叫ぶと、「おまえだってしてるくせに!」同じくチクラドリア人のレイが叫び返した。双子のチクラドリア人のピンク色の肌が、血の気を帯びて煉瓦《れんが》色になった。
『……デューンは、ビル兄さんと会うのは初めてなのよね』ドロシーが、小さな樽のような体格のトミンガ人の男の子の手を引いて、ビルに向き合わせた。元来、トミンガ人はマナルカ式テレパシーを送信も受信もできないし、マナルカ人は音声言語を一切あつかえない。だがこの異種族の姉弟は、身振りや唇の動きで、充分に――それこそレンズ通信並みに、意思を通じ合っているようだ。
「やあデューン、はじめまして。ぼくはビル。きみの兄さんだ」ビルがデューンの目の前にしゃがむと、デューンはしばらくもじもじして、「……レンズマンの?」と言った。
「そうとも」ビルは笑いながらうなずいて、宇宙服のグラブを外し、レンズのはまった腕輪を示した。ビルの肩越しにそれをのぞき込んだリッキーが「すっげえ!」と言うと、レイとマギーが「おれも見る!」「あたしも!」と叫んだ。
そして、「兄ちゃん、レンズに触ってもいい?」とリッキーが聞くと、「そうだな……今だけならね」と、ビルは答えた。「でも、不活性状態のレンズには絶対に触れちゃいけない。拒絶反応で死んじゃうぞ」
ひゃあっ、と声を上げて、子供たちはレンズから飛び退いた。が、やがて、リッキーがそろりと手を伸ばし、レンズの輝く表面に触れた。電流のような、振動のようなパワーを指先に感じ、リッキーは思わず引っ込めた自分の手を見詰めて「ふわ〜…」と言った。
「次はあたし、次はあたし!」マギーがレイを押し退けてレンズに触れ、「本物だわ!」と叫んだ。「わかんのかよ!」と言いながら、レイがマギーを押し返した。ビルが止めるまもあらばこそ、ふたりのチクラドリアの子供はつかみ合いを始め、横にいるデューンが泣き始めた。が――
「こら、おまえらいいかげんにしとけ!」キャットが怒鳴ると、騒ぎはぴたりと収まった。
「大事なレンズに傷でもつけたら値が下がンだろが!」
「大丈夫だよ、姉さん」ビルが言った。「ぼくが生きているかぎり、レンズに傷がつくことはないし、値が下がるなんてこともない。レンズの価値は絶対だからね」
「そりゃおまえ……今のは言葉のあやだ」
キャットは照れ隠しにぷいと横を向き、宇宙服を脱ぎ始めた。気がついたドロシーが、それを手伝った。幼い弟妹は再びビルにまとわりつき始めた。
「あら、姉さん怪我してる!」ドロシーが、キャットのこめかみの傷に気づいた。ヘルメットをぶつけられた痕だ。「また喧嘩したの!?」
「オタオタすんな。楽勝だ」にやりと笑いながら、キャットは分厚い宇宙服から抜け出した。
「おい、リッキー!」
「おうっ」リッキーが駆け寄り、自分の身の丈より大きな宇宙服をかかえて運び始めた。
「――そういえば、ドロシー? マークとステファニーがいないようだけど」と、ビルは姿の見えない弟妹の名を挙げた。「買い出しにでも行ってるのかな」その問いに、子供たちの嬌声が、再びぴたりと止まった。ドロシーも、他の子供たちも、みな口をつぐんで、そっとキャットの表情をうかがう。
「……まあ、その話はあとだ」キャットはふり向きもせず、ぼりぼりと背中をかきながら言った。「悪ィけど、先にシャワー使うぜ。三日間着っぱなしだったから、かいィかいィ」
それを聞いたリッキーが、宇宙服の中に頭を突っ込み、それから鼻をつまんで「どうりで臭えや」と言って、キャットに殴られた。子供たちが、再び笑い出した。
「痛えなあ」リッキーは頭をさすりながら、口を尖らせた。「ポカポカ殴ンなよ。頭が悪くなンだろ」
「その反対だ。こいつは頭のよくなる薬だぞ」キャットはもう一度拳を固め、リッキーの鼻先に突き出した。「ビル兄ちゃんも、こいつを山ほど喰らってでかくなったんだからな」
「えっ、それ本当?」リッキーがふり返った。
ビルは自分の頭をさすりながら、肩をすくめた。「おかげでこのウィリアム・モーガンは、銀河パトロール史上、最も頭のデコボコしたレンズマンになったというわけさ」
デューンが小さな手をそっとビルの頭に伸ばし、「ほんとだ……」と言った。
*
翌日、モーガン一家はアルデバラン第二惑星の都市、ハイ・アルタモントに降りた。七人の多種族混成姉弟は、遊園地で遊び、レストランで食事をし、デパートで買い物をした。
「ドロシー、おまえは元がいいんだからよ。こういうビラビラしたのもイケんだろ、え?」
洋品店でグラモレット地のドレスを着せようとするキャットに『でも、こんな高価《たか》そうなの……』と、ドロシーは渋った。
「大丈夫、レンズマンは給料がいいんだ」というビルに、「ほら安心だ。タカれタカれ」とキャット。その横では、半ズボンを手にしたリッキーが、尻尾をぱたりぱたりと振りながら「これって、おケツの穴、空けてもらえるの?」と、店員に聞いている。
『……やっぱり、普段着られるものの方がいいわ』
ドロシーがドレスを店員に返そうとすると、キャットがそれを横からさらった。「なァに言ってんだよ。この際、バッチリめかし込んでいい男引っ掛けろや、な!」
『もう、姉さんこそ、自分で好きなだけおめかしすればいいじゃない』とドロシーが言った。
「え、あたし?」キャットはふと、手にしたドレスと自分の着ている|つなぎ《ジャンプスーツ》を見比べ、なぜか赤面した。「……あたしはいいって似合わねえから」
その夜、一行はエルバ・ステーションには帰らず、地上のホテルに泊まった。
夕食にボレガをしこたま飲んだキャットは、『われら銀河パトロール』をでたらめな節でがなりながらベッドに倒れ込み、そのままいびきをかいて眠ってしまった。幼い弟たちは、大きなベッドの上を跳ね回りながらおもちゃのデラメーターを撃ち合っていたが、やがて彼らも、ひと塊になって寝息を立て始めた。
子供たちが腕にはめている――これも今日買った――電池式の「光るレンズ腕輪」のスイッチをひとつずつ切って回ったのち、ドロシーはビルのとなりに座った。
『……兄さん、今日はありがとう』おだやかな波長のテレパシーが、ビルの精神に伝わってきた。
「なんだい、あらたまって」と、ビルは答えた。
『姉さんがあんなに楽しそうにしてるの、初めて見たわ。いつも無理してるから……』
「ずいぶん飲んでたね」
『普段はお酒なんか飲まないのよ。今日は兄さんがいて、すごく安心してたんだと思う』
「そうか……楽しんでくれたらなによりだよ」ビルは姉や弟たちの寝姿を見やった。「みんな、地上は好きかな……」
『そうねえ』ドロシーは答えた。『大気越しだと、太陽《アルデバラン》の光がすごく優しい感じ。それに、空気が暖かくて、おいしくて。重力が掛かりっぱなしなのはちょっと疲れるけど、すぐに慣れると思うわ[#「すぐに慣れると思うわ」に傍点]』
「あれ?」ビルは思わず、手元のレンズを見た。また思考が流出していたのだろうか?
『兄さんの考えてることくらい、わかるわ』ドロシーはくすりと笑った。『「地上に住まないか」って言うんでしょ?』
「まいったな、すっかりお見通しか」ビルは頭をかいた。
『このあたりに? それとも兄さんの働いてるトランジア?』
「いや……地球《テルス》がいい」と、ビルは言った。「あそこは宇宙で一番安全なところだ。銀河パトロールの最高基地《プライム・ベース》があって、星系全体が迎撃用誘導惑星と太陽ビーム砲で防衛されてる。もちろん治安もいい。なにしろ、レンズマンがそこら中に歩いてるんだからね」
『地球《テルス》……すてきなところなんでしょうね』ドロシーは、その惑星がそこに見えているかのように、天井を見上げ、『……でもわたし、エルバも好きよ』と言った。
「ぼくだってそうさ。故郷だからね」ビルは言った。「でも、鉱夫ステーションは、子供が育つ場所としては、最上の環境とは言えない」
『それでも、兄さんはこんなに立派になったじゃない』
「……マークとステファニーはどうだい?」
ビルが聞くと、ドロシーは言葉を詰まらせ、うつむいた。
「やっぱり…………死んだんだね」
「そうともさ――」背後からの声に、ビルはふり返った。いつの間にか、そこにはキャットが立っていた。ふたりの会話を聞いていたのだろう。キャットの声は、低く、暗い響きを帯びていた。「マークは|ヤク中《ジャンキー》に刺されて死んだ。ステファンは……ちんぴらにシオナイトかまされて、その上…………」
突然、キャットは拳を固め、ビルのほおを殴り飛ばした。「なにやってんだ、銀河パトロール! ちゃんと仕事してんのかよ! サボってんじゃねえぞ、この――」
『やめて、姉さん! 兄さんのせいじゃないでしょ!』ドロシーがキャットに組みついた。
「……いや、姉さんの言う通りだよ」切れた口元を拭いながら、ビルは言った。真剣な表情だった。「そんな不幸が起こらないようにするために、銀河パトロールは存在するんだ」
「じゃあなんで! なんでだよ、畜生ッ!」
ドロシーをふりほどき、さらに殴りかかるキャットを、ビルは抱き留め、抱き締めた。
「姉さん、銀河パトロールは万能じゃないんだよ。銀河パトロールは創設以来あらゆる犯罪と戦い、常に勝利してきた――そういう風に言われているし、それはある意味事実だ。……でも、この世から犯罪が絶えることはない。銀河パトロールは創設以来敗北し続けているとも言える[#「敗北し続けているとも言える」に傍点]んだ」ビルはキャットを抱く腕に力を込めた。「それでも、それだからこそ、ぼくらは戦い続ける。ぼくも、他のすべての隊員も、死ぬまでそうする覚悟はできている。でも、姉さん。パトロール隊員として恥ずべきことだけど、ぼくは、姉さんや弟たちにだけは、安全なところにいてほしい。だから、みんなには地球《テルス》に行ってほしいんだ」
物音を聞きつけた小さなデューンが、身を起こし、ぐずり始めた。駆け寄ったドロシーがなだめる横で、リッキーが尻尾をひくつかせながら「うーん……姉ちゃん、やめろよう……頭が悪くなンだろ……」と、寝言を言った。
やがて、ビルの腕の中で、キャットの体から力が抜けた。
「……『パトロール隊員として恥ずべきことだけど』だ?」キャットは体を離し、ベッドの上に座り込むと、ビルを見上げた。「へっ、いっぱしの口をきくようになったじゃねえか。あたしにぶん殴られちゃピーピー泣いてたガキがよ……」
それから、一同は部屋の灯を消し、眠りについた。暗い部屋の中に、ほのかな間接照明と、ビルのレンズだけが、光を放っていた。
「……地球《テルス》かあ」薄闇の中で、キャットがぽつりと言った。「……重力が一Gもあンだろ? 乳が垂れちまわねえかなあ」
「いい矯正下着があるんだそうだよ、姉さん」と、ビルが答えた。
「なら、安心だァな…………ところでそれ、ずっと着けっぱなしなのか?」
「下着?」
「そうじゃねえって。その光ってる、レンズ」
「ああ、緊急連絡が入るかもしれないからね。寝るのに邪魔なら隠すよ」
「いや、しまう前に……その、なんだ、へへ」キャットはもそりと起き上がった。「……ちょっとだけ、触ってみてもいいか?」
*
アルデバラン第二惑星から再びエルバ・ステーションに帰り、それから三日間、ビル・モーガンは、体中にまとわりつく弟たちに地球《テルス》やトランジアの話をして過ごした。そして、三日目の夜。弟たちが寝てしまった後、ビルはキャットとともにエルバの歓楽街に出た。
鉱夫街にはすねに傷持つ者も多い。そこに法の化身のごときレンズマンが乗り込んでは、それだけで余計なトラブルを引き起こしかねない。そこでビルは、上着の袖をきちんと止めてレンズを隠し、自分の身分をあいまいにしておいた。だがそれでも、地球《テルス》で学生時代を過ごしたというインテリ、しかもとびきりいい男で物腰は紳士的ときては、放っておかれるはずもない。赤、黄色、深緑――さまざまな肌の色をした、さまざまな種族の商売女がビルを取り囲み、酒場の一角に極彩色の人だかりを作った。
「ねえあなた、そこのホールで踊ってくださらない? 地球《テルス》式のステップを教えていただきたいわ」
「それより、もっとお飲みになって。お疲れになったら、奥で休めますから……うふふ」
「その時は、アタイがいっしょね! もっとお疲れにしてあげちゃう!」
「あ、いやあ……」ビルが頭をかいていると、
「――おらおら、あたしの弟にベタベタ触ンじゃねえ! 金取るぞ、金ェ!」ビルにすり寄る女たちを蹴散らすように、ボレガの瓶を下げたキャットが現れた。そして、恨めしげな女たちを勝ち誇ったように見下ろすと、「ショバ変えっか!」と、ビルの腕をつかんで引っ立てた。
キャットは自慢の弟を見せびらかすように、ネオンに照らされた通りを、店から店へと渡り歩いた。
三軒目の店を出たところで、「よう、旦那!」背中からビルに声をかけるものがあった。鼻の横に大きなほくろ。先日の、フリードマン社のカウンター係だ。「よう、山猫の姐さんもごきげんだな!」
「がはははは、ッたりめえよ!」もうすっかりできあがっているキャットは、ほくろ男の背をバンバンと叩いた。「で、おまえ誰だ?」
ほくろ男は答えの代わりに肩をすくめ、ビルに愛想笑いをした。「旦那、次の店はもう決まってんのかい? よかったら、一杯おごらせてくんな。レンズマ……いやいや、あんたみたいな身元のしっかりした紳士とお近づきになれたら、こんなに心強いことはねえ」
ビルは頭をかきながら言った。「気を悪くしないで欲しいんだけど、賄賂《わいろ》のたぐいなら、決して受け取れないよ」
「とんでもねえ、そいつあ誤解だよ!」ほくろ男は両手を胸の前で振った。「おれが正直な男だってのは、あんたも知ってるだろ!? ただ単に、親睦を深めたいってだけさ。おれは人の縁を大事にする主義なんだ」
「だはは、シンボクときたか、このハナクソ」キャットが天を仰いで大笑すると、ほくろ男は鼻の横をいじりながら、もう一度、肩をすくめた。
結局、手近な店に入ったキャットとビルに、ほくろ男はちゃっかりついてきてしまった。キャットは席に着くなり壁にもたれていびきをかき始め、ビルは軽い飲み物を頼んで、ほくろ男と世間話をした。ほくろ男はエルバの内外の事情によく通じていた。鉱業界の景気、フリードマン社の経営方針、近ごろのエルバの風俗、それに――
「ああ、確かにここ何年かで急に、シオナイトがわんさか入るようになったな。ざっとここから見ただけでも――」ほくろ男は軽く頭を落としながら、店内をこっそりと見回した。「一、二、三……四人ばかり、シオ中がいる」
ビルにも、それは確認できた。さほど広くない店内にちらほらと、シオナイト中毒者特有の、引きつり気味の表情を浮かべた男女がいる。
「……まるで、人ごとみたいに言うんだな」ビルの声音が固くなった。エルバのような鉱夫ステーションでは、鉱石の買い取りと、鉱夫のための補給品、日用品、そして嗜好品[#「嗜好品」に傍点]――酒、女、麻薬など――の取り扱いは、公然と“複合経営”されているか、さもなければ業者同士が裏で癒着しているのが常だ。現在エルバを支配するフリードマン社が、表面上はクリーンな近代企業の仮面をかぶったとしても、隕石鉱夫を相手にする以上、その商売の本質がそうそう変わるわけがない。
「待て待て、待ってくれよ」ほくろ男はあわてて手をふった。「シオナイトは|フリードマン社《うち》とは無縁だ。ベニーやニトロはともかく、あれはまっとうな商売じゃねえ」
「同じことだ。まっとうな麻薬商売などあるものか」
「そうだけど、そうだけどよ」ほくろ男はビルをなだめるように言った。「シラミやダニにだって、性質《たち》のいいのと悪いのがあるもんだろ。そりゃあ、うちだって慈善事業じゃねえから、裏で泣きを見る奴もいるだろうよ。でもな、うちが山師連中に期待してるのは、ポケットの中の小銭なんかじゃない、長期的な労働力って奴だ。平たく言えば、なるたけ長く絞り取りたいってことさ。ってえことは、麻薬《ヤク》をやってくれるのもいいが、一服したらシャキッと働いてもらわなきゃ困る。その伝で言うと――」ほくろ男は両手を広げ、首を左右に振った。「シオナイトは駄目だ。強力《つよ》すぎる。一発で中毒になっちまうし、そうなったらもう働けねえ。ああいうのは、金持ちの旦那やご婦人がたに、ちょっとずつ嗅《か》がせて差し上げるもんさ。値をつり上げながらな」
ビルは瞬間、鉱石の相場と同じ口調で麻薬経済を語る男に激しい嫌悪を覚えた。だが、この男はただ事実を語っているだけだ。これが裏社会の現実なのだ。
「……だから、シオナイトを扱ってるのはうちじゃあない」ほくろ男は言葉を続けた。「うちは山師の血を吸う商売かもしんねえが、あのカロニア野郎は、このエルバ自体を一気に食いつぶそうとしてるんだ」
「――カロニア野郎[#「カロニア野郎」に傍点]だと?」
「あっ……」ほくろ男はあわてて目をそらした。が、ビルの手が伸び、ほくろ男の胸倉をつかんだ。「なにか知っているんだな!?」
ほくろ男は苦い顔をして、鼻の横をこすった。そして、おそるおそる、といった感じに周囲を見回した。「……ここじゃ言えねえ」
ビルは店を出て、酔いつぶれたキャットを家に帰した。そして、起き出してきたドロシーに「急な仕事が入った」とだけ告げ、再び歓楽街に戻った。ほくろ男には「逃げても無駄だぞ」と言ってレンズを示し、店に待たせておいた。
その後、「ああ、まいったなあ」と、ほくろ男は何度もぼやきながら、ビルの先を、酔っ払いとぽん引きの間をぬって歩いた。
「……いったい、どこまで行くつもりだ」ビルがさりげなく腰のデラメーターに手を伸ばすと、ほくろ男は両手を小さく上げながらふり返った。「相当にやばい話になるんだ。完全に安心できるとこじゃねえと」
やがて、ふたりは歓楽街の外れの、一軒の廃屋の前に来た。スプレーで落書きされた壁に、酔っ払いに叩き割られたままの電飾看板――店主が夜逃げした酒場の跡地といった風情だ。ほくろ男はポケットから鍵を取り出すと、色あせたドアを開けて中に入っていった。建物の中は意外としっかりした密閉構造になっていた。万が一、戦闘や緊急連絡の必要が生じた場合に備え、ビルは右手の袖をまくった。露出したレンズの光が、ほこりじみた闇の中を、ぼんやりと照らした。
「さあ、ここなら安心だ」幾重かの扉をくぐって入った一室で、照明のスイッチを入れながら、ほくろ男は言った。「ここは内密の話をするのに使ってるんだ。防音はもちろん、スパイ光線も思考波も、完全に遮断されてる」
「――ってことは、だ」部屋の奥から、何者かの声が聞こえてきた。「ここでなにが起こっても、外からはわからないのさ」
「誰だ!?」ビルは部屋の奥にいた者を見た。足を組んで椅子に深く腰掛け、胸の前にゆったりと手を組む、ひとりの男。均整のとれた長身を、黒いタイトな軽装宇宙服が覆っている。整った顔は青く、短く刈った髪も青い。柔らかさや温かみのかけらもない、凍りつくような青さ。カロニア人の特徴だ。
突然、ほくろ男が頭を抱えながら床に伏せた。ビルは素早く腰を落とし、デラメーターに手を伸ばした。しかし、その指先がグリップに触れるより早く、一条の熱線が空間を疾《はし》った。カロニア人の右手に、デラメーターよりふた回りも大きい、黒いハンドガンが握られていた。まるで銃が手の中に直接出現したかのような、恐ろしいほどの|早抜き《クイックドロウ》だった。
ビルの右腕は肘から切断され、重い音を立てて床を転がった。その手首にはめられたプラチナ・イリジウム製の腕輪の中で、レンズが一瞬激しく発光し、そして、輝きを失った。
「すまねえなあ、旦那」ほくろ男が立ち上がり、ビルの顔をのぞき込んだ。「こっちの旦那とも長いつき合いでね。おれは人の縁を大事にする主義なんだ」
ビルは激痛に耐えながら、切断された右腕に、その手首にはまったレンズに、左手を伸ばした。だが、その手の甲を、宇宙服のブーツが思いきり踏みつけた。
「よーう、レンズマン」
ブーツの主は、黒いハンドガンを手もとでくるくると回し、ビルのひたいにぴたりと照準した。ビルを見下ろす青い端正な顔に、氷のような笑みが浮かんだ。
「おれは、デイルズだ」
*
急な仕事のため、ビル・モーガンは荷物もそのままに出立した――と、ドロシーがキャットに告げたのは、エルバ時間の翌朝のことだった。
「ふうん……」寝起きの頭をぼりぼりとかきながら、キャットは苦笑いのような表情を浮かべた。「レンズマンてのは、忙しいもんだなあ」
『手荷物と職場へのおみやげは、あとでトランジアへ郵送してくれ、ですって』
その言葉が、家族に心配を掛けまいとするビルの配慮であることを、ドロシーはうすうす感づいていた。だが、その意を汲んで、彼女はあえてビルの言った通りのことをキャットや弟たちに告げた。
「ちぇっ、ひでえや、勝手に帰っちまうなんて」弟たちを代表して、リッキーが文句をたれた。「……兄ちゃん、次はいつくるかなあ」
キャットはリッキーの頭を小わきに抱え、くしゃくしゃとなでた。
「そりゃあ、おまえの寝小便が治るころさ……」
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5 青いガンマン
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ぴとん、ぴとん、と水滴が床を打つ音がする。
自分が流した血の音だろうか――という考えを、ビルはすぐに打ち消した。デルゴンの上帝族《オーヴァーロード》は、虜囚を気絶中に失血死させるようなミスはしない。最も長く、最も大きな苦痛を与えられるように、細心の注意を払うはずだ。彼らは一流の拷問者なのだから。
周囲は闇。
どれだけの間気を失っていたのかはわからないが、それほど長い時間ではないだろう。上帝族は彼を安らかな精神的空白の中に長い間置いておくようなことはしないはずだ。今も、刺すような、焼けるような痛みが、急速に活性化しながら全身を包み始めている。中でも、他の部分を圧して燃え上がるように痛むのは、デイルズに奪われた右腕だ。
*
あの時――ビルは切断された右腕を簡単に止血され、なにか注射を打たれた。麻酔のたぐいなのか、痛みは引いたが、全身がしびれ、動けなくなった。それからビルは、血に染まった服を脱がされ、宇宙服を着せられた。装甲も推進機もついていない、作業用の軽宇宙服だ。ちぎれた彼の腕からレンズが外され、デイルズの宇宙服のポケットに、無造作に突っ込まれた。
「じゃあ、デイルズの旦那、おれは、これで――」ほくろ男が言うと、「おう、ごくろう」とデイルズは言った。そして、ほくろ男の愛想笑いに気がつくと、「ああ、褒美か。褒美はな――これだ」まるで飴玉《あめだま》でも放ってやるように、黒いハンドガンを抜き、発砲した。強力な熱線によって、ほくろ男は悲鳴を上げる間もなく、頭部をまるごと失った。
銃をくるりと回して腰に収め、何事もなかったかのように宇宙服のヘルメットをかぶるデイルズが、ふと、ビルの視線に気づいた。
「ん? ああ」デイルズは床に転がった頭のない死体をちらりと見た。「あいつは、ああ見えてなかなか気が利く奴でな。このエルバでの活動には重宝した。だがそれも、もう必要ない[#「もう必要ない」に傍点]」
ビルの怪訝《けげん》な表情を見て、デイルズは言葉を続けた。
「あんた、クザクって男を知ってるか? グレー・レンズマン、アルタイルのクザク」
――レンズマン・クザク!
忘れるはずもない。ビルが半月前に会ったときは、独立《グレー》レンズマンではなく、まだMISに所属していたが――ともあれ、“サムライ”クザクはいまだ、ビルの心に鮮烈な印象を残している。
「そのクザクが、このあたりの星域を嗅ぎ回ってる。あいつは厄介な奴だな。うわさの“サムライ”に目をつけられたら、もうおしまいだ」デイルズはそう言いながら、なぜか満足げに笑った。「おおごとにならんうちに、ここは引き払う」
「それで……口封じ……というわけか」ビルがしぼり出すように言うと、「ん? ああ、まあそれもあるが――」デイルズはほくろ男の死体をふり返り、それから、自分のヘルメットのフェイスプレートの鼻の横のあたりを、指先でトントンと叩いた。「おれは実は、あいつのほくろがどうにも気になってしょうがなかったんだ。やっとせいせいした」
デイルズはまるで、服についた糸くずを取ってやった、とでもいうような口調で言い――かと思うと、突然、膝を打って大笑いを始めた。
「ハハハハハ――せいせいした! せいせいした!!」
それから、デイルズはビルの体をかつぎ上げ、建物の地下に降りていった。建物の最下層は、歓楽街モジュールの外壁を抜けるエアロックになっていた。無秩序な増築を繰り返されてきたエルバには、この手の“裏口”が無数にあるのだ。
エアロックの外扉を開けると、足下に星空が見えた。デイルズはビルを抱えたまま、開口した扉から飛び降り、自分の宇宙服のバーゲンホルムと推進機を作動。エルバから急速に遠ざかった。
「……おれを、どうするつもりだ」と、ビルが言った。
「いいところに連れてってやるよ。秘密の小っちゃな隠れ家さ」と、デイルズは答えた。
やがて、デイルズとビルの進行方向に、ひとつの星が輝き始めた。最初、やや明るい光点と見えたそれは、みるみる巨大な円板状にふくれ上がり、視界全体を覆った。
アルデバラン第一惑星。金属性の荒野と活火山が広がる、不毛の惑星だ。アルデバランの光が届かない夜側の半球に回ると、黒ぐろとした地表に、火口と溶岩の暗い光が、無数に存在するのが見えた。
ビル・モーガンは知っている――この惑星には、かつてボスコーンの秘密基地が存在した。資源・環境的にはなにも見るべきものがない星だが、それゆえに盲点となっていたのだ。だがその基地も、もう一〇年ほども前に、当時グレー・レンズマンとなったばかりのあの[#「あの」に傍点]キムボール・キニスンが、発見し、撃滅した。それ以降、この星は再び、ただの屑星として打ち捨てられてきたはずだが……。
デイルズはビルを抱えたまま、第一惑星の地表に降りていった。そして、ぽっかりと口を開けた死火山の火口にためらいなく降下し、人工的な発着所に着地した。火口の奥は、大規模な宇宙港になっていたのだ。巨大な地下ホールに、塔のごとき輸送艦や戦闘艦が、見渡すかぎりずらりと待機していた。いずれもボスコーン・タイプの宇宙艦だ。アルデバラン第一惑星には、再びボスコーンが基地をかまえていたのだ。しかも、これは“売人の隠れ家”などというレベルのものではない。星系艦隊に匹敵する戦力を擁する、巨大戦略基地だ!
ビルは思わず身じろぎし、レンズ通信の姿勢を取ろうとした。だが、彼は体の自由を失い、レンズを失っていた。そして、レンズを着ける右腕をも失っていた。
くくく……と、デイルズが忍び笑いをもらした。
*
そして、現在――
『起きろ、レンズマン。眠ることは許していない』
ビル・モーガンの体内に差し込まれた精神の触手が、神経を思い切り締め上げた。灼《や》けた針のような苦痛が全身をつらぬき、ビルの精神を無理矢理に覚醒させた。
小さな灯がともり、猿とワニを混ぜたような顔を三つ、闇の中に浮かび上がらせた。爬虫類《はちゅうるい》的怪物、上帝族《オーヴァーロード》の顔だ。
上帝族は、大仰な名前とは裏腹の、みじめな流浪の種族だ。かつて彼らは辺境惑星デルゴンの洞窟にひそみ、近隣の惑星の知的種族を遠隔的に精神支配して自らの住居に呼び込んでは、下僕として使役し、あるいは拷問にかけて楽しんだすえ、その生命力を貪《むさぼ》り喰らっていた。強大な知力、それのみによって他種族を牛耳ってきた彼らは、しかしその後、思考波スクリーンを装備した銀河パトロールに追い立てられ、狩り出され、現在はわずかな生き残りがボスコーン組織の片隅に細々とその身を長らえているのみだ。
貴族の栄華も今は昔。もはや彼らが支配者の座に返り咲くことはない。今の彼らは、ボスコーンに保護され、その拷問技術を売って日々の糧を得る労働者。尋問の際のわずかな役得として捕虜の生命のしたたりを舐《な》め取る――ただそのことだけを楽しみに日々を送る、犬の様な存在だ。だが、その犬に投げ与えられた餌にとっては、笑い事ではない。はるか遠い悦楽の日々を想いながら、彼らは目の前の獲物をひたすらにしゃぶり尽くすのだ。
実際、彼らは捕虜として連れてこられたビルを、この上なく丁重に扱った[#「丁重に扱った」に傍点]。皮膚をミリ単位で剥《は》ぎ取り、浸蝕性の液体を擦り込んだ。ゆっくりと時間を掛けて爪を剥ぎ、指先の肉をじっくりと刻み、露出した神経を入念に刺激した。眩暈《めまい》を呼ぶフラッシュ、吐き気を催す腐臭、鼓膜を裂く不協和音――あらゆる感覚器官に不快な刺激を送り続けた。骨格をねじり、引き伸ばし、圧縮した。熱で、冷気で、電気で、薬物で、彼の全身を責めさいなんだ。平行して、精神的触手でビルの体内深くの神経を刺激し、あるいは麻酔した。もちろん、麻酔は被害者の苦痛を軽減するためのものではなく、次なる刺激をより新鮮なものとするための処方だった。上帝族は、苦痛という感覚の致死量を正確に把握しており、その寸前で刺激を止めることができた。彼らは優秀な外科医であり、精神科医だったが、その技術のすべては、患者に最大限の苦痛と恥辱、そして絶望を与えるためにあるのだった。
『どうしたレンズマン、まだ死んではいないはずだ』
ビルはその言葉を無視し、思考を固く閉ざした。ボスコーンにいかなる情報をも与えるつもりはなかったし、この嫌らしい怪物どもを相手して、喜ばせてやるつもりもなかった。
『死んだのではないか』
『そんなはずはない』
上帝族は再び精神的触手をビルの体内に伸ばし、脳をつかみ、脊髄を掻《か》き回した。ビルの肉体は革の固定具を軋ませながら拷問台の上で跳ね躍ったが、その精神は辛うじて沈黙を守った。彼の魂はすでに死に、抜け殻となった肉体のみが、機械的に反応している――そういう状況を装ったのだ。
『……あれを試してみるか』
『おお、あれを試してみるか』
レンズマンの返答がないと見ると、上帝族は口々に言い交わしながら、部屋の奥から絶縁体で出来た小さな箱を持ち出してきた。そして、ピンセットを使って、中から大きめの硬貨ほどの円盤状の物体を取り出した。それはまぎれもなくアリシアのレンズ、ビルの体から引き離され、機能を一時停止した、彼自身のレンズだった。
上帝族はレンズをビルの左腕に押し当てた。死にかけ、黒ずんだ皮膚に触れると、レンズは若干活性化し、その表面にちりちりとわずかな光を走らせた。上帝族はレンズを二度、三度と押し当てながら、その位置を徐々にずらした。レンズの光は、肉体の大きく傷ついた部分では弱く、それ以外の部分では強くなった。そして、奇跡的に無傷だった胸の皮膚の一部に触れた瞬間、レンズは突如として、爆発的に輝いた。
『緊急――緊急!! この付近のレンズマンは――』
ビルの全力を振り絞ったレンズ通信は、しかし、部屋全体を覆う思考波スクリーンに阻まれた。三人の上帝族は、かつて彼らの地位を奪った忌まわしい機械に、現在は逆に保護されているのだ。
『そうら、やっぱりだ!』
『無駄だ、レンズマン!』
猿のようにけたたましい声を上げてあざ笑う三匹の怪物に向けて、ビルは攻撃的な思考波を放った。しかし、上帝族はやすやすとそれをねじ伏せると、反対に自らの知力でビルの精神を締め上げた。地球《テルス》系人種は意志力に優れた種族だが、こと、知力の戦いとなると、上帝族に歯が立つものではない。この暗い洞窟じみた部屋の中においては、彼らは依然として支配者なのだ。
と、その時。苦痛で跳ね上がったビルの胸が、ピンセットとレンズを跳ね飛ばした。レンズが空中を飛び、爬虫類に似た胴体に当たった。瞬間、レンズの接触面が拒絶反応によって放電のような光を放ち、上帝族は猿のような悲鳴を上げて倒れた。
『……死んだ』
『死んだな』
即死し、床に転がった仲間を一瞥《いちべつ》すると、残る二人の上帝族は、顔を見合わせ、さらにけたたましく笑った。へまをして死んだ仲間の、断末魔の悲鳴がおかしかったのだ。彼らの歪みきった精神は、境遇を共にする同胞にさえ共感することがない。
『だが、レンズマンは生きているな。肉体的にも、精神的にも生きている』上帝族のひとりは、床に転がったレンズをピンセットで拾い、小箱に収めた。
『ああ、生きているな。もし死んでいたら、デイルズ様がお怒りになるところだった』もうひとりの上帝族が、長い体をぶるりと震わせた。
――デイルズ……!
ビルの脳裏に、カロニア人の氷のような嘲笑《ちょうしょう》が浮かび上がった。
その反応を、上帝族は目ざとく見て取った。ふたつの猿のような顔が、歪んだ笑みを交わしあい、そして、ビルの顔をのぞき込んだ。
『喜べ。デイルズ様はこれからおいでになる』
『そして絶望しろ。デイルズ様はすぐにおいでになるぞ』
上帝族の顔に、意地の悪い、卑屈な表情が浮かんだ。今話題に上った者の力に対する恐れと憎しみ、そして、その力の矛先が自分ではなく目の前の捕虜に向けられることの安堵《あんど》と期待がないまぜになった、忌まわしい表情だ。この怪物どもは、ただひとりのカロニア人を、死ぬほど恐れているのだ。
カロニア人は銀河文明圏ではあまり見られない種族だが、主にボスコーンの構成員として、その存在は公に知られている。典型的な人間《ストレートA》型で、肉体の構造は地球《テルス》人にほぼ等しい。一般に、強い意志と回転の速い頭脳を持つ優秀な種族だと言われているが、怪物的な上帝族と比較するには、肉体的にも知力的にも、いささか脆弱《ぜいじゃく》と言わざるを得ない。
が――ほどなくして拷問室に現れたデイルズに対し、ふたりの上帝族が体をのたくらせながら道を空ける様子には、やはり、明らかな恐れが見て取れた。それも、彼の立場や権力に対するものではない、彼の存在そのものに対する強い恐れだ。
デイルズは拷問台の前に立ち、モーガンを見下ろした。その氷のような青い目を見たとき、ビルは上帝族の抱く恐怖の片鱗《へんりん》を理解した。なまじ人間の姿をしているだけに、かえってはっきりとわかる。そこにいるのは、人の形をした魔物なのだ。
「よーう、兄弟。ようやくゆっくり話ができるな」貴族的な整った顔に傲慢《ごうまん》な嘲笑を浮かべながら、デイルズは言った。くだけた口調だが、その声は底冷えのする響きを帯びていた。
「あんたはアルデバラン人なんだってな。地球《テルス》系種族だ」
ビルは答えない。
「ふふん、語る舌を持たず、ってわけか」
デイルズは足下に転がる上帝族の死体を椅子代わりに、どかりと座り込んだ。
「そういうところも含めて、おれは地球《テルス》系の遺伝子を高く評価してる。根性があるんだな。……地球《テルス》系の宇宙野郎《スペースマン》は特にいい。地球《テルス》系の宇宙野郎《スペースマン》の中でも、レンズマンは最高だ」
そう言いながら、デイルズは腰に下げていた銃を抜いた。デラメーターよりふた回りは大きい、巨大なハンドガン。ビルの右腕を奪った銃だ。黒い銃身は、長さも太さも、ほとんど前腕一本分ほどもある。グリップがデイルズの手のひらに収まると、ジャキッ、と機械的な音を立てて、安全装置が解除された。
「――ところで、おれは銃《ガン》が好きだ。拳銃、小銃、機関銃、戦車砲に艦載砲。ありとあらゆる火器《ガン》が好きだ」
デイルズはトリガーガードに指を引っ掛けて、巨大な銃をくるりと回した。一回転して握り直すと、再びジャキッと機械音がした。くるり、ジャキッ、くるり、ジャキッ、と銃を回しながら、デイルズは言った。
「中でもこいつは特注品でな。最大出力なら重装甲服のスクリーンもぶち抜ける。まったくもって、愛しいイチモツさ。こいつを振り立てれば、どんなごつい野郎も女みてえにヒイヒイ言って逃げ回りやがるんだ――そら!」巨大な銃が軽々と後方に振られた。
『キヒィ!』低出力の熱線に眉間を焼かれ、上帝族は蛇のような体をのけ反らせた。
「ハハハ、そら、そら!」デイルズはさらに銃口を振って、ふたりの上帝族を追い立てた。
床を走る熱線に、二匹の大蛇が悲鳴を上げながら空中に躍り上がった。
「ハハハハハ――!! おれは銃《ガン》が好きだ! おれは銃《ガン》が好きだ! こいつは最高のおもちゃだからな!!」デイルズは銃をくるくると回し、それから銃口をぴたりとビルの眉間にすえた。青い顔に、ぞっとするような冷たい笑みが浮かんだ。「――そしておれは、レンズマンも大好きなんだ」
休息用ポールにぎゅっと巻きついて縮こまっていた上帝族が、虐待の矛先がそれたと見るや、ひひひひひ、と下卑た笑い声を上げた。
「――脅しても無駄だ」ビルは初めて口を開いた。「レンズマンは麻薬業者《ズウィルニク》に命乞いなどしない」
「ハハハ! それだ、それだ!」デイルズは膝を打った。「レンズマンは屈しない! レンズマンは諦《あきら》めない! レンズマンはくじけない! ハハハハハ!!」デイルズの親指が出力調整スイッチをずらすと、キューン……と音を立てて、黒い銃身にパワーがチャージされていった。「おれが今まで遊んだ連中も、最期までくじけなかったぜ[#「最期までくじけなかったぜ」に傍点]」
ビルは銃口越しにデイルズをにらんだ。もはや自分が生き延びることは期待していなかった。ただ、できることならば、この地下基地の所在だけは、銀河パトロールに報告しなければならない。
「……おっと」デイルズはビルの反応を見ると、銃をくるりと回して腰のホルスターに戻した。「おれの話ばっかりじゃつまらんな。あんたの話をしようじゃないか」
「おまえに話すことなど――」
「ウィリアム・モーガン。トランジア麻薬局所属のレンズマン。出身はアルデバラン小惑星帯のエルバ・ステーション。家族はフリーの隕石鉱夫キャサリン・モーガンを筆頭に六人の姉弟たち。なんなら、あんたがハイ・アルタモントのレストランで注文したメニューを並べ立ててもかまわんが、ここではあんたの姉さんに『飲み過ぎにご注意』とだけ言っておこう」
「な――!?」
「なあに、このくらいのことは昼寝してたってわかる。なにもわざわざ本人に聞くほどのことじゃない。そもそも、あんたがおれの知らないなにがしかの情報を握っているとも思わん。だから、『吐け、貴様、どこまで知っている!?』てなことを言うつもりもない。じゃあなんで上帝族《こいつら》に拷問させてるのかというと――」デイルズはビルの前に顔を突き出し、にたりと笑った。「単なる趣味だあ」
デイルズの左右後方で、ふたりの上帝族がけたたましく笑った。
「……しかし、それだけじゃあつまらんよな。あんたが特定の情報を、ある程度の時間守り抜こうとする、こっちはそれを、あんたを殺してでも引き出そうとする。拷問というゲームは、そうやって成立する。だのに、今あんたは守るべき情報なんて持っていないときてる。これじゃあちっとも面白くない」デイルズは続けて言った。「仕方ない、攻守交代だ。『おれが守る、あんたが攻める』そういう条件で、もうワンゲーム。おれが守るべき情報とは以下の通り。『ボスコーンがアルデバラン第一惑星の秘密基地に潜んでいる! このままでは、奴はアルデバランを丸ごと麻薬漬けにするばかりか、レンズマン・モーガンの愛するお姉ちゃまをひどい目に遭わせてしまうぞ!』さあ困った、困った! 銀河パトロールに知らせなくちゃ!」
「――貴様!」拘束具を軋ませ、ビルは顔を突き出した。「おれの家族に手を出したら承知しない!!」
「ハハハ、そうだ、その意気だ! ようやく本気になってくれたな! おれもやる気が出てきたぜ!」デイルズは満足げに笑った。「では、新しいゲームを始めるとしよう。種目は『宝探し』だ」
と――デイルズの右手に、再び巨大な黒いハンドガンが出現した。神業的な|早抜き《クイックドロウ》だ。デイルズは一瞬のためらいもなく、肩越しに銃をかまえ、後方に向けて二度引き金を引いた。
上帝族のひとりの頭部が爆裂し、もうひとりの腹がごそりと削げた。
頭のない、蛇のような胴体が、床の上をびちびちとのたうった。もうひとりの上帝族は、脇腹から内臓をたらしながら、驚愕《きょうがく》の表情でデイルズを見上げた。
『デイルズ様、なにを……!?」
“頭なし”が持っていた小箱が、床に転がった。デイルズは小箱を踏み壊し、中からモーガンのレンズを拾い上げた。宇宙服のグラブに絶縁されているため、拒絶反応は生じない。レンズはただの無機物のように沈黙したままだ。デイルズは氷のような笑みを浮かべながら、レンズをコインのように親指で弾き、空中でキャッチすると、指先につまんだレンズを上帝族のはらわたに近づけていった。
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『な、なにを? なにを!? おやめを、デイルズ様!』
上帝族は全力で後退《あとずさ》ろうとしたが、すでに胴体の半分は言うことを聞かない。レンズはもがく体にゆっくりと近づいていく。
『ひい、やめて、やめてやめて――やめろ、この青猿が!!』怒号と共に放たれた上帝族の精神衝撃は激烈なものだった。横にいたビルに伝わったほんの余波でさえ、ハンマーの一撃のような威力があった。
「ふふん、本音が出たな」直撃すれば即死するはずのその衝撃を、デイルズはしかし、微風のように受け止めた。そして――
『ギヒィ!!』バチン、と青白いスパークが弾け、上帝族は絶命した。デイルズはぞっとするような笑みを浮かべながら、レンズを上帝族のはらわたの中に押し込んだ。
「……さて」デイルズはビルを振り返った。「あんたの大事なお宝は、今、いったいどこにあるでしょう?」デイルズは上帝族の死体をちらりと見て、肩をすくめた。「おれは懸命に隠したんだがね。もしあんたが見つけちまったら、そいつはあんたのもんだ。じゃあ、がんばって探してくれ」
デイルズはビルに背を向け、拷問室を出ていこうとした。が――
「おっと」ドアをくぐり掛けたところで身を反らし、ビルの方を向いた。「あんたを縛りつけたままだった。こいつはフェアじゃないよな。――今、外してやるよ」
デイルズはハンドガンをくるりと回してかまえ、引き金を三回。
「――ッ!!」三条の熱線が左肘と両膝を切断した。手足の断面から血を噴きながら、ビルは拷問台から転げ落ちた。
「ハハハハハ! がんばれ、がんばれ、レンズマン!」ドアが閉じ、室内が闇に閉ざされた。デイルズの笑い声が、壁の向こうに遠のいていった。
*
――あれは確か、一四の頃。
「おい坊主、男だったらこいつを一発決めてみな」
そんな言葉にそそのかされて、|ベントラム麻薬《ベニー》に手を出した。
最初は意地や格好つけだったのが、あっという間に中毒になった。「おっと、ここから先は有料だ」そう言われたところで止まるものじゃない。もちろん、それが売人の手だ。一服一クレジットのベニーを、一日一服、二服、そのうち一度に三服四服、ロバみたいによだれを垂らしてくちゃくちゃ噛《か》み続け、終いには、ちょっと薬が切れただけで、禁断症状で奥歯がガタガタ鳴りだすようになった。
その頃には、金を盗む時以外は家には寄りつかなくなっていたが、ある日、金庫代わりの鉱石ポッドからよれよれのクレジット紙幣を抜いているところを、姉さんに見つかった。
奥歯が折れるほどぶん殴られ、床に叩き伏せられた。ぼくより小さいはずの姉さんの体が、何倍にも大きく見えた。姉さんはポッドを振り上げると、ぼくの顔の上にありったけの小金をぶちまけた。
「持ってけ、餞別《せんべつ》だ!」姉さんはさらに、削岩機を持ち出して、這《は》いつくばるぼくの頭に突きつけた。「あたしの家族にヤク中は要らねえ! あの世で好きなだけラリってろ!!」
小さな弟たちが物音に起きてきて、わけもわからず泣きだした。ぼくもつられて泣きだした。見上げると、姉さんも顔をくしゃくしゃにして泣いているのだった。
その後、ぼくは手足を縛られてエアロックに転がされた。うちでは壊れ物のない空間といえば、そこくらいだったからだ。
「薬が抜けるまでそうしてろ」そう言って、姉さんは自分もそこに座り込んだ。
半日もすると、小便がもよおしてきた。便所に行くからロープをほどいてくれと頼んだが、聞いてもらえなかった。
「駄目だ。ベニ中[#「ベニ中」に傍点]は切れかけがやべえからな」姉さんはむっつりと言った。「そのまましろ[#「しろ」に傍点]」
そいつは屈辱的な状況だったが、ベニーの禁断症状はさらにひどいものだった。目の前が暗くなったり真っ赤になったりして、ひどい頭痛と吐き気が同時に来て、奥歯のガタガタが始まった。パニックを起こし、縛られたまま立ち上がって姉さんにひどい言葉を浴びせかけ、それから急に意識を失って――かと思うと、全身あざだらけで床に転がっている自分に気がついた。ふと横を見ると、これもあざだらけの顔をした姉さんが、ぷいと横を向いた。
そんなことが、数時間おきに繰り返された。三回目の発作のあと「これ……いつまで続くんだい?」と聞いたら、「まだ序の口だ」と、姉さんは言った。
三日目には、小便に加えて糞まで漏らしてしまった。しかもその直後に発作が来たものだから、気がつくとぼくらは二人ともあざだらけの上、糞まみれになっていた。
「臭えなあ、おい」そう言いながら、姉さんはステファニーに作らせたサンドイッチなどをぱくついていた。ぼくは情けない気持ちになって、その日何度目かの涙を流した。すると、
「……おい」不意に姉さんが聞いてきた。「そこで泣いてるおまえはなんだ? ヤク中か? シラミ野郎か? それともうんこたれか?」
「さあ、どれも、そうかも……特に最後のが当たってる」
「違うな」姉さんは白い歯をむき出して笑った。「おまえはな、あたしの弟だ。ヤク中の腐れ根性は、みんなケツの穴から叩き出してやる。へへ、出せ出せ、全部出しちまえ。ぶりぶりっとな」
姉さんの笑顔が、涙でにじんだ。ぼくはまた泣きだしていた。
――数年後、ハイ・アルタモントの役場経由で、ウィリアムズ基金の奨学生の口が回ってきた。謎多き鉱山紳士、ワイルド・ビル・ウィリアムズの名を冠したこの基金は「宇宙鉱夫の子弟に教育を受ける機会を与える」ことを目的に運営されている。ぼくは姉さんを手伝って働いていたし、弟たちはまだ小さかったから、その話は断ろうとしたのだけれど、「馬鹿おめえ、こんなうまい話、蹴る奴があるか」姉さんはそう言って、ぼくの頭をはり飛ばした。
そういうわけで、ぼくは地球《テルス》のGP養成課程に入った。そこでたくさんの友達に巡り合った。そのうち幾人かは大の親友になった。それから、たくさんの師に恵まれた。その他にも、数えきれないほどの人に、はかりしれない恩を受けた。
しかし、ぼくにとって最初の、そして最大の恩人は姉さんだ。
今のぼくは、あの日、あの狭いエアロックの中で、自分のもらした糞の中で生まれたんだ――
*
意識を失っていたのは、ほんの数秒だ。熱線に切断された四肢の断面が、肉の焼ける音を立てている。
闇の中に残されたビルは、肩と腿《もも》を使って、仰向けに転がった体を裏返した。休んでいる暇はなかった。ほんの十数フィート([#ここから割り注]四、五メートルほど[#ここで割り注終わり])の距離を、激痛と失血とショック症状のため何度も気を失いかけながら這いずった。そして、上帝族の死体に取りつくと、はらわたに頭を突っ込んでレンズを探し始めた。
はらわたは湯気が出るほど生暖かかった。血と糞の混じった匂いがした。ビルは息を止め、歯を食いしばり、鼻面でそれをかき分けた。喘《あえ》ぎ、むせ、嘔吐《おうと》しながら、さらに作業を続行した。
レンズマンは諦めない。レンズマンはくじけない。レンズマンだからくじけないのではない。くじけない者がレンズマンとなるのだ。なぜ自分がそうした資質を持っているのか、ビルにははっきりとわかっている。それは、自分がキャット・モーガンの弟だからだ。そうとも、ワイルド・キャットの弟は、そんじょそこらの根性なしとはわけが違うのだ……!!
やがて、鼻先が小さな塊に触れた。その塊――レンズは、ビルの肉体を認識し、活性化した。とぐろを巻くはらわたのすき間から、生命の光が漏れ始めた。ビルは口を開き、上帝族の腐った血とともにそれをくわえ込んだ。そして、強く、強く思考した。
『緊急! 緊急!! この付近にレンズマンはいるか――!?』
ビルは全力で、全方位に思考波を放った。危険なカロニア人、デイルズ。アルデバランに巣くうボスコーン。その偽装された基地の所在――
さらに、彼は思った。自分の守るべきすべてのものを。銀河文明の平和、故郷の平和。銀河パトロールの同胞。レンズマンの誇り。そして――姉と弟たち。
レンズの光が、闇の中に激しい光を放ち始めた。異常な発光だった。最初は黄色く、やがて赤く、そして、目もくらむほどに白く――それはレンズマン・ビル・モーガンの精神の、そして生命自体の最期の燃焼だった。爆発的な思考波が、ボスコーン基地のスクリーン発生機を内側から飽和させ、その回路を焼き切り、エーテルを激しくふるわせながら周辺星域に広がっていった。
やがて――
『レンズマン・モーガン』静かな、しかし力強い思考波が、ビルのレンズに届いた。『レンズマン・モーガン。こちらはアルタイルの独立レンズマン、クザクだ。きみの緊急通信を受信した。ただちにそちらへ向かう――』
ビルの顔に、わずかな笑みが浮かんだ。彼がおのれに課した最後の務めは、果たされたのだ。急速に闇に沈む意識の中、彼の脳裏に最後まで残っていたのは、姉のキャットの姿だった。宇宙線焼けをした顔が、白い歯を見せて笑っていた――
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5 負《ネガ》爆弾投入
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ボスコーン組織の長、ガーセンは生粋のカロニア人だった。彼はそのことに誇りを感じていた。その事実こそが、彼の存在の基盤だった。それゆえ、この司令室の内装はカロニア風の調度で統一され、スピーカーからはカロニア風の管弦楽が流れていた。デスクに着く彼の両脇に立つ護衛も、ともにカロニア人。それも、混じりけなしのカロニア人だった。
ガーセンの年齢はすでに中年に差し掛かっていたが、老いのかけらも感じさせることはなかった。カロニア風の紫色のスーツをまとった大柄な体は、むしろ逆に精力にあふれていた。非情、冷徹、不屈――カロニア人に期待される性質を彼は十二分に持っており、また、常にそうあることを、自らに課していた。カロニア人の特徴である青い肌の色は、その印象をさらに強めるものだった。
だが、今――カロニア人らしからぬことに――彼の顔色は血の気を失い、青から緑色に変わっていた。この知られざる地下要塞に、何者かが侵入したのだ。
『第八層、突入されました!』
『隔壁! 隔壁下ろせ! 早く!』
『くそ、駄目だ――斬り裂かれる[#「斬り裂かれる」に傍点]!』
「落ち着け! 敵戦力の規模を報告しろ!!」ガーセンは映像プレートに向かって怒鳴った。
『敵はひとり! ひとりだけです! しかし、畜生! 奴は――サムライだ!!』
戦闘員の叫びを最後に、中継映像は途切れた。
「銀河パトロールだと……サムライだと!? 馬鹿な!」沈黙したプレートに向かって、ガーセンは毒づいた。
「閣下、驚くには当たりません」うやうやしい口調で、ガーセンに話し掛ける者があった。タイトな黒い宇宙服を着、巨大なハンドガンを腰に下げたカロニア人――デイルズだ。
「ここ数カ月、この星域は銀河パトロールのエージェント――件《くだん》の“サムライ”に嗅《か》ぎ回られていました」と、デイルズは言った。「この基地の所在が知れるのも、もはや時間の問題でした」
「初耳だぞ、デイルズ――貴様、報告の義務を怠ったな!」ガーセンの怒号が、空気をふるわせた。
「申し訳ありません、閣下」デイルズはうつむいた。「……しかし、閣下のお気をわずらわせるまでもないことと判断し、こちらで手を打っておきました。わが組織の主要な指揮系統は、すでに引き継ぎを済ませてあります。末端組織のいくつかは引き上げに今少し時間を要しますが――この最頂点の基地を壊滅させた[#「壊滅させた」に傍点]となれば、銀河パトロールもしばらくは油断するでしょう。その隙に撤収いたします」
「壊滅……?」
「つまり、この基地は囮《おとり》として使用いたします」
「この基地を放棄するというのか!? この高度に防備され、武装された地下要塞を!? ――そのような重大な決定を、誰が貴様に任せた!?」
落雷のごとき叱咤《しった》を受け、デイルズは身をすくめ、さらに深くうつむいた。やがて、その肩が小刻みにふるえ始めた。その喉《のど》から、「く……」と声が漏れた。押さえた笑い声だ。デイルズは、肩をふるわせて笑っているのだ。
「僭越《せんえつ》ながら、閣下――あんたはとことんなまくら[#「なまくら」に傍点]だな」
「なに!?」
「……ふん」デイルズはガーセンに歩み寄り、デスクの上にどかりと腰を下ろした。
護衛のひとりが懐の銃に手を伸ばしたが、ガーセンはその動きを、片手を上げて制した。
デイルズは不遜《ふそん》な笑みを浮かべると、言葉を続けた。「あんた、まさか銀河パトロールとまともに戦《や》り合うつもりか? あのクロヴィアの大敗戦以来、おれたちボスコーンには、銀河パトロールと真っ向勝負をする体力は残されていない。それだってのに、あんたはこの小便みてえな基地の『高度な防備』とやらがよほど大事らしいな。このしみったれた惑星で亀みたいに籠城《ろうじょう》したところで、奴らに本気で攻めてこられりゃ、どのみち終いだぜ?」
「貴様……いや、そうかもしれん」怒りを飲み込みながら、ガーセンは認めた。彼は思考の柔軟性にやや欠けていたが、事実が認識できぬほどに愚かではなかった。「だが、それにしても……この基地は完璧に外観を擬装され、また、電磁的にも思考波の帯域においても完全に遮蔽《しゃへい》されている。容易に発見されるはずはない。いったいどうして、奴らにその所在が知られたのだ!?」
「そう、そこが問題だった[#「そこが問題だった」に傍点]」デイルズは言った。「『基地の発見に手間取っている間に、ボスコーンの中枢はどこかに落ち延びたかもしれない』なんぞと思われたら、あとあと面倒だ。『ボスコーンを完全に撃滅した』――銀河パトロールには、そう思ってもらわにゃならん。つまり、この基地は速やかに発見され[#「速やかに発見され」に傍点]、攻撃される必要があった[#「攻撃される必要があった」に傍点]。それも、こっちからの密告《たれこみ》じゃ駄目だ。おおかた罠《わな》だと思われるからな。信頼できる人間からの報告[#「信頼できる人間からの報告」に傍点]、この点が重要だ」く、く、く、と、デイルズは喉を鳴らして笑った。「――ところで、レンズマンてのは大した連中だ。特に瀕死のレンズマンは、仲間のためにおそろしい精神力を発揮する。まるでウルトラウェーブ・ビーコンみたいに思考波をぶちまけるんだ。そうなったら、並みの思考波スクリーンなんざ一発でぶっ壊れるぜ」
ガーセンの顔が、さらに黄色味を増した。
「デイルズ、貴様……貴様が!!」
「おれが、なんだって?」デイルズの顔に、青い魔物のような笑みが浮かんだ。「ハ、あんたの言い草は不完全かつ不徹底だな」
デイルズがそう言った時、彼の背後にまばゆい光が発生した。渦巻く虹色の光を放ちながら脈動するエネルギー・ボール。純粋な精神エネルギーから形成される、ボスコーンの思考波通信装置だ。
『ボスコーンを代表してアーゼロンより、ボスコーンを代表してアーゼロンより。応答せよ、ガーセン』光球から発した非人間的な思考波が、司令室全体を威圧した。
「アーゼロン!」ガーセンの叫びには、失態をとがめられる下位者の脅えがこもっていた。
『ガーセン、おまえの行動は凡愚にして鈍重である。おまえはその愚鈍さゆえに自らの所在を銀河パトロールに察知され、それどころか、上位者であるわれわれの存在を彼らに知らしめるおそれすらあった。重大な失態だ』アーゼロンと名乗る者の“声”は、重々しく告げた。『一方、デイルズの処置は適切であり、わが組織にとって有益であると認められた』
「アーゼロン、これは裏切りです!」ガーセンが叫んだ。「デイルズがわたしをおとしいれたのです!」
『ガーセン、それはおまえがおまえの組織の中で処理すべき問題だ』アーゼロンは、冷徹に言い放った。『おまえは自分の部下の行動を把握していなかった。われわれはこの状況を、おまえの統率者としての能力の欠如によるものと判断し、よりふさわしき者に指揮権をゆだねることにした――デイルズ』
デイルズは光球に向かって一礼すると、ガーセンに向き直り、腕を組んだ。
「つまり、あんたはもうボスじゃないってわけだ」
「そのようなことを――認めるか!」ガーセンはデイルズを指さし、叫んだ。「奴を殺せ!!」
ふたりの護衛が銃を抜き、デイルズを照準した。――が、彼らが引き金を引くより早く、デイルズは特製のハンドガンを抜き、二度引き金を引いていた。護衛たちの心臓は焦げた風穴を残して消失し、ふたつの大柄な体がゆっくりと床に倒れた。
「さて、あんたはどうする?」デイルズの銃口が、ガーセンのひたいをぴたりと指した。「あんたも、あんたの子飼いの部下も、おれの組織[#「おれの組織」に傍点]には必要ない。つまり、今のあんたにゃ糞ほどの存在価値もないわけだが……」デイルズはにたりと笑った。底冷えのするような、魔物の笑みだった。「おれはあんたの命乞いするさまが見たい」
「デイルズ……!」ガーセンは誇り高い男だった。彼はひるむことなくデイルズの目をにらみつけた。「デイルズ、貴様……雑種めが[#「雑種めが」に傍点]!」
「ふん、なんとも気の利かん遺言だな」
デイルズは引き金を引いた。
『――わが組織における劣弱な要素は排除された』と、アーゼロンが言った。
「なによりのことです。ボスコーンの名のもと、われわれの活動は、今後ますます強化されていくことでしょう」と、デイルズは答えた。
『その通りだ、デイルズ。だが、ひとつ警告しておく』光球が、威圧的な光を放ちながら、ひと回り膨れ上がった。『おまえは優秀かつ強力なカロニア人だが、われらオンローを超えるほどに強力ではあり得ない。おまえが今後、ガーセンを裏切ったようにわれわれの裏をかくことは、完全に不可能だ。それゆえに――忠実たれ、デイルズ。それがおまえ自身のためでもある』
「無論です」デイルズはうやうやしく頭を下げた。「超越的種族オンローの中において、さらに超越者たるアーゼロン、わたしはあなたに絶対の忠誠を誓います」
光球は通信終了とともに一瞬光を増し、次いで、跡形もなく消滅した。と同時に、デイルズの顔に、皮肉な笑みが浮かんだ。何十万光年か先では、超種族オンローの名状しがたい顔(に相当する部位)にも、やはり皮肉な表情が浮かんでいるだろう。監察、査問、懲罰――ボスコーンの組織は、上位者の下位者に対する不信と警戒によって成り立っている。当然、部下は上司の寝首をかくことを常に狙《ねら》っている。それが彼らの常識だ。ボスコーンの文化圏に、信頼や協力、そして忠誠といった観念は、本質的な意味では存在しないのだ。
司令室にひとりきりになると、デイルズは死体をまたいでデスクの映像プレートに歩み寄った。そして、全館に向けて、ボスコーンのリーダーとして最初の指令を下した。
「ボスコーンを代表してデイルズより、ボスコーンを代表してデイルズより。まもなくこの基地は銀河パトロール艦隊の攻撃にさらされる。諸君も知っての通り、銀河パトロールはわれわれボスコーンの降伏を決して認めない。かくなる上は、最後の一兵まで戦い、ひとりでも多くの敵を道連れにせよ――」応答を待たずに、デイルズはプレートのスイッチを切り、「――おれは逃げるけどな」と、つけ加えた。
やがて、室内に流れていたカロニア風ムード音楽が、けたたましい警報音に変わった。デイルズはヘルメットを被りつつ、ガーセンの死体をちらりと見やった。床に転がるガーセンは、大出力の熱線のため、上半身がほとんど丸ごと蒸発していた。
「『雑種めが』……か」デイルズはガーセンの最期の言葉を反芻《はんすう》し、くくく、と笑った。「これであんたも、おれと同じ“|半分カロニア人《ハーフ・カロニアン》”になったってわけだ」
ガーセンの言った通り、デイルズは雑種だった。それも、呪われた私生児だった。父はカロニア人、母は地球《テルス》人――獣姦に等しい行為の結果、彼は誕生した。通常、カロニア人は冷酷ながら論理性に優れた種族だが、彼の父は例外的に、完全に狂っていたのだった。いや、「父」や「母」という言葉から連想される温かな血のつながりは、彼の存在とは完全に無縁だ。父は遺伝子を彼に提供し、母は遺伝子と母胎を提供した、ただそれだけのことだ。こうした異常な交合が実を結ぶ可能性は万にひとつもなかったが、何億分の一かの確率をとらえ、彼はこの世に現れ出でた。彼は偶然の生んだ怪物であり、カロニア人の男も地球《テルス》人の女も、単なる原因のひとつに過ぎなかった。
整った容貌《ようほう》とは裏腹に、彼は精神的な奇形だった。彼は良心というものを持っていなかった。倫理観というものを持っていなかった。忠誠心というものを持っていなかった。いかなる対象に対しても共感することはなく、愛情のかけらさえ抱くことはなかった。――だが、それは大きな問題ではない。ボスコーンの文化圏にあっては、それはごく自然な、時として積極的に望まれる性質だったからだ。彼の特異性は質的なものではなく、量的なものだった。例えば、あの[#「あの」に傍点]キムボール・キニスンが地球《テルス》人の中でも卓絶した意志力を持つように、彼はカロニア人の枠を越えた異常な意志力を持っていたのだ。
彼の意志力は純粋に素質的なものであり、訓練されたものではなかった。それゆえ、効率的に使用されるものではなかった。それは彼の脳髄の中で常に荒れ狂い、触れるものすべてを焼き尽くす精神の劫火《ごうか》だった。何者も――ボスコーンの支配種族たるアイヒやオンローでさえも、彼の精神を支配することはできないのだった。
彼はある種の狂人だったが、決して愚者ではなかった。彼は自分の強さを理解し、かつ、弱さをも理解していた。それゆえに、彼はさらなる力を欲した。何者にも支配されることなく、あらゆるものを支配するための力を望んだ。それは、権力や経済力、カリスマ性といったものではない。彼はそれらの有効性を部分的には認めていたが、しかし、それらは状況に依存する不安定な力だとも考えていた。精神的にはすでに無敵だった彼が究極的に求めるのは、あくまで物理的なパワーだった。無機質な物理的プロセスによって生じる、単純な破壊力。端的に言えば、彼は銃《ガン》を求めていたのだ。拳銃を、機銃を、大砲を――もっと強力な銃《ガン》を!
そして今、デイルズは黒いハンドガンを抜くと、天井に向けて最大出力の熱線を連射した。何層ものフロアが貫かれ、崩れ落ち、人間が楽にくぐれる大穴が開いた。脱出のための最短経路だ。
銀河パトロールのクザクがカタナで道を切り開くように、デイルズは自分の進路を自分の銃で撃ち抜く。それは、彼自身の信条でもあった。
*
“サムライ・レンズマン”クザクの行動は迅速だった。ビル・モーガンのレンズ警報を受信した彼は、即座に銀河パトロールのアルデバラン支部、そして地球《テルス》の最高基地《プライム・ベース》に思考波で連絡。独立レンズマンの特権を行使し、GP艦隊の出動を要請した。
独立レンズマンは、銀河パトロールの指揮系統上において、その名の通り完全に独立している――つまり、常に自らの判断によって行動し、何者の命令にも従う義務のない立場にある――が、そればかりでなく、必要とあれば銀河パトロールの全兵力の出動をも要請することのできる権限を持つ。彼らグレー・スーツのレンズマンたちは、そのひとりひとりが銀河パトロールそのもの[#「そのもの」に傍点]なのだ。
クザクの要請を受け、アルデバラン防衛艦隊の偵察巡洋艦と打撃艦《モーラー》が第一惑星を包囲し、ボスコーンの退路を断った。しかし、彼らはまだ攻撃には移らない。敵の戦力の規模がはっきりしないからだ。そこで、彼らは包囲陣を維持しながら他星系からの増援を待った。GP艦隊の相互支援プログラムの基本に則《のっと》った行動だ。
GP艦隊は普段は各星系に分散して駐留しているが、ひとたびある星系で戦闘が発生すれば、近隣星系の防衛艦隊が直ちに集合することになっている。例えば、太陽系《ソル》はアルデバランからわずか六〇光年の距離にあり、鈍重な打撃艦《モーラー》であっても到着には十数分しか掛からない。もっと近い星系も、遠い星系もあるが、到着までの時間は最大でも数十分程度。こうして結集した各星系の艦隊は、レンズマン同士の思考波通信によって速やかに指揮系統を統合され、一時間後には、超星系規模の合同艦隊が誕生するのだ。
だが、クザクはその一時間を待たず、第一惑星に降下した。ビル・モーガンの救助のためだ。クザクの受け取った切迫した思考波は、若いレンズマンの生命が危機に瀕していることを告げていた。
すでにボスコーン基地は防御スクリーンを展開していたが、クザクは宇宙服のスクリーン穿孔機《せんこうき》を作動させ、強大なエネルギーの壁に、ほんの一瞬、人ひとり分の小さな穴を穿《うが》ち、内部に入り込んだ。
基地の主要な施設は地下にあり、地表には金属の荒野が広がるばかりだ。が、その時――クザクを狙って何条もの太い熱線がひらめいた。巧妙に擬装されていた各種防衛兵器が、戦闘に備え展開を始めていた。高射砲、牽引《トラクター》ビーム砲座、対艦用ビーム砲塔――クザクは熱線をかいくぐりながら砲塔のひとつに取りつき、そこから地下基地に突入した。目指すは、ビル・モーガンの最後のレンズ通信の発信地点だ。
単分子の超重物質《デュレウム》の刃を焼き込んだ特製の日本刀を振るい、特殊鋼板を打った床や壁をやすやすと切り裂きながら、クザクは文字通り直進した。何十人という警備兵が彼の前に立ち塞がったが、ある者は彼の体に触れた途端に床に叩きつけられ、ある者は刀のひと振りで首を飛ばされ、あるいは喉元に投げナイフを突き立てられて絶命した。また、その他の多くの者は、盲目の一瞥《いちべつ》を受けた途端、彼に向けた殺意を反射され、手持ちの武器をわが身に向けて引き金を引くことになった。そのようにして生じたおびただしい流血の中を、クザクは突風のように駆け抜けた。それはまさに、鬼神の疾走だった。
一方、第一惑星の周囲の空間には、GP艦隊が着々と集合しつつあった。数隻から数十隻まで、さまざまな規模の星系艦隊が、整然と予備陣形を組みつつある。すべて予定通りだ――が、その中にひとつだけ、予定にない要素があった。
集合した星系艦隊の中でも最大規模を誇る太陽系《ソル》艦隊を率いてきたのは、太陽系《ソル》船籍の司令艦ではなかった。ひときわ大きく、ひときわ美しい流線型を誇るそれは、第二銀河系のクロヴィア星系に所属する超弩級高速艦――あの[#「あの」に傍点]〈ドーントレス〉号だった。たまたま公務のため地球《テルス》を訪れていたキムボール・キニスンが、この有事に馳せ参じたのだ。
〈ドーントレス〉号は、単なる戦闘艦を超えた、文字通りの万能宇宙艦だった。彼女は偵察巡洋艦としての機能を有していた。主力戦艦としての機能を有していた。調査船としての機能を有し、移動研究所としての機能を有し、銀河調整官の移動オフィスとしての機能を有し、そして、超星系規模艦隊の旗艦としての機能さえも有していた。同クラスの高速戦艦は存在したが、これほどまでに多様な機能を同時に備える艦は他に存在しなかった。万能の地球《テルス》人、キムボール・キニスンのあらゆる活動をサポートすべく建造されたこの艦は、その主と同様、まったくの特別製なのだった。
『諸君、わたしはクロヴィアのキムボール・キニスンだ』〈ドーントレス〉号のブリッジから、GP艦隊の各艦へ、明晰《めいせき》な思考波が届いた。その瞬間、艦隊に所属する数十人のレンズマンの精神が、キニスンの精神を結節点として、ひとつに結ばれた。キムボール・キニスンの巨人的精神力とカリスマ性が可能にする、全開多面通信だ。
『まずは、銀河調整官の立場から、現在進行中の作戦行動の迅速さに賛辞を述べたい。これから行なわれる戦闘は、クロヴィアの会戦以降のものとしては最大級の規模になることが予想されるが、わたしは諸君が何の問題もなくこの事態を処理すると確信している。――しかし、わたしの経験し、習得してきた大艦隊作戦行動統御《グランドフリート・オペレーションズ》の技能は、本作戦をさらに効率的に遂行することに大きく役立つものと思う。もちろん、現在のわたしはただの一文官に過ぎず、さらにはこの星域に所属してすらいない。だがそれ以前に、わたしは銀河パトロールに所属するグレー・レンズマンであり、銀河文明の安寧の維持に対し、もっとも効果的な手段を講じる義務を負っている。そこで、レンズマン諸君に提案したい。どうかわたしの越権行為を許し、この〈ドーントレス〉号を合同艦隊の旗艦とすることに同意してもらえないだろうか?』
間髪を置かず、各艦隊を指揮するレンズマンたちの応答が、何重にも響き渡った。
『アルデバラン艦隊、QX!』
『シリウス艦隊、QX!』
『ヴェガ艦隊、QX!』
『プロキオン艦隊、QX!』
『カペラ艦隊、QX!』
『バーナード艦隊、QX――』
二七の星系艦隊、大小合わせ約一万隻の戦闘艦。そのすべてが、キニスンの指揮を望んだ。あの[#「あの」に傍点]キムボール・キニスンの指揮の下で戦うことに、異論のあろうはずがない!
『ありがとう、諸君!』キニスンは波のように押し寄せる「QX」の声に、晴れやかに答えた。『それでは――われわれの庭先に隠れ住んでいるモグラを、ひとつ、穴蔵から叩き出してやろうじゃないか!』
キニスンの指示の下、リゲル人レンズマンのオペレーターが〈ドーントレス〉号の戦術タンクの操作を始めた。タンク内の中空の空間に浮かぶ赤や緑の光点群が、生き物のように形を変えていく。レンズを通じて中継された座標設定に従い、実際のGP艦隊もまた、急速に、そして的確に陣形を整え始めた。
やがて、GP艦隊が対地攻撃陣形を組み終えるころ、第一惑星の地表から、小さな光点が飛び出した。クザクの宇宙服だ。肩にはボスコーンの宇宙服を着せたビル・モーガンをかついでいる。
『――レンズマン・キニスン。こちらはアルタイルのクザク。今、ボスコーン基地を脱出した』深く静かな思考波が、キニスンに呼び掛けた。
『やあ、レンズマン・クザク!』キニスンが言った。『きみが招集した艦隊はお気に召したかね? 気にくわないところがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ。わたしはグレー・レンズマンの指示に従うにやぶさかでないよ』
『申し出に感謝する』キニスンの軽口に、クザクは平然と答えた。『ではレンズマン・キニスン。病院船の手配を願いたい。ここに重傷を負ったレンズマンがいる。容体は一刻を争うが、彼の体は有慣性加速に耐えられぬ』
『ふむ――よし、ならば、この〈ドーントレス〉に来たまえ』キニスンは言った。『固有速度を第一惑星の地表に合わせよう』
万能宇宙艦たる〈ドーントレス〉号は、最高の加速性能に加え、病院船としての機能をも有していた。つまり彼女は、銀河最速の病院船[#「銀河最速の病院船」に傍点]でもあるのだ。また、今回の作戦におけるそのポジションは、旗艦としての作戦指揮であり、これには戦術タンクとキニスンの頭脳があれば事足りる。怪我人を収容することに問題はなかった。そこで、〈ドーントレス〉号は最大加速で固有速度を同調した。重力プレートをもってしても抑えきれぬ凄《すさ》まじいGでシートに縛りつけられながら、キニスンの精神はよどみなく複雑な艦隊指揮を続けた。
〈ドーントレス〉号がクザクとビルを収容する間にも、第一惑星を囲む包囲陣は、ますます厚く、ますます強固になっていった。ときおり、数十隻規模の、決死の脱出を期したボスコーン艦隊が地上から飛び出したが、一〇倍以上ものGP艦の集中砲火を浴び、またたく間にひと握りの焼けた鉄塊と化した。
やがて、すべての艦が失われたのか、それとも逃走への期待が失われたのか――ボスコーンの脱出行が止むと、キニスンは対惑星攻撃の切り札の名を告げた。
『負《ネガ》爆弾、発射準備!』
『QX、負《ネガ》爆弾、発射準備! 固有速度確認、発射位置算定、移動開始――』
合同艦隊の前衛が大きく割れ、後方から巨大な球体が進み出た。直径一五〇〇マイル([#ここから割り注]約二四〇〇キロメートル[#ここで割り注終わり])に及ぶ球形の鳥かごのようなそれは、牽引《トラクター》/圧迫《プレッサー》ユニットを内蔵した搬送用ケージだ。フレームのすき間は不可視のスクリーンで覆われている。その鳥かごの中に囚われているものは、三次元的認識には本質的に捉えられない存在であり、長時間それを目にした人間は発狂してしまうおそれがあるのだ。
ほどなく、ケージが所定の位置に着き、『発射準備、オールQX!』と、オペレーターが告げた。
『よろしい、では――負《ネガ》爆弾発射!!』
キニスンの号令一下、まず負《ネガ》爆弾の護衛のGP艦が退避し、次いで、搬送用ケージの動力が切られた。バーゲンホルム、遮蔽スクリーンを始め、ケージに装備されたあらゆる装置が沈黙すると、ケージはそれが捕えていたもの[#「もの」に傍点]に、内部から一瞬にして呑み込まれ、消滅した。消えたケージと引き換えに、忽然《こつぜん》として宇宙空間に姿を現したそれ[#「それ」に傍点]は、虚無、まったくの虚無――真空をも超える、絶対的な虚無だった!
負《ネガ》爆弾の本体は、機械的な構造を持たない、単なる負《ネガ》質量の塊だ。一旦解放されたそれは、ほとんど制御不可能な存在となる。ただ慣性移動によって目標に接触し、見えざる放射線を大量に発しながら、自らの非存在[#「非存在」に傍点]が満たされるまで、あらゆる通常物質を飲み込んでいくのだ。最大級の牽引《トラクター》/圧迫《プレッサー》ビームでもわずかに軌道を変えることしかできず、通常兵器に対する防御手段――防御スクリーンやバーゲンホルムによる無慣性化、あるいは迎撃ビームなどは、この静かなる破壊者に対していっさい効果を持たない。
そして今、自らの固有速度によって第一惑星に突入した負《ネガ》爆弾は、ボスコーン基地の激しい抵抗を無視し、地表を反[#「反」に傍点]球状に削り取りながら、その内部に食い込んでいった。それは惑星を丸呑みするには至らなかったが、自らの負《ネガ》質量を蒸発させつつ、惑星質量の何割かを――それも、中核に至る何割かを――消滅させた。
その過程で発生した放射線の嵐によってボスコーンは全滅したが、もしこれに生き残った者があったとしても、続く破壊的状況を越えて生き延びることはできなかっただろう。
全惑星規模の地殻変動が始まった。いや、地殻どころではない。惑星核とマントルがシェイクされ、溶けた金属が薄皮のような地表を巻き込みながら渦を巻きだしたのだ。荒れ狂うマグマの海の中で、惑星上のボスコーンは、その痕跡すら残さず、完全に消滅した。
こうして、アルデバラン第一惑星は、宇宙空間のただ中にあって鈍い光と熱を熾火《おきび》のように放つ、一個の原始惑星と化した。
……そして、その一部始終を眺めながら、底冷えのする笑みを浮かべるボスコーン人がいた。|半カロニア人《ハーフ・カロニアン》、デイルズだ。彼の黒い軽宇宙服は、GP宇宙服ほどの防御力や推進力を持っていなかったが、隠密性において優れた性能を有していた。GP艦隊の本格的な包囲が完成する直前に第一惑星を脱出した彼は、推進機の推力を切って浮遊しながら、続く殲滅《せんめつ》戦を静観していたのだ。彼の上下で、また前後左右でGP艦隊が展開し、時にはほんの数十マイル先でボスコーン艦が爆発したが、彼はあわてて逃げようとして銀河パトロールの監視スクリーンに見つかるようなへまはしなかった。幾百、幾千の爆発光に照らされながら、彼はただの軌道ゴミのように浮遊し、数百万の同胞の死を、笑いながら見ていたのだった。
やがて、銀河パトロールの合同艦隊は解散し、それぞれの属する星系へと帰っていった。わずかな偵察艦を残して、アルデバラン艦隊も撤収した。いくつかの艦が反撃に遭って小破した他は、被害はなかった。銀河パトロールの、完全なる勝利だった。
その結果、デイルズは完全に自由の身になった。通常レベルの警戒網など、彼にとってはざる[#「ざる」に傍点]も同然だ。彼は推進機を作動し、アルデバラン第二惑星へ向かった。仮の身分と高飛びのための星間便は、すでに手配が済んでいた。
――デイルズの元[#「元」に傍点]上司ガーセンは、組織内で巨大な権力を握っていた。だが、彼は自分の地位に慢心し、油断していた。それゆえに、デイルズに寝首をかかれ、死ぬことになった。そしてまた、銀河パトロールは今、ふたつの銀河に史上最高の繁栄を誇り、油断している。それゆえに、デイルズのように小さな、そして致命的な脅威に気づかずにいる。
デイルズは一発の弾丸だ。小さいが、素早く、強力だ。
そして、急所を的確に狙った弾丸は、巨獣をも一撃で倒し得るのだ。
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6 レンズマンの帰還
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アルデバランのGP合同艦隊が解散し、それぞれの所属星系への帰途につくころ、一隻の採鉱艇が〈ドーントレス〉号にランデヴーした。キャット・モーガンの〈ラッキーストライク〉号だ。
キャットが薄汚れた宇宙服姿のまま艦内の病室に飛び込んだのは、ちょうど“サムライ”クザクと銀河調整官キニスンが、アルデバランの戦いの最大の功労者、ビル・モーガンを見舞っていた時だった。
「ビル!!」叫びながら病室に飛び込んだキャットは、まず室内を見回した。そして、ベッドの上に横たわるもの[#「もの」に傍点]、四肢を切断され、全身を――顔面までも――包帯に巻かれ、点滴と検査用電極につながれた塊[#「塊」に傍点]の正体を、数秒の時間をかけて理解した。
「ビル……?」キャットはベッドに駆け寄り、弟の体を抱き締めた。「ビル!? ビル!!」
反応はなかった。ビル・モーガンの肉体は、すでにあらゆる感覚を失っていた。かろうじて呼吸はしていたが、意識はすでになく、今後回復する可能性もないと見られていた。右上腕部の包帯のすき間から、医療用のバンドにはめられたレンズが、生気のない鈍い光を放っていた。彼はすでに、生ける屍《しかばね》と化していたのだ。
「……ミス・モーガンだね」キャットの肩に、キニスンの手が置かれた。
キャットの反応は、まさに野生の山猫そのものだった。彼女はふり向きざまに、宇宙服のヘルメットをキニスンの顔面に叩きつけた。
「てめえか! あたしの弟をこんなにしやがったのは!?」鼻を押さえてよろめくキニスンに向かって、キャットはさらにヘルメットをふりかぶった。
「そうではありません、ミス・モーガン!」同席した医師がキャットを背後から押さえたが、「じゃあてめえか!!」キャットに突き飛ばされ、転倒した。
「誰のせいでもない」キニスンが、威厳を正しながら言った。「ミス・モーガン。彼はレンズマンとして、なすべきことをなしたのだ」
「『なすべきこと』だァ?」キャットの目に、新たな怒りの色が加わった。彼女はヘルメットを床に叩きつけ、ベッドの上を指さした。「これが弟の『なすべきこと』で、てめえらは五体満足でピンピンしてるってわけだ。ああ、なるほど、なるほどな――ざけンじゃねえぞ!!」
「切断された四肢や傷ついた感覚器は、最新の組織再生法で取り戻すことができます。それは大きな問題ではない」医師が立ち上がり、かぶりを振った。「……しかし今は、彼の失われた精神活動が回復しないのです。ミス・モーガン、残念ながら、弟さんは……」
「なんだと――もういっぺん言ってみろ、やぶ医者!!」
医師に殴りかかるキャットの手首を、音もなく歩み寄ったクザクがつかみ、くるりとひねった。ふいに下半身の力が抜け、キャットは床に尻餅をついた。
「畜生――離せ!」キャットは全力でクザクの手から逃れようとした。だが、軽くつかまれただけの手首が、どうしても離れない。
キャットの手を取ったまま、クザクは腰を落とし、床の上にあぐらをかいた。
「それは、わたしの所為《せい》であるかもしれぬ」クザクは静かに言った。「わたしの行動がもっと迅速だったならば、レンズマン・モーガンの意識が完全に失われる前に、彼を救出できたかもしれぬ」
「……ほう、そうかい」キャットはようやくクザクの手を振り払った。「じゃあ、てめえはこの落とし前をどうつけてくれるってんだ、え!? ごめんで済むなら銀河パトロールは要らねえよなあ!?」
「是非もない」クザクはまったく無表情のままに言った。「きみが望むならば、わたしは腹を切ろう」
「あァ? 腹だァ?」
怪訝《けげん》な顔をするキャットに、医師が説明した。「ハラキリはサムライの流儀です。彼らは自ら腹を裂いて死ぬことによって、自らの誠意を示すのです」
「そうかい、そうかい――へっ!」キャットは吐き捨てるように言った。「切れ切れ、切りやがれ! 糞みてえな内臓《はらわた》ぶちまけてくたばんな! そうすりゃ、ちったァこっちの気も晴れるってもんだ!!」
「|心得た《QX》」
クザクはグレー・スーツのジッパーを開き、上半身をもろ肌に脱いだ。そして、日本刀のさやを払うと、逆さにかまえたその切っ先を、ぴたりと横腹に当てた。
「やめたまえ、クザク!」キニスンが叫んだ。「優秀なレンズマンを、こんな馬鹿げたことで失うわけにはいかん!!」
「“馬鹿げたこと”ではない」と、クザクが言った。低く、静かな、しかし断固とした口調だった。「これは、わたし個人の生死を超えた重要事なのだ。レンズマン・キニスン、あなたには理解しがたいことかもしれぬが――」
「ああ、理解できんね! するつもりもない!」キニスンは言った。「レンズマンは死ぬ。ほとんどのレンズマンは、道半ばにして斃《たお》れる運命にある。だが、生き残った者は、その志を背負って前進する――われわれにはその義務がある! クザク、きみの行動は銀河パトロールに対する背信だ!!」
「そうではない、レンズマン・キニスン。銀河市民の信頼なくして、銀河パトロールは成り立たぬ。その名誉は、いかにしても守らねばならぬ。必要とあらば、このクザクの一命、独立レンズマンの権限をもって借り上げ、使い切るとしよう」
キニスンは言葉を失った。クザクの行動の基盤となるのがサムライの誇りならば、キニスンの行動の基盤となるのは、グレー・レンズマンの誇りだ。自分自身が認めたグレー・レンズマンの行動を――その判断と自由意志を否定することは、キニスンにはできないのだ。
「おい、どうした白いの[#「白いの」に傍点]」腕を組んで立ったキャットが、クザクの顔をあごで示した。「さっさとやれ[#「やれ」に傍点]。ビビってんじゃねえぞ」
クザクは超重物質《デュレウム》の刃を腹に当てたまま、無表情にうなずいた。
「では、レンズマン・キニスン……介錯を願う」
*
上もなく、下もなく、右も左もなく。
彼はただひとり、ゆるやかな光の流れの中に存在していた。
流れの行き着く先は、わからない。いや、それだけではない。自分がどこから来たのか、どこへ行こうとしているのか。そもそも自分は何者なのか。それすらもわからない。自分の体を見回してみても、ぼんやりとした光の塊に見えるだけ――なにもかもが、あいまいだ。
だがひとつだけ、明瞭《めいりょう》な輪郭を持つ、小さな塊がある。鈍い光を放つ、白い微細な結晶の集合体。これは……そう、“レンズ”だ。
では、レンズを持つ自分は何者か? レンズ着用者――レンズマンだ。
レンズを焦点にして、肉体のイメージが像を結んだ。レンズのはまった腕輪、その腕輪をはめた右腕、腕から続く胴と頭、そして左腕と両脚。黒と銀の制服と、GP装具一式。そう、自分はレンズマンだ。名前は――しかし、思い出せない。
彼は少しの問、自分の名を記憶から呼び起こそうと試みていたが、やがて、それをあきらめた。
――どのみちそれ[#「それ」に傍点]は、自分には、もう必要のないものなのだ。
そう考えると、体の輪郭が、再びぼやけ始めた。光の流れが勢いを増し、彼をいずこかに運び去ろうとした。彼は大きな力強い潮流に身をゆだね、ただ流れ、流れていく。
そこに――
『――ガン――――ウィリ――モーガン――』
――ウィリアム・モーガン。
それが自分の名だということに気がついたとき、元きた方向から、なにか巨大なものが飛んできた。圧倒的な光量を持つ、光の塊。それが彼――ビル・モーガンの名を呼びながら、急速に近づいて来ているのだった。
光の塊はビルの目の前まで来ると、朗々たる声音で言った。
『止まれ、ウィリアム・モーガン』
その途端、ビルの体はなにか巨大な力に引き留められた。彼は強烈な光と思考波に圧倒され、思わず、至近距離の恒星に対するように、手を顔の前にかざした。
すると、『――おっと失敬。少々まぶしかったかな』ふいに光が弱まり、その中心に、ひとりの青年の姿が現れた。ゆるい長衣姿に、眼鏡をかけている。古代|地球《テルス》の学生か、哲学者の弟子といったいでたちだ。
『これでどうかな、ウィリアム・モーガン――ビルと呼んでいいかい?』気さくな調子で、青年は言った。
『あなたは……アリシアの――』と、ビルは言った。先ほどの巨大な存在感には覚えがあった。彼らレンズマンが、おのおの一生に一度だけ、惑星アリシア上で面会する超知性体――
『“導師《メンター》”?』
『いや、おしいね』と、青年は言った。『ぼくはアリシアのユーコニドール。導師《メンター》ではなく、若い監視員のひとりにすぎない。と言っても、きみたち銀河文明よりは、いくらか年寄りだけれどね』
青年――ユーコニドールは芝居がかったしぐさで周囲を見回した。
『それにしても、きみを探すのには、いささか骨が折れたよ。どうしてまた、こんなに遠くまで来てしまったんだい?』
『それは、おそらく……』ビルは答えた。ユーコニドールの存在からの影響なのか、先ほどより意識が明瞭になり、自分の立場を客観的にとらえることができた。『おそらく、わたしがすでに死に、あの世へ向かっているからです。……いや、ここがすでにそうなのかもしれない』
『その言い方は正確ではないね』と、ユーコニドールは言った。『ここはまだ、消滅への過程の途上にすぎない。それを“死”というなら、生きとし生けるものはすべて“死んでいる”ことになってしまう――言葉遊びとしては面白いが、せまい概念の枠に囚われすぎじゃあないかな。つまるところ、“生”と“死”はひとつの現象の――おっと失敬。立ち話もなんだね』ユーコニドールは、ごく自然な動作で腰を下ろした。すると、なにもない空間に籐《とう》で編んだ椅子が出現し、彼の体をささえた。『どうぞ、きみもかけたまえ』ユーコニドールが手で指し示した先に、同じ籐椅子が現れた。手触りも、重みも、本物としか思えない。ビルがおそるおそる腰掛けると、ふたりの間に、今度は小さな円いテーブルが現れた。『フェアリンを飲むかい? それともアルタモント・コーヒーの方がいいかな?』ユーコニドールの右手にずんぐりしたガラスのボトルが、左手にコーヒーポットが現れた。しかし、ビルは、そのどちらも目に入らない様子で、アリシア人に問うた。
『ユーコニドール。もし、わたしがまだ死んでいないのならば――いったいここはどこで、わたしはこれからどうなるのですか?』
『若い種族にはよくあることだが、きみたちには結論を急ぎすぎる傾向があるね』ユーコニドールが笑いながら左手を開くと、コーヒーポットが消え、代わりに小さなグラスが現れた。彼はグラスに赤い液体を注ぎ、くるくると回して香りを楽しんだ。『ビル、きみの運命は完全に決定されたものではないんだ。きみの負傷を含む一連の事態は、ぼくたちにとってもイレギュラーだった』
『それはいったい――』
『おっ! われながら、これはなかなかの出来だ!』グラスを傾け、液体を口に含んだユーコニドールが、会心の笑みを浮かべた。『フェアリンの味わいを思索的に再現するのは、なかなか難しくてね。まず、原料となる木の実――フェアロクラスタス・オーガスティフォリアス・バーンステッドのことがわかっていなきゃ、話にならない。そのためには、その希少な植物を生育させる、クレヴェニアの自然環境への理解が必要だ。つまり、クレヴェニアの土壌・大気組成、主星との距離、自転・公転周期と自転軸の傾き、その他もろもろのデータが不可欠だということになる。それだけじゃない。この美しい液体のひとしずくには、クレヴェニア人たちの歴史と文化がいっぱいに詰まっているんだ。例えば、クレヴェニアの濃い夜気のもと、フェアリンの樽詰めを行なう男達が歌う労働歌――星空の女神を讃《たた》えるその歌の節回しが少しずれただけで、出来上がるこの飲み物の味はまったく変わってしまう。そして、もしクレヴェニアから見える星座、すなわち恒星の幾何学的配置が少しずれて、夜空の女神のつんと突き出たおっぱいが、ひと回り小さくなってしまったら――彼女の豊満さを表現する形容詞が、彼らの歌の歌詞から二、三個省略されていたかもしれない。これは由々しきことだね!』
ユーコニドールはふと軽口を止め、改まった口調になった。
『こんなふうに、一杯のフェアリンを構成するということは、ひとつの宇宙を丸ごと理解しようとすることでもあるんだ。フェアリンに限った話じゃない。ほかには――例えば、きみのレンズがそうだ』
ビルはユーコニドールにうながされ、よくわからないままに、自らのレンズに見入った。ユーコニドールは言葉を続けた。
『レンズはきみの内なる銀河だ。そこにはすべてがある。――今、そこになにが見える?』
『光が……レンズの生命の光が』と、ビルは答えた。『……しかし、それはもう消えようとしています。小さく、弱々しくなって……』
『おや、そいっぱいけない。レンズの生命は、きみ自身の魂というべきものと密接に連携している。それが失われるということは、きみが精神的に死にかけているということだ。どうにかならないかい?』
『しかし……ああ、ゆっくりと分解していく……止められません……』
ビルの目の前で、レンズの縁が複雑な光を放ちながら、空間に溶けていく。それに応じて、ビル自身の体も、徐々に輪郭を失っていく。
『それは困ったな。レンズの声を、もっとよく聞いてみたまえ』
ビルは言われるままに、死にかけたレンズに意識を集中した。すると――
(畜生!)
ひとつの思考波が、レンズを通じて飛び込んできた。
(死ぬな、ビル! 勝手に死んだら承知しねえ!)
荒々しい、しかし温かく懐かしいそれは――
『姉さん!? ……いや、そんなはずはない』
『「そんなはずはない」? なぜそう思うんだい?』
『なぜなら、わたしはすでに死に、ここであなたと話しているからです。レンズ通信がいかに強力でも、今、姉の声が聞こえるはずはない……これはきっと、わたしの死にゆく心が生み出した幻聴なのでしょう』
『さて……ぼくには、きみがレンズというものを過小評価しているように思えるね』ユーコニドールは言った。『レンズはきみの魂の分身だ。魂が触れ合っている相手となら、一〇〇万光年の距離があろうと、次元の壁をへだてていようと、なんの問題もなく交信できるのさ』
『では、これは本当に姉が……?』
『そうだとも』
『こちらからの送信も?』
『もちろん可能だよ』
(畜生! ビル――ビル!!)
ビルはレンズをひたいの前にかざし、姉の声に向けて、祈るような表情で意識を集中した。
『姉さん、すまない……ぼくはもう、行かねばならない……みんなを自分の手で守りたかったよ……』
『いや、別にすまながることはないよ』と、ユーコニドールは言った。『ほら、もう一度レンズを見てごらん』
ビルはレンズを見た。レンズはいまだ死にかけていた。しかし、その表面には、先ほどは見えなかった生命の輝きが、わずかに生じていた。
『きみのレンズはまだ生きている。生きようとしている。そこに希望がある』
『希望……?』
ユーコニドールは、グラスの中にゆるやかに渦を巻く赤い液体を、じっと眺めた。楽しげに、そしてどこか悲しげに。
『……ビル、ぼくたちアリシア人はこれまでに、多くの死を、とても多くの死を見てきた。いくらかは意味ある死、ほとんどは無意味な死、だが、そのすべては必然的な死だった。銀河文明をひとつの生命体だとするならば、個々の細胞は新陳代謝されなければならないからね。――しかし、今回は事情がちがう。銀河文明は予想外の外傷[#「外傷」に傍点]を受けつつある。きみのような、今死ななくてもいい[#「今死ななくてもいい」に傍点]人間が数多く死んでいき、それら必然ならぬ死の累積は、結果的に、銀河文明そのものの死を招くかもしれない。よくないシナリオだ』ユーコニドールは顔を上げ、ビルの目をまっすぐに見すえた。深い、底知れぬ知性を帯びた視線だった。『だから、ぼくはきみを助ける。きみは生き延びて、その生涯の間に、ほかの多くの人間を助ける。バランスは回復し、銀河文明は健康を取り戻す。これが改訂版のシナリオだ』
ユーコニドールが立ち上がり、手をひとふりして、フェアリンのグラスを空中に消した。『――じゃあ、そろそろ始めよう。今からぼくは、きみのレンズをちょっぴり賦活《ふかつ》する。ちょっとだけだよ。それはきみ自身のレンズなのだから、そのあとは自分でやりたまえ。あまり楽をしちゃあいけない』
『え……は、はい』ビルは戸惑いながら、ユーコニドールにならって立ち上がった。
ユーコニドールの体が、まばゆい光を放ち始めた。そして、見る間に明るさを増して、先ほどと同様、目もくらむ圧倒的な光の塊になった。
『まず、レンズに意識を集中したまえ。そして、きみが帰るべきところ、きみを待つ人々に呼び掛けるんだ』
ビルはうなずき、そのようにした。彼の家族――故郷の姉と弟たちに向かって、全霊をもって呼び掛けた。ドロシーに、リッキーに、レイとマギーに、デューンに――そして、姉のキャットに。
『よろしい、その調子だ――では、行くよ!』
ユーコニドールの精神の一端が、ビルのレンズに触れた。その瞬間、落雷のような衝撃が、ビルの体を貫いた。レンズを中心に、全身の神経が、灼《や》けた鋼線のように活性化した。ビルの全身に満ちたエネルギーは、嵐のように体内を駆け巡った。
その無制御な力を御したのは、レンズと、レンズを通じて集中したビルの想いだった。荒れ狂うエネルギーは方向性を持った推進力に変わり、ビルはおそろしい勢いで光の流れを逆走し始めた。おのれの生きるべき場所へ、家族のもとへ。
『そうだ、行きたまえ、若いレンズマン! きみにはまだまだ働いてもらわなければね!』
ユーコニドールの声が、はるか後方に遠のいていった――
*
(姉さん……!)
ビル・モーガンの思考波は、誰よりも先に、姉のキャットに届いた。
「――ビル!?」
クザクを見下ろしていたキャットは、電気に打たれたように飛び上がると、包帯に巻かれたビルの体に飛びついた。
「ビル!? ビルだな!?」
『……姉さん、姉さんだね。どこだい? よく見えない……』
「ここだ! あたしはここにいるぞ!!」キャットはビルの体を揺さぶりながら叫んだ。
ビルの肉体に反応はなかった。しかし、包帯のすき間からのぞく彼のレンズは、生き生きと、力強い光を放ち始めていた。
『ああ、姉さん。また会えてよかった……もう大丈夫だよ』
「馬鹿野郎、なにがどう大丈夫だってんだ。ボロボロじゃねえか!」そう言いながらも、キャットの顔には、安堵《あんど》の表情が浮かんでいた。両の目から、大粒の涙がこぼれだした。
『もう、大丈夫』と、もう一度、ビルは言った。『ぼくは帰ってきたんだ。彼のおかげで――彼の――彼――?』ビルは恩人の名を思い出そうとした。しかし、どういうわけか、その名も外見も……いや、そもそも自分がどのようにして帰ってきたのかすら、わからなくなっていた。
「なんと……信じられん」目を見開きながらかぶりを振る医師の肩に手を置き、キニスンが一歩進み出た。
『レンズマン・モーガン。わたしはクロヴィアのキムボール・キニスンだ』
『は――はい、閣下!?』史上最高のレンズマンにふいに話しかけられ、ビルの精神は思わず緊張した。手足があれば、飛び上がって敬礼していただろう。
『レンズマン・モーガン、きみの活躍によって、アルデバランのボスコーン組織は壊滅した』キニスンは言った。『銀河パトロールを代表してその働きを称賛する。きみには最高の治療を約束しよう』
『はっ、光栄です、閣――』
「当たり前だ!」キャットが顔を上げた。「全部、きれいに元通りにしろ! 指一本だってまからねえからな!」
「もちろんだよ、ミス・モーガン」キニスンはにやりと笑いながら、右手をひらひらと振った。「フィリップス式組織再生法は、実に優れた医療技術だ。わたしのこの手足も、生まれてから二度目に生えてきたものさ」
「それは重畳《ちょうじょう》」クザクが無表情のままに言った。彼は床にあぐらをかき、日本刀の切っ先を腹に当てたまま、微動だにしていなかった。「これで、わたしも心置きなく身罷《みまか》ることができる。……では、レンズマン・キニスン。介錯を」
「あァ?」キャットがクザクをふり返り、口を尖《とが》らせた。「いつまで腹出してンだ。てめえのヘソなんざ見たかねえよ」
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7 〈フリードマン・シェル〉
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アルデバランの戦いから、三カ月が過ぎた。
事件の直後、ビル・モーガンは治療のために地球《テルス》のGP病院に入院し、彼の弟たちは、ともに地球《テルス》に移住していた。
キャットはひとり、隕石鉱夫を続けている。
ビルにとっても、小さな弟たちにとっても、そして、おそらくは自分自身にとっても、地球《テルス》で銀河パトロールの世話になるのが最良の選択だ。――そのことは、理屈ではわかっている。しかし自分は、そうしたくなかった。ビルを自分から奪おうとした銀河パトロールに、尻尾をふりたくはなかった。それは、つまらない意地かもしれない。筋の通らない感情かもしれない。しかし、自分から意地を取ったら、あとにはなにも残らない――
キャットはまるで、地球《テルス》の引力から逃れようとするかのように、いくつかの鉱業星系を転々とし、いつしか第二銀河系のはずれ、アルゲス星系に流れ着いていた。
ある日、一日の作業を終えると、キャットは〈ラッキーストライク〉号の操縦室を加圧し、ヘルメットを脱いだ。そして、携行糧食をぱくつきながら、ロッカーから懐中電灯ほどの大きさの通信筒を取り出した。三日前、作業ステーションに着いていた、地球《テルス》からの郵便だ。ふたを開けると、印字された数枚のフィルム便箋《びんせん》が出てきた。曰《いわ》く――
――姉さん、聞いて! 兄さんに新しい腕が生えてきたの! 柔らかくてピンク色で、小さな指がちゃんとついてるわ。一週間くらいで大人の腕になるそうだけど、今はまるで赤ちゃんの手みたい。レイが「おれの手に色が似てる」って言ったら、さっそくマギーが「あたしの方が似てるわ!」って言いだして、ふたりで喧嘩。相変わらずなのよ。その時はリッキーが止めに入ったんだけど、いっしょになって取っ組み合いを始めちゃって。姉さんのまねをするには、まだまだ迫力が足りないみたいね。
そのリッキーだけど、地球《テルス》にはヴェギア人があまりいないから、学校でいじめられたりしないかってわたしは心配してたの。でも、最初の登校日に大喧嘩をしてきただけで(「心配すんな、楽勝だ」ですって!)、今は仲良くやってるみたい。勉強の方もがんばってるわよ。この間、授業で手紙の書き方をならったとかで、すごく張り切って、徹夜でタイプを打ってたわ。同封するわね。
それから、デューンはまだ小さいから学校には行ってないんだけど、その代わり、一日中兄さんにくっついて、身の回りの事をしてくれてるの。兄さんのことが大好きなのよ――
そんな調子で、とりとめのない近況報告が数枚続き、
――もしよかったら、地球《テルス》にきてね。みんな姉さんに会いたがってるわ。
[#地付き]あなたの妹、ドロシーより
と、その手紙は結ばれている。日付は一カ月前のものだ。
そして、最後にもう一枚。打ち間違いだらけの、これはリッキーの手紙だ。
――しんあいなる きあと ねいちやん てるずわ いいによいが いぱいです きとか はなとか あめやがりの どおろとか かぜがふくたんびに によいが いろいろだ このてがみわ どろし ねいちやんの たいぷお かりて じぶんで うてます いま がくこうで ならてます からです がくこうわ おれぐらいの こどもが いぱいいて みんな ちがた によいが する いいによいの やつも くせいによいの やつも います さいしよ さんにんばかり おれの しぽお ふんで きやがたので ひかいたり けたり かみついて なきだしました それで みんな こぶんに してやた! あいつら さいしよ くせいと おもたけど なれると そうでもない ねいちやんの うちゆふくの ほうが ずと くせいや
でも ねいちやんの によいが かぎたいよ
「へっ、何度読んでもひでえな。もっと勉強しろってンだ」キャットは指先で便箋を弾き、それから機内灯を消して、シートに身を沈めた。「なーにが、によい[#「によい」に傍点]だか……」
〈ラッキーストライク〉号のシートで仮眠をとることには、昔から慣れている。生涯のうち、ここ以外で眠ったことのほうが少ないくらいだ。
かつては、それで孤独を感じたことなどなかった。顔は合わせていなくても、自分の帰りを待つ小さな弟たちと、心が通じているという実感があった。だが、今は――弟たちは、自分の知らない景色の中で、自分の知らない空気を呼吸している。時々ふり返ってこちらに手をふりながらも、それぞれの道を行き、どんどん自分から遠ざかっていく。
キャットはいつの間にか、手に持った便箋をほおに押し当てていた。樹脂製のフィルムに移った自らの体温は、地球《テルス》の弟妹の温もりであるように思えた。
操縦室の小さな窓越しに、星空が見える。太陽《ソル》は、そしてアルデバランは、ここから見えるだろうか――いや、見えるわけがない。もし見えたとしても、それは、小さな塊《かたまり》状の第一銀河系の中にあって、とても見分けられるものではない。
故郷は、ひどく遠い。
*
ボスコーン戦争の終結よりこのかた、第二銀河系への進出ブームに乗って、惑星開発業界は大きく勢力を伸ばしてきている。その最先鋒である〈フリードマン宇宙開拓社〉の設立者、ケネス・フリードマンは、ほんの数年で無名の探鉱業者から銀河有数の企業経営者へとのし上がったという大立者だ。
そして、ここアルゲス星系はフリードマン社の企業戦略の最前線だ。
ボスコーン戦争の直後、フリードマン社は恒星アルゲスに向けて私設の探検隊を派遣し、その開発権を得た。未踏星域のただ中にあるアルゲスを選んだのは、決して偶然や気まぐれではない。普通はもっと近場の、確実に利益が得られる星系から手を着けていくものだが、そこをあえて、競合する者のない遠隔星系に手を伸ばしたところが、“山師起業家”フリードマンの、山師たるゆえんだった。
しかし、そうして探査されたアルゲスは、いわゆる“惜しい”星系だった。そこには八つの惑星があったが、どれも、採掘・輸送コストととんとん[#「とんとん」に傍点]の価値しかない鉱脈や、大規模な惑星環境改造《テラフォーミング》を行なえば住めなくもない程度の環境しか持っていなかった。つまり、フリードマンが手に入れたのは、ごく平凡な、なんということもない、“並み”の――交通の便を考えるなら、明らかに“並み以下”の――星系だったのだ。
しかし、フリードマンは失望しなかった。彼はここアルゲスにおいて、両銀河初の“星系全体開発”を計画したのだ。つまり、星系内のすべての資源を――惑星も、小惑星も、そして、恒星そのものをも――完全に利用しようという試みである。具体的には、惑星を砕いて資材とし、恒星アルゲスをすっぽり包む球殻《シェル》を作り上げるのだ。これによって、アルゲスの放射するエネルギーは余さず利用されることになる。言うなればそれは、一個の恒星を丸ごと呑み込んだ、超巨大な熱核発電所となるのだ。
典型的な黄色主系列星である恒星アルゲスは、キャットの故郷の主星アルデバランに比べれば、直径にして四五分の一、放射エネルギーは一〇〇分の一ほど。彼女の弟たちが地球《テルス》から見上げているであろう太陽《ソル》とほぼ同じサイズの、ちっぽけな星だ。しかし、小さいとはいえ、恒星ひとつ分の放射エネルギー総量はあなどれない。この〈フリードマン・シェル〉ひとつで、数千万の惑星文明を維持できるだけのエネルギーが恒常的に得られると見込まれている。その利用価値ははかりしれない。
さらに、フリードマンはそのエネルギーを利用し、このアルゲスを基点に、未踏星域の大開発を行なうと宣言した。最初から、アルゲスは星域開発のエネルギー拠点とするつもりだったのだ、と。
当然ながら、こうした巨大プロジェクトの実行のためには、単なる惑星改造とは桁違いの資本投入が必要とされる。時期尚早と言われながらも、フリードマンはその実行に踏み切った。フリードマン社のほぼ全資産に加え、よそからかき集められる限りの資金をも投入し、このプロジェクトに取り組んだのだ。成功の暁《あかつき》には、フリードマン社は同業他社に二歩も三歩も先んじることができるが――失敗すれば、すべてを失ってしまうだろう。これは“山師”ケネス・フリードマンの、一世一代の賭けなのだ。
開発の実作業を行なうのは、フリードマン社の開発した〈R‐Fシステム〉。多数の自動工場と無数の作業ロボットからなる、全自動の複合システムだ。恒星のエネルギーと惑星の資材によって自己を複製し、増殖するこのシステムによって、フリードマン社は理想的に規格化された労働力を、必要なだけ確保できる。この〈R‐Fシステム〉は、他社の追随を許さぬ、フリードマン社の新機軸だった。
通常の惑星開発の場であれば、流れ者の宇宙作業者を雇うか、自社で作業員を育成したほうが断然経済的だ。しかし、そうした通常のアプローチでは、“星系全体開発”に必要とされる、粒ぞろいの大労働力は得られない。そこで、フリードマンはこのプロジェクトに先立って、いくつもの機械工業会社を買収し、湯水のように開発資金を投入して〈R‐Fシステム〉のひな形を作り上げたのだ。その投資は、生半可なことでは回収できない。“星系全体開発”のような超巨大プロジェクトのみが、そのシステムを採算ラインに乗せ得るのだ。
つまり、〈R‐Fシステム〉が“星系全体開発”を可能にし、“星系全体開発”が〈R‐Fシステム〉を可能にする。だれも想像すらしなかった巨視的領域に存在した、その経済的な「解」――それを見つけだした慧眼《けいがん》、いや嗅覚《きゅうかく》こそは、“山師”ケネス・フリードマンの面目躍如といったところだ。
そうした事情を背景に、アルゲスの“星系全体開発”が始まった。
まず、大量のデュオデック爆薬によってアルゲス星系の内惑星が次々と爆砕され、それぞれ、密集した一群の小惑星となった。惑星中心部の地熱を残す灼熱《しゃくねつ》の岩塊は、ガス巨星からすくいとられた低温ガスを吹きつけられ、急速に冷却された。そして、それらの小惑星に作業ロボットが雲霞《うんか》のように群がり、片端から削り取っては牽引し、アルゲスを巡る惑星軌道上に設置された自動工場に放り込んだ。
それら自動工場の最初の仕事は、作業ロボットや、自動工場そのものの建設用部品の生産だった。工場はロボットを産み、ロボットは工場を養った。また、工場は工場の部品を作り、ロボットはそれを組み立てて新たな工場を建設した。ある種の昆虫の群れのように、あるいは繁殖する菌類のように、〈|ロボット《R》‐工場《F》システム〉は惑星軌道上に増殖を続けた。
計画通りに自己増殖を続けた〈R‐Fシステム〉は、やがて増殖を止め、いっせいに本格的な建設を開始した。星系内の惑星をまたたく間に喰らいつくし、残らず人工物に変えていったのだ。
作業ロボットが運ぶ鉱物資源を工場が呑み込み、精錬し、加工し、必要とされる建築資材に変えて吐き出した。そして、工場が吐き出す資材を、作業ロボットが手際よく組み立て、超惑星級の巨大構造物に変えていった。恒星アルゲスを網の目のように覆うリング状のフレームに、そして、網目の間を埋め尽くすエネルギー吸収パネルに――
GP標準暦にしてわずか一年後には、〈フリードマン・シェル〉はほぼ完成していた。現在は半月後の試運転に向けて、ごく少数の技術者と自動装置群による最終調整が行なわれている。恒星アルゲスの光を完全に封じ込めた〈シェル〉は、外見的には、星明かりにうすく照らされ幽鬼のような輪郭を見せる、巨大な黒い球体だ。その表面に赤く点々と灯る標識灯が、そのたたずまいの暗さを強調している。直径は約四五〇万マイル([#ここから割り注]約七二〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])。サイズにおいても、内在するエネルギー量においても、人工的な構造物としては未曾有《みぞう》のものだった。
*
ところで、開発の主役はロボットだとはいえ、人間を使ったほうが便利な場面がないではなかった。作業ロボットに搭載された最新型の電子頭脳は、計画された行動を機械的に遂行するには適していたが、多少なりとも現場での判断を要求される分野においては、いまだ隕石鉱夫のアルコール漬けの脳にさえ及ばなかったのだ。
そのため、ほんの数週間前までは、アルゲスの惑星軌道上には大規模な作業ステーションが何基も建設され、キャットのような流れ者の宇宙作業者でにぎわっていた。だが、そうした者たちもすでにおおかたは引き払っており、残されたステーションも次々と閉鎖され、撤去されている。アルゲスの開発は完了しつつあり、そこに残された作業は少なかった。
その数少ない作業のひとつ――キャットの現在の仕事は、アルゲスの惑星軌道上に放置されたゴミ、つまり惑星や小惑星の残りカス、資材の切れ端、破損した作業ロボットの残骸などの処理だ。かつてアルゲス第八惑星が存在した空間――今はガスと小惑星の屑の溜まり場――に〈ラッキーストライク〉号の固有速度を同調させ、キャットはそれら軌道ゴミの撤去を続けていた。
長年、赤く大きく輝くアルデバランを目にしながら働いてきたキャットにとって、この空域は、ひどく静かな、生気のない場所に感じられた。放射光を完全に遮蔽されたアルゲスは、わずか三〇億マイル([#ここから割り注]約四八億キロメートル[#ここで割り注終わり])の距離から探してみても、ちらりとも見つからない。
撤去作業そのものは、フリードマン社の作業ロボットが行なう。キャットに要求されているのは、ゴミと資源の選別だ。価値の低い岩石質の小惑星は放置されるが、破損した作業機械や宇宙艇などの残骸はリサイクルに回す。キャットが目標に標識《マーカー》を撃ち込むと、航行灯を灯した小さな作業ロボットの群れがそれらにとりつき、内惑星軌道の工場まで牽引していく。ものによってはその場で破砕や解体をすることもある。巨大な目標物にびっしりと取り付いた作業ロボットが、瞬く間に対象物を分解していくさまは、あたかも異形の昆虫の群れが、巨獣に群がり骨まで食いつくしてしまうようで、見ていて気持ちのいいものではない。
こんなものが故郷の小惑星帯に持ち込まれたら――と、キャットは考えた。これら作業ロボットの群れば、採鉱艇を駆る隕石鉱夫たちの何百倍も効率的に小惑星を分解し、あっという間に小惑星帯を食いつくすだろう。キャットには星間経済の云々といったむずかしい話はわからないが、宇宙鉱業も惑星開発も、いずれ近いうちに、この虫みたいなロボットに牛耳られていくのだろう、という予感のようなものはあった。
また、キャットはこの場でいくつかの作業艇の残骸を発見していた。中には気密事故で死んだ作業員の死体が乗ったままのものもあった。キャットが標識《マーカー》をつけてやらなければ、それらは永久に惑星軌道を巡っていたことだろう。もしなんらかの事故でキャットが死ねば、〈ラッキーストライク〉号もまたそこに加わることになる。それでもロボットたちは一向に気にしないだろう。標識《マーカー》がついていれば工場に運ぶし、ついていなければ無視するだけだ。
もはやこうした現場は、自分たちを必要としていないのかもしれない――と、キャットは考えた。だとすれば――各地の小惑星帯にたまっている隕石鉱夫、人間の中でも屑中の屑である、あのシラミみたいな連中は、これからいったいどうなるのだろう。そしてまた、自分はどうなってしまうのだろう。小惑星といっしょにこの虫ロボットに分解されて、跡形もなく消えてしまうのだろうか――
『メイデイ! メイデイ!』
キャットの感傷的な思いは、突然の救難信号によって中断された。同時に、頭蓋骨に響き渡るような、強力な思考波。レンズマンの緊急通信だ。
『こちら地球《テルス》のジョナサン! こちら地球《テルス》のジョナサン! なにものかの襲撃を受けている! 救援を求む! 救援を求む!』
キャットは救難信号に含まれた位置・進路情報を確認し、舌打ちを漏らした。
「なにものか」とはおそらく、〈ラッキーストライク〉号のすぐそこにいるのと同型の、フリードマン社の作業ロボットだ。というのも――
〈フリードマン・シェル〉の表面重力は一G。大気は存在しないので、アルゲスの引力に引かれた物体は、減速されることも燃え尽きることもなく、〈シェル〉の表面に激突する。完成時には〈シェル〉の内部から電力を引いた強力なスクリーンが作動する予定だが、今はまだ、物質的な防護シールドのみに頼っている状態だ。シールドは宇宙艦に使用されるのと基本的に同質のもので、いかなる有慣性衝突にも耐え得ると言われているが――この場合は〈シェル〉とアルゲスの質量があだになる。不動の大質量天体たる〈フリードマン・シェル〉は、宇宙艦ならば自ら弾き飛ばされてしまうような巨大な運動エネルギーをも、まともに受け止めてしまうのだ。あたうかぎり強固に作られている〈シェル〉のシールドは、数百ポンド程度の落下物にはどうにか耐えられるが、しかし、それが数十トンにもなると、もはや耐えきれるものではない。それらはデュオデック弾頭を搭載したミサイルのように破壊的なのだ。
そのため、作業ロボットの論理回路には、〈フリードマン・シェル〉を守るための「防衛本能」とでも言うべきプログラムが組み込まれている。一定以上の固有速度をもって〈シェル〉に接近する物体を、反射的に軌道変更、あるいは破壊しようとするのだ。
“地球《テルス》のジョナサン”とかいうレンズマンは、なにも知らずにこの星系を通りかかり、この作業ロボット群の警戒網に引っかかってしまったのだろう。
――レンズマンの中にも、まぬけな奴がいるもんだな。
バーゲンホルムと推進機を始動し、信号の発信位置へと向かいながら、キャットはふと、三カ月前に出会ったふたりのレンズマンを思い出した。キムボール・キニスンと、シン・クザク。どちらも超一流のレンズマンだ。
あの日、負傷した弟を前にした自分は、動転してふたりを責め立ててしまったが、あとから聞いてみれば、彼らはむしろ、弟の命の恩人とも言うべき人物だという。キムボール・キニスンは、そのことに対し、さも愉快そうに笑っていたが、一方、あのアルタイル人、クザクは、最後まで無表情を通していた。あの時は、その無表情がどうにも腹立たしくてならなかったのだが、もし、自分の吐いた言葉に対し、あの男がハラキリとやらをして死ぬほどの責任を内心に感じていたのだとすれば――
――せめて、ひとこと謝るべきだったかもしれない。
そう思った時には、クザクはすでに〈ドーントレス〉号を離れ、いずこかへと去っていた。おそらく、もう二度と会うことはないだろう。だが、もしももう一度会えたなら――
救難信号の発信位置はごく近く、追憶に浸っているひまはなかった。むしろ、キャットにはそれがありがたい。ロボットを使った現場は手もとがひまなせいか、最近、余計なことを考えすぎる。
信号の発信源が視認できた。全長五〇フィート([#ここから割り注]約一五メートル[#ここで割り注終わり])ほどの、銀色の宇宙艇。高速艦のような流線型ではないが、ずんぐり型の〈ラッキーストライク〉号よりは、だいぶスリムな印象だ。おおまかに言って、魚雷か、クジラのような姿をしている。
案の定、宇宙艇は三体の作業ロボットに追われていた。作業ロボットの加速性能は並みの有人船をはるかに超える。逃げる者と追う者の間の距離はみるみる縮まり――先頭の作業ロボットの作業アームから発した切断ビームが、宇宙艇の機体をななめに薙《な》いだ。宇宙艇は防御スクリーンを展開しており、ビームのエネルギーの大部分は中和されたが、それでも、銀の船体の表面に斜めの焦げ目が走った。
キャットは作業ロボットに停止信号を送ったが、無視された。一介の作業員が発したコマンドなどは、電子頭脳の根底に刻まれた本能的命令の前には、無に等しいのだ。それどころか、この〈ラッキーストライク〉号さえも、識別信号を出していなければ“危険物”として排除されてしまう可能性がある。
『こちら採鉱艇〈ラッキーストライク〉号、採鉱艇〈ラッキーストライク〉号。地球《テルス》のジョナサン、バーゲンホルムを始動せよ』キャットは宇宙艇に呼び掛けた。作業ロボットが問題にしているのは、なによりも「固有速度」だ。無慣性状態になってしまえば、ロボットの攻撃も止むかもしれない。
だが、『バーゲンホルムは破損している!』と、ジョナサンは短く答えた。
作業ロボットが、アームのマルチビームを破砕モードに切り替えた。数秒をかけてチャージされ、エネルギーを凝縮された熱線が、宇宙艇のスクリーンを、そして船体シールドをも貫通した。
『……!』ジョナサンが負傷したのだろうか。まるで、船体ではなく自分の体そのものを撃たれたかのような、苦痛の響きを帯びた思考波。
次の瞬間、苦痛から逃れようとするかのように、宇宙艇はさらに急加速した。計らずもその方向には、光なき恒星、〈フリードマン・シェル〉が存在していた。作業ロボットの融通の利かない金属性頭脳は、その行動を、ただ「〈シェル〉への危険度の増加」と認識し、追撃の手を強めた。
『馬鹿、そっちじゃねえ! アルゲスからそれろ!』
『……旋回不能! 補助推進機もやられている!』
『くそ――!』
キャットは牽引《トラクター》ビームをジョナサンの宇宙艇に発射。無慣性状態の〈ラッキーストライク〉号は、牽引ビームの反作用で瞬時に宇宙艇に接舷《せつげん》した。これで、宇宙艇と〈ラッキーストライク〉号は、作業ロボットには「ひとつの物体」として認識されるはずだ。〈ラッキーストライク〉号の識別信号が有効だといいが――
しかし、キャットのもくろみは外れ、作業ロボットは宇宙艇とともに〈ラッキーストライク〉号をも攻撃し始めた。たとえ正式に登録された作業艇であっても、危険な軌道にある以上は“危険物”と見なされるのだ。
しかも、単なる採鉱艇に過ぎない〈ラッキーストライク〉号は最低限の防護シールドしか持っておらず、ジョナサンの宇宙艇以上に脆弱《ぜいじゃく》だ。それでも自らが完全な無慣性状態ならば、ビーム砲撃――有慣性微粒子の衝突――によるダメージを喰らうことはないが、今、この瞬間は、牽引ビームによって有慣性状態の宇宙艇につなぎとめられた、半慣性状態とでも言うべき状況だ。
『危険だ、〈ラッキーストライク〉号! トラクターを切れ!』
『うるせえ、黙ってろ!!』
キャットは牽引ビームはそのままに、推進機の出力を全開に。宇宙艇の鼻面を引き回す形で九〇度旋回させ、『目一杯噴かせ!!』と怒鳴った。とにかく、ロボットに「目標物の軌道はそれた」と認識させるしかない。
一方、三体の作業ロボットは、バーゲンホルムを作動させ無慣性状態になりながら、宇宙艇に牽引ビームを発射、キャットがしたのと同様に、宇宙艇に接舷した。「固有速度未同調状態での接舷」は、宇宙作業における基本的な禁忌《タブー》のひとつだ。バーゲンホルムが切れた瞬間に、固有速度差による大事故が発生する可能性がある。だが、作業ロボットらはすでに、基本的な作業手順を無視してでも宇宙艇を“処理”しようとしていた。それだけ、目標物を危険なものと見なしたのだ。
三体の作業ロボットは、牽引ビームと接地脚によって、宇宙艇の表面に自らを固定した。各々、作業アームに装備したビーム銃を宇宙艇のシールドに向け――
『〈ラッキーストライク〉号、協力を感謝する――きみはもう退避してくれ――!』
『黙ってふんばれ!!』
キャットはバーゲンホルムを緊急停止。〈ラッキーストライク〉号の船体に、アルゲス第八惑星の軌道速度に等しい固有速度が復活した。うまくすればこの固有速度を利用して軌道をそらすことができるが、下手をすると致命的な衝突を引き起こしかねない。これはキャットの賭けだった。そして――
幸い、〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙艇の相対固有速度は、二者を衝突させるのではなく、引き離す方向に働いた。牽引ビームの牽引力を超えた勢いのため、〈ラッキーストライク〉号は宇宙艇の表面から引きはがされた。ジョナサンの宇宙艇は〈シェル〉の方向へ、〈ラッキーストライク〉号はその軌道に直交する方向に離れていく――が、牽引ビームはまるでゴム紐のように伸びながら、二隻の宇宙艇の間をつないでいる。
キャットは牽引ビームの出力を最大に。“ゴム紐”の伸縮力が強化され、二隻の宇宙艇は互いの固有ベクトルを合成しつつ、再び接近していった。
一方、ジョナサンの宇宙艇に取りついた作業ロボットは、ビーム銃を装備した作業アームを昆虫の触角のようにゆらめかせていた。宇宙艇にかかった横向きの加速度が維持されれば、無理に破砕して危険要素を分散させる必要もない。単純な機械脳は判断を保留し、状況を静観している。
やがて、ジョナサンの宇宙艇と〈ラッキーストライク〉号は、再び――今度は有慣性状態で――接舷した。これまでも、現在も、両艇の推進機は最大限の噴射を維持している。このまま加速をつづければ大丈夫だ――
しかし、いかなる理由によるのか、ジョナサンの宇宙艇の加速が、ふいに止まった。
『――おい!?』
三体の作業ロボットの、迷うようにゆらゆらとゆれていたビーム銃が、いっせいに、ぴたりと狙《ねら》いを定めた。二体は足元のシールドに、そして一体は〈ラッキーストライク〉号の操縦席に。
――!
小さな窓越しの銃口が、キャットを呑み込まんばかりに大きく見えた。破砕ビームのチャージ完了までは、三秒か、五秒か――
視界一杯に閃光《せんこう》が走り、キャットは思わず目を閉じた。――が、予想された破壊的なエネルギーは到達しなかった。
おそるおそる目を開けると、目の前のシールド面に、銀河パトロールの装甲宇宙服が着地していた。先ほどの閃光は、宇宙服の推進機の噴射炎だ。GP宇宙服の男は、一瞬、フェイスプレート越しに陶器のような白い横顔を見せると、再び噴射炎を閃《ひらめ》かせ、もう二体のロボットにむけて跳躍した。
キャットを狙っていたビーム銃は、作業アームごと、なめらかな断面を見せて裁ち落とされていた。宇宙服の男が手にした日本刀による仕業だ。
宇宙服の男は、アルタイルのクザク。
“サムライ・レンズマン”シン・クザクだった。
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8 スターシップと茶の湯
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またたく間に三体のロボットを無力化した“サムライ”クザクは、日本刀をさやに収め、〈ラッキーストライク〉号に向かって深く一礼した。
『ドウモ、ミス・モーガン。奇遇なる再会を幸いに思う』その口調はあくまで平静だ。
『クザク――』
もし、再びクザクに会えたなら、キャットは先日の非礼を詫びようと思っていた。先ほどまで、確かにそのつもりでいた。――が、アルタイル人の超然とした無表情を見るなり、彼女はどういうわけか、無性に腹立たしい気分になっていた。
『てめえ、なにしにきやがった』
クザクはそれには答えず、ふい[#「ふい」に傍点]と宇宙艇の船首方向を向くと、
『レンズマン・ジョナサン。遅れてすまなかった。怪我はないか』と言った。
『おい、人の話を――』
『――いかん』クザクがつぶやいた。『ジョナサンは意識を失っている』
『なんだって!?』キャットはすばやく宇宙服を密閉《シール》すると、操縦室を減圧し始めた。ジョナサンの宇宙艇に乗り移るためだ。『その船のエアロックはどこだ!?』
『エアロックはない』と、クザクは答えた。
『あァ!? てめえ、なに言ってン――』
キャットの言葉は、新たな宇宙船の登場によってさえぎられた。自由航行《フリーフライト》によって一瞬のうちに至近距離に出現し、こちらに固有速度を同調し始めたそれは、ずんぐりした形の大型船――球形タンクを内蔵した恒星間タンカーに似ている。
『彼を母船に運び込まねばならぬ』クザクは大型船を見上げながら言った。『ミス・モーガン、協力を願う』
キャットはわけのわからぬまま、〈ラッキーストライク〉号でジョナサンの宇宙艇を牽引し、大型船に運び込んだ。クザクの指定した船首のハッチの奥は、格納庫かと思いきや、前後に細長いばかりの円筒形の空間――巨大なエアロックだった。すぐ目の前で、銀色の宇宙艇がクレーンに吊るされた。軽いゆれとともに、〈ラッキーストライク〉号の船体もまた、クレーンに固定された。
加圧ののち、エアロックの内扉が開いた。クレーンがジョナサンの宇宙艇と〈ラッキーストライク〉号を船内の空間に引き出した。
『うわっ……なんだこりゃあ!?』船内の光景を見て、キャットが声を上げた。
エアロックは船体の体積の大部分を占める球形タンクの内部に直結していた。そこは太陽《ソル》型照明に照らされ、重力プレートによって加重されており、青みがかった透明な液体――莫大な量の水を、なみなみとたたえていた。タンク全体が巨大なプール、いや、海[#「海」に傍点]になっているのだ。
クレーンが、二隻の宇宙艇を海面[#「海面」に傍点]に向けて下ろし始めた。キャットが目を丸くしながら窓をのぞいていると、横から操縦室のドアを叩く者があった。GP宇宙服姿のクザクだ。
『行こう。きみの船はこのままでよい』
『このままって……』
海面から二〇フィート([#ここから割り注]約六メートル[#ここで割り注終わり])ほどの位置に宙吊りになった〈ラッキーストライク〉号から、キャットはおそるおそる身を乗り出した。クザクがその手を取ってくるりとひねると、キャットの小柄な体は空中に一回転し、クザクの両腕の中に飛び込んだ。
『てめ、なにすン――うおおっ!?』
クザクはキャットを抱えたまま、海面に身をおどらせた。大きな水しぶきで視界がおおわれると、キャットは一瞬、池に落ちた猫さながらにパニックを起こしたが、背後から『――心配ない』と静かに言われ、ようやく落ち着いた。そう、宇宙服を着ているのだから、溺《おぼ》れることはない。体の力を抜くと、ヘルメットを海面から出した状態で、姿勢は安定した。
さて一方、もう一基のクレーンがジョナサンの宇宙艇を海面近くまで下ろすと、宇宙艇の外装が、下面からぱくりと割れた。いや、“宇宙艇”ではない。それは“宇宙服”だったのだ。全長五〇フィート([#ここから割り注]約一五メートル[#ここで割り注終わり])のクジラ型の宇宙服を着ていた者――それはまさしく、クジラそのものだった!
クジラのジョナサンは、銀色の宇宙服からずるりと抜け出し、頭から海面に落ちた。大きく平らなひたいの真ん中には、人の顔ほどの大きさのある、アリシアのレンズが輝いていた。地球《テルス》のジョナサンは、数少ないマッコウクジラ族のレンズマンなのだ。巨体が海中に飲まれ、全身を弛緩《しかん》させたまま浮き上がると、海面が大きくうねり、キャットとクザクの体を上下にゆらした。
『おい、死んでンじゃねえのか……?』
キャットが言った瞬間、ジョナサンの頭部左側にある噴気孔が、はげしく潮を噴いた。
次いで、『いたたたた、傷がしみる、傷がしみる!』思考波と超音波の悲鳴を上げながら、クジラのジョナサンは尾ひれで水をかき、海面からおどり上がった。黒いなめらかな背中に、大きな白っぽい傷ができていた。先ほど破砕ビームを喰らったあとだ。
ジョナサンが立てた大波に呑まれながら、『気がついたか、レンズマン・ジョナサン』とクザクが言った。
『……やあ、クザク。それに、きみは〈ラッキーストライク〉号の……?』と、ジョナサン。
『モーガンだ』と、キャットは言った。『キャサリン・モーガン。キャットと呼びな』
『さっきはありがとう、キャット。きみは命の恩人だ』
『へっ、せいぜい恩に着ろや』
そんなやり取りを交わしていると、遠くかすむ海面から、なにものかが連続的にジャンプしながら近寄ってきた。魚――いや、二頭のイルカだ。
『キャット、彼らはぼくの助手の、スキッパーとフリッパーだ』とジョナサンが言ったが、キャットにはどちらがどちらやら、見分けがつかない。ちなみに、イルカたちは胴にハーネスを着けており、一頭はそこに、大きな荷物をくくりつけていた。ジョナサンのための医療品だ。
クザクとキャットはジョナサンの背に登り、傷の具合を見た。傷口はひと抱えもある円形で、中心部は炭化し、その周囲は加熱のためゆでたように白くなっていた。深さはどれだけあるかわからない。クザクはしばらく傷口の周囲に手のひらを当てて様子を見ていたが、やがて、おもむろに日本刀を抜き、超重物質《デュレウム》の刃を一閃。次いで、傷口の肉をつかみ、人の胴体ほどもある肉塊をずるりと引き出した。熱線によって傷ついた組織を、くりぬいたのだ。その横で消火器のようなタンクを持って待ちかまえていたキャットが、ジョナサンの背中にぽかりと開いた穴にノズルを突っ込み、組織|補填剤《ほてんざい》を注入した。補填剤は空気と混じりながらスポンジ状に固まり、ジョナサンの体液に染まり始めた。この物質は、ジョナサンの組織の再生を助けながら、いずれ体内に吸収されていく。
仕上げにキャットが傷口の上に防水被膜をスプレーし、治療は終わった。
『……命に別条はない。だが、しばらくは安静を要するだろう』クザクはそう言って、手にしていた肉塊を海中に放った。その落下点を中心に、海面に小さな波が無数に生じ、しぶきをはね散らかし始めた。
『――おい、なんかいるぜ!』キャットが叫んだ。ジョナサンの体から切り取られた肉塊に、大小の魚が群がり、ついばんでいるのだった。
『ああ、それはぼくたちのおやつ[#「おやつ」に傍点]だよ。放し飼いにしてあるんだ』と、ジョナサンが言った。『……今は食欲がないけどね』クザクの言う通り、体力を消耗しているのだろう。ジョナサンの思考波は、やや張りを欠いていた。
『ま、死人が出なくてなによりだ』キャットは足元のジョナサンに、そして、補填剤のタンクを片づけているクザクに言った。『ところで、そろそろ帰りてえんだけどな。あたしゃ仕事中だったんだ』
クザクの手が、二、三秒ほど止まった。レンズマンの専用帯域で、ジョナサンとなにごとか話しているらしい。
やがて、クザクはキャットの顔を見上げ、今度は汎用の帯域で言った。
『ミス・モーガン――きみにはこの船に残ってもらいたい』
『あァ?』
その後、クザクとキャットは二頭のイルカに引かれ、地上人用の休憩室に向かった。クザクはそこで事情を説明するという。
“休憩室”は、タンクの海の上に浮かぶ、小型のホバークラフトだった。甲板の上には、金色の寺院風の建物が設置されている。キンカクジを模したヤカタブネだ、とクザクは説明した。
ジョナサンはゆっくりと彼らのあとに続き、ホバークラフトから三〇〇フィート([#ここから割り注]約九〇メートル[#ここで割り注終わり])ほどの位置で、力を抜いて海面に浮かんだ。そうしているのがいちばん楽であるらしい。
ホバークラフトの甲板に上がると、キャットは大きく息をついた。無重量状態には慣れていたが、首まで液体に浸かっているという状態は、どうにも落ち着かなかったのだ。
次いで、クザクがヘルメットを脱ぐのを見て、キャットはそれにならった。タンクの中の空気は、地球《テルス》型に完全に調整され、微妙に対流していた。ほおに当たる照明の光圧と、髪をなぶる微風に含まれる潮の香りは、キャットには不慣れなものだったが、不快ではなかった。
クザクはGP宇宙服を倉庫から持ち出してきたグレー・スーツに着替え、キャットにも着替えを薦めたが、キャットは「話が先だ」と言って、それを断った。
それからふたりは、甲板上の建物の中に入った。小さな金色の寺院の中は、畳敷きの、せまい茶室になっていた。床の間には掛け軸が飾られ、天井からは提灯が吊るされていた。クザクは身に帯びていた日本刀を床の間の台に掛けると、手を打ち合わせてそれを拝んだ。
そして、クザクとキャットは、畳の上に半畳の間を置いて座った。
「で、話ってのは、なんだよ」キャットが言うと、
「……その前に、茶の支度をしよう」
クザクはあぐらをかいたまま、畳の縁を拳で押した。すると、ふたりの間の半畳の畳が低い機械音とともに床に引き込まれ、茶の湯の用具一式を載せてせり上がってきた。
*
アルデバランの戦いから三カ月、クザクはいまだボスコーンに対する調査を続行していた。
アルデバラン第一惑星のボスコーン基地は、その規模から言ってまぎれもなく最重要[#「最重要」に傍点]な基地だったはずだが、それが最後[#「最後」に傍点]の基地だという確証はなかった。キムボール・キニスンの現役時代と違い――当時は、ボスコーン組織の頂点を探し出し、それを叩くことこそが急務だったのだが――クザクの戦いは言わば、終わりのない掃討戦なのだった。
クザクが追っていたカロニア人、“デイルズ”と“ガーセン”は、アルデバラン第一惑星上で死んだかもしれない、死ななかったかもしれない。もし生きていれば、その名はいずれ、再びクザクの耳に入ってくることだろう。現在、クザクは“デイルズ”追跡の優先順位をやや落とし、以前からの懸案であった、シオナイト流通量の増加に着目していた。
独立レンズマンであるクザクは、部署や管轄を超えて情報を収集できる立場にあった。時には各地の麻薬局に自ら足を運び、時には知己のレンズマンと連絡をとって、彼はシオナイトに関するあらゆる情報をかき集め、“ニール・クラウド統計法”にかけた。そして、GP大艦隊《グランドフリート》の旗艦、〈ディレクトリクス〉号の戦術タンクを借り受け、その統計結果を表示させた。
直径七〇〇フィート([#ここから割り注]約二一〇メートル[#ここで割り注終わり])のレンズ型をしたその戦術タンクは、最大一〇〇万隻に及ぶ大艦隊《グランドフリート》を効果的に指揮するべく設計された、超巨大三次元ディスプレイだ。第一銀河系全域の三次元図の中で、大艦隊《グランドフリート》の戦闘単位の代わりに、シオナイトの存在を意味する光点が渦を巻き、あるいは一ヵ所によどみながら、複雑な流れを示した。クザクの目は光をとらえることはないが、戦術タンクのオペレーターたちの複数の目と思考を通じ、その流れのありようを、かえって正確に把握した。
銀河の一点が、光の流れを吐き出し続けている。シオナイトの原産地、惑星トレンコ。この惑星の猛毒性の大気と土壌にのみ生息する植物が、シオナイトの原料となるのだ。そのため、トレンコには銀河パトロールの基地が設置され、優秀なリゲル人レンズマンが厳しい監視を続けている。過酷な惑星環境のため完璧とはいかないが――麻薬業者《ズウィルニク》による土着の植物の密収穫は続いている――トレンコがシオナイトの唯一の産地である以上、そこを押さえているかぎり、銀河パトロールはシオナイト流通の急所をとらえていることになる……はずだった。
だが、“流れ”の出所はトレンコだけではなかった。トレンコ以外に大きく分けてふたつの形のシオナイト供給源があることが、戦術タンクへの表示によって新たにわかった。ひとつは、情報不足のため像がはっきりしないが、銀河のあちこちから染み出すように、少量のシオナイトが産み出されているというもの。数年前に起こった“地球製薬会社《TPI》事件”以降、実験室内に疑似トレンコ環境を作り、シオナイトを密造する者が出ることは予想されていた。クザクはさらに集中的な捜査をすべく、それらの星域を心に留めたが、これは大きな問題ではなかった。それら少量生産のシオナイトをすべて足しても、脅威とするほどの量にはならなかったのだ。
しかし、もうひとつの大きな流れ[#「大きな流れ」に傍点]は、クザクの内心を動揺させた。トレンコから発する光の量をはるかに超えた、太い、高密度な光の流れが、戦術タンク内の銀河を駆け巡っていた。そして、その流れの大もとは――第一銀河系の縁を越えて、第二銀河系の方向から流れ込んできていた!
第二銀河系からの、シオナイトの大量流入。これはクザクの予期せぬ事態だった。銀河文明は、その故郷たる第一銀河系さえ完全に把握しているとは言えないが、第二銀河系ともなると、クロヴィアをはじめとするいくつかの植民星系のほかは、ほとんど手も触れていない状態だ。
広大な未踏星域の中に大規模なシオナイト工場が隠されていると言われても、クザクにはその位置が特定できない。絶対的に情報が足りないのだ。そこでクザクは、これまでに第二銀河系の未踏星域に向かった銀河測量部の探査機や、民間企業の探検隊の情報を求め、そして、いくつかの星域でそれらの損耗率が奇妙に高いことを見て取った。単なる偶然か、航路上の物理的な障害によるものかもしれないが……あるいは、未踏星域の中に、なにものかの作意が働いている可能性もある。
次いで、クザクは地球《テルス》のジョナサンに協力を求めた。マッコウクジラのジョナサンは、深宇宙探査に優れた才能を持つレンズマンだ。彼は地球《テルス》の歯クジラ族の生得的技能である音響定位《エコロケーション》の思考波による応用、思考波定位《サイコロケーション》能力を用いて、半径数百光年、方向を絞り込めばその数倍の距離に至る空間を詳細にマッピングできるのだ。現用のいかなる探知器も、また、思考波の随一の使い手であるヴェランシア人でさえも、このクジラ的千里眼にまさる広域探査を行なうことはできない。
クザクとジョナサンは未踏星域の探査を開始した。クザクが目をつけたいくつかの星域に怪しい惑星がないか、ジョナサンがしらみつぶしに探知するのだ。より高感度な探索のため、ジョナサンは宇宙服ひとつで航行し、クザクはジョナサンの母船〈金魚鉢《フィッシュボウル》〉号でその後を追う形をとった。
そうして、ふたりはいくつかの星系を発見し、探査した。だが、そこにあったのは、いずれもただの未開惑星だった。位置的に、かつ惑星環境的に、麻薬工場の条件に合致する惑星はなかった。そんなことを何度か繰り返したのち、ジョナサンが新たに目ぼしい星系を発見した、ちょうどその時――フリードマン社の作業ロボットが彼を襲った。
『なにしろ、意識を遠方に集中していると、身の回りには注意が行き届かなくてね』と、ジョナサンは説明した。『気がついたら、アルゲスの自動警戒網に引っ掛かってしまっていたんだ』
ジョナサンは、そこをキャットに助けられたというわけだ。
ちなみに、最後に発見した星系は、この〈フィッシュボウル〉号の速度で一週間ほどの距離だ。ふたりのレンズマンは、これからそこに向かうというが――
*
「――なんで、あたしがそれにつき合わなきゃなんねえんだよ」キャットが言うと、
「……われわれの調査は現在、極秘を旨として遂行されている――」と、クザクは無表情のままに言った。
「あァ?」キャットの表情が険しくなった。「あたしがベラベラ触れて回るってのか? 安く見られたもんだな」
「そうではない」クザクは答えた。「もしも、われわれの予想通り、銀河文明の未到達星域に、大規模な麻薬供給源が存在するとすれば――それは、われわれがこれまでに知るボスコーン組織の外部で運営されていることになる。別系統の組織が存在するのか、はたまた両者は巨大なひとつの組織の一部なのか、それはわからない。だがいずれにしても、“彼ら”がわれわれにその全貌《ぜんぼう》を把握させぬまま、銀河文明に深く食い込んでいることは間違いない」
「それがどうした。あたしにゃ関係ねえ」
キャットが言うと、クザクは静かにかぶりを振って、言葉を続けた。
「秘匿性は彼らの武器だ。その秘密を暴こうとするわれわれは、彼らにとって、目障りな敵だろう。われわれが彼らの情報を得ようとしているように、彼ら隠れた麻薬業者《ズウィルニク》もまた、われわれの行動に関する情報を欲しているはずだ。つまり、わたしやジョナサンと接触したきみの身は、今後、見えざる敵に狙われる可能性がある。われわれにはきみを保護する義務が生じたのだ」
「“保護する義務”だァ? 恩着せがましいことを言うじゃあねえか。あたしがあんたらを助けてやったんだ。その逆じゃねえぞ」
『面目ない』ジョナサンがすまなげに言った。
「ミス・モーガン。われわれは次なる星系を探査したのち、補給と報告のため、一旦惑星クロヴィアに戻る。そこは地球《テルス》とならんで、銀河文明圏において最も安全なところだ。きみはそこに留まってもよいし、また、家族のいる地球《テルス》へ行くのなら、そのようにも手配しよう」
「“家族”だ?」キャットの声が一段高くなった。「余計なお世話だな。ンなこと、誰があんたに頼んだよ?」
「そうではない。わたしがきみに頼んでいるのだ」
「いやだと言ったら? また腹でも切ろうってか、あァ?」
「きみが望むならば、そうしよう」クザクは平然と言った。
『キャット、ぼくからも――』
「黙ってな」キャットはジョナサンの言葉をさえぎり、クザクをにらみつけた。「そいつぁ筋の通らねえ話じゃねえか。あたしを守るとか言いながら、いきなり死んでどうすんだ。あんたのやりかけの仕事もそうだ。さも重要そうに言ってたくせに、なんだい、それは途中で放ってもいい程度のもんなのかよ。え?」
「問題はない」クザクは、静かにかぶりをふった。「わたしが死んでも、きみの身はレンズマン・ジョナサンが無事にクロヴィアに送り届けるだろう。また、シオナイト・ルートの探索は、別の独立レンズマンが引き継ぎ、滞りなく遂行するだろう。なにも問題はない」
「けっ、またそれ[#「それ」に傍点]か」キャットは吐き捨てるように言った。「『自分は死ぬが、あとのことは仲間にまかせた。なにも問題はない』って奴だ。あたしはあんたらのそういうとこが気にくわねえ。格好ばっかりつけやがって、死なれるほう[#「死なれるほう」に傍点]のことなんざ、ちっとも考えちゃいねえだろ」
「……なるほど」クザクが言った。「きみはレンズマン・モーガンのことを言っているのだな。たしかに、彼のような若者を失うことは、われわれとしても本意ではない。だが――わたしの場合には、そうした問題はないのだ」
「あン?」
「わたしに家族はいない。この身が果てたとて、悲しむ者もない」クザクは茶碗をキャットに向けて、そっと押し出した。「茶を飲みたまえ。飲み終わったら、わたしは腹を切ろう」
キャットは気圧《けお》されるように、茶碗を受け取った。不可思議ないびつさを持ったその碗から、芳香を帯びた湯気が立ち上っていた。湯気の向こうに、クザクの白い顔が見えた。仮面のような無表情だ。
「……早とちりすんじゃねえよ」キャットは茶碗をのぞき込むようにしながら、上目づかいにクザクをにらんだ。「前にも言ったろ。あたしゃあんたのヘソなんざ見たかねえ」
――結局、一方的に“保護”されるのが気にくわないというキャットは、未知の星系へ向かう〈フィッシュボウル〉号の作業員として、短期的に銀河パトロールに“雇用”される、ということで手を打った。実際には護衛される上に日給までふんだくることになるのだが、その点は別に気にしない。また、フリードマン社の仕事を急に抜けることになるが、これはクザクらが内密に処理しておくということになった。
一度割り切ってしまうと、キャットはたちまち状況に順応した。ジョナサンの宇宙服の修理、〈ラッキーストライク〉号や各種装備の点検、居住タンクの濾過《ろか》装置の苔《こけ》取りや、ホバークラフトの掃除――その他、いくつかの軽作業を終えて手が空くと、キャットははるか頭上からタンク内全体を照らす太陽灯の光を浴びつつ、ホバークラフトの甲板から釣り糸をたらした。また、宇宙服に|重り《バラスト》をつけて海底に潜り、ゆらめく海草の林を散歩した。船内にあった予備のウェットスーツを着て、スキッパーとフリッパーにロープを引かせ、水上スキーを楽しんだ。何度かひっくり返って波に呑まれるうちに、たちまち泳ぎを覚えた。――船内の生活は、ちょっとしたバカンスだった。
一方、クザクは一日中茶室にこもったまま、瞑想《めいそう》にふけるか、ひとりで茶を点《た》てるかしていた。キャットは彼を無視し、クザクのほうも、進んでキャットに話しかけはしなかった。
四、五日すると、ジョナサンが背中の傷をしきりにかゆがった。治癒が進んでいるのだ。キャットがデッキブラシで傷口の周りをこすってやると、ジョナサンは小山のような背中の筋肉をうねらせながら言った。
『ううん、そこそこ、いや、もうちょっと右……ああ、そこだ。気持ちいいよ。キャット、きみは実にすてきな女性《ひと》だね。細やかで、行き届いてる。ぼくにはちょっと細やかすぎる[#「細やかすぎる」に傍点]けどね。きみの身長があと三〇フィート([#ここから割り注]約九メートル[#ここで割り注終わり])あったら、とても放っておかない』
「おだてンなよ、馬鹿」キャットがブラシの頭で傷口の真ん中を叩くと、ジョナサンは悲鳴を上げて飛び上がった。
ジョナサンの背から海中に放り出されたキャットを、一頭のイルカが拾い上げた。キャットはイルカに腕を回し、もう片方の手のひらで鼻面を軽く叩いた。
「ありがとよ」
すでに、二頭のイルカの区別はつくようになっていたし、彼らの気心も知れていた。落ち着いていて気が利くのがこのスキッパーで、いたずら好きなのが――今、頭上をジャンプで飛び越えた――フリッパーだ。
『ふむ……キャット、ひとつ聞いてもいいかな』ジョナサンが言った。
「なんだよ、いきなり」
『きみは、ぼくたち水棲民族[#「水棲民族」に傍点]とは仲良くできるのに、なぜ同じ地上人のクザクには冷たく当たるんだい? とても不思議だな』
「あン? なぜって言われても――」キャットは顔をしかめながら、ぬれた髪をかき上げた。「……なんでかな。あいつの青っちろいのっぺり面[#「のっぺり面」に傍点]ァ見てると、なんだかムカッ腹が立ってしょうがねえ」
*
ところで、〈フィッシュボウル〉号の居住タンクの“上”半分の内壁は映像プレートになっており、船内時間の昼夜に合わせて地球《テルス》の空が映し出されていた。――昼には青空が、夜には星空が。
そして、明日には問題の星系に到達するという、七日目の夜。暗い海に浮かべたゴムボートから頭上を見上げ、キャットはその壮大なプラネタリウムを楽しんでいた。こぼれんばかりの星々が全天に打ち撒《ま》かれ、天頂からややずれた位置を、天の川――第一銀河系の断面――が横切っている。最初キャットは、星々の中に故郷のアルデバランを探していたが、やがて、どうでもよくなった。ボートの上に仰向けになり、おだやかな波にゆられながら、キャットはただ、夜空一杯に広がる星の海に没入した。
彼女の視界のすみにあったホバークラフトの船べりに、人影が現れた。グレー・スーツ姿のクザクだ。クザクは甲板を蹴ってふわりと跳躍すると、ボートの上に、羽毛のように静かに着地した。キャットはなにか言おうと思ったが、やめた。彼のたたずまいが、あまりにもこの場の空気に溶け込んでいたせいかもしれない。クザクのほうも、なにを言うでもなく、黙ってキャットの枕元にあぐらをかいた。
海の上を微風がわたり、静かな波が、ボートのヘリを洗っている。少しはなれたところで、銀色のしぶきを上げながら、魚が跳ねた。
「…………すっげえなあ……」キャットはやがて、天頂を見上げたまま、ぽつりと言った。「星が……いっぱいだ」
「……きみには、見慣れた光景かと思っていたが」クザクもまた、つぶやくように言った。
キャットは頭を動かし、クザクのほうを見た。クザクの白い顔は、人工の星明かりに照らされ、微妙な陰影を見せている。キャットは不思議とおだやかな気持ちで、星の海に視線を戻し、言葉を続けた。
「いや、あたしはよ……こんなに落ち着いて星を見たことなんて、なかったんだ。いつも忙しかったし……気密が破れてねえかとか、酸素や燃料の残量は足りてるかとか、そんなことばっかり気にしてたしさ…………だけど、今は全然ちがう。まわり中に空気があって、風が肌に触れたり、遠くの音が聞こえてきたり……採鉱艇《ふね》とか、宇宙服とか、そういう殻《から》がなくて…………」キャットは星の群れに触れようとするかのように、両手を天に伸ばした。「なんかこう……自分が、なんにも邪魔されずに、どこまでも………………すごく、広がってく感じだ……」
そこまで言うと、キャットは急に半身を起こし、ぼりぼりと頭をかいた。
「悪ィ。これじゃ訳わかんねえよな。あたしゃ学がねえから、うまく言えねえや」
「いや。見事だ、ミス・モーガン」クザクは静かに言った。「きみの言葉は生きている。ゆたかな趣を含む、自由なる俳句《ハイク》だ」
「……あたし、そんな大したこと言ったか?」
クザクはうなずいた。日中の明かりの中では気づかれることのない淡い表情が、白い顔に浮かんでいた。彼は、笑っていた。
クザクの盲目の視線に対し、キャットはそわそわと体を動かした。まるで、自分の中身を見透かされるような感覚……。実のところ、この感覚こそが、彼女のクザクに対する反感の原因だった。だが今は、その落ち着かない気持ちが、決して不快ではない。クザクに対して強い抵抗を覚えていた自分の殻[#「殻」に傍点]が、今夜は、どこかに消えてしまっている。
――今なら――
キャットは思った。
――今なら、あの日のことを、謝れるかもしれない。
「あ、あのな――」
キャットが口を開いたとき、突然、ボートが下から何者かに突き上げられ、大きくゆれた。姿勢を崩したキャットを、クザクの腕が抱きとめた。
「てめえ、この――フリップ!」
キャットが怒鳴ると、暗い海面から顔を出したフリッパーが、キュキュキュ、と笑った。
キャットはしばらくフリッパーをにらんでいたが、ふと、肩にクザクの体温を感じ、思わず身を固くした。
「悪ィ」ほおに強い火照りを覚えながら、キャットはあわててクザクの胸に手を突き、身を離そうとした。が――クザクがほんの少し体を傾けると、その手は力をそらされ、横にすべった。
「うおっ、と、と」バランスを崩したキャットは、再びクザクの胸にすがりついた。
「ミス・モーガン」クザクはキャットの肩に腕をそえ、静かに言った。「……守られて在る[#「守られて在る」に傍点]ことは、決して恥ではない」
「あァ?」
「この居住タンク然《しか》り、地球《テルス》の自然環境然り、人との関りにおいても、また然り。われわれはただひとり在るのではなく、多くの縁に結ばれて存在している。それは束縛を意味するものではない。むしろ、さらに多くの縁に結ばれることによって、われわれはより一層の自由を得るのだ」
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クザクは数秒の間を置いて、軽く首をかしげた。
「生きた言葉を発することは、まことに難しい……わたしの言わんとするところは、うまく伝わるだろうか」
「あー、まあ、細かいことはさておき……」キャットはクザクの顔を見上げた。「要は、“つっぱることはねえ”ってか?」
「うむ」クザクの顔に、再び淡い笑みが浮かんだ。
「なら、最初からそう言えって」キャットはクザクの肩に、頭をもたせ掛けた。「へへ、あんまりもったいつけるんじゃねえや……」
『――ふたりでくつろいでいるところを申し訳ない』
ジョナサンの思考波が割って入ると、キャットはあわててクザクから飛び離れた。
「なっ、なんだよいきなり」
「なにか問題が?」クザクの問いに対し、
『ああ、例の星系について、ちょっとばかりね』と、ジョナサンは答えた。
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9 第二銀河の“酔いどれ屋”
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〈フィッシュボウル〉号は問題の星系に到着した。
その星系の、いまだ名前のない、青白い巨大な主星は、全方位にむけておそろしいエネルギーを放っていた。シールドに叩きつけられる光圧に対し、〈フィッシュボウル〉号は対ビーム用の防御スクリーンを展開しなければならないほどだった。
クザクとジョナサンはその星系に、ひとつ以上の地球《テルス》型惑星か、軌道ステーションを発見することを予期していた。そこには、大規模な疑似トレンコ環境を維持する、巨大なシオナイト工場が存在するはずだった。
だが、彼らが発見したのは、それ以上のものだった。
主星の周囲には、ただひとつだけ、やや扁平な楕円形をした惑星が巡っていた。その昼の面は、主星の強烈な光にあぶられ、毒々しい色をした大気層をうごめかせていた。また、夜の面には、太く青白い筋状の光が無数にまたたいていた。
茶室にあぐらをかき、携帯用の映像プレートに表示されたその光景を見て、
「こりゃあ……?」と、キャットは言った。
『どうだい、クザク?』と、ジョナサン。
「うむ……」同じ映像情報は、ジョナサンによって思考波に変換され、盲目のクザクにも伝達されていた。
地球《テルス》型惑星とも、ガス巨星とも言い難いそれは、強いて言うならば、“トレンコ型惑星”とでも言うべきものだった。そう、その惑星は、あの[#「あの」に傍点]惑星トレンコに酷似していたのだ。
惑星トレンコは、宇宙で最もユニークな星のひとつとされ、“銀河の酔いどれ星”、“沸騰惑星”、そして“麻薬特産地”など、数々の異名をたてまつられている。自転周期は、GP標準時間で約二六時間。その地表全体を包む“海=大気”の構成物質は、昼の面でははげしく沸騰し、かつ膨張して夜の面に向けて流れ込み、そこで急速に凝結し、滝のような雨となって地表に降り注ぐ。毎時四四インチ([#ここから割り注]約一一二センチメートル[#ここで割り注終わり])の豪雨、時速八〇〇マイル([#ここから割り注]約一二八〇キロメートル[#ここで割り注終わり])の暴風、そして、間断ない落雷。それにともなう激烈な電磁ノイズは思考波以外のあらゆる媒体による通信を不可能とし、腐食性の有毒大気は電磁波の進行を奇妙に屈折させ、光学的、ウルトラウェーブ的視界を気も狂わんばかりにゆがめる。まったく冗談ではなく、そこでは「前に向かってビームを撃てば、自分の背中に命中する」かもしれない。外界の常識が一切通用しない、そこはまさに、狂気の惑星なのだ。
だが、驚異的なことに、トレンコにはその環境に適応し生息する、土着の生物がいた。たとえば、暴風と濁流の中を移動し、目についたものを手当たり次第に捕食する、流線型をした水陸両棲生物。あるいは、風に吹かれて舞い、突き当たったものをこれまた手当たり次第に捕食する、雑食性の浮遊植物[#「植物」に傍点]。そして、ガスを噴き上げる泥土から発芽し、暴風の中に葉をひらめかせる広葉植物。
これらのうち最後のもの――広葉植物は、「触っても噛みつかない」という点では無害だが、別の点において、致命的に有害だった。トレンコ産の広葉植物の葉は、大量のシオナイトを含んでいるのだ。シオナイトはトレンコ生物にとって、ちょうど地球《テルス》の植物にとっての葉緑素のような、エネルギー代謝の媒介となるごくありふれた物質だが、地球《テルス》系人種のような温血の酸素呼吸生物には強力な麻薬として作用する。
そのため、シオナイトの産地である惑星トレンコは、他の多くの世界に対する重大な脅威とされた。この惑星を野放しにするわけにはいかなかった。対惑星攻撃兵器――負《ネガ》爆弾や誘導惑星――で木端微塵《こっぱみじん》にしてしまおう、という意見さえあったが、希少なトレンコ生態系の保護という観点から、それは見送られていた。次善の策として、銀河パトロールは惑星トレンコを厳重な監視下に置いていた。
しかし、今、銀河パトロールの目の行き届かぬ未踏星域に、“もうひとつのトレンコ”が野放しの状態で存在する――これは由々しき事態だった。
トレンコはとてつもなく微妙なバランスのもとに成り立つ星だ。質量、体積、大気成分の組成、主星の規模と惑星軌道の半径――その他もろもろの要素の配置が少しでもずれれば、ごく平凡な地球《テルス》型惑星になってしまう。つまり「一見トレンコに似ている」ということは、「限りなくトレンコに近い」ことをも意味している。この惑星こそが、クザクらの探していた“巨大麻薬工場”であることは、まず間違いなかった。
『今すぐクロヴィアに報告するかね?』と、ジョナサンが言った。
「うむ――クロヴィアのキムボール・キニスンに」と、クザク。
ジョナサンの高指向性精神波――サイコロケーションの応用――は、銀河パトロール随一の到達距離を誇る。そして、精神的巨人たる銀河調整官キムボール・キニスンに渡りがつけば、双方向の通信も可能だ。ジョナサンは〈フィッシュボウル〉号を“疑似トレンコ惑星”の衛星軌道に乗せたのち、居住タンク内の暗い海中から、惑星クロヴィアの方向を慎重に探り、強力な精神波を放った。
『クロヴィアのキニスン閣下、クロヴィアのキニスン閣下。こちら、地球《テルス》のジョナサン――』
『地球《テルス》のジョナサン、こちらはクロヴィアのキニスンだ』
即座に応答したキニスンに、クザクとジョナサンは状況を説明した。
『ふむ……トレンコに似た惑星、か。実に興味深い』キニスンは言った。『その星系の座標を教えてくれたまえ。すぐに調査隊を派遣しよう』
それらの会話はレンズマンの専用帯域で行なわれたため、キャットには聞くことができなかった。キャットは茶室の窓を開け、ぼんやりと夜の海を眺めていた。
――ともあれ、これでクザクの任務は一応の成果を得たことになる。あとは予定通り、クロヴィアまでの船旅ののち、お別れだ……。
と、その時――人工の星空を割って、一条のビームが船内に突入した。巨大な居住タンクからすればごく細いその光線は、タンク内の空気の中を進むうちに減衰し、海面に到達する前に消えた。
「なんだァ!?」
キャットは茶室を飛び出し、宇宙服のロッカーに飛びついた。隕石鉱夫としての反射的行動だ。すばやく宇宙服を身に着けてホバークラフトの甲板に出ると、頭上を半球上に覆う人工の星空を貫いて、連続して無数のビームが差し込んでは消えているのが見えた。船べりから見下ろせば、暗い海中にも、同様の光がまたたいている。
――居住タンクに穴が開けられている!?
気密事故を感知した非常装置が作動し、サイレンと非常灯の赤暗い光がタンク内に満ちた。
『レンズマン・キニスン、非常事態だ――一旦通信を終了する』茶室の中で、クザクが日本刀を手に、立ち上がった。
「ジョナサン、宇宙服下ろせ! あたしの採鉱艇《ふね》もだ!」甲板の上で、キャットが叫んだ。
自動クレーンが、ジョナサンの宇宙服と〈ラッキーストライク〉号を吊って下りてきた――が、途中で動力か制御が切れたらしい。海面から三〇フィート([#ここから割り注]約九メートル[#ここで割り注終わり])ほどのところでひとゆれし、その動きを止めてしまった。
「くそ!」
キャットは腰からトラクターガンを抜き、クレーンのアームを狙い撃った。牽引《トラクター》ビームの反作用で引き上げられながら、キャットは空中ブランコの要領で脚を大きくふり、〈ラッキーストライク〉号のハッチに飛びついた。
眼下では赤く照らされた海面が大きくうねり、逆巻き始めている。また、強い風がヘルメットを叩き、ふるわせている――が、その音が徐々に小さくなっている。急速な減圧が始まっているのだ。タンク内の空気と海水が猛烈な勢いで船外へ流出し、その間にも、外部からのビームは、タンクの壁に新たな穴を穿《うが》ち続けている。
キャットは〈ラッキーストライク〉号のエンジンを始動させると、艇の作業アームを操作し、クレーンのロックを手動で解除した。〈ラッキーストライク〉号は噴射炎をひらめかせながらタンク内の“空”に飛び出し、暴風にもまれながらジョナサンの宇宙服を運び、荒れる海面に着水した。
「ジョナサン、宇宙服だ! 早く着ろ!」
『すまない、キャット!』
減圧のため、海水が常温で沸騰し始めた。煮え立つ海面の上を、GP宇宙服を身に着けたクザクが飛んできた。さらにそのあとに、ジョナサンの宇宙服を小型にしたようなもの[#「もの」に傍点]――銀色の宇宙服を着たスキッパーとフリッパーが続く。
『キャット、こちらはもうQX――』宇宙服を着たジョナサンの言葉が終わらぬうちに、タンクの重力プレートの動力が切れ、海面が生き物のようにうねり狂った。沸騰する海水が、赤い非常灯に照らされながら空気とシェイクされ、視界いっぱいに広がった。それはまさに、地獄のような光景だった。
動転するキャットの心に、冷静な声が語りかけてきた。クザクのレンズ通信だ。
『みな、天頂方向へ。海水に呑まれては、もろともに凍結するおそれがある』
「……おう!」
キャットが推進機を噴かした、その時。無数の貫通孔によって強度の劣化した居住タンクが、ついに内圧に耐えかねて破裂した。爆《は》ぜるように大穴が開いたのは、奇《く》しくもクザクの示した天頂付近だ。瞬間的な減圧に、空気中の水蒸気が凝結し、視界が霧におおわれた。不透明な空気と沸騰する海水が渦を巻きながら流れ、船外に流出していく。その急流に為すすべもなく巻き込まれながら、〈ラッキーストライク〉号やジョナサンらの宇宙服の表面に、霜が下り始めた。
〈ラッキーストライク〉号が〈フィッシュボウル〉号の船外に飛び出すと、操縦室の窓から叩きつけるような光が差し込んできた。キャットは一瞬、ビームの直撃を受けたのかと錯覚した。しかし、幸運なことに――と、はたして言えるのか――それは〈フィッシュボウル〉号を破壊した熱線ではなく、この星系の主星の強力な放射光だった。先ほど船体や宇宙服についた霜が、あっという間に溶け、蒸発した。凍った海水の塊が、青白い光にあぶられた面を沸騰させながら、軌道をそれていく。外装の防護シールドをあぶる強烈な光に、たちまち〈ラッキーストライク〉号の警報が鳴り始めた。ごく標準的な採鉱艇である〈ラッキーストライク〉号は、このような強度の恒星光に耐えるようには設計されていないのだ。
そして、彼らに迫る脅威は、恒星の光だけではなかった。〈ラッキーストライク〉号の窓から、毒々しい雲をうごめかせる疑似トレンコ惑星の昼の面が見えた。そしてまた、後方には、破壊[#「破壊」に傍点]された――いや、解体[#「解体」に傍点]されつつある〈フィッシュボウル〉号が見えた。真っ白なガスを噴き出しながら回転するその船体の表面には、赤い航行灯を灯した昆虫のような小型機械が、びっしりと貼りついていた!
「あれは――!?」
まるで、キャットのつぶやきが注意を引いたように、航行灯の群れ――昆虫ロボット群の一部が、〈フィッシュボウル〉号をはなれ、こちらに飛んできた。
パニックに陥りかけたキャットに、再びクザクの冷静なレンズ通信が呼びかけた。
『ミス・モーガン、わたしとイルカたちを収容してくれ』
「あ――お、おう!」
キャットはそのようにした。鉱石用の貨物室にイルカたちを、急速減圧した操縦室にクザクを。さらに、続くクザクの指示で、キャットは〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙服を牽引ビームで結んだ。これで、〈フィッシュボウル〉号の面々がひと塊になったことになる。
一方、昆虫ロボットたちは、まず手近な大型の氷塊や〈フィッシュボウル〉号の船体の破片に次々と取りつき、それらをさらに細かく砕き始めた、やがて、さらに後方から来た一団が、〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙服に牽引ビームの狙いを定めた。
「どうする――やられちまうぞ!!」
『ジョナサン、ミス・モーガン、バーゲンホルム始動だ』と、クザクが言った。
『QX!』と、ジョナサン。
「ンなことしたら――!」キャットは躊躇《ちゅうちょ》した。この位置でバーゲンホルムを稼働させれば、無慣性化した船体は、主星の光圧に押され、同時に疑似トレンコ惑星の引力に引かれて、有毒大気の嵐の中に突入してしまう。キャットの脳裏に瞬間的にひらめいたその思考を読み取って、『かまわぬ』と、クザクは言った。
「な――いや、よし!」キャットは意を決し、バーゲンホルムを始動した。確かに、ここにいても、恒星の光に焼き殺されるか、昆虫ロボットに始末されてしまうだけだ。
無慣性化した〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙服は、ひと塊になったまま、有慣性状態ではあり得ない超高速度で、あり得ない軌跡を描きながら、疑似トレンコ惑星にむけて落下していった。
*
トレンコへの着陸は、他の惑星における手順と違い、通常、有慣性状態で行なわれる。この暴風下では、自らの質量を重し[#「重し」に傍点]に使いつつ慎重に降下しなければ、たちまち吹き飛ばされてしまうのだ。
しかし今、〈フィッシュボウル〉号の一行は、無慣性状態で疑似トレンコ惑星の大気圏に突入した。ひと塊になった採鉱艇と巨大宇宙服が、慣性質量をキャンセルした状態で嵐にもまれるさまは、“木の葉のよう”などという生やさしいものではない。まるで、巨視レベルのブラウン運動だ。
幸い、この狂ったような動きに対し、無慣性状態のキャットらは通常の自由航行酔い[#「自由航行酔い」に傍点]しか感じることはなく、窓の外さえ見なければ目を回すこともない。また、船体の見掛け上の質量はゼロなので、地表や漂流物への衝突によるダメージを喰らうこともない。特定の地点を目標としているわけでもないので、この環境に適応した浮遊生物のように、ただ風に流されていればいい。そうしている限り、先ほどまでいた衛星軌道上よりは、だいぶ安全だと言える。
もっとも、それはあくまで、おだやかな[#「おだやかな」に傍点]昼の面の話だ。流され続けていれば、いずれは危険な夜の面に流れ着いてしまう。雷電と怒濤《どとう》、そして超音速の暴風が地上を支配する夜間には、土着のトレンコ生物でさえ、深い地中にもぐって息をひそめるのだ。とても外来の宇宙艇が耐えられる環境ではない。
それに、バーゲンホルムや生命維持装置の動力も無限ではない。また、無慣性状態とは言えど、気圧の狭間にはまって船体を引き裂かれたり、ふたつの有慣性物体にはさまれ、押しつぶされたりするおそれが、まったくないわけでもない。加えて、この惑星の大気に含まれる腐食成分は、防御スクリーンを装備していない〈ラッキーストライク〉号の機能を徐々に蝕《むしば》んでいく。やはりここは、長居をするべき場所ではないのだ。
しかし、「……これからどうすんだよ」というキャットの問いに対し、
「ここで救助を待つ」と、クザクは答えた。
「馬鹿、クロヴィアから何日かかンだよ!?」
「通信によって得られた情報、そして通信終了時の状況から判断すれば、キムボール・キニスンはできる限り早急にわれわれを救助しようとするだろう。すでに座標がわかっている以上、最速の宇宙艦を超空間チューブで搬送すれば、数時間のうちに到着する」
「そりゃまた、ずいぶんと調子のいい話だな」
「キニスンはそうするはずだ。それだけ、この惑星は重要なのだ」
今、一行のすべきことは、“夜半球”への大気の流れに逆らって、“昼半球”に位置を保つことだ。だが、この屈光性の大気の中、しかも乱気流に揉《も》まれながらでは、方角を見定めることすら困難だ。
クザクは操縦室の片隅に腰を下ろし、内壁に右手のひらをついた。そして、『ジョナサン、位置情報が欲しい』という呼び掛けに、
『QX』とジョナサンが答えた。
『それから、わたしの合図で全力噴射をしてくれ。ミス・モーガンもだ』
「あ? ……おう」
クザクはジョナサンのサイコロケーション・マッピングによる座標情報を受け取りながら、手のひらに伝わる振動に意識を集中した。彼の鋭敏な感覚は、大気が〈ラッキーストライク〉号の外装をこする音だけで、その流れのありようを把握することができるのだ。
『――今だ』
「おう……!」
疑似トレンコ惑星の毒性大気は、全体としては“夜半球”へ流れながらも、縦に横に、幾重にも巻く大渦を為し、時にはその一部分が全体の流れに逆行している。〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙服は推進機を全力で噴かすと、渦のひとつから飛び出し、別のひとつに飛び込んだ。
『待て』クザクは一旦噴射を止めさせ、タイミングを見切りつつ、『――よし』再び号令を掛けた。それに答え、「おう」キャットとジョナサンは再び推進機を噴かした。
その後も、『――よし』「おう」『――よし』「おう」クザクの見切りによって、一行は渦から渦へと飛び移り、最小限の推力で流れを逆行していく。これを続けていれば、自由に動き回るとまではいかないが、“夜半球”への大きな流れに多少はあらがうことができ、ただ流される場合の何倍もの時間、“昼半球”に留まっていられるだろう。〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙服、そして、ふたりの地上人と一頭のクジラは、ひとつの生物のように息を合わせ、猛毒の濁流を泳ぎ続けた。
キャットはクザクに注意され、窓の外や映像プレートをなるべく見ないようにしていた。トレンコ性の大気の中では、視覚は当てにならない。幻覚的な光景に惑わされ、操縦を誤るおそれがある。ここはジョナサンのサイコロケーションと、クザクの触覚[#「触覚」に傍点]に頼るのが正解だ。……が、何時間にもわたって単調な噴射を繰り返すうちに、キャットはひまを持て余し始めた。船外に向けて意識を集中しているクザクに話しかけるわけにもいかず、キャットは我知らず、ちらちらと映像プレートをのぞいていた。
それは、まさに悪夢の光景だった。毒々しい色をしたガスが、強力な主星の光を乱反射しながら、沸き立ち、渦を巻き、高速で流れていく。“夜半球”ほどではないものの、充分に強力な雷光が、ときおり目に入る。また、目の前に突然、沸き立つ泥土の大地が迫ったかと思うと、なんの抵抗もなく後方にすり抜けていく。大気の屈光作用によって生じる、蜃気楼《しんきろう》のような幻覚だ。
こうした光学的に歪んだ風景の中に、正真正銘の異形の怪物たちがいた。トレンコ環境に適応した、何種類かずつの雑食動物と、雑食植物[#「植物」に傍点]。流線型、球形、あるいはその他の名状しがたい形態をした生き物たちが、猛毒の暴風の中に躍り、他の物体に接触したとたんに、体内に収納した触手を展開し、大きな捕食孔を広げて喰らいつく。そのうちいくつかが〈ラッキーストライク〉号に取りついたが、外装シールドをかじり取ることに成功しないうちに、再び暴風に吹き流されていった。
外界のそうした様子に目を奪われていたキャットが、突然「おい、ありゃなんだ!?」と叫んだ。
彼らはいつしか、“凪《なぎ》”の時間帯に入っていた。船外にはいまだ暴風が吹き荒れているが、トレンコ的基準では微風程度。視覚の歪みも、今までほど激しくはない。
キャットが見つけたのは、流動する地表に並ぶ、無数の人工物だった。巨大な平たいドーム型をしたそれらは、銀河パトロールのトレンコ基地に似ていた。このような環境下に固定[#「固定」に傍点]的な施設を作ろうと思えば、このような形態をとらざるを得ないのだ。まるでバケツ一杯のコインを路上にぶちまけたように地表に並ぶ、それら平たいドーム基地群は、泥土の複雑な潮流にしたがって、互いに近寄り、また離れながら、ゆっくりと流されていく。トレンコ的環境における「固定」とは、「高空まで吹き飛ばされたりはしない」という程度の意味だ。
と――泥流の動きが鈍くなった。シチューのように煮え立っていた地表が、主星の光にあぶられるうちに、蒸気を吹き上げる固体の地面となった。すると、まるで誰かが合図をしたかのように、地面の下から、いっせいに何者かが這《は》い出した。鮮やかな赤紫色をしたそれは、トレンコの広葉植物の若芽だった。まるで目覚めた動物が伸びをするように、広葉植物は天に向かって伸び上がり、主星の光をその身に受けるべく、大きな葉を広げていく。地表はまたたく間に赤紫色の茂みに覆われた。トレンコの広葉植物は、一日のうち、このように地表が固体化するわずかな時間を利用して、その生命を維持するのだ。
この時間に活動するものは、それらの植物だけではなかった。固まりかけた土を割って、無数の小さな生き物が地上に現れた。トレンコ動物の一種だ。それらは半ば風に乗って地表をすべるように移動すると、成長を続ける広葉植物の根元に自分の触手を巻きつけ、体を固定しながら、おそろしい勢いでその根をかじり始めた。
また、茂みに埋もれていく平たい基地それぞれの中から、何体もの小さな平たい物体が飛び出した。周囲の地上型動物にやや似た形のそれは、しかし、触手の代わりに機械式の作業アームをそなえた作業ロボットだった。ロボットたちはすばやい勤勉な手つきで広葉植物をせっせと刈り込み、体内に収納しては基地に持ち帰っている。無数のロボットが出入りし、作業するうちに、それぞれの基地を中心に、円形の刈り跡が急速に広がっていった。
――ドーム基地の存在は、半ばクザクやジョナサンの想像のうちだった。彼らはこのトレンコ型惑星を発見したときから、その地表にこのような“シオナイト農場”が存在することを予期していた。
だが、そこには予期せぬ要素もあった。眼下の“農場”は、間違いなく無人で運営されていたのだ。もしそこに高度な知性体が存在すれば、超高感度の思考波センサーたるジョナサンが感知できないわけはない。しかし、このような大規模の無人システムは、銀河文明全域においても、そうそう見られないものだ。
『……あの平たいロボットを一台、手に入れられるといいな』ジョナサンが言った。『軌道上の昆虫型ロボットもそうだが、分析すれば出所がわかるかもしれない』
『うむ』クザクが答えた。『だが、それは後続の調査隊がなすべき仕事だろう。今、われわれはこの状況を乗り切ることに専念すべきだ』
『しかし、夜になればあの基地はまたどこかに流れて行ってしまうよ。今が手掛かりを得るチャンスなんだ』
『それはわかる。だが……あの基地がなんらかの警備システムをそなえている可能性もある。危険は避けねばならぬ。特に現在は、ミス・モーガンを無事にクロヴィアに送り届けることこそが、最優先の課題だ』
「……ンだとコラ?」キャットが口をはさんだ。荷物扱いされて黙っていられる彼女ではない。
『いや、キャット。クザクの意見にも一理ある――』ジョナサンがあわてて言った。
「黙ってな」キャットはそう言うと、クザクに向かってあごを突き出した。「へっ、面白そうじゃねえか。ちょいと低く飛んで、ちっけえのを一個つかまえりゃいいンだろ? 簡単だ」
「ミス・モーガン――」
「ガタガタ抜かすな」キャットはすっかり意固地になっている。「やるのかやらねえのか、どっちだ」
クザクは少しの間を置いたのち、
「……では、なるべく速やかにすませるとしよう」と、答えた。
一行はいくつかの渦を乗り継ぎ、基地の群れ――赤紫色の茂みにいくつもの円形の禿げ土がのぞくあたりに近づいていった。キャットは〈ラッキーストライク〉号の二本の作業アームのうち、一本の牽引《トラクター》ビームの発射口を地上に向けた。この状態から、作業中のロボットを狙い撃ち、引き上げようという計画だ。キャットはトリガーに指をかけ、ゆらぐ視界の向こうにせっせと働くロボットを狙い――
と、その時、
『クザク!』
『――いかん』
ジョナサンとクザクが同時に言った。
一行の後方から、地表すれすれを疾《はし》る突風に乗って、恐ろしい生き物の一団が飛んできた。それらは銀河パトロールの宇宙艇にも似た細長い涙滴型をしていたが、宇宙艇のなめらかな銀色の代わりに、この惑星の大気にマッチした、毒々しい半透明色をしていた。そして、胴体の端から後方に向けて、まるで宇宙艇の噴射炎を真似るように、触手の束を引いていた。いや、それらは宇宙艇というよりは、地球《テルス》産のイカに似ていた。その一匹一匹が、ジョナサンと同じくらいか、ひと回り大きなサイズをしている。数は無数。広葉植物の茂みを、地上型動物を、収穫ロボットを、そして巨大なドーム基地までも、地上にあるものすべてを掘り起こし、手当たり次第に喰らいつき、喰い尽くしながら、巨大な飛行イカの群れは怒濤のように迫ってきた。
一行は全力噴射でその流れから離れた――が、その動きがかえって注意を引いてしまったのか、一群の飛行イカが群れの主流からそれて、後を追ってきた。数匹のイカがあっという間に一行を追い越し、前方に位置を取ると、触手を広げてブレーキをかけた。触手の根元にある。鋭い歯をそなえた捕食孔が、いっぱいに開きながら迫ってきた。
ジョナサンは飛行イカに向けて凝縮した精神衝撃を放った。これもサイコロケーションの応用、最大数千光年に到達するパワーを一点に集中した、攻撃的思考波の塊だ。精神衝撃の直撃を受け、飛行イカはその原始的な神経系を麻痺《まひ》させられ、力を失った。後方に流れ去ったその体が、たちまち数匹の仲間に捕えられ、喰いちぎられた。
前方からはさらに、第二第三の飛行イカが迫ってきた。それらに向けて、ジョナサンは連続して精神衝撃を放った。次々と飛来するミサイルを拳銃で撃ち落とすような按配《あんばい》だが、拳銃と同様、その弾数は無限ではない。
――待ちに待ったレンズ通信が入ったのは、そんな時だった。
『クザクとジョナサン、聞こえるか! アルタイルのクザクと、地球《テルス》のジョナサン――!」
『ここだ! 早く!』
ジョナサンは挨拶《あいさつ》の代わりに、短い緊急通信を放った。その、ほんの一瞬の隙を突いて、一匹の飛行イカがジョナサンの宇宙服に組みついた。
『――しまった!」
ジョナサンの高指向性思考波はひたいのレンズを通じて発射されるため、横腹に組みつかれてしまうと、手も足も出ない。言うなれば、拳銃を握った手を押さえられてしまうようなものだ。
『座標を確認した。到着まで、あと五〇――』
救援者の、中性的な響きを持つ明晰《めいせき》な思考が、途中で途切れた。レンズ通信を受信し中継していたジョナサンの意識が乱れたからだ。飛行イカの触手が、おそろしい力で宇宙服を締め上げ始めていた。宇宙艇並みの強度を持つ銀色の外装が、みしみしと軋んでいる。この種の絞め技[#「絞め技」に傍点]は、無慣性物体に対しても有効なのだ。
「畜生、この糞イカ……!」
キャットは作業アームの操作レバーを両手に握り、ジョナサンの宇宙服の外装から、飛行イカの触手を引きはがし始めた。
だが、飛行イカの腕力は、〈ラッキーストライク〉号の作業アームの力より、はるかに強かった。また、そうしている間にも、新たな飛行イカが次々と前方から襲ってくる。
『救援隊はすぐ近くまで来ている!』ジョナサンが叫んだ。『ぼくのことはいい、脱出してくれ……!!』
「――ンだとてめえ!」キャットが叫び返した。銀河パトロール内では美徳とされる、そうした犠牲的精神こそ、彼女がもっとも嫌悪するものだった。
『他のみんなを頼むよ、キャット』ジョナサンは言った。『気にすることはない。これはレンズマンの義務なん――』
「黙れよ!」
怒鳴るキャットの手に、クザクの手がそえられた。
「てめえ、クザク! 邪魔しやがるとぶっ飛ばすぞ!」
クザクは無言のまま、レバーを握るキャットの手をくるりとひねった。飛行イカの触手をつかんでいた作業アームが、操作レバーに連動してくるりと回転した。すると、まるで電撃に弾かれたように、飛行イカは全身の触手を引きつらせ、ぐるりと回転しながら後方へ吹き飛ばされていった。――アルタイル柔術の“手ほどき”が有効なようだ。
『うむ』クザクはキャットの背後から、ヘルメットのほおを寄せるような姿勢でレバーをつかんだ。『ミス・モーガン、操縦を頼む』
「あ? お……おう!」キャットは作業アームの操作をクザクに明け渡すと、噴射制御用の制御卓に手を置いた。
『ジョナサン、きみは前方からの生物を迎撃することに専念してくれ』
『――QX!』
〈ラッキーストライク〉号はジョナサンの宇宙服から離れ、推進機を噴かして併走し始めた。飛行イカのうち、前方から来るものはジョナサンの精神衝撃が撃ち落とし、横から絡みつこうとするものはクザクの柔術が投げ飛ばした。それらのイカは後続の仲間たちに喰われ、そのちぎれた触手を引っ張りあうイカたちが、さらに共食いを始めた。
まずいことに、そうした騒ぎに引きつけられて、飛行イカの本隊[#「本隊」に傍点]がこちらに向きを変えてきた。あたりはたちまち、イカの体液と触手の破片が乱れ飛ぶ、地獄のような乱戦となった。
イカ嵐[#「イカ嵐」に傍点]の中をかいくぐり、最低限の迎撃と防御をしながら、
「――で、助けはいつ来るって!?」と、キャットが叫んだ。
いつまでもこんな戦いを続けていられるものではない。燃料にも機体強度にも限界がある。ジョナサンの精神衝撃も、疲労のため、徐々に威力が鈍り始めている。
「正確なことは言えぬが――」クザクが答えた。「先ほどの交信の時点から、GP標準時間にして五〇秒後か五〇分後、あるいは五〇時間後だ」
「へっ、五〇日後かもしんねえな!」
「うむ、それもあり得――いかん」
「どしたァ!?」
「アームが折れた」
「――ンだとォ!?」
腐食性大気の中で劣化していた作業アームが、まず一本、そしてもう一本、立て続けに折れた。〈ラッキーストライク〉号とジョナサンの宇宙服は、たちまち数匹の飛行イカにからめ捕られ、締め上げられ始めた。〈ラッキーストライク〉号の操縦席に、警報音と機体の軋む音が響いた。
――そこに、さらなる怪物が登場した。
銀色の螺旋型《らせんけい》をしたそれ[#「それ」に傍点]は、コルク抜きのように回転しながら、有毒大気の層を一直線に貫いてきた。そして、飛行イカの群れの中に突っ込み、それらの体を巻き込み、弾き飛ばした。まるで、渦巻く暴風の中に、新たな竜巻が発生したようだった。次いで、強力かつ高精度の精神衝撃が四方に矢継ぎ早に放たれ、周囲の飛行イカを次々と撃ち落とした。
それ[#「それ」に傍点]はさらに、螺旋型のかまえを解きながら、三〇フィート([#ここから割り注]約九メートル[#ここで割り注終わり])もある蛇のような体を空中にのたくらせ、数匹のイカにたかられたジョナサンに躍りかかった。それ[#「それ」に傍点]は、胴に比べれば短いが極めて強力な、二本ずつの手足を持っていた。銀の蛇はジョナサンの体に巻きつきながら、それら鉤爪《かぎづめ》のついた手足を使って飛行イカの体を引き裂き始めた。
「くそ、またバケモンかよ……!」
キャットは〈ラッキーストライク〉号をジョナサンに寄せる――いや、新手の怪物に体当たりさせるべく、推進機を操作しようとした。――が、その手をクザクが制した。
「ミス・モーガン。あれは味方だ」
『その通り』中性的な響きを持つ、明晰にして強力な思考が、一行の心に響いた。『わたしはヴェランシアのウォーゼルだ。怪我はないか、諸君?』
銀の蛇――装甲宇宙服を着用したヴェランシア人が、尾の先を軽快に振った。
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5 次なる目標は――
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ウォーゼルの先導で、クザクら一行は疑似トレンコ惑星の大気圏を脱した。衛星軌道上に出ると、装甲宇宙服を身に着けたヴェランシア人の一団が、昆虫ロボット群を片づけているところだった。防御スクリーンと推進機の噴射炎を輝かせた銀の蛇の群れが、両手に装備したデラメーターを閃《ひらめ》かせてロボットの機体を撃ち抜き、また、しなやかな尾でそれらを打ちすえ、あるいは長い体を巻きつけて、クズ鉄になるまで締め上げる――そのさまはあたかも、高次元から遣わされた神々の軍勢が、悪魔の群れを駆逐していくかのようだった。
それから、一行はウォーゼルの船、〈ヴェラン〉号に収容された。
艦内の一室をあてがわれたクザクとキャットは、宇宙服を脱ぎ、簡素な地球《テルス》人用艦内服に着替えた。船内の大気と重力はヴェランシア人用に調整されていたが、もともと地球《テルス》とヴェランシアは非常に近い環境を持っているので、問題はない。それよりもキャットには、この部屋の広さが気になった。高さ二〇フィート([#ここから割り注]約六メートル[#ここで割り注終わり])もある巨大な扉や、高い天井と床とをつなぐ、それぞれひと抱えもある何本もの柱。すべてヴェランシア人サイズのこの室内は、まるでホールのような印象だが、これでもこの艦の中では小さな船室だという。ジョナサンと二頭のイルカは「もう少し大きな部屋」に水を張って入っているそうだ。
このようにヴェランシア人専用に設計された〈ヴェラン〉号は、地球《テルス》型種族の乗り組むいかなる艦をも――あの〈ドーントレス〉号さえも――超えた加速性能を誇る、高速巡洋艦だった。強靱《きょうじん》な肉体を持つヴェランシア人は、地球《テルス》人の限度をはるかに超える強力な有慣性加速に耐えることができ、そうした機動のために作られた船体とエンジンは、自由航行《フリーフライト》においても比類なき速度を発揮するのだ。
この艦の速度と、そして乗員であるヴェランシア人たちの戦闘力を考えれば、キムボール・キニスンが、クザクらの救援に最も的確な戦力を差し向けたことがわかる。クザクの予想した通り、キニスンは彼らの報告を最大限に重く見ており、最も有能かつ信頼のおける人物、第二段階レンズマンのひとりであるヴェランシアのウォーゼルをここに派遣したのだ。
やがて、キャットとクザクのもとに、ウォーゼルその人が現れた。全長三〇フィート([#ここから割り注]約九メートル[#ここで割り注終わり])の大蛇が一二フィート([#ここから割り注]約三・六メートル[#ここで割り注終わり])も鎌首をもたげるさまは、船室の大きさから想像していてなお、おそろしく脅威的なものだった。全身を覆う、かみそりのような鋭い刺《とげ》を生やした鱗《うろこ》。その下にうねる、禍々《まがまが》しいほどの力を秘めた筋肉。蛇よりはワニに近いその頭は、白い牙を生やした大きな口をそなえていた。手足の鉤爪《かぎづめ》は、人間の体など一瞬で引き裂いてしまうだろう。しかもその背には、宇宙服を着ているときには畳んでいたのか、翼竜を思わせる巨大な皮翼が生えていた。ひとことで言えば、彼は神話に登場するドラゴンに似ていたのだった。
こうした外見のため、ヴェランシア人と初めて接する人間型種族《ヒューマノイド》はしばしば、自分が恐ろしい怪物に出会ったことにショックを受ける。キャットが示した反応は、まさにその典型的なものだった。彼女は瞬時に一〇フィート([#ここから割り注]約三メートル[#ここで割り注終わり])も飛びすさって、腰のトラクターガンに手を伸ばした。
『落ち着いて――恐れることはない』
ウォーゼルはキャットの精神を友好的な思考波で包み込みながら、彼女の腕の運動神経をやんわりと押さえた。必要ならば一瞬にして彼女の精神を支配することも、あるいは精神的打撃によって殺してしまうこともできたが、無論、そんなことはしない。キャットが落ち着きを取り戻すと、ウォーゼルは直ちに精神的圧迫を取り除いた。
『あらためて、はじめまして。レンズマン・クザクにミス・モーガン、わたしはヴェランシアのウォーゼルだ』
ウォーゼルは部屋の中の柱――ヴェランシア人用の休息ポール――に体を巻きつけると、上体をくるりと仰向けにしながら、キャットの前に巨大な鼻面を突き出した。どこかおどけたそのしぐさは、ひたいの真ん中にはめ込まれたアリシアのレンズを示すためのものだったが、ついでに六つの目玉をカタツムリのように突き出し、いっせいにくるりと回したのは、ヴェランシア流のユーモアの現れだ。彼らは基本的に、陽気な人々なのだ。
『さあ、きみたちも遠慮なく、ポールに巻きついてくつろいでくれたまえ』
「いや、ここでけっこう」
そう言って、クザクが床にあぐらをかき、キャットもそれにならった。
『クザク、きみのうわさはかねがね聞いているよ』ウォーゼルは、クザクの顔の前で鎌首をゆらめかせた。『キニスンにひどく気に入られているそうじゃないか』
「初耳だ」クザクは無表情のままに言った。
『ほほう、それじゃあ、彼の片思いというわけだ!』
[#挿絵(img/hundosi_212.jpg)入る]
「なんだそりゃあ」
キャットが言うと、ウォーゼルの目のうち片側の三つが音を立てて引っ込み、残る三つがくるりと回転した。冗談だ、ということらしい。
『ミス・モーガン、わたしはきみのことも知っているよ』ウォーゼルは言葉を続けた。『きみの弟は、あのアルデバランの戦いの功労者だそうだね。……デルゴン上帝族《オーヴァーロード》の拷問を受けたと聞いている』
「……それがどうした」キャットの表情が硬くなった。ビルのことは、他人に触れられたくなかった。特に、レンズマンには。「てめえにゃ関係――」
『わたしの種族の同胞も、上帝族の拷問を受け、そして殺された。何千も……何百万も。わたしは奴らを、決して許さない』
ウォーゼルの思考波が、いつの間にか、冷たい真剣味を帯びていた。それまで陽気にのたくっていたしなやかな体が、怒りのために硬直していた。そのひたいのレンズが、禍々しい憎悪の色を帯びていた。六つの目が顔の中に引っ込み、半眼になっていた。牙を持った口からは、神話のドラゴンのように、炎の息を吐き出さんばかりだ。銀河最高の知性を持つ第二段階レンズマンが、怒りにわれを忘れかけているのだった。
上帝族の故郷である惑星デルゴンと、ウォーゼルらの故郷ヴェランシアは、同じ星系に属する姉妹星だった。上帝族はその邪悪な知力によって星系を支配し、星系内の他の知的種族を家畜のように使役し、むさぼり喰らっていたのだ。
ヴェランシア人はそれら被支配種族のひとつだった。長年の屈従の記憶はその血に深く刻み込まれ、容易に払拭《ふっしょく》できるものではなかった。彼らは上帝族を本能的に恐れ、完全に屈服していた。
だが、ウォーゼルは、その恐怖を克服した最初のヴェランシア人だった。最初は機械的な思考波スクリーンによって、のちには訓練された知力によって、彼は上帝族の支配を脱し、反撃を開始した。冷たい恐怖はその質量を保ったまま灼熱《しゃくねつ》の怒りに変わり、彼は〈ヴェラン〉号を駆り、デルゴン上帝族を追う狩人となったのだった。
『……上帝族も、ボスコーンも、必ず根絶やしにしてみせる』
キャットをもたじろがせる気迫をその巨体に秘め、怒れるドラゴンは、そう言った。その長い体に巻きつかれたポールが、みしりと音を立てた。
*
〈ヴェラン〉号が往路に利用した超空間チューブは、疑似トレンコ惑星の主星から数天文単位の距離――カーディンジ限界のぎりぎり外――に開口していた。一行はそこからチューブを逆に通って、問題なくクロヴィアに帰還した。そして、ウォーゼルと〈ヴェラン〉号はクザクらを降ろし、三日間で報告や補給作業を済ませると、彼らの通常任務である“上帝族狩り”に再び飛び立った。上帝族が一匹でも生存しているかぎり、彼らヴェランシア人のボスコーン戦争は終わらないのだ。
「休息ポールを温めるひまもなく……か」ウォーゼル出立の報を受けたキムボール・キニスンは、ふと天井を仰ぎ、つぶやいた。「いまだ現役、うらやましい限りだね」
「そいつはどうかな。憎しみの劫火《ごうか》に身を灼《や》かれ続けるのは、決して楽な生き方とは思えないがね」ちょうど銀河調整官のオフィスを訪れていた、技術部長ラヴェルヌ・ソーンダイクが答えた。
「その言い方はまるで、わたしが楽をしているように聞こえるじゃないか」手にした書類の束をびらつかせながら、キニスンは言い返した。「レンズを身に帯びたる者はみな、進んで困難へと突き進んでいくものだ」
「レンズマンだけが重荷を背負っていると思うなよ」ソーンダイクはにやりと笑いながら、自分が抱えてきた、それぞれ人の脚ほどもある三つの細長い塊を、キニスンのデスクの上に転がした。「なにしろ、こいつはとても重かったんだから」
フレームとシリンダー、歯車にチューブ等々、無数の機械部品で構成されたそれらはみな、作業ロボットのアーム部分だった。キニスンはソーンダイクに、この三つを比較研究するよう依頼していたのだ。
キニスンはアームを一本ずつ手に取り、観察した。
「ふむ。こうして見ると、やはりどれも、少々似た感じがするな。作業機械としての機能性を追求した結果と考えれば、当然かもしれんが……」
「言うなれば“収斂《しゅうれん》進化”――例えばイルカと鮫《さめ》のように、あるいはリゲル人とヴァレリア人のように、似た環境に棲《す》む生物は、遺伝的には別系統にあっても、いくぶんかは似た形態を獲得する――キム、きみが言いたいのはそういうことだろう?」ソーンダイクが言った。「ところがどっこいだ」
「違うのかい?」
「“他人の空似”じゃない。この三つの機械は、血を分けた兄弟なのさ。違いがあるとしても、それは表面的な部分だけだよ。これらはみな、同一システム上で運用される、互換性を持ったユニットなんだ。間違いない。わたしの首を賭けてもいい」
「そうか」キニスンは言った。「……ということはつまり、フリードマン社とボスコーンの作業ロボットは、基本的に同じものだ、ということになる」
「フリードマン社? ボスコーンだって?」ソーンダイクは自分の持ってきたアームを見た。「いったいなにを言ってるんだ、キム?」
そこで、キニスンはソーンダイクに、三本のアームの出所を教えた。ひとつはフリードマン社の宇宙作業用ロボットのもの、そしてあとのふたつは、〈ヴェラン〉号が持ち帰った、例の疑似トレンコ惑星の軌道上にいた昆虫型ロボットと、地表の収穫作業ロボットのものだった。
「隠していてすまなかった。だが、きみには先入観を持たずに判断して欲しかったんだ」と、キニスンは言った。「しかし、これではっきりした。ボスコーンがフリードマン社の〈|ロボット《R》‐工場《F》システム〉を手に入れたとすれば、“銀河最悪の冗談”と言われる惑星トレンコが、もうひとつ存在した[#「もうひとつ存在した」に傍点]理由も説明がつく」
「うむ、む――これはこと[#「こと」に傍点]だぞ、キム!」キニスンの言葉の意味を悟って、ソーンダイクは叫んだ。「奴らは惑星開発用のロボット群を使って、手ごろな惑星を好きなように環境改造《テラフォーミング》できる。――つまり、惑星トレンコをいくつでも作れる[#「いくつでも作れる」に傍点]んだ!」
「しかも秘密裏に、かつ、ただ同然にね」
「ああ、われらにクロノ神の尻尾の加護を! ボスコーンの〈R‐Fシステム〉が未踏星域全域にばらまかれでもしたら、第二銀河系は巨大なシオナイト工場にされちまう!」
「いや、ヴェルヌ。その点はもはや大きな問題ではないんだ」キニスンは説明した。「麻薬工場としては、“監視されていないトレンコ”がひとつあれば充分だ。それ以上は奴らにとっても意味がない。それに、もし複数の惑星がトレンコ化されていたとしても、今回と同様に発見し、対惑星兵器を送り込んでやればよい」
実際、今回発見された疑似トレンコ惑星は、ボスコーンの手掛かりに関する徹底調査が終了した時点で、負《ネガ》爆弾によって破壊される手はずになっている。“銀河最悪の冗談”は、宇宙にふたつも要らないのだ。
「――むしろ危惧すべきは〈R‐Fシステム〉そのものの、破壊的なまでの生産力のほうだ」キニスンは言葉を続けた。「環境改造《テラフォーミング》に比べれば、惑星の単なる要塞化や、超バーゲンホルムの設置による誘導惑星[#「誘導惑星」に傍点]化は容易だ。われわれに迎撃用誘導惑星や超打撃艦《スーパーモーラー》、そして究極の防衛兵器たる太陽ビームがある以上、敵の誘導惑星は決定的な兵器とはなり得ないが、それらが一度に、かつ無数に製造できるとなれば、話は変わってくるだろう」
「……うむ」背後から聞こえた、低い、静かな声に、ソーンダイクは思わずふり返った。広い執務室の壁ぎわに、まったく気配を発することなく、グレー・スーツのアルタイル人が立っていた。「問題の〈R‐Fシステム〉を、ボスコーンがいかにして手に入れたか――まずは、その線から当たってみるとしよう」
「おっと、紹介がまだだったね、ヴェルヌ」キニスンが、手の先でアルタイル人を指した。「彼はアルタイルのクザク。グレー・レンズマンだ」
クザクはソーンダイクに向かって一礼すると、何事もなかったかのように、言葉を続けた。「フリードマン社の技術をボスコーンが手に入れたのか、あるいはその逆か。はたまた、両者に同時に技術的援助をした者があるのか――いずれにせよ、同社が捜査の鍵となることは間違いない。わたしはフリードマン社についての調査を開始する。|これにて失礼《クリア・エーテル》」
「――待ちたまえ、クザク」ドアに向かって歩き始めるクザクを、キニスンが呼び止めた。「これは銀河文明の存亡に関る、重大な問題だ」
「そう心得ている」と、クザクは答えた。
「いや、わたしが言いたいのは、この件が、銀河調整官の処理するあらゆる案件をはるかに超えた重要事だということだ」キニスンは革椅子から立ち上がった。「わたしはたとえ今この瞬間からでも、通常の職務を離れ、きみに協力するにやぶさかでない。なんでも遠慮なく言ってくれたまえ。そうとも、潜入捜査、銃撃戦、機動戦闘《ドッグファイト》から艦隊戦まで、なんでもだ!」
「銃撃戦……?」
クザクが無表情のままに首をかしげると、キニスンはあわてて椅子に座り直し、威厳をとりつくろった。
「あー、うむ――つまり、そのくらいの心がまえでいるということさ」
その様子を見て、ソーンダイクが言った。
「なるほど、『レンズを身に帯びたる者は、進んで困難へと突き進んでいく』――か」
「そうとも。わかってくれたようだな、ヴェルヌ」
「今のは皮肉だよ」技術部長は肩をすくめた。
*
ジョナサンとキャットは最高基地《ウルトラ・プライム》から数キロの地点にある人工湖に滞在し、三日後の地球《テルス》行きの便を待っていた。クロヴィアから地球《テルス》に向かう船は多いが、〈フィッシュボウル〉号のようなクジラ族の専用船は数が少ないのだ。
負傷中のジョナサンは故郷の地球《テルス》で療養生活に入ることになっている。キャットはそれに同行して地球《テルス》の家族のもとへ向かうが、今はともに、時間待ちのほかには何もすることはない。地球《テルス》の海水に似せて成分を調整された湖水にジョナサンはゆったりと浮かび、水着姿のキャットが、その背の上に仰向けに転がっている。ちなみにスキッパーとフリッパーは、この時間を利用して、クロヴィアの海にすむ水棲民族の友人を訪ねているという。
『怪我が治ったら、地球《テルス》をひと回り案内させておくれよ。もちろん、きみの家族もいっしょにね』ジョナサンは、背中のキャットに言った。『太平洋の南赤道海流から東オーストラリア海流に乗って、そこから西風海流で大西洋に出て、ベンゲラ海流、北赤道海流、北大西洋海流と乗り継いで北極海へ――』
「あー、なんだそりゃ。全部海じゃねえのか」
『それを言うなら、きみたち地上人の住むところも、全部“陸地”だね』
「まあ、そりゃそうだな……」
気のない相づちを打ちながら、キャットはぼんやりと空を眺めた。
ここクロヴィアは、非常に地球《テルス》に似た惑星だそうだ。ということは、これから行く地球《テルス》にも、今見上げているのと同じような空が広がっているのだろう。青い空にのんびりと漂う、白い大きな雲。ゆるやかな午後の日差し。……悪くない感じだ。決して悪くはない。
『……クザクと別れるのは残念だね、キャット』
「なんだよいきなり」キャットは半身を起こして、ジョナサンの背をぴしゃりと叩いた。「なんであたしが残念がらなきゃなんねえんだ。へっ、せいせいするってもんだぜ」
と、そこに、
『――すまない。せいせいしてもらうのは、もう少しあとになりそうだ』
思考波による呼びかけとともに、GP宇宙服姿のクザクが、無慣性状態で降下し、湖面に着地[#「着地」に傍点]した。その足元では、宇宙服のバーゲンホルムの影響下に入った湖水が、鏡のような平面をなした。また、推進機が微妙に作動し、クザクの体に働くクロヴィアの重力を、ごく微弱なレベルに相殺している。クザクは水面に足跡をつけながらジョナサンに歩み寄り、ヘルメットを脱ぐと、その場にあぐらをかいた。
「ミス・モーガン、きみの協力を得たい」
「あァ?」
「わたしとレンズマン・キニスンは、フリードマン社に関する調査のためアルゲス星系へ向かう。かの星系の事情に通じるきみに、案内を頼みたい。……もし、君さえよければ」
『やあ、よかったじゃないか、キャッ――』
キャットはジョナサンの背を蹴って黙らせると、腕を組んでクザクを見下ろした。
「やってやんねえでもねえけどな。高くつくぜ」
『よろしい、きみの言い値で小切手を切ろうじゃないか!』新たな思考波が、会話に割って入った。
「なんだァ?」
『しかも、このキムボール・キニスンのサイン入り小切手は収集家の間で額面の数十倍の値がつくから、それだけでひと財産だ。これで文句はあるまいね』
「……大ありだ」キャットの表情がけわしくなった。「金積みゃあたしが尾っぽ振ると思ってんのか。気に入らねえな」
『うむ? きみは筋の通らないことを言うんだな』キニスンは不思議そうに言った。『今、金額の問題だと自分で言ったじゃないか』
『キニスン閣下、彼女はとても誇り高いんです』ジョナサンが説明した。『彼女が言っているのは数字の問題ではなく、われわれが彼女をどれだけ重く見るかということなんですよ』
『ならば、なおさらわからんな。このわたしが頭を下げているというのに、いったいなにが不満なんだ?』
「ンだとコラ!?」キャットが立ち上がり、最高基地《ウルトラ・プライム》の方角に向かって叫んだ。「頭ァ下げンなら、ちゃんとあたしの目の前に来て下げやがれ!」
「――うむ、この通りだ。ミス・モーガン」水面に両の拳を突き、クザクが頭を下げた。「これで足りぬとあらば、わたしは腹を――」
キャットはあわてて手を振った。「わかった、もういい。腹は切るな」
『……やはり理解できん』キニスンが言った。『ミス・モーガン、ハラキリとはそんなに大層なものなのかね?』
「いや、別に大層かどうかは知らねえけど……」キャットはちらりとクザクを見た。「目の前で内臓とか出されたら、夢見が悪いだろ」
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11 サイクロプス、目覚める
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地球《テルス》のGP病院で、ビル・モーガンはリハビリテーションに専念していた。彼の新しい手足は、外見こそほぼ成人の腕と同様にまで成長していたが、まだ、筋力も運動機能も元通りとは言い難かった。
両手足を一度に失った彼には、通常のリハビリは不可能だった。本来なら、ベッドの上で少しずつ手足の力が戻るのを待つしかない。――が、彼はおとなしくベッドに寝てはいなかった。
『まあ、兄さん! またはいはい[#「はいはい」に傍点]なんかして――』病室を訪れたドロシーが苦笑した。
「今のぼくは赤ん坊同然だからね。これがお似合いさ。――ほら、つかまり立ちができるようになったんだ」ビルは両手でベッドの支柱をつかんで体を持ち上げると、シーツの中に転げ込んだ。「ところで、もうミルクの時間[#「ミルクの時間」に傍点]かい?」
ドロシーはビルの布団を直しながら『ううん、姉さんのことで、ちょっと……』と言った。
「その顔からすると、まだ連絡がつかないんだね」
『ええ』ドロシーは答えた。『少し前まで、第二銀河系の外れにいたらしいことはわかったんだけど……』
「『便りがないのはいい便り』だよ」
ビルは自分のピンク色の右手にはまったレンズを見た。プラチナ・イリジウムの腕輪の中で、レンズは生き生きと、複雑な光を放っている。このレンズを通じて、この世のどこかにいる姉と、自分は確かにつながっている――ビルにはその実感があった。
いまだ不安げな表情を見せるドロシーを力づけるように、ビルは言った。「たとえどこでなにをしていようとも、姉さんはしっかりやってるさ。どんな状況にあっても、決して音を上げたりはしない人だ。ぼくらはそれをよく知ってるじゃないか」
*
「駄目だ、無理だ、そんなの聞いてねえ!」キニスンの計画を聞くなり、キャットは音を上げた。
一週間後に、アルゲス星系で〈フリードマン・シェル〉の完成披露パーティが行なわれる。社長のケネス・フリードマンをはじめ、フリードマン社の幹部や出資者が一堂に会するこのパーティは、同社に絡む人物を一度にチェックする、またとない機会だ。仮の身分を作ってそこに潜入するキニスンとクザクに付き添う形で、キャット・モーガンもまた、アルデバランの淑女としてそこに出席しろというのだ。
「見りゃわかンだろ!? あたしのガラじゃねえんだ、服だとか、化粧だとか、髪形だとか! 冗談じゃねえ!!」
「いやいや、世のご婦人方はみな、日々そうした苦行に耐えているんだ」キニスンが、にやにやと笑いながら答えた。「きみのように勇気ある女性に、それが乗り越えられないわけがないと思うね」
そういうわけで、銀河パトロールに雇用された一ダースものスタイリストたちは、野育ちの山猫を血統書つきのペルシャ猫に変えるべく、最大限の努力をした。ぼさぼさの髪をくしけずり、機械油の詰まった爪を整え磨き上げ、たくましい腹筋をコルセットで締め上げ、顔の宇宙線焼けを隠すためにたっぷりと白粉をぬり、そして――
「うおっ、と、と――歩きにくいな、こりゃ」
キャットはスタイリストたちに手を取られ、ハイヒールに足を取られながら、男たちの前に現れた。上品なイブニング・ドレスにいくつものアクセサリーを着け、メイクも完璧に決めている。
キニスンの視線に気づいたキャットが、上目づかいに言った。「あ、あたし……変じゃないか?」
「はっは! 変どころか、まるで――」
キニスンの言葉を、スタイリストのひとりが目顔で制した。
「とてもすてきですわ、ミス・モーガン」彼女は胸の前で軽く手を組み、キャットの姿を上から下まで眺めた。「でも、そのう……少し、靴が足に[#「靴が足に」に傍点]合っていないのかも」
「うむ」クザクが無表情のままにうなずいた。彼は盲目だが、足音や衣擦れの音から、キャットの姿勢を大まかに知ることができた。「足が靴に[#「足が靴に」に傍点]合っていないとも言える」
「どうせあたしゃあガニマタだよ!」
クザクを張り飛ばそうと踏み出したキャットが、足首をひねってつんのめった。そこに歩み寄ったクザクが、小柄な体を抱きとめ、くるりと回転させながら傍らのソファの上に横たえた。
「なっ!? てめ、なにすンだ、スケベ!」
うつ伏せになったキャットの背を、クザクの手のひらがすばやくなぞった。
「うむ、やはり。長年、宇宙服を着ての作業に従事していたためだろう。脊椎《せきつい》と股関節《こかんせつ》に若干の歪みがある」クザクは両の親指をキャットの背骨にそって動かしながら言った。「整体を試してみよう」
キャットの腰のあたりに、クザクは親指をぐっと押し込んだ。
「ぎゃっ!」と、キャットが叫んだ。
続いてクザクは、彼女の体を横向きにすると、腿《もも》に手のひらを当て、体重をかけた。
「いてててて! やめろ、死ぬ死ぬ――ぎゃあ!」枯れ木の折れるような大きな音が室内に響き、ソファを取り巻いたスタイリストたちが、眉をひそめ、顔を背けた。クザクは無表情のまま、キャットの体を逆向きにすると、もう一度。「ぎゃあっ!!」
「……どうかね、クザク?」息も絶え絶えのキャットの様子をのぞき込みながら、キニスンが言った。
「うむ」クザクは顔を上げた。「思ったよりも重症のようだ。なにか他の手段を講じたほうがよいだろう」
「……てめええ!」ソファに這《は》いつくばりながら、キャットが怒鳴った。
*
一週間後、クロヴィア発の豪華客船〈アトランティック〉号は、アルゲスから〇・五天文単位の惑星軌道を巡っていた。
船内の大ホールでは、すでにフリードマン社主催のパーティが始まっている。会場に居並ぶのは、貴族、財界人、軍人、惑星評議会の高官、銀河パトロールの制服を身に着けたレンズマンなどなど、いずれも超一流の人物だ。そして、彼らに随伴する、あでやかな装いの貴婦人たち――
その間を縫ってドレス姿のキャットが歩くと、周囲の者がみなふり返った。その真っ赤なドレスの、大きくふくらんだデュポン風の裾は、キャットの下半身を完璧にカバーしているばかりでなく、彼女が一歩踏み出すたびに、渦巻くような美しいひだをその表面に浮かべていた。まさかこの淑女が、目もあやなドレスの下に、ごつい作業用ブーツを履いているとは、誰も思うまい。
一方、彼女をエスコートするクザクは――ふたりは婚約者同士ということになっている――アルタイルのビジネスマンの平均的な礼服姿に、黒縁の眼鏡をかけている。目を細めて視線を隠し、前方以外の気配に反応しないように気をつければ、彼が盲人であると気づくものはいない。
『おい、みんなこっち見てねえか?』キャットは自分の身なりをちらりと見た。『やっぱ目立つぞ、これ』
『恥じることはない』クザクは顔も向けぬまま、思考波で答えた。『注目を集めるのは、きみが美しいからだ』
『へっ、おだてたってなんにも出ねえぞ』
『事実だ。きみのたたずまいには独特の趣がある』
『独特の……って、そりゃほめてんのか、おい』
キャットがクザクの顔を見上げると、また別の思考波が割り込んできた。
『きみたち、目立つのはけっこうだが、レンズ通信を気取られるなよ』
『キニスン? どこだ?』
キャットがそっと周囲を見回した時、ふたりからやや離れたところで、一団の男女の笑い声がした。集団の中心にいるのは、アルデバラン風の正装をした紳士だ。よどみない弁舌に巧みなジョークを織り交ぜ、トーク・ショーの芸人よろしく、周囲の人間を惹《ひ》きつけている。
「――なるほど、確かにこのパーティの主催者たるケネス・フリードマン氏は、大した成り上がり、(うおっほん)もとい、成功者ですが……わたくしことウィリアム・ウィリアムズとて、『宇宙一ツルハシの似合う紳士』の座を譲るつもりはありません」
アルデバランの男が肩をすくめると、彼の取り巻きがどっとわいた。その隙に、男はほんの一瞬キャットと目を合わせ、ウインクした。
『どうだい、わたしの変装は』キニスンが言った。『“鉱山紳士”ウィリアム・ウィリアムズ――なかなか堂に入ってるだろう?』
『ふうん、ウィリアム・ウィリアムズ――って、おい! あの[#「あの」に傍点]ワイルド・ビル・ウィリアムズかよ!』キャットは喉《のど》から飛び出しそうになる声を、あわてて飲み込んだ。
『そうさ』キニスンは答えた。『彼[#「彼」に傍点]は隕石鉱夫出身の資産家で、いくつかの基金の代表者で、かつ、多数の惑星開発企業に出資もしている。おまけに社交界の人気者だ。このパーティに顔を出していても、不思議はあるまい』
『馬鹿おまえ、そんな有名人に化けて、もし本物と鉢合わせでもしたらどうすんだよ。本人じゃなくても、知り合いとか来てるだろ』
『ふふん?』キニスン――ウィリアムズは、素知らぬ顔で目の前の紳士淑女と談笑しながら、同時に思考波でキャットの問いに答えた。『その時は、便所にでも隠れてやり過ごすことにするよ』
やがて、キャットと腕を組んで会場をひと回りすると、クザクはキニスンに告げた。
『やはり、思考波スクリーンを身に着けている者が多くいるようだ』
『ああ、この会場内に、二〇人ばかりいるな』キニスンは言った。彼の強力な精神力と知覚力は、その場にいながらにして、会場全体を、参加者ひとりひとりの精神の内部までも、瞬時に把握することができた。しかし、目標とする人物が個人用の思考波スクリーンを身に着けている場合は別だ。近ごろは、テレパス種族を産業スパイに使う者もいるから、その用心もあるのだろう。プライバシー保護の観点から言っても禁止するわけにはいかないが、おかげで仕事がやりにくくてしょうがない。
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『そこで、きみたちの出番だ』キニスンはクザクらに、次の行動を指示した。『クザク、きみから見て左手から、背の高いセントラリア人が歩いてくるだろう』
『うむ』
『彼は星域開発局のスタインリード局長だ。スクリーン発生機をベルトに着けている。それを切ってくれ』
『|心得た《QX》』
クザクはキャットを連れたまま、長身のセントラリア人、スタインリードに歩み寄った。そして、不自然でない程度に歩幅を調整し、スタインリードが横を向いた隙を突いて、肩から突き当たった。
「おっと、これはドウモ――」
瞬間、クザクの手がひらめき、セントラリア人の腰のスクリーン発生機のスイッチを一瞬だけ切り、そして元に戻した。アルタイル流の居合術の応用だ。
その一瞬だけで充分だった。キニスンはスタインリード局長の精神に侵入し、その記憶を、本人に気づかれることなく一気に走査した。
『ふむ――彼は無関係《シロ》だ』
ちなみにその精神走査の際、スタインリードがここ数年間、ちょっとした収賄《しゅうわい》に関っていることがわかったが、それは今回の件には関係ない。キニスンは彼を見逃すことにした。その件を差し引いても、彼はかなり公平なたぐいの役人だったし、レンズマンならぬ身がその種の誘惑に耐えることは困難なのだから。
続けて、キニスンは元シリウス防衛艦隊のライアン退役准将を目標に指定した。|トミンガ空手《ドンガヌア》の達人である彼には、先程のような手は通用しない。そこで、クザクは正面からライアンに歩み寄り、白い顔に笑みを浮かべながら、深く頭を下げた。
「ドウモドウモ。わたしはチケタケ・アルタイル社のミフネ・ロバーツです」
「うむ? ……おお、すると、きみはあのロバーツ家の?」ライアンは見知らぬ白面のビジネスマンに、鷹揚《おうよう》に応対した。
「ええ、ええ。先祖はわたしどもの誇りです。朝晩におじぎを欠かしません」
クザクは愛想よく、如才なく、社交的な会話をした。それは標準的なアルタイルのビジネスマンのふるまいだったが、普段の彼の無表情を見慣れたキャットにしてみれば――
『気味|悪《わり》ィな。よくもまあ、口からでまかせが言えたもんだ』
『恥ずべき行ないだ』クザクは冷静そのものの調子でキャットに答えながら、顔には晴れやかな笑みを浮かべ、ライアンに言った。「准将閣下、名刺をお渡ししてもよろしいでしょうか?」
「元[#「元」に傍点]准将だがね。――いただこう」ライアンは、クザクが両手でうやうやしく差し出す名刺を受け取った。
名刺には、チケタケ社の商標とロバーツ家の家紋が刻印され、そして、「ミフネ・ロバーツ」の名が、標準英語の活字と、筆で書かれた漢字で記されていた。
「おや、きみは書道をたしなむのかね?」
「未熟ではありますが」
アルタイル風の作法にしたがって漢字の筆跡についての感想を述べるため、ライアンは懐から眼鏡を取り出して小さな紙片に見入り、その間にクザクの仕事[#「仕事」に傍点]は済んだ。
「――ではミフネ君、今後も商いにはげみたまえ。そちらのお嬢さんとも仲よくな!」
「ええ、ええ。それはもう」クザクとキャットが頭を下げ、ライアンに背を向けると、
『――彼もシロだな』と、キニスンが言った。
ところで、キャットもただクザクについて歩いているだけではない。パーティの参加者として、彼女もまた多くの男女と会話をした。
一週間にわたる特訓で、彼女は出会いと別れの挨拶《あいさつ》、上品な笑い方、相づちの打ち方、首のかしげ方など、いくつかのしぐさを習得していたが、肝心の会話の中身は、付け焼き刃とはいかない。そこでキニスンは、会場全体の動向を監視し、かつ、ウィリアム・ウィリアムズとして目の前の人間と会話をしながら、同時にキャットと思考波で通信をし、彼女の会話の内容をフォローしていた。
今もまた、ひとりの女がキャットの装いに目を留め、話しかけてきた。鳥の羽根の扇子を持ち、髪を頭の上に一フィート([#ここから割り注]約三〇センチメートル[#ここで割り注終わり])も結い上げた貴婦人だ。
「まあ、すてきなお召し物! いったい、どちらでお求めになりましたの?」
「ええと……」キャットはほおに手をそえ、考えるふりをした。『おい、キニスン?』
『スレールのブレンリーア商会』と、キニスンが思考波で助け船を出した。
「スレールのブレンリーア商会だ……ですわ」
「素材《もの》はシルクかしら?」
『マナルカ産のレッド・グラモレット』
「マナルカ産のレッド・グラモレットですの」
「あらまあ! それじゃ、ずいぶんと物入り[#「物入り」に傍点]だったでしょうに!」
『笑ってごまかしたまえ』
キャットは上品に微笑んで、その質問をかわした。
「本当にすてきね……」真っ赤なドレスに目を奪われたままその場を離れようとした婦人は、歩いてきたクザクにぶつかった。「あら、ごめんなさい」
「これはドウモ――」
彼女もまた思考波スクリーンを身に着けた目標のひとりだったが、接触の際に、クザクとキニスンは仕事を済ませた。
このような調子で、キニスンらは会場内のすべての人物を――出席者も、従業員も――走査したが、ボスコーンのボの字も、あるいはその存在を隠蔽する精神手術の痕跡さえも、見出すことはできなかった。
『つまり、フリードマン社も、その関係者も、完全に潔白ということか』クザクが言った。
『ああ』キニスンは答えた。『こうなると、手間はかかるが、ロボット関係の企業を一件ずつ当たっていくしかないようだな』
――あとは軽く会場を流して、今日の仕事は終わりということになりそうだ。
ふたりの会話を聞き流しながら、キャットはホールの壁ぎわに置かれた椅子で休んでいた。きらびやかな場内をぼんやりと眺め、ふと、自分がこの光景の一部となっていた――どうにかボロは出さずに――ことに思い至ると、キャットは「へへへ」と、淑女らしからぬ笑みを浮かべた。
と――彼女のドレスの裾を、小さな手が引いた。
「これ、とってもきれいね」そう言ったのは、青いスレール茨《いばら》の髪飾りを着けた、白いドレスの少女。歳はまだ一〇にもなっていないだろう。まるで人形のようにかわいらしい。
「どうもありがとう」キャットは型通りに礼を述べてから軽く周りを見回し、それから少女にぐっと顔を近づけ、花の髪飾りをつつきながらにたりと笑った。「こっちもいかしてるぜ」
「『イカシテル』って、なに?」少女はきょとんとした表情で言った。
「あ? そうだな、なんていうか……」キャットは片方の眉を上げ、握った手の親指を、ぐっと立てた。「こういう感じ[#「こういう感じ」に傍点]だ」
「……こう?」少女はキャットのまねをして、片方の眉を上げ、親指を立てた。
「そう」キャットがもう一本の親指を立てると、少女はにこりと笑って、自分もそのようにした。それから彼女は、キャットのとなりの椅子によじ登り、足をばたつかせながら言った。
「わたし、マギーよ」
「あたしはキャットだ」
「今日は初めてのパーティなの」
「へへ、実はあたしもだ」
「おじいさまが、早いうちからできるだけたくさんの人に会って、人を見る目をやしなっておくべきだって――おじいさま!」マギーが頭の上で手を振ると、体格のいい老軍人が、こちらに歩み寄ってきた。
「マギー、あまりよその方の邪魔をしてはいけないよ――おや、きみは」
「あっ、ど、ドウモ――」
キャットはあわてて立ち上がり、ドレスの裾をつまんで挨拶をした。老軍人は、先ほど会ったシリウスのライアン元准将だ。
『おい、キニスン! キニスン!』キャットは内心でキニスンを呼び出そうとしたが、キニスンはクザクと話し込んでいるのか、応答しない。
「きみはたしか、アルタイルのロバーツ氏の――」
「はい、一応婚約者ってことで、いえ、実際そうなんでございますの。ほほ、ほほほほほ」
会話はそこで途切れ、キャットは顔を真っ赤にして、ただただ愛想笑いをした。しかし、キャットのそうしたさまに、ライアンはかえって好感を覚えたようだ。「いい笑顔だ。先ほどは少し固くなっていたようだね。いや、今もかな」
「ええ、まあその、へへへ」
「孫と遊んでくれてありがとう。ミフネ君ともども、また会える日を楽しみにしているよ」
ライアンはキャットの手の甲にキスをすると、彼女の腰のあたりを軽く叩いて離れていった。椅子から飛び降りたマギーがその後に小走りに続き、くるりとふり返ると、キャットに向かって親指を立てた。小さな背を見送ったのち、キャットが大きく息をつくと、キニスンが話しかけてきた。
『なんだ、ひとりでも大丈夫じゃないか』
『てめえ、キニスン! 見てンなら返事くらいしろ!』
『ライアン元准将には、地のきみのほうが気に入られると思ってね。きみにはきみ自身の魅力があるのだから、もっと自信を持ちたまえよ』
『……ふん』キャットはどさりと椅子に腰掛けた。『もう、用は済んだんだろ? さっさとズラかろうぜ』
『いや、まだだ』キニスンは言った。『最後にひとり、大物が残ってる』
『大物――?』と、キャットが言った、その時。
「会場のみなさまに、フリードマン社社長、ケネス・フリードマンがご挨拶申し上げます」
マイクのアナウンスとともに、ホールの正面口にどよめきが走った。
大きく開け放たれた扉の向こうから入ってきたのは、作業用宇宙服を着た男。背が高く、顔つきは整っている。ヘルメットを背にはね上げ、左手に大きな工具箱を下げ、右手を顔の高さでふりながら、宇宙服の男はホールの中央奥のステージに上がった。
『ほう』キニスンが言った。『つき合いの悪い人物だと聞いていたが、なかなかけれん味[#「けれん味」に傍点]があるようじゃないか』
『へっ、まるで誰かさんみてえだな』と、キャット。
「みなさまごきげんよう。わたしが、ただいまご紹介にあずかりました、ケネス・フリードマンです」宇宙服の男は、満場の拍手の中、礼服を身に着けた紳士のように、うやうやしく頭を下げた。「この会場のみなさまに、実際にお会いするのは初めてになります。あの[#「あの」に傍点]フリードマンがこのような若輩であったかと、驚かれるかたも多いことでしょう」
事実、フリードマンの姿を見知っていた者はいなかった。彼は常に代理人を通して商談をし、実際に取引相手と顔を合わせることはなかったのだ。そのため、彼の存在は常に謎をはらみ、「既存の企業、非人類型種族、あるいはボスコーンの残党が、“山師出身の大企業家”という伝説を隠れ蓑《みの》にして、その架空の名義を利用しているのだ」などと噂されることもあった。
しかし今、フリードマンはひとりの生きた人間として、ここに存在した。彼の容貌《ようぼう》は、本人の言う通り、まだ「青年」と言ってもよい若々しいものだったが、その自信に満ちたふるまいから、来場者はみな、これがあの[#「あの」に傍点]フリードマンなのだ、と納得した。
キニスンとクザクがこのパーティに潜入したのも、半分は、この場が「生きたフリードマン」と接触できる数少ないチャンスと見られたからだ。キニスンはさっそく、ステージ上の人物の精神を走査した。が――
『思考波スクリーンだ』と、キニスンは言った。『突破できるか試してみよう』
先ほどはクザクの手を借りていたが、キニスンは自らの知力のみによっても、機械式の思考波スクリーンの多くを無効化することができた。パズルを解くように時間を掛けて隙間を探すか、少々荒っぽく精神衝撃を当ててやればいいのだ。まさか、まだ黒とも白ともつかない人物をノックアウトするわけにはいかないが、幸い場内の他の人物についてはすっかり走査を終えているので、今、キニスンはフリードマンひとりにたっぷりと時間を掛けることができる。フリードマンのスピーチの間はウィリアム・ウィリアムズとしての会話に意識を割く必要がないというのも好都合だ。
歓迎の拍手が収まるのを待って、フリードマンは片手を上げた。
「……みなさま、頭上をご覧ください」会場の照明が落とされ、低い音を立ててホールの天井が開き、会場は惑星間空間の真空にさらされた――いや、天井は特殊強化ガラスのドームにおおわれていた。ガラス越しの、満天の星明かりが、ステージをうすく照らし出した。
『無駄に凝ってやがンなあ……』頭上を見上げながら、キャットが言った。
「有害な宇宙線はカットされておりますので、どうか安心して、よくご覧ください――あちらを」フリードマンが差し伸べた手の先、ガラスのドーム越しに、それ[#「それ」に傍点]は見えた。視直径はクロヴィアの太陽の約一〇倍。第二銀河系の星々によって構成される“天の川”を背景に浮かぶ、黒い天体。「――あれこそが、〈フリードマン・シェル〉。みなさまのご協力のもと、わが社が作り上げた、恒星発電用球殻です。今は恒星アルゲスを内部にはらんだまま待機状態にありますが、GP標準時の〇時に、正式に起動する予定です」フリードマンは、宇宙服の上に着けた時計をちらりと見た。時刻は〇時五分前だ。「――あと五分ほど、どうかわたしの雑談におつきあいください。待つ時間は長く感じられるものですが、少しは気を紛らわせていただけることと存じます。ちなみに……わたしはこの日を、五年間、待ち続けました。五年前、わたしの身になにが起こったのか、五年前、わたしの目がなにを見たのかを――みなさま、どうかお聞きください」
ステージの上で、フリードマンは両手を広げた。
「五年前のあの時[#「あの時」に傍点]、わたしは無名の一兵士として、クロヴィア星系におりました。――そう、ボスコーンと銀河パトロールとの、最後の、そして最大の戦闘である“クロヴィアの戦い”のさなかに、わたしはいたのです。当時ボスコーンの最大の基地であった惑星スレールから侵攻した超星域規模艦隊と、惑星クロヴィアを拠点とした銀河パトロールの大艦隊《グランドフリート》との、それは、激烈な衝突でした。偵察艦、巡洋艦、戦艦、打撃艦《モーラー》、機動要塞――ありとあらゆる機動兵力が、主砲ビームを、デュオデック魚雷を、そして誘導惑星や負《ネガ》爆弾をも投げ合って、互いの戦力を完全に殲滅《せんめつ》せんとしていました。
わたしは自分の所属する艦が破壊された際に、宇宙服ひとつで艦外へ放り出され、何時間もの間、戦闘宙域のただ中を漂流していました。周囲では無数の閃光が走り、戦艦が爆裂し、エーテルの沸騰する音さえ聞こえてきました。ふたつの艦隊の衝突は、まさしく巨人同士の格闘であり、その圧倒的な力の前には、ただの一個人の命など、無に等しいものでした。
ご存知の通り、銀河パトロールはこの戦いに完全なる勝利を収めました。そして、その延長として現在の銀河文明の繁栄があるわけですが……当時、ほぼ同等の、いや、純粋な艦隊戦力においてはGP大艦隊《グランドフリート》を凌駕《りょうが》していたとも言われるボスコーン艦隊を撃滅せしめたものとは、いったいなんだったのでしょうか。
それは、あの[#「あの」に傍点]グレー・レンズマン、キムボール・キニスンによる、ある種のスパイ工作――ボスコーン艦隊の戦術情報の漏洩《ろうえい》や、旗艦の指揮機能の破壊――であるとも、また、レンズ通信網を利用した、GP艦隊の大艦隊作戦行動統御法《グランドフリート・オペレーションズ》にあるとも言われています。もちろん、そうした要素は、後世の研究家があの大戦闘を語る際には避けることのできないものでしょう。しかし、わたしは歴史家でも戦略家でもありません。ただ自分の見たものを、そして自らの直観を重視するのみです。あの日のわたしの心に、最も強い印象を残したもの――それはクロヴィアの太陽の輝きでした。そう、現在もクロヴィア、地球《テルス》、セントラリアなど、銀河文明の中核となる星系を守り続ける、究極の防衛兵器――あの太陽ビーム砲が、“クロヴィアの戦い”の中で使用されたのです」
『キニスン?』クザクがキニスンに呼びかけた。やけに手間取っているようだ。
『このスクリーンは最新型だ』キニスンが答えた。『暗号化された表層が、常に変動して……だが、もう少しだ……よし!』キニスンはフリードマンの思考波スクリーンを突破し、自らの“精神の手”をフリードマンの精神に侵入させた。が――
『……なんだこれは!?』キニスンはその“手”を、反射的に引き上げた。
キニスンはフリードマンの精神に侵入できなかった。彼がフリードマンの思考波スクリーンの奥に感じたのは、巨大な熱と質量、そして毒性を持った、混沌《こんとん》とした塊だった。キニスンの“手”は、その塊に触れただけで火傷を負いそうになり、それ以上深くフリードマンの内部に入り込むことはできなかった。キニスンの接触に気づいたのか、気づかなかったのか――フリードマンはよどみない調子で演説を続けていた。
「あの時、あえて中央部を空けて展開した大艦隊《グランドフリート》に対し、ボスコーン艦隊は、なしくずしに、誘い込まれるように突入していきました。その艦隊規模に見合う統御能力に欠けるボスコーンには、そうするより他になかったのです。もちろん、それは銀河パトロールの仕掛けた罠でした。細長く伸びたボスコーン艦隊の進行方向には、クロヴィアの主星が煌々《こうこう》と輝いていました。
やがて、主星からボスコーン艦隊に向けて、一条の光線が放たれました。主星とその周囲を巡る無数の人工小惑星――大出力の励磁ステーションによる、星系規模の光子整流装置――太陽ビーム砲による攻撃です。恒星の全エネルギーを凝縮した、固体のごときエネルギーの柱に飲み込まれ、ボスコーンの超大型戦艦が、超打撃艦《スーパーモーラー》が、機動要塞が、跡形もなく蒸発しました。不謹慎とそしられるかもしれませんが――わたしはその力を、その輝きを、とても美しいと思いました。あの時わたしは、いつかきっと、自分の太陽[#「自分の太陽」に傍点]を手に入れよう――そう思ったのです」
『――奴を押さえるぞ』キニスンは、ウィリアム・ウィリアムズの取り巻きがフリードマンのスピーチに聞き入っている隙に、人の輪を抜け出し、足早に歩き始めた。
『|心得た《QX》』と言《い》って、クザクがキャットに歩み寄り、その目の前に肘《ひじ》を出した。
『あ?……おう』キャットがその腕につかまり、ふたりは闇に沈んだ場内を、ステージに向けて移動し始めた。
「――その後、運よく“クロヴィアの戦い”を生き延びたわたしは、一兵士から一隕石鉱夫となり、各地の鉱山星系を転々としました。そして、いくつかの幸運に助けられて大金を手にし、それを元手に会社を興し、成長させ――そしてついに、自分の[#「自分の」に傍点]恒星《ほし》を手に入れました。わたしはその星を、“アルゲス”と名づけました。わたしの母の故郷、地球《テルス》の神話に登場する|一つ目巨人《サイクロプス》のひとり。天空神と地母神の間に生まれた、“閃光”を象徴する怪物です」フリードマンはそこまで言うと、ちらりと時計を見た。「そして、今――あと一〇秒で、アルゲスは目覚めます[#「アルゲスは目覚めます」に傍点]。わたしの話は以上です。……みなさま、ご静聴ありがとうございました。では、ここで全員死ね」
フリードマンは手に下げた工具箱から、巨大な黒いハンドガンを取り出した。薄暗いホールの中に熱線の光芒《こうぼう》がまたたいた。場内にいくつもの悲鳴が巻き起こった。
「なんだァ!?」キャットが叫んだ。
「いかん!」キニスンが懐から、二挺のデラメーターを抜いた。
「――ミス・モーガン!」と言いながら、クザクが駆け出した。
「お、おう――!」キャットはドレスの裾をまくり上げ、左腿にくくりつけてあったクザクの日本刀を手に取って、前方に大きく放った。クザクは走りながら後ろ手にそれをつかみ、さらに足を速め、混乱する群衆の中をすべるように駆け抜けた。
「ハハハハハ! みんな死ね、みんな死ね!!」フリードマンは笑いながら、会場内に向けてビーム銃を乱射した。テーブルが倒れ、グラスが砕けた。悲鳴と混乱、そして肉の焼け焦げる匂いが、空間を支配した。
『やめろ!』キニスンはステージに駆け寄りながら、フリードマンに向けて最大級の精神衝撃を放った。
「ハ!」フリードマンは顔も向けずに、精神衝撃の放たれた方向からキニスンの位置を逆算し、発砲した。攻撃に意識を集中していたキニスンは、回避が遅れ、熱線に肩を焼かれて倒れた。
同時に、フリードマンの思考波スクリーンが、発生機の回路をキニスンの精神衝撃に焼き切られ、消滅した。しかし、フリードマン自身の混沌とした思念の渦は、キニスンの攻撃的思考を難なく飲み込み、受け流した。そればかりでなく、シールドによって遮断されていた無制御な殺意が、まるで風船がはじけるように解放され、ほとんど物理的な圧迫感をもって会場全体をおおった。
『ハハハ死ね死ねハハ死ね死ね死ね死ねハハハハハ!!』
クザクは殺意の風圧を切り裂くようにステージに駆け寄り、跳躍した。彼はその殺意の匂い[#「匂い」に傍点]を知っていた。かつて、アルデバランの戦いの直前、瀕死のビル・モーガンのレンズ通信が、彼にそれを教えていた。
「そこまでだ、ケネス・フリードマン!」クザクは空中で抜刀しながら、ステージ上の、フリードマンから二〇フィート([#ここから割り注]約六メートル[#ここで割り注終わり])ほどの位置に着地した。「いや――カロニアのデイルズ!」
「ハ、出たなサムライ!」フリードマン――デイルズは、青い瞳に魔物の笑みを浮かべると、クザクに向けて銃を振り上げた。
クザクは反射的に自らの精神を鏡面化した。アルタイル柔術の奥義“明鏡止水《ミズカガミ》”。彼に向けられた殺意はすべて、それを発した者自身に返っていく。
だが、デイルズが狙《ねら》ったのはクザクの体ではなかった。クザクの肩をかすめて走った強力な熱線が、ホールの壁の構造物の一部を破壊した。デイルズはさらに、自らの肩越しに、あるいはわきの下に銃を振って、引き金を数度引いた。デイルズが狙ったのはホールを加重する重力プレートの制御装置だ。会場全体が無重力状態になり、場内のあちこちに、新たな悲鳴が生じた。テーブルやグラスが、そしてパーティの参加者たちが、足場を失って宙に浮いた。
突然、ホールが真っ赤な光に満たされた。デイルズの頭上に黒々と存在していた〈フリードマン・シェル〉が、スクリーンを展開したのだ。赤いK6T型防御スクリーンをまとった〈シェル〉は、爆発寸前の赤色巨星のごとく、凶暴な力に満ちて見えた。
“閃光”の名を持つ怪物《サイクロプス》が、たった今、目覚めたのだ。
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12 アルゲス脱走
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会場内のあらゆる目が、その赤い、禍々《まがまが》しい天体に吸い寄せられた時――それらの視線に沿うように、一条の光がドームの天頂に向けて放たれた。デイルズの銃から発射された、最大出力の熱線。それは特殊ガラスのドームに直径五フィート([#ここから割り注]約一・五メートル[#ここで割り注終わり])ほどもある穴を空け、次の瞬間には、そこを中心にガラスがくだけ、最初のものの数倍はある大穴が開いた。
ホール内の空気が、テーブルやパーティ客をゆっくりと巻き込みながら、渦を巻いてドーム外へ流れ出した。
「おじいさま――!」白いドレスの少女、マギーが空中に巻き上げられた。彼女の祖父、ライアン元准将が柱につかまりながら手を伸ばしたが、彼の手はマギーの手を捉えそこね、孫娘の体は風に舞い上がった。「マギー!」
その時、老退役軍人の傍らを、ひとりの人影が走った。赤く照らされた会場内になお赤く輝く、レッド・グラモレット地のドレス。キャットと名乗った娘だ。キャットはライアンの横を駆け抜け、浮き上がりかけたテーブルを踏み台にして高く跳ぶと、空中でマギーの体を抱えた。赤と白の花びらのように、ふたりは風に揉《も》まれながら空中に舞い、そして――
キャットは右|腿《もも》のホルスターからトラクターガンを引き抜き、床に向けて撃った。牽引《トラクター》ビームの反作用で床に引きつけられた自らの体を器用に足から着地させたのは、宇宙作業者ならではの身のこなしだ。
「じいちゃんにつかまってな!」キャットはマギーを投げ渡すようにライアンに押しつけると、右手にトラクターガンをかまえ、左手でドレスの裾をからげて、無重力の床を駆けていった[#「無重力の床を駆けていった」に傍点]。
マギーは祖父の体に抱きつき、目を輝かせながら、赤いドレスの背を見送った。「おじいさま――あの人、とってもいかしてる[#「いかしてる」に傍点]わ!」
一方ステージ上では、クザクは床に日本刀を突き立て、風に逆らって体を固定していた。だが、そこから身動きが取れない。
「――ッハァ」デイルズは床に這《は》うクザクを見下ろし、銃口をゆらめかせた。が、引き金は引かない。サムライに殺意を向けたものは、わが身を滅ぼすことになる――そのことを、デイルズはよく知っているのだ。代わりにデイルズは、ヘルメットをかぶりながらステージを蹴って、空気の渦の中に飛び込んだ。ドームに空けた穴から逃走するつもりだ。「ハハハハハ――あばよ、サムライ!」
が――その足を、一条の牽引ビームが捉えた。
「逃がすかよ!!」キャットが叫んだ。風にはためくドレスの裾から、宇宙作業用の吸着ブーツがのぞいている。キャットは右足を床に、左足を壁に踏ん張り、トラクターガンを両手にかまえていた。
「ハ」デイルズはフェイスプレートの奥で笑みを浮かべると、銃をキャットに向けた。
その時、床を蹴り、二〇フィート([#ここから割り注]約六メートル[#ここで割り注終わり])の距離を一瞬に跳躍して、クザクがデイルズに迫った。デイルズが放った熱線が、キャットの胸を撃ち抜く代わりに、横合いから飛び込んだクザクの横腹をえぐった。同時に超重物質《デュレウム》の刃が一閃《いっせん》し、デイルズの右腕を肘《ひじ》の上から裁ち落とした。
「くあ!」巨大なハンドガンを腕ごと取り落としながら、デイルズは空中で身を丸めた。
クザクは足場を失ったまま暴風に呑まれ、血の玉をまき散らしながら、ドームの穴に向かって流されていった。
「馬鹿――!」キャットは一瞬ためらったのち、デイルズにロックしていた牽引ビームを切り、代わってクザクの体を捉えた。デイルズは宇宙服の推進機を噴かして天井へ向かった。
キャットがトラクターガンの出力を上げてクザクを引き寄せ始めた時、ホールの正面から、一団の装甲宇宙服が飛び込んできた。全体に大柄な、ずんぐりした体形で、各々、手には大ぶりの宇宙斧《スペースアックス》をかまえている。
「おい、新手かよ!?」キャットが叫ぶと、
『やあ、来たな、バス!』キニスンの思考波が侵入者に呼びかけた。
キニスンの肩口は熱線に焼かれ、血と焦げあとに赤黒く染まっていた。相当な重傷だが、しかし、彼は自らの神経を精神的に麻酔し、平静な意識を保っていた。
『へっへ、パーティにお招きくださり、おありがとうござい。正装にて罷《まか》りましたぜ』先頭のずんぐり男が、宇宙斧を振ってにやりと笑った。あらかじめ数光年先の無人星系に待機していた〈ドーントレス〉号が、キニスンのレンズ通信を受けて急行し、ヴァンバスカーク大尉率いるヴァレリア人突入部隊を〈アトランティック〉号に送り込んだのだった。
その時、彼らの頭上から、強力な思考波が投げ掛けられた。
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『ハハハハ! 痛えな愉快、愉快! 畜生、ゆるさねえ! 殺してやる氷のような不安が、おれの――殺す!! てめえらが背筋を走るだろう背骨の中を一番心を蝕《むしば》む炎を苦しむ方法で、精神が、ハハ肉体が、最も苦痛を銃《ガン》が! 銃《ガン》が! おれの銃《ガン》が! いたぶりすがりつけそれが信仰だ殺してやるぜ!! ヒハハハハ――この糞ども!』
狂気と殺意をはらむ爆発的な思考波が、魔物の鼓動のようにホール全体を打った。ほとんど言語の体《てい》をなしていないそれは、ドームの穴の縁近くに張りついた、宇宙服の――片腕の――男、デイルズのものだ。思考波の直撃を受けて、何人ものパーティ客が体をのけ反らせ、あるいは嘔吐《おうと》した。デイルズは燃える氷[#「燃える氷」に傍点]のような目で場内を一瞥《いちべつ》すると、体を丸め、流出する空気の流れに乗って、ドームの外へと飛び出していった。
『ハハハハハ殺す殺すハハハハハ――!』
すでに緊急閉鎖を始めていたドームの外部カバーは、カロニア人の哄笑《こうしょう》を締め出すように音を立てて閉じた。空気の流出が止まり、非常灯が場内を照らした。
『……あいつは、いったいなんなんで?』あっけにとられた様子で、ヴァンバスカークが言った。
『話は後だ』キニスンは言った。『奴を――いや、乗客の救助が優先だ。急げ』
キニスンは思考波の帯域を広げ、ホール全体に呼び掛けた。
『会場のみなさま、わたしはクロヴィアのキムボール・キニスンです。今からGP隊員が場内を回ります。落ち着いて、誘導に従ってください――』
やがて、吸着ブーツで床や壁を走り、あるいは推進機を低出力で吹かしながら、突入隊員たちは無重力の場内を巡り始めた。おのおの、長いロープを背後に引き、パーティ客をつかまらせている。また、その他にも、気を失った者やショック症状で動けない者を取り残さないよう、手ぶらの隊員が会場の隅々まで見て回っている。
「お近くに動けないかたがいらっしゃいましたら、手を貸してあげてください!」
「重症の場合はお近くのGP隊員に声をおかけください!」
「こぼれた飲み物や嘔吐物を吸い込まないよう、口元をおおって!」
「――ようし、丁寧にやれ、丁寧に! やんごとねえみなさま方を手荒に扱って、ぶっこわしたりするんじゃねえぞ!!」宇宙服の通信機に指示を出しながら歩いてきたヴァンバスカークが、クザクとキャットに気がついた。キャットはドレスの裾を破いた布でクザクの腹を縛り終え、肩を貸して無重力中に立たせる姿勢を取っているところだった。
「お、これは悪霊の――もとい、サムライの旦那。お久しぶりで」
「うむ」ヴァンバスカークの敬礼に、クザクは頭を下げて答えた。傷が痛むはずだが、クザクは相変わらず無表情のまま、眉ひとつ動かさない。
「そちらのレディは、旦那のいい人[#「いい人」に傍点]で?」
「いや。こちらはミス・モーガン。今回の捜査に協力してもらった」
「ちったあ照れるとかしろよ」キャットは口を尖《とが》らせ、作業ブーツでクザクを蹴りつけた。
「おほっ! こいつは活きのいいお嬢さんだ」ヴァンバスカークはキャットの姿を上から下まで眺めると、ヴァレリア風の赤ら顔に粗削りな笑みを浮かべた。「靴の趣味もいい」
『バス、急いでくれよ。今、ボスコーンに襲われたら――』ヴァンバスカークの軽口にキニスンが割って入った、その時――
『キニスン閣下、緊急事態です!』〈ドーントレス〉号に所属するレンズマン士官が、キニスンに思考波で呼び掛けてきた。『本艦は、〈フリードマン・シェル〉から発進した小型宇宙艇の攻撃を受けています!」
『宇宙艇――?』
『小型なれど多数――いえ、無数です!!』
*
〈アトランティック〉号の乗客・乗員は、できる限りの早さで収容されたが、それが終わるころには、〈ドーントレス〉号の周囲には赤い光球群がびっしりと群がっていた。K6T型スクリーンを展開しつつ〈フリードマン・シェル〉から飛び立った、昆虫型攻撃ロボット群。疑似トレンコ惑星の軌道上にいたのと同型のものだが、今回は数が圧倒的に違う。
攻撃ロボットは牽引《トラクター》ビームで〈ドーントレス〉号の船体の表面にとりつき、貫通ビームで外装に穴を開け始めた。宇宙艦のビーム砲に比べれば問題にならないほどの低出力だが、何万というそれが間断ないゼロ距離射撃を加えているとなると、そのエネルギー総量は馬鹿にならない。しかも、〈ドーントレス〉号の副砲やビーム機銃などの装備では――それらはすでに全力で四方に熱線を放っているが――新たに艦に向かってくる機体のいくつかは破壊できても、すでに船体に取り付いた無数のロボットには命中しない。いくつものスクリーン発生機が、なすすべもなく飽和し、機能停止した。また、すでに無人となっていた〈アトランティック〉号は、機関部を熱線に貫かれ、爆発した。
『第三スクリーン崩壊、第二スクリーンも出力低下中――!』艦橋で被害報告を聞くキニスンに、ヴァンバスカークからの通信が入った。『キム、おれらが表に出ましょうか?』
「ふむ……」キニスンは考えた。確かに、それもひとつの手だ。装甲宇宙服を身に着けたヴァレリア人部隊が〈ドーントレス〉号の外装上で宇宙斧《スペースアックス》や可搬式《セミポータブル》ビーム砲をふるえば、あのロボットたちを効率的に排除できるだろう。だが、危険だ。相手は数において圧倒的に優勢、しかも宇宙艇としての機能を有している。せめて、空中格闘のエキスパートであるヴェランシア人がいれば……!
――無い物ねだりをしても仕方がない。キニスンは頭を振って思考を切り替えた。
「全力噴射にて離脱!」
「目標は?」主席パイロットのヘンリー・ヘンダースンが聞いた。
「どこか近隣の星系――ガス惑星があるところがいい」
キニスンの考えを悟って、キャットが割って入った。
「なら、この星系の第八惑星跡がガス溜まりになってるぜ」
「なに――座標はわかるか? 航法タンクを見てくれ」と、キニスンが言った。
『第二スクリーン崩壊!』
「タンクなんか要らねえ――」キャットは操縦席に駆け寄り、メイン映像プレートの中にアルゲスと第一銀河系、その他いくつかの指標星の位置をすばやく見て取った。次いで〈ドーントレス〉号の現在位置を航法プレートで確認し――「こっちだ!」
「QX、主観座標、緯度一・二、経度一一四・三――セット!」とヘンダースン。
「よろしい! 〈ドーントレス〉号発進!」
「QX、〈ドーントレス〉号発進!」
〈ドーントレス〉号はバーゲンホルムを始動し、最大出力で推進機を噴かした。銀色の涙滴形の巨体が、真っ赤な光点に覆い尽くされたまま、数千光速の速度で機動を開始した。恒星間空間で毎時一〇〇パーセク、銀河間空間においては毎時一〇万パーセクという速度を叩き出す〈ドーントレス〉号にしてみれば、これは静止に等しいスピードだが、いかなる高速艦といえども、星間物質の密度が高い星系内空間では、こんなものだ。
やがて、一〇秒足らずの時間でアルゲス星系を横断した〈ドーントレス〉号は、映像プレートに第八惑星跡のガス溜まりを発見。精密な軌道修正を行ないつつ、そのままの勢いで突入した。
万能戦艦たる〈ドーントレス〉号は、惑星の大気層や液体層においても宇宙空間と同様に――無論、速度は比較にならないほど落ちるが――航行する能力、端的に言えば巨大な推力とシールド強度を持っていた。だが、ボスコーンの攻撃ロボットはそうはいかない。作業ロボットに毛の生えた程度の耐久力しか持っていないそれらは、〈ドーントレス〉号が壁を突き破るようにガス雲を貫いた瞬間、その衝撃で破壊された。船体シールド表面で、圧縮されたガスと破損したロボットの機関部が一気に爆発し、また、ガスに混じって存在する小惑星塊が激突してきた。そして――
巨大な爆炎の中から、白銀の船体がその偉容を現した。防御スクリーンは第一層まで完全に破損していたが、船体そのものは無傷だった。
ガス雲を抜け、恒星間空間に至ると、艦橋の映像プレートの星の位置が、目に見えて動きだした。後方視界用のプレートの中では、すでに赤い光点となっていた〈フリードマン・シェル〉が、みるみる輝度を失い、やがて見えなくなった。
*
居住惑星数十億個分の面積を持つ〈フリードマン・シェル〉の表面は、その設計の時点から、地球《テルス》型種族の居住空間としての利用を見込まれていた。空間的にも、エネルギー的にも、〈シェル〉は単体で星域レベルの人口を賄《まかな》えるはずだった。
しかし今、〈シェル〉の“地表”にいるのはただひとり、カロニアのデイルズのみだ。数時間前までは、何千人かの技術者が運転要員として“地表”のいくつかの管理ステーションに配置されていたが、彼らは〈シェル〉の起動と同時に、“地表”の整備用ロボットに不純物として処理[#「処理」に傍点]された。有人の管理ステーションはダミーに過ぎなかった。〈シェル〉と〈R‐Fシステム〉は、その稼働に人間の手を必要としないのだ。
〈シェル〉の起動直後、〈アトランティック〉号を飛び出したデイルズは、作業ロボットに回収され、〈シェル〉の“地表”に降り立った。そこにはデイルズ専用の、まったく彼個人のための居住設備があった。彼はそこで、宇宙服を着替え、顔面の肌色のメイクを落とし、それから医療ロボットに命じて、〈R‐Fシステム〉に設計させた機械式の義手を、失った右腕の代わりに接合させた。
「ハハハ糞糞糞、奴めやりやがったな、クザク……クザク!!」
荒れ狂う怒りが、やがて、義手が低い唸《うな》りを発しながら作動を開始すると、沈静化した。形態もサイズも本来の右腕に似せて作られたその義手は、“ある目的”のために、彼が事前に用意していたものだった。黒光りする外装のすき間のあちこちから、銀色の腱が覗《のぞ》いている。手のひらの真ん中には、直径一インチ([#ここから割り注]約二・五センチメートル[#ここで割り注終わり])ほどの、半透明の円盤型をした物体がはまっている。デイルズは黒く光る義手を肩の高さに持ち上げ、手のひらを上に、二度、三度と拳を握った。反応は良好だ。
クザクはデイルズの右腕を奪ったが、それは、彼が自らの目的のために最初から切り捨てようとしていた部位[#「最初から切り捨てようとしていた部位」に傍点]でもあった。デイルズが義手に意識を集中すると、ブウン、という唸りとともに、手のひらの円盤が光を放ち、その上に、発光するシャボン玉のような、虹色の光球を発生させた。彼は指の間に光を閉じ込めながら、その小さな光球を握り込み、薄く笑みを浮かべた。――そう、運命はいまだ、わが手の内にある。
接合手術が終了すると、デイルズは部屋を移動した。移った先は、直径一五〇フィート([#ここから割り注]約四六メートル[#ここで割り注終わり])ほどの、円形の部屋。照明を落とされた暗い空間の中にあって唯一光を放っているのは、人の頭程度から両手で抱えるほどにまで、鼓動するように大きさをかえる、渦巻く虹色のエネルギー球。アルデバラン第一惑星のガーセンの基地にあったものと同様、“ボスコーンを代表する者”オンローのアーゼロンからの連絡を中継する、思考波通信装置だ。
この円形の部屋は、〈フリードマン・シェル〉の制御室だった。〈シェル〉は完全に自動的なシステムだったが、この部屋からの思考波による意志決定にしたがって働くように設計されていた。つまり、ボスコーンの通信光球が中継するアーゼロンの思考波が、この直径四五〇万マイル([#ここから割り注]約七二〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])の大天体を支配するのだ。
そして今――アルゲスの支配者たるアーゼロンの威圧的な思考波は、室内をふるわせ、デイルズを打ちのめさんとしていた。
『デイルズ、おまえの行動は不合理にして非効率である。銀河文明市民ケネス・フリードマンとしての身分を自ら捨て、フリードマン社の関係者を殺傷したのは、いかなる理由による行動か』
「殺さない理由[#「殺さない理由」に傍点]がなくなったからです」デイルズは答えた。
「〈フリードマン・シェル〉が完成した今、もはやわたしには、彼ら銀河文明に依存する必要はありません」
『だが、あえて殺す理由もない』
「片をつけたかったのです。自分の手で片をつけて、せいせいしたかった。そう、レンズマンの介入のため、皆殺しには至りませんでしたが……」デイルズの青い端正な顔が、魔物の笑みを浮かべた。「……くく……あの悲鳴、あの混乱……!」
『デイルズ!」アーゼロンの思考波が、圧力を高めた。『おまえの利己的かつ無意味な行動は、わが組織の利益を著しく損なっている。おまえの暴走は、銀河パトロールに〈フリードマン・シェル〉に対する警戒の念を生じせしめた。もうしばらくの間擬装を続けれていば、計画を完璧に完遂できたろうが、それも今や不可能となった』
「計画――?」
『おまえが提案し、わたしが承認した、アルゲス星系の要塞化及び、それを中心としたボスコーン支配圏の拡大計画だ』
「――ハハハハハ!」
デイルズが、突然、天を仰いで哄笑した。
『どうした、デイルズ』
「――と、これは失礼いたしました」デイルズは、あくまで慇懃《いんぎん》に答えた。「計画、計画でございますね。あれは――嘘だよ、馬ァ鹿」
デイルズの機械製の右腕が拳銃の|早抜き《クイックドロウ》のようにひらめき、その手のひらを光球にひたり[#「ひたり」に傍点]と当てた。そして、黒く光る彼の義手は、自らの内蔵する、独特の機能を作動させ始めた。デイルズの新しい右腕は、彼の混沌《こんとん》とした高圧の思考波を制御する思考波整流装置であり、手のひらの円盤は思考波を放出する端子だった。それらは言わば、アリシアのレンズの、粗雑な模造品としての機能を備えていたのだった。
『デイルズ――!?』
「あばよ」
手のひらの円盤が、デイルズ自身の高圧の思考波を増幅し、方向づけ、圧縮し、ひと塊の精神衝撃として放った。通信光球が破裂し、文字通り爆発的な思考波を周囲にまき散らした。その致死的な衝撃を涼しい顔で受け流すと、デイルズは部屋の中央、先ほどまで光球があった位置に、片膝を立てて座り込んだ。
「――さて」
デイルズは右手を上に向けて開いた。その手のひらの上に、先ほど破裂した通信光球にそっくりの、虹色の光球が生じた。すると――それに呼応するように、暗い制御室の壁面一杯に、低い、機械的な唸りが生じ、さまざまな形態のランプが灯り始めた。
*
〈ドーントレス〉号の各部署の状況報告――被害は軽微だった――が終わると、
「さて、キム。これからどこへ?」ヘンダースンがふり返った。
「クロヴィアに帰還する」と、キニスンは答えた。
「あれ[#「あれ」に傍点]をほっとくのかよ?」キャットが〈ドーントレス〉号の船尾――アルゲスの方向を指した。
「放ってはおけんな」キニスンは言った。「デイルズを野放しにしておくとどうなるか? おそらく奴は〈R‐Fシステム〉を用いて、アルゲス星系を、太陽ビームを完備した難攻不落の戦略基地に改造するだろう。――それがデイルズの目的だと考えれば、ここ数年の奴の活動が見えてくる。奴は表の社会ではフリードマン社の仮面をかぶって合法的にロボットの開発をさせ、裏ではそのロボットを利用して生産したシオナイトをさばいて利益を得ていたのだ。大量のシオナイトの|投げ売り《ダンピング》は、短期的な大利益――フリードマン社の運営資金を得るための手段だ」
「荒っぽい商売だな」キャットが言った。「そんなやり方じゃ、何年かあとにはヤク中の群れしか残んねえだろ」
「その通り。だが、デイルズには、麻薬市場やフリードマン社のその後のことを考える必要はなかった」キニスンは説明を続けた。「奴の目的はただ、アルゲスの〈フリードマン・シェル〉を完成させることにあったからだ。そして、完成した〈シェル〉を組み込むことによって、〈R‐Fシステム〉は真に[#「真に」に傍点]起動した――恒星アルゲスの放射エネルギーを基盤に、銀河文明の経済に依存することなく稼働する、完全に自立したシステムとなったんだ。奴はアルゲスを足掛かりにして、フリードマン社の開発計画そのままに、数年のうちに何百という未開発星系を支配し、第二銀河系の未踏星域にボスコーンの一大勢力圏を作り上げるだろう」
「うむ」クザクが言った。「早急に次の手を打つ必要がある」
「もう打ったよ[#「打ったよ」に傍点]」キニスンはにやりと笑い、レンズを示した。「奴に時間を与えはしない。今、アルゲスには、近隣の全艦隊がありったけの誘導惑星と負《ネガ》爆弾を持って向かっている。じきに『包囲完了』の報告が届くはずだ」
と、そこに、レンズ通信が到達した。
『キニスン閣下、こちらクロヴィアの偵察艦隊です』
「そらきた」キニスンはレンズに向かって答えた。「こちらクロヴィアのキニスン。全艦、ガンマ・ゼータ・トレーサーを最大限に展開――攻撃部隊の到着まで、アルゲス星系から鼠《ねずみ》一匹逃がすなよ!」
『いえ、それが――』偵察艦隊のレンズマンは言った。『アルゲスの〈フリードマン・シェル〉が、消失しました……!』
[#改ページ]
13 オンローの誤算
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[#改ページ]
キニスンはクロヴィアに帰還するや否や、技術部長ソーンダイクをオフィスに呼び出し、アルゲスに生じた事態を説明した。
「馬鹿な! あり得ん!!」ソーンダイクはデスクに両手を叩きつけた。「恒星を超空間チューブで運び去る[#「恒星を超空間チューブで運び去る」に傍点]など、非常識もいいところだ!」
「だが、そうとしか考えられん。完全な監視体制を敷きつつあった偵察艦隊の目の前で、〈フリードマン・シェル〉は消え失せたのだ。あの糞でかいタマ[#「タマ」に傍点]が、跡形もなく、だ。その直前には、サブ・エーテル領域の空間歪曲が認められたそうだ――〈シェル〉は超空間チューブを通って包囲網から脱出したのだと考えるしかあるまい」キニスンは革張りのシートの上で、いらだたしげに足を組んだ。「ヴェルヌ、きみがそれを不可能だとする根拠はなんだ?」
「“カーディンジ限界”だ」ソーンダイクは言った。「キム、きみも知っての通り、恒星級の巨大質量の付近には、超空間チューブの末端を開口させることは不可能だ。その事実を否定するのは勝手だが、その場合はきみが直々に、理論提唱者たるサー・オースティン・カーディンジと話し合ってくれたまえ。こっちは学者先生にわけのわからん数式を三時間も聞かされるのはごめんだからな。わたしはただ、もしそうした制限がなかったなら、銀河文明の主要な恒星はすでに、片端からボスコーンの誘導惑星の直撃を受けて破壊されているだろう、という事実をもって数学的証明に代えたいね。とにかく、超空間チューブは[#「超空間チューブは」に傍点]、大質量の至近には存在し得ないんだ[#「大質量の至近には存在し得ないんだ」に傍点]」
「それゆえに、アルゲスの〈フリードマン・シェル〉が超空間を通ることは不可能だと言うんだな、ヴェルヌ?」
「ああ、そうだとも。言うなれば、無重力の空中に砂鉄で描いた輪の中を、強力な磁石がくぐろうとするようなものだ。自分が発する磁力が輪を崩してしまうため、磁石は永久にそれをくぐれない」
「だが、その磁力が――つまり、この場合恒星アルゲスの質量が、完全に中立化[#「中立化」に傍点]されていたとすればどうだ?」
「なんだって?」
「つまり、超・超大規模なバーゲンホルムによって、アルゲスが自由航行《フリーフライト》の状態にあったとすれば? 見掛けの質量がゼロならば、チューブに影響を与えることもあるまい」
「馬鹿な!」ソーンダイクは叫んだ。「恒星の無慣性化[#「恒星の無慣性化」に傍点]など、聞いたこともない!」
「だが事実だ、ヴェルヌ」キニスンは静かに言った。「われわれは思考せねばならん。そもそもこれまで、“惑星の[#「惑星の」に傍点]無慣性化”が可能であるにもかかわらず、“恒星の[#「恒星の」に傍点]無慣性化”は不可能であるとされてきたその理由とは、いったいなんだ?」
「惑星と違い、恒星の表面にバーゲンホルムを設置することは不可能だからだ」ソーンダイクは即答した。
「そうだ。しかし、それは理由ではなかった[#「理由ではなかった」に傍点]」と、キニスンも即座に言い返した。「われわれの中に、恒星を『不動のもの』と認識する固定[#「固定」に傍点]観念があったという、それだけのことだ。われわれはすでに、物理的接触が不可能な物体――いや、反[#「反」に傍点]物体――を無慣性化する手段を確立していたじゃあないか」
「反物体? ――負《ネガ》爆弾か!」
「そう、われわれはあの危険極まりない負《ネガ》質量の塊を運ぶとき、牽引《トラクター》/圧迫《プレッサー》ユニット群を内側に配置した|かご《ケージ》を用いる。今回はその応用と言えるだろう。アルゲスの簒奪者《さんだつしゃ》は、恒星発電用の球殻《シェル》を搬送用ケージとして利用した――いや、最初からその機能を果たすべく、それを設計したのだ」キニスンはデスクの上に身を乗り出し、顔を突き出した。「ヴェルヌ、われわれは思考せねばならん。真に思考せねばならん。今まで考えてもみなかったことを、今こそ考えなければならん。――超空間チューブによる搬送が可能な恒星を手に入れたボスコーンが[#「超空間チューブによる搬送が可能な恒星を手に入れたボスコーンが」に傍点]、次に取る行動とはなんだ[#「次に取る行動とはなんだ」に傍点]?」
「ふむ、む……必然的に考えられるのは、太陽系《ソル》、セントラリア、クロヴィア、スレール――その他、銀河文明の重要星系に対する、恒星の質量とエネルギーを利用した直接攻撃、すなわち恒星爆弾[#「恒星爆弾」に傍点]だ」
「その対策は?」
「対策というほどのこともない」ソーンダイクは答えた。「誘導惑星の迎撃と同様、バーゲンホルムの停止による即時有慣性化。つまりこの場合は、恒星アルゲスを包む〈フリードマン・シェル〉を破壊すればいい。負《ネガ》爆弾か太陽ビームによる攻撃で片がつくだろう。相手が完全に固有ベクトルによる衝突コースに乗ってしまった場合はやっかいだが、専用の防衛装置――例えば、超高出力の圧迫《プレッサー》ゾーン発生機など――で対処できるだろう。こちらはすぐにでも設計に取り掛かるが、今は手持ちの札で防衛計画を立てておくことを進言する」
「QXだ、ヴェルヌ。きみは防衛装置建造の見積もりを出してくれ。わたしは戦略会議を招集する」
キニスンが立ち上がった時、ひとつの思考波が、彼のレンズに到達した。
『クロヴィアのキニスン、よろしいですか……?』その思考波はひかえ目かつ穏やか、しかし同時に、おそろしく明晰《めいせき》で正確なものだった。『こちらはパレイン第七惑星のナドレックです。あなたの貴重な時間と注意力を、わたしのような取るに足りない者の発言によって浪費せしめることを、どうかお許しいただけますでしょうか』
『歓迎します、ナドレック!』おそるおそる、と言った調子のその思考波に対し、キニスンは即答した。『あなたの発言が重大でなかったためしはありません』
パレイン人の常として、ナドレックの物腰はひかえ目かつ穏やかで、そして弁解がましかった。ほとんど恐縮しきっているかのようだ。だが、決して彼を侮ってはいけない。パレインのナドレックは、両銀河に四名しか存在しない第二段階レンズマンのひとりだ。ということはつまり、彼はキムボール・キニスンに匹敵する巨大な知力と行動力の持ち主なのだ。
しかし、銀河文明において最も有力な人物のひとりであるにもかかわらず、彼は自分の行動が表に出ることを望まない。彼は常に単独で極秘裏に行動し、最も注意深い統計学者にしか感知されえない、透明な存在であり続ける。
つまり、こういうことだ。ある特定しがたい時期から、ボスコーンの下部組織の中で、事故の発生率、構成員の疾病率《しっぺいりつ》、備品の損耗率が誰にも気づかれない速度でじわじわと上がり、やがて、組織はストレスに耐え兼ねて自壊する。反乱が発生し、ボスコーンたちは士官も兵卒もみな、互いに殺し合いを始め、残らず死に絶えるのだ。そこにはレンズマンの介入の痕跡はまったく残されない。
ソーンダイクは、いつだったか、キニスンがナドレックを評して、こんなことを言っていたことを思い出した。
「要するに、彼は極度の完璧主義者なんだ。例えば先日、彼がボスコーンの残党の基地を攻略した時の話を知ってるかい。わたしならGP艦隊を招集して包囲撃滅を計るだろうその要塞を、例によって彼はひとりで――誰の助けも借りずに、たったひとりで壊滅させてしまったんだ。それだけでも驚くべきことだが、そのあとの台詞《せりふ》がふるっていたね。そう、こんな調子だ――」
キニスンは、彼の思考波を真似て言った。
『お恥ずかしい限りです。そのことに言及してわたしを苦しめるのは、もう、どうかご勘弁ください。わたしは単なる非力を越えて無能でした。きわめて手際が悪かった。ほとんど許しがたいほどです。……ボスコーン基地の最後のひとりが、予定より五――も長く生き延びたのです。彼の死を完全に確認するまでの時間は、わたしにとって、永劫《えいごう》に続くかと思える恐怖の時でした』
『五――なんですって? 五日間?』
『いえ、五分間です』
――そして現在。キニスンの物まね[#「物まね」に傍点]ならぬ本物のナドレックは、まさに彼そのものの口調で、キニスンに“ある事実”を告げ始めた。
『実に、実に瑣末《さまつ》なことなのです。しかし、わたしの脆弱《ぜいじゃく》な精神は、些細《ささい》な出来事に対しても大きな不安を感じてしまいます。もし、お耳を拝借願えるなら、お話ししましょう。どうかわたしの怯懦《きょうだ》をお笑いください』このパレイン流の長口上は、高速のレンズ通信でなければキニスンを辟易《へきえき》させていたことだろう。しかし、そんな思いをおくびに出したが最後、この銀河最大の小心者は、一〇〇万の詫びの言葉を残し、跡形もなく隠れてしまう!
そこで、『どうぞ、続けてください』と、極めて平静に、キニスンは言った。
『では、失礼して――』ナドレックは言った。『一時間前のことです。わたしの調査していた標準型惑星――あなたがたの分類では“過冷却のガス惑星”になりますが――の上にあったオンロー人の基地が、何者かの手によって、一瞬にして壊滅しました』
ナドレックはさらに――『もしお許しいただけるなら』と前置きした上で――自分の見たものの詳細をキニスンに告げた。正確には、彼自身の知覚的記憶に深い洞察による所見を加えたデータを、思考波によって直接受け渡したのだった。
――キニスンの脳裏に、ナドレックの見た光景が、地球《テルス》人の視覚を超えた包括的知覚として伝達された。地球《テルス》人でこの情報を認識処理できるのは、第二段階レンズマンたるキムボール・キニスンの精神だけだ。その情報を、予備知識も含めた上であえて地球《テルス》人的感覚に翻訳すると、以下のようになる――
*
第一銀河系と同様、第二銀河系の中にも無数に存在する、“|裂け目《リフト》”のひとつ――渦状銀河の“腕”と“腕”の間、幅数百光年にもわたる虚無の空間のただ中に、その惑星はあった。光なき虚空に暗くよどむ、極低温のガス惑星。オンローの秘密基地だ。
本来スラリス星系の外惑星に生息していた超次元的生命体であるオンロー人は、恒星の熱をほとんど必要としなかった。そのため彼らは、超バーゲンホルムで虚無のただ中に移動させたこの惑星上に、悠々と生存することができるのだった。
光を放つ恒星も、あえて付近を通る宇宙船もなく、この惑星は完全に放置されていた。いや、それ以前に、銀河文明にはその存在を知る者さえいなかった。――ただひとり、パレインのナドレックを除いて。
ナドレックは、“アーゼロン”という名のオンロー人を追っていた。彼は現在知られるボスコーン組織の最頂点と見られる人物であり、また、ナドレックが長年追い、なお捉えきれずにいる、有能にして狡猾《こうかつ》なオンロー人“カンドロン”への、重大な手掛かりとなることが期待されていた。
高度に擬装され、何重にも迂回《うかい》したボスコーンの思考波通信線を、ナドレックは例によってただひとりで追跡し、この孤独な惑星にたどり着いた。そして、高度な探知不能処理をほどこした専用快速艇を衛星軌道に乗せ、そこに腰をすえた。
ナドレックは常に超人的な忍耐力と臆病とも言える用心深さをもって行動し、完全に安全が確認されてから次の一歩を踏み出すという、キニスンに言わせれば「まったくレンズマンらしからぬ」性癖を持つレンズマンだったが、その彼にしかできない仕事は多々あった。そのひとつが、オンローのような超種族の探索だ。オンロー人と比較的似た性質を持つ、冷血で不定形の超次元的生命体であるパレインのナドレックは、彼らの好敵手なのだ。
ナドレックはその惑星を発見してから、数カ月をかけて入念な予備調査をしていた。機械的、あるいは精神的な手段によって衛星軌道上から得られるすべてのデータを、超人的な知性をもって、詳細に検討するのだ。その後、今度は惑星の大気内に侵入し、オンロー基地の内部に自らの精神を直接侵入させる段階に入るが、それはまだまだ先のことだ。もう何カ月か、惑星の周囲を巡ってから――
だが、彼の調査は、突然の来訪者によって中断された。
ナドレックがまず最初に感じたのは、宇宙空間の四次元的なうねりだった。やがて、サブ・エーテル中に発生した巨大な渦動が、三次元空間に口を開けた。オンローの惑星から〇・三天文単位の位置に、超空間チューブが開口したのだ。
そして、渦の中から、空間の揺らぎとともに、巨大な赤い光球が出現した。K6T型スクリーンをまとった、直径約四五〇万マイル([#ここから割り注]約七二〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])の超巨大構造物――ナドレックと同調したキニスンには、それが恒星アルゲスの〈フリードマン・シェル〉だということがわかった。
――すると、デイルズはオンロー人の指揮下にあったのか? オンローは〈シェル〉を手に入れて、いったいなにをするつもりだ?
キニスンは反射的にそう考えた。だが、オンローの反応は意外なものだった。
基地惑星の有毒大気の中から、無数の戦闘艦が飛び出した。重巡洋艦、大型戦艦、打撃艦《モーラー》が、数百、数千……いや、一万隻以上。星域クラス艦隊に匹敵する戦力が、ガス巨星の分厚い大気層の底に隠されていたのだ。
そして、オンローの艦隊は、〈シェル〉を攻撃し始めた。
まずは球状包囲陣形をとり、一斉射撃――しかし、恒星アルゲスからエネルギーを得ている〈シェル〉のスクリーンは、分厚く、強靱《きょうじん》だった。時々|打撃艦《モーラー》の主砲が表層のK6T型スクリーンを貫通することがあったが、その下層にある、さらにまばゆく強力な防御スクリーンの層が垣間見えるだけで、それもまたたく間に修復された。
それ以前に、圧倒的なサイズと質量の差は、悲痛を超えて、滑稽なほどだった。オンロー艦隊は地球《テルス》程度の惑星文明なら一斉射で殲滅《せんめつ》できるだけの攻撃力を持っていたが、相手は恒星、恒星なのだ。恒星アルゲスをはらんだ〈フリードマン・シェル〉の前では、オンローの最大の超打撃艦《スーパーモーラー》でさえ、一粒の気体分子に等しかった。包囲とは名ばかり、〈シェル〉のまわりに、ただ、ちらちらとまとわりつくばかりだ。
やがて、分散攻撃――相手のあまりの巨大さのため、“包囲攻撃”とは言えない――は無益と悟ったオンロー艦隊は、〈シェル〉と基地惑星の中間点に集結し始めた。全火力を一点に集中すれば、スクリーンに、そして〈シェル〉そのものに穴を空けることができるかもしれない。
だが、その時、巨大な赤い〈シェル〉の表面から、同じ赤色をした光点が、無数に飛び出した。ひとつひとつがあまりに小さく、そして、全体としては大量だったため、まるで〈シェル〉全体から発光するガスが浮き上がり、拡散を始めたかのようだった。
ナドレックの知覚力は完璧に近い解像度を持っていたので、その情報を得ているキニスンは、巨大な〈シェル〉の全体像を把握すると同時に、小さな光点のひとつひとつを詳細に観察することができた。各々、K6T型スクリーンを展開した、小型艇サイズの自動機械。例の昆虫めいた攻撃ロボットのほかに、何種類かのバリエーションがあった。攻撃ビームユニットを持たない代わりに大型のスクリーン発生機をそなえているもの、牽引《トラクター》ビームの発生に特化したもの、また、何に使うのか、他のものに比べると比較的大型の、発電機と励磁装置の塊のようなものもあった。
光点群は、まるで意志を持った流体のように、すばやく、なめらかに動いた。薄い霧のように見えたそれは、惑星の前に陣取るオンロー艦隊に対抗するように、〈シェル〉と基地惑星を結ぶ直線上に急速に凝縮し、固体のような塊になった。基地惑星、オンロー艦隊、ロボット群、そして〈シェル〉が、一直線上に並んだ形だ。
オンロー艦隊の砲撃が始まった。強力な主砲ビーム群がさらに束になって、一本の巨大なビームのように〈シェル〉に伸びた。だが、そのビームは〈シェル〉に到達する前に、ロボット群に阻まれた。赤いスクリーンを超高出力で展開するスクリーン専用ロボットの群れが、最前線に密集し、楯となっていた。また、その背後では牽引ビームに結ばれた特殊なロボット群が、ひとつの形を取り始めていた。直径約一〇〇万マイル([#ここから割り注]約一六〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])の、リング状の形態。〈シェル〉の“地表”から、これまた約一〇〇万マイルの位置に、並行に浮遊し、静止している。
オンロー人には、そうした有り様が見えたろうか? “視覚”的には、オンロー艦隊や彼らの母星の位置からは赤い高密度のスクリーンロボットの群れしか見えなかったはずだが、オンロー人たちの、パレイン人にも似た超次元的知覚には、より正確な状況が把握できていたかもしれない。
ともあれ、オンロー艦隊は間断ない砲撃を続けた。〈シェル〉を守るスクリーンロボットは、小型艇クラスの機体に大型艦なみのスクリーン発生機を積んでいたが、それでも集中する主砲ビームを受け止めきれるものではない。次々と発生機が飽和し、あるいはスクリーンを一気に貫いたビームに当たって、スクリーンロボットは一機また一機と消えていき、分厚い“楯《たて》”はみるみる削られていった。
だが――“楯”に止《とど》めを刺したのはオンロー艦隊の砲撃ではなく、背後からのすさまじいエネルギーの奔流だった。“楯”の後方で、〈シェル〉が大きく丸い口を開けていた。直径はロボット群のリングと同じ、約一〇〇万マイル。そして、〈シェル〉の“口”とリングを順にくぐった光子の束が、固体の棒のような高密度の光線となって飛び出した。光速度――毎秒約一九万マイル([#ここから割り注]約三〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])というゆっくりした速度[#「ゆっくりした速度」に傍点]でのびる“棒”は、スクリーンロボット群による“楯”を真空のように貫通し、やがてオンロー艦隊をも飲み込んだ。オンローの戦艦が、打撃艦《モーラー》が、超打撃艦《スーパーモーラー》が、それより小型の無数の艦艇が、エネルギーの“棒”に触れた端から、一瞬にして蒸発した。
そして、発射から約三分ののち、“棒”は基地惑星に到達した。オンローには惑星移動用の超バーゲンホルムを起動する時間的余裕は与えられなかった。分厚い大気層が吹き飛ばされ、オンローのドームを含む地表層は完全に蒸発した。
基地惑星が沈黙すると、〈シェル〉は口を閉じ、リングを構成するロボットを回収した。そして、出現時と同様の空間の歪みとともに、自ら発生させた超空間チューブに呑まれ――〈シェル〉の構造の中に、チューブの発生機構が存在することを、ナドレックはすでに確認していた――いずこかに消え去った。
後に残ったのは、超高熱によって拡散したガスと、煮え立つ岩石性の小さな核のみだった。
*
『――実に、実に瑣末なことです。このような些細なトラブルによってわたしの活動が中断されてしまったのは、とても残念なことです。わたしは“オンローのカンドロン”についての調査を、一からやり直さねばなりません』ナドレックはそこまで言うと、おびえたように叫んだ。『おお、すみません、レンズマン・キニスン! わたしの個人的事情などは、あなたにとって完全に無意味なことです。どうかわたしの不遜《ふそん》のふるまいをお許しください。ああ、これ以上あなたの前にいたならば、わたしは羞恥のあまり死んでしまうでしょう――|これで失礼いたします《クリア・エーテル》!」
通信は唐突に終了した。サブ・エーテルに波紋のひとつすら残さぬ、あざやかな退去だった。ナドレックはこの件にこれ以上関るつもりはないようだが、驚くには当たらない。彼には常に、彼自身の急務があるのだ。ナドレックはもちろん銀河パトロールの一員だが、その属する世界は、同じ銀河系に重なって存在する別世界だと言うこともできる。彼らパレイン人にとって、地球《テルス》人を始めとする温血の酸素呼吸生物たちの事情は、地球《テルス》人にとっての海王星の天気ほどの意味しか持たない。それをいくらかでも気にかけているのは、まさに彼ならではの注意深さゆえのことなのだ。
キニスンは、目の前のソーンダイクに、ナドレックからの情報のあらましを伝えた。
「どうやら、ボスコーンの内部でなんらかの抗争が生じたらしいな。――とはいえ、裏切りや粛清、下克上などといったものは、ボスコーン組織の中で日常的に行なわれる行為であり、驚くには当たらない。それよりも注目すべきは、〈フリードマン・シェル〉という超巨大人工天体の、恐るべき本質だ」
「本質?」
「〈フリードマン・シェル〉は、“恒星爆弾”などという単純なものではなかった。恒星アルゲスを動力源とし、バーゲンホルムと超空間チューブ発生機を内蔵する〈シェル〉は、そればかりでなく、太陽ビーム砲のシステムを一式そなえていたのだ。つまり……可搬式太陽ビーム砲[#「可搬式太陽ビーム砲」に傍点]だ!」
「――不可能だ!!」ソーンダイクが言った。地球《テルス》やクロヴィアの太陽ビーム砲を実際に設計し、建設の指揮をとったのは、彼、ソーンダイクである。その究極兵器について、なにもかも知り尽くしている男が、キニスンのアイディアを激しく否定した。「キム、太陽ビーム砲がいかに微妙なバランスの上に成り立つシステムかということは、きみも承知しているはずだ。光子整流装置の機能をはたす励磁ステーション群が、厳密に計算された惑星軌道を巡り、完璧なタイミングで連動しなけりゃならん。部品をばらまいて『はい発射』というわけにはいかんのだ」
「常識は常に塗り替えられるものだよ、ヴェルヌ」キニスンは言った。「つい先ほど、われわれは『恒星を人為的に移動させることはできない』という誤った認識をくつがえされたばかりじゃないか。なるほど、きみの提示した条件は正しい。厳密な位置関係と、完璧なタイミング。しかし、そこをクリアすれば“可搬式太陽ビーム砲”は実現するのだろう?」
「ずいぶんと簡単に言ってくれるが、太陽ビーム砲は星系規模の巨大システムなんだぞ? 電波やレーザーは論外、現在使用しているウルトラウェーブによる制御ですら、惑星間規模の通信の際に、一〇〇〇分の一秒単位のずれがどうしても生じてしまう。完璧な同期を取るためには、完璧な精度をもった装置を完璧なスケジュールのもとに作動させるほかはない。これは言うなれば、目と耳を塞いでマス・ゲームをするようなものだ。アドリブで成功させられるわけがない」
「目と耳を塞いでも、テレパシーが通じていればいい」と、キニスン。「例えば、光子整流装置の機能を持った高速艦を、大艦隊作戦行動統御法《グランドフリート・オペレーションズ》の要領で精密に展開すればどうだ?」
「つまり、ウルトラウェーブの制御信号をレンズ通信で代用するわけか。ふむ……そうだな。そうした艦のすべてに一流パイロットの技能を持ったレンズマンが乗り込み、完全な全開通信状態になれば――だが、ボスコーンにレンズマンはいない。〈R‐Fシステム〉の作業ロボット群を使って大艦隊作戦行動統御法《GFO》の真似事をしようにも、そこまでの精度をもった同期行動は不可能だろう」
「ヴェルヌ、わたしはレンズを信頼しているが、その信頼は妄信ではない」キニスンは言った。「レンズ通信は最も強力で確実な思考波通信法だが、決して唯一の手段というわけではないよ。例えば、強力な精神感応者《テレパス》などがいれば――」
「レンズマンなみのテレパスだって?」ソーンダイクが肩をすくめた。
「いや、テレパスである必要はないな。最低限、同期信号の役目をはたせばいいのだから、強力な思考波の発信源であればいい。例えば、精神衝撃で獲物をとらえる、惑星ライルスの砂オオカミのような……いやいや」キニスンの目が光を帯びた。「いたぞ、強力な思考波を発するものが」
「ほう。そりゃあ、どこの、なんて生き物だい?」
「カロニアのデイルズだ」と、キニスンは答えた。
*
最高基地《ウルトラ・プライム》の宇宙港には、何千という宇宙艦が塔のように立ち並び、その銀色の先端部をクロヴィアの主星の陽光にきらめかせていた。その足元の、整備場の一画。何十というGP小型艇に並んで、一隻の採鉱艇がクレーンに吊るされている。キャット・モーガンの〈ラッキーストライク〉号だ。
〈ラッキーストライク〉号が疑似トレンコ惑星で受けたダメージは、キャットらが〈アトランティック〉号のパーティに参加している間に、銀河パトロールの手で完全に修復されていた。そして現在、愛機の操縦席で、キャットは点検作業を進めている。生命維持系、推進系、通信系等々のチェックを順に済ませ、今やっているのは作業アームの動作チェックだ。操作レバーを両手に握り、左右のアームの肘を屈伸させ、手首を回転させ、マニピュレータを開閉させる。作動音は軽く、動作はスムーズ。銀河パトロールの技師は、いい腕をしている。
と――キャットは操縦席の窓越しに、ひとりの人影を認めた。〈ラッキーストライク〉号を見上げる位置に、シン・クザクが立っていた。
「よう、怪我の具合はどうだい?」作業アームの片方が、軽快な音を立てて持ち上がった。
「問題ない」クザクは操縦席のキャットを見上げると、用件を切り出した。「ミス・モーガン。きみが軌道|工廠《こうしょう》での作業に関ることになったと聞いた」
「あ? おう」キャットは答えた。「軌道上《うえ》で人手が要るっていうからよ」
クロヴィアの衛星軌道上の軌道工廠には、現在、地上の宇宙港に数倍する数の宇宙艦が係留されている。その多くは外装を大きく開かれ、宇宙服を着た技師や作業員の手で、改修作業を行なわれている。銀河パトロール中から呼び出された各種艦艇が、キニスンの提案した特殊任務のために改造されているのだ。
任務の遂行に必要とされる艦数をできる限り速やかにそろえるため、銀河パトロールの造船要員は、近隣の星域に所属する者も含め、すべて動員されている。それでも足りない分は、キャットのようなフリーの宇宙作業者が短期雇用され、充てられているのだった。
「……きみはすぐに地球《テルス》に発つものと思っていたが」と、クザクが言った。
「なんだよ」キャットは口を尖《とが》らせた。「あたしがクロヴィアに居ちゃ悪いってのか?」
「そうではないが、地球《テルス》にはきみの家族がいる」
「まあ、ガキどもはほっといても逃げやしねえしよ。この急ぎの仕事《ヤマ》で、もうひと稼ぎしてから行くさ」キャットは操縦席のハッチを開け、身を乗り出した。「そういうあんたのほうは、忙しいんじゃねえのか」
「今や、事態はわたしの手を離れた」と、クザクは言った。「デイルズと〈フリードマン・シェル〉の捜索はトレゴンシー配下の軍事情報部《MIS》に引き継がれ、また、〈シェル〉襲来にそなえた戦闘計画はキムボール・キニスンの指揮下において推進されている。軌道上で行なわれている高速艦の改造は、その一環だ。わたし個人に関して言えば、きみの身柄の安全を確保した時点で、独立レンズマンとして自らに課した任務は終了する」
「そのあとは?」
「優先順位の点から先送りにされていた、いくつかの間題がある。そちらに取りかかるとしよう。銀河文明の安寧《あんねい》を脅かすものは、デイルズだけとは限らない」
「それはいいけどよ。腹の傷がまだ治ってねえだろ」と、キャットは言った。クザクがキャットを守る際に負った傷だ。「急がねえなら、おとなしく寝てろよ」
「うむ……だがその前に、まずはきみの件だ」クザクは言った。「このクロヴィアは、銀河文明でも最高の軍事拠点だが、今や“最も安全な場所”とは言えなくなった。対〈シェル〉作戦の中心であるこの星系は、逆にデイルズに襲撃される可能性が高い。また、現在、人の出入りが激しくなっている軌道工廠に、なんらかの破壊工作が仕掛けられる可能性もある。それゆえに、ミス・モーガン、どうかデイルズの件が片づくまで、きみには地球《テルス》にいてもらいたい」
「相変わらず一方的な物言いだな」キャットはクザクの目の前に降り立つと、腕を組んで白い顔を見上げた。「ちょっと、むかつくぜ」
「すまない。これ以外に口のききようを心得ぬ」
「ふん」キャットは鼻を鳴らすと、クザクからそわそわと目をそらした。「じゃあ代わりに、その、なんだ……交換条件って奴だ」
「条件とは?」
「あたしは地球《テルス》に行ってやるから――クザク、あんたも来いよ」
「わたしが……?」
クザクが無表情のままに首をかしげると、キャットは顔を真っ赤にしながら、あわてて言い繕った。
「いや、ほら、あたしが地球《テルス》に行けば、そこであんたも休暇《やすみ》になるんだろ? まあ、なんだ、たまには安全な星系《ところ》でゆっくり休めや、な? ビルとかジョナサンも喜ぶだろうし。うちのガキどもにも会ってやってくれよ。ビル兄ちゃんの命の恩人さまだ、歓迎されるぜ」
「うむ……」是とも非ともつかぬ声を、クザクは漏らした。
「――でなきゃ、地球《テルス》にゃ行かねえ」キャットはぷいと顔を背けると、クザクを横目でちらりと見た。「腹切っても無駄だぞ」
[#改ページ]
14 母なる地球
[#挿絵(img/hundosi_289.jpg)入る]
[#挿絵(img/hundosi_290.jpg)入る]
[#改ページ]
地球《テルス》の宇宙港に着いたキャットを、モーガン弟妹は総出で出迎えた。
「姉ちゃん、久しぶり!」キャットがチェックゲートを抜けるなり、はねるように駆け寄ったリッキーが跳びついてきた。
「お、なんだリッキー、おまえ背ェ伸びたんじゃねえか?」そう言っている間にも、「おかえり!」「おかえり!」両わきから、双子のレイとマギーが組みついてきた。
「ああ、久しぶりだなあ」キャットの胸にほおを当てながら、リッキーが猫のような目を細めた。「姉ちゃんの匂いだ……」
「えっ、本当!?」「おれも、おれも!」「こら、嗅《か》ぐな、嗅ぐなって」
キャットたちが押し合っているところに、小さなずんぐりした体をとことことゆするようにして、デューンが歩いてきた。デューンはキャットを見上げながら、「姉ちゃん……おかえり」と、小さな声で言った。
「へえ……」キャットは腰をかがめ、デューンの頭をなでた。「ひとりで挨拶できるようになったんだな」
デューンははにかみながら、小さくうなずいた。
そこに、『姉さん、おかえりなさい』と、ドロシーのマナルカ式テレパシーが呼びかけてきた。
「おう」顔を上げたキャットが「……あ」と言った。
「おかえり、姉さん」ドロシーの肩を借りて、ビルが立っていた。ビルは右手に持っていた松葉杖をドロシーにわたし、若干ふらつきながら、キャットに歩み寄ってきた。
「……ビル」立ち上がったキャットは、ビルの体をおずおずと見回した。「か、体は……もう、いいのか?」
手も足も、すっかり元通りに見えた。やや細く、赤みがかって見えるそれらが、数カ月前にはなくなっていた[#「なくなっていた」に傍点]ものとは、とても思えない。右腕にはまったプラチナ・イリジウム製の腕輪には、アリシアのレンズが生き生きと輝いている。
「心配かけたね。でも、もう……おっ、とと」バランスを崩しかけたビルは、ドロシーに支えられた。「もう少しで現場復帰できるよ」
「でも、そしたら、兄ちゃん遠くの星に行っちゃうんだろ?」リッキーがビルをふり返った。
「ちぇっ。ずっと怪我してりゃいいのに」
「馬鹿言うな」キャットは拳骨を固め、リッキーの頭を殴った。
「ッてェ……」リッキーは耳を伏せて頭をさすり、それから、その耳をばたつかせながら笑った。「へへ……こっち[#「こっち」に傍点]も久しぶりだ」
『姉さんは、ずっと地球《テルス》にいられるんでしょう?』ドロシーが聞いた。
「ん? さあ、どうだろなあ……」
キャットはリッキーの頭を小わきに抱えながら、クロヴィアに似た地球《テルス》の空を見上げた。キャットと同行するはずだったシン・クザクは、クロヴィアを出立する直前にキニスンに呼ばれ、対〈シェル〉作戦会議に参加していた。数日遅れで、こちらに来るという。
「いてててて、姉ちゃん、首が、首が」もがくリッキーの頭をがっちりと押さえつけながら、「のんびりできるといいなあ……」と、キャットは言った。
それから一同は、快速地上車に乗って、最高基地《プライム・ベース》の敷地の中にある官舎に移動した。
「ぼくも先週退院してからは、いっしょに住んでるんだ。家でリハビリしてる」と、ビルが言った。
『もちろん、姉さんの部屋も用意してあるのよ』と、ドロシー。『それと、お台所がすごく広いの! 早く見てほしいわ』
「姉ちゃん、おれたちの[#「おれたちの」に傍点]部屋も見てよ!」「あたしたちの[#「あたしたちの」に傍点]部屋を見てよ!」
「あ、おれ散らかしてるから最後でいいや。まず掃除する」
「じゃあおまえンとこが最初だ」
「うえっ」
そんな大騒ぎをしながら、たどり着いた先。
「こりゃあ……」キャットは口を大きく開けたまま、それ[#「それ」に傍点]を見上げた。「すげえお屋敷[#「お屋敷」に傍点]じゃねえか……」
家庭を持つ銀河パトロール隊員のために建てられた一戸建ての官舎は、地球《テルス》の住宅としては“やや上等”程度のものだった。だが、長年、宇宙居住環境の、ひとり当たりせいぜい一〇フィート([#ここから割り注]約三メートル[#ここで割り注終わり])立方の占有空間に慣れてきたキャットには、それは途方もなく巨大な建物に見えた。これまでにも、エルバ・ステーションや〈フリードマン・シェル〉のような巨大構造物、あるいは〈フィッシュボウル〉号の“海”や〈アトランティック〉号のホールのような広大な人工空間を見てきたキャットだが、これほどまでにでかい寝床[#「寝床」に傍点]――プライベートな空間は初めてだ。赤い屋根、白い壁。緑の芝生を割って玄関に至る道は、エルバの桟橋にも似て、果てしなく長い。
「や、やべえ」キャットは足をふらつかせた。「重力が足にきた。いや、心臓が、めまいが」
「姉ちゃん、深呼吸だ」リッキーが言った。「おれも最初の時はクラッときた」
リッキーに手を引かれ、よろめきながら玄関にたどり着いたキャットは、まるで見とがめられまいとするように、頭を低くしながらドアをくぐった。
「お、おじゃま……うひゃあ!?」背後から肩を叩かれ、キャットは思わず飛び上がりながらふり返った。「な、なんだよ」
「それを言うなら『ただいま』だよ、姉さん」と、ビルが笑って言った。
*
そして数日。
地球《テルス》の重力にはなかなか慣れなかったが、それは決して不愉快ではなかった。
「あの辺に棒を渡しとかないと、重力が切れたとき、宙ぶらりんになっちまうなあ」と、リヴィングの高い天井を見てつぶやいたキャットは「姉さん、地上じゃ重力は切れない[#「切れない」に傍点]んだよ」と、ビルに笑われた。
「あ、そっか、そうだよな」と頭をかきながらも、キャットは広い床の上では思わず壁ぎわのものにつかまりながら歩いてしまうし、慣れない階段からは日に三度、転げ落ちるのだった。物音を聞きつけて駆け寄ってきた弟たちにのぞき込まれながら、キャットは「へへへ」と笑った。床にぶつけた後頭部の痛みこそが、地球《テルス》の実感だった。
三日目の夕食のあと、
「あ――姉さん」と、ビルが右腕のレンズを指しながら言った。「レンズマン・ジョナサンからのレンズ通信だ。中継するよ」
マッコウクジラのジョナサンは、キャットより一週間ほど早く地球《テルス》に来て、すぐにビルと連絡を取っていた。曰《いわ》く――きみたちの姉さんには、グレー・レンズマンのクザクとともに、とても世話になったんだ。ぜひ今度、みんなで遊びに来ておくれよ。なにしろ、きみたちの家におじゃまするには、ぼくの体は少し[#「少し」に傍点]大きすぎるからね――
そして今日――
『やあキャット、また話ができてうれしいよ。アルゲス星系では大活躍だったそうだね』と、ジョナサンは言った。
「ようジョナサン」キャットは言った。「怪我の具合はどうだい」
『ずいぶんよくなったよ。やっぱりぼくには、生まれ育った地球《テルス》の海水《みず》が合ってるんだなあ。きみたち地球《テルス》系の地上人にしても、太陽《ソル》の光と地球《テルス》の大気が、やっぱり肌に合うんじゃないかな。“母なる星”ばんばんざいだよ。ここならきっと、クザクの怪我も早く治ると思うよ』
「クザク――?」
『ああ、ついさっき連絡がついたんだ。明後日の便でクロヴィアを発つそうだよ』
「姉さん」ビルが割って入った。「レンズマン・クザクには、地球《テルス》滞在の間、うちに泊まってもらおうと思うんだけど、どうかな?」
「え? ああ……いいんじゃねえの、別に」キャットはビルから視線をそらすと、ソファの背にもたれ掛かった。「ふうん、あいつがうちにね……別にどうでもいいけど」
「あっ、兄ちゃん、今クジラのおじさんと話してんの!?」リッキーが身を乗り出した。
「おれも話す!」「あたしも、あたしも!」
ジョナサンは子供たちの人気者だ。子供たちには、クジラ族からのレンズ通信が物珍しくて仕方ないのだ。
「ねえジョナサン、今度会ったら背中に乗せてくれる?」「あたしが先よ!」
『みんないっぺんに乗せてあげるよ』
「やったあ!」
はしゃぎ回る子供たちをぼんやりと眺めていたキャットが、目の前でゆれるマギーのスカートを目で追いながら、「そういや、マギーもドロシーも、スカートとかはくようになったんだなあ……」と言った。
「だって、みんなはいてるもの!」と、マギー。
片づけものをしていたドロシーがふり返り、『エルバと違って、地球《ここ》はいつも重力があるから……』と言った。確かに、随所に無重力地帯のある宇宙ステーションなどでは、この種のファッションは用いられない。先日の〈アトランティック〉号のパーティなどは例外中の例外、金持ち連中の酔狂だ。
そのパーティのことを思い出しながら、「……あたしもはいてみようかなあ」と、キャットがつぶやいた。
「えっ」弟たちがいっせいにふり返った。
「スカートは女のはくモンだぜ?」リッキーが言った。「姉ちゃんがはくのは変だ」
「ンだとコラ」キャットがにらむと、リッキーは飛び上がってビルの陰に逃げ込んだ。
『じゃあ、明日にでも服を見にいきましょうよ』と、ドロシーが言った。『きっと似合うのが見つかるわ』
「おう」キャットはソファから立ち上がった。「あたしはもう休むよ――じゃあな、ジョナサン」
「姉ちゃん、怒ったのかな……?」リッキーがおそるおそるキャットの背を見送った。
だが、キャットはなぜかごきげん[#「ごきげん」に傍点]な様子。鼻歌など歌いながら、重力が半分になったような足取りで二階の自室に向かい、そして「うおおっ!?」階段から転げ落ちた。
「姉ちゃん、平気か!?」弟たちが駆け寄ると、キャットは天井を眺めながら、「へへへ……」と笑っていた。
キャットが二階に上ると、リッキーと幼い弟たちは、顔を寄せ合って話し合った。
――姉ちゃんは階段から何度も落ちて、頭を打ちすぎたんじゃないだろうか。
いや、地球《テルス》の重力障害が脳に来てるんじゃないだろうか。
それとも、第二銀河系の現場で悪い放射線に当たってきたんじゃないだろうか――
*
どこともしれぬ星域の、どこともしれぬ星系。第一銀河系か、第二銀河系か、それすらも定かではない無名の空間に、それ[#「それ」に傍点]はいた。赤いK6T型スクリーンをまとう、〈フリードマン・シェル〉と〈R‐Fシステム〉の複合体。
〈シェル〉は自動工場を展開し、先のオンローとの交戦による損耗を回復しつつあった。この名もなき星系の名もなき惑星が、粉砕され、運搬され、自動工場に飲み込まれ、さまざまなタイプのロボットとなって吐き出されていく。スクリーンロボット、攻撃ロボット、牽引《トラクター》ロボット、そして、太陽ビームの“砲身”の機能を果たす、励磁ロボット――
〈シェル〉の制御室の中で、デイルズはそのさまを自らの体内感覚として知覚していた。彼の思考波は、黒い義手に導かれ、この部屋からシステム全体に発信されている。また、返送されるウルトラウェーブ信号は、彼自身の感覚として認識されている。言い換えるならば、この巨大複合システムは、彼の肉体の一部なのだ。外傷が癒されるように、あるいは空腹が満たされていくように、システムは整備されていく。ロボットは増殖を続け、デイルズの力はますます強化されていく。
やがて、システムが満腹[#「満腹」に傍点]すると、デイルズは室内に立体星図を呼び出した。この制御室は、航法・戦術タンクの機能をも有しているのだ。平らな床の中央に片膝を立てて座り、デイルズは星の海を眺めた。ホログラムの星々はデイルズの視線やわずかなしぐさと連動し、彼の意志に従ってその倍率や視点を変える。視線を軽く流せば星々は流れるように縦横に動き、特定の一点を注視すれば、その空間がズームアップされる。
デイルズはしばし視線の旅[#「視線の旅」に傍点]を楽しんだのち、ふと、ある名もない惑星を視線でズームし、義手の人さし指で照準《ポイント》した。そして、子供の拳銃ごっこのように、親指を立てたその手を軽くはね上げると、惑星の表面が激しい光芒《こうぼう》に照らされ、大気層を吹き飛ばしながら沸き立ち、そして沈黙した。太陽ビーム攻撃のシミュレーションだ。
デイルズは同じ惑星に向かって、もう一度指先を向けた。今度は腕にぐっと力を込める。
力を込められた義手は、それを太陽ビームの出力値に変換し、シミュレーション結果に反映させる。デイルズが再び指先の“銃口”をはね上げると、先ほどの数倍の出力のビームを当てられたその惑星は、いくつかの溶岩の塊となって飛散した。
気の向くままに、ひとつ、またひとつとホログラムの惑星を破壊しながら、デイルズは青い端正な顔に禍々しい笑みを浮かべていた。ガーセンを、アーゼロンを、自分を支配するすべての者を、彼は自らの手で抹殺してきた。今や、デイルズに命令を下すものは、この宇宙に存在しない。彼はかつてないほどに自由だった。
……しかし、彼は完全に自由ではなかった。いまだ、彼の過去を縛るものがいた。“父”の故郷、“母”の故郷、自分の関ってきたすべての世界。そしていまだ、彼の未来を縛るものがいた。ボスコーン、銀河パトロール、あまたの未知の文明。――要するに、彼は自分以外のすべての宇宙を敵に回しているのだ。宇宙が終わるか、彼自身が死ぬときまで、彼が真に自由になることはないのだった。
だが、デイルズはその状況を楽しんでいた。
最大最強の銃《ガン》を手に入れた彼は、それを振りかざしながら、どこへでも飛んで行ける。自分が殺されるまで、あるいは殺す相手がいなくなるまで。
デイルズは、次の目標を決めた。
彼は立ち上がり、ガンマンのような中腰の姿勢を取った。そして、振り向きざまに、背後の一点に指先を向けた。彼の集中する視線にしたがって、ホログラム像が急速に倍率を上げた。第一銀河系の一部――オリオン腕が拡大され、オリオン腕の一部――太陽系《ソル》が拡大され、その惑星のひとつ――地球《テルス》が大きく映し出された。そこはデイルズの“母”の生まれた惑星だった。デイルズが指先をはね上げると、呪わしき“母なる星”は、一瞬にして花火のように飛び散った。
「――ハハハハハ!!」
名もしれぬ星系にただひとり、未曾有《みぞう》の巨大構造物の中にただひとり、銀河の虚像を映す制御室にただひとり立ち、天を仰ぎながら、デイルズは笑った。彼は自由だった。彼は孤独だった。彼は邪悪だった。そして、彼は無敵だった。
*
「なあドロシー、これ、変じゃないか?」
リヴィングに置かれた姿見の前で、白いワンピースを着たキャットがぎこちなく一回転した。足元には、かかとの低い、無難なパンプスを履いている。
『似合ってるわ、姉さん』靴の箱を片づけながら、ドロシーが言った。
「ほんとに、変じゃないか?」裾の丈や襟元の具合を見ていたキャットの動作は、いつの間にか宇宙服の気密チェックのしぐさになっているが、本人は気づいていない。
『ええ、すてきよ』
「はははっ、姉ちゃん、そりゃまるで――」言いかけたリッキーが、キャットににらまれると飛んで逃げた。
その後を追ったキャットの視線が、ふと、玄関先の壁に留まった。
「なあ……そこの、玄関のとこに、花とか飾ったらどうかなあ」
「花だァ?」頓狂な声を上げるリッキーを、キャットは無視した。「なんていったっけな、ほら、このくらいの大きさの、青くていい匂いのする……」
『スレール茨《いばら》?』と、ドロシー。
「それだそれだ」キャットは言った。「白い壁に、合うと思うんだよなあ……」
『すてきね』ドロシーは胸の前で手を合わせた。『お花屋さんに注文しておくわ』
「おう」
キャットはなおも、姿見の前でスカートを広げたり戻したり――その様了を見て、ドロシーが苦笑した。
『……姉さん、今度くるお客さんって、とても大事な人なのね』
「べ、別に大事でもなんでもないぞ」キャットは顔を真っ赤にした。「あんなの、ただの変人だ」
「偉大なる変人さ」テレニュースを見ていたビルが、ふり返った。「なにしろアルタイルのクザクは銀河最高の――」
と、その時――ビルの見ていた画面が、青地の字幕画面に切り替わった。おもてでは、甲高いサイレンの音が鳴り始めた。太陽系《ソル》への侵入者の襲来を告げる、非常警戒警報だった。
*
太陽《ソル》から一・三天文単位の空間、カーディンジ限界のすぐ外に、空間の歪みが発生した。サブ・エーテルから通常空間に、超空間チューブが開口しようとしていた。
チューブを通って、赤く発光する巨大な球体が、ゆらめきながら現れつつあった。デイルズの〈フリードマン・シェル〉――またの名を、銀河最大の機動兵器“可搬式太陽ビーム砲”。
地球《テルス》を擁する太陽系《ソル》は、他の居住星系と同様、キムボール・キニスンの号令のもと、すでに一週間以上も前から厳重な警戒体制をとっていた。通常の偵察艦によるパトロールに加え、空間歪曲探知機を装備した偵察快速艇による特別警戒網が星系全域に敷かれ、そのため、超空間チューブの発生の予兆をいち早く探知することができた。
星系全域に警報が発令され、最高基地《プライム・ベース》の宇宙港から、金星や火星の惑星基地から、また、小惑星帯の軌道要塞から、総数五〇〇〇隻に及ぶ戦闘艦が発進した。軽巡洋艦、重巡洋艦、戦艦、大型戦艦、打撃艦《モーラー》、超打撃艦《スーパーモーラー》、小型|負《ネガ》爆弾を運搬する負《ネガ》爆撃艦……さらに、無慣性状態で待機していた各種の対惑星攻撃兵器――誘導惑星や大型|負《ネガ》爆弾それぞれ九個ずつが、作戦機動を開始した。太陽系《ソル》防衛艦隊は、星系艦隊としてはクロヴィアのそれに次ぐ、超越的規模を誇っていた。
……だが、それすらも、〈シェル〉に対してはあまりに脆弱な戦力と言わざるを得ない。相互増援プログラムにしたがって近隣の星系へ、また、対〈シェル〉作戦の一環として第二銀河系のクロヴィアへ、レンズ通信によって救援が要請された。救援艦隊の到着までの時間をどう稼ぐか、それが太陽系《ソル》と地球《テルス》の生死の分かれ目になると見られていた。
超空間チューブの出現から固定までには、若干のタイムラグがある。その時間を利用して、チューブの開口部を全艦隊による球状殲滅陣形で包囲し、敵艦隊の出現と同時に一斉攻撃を行なう――それが、これまでこの太陽系《ソル》を守り抜いてきた、防衛艦隊の必勝の戦術だった。しかし、先だってのボスコーンの内部抗争において、オンローの基地惑星の擁していた一万の艦隊が、同様の作戦を取ろうとしたあげくになすすべもなく殲滅されたことを、銀河パトロールはすでに知っている。艦数において劣る太陽系《ソル》防衛艦隊が同様の作戦をとることは、単なる愚行でしかなかった。
そのため、防衛艦隊はまず後方に引き、負《ネガ》爆弾を前方に出した。通常の対惑星攻撃に使用されるものよりはるかに大型の、地球《テルス》の倍以上の質量――負《ネガ》質量――を持つ直径一万マイル([#ここから割り注]約一・六万キロメートル[#ここで割り注終わり])級の超大型|負《ネガ》爆弾が、〈シェル〉の出現地点を狙撃《そげき》する軌道に続々と入っていった。
通常空間に完全に出現した〈シェル〉に向けて、負《ネガ》爆弾が発射された。負《ネガ》爆弾は赤い防御スクリーンをものともせず、実体化直後の〈シェル〉の表面に着弾し、その外殻を貫通した。直径四五〇万マイル([#ここから割り注]約七二〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])の球殻に空いた、直径一万マイルの穴。それはあまりにも小さな、しかし、確実な戦果だった。続いて、第二弾、第三弾、第四弾――後続の負《ネガ》爆弾が、次々と搬送用ケージから解放され、有慣性状態で〈シェル〉への突入軌道に乗った。
しかし、デイルズの対応はすばやかった。〈シェル〉の表面から赤い霞《かすみ》のようなものが立ち上った。K6T型スクリーンをまとったロボット群だ。それらは〈シェル〉の表面上をすべるように動き、負《ネガ》爆弾の着弾予想点に集合すると、一斉に牽引《トラクター》ビームを発射した。それらひとつひとつの出力は、惑星規模の目標に対しては無に等しいものだったが、何百兆という牽引ロボットが完全な同期を取って放つ牽引ビームの集合面[#「面」に傍点]は、強力な牽引ゾーンと同等の効果を持っていた。
ちなみに、負《ネガ》質量に対しては、牽引ビームは通常質量とはベクトルを逆にして作用する。つまり、牽引ビームは圧迫《プレッサー》ビームとなり、牽引ゾーンは圧迫ゾーンとなる。そのため、負《ネガ》爆弾は、牽引ロボット群のビーム面に反発[#「反発」に傍点]した。惑星級の質量を持つ負《ネガ》爆弾は、相手がただの宇宙艦の編隊であれば、逆に反作用でそれらを蹴散らしながら悠々と進撃しただろう。だが、相手は恒星アルゲスのエネルギーと、その不動の大質量を背後にひかえていた。ビーム面との接触の瞬間、〈シェル〉はほんの一瞬バーゲンホルムを切って質量を回復し、爆発的なパワーで負《ネガ》爆弾を弾き返した[#「弾き返した」に傍点]。
ロボット群はその際の反射角をも計算し、調整していた。次々と弾かれた三発の負《ネガ》爆弾は、それぞれ火星、金星、そして地球《テルス》へ向かう軌道に乗っていた。自由航行《フリーフライト》状態の誘導惑星が三基、迎撃のため負《ネガ》爆弾に先回りして、体当たりした。あらかじめ同サイズに規格化されていたそれらの超兵器は、互いの質量を喰い合いながら、大量の放射線を虚空に残して消滅した。
こうして、負《ネガ》爆弾は、そしておそらくは誘導惑星も、〈シェル〉に対しては無効であることが判明した。この超巨大構造物にダメージを与えうる兵器は、ただひとつしか考えられなかった。太陽《ソル》の太陽ビーム砲だ。
超空間チューブの発生予想地点は、太陽系《ソル》の惑星の配置による重力バランスや、デイルズの取ると見られる戦術などから、あらかじめいくつかのポイントに絞られていた。事実、〈シェル〉が現れたのは、そうしたポイントのひとつだった。太陽《ソル》の放射エネルギーをその一点に集中すべく、太陽ビーム砲のシステムを構成する励磁ステーションは、すでに移動を完了していた。
システムの作動とともに、戦闘宙域を照らしていた太陽《ソル》の光が、消えた。漫然と全周に放射されていたエネルギーが、一本のビームとなって〈シェル〉に向けられたのだ。ビームを一〇秒間維持したのち、システムは一時停止した。そして一〇秒間のインターバルを置いて、再度ビームを発射、一〇秒間維持。その後、停止、維持、停止、維持――長さ一九〇万マイル([#ここから割り注]約三〇〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])の、固体のごとき密度の光の矢が、一〇秒間隔で〈シェル〉に飛んでいった。発射から到達までは、光速度で約一一分。たとえ〈シェル〉がスクリーンロボットを展開しても、その不可抗的なエネルギーは、一瞬たりとてせき止められるものではない。
だが――最初の太陽ビームがその道のりの半分も行かぬうちに、〈シェル〉は動きだした[#「動きだした」に傍点]。〈シェル〉は単なる無慣性化のみならず、宇宙艦や誘導惑星のような自由航行《フリーフライト》能力をも持っていたのだ。赤く光る〈シェル〉の半分が、さらに明るく輝いた。〈シェル〉の防御スクリーンの一部が解かれ、その表面に無数の穴――噴射口が開口し、恒星アルゲスの放射エネルギーの一部を解放した。恒星風を噴射炎のように噴き出しながら、〈シェル〉は太陽ビームの射線から離れ始めた。
〈シェル〉の動きは決して機敏とは言えなかったが、必要にして充分なものだった。小回りの利かない巨大システムである太陽ビーム砲は、移動する目標を狙い撃つことはできないのだ。そのため通常の運用においては、味方の大艦隊の包囲によって、その射線上に敵艦隊を追い込む形をとるのだが――今回、その方法を取ろうにも、〈シェル〉はあまりにも強大だった。
しかも、〈シェル〉はただ太陽ビームから逃げるばかりではなかった。〈シェル〉の表面から無数の赤い光点群――攻撃ロボットが発進し、雲のように広がり始めた。
太陽系《ソル》防衛艦隊はそれらロボット群に対抗して展開した。総合的な火力において、また防御力においても、防衛艦隊はロボット群にはるかにまさっていた。戦艦や打撃艦《モーラー》の主砲ビームが発射され、その一発一発が何千体ものロボットを巻き込み、蒸発させた。
しかし、GP艦一隻に対して数千億体の桁で存在する圧倒的多数のロボットに対しては、それらの攻撃はさほどの効果を持たなかった。イナゴの群れを大砲で退治しようとするようなものだ。また、ある程度以上の大型艦はロボットの総攻撃をものともしないスクリーン強度を持っていたが、ロボットの方でも、そうした艦を相手にしてはいなかった。攻撃ロボット群は、戦闘艦による防衛線をガスのようにすり抜け、負《ネガ》爆弾に、誘導惑星に、そして、太陽ビーム砲の励磁ステーションに突進した。
負《ネガ》爆弾や誘導惑星は、バーゲンホルムを破壊され、元来の固有速度によって、あさっての方向に飛び去った。また、太陽ビーム砲の励磁ステーションも、貫通ビームによる攻撃で、あっという間にただの灼《や》けた金属塊と化した。こうして、〈シェル〉に対抗しうる兵器はすべて破壊されたのだった。
今や、〈シェル〉を阻むものはなにもなかった。〈シェル〉は悠々と移動し、地球《テルス》から〇・三天文単位の位置に止まった。励磁ロボット群が整流リングを形成し、〈シェル〉の一部が砲口を開いた。可搬式太陽ビーム砲の砲撃準備が、完了した。
この時点で、超空間チューブの開口から、わずか五分足らず。いかな増援も、間に合いようがなかった。天空神を父に、地母神を母に持つ単眼の巨人“アルゲス”は、その母なる星に向けて、必殺の閃光を放とうとしていた。
*
地球《テルス》上には、まだ大きな混乱は生じていなかった。銀河文明の中枢のひとつとして、また銀河パトロールの最高基地《プライム・ベース》の所在地として、この惑星は最高の防備を保障されていることを、市民のひとりひとりに至るまでが固く信じていたからだ。
事実、キムボール・キニスンの現役時代よりこちら、地球《テルス》が外部からの攻撃による被害を受けたことはなかった。“クロヴィアの戦い”と並ぶ銀河パトロール最大の戦闘のひとつ“地球《テルス》の戦い”の時ですら、地球《テルス》本土には一発の爆弾、一条のビームすら到達することはなかったのだ。
『防衛計画二二四‐Xに基づき、第三次警報が発令されました。市民のみなさまはGP隊員の誘導に従い、所定のシェルターに避難してください』
『防御スクリーン展開のため、市内の電力供給が七〇パーセントカットされます。避難の前に、医療機器等の電源が“重要”ラインに切り替わっていることを確認してください』
『先ほど、防衛艦隊の太陽ビーム砲の使用が開始されました。八分二〇秒後から一〇秒間隔で、空が夜間のように暗くなりますが、問題ありません。懐中電灯を携帯し、充分注意して避難してください』
そんな非常放送すらも、年に数度の防衛避難訓練の延長としか取られなかった。地球《テルス》市民はみな安心してGP隊員の誘導に従い、各々の職場から、また街角から、「万一のため」の避難を開始していた。地球《テルス》は絶対に安全[#「絶対に安全」に傍点]なのだ。
……だが、そうした空気も、長くはもたなかった。
避難中の市民のひとりが、ふと空を見上げた。つられて周囲の数名が、やがて路上のほとんどの人間が、頭上に視線を向けたまま、言葉を失った。
『なにも問題ありません! みなさん、立ち止まらず、落ち着いてシェルターへ――』そう繰り返していた誘導係のレンズマンまでもが、思わず立ち止まり、天を仰いでいた。
青い空に、薄く、赤く、巨大な球体が浮かんでいた。見掛けの直径は太陽の一七倍。ビルの狭間から、地上を押しつぶさんとするかのようにのし掛かって見えた。
球体の中心に、大きな穴が開いた。全体の五分の一ほどの直径のそこは、太陽に似た、しかしはるかに強力な光を発していた。まだビームとして収束されていない、ただの恒星アルゲスの放射光の一部。しかし、太陽《ソル》の一〇分の三の距離から放たれるそれは、地表を覆う対ビーム防御スクリーンがなければ、見上げる者の目を射潰《いつぶ》し、その肌をじりじりと焼けただれさせるのに充分なエネルギーをはらんでいた。
瞳孔から光を放つ|一つ目巨人《サイクロプス》の目玉が、地上を見下ろしているのだった。
――あれはなんだ!?
――地球《テルス》を狙っている[#「狙っている」に傍点]!?
――防衛艦隊はなにをしているんだ!?
――われわれはどうなる!?
平静を保っていた市民の間に、急速に緊張が高まっていった。臨界点まであとわずか、なにか、ほんのひと押しで暴発することは必至だ。そして、パニック……!
それを未然に防いだのは、地球《テルス》全域に届く、明朗な思考波だった。
『こちらはクロヴィアのキムボール・キニスン! こちらはクロヴィアのキムボール・キニスン! 地球《テルス》の諸君、待たせてすまない――騎兵隊の到着だ!!』
[#改ページ]
15 サムライ・ロード
[#挿絵(img/hundosi_311.jpg)入る]
[#挿絵(img/hundosi_312.jpg)入る]
[#改ページ]
〈ドーントレス〉号と二五〇〇隻の特別高速艦が、クロヴィアから太陽系《ソル》に向けて開口した超空間チューブを通り抜けたのと、〈シェル〉が地球《テルス》に向けて太陽ビームを放ったのは、ほぼ同時だった。
光速度でゆっくりと伸びるエネルギーの矢が地球《テルス》に到達するのは、発射から一五〇秒後。太陽ビームは極度に低速[#「低速」に傍点]の兵器だが、同時に不可抗的な兵器でもあった。これによって、一五〇秒後の地球《テルス》壊滅は決定したかに思えた。
だが、キムボール・キニスンがそうした事態の進行を看過するはずがなかった。彼の指示のもと、二五〇〇隻の特別高速艦は、地球《テルス》と〈シェル〉の間、太陽ビームの射線上にすばやくすべり込んだ。
『環状隊形!』
『『QX!』』
キニスンの号令に、二五〇〇の力強い思考波が答えた。クロヴィアから来た高速艦にはすべてレンズマンのパイロットが搭乗し、全開多面通信状態でキニスンと交信しているのだ。
それまでひと塊となっていた二五〇〇隻の高速艦が弾けるように散開し、太陽ビームの予想進路を取り巻く直径一〇〇万マイル([#ここから割り注]約一六〇万キロメートル[#ここで割り注終わり])のリングを、瞬く間に組み上げた。所要時間は、わずか〇・五秒。驚嘆すべきは、その速度より、その艦隊行動の整合性だ。彼らはまるで事前に入念な演習を行なっていたかのように、それぞれの艦を、一マイルの誤差もなく所定の位置に着けたのだった。
通常の艦隊運用においては、一〇〇隻にひとりもレンズマンがいれば、組織的行動は維持できる。だが、キニスンはそれ以上の速度と精度を求めた。精密艦隊行動統御法《マイヌートフリート・オペレーションズ》――レンズマンという希少な超エリートの、非常識なほどの集中投入によって、すべての艦が完全に正確に、キニスンの手足となって動いている。デイルズの〈R‐Fシステム〉がそうであるように、この精密行動艦隊《マイヌートフリート》もまた、思考波のネットワークに結ばれた、ひとつの生き物だと言えた。
『励磁装置作動!』
『『QX!』』
二五〇〇隻の特別高速艦が、その“特別”たるゆえん、各々の船体に装備された超高出力の励磁装置を、一斉に作動させた。それは太陽ビーム砲の砲身リングを構成する〈シェル〉の励磁ロボットや、太陽系《ソル》の励磁ステーションに搭載された装置と同様の機能を持っていた。
そして――地球《テルス》と〈シェル〉の間に発生した超絶的な磁力のリングが、光速で突き進む太陽ビームをとらえ、その進路を曲げた[#「曲げた」に傍点]。凝縮されたエネルギーの奔流は、地球《テルス》への進路を外れ、ゆっくりと惑星間の虚空に伸びていった。
すると、〈シェル〉は太陽ビームを維持したまま、攻撃ロボットを展開した。赤い霞《かすみ》のようなロボット群が、流れるように環状の艦隊に迫った。
精密行動艦隊《マイヌートフリート》は応戦も離脱もできない。その環状隊形が一部でも崩れれば、磁力リングは拘束力を失い、太陽ビームは再び地球《テルス》を襲う。つまり、〈シェル〉がビームを発し続けているかぎり、彼らはその場から動けないのだ。
しかし、そうした事態はすでに予想されていた。
『各艦、励磁状態を維持しつつ、攻撃性スクリーンを展開!』
『『QX!』』
特別高速艦の防御スクリーンの外側に、まばゆく光る一層のスクリーンが展開した。その表面には、荷電された有慣性粒子が高速で循環していた。スクリーンに取り付こうとした攻撃ロボットは、低出力のビーム砲程度の威力を持つその流れに自ら飛び込む形になり、次々と破壊されていった。
また、クロヴィアからやって来たのは、〈ドーントレス〉号と精密行動艦隊《マイヌートフリート》だけではなかった。小型で高速の駆逐艦が五〇〇〇隻、特別高速艦の護衛として、その周囲に展開していた。それらの駆逐艦は対ロボット用の新型ビーム兵器を搭載していた。通常の収束ビームに対して“発散”ビームと呼ばれるそれは、ビーム砲というよりはむしろ、推進用の噴射装置に近いものだった。加速した有慣性粒子を、強く収束せずに、広範囲に放出するのだ。通常のビーム砲をライフルに例えるなら、発散ビーム砲はショットガンのような機能を持っていた。
それら対ロボット駆逐艦は、特別高速艦と同様のまばゆい攻撃性スクリーンをまといながら、赤い光の群れに突入し、発散ビームをシャワーのようにまき散らして、毎秒何万体ものロボットを破壊して回った。
こうして〈シェル〉の太陽ビームと攻撃ロボットの行動――デイルズの攻撃手段は封じたものの、GP艦隊もまた、決定的な打撃力を欠いていた。〈シェル〉はまさしく銀河最大の怪物であり、通常の攻撃では破壊することは不可能だった。決め手となるはずだった太陽系《ソル》の太陽ビーム砲システムはすでに破壊されており、代替策を用いる必要があった。そこで――
『|Q砲打撃艦《Qモーラー》、前へ!』と、キニスンは言った。
それは、ある特殊な目的のために改造された超打撃艦《スーパーモーラー》だった。通常の超打撃艦《スーパーモーラー》は要塞化された機動惑星に対抗すべく建造されるものだったが、|Q砲打撃艦《Qモーラー》は恒星アルゲスを攻略するために存在した。超打撃艦《スーパーモーラー》がその圧倒的な火力で敵を蹂躙《じゅうりん》するのに対し、|Q砲打撃艦《Qモーラー》は同等のビーム出力をただ一点に集中し、〈シェル〉の強大なスクリーンを突破するために存在していた。
何億体という攻撃ロボットが一斉に|Q砲打撃艦《Qモーラー》に向かって突進し、そして、その船体表面に展開した攻撃性スクリーンに接触し、爆発した。赤い海のようなロボット群の中を、微細な爆発の光点に彩られながら、|Q砲打撃艦《Qモーラー》は重々しく前進した。
さらに、スクリーンロボットの分厚い層が目の前に立ち塞がったが、|Q砲打撃艦《Qモーラー》はまったく意に介することもなく、紙のようにそれを突破した。|Q砲打撃艦《Qモーラー》の超高出力の攻撃性スクリーンは戦艦のビーム砲に匹敵する威力を持っていたので、防御スクリーン発生に特化したロボット群ですら、それに対抗することはできなかったのだ。
また、牽引《トラクター》ロボット群が、あたかも誘導惑星に対するように陣形を組み、|Q砲打撃艦《Qモーラー》に圧迫《プレッサー》ビームを投射した。この作戦は若干の効果を発揮し、|Q砲打撃艦《Qモーラー》の速度を鈍らせたが、その船体を押し返すには至らなかった。|Q砲打撃艦《Qモーラー》は圧倒的な巨人艦ではあったが、誘導惑星に比較してそのサイズは小さく、その一方、推進機の出力は大きかったので、バターの塊にナイフの先が入っていくように、圧迫ビームの嵐の中にゆっくりと切り込んでいくことができた。そして、実際に船体が接触し始めると、強力な攻撃性スクリーンによって、ロボット群の陣形は一瞬で崩壊した。
このようにして、わずか数百万マイル([#ここから割り注]約九〇〇万キロメートルほど[#ここで割り注終わり])の距離に一〇秒近くもの時間をかけて、|Q砲打撃艦《Qモーラー》は〈シェル〉上の一点に到達した。そこには、半径数千万マイル([#ここから割り注]約九〇〇〇万キロメートルほど[#ここで割り注終わり])にわたって展開したロボット群に制御信号を発する、強力な思考波発信源――カロニアのデイルズがいると見られていた。
|Q砲打撃艦《Qモーラー》は〈シェル〉に向かって牽引ビームを放った。高出力のビームによって〈シェル〉のスクリーン上に船体が固定された。さらに、その船腹が開き、巨大な環状の複合放射機が突き出た。Qタイプ・エネルギーチューブの発生装置――“Q砲”だ。
『Q砲発射準備、完了しました!』
『よろしい――Q砲発射!』キニスンが号令した。
『QX――Q砲発射!」
環状放射機から吐き出された固体のごとき密度の螺旋状《らせんじょう》エネルギーチューブが、うねり、のたくりながら〈シェル〉のスクリーンに激突した。Q型螺旋チューブは、銀河文明に知られるエネルギー構造体の中で、最高の強度と貫通力を持っていた。まず赤いK6T型スクリーンが、そして、その下の強力な防御スクリーンが次々と突破され、やがて、チューブは〈シェル〉のシールド面に吸着した。
しかし、このエネルギーチューブはQ砲の“砲身”にすぎない。実際に目標にダメージを与えるのは、チューブを通して発射される、強大な打撃力を秘めた弾体だ。最も初期型のQ砲におけるその砲弾は、二〇メートルトンのデュオデック爆弾だった。それは、今回のように相手のシールドが充分に強力な場合、強烈なバックファイアによって自らを破滅させてしまう、危険きわまりない兵器だった。だが現在、この|Q砲打撃艦《Qモーラー》は、通常のデュオデック弾のほかに、より確実な効果を持つ砲弾を装備していた。Q砲の基部でパッケージを解かれ、強力な牽引《トラクター》/圧迫《プレッサー》ユニットで射出される、小型|負《ネガ》爆弾だ。
〈シェル〉の表面を覆うシールドは、艦載兵器レベルの攻撃では破壊不可能な厚みと強度を持っていたが、通常物質で構成されていることに変わりはなかった。負《ネガ》爆弾はシールドに接触すると、自らの負《ネガ》質量を蒸発させながら、同じだけの質量をシールドから削り取った。“爆弾”と言うには少々地味とも言える効果だが、数十発のそれが連続投入されると、それは宇宙で最も強力な掘削機として機能した。こうして、強固なシールドを貫通する直径十数メートルの縦穴――〈シェル〉の内部に至る突入経路が確保された。
|Q砲打撃艦《Qモーラー》は、デュオデック弾や負《ネガ》爆弾のほかに、もうひとつの“砲弾”を装備していた。戦闘員を満載した突入艇だ。その宇宙艇に待機しているのは、キムボール・キニスンが最も信頼する白兵戦要員だった。“ドラゴン・レンズマン”ウォーゼルと六〇名のヴェランシア戦士。ピーター・ヴァンバスカーク大尉率いる一二〇余名のヴァレリア人部隊。そして、アルタイルのサムライ、シン・クザク。そのひとりひとりが、銀河パトロールの中でも最高の強者《つわもの》だ。ひとたび肉弾戦となれば、この二〇〇名足らずでボスコーンの一個大隊とも互角以上に戦えるだろう。それが今、カロニアのデイルズの首ひとつを狙《ねら》って殺到しようというのだ。彼らはまさに、最強の暗殺部隊だった!
〈フリードマン・シェル〉の設計段階のデータから、制御室に至る経路はわかっていた。なにより目標たるデイルズ自身が、ビーコンのように強力な思考波を発している。だが、そこに至る道のりに、デイルズがどんな防備をほどこしているかはわからない――このように、これから行なわれる突入はおそろしく不安定な作戦だったが、隊の中にそれを厭う者はいなかった。
「ひょう! 腕が鳴るってもんだ!」ヴァンバスカークは、重量三〇ポンド([#ここから割り注]約一四キログラム[#ここで割り注終わり])の宇宙斧《スペースアックス》を頭の上でバトンのように振り回した。「おまけに大蛇《おおへび》閣下にサムライの旦那までいっしょとあれば、こんなに心強いこたァありませんや!」
『同感だね』装甲宇宙服に身を固めたウォーゼルが、両腕にセットされたデラメーターをかまえながら言った。『クザク、噂の“アルタイル柔術”をこの目で見るのが楽しみだよ――おや、それは?』
クザクはひたいに金属製のはちまきのようなものを締めていた。プラチナ・イリジウム製の鉢金。中央部には、アリシアのレンズが輝いている。
『サムライの装身具だな。命を賭《と》した戦いに臨む際に身に着けるものと聞くが――』ウォーゼルの尻尾が、クザクの背をぴしゃりと叩いた。『大した覇気だ。頼もしい!』
「うむ……」クザクは無表情のまま、宇宙服のヘルメットをかぶった。
『突入経路確保!』
母船からの報告を受け、ウォーゼルが艇内を見回した。
『みな、用意はいいな? ――では、降下準備開始!』
砲弾が薬室に込められるように――事実、その通りの機構を使って――突入艇は環状放射機の中央の砲弾発射口にセットされた。
『――降下!』
ウォーゼルの号令とともに装填《そうてん》装置のロックが解放され、推進機が作動を開始した。Q型螺旋チューブの中を、艇は〈シェル〉に向けて突進していった。
*
『突入部隊、降下を開始しました』
キムボール・キニスンに向けられたその報告を聞きつけると、〈ドーントレス〉号主席パイロット、ヘンリー・ヘンダースンは背後をふり返った。
「自分も参加したいと思ってるんでしょう、キム?」
ヘンダースンの言う通り、その種の突入作戦の際には、キニスンは常に先陣を切っていた。“一番槍”の栄光を他人に渡すようなことは決してなかった。しかし、今回ばかりは事情が違う。太陽ビームへの唯一の対抗手段である精密行動艦隊《マイヌートフリート》は、その統御をキニスンの精神的能力に依存していた。これは同じ第二段階レンズマンであるウォーゼルやトレゴンシーにすら任せられない仕事だった。
しかし、キニスンの浮かぬ顔は、そうした理由のみによるものではなかった。
キニスンはいまだデイルズを見切れずにいた。デイルズという男は、強大である以上に狡猾《こうかつ》だった。これは、キニスンがこれまで相手にしてきたどんな相手とも違う性質だった。強いて言うならば、それはボスコーンを相手に戦う際の、キムボール・キニスン自身の特性に近いものだった。
この異質な敵に対し、彼は最も有能、かつ信頼のおける人材を配置した。だが、その判断は正しかったのだろうか?
これまでにも、キニスンは幾度となく、部下の命を危険にさらしてきた。だが同時に、そうした際には必ず、自分自身をも、最も重要で危険な場所に配置してきた。他者の行動に、ただ運命をゆだねることは決してなかった――
「……キム?」ヘンダースンが、もう一度言った。
「……ああ」キニスンは、彼らしからぬ生返事で答えた。
*
〈シェル〉の表面に穿《うが》たれた縦穴の底。複合素材の壁の、地層のような断面を見上げると、五〇フィート([#ここから割り注]約一五メートル[#ここで割り注終わり])ほど上方に、中断された通路がぽっかりと口を開けているのが見えた。
『あれだ。行こう』ウォーゼルがそう言って前に出た。クザクや他の隊員も、推進機を噴かしてあとに続いた。
通路に入った突入隊員たちを迎えたのは、整備用ロボットの群れだった。クザクが疑似トレンコ惑星の地表で見たものと似た感じだが、植物採集用の刃物の代わりに、宇宙作業用ロボットと同種の作業アームがついているところが違っていた。サイズはひとり乗りの小型自動車ほどだ。
クザクら装甲宇宙服姿の侵入者たちに対し、整備ロボットは通りいっぺんの走査ののち、“ただの障害物”という判断を下した。ロボットは彼らを無視し、あるいは邪魔そうに押し退けながら、ぞろぞろとシールド破損部の修理に向かっていった。
暗い通路を、ロボットの流れに逆らうようにして、二〇〇名の突入隊員は前進した。しかし、破損部へ向かうロボットの数が多くなると、だんだんと身動きが取れなくなってきた。ウォーゼルやヴェランシア人はロボットをかき分けるように、クザクはそれらのすき間を縫うようにしながら進んだが、ヴァレリア人部隊はあちこちでロボットにぶつかり、思うように動けずにいた。
『バス、もっと急げないか』ウォーゼルが言った。
『へい、すんません』ヴァンバスカークは答えた。『しかし、こう数が多くちゃ……ええい、こんちくしょう!』
周囲をロボットに囲まれたヴァンバスカークが、癇癪《かんしゃく》を起こし、目の前のロボットを蹴りつけた。
その途端、ロボットの動きが変わった。
整備ロボットは、侵入者の評価を“障害物”から“危険物”に変えた。そして、作業アームに装備された切断・溶接用ビーム銃を振りかざしながら、それら“危険物”の排除に務め始めた。ロボットはそれまでの倍以上のペースで殺到し、一度は通り過ぎていったものさえ舞い戻ってきた。
GP宇宙服の装甲は作業用ビームになでられた程度で貫通することはないが、身動きの取れない状態で集中的に照射された場合は、その保証の限りではない。ヘルメットに穴を開けられかけたヴァレリア人隊員のひとりが、『ノシャブケミング!』と叫ぶと、デラメーターを抜き、発砲した。
『しかたない――強行突破だ!』ウォーゼルの号令のもと、一行は前方に向けてデラメーターを乱射しながら突撃した。ヴェランシア人は海蛇のようにのたくり、ヴァレリア人は砲弾のように跳躍し、クザクは疾風のように駆けた。ロボットの残骸を踏み越え、また、新たな残骸を生み出しながら、焼け焦げ、溶けかけた通路を、彼らは突き進んだ。そのさまはまるで、GP宇宙服の黒と銀、そしてひらめくビームの光彩からなる、意志を持った破壊の嵐だった。
――しかし、そうした進撃も、長くは続かなかった。
整備ロボットが、不意に姿を消した。かと思うと、重機関銃と可搬式《セミポータブル》ビーム砲をそなえた装輪式の警備《ガード》ロボットが一体、赤い警告灯を光らせながら、通路の向こうに現れた。重い機銃弾と、デラメーターの比ではない破壊的な熱線が、闇を裂いて飛んできた。ヴァレリア人隊員が数名、装甲のすき間に機銃弾を受けて倒れた。また、熱線の直撃を受けて、宇宙服ごと半身をえぐられ、即死する者もあった。
『くそっ!』ヴァンバスカークが、ガードロボットに向けて携帯|榴弾《りゅうだん》を撃ち込んだ。閃光《せんこう》、そして衝撃。足元に、小さな車輪が転がってきた。粉塵《ふんじん》の向こうに、破壊されたガードロボットの残骸と、それから――新たに現れた、無数の警告灯が見えた。
『ノシャブケミング……!』ヴァンバスカークが、うめくように言った。
その先はまさに、地獄のようなありさまだった。
大小の熱線がひらめき、機銃弾と榴弾が飛び交い、宇宙斧やスパイクつきの尻尾が振り回された。吹き飛ばされたガードロボットの部品や、宇宙服の手足がいくつも空中を舞った。隊員の半数が負傷し、また、何十体というロボットが破壊された。跳弾が幾重にも跳ね回り、粉塵によって拡散した熱線は有効射程のほとんどを失う代わりに、周囲を焦熱地獄に変えていた。その熱と埃《ほこり》のため、ロボットはもはや正常に動作していなかった。またそれは、GP隊員にとっても同じことだった。両陣営は、ただひたすら狂ったように、自らの持てる武器を振り回すばかりだった。
『うおおっ!!』野獣のごとく咆哮《ほうこう》しながら跳躍したヴァンバスカークが、宇宙斧を振りかぶり、ガードロボットの胴体に叩きつけた。ロボットはその一撃で破壊されたが、外装に深くめり込んだ斧を引き抜くのに気を取られたすきに、彼はロボットとともに、至近距離で生じた爆発に巻き込まれた。ロボットの機体が横倒しになり、その下敷きになったヴァンバスカークを、さらに別のロボットのビーム砲が照準した。
『ノシャ――』
ヴァンバスカークが神の御名を唱え終わらぬうちに、ひとりの人影が彼の体を飛び越えた。日本刀を腰にした、細身で長身の男――シン・クザクだ。ガードロボットの目の前に着地したクザクは、発砲寸前のビーム砲身の上下に軽く手を添え、くるりとひねった。その一点を中心に、ガードロボットは車輪を空転させながら、逆さまにひっくり返った。そのまま逆方向に発射されたビームは、後続のロボットを貫き、爆発させた。クザクはさらに、流れるような動作で腰の日本刀を抜き、逆さまになったロボットを一閃で両断した。
一方、左右のデラメーターで一機ずつ、尻尾の先でもう一機、計三機のガードロボットを片づけたウォーゼルが、ヴァンバスカークに駆け寄り――いや、のたくり[#「のたくり」に傍点]寄り、彼の体にかぶさるロボットの残骸を取りのけた。
『大丈夫か?』
『へい、大したこたァ――』そう言いかけて、ヴァンバスカークはせき込み、ヘルメットの中に血を吐いた。
ウォーゼルは第二段階レンズマンとしての知覚力を働かせ、ヴァンバスカークの体内を診察した。折れた肋骨《ろっこつ》が、肺の一部を傷つけていた。
――ここまでか……?
ウォーゼルは迷った。後続のロボット群は、すぐに到着するだろう。このまま一進一退の消耗戦を続けながら制御室までたどり着くことは、あるいは可能であるかもしれない。だが、生きて帰ろうとするなら[#「生きて帰ろうとするなら」に傍点]、ここまでだ[#「ここまでだ」に傍点]――
その迷いを察したように、クザクが言った。
『レンズマン・ウォーゼル、みなに撤退命令を』
『だが、デイルズは――』
『わたしに任せてもらおう』とクザクは言い、その場にあぐらをかいて座り込んだ。『あなた方のおかげで、わたしの“道”は見えた』
『道……?』
クザクはうなずいた。
『死と名誉に至る道、“武士道《サムライ・ロード》”だ』
『なに……いや、よかろう、撤退だ』ウォーゼルは言った。『だがクザク、きみも来るんだ。きみの流儀がどうあれ、わたしは自殺行為を認めるわけにはいかない』
クザクの肩に手を置いたウォーゼルが、次の瞬間、不可思議なパワーの直撃を受け、電気に撃たれたように跳ね上がった。三〇フィート([#ここから割り注]約九メートル[#ここで割り注終わり])の巨体が空中に螺旋を描いて回転し、床に叩きつけられた。
『な……ッ!?』六つの目を飛び出させながら、ウォーゼルはクザクを見上げた。彼の知覚力は、クザクの体内を巡るエネルギーの流れが、急速に充実し、速度と精度を増しつつあるのを見て取った。死地を前にして、この男の全存在が凝縮し、刃物のように研ぎ澄まされつつあるのだ。
――これが、サムライというものか……!
ウォーゼルは戦慄《せんりつ》とともに理解した。ヴァンバスカークでもウォーゼル自身でもない、この男こそが、キムボール・キニスンの切り札なのだ。
*
屋外には警報が鳴り響き、銀河パトロールの車両が走り回っている。
その音を壁越しに聞きながら、官舎区の共同シェルターの片隅に、モーガン姉弟は身を寄せ合って座っていた。小さなデューンはドロシーに抱かれ、双子のレイとマギーはしっかりと手を握り合っている。
「姉ちゃん、俺たちどうなンだ――」
スカートにしがみついたリッキーの頭を、キャットが笑いながら張り飛ばした。
「オタオタすんな。地球《テルス》にゃレンズマンが腐るほど居ンだ。なんとかするに決まってんだろ。なあ?」
「その通りだよ、姉さん」ビルが汎用宇宙服のヘルメットを手に取りながら答えた。ビルはまだ体の無理が利かないが、おもての避難誘導などでレンズマンの通信能力が必要とされる場面はあるはずだ。
ビルは次いで、シェルター内の避難者を見渡しながら言った。
「みなさん、私はこれから屋外の応援に向かいますが、戦闘終了後に必ずGP隊員が迎えにきます。それまで、どうか落ち着いて――」
ビルの言葉が、途中で止まった。
「――やあジョナサン……え? クザクが?」ビルは一旦空中を見上げ、それからキャットをふり返った。「姉さん、レンズマン・クザクからだ」
クジラのジョナサンとビルを経由して、クザクのレンズ通信がキャットに届いた。
『ミス・モーガン――』
「クザク、てめえ!」キャットの表情が一変した。「なァにが『地球《テルス》は安全』だ。真っ先に襲われてんじゃねえか! 適当抜かしてんじゃねえぞ!」
『うむ、すまない』クザクは平静そのものの口調で言った。『これは予想外の事態だ』
「すまねえですむか! ちゃんと目の前で頭ァ下げやがれ! 今すぐ太陽系《ソル》に来い!」
『うむ――わたしは現在、太陽系《ソル》の戦闘に参加している』
「あァ? ……なんだよ、キニスンの大将も人使いが荒ェな」
『そのため、すまないが、きみたちの招きに応じることができなくなった。それをひと言わびておこうと思う』
「ンなもん、ちゃっちゃとすませて来りゃいいだろ」
『そうもいかぬ……きみの幼い弟たちに会えぬのはまことに残念だが』クザクは言った。『しかし、きみたちを守ることに、わたしの“道”が通じたことは、まことに喜ばしい』
「あァ? またわけのわかんねえこと言ってんな」
『うむ』クザクは答えた。『正しく想いを伝えることは、まことに難しい。今はただ「きみに万歳の幸あれ」と――|さらばだ《クリア・エーテル》』
クザクの別れの言葉を最後に、短い通信は切れた。
「おい、なんだよ、いきなり……変な奴だな」と、キャットが言った。
「もしもし、クザク――クザク?」
『『もしもし、クザク――クザク?』』
ビルがクザクに呼びかけたが、クザクの返事はなく、いつかのように、不可思議なエコーが返ってくるばかりだ。
『……今、クザクは“道”って言ったね』と、ジョナサンが言った。いつもの彼らしからぬ、沈欝《ちんうつ》な調子だった。
「ええ、『道が通じた』とか……」と、ビル。
『……それはつまり、サムライの言葉で、死に場所を見つけた――という意味だよ』
「死に場所?」
「……ンだとォ!?」キャットが立ち上がった。
*
ウォーゼルの号令のもと、突入部隊は撤退した。
ひとり残ったクザクは、通路に座し、床や空気を伝わってくる振動を読んでいた。味方は滞りなく退いているようだ。また、はるか前方からは、何十体というガードロボットが、列をなしてこちらに向かっているのがわかる。
アルタイルのクザクは、骨の髄からのサムライだった。サムライの生き様とは、すなわち死に様[#「死に様」に傍点]である。生きるべくして生き、死ぬべき時に死ぬ。そこには不安も、後悔もない。ただ、自らの生と死にどのような意味があるのか、サムライはその一点のみを重視する。
クザクは自らの置かれた状況を吟味した。カロニアのデイルズと闘い、地球《テルス》と銀河文明の安寧《あんねい》を守ること――死を賭すに申し分ない大義だ。アルタイルにサムライは数あれど、これほどに華のある“道”を得られるものは、そうはいない。
また彼は、幾人かの人物を思い浮かべた。彼の元上司トレゴンシー、銀河調整官キムボール・キニスン、地球《テルス》のジョナサンとふたりの助手、アルデバラン出身の若きレンズマン、ビル・モーガンとその姉キャット・モーガン。特に、キャット・モーガンの、時に荒々しく、ときに意外な繊細さを見せるたたずまいは、彼の脳裏に強く印象の尾を引いた。
クザクの白い顔が、思わず、わずかな笑みを浮かべた。クザクはあの、山猫のような女を気に入っていた。かの女《ひと》のために死ぬことは愉快であった。
やがて、タイヤを軋らせながら、ガードロボットの群れが到着した。いくつもの可搬式《セミポータブル》ビーム砲が、床にあぐらをかくクザクを照準した。そして――
『――バンザイ!』
ビーム砲の熱線が床を焼いた瞬間、クザクは高く宙に舞っていた。
ひたいの鉢金の中で、白く、そして真っ赤に、アリシアのレンズが異常発光した。死を目前にした精神の爆発力、それを利用することこそが、サムライの技の神髄だった。
クザクは装甲宇宙服の推進機を空中で作動、轟音《ごうおん》を立て、空気を切り裂きながら、空中を武者走った[#「武者走った」に傍点]。縦に横に空間を薙《な》ぐ熱線と跳弾をかいくぐり、有慣性状態のまま、ガードロボットの群れに突入した。と――クザクの体につき当たったロボットは、ビームや機銃弾を放出しながら回転し、次々と互いの機体を撃ち抜いた。整然と並び、幾条もの射線を発するロボットの群れが、クザクの体に触れた端から回転花火に変わった。爆風を背に受け、クザクはさらに加速し、さらに大きな爆発の嵐を巻き起こしながら突き進んだ。
[#挿絵(img/hundosi_332.jpg)入る]
しかし――至近距離を通過した強力なビームや、装甲のすき間からすべり込んだ破片は、彼の体を徐々に傷つけていった。神秘の格闘術、アルタイル柔術を極めたクザクといえども、圧倒的な物量を前に、無傷というわけにはいかなかった。また、先日デイルズから受けた腹の傷も、再び口を開き始めていた。しかし、「完全なる調和」を至上の極意とするアルタイル柔術の術理から言えば、敵に死をもたらすために自らの死をもって当たる[#「自らの死をもって当たる」に傍点]のは、むしろ当然のことだ。クザクはそれを厭いはしない。彼の見えざる目には、おのが行くべき道、宿敵たるカロニアのデイルズに至る“サムライ・ロード”が、はっきりと見えていた。
熱線の雨、破片と銃弾の嵐の中を、クザクは銀の矢となって駆け抜けた。行く手をふさぐ隔壁を超重物質《デュレウム》の刃で切り払い、防御スクリーンを穿孔機《せんこうき》で瞬間的に貫き、何十というロボットの群れを踏み越えながら、彼は走った。彼は疾走する鬼神であった。彼はひらめく刃であった。彼は一条の雷光であった。彼は一陣の神風であった。
そして、最後の隔壁を切り開き、クザクが飛び込んだのは、〈シェル〉の制御室の中央直上――デイルズの頭上だった。
デイルズは〈R‐Fシステム〉のネットワークを通じ、クザクの侵入を予期していた。黒い義手のかまえる黒い大型ハンドガンが、すでに頭上に向けられていた。
クザクはとっさに自らの精神を“明鏡止水《ミズカガミ》”と化した。こうすることによって、彼に殺意を向けた者は、その殺意を反射され、わが身を滅ぼすことになる。――が、デイルズはそのまま引き金を引き、連続して三条のビームを放った。それが可能な理由は、彼の義手にあった。思考波の制御装置であるその黒い義手は、殺意を漏出することなく銃を操る事ができるのだった。
クザクは身をひねって射線を避けながら、推進機を噴かしてさらに加速。抜刀しながらデイルズに迫った。
暗い室内に、熱線の光条と、デュレウム刃の軌跡が交錯した。クザクが着地し、デイルズは大きく飛び退った。カロニア人とアルタイル人は、一五フィート([#ここから割り注]約四・六メートル[#ここで割り注終わり])の間を置いて対峙《たいじ》した。
デイルズの青いほおが裂け、紫色の血を流し始めた。クザクの肩と脇腹の装甲がえぐられ、薄く煙を立てていた。
「クザァク……!」デイルズはハンドガンを振り上げた。
対するクザクは、刀を収めながら、床にあぐらをかいた。そして、「ドウモ……」拳を床に突き、わずかに頭を下げた。宿敵に対する礼であった。
[#改ページ]
16 名誉ある死
[#挿絵(img/hundosi_335.jpg)入る]
[#挿絵(img/hundosi_336.jpg)入る]
[#改ページ]
ウォーゼルら突入部隊を回収した|Q砲打撃艦《Qモーラー》が〈フリードマン・シェル〉のスクリーン面を離れたころ――
〈シェル〉の一点から発していた強力な思考波信号が、停止した。
その信号によって同期を取っていた、〈シェル〉の太陽ビームの収束リングを構成する励磁ロボット群が、統制を失った。一分の隙もない完璧な隊列に、徐々にむら[#「むら」に傍点]が生じ、やがて、収束的な磁場の維持ができなくなった。太陽ビームはぼやけ、拡散し、ただの放射光となった。
――よし!
突入作戦の成功を知ったキニスンは、太陽ビームの終端が完全に地球《テルス》からそれるのを待って、精密行動艦隊《マイヌートフリート》に新たな命令を下した。
『太陽ビーム発射隊形[#「太陽ビーム発射隊形」に傍点]!』
『『QX!』』
キニスンの精密行動艦隊《マイヌートフリート》はデイルズの〈R‐Fシステム〉と同様に、太陽ビーム砲システムとしての機能を持っていた。〈シェル〉のビームに対する防御が不要となった今、その機能を存分に攻撃のために発揮することができる。
二五〇〇隻の特別高速艦は、一天文単位の空間を瞬時にわたり、太陽《ソル》を中心に、黄道面に直交する縦型のリングを形作った。リングの軸は、正確に〈シェル〉に向けられている。
『太陽ビーム、発射準備完了!』
『よろしい……』
号令を発する前に、キニスンが逡巡《しゅんじゅん》した。その意を汲んで、ウォーゼルの思考波が問うた。
『キム、〈シェル〉にはまだクザクが残っているが――』
『ああ』と、キニスンは答えた。『だが――発射だ!』
『『QX!』』
特別高速艦が励磁装置を作動させた。太陽《ソル》の放射光が超絶的な磁力によって絞られ、収束し、一本の光束となった。固体のごとき密度を持つエネルギー流――太陽ビームが、地球《テルス》にほど近い空間に浮かぶ〈シェル〉に向けて、光速で突き進んだ。
*
クザクとデイルズの戦いは、開始と同時に膠着《こうちゃく》していた。
ふたりの対峙する一五フィート([#ここから割り注]約四・六メートル[#ここで割り注終わり])の距離は、銃を持ったデイルズはもちろん、クザクにとっても必殺の間合いだった。クザクの技量をもってすれば、刀を腰に収め、床にあぐらをかいた姿勢から、一瞬にしてデイルズの首を打ち落とせる。
だが、相手の平衡状態の乱れを突くことを極意とするアルタイル柔術においては、闘いは“後の先”、つまり、カウンター攻撃を基本とする。……その応用であり、例外でもあるのが、自ら敵に打ち当たる“|武者走り《ムシャバシリ》”の一手だが、彼我の相対速度を利用する技であるそれは、現在のように、すでに初太刀を外し、静止して向き合った状態からでは使用できない。よって、クザクはただ、デイルズの次の挙動を待つ形になる。デイルズが銃の引き金を絞る際の、わずかな力み――クザクはデイルズを斬るための、その一瞬の隙を待つ。
対するデイルズは、その天性のセンスをもって、クザクの技を理解していた。警戒すべきは、クザクの一刀目のみ[#「一刀目のみ」に傍点]だ。最高に研ぎ澄まされた一刀目さえ避ければ、即座にクザクを撃ち倒す自信はあった。しかし、その一刀が装填[#「装填」に傍点]されたまま、クザクは微動だにしない。そのためデイルズは、飛び下がることは愚か、指一本、視線ひとつ、動かすことができない。なによりまずいのは〈R‐Fシステム〉の制御に意識を振り向ける余裕がないことだ。
〈シェル〉の制御卓を兼ねる床面の一部が、小さな警報音を発した。精密行動艦隊《マイヌートフリート》による太陽ビーム発射を感知したのだ。
「ほう」デイルズは青い顔に笑みを浮かべた。「どうやら早く片をつけなけりゃならんようだな」
太陽ビームの着弾までは、約八分。この時間制限は、デイルズに有利に働くだろう。
「……さあ、抜けよ、サムライ」と、デイルズは言った。プレッシャーをかけて抜かせてしまえば、あとはどうにでも料理できる。
しかし――
「このままでよい」と、クザクは言った。
「……!」
そのひと言で、デイルズはクザクの狙《ねら》いを理解した。クザクには、デイルズを斬るつもりはなかった。手だれの|拳銃使い《ガンスリンガー》であるデイルズに対し、もし自ら抜刀すれば、その勝負は五分《ごぶ》以下と言ったところだろう。しかし、このまま時間切れを待てば、それは銀河パトロールの確実な勝利となる。
「クザク……貴様!」端正な青い顔が、おそろしい憎悪の表情を浮かべた。しかし、デイルズは動けなかった。指一本たりとて、先に動かすことはできなかった。
対するクザクは、動かない――動こうともしない。装甲のすき間から血を滴らせながら、クザクは白い顔に、ただ、静かな笑みを浮かべていた。
*
統制を失って右往左往する攻撃ロボットを、対ロボット駆逐艦が掃討している。デイルズの制御から離れた〈R‐Fシステム〉は、ただの愚鈍な自動機械だ。恐るるに足りない。つまり、あのカロニア人さえ倒せば、あとに残る問題は、ない。
光速で進む太陽ビームは、約八分後に〈シェル〉に到達する。その瞬間までクザクがデイルズを押さえ切れれば、銀河パトロールの勝利だ。
〈ドーントレス〉号のブリッジでは、キムボール・キニスンが暗い表情で映像プレートを見つめていた。
――選択の余地はなかった。
クザクがデイルズを釘づけにし、キニスンがもろともに[#「もろともに」に傍点]仕留める――この計画は、ふたりのグレー・レンズマンの間で、事前に協議されていたものだった。
立場が逆であっても、やはりふたりは同様の判断を下したことだろう。事実、過去にはキニスン自身が、この種の特攻《カミカゼ》的な作戦を何度も遂行してきたのだ。そして現状、デイルズに対抗しうる者はクザクしかおらず、精密行動艦隊《マイヌートフリート》を扱えるものはキニスンしかいない。これ以外の結論はありえなかった。これは予定された損失によってあがなわれる、予定された勝利だった。
――だが、この後味の悪さはなんだ?
キニスンが艦隊指揮官用のシートに深く身を沈め、自らのレンズをちらりと見た。滅多に見られるものではないが、これは彼が判断に迷った時の、無意識のしぐさだった。
その時――
『地球《テルス》から非GP船籍の航行体が発進――〈シェル〉に向かっています!』探知プレートのオペレーターが叫んだ。
「なに!?」キニスンは身を乗り出した。「どこの船だ!」
『アルデバランの採鉱作業艇、船名は〈ラッキーストライク〉号!」
「タイトビーム通信を――」
通信用タイトビームが〈ラッキーストライク〉号をとらえるより早く、〈ラッキーストライク〉号からのレンズ通信がキニスンの精神に到達した。
『――キニスン閣下、こちらはアルデバランのモーガンです。〈ラッキーストライク〉号はこれより、アルタイルのクザクの救援に向かいます』
『危険だ、レンズマン・モーガン! 直ちに帰投したまえ!』
『閣下、この独断行動については、後日いかなる処分をも受けるつもりですが――』
『ビル、代われ』ビル・モーガンの思考波が、彼のレンズを中継した、キャットのそれに代わった。『キニスンか?』
『ミス・モーガン、馬鹿なまねは――』
『うるせえよ』キニスンの言葉を、キャットはさえぎった。『ンなこた言われるまでもねえ、こちとら脳が足んねえのは生まれつきだ。けどな、あたしが馬鹿ならあいつ[#「あいつ」に傍点]ァ大馬鹿、ザブリスカのフォンテマ並みだ。うちのガキどもの一〇〇万倍も手がかからあ。ところで、そういうあんたは何様だ? へっ! 銀河調整官だかなんだかしらねえが、お利口サマがあたしに指図すんじゃねえや。てめえはそこでふんぞりかえってお大事なレンズでもみがいてな! そのあとは、なくさねえようにケツの穴にしまっとけ! |じゃ、あばよ《クリア・エーテル》、|グレー服の腰抜け野郎《グレー・チキン》!!』
通信は一方的に切れた。全開多面通信状態にあった二五〇〇人のレンズマンが、キニスンの精神を通じてキャットの罵声《ばせい》を浴び、各々の艦の操縦席で、目を丸くしていた。あっけにとられた表情でシートにもたれかかるキニスンを、〈ドーントレス〉号のブリッジ要員が、同様の表情を顔に浮かべながらふり返った。
「は……」キニスンは頭をかいた。そして、天を仰いで笑いだした。「……ははは!」
キャット・モーガンの罵倒は痛烈だった。まるで、横っ面を張り飛ばされた様な気分だ。おかげで目が覚めた[#「目が覚めた」に傍点]。先ほどまでの自分は、まったく自分らしくなかった。だが今や、キニスンは自分が何者であるかを、はっきりと思い出していた。
キニスンは勢いよく立ち上がり、右腕のレンズを見た。アリシアのレンズは、先ほどまでの数倍も生き生きと輝いていた。何をすべきかは、レンズが知っていた。
『キムボール・キニスンから〈ドーントレス〉号及び精密行動艦隊《マイヌートフリート》の各艦へ!』明朗な思考波が、全艦隊に響き渡った。『われキムボール・キニスンは、艦隊指揮官の権限をもって、〈ドーントレス〉号を艦隊旗艦任務から解放する! また、われキムボール・キニスンは、銀河調整官の権限をもって、自らを任務解除する! そして、われキムボール・キニスンは、独立レンズマンの権限をもって、〈ドーントレス〉号を徴発する! ――QXか、諸君!?』
『――QX!』『QX!』『QX!』『QX――!」二五〇〇の思考波が、グレー・レンズマンの宣言を承認した。
『諸君の支持に感謝する!』
次いで、キニスンは思考波の到達範囲を〈ドーントレス〉号の艦内に絞った。
『本艦はただ今から特別任務に基づき、〈シェル〉に突入する。この作戦への参加はすべて志願による。――それを望まないものは、緊急退避プロセスに従い、九〇秒以内に退艦せよ!』
それからキニスンは、主席パイロット、ヘンリー・ヘンダースンに声をかけた。
「ヘンダースン、今から九〇秒後に――」
「無駄なことはやめましょう、キム」ヘンダースンが、キニスンをふり返った。
「なに?」
「時間の無駄だと言ってるんです」そう言いながら、ヘンダースンは両手を制御卓の上にひらめかせ、推進系の座標設定と出力調整をしていた。「この〈ドーントレス〉号には、『降りていい』と言われて降りるような奴は、ひとりだって乗っちゃいませんよ。――そら、発進だ!!」
ヘンダースンが一〇本の指先を制御キーの上に叩きつけると、〈ドーントレス〉号の推進機が全力噴射を開始した。
*
「オラオラ、どけどけ! どけってんだコラ!」
〈ラッキーストライク〉号は左右のアームから牽引《トラクター》ビームや圧迫《プレッサー》ビームを出し、攻撃ロボットの群れの中を、泳ぐように渡っていった。が――やがて、一条の牽引ビームが〈ラッキーストライク〉号をとらえ、攻撃ロボットが船体に取りついた。
「姉さん、操縦を頼む!」ビルは宇宙服で船外に飛び出すと、デラメーターで応戦した。
デラメーターの熱線に牽引ユニットの基部を貫かれ、攻撃ロボットは船体を離れ、瞬時に視界の外に消えた。かと思うと、第二、第三のロボットが、同様に牽引ビームで取りついてきた。ビルは超光速の星間粒子抵抗に耐えながら、ロープをたぐり、吸着ブーツを踏ん張って船体表面を移動し、ロボットを撃退した。しかし、ロボットは次から次へと現れる。ビルが再びデラメーターをかまえたとき、握力の戻りきらない彼の左手が、ロープをすべらせた。姿勢を崩したビルの体は粒子圧に負け、船体表面から引きはがされながら後方に飛んだ。腰にフックされたロープがピンと張り、ビルは船体に叩きつけられた。
新手の攻撃ロボットは、貫通ビームの銃口を〈ラッキーストライク〉号の船体に向けていた。攻撃ロボットの貫通ビームは戦闘宇宙艦のビーム砲とは比較にならないほどの低出力だが、ただの採鉱艇に過ぎない〈ラッキーストライク〉号にとっては致命的だ。ビルは腹ばいになりながら、デラメーターを持った手をロボットに伸ばした。だが、船体が大きくゆれ、狙いが上手く定まらない。そうしている間にも、ロボットの貫通ビームはチャージを完了し――
その時、空間に何条もの光線が疾り、数体の攻撃ロボットを順番に貫いた。ビルの頭上に現れた巨大な銀の涙滴――〈ドーントレス〉号からの、ニードル光線による精密射撃だ。
『〈ラッキーストライク〉号、本艦の格納庫へ!』
キニスンの指示に従い、〈ラッキーストライク〉号は〈ドーントレス〉号の船腹に開いたハッチに飛び込んだ。〈ドーントレス〉号は攻撃性スクリーンを展開し、一発の灼熱《しゃくねつ》の砲弾と化すと、攻撃ロボットの群れを貫いて〈シェル〉に向かった。
〈ドーントレス〉号の前方に、スクリーンロボットの群れが、赤い壁のように立ち塞がった。|Q砲打撃艦《Qモーラー》の強力な攻撃性スクリーンをしてようやく貫通可能なその剛健な楯は、しかし今、統制を失ってその厚みにむらを生じていた。
「主砲全砲門開け!!」キニスンが号令した。
〈ドーントレス〉号の主砲は、八門の機関式超ビーム砲だ。カートリッジ式の強力放射機を毎分三〇〇本の速度で焼き切りながら発射される、壮絶なまでに破壊的な光束群が、ロボットの“壁”の薄い部分を瞬時に突き崩した。スクリーンロボットが“壁”に空いた穴をふさぐよりも速く、〈ドーントレス〉号はそこをくぐり抜け、〈シェル〉本体のK6T型スクリーンに至った。〈シェル〉のスクリーンの赤みもまた、今や均一ではなかった。エネルギー供給の乱れから、その強度にむらを生じているのだ。
「超[#「超」に傍点]攻撃性スクリーン展開!」
〈ドーントレス〉号の攻撃性スクリーンが、壮絶なエネルギーをはらんで爆発[#「爆発」に傍点]した。主砲の超ビーム砲と同様の原理で、ユニット化したスクリーン発生機に次々と過負荷をかけることによって、瞬間的な超パワーを放出する仕組みだ。そのエネルギーの直撃を受け、〈シェル〉のスクリーンの一部が飽和し、崩壊した。〈ドーントレス〉号はさらに爆発、爆発、爆発し、〈シェル〉のスクリーンとその発生機を破壊しながら、“地表”に降下していった。
これは、危険な賭けだった。超攻撃性スクリーンは〈ドーントレス〉号での試験ののち、実用化を却下された実験的装備だった。あまりにも動力のロスが大きく、〈シェル〉のスクリーンを貫通できるかどうかは五分五分だったのだ。
事実、〈シェル〉のスクリーンの最後の一層を破る際には、全動力――バーゲンホルムに供給されるべき動力さえも――が使用された。そのため、〈ドーントレス〉号は有慣性化しながら、〈シェル〉のシールド面に激しく衝突した。
*
太陽ビームの到着までは、すでに三分を切っていた。
制御室の中央に対峙したまま、クザクとデイルズは微動だにしていない。クザクは動かない。デイルズは動けない。
その膠着状態を終わらせたのは、制御室全体を襲った、巨大地震にも似たゆれ――〈ドーントレス〉号の有慣性着陸の衝撃だった。
均衡が破れた。
デイルズは姿勢を崩しながら、銃を握る義手に力を込めた。クザクは反射的に日本刀を抜き打った。デイルズの首を撥《は》ね飛ばすかと見えた斬撃は、しかし、不充分な姿勢から放たれたため、威力が半減していた。デイルズは銃を持った腕を首の横に立てていた。超重物質《デュレウム》の刃は、黒い義手に半インチ([#ここから割り注]約一・三センチメートル[#ここで割り注終わり])ほど食い込み、そこで止まっていた。
「ッハァ」カロニア人の貴族的な青い顔が、魔獣のごとき壮絶な笑みを浮かべた。「抜いたな[#「抜いたな」に傍点]、クザク!!」
クザクの突入してきた天井の穴が崩れ、大量の瓦礫《がれき》が降ってきた。クザクは後方に飛び退った。
「ハハハハハ――!!」
デイルズは瓦礫を意に介さず、黒いハンドガンを乱射した。強力な熱線が、砂煙を貫いてクザクを襲った。クザクは身をひねって致命傷を避けたが、その一撃一撃が確実にクザクの肌を焼き、肉をえぐった。
そしてついに、一条のビームがクザクの膝を貫き、彼の右脚を吹き飛ばした。前のめりに倒れるクザクの頭部を、デイルズの銃が照準した。
その時、クザクの宇宙服の推進機が全力噴射した。固体のような風圧とともに、クザクの体は床面すれすれを武者走った。熱線に肩を焼かれながら、クザクはデイルズに突き当たった。デイルズの体が空中で回転し、床に叩きつけられ――いや、デイルズはおそろしい反射神経を発揮し、空中で手足を振りながら、両足で着地。一直線に飛び去ったクザクに銃口を向けた。だが、クザクはすでにそこにいない。デイルズは反射的に、身をかがめた姿勢から背後に銃を打ち振り、頭上の死角にビームを撃ち放った。空中からデイルズに迫っていたクザクはその熱線を避けながら片足で着地、全力噴射で飛び下がりざまに日本刀を打ち振った。デイルズは上体をそらし、そのまま後転しながら銃を連射した。対するクザクは大きく横ざまに跳びながら、投げナイフを放った。三本のナイフが、銀のビームのようにデイルズに迫った。デイルズはそのうち二本をかわし、残る一本をハンドガンの銃身で叩き落とした。
刀を抜いたクザクが跳弾のように跳び、銃をかまえたデイルズが剣舞のように舞う――その超人的な戦いは、しかし、長くは続かなかった。
デイルズの熱線がクザクの推進機を貫いた。機動力を失ったクザクは勢いのままに激しく床を転がり、地に這《は》う姿勢で止まった。
「『武士道とは犬死にと見つけたり』――ってか、え?」勝ち誇ったデイルズが、クザクを照準した。
この邪悪なカロニア人は、いまだ何ひとつ失ってはいなかった。確かに、ここで〈フリードマン・シェル〉は失われるかもしれない。しかし、この場でクザクを倒し、身ひとつで脱出すれば、増殖する〈R‐Fシステム〉を使って、同様のものはいくらでも作れる。材料となる恒星系は、銀河に無数にあるのだ。
「ハハハ! あばよ、サムライ!」デイルズが引き金を引こうとした瞬間――
天井をぶち割って、キャットの操る採鉱艇〈ラッキーストライク〉号の鼻面が、制御室に突入した。
「なッ!?」
意識のそれたデイルズに向かって、クザクが日本刀を投げつけた。デュレウムの刃は生き物のように空間を疾《はし》り、デイルズの右肩を貫いた。
「クザ――!」
クザクに向き直ったデイルズを、今度は〈ラッキーストライク〉号の圧迫《プレッサー》ビームが襲った。
『くたばれ、糞カロニア人!!』
キャットはビーム出力を最大に上げた。数十トンの岩塊をも突き動かす圧迫ビームが、デイルズの体を床に突き倒し、圧し潰した。まるで濡れ雑巾を叩きつけたように、カロニア人の紫色の血液が四方に飛び散った。黒い義手がハンドガンを握ったまま千切れ、がらがらと床を転がり、クザクの足元に転がった。
*
『あと三〇秒だ、急げ!!』キニスンの思考波が轟《とどろ》いた。
クザクを収容した〈ラッキーストライク〉号は、シェルの表面から全速力で離脱した。
上空には、再び動力を回復した〈ドーントレス〉号が無慣性状態で待機していた。〈ドーントレス〉号は格納庫を開く間をも惜しみ、〈ラッキーストライク〉号を牽引《トラクター》ビームでとらえながら急上昇した。一行は“地表”を離れ、〈シェル〉が赤い光球と見える距離にまで遠ざかった。
そして――太陽《ソル》の太陽ビームが、〈シェル〉に到達した。何十分の一秒かの照射で〈シェル〉のバーゲンホルムは機能を停止し、恒星アルゲスの固有速度が復活した。アルゲスも、〈シェル〉の構成素材も、本来は第二銀河系に属するものだ。ゆっくりと、半ば自らの重力によって崩壊する〈シェル〉は、内部からアルゲスの光を漏らしつつ、太陽ビームの軸からそれて移動し始めた。
アルゲスがいずれ第一銀河系の重力にとらえられるか、はたまたこのまま銀河間を放浪する恒星となるか、それはまだ、わからない。
*
「――どうだい、死に損なった気分は」〈ラッキーストライク〉号の操縦をビルにまかせ、クザクの右脚を止血しながら、キャットはにやにやと笑っていた。先ほどまでの必死の形相が、嘘のようだ。「あたしらに、なんか言うことあんじゃねえのか、おい?」
「ああ……」クザクは白い顔にごく微妙な表情を浮かべながら、嘆息した。「“道”をまっとうすることは、まことに難しい」
「なんだよ、その不満そうな言い草ァ!」とたんにむっとしながら、キャットがクザクに詰め寄ろうとした、その時。
彼女の鼻先に、操縦席の内壁を貫いて、デュレウム刃の切っ先が突き出た。何者かが、船外から日本刀を突き込んできた[#「船外から日本刀を突き込んできた」に傍点]のだ。
[#挿絵(img/hundosi_352.jpg)入る]
「ンだァ!?」
ついで、二度、三度と船体が貫かれ、鮮やかに切り裂かれたのち、操縦席の壁に人がくぐれるほどの大穴が開いた。急激な減圧とともに現れたのは――
「クザァァク!!」カロニアのデイルズは叫んだ。全身から噴き出す紫色の血液が、減圧のため沸騰していた。デイルズはクザクの日本刀を左手にかまえていた。右腕は根元から千切れていた。彼は左腕一本で、〈ラッキーストライク〉号にしがみついてきたのだ。
「ハハハやりやがったな糞糞糞ザムライ! 許さねえ殺すてめえ許さねえ殺すてめえ許さねえ殺すてめえハハハハハハハハハ!!」
「バケモンか、てめえ!?」
キャットが腰のトラクターガンに、また、ビルがデラメーターに手を伸ばした。
「かもな[#「かもな」に傍点]ァァァ!」デイルズは青い顔に魔物の笑みを浮かべながら、日本刀を顔の横にかまえた。「なるほど、カタナってのもなかなかいいもんだ。……おまえらが一発撃つ間に、俺は首を三つ飛ばせるぜ……!!」
デイルズの言葉は虚勢ではなかった。この男にはそれができる[#「できる」に傍点]――船内にいる全員が、その事実を確信した。誰も動けなかった。デイルズ以外は。
「デイルズ」クザクが静かに言った。「刃を手にする者は、調和を求めねばならぬ」
「ハハハ! 命乞いにしちゃ、さえねえ台詞《せりふ》だな!」
デイルズはにたりと笑うと、クザクに向かって日本刀を振りかぶった。濃密な殺気が、デュレウムの刃に凝縮していくようだった。
「調和ってのは、こういうことか[#「こういうことか」に傍点]!?」
デイルズは日本刀を振り降ろした。
「クザク!!」キャットが叫んだ。
その時、クザクの見えぬ目が刮目《かつもく》した。|半カロニア人《ハーフ・カロニアン》の殺意が、クザクの鏡面化した精神に反射した。
「お――!?」
デイルズの手がひとりでに動いた。日本刀を逆手に持ち替え、自らの腹部に突き立て、横一文字にかき切った。
「な・ん・だ・とォ……!?」
デイルズは口から紫色の血を吐きながら、その場にくずおれた。そして、流出する空気に押されて船外に吹き飛ばされ、惑星間の虚空に漂っていった。
クザクは静かに目を閉じ、ゆっくりとかぶりを振った。
地球《テルス》最大の危機のひとつ“デイルズ事件”の、これが終幕だった。
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17 まどろみの時
[#挿絵(img/hundosi_355.jpg)入る]
[#挿絵(img/hundosi_356.jpg)入る]
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デイルズ事件から二カ月。
宇宙港に降り立ったビル・モーガンは、額に手をかざしながらトランジア第二惑星の空を仰ぎ見た。恒星トランジアの青白い光を浴びるのは、バルマー事件から数えて約半年ぶりだ。充分な休養を得て、体も制服も、そして右腕のレンズも、新品同様。いや、一連の事件を通して、われながら、ひと回りもふた回りも大きく成長したように思える。
だが、意気揚々と麻薬局に復帰したビルを迎えたのは、補佐役のアルデバラン人の警部の、こんな言葉だった。
「おかえりなさい、ビル。休暇はどうでした? おっとその前に、仕事がどっさりたまっていますので、まずはそちらの引き継ぎから」
――アルデバラン第一惑星の、そして地球《テルス》での大事件を知らぬはずはないというのに、このそっけない態度はどうだろう?
もちろんビルには、自分の手柄を自慢するようなつもりは毛頭ない。が……少しくらい感心してくれてもいいではないか。
「あのですね、警部」若いレンズマンは、少しばかり不服げに言った。「ぼくはこの数カ月、銀河文明の存続に関る大事件に立ち合っていたんですよ」
老警部は肩をすくめながらコーヒーのポットを手に取り、それを拳銃のように目の前に突き出しながら、こう言った。
「ドカーン! バキューン! ダダダダダン! ――そんなものは、お祭り[#「お祭り」に傍点]に過ぎません。本当の仕事というのは、オフィスの机の上に回ってくるものですよ。コーヒーを一杯飲んだら、さっさと取りかかりましょう」
*
デイルズ事件は銀河パトロールの中枢に、わずかな、しかし重大な余波を残していた。死せる|半カロニア人《ハーフ・カロニアン》の呪詛《じゅそ》は、銀河調整官キムボール・キニスンを緩慢な死に追いやろうとしていたのだ。
――〈R‐Fシステム〉やそれに類似する装置は、民間に供されるべきではない。GP艦隊の持つ、超ビーム砲や牽引《トラクター》ゾーン発生機などのいくつかの軍事機密と同様、それはあまりにも有効、かつ破壊的な技術だからだ。また、それは〈フリードマン・シェル〉も同様だ。GP財源としていくつかを建設し、確保しておくことは有効かもしれないが、銀河パトロール以外の者――民間企業や星系政府、そして、なによりもボスコーンの残党――が、この巨大な力を手にすることは、どうしても避けなければならない。よって、これらの技術はレンズマン秘[#「レンズマン秘」に傍点]として封印され、銀河パトロールの管理下に置かれるべきである。さらに、それらの万一の流出と増殖に備え、既知星域と同様、未踏星域の恒星群に対しても、ウルトラウェーブによる厳重な監視を行なわねばならない。もし、ある日、ひとつの恒星が急にその光を失ったならば、そこには新たな怪物《サイクロプス》が生まれつつあるのかもしれないのだ――
キニスンのそうした所見のもと、新たな監視体制が考案され、それを実行するための法律、条例、公式あるいは非公式な軍事的計画が、日々何百も立案された。それらの多くは“秘匿性を帯びた最重要の用件”に分類され、必然的に銀河調整官の直接の決裁を必要とした。そのため、キムボール・キニスンは第二銀河系の惑星クロヴィアのオフィスで、以前の三割増しの高さの書類の山に埋もれる日々を過ごすことになった。
……そして現在。精神的圧死の危機を感じた銀河調整官キニスンは、ロッカールームに向かいながら、レンズを通じて彼の秘書官に話しかけていた。
『――ところでアイリーン、詳しくは言えないが、実に重大な問題が発生した』
*
ある朝、地球《テルス》の銀河パトロール官舎では、いつものようにレイとマギーが取っ組み合いの喧嘩を始めていた。ピンク色の肌を煉瓦《れんが》色に染めて、チクラドリア人の双子は互いに噛《か》みつきあい、服や髪を引っ張りあいながら転げ回った。
もとはと言えば、どちらかがどちらかの歯ブラシを間違えて使ったとか、そんなささいな理由だが、その歯ブラシも、歯ミガキ粉のチューブも、タオルやコップまでもが飛び交うにいたって、小さいデューンが樽のような体を震わせて泣き出した。物音に駆けつけたドロシーは、おろおろするばかりで、手をつけかねている。
「おい、おまえらやめろよ!」仲裁に飛び出したリッキーの頭に、ヘアスプレーの缶が当たった。「いッてェェ」
リッキーはその場にしゃがみ込んで頭をさすっていたが、やがて、切り札を持ち出した。「いいかげんにしねえと、キャット姉ちゃんがアルデバランから飛んでくるぞ!」
レイとマギーの動きがぴたりと止まった。デューンまでもがぴたりと泣きやんだ。リッキーはにやりと笑うと、胸を張り、尻尾をピンと立てながら言葉を続けた。
「六〇光年ぐらいひとっ飛びだ。なにしろ気が短けえからな!」
*
「キャァーット!!」真っ赤な宇宙服の大男が叫んだ。「今日こそぶっ殺してやる!!」
「やんのかてめえ、上等だ!」と、気の短いキャットが怒鳴り返した。
場所はアルデバラン小惑星帯の、エルバ・ステーション。キャットは出稼ぎの形でエルバに寝起きし、月に一度か二度、地球《テルス》に帰ることにしていた。六〇光年程度の距離なら、〈ラッキーストライク〉号でも片道三〇分程度で通える。太陽系《ソル》にも小惑星帯はあるが、今のところ、アルデバランの方が愛着もあるし、土地勘も働く。
それに加えて、キャットはエルバを気に入っていた。
フリードマン社がつぶれてからこのかた、同社の所有していたいくつものモジュールが閉鎖され、あるいは競売にかけられて人手に渡っていったが、エルバ自体は昔ながらの鉱夫ステーションとして存続していた。混沌《こんとん》とした状況の中、今まで以上にトラブルは起きたが、そこも含めて、キャットはこの場を気に入っていたのだった。
そして今、エルバのエントランス・モジュールにて――
「へっ! せっかく入れた歯がまた全部飛んじまうぜ? いいのか、え?」キャットが挑発すると、「このアマ……!」赤宇宙服の大男は、真っ赤な顔をして、金歯をむき出した。
――おい、始まるぜ!
――ようし、やれ! やっちまえ!
――俺は山猫に五〇だ!
大声で呼び交わしながら、やじ馬が集まってきた。
そして、大男が腰のビーム拳銃に手を伸ばした時――
「ドウモ、ミス・モーガン」やじ馬の間から、すべるように現れた者があった。GP宇宙服姿の、白い顔の男。アルタイルのクザクだ。
「お……よう、脚の具合はどうだい」と、キャットが言った。
「うむ、問題ない」クザクの右脚は、フィリップス式組織再生法によって、ほんの先週生え変わったところだ。
「で、あたしになんの用だよ?」
「うむ」クザクは用件を切り出した。「第二銀河系の未踏星域に、未登録の人工構造物が発見された。〈R‐Fシステム〉によって建設された可能性が高い」
「ってえと、ひょっとして――」
クザクは無表情のままにうなずいた。
「きみも知っての通り、カロニア人デイルズの死は、いまだ正式に確認されてはいない。その点も、今回の調査の焦点となるだろう。ミス・モーガン、経験ある宇宙作業者として、調査行への協力を求めたい。きみの生命はわたしが保障する」
「そりゃあこっちの台詞だ。ほっとくとすぐ腹とか切るからな、てめえは」
「いや、そういうわけではないが――」
「おい、世間話してんじゃねえぞ!」赤宇宙服の大男が、クザクに銃を突きつけて威嚇した。「色男さんよ、あんまり俺をなめやがると――」
クザクがその銃身をひょいとつかみ、くるりとひねった。大男の体は横ざまに回転しながら飛び上がり、ホール中央の無重力地帯でくるくると回転した。
「なっ!? なんだこりゃ――この!」
大男がやけくそで発射したビームが四方八方に飛び、やじ馬がわらわらと逃げ出した。クザクの白い顔をかすめた熱線が、横にいた鉱夫の尻に当たり、鉱夫は悲鳴を上げて飛び上がった。
「てめえ!」鉱夫は尻をさすりながらふり返り、自分の銃を抜いた。その肘《ひじ》が別の鉱夫の胸に当たり、突き飛ばされたその鉱夫は「なにしやがる!」と叫んでヘルメットを投げつけた。ヘルメットはよそ見をしていた別の鉱夫の頭に当たり、その男は鉱石ポッドをふりかぶりながらふり返った。
……やがて、ホール中を巻き込む乱闘が始まった。床の上で、そして空中で、熱線、鉱石のかけら、ヘルメットに工具箱、それにごついブーツと拳が飛び交う混乱の中、クザクはまったく無表情のまま、キャットの手を取った。
「行こう。ジョナサンを待たせている」
クザクは握った手をくるりとひねった。「うおっ!?」キャットの体が空中に舞い、クザクの腕の中に収まった。クザクはキャットを抱きかかえたまま、大乱闘のすき間を縫って、すべるように走り出した。
「ひょう――」
キャットはクザクの首に腕を回し、歓声を上げた。
「――はっはァ!」
*
「……じゃあ、デイルズはまだいきてるの?」
『生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。なにしろ彼はイレギュラーな存在で、ぼくたちにも、正確なところは把握できないんだ。やっかいなことにね』
「ユークはかみさまなのに、わからないことがあるの?」
『アリシア人は神ではないよ、キット。ほんの少し長生きで、ほんの少し余計に勉強してるっていうだけで、あとはきみたちと同じさ。“わかること”はわかるけど、“わからないこと”は、やっぱりわからない』
「ふうん」
「――キット、誰とお話ししてるの?」と、キットの母、クリスが言った。
「ユークだよ、ママ」と、キット・キニスンは答えた。
「まあ、ユークはなんて言ってるのかしら」
キットの両親は、“ユーク”を“キットの空想の友達”としか思っていない。キットたちが使用している超高次帯域の思考波は、母のクリスはもちろん、父のキムボール・キニスンにさえも感知できないものだった。
キットはわずかに首をかしげ、それから、母の顔を見上げた。
「ユークはぎんがぶんめいのテキセツなハッテンにとてもマンゾクしてるって」
「まあ、よかった」クリスは言った。「でも、今日はもう遅いから、ユークとも“おやすみ”してね」
「うん」キットはうなずくと、友人に別れを告げた。「おやすみ、ユーク」
『おやすみ、キット』
アリシア人ユーコニドールは、クロヴィアへの精神投射を終了すると、意識を銀河全域に浸透させ、思索にふけった。
今しがたキットに告げたように、ユーコニドールは現状にとても満足していた。彼や彼の同胞たちが、何万年もの時間をかけて見守り、育んできた銀河文明は、もはや自らの足で歩み始めている。まだときどき――例のデイルズの件のように――ほんのわずかな手助けを必要とすることがあるが、何年かのち、キットが目覚めるころには、そういうこともなくなっていくだろう。
そして、その先は――わからない。
キットやまだ生まれぬ彼の妹たち、そして、彼らにつづく若き第三水準知性の持ち主たちは、擁護者たるアリシア人をも超えて成長していくだろう。その後、彼らが何をなし、どのような道を歩んでいくのか――
それは、ユーコニドールの洞察力を超えた主題だ。ユーコニドールには、わからない。
わからないが、しかし、それはきっとすばらしいことだと、ユーコニドールは思う。
未知なる希望に満ちた目覚めの直前の、ほんのわずかなまどろみの時を、ユーコニドールはただ、ゆったりと楽しんでいた。
[#改丁]
あとがき
アメリカのSF作家E・E・スミスの代表作のひとつ『レンズマン』シリーズは、「スペース・オペラの金字塔」と言われる、SF史上の記念碑的作品です。一九三七年当時、デビュー作『スカイラーク』シリーズによってすでに大人気を博していたスミスが、「スペース・オペラの決定版」たるを期して〈アスタウンディング〉誌上にて発表を開始したそれは、事実、今なおエドモンド・ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』シリーズとならんでこのジャンルを象徴する作品であり、また、西部劇《ホース・オペラ》そのままだったスペース・オペラから、科学的整合性を持った現代SFへの、過渡期的(それゆえに両者の間に希有《けう》なバランスを保った)作品である、と評価されています。
本書『サムライ・レンズマン』は、『レンズマン』シリーズの外伝的作品として企画・執筆されました。『レンズマン』の後継作品といえば、すでにデイヴィッド・A・カイルによる“正統続編”が存在しますが(『ドラゴン・レンズマン』/『リゲルのレンズマン』小隅黎訳・創元SF文庫)、その一方で、たまにはこういう「変なレンズマン」があってもよいかと思います。長年の『レンズマン』ファンのかたにはその「変」っぷりを笑ってもらえばよし、若い読者のかたには、初めて触れる『レンズマン』として、この豪快な世界観に燃えていただければ幸いです。また、本書と前後して、創元SF文庫から小隅黎氏による新訳版の『レンズマン』シリーズが刊行される予定ですので、わたしが言うのもおこがましいですが、あわせてお楽しみいただければと思います。
なお、本書の執筆に当たっては、主に創元推理文庫の旧訳版『レンズマン』シリーズ(小西宏訳・六六年〜六八年刊/第七巻『渦動破壊者』のみ小隅黎訳・七七年刊)を参考にさせていただきました(ただし、用語や固有名詞等については、基本的に新訳の方に合わせてあります)。また、並行して新訳版原稿のテキストデータや小隅黎氏が翻訳に使用されている貴重な資料のコピーをいただいたり、レンズマンの世界観についていくつかの助言をいただいたりと、東京創元社さま及び小隅氏には、たいへんお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。ただし、本編中に誤り等がある場合、それらはすべてわたしの責任に帰するものです。
最後に、本書の企画・刊行に関ったみなさまに感謝いたします。
企画立案者である角川春樹事務所の中津さま。諸般の事情で春樹事務所さまの手を離れたこの企画を引き継いでくださった、徳間書店デュアル文庫編集部の大野編集長、担当編集者の梶山さま、イラストを担当してくださった漫画家の岩原裕二さま。
それから、前述の小隅黎さまと東京創元社の小浜さま、『レンズマン』の日本における版権管理をされているタトル・モリエージェンシーさま、また、大もとの権利者であるE・E・スミスの御遺族。その他、読者のみなさまを含め、本書に関ったすべてのかた。
そしてもちろん、故E・E・“ドク”スミス御本人に。
[#地付き]二〇〇一年一〇月
[#改ページ]
底本:「サムライ・レンズマン」徳間デュアル文庫、徳間書店
2001(平成13)年12月31日初刷
入力:iW
校正:iW
2007年12月19日作成