アラビアの夜の種族U
古川日出男
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)聖還《ヒジュラ》暦
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一二一三年|一月《ムハッラム》
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総目次
聖遷《ヒジュラ》暦一二一三年、カイロ
第一部 0℃
第二部 50℃
第三部 99℃
仕事場にて(西暦二〇〇一年十月)
文庫版附記
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目次
第二部 50℃
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第二部 50℃
アーダムがまぶたを閉じ、アーダムの内側で世界が――宇宙が――歴史が――闇色に染まってから、無時間のなかにただよう夢のように一千年の歳月《とき》が、歴史のおもて側ではながれます。ことばを換えれば、わたしたちの歴史がアーダムをうしなってから、一千年が。
年代記はひたすら空白を刻み、あらたな登場人物はあらわれます。
そのまっさらな(白い、白い)ページのうえに。
二人めの人物はどこから来るのでしょう? わたしたちは物語の焦点を、どこに絞ればよいのでしょう? 舞台は? 二つの海(地中海とインド洋)にはさまれた大地のなかであることは、いうまでもありません。すでに若干のなじみのある土地でもあります。それはアル・ヤマンの対岸、紅海を見おろすような地勢にある秘められた山野から、誕生し、出現し、わたしによって譚《かた》られるのです。
この二人めの人物、二人めの主人公の二十歳《はたち》になるまでの日々を、短い、独立した挿話として、聴いていただきたいと思います。
では、その始原《はじまり》の地に。
まずはアビシニアの高原地帯から。
われらが使徒ムハンマド(このかたに未来|永劫《えいごう》の限りなき栄光あれ!)の時代をはるかにさかのぼるころから、アビシニアは強力な王家に支配された、キリスト教徒の皇国でした。エジプトのコプト人らがそれを伝来《つた》え、国教として採用させたのです。高原地帯にあって、断崖《だんがい》を天然の要塞《ようさい》として(ここで言及されているエチオピア高原は、海抜高度がじつに千六百メートルから四千メートルにも達する。そのため、遍在する大渓谷との凹凸があらゆる外敵の接近を妨げてきたという)、アビシニアは建国以来、ゆるがずキリスト教国としての版図を維持してきたのです(第一夜の冒頭にあった解説と矛盾するようにも読めるが、原文のまま)。ある編年史家によれば、二千年あまりも領土を荒らされることはなかったとのことです。
しかし、いかな啓典の民といえども、異端の信仰はいつまでも繁栄をつづけるものではありません。聖戦《ジハード》によって拡大するいっぽうのイスラームの勢力によって、ついに一枚岩のアビシニア皇国にも亀裂が走り、王家の威勢は衰頽《すいたい》し、国内は分裂し、群雄が割拠する時代が訪れます。たちまち、無法に腐敗、非道に戦争がはびこります。旧皇国の全土に、高原地帯の隅ずみに。
この(アビシニアにとっての)不幸な世紀に、二人めの主人公は呱々《ここ》の声をあげました。
だれの子か、どの一族の裔《すえ》か、そうした記録はありません。この子はやがて長ずるにおよんで流離《さすら》う運命にありますが、そうした将来を暗示してでしょう、わたしたちの年代記に登場する劈頭《へきとう》第一の瞬間から、彷徨《ほうこう》の、移動の途上にありました。生後わずか一日。はや故郷を離れ、流亡《るぼう》をはじめていたのです。
場所は? アビシニアの北東部から南東部にかけての領土を分割して統治していた豪族のひとりの、獲得されてまもない支配地内。山砦《さんさい》からくだる者があり、見るところ四十路《よそじ》の女でしたが、籐編《とうあ》みの籠《かご》を提《さ》げています。その籠の内容《なかみ》は? ひとです。この世に生を享《う》けたばかりの、いまにも壊れてしまいそうな嬰児《みどりご》です。運ばれているのは赤子であって、それが籠から、ちらっとばかり、のぞいているのです。
女は山道をくだります。
時刻は? ようやっと朝朗《あさぼらけ》、薄ぼんやりとした光明が射しはじめたころ。そのかすかな曙光に、籠のなかの子どもの容姿が、できたての目鼻だちがうかがえます。
見えない部分をさきに説いておきますと、この嬰児は男《お》の子でした。肝腎《かんじん》の部分は(大人用の、アビシニア伝統の意匠の)肩かけ布で被《おお》われておりますので、視認できるというものではありません。けれども、それ以外は、いろいろと看《み》てとれます。ああ、なんという色彩《いろ》でしょう! 白いのです。全身が、白いのです。頭頂にあるのは銀色の毛髪。そして顔が、ちいさな握りこぶしが、膨らんだ腓《こむら》が、素足の裏が、布地からのぞいている全部が、異様な白さでした。それは色彩ですらありません。いってみれば無色の白、なぜならばこの赤子は欠色(先天的な色素欠乏症)だったからです。
子どもを連れている女は、人種的な特徴に適《かな》った黒い皮膚《はだ》をしています。アビシニア人ならではの、より精確には温かみのある栗色と申しましょうか、そうした膚色です。なのに、赤んぼうはまるで別物です。生まれながらにして皮膚にも髪にも色彩《いろ》がないのです。その瞳《ひとみ》はどうかといえば、人間《ひと》のあいだに生まれた欠色《アルビノ》はおおかたが真っ赤な目になるものですが(虹彩や眼底までもがメラニン色素を欠いてしまうために)、そのような極限的な表徴《あらわれ》は見られませんでした。完全な色素喪失の、わずかに此方《こちらがわ》にある嬰児でした。
野生動物の欠色《アルビノ》は知っていても(ときには崇拝したり聖なる瑞祥《ずいしょう》として捕らえたりしても)、人間のそれは知らない部族も多いといいます。籠のなかに色彩《いろ》のない赤んぼうを入れて、とぼしい曙光の険路を邁《ゆ》く女も、表情から察するかぎり、恐懼《おそれ》のようなものをいだいておりました。おののきを表わしておりました。この女の子どもなのか、あるいは家族のだれかが産んだものなのか、事情はわかりません。あきらかなのは、黒い皮膚《はだ》をした自分たちアビシニア人の居住地に、こうした無色《いろなし》の子どもが誕生することを、女がまるっきり予期していなかったという事実です。
畏《おそ》れていた? たぶん。忌み、避けようとしていた? かもしれません。いずれにしても、女はこの生後わずか一日の嬰児を、いま、捨てようとしているのです。そのために険阻な山道をくだり、人目を避けて――払暁の時間に――走っているのです。
その赤んぼうを、捨てて殺してしまえと意《おも》っていたわけではありません。女には、目的地というものはありました。
いつしか、緑の内部《なか》に足を踏み入れていました。猿たちが鳴きかわしをはじめています。岨道《そばみち》のまわりには木立ちが展開しているのでしょう。水音も聞こえだします。あきらかに、ながれ落ちる瀑布《たき》が遠からぬ場所にあって、その轟音《ごうおん》が樹々のあいだで反響してとどけられているのです。
朝靄《あさもや》がひろがっていました。
高原が陥《お》ちこみ、崖になっているところに、深い、濃い霧が発生しているのです。
暁の陽光がきらきらと射して、絶壁の傾斜のはるか下方《した》にしだいに浮上しつつ ある森を、女は認めます。
自分が目途《めあて》とする土地の辺縁部にちかづいたことを、女は知ります。
緑が、鬱蒼《うっそう》と茂り、森となっている、断崖の下方《した》の世界。森の都。霧のなかの都。そうです、霧のなかには人間《ひと》の住む都邑《まち》があるのです。霧のなかには森があるのです。その森が都邑《まち》なのです。めざしていたのは、まさに白霧のなかから浮上する都の、辺縁《へり》でした。
ただし、その土地に暮らすのは人間《ひと》ならぬ人間《ひと》。
まるで人種を異にしている部族。
密な森に衛《まも》られて、外界との接触をいっさい断って生きている、白皙《はくせき》の種族でした。つまり、白い皮膚《はだ》の。白人の。高原地帯を領有している黒いアビシニア人たちとは、交流《まじわり》はありませんし、言語《ことば》もちがいます。紅海沿岸に暮らしているアラブ人たちのように、交易で接触するということもありません。いってみれば、落人《おちゅうど》の集落のように、鬱然とした森に囲まれて――緑の内奥《なか》にいて――伝説に守護されているのです。なかば神話化し、畏怖《いふ》の対象ともなっている種族でした。
アビシニアのキリスト教徒からは「左|利《き》き族」と呼ばれていました。
籠のなかに嬰児を入れた女にしても、森の、白い人間《ひと》を目にしたことはありません。うわさに聞いているだけで、じっさいには。しかし、めざしていたのはそこでした。白い皮膚《はだ》の部族が暮らしているという禁忌の森。
そこに、嬰児を捨てようと。
女はこう意《おも》っていたのです。
ああ、十字架の功徳《くどく》にかけて――神のものは神に、欠色《アルビノ》の赤んぼうは白人に。
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「二人めの?」
「二人めの主人公です」とズームルッドは答えた。
「その白い、白い子どもが?」
「捨てられようとしている子どもが。あすには名前が授けられるでしょう」
「いずれはアーダムや蛇のジンニーアとからむのか?」
「ご明察のとおりです。そして、三人めの主人公も」
「そうだった。ズームルッドよ、あなたは複数の挿話がとりこまれるのだと、さきに附言していた。砂塵《さじん》にまみれた年代記の、内側に」
「内側に。ですが、物語はいずれは自在に飛躍します。内部にあるものとこれを孕《はら》むものという、境界は、崩れるのです」
「砂だからか?」とアイユーブはたずねた。
「砂だからです。歴史の時間《とき》そのものが、おおかたが砂だからです」
前三夜よりも夜話の量《かさ》が減ったその日、いまだ暘《ひので》はちかづかず、まぶたも、唇も閉じていないズームルッドは、聴き手とのあいだでことばを交わした。
わずかな数の対話を。だが、じゅうぶんな対話を。
「聴こう」とアイユーブはいった。「あすも。わたしたちは聴こう」
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第五夜は訪れる。
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※[#底本ではアラビア文字の5]
「左利き族」は海をわたってきたとの部族内部の伝承《いいつたえ》をもっており、これを査《しら》べた学者によると、そもそもはアル・ヒンドの地に出自を見いだせるとのこと。海路にて、このアビシニアの領土の一角に(最後には)渡来したと考えられております。いうなれば大移動をしたわけですが、ある時期には紅海の島の住人だった事実も、古代の地誌類と権威者の史書によってたしかめられています。紆余《うよ》曲折を経て落ちついた土地、この――一箇の都邑《まち》と化している――畏怖に衛《まも》られた森の地理をさらに詳《つまび》らかにすれば、そこは方角的にはアデンの南に位置し、はるかに海岸地帯から離れていたということでございます(アデンは旧南イエメンの首都で、紅海入り口の港湾都市。ここではたぶん、アフリカ大地溝帯がその北端附近で二つにわかれて、いっぽうが東に折れ、アデン湾にぶつかる直前に展開する地域が指示されていると思われる)。
本来の膚色をもたない赤んぼうは森の辺緑部で(それはまさに境界線でしたが)、籠《かご》を、十字を切って一本の巨樹の根もとにおろした黒い皮膚《はだ》の女によって、置き去りにされました。
つまり、わたしたちの年代記に劈頭《へきとう》第一の瞬間から移動する者としてあらわれた二人めの主人公は、ここではじめて、ついに停まるのです。
運命は欠色《アルビノ》の赤んぼうをアビシニア女によって森に捨てさせますが、同時に運命は、つぎの変転に赤んぼうを追いやります。
歯車はまわりつづけていて、何者かを赤子みずからが惹《ひ》きつけるのです。
ひとことでいえば、森は視《み》ていました。なにを? 高地に暮らしているはずのアビシニア人の女が、立ち入ってはならない禁忌の森にちかづいて、両手と両足を畏《おそ》れに顫《ふる》わせながらソロリ、ソロリと歩みよるのを。片腕には藤編《とうあ》みの籠を提《さ》げて、それを目についた喬木《きょうぼく》の根かたにある大地におろすのを。柔らかな腐葉土のうえに、籠を置いて、そのまま置き去りにして来た岨道《みち》を駆けもどるのを。
それは鬱然《うつぜん》とした森の内部《なか》にも薄明かりがとどきはじめる時刻、この森の「目」となった監視者にも(それは男で、アラブ人よりももっと白い皮膚《はだ》をした、左利き族の一員でした)じゅうぶんに情景を――いっさいがっさいを――見守らせたのです。
さて、森の「目」となっていた人物は、境界の見張りなどを専門に務めている、左利き族のなかでは指導者の層に属する者でした。ですから、(日ごろから森の内外《うちそと》を警固する立場として)早ばやとアビシニアの黒い女の出現《あらわれ》を察知して、近間にひそみ、一部始終を目撃したのは当然でした。無残にも赤んぼうが捨てられる瞬間を、その現場を、森そのものとなって見つめていたのは。ちなみに、一般の左利き族は、奥深い緑の内部に暮らしていて、めったに界《さかい》めにはあらわれません。
わたしは捨てられる現場といいましたが、籠の内容《なかみ》が赤んぼうであることは、森の「目」はいまだ把握《つか》んでいません。なぜなら、その赤んぼうは、泣かず、騒がず、動いてもいなかったからです。生まれたての脆《もろ》い裸体をつつんでいる肩かけ布のしたで――籠の内部で――捨て子はじっと、運命がそちら側から咬《か》む一瞬《とき》を、まっていたのです。
手をだして、咬まれるのはもちろん、左利き族の森の監視者でした。
そして歯車をまわすのです。
黒い女が去り、もどらないのを確認すると、身をひそめていた木蔭《こかげ》の闇《くら》がりからでて、森の監視者は置き去りにされた籠にちかづきます。巨樹の根に、添うようにおろされている籐編みの籠に。樹《き》に抱かせようとするかのように。それから、のぞきこみます。籠のなかを、内容《なかみ》を。
ああ、このときの愕《おどろ》きやいかに! 第一に捨て子である事実に驚愕《きょうがく》し、その事実を(みずからの内部《なか》に)滲透《しんとう》させるいとまもなしに、子どもの容姿に驚愕したのです。しだいに勢いを増しゆく森の辺縁《へり》の早朝の陽射しに、きらめいている銀髪、頬、口もと、ちいさなこぶし。それらの、ああ、なんという色彩《いろ》! 見いだされたのは無色の白、すなわち、白ですらない白だったのです。つづいて左利き族の男が三番めに驚いたことに、遠目からでは生命《いのち》の気配すら感じとることのできなかった赤子は、籠のなかで、両のまなこをひらいていました。ばっちりと、のぞきこんだ男を直視するように、開眼していたのです。
もちろん、年齢からいっても、まだ物を見られる段階ではありません。生を享《う》けたばかりの嬰児《みどりご》ですから。ですが、ああ、しかし、無色《いろなし》の赤んぼうは左利き族の男を見ていたのです。見返していたのです。
森の監視者は三つの衝撃に(そして、なんといっても三番めの衝撃に)息を呑《の》みます。
その嬰児の白い、白い睫《まつげ》に、吸いこまれます。
美しい、と嘆じました。
はっきりと、この捨て子に魅了されたのです。
ここでアビシニアの人間が、いわゆるスーダン(黒い土地。広範囲の熱帯のアフリカを指す。これについては前述した)とは人種的に異なっていることを、想起していただかねばなりません。アラビア半島にも起源があり、その血にはアラブのそれも淆《ま》じっているのです(そもそも現在のエチオピアの古名アビニシアは、アラビア語の「ハベシュ」を語源とし、セム系とハム系の汚れた混血児と差別・蔑視しているようなニュアンスもあるという)。ですから、アビシニア人の子どもから黒い膚をのぞけば、印象としては白人にちかいものがあったのです。かつ、この子どもは眉目《みめ》が元来ひじょうに美《うる》わしいという長所を具《そな》えていたのでございます。
森の人間は、異人の子なら受け容れませんが、しかし、これは――。
運命の矢は、すでに左利き族の男と、欠色《アルビノ》の赤んぼうの、両方を射貫《いぬ》いておりました。指導者の階層にあった男ですから、いろいろと判断は可能です。そもそも外部との交流《まじわり》を断ってはいますが(あとで説明いたしますが、それでも自給自足が可能なのです、この左利き族の森では)、この人間たちは偏狭ではなかったのです。
決断はなされました。この瞬間、捨て子は拾い子となったのです。
当の赤んぼうが待望していたその運命の一瞬《とき》。
捨て子は、左利き族の森に、むかえ入れられたのです。
事情は第一発見者である森の「目」、森の監視者の胸に秘められ、もちろん境界の見張り役が属している指導者集団内では、報《し》らせはとどけられて共通の秘密となるのですが、それ以外の者たちのあいだでは「森から授けられた子」のひとりと説かれました。これは不義の子、姦通《かんつう》の子、親のない子を意味しており、こうした出自が不明な子どもたちは集落の共有の財産のようにして育てられます。なぜなら、左利き族のなかでは姦通を悪とみなす習慣が存在せず、いろいろな父《てて》なし子がポロリと生まれてしまうからです。結婚まえの娘であっても、ポロリ、ポロリと産んでしまうからです。ですから、「森から授けられた子」の制度は必要だったわけで、こうした孤児たちが経済的に苦しんだり、つま弾《はじ》きにあったりということはありませんでした。
拾われたその午前《あさ》のうちに、膚色をもたない赤んぼうは乳母をあてがわれます。左利き族の、真正の白人の乳房に――真っ白い膨らみに――吸いつき、生きるために母乳を飲みます。仕種《しぐさ》はとても愛らしいものでした。腹が減っても、泣きわめきもせず、おだやかで、ほとんどの時間は微動だにせず。生命《いのち》の糧があたえられるのをまちます。愛をまちます。色彩《いろ》のないその膚のように、透明な存在感をたたえて。数週間のうちに、乳母は数人にふえて、白い乳房が三つ、白い乳房が五つ。白い愛情が七つ。
純粋な左利き族でないことは、乳母たちの目にはあきらかでした。まず髪の白さです。左利き族は、その膚こそ真っ白ですが、毛髪は茶褐色か、まれに濃い赤。睫《まつげ》などの色あいも同様です。産毛《うぶげ》こそ、透明にきらきらと輝いていますが、全身が産毛のような乳児は――むろん、大人でも――存在した例《ため》しがありません。さらに赤んぼうは、端麗さをきわめる顔だちによって一見、違和を感じさせないのですが、その造作の細部は(一つひとつ焦点を絞って観察すれば)左利き族の平均的なそれとは異なります。特徴が、森の外側に暮らしている人間に通じてもいる事実を、直感した乳母もおります。
ですが、だからといって生《お》いたちが穿鑿《せんさく》されたり、秘められた素姓がうんぬんされることはありませんでした。なんといっても「森から授けられた子」でありましたし、出自の不詳はこのひとこと、この定義ひとつによって解決してしまうのです。もとより森の世界に受け容れたのですから――しかも指導者層の容認のもとに――どのような穿鑿が、いったい、必要でしょうか?
アビシニア女によって赤子が捨てられる現場を目撃した、あの森の監視者の決断、その刹那《せつな》の深謀遠慮は、このようなかたちでも働いておりました。
乳母たちの母乳を吸って七週間、ついに赤んぼうには名前がつけられます。生まれ落ちてから七週間を生きのびるまでは、左利き族のなかでは現世《うつしよ》の人間として認められず(むしろ幽冥の存在とみなされる)、命名もされないのです。じゅうぶんに人間となった赤んぼうは、ファラー、と名づけられます。
ファラー、と。
乳兄弟《ちきょうだい》とともにファラーは育ちます。愛情はたっぷりと、わけ隔てはありません。仲間となる「森から授けられた子」は集落内にも十人、二十人といて、泥にまみれていっしょに遊びます。だれもファラーが特別だとは想っておりませんでしたし、ましてファラーが劣るなどとは、想っておりません。個人間においでの(生来的な特質の)差というのはあっても、兄弟間で、遊び仲間のあいだで、差別も被差別もないのです。四歳となり、五歳となります。ファラーは劣るというよりも、むしろ勝るほど美しい男児に成長します。
この美しさ。
やはり特別な美しさでした。
基準をはずれて、ひとり、屹立《きつりつ》する異形の美。
その髪は白いのです。その膚は、左利き族の白さを無効にするように、色彩《いろ》を失しているのです。だから、子どもたちは疑問を感じます。ファラー自身も、疑念をおぼえます。六歳を目前にしたある日、だから、ファラーは乳母のひとりにたずねます。「ぼくはどうして、ちがうの?」と。
「ちがう?」
「ちがうよ。ぜんぜん、みんなと、ちがう」
子どもは訊《き》くものです。大人たちが頓着《とんちゃく》していない、あらゆる事象について。目をつぶっている矛盾を――無意識に、あるいは諒解《りょうかい》のもとに存在している矛盾《それ》を――、衝《つ》くものです。
これに対して、乳母は反射的な作り話で応《いら》えました。複数の「森から授けられた子」を育てあげた経験から、孤児《みなしご》の不安を即座にことばで充たしてやる、そうした癖がついていたのです。虚構の創作は、ファラーをわずかに直視するだけで、すらすらと為《な》されました。
「わたしたちの森のまわりには黒い人間《ひと》が住んでいる。おまえは半分、その血をひいているのですよ。だから、ほら、目もとがちがう。鼻すじがちがう。唇《くち》もとが、ほんのすこし、ちがう。これはその黒い人間《ひと》の特徴です。ですが、おまえは(なんといっても、わたしが愛していることからもわかるように)正真正銘の左利き族。わたしたちの一員。そのことを証《あか》すために――おまえの肉体《からだ》のなかで、半分の血統《ち》が騒いで――より白さが滲《にじ》んだのです。それが、ほら、その髮よ」
こう説いたのです。
姦通が羞《はじ》とされていない社会であるために、左利き族と――森の外部《そと》の――黒人とのあいだで起きた密通《まじわり》を堂々と説いて、ファラーに虚構の出自をあたえたのです。
混血児だと。
この「森から授けられた子」に。
中《あた》らずといえども遠からず、事実と直感が裏うちした虚構《つくりごと》であったために、ファラーはただちに説明を受け容れました。するっと、納得しました。乳兄弟たちもそれを信じ、ファラーの遊び仲間もそれを信じました。いっぽう、出生の真実《まこと》など意に介していない大人たちは、この一件ののちも頓着せず、虚偽の(そして不義の)生いたちがファラーの内部に――あるいは外部に、周囲の人間たちの輪に――滲透《しんとう》するのを禦《ふせ》ごうともしないで、悠長に構えて反応し、ほとんど示しあわせたように「ファラーは混血だ」と応じました。
いつしか、全員が。
「そうだ、ファラーは混血だ」
悪意の不在のために、集落ぜんたいが。
集落といえば、森には百ばかりの集落がございました。あちらこちらに均一にちらばり、森に融けこんで、これが一箇の都邑《まち》をなしているのでございます。さて、この左利き族の森にはふしぎな生物《いきもの》がいて、高原の人間たちからは「ジャッカル牛《ぎゅう》」と呼ばれておりました。なぜならば吠《ほ》え声がジャッカルのようだったからです。鬱然《うつぜん》とした森の内部《なか》にはけっして立ち入れないアビシニア人たちは、必然、その咆哮《ほうこう》から第一に判断し、また偶発的に森の外側《そと》からかいま見た輪廓《りんかく》で、第二に判断するしかありません。ですから「ジャッカル牛」と命名して(畏《おそ》れて)いたのですが、この形容はさほど的を射ているものではございません。
ジャッカルのように夜行性でもなく、牛のように愚鈍でもありません。森のなかで、この動物は飛ぶように奔《はし》ります。樹々のあいだを縫って、駆けるのです。たしかに大きさは野牛ほどもあり、水牛の角もまた、もっています。日ごろは群れを作って行動します。その意味ではジャッカルのようであり、成熟した牡《おす》がときに単独でさまよいながら、種牛のように巨大に育つので、その意味では牛のようでもあります。ですが、ジャッカルの類《たぐ》いはむろん、牛の一種ですら、ありません。それは精霊の血をひいた、森の化身といえる存在なのです。
獰猛《どうもう》ですが、従順です。
この両刀の理由《わけ》は? 猛々しい生物《いきもの》だけれども、左利き族には順《したが》わないわけでもない、ということです。
どの集落も、これを――ジャッカル牛を――飼っています。遊牧とまでは呼べません。森に定住し、集落から動かずに飼育していることはたしかですから。しかし、放し飼いですし、ジャッカル牛は群れの(ということは、附《つ》いた集落の)縄張りを勝手にさまよって、獲物となる小動物を喰らい、牧草を見いだいして食《は》み、せせらぎの水を飲んでいるのです。つまり、森の内部をまるごと放牧場にした、まるっきりの放牧です。
左利き族が、ジャッカル牛のために森の環境を維持しています。外敵となるような野獣の侵入を防いで――そのためには独特の罠《わな》もしかけます――さらに、天然の飼料である動植物を絶やさないように気を配って、流行病《はやりやまい》にも注意します。集落ごとに、担当となる群れを管理します。そもそもジャッカル牛の群れの縄張りにあわせて、左利き族のそれぞれの集落は築かれていたのです。百もの集落が。
すなわち森と、ジャッカル牛と、左利き族は、完璧《かんぺき》に共生しているのです。
だからこそ、百ものちらばりであって、同時に一つの都邑《まち》なのです。
ジャッカル牛を養う報酬は? これは通常の牛や山羊、駱駝《らくだ》、羊を飼うのとおなじ。乳や肉や毛皮を獲《え》ます。みごとな家畜でございました。なぜならば、左利き族の暮らしには(ジャッカル牛の肉と内臓が食糧として供されるほかに)角から骨までが利用されていたからです。棄てられる部分が、皆無です。左利き族の、子どもたちは毛のっいた皮革《かわ》を寝具にして膚寒い夜をしのぎ、大人たちは角に蜂蜜《はちみつ》酒(エチオピアで飲まれるものと同種か?)を容《い》れて底冷えの宵をやりすごすのです。
当のジャッカル牛は野生の群れといっていいのに、乳までも左利き族に搾らせました。乳は、生《き》のままでも飲まれましたし(薬効もあるといわれているものでした)、醗酵《はっこう》させて凝乳《ヨーグルト》とも、凝固させて乾酪《チーズ》ともされます。それにしても、なぜ牝《めす》は乳搾りを許すのでしょう? 野獣も同然なのに? ながれている精霊の血が、ジャッカル牛に左利き族との共生を、理解させているのも事実です。知性というものが、ジャッカル牛のなかには具《そな》わっているのです。ただし、それだけではありません。野生の動物《けだもの》をひとによって飼養された家畜に変える、術《すべ》が、群れのなかに見いだせます。
知性の耀《かがや》きがほかのジャッカル牛の個体の何倍も鋭い――そのことは眼《まなこ》を見ればわかります――群れの教師役のような数頭が、かならず放牧される集団のなかに混じっていて、「人間《ひと》との共生」という現実を訓《おし》えているのです。群れの仲間に理解を――諒解を――うながしているのです。謎めいた数頭ですが、獅子《しし》や野《の》にいる猿の類いに見られる、集団をしきる利発な徒輩《やから》といっしょなのでしょう。こうした教頭が、知性でものごとを仲間に諭し、教化し、ジャッカル牛の群れをそれぞれの縄張り内でひきいているのです。
ふたたびファラーに視線を転じますと、左利き族の森に受け容れられてから八年を経て、いまでは均斉《つりあい》のとれたからだつきにすばらしい面《おも》ざしを得た拾い子は、ジャッカル牛の飼育の手伝いをはじめていました。左利き族の子どもは、みな、八歳をすぎるとジャッカル牛の養いにかかわるよう強いられるのです。とはいっても、なにしろ子どもですから、処理《こな》す内容もかぎられています。子どもたちは森を維持するための、もっとも下部《した》にある仕事、もっとも基礎となる役目《もの》への従事を期待されました。
革製の水筒をもって、ファラーは同年代の子どもたちといっしょに、集落のまわりの森を駆けます。日がな一日、飛びまわります。この森は豊かでございました。たとえジャッカル牛という糧道が絶たれても、じゅうぶんに左利き族は生きてゆけます。じつさい、肉を摂るのにジャッカル牛を屠《ほふ》ってばかりいるわけではございません。もとより肉食用に殺すのは(獲《と》り入れるのは)特別なこと。客人へのふるまいか、祭儀の時期《とき》か。いずれにしても日常的なおこないではありません。肉はもっぱら、食用の鳥獣を狩って、要り用な量を調達します。鷓鴣《しゃこ》などはほんとうに豊富で、羚羊《れいよう》と鹿もじゅうぶんなだけ獲れ、さらに忘れてはならないのが川魚です。その種類は二|桁《けた》で収まりません。また、涌《わ》き水は滋味豊かで、果実は森のあちらこちらで、あかあかと熟れております。
さて、このように豊饒《ほうじょう》な土地柄ですから、ファラーが任務《おつとめ》にでるにしても、あえて飲み水をたずさえる必要はありません。では、革製の水筒は? ファラーが提《さ》げている――子どもたちが腰帯から吊るしている――水筒は? これがなんのためかと申せば、魔法をなすため。水筒の内容《なかみ》は特殊な水でして、いうなれば左利き族の聖水なのです。それは、樹々を生い育てるための力をもった、魔術の道具としての水なのです。
樹々を育てる。
茂らせる。
森の環境を維持するための、もっとも基礎にして、要《かなめ》の仕事が、ほかにあるでしょうか? 樹を絶やさない、それが子どもたちに課された任務《おつとめ》でした。だから、子どもたちは八歳になると森を駆けます。駆けまわり、あたえられた魔法の水を撒《ま》き、ときには樹木の種子が緑の天蓋《てんがい》よりふった地面に、ひざまずいて囁《ささや》きます。祈ります。語りかけ、歌いかけ、次世代の森の生長をうながすのです。
大地に生命力を蓄えて。
魔法でした。じっさいに効きました。この魔法の効力を発揮させるために、ファラーは乳兄弟とともに、ふしぎな食べものを食べ、ふしぎな飲みものを飲み、日にいちど、ふしぎな礼拝をおこないました。これらはのこらず、子どもの魔力を内側から昂《たか》めるものでございます。順を逐《お》ってのちほど説明いたしますが、左利き族はこのような術に長《た》けていたのでございます。それも、とても、とても。
子どもたちの役割を述べましたので、簡単に大人たちの仕事についてふれますと(もちろんジャッカル牛にかかわったものです)、女たちは第一に乳搾り、これを朝夕の二度おこない、病んだ個体《もの》、傷ついた個体《もの》の世話もいたします。男たちはといえば、たとえば森の内部《なか》をながれている川すじを変えて、集落に附《つ》いた群れの縄張りを分断し、その管理を容易にするなど、より高度な森の環境の維持(と制禦《せいぎょ》)をうけもっておりました。
森を、ファラーは愛します。森が、ファラーを愛しているのを感じます。なぜなら、証《あか》しがあったからです。ジャッカル牛がそれです。左利き族の共生者として森林に放牧されているジャッカル牛が、真っ白い体毛をしていたからです。ふわふわの、長い毛を具えていて、無垢そのものの輝さで――樹々のあいだを奔るときに――ささぁっ、ささぁっと靡《なび》かせます。
陽光を燦《きら》めかせます。
聖水を大地に撒いていた八歳のある日、ジャッカル牛が目のまえを駆けぬけるのを見て、子どもたちの一人がいいました。
「ファラーといっしょだね」と。
「いっしょって?」
「ジャッカル牛の、あの毛。ファラーの頭とおんなじだね」
それは讃辞《さんじ》でした。左利き族の、ほとんどが茶色がかった黒髪か、赤髪しかしていない子どもが(その一員《ひとり》が)、うらやましそうにファラーに告げたのです。
無色《いろなし》として生まれたファラーに。
ファラーは誇りをいだきました。聖なる家畜、森の化身である唯一無二の動物の、ジャッカル牛とおなじ毛髪を自分がもっていることに。ファラーは魅せられました。自分の銀髪とおなじ、おなじ白毛につつまれているジャッカル牛に。森の象徴、ジャッカル牛に。そうです、森はファラーを愛しているのです。
誇らかさ――いまだ稚《いと》けないファラーの胸裡《きょうり》に芽生えた、絶対的な誇らかさ。
ときには、ジャッカル牛と自分を同一視して、集落が挙《あ》げて飼養している群れを愛おしげにながめます。それまでは、漠然としかとらえられていなかった出自に関する現実が、いきなり突起します。自分は特別なんだという意識が、ふいにきわだつのです。
いったい、ひとは劣っているときに他人との差異《ちがい》を感得するものでしょうか、優《まさ》っているときに感じるものでしょうか。平等とはいかにも不運な概念です。ファラーはそも、平等《ひとしなみ》であってほしいとの希《ねが》いのもとに、乳母の「虚構《つくりごと》」によって混血の過去をあたえられたはずなのです。差異《ちがい》を、解消するために、その虚偽の生いたちを授けられたはずなのです。そして集落ぜんたいが、結果的にその「虚構《つくりごと》」を承認したのです。
けれども、ファラーのなかで平等の意識は滅《き》えます。いったい、ひとは劣っているときに他人との差異《ちがい》を感得するものでしょうか、優っているときにでしょうか。ファラーのばあいは後者です。優越感をおぼえて――その源泉となるのは(根拠は)、混血の過去です。
ぼくは他者《ひと》とはちがう。
はっきりと、ちがう。
ぼくは選ばれて、森に祝福されている。
誇りは、一種の驕《おご》りとなります。――混血だからだ、混血だからすごいんだ――、そうした幼い矜持《きょうじ》はファラーにたちまち焦がれを生じさせます。なにに対する? いまいっぽうの血の系統に対する。左利き族ではない、森の外側に住むという黒い人間《ひと》に対する。その血が――差異《ちがい》――優位を――もたらしている。だれにもまねできない「特別さ」を。
黒い人間の血が淆《ま》じっていることが。
無自覚に、憧《あこが》れが萌《きざ》します。ファラーは、いつしか心を奪われていたのです。まだ見ぬ黒い人間に、焦がれていたのです。
仲間の子どもたちと例の水筒をたずさえて、森の隅ずみを駆けぬけるとき、そうして左利き族の都邑《まち》のはずれにいたるとき、ファラーは期待します。このまま、森の辺縁《へり》のむこう側に、見えないだろうか。境界のかなたに、その姿が拝めないだろうか。外部《そと》の世界に暮らしているという人間――黒い人間――その姿が。
一瞬でもかいま見られたなら。
しかし、願いはむなしい。叶《かな》えられることはありません。ファラーはいちども黒い人間に見《まみ》えた経験《こと》のないまま、焦がれだけをいだいて、森のはずれで聖水を撒きます。大地に魔法の水を撒き、樹々の生長の呪文《まじない》を囁くのです。
さて、魔法について解説しましょう。すでに左利き族が海をわたってやってきた移動民族の末裔《まつえい》だという一説は述べましたが、その出所がいずこであるにしろ(アル・ヒンド由来のほかに、異説も多々見いだせます)、渡来の白人種であることはまちがいありません。そして渡来の智慧《ちえ》をもっていました。キリスト教徒のアビシニア人とも、アラブのそれとも異なる、神秘の学問、未知の秘法、われわれの世界には類を見ない秘術です。ようするに魔法でございます。これはじつに霊験あらたか、みごとな幻術、調伏《ちょうぶく》の術が部族内部にのみ門外不出の業《わざ》としてつたえられていて、古来、左利き族に寇《あだ》をなそうとした勢力はかならず事後に悔いたそうです。だからこそ、左利き族はそれこそ神話の生物《いきもの》であるかのように周囲から畏《おそ》れられ、紅海時代を経たのち、このアビシニアの領土のはずれに移ってからは森そのものが畏怖《おそ》れられ、「左利き」と呼ばれていたのです(伝統的なイスラーム世界では、左手は用便後の処理などにもちいられる不浄の手とされ、原則的に左利きの人間は存在していない。よって、ここでは「左利き」は蔑称の意味あいでつかわれている。恐怖の逆転の産物としての蔑視である)。
ですから、森を育てる魔法は、これはもう確実に効果を発揮したのです。わずか八歳、九歳の子どもであっても、じゅうぶんに術をあやつれたのです。左利き族のあいだには幼児《おさなご》の魔力をむりをせずに仲暢《しんちょう》させるような育成環境があって、ちらりと先刻も述べましたが、森で採集される薬用植物の茶もありましたし、ジャッカル牛の乳にも同種の効用があったと想われます。なにしろ、あれらは精霊の眷属《けんぞく》でございますから。革製の水筒をもって森を駆けるファラーのなかには(そして子どもたちの全員の内部に)魔法のあやつり手となれるだけの、素養がつちかわれていたのです。
そもそも、森を護っているのは、最終的には魔術師の層でございます。左利き族の要職と申しますと、すでに話題に挙がった森の内外《うちそと》の警固者、境界の見張り役であって、むろん、指導者の階層に属しています。これが森の環視者でございます。魔術師というのはこれよりも上位《うえ》、いうなれば森の保護者でございます。渡来の智慧である神秘の業の奥義をきわめて、危急存亡の秋《とき》には前線にたって外敵を討ちやぶるのが、左利き族の現役の、わずかに数十人しかいないといわれる魔術師なのです。
このように魔法は森を森としてあらしめる大本《おおもと》なのでした。
さらに日は移り、時はながれて、ファラーは十《とお》の歳をむかえます。ここでファラーの憧れる黒い人間たちの世界に目を転じましょう。なぜならば運命は――ファラーの運命は、こんどは――こちら側から咬《か》みついて、あの容赦のない歯車をまわすからです。
想いかえしていただきたいのですが、アビシニア人のキリスト教国はこの時期、内部分裂を果たし、群雄割拠の時代に突入しておりました。そして左利き族の土地に隣接した(じっさいには上と下の関係にあった)高原地帯は、地方の豪族の統治下にありました。さて、この季《とき》、豊かな森とは対照的に、断崖《だんがい》のはるか上方《うえ》の世界ではあらゆる食糧が涸渇《こかつ》しようとしておりました。饑饉《ききん》がはじまっていたのです。これは蝗虫《ばった》の被害でございました。飛蝗《ひこう》(形態変化した蝗虫が大集団をなして群飛し、移動する現象。通過地域の農作物に潰滅的な被害をあたえる)によって作物が、もはや、手のほどこしようのない状態《ありさま》に変えられてしまったのです。アビシニア人は独得の麺麭《パン》を食べておりますが(インジェラのことか?)、その材料となる穀物は、いっさい収穫できませんでした。
悲劇としかいいようがありません。宿命《さだめ》は、残虐に異教徒のうえに猛威をふるったのでございます。なにしろ土地を耕作するしか活計《たつき》の道はない世界でのできごと。餓《う》えはすさまじい暴虐ぶりで人びとを襲い、その口から怨嗟《えんさ》の声を吐きださせます。もっとも追いつめられたのは、領主である豪族です。長年の戦乱(エチオピア国内の大規模な内戦状態)によって、はなから領地は荒廃していたというのに、追い討ちをかけるように虫害です。事態の打開の方策など、見いだせそうにもありません。
しかし、それでも、摸索《もさく》をしないわけにはゆかず、豪族のとある側近が(これは宦官《かんがん》でしたが)、禁忌の森に目をむけさせたのです。
断崖の下方《した》の、豊饒《ほうじょう》な生命世界に注意をうながしたのです。
「かりに、あれを攻めて討ち奪《うば》ったとすれば」と提案します。「殿よ、しばらくは臣民を養えるのではございませんか?」
「桑原《くわばら》、桑原、なにをいうのじゃ? 左利き族の森を? おまえは畏れというものを知らんのか? 伝説によれば、攻め入った者は総軍かならず滅ぶというぞ。そのように神話《ものがたり》はつたえておるぞな、もし。ぬしはわが軍を全滅させたいのか?」
「しょせん、伝説は伝説」といやらしいツルツルの膚をした宦官はうけながして継ぎます。「だれも敗北をじっさいに経験したわけではございませんぞ。祖父の代にも記録はなければ、曾祖父《そうそふ》の代にもないのでございます! われわれは、殿よ、風聞《うわさ》にあざむかれていないと確信できるので?」
このように、呪われた宦官はアビシニア人の領主をそそのかすのです。
「しかし、軍馬の大半がうしなわれてしまうような事態は、いやだなあ」
「殿!」と宦官は叱ります。「抛《ほう》っておけば、いずれにしても全軍が餓え死にですぞ! 時間切れでガリガリに痩《や》せてぶっ倒れて死んじゃいます! それに、あの森にあるのは食糧《かて》だけではないのです。金《きん》もあります」
「金? 金とな?」
「おおとも、さようで。これも一つの風聞《うわさ》ではございますが、信じるべきはこちら側、われわれにとって都合のよい側では? 森林《あそこ》には錬金術の達人がごまんといて、わんさか金が採れるそうです」
ああ、これは事実でございました。左利き族の熟練した魔術師は、だれしも錬金の秘法を修得し、卑金属より純金を生むことができたのでございます。その程度の業《わざ》は、造作もなかったのです(この譚りの当時、金の精製が不可能であることは化学的に実証されてはいなかった。そのため錬金術は洋の東西を問わずに真実味を帯びていた)。
「ごもっとも」と領主は思わず応じます。
いざとなれば信頼できるのは金、このことを、領主は、過去に何度も(アビシニアでの内戦での辛酸を嘗《な》めつつ)学んでいたからです。裏切りも政敵の懐柔も、なにしろ金しだいだったからです(エチオピアにおいては古来、金はもっぱら現独立国のエリトリア地方か、西部にある青ナイル河流域から産出していた)。天災すら、結局のところ、金さえあればのりきれるはず。
「それに」と宦官は懲りずに使嗾《そそのかし》をつづけます。
「なんじゃ?」
「われわれの軍が総力を挙げて森を蹂躙《じゅうりん》し、侵掠《しんりゃく》してしまえば、左利き族の領土とともに、ともにですぞ、無限に金を産みだす錬金術師そのものも殿の所有《もの》になっちゃいますぞ」
だめ押しです。宦官の提案にうまうまと誑《たぶら》かされて、領主はただちに肯《がえ》んじます。手に入れようとしている錬金術師、すなわち、左利き族の魔術師の力がどれほどのものであるかを、すっかり失念していたのでございます。防衛力が、いかほどかを。けれども、たんに口車に乗ったと、そう理解するのは早計です。何万という臣民をかかえる領主としては、解決策を編まないわけにはゆかない。饑饉がとりかえしのつかない段階に入るのを、坐《ざ》してまつわけにはゆかないのです。まして、坐して死をまつわけには――それも餓え死にを――。当然の選択ともいえるのです。森の(強大|苛烈《かれつ》な)抵抗を知ってなお、現実を視野から追い払い、総軍を足下の森林《そこ》にさしむけるのは。
ただし、孕《はら》まれた逆説については、歎《たん》じなければなりません。森は、左利き族の魔力によって衛《まも》られ、伝説で守護されてきたというのに、その超越的な魔力の存在こそが、このばあいは錬金術の誘惑として――幾世紀ぶりとなる――戦乱を招きよせたのですから。
参謀は宦官、指揮官は貴族。黒い人間たちの軍団は山砦《さんさい》をおりて、縦隊となって山道を下方《した》にむかいます。戦意はいかほど? じゅうぶんです。日ごろは農民にすぎない歩兵の部隊は、総員《のこらず》、瞳《ひとみ》をギラギラと輝かせています。なぜなら――
まっているのは食糧《かて》。
まっているのは幸福《さち》。
森への侵寇《しんこう》は、生きるための最後の賭《か》けであったからでございます。
抛っておいても饑餓によって滅ぶ宿命《さだめ》。ならば闘いに身を投じるほうが、理に適《かな》い、唯一にして最大の可能性を獲る方途《みち》。女房のため、子のため、老いた父母のため、農夫らはひたすら生命《いのち》を投げだす覚悟だったのです。ある意味では義軍、ある意味では――その行動は――正義であり、家族には悲壮な勇者とも映ったでしょう。
だから、農民たちは召集されて行軍に就いたのです。
勇んで。骨と皮ばかりになった腕に、槍《やり》をもち、弓をもって。痩身《そうしん》に鞭《むち》うって、険阻な岨道《みち》をふるって、進んで。
歩兵の武装はこのようなもの。貴族の配下となった職業軍人は、刀と短剣を具え、将軍級のわずかに数名だけが、鎖帷子《くさりかたびら》を着こんでいます。すでに火器の入っている時代ではありましたが(ヨーロッパとの交易によって)、このアビシニアの辺地にあって、そうした類《たぐ》いはあまりに高価で、百|挺《ちょう》にも満たない数の火縄銃が最高指揮官の精鋭部隊に配備されているだけです。
また、領主自慢の大砲数門や、(そのための)火薬数|樽《たる》は、断崖をおろすにはその山道が急|勾配《こうばい》すぎて、むりでした。おなじように、戦闘用の馬具をたっぷり装わせた馬も、なかなか険しい絶壁はくだれず、騎兵は半減しています。攻略の軍は、このように数と装備において頼りない様相を呈してもおりました。にもかかわらず。
戦意はいかほど? じゅうぶんです。
岩場を、辷《すべ》るように高原は陥《お》ちます。空気のあじわいすら、変わります。そして先頭の歩兵部隊は、目にします。霧です。這《は》いあがるように断崖《だんがい》の岨道《みち》にうち寄せる、薄い、ささやかな――いってみれば波のような触手。異界の触手。
霧のなかに森が出現します。
浮上します。
そこが白人種の領土であることを暗示するかのような白い、白い霧。神秘と畏怖《いふ》によって衛られた聖域の内側《なか》に攻め入ろうとする、黒い、黒い人間《ひと》。衝突は、まず、濃さを増した霧が踏みにじられた瞬間《とき》から、起こります。森そのものが秘めた警報というものを、無知な徒輩《やから》は考えに入れません。不用意にのりこむ者は即座に、樹上から野禽《やきん》を翔《と》びたたせ、樹間の猿たちをさわがせ、さらに蒼穹《おおぞら》にただよう鷲鷹《わしたか》の舞いを変化させるという当然の結果を、予想だにしません。のみならず、そのように警報が鳴っていることすら、目《ま》のあたりにしても認識できないのです。
もちろん、森の住人は理解しています。侵入者が、鳥獣の啼《な》き声を変える――聖域を許されずに穢《けが》す人間が、森のあらゆる動きを擾《みだ》す――この、あたりまえの事実を。
アビシニア軍の侵入は、たちまち、左利き族の指導者集団に知られます。闖入者《チンニュウシャ》アリ。通報が森の内部を走ります。断崖に接した聖域の辺縁部、そのあちらこちらに控えた境界の監視者たちが、同時多発的に急報をだしたのです。アビシニア軍の側にしてみれば、わずかに先鋒《せんぽう》隊が眼下に展開している森の戸口《とばくち》にふれただけで、白い霧につつまれた聖域が――その全域《すべて》が――堅固な要害に変じたも同然でした。
いかにも、アビシニア軍を邀《むか》え撃つ左利き族の指導者集団の動きは、迅速にして組織的、ただちに多数の指示が飛びかい、往《ゆ》きかい、ありとある情報が蒐集《あつ》められます。高原からの軍勢のおよそ三割が低地帯にいたる頃あいには、この黒い人間《ひと》の侵寇は、予期せぬ襲撃というよりも見通された事態になり変わります。応戦の態勢がととのえられたのです。
そしてじっさいに、アビシニア軍の半数が森林《もり》を侵す頃あいには、前線には敵勢に倍する数の左利き族の戦力(にして主力)がひそみ、しかけた網に飛びこむ羚羊《かもしか》をまつように、まち構えていたのです。
戦闘は開始されました。アビシニアの農夫らは、士気おおいに奮《ふる》いたち、餓死寸前にもかかわらず突進します。職業軍人らは蛮刀をふりかざし、槍をしごきます。最後に騎馬部隊がひしひしと逼《せま》ります。しかし、血腥《ちなまぐさ》い描写は、今宵はあえて避けましょう。なぜならば、わたしが語《かた》るべきはファラーの物語なのですから。
最前線で両軍が火花をちらしていた瞬間《とき》、ファラーはどこに? 十歳のファラーは、布《し》かれた通達によって集落をでて、乳母や乳兄弟《ちきょうだい》といっしょに――人里から遠く離《さか》った――森の深奥に待避しておりました。狩猟のための草屋《そうおく》が数軒、ならんで建ち、そこに身をひそめていたのでございます。指導者集団は百の集落におなじ指令をだし、女衆《おんな》子どもは難をまぬかれるようにと図っておりました。
事情はいっさい、ファラーの知るところではありません。なにが起こるのか、なぜ成人の男衆《おとこ》は一名たりとも同行していないのか、なにより、異様に緊迫したこの空気の由来はなんなのか? 乳母たちは説明しません。あわただしい通報と移動は、ただファラーを怯《おび》えさせるばかりです。
そして静謐《せいひつ》。
黙っているように子どもたちは命じられています。草屋の内部《なか》で、息をつめているように指示されます。あまりに重々しい、厳粛さと深刻さをきわめた尋常ならざる雰囲気に、いいつけを忘れて騒ぎだす幼児もありません。全員が黙《もだ》して、母親に、祖母に、あるいは乳母にしがみついています。
ですから、ファラーは戦闘を見ていません。
しかし、聴いてはいます。
そうです。両軍衝突の端緒として、まず(聖域を躙《ふ》まれた)森がさまざまな警報を鳴らしたように、左利き族の生活圏内において、変化は音《ね》としても敏感に察知されるのです。鳥の鳴き声や蟲《むし》の声が消えることもあれば、逆に啼きだしもするし、下草はがさつき(野獣や人間の気配によって)、葉叢《はむら》はカサカサと吹き(天候の変化を予兆して)、鐘は集落間に鳴る。あらゆる変容が、森林では聴きとれるのです。視覚ではけっしてたどりつけない認識を、獲得させるのです。
音は瞬時にすべてを感得させる。
ファラーは、だから、聴いています。乳母たちより無言を強いられている、沈黙の草屋群に隠《こも》り、深閑たる森の気配に耳をすましています。いな、その深閑さをやぶるものに。
戦闘を見ることはなくとも、戦闘を聴いたのです。
昼が四半分もすぎないうちに音響的風景は数度、変転しました。これが戦況の真実《まこと》を一部始終、つたえておりました。しかし、ファラーは戦《しく》さというものを未体験でございますので、とらえるのは模糊《もこ》とした感情です。遠い、はるか遠い森の境界線より揚《あ》がるのは、まずは悲鳴、絶叫、剣戟《けんげき》の響き。こうした類いが一千の喬木《きょうぼく》と一万の潅木《かんぼく》を串《つらぬ》いて、草屋にひろがる静謐の壁を貫いて、ファラーの鼓膜をわずかに叩《たた》きます。肝を冷やすような異音です。胆嚢《たんのう》をやぶりかねない絶望の鳴りです。具体的な情景を喚起しては聴きとれないファラーにも、たしかに、えもいわれぬ恐怖は伝播《つた》わったのです。伝染したのです。悪寒が、音《ね》の環境によって生じます。長い、それこそ一年かと思われるほどの長い時間、ファラーは聴きつづけます。この第一の不吉な音響を。
つづいたのはさらに不吉な響き。
これは最前までの悲鳴、絶叫、剣戟とはまるで種類を異にする、破壊性の遠鳴り。
刹那《せつな》の抑揚。
筒音《つつおと》でした。火縄《マスケット》銃の、複数の、散発的な銃声です。もちろん、ファラーはそうとは知りませんし、乳母たちから「銃声」というものを説明されたとしても(火器に通じている大人がかりに左利き族の女衆のなかにいたとして)、実物とその効果を目前にしないかぎり、なにがなにやら把握はとうてい不可能でしょう。ただ、脅威《おそろしさ》はわかるのです。悍《おぞ》ましさは、判然としているのです。
ここまでが第二の段階。音響的な二つめの情景。さらに、いまいちどの様相《さま》がわり、恐るべき地響きと猛進する馬蹄《ばてい》が顕《た》ちあらわれます。前者がジャッカル牛に関係した音であることは、ファラーには直感で理解され、後者についてはいっさい連想がなりませんでした。ただし、たいへんな事態《こと》が出来したのは、膚の粟《あわ》だちだけでもあきらかです。
地鳴りと、それに追随した馬蹄は、ファラーたちの隠れ処《が》にちかづいているのでございます。
破《や》れたる静寂《しじま》、そのかなたでは事態はいかに推移していたのでしょうか? 懲りずに概説を重複させれば、アビシニア軍の攻撃は予測されたも同然のものでしたので、森の辺縁部ではじっさいの軍事的衝突のしょっぱなから迎撃の準備は万端でした。ですから、序盤ではどれほどの激闘が展開しようと、斃《たお》れるのは攻めこんだ黒人種ばかり。生き存《なが》らえる者など皆無となるのではないかという圧倒的な劣勢、圧倒的な悲惨さでした。この戦況を、ファラーは劈頭《へきとう》より長い、長いあいだ、聴いたのでございます。しかし、ああ、世は諸行無常、運命の転変《うつりかわり》はアビシニアの軍勢がほとんど潰滅《かいめつ》するかという時期《とき》に、到来します。その青天の霹靂《へきれき》が、霹靂《らいめい》が、アビシニアの最高指揮官の麿下《きか》部隊より発せられた、火縄《マスケット》銃の筒音でした。
左利き族の側に犠牲者がでたと、このような単純な惨事や形勢の逆転ではございません。わたしが語らねばならないのは、ジャッカル牛の動静でございます。森で飼われているふしぎな生物《いきもの》の消息です。さて、この戦闘のおり、ジャッカル牛は人間の百の集落に対して布かれた通達と同様に、避難の通達を受けとり、通常の縄張りを越えて(これが土地の集落の治めている範囲でもありましたが)危険のない内奥の樹海にむけて移動を開始しておりました。群れをひきいるのは知性の耀《かがや》きが印象的な数頭、さきに述べた群れの教師役となっている数頭のジャッカル牛です。人間の母子たちと同様に、群れは森のすべての場所で移動の途上に――あるいは避難さきに落ちついて――あったのです。
ですが、そのおり。
精霊の血がジャッカル牛にながれており、そのためにこの動物が智能を(発達したそれを)具《そな》えている事実は、すでに解説いたしました。教師役の数頭は別格ですが、平均的な個体であっても思考力はなみはずれており、なかでもジャッカル牛の仔《こ》は人間の同年代のものより優れています。なんとも好奇心が旺盛《おうせい》ですから、ある一頭の仔が――母親の牝《めす》ジャッカル牛の目を盗んで――森にただよっている緊迫した空気の原因《もと》を知ろうと避難の列を離れたのも、理解できないわけではありません。ほとんど前線の後方に、仔は駆け参じて、刹那に火縄《マスケット》銃の筒音にその耳を劈《つんざ》かれたのでした。
その愕《おどろ》きようったら、ありません。平和な森の生活には無縁な火器の轟音《ごうおん》、しかも(ファラーのばあいとは異なり)直接の響きとして耳にしたのですから、身をひそめていた木蔭《こかげ》で驚倒して跳ねあがり、全身の毛を逆《さか》だてて、われをうしないました。恐慌に襲われて、ただちに方向転換します。そして脱兎《だっと》のように疾駆《かけ》るのですが――母親の保護をもとめて――ああ、しかし、まちがっています。仔がむかっているのは、縄張りとなっている集落で、そこから避難した群れの列ではありません。とっさに、この仔には判断がならなかったのです。
いっぽう、アビシニア軍の最高指揮官がひきいた精鋭部隊は、火縄《マスケット》銃で劣勢の覆しを図ります。さすがは百戦錬磨の職業軍人の強者《つわもの》ども、みごとに左利き族の防衛線の一角を切り崩します。すると、見よ! 突進したのは痩《や》せっぽちの農夫たちです。その勢いや獅子《しし》のごとし、あらかた勇壮無比に森の内側へと攻めこみます。斃されても、斃されても、すすむのです。そして火縄《マスケット》銃が二人、三人、四人と左利き族を撃ち止め、戦意|昂揚《こうよう》はなはだしい農夫たちの矢も雨あられとふりそそいで白人たちの陣を崩し、将兵は五人、六人、七人を射止め、つづいて槍《やり》をしごいて奔《はし》りこみ、十人を斬り棄て、二十人を討ちとり、三十人を刃《やいば》にかけ、この歩兵軍団の余勢を駆って現出しましたのが騎馬部隊。
その数、ちょうど七十二の軍馬が、いまや完全に左利き族の邀撃《ようげき》の陣を破って突貫し、内部《うち》へ、内部《うち》へ、聖域の森をつき進みます。
最初にたどりついたのは空《から》の人里。この無人の集落を見るや、騎馬部隊の長とおぼしきアビシニア人の巨漢が、火箭《ひや》を! と馬上より号《さけ》びます。号令一下、あかあかと燃える鏃《やじり》をつけた矢が、ひゅゅゅゅう、ひゅゅゅゅう、たちまち飛んで家屋を射貫《いぬ》いて、はしからはしまで烈火、猛火、業火。あっというまの火攻めです。
ここに騎馬部隊とは別方向から突進してきたのが、火縄《マスケット》銃の筒音で極度の恐慌におちいっていた一頭の仔。現前、燃えあがる空の村里こそが、このジャッカル牛の仔が属した群れの縄張りの、拠点となる集落だったのです。いわば郷里《ふるさと》をめざして、気の顛倒《てんとう》した仔は――迎撃戦の死闘の後方、激戦の現場の背後から――獣道《けものみち》を駆けてきたのです。いちもくさんに、強度の混乱状態のまま。
そして目にしたのが、火の集落、燃えあがる郷里《ふるさと》、蹂躙《じゅうりん》する軍馬でした。
ジャッカル牛の仔は、茫然《ぼうぜん》自失として集落まえの広場に足を止めました。ですが、その場所こそは騎馬部隊の矢面《やおもて》にほかなりませんでした。火箭は放たれつづけています。いわずもがな、だしぬけに駆けだしてきたジャッカル牛の仔は恰好《かっこう》の標的です。ですから矢は射貫きます、仔の背を。それは致命傷ではありませんでしたが、事態の展開《なりゆき》にとっては凄絶《せいぜつ》なまでに致命的でした。
鏃の火焔《かえん》は仔の体毛に燃え移ったのです。ファラーが自分と同一視していた、真っ白い、敷物のように美しい体毛に。無垢《むく》そのものの輝きを宿したかのような柔らかい長毛に。火群《ほむら》の種が、肩口に、背中のあちらこちらに飛びちって、一瞬の出来事でした。
ジャッカル牛の仔は――生きながらにして――焔《ほのお》の眷属《けんぞく》の一頭に変じました。
絶叫をあげる火だるまと化したのです。
悶絶躄地《もんぜつびゃくじ》して、わめいて、わめいて、わめいて、哭《な》きながら母をもとめました。ひたすら保護をもとめて呼ばわりました。それいがいに為《な》す方策《すべ》はありません。ですが、それは正しかった。なぜならば声はとどいたからです。喚《よ》ばれた者は(というのは仔の母親である牝ジャッカル牛にほかなりませんが)すでに愛児《いとしご》の不在に気づいて、みずからも待避の列から離れて本来《もと》の縄張りにひき返しつつあったのです。ああ、そして聴きました! 逸《はぐ》れたわが子の、ただならない叫喚《さけびごえ》を!
母親は絶叫に絶叫で応えます。
急いで走《は》せつけて、燃えあがる集落に、燃えさかる子どもを見ます。この惨《むご》い宿命! 縄張りである集落の広場では、背に火箭を突きたてた愛児が、焼き討ちの火影《ほかげ》に照らされて(かつ自身も赫《かがや》いて)踊っています。焔の魔族として、とうに限界を来たしている責め苦のなかに舞っています。むろん、母親の出現をこの仔ジャッカル牛は感知しました。跳ね返ってきた絶叫に応えて、声の方角につき進みます。しかし、しかし、母は見えません。なぜなら仔の視《め》覚は機能をあらまし喪失していたのです。視野が燃えて、眼球も燃えて、役割《はたらき》が焼失していたのです。
それでもつき進みます。
どこにいるの? どこにいるの? そこにいるの? 母《かか》さま!
母親だけが救済だと信じて。灼熱《しゃくねつ》の責め苦からの出口が、母親の声の方角にこそあるのだと盲信して、火焔をまとう四肢を大地に食いこませて、駆けます。疾駆《はし》ります。巨樹にぶつかり、肉身《からだ》から赫火《せきか》をちらして転げ、起きあがり、そして母のもとに。広場から森のなかに。集落の辺縁《はずれ》のむこう、獣道からは母親の牝ジャッカル牛が疾走してきました。ですが、仔は直進できません。すでに感覚をうしない、理性もまた惑乱のなかで奪われて、まるっきり失していたからです。母親のもとに直行できず、たどりつけず、到達できないことを理解もせず、ただ四肢《あし》だけを前うしろと進めて、暴走します。母をめざしているはずが、母からは離れて、責め苦の出口と信じる場所に。はじめは、集落内の踏み固められた地面の感触を(本能的に)頼りに、それから獣道に入ろうとしていたのですが、もはや腐葉土もなにも、蹄《あしうら》では嗅《か》ぎとれずに、走れる場所を奔《はし》るのみ。
盲進です。それを母親が追います。こちらも理性をうしなってしまったように――いえ、とうに。
とうに喪失しています。
母とその子は狂気の哭き声をあげて、ともに相手の姿を追いもとめて奔りつづけているのでした。
すさまじい叫喚は、群れの仲間にもとどきました。感情を知る生物《もの》ならば鳥膚をたたせずにはいられない号び声が。このとき、ひと組の母子を脱落させてしまった群れは、ときをおかずに事態に心づいて避難の歩みを停めていたのですが、そこで聞いたのです。郷里《ふるさと》でもある集落の方面から樹々の厚みを串《つらぬ》いて待機場所に到達する、哭《おら》びを。
それこそ――狂気を感染させる叫号《きょうごう》を。
群れはただちに歩みを返しました。教師役の数頭は「ならぬ、ならぬ」と制止したのですが、むだでした。勢いは止まらず、なにしろ凄烈《せいれつ》きわまりない絶叫はその主《ぬし》を特定できる母子のものであり、なおかつ群れの縄張りの内部《なか》であがっている状況なのですから。ジャッカル牛の群れは揃って走り、集落に舞いもどり、そして――見たのです。
目《ま》のあたりにしたのです。
燃える仔、追う母を。
二頭の血迷いぶりを。
地獄のように美しい非常事態を。
そして、見て、やはり錯乱したのです。群れが。群れの総勢が。
大群をなしてジャッカル牛が暴走します。アビシニア軍と左利き族がその境界であらそい、戮《ころ》しあいを展開する森の内部を、地響きをたててジャッカル牛が盲進します。先導するのは肥えた成犬ほどの大きさの火塊《ひだま》で、倒《こ》けつ転《まろ》びつ、つづいて火塊の母が叫声《きょうせい》をあげ、即《つ》かず離れず、一瞬も停まらずに疾駆をつづけて、追随するのは数百頭のジャッカル牛。一頭のこらず、母子の狂乱《たぶれごころ》に感染しています。この大群のしんがりに、恐るべき軍団が従《つ》きました。馬蹄《ばてい》を響かせるもの、すなわちアビシニアの騎馬部隊、空《から》の集落を焼き討ちにした破壊者の軍団です。総軍、暴走するジャッカル牛の群れに導かれて、森の都邑《まち》の内奥に突入しています。
ああ、悲劇! 大群をなしているがために、ジャッカル牛は軍馬も通れるほどの径路《みち》を選んで――あるいは作って――すすみ、アビシニアの軍勢を導いていたのです。
侵掠者《しんりゃくしゃ》を。森の内奥に。ジャッカル牛が露払いとなって、嚮導《きょうどう》していたのです。
道案内されて、手引きされて、容易に騎馬部隊は雪崩《なだ》れこみます。火箭で燃やした第一の集落から、つぎの集落へ。つぎの集落へ。つぎの集落へ。どんどん森の深奥《ふかみ》へ。
運命は非情です。またもや歯車はまわります。このさきにあるのは、ファラーの隠れ処《が》でした。
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カイロの平安もこの日までだった。いつわりの安穏は。この日、一月《ムハッラム》の二十日、水曜日(西暦一七九八年七月三日から四日)にいたって、恐るべき報《し》らせが続々とエジプトの海岸地方から首府カイロにとどけられる。アレクサンドリアから、ロゼッタから、さらにはダマンフールから。われわれは現実に還る。読者よ、この恐慌に目をむけなければならない。
港湾の諸都市からの通信によって、カイロじゅうが恐怖を伝播《でんぱ》させている。
ボナパルトは上陸した。
青、白、赤の三色旗をひるがえらせた近代的軍隊は、ついにナイル河のデルタ地帯を蹂躙《じゅうりん》した。肥沃《ひよく》なエジプトの大地に、革命の大義とはまるで無縁な、侵掠の第一歩を記した。
フランス革命とはなんであったか? 封建的な旧制度と絶対王政の打倒であった、と解説するのはたやすい。旧制度を破壊したこの者たちは、旧制度の象徴である宗教をもたない。いっさいの神を信じていない。イスラーム側がみなしていたようなキリスト教徒ですらないし(この点を忘れてはならない)、いうまでもないが神を知らないからには悪魔も知らず、自分たちが悪魔の所業に与《くみ》している事実もまるで把握できずにいる。
無宗教であることを宗教的信条とするほどに盲信的な愛国主義者たちであった、と修辞を弄《ろう》することはできる。
いずれにしても、心底から神の不在を歓迎し、人間の権利の行使をおおよそのところ「暴力」の行使と誤解し、掠奪《りゃくだつ》戦争を展開している、歯止めの具《そな》わっていない無宗教者たちの軍隊だった。
暴走するその軍隊を、総司令官のボナパルトが私物化して、エジプトを侵させる。
第二のアレクサンダー大王となる夢の、第一歩を踏みだすために。
エジプトを躙《ふ》むために。
ボナパルトは来る。
このフランス軍の野望をうち砕こうとイギリスの艦隊が地中海を航進していたが(これを率いていたのが提督ネルソンである)、敵方の目的がエジプト侵攻にあると正確に読んでいたにもかかわらず、イギリスにはつきがない。わずか二十二海里に距離をちぢめたのちに、追跡している側であったはずのイギリス艦隊は――夜霧や、追い風によって――フランス艦隊を追い越してしまい、港市アレクサンドリアにさきに到着する。そして(エジプト側の代表である)アレクサンドリア市長、ムハンマド・クライムとのむなしい交渉がおこなわれ、数日後にイギリスの艦隊は去る。
この二十五時間後に、将軍ボナパルト率いるフランス艦隊が海上からアレクサンドリアを望見している。
筆者はさきに「星まわりはボナパルトに味方にしている」と述べた。百何十ページもまえのことだ。憶えておられるだろうか? 忘れていたとしても、気に病む必要はない。そのための書物なのだから。ページを繰って、もどればよい。
そのために一冊に綴《と》じられているのだから。
しかし、読者の手間を省くためにふたたび解説する。
フランス艦隊はフリゲートも戦列艦も一隻のこらず、帆にたっぷりの順風を受けて、快走している。海軍の経験は皆無であり、海を恐れているとも囁《ささや》かれていたボナパルトは、出航まえに心配されていた船酔いにもかからない(そのために読書もできている。二万五千三百二十九冊を蔵書とする艦隊内の移動図書館から、示唆に富むとみなした文献を採りだし、読んでいる)。そして宿敵であるイギリス艦隊はわずか一日強の時間差でクレタ島方面にひきあげた。甲板《デッキ》でラ・マルセイエーズが響いている。
ラ・マルセイエーズが響いている。それを聞いて、軍歌を無宗教者の御詠歌として、とうとうボナパルトはアレクサンドリア港を望む。
アレクサンダー大王の夢が築きあげた栄光の古代都市、かつてはローマ帝国の首都ローマに次いだという都市、そして現在はなかば廃墟《はいきょ》と化した鄙《ひな》びた都市に、第二のアレクサンダー大王をめざす未《いま》だ二十八歳の常勝将軍が、ついに到達する。
カイロに対する邪眼のもちぬしが。その首領が。
結論をいえば、無防備なアレクサンドリア港はたちまち陥《お》ちた。戦闘はほとんど数時間で、苦もなく占領された。フランス側の戦死者はわずかに四十名。そして十八日(西暦一七九八年七月二日)の正午《ズフル》に、ボナパルトが入城する。
軍事的征服はなされた。ただちに輸送船団が入港し、あらゆる資材、騎兵用の馬匹、砲車が揚陸される。
同時に、エジプトでははじめての印刷物が、アレクサンドリアの市民に対して撒《ま》かれる。船団に同乗していた学者たちによってアラビア語に翻訳された、ボナパルトの声明文であり、いつわりの大義名分がこの掠奪戦争を(支離滅裂に、むだにあがきながら)正当化しようとしている。ボナパルトは印刷機も輸送船の内部《なか》につみこんで、洋上での大量の複写《コピー》を可能にしていた。
皮肉だが、エジプト社会の書物の歴史にとっては、この声明文の配布は「印刷物の登場」という劃時代的《エポック・メイキング》な出来事ともなった。
おおやけに録《しる》すのは憚《はばか》られる書物の新世紀の到来とともに、ボナパルトが率いる神なき軍隊はエジプトの北端に上陸し、攻め、奪い、信仰を穢《けが》して、アレクサンドリアをわがものにして、内陸地帯への進軍を開始する。
ナイル河をさかのぼって、カイロをめざして。
再度、カイロの現実にわれわれは還る。読者よ、視よ、たとえば夜間、街灯のないカイロ市内では恐怖だけが吹き荒れる。バイナル・カスラインのいり組んだ隘路《あいろ》に、寺院《モスク》に、廟《びょう》に、学寮《マドラサ》に、宗教施設に附属した病院に、宿場に、さらに庶民街に、さらに寺院《モスク》の内陣に。いや、夜だけではない。陽光も恐怖を消さない。疫病のように、不安は手わたされる。一月《ムハッラム》の二十日、水曜日、第五夜の譚《かた》りが終わった夜半《よわ》から払暁を経て、あらかた曙光が射しても、世界は恐怖に閉ざされている。
エジプトの首府、カイロの現実は。
世界は。
ひとからひとに、不安は手わたされる。
手から手に。口から口に。通りの両側から、その路地にはりだして屋根《アーケード》様になった民家の露台《バルコニー》に、不安はながされる。人びとは、遁走《とんそう》を相談する。襲われて殺されるまえに、貨財の掠奪を受けるまえに、女たちが凌辱《りょうじょく》されるまえに、住み慣れた市街から逐電しようと、囁きかわしている。
なぜなら、三万のフランス軍がすでに港湾諸都市を陥落させたのだから。
陥落させて、カイロを指して進軍しているのだから。
状況はあらまし知られている。やつぎばやに通信がとどけられる。一両日まえにアレクサンドリアが攻め奪《うば》られたとの報、容易にアレクサンドリアの守備隊を平らげて、市長ムハンマド・クライムを軍門に下らせたとの報、急使たちは書翰《しょかん》を、あるいは書翰になるまえの生の情報をもたらし、鳩も飛ぶ(これは伝書鳩を指していると思われる)。
状況はあらまし知られているが、しかし、凶報として誇張されている。近代的軍隊の攻撃、戦術についてのあいまいな描写が、それに輪をかけている。もちろん、こうした事態は一次情報にふれることのかなわない市民たちのあいだでの展開であって、族長《シャイフ》や導師《イマーム》はちがう動きを見せる。
いま、二十三人のベイによって戦時会議が召集される。
憶えておられるだろうか? マムルーク王朝の瓦解《がかい》ののちも、実質的にエジプトを支配しつづけ、すさまじい財力を貯えている知事《ベイ》たちを? 奴隷階級の首長《アミール》を? 二十三人のベイが、エジプトを分割統治し、軍事的に守護していた。少数独裁の二十三人。それぞれが軍閥の長であり、ある意味では烏合《うごう》の衆でもある、傀儡《かいらい》のトルコ人総督《パシャ》のもとで徒党を組んだ二十三人。覇を競いつづけるマムルークのベイたち。
重複もいとわずに、ふたたび解説する。
オスマン帝国の属州になりはてたエジプトは、奴隷出身のベイたちを支配者とするが、彼らは名目的にはコンスタンチノープルの君主《スルターン》の臣下である。コンスタンチノープルに対する貢ぎものを、例年、欠かさず、帝国より派遣されてきた総督《パシャ》のもとにつどって内閣を構成している。その首位に立つのがムラード・ベイ(肥満体の文盲の大人《アミール》)とイブラーヒーム・ベイ。後者については、その人となりにはふれていないので、簡単に述べれば小心にして長身|痩躯《そうく》の卑劣漢である。この二者に亜《つ》いでいるのが、内閣第三、あるいは第四の実力者、イスマーイール・ベイ。筆者がこの物語の中心人物として用意したアイユーブ(万能の執事として暗躍する美貌の奴隷)を寵愛する四十代の壮漢である。カイロ最大の図書室をその豪邸内に有した金満家である。
この人物相関図は、できれば失念しないでいただきたいが、不安ならば遠慮せずに即、この箇所に付箋《ふせん》を貼るなり、しおりを挿《はさ》むなりしていただきたい。そのための書物なのだから。もとめる章、節、ページに容易にもどるための手段を、はなから具えて――あるいは形態のうちに孕《はら》んで――いるのだから。
筆者はよき作者たらんと願っているが、読者にもまた、よき読者であろうとする意欲的な姿勢を乞《こ》いたい。作者の分《ぶん》をわきまえない発言かもしれないが、熱意と、ささやかな骨折りを切に願っている(この段落は原文ではイタリック体で記されていたが、日本語にするさい、ゴシック体に換えるのでは字面的に重すぎるので、通常活字のままとした)。
さて、戦時会議は召集される。アル・アイニー宮殿に二十三人のベイが集結し、首都の総督《パシャ》を中心において内閣を勢揃いさせ、裁判官《カーディ》たち、神学者《ウラマー》たちも揃った。結論はただちにでた。コンスタンチノープル宛てに急報を送ること、支援をもとめること、同時にムラード・ベイを最高指揮官とする軍隊を組織すること。
マムルークの騎馬部隊、その全軍を召集して、エジプトを侵掠者《しんりゃくしゃ》たるフランス軍から防衛する。
この決断の速さは、アレクサンドリア陥落以前に、すでにムラード・ベイのもとにムハンマド・クライムから詳細をつたえる報知《しらせ》がもたらされていたことに因《よ》る。一部の史料には、クライムはフランス艦隊を沖あいに認めるやいなや――なにしろ十キロ四方の海を埋めるような大規模な船団だった――ひと晩に十三回も急使をムラード・ベイに宛てて派遣した、と記述されている。上陸の報知はまっさきにムラード・ベイの耳に入った(カイロに滞在する他のベイたち、一般市民たちに圧倒的にさきがけて)。憤《いきどお》りながらもベネチア領事(おそらくはカイロ・ロセッティ)を喚《よ》びだし、欧州大陸の情勢などの側面から情報をさらに蒐《あつ》め、フランス軍とその総大将のボナパルトを侮蔑《ぶべつ》視しながらも、ムラード・ベイは異教徒軍を邀《むか》え撃つ準備をした。ただし、ヨーロッパの近代的軍隊についての理解は、ベネチア領事がいかに例を挙げて描写し、説いても深まらなかったし、奇妙な戦術の報告は(これは後日とどいたが)弱腰の軍隊ならではの奸計《かんけい》の類《たぐ》い、と判断して無視した。さらにいえば、ムラード・ベイが「異教徒軍」と呼びならわしたフランス軍は、いっさいの神をもたないがゆえに異教徒ですらなかった。
あふれんばかりの驕慢《きょうまん》と、想像力のぬけ落ちと、美しいまでの過信。依然としてマムルークの精鋭部隊を地上最強と信じたまま、ムラード・ベイは邀撃《ようげき》の態勢に入った。もとより身辺護衛だけで四百名の武人をかかえ、ナイル河上には小船隊を私有するムラード・ベイである。剛の者はこの機会を愉しんでいる。好機到来、とまで想っている。
いかにも。
これを機に、名実ともにカイロの総帥となってやろうとも。
以上がムラート・ベイの判断であり、だからこそ、戦時会議の召集も、決議も迅《はや》かった。事前に根まわしもすませてあった。しかし、である。ムラード・ベイの野心の実現を、なにゆえイブラーヒーム・ベイは阻止しなかったのか? 肥《ふと》り肉《じし》のライバルの野望を、内閣のなかで――すなわちエジプトのなかで――主導権争いを演じている痩《や》せっぽちの首長《アミール》が抛《ほう》っておいた理由は? 意図して、である。
鉤鼻《かぎばな》(これもイブラーヒーム・ベイの身体的特徴である)の実力者は、今回の危機における手柄は、ライバルにゆだねた。長身痩躯にして無類の古狐《ふるぎつね》イブラーヒーム・ベイは、前線にたつのは生来の軍人であるムラード・ベイに任せて、あえて一歩|退《ひ》いた。武勲はムラード・ベイにあたえられるかもしれないが、同時に死や、予期せぬ敗北の可能性も、ライバルに漏らさずあたえたのである。
アレクサンドリアのあっけない陥落が(そして戦闘の詳細の報告が)、古狐イブラーヒーム・ベイになにごとかを予感させた。嗅《か》ぎとらせていた。小心者の面目躍如。痩せっぽちは一歩しりぞいて待機する。
こうして内閣での優劣の順位というものが、暫定的に、決定する。首位について事態収拾にあたるのがムラード・ベイ。第二位に落ちたのはイブラーヒーム・ベイ。いよいよ均衡が崩れて第一位から順に椅子|奪《と》りがはじまる。では、第三位は?
いまだ定まっていないが、第三位についたことを確信している人物はいる。
みずから。
すなわち、イスマーイール・ベイ。
もっとも的確に事態を見ぬいていた者。さきのイギリス艦隊来航の報にふれては、他のベイたちが鷹揚《おうよう》視しているのに対して極度に動揺し、その出航の報にさいしては、カイロの一般市民の過半数は不用意に安堵《あんど》しているのに対して「いよいよ最大の脅威、フランス艦隊は来るぞ」と身構え、胃を痛めていた者。もっとも早くに近代的軍隊の威力を――漠然とだが――把《つか》んでいた者。
戦時会議の召集よりもさきんじて、ムラード・ベイの遊撃の準備の開始よりもはるかにさきんじて、大局を瞰《み》て動いていた唯一のベイ。
イスマーイール・ベイにとっては、予期した危地であり、フランス軍の上陸はむしろ悪夢の現実化のような既視感あふれる情景にすぎなかった。
予期していた。すべてを明察していた。フランス軍は到来すべきものとして到来した。
かつ、先手はうった。
先手はうった。エジプトの騎馬部隊がボナパルト率いるフランス軍に対して無力であったばあいに、華麗なる逆転劇を演じて、エジプト内閣の首位に躍りでる手を。策略を講じた。いまは、予想したように局面が推移して、それに準備しているがために第三位。状況に対応したという点で、ムラード・ベイ、そしてイブラーヒーム・ベイに亜《つ》ぐ。三つめの椅子はきっちり奪《と》った。
予定どおりにアレクサンドリアは陥ち、フランス軍は刻一刻と迫り、イスマーイール・ベイの術計《はかりごと》は進行する。
達成されれば第一位に。
時間《ゆとり》はない。しかし、すすんでいる。『災厄《わざわい》の書』の創造が。いや、正確には、これはイスマーイール・ベイの計略ではない。侵掠者の軍勢を滅ぼす奇計を、発案したのは、側近ちゅうの側近の美青年であり、イスマーイール・ベイが目下、奇計を托《たく》しているのも、おなじ側近のアイユーブ。計画の骨子をイスマーイール・ベイは知り、実行の細部をイスマーイール・ベイは知らない。托している。現在まではあらゆる事態が見通しのままに動いて、疑念《うたがい》は必要とされない。
托されて、アイユーブは奇計の達成に尽力する。渾身《こんしん》の作業をつづける。われわれは目撃する。一人の語り手と、三人の聴き手を、われわれは鎖《とざ》された邸宅のなかに発見する。連夜の奮闘をわれわれは目撃してきた。そこは夜の空間であり、邸宅内にいるのは夜の種族だった。だれもが才にあふれる。物語り師は夜に没《しず》む名声をもち、書家はカイロ随一のその道の泰斗《たいと》、アイユーブの才能は不透明なほどに陰謀を編む。ヌビア人の助手はいかに? 主人の書家に事《つか》えるにふさわしい、助手としての才があった。この黒い奴隷はなにがしか場に穏やかさをあたえていた。譚《かた》られる物語にすなおに耽溺《たんでき》し、主人の仕事ぶりに感動して輔佐《ほさ》し、供される夕餉《ゆうげ》に歓喜して舌つづみをうつ。もちろん、超人的な努力も惜しまない。非公式《うらがわ》の歴史に属する者たち。才にあふれた者たち。
身を砕いている。睡眠《ねむり》を削り、疲労《つかれ》を克服し、この世に『災厄《わざわい》の書』を存《あ》らしめるために。書家は才|長《た》けた助手と組んで、ベネチアから輸入した用紙上に、長大な物語を綴《つづ》れ錦《にしき》に織っている。ズームルッドの口より夜々、紡がれる糸をもとに。産み落とされる成果の、美的価値は計りしれない。アイユーブも完璧《かんぺき》に満足するほどの、美麗な書物が生まれつつある。日々、その清書された用紙は量《かさ》を増す。
ここに『災厄《わざわい》の書』が誕生しようとし――しかし――
生まれ落ちようとしているのはアラビア語の一冊であって、翻訳ではない。
アイユーブがイスマーイール・ベイに約した、仏語版制作のための学者連はいない。夜の空間には加わっていない。邸宅に姿を見せたことは、いちども。
どういうことか? それでは、ボナパルトは読めないではないか? 翻訳されていなければ、フランス軍に献上されても、意味をなさないではないか? フランス軍の総大将は、それを読まず、読もうとしても読めず、謀殺の計略は達成されないではないか?
しかし、事《わざ》をいとなむ三者(アイユーブいがいの)のあいだで、疑問をさしはさむ人間《もの》はいない。なぜならば、その件はそもそもつたえられていないから。仏語版を創るとは。
だれもがアラビア語の『災厄《わざわい》の書』を生むために粉骨砕身している。
では、この一冊を読む者はだれか?
だれに捧げられるのか?
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第六夜は訪れる。
[#改ページ]
※[#底本ではアラビア文字の6]
大年代記の空白を、いま、白い人間が埋めています。アーダムが瞑《ねむ》りに落ちてから一千年の歳月《とき》を経て、二番めの主人公が空白のページにおのれの人生を書きつけるのです。ひとりの人間。ひとりの少年。十歳の。
白を埋める白。
重ねて素描いたします。その者は欠色《アルビノ》、銀色の毛髪をなびかせる、色彩《いろ》のない膚をした麗容の少年。黒いアビシニア人たちのあいだに生まれた驚異の赤んぼうとして、出生直後に畏《おそ》れられ、忌み、避けられ、高原地帯のはるか下方に展《ひろ》がる森の辺縁部に捨てられた者。その森に住まう白皙《はくせき》の種族に、授けられるように預けられた者。そうして「左利《き》き族」にむかえ入れられた、唯一の外部の人間。
みずからを混血と信じる、白人ならざる白人。
ファラーは十歳。
そして、いま、その十歳の少年は草屋《そうおく》に乳母たちとひそんでいます。かつて体験したことのない緊迫した森の気配に、耳をすまして、同時にさまざまな音響的情景を把《つか》みとっています。昨晩、わたしが譚った描写をふたたび口にするならば、第一にファラーは悲鳴と絶叫と剣戟《けんげき》の響きを聴き、第二にファラーは火縄《マスケット》銃によって散発的に奏でられる短い抑揚――それは筒音《つつおと》でしたが――を聴き、恐るべき第三の音響的情景として、ジャッカル牛の群れによる地鳴りと、それにつづいている馬蹄《ばてい》の高鳴りを聴いたのです。
狂気に囚《とら》われて暴走するジャッカル牛の集団と、そのしんがりに従《つ》いた、火箭《ひや》を放ちつつ森の内奥に侵入するアビシニアの騎馬部隊の様相を。
ファラーは乳母たち、乳兄弟《ちきょうだい》たちとともに避難した草屋内で、左利き族と侵掠者《しんりゃくしゃ》の戦闘の現場を見ずに、戦闘の現場を聴いたのです。
いっさいを、ファラーは聴いたのです。
安全地帯に隠《こも》りながら。
安全地帯?
そうでしょうか。
まるで一直線に、顕《た》ちあらわれた第三の音響的情景は接近してきます。ファラーたちの隠れ処《が》に。ジャッカル牛の大群が、血迷い、火塊《ひだま》の母子を追って森を躡《ふ》む地鳴りと、その尻馬《しりうま》について(というのは的を射た表現でしたが)攻め来たるアビシニア軍の馬蹄が、刻《こく》、一刻《いっこく》と昂《たか》まる。この事実に恐怖を感じたのはなにもファラーだけではありません。いまや草屋に避難した全員が、目前に顕われつつある不吉さに目覚めていました。子どもたちの保護役である成人の女衆《おんな》は、音の(避けようのない到来の)気配を察知して動揺しました。草屋に待避して以来、――静かにしなさい、黙っているのよ――、と子どもたちに無言を強いてきた彼女たちが、いよいよたまりかねて禁をやぶり、ひそひそと相談をはじめます。状況の変化に関する通報の類《たぐ》いがないまま、あきらかに事態は切迫しているのです。戦況やいかに?
もちろん、ファラーやファラーの乳母、集落の女衆《おんな》子どもがいる草屋群は、左利き族の指導者集団の的確な判断と計算にもとづいた避難さきですから、そう易々とは襲撃に遭《あ》いはしません。それに、昨晩の譚りの終わりにも述べましたが、大群をなして暴走するジャッカル牛は、大集団であるがために森の小径《こみち》や獣道《けものみち》は通らず、軍馬も容易に驟《はし》れるほどの径路《みち》を選んでいたので、隠れ処まで突進する虞《おそ》れはほとんどなかったのです。しかし、ファラー同様に音響《おと》でしか戦闘にふれていない左利き族の女衆は、なりゆきが不明でありすぎて、迷っています。さらに奥に逃げるべきではないのか? と。危険が逼《せま》っているのは、言を俟《ま》たない。通知《おたっし》もない。ならば――
ああ、わたしたちが子どもたちを護らねば。
悠長に構えていては、この子どもたちに危難がおよぶのだから。
「洞穴よ」とひとりがいいます。
「そうね、あそこなら」とひとりが応じます。
数世代まえまで墳墓《おくつき》として使用されていた天然の洞窟が、この避難場所からさらに緑の繁茂《しげみ》をぬけて進めば、あるのです。それをひとりが想いだしたのです。そして大半の女衆も、つづいて曾祖父母《そうそふぼ》の代からつたえ聞いた洞窟墳墓の存在《こと》を想い起こし、うなずきます。
意を決すると、動きは迅《はや》い。ざわめきのなか、子どもたちを誘導し、草屋群の外に集合させます。
さて、ファラーです。アビシニア軍の侵入という現実を、ファラーは知りませんし、そもそもこの運命の日に十年間暮らしつづけてきた集落からの突然の避難命令がだされたときも、女衆は子どもたちに対して、なぜ移動しなければならないのか(あるいは草屋内で沈黙していなければならないのか)、その理由《わけ》は説明はしませんでした。無用な恐慌、混乱から子どもたちを遠ざけて護ろうとしてのことです。しかしながら、ファラーは三つの音響的情景を聴いて、不吉を嗅《か》ぎとっています。想像力の域を超えた絶望と破壊の鳴りを聴いています。脅威《おそろしさ》を。悍《おぞ》ましさを。では、いったい、これはなんなのか? 正体をつかみたいという探求心は限界まで膨れあがっていました。好奇の念は餓《かつ》えて、機会があれば満たされることを、と冀求《ききゅう》していたのです。
説明はもとめても与えられない。そして再度の移動。このとき、ざわめきのなかで、ファラーは好機到来とばかりに――なりゆきに戸惑い、焦っている乳母のひとりに――訊《き》いたのです。わざと、そおっと。
いったいなに? どうしたの? どうしたの?
どうして、また集落《むら》から離れるように歩きださなきゃならないの?
あの音はなに?
しーっ、と乳母は無言《しじま》を強います。即座に、ファラーを黙らせるために、あとさきを考えずにひとことで説明します。「戦争よ」と。
「黒い人間《ひと》が攻めてきたのよ。だから、口を噤《つぐ》みなさい」
避難行の列が密生した緑の繁茂《しげみ》をかきわけて、さらなる森の深奥《ふかみ》をめざしています。集落をでて人里離れた草屋群に半日以上ひそんでいた一行が、より深い奥処《おくが》にすすむのです。ひきいるのは狼狽《ろうばい》した女衆でした。ひきいられるのはその母たち、祖母たちの恐慌に気づいて、感染して怯《おび》えだしている子どもたちでした。わめきだした赤子の口を、必死に押さえている母親がいます。何人もの兄妹《きょうだい》に、諭している母親がいます。かきわける径はほとんど径ともいえず、子どもたちを嫌がらせて母親たちをいらだたせます。そして恐怖は接近します。一直線に、逃走をはじめた一行の跡を追うように。地鳴りと馬蹄が、破壊的侵入者たちの気配が。
数代まえに棄てられた洞窟墳墓の地をめざす列は、このような周章した移動者の列でした。目配りが万全とは、とてもいえません。ですから、保護者である女衆の目を盗んで避難の列を離れる子どもがいても、めだちませんでした。その子どもが機敏に動いて、見とがめられないように努めていれば、悟られずに離れられました。
列から離れる小さな人影。白い、真っ白い人影。
ファラーは乳母たちとは反対側にむかいます。
急速に逼《せま》る地鳴りと馬蹄から遠ざかろうとする避難のながれに逆らって、ながれを遡上《そじょう》して、みずから音の根源に、列を離脱して接近を試みるのです。
あの第三の音響的情景のみなもとに。
黒い人間《ひと》が来た、ということばはあまりに甘美にすぎたのです。ファラーには。黒い皮膚《はだ》の「特別な人間」に焦がれるファラーには。森の外部に暮らすという人びとに、会いたい、会えればよい、と心中に願いをずっと懐《いだ》いてきたファラーには。だから、ファラーは走ります。十歳の少年は走ります。十重二十重《とえはたえ》に囲んだ緑の闇をぬけて、駆け参じる。その奇《く》しき因縁《いんねん》! ジャッカル牛の暴走のそもそもの端緒《はじまり》を、想いださずにはいられません。それは一頭の仔《こ》が(いまは燃えている仔!)、内奥の樹海にむけて避難をはじめた群れの列から、母親の牝《めす》ジャッカル牛の目を盗んで離れたことがきっかけで出来《しゅったい》したのです。避難の列から離れて、逸《はぐ》れて、ただ一頭戦闘の現場に――最前線に――むかったために。
いまや大群をなして盲進する群れの先導役である火塊《ひだま》と化した仔とおなじように、ファラーは音の生まれる前線へ、最前線へと駆けるのです。
憧《あこが》れの黒い人間《ひと》に会いたい――念《おも》いが昂《こう》じて。恋情が燃えさかるように燃えさかって。
よもや、目にする光景もまた燃えさかる何事かであるなどとは想像もせず。
しかし、まず鼻が嗅ぎます。
空気がにおいます。
森の気に変化が。
大気が焦げています。
そして鬨《とき》の声。
あの容赦のない運命の歯車が、ガチリ、ガチリ、とまわります。ファラーの境涯《みのうえ》は変転します。万事は書き記された宿命《さだめ》(アッラーによって)ですから、やむをえません。そも運命は予告なしに移り変わり、寓意《ぐうい》なしに人間《ひと》を罰するという権利をもっています。なかでも悲劇はもっとも大胆に翔《ふるま》う特権をもっています。悲劇。ああ、悲劇! ファラーの燃えさかる情熱は、燃えさかる集団に遭遇させるのです。
数百頭のジャッカル牛は暴走しています。アビシニア勢の七十二の軍馬を、おのれらに侍《はべ》る側近集団のようにしたがえて、集落から集落に、さらに森の内奥の集落に、径路《みち》を通って(あるいは作って)やってきて、盲進の果てにファラーのいた集落にいたろうとしています。無人《から》の集落に、なめらかに辷《すべ》りこむように。
一直線に。そして直線の延長したさきに先刻ファラーたちが隠れていた草屋群はありました。
生まれ育った集落に、ファラーは駆けもどります。森の内側からただひとり、狂気と暴走の集団にあい見《まみ》えようとして。
接近する。自分の集落《むら》に。鼻と耳に、異常を嗅ぎつけて、聴きつけて。
そして視る。
暴走する大集団に、わずかに後れて、ファラーは集落のへりに至りました。そして、視ました。火の軍団を。集落の広場に――ファラーとは反対の側から――躍りこんで来たものを。
先頭は燃えあがるジャッカル牛の仔。生きながら灼《や》かれる苦痛に、いよいよ奔《はし》る勢いも奪われて生命《いのち》つきかけ、もはや声帯も焼かれて絶叫も滅《き》え、のたうち、広場に躍りこんだかと思うや横転して、土に、草にと火種を撒《ま》いて、ファラーに凄絶《せいぜつ》のきわみを目撃させる。二番手は乱心する母。こちらはいまだ勢いは熄《や》まず、わが子が歩みを止めたと認めるや、惨《いた》ましいばかりの高音《たかね》で号《さけ》んで、走《は》せつけてこれに身を寄せる。ひし、とばかりに抱きしめるかのように。たちまち、横転する仔から火をもらい、母もまた燃えます。真っ白い体毛が――ファラーがみずからと同一視していた白い、白い長毛が――火群《ほむら》の種をうけて、めらめらと燃えあがります。その背中が、頭部が、腰が、臀部《でんぶ》が、四肢が、尻尾《しっぽ》が。仔を抱いて、より添いあって、一本の火柱となって、母子は集落の広場の中央で火刑に処せられるのです。肉が炙《あぶ》られるにおいがします。それがファラーのもとまで、みるみる漂いいたるのです。美味《おい》しいにおい、と反射的に感じて、嘔気《おうき》をおぼえる間もなしに、三番手となる狂譟《きょうそう》の大群が押し寄せて、広場に雪崩《なだ》れこみます。母子を遶《かこ》みながら、輪になって駆けます。グルグルと、グルグルと、グルグルと。ズドドドッ、ズドドドッ、と大地はゆれ、呆然《ぼうぜん》と見守るファラーをゆらします。数百頭のジャッカル牛は咆哮《ほうこう》をあげています。火刑に処せられた母子の、狂焔《きょうえん》に理性を奪われて、輪舞するのです。死の輪舞を演じるのです。
つづいて四番手。
火の軍団の最後の一派。
アビシニア勢の、七十二の軍馬が、ジャッカル牛の侍衛《じえい》の部隊さながら、火箭《ひや》を手に来ます。火の魔妖《ジン》のように、その黒い皮膚《はだ》を照らして。
猛き武士《もののふ》たち。招かれざる客人《まろうど》たち。
黒い騎手たち。
すなわち闇黒《あんこく》の騎士たちは突入を果たすのです。ファラーの見ているまえで。ファラーの目のまえで。
部隊長とおぼしい巨漢が合図をすると、馬上から皆、弓弦《やづる》より火箭を放ち、もはや手慣れた作業と化した焼き討ちをはじめました。ファラーの集落《むら》を。家屋を射て、倉庫を焼いて、ああ、ファラーの暮らした自家《いえ》さえも! 馬蹄《ばてい》は日々ファラーが駈けぬけた露地を踏みしだいて、広場から家々の中庭を叩《たた》いて躙《にじ》る。火の魔妖《ジン》はさながら修羅でした。勢《きお》いたった食屍鬼《グール》とも見えました。騎乗の態勢で、鞭で馬をはっしと殴り、百千《ももち》の矢をつぎつぎ放つ。そして蹄《ひづめ》、蹄、蹄の反響。ジャッカル牛の怒濤《どとう》のそれ(牛蹄もどき)と、馬蹄とがズォン、ズォォォン、と聴覚を占拠します。聴覚を無効にします。いかにも、ファラーは視たのです。かねて恋い焦がれていた黒い人間《ひと》を。
幻の父親のような、血のなかに淆《ま》じった神秘の源泉《みなもと》を。
たしかにそれは黒い。闇を内蔵する者のように黒い。闇のつかい魔のように、憧憬《しょうけい》の対象でありつづけた外部世界のアビシニア人たちは、陰性に黒い。冥《くら》いほどに昏《くら》いほどに恐怖をまきちらす人間《もの》のように、黒い。
黒い。
ファラーの肉体《からだ》が病魔の虜《とりこ》となったかのように顫《ふる》えます。衝撃に、文字どおり震撼《しんかん》させられて、ファラーは歯をガチガチ鳴らします。おののき慄《ふる》えて、歯の根があわないのです。到来した七十二騎、それはジャッカル牛の仔がめらめらと燃えて、斃《たお》れたように、死とむすびつき、ジャッカル牛の母が狂ってわが子を抱いて、火柱となって燃えあがったように、狂気とむすびつき、ジャッカル牛の数百頭の理性喪失した集団を招《よ》び寄せて戦慄《せんりつ》の輪舞をおこなわしめているように、恐怖とむすびついていたのです。
ファラーが魅せられていたジャッカル牛は燃え、
ファラーが愛していたジャッカル牛は血迷い、
斃れ、
それから、太刀がひらめきます。森の内部にみごとな突貫攻撃を果たした騎馬部隊の七十二騎は、ジャッカル牛の大群の疾走がついに己《や》み、この無人の集落で――聖域の深奥《ふかみ》につき進む――動きを停めたとみるや、ただちに所期の目的である大|掠奪《りゃくだつ》を開始して、また後続の友軍をむかえ入れ、急迫する敵軍を撃ち払うために、防衛線をはります。邀撃《ようげき》のかたちに駒を急がせます。あらわれた白人は皆殺しにし、この場所を大反撃のための牙城《がじょう》になし、敵陣のふところに築いた孤塁からみごとな要砦《ようさい》に変じるために。
一騎当千の猛り狂った七十二騎が、さらに猛り、白人を(左利き族を)みつけしだい戮《ころ》してやると雄叫《おたけ》びをあげたのです。
破壊の権化でした。破壊の歓びを享受する輩《やから》とも、ファラーの幼い目には映りました。そして、焼き討ちに遭って数百頭のジャッカル牛の地均《じなら》しにあずかっている村里に、五番手のなにかが駆けこんできます。すわ、左利き族の防衛軍か? 身構える七十二騎が見たものは、ほんの数頭のジャッカル牛。これは瞳《ひとみ》に知性の耀《かがや》きをたたえた群れの教師役で(そうです、どの群れにもこうした利発な引率者がおりました)、燃える仔とそれを追う母によって暴走をはじめた仲間を、最前、制止しようにも制止しきれず、ようやっと数百頭とアビシニアの騎馬部隊のしんがりとして追いついたのです。暴走する大集団の五番手として、集落の広場に走りこんできたのです。
アビシニアの黒い騎士たちには肩すかしでした。迎撃のために構えたというのに、力があまる。俄然《がぜん》、鵜《う》の目鷹の目となって、獲物はないかと周囲を見わたします。おれたちの戦闘欲を充たす獲物は? 分捕り品は? ああ、不運! 七十二の軍馬は七十二のわざわいでした。ファラーにとって、奇禍《きか》そのものでした。猛鳥の目《まな》ざしをした騎馬部隊のひとりによって、集落の辺縁《へり》にいて一部始終を目撃していたファラーは、発見されてしまうのです! 得体のしれない言語《ことば》(左利き族とは語感がまるで異なるアビシニア人の一言語)で叫びながら、この騎士はファラーを襲撃します。猛った勢いは抑えが利かず、――白い人間は殺せ!――、とばかりに童子にすぎないファラーに剣をぬいて迫ります。この瞬間、ファラーは死に直面しました。脳天を硬直した悸《おび》えの塊まりのようなものがフルフルッ、フルフルッと震えながら衝《つ》きます。絶望と名づけられる以前の絶望、恐怖と名づけられる以前の恐怖が、原始的な感情の爆発としてファラーを刺すのです。刺し、嬲《なぶ》るのです。刹那《せつな》の運動として。
眼《まなこ》に映るのは、ただ黒い人間、憧れつづけたアビシニアの軍人《いくさびと》。
それがあたえるものは?
死。
おまえを排除する、という宣告。
絶対的な拒絶。幻想の父親からの。誇りに思っていた「特別な」血統からの。
拒絶。
ファラーは意識をうしないます。
記憶はとぎれて、目覚めたときは、ファラーは小屋に寝かされていました。事情をあまさず諒解《りょうかい》するまでは、数日を要しました。まず第一に、アビシニアの侵掠《しんりゃく》軍は撃退されたこと。馬匹の一頭さえのこさず、勦討《そうとう》されて果てたこと。いかにして? 左利き族の森の保護者が、その実力を見せたのです。すなわち、左利き族の指導者層の最高位にある魔術師たちが、集団であらわれて応戦の態勢に入り、たちまちアビシニア勢を撃攘《げきじょう》したのです。森の、あらゆる場所で、左利き族の神秘の業《わざ》は顕現し、魔法に対する備えなどいっかな有《も》たない侵掠軍を、討ち破ったのです。
撃破したのです。
駆逐したのです。
「左利き族の森に攻め入った者は総軍かならず滅ぶ」という伝説を、ただちに証《あか》して。
つづいてファラーが知った第二の事実。
残念ながら、ジャッカル牛の暴走という予期せぬ展開により――まさに青天の霹靂《へきれき》!――左利き族の鉄壁の防衛は崩されて、惨事は惹《ひ》き起こされました。森に住まう人間の側の、犠牲者は三百と三十と三人。これほどの死者をだした戦争《いくさ》は、左利き族が紅海やアビシニアの領土の一角に渡来して以来、はじめてです。
負傷者はその数倍。
そして第三にファラーが理解したのは、みずからも負傷者の一員に数えられる事実《こと》。
たしかに、ファラーはあの瞬間に斬られました。騎乗の黒い武士《もののふ》によって。拒絶者によって、死を宣告されて。しかし、卒倒し、これによって太刀のきっさきは殺戮《さつりく》者の狙いからわずかに逸れて、ファラーの生命《いのち》はのこりました。狙われた頭部《あたま》は刎《は》ねられず、胸板にきっさきを浴びて血を噴きながら、仆《たお》れたのみ。すでにファラーは失神していて、憶えている情景は皆無ですが、この後、もうひと太刀を浴びています。それはファラーの背中にスパッとふりおろされ、肩甲骨のすこし下を裂きました。しかし、これもまた、致命傷からはまぬかれました。
援軍はこの瞬間《とき》、あらわれました。魔術師の集団が、ジャッカル牛の輪舞とアビシニア人の騎馬部隊によって蹂躙《じゅうりん》されたファラーの集落《むら》に出現し、そして業をなしたのです。魔法をふるったのです。つぎつぎと、いずこかより姿を顕現《あら》わして――。同時に、魔術師たちはファラーのおちいった窮地にも目をとめ、即行、殺戮の欲に憑《つ》かれたアビシニア人の騎士を滅ぼしたのです。
ただし、ファラーはいかに決着の戦闘がおこなわれたのか、自身の目では見ていません。森の保護者である魔術師たちが、どのような闘いをなしたのか。駒の背にうち跨《また》がった破壊者の軍団、七十二騎を、いかに撃滅したか。
結末はうしなわれた意識とともに。
卒倒し、ファラーは視ず、数日後に快復してから知った。
快復。しかし創傷《きず》はのこっています。背中に、真一文字に。それは、衣類を身につけていれば見えません。また、鏡をもちいなければファラー本人には認められません。しかし、ひどい傷痍《きず》です。ひどい瘢痕《はんこん》です。ファラーはその面《おも》だちの美しさを保持したまま、他人《ひと》知れぬ場所に生涯消えることのない瘢痕《きずあと》を得たのです。
おなじものがもうひとつ。
肉体に? いえいえ、そうではありません。精神《こころ》に、です。瘢痕はそこについたのです。おもてからは見えない場所に。
あの悪日《あくび》より数ヵ月間、ファラーはひとことも口をききませんでした。体験はことあるごとに鮮烈に脳裡《のうり》によみがえり、蝮蛇《まむし》のように咬《か》むのです。反復したいとも望まないのに悪日に目撃した情景はよみがえって、反芻《はんすう》を強いるのです。心象の、反芻を。
死がそこにあったことを。
おのれの死が。
他者の死が。
ジャッカル牛の死が。
ファラーの精神《こころ》のなかで、闇が増殖します。なにしろファラーは極悪非道の悪魔の軍団を目撃し、火の魔妖《ジン》を目撃し、屠《ほふ》られかけたのです。いえ、いったん、死んだのです。手を下したのは憧《あこが》れつづけた黒い人間《ひと》そのもの。ファラーが八歳のある日、その胸裡《きょうり》に絶対的な誇らかさを懐《いだ》いてから――混血だから自分は他者《ひと》よりも特別に優れているんだと――ずっと会いたい、会いたいと焦がれてきた血統の人間。
二年ものあいだ、ファラーが邂逅《かいこう》をまち望んでいた幻想の父親は、怒号をあげる食屍鬼《グール》であり、醜怪な、醜怪な破壊の化身でした。
憧憬《しょうけい》は地に堕ちます。
おまけに食屍鬼《グール》は――闇黒の騎士は――破壊を愉しむ者は――あい見《まみ》えた一族の末裔《すえ》(ファラーのこと)を拒絶したのです。
拒絶し、殺そうとしたのです。
肉体は快復し、しかしファラーの精神《こころ》はむしばまれます。ことばを発しない数ヵ月ののちに、ファラーは日常的な会話は再開しますが、しかし口は重い。十歳の少年の内部《なか》には絶望があり、拡がりつづける闇があり、羞恥《しゅうち》の感覚があります。
恥辱。
自分が殺戮者の血をひいた――ほかならぬ黒い人間の血をひいた――不純な子どもであること。
ああ、慚愧《ざんき》に堪えない。耐えられない!
天真|爛漫《らんまん》に野《の》を駆けていた少年は、内側から闇に染まり、寡黙に生きはじめるのです。
辱《はじ》を抱いて。
黒いアビシニア人たちのあいだに色素なしの嬰児《みどりご》として生まれたファラーの数奇な運命は、さらに変転の萌《きざ》しを孕《はら》みます。純粋な左利き族でない事実、しかも黒い人間《ひと》の系統に属している現実に、ファラーはうちのめされて、慚死《ざんし》すら無自覚に望みますが、とはいえ森の暮らしを愛している熱情は勝り(森をファラーは愛して、森がファラーを愛していたのですから)、生きようとする意志がこの暗い感情を抑えこみます。ならば、要るのは? 辱《はじ》を克服すること。おのれの血の半分を消し去って――肉体的状態としては不可能でも、精神的状態として――ほんものの左利き族に変容をとげること。これからのファラーが純血の白人種に変じること。
方法《すべ》はひとつ、ありました。
森の指導者となるのです。
将来、指導者の階級に属して、人びとの尊敬を得るのです。
なかでも森の人間から第一に重んじられる、魔術師をめざすのです。
最高の要職を。部族内の栄誉の頂点にある重職《つとめ》を。
数ヵ月まえの悪日にも証されたように、いざ、危急存亡の秋《とき》が迫れば、魔法の奥義によって外敵を撃退する森の保護者、森の聖性を守護する要《かなめ》の存在に、いずれ――将来、きっと――
そうすれば、認められる。
辱《はじ》を棄てられる。
真正の左利き族と、認知される。
このように頼んだのです。可能性《みこみ》は? ありました。ファラーの心の裡《うち》において、ということですが、はっきりと信じていました。絶望と屈折からの恢復《たちなおり》をめざす十歳の心中では、記憶はさまざまにほとばしります。たとえば、乳母がこの拾い子の生いたちを捏造《ねつぞう》するために口にした、ある台詞《ことば》が――
「なぜおまえの髪の毛が白いのか? それは、混血児のおまえの肉体《からだ》のなかで、左利き族の血が騒いでいるからですよ。おまえのなかで、半分の血統《ち》が騒いで、正真正銘の左利き族であることを証明しようとしているからですよ。『おれたちの仲間だ、おれたちの仲間だ』って。だから、おまえの肉体《からだ》にはより白きが滲《にじ》んで――それが、ほら、その髪よ!」
だから、ファラーは信じたのです。自分のなかで、白人種の血が強いことを。
だから、魔術師をめざしたのです。色彩《いろ》のない白毛という強力な証明《あかし》を具《そな》えている事実に、すべてを賭《か》けて。
おのれの半分の白人の血のために。
そのとき、ファラーは知る由もなかったのです。まさか、自分の肉体《からだ》のなかに、一滴も左利き族の血がながれていない真相《こと》など。
六年間、ファラーは厳しい修行をつみます。左利き族の成人の儀礼が執りおこなわれるのが十六の歳なのです。男子はこのさい、森の指導者集団の長《おさ》に成人後の希望を告げます。就きたい職(専門職)のある者、部族内の頭脳的な立場を志願したい者は、その旨を長にじかに願いでて、判断《しなさだめ》を仰がなければなりません。資格と適性がこの場で問われるのです。わたしたちの少年(このばあいはエジプト人)が商人または職人になるばあいに組合に入るように(師匠連の推薦と同時に、商売の親方《ムリアム》にひとりまえの技能になったか試されて、資格が問われるように)、問われるのです。この日をめざして、ファラーは魔術の修行の道にうちこみます。
魔法は左利き族にとっての一般的教養の類《たぐ》いですから、われわれのことばでいうところの「学校(小学校レベルの教育機関)」に通えば、ほかの知識といっしょに学べます。特別な課程にすすまずとも結構で、かつ、子どもたちの「学校」には専門的な教科課程というものはまだ存在しないのです。それを選ぶのは成人ののち、適正が「可《よ》し」と認められてからです。そうした制約の範囲内で、しかし、ファラーは並はずれた努力を重ねました。学んだ知識を復習《さら》い、教師の言に盲従し、すなわち指導には飼い犬のように従順に服して、機会《こと》あるごとに質問し、説明の一言《いちごん》一句を諳記《あんき》し、習った業を――歌を――祈祷文《きとうぶん》を――結印を――魔石の配置を――燻香《くんごう》の調合を――粉薬の製法を――幻視の獲得の手段《すべ》その他をもろもろ、忘れることはありませんでした。技術は六年間のあいだに磨かれ、失敗と成功の経験を累《かさ》ねて、切磋琢磨《せっさたくま》、同年者のなかでは頭《ず》ぬけた段階《もの》になります。ファラーの内面につねに生と死が天秤《はかり》にかけられたような瀬戸際の情熱がなければ、慢心して終わったでしょう。しかし、高みをめざす修行は己まず、一年、二年、三年、四年とその情熱は涸《か》れずにつづき、惰眠はいっさいむさぼらず、五年、六年と魔術の修行いがいには無頓着《むとんちゃく》に、無関心に日々をすごして、投入し、心血をそそいで、あらまし死に物狂いの様相で成長したのです。
苦悶《くるしみ》をのがれる道はこれひとつだったのですから。
惨《いた》ましさと羞《はず》かしさをのりきる方途《すべ》は。
そして十六歳となります。
この朝、ファラーは独りで――立ち入りは厳禁とされている――緑の聖所に入ります。森の内部《なか》のこの一角には、儀式にもちいられる庵室があり、そこに「森の王」と呼ばれる役職に就いた庵主《あんじゅ》が住まっているのです。いわば左利き族の導師、左利き族の百の集落をたばねる中心人物でございました。それにしても、ああ、聖所を往《ゆ》くファラーは、なんと美《うる》わしい青年に育ったことでしょう! その顔貌は満月さながら、肉感的な唇に、魅惑の目《まな》ざしが載って、銀髪がその頭頂に躍ります。色彩《いろ》のない膚はときに鏡のように冴えて、比《たぐ》いのない玲瓏《れいろう》さで蠱惑《こわく》します。まさに異形の美青年。いま、美貌《びぼう》は異界《あちらがわ》のものとして完成しつつあるのです。
「森の王に祝福がございますように」
見《まみ》えた老人に、庵室にあがったファラーは緊張の面《おも》もちで申しました。
「あいさつは抜きじゃ!」
老人はズバリいいました。毛織りの寛衣《ゆるぎ》をまとった聖者《ひじり》は、なにやら異様な迫力をたたえております。
ファラーは思わず「はい、わかりました!」と返事しました。
「さて、将来の希望は、ありやいなや?」
「ございます!」
「では、申してみよ」
「魔術師でございます!」
「ムッ……」唐突に聖者《ひじり》の勢いはとまります。「ムムム、ムウッ」
「森の王?」ファラーは戸惑いながら、ことばを投げます。「いかがなされたので?」
「ほかの希望は、ないかッ!」
「ございません!」
「ないかッ!」
「ございません」
「ないのかッ!」
「……わたしは魔術師の職のみを、望んでおるのでございます」
「むりじゃ!」
いきなり結論が叩《たた》きつけられました。ファラーは意識が真っ白に染まるような、みずからの色彩《いろ》のなかに融けてしまうような、茫然《ぼうぜん》自失とした感覚に(大口をあけたまま)硬直してしまいます。さすがに森の王も、なんとも居心地がわるそうに、ファラーの対面《さしむかい》でモゾモゾ動きます。しばしの沈黙がながれた果てに、ファラーが目をしばたたいてから訊《き》きます。
「……なぜです、なにゆえでございますか?」
「魔術師には資質《もとで》が要る」
「存じております」
「いやいや、わかっておらんぞ! 魔術師は森の保護者にして、外敵来たれば防備の中核《かなめ》となる者。いかなる外寇《がいこう》をも、しりぞけられる能力《ちから》を具えていなければだめじゃ! なみの術では足りん!」
「わたしの……わたしの術は、なみの段階《もの》ではありません。教師《せんせい》がたより、報告《おしらせ》は行っておりませんか? わたしの成績が優れていると……魔法においてほ常人《ひと》なみはずれていると……」
「とどいておる! すばらしい!」
「では、なぜ?」思わず知らず身を乗りだします。
「だから、天性の資質《もとで》の問題じゃ!」
だしぬけに、ファラーは老人のいわんとする要点《こと》を理解しました。突如として陥穽《おとしあな》に落ちたように、墜落する蒼白《そうはく》い感覚とともに合点して、かすれる声で森の王に問います。
「わたしが純血の左利き族でないからですか? だから生まれついての資質《もとで》がないと、おっしゃるので?」と。
「ムッ……」またもや聖者《ひじり》はことばを詰まらせます。この老人は老人なりに、目のまえの十六歳の青年の心中をおもんぱかって。「……ムムム」
「正直におおせになられて、わたしの未練を断ち切れるのならば、いっそズパリッ断ち切ってください」ファラーの声音はしだいに抑制をうしないます。「いいのです、おっしゃっても。わたしの血の半分が黒い人間《ひと》のものだからだめなのだと。左利き族の血統《ち》が、半分に薄まっているから、魔法のあやつり手としての天賦の才には欠けるのだと――」
「誤解じゃ!」
飛びだしたことばは、ファラーの予想とは背《たが》いました。
「誤解?」
「混血ならば、それほどの問題はない」
「ですが……」とファラーは驚いて問います。「……わたしは混血ですよ?」
「それも、誤解じゃ!」
ああ、不幸の宿命《さだめ》よ! ついに墓穴は掘られました! みずからの詰問《といただし》が老人のそのことばを抽《ひ》きだしてしまったのでございます。さて、老人はいっさいの顛末《てんまつ》、すなわちファラーが十六年まえの同日の払暁、山砦《さんさい》より降りてきたアビシニア人の女に捨てられてから、森の境界の見張りをおこなっていた監視者に拾われるまで、その報《し》らせが左利き族の指導者集団のあいだでは共通の秘密となりながらも、それ以外の者たちのあいだでは「森から授けられた子(姦通の子、親のない子)」とだけ説かれて育てられ、十六年を経たこと等、秘められた素姓を逐一物語りました。いきさつの一部始終を譚《かた》ったのでございます(しかし、それをもう一度ここでくり返すのは無益なことでございます)。いずれにしても、こうして森の王はファラーの蒙《もう》を啓《ひら》いたのです。おのれの出自に関する無知を。
出生の真実《まこと》にうちのめされ、ふたたび硬直の態《てい》のファラーに、容赦のない断言があたえられます。「だからだ」と森の王は告げます。「おまえは混血ではない」
「混血ではない……」
「左利き族の血は、おまえの体内《なか》にはながれておらんのじゃ」
「……そんな……そんな……」
「なんともなあ、わしも不愍《ふびん》だわ。おまえが魔術師をこころざすとは。あのな、わしは混血ならば問題ないといったがな、あれはほんとうなのじゃ。ジャッカル牛がわずかに精霊の血をひいちょるように、わしら左利き族も鼻祖《びそ》の代になんのかんのとあって、ちょっとばかり魔物の血統に綿《つら》なっちょる。いってみれば精霊の親族で、人間いがいの血が淆《ま》じっとるんだわさ。だから、魔法に長《た》けもするし、ジャッカル牛を飼い馴《な》らして家畜にできる。なあ、魔術師になるには資質《もとで》が要るといったのは、そういうわけよ。おまえにも、その精霊の血がちょこっとでも混淆《ま》じっとれば、やりようはあるんだがなあ。いっても詮《せん》ないが。たしかに、教師《せんせい》の報告では、おまえの術者としての実力は擢《ぬき》んでている。同世代では卓抜しているといってもよい。純血の人間としては、これはもう、空前絶後の魔術師となるな。なにしろ、わしらのあいだで育って、幼児《おさなご》の時分からずっと魔力を昂《たか》めるための食べものを摂り、飲みものを摂り、内側から特殊な能力を暢《の》ばすような成長のしかたをして、じっさいに魔法の基本もあやつってきたからな。だが、そこまでなんじゃよ。純粋な人間として最高の魔術師となれる、しかし、左利き族の術者は超えられん。なぜなら、いまはおまえのほうが業に秀でていても、いずれは同期の魔術師がおまえを追い越す。左利き族の人間には、そうした血がながれているからじゃ」
「わたしには……ない?」
「ない」無念の声音で老人はいい、しかし、きっぱり断言します。「左利き族は、長ずれば長ずるほど比類のない魔力を具えうるような、ただの人類《ひと》にはない資質《もとで》がある。おまえにはない。だから、魔術師にはなれん! 魔術師の職は望みえん! おまえは、森の保護者には育ちようがないのだ」
うちあけられた事実は、ファラーを射る矢です。ファラーを殺す矢です。ファラーはただ、もう、微動もできず、沈黙に没《しず》むばかり。眼前では森の王が「堪忍せよ。堪忍せよ……」とくり返していますが、それも耳に入っているのか、いないのか。
それでも、一時《いっとき》経てば目をしばたたいて、乾いた声で確認します。
「わたしは魔術師にはなれない」
「なれん」と森の王。
「もっとも千万でございます」
そういってファラーは起《た》ちあがります。
「それでは、さようなら!」森の王にあいさつすると、ファラーは成人の儀礼の庵室をでました。周囲《あたり》の状況は目に入らずに退室して、十六歳の誕生日をむかえた無色《いろなし》の青年は、緑の聖所を歩きだしたのです。
異分子――絶対的な異分子。異物。ファラーは庵室内で物語られた自身の生いたちを咀嚼《そしゃく》して、森のなかでの立場を、おのれの位置づげを諒解《りょうかい》します。噛《か》み、理解します。左利き族の一員ではない。その系統のどこにもつながらない。絶対的な異分子。
異物。
この絶望は消化《こな》されることを拒否します。ファラーは自失しています。ファラーはふだんは立ち入りが禁止されている聖所の内部《なか》を歩いていますが、この緑の領域がいかなる場所か、いまはいつで何者が歩行を命じているのか(そもそも命じてなどいないのですが)、皆目わきまえていない。外界については、なにひとつ認識できていないのです。
しかし、明瞭《めいりょう》に呑《の》みこめている事実がある。
おのれの体内に――
――白人の血は一滴もない。
ならばのこるのは黒い血か。破壊に淫《いん》する黒い人間《ひと》の血か。それのみか。
破壊の化身? あれが、おれ?
おれの内面《なか》にあるのは、しょせん、黒い天性?
把握した現実はあまりに惨《むご》い。このような無慈悲な処遇《しうち》が、あったものでしょうか。いかに世は有為転変《ういてんぺん》というものの、冤罪《えんざい》による懲罰のように不当なあしらいです。ああ、ファラーの悲劇にはいっさいの海容《かいよう》なし。容赦《なさけ》なし。万事は有為無情、十六歳の欠色《アルビノ》の青年に酬《むく》われるのは、虚無以下の空洞《うつろ》のみ。
ファラーは歩いています。危殆《きたい》の瀕《ひん》する精神が(すでに述べたように)感覚を閉ざして、なにも見えず――目を衝撃によって奪われて――なにも聞こえず――耳を茫然《ぼうぜん》自失によって奪われて――触覚もないままに下生えを履《ふ》んで、いつしか樹々がまばらな展《ひら》けた箇所にでました。
いってみれば森のなかの空き地です。落雷等で巨樹が倒れて自然にできた破《や》れ穴で(いわゆる「ギャップ」)、枝と幹のあいだを縫って柔らかい朝の陽射しが傾きながら入りこみ(斜めに射している)、草むらは心地よさそうな日向になっています。ジャッカル牛が、そこで寝そべっています。ジャッカル牛の群れが、いつものように教師役の数頭にひきいられて、この破れ穴の空間にやってきて日向ぼっこを愉しんでいるのです。のんびりと暖かい陽射しを――それらは鬱然《うつぜん》とした森林の内部《なか》ではめったに得られないですから――堪能しています。群れの中心には、一頭の母親のジャッカル牛を中心とした家族があって、じつにほほえましい。母の腹に頭をのせて横になっている幼子《おさなご》もいれば、兄弟同士でたわむれあう仔《こ》らもいて、離れた一頭が草むらの花々のあいだを飛びかう蝶《ちょう》を迫っています。
そんな情景のまんまえに、ファラーは空洞《うつろ》に囚《とら》われた状態のなかでいたりました。
影を見ます。朦朧《もうろう》とした靄《もや》を通して世界を見ます。その靄とは意識を掩《おお》った霧です。感覚を奪っている本体です。しかし、ファラーは立ちどまり、そこで、――なぜ、おれは足をとめたんだ?――、と放心しながらも思念《こころ》の表層に問いを浮上させて、――なにかが前方《まえ》にいるからだ――、と理解しました。つまり、影を見ました。ああ、その影! 意識を掩蔽《えんぺい》する、靄のむこう側に動いている影たち! ジャッカル牛の群れではありませんか。平和に日向に遊んでいる。その場所に、知らずに躙《ふ》みこもうとしたから、立ちどまったのだった。把握して、ファラーはじっとジャッカル牛の団欒《まどい》を視ます。穏やかな一場面を。あふれんばかりの和らぎを。
ふいに、しとどに涙があふれます。
左利き族の暮らしに欠かせない共生者であり、森の化身であるジャッカル牛。精霊の血をひいて、ときには樹々のあいだを飛ぶように奔《はし》るジャッカル牛。真っ白い体毛を靡《なび》かせて、陽光を燦《きら》めかせて駆けるジャッカル牛。ふいに、想いだされます。かつてジャッカル牛こそが誇りを播種《はしゅ》したのだと。八歳であった――それは現在の半分の年齢です――ファラーに優越感をあたえて、黒い人間《ひと》への憧《あこが》れを生じさせたのだと。思念《こころ》の深層で、悲鳴をあげるものがあります。ファラーの背《せな》の創傷《きず》が、とうに癒えているはずなのに疼《うず》きます。そう、森に攻めこんだ黒い武士《もののふ》によって授けられた、癖《あと》になった傷痍《きず》が。あの破壊者の軍団が、鮮明な映像として浮かびます。記憶がながれるように黄泉《よみ》帰ります。記憶が、辱《はじ》が。そして、真っ白い体毛ゆえに――ジャッカル牛が、あるいは自分が――森との同一化を信じて、かならず混血児であることを盲信《しん》じて、左利き族の血統が勝《まさ》っていると確信して、死に物狂いで魔術師の修行にうちこんできた数年間を、一瞬にして、回想します。
混血? 左利き族の、血?
いや、そんなものは、ないのだ。すべては虚構だった。あまい慈雨を擬態してそそがれた虚偽《うそ》だった。おれには白い血は一滴もない。黒い人間《ひと》の血しかない。森を蹂躙《じゅうりん》し、集落《むら》に火をかけ、ジャッカル牛の母子を燃やし、殺戮《さつりく》に淫する食屍鬼《グール》の性状《さが》しかない。
ない! ない! ない!
おれは黒い!
この刹那《せつな》――抑えこまれていた闇は、ファラーの内面《なか》に十歳の悪日より棲《す》んで蔓延《はびこ》り、魔術師になるという夢ひとつによって抑えこまれていた闇黒《あんこく》の感情は、ついにファラーを呑みこみました。肉体を裂き、その亀裂から飛びだし、十六歳の青年の絶叫とともにほとばしったのです。凍結していた意識は裂けて、空洞《うつろ》な世界はひび割れて、叫喚とともに擘《さ》けて、外側に弾《はじ》けます。闇。闇。闇。その闇の、なすがままにファラーはまかせます。
闇黒の感情は暴威をふるい、力もまたほとばしり、それは六年間の夜《よ》の目も寝ないような努力のつみ重ねによって獲た能力《ちから》であり、純血の人間としては類を見ない魔術師の業《わざ》であり、それが闇黒の情念《おもい》の――闇のなすがままに、いっさいの抑制《くびき》を脱げだして、さながら盲目にほとばしり、空洞《うつろ》な世界の外部に、呪わしい情景に、ジャッカル牛の平和な群れに、躍りかかり、襲いかかり、制御などされずにふりかかり、理性から遠い場所で無意識のうちに釈《と》き放たれて無自覚のままに破壊をなして――おれは黒い! おれは黒い! と怒号して――白い血があると騙《だま》した白い人間たちの象徴に投下されて、炸裂《さくれつ》して。
殺戮。
そう、殺戮。
意識の曇りが霽《は》れる。すると、見えます。ふたたび、陽光にさらされた穏やかな日向が。団欒《まどい》の一場面が。無言《しじま》がながれているように静かです。息もない。ジャッカル牛がブウブウと鼻を鳴らす音もない。だれも呼吸《いき》をしていない。そして、色彩《いろ》の変化がある。日向には赤の系統が加わっている。燃えたつような緋色《あか》に黒ずんだ殷紅《あか》、濃い朱色《あか》が。
血の色彩《いろ》が。
ファラーが眼前に見ているのは、屍骸《しかばね》のジャッカル牛が群れで演じている団欒《まどい》。
「あ……うう……ああ……」
ファラーは後じさります。しかし、眼前の光景は消えない。
「うう……ああ……ううう……」
野獣《やじゅう》のように呻《うめ》き、うなり、視界に映っている現実を否定しようとあがきますが、徒爾《むだ》に終わります。ファラーの口もとから、烏滸《たわけ》のように涎《よだれ》が落ちます。ぽとりと落ちて、ぽとりぽとりと落ちて、陽光の射している平穏げな日向にある音といったら、そればかり。
ファラーはもはや身じろぎもできません。
だが、屍骸《しがい》の情景は(静止しているはずのそれは)、対照的に動きだします。一頭、二頭、三頭ばかり、霧のようなものにつつまれます。微風が吹いたように。その霧が息絶えたジャッカル牛を抱擁《ほうよう》します。なんという不可解な光景! ファラーは身じろぎできず、凝視するしかない状態で、その不可解さを嚥下《えんか》します。三頭ばかり、それらの死屍《しし》はズルリッズルリッと毛がぬけはじめます。勝手にぬけ落ちるのです。あの白い、白い長毛が――いまでは鮮血に染まってもいましたが――。それから体躯《からだつき》に異常が生じます。肩口といわず腰部といわず縮こまるのです。グイッ、グイッと縮小をはじめるのです。縮小? そうです、頭骨もみるみる内側に陥没するように、異様な変形を披露して、いっぽう四肢は不自然に伸びはじめ――まるで――ジャッカル牛ではない、人間の手足です。
人間の。そうです、頭骨も。毛のない裸の皮膚《はだ》も。それは――
――三頭ばかりは、あきらかに人間に変じて、また果てます。
白皙《はくせき》の皮膚。左利き族の、成人した、男衆《おとこ》。
それは魔術師でした。部族内のもっとも崇《あが》められる者たち、森の保護者である秘技のつかい手。神秘と奥義に親しんだ超擢《ちょうたく》の貴人。ファラーがその地位を望みながら、永遠に遠ざけられてしまった境涯。どうして、ジャッカル牛のなきがらが人間の魔術師に? 魔術師のなきがらに? それは、術が釈《と》けたからです。超絶的な魔法によって獣身に変容していた者たちが、旧態《もと》にもどった。死によって本来の姿に復《かえ》ったからです。群れの教師役の数頭――あれが魔術師だったのです。いつでも。いつでもそうです。ジャッカル牛の集団をひきいている、その眼《まなこ》に怜悧《れいり》な知性の耀《かがや》きを宿した特殊な引率者は、一頭のこらず部族内の魔術師が逆|変化《へんげ》したものだったのです!
憶えておられますか? ファラーが十歳の悪日にアビシニア軍の騎馬部隊に襲われたさい、暴走する集団の五番手(最後尾)として教師役のジャッカル牛が数頭、集落の広場に走《は》せつけて、その数瞬後のファラーの窮地には魔術師集団があらわれて少年を救ったことを? 魔法でアビシニア人の騎士を滅ぼしたことを? あの魔術師集団は――いうまでもありません――五番手の知性あふれるジャッカル牛だったのです!
ああ、しかし、いま!
ふいを衝《つ》かれて……ファラーがほとばしらせた闇黒の情念と秘術に討たれて、変容していた魔術師たちは身罷《みまか》りました!
ファラーは戮《ころ》したのです。
十六年間、ともに暮らした同胞《はらから》を。その手にかけて、殺《あや》めたのです。意図していなかったのは事実ですが、しかし、しかし、いま! ファラーは殺人者となりました。
同胞《どうほう》殺し。
いえ、すでに混血ではない経緯はあまさず理解しているのですから、同胞《はらから》の殺害者ではない。では、これは……復讎《ふくしゅう》?
血統の異なるファラーの手になる?
[#改ページ]
歴史的事実に即していえば、この日はムラード軍の進発の前日だった。かりに歴史的事実というものが存在する、と無警戒に前提として受け容れるのならば、だが。すでにおわかりのように、筆者は時間の絶対性について斜に構えている。しかし、皮肉のないところに至高善もない。いいすぎだろうか? 読者には不届きな懐疑論をおおいに歓迎する精神を(いい換えれば眉《まゆ》につばをつけて最善をなす態度を)期待したい。
ところで、ムラード軍である。総勢三万余を有するというフランス軍を邀《むか》えるために組織された防衛軍は、最前の戦時会議(二十三人のベイによる)の決定を承《う》けてムラード・ベイをその総大将にいただき、一刻の猶予もなしに跳梁《ちょうりょう》した。跳梁、とはずいぶんな形容だが、じっさい市民から見れば無頼の徒党の跋扈《ばっこ》も同然だったのである。なにしろ徴発がはじまった。その徴発には代価がなかった。市民は威圧されて、諸財貨を吐きだした。いずれにしても輜重《しちょう》は調達されなければならず、そして搾取はいつものように一般大衆に対して為されるのである。不平もかまわず、マムルークの騎馬部隊は食糧、馬匹、その他をとりたてる。いや、不平をこぼす者はおもてだっては多くない。庇護《ひご》を受ける側は(進発の準備《したく》をすすめているムラード軍によって衛《まも》られる側は)あきらかに彼らであったから。しかし、恐ろしい。とことん私財が没収される現状《さま》に怯《おび》えて、かつ、これほど軍需物資が必要とされる戦争の規模に、想いを運《めぐ》らして慄《ふる》えている。市場《スーク》はどよめき、かぎりない軍人たちの無心に翻弄《ほんろう》される。
聖遷暦《ヒジュラ》一二一三年|一月《ムハッラム》の二十一日、恐怖はきわめて擬人化されたかたちで――理不尽なまでの勢いで徴発《まきあげ》をすすめる騎士として――、カイロの人びとの現前に降臨する。
文盲の大人《アミール》ムラード・ベイ、とうとう暫定首位として内閣の頂点にある椅子を奪《うば》った五十歳前後の肥満漢は、壮挙にでるために防衛の態勢をととのえて、あるいはととのえようとして、荒《あら》げない徒輩《やから》を市内に跳梁跋扈させている張本人である。いま、五十歳前後と記したが、年齢は史料によって異なる。四十代の後半ともあれは、五十をすぎたともある。おまけに当時を生きた史家の述懐にはムラード・ベイの年齢はない。ふたたび歴史的事実について蒸し返す問題は擱《お》いて(ようするに史家が録《しる》していたとして、ならば、歴史とは一人の史家の記憶なのか? と問いたかったのだが)、おおざっぱに五十歳前後とムラード・ベイを認めよう。勲《いさお》しのために、このエジプト防衛軍の総大将はむりを強いる。数千人の麾下《きか》部隊に、二十五万人のカイロ市民に。その勲しによって、暫定首位の座をたちまち暫定ならざる玉座に変じることが可能だと、見越して。火急の指示がつぎつぎ飛ぶ。ムラード軍の進発前日、ナイル河上には武装したフェラッカ船(三角帆の小型船)が集結し、デルタ地帯にむけての北上に準備する。すでに三千騎が揃ったマムルークの精鋭部隊にパシャ親衛隊(これが総督アブー・バクルの直属の部隊だった)が合流する。ムラード・ベイの采配《さいはい》ぶりを筆舌につくすのはむずかしい。いずれにしても――根っからの武人として――勝利、あるいは生きのこりがその眼中にあり、それ以外は眼中にない。
冷酷なまでに権力のふるいかたは荒あらしい。
そしてボナパルトの邀撃《ようげき》に備える。
物語りはつづいている。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第七夜は訪れる。
[#改ページ]
※[#底本ではアラビア文字の7]
十六歳のファラー、十六歳の純白の殺人者ファラー。きのうは十五歳で、そして本日は殺人者《ひとごろし》。たった一日のちがいが、とりかえしのつかない事態を生みます。たった一日のちがいが。
ファラーは左利き族の森を去ります。
追放されたのではありません。みずから、でたのです。逐《お》われずにファラー本人が決断して、鬱蒼《うっそう》たる故郷の世界からたち去ったのです。決断と申しましたが、このことばには矛盾があります。ファラーになにかを判断するだけの余裕はまるでなかった。ファラーの精神《こころ》はあまりに瞬時に壊れてしまって、現実を拒絶し、すなわち盲目的に遁走《とんそう》するいがいになかった。殺戮《さつりく》の現場から離れて、成人の儀式がおこなわれる庵室が置かれた緑の聖所から離れて、さらに森そのものから離れて。後じさって、後じさって、ついには嬰児《みどりご》の自分が十六年まえに――ちょうど十六年まえのその日に――置き去りにされていた境界を越えて。
はじめて、左利き族の生活領域の界《さかい》めを踏み越えて、森の外側にでて。
永遠《とこしえ》にでて。
それから異国を流寓《りゅうぐう》するのです。アビシニアの高原地帯に生まれ、呱々《ここ》の声をあげるや山砦《さんさい》から降《くだ》って森の辺縁部に移動し、まる十五年間はその森の内部《なか》でとどまっていられた欠色《アルビノ》は、またもや流亡《るぼう》する。結局のところ、流離《さすら》いが、運命として書《ふみ》(アッラーによって書き記された天運の書物)に著わされていたのです。
しかし、ファラーの耳に聞こえる運命の囁《ささや》きは、奇妙です。それは怪しいほどに美しい響さで、おまえに罪はない、といっています。罪はない? そうです、知らなかったのですから。ファラーはなにも知らなかった。たとえば、ジャッカル牛の教師役がまちがってもジャッカル牛でない真相《こと》を、知らなかった。変容の術によって化けていた人間だと、知らなかった。知らされていなかった。なのに――
――おとしいれられた。
瞞《だま》された。
ふしぎな結論。しかし、論理的でもある結論。殺人者という現実は、殺人者という汚名を着せられた現実でもある。それに、ファラーに認めることができるでしょうか? 自分の罪を? いまでは、ファラーにはなにもかも詭術《たくらみ》に想われていました。五歳のときに乳母が即興で編んだ「混血」の虚構《つくりごと》を信じ、集落ぜんたいが乳母の作り話に同調したうえに、十年を経ていきなり真実を曝露《ばくろ》したこと。白人の血いがいにすがるものはないと決意して、六年間をその一念でもって魔術の修行に明け暮れてきたのに、走りぬけてきたのに、その果てに白人の血は一滴もながれていないとうちあけられたこと。そうした一連の事態が、詭術《たくらみ》でないとも? こかほどの非道な仕打ちが、自分をおとしいれようとした罠《わな》でないとも?
陥穽《おとしあな》! 陥穽《おとしあな》!
ファラーの自意識はそう叫ぶのです。
出自の虚偽を作った乳母と、集落《むら》の人びとのあいだに(すなわち左利き族のあいだに)あった意図《こころ》を、ファラーは推して酌《く》むことができません。あげく、――騙《かた》り人《びと》どもめ、騙り人どもめ――、と歯噛《はが》みして暗い感情をふりまわします。いえ、いまではその暗い感情しかないのです。それだけが唯一の情念なのです。では、それはなんでしょうか? 名をつけるのならば、いかなる感情なのか? 数えあげてみましょう。ファラーの内面《なか》で十数年のあいだに死んだ感情を。まずは優越感、おれは他者《ひと》とちがうのだという誇り。これは混血だからすごいのだという驕《おご》りを生み、アビシニアの異人種に対する憧憬《しょうけい》を播種《はしゅ》しました。そして十歳の悪日に、死んだ。しかも最悪のかたちで、ファラーの精神《こころ》をズタズタにして。そこから恥辱の感情が発生し、その辱《はじ》を抑えるために、抑えこんで殺すために、ファラーは修行に専心した。およそ六年間。この期間《あいだ》に、ファラーは朗らかさをうしない、闊達《かったつ》な笑いはいっさい棄て、愛情すら抑えこみ(拒絶し)、あらゆる陽の感情をうしなった。それだけが、生きる方途《みち》だったのです。その果てに……その果てに、ファラーが「裏切り」と見る一連の事件が起きて、真相は曝露され、殺人者《ひとごろし》としての自分がのこった。
そんなファラーの内面《なか》で、生きのこっている感情は?
憎悪《にくしみ》です。
ただ、それだけ。
運命は美しい声で、ファラーの耳もとにだけ、おまえに罪はない、と囁きます。奇妙な精神作用(原文には compensation 補償とある。精神医学者アルフレート・アドラーの用語で、劣等感をいだいた人間がその償いに権力意志を達成しようとする心理的動向を指す。余談だけれども、英訳者によってこの用語がつかわれていることで、底本の刊行時期がある程度ぼくは推測できる。一九一〇年代以降であることはまちがいないだろう)が依然として、陥穽《おとしあな》! 陥穽《おとしあな》! と叫んでいて、わるいのは左利き族であってファラーではない、と請けあいます。贖罪《しょくざい》はまるで不必要、と太鼓判を捺《お》し、罪ほろぼしが要るのは、あちら側だ! と絶叫します。
騙《だま》していたな、裏切ったな、おれは、おれは、おれは――
悪《にく》む!
罪悪感を無に等しいものとなすために、精神は闇黒《あんこく》に堕ちるのです。なぜなら、そうしなければファラーがファラーを殺してしまうからです。非をわずかでも認めれば、精神《こころ》は息絶える。だから、盲目になって、左利き族を糾弾するのです。おのれを抹殺しないために、愛を抹殺するのです。愛の記憶を殺して、憎悪《にくしみ》だけが猛威をふるう。
さらに精神作用は暴走します。
順を逐って話しましょう。永遠《とこしえ》に森を去ったファラーは、漂泊者としての第二の人生(それは新生と呼ぶべきですが)をはじめますが、アビシニアの高原地帯にぬけたのではありません。なぜならば十歳のときに騎乗の黒い武士《もののふ》によって死を宣告され、その血統からは絶対的に拒絶されていたからです。アビシニアに出自をもつことを理解しながら、ファラーは断崖《だんがい》の岨道《みち》をのぼることはない。かわりに海抜における下方《した》をめざす。森を迂回《まい》て、ゆるやかに平地に降りて、北の海岸地帯に進みます。具体的には、塩を運ぶ駱駝《らくだ》の隊商(ダナキル砂漠の岩塩のキャラバンか?)に拾ってもらい(同行を許され)、紅海沿岸にいたるのです。アラブの土地に。はじめての荒野からはじめての海を望み、ファラーは森という世界がいかに閉じていたかを知って、大声で呵《わら》います。無限に展《ひろ》がる世界が、二色、三色とそれぞれ固有の色彩に染めあげられて、はるかに望見できるのです。鬱然《うつぜん》と樹木が茂った森の内部《なか》では、水平方向につき抜ける視界など、有《も》ちようがありません。騙されていた! おれは騙されていた! 世界は閉じていない! またも、ファラーは叫びます。しかし、こんどは嗤《わら》いながら。
砂漠の小さな町から町に、ファラーは隊商に従《つ》いて移動します。棘《とげ》だらけの潅木《かんぼく》、広大な空間にほんの十数頭が群れをなしている羚羊《ガゼル》、ときに峻厳《しゅんげん》にあらわれる峡谷、単調でありながら予断を許さずに変化をつづける砂漠。平らな砂から平らな砂へ、ふいに出現する涸川《ワーディ》の径すじを、谷間として抜けて、鉱山と採石地帯をわきに見ながら無機物の支配する巨大な展がりに感嘆する。そして砂、そして色彩《いろ》を変える砂、そして大きさを変える砂。ファラーの――かつては森の腐葉土に慣れ親しんだ――足裏《あなうら》がその熱砂《ねっしゃ》を踏んで、躡《ふ》みつづける。温度ですら砂は変えて、陽射しの有無で(すなわち昼夜のべつで)孕《はら》まれるのは冷気ともなる。
それから、大地が蒼《あお》ざめる恍惚《こうこつ》の一瞬。それから、猛烈な暑気の生みだす幻影。はじめて目にする蜃気楼《かいやぐら》。錯覚はそこにいる全員の視界に、平等に頒《わ》けあたえられる。ファラーはまたも感嘆しています。砂漠《ここ》では風景が主体となって魔法をあやつるのだ、と。
灼熱《しゃくねつ》の世界。ファラーは隊商の男たちに倣って帯布《ターバン》を頭部に二重、三重に巻いて、頸《くび》すじもていねいに蔽《おお》い、布の切れこみから目だけをのぞかせて強烈な陽光を避けていますが、同時に、その衣類のしたで闇をまとっています。欠色《アルビノ》はもともと陽射しに弱い。皮膚《はだ》が過敏に反応してしまうのです。ですから、苛烈《かれつ》な陽射しには耐えられません。森にいるあいだは、直射日光というものがほとんどありませんから(繁茂する緑の層に遮られて)、問題はなかったのですが、アラブの砂漠ではちがいます。そのために、ファラーは全身に闇をまとったのです。
魔術によって、陽光をさえぎる、闇を。
その裸体のうえに、魔法の闇を。
膚を陰翳《かげ》が蔽って、真っ白い十六歳の青年はあらたに二つめの皮膚につつまれたのです。
陰翳《かげ》。暗い霊気《オーラ》。それは――ほんらい異形の美《うる》わしさであった――ファラーの麗姿をきわだたせます。ひときわ擢《ぬき》んでた美貌《びぼう》に。蠱惑《こわく》してやまない顔貌《かおかたち》に。まさに妖《あや》しい眉目《みめ》の秀麗さです。やがて大きな商都にいたると、ファラーは道中をともにした隊商を離れて、市内の人間の世話《やっかい》になるのですか、このような親切に事欠かなかったのも、はて、道理至極でございます。そもそもの異界《あちらがわ》の玲瓏《れいろう》さが、色彩《いろ》のない膚のうえにまとった魔性の闇によって、さらに魅惑のどあいを昂《たか》めていたのですから。
ファラーはこの商都に滞在して、数ヵ月のあいだに普遍的な人間の生活《くらし》というものを(直接にまた間接に)見聞し、たいそう驚きます。ほとんどの人間が、魔術には無関係に生きているのです。基本的な魔力をもたず、あやつれる魔法がない。たしかに邪眼|除《よ》けの呪文《まじない》を唱えたり、あるいは『コーラン』の特定の章(たとえば開扉章)を口にして悪霊退散にもちいたり、家屋の戸口に蘆薈《アロエ》を吊りさげたり(これは健康祈願のため)、日々の習俗には際限がありませんが、正しい秘法についての理解はまるで無に等しい。じっさい、ファラーは唖然としました。会う人間、ひとりとして(それも年齢も性別も無縁に)、魔法の技術的側面のなんたるかを把握していないのですから!
森では考えられないことです。左利き族のなかでは、十歳未満の子どもですら神秘の術に通じている。ここでは教育というものはないのか? だれも魔術師としての素養をつちかおうとはしないのか? ファラーは驚愕《きょうがく》しながら問い、観察し、識《し》るのです。たしかに、人間は魔術師にはむいていない――見るからに資質《もとで》がない――純血の人間は左利き族の術者にはおよはない、その肩をならべられるはずもない――と。
だから、自分はあなどられたのだ。
だから、魔術師の職を希望しても同期の(純粋な、左利き族の)若者たちには比肩しないと、あなどられたのだ。
比肩しないと、高を括《くく》られたのだ。
ぜったいに、将来も、同等にはなりえないと。
さて、それからです。ファラーの憎悪《にくしみ》が、意趣返しの方法を発見したのは。目標《めあて》を見いだしたのは。結論は容易にでます。左利き族の魔術師を超えなければ、おとしいれられたままだ。あなどられたままだ。脱けだせない……この陥穽《おとしあな》から。
だから。
うち負かす。憎悪する左利き族を。森の王も見越せなかった、稀世《きせい》の魔術師となることによって。精霊の血の淆《ま》じらない人間でありながら、魔族の血統にも綿《つら》なるという左利き族の魔術師《それ》を凌駕《りょうが》して。記録をなして。
不世出の傑物となることによって。
理屈《りくつ》を越えてやる!
まちがいだったと、了《さと》らせてやる!
おれは、おれは、おれは――
生きる!
これがファラーの精神作用が暴走してだした結論。こちら側の存在《いのち》を殺さないために、相手側の主張をまちがいだと認めさせようと、ファラーは望みます。魔術師として、地上《このよ》で最強の力を、左利き族を超越する座を。そのように世界をわがものとすることによってしか、立ちなおれない。
しかし、ただの人間が精霊の眷族《けんぞく》――ならずとも遠縁の種族――に匹敵する魔力を手に入れることはできるのか?
はなから不可能ではないのか?
疑念をいだいたまま、新生したファラーの再度の彷徨《ほうこう》ははじまりました。今回は目的がある。諸国の高名な魔術師を訪ねて(もちろん純粋な人間です)、これに師事するのです。その市域ぜんたいが紅海に接していた商都を発つと、まずは交易路をつかって西へ、内陸の砂漠へ。あるいは北へ。ナイル河もさまよいましたしシャーム(シリア地方。左手の土地の意味)も見ました。さらにモスルからバグダッドへも、バッソラーへも。まさに漂泊《さすらい》人として、遍歴をつづけます。門外不出の業《わざ》をもつ一派と、仙境の岫《いわあな》にこもって寝起きをともにし、隠秘の学問に親しんだ賢人に事《つか》え、東西の地域内にて第一等の魔法つかいをつかまえては、徹底した問答の果てにその奥義を吸収します。師匠はさまざま――金髪もいれば黒髪もおり、浅黒い膚もいれば黄白色の膚もおり、碧《あお》い目もいれば、黒い眼《まなこ》のもちぬしもいるといった風情。峻厳《しゅんげん》な人格も、皮肉屋も、太陽や火の信者も、ヘブライの知識に通じた隠者も、妖術《ようじゅつ》に長《た》けた悪党の鑑《かがみ》も。ばらばらな人選ですが、師範《せんせい》役はひとりのこらず人間。純血の人間。
そして、ファラーはたしかめるのです。
門弟となるのは東西のいかなる師匠のばあいでも容易でした。ファラーは十代後半の若さにして、異様なまでの魔術の才覚を具《そな》え、のみならず陰翳《かげ》のある美貌が外見《そとみ》をいろどっていたのです。稚児を愛《め》でる者の五臓六腑《ごぞうろっぷ》をかきむしるような魅力、それも性的魅力。口にするのは憚《はばか》られますが、ファラーはまず最初に滞在した商都で女を知り(これは富豪《かねもち》の未亡人で、ファラーは多大な恩恵を彼女にこうむったのです)、親切心あふれる後宮《ハリーム》の女性たちの世話《やっかい》にもなり(じつに複数の若妻たちがファラーを数日間、数週間と囲いました)、市場《スーク》をあずかっている親方がかねがね甘い恋よりも苦い恋を好む人物(男色家)だったので、ある商店に関わったさいに目をつけられて、なんと! その衆道《みち》もおぼえました。商都にあっては数ヵ月間、市場《スーク》の親方に面倒をみてもらいながら、親方のあちらの面倒もみたのでございます。もともと森の左利き族が情交《あれ》に対して奔放であったので、あまり気にしなかったのでございます。はて、さて、このように才覚を見こまれるなり、すてきな臀部《おしり》や柔らかい膚を代償にするなりして、ファラーは各地でその世界《みち》随一の術者に教えを受け、ただちに高弟にとりたてられて、智慧《ちえ》を獲得します。あらゆる神秘学の蘊奥《うんのう》をきわめます。師資相承《ししそうしょう》の奥義を獲ます。玄妙学に精通します。
しかし、ああ――だめだ。この程度では。
たしかにファラーの魔術の伎倆《ぎりょう》は伸びましたが、また、知識も拡がりましたが、この程度の奥義では、とうてい左利き族の(魔物のそれにも通じた)最高度の秘術にはおよばない。すなわちファラー自身がおよばない。凌駕など夢のまた夢! ファラーは師範《せんせい》にたずねます。ただの人間が精霊の眷族に――眷族ならずとも遠縁の種族に――匹敵しうるだけの魔力をものにできるのか? できる、と高名な魔術師たちはいいます。もっと、学べ。わしのもとで、学べ。驕《おご》るな! しかし、だめです。ファラーにはわかるのです。左利き族の森のなかで幼児《おさなご》のころから魔術師の(いわば)英才教育を受けてきたファラーには、その師範《せんせい》の秘められた資質《もとで》が、嗅《か》ぎとれてしまうのです。ああ、だめだ、この導師のもとでは――ねばりつづけて根性を入れても、徒労《むだ》! 無益《むだ》! 迂遠《むだ》!
そうして流離《さすら》う。ファラーは流離う。
あきらめてはおりません。なぜなら、師事した魔術師たちとの問答のなかに燦《きら》めいている真実はあるからです。人間は――ただの純血の人間は――精霊の系譜の存在《もの》に肩をならべられるだけの魔力を具えうるか? しかも後天的に? できる、と彼らはいいました。その回答のなかには、スライマーン(ソロモン賢王)の名がでてきました。ダーウド(ダビデ)の御子《みこ》スライマーンの名前が。スライマーンは精霊軍団を統べた、それが歴然たる証拠だ、そう彼らはファラーにいいます。なるほど、ファラーは首肯する。人間が魔神《ジン》を支配できるのならば、それすなわち、その人間の魔力が相手の精霊をうわまわったという事実《こと》。
歴《れっき》とした証《あか》しです。だから、ファラーは諦念《ていねん》とは無縁に、彷徨をつづけるのです。左利き族の魔術師を超える方途《みち》はあると信じて、追窮をつづけるのです。
それにしても、ファラーの修行の日々は密にして、苛酷《かこく》で、烈《はげ》しい。すでに十六歳でかなりの伎倆の術者だったのに、その到達した地平たるや、はっきりと人間離れしています。十七歳、十八歳、十九歳とあらゆる師匠のもとで修行をつんで、あらゆる秘術を身につけて、伎倆は伸びます。どんどん伸びます。森をでたときとは、もはや比較になりません。超一流の術者であり、前人未到の域に接しつつあります。あらゆる神秘に通暁して、羊皮紙の書物を読んで、古代碑銘すら読解して、他人《ひと》の心さえも読んで。
そして二十歳《はたち》。
この日、ファラーは旅籠《ハーン》の一室におりました。場所はダマスカス、一階には香料商の店が入った建物の、二階で、ファラーの居室にも没薬《もつやく》やら樟脳《しょうのう》やらの薫りがただよってきています。ファラーは街なかにむけられたマシュラビーヤ(格子細工の出窓)に視線をすえて、高等魔術の準備に入っています。なにがしかの呪文《まじない》を唱えて、室内の燻蒸《くんじょう》をはじめて――つかわれている香料はあきらかに一階からのものとは印象も効験《ききめ》の範疇《はんちゅう》も異なります――宙《そら》になにがしかの文字を書きました。霊験《れいげん》あらたかな秘文字を。すると、マシュラビーヤに、ポンッ、と煙を吐いて顕われます――喚《よ》びだした魔物が。
異界から強制的にひっぱりだした鬼神族《アファリート》の一体が。
野獣の姿を採っていました。小さな、小さな野獣《もの》に化けていました。マシュラビーヤの張りだしに、背後から陽光を受けて、丸まっています。ミアオ。ミアオ、といいます。声?
むっつり顔の白猫です。
牝猫《キッタ》です。一見すると、出窓の上部《うえ》の開口部から入りこんだ街の野良猫か、蛇などを駆除するために旅籠《ハーン》の主人が飼っている猫にしか思えません。しかし、ファラーはわかっています。永遠に犬や猫に化ける魔族《ジン》がおり、そのようにして魔妖《まよう》の族《やから》が人類のあいだ(地上世界)を跋扈ていることを。ミアオ、と鳴いた白猫の尻尾《しっぽ》はすらりと伸び、その腹部はぽっちゃりしています。ファラーは問います。「猫のまま死ぬのがいいか? おれに答えて、魔物としての尊厳を守りながら、情報《ネタ》を吐きだしたら解放されるのがいいか?」
「もちろん」と白猫は答えました。白猫が、アラビア語で! にやりと哂笑《わら》うようにことばを吐いたのです。「後者がいいミアオ」
「さて、呪縛《じゅばく》されているのはわかっているな? きちんと答えてもらおうか。白描よ、おまえが大物の女鬼神《イフリータ》だってことはわかってる。敬意をあらわそうか?」
「それは最高だミアオ。なにしろあたいは、ほんの二千年まえまではバステトって呼ばれて、何十万っていう信者をもっていたミアオ。マイ、マイ、ミアオ。ああ、神殿が恋しい! 邪神崇拝が恋しい! ブバスティスの町にもどりたい!(バステトは古代エジプトの女神で、分娩をつかさどり、その偶像の顔は猫である。往古のブバスティスの町には、防腐処理された猫の屍骸=ミイラが大量に埋められている)」
「ふむ、これは――」といってファラーは満足げに頭《こうべ》をペコリと垂らします。「さながら地獄の顔役のひとりでは? すばらしい! 女神《バステト》よ。マイ、マイ、ミアオと啼《な》いている化け猫よ。さあ、待望の問答をはじめよう」
一問一答。ばあいによっては(術者の伎倆によっては)三問三答。それがファラーの実行した高等魔術でした。鬼神族《アファリート》を喚びだして、結界によって縛りつけ、地上の人間《もの》には知りえない情報を得る。強力な魔法です。同時に、はなはだ危険な魔法です。術者が未熟ならば。しかし、ファラーは(二十歳となったファラーは)未熟さとはもっとも遠い場所にいる。だから、真っ昼間に、ダマスカスの旅籠《ハーン》の二階という大胆不敵な状況下、その高等魔術を成就しえた。バステトと名告《なの》る魔妖の白猫を喚びだしえたのです。
そして、ファラーは訊《と》います。
「精霊の血の淆《ま》じらない人間でありながら、スライマーンの域に達するかのように、超人の(人間の資質を超える)魔力をものにした術者が、すなわち精霊の眷族《けんぞく》と肩をならべることによって魔神《ジン》を驚愕《きょうがく》させた魔術師が、過去にいたか?」
「いたミアオ」
それが一問め。そして一答め。
「どうやって、その人間は精霊にも――精霊の眷族にも――匹敵する魔力を手に入れたのだ?」
「憎ったらしい大莫迦《おおばか》の蛇のジンニーアと契ったミアオ。マイ、マイ、ミアオ。闇の契約《ちぎり》をむすんだマイ」
二答め。
「それはだれだ?」
「アーダム。ただし、原初のアーダム(人間の始祖であるエデンの園のアダム)とはちがう、不眠《ねむらず》の迷宮王、おもての歴史にはいないアーダムで……マウ、マイ、ミアオ!」
三答め。たちまち白い煙が、ポンッ!
マシュラビーヤからは白猫の姿が消失《きえ》ました。しかし、ファラーは……ファラーは哂《わら》っています。無言で、ほほえんで。それから大声で呵《わら》います! ああ、ついに見いだしたのです。手がかりを。歴史のおもて側にはいっさいの記録がのこっていないために、人間には知られていなかった史実を、情報を、女鬼神《イフリータ》を情報源として攫《つか》んだのです。ああ、ついに。ああ、ついに!
これが二番めの主人公の物語。長い長い空白ののちに、年代記にあらたな息を吹きこむために、ページの空白よりも真っ白い人間《もの》として歴史にあらわれた二人めの主人公。
二十歳《はたち》となった主人公。
この後もファラーは彷徨《ほうこう》をつづけますが(それは砂塵《さじん》のしたに埋もれてしまった都市《まち》と、不世出の妖術師《ようじゅつし》アーダムの生きた痕跡《こんせき》をもとめての二、三年ばかりの諸国遍歴です)、いったん、独立した挿話としてファラーの物語は終わらせます。それが、話術《かたり》として、わたしには適当だと思われますので。ですから、三人めに移ります。
三人めの主人公に。
砂の年代記に登場する第三番めの中心人物に。
名前はサフィアーンと申します。そして、この者もまた、ファラーと同様にみずからの両親《ふたおや》を知らずに育った男子であり、すなわち宿命《さだめ》に翻弄《ほんろう》される拾い子なのです。
ファラーとおなじように、けれども対照的な生いたちと美しさを具《そな》えた、砂漠の緑野《オアシス》都市の拾い子。
サフィアーン。
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夜明けのアザーンをはるかにまえにして急報はとどけられた。先行する三日間(第四夜から第八夜)より二、三時間あまり早かっただろうか。そのために夜話は已《や》む。ズームルッドは譚《かた》りを中断し、物語は宙に抛《ほう》りだされた。
あらたな主人公の名前だけを呈示して。
外界から鎖《とざ》された屋敷に送達されたのは、アイユーブ宛ての火急の報であった。一人の語り手と三人の聴き手のいる邸宅は、そもそも隔離された街区《ハーラ》にあり、しかもアイユーブが雇傭《こよう》した泥棒《ものとり》の玄人たちに警固されている。だが、いざ外部からの連絡が要るときは、まずは街区《ハーラ》の境界の門にいる守衛たち、ついで犯罪者の組織の下っ端たちが、街灯のない闇路《やみじ》を走りぬけて、アイユーブに確実に報知をとどける手筈《てはず》になっている。
いつもながら万端、ぬかりはない。問題となりそうな政府の夜警たちには、事前に鼻薬《わいろ》を嗅《か》がせてある。まるで豪邸に忍び入る泥棒《ものとり》たちのようにほんものの盗人《ぬすっと》の集団がアイユーブのいる屋敷にそっと忍び入る。だれにも見とがめられない泥棒《ものとり》たちの歩行《あゆみ》でほんものの夜盗の集団が――抜き足、差し足、忍び足――路地の迷宮を通りぬける。
アイユーブ宛ての急報をたずさえて。
仲間から仲間に、手わたして。
それはアイユーブの主人、イスマーイール・ベイからの報らせ。寵愛《ちょうあい》する側近の居場所《いどころ》が不明であっても、イスマーイール・ベイはいつでも、かならず連絡をとれる。いかなる状況下でも――たとえば書翰《しょかん》を――中継でき――アイユーブを喚《よ》びだせる。そのようにアイユーブが連絡網を組みあげていた。
いかにも、アイユーブは主人のイスマーイール・ベイに『災厄《わざわい》の書』の創造の現場の所番地を、知らせていない。
飛報の到着。そしてアイユーブは状況がいかに推移しているかを識る。カイロ市内の、エジプト内閣の内部《なか》での、そして友軍と敵軍の双方の動向《うごき》を。
アイユーブは主人に頼られて、イズベキーヤ貯水池の東岸にあるイスマーイール・ベイの私邸に夜半、急遽《きゅうきょ》走《は》せもどる。
第七夜の物語はこのようにしてうち切られる。
サフィアーンという主人公の名前だけをのこして。
聴衆の耳に。
じつに、第七夜以降もたびたび夜話はその量《かさ》を減らす。しかし、いまの時点では予見できる者はいない。いや、アイユーブはカイロを捲《ま》きこもうとしている戦況の逼迫《ひっぱく》ぶりを諒解《りょうかい》し、急報はこれからも鎖された屋敷の扉を叩《たた》きつづけるだろう――アイユーブさま! アイユーブさま! 緊急の報らせでございます!――見こんでいただろう。そして、予想は的中し、何度も夜話を中断するはめになるのだが、現時点では見こみは見こみ以上のものではない。
ましてや見こみももたない聴衆は、今晩を特例と解釈する。払暁をまたずにアイユーブが主《あるじ》のイスマーイール・ベイの私邸《もと》にむけて発ち、女物語り師も姿を消した屋敷内で、書家とそのヌビア人の助手は、骨休みにはいそしまなかった。あまった時間をむだにはしなかった。物語の最後の響きは耳にはっきりとのこっている。のこされている。だから、そのズームルッドの語り口が生命《いのち》をたもっているあいだに、微妙な(話術の)陰翳《いんえい》を忘れないうちに、書家とその助手は――今回は軽い朝食すらまともに摂らずに――暗いうちから作業に入る。
ひき裂かれた夜話を、その短さをさいわいとみなして。
憩《やす》まなかった。
耳もとにのこる最後のことば、サフィアーン、という名前を浄書のナスヒー体でしたためた瞬間《とき》には、まだ金曜日の正午《ズフル》の礼拝の呼びかけすら、カイロ市内には響いていなかった。
そう、金曜日(イスラーム社会の休日で、キリスト教徒の安息日=日曜日に相当する)だった。集会の日であった。書家とそのヌビア人の奴隷は、自分たちに課された仕事を了《お》えて、あてがわれた寝室内ですっかり眠りこけていたが、おおかたのムスリムは午前ちゅうの商売は休んで、市内のいずれかの寺院《モスク》におもむこうとしていた。告時係《ムアッジン》はそのために、正午《ズフル》の礼拝の時刻の三十分まえから大音声《だいおんじょう》で頌詩《セラム》を唱えている。
人びとは寺院《モスク》に集合する。
ふとどきにも書家とヌビア人は目覚めない。
おのれの役どころに集中しているために。
おなじように、おのれの役どころを心得ているために、もっとも派手に告時係《ムアッジン》たちの|招き声《アザーン》に応える者もいる。当人たちの自覚の有無にかかわらず、おなじように、窮極にはカイロを異邦人の邪視と侵攻から救済するという目的をもち。それはムラード・ベイである。エジプト防衛軍の総大将、エジプトの内閣で暫定首位に即《つ》いた武人、文盲のマムルーク。権力をその手中におさめて、おさめた権力をただちに誇示する生粋の剛の者。数千名の騎馬部隊を臨戦態勢として、この金曜日、この正午《ズフル》、ムラード・ベイは礼拝に参加した。多くの者がムラード・ベイのために祷《いの》った。多くの一般市民、それから導師《イマーム》や、神秘主義教団の修道僧たちが。ほとんどがムラード・ベイの勝利を祈願したといってよい。
いま、だれもがこの肥満漢に頼っていた。
そしてついにムラード軍は進発する。
カイロを発ち、アル・アスワド橋(黒橋)附近に逗留《とうりゅう》する。
そこで緒戦に参加する(ように指示をあたえた)防衛軍の各部隊の集結と、徴発の――カイロ市民からの財貨や物資の没収《とりたて》の――完了をまち。
決戦はちかづいているのだ、と都市《カイロ》は認識した。この金曜日。この正午《ズフル》の礼拝式の日。
ヌビア人の奴隷が目覚めた時刻は、しかし日没にはだいぶ間《ま》があった(つまり土曜日にはなっていない)。別室の主人(書家)をのぞいて、ようすをうかがうと、いまだ眠りこけている。いびきの具合からすると、あと一時間は起きそうもない。
安心してヌビア人は寝床を離れ、屋敷のなかの散策に移った。
室外に控えていた使用人に告げると、ただちに風呂《ふろ》が用意された。この巨大な屋敷は公衆浴場《ハンマーム》と同様の構造の浴場を具えている。これまでも、一、二度、書家とその奴隷はお世話になった。食事のさいにも驚いたが、ヌビア人には主人と同一の待遇《もてなし》があたえられている。この邸内に滞在している数日間、ずっとそうである。換言すれば、まるっきり貴人なみのあつかいだった。もともと、ヌビア人の幼児期以来の(その時期に奴隷市場で購入された)主人である書家は、この奴隷の助手としての優秀さと陽性の性格をおおいに評価して、自宅においてはまるっきり家人とおなじように過していたが、現在、この邸内にいるヌビア人はそれ以上に――主人と対等に遇されている。ヌビア人にとっては、幸福であった。連泊《とまり》の勤めだが、なんとやりがいのある仕事! この報酬《むくい》! カイロ有数の芸術家であり、教師でもある書家に事《つか》えて、これほどの厚遇を得ようとは!
屋敷のなかをぶらりと逍遥《しょうよう》しながら、すこしずつ睡眠《ねむり》の残滓《ざんし》をおい払いつつ、浴場にむかう。邸内は宏大《こうだい》で、あきらかに豪商の不動産《もちもの》だった。でなければ、政府の高官か。けれども、宏《ひろ》いには宏いが、それにふさわしいだけの使用人の数は見えない。ふしぎと「無人」の感覚がある。じっさいにはそうではないのだが。アイユーブが去り、ズームルッドが去り、そうして一対の存在めいた美しい男女が――語り手と聞き手が――留守にしている昼間の邸内は、たしかに不在の感覚を強調している。
たぶん、そうなのだ。ヌビア人はものたりなさを、そのように(脳内でもちいる表現は別種のものだが)解釈する。
浴場に足を運ぶ。さらりと湯を浴びて、あがると、清潔な着替えも用意されている。なんたる万全な待遇《もてなし》! 浴室には香料も※[#「火+(生−ノ」、第3水準1-87-40]《た》きこめられている。
ああ、身のまわりの世話をするためにいる奴隷のおれが、身のまわりの世話をしてもらえるとは。
極楽じゃわい!
ヌビア人は中肉中背である。そのからだに、あたらしい衣類をまとう。風呂あがり、こんどは涼みに屋上にのぼった。客人に許されている範囲での邸内の散策をつづけていたのだが、なんというか――外部《そと》にでる以外は――ほとんど許されているようだった。
階段から陸屋根《りくやね》にのぼる。
さしかけ小屋と鳩舎があった。眼前にひろがる景観は、まず、数百の尖塔《ミナレット》として顕われた。それが住居群の高さから天空にむけてつきだしている。ヌビア人は手すりのない平らな屋上の縁に立ち、この邸宅の存在を確認するかのように、中庭《ホシュ》や屋敷の戸口を、見おろした。井戸と家畜小屋、馬丁《サイス》、それから門番。あたりまえのように屋敷は実在しているし、傭《やと》い人たちもいる。ついで、ヌビア人は目をあげる。隣家の屋上に、伝書鳩用の|鳩の塔《ブルジュ・ハマーム》を認める。露台《バルコニー》にもある。あちらの屋上も、こちらのそれとおなじように、鳩や鶏(屋上で飼われている?)の糞《ふん》で汚れているのだろう。近隣の家屋のそうした様相をながめ、幹頂《あたま》をだした樹々(棕櫚《しゅろ》や御柳《タマリスク》)をながめ、鵯《ひよどり》や、腹と胸が煉瓦《れんが》色をした燕《つばめ》の翔《と》びかうさまを認めて、ふたたび尖塔《ミナレット》の林立するカイロ市街地の景観を、見えないものまで見通すようにヌビア人は遠望した。
まずは邸宅の東側、二城間通り《バイナル・カスライン》。そこでは昼間、いつも雑沓《ひとごみ》がある。行商人が街頭で――チーズや漬けもの付きの麺麭《エーシュ》、水、シャーベット水などを――売り歩いている。頭から足さきまで黒装束の婦人たちがいて、両の眼《まなこ》だけをだしている。煙管《キセル》をもって歩いている男たちがいる。男たちのターバンの色で、それぞれの人種や宗派がわかる。混雑した街なかを驢馬《ろば》がゆるやかに進む。詰めものをした鞍《くら》が置かれ、祈祷《きとう》用の絨毯《じゅうたん》がうちかけられ、神学者《アリム》(アリムは ulama の単数形)が乗っているかもしれない。露払いの馬丁《サイス》が、その手に握った杖《つえ》を垂直に立てて、大声で叫んでいるかもしれない。その驢馬が、荷物を大量につんだ駱駝《らくだ》とすれちがう。
目抜き通りのさらに東側にはガマーリーヤ地区がひろがり、隊商宿《ハーン》が密集している。シリア方面への出発点であり、そこは活溌《かっぱつ》な商業地域でもある。しかし、現在、市場《スーク》は混乱している。軍隊の徴発がつづいており、輜重《しちょう》という名目での没収に恐怖している。その事実をヌビア人は知らない。いかに市内での緊迫のどあいが昂《たか》まっているかを、邸宅にこもりつづけて『災厄《わざわい》の書』の創作にたちあっているヌビア人は、まるで知らない。
給水泉《サビール》とクッターブ(コーラン学校)、それから公衆浴場《ハンマーム》。さらに南に視線をむければ、アル・アズハルの大寺院があり、グーリーヤ地区の市場《スーク》がある。屋台の呉服屋がならんで、印度や唐土《シーニー》の商品も陳列されている。そして罪人のさらし場、ズワイラ門。その巨大な二基の塔。
ときにはここで、蛮行と狂気の芽が生まれる。スーフィー教団に所属する修道僧たちが、ときにはここで、数々の奇蹟《きせき》を披露する。
ヌビア人はもっと、もっと遠望する。かすかに、総督《パシャ》が居城とする城塞《シタデル》が見える。その背景にグユーシー山(ムカッタム丘陵)。しかし霞《かす》んでいる。ならば城塞《シタデル》の手前の地区は? そこにはスルターン・ハサン寺院《モスク》と、メッカ巡礼の起点にもなるルマイラ広場がある。この広場では(場所柄には相反して)しばしば不謹慎な見世物がくり広げられる。蛇つかいや、熊や猿などの芸当、あらゆる種類の手品、それに踊り子たちの卑猥《ひわい》な舞踏《ダンス》。
さらに視線を南下させれば、いずれは西方にイブン・トゥールーン寺院《モスク》があらわれる。その一帯に、マグレブ人たちの居住区がひろがる。そこから(もっと、もっと)西方に――そしてカイロの市内側に――ちょっとした弧を描いて伸びているのがフィール池(象池)。岸辺には緑の生い茂る高級住宅街があって、池上の四阿《あずまや》も美しい。
さらに西方。こんどは城壁で囲まれたカイロ市の、まごうかたなき西部。ナイル河にいたるまでに三種類の水辺が出現する。まず、城壁の外側に、その城市の境界線と並行してながれるミスル運河(現在のポートサイド通り)。それから、多数のコプトたちも暮らしているイズベキーヤ貯水池、その周縁地帯。そのさきにナースィル運河。
それから、貿易港のブーラークがある。船着き場と、沿岸の倉庫群が。
それがナイルの河川港であり、ここでもってカイロ郊外地域は、ついに母なる大河に到達する。
エジプトの繁栄の母体にして、主要な交通路、ナイル河が。
以上が、読者よ、われらが愛すべき純然たる脇役、ヌビア人の目をとおしてのカイロの観光案内である。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第八夜は訪れる。
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※[#底本ではアラビア文字の8]
この物語は年代記でございますから、時間の順序というものは、ある程度きちんと釈《と》かねばなりません。すなわち、出来事がいかに生起していったかの順番でございます。わたしは第一の主人公について譚《かた》り、第二の主人公について譚りました。さて、ここに登場する第三番めの主人公は――その名前はサフィアーンと申しますが――誕生《うまれ》はファラーよりも五、六年ばかり後《おく》れ、ですからファラーが二十二、三歳ほどに成長したころにおよそ十七歳となる勘定でございます。
いずれにしても、ファラーとサフィアーンはおなじ時代を生きた人間でした。
サフィアーンはまた、おのれが生まれる何十年とまえから、その宿命《さだめ》に翻弄《ほんろう》されておりました。サフィアーンの生いたちの挿話は、そういうわけで単純に誕生の場面に(十四、五年ばかりを)さかのぼればよいというわけではありません。これをもっと、もっと遡上《そじょう》する必要もございます。いわずもがな、物語《おはなし》というものの拡がりは無限であり、ある人物はその起源《はじまり》を祖父の祖父の祖父にまで、またその祖父にまで過去《むかし》に遡行できますが――しかしすべての起源《はじまり》はアッラーのなされた御業《みわざ》でございます!――ここではサフィアーンの祖父の代より譚りをはじめることにいたしましょう。
では、ビスミッラー(アッラーの御名において)。
われわれは砂漠にさまよいでます。
いまは昔、とある隊商路のかたわらに緑野《オアシス》都市がございまして、サブル(忍耐)とかサッバラー(同義か?)と呼ばれておりました。この都市は貴い家柄からでたアラブ人の王家によって治められ、しかし歴史は浅く、現在の王でわずかに三代めでありました。この三代めのサブル王というのが、ほんとうに高潔な人物で、武勇の誉れが高いうえに善政をしいて、名君ちゅうの名君として民草に愛されます。まさに寛仁大度、清廉潔白。この王のもとで都が繁栄をきわめたのも、当然といえば当然でしょう。都市《まち》として築かれてからわずか数十年と経たないというのに、地の利も手伝って、サブルは第一級の商都に成長したのです。同時に、周辺の邑《まち》まちも武力でもって所有《わがもの》にして、その威光は遠い異郷《とつくに》までもおよびました。
この都の王者には二人の息子があり、年齢《とし》は三つと離れておりませんでした。そこで、サブル王は息子たちがいまだ幼児《おさなご》のころから、「おまえたちには王位を嗣《つ》ぐための平等の機会をあたえるぞ」と告げて、兄と弟の区別《へだて》なしに教育をほどこしました。公平に法律や宗教の先生をつけて、『コーラン』の読誦《どくじゅ》や読み書き、さらに経国の術まで、ありとあらゆる学芸を叩《たた》きこみました。さらに武芸として剣術、馬術に騎射《うまゆみ》、槍術《そうじゅつ》等、もろもろ学ばせて立派な騎士に育てあげました。こうした文武両道の訓育を経て、兄弟は学問才芸に秀で、勇壮無比の獅子《しし》でもある若者に成長したのですが、なかでも兄のほうの王子は君主となるのにふさわしい風格を具えました。しかも、頭脳は聡明、性格も鷹揚で、一歩も二歩も、弟の王子にさきんじていたのです。
そこで、百芸万般のことに通じたこの兄王子のほうが、父親より次代の王として選ばれ、三代めの現サブル王がまだ壮健なうちに位をゆずられることになりました。というのも、王はこの息子とサブルの大君《スルターン》としての喜びをわかち、また兄弟のあいだでの諍《いさか》いが(王位継承に端を発するなどして)起こらぬよう、みずからが元気なうちに目を光らせていたいと考えたからです。ちょうど兄王子は二十歳《はたち》となったところで、この誕生日を記念して、王位に即けるための祭典は執りおこなわれました。兄王子は父親より三種の王の証《あか》し――これは印璽《いんじ》と宝剣、それに数珠《じゅず》でございました――を賜わり、正式にサブルの新王、第四代めの王となりました。世はあげて兄王子の即位を喜び、領地内の街という街が飾られ、ひと月ものあいだ、太鼓がうち鳴らされつづけて吉報が弘《ひろ》められました。また、弟王子はといえば、前王の配慮《はいりょ》によってサブルに隷属する土地のなかでも最大の都市《まち》の太守に任ぜられて、そこに副王として君臨することになりました。しかし、この後|賢明英遇《けんめいえいまい》であった前王は病みつき、いくばくもなく身罷《みまか》ってしまいました。巷間《こうかん》にいいますように、生命《いのち》あるうちに嗣子に王位をわたす大君《スルターン》は、思いがけず薨《こう》ずるものなのです。
父親たる前王が亡き数に入って、しばしは悲歎《ひたん》に暮れた新王ですが、この哀しみからたち直ると本来の仁慈と善行の性格《さが》に目覚め、喜捨の精神によって貧しい人びとを愛し、民草を別《わ》け隔てなしに過し、その天下に徳政をほどこしました。そのため、人民からことのほか愛されて、サブルの都も同時にたいそう栄えました。国庫の潤いもそうとうなもので、じきに前王の時代の繁栄ぶりを凌《しの》ぎます。その羽振りのよさに、臍《ほぞ》を噬《か》む者がひとり。王位を奪《と》り損ねたさきの弟王子です。父親からの機会均等の教育のはてに玉座を射止められなかったのですから、すなおにあきらめてよさそうなものですが、なにやら怨《うら》みを懐《いだ》きはじめます。おればかりが損をした、おればかりが損をしたと、サブルの発展《にぎわい》を見るたびに怨めしがる。しだいに羨望《せんぼう》は腹だちとなって、瞋恚《しんい》ともなって、なにごとも皮相浅薄に解釈して実兄のサブル新王を憎むようになります。その性格《さが》も悪逆に(むろん、もともと資性を秘めてはいたのでしょうが)無慚《むざん》きわまりない人物に変じて、それこそ腹黒い虐政家となって副王の座についた地方の都市《まち》を治めました。
そのようにして十七年がすぎました。四代めの王の仁政のもと、すこぶる栄華を誇るサブルは、天下に類のない商都として遠近《おちこち》から隊商が来たり、往きかい、あらゆる商売《あきない》が繁盛しました。国庫は富みに富み、王はその正義の念のあつさから永久《とこしえ》に敬われつづけるかに見え、都とその属領は安泰に治まりました。サブルの城郭の内側には百一の寺院《モスク》とそれに三倍する尖塔《ミナレット》が建ち、民草はだれもが宗教上の義務を遵守して、治世はイスラームの鑑《かがみ》でもございました。サブルと申しますのは、地下水の豊富な土地柄から緑野《オアシス》都市にふさわしいと規範視、憧憬《しょうけい》視されておりますが、それも当世《いま》にあってこそ、初代のサブル王(これは現在の王の曾祖父《そうそふ》でございます)がこの場所を都とさだめるまでは、わずかに椰子《やし》が茂って小さな泉が二、三、涌《わ》いているだけの無人の荒れ野であったとつたえられておりますから、第一に王族の始祖の慧眼《けいがん》を讃《たた》えるべきであり、第二にその奇蹟《きせき》的な繁栄におおいに驚嘆すべきでしょう。
大廈高楼《たいかこうろう》がたちならぶサブルの君主として、すばらしい治世をなした第四代の王ですが、歳月がながれるなかにもいっこうに解決の目処《めど》がたたない、唯一の悩みをかかえておりました。
まさに玉に瑕《きず》。しかも、その煩憂《なやみごと》は王者としては致命的な欠点でもあります。なにしろ、現在のサブル王には世嗣《よつぎ》ができないのです。即位より十七年、四人の正妻をもち、さらに四十人の側女《そばめ》をかかえながら、ぜんぜん子宝に恵まれない。つとめには毎晩はげんでも、効果というものはございません。精力剤の類《たぐ》いも、さらさら効き目なし。ですから、本人もしだいに諦念《ていねん》つつあったのですが――これについては「インシャラー(アッラーの思し召しがあれば)」と唱えるしかありません――敬度な礼拝のつみ重ねの成果でございましょう、ついに、正妻のひとりで後宮《ハリーム》にむかえたばかりの年若い上臈《じょうろう》が、サブル王の胤《たね》を宿したのでございます。
受胎の知らせが後宮《ハリーム》から王にとどけられると、王は驚喜して天にも昇る心もちとなり、雀躍《こおど》りして浮かれだし、「もしも男子が誕生すれば、いよいよ世嗣だ! こいつは第五代めのサブル王となって一族とわしの血を絶やさずに嗣《つ》ぐわい!」と叫びました。
王は妊娠した妻をいたわると同時に、世間にはこの事実の公表を控え、つとめて平静を装って政事《まつりごと》をつづけました。つまり、いろいろな面倒を避けたのでございます。こうして御殿の外部《そと》の者にはいっさい懐妊の真実を漏らさないまま、サブルの四人めの国王の妻のお腹《なか》はどんどん膨らみ、順調に四月《よつき》、五月《いつつき》、六月《むつき》とすぎてゆきました。アッラーの恩寵《めぐみ》はぶじにこの世に生を享《う》けるかに思われました。
けれども、一族の内側の人間にまで懐妊の事実を秘《かく》しとおせるものではありません。そのために、サブル王はある日の夕刻、御殿の高楼より恐るべき光景を目撃します。それはサブルの城郭の外側にあたかも目の黒みを白みがとり囲むように出現した軍勢、みずからの麾下《きか》にあったはずの軍隊の叛乱《はんらん》の情景でした。
事態《こと》のしだいはこうでございます。いまの四代めのサブル王の実弟、すなわち以前の弟王子であり、現在の辺地の太守が(以下、しばらくは煩雑さを避けるために呼称を「弟王子」で統一する)、御殿のなかに遣わしていた宦官《かんがん》から一大事の出来《しゅったい》を聴きつけ、謀叛《むほん》を画策したのです。というのも、この弟王子は兄のサブル王が子宝に恵まれないために、十七年もただただ副王としてまつうちに、いつしか兄が歿《ぼっ》すれば次代の王座をものにできるはずだと確信しはじめていたのです。なるほど、それは正当な王位継承であり、人倫に悖《もと》ることもありません。このように勝手に期待して、あまい夢を見ていたのに、いきなり(現サブル王の)正妻の妊娠を知らされて、すかを喰らってしまいました。なんたる衝撃! 弟王子は、男児が生まれてからでは手後れと、ついに実力でもって――ようするに武力で――サブルの王者の座を奪うことを決意し、不意討ちをしかけたのでありました。
悪逆さにかけては天下無類の弟王子でしたから、軍隊の将軍たちを籠絡《ろうらく》し、たぶらかし、口車に乗せ、一万ディナールもの賄賂《わいろ》を捏らせ、また統治している都市《まち》の若衆をむりやり徴兵して、ひとりのこらず戦場に駆りだし、軍旗をなびかせてサブルの四囲《まわり》に集結したのでございます。それはさながら、蝗《いなご》の群れがたわわに実った穀物の畑にいっせいに襲いかかるかのようでした。
戦火など絶えてひさしい安定期にあったために、サブルには臨戦の態勢などととのってはおりません。肝腎《かんじん》の守備の軍隊も一部は(サブルの市内にあっても)裏切っておりました。剣と楯《たて》を手にした弟王子を頭目《かしら》に立てて、叛乱軍はたちまち日没をむかえた都城の内部に攻め入り、じつに一万騎が進軍して全市に展開し、荒らし、屠《ほふ》り、サブル王に忠誠を誓った善き軍人たちには激戦を挑み、あるいは弟王子がねりあげた策戦にしたがって背面や側面から衝突し、その晩のうちに御殿の領内にまで怒濤《どとう》のように押し寄せました。
これに対し、兄のサブル王はと申しますと、御殿からやつぎばやに防禦《ぼうぎょ》と反撃の指示をだしておりましたが、ほとんど抗戦もままならず、しかもご本人が勇壮無類の軍人《いくさびと》であり、かつ名将であったがために、もはや逆転は不可と――御殿の高楼から都の内外を見おろして――正確に看取いたしました。「このままでは確実に陥《お》ちるわい」ひとことつぶやき、鉄の鎖帷子《くさりかたびら》を脱ぎ捨てると、重臣とともに急ぎ後宮《ハリーム》にむかいます。そして、この重臣(これは宦官でしたが)に、叛乱劇の契機ともなった身重の正妻を托《たく》しました。三人の腰元が妊婦に従《つ》いて、さらに特別に信頼している将兵に一行を衛《まも》らせて、宦官に導かれた身持ちの王妃は、後宮《ハリーム》から御殿の秘密の裏口に、それから城壁の外側に、夜陰にまぎれて、遁《のが》れました。燃えあがるサブルの市街を背景にしながら。
その火の手は御殿にも迫ります。
後宮《ハリーム》から年若い正妻を、そして正妻の胎内のわが子――御子《みこ》として生まれるはずの胎児《はらのこ》――を送りだすと、ただちに王は、踵《きびす》を返して御殿の広間にもどります。そこから奥の間に進み、王者いがいは鍵《かぎ》をもたない秘密の部屋に、即位のさいに授けられた印璽《いんじ》をその証《あか》しとして、はいりました。
この部屋の壁に飾られていたのは金泥をつかった対句の額ぶち(これはアッラーを讃えておりました)とひと振りの宝剣、それに聖なる数珠《じゅず》でございます。奥の間の扉をうしろ手に閉めた王は、つかつかと壁ぎわに歩み寄り、サブル王の正統の証しとして継承された神器ののこりの二種(宝剣と数珠のこと)を、壁からはずして、部屋の中央に立ちました。まず、床に宝剣を置き、それから数珠を手にして、なんと! それをひきちぎりました。すると、聖《きよ》き念珠《ねんじゅ》は糸から離れて、その数九十九個の珠《たま》はちりぢりに飛び、王の周囲に円を描いて落ちます。すなわち、これらの九十九の珠は魔法陣を作ったのです(ちなみに九十九はアッラーの別称の数に由来する)。摩訶ふしぎな数珠の動きにつづいて、ひと呼吸の間もあらばこそ、王はただちに足もとの宝剣をひろいあげます。柄には橄欖《かんらん》石に真珠、瑪瑙《めのう》、翠縁石《エメラルド》、紅玉、緑閃石《スマラグダイト》等の絢欄《けんらん》多彩な宝玉がちりばめられ、さまざまな名前や呪符《まじない》が刻まれ、純金の鎖が飾りとして下がり、刃《やいば》は見るからに硬い、薄い細身。きらッきらッと燦《かがや》いています。数珠の魔法陣の中心に立って、この宝剣のきっさきを天井にむけた王は、なにごとか力ある詩句《ことば》を唱えると、このように号《さけ》びました。「最高至上のアッラーの命によって、霊剣よ! おまえは刀の姿を捨てて、みずから二本足で歩ける姿に変じよ!」すると、どうでしょう! 宝剣はたちまち把《つか》みどころのない煙に変化《へんげ》し、御殿の奥の間の円天井にむかってたち昇り、ひと柱の鬼神《イフリート》のかたちに凝固《かた》まるではありませんか!
これぞ刃にひそむ霊験《れいげん》でございました。これこそはサブルの王家の始祖であり、初代のサブル王が夷狄《いてき》の平定にもちいた霊剣、ひと振りの刀にして魔妖《まよう》の生命《いのち》ももった神秘の武具。そしてまた、正統のサブル王にのみ順《したが》う「生きた剣」だったのでございます。
恭順の姿勢で主人にあいさつをする鬼神《イフリート》をまえに、サブル王は命じました。「これ、霊剣よ、われらが王家に絶対服従を誓った人外境の魔剣よ、無念だがわしの命数もつきるときがきた。とはいえ、これもアッラーによって運命《さだめ》の書《ふみ》にしるされた事態《こと》。むだにあがいて逆らいはせぬ。しかし、霊剣よ、おまえにひとつだけは托したい。おまえを所有物《わがもの》にする者こそが、このサブルの王家の正当なる後継者。だから、義《ただ》しい方法で王位に即いたのではない、簒奪《さんだつ》の国王詐称者に憤ってはならんぞ。さいわい、わしには正妻の胎《はら》に宿った胤裔《たね》がある。もしも生まれた赤子が男であれば、それが五代めのサブル王、おまえのつぎの主人《あるじ》だわい。よいな、そのばあいは、おまえはその男子が成人するまでまって、十六歳の誕生日に、わが世嗣のまえに出現《あら》われよ。そして、事情を告げて、ひと振りの剣として臣服《しんぷく》するのだ。あるいは、生まれる子どもは女かもしれん。そのばあいは、おまえはこの地上からは滅びよ。けっして僭王《せんおう》の手に落ちるではないぞ。だから、いまは王宮を去れ。去って、地の涯《は》てに潜むのだ。わしの命と祖先の墓にかけて! これが唯一の所望《ねがい》じゃわい!」
このようにサブル王は霊剣そのものの鬼神《イフリート》に依頼しました。
これに対して、鬼神《イフリート》はひとこと、「うけたまわり侍《はべ》り」と申しますと、怪音一声、なにやら怪鳥《けちょう》のように喚《おめ》きまして、その背中より一対の翼を生やし、じっさいに巨鳥のかたちを獲《と》りました。それから、巨鳥(となった霊剣)は王の頭上高く舞いあがると、そのまま金銀の細工をした円天井をつき破って、火の手がまわりつつある御殿と夜空を背景にして翔《と》び去り、はるかカフ山(世界をとり巻いていると考えられている伝説の山)のかなたに消えました。
その直後でございます。ついに叛乱《はんらん》軍の兵《つわもの》千名をひきつれた弟王子が、御殿のなかにのりこんできました。その気配を察して、サブル王は真実の王者しか入れない御殿の奥の間から謁見式のおこなわれる大広間にもどり、空手《すで》のまま悠然と「妬《ねた》む者(弟王子のこと)」をまちうけました。
すると、闖入《ちんにゅう》してきた弟王子とその配下の騎士たちは、手に手に抜刀《ぬきみ》をひっさげて、ただちにサブル王をとり囲みます。たちまち四方、八方から長剣の刃さきをつきつけます。あるいは槍《やり》の穂さきを。そうしてぜったいの窮地におとしいれておいてから、弟王子はずいと歩みでました。
「兄者《あにじゃ》! わしも腹にすえかねたわ!」
「おなじ父母から生まれた弟よ、なにをそんなに妬んでおる?」
「わからんか? なにもかも独り占めにしおって! うぬはサブルの全土《このよ》の王にして、わしはたかだか辺地の総督《ワーリン》か? しかも、こんどは世嗣が生まれるかもしれんだと? もうよい! 兄者の血統《ちすじ》ばかりがよい目を見るのは、もはや堪《たま》りかねる!」
「ふむ、しかし……」
「しかし、なんですね?」
「公平さはあったのではないか? それに、アッラーは奴僕《しもべ》たちを不当にあつかったりはせぬ(『コーラン』の「イムラーン一家」の章の第百七十八節)。これもおぬしの運命《さだめ》よ」
「詭弁《きべん》者! わしは聞く耳もたん!」
いきりたった弟王子は、腹だちのあまり鼻血をしたたらせながら、手下の騎士たちに「殺《や》れ!」と下知しました。たちどころにサブル王は四方からズブリ、八方からグサリとつき刺されて、刃や槍の穂さきに串《つらぬ》かれました。それから、弟王子はみずからの剣をぬき放ち、息絶えんばかりのサブル王の頸《くび》にひと太刀あびせて、これを斬り落としました。
「見たか、ついに! 栄耀《えいよう》栄華のサブルの玉座はおれの所有《もの》よ!」
こうして、正統の王は非業の最期をとげ、みずから王者となる野望に憑《つ》かれた弟王子が王位《それ》を簒奪したのです。
都は完全に陥ち、御殿のなかでは弟王子が高御座《たかみくら》にすわりました。それから僭王にして新王となったサブルの君主は、時をおかずに後宮《ハリーム》の婦人たちの鏖殺《おうさつ》を命じます。前王の血統《ちすじ》が生きのびる可能性を、いっきにつぶそうとして。こんどは五百名の騎士が金襴《きんらん》の帷《とばり》から後宮《ハリーム》に押し入って、この皆殺しを実行に移しました。
まだ暁闇《かわたれ》どきにも至らない刻限に、後宮《ハリーム》にいた婦女子の全員が死に絶えたとの報告が玉座の新王のもとにもたらされ、簒奪者の第五代めのサブル王はにんまりと笑い、この弑虐《しぎゃく》劇の成功を祝いました。それから、夜が明け離れるのをまって、戦火のあおりで燃えあがってしまった大通りや建築物の消火活動を指示して、早急なサブル市内の復旧を沙汰《さた》しました。
この復旧はただちになされ、ひと月と経たずにサブルは商都としての旧来《もと》の繁栄ぶりをとりもどすのですが、いっぽう、荒野に逃げ去った身重の王妃の一行はと申しますと、これらは過酷な流離をつづけておりました。その前方にひらいたのは不運の門だけでございます。第一の災難は、砂漠のアラブ人によってもたらされ、逃避行のはじまりからわずか四日めのことでした。世に「豺《やまいぬ》の涸川《ワーディ》」と呼ばれている谷で、一行は街道の追いはぎのベドウィン族に襲われ、それがあまりにも巧妙な奇襲だったものですから護衛の騎士たちの半数が殺されてしまいました。とはいえ、前王の身重の若妻とその護衛たちは、追っ手の目を逃れるためにはこうした剣呑《けんのん》な場所をよぎるしかなかったのでございます。王妃と腰元たちはぶじで、逃避行のお頭《かしら》でもある宦官《かんがん》に百戦錬磨の将校たちも生きのびましたが、はや三日後にはつぎの苦難に見舞われました。そこは地元《とち》の人間たちから「獅子《しし》の木立ち」と呼ばれている物騒きわまりない茂みで、人喰いの牡《おす》獅子が棲《す》んでいる森でございましたのに、知らずに一行はかたわらを隊をつらねて進んでいたのです。すると、なんと! 突如として茂みから飛びだしてきた牡獅子は、いきなり列の先頭にいた宦官の頭部《あたま》にかぶりつき、喰いちぎってしまいました! つづいて将校二人に平《ひら》の騎士二十人に襲いかかると、これらの大半をずたずたに咬《か》んで断ち切り、血の池のなかに転《まろ》ばせました。どうにか最後にはしとめられて斃《たお》れた獅子ですが、もはや王妃とその腰元たちの護衛の騎士もわずかに数名。みな、絶望して異国《アジャム》をめざしますが、二日も経てば指揮官をうしなった兵隊たちのあいだでは不満が暴威をふるい、士気はおおいに紊《みだ》れ、ついに! 彼らはさらりと忠誠を投げ棄てます。前王が逃走資金として寵臣《ちょうしん》の宦官に預けていた高価な宝石や金子《きんす》の梱《こり》を、それを載せた騾馬《らば》や駱駝《らくだ》とともに掠《かす》めて、女たちを荒野にのこして逐電したのです。
こうして従者の叛乱に遭《あ》い、旅だちからわずか十日も経ずして腰元三名とともに砂漠に抛《ほう》りだされた身持ちの王妃ですが、悲運のなかにもさいわいあり、のこされた驢馬(これは人数ぶんはございました)をそれらの野生《どうぶつ》の本能のままに走らせると、その晩のうちには異国《アジャム》の小さな町にたどりついたのでございます。
「お王妃《きさき》さま、ここはサブルの国土の領外《そと》でございます」と腰元が申しますと、妊婦の若妻は「よろしい。では、この町で宿をとり、産み月まで逗《とど》まって御子を産むことにしましょう。わたしが身につけている頸飾りや腕環といった宝石の数々を売り払えば、たぶん、何年かはこの異邦でも(豊かに、お豪邸《やしき》を借りて)暮らしていけるだけの金高《かねだか》にはなりますわ。ですから、まずは月が満ちるまでは母体《からだ》を大事にして、安産を心がけないと。おまえたちは産婆役になっておくれ」
しかし、弱り目に祟《たた》り目、女四人だけでの異国《アジャム》での暮らしの心細さと望郷の念、それに旅路の途中で遭遇したさまざまな奇禍の痛手から、腰元のうちの二人までが病みつき、そのまま憔悴《しょうすい》して世を去ってしまいました。こうなると、精神《こころ》におおきな動揺をおぼえるのはのこされた腰元と臨月まぢかい王妃です。なかでも、王妃は妊婦にありがちなわるい幻想《まぼろし》を見はじめ、なにごとも悲観し、気丈さはすっかりうしなわれました。なにしろ、かつての王宮住まいからいきなりの流亡《るぼう》の日々と、この転落です。サブルに帰りたい、ああ、サブルに帰郷したいと、そればかりを念ずるようになります。あちらには父母もいれば匿《かく》まってくれそうな一族や従姉妹《いとこ》の屋敷もあります。そこでなら、追っ手にみつからずとも御子を産めるのではないかしら? 素姓を秘めて、肉親に見守られながら産褥《さんじょく》に就けるのではないかしら? こうした王妃の念《おも》いは日《ひ》一日と昂《たか》まり、ついに臨月に達すると、是が非でも故郷で子どもを産むのだと決意しました。
「それに」と唯一|従者《おつき》としてのこった腰元にむかって王妃は告げます。「おまえとわたしの二人だけならば、怪しまれずに都にもどれると想うの。だって――道中の世話役を傭《やと》ってサブルに帰京しても――わずかに三、四名ばかりの少人数でしょう? まさか、それが王妃の帰郷《おくにいり》の行列だとは、だれも認めるはずがないのではないかしら? きっと、ひっそり入れるわ!」
「たいへんけっこうでございますわ!」みずからも望郷の念に駆られた腰元は申しました。
こうして、かならずや正体を見破られずにサブルにもどれるのだとの夢想のもとに、二人は同行者となる世話役の駱駝ひきを傭い、げに密《ひそ》やかに帰郷の途に就いたのでございます。
さて、この駱駝ひきというのは、腰もおれ曲がらんばかりの老爺《ろうや》で、もはや女性《おんな》には興味がないという顔をしておりました。じじつ、これまではそうであったのですが、しかしサブルまでの十日あまりの旅行をつづけるうちに、膨らんだ腹部《はら》こそしているが美しい王妃とまだうら若い腰元の色香にむらむらと欲情をかきたてられ、ついに下袴《したばかま》を三寸ばかりの萎《しな》びた陽根《もの》がつきあげました。十三日め、いよいよサブルの城壁が一行のまえにあらわれて女たちが歓喜の声をあげるなか、老いぼれの駱駝ひきは我慢しきれず、あたりに人気《ひとけ》がないのをたしかめると淫《みだ》らな人非人《ひとでなし》となって二人に襲いかかったのでございます。ああ、なんたる最後の禍《わざわ》い! まずは腰元に躍りかかり、抜刀《ぬきみ》で脅してよこしまな思いをとげ、情交《こと》がすむとこれを斬り殺しました。そのあいだに王妃は極悪人《おいぼれ》のすきを見て逃げだし、騾馬にまたがってサブルの市内に――救助《たすけ》をもとめて――むかったのですが、無念! サブルのぐるりに繞《めぐ》らされた城壁のまさに手前で、腰元を姦《おか》して殺してきたばかりの駱駝ひきに追いつかれました。しかし、都城《みやこ》をまえにして急に悪事の露見する危険に気づき、いきなり怖《お》じた駱駝ひきは、産み月の腹をした王妃は姦さずにズバッとひと太刀で斬り殺して、その遺骸《なきがら》から高価な装飾品をのこらず剥《は》いで奪うと、すたこらと遁走《とんそう》いたしました。
以上は夕刻のことで、惨劇もひと知れず、宵闇に没《しず》んでしまうかに想われました。じっさい、都の城門からは離れた場所にある壁ぎわのこの一角には、人間《ひと》の気配というのはなかったのでございます。
いえ、ございます。
かすかに、人声がいたします。
ほんとうによわよわしい、泣き声が。
その出所《でどころ》は?
死んだ王妃の、その遺骸《なきがら》とおなじ空間。すなわち遺骸《なきがら》のただなか。王妃の腹のした。これはいったい、なんとしたことでしょう? 泣き声とは、嬰児《みどりご》の産声でございました。絶命にいたる衝撃が――奇蹟《きせき》のように――母体に分娩《ぶんべん》をうながしたのか、あるいは――御子を産みたいという――王妃の執念がなした出産《わざ》なのか。老翁に殺《あや》められて頓死《とんし》した王妃の股間《こかん》では、いまだ臍《へそ》の緒でつながれたままの赤んぼうが、この世に産み落とされて呱々《ここ》の声をあげているのでした。
男の子でした。
[#改ページ]
ボナパルトは二つの侵攻ルートを採る。
いっぽうは海上と河川に拠《よ》り、他方は砂漠地帯にためらいなしに突入する。すなわち、攻落したアレクサンドリアから海岸に沿って東進し、ロゼッタ河口を征圧してナイル遡上《そじょう》にむかう――むろん、めざすのはエジプトの首府カイロである――水上の戦艦隊と、もっとも短距離となる砂漠地帯をつきぬけて徒歩《かち》での行軍を敢行する陸上の部隊である。二つの部隊はナイル河畔の町、ラフマニアで合流する。
後者がラフマニア進軍のための本隊となって、四個師団で編制された。十九日(聖遷暦一月十九日。西暦では七月三日)から順次、将軍たちに率いられた数千名単位の師団が出発し、真夏の砂漠のただなかに無謀にものりこんでいって、陸路での行軍を開始した。
そして二十三日。ついに最後の師団がアレクサンドリアを発つ。この師団には、港市アレクサンドリアをわずか数時間で陥落させた征服軍の総大将、ほかならぬボナパルトがいる。
ボナパルトは歩きだす。ボナパルトは砂を踏む。ボナパルトはおのれの夢想の実現のために――まさに道具として、手駒として――はるばるフランス本国から海上輸送してきた三万名あまりの軍隊の、最後の勢力に砂を踏ませる。それはアフリカの砂である。それはアラブの砂である。
掠奪者《りゃくだつしゃ》のヨーロッパ人には無縁の砂。
最後の師団もまた野戦に乗りだす。ボナパルトは夕闇を迎える。行軍する師団をつつんで夜の帳《とばり》がおりる。満天の星空。地平の涯《は》てにまで拡がっている砂の海の天蓋《てんがい》の。ボナパルトは夜行軍をつづける。十六時間後には行程《みちのり》のほぼ中間地点にある緑野のダマンフールに到着する。
いまは迎えたばかりの薄闇のなかにいる。
この時刻。おなじ時刻。
カイロには灯《ともしび》のある夜が訪れている。明るい夜、夜は(月明かりのある晩でもなければ)闇夜であるという常識を、すなわち夜の定義を裏切る夜が。カイロには布告が発せられている。これからは夜間であっても、市場《スーク》と茶屋《マクハー》をひらいて、営業しなければならないと。また、市内の住居《すまい》には夜間になったら、露台《バルコニー》から角灯を吊るして、街路の闇《くら》がりという闇がりを照らしだすようにと。それによって、市民のあいだの友愛の恢復《かいふく》が謳《うた》われた。諍《いさか》いをやめよ、流言《デマ》をとめよ、恐怖と不安と昏迷《こんめい》に乗じた夜盗や殺人鬼の横行を禦《ふせ》いで、追いはぎを排除して、友愛の精神に生きよ、友愛の精神に生きよ、カイロの治安の恢復を!
つまり、治安は擾《みだ》れに乱れていたし、流言《デマ》はあふれ、もめごとは頻発し、そこには友人たちや隣人たちに対する情愛は存在せず、犯罪が猖獗《しょうけつ》して、恐怖と、不安と、昏迷が増水期のナイルのように氾濫《はんらん》していた。
このようにしてカイロから闇夜はうしなわれる。
あるいは、うしなわれることが望まれる。
この時刻。おなじ時刻。
夜に生きる者たちはどうか? われらが夜の語り部とその物語を一冊の本に帰そうとしている聴衆たちは? 語り部は、まだ屋敷の客間にはあらわれていない。すこし時間が早い。アイユーブは、屋敷の使用人たちには(外部《そと》にあって)さまざまな指示を下していたが、軍事的展開のめまぐるしい疾《はや》さとイスマーイール・ベイの側近としての義務《つとめ》のために、自身の訪問は遅れている。緊急の召致《よびだし》で、ズームルッドの譚《かた》りを途中でうち切って屋敷を去らなければならない事態と同様に。そしてのこる|夜の種族《ナイトプリード》の二人、書家とヌビア人の下僕はといえば、ちょうど晩餐《ばんさん》のふるまわれる時間《とき》を迎えて、カイロの昏迷や恐怖や、不安とは無関係に、対岸の火事のように嬉々《きき》として食卓についている。
二人は――ズームルッドの物語がその量《かさ》を減らしつづけていたために――比例して睡眠時間をふやした。ふた晩つづけて。だからこそ意気は軒昂《けんこう》、食欲も増進していた。しかも、屋敷の使用人たちも時間があまりはじめたというのではないのだろうが、食卓の珍羞佳肴《ちんしゅうかこう》はさらに種類をふやした。この日は、主題《テーマ》を定めて料理人が奮闘したのか、食後の菓子類に目あたらしい品じなと群をぬいた華やかさがあった。扁桃《アーモンド》や胡桃《くるみ》をたっぷりまぶして蜂蜜《はちみつ》をかけた菱形《ひしがた》のバスブーザ(セモリナ・ケーキ)やロズ・ビ・ラバン(ライス・プディング)、砕いたココ椰子《やし》の果実を糖蜜で固めて焼いたクナーファ(筒状に巻かれたユニークな形状をしている)といったエジプトの名物はむろん、断食月明けの祝祭で供されるカターイフ(餃子の皮のようなものでナッツ類や干し葡萄、ココ椰子の粉末をつつんで揚げ、シロップを一面に塗りつけたもの)から、大きな胡桃が混ぜこまれたフティラト・ジャザル(人参ケーキ)、何種類もの旬の果物《くだもの》が入った冷たいモハラベイヤ(アラブ世界では広範囲に食べられているババロアで、表面にはアーモンドやピスタチオ等がトッピングされている)、それに揚げたての温かいグラーシュ(薄い生地を重ねて、そこにナッツ類や干し葡萄をはさんだもの。邦訳者であるぼくの個人的な経験を書きつらねるのもおかしいが、日本で市販されている類いの春巻きの皮をつかっても美味しかった。しあげにシロップに浸して粉末状のココ椰子をふるとよい)まで。書家とヌビア人が名前を知らないような菓子もたっぷりあり、それらが種類も豊富で見るからに新鮮そうな果実類に囲われて、一品いっぴんの彩りをきわだたせている。
甘さに気も狂わんばかりになりながら、二人は最上の菓子を堪能した。
食事を了《お》えてひと息つき、さらに最後の一杯の珈琲《カフワ》も飲み干したヌビア人は、主人のカップの底をのぞきこんだ。そこにのこった飲みかすで(いわゆるトルコ式コーヒーのため、カップの下部に澱がたまっている)、占いをする。過去、現在、はたまた未来の吉凶を。
「どうだ?」と主人の書家が訊《き》いた。
「大吉ですぞ!」と奴隷のヌビア人は破顔して答えた。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第九夜は訪れる。
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※[#底本ではアラビア文字の9]
砂漠のただなかの都《サブル》にあって、日もとっぷり暮れてから、城門のそとを徘徊《はいかい》している者は善《よ》きムスリムのなかにはありません。せいぜいが夜盗の類《たぐ》いに野獣《やじゅう》ばかりでございます。ですから、極悪人の老いぼれ駱駝《らくだ》ひきに殺《あや》められた王妃がその執念でもって赤子を産み落としても、肝腎《かんじん》の生まれたての生命《いのち》が余人に発見される可能性《みこみ》は、ふつうに考えればほぼ絶無。あたら曠野《あらの》に抛《ほう》りだされて、翌《あく》る朝には絶え入るだろうと想われます。
なにしろ、冷たい母親の屍骸《しがい》の股間《また》にあって、とりあげる者もなければ、温かい母乳《ちち》もあたえられない。腹を減らして、この世に生まれ落ちてから何時間かのあいだは泣いておりましたが、はなからよわよわしかった呱々《ここ》の声はついに絶え、嬰児《みどりご》はうんともすんともいわずに――睡り――熄《やす》んだのでございます。
さて、運命の悪戯《いたずら》と申しましょうか、野獣《やじゅう》と夜盗ばかりしか徘徊しない深夜の町外れに、まさに当の山賊がひとり、めぼしい獲物はないかと鵜《う》の目鷹の目であらわれました。これはアル・ヤマン出身の大男で、砂漠から砂漠へと渉《わた》り歩き、いまでは二年まえからサブルの街道の西や東、北や南を縄張りとしておりました。なおかつ、サブルの市内の悪党どもにも縁故《コネ》のある野盗でございました。ぎょろりぎょろりと大きな目玉を動かして、どんな小さな宝物《おたから》でも見逃すまいとうろついていた大男の山賊が、まず一番めに発見したのは王妃の腰元のしかばね。
「おや、まあ! うら若い乙女が死んでるぜ」
山賊の目に映る骸《むくろ》は、しかも、無残に姦《おか》されて殺された姿。
「なんとも酷《むご》いわい! しかも、こいつは手口からいって素人の仕業《しわざ》。どんないわくがあったやら!」
腰元のしかばねにおのれの与《あずか》れる利益《わけまえ》がないと看《み》てとった大男は、またもや、ぎょろり、ぎょろりと目玉を動かして暗闇の曠野をうろつきだし、探りあてましたのが二番めの屍体《したい》。
「なんてこったい! また女のしかばねだ! どうやら今晩は、自分の獲物をみつけるよりも他人《ひと》さまの狼籍三昧《ろうぜきざんま》の痕跡《あと》をつぎつぎ見せつけられる宿命《さだめ》にあるらしい。おいらに羨《うらや》ましがれってか! しかし、ああ、なんとも陰惨たる現場だわい! この眉目《みめ》よい犠牲者は、どう見たって産み月の妊婦で、おまけに髪飾りから踝《くるぶし》の輪っか(金銀製の飾りで、女性が歩くたびに音を響かせる)まで値の張る装飾品はあらかた剥《は》がれてらあ。おいらの獲物はのこっちゃいないのかな? たとえばきれいな赤子でも産んでるとか――」
それから山賊は恥知らずにも死屍《なきがら》の着物の下袴《したばかま》のあたりをもちあげてのぞきこむと、なんと! 瓢箪《ひょうたん》から駒がでるとはこのことです。山賊の蚤《のみ》とり眼《まなこ》が三番めに見いだしたのは、これもまた死んでいるかのように見える赤んぼうでした。山賊が驚いて鳥のような喚声をあげると(これは魔神の言葉を暗示する)、その響きのよこしまさに叩《たた》き起こされた嬰児は、ついに、ぱっちり、眼《まなこ》を開けてギャアと泣きました。
「あれ、まあ!」と、あっけにとられた山賊はつぶやき、それから赤子を観察して、「しめしめ」といいました。
「これは銀貨一枚ぶんにはなるわい!」
そういって、この大男の盗賊は(いまだ母親につながっていた)臍《へそ》の緒を短刀でスパッと断ち切ると、拾いあげた嬰児をおのれの破《や》れ衣《ごろも》の裾《すそ》につつんで、王妃と腰元の無残ななきがらはそのまま、サブルの都城の内側《なか》にむかったのでございます。
さて、盗人《ぬすっと》と腹を減らした野良犬ばかりしか走らない夜深《よふ》けの街路をひとっ走りしますと、横丁から横丁にぬけて、アル・ヤマン出の山賊はとある老婆の家の戸口を叩きました。「お姐《ねえ》さん、あっしですよ、籠脱《かごぬ》げ男のハーリドですよ。きょうはいいものをおもちしましたよ」
すると、「なんだい?」といって顔をだしたのは、サブルの泥棒《ものとり》や詐欺師のあいだでも最悪の精神のもちぬしと評判の、いやらしい目と鼻と口をした性悪婆《しょうわるばば》あでございます。
「赤んぼうですよ。それも十五夜の満月のように美《うる》わしい、しかも生まれたてでそれこそ臍の緒も切りたてっていうホカホカの赤ちゃんですよ!」
「ほんとかね? どれ、見せてごらん」といって、老婆は訪れた山賊から嬰児をうけとり、ひと目見るなり「これはしたり!」と叫びました。「なんとも、まあ、まっさらな赤子じゃないか! どうしたんだい、拾ってきたのかい? それとも盗んできたのかい?」
「拾ってきたんですよ。ちょっとした幸福《さいわい》で、都のそとの曠野でみつけましてね。どうか買ってくださいな」
「ちょっとおまち。品評《ねぶみ》が必要なんだからね」
それから狡獪《こうかい》な老婆は矯《た》めつ眇《すが》めつしますが、見れば見るほど、なんとも愛らしい赤んぼうです。照りわたる満月の美を具《そな》えていて、籠脱げ男のハーリドのことばにもいつわりはありません。そこで、品定めを終えた老婆はいいました。
「これは銀貨一枚だね。どうだい、それがいやなら、おまえさんが義父《てておや》になるがいいよ!」
ちょうどおなじ金高《かねだか》を予想していた山賊は、老婆の付け値に満足して、即座に「承知いたしました!」と答えました。
ところで、この老婆が赤んぼうを買っているのは、こういう理由《わけ》でございます。老婆は喜捨《サダカ》(イスラーム教での任意の布施。いわゆる救民税はザカートと呼ばれる)で糊口《ここう》をしのいでいる寡婦《やもめ》を組織して、いわば組合を作っておりました。これは未亡人や離縁された婦人たちの叫乞女《おまんまおくれ》の組合で、老婆はこの組合に加入した極貧の婦人たちに愛くるしい乳呑《ちの》み子を貸しだすのでございます。すると、寡婦《やもめ》たちはサブルの往来でひとの袖乞《そでご》いをしながら、「かわいい子どもが乳も呑めずに、ひもじい、ひもじいと泣いております。わたしたち母子《おやこ》には今晩の食べものを買うだけの小銭もございません!」と切実に愬《うった》えて、往きかう信徒《ムスリム》たちにたっぷり喜捨《サダカ》をねだることができるのです。寡婦《やもめ》たちのなかには幼い子どもをもたない者のほうが多いですし、それに、ご存じのようにふつうの母親というのは邪眼にさらされるのを懼《おそ》れて子どもには襤褸《ぼろ》ばかりを着せ、風呂《ふろ》にも入れない薄汚い容姿《すがた》で往来にだすように用心しているほどですから、幼子《おさなご》をかかえた物乞いの母親の一部も、ほんとうのわが子は背後《しりえ》や家に隠しておいて、老婆から借りた赤んぼうをだいて通りに立ったりするのです(これによって「妬む者」を喜ばせる行為を避けている)。まわりの子どもが汚らしい連中ばかりですから、老婆の貸しだした愛らしい乳呑み子は、たいそう目を惹《ひ》きます! そこで喜捨《サダカ》をお願いすれば、なにしろ効果は抜群です! 布施《ほどこし》ほしさに手をのばせば――たちまち、十中八九は――お恵みがいただけるというわけでございます。
なんと申しましょうか、美は善行を招《よ》ぶのです。
さて、老婆はこのように貧者のあいだの顔役となって、手数料をとって寡婦《やもめ》たちに赤んぼうを貸しだしておりました。老婆の登録した赤んぼうというのは何十人もおり、奸智《かんち》に長けた老婆はさらに組合に入っている女羅斎《ものもらい》の数をつねに調整して、サブルにある二十と一つの通りのめぼしい場所に彼女たちをかちあわないように送りだして、効率をつねに考えて稼がせました。これは類を見ない珍商売でございましたが、なにしろ大当たりをとり、手数料を歩合制に変えてもおりましたので老婆はたんまり儲《もう》けたのでございます。
じつに、なんともはや、亡き前王の正妻がみずからの生命《いのち》とひきかえに産み落とした嬰児は、この婆《ばば》あの手にわたったのでございます。
「さてさて見ればいちだんと美しい赤んぼうじゃて」と、老婆は山賊のハーリドを夜闇のなかに追い返すと下衆《げす》に笑って独りごちました。「これこそ輝く顔《かんばせ》だねえ。稼ぎもずぬけてよろしいだろうや。こういう子どもにはなるたけ響きのいい、きれいな名前を、それこそ王族の一門にもふさわしい高貴な名前を授けなくちゃね」
そうして老婆は、その晩のうちに、じっさいに王族の裔《すえ》である赤子に、サフィアーンと命名したのでございます。
拾い子はサフィアーンとなったのでした。そうして何人もの――いえ、何十人もの――女羅斎《ものもらい》たちの腕にだかれて、寡婦《やもめ》たちの(大半がほんとうは母乳《ちち》などださない)胸もとにしがみついて、乳房に顔をうずめて、サブルの二十と一つの通りに立ちながら生《お》い育ちました。さらに老婆の予想《みこみ》どおり、サフィアーンは稼ぎました。貧者にほどこすのは善きムスリムの務め。サフィアーンの比類ない愛らしさはたっぷり布施を抽《ひ》きだして、ほかの(貸しだし用の)赤んぼうとは比較にならない儲けをもたらしたのです。たっぷり喜捨《サダカ》を稼いで、と同時に、たっぷりの邪眼にもさらされましたが、アッラーより授けられた天運のすばらしさに相違ありません。悪魔の目《まな》ざし(邪眼、すなわち嫉視)などものともせず、無病息災に成長しました。
預言者(このかたにさいわいあれかし!)の戒律によって授乳の期間は二年半とされていますが、サフィアーンは三歳すぎまで乳児といつわって、サブルぜんたいの喜捨《サダカ》の何割かを占めてしまうかの勢いで無数の「義母《はは》」の愛児を演じました。また、総元締めである老婆をも義母《はは》と呼んで、あまり疑問をいだかずに育ちました。いっぽう、やり手|婆《ばば》あはといえば、わずか銀貨一枚の資本《もとで》でたっぷりの金貨をもたらしたサフィアーンのことは、そこそこ目をかけてやって、ほかの赤んぼうのように虐《いじ》めはしません。このようにして、サフィアーンは不幸とも幸福ともいいかねる境涯のなかで、老婆の女羅斎《ものもらい》の組合での役割を卒業したのです。
すると、三歳《みとせ》の童《わらべ》となったサフィアーンはどうなったかと申しますと、こんどは義母《はは》となった老婆の亭主に預けられました。この亭主というのがまたサブルでも十本指には入る悪党で、いかさま師の親方です。女房と同様、自分の手はいっかな汚さないで、組織からの上納金《みずあげ》でのうのうと暮らしております。さて、その組織とは? なんたる非道の業《わざ》、これが孤児《みなしご》を集めた組織でございまして、奴隷のように働かせているのでございます。その構成の半数は女房の女羅斎《ものもらい》の組合から役目を卒《お》えてながれてきた童《わらべ》、また半数は盗んだ自由人の子どもなど(購入した奴隷ではないとの意)。たとえば、サブルを舞台にしたさきの戦乱(と申しますのはサブルの前王とその弟の、最終的には王位簒奪にいたった例の戦争でございますが)にて多数の遺児がでたさいには、この子どもたちの財産を掠《かす》め奪《と》り(孤児の財産を奪うことはイスラームの最大の悪行のひとつ)、なおかつ親のない幼童の類《たぐ》いを組織の一員として束ねたのです。
親方が孤児たちに手ずから教えこみますのは、大通りでの掏摸《すり》に空き巣狙い、旅籠《はたご》などでの枕探し、さらには四十八通りの詐欺《ペテン》の技術、その初歩《いろは》。脅すだけ脅して訓育し、実践をつませ、いかさま師としての才能のない子どもには駿才《しゅんさい》の子どもの仕事のさいに警備の役人らの目を惹きつけるなどの役割を負わせて、白波《しらなみ》稼業にいそしませたのです。
この親方がサフィアーンを預かり、サフィアーンの義父《ちち》となったのでございます。
こうしてサフィアーンは、三歳をすこしばかりまわると孤児のいかさま師集団の一員となり、昼は終日《ひねもす》、夜は夜もすがら、親方の義父《ちち》に命じられて働かされて、サブルの市内を東奔西走し、四歳、五歳、さらに七歳、八歳、それから十歳、十一歳、ついには十三歳、十四歳、そして齢《よわい》十五を数える少年に育ったのでした。
満月のように美《うる》わしい面《おも》ざしをした幼子《おさなご》は、長じて、いかなる成熟を見せたでしょうか? ひとことでいえば完璧《かんぺき》でございます。その瞳《ひとみ》は純粋なまでに黒々と輝いて、眉《まゆ》は弓形、唇は珊瑚《さんご》のよう。さらに頬は薔薇《ばら》色に照りわたって、竜涎香《りゅうぜんこう》とまごうばかりの二つの黒子《ほくろ》を具えております。それこそ、あらゆる人びとの魂を奪うような魅力を放っておりました。これがいったい、サブルの最下層の身分に生きる若者でしょうか? まさに完全無欠の極致といえる眉目《みめ》かたちでございました。
容姿《すがた》の秀麗さばかりではありません。非のうちどころがないのは、その才能《なかみ》においても同様。いまではすっかり詐欺師や盗掠屋《ものとり》としての技術《わざ》を磨いて、生まれついての機才と智慧《ちえ》を発揮して、いかさま師の組織内での稼ぎ頭《がしら》となっておりました。なにしろ他人《ひと》を魅了してやまない端正な容貌《ようぼう》に、弁舌もさわやか。サフィアーンに瞞《だま》されないサブルの金満家はいないとうわさされるほどで、その詐術《いんちき》はほとんど神業。まことに巧妙をきわめました。しかも、サブルは域内で最大の繁栄を見ている商都ですから、新参者にはこと欠きません。おなじ手口で何度も――商売のためにやってきた財産家や市場《スーク》の新顔に――一杯食わせて、がっぽり大金をせしめました。盗みの手腕《うでまえ》も同類ちゅうの白眉《はくび》で、押し入り強盗では役人たちにけっして捕まらず、機会《しお》を見るに敏、どんな高い塀でも乗り越えて、陸屋根《ろくやね》から陸屋根へと跳び移り、あちらこちらの宝物庫《ほうもつぐら》を荒らして、おびただしい収穫《みいり》をあげました。
しかも、その性格《きだて》といったら! これまた天与の徳性と申しましょうか、あきらかに寛氾大度の実父(弑された前サブル王)の骨柄《こつがら》を継いでのことでありましょう、闊達《かったつ》にしてすこぶる鷹揚《おうよう》でありまして、身内には忠義に篤《あつ》く、弱きをたすけて強きをくじく義侠《おとこぎ》にも富んで、このまま成長したならばいずれは義賊としておおいに名を揚げるに相違ありません。このような性情でございましたから、いかさま師の仲間である孤児たちからは絶大きわまりない信頼をあつめて、ほんとうの兄弟《アフ》として慕われました。
それでは、義父《ちち》や義母《はは》は? その態度やいかに? これが、第一にサフィアーンの稼ぎに満足してほくほく顔。接しかたにもいっそう情愛がこもりはじめ、第二にサフィアーンが自慢の息子――義子《むすこ》――となって親ごころに目覚め、第三にサフィアーンのすばらしい人品《じんぴん》に日々ふれるうちに、すっかり本人たちも感化されて、なんと! ペルシアやシンド(現在のパキスタン南部)の異教徒が廻心《かいしん》してイスラームの信仰の道に入ほうに、それまでの悪辣《あくらつ》な本性《さが》をあらためて、おなじ任侠道に践《ふ》みだします。あまりの義子のできのよさに、ついには破廉恥漢も性悪婆あも、ほんものの愛情に開眼してしまったのです! ああ、あふれる親愛《しんあい》と家族愛! こうして、非道の組織であったはずのいかさま師の一党――数十人の親なし子とその親方、親方の女房――は、じっさいの血縁などは皆無でありながらも鞏国《きょうこ》に結束した「一家《アーイラ》」となって、まことの情愛という絆《きずな》でむすばれた盗人《ぬすっと》家族に変じたのです。
サフィアーンを紐帯《ちゅうたい》とした大家族に。
さて、こうしてサフィアーンは十五歳の美《うる》わしい若者として、家族や詐欺《ペテン》の相手かたを魅了しながら毎日を暮らしたわけですが、ある日、いつものように義母《はは》親に贓品《ぞうひん》(これは宝石やら金銀の容器《うつわ》でございました)をわけておりまsと、だれやら家の門を叩《たた》く者がおります。「どちらさんだい?」と義母《はは》がたずねると、「あたしですよ」といって顔を見せたのは近所のお婆さんです。この訪問者はサフィアーンの義母《はは》の親しい友人で、その亭主は往時の大泥棒、本人もまた全盛期には女衒《ぜげん》同様のいかさま師として知られた老媼《ろうおう》でございました。
「おや、あんた! どうしたんだい? その泣きっ面《つら》は?」
「こいつかい? こいつは悔し涙さ! じつは、これこれしかじかなのさ!」
痛恨に絶えないという表情で家《うち》にあがってきた老女《うば》は、サフィアーンの義母《はは》に問われるがままに事情のいっさいを語りだしましたが、これによりますと経緯《けいい》は以下のとおり。かつては裏稼業で浮き世をしのいだ老女《うば》とその亭主でしたが、いまでは隠退して、いちおうは堅気《かたぎ》としての生計《くらし》を営んでおりました。と申しますのも、年老いた亭主の泥棒《どろぼう》としての腕は鈍《なま》り、女房は女房で、悪智慧もとんと往時の冴えを見せられないようになっていたからでございます。けれども、以前は評判《なうて》の大盗賊、その亭主はかつてサブル一といわれたユダヤ人の宝石商から世にもめずらしい宝石を掠《かす》め盗《と》ったことがあり、これを資金《もとで》に安穏と余生を送ろうと考えていたのでした。なにしろ、宝石と申しますのは白いエメラルド二|顆《か》からなる一対の耳環で、十万ディナールには値しようという代物だったのです! 老夫婦が年金代わりに貯えを殖《ふ》やす資本《もと》にするには、この耳環以上のものはございませんでした! ところが、この老女《うば》がサフィアーンの義母《はは》のもとを訪れる数時間まえ、老女《うば》の家にサブルの近衛《このえ》隊長が武装した警吏四十人とともにやってきて、いきなり家捜《やさが》しをし、白いエメラルドの耳環を発見すると没収してしまったのです。
「あの犬の息子の、下衆《げす》野郎の、地獄の魔神《ジン》よりも腹汚い近衛隊長め!」と客人《まろうど》の老婆はサフィアーンとその義母《はは》のまえで毒づきました。「あたしの亭主が酔っぱらって、ゆうべ、町はずれの居酒屋でその日に遇《あ》ったばかりという飲み友だちに『おれは最上等の貴婦人用の耳飾りをもっていて、これはこの世にまたとない、一対の珍宝でできた財宝《おたから》なんだぞ!』なんて吹聴したらしいのさ。ああ、アッラーは酔っぱらいを永遠に呪いたもうといいよ! そして戒律やぶりの居酒屋に殃咎《わざわい》あれ! その話を聞いた飲み友だちというのが、じつのところ近衛隊長のいちばんの手下でね。けさになると親玉《おかしら》の近衛隊長めに報告したんだよ。あの極悪非道の下衆野郎をうわさに聞いたことはないかい? いまのサブルの王さまに任命される以前《まえ》は、あいつはお役人どころか街道すじの野盗でき、十人ばかりのクルド人と組んで追いはぎと馬盗人をやっていたんだよ。それが、あん畜生! このあいだ夜警頭に持たてられたと思ったら(犯罪者をもって犯罪者を制する政策の一種)、しまいには近衛隊長に出世して、むかしは交際もあったあたしの家に、武装した四十人の部下といっしょに押し入りやがった! それから、特権をふりかざして、財宝《おたから》の白いエメラルドの耳環を奪《と》りあげて私物《わがもの》にしちゃったんだよ!」
「だけど、そりゃ違法じゃないの!」とサフィアーンの義母《はは》は叫びます。
「あたりまえだよ! 当然至極のこんこんちきさ! もう、これがほんとうに酷《ひど》い手口《やりくち》でね、あの野郎ったら『裁判官《ガーディ》に訴えるなら、こっちも手をまわすぞ!』だって。あの近衛隊長めはね、あたしや亭主がやった往時《むかし》の悪事をもちだして、露見《ばら》すだのなんだの脅して、強引に耳環を奪《と》っちゃったのさ!」
「ひどいね、また、そりゃ。あんたが泣くのももっともだよ」
「でしょう? だろうとも。それで、重ねてあいつがいうにはね、『おい、婆さん、こういう美しい財宝《おたから》はな、じっさいに臈《ろう》たけた若い美人が身につけるのがいいのさ。器量よしの双つの耳たぶに垂らされているに越したことはない。そこでだ、われらがサブルの王さまには(おれを近衛隊の長《おさ》に任命してくださった慧眼《けいがん》の王さまだ!)お気に入りの側女《そばめ》がいらっしゃる。名前を「瞳の涼しさ」といってな、おれはこの珍奇をきわめた宝玉を、その側女「瞳の涼しさ」に捧げることに決めたわい! そうすりゃ、おれはまたもや王さまの君寵《ひいき》を得て、さらにさらに立身出世できらあ! どうだい、婆さん、まいったか! この世に二つとない財宝《おたから》をありがとよ!』」ここまで想いだして語ると、客人《まろうど》の老婆はこみあげる悔しさにおのれの頬を平手でうち、髪をかきむしって「なんてこったい! 莫迦《ばか》にしやがって!」と哭《な》きます。「ああ、ああ、それにしても、あの白いエメラルド! あたしたちの老後の資本《もとで》が! はぎ奪《と》られてしまって、どうしたらいいんだい!」
こうしてサフィアーンの義母《はは》に事情のいっさいを訴え、この老女《うば》はおいおいと泣き叫んで、着ていた衣服《きもの》までびりびりにひき裂いたのです。
親しい友人で詐欺《ぺテン》師仲間でもあった老媼のこの態《ざま》に、たちまちサフィアーンの義母《はは》はいっしょになって歎《なげ》きだし、「ひどいもんだよ! アッラーがどうか犬の息子の寿命をちぢめてくださいますように!」と願いだす始末。当の老女《うば》など、いまやわが手を噛《か》んでおりました。
と、そのとき、悲歎《ひたん》に暮れる二人の老婆の背後から、若者のきれいな声があがります。「おっ母《か》さん!」それはさきほどから老女《うば》の語りに耳を傾けていたサフィアーンでした。「そして、おばさん! そんなふうに絶望なさる必要はありませんよ。相手が理不尽におばさんの財宝《おたから》を奪ったのなら、こちらもおなじように奪い返せばいいこと。近衛隊長の鼻はきっとあかせますとも!」
「しかし、おまえ」と答えたのはサフィアーンの義母《はは》です。「いまごろはきっと、その白いエメラルドの耳環は王さまに献呈されて、側女の『瞳の涼しさ』とやらにわたされているよ。その側女が耳に填《は》めているにちがいない。だとすれば、下衆野郎の近衛隊の長をぎゃふんといわせても耳環はもどってこないし、側女の『瞳の涼しさ』は王さまの御殿の後宮《ハリーム》にいて一歩も屋外《そと》にでることはないだろうから、そいつを――女にしろ耳環にしろ――目にする機会もない。瞞《だま》そうったって、ことばも交わせないんだよ!」
「おっ母《か》さん、ぼくはね、このおばさんが不愍《ふびん》でならないんですよ。それに、忘れてもらっちゃこまります。このサフィアーンこそは騙《かた》りの大御所、その道の大家として知られている自慢の息子じゃありませんか? どうして後宮《ハリーム》の側女の耳たぶから一対の耳環を盗みだせないなんてことがありましょうか?」
「それじゃあ、おまえ、やれるのかい?」
「やれますとも! 第一級のいかさま師の矜持《きょうじ》にかけて、ぼくはやります! かならず、何人《なんぴと》たりとも手玉にとって、このおばさんに奪われた耳環を返してみせますよ!」
さて、ここからサフィアーンの思案ははじまります。なにしろ、後宮《ハリーム》に忍びこむとは、サブルの王宮のもっとも警戒厳重な場所に潜入することです。おまけに、そもそも王宮というのが常時数百人の武装した黒人奴隷たちに衛《まも》られていて、城壁には鉄砲|狭間《はざま》が無数にうがたれ、さらに御殿の屋上に繞《めぐ》らされた胸壁もあり、まさに要害堅固。というのも、現在のサブルの王さまは――すなわちこれが、前王(サフィアーンの実父)の実弟であったサブルの僭主《せんしゅ》でございますが――みずからが簒奪者であったものですから、つねに領内の太守たちの叛乱《はんらん》や大臣《ワジール》たちの蜂起《ほうき》を懼《おそ》れて、いつでも守備《まもり》を固めていたのでございます。この御殿の内側《ふところ》深くに忍び入る方策は、まず容易にはみつかりません。義母《はは》の忠告どおり、はたから見れば不可能な仕事です。しかし、智慧《ちえ》と才覚を頼みに裏社会を生きぬいているサフィアーンは、自分にむかって囁《ささや》きました。「ヤア、サフィアーン! 人間というものは死ねばあの狭い棺桶《かんおけ》にだって入れるんだ。どうして御殿の後宮《ハリーム》のなかに忍びこめないなんてことがあるだろうか?」そして家を離れると、七日と七夜にわたって、サフィアーンは御殿への人間《ひと》の出入りを観察しました。
この一週めがすぎると、サフィアーンは後宮《ハリーム》からでかける類《たぐ》いの女たちと後宮《ハリーム》を訪問する類いの女たちを完璧《かんぺき》に鑑別《みわ》けて、ただちに詐欺《ぺテン》をしかけます。そのまえに、いま挙げた二種類の女たちでございますが、これを縷述《るじゅつ》いたしますと、前者は王さまのお正妻《きさき》や側女たちの腰元で、市場《スーク》での用事などをすませるために外出《そとで》しておりまして、後者は教養ある女歌手《アルマー》の一団(街の淫らな舞姫たちとは異なる、人びとに尊敬される職業楽人の一種を意味する。複数形はアワリムだが、ふりがなはアルマーで統一した)でございました。この女歌手《アルマー》たちは――おそらくは王さまの宴会やお正妻さまがたの気晴らしのために呼ばれるのでしょう――三日に一度はおなじ顔ぶれであらわれて、それも美しい天蓋《てんがい》をつけた驢馬《ろば》の轎《かご》に乗ってやってきます。サフィアーンは二種類のどちらの女子《おなご》も利用し、わずか二日で後宮《ハリーム》に忍び入る計画《すじがき》をたてて、幼いころから幾度となく商人《あきんど》たちを瞞《だま》してきたサブルの市場《スーク》にむかいました。
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善人たちは眠る。不眠症とは無縁であって、恐れはない。たとえば、悪夢に類したものへの怖《お》じ気は。彼らは夜の種族であり、夢は夜の延長である。眠っているかぎり、彼らは夜の胎内《なか》にいる。
午睡であっても――陽《ひ》が高い時刻にも――夢見る者たちは夜に守られている。
物語《おはなし》を蓄積させて。ローダ島の南端に置かれたナイル河の水位計(ナイロメーター)がその氾濫《はんらん》の時期と規模の予知をおこなうように、聴き手の内部で――深い、深い脳内の湖沼で――物語《おはなし》の水位は高まり、洪水がまぢかいことを予言する。
予言する。たとえば、ズームルッドによって譚《かた》られた物語《おはなし》の断片を、再生し、絵と色彩《いろ》と音声に変えて、みずからの過去の記憶と混淆《こんこう》させて、骨牌《カード》を切り混ぜるように淆《ま》ぜて。雑《ま》ぜて。錯綜《さくそう》させて――|いかさま賭博師《シャフラー》のように。
夜闇のなかで眠らずとも、こうして夜の語り部の声はつづいている。声は彼らの内部《なか》に響いている。
だから、夢。
夢を物語り師が指示している。
さて、夢は何人称であろうか?
夢の創造者ははたしてわれわれの脳《こころ》であろうか?
『コーラン』において一人称で語るの神《アッラー》である(これは英訳者の補筆である。意図は不明)。
しかし現実には太陽《ひ》は高い。夜の種族ならざる人間《もの》たちの世界は動いている。アル・アスワド橋に逗留《とうりゅう》するムラード・ベイのもとに、従うべき軍隊がついに集結し了《お》えた。エジプト内閣を構成する知事《ベイ》からは、アリー・アル・タラーブルシーとナーシフ・ベイの二人が(次位の将軍として)加わった。カービン銃の弾薬から大砲《キャノン》まで、必要な物資の調達は完了した。四千騎になんなんとする騎兵隊が出発し、ナイル河上では武装した艦隊が、その乗組員のみならず近衛歩兵《イルダーシュ》も乗船させて発った。
カイロから。北にむかって。進軍をつづけているフランス軍を索敵《さが》して。
総軍を率いるムラード・ベイは、馬上で呵々《かか》と笑い、その肥満した肉体《からだ》をゆすった。
豪奢《ごうしゃ》きわまりない戦《いく》さ装束が強烈な砂漠の陽射しに照り映える。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第十夜は訪れる。
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※[#底本ではアラビア文字の10]
詐欺《ぺテン》の舞台を勝手知ったる市場《スーク》と定めて、サフィアーンは仕事にとりかかりました。その手並《てぎわ》といったら! 第一におもむいたのは、サブルでの商売《あきない》に手を染めてまだ日が浅い香料商の店舗《みせ》。この商人《あきんど》を海千山千のしたたか者ならではの騙《かた》りで翻弄《ほんろう》すると、一時的に店舗《みせ》から追い払って、しかも番頭役を買ってでます(こんな詐術《いかさま》は朝飯まえでございました!)。すると、ほどを経ずして店舗《みせ》にあらわれたのは、後宮《ハリーム》の買いだし係の奴隷女のひとり。この中年の奴隷女は「あら、お若い番頭さん? いつものご主人はいらっしゃらないのかい?」と一瞬いぶかしみましたが、「いらっしゃいませ!」とにっこり笑《え》みかけるサフィアーンの容姿《すがた》にふれると、なにしろ二つとないきれいな顔だちでございますから、たちまち不審の念《おも》いも棄て去ります。サフィアーンの説明《いいわけ》をまるごと受け容れて、この美しい若者こそは香料商に店舗《みせ》を委《まか》されている店番だと納得しまして、長い挨拶《サラーム》をすませると店さきに腰をおろしました。ところで、サフィアーンには有《も》って生まれた麗質《れいしつ》と、それから赤子のころに義母《はは》の未亡人組合の道具となって何十人もの贋母《にせはは》の乳首を吸っていたという育ちがございますから、母性というものには委《くわ》しいわけで、中年の奴隷女もすっかり魅了されてしまい、この店さきで(サフィアーンを相手に)四方山《よもやま》話に花を咲かせました。じつのところ、サフィアーンが巧みに話を抽《ひ》きだしていたのですが、ついに! 奴隷女の口から「あたしは王宮の後宮《ハリーム》に仕えていてね……」ということばを抽きだします。
「後宮《ハリーム》! 御殿の!」
サフィアーンは大仰に声をあげると、あああ! と叫んで、なにやら涙をのんだかのように麗容《かんばせ》を伏せます。驚いて身を寄せたのは奴隷女です。ここでサフィアーンは悲しみに満ちあふれた表情とともに、懐中《ふところ》から一通の手紙をとりだしました。
「あの後宮《ハリーム》にはわたしの母が……しかも病に臥《ふ》せって……この書翰《ふみ》をご覧くださいませ」
いわずもがな、手紙というのは偽造《にせもの》でございます。サフィアーンはすでに――ほうぼうに手をまわして――後宮《ハリーム》の中庭の離れ家に住みこんでいる嫗《おうな》の名前と、その人相をつきとめておりましたので、この情報を活かして術策《はかりごと》を弄していたのです。すなわち、離れ家の年寄りをみずからの母親といつわり、しかも病みついて臥床《ふしど》にいると打ち明けて。手紙は、この母親が書いてよこしてきたものだといい、「いまでは病床に横たわったまま、すっかり気力もつき果ててしまっているとのことなんです! 息子のわたしにひと目会いたいといって、弱気になって……ああ、どうにか後宮《ハリーム》に見舞えないことか……」とさめざめ涙をながします。じつに細々《こまごま》と嘘八百をならべて、しかも正確な老婆の容貌《かおかたち》も語っておりますから、香料商の店舗《みせ》を訪問した後宮《ハーリム》の奴隷女も「そのお婆さんなら、たしかに知ってるよ!」と叫んで、サフィアーンへの同情心からもらい泣きする始末。空事《そらごと》のまやかしに完璧《かんぺき》に陥《は》まります。
「なんとか見舞えるように、あたしが手をつくしてやれたらいいんだけれど!」
「ほんとうですか?」
「もちろんよ。後宮《ハリーム》のなかに入ったら、あたしが手ずから、インシャラー! おまえ様を案内《あない》してあげるわ。けれどもねえ、わかっているとは思うけど、御殿の後宮《ハリーム》には王さまとそのご家族いがい、どんな男性《おとこ》も入れやしないよ。番人の宦官《かんがん》長の目をあざむいて関所《せき》を通過させる手段なんて、あたしには思いつけやしないし!」
「では、もし、わたしがみずから(アッラーの思し召しで!)願望成就のためのひらめきを得て、首尾よく後宮《ハリーム》の関門を通過できましたら、そのときは手引きしていただけますでしょうか?」
「任せときな! おまえ様が宦官長に、どうにか召し捕らえられずに通廊をぬけられたら、あとは後宮《ハリーム》の構造《つくり》はあたしが教えるって!」
そこでサフィアーンは、この奴隷女と後宮《ハリーム》に入りこめたばあいの合図(相手に送る信号《しるし》)を決め、すこしばかり店舗《みせ》の香水を売ってから、別れたのです。さて、それからサフィアーンは、こんどは一般の買いもの客として市《いち》の雑踏《ひとごみ》にまじり、商人《あきんど》たちの店舗《みせ》をまわりました。サフィアーンが買いもとめたのは駱駝《らくだ》の轎《かご》の飾りとなる天幕用の布や、絨毯《しきもの》、それも緑と赤にいろどられた特徴的な装飾品《しなじな》です。ていねいに吟味しながら所望の一式を調達し了えると、つづいて市場《スーク》の通りに目をやり、そこを往《ゆ》き来している大勢の通行人のあいだに、頑丈そうな驢馬を連れた驢馬ひきを認めました。
「驢馬ひきさん! あなたにアッラーが恩恵《めぐみ》を垂れたまいますように!」
すると驢馬ひきもまたサフィアーンを認めて、たがいに会釈《えしゃく》をして長寿を祈り、「お若い旦那《だんな》、驢馬ひきにどんな御用がおありかね?」とたずねました。
「この品物をつんで搬《はこ》んでほしいんです。それと、もし、あなたは駱駝用の轎《かご》はもっていますか? あるいは、それを借りだせますか?」
「わっしの白髪《しらが》まじりの顎鬚《あごひげ》にかけて! この駱駝ひきはマフマルの空轎(メッカ巡礼の行列が駱駝にしつらえる美麗な轎)だって今晩ちゅうに支度できるような人物でしてな、なにも心配はござらん」
「それでは、まずはこの金貨三枚を受けとってください。そして、お願いしたいんですが、できるかぎり立派な轎をきょう明日《あした》じゅうに用意してもらいたいんです。しかも、その轎をここに買い揃えてある装飾品《しなじな》でいろどって、準備万端の態勢で、明日のこれこれの時間、しかじかの場所でまっていてもらえますか? そうすると、艶《あで》やかな雰囲気をまとった若いご婦人がひとり、あらわれますので(このかたは御殿に呼ばれた女歌手《アルマー》なんですが)、その轎に乗せて王さまの御殿に送っていただきたいんです」
前金に三ディナールもわたされた驢馬ひきは、ただただ満悦の態《てい》で「合点《がってん》承知ですなあ!」といい、当日の報酬にもおおいに期待して、頼まれた荷物を驢馬につんでサフィアーンのまえから去りました。
市場《スーク》での用事はこれで終わったわけではありません。サフィアーンは最後に、装飾品や衣類の専門店街をまわって女ものの美々しい着物をひと揃い、まるで花嫁にでも買いあたえるように購《あがな》ってから、ようよう帰路に就きました。
その晩、わが家でたっぷりと寝《やす》んだサフィアーンは、さて翌日になると市場《スーク》で買いこんだ女ものの衣裳と飾りものを目のまえにならべ、さらに化粧道具を用意して、いかさま師の義母《はは》に着付けを手伝ってもらいながら指さきをへンナで染め、まぶたの上下をコフル墨で縁どって伸ばし、両|眉《まゆ》をつなげて、髪を編みあわせ、手頸《てくび》には腕環、しろい細頸には頸環、また髪飾りに耳飾りもつけて飾りたてますと、これぞ世に比類なき華やかさ! そこに立っているのは妙齢の処女《むすめ》でございます。いかにも、それはサフィアーンの女装ではありましたが、なんと、まあ! 天国の美少女《ハウリス》にも見紛うばかりではありませんか! この艶姿《あですがた》に、義母《はは》もわれ知らず「アッラーは全智全能だよ!」と叫んで、「おまえはまるっきり、どのような処女《おとめ》よりも美しいね。これじゃあ計略に陥《お》ちない人間はいないだろうさ」とつぶやきます。
「しかし、それもまあ、おまえが元来《もともと》がなみはずれて美《うる》わしい若者で、紅顔|可憐《かれん》であるからこそだけれどね。ああ、あたしもすてきな義子《むすこ》をもったもんだ! そうそう、おまえにサフィアーンって名前をつけたのはね、王侯《アカシラー》の末裔《すえ》とも思われるような響きをあたえたかったからなんだけど、こりゃどうだい! おまえはほんとうに、いつだって素の容姿《すがた》のままで貴公子然として、まるで真実《まこと》の王子さまのようだよ! ああ、気高い感じがするねえ。こりゃ、じっさいに王家の所縁《ゆかり》の者だったりしてね」
「まさかあ、おっ母《か》さん!」サフィアーンはこれを聞いてプッとばかりに吹きだしました。
扮装《いでたち》を完璧にすると、サフィアーンは頭覆いをつけ、さらに顔覆いをしとやかに垂らして家をでました。その足どりは金蓮歩《きんれんぽ》そのもの、みごとに美しい、そして女らしい腰のふりようで、ゆさぶられる臀《いしき》の魅惑にどれほどの(通りで行き逢《あ》わせた)男衆《おとこしゅ》がふり返ったことでしょう! そうして女装したサフィアーンがまずむかいましたのは、とあるお寺の境内でございまして、ここでは一人の先生が子どもたちを相手に学校をひらいておりました。先生のターバンはじつに大きい丸木舟型、服装《なり》もぜんたいにしっかりとしていて、街の人びとに「この老人《シャイフ》はなるほど立派な学者にちがいない」と想像させるにじゅうぶんでしたが、目つきはあまりよろしいものではありません。さて、子どもたちに『コーラン』と読み書きを教えていた先生は、寺院《モスク》の中庭をよぎって物腰のやさしい臈《ろう》たけた乙女がちかづいてくるのを認めますと、顔覆いのすきまからのぞいた目《まな》ざしの悩ましさに撃たれて、思わずこんな詩を詠《よ》みました。
[#ここから2字下げ]
なよなよと 歩み寄りしは羚羊《かもしか》ぞ
その瞳《ひとみ》 黒々として涼風《すずかぜ》いだき
こりゃ結構!
自然に媚態《しな》を作っては
白髪《しらかみ》の親父も俘虜《とりこ》にするわい!
[#ここで字下げ終わり]
すると佳人《かじん》に扮《ふん》したサフィアーンは、その詩歌のあまりの下手さに堪《こら》えきれずに笑いだし、「そんな韻も踏まない即興詩では、ほんものの学者ではないとたちまち露見《ばれ》てしまいますよ、お父《と》っつぁん!」と少年《おとこ》の声でいいました。
「なんと! サフィアーン!」
びっくりして叫んだ先生につづいて、生徒であったはずの子どもたちが「お義兄《にい》さん!」といっせいに声をあげました。
「なんとも魂消《たまげ》たわい! どう見ても若い乙女《むすめ》御にしか見えなんだ。それが、驚天! わがはいの最愛の義子《むすこ》とは!」
「まあまあ、声を抑えて、お父《と》っつぁん。きょうは偵察なんでしょう? じつは頼みがありましてね……」
この偵察というのはなにかと申しますと、すでに明白《あきらか》になったように、お寺の境内で学校をひらいていた先生とはサフィアーンの義父《ちち》親、そして集まっていた生徒の子どもたちはみなサフィアーンの義弟《おとうと》に相違なく、こうして変装しながら昼日中《ひるひなか》、真夜中の盗みのための下検分《したけんぶん》をしていたのでございます。と申しますのも、この寺院《モスク》の地所はサブルでも指折りの豪商の屋敷に隣接しておりまして、なにかと寺院《モスク》の境内からは忍びこむ算段をつけやすかったのです。
「おう、頼みとはなんだね?」
教師に扮した義父《ちち》が問うと、いっぽう美女に扮したサフィアーンは「この下見の仕事《つとめ》が終わりましたら、日暮れまぢかい時刻に、これこれの場所で、しかじか……。義弟《おとうと》たちとともに、手を貸してほしいのです」と請いました。
「なに、造作もないわ。ひきうけた!」と義父《ちち》がいいますと、かわいらしい義弟《おとうと》たちも口々に、「お義兄《にい》さん、おいらたちにお任せください!」と答えるのでした。
この寺院《モスク》での用むきを終えたサフィアーンは、またもや奥ゆかしい容子《ようす》でそろそろと歩きだし、街なかにでてゆきました。つづいてむかったのは、前日、金貨三枚をあたえた驢馬ひきに轎を飾って待機しているように指図した場所。目抜き通りから一つだけ入った小路にある給水泉《サビール》でして、その場所には、はたして、指定された時間に驢馬ひきが待機しておりました。みごとな轎を借りだして、天幕も、その他の驢馬の背の馬飾《かざり》も完璧。みごとに指定どおりです。これを確認しますと、サフィアーンは驢馬ひきにちかづき、眉毛と瞳を動かして合図してから――もちろん、相手は即座に気づきました――「それがわたしの轎《かご》ですよ」と(こんどは夜啼鳥《ブルブル》のさえずりにも似た、さわやかな乙女《おんな》の声で)囁《ささや》きました。
「では、あなたが女歌手《アルマー》さまですね。はいはい、承っておりまするぞ!」
こうして驢馬《ろば》ひきを瞞《だま》すと、サフィアーンは轎に乗りこみましたが、すぐには出発させません。しばらくは「のどが乾いたわ」といっては驢馬ひきを水売り《サッカ》のもとに走らせたり、のみならず細かい註文《ちゅうもん》をふやして、薔薇《しょうび》で風味をつけたシャーベット水を買いもとめに行商人のもとにやったりして、周囲《まわり》からは内側がのぞけない轎のなかに逗《とど》まっておりました。そのあいだ、サフィアーンは第一級の盗人《ぬすっと》ならではの鋭い眼光をもって、天幕のすきまからずっと目抜きの大通りのほうを盗視していたのです(むろん、驢馬ひきはこれに気づきもせず、「なかなか手間のかかる、すっきりと発《た》たない乗り手だわい!」とぶつぶつ漏らす程度でした)。
獲物をまち構える視線《まなざし》を放ち、女歌手《アルマー》を装ったサフィアーンが大通りを偵《うかが》いつづけること半時《はんとき》あまり、これはまたなんとしたことか! サフィアーンが予想して狙いさだめた時間、計画《すじがき》どおりの時刻に道路を横切りましたのは、さてもさても、美しい天蓋《てんがい》つきの轎を背負った驢馬ではありませんか! しかも、その轎の装飾《かざり》といったら、特徴的な緑と赤の二色《ふたいろ》にいろどられて一から十までサフィアーンの乗る轎とうりふたつ。そればかりか、あれ、まあ! 双子のような轎の驢馬《のりもの》は、二頭、三頭、四頭とつづいて大通りを横切りました! サフィアーンはこれらを認めるやいなや、いかにも事もなげな調子で「まあ! やっとお姉さまがたがやってらっしゃったわ!」といい、驢馬の口とりに「あれがわたしの歌姫仲間なの。さ、驢馬ひきさん、いよいよ発って追ってもらえますか?」と命じました。「お姉さまがたのあとに従《つ》いて、ごいっしょに御殿に入りますから!」
このようにして追跡は――ほんものの女歌手《アルマー》たちの驢馬に即《つ》かず離れず、と同時に、めだちもしないで繁華な街なみに埋もれ――わずかに距離《きょり》をはさんでおこなわれます。すると、計画《すじがき》はたいへん上首尾に運んでおりますので、驢馬(いまでは直線に列《なら》んで五頭おりました)が王宮めざして走りつづける終《しま》いごろには、日暮れまぢかい時刻となりました。目抜きの大通りはさらに雑沓《ざっとう》し、おりもおり、本職の喧嘩屋《けんかや》のごときが騒動《そうどう》を惹《ひ》き起こして、「なんだなんだ」とばかりに通行人が群がりました。その人集《ひとだか》りに、女歌手《アルマー》たちの驢馬は進行を妨げられて、すっかり歩調《あしなみ》が乱れます。大勢のやじうまが押しかけてできた人間《ひと》の輪を、迂回《うかい》しつつ、群がり集まった人びとの波に逆らいつつ、一頭いっとうが懸命になって前方《さき》を急ぎますが、しだいに列はばらばら。おまけに、騒々しい子どもたちの一群があらわれて、一頭いっとうの狭間《あいだ》にわって入り、間隔をひろげて、あれよあれよという間に、ほんものの女歌手《アルマー》たちが乗った驢馬の一頭を、折れ曲がる小路に(誘導するかのように)押しやってしまいました! なにしろ、背後に群がり集まった人びとが邪魔になり、見当ちがいな方角にむかった驢馬はもとの大通りにひき返せません。こうして後退できない驢馬は女歌手《アルマー》たちの行列から離れ(それどころか、小半時《こはんとき》ばかりも彷徨《ほうこう》するはめになりました!)、そこに数あわせの一頭、すなわちサフィアーンの乗る驢馬が加わったのでございます。
なにしろ、通行人たちの群がりをぬけると、目のまえほ王宮という場所で、後宮《ハリーム》に通う女歌手《アルマー》たちの驢馬と輪の数はぴったり吻合《ふんごう》したのでございますから。
もちろん、あの喧嘩屋や悪戯《いたずら》がすぎる子どもたちは、正真正銘、素顔の悪党《わる》どもかといえばさにあらず、サフィアーンの義父《ちち》や義弟《おとうと》たちの変装だったのです。ようするに、これもまたサフィアーンのいんちき手段なのでした!
というわけで、数を揃えた天蓋つきの女歌手《アルマー》たちの轎は、そのまま驢馬ひきに牽《ひ》かれて御殿の正門を通過しました。それも、怪しまれず、うまうまと! さて、われ知らずサフィアーンの片棒を担ぎました驢馬ひきに本人の期待に応えるお銭《あし》をわたしますと、サフィアーンはさきに輪から降りて集まっている女歌手《アルマー》たちに「野暮用がありますから、さきに行っていてください!」と身ぶりで知らせて(もちろん、女らしい身のこなしで意思表示したのです。それと、サフィアーンはわざわざ仲間の女歌手《アルマー》たちよりも幾分離れた場所に驢馬を停めさせましたので、身ぶりでの合図も怪しまれませんでした)、すこしばかり遅れて後宮の内部《なか》に入りました。
さあ、いよいよ後宮《ハリーム》に潜入して、王さまが溺愛《できあい》している側女《そばめ》に接触し、その耳たぶから白いエメラルドの耳環を奪いとる機会《とき》です! 盗人《ぬすびと》サフィアーンの正念場です。心のなかで「ヤア、サフィアーン! 虎穴に入らずんば虎子を得ずだぞ」と囁いた歌姫を装う若者は、媚《こび》をたっぷり孕《はら》んだ歩行《あゆみ》で、問題の関所《せき》に単身、むかいます。
そこにおりましたのは後宮《ハリーム》の番人の宦官《かんがん》長。ハズラマウトの出身で、語るも憚《はばか》られる立件により十代のなかばに陰茎を斬りとられた侍従です。この宦官長は後宮《ハリーム》の出入りに始終ぎらぎらと目を光らせておりまして、サフィアーンの姿を遠目に認めるや「おい! おまえは女歌手《アルマー》の四人めか?」と問いました。しずしずと歩み寄ったサフィアーンはおじぎをして「そうでございます」と首肯し、立ちはだかる宦官長のかたわらを抜けようとしますが、「なんだ? おまえは見憶えのない顔だぞ? 背もずいぶんと高い。こりゃぜったい、王さまのご命令どおりに肉体《からだ》を調べてみなけりゃ通せん!」と威張って申します。ところがサフィアーンは、ここで躊躇《ちゅうちょ》など一片も示さずにしとやかに顔覆いを捲《ま》きあげ、ちらりと素顔を披露します。すると、なんと! あらわれたのは輝きわたる満月のような乙女《むすめ》ではありませんか! しかも乙女はその着物の裾《すそ》もわずかばかりもちあげて、その踝《くるぶし》や脛《はぎ》かのぞかせれば、これがまた! 燦《きら》めく星のような素膚《すはだ》でございます! その羚羊《かもしか》のようか美《うる》わしさに、宦官長は内心「こりゃたまらん! まれに見る上臈《じょうろう》だわい!」とうなって、遠いむかしに斬られてしまったものも勃《た》つかのような勢い。サフィアーンがほんものの女歌手《アルマー》であると見きわめたつもりになって、なにしろ職務として念頭に置いていたのは後宮《ハリーム》に出入りする女子《おなご》どもの数がきちんと帳尻《ちょうじり》あうかどうかでしたから、「女歌手《アルマー》四名、よし、通過!」といって、女ばかりの園の内部《なか》にサフィアーンを送りだしたのです。
こうして後宮《ハリーム》の関門をまかり通ったサフィアーンは、控えの間に入るや周囲《あたり》をしずしず、そろりと家捜しの目で偵《うかが》い、いちばん近場に見いだした階段から陸屋根《ろくやね》にのぼりました。それから、この平たい屋上を、北むきにとりつけられた差しかけ小屋(マルカフと呼ばれる大きな通用口で、涼しい空気を下方の室内に送るる空気循環システムの役目を果たす)まで忍び歩いて、祈祷《きとう》をあげるように「アッラー! アッラー!」と聖《きよ》き御名を(乙女《おんな》らしい声で)唱えてから三つの足音をたてました(この動作の詳細はわからず)。じつは、これこそが前日に例の後宮の奴隷女と市場でとり極めた合図でして、下方の階でその信号《しるし》を聴きつけた奴隷女は、ただちにやってきて、サフィアーンと落ちあいました。
「あれ、まあ!」
目にしたサフィアーンの女装の美しさに、奴隷女ははッとばかりに息を呑《の》んで、「ほんとうにおまえ様なの?」とたずねるほどでしたが、サフィアーンが(こんどは少年《おとこ》の声で)「いかにも、そのとおりです」と答えましたので、安心して再会とぶじの後宮《ハリーム》潜入をことはぎ、勢いあまって、相手が処女《おとめ》そのままの容姿《すがた》であるからと――あいさつとして――かきいだいて額に口をおしあてました。
「まあ! あたしったら、はしたないねえ」
顔を赤らめた奴隷女は、サフィアーンを約束どおり後宮《ハリーム》の離れ家に案内しようと、相手の手を引かんばかりにして歩きだしましたが、そこでサフィアーンは「おまちください。後宮《ハリーム》の関所をぬけるのもじっさいにたいへんでした。もしも内部《なか》でみつかったら、あなたに甚大な迷惑がかかってしまいます。ですから、ここはひとつ、この屋上から離れ家の場所等を教えていただいて、わたしが独りで後宮《ハリーム》の内部《なか》をぬけるのがよろしいと思います」と申しました。奴隷女はすこしばかり残念にも思ったのですが(この妖《なま》めかしいまでに美々しい女装の若者ともっと時間をともに所有《も》ちたかったのです)、説明《いいぶん》ももっともですので、「そうかい? じゃあ、教えるけどね……」といって、中庭の離れ家の一軒を指し示すとともに、建物内を通りぬけて目標《めあて》にいたるために、後宮《ハリーム》の構造《つくり》をも細大もらさずサフィアーンに把握させ、さらに老母の見舞いがすんでからのために、後宮《ハリーム》に設けられている秘密の出口(この出口の扉はバーブ・シルルと呼ばれ、エジプトでのイスラーム様式の豪邸にはほぼ欠かさず用意された)も教示して、こっそり脱《ぬ》けだすための方策もしこんだのです。
「ありがとうございます。これで希望《のぞみ》は叶《かな》います!」
礼儀正しく答えると、サフィアーンは奴隷女にそれとなく別れを強《し》い、名残り惜しげな奴隷女をさきにたち去らせました。
さて、サフィアーンは、もちろん存在もしていない離れ家の老母を見舞いになどは参りません。たち去った奴隷女につづいて(わずかに間《ま》をおいて)階下《した》に降りるが早いか、その身のこなしをたちまち宝物庫《ほうもつぐら》荒らしのそれに変じて、構造《つくり》をほぼ大まかに把握した後宮《ハリーム》の内奥に進んだのです。それから、サフィアーンは、王さまからあてがわれている側女の部屋の一翼にいたり、扉から扉へと無音《しじま》さながらに趨《はし》って、耳をあてては内部のようすを探り、あるいは盗み見るなどして、側女の部屋というのはじつに百と四十あまりもございましたが、場数を踏んだ一流の盗人《ぬすっと》ならではの直感で! ついにもとめる「瞳《ひとみ》の涼しさ」の寝室の扉を見いだしたのです。こうして、さほどの手間もかけずにめざす部屋にゆきついたサフィアーンは、ついで、最終的にめざしている物品《もの》にも、この場で邂逅《めぐり》あったのです。すなわち、寝室のなかでは王さまの愛妾《あいしょう》「瞳の涼しさ」がすやすやと眠っておりまして、両の耳たぶには白いエメラルドの耳環が填められておりました! ああ、この側女の熟睡《うまい》こそはアッラー(その名を誉めそやさん!)の思し召し。サフィアーンはもとより、女の眼《まなこ》のなかからコフル墨も掠《かす》めるといわれるほどの熟練の技術《わざ》をもっておりますから、寝息をたてている「瞳の涼しさ」を寝床にそのままにした状態で、わずかも本人に気づかれずに――安眠させつづけながら――狙っていた獲物の耳環を一対、左右の耳たぶから抜き盗《と》ってしまいました! さらに、この早業ののち、サフィアーンはあざやかな手ぎわで室内を物色するのも忘れず、この側女が王さまと同衾《ともね》するたびに授けられていた金銀財貨や宝石類を納めた金庫《かねびつ》を掘りあて、胸の衣嚢《かくし》に容れられるだけの値うちものを掠めて、部屋をでました。ちなみに、サフィアーンは贓品《ぞうひん》のしっかりした鑑定《めきき》でしたから、こうして一瞬に盗んだ品じなで、これまでに要した費用(それは驢馬《ろば》ひきに払った金貨などでしたが)におよそ八百倍する収穫《みいり》でした。
さあ、退却です! と、その刹那、おりもあろうに後宮《ハリーム》の関所にあたる宦官長の居所の方角から、なにやら大きな騒ぎが! そうです、あの――サフィアーンのいかさまによって小路に誘導されて右往左往を余儀なくされていた騒馬|轎《かご》の女歌手《アルマー》が――後ればせながらも到着し、後宮《ハリーム》の番人の宦官長とひと悶着《もんちゃく》起こしたのです! 宦官長は「女歌手《アルマー》に五人めはおらん!」と言下に拒絶こそしましたが、それも一時《いっとき》、じきに本人の主張その他から遅れてきた女歌手《アルマー》こそがほんものの四人めであることが判明します。こうなると、たちまち容赦のない波瀾《はらん》の幕開けです! すわ、闖入者《ちんにゅうしゃ》とばかりに捕《と》りもの騒ぎとなりまして、抜刀《ぬきみ》をさげた宦官たちが六十人、七十人と続々|召《め》し集められて、手に手に松明《たいまつ》をもち、後宮《ハリーム》のわずかな闇《くら》がりでも白昼《まひる》のように照らして、狩りたてようと奔《はし》りだしていたのです! まさに四方八方、血眼《ちまなこ》になって奔走しています。不幸にも、サフィアーンのめざしていた|秘密の扉《バーブ・シルル》は反対側の翼廊にあり、しかもそこには禿鷹《はげたか》さながらに群れた宦官たちが! 難を逃れる術策《すべ》を閉ざされたサフィアーンは、しかし才気換発、あわてず騒がず耳をすまして状況に活路を見いだそうとし、そして事実、窮境のなかのひと条《すじ》の光明である音を聴きとります。
これは宴《うたげ》の笑いさんざめき、この後宮《ハリーム》のどこかで盛宴がはられて、廊下での捕りもの劇などわれ知らず関せず、室内で愉快な一席をもうけているのです。サフィアーンは何度も修羅場を踏んだ経験から発達した白波《しらなみ》の本能により、この宴席から漏れだしている歌声や舷《いと》の音色《ねいろ》にむかって進み(走りながらも足音ひとつ立てず、闇に同化しています!)、その部屋の戸口にまぢかい場所にひそむと、しばし好機をまち、やがて宴につらなっている多数の楽人や歌姫のひとりとおぼしい臈《ろう》たけた乙女が退出してまいりましたので、この者が厠《かわや》にたったのをうしろ姿で確認しますと、その者に化けて、舞いもどったかのように宴席に雑《ま》じったのでございます。
じっさい、この宴席には歌と美女があふれておりましたので、いれ替わりたち替わりの麗人《ひと》の出入りは、すこしも怪しまれませんでした。ところで、盛宴のはられている部屋と申しますのが、豪奢《ごうしゃ》をきわめた造作《つくり》に贅《ぜい》をこらした調度品ばかりを揃えた、楽園の玉楼殿《ぎょくろうでん》もかくやと想われるほどの広間でして、あらゆる種類の香水や香木が薫っていてサフィアーンの嗅覚《はな》を驚かせました。また、侵入《たちい》ったサフィアーンの聴覚《みみ》は、ついぞ聞いたこともないようなウード(リュートの原型の絃楽器)やカーヌーン(一種の琴)の――ときには切ない、ときには陽気な――旋律に驚嘆させられて、ふらふらと酔ってしまうほどでした。しかし、なによりも愕《おどろ》いたのはサフィアーンの視覚《め》でございました。サフィアーンは、このきらびやかな広間の奥にある寝椅子に、宴席の主役にちがいない麗女《れいじょ》を見いだしたのですが、横たわったその早乙女《さおとめ》の容姿はまさに明眸皓歯《めいぼうこうし》、窈窕《ようちょう》とした絶世の佳人でございます! なにしろ、サフィアーンがその十五年間の人生でこれに比することのできる女性《にょしょう》の美しさ、愛らしさには遇《あ》った前例《ためし》がありませんし、そもそも穢土《えど》(地上世界)にあるのがふしぎなほどの早乙女で、まさに輝く太陽と形容するほかはなしと思われるほど。栄光そのものの顔《かんばせ》はみずみずしいかぎりです。と申しますのも、この時点ではサフィアーンには知る術《すべ》もないのですが、この宴席の主役の女は芳紀十四歳、まさに美が完璧《かんぺき》の域に達したばかりの若さだったからです。サフィアーンの視覚《め》はこの驚異にふれて電光《いなずま》に撃たれ、痲《しび》れ、と同時に、その口のなかでは幻のように乙女の味覚を感じとっていました。じっさい、乙女はさまざまなあじわいにあふれ、しかも――ちかくに寄らずば嗅《か》ぎとれようもございませんが――その肉体《からだ》からは麝香《じゃこう》や霊猫香のかおりを発散して、吐く息もかぐわしく(これは日ごろから乳香等を噛む習慣があるためか?)、声にいたっては鈴の音さながら。しかも満面にたたえているのは、愛らしいほほえみでございます。サフィアーンはひと目でこの乙女に狂い、擒生《いけどり》となってしまいました。これこそは恋、これこそは運命的な愛情のひらめきだったのです。
ああ、乙女は手頸《てくび》もあらわに、金の腕環がのぞきます。サフィアーンは悩殺されます。うばたまの黒髪、蓄薇《ばら》色に照り輝いている頬、ふくよかな胸! サフィアーンは口にはださずに「ありとある女性《にょしょう》の美を一身にあつめたあの乙女《ひと》は、いったいだれだろうか?」と自分に問い、そうして涌《わ》き起こる烈《はげ》しい恋情に翻弄《ほんろう》されながら聴覚《みみ》に注意おこたらずに働けと命じました。すると、乙女がそばに侍《はべ》る腰元たちから「姫さま!」と呼びかけられている現実《こと》がただちに把握でき、これこそは現在《とき》のサブル王の愛娘《まなむすめ》、血統《ちすじ》も気高い処女《おとめ》のなかの処女《おとめ》なのだと判明しました。
これはただ一人の王女であり、名をドゥドゥといい、そうして――サフィアーンじしんには想像だにできるはずもございませぬが――系譜からいえばこの孤児《みなしご》の若者の実父の弟(現サブル王)が妻に産ませた娘、すなわち、サフィアーンの正真正銘の従妹《いとこ》なのでございました(ここでひとこと附言しなければならないけれども、伝統的なアラブ人の社会では、いとこ結婚が正当的なもの考えられている。伯父または叔父の娘は、アラブ人の男性にとって結婚の権利が百パーセントまっとうに主張できる存在とみなされていて、この男性が「結婚の意思なし」と公言しないかぎり、ほぼ自動的に彼の妻となる。事実上、生まれたときから婚約しているわけである。そのため本従姉妹の間柄にある未婚の女性がほかの(未知の)相手に奪われる事態が生ずれば、これは許婚の男性にとっての最大級の恥辱となって、ばあいによっては部族間闘争の火種ともなりうる。サフィアーンが従姉妹のドゥドゥ姫にひと目惚れしながらも血縁上の関係に気づかずにいる状況は、さまざまな将来的・暫定的な悲運を暗示しているわけである。これを背景のいちばんの壺として読みとらなければならない)!
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10
そしてフランス軍は南下の第一目標に達する。そして切望がナイル河を満たしている。真夏の砂漠をひたすら踏破する行軍は、あまりにも苛酷《かこく》で、将兵たちには刑罰のようにも想われた。従軍者たちは、口のみならず内臓で――細胞で――渇いていて、みじめに衰弱した。水筒はわずかに各自一個のみしか支給されておらず、行程《みちのり》は四日あまりにおよんだ。猛暑のなか、緑野《オアシス》の村に見いだした井戸はほとんど涸《か》れていて、後続部隊となればなるほど、得られる飲料水はゼロにちかづいた。それに将兵たちは毛織りの軍服を着こんでいて(いうまでもないが、これは欧州大陸の気候に適応した代物であって)、状況をより苦痛に満ちたものに変じさせた。しかもライフル銃と荷物を背負っていた。衰弱した肉体は眼の炎症にやられて、日射病は無数の脱落者を生んだ。これがフランス軍の徒歩《かち》の行軍の内実であって、ありていにいえば相当数の死者をだした。アレクサンドリア攻略戦では将兵の戦死《うちじに》はわずかに四十名を数えるだけだったのに対して、決定的な戦術上の失態がおこなわれたかのように――アフリカの砂の海が落伍者たちを呑《の》みこんだ。日中、蜃気楼《しんきろう》は渇きにさいなまれる将兵たちを翻弄した。地平線にあらわれる湖水を信じて隊列を離れた者は、それがわずかに百歩あまりの距離でも、部隊から離脱するやいなや、フランス軍を追いながら砂漠に跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》しているベドウィン族に捕まって殺された。あまりの苦しみに――渇きと餓《う》えの、暑熱の、あまりにも荒寥《こうりょう》な景観がもたらす弧絶感の――自殺者もでた。そこまで到らずとも、錯乱はさほど異常な状態ではなかった。
しかしながら、ついにフランス軍の本隊はナイル河畔の目標地点、ラフマニアの町に到達した。ついに四個師団は砂漠を通過し了《お》えた。順次、このラフマニアに到着し、みな、おなじように歓声をあげて、みな、おなじように行動した。すなわち、将兵のだれもが目のまえにひろがるナイル河に歓喜して、殺到して飛びこんだ。将兵のみならず、馬も、騾馬《らば》も。四日ぶりの豊富な(というよりも無限の)飲み水に、まるっきり全身で浸り、それこそキリスト教の洗礼《バプテスマ》を受けるようにして、渇きを癒《いや》した。口で、膚で。この瞬間、あるいは神を知らなかった革命軍も、エジプト側がみなしているように異教徒と――キリスト教徒と――なったのかもしれない。悲運としかいいようがないが、このラフマニア到着時には、あまりにも急速に水を摂りすぎて死んだり、あるいはナイル河に棲《す》む鰐《わに》に四肢を喰われて、あたら生命《いのち》をうしなった者も多かった。
このような事態。このような事態に、将兵たちは不明におちいっている。なぜ、われわれはエジプトにいるのか? われわれはイギリス遠征軍ではなかったのか? 灼熱《しゃくねつ》といわざるをえないアフリカの砂漠で渇きに煩悶《はんもん》しながらもひたすら前進を強いられ、果てはナイル河でおぼれ死ぬ仲間を見る、その理由《わけ》はなにか? 答えられる者はいない。将兵たちは行動の(すなわち進軍の、この過酷さの)意味するところを見うしなっている。
ボナパルトは見うしなわない。
ゆるぎもしない。ボナパルトは不動である。なぜならば戦術はこの総大将の脳裡《のうり》にこそ描かれている。大局的な展開《なりゆき》にのみ注意を払い、たとえば途中の緑野《オアシス》――ダマンフール――での作戦会議で准将の一人から難詰されても、毫《ごう》も動じない。むしろ動揺する士官たちを叱責《しっせき》する。
戦術に狂いはない。
ボナパルトはあらゆる数字を把握している。数字、それは軍隊の構成員をかぞえる数字でもあるが、しかし個人は軍隊の内部には存在しない。代替不可な「個人性」というものは。
それはボナパルトにとって所有される数字である。
そしてフランス軍は南下の第一目標に達する。この日。そしてナイル河はほぼ予定どおりにボナパルトに見られる。しかし、それだけではない。ラフマニアの町に順次到達して師団ごとに方陣を組んで野営の準備をしていたボナパルトの軍隊は、この日、はじめて東洋の敵の真実の姿をもかいま見る。
直接に接触したのは、アレクサンドリアを第一陣として発ったドセー将軍ひきいる師団である。地平線上に、彼らは十字軍時代の亡霊を認めた。彼らは美しい騎兵隊を砂丘のかなたに見いだした。純血のアラビア馬が豪勢に飾りたてられ、その数およそ八百騎。騎手たちは金銀宝石をちりばめた武具に身をつつみ、旗指物も背後にひるがえる。その優美な戦《いく》さ装束、その時代錯誤の槍《やり》や三日月刀、棍棒《こんぼう》にライフル。鎖帷子《くさりかたびら》の上衣がギラリと陽光を反射する。軍旗は色とりどりにゆれている。これもまた蜃気楼ではないかとドセー師団のだれもが一瞬間、わが視覚《め》を疑った。湖水や緑の樹々をちらつかせた呪わしい地平線の幻想ではないかと、想わずにはいられなかった。
しかし、ちがった。
それこそがマムルークの騎兵隊であると気づいて、ドセー師団はその威風堂々たる印象に圧倒されながらも、戦闘のためのあわただしい準備に入った。ただちに方形の臨戦態勢がとられて、ナイルの河岸に沿って前進してきたマムルークの騎兵隊を――美しい八百騎の衝撃を――砲撃の射程におさめた。
この瞬間に西洋から東洋に目を転じる。
八百騎のマムルーク騎兵隊をひきいていたのはだれか? ほかでもない、エジプト防衛軍の総大将、ムラード・ベイだった。選抜した五分の一相当の軍馬を背後にしたがえて、偵察のために本隊からさきんじて、しかし万全の戦闘態勢をととのえて進軍していた。そして、北上する勢力と、南下する勢力は、ついにこの日、この時間、見《まみ》えたのである。東洋と西洋は――はたして――双方が望んだとおりに――遭遇したのである。
邂逅《かいこう》と形容するのが正しいか。
だが、ムラード・ベイは呆然《ぼうぜん》とした。いっとう絢爛《けんらん》に装ったアラビア馬の鞍上《あんじょう》から、フランス軍の陣を見わたして、その印象にことばも失した。なぜ、彼奴《きゃつ》らはあのようにみすぼらしいのか? ほとんど武器らしい武器もあたえられずに、貧乏人の階級そのままの恰好《かっこう》でナイルの河岸に群れているのは、どのような由縁《ゆえん》か? そして、わしらの部隊をみつけて、まともな応戦の用意もできないのは、いったい?
歩兵どもはなにを意図してあのように奇態に動く?
フランス側の師団がドセー将軍の指示のもと、そして日ごろの訓練によってみるみる六戦列の方陣を組み、第一列、第二列と銃撃の準備をととのえて砲兵隊も配置されるのを正対して前方に望みながら、ムラード・ベイはひたすら疑念に憑かれた。しかし、戦闘ははじまる。
歴史はこの一瞬、咆哮《ほうこう》する。
マムルークの流儀に順《したが》い、戸惑いながらもフランス側の方陣にむかって走りだしたムラード麾下《きか》の先陣《さきがけ》を、近代戦術の流儀にのっとった一斉砲撃が邀《むか》えた。その轟音《ごうおん》。その連続した轟音。つづいて――砲撃を生きのびて、なおも躍りかかろうと突進するマムルークの数十騎を――一斉射撃が饗応《もて》なした。
すべてに衝撃を受けながら、ムラード・ベイはただちに退却の指示を下す。
愕然《がくぜん》とした。偵察隊の八百騎ばかりでなにができる? すでに先陣《さきがけ》の一部の騎士たちは、ためらって後退し、馬首を本能的に廻《めぐ》らしている。諒解《りょうかい》しがたい現実にふれて――これは壮大な陰謀ではないか? との不信感に充たされながら――未知のものの未知であるがゆえの脅威を確認して、歴史の哮《たけ》りを耳にした直後に、ムラード・ベイは判断する。この判断は正しい。なぜならば前線のはるか後方からは、すでにボナパルトが増援隊を組み、掩護《えんご》のために馳《は》せつけようとしていた。
あらゆることに疑心を抱きながら、ムラード・ベイは砂漠の後景をめざして退却する。麾下の美しい軍隊をひき下がらせる。むろん、納得できない。みすぼらしい者が強いという事実が、わからない。それらが戦場での実力《ちから》を有しているということが、ムラード・ベイには理解不可能な神秘としてのこる。たしかに――フランス側の途方もない力量の片鱗《へんりん》は――看《み》てとった。ムラード・ベイは生っ粋の軍人として瞬時に会得はしたが、なぜだ? 善いものと悪いものはそれぞれ美と、醜によって表わされるはずではないのか? これが世界の真理ではなかったか? ムラード・ベイはもういちど、馬上からあの美学的な貧者の群れに目をやる。わずか数分間の東洋と西洋のはじめての接触の、現場に。すると、このマムルーク騎兵隊の総大将の目は、前線にむかって参集しつつあるボナパルトの増援隊を認める。その人海のなかに、ムラード・ベイは見られるはずもないものを見る。前線に達しようとしているフランス側の掩護部隊の、指揮官を確認する。その人物は蒼《あお》い。瞳《ひとみ》の碧《あお》さと顔面の蒼白《そうはく》さ、陰気に考えこんでいるような顔だち、軍服の肩にかかった見苦しい長髪――
それらを、ムラード・ベイは軍人としての心眼でたしかに望見する。
蒼白《あおじろ》い顔をした若者を。
わずか二十八歳の、背丈の低い、痩《や》せた肉体《からだ》の蒼白い王を。
フランク族の王。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第十一夜は訪れる。
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※[#底本ではアラビア文字の11]
サフィアーン、ああ、サフィアーン! われらが主人公サフィアーンは恋に落ちてしまいました。それも宿命の恋、邂《あ》うべくして遇《あ》った相手《ひと》との恋です。しかし、この想いはどうすれば成就するというのか!
身分ちがいもはなはだしい。サフィアーンは忍びこんだ後宮《ハリーム》の内奥の広間で目にした乙女《ひと》が、サブルのもっとも高貴な血統《ちすじ》にある王女そのひとだと知って、うちのめされました。その日、サフィアーンはぶじに目的を達成して、すなわちサブル王の愛妾《あいしょう》「瞳の涼しさ」の両耳から白いエメラルド二|顆《か》からなる一対の耳環を掠《かす》め盗《と》り、のみならず側女《そばめ》の金庫《かねびつ》を物色して多大な収穫《みいり》を手にして自宅にもどったのですが、義子《むすこ》の才腕をおおいに讃《たた》える義母《はは》やその友人の老媼《ろうおう》(この女がもともとの耳環のもちぬしである元泥棒夫婦の片割れでした)の感謝の声も耳にとどかねようすで、ばったり失伸して倒れてしまいます。「おや、サフィアーン! あら、まあ、義子《むすこ》よ! どうしたんだい?」どうしたもこうしたもありません。それは恋の煩悶《はんもん》でした。なにしろ、泥棒と騙《かた》りを渡世としている人間が、サブルの王家の姫と――それも王さまの愛娘《まなむすめ》と!――むすばれるはずもありません。サフィアーンの恋には発端《はじめ》から絶望しかなかったのでございます。にもかかわらず、サフィアーンはほんとうに王女の美貌《びぼう》に擒生《いけどり》になっておりましたので、精神《こころ》と肉体《からだ》は分裂し、気をうしなって倒れてしまったのでした。義母《はは》の介抱によってほどなく息を吹き返しはしましたが、とたんに悲しげな吐息をついて、「ああ、おっ母《か》さん、ぼくは不治の病に罹《かか》ってしまったようです」といって涙をながして悶《もだ》えました。
以来、サフィアーンは憂悶《ゆうもん》からたち直れず、その瞳には昼夜を問わずにドゥドゥ姫の幻が宿り、そのために夜半《よわ》にいたっても眠れず、食事も摂れないありさまなので、すっかり身体《からだ》は衰えてしまい、わずらいの床に就いてしまいました。まさに恋の熱病、まさに死病です。恋慕の想いに五臓六腑《ごぞうろっぷ》をかきむしられ、まぶたの裏側に映るのはドゥドゥ姫の可憐《かれん》にして妖冶《ようや》な容姿、広い世界にも比《たぐ》いのない美女ぶりばかり。「しかし、あの娘《こ》とむすばれることはないのだなあ」と思うと、絶望もいや増して、寝床から起きあがれないばかりか息も絶《た》え絶《だ》え。その面《おも》はやつれ、容色もうつろい果てました。義母《はは》や義弟《おとうと》たちは懸命に看病しますが、いかに彼らが勧めてもサフィアーンは飲み食いもままならず、おろおろするばかりの義父《ちち》は「えらい難儀だ!」と叫んで、さめざめと泣きました。それでも、八方手をつくして、医者という医者をわが家に招きもしたのですが、だれに診察させても病みついたサフィアーンは治せません。ペルシア人の名医もはたまたユダヤ人の護符作りも役にたたず、容態がわからずにいいかげんな処方をするばかり。それもそのはず、サフィアーンをむしばんでいたのは狂おしい恋情でございますので、いかなる医術《わざ》をほどこされても、また護符をあたえられても、癒《いや》されるはずはないのです。なべて治療に甲斐《かい》なし。このようにして数ヵ月がすぎ、恋情に心狂った若者はいよいよ臨終もまぢかの状態に到りました。サフィアーンの耳にももちろん周囲の痛歎《かなしみ》の声はとどいてはいたのですが、しかし、運命の相手《ひと》を忘れ去ることは本人にも叶《かな》わず、愛おしさのあまりに焦がれぬいて、ひたすら魂を火焔《ほむら》で焼かれて、観念して「この苦しみからは――永遠に――救われないなあ!」といいました。
そうこうするうちに、やってきたのはサフィアーンの十六歳の誕生日です。この朝、いつものように病床にあって、きょう明日《あす》にも魂が肉体から離れるのを感じていたサフィアーンは、おいおいと泣いている家族(サフィアーンに死期が迫ったのを知って)に囲まれていたのですが、と、そのとき! なにやら奇ッ怪至極な騒音がサフィアーンたちの家にちかづいてくるではありませんか! それも中空から聞こえます! 羽音のようですが、しかし、耳を聾《ろう》するばかりの大音響。サフィアーンの義父《ちち》や義母《はは》、そして義兄弟《きょうだい》たちが何事かと顔をあげて、いぶかりながら方々を見まわしますと、ほどを経ずして家屋《いえ》ぜんたいがどよめき、屋根がふたつに裂けて、あらわれたのは鵬《おおとり》です! 大きさは二十腕尺(約九〜十メートル)もあろうかと見える一羽の巨鳥で、鋭い鉤爪《かぎづめ》を具《そな》えた双つの肢《あし》を家屋《いえ》のなかにつっこむと、いきなり寝床のサフィアーンをひっつかみ、天空《おおぞら》に舞いあがりました。そして――愕《おどろ》きのあまりに茫然《ぼうぜん》自失の態《てい》の家族の頭上で――二旋、三旋したのち、両の翼をばさばさと羽ばたかせて沖天《ちゅうてん》はるかに翔《か》けあがり、そのまま世界の涯《は》てをめざして飛びだしました!
事態《こと》のなりゆきに唖然《あぜん》としたのはサフィアーンも同様です。なぜ巨鳥? なぜ巨鳥に誘拐される? 蒼穹《そうきゅう》の高みにあって、重い病をわずらっていたはずのサフィアーンも思わず知らず恋の痛手を忘れてしまい、「さらわれて喰われてしまうんだろうか? そんな死にかたはいやだぞ。かといって、こんな高みから地上に落とされてしまうのも絶対反対だ!」とことばを漏らします。悲恋に殉じる覚悟はあっても、怪物の餌食となる意思《こころづもり》はさらさらなかったのでございます。もはやこれまでかと想いながらも、とりあえずは巨鳥の鉤爪のあいだに抗《あらが》わずに身を横たえて、下界のさまざまな風景をながめておりますと(いわずもがな、それはたいそう奇《めずら》しいものでした)、この巨大な怪鳥《けちょう》はやおら下降の態勢に入りまして、みるみる西の山脈《やまなみ》にちかよってゆきました。そうしてフワリと舞いおりたのは、カフ山にもつらなる山系にある、とある高山のいただきです。
「ヤア、サフィアーン! 落っこちずに下界についたぞ! それにしても、ここはいったい世界《このよ》のどのあたりなのかしら?」
サフィアーンが独りごちておりますと、巨鳥は翼をたたんで片肢《かたあし》をあげ、拘束していた若者をそっと地面におろしました。その処置《あつかい》のこまやかさにサフィアーンはたいへんに不審に思って、狐につままれたような表情であたりを見まわしますが、峨々《がが》とした山巓《さんてん》には鳥の栖《すみか》らしきものはありませんし、これまでに獲物とされた人間や動物の屍骸《しがい》もありません。と、そのとき! サフィアーンの眼前で問題の鵬《おおとり》は怪音一声、グオオオオッと魔神のように喚《おめ》いたかと思いますと、その双つの肢《あし》はグングンと人間のように伸び、巨《おお》きな両翼は背中のなかに蔵《しま》いこまれ、嘴《くちばし》はちぢまって目玉は猛禽《もうきん》のそれから人間《ひと》のそれに変わり、両腕まで生えだして、なんと! たちまち巨人のかたちを獲《と》るではありませんか。サフィアーンは肝をつぶして、出現《あら》われたひと柱の鬼神《イフリート》をながめておりましたが、この巨人はアッラーの真実《まこと》の信者としてサフィアーンに会釈しましたので、サフィアーンも会釈を返しました。
たいそう驚きながらサフィアーンが「御身《おんみ》はいったい何者ですか?」とたずねますと、鬼神《イフリート》は「わたしは正統のサブル王にのみ順《したが》う『生きた剣』でございまして、あなた様に事《つか》えるために出現《あら》われたのでございます。これは先代のサブル王にて在《あ》られたお父上からのご命令で、あなた様の十六歳の誕生日に、見参《けんざん》して事情を告げるようにと仰《おお》せつかったのです」と対《こた》えるではありませんか! もちろん、サフィアーンはさっぱり話が呑《の》みこめず、動揺して「はて、ひとちがいでは?」と応《いら》えるのが精一杯。ところが、鬼神《イフリート》はゆずらず、「わたしは十六年間、あなた様に臣服《しんぷく》するために地の涯てに潜んでいたのです」と主張します。サフィアーンはそれえも解《げ》せませんが、目のまえに聳《そび》えるように竚《た》っている巨人がさしあたって自分に対して恭順の姿勢を示していましたので、腰をすえて仔細《しさい》もろもろを聴いてみますと、語るわ語るわ、サフィアーンの父親のまた父親のそのまた父親、さらにそのまた父親にまでさかのぼって、サブルの王家の歴史を始祖の代から語り起こし、サフィアーンにとっては寝耳に水の衝撃の出生の事実があまた、しかも枚挙にいとまがない証左《しるし》の数々とともに釈《と》かれます。
びっくり仰天したのはサフィアーンです。自分の父親がサブルの第四代めの国王であり、道心堅固な人物として天下に徳政をほどこしていた史実《こと》を知り、民草から大王のなかの大王として愛されていた事実《こと》を知って、拾い子のいかさま師が(腰をぬかすほど!)驚倒しないはずはありません。一代まえの王さまの御子《みこ》だって? それも、ただひとりの世嗣《よつぎ》? 王家の嫡子というのが、ぼくのほんとうの素姓だって?
「ほんまですか?」と、泥棒仲間の俚言《りげん》でついつい再度、問いあわせます。
「わたしは嘘など申しません。あなた様の血統《でどころ》はしかじかのとおり。真実《まこと》のみをわたしは解説いたしました。あなた様は王者のなかの王者に列《つら》なった、すなわち貴人のなかの貴人に生まれついた御人《おひと》でございます。そして宿命によって定められた、わたしの主人《あるじ》なのです」
「いえいえ、御身《おんみ》をうたがってはおりません(ただし、ぼくは詐欺《ペテン》師ですから、嘘はしょっちゅう口にしてますけどね)。じゃあ、ふって涌《わ》いた家門と系譜を信じていいんだ! 名家のなかの名家の嫡男《むすこ》だって? 王侯の、それも継承権をもった王家の人間だって? あれ? とすると、鬼神《イフリート》さん、ぼくは現在《いま》のサブルの王さまの甥《おい》ではありませんか?」
「さようでございます」
「となると、サブルの王さまの愛娘は、ぼくの従妹《いとこ》ではありませんか」
「いかにも、然《さ》あり」
この瞬間、サフィアーンの脳裡《のうり》には、夢寐《むび》にも忘れたことのない処女《おとめ》の幻像《アル・ハヤル》が浮かび、またもや身も魂も滅ぼすほどの恋情がよみがえりました。しかし、こんどは! 愛慕の念は希望とともに噴出して燃えあがったではありませんか! 勢いこんで眼前の巨人にサフィアーンがたずねましたのが、「鬼神《イフリート》さん、鬼神《イフリート》さん! それでは教えてください! わたしは正統のサブル王となる人間で、その血統はなんぴとにも羞《は》じる必要がないほどに高貴、現在《いま》のサブルの王女に対しても、身分ちがいなどではさらさらないし、むしろ本《ほん》従妹である以上はこの乙女《ひと》を妻として所望するのはイスラームの法や慣習に照らしても正当、ふとどき千万どころか、これこそが義《ただ》しい行為《こうい》だということですね?」との長台詞《ながぜりふ》。これに鬼神《イフリート》は「しかり、しかり」と対《こた》えます。
ああ、サフィアーンは感きわまって全能のアッラーをほめ讃《たた》えます。なにしろ、恋の障害はとりのぞかれ、ドゥドゥ姫をめとるのも不可能ではないと知れたのですから。妹背《いもせ》の契りをむすぶ方途《みち》もありうる! もちろん、平坦《へいたん》にはゆかぬ道程《みちのり》でしょう。現在の王さまは簒奪者《さんだつしゃ》ですから、サフィアーンの血統《ちすじ》についての主張《いいぶん》を認めず、サフィアーンという存在を無視するはずです。あるいは、素姓を証《あか》した途端に抹殺されるかもしれません。しかし、可能性はあるのです! そして、それが蜘蛛《くも》の糸のように細い光明の条《すじ》であっても、射しこんでいれば万々歳。サフィアーンは詐術《いかさま》と盗掠《ものとり》に半生を捧げてきた筋金入りの白波《しらなみ》として、かならず獲《と》るべきものを奪《と》るという不撓不屈《ふとうふくつ》の精神で、ありとある手練《てれん》に手管《てくだ》、いかさま師としての四十八手をつかって念願《おもい》を成就させる意図《はら》なのでした!
このようにサフィアーンが盛りあがり、恋情をめらめらと燃やしておりますと、巨人の鬼神《イフリート》は「もし、あなた様、わたしは先代に仰《おお》せつかったように事情のいっさいを説き明かし了《お》えましたので、つづいて本来の形態《すがた》にもどり、これまた先代のご命令どおりにあなた様に臣服《しんぷく》いたしたい所存でございます。現在《いま》はこのような巨人のかたちを採っておりますが、わたしは本性においては刀、その所有者《もちぬし》を万夫不当の剛の者に変える霊剣でございまして、これがそもそもサブルの王家の礎《いしずえ》をなしたのです。初代のサブル王(あなた様の曾々祖父《そうそうそふ》でございます)はわたしを手に夷狄《いてき》を平らげたのです。ですが、臆病者《おくびょうもの》にはあやつれない霊剣である事実は無視されてはなりません! その精神《こころ》、勁《つよ》ければ、わたしを所有した人間は豪勇無双の剣士に変ずるのです。あなた様にさきだっての四人の正統の王、四名の主人《あるじ》がそうであったように。さて、よろしゅうございますか? ひと振りの剣《つるぎ》としてあなた様に侍《はべ》っても?」
「それが父上の遺言であれば、むろん!」
「そのほかに願いごとはございますか?」
「ない、ないない、たっぷり吉報はちょうだいしましたよ! 悲歎《ひたん》も懊悩《おうのう》もどこへやら、おかげさまで、はり裂けていた胸もおのずと縫いあわせられてしまったようです。御身《おんみ》にアッラーの祝福がありますように!」
「それでは。御意《ぎょい》」
と、どうでしょう! 巨人はもやもやッと輪廓《りんかく》を喪失したかと思うと、たちまち把《つか》みどころのない煙に変化《へんげ》し、シュウウウッとばかりに中空に――鬼神《イフリート》の臍《ヘそ》のあたりにあった一点に――収斂《しゅうれん》して凝り固まり、はたして! 目も綾《あや》に燦《きら》めいている刀剣のかたちに変じたではありませんか! その変態を完了すると、剣はぽとりとばかりにサフィアーンの足もとの大地に落ちてきました。
まぢかに見たサフィアーンが驚いたことには、その刃《やいば》はさながらダイヤモンドのように硬い、薄い細身でありまして、肉のまえに骨を斬るような鋭さ。あふれんばかりの霊験《れいげん》を宿して、きらッ、きらッと光輝を放っています。しかも柄には絢爛《けんらん》多彩な数々の宝玉が嵌《は》めこまれ、純金の鎖がつながれ、まさに彫琢《ちょうたく》の工《たくみ》をこらした芸術品。鑑定《めきき》の盗人であるサフィアーンの目にも、その価値は(何十万、何百万ディナールであるのか)計り知れません。さて、手に握ってみますと、「おお!」とばかりに顫《ふる》えが賁《はし》ります。サフィアーンはこの瞬間、これなる霊剣を証しとして、いずれはドゥドゥ姫に結婚を申しこむぞと誓ったのでした!
さて、こうして第一にわがみの無事、第二に永遠にはっきりしないと思っていた出自の詳細、第三にすばらしい宝剣をそれぞれ――巨鳥にさらわれたときには夢想だにしなかった結果として――得たサフィアーンは、「では、いざ、サブルにもどろう!」と意思《こころ》決したのですが、はたと窮します。なにしろ、サフィアーンがいるのは大空に聳《そそ》りたった高山の頂上です。「鬼神《イフリート》さん、ここから帰るために、送ってもらえないのですか?」とたずねましたが、答える声はありません。返ってくるのは静寂《しじま》ばかり。「あれ? 鬼神《イフリート》さん? 鬼神《イフリート》さん?」こんどは手にもった霊剣の刃にむかって呼びかけますが、いっこうに返事《いらえ》はありません。
「まさか……鬼神《イフリート》さん、本来の剣のかたちに変身し了えたから、もう口がきけないってことじゃありませんよね? あれ? どうしたら再度あの巨人の姿になってもらえるんだろう……。鬼神《イフリート》さん?」
そうです、サフィアーンはあとさきを考えずに霊剣に霊剣のそもそもの形態《かたち》に還るように下知し、その他の所望《のぞみ》も告げず、また、もういちど形態《かたち》を変えてもらうための方法《てだて》も問わなかったために、往生してしまったのです! なにしろ、霊剣はただの霊剣として侍るように命じられておりますから、これだけが絶対遵守の唯一のご諚《じょう》です。霊剣はその主人《あるじ》に忠実であって、そのために――恋の成就の見通しが突然に立ったことで胸躍らせ、サフィアーンがじゅうぶんな考察、日ごろの深慮もなしに鬼神《イフリート》と問答してしまったために――ただの刀剣に徹していたのです。
それはもはや、耳ももたず、口ももたず、その他の形態《かたち》にも変わりません!
進退これ谷《きわ》まったのは山頂にとりのこされたサフィアーンです。唖然《あぜん》として口を開《あ》け、しばし霊剣の刃をじいっとばかりに見つめておりましたが、元来がきわめて聡明《そうめい》な頭脳《あたま》の回転の速い若者ですから、おちいった苦境の実情について、じきに因果もふくめて気づきました。と同時に、烈《はげ》しい後悔に駆られましたが、臍《ほぞ》を噬《か》んでばかりいてもどうにもなりません。慚愧《ざんき》に前進なし。わが身の悲境をかこつ徒爾《むだ》な時間もあらばこそ、サフィアーンは正統の血の由来を獲得した事実をゆるぎなき希望として胸にだいて、それから惚《ほ》れこんだ王女ドゥドゥの美しい器量を想い起こして、いざやとばかりに出立《しゅったつ》いたしました。
はるかなる故郷をめざして。
なにしろサフィアーンがいるのは世界《このよ》の涯《は》てのような辺境の山岳、しかも高峰《たかね》のてっぺんですから、帰郷の旅路はしょっぱなから過酷をきわめます。七晩八日の旅程でやっと山裾《やますそ》にたどりついて、その間《かん》に口にした食物《もの》といえば大地の草木のみ。渇きを癒《いや》すのは小川の水のみ。しかも、サフィアーンの肉体《からだ》はそれでなくとも極限まで衰えておりましたから、酷烈さに酷烈さを累《かさ》ねたような具合ではありましたが、しかし、先日までの臨終まぢかの状態もなんのその、無類の意志によってサフィアーンは窮境を――肉体《からだ》の衰弱と消耗とはてしない疲弊を――乗り越えます。鞭《むち》うたれる痩身《そうしん》も日いちにちと復調を見せ、わずかな食糧《かて》からも筋肉を生みだし、みるみる肉体《からだ》を強化して、病弱さよ、いざさらば! サフィアーンは故国にむかって歩をすすめ、じつに一年ものあいだ世界を遍歴することになります(これが帰郷に要した道程《みちのり》でした)。そして霊剣をふるって、さまざまな危地を脱するのです。
巨鳥につれ去られたサフィアーンはこんなふうでございましたが、いっぽう、そのあいだにサブルではいかなる事態が出来《しゅったい》していたかと申しますと、これがまたなんと! 若者がおのれの運命に翻弄《ほんろう》されているのと同様に、故郷の都市《まち》もまた運勢《さだめ》になぶられておりました。悪《あ》しき星まわりに苦しんでいたのです。それはサフィアーンがさらわれて姿を消したおなじ週の終わりに、気象の狂いとして顕われました。西よりの熱風が十日もつづけて吹きまくり、気温はたちまち過去に例を見ないほどに上昇して、学者によれば平均が五十度(原文でも摂氏で表わされている)、午《ひる》どきはこれを十度もうわまわる勢いで、陽《ひ》が完全に没《しず》むまでうだるような暑さは息《や》みません。市内の乾燥はおびただしい量の塵埃《じんあい》を生み、伝染病《はやりやまい》が猖獗《しょうけつ》し、ばたばたと人間《ひと》が仆《たお》れました。しかも、こうした現象は後続する天災《わざわい》の前兆にすぎず、サブルのまわりでは(熱風の十日間ののちも)砂塵《さじん》の雲が頻繁にあらわれるようになり、おりから突然、未曾有《みぞう》の砂あらしがこの商都を襲ったのです。それは高さにして天地のあわいを埋めてつないでしまうほどの砂柱、傾斜しながら砂漠を驀進《ばくしん》して、旋風によってわずかな縁も――骨のような樹木の群れも雑草も――根こそぎにして進み、それからサブルにいたりました! 恐怖の塵風は縦横無尽に暴れまわって、大廈高楼《たいかこうろう》を薙《な》ぎたおし、人間《ひと》や馬や山羊や牛をひっつかんで中空に舞いあげ、無残にも地上にバシッバシッと叩《たた》きつけました。家屋の煉瓦《れんが》や木材、その他の建材はこっぱ微塵《みじん》に砕けちり、黒雲は蒼穹《おおぞら》いったいを覆っていましたので、白昼も閉ざされた闇夜に変じ、この惨澹《さんたん》たる国難のはてに、砂あらしは市中をぬけたのです。
それで終鳶《おわり》ではありませんでした。
問題はこれからでございます。都市《まち》から離れた砂あらしは、交易路の数々をずたずたに寸断しながら、地面を抉《えぐ》り、ほじり、大地を刳《く》り、地表にあった砂《いさご》や小石を吹きちらして、ときには徹底して掘り返すようにさえして奔《はし》りました。そして――サブルのさほど遠方ではない砂漠に――荒あらしい爪あとをのこして去ったのです。これも学者達にいわせれば、百年に一度の異常気象。その砂漠の界隈《かいわい》が抉られてほじられた日もまた、気温は五十度に達していたと記録されています。
すべては炎熱の丘十度のなかで起きたのです。
深く、深く、深く――掘られた大地から、砂をはいで遺蹟《いせき》があらわれた運命《さだめ》の日。
たち昇る瘴気《しょうき》とともに、何者かの奥津城《クッバー》が、地中から片鱗《へんりん》を……その宏大《こうだい》な迷宮の一端を……露出させてのぞかせた。
のぞかせたのです。
無に帰した過去をだれが知るでしょう? 滅び去った事柄をだれが知るでしょう? 一千年を経たのです。千載《せんざい》の歳月《とき》を。史録類は皆無、地上には石碑《いしぶみ》ひとつのこされておらず、いっさいが砂のしたに埋もれていた歴史を、だれが知りえるというのでしょうか? 歴史のおもて側にはない歴史を。
砂中より顕われたもの、それはアーダムの阿房宮《あぼうきゅう》でした。
都市の興亡は地の利にも拠《よ》ります。砂漠のなかにあって、水が涌《わ》き、樹木が茂る緑野《オアシス》は、見限られるということがありません。いえ、いちどは棄てられた土地でした。完璧《かんぺき》に砂に埋もれてしまった沃野《よくや》でした。しかし、地下水が豊富な土地柄は――はてしない荒廃の数百年を耐えて、経て――ふたたび地表に水を涌かせたのです。そして隊商路もここを通り、ふたたび緑野《オアシス》は見いだされて、拓かれ、サブルの基礎《いしずえ》が築かれたのです。
慧眼《けいがん》を発揮して無人の緑野《オアシス》の開拓を命じたのは、初代のサブル王でございました。
その地の利によって、都市は誕生して滅び、いまいちど都市は興ります。サブルの緑野《オアシス》は――ほとんどアーダムの阿房宮に接するようにして――地上に展《ひろ》がっていたのです。
商都は再建されていたのです。
天災《わざわい》ののちに、砂をはいで現出した往古の遺蹟。しかし、その初期において発見者の仲間入りを果たしていたのは、ひじょうに限定された職種の人間たちだけでした。第一に、その遺蹟が地表に(いまいちど人類の世界に)顔をだしたといっても、あらわになったのは通路状の一部。それも深々とした石造りの井戸のように、大地の裂け目として局部をかいま見させているだけで、遺構の全容など知りようもなし。しかも、その裂け目をのぞきこめば、陽光のとどかない闇黒《あんこく》の空洞が感じられるばかり。おまけに明瞭《あきらか》な人外境の悪気《あっき》がその深層《ふかみ》よりただよい……。だれがこうした千尋《ちひろ》の闇に没《しず》む勇気をもっているというのでしょう?
しかし、いたのです。秘奥を好む者たちが。いたのです、常人ばなれした嗅覚《きゅうかく》を所有する人間たちが。この嗅覚は、埋もれた財宝《おたから》、金鉱銀鉱から古代の宝蔵に対して働きます。山師たちであり、墓荒らしたち、盗人《ぬすっと》たちでした。大地に匿《かく》された宝物を猟《か》る者たちであり、ミイラを解体《バラ》して売り(霊薬として)、骨董《こっとう》を捌《さば》いている専門家たちでした。
このような類《たぐ》いの人間が、霊感によって、嗅覚によって、遺蹟の出現《あら》われた事実をつきとめ、暗躍をはじめたのでした。
災害からの復興ににぎわい右往左往の避難者にもあふれたサブルを拠点に、彼らは動きだしました。そして、幾度かの挑戦で、かなりの財宝《おたから》をひき揚げました。犠牲は、もちろん、でましたが、詳細については外部にはあかされません。数週間もすると、この「地下宝物殿」のうわさは裏稼業にたずさわる雑多な人間たちの耳にも入るようになり、ザブルの年来の住人のあいだからも新規に参入する犯罪者が、専門外の悪事《しごと》であってもあいつぎました。じつをいうと、サフィアーンの一家《アーイラ》からも義弟《おとうと》の何人かがこれに興味を示し、遺蹟侵入に挑んではみたのですが、あまりにも危険なので中止《おながれ》にしました。抛棄《ほうき》の判断もむべなるかな、なにしろ遺蹟の内部《なか》は迷宮になっていて、墓荒らし用と想像される数々の罠《わな》がしかけられ、しかも化物《グール》どもが徘徊《はいかい》していたのです!
「こりゃあ割にあわないや」といって義弟《おとうと》たちは引きさがったのですが、しかし、サフィアーンの一家《アーイラ》と旧知のつきあいの泥棒仲間からは、四組ばかりが阿房宮の闇に没んで、さまざまな奇態な生物《いきもの》とわたりあったのです。
そうこうするうちに、組合のように手をむすんだ墓荒らしの同業者たちは、犠牲者を着実にふやしながらも地獄の処刑《おしおき》道具にあふれた迷路を着実に通過し、「命あっての物種《ものだね》」を標語《モットー》に、生存者《いきのこり》どうしが情報を交換しあって迷宮内の手製の地図を作り、最初期に比べれば困難らしい困難にも遭わずに宝物《おたから》を獲《と》れるようになりました。こうなると、はぶりを利かせて唯我独尊の態度をとりたがるのが悪党《ワル》の特性《ならい》。金子《きんす》にものをいわせて大尽遊びをし、花街の顔役となり、豪遊のかぎりに豪遊して、わが世の春を謳歌《おうか》します。はでな暮らしはいつしか風評をたたせて、「地下宝物殿」のうわさは、ついに! 数ヵ月もすると王宮にまでとどいたのでした。
「なにゆえにあのように財宝でうるおっておるのだ?」サブルの王さまはいらいらと宰相にたずね、宰相は近衛隊長にたずね、近衛隊長は四十人の武装した警吏をひきつれて料亭で美食|三昧《ざんまい》にうつつを抜かし酒場で禁制の鯨飲《げいいん》におぼれる墓荒らし(そのなかには風来坊の山師たちも異国者《よそもの》の盗賊の一味も、さては生っ粋のサブルっ子もいました)をつぎつぎと襲っては捕らえてたずね、それでも組合のように手をむすんだ墓荒らしの同業者たちは口を割りませんので、絞首刑吏を喚《よ》んで王さまの御前《ごぜん》で拷問にかけさせ、一名につき五百回の笞刑《ちけい》に処しますと、その鞭《むち》の痛みに耐えかねて二人、三人と心ならずも白状しました! この告白を聞くと、王さまは元来欲深で腹黒い人物《ひとがら》なうえに、サブルは復興の資金を要してもいましたので、「やれありがたや」とばかりに勅命を下して、遺蹟の盗掘口とその四方の宏《ひろ》い範囲を一般庶民《しもじものたみ》の立ち入り禁止とし、この砂漠に二百人の将兵を常駐させて、盗賊たちをも追い払いました。王室の専有をこうして国じゅうに沙汰《さた》したのです。それから、これも情報といっしょに吐きださせていた墓荒らし組合の地図をもとに、迷宮内に軍隊の勇士《つわもの》を派遣し、二度、三度と探索させると、獲《え》るわ獲るわ、さすがは「地下宝物殿」! 予想をはるかにうわまわる秘宝《おたから》ががっぽりです! 興奮にいちどは卒倒したサブル王は、意識を恢復《かいふく》すると大臣連を喚んで大規模な発掘事業にとりかかるぞよと宣言し、宰相に諮《はか》って牢屋《ろうや》の罪人たちを作業の最前線に送ることにしました。さて、獄舎《ひとや》から鎖にかけられたまま砂漠にひきだされた六百と六十と六人の囚人《めしうど》は、死罪まぢかだった殺人犯も終身入牢を命じられていた謀叛人《むほんにん》も、政治犯も、こそ泥も、いっしょくたにされて遺蹟の未知の領域に送りこまれ、化物《グール》や魔霊《マーリド》に襲われながら王命にしぶしぶ殉《したが》いました。地上に顔をのぞかせたアーダムの阿房宮の部分を、上下から掘って拡張して、発《あば》くわ発くわ、どんどん遺蹟は全容をあらわしてゆきます。ふた月ほどがすぎた某日、発掘要員として作業に従事していた殺人犯の一部隊が、いかにも宝物庫《ほうもつぐら》らしい石室の扉を掘りあてましたので、これを監視の将校に報告しますと、将校は駐在する大臣に報告し、大臣は宰相に報告し、宰相から報告を受けた王さまは「よっしゃ、それでは秘宝のなかの秘宝がお天道《てんと》さまのしたに輝煌《きらめき》をあらわす瞬間を、所有者であるわしの家族《うから》と郎党そろって見学するわい!」といって、なにしろ世にまれな宝物殿の主《あるじ》であることを家臣や妻子に自慢したいがために、阿房宮の発掘の現場におもむくための準備をさせたのです。
三日三晩かけて支度がととのいますと、王家の物見《ものみ》の一行は御殿の正門から発ちましたが、その行列は豪奢《ごうしゃ》のかぎり。王さまは重臣連を左右に随《したが》え、前後に護衛兵を配して、群がるように大勢の家来を侍《はべ》らせています。威厳という点ではこのように王さまがいちばんでしたが、美々しさという点ではしかし、行列のなかほどに位置した大|轎《かご》がひときわ擢《ぬき》んでておりました。これは緑の絹地の天蓋《てんがい》がついた絢爛《けんらん》華麗にして豪勢さをきわめた貴婦人用の乗りもので、絹地のむこう側にすわって大轎の主人となっていたのは、乗りもの以上に秀美な御人《おひと》、王さまの愛娘であるドゥドゥ姫にほかなりませんでした! さて、御殿の正門からまっすぐにのびた大通りを太鼓や横笛や銅鑼《どら》の音《ね》をも供《とも》にして進み、都の人びとを圧倒して感嘆させながら進んだ国王一行は、そのままサブルの外廓《がいかく》の城門をでて、発掘現場にむかって曠野《あらの》を急ぎ、いよいよ掘り返される宝物庫《ほうもつぐら》をまぢかに観望できる特等席の砂漠に落ちついて、供奉《ぐぶ》の家来に大天幕や幄合《あくしゃ》をはらせて見物の用意を了《お》えたのでした。
それっ! とばかりに、牢獄《ろうごく》からひきだされてきた罪人《なわつき》たちが作業にとりかかります。発掘の現場を監督してきた駐在の大臣もその指揮下にある軍隊の将校たちも、主君の御前《ごぜん》ですから勇みに勇んで、いつもにもまして掘子《ほりご》たちを鞭うち、罪の軽重にかかわらず咎人《とがにん》に踏んばらせます。「精根つきるまで、働け! 働け!」と命令して、「ひとりのこらず現場《ここ》に集まって、掘って、掘って、掘りまくるのだ!」と号令します。そしてじっさい、囚人《めしうど》たちは殺到したのですが、その総勢は五百と五十と五人。獄舎《ひとや》から移動させられたのちに強いられた過酷な作業《しごと》にも、幸運から、あるいは悪運から耐えて生きのこっていた全員が集まったわけですから、遺構はその重量《めかた》に悲鳴をあげます! ああ、そして! 過重な負担についに石組みの通路がガゴッといって崩れ、ある掘子にとっては床にあたる部分が、ある掘子にとっては天井にあたる部分が崩落して、地中の遺蹟《いせき》のその部分が連鎖的な崩潰《ほうかい》をはじめました! 衝撃が衝撃を招《よ》んだのです! 観覧席で王族が見守るなか、大地はグゴゴゴゴッという濁った低音とともに陥没し、ああ! 発掘要員たちの悲鳴が! 悲鳴が! 事故は五百五十五人を呑《の》みこみます。この地崩れにも似た落盤の大事故で、まるで邪神の祭壇に生《い》け贄《にえ》が捧げられるように、往古の遺蹟に何百という人命《いのち》は捧げられてしまったのです。
そのとき、宝物庫《ほうもつぐら》の石室の扉はひらきました。
掘子のだれかが手をかけたわけではありません。なのに。
その扉が開け放たれるのを期待した人間《もの》たちのまえで、おのずと扉は闢《ひら》いて、開闢《かいびゃく》して、まさしく大地は割れたのです! そこから顕われたのは数百匹の蛇でした。
しゅIと鳴いて、飛びだしました。
涌《わ》きだした蛇は一匹のこらず意図《こころ》をもつように、ためらわずに移動しました。人間のいる場所へ、人間のいる場所へ。掘子の生存者《いきのこり》がいればただちに襲いかかり、近場に監督官の将校をみつければこれに咬《か》みつき、兵士たちに躍りかかります。しかし、数百匹の怪蛇《くちなわ》の大半は、もっとも人間があふれている場所へ、直行します。国王の観覧席に、その大天幕、その幄舎に。
発掘を見物していた王と大臣連、侍従たちは大混乱におちいりました。しかし、逃れる術策《すべ》なし! たちまち大群の蛇に呑まれます! この騒動の渦中、貴顕高官はあるいは咬まれ、あるいは絡まれ、あるいは逆にわれ知らず践《ふ》みつけて潰《つぶ》しもしましたが、その波瀾《はらん》のなか、ひとりの上臈《じょうろう》も犠牲になりました。その処女《おとめ》は、大挙した蛇どものなかでも異彩を放っていた白蛇によって、狙い定められ、雪花石膏《アラバスター》のように白い膚を、脛《はぎ》の皮膚を、咬まれたのです。その瞬間、処女《おとめ》はまわりで右往左往している――恐慌を来たしている――腰元たちにもとどかない声で、あっ! と叫びましたが、つぎの瞬間にはもう黙りました。黙《もだ》して、周囲を睨《ね》めまわすようにながめて、それから、にたーっと笑いました。
その美しい面《おも》ざしにはまるで似あわない笑《え》みかたで。
王女にしては淫猥《いんわい》すぎる表情で。
そして口をひらいたのです。「なんと、まあ! 地上っていうのは眩《まぶ》しいこと。こうして人間《ひと》の目をつかって封印の外界《そと》をながめるのは、なんてことでしょう! もう一千年ぶりですものね」
[#改ページ]
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聖遷《ヒジュラ》暦一月二十六日。四つの神秘主義教団が活躍する。四つから派生した無数の支教団も。ムラード・ベイが金曜日の礼拝ののちに――数千騎のエジプト防衛軍とともに――進発した二十二日から、カイロ市内では声が、祷《いの》りの声が、理由なき侵掠者《しんりゃくしゃ》であるフランス軍の粉砕を希《ねが》いもとめる声が、沸騰している。正統派の神学者《ウラマー》たちがアル・アズハルの大寺院に一日も欠かさずつどい、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)からの祈願のことばを読誦《どくじゅ》ている。のみならず、リファーイーの各教団、たとえばサーディー教団、それにアフマディー教団、バダウィー教団などからも多数の指導者たちがやってきて、忘我の唱名《ズイクル》(これには旋回運動等がともない、独特の踊りとなる)に没頭をはじめている。カイロに修道場をおいている主要な教団《タリーカ》は四つ、それぞれのスーフィー的実践にしたがい、第一にアル・アズハルで、第二に聖者|廟《びょう》のまわりで、声をあげている。絶えず祈祷《きとう》をつづけている。こうした宗教的先導者のあとに、いうまでもないが一般人がつづいた。百倍するカイロ市民の声が。
都市の反応は肉体的である。慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において、ことばは唱えられる。祈念して。戦勝を祈念して。フランス軍の敗走を、エジプト領内からの完全なる敗退を、撤退を祈念して。カイロは唱名《ズイクル》に没頭している。カイロはゆれている。空気は波をうっている。ひとつの波。神《アッラー》の恩寵《おんちょう》をもとめる声に同化した波動。
その大波が全市を呑む。
カイロの街なみの輪廓《りんかく》は、狂譟《きょうそう》に膨張するようにも見える。
しかし、この波に呑まれない少数派もある。いや、祈念するところはおなじなのだが――エジプト軍の勝利にフランス軍の潰走《かいそう》――その呪わしいフランス軍を彼らは素直には「異教従軍」とは呼べない。なぜならば、彼らはキリスト教徒だからである。
エジプト国内のキリスト教徒、それはコプトと呼ばれる。ヨーロッパの教会からは異端の烙印《らくいん》を捺《お》されているが(西暦四五一年のカルケドン公会議によって。これはキリストの神性を優先する「単性論」を奉じたため)、歴史的にはひじょうに由緒ただしい、使徒マルコの布教に端を発する教会である。古代エジプト文明の衰頽《すいたい》からアラブ・イスラーム軍の侵入にいたるまでの六百年間、いや、それ以上の永き歳月、エジプトは(その全土といえる規模で)キリスト教徒の版図にほかならなかった。しかし、イスラームがしだいにアラブ人の民族宗教の色彩をうしない、さらに非ムスリムだけに課せられていた厳しい人頭税の問題や、この課税に反対するコプトの叛乱《はんらん》がほぼ百年間にわたって徹底的に鎮圧されて、さらにキリスト教会に対する弾圧と増税をもたらしたことなどを契機に、改宗者があいつぎはじめた。そのような転換期を経ても勢力はそれなりには保たれてきたのだが、マムルーク朝時代(西暦では一二五〇年から一五一七年)に政府主導によるコプト弾圧がふたたび多発して、ほとんどがイスラーム化した。
われわれの物語のこの時点で、コプトの人口はエジプトぜんたいの約一割である。
少数派のコプトたち。彼らはカイロの、そして祖国の安泰をもとめてはいるが、祈願する対象がちがう。まるっきり、噛《か》みあわない。彼らはあろうことか偶像に祷りを捧げて、しかもそれはイーサー(イエス)の偶像である。ふつうのエジプト人にとって(というのはムスリムの市民にとってということだが)敵対する「異教徒軍」が崇めているものと、同一としか想像できない。
カイロの一般市民のあいだに、フランス軍の三色旗《トリコロール》を見た者はいない。
少数派のコプトたち。あまりにも状況はわるい。ムスリムとの共生はままならない。このようにコプトは神《アッラー》に庇護《ひご》をもとめる唱名《ズイクル》の波に呑まれず、むしろ排除される。いずれは排撃される。なぜならば都市は肉体的に、肉体的に反応しているのだから。
異物は吐きだされる運命《さだめ》にある。
しかし、いまはまだ。悪夢は萌芽《ほうが》として――あるいは悪寒として――刹那《せつな》的に感じとれるにすぎない。一瞬、またべつな一瞬と。連続はしていないし、すなわち現実としては顕《た》ちあがってきてはいない。
あるのは過去(の一瞬)。あるのは未来(の一瞬)。
現在はない。
では、現在のコプト社会はどこにあるか。地理として見たとき、それはやはり、イスラーム的狂譟の中核《さね》からは離れている。カイロの市街からははるかに離れている。たしかに、それらの繁華な地区に暮らしているコプトもいる。政府の官吏や、貿易商、高利貸しといった職に就いた者は(そうした類《たぐ》いは多い。インドにおけるパーシ教徒(ゾロアスター教徒)と同様の位置づけであるともいえる)ふところの潤い具合によっては豪邸を買い入れるし、それを市中に置く。また、イズベキーヤ貯水池のちかくにはコプト街と呼べるような一角もある。しかし、けっして共同体の拠点めいた場所ではない。複数のキリスト教会が集まり、修道院もあり、およそ一万人のコプトが暮らす土地、それは城壁で囲まれたカイロの中心部のはるか南方、イブン・トゥールーン寺院《モスク》よりも南方、正確には南西の方向、十字軍以前はエジプトの首府だったフスタートとローダ島のはざま、バーブリューン(バビロン。かつてのローマ・ビザンティン時代の城塞)にある。
バーブリューン。これこそがカイロの(あるいはカイロ郊外の)コプトの集住地である。ここに暮らす約一万の人口いがいのキリスト教徒は、信仰の自由が脅かされる過程で、もっぱら中部(ミニアとアシュートのあたり)と上エジプトに避難した。改宗の圧力から逃れるために。この何百年という歳月のあいだに。
われわれの登場人物がそこにいる。
バーブリューンを一望するように見ている。町に入っているわけではない。ナイル河畔に位置したバーブリューンの、むかい側、中洲《なかす》のローダ島の西岸にこの若者はいる。一月二十六日の、白昼、いずれは首都に迫る戦闘のために船舶を徴収しながら、イスマーイール・ベイと内閣の名のもとに交易関係者、漁師、さては水上生活者と渉《わた》り、あらたに河上用の軍隊を組織、増強する準備をしながら、何十人もの武装騎士を背後にしたがえた若者は、ローダ島から対岸に展《ひろ》がる町を……バーブリューンを見ている。
アイユーブは魅入られたように見つめる。
このような任務もアイユーブはこなした。内閣は総体として事態《こと》にあたらなければならない。そうでなければイスマーイール・ベイの第三位はない。たとえ、裏でどのような策略が講じられていても、おもてでは戦時体制に逆らってはならない。
装わなければならないのだ。
つくすべき大義のために二十三人のベイは手を組んでいる。それはエジプトの防衛である。マムルークの騎馬部隊は全軍が召集されて、基本的にはムラード・ベイの指揮下にある。そして二人のベイがじっさいに行軍に加わって、フランス軍撃滅のために北上した。したがったのは四千騎になんなんとする部隊(しかし、これが全員ではない)。戦闘に直接参加しないベイたちは、後方支援と首都の衛《まも》りのために、エジプト内閣の第二位の指導者、いわばエジプトの副総帥の指揮下に入った。
イブラーヒーム・ベイの判断を仰ぐ側に。
卑劣漢! 卑劣漢! 副総帥イブラーヒーム・ベイは武闘派ではない。奸智《かんち》によって栄達の道を拓いた。年齢《とし》は六十代。その六十年間が邪智姦佞《じゃちかんねい》にいろどられている。内閣の暫定首位のムラード・ベイが見るからに武官なら、この人物はむしろ文官である。そもそも勇猛を謳《うた》われることを望んではいない。望んでいるのは結果としての実利《もうけ》のみ。
首都は行政的にこの人物に、この副総帥イブラーヒーム・ベイの采配《さいはい》にゆだねられる。
そのために、アイユーブは副総帥の陣営とも接触を図る。端的にいえば、アイユーブの主人イスマーイール・ベイもまた、カイロ全市に現在|布《し》かれている「イブラーヒーム体制」に組みこまれる。その道具となる。ならなければならない。それが術計《はかりごと》を進行させているイスマーイール・ベイの側にとっての擬装である。
もともと、アイユーブは側近としての地位に就いて以来、他の有力なベイのもとには密通者を送りこみ、あるいは獲得し、独自の情報|蒐集《しゅうしゅう》網を作りあげている。イブラーヒーム・ベイの護衛の数人は、アイユーブから金子《きんす》をもらう者たちでもある。アイユーブが副総帥の指示をうけるために、相手の根城――カイロ近郊の行動基地でもあるナースィル運河わきの遊園にむかったさい、奇妙なことにでむかえたのはアイユーブの密偵《いぬ》ばかりであった。二重に給金をもらう者たちは、二重に監視する。アイユーブは監視されて、それから面会する。
直接にはイブラーヒーム・ベイには会わない。いずれはそうなるだろうが、首府カイロの後方待機軍が大車輪で動きだすのは、まださきである。指示は副総帥の側近からイスマーイール・ベイの側近であるアイユーブに口達される。しかし、傀儡《かいらい》の総督《パシャ》を(ムラード・ベイ不在のいま)手もとにおいて、虎視眈々《こしたんたん》と首位を狙わんとする稀代《きたい》の古狐《ふるぎつね》の姿を、当人の牙城《がじょう》で描写しておくのはむだではないだろう。以下は、もしもアイユーブがじかに対面していたら――との仮定で描かれるが、ただちに若者の目と頭脳は、鉤鼻《かぎばな》の牡山羊を連想した。しかも老いている。マムルークの美意識に照らしても――いや、照らしたからこそ――この戦時体制の頭首《ボス》の容貌《ようぼう》はあまりに醜い。その骨《ほね》ぼねしい痩身《そうしん》からは、他人《ひと》を圧倒する豪奢《ごうしゃ》さは微塵《みじん》も感じられない。着飾ってはいるが、本来的な貧困は隠しきれない。つまり、美的に寒貧《かんぴん》である。雄々しさといさざよさがない。老いさらばえた牡山羊の印象から、滲《にじ》みでるのは粘っこい野心ばかり。
その直感は的を射ている。
カイロに布かれた「イブラーヒーム体制」の領袖《りょうしゅう》の全身から、あさましさが滲みでている。
悪辣《あくらつ》な性根が。
イブラーヒーム・ベイがどれくらい卑劣なのかは、ここではいえない。
いずれにしても老獪《ろうかい》をきわめる鉤鼻の実力者は、みずからに与《くみ》したベイの側近には側近を通して、指示をあたえる。アイユーブは会わないが、アイユーブは指令はちょうだいする。イブラーヒーム・ベイは、非《アンチ》武闘派として――カイロにのこり――おのれの指揮体制下に入ったベイたちに、無言のうちに「どちらに転ぶのかは不明なのだ」と告げている。どちらに? すなわち、ムラード・ベイが総大将となった騎馬部隊とナイル河上の艦隊が、この一度の戦闘で勝利をおさめるのか、おさめないのか。フランス軍は敗走するのか、しないのか。異教徒の脅威はこのまま首府の領域から離《さか》るのか、そうではないのか。あるいは(これは暗示だが)ムラード・ベイが首位の座から転落して、この暫定第二位の実力者が――正当なる権利をもって――エジプト内閣の主席となる展開が、あるのか、ないのか。
どちらに転ぶかは、不明なのだぞ。
そのように闇々裡《あんあんり》に告げている。曲がった鼻梁《びりょう》をもつ重鎮のベイは。
与した首長《アミール》たちに。
前線からは報知《しらせ》はいまだ首府に待機する部隊とその長たちのもとにはとどいていない。イブラーヒーム・ベイはただ、人心を掌握して恐慌にいたらせないようにすることや、予備軍の編制の準備、つまり非常事態を想定しての首都防衛の強化を指示している。ただし、そこにはムラード・ベイ麾下《きか》の邀撃《ようげき》の部隊がフランス軍に完膚なきまでに討ち破られる、という前提はない。あるはずもない。カイロに(軍事的、地図的に)属している領域がフランス軍に躙《ふ》まれるとは、最悪の設定の埒《らち》を越えている。と同時にイブラーヒーム・ベイの狡《こす》い想像力の埒を越えている。
アイユーブの洞察力は限界《これ》をうわまわる。
アイユーブは予備軍の編制の一環として、ローダ島におもむき、船舶の徴発にあたっている。アイユーブはあらたに水上軍が組織可能かどうか、現場に立って検討している。現場。アイユーブは未来を見ている。だから、ナイル河の水路を、偵察し、河岸の地形を、検分している。アイユーブは実地を見ている。ここにフランス軍が到達したばあいは、どのように応戦可能か、現実的に――あるいは現実として――検討しているのだ。これを打破するための水上軍は、どのように編制すべきなのか? エジプトの生命線である交通路、ナイル河で、遡上《そじょう》してきた敵軍を討ち平らげるには?
阻止のための方法、形勢の利用法は?
アイユーブにあるのは徹底した先見の明である。前線からの情報もなしに、副総帥イブラーヒーム・ベイの意を汲《く》みながら、主人イスマーイール・ベイの立場と将来にも利するように動きながら、内閣として一致団結し事態《こと》にあたっているように装いながら、じっさいに個人として採れる範囲内での最善の戦術を採っている。部下も――というのはイスマーイール・ベイの騎馬部隊に所属する奴隷《マムルーク》たちだが――完璧《かんぺき》な計算と筋書きのもとに統馭《とうぎょ》している。将校の資質でいって、アイユーブは天才だった。もともとイスマーイール・ベイに買いあげられた十一歳のときから、神童だった。きわめて智能|明晰《めいせき》、職業軍人の養成学校に入れられても弓術、槍術《そうじゅつ》、馬術と武芸の全般において抜群の成績をあげ、もちろん種々の学芸にも秀でた。主人からは「即戦力」との評価をあたえられて寵愛《ちょうあい》されたが、いってみればアイユーブは、購入された齢《よわい》十一の少年の時点で、すでにその才能を十二分に開花させていた。
その花は閉じず、萎《しぼ》まず、アイユーブはつねに主人の子飼いのマムルークのあいだでも群をぬきつづけ、同期にさきんじて昇進をつづける。
アイユーブの天才、それはそもそも商品《うりもの》だった。この商品《うりもの》はすり耗《ヘ》らない。一級のままに、あらゆる場面で――たとえば感情にも欲望にも曇らされない、透明な、砥《と》ぎすまされた――能力《ちから》をふるう。
何事でもないかのように。
超然とふるうのだった。その軍事的才能によって、アイユーブはいま、ローダ島にいる。はじめは地形を戦略的視点から、展望しあるいは細見していた。そのながれで対岸を一望していた。しかし、アイユーブの視線《め》は停まる。見惚《みと》れるように、停止する。
対岸の町を見て。
バーブリューンを見て。
この瞬間、アイユーブは軍事的には地形を看視《み》ていない。
アイユーブは物語がどこで生まれるのかを見ている。
視《み》ている。バーブリューンは、その一瞬、韻文的な文脈に置かれる。
ズームルッドは十日と幾夜かまえにコプトの経路《すじ》で、その居場所の情報が掘りあてられた。所在をつきとめたのだった。アイユーブはずっと伝説の女物語り師を探していた。そう、伝説。なかば異様な――その名前あるいは名声だけが知られている人物。見た者はいる。語りを聴いた者はいる。しかし、証言を吐きだすのは一般人ではなかった。同業者とそれに協力する者だけだった。すなわち夜な夜な茶屋《マクハー》にあらわれて人びとに物語を譚《かた》る|語り部《シャーイル》たちと、伴奏する楽師たち。彼らの口の端《は》に、つねに偉大なる女物語り師の名前(あるいは名声)はのぼった。その譚りは特別であると囁《ささや》かれた。職人たちのあいだで、うわさは、探ればいつでも顔をだした。
物語り師だけが知っている物語り師。
職人たちがこぞって畏怖《いふ》する女物語り師。
「夜《ライラ》」あるいは「夜のズームルッド」は深遠な秘密だった。
アイユーブは探した。あらゆる網をはって――カイロの全市に、路地という路地に、市場《スーク》という市場《スーク》のにぎわいに、界隈《かいわい》に、裏社会の組織という組織に、そしてマグレブ人やペルシア人、トルコ人、それから――期待はしなかったが――コプトの居住区に。
バーブリューン。
必死に捜索をつづけて、苦労しても渉《わた》りがつかない日々を経たのちに、ふいに、ぎりぎりの期限切れの時機《とき》に、手がかりは出現した。バーブリューンから。あまりにも意外だったが、もとより「ここに伝説の女物語り師がいる」とキリスト教徒たちからあかされたわけではない。浮上したのは伝説についての伝説であり、網にかかった情報に(表面的に)見えたのは、獲物のかたちとは似ても似つかない形態《かたち》。しかし、示唆された。その女は――ある情報提供者は「|語り部《シャーイル》」といったのだが――二年あまりの期間、コプト語を学んでいるのだという。ある日、忽然《こつぜん》とバーブリューンにあらわれて、すでに教会の聖書にしか残されていない古代エジプト語の残響を拾いあげているのだという。アラブ・イスラーム軍がエジプトを制圧した千と百年あまりも昔に、この地にはアラビア語を国語とする体制が布かれ、当時のエジプト人に話されていたコプト語は消滅をはじめた。かろうじてキリスト教会に残ったが、日常語としては姿を消した。コプトの共同体においても、そうである。わずかに典礼用に保たれただけで、人びとはアラビア語の口語体《アンミーヤ》(エジプト方言)しかもちいていない。そこに、女はあらわれて、学びはじめた。消された言語を、本来のエジプトの土着語を。忘れ去られてしまった記憶、忘れ去られてしまった音に――あるいは(聖なる典礼のためと)祭りあげられてしまった言語《ことば》に、ふたたび息吹を授けるように。
女は、さまざまな物語をコプト語の響きに変えて、つまり翻訳して、バーブリューンの教会で――聴衆の有無にかかわらずに――譚っているという。
アラビア語の英雄|譚《たん》や、その他の物語文学を、古代エジプト語を源流とするコプト語の、音声に、移し換えて。
コプトの聖書にアラビア語との対訳があるように。
譚る。
消滅してしまった音を授ける。
イーサー(イエス・キリスト)の偶像や、その使徒たちの聖画にあふれた空間に身をおいて、コプト教会のステンド・グラスから射しこんで――乱舞する光彩そのままに、ひとつの物語を複数の言語《ことば》のなかに、音の重奏のなかに投げているという。
駆逐されたコプト語と、その言語《ことば》を駆逐したアラビア語の、往還の風景。
聴き手を意識している行為ではない。
それは声の夢のようなものかもしれない。アラビア語の物語を譚る声の、夢のような声かもしれない。
これが、掘りあてた情報だった。これが、唯一の手がかりだった。伝説の人物は、しかし、アイユーブの内面《なか》で顕《た》ちあがった。なぜならばこのうわさには畏怖がある。顔をだした囁きには畏敬がある。
だから、アイユーブは直観した。
示唆から真実を釈《と》いた。
もとめていた|語り部《シャーイル》はいる。ここにいる。
しかしまた、もとめられていた側、「夜《ライラ》」と呼ばれたズームルッドの側からすれば、この邂逅《かいこう》は偶然でも、執念のなし遂げた結果でもない。むしろ必然であり、いっさいは動かされている。遭遇するように。ズームルッドはいったのではないか? 聴きたい者のまえには、いずれにせよ、物語《わたし》は姿を見せるのです――と。
動かされている?
アイユーブは、いま、そうして、だから、対岸を視ている。軍事的暗躍のさなか、ローダ島にいて、因縁の地であるバーブリューンの町を――コプト社会を――魅入られたように見つめている。その一瞬、あらゆる活動は停止している。ズームルッドは、昼間はそこにいるのではないか? 市内の屋敷を去って、対岸の展《ひろ》がりのどこかに。物語を生む人間《もの》、あの砂の年代記を紡ぎつづけている人物は。
詳細はアイユーブも知らない。
そして筆者は、アイユーブについて、これ以上は知らない。
この美しい奴隷《マムルーク》の若者の内側で、いかなる感情が涌《わ》いたのかは。行動の背景は描写できても、その心裡《しんり》には肉薄できない。
それでも、ことばだけは聞きとれるし、書きとれる。
アイユーブは対岸のバーブリューンをながめて竚《た》ちながら、他者《ひと》にむかってではない、わが身にむかって、咲《わら》いかけるように囁いた。
「おれはおれ自身がだれなのかわかってきたぞ」
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第十二夜は訪れる。
[#改ページ]
※[#底本ではアラビア文字の12]
一千年の永き、遺蹟《いせき》は目覚めている人間たちから忘れ去られていました。永き歳月《としつき》、地上から放逐されたまま阿房宮《あぼうきゅう》は夢を見ていました。地下の巨大な建造物は(その巨《おお》きさは全体像の把握すらも拒否しているのですが)忘却のなかに鎖《とざ》されて、遠大な時間をただ夢見ながら婪《むさぼ》っていました。そもそも迷宮が「夢の建築化」として生み落とされた空間なのですから、見られた夢と、それを見る迷宮のあいだに区別《わかち》というものはありません。
無限の渾沌《こんとん》のなかで、阿房宮は深い夢寐《ねむり》に――とてつもない深淵《しんえん》に墜《お》ちていました。
その空気は濁り、腐敗して。
夢が夢見ることに倦《う》みあきて目覚めを夢に描きだすほどに。
永遠のなかばにも達したような一千年の歳月、奔放なはずの夢はしだいに荒廃しました。単調さという脅威が、迷宮に自家中毒を惹《ひ》き起こさせはじめます。夢は現実という食糧《かて》をもとめていたと、いい換えてみてもよいでしょう。
訪問者もめっきりと減りました。棲《す》みついていたのは往時に比べれば四半分にも満たない数の低級な化物《グール》で、時おり、仲間の魔妖《まよう》が涌いてでて、饗宴《きょうえん》をひらくことがあったり、なかったり、あるいは魔物がその棲み処《か》にためこんだ宝物《おたから》を、種族というか種類、系統の異なる魔物が奪いに来たり、かつての万魔殿の威名《ほまれ》も滅《き》えて、迷宮は単調さのなかに没《しず》んでいたのです。
この千載《せんざい》の歳月。
夢にはもはや恐怖というものもありません。梟《ふくろう》の頭をした怪猿がピイイイッ! と口笛を吹いても、人間の頭をした妖馬がギイイイッ! と咆哮《ほうこう》をあげても、孔雀の羽を背後にひろげた侏儒《ひきなり》の軍団がウイイイッ! と哭《な》いても、それを迷宮の闇《くら》がりで聞いているのは凡百の妖怪《ようかい》ばかり。魔物が魔物を脅せましょうか? 目あたらしい戦慄《せんりつ》など、もはやそこにはない。棲息《せいそく》する化物《グール》どもは――いまとなっては――地中の迷宮に悪夢も見せはしないのです。
いまとなっては。ああ、沈滞の一千年!
けれども、閉鎖空間のなかで萎《しぼ》む奔放さも、ふいにその停滞をやぶられます。澱《よど》みつづけた空気に、あらたな息吹が注入されたのでした。
迷宮にとっても、予測もできない出来事でした。未来を夢見るように予知することもできなかった展開でした。地上から――闖入者《ちんにゅうしゃ》が――ひさびさに!
さて、一千年の永きからすれば一瞬間《いっしゅんかん》にも比されるような短き時日に、迷宮は地上世界からのさまざまな働きかけを受けました。順番に逐《お》ってみましょう。一番手は砂あらし、気温五十度にも達する焦熱が生んだ未曾有《みぞう》の砂あらしが(それは百年に一度の異常気象でした)阿房宮を蓋《おお》っていた厚い砂の層をはいで、大地を抉《えぐ》って、片鱗《へんりん》とも呼ぶべき迷宮の最上部の一端を、地表にながれている瑞《みず》みずしい外気とふれさせたのです。のみならず、地上の人間には「大地の裂け目」と認識される様態の、破壊の痕跡《こんせき》を、その巨大建築のもっとも上層に刻まれたのです。狭い入り口が誕生しました。この入り口が二番手を招《よ》びます。はっきりと、この二番手は迷宮の内部に入ってきます。墓荒らしたちでした。財宝《おたから》を目当てに暗躍する盗人《ぬすっと》たち、山師たち。専門を問わないあまたの犯罪者がいつしか手を組んで、数週間もすると組合となって団体で(かつ分掌《てわけ》して)行動をはじめました。
この闖入者の墓荒らしたち! わずかな期間に増殖するかのように続々と地底の空洞《ほらあな》に躍りこんでくる盗賊集団に、その迷路の隅ずみに用意されていた処刑《おしおき》設備も大喜びです!
ああ! 人間はこの夢を……この地獄を忘れていなかった!
同時に、魔物たちも歓喜します。化物《グール》の咆哮はどれもこれも闇黒《あんこく》の宮殿にのりこんできた盗賊たちの肝をふるわしめましたし、出会い頭《がしら》の人間は、たとえば歯のあるところに爪があり、爪のあるところに嘴《くちばし》のある巨人もどきを見ると絶叫して卒倒しましたし、然るべきところに頭といっしょに足のある矮人《ひきひと》に遭遇すると、もはや単純な失神ではすみません。その反応たるや、人外境の魔物たちの期待どおり。一千年の沈滞のはてに、突如として迷宮内の徘徊《はいかい》も娯《たの》しいものとなったのです。人間の似姿をした怪物同士がこぞって怪異な恰好《かっこう》を競い、ひとにらみで人間を斃《たお》すバジリスク(鶏の頭をした一種の竜)も本領発揮です! しきりに剣呑《けんのん》、しきりに有毒、じっさい墓荒らしの組合員たちの側に犠牲者は増えつづけ、迷宮にまき散らされる感情といったら、恐怖、恐怖、戦慄――そう、一千年の永きにわたって迷宮がもとめて熄《や》まなかったものです。
迷宮はついに、あたらしい夢の食糧《かて》をあたえられたのです。
数ヵ月にわたった盗賊集団の闖入は、人間の数で詳細に表わせば二百と二十と二人に達し、刺戟《しげき》としては時間の経過に比例して、度合いを(迷宮にとっての「おもしろさ」を)減じました。さすがは手練れの盗人《ぬすっと》たち、場数を踏むほどに伎倆《ぎりょう》をあげて、犠牲者を減らし、こちらも悪魔的《シャイタニ》な地下世界に慣れてしまったのです。しかし、案ずることはありませんでした。盗賊集団は人間たちの第一波にすぎず、ほどを経ずして第二波がおしよせます。これらは王命によって発掘作業を強いられた囚人《めしうど》たちで、その数はなんと六百と六十と六人。これだけの人間が大挙して、迷宮内にずんと入ってきたのです。一千年間の危機的な単調さはどこへやら、またもや阿房宮の内部では悲鳴がそこ、そこ、かしこと飛びかい、絶望と苦悶《くもん》がたっぷり――あらたな夢の食糧《かて》として――補給されます。
あたえると同時に、発掘要員の囚人《めしうど》たちは魔物たちの財宝《おたから》を奪いもしました。なにしろ、この罪人集団は地上で見張っている軍人たちに鞭《むち》うたれて、発《あば》くわ発くわ、砂漠に露出した阿房宮の遺蹟を掘りすすみ、俗称「地下宝物殿」から珍奇な宝物《たからもの》をぎょうさん掠《さら》っていったのです。遠慮会釈もあらばこそ、奪って奪って奪おうという魂胆。夢にとってはすこしばかり、色気や、怖《お》じけかたの機微が足りないと感じられる瞬間もございます。いってみれば大味《おおあじ》でした。やはり強欲な王さまに強制されて、心ならずも(というか積極性など皆無のままに)地下に潜っているという罪人集団の現実がいただけません。悪夢の色彩《いろどり》が単色なのです。
と、なんとしたことか! 発掘のための罪人集団は人間たちの第二波にすぎず、ほどを経ずして第三波が――数知れぬ大群をなして――迷宮内にのりこんできたのです。
奪う者ではありませんでした。この第三波は、迷宮に棲む者でした。
あろうことか、地中の巨大建造物である阿房宮の内部《なか》に棲まおうとする人間たち。
しかも、それらの精神《こころ》は奔放さのきわみ。
全員が癲《たぶ》れていました。
完全な痴人《しれびと》の集団。
その数、八千と八百と八十と八人!
迷宮は度肝をぬかれました。なんたる大事件の出来《しゅったい》! 地上世界から第三波としてあたえられる夢の食糧《かて》が、よもや乱心者《らんしんもの》の集団だったとは! 夢そのものである阿房宮にも夢見ることがかなわないような事態《こと》のなりゆきではありませんか。しかも、その人数! サブルの城市内のみならず、あらゆる村里から深僻《しんへき》まで、それも辺境《くにざかい》の――北狄《ほくてき》、東夷《とうい》、西戒《せいじゅう》、南蛮《なんばん》の未開の異種族との闘争《あらそい》に明け暮れているような――四鄙《しひ》の涯《は》てにいたるまで、領内の諸方に王命が沙汰されて、かき集められてきた犇《ひし》めきあう奇人たちなのでした。サブルの在々所々《あちらこちち》から(奥地から、鄙《ひな》から、民家の地下室から、座敷|牢《ろう》から)漏らさず拾いあげられて、揃えも揃えたり、八千八百八十八人! この人海《じんかい》、雲集《うんしゅう》した奇人たちが、これもまた王さまの勅命によって――砂漠の遣蹟の、王家によって専有されている何者かの奥津城《おくつき》の――内部への移住を強いられたのです。
世帯道具をもちこんで、痴人《しれびと》の集団はこの地下世界に到来します。いっせいに、所持品をかかえて襲来します。それぞれの荷物はときに意味不明、鍋《なべ》もあれば庖丁《ほうちょう》もあり、駄獣用の鞭もあり、ぬけた齲歯《むしば》もあり、祖母の鬘《かつら》もあり、はたまた小舟もあります。食物はわずかに二、三日|保《も》つか保たぬかという分量《かさ》で、ではどうやって八千八百八十八人が生き存《なが》らえるのか? じつは、こうでございます。主食に副食は三日に一度、地上《うえ》から迷宮内部におろされて、人数ぶんが補給されるのです。糧食のみならず、ありとある生活必需品がおなじように、定期的に給養される仕組みでした。そのつどそのつど、縄で、遺蹟の亀裂から迷宮の内部《なか》へおろされるのです。
闇黒の洞穴《あな》の底へ。
この「大地の裂け目」となった地表の阿房宮の開口部こそが、地下世界とその上層に展《ひろ》がる世界(われわれが踏むことのできる砂漠でございます)をつないでいる接点だったのですが、ふだん、これらの共有される空間は鎖《とざ》されておりました。具体的に、侵入口《それら》は蓋《ふた》をされていたのです。大岩で塞《ふさ》がれたり、それこそ籠城《ろうじょう》の砦《とりで》のように、鉄釘《てつくぎ》をうたれた厚板《あついた》で封じられたり。外界《そと》との唯一の交流《つながり》は、補給時いがいは――ふたたび換気の問題も孕《はら》みながら、いっさいがっさい――断たれたのです。
さて、蓋をされてしまった老若男女はどうなったでしょうか? あの八千八百八十八人の奇人集団は? 迷宮にわっと雪崩《なだ》れこんだ人間たちの第三波は、それぞれが手放せない世帯道具を携行しながら、たちまち四方にちらばります。四囲の光景に怖じけづきもせず、勝手にさまよい歩いて、迷宮の内奥に、深奥に拡散《ひろ》がります! 魔物の咆哮《ほうこう》も馬の耳に念仏、惑乱《たぶれごころ》の寵遇《ちょうぐう》を得た人間たちは、なにをいっているのかさっぱりわからない言語《ことば》をわめき囁《ささや》きながら、歩きに歩き、走りに走ったのです。そこは空間と時間が凝縮されたような無限界の迷路でしたが、筋道たてて考えないので奇人集団は迷いません! 洞窟《どうくつ》のように闇に没《しず》んだ地下宮殿でも陽気になったり陰気になったり、しかし尋常な不安とは無縁にわさわさと動きまわって、分岐に分岐を重ねる通路を滅法に走って、空洞に、這入《はい》って、不安? 不安とはなんぞや? 地底の巨大迷路の構造はあらまし妄想でしたが、はなから悪夢と幻覚の内側《なか》に生きている集団には論理的にして数学的。裏返った幾何学こそが真実の幾何学であり、左から下にながれるような時間こそが純然きわまりない時間だったのです。
八千と八百と八十と八人の痴人《しれびと》には。
時空の誤謬《ごびゅう》がこの迷宮なら、人間の理性の誤謬がこの集団でした。
そして、適者生存! かような仕儀によって罠にも陥《お》ちず恐怖にも惑わず、化物《グール》は逆に翻弄《ほんろう》したりして、奇人たちは本能に順《したが》うだけで生きのびます。錯乱した建造物に適応するのです。おお!
昼夜のけじめがない地底の世界ではございましたが、しかし、灯《あか》りと呼べるものもありました。とある行《ゆ》きどまりの通路には地獄の業火が燃えさかっていて(これはアーダムの魔法によって永遠につづいている火事でした)、癲《たぶ》れ人《びと》たちはこの火を頒《わ》けあって灯火《ともしび》としたのです。たとえば、それぞれの住居《すまい》の。
そうです、八千八百八十八人は棲《す》みはじめたのです。夢の迷宮に適応して、たとえば横穴に、たとえば四角形や六角形や八角形をした石室に、むきだしの通路の石甃《いしだたみ》に、それぞれの居宅を定《き》めて。断然、安寧に暮らします。住宅難ということもありません。なにしろ迷宮の巨《おお》きさは理性ある者にはほとんど無辺。寝床を探す奇人たちは、ターバンで綱をこしらえて竪穴《たてあな》や急傾斜の階段を昇ったり降ったり、凹に陥《お》ちこんでも秘密の地下室にぬけたり、地底じゅうに(横にも下方《した》にも)拡がったのですから! いつだって、ゆるゆる奈落におりて、あらたな住居《すまい》を獲得したのです。
こうして、戦慄《せんりつ》すべきは意志(最兇の妖術師アーダム)の産物であった阿房宮は、ある種の精神にとっての桃源郷に変じました。痴者《たわもの》はだれもが痴者自身の才覚と歪《ゆが》みかたで心底からこの別天地を利用して愉しんで、身も心もさわやか。なにしろ地中にはあらゆるものが存《あ》りましたので、暮らしに不便も感じません(変人《かわりびと》といえども!)。色彩は有《も》たないながら樹も草も生えておりますし、それらは真っ白い果物《くだもの》を実らせたり、香木として育って、不可思議な香料を採らせたりもします。じっさい、一千年まえの阿房宮には果樹園もあったのです。のみならず湖沼も人工島も地底の大宮殿の内部《なか》にはありましたが、これは一千年後のいまも健在、しっかり現存していて、旧時《きゅうじ》の水脈は七割がた活きておりましたし、涌《わ》くべき箇所に――たとえば泉に――水はこんこんと涌いておりました。なんといっても、ここは緑野《オアシス》都市の領域内なのですから! 地下には狭い暗渠《あんきょ》もあれば、もっと開《ひら》けた水路もあり、発達した河はときに瀑布となってながれ落ちます。ああ、地底の大河! 世帯道具として小舟をもちこんできた泡斎坊《ほうさいぼう》も、これはしたり! 河遊びを満喫です。沼で河童《かっぱ》のように水棲《すいせい》する老人や若人《わこうど》もいれば、投網によって目のない魚(地底魚)をすなどる海人《あま》もいます。
つつがなしや、上命によって強制的に地中に移住させられた奇人たち。その暮らしむき、その娯《たの》しみのありさまの種《くさ》ぐさは筆にも口にもつくせません。迷宮はそも夢にして、迷宮の内部は奇人たちの寝床に変じたのです。
これが夢。これが迷宮という夢の変容。眠りたまわぬアッラーに栄光あれ!
そうして地中の古代|遺址《いし》は永久のなかばにも達するかのような千載の歳月《としつき》の単調さのはてに、愕《おどろ》くべき闖入者《ちんにゅうしゃ》として完全な痴人《しれびと》の集団を迎えました。八千と八百と八十と八人の乱心者《らんしんもの》と邂逅《かいこう》しました。奇想の空間であり、支離滅裂に拡大をなそうとしていた――そして、その意図ははるかなる昔日に頓挫《とんざ》を来たした――迷宮は、その全容を(彼らに、奇人集団に!)読みとられました。そうです、人類の理性にとっては欺瞞《ぎまん》と謀叛《むほん》に満ちていた構造を、すっかり掌握されたのです。
珍妙不可思議の集団に。この五|桁《けた》にも達するかのような数の人間は地底じゅう隈《くま》なく調べて歩いておりました。結果としてです。さて、奇人のなかにも天才はおり、一例を挙げればほとんど昼行灯《ひるあんどん》なのに『コーラン』の全文をそらんじ、のみならず章や節や単語の数も把握して、瞬時にミーム(アラビア語のアルファベットの二十四番め)の出現箇所を具体的な字数で弾《はじ》きだしたり、それにシーン(アルファベットの十三番め)の総数を足したり、引いたりできる能力者が知られております。この者は複数の歴史書にも記録されておりますが、日常の暮らしは老母の援《たす》けなしにはままならなかったとか。また、どのような曲でもひとたび耳にするだけで弾《ひ》いてしまえたという歌舞|管絃《かんげん》の才媛《さいえん》――にして発癲《はってん》した乙女――や、またサラディン(サラーフ・アッディーン(宗教の救い)。第三次十字軍との激闘で有名なエジプトのスルターン。英明かつ寛仁大度な君主としてイスラーム世界では現在でも人びとに慕われている)の御代《みよ》に実在していたそうですが、同時に九人の専門の棋士と闘える将棋の才物である戯《たわ》けの青年など(よだれを垂らしながら勝負し、全員を王手詰めにしました)、智能や悟性などないにも等しいのにアッラーから一芸を恵まれた痴人《しれびと》というのは、意外に――過去にも、そして当世にも――数多いものなのです。なんと申しますか、理性には不可能と思われてしまう事柄を、律された制約を、やすやすと越えてしまうのは理性なき者の「特権」でもありますから。そこから天才的な所業が――かるがると――生みだされる事態も見られるのでしょう。
阿房宮の住人たちのあいだにも奇癖や奇行がべつの観点から評価すれば天才となる人物がおりました。多数、おりましたが、わたしたちが興味をもってながめるのは四十四人。この者たちの異能は奇怪千万、場所という場所を図《ず》に書きとるのでございます。紙をあたえれば、たちまち職人のなかの職人のような最高度の伎倆《ぎりょう》でもって図面を製作して、それぞれが現在《いま》いる空間を書き写します。細部にいたるまで地底の世界の横顔を描きだすのです。ようするに、地図作りの天才でした。あらゆる建築物を精確に図に再現することが可能で、いかなる魔境といえども平面にきっちり書き写せる異才の変人たち――憑かれたように書いて、書いて、書き写してしまう畸者《かわりもの》の一群。この者たちのために、地上からは三日に一度、生活必需品とともに紙片も補給されていました。紙と筆が四十四人の異能者たちのために特別におろされて、錯乱した地図制作者たちはすでに書き記した紙片とひきかえに、この紙の束を(そしてあたらしい筆と墨を)受けとるのです。
いかにも、地図はひき揚げられました。地図作りの奇人たちがさまよった範囲に限定されてはいましたが、この迷宮内の図面は精確で、しかも一度写しとった場所は避けて作業に没頭する傾向がおおかたの天才に見られて(これは結局のところ癲気《てんき》の所業《しわざ》も歓びを追求してしたということでしょう)、ほとんど一統の基調をなしていましたから、書きとられる範囲は日を逐《お》うごとに、どんどん、ますます、ひろがります。四十四人の彷徨《ほうこう》によって――というか、小さな旅によって。日々の歩みによって。阿房宮という奇想の空間は、すでに総勢八千八百八十八人の錯乱者の集団によって――理性ある者には無辺際に宏《ひろ》いと感じられる、戦慄と驚異と誤謬の――構造を掌握されていましたから、その読みとられた全容がいまや完璧《かんぺき》な図面に写され、遷《うつ》されていったのです。
日ごとに。
そして――断片として(しかし厖大《ぼうだい》な量の断片として)――ひき揚げられて。
地上に。
いかにも、欠片《かけら》をひろい集めれば顕《た》ちあがってくるのは総体です。阿房宮の全体像は、ひき揚げられた断片を組みあわせることによって、わずかずつ、わずかずつ、あきらかになります。しかし、この精確な図面を必要とする地上の人間とは、どのような類《たぐ》いでしょう?
迷宮には心憶えのある人種でした。それもむべなるかな。一千年のむかしに迷宮の誕生の瞬間にたちあって、この妄想の建築物に基礎《きそ》をおき、のみならず年歯《ねんし》を重ねる十数年のあいだも内部にとどまって支離滅裂に巨大迷路を発展させつづけてきた人間たち。発展させつづけると同時に破綻《はたん》させつづけてきた人間たち。ようするに、地中の阿房宮を築いて固めて展げた人びと、迷宮に迷宮としての生命《いのち》を授けた「建築家」という人種だったのです。
いまでは世紀を十倍した齢《よわい》を重ねた迷宮ですが、その幼少のみぎり、二六時ちゅう工手《こうしゅ》たちをその内部にかかえていたものでした。当代屈指の技術者たちに指揮された、石工《いしく》に大工《だいく》、穴掘りに土|搬《はこ》び、そうした専門の職人とあまたの肉体労働の従事者を。砂中に埋没するまでの幼少の時期に。以来、消息《たより》を知らずにいた一党《やから》を……歳月のもろもろの移り変わりのはてに、ふたたび見たのです。
迷宮は。
いってみれば第四の波の到来でした。地上世界からの闖入者の。しかし、結論から見れば、この第四波は何ヵ月間にわたったと限定もできなければ人数の詳細もきちんとは表わせませんから、第一の盗賊集団、第二の罪人集団、第三の奇人集団とは趣がやや異なります。明確な開始《はじまり》はあったのですが、了《お》わりは不明確で、闖入者と数えられる人間も、でたり入ったり、でたり入ったりをくり返します。大勢の者、と表現するのが適当になってしまいます。ですが、とりあえず、明確な発端から迷宮の目にした光景をひもどいて見ましょう。第四の波の――譬《たと》えるならば――白い潮頭《しおさき》、それは物指《ものさ》しと円規《コンパス》をもった人間たちでした。組みあわされた図面(それは断片から成った「部分」の地図で、阿房宮の「全体」を推測します)を手におりてきて、なにやら確認してまわります。つづいて浜にうちよせた波の本体が、選びぬかれた工匠たちと、将来の工事監督たち。確認された図面からふたたび現場の状態を視認にやってきた一団で、なかなかの多人数。これが女波《めなみ》なら、あとを迫ったのは高い男波《おなみ》です。サブルの将兵たち――武装した軍隊の精鋭たち――に四囲を衛《まも》り固められた建築家の顔ぶれが、ついに! ああ、百年の十倍もひさかたぶりに、迷宮の体内を訪問したのです! この建築家たちは全員が血縁関係にありました。著名な一族で、当世の誉《ほま》れとも呼ばれている老大家にその息子、その息子らの息子、名だたる三代、全員が揃いぶみです。代表作はあまた、寺院《モスク》もあれば学院《マドラサ》も、病院も橋も、宮殿もあります。各国の君主《スルターン》なり貴顕大公なりに寵愛《ちょうあい》されて、まさに当代、音に聞こえた一族でした。では、この者たちが、阿房宮の精確な内部図面を必要とした地上の人種? ごもっとも。砂中より姿をあらわした古代|遺蹟《いせき》のあらゆる構造的側面を解釈し、すなわち精確に把握して、地下空間を改築する目的でこの迷宮の体内に足を踏み入れた血族集団――それが彼らなのでした! 四十四名の地図作りの奇人たちを利用することにより、彼らはすでに、解釈するに足る阿房宮の全体像を、一千枚の平面図とその脳裡《のうり》に浮上させておりました。
これが片男波《かたおなみ》。いよいよ、迷宮という浜は――砕ける波の花によって――真っ白に染まります! 作業が開始されて、千波万波《せんぱばんぱ》がおしよせました。建築家一族とその傘下の大軍! 掘鑿《くっさく》の人員に現場監督、大工や石工や鍛冶《かぬち》やその他の工芸家、あふれんばかりの職人たち。波涛《はとう》です。狂瀾怒濤《きょうらんどとう》がさか巻きます。突貫工事が、とうとう! 着手されたのでした。
悠遠のむかし、構築されたときと同様の形態《かたち》をとどめた見事な石材は、そのまま活用されます。陣頭指揮に立った建築家の一族は、迷宮を分解しながら迷宮を再建します。迷宮という場の潜在力を引きだして、同時に、すさまじい創造力を(一族の頭脳から引きだして)ふりまきながら改築を進めたのです。梯子《はしご》がおろされ上下に東西に左右に南北に組まれ、あるいは未来と過去にむかって組まれ、木材が削られ石材が削られ、袋小路は掘られ、無限循環の通路は鎖《とざ》され、埋められ、石造りの扉は部屋べやから移動して幾何学の壷《つぼ》に嵌《は》めこまれ、十層ぶんの吹き貫《ぬ》きが造られるかと思えば唐土鋼《シーニーはがね》が三層ぶんの通路をただ閉鎖します。驚愕《きょうがく》に茫然《ぼうぜん》自失の態《てい》となったのはまたもや迷宮です。これはいったい、夢の食糧《かて》なのか、蕩尽《とうじん》されて涸渇《こかつ》にいたるまでの末期の悪夢の一幕なのか。夢見るものの肉体《からだ》そのものが――改造させられるとは!
この工事の費用には迷宮がそもそも包蔵していた財宝《おたから》が充《あ》てられました。そうです、俗称「地下宝物殿」の五臓六腑《ごぞうろっぷ》の隅ずみに蔵《しま》われている金銀に真珠に紅玉、風信子《ヒヤシンス》石、象牙《ぞうげ》、水晶の器物、棒状の翠玉石などが、改築工事の進行にあわせてひき揚げあれ、利用されたのです。ですから、作業の担い手は無数に傭《やと》えましたし、そうした人材のみならず、建材もいわずもがな、建築家たちの一族には信じられない高額の給与があたえられて、末端の掘子《ほりこ》にいたるまで全員、はり切って担当の任務《しごと》に邁進《まいしん》したのです。
しかし、工事の服務者をとり巻いている環境といったら! 地中の迷宮内でとんてんかんてん、頓珍漢《トンチンカン》、必死で突貫作業にいそしんでいるのは結構ですが、建築現場の照明《あかり》から三歩も離れれば、うばたまの闇にしばしば盲目にされ、お天道さまの判断を仰げないために昼夜の区別もつかず(というか、なにしろ迷宮《そこ》は夢ですから、修辞的には永遠の夜なのですが)、時間が伸びたり縮んだりする現実に翻弄《ほんろう》されて(というか、なにしろ夢の内部《なか》に入りこんでの工事ですから、通常の意味あいでの現実は夢想にすぎないのですが)、おまけに八千八百八十八人の「棲《す》む者(奇人たち)」の暮らしぶりにも悩まされます。地上から世帯道具として家禽《かきん》の雛鳥《ひなどり》をもちこんだ痴人《しれびと》がいて、飼育された家鴨《あひる》なり鵞鳥《がちょう》なり鶏なりが育ちに育って、何十羽という群れをなして通路を走りまわり、ガーガー、ギャーギャー、コッコッコッコッとうるさいのみならず、職人や担夫《たんぷ》たちの足もとを駆けぬけて、しょっちゅう危ない目に遭あせます。けれども、家禽などはかわいいもの。たまらないのは化物《グール》です。奇人たちは魔物の咆哮《ほうこう》もその怪異な姿かたちも、まるっきり無視して安穏と暮らしておりましたし、なかには親交をむすぶ安本丹《あんぽんたん》もおりました(悪鬼や魔霊《マーリド》と心からうちとけたのです!)。しかし、理性を具《そな》えた作業員たちには、かような仕儀はあるはずもございません! ふたたび奇人以前の闖入者《ちんにゅうしゃ》の人間集団と同様に、絶叫しては失神し、恐怖しては絶望し、襲いかかられては苦悶《くもん》します。闇《くら》がりでの出会い頭《がしら》は、なんとも恐ろしい! もちろん、犠牲《いけにえ》として――事実、週に数名は――むさぼられもしたのです。
さて、財宝《おたから》のひき揚げには、奇人たちの生活から滲《にじ》む知識もさまざまに歪《ゆが》んだ地理感覚も活かされておりました。宝物の分捕りのために、武器を手にした軍人たち(彼らはあいかわらず建築家の血族集団や一流の技術者、工匠たちの護衛も務めておりました)に傭われたり訊《と》われたり縄でつながれて先導させられたりして、紆余《うよ》曲折のはてに財宝《おたから》のありかに案内するのです。いっぽう、奇人たちはあたえるのみならず、この第四の狂瀾怒濤の人波《ひとなみ》から奪いもしました。自分たちに後続した闖入者の大群から、しばしば建材を盗んで、工具を掠《かす》めて、あろうことか迷宮内のおのれの領域を普請《ふしん》しはじめたのです。新顔である人足《にんそく》や職人たちの活動に刺戟《しげき》され、阿房宮の一角を分解しては頓珍漢《トンチンカン》と再建する、おなじ工事にいそしみはじめたのです! 奇人たちの生活空間(それはさまざまな奈落や横穴のはてにまでも拡がり、暗い迷路の裏側や、永久にちかづけない場所の半歩うしろにもありました)が、ときとともに、一種、創建された奇人の町に、街区に変じていったのです。こうした建材泥棒の出没もまた、作業の監督官たちを日々わずらわせました。
同時に、掘子の雲隠れも。これは化物《グール》に屠《ほふ》られるのではありません。錯乱者が大挙して棲んでいる尋常ならざる地下宮殿であるためか、はたまた迷宮そのものが具えている作用なのか、さっきまで正気であった掘子が突如として血迷い、からからと笑いだし、痴人《しれびと》と化して――作業現場を抛棄《ほうき》して――暗闇のなかに歩み去ってしまう事件が、続発したのです。ああ、掘子たちや職人たちを呑みこんだ通路や階段や竪穴《たてあな》の闇からは、幾日も幾日も、途方もない笑い声が響いてきたそうです!
こうした状況の苛酷《かこく》さにもかかわらず、突貫工事は熄《や》まずいっきにつき進み、なにしろ(「地下宝物殿」の財宝《おたから》をもちいた)手当てが格別でしたから、作業員に事欠くという顛末《てんまつ》にもいたらず、それどころか応募者殺到し、すさまじい勢いで地下空間の改築はその第一の目的を達しようとしていました。着工からわずか三ヵ月、迷宮の一千年間の単調、ほとんど悠久の時間に比すれば須臾《しゅゆ》にして達成されたといってもいいでしょう。いやはや、がっしりした石造工事、壮麗さと申しますか堅牢《けんろう》なできばえ。生まれ落ちようとしているのは、常人も暮らせるような地下都市です。迷路《まよいみち》のあやうさを減らして、階段は上から下に降りるか、あるいは下から上に昇るかだけの機能をあらためて有《も》たせ、時間もできるかぎり過去から未来にながれるようにして、限定された区域ではありますが、夢を理性に適《かな》うように枉《ま》げたのです。夢を殺したのです。そして、内蔵された地下庭園に集会所、共同家屋に給水泉《サビール》、大小の(時空に照らして狂っていない)通路、シャームから輸入されたタイルを大量に鋪《し》いた色彩あざやかな広場、その広場の中心に設《しつら》えられた装置としての大噴水、遊園地。あらゆる箇所の結構《くみたて》のすばらしさ、輪奐《りんかん》の美! まさに、地下に都市《まち》は育っています。天才の建築師の一族によって、迷宮の脅威は半減されて、正気の者にも歩める空間がぽっかり阿房宮の体内に空《あ》けられます。それは地上の入り口から、下方《した》に、下方《した》につづいて、ひろがりながら(ときに狭《せば》まりながら、曲がりながら)降下して、阿房宮のあらゆる奈落の底と想像される、深層部に達していました。
深い、深い、深い、基底の層に。
そこまで安全に到達させるための改築が、いよいよ、完了したのです。
だれを?
理性ある人間を。
地上の人びとを、迷わないで直行させるための整備が。
三ヵ月と三日が経つと、サブルの城郭の内部では、通りという通り、城門という城門、市場《スーク》という市場《スーク》で、以下のような文句を徇示《ふれ》役人が唱えて歩きました。
「王領サブルの内外のみなさまへ。このたび砂漠から邪悪な地下|遺蹟《いせき》が発見され、その千尋の秘奥に古《いにしえ》の魔王が瞑《ねむ》っていることがあきらかになりました。ところで、昼夜を舎《お》かない三ヵ月間にわたる工事によって、この魔王が棲み処《か》としている迷宮深層の玄室の手前まで、容易にたどりつけることになりましたので、つきましては魔王を打倒する勇者を募集します。なにしろこの魔王こそは諸悪の根元ですから、みごとに斃《たお》した英傑にはあらゆる財貨と名誉、そしてサブルでの永代《とこしよ》の地位を約します。望むならば、現大王陛下の愛娘にして、三千世界にもまれなる美《うる》わしの処女《おとめ》、ドゥドゥ姫との結婚もかないます。なお、身分の貴賤《きせん》は不問。同様に年齢経歴もいっさい問いませんので、なにとぞ奮《ふる》ってご参加ください!」
[#改ページ]
12
すべてが停滞しているように見える。フランス軍は二つの侵攻ルートを採り、いっぽうは陸路、いっぽうは水上の戦艦隊として海路《うみじ》からナイル河口の奪取を果たし、その大河の遡上《そじょう》に移る計画でいる。すでに陸上を(真夏の砂漠地帯を)行軍する四個師団は、その目的を達成し、ラフマニアで戦艦隊をまっていた。合流にいたれば、そこからは首都カイロへの進軍があるのみだった。ひたすら南進して、攻める。ムラード・ベイが率いるマムルークの騎兵隊との最初の接触、あの煌《きら》びやかな八百騎との衝撃的な邂逅《かいこう》ののち、一日が経ち、二日が経とうとしているが、ふたたび東洋の軍隊が地平線上にあらわれることはなかった。
ラフマニアの町で、だから、陸上の四個師団は緊張と休息の狭間《はざま》にあって、ひたすら待機している。行軍中とは異なり、飲料水《のみみず》に事欠いて苦しむということはない。肉体的な疲労に対しての慈悲《いたわり》の時間でもある。敵軍の出現に――いつだって、河に泳いでいる瞬間にも――気を張ってはいるが、同時にまた、河上に三色旗《トリコロール》を掲げた友軍の戦艦隊が姿を見せて、いよいよ合流となる一瞬《とき》を待望してもいたが。
しかし、すべては停滞しているように見える。
時間が。時間がとどまっているように。
表面的には。
しかし、もちろん、攻め入る側にしても邀《むか》える側にしても無為に泥《なず》んでなどいない。時間は寝《やす》んでいない。フランス軍の眼前からは気配を消したエジプト軍は、たしかに前線からは退いたが、後方で決戦の準備をしている。総大将のムラード・ベイは、部隊の再編制に余念がない。いずれにしてもフランス軍は南進する。これを万全の準備をととのえて、迎撃すればよい。あの不可解な――マムルークの戦術と価値観、東洋の騎士道の精神からは怪異《もののけ》も同然の――戦術と醜さを所有しているフランク族の軍隊であっても、待ちうけて要撃できないはずはない。そのために、ムラード・ベイはナイル河上にも砲艦を九隻、十隻と配置して、最強の布陣に編制する。
陸上をこようとも、水上をこようとも。
ふいに攻めて潰《つぶ》して絶やす。
だから、待機している。後方に退いて、獲物が南下しはじめる時機《とき》をまっている。全軍を再編制しながら。しかし、おもてだって窺《うかが》える動きはない。フランス側がそうであるように可視の世界は停滞して見えており、なおかつ防衛する側は侵攻する側が「南進」という行動を起こした以後にしか、みずからは行動を起こさない。
すべては進行しつつ停滞している。
とどまっている時間。
周知のように、アラビア語は右から左に綴《つづ》られる。われわれの「左から右に読む」書物とは、そこに秘められた世界の時間《とき》のながれは異なるのだろう。われわれのように読めば、書物の内部《なか》の宇宙は未来から過去にすすんでしまう。ちがうだろうか? また、四海《このよ》には「上から下に読む」文字もあり、それを日常的にあやつる人びともいて、彼らの書物は上から下に綴られている。一行、一行。その書物をただしい時間にあわせて手にし、上下を錯《あやま》たずに開いてみることができるか、筆者には自信はない。ここで読者としばし考えたいのだが、時間はわれわれの内部《なか》で同一の速度ですすんでいるのだろうか? 静謐《せいひつ》な時間と騒々しい時間があることは自明だ。凹面と凸面があるといってもよい。われわれは緩慢にすすむ時間をたしかに感じるし、ある種の感情と没入によって、跳躍するような時間もしばしば感得する。喪失する時間もある(夢も見ない睡眠《ねむり》のあいだに、われわれはどこにいる?)。はたして、時間は距離とおなじように、測ってよいのか?
われわれの目のまえで、物語の時間は停滞した。
この停滞の場面に、それが――翌《あく》る一日に――左にながれるのか、右にながれるのか、下にながれるのか、不安になる。
ところで、時間そのものに自由意志はありうるのか?
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第十三夜は訪れる。
[#改ページ]
※[#底本ではアラビア文字の13]
阿房宮《あぼうきゅう》の遺蹟《いせき》のぜんたいは、その地上における宏《ひろ》い範囲を王家の専有とされて、一般庶民《しもじものたみ》は立ち入り禁止と沙汰《さた》されておりました。軍隊が常駐して見張り、地下世界に通じている複数の開口部は、蓋《ふた》をされて、徹底して塞《ふさ》がれて、八千八百八十八人の奇人集団を呑《の》みこんだあとは、工事用の作業員たちを送りこむか、建材を搬入するか以外のときはやはり閉ざされて、高度な管理下に置かれていたのです。しかし、その「大地の裂け目」の蓋が、ついには外されます! 入り口は開放されて、育ちつつある地底の都市《まち》が、貧富|貴賤《きせん》を問わない人びとに招待状をあたえたのです。いらっしゃいませ! 太陽のない世界へ、ようこそ! まさに国禁は解かれて、サブルに隣接するかのように砂漠の真下に展《ひろ》がっていた古代|遺址《いし》は、その空間をあらゆる人間に開放したのです。
出入り自由に。
望むならば全員、迷宮の深みに、深みに、深みにおりたてる許可をあたえて。
俗称「地下宝物殿」の立ち入り禁止の措置は、きっぱりと解除されたのです。
蓋をされたものが開け放たれたのですから、内部《なか》に閉じこめられていた奇人たちは晴れて自由の身となりまして、以前の拘束は解かれて外界《そと》に脱出するのも本人のまにまに、にもかかわらず、(意外や意外!)地上に飛びだして来る者はありません。あやまって道を踏み迷って迷宮最上層からひょっこり地表の高さに――砂漠の苛烈《かれつ》な陽光のしたに――顔をだす人間がいても、地底の漆黒さと灯火の明るさにのみ慣れた痴人《しれびと》の目には、太陽《ひ》というものも昼間《ひなか》という時間《もの》も容赦のない地獄! 五感を灼《や》いて、苦悶《くもん》をさずけるばかり。ギャーッと叫んで、ただちに地底にひっこみます。安穏さは棲《す》みなれた場所にこそあり、錯乱した人間たちには――そもそもの劈頭《はじめ》から――錯乱した住環境こそが母胎的な安らぎをもたらしていたのですから、なにゆえに去る必要がございましょうか? 痴者《たわもの》たちは「この地底の都市《まち》こそが快適だ!」と、一同あまさず地中の巨大迷宮内に棲まいつづけたのです。仲間だってふえていました。八千八百八十八名の人口が減るどころか、工事の服務者たち(この古代遺蹟の再建作業はお布告《ふれ》がでて出入り口が開放されてからも依然として頓珍漢《トンチンカン》と続行されておりました)が週に何人、十何人と癲《たぶ》れて、愉快な新顔に変化《へんげ》しつづけていたのですから。
それに、惑乱した地下居住者の弁明《ことば》に、一片の真実《まこと》が秘められているという現実もないわけではないのです。いえ、一片《ひとかけら》どころか、あらまし真実《まこと》でもあったのです!
いずこの部分が?
すなわち、地底の都市《まち》こそが快適――との。
わたしたちはこの奇人集団の発言《ことば》に照らして、もうひとつの都市《まち》、地上にある王領の首府の動向を見なければなりません。繁栄に繁栄を重ねる商都サブル。この数ヵ月間、サブルではなにが起こっていたのでしょうか? 国王一行が「地下宝物殿」からの財宝《おたから》の発掘《はっくつ》の一族郎党揃っての物見《ものみ》におもむき、目のまえで罪人《なわつき》たちが落盤の大事故の犠牲《いけにえ》になるのを見守ってから――その数は五百と五十と五人にもおよびましたが――爾来《じらい》、なにが? 地底にあっては奇人集団が棲まいはじめ、建築家一族に率いられた工事の人材、人役《ひとのえき》たちが大挙して到来した期間。迷宮という夢がその精神から肉体《からだ》まで改造させられた(そして改造は竣工《しゅんこう》を夢見ることもなしに現在もひたすら進んでいるのですが)期間。ひとことで申しますと、地中において夢が変容したように、地上においては目覚めている人間たちの現実が変容したのです。百年に一度の異常気象と判断された炎熱の五十度の天災《わざわい》による爪あとが痛々しくのこる都市では、復興途上の熱気であらゆる種類のにぎわいはとりもどしていながらも、同時にまた惨事、惨劇、町人《まちびと》たちの不行跡なおこないといった諸悪大罪に満たされていたのです。サブルは――譬《たと》えていうならば――まるで魔神のなかの大魔神が地上に釈《と》き放たれたかのような国難の秋《とき》に望んで、悲運にさらされていたのです。ああ、往時の麗しの商都、サブルよ! 花が枯れ凋《しぼ》むように、緑野《オアシス》の誉れの都市からは光沢《つや》は失せて、そこは荊棘《いばら》の城市、蘆薈《ろかい》の巷《ちまた》に変じ果てていたのです。なにしろ超自然的な邪気がはびこっていました。人びとの精神《こころ》には害毒がながしこまれていました。肉屋は人肉を売っているといううわさがあり、贋金《にせがね》がまかり通り、母親の寝床に忍びこむ不届きな息子と、じつの娘の寝床におし入る畜生道に堕《お》ちた父親がやたらめったら猖獗《しょうけつ》し、愛妾《あいしょう》は正妻たちを殺して財産を奪い、市《いち》の商売《あきない》は破綻《はたん》し、やくざな遊冶郎《ゆうやろう》ばかりが横行し、朋輩《ほうばい》のあいだで讃《たた》えられるのは姦悪《かんあく》な行状となって、だれもが狡智《たくらみ》のかぎりをつくし、姦婦に情夫はありふれて終《しま》い、魚は池中でおぼれ、鳥は宙《そら》から墜ち、山猫は鼠に追われる塩梅《あんばい》で、三歳の子どもが七十通りの殺人《ひとごろし》の方法をおぼえて辻《つじ》つじで試します。まるで地上にあらわれた魔王《イブリース》の属領(堕天使イブリースの領土そのものは(巷間の俗信によるのだが)七層にわかれた地獄にあると想定されている)! サブルは――まぎれもない――兇変《きょうへん》に遭ったのです。いったい、その淵源《えんげん》は? いかにして、これほどの短期間で?
この変容はなにに由来して?
それにしても……これがサブル? これが、あのサブル? 発展のかぎり発展した第一級の商都でしょうか。戸惑いはわたしたちのみならず、昔時の栄華《えいが》を知っている来訪者全員の脳裡《のうり》にも去来します。隊商を組んで遠路やってきた商人《あきんど》たちは歎息《たんそく》し、尖塔《ミナレット》が林立してイスラームの亀鑑《かがみ》とも評されている敬虔《けいけん》な都市《まち》だからとはるばる征途について入京した修道僧やコーラン学者や神学生たちは落胆し(あるいは堕落し)、だれもサブルを旧来どおりの名称では呼ばない顛末《なりゆき》とあいなります。では、なんと?
ここにひとりの占星術師がおります。哲学者や天文学者の集まりのためにサブルにやってきた著名な易者で、密教に通じた上人《しょうにん》でもありました。サブルの旅籠《ハーン》に到着した初日、この占星術師は二つの道具を――独自の修行と経験から発明した天体測定器と、古今東西の学識の粋を集めた天球儀を――とりだして、旅籠《ハーン》の中庭ですぐと観測をはじめたのですが、これは面妖《めんよう》な! 想像もしなかった遊星が視認されるではありませんか。それは土星《ゾハル》、ありえない軌道を描いてサブルの天球上をのみ運行している惑星です。なんたる不可思議! この日は奇人たちが阿房宮に奔《はし》りこむ前日でしたが、サブルの運勢はすでに森羅万象界に照らしだされていたのです。この冷たい土星《ゾハル》、乾いている土星《ゾハル》から、導きだされた未来は闇黒《あんこく》、占星図にあらわれた相はほとんど最悪のなかの最悪で、判じられた運勢は血潮にぬられて、不快なことがらの兆《きざ》しばかり。「有史以来なかったことだわい!」賢者の占星家はすっかり仰天して叫んで、仲間の学者連にこれを集会の席で報告するやいなや、ただちにサブルの城門を後方《しりえ》にして遁走《とんそう》いたしました。なにしろ、すでに天運の諸相がすべて土星《ゾハル》の支配下に(専門的にいいますならば影響下に)入っていると読みとられたのです。早晩、魔物の首領が跋扈《ばっこ》して、人心がおおいに乱れるのは確実。どうしたって惨禍は必至。もちろん報告を耳にした学者達も右へ倣《なら》えで逃げだして、異邦の流派に借りられていた旅籠《ハーン》の部屋べやは空っぽ、突如として閑古鳥が啼《な》きました。この一件の反響はいかばかりか! 問題の占星術師が名にし負う八卦見《はっけみ》のなかの八卦見だったから、たいへんです! 卜《ぼく》された吉凶の結果におののいて、市場《スーク》の親方連中は蒼《あお》ざめるわ、遠近《おちこち》から来たる隊商によって奇聞《きぶん》は流布するわ、隣邦三国に弘まり、もはやサブルは往時のサブルとはみなされず、ただひとつの符牒《ふちょう》で呼ばれます。
符牒。はじめは商人間の。ほんの短時日で、それは決定的な異名となり、都市の名前を永劫《とこしえ》に変えてしまいます。
ふさわしい名前はひとつだけ。
すなわち、土星《ゾハル》。
以来、かつての商都はゾハルとだけ呼びならわされるのです。
そう、ここがゾハルでした。呪われたゾハル。一千年後のゾハル。そもそも、アーダムが掌中にした邪神崇拝者の交易都市には名前が(いずれの史書にも)記録としてのこされておらず、わたしがこの本家から称号《よびな》を藉《か》りてゾハルと名づけ(詳細は第一夜を参照。ズームルッドの物語りの冒頭)、物語《おはなし》をすすめたのですから、やっと因果は――蛇がその尾を咬んで、正円の形態《かたち》を生むように――循環したのです。
そう、ここがゾハルでした。一千年後の氛妖《わざわい》の都市。
その巷間《こうかん》、隅ずみに悪行|三昧《ざんまい》が滲透《しんとう》いたしておりましたが、王宮内もまた例外ではありませんでした。むしろ、王宮《ここ》こそがゾハルを虜囚《とりこ》にしている瘴気《しょうき》の(つまり、人びとの精神《こころ》に有害な毒気《どっき》の)源泉であるかのように、荒れていたのです。ああ、その腐敗ぶりといったら! 殿中に跳梁《ちょうりょう》するのは間者《かんじゃ》と隠密《おんみつ》、渦巻いているのは策謀と密計、宰相と諸侯はいちように邪道に堕ちて、破倫の関係があちこちでむすばれて、だれが二重三重に手を組んでいるのやら。あちらに軍隊内で叛旗《はんき》をひるがえす部隊があれば、こちらには大ほらふきの長官《つかさ》あり。道ならぬ行為はありふれてしまい、音に聞こえたサブルの――失礼! いまはゾハルでした――王家の金殿玉楼も、すっかり伏魔殿と化しています。勢い旺《さか》んな僭王《せんおう》陛下も、この凄《すさ》まじい瘴気には太刀打ちできず、突如として僵《たお》れてしまいました。が、どのように臥《ふ》したのやら、家臣たちも詳細を耳にせず、のみならず消息を聞かないようになってしまう始末。一服盛られたとの風説《うわさ》がたちますが、はたして、領内の大公連の叛乱《はんらん》でしょうか? 性悪な大臣たちが酒杯《さかずき》に毒物を入れでもしたのでしょうか? いずれにしても、一週間、二週間と高御座《たかみくら》の空席はつづいて、廷内の長老に将軍であっても拝謁は叶《かな》わず、しまいには「大王《おおきみ》陛下はお隠れになったのだ」とまことしやかに私語《ささめごと》されだし、殿中は風雲急を告げます。と、そのとき! 事態を収拾する示達《おたっし》がありました。御璽《みしるし》の捺《お》された書《ふみ》の内容は「朕《ちん》は病に臥したり、後宮《ハリーム》の寝間の帷《とばり》のむこうにいるが、さいわい快復期にあって意識すこぶる清澄、今後は療養の床につきながら経国《けいこく》の指示を親身《すめらべ》の口を通してつたえるので、臣《おみ》ども厳守するように」とのもの。さらにつづいて「高御座《たかみくら》につかないで政務を執ることについて、批判したい者はその旨申しでれば、ただちに死刑! 叛心《はんしん》あきらかになった者は即刻、一門の末端にいたるまで全員を火炙《ひあぶ》りに処する予定なので、しかと心得るように。以上!」とも通告されておりました。
ところで、王さまが口を藉《か》りると宣言した親身《すめらべ》とは? 権威において正当、血縁において正統、なおかつ後宮《ハリーム》において王さまの看病にもあたれる家族ですから、これらの条件を満たすのは王さまの姫|御前《ごぜん》ただひとり。いかにも、ドゥドゥ姫です!
代弁を托《たく》されたのは、なるほど、ひと粒|種《だね》の王女だったのです。
爾後《じご》、後宮《ハリーム》からは続々と大臣連に対して指示が飛びますが、これはまるで恐るべき独裁者の令達《おたっし》ではありませんか! あっというまに殿中の(目下のところの)権力構造を把握して、貴顕高官らの力関係の見取り図をわずかな下知《げじ》で切りきざみながら再編し、一から十までを掌握し、姦策《たばかり》ある家臣どもは死罪! 死罪! はたまた終身刑! まるで王さまの摂政の役割についたかのようなドゥドゥ姫のふるまいに、しかし、異議を唱える者はたちまち(事前通告どおりに)首を落とされ八つ裂きにされ、火炙りにされて、先日までの伏魔殿からは不満も疑念も不審も批判も、いっさい絶えます! 不審、といいますのは、しだいに御殿深く、後宮《ハリーム》からのご諚《じょう》は玉璽《ぎょくじ》が捺されていなかったり王さまのものとは思えない采配《さいはい》の揮《ふる》いかただったり、なにやら怪しげな領域に突入したからですが、しかし王宮内の昏迷《こんめい》はすでに落着《おさまり》がついて、指揮系統がしっかりしていれば細かいことは不問というのが暗黙の諒解《りょうかい》事項。じっさいの国務をつかさどるのが病褥《びょうじゅく》の大王《おおきみ》陛下であっても(建前はそうですが)その代弁者のドゥドゥ姫であっても、どちらでもよいとの大胆きわまりない認識が宮居《みやい》じゅうに浸潤していて、王さまは実質的に傀儡《くぐつ》。「いや、あれはね、後宮《ハリーム》で獄につながれているんだよ」との蜚語《ひご》がささやかれたりもしましたが、廷臣は揃って「うん、そういうこともあるかもね。あっはっは」と笑いながら馬耳東風の態《てい》!
ああ、いかに、この展開《なりゆき》や? アッラーは全智全能の神でございます!
さて、二週間、三週間とまたずとも、後宮《ハリーム》の実力者はその多大な権勢《ちから》を揮って忠臣ばかりを生きのこらせましたので、いまや全家臣がドゥドゥ姫に……王女の御前にひざまずいています。やがて、内実の相においてばかりではなく、形式《そとみ》においても家臣連がひざまずく場面が到来しました。その日、ゾハルの実権掌握者は公然と朝の謁見の間に姿をあらわしたのです。後宮《ハリーム》から、百人の宦奴《かんど》と百人の腰元をずらり背後にしたがえて、左右には武装した黒人奴隷と白人奴隷を好一対、まさに双壁《そうへき》の衛《まも》りとして配して、このおびただしい奴婢《ぬひ》の大軍とともに政務所《ディワーン》に顔をだしたのです。そう、その顔容《かんばせ》を! いかさま、面紗《めんしゃ》は垂らしておりましたが、あきらかになった瞳《ひとみ》だけで妖冶《ようや》な蛾眉《がび》は一目瞭然《いちもくりょうぜん》。まさに艶容《えんよう》いわんかたない処女《おとめ》であり、臈《ろう》たけた風情によって政務所《ディワーン》に居あわせた家臣連をただちに床に平伏させます! この美姫《びき》こそが、ゾハル王の代理として国事をつかさどっている王女そのひとにして、父親の王領を「受け継いだ」人物であるとだれもが納得し、反射的にひれ伏したのです!
「大臣《おとど》がた、おはようございます! きょうはすばらしい善と光とアラビア耶悉茗《ジャスミン》の朝でございますのよ! それとも薔薇《ばら》の朝《あした》? だめだめ、わたしの言語感覚では詩情がちょっぴり足りないわ! あら、この空いている御座《おまし》は、もしかしてお父さまの高御座《たかみくら》? 玉座でござりますの? どうでしょう、みなさん、わたしすわっちゃってよいかしら?」
などといいながら政務所《ディワーン》をねり歩き、背後にひきいていた奴婢たちを大広間のそちら、こちらとちらして立たせて、同時に列座している家臣連をねめまわし、その老いも若きも射るような婀娜《あだ》っぽい目《まな》ざしが数えあげるところ、重臣たちがいるわいるわ、貴顕大公や法律学者や百人隊長に千人隊長、文武の百官が勢揃い。面紗で覆われた十四歳の処女《おとめ》の口もとは、にたーっ、と猥《みだ》りがわしい嬌笑《きょうしょう》をたたえました(ですが、列席者一同には目撃かないません)。そして、ちゃっかり! ゾハルの玉座についたのです。
ああ、かつて次代の王位をものにした年長の兄弟をうらやみ、辺地の副王であった弟王子が軍事力《ちから》によって簒奪《さんだつ》した都の高御座を、こんどは、その愛娘が奪ったのです。
「あら、この御席《おせき》たら、わたしの口にはだせない部分(臀部のこと)にぴったり。まるであつらえたみたいだわ! ここなら毎日でもすわってみたい! 大臣《おとど》がた、いかがですの? 正式な王位なんて要りませんから、わたし、ただ日々《にちにち》この高御座について、命令を下してもよいかしら? ご不満の御方《おかた》がいらっしゃったら、面《おもて》をあげてみて」
すると、これは意外! まだ分別のある家臣がのこっておりまして、ついと前方《まえ》に進みでてドゥドゥ姫にむかって顔をあげると、その面《おも》ざしは神々しいばかりに照りわたり、ただちに忠言のために口をひらきます。「それがしは、このような所為《しわざ》は軽挙にほかなら――」
「はい、殺しなさい」
このひとことで、王女の左側に侍《はべ》っていた黒人奴隷が太刀をぬき、ズバッ! ただちに諫言《かんげん》者たらんとした家臣の首を刎《は》ねました。
「ほかにご不満の大臣《おとど》は?」平然と王女は問いかけをつづけます。
滅相もない、滅相もない! と列席した廷臣全員が反応して、ああ、ついに! 分別と節義をまっとうしうる人間は王宮内より絶えたのです! 真《ま》人間の絶滅――そうして――兇漢《きょうかん》、幇間《ほうかん》、ふた股《また》者に保身主義者ばかりが存生《ぞんじょう》し――かつ――蔓延《まんえん》です。ゾハルの瘴気《しょうき》(あの超自然的な邪気!)の淵源《えんげん》であったかのような王宮は、ほんとうに悪玉ばかりの巣窟《そうくつ》に、堕落の金字塔になり果てたのです!
して、その悪玉どもの親玉は?
もしや……高御座にちゃっかりすわっている、芳紀十四歳の絶世の佳人なのでは?
金糸の縁飾りのついた面紗のしたから、ドゥドゥ姫は典雅にして卑猥《ひわい》、なんとも淫靡《いんび》な声音で、政務所《ディワーン》の一同に確認しました。
「では、みなさん、わたしに忠誠を誓ってね!」
誓わないでいられましょうか。いまや貴人たちの性《さが》は地獄の第七層に堕ちました。天下にまたとない器量のもちぬしの御前に、ひれ伏し、その魂の闇と穢《けが》れをいっさいがっさい掌握されて、領内の大公連はよろしく王女に忠順を警いました。うやまって、うやまって、忠良な臣下に。
ひとりのこらず。
以上が、地底の都市《まち》に比較される地上の都市《まち》の――地上の王領の首府たるゾハルの、その中枢部における動向《なりゆき》、その動向《なりゆき》の詳細でございます。この仔細《しさい》のはてに、さまざまな王命が発せられます。たとえば、奇人という奇人が全国から狩りあつめられたり(その総数、八千と八百と八十と八人!)、当世のイスラームの版図内では双《なら》びたつ名声を有している者などいない建築家一族を召して、あらゆる手段《てだて》をもちいて招聘《しょうへい》して地中に展開している巨大|遺蹟《いせき》の改築という大事業を請け負わさせたり(迷宮を分解して、同時に、迷宮を再建!)、そして――地下空間が居住可能な都市《まち》に成長すると、高御座にいた王女が「準備はととのったわ!」と嬉々《きき》として叫んで、全重臣に命じて――布告《ふれ》がだされたり。
布告《ふれ》。
いかにも、それは渙発《かんぱつ》されたのです。万民に対して釈《と》かれた内容は、ゾハルの道徳的|顛落《てんらく》には理由があり、その原因によってこそ、腐敗ははびこって市内は諸悪大罪に充ち満ちている――というもの。ゾハルの通りという通り、城門という城門、市場《スーク》という市場《スーク》で、主命を拝した役人たちが以下のように徇《とな》えてまわりました。「このたび城市にまぢかい砂漠から邪悪きわまりない地下遺蹟が発見され、その千尋の秘奥には古《いにしえ》の魔王が瞑《ねむ》っていることがあきらかになりました。さいわい、大王《おおきみ》陛下の先見の明あふれるご諚《じょう》によって遺蹟内の普請もとどこおりなく進み、魔神のなかの大魔神(アッラーがこの魔王を詛《のろ》い給いますように!)が棲《す》み処《か》としている迷宮深層の玄室の手前まで、容易にたどりつけることになりましたので、つきましては魔王征伐に名告《なの》りをあげる勇者を募集します。年齢経歴いっさい不問。なにしろ地底の魔王《まおう》こそは諸悪の根源、ありとある兇変と破滅のみなもとですから、みごとに斃《たお》した傑士には目も眩《くら》まんばかりの財貨と名誉、王領内での永代《とこしえ》の地位、さらには――傑士そのひとのご所望ならば――大王《おおきみ》陛下の姫御前との結婚もかないます。なにとぞ奮《ふる》ってご参加ください!」
ああ、発布は完了! そして、この(ゾハルを襲っている数ヵ月間の)氛妖《わざわい》の原因も判明したのです。これは希望でございました。なにしろ、その因縁《もと》を絶てば、市内にはふたたび平穏と友愛の情がもどると告げられたも同然ですから! 邪気の猖獗《しょうけつ》以来、はじめての明るい見通しです。お布告《ふれ》はこのうえない朗報でございました。
ですから、都の――かろうじて倫理観ののこっていた――人びとは歓喜して、それから、たちあがった勇士たちを歓迎したのです。
志願者たちを。
地底行の志願者たちを。
われこそは、古代の魔王を打倒せん!
緑野《オアシス》都市であり、交通の要衝として隊商路を四方八方《よもやも》に発達させていたゾハルに、たちまち自称「勇者」たちは群れをなして到着します。わるい風聞《うわさ》が弘まるように、奇聞が流布のかぎりに流布して隣邦三国を震駭《しんがい》させるように、お布告《ふれ》の内容はたちまち王領の内外|隅《すみ》ずみに滲透《しんとう》して、急使が駛《はし》るように知れわたって、一日め、二日め、三日め、さらに一週間めと、膨れあがりながら自称「勇者」たちは――あるいは単身、あるいは集団で――ゾハルの都城《みやこ》に到来します。われさきに、われさきに、手柄を先行者にものにされてしまっては、褒美にはありつけません。争奪戦です。だれかに事前《さき》に掠《かす》められてなるものか! そうして足の速い馬にまたがり、駱駝《らくだ》の隊商にまじり、続々やってきたのは、魔王を討ち滅ぼせるとの自負に憑《つ》かれた魔術師に剣士、魔物|祓《ばら》いの托鉢僧《ダルウィーシュ》たち。家宝の護符を身に帯びた貴公子もいれば西方遍歴のさなかにあった印度《ヒンド》の沙門《しゃもん》も、フェズの町からやってきた巡礼のマグレブ人も、王女と寝たいと願うゾハル市内のただの好色漢も、あるいは半年まえにスーダンで職を失した警察署長も。おのれこそは要請に応えて出現した救世主! とばかりに、鎧兜《よろいかぶと》のいかめしい面々が、バタバタあらわれます。甲冑《かっちゅう》に身を固めた騎士たちが、砂漠をわたって、大挙して来ます。なかでも装備が充実していて人員構成の面でも群をぬき、ゾハルに馳《は》せ参じるのも早かったのは隣国の王子です。じつはこの若君《わかぎみ》殿、かねてゾハル王のひとり娘の比《たぐ》いのない美貌《びぼう》、当代に双《なら》ぶ者のないといわれる麗容のうわさに恋の矢につらぬかれていて、すわ、好機到来! とばかりに、目的達成ののちには王女そのひとを褒賞にもとめるために(それ以外の財宝や地位などはどうでもよいものでした)あらわれたのです。
なにしろ若君殿が背後にしたがえていたのは、諸国に名だたる剣豪の護衛長に束ねられた猛者《もさ》百名から成る護衛軍団。魔王を討ち果たす最後の一撃はみずから放とうとも、それ以外は手勢にやらせて危険はあまさず回避しようとの魂胆です。どっとばかりに砂漠の地下都市の入り口に押しよせると、武具に身を固めた強兵《つわもの》たちを先頭に立てて、あるいは左右に配し、天才建築家の一族が再建した――かつ現在も工事続行ちゅうの――地底の空間に降りて、まずは結構の壮麗さをきわめた地中庭園と集会所に陣をはり、そして準備万端、石造りの通路を下方《した》に、下方《した》にすすみ、なかば迷路の余韻を浴びながら降下をつづげ、ついには奈落の底、阿房宮の深層部に達したのです。たしかに、安全に、到達したのです。
さて、結果は? あっさり全滅しました。地下都市の基底の層に玄室をしつらえた古《いにしえ》の魔王は、闖入《ちんにゅう》する百人と若君殿の討伐隊を、あっさり、かたづけてしまったのです。仰天したのは自称「勇者」たち、われさきにと争っていた魔術師や剣士たちです。百一名の軍団に追いぬかれたときには「ああ、ずるい!」と臍《ほぞ》を噬《か》むばかりで、もはや手柄をわが身が獲《と》ることはむりと決めてかかっていたのに、あにはからんや、機会はいまだ眼前に転がっているではありませんか! と同時におののき慄《ふる》えもしました。完璧《かんぺき》に武装した百人超の強兵《つわもの》でも太刀打ちできない? この現実に、――いやいや、多人数だから有利だということはない、狭い地底の空間内では寡《すく》ない人員のほうが動きやすいから、ようするに王子の一行は戦法をあやまったのだ、なにしろ魔王がいる場所は(狭いどころか、一個の)閉ざされた石室ではないか? 扉をぬけて入れるのはせいぜい一度に二、三人、そのたびに内部《なか》にいる魔王に屠《ほふ》られて、あれでは順番に獅子《しし》の檻《おり》のなかに飛びこむのも同然だ、檻のまわりに屯《たむろ》する軍勢の多寡にそもそも意味などあるものか――、と解説する者もいれば、――いやいや、魔王には武器の類《たぐ》いは効かないという証左があれだ、きっと妖術《ようじゅつ》で身を守っているのだ、魔法をもちいなければ対抗しえないぞ――、と解釈して、自称「勇者」のなかの妖術師と手を組む剣士もいます。とはいえ、すでに何人もの魔法つかいが秘奥の玄室で生命《いのち》を落としているのですが。
はたして地上の人間にしとめうる魔神《ジンニー》なのか? との疑問はつきまといましたが、はなから危険を冒して褒賞をかちえようとゾハルに参集し、阿房宮入りした偏物《かわりもの》たちです。あえて布告《ふれ》に応じて魔王征伐に志願した背景があるのですから――それも、自称「勇者」の全員がです!――ちょっとやそっとでは、まず、へこたれません。情報だって漸増しはじめています。魔王の玄室に関する情報(逃げ帰った者によると、そこは美しい、数学的な方形の部屋だそうです)、魔王そのものに関する情報(なにしろ醜怪な面相をした、蓬髪《ほうはつ》の、なかばミイラと化したかのような容姿《すがた》で、石の寝台からわずかに半身を起こして侵入者をむかえるのだそうです)、さまざまな事実が日を逐《お》うごとにあきらかになって――ときには虚報として――ときには仲間うちで高値で売られる内密の情報として――魔王との対決に焦がれる剛毅《ごうき》果断の自称「勇者」たちのあいだに弘まり、実践的な知識は蓄積されて、状況は日を累《かさ》ねるごとにゴロゴロと好転。敵手についての蒙《もう》が啓《ひら》かれて、個々人ごとに作戦はねりにねられます。
さて、しかし、汐時《しおどき》はいつと判断すべきか? 個々人はそれぞれに迷います。いま手に入る情報だけを利用して、さきがけて古《いにしえ》の魔王の玄室にむかい、打倒の機会を得るべきか? それとも、あと何人かが挑戦して身命をなげうつのをまち、この地下都市の最深部からさらに貴重な情報がひき揚げられるのを期待すべきか? なにしろ、基本的には死か、勝利か、二つの結果しかありません。手柄はほしいが、準備もじゅうぶんにしたい。自称「勇者」たちは、たがいの動静を探りあい、ぬけがけの時宜《じぎ》を見計らいます。
その必然的な展開《なりゆき》ですが、自称「勇者」たちはこぞって砂漠の地下都市内に居《きょ》を移しはじめました。それまではゾハル市内の旅籠《ハーン》に逗留《とうりゅう》していたのですが、いざ先行《ぬけがけ》! のときに損失となる時間が見こまれる。即行、ほかの人間にさきんじて動けなければならない。最新の情報を獲得するにも、阿房宮内に逗《とど》まりつづけていたほうがよい。以上のしだいで、練達の騎士に方術の道士の集群《むらがり》は砂漠から地中の都市に降《くだ》ったのです。なんといっても、そこには巨大居住区が用意されています。ゾハルの国家事業として、地下庭園から集会所(それは隣国の若君殿がつい先日、百名の護衛軍団とともに陣を構えた一帯です)、共同家屋に給水泉《サビール》、のみならず型押しの入ったタイル鋪《じ》きの広場と大噴水、市場《スーク》から遊園地まで完成しています。もっとも重要なのは食糧の補給でしたが、これは八千八百八十八人の奇人の集団が養われていた時期の技術的な構成と手ぎわをそのまま活かして、さらに大規模に変えて、やすやすと対応されました(むろん、この対応も王命によってなされたのです)。旅寵《ハーン》の宿泊料はかからず、おまけに食費も無料《ただ》とあっては、市内から地下都市に移らないむきがありましょうか? よほどの偏屈や烏滸《うつけ》や金満家はべつですが。しかし、自称「勇者」の大半はこれを機になりあがろうとする人間たち、喜んで続々地中の都市《まち》に棲みつきはじめます。
巨大迷宮の第二の住人が出現したのです。奇人集団と、これらの武士《もののふ》、まじない師、隠者同然の修道僧、あらゆる形態《かたち》での浪人たちは、隣人として共存《きょうそん》を開始したのです。いやはや、壮絶にして奇怪千万な情景がわさッわさッと萌《きざ》します。自称「勇者」たちを扶養する目的の補給品は(それは輜重《しちょう》と呼ぶのもふさわしい代物でしたが)、同時に、あいもかわらず地中の巨大迷宮内に棲んでいる――いまでは一万人にもちかい(職人や掘子の発癲者を追加しつづけているため)――奇人集団をあまさず食わせて、饑餓《きが》の虞《おそ》れからは切り離します。といっても、すでに夢の迷宮に適応した痴人《しれびと》たちは、あらまし自給自足で――その超越的な生存技術を磨いて――暮らしはじめていたのですが。自称「勇者」はゾハルの王領の内外からひきも切らず、お布告《ふれ》を耳にして都城《みやこ》にあらわれてはついでこの地下都市に移り棲《す》みますので、新顔の居住者のわりあいは増えるいっぽう。傲岸不遜《ごうがんふそん》、豪放無類の極道者たちが弦《つる》をはった弓と矢筈《やはず》をつけた矢を手に、鎖帷子《くさりかたびら》を着こんだ装束《いでたち》で、円楯や刀剣や鎚矛《つちほこ》等の戦《いく》さ道具をめいっぱい抱えて棲みつきはじめれば、目利きの商人《あきんど》たちがそのあとを追って、阿房宮内には鍛冶《かじ》屋の職人街も誕生し、地底の都市《まち》は大繁盛です。のみならず、さきの天災(五十度の異常気象に附随するかのように起こった種々の惨禍)で家屋敷をうしなったゾハルの住人は、その何割かは復興の波にものれずに仮寓《かぐう》も得られない無宿者と化していましたので、家賃なし食費無料のうわさを聞きつけて地下居住者の第三の群れにばけましたし、そこまで貧乏をきわめていない階層からも、同様の行動にでる人間は――頻出とはいえないまでも、しばしば――あらわれました。それぞれの事情から、一家や独身者《ひとりもの》たちが家財道具いっさいを荷作りして、遺蹟《いせき》を改造した都市《まち》に引っ越してくるのです。なにしろ空き部屋は豊富、しかも地下迷宮の改築工事は続行ちゅう! 居住施設はふえるばかりで、さらに、さらに、住環境も充実します。
おまけに魔物もいて、財宝《おたから》もありました。
初期の移住者たちは「魔王の玄室にただちに直行できるか、いなか」ばかりを念頭において、これについてはいささかも想定していなかったのですが、徘徊《はいかい》する化物《グール》は、恰好《かっこう》の腕試しとなりました。人外境の生物《いきもの》相手に発止《はっし》とわたりあえるかどうか、瀬踏《せぶ》みするには最適だったのです。地下都市はたしかに、建築家一族の天賦の才によって居住可能な空間に改造されておりましたが、それは巨大な阿房宮の体内にぽっかり空《あ》いた洞《ほらあな》のようなもの。地獄の処刑《おしおき》設備を具《そな》えた無限迷路の脅威が軽減されているのは、この再建途上の領域だけで、そこから一歩足を踏みだせば、外側《そと》には妖怪《ようかい》がうようよ! 安全地帯から足を踏みはずせば、いつでも化物《グール》に邂逅《かいこう》できます。さあ、自称「勇者」たちの迷宮徘徊がはじまりました。阿房宮の四方で、八方で。東と斜め下とおとといと隠し部屋で。未来と二軒隣りの中庭の井戸の、暗渠《あんきょ》のどこかで。腕試しに運試し、手慣らしに足慣らし。化物《グール》が横行するように、自称「勇者」たちが彷徨《ほうこう》します! こうして、地下都市の外部《そと》の領域、すなわち正気の人間には居住不可能な、安全ならざる、奇人たちの桃源郷にほかならない悪魔的《シャイタニ》な夢の世界は、調練の場、技術を練磨するための一種の演習場と化したのです。
自称「勇者」たちの。
奇人たちの居住空間が、練成の場に。
しかも、ああ! 魔物を斃《たお》せば財宝《おたから》が手に入りました。迷宮の奥に棲む化物《グール》に魔霊《マーリド》は、古今の秘宝をそれぞれの栖《す》にかき集めて、わんさと貯めこんでいたのです。迷路のいたるところに簇生《そうせい》している魔物が、宝物のもちぬしでもあったのです。本末|顛倒《てんとう》ではありましたが、褒賞の財貨を目的に地底の都市《まち》に棲みつき、魔王征伐のために迷宮内での小手調べを敢行していた自称「勇者」たちは、この過程でしこたま金銀財宝を獲得して(もちろん、獲得できずに生命《いのち》を落とす者もおりましたが)、すっかり満足できたのです。
これはまたなんとしたことか! 魔物は殖《ふ》えつづけます。阿房宮内に、地下都市の辺地に。無限界の迷路の涯《は》てに。ながされる血のためでした。屠《ほふ》られる者の絶叫、撒布《さんぷ》される恐怖のためでした。ついに、迷宮から「退屈」は駆逐されたのです。悪夢はその奔放さを獲《と》りもどしたのです。魔妖《まよう》が涌《わ》きます――あとからあとから――なぜならば怪鬼《かいき》に妖霊の類《たぐ》いが喰らうのは苦悶《くもん》する魂であり、人間の血に屍肉《しにく》、戦慄《せんりつ》という感情であり、それこそが食糧《かて》だったのですから! 自称「勇者」たちは、結局、おのずから魔妖の大軍を喚《よ》んだのです。阿房宮はふたたび「魔窟《まくつ》」に変じたのです。
ふたたび――一千年まえと同様の――万魔殿に!
一年間におよんだ紆余《うよ》曲折を経て、万魔殿の威名《ほまれ》を獲り返したのです。
自称「勇者」たちとその他の地下居住者たちに、地上のゾハル政府から生活必需品が給養されるように、魔物たちには自称「勇者」たちの腕試し(の結果としての悶死)という食糧《かて》がじつに定期的な頻度であたえられて、養われつづけています。化物《グール》の増殖は当然、しかも迷惑をこうむっている者はいません。阿房宮が万魔殿と化して、自称「勇者」たちは練成、上達、習熟のための最高の舞台を手に入れただけですし、おまけに財宝《おたから》つき。化物《グール》は化物《グール》で、人肉が喰らえてご満悦です。なんと豊富な獲物じゃわい! とばかりに、躍りかかってくる剣士なり方術のつかい手なりをかたっぱしから餌食にします。この展開《なりゆき》はまったくもって双方の利益でした。
ところで、人間たちの側には最終目的、すなわち魔王打倒という目標がございましたので、地下都市の外側《そと》ではこのような死闘と財宝《おたから》強奪と化物《グール》の増殖劇が――ある種の利潤《もうけ》の交換として――くり広げられるいっぽう、安全地帯である石造りの居住地内では、情報交換のための地域社会が生まれつつありました。アジャム人(ペルシア人)がある一定の区域に集まり、ガマリーヤ地区(カイロのナスル門の南方)の交易街にシャームの商人《あきんど》が密集する街区《ハーラ》が生まれるように、剣士の一党や魔術師の一党はそれぞれの毛色をたがいに見きわめるかのようにうちつどって棲み、住居《すまい》を隣接させました。このほうが、おのずと魔王征伐に関する実践的な情報が得やすいからです。妖術師《ようじゅつし》が印度《ヒンド》の剣とルダイン製の長槍《ながやり》の効用を説かれたところで、なんら利する部分はありません。妖術師はやはり妖術師同士で、たとえば魔族の妖怪変化をつかいこなす秘法を教授しあったり、隠れた宝物をあかるみにだす幻術をそれを知らぬ隣人に(技術に値段をつけて)売ったり、さまざまな妖魔の化身《けしん》や変化《へんげ》についての勉強会をひらいて、そこから古《いにしえ》の魔王の正体についての類推、弱点についての私見を述べあおうと群れたり、このように効率的に動いていたのです。
地下都市のなかに誕生した剣士やその他の地域社会というのは、見方によっては組合のようでもありました。全員が時おり会《かい》して、たがいの伎倆《ぎりょう》を評しあい、「では、今回はこちらの旦那《だんな》に魔王との対決をお願いしましょうか」等、結論をだすのです。われさきにの争奪戦と化していた初期の様相とは異なり、なんと申しますか、分別のある規則のようなものが――ほとんど独りでに――輪廓《かたち》をなしつつありました。剣士たちの会合でしたら、その何日間かにもっとも魔物の駆逐度が高かった強者、化物《グール》を粉みじんにたたきつぶして、犬や猿や豚の面《つら》をした首を飛ばし、深紅や緑色の血潮を噴きに噴かせた万夫不当の剛の者が自薦他薦されては(これは一人だけのばあいもあれば二人、三人と組をなしてのばあいもありました。それぞれの戦法に拠《よ》ります)、阿房宮の最深部にむかう――魔王の玄室の域に派遣される――のです。鍛えに鍛えた刀を肩につるし、さらには「物《もの》の怪《け》の急所はこれだ!」との確信を得て、同業者のあいだから選びだされた豪胆きわまりない命知らずの武士《もののふ》が、いざ決戦! 偃月刀《えんげつとう》をふるい縦横無尽にふた振りの刀剣をあやつる奥義を披露し、けれども薙《な》ぎ斃されるのは現在までおしなべて――ああ、いわずもがな!――古《いにしえ》の魔王ならぬ挑戦者の自称「勇者」ばかりなのですが、いずれにしてもこのような評議が(剣士たちの地域社会のなかでは)通例となっていたのです。もちろん、ぬけがけは本人の判断しだい。組合に黙って秘奥の玄室におもむいても、それで罰せられることはありません。
ありませんが、汐時《しおどき》を見きわめるには、この例会に参加しつづけたほうがよいのは一目瞭然《いちもくりょうぜん》。思いあがった徒輩《やから》、不遜《ふそん》の連中も「われがちに」の精神を棄てているのが実態でした。
このようなみぎり、地下都市に愕《おどろ》くべき力量を有した剣士が出現しました! 面《おも》だちはめざましいばかりに美しい、鬚髭《ひげ》もはえ揃っていないような若者で、なにしろ満十七歳になったばかり、しかし眉宇《びう》にみなぎる勇猛の気性はいかなる剛勇無双の王者にも劣らない、まるで遜色《そんしょく》のない鮮烈さで、いかなる化物《グール》も一瞬しりごみさせるほど。さらに、その剣技といったら! まさに実戦で叩《たた》きあげた窮極の技術《わざ》で、いうなれば神業と――基本を無視した、独り学びの――荒技《あらわざ》が奇蹟《きせき》的に一体となって、迷宮の涯てでの戦闘《せんとう》ぶりを目撃した剣士仲間(彼らはその若者に乞《こ》われて演習の場である迷路《まよいみち》に案内したのです)を呆然《ぼうぜん》とさせます。しかも、もちいられている太刀が、これぞ一見して稀代《きたい》の秋水《しゅうすい》! 一点も曇りのない名剣ちゅうの名剣で、刃《やいば》のきらめきは明鏡さながら。若者は右肩に綬帯《じゅたい》をかけ、この太刀を携行して、魔物が忽然《こつぜん》と目のまえに顕《た》ちあらわれるや、ただちに鞘《さや》をはらって斬りかかるのです。そして、敵勢の数にかかわらず、刹那《せつな》に殲滅《せんめつ》!
たちまち若者は勇名を馳《は》せて、一躍、地下都市の剣士たちのあいだで時のひととなります。
では、その美丈夫の名前は?
サ?
サフィ?
サフィアーン!
これはサフィアーンではございませんか! ああ、一年間あまりの遍歴を経て、われらが主人公は世界《このよ》の辺境からもどったのです。その仔細《しさい》はこうでございます。巨鳥から鬼神《イフリート》に変じた霊剣が、ただの刀剣《つるぎ》に化けてしまったために大嶽《たいがく》のいただきにとりのこされていたサフィアーンでしたが、病み衰えはてた肉体《からだ》もなんのその、天空に聳《そばだ》った高峰からじつに七晩八日をかけて下山を果たし、しかも餓《う》えにも勝ち、水のない荒原をさまよっての渇きや疲れも討ち倒して、毒風に吹かれても仆《たお》れずに、二週間を生きのび、四週間を生きのび、あらゆる困苦の二ヵ月をたえ忍び、病身から復帰して、みごと! 足腰、筋肉、内臓の強化を果たしていったのです。では精神はといえば、こちらは正統の血の由来を得たことから希望に燃えて――燃えに燃えて――帰郷の意志《こころざし》は強靭《きょうじん》のきわみ、それこそダイヤモンドの硬さです。衰弱も疲弊も消耗もありません。さて、故国に歩をすすめる日々、ずんずんと足を運びつづける日月《じつげつ》、おそろしい森で獅子《しし》や豹《ひょう》、山猫などの狂暴な獣に襲われても、剣《つるぎ》を頼んで果敢に逆襲! 喰われるかわりに、襲って刻んで(アッラーの御名を唱えて)息の根を止め、その肉を獲物として腹に入れ、もりもりと筋肉をつけ、さらには渺茫《びょうぼう》たる曠野《あらの》で悪霊や魔神に出遇《であ》っても、サフィアーンを八つ裂きにせんと食屍鬼《グール》があらわれても、手にした霊剣でこれらを撃滅! まさに剛勇無双の剣士に変じます。サフィアーンに侍《はべ》る刀剣《かたな》が尋常ならざる魔剣であったのに加えて、サフィアーンそのひとが、武芸に秀でた父親、祖父、曾祖父《そうそふ》、曾々祖父というきわめつきの血を継いでいたのです。剣術において達人となるよう定められたかのような天賦の才が、その身にしっかとあふれていたのです。そうして異郷を流離《さすら》いながら冒険に冒険を重ねて、猛獣や魔物を相手に百戦錬磨、実戦をつみにつんだサフィアーンが、ちょうど一年後、めざす故郷への帰還に成功しました。ああ、苦難の月日、永かった流浪の道程《みちのり》よ! しかし、完璧《かんぺき》なる帰郷が果たせたわけではありません。なぜならば、この間《かん》に、サブルの都市《まち》は失せてゾハルが生まれていたからです。
悪しき城市が。平穏の聖都に、ゾハルがとって代わっていたのです。サフィアーンは故里《ふるさと》にもどったつもりでゾハルに到着したのです!
ここにおいてサフィアーンは猖獗《しょうけつ》する邪気やら悪行|三昧《ざんまい》やらを目撃し、すっかり仰天しましたが、ああ、真実《まこと》の愛とは偉大なものよ! わが家の門を叩けば、まっていたのは一家《アーイラ》の大歓迎です! 一年まえ、臨終の床に就いたかのようなサフィアーンが突如として家屋《いえ》の天井を割ってあらわれた巨鳥にさらわれて以来、家族はみな、この義子《むすこ》――あるいは義兄弟《きょうだい》――は死んだものとあきらめていました。葬式までだして喪に服していたのです。そこに、ひょっこり! 帰ってくるではありませんか。門口に立つのは十七歳の美丈夫、以前からの完全無欠の眉目《みめ》かたちに、さらに剛毅《ごうき》な気配をまといつかせて、燦然《さんぜん》たる刀剣を佩《は》いています! でむかえた一家《アーイラ》は騒然、再会のあまりの歓びに養父母にいたっては失神しました。われに復《かえ》ると、うれし涙にかき暮れながら叫びます。
「サフィアーンや!」
「おっ母《か》さん!」
「サフィアーンや!」
「お父《と》っつぁん!」
「まあ、ほんとに、うれしいねえ。おまえは死んで帰らないものだと思っていたよ。だって、すっかり消息不明なんだもの。あんな怪鳥《けちょう》につれさられて、万が一にも生命《いのち》が助かっているなんて想わなかったよ!」義母《はは》親が涙ながらに語れば、義父《ちち》親も洟《はな》をすすりあげながら、「わがはいもじゃ! こりゃ魂消《たまげ》たわい! サフィアーンや、まんざら人生って捨てたもんじゃないなあ。人間万事|塞翁《さいおう》が馬じゃ!」と動顛《どうてん》ぶりをさらけだした口調《ものいい》で語り、義子《むすこ》を抱きしめては額に頬にと接吻《せっぷん》します。サフィアーンは訊《と》われるままに(義父母や義兄弟に)わが身にふりかかった一部始終を物語り、そのあとで「それにしても、この都市《まち》はどうなったんです? まるで魔王《イブリース》の地上の属領、蘆薈《アロエ》の巷《ちまた》じゃありませんか?」と訊《き》きましたが、義母《はは》親がこれに答えるには、「それがねえ、サフィアーンや、なんだが悪魔《シャイターン》に憑かれたかのようなありさまなんだよ。お布告《ふれ》によれば、じっさいに邪悪な魔王が復活したらしいよ! それで、娑婆《しゃば》のお人好したちが軒なみ悪《ワル》になっちゃって、こちとら商売あがったりさ! ほら、あたしたちは義子《むすこ》のあんたに感化されて、そもそもの悪辣《あくらつ》な、っていうか破廉恥な本性をあらためてるから、免疫できててさ、いちど悪から善に目覚めているから、魔王の奥津城《おくつき》から噴きだした瘴気《しょうき》ごときには染まらなかったんだね。さいわい癲《たぶ》れずに毎日をしのいでいるよ!」
この説明にサフィアーンはまたもや驚倒しましたが、それよりもなによりも、お布告《ふれ》の内容というものを詳細に問うてみると、なんと! 魔王を課した功労者にはドゥドゥ姫を嫁《か》するばあいもあるとかなんとか、とんでもないことが語られているではありませんか! サフィアーンはみるみる蒼《あお》ざめ、ぶるぶる顫《ふる》え、家族の団居《まどい》もそこそこに、すっくと起《た》ちあがって宣言しました。
「お父《と》っつぁん! おっ母《か》さん! その古《いにしえ》の魔王とやらは世界《このよ》の大問題です! 野放しにしちゃおけない! 征伐します!」
「まさか、おまえがかい? サフィアーン!」
「いかにも。いのいちばんに首級《くに》を獲りますとも! この手柄、他人《ひと》にゆずってなるものですか。いいえ、ゆずれはしないのです!」
「ああ、でも、心配だよ!」と義母《はは》親が悲鳴をあげれば、義父《ちち》も「わがはいも、憂慮に耐えんわい!」と絶叫し、義兄弟《きょうだい》たちも「危なすぎますよ、お義兄《にい》さん!」あるいは「義弟《おとうと》よ!」と唱和します。なかには砂あらしが阿房宮をはじめて地上にさらけだした最初期に、あの「地下宝物殿」のうわさに惹《ひ》かれて遺蹟《いせき》侵入を試みていた義弟《おとうと》(サフィアーンの)もありましたので、その経験から――いかに尋常ならざる場所かを解説して――ひき留めたのです。
「だが、ぼくだって、すっかり尋常ならないぞ。見よ、この業物《わざもの》!」とりだしたのは真実の父親から遺された霊剣です。王家に代々ったある人外境の魔剣です。「この名刀の威力で、勅諚《みことのり》によって托《たく》された使命、果たしてみせるぞ!」
話かわって、地下都市に変じた阿房宮の、深い、深い、深い、九泉《きゅうせん》の下に目を転じます。千載の歳月から夢そのものである迷宮が覚醒《かくせい》するかのようなゆさぶりを受けたのと同様に、そこにもまた、地上からの働きかけにさらされて、覚醒し、怒り猛《たけ》っているものがありました。
忿怒《ふんぬ》の形相もすさまじい、覚醒者が。
ついに永遠の瞑《ねむ》りを覚まされて、玄室に侵入する人間《もの》に臭い息を吐きかけている人型の死魔《しにがみ》が。
それは号《さけ》びます。魔王は。
「おい、こりゃ!」
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13
日没に歓びを見いだす人間は、いよいよ完全に|夜の種族《ナイトブリード》と化したということか。書家も、ヌビア人も、昼よりも夜を待望した。その前夜の譚《かた》りこそ長かったが、もはや生活の歩調もすっかり安定し、払暁から正午にかけての浄書、そののちの睡眠と、調子《リズム》は乗りはじめ、以前の――日没までの――仮眠はその長短にかかわらず、一瞬にして熟睡状態に陥《お》ちるような、条件反射的な安眠と変じて、もはや仮寝《まどろみ》などではない。たっぷりと深い。瞬間的な(瞬間に無限を孕《はら》んだ)昏睡《こんすい》のように心地よい。
仕事には充実感があり、なにしろ、目覚めれば晩餐《ばんさん》がまっている。
日没は幸運である。この珍庖佳肴《ちんぽうかこう》のきわみよ! 食卓には驚くべき美が待機している。あの菓子類のたっぷり揃った晩餉《ばんしょう》から以降、料理人は――書家のために、ヌビア人のために――主題《テーマ》を定めつづけた。翌日には鳩、鶉《うずら》、鴨、鵞鳥《がちょう》(これらの二種は野のものと家禽《かきん》のものが用意された)、鶏(通常の鶏に加えて食肉用に特別に育てられた雛《ひな》の肉があった)、七面鳥などの鳥料理のコース、その翌日には野菜と豆料理、その翌日には獣肉の炊金饌玉《すいきんせんぎょく》、さらに翌日には卵料理の四十と四の皿と、食文化におけるアラブの東西の精華がここに結集したかのような豪勢さ! そして絢爛《けんらん》さ! 用意された色彩と、蒔蘿《デイル》や番紅花《サフラン》などのあまたの薫り。目《まなこ》の歓喜があり、空気ちゅうに拡がる鼻のための喜悦があった。この美食|三昧《ざんまい》! だれが日没を――晩餐を――期待しないでいられようか。
目覚めは書家とヌビア人にとって愉悦である。
そして今晩は魚料理だった。素材の種類はボルティ(ティラピア)、タアビーン(鰻)などナイル河の淡水魚が中心で、鯰《なまず》もならんだが、どのようにして搬んできたのか海産の魚介もならんでいる。塩焼きにされたもの、揚げられたもの、腹のなかに詰めものがされて大きな頭と尾とともに飾られたもの。クスクス(ひき割り麦を蒸したもの)にスープ様《よう》にかけられた煮こみや、レモンが添えられただけで麺麹にはさむように供されたもの、串焼き状の魚肉もある。分厚いバターレク(からすみ。つまり鯔の卵巣を塩漬けにして圧搾乾燥させたもの)も調理にもちいられて、何皿をもいろどった。見るからに――眼前の情景に、数えきれない大皿小皿に――心を奪われているのはヌビア人である。うっとり愉楽の感情にひたりながら、手と舌は歇《やす》まずに動いて、旺盛《おうせい》な(ほとんど妖怪《ようかい》じみた)食欲を示して皿をなめるようにきれいにかたづける。その驚異的な胃袋の情熱! 書家ももうすこし、上品に、呈示された美を鑑賞するようにして魚料理に舌つづみをうった。
つぎつぎと無尽蔵のおもむきで料理は登場して、これをヌビア人がかたづけていったが、なにもこの晩餐にかぎったことではない。連日、そうだった。食欲は増進に増進をつづけて、ヌビア人は運命を――偉大な主《アッラー》に――感謝し、満足とともに堪能した。すばらしい仕事に最高の報酬! そして、どんどん肥《ふと》った。充実きわまりない食事と、そこから得られる栄養、さらに食後の甘味と、たっぷり夢に没《しず》みこむような睡眠。すべてが肥満を促進した。ぽってりからぽっちゃりに、ころころに、むっちりに、そしてでっぷりと。ほとんど神秘的なまでの極端な肥満が進行した。頬ははち切れんばかり、唇はぼてりと厚みを増し、腹はまるまる、ガラビーヤ(おもにエジプトで着られる貫頭衣)は寸法があわなくなって二着、三着と新調するはめになり、ついにつけられた渾名《あだな》は「肥満公」。
なんともしあわせだった。満悦の態《てい》で、俗称「肥満公」はどすん、どすんと屋敷内を歩いた。
ここでは世界は閉じていた。この邸宅のなかでは。ボナパルトの侵攻など、遠い辺地での出来事どころか、べつの宇宙での神話も同然だった。フランス軍の戦艦隊がこの日、ついにラフマニアでボナパルト指揮下の四個師団と合流を果たしたことなど、想像される瞬間もなかった。小指のさきほどの緊迫感もなかった。
世界は閉じていた。もしも地球の全図を描いたならば、それは屋敷のかたちをしていたにちがいない。
その輪廓《りんかく》は。大地も天球も。
緊張は、しかし、よい意味では在《あ》る。たとえば口述筆記者の筆さきにある。それは創造性を刺戟《しげき》する緊張である。この安定した日々のなかで、物語に耽溺《たんでき》する日々のなかで、美しい晩餐に目も舌もその他の感覚器官もあまさず癒《いや》されて満たされている環境に置かれて、書家は弾《はじ》けている。その才能が弾けて、天使のような創造性が筆さきに宿っている。はじめの数日間、もっぱら可読性を優先したナスヒー体の枠組みのなかで浄書をおこなってきたが、しだいに、あるいはおのずと、装飾性が附与されはじめた。イスラーム書道の伝統を超えるかのように、融通無碍《ゆうずうむげ》に、筆《カラム》(筆記用に切断された葦)が疾走《はし》る。曲線文字は印象的に、大胆にながれる。流麗があたりまえの範囲で流麗を超えて、優雅が許された領域での優雅を超える。高い、高い、至高の芸術性が、書《カリグラフィー》の内側に孕まれはじめる。
磨きぬかれた滑らかな紙、その白い輝きに繊細に降臨する、墨の完全な黒さ。
ああ、と書家はわれ知らずつぶやいている。アッラーは人間に筆を教え給う(『コーラン』の凝血の章、第四節)と。
そしてまた、冒涜《ぼうとく》的にも、わが筆にかけて、と。わが芸術の記録するものにかけて、と。
ここでは世界は閉じている。屋敷型の「宇宙」があって、|夜の種族《ナイトブリード》が息づいている。そこに生きる者は――不可分きわまりない――そこの一部である。書家も。中肉中背の下僕から俗称「肥満公」と化したヌビア人も。
美しさが自律する迷宮。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第十四夜は訪れる。
[#改ページ]
※[#底本ではアラビア文字の14]
一千年間、アーダムは瞑《ねむ》りつづけたのでした。夢を摸《も》して造られた阿房宮《あぼうきゅう》の深奥《ふかみ》で、もうひとつの夢の迷宮のなかに。そうです、ほんものの夢のなかに。一千年間。
瞑目《めいもく》し、夢を見つづけました。
みずからに妖術《ようじゅつ》をほどこし、四種類の夢の石室に通じる隧道《すいどう》――狭い、狭い、産道のような――を封じるために不死者に変じて、この封印の玄室を守りつづけたのです。スライマーンの封印ではない、第二の封印を。瞑ってはいたが、死んではいない。一千年間、瞑目して石棺《せっかん》に横たわり――睡眠《ねむり》をむさぼりました。
だが、どこに安らぎがあるというのか! アーダムがおちいったのは記憶の密室にほかなりません。夢を編みあげる素材は、過去、過去、過去、あらたな材料など獲《え》る機会はあたえられず、過去の記憶に呑《の》みこまれたのです。
すべては一度見た夢でした。既視感たっぷりの悪夢でした。あらたに創造される幻想は、アーダムにとっては皆無も同然。なぜならば、すべては予見されていたのです。
すべてが。悪夢のすべてが。一千年ぶんの。
かつて「あすの夢」の石室で、アーダムはそれらを目撃していたのです。より正確に述べるならば、実体化した現実として経験していたのです。みずからの帝国を亡ぼして、阿房宮の千尋《ちひろ》の秘奥におかれた玄室で、石造りの寝台に横たわって瞑目する以前に。
だから、既視感は当然でした。これは再会です。アーダムは――じっさいに就眠する一年半まえに、早《はや》、未来の夢の石室で邂逅《かいこう》していた――悪夢に、再会したのです。第二の封印をみずからの玄室に捺《お》して久遠《くおん》の瞑りに落ちるやいなや。再会し、しつづけたのです。それは去りませんでした。
すでに見た悪夢。塗炭《とたん》の苦しみにあふれ、烈火の忿怒《ふんぬ》にいろどられた、極限の凶夢。鮮烈な図像が幾度も幾度も――顕われ、消えては顕われ、反復しつづけて――いわずもがな、それはスライマーンの印璽《いんじ》です。すでに出邂《であ》っていた未来。将来の懼夢《くむ》。だが、忘れてはなりません。その未来の夢には三つの相《すがた》がありました。「怒り」と「図像」と、そしてもう一つ――「餓《う》え」です。そのひもじさ。そのひもじさ。眠りたいのに眠らないで一年半をすごしたアーダムは、睡眠《ねむり》に対しての饑餓《きが》感に全身をむしばまれ、この記憶は悪夢の最大の供給源となっていたのです! 夢寐《むび》を拒絶したことから由来する「餓え」は、すでに寝《やす》んでいるというのにアーダムを責めさいなみます。耐えがたい飢《かつ》え。永続的な饑渇《きかつ》――
ああ、それは一千年間、つづいたのです!
アーダムは満たされませんでした。眠りながらも、眠い。夢境をさまよい、無窮の時間のなかに眠りたい、眠りたいと号《さけ》ぶ。みずからを封印の守護者に変化《へんげ》させて、この強力な妖術によって息絶えることもできませんから、幻想の「餓え」は終熄《しゅうそく》しません。すさまじい影響を(悪影響を)アーダムの精神はこうむりました。破滅的な影響を。瞑目する以前、あの「不眠《ねむらず》」の日々のあいだに――アーダムは――すでに物質化した睡魔になぶられて、常軌を逸した狂王となり果てていましたが、いまやそれどころではございません。
眠りながら「眠い! 眠い!」と咆哮《たけ》ぶ錯乱者、それがアーダムであったのです。
いわば狂悖《きょうはい》の天子。
さきに記憶の密室にアーダムが陥《お》ちたと申し述べましたが、いかにも、アーダムは牢者《ろうしゃ》です。過去からは逃れられません。つねに烈《はげ》しい苦痛が回帰し、倦《う》むこともできない。夢に見るのは一千の一千乗もの錯綜《さくそう》した場面で、しかも孕《はら》まれているのは無際限の反復です。これはしかし、迷宮そのものでした。阿房宮に構想された無限界の迷路《まよいみち》、そのままでした。密室でありながら、そこからはでられない、一千年の迷宮。閉ざされていながら無辺際の場所である撞着《どうちゃく》の世界。
迷宮と夢はそもそもおなじ建材でできていたのです。
物理的なものと幻影的なもの。
現実の阿房宮と夢のそれ。
そのはてに、暴虐の天子は目覚めました!
だれが封印をやぶったのだ? いや、だれがやぶろうとしたのだ? おれは守護者だぞ。四つの夢の石室に通じている隧道《みち》を、閉ざし、守る玄室の守護者だぞ。おい、こりゃ! 躙《にじ》るな、さわるな、欲なぞだすな! おれは入りこむ徒輩《やから》をかならず追い払う。殺す、殺す、戮《ころ》す!
目覚めて、地獄の業火につき落とすぞ!
それがおれの稀代《きたい》の妖術!
千載の歳月を経て、その詛《のろ》いの術はなりました。成就しました。開けてはならない玄室の扉を、こじ開ける莫迦者《ばかもの》があったのです。ああ、その刹那《せつな》! 悪夢からの覚醒《めざめ》! アーダムは――なかばミイラ化した肉体《からだ》を石棺のなかで動かして――起《た》ちました。狂った妖術師が。世界《このよ》の(ただの人間の)歴史において、まさに空前、まさに絶後、にもかかわらず千歳《ちとせ》の永きにわたる夢幻《むげん》の牢獄《ろうごく》に禁《とじ》こめられていた魔道の大王《スルターン》が。その肉体は朽ち果てる寸前(いや、おおかた果てていました)、その精神は荒廃のきわみ(まるで魂のミイラのようなものです)、しかも秘法は機能して睡眠《ねむり》の檻《おり》はやぶられたのです!
ついに、無限反復の悪夢は!
それは解放だったでしょうか? 一千年の獄舎《ひとや》から釈放されて、――ああ、すべては幻影にすぎなかったのだ――、と胸をなで下ろしたでしょうか? いな。断乎《だんこ》として、いな。警報を鳴らして守護者《アーダム》を目覚めさせた何者かは、どうしたって蛇のジンニーアに利する勢力(人間か魔族かを問わず)にちがいありませんし、おまけに覚醒《かくせい》した魔道の大王《スルターン》はすっかり狂《ふ》れていたからです。夢のなかで嚇《いか》り、覚めても瞋《いか》り、眠りながらも睡魔に苦しめられつづけて、覚めても同様で、どうしたら覚醒《めざめ》の安堵《あんど》をあじわえるというのか! あまりにも永い歳月、悪夢の俘虜《とりこ》でありすぎたので、いまさら解放など不可能だったのです。だいいち、想見するのもたやすいことですが、アーダムが記憶の密室を脱《ぬ》けだしたといっても眼前《ここ》にあるのは石の密室。悪夢の迷宮から釈《と》き放たれたといっても、とり囲んでいるのは現実の阿房宮です。そのどこに区別《わかち》が? たとえば、忌々《ゆゆ》しい妖夢のなかで恋人をあやまって殺《あや》めてしまい、翌朝、目覚めると寝床のかたわらにその恋人の屍体《なきがら》が――現実に――転がっていたのも同然では? そこには救済など、ありえません。入りこむ余地もないのです。アーダムが猛《たけ》りに猛っていたのも、むべなるかな。
そして、狂乱のなかにも微動だにしない感情が。
中核《かなめ》となる感情が。
おれは蛇のジンニーアを愛していた。しかし瞞《だま》されて裏切られた。裏切られて、利用されて犬死《いぬじ》にを強いられようとした。おれは、だから、けっして赦《ゆる》さない。蛇神《へびがみ》を。蛇神を。蛇神を。
あるいは蛇神に利する人間を。いやさ、地獄の貴顕大公であろうとも。
永遠《とわ》におまえに――おお、かつての愛人、梟悪無類《きょうあくむるい》の女魔神《ジンニーア》――酬《むく》いてやる!
この意志。発狂しながらも不動の意図。あらゆる欲望を凌駕《りょうが》する鞏固《きょうこ》のきわみの信念《こころざし》が、よみがえった妖術師《ようじゅつし》を(なかばミイラの蓬髪《ほうはつ》の魔王を!)つき動かします。
ああ、蹂躙《じゅうりん》する者に死の鉄鎚《てっつい》! 玄室に躙《ふ》みこんだ愚者《おろかもの》は、ただちに封印の守護者アーダムに屠《ほふ》られます。飛んで火に入る夏の虫とはこのことです。あらゆる種類の自称「勇者」たちが連戦連敗。潰滅《かいめつ》の盃《さかずき》を飲まされます。全身くまなく鎖帷子《くさりかたびら》をまとった剣士も、護符をつけた遣士も、バグダッドとホラーサーンの賢者も、弩《いしゆみ》で武装したオマーン人も、クルド人も、アル・ヤマン人も、なべて威容の武士《もののふ》も、数分ともちこたえられた例《ため》しがありません。そっ首をたたき落とそうとしてそっ首をたたき落とされました。時おりは投網《とあみ》をもった漁師など、素《す》っ頓狂《とんきょう》な闖入者《ちんにゅうしゃ》(にして「魔王」を捕らえようとする挑戦者)もあらわれましたが、こうした頓馬《とんま》の類《たぐ》いも無慈悲に屠る、屠る! 一瞬《ひとまたたき》のあいだに討ち滅ぼして攻め滅ぼして、自称「勇者」側がさずかるのは廃滅に潰滅、全滅、破滅、破滅、破滅! 撃滅されて殄減《てんめつ》にいたって、玄室の内部《なか》には死屍累々《ししるいるい》と、血潮は川をなして床をながれます。
三途《さんず》さながらの修羅場が現出します。アーダムをいらだたせてやまない愚者《おろかもの》は、なにしろ続々あらわれますから、屍肉《しにく》は腐る間《ま》もなく妖術の火焔《かえん》によって焼かれ、たちまち白骨と化し――あるいは灰白色の遺灰《いかい》と――頭蓋骨《ずがいこつ》は何百と転がり、それがガシャリガシャリと後続する闖入者の踵《かかと》に踏みしだかれ、そして再度|殪《たお》れて重なる死屍の数々。大河をなしてながれる血潮。
自称「勇者」たちの。
また骨、みたび肉、みたび血。
アーダムこそは絶滅者。阿房宮の秘奥の玄室、地下都市の深い、深い、深い、千尋の深層《ふかみ》におかれた封印の石室は(それは小さな、数値的な絶対美を具《そな》えた方形の部屋でしたが)、まるっきり要害堅固な城でした。悶死《もんし》をもたらす装置であり、遁走《とんそう》をうながす機関です。そうです、潰滅の盃を飲まずにすんだ幸運な自称「勇者」は、たとえば仲間の血煙《ちけむり》を煙幕としながら遮二無二《しゃにむに》逃げ、それからまた、貴重な情報を上側《うわかわ》に――地上ではない、阿房宮内の居住可能な都市《まち》の、それぞれの地域社会に――告げ知らせました。
剣士は剣士、魔術師は魔術師の一党の、それぞれの地域社会に。
これを受けて、さまざまな「討《う》ち死《じ》に」防止策が検討されたり、各種の勉強会がひらかれたり、したわけです。
こうした時期に登場したのがわれらのサフィアーン、剣士たちばかりが棲《す》まう地下都市内の街区《ハーラ》に、ほとんど騒然といっていいほどの大反響を喚《よ》び起こした新顔でした。この若き剣客は、その伎倆《わざ》は超絶のきわみ、佩《は》いている秋水《しゅうすい》は名刀のきわみ、おまけに容姿はただならない端正さ。さて、手柄を焦って獲《え》ようとする新参者というのは、ともすると先達の助言には耳を藉《か》さず、「あれは無謀」「その戦法はむだ」といった意見も聴き入れないで――それらが経験にもとづいた、たっぷり価値があるものだというのに――唯我独尊で行動しがちです。天上天下《てんじょうてんげ》、おれほど魔王征伐にふさわしい器《うつわ》はないわい! と傲《おご》り昂《たか》ぶって、生きては還《かえ》れない旅路に猛烈突進、まっしぐら。闇路《やみじ》に堕ちて、まっ逆《さか》さま! 数十人の集団でむかったところで、狭い玄室の内部《なか》にいる魔王は斃《たお》せない、逆に能率的に屠られるだけだと――最初期に登場した隣国の王子とその供勢《ともまわり》の軍団百名の実例を挙げてー―諄々《じゅんじゅん》と説かれても、忠告を無視して四十四名の軍勢として突入し、いっせいに魔王の寝間である石室内に突入したために身動きが不可能となり、鞘《さや》を払えば抜刀《ぬきみ》で味方の首を斬り、槍《やり》をつきだせば魔王を刺すまえに前衛の友軍を刺し殺し、あれよあれよという間《ま》に自滅にいたった阿房《あほう》な新参者の集団もあります。いっぽう、われらがサフィアーンはといえば、凡俗の自信過剰者とはまさに対極に位置して、情報|蒐集《しゅうしゅう》惰《おこた》りなし。なにしろ根っからの大|盗人《ぬすっと》、第一級のいかさま師として、比類のない智慧《ちえ》と才覚によって裏社会を生きのびてきた名うての白波《しらなみ》ですから、稼業《しのぎ》にさいしては数々の鉄則が活きていて、それらはサフィアーンの本能となっています。可能なかぎり情報を事前に蒐《あつ》めることは、現場の下検分《したけんぶん》と同様に、白波の心得のだいいちの基《もと》い。胸さわざは信じなければなりませんし、状況を軽んじるのは厳禁。なにしろ直感を重視して、それから焦りは禁物――というのが、職業的|偸盗《ぬすっと》の「生きるための訓《おし》え」です。この白波の本能は、きっちり迷宮にも対応します。いかに魔王の征伐に即座に邁進《まいしん》したい(そして自分こそが手柄を獲たい!)といっても、サフィアーンは状況を見定めて徒労《むだ》と万難を排し、剣士の地域社会に居《きょ》を定めて先達の意見はすべて容れ、回避可能なものは回避しながら、じっさいの行動に移ろうと――あるいは最終的な決断をおこなおうと、念《おも》っていたのです。
すなわち、いつ、どのような作戦のもとに霊剣にて古《いにしえ》の魔王を討ち破るか。その判断。
きっちり地下都市の実態《ありのまま》を看破することこそ、最優先事項として必要、とみなしたのです。ああ、すばらしい本能! 磨きぬかれた盗人《ぬすっと》の資質! もちろん、サフィアーンだって焦《じ》れてはいました。ですが、ぜったいに討ち死にはできません! だから、堪《こら》えたのです。堪えて、学習して、経験をつみます。演習場の「万魔殿」地帯にあえて躍りこんで、斬りこんで、数々の魔妖《まよう》を相手どって修行を重ねます。ああ、この自制力! 世に比《たぐ》いないほど秀麗な眉目《みめ》をした若者の、勁《つよ》い意志は、どれほど周囲に(というのは目的をおなじゅうする剣士仲間ですが)畏敬《いけい》の念をあたえたことでしょう。おれと手を組まないか? と誘いをかける強力《ごうりき》の剣豪や投槍術の達人もいれば、その満月のように美《うる》わしい姿態に対して誘いをかける両刀づかい(バイセクシャルのこと)もいます。いずれにしても、ただちに剣士たちのあいだで時のひととなって、話題騒然。と同時に「ぜひ次回の評議会ではきみを推薦したい」とこっそり耳うちする親方《シャイフ》格の剣士もあらわれて(これはつまり、魔王の棲まう秘奥の玄室に派遣する猛者に、名を挙げて推したいということですが)、なんたるサフィアーンの本能と判断の正しさ、焦らずとも状況は好《よ》いほうに好いほうに転がっていったのです。
この間《かん》、サフィアーンは修行の副産物として数々の財宝《おたから》を手に入れました。意図せずに古今の秘宝をわがものにしたのです。すでにご承知のように、魔物たちを斃せば――それぞれの栖《す》に貯めこまれた――財宝《おたから》にありつけますから、順調に、がっぽり、サフィアーンは儲《もう》けつづけます。水晶でできている禽獣《きんじゅう》の彫像や、金銀の塊まりや、紅宝玉に翠緑玉といった名称も挙げきれない無数の宝物を、躍りこんだ魔窟《まくつ》での戦闘《せんとう》のたびに射止めます。バジリスクに遇《あ》えば霊剣を引きぬきざまに斬りつけて、巨人種の悪魔にいきなり「こんばんは!」と脅されても「さようなら!」と斬り返し、火の目をもった怪物が二柱、三柱と登場しても右に左に白刃《しらは》をふるって裂いて、そのたびに魔妖の財宝《おたから》は――その金庫から――まる奪《ど》り。すべてを化物《グール》から没収! さて、驚異的な速度で獲得されつづける戦利品の財宝《おたから》をどうしたかといいますと、サフィアーンはこれを地上に仕送りしました。郷里《くにもと》の家族に。ありついた収穫《みいり》は、順次、愛する義父母や義兄弟につぎつぎ手わたして、このためにサフィアーンの一家《アーイラ》は目も手も心もいっぱいになったのです。
家族はしかし、ただただ無為にとどけられる戦利品をまっていたわけではありません。心ならずもサフィアーンを(義子《むすこ》を、義兄弟《きょうだい》を)魔王の城塞《じょうさい》に送りだしてしまったわけですから、安まる瞬間《とき》は皆無、けさはぶじかね? お午《ひる》はだいじょうぶだったかね? 物騒な目にあわずに日没を迎えられたかね? と一日憂慮しつづけ、はらはらのしっぱなしです。さすがに義母《はは》親はゾハルの住居《すまい》にとどまるしかなかったのですが、義父《ちち》親をはじめ義弟《おとうと》たちの幾人《いくたり》かは志願して、いっしょに砂漠の地下都市に降って、戦利品の運搬係を買ってでました。サフィアーンが迷宮内での演習後、剣士の街区《ハーラ》におかれた自室にまで引いてきた財宝《おたから》を、受けとって中継ぎ態勢で地上に搬《はこ》ぶのです。
「お父《と》っつぁん、いいから地上《うえ》で心配無用と鷹揚《おうよう》に構えていてくださいよ」とサフィアーンがいっても、「なんのその、一家《アーイラ》の絆《きずな》はつよいぞ!」と発奮のかぎり発奮して、義父《ちち》親はほかの義子《むすこ》たちとともに最寄りの住宅に棲みこみます。りっぱな地下都市の住人です! つねに愛息の無事《ことなき》を確認しながら、詳細を女房に――じかに、わが口で――報《し》らせ、これで義父《ちち》親も安心できるというもの。サフィアーンの義弟《おとうと》の甲《こう》、乙《おつ》、丙《へい》、丁《てい》、戊《ぼ》、己《き》、庚《こう》、辛《しん》、壬《じん》、癸《き》らとさながら家族総出で財宝《おたから》の配達役となって、一家《アーイラ》全員のしあわせのために邁進します。なにしろ筋金入りの「泥棒家族」ですから、金銀財宝のあつかいも慣れたもの、搬びだしも迅速、てきぱき、あざやかな手ぎわで事故や人災の可能性《みこみ》を排除して、戦利品を我が家に安全にとどけます。こんな稼業《しごと》は、ちょろいちょろい。途中、強盗の憂き目にも遭わず(一、自称「勇者」の極道者と、二、困窮しきったゾハルの無宿者と、三、悖乱《はんらん》の奇人たちのウヨウヨしている場所なのに!)、地獄の門を走りぬけ、しまいには飽き足らず、義父《ちち》親にいたっては「のう、わが子や、サフィアーン、なにか暇つぶしになる詐欺《ペテン》はないかのう」とたずねる始末。これに答えてサフィアーン、「ここでは魔物相手に生命《いのち》を落とす者や浅傷《あさで》に深傷《ふかで》の怪我を負う者、その他、瘴気《しょうき》にやられて寝こむ者が多いですから、薬売りになるなり医者に化けるなりすれば、商売《あきない》もいかさまも独占《ほしいまま》です!」
そこで、義父《ちち》親以下、サフィアーンの家族は揃って詐欺《ぺテン》にかかることにして、地下都市のただなかに病院《マリスタン》兼薬剤屋をひらいて、地上で買いこんできた生薬《しょうやく》に軟膏《なんこう》、錠剤となっている飲み薬、煎《せん》じ薬などを棚にならべて、店さきに置きました。もちろん、このなかには安物の痛み止めもあれば暗示しだいで浅深《せんしん》の効果を見せる万能薬も、見た目ばかりが霊妙な、ただの野っ原の草根木皮《そうこんもくひ》も、薬効などからっきしない有色水《いろつきみず》もごちゃごちゃに雑《ま》じっていたのです。患者の容態を診て薬の処方をおこなうのは、ほかならぬサフィアーンのお父《と》っつぁん。医者の恰好《いでたち》で威厳たっぷりに応対すると、だれもがころりと「この老人《シャイフ》はなるほど世間に聞こえた名医にちがいない」と瞞《だま》されて、繁盛するわ繁盛するわ、創傷《きりきず》や咬傷《かみきず》(魔妖に襲われての)に苦しむ自称「勇者」はいうにはおよばず、迷路ですッ転んだ奇人や改築工事の作業員や、胸やけの病人なども来て大繁盛《おおにぎわい》。「わがはいは医術も占星術も究めておる、そんじょそこらの刀圭家《とうけいか》などちゃんちゃらおかしい、出遇《であ》えたのが幸運のような名医のなかの名医ですよ!」と自信たっぷりに告げれば、思わず患者の大病も自然治癒。怪我が治りきらない自称「勇者」は、治りきったと勘ちがいして演習場に発ち、そこで化物《グール》に屠《ほふ》られてしまいますから、わるい証拠はそうそうに湮滅《いんめつ》、やっぱり露見《ばれ》ません。流行《はや》りに流行って、サフィアーンのお父《と》っつぁんも図にのるわのるわ、しまいには「ゾハル一の国手《こくしゅ》だって、わがはいに比べたら筍《たけのこ》医者ですよ!」と大言壮語。つい、発奮《ハッスル》しすぎて詩もでます。
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遺蹟《いせき》のなかの「名医さん!」
はいはい 呼ぶのは なにがしか
かつての廃墟《はいきょ》の 地下都市で
癒《なお》しております 人身《ひとのみ》を
病んで壊れた 人体《からだ》の廃墟を
おお 天晴《あっぱれ》! なんたる小粋《こいき》な譬《たと》えでしょう
わがはいの名声 お聞きになって?
上手《うま》い詩歌も そりゃでるでしょう
遺蹟のなかの「学者さん!」
はいはい それも わがはいでして
学殖豊かで 困っちゃう
これこれ しかじかの 刀圭《とうけい》で
あまたの傷病《きずやみ》 ただちに快癒!
拍手喝采《はくしゅかっさい》絶《た》え間《ま》なし 診療の効用? 数かぎりなし
さあ この口上を 聞きなされ!
金曜日には 休業《おやすみ》しますが
礼拝すめば 午後には開業
病人《やみうど》 怪我《けが》人 大歓迎
あらゆる薬剤《おくすり》 調合しまして
ご覧にいれます わがはいの奇蹟《きせき》!
さては万病 委《まか》せなさい
癒《なお》せぬものは ただ二つ 死んでしまった亡骸《なきがら》と
恋のわずらい ばかりなり
[#ここで字下げ終わり]
陶然と詠《よ》み了《お》えた義父《ちち》でしたが、めっぽう大声だったものですから、たまたま店舗《みせ》をたずねる途中だったサフィアーンの耳にもとどき(調練のための迷宮|徘徊《はいかい》の帰りだったのでございます)、最後のふた鏈《くさ》りに胸を衝かれてしまいました。「医術をもっても癒せない苦悩、それが恋情」との内容に、刹那《せつな》に胸ふたぎ、たちまち涙を頬につたわせ、ひと声あげるや都市《まち》の往来で気絶したのでございます。しかし、数瞬もすると正気に復《かえ》って起きあがり、その目《まなこ》にめらめら焔《ほのお》を燃やします。むろん、恋慕の熱い焔でした。脳裡《のうり》に像をむすぶのは愛してやまないドゥドゥ姫の天来の艶姿《あですがた》。その悩ましげな瞳《ひとみ》、貝殻のような唇、ありとあらゆる臈《ろう》たけた面《おも》ざし――絶世の蛾眉《がび》――が即座に想い起こされます。ですから、恋情の発作から復帰《もど》るやいなや、サフィアーンは家族がいかさまの拠点にしている店舗《みせ》に飛びこんで、こう叫びました。
「お父《と》っつぁん!」
「はい?」
「この世の医者には癒せないものだとしても! ならば自身の心技によって、不治の患者そのひとが特効の新薬を獲なければならないのではないですか? 秘薬を、霊薬を。そうですとも! この苦悶《わずらい》、医者に診察《みせ》ても甲斐《かい》なしとしても、ぼくは宣言しますが、あらゆる地上の医者を凌駕《りょうが》してみせますよ!」
「結構ですね!」
義父《ちら》はサフィアーンの意気ごみがよもや、みずからによって読誦《どくじゅ》された詩歌に由《よ》るとは知らず、というよりもサフィアーンの宣言がてっきり自分の詐術《いんちき》を補強するための医学談義もどきだと勘ちがいして、即答しました。なにに言及しているかはまるで理解していなかったのでございます。すると、サフィアーンは目《まなこ》の焔につづいて口から火花をちらして、「ありがとう、お父《と》っつぁん! ご声援に感謝します!」と返事しますと、たちまち決意もあらたに――休憩《ほねやすみ》は却下して――再度、修行のための迷路《まよいみち》領域にとって返しました。
都市《まち》のはずれにでるなり独りごちるには、「わが従妹《いとこ》をほかの人間に――馬の骨に!――所望されてなるものか。やるぞ、ぼくはやる! なんたって、ぼくには正当なる権利がある!」そうして、もはや脇目もふらずに、化物《グール》の巣窟《そうくつ》に一直線! 実戦で鍛えに鍛えぬかなければならないとばかりに、怒濤《どとう》の進撃! この奮迅の勢いに、居住区内では「ご近所」である剣士たちが刺戟《しげき》されないでおれようはずもございません。ただでさえ目下、時のひととなり、その行動が注視されているサフィアーンですから、この美丈夫の意気が天を衝いたとあっては、われもわれもと追従する剣士があまた。気焔万丈《きえんばんじょう》、万魔殿に雪崩《なだ》れこみます。自称「勇者」の兇漢《きょうかん》、悪徒らが発揚して(もちろん信仰|篤《あつ》き正義の騎士もおりましたが)、勇往|邁進《まいしん》、サフィアーンの後塵《こうじん》を拝しつつ、物騒な闇《くら》がりに発《た》ちます、辻《つじ》に立ちます! そして怪物どもの肉を截《た》ち骨を断《た》ち、なにしろ自称「勇者」はみながみな、賭《か》け金のために走る競走馬のようなものですから、はりきるのでございます。最終的に、だれが一着になるかが問題なのです。
そんな剣士の一党を、しかし、迷宮は翻弄《ほんろう》します。うばたまの闇に火柱《ひばしら》が立ち、鬼火と鬼火のあいだにはほとんど無限の距離が開《あ》き、数々の魔妖をむこうに回して打々発止《ちょうちょうはっし》と組み討ちする剣士たちも、いずれ何割かは返り討ちに遭います。退治にむかって退治され、調伏《ちょうぶく》できずに凹《へこ》まされ、鏖殺《みなごろし》! 鏖殺《みなごろし》! ああ、怒濤の進撃のあとに、怒濤の敗者、数えきれない犠牲です。
犠牲。
人身御供《ひとみごくう》?
この阿房宮のいわゆる「演習場」で、定期的に剣士たちは屠られます。恐怖をまき散らし、絶叫を闇黒《あんこく》にふり撒《ま》いて、苦悶《くもん》のはてに死に――悶《もだ》え死《じ》にします。怪物の手にかかって壮絶きわまりない惨死をとげます。あるいは、いまだにのこっている処刑《おしおき》設備の用意周到な罠《わな》に陥《お》ちて。あるいは、悪夢そのものに変容した無限循環する迷路から脱出不可能となって、餓《う》えて。
こうして死ぬ者たち。戮《ころ》されて、永続する呻《うめ》きをあげる者たち。
さて、このような定期的な犠牲を――贄《にえ》を――歓迎する存在《もの》は?
いったい、阿房宮はなにを目的として産み落とされたのでしょうか。それは一種の装置だったのではないでしょうか。祭神《さいじん》にじゅうぶんな供物《くもつ》を捧げるための、地中にて永久《とわ》に拡張をつづける装置――。
この地下迷宮は、祭神がのたうちまわる魂を生け贄として得て、おのれの権勢《ちから》を強めるために構想された悪魔的な装置だったのでは?
大量に、定期的に、犠牲者を調達するための。
はたして、その機能は滅《き》えたのでしょうか? はるか過去のものになったと? 否《ラー》! 断乎《だんこ》として、否《ラー》! 依然として装置は作用していたのです。その内部の迷路で死ぬ人間は、供物として、捧げられていたのです。
祭神に。
比類のない美貌《びぼう》を、大量の犠牲者《いけにえ》によっで維持しつづけている、祭神に。
正確には、憑代《よりしろ》に附与している――そして憑代がすでに絶世の佳人《かじん》のばあいは、それを失せずに保たせている――祭神に。
蛇神に。
最終的な意図はむろん、四つの夢の石室にいたる隧道《みち》を鎖《とざ》している守護者《アーダム》の撃滅です。この封印を解かねば、本来のスライマーンの封印がある「大地の子宮《こつぼ》」にもたどりつけません。しかし、アーダムが強力なのは、すでに心得ていますから、祭神である存在《もの》はもろもろ邪智を働かせたのでした。簡単にアーダムを斃《たお》せないことは計算にいれて、暫時、おのれの権勢《ちから》をもちこたえさせるための装置を機能させつづければよい。そのために、まずは阿房宮の改築――地下都市の建造――という一大国家事業にとりかかり、さらに布告《ふれ》によってアーダム打倒の志願者をつのりました。この人間《もの》たちに無料で糧食《かて》をふるまい、その他のさまざまな便宜を図って地下都市内で奉仕したのも、当然です。この巨大迷宮の内部《なか》に、一同が棲《す》みこむように(はなから!)しむけていたわけですから! ああ、献身の裏には作意《たくらみ》あり。野放図に幅を利かせる下心あり! 改築工事がずっと続行ちゅうで、住環境が調《ととの》いつづけているのも、地上からの移住者に対して出費が惜しまれないことも、いたって順当。やがて自称「勇者」たちが化物《グール》の横行する再建途上の領域を彷徨《ほうこう》しはじめ、やや小物の魔物たちを相手に腕試しをはじめ、そのために阿房宮内の暗闇には人外境の生物《いきもの》が涌《わ》きに涌き、ふたたび千載の往古そのままの万魔殿にたち返ることも、財宝《おたから》があふれて欲望の虜囚《とりこ》がひっきりなしに横行しつづけるだろうことも、あらかじめ予見されていたのです。
すっかり。
すっかり。
そうすれば、装置は動きだします。
生け贄の装置は(永久機関さながらに)機能しはじめるのです。
そして、秘奥の玄室で魔王に殺される挑戦者たちまでも、その魂は――稀代《きたい》の妖術師《ようじゅつし》に続々と屠《ほふ》られる自称「勇者」たちのそれは――阿房宮という装置の内部《なか》にあっては、やはり生け贄となるのです。
祭神の。
だれもがあの存在《もの》の手のひらのうえで踊っています! 踊らされています! 高笑いが聞こえるようですが……それは地上の乙女の、すなわち妖精《ようせい》の処女《おみなご》をも凌駕《りょうが》する美しさを具《そな》えた王女ドゥドゥの鈴の音《ね》のような声? それとも、スライマーンによって封印された地底の世界、すなわち監禁領域のジンニスタンから轟々《とどろとどろ》と響きわたる地鳴り? 運転再開した阿房宮は、深層に祀《まつ》られている存在《もの》にとっては、上《あ》げ膳《ぜん》、据《す》え膳。訪問者も犠牲者もともに歓んで迎えられるのは当然《しかるべし》です。ゾハルにいらっしゃい、そして、地下都市にいらっしゃい! そうすれば、わたしの(これは蛇のジンニーアの一人称である)威烈《いれつ》は増しっぱなし、いずれにしたって結果は悦ばしいものになっちゃうわ!
ところが、どっこい、万物は流転《るてん》し諸行は無常です。たしかに――この誑《たば》かりは――巧妙にして、永久機関になりえるかに想われました。ですが、それはアーダムの記録が、あらゆる記憶がおもて側の歴史から消されてしまっている――という前提にもとづいての様態《ありさま》です。いっさいがっさいがあの存在《もの》に都合のよいように回転しているのは、わたしの(もちろん、これはズームルッドの一人称である)物語っている。の年代記に――砂の年代記に――一千年間の空白が刻まれていればこそ。だとしたら……その空自を、白紙の歴史を埋めて、みずから千秋《せんしゅう》の歳月を無効にしてしまったかのような、アーダムを「記憶している人間《もの》」があらわれれば?
そんな人物をも、祭神は歓迎したでしょうか?
まして、その人物がまるっきり現況を誤解していたとしたら?
蛇のジンニーアの目論みは、狂わないでおれますでしょうか?
さて、剣士のことばかり例として挙げるのはこのへんにして、ほかの地域社会も見てみましょう。なんといっても、この迷宮建築内にあっては、贄《にえ》として利用されるために殪《たお》れる剣士もあれば、斃れる魔術師もございます。そして魔術師たちもつどっております。都市《まち》の、大理石の鋪《し》いてある路地に自然発生したのが魔術師横丁、そこに暮らしているのはペルシアの賢人に印度《ヒンド》の沙門《しゃもん》、自称「アッラーの聖人《ひじり》」なる僧侶《そうりょ》たち、まじないを悪事にもちいる前科者、アンダルシアから来た隠秘学の第一人者、およそ二百歳になるユダヤ人の老翁、仕事にあぶれた竜掘り職人(洞穴から誘いだす蠱事《まじわざ》のもちぬしなのです)、貧しいスーフィーの行者、その他。いちように知識と技術《わざ》を誇り、当代に肩をならべる者がないと豪語する術者たち。じっさい、かかげた看板にいつわりなしの大妖術家もいれば、いやいや、自負にはとうていおよばない、効果《ききめ》なき念力しかもちあわせていない雛《ひよっこ》もおりましたが、いずれの魔術師も肝腎《かんじん》の古《いにしえ》の魔王を討ち滅ぼせず、いまだ修行にはげんでいる点では同級。しかし、さほど不満も感じずに、それぞれが演習場の収穫《みいり》として財宝《おたから》を(斃した魔物からまきあげて)貯めこみ、この分捕り品でうるおいながら秘術の研鑽《けんさん》に勉《つと》めたのです。
いまだ時期尚早、と魔王の玄室を避けながら。
この魔術師横丁に、はや何十人という同類の術者が果てていた時機《おり》、注目を集めてやまない新顔があらわれました。年のころは二十二、三、だれもを瞬時にして魅入らせて――かけ値なしに一目するだけで――とりこにします。その容姿のためです。常識を超えて美《うる》わしい、麗姿のためです。目にとめたら、目を離せない。しかし、この若者を単純に「美男子」などと呼んでよいものか? あまりにも特別な……眉目《びもく》の秀麗さ、あまりにも特別な……全姿《なりかたち》の瑰麗《かいれい》さ、もはや異形と形容するしかない、特別な……特別な……外見《そとみ》の綺靡《きび》。
たとえば、その髪はどうでしょう? なびかせているのは(ターバンからはみだして)、銀色の夢ではありませんか? しかも、老人の霜雪《しらが》などではない。その皮膚《はだ》は? どのような色彩《いろ》をしているのか、看《み》てとれるでしょうか? できません。できるはずもございません。無色の皙人《しらひと》だったのです。そも――色彩《いろ》がないのです――皮膚《はだ》にも、髪にも。
欠色《アルビノ》。特別な美しさ。
その姿態の綺羅《はなやかさ》。
奔放なまでに超凡の。
いまひとつ、麗容の妖《あや》しさをきわだたせているものがあって、それは全身にまとわれた翳《かげ》です。本来はアラブの砂漠の苛烈《かれつ》な陽射しから皮膚《はだ》を――無色《いろなし》の皮膚《はだ》を――守るために、魔術の作用《はたらき》で生みだされた霊気《オーラ》で、一種、他人《ひと》を蠱惑《こわく》してやまない妖力《ちから》を秘めております。地底においては不必要でもありましたが、すでに習い性《せい》となり、若者は弱い皮膚《はだ》を保護する「魔性の闇」を離しませんでした。ああ、その印象としわざ!
色彩《いろ》のない白さと、魔術の作用《はたらき》が附与した翳。ふたつが相|俟《ま》って、若者は――いってみれば――異界《あちら》の玲瓏《れいろう》さを具えていたのです。
破格の美貌でした。だれもが注目しました。往還で、一瞬、すれちがっただけで。雄雌《おすめす》のけじめのない好色漢は、たちまち若者に恋い焦がれて、百千《ももち》たびも吐息をもらします。しかれども、若者はその面《おも》だちの目覚ましさばかりが由縁で有名になったのではないのです。魔術師横丁にあらわれた新顔は、なんと! 驚愕《きょうがく》の実力の所有者《もちぬし》でした。その(二十二、三歳という)年齢にもかかわらず、どんな年寄りの仙人もおよばないほどの秘法を身につけ、あらゆる神秘に通暁して、邪術と幻術の蘊奥《うんのう》をきわめています。博識の頂点《きわみ》に達していて、しかも、はったりは皆無。横丁に登場した初日、案内を乞《こ》われた同勢が――演習場の「万魔殿」地帯にて――見たものは、超一流の妖術家のみが披露できる実戦の伎倆《わざ》。いやはや、すさまじい! その戦闘《たたかい》ぶりは鮮烈、瞬間にして無慈悲! どんな類《たぐ》いの化物《グール》の大群も、遭遇すればただちに殲滅《せんめつ》! たとえば人型の魔神が「ご無体な」と叫んでも、「ええい、死ね!」と殺してしまうのです。ほとんど超絶、前人未到の領域に到達した破壊者で、なし遂げられる成果は絶大にして無比。わずか一両日でこの若者は――妖しい美貌《びぼう》の欠色《アルビノ》は――魔術師横丁にほとんど騒然といっていい大反響を捲《ま》き起こしたのです。
登場してただちに、勇名を馳《は》せたのです。
名を。
では、轟《とどろ》いた名前は? もちろん、ファラーです!
地下都市に出現して四日めともなると、ファラーはもはや同行者ももとめず、独りで――地下都市の内部《なか》も、涌《わ》きつづける地獄の生物《いきもの》の宿所である外部《そと》も――歩きまわるようになりました。ファラーの妖術《ようじゅつ》のまえには処刑《おしおき》設備も顔色をうしない、時空を惑わすために誕生した迷路も一直線に伸ばされ、魔物は逆にこの白い人間の威勢《ちから》に脅かされるばかり。しまいにはファラーの気配を嗅《か》ぎつけて、さっさと魔物の側が逃げだすほどです。しかし、だからといってファラーが秘奥の玄室に――われこそは古《いにしえ》の魔王を討ち滅ぼさんと――降りたかといえば、いやいや、「おれも時期尚早だからなあ」と煙に巻きます。
「なにをいうのかね、ヤア、ファラー! お布告《ふれ》がでてこのかた、三|桁《けた》ばかりの魔術師がこの地底の都市《まち》に来たが、おまえさんほどの実力者はいなかった!」断言したのは、横丁|界隈《かいわい》では親方《シャイフ》格の道土です。「じきに魔術師横丁の評議会で、おまえさんの名前が挙げられ、満場一致で採用されると思うがね!」
「採用?」
「次回の魔王征伐の第一候補者にさ! 挑戦者にだよ!」
「いやいや、あれがアーダムなら」とファラーは皓歯《こうし》をきらっと耀《かがや》かせながら哂《わら》いつつ、首をふりました。「おれの実力《ちから》では敵《かな》わんよ」
「アーダム?」
はて? という顔で親方《シャイフ》は問います。
「それはいったい?」
「だれの名前かって? たぶん、魔王だね」
ああ、ついに命名! これまで古《いにしえ》の魔王としか呼ばれていなかった玄室の殺戮者《ミイラ》に、いよいよ固有の名前がついたのです。人名がつけられたのです! これ以降、滅ぼすべき魔王は「魔王アーダム」と呼びならわされるようになるのですが、さても魔術師横丁の自称「勇者」たちを愕《おどろ》かせたのは、ファラーの物|識《し》りです。だれひとりとして肝腎の魔王について、あるいは魔王が築いたにちがいないと想われる遺蹟《いせき》について情報をもちあわせていないのに、この新顔は相違している! おまけに、その智見《ちけん》は――若者の態度とすでに明白《あきらか》にされている力量に照らしてみれば――ほんものらしい。驚愕! げに驚嘆! この一件はファラーの勇名を(そして都市《まち》にあらわれた衝撃それじたいを)――さらに――さらに高めました。
「いやあ、きみと手を組みたいなあ」
たちまち、有象無象《うぞうむぞう》がやってきます。うようよと涌いてでたかのような聚群《むらがり》で、ファラーの歓心を買おうと甘言に甘言を畳《かさ》ねますが、しかし相手にされません。とりいろうとする横丁の同朋《どうほう》を、ほとんど優雅なそぶりでピシャリと撥《は》ねつけて、ファラーは悠然とわが道をゆきます。籠絡《ろうらく》できずにふられた隠秘学者が問いますに、
「相棒は要らないのかね?」
すると、意外にも返ってきた返事《こたえ》は、
「もちろん必要さ。おれでは魔王《まおう》退治に力不足だからね。しかし、まあ、だれが必要かは時間をかけて見定めないとなあ。こっちも生命《いのち》がかかっているからね。いずれにしたって、焦っちゃいけないね。まてば甘露《かんろ》の日和《ひより》あり。連れ衆は定《き》めるが、いろいろ都市《まち》をぶらついて観風《かんぷう》だってしたいじゃないか」
のらりくらり、泰然自若と構えて単独での行動をつづけます。行動といっても、それはたいてい、地中のさまざまな界隈の散策です。さて、流離《さすら》いの運命を生きてきて異域《いいき》に遍歴の足跡を印してきたファラーですが、にもかかわらず思わず「おかしな都市《まち》だなあ」と独りごちて、驚異の念にうたれます。なにしろ、ファラーの目前に展開するのはさながら絵巻物です。市中をぬい歩いて、まず視界に映るのは住人《まちびと》たちの雑多すぎる様相。ここでは余所《よそ》者というものが見いだされず、いやさ、余所者しかおりません。以前の境遇は千差万別、身上における尊卑はまことに種《くさ》ぐさで、それらが自称「勇者」として――阿房宮を改築した地下都市に――殖民《しょくみん》しているのです。いわば旅烏《たびがらす》に落人《おちゅうど》の楽園。おまけに剣士や魔術師たちとは種類を異にする人間も多数いて(ようするに魔王征伐のお布告《ふれ》に応じようなどとは考えてもいない連中ですが)、これらも自称「勇者」たちの地域社会が――たとえば魔術師横丁が――おのずと誕生したように、たがいに毛色を認めあって、しばしば、うちつどって暮らしています。地上の廃屋《あばらや》からこちらに移った破産者は、同類あい群れて、借財|未返済《なげうち》通りを作り、あらたな人生を満喫します。無宿人は無宿人どうしで固まって、もはや「無宿《いえなし》」の称号とはさらば! 生まれるのは元無宿人街です。さらに自然発展する都市《まち》はふところに二ヵ所の花街柳巷《かがいりゅうこう》をかかえて――これは東の花街《はなまち》と西の色街《いろまち》と呼ばれました――淫婦《いんぷ》たちをそこに置き、尻《しり》をおいまわす徒輩《やから》とおいまわされる尻をならべました。もよりには禁制の酒をだしている居酒屋も営業しておりますし、もちろん数々の食堂がこれに倍します。魚専門の食堂《みせ》もございますが、調理されるのは地底の鮮魚、俗に「蒙眼球《おめめないない》」と称されている白い川魚《かわうお》ばかりです。しかし、なにしろ獲りたて、いきのよさは保証つき! これはじつは、都市《まち》のそとに棲《す》みついている奇人の漁師たちが捕まえて、毎朝毎晩(といっても地中には計れる時間はありませんが)魚屋や食堂に売りに来るのです。なにしろ緑野《オアシス》の地底ではあまたの河川がながれて湖沼が形成《でき》ていて、痴人《しれびと》の海人《あま》たちに知られているだけでも二十八種類の食用魚が棲み、また白い蟹《かに》、白い蝦《えび》、白い二枚貝なども棲息《す》んでいるのです。これらをスエズの土地びとのように都市《まち》の食通たちは口にしました。ゾハルの政策によって無料《ただ》で支給されている食糧に頼るだけでもじゅうぶんだったのですが、なにしろ金子《かね》はありますから(魔物から分捕って金庫にうなっておりますから)、干物の魚類より鮮魚です! 商売になると知れば、やってくるのは商人《あきんど》たち。カイロあたりの水売《サッカ》りも群れをなして移り住んで、「地底《ここ》の水はしょっぱいぞ、こっちの水はあまいぞ」と口上を宣《の》べて、通りという通りに立って稼ぎと詐術《いかさま》に精出し、鮮度こそが値うちものならば――と果実屋も軒をならべて、お菓子売りは「甘味こそは飲食物《たべもの》のなかで奢《おご》りのきわみ!」と散財をすすめて、あちらに行商、こちらに出店《でみせ》。こうして商店街と物売りたちが都市《まち》を埋めますが、あまたの種類が見られる行商人のなかでも、地下に特有にして多数の顧客を集めているのは、なんといってもランプ売りでございます。便利さにおいては、異界の灯火《ともしび》もこれには敵いません。百人のランプ売りが肩や頭部《あたま》から百個のランプを吊りさげて、大小の通りを日々|往《ゆ》き来している光景は、もはや神秘の域に達しておりました。
しかし、ファラーの散策が佳境にいたるのはこれから。絵巻物は――ファラーの視界に展《ひろ》がっているそれは――むしろ常人の居住地をでてからこそ、俗世を超越した情景《ありさま》を描きだすのです。なにしろ、理性ある人間のための都市《まち》から一歩、踏みだすと、そこは惑乱《たぶれごころ》に束縛された領域。夢の論理だけが絶対的に統《す》べている空間。恐るべき奇人の所業は、たとえば地底世界に出現した牧童の姿をとらえるだけで、一目瞭然《いちもくりょうぜん》です。この泡斎《ほうさい》はりっぱに務めを果たしている放牧者でしたが、飼っているのは迷宮に棲まう魔物ではありませんか! ああ、群棲《ぐんせい》する有翼の獅子を、すっとこどっこいの牧童は家畜化してしまったのです! そして、つぎつぎと(ファラーの眼前に)あらわれる珍妙無類のいでたちの乱心者《らんしんもの》たち。魔物を屠《ほふ》ろうとして逆に屠られて果ててしまった自称「勇者」の屍体《したい》から奪ったのでしょう、純金の護符を身に帯びている者もあれば、四ふりの刀剣を提げて踊っている老翁もあり、さらに全身を鎧兜《よろいかぶと》で固めて、完璧《かんぺき》な軍装で怪物に乗った騎士もいて、その騎手は――目を凝らしてみれば――高らかな笑い声をあげつづける風人《ふうじん》の美女です。馬丁を務めるのは生まれついての錯乱者の女児。おや、まあ! 魑魅魍魎《ちみもうりょう》とのたわむれはさらに進んで、つづいて目に映るのは、鷹匠ならぬ化物《グール》匠。みごとに馴養《じゅんよう》し、おのれの肩から人頭の隼《はやぶさ》(その尾は三匹の蛇です!)を合図ひとつで翔《と》びたたせます。描出される絵巻の画面は、妖魔《ようま》ばかりを映しだすのではありません。これはまた! 地下の空洞には麒麟《きりん》の牧場もありました(原文は giraffe。中国の伝説上の動物 kylin あるいは qilin' または ch'i-lin(チーリン)ではない)。生後まもない仔《こ》の時期に、癲《たぶ》れ人《びと》が運びこんで育てたのでしょう。世帯道具として家禽《かきん》の雛鳥《ひなどり》をもちこんだ――そして育てて蕃殖《ふや》している――奇人たちが無数にいるように。長い首をのばした麒麟が地の底の湖畔に群れている姿は、まさに幻想そのもの。ほかの野生の動物《いきもの》は? 駝鳥《だちょう》がおりました。これも飼われていて、雅《みやび》な痴人《しれびと》がその綿毛で敷物を作り、枕を製《つく》るのでございます。
絵巻物には風光絶佳《ふうこうぜっか》な背景も多々。奇行者たちにしか(ふだんは)見られない場所ばかりで、その地中の造形といったら! つきずにながれる河川《かわ》はときに弱い岩盤を浸蝕《しんしょく》して、幽谷を生み落とし、魔性の業火に照らしだされる懸崖《けんがい》や高嶺《たかね》は天下の名勝! その眺望《パノラマ》はまさに絶景、その地勢はまさに佳境。なにしろ、そもそも、空間そのものが狂気の沙汰《さた》ですから!
無限に宏《ひろ》い迷宮の辺境はこのようでありましたが、では全員が野《の》に棲む動物《けもの》のように暮らしているのかというと、いえいえ、そうではありません。常人の居住可能な領域、つまり地下都市の内部《なか》にも入りこんできますし、交際《まじわり》はしばしば。都市《まち》の魚屋や食堂に白い川魚《かわうお》を売りさばいている奇物《いかれもの》の漁夫のことは、すでに述べました。それだけではありません。自前の都市《まち》も、奇人集団はもっているのです。しばしば、建材を掠《かす》めて工具を盗んで、頓珍漢《トンチンカン》、頓珍漢、とんてんかんてんと作業をつづけ、たちまち形態《かたち》をなしたのが奇人の奇人による奇人のための一大市域。突貫工事として普請《ふしん》されて、いまだに発展途上なのですが、この都市《まち》にあらわれている情景はといえば、日ごろ素っ裸で歩きまわっている安本丹《あんぽんたん》がきちんと衣類をまとって湯につかる公衆浴場《ハンマーム》、生徒がひとしなみに右手に擂《す》り鉢、左手にバナナをもって登校し、紐《ひも》つきの猿公《えてこう》に教えを乞《こ》う学校《タバカ》、茶飲み仲間が集まっては遠吠《とおぼ》えを競いあい、軒さきでは生きた昆虫《むし》をつかって将棋が指されている茶屋《マクハー》。瞠目《どうもく》すべきは学校《タバカ》で、ここでは狂った論理が狂った手順で教授されるがために講座《ハルカ》はついに理性的な様態《ありさま》をきわめて、その内容はエジプトやアル・イラクの最高学府にも比肩する瞬間をかいま見せています。施設のみならず、個人の働き手たちも往来に――ところ狭しと――あふれて、床屋(伝統的なイスラーム社会では医者も兼任するばあいが多い。しかし、額や足から血抜きをする等、これは民間療法の域をでない)や代書屋や砥《と》ぎ屋がこの奇人都市の街頭で、路地裏で商売をしています。ただし、なにしろ肝腎の街頭が他人《ひと》の家の中庭にあったり、それどころか路地裏がときには楽師のかかえたウード(楽器の一種。前述した)の胴部の内部にあったり、料理人の鍋の三日ほど内側にあったりするために、商売の繁盛ぶりをたしかめようにも奇人変人ならぬ人間には困難です。さて、楽師の名称《な》を口にだしましたので詳述いたしますと、痴者にもやはり痴者の芸術があり、歌姫に踊り子、ナーイ(葦笛)吹きは貴《とうと》ばれ(しかし反対する痴者もいます。歌声を耳にするだけで慟哭《どうこく》するのです)、詩聖もいれば巧拙さまざまな絵師も、はたまた彫刻家、著述家もおります。歌舞音曲《かぶおんぎょく》に関しては人外境の魔物といえども反応し、すばらしい艶歌《えんか》は何種類かの悪鬼に――じつに多大な――影響をおよぼして、彼らの精神《こころ》に至福の恍惚感《タラブ》をかきたてます! さらに魔物を寝かせる歌もあれば、魔物を目覚めさせる歌もございます。ながしの歌手がいるのみならず、大地に釘《くぎ》、うちつけられた芸術のための施設もあり、われわれの関心を惹《ひ》くものを一つ挙げるならば、たとえばそれは図書館です。もちろん造りあげたのは奇矯《ききょう》な風子《ふうし》、司書にして主《あるじ》の奇人が自身の判断によって営んでおりますから、書架にならべるのは稀代《きたい》の珍書であったり、翌日はわずかに書巻一冊であったり、さらに翌日はずらりと棚を埋めている書物があって、それらがぜんたいで浩瀚《こうかん》な百科全書をなしていたり、あるいは同一の書物《もの》が無数に陳列されているだけだったりと、基準は不明にして蒐集《しゅうしゅう》と所蔵の過程もほとんど不詳。精神の放縦さの欠如している人間にはまるっきり不可知です!
まあこのように、奇人集団が創建した自前の都市《まち》というのは理性の太刀打ちできない場所なのですが、ではいっぽう、自称「勇者」たちが棲《す》みついている市域が(王命によって用意された地下都市が)いっさいの錯乱から解放されているかといえば、はて、どうでしょう? たしかに、阿房宮の体内にぽっかり空《あ》けられたような都市《まち》は、もはや迷宮の脅威からは切り離され、東西南北も――内部にいれば――把握可能でした。ですから、祈祷《きとう》時にカアバ神殿(メッカにある聖所)の方角がわからずに、托鉢僧《ダルウィーシュ》やその他の敬虔《けいけん》な信者たちが悩むこともありません。しかし……しかし、肝腎な部分で、工事を指揮する建築家一族は誤謬を犯してはいなかったでしょうか?
たしかに、この地下都市はめざましい。建築家一族は、ひとりびとりが月一千ディナールの扶持《ふち》をちょうだいし、それにふさわしい業績《はたらき》をあげています。汚穢《おわい》をほぼ自動的に域外に――すなわち奇人と化物《グール》の勢力圏に――押しだす下水設備、世にも瑰《くす》しき刑場《しおきば》を、その力学の歪《ゆが》みを利用して遊園地に変化《へんげ》させた発想の妙、架構はのこらずきわだち、これぞ超絶の建築術です。しかも、毎月の俸禄《ほうろく》はむだにはならず、完成した市内に対して境界部は(都市《まち》と手つかずの巨大迷宮の境《さかい》は)いつでも工事続行ちゅう。最前線と申しましょうか、再建の途上にあって固定した形状《かたち》をもたない地下都市の境界線は、市城の拡大と、阿房宮の補修作業の熄《や》むことがございません。石工や大工の棟梁《とうりょう》、そして職人連中が、搬《はこ》んだり組んだり削ったり、漆喰《しっくい》を塗ったり、飾りつけをしたり、絶妙の技をふるいます。これらの頂点に立って、精根を傾けているのが当代に比肩する者のない建築家の一族。余人ならぬ技術と智慧《ちえ》をもって、古代の遺物を都市の設備に変容させるのです。これは建設的な挑戦であり、なし遂げられた結果は、ただ天才によるものでした。前進せよ! 前進せよ! 地底の都市《まち》をひたすら成長させよ! この「最前線」での戦争《たたかい》のために、陣頭指揮にあたった闘将にして参謀陣に相当する一族は、まず図面を解読します。陣形を定《き》め、戦法を練り、敵勢をおとしいれる策略を講ずるために。地図作りの奇人たちが精確に写しとってきた地勢図を――この作業は現在も継続ちゅうです――、車座になった一同の中央において、名だたる三代の建築家があれやこれやと私見を披瀝《ひれき》しあい、意見を創造的にまとめるのです。経験に照らして、精確な図面を(いうまでもありませんが、異才の変人たちによる平面図は誤謬《ごびゅう》というものをいっさい孕《はら》んでおりませんでした)精確に解釈して、阿房宮の往時の威容を再現しながら――それぞれの脳裡《のうり》に完全に描きだしながら、地下都市の拡張計画に挑みました。
完璧な解釈。
そこが問題のです。
この血族集団は、一千年まえの天才建築家たちが築いた阿房宮を、野心的とはみなしても解読不可能とはみなしていなかったのです。なんらかの事情《わけ》をもって途中、建設が絶えてしまった巨大構造物だが、最終的にはこのような王宮《カスル》を意図したのだろうと、想像したのです。いな、無意識に踏まえてしまったのです。いかように狂気に憑《つ》かれた、無謀な、複雑な、怪異な、悪夢的な、というよりも悪魔的《シャイタニ》な、超自然の範疇《はんちゅう》にずぶずぶと没《しず》みこむほどに規模の巨《おお》きな建物であっても、それが「建築」である以上、なんらかの結果《しあがり》をめざしていたと――最終形態を、決着をめざしていたと――盲信したのです。
盲信していたのです。つゆ疑いもせず。
建築家の性《さが》として。
おおいなる誤解! おおいなる誤謬《あやまち》! いまさら解説するまでもありませんが、阿房宮とは、その着想のはじめより支離滅裂な拡大を意図していた、起工はあっても竣工《しゅんこう》はない地中の王宮《カスル》でした。永久《とこしえ》に造りつづけられることを図られた「未完の構造体」でした。ですから、通常の建築的な方程式で解釈してはならないのです。いかに迷宮内の地勢図をほぼ万全な態勢によって把《つか》み、じっさいに眼前にある遺構を見ながら、常時照らして検証しながら阿房宮のぜんたいを想像しても、それは妄想にしかならない。これは、未完成に終わった建造物ではない、その状態の維持をこそ意図した「建築」ならざる「建築」だったのですから。未完成でなければならなかった!
しかし――一族の全員が――とりちがえました。
天才であるがゆえに洞察できなかったのです。建築家ならざるアーダムのそもそもの妄想から出発した、「建築」ならざる「建築」に秘められていた真相は。
まことの事情は。
そのためにアーダムの妄想を――徹底して無理解の域に放置して(意図されていなかった)阿房宮のぜんたいを妄想し――すなわち建築家一族はアーダムの妄想をまるっきり容れずに演繹《えんえき》によって妄想し、圧倒的な人員を投入して、過去の妄想を補修しながら、すでにある阿房宮の遺構を利用するかたちで、正気の人間たちの暮らせる都市《まち》を築いていったのです。それは発想の端緒《はじまり》において過《あやま》ち、ですから渾沌《こんとん》をいっそう、表面的には吸収しながらも内部にはためこんでいったのです。夢の本性は、抑えこまれたようで、内蔵されたのです。
地下都市に。
そして都市《まち》は成長します。
ひたすら成長します。
生きもののように。阿房宮の体内で。空間は干渉しあいます。そこかしこに穿《うが》たれた間隙《かんげき》が、設計者たちの目的とはべつに、共鳴します。迷宮と、かつての迷宮が。遺構としてのこされたアーダムの妄想と、その妄想を素材として補修しながら前進に――なお――前進をつづける地下都市という妄想が。
この戦争《たたかい》。しかも、阿房宮の内部に都市《まち》を創りあげ、ここに人間たちを誘《おび》きよせて移住者をふやしつづけようというのは、建築家一族を傭《やと》っているゾハル王家の(その頂点に位置する者の)意志です。竣工については時期を特定されることもなければ、暗示されることもありません。市域の拡張は――その存在《もの》にとって――一種の死活問題、すなわち阿房宮の体内《なか》で養える人数《ひとかず》を増加させればさせるほど、生《い》け贄《にえ》の供給体制はより堅実な段階にいたり、より万難を排したものに変えられるのですから。運転を再開した阿房宮という往古の装置に、絶やさず、燃料としての人身御供《ひとみごくう》が給されるのですから。
工事の竣成《しゅんせい》のめどは立つはずもないのです。
阿房宮はひたすら再建されて、地下都市はひたすら勢力圏の拡大にいそしみます。これを指揮する建築家一族はといえは、月一千ディナールの破格の扶持に満足しておりますから、竣工の期限が申しわたされないのはむしろ望むところ。しかも挑戦しがいのある仕事に、嬉々《きき》として頭脳をしぼりにしぼり、技術《わざ》をふるいにふるっています。祖父と伯父《おじ》と従兄弟《いとこ》と孫が結束しています。
こうして、千載のむかし、永遠の建設を意図された巨大建造物が、いま、永遠の修復を意図されて――誤謬におぼれながら――工事されつづげろのです。
まるで永遠に書きなおされて、未来|永劫《えいごう》に終幕《おわり》のページを迎えることが予想されない(想像もできない)書物のように。
そして最前線での戦争《たたかい》はつづきます。理性と狂気との衝突。都市《まち》はその勢力圏を伸ばすために日々、あらたに多数の雑兵《ぞうひょう》を投入して、剣戟《けんげき》の響きならぬ槌音《つちおと》やまない死闘を展開します。
展開します。久遠《くおん》の成長の名のもとに。
今宵、わたしはまだ譚《かた》ります。抛《ほう》りだして明晩《あす》にひきずることは、出邂《であ》うべき主人公たちを愛する人間としては、できないのです。ですから今晩は――ひさびさに――払暁をむかえる寸前にいたるまで、わたしの物語る声に耳を、耳を、耳を、そっと寄せていただきとうございます。
ほら、いよいよ、ファラーは動きだします。
ひたすらファラーを籠絡《ろうらく》したいがために寄ってきた有象無象のひとりに対して告げたように、この美形の魔術師の「観光」は数日間つづいて、それは一種の地下巡礼のようなものだったのですが、絵巻物の繰《く》られる画面に驚嘆する観察――そして――ぶらり散策の日々のはてに、秘めた目論みは達せられました。目論み、それは情報|蒐集《しゅうしゅう》です。魔王の名前すら把握している驚異の博識の人物に、いかなる智見がさらに必要なのか? もちろん、都市《まち》の内外にいなければ獲られない情報でして、だからこそファラーは観風《かんぷう》をつづけていたのです。
有象無象に対して応えた内容に欺瞞《いつわり》なし。ファラーは相棒を見いだそうとしていたのです。みずからの判断の基準でもって。この「観光」は同時に、探索でもあったのです。そしてファラーはめざす情報をしっかり網に捕らえました。
浜の砂《まさご》ほどもウヨウヨしている自称「勇者」のなかから、その擢《ぬき》んでた実力と容貌《ようぼう》の美《うる》わしさをうわさされている人間、猛《たけ》き獅子《しし》にも譬《たと》えられている若い武士《もののふ》を――その所在《ありか》と、その消息を――つきとめたのです。
剣士社会きっての一流の人物でした。
うわさされているのは。
雅量もたたえられていました。
まるで血統高貴な王族について話をするように、ファラーが接触して情報を抽《ひ》きだしていった乱暴者たち、手に手に槍《やり》や自刃をつかんで武装して迷路《まよいみち》にちっていた無骨者たちは、この猛者について語るのです。
世にもまれな名刀を自在にあやつる、いちばんの剣豪と。
これほどの名声《ほまれ》を聞きつけたのならば、第二の行動に移らないではいられません。すなわち、おのれの目で確認すること。妖怪《ようかい》相手に武芸百般を練磨している剣士たちの領分《なわばり》に、さいわい、ファラーは単身のりこんで容易にあまたの脅威を蹴散《けち》らして進めますので(あるいは脅威の側がすたこらさっさと遁《に》げだしますので)、じかに剣士側の演習のもようを看《み》て、じっさいに話題の人物がその剣法《わざ》をふるう現場をあらためられます。評判となっている実力については、みずから判定すればよいだけのこと。そうして百鬼夜行の地帯にファラーはおもむいたのです。
話をはしょりますと、ひと時ののちには、眼前に冀求《もとめ》る情景は展開しておりました。ファラーが見物人となって後景に退きながら、その戦闘の内容《なかみ》を吟味していた場面とは、このようなものでした。人間の側は総勢四名――大小の刀剣《つるぎ》を手にした二刀流の剣客がこちらにおれば、あちらには見るからに名手の風情あふれている槍騎兵《そうきへい》(ただし馬には乗っておりませんが)、そして弓術の達人らしき丈夫《ますらお》がおります。のこるはひとり、これは一団のわずかに後方《しりえ》に位置し、さきの三名とは年齢《とし》はるかに下まわる若武者で、ならば経験もおのずと劣ると想われますが、こはそもいかに、全身から放たれている剛毅《ごうき》な気配は――たたずまいだけで四囲《あたり》をギラッギラッと威圧して――まるっきり実戦、叩《たた》きあげといった様相《もの》。百戦錬磨という形容がこれ以上ふさわしい人物がおりましょうか? 対戦相手ならば一見、ただちに「降参《まい》りました!」と白旗を揚げて退散いたすでしょう。この若武者、いかなる兵器《もののぐ》を携えているかといえば、明鏡さながらの刃《やいば》を燦《きら》めかせた細身の刀。ファラーの目には、これが地上《ひとのよ》のものならぬ霊剣であることが察せられました。尋常ならざる力量の魔術師には、ただならない妖気、たちまち嗅《か》ぎとれて霊剣の本質も(漠とした出自も)間髪を容《い》れずに感得されたのでした。さて、この四名に対峙《たいじ》するのは――いわずもがな、できることなら遭遇は避けたい――あまりにも畸形をきわめた一匹にして五十匹の怪物。孤独に野《の》をさまよっていても咆哮《ほうこう》によって合唱ができるという、五十の頭部《あたま》をもった野犬でした。迷路の闇《くら》がりに立ちはだかる化物《グール》に、躍りかかろうとする四名にして四名にしかならない人間勢は、かように得物《えもの》であるところの大身《おおみ》槍に弓矢、刀剣《かたな》を構えて、すなわち一人前の騎士が修得しなければならない武芸のひととおりの道具を揃えて対決します(ここで火器が挙げられていないことに注意されたい。すでにファラー篇で火縄銃が登場し(名前だけなら大砲も登場する)、重要な役割を演じているのに、騎士の武芸のたしなみに火器の類いがいっさい数えあげられないのはおかしい。ファラーの生いたちの挿話と、サフィアーン誕生譚からつづいている現在の物語とが、時代の設定の面で狂いを生じている。思うに、この二つの物語は成立年代が――アラブの民間説話としてのそれが――異なるのではないか? 私見を裏づけるかのように迷宮内でのドラマにはこの後も火器は登場しないし、また、すでに譚られたファラー篇において極端にイスラーム色が薄いのも、(本来はそれぞれが独立して人口に膾炙していたという)成立背景をしっかり暗示しているのではないかとぼくには想われる)!
長槍がひとつの頭を斬り、毒矢がひとつの頭を貫き、段平がひとつの頭を落としました。いやはや、この豪傑ども! 五十の頭部《あたま》をもち、おのれの絶対的優位を確信して石造の通路に鎮座していた異形の野犬は、いまや四十七の頭部《あたま》しか働かせられません! しかし、こうして活躍した三名の人間が豪傑なら、遅れて後方《しりえ》から跳びだした若武者は、どのようにいい表わせば足りるのでしょうか? ああ、傑物のなかの傑物の剣士! その霊剣、一|閃《せん》きらめいて、四つめの狂犬の首を刎《は》ねたと思いきや、さらに一閃、さらに一閃、どんどん刎ねます! 斬り落とします! しまいには――ひと太刀で――十四つの首を斬り、五つの首を刎ね、みるみる化物《グール》もひとなみに、いえ、犬なみに、生えているのは唯一の頭部《あたま》。と、すかさず! これもダイヤモンドさながらの細身の刃は斬り離してしまいました。
そして、のこった胴体だけの猛犬の肉身《からだ》を、タァーッ! 眉宇《びう》にみなぎった気魄《きはく》とともに、若者は西瓜《すいか》のように真っ二つに。諸国の肉屋も真っ蒼《さお》です!
ああ、一名にして四十七名ぶんの働き(四十七の頭を落としたのですから)、いやいや、それをうわまわる大活躍。とどめを刺したのはこの若武者ですから。なんという力量でしょう! もちろん、ファラーはこの超一流の剣士の名前を知っていました。嗅ぎあてていました。
サフィアーンです。
猛き獅子にも譬えられる美剣士、サフィアーン。じっさいにその手腕を目《ま》のあたりにして、ファラーは確信します。「このサフィアーンに比べたら、ほかの武士《もののふ》は無能力者だ」と。そして独りごちます。
「ああ、おれもこれで本懐をとげられるぞ!」
しばし怪物の断末魔がこだまをつづけていた狭い通路に、その反響がおさまるやいなや、涼《すず》やかな調べのごとき声音が顕《た》ちあらわれました。「ごきげんよう!」それはファラーの、サブィアーンたち一同にむけての第一声でした。
こちらはサフィアーンとその連れ衆、地獄の狂犬を斃《たお》したことに満悦した刹那《せつな》(それは緊張をといた瞬間でもありました)、後方から未知の声があがったのですから、びっくりです。すわ、第二の魔物の出現かとうたがいました。しかも目をこらせば、万魔殿の闇黒《あんこく》からあらわれるのは異界《あちらがわ》の玲瓏《れいろう》さを具《そな》えた美しい、むしろ美しすぎる人間ではありませんか! 常人離れしていて、まるっきり悪魔の貴公子さながらです。
「もし、御身《おんみ》はひとですか? 人間ならば、こちらこそ、はい、|ごきげんよう《ワ・アレイクム・サラーム》!」
応えたのはサフィアーンです。するとファラー、
「まあまあ、物騒な武器《もの》は、おのおのがた、おさめようじゃないの」――というのは、サフィアーンとその連れ衆はしっかり刀剣《かたな》や槍をファラーにむけて構えていたからです――「生きていてこそ、人生は華《はな》。おれも化物《グール》に見えるかなあ。べらべらとアラビア語をしゃべれるだけじゃ証拠《あかし》にはならない? だめかい? 自己紹介とか、ほしい?」
「ほしいです」と即座に応じたのは、やはりサフィアーン。「なみの人間にしては、ちょっと御身《おんみ》は美しすぎます」
「きみだって美しいよ」
「賞《ほ》めあってどうするんですか」
「眉目《みめ》のすぐれたるは魔物の特質ってわけでもないんだがなあ。もちろん、化けて騙《だま》して悪戯《わるさ》はするがね。おれのばあい、本然《ほんねん》の姿がこうだからさ、生まれついての美形なんだよね。醜男《しこお》にはわるいけどさ。最近こっち(地下都市のこと)に越してきた魔術師で、ファラーっていうんだけれど――」
と、二刀流の剣士が口をはさみます。「むむむ、わっしは聞いたことがあります」
「このひとのこと?」とサフィアーン。
「さようで」
「じゃあ、御身《おんみ》は」とサフィアーン。「人間の、ファラーさん?」
「いかにも」とファラー。
「失礼しました。なにしろ地下迷宮っていうのは気を許せない場所なんですよ。あっちに陥穽《わな》があるかと思えばこっちに自動八つ裂き装置があって、そっちに業火がブォーとか焔《ほのお》を噴いてるし。せこい欺瞞《たぶらかし》も多いし。本職のいかさま師には腹だたしいだけっていうか。いったいどんなやつが造ったのかって想像すると、ちょっとゾッとしますね。性悪を超えてますもんね。では皆さん、武器をおろしましょう」
サフィアーンの合図に、臨戦の態勢《かたち》でファラーにむけられていた得物は即、しまわれました。ちなみに連れ衆の三名というのは、サフィアーンの怒濤《どとう》の快進撃に刺戟《しげき》されて、すこしでも魔物相手の戦術をまぢかに学び、その威光にあやかって伎倆《うで》をあげようと期している面々で(すなわち積極的同行者でございます)、名前を槍奉行《やりぶぎょう》のアブドゥラーに弓大将《ゆみだいしょう》のウマル、二天一流《にてんいちりゅう》のハマドと申しました。故国ではそれぞれ、音に聞こえた強者《つわもの》でございました。して、いまはサフィアーンの伴《とも》として、ちょったばかり化物《グール》征伐の手伝いをし(あるいは足手まといになり)、獲得された財宝《おたから》のわけまえにあずかって、都市《まち》までの運搬を一手にひきうけるのです。つまり荷担ぎの担当でございます。じっさいの活躍に比較すれば――またサフィアーンと同道したさいの危険度の減少ぶりも考慮に入れて――分配率はきわめてわりがいいものでしたから、重い財宝《おたから》もなんのその。都市《まち》まで着きますれば、これは先刻ご承知のとおり、サフィアーンは義弟《おとうと》たちの協力のもとに戦利品の財宝《おたから》は地上に仕送りしていたのでございます。
さて、今回の戦闘《たたかい》の成果はと申しますと、五十の頭部《あたま》をもった野犬がその栖《す》に蔵《しま》いこんでいたのほ、なんと! 駝鳥《だちょう》の卵ほどの大きさの宝玉が何百個と入った金庫です。珍奇にして高価、なかには二十四キラット(カラット)の純金も。この獣に槍奉行のアブドゥラーほか、三人のお伴は雀躍《こおど》りして喜びます(なお、アブドゥラー、ウマル、ハマドの三名は脇役もいいところで、この場面以降はいっさい物語に関与しない。だから名前を憶える必要もない)。ときを置かずに運搬の準備をし、一路、都市《まち》にむけての帰途に就き、このあとをサフィアーンとファラーが話をしながら追ったのでございます。
「さっきの疑問だけれどね」とファラーはきりだします。
「疑問? ぼくのですか?」
「そうそう。ほら、だれがこの迷宮を造ったのかって、口にしたよね。もちろん魔王だよ。われわれが狙っている、古《いにしえ》の、魔王アーダム」
「アーダム!? ちょっとまってください。その名前、ぼくには初耳です。ファラーさんは……魔王アーダムって、それ、とうにご存じなんですか?」
「なんなりと訊《き》きなさい。おれはアーダムと、この迷宮王の消された歴史に関しては権威だからね」
また話をはしょりますと、こうしてファラーは、道中《みちすがら》の会話によってサフィアーンをいっきに圧倒したのです。なにしろ、すごい知識がでるわでるわ、サフィアーンにはどれも初耳きわまりない情報ばかりが、異様なまでの迫真性をもって解説され、どうしたって真正《ほんもの》です。「うわあ、ファラーさんはなんでも知ってるんだなあ」あっけにとられて、サフィアーンはいいます。しかも、相手に訊かれずともファラー、その博識を披露するわ披露するわ、いつしかサフィアーンは憧憬《あこがれ》にもちかい視線《まなざし》をこの年長の魔術師にむけはじめます。すべてはファラーそのひとによる巧妙きわまりない「売りこみ」だったのですが、その術中にすっかりはまったのです(詐術《いかさま》では人後に落ちないサフィアーンが!)。途上《みちみち》、驚嘆に驚嘆を重ねて、すっかりサフィアーンは、――ファラーさんというのは、ひとの目から秘《かく》されている事柄をことごとく知っているのだ――、と全面的に信頼します。さらに、信用が確実になったところで、だめ押しの実戦がありました。都市《まち》に帰るまでの途は、当然、安全ではありませんから、さまざまな異形の化物《グール》がでます。ふだんならば打々発止《ちょうちょうはっし》とやりあって、財宝《おたから》かかえた剣士たちがのこりわずかの体力をつかい果たして、まるっきりヘトヘトになりながら市域の内側《なか》に帰還するのですが、今回にかぎっては槍奉行のアブドゥラーに弓大将のウマル、二天一流のハマドはひたすら拱手傍観《きょうしゅぼうかん》して、体力は温存させて憩《やす》んでいられました。それどころかサフィアーンの出番だってありません! ファラーがかたづけてしまうのです。得体のしれない生物《いきもの》が暗闇にうずくまっていると見るや、呪文ひとつでこれを調伏《ちょうぶく》! すごい魔妖もあらわれたのですが、無関係もいいところ。たとえば――その表面《おもて》には無数の目しかない巨眼(それは数学的に完璧《かんぺき》な球体で、およそ麺麭《パン》焼き窯ほどの大きさでした)が出現して一行を驚かせても、意味不明の唱文《まじない》を口にして、その目玉に唾《つば》を吐いただけで滅《け》し去ります! さらに――象の牙《きば》にも匹敵する犬歯を生やした、身の毛もよだつような巨人がウォォォッと叫びながら駆けてきましたが、これは方術によって侏儒《ひきなり》に変えたうえに踏みつぶします。四方八方から吸血性の昆虫《むし》が襲いかかってきても、あっさり撃退。ああ、その魔術、幻術、妖術《ようじゅつ》! どんな類《たぐ》いの化物《グール》でも、ファラーのまえにあっては敗北と滅亡をまぬかれない宿命《さだめ》であるかのよう。死角というものが見あたりません。これらを目《ま》のあたりにして感慨無量になるまいことか、サフィアーンは猛烈に感動します。
なんて――なんて天晴《あっぱれ》な魔術師なんだ!
と、その感激ぶりを看《み》てとったファラー、すかさず好機を逃さずに、前方《まえ》を歩む三名(すなわちサフィアーンのお伴たち)には聞こえないように、そっと耳語《じご》しました。
「じつはきみにだけ話しておきたい内緒ごとがあるんだ。そう、きみの剣上としての伎倆を見こんでね……」
「はて、なんでしょう?」
「アーダムを斃《たお》す秘策というのを、おれは見いだしていてね、さらっといってしまうと、天下無双の剣士と空前絶後の魔術師が連繋《れんけい》すれば、どうにか可能という作戦《わざ》なんだよ」
「う、むぐぐ――」サフィアーンは思わず歓喜の雄叫《おたけ》びをあげそうになって、手のひらで口を押さえました。その後、ぜいぜい呼吸《いき》を吐きながら、ファラーにたずねます。「それは、ファラーさん……まことですか?」
「あたりまえさ。詳細はもちろん、おれと組むって誓ってもらえなきゃ、話すことはできないけれどね。どうだい、この二人といない魔術師と組むか? 組んで、肚《はら》をわって話しあうか? それとも拒絶するか?」
「ぼくの目と頭にかけて、もちろん組ませていただきますよ!」
即答でございました。サフィアーンからしてみれば、状況はついに窮極的好転! 秘奥の玄室にむかう汐時《とき》、いたり、しかも勝算はなはだしい気配です。鴨が葱《ねぎ》をしょってきたんだ! 出邂《であ》ったばかりで相手の人柄《ひととなり》を知悉《ちしつ》していないのは不安ですが、さはさりながら、首尾よい成果をあげるためにはこの大人物と(魔術師のなかの魔術師と)組まないでいられましょうか。前途は洋々、ひらけて、いよいよ愛の成就する――かもしれない――機会がやってきたのです。
愛の成就!
さて、みたび話をはしょりますと、都市《まち》の領域にもどった一行は財宝《おたから》をわけて「平穏とともに(「さようなら」の意)」を告げあいましたが、しかしサフィアーンは肝腎《かんじん》の相方とは小半時《こはんとき》も間《ま》をおかずに茶屋で再会して、密談をかわしました。それは「これこれの位置で、しかじかの剣技《わざ》をふるい……」といった作戦会議でございました。それから、支度をするなり義父《ちち》にも義弟《おとうと》たちにも往《ゆ》きさきをいう余裕《いとま》ももたずに、再度|都市《まち》より発ったのです。
ファラーとともに。
相方の魔術師とともに。
もちろん、右肩にかけた綬帯《じゅたい》に入れているのは霊剣、すでに何百匹という魔物、幻妖《ばけもの》を斬り捨てた細身の太刀です。この霊剣を頼んで、出発《たびだち》のとき、サフィアーンはいいました。「鬼神《イフリート》さん、もとい、霊剣さん、いっしょに魔王アーダムという稀代《きたい》の怪物にたちむかい、臆《おく》することなく決戦して、その首級《くび》を討ちとりましょう!」
わが愛のために――と心のうちに囁《ささや》いて、燦《きら》めきはダイヤモンドさながらの刃《やいば》に口づけすると、われ知らず霊剣も真っ赤になって照れます!
そしてサフィアーンとファラー、邂逅《かいこう》したばかりの運命の孤児《みなしご》たちは(そうです、両者がともに実父母を知らない拾い子であり、生いたちは世界《このよ》からの抛棄《ほうき》をもってはじまったのです)、下方《した》に、下方《した》に、阿房宮の奈落の深みに没《しず》み――しかし天才建築家の一族の技術《わざ》によって平穏無事に――たちまち古《いにしえ》の魔王アーダムが控えている玄宮の室《むろ》のまえに、そのために開通されている径路によって、到達したのです。
閉ざされた扉のまえに。
躊躇《ちゅうちょ》せずに押しこみました。えいっとばかりに、そしてズカズカと躙《にじ》ります。開けてはならない石室の扉が――はや何百回めになりましょうか――開けられて、またも絶滅者を(自称「勇者」を絶やす者を)その石棺のなかに起《た》たせます。狂った妖術師を。いかにも、ここは魔王アーダムの牙城《がじょう》でした。詛《のろ》いの術によって完璧な死を延期させつづけてきた不眠《ねむらず》の遷宮王が、闖入者《ちんにゅうしゃ》をズタズタにしようと瞋《いか》って起つ、破滅の舞台装置としての空間!
ああ、しかし――この顔ぶれは!
おしこんだのは剣士のサフィアーンに魔術師のファラーです。むかえたのは一千年の睡眠《ねむり》から目覚めて間《ま》もないアーダムです。この一瞬、ついに主人公たちは邂逅をとげたのです。すでに十四夜にわたって譚《かた》りつづけられている年代記、千秋の歳月を孕《はら》んだ永い、無限界の迷宮ほどにも永い年代記の第一番めの主人公アーダム、第二番めの主人公ファラー、第三番めの主人公サフィアーンが、ここに、はじめて顔を揃えたのです。しかし、この三者にどのような共通点が? 秘奥の玄室の闖入者であるサフィアーンとファラーの目に映ったものに、まずは描写をついやしましょう。扉のむこう側に展《ひろ》がっていたのは方形の小宇宙、現実感覚をゆがませるほど理想的な直線が交叉《こうさ》していて、うわさにたがわない数字上の絶対美を誇ります。しかし、床を埋めるのは堆積《たいせき》した白骨であり、それは渾沌《こんとん》に嫁いだかのような凹凸(の形状)を見せ、すべての幾何学の理想を裏切ります。その犠牲者の骨からなる白い世界に、埋没するかのように中心に坐《ざ》しているのが白い石棺。これが寝台です。暴虐の天子の寝台。凶悖《きょうはい》の王の寝台。そして、その白い石棺から起《た》つのは……齢《よわい》一千年を超える肉体を起こすのは、これまた奇怪! ただひとつの骨ならぬ形骸《むくろ》です。あまたの犠牲者たちのように白骨とも果てていない、朽ちかけてはいるが肉身《なまみ》の輪廓《りんかく》は保持した、狂乱のミイラです。
醜怪な、醜悪な、ああ! 鬚髭《ひげ》と髪はぼうぼうと伸び放題、目は松明《たいまつ》のようにギラギラと妖《あや》しい赤光《しゃっこう》を放って、鼻梁《はな》は曲がり、口はななめに裂け、ぽっかり空《あ》いた黒い穴で、頬は猩々《しょうじょう》のぶざまさに匹敵し、両耳は見苦しいばかりに尖《とが》り、しかし耳朶《みみたぶ》はたれ下がり、本来の面貌《めんぼう》のむくつけき様相《さま》をさらに一千年の荒廃が粧《よそお》って、ここにあるのは際限のない老醜、そのきわみ、すなわち凄絶《せいぜつ》な醜怪さ!
それをサフィアーンとファラーは見たのです。
古《いにしえ》の魔王の姿として。秘奥の玄室に足を踏み入れる人間、全員に――その蹂躙《じゅうりん》の罪を死をもって贖《あがな》わせようとする恐怖の大王《スルターン》(すなわち horror の擬人化)の姿として。
ついで、見られた者から見た者の描写に移りますと、この対比はあまりにも直截《ちょくせつ》的。サフィアーンにしろ、ファラーにしろ、ともに天来の麗質を具《そな》えて、成長とともにそれを開花させた美丈夫のなかの美丈夫です。しかし……しかし、この二者のあいだにどのような共通点が? ともに美しさでは劣りませんが、その容姿《すがた》をかたち作っている部分をとりだして察《み》るならば、通有する相など皆無です。それぞれの艶容《えんよう》は、それぞれの固有の艶容です。むしろ対照的。サフィアーンがだれをも惹《ひ》きつけてやまない陽光めいた、玉のような窈窕《ようちょう》とした器量のもちぬしなら、ファラーはむしろ月光のように暗闇を照らしだし、他者《ひと》のこころを酩酊《めいてい》させてしまう類い。それは真水と鹹水《かんすい》ほどにも対蹠《たいしょ》的な、似てはいるが正反対の、いわば陰陽の美貌《びぼう》なのです。
対極の二人。
そしてこの美しい二人の拾い子とも対極の――醜貌の怪人。
アーダム。
この三者。
主人公たちは、瞬間《いま》、遭遇をとげたのです。
しかし、サラーム(「あなたに平穏を」等)のあいさつも《》なければ、情誼《じょうぎ》をつちかおうという接吻《せっぷん》も、おたがいの名告《なの》りもありません。ことばは――友好の範疇から発せられることばは――いっさい、ないのです。しかし、対極のことばは(またしても対極!)ございます。これは二種類。いっぽうは冷静に、ブツブツと、いっぽうは錯乱して、怨嗟《えんさ》にみちて、モゴモゴと。前者はファラーが唱えはじめた呪文《まじない》であり、後者はアーダムの口から漏れでていた怒号らしき台詞で、むりに解読するならば「下方《した》には入《い》れんぞ!」等、四つの夢の石室に通じている隧道《みち》を鎖《とざ》したことに関する宣言なのですが、なにしろミイラの唇《くち》といわず舌といわず滑らかには動きようもないので、相手にはモゴモゴとしか聞こえない(聞きようがない)のです。とはいっても、兇悪《きょうあく》な念《おも》いは台詞《ことば》にならないモゴモゴからも判然と感得できました。永遠の苦患《くげん》に墜とされたミイラの、怨《うら》みぶしのようなものとして。中《あた》らずといえども遠からず、いずれにしても魔王の烈火の情念はサフィアーンに、そしてファラーに諒解《りょうかい》されて、これが敵対的な邂逅《であい》であることをあからさまにしたのです。
さらに追い討ちをかけるのが、ファラーのブツブツでした。
立腹する魔王に、しかけたのはファラーの側です。ブツブツと唱えられていた呪文《まじない》が(その文句はアラビア語ではございませんでした。古代の叡智《えいち》の一部です)、なにやら魔法の術を解き放って、決戦は――いきなり――開始《はじまり》とあいなったのです! 方形の石室《いしむろ》の天井が、さながら一天にわかにかき曇るように濃い闇に染まり、と、これはまたなんとしたことか! 石室の床に転がっていた白骨が、みるみる起《た》ちあがって、一体から三体、五休、七体、のみならず二十、三十の人形《ひとかた》をなして、しかも、てんでに武器をとるではありませんか。この武器というのは、もちろん、斃《たお》された自称「勇者」たちの屍《かばね》とともに室内に放置されていたのでございます。さて、白骨の兵士の軍団は隊列を組むや、一散に魔王アーダムの棺《ひつぎ》に殺到して抜刀《ぬきみ》や鎚矛《つちほこ》をふりかざしますが、と、ちょうどそのとき! アーダムのモゴモゴは一種の轟《とどろ》きに変じて、その声音《こわね》がひと粒ひと粒の珠《たま》となって魔剣士どもを討ちます! いっせいに撃破されて後退した白骨の軍隊でしたが、こんどはファラー、落ちついて空中に印契《いんげい》をむすぶや、これは意外! しりぞいた白骨の兵士はのこらずこなごなに砕けてちり、その微塵《みじん》が宙《そら》の一点に吹き寄せられたかと思うと、たちまち白い粘土と化して、ファラーが「獅子《しし》となれ!」と叫ぶやいなや、一頭の牡獅子に変化《へんげ》しました。粘土より造形された獅子は、かりそめの生命《いのち》といえども(あるいは、だからこそ)獰猛《どうもう》をきわめて、魔王アーダムにむかって突進します。これに対してアーダム、ぼうぼうと伸びに伸びた顎鬚《あごひげ》の一本をプチッとひき抜いて、「剣《つるぎ》!」と唱えると、あら、ふしぎ! 顎鬚はしゅるしゅると長《たけ》を伸ばして、見るからに切れ味するどい刀剣《かたな》となり、ワーオワーオと怒声をあげて猛進してくる牡獅子を右目と左目のあいだ、鼻梁《はなばしら》のまんなかから、真っ二つに! しかし、かりそめの生命《いのち》はほんものの生命《いのち》とは無縁、右の半身と左の半身に割《さ》かれて分離した獅子の片側が、ファラーの妖術《ようじゅつ》によって死なずブヨブヨと膨張をつづけて、これは兇暴な豺《やまいぬ》に長じました。すると、もう片側をアーダムが支配して、こちらの割けた半身は蠍《さそり》と獅子の淆血《キマイラ》に成長をとげました。それから二体は、咬《か》みつき、からみつき、壮絶な死闘に突入しました。
さて、この緒戦のとき、サフィアーンはどうしていたのか――いかなる役割を果たしていたか――といえば、まだなにも、ファラーの後背に隠れるようにして、霊剣をたずさえながら戦闘《あらそい》の舞台には踏みださず、展開する魔法の戦《いく》さを見守っておりました。このように、緒戦に参与せずに袖手傍観《しゅうしゅぼうかん》し、後方にて(気配を忍ばせて)待機するように指図したのはファラーそのひと、作戦上の肝要事でございました。ですから、サフィアーンは傍観者の立場をつらぬいて、なかば呆然《ぼうぜん》と眼前におこなわれる秘術と奇蹟《きせき》の数々を刮目《かつもく》していたのでございます。
もとは一頭の牡獅子だった魔蠍《まかつ》と豺の血戦は、瞬《またた》き十四回ほどの須臾《しゅゆ》にして頡頏《けっこう》やぶれ、アーダムが傀儡《くぐつ》としている側がいよいよ優位に立ちました。ですが、とどめを刺される瞬間、豺はぱっと身を離して俊足の鬣狗《ハイエナ》に変じます! すると毒蠍《どくさそり》と獅子のいやらしい雑種である妖獣はジャッカルに化けて、これを追います。足の捷《はしか》さよりも体躯《たいく》の巨《おお》きさが要るようになった鬣狗《ハイエナ》は野牛となり、他方、ジャッカルは巨象になり、この闘いも互角と見るや、ふたたび俊敏さでの勝負にでた野牛は黒貂《くろてん》に、しかれども地上の生物《いきもの》のままでは雌雄を決するのは至難の業《わざ》と判断した巨象は、いきなりボゥッと涌《わ》いた火焔《かえん》と化して黒貂をつつみ、と、焼かれる黒貂をあやつっていたファラーは、石室の虚空《こくう》に墨つぼと一枚の紙片を幻出させて、なにごとかここにしたためて、すると今際《いまわ》の絶叫をあげていた焼死なかばの黒貂の頭上に、たちまち豪雨が! 消される魔焔は、しかし一転、水を浴びてこそ意味をなす水車《サキア》に変じて、さらに魔的な活力を蓄えます! まことにはや、妖術の神秘を知らぬ者には想像を絶する一騎討ちです。水車を破壊するために顕われたのは黄金の鬼斧《きふ》、この純金の斧《おの》の刃を鎔《と》かして殺すのは熔鉱炉《ようこうろ》、水車《サキア》は一基の――鍛冶屋《かじや》のしつらえている――炉に変化《ヘんげ》して、ですが純金製の斧は滅びると見せかけて鎔解《ようかい》されながらも蒸気にその身をやつして炉外に逃げおおせ、得意の生物《いきもの》の姿にふたたび還《かえ》って家鼠《いえねずみ》となって石甃《いしだたみ》と自称「勇者」たちの骸骨《がいこつ》のあいだを走り、ならばとばかりに炉は猫に、それから両者が変じるのは瘤《こぶ》の三つあるワクワク諸島に産する駱駝《らくだ》、蹄鉄《ていてつ》をうちつけられた海の牝馬、絶叫する魚、千に一つ足りない数の卵から生まれた妖鳥の群れ、おびただしい数でそれに勝る毛髪をなびかせた拳《こぶし》大の蝗《いなご》。
委曲《つばらつばら》に語れば夜も明けてしまうほどの摩訶《まか》ふしぎ、秘法の合戦でございました。げに、稀世《きせい》にして空前絶後の妖術師とは、この二人のことでございます。なれども空前絶後とは「唯一《ただひとり》」の傑物を指すのであって、両雄|倶《とも》には立たず。いま、目下の場面においても同然です。しのぎを削る過程《なか》にも――アーダムとファラーの――どちらが優勢かは明白《あきらか》。ファラーは防戦いっぽうで、意表をついて化けて、遁走《とんそう》して、追いつめられてはまたもや意外なものに化けて――の連続ではありませんか。この事実は魔術には疎《うと》い、はたで手をこまねいているサフィアーンにも看取できて、坐視《ざし》を強いられている立場だからこそ危《あや》ぶんでハラハラのしどおしですが、当のファラーは……これはまたどうしたことか? わずかに微笑すら口もとに浮かべております。哂《わら》いながら、愉しみながらアーダムと対決しているようすなのです。じっさい、そうなのでした。実力に隔たりがあるのは鍔迫《つばぜ》りあいで感得でき(ああ、魔王アーダムの、その絶大なる魔力《ちから》!)、いまや窮地におちいるほど圧《お》されているファラーでしたが、この現実を憂えるどころか歓迎していたのです。でなければ、なんの意味がありましょうか? アーダムの妖術がみずからの――二十数年間の生涯で習得した――それをうわまわっていなければ、どうしてファラーがこの地の底にまで降りる理由が?
前人未到の魔力。精霊の血の淆《ま》じらない人間でありながら(純血の人間でありながら)、超人として魔神《ジン》を驚愕《きょうがく》させた妖術師の。
古今|未曾有《みぞう》の。
純粋な「人間」妖術師の!
つかんだ情報にまちがいほない。死後一千年が経ち、ミイラになり果てても依然として、これだけの魔力がふるわれる。証《あか》されたのです。ファラーにとっての、希望が、真実《まこと》だったと! だから、ファラーは哂《わら》いました。
だから、防戦しかできない状態《ありさま》でも、絶望からは遠い場所にいました。
うきうきとしていたのです。わくわくと愉しんでいたのです。ほとんど上機嫌に、アーダムの魔法の化身《けしん》による攻撃を禦《ふせ》いで、かわす作業にいそしんでいたのです。現在のところ、攻めようとしなければアーダムの幻術に張りあいつづけるのも可能でしたし、防衛というのも頭脳戦にもちこめば攻撃的です。ようするに、意外な変化《へんげ》によって翻弄《ほんろう》し、巧みな遁走によって相手をひきまわす。その機才縦横の魔術をファラーはあまさず、防禦《ぼうぎょ》に、翻弄と誘導にもちいていたのでした。
その結果は? アーダムの注意はずっとファラーが惹《ひ》きつけることになります。よしんば防戦いっぽうであっても、追わせつづければ意識は余所《よそ》にふりむけられません。アーダムはおのれの化身に集中し、その現身《うつそみ》は――
魔王の骸躯《うつそみ》は、無防備に?
合図はファラーによって、待機する剣士にむけて放たれました。背後に控える傍観者の剣士に。玄室のまんなかで、ファラーの化身が――アーダムの強力な化身によって尾撃《びげき》されながら――こんどは鬣狗《ハイエナ》に変じたのです。魔法戦の初期において、いちどは試された化身に、もういちど。そして鬣狗《ハイエナ》はにやりと笑いました。サフィアーンにむかって。これぞ合図! 玄室に降りる直前の茶屋《マクハー》での作戦会議で、サフィアーンは相方の魔術師ファラーから「おなじ獣が二度でたら、往《ゆ》け」と指示されていましたから、ついに出番です!
「アッラーフ・アクバル(アッラーは全能なり)!」と叫んで、神佑《しんよう》を祈って、サフィアーンは魔王のふところに飛びこんだのです。
斬りかかったのです。一千年前の寝床であった石棺のなかに、ずん、と立っている魔王アーダムの現身《うつそみ》に。電光石火、いっきに踏みこみ、霊剣の刃で斬りつけます。その早業《はやわざ》! たしかに天下無類を誇る剣客ならではの動きで、世界に冠絶《かんぜつ》する撃剣《げきけん》。と同時にファラーの見立ても文句なしで、じっさいアーダムは――化身は強靭《きょうじん》であっても、その肉体は――無防備にして、ミイラ化しているために弱点だらけ。ここを、名にし負う剣豪のサフィアーンが襲ったのです。魔王の虚をついて、襲いかかったのです。
これこそがファラーの秘策。天下無双の剣士と空前絶後の魔術師の、連繋《れんけい》による、アーダムを斃《たお》すための秘策。
その秘策の前半。
ファラーが防禦につとめることによってアーダムの気を惹き、惹きつづけて、隙だらけになるようにしむけていたわけですから、サフィアーンは魔法の攻撃にはさらされません。霊剣はしっかり、標的を捕らえてズザザザザッと斜めに斬りました。その左肩から胸部の中心に落ちるように。しかし、一刀両断とはならず! なぜか白刃《しらは》は中途でザッ、ザッ、ズズズゥ――と勢いを失します。なにしろ霊剣の本性が鬼神《イフリート》にも類するものならは、こちらも魔王のなかの魔王。ただの(純粋な金属の)刀剣《かたな》をもってすれば、截《た》ち切れもしたでしょうが、霊剣であることがあだとなって、アーダムに「魔法」のにおいを嗅《か》ぎつけられてしまったのです。ああ、踏みこみは完璧《かんぺき》であったのに! 魔術の戦闘《あらそい》に、その意識、あまさず傾注していたアーダムであったからこそ、突然ふところに現出《あら》われた「魔法」のにおいに、ただちに反応したのです。
ファラーのあらたな一手かと、即座に、これを防禦して。
魔的な動きを封じて。
魔術、対、魔術。
ギョロリと、魔王の目がサフィアーンにむけられます。「なんだ、おみゃあ?」とでもいいたげです。サフィアーンは愕然《がくぜん》、しかも眼前にあるのは袂咎《わざわい》のなかの殃咎《わざわい》とでもいえるような、醜怪なミイラの面貌《めんぼう》、それこそ不用意に認めたならば眼《まなこ》も腐るような、不浄そのもののアーダムの顔《かんばせ》です! 必死で霊剣の刃をひき抜いて、再度の撃剣にむかおうとするサフィアーンですが、魔王アーダムの口はそのときポッカリ開《ひら》いて、濁った瘴気《しょうき》さながらの太息《ふといき》を吐きだしながら、うーつーけーもーのーめ! とばかりに邪術の文句《ことば》をふりむけます。
サフィアーンめがけて!
と、そのときです。アーダムの注意がサフィアーンとその霊剣に逸《そ》れて、魔術の戦力《ちから》もふところにいる異物(サフィアーンの霊剣)を指向した刹那《せつな》、ファラーがいきなり攻撃に――防禦から魔術的な攻めに――転じました。防戦いっぽうだったファラーは、この機会をこそ待望していたのです。衷心《ちゅうしん》からもとめていたのは、この――剣士の――力添えだったのです。この助力があれば、本望成就はうたがいなし! と。
ここあらが秘策の後半。
ファラーは破壊のための闇黒《あんこく》の妖術《ようじゅつ》を、選ばれた才能にしか顕現させることのできない神秘の現象《わざ》を、ここぞとばかりに生み落として、解《と》いて放ちました。奥義をこの瞬間、行使したのです。中空に、燦《きら》めきが発生して白色の氷片となり、それらは凝《こ》り集まって霜の手となり、巨人の右手のような怪異《もの》となり、そして――その掌《たなごころ》の内側に二者をおさめたのです。アーダムと、サフィアーンを。霊剣でつながった魔王と最強の剣士を。それから、むんず、と巨大な手のひらは二人をつかみました。
その五本の指で捕らえました。握りつぶすように、わしつかみにしたのです! 神秘学の蘊奥《うんのう》をきわめた大妖術家や仙人たちのあいだで、俗に「冷たい手」と呼ばれている秘術が、これでございました。その手にふれられたものは、人間であるか動物であるかを問わずに、生命《いのち》を奪われてしまうという邪悪きわまりない詛《のろ》いの現象《わざ》です。つかまれる以前《まえ》に消滅させられればよし、しかし、いったん接触してしまったら、もう終焉《しゅうえん》です。
術の効用は不可逆的であり、いかに魔王の肉体であっても(さらにいえば、ごまかしながら一千年を凌《しの》いで――死を延期させながら生き存《なが》らえているミイラの肉体だからこそ)、生命《いのち》を滅し去るのは必定《ひつじょう》。ファラーにとっての正念場は、ただひとつ、いかに好機を見いだしてアーダムの現身《うつそみ》にふれるか、「冷たい手」を消散の憂き目から遠ざけてー――防禦も、魔術的な反撃もさせないで――現身《うつそみ》にふれる機会を生みだすか、だったのです。
そのためにサフィアーンが要りました。
いわば媒鳥《おとり》として。アーダムの注意をいっきに惹きよせて、しかも胸前《むなさき》に霊剣をつきつけられた、のっぴきならない状態におちいらせるために。
ファラーに対すればサフィアーンに斬り殺され、霊剣《そちら》をむけば「冷たい手」につかまれて、殺《あや》められるという危地にいたらせるために。
そして――「冷たい手」は――霊剣の刃によって結《ゆ》わえられているも同然のアーダムとサフィアーンをいっぺんに、つかんだのです。アーダムには逃げ道なし。刃は(おのれの胴体に)食いこんでいますし、サフィアーンとむすばれた状態で「冷たい手」の脅威は迫っていて――サフィアーンを楯《たて》にもできず――この攻撃に呑《の》まれました。
ファラーの攻撃に。防戦いっぽうを演じていた、しかしながら二重の秘策を用意していたファラーの方略に。
この悪巧み! もちろんサフィアーンには青天の霹靂《へきれき》、寝耳に水もいいところ。なにが起こっているのかも把握できないままに、魔術の手のひらに把握されます。この「冷たい手」のまえには、生きとし生ける物みな、破滅をまぬかれません。ああ、サフィアーンも同列! 生命《いのち》がグワッと奪われます。と、時をおなじゅうして、魔王の老醜の骸躯《むくろ》からも千載の歳月をかろうじて逗《とど》まりつづけていた精気が、あらがいもできずに、収奪されます! この瞬間、アーダムの魔力は滅しはじめ、サフィアーンの霊剣はふたたび拘束から解かれて所有者《もちぬし》の意にかなうように動きだし、すなわち、ひき抜かれて第二の撃剣を可能とし、サフィアーンは絶命寸前の状態にありながら刃をふ、ふるって、斬《き》、斬、斬りかかり、それもアーダムの頸《くび》すじに――
――魔王の頭部《あたま》を――截断《せつだん》して、胴体より離し――
アーダムの頭部《あたま》は飛んで、けれども征討した当人であるサフィアーンの胸もとに、そもは喰らいついて、肩口から左の高胸坂《たかむなさか》にかけてをガブウッと咬《か》んで、再度《またもや》、一体と化して――あわれ、絶命!
両者、ともに現身《うつそみ》より精気をあまさず滅し去ります。
こうしてアーダムは討たれて、サフィアーンも生涯の幕を閉じたのでございます。
さもあらばあれ、ファラーは勝利したのでした。
「往生したぞ!」いきなり、雀躍《こおど》りしてファラーは喜びます。「すばらしい! 完璧だった! いやあ、サフィアーンというのは、うわさに背《たが》わない無類の剣客だったなあ。あの絶妙な、まさに神業の斬りこみといったら! あれだけの伎倆《ぎりょう》のもちぬしが相方にならねば、おれの目論みも成就はされなかった。げに忝《かたじけ》ない! どのような台詞《ことば》を口にだしても、感謝をしきれるということはない。ありがとう、サフィアーン! といっても、もう成仏しちゃってるけどな。おかげで魔王アーダムをだしぬけたよ。あのな、サフィアーン、おまえはおれに瞞《だま》されて、命を鴻毛《こうもう》の軽きにおいたの。おれの奸計《かんけい》にはめられちゃったの。苦き盃《さかずき》を飲ませてしまって、あい済《す》まん。しかし、ほんとうに助かったなあ。復活の日(アッラーによる最後の審判の日)まで、たんまり永劫《えいごう》の睡眠《ねむり》をむさぼって憩《やす》たまえ、薄命の名剣士よ」
そういってツカツカと石棺のほうに歩み寄り、そこに転がる二つの(しかし分離した)亡骸《なきがら》、すなわちファラーにとっての殉死者であるサフィアーンとその胸もとに咬みついた他者《ひと》の首、それから頭部《あたま》を截断されてしまって寝台にバッタリ仆《たお》れているアーダムのミイラを、両の眼《まなこ》に確認しました。
「ああ、おまえたち、しっかりお陀仏になっちゃって!」ファラーは感きわまったようにいい、それから石棺のなかに顛倒《てんとう》した、アーダムの首なしの屍骸《しがい》を濡《ぬ》れたような目でながめます。「アーダム、おお、アーダム」歌うように囁《ささや》きました。「このようなミイラの姿になってまで奮闘するとはなあ。おのれが抹殺した秘密の歴史を守ろうとするとはなあ。なんていうのかなあ、おまえってば、たった独りだけ蛇のジンニーアと契約《ちぎり》をむすんで、いい目を見て、後世の人間にはおなじような境遇は愉しませまい、ジンニスタンの顔役と闇の契約《ちぎり》をむすぶなんていう、いい目は見させまいって魂胆だったのか? ああ、せこいなあ。しみったれた魔王だなあ。独り占めなんて考えちゃってなあ。不死の秘術を現身《うつそみ》にほどこして、ミイラに変じてまで、大地の入り口を封印するとは! きっとこの下方《した》に、蛇のジンニーアと邂逅《かいこう》を果たすための地底の(ほんものの地底の!)聖域が秘められている――わかってる、わかってるって。あるいは陥穽《わな》も同時にあるかな? さて、では態勢を立てなおして後日、いよいよ聖域を探検とするか。この玄室そのものも、隅から隅まで掘り起こして徹底的に発《あば》いて、本職の墓泥棒も顔色《がんしょく》をうしなうほどに調べてやるぞ。まずは、第一に。ここには必定、ファラオの金字塔《ピラミッド》の隠し部屋のように、掩蔽《えんぺい》された通路《みち》が――聖域への入り口があるはずだからな。精霊の眷族《けんぞく》と肩をならべられるほどの魔力を、契約《ちぎり》によって、蛇のジンニーアとの契約《ちぎり》によって、純血の人間であっても具有する夢を……現実として夢見ることのできる、手段《てだて》にいたる道が」
ファラーは期待にうち震えた面《おも》もちで、アーダムの玄宮の室《むろ》を前後、左右、上下、眺めやったのちに、ゆるりと凱旋《がいせん》の準備にかかります。愉しみはこれからなのです。確乎《かっこ》たる地歩を――ゾハルにおける地歩《それ》を――固めるのも、これからなのです。諸悪の根源とみなされている魔王を斃《たお》したのはだれか? それはファラーです! ゾハルでの永代《とこしえ》の地位を約されているのはだれか? もちろん、ファラーです! 地下|遺蹟《いせき》の深奥に瞑《ねむ》っていた魔王を征伐し、ついに商都|兇変《きょうへん》のみなもとをとりのぞいたのですから、アーダム打倒の証《あか》しをたずさえて地上に帰還すれば、ファラーはいよいよ独りきりの凱旋将軍です。名誉も立場も獲《え》て、階梯《かいてい》をさらに一段、のぼって――肚《はら》のなかの計略はしっかり講じられておりますから――窮極の目的にちかづきます!
それでは、魔王|誅伐《ちゅうばつ》の証拠を用意です。いちばんはアーダムの首級《くび》ですが、これがなんと! サフィアーンの屍体《したい》にガブゥッと囓《かじ》りついて歯牙《しが》を深ぶか刺しこんだまま、いかに蓬髪《おぼとれがみ》をつかんで束ねてひっぱろうが、まるで伴侶《つれ》のように咬みついて、離しようがございません。サフィアーンの亡骸《なきがら》といっしょでは、いろいろと策略が露見してしまう危険もございますので(あくまで凱旋将軍というものは英雄の範疇《はんちゅう》にいるべきなのです)、「まあ、首なしの胴体でいいか。こっちのミイラで」と結論しました。そして、短い唱文《まじない》をつかって空中に裂け目を作りますと、その時空の間隙《かんげき》から飛びだしてきたのは召《め》しだされた一頭の猛獣。瀝青《チャン》よりも黒い膚をした、虎狼《ころう》のさがも一目瞭然《いちもくりょうぜん》の――魔神族の飼い犬であるという――尨犬《むくいぬ》でございます。ファラーはこの魔犬にアーダムのかさかさのミイラを咥《くわ》えさせて、まずは石棺から搬《はこ》びだして移動の支度をさせると、「よし、犬公《わんこう》、こいつを地上にひき揚げるぞ」と命じて玄室の外部《そと》にでました。それから、石の扉になにやら指さきで文字をなぞり、妖術をほどこすと、たちまち魔王の棲《す》み処《か》であった石室の扉は鎖《とざ》されました。
だれも入れないように、物理的にも、魔術的にも、封印されたのです。
こんどは、ファラーによる封印です。扉はもう、ひらきません。
つぎに開けるのはおれだ――と、ファラーは念《おも》って、魔犬を順《したが》えて(ほとんどニヤニヤ笑いだしながら)迷宮の最深層を去りました。
いっぽう、こちらは無人の玄室内、四種類の夢の石室に通じる隧道《みち》を封印して、こんどは自身の入り口を封印されてしまった石室です。とりのこされて、なにやら物寂しい雰囲気ばかりがただよいます。なにしろ存在《あ》るのはサフィアーンの無残きわまりない屍骸《しかばね》と、胴体のないアーダムの首ばかり。と、なんとしたことか! 無人のはずの玄室の内部《ないぶ》に、あきらかに人間の気配のようなものが顕《た》ちはじめます。ボワッと、なにかが焜《かがや》きはしなかったでしょうか? サフィアーンの屍体の……胸のあたり……アーダムの頭部《あたま》が咬みついているあたりで、双つの円い輪の光輝が……ほんのり。それは、生命《いのち》の証し? ちがいます。この玄室の内部《なか》で、サフィアーンとアーダムの屍《かばね》は、たしかに絶対的に死に浸《つ》かっています。肉体は「冷たい手」によって息の根をとめられたのですから。たしかに、完全に、絶対的に。
肉体は。しかし、アーダムの肉体は、そもそも……その現身《うつそみ》は、妖術によってかろうじて一千年を生き存《なが》らえていたミイラ、ものを喰わずとも一千年を生きる(生かされる)ことによって痩《や》せさらばえて、ものを飲まずとも一千年を眠る(眠らされる)ことによって枯れ果てた、すでに生命《いのち》などは滅したかのような容器《いれもの》でした。魂のための、容器《いれもの》。一千年の睡眠《ねむり》は永すぎて、肉体はそもそも動いているのがふしぎなような状態だったのです。すると、アーダムはいったい、どのように生きていたのでしょうか? この一千年間の不死とは?
いうなれば思念的な……視えざる存在《もの》。いまにも肉体という牢屋《ろうや》からは脱けだそうとしている、妖霊のごとき怨念《おんねん》に――怨念に変じていたのです。
それが、ファラーによって、肉体という獄舎《ひとや》から解放されたのです。もともと、この滅びる寸前のミイラの現身《うつそみ》に辟易《へきえき》していたアーダムを。
怨念を。
釈放した。
しかし、人間というものは魂だけで存《あ》ることのできる類《たぐ》いではございません(そうでなければ、審《さば》きの日に肉身が必要とはされないはずでございます)。ならば、釈放されたアーダムの怨念がもとめるものは? ただちに、冀求《ききゅう》するのは? 新鮮な肉体でございます。あたらしい、若い、現身《うつそみ》でございます。そこに宿ることが可能な。それは……それはどこに?
胴体を離れたアーダムの首は、その双眸《そうぼう》に、ほんのり、赤光《しゃっこう》を灯らせました。鬼火でございます。妖《あや》しい焜《かがや》きは、しかし本来の頭部にはとどまらずに、ああ、じわりじわりと移動をはじめます。眼窩《がんか》のある箇所から鼻に下《くだ》って口もとに、それから、サフィアーンの高胸坂《たかむなさか》に喰らいついている歯牙の周辺に、そうして……そうして……
いきなり、死んでいるサフィアーンの四肢がビクッ、ビクビクッと顫《ふる》えました。ガタガタガタッと肩のあたりが跳ねました。ボウッとみぞおちが圧《お》されるように凹んで、サフィアーンの口から、溺死《できし》寸前の状態から生きて還った人間が――たとえば――河の水なり海の水なりを蘇生《よみがえり》の瞬間に吐きだすように、黄色い小さい両棲類《りょうせいるい》のような「死」の息の塊まりが吐きだされました。
それから、サフィアーンは吼《ほ》えたのです。
野獣のように咆哮して、バタッと反転し、ついでズズッ、ズズッ、ズズッと、おのれの上半身をひきずるようにして――ああ!――起きあがりはじめたのです。
いやさ、たしかに起《た》ちました。
術によって。妖術《ようじゅつ》によって。死亡直後に黄泉《よみ》帰り。
復活して。
再生して!
しかし……しかし、その表情は?
優美さなどありません。義侠《おとこぎ》の面《おも》ざしなど、どこに? そこにあるのは梟猛《きょうもう》な、極悪非道の、悖乱《はいらん》者の、悪《あ》しき、悪しき、悪しき――顔つき。
サフィアーンが復活したのではありませんでした。「冷たい手」の仕業《しわざ》である死とともに、サフィアーンの固有の人格は滅し去っていました。だからこそ、アーダムの狂える魂――なかば妖霊と化していた怨念は、それを、空蝉《うつせみ》になったサフィアーンの肉体をのっとれたのです。絶命したばかりの肉体に憑依《ひょうい》して、これに蘇生《そせい》の術をほどこせたのです。
「お……お……お……お……!」とサフィアーンは叫びました。悪逆無道の表情で起ちあがったサフィアーンは、アーダムであるサフィアーン、すなわち魔王サフィアーンは、吼えました。「……おれは、おれは、おれは!」と。
佇立《ちょりつ》して、いきなり両目から涙をながし、のち、左の肩口から胸板にかけて喰らいついて離れないでいる旧《ふる》い頭部《あたま》を(ああ、アーダムの首級!)左手でバシッと叩《たた》いて、はらい落とし、いっぽうの右手には霊剣を――旧い現身《うつそみ》から頭部《あたま》を斬り離した、その刃にすさまじい霊験《れいげん》をひそめた霊剣を依然として握りしめて――手放さずに握ったままでいて、こう号《さけ》びました。
「女魔神《ジンニーア》! おれの裏切られた愛!」
そして壁をむき、その方形の一面にむかってカッと咒《かしり》を唱えると、ぴったり嵌《は》めこまれていた石塊がちって飛び、一つひとつ、それらの石塊がはがれた壁面に穴が、黯《くろ》い円のような横穴がひらきました。
のぞいたのです。狭い、狭い隧道《すいどう》の入り口が。
産道のように地底の子宮《こつぼ》に通じている隧道《みち》が。
魔王と化したサフィアーンはみたび、吼えて、その穴に飛びこみました。
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地上では陽光ばかりが射している。
熱砂にはいたらない。午前八時、あるいは九時。地表《ちのおもて》はひんやりと、ひと皮むけば夜半の記憶に遭遇する。その冷えこみに。しかし、この夜間の名残りにしたところで、砂漠ではたちまち霧散する。
小一時間ばかりで灼《や》ける。炙《あぶ》られたように、この砂地は熱される。
激変の大地に人間たちが犇《ひし》めいている。
いっぽうは総大将ムラード・ベイに率いられたエジプト防衛軍。いっぽうは総大将ボナパルトの夢想の駒であるフランス軍。陸上の四個師団と河上の戦艦隊が合流を果たしたラフマニアの町から、わずかに首府カイロ側に――十三キロばかり――南方に位置したナイル河畔の村落、ジッブリシュで、いま両軍は対峙《たいじ》している。
聖遷《ヒジュラ》暦一月二十九日(西暦七月十三日)、金曜日。
午前八時、あるいは九時。
それは両軍にとって予想された会戦だった。ボナパルトの軍隊は深い、六戦列の方陣の隊形をとって展開していた。馬匹《ばひつ》、および騎馬の連隊はその方陣の内側に入れられて、さらに死角となる方陣の四隅には大砲《キャノン》が据えられており、全方位射撃を可能とした。一ユニットの機械として前進、動作する陣形であり、この会戦のために生みだされたボナパルトの戦術だった。右翼はジッブリシュの村にとどかんばかりに、左翼はナイル河畔に置かれた。そして戦艦隊が遡航《そこう》しながら左翼の掩護《えんご》にまわる作戦だった。対するムラード・ベイの軍隊は、もちろん、相応の態勢によってこれを邀《むか》えた。要撃するのはエジプト側である。最強の編制によってジッブリシュに布陣し、停滞していた三日間におおいに気を吐いて――獲物の到来をまち、網にかかるのを待望し、すなわちフランス軍の南進をいまや遅しと期しつづけていたのは、ムラード・ベイの麾下《きか》部隊である。そのエジプト防衛軍もまた、砂漠にひろがっていた。右翼にマムルーク騎兵隊、左翼にパシャ親衛隊。河上にもじゅうぶんな砲艦が配されて、いわずもがな大砲《キャノン》は(のみならず多彩な重装備が)ジッブリシュの陣の守護的役割についている。
ボナパルトが全軍をラフマニアから出立させたのは午前一時、そして――前進する方陣の「戦争機械」のユニットは――ジップブシュ手前で、地平線上に廠勢を見た。
またも地平線上に。美しい十字軍時代の遺物を。東洋《オリエント》という響きがもたらす印象、そのままの幻影を。
それが午前八時、あるいは九時。
楽隊がラ・マルセイエーズを演奏した。フランス軍の陣営は涌《わ》いた。しかし、その旋律は東洋《オリエント》のムスリムたちには異様で、耳慣れない音階が醜怪に(さながら痴人《しれびと》たちの合奏のように)、意図すら理解できない騒音として聞こえる。音楽も音楽ではない。
かけ離れた両軍が、これほど至近の距離に対峙して、決戦の火蓋《ひぶた》が切られるのをまつ。
要撃を決意してジッブリシュ村に網をはっていたムラード・ベイ指揮下の軍隊だが、しかし、最後まで待機しつづけて、フランス側が攻撃をしかけるのを(ひたすら坐《ざ》して)まち構えることはできなかった。その行動には弱者の論理が感じられる。それは騎士道に、そして精鋭揃いのマムルークたちの自負心に反する。
それは倫理的に辱《はじ》である。
騎士道の正義は、勇猛果敢な突撃にあった。
だから、ジリジリと太陽が照りつけはじめた砂漠の午前八時すぎ、あるいは九時すぎ、偵察の騎兵たちが方陣のまわりを駆けて――それから、いきなりムラード・ベイ配下の全軍が突撃を開始した。フランス軍の方陣を崩そうと、猛烈に疾駆した。アラビア馬の群れはほとんど優雅といえる勢いで驟《はし》った。しかし、フランス軍は動かない。マムルークが殺到するが、動かない。「戦争機械」のユニットは、人間的に反応しない。怖れてはいたが不動で、時機《とき》をまつ。いまだに、まつ。目のまえにマムルークの武具のきらめきがあり(そして馬体も)、それでも堪《こら》えて待機している。
そしてムラード・ベイの軍隊は罠網《しかけあみ》に陥《お》ちる。
フランス側の、射程に入る。方陣の四隅から、いっせいに大砲《キャノン》が火を噴いた。四方から、八方から、マムルークの死角から。轟然《ごうぜん》と砲撃はつづいて、さらにライフル銃がこれに第二の轟音を重ねた。合奏するように。これこそが音楽だといわんばかりに。
砲撃と射撃のコーラス。騎士道の猛者《もさ》たちは動揺し、斃《たお》れて、絶望し、混乱する。
しかし、斬りかかる。しかし、なお突進する。それは悲惨きわまりない光景だった。勇気をふるって騎士道の正義に生きれば生きるほど、無慚《むざん》に――文字どおり機械的に――戮《ころ》された。だが、マムルークの騎兵隊にとって、ほかにどのような戦法があるというのか! 満を持してジッブリシュ村に網をはったからには、満を持して斬りこまねばならない。それが騎士の論理。それが戦争における勇猛さの証《あか》し。
英雄の。
だが、マムルークの流儀は通じない。
ボナパルトの軍隊はあらゆる個人的感情、戦士の勇気を無視している。
騎士道精神を相手にしないで、戦場に美醜や善悪の問題などもちこまないで、殺戮《さつりく》をつづけている。
「戦争機械」のユニットが騎馬の――金銀宝玉を身につけて武器をとった――誇り高き英雄たちを屠《ほふ》る。
またもやムラード・ベイは茫然《ぼうぜん》自失としている。強烈な既視感。これでは三日まえのラフマニアでの接触と、おなじではないか? いや、おなじではない……理不尽な敗北の規模がちがいすぎる。悪夢というのが程度《スケール》において桁《けた》はずれになる現象の、夢幻的な定義なら、これは現実ではない。
悪夢がわれわれを捕らえている。
エジプトを。
ついに、マムルーク騎兵隊の困惑は、頂点に達する。熟練した騎士たちは無駄|死《じ》にを懼《おそ》れる。攻撃の手が、足が停まり、ジッブリシュ村の自軍の陣から、でられない。攻撃は自然と中止され、そして――撤退がはじまる。
河上はどうか。
そこにおいては、緒戦、エジプト軍が優勢だった。ほとんど圧倒的に攻勢にあり、フランスの戦艦隊に多大な損害をあたえていた。砲艦対砲艦の戦闘《たたかい》で、およそ千五百発の砲弾が両軍によって応酬されたが、エジプト側は正確な砲撃で勝り、二隻の砲艦とガレー船を平らげて、さらに相手の船上に雪崩《なだ》れこんで乗組員たちを虐殺した。しかし、状況はいっきに変わった。エジプト側の第一砲艦の帆に、火が燃え移ったことによって(これはムラード・ベイとその軍隊にとって最大の悲運だが)船内にあった火薬庫が危地に陥《お》ちて、そして爆発した。
砲艦が。
木《こ》っ片《ぱ》と人体が裂けて飛散した。
陸上のあらゆる轟音を無効とするような、すさまじい爆音があがって、ナイルが燃えた。
これが終局的な合図だった。エジプト軍はここにおいて完璧《かんぺき》に恐慌を来たした。もはや総大将のムラード・ベイの指示はもとめられてもいない。全軍、退却にかかっていた。カイロにむかって。陸上の部隊も、河上の生きのこりの部隊も、カイロに遁《のが》れようと。
エジプト側は、まるで意味をなさなかった大砲《キャノン》を十一門、ジッブリシュ村の陣営に抛《な》げ棄てて、会戦のはじまりから一時間も経過していないというのに敗走していた。
完全なる潰走《かいそう》だった。
そして午《ひる》にちかづき、砂は灼ける。
夜が朝《あした》に代わり、朝《あした》が夜に代わる。
第十五夜は訪れる。
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本書は二〇〇一年十二月に刊行された小社単行本を文庫化したものです。
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底本
角川文庫
アラビアの夜《よる》の種族《しゅぞく》 U
平成十八年七月二十五日 初版発行
著者――古川《ふるかわ》日出男《ひでお》