く卵王子〉カイルロソドの苦難F
微笑みはかろやかに
261
冴木 忍
S
富士見フアノタ/ア文庫
32−14
口絵・本文イラスト 田中久仁彦
目 次
一章 空からおりて
二童 心の風景
三葦 《語らぬもの》との対話
四章 時と祈りの回帰
あとがき
245 187 137 61
微笑みはかろやかに
一章 空からお。て
季節が逆行しているようだった。
ト一−Lrゆひざ かがや
本来ならば夏の眩い陽射しが降。注ぎ、人も縁も生き生きと輝く季節だというのに、空
おお
は鉛色の重苦しい雲に覆われている。
何日も太陽の見えない日が続き、吹きつける北風があらゆる生物を凍えさせていた。湖
こお につしよう
や河は凍。、寒さと日照不足によって緑が急速に減。− 草食動物達が次々と餓死した。
そして当然のことながら、肉食動物連の数も激減した。
わずかの問に、生態系が大きく狂いだしていた。そしてそれは、魔物の出現によって混
おとしい
乱している人間達を、一層の混乱に陥れた。
はうかい
タジエナ山脈崩壊から半月、異変と混乱は広が。続けていた。
真っ白い息を吐きながら、カイルロッドは庭を歩いていた。日照不足と寒さで木々が立
ち枯れ、ロワジー自慢の庭からも緑が減っていた。
「寒いな・・・」
カイルロッドは身震いした。空気が刺すように冷たい。呼吸するだけで肺の中が痛くな
るような、そんな冷気だ。
「この異常気象が混乱に追い討ちをかけている、か」
白い息を見ながら、カイルロッドはイルダーナフやエル・トパックから聞いた話を思い
出していた。
メつこ
放屁する魔物達への恐怖とそれによって崩壊寸前の人々の生活に、日照不足や寒気が追
い討ちをかけている、と。
「食料としていた動植物達が激減し、またどこの国でも農作物はほぼ全滅のようてす。国
庫に貯蔵してある食料が底をつけば、飢餓が人々を襲うでしょう」
ちんつぺ 一ヂもも
沈痛な面持ちでエル・トパックはそう言った。
ぬ つぶ
カイルロッドは空を仰いだ。枯れた木々の枝の間から見える空は鉛色に塗り潰されてい
だれ
る。ただならぬ異変が起きていることは、もはや誰の目にも明らかだった。
微笑みはかろやか工
しかし、打開策を知る者はない。最後の拠。所たるフェルハーン大神殿にもなす術はな
いのだ。
「世界の終わnソがきている」
そんな言葉すら、人々の口にのぼ。はじめているらしい。このままでは飢餓や混乱よ。
ほろ
先に、絶望が人々を減ぽすだろう。希望を持たない人間は脆くはかないものだ。
しルうしゆ1ノ
人々が絶望に支配される前に、この異常事態を収拾しなくてはならない。すなわち、ム
いしつ
ルトの恐れた《あの方》を、カイルロットの実父を倒さなくてはならないのだ。
「それなのに、俺は・。こんな場所でおとなしくしてていいんだろうか」
正気を取り戻したものの、ロワジーの家で無意味に日々を過ごしていた。
しハかんちーノ
当初毎日のようにきていた神官長の呼び出しも、エル・トバックとイルダーナフがあれ
これと埋由をこじつけて引き伸ばしているうちに、こなくなってしまった。おそらノ\ 神
殿につめかける人々や各国の使者達との応刺で手がいっぱいにな。、後回しにされている
のだろう。
その代わ。というように、エル・トパックとティファは、神殿につめかける人々の応対
に引っ張。出されていた。
「イルダーナフやエル・トパックは忙しく動き回っているのに…・俺だけが無意味に日々
を過ごしている」
どこでなにをしているのかわからないが、イルダーナフは毎日出かけている。ロワシー
′、つだ
は奥の部屋にこもって調べものをしており、メディーナはその手伝いをしている。カイル
ロッドだけがぼんやりとしている。
二刻も早く実父を倒したい」
そうカイルロッドが訴えても、イルダーナフは「おまえさんにゃ、まだ無理だ」と、と
りつくしまもない。「まだ勝てないと言うのなら、勝てるようになりたい」、何度そう訴え
ても、
.∴ ・ . .
「焦ってもどうにもならんぜ。奴は闇に潜んでいた魔物達を活性化させ、異常気象を引き
起こす力の持ち主だ。今闘っても、おまえさんにゃ万に一つの勝ち目もねぇよ。もう少し
待て」
素っ許ない返事が戻ってくるだけだった。
「そんな力を持っている俺の実父って、何者なんだフ」
カイルロッドは思いきって質問してみたが、イルダーナフは「わからん」としか答えな
かった。ロワジーやエル・トパックにも訊いてみたが、答えは同じだった。口裏を合わせ
ているのか、本当に誰にもわからないのか−1カイルロッドには判断できなかった。
徽冥みはかろやかに
「実父が何者であろうと、俺はもっと強くなって、勝たなくてはならない。俺は一刻も早
く、実父を倒さなくちゃいけないんだー」
..・・′
焦る気持ちばか。が空回。している。焦ってどうなるものでもないと、頭ではわかって
いらだ
いるのに、この苛立ちを止めることができない。
「早く倒さなくてはならないんだ 」
出会った多くの人々のために、そしてグリユウやミランシャのために。
「′ ミランシャ」
くらげる
もうこの性にいない少女のことを思い、カイルロッドは唇をきつく噛んだ。タジェナで
でルコこしこ
の出来事を、カイルロッドは一生忘れないと思った。あま。に残酷で悲しい出来事ばか。
だったが、忘れることはできない。
「まだ信じられないよ、ミランシャ。君が死んでしまったなんて・・」
ミランシャは死んだのだ。わかっているのに、心のどこかではまだそれを認めきれずに
あわ
いる。呼んだらすぐにでも、木々の間から走ってきてくれそうで、そんな淡い期待が捨て
られなくてカイルロッドは周囲を見回し、小声でミランシャを呼んでみた。
「ミランシャ」
が、返事はかえってこない。そして少女も現われない。わかっていたことだが、カイル
ロッドは肩を落とした。
「この目で見たのに 」
目の前で、ミランシャは慶となって消えてしまった。別れを告げる少女の恐ろしいほど
まなざ
澄んだ眼差しを思い出し、カイルロッドは涙がこぼれそうになった。
・
泣くまいと歯を食いしばりながら、カイルロッドは鉛色の空を仰ぎ ー 目を剥いた。な
にか大きな物体がカイルロッドめがけて落ちてくるではないか。
「なんで人間が空から降ってくるんだーけ」
落ちてきたのは人間だった。カイルロッドは悲鳴をあげながら、それでも大きく両手を
広げた。
きルはつ
衝撃とともに落ちてきたのは子供だった。銀髪を屑より少し長く伸ばした一〇歳くらい
Jノわh
の、可愛らしい顔立ちをした少女だった。大きな水色の目をみひらいて、カイルロッドを
ジッと凝視している。
「ぴ、びっくりした 一
少女を抱えながら、カイルロッドは肩で息をしていた。思ったよりも少女は軽かったが、
りつか
体重に落下の加速が加わっているのだ。下手をすればカイルロッドの肩は外れていたかも
しれない。「鍛えておいてよかった」、ルナンにいるダヤン・イフエと、イルダーナフに感
微笑みはかろやかに
謝した。
「それにしても 」
lル・りん しわ
少女を見、カイルロッドは眉間に級を寄せた。少女ははにかんだ衷情で、カイルロッド
を見上げている。
「どうして子供が空から降ってくるんだっ」
ロワジーのいる離れは神殿の奥にあり、子供など入ってこれないはずだ。
されはししや
「きっと参拝者のつれてきた子供だ。親とはぐれて退屈していたから、末登。でもしてい
たんだろう」
落ちてきた高さは木の上どころではなかったが、無理や。カイルロッドはそう決めつけ
た。
「名前はフ お母さんはどこっ はぐれたのっ」
こわ せいいつはいやさ
恐がらせてはいけないと思い、カイルロッドが精一杯優しい声で話しかけると、少女は
無言で頭を振った。
「じゃあ、どうしてここにいるのっ」
少女は無言で上を指差した。
お
「 空から降。てきたの 7−
そう訊くと、少女は小さく額いた。
、I I・I...
カイルロッドは自分の顔がひきつっていくのを感じた。頭の中が混乱していた。人間が
空から降ってくるなど、簡単に信じられるはずもない。しかし、降ってきたのを目撃した
のだ。
「 君、空を飛べるのっ⊥
まさかと思いつつ、カイルロッドが恐る恐る質問すると、
「まぁ、こんな場所にいたのねー」
「セリったら、ひどいですわ。一人でさっさと行ってしまうなんて−」
頭上から二種類の芦が降ってきた。
1 、、 ・
見上げる勇気がなかったので、カイルロッドがそのままの姿勢で立っていると、目の前
にふわりと二人の少女が舞い降りてきた。金髪と黒髪の可愛らしい少女だ。二人を見て、
おどろ
カイルロッドは驚いた。抱えている少女をあわせて、三人が同じ顔、同じ服装をしている。
「三っ子なのフ」
みくり
カイルロッドは二人と、腕の中の少女を見比べて、目をパテパテさせた。髪の色はそれ
せカつこう
ぞれ異なっているが、三人とも顔や背格好がそっくりだ。
「そうです。あたし達、三つ子なんです。ちょっと、セリ。いつまで王子に甘えているの
ゴノうずノう
よ。どうせわざと落ちて、受けとめてもらったんでしょう。図々しいわね」
とが
金髪の少女皇一口われ、カイルロッドの抱えている少女、セリが不満そうに唇を尖らせた。
とたん、カイルロッドの腕の中から重さが消えた。
「えっ?」
からだ
見ると、ふわりとセリの身体が雷に浮いていた。そして、そのまま風に運ばれるように
して、金髪と黒髪の少女のところへ行き、セリは地面に足をつけた。
すご
「凄いなあ。本当に空が飛べるんだ」
われ
我知らずため息をついたカイルロッドを見、金髪と黒髪の少女がクスクスと笑った。
「俺、おかしなことを言った?」
・.・.
カイルロッドが怪訝な顔をすると、
「だって。空を飛ぶよりずっと凄い力を持っている王子が、感心しているんですもの」
ほほえ
黒髪の少女が微笑んだ。「王子フ・」、そこでカイルロッドはやっと気がついた。名乗って
もいないのに、この三人の少女達はカイルロッドを知っているらしい。
「君達、俺のことを知っているのフ」
微笑みはかろやかに
15
「ええ。はじめまして、カイルロッド王子。あたしはリリア」
金髪の少女がにっこ。と笑い、
「あたしはアリユセです。はじめまして、カイルロッド王子」
lかフが あいさつ
黒髪の少女が服の両裾を小さくつまんで、優雅に挨拶した。
「あ、はじめまして」
ひわい
つられてカイルロッドが頭を下げると、金髪と黒髪の少女が 「可愛いー」とはしゃいだ
かく
声をあげた。銀髪の少女セリは、二人の後ろに隠れてしまった。人見知。するようだ。
「ねぇ、アリユセd カイルロッド王子って凄い力の持ち主だから、どんな人かと思ってた
げなんし
けど、とっても美男子さんじゃない」
かい
「それに可愛いですわ。神殿にきた甲斐があったというものですわね」
いや
「ええ。神殿なんて嫌な奴ばっか。だけど、カイルロッド王子がいるなら、いてあげても
いいわね」
1 ・.1
「エル・トパックというのも、素敵な人だそうですわよ」
「いい男がいっぱいね」
はしゃいでいる二人の少女を前に、カイルロッドはしばらく口を出せなかった。まるで
じじよ いどばた
侍女達の井戸端会議だと思いながら、
「あの、悪いんだけど、俺にもわかるように説明してくれないかフ 君達は何者なのフ」
放っておいたらいつまで続くかわからないので、カイルロッドはためらいがちに声をか
じよう
けた。盛り上がっている女同士の会話に途中で口をはさむのは、勇気がいる。案の定、話
を中断され、二人は不満顔になった。
「なんてせっかちなの。もう少し待ってなさいよ。いくら顔がよくたって、堪え性のない
男はもてないわよ」
じこしよーフかい
「もう少し待ってくださいな。ちゃんと自己紹介しますわ」
にら こわ
睨まれ、カイルロッドは身体をすくめた。子供でもやはり女は恐い。「空を飛んでくる
のだから、ただの少女じゃないだろうけど」、早く正体を知りたいのだが、ここはしばら
かくご
く待つしかないようだ。そう覚悟したカイルロッドに、
「あたし達、ウルト・ヒケウなの・こ」
のヱ っぷや
二人の後ろに隠れていたセリが顔を覗かせ、ポソリと呟いた。
「 ウルト・ヒケウフ」
初めて聞いた言葉にカイルロッドが首をひねると、
「魔術において偉大なる者という意味です。彼女達は現在のフエルハーン大神殿において、
じゆつしや
最高の術者ですよ」
微笑みはかろやかに
′ ・・′.
右袖を風に揺らしながら、赤い髪の青年が現われた。その横に黒い肌の美女が影のよう
につき従っている。神殿から帰ってきたらしい。
「この子達がフエルハーン大神殿最高の術老け.本当ですか、エル・トパックけこ
とんきよう うなヂ
カイルロッドが頓狂な声をあげると、エル・トパックは領き、リリアとアリユセが「そ
うよ」と胸をはった。一人離れているセリも肯いた。
「・…・そ。や、空は飛んだけど…・」
カイルロッドには信じられなかった。どう見ても一〇歳ぐらいの子供達がフエルハーン
大神殿最高の術者と緒介されて、すんなり信じる者はいないだろう。
そんしよスノ
「でも、あたし達一人一人にウルト・ヒケウの尊称があるわけじゃないの。三人でウル
ト・ヒケウなのよ」
.h・
リリアが補足説明をした。つまり、個人でも充分強いが、三人揃うとさらに強いという
ことらしい。
はんしんはんぎ ぎようし
半信半疑でカイルロッドが三つ子を凝視していると、
「あたし達、ロワジ一様に呼ばれたの」
「そう、王子のために」
けとこきゆうおく
リリアとアリユセが「ね1つ」と額き合った。一呼吸遅れて、セリが「呼ばれたの」と
呟いた。
「・・俺のためにフ」
カイルロッドは何回もまばたきした。
2
1
空から舞い降りてきた三人の少女達によって、ロワジーの衆は急に賑やかになった。三
つ子がきたと知らされるや、ロワジーが奥の部屋から飛び出してきた。
「おおっ、きたか三人娘−」
「お久しぶりです、ロワジー様」
あいさつ めじり しわ きぎ まご
三つ子が挨拶すると、ロワジーは領きながら目尻に深い紋を刻んだ。遊びにきた孫と話
こうこうや きむヂか
しているような、好々爺の笑みである。とかく気難しいと評判の老人がそんな表情をする
のは、メディーナとこの三つ子ぐらいなものだろう。
「こうして見ていると、ただの少女みたいだけどなぁ」
むじやき
テーブルについたカイルロッドは、三つ子を見ながら心の中で呟いた。無邪気にはしゃ
いでいる少女達が最高の術者とは、どうしてもイメージが重ならない。
「外見で判断しちゃいけないんだけど」
9 徴笑みはかろやかに
そんなことを思いながらカイルロッドが、部屋の真ん中で立ち話しているロワジーと少
女達を見ていると、
・・11.一.
「それにしても人騒がせな方々だ。どうせくるなら、もっと目立たない方法できてくださ
ればいいものを」
かべ
壁にもたれかかったティファが不満そうに呟いた。
なんでもエル・トパックとティファが神殿の中で仕事をしていると、急に外が騒がしく
なった。何事かと思って外に出てみると、神官や信者達が空を見て騒いでいた。見ると、
あわ
三つの人影が空を飛んでいた。そこでエル・トパックとティファが、慌てて追ってきたら
しい。
「ああ目立っては、すぐにウルト・ヒケウ様が戻ってきたと知られてしまう。そうなれば、
だま
神宮長をはじめとする上層部が黙っていないだろうに」
「よしなさい、ティファ」
うんざ。とした口調のティファを、カイルロッドの隣。の席にいたエル・トパックが小
声でたしなめた。
「そ。や、空を飛べば目立つでしょうね」
なにげ
何気なくカイルロッドが呟くと、それまでロワジーとにこやかに話をしていた三人が、
いつせl
一斉にテーブルの方を振り返った。
こわ
「な、なんか恐い」
同じ顔をした三人に同時に振り向かれ、カイルロッドはつい逃げそうになった。
「あたし達はね、目立つように帰ってきたのよ」
にっこりとりリアが笑った。
「飛んできたのは、上層部にあたし達が帰ってきたことを知らせるためですわ。あたし達
が帰ってきた以上、いつまでも好き勝手させませんわよ」
おだ
表情こそ穏やかだが、アリユセが強い口調で言い、一呼吸遅れてセリが 「 好き勝手
させません」と細い声で言った。
はほえ し、あつかん
神殿の上層部など恐るるに足らぬと微笑んでいる三人の少女に、カイルロッドは威圧感
へんてつ
を感じていた。それまでなんの変哲もない少女だと思っていた三人が最高の術者、ウル
ト・ヒケウに見えてきた。
「ウルト・ヒケウが帰ってきた以上、神官長達も好き勝手はできん」
あごひノノ ユノれ
顎翳を引っ張りながら、ロワジーが嬉しそうに言った。よほど現神官長アクティス・レ
ヴィを嫌っているらしい。
「それじゃ、どうして今まで彼女達を呼ばなかったんだろうフ 呼んでいれば、ロワジ1
微芙みはかろやかに
様も神官長をやめずにすんだだろうに。そもそも、最高の術者がどうして今まで神殿を離
れていたんだっ」
一てぼく hだ
カイルロッドは素朴な疑問を抱いた。そしてその疑問をロワジーにぶつけてみると、
「ウルト・ヒケウには重大な使命があったのでな。わしのことぐらいで、
呼び戻すわけに
はいかなかったのだ」
Lわね
重々しい声音が返ってきた。
「重大な使命・I 」
はんすこノ もたナら rPりめ
カイルロッドが反窮すると、リリアが悪戯っぽい笑みを閃かせた。
「そう。とっても重大な使命があって、三〇年前に神殿を出たのよ」
「 三〇年前つて」
あ′−ハ
カイルロットは嘩然とし、三人を見た。リリアは髪をいじくりながら微笑んでおり、ア
リコセはクスッと笑い、セリはもじもじしながらうつむいている。
「からかわないでくれ。君達、どう見ても一〇歳そこそこじゃないかー」
とが
からかわれているとしか思えない。「子供のくせに」、声を尖らせたカイルロッドに、
「からかっているわけじゃないわ。本当よ」
おとふ うなず
リリアが大人びた顔で言った。横でロワジーが大きく放く。
デ一
「本当のことだ。この三人は普通の人間に比べて、歳をとるのが遅いのだ」
「ええっけ」
目を真ん丸にしたカイルロッドに、ロワリて1が補足説明をした。神殿関係者の血筋には、
時折そういう体質の者が生まれるのだと。そして、そういう者はずば抜けた力を持ってい
る、と。
「 ・」
lサむ ノユ
なんと言っていいかわからず、カイルロッドは半分口を開けた間抜け面のまま、一一一人を
見ていた。子供だとばかり思っていたら、実際ははるかに年上だったのだ。カイルロッド
でなくとも驚くだろう。
「エル・トパック、あなたはこのことを知っていたんですかっ」
エル・トパックに訊くと、
「ウルト・ヒケウ様にお会いするのは初めてですが、議だけは聞いていました」
との返事だった。ティファも知っていたらしく、冷静だ。なにも知らなかったカイルロ
い.ノぜん
ッドだけが呆然としていた。
「ええと 。それじゃ、実際はいくつなんですフ」
ときい
動揺して、そんな質問をしたカイルロッドに、二種類の声で怒声がはねかえってきた。
23 微笑みはかろやか′こ
「女性に年齢を訊くなんて、失礼だわー」
まれ つ
リリアとアリユセが眉を呂。上げ、セリはロワジーの後ろに障れてしまった。
「・こしまった・」
っかつ のろ
カイルロッドは自分の迂開きを呪った。とかく女性は年齢を気にするものなのだ。リリ
ものすこ ののし
アとアリユセに物凄い早口で罵られながら、カイルロッドは「すいません」と、何回も頭
を下げていたっ見ていたティファが情けなさそうな表情で頭を左右に振り、エル・トパッ
クは苦笑していた。
のうート
「まったく、三〇年ぶ。に帰ってくれば、神殿の人間は能無しばかりになっているみたい
だわ、肝心の王子は礼儀知らずだわ 」
もん′、 えんえん
リリアがぶつぶつと文句を並べ始めた。カイルロッドはそれが延々と続くことを覚悟し
た。
と[。
おやじ
「三〇年前というと、親父が神殿を出た頃ですね」
奥から盆を拘ったメディーナが顔を出した。ずっと姿が見えないと思ったら、台所にい
たらしい。
「神殿を出たって、イルダーナフがけ 神殿関係者だったのけ」
驚きのあまり、カイルロッドは椅子からずり落ちた。見ると、ティファはもとより、沈
ちやくJlいヤい
着冷静なエル・トパックですら動揺を魔せず、席を立っていた。
「あ、あなた、イルダーナフ・の娘?」
ほほ
メディーナを見上げるリリアの頬がこわばった。問われ、メディーナが「イルダーナフ
あいきつ
の娘のメディーナです」と挨拶するや、リリアとアリユセの二人が「まずいっ、Lやぺっ
ちゃったー」と悲鳴じみた声をあげた。一呼吸遅れてセリが 「 まずい」と呟いた。
「イルダーナフまで神殿関係者だったなんてー」
おらい
恐慌状態に陥っているカイルロッドと、動揺しているエル・トパックとティファ、そし
て「まずいー」と連呼している三人のせいで、室内は大騒ぎとなった。
かか
イルダーナフが神殿関係者という意外な事実に、カイルロッドは頭を抱えて唸っていた。
じっば
実母フィリオリ、ムルト、そしてイルダーナフ。「俺の人生はフエルハーン大神殿の関係
lまんろつ
者達に翻弄されている」、そう思うと悲しいやら虚しいやらで、泣きたくなってきた。
「この方達は重大な使命のために神殿を出た。同じ頃、親父も神殿を出た。果たしてただ
く・フぜん
の偶然でしょうか、ロワジー様」
lまほえ
メディーナに微笑みかけられ、ロワジーはまるで塩と砂糖を入れ間違えた料理をロにし
たような表情になった。
25 微笑みはかろやかに
..
「イルダーナフが神殿にいたなどとは、初耳です。どうか詳しく説明してください」
エル・トパックがロワジーの前に立った。腰をさす。ながら、カイルロッドも立ち上が
った。
「ロワ、シ1様。そろそろ、本当のことを教えてくださいませんかフ」
やさ
盆をテーブルの上に置き、優しい口調でメディーナが言った。
「若い者がよってたかって、年寄りをいじめるもんじゃない」
カイルロッドをはじめ、エル・トパックやメディーナに詰め寄られ、ロワジーが心底困
った顔をした。見ている三つ子は露骨に 「しまった」という顔をしている。
「なにを隠しているのか知。ませんが、いい加減に事実を教えてくださいませんかフ」
せま
強気でカイルロッドが迫ると、ロワジーはふ1つと息をつき、
「事実を知らせるのにも、時と場所がある。今はまだその時ではないのだ、王子」
小さな声で言った。それがまるで聞き分けのない子供をあやすような口調に聞こえ、カ
イルロッドの頭に血がのぼった。
「じゃあ、いつ 『その時』がくるんですかけ いつになれば、俺は事実を知ることができ
るんですけ・待てと言うけど、いつまで待てばいいんですけ イルダーナフもロワジ1様
きペん ろう
も、詭弁を弄するばかりじゃないですか!」
叩きつけるように叫ひ、カイルロッドは握った拳を震わせた。
TLしめヽ
「事実を受けとめるには、俺はまだ未熟かもしれないけど 。不安なんです。なにも知
らないことが不安で仕方ないんです・」
おさ t′げ
気持ちを言葉にしたことで、抑えこんでいた不安と苛立ちが大きくなった。一刻も甲く
先へ進みたいのに、同じ場所で足踏みしているようなそんな焦りと苛立ちだ。それが無意
味であるとわかっていても、焦燥にも似た気持ちは静まらない。
「自分が何者か、それすらもわからないなんてー」
感情が昂ぶり、苛立ちが放りに変わりかけた時、
′め
「焦ったら駄目よ、王子1M
すぐ近くで、凛とした声がした。
「ミランシャlっ」
そんなはずはないと思いながらカイルロッドは叫び、顔を動かした。
横にセリがいた。おどおどしながら、カイルロッドを見上げている。
「. ミランシャかと思った 」
つぷや
口元をおさえ、カイルロッドは呟いた。さっきのセリの口調や声は、ミランシャによく
似ていた。だが、驚いたのはカイルロッドだけで、メディーナやエル・トパックは「似て
27 徴笑みはかろや廿工
いただろうかっ」と首をひねっている。
「焦ったら自分に負けるわ。自分に負けちゃ駄目」
今度はあま。似ていない口調で呟き、セリはカイルロッドの腕にそっと触れた。そして
すくに、リリアの背中に隠れてしまった。
ガタガタと、強い風に窓が鳴っている。その昔を聞きながらカイルロッドは苦笑した。
一 すぐ焦るのは、俺の悪い癖だ。そんな時、いつもミランシャが叱ってくれた」
セリの声がミランシャに聞こえたのは、そのせいだろうとカイルロッドは思った。もし
この場にミランシャがいれば、セリと同じことを言っただろうから。
「ありがとう。頭が冷えたよ」
ル一′、
カイルロッドが礼を言うと、リリアの背中から半分顔を覗かせたセリが小さく諏いた。
Lんらよソ
「王子の背負っているものは重い。それだけに慎重にならなくてはならないのだ。そのこ
とをわかってくれ一
重々しい声と表情で言ってから、ロワ、シーは 「こ。や、今晩は雪だな」と腰をさす。な
がら、部屋を出て行った。持病である腰痛、腰の病みの具合で天気予報ができるそうだ。
「さて。では、私はこれで失礼します」
ふきノ とぴノ
と。あえずこの場はイルダーナフの正体追及を諦めたエル・トパックが、扉の方へ足を
28
向けた。ティファが「いいんですか」と訊くと、
「どう問いつめたところで、試してくだきらないだろう。こちらの方々もね」
きんかつしよノヽ
エル・トパックは金褐色の目を三つ子に向け、微笑んだ。三つ子は大きく額いた。
おやじ かんこうれい
Ml親父に精口令をしかれているのですね」
やれやれという口調でメディーナ。
「それに、仕事を途中で放り出してきてしまった。早く神殿に戻らないと」
神殿に戻ると聞いて、カイルロッドはエル・トパックを呼び止めた。
「俺も神殿につれて行ってください」
思いきって言うと、エル・トパックは立ち止まり、
「それはできません」
.さJひ
振り向きざま、はっきりと拒否した。
「どうしてですかけ 俺はただ、母のいた神殿を見てみたいだけなんです。そしてできれ
ば、神殿最高位の人物と会って、真相をはっきりと知りたいだけなんです」
じっ一
フィリオリのこと、神殿がひた隠しにしているカイルロッドの実父のこと、この異変に
たいしよ
対して神殿はどういう対処を考えているのかなどを、訊きたいだけなのだ。
カイルロッドが必死にそう訴えると、エル・トパックは少し悲しそうな衷情で「わかっ
微笑みはかろやかミこ
29
ています」と領き11−d
「それでもつれては行けません」
おだ 一一うぽう
穏やかに言い、強い光のある双降をカイルロッドに向けた。
さいそく
「あなたをつれてこいと、あれほどうるさく催促していた神殿が急におとなしくなったの
なぜ さつとう
は、何故だと思いますフ この異変により、人々が救いを求めて殺到したため、その対処
に追われているからです。そして、あなたがこの家でおとなしくしているから、とりあえ
ず静観という姿勢をとっているのです。あなたが動けば、神殿は静観していられなくなる
でしょう一
ここで一息つき、
まわ
「あなたに他意はなくとも、周。はそう思わない。特に神殿はね。あなたはそういう存在
になってしまったのです」
悲しげに呟き、エル・トパックは扉へ向かった。音もなくティファが後に続く。メディ
ーナと三つ子は複雑な表情で、エル・トパック達の後ろ姿とカイルロッドを交互に見比べ
ていた。
しヨ すわ
扉の開閉する音を聞きながら、カイルロッドは椅子に座。こんだ。エル・トパックの言
thじわる
葉は、悪意や意地悪からではない。それが事実であり、カイルロッドのために忠告してく
れたのだ。
「俺はただの人間のつもりでも、周りはもうそう思ってくれないのか」
とほう
ムルトを倒し、途方もない力を持つ実父を倒そうとしているのだから、そう思われても
仕方ないのかもしれない。しかしーtLEL
「俺はただの人間なんだ。実父が誰であろうと、卵から生まれようと…l力が強くても、
俺はただの人間だ」
死んでしまったミランシャのために、そして生きている多くの人々のために、強くなり
あつか
たかった。が、強くなればなるほど、恐れられ、人間扱いされなくなってくる。その事実
さぴ
がたまらなく悲しく、淋しかった。
「食事にしよう、王子」
ふいにメディーナがそんなことを言った。
「腹が減っていると、人間はろくなことを考えない。まず腹ごしらえしてから、あれこれ
と考えればいい。食べたい物はあるかつ」
1あいそミノ き
無愛想に訊かれ、カイルロッドは「なんでもいい」と答えた。するとメディーナは「わ
ぷlとト
かった」と言いながら、台所へ入って行った。手持ち無沙汰なのか、三人が「手伝うわ」
とはしゃぎながら、メディーナを追った。
微笑みはかろやかに
・1 −− ・Hl・
台所から聞こえてくる賑やかな声に、カイルロッドは頼づえをついたまま、微笑んだ。
こころづか うれ
メディーナの素っ気ない、だが優しい心遣いが嬉しかった。
3
.−・
日没とともに、急激に温度が下がる。特に夜半から明け方にかけての冷え込みが強く、
このところ毎日のように凍死者が出ていた。
「あら、雪ですわ」
わたげ
アリユセが窓に顔を向けた。ロワジ1の天気予報どおり、空から白い綿毛のような雪が
落ちていた。
雪と聞いて、カイルロッドは身震いした。雪や氷を見ると、タジェナを思い出す。あの
つら よゐがえ
寒さと早さが廻ってくる。
ほのお
そのせいか、急に寒さが強まったように感じられて、カイルロッドは炎の前に両手をか
ざした。
まき はじ
パチパテと薪の弾ける音がする。
だんろ
食事を終え、カイルロッドとメディーナ、そして三つ子は暖炉の前で!セリはほとん
すみ
ど部屋の隅にいたが − くつろいでいた。ロワジ1は食事を終えると「腰が痛む」と言っ
もど
て、さっさと部屋に戻ってしまった。
だ1じよユノぷ
「イルダーナフ、大丈夫かな。積もる前に帰ってくればいいけど」
・
「大丈夫だ。雪ぐらいで困るほど、可愛げのある男ではない」
「 だろうね」
つなず
メティーナの説得力ある発言に、カイルロッドは缶いた。
「でも、エル・トパックは困るんじゃないっ いくらこの離れと神殿が目と鼻の先とはい
え、雪が積もればね。仕事熱心もほどほどにすればいいのに」
つぷや
片手で自分の金髪を続きながら、リリアが呆れたように呟いた。
「ルナンも寒いと聞いたけど」
は
揺れる炎を見つめながら、カイルロッドは遠い故郷に思いを馳せていた。ルナンはどち
めつた
らかといえば温暖な気候に属している。冬でも滅多に雪など降らないし、湖に氷もはらな
い。そんな土地柄であるから、寒さには極端に弱いはずだ。
「ここのように、凍死者が大勢でているかもしれない」
そう思うと心が重くなった。
イルターナフから聞いた話によると、ムルトの死と同時に、ルナンは石から解放された。
しかし、とても諸手をあげて喜べる状態ではないらしい。それもこれもカイルロッドの、
3 徴笑みはかろやかさこ
正しくはグリユウの破壊・殺戟行為のためである。
石から戻ったルナンは、当然のように周辺各国の非難にさらされた。戦争に発展するか
ばつこ
と危惧されたが、皮肉なことに故底する魔物達と異常気象がそれを止めた。魔物達による
よゆう
混乱と異常気象によって、どの国も他国を攻めている余裕などないのだという。
「父上 」
おヱ
食料はどうなっているのか、魔物に襲われてはいないか、寒さにどう対応しているのか
「ルナンに帰。たいなぁ」
ひぎ かか
両膝を抱え、カイルロッドは心の中で呟いた。いつも抜け出していた城や、走った街の
せんれつ
大通。、ソルカンの店などが鮮烈な映像となって瞼にうかんだ。
かんしよよノ とげらたた
だが、カイルロットのそんな感傷は、乱暴に扉を叩く音に消されてしまった。
ドンドンドン。
だれ
「誰だフ」
けげん
怪訝な表情と声で、立ち上がりかけたメディーナを、カイルロッドが片手で制した。
「近いから、俺が出るよ」
きっとイルダーナフかエル・トパックだろうと、かじかまぬよう両手をこす。ながら靡
の前へ行き、
「お帰りなさい」
しけんかん
カイルロッドは笑顔で扉を開けた。その瞬間、
「ロワジーを出せ=」
どせい
冷たい風とともに怒声が入ってきた。
1・
ぶもぎ するど
面食らいながら見ると、正面に二〇代前半くらいの、面差しの鋭い青年がいた。肩や頭
には雪が積もっていた。
「あの1、どちらさまですかっ」
カイルロッドが名前を訊くと、青年は青紫色の目を光らせ、
ようばう
「きさまがカイルロッドか。なるほど、一目でわかる容貌だな。俺はアクディス・レウィ
だ」
名乗りながら、勝手に室内に入ってきた。そして「出てこい、ロワ、シーー」と怒鳴りな
がら、どんどん奥へ進んでいった。
「ちょっと、勝手に入らないでくださいー」
1 ・ノ
慌てて扉を閉め、カイルロッドはアクディス・レヴィと名乗った青年を追った。
「本当にこの人が俺に刺客を差し向けていた神官長なのかP」
名前は知っていたが、まさかこんなに若いとは思ってもいなかったので、カイルロッド
おどろ ごういん
は驚いた。「おまけに強引だー」、いくら神官長とはいえ、ずかずかと他人の家に入りこん
でいいはずはない。
ろうか
カイルロッドは強引な来客を腕ずくで止めようとした。が、その前にメディーナが廊下
に現われ、アクディス・レヴィを阻んだ。
.−れいもの
「お引き取りください。勝手に他人の家に入りこむような無礼者を、ロワジー様に取り次
ぐわけにはまいりません」
無礼者と言われ、若い神官長の鋭い顔つきがさらに鋭くなった。
「俺はアクディス・レヴィだ。神官長だぞ」
「人の上にたつ神官長ならなおのこと、ご自分の振る舞いに気をつけるべきです。上が無
礼では、下はさらに無礼になりましょう」
アクディス・レヴィ相手にメディーナは一歩も引かない。二人の間に張り詰めた空気が
よフす つかが
広がる。この騒ぎに暖炉の前でくつろいでいた三人も廊下に出てきて、遠巻きに様子を窺
っていた。
カイルロッドもまた、緊張してメディーナとアクディス・レグィを見ていた。アクディ
微笑みはかろやかに
;7
しきん
ス・レヴィが怒って剣を抜けば、この至近距離ではメディーナとて避けられないだろう。
じゆ一じん
呪文だって唱えられない。
もしアクディス・レグィが少しでもそんな素振。を見せたら、すぐに飛び出せるようカ
イルロッドが身構えていると、
一、そちらが正論だな」
なJ−
ふっと、アクディス・レグィの衷情が和み、張。詰めていた空気も和んだ。
・ ・・ ・.. .
「不作法はこのとおり謝る。だから、ロワジーを呼んでくれ。どうしても頼みたいことが
あるのだ」
・.−
青年に頭を下げられ、メディーナの態度も軟化した。領き、
「わかりました。呼んでくるまで、火の前で休んでいてください」
あいr
カイルロッドにアクティス・レヴィを案内するよう目で合図し、メディーナはロワジ1
の部屋へと向かった。
「じゃあ、こちらへどうぞ」
一言われたとお。にカイルロッドが案内しようとすると、
「この家にはずいぶんと大勢の人間がいるな。エル・トパック達の他に、きさまとふざけ
た名前の男だけかと思っていたが、子供と女までいたとはな」
ヽノひユy.ゆペ
アクディス・レヴィは皮肉っぼく唇を歪めた。「ふざけた名前の男っ」、誰のことだろう
と思いながら、カイルロッドはとりあえずアクディス・レヴィを部屋に通した。二人を見
て、先に戻っていた三つ子が渋々火の前をあけてくれた。
「さぁ、火にあたってください」
カイルロッドが言うと、アクディス・レヴィは三人があけてくれた暖炉前の毛皮の上に
すわ
座った。
あ一1た
「暖かいな」
Jのんど つ一や
炎に手をかざしながら、アクディス・レヴィが安堵したように呟いた。この雪の中をや
しル
ってきたのだ、榊心から冷えているに違いない。カイルロッドは急いで熱いお茶の用意をし
た。
「飲んでノ、ださい。温まりますから」
部屋の隅で恨みがましくアクディス・レヴィを見ている三つ子に、片手で「ごめん」と
謝nソながら、カイルロッドは熱いお茶をいれたカップを差し出した。すると、アクティ
ス・レウィは妙な表情をした。
「きさま、本当にカイルロッドなのかっ」
「どういう意味ですフ」
徽笑みはかろやかに
「俺が聞いていた人物と、似ても似つかないからだ。少なくとも、他人にお茶を出すほど
親切とは聞いていない」
がお ばけもの
カップを受け取。、アクディス・レヴィは真顔で言った。「化物だとかなんとか、ひど
いことを言われているんだろうな」、カイルロッドは口元をひきつらせながら、
しかく
「それを言ったら、あなただって同じですよ。若いし、俺に刺客を差し向けるようだから、
やつ
陰険な奴だと思ってました」
言い反した。怒るかと思われたアクディス・レウィだが、
か′−
「刺客は、俺の名前を騙った馬鹿のやったことだ。だが、そのことに気がつかなかったの
は俺の落ち度だ。すまなかった」
そう一一百ってカイルロッドに頭を下げた。まさか頭を下げられるとは思わなかったので、
カイルロッドが驚いていると、
ばつ
「馬鹿は必ず探しだして、罰する。そしてきさまの前に突き出してやるから、気のすむよ
うにしてくれ」
おいし
アクディス・レヴィは真顔で言った。それからお茶を一口畷。、「美味いな」と笑みを
見せた。笑うと、あどけない少年のような表情になる。
「悪い人じゃないな」
カイルロッドはアクディス・レヴィの横に座った。刺客を放っていたのが別人と言われ
ても、すんなり信じる気にはなれなかったが、アクディス・レヴィを見ているうちに信じ
ユlんだか こついん
たくなった。やや権高で強引だが、一本気そうな青年だ。とても刺客を差し向けるような
人間とは思えない。
すご
「色々と大変そうですけど。でも、その若さで神官長なんて凄いですね」
カイルロッドが素直に感心すると、スッとアクディス・レヴィの顔から笑みが消えた。
「どこが凄いものか。単に金で地位を買っただけだ」
「金で地位を買った?」
“もだ
意味がわからず、カイルロッドが驚いた顔をすると、青年は鋭い面立ちに苦笑をうかべ
た。
「そう、エル・トパックやふざけた名前の男から聞いただろうフ」
「さっきも言ってたけど ふざけた名前の男って、ひょっとしてイルダーナフ?」
たず
他に思いあたる人物がいないので尋ねてみると、
「ああ。なんでもできる男という意味だ。ふざけやがって」
いまいま
忌々しげに言い捨て、アクディス・レグィは乱暴にカップを下に置いた。
「へぇ。イルダーナフって、そんな意味があったのか」
微笑みはかろやかに
ヰ1
カイルロッドは笑った。「なんでもできる男」とは、いかにも人をくったあの男らしい
ではないか。「それに似合ってるし」と、感心しながら、
「でも、どうしてイルダーナフを知っているんです? 会ったんですかフ」
カイルロッドはそう訊いた。だが、答えはなかった。
「・こ1寝らやってる」
近くにあったクッションに頭をのせ、アクディス・レヴィは寝息をたてていた。「つい
さっきまで起きていたのに」、よほど疲れていたのだろう。炎に照らされたアクティス・
レグィの顔には濃い疲労があった。
「この様子じゃ、ろくに寝ていないに違いない」
おそらく休む暇もないのだろう。増え続ける異常事態の報告、救いを求める人々、減っ
ていく食料、この寒さ1そういったことの対処に追われているのだ。たいしたこともで
l,ハめい
きないと知。ながらも、懸命になっているのだろう。
「途方にくれて、ロワジ一様を頼ってきたんだな」
げんえき いんたい
本来ならば、現役の神官長が引退した前任者に泣き付くなど、情けないことだ。しかし
カイルロッドは、意地も体面も捨てて、雪の降る中を単身でやってきたアクディス・レヴ
わら
ィを噛う気にはなれなかった。
まわ
風邪をひかないように上になにか掛けてやろうとカイルロッドが周りを見回すと、
「若い神官長ね」
のそ
三つ子がちゃっかり暖炉の前にきていた。そしてアクディス・レヴィの寝顔を覗きこみ
ながら、
「本当になんの力もないようですわ」
「神殿の衰退ぶりがうかがえるわね」
リリアとアリユセは言いたい放題である。セリは無言で、じーつと若い神官長の寝顔を
凝視している。
「そこまで言わなくたって」
さすがにアクティス・レヴィに同情し、カイルロッドが弁護しかけると、メディーナに
つれられて、やっとロワジーがやってきた。
「まったく」
みHん しム ぶもっ
眉間に級を寄せ、いかにも説得されて仕方なくきたという面持ちのロワジーをチラチラ
と見ながら、
さrん
「磯嫌悪いわね、ロワジ1様」
「よほどこの若い方がお嫌いなんですわ」
微笑みはかろやかに
リリアとアリユセがひそひそ言っている。
「神官長、ロワジ一様がきましたよ」
カイルロッドはアクティス・レヴィの肩を揺さぶった。よく眠っているのを起こして、
かわいそう
機嫌の悪いロワシーと対面させるのは可衰相な気もしたが、そのためにアクディス・レヴ
イはわざわざ雪の中をやってきたのだ。
アクディス・レヴィはすぐに目を開け、飛び起きた。
「寝ていたのか、俺は」
けYきめん
赤面し、怒ったように言った青年に、
「神官長が仕事を放。出してくるとは、感心しませんな」
あこひけ いやみ いじわる
顎嚢をいじくりながらロワジ1がやんわりと嫌味を言った。嫌いな相手には相当意地悪
になる老人なのである。
たれがんしよ
「苦情と嘆願書の整理など、誰にでもできる。だが、あんたを引っ張。出せるのは、俺し
かいないはずだ」
ロワジーの前に立ち、アクディス・レウィは青紫色の昌を光らせた。
「なるほど。それで、神官長みずからお越しとは、どんなご用件ですフ」
あった
改まった口調でロワジ1が言うと、アクディス・レヴィは唇の片端を上げた。
はろ かしひ
「異常事態が長引けば、人間は滅ぶかもしれん。それを回避するにはタジェナに封じられ
ヽてん
ていたものを見つけだし、再び封じるしかない。その方法を、日伝とやらを教えてくれ」
それを聞いて、思わずカイルロッドは口をはさんだ。
1ういん
「封じる方法なんてあったんですかけ 教えてください、ロワジ1様1 再び封印できる
ふたん
っていうなら、俺の負担も軽くなって助かります〓」
アクディス・レヴィより熱心にカイルロッドは頼んだ。が、現神官長とカイルロッドの
頼みに対して、ロワジーは「はてフ そんなものは聞いたこともない」と、すっとぼけた
顔で天井を見ている。
Uようたんなます
「この瓢箪鰹がー」
のど
とぼけられ、アクディス・レヴィが喉の奥で唸った。
「あんたが俺を嫌っているのは知っている。だが、教えてくれ。神官長をやめろというな
どげぎ
ら、この場でやめてやる。土下座しろというなら、土下座する。なんでもする。だから、
人々を救う方法を教えてくれー」
こわね
今にも斬りつけてきそうな、鋭い声音だった。
「ご存じなら、教えてさしあげればいかがですっ」
えん一−
メディーナも援護してくれたが、やはりロワジーはそ知らぬ顔で、つまらなそうに耳の
5 微笑みはかろやかに
嚢を掻いている。
「愚弄するのか、ロワジ一一」
そうぼう
アクディス・レグィの双畔が火をふいた。乱闘にでもなるかと思ったその時、
「神殿に行きましょう」
か細い声がした。セリの声だった。
「えフ」
カイルロッドが訊き返し、アクティス・レヴィやロワジーがセリを見た。
「皆で神殿に行きましょう」
もう一度呟き、セリは部屋の隅に逃げてしまった。聞いていたリリアとアリユセが「え
ろこつ いや
ーっフ」と露骨に嫌そうな声を出した。
「神殿に行ってどうするのっ」
セリに「おいでおいで」をしながらカイルロッドが訊くと、
「セリはね、神殿の人間を集めて会議を開けって言ってるのよ。あたしは嫌よ。どうせ神
殿にいるのは、馬鹿ぽっかりじゃないの。そんなのが一ヶ所に集まったら簾低よ」
リリアがうんざりした顔をし、アリユセも「あたしも嫌ですわ」と言った。二人に口を
ゆが
揃えて 「嫌だ」と言われ、セリの顔が歪んできた。
「・…リリアとアリユセは嫌なの?」
.
今にも泣きそうな顔でセリが言うと、二人は慌てて笑顔をつくった。
「行くわよ。行けばいいんでしょ」
「神殿で会議ですわね」
にぎ
どうやら主導権を握っているのは、一番おとなしいセリらしい。カイルロッドは少し驚
いた。
「おい、なんだ、この子供達は。会議とはいったい 」
いぷか
訝しむアクディス・レヴィに、少し前までのつまらなそうな表情を一転させ、ロワジー
はニッと笑った。
「明日、神殿に行きましょう。ですから、上層部の神官達を集めて会議を開いてください。
エル・トパックもですよ。その場で口伝を明らかにし、この娘達も紹介します」
急に上機嫌になったロワジーを見て、カイルロッドは「なんだか詐欺師みたいな笑い方
だ」と思った。どう見てもよからぬことを企んでいる顔である。
「でも、アクディス・レグィはウルト・ヒケウが帰ってきたことを知らないのかフ」
nソちき せhさわん
エル・トパックが知らせていないのだろうか。いや、あの律儀な隻腕の青年が報告しな
いはずはない。疑問に思って「エル・トパックからなにも聞いていないんですかフ」とカ
微笑みはかろやかに
イルロッドが質問すると、「会っていないし、なんの報告もない」との返事だった。
「どこかで報告が止められているな」
まゆ
刺客のことを思い出し、カイルロッドは眉をひそめた。
けつこう
「この人、結構苦労してるみたいだなぁ」
カイルロッドが同情混じりの視線を向けると、
「では、明日の昼に神殿にこい」
どうも腑に落ちないという様子を見せながらも、アクディス・レヴィは会議を開くこと
しよ、フだく
を承諾した。
「神殿に行けるのか」
ひょんなことから話がそういう方同に転がり、カイルロッドはやや拍子抜けした。エ
ル・トパックの忠告を思い出し、ためらったが、「行けるんだからいいや」と思った。
外の雪はいよいよ強くなっていた。
4
翌日になっても雪は降り続けていた。そしてエル・トパックとティファ、イルダーナフ
は帰ってこなかった。
「うーっ」
窓に張りつくようにして外を見ながら、カイルロッドは唸っていた。一晩で五〇センチ
は積もっている。この様子では、昼までにはもっと積もるだろう。
「この雪の中を歩いて神殿に行くのか」
ひぎ
いくら近いとはいえ、膝ぐらいまで積もった雪をかきわけて行くのだ。カイルロッドが
げんなりしていると、テーブルの上を片付けていたメディーナが「どうした王子」と声を
かけてきた。
「いや、寒そうだなぁと思って」
つ▼1や
曇ったガラスの向こうの、白い世界を見つめたまま、カイルロッドは呟いた。メディー
まゆ
ナはかすかに眉を動かしたが、「寒いだろうな」 としか言わなかった。
「 うん」
フなず
カイルロッドは小さく頴いた。あの日を、白い世界を赤く染めた臼を忘れることはでき
ない。しかしそれでも、生きている者の日々は過ぎていく。
「昨日のうちに帰ってよかったね、あの神官長」
つと
努めて明るい声を出し、カイルロッドは振り返った。
「そうだな」
徴冥みはかろやかに
テーブルの上を片付ける手を休めず、メディーナは相づちをうった。
会議を開くと承諾すると、アクディス・レヴィはすぐに神殿に帰って行った。
しんかルらよう わけ
「役にたたない神官長でも、さぼっているわけにはいかん。他の神官達に申し訳ないから
な」
そう言って帰ろうとしたアクティス・レグィを、メディーナが引き止めた。「なんの用
かし
があるのだろう」、呼び止められたアクディス・レヴィ同様、カイルロッドが首を傾げて
ひたい
いると、メディーナは無言でアクディス・レグィの額に手の平を押しっけた。
ちゆ
「治療しているんだ」
あまりに疲労しているようなので、メディーナが見かねたのだろう。カイルロッドはす
ぐにわかったが、アクディス・レヴィにはわからなかった。
「なにをするー」
つ
いきなり説明もなしに額に手を当てられ、アクディス・レヴィは眉を吊。上げたが、す
ぐに疲れが消えていくことに気がついた。
「驚いたな。治癒ができるのか」
せんぽう
感心と少しばか。の羨望のこもった笑顔を見せ、メディーナが手を離すまでおとなしく
していた。
雪の中を去って行くアクディス・レヴィの後ろ姿を玄関前で見送りながら、カイルロッ
ドは青年の孤独を見たような気がした。「無力な神官長」と、他人に言われるまでもなく、
そのことはアクディス・レヴィ自身が一番よく知っているのだ。
なぜ
何故、アクディス・レグィが神官長になったのか、それについてのロワジーとの確執な
ノ、わ おの じちよふノ
ど、カイルロッドは詳しいことをなにも知らない。しかし、無力な己れを自嘲しっつ、責
任を投げ出すことなく、人々のために懸命になっている青年を嫌いにはなれなかった。
雪明かりで薄明るい室内を見ながら、カイルロッドがそんなことを考えていると、
「寒いと腰が冷えてかなわん」
震えながらロワジーと三つ子がやってきた。ロワジーはともかく、三人は雪まみれだっ
た。カイルロッドが驚くと、三つ子は声を揃えて 「外で雪合戦していたの」と答えた。
「・本当に俺より年上なんだろうか」
それとも外見が若いと、中身も若いものなのだろうか。カイルロッドなど雪まみれの変
を見ただけで、身震いがしてきた。
「昼までにはまだ時間があるが、早めに神殿に行くか。王子もあれこれと見てみたいだ
J・
ロワジーに言われ、カイルロッドは領いた。ロワジーごも、少しでも雪の少ないうちに移
51 微笑みはかろやかに
動したいらしい。
るすばん
「では、わたしは留守番しています」
メディーナを留守番に残し、カイルロッドとロワジー、そして三つ子は神殿に向かうこ
とにした。
かなた
玄関の外は一面の銀世界だった。高台に見える神殿の建物がはるか彼方に感じられる。
一目でそれとわからないよう、頭にターバンを巻きながら、カイルロッドがため息をつい
ていると、
いや
「そんなに歩くのが嫌なら、飛んでいきましょう。つれて行ってあげるわ」
うん
リリアが嬉しいことを言ってくれた。雪をかきわけて歩かなくてすむと聞いて、カイル
ロッドは乗り気だったのだが、ロワジーに反対された。
みな
「そんなことをしたら、皆にウルト・ヒケウだと知られてしまうではないか」
「でも、すでに空を飛んできたんだし 。どのみち会議で紹介するんだから、構わない
と思いますけど」
カイルロッドが意見すると、ロワジーは真剣な顔でこう言った。
「いや、会議で紹介したいのだ。ウルト・ヒケウが帰ってきたことは知っていても、まだ
いなら あはづら
姿は知られていないはずだ。実はこの三人だと教えたら、居並ぶ神官達は阿呆面になるぞ。
こんな楽しい見せ物はないではないか」
.、・こ こT
ほんがれ
カイルロッドは冷たい半眼でロワジーを見下ろした。つまり神官達を驚かせたいがため
に、先に正体を教えてはいけないと言うのだ。「やっぱり、イルダーナフの知り合いだよ
っわめづか
な」、なんだか情けなくなってきた。そんなカイルロッドをチラッと上目遣いに見、
「この寒さで贋が痛む。ああ、神殿まで歩いていけるかどうか」
あわ
ロワジーが憐れっぽい声を出した。
「 ロワシー様。背負ってほしいならそうと、素直に言ったらどうですフ」
「露骨に催促しては悪いと思ってな」
「 その態度がすでに露骨な催促です。どうぞ、背中に」
せつちゆうこうくL
カイルロッドは屈んだ。こんな疲れる口論が続くぐらいなら、荷物を背負って雪中行軍
している方がましだった。
じい はほえ
「孫とお爺ちゃんの微笑ましい光景ね」
雪の上に一〇センチほど浮いているリリアが笑った。神殿の前まで目立たなければいい
のだと、三人は雪のすぐ上に浮いて進んでいた。
「おお、楽だな」
5 徽笑みはかろヤかに
背中ではしゃいでいるロワジーの声を聞きながら、カイルロッドはこんなことばかりし
ひぎ
ているから、体力だけはつくのだと痛感していた。膝までの雪をかきわけながら、カイル
めざ
ロッドは神殿を目指して歩いた。
まぢふ
カイルロッドがその建物を間近に見るのは初めてだった。フェルハーン大神殿 − それ
かぴ
は故国ルナンの王城などよ。ずっと華美な建物だった。だが、決して下品ではない。金と
技術に糸目をつけぬ、かつての神殿の権勢を物語っている建物だ。
さんけいしや
「ここは参詣者用だ」
背中からおりたロワジーが腰を伸ばしながら、説明してくれた。奥に本殿があり、カイ
ルロッド達が行くのはそちらだと。
「大勢の人が押しかけているようですわね」
雪の少ない場所に立っているアリユセが眉をひそめた。雪の降る中、神殿に救いを求め
.・
る人々が建物の前に集まっている。宥め疲れたのか、神官達の姿はない。
ふ
「でも、もう増えないと思う・…こ
雪に足をとられそうにな。ながら、セリがカイルロッドに近づいてきた。
1増えないってフ」
目の前で転びそうになったセリを支え、カイルロッドが訊くと、
一だって魔物が増えたから」
つじち ノぎつこ
呂を伏せ、消えそうな声でセリは呟いた。放底する魔物達によって、人々が神殿にまで
たどりつけないと言っているらしい。
「そんなに活発になっているのっ」
「 うん」
セリがコクッと領く。
「ここにいる人々は、まだ幸運なのかもしれない」
口々に救いを求めている人々を見やりながら、カイルロッドは口の中で呟いた。
レゆうPノき
魔物の襲撃や人間同士のいさかいによって、住むべき場所を失った人々が神殿に流れこ
んでいる。しかし、これからは神殿にたどりつく者の数は減少していくのだ。飢えと寒さ、
そして魔物によって。
「お救いください、神官様」
「助けてください」
はカ
日々強くなっていく声に対して、本殿でアクティス・レヴイは歯噛みをしているのだろ
もの かいひ
う。己れの無力さに。そしてエル・トパックが、多くの神官達がこの危機を回避すべく、
55 微笑みはかろやかrニ
模索しているのだ。
風がでてきて、雪が横なぐ。に降ってきた。人々をうち、カイルロッドをうち、雪は降
nソしきる。
「本殿に行こう」
あしで
神殿の横を通。抜けるよう、ロワジーがカイルロッドに合図した。
「参詣者用の神殿の横を適って少し行くと、曲が。くねった階段がある。本殿へ続いてい
るのだ」
一 はい」
集まった人々を気にしながら、カイルロッドが歩きだすと、
「どうしてなにもしてくれないんた! なんのための神殿だ丁」
群がる人々の間から、そんな非難があがった。
「なにが神官だ一 日分達ばっか。いい思いしやがって!」
だいじようよ
「俺達はもう何日もここへきているんだぜー どうにかする、大丈夫の他に、なんとか言
ったらどうだ子」
「王侯貴族ばか。助けないで、わしらを助けてくれ−」
L′ど わめ
苛立ちと不安が頂点に達したのだろう。男達は口々に喚きながら、建物の入。ロへの階
56
段を走りだした。
「ロワジー様、止めた方が」
カイルロッドがロワジーの判断をあおごうとした時 −。
いくつもの悲鳴があがった。
か ひぎ のビ
見ると、階段を駆けあがっていた男達がその途中で膝をつき、あるいは倒れて喉をかき
くもん ゆが うめ つめ
むしっていた。どの顔も苦悶に歪み、坤きながら自分の喉に爪をたてている。ただごとで
はない。
「どうしたんだけ」
心配になって駆け寄ろうとしたカイルロッドの服の裾を、「駄目っー」と言いながらセ
つか
リが掴んだ。セリの様子に、リリアとアリコセの表情が鋭くなった。ロワジーが「この場
から逃げろー」と鋭い声で人々に指示した。
が、人々が逃げるより早く、転げまわっていた男達に変化が生じた。苦悶の声をあげな
1− . −・7
がら、ある者は獣毛に覆われ、またある者は角や牙を生やした。しかし、人間の形が残っ
へぴ
ているのはまだましで、中にはまるっきり別の − 両手足が蛇に変わり、頭部の消えた全
身が巨大な口というような ー 魔物としか言いようのない姿に変わってしまった者もいた。
「人が魔物にP」
7 微笑みほかろやかに
カイルロッドは目を剥いた。人が魔物に変わると話には聞いていたが、目撃するのは初
めてだった。
「うわぁー」
Eよけもの
「助けてくれ、化物っー」
目の前に魔物が出現したとあって、神殿前に集まっていた人々が悲鳴をあげて逃げ出し
た。ちりぢりになって逃げる人々を、魔物と化した者達が追う。
途切れることのない悲鳴、白い雪の上に飛び散る鮮血に、怒。てカイルロッドの全身が
しやくねつ
灼熱した。
「消してやるー」
おそ
カイルロッドは人々を襲っている魔物を消そうと、手の平に意識を集中させた。と、セ
リの鋭い制止がとんできた。
「駄目っー 王子の力は強すぎて、多くの人を巻き添えにしてしまうー」
混乱で、人と魔物が入。乱れている。舌打ちしたカイルロッドの耳に、「聖地の護。が
つ.1や
弱まっているんだわ」 というリリアの呟きが聞こえた。
「何事だけ」
「これは!」
1つそう
外の騒ぎに気がついた神宮達が血相を変えて飛び出してきた。そして魔物と血なまぐさ
い光景に、入り口付近で腰を抜かしてしまった。
「なんて役たたずな奴らだー」
げ▼な 、ノび
憤湖心やるかたないというロワジーの怒鳴り声が響く中、カィルロッドは短剣を握りしめ
て混乱の真っ只中に飛び込んだ。力が使えないのなら、斬り捨てるしかないと判断したの
である。
「こんな、人間がこんなふうになってしまうなんてー」
子供を引き裂こうとしていた魔物の両腕を切断し、カイルロッドは心の中で唸った。聞
ウヱ一ユやさ
いていたとはいえ、こうして目のあたりにした衝撃は生易しいものではなかった。
「王子、魔物から離れて!」
頭上から三種類の声が降ってきた。短剣を持ったまま見上げると、セリ達三人が建物の
上、宙に浮いていた。
ぼうぜん
逃げ惑う人々が、魔物が、そして腰を抜かしている神官達が呆然とした面持ちで、三人
の少女達を見上げていた。
横なくりの風をうけて、三人の髪と服が大きく揺れている。三人はひとく冷静な表情で
下を見下ろしていた。その顔は雪合戦していたと言っていた少女のものではなく、下界を
59 微実みはかろギ豆Hニ
見下ろす神のごとき超然としたものだった。
「・帰ってこられたウルト・ヒケウ様だ」
願を抜かしたままの神官が貰える声で呟いた。
人々の見つめる中、魔術において偉大な者達
ウルト・ヒケウは声を合わせて、なに
か短い言葉を呟いた。
ポッ、と三人の指先に小さな金色の火が灯った。それぞれの指先から火が離れ、わかれ
て数を増やすと、魔物達めがけて矢のように飛んだ。
その火が触れたり、かすった魔物達が瞬時にして姿を消した。わずかの時間、ほとんど
いっしゆん
一瞬にして魔物達は消えた。
「 凄いな」
真っ白い息を吐きながら、カイルロットは独白し、ロワジーは「いやしさすがだ」と
ほヽしひ
拍手している。多くの人々は奇跡を見たような表情で、舞い降。てくるウルト・ヒケウを
見つめていた。
「聖地がこれじゃ、大変だわ」
雪の上に降。たりリアがぼやき、セリは因ったようにうつむいた。地上に降。た少女達
こうごう
に先程の神々しさはなかった。
郁
「お迎えですわ」
アリユセがにこっと笑い、建物の奥を指差した。迎えと聞いて、カイルロッドとロワジ
はのお
ーが顔を向けると、炎のような赤い髪と右の袖を風に揺らしながら走ってくる青年の姿が
あった。
微笑みはかろやか主
二孝 心の風景
ちんもく おおひろま
重苦しい沈黙が大広間を支配していた。まだ約束の時間ではないが、会議は始まってい
た。
しルでん
「話には聞いていたが、この神殿のある地で人が化物に変わるとはな」
・ 7
中央の席についているアクディス・レヴィのうんざ。とした声が室内に響いた。
「よもやこの聖地でまで」
「ウルト・ヒケウ様がおられてよかった」
つ・や
そんな呟きが神官達から洩れる。
えらがた
「これが神殿のお偉方か」
・. .
向かい合うように設置された席で、濡れたターバンをとりながら、カイルロッドは居並
、 ・・・ .
ぶ神官達を見つめた。やや外れた場所にいるエル・トパック以外、一様に顔色が悪く、苦
.むし カ っぷ
虫を噛み潰したような表情をしている。
へんばう しようげさ
人が魔物へ変貌したという衝撃と、帰ってきたウルト・ヒケウがどう見ても子供でしか
おどろ かぢか たいじ けへお
ないことの驚き、そして間近で対疇するカイルロッドへの畏怖と嫌悪のためだ。
カイルロッドが一人一人の上に視線を移動させると、オンサという蕨長老を除いたほぼ
いつしゆん わぎわ
全員が目をそらした。まるで一瞬でも目を合わせたら、災いが降り注ぐとでも言わんばか
りの態度である。
「そこまで嫌悪しなくたっていいだろうに」
失礼な連中だと思いながら、カイルロッドは鼻を畷った。室内は充分に暖かいのだが、
おかん がゆ
長い時間雪の降る中に立っていたせいか、時々悪寒がはしる。そして鼻がむず痔くなるの
つど けんめい はろ
だ。その都度、カイルロッドは懸命にくしゃみをこらえてしまう。魔法はムルトが滅ぶと
同時に解けている。わかっていても、今までの条件反射というやつで、ついくしゃみをこ
らえてしまうのだ。
「もう馬にはならないのに 」
きび
安心よりも、淋しさの方が強かった。そして、馬にされていた頃を … ミランシャやブ
リユウのいた頃を懐かしく思った。
「しかし、会議の席でウルト・ヒケウのことを教えて驚かしてやろうと思っていたのに、
徴笑みはかろやかに
先に知られてしまったのは残念だな」
カイルロッドの右横の席にいるロワジーが、大きなため息をついた。どこまでが本気で、
じょうだん つぷや
どこまでが冗談なのかわからないが、しき。に「残念だ」と呟いている。
「相変わらず人の悪い」
おこ ひらめ
怒っても仕方ないと思ったのか、アクディス・レヴィは好意的な苦笑を閃かせた。エ
かく だま
ル・トパックは笑いを隠しているらしく、口元に手をあてていた。他の神官達は黙ってい
る。作。笑いする気にもなれないようだ。が、
なぜ
「ロワジー前神官長! 何故、ウルト・ヒケウ様がいると報告にこなかったー」
出し抜けに、アクディス・レヴィの横にいる男がロワジーを怒鳴りつけた。アクディ
ス・レグィが「よさないか」と止めても、「これは重大な問題です」と引き下がらない。
いや
「嫌な感じですわ」
「なんなの、あのおっさん」
たしlノ1つ
カイルロッドの左側の席にいるアリユセとリリアが矧を膨らませた。セリは退屈で仕方
.
ないらしく、欠伸をかみ殺している。
「報告しようとは思ったのですが、なにしろ寒さは持病の腰痛にこたえますので。それに、
わしの家にウルト・ヒケウがいることは、先にエル・トパックが報告していると思い鼓し
たのでな」
hたけだネ きつらん
居丈高な詰問に対して、ロワジーはぬけぬけとした口調で言い、椅子の背にもたれかか
った。というより、ふんぞり返ったという方が正しいかもしれない。
「なんだと17 ロワジーの家にウルト・ヒケウ様がいると知っていたのか、エル・トパッ
たいまん
クー 何故、報告しなかったのだー 職務怠慢ではないかー」
.・・ ・い,1
名前が出たのを幸いとばかりに、男はエル・トパックに糾弾の矛先を向けた。エル・ト
きよフれつ しっと
パックに向けられた男の言動や視線に、強烈な憎しみと嫉妬を見つけ、カイルロッドは口
ゆが
を大きく歪めた。
「ひどく憎まれているなぁ」
.・ ・′
おおかた、エル・トパックの強い力と人望を妬んでいるのだろうが、聞いていると醜い
いやみ
ことこの上ない。職務怠慢の非難というより、きわめて私事による嫌味の羅列である。だ
が、それに対してエル・トパックはまったくの無表情だった。
かいま せきわん
神殿におけるエル・トパックの立場を垣間見たようで、カイルロッドは隻腕の青年に同
情した。「それにしても・よくここまで嫌味を並べられるな」、いつまで続くかわからな
い嫌味にうんざりし、カイルロッドは口を出して中断させてやろうとした。と、やはりた
まりかねたのか、アクティス・レウィが大声を出した。
桁 微笑みはかろやかに
「いい加減にしろ、叔父貴−」
甥に怒鳴りつけられ、叔父は不満顔になったが、と。あえず引き下がった。
「 威掛っていると思ったら、叔父か」
さつばつ .rつさんづb
カイルロッドはなんとも殺伐たる気分になった。どうやら側近面をした叔父が、甥の地
かろ
位を笠に着ているらしい。アクディス・レウィが嫌われ、軽んじられる原因に、この叔父
がいることは間違いない。
一じど
「それで、エル・トパック。ウルト・ヒケウ様が戻ってきてお。、ロワジーの許にいるこ
おれ
とを何故、俺に報告しなかったフ」
つなが
袖官長に促され、エル・トパックは穏やかに答えた。
「報告のために神官長に面会を求めましたが、取り次いでもらえませんでしたので。こう
いう大事はまず第一に神官長に報告するのが筋かと、これまで黙っておりました」
ま8ざ
それを聞いて、アクディス・レヴィは「ふん」と鼻を鳴らし、冷ややかな眼差しを叔父
に向けた。
「聞いていると、俺の許にこない話がずいぶんありそうだな、叔父貴。いや、ゼノドロス
きさい
神官。今後、どんな些細なことでも俺を通せ。勝手に面会を断るな、いいな」
ノなず
甥に強い口調で言われ、ゼノドロスは不承不承「はい」と額いた。
ノヽでん
「では、本題に入る。早速だがロワジー、人々を救うために口伝を教えてくれ」
うるさい叔父を黙らせ、アクディス・レウィがロワジーを促した。やっと本題に入ると
いつせい
あって、神宮達は一斉に期待のこもった視線をロワジーに向けた。カイルロッドも期待を
どな
こめて、右隣りの老人を見た。
「わかりました。日伝は 」
ことば ひとこと
椅子にふんぞり返ったまま、ロワジーは口を開いた。ロワジーの言葉を二一一口たりとも聞
のカ
き逃すまいとするように、その場の全員が身を乗り出すようにしていると −。
「待て−」
ナるど きルちよフ
アクディス・レヴィの鋭い制止が、身を乗り出していたカイルロッドや神官達の緊張の
てばな
糸を切った。出端をくじかれ、ロワジーは口をへの字にしている。
さわ
「なにやら外が騒がしいですね」
とパUら
エル・トパックが扉に目を向け、アクディス・レヴィが「ああ」と領いた。確かに、扉
の外がにわかに騒がしくなっていた。
けめい どせい くつ
切れ切れの悲鳴や怒声、複数の靴音などが聞こえてくる。
「まさか、また人が魔物に変わったのかn」
少し前の騒ぎを思い出し、カイルロッドは三つ子を見た。ウルト・ヒケウの三人は「魔
7 微笑みはかろやかぷ
物じゃないわ」と首を横に振った。
「とにかく、誰か外の様子を見てこい」
そうアクディス・レヴィが命じた暗、扉が開いて、二人の娘連が転がりこむようにして
入ってきた。
「 − 1フ・」
カイルロッドは思わず席を立った。アクディス・レグィが、エル・トバックが椅子から
腰をあげていた。
「何事だけ」
ろノぱい
アクディス・レグィが叫んだ。娘達の姿を見れば、その狼狽も無理はない。
りが
髪を振。乱し、衣服のあちこちが破れている。怪我をしているのか、腕や足に血が膠ん
でいる。どう見てもただごとではない。
「お助けください、神官長一」
「殺されてしまいます!」
ひざ こんがん
アクディス・レウィの前に両膝をつき、娘達は涙を流して「助けてくれ」と懇願する。
「おまえ達、なにがあったのだけ 説明しろ!」
神官達の驚きと動揺は勿論だが、一番動揺していたのはアクディス・レヴィだった。と
いうのも、ここに転がりこんできた二人の娘達は、彼の身の回りの世話をしている者だっ
たからである。
ぽつわん
「暴漢に襲われたみたいじゃないか」
lこがむし
カイルロッドが唸ると、隣りのロワジーが「暴漢より性質が悪いかもしれん」と、苦虫
か つふ・ つぷや
を噛み潰したような表情で呟いた。
「どういう意味です?」
あご
カイルロッドが顔をしかめると、ロワジーは無言で扉を顎で示した。カイルロッドが顔
を向けると、開いたままの扉から、一人の中年女性が室内に入ってきた。
「こんな場所に逃げこむとはね」
後ろにお付きらしい女達を従えたその中年女性を見て、娘達はくくもった悲鳴をあげた。
「母上っ=」
アクディス・レヴィが叫んだ。ザワッと、異様な空気が室内に広がった。
「キアラ様 」
「いったい、これは 」
一”げ
神官達の問に怯えに似たものがはしった。
「あ、姉上・ 」
尊大なゼノドロスまでもが、明らかに怯えている。息子であるアクディス・レヴィです
ら、嶺にうっすらと汗を惨ませている。
「なにをそんなに怯えているんだフ・」
カイルロッドの見たところ、怯えていないのはロワジーとエル・トパック、そして三つ
けぺお こんわく
子ぐらいなものである。ただし、ロワジーとエル・トパックの表情には嫌悪と困惑があっ
た。
「この女性・フ」
ぎようし くせ ゆ
カイルロッドはアクディス・レヴィの母親、キアラを凝視した。癖のある金髪を結いあ
げた、美しい女性だ。若々しく、とてもアクディス・レヴィのような大きな子供がいるよ
・・
うには見えない。しかし、とカイルロッドは思った。「どこか恐い」、うまく言葉にならな
いが、カイルロッドはキアラに 「恐いもの」を感じた。
「母上、これは何事ですー」
いかく
子犬が威嚇するように、アクディス・レグィが唸ると、
「その娘達をこちらへ渡しなさい、レヴィ」
むち
手にした鞭をいじくりながら、母親は冷たく言った。
「やめて・l わたしは魔物なんかじゃありませんー」
微笑みほかろやかに
娘達が悲鳴をあげた。
「魔物〓」
さようがく いつしゆん
アクディス・レグィが驚愕を目にうかべた。魔物と聞いて、カイルロッドも一瞬、動揺
した。
「魔物らしい反応はないけどけ」
それとも自分が気がつかないだけなのだろうか。答えを求めて、カイルロッドがエル・
トパックに視線を向けると、
「この娘達から、魔物らしいものは感じられません」
きっば。と言い、エル・トパックは怯えている娘達の前に立った。三つ子を見ると、エ
ここノてい うなず
ル・トパックの言葉を肯定して領いている。「よかった」、カイルロッドが安心していると、
じゆつしや
「ここにいる術者達が、娘達は魔物などではないと言っています。母上はなにを根拠に、
この娘達を魔物と決めつけるのですか」
蒼白になったアクディス・レヴィが言った。怒りなのか、目が凄まじく光っている。
カイルロッドは上着を脱ぐと、娘達の方へ行き、その肩にかけた。エル・トパックも同
じょうに、上着を脱いで娘にかけた。
「術者も甘いこと」
アクディス・レヴィの母親はスッと目を細め、
さんけいしや
「参詣者用の神殿の前で、人が魔物に変わってしまったと聞きました。それは、この聖地
の護りが弱まっているということです。今は魔物でなくとも、心の卑しい者達はいずれ魔
物になるでしょう」
自分の手の平を軽く鞭で打った。その昔に娘達がビグッと扇を貰わせる。
「この娘達は怠けて楽をすることばかり考えている、心の卑しい女達です。必ず魔物にな
ります。そうなる前に処分しなければなりません。神官長の身近にいる者なら、なおのこ
とです。魔物など、わたくしのレヴィには触れさせません」
キアラは優しい笑みで、恐ろしいことを言った。
せいじやく
大広間に静寂が広がっていた。キアラの恐ろしい発言に全員が言葉を失っていた。
「いずれなるって…l」
カイルロッドは全身の震えが止まらなかった。歯の根があわず、ガチガチ鳴っている。
できあい
恐ろしくてたまらなかった。カイルロッドが感じた 「恐さ」は、母親の盲愛、溺愛だった。
息子のために「魔物狩り」を始める母親が、どんな魔物よりも、あるいはムルトよりも恐
ろしかった。
「母上……。どこぞの国では魔物狩りと称して、無差別に人を殺していると聞きました。
微笑みはかろやかに
73
母上はそんな愚行をするつも。ですかー そのようなことは決して許しませんぞ⊥
がまん
母親の発言がよほど我慢ならなかったのだろう。アクディス・レヴィは両手をテーブル
に叩きつけた。
「あ、姉上。お気持ちはわかりますが、魔物かどうかはっきりしていないのに、殺すのは
いきすぎでは1・こ」
よノかが よノわめ か
ゼノドロスが顔色を窺うような上目遣いを姉に向けた。他人にはあれほど高圧的な男が、
ひ、くつ
実の姉に対しては卑屈といっていい。
「わたくしのやっていることがいきすぎですってフこ
キアラは息子と弟の非難などものともしなかった。手の中で鞭を鳴らしながら、
「レグィ、あなたには敵が多いのです。そのような甘いことを言っていては、いずれ魔物
せhさわん
となった何者かに殺されてしまいますよ。特に隻腕の魔物には注意しなくては」
ぞよノお
冷ややかな目がエル・トパックを射た。憎悪、殺意がその視線にはあった。キアラはエ
ル・トパックを憎んでいる。
「どうしてフ」
しっと
カイルロッドにはわからない。アクディス・レヴィやゼノドロスの憎悪は嫉妬として理
なぜ
解できるが、何故、エル・トパックがキアラにまで憎まれるのか ー
「魔物ではない者を、いずれなるだろうという理由で殺すのは人殺しだぞ、キアラ」
いす か
さすがに見かねたのか、それまで黙って椅子にふんぞっていたロワジーが口を開き、侮
へつ
蔑のこもった声と吉葉を投げつけた。
いんきよ
「これはロワジ1様。何故、前任者がこんな場所にいるのですフ 隠居したのなら、隠居
らしく奥にこもっていればよろしいのに」
わら
キアラの目が冷たく囁う。ロワジーは髭を引っ張りながら、
でげな
「隠居していたのを、呼び出されたんだ。無理に呼び出され、しかも話の出端をくじかれ、
きげル わめ
わしは機嫌が惑い。これ以上喚かれたら、ここにいるウルト・ヒケウとカイルロッドをけ
しかけてしまうかもしれん。そうなったら、魔物より恐いだろうな」
つぅや
すっとぼけた口調で呟いた。ウルト・ヒケウとカイルロッドと聞いて、キアラの表情が
凍りついた。
「先々代神官長の孫娘であるあんたには、ウルト・ヒケウとカイルロッドの恐さがわかる
はずだな」
キアラは黙っている。その反応を待っていたように、ロワジーがニッと笑った。
「そういうことだから、娘達を置いてお引き取り願おう。そしてくれぐれも、魔物狩りな
ばか
んて馬鹿げたことはせんようにな」
75 微笑みはかろやかに
しばい とぴら
それから芝居がかった仕草で、扉を指差した。ロワジーの後押しを受け、アクディス・
レヴィが強い口調で「出て行ってくださいー」と言った。
キアラはなにか言いたげだったが、「わか。ました」とお付きの女達をつれて出て行っ
た。
2
扉が閉まると同時に、全身からどっと冷たい汗が吹き出した。
「恐かった」
カイルロッドは肺にたまっていた空気を吐き出した。人の狂気を突きつけられたようで、
気分が悪くなった。
「なにが魔物狩りよ。魔物はどっちよ」
うなず
吐き捨てんばか。にリリアが言い、アリユセとセリが「うんうん」と頴く。
「困ったものだ」
ロワジーは肩をすくめ、他の神官達は無言のまま、怒ったような、困ったような表情を
している。
あま
「皆があの女性を恐れ、持て余しているようだ」
神官達の様子を見て、カイルロッドはそう思った。あの気性を恐れつつ、先々代神官長
の孫で、現神官長の母親ということもあってなにも言えないのだろう。
だいじようよ
「恐い思いをしたね。でも、もう大丈夫だから」
もんいき おぴ あん
息苦しいような雰囲気の中、エル・トパックが怯えている娘達に優しく声をかけた。安
ど す1 おえつ
堵したのか、娘達は泣き出した。娘達の畷り泣きと鳴咽が、いやに大きく室内に響いた。
みがら
「・ロワジー。すまないが、この娘達の身柄を預かってくれないか」
ひじ おお のど
テーブルに肘をつき、両手で顔を覆ったアクディス・レヴィが言った。喉になにか詰ま
らせたような声だった。娘達よりも彼の方が泣きたい気分に違いない。
たの
ロワジーは快諾し、エル・トパックが「外にいるティファに頼んで、ロワジー様の家へ
つれて行ってもらいましょう」と擾案した。
「では、そういうことで。謡を再開してもよろしいかなフ」
まわ
ロワジーが周りを見回し、一同が頴く。
「これでやっと話が進められるな」
くでん
ようやく口伝の内容を開けると、カイルロッドも安心して席に戻ろうとした。
「11−−−b」
とたん、カイルロッドは背中に妖気を感じた。冷たく刺すような妖気 − 敵がすぐ近く
微笑みはかろやかに
77
にいる。
「魔物だ。それも、強い・・」
さんちよう
カイルロッドは全身を緊張させながら、短剣を抜いた。
「どうした、王子」
ロワジーが声をかけた。三つ子が不安そうな顔をしている。
「 敵がきています」
あわ
呟いたカイルロッドの肌は粟だっていた。どこにいるのかわからないが、近くにいるこ
とだけはわかる。
「魔物かけ」
「どこにいるのだP」
カイルロッドの発言に、神官達が浮き足立った。
「見苦しいぞ、うろたえるなー」
ろつぱい どな
狼狽している神宮達をアクディス・レヴィが怒鳴。つけた。と、セリが立ち上がり、
「そこにいるー」
lもか はし おく
窓の下の床を指差した。その指の先から光が弄った。わずかに遅れて、リリアとアリユ
セもそこに光を放った。
78
三人の攻撃に、床は高温で焼かれたように真っ赤になった。
そして1人々が食いいるように見つめていると、焼けたような床からゆっくりとそれ
が姿を現わした。
「キヤアァァー」
ひめい いす
娘達が綿を裂くような悲鳴をあげた。死人のように青ざめたゼノドロスが、椅子から転
げ落ちた。席を立ったものの、神官達は棒立ちになっている。
床を突き抜けてくるように、それが現われた。まず頭部、そしてゆっくりと全身が現わ
れる。
「 − 〓」
ゼつく しゆつれい
現われたその姿にカイルロッドは絶句し、エル・トパックが秀麗な顔をしかめた。
真っ赤に焼けた床から一〇センチはど浮いているのは、カイルロッドのよく知っている
少女だった。
ふわふわとした明るい茶色の髪と目をした少女 − ミランシャだった。
「ミランシャ 」
呟いたカイルロッドの声はかすれていた。
「 ・ミランシャ」
79 徴笑みはかろやかに
否、魔物がミランシャの姿をしているのだ。だが、頭ではわかっていても、感情がつい
ちゆうらよ
ていかない。カイルロッドが攻撃を躊躇していると、
げぼく
「私はフェムト。《あの方》の下僕です。どうぞお見知。おきを」
ミランシャの姿をした魔物 − フェムトがカイルロッドに対して、うやうやしく一礼し
た。カイルロッドは鋭く息を飲んだ。姿ばかりか、声までミランシャと同じだった。
やつ
「《あの方》というと、タンエナに封じられていた奴か」
いちペつ
つまらなそうに鼻を鳴らしたロワジ1を一瞥し、フェムトはわずかに目を細めた。
・.・
「《あの方》の力を継ぐカイルロッド様をお迎えに参りました。あなた様のような方が、
人間などという下等生物に加担する必要はないではあ。ませんか。我々とともに人間ども
けろ
を滅ぼしましょう」
、Vやき
フェムトに … 邪気のないミランシャの笑顔を向けられ、カイルロッドは動けずにいた。
まね
「ミランシャじゃない、姿を真似ているだけの魔物なんだ」、わかっていてもカイルロッド
には攻撃できなかった。
一てほ つく ぎじせいめい
いつも側にいて、励ましてくれた少女だった。ムルトに造られた擬似生命であろうと、
たいせつ
大切な存在だった。
「ミランシャ…こ
短剣を持つ手が震え、どうしても足が動かない。
「あの魔物をどうにかしてくれー」
すわ
下に座りこんだまま、ゼノドロスが悲鳴をあげた。腰が抜けて動けなくなっているよう
だ。
ヂうずう ばけもの
「迎えにしたって、神殿の中にまでくるとは図々しい化物ねー」
凍りついたようなカイルロッドに代わって、リリアとアリユセが攻撃した。ミランシャ
ほのム
の姿をした魔物、フェムトに手をかざす。と、手の平から炎が出て、竜となって巻きつい
た。
「化物呼ばわりは心外だ」
ゆが
炎に巻きつかれても、フェムトは平然としている。リリアとアリユセが顔を歪めた。
じルもん とな か
すかさずエル・トパックが手助けに入った。呪文を唱え、護符をフェムトの上に投げた。
・1..・ 、
すると護符から稲妻が弄り、フェムトを直撃した。
Jくつい しようげき
落雷の衝撃が建物を揺らし、床が黒く焦げた。しかし −。
「たいした攻撃ではないな」
フェムトに変化はなく、盾についた枚でも払うような仕草をした。すると、巻きついて
いた炎が消えた。
微笑みはかろやかに
めぎ dブいたい
「これがウルト・ヒケウの力だとフ 久しぶ。に目覚めてみれば、神殿も衰退したものだ。
けつかい
結界は弱まっているうえに、この程度が神殿日饗商の術者の力とは」
はふり
あからさまに馬鹿にされ、むきになったりリアが再び攻撃しようとしたが、ロワジーと
セリに止められた。
「神殿も堕ちたものよ。もはや、恐るるにたらぬ」
たたか
フェムトの笑い声を聞きながら、カイルロッドは懸命に自分自身と闘っていた。
ミランシャの姿と声をした敵と闘うことは、まだミランシャを失った傷の癒えていない
つら
カイルロッドにとって、身を切るよ。も辛いことだった。
「なんて化物なの・・こ
ほlJJ こわ
リリアとアリユセが顔色を変え、エル・トパックは頬を強ばらせた。
「エル・トパックはおろか、ウルト・ヒケウ様の攻撃も通じないのかけ」
「なんと 」
「ウルト・ヒケウ様がまるで歯がたたない」
1ノめ
力の差を目のあた。にした神官達が、絶望の坤きを洩らした。アクディス
に汗を膠ませていた。
こくはく
神官達の坤きに、フェムトが酷薄な笑いをうかべた。
ひたい
レヴィは額
これは弱さかもしれない。少なくとも魔物と闘うにおいては、弱点となるものだ。
フェムトは、魔物はそのことを知っていて主フンシャの姿をしているのだ。人の一番弱
いところにつけこもうとしているのだ。
「汚い真似をト」
にb
短剣を擦る手に力をこめ、カイルロッドは魔物を睨みつけた。
「フェムトとか言ったな。きさま、今すぐミランシャの姿をやめろ」
「おや、この姿がお気にめしませんかフ あなたの心を読んで、会いたがっている姿を写
しとったというのに」
残酷な笑みでそう害ったフェムトの肩を、カイルロッドの短剣が斬り裂いた。
短い悲鳴があがり、息をひそめて成り行きを見ていた神宮達がとよめいた。
「きさまなんかにミランシャの姿を写されてたまるかー」
はく
短剣を手にカイルロッド。向き合ったフェムトの顔から笑みは消え、裂かれた扇から白
煙がのぼっていた。
「彼女を腎漕することは許さないぞー」
とどめを刺そうとしてカイルロッドが短剣を振り上げると、
「助けて、葺†⊥
微笑みはかろやかに
フェムトが、ミランシャが悲鳴をあげた。
丁目」
反射的にカイルロッドは動きを止めてしまった。
「どうしてあたしを殺そうとするのフ 王子はあたしのことを憎んでいるの?」
裂かれた肩をおさえながら、悲しい表情のミランシャがカイルロッドを見上げている。
「王子− 惑わされてはいけませんー」
わな ちぬうらよ
フェムトの罠と知。つつ、短剣を振。下ろすことを蹄躇しているカイルロッドの耳に、
エル・トパックの鋭い声が聞こえた。
「それは幻よ!」
「幻に負けるなー」
しだい
リリアやアリユセ、ロワジーの声も聞こえた。だが次第にそれらの声が遠くな。、やが
て聞こえなくなった。声だけでなく、姿も見えなくなった。
みおぼ こはん
ー いつの間にか風景が変わっていた。薄暗い室内ではなく、見覚えのある湖畔に立っ
ていた。
「 俺はなにをしようと」
つW,や なぜ
短剣を持っている手を下ろし、カイルロッドはぼんやりと呟いた。何故、短剣を振り上
おつノ1つ
げていたのか、それがわからない。思い出そうとしたが、頭が重く、思考することが億劫
になっていた。
いつしよ
「さぁ、王子。あたしと一緒に行きましょうよ」
光る湖面を背に、ミランシャが近づいてきた。
「行くってどこへフ」
「素晴らしいところへ」
ミランシャがニコッと笑う。
ため
「駄目だ。俺だけ行くわけにはいかない」
カイルロッドが首を振ると、ミランシャの目が薄く光った。
たたか
「人間なんて放っておけばいいのよ。いくら王子が人間のために関ったところで、そんな
おユ ののし ぅと
ことは無意味だわ。人間は王子を恐れ罵り、疎むだけ。そんな勝手な生き物のために、王
子が血を流すことはないわ」
光る目で見つめられているうちに、カイルロッドは「ミランシャの言うとおりかもしれ
ない」と思った。
ぞよノお
多くの人々に憎悪され、罵られたことがあった。そして皆のために強くなろうとしてい
るのに、強くなるほど恐れられていくのだ。
微笑みはかろやかに
むじゆん
なんという矛盾だろう。
いきどお ふく
カイルロッドの内部に、行き場のない悲しみと憤りが膨れあがった。
つら
「どうして王子が、他人のために辛い思いをしなくちゃいけないの? そんな義理がどこ
にあるのフ 王子には王子の生き方があるはずよ」
かんぴ ゆうわく やく さきや のが
甘美な誘惑を含んだ噴きに、カイルロッドの心は揺れた。辛いこと、悲しいことから逃
れられたらどれほど幸せだろうか。
「だから、あたしと行きましょうよ。そうすれば王子は人間を、世界を支配できるのよ」
「 一 日」
あらが
抗いがたい誘惑に引きずられていたカイルロッドだが、その言葉を聞いた瞬間、正気を
取。戻した。
世界を支配する ー それはムルトの言っていたことではないか。
「ムルトのようになってたまるか−」
らゆうらよ いな つらぬ
もう迷いも躊躇もない。カイルロッドは短剣でミランシャを、否、フェムトの胸部を貫
いた。凄まじい悲鳴をあげ、フェムトがカイルロッドの前から跳びすさった。
「王子−」
ふいにエル・トパックの声が聞こえた。カイルロッドがその方向に顔を向けると、湖畔
の風景は消え、薄暗い室内に戻っていた。
「もう平気だな」
な
ホッとしたように、ロワジーが胸を撫でおろした。エル・トパックや三つ子達、そして
あんど
神官達が安堵と心配の入り交じった表情で、カイルロッドを見ている。
「振り上げた手を止めた時点で、フェムトの術中にはまったんだ。くそ、俺はなんて弱い
んだろう」
カイルロッドは歯軋りした。一番弱いところをついてくるとわかっていながら、それに
おの ふがい
つけこまれてしまう己れが腑甲斐なかった。
「一一度と惑わされないぞ、フェムト」
めじnソ つ
カイルロッドが短剣を突きつけると、フェムトはギリギリと目尻を吊り上げた。短剣で
刺された胸部から幾筋もの白煙がのぼっている。
一 こちらが平和的に交渉すれば、つけあがりおって。いくら《あの方》の力を継ごう
しよせん
と、所詮は人間から生まれた者だ。下等生物がー」
さけ
叫ぶと、フェムトの、ミランシャの姿が霧のように消えた。
「今のは実体じゃなかったのか−」
カイルロッドは舌打ちした。フェムトの本体は別の場所にいるのだ。
7 徴笑みはかろやかに
それを探しに、カイルロッドが走り出そうとした時 −。
グワッと、下から衝撃が突き上げた。
いす
椅子やテーブルが倒れ、カイルロッドは床の上に投げ出された。ロワジー、アクディ
ス・レヴィや神官達も下に叩きつけられた。
「地震だっ=」
とせい
悲鳴と怒声が交錯する。
揺れは一度だけではなく、二度三度と立て続けに衝撃がくる。その凄まじきに、建物の
かべ きれつ
柱や壁に亀裂がはしった。
「くそっ−」
なんとか立ち上がり、カイルロッドは周。を見回した。神官達は床の上を転げ回ってお
おげ かば
。、三つ子は宙に浮いていた。エル・トパックは怯えている娘達を庇っていた。
「外へ逃げるんだ・」
つなが ひい
壁に手をついて、なんとか立ったアクディス・レヴィが避難を促した。が、体術に秀で
たカイルロッドや、空を飛べる三つ子はともかく、そうでない者達はこの揺れの中で立つ
しなん わぎ
ことすら至難の業だろう。
揺れはまだおさまらない。
こわ じゆうおうむじん
ビシビシと恐い音をたてて、壁や天井、そして床の亀裂が縦横無尽に広がっていく。
しわざ
「あいつの、フェムトの仕業だー」
よろめきながら、カイルロッドは窓へ向かった。背中の方からゼノドロスの情けない悲
鳴が聞こえた。娘達の声よりも大きい。
「なんてやかましいおっさんだろう」
まどわノ、
心の中でぼやきながら、ガラスの割れた窓枠に手をかけ、カイルロッドは外に顔を出し
た。
ぬ つド
相変わらず雪は降っており、視界は白く塗り潰されたようだ。遠くから、近くから人々
さんけいしや
の悲鳴が聞こえてくる。建物から飛び出した人々と、下にいる参詣者達だろう。
「フェムトを倒さないと 」
なああたた
起りしめた両手が生温かい。見ると、血が出ていた。ガラスの破片で切ったのだろう。
めんどフ
「短剣を持つ時が面倒だな」
血の流れている手を見ながらカイルロッドが舌打ちすると、
「王子、私達のことはいいから、あなたはフェムトを!」
エル・トパックの鋭い声がした。
微笑みはかろやかに
カイルロッドが振り返ると、エル・トパック達は部屋の中心に集まっていた。その上に
けつかい はうかい
三つ子が浮いている。室内に結界を作り、建物の崩壊を止めているのだ。結界の中で神官
dる なだ
達は震え、ロワジーやエル・トパックは怯える人々を宥めていた。
まか
「王子、こっちは任せて−」
顔を向けてリリアが笑う。
たの
「こっちにはウルト・ヒケウがいる。王子は魔物を頼む!」
ロワ、シ1にも言われ、カイルロッドは持っていた短剣を腰のベルトに差しこみ、そのま
くず
ま窓から外へ出た。あの三つ子がいれば、少なくとも建物が崩れ落ちたりする心配はない。
真っ白い雪の上に足跡と血痕を残しながら、カイルロッドはフェムトの気配を探してい
た。
「出てこい、フェムト!」
雪を運ぶ強い風に長い髪を揺らしながら、カイルロッドは叫んだ。
たいじ
あの魔物を見つけだして、退治しなくてはならない。それはあの魔物が《あの方》の下
僚だからでも、地震を起こしているからでもない。
「ミランシャを、ミランシャを冒漬したからだー」
それゆえにフェムトを許さないとカイルロッドは思った。人の弱きにつけこみ、弄ぶ魔
物が許せなかった。
「許さないぞ」
怒りのせいか、寒さをまったく感じなかった。
カイルロッドはフェムトの気配を探したが、見つからない。揺れが続いているから、フ
ェムトはいるはずだ。だが、気配がない。
「おそらく気配を消しているのだろう。だが、それならそれで、引きずり出してやる」
や
カイルロッドは目を細めた。降り止まぬ雪が目の中に入ってくる。
「逃がさないからな、フェムト」
つぷや
そう呟いたカイルロッドの足元から、青銀色の光る風が上に向かって吹きあげた。
青銀色の強い風が積もっていた雪を舞いあげ、落ちてくる雪を押し戻した。
二種類の風がぶつかりあい、細い笛のような音が響き渡る。降り注ぐ雪はさらに細かい
結晶となって飛び散った。
しかし、それもわずかの時間にすぎなかった。
光る風が雪を運ぶ風を飲み込み、さらに強くなって吹きあがった。
・.・・・ ・1 .
下からの風によって、上空を覆っていた鉛色の雲の一部に穴が開いた。
そこを中心に、雲が引きちぎられるようにして散っていく。
微笑みはかろやかに
厚い雲が消え、久しぶ。に青い空と太陽が顔を出すかと思われた。だが、雲の間から見
えたものは、黒い空間だった。
地上に畢い影が落ち、白い雪さえも黒く見えた。
「夜け」
やみ
聞かと思うほど、巨大な窯いものが空を覆っている。
「フェムト・」
地上に影を落としているそれを見上げ、カイルロッドは叩いた。
それは雲の上から神殿の上空を覆っていた。
「それが本体か、フェムト」
空を仰ぎ、カイルロッドは呟いた。
3
あまりに巨大であった。
日顆初はそれ ー フェムトがどういう姿をしているのかさえ、わからなかった。フェムト
の全身が視界に入。きらず、形を判断することができないのだ。
「これほど巨大な魔物が上空にいたことに気がつかなかったとは・」
のど
目の中に入ってくる雪も忘れて上空を仰ぎながら、カイルロッドは喉の奥で唸った。雪
か′、
と雲に隠されていたとはいえ、魔物が上空にいたことにカイルロッドも神殿関係者達も気
がつかなかったのだ。
はぎし にら
歯乱りする思いで下から睨んでいると、ふいにカイルロッドの目に、フェムトの姿が見
えてきた。
「−−1111h」
きみよう
カイルロッドは奇妙な違和感を感じた。下からフェムトを見ているのに、視界には青空
が広がり、フェムトと雲が下に見える。
はる
まるで遥か上空からフェムトを見下ろしているような、そんな光景なのだ。
おかしいと思いつつ、カイルロッドはフェムトを見下ろしていた。
雲の上に浮かぶフェムトは烏に似ていた。
黒く巨大な烏だ。
「両翼を広げた鳥のようだ」
そう呟いたとたん、視界が急変した。正しくは、もとに戻ったというべきだろう。青空
・ 一
や鳥に似たフェムトの姿は消え、ただ空を覆う黒いものが見える。
「どういうことかさっぱりわからないけど」
微笑みはかろやかに
カイルロッドは一度頭を振。、それから手の平に意識を集中させ、フェムトを睨んだ。
怪我をしていたはずだが、傷も血も消えていた。
「とにかくフェムトを消すのが先だー」
手の平で光が点となる。それをカイルロッドは上空に放った。
光はフェムトの本体に突き刺さった。が、フェムトにはなんの変化もない。
「どうなっているんだP」
見上げたまま、カイルロッドは動揺した。ムルトを倒したことで、カイルロッドは少し
ばかり自分の力に自信を持っていた。
「だが 本当に強くなっていたのかフ」
かルじん
まったく力が通用していない。「どうして肝心な時にー」、ムルトの時もそうだった。自
分では加滅しているつも。はないのに、通用しない。
「 もしかして俺は無意識に、自分の力を恐れているのか?」
ぼツビル あぎわら
呆然としているカイルロッドを嘲笑うように、遠くに見える黒い影がめくれあがった。
つぱき
おそらく翼のような部分が動き、はばたきのようなことをしたのだろう。
ゴウッ。
とつでつ
突風が吹きつけた。
積もっている雪を、街の家々や木々をも吹き飛ばした。
強風に押され、カイルロッドはよろめきながら、再び光を放った。
しかし、結果は前と同じだった。空を覆う巨大な魔物に変化はない。
「まるで歯がたたない 」
くらげるか
こうなるとどうしていいのかわからず、カイルロッドが唇を噛んでいると、
たたか だめ
「あれと闘うには、上に行かないと駄目よ」
耳元で風の音を縫うような細い声がした。
「セリ・」
髪をおさえながら顔を動かすと、カイルロッドの顔の高さにセリが浮いていた。
「セリ、他の皆はいいのP」
三人いなければ結界が破れるのではないかと、カイルロッドは心配したのだが、セリが
言うには二人で平気だという。
「それにエル・トパックもいるし」
セリはにっこり笑い、カイルロッドの手を握った。「身体が軽くなったっ」、カイルロッ
ドがまはたきしていると、
「話は後にしましょう。とにかく、上に行かないと話にならない」
5 徴笑みはかろやかに
言うが早いか、セリは上昇を始めた。手を握られたカイルロッドも当然、Lに引っ張ら
れた。
「ちょっと待ってくれー」
あば
いきなり飛ばれ、カイルロッドは足をハタハタさせて暴れたが、セリはまったく気にし
ていない。
け.・のい
ぐんぐんと高度が上が。、カイルロッドは「わ1つ」と悲鳴じみた声をあげて、セリの
手にしがみついていた。
「あたしに触れていれば、落ちないわよ」
「いきなりっていうのはやめてくれ一 心の準備ってものがあるんだよ!」
やは。足が地面についていないと不安を感じる。カイルロッドは下を見て、目が眩みそ
うになった。
「イルダーナフといいセリといい、どうして神殿の人間はやることが乱暴なんだけ」
わめ
カイルロッドが喚いていると、「王子−」とセリの鋭い声がとんだ。
・. −
見ると、上から無数の稲妻が落ちてきた。明らかにカイルロッド達を狙っている。
「フェムトめ〓」
カイルロッドは片手を上に突き出した。
落ちてきた稲妻は、手に触れる直前で消えた。
「化物の上に出るわよー」
セリはさらに上昇した。それを阻むように黒い影の中央が割れ、真っ赤な薯が吐き出さ
れた。
「霧じゃない、魔物だー」
あまりに数が多いので、霧のように見えたが、それは魔物だった。
おそ
無数の赤い魔物達がカイルロッドとセリに襲いかかる。
かりだ
「上にいかせないつもりよ。身体の上が弱点のようね」
そう言いながら、セリは覚のような光を放った。それに触れた魔物が消えていく。
「短剣じゃきりがないな」
カイルロッドは深呼吸し、意識を集中させると 「消えろー」と叫んだ。
くれん rて“のお
瞬時にして紅蓮の炎が現われ、それは滴を巻き、またたくうらに赤い魔物遠を残らず焼
つ
き尽くした。
「さすがね」
一息ついたセリが笑う。そんな彼女を見ながら、カイルロッドは苦笑した。
「なんだか別人みたいだね、セリ」
7 微笑みはかろやかに
一uのかげ
いつもどこか物陰に隠れているセリと、ここにいるセリは別人のようだった。カイルロ
ッドの率直な感想に、
「王子を気に入っているから、特別よ」
つや
艶っぽい笑みで言い、セリは上を向いた。
lゎだん
「油断しないで、王子。フェムトは強いわ。いくら力があっても、闘い方をよく知らない
王子には強敵ね」
らんもノ
痛いところを指摘され、カイルロッドは沈黙した。セリの言うとおりで、いまだに魔物
相手の闘い方がよくわからないのである。
にート あやつ
「フェムトは身体が大きい分、動きは鈍い。だからきっと、小回りのきくものを操ってく
るわ」
小回りのきくものと言われ、カイルロッドは顔をしかめた。さっきの魔物程度ならなん
1 .
とでもなるが、力が強く小回。がきくとなると厄介である。
「こちらが不利だ。片手しか使えないし、二人が同じ行動しかとれない。手をつないでい
るから、動きが限られてしまう」
セリの小さな手を見て、カイルロッドは「俺も飛べたら」と切実に思った。自力で飛べ
たら、セリを危険にさらさずにすむのだ。
L. ・..・
(下等生物が小賢しい真似を−)
落雷のような声がした。性別のわからない、ひびわれた声だった。
(叩き落としてくれるわー)
あわだ
黒い身体が泡立ったようになり、そこから黒いものがいくつも飛び出した。
から1 つばさ
それは一見すると烏のようだった。しかし、翼が六枚ある、双頭の鳥だ。
(私の分身に引き裂かれるがいい!)
数十もの双頭の烏が真っ赤な口を開いて、カイルロッド達に襲いかかる。
「気をつけてー」
叫び、セリは蛍のような光を飛ばした。
が、光がついても双頭の烏は消えない。明らかにこれまでの魔物とは別格だ。
カイルロッドの炎もものともしない。
ごわ
「手強いぞー」
攻撃が効かず、カイルロッドとセリは烏達から逃げ回っていた。
。ふ.ぎき
(逃げ回るだけとは無様なことだ)
まゆ つ
フェムトの嘲笑に、カイルロッドは眉を吊り上げた。
「くそっー」
99 徴笑みはかろやかに
手の平に力を集め、烏めがけて放った。しかし、簡単にかわされてしまった。
そうこうしているうちに、カイルロッドはセリの呼吸が荒くなっていることに気がつい
た。
「セリ!」
だい“じよえノW・
「大丈夫よ」
しだい
口では大丈夫と言っているが呼吸は荒く、しかも次第に飛んでいる高さが低くなってい
か
る。「動きすぎたんだ」、ギリッとカイルロッドは奥歯を噛んだ。いくらウルト・ヒケウで
も、人をつれて、しかもこれだけ飛び回っていれば疲労して当然だろう。
「俺よ。セリの方が疲れて当然だ。それを忘れて」
セリの疲労を待っていたように、双頭の烏が周。を取。囲んだ。そして、口から赤黒い
炎を吐いた。
「キヤアー」
セリが悲鳴をあげた。そのはずみでセリとカイルロッドの手が離れた。
「 一 日」
カイルロッドは思いきり手を伸ばしたが、セリの手に触れることができなかった。
髪や服が風をきり、耳元で鋭い音がする。
りつか じやま
セリが落下するカイルロッドを追ったが、双頭の烏に邪魔されて追いつけなかった。
フェムトや双頭の烏が遠ざかるのを視界におさめながら、カイルロッドはひどく冷静だ
った。
「…一落ちるんだ」
そのことをカイルロッドは冷静に受けとめていた。落下する時は気が遠くなるものと思
みよう すご
っていたが、どうやらそうではないらしい。妙な具合に頭が冴え、凄い速さで思考してい
るのがわかった。
「まるでゆっくり落ちているようだ」
自分の内部の時計と、外の時計では進む速さが違うように感じられ、カイルロッドは少
し驚いた。
そうした中で、トの様子がはっきりと見えた。雪の白と、積もっていた雪が飛ばされて
見える大地の黒とで、街はまだらになっていた。
「まるで箱庭だ」
いとな
上から見た街は箱庭だった。けれど、そこには人が生きている。ささやかな人の営みが
あるのだ。
微笑みはかろやかに
こわ
「フェムトなんかに、魔物なんかに…・このささやかな営みを壊されてたまるかー」
からだ すみずーサ
そう思った時、身体の奥底から熱いものが噴き出し、隅々に広がった。
と1耳元の風をきる音は聞こえなくなってお。、落下感覚もなくなっていた。
「浮いている。いや、飛べるのかけ」
われ
我にかえると、カイルロッドは空中に浮いていた。足の下には街があ。、上にはフェム
トがいる。
「王子、飛べたのねー」
ようやく追いついたセリが顔を紅潮させた。その後から双頭の烏が飛んできた。
「Lにいくよ、セリ」
カイルロッドはセリを抱きかかえ、上に向かった。
やつ
(しぶとい奴だー)
急上昇したカイルロッドを鳥が追う。が、追いつけず、炎も届かない。
「凄いわ、王子− 速い、速いー」
セリのはしゃぐ声を聞きながら、カイルロッドは上昇を続けた。
(おのれ!)
はば
上只を阻もうと、フェムトが次々と分身を放ったが、どれもカイルロッドに振り切られ
るだけだった。
空を覆う黒い影のわずかな隙間を抜け、カイルロッドはフェムトの上に出た。
11・..
眩い光にカイルロッドは目を細めた。
かがや
そこには青い空があり、輝く太陽があった。久しぶりの青い空と眩い陽光に、カイルロ
ッドとセリは目を細めていた。
「太陽の光がこんなに明るいなんて」
カイルロッドは涙が出そうになった。この明るさと暖かさを、すっかり忘れていた。そ
してカイルロッド同様、そのことを忘れている地上の人々に、あらゆる生き物達に、思い
出させてやりたかった。
「王子、あれがフェムトよ」
セリが足の下を指差した。カイルロッドも見ると、そこに巨大な鳥に似た黒い魔物がい
た。
あの時に見たのと同じ姿だ。
(くそぉぉ)
かんまん
逃げようとして、フェムトの巨体が動く。が、ひどく緩慢な動作だった。鳥が地面に温
いつくばったまま前進しているような、そんな感じだった。
セリが言ったように、身体のとが弱点らしい。カイルロッド達が身体の下にいた時は、
あれこれと攻撃を仕掛けていたのに、今はただ逃げようとしている。
おうじよ・つCきわ まね
「俺の勝ちだ。往生際の悪い真似はよせ」
こつけい ぶぎま けんめい
滑稽というか無様というか、懸命に逃げようとしているフェムトを見下ろし、カイルロ
ッドは静かに告げた。
と、フェムトが急に動きを止めた。
(それはどうかな)
きれつ
暗い笑いを含んだ声がして、黒い身体の真ん中、両軍の間に亀裂が入った。
「また魔物が出てくるのかlフ」
カイルロッドが身構えると、亀裂が開き、そこに巨大な赤い目が現われた。真っ赤な、
血の色をした人間の目だ。それはギョロリと動き、カイルロッドを捕らえた。
「フェムトの目を見ないで、王子−」
セリの注意がとんだ。が、もう遅かった。カイルロッドは赤い目から、顔をそむけられ
なくなっていた。
「赤い目の奥に吸い込まれそうだ」
カイルロッドは目をそらそうと懸命になったが、引き寄せられてしまう。ちょうど、灯
5 微笑みはかろやかに
に虫が引き寄せられてしまうように。
. 7
グルグルと赤い目が回って見える。頭の奥が痺れ、視界が赤い渦に変わっていく。
「これはフェムトの心理攻撃だー」
わずかな隙をついて、攻撃してくる。懸命にそれを振。払おうと、赤い渦の中でカイル
ロッドがもがいていると、
ドタン、ドタン。
自分の胸の鼓動がいやに大きく聞こえた。他にはなにも聞こえない。セリの声も、フェ
ムトの声も。
Jきみ せいじやノ1
不気味な静寂の中で、カイルロッド自身の胸の鼓動だけがする。
(おまえはもう人間ではないのだな)
だれ
その昔に混じって、誰かの悲しげな声が聞こえた。
(カイルロッド、おまえはもう人間ではないのだ)
それはルナンにいるサイードの声だった。サイードの声で「おまえはもう人間ではな
ゆが
い」と言われ、カイルロッドは顔を歪めた。ミランシャの姿を写したように、フェムトは
こわね まぬ どうよう
サイードの声音を真似ているだけなのだ。わかっていても動揺してしまうのは、心の奥底
でそう言われることを恐れているからだ。
じっ4 ののL
(カイルロッド、おまえは実父のところへ行った方がいい。化物と罵られて生きるより、
その方がいいだろう)
悲しそうなサイードの声を聞きながら、カイルロッドは腰のベルトに差していた短剣を
抜いて、自分の腕に突き立てた。
激痛がカイルロッドの意識をはっきりさせた。周廟を巻いていた赤い渦も消え、サイー
ドの声も消えた。
「王子−」
セリがやってきた。カイルロッドはセリに顔を向け、小さく舌を出した。
「ごめん。俺はすぐ、心につけこまれる」
それから下のフェムトを睨んだ。赤い目はあるが、もう引き込まれはしない。カイルロ
ッドは血のついた短剣を、赤い目めがけて投げた。
こうネこ
短剣は虹彩の真ん中に突き刺さった。
(オォォォー)
ぜつきよう
大気を揺るがすような絶叫をあげ、フェムトがその巨体をよじる。その度に風が起こり、
雲が払われていく。
、ざか
(小賢しい真似をー)
7 微笑みほかろやかに
まわ つぶて
潰れた目の周。が泡立ち、石飛礫のような物が下から飛んできた。カイルロッドが片手
をかざすと、ジュッと昔をたて、黒い石飛礫が蒸発した。
「小賢しいのはどっちだ一 人の心の中にある不安を、人の弱さを利用しやがってー」
あぎけ ひぴ
カイルロッドが吐き捨てると、出し抜けにフェムトの笑い声がした。嘲。の笑いが響き
渡る。
あわ せいじや、
(憐れなものだー 底知れぬ力を持ちながら、脆弱な人間の心から解き放たれないとは!
1.・
おまえは愚かで弱い、ただの人間でしかないのだト)
嘲りを聞きながら、カイルロッドは口の端をかすかに上げた。
こくは
「誉め言葉と受け取っておこう」
お
(負け惜しみか)
「まさか」
カイルロッドは目を細めた。「俺はただの人間だ」、ただの人間でなくてはならないのだ。
いかに凄まじい力を持とうとも、心は人間でなくてはならない。
「俺が人間であることに感謝するんだな、フェムト。すぐにとどめをさしてやる」
ほーノとく
カイルロッドは手の平に光を作った。フェムトはミランシャを冒漬し、カイルロッドの
心の弱さにつけこんだ。簡単に殺してしまうには飽き足らない相手だ。「もっと苦しめて
やりたい」、そんな残忍で暗い欲望がないといえば嘘になる。それを止めたのはヴァラン
チーヌの言葉だった。
カイルロッドは光を、フェムトの目に突き刺さっている短剣の上に落とした。
いつしゆん
短剣の上に落ちた光は炎となり、そこから一瞬にしてフェムトの全身に広がった。油の
ひだぬ
中に火種を投げ入れたような速さだった。
(あぁぁー 熱いー)
フェムトが苦痛に身をよじらせる。下からの熱に、セリが顔をしかめた。
「しぶといな」
なかなか死なない魔物に、カイルロッドがさらに攻撃しょうとした時、
ぜいじやく
(私を倒したからといって、いい気になるなよ、カイルロッドー 脆弱な人間の心で、
《あの方》に勝てるはずなどないわー)
炎に包まれたフェムトの身体が急降下を始めた。
「あいつ、神殿にぶつかるつもりだわー」
「なんだってけこ
フェムトは神殿もろとも、道連れにするつもりなのだ。カイルロッドとセリが落下する
フェムトを迫って、雲の下へ出た。
9 微笑みはかろやかに
(ただでは死なんぞlT)
雲を突っ切。、火だるまと化したフェムトの巨体が神殿めがけて落ちていく。
「どうすればいいんだけこ
へた
下手に攻撃すれば、フェムトの落下を手助けしてしまいかねない。しかしこのままでは、
はかい
神殿や街がフェムトに破壊されてしまう。
「あの巨体をどうやって止めればいいn」
さんじ
どうすればフェムトを止め、惨事を防げるのか − カイルロッドにはわからなかった。
あせ いbだ さけ
焦りと苛立ちの中、カイルロッドは叫んでいた。
正マレ〓・
ソシテ消エロ 一 日
時間が停止したようだった。
フェムトが神殿の上空、数十メートルの場所で動きを止めたのだ。そして炎に包まれた
しようめつ
まま、消滅した。
・、・・、・
ぱうぜん ぎようし
カイルロッドは呆然として、フェムトのいた空間を凝視していた。影も形も、灰すら残
さずフェムトは消えた。
rこ
「凄い力ね」
横にきたセリがため息混じりに呟いた。
「俺のカ ニなのか」
にが
カイルロッドの舌の上に苦い味が広がった。これはすでに人間の力ではない。「これか
ら俺には、この力に負けない強い心が必要だ」、それも人間らしさを失っていない心が。
1.・
「…姦しいなぁ」
呟いたカイルロッドに、セリは他にもなにか言いたそうだった。が、カイルロッドが苦
しそうな表情をしていたせいか、なにも言わなかった。
「魔物も倒したことだし、下に降りましょう、王子」
フなヂ
セリに笑いかけられ、カイルロッドは「うん」と額き 身体が落下していることに気
がついた。
「うわあぁっー」
あき
落ちながらジタバタしていると、上からセリが呆れた顔で追ってきた。
「見てないで助けてくれ、セリー」
「どうしていきなり落ちるのフ さっきまであんなに凄い速さで空を飛んだ人が」
「知るかっー 気が抜けたら、いきなり力も抜けたんだー」
微笑みはかろやかに
近づいてくる地上に顔をひきつらせると、セリが 「あ1あー」とため息をついて、カイ
ルロッドに触れた。
あんど
落下が止まり、カイルロッドは安堵の息をついた。
4
久しぶりに青い空が広がり、地上に明るい陽光が降。注いだ。
本殿の前には人々が集まっていた。
おどろ かんたん
彼らは驚きと感嘆の表情でセリとカイルロッドを見上げ、あるいは指差していた。その
中にはエル・トパックやロワジー、リリアやアリユセ、そして神官達、ティファの姿もあ
った。
「ついたわよ、王子」
きんちよぇノ
人々の前におろしてもらい、カイルロッドは全身の緊張を解いた。
「やっぱ。、地に足がつかないと安心しないな」
雪が消えた大地を軽く足で叩きながら、カイルロッドが笑顔をうかぺると、エル・トパ
ックとロワジーが近づいてきた。
「ご苦労様だったな」
「お見事でした、王子」
ロワジーとエル・トパックは地上からカイルロッドの闘いを見ていたらしい。二人の表
いた
情には労わりがあった。
「セリが助けてくれたからだ。俺だけだったら、どうなっていたか」
セリに礼を言おうと、カイルロッドは横を見た。が、セリの姿はなく、いつの間にかリ
リアの後ろに隠れてしまっていた。
「セリ」
呼んだが、恥ずかしがってセリは出てこない。ただ、おずおずと顔を出すだけだ。
「驚いてるわね、王子。無理もないわ。上で助けてくれたセリとは別人でしょうっ この
めつた
子ね、力を使う時だけ人格が変わるの。もっとも、そんなことは滅多にないけど」
白い息を吐きながら、リリアが笑った。カイルロッドは「おいでおいで」をしたが、セ
リは首を振って出てこない。仕方なくカイルロッドはそのままで礼を言った。
「ありがとう、セリ。助かったよ」
笑うと、セリは顔を赤くしてうつむいてしまった。確かに、空を飛んでいた時とは別人
としか思えない。
りが
「それで、皆、怪我はフ」
113 微笑みはかろやかに
カイルロッドが訊くと、ロワジ1が 「ない」と答えた。カイルロッドの発言に、リリア
とが
とアリユセが不満そうに日を尖らせた。
けつかい
「あたし達が神殿全体に結界を張ったのよ。怪我人なんか出してたま。ますか。たとえフ
こわ
ェムトがぶつかっても、あたし達の結界は壊れなかったわよ」
あわ ひ一っ
ウルト・ヒケウの自尊心を傷つけてしまったらしい。カイルロッドは慌てて、二人に平
あやま
謝。した。
「しかし、青い空を見るのは久しぶりです」
左手を顔の上にかざし、エル・トパックが笑顔を見せた。それはエル・トパックだけの
さわ
感想ではなく、あれほどの騒ぎの後だというのに、他の人々の表情も明るい。
ポんか
眼下にある街でも太陽を求めて、人々が家の外に出ていた。残っている雪が陽光で純白
ま▼h
に輝き、その反射が眩しい。
「あ!」
建物の前に金属的な反射光を見つけ、カイルロッドは走った。
「見つかってよかったー」
あんど
短剣を拾いあげ、カイルロッドは安堵の息を洩らした。
おじ
「ところで神官長とその叔父はフ 姿が見えないけど」
アクディス・レウィとゼノドロスの姿が見えないことに気がつき、カイルロッドが質問
すると、その場の人間達が一様に複雑な顔になった。
なだ
「今頃二人がかりで、あの女を宥めている」
いや
口にするのも嫌だというように、ティファが吐き捨てた。
なんでも、地震がおさまってすぐにキアラがやってきたらしい。息子の身を案じてだろ
うが、すぐに避難しろと勧めたそうだ。
「ウルト・ヒケウが結界を張っているのにフ 他の人間もいるのにフ」
カイルロッドが言うと、ロワジーは大きく息をついた。
.さよぜつ
「アクディス・レヴィが、神官長が真っ先に逃げ出すわけにいかないと拒絶したものだか
ら、大騒ぎになった。そうこうしているうちに地業が止み、息子と弟でキアラを引きずっ
て行ったよ。アクディス・レグィなど、王子の闘いぶりを見ていたかっただろうになぁ」
▼・、・1、・
その時の光景が目にうかぶようで、カイルロッドは言葉が出てこなかった。
のんき
「ところでロワジー様。呑気にしてますけど、家の方はどうなっているんですフ」
カイルロッドの心配に、ロワジーは平然たるものだった。というのも、ウルト・ヒケウ
が張った結界の中に、離れも入っていたからだ。それを聞いて安心したカイルロッドに、
5 微笑みはかろやかに
はがん
ロワジ1は「結界がなくとも、メディーナがいれば平気だ」と破顔した。
きゆうきい
「さて。いつまでものんびりしてはいられませんね。地震による街の混乱と被害の救済を
しなくては」
エル・トパックが表情を引き締めた。地震による被害は決して些細なものではないはず
71
てル
「日伝の説明にきたのだが、今はそれどころではないだろう。ま、ここまできたのだから、
′しつだ
わしも手伝ってやるぞ」
きげん
機嫌がいいのか、ロワジーが手伝いを申し出た。三つ子も「手伝う」と言い、エル・ト
フれ は一はえ
パックは嬉しそうに微笑んだ。有能な人材は多いほど助かるものだ。
「それじゃ、俺も」
なにかすることはないかと思って手伝いを申し出たカイルロッドだが、
「衆に戻っておれ。おまえさんがウロウロしては、かえって人々を不安にさせる」
ようぽう
ロワジーは冷たかった。確かにこの目立つ容貌ではすぐにカイルロッドと知られ、神殿
関係者達には恐れられてしまうだろう。
「だけど、言い方があるじゃないか」
その場にいる神殿の人間にあれこれと指示しているロワジ1を恨めし気に見ながら、カ
イルロッドは仕方なく、ロワジーの家に戻ることにした。
「追い払われたみたいだ」
まわ
歩きながらぷつぷつ言っていると、後ろからアクディス・レヴィの身の周りの世話をし
ルつちようづら
ていた二人の娘をつれてきたティファも仏頂面をしていた。娘達をロワジーの家につれて
行くよう、エル・トパックに言いくるめられたらしい。
すべ
足を滑らせそうな階段をおりていると、
やつ
「まったく。あんな奴に踪力するのだから、トパック様も人がよい」
仏頂面でティファが言った。
「あんな奴ってフ」
カイルロッドが顔を向けると、ティファは「アクティス・レウィだ」と鋭く吐き捨てた。
りんお む
この黒い肌の美女はアクディス・レヴィが大嫌いらしい。声と表情に嫌昔が剥き出しにな
っている。
されけいしや あふ
下の参詣者用の建物の前に行くと、混乱している人々で溢れていた。それを汗だくにな
って神殿の人間が宥めている。
しず
「見ろ、神殿はこうした人々を鎮めることもできない。アクディス・レグィに至っては母
せいいつrよい ありさま
親を宥めるだけで精一杯という有様だ。そんな者に神官長などつとまるものか」
徴笑みはかろやかに
神殿と神官長の批判をするティファの横顔は附しかった。二人の娘達は、聞かないふ。
をしている。
けんめい がよく つ
「でも、あの人は一生懸命だよ。力不足は仕方ないけど、少なくとも我欲なしで尽くして
いるじゃないか」
参詣者達の横を抜けながら、カイルロッドはアクディス・レヴィを弁護した。嫌ってい
てきぴ
るのだろうが、ティファは手厳しすぎる。
ぷじ まじめ
「若いとか、あの母親と叔父とかのせいで嫌われているけど、真面目な人だよ」
雪の中を、伴もつれずに一人でやってきた青年の姿を思い出しながら、カイルロッドが
言うと、
「王子はなにも知らないから、そんなことが言えるのだ!」
お だま
鋭い声がかえってきた。その迫力に圧され、カイルロッドが黙っていると、ティファは
Hソゆうぴ さかど
柳眉を逆立てた。
いぼてい
「あんな、あんな奴がトパック様の異母弟だなんてー」
「異母弟P」
こぷしふる ひとみ
カイルロッドは驚いてティファを見た。黒い肌の美女は拳を震わせている。黒い瞳から
lまのおふ
は炎が噴きこぼれそうだった。
「エル・トパックとアクディス・レヴィが兄弟 」
信じきれず、カイルロッドは確認するように娘達を見た。二人の娘はためらいがちに頴
いた。
「あの二人が 」
なつとく
似ていないのは母親が違うせいだろう。だが、驚いた反面、納得もできた。アクディ
みよう
ス・レヴィが妙にエル・トパックにつっかかっていたのも、ゼノドロスが彼を必要以上に
1、 ... ・.・一
冒の仇にする理由も。そして、キアラのエル・トパックに対する凄まじい憎悪も。
けルけい、てい
「賢兄愚弟というやつだ。アクディス・レヴィなど、人望でも能力でもトパック様の足元
およ ばか
にも及ばない。それだけならまだしも、馬鹿な母親に振り回され、どうしようもない叔父
に利用されるような愚か者だ。愚か者のくせに、トパック様を目の仇にしおってー」
つめ
足元の雪を蹴り、ティファが坤いた。
「俺は兄弟がいないから、よくわからないけど もし俺にエル・トパックみたいにでき
つら
る兄がいたら、辛いかもしれないな」
つやま
人望も厚く、誰からも敬われる兄、それに対して肩書きを金で買ったと言われる弟。エ
しっしL お
ル・トパックに対するアクディス・レヴィの嫉妬や負い目が、カイルロッドにもわかるよ
うな気がした。
微笑みはかろやかに
「でも、エル・トパックはアクディス・レヴィのことを憎んでいないようだけど」
ぎよちし つぷや
すぐそこに見えてきたロワジーの家を凝視しながら、カイルロッドがポッンと呟くと、
ティファは表情を曇らせた。
「アクディス・レヴィのことも、あの女のことも憎んでなどおられない。あれほどひどい
目にあったというのに」
むしろそれが痛ましいと、ティファは伏し目がちに言った。
「異母兄弟か」
か′ヽしつ
アクディス・レヴィとエル・トパックの間にどんな確執があるのか、カイルロッドは知
いだ
らない。しかし、カイルロッドは二人に好感を抱いているので、できることなら仲良くし
てほしいと思った。
けつかい じやつかん
結界で守られていたとはいえ、地震によってロワジーの家である離れの様子も若干変わ
っていた。
「木が倒れているな」
あご
周。を見回し、カイルロッドは顎に手をあてた。雪の重さと地震によって、枝が折れた
みき だいじようぷ
り、幹が倒れたりしている。ロワジ1は大丈夫だと笑っていたが、こうなるとメディーナ
のことが心配だった。折り重なるようにして倒れている木を避けながら、カイルロッド達
は家に向かった。
「メディーナ!」
とぴら
名前を呼んで扉を開け、カイルロッドは足早に室内に入った。すると、そこにはメディ
ーナだけでなく、黒髪の大男がいた。
「思ったより早く戻ってきたじゃねぇか」
テーブルについていたイルターナフが、グラスを片手に笑った。カイルロッドにとって
その笑顔は、雲の間から見える光のようだった。
「イルダーナフー」
なつ
「懐かしそうな声を出すんじゃねぇよ、気色悪い」
あんど いか
笑っているイルダーナフを見て安堵したカイルロッドだが、それはすぐに軽い怒りに変
化した。イルダーナフが神殿関係者であるということを思い出したからだ。
「イルダーナフー 昼間から洒なんか飲んでる場合じゃないだろうー 今までどこでなに
をしていたんだよ! あんた、神殿関係者だったんだってけ ひどいじゃないか、黙って
いるなんてー」
もんく
ここぞとばかりにカイルロッドが文句を並べると、「メディーナの次は王子かよ」と、
イルダーナフは肩をすくめた。
「文句ならぜひ私も言いたい」
遅れて入ってきたティファが硬い芦で言った。その後ろから、ためらいがちに娘達がや
ってきた。
「その人達はっ」
娘達に目をやりながら、メティーナ。どう説明したものかと、カイルロッドが 「えー
と」と唸っていると、
1
「ロワジ1様が身柄を預かることになった」
ティファが手早くかいつまんで、事情を説明した。
まゆ
事情を聞いて、メディーナは眉をひそめ、イルダーナフは皮肉っぼく口の端を上げた。
だが、二人ともロに出してはなにも言わなかった。
メディーナは娘達に食事を勧めたが、食欲がないらしく、ひとまず奥の部屋で休ませる
ことにした。
「まったく、神殿にはろくな奴がいない。あの女といい、きさまといい 。こんなのば
一4はい
かりだから神殿が腐敗するのだ」
娘達をつれてメディーナが奥へ行ったのを確かめると、待っていたようにティファが毒
23 微笑みほかろやかに
ののし
づいた。さすがに娘の前では罵れないと思ったようだ。
「えれぇ言われ方だな。平和が続きすぎると、なんでも腐敗するもんだぜ」
かろ
空になっ七グラスを逆さにしながら、イルダーナフは薄く笑った。飲ませてくれたはい
いが、メディーナに一杯だけと言われてしまったそうだ。
はけもの
「でも、もう平和じゃない。見ただろう、あの化物。ここは聖地らしいけど、あんな物が
入。こむようじゃ・⊥
そこでカイルロッドは言葉を止めた。「聖地も終わ。だ」、そんな言葉が出かかっていた。
だが、必死になって聖地と人々を守ろうとしているアクディス・レヴィやエル・トパック
のことを考えると、とても日には出せなかった。
「ああ、見ていたぜ、王子。セリの力を借りちゃいたが、よくあの魔物を倒したじゃねぇ
か」
空のグラスの緑を指でなぞ。ながら、イルダーナフが白い歯を見せた。珍しく誉められ
・・.1−
たのだが、カイルロッドは素直に喜べない。
・・ .
「すぐ後に、なにか言うぞ。闘い方がなってないとか、その程度で有頂天になるなとか」
悲しい習性で身構えていたが、意表をついてイルダーナフはなにも言わなかった。
ドきみ
「なんか、不気味だ・…」
めつた
滅多に他人を誉めない相手に誉められることが、これほど心の落ち着かないものだった
とは思わなかった。カイルロッドが複雑な表情をしていると、
「セリ様を知っているんだな、イルダーナフ。ということは、ウルト・ヒケウ様を知って
いるということだ」
とが
自分の腰に両手をあて、蜜めるようにティファが言った。
おやじ ぐつぜん
「三〇年前、親父とウルト・ヒケウ様が神殿を出たのは、偶然などではないようだな」
戻ってきたメディーナの言葉に、「またその話題かよ」と、イルダーナフは因ったよう
おもも
な面持ちでグラスをいじくっている。「あのイルダーナフがやりこめられている」、カイル
ロッドは目を丸くして、世にも珍しい光景を見つめていた。
「そろそろ観念したらどうだ、親父っ」
lまはえ
養父の手からグラスを取り、メディーナが微笑んだ。「ひでぇ娘を持ったもんだ」とイ
ルダーナフはぼやき、それから少し厳しい表情になった。
「ま、いつまでも隠しておけることじゃねぇ。ロワジ1が口伝を教える暗、おまえ達の疑
問に答えてやる。だから、それまで待てや。もう長いことじゃねぇ」
決戦を前にしたような、そんな緊張感がイルダーナフから感じられ、カイルロッドは念
ごまか
を押さなかった。いつも口先で誤魔化されているが、それとは違う。ただならぬものを感
25 微笑みはかろやかに
じとったのか、メディーナもティファも黙っていた。
「もうすぐだ」
ひじ
テーブルに肘をついたイルダーナフの顔には、どこかホッとしたような、重い荷の一部
あんど
をおろすような安堵があった。
5
満天の星だった。
カイルロッドは外に出て、白い息を吐きながら星空を見上げていた。雲のない夜空など
何日ぶ。だろうか。
「こんなに星を見たのは久しぶ。だ」
つれ
それが嬉しくて夜空を見上げていると、
すいきよ1ノ
「この寒いのに、粋狂な奴だな」
斜め後ろからイルダーナフの声がした。カイルロッドが振。返ると、すぐ近くにイルダ
ーナフが立っていた。例によって、足音も気配もなかった。
「どういう歩き方をしてるんだろう」
セリ達のように宙に浮いているんじゃないかとも思ったが、残。雪の上には足跡があっ
た。カイルロッドが首をひねっていると、
おお はけもの
「明日になりや、また雲に覆われちまうだろうな。異常気象は、鳥だかエイみてぇな化物
Lわぎ
の仕業じゃねぇからな」
あお
空を仰ぎ、イルダーナフが言った。青い空もこの星々も、今日一日だけだと言う。明白
カんき きば む
からはまた寒気が牙を剥くのだ、と。
「でも ・すぐにまた、青空や満天の星を見られるよね」
同意を期待したカイルロッドだが、
やろう
「おまえさんがあの野郎に勝てばな」
イルダーナフはのってくれなかった。さらりと重いことを言われ、カイルロッドは近く
チさ ひたh
の木の幹に額を押しっけた。
「イルダーナフ。酒を飲ませてもらえないからって、俺に八つ当たりしてるだろう 。
俺にわざと重圧をかけてるんだ。そうだ、そうに決まっている」
つめ か
カリカリと幹を爪で引っ掻いていると、イルダーナフが「やめんか、鬱陶しい」と言っ
て、カイルロッドの髪を引っ張った。
「痛いじゃないかー 引っ張るなよー」
にじ
「髪を引っ張られたぐらいで、目に涙を渉ませるんじゃねぇよ。まったく、こんな奴が強
27 徴笑みはかろやかに
敵なんだから、魔物達も驚いているぜ」
・ . ・1、
木から離れて怒鳴ったカイルロッドに、イルダーナフが呆れたような視線を向けた。
「引っ張られたくらいって言うけど、痛いんだぞ」
引っ張られた髪をいじくりながら、
−′つらよく
「イルダーナフ、率直に答えてもらいたいんだけど。俺、本当に強くなったのかな?」
Zlげん
カイルロッドが小声でためらうように亭っと、イルターナフは怪訝そうに太い眉を動か
した。
「なんだ、突然」
たたか
「あの魔物、フェムトつていってたけど。フェムトと闘っていた時、最初のうち力が出な
かったんだ。俺は加減したつも。がないのに。ムルトの時もそうだった。許せないと思っ
ているのに、力が出ないんだ」
カイルロッドは昼間のことを思い出していた。本当は魔物でも殺したくないのだ。どん
せいぎよ
なに憎くても、力を使って傷つけたくない。そんな気持ちが、無意識のうちに力を制御し
ているのではないか。
「多分俺は、自分の力を恐れているんだ。だからこ ⊥
あいはん かつとう
強くなる力、それを恐れる心1相反するものの葛藤がある。
「フェムトと闘っていて、思ったんだ。力が強くなった分、心も強くならなくちゃいけな
やさし
いと。それも人間の心のままでだ。けど、それは貰うほど容易いことじゃない」
カイルロッドは一息つき、
「俺、セリの力を借りてフェムトを倒したけど・。その前に、フェムトの心理攻撃に二
.こノ 一.し
回も引っかかったんだ。ミランシャの姿と、父の声音を真似られて、簡単に引っかけられ
た」
低く畔いた。不安定な力と不安定な心、それに振り回されて自分を見失うことはないだ
ろうか。
「こんなふうで、実父に勝てるのか、不安なんだ 」
イルダ1づフは黙って聞いていたが、やがてロを開いた。
「おまえさんは強くなっているぜ。だが、性格の方はなぁ。ま、そういう性格なんだから、
仕方ねぇな」
あっさり言われ、カイルロッドは幹に頭をぶつけた。
「 イルダーナフ。俺、真剣に悩んでいるんだけど」
むだ
「時間と思考の無駄だ。どう悩んでも、おまえさんは変わらねぇよ」
、
微笑みはかろやかに
ぱか
悩んでいるのが馬鹿らしくなるような、あっけらかんとした口調に、カイルロッドは相
まちが こうかい
談する相手を間違えたと後悔した。
「なんでもできる男には、俺の気持ちなんかわからないんだ」
ぶつけた箇所をさすっていると、
「なんでもできる奴なんかいるかよ」
イルダーナフがせせら笑った。
「あんたの名前だろ。似合っているじゃないか。あんたはなんでもできる」
ねた とげとげ
なんだか嫉ましくなって、カイルロッドは刺々しい声で言った。「イルダーナフはどん
なことにも振。回されず、自分を見失わず、いつも自信に溢れているじゃないか」、自分
とはあま。に違う。人間としての差が、カイルロッドにはなんともやりきれない。
「俺もなんでもできるような人間にな。たい。イルダーナフのようにな。たい」
寒さと泣きたい気持ちとで、鼻の奥が痛くなった。鼻をこす。ながら何回も「イルダ1
つぷや
ナフのようにな。たい」と呟いていると、
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
ため息のようにイルダーナフが言った。
「俺は俺、王子は王子だ。それに言っただろう、なんでもできる人間なんかいやしねぇん
だよ」
せいかん にが
ぼやけて見えるイルダーナフの精悍な顔を、苦いものがよぎった。
「もっとも、俺も若い頃はそう思っていなかったがね。自分より強え奴はいねえ、できね
ぇことはねえってな」
じちよう ゆが
過去の自分を自嘲するように、イルダーナフは口を大きく歪めた。
わかpう
「イルダーナフなんてあだ名をつけられ、若造の時はいい気になっていた。だが、神殿を
はねふ
出て、てめぇの思い上がりを知らされた。なにもできないのだと、無力であることが骨身
にしみた」
白い息を吐くイルダーナフを、カイルロッドは見つめていた。この男ですら、自分を無
力だと言う。できないことはなにもないような、無敵にも等しく思えるイルターナフです
ンわー1−−
一・だから、そのあだ名を使っているのかフ」
「本名を忘れちまったもんでね」
じかい
おどけていたが、自戒と自嘲をこめてイルダーナフと名乗っているのだと、カイルロッ
ドにはわかった。
「ところで、誰から名前の意味を聞いた?」
微笑みはかろやかに
両手をこす。ながら、イルダーナフ。問われ、カイルロッドはアクディス・レウィの名
前を出した。
「ふざけた名前の男だって、怒ってたよ」
「ああ、あの坊やか」
思い出したというように、イルダーナフが指を鳴らした。どうして知っているのかと訊
くと、イルダーナフは笑いながら、会議の場に乗。込んだ時、満座でアクディス・レヴィ
ひたい
を「坊や」呼ばわりしたと言った。それを聞いてカイルロッドは額に手をあてた。
「 そ。や、怒るよ。自尊心の強い人だもの」
会議の様子が目に見えるようだ、とカイルロッドは思った。
いば おじ ばか すげ
「能無しのくせに威張っているっていうじゃねぇか。叔父は馬鹿で、母親は凄えみてぇだ
し」
あご な
イルダーナフは顎を撫でた。
まじめ こくひよう いや
「そうだけど 。あの人、真面目な人だよ。ティファなんか酷評するけど、そんなに妹
な人じゃない」
木々の問から神殿の明か。を見つけ、カイルロッドは呟いた。エル・トパックやロワジ
いそが
一、三つ子はまだ帰ってこない。あの建物の中で忙しく働いているのだ。そしてそこには
アクディス・レヴィもいる。
いぼけい かたき
「しかも、異母兄のエル・トパックを目の仇にしていると聞いたがね」
「よく知ってるなー」
じごくみみ
カイルロッドが目をみはると、イルダーナフは「俺は地獄耳でな」と笑った。それから
「ロワジーから聞いた話だが」と前置きして、エル・トパックのことを教えてくれた。
エル・トパックとアクディス・レヴィの父親はコルネーリアという神官で、一〇年前に
病死している。これといってどうということのない男だったらしいが、キアラにのぞまれ
て結婚したそうだ。
「ええと、それじゃ、エル・トパックは愛人の子になるよね。でも、年齢はエル・トパッ
クの方が上だろうフ ひどい人だな、そのコルネーリアって」
みたまた
婚約者に逃げられっ放しだったカイルロッドにしてみれば、二股かけたとしか思えない
男には許せないものを感じる。「俺なんか恋人の一人もいなかったのに」、しみじみと呟く
と、イルダーナフが吹き出した。
「情けねぇな、王子」
「どうせ俺はイルダーナフと違って、女の子にもてないよー」
「だろうな。おっと、まぁ、落ち着けや。この話にゃ、おまけがついているんだからよ」
微笑みはかろやかに
イルダーナフはいわくあ。げに笑った。
実はエル・トパックの母親とコルネーリアは結婚していた。エル・トパックも生まれて、
よこれんぽ
円満な家庭だったという。それをキアラが横恋慕したのである。
つら
「見たわけじゃねぇが、コルネーリアって奴、蘭はよかったんだとさ」
ごういん きようはく
キアラは祖父の力を使って、強引に二人の結婚を無効にし、ほとんど脅迫まがいの手段
でコルネーリアと結婚したそうだ。
「凄まじいもんだねぇ」
しゆうねん
「女の執念・・…」
なつとノヽ
呟き、カイルロッドは鳥肌をたてた。キアラを知っているだけに、納得できる。
「でも、どうしてそこまで I 」
いちf
一途で激しい思いだが、狂気じみている。カイルロッドにはとても理解できなかった。
はかい
「権力を振。かざして、脅迫して、円満な家庭を破壊してまで・・こ。いくらなんでも、ひ
どいんじゃないか」
いきどお いちペつ
憤。を感じているカイルロッドを、イルダーナフは横目で一瞥し、笑った。
「男と女のことは理屈じゃねぇのさ。王子にゃ、理解できねぇだろうなぁ」
しよせん
苦笑したようだった。「所詮子供にはわからない」と言われているようで、カイルロッ
ドはムッとした。が、なにを言っても言い負かされるに決まっているので、黙ることにし
た。
「それで、エル・トパックの方はフ」
Hソこん
「ああ、夫婦ね。離婚ということになっちまったが、あくまで形式上だ。コルネーリアは
キアラの目を盗んで、エル・トパック母子のところへ通っていたらしいぜ。エル・トパッ
ごぺノとう おぶ
クの下に弟がいたっていうからな。だが、その弟と母親は強盗に襲われて死んだってよ。
あの兄ちゃんの右腕も、その時に切られたらしいぜ」
たんたん
足の下の雪を踏み固めながら、イルダーナフが淡々とした口調で言った。
・こ・ 1 −
そうぜつ
エル・トパックの壮絶な過去に、カイルロッドは声も出なかった。両親の仲を裂かれ、
果ては母親と弟、そして右腕を同時に失ったというのだ。エル・トパックの温厚な顔と、
▼くで のうり
風に揺れていた右袖が脳裏にうかんだ。
やき
「エル・トパックが優しいのは、苦しみを知っているからだ」
みが
怒りと絶望を知り、それらによって磨かれた強さだ。カイルロッドはエル・トパックに
初めて会った時のことを思い出していた。
「自分の母親が無理にエル・トパックの両親を離婚させたってこと、アクディス・レグィ
微笑みはかろやかに
135
は知っているのかなフ」
そつきん つごつ
「さて。母親が教えるとは思えねぇし、周りを側近で固めてりや、都合の悪いことは耳に
人らねぇんじゃねぇかな」
「うん・。知っていて、平然としていられるような人じゃないよ」
かじかんだ指先に、カイルロッドは息をかけた。アクディス・レウィはなにも知らない、
あるいは事実と違うことを吹き込まれているのかもしれない。あの母親と叔父だ、そう考
まちが さまぎま
えてまず間違いはない。「あの兄弟の間には、様々な行き違いがあるのだろう」、そう思う
と、カイルロッドの胸は苦しくなった。
「俺、エル・トパックもアクディス・レグィも嫌いじゃない。仲良くなってくれればいい
と思っているんだけど」
カイルロッドが言うと、
「他人の心配より、てめぇの心配をしな」
なぐ
イルダーナフに軽く頭を殴られた。
「殴らなくたっていいじゃないかー」
どな からだ
頭をおさえて怒鳴ると、イルダーナフは聞こえないふりをして、「身体が冷えらまった」
などと言いながら、家の方に行ってしまった。
「まったく、乱暴なんだから」
ぶつくさ言っていると、風が吹いて雪の粉を舞いあげた。それが月の光で白く光る。
「上から見れば箱庭なのに」
顔の前をなびいた髪が透けて、銀色の糸のようだった。
うずま しつと おもわく
地上では様々な感情が渦巻いている。嫉妬、憎しみ、悲しみ。そして、それぞれの思惑
に振り回される人間達が急いている。
なlこrf
カイルロッドが何気なく見ると、神殿の明かりが少し減っていた。
微笑みはかろやかに
三章 宝膵らぬもの》との対話
カイルロッドはう、とうとしていた。眠。が浅く、半分起きているような状態だったので、
夜が明けたのはわかった。だが、それにしても窓の外がひどく明るい。
「快晴なのかな」
まぷた おつくう
起きて窓の外を見ようと思ったが、瞼が重くて開かない。そうなると起きるのも億劫に
なった。
「いいか、もう少し寝ていよう」
きみよう けはい
まどろみを楽しみながら寝返。をうち、ふいにカイルロッドは奇妙な気配を感じた。殺
意や敵意ではない。しかし −。
「なんだlフ」
からだ はで
考えるよ。先に身体が動き・・・カイルロッドは派手な音をたてて、ベッドから落ちた。
「い、痛い 」
背中をしたたかに打ち、痛みに顔をしかめながらカイルロッドが目を開けると、
「あら、避けられちゃった」
「せっかく、起こしてさしあげようと思ったのに。残念ですわ」
「・・・痛そう…・」
のp
宙に浮いている三人が上から覗きこみ、クスクス笑っていた。
おれ
「……寝ている俺の上に、勢いよく飛び乗ろうとしたんだろう」
ゆか ころ みlヰ′ん しわ
床に転がったまま、カイルロッドが眉間に敏を寄せて唸ると、三人は「大当たり」と拍
しゆ
手した。
「でも、気づかれちゃいましたわね。残念ですわ」
すわ
浮いていたアリユセが、ベッドの上にちょこんと座った。続いてリリア、セリもベッド
の上に座りこんだ。
「 本当にこの人達、俺より年上なんだろうか?」
じゆうめん
やることがいちいち子供じみている。渋面でカイルロッドは起き上がり、窓の外を見た。
ひどく明るく見えたので、快晴ではないかと期待していたのだが、空はどんよりと曇って
いた。
ねぽ
「寝呆けていたのか」
カイルロッドはがっかりした。しかし、雪が降っていないだけましだろう。
おユ
「それにしても。男の寝込みを襲うなんて、良識ある女性のすることじゃないと思います
けどね」
ふきげん
いきなり起こされ、カイルロッドが不機嫌に言うと、
「そんなに怒らないでよ。罪のない子供の遊びなんだから」
しれっとした表情でリリアが言った。
つごう
「都合のいい時だけ、子供にならないでくださいー」
カイルロッドが大きな声を出すと、
「えーフ あたし、一〇歳だからなにもわかんない」
「あたしも」
− I.H
口元に擦った両手をあて、リリアとアリユセが白々しく子供の真似をした。明らかにか
らかわれている。
「白々しいにもほどがあるー一〇歳のわけがないだろうがっ−」
・ ・1
カイルロッドが怒鳴ると、「キャー、お兄ちゃんが怒った」と笑いながら、リリアとア
リユセがベッドの上に浮かび、
微笑みはかろやかに
みりよく
「短気な男は魅力が半減するわよ」
とのがた ちんちやくれいせい
「やは。殿方は沈着冷静が魅力的ですわ」
勝手なことを言って、そのまま部屋の外へ出ていった。
とぽ
「どうせ俺は短気で、魅力に乏しい男ですよ!」
とぴら うな
閉じた扉に向かってカイルロッドが唸ると、一人残っていたセリが「あたし達、王子に
用があるの」と、消えそうな声で言った。
「用事フ」
つなず
息をきらしながらベッドの方を向くと、セリは小さく頴いた。
「用事があるなら、最初からそう言えばいいのにー ベッドの下に落とされるわ、魅力が
ないと言われるわ。まったく 」
おおどしま
外見は少女でも中身は大年増だけあって、口のへらないことおびただしい。「イルダー
ナフの次はウルト・ヒケウにからかわれるんだからな」、カイルロッドが心の中で唸って
いると、
「こ・怒った 。王子が怒った・…・」
・.じl
セリが∃を潤ませていた。今にも泣きだされそうになり、狼狽したカイルロッドは意味
もなく両手を動かしながら、「怒ってないよ」と繰。返した。
「 本当に怒ってないフ」
にぎ
毛布を鮭りしめたセリに、カイルロッドは「怒ってない」と答えた。どう見ても子供の
仕草だ。リリアやアリユセとは別の意味で、本当に年上かと疑問を感じる。
「それで、セリ。用件ってなに?」
なんとか本題に入り、カイルロッドはセリの隣りに腰かけた。
たの
「あのね。ある場所に王子を案内するよう、イルダーナフ様から頼まれたの」
っわめづか
上目遣いにカイルロッドを見ながら、セリが言った。
「・・ ・」
ひぎ ひじ だま あご
カイルロッドは膝の上に肘をつき、黙って手の上に顎をのせた。イルダーナフからと聞
いて、それだけでなにやらろくでもないことのような気がしてきた。
「その用件、聞かなかったことにするよ、俺」
ベッドにもぐりこもうとしたが、セリに毛布をとられていた。
「セリ、毛布を返してくれない?」
頼んでみたが、セリはカイルロッドの声など聞こえないというように、話を続けた。
ちんもく むろ
「《沈黙の宴》 って言われている場所があるの。そこには宗間らぬもの》がいるの。そこ
に王子をつれて行くようにって。どうしてかっていうと、《沈黙の室》に出入りできるの
微笑みはかろやかに
143
はウルト・ヒケウと、ウルト・ヒケウが認めた者だけだからなの」
「 ・どうして、そこに行かなくちゃいけないのっ」
・て.ほく
素朴な疑問をロにして、カイルロッドはセリを見た。
「王子は完H。らぬもの》と会わなくちゃいけないの」
一気にしゃべったため、息をきらしていたが、セリは強い〓調で言った。
「その、会わなくちゃいけない理由って、どんな理由?」
「それは 会えばわかるわ」
けレゆうめん
奴ぢたような衷情でセリが言った。と。つくしまもない答えに、カイルロッドは渋面に
なった。
「ええと。じゃあ、その宗膵らぬもの》 ってなに?」
別の質問をしてみたが、
「《語らぬもの》よ」
まったく答えになっていなかった。口止めされているのか、それとも本当に答えられな
いのか。どちらにせよ、カイルロッドは《沈黙の室》 へ行って、芸皿らぬもの》に会わな
くてはならないらしい。
しんでん
「理由も目的もわからず、いつもいきな。動かされるんだからな。神殿関係者ってどうし
て皆、秘密主義なんだろう」
カイルロッドがげんなりしていると、
いや
「…嫌なのフ 行きたくないの? どうしても嫌なの?」
きようはく
セリが両目を潤ませていた。脅迫じみた泣き落としとわかっていても、泣かれると弱い
カイルロッドだった。
「行くよ、行きます」
早口に言い、カイルロッドは大きくため息をついた。どのみち、嫌だと言って抵抗した
ところで、その《沈黙の室妙に引きずられて行くに違いない。かしましいウルト・ヒケウ
とイルダーナフを相手に、カイルロッドの意志など通るはずもない。
「それじゃ、早く行きましょう」
とぴら
毛布を離したセリが浮かび、扉を開けた。カイルロッドは仕方なさそうに腰をあげた。
「その前に着替えるから」
そう言うと、セリはそそっと部屋の外に出た。カイルロッドは手早く着替えながら、
あわ
「慌ただしいなぁ」、心の中でぼやいた。
扉を開けると、セリが待っていた。
「お待たせ」
微笑みはかろやかに
145
ねぐせ な いつしよ
カイルロッドは寝癖のついた髪を撫でながら、セリと一緒に食堂に行った。
食堂に入ると、
「聞いたぜ、王子。いけねぇな、お兄ちゃんが小さな子をいじめちゃあ」
テーブルについているイルダーナフが笑った。その横に、リリアとアリユセが浮いてい
もど
る。ティファは、夜明け前に神殿に戻っていったそうだ。少し離れた場所ではメディーナ
がなにやら作っている。
「まったく。朝から皆で俺をからかって。遊んでるだろ」
む
一一旨いながら、カイルロッドはなんの気なしにテーブルの上を見て、目を剥いた。
「あーつ=」
かたみ
テーブルの上には、フィリオリの形見の指輪が置いてあった。
「ずっと預かっていたが、返すぜ」
イルダーナフが指輪を人差し指でつっ突いた。
「イルダーナフに預けたままだったんだ」
色々あって、返してもらうのをうっか。忘れていた。「よかった、酒代に売。飛ばされ
てなかったー」、指輪をとろうとして、カイルロッドは手を止めた。
「どうしたっ」
きわ
「いや。触って、平気かなと思って」
手にすることにためらいと不安があった。
ぞ7でつし
「熱いのかな」、指輪を凝視しながら考えこんでいると、イルダーナフが指輪をつまみ、
指で上に弾いた。
「わわっt」
弧を措いて落ちてきた指輪の下に、カイルロッドは手を出した。指輪が手の平に落ち、
かんしよヽ Jしぎ
金属の冷たい感触にカイルロッドはホッとした。そして不思議に思った。「この指輪、ど
きいく
うなっているんだっ」、なにか細工があるのだろうか。手の平の上で転がしていると、
「それじゃ、確かに返したぜ。これ以上持っていると、酒代にしちまいそうだからよ」
イルダーナフの澄ました声がした。
あつか
「今までどうも。でも、乱暴に扱わないでくれっー」
カイルロッドは指輪を握りしめた。それから落とさないよう、ズボンのポケットにしま
っていると、イルダーナフが軽い調子でこう言った。
「ところで、三人から話は聞いたなフ 今から行ってこいや」
「ええ、今すぐけ 俺、起きたぽっかりなんだぜP.」
朝食ぐらい食べさせろとカイルロッドが抗議すると、
7 微笑みはかろやかに
「これを持っていけ」
かご
メディーナが口を開き、横に置いてある寵を指差した。
「それは?」
あさめし
寵を見てカイルロッドが訊くと、メディーナは「朝飯だ。詰めておいた」と言った。
「どうだい、王子。俺の娘は気が利くだろうフ」
イルダーナフが満足気に笑い、寵を手にしたりリアがはしゃいだ。
「わーい、お弁当よ!」
おい
「美味しそうですわ」
アリユセもはしゃいでいる。空を飛んでさえいなければ、子供がピクニックを前にはし
つふや
ゃいでいるような姿だ。やや離れて見ているセリも「楽しそう」とポソツと呟いた。
「そういうわけだから、安心して行ってこい。ああ、でも昼前にゃ戻ってこいよ。おそら
しよさソしゆう
く、神殿から召集がかかるはずだからよ」
イルダーナフの指示に、三つ子は声を合わせて「はい」と返事をした。
「こんなの久しぶ。じゃないフ あたし、わくわくしてきたわ」
「あたしもですわ」
「…・美味しそうなお弁当」
うれ
寵を持って室内を飛んでいるリリアとアリユセ、嬉しそうなセリを見ていたら、カイル
いや
ロッドはもう嫌だと言う気力がなくなった。
のんき きんちよう
「俺もたいがい呑気だけど こ。この緊張感のなさには感心するよ」
しろくじちふiノ
「四六時中緊張してられねぇだろ? いいんじゃねぇか」
イルダーナフものんびりと構えている。しかしそれは表面上であって、この男は常に神
経を張り詰めているのだろう。
「やっぱり俺は、イルダーナフにはかなわないんだろうなぁ」
そんなことを思っていると、リリアとアリユセに両腕を引っ張られた。
「王子、早く行きましょう」
「行きましょう」
「…・行きましょう」
せ
セリは下からカイルロッドの服の裾を引っ張った。聞き分けのない子供に急かされてい
るようだ。
「早く、早く」
「はいはい。すぐ行くから、引っ張らないでくれ」
とぴら
カイルロッドがほとんど子守気分で扉に行くと、後ろからイルダーナフの声がした。
微笑みはかろやかに
けが
「怪我をしないようにな」
「えフ」
振り返ると、イルダーナフが笑いながら手を振っていた。
「嫌な笑い方 」
いだ
ろくでもないことが待っているのは、ほぼ間違いない。確信を抱きながら、カイルロッ
ドは三人のウルト・ヒケウに案内され、《沈黙の室》 へ向かった。
ノ、ちげる ゆが
扉が閉まり、三つ子とカイルロッドが出て行くと、メディーナは唇をわずかに歪め、
「親父、今度は王子をどうするつもりだ?」
イルダーナフに視線を投げつけた。
「おいおい、人ぎきの悪いことを言うなよ」
とが くちよプ
娘の替める口調に、心外だというようにイルダーナフは苦笑した。
かノ1
「人ぎきが悪いどころか、親父は人が悪い。ここまできて、まだ正体を隠しているのだか
らな」
早口に一言い、メディーナはイルダーナフの前に行った。
「《沈黙の宴》については、どうせ訊いても答えてくれないだろうから、質問しない。だ
こんきよ
が、神殿から召集がかかると言うのは、なにか根拠があるのかっ」
うなヂ
問うと、イルダーナフは「ある」と領き、
くでん
「ロワジーが中断された会議を開けと言い出すはずだ。口伝を教えるとな。短気なあの神
官長なら、すぐに召集をかけるだろうぜ」
アクディス・レヴィのことを思い出したのか、黒い目が笑った。それを聞いてメディー
なつとく しゆフげき
ナは納得した。魔物の襲撃によって、会議がつぶれたことは聞いていた。
「あの神官長、口伝を教えてくれと単身でやってきたぐらいだからな。なるほど、ロワジ
みな
ー様が教えると言えば、すぐに皆を呼び出すだろう」
メディーナはアクディス・レグィの能力は知らないが、その熱意は評価していた。
「口伝は、タジェナに封じられていたものを、再び封じる方法だとか」
つぷや
雪の日にアクディス・レグィが言っていたことを思い出し、メディーナが呟くと、
「そんなもんがあったら、とっくにやってるぜ」
おか
イルダーナフがさも可笑しそうに声をたてて笑った。その様子でメディーナは確信した。
イルダーナフは口伝を知っている、と。
「親父、口伝を知っているんだな」
ひじ ちんもく
強い口調で追及すると、イルダーナフはテーブルに片肘をつき、そのまま沈黙した。
51 微笑みはかろやかに
まどわく
風に窓枠がガタガタと鳴った。
「口伝を教えるってことは、ここを・フェルハーン大神殿を捨てなきゃならねぇ時がき
たってことだ」
どくはく ことば いつしゆん
さら。と、独白のようにイルダーナフ。思いがけない養父の言葉に、メディーナは一瞬
息を飲んだ。
・.、
「どういう事だ? 捨てて・・なんとかなるのかフ 結界が弱まっているとはいえ、神殿
はまだ魔物の侵入を防げる。救いを求めてきた大勢の人々だっている。そうした人々はど
うなる?」
ぱつこ
異常気象と蚊鹿する魔物達、どの国も漉乱している。いまや地上ではフェルハーン大神
殿が、もっとも安全な場所であることは疑いようもない。それを捨てると聞けば、メディ
おどろ
1ナでなくとも驚くだろう。
ふせき
「おまえの不安はもっともだ。だがな、この時のために、布石はうっておいた。俺を信じ
ろ」
不安を隠せないメディーナに、イルダーナフは不敵な笑みを見せた。それを見て、メデ
しお ぽり えたい
ィーナの不安は潮のように引いていった。大法螺吹きで、口が達者で、得体が知れない。
それなのにイルダーナフに「信じろ」と言われたら、素直に信じられるのだ。
「親父にはかなわんな」
メディーナは表情をやわらげた。
「話の続きは、会議の席で聞かせてもらおう。会議にはわたしも出席させてもらう。化け
の皮がはがれた親父の正体を、ぜひとも見たい」
おおlァさ てんじようあお
笑いかけると、イルダーナフは「おっかねぇ娘だぜ」と、大袈裟に天井を仰いだ。
2
やみ
闇が広がっている。
深く濃い闇だ。
しっこ、 ぬ
音もなく、風もない。時間さえもこの漆黒の中に塗りこめられているようだ。
「あのー、どこまで行くんですフ」
かペ
壁らしき物に手をつき、カイルロッドが小声でl一一一号っと、
「まだよ。もうへばったのっ.だらしないわね」
前方の闇からリリアの声がはねかえってきた。
「そんなこと言ったって。一時間以上は歩いてますよ。朝飯も食べてないのに」
われ
カイルロッドは我ながら情けない声だと思ったが、空腹のあまり、腹の皮と背中の皮が
微笑みはかろやかに
くっつきそうだった。
「目的地についたら食べさせてあげますわ」
むじよぅ ひび かこ
アリユセの声に無情の響きを感じたのは、カイルロッドの気のせいだろうか。「俺が寵
を持てばよかった」、そうすれば歩きながら食べられたのだと、カイルロッドはそんな後
かい
悔をしながら、
「少し休みましょうよ。三人は浮いているけど、俺は歩いているんですよ」
きゆトノけい ごと
休憩を提案した。が、返事はなかった。泣き言を聞く耳はもたないということらしい。
「こんなに大変だなんて、思ってもいなかった 」
できごと
一時間ほど前の出来事を回想しながら、カイルロッドはと。あえず足だけは動かしてい
た。
離れを出て、三つ子に案内されるがままに歩いていたら、本殿の反対側に出ていた。特
おお
になにもない荒地で、少し前は緑に覆われていた野原だったらしい。
「なにもないけど」
じゆ
風が渡っていくだけの場所でカイルロッドがぽんや。していると、ウルト・ヒケウは呪
もん とな
文を唱え出した。
あ こうきしん
呪文とともに、なにもなかった荒地の真ん中に黒い穴が口を開けた。好奇心でカイルロ
のぞ
ッドが覗きこんだが、底は見えなかった。真っ暗で、深いことだけはわかった。
「さっきまでなにもなかったのに」
緑に立っていると、
「ううん。この入り口はずっとここにあったわ。ただ、あると思わないから見えないの
よ」
わかるような、わからないようなことを言い、リリアはふわりと浮いて降りていった。
アリユセが続き、最後のセリが手招きしてくれたので、カイルロッドも思いきって入った、
のだが。
「飛べる人はいいよな」
カイルロッドは腰をさすった。三人があんまり簡単に入ったから、自分も簡単だと思っ
まちが
ていたのが大きな間違いだった。
「階段のない坂になっているって、最初に教えてくれればいいのに」
いきお すペ
それと知らずに勢いよく飛び降りたものだから、カイルロッドは足を滑らせ、腰を打つ
lまめ
羽目になった。せめてもの救いは、下まで転げ落ちなかったということだろう。
「おまけに手探りときたもんだ」
やみ
闇の中、それも滑りやすい坂道を手探りで足場を探しながら、降りていかなくてはなら
ないのである。三人は浮いているから、滑ったり転んだりしなくてすむが、カイルロッド
むぎん
は無残だった。
かつこう こわ
「外に出て、自分の格好を見るのが恐いぜ」
そ、り′なん
きっと、どこぞで遭難していたような姿になっているに違いない。イルダーナフが見た
ら大笑いするだろう。
たいまつ
「松明ぐらい持ってくるんだった」
か
手探りで進みながら、カイルロッドは自分の準備の甘さを噛みしめていた。
しっこノ1
漆黒の間に耐えかねて、明かりがほしいと三人に頼んだが、「自分で作りなさい」と言
われた。言われて努力してみたが、結局明かりは作れなかったというわけだ。
「明かりも作れないなんて。本当に俺って力があるんだろうか」
もはや、どれくらい下に降りたのか、どこをどう歩いているのか、カイルロッドにはさ
めい
っぱりわからなかった。しかも暗闇を奥へと進んでいるせいか、段々気持ちの方まで滅入
ってきた頃 −。
急に目の前が明るくなった。
「明かりフ・」
三人が明かりを作ったらしい。あまりに急激だったので目が慣れず、カイルロッドは何
微笑みはかろやかに
回もまばたきした。
まわ よーつす
そして目が慣れ、自分の周。の様子がわかるようになると、カイルロッドは驚いた。
そこは宴だった。
すいしよフ
四方を光る壁に覆われた室は、まるで水晶で作られたようだった。
その中央に三人が浮いていた。
みが ゆか
そして鏡のように磨かれた床には、カイルロッドや三人の姿が逆さに映っている。
「ここが《沈黙の室》フ」
頭上に浮いている三人にカイルロッドが質問すると、リリアが頭を振った。
「《沈黙の窒》はここの奥よ。王子はそこへ行き、宗川らぬもの》と対話することになるは
ず。でも、そこでは言葉を使ってはいけないの。話してはいけないの」
「 ・」
なぞなぞ
話してはいけない場所で、霊細らぬもの》と対話しろと言う。どことなく謎々じみてい
る話だ。
「言葉も使わずに、どうやって話せばいいっ そもそも、どうして俺は完mらぬもの》と
話さなくちゃいけないんだフ」
カイルロッドは疑問を口にしたが、三つ子はやは。答えてくれなかった。
「行けばわかる、か」
つJや
やれやれと呟いたカイルロッドに、リリアが決して言葉を使ってはいけないと念を押し
た。
「どうして?」
「言葉には力があるから」
さぴ むヂか まゆ
リリアが少し厳しい表情をした。難しいことを言われ、カイルロッドは眉をひそめた。
「よくわからないけど、気をつけるよ。それで、俺はどうすればいいんだフ どうやって
《沈黙の室》 へ行けばいいんだフ」
周りは光る壁で、出入りできるような場所はない。
だいじようぷ
「大丈夫。そのまま、歩いて行けばたどりつけますわ」
、.1h.
アリユセが微笑んだ。カイルロッドは「壁に激突しそうだ」と思ったが、黙っていた。
ここまできたらウルト・ヒケウを信じるしかない。
「それで、完的らぬもの》 ってどういう存在なんだフ」
「《古いもの》よ」
おこ
厳かにリリアが告げた。
の
「そこに在るというだけで力がある。そういう存在なのよ」
微笑みはかろやかに
「それ、魔物より強いのフ」
「当た。前でしょうー 少しは勉強しなさいよー」
しか にがて
叱られ、カイルロッドはうなだれた。正直にいって、こういう話は苦手なのだ。
まじめ
「こんなことなら、ダヤン・イフエの議を真面目に聞いておくんだった」
ダヤン・イフエの熱弁を右から左へと聞き流していたことを後悔していると、
「いい、王子。ここから先は王子一人よ。なにが起きても、あたし達は助けられない。そ
のことを肝に銘じておきなさい」
するど
鋭いリリアの声が反響した。その声と内容にカイルロッドは緊張を感じた。
「な、なにか起こるのフ」
「なにが起きるかなんて、わかったら苦労しないわ。とにかく、行けばわかることなんだ
から、早く行きなさいよ。昼前には帰らなくちゃいけないんだから」
せ しどしぷ
急き立てられ、カイルロッドは渋々と足を動かした。背中から「気をつけて」というセ
リの声が聞こえた。
しゆんかん
心細さを感じながら、カイルロッドは前へ進み、壁に激突すると思った瞬間、目の前で
光が爆発した。
こうすい
光の洪水だった。
さまぎま まばゐ
金や銀、様々な色の、眩いばかりの光が押し寄せてくる。
まぶたつbね
あまりの眩さに、カイルロッドはきつく目を閉じた。だが、光は除を貫いて押し寄せる。
からだ や
まるで身体の内側まで灼こうとしているような、そんな光だ。
「なんて光だ・−」
あや うめ
危うく坤きそうになったが、リリアの忠告を思い出し、カイルロッドはこらえた。
押し寄せる光、光。
身体が光に同化してしまいそうだった。段々と遠ざかっていく意識を手放すまいと、カ
けんめい
イルロッドは懸命になった。
− どれほどの時間がたったのだろうか。瞼の奥に突き刺さっていた光が消えていた。
「どうなったんだフ」
あ
カイルロッドは薄目を開き、すぐに目を開けた。
そこには光る平原があった。
きようれつ Hソんこう あわ
強烈な光ではなく、燐光のように淡く光っている。
たたか
ムルトと闘った時も、光る氷の平原に立ったが、そこよりずっと暖かい感じがした。そ
れに美しい。
61 微笑みはかろやかに
さぴ
「けれど、どこか寂しくて悲しい。美しすぎて悲しい光景だ」
胸の中で呟くと、平原の中央がゆっく。と盛り上がった。
l・ 、
けいかい
なにが起きるのか、カイルロッドが警戒している前で、それは小山ほどに盛。上がった。
そしてそれはゆっくりと形を変え、結晶のようになった。
カイルロッドの身長のゆうに三倍はある、巨大な鉱物の結晶 − 水晶に似ていた。
. 、 t
ぱうぜん
呆然として見上げていたカイルロッドだが、ふいにこの結晶に見覚えがあるような気が
した。「どこかで見たようなフ」だが、どこで見たのか思い出せない。
「どこだっただろうフ ルナンじゃないから、旅のどこかで見たはずなんだけど」
結晶の前で、懸命に思い出そうとしていると、
・.J
(これは珍しいものがきた)
声が聞こえた。耳にではなく、直接頭の中に聞こえたのだ。男でも女でもなノ\冷たく
も温かくもない無機質な声だ。カイルロッドが驚いて声の主を探すと、
(おまえの目の前にいる)
それが言った。小山ほどもある巨大な結晶が、声の主だという。
62
「これが完HRらぬもの》なのか」
ぱけもの
カイルロッドはただ感心していた。奇怪な形をした化物や、あれこれと姿形を変える魔
物などを見慣れているせいか、結晶という姿もすんなりと受け入れられる。
「なるほど。だから、こういう対話なのか」
などと心の中で感心していると、
(おまえはカイルロッドか)
完mらぬもの》が話しかけてきた。名乗る前から名前を呼ばれ、カイルロッドが驚いてい
ると、
(驚くにはおよばない。おまえの考えていることを読んだだけだ)
いつしぬん
《語らぬもの》が言った。カイルロッドの顔から一瞬血の計がひいたが、すぐにあがった。
「対話の仕方はわかったが、頭の中を勝手に見るというのは失礼ですよー」
言葉にして非難したいのをこらえながら、カイルロッドが頭の中でそう言うと、結晶の
表面がかすかに揺れた。笑ったらしい。
(失礼か。なるほど。しかし、これほど考えていることを隠さない者も珍しい)
つつね
つまり考えていることが筒抜けと言われたわけだが、考えていることをどうやって陳し
たらいいのか、カイルロッドにはその方法がまったくわからない。
微笑みはかろやかに
「・・どうやって隠せばいいんだっ」
カイルロッドが苦悩していると、
(して、なんの用だフ)
じよっご
l叩らぬもの》が話を切り出した。笑い上戸なのか、まだ表面が揺れている。
用件はなんだと切。出され、カイルロッドは困ってしまった。
「知りたいのは俺の方だ」
ごういん
わけもわからないまま、イルダーナフの命令をうけたウルト・ヒケウに、強引につれて
こられただけなのだから。「どう説明すればいいのか」、カイルロッドが弱り果てていると、
(ウルト・ヒケウも人が悪い。わたしに試させようとしているな)
笑いをおさめ、《語らぬもの》がやれやれというように言った。言葉にする前の考えを
読んでいる。説明に困った時は便利かもしれない。
「あの一、試すって?」
のうhリ
出かける前のイルダーナフの言葉が不安となって、脳裏をかすめた。
「ゲオルディ様の時みたいに、ここでしごかれるんだろうかフ」
こうや
荒野での特訓を思い出して恐々としていると、
(試すのは力ではなく、おまえの本質だ)
感情のない声が戻ってきた。
「本質っ」
どういうことか、カイルロッドにはわからない。首をひねっていると、
(簡単なことだ。おまえが人か、魔物か、それとも違うものか。その判断をわたしにさせ
ようというだけだ)
結晶の表面を光がはしった。lmらぬもの》の発言にカイルロッドは息が止まるほど驚
き、すぐに怒りがこみあげた。
「俺が魔物lフ なにを考えているんだ、イルダーナフも三人もl L
あや
と怒鳴りかけ、大きく息を吸ったところで、片手で慌てて口をおさえた。危うく声に出
してしまうところだった。
じっげ
「頭にきたぞー 実父がどうであれ、俺は人間だ「」
すデ
あんな涼しい顔をしていながら、イルターナフも三つ子もカイルロッドが人間かどうか、
疑っていたのだ。「俺は人間だぞー」、寝不足と空腹も手伝って、怒りと嘆きでカイルロッ
ドの思考はぐちゃぐちゃになった。
「人か魔物か、違うものかなんて 」
てひど
イルダーナフや三つ子に、手酷く裏切られた気分だった。そうなると怒りより、悲しみ
用5 微笑みはかろやかに
の方が大きくなった。
あつか
「他の人はともかく 。イルダーナフ達にまで人間扱いされていなかったのか」
悲しくて情けなくて、涙が出た。このまま大声で泣きたい気持ちになったが、みっとも
・
ないと思い、カイルロッドが服の袖で拭っていると、
(なるほど。これではウルト・ヒケウが迷うのも無理はない。中身はまるっき。人間だか
らな)
あき
どこかに呆れを含んだ完rrHらぬもの》 の声が聞こえた。
「俺は 人間だ」
目をこすりながら考えると、はっきりとした否定が返ってきた。
(それは違う。おまえは人間でも魔物でもない。まったく別のものだ)
《語らぬもの〉の声がいやに大きく感じられ、カイルロッドは顔をしかめた。
3
11けん
人間でも魔物でもない別のものと言われ、カイルロッドは怪訝な顔をした。
「そんな馬鹿な 」
つぷや
心の中で呟いた。まだ魔物と言われた万がましだったような気がする。
(信じられないかもしれないが、おまえの本質は別のものだ。強いて言うなら《古いも
の》 に近い)
カイルロッドの動揺を無視し、《語らぬもの》は説明を続ける。
(《古いもの》に似て異なるものだ。これまでおまえのような存在はなかったから《新し
いもの》というべきやもしれん。わかることはどんな力にも染まらず、どんなものにも動
かされないということだ)
「信じられない」
カイルロッドは大きく頭を振った。長い銀髪がパサバサに乱れたが、それどころではな
じっ。J
「だって、俺の母は人間だ。実父は どちらかというと、魔物みたいだけど。でも、俺
は人間だ」
(本質は血ではない。人間の開親を持っていても、魔物は大勢いる。わかるか、《新しい
もの》)
けつじよ さかな
感情の欠如している声が、カイルロッドの神経を逆撫でした。
「両親が関係ないのはわかった。だが、俺は《新しいもの》なんかじゃない」
あ
そんな力のあるものではないと、カイルロッドは思った。どんな力にも染まらず、在る
7 微笑みはかろやかに
だけで力のある《古いもの》に似たような存在なら、ミランシャを助けられないはずはな
かった。
「ミランシャ 」
なげ
思い出すと針で突かれたように胸が痛む。息ができなくなるような悲しみと嘆き、いつ
はが
もそれらがついてきた。いつだって自分の無力さに歯噛みをしていた。
(おまえの心は涙を流している)
それまで無色透明だった竃mらぬもの》が、結晶が薄い青に変わった。空の青を薄めた
ような、明るく、そしてどこか悲しい色だ。
(《新しいもの》であ。ながら、人間として、人間のために涙を流す)
なぜ
結晶を見ながら、カイルロッドは何故かしき。に子供の頃が思い出されていた。
まばゐ
何人もの友達と入。組んだ路地を走っていく。壁が陽光を反射し、眩いばか。の路地の
向こうでは、物売。の声が聞こえる。
大通。に飛び出すと、異国からの旅人達がいた。店の前はざわめき、人々の楽しげな声
がする。
街中を走。回り、疲れて草原に転がると、視界一面に青い空があった。
明るい空だ。
やさ さび
明るく優しいのに、ひどく寂しく感じたあの空の色。
「今の結晶の色だ」
つず
心の中でカイルロッドは呟いた。胸から痛みが消え、代わりに痺きをともなった寂しさ
が広がった。
けで
身を削るような激しい悲しみと怒りの果てにある、優しい寂しさだ。
さつかく
「力さえあればなんでもできると、また錯覚するところだった」
自嘲し、カイルロッドは目を閉じた。こうすると、険にうかぶのは一輪の花をくれた少
わん
女だった。一杯の椀をくれた少年であり、名も知らない善良な人々だった。そして、いつ
も側にいてくれた明るく強い少女、ミランシャの笑顔だった。
「 俺はやはり、《新しいもの》なんかじゃない。カではなく、心が」
目を開け、カイルロッドは自分の両手を見た。この手は血を流す。痛みを知る手、人間
の手だ。
「どんな力にも染まらず、なにものにも動かされないなんて、それは人間じゃない。俺は
人間なんだ」
H竃しみも悲しみも知らないものが、どうして喜びや優しさを知ることができるのか。
みじぬく
(・・Iおまえには人間の未熟さと脆さ、そして《古いもの〉以上の強さがある。まったく
微笑みはかろやかに
169
.・. ・・.
矛盾したものを、その身の中に持っている。面白いことだ。だから《新しいもの》なのだ
ろう)
結晶から色が抜けていった。
やつかい
(矛盾だ。力を求める心と、それを恐れる心。人間のなんと厄介なことよ。常に矛盾を抱
えている。だが…いや、だからこそ強くなれる。かつて《あの方秘を夕、シエナに封じ込
めた、あの人間のように)
元の無色透明に戻った《語らぬもの》の強い声がカイルロッドの頭の中に響き − とた
Jノたづみ はじ
ん、片隅にひっかかっていたものが弾けた。
「 思い出した 」
、せき
カイルロッドは結晶を見上げた。この結晶を見たのは、遺跡でだ。ホー・シュンの見せ
ヽきムり
てくれた壁画にあった。
えいゆうたル
英雄欝だったのか、そこにはカイルロッドと同じ顔をした青年の姿が彫られていた。そ
の壁画のどこかに、大きな岩のようなものがあったのをカイルロッドは覚えている。
「地下には黄金像もあったっけ・。なんだか、遠い昔のことのようだ」
宝物を見せる少年のような表情で、遺跡を見せてくれた青年は今頃どうしているだろう。
かんしよっ
カイルロッドが感傷にひたっていると、
なつ
(はう。懐かしい光景だ)
かんカし
《語らぬもの》の声が感慨深げに響いた。カイルロッドの頭の中の光景を見たらしい。
「頭の中が見えるって、こういう時は便利で楽だな」
やはりあの岩に見えたものが合川らぬもの》だったのだ。
(そんな壁画のある建物が残っていようとは)
カイルロッドは「あの壁画は何年前のことか」と質問しかけてやめた。聞いたらきっと、
気が遠くなるに違いないからだ。
「それで、あなたがどうしてフエルハーン大神殿の地下にいるんですフ」
色違いの前髪を引っ張りながら、カイルロッドが問うと、宗川らぬもの》は人間 − 壁
画にあったカイルロッドと同じ顔の青年に味方したからだと答えた。
「・・」
カイルロッドは数回まばたきをした。その青年とフェルハーン大神殿がどうつながるの
か、わからない。
「あの、わかりやすくお願いします」
ののし かくご
馬鹿と罵られる覚悟で頼むと、
(壁画にあったおまえと同じ顔の青年は、フエルハーン大神殿の創立者だ。わたしはあの
微笑みはかろやかに
たの
闘いの後、彼に頼まれてこの聖地の護。に力を貸している)
たんたん
淡々と説明された。
「俺と同じ顔をした青年が、フエルハーン大神殿の創立者… n・」
しようげき
思いもかけないことを聞かされ、上から岩が落ちてきたような衝撃を受けた。意外なつ
なが。を知った驚きに、カイルロッドは両手で口をおさえた。手を離したら、大声を出し
てしまいそうだ。
(もともと、神殿はここだけではなかった。その退跡ももとは系列の神殿で、歳月ととも
に荒廃したのだろう)
さか
だとすれば、あの黄金像のあった理由もわかる。おそらく、あの神殿が栄えていた頃は、
建物のどこかに飾られていたに違いない。
「しかし・ 」
カイルロッドは混乱していた。
《あの方》 − カイルロッドの実父をタジエナに封じ込めたのが、カイルロッドにそっく
。な顔をした、フエルハーン大神殿の創立者だという。
「俺は、実父の敵である青年にそっく。なのか?」
あ 、うぜん いん
考え、カイルロッドは冷水を浴びた気分になった。ただの偶然というには、あま。に因
ねル いヒ
緑めいている。明らかに意図的なものが働いているに違いない。
ムかん
悪寒に耐えながらカイルロッドは、その神殿創立者の名前を訊いてみた。壁面には青年
の名前だけがなくて、ホー・シェンが嘆いていたことを思い出したからだ。
だが、完和らぬもの》に数えられないと断られてしまった。言葉に力があるように、名
前にも力があるからだという。
「 ・」
あれこれと考えているうちに、カイルロッドはなんだか気が滅入ってきてしまった。
「俺は実父を倒すためだけに生まれたみたいだな」
− −. ・ I .
様々な思惑が絡み合い、その結果意識的に作られたような、そんな虚しさを感じてしま
う0
凄まじい力の《あの方》 に対抗すべく、生み出されたのではないか − 丁度、ムルトが
、りしJでいめい
カイルロッドの力を得るために、擬似生命を造り出したように。
ト.r
そう考え、カイルロッドは慌てて自分の考えを否定した。「そんなことはない」、あるは
ずはない。夢で見たフイリオリは子供を愛していると言っていたし、育ての親であるサイ
ードはカイルロッドを愛してくれた。
めJr
けれど一度芽吹いた疑念というものは、なかなか消せるものではなかった。
微笑みはかろやかに
ゆ あわ
フィリオリもサイードも、カイルロッドの行く末がこうなると知っていたから、憐れみ
お
と負い目で愛してくれたのではないか・
「なにを疑っているんだ、俺はー」
しゆうち かっだ つJ
羞恥で身体が熱くなった。カイルロッドは不安と疑念を塗。潰そうとしたが、心にうき
あがってくる。白い壁についた黒いしみのように、どうやっても消えない。
「どうして‖」
おお
カイルロッドが両手で顔を覆っていると、
(いつか《あの方》が現われることは、わたしにも彼にもわかっていた)
すさまかぜ
完膵らぬもの》の声が隙間風のように細くなった。
たたか
(あの闘いで人間は勝ったのではない。負けなかっただけだ。だが、今回はどうなるか。
あの時は彼がいて、聖剣があった。そして、大勢の力あるものが人間に味方した。しかし、
現在は違う)
手を離して結晶を見ると、色が灰色を帯びていた。
「そんなに違うんですかフ」
つか
早く頭を切。替えようと、カイルロッドは強く自分の一眉を掴んだ。嘆くのは後でいい。
今は少しでも事実を知。たかった。多くの事実が積み重なれば、真実が見えてくるはずな
のだから。
(違うとも。《あの方》に対抗するはずの神殿は力を失った。力あるもの達はどこかへ消
え、聖剣もない)
「でも、あなたが人間に味方している」
実父がどれほどの力を持っているか知らないが、《古いもの》なら対抗できるのではな
いか。カイルロッドはそう期待したのだが、
せいいつはい
(《あの方》の前では、わたしは自分を守るだけで精l杯だ。手下と称する魔物などどう
一.・
ということはないが、《あの方》にはかなわない。滅ぼされることはないが、滅ぼすこと
もできない)
心細い答えしか戻ってこなかった。
(《あの方》が現われたからには、この聖地ももう終わりだ。聖地としての力を失う。長
りつかい
い時間、わたしは聖地を護ってきたが、その力も弱まる。結界を強化させていた者がいる
ようだが、一時しのぎにしかならない。聖地は滅ぶ。わたしは眠りにつけばすむことだが、
人間はそうもいくまい)
フェムトのことを思い出し、カイルロッドは顔をしかめた。少し強い魔物なら内に入り
こめてしまうほど、結界は弱まっているという。それも《あの方》の力のせいらしい。
75 微笑みはかろやかに
(《あの方》はあま。に強い)
あ
在るだけで力があるという《古いもの》よりも強大だという。ムルトが欲した力の持ち
い か
主、フエルハーン大神殿の畏怖の対象であり、カイルロッドの実父であり、敵である《あ
の方》 −
「《あの方》とは何者なんですフ」
カイルロッドは答えを期待せず、実父の正体を問うてみた。
4
風などないのに、カイルロッドの髪が揺れた。結晶の表面に小さな空気の固ま。がぶつ
かった。
(《あの方》が何者かなど、わたしにはわからない。わかることは《古いもの》よ。さら
に古く、力があることだけだ。強いて言うなら、《神》だろう)
《神》と聞いても、カイルロッドはさほど驚かなかった。薄々、予想していたからだ。
きり,だ
《神》 − ムルトが切札にしていたのも、対抗する力を失ったフェルハーン大神殿が恐れ
るのも当然だろう。神殿がひた隠しにしてきたのは、「絶望と恐怖」だった。
「《神》か。すると俺は《神》 の子か」
・・ .・
カイルロッドは唇の両端を上げて、自虐的に笑った。
人々を救おうとしているフ工ルハーン大神殿の巫女と、滅ぼそうとしている《神》の子
供だという。「神殿に目の仇にされて当然だな」、恐れられるのも仕方ない。
カイルロッドは自分でも驚くほど、冷静だった。
じっぅ ばくぜん
「実父が何者か、漠然とでも知ることができてよかった」
−− .・ −
わずかでも実父の正体を教えられたことで、それまでの焦りや苛立ちが淡雪のように溶
けて消えた。
そしてカイルロッドは腹を決めた。
自分が生まれた理由を、もはや間うまい。
おもわく
どんな思惑があったにせよ、今ここにいることがすべてなのだ。そして理由はどうあれ、
フィリオリとサイードの愛情は本物のはずだ。
(生まれた時に、おまえの運命は決まっていたのだろう)
− ・.
憐れむような声をカイルロッドははねつけた。
「俺は運命なんて信じない。ここにきたのも、実父と闘うことも、すべて俺が選んで決め
たことだ」
ふ
カイルロッドは無意識のうちにズボンのポケットに手を入れ、指輪に触れていた。
微笑みはかろやかに
運命など信じない。
さまぎま
だが、自分だけでここまできたとも思わない。様々な人との出会いによって運ばれてき
たのだ。
「その人達のためにも、神だろうがなんだろうが、俺は負けるわけにはいかない」
勝つことはできずとも、負けるわけにはいかない。遠い昔のフエルハーン大神殿創立者
のように。
「彼は人間だって言っていた。様々なものの協力を得たとはいえ、人間が神を封じたんだ。
同じ人間の俺にもできるはずだ」
ともすればくじけそうになる気持ちを、カイルロッドは必死に鼓舞していた。
「そのために、俺は強くならなくてはならない。強い力を使うためには、心も強くならな
くてはならない」
く かえ おの
繰り返し、繰り返し、己れに言い聞かせていることだ。心を持たねば、ムルトのように
なる。力のみを追求するなら、もう人間である必要がなくなるからだ。
むずか
だが、強い心というのは難しい。
あいそう
いつも心が揺れ動いてしまう。愛憎に、生きることの迷いに、闘いに。しかし人間であ
る以上、それを切。捨てることはできないのだ。
「まず自分に勝たないと」
もつか
それが目下の目標だと、カイルロッドがそう自分自身に言い聞かせていると、結晶が突
かがや
然、七色に輝きだした。
結晶だけでなく平原も七色に染まり、夢のように美しい光景となった。
あまりに美しいので、カイルロッドがつい見とれていると、
(おまえにひとつ、贈り物をしてやろう)
どういう気まくれか、完ロに.らぬもの》がそんなことを言い出した。
「贈り物っ」
こしこば よみカ一ん
(願いを言葉に出して言うがいい。ただし、死者は起らせられない。そして、わたしの力
かな
を上回ることは叶えられない)
言葉には力がある、リリアはそう苦った。この室での言葉は力を持つらしい。
とつさ
願いを言えと言われ、カイルロッドは口ごもった。咄嗟には思いつかないものだ。
「願いか ⊥
うれ
なんだろうとカイルロッドは考えた。実父を倒してくれれば一番嬉しいのだが、宗mら
ぬもの》の力を上回るので、叶えてもらえないだろう。
「ええと、他には 」
7 徴笑みはかろやかに
悩んでいると、ふっとアクディス・レヴィやエル・トパック、キアラなどの顔がうかん
だ。それぞれに悩み、苦しんでいる人々の顔がうかんだ。そして、神殿に救いを求める人
へんぽう
人が、魔物に変貌した者達の姿が思い出された。
「−1皆が幸せになるように」
カイルロッドはゆっく。と言った。《語らぬもの》の力を上回っていることはわかって
いた。
いの
叶えてもらおうと思っての発言ではない。これは願いではなく、祈。だった。
なんぴと
何人であろうと、この世から悲しみと苦しみを消すことはできない。人の世にそれは必
ずつきまとうものだ。
ばつこ
ましてや、異常気象と魔物が政底する現在、人々はさらなる悲しみと苦しみにさらされ
ている。
だれ
そして今、こうしている間も、どこかで誰かが死んでいく。
混乱が引き起こす戦いによって。
飢えによって。
おそ
寒さや、襲いくる魔物達によって。
助けを求めながら、どこかで誰かが死んでいく。
だから、カイルロッドはそう祈らずにはいられなかった。
「皆が幸せになるように」
リンツ I
なにかが鳴った。
金と水晶の破片が触れ合ったような、この世のものとは思えない美しい音だった。
その昔が平原の隅々に響く。
(おかしな者ができたものだ)
あき
その昔に混じって、呆れたような声が頭の中に聞こえた。
やがて、ゆっくりと上から光が押し寄せてきた。光のカーテンに包まれ、カイルロッド
は目を閉じた。
美しい音は遠ざかり、カイルロッドが目を開けると、平原ではなく光る室にいた。
「お帰りなさい、王子」
ようナ つカカ ちようど
カイルロッドの正面に三人がいた。カイルロッドの様子を窺うように、丁度、顔の高さ
のあたりに浮いている。
「ただいま」
微笑みはかろやかに
カイルロッドが言うと、
「その様子ですと、《語らぬもの》に気にいられたようですわね」
ぽほえ
アリユセが微笑み、セリはりリアの後ろに隠れてしまった。
「そうだ。《語らぬもの轡から聞いたぞ。俺がなにか、試させたんだって?」
リリアに顔を近づけてカイルロッドが口をへの字にすると、
「それで、完mらぬもの》はなんと言ったの?」
反対に質問されてしまった。興味があるのか、アリユセも近づいてきた。
のp
の後ろからソツと顔を覗かせている。
「それはね こ
つぷや
カイルロッドが呟くと、三人は好奇心と期待で顔を近づけてきた。
ないしよ
「内緒」
セリがリリア
おこ
カイルロッドは小さく舌を出した。リリアとアリユセの二人が「ずるいっー」と怒った
が、カイルロッドは両手で耳をふさいだ。
だま
「そっちだって、俺に黙っていたじゃないか。これでおあいこだよ」
いじわる
少し意地悪く笑うと、
けつかい
「そんなこと言ってー 覚えてなさいよ、聖地の結界を出たら、全力で攻撃しちゃうか
ら!」
きよネノはく
リリアが脅迫に出た。三人の中でリリアが一番攻撃的な性格らしい。
「全力って? それじゃ、今まで全力じゃなかったのフ 魔物と闘った時とか」
意外な発言に、カイルロッドは耳から手を離した。すると、とたんに「なんて無知T」
ぱせい
と罵声が飛んできた。
「俺が無知なのは、ウルト・ヒケウやイルダーナフがなにも教えてくれないせいじゃない
かー」
と言いかけ、カイルロッドは言葉を口の中で消した。リリアとアリユセの二人が、親の
かたき にり ぎよう1てつ
仇でも睨むような形相で、真っ正面からカイルロッドを睨んでいるからだ。
「……ごめんなさい」
あやま っなず
逃げ腰で謝ると、リリアとアリユセは「謝ればいいのよ、謝れば」、うんうんと領いて
いた。
「フェムトと閉った時は、加減していたのよ。聖地の結界内で、あたし達が全力を尽くし
こわ
たら、結界が壊れちゃうわよ。王子、ウルト・ヒケウの力をみくびっていたわね」
まなぎ かりだ
冷ややかな眼差しを向けられ、カイルロッドは身体を小さくした。実はそのとおりなの
で、返す言葉がない。
微笑みはかろやかに
「《沈黙の室》の中でのこと、残らず話してくださいな」
うなが
アリユセに促され、カイルロッドは正直にすべてを話した。耳を傾けている三人の顔が
こわ
時々強ばったが、カイルロッドは見ないふ。をしていた。
1.1・・
話し終えると、三人はなんとも言えない面持ちになっていた。
「ふーん。《新しいもの》ねぇ」
リリアは感心しているようだった。
「やっぱ。、俺の実父のことを知っていたんだ」
カイルロッドが少し恨みがましい声で言うと、三人は「ウルト・ヒケウだもの。当然
わるげ
よ」と悪怯れもしなかった。
「……いいけどね」
なぜ
なにも言うまいとカイルロッドは思った。イルダーナフが何故知っていたかも、そのう
ちわかるだろう。
「考えても答えが出ないことだもんな」
のんさ ゆえん
こういうところが呑気と言われる所以なのかもしれないと、それこそ呑気にカイルロッ
ドが思っていると、
かな
「でも王子、ずいぶんと宗叩らぬもの》に気にいられたようですわね。願いを叶えてもら
めつた
えるなんて、滅多にないことですわ」
うりや
少し羨ましそうにアリユセが呟き、リリアの後ろにはりついているセリが「なにを頼ん
ささや
だのフ」と囁いた。
「皆が幸せになるようにって」
ためらいがちにカイルロッドが言うと、
「王子って馬鹿〓」
えんりよ
遠慮も優しさもない言葉がはねかえってきた。
「そんなの、会川らぬもの》 にだって叫えられっこないわよー」
「もっと有意義な願いになさればよかったのに」
かペ
覚悟していたとはいえ、リリアとアリユセの容赦のない言葉に、カイルロットは壁に手
をつき、「どうせ、俺は馬鹿だよ」と唸っていた。
どう願ったところで、《あの方》を倒すことはできないのだ。倒す武器もない。だから
つれ
本当は、願いなどどうでもよかったのだ。ただ、l欄らぬもの》の気持ちが嬉しかったか
ら、なにか言わなくてはと思った。そして、祈りたかった。それだけのことなのだ。
「 王子は優しいから・」
カイルロッドの横にきて、セリが小さく笑った。
微笑みはかろやかに
「馬鹿なだけなんだ」
す▼′. かこ
少女を見下ろして苦笑し、カイルロッドは室の隅に転がっている寵に気がついた。
あさめし
「朝飯−」
ひろ から
走って行き、寵を拾いあげると中身は空だった。カイルロッドが三つ子を振り返ると、
揃って肩をすくめた。
「ずるいっ一 億がいない間に三人で食べちゃったんだー」
なカマ
「だってお腹空いたんだもの」
リリアが澄ました顔で言った。結局、朝食もとらずに動かされたということになる。
「俺の朝飯が−」
あき なだ
空の寵を抱きしめてカイルロッドが嘆いていると、呆れたのか見兼ねたのか、三人が宥
めにやってきた。
「家に戻れば昼食があ。ますわ」
「そうそう。帰りはあたし達が手伝ってあげるから」
「・飛んで帰りましょ」
はえ まわ しポしぷ だ
蝿のように頭の周りを飛び回られて、三人がかりで宥められ、カイルロッドは渋々と妥
協した。
「じゃ、帰りましょうか」
リリアが言い、セリの小さな手がカイルロッドの腕に触れた。身体が軽くなり、カイル
ロッドの足は地面から離れていた。
カイルロッドとウルト・ヒケウは外へ向かった。
微笑みはかろやかに
四章 時と祈りの回帰
ろうか こわき
長く薄暗い廊下を、小脇に書類を抱えたエル・トパックとロワジーが歩いていた。
・・・
二つの靴音が大きく響きわたる。
いそが
「やれやれ。なにかと忙しいな」
歩きながら、ロワジーがぼやいた。
「それだけ、事態が深刻ということでしょう。ああ、会議に出席するよう、離れの方には
ティファを使いに出しておきました」
おだ
穏やかにエル・トパックが言った。
しんでん てつや
神殿にいる神官達のほとんどが昨夜から徹夜で、あれこれと対策に追われていた。その
中心となっているのがエル・トパックとロワジーだった。二人はこれから再開する会議の
用意で、忙しく動き回っていた。
「それで、昨日の被害の方はどうだっ」
ぶおゑくび
眠そうに目をこすり、大欠伸しながらロワジーが質問した。
かおヽ けが ′
「かなり大きいようです。家屋の損傷などによる怪我人も多かったとのことです」
Lハ
少し苦い顔でエル・トパック。それを聞いて、ロワジーも渋い表情になった。
かんき
「寒気の方も深刻だからな。凍死者が増えるかもしれんな」
たくわ
「ええ。それと、神殿の蓄えがいつまでもつかが問題ですね」
器用に小脇に抱えた書類を手に取り、それを見ながらエル・トパックはため息のように
言った。
「かなり減っているのかっ」
ツなヂ
片手で頭を撫でているロワジーに、エル・トパックは無言で頂いた。
救いを求めて流れこんできた人々の数は、すでに神殿の受け入れ許容量をこえていた。
ほユノだい たきぎ
だが、これからも人々はやってくるはずだ。毎白、膨大な叢の食料と薪などの燃料が消費
され、神殿の蓄えもあやしくなっているのが現状だった。
「できるだけ切り詰めるつもりですが、このままではいつかは底をつきます。買い付けよ
8んしル の
うにも、肝心の物がないのですから。そのうち、薪一本が金の延べ棒よりも貸重になるか
もしれません」
「うーむ」
こノな
ロワジーが唸った。
な
「食料と燃料もそうですが、その前に人々の気力が萎えてしまうかもしれません。私はそ
117
れが恐ろしいのです。神官長もそのことを一番案じているようです。なにより恐ろしいの
は、人々の心が絶望に支配されることですから」
さんけいしや
参詣者用の神殿前にいる人々のことを思い、エル・トパックが表情を曇らせると、
「神官長といえば」
ふいにロワジ1が苦笑した。
J・..、い
「神官長といえば、昨日は大騒ぎだったな」
思い出すだけで扇がこるとでもいうように、ロワジ1は自分の肩を叩いた。キアラのこ
とをさしているとわかったので、エル・トパックが「はい」とも「いいえ」とも言えず、
苦笑していると、
「さぁて。時間にはまだ少し早いが、先に会場へ行ってるか」
ロワジーは立ち止まり、それから大きく伸びをした。
「おまえさんはどうするね?」
「私はこの書類を神宮長に届けてから、そちらへ行きます」
微笑みはかろやかに
書類を見せてエル・トパックが微笑むと、ロワジ1は腰を軽く叩きながら、なんとも複
雑な表情をした。
きつこル めずら しれ一せつ
「まったくおまえさんは、昨今の若者にしては珍しく辛抱強いな、エル・トパック。おま
にんたい
えさんの忍耐強さには感心する」
あき
が、どう聞いても感心しているというより、呆れている口調だった。
・. −H ...
「あんな馬鹿な異母弟にこき使われ、ゼノドロスには喚かれ わしなど、それだけでう
んざりする」
どこに他人の耳があるかわからない廊下の真ん中で、ロワジーは平然とそんなことを言
きぬ ようしや
ぅ。歯に衣を着せぬというか、容赦がないというか、薄いものは悪い、嫌いなものは嫌い
Hむ
とはっき。言う。ロワジーが他の神官達から煙たがられるのは、そんなところがあるから
だろう。
「私なとは、アクディス・レヴィ神宮長はよくやっていると感心しています。この難事を
投げ出そうともせず、よく努力していると思います」
あごひげ
エル・トパックが異母弟をそう評価すると、ロワジーは顎髭を引っ張。ながら笑った。
・.
「馬鹿ほど可愛いということか。だからおまえさんは苦労するんだな」
つつし
「ロワジ一様。少しは口を慎まれた方がよろしいのではフ」
声をたてて笑っているロワジーに、エル・トパックは好意的な笑みで、擢意した。すると
ちやめ け
ロワジーは茶目っ気たっぷりに片目を閉じ、
あつかやす じい
「月夜ばかりではない、かフ 残念だがわしは、おとなしく扱い易い爺さんになるつもり
はないぞ」
ははえ
さらに大きく明るい笑い声をたてた。つられてエル・トパックも微笑んだ。エル・トパ
きむずか
ックはこの気難しい老人の、そういう憎めないところが好きだった。
、・.
かすかに時を告げる鐘が聞こえ、エル・トパックは笑みを消した。会議までもうあまり
時間がない。「その前に書類を渡しておかないと」、エル・トパックはロワジーに向き直り、
「ロワジ1様。時間がありませんので、ここで失礼します」
Lつも
一礼した。そして神官長の執務室へ足を向けると、
−・
「おい、エル・トパック。神官長に伝えておいてくれ。今日の会議は面白いことだらけに
なるとな」
いしわる
後ろから少し意地悪いものを渉ませた声がした。エル・トパックが顔だけ動かして振り
返ると、ロワジーは反対側の会場の方へ歩いていた。
「面白いこと、か」
ロワジーに面白いことと言われ、エル・トパックはわずかばかりの不安を覚えた。
l・ ・._・ニ ー
おどろ
「なにしろ、他人を驚かせるのがお好きな方だ」
ノ1てん
もしかすると、会議は大騒ぎになるかもしれない。「騒ぎの原因は口伝だろうな」、他に
は考えられない。いったい会議でなにが起きるのか ー そんなことを考えながら、エル・
トパックはゆっく。と階段をあがった。
階段をあがった廊下の突きあた。に神官長の執務室があった。
「エル・トパックです。押官長にお取。次ぎを」
たの ひか
エル・トパックは警備の者に取。次ぎを頼んだ。廊下の左右には控え室があ。、そこに
1
は二十四時間態勢で警備員がつめていた。一日三交替で階段の上に立ち、厳しく出入。を
かんし
監視しているのである。
「かしこま。ました。少々、お待ちを」
取。次ぎを頼むと、警備の者が奥の部屋へ行った。エル・トパックは「おやっ」と思っ
おじ
た。いつもなら、ここには神官長の叔父ゼノドロスがおり、エル・トパックが顔を出そう
ものなら、なんだかんだと喚いて追い返そうとするのだ。
「ゼノドロス神官の姿が見えないが・」
珍しいこともあるものだと思っていると、警備の者が戻ってきて、
「どうぞ。お通。ください」
奥に通してくれた。
とげろ ただよ
代々の神官長達が使用している執務室は、扉にも風格が漂っていた。その扉の前でエ
ル・トパックはノックして、声をかけた。
「神官長、エル・トパックです」
すると、即座に室内から「入れ」という返事があった。
「失礼します」
エル・トパックが扉を開けたとたん、
せきわん
「この隻腕の魔物−」
ばせい かぴん
罵声と花瓶が飛んできた。驚きながらも身体をかわして避けると、花瓶は扉に当たって
くだ
砕け散った。
「手荒なことを 」
1 .1..
怒りよりも呆れながら、エル・トパックは罵声と花瓶を投げた人物を見た。
だらく
「おまえのような者が神殿を堕落させるのです。レヴィをどう騙したか知らないが、わた
くLはおまえなどに騙されませんよ」
ひいろ
そこにはキアラがいた。緋色の憎しみをまとって、エル・トパックを睨みつけている。
微笑みはかろやかに
「やめなさい、母上−」
いす
椅子から立ち上がり、アクディス・レヴィが叫んだ。が、キアラはエル・トパックから
はず
視線を外さず、
うぼ
「あの女とそっく。の赤い髪の魔物! おまえ達母子は、わたくLから夫を奪っただけで
ぁ はめつ
は飽き足らないのですか−わたくしのレグィをたぶらかし、破滅させようとしているの
でしょうー」
めじり つ いさ
目尻を吊。上げた。「母上−」とアクティス・レヴィが諌めているが、キアラの耳には
入っていないようだ。
「なにか誤解しておられるようです」
おだ
エル・トパックは穏やかに言い、
まい
「神官長。今日の会議の資料を届けに参りました」
持っていた書類をアクディス・レヴィの前に差し出すと、キアラがきてエル・トパック
ゆか
の左腕を払いのけた。パサバサと、書類が床に落ちた。
「白状おし、エル・トバッター レヴィにつまらぬことを吹き込んだのは、おまえでしょ
う〓」
あなた
「…失礼ですが、貴女のおっしゃることの意味がよくわか。ません」
・
露骨な憎しみはいつものことだが、破滅させようとしているだの、つまらぬことを吹き
込んだだの、言っていることがさっぱりわからない。
「母親と同じで、しらばっくれるのがうまいこと1」
ひろ かかといきお
屈んで書類を拾いあげようとしたエル・トパックの左手の上に、キアラの靴の踵が勢い
よく落ちた。
きAしん
「おまえがレヴィに、ゼノドロスを謹慎させるよう吹き込んだに決まっているl そうや
ぎゆう。し
って、神殿を牛耳ろうとしているのだわ、この魔物−」
・ I ‥ ・
あわ
エル・トパックは顔をしかめた。手を踏みにじられている痛みにてはない、キアラが憐
ごういん くや
れだったからだ。強引に結婚したものの、夫にかえりみられなかった悔しさ、エル・トパ
しっと
ックの母親への嫉妬と憎しみ、キアラはそういったもののすべてをエル・トパックに向け
ているのだ。
「憐れな女性だ・・」
′ヽらrlUるJり
エル・トパックは唇を噛んだ。憎しみも怒りも感じない。ただただ、憐れだけを感じる。
「やめろー」
さすがに見かねたのか、アクディス・レグィは机を飛び越え、キアラを片手で突き飛ば
徴笑みはかろやかに
した。キアラはよろめき、机に手をついた。
一、・・、・1、−
けい かば
エル・トパックが驚いて見上げると、アクティス・レヴィは異母兄を庇うようにして立
っていた。
「なにをするのです、レヴィー そんな者を庇うのですか ー」
とが
答める母親に対して、アクティス・レグィは薄く笑った。
「やっと・・…・信じる気にな。ましたよ」
「・・…・レヴィ?」
1・・
息子の様子になにかを感じたのか、キアラの顔を怯えに似たものがかすめた。
「母上が当時神官長だった祖父に頼んで、父とエル・トパックの母親の結婚を無効にし、
その後で父と無理に結婚したという話を」
するど
鋭く切。つけるような口調に、キアラは両手で口を押さえた。
だー1
「嘘です、誰がそんなでたらめをー」
・い
「叢だっていいでしょう。皆が知っているんですから。知らなかったのは俺だけですよ。
母上が…こそんな非人道的なことをしたなんて 俺だけが知らなかった」
ことLf のど しぽ うめ
言葉を喉の奥から無理に絞りだすように岬き、アクティス・レヴィはエル・トパックを
見た。
おじき
「・俺の耳にだけは入らないようにされていたなんて。母上と叔父貴に、嘘を吹き込ま
れていたんだ」
−11..、.
アクディス・レヴィの鋭い面差しは、途方にくれた子供よりも頼りなげだった。
「 ・神官長」
まなざ
エル・トパックが書顆を拾って立ち上がると、アクディス・レヴィは鋭い眼差しを母親
に向けた。
「この際、はっきり言っておきます。これからは、公私の区別をつけてください。俺はあ
なたの息子ですが、神官長でもあるんです」
かた
硬い声はキアラにというより、自分自身に言い聞かせているようだった。今、アクディ
ス・レヴィは、はっきりとなにかを断ち切ったのだ。
「俺は仕事があります。すぐに出て行ってください」
とげら
ぴしゃりと言い、アクディス・レグィは扉を指差した。
「……レヴィ。わたくLに出て行けと・」
「公私の区別をつけてくださいと言ったはずです」
わかぞう
そう言う青年の顔は、「金で地位を買った若造」の顔ではなかった。自覚と責任を負っ
微笑みはかろやかに
199
たHけレたなん
た、神官長の顔だ。多事多難は時には人間を成長させるものらしい。異母弟の成長が、エ
・.
ル・トパックには嬉しかった。
と、まど
だが、キアラは息子の成長に戸惑うばかりの様子だった。
じやま
「わたくLがいては邪魔だと言うのフ いつからそんな冷たい人間になったの? あんな
すなお
に素直で聞き分けのいい子だったのに」
いhノペつ
媚び甘えるように近づいてきた母親を、アクディス・レグィは冷たく一瞥した。
「警備員につれ出されたいんですか?」
しゆんかi
瞬間、キアラは死人よりも白い顔になった。突き放され、キアラは冷たい雨にでもうた
からだ
れているように、身体を小刻みに震わせて、執務室を出て行った。
「・ すまなかったな」
キアラが扉の外に消えてから、アクディス・レヴィが消え入。そうな声で言った。なに
に対してすまないと詫びたのか、エル・トパックにはわからなかったが、追及しなかった。
「では、私は会場へ行きますので」
書類を渡し、そのまま出て行こうとすると、止められた。
「逃げるように出て行くこともないだろうフ・うるさい叔父貴抜きで話をするなんて、初
めてなんだぜ」
立ったままで書類に目を通しながら、アクディス・レウィは怒ったように言った。
「ゼノドロス神官の姿が見えないと思ったら、謹慎中だったのですか」
割れた花瓶の破片を見ながらエル・トパックが言うと、アクディス・レヴィは「ああ」
つなr すわ
と領き、机の上に座った。
だま しかく
「俺に黙って、カイルロッドに刺客を差し向けていたと判明したからな。本来なら、判明
した時占ぞカイルロッドの前に突き出さねばならないところだが、他にも色々ありそうな
のでな。もう少し、しめあげてみることにした。まったく、困った叔父だ。身内が神官長
めんしよく
なのを笠に着て、好き放題していたとはな。本当なら免職して、外に放り出してやるとこ
ろだ」
横に書類を置き、アクディス・レウィは窓へ顔を向けた。
「そこでおとなしく謹慎していればいいものを、母にとりなしてくれと泣きついたらし
い」
おもも
心底うんざりしたという面持ちだった。その顔でエル・トパックを見、
あき
「 呆れているだろうが、俺は本当になにも知らなかったんだ」
っわき
消えそうな声でアクティス・レヴィは言った。エル・トパックが黙っていると、「噂を
耳にしたのは今朝だ」と、ポッリポッリと話し出した。警備の者が噂話をしているのを耳
微笑みはかろやかに
くわ
にして、知っている限。詳しく説明させたという。「いつもうるさい叔父がいなくて、警
備の連中も気がゆるんだのだろう」と、アクディス・レヴィは苦笑した。
「だから今朝までは、あんたを憎んでいた。父が俺を疎んだのも、母が苦しむのも、すべ
てあんた達母子のせいだと・」
めがしら
言葉の途中で、アクディス・レグィは片手で目頭をおさえた。
「母が・自分が情けない.…」
つぷや
呟く声が買えていた。
「・ ・」
・・ い.
エル・トパックは目を伏せた。仲のいい両親が何故、急に別れて暮らすようになったの
いぽてい
か、どうして父が人目を避けるようにしてやってくるのか。「異母弟の今の姿は、その理
由を知った時の自分に似ている」、エル・トパックはそう思った。
「自分を責めるのはおよしなさい。すべては、昔のことです・・」
右肩を押さえ、エル・トパックは静かに言った。
なげ
「私達に、自分のことを嘆いている時間はありません。その前にやらなくてはならないこ
とがあるのです」
な とむら
窓の外に見える街の通。、そこには昨日の騒ぎで亡くなった人々のための、弔いの火が
揺れている。
「知恵と勇気を総動員し、さらにそれ以上の努力を要求されるのです。神殿にいる老すべ
てが力をあわせて、この難事を切り抜けねばなりません」
アクディス・レヴィが顔をあげた。
「…・あんたも協力してくれるのか」
「当たり前です」
ほlまえ
微笑むと、アクディス・レヴィは怒ったような因ったような顔で、
「そうだな。まずはこの難事を乗りきることが重大だ。行くぞ、会議だろう」
机からおり、足早に扉へ向かった。エル・トパックは書類を持って、アクディス・レグ
ィの後に続いた。
2
今にも泣きだしそうな空模様だった。昨日が青空だっただけに、空を覆う厚い雲が一層
壷く、厚くたれこめて見えた。
「また雪が降ってきそうだな」
あお つぷや
空を仰ぎ、カイルロッドは呟いた。
微笑みはかろやかに
もど
カイルロッドと三つ子が家に戻ると、イルダーナフの言ったとお。、神殿から使いがき
ていた。
「昨日中断した会議を再開しますので、出席なさるように」
それでカイルロッド達 − カイルロッド、イルダーナフ、メディーナ、ウルト・ヒケウ
の三人、そして使いのティファを合わせた七人は神殿に向かっていた。
「また人が魔物になるんじゃないだろうな」
さんけいしや
参詣者用の神殿の前を通りながら、カイルロッドはそんなことを考えてしまった。相変
lまどこ
わらず建物の前には人が集まってお。、会議に直接関係のない見習い神官などが、昼の施
しをしていた。
けつかい
「結界を強化したから、そう簡単にゃ人が魔物になった。はしねぇよ」
カイルロッドの考えていることを読んだように、横にきたイルダーナフがそんなことを
言った。
「結界の強化?」
カイルロッドの他に、メディーナとティファが同じことを言い、立ち止まった。三人の
うなず
視線に大男は領き、
「ただ、一時だけ失敗しちまってよ。結界を弱くしちまったんだな」
すぐに直したが、人が魔物に変わったり、フェムトが入りこんだりしたのはその時だろ
04
2 うとイルダーナフは言った。
「外に出ていると思ったら、そんなことをしていたのか」
イルダーナフが聖地の結界を強化していたと聞いても、カイルロッドはもう驚かなかっ
なつとく
た。「イルダーナフに関しては、なにを言われても納得できる」、人間でなく魔物と言われ
ても、すんなり信じられる。
「俺なんかより、よっぽど人間離れしてるもんな」
家を出る前に急いで巻いたターバンがほどけそうになり、それを直しながらしみじみと
なな
納得しているカイルロッドの斜め後ろで、
・1・ト・.
「ここは聖地だ。結界は強い。それを強化するとは きさま、化物ではないのかフ」
ティファが今にも剣を抜きそうな形相になっていた。
ねえ
「おいおい、姐ちゃん」
苦笑するイルダーナフに、「おおいにありうることだ」と娘のメディーナは頚き、
「すると私は化物の養女ということになってしまうな」
深刻ぶった顔で言った。
「娘にまで化物と言われている」
微笑みはかろやかに
205
カイルロッドは表情に出さず心の中で笑っていたが、わかってしまったらしく、
「笑ってるんじゃねぇよ、卵」
なく
イルダーナフにターバンを巻いた頭を殴られた。「い、痛い」、カイルロッドは殴られた
こぷし
箇所を撫でた。ターバンを巻いていても、イルダーナフの拳はきいた。
がまん
「ひでぇことを言いやがる。寒いのを我慢して、結界を強化するために毎日出歩いていた
やつ
奴に向かって、化物はねぇだろうが。おまえらにゃ、思いやりってもんがねぇのか。まっ
な′′ よめ
たく曝かわしいことだぜ。そんなんじゃ、嫁にいけねぇぞ」
目に涙を浮かべているカイルロッドなど無視して、イルダーナフは二人の女性を前に、
「ああ心配だ」と、わざとらしく大きなため息をついた。
「女性にそんなこと言っていいのか?」
聞いていたカイルロッドは二人が傷っくのではないかと心配したが、
「私が嫁にいくかどうかなど、きさまには関係のないことだ」
ぶやじ
「親父こそ嫁をもらったらどうだ」
ティファもメディーナも平然たるものだった。
・.−
「・どうしてこう女ってやつぁ、言うことに棟があるんだろうな」
ぷ
大男は広い肩をすくめた。さすがのイルダーナフも娘とティファの二人がか。では、分
が悪いらしい。
「それにしても、三人が静かだな」
こんな立ち話をしていれば必ず謡に入ってくるのに、いやに静かだ。「後ろにいたんだ
っけ」、カイルロッドは三つ子に声をかけようとして、後ろを振り返った。
かんせい
その時、神殿前からどよめきと歓声があがった。
「なんだフ」
カイルロッドが顔を向けると、神殿前の人々の頭上をなにかが〜三つ子が飛んでいる
ではないか。
「あたし達、ウルト・ヒケウなのよ」
じゆつしや
「ウルト・ヒケウって、最高の術者なんですのよ」
「 なの」
などと楽しそうにはしゃぎながら、飛び回っている。
みよう
「妙に静かにしていると思ったら、あんなところにいたのか」
カイルロッドが三人を見つめていると、そのことに気がついたティファやメディーナも
視線を動かした。
「・ おい。ウルト・ヒケウ様はなにをしているのだ・」
微笑みはかろやかに
みけん しわ
三人を見ながら、ティファが眉間に級を寄せた。
「あれでは見せ物だぞ」
「いいじゃねぇか、目立ってよ」
飛んでいる三つ子を見ながら、イルダーナフは目を細めた。
「ウルト・ヒケウが帰ってきたと、ちょっくら宣伝してこいと言ったんだ。せっかく、三
さわ
人が目立つために飛んで帰ってきたってぇのに、神殿の上層部はたいして騒いでくれなか
ったみてぇだからな。連中が宣伝してくれ。やよかったんだが、そこまで気の回る奴はい
すご
なかったらしい。だから、ああしてるのよ。神殿に凄い術者がいると知れば、希望も湧い
てくるだろうからな」
おごそ
「宣伝はいいけど・。どうせならもっと厳かに飛べばいいのに」
うなず
カイルロッドが言うと、ティファが「私もそう思う」と領いた。メディーナは「おお、
ようすノ おもしろ
空中三回転」などと、三つ子の様子を面白がっている。
いげん
「蕨高の術者なのだから、もっと威厳をつければいいのに」
いだ
こんな子供が遊んでいるような様子で、人々が希望を抱いてくれるだろうかと、カイル
ロッドは危惧したのだが ー
よく見れば、見習い神官はその場にひれ伏し、人々は三人を見上げ、口々に救いを求め
た。
1 11.
「おおっ、奇跡のようだ」
み▼
「救いの巫女だ」
「きっと助けてくださる」
両手を合わせる者、涙ぐむ者もいた。少し前までの絶望と疲労は消え、どの顔にも希望
があった。
本当なら喜ぶことかもしれないが、カイルロッドは軽い失望を感じていた。「飛んでる
だム
だけで効果的だったのか」、それなら証が飛んでも同じじゃないかと、カイルロッドは思
った。
「ウルト・ヒケウでなくとも、タネも仕掛けもある芸人が見せ物として飛んでも、人々は
ありがたがるんだな」
つ4や むな
自分の洩らした呟きに、なんだか虚しさを感じていると、
「そうでもないだろう」
ティファが口を開いた。
「あそこにいる人々は、それが見せ物か本当か、ちゃんと見抜いているぞ」
よく見ろと言うように、飛んでいるウルト・ヒケウを指差した。言われたとおり、カイ
209 微笑みはかろやかに
ルロッドは三つ子を見た。
一hいじようぷ
「あたし達が帰ってきたから大丈夫ですわ」
こわ
「魔物なんか恐くないわ」
まるでこの世の幸福しか知らないような笑顔で、ウルト・ヒケウは人々にそう言ってい
むく
る。無垢という言葉がそのまま当てはまるような、そんな笑顔だ。
「確かに。あの笑顔でああ言われたら、信じたくなるな」
眩しいものを見るように、ティファが目を細めた。
「ウルト・ヒケウが皆を護るわ」
たまもの
その笑顔は無垢などではない。強靭な意志の賜物なのだ。
人々の心の不安を少しでも軽くするために、明日への希望を持たせるために、二ろ子は
天使を演じているのだ。
つれ
「希望があ。や、人間ってのはなんとか耐えられるもんだ。明白があると思うから、辛え
今日を耐えることができる」
イルダーナフの横顔を見ながら、カイルロッドは希望という言葉を噛みしめていた。
何万何千の絶望があろうと、たったひとつの希望があれば生きていける。
重くたれこめる雲の間に一条の光を兄いだしたかのように、人々はウルト・ヒケウの存
在に、明日への希望を見ている。
「希望か。いい言葉だな」
重く苦しい空気が払われた神殿前を、人々の明るい顔をカイルロッドは見つめていた。
カイルロッドもまた、そうした人々の中に希望を見ていた。
ころあい
会議まであまり時間がなかったので、頃合をみてカイルロッド達はウルト・ヒケウをつ
れ出した。三人は人々に手を振りながら、浮いたままでついてきた。
じゆんすい
「見てくれた、王子フ さっきのあたし達の純粋で清らかな笑顔」
「まさに天の使いですわ」
じがじさん すなお
自画自賛に近い気もするが、リリアとアリユセに問われ、カイルロッドは素直に「感動
した」と答えた。
「王子って、なんて素直ないい子なのー」
満面の笑みのリリアが、上からカイルロッドの頭をグリグリと撫で回した。「いい子で
すわ」、アリユセまで加わった。
「こら1つ、ターバンが取れるじゃないか」
ほとんどほどけてしまったターバンをおさえ、カイルロッドが声をはりあげていると、
「いいように遊ばれているな」
m 「面自えからな」
まがお
メディーナとイルダーナフが、真顔で見物していた。
「見てないで止めてくれよ!」
ヘノな
ぐしゃぐしゃになったターバンと髪をおさえながら、カイルロッドは唸った。
そんなふうに本殿の前で騒いでいたからだろう、建物の中から物見高い連中がカイルロ
ッド達を見ていた。
「目立ってるわね」
おもも
さほど不快ではないという面持ちでリリアが言い、
「そりゃ、飛んでればね」
かく
ほどけたターバンを手にカイルロッド。「ここまできたら、もう隠さなくてもいいだろ
じやま
う」と思い、邪魔にならないよう、ターバンをまるめていると、セリが上にきて、
かわい
「…こ可愛い」
たた
カイルロッドの頭をボンボンと叩き、アリユセの横に戻った。
、こ1・1こ∴
すご
飛んでいくセリを見ながら、カイルロッドは叩かれたところに手をあてた。凄いとは思
微笑みはかろやかに
うが、今一つウルト・ヒケウを理解できない気がする。
「では、会場に案内しよう」
ティファが先に立った。
会議があるとあって、建物内部はどうも騒がしかった。案内されているカイルロッド達
いつこ・フ
一行に、神殿内部の人々が好奇と畏怖の呂を向けている。
「浮いているのがウルト・ヒケウ様だ」
「長い銀髪がカイルロッド王子」
ささや こわ
ひそひそと囁きをかわしている。物見高い、恐いもの見たさの人々だ。そのくせ、視線
あわ
が合いそうになると、慌てて目をそらして逃げていくのだ。
おこそ
「建物に入るのは初めてだが、厳かなものだな」
内部を見回し、メディーナがそう感想を洩らした。カイルロッドも入った時は感心した
ものだ。が、そうした意見にティファは不満顔だった。
「厳かなのは建物だけだ。内外が厳かだったなら、こんな混乱にはならなかったはずだ」
てきげ
吐き捨てるように、手厳しいことを言ったティファを見て、イルダーナフは二ヤリと笑
けつへきしよっ
ったが、なにも言わなかった。その表情には、潔癖性の少女でも見ているような、そんな
ものが感じられた。
案内されながら、カイルロッドはイルダーナフを見上げた。
ちんもノ1
《沈黙の室》から戻ったカイルロッドに、イルダーナフはなにも質問しなかった。そこで
どんなことがあったか、lロロらぬもの》とどんな話をしたのか、イルダーナフにはわかっ
ているのかもしれない。
lまろ
聖地は滅ぶ −。
カイルロッドは宗H。らぬもの》が言ったことを思い出していた。結界を強化したところ
で、一時しのぎにしかならないと。
「イルターナフは結界を強化していたらしいが、そのことを知っているんだろうか?」
そのことを質問してみようと、
「あのさ、イルダーナフ」
さえぎ
声をかけようとした時、よく通る声に遮られた。
「神殿の奥にゃ一つの部屋がある」
イルダーナフは立ち止まり、西の方角を指差した。なにか等いものを差し示すような、
しんたく
神託を告げるようなイルダーナフの様子に、カイルロッドは引き込まれた。
「部屋って・・?」
「特別の部屋だ。そして、特別な者しか入れねぇ。会議が終わったら、おまえさんはその
徽芙みはかろやかに
部屋に入ることになるだろうぜ」
かがや
そう告げるイルダーナフには、真に高貴な者の持つ輝きと威厳があり、カイルロッドの
じゆば′、
みならず、ティファやメディーナをも圧倒した。この場にいる者すべてが呪縛されたよう
に、イルダーナフを見つめている。
「特別の部屋…・」
はんす・フ
反轟しながら、カイルロッドはふいに理解した。自分が神殿につれてこられた、その理
由を。
「ああ、そうか。そのために、俺はここへつれてこられたのか」
確かに避難のためもあっただろう。各回からの攻撃をかわし、カイルロッドを保護でき
るのはフエルハーン大神殿だけだ。しかし、本当の目的はその部屋に入ることだったのだ。
「あたし達も入ったのよ」
リリアとアリユセが「ね1つ」と領き合い、セリが「入ったの」と一言った。
なぜ
「ウルト・ヒケウ様ならわかるが、何故、きさまがそのことを・」
やっと呪縛が解けたように、ティファがロを開いた。
15 「物知。だな、親父」
2 ことば とまど
言葉は相変わらずだが、メディーナの顔には戸惑いがあった。
「とにかく、会議が先だろフ」
こんわく ゆる
複数の困惑の視線に、イルダーナフは口元をかすかに緩めた。
カイルロッドが見上げると、イルダーナフは小さく笑った。痛ましいものを見るような、
ぜんとたなん
そんな黒い目がカイルロッドの前途多難を語っていた。
3
ノ I
扉を開けて会場に入ると、前の場所より広かった。そして、人数も増えているようだ。
いつせい
カイルロッド達が会場に入ったとたん、一斉に神官達の視線が向けられた。突き刺さる
ような視線というものを、カイルロッドは身をもって知った。
すわ
「どこに座ろうかしら」
上から空いている席を探している三つ子を、神官達が目を真ん丸にして見ている。
まぬ づら
「なんてぇ間抜け蘭だ」
・・ . .・
驚いている神官達を見ながら、イルダーナフが意地悪く笑った。
「おい。とにかく、どこかに座れ」
するど
出入口付近に突っ立っていると、ティファに鋭く注意され、カイルロッド連は適当な席
についた。
217 微笑みはかろやかに
あらトー
後ろの方の席についてから、カイルロッドは改めて周囲を見回した。正面の席にアクデ
はき
ィス・レヴィがお。、彼を挟んでエル・トパックとロワジーが座っている。
「おやフ」
かし
ティファが首を傾げた。
「どうしたいフ」
イルダーナフが訊くと、ティファは「ゼノドロスがいない」と言った。言われてカイル
ロッドもそのことに気がついた。いつもなら、アクディス・レヴィの横にいるゼノドロス
の姿が見えない。
「でも、あの人がいないと、静かでいいかも 」
おー
ゼノドロスが間いたら怒るようなことを考えながら、カイルロッドは正面の席にいるア
クディス・レヴィとエル・トパックを見ていた。
「仲良くなったのかな」
やかましいゼノドロスがいないせいだろうか、カイルロッドはそんな気がした。
「さて、これで全員が揃ったな」
みはか あいず
頃合を見計らって、アクディス・レヴィが口を開き、それを合図に会場が静かになった。
アクティス・レヴィは立ち上が。、
しゆうげき
「先日魔物の襲撃により中断された会議を、これより再開する」
会議の始まりを告げた。「堂々としているな」、神官長の様子にカイルロッドが感心して
いると、
「ほう。神官長に見えるじゃねぇか、あの坊や」
どな いす
右隣りにいるイルダーナフがロを曲げ、椅子の背にもたれかかった。
「・ イルダーナフ」
・.
カイルロッドは額に指をあてた。誉めているのだろうが、言い方というものがあるはず
だ。
「聞こえたら気分を悪くするじゃないか」
カイルロッドが心配して正面を見ると、イルダーナフの声が聞こえなかったのか、無視
くてん 、ノなが
しているのか、アクディス・レヴィはロワジーに口伝の公開を促していた。
「いよいよですわね」
「楽しみよ」
カイルロッドの左側に、三人で並んで座っているアリユセとりリアが笑顔で呟いた。そ
れを見て、カイルロッドの胸に急激に不安が広がった。「どうして楽しみなんだフ」、口伝
の内容というのは、楽しみにするようなことなのだろうか。
微笑みはかろやかに
_、Il
「リリアとアリユセが楽しみにするなんて。もしかしたら、とんでもないことなのでは」
.1
想像しているうちに恐い考えになってしまい、カイルロッドは隣。の大男にすがりつい
た。
「イルダーナフ・。口伝って、タジェナに封じられていたものを、再び封じる方法なん
だろっ」
「さてフ」
てんるレよう
大男は腕組みをして、すっとぼけた顔で視線を天井に向けた。だが、口元に笑みがあっ
おもしろ
た。明らかに面白がっている笑いだ。イルダーナフまで面白がっていると知。、カイルロ
ッドの不安はつのるばか。だった。
「なんか、不安だ・・・・」
みけん しわ うなが
カイルロッドが眉間に紋を寄せていると、促されたロワージが立ち上がった。この場に
いる全点の視線と意識が、前神官長に集中した。
「口伝ですが − 」
せきばろ
ロワジ1はひとつ咳払いし、それによって室内の空気が一変した。アクディス・レヴィ
の表情は鋭くな。、神官達は姿勢を正した。イルダーナフとウルト・ヒケウは二ヤこヤ笑
っている。カイルロッドはというと、不安を感じっつも、周。の緊迫した雰囲気に影響さ
かたで
れ、固唾を飲んでロワジーの言葉を待っていた。
期待と緊張の高まる中で、ロワジーがゆっくりと話し始めた。
くでん
「口伝は タジェナに封じられていたものを、再び封じる方法などではありません」
しゆんかん
その瞬間、会場内はどよめきと失望の声で満たされ、窓や壁などが振動した。
「なんだってn」
マ とんきよう
カイルロッドは素っ頓狂な声をあげた。ある程度は予測していたとはいえ、はっきり一岩
業にされると、やはり驚きは隠せない。アクディス・レグィは顔色を失い、神宮達は失望
の声をあげている。期待が大きかっただけに、失望もまた大きかったのだ。
「ロワジ1、さんざん勿体をつけたあげくがこれか!」
つか
ロワジーに掴みかかりかけたアクディス・レヴィを、エル・トパックが押し止めた。
「そう言われても、事実だから仕方ない」
人々のそうした反応に、人の悪い老人は満足気に笑っている。
「このっ・−」
アクディス・レウィは怒りで言葉も出ないようだった。
「神官長でなくとも怒りたくもなるよな」
同情しながら、カイルロッドは両隣りを見た。三つ子が「ロワジ1様って本当に人が悪
221 微笑みはかろやかに
けんめい
いんだから」とクスクス笑い、イルダーナフは懸命に笑いをこらえているようだった。
だま
「よく考えてごらんなされ。そもそも、そんなものがあれば、今まで黙ってるわけがない
でしょうが。少し頭を働かせればわかることですぞ」
はと まめでつぽっ
怒。狂っている神官長と、鳩が豆鉄砲くらったような顔をしている神官一同に、ロワジ
Iがお
ーは 「思考を惜しむと、ますます馬鹿になるぞ」、と真顔で忠告した。ほとんどの神官連
は声も出せず、口をバクバクさせていた。
「 そうか、これが見たかったんだな。イルダーナフやロワジ1様が人が悪いのは知っ
いじわる
ていたが、ここまで意地悪だったとは」
勿体をつけられたうえに、からかわれていたのかと思うと、カイルロッドですらこめか
みがひきつりそうになる。
「さすがロワジ一様だな」
メディーナは妙な感心をしていた。ティファは怒る気力もないというように、うなだれ
ている。
「タジェナに封じられていたものを、再び封じる方法でなければ、口伝の内容はなんなの
だフ」
「封じる方法ではないというのなら、いったい、どうすれば・ 」
会場がざわついた。「口伝はタジエナに封じられていたものを、再び封じる方法」と信
じこんでいたのを否定され、神官達は急激に危機感を強めたらしい。
く一ごん
「ロワジー、前置きはいいから本題に入れ。口伝の内容はなんだ? なにしろ俺は頭が悪
いのでな、きちんと説明してもらわないと理解できんのだ」
すご
いち早く立ち直り、アクディス・レヴィは笑っているロワジーに凄んだ。エル・トパッ
1・
クも「お願いします」と買った。穏やかだが、有無を言わさぬものがあった。
神官達の冷たい視線を一身に受け、笑っている状態ではないと判断したのか、ロワシー
が表情を改めた。
「ここまできたら、いくらなんでもからかえないよな」
カイルロッドは姿勢を正した。これから本当の口伝を知ることができるのだ。何気なく
見ると、イルダーナフは相変わらずだが、ウルト・ヒケウ達は笑いを消していた。
シのnノか
「口伝は、ある物の在処を伝えております」
事務的にロワジー。
「それは古い物で、フエルハーン大神殿と同じ頃に創られた物と聞いています。それは秘
めなくてはならぬ物であり、その存在と在処は神官長のみに日伝として語り継がれてきま
した」
23 微笑みはかろやかに
おごエ
ここでロワジ1は言葉を区切り、一同を見回した。そして、厳かに言った。
「口伝とは、舎弟二の神殿》の在処を伝えるものです」
すみヂみ ひぴ
さほど大きくなかったのに、ロワジ1の声は会場の隅々にまで響き渡った。
《第二の神殿》一一
こんわく にじ
公開された口伝の内容に、会場の空気の色が変わった。人々の顔に驚きと困惑が惨み、
それが広がっていく。
「《第二の神殿》?」
つぷや
カイルロッドはロの中で呟いた。初めて耳にする言葉だった。よくわからないが、フエ
ルハーン大神殿と並ぶという意味なのだろうか。
「なんだ、その《第二の神殿》というのは」
lナげん まゆ あこひげ
怪訝そうに、アクティス・レヴィが眉を動かした。説明を求められ、ロワジ1は顎架を
引っ張。ながら、
「と。あえずそう呼んでいるだけで、実際は秘密の都市というところですな」
《第二の神殿》について語。始めた。
きぽ
なんでもそれはフエルハーン大神殿の数倍もの規模を持つ巨大な衝であり、世の中が乱
れた時のために創られた物だと言う。そしてそこには、古代の力が結集されている、と。
「そんな物があったのか」
アクディス・レヴィが唸った。彼だけでなく、エル・トパックや他の神官達も驚いてい
る。そんな神官達を見て、ロワジ1は小さく笑い、
きりiだ みな
「《第二の神殿》はフエルハーン大神殿の切札です。歴代神官長達は、皆に口伝を教えず
にすむことを祈っていました」
かルがい
感慨深げに目を閉じた。できることなら自分も日伝を教えずにすむことを願っていたと、
老人の顔にはそんなものがあった。
「それで《第二の神殿》のことですが」
くわ
さらに詳しいことを訊こうと、エル・トパックが口を開いた。ロワジーは目を開け、
われわれ
「我々はフエルハーン大神殿を捨て、助けを求める人々とともに、すぐに《第二の神殿》
へ行くべきです」
はっきりと、強い口調で言った。
てつな
刹那、人の声が爆発したようだった。先程のどよめきなど比ではない。「人の声がこれ
しよラーヂき うめ
ほど大きく激しくなるとは」、鼓膜どころか全身を打つ衝撃に、カイルロッドは坤いた。
ロワジーの進言に対して神官達が次々と立ち上がり、口々に異議を申し立てた。
5 微笑みはかろやかに
「私は反対です!」
「この聖地を、フエルハーン大神殿を捨てろと言われるのか!」
「いかに元神官長とはいえ、許される発言ではあ。ませんぞー」
いふぢら
居並ぶ神官達にとって、フエルハーン大神殿を捨てるなど、とんでもないことなのだ。
つか
たとえ天地が裂けようとも離れない、それが神殿に仕える神官の心得たるものと信じてい
るのだろう。
どせい しゆうしゆ、ン
窓声が飛びかい、収拾のつかない騒ぎになっていく。耳鳴りがしてきて、カイルロッド
は顔をしかめた。
「静かにしろー 静かにしないか〓」
のど
アクディス・レウィが喉をからして叫んでいるが、騒ぎは静まらない。エル・トパック
らつしよ きくっん
も一緒に静めているが、もはや神官達は錯乱しているとしか言いようのない状態だった。
ばか
爆弾発言をしたロワジーは「だから馬鹿は嫌いだ」とでも言いたげに、そっぽを向いてい
る。
「おいおい。ちいっとばか。、盛り上がりすぎてんじゃねぇかっ」
じゆうめん
イルダーナフが渋面になった。あまりのうるささに、ウルト・ヒケウの三人は両手で耳
をふさいでいる。カイルロッドも耳を押さえながら、
「イルダーナフ、ウルト・ヒケウー どうにかしてくれよー」
大声を出した。もはやこの騒ぎをおさめられるのは、イルダーナフ、ウルト・ヒケウし
かない。
つぶや
カイルロッドが必死で助けを求めると、ウルト・ヒケウは「仕方ないわね」と呟き、席
から浮いた。イルダーナフの方は知らん顔を決めこんでいる。
「おお、ウルト・ヒケウ様が」
アクディス・レヴィ達の席へ行く三つ子を見て、少しだが騒ぎがおさまった。
「やっぱりウルト・ヒケウが動くと効果があるな」
などとカイルロッドが感心しながら見ていると、三つ子はロワジーの横に浮かび、
すす
「あたし達ウルト・ヒケウも、《第二の神殿》に行くことを勧めるわ」
えんご
リリアがロワジーの意見を援護した。ウルト・ヒケウにまでそう言われ、怒りにかわっ
て、戸惑いの雰囲気が広がった。
「いずれこの聖地に人間はいられなくなるのよ」
ほろ けつかい
「フエルハーン大神殿は、この聖地は滅びますわ。聖地を護っている結界はやがて消えて
しまうのです」
きぴ さん1.ノいしや
リリアとアリユセが厳しい表情になる。ウルト・ヒケウに参詣者達の前で見せていた笑
227 微笑みはかろやかに
さつき
顔はなく、どこか殺気めいた雰囲気をまとっていた。
「滅ぶこ 。この聖地が」
「なんという・・」
うめ
どこからか、かすれた坤き声が洩れた。ウルト・ヒケウにはっき。と聖地の滅びを告げ
きよむかん
られ、神官達の中には虚無感にとりつかれた者もいるようだ。
「結界が消えるのか」
・1.′H
カイルロッドは《語らぬもの》の言葉を思い出し、イルダーナフを見た。カイルロッド
の視線に、イルダーナフは薄く笑った。「あんなものは一時しのぎだ」と、そう言ってい
るようだった。
「イルダーナフは自分のしていること、しなくてはならないことを知っているのだ。そし
てウルト・ヒケウやロワジーも」
カイルロッドは正面を見た。
みこ
ウルト・ヒケウ達は滅びの予言を告げる巫女のようだった。そして、その予言は的中す
るのだ。
聖地は滅びるだろう1。
もはやそれは、変えることのできない事実だった。
4
きみよ、フ ちルもヽ
会場は奇妙な沈黙に支配されていた。
聖地であるフエルハーン大神殿を捨てて、別の場所へ行く1そんなことを考えた者は
一人としていなかったのだ。
しや
「でも、ウルト・ヒケウにまで言われては、嫌とも言えないんだろうな」
複雑な表情をしている神官を見回しながら、カイルロッドはそう思った。どの顔にも迷
ゆいいつ
いと戸或心いがある。唯一の例外がエル・トパックで、神殿を捨てて別の場所へ行くという
あんど
意見に賛成らしく、安堵の笑みをうかぺていた。
「おたずねしてよろしいですか、ロワジ1様」
ややあって、意を決したように中年の神官が立ちLLがった。
「なんだねフ」
ロワジーが顔を向ける。アクティス・レヴィもエル・トパックも、カイルロッドもその
中年の神官を見た。
「この聖地が滅びるのなら、我々は助けを求めにきている人々のためにも、安全な場所を
見つけなければなりません。ですから、神殿を捨てるという意見に反対はいたしません。
29 微笑みはかろやかに
くでん
ですが、その《第二の神殿》はどうなっているのですか?▼一口伝でその存在を知らされて
いると言われましたが、実際に行った者はいないのでしょうフ」
もっともな疑問だった。続いて別の神宮が立ち、不安を述べた。
「ここからその《第二の神殿》まで、どれほどの距離があるのですかっ・神殿の外は魔物
ばつこ
が蚊属しているそうではあ。ませんか。そんな中を人々をつれて行けるのでしょうか」
それを皮切。に、次々と神官達が質問を投げつける。
《第二の神殿》は本当にあるのか。
あるとしても、そこで生活することができるのか。苦の建物なのだ、修復が必要ではな
いか。食料や燃料はどうなっているのか。収容人数はどれほどか。
みちぴ おそ
また、大勢の人々をどうやってそこまで導くのか。道中、魔物が襲ってきたらどうする
のか。
疑問と不安は山積みだった。
「そりゃ、そうだよな」
うなず
あげられた疑問を指折り数えながら、カイルロッドは頒いていた。神官達の不安はよく
すなお
わかる。いきな。「口伝がしるしているから、その場所へ行こう」と言われて、素直に行
はいきよ
く者はいない。カイルロッドだってためらうだろう。「行ったら廃墟でしたじゃ、たまん
ないもんな」、などと考えていると、
「確かにこのままでは、この聖地に人間は住めなくなるだろう。結界のことはわからない
が、食料と燃料の問題があるからな」
アクディス・レヴィが書類を手に持ち、自分に風を送るように動かした。
がし とうし
「俺の個人的な意見としては、このまま餓死や凍死を待つぐらいなら、安全で物資のある
場所へ行きたいと思う」
アクディス・レヴィは鋭い視線をロワジーとウルト・ヒケウに向け、
「そちらの意見どおりに、な」
おど
脅しめいた口調で言った。この若い神官長はロワジー達に、山積みされた疑問のすべて
に答えられるのかと、それなりの用意はあるのかと問うているのだ。
「ちょっと! 黙って聞いていれば、ずいぶん失礼なことを言ってくれるじゃない。本当
にあるのか、生活物資はどうなっているのか、ですってフ 用意も整ってないのに行けと
おろ
言うほど、あたし達は愚か者じゃないわよ」
問いに答えたのはロワジーでなく、リリアだった。リリアは神官達の疑問が不快だった
らしく「ふん」と鼻を鳴らした。
「神殿の人間も歳月とともに、頭が悪くなっているわね。いいこと。なんのために、あた
緻笑みはかろやかに
し達が神殿を出たと思っているのフ」
懐し持っていた最強のカードを見せるように、。リアはニッと笑った。
「あたし達は三〇年の間《第二の神殿》を護り、いつでも人々が避難できるよう準備して
いましたのよ」
lはlほヰ
アリユセがにっこり微笑んだ。
ウルト・ヒケウの言葉に、神宮一同は声も出せずにいるようだった。カイルロッドもま
た、驚きで声が出なかった。
「そうか。彼女達の苦っていた『重大な使命』とは、《第二の神殿》の用意だったんだ
・」
この時がくることを予測し、《第二の神殿》を探しだした。それから結界や建物の強化
ばんぜん
をし、万全の用意をしていたのだ。
「俺のためなんて言っていたけど…・。彼女達が神殿に戻ってきた大きな理由は、《第二
しえい
の神殿》 への案内と、その護衛だったんだ」
呟き、カイルロッドは前髪を掻きあげた。
ぽうぜん
呆然としている一同を見ながら、リリアは説明を続けた。
「神殿から《第二の神殿》までの道程も調べてあるわ。あたし達とロワジ1様で、一番近
くて楽な道を色々と調べたのよ」
てつた
それを聞いて「だからいつも地図を紺んでいたのか」と、調べものの手伝いをしていた
なつとく
メディーナが納得したように呟いた。
「三〇年も前から計画して、この時に備えていたなんて」
カイルロッドはロワジーとウルト・ヒケウの努力と行動力に、頭の下がる思いがした。
「イルダーナフも・」
どな
カイルロッドはテラッと、右隣りを見た。神殿関係者だったこの大男も、三〇年前に神
. . .・・ , −
殿を出たという。この計画の〓堀を担っていることは間違いない。
たたか
「関っていたのは、俺だけじゃなかった」
めがしら
カイルロッドは片手で目頭を押さえた。
おもわく
彼らは自分の力だけではどうにもならないこと1−癖間や人々の思惑と闘いながら、人
知れず動いていたのだ。
「どうした、王子」
上からイルダーナフの声がして、カイルロッドは手を離した。
「 俺は心のどこかで、自分だけが苦労していると思っていたんだ。なにも知らずに
それが恥ずかしい」
233 微笑みはかろやかに
足元に視線を落としながら呟くと、
「実際苦労してるんだ。別に恥じるこたぁねぇよ」
素っ気ない声が戻ってきた。カイルロッドが顔をあげると、黒い目が少し悲しそうに笑
っていた。
「さて。これでわしの仕事はすんだな」
まか
後はウルト・ヒケウに任すというように、ロワジーは腰を叩きながら席についた。
会場には希望的な空気が流れ始めていた。ウルト・ヒケウにあちらの準備は整っている
と言われ、不安の半分は消えたのだ。
「残す問題は道程だな」
あご
アクディス・レヴィが片手を顎にあてた。すると、アリユセがアクディス・レヴィの前
にきて、
「魔物のことはご安心くださいな。護衛にウルト・ヒケウとカイルロッド王子がお。ます
もの」
はほえ
カイルロッドに微笑みかけた。
「えけ」
いきな。名前を出され、カイルロッドはびっく。して立ち上がった。榛でイルダーナフ
あき すわ
が 「立たなくたっていいんだよ」と呆れていたが、なんとなく座りにくかったのでそのま
ま立っていると、
「カイルロッド王子。我々の護衛をしてくれるかっ」
しんし まなぎ
アクディス・レヴィに訊かれた。真撃な眼差しを受け、
「俺で役にたつなら、なんでもします」
カイルロッドは本心からそう答えた。
あんど
おおっ、と、安堵と喜びの声があがった。細かい不安は残っているが、根本的な不安が
解消されたとあって、神官達はほっとしているようだった。アクティス・レヴィもエル・
トパックも、安心したようだ。
「細かいことは後で検討するとして、まず、フエルハーン大神殿を・」
神殿を捨てて《第二の神殿》 へ行くと、アクディス・レヴィがそう決断を下そうとした
とぴち
時、乱暴に扉が開いた。
かちだ カた
音とともに現われた人物に、会場にいる人々は身体を硬くした。
「フェルハーン大神殿を捨てるなど、私は絶対に許さないぞー」
どせい おじ
怒声とともに飛び込んできたのは、アクディス・レグィの叔父、ゼノドロスだった。
「うわー、うるさい人がきた」
カイルロッドはげんなりとして、前の机に両手をついた。が、そう思ったのはカイルロ
ッドだけでなく、
「ゼノドロス神官!」
きんしん
「謹慎中のはずですぞー」
さわ
さっさと出て行けと言わんばかりに、神宮達が騒いだ。そうした騒ぎの中で、ゼノドロ
いや
スの登場をもっとも嫌がっているのはアクディス・レヴィで、
だれ
「誰が会議の出席を許したー とっとと出て行けー」
言葉を飾ろうともしない。しかしゼノドロスは、その程度で引き下がるような男ではな
かった。ズカズカと会場に入りこみ、
「神殿の一大事におとなしく謹慎などしておられましょうかー この私を抜きに、そんな
重大なことを決めるとはー 歴史あるこの神殿を捨てて、別の場所へ行けなど、神官長の
言うべきことではありませんぞー」
おい
塀である神官長の前で、熱弁をふるいだした。アクディス・レグィが「きさまの意見な
どな
どきいておらんー」と怒鳴りつけても、ゼノドロスは聞いていない。
「・よくしゃべるなぁ」
カイルロッドはゼノドロスの登場に疲労を感じていた。
237 微笑みはかろやかに
「謹慎などなまぬるいー ああいう男は一生牢にぶちこんでおくべきだー」
するどは
心底ゼノドロスを嫌っているらしく、ティファが鋭く吐き捨てた。
にぎ
「小金を握らせて、神殿内部の情報を仕入れているみてぇだな。神殿を出るかもしれない
あわ
と聞いて、慌ててとんできたんだろうぜ」
あくび
欠伸をしながら、イルダーナフ。
「ちょっと、なによ、このおじさん」
わめ
前で喚いているゼノドロスに、リリアが顔をしかめた。ロワジーなど顔を見るのも妹と
ばか。に、後ろを向いている。口出しすれば、ますますゼノドロスがうるさくなると知っ
ているエル・トパックは沈黙を守っている。
じやま
「いきな。きて、ワーワー喚いて。邪魔だから出て行ってくれないっ」
そうリリアが言うと、
「それでもウルト・ヒケウなのか− 神殿を護るべき者達でありながら、神殿を捨てろと
進言するとはー」
ほこさき
ゼノドロスの非難の矛先はウルト・ヒケウに向けられた。
なげ
「なんという嘆かわしいことだー 神殿を捨てるなど、よくもそんなことが言えるもの
、でん
だー なにが口伝だ− なにがウルド・ヒケウだー」
うっぷん しだい
謹慎でたまっていた鬱憤をはらすかのように、手当たり次第に非難する。
lぎユノと′、
「それ以上の冒澤は許さんぞー」
こ.かし がまん
アクディス・レヴィが渡りしめた拳を上げた。我慢の許容量を越えたらしい。
「神官長−」
ゆか
エル・トパックが止めようとしたが、その時すでにゼノドロスは床の上に倒れていた。
「痛そうな音だな」
メディーナが冷静に言った。
「暴力など最低だぞ、アクディス・レヴィー エル・トパックにそそのかされ、そこまで
だちノ、
堕落したのかー」
なぐ
殴られた頬を押さえ、ゼノドロス。アクディス・レヴィが 「堕落しているのはどっち
だ−」と怒鳴り返し、
「トパック様がそそのかしただとけ もう許せんー たたっ斬ってくれる!」
つか
剣を掴み、ティファが席を立った。
hソゆうけつきんじ
「うわーっ、流血の惨事になるー」
ティファを止めようと、カイルロッドが身を乗り出した時、
Ffかやろう
「いい加減にしねぇか、馬鹿野郎=」
微笑みはかろやかに
ら′1らい
横から落雷のような声がした。
ひび
単に大きく響くという声ではなく、無条件に人を従わせるような強い声に、ゼノドロス
だま
とアクディス・レヴィが黙った。他の神官達は、驚きの目を声の主に向けている。
「……耳が・…」
つら すご
カイルロッドはしかめっ面で耳を押さえていた。「凄い声だ」、鼓膜が破れたのではない
かと思った。
いそが うちわ
「まったく、黙って見てりや、なんだこの有様は。この忙しいのに内輪もめなんざしやが
って。てめぇら、非常事態だってぇ自覚があるのか?」
イルダーナフは立ち上が。、前にいるアクディス・レウィとゼノドロスを睨んだ。
lユあつ
威圧するような視線と言葉の内容にアクディス・レグィはうつむき、沈黙している。が、
ゼノドロスは負けてはいなかった。
「神殿に無関係な者は歎州っていろー」
立ち上がるな。、そう怒鳴った。ロワジーとウルト・ヒケウが、氷よ。も冷たい目をゼ
ノドロスに向けている。
けんか
「イルダーナフに喧嘩うってる・・」
じゆ・つめん
耳鳴。とは別の意味で、カイルロッドは渋面になった。
「おい、知ってるかつ 弱え犬ほどよく吠えるってよ」
ゼノドロスを見ながら、イルダーナフがせせら笑った。
つb
「なんだとlフ 何様だか知らないが、でかい面しやがって!」
くらぎたな わめ
口汚くゼノドロスが喚くと、
「おやめなされ、ゼノドロス神官−L
最年長であるオンサが立ち上がった。いつもは、いるのかいないのかわからないほど影
の薄い老人が発言したとあって、一同は驚きを隠せなかった。ゼノドロスですら目を丸く
して、ポカンとしている。
一れい
「この方への無礼は許しませんぞー」
かすれ声で、しかし強い口調で老人が言った。この方というのは、イルダーナフを指し
まちひ ようす
ているのに間違いない。「神殿でも身分が高い人だったんだ」、老人の様子からも神官級程
度ではあるまい、やはりと思いながら、カイルロッドはイルダーナフを見上げた。
反対側ではメディーナが探るように、ティファが 「まさか」という面持ちでイルターナ
フを見上げている。
「なにが無礼は許さないだ! こんな、ゴロッキ! 老嬢してぼけたか、オンサー」
どこまでも強気のゼノドロスに、
微笑みはかろやかに
おの こよノかい
「その辺でやめておいた方がいいぞ、ゼノドロス。すぐに己れの暴言を後悔することにな
る」
ひらめ
前に向き直ったロワジーが底意地の悪い表情を閃かせた。ウルト・ヒケウも「これから
話すことを聞いたら、青くなっちゃうわよ」、意地悪く笑う。
エル・トパックが表情を引き締め、
「おい、この男は何者なんだフ」
おげ つ.ふや
どこか怯えたようにアクディス・レヴィは呟いた。
.h..1
畏怖が波紋のように広が。、会場を覆った。それは得体の知れない黒髪の大男に対する
畏怖だ。
一へだもの
「どうやら只者ではないらしい」
誰もがそう確信していた。最長老オンサ、ロワジー、そしてウルト・ヒケウすら、この
大男にへりくだっているのだ。只者であろうはずがない。
「だが、何者だフ」
きんちよう
イルダーナフに向けられた神官達の視線には、異様な緊張があった。さすがのゼノドロ
お あ′1たい
スも張。詰めた空気に圧され、憲態をつけなくなっている。
「イルダーナフの正体がわかる」
なp
そう思うと、カイルロッドもまた緊張せずにはいられなかった。初めて会った時から謎
だらけの男だったが、ようやくその正体がわかる時がきたのだ。
おそ
時間の進みがいやに遅く感じられた。
一本の細い糸を切れる寸前まで引っ張っているような、極限に近い緊張が人々の上にの
しかかっていた。
息を詰めて、イルダーナフがなにか言うのを待っている。張り詰めた空気にカイルロッ
ドは息苦しさをおぼえ、衿をいじっていた。
人々の緊張と畏怖とを一身に受け、やがてイルダーナフはゆっくりと口を開いた。
−′.一りい
「・我々はこの聖地を捨て、《第二の神殿》 へ向かわねばならない」
おごそ ろうろう おか
厳かで朗々とした声が響いた。いつもの砕けた口調ではない。言葉にも表情にも犯しが
いげん
たい威厳がある。
けわ
「道は険しく、かつ困難ではあるが、できぬことではない。ウルト・ヒケウを信じよ、我
を信じょ。明白を信じ、希望を信じょ」
その声にも表情にも、人をひきつけてやまぬものがあった。今や会場にいる者すべてが、
いつきよいちどう
イルダーナフの一挙一動から目も意識も離せなくなっていた。
しぼ カこく たたか
「そして心せよ。我ら神官一同、知恵と勇気を振り絞り、苛酷な運命と闘いながら、人々
微笑みはかろやかに
243
、1.J.
をかの地へと導かねばならぬ。それがフエルハーン大神殿最後の使命である」
イルダーナフは言葉を止め、ゆっく。と一同を見回した。なにもかもを見透かしたよう
たの
な目で、一人一人に言い聞かせるように、頼むように。
「大神宮の名において、移動を命ずる」
せんりつ
その言葉は静かな戦慄となって、奔り抜けた。
「だ、大神宮P」
ひめい
ゼノドロスが悲鳴をあげた。他の神官達は声も出せず、放心状態になっていた。
む おどろ
アクディス・レヴィは目を剥き、冷静なエル・トパックですら驚きとは無線でいられな
かった。
「・…大神宮・・…・だとフ・」
ぽうぜん おもも まゆ ぎようし
ティファは呆然とした面持ちで、メディーナは眉をひそめて、イルダーナフを凝視して
いる。
大神宮 − 最高権力と最高の力を持つ、神聖なる存在。
しかしこの百年、大神宮は出ていないと、ダヤン・イフェが言っていたことをカイルロ
ッドは思い出した。
「イルダーナフ、あんた 」
カイルロッドは自分の芦が震えていることに気がつかなかった。神殿高位の者とは思っ
たが、まさか大神宮だったとは。
しゆうにん
「ま、大神宮なんてぇいっても、就任式前日に夜逃げしちまったからな」
見上げるカイルロッドに、イルダーナフはいつもの笑顔で言った。だが、カイルロッド
はなにも言えず、ただ、横にいる大男を凝視していた。
T
が
シー
あ
24
あとがき
どうも。
卵王子の七巻です。
妹に指摘されるまで、まったく気がつきませんでしたが、他社からの物も含めて、この
だれ
本で二〇附目になります (註かに言われない限り、私はそういうことに気がつかないので
ある)。
いやー、なにがなんだかわからないうちに、あっという間に二〇冊。
ひとごと
まるで他人事のように感心してます。
えー。
いただく手紙には相変わらず「本が見つかりません」が多いようです。中には、
ぞうさっ
「どこの本屋にも並べるようにしてください。増刷してください」
というのもありますが。
・・すいません。それ、作者にはどうにもできません (作者が勝手に増刷決められるな
ら、皆やってると思う)。
めぐ
しっこいようですが、本が見つからない場合は本屋さんに注文するか、ひたすら本屋巡
りして探し出すかしてください。
あてさき
他に目についたのは、「手紙の宛先がよくわからない」という意見です。
おくづけ とど
本の後ろ、奥付にある住所宛てに送っていただければ、届きますのでご安心を。
が、なんとなくわかりにくいと思う方もいると思うので、ここに書いておくことにしま
す。
〒一〇二
東京都千代田区富士見一−十二−十四
富士見書房 ファンタジア文庫編集部気付
冴木 忍 (宛)
き
が
と
あ
うーん。こういうのをのせるのは、「幻想封歌」の解説以来です(たまにはのせた方が
いいのかもしれない)。
さて。
がんば
卵王子も残り少なくなってきました。ラストに向けて頑張ります。
最後になりましたが、イラストの田中久仁彦氏に御礼申し上げます。
では、次巻もよろしく。
冴木 忍 拝