く卵王子〉カイルロッドの苦難D
野望は暗闇の奥で
222
冴木 忍
富士見ファンタジア文庫
32−10
口絵・本文イラスト 田中久仁彦
目 次
一章 過去からの伝言
二章 その名も知らざりき
1▼
三章 空白の街
四章 目覚めよと呼ぶ声ありて
あとがき
野望は暗闇の典で
二軍 過去からの伝言
風景が変わ。始めていた。
いたガぉ
春も盛りだというのに緑と花が減っていく。遠くに見える山の頂がぼんや。白く見える
、・                     .      1・1
のは、残雪だろうか。まだ薄く氷の張っている小川、芽吹いたばかりの草、堅い花の蕾
− それらを見てカイルロッドは、自分達が北へ向かっていることを実感していた。北の
大地の春は遅い。
「それにしても。いなくなって初めてその人の価値がわかるって言うけど、本当だなぁ」
立ち枯れたような木々しか見えない荒地を歩きながら、カイルロッドはため息とともに
つぷや
呟き、頭に巻いたターバンを軽く叩いた。
つ                                   さび
愛想を尽かされたイルダーナフに去られてから、三日が過ぎていた。心細さと淋しさを
抱いて、カイルロッドとミランシャの二人は北へと向かっていた。
「イルダーナフがいないと静かすぎて、なんか変な感じ」
みトる    ひぎ
荒地を渡る風の冷たさに、ミランシャが小さく身震いした。陽射しは弱々しく、風は身
を切るように冷たい。
「まったくだ」
う8ず   いつしよ
同感だったので、カイルロッドは無言で領いた。一緒にいるとバラバラさせられるばか
りだが、いなくなるとひどく淋しい気持ちになる。イルダーナフはそんな男だった。
おれ
「俺達、ずいぶんイルダーナフに頼っていたんだな」
カイルロッドは三日の間で、それを痛感した。ミランシャも同様だろう。
「でも、王子。思ったより冷静ね」
感心していると言うより、薄情だと呑めるような口調だった。
「  冷静ってわけじゃないけど」
にが
呟いたカイルロッドの舌に、苦い味が広がった。護衛をおりたと告げた時の、イルダー
まなぎ                  あば   しよフどう
ナフの冷ややかな眼差しと口調を思い出し、大声を出して暴れたい衝動にかられた。
「もし戻ってきてくれるなら、なんだってするけど…・与れは無理だろうから…・」
あhさ
怒らせたのでなく、呆れさせたのだ。決してイルダーナフは戻ってきてくれないだろう。
野望は晴間の輿で
「完全に見限られたかちな、俺は」
じぎやくてさ
自虐的に呟いたカイルロッドに、ミランシャが探るような目を向けた。
「・王子。あたし、ずっと気になっていたんだけど……。指輪、持っている? おじさ
んに返してもらったフ」
丁目」
カイルロッドは硬直した。
カたみ
母の形見の指輪 − ルナンを出る時、ダヤン・イフェに渡された物だ。しかし、どうい
う訳かカイルロッドが持てないため、イルダーナフに預かってもらったのだが・
「か、返してもらってない  」
カイルロッドの全身から音をたてて血の気がひいた。ミランシャに言われるまで、指輪
のことなどきれいに忘れていた。
「まさかと思ったら・」
ろこつ
ミランシャは露骨に呆れた顔で、大きく頭を左右に振った。そして、
「今頃、おじさんの酒代に化けちゃってるかもしれないわよ」
ろフばい  とlまう                     ようしや
狼狽し、途方に暮れて真っ青になっているカイルロッドに、容赦のないことを言った。
「そんなー いくらなんでも、それはひどいよー」
「あたしに言わないでよー だってあの酒好きのおじさんなら、それぐらいやりかねない
でしょー まったく、今までの仕事代はチャラにしてやるなんて言っておいて、ちゃっか
り持っていっちゃって!」
「う・。確かに」
げんちよう
亡母への申し訳なさと、幻聴となって聞こえてくるサイードとダヤン・イフェの非難の
泣き声に、カイルロッドはよろめいた。返してもらいたくとも、イルダーナフがどこにい
るのかわからない。探すあてもなノ\ また時間もない。
「ビ、どうしよう  こ
「こうなったら、なくしたと思ってl諦めるしかないわよ」
慰めになっていないミランシャの声を聞きながら、カイルロッドは絶望のどん底で地団
太を踏んでいた。しかし、それも長い時間ではなかった。
「そうだ。ないものはないんだ」
どう悩んでみたところで、取り返すあてはないのだ。
「父上とダヤン・イフエの二人には、なにか適当な言い訳をしよう」
人に預けて、そのまま持っていかれたとは言えないから、国に帰るまでの間になにかい
い言い訳を考えておこうと、カイルロッドは思った。ただ、どう言い訳しても二人に泣か
野望は相磯lの奥て
れることだけは確かだ。
.1
「もう、王子ってほんっとに抜けてるわね。呑気もここまでくるとなにも言えないわ」
ミランシャになにを言われても返す吉葉がない。「俺ってやっぱ。呑気なんだ」、ただで
さえ重い足取hソが、いよいよ重くなった。
カイルロッドとミランシャの二人は、それぞれ別々の理由で、ため息はか。つきながら
歩いていた。陰気を桧に描いたような二人連れの姿だった。
たが
そんなふうにして、ほとんどお互いに口をきかず、黙々と荒地を歩いていると、前方に
ぽつんと影が見えた。
「へえ、人だ」
しかく
カイルロッドの声は明るい。妖魔やフェルハーン大神殿の刺客から、他人を巻き込まな
いように、カイルロッド達は街や村ばかりか、人の通る道さえも避けていたのである。人
つれ
を見るのは三日ぶ。だったので、カイルロッドはなんとなく嬉しかった。
「喜んでる場合なのフ また刺客かもしれないわよ。こんな場所を歩いているんだから、
油断できないわ」
”きげん
ミランシャは不機嫌に言った。
「用心するよ」
喜びに水をさされて一瞬ムッとしたが、ミランシャの言うことはもっともなので、カイ
ルロッドは気持ちを引き締めた。
かく
もし刺客なら、充分用心しなくてはならない。隠れる場所のない、見通しのよい荒地だ。
こぎいく ろう
互いに小細工は弄せない。
距離が縮まっていくと、相手の様子がわかるようになった。深くフードをかぶっている
ので顔は見えないが、大柄でがっしりとしている。歩幅も大きく、歩き方で剣を使ってい
る者だとわかる。それもかなり腕のたつ部類に属する。
jごフて
「凄腕の男か」
警戒しながら無言ですれ違い − カイルロッドは殺気を感じて、短剣を抜いた。
カんだか
甲高い金属音、硬質の火花が散った。
「ミランシャ、離れていろー」
突き出された相手の剣を弾き返し、カイルロッドは叫んだ。
「やるな」
フードの人物が含み笑いを洩らした。
「何者だー」
短剣を構えてカイルロッドが声を張り上げると、
「カイルロッドだね。その首、ここで貰いうけるー」
フードをかなぐり捨て、姿を現わした。剥き出しになった長い栗色の髪が、大きくなび
いた。
「女性け」
おどろ
ミランシャが驚いた声をあげた。カイルロッドも驚いていた。フードをかぶっていたせ
セたけ
いもあるだろうが、カイルロッドとたいして違わない背丈や肩幅から、てっきり男だとば
かり思っていたら、実は女性だった。
からだ
大女である。身体にぴったりとした、動きやすい服を着ている。女性にしては遥しい身
ふく
体つきだが、決して筋肉で膨れあがっているわけではない。よく引き締まった身体つきだ。
ようぽよノ                                     みnソトワ、
容貌もまず美女と呼んでもいいぐらいだが、顔の造形より、その表情の方がはるかに魅力
的だった。長い栗色の髪は腰まである。
「観念しな、賞金首−」
おそ
叫び、女は剣で襲いかかってきた。
しび
頭上からの攻撃を短剣で止め、カイルロッドは顔をしかめた。手がどリビリと痺れた。
「女の力じゃないぞ」
食いしばった歯の間から言葉を押し出すようにして、カイルロッドは言った。まともに
野望は暗闇の奥で
たた つぷ
くらったら、切り裂かれるというよ。、叩き潰される確率の方が高いかもしれない。
えもの          かぎづめ
剣だけでは仕留められないと判断したのか、女は別の得物を取。出した。先に鈎爪のつ
てつさ
いた鉄鎖だった。
プンツと、カイルロッドの頭上でそれが音をたてた。銀髪が数本、ちぎれた。
おうじようぎわ  やつ
「ちょこまかと動きやがって。往生際の悪い奴め−」
投げられたそれを、カイルロッドの短剣が切断した。紙細工のように鈎爪と鉄鎖が切。
離され、鈎爪は地面に、鉄鎖は女の手の中に戻った。
「凄いな」
まさか鉄を切断できるとは思ってもいなかったので、カイルロッドは驚いて自分の持っ
ている短剣を見た。「いい物をくれたんだな、ゲオルディ様は」、赤い山の魔女に感謝して
いると、
「王子−」
ミランシャの鋭い声に、カイルロッドはほとんど反射的に動いていた。
ちようやノ、
突き出された剣を避けて跳躍し、女の頭上をこえて、その後ろに立った。そして、女の
のどもと
喉元に短剣をあてた。と、
「まいったね、こ。や」
じんもん
カイルロッドが尋問するより先に、女は持っていた剣を下に捨て、
「あたしの負けさ。さあ、煮るなり焼くなり、好きにしな」
すわ
抵抗もせずにどっかりと地面に座った。殺意も敵意もなくなっている。
「え、えーと」
いのちご
こういう場合、悪あがきするか、生命乞いでもするものとばかり思っていたので、女の
くちご
反応にカイルロッドはロ籠もった。
「フエルハーン大神殿の刺客にしては変わってるわね」
あき
ミランシャが呆れたように言うと、
「あたしゃ、フエルハーン大神殿の刺客なんかじゃないよ」
女はきっぱりと言った。
ぬら
「それじゃ、どうして俺を狙ったんだ?」
これまでも油断して、何回も痛い目にあっているので、カイルロッドは短剣を突きつけ
たまま訊いた。
「あんたが賞金首だからだよ」
当然じゃないか、とでも言いたげに、女が口を曲げた。
かせ
「あたしゃ、レイブン。俗に言うところの賞金稼ぎさ」
野望は暗闇の輿で
ふところ    たf       きようみ
とレイブンは言い、懐から紙の束を取。出した。興味をそそられ、カイルロッドが後ろ
のぞ
から覗きこむと、それは人相書きだった。フエルハーン大神殿から手配されているのだか
ら、その中にはカイルロッドの手配書も入っているのだろう。
「そんな物を持ち歩いているのか、あんた」
仕事熱心に頭が下がるというか、呆れるというか、そんな調子でカイルロッドが言うと、
「それが専門家っていうものよ」
レイブンは誇らし気。に言ってから、表情を引き締めた。
.1                               ..J
「きっ、殺るんなら早いとこ殺っとくれ。あたしゃ、愚図は妹いなんだ」
..1・・.1
みよっいきぎよ                        そうしつ
妙に潔い賞金稼ぎを前に、カイルロッドは戦意も殺意も喪失していた。世の中にはどう
しても憎めない人間というものがいるものだ。カイルロッドは短剣を引いた。
「悪いが、俺は死ぬわけにはいかないんだ。他の賞金首を狙ってくれ」
ミランシャの「甘いわね」と言いたげな視線を受けながら、カイルロッドは短剣をしま
った。
「行こう、ミランシャ」
ひぎ
連れに声をかけ、カイルロッドは歩き始めた。時間の経過とともに陽射しが一層弱々し
いものとなり、風は冷たく強くなってきた。
「いいの? また狙われるわよ」
きさや
レイブンを気にしつつ、ミランシャが横で囁いた。
「その時は仕方ないよ」
・ −       ・・
独自じみた呟きを洩らし、カイルロッドは苦笑をミランシャに向けた。
だめ
「駄目だな、俺は。イルダーナフがいたら、甘いって言われるだろうな」
じゆうめん
イルダーナフやエル・トパックを思い出し、カイルロッドは渋面になった。これは弱さ
みのが        あや
だろう。敵を見逃せば、次に自分が危うくなるのだ。わかっていても割り切れない。殺意
も敵意もない相手に、どうしても剣を振り下ろせない。
「おじさんと王子じゃ、年季が違うもの」
うなず
慰めてくれているのか、ミランシャが優しい声で言った。カイルロッドは額いたが、
「いつまでもそういうわけにはいかない」と思っていた。
「待ちなよ、坊や」
歩いていると、後ろからレイブンの声がした。振り返ると走ってくる姿があった。
きつそノ1
「早速きたか」
カイルロッドがいつでも短剣を取り出せるようにしていると、
野望は暗閻の奥で
「生命を助けてもらった礼をさせてくんないかい7 このままじゃ、あたしの気がすまな
いのさ」
やってきた賞金稼ぎは笑顔でそんなことを言った。これにはカイルロッドもミランシャ
おおまけ▼.の
も驚いたが、レイブンは大真面目だった。
かか
「でも、俺に関わるとろくなことはないよ。フエルハーン大神殿の刺客には狙われるし、
妖魔には襲われるし」
事実だし、どんな物好きでもこう言えば逃げ出すだろうと思ったカイルロッドだが、
お.もしろ                      ため
「妖魔か。そ。や、面白い。あたしの腕がどこまで通用するか、試してみたいもんだ」
せりふ
どこかで聞いたような台詞が戻ってきた。
「ほとんどイルダーナフの台詞だな」
カイルロッドが心の中で呟くと、同じ感想を持ったミランシャが、
「まるでイルダーナフの台詞みたい」
とぼやいた。とたん、レイブンの目の色が変わった。
「イルダーナフだってPt 背中に長剣を背負った黒髪の大男のP あんた、あの人に会っ
たのかいけ」
つか
肩を掴んで揺さぶられ、ミランシャが「ええ」と言った。
「レイブンはイルダーナフの知り合い?」
激しく肩を揺さぶられ、目を白黒させているミランシャに代わってカイルロッドが訊く
と、レイブンは少女のような顔になった。
あこが
「違うよ。あの人はね、あたしの憧れの人なのさ」
「  ・」
ぎよよノし
予想もできなかった答えにカイルロッド達は絶句し、凍りついたようにレイブンを凝視
していた。
ごうかい                   なぞ
「あんないい男はいないね。豪快で陽気で、でも油断や隙がないんだ。謎めいていてさ。
剣士だって言ってるけど、そんなもんじゃないよ。あの人はさ、もっとなにか大きなこと
きぴ
をする人間だ。冷たくて、残酷で厳しいけど、優しい。人間の幅が広いっていうのかな。
いつしよ
一緒に酒を飲んだことがあるけど、あの時の酒の味は忘れられないねぇ」
誉めちぎるレイブンを前に、
「口がうまいとか大ボラ吹きとかが、見事に抜けてるわね」
「意地悪もな」
ささや
カイルロッドとミランシャは小さく噴きを交わした。
「それで、イルダーナフとどこで会ったんだいフ」
野望は疇潮の奥で
レイブンに熟のこもった声でイルダーナフのことを訊かれ、カイルロッドは彼が用心棒
だったこと、三日前にいなくなってしまったこと、などを話した。
「どうしていなくなっちまったか知らないけど、あたしがイルダーナフの代わ。に護衛を
してやるよ。もっとも、別の賞金首を見つけたら、そこまでだけどさ」
説明が終わるな。レイブンは豪快に笑い、パンツとカイルロッドの肩を叩いた。とても
女の力とは思えない。思わず咳きこんだカイルロッドに、
「さあ、どこへ行くんだい?」
うなが
護衛になりきっているレイブンが出発を促した。「どうするのフ」とミランシャに訊か
れたが、カイルロッドはレイブンを追い払おうとしなかった。
ことわ
「断ってもついてくるよ、これは」
カイルロッドはため息をついた。
ゆう′ヽれ
すでに大地に落ちた三つの影は長くのび、夕碁を告げていた。
2
よノすむらきき
薄紫の夕碁の中を歩きながら、カイルロッドはミランシャの様子がおかしいことに気が
ついた。
「ミランシャ7」
立ち止まってミランシャを見ると、顔色が悪い。夕碁のせいかと思ったが、どうもそう
ふる
ではないらしい。足取りが重く、呼吸が荒い。寒いのか、ガチガチと歯を鳴らし、震えて
いる。
「気分が悪いんじゃないか?」
「ううん。なんでもないわ」
ミランシャはカイルロッドに笑ってみせたが、それが無理につくったものであることは
明白だ。
だいじようぶ
「ちょっと疲れただけ。大丈夫よ」
′一
そう言ったミランシャの足元がふらつき、倒れそうになったのをカイルロッドが慌てて
支えた。触れた箇所から買えと熟が伝わってきて、カイルロッドは顔をしかめた。
「熱があるよ、ミランシャ」
一日中、冷たい風にさらされていたせいだろうか。それでなくとも春は天候や気温の変
な                   くず
化が激しい。気候と慣れない旅の疲れで、ミランシャは体調を崩しているのだろう。
がまん
「こんなになるまで我慢していたなんて」
くちぴるか
カイルロッドは唇を噛んだ。具合が悪いのにずっと黙っていたのだ。でなければ、いき
野望は暗闇の奥で
21
な。こんな状態になるはずがない。
「俺、自分のことばかり考えていた」
イルダーナフがいなくなってからというもの、自分のことで頭がいっぱいになっていて、
ミランシャのことを気にかけてやれなかったことが悔やまれた。
「どこかで休んだ方がいいな」
かカ            つ。ハや
立っているのも辛そうなミランシャを抱え上げ、カイルロッドは呟いた。そして、思っ
ていたよりも少女がずっと軽いことに、少し驚いた。
「いい。あたし、自分で歩けるわ。下におろして」
あば
口で言うほど元気ではない。その証拠に暴れもしない、できないのだ。いつもならカイ
ルロッドの手を振り払うのに、今はその元気すらないらしい。
「ちょっといいかいフ どれどれ」
のそ     まゆ
レイブンがミランシャを覗きこみ、眉をしかめた。
「医者に診せた方がいいんじゃないか?」
「ああ」
カイルロッドもそれがいいと思った。野宿では具合が悪くなる一方だ。昼間でも冷たい
風は、夜になるとさらに冷たくなる。
「レイブン、この辺に街か村はあるかなフ」
人の多い場所には行きたくなかったが、ミランシャが病気とあれば、そうもいかない。
だめ
「駄目よ、医者なんて− いつ、妖魔が襲ってくるかわからないんだから。それにたいし
たことないわ」
ねら
震えながらミランシャは言い、カイルロッドは申し訳なさでいっぱいになった。「狙わ
れているのは俺だけなのに」、ミランシャに苦しい思いをさせているのだ。
「それじゃ、せめて雨風をしのげる場所に」
やみ
カイルロッドは闇のおりてくる周りの光景を見回したが、人家らしきものはない。なに
もない荒地だ。あるのは立ち枯れた木と、遠くに見える岩山ばかりである。
「ちょっと、待っておくれ」
唸っていたレイブンがボンツと手を打ち、
はいお′ヽ
「あたしが通ってきた道の途中に、廃屋があったよ。雨風ぐらいはしのげるんじゃないか
ねぇ」
夕日の沈んだ方向を指差した。
「近いのかフ」
「近いよ。一時間ぐらいだ」
ゆが      けんめい
カイルロッドはミランシャを見た。苦しそうに顔を歪め、荒い息を懸命に押し殺してい
る。
「そこへ行こう。案内を頼む」
廃屋でもなんでも雨風がしのげて、一時間でつくなら行くべきだと思った。
「わかった」
レイブンはにっこり笑った。
こうして、カイルロッドは病気のミランシャを抱えて、廃屋まで歩くことにした。本当
めんどう
は馬になってしまった方が楽なのだが、いちいちレイブンに説明するのも面倒だったし、
イルダーナフのようにこき使われそうな気がして、カイルロッドは馬になるのはやめた。
一時間後 −。
「もうへばったのかいフ だらしないねぇ」
レイブンの笑い声を聞きながら、カイルロッドは大きく肩を上下させていた。ミランシ
どんろ
ャは暖炉の前に横たわっている。
ぷじ                               すわ
無事に廃屋についたのだが、中に入ったとたん、カイルロッドは疲労で座りこんだ。
一時間でつく拒離と聞いたから、そう遠くないと喜んだものの、それは甘かった。「普
野望は暗闇の奥で
通に歩いたら、三時間以上はかかる」、その距離を一時間で歩けたのは、レイブンの歩く
たよもの
速さの賜物と言えよう。
「・普通なら、一時間で歩ける距離じゃないぞ」
つぷや
足の筋肉痛に顔をしかめ、カイルロッドはかすれた声で呟いた。
「こんなことなら馬にな。やよかった」
.・
本当に歩いているのかと疑いたくなるような、凄い速さで歩いていくレイブンを追いな
がら、何度そう思ったことか。とにかく速い。馬になって走らないと追いつかない、そう
いう速さである。
ぢんじやくもの
「軟弱者と言いたいところだが、でもまあ、人を抱えてよくついてきたと誉めてやるよ」
「  どうも」
あらた
這うようにして暖炉に近づきながら、「女性はか弱いものという認識を改めよう」と、
カイルロッドは思った。腕も足もひきつるように痛む。それでも動けるのは、イルダーナ
フに鍛えられたおかげだろうか。
「廃屋って聞いたけど、最近まで人が住んでいたみたいな感じだね」
カイルロッドは苦労して室内を見回した。木を組んで作られた物だが、屋根も壁もしっ
か。している。隙間から風が吹きこんでくるが、それは微弱だし、野宿に比べたらないも
同然だ。家具はそのまま、食器まであり、カイルロッド達には大助かりだった。
「どうやらミランシャも落ちついたみたいだよ」
暖炉の中に拾ってきた木を入れ、レイブンが「やれやれ」と手を咄いた。
そば
「火の側にいて、雨風をしのげりや、少しは疲れもとれるさ」
「本当に疲れているんだな」
カイルロッドが抱えていた道中は意識があったのだが、廃屋に入ったとたん、安心した
lまのお
ように眠ってしまった。炎に照らされたミランシャの惟俸した顔を見て、カイルロッドは
胸をつかれた。強行軍のうえ、いつ妖魔に襲われるかわからないときているのだから、気
の休まる暇などなかっただろう。
「・俺のせいなんだ」
このまま北に進めは、ますます危険にさらされることになる。そろそろ、ミランシャと
も別れるべきかもしれないとカイルロッドは思った。元気で優しい少女をこれ以上、危険
にさらしたくなかった。
しかく
「あんた、フェルハーン大神殿の刺客や妖魔に追われているって言ってたね」
「ええ」
「こう言っちゃなんだが、坊やはそんなのに追われるような人間にゃ見えないけどね」
野望は噛l硯の奥で
口元に笑みをうかべた賞金稼ぎを、カイルロッドは見つめた。
「あなた、なにも訊かないんですね。俺の旅の目的とか」
「あんた達は北に向かっている、それだけわかりやいいのさ。旅の目的なんてどうでもい
い。他人にゃ、それぞれ色々な事情があるもんだからね」
一lいがぷ
真顔で害ってから、レイブンは明るい笑顔になった。
「だからさ、くよくよしたって仕方ないんだよ。この娘だってきっと、好きであんたにつ
いて来ているんだからさ」
かわ
カラッと乾いた明るさで、いとも簡単に言う。割り切。が早く、あれこれと思い悩まな
いところもイルダーナフを連想させて、カイルロッドは小さく笑った。
「なんだか、イルダーナフといるみたいだ」
「あたしはあの人に及びもつかないよ。それに、あたしはあの人ほど人間離れしちゃいな
い」
サヮやめ け
ニッと、茶目っ気たっぶ。にレイブンが笑う。つられてカイルロッドも笑ってしまった。
心のどこかでレイブンが敵1例によってフェルハーン大神殿の刺客ではないかと疑いな
がらも、陽気で豪快な笑顔につい引き込まれてしまう。
「あんたも少し寝た方がいいよ。疲れた顔しているんだから」
「いや。俺は  」
とぴち
起きていると言いかけ、カイルロッドはその言葉を止めた。レイブンが鋭い視線を扉に
向けた。手には剣がある。
扉の外になにかいる。
うかが                     ごまか
息を殺して室内の様子を窺っているが、カイルロッドやレイブンは誤魔化せない。カイ
ルロッドは短剣を取り出した。
だれ
「誰だい− 用があるなら入ってきなー」
ひぴ    すいか
腹の底に響くような誰何の声をかけ、レイブンがナイフを数本、投げた。
ドスドスと音がして、ナイフが刺さると、
「ワーツー」
ひのい
扉の外から人間の悲鳴があがった。筋肉痛も忘れてカイルロッドは立ち上がり、勢いよ
く扉を開けた。
すると、そこには男がいた。腰を抜かしたのか、下に尻をついている。小柄で痩せた男
ひげつら
だが、むさくるしい髭面のせいで顔がよくわからない。そのため、若いのか老けているの
しわ
か判断できない。身だしなみに気を遣う人間ではないらしく、服は紋だらけでよれよれ、
砂色の髪はポサボサで、好き勝手な方向にはねている。
野望は暗闇の奥で
「なにをしている」
そんな男を見下ろし、カイルロッドが声をかけると、
せりふ
「なにをしているだってフ それはこっちの台詞だー おまえ達、勝手に人の家に入りこ
んで、なにをしているんだイ」
立ち上がり、男は勢いよくまくしたてた。芦もしゃべ。方も若いから、おそらくまだ三
〇歳は出ていないだろう。
「家・ですかフ・」
はほ か                   はいおノ、
カイルロッドは人差し指で頬を播いた。「それで食器とかあったのか」、廃産にしては物
がありすぎると思った。
ぽ′,
「そうだ。ここは僕の家だー わかったら、さっさと出て行けー」
強気になった男が、下からカイルロッドにかみついた。見た目より小柄で、カイルロッ
ドの肩までしかない。
「そいつは悪いことをしちまった。てっきり廃屋だとばかり思っていたんだがねぇ」
頭を掻きながら、レイブンが扉の前にやってきた。
「失礼な連中だな。僕の研究所を廃屋呼ばわりするとは」
ズボンの尻についた土を払いながら、男はカイルロッドとレイブンの間を通って、我が
家へ入った。
「出て行けと言われてもな 1」
カイルロッドは弱り果てた。ミランシャがいるので、出て行きたくてもできない。それ
たの
で不法侵入されて怒っている男に、一晩の宿を頼もうとしたカイルロッドだが、
「暖炉の前にいるのはフ」
ミランシャを見つけた男が先に口にして、振り返った。
「連れなんだけどさ、どうも旅の疲れが出たらしくて、熟をだしちまったのよ。だから、
悪いんだけど泊めてくんない? 今晩だけでいいからさ」
−−・
顔の前で両手を合わせたレイブンを一瞥し、男は髭をいじくりながら、
「ふーん。嘘じゃなさそうだな。よし、それなら僕が診てやろう」
暖炉の前に近づいた。
「あなた、医者ですかフ」
「いや、かじっただけ」
ひぎ
男は素っ気なく言い、ミランシャの前に膝をついた。この際である、かじっただけだろ
うとなんだろうと、ありがたい。
「助かります」
野望は暗闇の輿で
すなお                        にら
素直に感謝したカイルロッドを、男はジロリと横目で睨み、
「礼はいいから、手伝いをしろ。水を汲んでこいー 湯を沸かすんだー そこの女、ボー
ッと突っ立ってないで、奥の部屋に布があるから持ってこいー」
身体に似合わない大声で息つく暇もなく指示をだした。カイルロッドは「はいっー」と
返事して、水を汲みに家の外へ出た。
3
・.1
暖炉の火が赤々と燃えている。
すわ
その前ではカイルロッドとレイブンがやっと一息ついたという表情で座っており、隣。
では顔色のよくなったミランシャが眠っていた。規則正しい寝息を聞きながら、
「あなたのおかげで助か。ました。あ。がとうございます」
改めてカイルロッドは男に礼を言った。聞いていたレイブンが「人使いが荒いけどさ」、
と苦笑した。
「礼はいいさ。別にたいしたことをしたわけじゃない。ただ、その娘はずいぶん疲労して
いるようだから、あまり無理をさせないように」
ひげづら
つまらなそうに髪面の男、ホ1・シェンが言った。一息ついたところで互いに名の。あ
い、そこで聞いたところによるとまだ二五歳だという。が、どことなく老成したような感
じがするのは、髭面とこんな場所に一人で住みついているせいだろうか。
「ここ、研究所だって言ってましたよね。なんの研究をしているんですか?」
こんな人里離れた荒地で、なにをしているのだろう。カイルロッドの疑問に、レイブン
うなず
も額いた。すると、
「知りたいかね、カイルロッド?」
ズイッとホ1・シエンが身を乗り出した。前髪に隠れてよく見えない灰色の目が光って
いる。
「えフ ええ」
奇妙な迫力におされ、カイルロッドが凄くと、ホー・シェンは重大な秘密を打ち明ける
おごそ
ような口調で、厳かに告げた。
いせき
「遺跡だ」
「遺跡? 金銀や宝石といった宝でも出るのかい?」
かがや
一瞬表情を輝かせたレイブンに、
「そんな物はない」
. 11
不機嫌そのものの声でホー・シュンが言った。レイブンは露骨にがっかりしたが、最初
野望は暗闇の奥で
あた
から宝なんて考えていなかったカイルロッドは「この辺。に遺跡なんてあるのかな?」と
首をひねった。
かたまり
「宝もないのに遺跡なんていう、風化したただの石の塊をいじく。まわして、なにが楽し
いんだい?」
「遺跡はただの石の塊なんかじゃないー」
レイブンに向かって、ホー・シエンがむきになって叫んだ。
「遺跡は歴史の宝庫だぞー」
「そのとお。ですね」
もっともだと思ったのでカイルロッドが真顔で相づちをうつと、
「君とは気が合いそうだ」
フれ                きむずか
ホー・シエンの目が嬉しそうに笑った。とっつきが悪く、気難しそうだが、興味のある
ものには素直で純粋な人物らしい。
「遺跡には時間と人間の残した物があり、それこそが宝なんだ。だが、たいていの人間は
理解してくれない」
にら
レイブンを睨み、ホ1・シエンが吐き捨てるように言った。その他人の無理解に対する
不満には、いささかカイルロッドにもおぼえがあった。不満顔のホー・シュンに、カイル
ぽんさい
ロッドは趣味の盆栽が埋解されない我が身を重ね、
「わかります、よくわかります、その気持ち。好きなものが他の人に埋解されないって、
つち
辛いですよね。俺の趣味の盆栽も、皆でよってたかって年寄りくさいだとか、わけがわか
きれい
らないとか言うんですよ。あんなに綺麗で、しかも奥の深いものの価値をわかってもらえ
ないなんて!」
こぶし
思わず拳を握りしめて力説した。
「盆栽?」
ホー・シエンが目をパチパチさせた。
「ええ。俺は盆栽が好きなんですけど」
すば
「素晴らしいー 若さに似合わず、なんと洗練された趣味をしているんだー」
「えっけ・そう思ってもらえますけ」
もらろん
「勿論だとも。僕はかねがね、盆栽は素晴らしい芸術だと思っていたんだ」
「遺跡の調査だって素晴らしいですよ」
いきなり意気投合したカイルロッドとホー・シェンを横目に、レイブンは「あたしにゃ、
理解できん世界だわ」とぼやいたが、そんな言葉は二人の耳に入らなかった。
「盆栽の魅力を理解してくれるなんて、いい人だなぁ」
野望は晴閻の奥で
カイルロッドが初めて出会った理解者に感動していると、
「この先にあるんだが、神殿の遺跡らしいんだ。五〇〇年ぐらい昔の物だ。ああ、ちょっ
と待っていたまえ」
そう言い、ホー・シュンは奥の部屋に入った。
おもしサつ
「面白いのかねぇ、古い石の塊を見ているのとか、盆栽とかが」
理解できないというように、レイブンが肩をすくめた。
「面白いんですよ」
カイルロッドは笑った。
出てきたホー・シエンは両手にいっぱいの石片を持っていた。
「出てきた破片だよ」
ていねい
石片を丁寧に下に置き、ホ1・シエンはそれらの解説を始めた。レイブンは「あたしゃ
寝るよ」と断って、さっさと目をつぶってしまった。
つぱ
「これは壷の破片。これは皿の破片」
宝物を公開する少年のように、嫁しそうにひとつひとつの破片を並べていく。そんなホ
りちぎ             いやいや
1・シエンの説明に、カイルロッドは律儀に相づちをうっていた。嫌々ではない。その説
明はとても面白かったし、それまで知らなかった世界の一部を目にして、驚きと感動があ
った。
いとな
「これらは僕達に語りかけているんだ。人の営みのはかなさと尊さを」
つぷや                    う8ヂ
破片をつまみ、ホー・シュンは呟いた。壷の破片を拾い上げ、カイルロッドは領いた。
複雑な模様、不思議な造形、これらを作ったのはどんな人々だったのか。そう考えると、
ぬく
過去と現在の時間が縮まったように感じられ、手にした破片から作った人の温もりが感じ
られそうな気がしてくる。
やつ
「これらは、想像力のない奴らにはただの石だ。失われた物の形を想像する、会ったこと
のない人のことを思う、他人の立場になって考えるのだって、想像力だ。想像力、これこ
たいせつ
そが人間にとって大切なものなんだ」
言葉に熟がこもる。好きなことには雄弁になるタイプらしい。
遺跡について熱心にしゃべっていたホー・シュンだが、ふいにロをつぐんだ。それから
ぎーようし
カイルロッドを凝視し、
「最初に見た時から気になっていたんだが。その顔、どっかで見た顔だな」
突然、そんなことを言い出した。カイルロッドは自分の顔を指差した。
「この顔ですかフ」
「うん」
野望は暗闇の奥で
「ひょっとして、俺と同じ顔の男に会ったことがあるんですかけ」
のうり
カイルロッドは身を乗。出した。脳裏に《影》の顔がうかんだが、「あんながキがこん
な場所にくるとは思えない」、と思いなおした。他に同じ顔といえば、父親しかいない。
もしかすると、父親のことにつながるかもしれない。そんな期待があったのだが、
「確かに見たことがあるんだがな。えーと、どこだったかなぁ。うーん、よく思い出せな
い」
などと言うばかりで、結局、思い出してもらえなかった。
夜が更け、ホ1・シュンは奥の自分のベッドへ行き、カイルロッドはレイブンやミラン
いつしよ  だんろ
シャと一緒に、暖炉の前で横になった。
「・・同じ顔か」
どうやら思い出してくれるまで待つしかなさそうだ。心の中でため息をつき、カイルロ
ッドは目を閉じた。
「そういえば、イルダーナフも俺の父親のことを知っているみたいだったよな。こんなこ
とになるなら、聞き出しておけばよかったな。どこかでもう一度会えないかな。そうした
ら指輪を返してもらって、父親のことも聞けるのにな …」
すいま
そんなとりとめもないことを考えているうちに、睡魔がやってきた。
あんそく
パテパチと木のはじける音が子守歌のように心地よく、カイルロッドは安息の中に沈ん
だ。
久しぶりにぐっすりと夢も見ずに眠り、目が覚めると室内は明るくなっていた。小鳥の
さえずりが聞こえる。
「朝か」
窓から差し込む朝日に目を細め頭を掻きながら、カイルロッドはミランシャの方に顔を
向けた。すると、ミランシャがいないではないか。
「ミランシャけ」
あわ
慌てて室内を見属すと、ミランシャばかりかレイブンもいない。
「なにかあったのかn」
眠気も吹きとび、カイルロッドは肛ね起きた。脳裏をよぎったのは、レイブンがミラン
シャを拉致したというものだった。「まさか」という気持ちと、「やはり」という気持ちが、
てんぴん
天秤の両端で揺れている。
「ミランシャ、レイプンー」
家の中にいてくれと願いながら声をはり上げると、奥から目をこすりながら、ホー・シ
野望は暗闇の奥で
エンが出てきた。
「どうしたんだ。大きな声を出して」
「ミランシャとレイブンがいないんだ」
「えー?」
ねば         まの
まだ寝呆けているらしく、間延びした声を出す。
「外に出たかもしれない。ちょっと、外を見てくる」
とぴら
早口に言い、カイルロッドが外に出ようとした時、扉が開いた。
「あら。おはよう、カイルロッド。起きたの?」
「よく寝てたねぇ」
ミランシャとレイブンが外から戻ってきたところだった。ミランシャは木の実を、レイ
うさすー
ブンは兎を三羽持っている。
「拉致されたんじゃなくてよかった」
あんど
内心で安堵しながら、カイルロッドはミランシャを見やった。
「ミランシャ、動いた。して平気なのかフ」
また倒れるんじゃないかと、カイルロッドは冷や冷やしたが、ミランシャはにこにこし
ている。
「平気よ。もうすっかり元気だから」
確かに昨日とはうってかわって、元気になっている。顔色もいい。ホー・シエンが与え
た薬がよかったのだろう。
「  気がついたら二人の姿がないから、びっくりしたよ」
てんじよ▼つ.あお
フーツと長い息を吐いて、カイルロッドは天井を仰いだ。
「だって、食物がなんもなくてさ。ああ、火をおこしてよ。こいつ、焼いて食おうぜ」
うれ
捕ってきた兎を持ち上げ、レイブンが嬉しそうに言った。
「そういえば、このところ、ろくな物を食べてなかったな」
みJう      つぷや            しんしよノ、
兎を見ながら、ホー・シェンが妙にしみじみと呟いた。仕事に夢中になって寝食を忘れ
ているようだ。
「それじゃ、俺が調理するよ」
カイルロッドは料理当番をかって出た。レイブンを疑ったことのひそかなお詫びと、元
気になったとはいえ、ミランシャを疲れさせないためだ。
カイルロッドはすぐに木の実と兎を調理し、それらは残らず四人の胃袋におさまってし
まった。
「料理がうまいじゃないか。感心しちまったよ」
野望は暗闇の輿で
「おいしかったわ」
「久しぶりに美味い物を食べた」
さんやし
レイブン、ミランシャ、ホー・シュンの賛辞を聞きながら、カイルロッドが後片付けを
していると、
「うまい食事の礼に、遺跡を案内してあげよう」
ホ1・シュンがそう申し出た。
「カイルロッドだけでなく、君達もどうだねフ」
善意の申し出に、レイブンが顔をしかめた。ずっと眠っていて遺跡のことを知らないミ
ランシャが、カイルロッドに「遺跡ってフ」と訊いた。
「遠慮は無用だ。ちょうど腹ごなしにもなる。さあ、行こう」
一人で決め、ホー・シェンは立ち上がると、外へ出ていってしまった。どうやら、カイ
ルロッド達に遺跡を見せたくて仕方ないらしい。
「えーフ あたしも行くのかいフ」
いつしよ
気乗。しないレイブンを宥め、カイルロッドはミランシャ達と一緒に、その遺跡に行く
ことにした。
4
遺跡はカイルロッドの研究所から、歩いて一時間程度の場所にあった。
「まどろっこしいね。あたしのペースで歩けば、二〇分もかかんないのに」
いらいり
短気なレイブンは苛々していたが、ホー・シェンやミランシャが、レイブンのペースで
歩けるとは思えなかったので、今回はこちらにあわせてゆっくりと歩いてもらった。
「これだ」
先頭を歩いていたホー・シェンが立ち止まった。カイルロッドは前方にあるそれを見つ
めた。
朝日を浴びて、遺跡は静かにたたずんでいた。
小さな村がすっぽり入ってしまうほど広い敷地に点々とそれらしき物 − 本神殿、神官
なご      くず
達の生活していた建物等の名残りが、柱や崩れた壁となって残されている。だが、それら
しげ                      まちが
もやがて風雨に侵食され、繁る植物にからめとられ、地上から消え去ることは間違いない。
りつば
「思っていたよりずっと大きいわ。立派な神殿だったのね」
はんえい しの
ミランシャが意外そうに遺跡を見回した。残された物からかつての繁栄が偲ばれた。
「神殿というと、フエルハーン大神殿と関係があったのかな?」
野望は暗闇の奥で
かえ                        なにー   つ
やがて土に還るであろう遺跡を見ながら、カイルロッドが何気なく呟くと、
「どうかな? まだ研究中だ」
ホー・シェンはカイルロッドを手招きし、まだ形がはっきりと残っている、遺跡の中で
一番大きな建物の中に入っていった。
「どうするのフ・入るの?」
くヂ               うわめヴか
ミランシャがカイルロッドを見上げた。崩れたらどうするんだと言いたげな上目遣いだ
が、
「せっかくだから、招待されよう」
基本的にこういうのが嫌いではないので、カイルロッドは嬉々として、ホー・シエンの
後についていった。
「そうね。これも付き合いだわ」
「あーあ」
ミランシャとレイブンが、仕方なさそうに男達の後に続いた。
外側はポロポロに崩れていたが、内部は存外昔のままの形をとどめていた。大広間並み
.1、.h
の広さがあり、そこに円柱が並び、壁画にはかすかに色彩が残っている。
すご
「どうだ、凄いだろう」
そこに置いたままにしてあるランプに火をつけ、ホ1・シェンが得意気に苦った。窓の
名残りのように、壁にいくつか小さな穴があるのだが、それだけではとても採光にならな
「ふーん。雨風はしのげるじゃないか」
周りを見回し、レイブンが感心した。
「広いわね」
ミランシャも感心している。
えつけん ま
「たぷんこの建物は本神殿で、ここは謁見の間だったと、僕は考えている」
段差のできている場所を見て、ホー・シェンが言った。かつてそこの台の上に偉大な神
すわ
官が座り、さまざまな人々の祈りと願いを聞き、神託を告げていたのだろう。カイルロッ
えいが
ドが過ぎ去った過去の栄華に思いを馳せていると、
「どうやら、外になにかいるみたいだねぇ」
レイブンの芦が低くなった。いつでも剣を抜けるように構えている。
「え、外にフ」
カイルロッドは窓の名残りの穴から、外を見た。ミランシャとホー・シュン、レイブン
.・・・
もそれぞれ外を覗いた。
野望は暗闇の奥で
うさんノ1さ
外にはどう見ても胡散臭い男達が三人、遺跡を見て、なにやら話している。
「なんだ、あの連中は。遺跡に来るような顔じゃないぞ」
けが             ふんがム
男達を見て、聖地を汚されたようにホ1・シュンは憤慨し、
つら                ごうとう
「あの面、手配書にあった。あ。や、強盗のウオレスだ」
えもの そうぐーつ             ぷつそう
思いもかけない獲物に遭遇し、賞金稼ぎがニヤリと物騒に笑った。
「どうして強盗がこんな場所にフ」
外に聞こえないように小声でミランシャ。
ごうがつ  きんぴん かく
「さてねぇ。この近くで強奪した金品を隠しにきたんじゃないかねぇ」
.・
レイブンの解説に、ホー・シェンの目が据わった。深く怒っている顔だ。
「神聖な遺跡の中に強奪した金品を隠すなど、神が許しても僕は許さんぞ」
さすがにそこまでは思わなかったが、カイルロッドも憤慨していた。強盗など嫌いだし、
きれい      ぬす
こんな綺欝な遠跡の中に盗んだ金を隠すというのも許せない。
ひたい
四人は昔をたてないように中央に集まり、額を寄せて今後の対応を相談した。明快だっ
たのはレイブンで、
やつ
「あたしゃ、奴らを捕らえるよ」
うれ
久しぶ。の賞金首に嬉しそうだった。
「よし、僕も協力しよう。遺跡の敷地内や建物内部の造りを知っているから、色々と役に
たつはずだ」
そんなレイブンに、ホー・シェンが協力を申し出た。カイルロッドとミランシャも、二
人に協力するつもりだったのだが、
「あんな連中、あたしだけで充分さ。それよりもカイルロッド、あんたはミランシャの護
衛の方を頼むよ」
とぴbはうおう もよう
「この奥に小部屋があるんだ。扉に鳳凰の模様がある部屋だ。そこで待っていたまえ」
レイブンとホ1・シュンの二人から口を揃えて「休んでいろ」と言われれば、おとなし
くするしかない。
「わかった。そうするよ」
カイルロッドはミランシャを連れて、奥の小部屋にいくことにした。見た限りでは、外
にいた連中はレイブンの敵ではない。加勢はいらないだろう。
きんぽく
言われた方へ歩いていくと、鳳凰の模様のある扉があった。もとは金箔と宝石でできて
いたのだろう、かすかに残った金箔に当時の名残りがあった。
扉は思ったより簡単に開いたが、内部は真っ暗だった。
「真っ暗ね。明かりをつくる?」
7 野望は暗汲フ輿で
どうにか使える魔法が鳥寄せと、火をおこすことだけのミランシャがそう言ったが、
めんどう
「いや。敵に知られたら面倒だから。レイブン達の仕事が終わるまで、おとなしくしてい
よう」
カイルロッドは断った。そして、二人は手探。で中に入った。広さもなにもわからない
ので、適当に歩いていた。
ゆか
と、足の下から床が消えた。
「1日」
やみ
どうやら床が抜けてしまったらしい。身体が底の見えない闇の中に落ちていく。カイル
ロッドは自分だけかと思ったが、ミランシャのけたたましい悲鳴に、二人一緒に落ちてい
くのを知った。
長い時間をかけて落ちたような感じがした。カイルロッドは背中から下に叩きつけられ
けが まぬが
たが、身体が自然に受け身をとっていたので、怪我は免れた。しかし、ホッとしたのはほ
んの一瞬で、カイルロッドの腹の上にミランシャが落ちた。
「ぐえっー」
これは痛かった。いくらミランシャが思ったより軽くても、加速がついているのだ。内
一しぎ                    かえる
臓が破裂しても不思議ではない。カイルロッドが踏みつけられた蛙のような声をだすと、
あわ
上に落ちたミランシャが慌てて下りた。
「ごめんなさい、王子IL
「.I・Iこ1
ぷじ
カイルロッドをクッションにしたミランシャは無事らしいが、下敷きになった方は声も
ろつこつ
出せなかった。内臓は破裂しなかったようだが、肋骨にひびが入ったかもしれない。
しばらく動けなかったカイルロッドだが、
「ミランシャ、怪我はない?」
ゆっくりと身体を起こしてみた。腹部が鈍く痛むが、どうやらただの打ち身ですんだよ
うだ。
「あたしは平気。王子はフ」
7・
不安に芦を震わせているミランシャに、カイルロッドは「幸運なことに怪我はないよ」
と明るい声で言った。
「身体って鍛えておくもんだよな」
カイルロッドはしみじみと、ダヤン・イフエとイルダーナフに感謝した。
「しかし、高い場所から落ちたな」
野望は暗闇の奥で
カイルロッドは上を見た。遥か頭上に、針でついたような光が見える。何メートル落ち
たのかわからない。
「ちっ」
壁に触れ、カイルロッドは舌打ちした。壁をよじ登って脱出しようと思ったのだが、岩
壁がぬるぬるしていて、とてもそんなことはできそうにない。
「まったく、こんな落し穴があるなんて、聞いてないわよ」
まわ
文句を言いながら、ミランシャは小さな火をつくった。それが周りを照らした。
単純に落し穴かと思っていたが、横穴が続いている。
「地下道かしらフ」
とうぞく  わな
「さあフ 神殿にはよくある盗賊用の罠か、逃げ道ってところかな。だとすれば、歩き回
ったら危険なだけだ」
のp
と言いつつ、横穴がどこへつながっているのか気になるので、カイルロッドは覗いてみ
た。しかし、なにも見えない。
しかノ1
「ねぇ、王子。まさかと思うけど、ホー・シュンはフエルハーン大神殿の刺客じゃないで
しょうね」
「・  」
背中でミランシャの声を聞きながら、カイルロッドはなにも言えなくなった。これまで
だま
さんざん騙されてきたせいで、二人とも「他人を見たら刺客と疑え」という思考になって
いた。
「  でも、そんな人には見えないけど」
「あたしだって、自分を助けてくれた人を疑いたくないわ」
ぎしんあんき
が、疑心暗鬼になりつつもそこは人の好きと甘さで、カイルロッドもミランシャもホ
ー・シュンを刺客と断定できないのである。
かんぽ
「イルダーナフがいたら、一目で敵を看破しちゃうのに」
つぶや
呟いてから、「言っても詮ないことだけど」と、ミランシャは付け足した。カイルロッ
ドもロにしないだけで、ミランシャと同じ気持ちだった。
「ともかく、二人を呼んでみるよ」
もな
カイルロッドは大声でレイブンとホー・シェンを呼んだが、返事はなく、自分の声が虚
しくこだまするばかりだった。
「聞こえていないのか、無視しているのか」
とはう
ミランシャの表情は苦い。どうしたものかと二人で途方にくれていると、
「王子、あれー」
野望は騰瀾の輿て
出し抜けにミランシャが大きな声をあげ、横穴の奥を指差した。
ボウッと、なにかが光っている。
「妖魔や」
身構えたカイルロッドとミランシャだが、いつまでたってもなにも起きない。ただ光っ
ているだけだ。
「さっきはなにもなかったのに。ミランシャ、あれはなんだと思う?・」
「さぁフ ねぇ、気にならない?」
「なる」
恐怖よ。も好奇心が先にたち、カイルロッドとミランシャのどちらからともなく、光の
見える方へ歩いていた。
だれ
横穴はカイルロッドが立って、楽々と歩けるぐらい大きい。「こんな深い地下に誰が掘
ったのか知らないが、ご苦労な事だな」、感心しながら歩いて行くと、進むにしたがって
闇が薄くなっていった。
「光源に向かっているみたいね」
「そんな…・こんな地下にどんな光源があるんだ?」
早口に言い、カイルロッドは足の動きも遠くした。光に近づくにつれ、身体が沸きたつ
ようだった。
やがて突きあたりに出た。
「・  」
あぜん
光源を見、カイルロッドはしばし吉葉もでなかった。ミランシャも同様で、ただ嘩然と
している。
「黄金像・・け」
横穴の行き止まりには、等身大の金色の像が置いてあった。それが輝いているのだ。ま
るで陽光を反射しているように、内側から光を発している。
それだけでも驚くのに充分だが、更にカイルロッドを驚かせたのは、像の顔だった。剣
かつちゆう
を持ち、甲胃に身を包んだ長い髪の美しい若者の姿1−−d
「・・…・王子にそっくり」
ミランシャが息をのんだ。
等身大の黄金像は、カイルロッドに瓜二つだった。「……これか、ホー・シエンが言っ
ていたのは・…こ、心の中で呟きながら、カイルロッドは意味もなく、色違いの前髪をい
じくった。
「ねぇ、どういうこと?」
野望は暗闇の奥で
「俺が訊きたいくらいだよ」
くうぜん                    かいムく
これは偶然だろうか。あるいはなにか意味があるのか。カイルロッドには皆目見当がつ
かない。
「でもこれ、本当に黄金の像なのかしらフ」
けヂ
もっともなミランシャの疑問に、カイルロッドは短剣を取り出して、像の表面を削って
みた。メッキならすぐにはげるはずだ。
「どうやら純金みたいだね」
かんたん
カイルロッドが口笛を吹くと、ミランシャは感嘆の声をあげた。
すご
「王子にそっく。というのも驚いたけど、こんな凄い物が、どうしてこんな場所にあるの
かしらフ」
とうなん
「盗難防止か、さもなければ隠さなくちゃならない理由でもあったのか」
呟いたカイルロッドの耳に、レイブンとホー・シュンの声が聞こえた。注意しなければ
聞こえないような、小さな声だった。
「ミランシャ、レイブンとホー・シュンが呼んでいる」
カイルロッドが言うと、ミランシャは笑顔をうかべた。
「じゃあ、ここから脱出できるわねI」
はしゃいでから、ミランシャはテラッと黄金像を見た。
「どうするの、あれ」
カイルロッドも黄金像を見た。
「等身大の黄金像なんて運べる重さじゃないだろ」
そ け
素っ気なく言い、像に背中を向けて来た道を戻った。ミランシャはいかにも残念そうに、
何回も振り返りながら、ついてきた。
落ちた場所に走って戻ると、
「オォーィ、生きているかい」
上からレイブンの声が降ってくる。それに応えて、カイルロッドとミランシャが「生き
てるよ」と叫んだ。
「怪我はないかー」
なわ た          っか
「ちょっと待っとくれ。縄を垂らすからさ。それに掴まっとくれ。こっちで引っ張り上げ
るからさ」
レイブンがそう苦ってからしばらくして、縄が垂れてきた。よほど深いと目算し、いく
つも縄を結び、強い布を裂いて結び、それは結び目だらけだった。しかし、それでも手が
届くにはまだ足りない。
野望は暗i矧の奥で
「あーん、手が届かない」
「よし」
懸命に飛びつこうとしているミランシャを、カイルロッドは抱え上げた。
「届くかフ」
「うん。なんとか」
せいいつぱい
抱え上げられたミランシャは精一杯手を伸ばし、縄を掴んだ。
「上げてくれー」
どな
カイルロッドが上に向かって怒鳴ると、縄が引っ張。上げられた。上に運ばれているミ
ランシャを見ながら、カイルロッドは黄金像のことを考えていた。
「  俺と同じ顔か」
なぞ
謎は深まるばかりだった。
5
どげぎ
小部屋に引き上げられたカイルロッドとミランシャの前に、ホー・シエンが土下座して
いた。
「すまない。僕がすべて悪いんだ」
けが
「あの1、もうやめてくださいよ。こうして怪我もなく、無事に地上に出られたことだ
し」
ゆか
「部屋の床が抜けて、下に落し穴があるなんて、わかんなくて当然よ」
ひたい
額を床にこすりつけているホー・シエンに、カイルロッドとミランシャは「もう済んだ
ことだから」と言っているのだが、いつまでたっても土下座をやめてくれない。
「僕の調べ方が甘かったんだ。そのせいで君達を生命の危険にさらした。これは許される
ことじゃない」
■   三叩
あまりの生真面目さに、カイルロッドは閉口していた。とにかく「僕が悪い」の一点張
りである。
すペ
「いい加減、それぐらいにしておけばフ 終わりよければ全てよしって言うじゃないか。
ねぇ?」
閉口しているカイルロッドとミランシャに同情したのか、黙って見ていたレイブンが助
け舟を出してくれた。
ごうと、ソ
カイルロッド達が地下にいる問に、レイブンは賞金首の強盗ウォレスとその仲間二人を
しば
捕らえ、縛り上げて外に転がしてあるそうだ。レイブンの予想どおり、強盗は街の商家を
57  野望は暗闇の奥で
ごうがつ
襲って金品を強奪し、その隠し場所として神殿跡にやってきたのだった。
「しかし、それでは僕の」
「あんたの気がすまないってんだろ? でも、この二人がいいって言ってんだから、引く
べきじゃないかい?」
「……そうだな」
なつとく
少し悩んでから、ホー・シュンが顔を上げた。やっと納得してくれたので、カイルロッ
ドもミランシャもホッとした。
「ところで、ホー・シュン。俺の顔をどこかで見たことがあるって言ったけど、思い出し
てくれたかなフ」
カイルロッドが訊くと、
「そうそう、教えようと思っていたんだ。こっちへ来てくれ」
パチンと指を鳴らし、ホー・シェンは明るい表情でいそいそと小部屋を出た。カイルロ
ッドが動き、ミランシャが動く。付き合いだと言わんばか。に、レイブンも動いた。
かいろう
案内されたのは回廊だった。
はどこ
壁一面に浮き彫。が施されている。彩色はほとんど落ちてしまい、ひびが入っていた。、
崩れたりしているが、比較的保存状態は良い。
「神話みたいだねぇ」
かたまり
石の塊には興味のないレイブンでも、こういう物は嫌いではないらしく、壁から目を離
さずに歩いている。
えいゆうたん
「英雄讃かなフ」
ぱけもの ゼいれい ようせい
とカイルロッド。そこには巨大な化物、精霊や妖精のような美しいもの、不思議な生き
物が生き生きと表現されている。
「その神話だか英雄欝に、カイルロッドと同じ顔があるのフ」
なつとく
どうも納得できないというように、ミランシャは目を皿のようにして、浮き彫りの中か
らカイルロッドの顔を探している。
「ほら、これだ」
先を歩いているホー・シュンの声がした。カイルロッドとミラノシャ、レイブンがそち
らへ顔を向けると、
「どうだい、そっくりだろう?」
ホー・シュンがそれを指差していた。
ところどころ        ぴぴ  かつちゆう
所々崩れているが、美々しい甲胃に身を包み、剣を持って、敵と闘っている青年の姿
があった。そしてそれは地下で見た黄金像と同じだった。
59  野望は暗闇の奥で
「本当にそっく。だねぇ」
レイブンが目を丸くした。
ようす              まちが       りつぱ
「だろう? 全体の様子から、この青年が英雄詔の主役に間違いない。こんなに立派な英
雄譜を彫った物が残っている遺跡はここだけだ」
宝物を見せている子供のように、ホ1・シュンは顔を紅潮させていた。
「その英雄、有名な人なのフ・」
「それがさっぱりわからないんだ。神話の中の人物か、実在したのか。ほら、他の人物と
か化物の横には、文字が彫られているだろう? たぶん、説明とか名前だと思うんだけど、
この青年のところにだけはなにもない。不思議だろフ 主役だというのに名前もないん
だ」
ていねい
ミランシャの質問に、ホ1・シエンは丁寧に説明してくれた。その説明を聞きながら、
カイルロッドが浮き彫りの別の人物を見ると、確かに横に文字とおぼしきものが彫られて
いる。化物、精霊、すべて横に文字がある、
「それなのに、この人物にだけないのか」
不自然なことに、カイルロッドはロをへの字にした。
「うーんと、そんじゃさ。他に彫られている文字を片っ端から読めば、その青年の名前ぐ
らいわかるんじゃないか?」
「いい案だが、重大な欠点がある」
むヂか
レイブンの提案に、ホー・シュンが難しい顔になった。
「てぇとフ」
「この文字をまだ解読できていないということだ。古代文字なのでね」
「   ・」
レイブンは沈黙し、カイルロッドは壁に手をつきそうになった。ミランシャは肩を落と
している。
「だが、いずれ解読してみせる。二〇年、いや一五年後には必ずや解読してみせよう」
失望を隠しきれない三人の前で、ホー・シエンは「フッフッフ」と気味の悪い笑いを洩
こんき
らした。気の長い、そして根気のいる仕事にもえているホ1・シエンに、カイルロッド連
がんば
は力なく「頑張ってくれ」と応援した。
「せめて名前ぐらいわかればな」
カイルロッドはじっと、その青年を見つめていた。
様なぐりの冷たい風に肩をすくめながら、カイルロッド達 − カイルロッド、ミランシ
野望は暗l鴇の奥で
ヤ、そしてレイブンの三人は、遺跡を後にした。レイブンは捕らえた三人を縛りあげたま
ま、荷物のように引きずっていた。
「もう遺跡は見えなくなっちゃったわね」
さぴ    つぷや         しかく
振り返。、ミランシャが少し淋しそうに呟いた。ホ1・シエンを刺客ではないかと疑っ
ていたが、結局、それは思い違いだったようだ。
「彼はいつかあの文字を解読するよ」
遺跡について話す時の、ホ1・シュンの表情を思い出しながら、カイルロッドは小さく
笑った。そして、頭のターバンに触れた。縄に結んで使っていた布をターバンにと、別れ
る時に頼んでもらったのだ。
しゆうねん
「そうね。執念で解読しそうね」
ミランシャも笑った。
遺跡の前で別れたのだが、カイルロッド達は地下にあった黄金像のことを話さなかった。
ひげづら
見つかるものなら、いつか見つかるだろうし、見つからなければそれまでだ。あの髭面の
青年にとって、宝は黄金ではないのだ。
レイブンにも言わなかった。ホ1・シエンとは別の意味で、必要ないと思ったからだ。
レイブンとも間もなく別れる。護衛は別の賞金首を見つけるまでという約束だった。嘗
金首を引きずってレイブンは街へ行き、カイルロッドとミランシャは北へ、ムルトがいる
タジエナ山脈へ行くのだ。
増えてきた緑の間から、街が見えた。
「それじゃ、ここでさよならだ」
街を視界にとらえ、レイブンが立ち止まった。それから少し、陽気な顔を曇らせた。
「これはあたしの主義に反することだけどさ。あんた達、なんの目的で旅をしているんだ
いフ」
別れを前にしてカイルロッド達の身を案じてくれているのか、レイブンがそんなことを
切り出した。カイルロッドはどうしようか迷ったが、事実を告げた。
「ムルトを倒しに行くんだ」
「ムルトP」
かせ
さすがの賞金稼ぎも顔色を変えた。
まどうし     すご
「あたしだって知っているよ、ムルトつて魔道士だろP 凄い魔力の持ち主で、ひどい性
格の奴だって聞いたよ。そんな奴を倒せるのかいフ」
「倒すよ。俺の故郷はムルトによって、石にされた。倒さなきゃならないんだ」
一..ノー.
真っすぐに顔を上げてカイルロッドは言った。レイブンは少しの間、難しい顔でカイル
野望は暗蘭の奥で
63
ぎようし          はがん
ロッドを凝視していたが、すぐに破顔した。
むだ
「男がそういう顔をする時は、なにを言っても無駄だね。決めたんなら、絶対にムルトを
倒すんだよ」
せ               うなで
背中を叩かれた。咳き込みながら、カイルロッドは領いた。
「じゃ、またどこかで会おうね」
カイルロッド連に別れの言葉を言わせる暇も与えず、明るく別れを告げて、レイブンは
街への細い道を進んで行った。あの速さで。
「色々とあ。がとうー」
見る見る遠ざかっていくレイブンの後ろ姿に、カイルロッドはちぎれんばかりに手を振
った。
つら
「あれじゃ、引きずられている方は辛いわね  」
ぽうぜん
ミランシャは呆然としているようだった。
「さて。俺達も行くか」
完全に見えなくなってしまったので、カイルロッドはミランシャに芦をかけた。ミラン
シャは黙って領き、二人は北へと向かった。
しばらく二人は無吾で歩いていたが、
「王子、あたしね。ホー・シュンやレイブンが敵じゃなかったって知って、安心した反面、
いや
自分が嫌になっちゃった。会う人すべてが敵に見えちゃって、疑ってばかりでこ なんか、
自分がとても情けない人間に思えてきちゃった」
目をこすりながら、ミランシャがそんなことを言った。情けなくて泣きたいと、そんな
顔だった。
「俺も同じだよ、ミランシャ」
さび
レイブンを疑い、ホー・シエンを疑い、親切と善意を常に疑う自分が、ひどく淋しい人
ねら
間に思えるのだ。けれど、フェルハーン大神殿とムルトに狙われている以上、油断できな
いことも事実だった。
やしな
「つまりさ、俺達は人を見る目を養わなくちゃいけないんだよ」
みが           だま
経験だけが、嘘と本当を見抜く力を磨くのだ。何回も何回も騙され、泣いて、自分に歯
ぎし
軋りをして、その力を磨くしかないと、カイルロッドは思った。
「なにフ」
視線を感じてカイルロッドが訊くと、
せHソエ
「なんか、イルダーナフの台詞みたい」
ミランシャの明るい茶色の目が、少し意地悪く笑った。
「  イルダーナフのっ」
喜んでいいのか悲しむべきか、複雑な顔をしたカイルロッドの腕を、ミランシャが叩い
た。
「さ、行きましょう」
明るく笑い、ミランシャは走った。カイルロッドはターバンを叩き、
「はいはい」
苦笑して、ミランシャを追った。
野望は暗闇の奥で
二章 その名も知らぎりき
午後の風を受けて、まだ若葉をつけていない木々の枝が、寒さに買えるように揺れた。
せお
強い風の中を、背中に剣を背負った黒髪の大男が、ゆっくりとした足取。で道なき道を
歩いていた。
あじけ
「やれやれ、一人旅ってぇのは味気ねぇもんだぜ」
つぶや
歩きながら男 − イルダーナフはぼそりと呟いた。そして、少し足を速めた。
くず                いせき
やがて、前方に崩れかけた岩の塊が現われた。神殿の遺跡だ。それを見たイルダーナフ
が一瞬だけ太い眉を動かし、口笛を吹いた。
ト・、・.
「こいつぁ、驚いたぜ。こんな場所にこんな物があったとはなぁ」
せいかん
遺跡の中に入り、苦笑を精悍な顔にうかべながら、ひとつひとつの遺跡を見回している
と、
「何者だー ここでなにをしている!」
すいか
誰何の声がした。
「へぇ、こんな所に人がいるのか」
かりだ             ひげづら
呟きながら身体ごと振り返ると、柱の陰から髭面の男、ホー・シュンが出てきた。
「きさま、遺跡荒らしかー」
どな          いちペつ
怒鳴るホ1・シエンを一瞥し、イルダーナフは 「まさか」 と、おどけたように広い一眉を
すくめた。
りつば
「なに、こんな場所に思いもよらねぇ立派な遺跡があるんで、驚いて見物していただけよ。
つり     おれ
それによ、兄ちゃん。善良そのものの面をしたこの俺が、遺跡荒らしに見えるかい? 見
えねぇだろフ」
「善良な人間が背中に長剣なんか背負っているかー」
あふ
「そいつぁ、一理あるな。それじゃ、この目を見てくれよ。正義と理性と知性に盗れた光
があるだろうフ この目が嘘をついているように見えるかフ」
、・ コ  は
ろこつ あき
露骨な呆れ顔でホ1・シェンはジロジロと、イルダーナフを見ていたが、
「あんたが、わけのわからん人間だということだけはわかった。だから早くここから出て
野望は暗闇の奥で
行け」
野良犬でも追い払うように、手を動かした。その動作と口調に、イルダーナフは「はい
はい」 と苦笑し、
「おおっと、その前に訊いておきてぇんだが、ここにカイルロッドとミランシャって若い
二人連れはこなかったかいフ・」
少し声を低くした。
「カイルロッドとミランシャだってフ」
なつ                           けいかい
すでに懐かしい名前になった二人のことを訊かれ、ホー・シュンの顔から替戒の色が薄
らいだ。
かせ  いつしよ
「ああ、きたとも。ただし、二人ではなく、三人だった。レイブンという賞金稼ぎも一緒
だったがね」
「レイプン  ああ、あの女か。走るような速さで歩く美女だったなぁ」
めじり しわ
思い出し、イルダーナフは懐かしそうに目尻の級を深くした。
「しかし、あんたは二人のなんだフ どうして彼らのことを知っているんだフ」
薄くなった警戒の代わ。に、好奇心がもたげたのか、ホー!シュンの灰色の目が強く光
った。剥き出しの好奇心に、イルダーナフは少し困った顔で腕組みし、
「まぁ、友人だな。保護者がわりも兼ねているけどな」
重々しい口調で答えた。
「ふーん、あんたみたいな友人を持って、カイルロッドも苦労してるんだな」
まがお
真顔でホー・シェンは言い、
「だが、せっかくきたのに残念だな。二人じゃない、三人は少し前に北へ向かったよ。今
なら急げばまだ追いつくんじゃないか」
北の方角へ顔を向けた。が、イルダーナフはそちらを見ずに、腕組みしたまま遺跡に顔
を向けた。
ぞつちよく
「兄ちゃん。おまえさんの率直さをかって訊くんだが、カイルロッドはここでなにか見た
かフ」
「なにかとはっ」
ホー・シェンは胡散臭そうにイルダーナフを見上げた。
「それがわかんねぇから、なにか、さ」
1.ノげん まなぎ
怪訝な眼差しを受けて、イルダーナフは人なつこく笑った。ホ1・シェンは困ったよう
に髭をいじくった。
ふルいき
背中に長剣を背負い、どこかただならぬ雰囲気をまとっているにも関わらず、この笑み
野望は暗闇の輿で
71
を向けられると、たいていの人間は引き込まれてしまう。遺跡好きの青年も例外ではなか
った。
ホー・シュンは少し考えこんでから、ボンツと手を打った。
「そうだ。自分と同じ顔を見たよ」
「同じ顔ってぇとっ」
イルダーナフの声と表情が鋭くなった。
「ああ。壁の浮き彫。だ。そこにいる青年とそっく。なんで、骨も本人も舞いた」
「なぁ、兄ちゃん。それを俺にも見せてくれねぇかっ」
はかい
「えーフ なんか、あんたって、物を破壊しそうな感じなんだよな」
「しない、しない」
はんがん
ひらひらと片手を動かすと、ホー・シュンが半眼になった。
「本当にフ 絶対フ 約束できる?」
ちか
「ああ。本当に、絶対、約束する。世界中の美女と酒に誓う」
あや
「なーんか、怪しいけど  まぁ、いいか」
たの
この場にカイルロッドやミランシャがいたら貰くような熱心さで頼まれ、ホー・シェン
かいろう
はイルダーナフを回廊へ案内した。
「ここだ。そして、これがカイルロッドにそっくりの青年」
そしてカイルロッド達も見た浮き彫りを指差し、ホー・シェンが得意気に苦った。
「僕はこの遺跡を研究している。まだ文字も解読していないが、いずれ解読してみせる」
ホー・シエンの言葉を聞きながら、イルダーナフは浮き彫りの青年を見ていた。
「  まだ、残っていようとはな」
つごや                   しぎ
困った物を見つけてしまったように呟いたイルターナフを、ホー・シェンが不思議そう
に見た。視線に気がついて、イルダーナフは目を細めた。
「兄ちゃん。こいつぁな、フエルハーン大神殿そのものなのさ」
「えフ フエルハーン大神殿そのものフ じゃあ、この遺跡はフエルハーン大神殿と関係
していたってことだよな?」
ホ1・シエンが訊き返すと、
きぽ
「関係もなにも、その系列だ。この規模を見れば、かなり勢力を持っていたらしいな。な
ぁ、世の中ってぇのは皮肉にできているじゃねぇか。正統派の神殿は遺跡になっちまい、
じやどっ                   いば
邪道がいまだに残って、総本山でございと威張ってやがるんだからよ」
朽ちかけた壁を見ながら、イルダーナフがせせら笑った。
「僕は宗教のことはよくわからないが、どういう意味だフ」
73  野望は暗闇の奥で
やつ
「 ・わからん奴はわからんでいいことさ。ただな、この浮き彫。はフエルハーン大神殿
かく
が、ひた隠しにしているものの一部だってことよ。もっとも隠し続け、忘れちまってるよ
うだが・I」
言い終える前にイルダーナフの手の中でなにか小さな物が光を弾き、すぐに線となって
はしった。
光る線は柱の陰に吸い込まれ、次の瞬間、
「ぐつー」
「げっー」
奇怪な声があがった。
「なんだP」
のどぷ
驚いてホー・シュンが駆け寄ると、喉笛と心臓に短剣を突き立て、二人の男が倒れてい
た。どちらも即死だ。
しかく
「そいつらはフェルハーン大神殿の刺客だ。どんな所にもわいて出てきやがるのき。刺客
はか    しゆうねん
を放っている奴は、馬鹿のくせに執念深いらしくてよ。カイルロッドを追ってきたんだろ
うが、一足遅れだったな」
ぼうぜん
呆然としていると、足音もたてずに後ろからきたイルダーナフが、冷たい笑いを含んだ
むくろ
声で言った。ホ1・シ工ンはふたつの骸を見下ろしながら、
ねら
「  カイルロッドはフェルハーン大神殿に狙われているのかフ」
つぶや
信じられないという表情で呟いた。イルダーナフはそんな青年の横に立ち、
「どうやら、そういう話は聞いてねぇようだな。ま、関わらねぇ方がいいかもしれねぇや
な」
転がっている死体を蹴とはした。
・ r
「・彼は何故、フエルハーン大神殿に狙われているんだ?」
「ふん・。色々とややっこしい理由があるもんでね。それに、カイルロットを狙ってい
るのはフェルハーン大神殿だけじゃねぇ。妖魔や魅魅惚魅まであの坊やを狙っていやがる
のさ」
浮き彫りに視線を移動させ、イルダーナフがつまらなそうに言うと、死体の前でホー・
カらだ ふる
シェンは身体を震わせていた。
「どうした、兄ちゃんフ」
イルダーナフが声をかけると、
「どうしてだフ 僕には、彼が刺客だの妖魔に狙われなくちゃならないような  そんな
人間には思えない」
75  野望は暗闇の奥で
ホー・シェンは泣いていた。
「  どうして泣くんだフ」
イルダーナフは目をパチパチさせた。ホー・シエンは頭を横に振りながら、
ゆいいつ
「友達だからだ。仕方なくでなく、本当に楽しそうに僕の話を聞いてくれた、唯一の人だ
からだ」
暗くように言った。
「  ・」
そんな青年をイルダーナフは複雑な表情で見ていたが、フッと口元に笑みをうかべ、
あた
「色々とありがとよ、兄ちゃん。こいつらは俺がその辺りに捨てておく。それじゃな」
えり つか
二つの死体の襟を掴むと、そのまま引きずって行った。
ホー・シュンは浮き彫。の前に立ったままだった。
かわ
乾いた土の上に、なにか重い物を引きずったような跡が遺跡からずっと続いている。
「こんな物、引きずりたかねぇよな。手が汚れちまわぁ」
やれやれと、イルダーナフ。
遺跡を出て一〇分ほど歩いた辺。に、イルターナフは引きずってきた二つの死体を、放
り投げるように転がした。死体は音をたてて地面に落ちた。
けもの
「放っておけば、いずれ鳥か獣が片付けてくれるだろうが」
そのひとつの死体の頭を踏みつけ、イルダーナフは笑顔で周囲を見回した。
「お仲間がいるのに、そいつはちいつとばかり薄情だよな。おい、こそこそしてねぇで、
引き取りにきたらどうだフ」
どこからともなく、三人の男と女一人が現われた。いずれも鋭い目をして、手に剣を持
っている。
「エル・トパックの手下じゃねぇな」
なぜ わ1tわれ じやま
「きさま、何故、我々の邪魔をする」
リーダー格らしい、やや年配の男がロを開いた。
「決まってるじゃねぇか。気にいらねぇからよ。他にどんな理由があるんだっ」
イルダーナフがニヤッと笑った。あからさまな嘲笑に、四人の刺客達の顔に怒りが刻ま
れた。
「カイルロッドはきさまらの手にゃあまる。それを認めず、こりもせずに刺客を送る神殿
ばか       あほう
の馬鹿と、やってくる阿呆が気にいらねぇのよ」
にぶ   ひぴ      ずカいこつ くだ
イルダーナフの足の下で、鈍い音が響いた。それは頭蓋骨の砕ける昔だった。
7  野望は暗闇の奥で
ぎこ
「雑魚はおとなしく引っ込んでな」
ノ、だもの        つd
死体の頭をまるで果物のように簡単に潰し、イルダーナフは刺客連を隊んだ。
「雑魚だとー」
「言わせておけばー」
いつせい
四人が一斉に剣を構えた。それらをさもつまらなそうに見や。、イルダーナフは鼻先で
せせら笑った。
てまちん しいのち
「そんな物はしまっちまいな。安い手間賃で生命を落としちまっちゃ、元も子もあるめ
ことわ              よよノしや
ぇフ 断っておくが、俺は女だって容赦しねぇぞ。俺が剣を抜く前に、さっさと帰りな」
イルダーナフの警告に、引き下がる者はなかった。
こわ
「そうかい。そんじゃ、仕方ねぇな。ま、ここなら剣を振。回しても遺跡を壊さねぇです
むしな」
「ほざけー」
おそ
刺客四人が、四方から襲いかかってきた。
「馬鹿が」
四人を視界におさめ、イルダーナフは背中に手を回した。
さや
剣は優しい音をたてて、鞠から引き抜かれた。
2
せま                     すわ
薄暗く狭い空間に、ひしめきあうようにして人々が座っている。
たげこ にお        いしルう
酒と香水、そして煙草の匂いが混じり合い、異臭となって鼻をつく。慣れない者は逃げ
き1r’うれつ
出してしまうような、そんな強烈な匂いだ。
おさえた明かりのせいで、障りに座っている人間の顔すらぼんやりとしており、薄暗い
空間を動く人の様子は、まるで影が動いているようだ。
しおきい                     きよユノせいしLな
ざわざわと、潮騒のような人の声は途切れることなく、時々嬬声や怒鳴り声が聞こえる
が、気にかける者はいない。
そんな北国の小さな街の地下酒場1。
さかぴん り1ん
その店の奥に黒髪の大男、イルダーナフは座っていた。例によって、足元には酒瓶が林
立している。
ふいにイルダーナフは目だけを動かした。この席にやってくる人影がある。はっきりと
だれ
顔は見えないが、それが誰であるかはすぐにわかった。
「同席してもよろしいですかフ」
1・・                     −・                            ・
前に立った青年が軽く会釈した。落ちついた穏やかな声と揺れる右腕の長袖、やってき
野望は臍閣の輿で
たのはエル・トパックだった。
い“rころ カ
「よくまぁ、おまえさんは正確に人の居所を嗅ぎつけるもんだな」
あき
呆れたように顔を上げると、赤い髪の青年は穏やかに微笑んでいる。
さか
「見張。が仕事ですので。あなたのように目立つ方ですと、探すのが楽で助かります」
「俺のどこが目立つってフ」
「すべてです」
いやみ
にっこりと笑う。どこか人をくったような、けれど嫌味ではない笑みに、イルダーナフ
は広い肩をすくめた。
「嫌味にしか聞こえねぇよ。ま、座んな。野郎と同席ってぇのもつまらんが、仕方ねぇ」
「ありがとうございます」
せきわん
微笑み、隻腕の青年エル・トパックは林立する酒瓶を倒さないようにして、向かいの席
に腰を下ろした。
.ハ
「あの姐ちゃんがいねぇな」
エル・トパックに影のようにつき従っている美女、ティファの姿がないことに気がつき、
イルダーナフが問うと、
じたい
「彼女は外にいます。あなたの顔を見ると反射的に剣を抜いてしまうからと、同行を辞退
されました」
楽しそうにエル・トパックは白い歯を見せた。
つら
「心外だな。女に剣を抜かせるような面をしているのかね、俺は」
さかずき              まゆ
杯を片手にイルダーナフは片方の眉だけを動かした。エル・トパックは笑ったまま答え
ず、話題を変えた。
「この街から西に行くと、遺跡があるのはご存じですかフ」
「ほう、遺跡がね」
「ええ。知らずに通りかかったのですが、その遺跡のすぐ近くに、六人の死体が転がって
ひとたち                   すごうで
いました。いずれも一太刀、誰にやられたのかわかりませんが、凄腕の剣士にでもやられ
たのでしょう」
「きっと、出くわした相手が悪かったんだろうぜ。世の中にゃ、物騒な奴が多いからよ」
「ええ。私も注意したいと思います」
フなず    きんかつしよく
エル・トパックは真顔で額いたが、金褐色の目は笑っていた。イルダーナフは鼻歌混じ
りに杯を口に運んだ。
しかく
「それで、その六人は皆、フエルハーン大神殿の刺客のようでした。・どうやらアクデ
ィス・レヴィ神宮長以下、神殿の上層部は私の忠告に耳を貸してくださらないようです」
つぷや
ややあって、エル・トパックは苦い顔で呟いた。
「そいつぁ、よくねぇな。他人の意見はきくもんだぜ」
てじやく
楽しそうに手酌しているイルダーナフに、エル・トパックは採るような視線を向けた。
はうむ
「講が前後しますが、私は死体を葬ってから、遺跡に入ってみました。そこにはホー・シ
エンという青年がいて、遺跡の研究をしていると言っていました。彼は私がくる前に、背
中に長剣を背負った黒髪の大男がきて、浮き彫りを見たと教えてくれました」
さようみ
エル・トパックの議に、イルダーナフは「ふーん」と、まるで興味のない様子で、杯を
重ねている。
「その男が刺客を殺した、凄腕の剣士だと思いますが 。ともあれ、私はホ1・シェン
の議に興味をひかれたので、その浮き彫りを見せてもらうことにしました。驚きました。
カイルロッド王子にそっくりな人物を見つけ、私は本当に驚きました」
おもしれ
「王子にそっくりかー ヘぇ、そりゃ面白えな」
わざとらしく驚いた大男に、エル・トパックは金褐色の目をかすかに細めた。
「私にあの文字が読めれば、浮き彫りがなにを指しているのか、それがわかったのでしょ
うが  」
一息つき、
野望は暗闇の奥で
「私の前に遺跡にきた黒髪の大男が、その浮き彫りはフエルハーン大神殿そのものだと言
ったとか。その方がいたら、いったい、どういう意味なのか、ぜひとも教えていただきた
いものです」
鋭くイルダーナフを見やった。イルダーナフは杯を持つ手を止め、苦笑したように日を
ゆが   きげ         せきわん
歪めて、厳しい表情をしている隻腕の青年を見た。
「もし、仮に俺がその男だったとしたら、きっとこう言うぜ。答えはてめぇで探せ、つて
な」
いきどわ
回答を拒絶され、エル・トパックはほんの一瞬だが、顔を歪めた。だが、すぐに憤。と
や。きれなさを胸にしまいこみ、大きく息を吐いた。
「結局、それが一番早いようですね」
つ.かや
ため息のように呟いてから、
「ところで、カイルロッド王子やミランシャの姿が見当たらないようですが ・。別行動
ですかフ一」
おだ
エル・トパックはいつもの穏やかな表情で言った。数日前から別行動していることは、
たず                 こわね
すでに調べてあるのだろう。尋ねるというのではなく、確認するような声音に、
から
「ああ。ちっ、もう空か」
あご
短く答え、イルダーナフは片手で酒瓶を振り、顔をしかめた。エル・トパックは顎に手
をあて、正面の大男を見ていたが、
「  いよいよムルトのいるタジエナ山脈に近づいているというのに、それでいいのです
かフ」
ためらいがちに、小さく呟いた。店内は相手の声もよく聞き取れないような騒がしさだ
が、さすがに大声でムルトの名を口にするのははばかられたらしい。ムルトの名前は死神
ひつてさ
に匹敵するほど、人々に忌み嫌われているのである。
「それでいいってぇのはフ 意味がわかんねぇな」
酒瓶を逆さにして振りながら、イルダーナフ。
すば
「王子には素晴らしい力があります。しかし、それだけでムルトに勝てるとは  」
カイルロッドの身を案じているのか、エル・トパックは表情を曇らせた。青年の言葉を
無視して、イルダーナフは空になった酒瓶を下に置き、追加した。
ふいに人々のぎわめきが大きくなった。
「なんですか?」
エル・トパックが顔を向けると、そこだけ明るくなった台の上で、派手な化粧をした半
裸の女達が音楽にあわせて身体をくねらせていた。ショー・タイムらしい。
5  野望は暗闇の奥で
ねえ
「半裸の姐ちゃんなんて見ると、ミランシャを思い出すぜ」
「はフ」
カんがい
しみじみと、感慨深そうにイルダーナフは呟き、なんのことだかわからないエル・トパ
ックが訊き返したが、
「カイルロッドはムルトにゃ負けねぇ。勝ってもらわねぇと困る。ムルト程度にも勝てね
ぇようじゃ、本当の敵にゃ勝てねぇからな」
イルダーナフは答えず、女達を見ながらガラリと口調を変えた。口笛や指笛が響き、い
よいよ声が聞き取りにくくなっているにもかかわらず、エル・トパックにはイルダーナフ
おごそ
の厳かな声が落雷のように聞こえた。
「本当の敵・…・P」
鋭く息をのみ、
「ムルトの他に、なにかいるのですか?」
エル・トパックは顔色を変えた。
せいかん
イルダーナフは運ばれてきた酒瓶に手を伸ばし、答えない。そして、精悍な顔に薄い笑
みをはりつけたまま、女達を見ている。しかし、その黒い目は別のどこかを見ているよう
だった。
「イルダーナ7、お願いです。そのことを、いえ、あなたの知っていることすべてを教え
てくれませんか」
かた           こんがん      ひめい
硬い声でエル・トパックが懇願した時、女の悲鳴があがった。
■IP■
悲鳴のした方へ、エル・トパックは顔を向けた。すると、さっきまで身体をくねらせて
いた女の一人が、苦しそうにうずくまっている。
のぞ
具合でも悪くなったのかと、他の女連が心配そうに覗きこんでいると ー 突然、うずく
へんぽう
まっていた女が、人々の目の前で変貌した。
ひたい          っの            じゅうもうおお
額を破ってねじ曲がった角が生え、爪がのび、全身を獣毛が覆った。口が耳まで裂け、
きば
そこからゾロリと牙が見えた。
どう見てもその姿は人間ではない。
「魔物 − け」
おちい
誰が叫んだのかはわからないが、その言葉と女の姿に、者達は恐慌状態に陥った。
・リ・・..
「化物だっー」
「助けてくれっ1」
われさき
悲鳴をあげ、我先にと逃げ出そうとする者で、狭い店内と階段は大混乱となった。ブラ
7  野望は暗闇の巣で
hす              あわ
スや酒瓶の割れる音、椅子やテーブルの倒れる音、慌ただしい靴音をたてて人々が階段を
とぴbさつとン
上がって、扉へ殺倒した。階段から突き落とされた者、倒れたところを踏まれた者。悲鳴
ど せレ  フずま
と怒声が渦巻いた。
けもの    ほうこう
そうした混乱の中で、変貌した女は獣のような鳴蝉をあげ、近くにいる人間に襲いかか
った。
のどかぺ        すで
喉笛に食らいつき、素手で身体を引きちぎっていく。それがすむと、また次の人間を裂
く。殺教を楽しんでいるとしか言いようがない。
ぜつきよフ    いしゆつ                はくしや
次々と絶叫があが。、異臭に血の匂いが混じる。それが混乱に拍車をかけた。
せきわi
隻腕の青年は立ち上が。、魔物と化した女に近づこうとしたが、逃げようとしている人
人に押され、身動きがとれない。
すわ                 やつ
イルダーナフはというと、席に座ったままで動こうとしない。「若い奴が働け」と言わ
ゆ1ノぬう              しゆコは
んばか。に、この騒ぎの中、一人悠々と酒を飲んでいる。どんな修羅場を見ても、まるで
動揺しない男だ。
パキバキと骨を噛み砕く音を聞きながら、エル・トパックはなんとか持っていた護符を
取。出し、それを女めがけて投げつけた。
薄い金属製の護符は其っすぐ飛び、気がついた女はねじ切った首をくわえたまま、長い
爪の生えた手で叩き落とした。が、
「ギヤアァァ〓」
一hルカ        ゆか
護符に触れたとたん、女は高熱で焼かれたように、真っ黒に炭化した。護符が床に落ち
るよりも早く、原形も残さず炭化した女が床に倒れた。
じゆうまん     げこ▼フ
肉の焦げた匂いが狭い店内に充満し、人々の鼻孔と肺を刺激した。
「なんだ、どうしたんだフ」
「なにが起きたんだ?」
lレよっきよっほあノ1
まだ外に出られず、階段の途中で押し合っている人々は状況を把握できず、騒ぎ出した
が、
「魔物は死にました。ですから皆さん、落ちついて静かに外に出てください。もう魔物は
襲ってきません、安心してください」
Llす
エル・トパックが鎮めた。その落ちついた声と、絶叫や不気味な音がもう聞こえなくな
ったことから、人々は一様に安心した表情で、ゾロゾロと外へ出ていった。
ひたい   ぬく
長い息を吐いて額の汗を拭ったエル・トパックの耳に、パンパンと手を叩く音が聞こえ
た。
「よくできました」
那l+撃吾釦剥晴闇の塊て
見ると、お遊戯の上手な子供を誉めている教師のように、笑顔でイルターナフが拍手し
ていた。
「・・…魔物の気配はなかったんですが」
黒焦げの死体を見ながらエル・トパックが呟くと、イルターナフは音もなく立ち上がっ
た。そして黒焦げの死体の前にきて、
「どうやら早速、影響が出てきたらしいな」
「影響とはっ」
「本当の敵の、だ」
とげりあこ
イルダーナフは素っ計なく言い、扉を顎でしゃくった。出て行く人々の流れに逆らって、
店内に入ろうとしている女がいた。額に赤いバンダナを巻いた黒い肌の美女、ティファだ。
「トパック様っ、ご無事ですかー」
け?Tフ               1ぱや                じゆつめん
血相を変えて入ってきたティファは、素早く死体とイルダーナフを交互に見、渋面にな
った。
ねえ
「よぉ、姐ちゃん。元気そうだな」
「姐ちゃんではないー ティファだ。他人の名前も覚えられないのか、きさまー」
片手を上げて声をかけたイルダーナフに、ティファがかみついた。条件反射なのか、手
つか
が剣の柄に伸びている。
「ティファ。外で混乱はないかフ」
今にも剣を抜きそうなティファを視線だけで制し、エル・トパックが訊くと、
「あ、はい。特に混乱はありません。ただ、妖魔が出たと大騒ぎしているものですから、
やじ、ン、ま
野次馬達が押しかけてきました。トパック様、早くここを出てください」
柄から手を離し、ティファは凄い目でイルダーナフを軋んだ。
「こんな場所にいてはいけませんL
死体よりも、イルダーナフの方が害だと言わんばかりの目つきだった。
「はいはい、それじゃ俺は退場しましょ」
イルターナフは笑いながら、一一人の横を通って、階段を上がって行った。
「待ってください、イルダーナフ」
エル・トパックがイルダーナフを追った。舌打ちしながらティファも続き、三人は店の
外に出た。
こつふんぎlム
店の外には逃げ出した客達がたむろしていた。そして興奮気味に、大声で騒いでいる。
.                                                       . ・
恐怖は去り、気持ちは好奇へと傾いたらしい。野次馬もぞくぞくと集まってきて、夜更け
だというのに店の周辺だけ祭りのような騒ぎだった。
野望は暗闇の奥で
「一週間はこの話題で持ちき。だぜ」
騒いでいる人々を見ながら、イルダーナフはさもおかしそうに笑いながら、さっさと店
から離れた。
「おかげで酒代はチャラになったしな」
じようきげん
上機嫌で寝静まった街を足速に歩いていくイルダーナフの横に、エル・トパックが並ん
▼フrfjっちようづら
だ。ティファは近くにいた男からランプを奪い取って、仏頂面で二人の後ろを追った。
「イルダーナフ、さっきの女はなんですフ」
いつになく厳しい声で問われ、
「ただの人間だろ? 魔物の気配がしなかったんだからな」
めんどう
イルダーナフは耳の裏を掻きながら、面倒そうに口を開いた。
「・ ただの人間があんな姿になるのですかっ」
やみ
「なるさ。人の心の中にゃ闇があるんだぜ。あの女は感知能力が高かったんだろう。強い
負の感情が、あいつに影響されて、それにふさわしい姿になっただけだ。ああなると、魔
わhソ
物なんかより、人間の方が始末が悪いぜ。これからあいつの力が強くなる。そうな。や、
ぱけもの
あっちこっちで化物になる奴が続出するぜ」
遠ざかるざわめきに、イルダーナフは一度だけ振り返った。その言葉の深刻さに、エ
くじぬつ
ル・トパックは苦渋をうかべた。
「・あいつというのは、本当の敵ですかフ 何者ですフ」
「あいつが何者か、俺にゃわからん。だが、あいつに比べりや、ムルトなんぎ雑魚よ。ム
くヂ
ルトが倒れ、タジェナ山脈が崩れた時、あいつが出てくる。その影響を受けて、眠ってい
らみも、つhりよう
た魅魅鰻魅どもが力を得るだろうぜ。そうなったら、ただの人間にゃ、手も足も出せねぇ
やな」
声も出せないエル・トパックを、イルダーナフが鋭く見た。
「その時、人々は救いを求めて神殿にくるだろう。だが、現在の神殿には魅魅旭魅どもと
聞える力はねぇ。金儲けと地位争いで手がいっぱいらしいからな」
「 ・返す言葉がありません」
射抜くような強い光を放つ黒い目に、エル・トパックはうつむいた。神殿の内部事情を
知っているだけに、イルダーナフの言葉がこたえたらしい。
「せめて、おまえさんが各国の神殿にそのことを通達するんだな。少しは対抗できるかも
しれねぇ」
皮肉ともつかないイルダーナフの言葉に、エル・トパックは息苦しそうに、襟元をゆる
めた。
野望は暗闇の奥で
なぜ
「あなたは……あなたは何者なんですフ 何故、そこまで色々なことを知っているのです
かっ」
「おまえさん、今日はいやに質問が多いじゃねえか。そう質問責めにされると、馬王子を
思い出しちまうぜ」
黒い目を細め、イルダーナフ。
「王子が気になりますか?」
「甘ちゃんだからな。だが、俺がいるとすぐ頼。やがるんでな。すぐ他人に甘えるなんざ、
くせ
よくねぇ癖だ」
その芦には、突き放しっつも徹せられないという響きがあった。
「  本当に他人なのかっ」
とが
それまで二人の後ろで獣州っていたティファが、答めるような強い調子で言った。イルダ
ーナフは振。返。、
ぬえ
「姐ちゃん、どういう意味だフ」
ほは
かすかに頬を動かした。
じっd
「きさま、カイルロッド王子の実父ではないのか」
「ティファ!」
エル・トパックがたしなめたが、ティファはかまわずに続ける。
くわ
「王子の生い立ちにいやに詳しいし、事情を知りすぎている。顔は似ていないが、似てい
ない親子など世間には大勢いる」
黙って聞いていたイルダーナフだが、ティファが言い終えるなり、大笑いした。眠って
いる近所の人々が起きだしてきそうな、笑い声だ。
おもしれ
「そりゃ、面白え意見だ。いやー、王子が聞いたら、泣いて喜ぶぜ」
かか
腹を抱えて笑われ、ティファはギリギリと眉を吊り上げた。
「きさま  」
「おおっと、剣は抜かんでくれ。俺は姐ちゃんを殺したかねぇんだからよ」
笑いながら、しかし、除を見せずにイルターナフは言った。ひとしきり笑った後、イル
ダーナフはいつ取り出したのか、手の中の物を指で弾いた。
すいらよく
金色の光を弾いて、それが垂直に上がった。それがカイルロッドの持っていた指輪であ
ることを知り、エル・トパックは表情を動かした。
「その指輪は…」
「預かり物さ」
落ちてきた指輪を片手で取り、
5 野望は噛闇の奥て
「神殿の回し者の兄ちゃん。おまえさんの知。たいことは、いずれ撫でもわかることだ。
せんきく
今はつまんねぇ詮索をしねぇ方がいい。おまえさんにゃ、おまえさんのなすべきことがあ
るだろっ」
イルダーナフは静かな声で忠告した。それから「いやし俺が王子の父親か。而白え」
と、明るく笑いながら、イルダーナフは闇の中に消えた。
ティファは追いかけようとしたが、エル・トパックに止められた。
「トパック様、いいのですかっ」
「いいんだよ」
ぎようし
消えた男を見送るように、エル・トパックは闇を凝視してい午
つJ
きみ
「  不気味だ」
つぷや
荒地を歩きながら、カイルロッドはポソリと呟いた。そんな青年を、
そうに見上げた。
「どうしたの、王子っ」
せいじやく
「この静寂が不気味だと思わないかフ」
けfし
ミランシャが怪訝
「イルダーナフがいないからっ」
しかく お一て
「・それもあるけど、この四日間、妖魔もフエルハーン大神殿の刺客も襲ってこないん
だよ。今まで三日とあけず、どっちかが襲ってきたのに」
そう言いながら、カイルロッドは少し悲しくなった。行く先々で妖魔と刺客に襲われて
いるせいか、現われないとかえって不安になる。「もしかして、俺、だんだん不幸慣れし
てきてるんじゃないだろうかつ」、自分で考えたことに、自分で傷ついてしまうカイルロ
ッドだった。
暗い顔をしていると、ミランシャが真顔で話しかけてきた。
さぴ
「ひょっとして、王子。敵が襲ってこないと淋しいとか・」
「そんなわけないだろうがー」
「当たり前じゃない。冗談よ」
. ・
ケロッとミランシャが言った。カイルロッドは額に手をあてて、自分の爪先を見た。イ
ルダーナフがいなくなって、からかわれなくなったと思ったら、その代理とばかりに、ミ
ランシャにからかわれている。
「ミランシャ、イルダーナフの影響を受けたんだね」
「王子だって、人のことを言えないわよ」
7 野望甜l射調の奥で
カイルロッドがしみじみと呟くと、ミランシャは舌を出した。結局、二人ともがイルダ
ーナフの影響を強く受けたのである。
「いいんだか、悪いんだかわからないけど」
みりん しわ
複雑な心境でカイルロッドは眉間に紋を寄せた。
「でも、遺跡にあった王子のそっく。さんには驚いたわよね。ブリユウだけでも驚いたの
に、黄金像に浮き彫りですもの」
7.・・.
遺跡のある方向を振り返り、ミランシャが懐かしそうに微笑んだ。黄金像と浮き彫りを
見た時の繁きを思い出して「そうだね」と返事してから、カイルロッドはミランシャが彼
の知らない名前を口にしたことに気がついた。
「ねぇ、グリユウって誰?」
訊くと、ミランシャはチロッとカイルロッドを見、
「エル・トパック達が《影》 って呼んでいる子よ。《影》じゃあんま。だから、名前をつ
けてあげたの」
澄ました顔で言った。
、、 こ  、
のば
庇ったことはともかく、まさか名前までつけているとは思わなかった。ミランシャの
《影》 への肩入れぶりに、カイルロッドはため息をつきながら、
「でも、今度奴に会ったら、生かしておけないよ」
念を押すように、ミランシャに告げた。言われるまでもなく、覚悟はできていることな
うなず
ので、ミランシャは無言で額いた。
ぐうぜん
「しかし、同じ顔がこうあるとなぁ・・…・。《影》はともかく、像も浮き彫りも単なる偶然
だといいんだけど」
なP
それでなくてもわからないことだらけで、頭の中がこんがらがっているのに、また謎が
いや
増えるのは嫌だった。「でも俺の顔って、世間によくある顔なのかなぁ」、そんなことを考
えていると、
「ねぇ、王子、見て」
すJ
嬉々とした声を出してミランシャが、カイルロッドの服の裾を引っ張った。
「なにフ」
ぐんせい    あた           めずら
「ほら、あそこ、花の群生よ。この辺りで咲いている花なんて珍しいわね」
あわ
見ると大きな木の下一面に、淡いピンク色をした小さな花の群生があった。一見すると
じゆうたん                やわ
それはピンク色の絨毯のようで、カイルロッドは表情を和らげた。春まだ遠い北の大地で
花を見ると、心安らぐものがある。
野望は暗閻の奥で
「寒くて荒れた土地でも、花は咲くんだね」
カイルロッドとミランシャは少しの問屋を止め、その花を見ていた。
「こんな花を見ていると  」
途中でカイルロッドは言葉をきった。花を見ていると、今は亡い少女が思い出された。
しかし、その名前をロにするには、まだ悲しみが強かった。ミランシャは少し気になった
ようだが、問いつめた。しなかった。
ゆっくりと群生の横を抜けて、二人は再び北へと進んだのだが ー
先に異変に気がついたのはミランシャだった。
「ねぇ、王子」
立ち止ま。、ミランシャがなんとも妙な表情をした。
「気のせいかもしれないけど、同じ場所を歩いていないフ」
「・実は、俺もそんな気がしていたんだけど」
足を止め、カイルロッドは周りを見回した。あの大きな木と、その下に淡いピンク色の
花の群生が見える。
「あれだけ歩いたのに、周。の風景がまったく変わっていないのよ」
けんお
ミランシャの声には嫌悪があった。
元々、それほど風景に変化のあるような所ではないはずだから、しばらくは気にしなか
った。しかし、進んでも進んでも、械毯のような花の群生が見える。いくらなんでもこの
季節の北の大地に、花の群生などそう多くあるものではない。
「ちょっと待って」
みき
カイルロッドは花の絨毯を横切って、木の前へ行った。そして短剣を取り出し、幹に線
を一本、刻んだ。
「こうして印をつけておけば、同じ場所をグルグル回っているかどうか、わかるだろっ」
「そうね」
ふノなず
すでに答えはわかっているというように、ミランシャは陰気な顔で背いた。
それから二人はここにレイブンがいても負けない速さで、歩き出した。本当のところ、
走って逃げたい気分なのである。
群生を抜け、しばらく小道を歩いた。が、また群生が見えてきた。花だけでなく、見覚
ゆが
えのある木もあり、カイルロッドはそこに走った。そして幹を見て、顔を歪めた。幹に一
本、傷がある。さっきカイルロッドのつけたものだ。
まちが
「間違いない。俺達は同じ場所をグルグルと回っているんだ」
ユノな
傷に触れ、カイルロッドは喰った。
01 野望は嘲河の輿で
「やっぱりー」
ひめい
ミランシャが悲鳴じみた声をあげた。
「敵が現われたらしいよ、ミランシャ」
わな
自然に迷っているとは思えない。気がつかないうちに敵の罠にはまっていたのだ。
しかく
「妖魔P・それともフエルハーン大神殿の刺客のしわざけ」
「それはわからない」
たいヽつ
「王子が退屈だなんて言うからよー」
「俺はそんなこと、貰ってないー」
とな
むきになって怒鳴ってから、カイルロッドは大きく息を吐いた。
むだ
「とりあえず、動き回るのはやめよう。無駄な体力消耗は避けるべきだ」
「同感だわ」
騒いでいたミランシャだが、すくに冷静になった。騒いでどうなるものではないと、こ
れまでの経験で学んだからだ。
「でも、油断しないでくれ。いつ、なにが出てくるかわからないんだから」
ミランシャに警戒を呼びかけ、カイルロッドは周。を見た。
不思議に明るい。時間的には、もう日没だというのに、昼間のように明るいのだ。
「今度はなにが出てくるのかしら」
おかん は
ため息とともにミランシャが吐き出した時、カイルロッドは足元から悪寒が這い上がっ
てくるのを感じた。
下カラダ ー ー
「ミランシャー」
ミランシャの腕を摘み、カイルロッドは自分の方に引き寄せた。
やり
すると、一呼吸違いでミランシャのいた場所に、地面から槍が突き出た。
「   −   〓」
槍はそれだけではなかった。
次々と、カイルロッド達を取り囲むようにして、槍が、剣が地面の中から突き出た。
ゆが        hる
ミランシャの顔が恐怖に歪む。摘んだ腕は震えていた。
「どうやらここは戦場跡らしいな」
土の下から次々と姿を現わした白骨達を見ながら、カイルロッドは短剣を取り出した。
かつちゆう
手に剣や槍を持ち、甲胃をまとった白骨達rlLし その数は一〇〇や二〇〇ではきかない
だろう。
「団体さんだわね」
野望は噛閣の奥で
震えながらも、ミランシャがそんなことを言う。
「本当にイルダーナフの影響を受けているな」
カイルロッドは苦笑した。
乾いた音をたてながら、白骨達が襲いかかってきた。
「ミランシャ、俺から離れるな−」
ひらめ
カイルロッドは短剣を閃かせ、襲いかかってくる白骨を次々と切断した。が、すぐに元
に戻ってしまう。
「元々、死んでいるんだから、どうしようもないわよー」
背中の方でミランシャが叫んだ。
たた つぷ
粉々に叩き潰すぐらいしなければ、効果はないようだ。しかし長剣ならまだしも、短剣
なんぎ
で骨を粉々にするというのは難儀である。
「まとめて消すしかないな」
短剣では相手にならないと判断し、カイルロッドは白骨を睨みながら、呼吸を整えた。
さつち
これからなにが起こるのかを察知し、ミランシャが身体を緊張させた。
「消えろー」
くず
カイルロッドの短い叫びに、白骨達は槍や剣を振。上げたままの姿で山朋れ出した。サラ
サラと乾いた昔をたて、砂細工が風に壊されるように、崩れていく。
「あの時と同じだ」
つぷや
口の中でカイルロッドは呟いた。ゲオルディの訓練の時、三つの頭を持った白い犬が、
こんなふうに消えた。どうして砂のように崩れてしまうのかわからないが。
白骨達は消え、一面に白い砂山ができている。
「いつの間にこんなことができるようになったのけ あたし、王子が光を放つのは知って
いるけど、こんなの初めて見たわ」
しよ、フさん
カイルロッドがそのカを使うところを初めて目にしたミランシャが、惜しみなく称賛し
た。
「ゲオルティ様の特訓のおかげだよ」
じぬつめん
破顔したカイルロットだが、ふいに鈍い頭痛を感じ、渋面になった。しばらくなかった
あの頭痛だ。「またか」と、舌打ちすると、
「とにかく、これでここから出られるのね。王子、早く出ましょう。いつまた敵が現われ
るかわからないわ」
表情をひき締めたミランシャが、頭痛に顔をしかめているカイルロッドの腕を摘み、走
り出した。
5 野望は暗l訃j奥で
走って群生を抜けた「一一つもりだったが、また同じ場所に出ただけだった。
「まだ出られないのけ」
ミランシャが金切。声をあげた。
花の群生、そして傷をつけた木がある。どうやら白骨を倒したからといって、ここから
出られるほど、事は簡単ではないらしい。
「困った」
「わか。きったことを、いちいち口にしないでちょうだい。腹がたってくるじゃないの」
ミランシャに脱まれ、カイルロッドは肩をすくめた。
「入ったんだから、出られるはずなんだけどな」
わな
しっこい頭痛と敵の罠にうんざりしながら、カイルロッドは頭を振った。どうやったら
とつgこう
出られるのか、さっぱりわからない。こんな時はいつも、イルダーナフが突政口を教えて
くれたものだ。「なんでも知っていたんだな」、改めていなくなった男の存在の大きさを噛
み締めていると、
ザワザワ。
奇妙な音がした。
・ ト ー
ミランシャの鋭い声に、カイルロッドは反射的に短剣を握った。
と、ヒユツとなにかが風を切って、カイルロッドの腕に巻きついた。
むち
「鞭けこ
つる
手首に巻きついたそれは、蔓だった。
ザワザワと花の群生が風もないのに揺れ、そこから無数の贅が伸びているのだ。
ヒエツと鋭い音をたて、次々と蔓がカイルロッドの手足、首に巻きつき、締めあげた。
「キヤア、なによ、これー」
ひめい
同じように蔓に巻きつかれ、ミランシャが悲鳴をあげた。
ぱけもの
「化物花かっー」
なんとか手を動かして、短剣で蔓を切断しても、すくに別の蔓が伸びてくる。切っても
きりがない。そうこうしているうちに、短剣をからめ取られてしまった。手足や首を絞め
られ、ミランシャは悲鳴を上げている。
「消えろー」
カイルロッドは叫んだ。しかし、花も蔓も消えなかった。
「なっ  Pこ
ぼうぜん
白骨達のように砂になるとばかり思っていたカイルロッドは呆然とした。どういうこと
7 野望は晴闇の奥で
なのか、まるで理解できなかった。
「くそっ1」
のど                   ゆが
ギリギリと喉を締めつけられ、カイルロッドが顔を歪めていると、
「ミランシャー」
どこかで、若い男の芦がした。
「   −   P」
この声の主をカイルロッドは知っていた。
4
けもの          くルせい
しなやかな獣のように、その青年は群生する花の中に飛び込んできた。
褐色の肌、長い銀髪に青い冒、色違いの前髪がないことを抜かせば、カイルロッドにそ
っく。の青年だった。
∵賢・ .、
うめ
カイルロッドは咋いた。こんな場所で再会するとは思っていなかったし、会いたいとも
思わなかった。
ばlナもの
「《影》を殺すどころか、このままじゃ化物花に殺されそうだ」
カイルロッドが息苦しさに顔をしかめていると、《影》は真っすぐミランシャに駆け寄
った。
「ミランシャをいじめるなっー」
すで
自分に巻きついた蔓など気にもせず、《影》は素手でミランシャを締めつけている蔓を
引きちぎった。だが、すぐに別の蔓が伸びてくる。
むだ
「無駄だ。すぐに、伸びてくるんだ…・」
かすれた声でカイルロッドが言うと、《影》は怒りに青い目を光らせた。
「おまえなんか消えちゃえ〓」
叫んで、地面に両手をかざした。
「   −   〓」
カイルロッドは両目をきつく閉じた。
ほとばし
《影》の両手から光が遣り、白い光が大地と空を包んだ。その強烈な光は、カイルロッド
まーサた    つらぬ
の閉じた瞼の奥をも貫いた。
ごうおん
轟音と震動、そして光が消え、カイルロッドが目を開けると、花の群生や木はなくなっ
ていた。
すご
「相変わらず凄い力だな  」
花のあった辺りは巨大な手でえぐられたような穴になっており、その周りの地面からは
強い熱で焼かれて蒸気がのぼっている。
「蒸し風呂みたいだ」
あえ                                      ず
喘ぎながら、カイルロッドは穴の中を見た。土の中から白い物が出ていた。白骨だ。頭
がいこつ
蓋骨と宿から手のあたりまで、上半身が出ていた。長い髪と、ポロポロになっているドレ
スと、その白骨が女だと判断できた。
「・・死体を食って花が咲く、か」
あぎ    のど            つぶや
蔓に締めつけられて、赤い症のできた喉を押さえ、カイルロッドは呟いた。
おんねん
美しい花の下に死体が埋まっていたのだ。どんな死に方をしたのか知らないが、怨念は
残り、人を惑わしていたのである。
「でも、どうして二度目は力がきかなかったんだ・ フ」
あやつ                             しようげき
自在に操れるものとばかり思っていただけに、少なからずカイルロッドは衝撃を受けて
いた。
強い風が吹きつけ、たちのぼる蒸気を流した。
けが
「ミランシャ、怪我は  」
思い出して連れに声をかけると、すでに《影》がミランシャの横にいて、「怪我はな
ー貯望は鴫闇の奥で
いフ」だの「痛くないフ」などと、心配そうに様子をみていた。
「なつかれてるなぁ・。しかし、どうしてこいつが現われたんだろうつ」
疑問を感じながら、カイルロッドは蔓に取られた短剣を拾い、二人に近づいた。すると、
《影》がジロリとカイルロッドを睨み、ミランシャは顔色を変えた。
「王子−」
カイルロッドの次の行動を正確に予測したミランシャに、
「言ったはずだよ、ミランシャ」
努めて感情を押し殺した声で言うと、ミランシャは泣きそうな顔になった。
「でも、この子はあたし達を助けてくれたのよ」
「ミランシャ、どうしたのフ」
《影》はカイルロッドとミランシャの会話の意味がわかっておらず、キョトンとしている。
「おまえ、なんの目的で現われたんだっ」
そんな《影》に、短剣を構えてカイルロッドが問うと、
ひめし
「ミランシャの悲鳴が聞こえたから」
hきげん
不機嫌に《影》は答えた。
「  どこからきたっ」
「あっち」
「  あっちってっ」
「あっち」
《影》はつまらなそうに西の方角を指差した。具体的にどこからきたとは言わない、言え
ないのだ。
「・  」
Tづぞら
カイルロッドは片手で額をおさえた。これが別の人物なら、「空々しい嘘をつくな、ふ
おとな
ざけるな」と言えるのだが、相手が相手だ。嘘をついたり、ふざけられるほど大人ではな
「わかった。どうしてきたとか、どこからきたとかは訊かない。だが、ミランシャがいれ
みのが
ば俺がいるんだぞ。見逃すのは一度だけと言っただろう」
.・                                                                                   −・−                  ・
脅すようにカイルロッドが言うと、《影》は両頬を大きく膨らませた。
「おまえなんかどうだっていい。おまえ、嫌いだ」
たが
「嫌いなのはお互い様だ」
同じ顔をした者同士が軋み合っていると、ミランシャが「やめてよ、
に割って入った。
二人とも」と、問
野望は嘲雑の奥で
「ミランシャ」
表情を一変させ、《影》はあどけない笑みをミランシャに向けて、こう言った。
「ムルトのいる場所に連れていってあげる」
「ええっけ・」
貫いたのはミランシャよ。も、カイルロッドの方だった。
「ムルトのいる山に連れていってあげる」
ぽうぜん
呆然としているミランシャに、《影》が繰。返した。聞いていたカイルロッドはしばし
絶句していたが、
「ふざけるなっー おまえはムルトの手下だろうがっー そんな奴がどうしてタジエナ山
脈に案内するんだけ.おまえが嘘をつくとは思わなかったぞー」
どな                    ゆが
大声で怒鳴った。怒鳴。つけられ、《影杉 の顔が少しずつ歪んできた。
「嘘なんかついてないもん」
「嘘つけ」
強い口調でカイルロッドが決めつけると、《影》は顔をくしゃくしゃにして、
「嘘じゃないもんー」
わー、と大声で泣きだした。
ぎやくたい
「ちょっと王子、こんな小さな子をいじめないでよl 幼児虐待だわー」
「よ、幼児虐待け」
「そうよー よしよし、いい子だから泣かないのよ」
なだ
泣きだした《影》を宥めながら、ミランシャ。しゃくりあげている《影》と、それを優
むな
しく宥めているミランシャを見ていたら、カイルロッドはなにやら虚しくなってきた。
ふがいかん
「疎外感を感じる  」
苦渋に満ちた表情で、手の中の短剣をいじくっていると、
「どうしてタジェナ山脈に連れていってくれるのフ ムルトが怒るんじゃないのフ」
ミランシャが泣いている《影》に、そう問うと、
「ムルト、嫌い。ミランシャは好き。だから、ミランシャに味方する」
しゃくりあげながら、《影》が答えた。価値観のはっきりした奴だとカイルロッドは思
った。
「ねぇ、王子。信用していいわ。この子に嘘がつけるわけないもの」
カイルロッドとは別の意味で、嘘をつけるわけがないと断言するミランシャの姿は、
「うちの子に限って」と言う親に似ていた。
わな
「嘘をついているとは思わないが、それもムルトの罠ではないのか」
5 野望は暗闇の奥で
と言いかけたカイルロッドだが、
「さっきも助けてくれたし。ね、案内してもらいましょうよ」
丁、
母親の盲目的な愛情を見たようで、言葉を失った。確かにミランシャは助けられたが、
1▼・J.
カイルロッドなどはたまたまその恩恵を受けただけだ。「《影》に俺を助ける意志なんかあ
るもんか」、あの表情や態度から、そのことは明々白々である。しかし、この様子ではな
むだ
にを言っても無駄に違いない。
「ミランシャ、好き」
ミランシャに機雛をとってもらい、《影》はもう泣き止んでいた。母親にまとわ。つく
幼児のような《影》を横目で見ながら、カイルロッドは発想の転換をしてみた。
「ムルトの罠でもなんでも、要はタジェナにつけばいいんだ。それに《影》だって、目の
さまかい
届くところにいれば安心だ。知らない場所で街や村を破壊されるよりは、近くにおいて監
視した方がいい」
そういった結論にたどりつき、カイルロッドは短剣をしまった。たちまちミランシャの
表情が明るくなる。
「王子、それじゃ・ 」
「《影》に道案内をしてもらおう」
仕方なさそうにカイルロッドが案内を認めると、
「案内してね、グリユウ」
うわめづか
ミランシャは満面の笑顔を《影轡に向けた。それから、ジロリとカイルロッドを上目遣
いに見て、
「王子、言っておくことがあるわ。この子にはダリユウっていう名前があるのよ、これか
らは、《影》なんて呼ぶのはやめてちょうだいー」
強く注意した。同行者、すなわち仲間になるのだから、ちゃんと名前で呼ぶべきだとミ
ランシャは言うのである。
「仲間ねぇ  」
わめ
一応同行者となったものの、《影》 にはさんざん嫌いだと喚かれ、攻撃されたのだ。急
めば
に仲間意識が芽生えるはずもない。
同意することに抵抗していると、ミランシャはカイルロッドを指差し、強い口調で言っ
た。
「自分の身になって考えてよ。王子だって、《卵》なんて呼ばれたくないでしょ」
「うっー」
野望は暗!甥の奥で
「これからも、王子がこの子のことを票影》って呼ぶなら、あたし、王子のことを爺》
って呼ぶわよ」
「  はい、グリユウと呼びます・…」
迫力あるミランシャの脅迫に、カイルロッドは負けた。
「俺はダリユウだ」
はこ
ミランシャの横で、《影¥1−グリユウがニッと勝ち誇ったように笑った。
いや
「嫌な奴だ、まったく」
.−
言葉にするとミランシャが恐いので、カイルロッドは心の中で吐き捨てた。
こうして、イルダーナフがいなくなったかわりに、《影》 − グリユウが案内人として
めまい
加わることになった。カイルロッドは軽い目眩を感じながら、早速道案内を頼んだ。
「それじゃ案内してくれ、グリユウ」
が、グリユウはブイッと顔をそむけた。
「おまえ −」
「おまえじゃなくて、ブリユウよ。ね、グリユウ、タジ工ナ山脈まで案内してね」
ミランシャが同じことを頼むとブリユウはニコッと笑い、
「うん、こっちだよ」
とミランシャの手を取って、歩き出した。あからさまな態度の違いにも腹はたつが、そ
れが同じ顔をしている相手にやられたと思うと、ますます腹だたしい。
カイルロッドが睨んでいると、グリユウは振り返り、「ベーツ」と舌を出した。
かわい
「可愛くないガキッー」
こぷし           のど  うな
拳を震わせ、カイルロッドは喉の奥で唸った。
野望は暗闇の奥で
まち
三章 空白の街
北へ ー
カイルロッド、ミランシャ、そしてグリユウの三人は北へと向かっていた。
いよいよムルトのいる場所、タジェナ山脈に近づいていることを痛感するのは、襲いく
てごわ
る魔物連の数だった。数を増し、手強くなってくる。
が、それらすべてを、グリユウが一人で片付けていた。ついさっきも、襲いかかってき
へぴ                しようめっ
た蛇のような魔物を、ダリユウが一撃で消滅させたばか。だ。
「グリユウがいてくれて、大助かりよ」
ミランシャなど大喜びである。
「ね、王子。グリユウがいてくれてよかったでしょう?」
同意を求められ、カイルロッドは仕方なく首を縦に振った。ダリユウを同行させるにあ
けねん         かて
たって、一番懸念したのは人の生気を糧にしているということだった。
だが、
だめ
「人じゃなくても食べられる。ミランシャが駄目だって言ったから、人は食べない」
とグリユウは言い、草木の生気をとり、魔物が襲ってきた場合は、その魔物を食った。
ブリユウにとって、ミランシャの言うことは絶対らしい。
「本当になつかれているなぁ」
は      ミノれ
ミランシャに誉められて、嬉しそうに笑っているグリユウを見ながら、カイルロッドは
うなだれた。
「俺だって少しは役にたつんだけどね」
声が出せたらそう言ってやりたかった。しかし、現在のカイルロットに出せるのは、い
ななきだけである。
ようぼノ
「だって、一人でも目立つ容貌なのよ。それが二人じゃ、二倍人目をひくじやない。幸い
王子は馬になれるんだから」
グリユウが同行者に加わった直後、ミランシャがそんなことを言い出した。人目を避け
るという意見には賛成だったが、馬になることには賛成できず、渋っていると、
「という訳だから、お願いね」
野望は晴閣の奥で
ミランシャはあらかじめ用意しておいた、先が毛玉のようになっている長い草で、カイ
ルロッドの鼻の下をくすぐった。
以来、カイルロッドは馬のまま、グリユウはカイルロッドの使っていたターバンを頭に
巻いて、旅を続けているのである。
きわ
それだけでもカイルロッドには不快極まりないというのに、
「わぁ、馬だ、馬だ」
きよっみ                   しつぽ
グリユウが馬に興味を持ってしまった。背中にとび乗って耳や尻尾を引っ張る、たてが
みを三つ編みにする、腹を思いき。蹴るなど、およそやって欲しくないことばかりやる。
中身は幼児でも、外側は力の強い青年だから始末が悪い。
ミランシャが注意すると、その時は即座にやめるのだが、しばらくするとまた同じこと
をするのである。まったくカイルロッドにとっては、とんだ災難としか苦いようがない。
「グリユウがいる限り、俺はずっと馬のままなんだろうか」
心の中でぼやきながら、カイルロッドはミランシャを背中に乗せて、歩いていた。
しゆうげき
襲撃してくる魔物の数が増える一方なので、カイルロッド達は以前にもまして、人のい
ない道を選んで進んでいた。だが、時々、商人とすれ違った。、旅人と出会った。するの
で、常に緊張を強いられていた。
ただ、魔物さえこなければ、他人と接触することは実りが多かった。旅人達は情報を持
っている。人里を避けているため、カイルロッド達は情報に飢えていた。
ぼけ
「北に向かっているのかいっ そうか、それじゃ、気をつけるんだよ。最近、突然人が化
もの                                     はくちゆう
物に変わってしまうことがあるそうだよ。ここからずっと北にある小さな街じゃ、白昼、
大通りで老人が化物になって、十数人の人間を殺したって話だよ」
のうり
南へ向かう商人からそんな話を聞き、カイルロッドの脳裏に「ムルトのしわざではない
か?」という思いがよぎった。
「化物になるなんて。まさか、ムルトのしわざじゃ.・」
つぷや
カイルロッドと同じ感想を持ったミランシャが背中の上で呟くと、
「それはきっと、《あの方》 のせいだ」
グリユウはあっさnソと言った。
「《あの方》 ってフ」
ミランシャが訊き返し、カイルロッドはグリユウの方に耳を動かした。
「わかんない。でも、ムルトがそう言っていた。ムルトは《あの方》を恐れている」
とグリユウ。
「わかるような、わからないような」
こわ
ミランシャは首をひねり、カイルロッドもひねった。ただ、「ムルトにも恐いものがあ
るのか」、意外に思う反面、ゾツとした。あのムルトが恐れるのだ、とんでもない奴に決
まっている。
「そんな奴とは一生、会いたくない」
などと願いながら、カイルロッド達は荒れた山道を歩いていた。まだ冬の気配が濃い山
ところどころ
の中には、所々に雪が残っている。踏まれた雪は固まって氷となり、大地にへばりついて
いる。
「あっけ」
出し抜けに先頭を歩いているグリユウが鋭い声をあげた。また魔物の襲撃かと、カイル
ロッドとミランシャが身構えると、
「そこだっー」
なな
斜め上の張り出した岩に、ブリユウが片手をかざした。
はし        くだ
光が弄り、岩が粉々に砕けた。
カか
バラバラと、繊かな破片が上から降り注ぎ、ミランシャが両手で頭を抱えた。
「グリユウ、魔物なのフ・」
「・ わかんない」
5  野望は暗鮒の奥で
dきけん
ミランシャに問われ、むすっと不機嫌にグリユウは言った。
「わかんないってフ」
「なにかいたけど、よくわかんない。それに逃げられた」
逃がしてしまったことで自尊心が傷ついたのか、グリユウはむっつ。している。
「こいつが逃がすなんて」
てごわ                  いや
カイルロッドは少し驚いていた。よほど手強いのだろうか。「待ち伏せされていたら嫌
だな」、などと思っていると、
(助けてくれ・)
消えい。そうにか細い声が聞こえ、カイルロッドは耳を動かした。
..LトL
(我々を救ってくれ・・…)
(もう許してくれ)
(助けてくれ……)
すす
畷。泣きに似た声が、風にのって流れてきた。カイルロッドは首を動かして周りを見た
が、人影らしきものは見当たらない。
「どうしたの、王子フ・」
かしぎ
ミランシャが不思議そうに言った。グリユウはむっつ。顔のままだ。声が聞こえていた
ら、なにか言うはずだから、ブリユウにも聞こえていないのだろう。
そらlサみ
「空耳じゃないと思うんだけど ・。俺だけにしか聞こえなかったのかな」
人間だったら腕組みをして首をひねっているところだが、馬になっているので、その代
わりに大きく尻尾を揺らした。
しやくぜん
なにか釈然としないまま、山道を進んでいくと霧が出てきた。そして、あっという間に、
視界が乳白色に染められた。
「凄い霧ね」
・.・
ミランシャの声を聞きながら、グリユウが思いきり顔を歪めた。霧に不自然なものを感
いや
じとっているらしい。カイルロッドもまた、どこかまとわりつくような芽に、嫌なものを
感じていた。
ひ         かノ、
だが、カイルロッド達は進むしかなかった。退こうにも道は霧に隠されている。
まちな                   さっかく
霧の中を進んでいくと、ぼんやりと街並みのような影が見えてきた。初めは員の錯覚だ
りんかく
と思っていたが、ぼんやりした輪郭がはっきりするにしたがって、そこが街であることが
判明した。
「こんな場所に街があるなんて」
かんたん
馬上でミランシャが感嘆の声をあげた。
野望は暗閣の輿で
ふいに薄いベールをはぎ取るように霧がはれ、そこから街並みが現われた。
はそう          りつば
石造。の舗装された道、左右に建つ立派な建物1どう見ても大都市の街並みだった。
こつぜん  めつた                          いだ
それが忽然と、滅多に人も通らぬ山の中に現われれば、どんな人間だって不審を抱かずに
はいられないだろう。しかも、まだ花も咲いていない季節だというのに、街の中は花と緑
に溢れているのである。
「こんな街、知らない」
けいかい
グリユウが低く唸った。全身の毛を逆立てて警戒している。
あや
「あからさまに怪しいわね」
きび
強い警戒に、ミランシャの顔が厳しくなっていた。
街の異様な雰囲気に、カイルロッドは落ちつかなかった。活気というものがまるでなく、
無人ではないかと思うほど、静まりかえっているのだ。
「どうするの、グリユウ?」
「ここから出た方がいい」
明快に言い切。、ブリユウは街から出ようと、走。出した。カイルロッドもグリユウの
後を走った。
しかし、走っても走っても、街から出られない。
「この間の時と同じだわ」
不安そうに、ミランシャがカイルロッドの首筋を略いた。
どっどうめく
「堂々巡りだ」
カイルロッドは唸った。音になったのはいななきだったが。
「ここ、おかしい」
つぷや
立ちlLしまり、ブリユウが呟いた時、
「まぁ、お客様だわ」
めデフ
「珍しいな」
どこからともなく人が現われた。
「ううっ  」
Xいぴん
グリユウの顔がひきつり、ミランシャは言葉を失った。人一倍五感の鋭敏なグリユウが、
まるで気がつかなかったのである。
音も気配もなく、数十人の男女が現われ、カイルロッド達の周りにきた。
「よくいらっしゃいました」
先頭に立っている青年が笑顔で話しかけてきた。二十歳前後で、淡い金髪と薄い水色の
目をした、穏やかな顔立ちの青年だ。上流階級出身らしく、身なりがいい。それは居合わ
野望は晴間の奥で
129
せた者すべてに共通していた。
「敵意も殺意も感じないが  」
とまど
現われた青年達に、カイルロッドは戸惑っていた。敵ではないようだが、かといってた
えたい
だの人間とは思えない。第二 この街自体、得体が知れないのだ。
「ここはなんていう衝なのフ」
馬になっているカイルロッドから下。たミランシャが、その青年に訊くと、
「ただの《街轡です。名前はありません」
穏やかな声が戻ってきた。
「名前がないって・・」
「《衝》で結構です」
明るい、そしてどこかあどけなさの残った表情で、青年はそう言った。
「旅人がくるなんて、久しぶ。だわ」
「ゆっくりくつろいでください」
集まっていた若者達が口々にカイルロッド達一行を歓迎した。ミランシャはどうしてい
いのかわからないという表情で、グリユウはおかしいと思いつつも、敵意や悪意を感じな
ぶつちよ・フづら
いため手出しできず、仏頂面になっている。
「さぁ、こちらへ」
「部屋へ案内します」
ごういん
そうした二人を若者達は善意そのものの笑顔で、ほとんど強引に建物の中へ案内した。
とり残されたのはカイルロッドで、行き先は決まっていた。
ミランシャとグリユウが案内された建物の裏にある馬小屋につながれ、カイルロッドは
ひづめ
蹄で下を叩いていた。他に馬が一頭もおらず、これまで使用されたことがないような、新
しい馬小屋だった。
きみよ・つ
「奇妙な街だな」
とても人の生活している場所とは思えない。生活の匂い、音、そういったものが少しも
きれい
感じられないのだ。綺一農すぎて、造り物じみている。
「なんとか人間に戻って、街を調べてみる必要がありそうだな」
カイルロッドは足元に置いてある小さな布袋に視線を落とした。ミランシャが服や短剣
を置いていってくれたのである。
「何事もなし、というわけにはいかないんだろうな」
みぷる
自分だけに聞こえた、あのむせび泣くような声を思い出し、カイルロッドは大きく身震
いした。
野望は暗闇の奥で
131
2
ごうか
ミランシャとグリユウは、豪華な部屋を宿に提供された。
おうこ・つ
部屋は広く、家具も調度品も一級品だった。王侯貴族だってこんな部庭には泊まれない
だろうと思うような豪華な部歴に通され、ミランシャは目をパテパチさせていた。
「豪華な部屋ねぇ」
街も人も得体が知れないとわかっていても、豪華な部屋に通されれば、悪い気はしない
ものだ。
いや
「ここ、嫌だ」
ソファを陣取ったブリユウが吐き捨てるように言った。
「この部屋がフこ
「街が嫌だ」
「…・そうね」
じゆったん                  おもも          あふ
ふかふかの絨毯を踏みながら、ミランシャは思慮深げな面持ちになった。花と緑に溢れ
た整った清潔な街、若く美しい住人達。なにもかもが、あま。に綺麗すぎる。
まぽろし     しんきろう
「現実感がなくて、ふわふわしているのよね。幻みたいな、蜃気楼の中にいるみたいな、
そんな感じがする」
つぶや                  まゆ
ミランシャが呟くと、言葉の意味が理解できないグリユウは眉をひそめて、
「げんじっかんフ しんきろう?」
おうむ
たどたどしくミランシャの言葉を鵬鵡がえLにした。深刻に考えこんでいるグリユウの
あわ
様子に、ミランシャは慌てて声をかけた。
「いいのよ、わからなくても。ただ、この街は変だってこと」
「それならわかる」
なつとく     うなヂ
納得して大きく額くグリユウを見ながら、
「いけない。顔が同じだから、王子だと思って話しちゃったわ」
ミランシャは心の中で独白した。それから馬小屋にいるカイルロッドのことを思い出し、
かわいそう                とげらたた
「ちょっと可哀相かなフ」、などと小さく笑っていると、扉を叩く音がした。
「はい?」
返事をすると、
「入ってもよろしいですかフ」
あの青年の声がした。
だめ
「駄目っ! 入ってくるな−」
33  野望は暗闇の奥で
どな         きぽ む  rJ′もの
ミランシャが返事をする前に、グリユウが怒鳴った。その姿は敵に牙を剥いた獣のよう
だった。
「あいつらなんか入れてやらないー」
かぎ
ソファから雛ね起きて、扉の前へ駆け寄るな。、グリユウは内側から鍵をかけてしまっ
た。
「グリユウーフ」
ものすご     にら
ミランシャが驚きの目を向けると、グリユウは物凄い目で扉を睨んでいる。まるで扉越
しに青年を脱むかのように、青い目が底光りしていた。
「開けてもらえませんか?」
内側から鍵をかけたことがわかったのか、扉の外から青年の困ったような声がした。
「開けないー」
グリユウが怒鳴。返す。
「どうしてですフ 僕達、あなた方とお話しがしたいだけなんです」
青年の声に混じって、「お願いします」などという声も聞こえた。どうやら扉の外には、
青年の他にも人がいるらしい。
「鍵を開けてあげなさいよ、グリユウ。閉め出しなんて、よくないわ」
こんがん
懇願するような複数の声を聞きながら、ミランシャは言った。街も青年達も得体が知れ
ていちよう                    やつかい
ないが、今のところ丁重にもてなされている。なにより、下手に刺激して厄介なことにな
ってほしくない。
いや
「嫌だ!」
かぷり
ミランシャの言うことだけは素直にきく青年が、激しく頭を振った。
「あいつら、嫌いだー 入れちゃいけないー あいつら、大人ぶっている!」
けんお
天敵でも見つけたように、あらん限りの嫌悪をこめて、プリユウが吐き捨てた。好き嫌
あらわ
いが激しく、はっきりしている青年だが、ここまで嫌悪を露にしたのを見るのは初めてだ
った。カイルロッドに向ける嫌悪も、ここまで激しくないだろう。
「グリユウ、どうして  」
たいど        とまど
思いがけないブリユウの態度にミランシャが戸惑っていると、
「入れてくれないのなら、こちらで開けてしまいますよ」
ささや                かぎ
優しく囁くような青年の声がして、ふいに鍵が形を崩した。
「   −   〓」
扉の前に立っていたクリユウが唸り声をあげて飛び退き、ミランシャは大きく目を見開
あめぎい′、
いた。外から鍵を開けたというのならわかる。しかし、そうではない。まるで飴細工のよ
5  野望は暗闇の奥で
うに溶け、そして消えたのだ。
「溶けて消えるなんて」
ぼうぜん
ミランシャが呆然としていると、
「勝手に入って申し訳ありません」
ほほまえ
音もなく扉が開き、あの金髪の青年が微笑んでいた。その後ろには、ミランシャ達一行
を迎え入れた顔触れが揃っていた。やは。、微笑をうかべている。
優しい笑みをうかべた人々に、ミランシャは言い知れぬ恐怖を感じた。
「大勢で押しかけてすいません。でも、僕達、ぜひとも他の街の話が聞きたかったもので
すから」
かい
相手の非難など意に介さず、青年が微笑みながら室内に足を踏み入れた。とたん、グリ
つか
ユウが青年に掴みかかった。
「危ないっ!」
思わず叫んだミランシャだったが、いったいどっちが危ないのか、いまひとつ判断がつ
きかねた。
「おまえ達なんか妹いだー」
「乱暴はやめてください」
えりくび
襟首を締めあげられながらも、金髪の青年は笑みを消すことなく、ダリユウの手首を軽
くひねった。
ひぎ
ガクンと、グリユウの膝が折れる。
「グリユウけ」
グリユウは答えず、青年が手を離すと、そのまま床に転がってしまった。
「グリユウー」
血相を変えてミランシャは駆け寄った。床の上で、ブリユウはぐったりしていた。巻い
ていたターバンがほどけ、長い銀髪が広がっていた。横たわったグリユウの顔からは血の
はほ                           しょっすい
気がひいており、頬の肉が削げ落ちている。わずかの時間で、グリユウは憺博していた。
「しっかりして、グリユウ!」
身体を揺さぶりながら名前を呼んでみたが、グリユウは目を開けなかった。一瞬、死ん
あんど
でいるのではないかと危惧したミランシャだが、呼吸音を聞いて安堵した。
「それにしても、グリユウがこんな …」
ミランシャには信じられなかった。どんな魔物でも撃退してしまうブリユウが、こうも
たやす
容易くやられてしまうとは…。
「  どういうことなの? あなた、この子になにをしたのフ」
野望は暗閣の輿で
見ていた限りでは、軽く手首をひねられただけだったが、それだけでグリユウがこんな
とが
ふうになるとは思えない。答めるようにミランシャが見上げると、
「なにもしていませんよ、心配しないでください。気絶しているだけですから。じきに目
を覚ましますよ」
お.だ
穏やかに金髪の青年は言った。
「あなた達はいったい  」
かたひぎ           うめ
気を失帯たグリユウの横に片膝をついて、ミランシャは坤いた。いったい、彼らは何者
なのだろう。味方なのか、敵なのか − フ
どうしていいのかわからず、ミランシャが片膝をついたままでいると、入ってきた数十
人の若者達にぐる。と取り囲まれた。
「助けて、王子− イルダーナフー」
ミランシャはきつく目を閉じて、心の中でこの場にいない男達に助けを求めた。いつだ
あぷ
って危ない時は、カイルロッドやイルダーナフが助けてくれた。二人がいるから、どんな
時も安心していられたのだ。
「…・助けて ・。王子、おじさん・」
つぷや
ミランシャは震える声で呟いた。得体の知れない若者達に囲まれた恐怖と心細さで、涙
にじ
が渉んでいた。
「あたし、殺されるかもしれない」
おば
そんな危惧を覚えて震えていたミランシャに、
「ねぇ、どんな場所からきたのフ どんな国や街があるの?」
あふ
取り囲んでいた若者の一人が、好奇心盗れる声をかけてきた。
「…・えフ」
あまりに意外なことを訊かれ、恐怖も忘れてミランシャが顔を上げると、
さばく
「砂漠って暑いって本当フ」
「このずっと西に大きな国があるんだよね」
やつ
待ち横もていたように、矢継ぎ早に質問を浴びせられた。
らくだ
「ねぇ、砂漠には賂舵がいるんでしょフ」
「それで、それでさ」
先を争って質問してくる。金髪の青年が他の街のことを聞きたいと言ったのは、本当だ
へや たヂ                       あつけ
ったらしい。てっきり部屋を訪ねる口実だとばかり思っていたので、ミランシャは呆気に
とられた。
「どうなってるのけ・」
野望は暗闇の奥で
むhレやき
質問する若者達の無邪気で、そして熱心な様子に、ミランシャは頭が混乱した。
「ちょっと、待ってー 待ちなさいー」
あこが      まなぎ
見たことのない異国に憧れる者達の熱い眼差しと熱意に圧倒されながらも、ミランシャ
ごういん
は次々と発せられる質問を強引に中断させ、立ち上がった。
「質問に答える前に、あたしの質問に答えてちょうだい。ここはどこ〜 あなた達の他の
住人はどうしたのフ」
ぎもん
ミランシャは根本的な疑問をぶつけた。
一瞬だったが、若者達から熱意が消え、かわ。にひんやりとした空気が流れた。刺すよ
うな冬の冷気に似ていた。
「まずいことを質問したみたいね」
′.一・h
ただならぬ空気に、ミランシャは生唾をのみ込んだ。
「前にも言いましたが、ここはただの《街》です。そして、住人は僕達だけです」
どこか冷たい笑みで金髪の青年が答えた。
かぎ
「言っていることは変だし、鍵を溶かしたり、グリユウを気絶させたり…。気味が悪い
わね」
青年の答えにうんざ。しながら、ミランシャは何気なく扉の方を見た。そして、息を止
めた。
「鍵がー」
「ああ。直しておきました」
青年がニコッと笑う。それはグリユウが見せる笑顔と同じ、邪気のない子供の笑顔だっ
た。
「直すって……いつの間に」
溶けて消えたはずの鍵が直っている。ミランシャが覚えている限りでは、誰も扉に近付
いていないはずだ。
「やっぱり、ただの人間じゃないわ」
ミランシャの膝がガクガクと笑いだした。
「気にしないでください。ここは僕達の《街》です。この《街》で僕達にできないことは
ありません」
青年が小首を傾げるように微笑んだ。
「あなた達はいったい I」
ぎようし
ミランシャは食い入るように、青年を凝視した。優しげな顔をしているが、この青年は
何者なのか。いや、ここにいる若者すべては、この街は・。
野望は腐闇の奥で
「さぁ、話を聞かせてください」
こんわく
恐怖と困惑に支配されたミランシャに、優しい笑顔で青年は言った。
わら
目を開けると、藁が見えた。
「ん1、寝てたのか」
あくび
欠伸をしながら、カイルロッドは目をこすった。カイルロッドは馬小屋の藁の中にいた。
苦労して人間に戻って衣服を身につけたのだが、安心したとたん、馬だった疲労がのしか
かってきて、そのまま藁の中で眠ってしまったらしい。
「つい寝てしまった。今、何時だろフ・」
小屋の中が暗いから、夜明けではないようだ。
「人間になってまで藁で寝たなんて知られたら、ミランシャに笑われるな」
のそのそと藁から這い出し、カイルロッドは苦笑した。それから、髪についた藁くずを
払いながら小屋の外に出た。
やみ
外は濃い闇が広がり、空には細い月が浮かんでいる。他に明か。は見えない。
「変だな。街の灯が見えない」
つぷや                  せきめん
呟くと、腹がグーツと鳴った。カイルロッドは赤面したが、考えてみれば半日、なにも
食べていないのである。
「ミランシャの所に行って、食事を分けてもらおう」
などと考えながら馬小屋から離れ、カイルロッドは我が目を疑った。
「なにもないっ−」
とな    りつぱ
馬小屋の隣りには、立派な建物があって、ミランシャとグリユウはそこへ入っていった
のだ。しかし、建物などどこにもない。それだけではない、街そのものがなくなっている
のだ。驚いて振り返ると、馬小屋もなくなっていた。
「これは−こ1」
ぎんがい
カイルロッドは坤いた。目の前にあるのは、小さな村の残骸だった。
やまあい
山間の小さな村だった。
戸数が十数にも満たない家々は風雪に負けたのか、その形をとどめずに崩れていた。破
片が散乱している。その先には畑だったとおぼしき平地があった。
はいヌ1よ
人が住んでいる気配はない。完全な廃墟である。
「どうなっているんだっ・」
ぼうぜん
廃墟となっている村を見つめ、カイルロッドが呆然としていると、
(助けてくれ)
3  野望は暗闇の奥で
ー ′.一I
(我々を死なせてくれ)
どこからともなく、笛のような細い声が聞こえた。街に入る前に聞いたあの声だった。
「誰だー どこにいる」
やみ        ナいか
闇に向かって鋭い註何の声をかけると、地面から細く白い煙のようなものがのぼった。
荒れた大地から、いく筋もの白い煙がのぼ。、それは人の形となった。
「人間フ」
目鼻のはっきりとしない、しかし、確かに姿は人間だった。男女ともに汚れてポロポロ
になった衣服を着て、疲れたように背中を丸めていた。
「死霊らしいな」
カイルロッドは警戒していたが、敵意も殺意も感じられないので、と。あえず死霊と向
かい合っていた。
しば           たましい
(助けてくれ。ここに縛りつけられている我々の魂を救ってくれ)
カイルロッドの周囲で、数十の白い影が揺れた。敵意や殺意がないとはいえ、見ていて
気持ちのいいものではないので、カイルロッドは顔をしかめた。
「救ってくれとはどういうことだ? この村はどうして廃墟になったフ いったい、なに
があったんだフ そうだ、あの街はどうしたフ」
わきおこる疑問を口にしながら、カイルロッドはミランシャとグリユウの身を案じてい
た。
1一1・..
(街は幻だ)
かたすみ         なつとく
そう聞いて、カイルロッドは奥歯をきつく噛んだ。心の片隅で 「やはりな」 と納得して
いた。不自然なまでに清潔で、花と緑に囲まれた美しい街 − あんな物が存在するはずは
ない。
「街が幻なら…・I。俺の連れ二人はどうなったんだけ」
最悪の事態が頭をよぎり、カイルロッドは短剣を取り出した。
「ミランシャとグリユウはどこだ〓 どうすればあの幻の中に入れるんだけ」
おど            どせい
脅すようなカイルロッドの怒声に、
(我々にはどうすることもできない)
死霊達はただ揺れているばかりだった。カイルロッドは舌打ちした。こうなったら自力
で二人を助けに行くしかないようだが、その方法がわからない。
「なんとかしなくちゃ」
あせ                              めく
焦る気持ちをしずめながら、カイルロッドはあれこれと考えを巡らせた。以前にも幻を
相手にしたことがあった。その時のことを思い出し、カイルロッドは顔を上げた。
5 野望は晴闇の奥で
「その幻を作った奴を倒せばいいんだ。そうすれば幻は消えるはずだ。誰が幻を作ったん
だフ」
死霊に訊くと、
(子供達だ)
(あれは子供達の作った幻)
揺れながら、それらが答えた。
「子供達ってフ」
(街にいた子供達)
「あそこに子供なんかいなかったぞ。いたのは、どう見たって一〇代後半から二〇代の若
者だけで……」
出迎えに現われた若者達を思い出し、カイルロッドは途中で言葉をのみこんだ。
「  あの姿も幻ってことか」
のど
喉にからんだものを吐き捨てるように言うと、泣き声が聞こえた。
たましい
(あの子供達が我々の魂をこの地に縛りつけている)
ふくしゆう
(子供達は我々に復讐している。我々を死なせてくれない)
死ぬことのできない死霊遠が、我が身を嘆いてむせび泣いている。
子供達が幻の街を造り、その子供達によって縛りつけられている死霊達。カイルロッド
にはわけがわからない。
「いったい、この村でなにがあったんだ  け」
つぷや
呟いたカイルロッドの矧を、冷たい汗が〓肋流れ落ちた。
1..
幻の街の中で、ミランシャは若者達に旅の話を披露する羽目になっていた。話しながら、
ミランシャはすぐ横に倒れているグリユウを見ていた。しかしグリユウは倒れたままで、
けはい
起き上がる気配がない。
「グリユウがこんなになるなんて」
おんこう             ゆきみ
温厚そうな青年のどこに、そんな不気味な力があるのか。旅の話をしながら、ミランシ
ぱけもの
ャは化物遠に取り囲まれているような気分だった。
「…化物かもしれない」
理屈ではなく、肌でそれがわかる。ここにいる若者達は皆、異質だ。人間とは別のもの
かがや
だ。しかし、おかしな化物と言わねばなるまい。敵意や殺意もなく、員を輝かせて異国の
話をねだるだけの化物がいるのだろうか。
野望は暗闇の奥で
「それで、海って広いのフ」
「どれくらいフ」
たぴ    さつとう
話がひとつ終わる度、質問が殺到する。そして、またミランシャはそれを説明しなくて
はならないのである。話、質問、謡、それが延々と繰り返されている。話し始めた頃は恐
くて声が震えていたが、若者達の無邪気さと熱心さに、恐怖感は薄れつつあった。
「それにしても、何時間もぶっ通しじゃない」
カイルロッドと旅をする前から、あちこち旅をしてきたミランシャであるから、話題は
のど
豊富だ。しかし、水の一杯もなく、何時問も話し続ければ、当然疲れてくる。喉も痛くな
ってきた。
「ねぇ、もうこれぐらいにして、休ませてくれない?」
ため
試しにミランシャが板むと、若者達の間から「もうフ」「もっと話してよ」などという
声があがる。
「聞き分けのない、大勢の子供の話し相手をしているみたい」
ミランシャがげんなりしていると、
だめ
「わがままを言っちゃ駄目だよ、皆。少し休ませてあげなけりやね」
金髪の青年が、他の若者達をさとした。この青年がリーダーらしい。
し.かし.か
若者達は不満そうだったが、渋々言われたとおりにした。
のぞ
やっと解放され、ミランシャは全身で息をついた。そして、グリユウの顔を覗きこむと、
青い員が動いた。
「 ・ミランシャ」
なにか言いたそうだが、思いどおりに口を動かせないようだ。ミランシャは黙って、グ
リユウの手を握った。青い目が細くなり、口元が笑みを形づくった。
こう一ん
ミランシャの謡は終わったが、聞いていた若者達の興奮はまだ冷めていないらしく、楽
しげに談笑している。そんな若者達を見ながら、
「そんなに旅の話に、異国に興味があるのなら、皆も自分の目で見てくればいいのよ。若
いんだもの、世の中を見るために旅をしてもいいと思うわ」
さりげなくミランシャが言うと、それまで楽しそうだった若者達の表情が、一様に曇っ
た。
空気が一変した。
つめ
それを嗅ぎ取り、倒れたままのブリユウが床に爪をたてた。しかし、まだ立ち上がるこ
とはできない。
「・…まずいこと言ったみたいね・ 」
野望は暗闇の奥で
ミランシャは舌打ちしたい気分だった。つい調子にのって、若者達を刺激してしまった
こうかい
らしい。余討なことを言うんじゃなかったと後悔しているミランシャに、
「あたし達、ここから出られない」
きれい                 つ〃や
綺歴なドレスを着ている娘がポッンと呟いた。
「どうしてフ」
、ミフンシャが訊き返すと、
「大人になれなかったから」
背の高い青年がうつむいた。
「大人になりたかった。大人になって、あたし、大きな街へ行ってみたかった。綺麗な服
を着て、珍しい物を見てみたかった」
「大人になりたかった」
「そして、世界中を旅してみたかった」
若者達は口々に「大人にな。たかった」と言い、畷。泣きだした。
、 .・.   =
..1・1
異様な、そしてどこか悲痛さの漂う光景に、ミランシャは言葉を失っていた。
「  大人になれなかったっていうのは」
言いよどんだミランシャの目の前で、畷り泣いている若者達の姿が、子供に変わってい
った。
三歳の幼児もいれば、一〇歳ぐらいの子供もいる。しかし、平均すればせいぜい六、七
歳前後だろう。その中であの金髪の青年が、最年長の子供らしかった。数十人は皆一様に
痩せ細っていて、ポロ布をまとっている。
「…・・子供だったの」
ミランシャはブリユウの言葉を思い出した。彼らをさして「大人ぶっている」、そうグ
リユウは言った。あの時点で、正体を見抜いていたのだろう。
「大人になれなかった子供  」
あた
すなわち、死んでしまった子供達だ。鉛を流しこまれたように、ミランシャの胃の辺り
が重くなった。
「僕達、殺されたんです」
金髪の青年Iだった少年が、ミランシャの前に進み出た。少年の言葉に、他の子供達
うなヂ
が頂く。予想はしていたものの、はっきり言葉にされ、ミランシャは動揺した。
「殺されたって… フ」
「殺されて、食べられちゃったんです」
野望は暗闇の奥で
総毛だつようなことを、金髪の少年はさらりと口にした。
「食べられた  フ」
ミランシャは気を失ってしまいたいと思った。少年のロから、その先を聞きたくなかっ
た。しかし、こんな時に限って、意識はしっか。している。
「僕達は、子供は村の大人達に殺されて、食べられちゃったんです」
あどけない笑顔で、少年は言った。
北国の冬は厳しく、長い。
たくわ
その年は不作だったため、冬の貯えが不足していた。街へ行って食料を手に入れたくと
14′わ
も村は貧しく、また山道は険しい。
ふぷき   おそ
短い夏が駆け去り、冬の到来とともに吹雪が村を襲った。
えもの つさぎ
連日の吹雪で村人は山にも行けなかった。また行ってみたところで、獲物は兎一羽も捕
れなかった。
かじ
食料が底をつき、人々は木の根まで番った。しかし、それにも限。がある。
雪と氷に閉ざされ、村の人々は飢えた。
「それで子供を殺して……食ったのか… 」
死霊達の謡を聞き、カイルロッドは坤いた。その声はひび割れていた。悪夢のような話
に頭の奥が鈍く痛み、胸がむかついてきた。
しの
(よその家の子供と取り替え、殺して食い、それで飢えを凌いだ)
白い影のような死霊が苦しげに揺れた。
のど
そこまで聞いて、グッと、カイルロッドは喉を鳴らした。
「なんてことを・ 」
さが
極限の飢餓状熊におかれた大人達は、子供達を殺して食った。村にいたのは、この地を
出ていけない大人と、子供だけだった。若者は年頃になると、この地を嫌って、どこか大
みやこ
きな都へ行ってしまう。そして、大半が二度と帰ってこない。
、.
吐き気がこみあげた。親が子を殺して食うなど、カイルロッドには想像もできないこと
だった。
はつ              なだれ
(だが、罰が下った。その翌年の春先、雪崩が村をのみ込んだ。村は全滅した)
苦しげに死霊達が揺れる。
われわ11          たましい
(我々は死んだ。しかし、魂はこの他に縛りつけられたままだ)
死霊達の声を聞きながら、カイルロッドは地面にうずくまって嘔吐していた。吐く物は
53 野崇は暗関の奥で
なにもなく、ただ甘酸っぱい胃液が出るだけだが、吐き気がおさまらない。
けんお
おぞましさと生理的な嫌悪感で、カイルロッドは吐き続けていた。
「子供達に恨まれても文句は言えないじゃないか」
苦しさに涙を流しながら、カイルロッドはそう思った。親に、近所の人々に殺されて食
われたとなれば、恨みも憎しみも当然ではないか。むしろ、恨まない方がおかしいではな
ーレカ
ののし
だが、カイルロッドは死霊となった人々を罵れなかった。ひどいと、人間のすることじ
ゃないと罵るのは簡単だったが、カイルロッドは飢えを知らない。少なくとも、極限まで
飢えたことはない。だから、罵れなかった。
もし自分がそんな状態におかれたとしたら、どうするか。極限の飢えの中で、果たして、
正気の状態のままで、餓死できるだろうか。
「俺も人を食うかもしれない  」
死霊達は自分かもしれない。心の奥底にあるどす黒いものと向かい合ったようで、カイ
ルロッドはなにも言えなくなってしまった。
あわ
ただ、子供達が憐れだった。
まぼろし
カイルロッドは幻の街を思い出していた。緑と花に因まれ、清潔で美しい街 − あれは
子供達の憧れと夢の象徴なのだ。子供達が手に入れることのできなかった未来、夢、希望、
そのものだ。
「あの街は、子供達の夢の形なんだ」
てば
生きてさえいれば、手に入れられた多くのものを奪われ、子供達は死にきれなかった。
「あの姿もそうなんだ。・ここ1大人になりたかっただろうに」
されい                            ばう
少女達は大人になって、綺評な服を着たかったのだろう。少年達は見知らぬ異国に、冒
険に胸をときめかせたに違いない。
なにもかもが悲しい腰いだったのだ。
われわれ
(助けてくれ。我々を)
(子供達を)
じゆばノ、  と
(この呪縛から解き放ってくれ)
笛のように細い声を聞きながら、カイルロッドはゆっくりと立ち上がった。
まだ吐き気はおさまっていないが、この地に縛りつけられた子供と大人を助けられるも
のなら、助けたい。そして、ミランシャとグリユウも幻の中から助け出さなくてはならな
い。切実にそう思った。
助ケラレルモノナラ、助ケタイttttL
55  野望は暗闇の奥で
その思いは祈。にも似ていた。
せつな やみ
刹那、闇が割れた。
カイルロッドを中心にして、左右に割れた。黒い布をナイフで裂いたような、そんな割
れ方だった。
(おおっ)
死霊達からどよめきのような声があがる。
(光だ)
(天の光だ)
にじ       あふ
闇が割れた箇所から、虹色の淡い光が溢れだし、周囲を包みこんだ。その光に死霊達の
姿は消され、見えなくなった。
七色の淡い光が空間に満ちる。
りつぱ
そして、街が蜃気楼のように浮かび上がった。立派な建物、花と緑、美しい街並みが視
界に広がった。
「街だ」
ぴみよう
大通。に立ち、カイルロッドは目をみはった。初めに見た街に違いない。しかし、微妙
にどこかが違っていた。
「この大通り、こんなに長くなかったと思うけどな」
其っすぐにのびた大通りは、先が見えなくなっている。そこを見つめていると、なにか
がこちらへ向かって動いていた。人のようだ。[巳をこらしていると、次第にその人影がは
っきりとしてきた。
「ミランシャけ」
ぎようてん
カイルロッドは仰天した。ミランシャとブリユウが、こちらへ転がるようにして走って
くるではないか。
「ミランシャ、グリユウー」
カイルロッドが駆け寄ると、
くす
「王子− あーん、びっくりしたー いきなり光が押し寄せてきて、建物が崩れちゃった
のよ−」
▼hら
息をきらしながら、ミランシャ。グリユウはむっつりした顔で、カイルロッドを睨んで
いる。
「やつれたんじゃないか、グリユウ?」
気がついてカイルロッドが訊いてみたが、ブリユウは答えてくれない。なにがあったの
か知らないが、ひどく消耗しているように見える。「後でミランシャから話を聞こう」、そ
う思っていると、大通りに子供達が立っていた。
「王子。あの子達、死人なの。殺されて、食べられたんだって・・」
子供達を見つめ、ミランシャが買える声で言った。
「うん、知ってる」
うなヂ
子供達を見つめ、カイルロッドは領いた。
4
痩せこけた子供達が横一列に並んで、カイルロッド連を見ている。
その中にはまだ物心もつかない幼児もいて、カイルロッドを一層やりきれない気持ちに
させた。
そヱノお
けれど、どの子供達の表情にも憎悪がなかった。殺されて食われたというのに、その表
情には憎しみのかけらもなかった。
すがすが
苦しみも悲しみも洗い流された後の、清々しい表情をうかべた子供達の顔を、カイルロ
ッドはどこかで見たことがあった。
へきが
「ルナンの……神殿の壁画だ・…」
それは聖者達の顔だった。
野望は暗圃の奥で
一番年上らしい金髪の少年が、カイルロッド達に軽く一礼し、他の子供達になにか言っ
た。その言葉を聞き取ることはできなかったが、想像はついた。
子供達はゆっく。と大通。を、カイルロッド達に背を向けて歩いて行った。
みなもと
楽しげな笑い声をたてながら七色の光の源に向かって行く子供達を、カイルロッドは黙
って見送っていた。
「今度は大人になれるといいわね」
鼻を畷。ながらミランシャ。
子供達が何処へ行くのか、カイルロッドにもミランシャにもわかっていた。
「  さようなら」
つドや あいず
カイルロッドの呟きを合図にしたように、街が静かに崩れ始め、子供達の後ろ姿が光に
同化するように薄れていった。
カイルロッドは目を納めて、その光景を見つめていた。
− 再び、闇が訪れた。
ざんがい
街は消え、子供達も消え、残ったのは村の残骸と死票達だけだった。
「なに、これっけ」
よいん ひた             かルだか
白い影のように闇に浮いている死霊達を見て、余韻に浸る暇もなく、ミランシャが甲高
すご
い声を上げた。グリユウはもの凄い目で、死霊達を睨んでいる。
「王子、これはなんなのけ」
つか                          あとヂさ
掴みかからんばかりの勢いで訊かれ、カイルロッドは後退りした。
「これは村の大人達だよ。死にきれず、死霊になったんだって」
「死霊になったP そんなの当たり前よー 子供を殺して食べるような人間は、死んだっ
て楽になれないわよ! なっていいはずないわー」
どな
カイルロッドの言葉が終わる前に、ミランシャが死霊達に向かって怒鳴りつけた。カイ
ルロッドの説明を聞いて、怒りが恐怖を上回ったようだ。
「  ミランシャ、恐い  」
見ていたグ=ノコウがポソツと言うと、
「ブリユウ、なにか言ったフ」
ミランシャが睨んだ。「ううん」と、グリユウは大きく頭を左右に振り、それから雨に
うたれた子猫のように身体を震わせた。
しか
「まるで母親に叱られた子供だな」
と、カイルロッドは思ったが、ミランシャの手前、黙っていた。
(我々は光の中に入れなかった)
野望は暗闇の奥で
161
(子供達は救われたのに、我々は救われないのか?)
じゆばく
(子供達の憎しみは、呪縛はまだ解けないのか)
すきまかぜ         ひび
死霊達が泣きだした。隙間風のような泣き声が闇に響く。
冷たい夜風が吹きつけ、カイルロッドやミランシャ、グリユウの髪を大きく揺らした。
「・・最初から、子供達の呪縛なんかなかったんだよ。だって、あの子供達には憎しみも
恨みもなかった」
おだ
揺れる髪を押さえながら、カイルロッドは穏やかに言った。
「そうよ。あの子達、大人になりたかったって言ったけど、憎いとか恨んでいるなんて、
;一lコも言わなかったわ。あたしには信じられないけど、あの子達、なにも憎んでいなかっ
た」
異国の話に目を輝かせていた子供達を思い出し、ミランシャが両手を握。しめた。
「殺されて食われたのに 。なにも憎んでいなかったのよ・」
「あんた達を縛っているのは、あんた達自身だ」
白い影の一つ一つを見ながら、カイルロッドは三一口ずつ区切るように言った。
縛っていたのは殺された子供達でなく、殺した大人達だ。極限の飢えで、子を殺して食
おの   けんお
った。仕方のないことだと思いながら、心の奥底には子供達への罪悪感と、己れへの嫌悪
があったのではないか。その罪の意識が、自身を呪縛したのだ。
(おおぉぉっー)
まゆ
身を切るような働笑が死霊達からあがり、カイルロッドは眉をひそめた。
なげ
その働笑は山々にこだまし、さながら数千、数万という人間達の嘆きのようだった。
こミノかい
「子供達は救われたけど、あんた達なんか、ここで永遠に後悔してなさいっー」
働巽に負けないような声で、ミランシャが叩きつけた。それにつられたように、ブリユ
ウも叫んだ。
「こいつら、嫌い〓」
「ブリユウけ・」
カイルロッドが止めるより早く、グリユウは死霊達に両手をかざした。
せんこう
閃光が一瞬、闇をかき消した。
(ああっ)
(苦しいっ)
だんまつま
断末魔の叫びを残し、光にひきちぎられるようにして死霊達は消えた。
せいじやく
やがて、痛いような静寂と闇が戻った。
「消えたわね」
163 野望は暗関の奥で
周囲を見回し、ミランシャがため息のように呟いた。
いや
「ここ、嫌だ」
とが
両手をパンパンと叩き、グリユウは口を尖らせた。
やつ
「まったく乱暴な奴だな」
ぼやきながら、カイルロッドは足下に視線を落とした。そして屈みこむと、近くに転が
っている石を拾い始めた。
「王子、なにをしているのフ」
けlナん
石を拾っているカイルロッドに、怪訝な表情でミランシャが声をかけた。カイルロッド
は手を止めて、ミランシャの方に顔を向けた。
「うん。なにか墓のかわ。になる物はないかと思って」
「墓n ひょっとして、あの死霊達のためのけ」
「そう」
「そんな必要はないわよ!」
つか
駆け寄ってきて、ミランシャがカイルロッドの腕を掴んだ。
「あんな大人達のために、そんなことをしてやる必要はないわー」
にじ
目に涙を渉ませているミランシャに、
「ひどいと思うよ。でも、ミランシャ。俺は飢えたことがないんだ。飢えた時、どうなる
ののし
か、自分でも自信がない。だから、罵れないんだ」
カイルロッドは静かに告げた。
「王子はそんなこと、絶対にしないわー」
「俺は大人達に同情しない。でも、彼らだって自分のしたことを恥じていたんだ。だから、
さ」
転がっている大きめの石を手にした時、空が白みはじめてきた。
夜が明けようとしていた。
三人は山道を歩いていた。
ふきlノノん
カイルロッドは久しぶりに二本の足で歩けて気分がよかったが、ミランシャは不機嫌そ
うだ。カイルロッドが村のあった場所に墓を作ったことが、まだ納得できないという面持
ちである。
「あたし、絶対に納得できないわ」
こわ
引き返して壊してやりたいと言いたげな口調に、カイルロッドは黙って肩をすくめた。
くず
墓といっても、石を横んだ簡単なものだから、風雪に崩れるかもしれない。しかし、要は
5 野望は暗闇の奥で
気持ちだから、それはそれでいいはずだ。
不機嫌といえば、ミランシャだけでなく、グリユウもそうだった。
「前はあんなの、いなかった」
ふぜん                           まぽろしまち
ブリユウは憮然として、足元の小石を蹴った。あんなのとは、子供達や幻の街、そして
死霊達のことだろう。
「あいつら、嫌いだ。大人ぶって、俺のこと、いじめたんだ」
くや
これまで一度として負けたことがなかったのに、床に転がされたことがよほど悔しいら
さわ
しい。触られたとたん、全身から力が抜けたと言うから、あの子供達は他人から生気を吸
い取れたのだろう。
にがて
「こいつにも苦手があったのか」
lまこ                                   みよう
無敵の強さを誇っていた、自分と同じ顔をした青年を見ながら、カイルロッドは妙な感
心をしていた。敵意や殺意が感じられない者や、自分と同じように、他人から生気を吸い
取る相手が苦手とは、意外な気がした。
「苦手といえば…・。あの村に入る前に、なにかの気配がして、それをグリユウは逃がし
たけど。あれ、なんだったんだろうフ」
つぷや
心の中で呟きながら、カイルロッドは首をひねった。子供達か、死霊かと思ったのだが、
どうも違う気がする。それにそのどちらかなら、明らかに異質な気配を感じたはずだ。
「また、エル・トパックの見張りとかいうんじゃないだろうな」
ありえそうなことだと思いながら歩いていると、
「王子、なにぼんやりしてるのよ」
ひじ
ミランシャに肘で突っつかれた。
「考えごとをしていたんだ」
「ふーん。ところで王子、どう思うフ 前はいなかったってグリユウは言うけど、どうし
て急に死霊達が現われたのかしら?」
「うーん、これもムルトのしわざかな。それとも《あの方》かな」
くや
カイルロッドは意見を求めてグリユウを見たが、そんなことより負けた悔しさの方が重
大らしく、「あいつら、嫌いだ」と繰り返している。
ふ   えいきよう                        げけもの
「どのみち、負の力の影響なんじゃないかな。商人も言っていただろ? 突然、化物にな
る人が現われたって。ムルトにしろ《あの方》のしわざにしろ、人が化物になるなんて、
良い力じゃないからね」
こわ
「なんか、恐いわね。人間の汚い面が増幅されているみたいで」
ミランシャはためらいながら後ろを振り返った。子供を殺して食った大人達のことを考
野望は暗闇の奥で
えているに違いない。
木々のない山の表面が朝日を反射し、カイルロッドは顔の前に片手をかざした。
やみ
「人間の心の中には闇があるって、そう言った人がいた。たぶん、そうなんだろう。でも、
人の中に魔物がいるなら、神様だっているはずだ」
よ.か
同じように眩しきに顔をしかめたミランシャに、カイルロッドは笑顔を向けた。
「あの子供達は大人達を憎んでいなかった。幼いからかもしれないけど、それだけじゃな
いと思うんだ。大人達だって、自分のしたことを後悔していたから、縛。つけられていた。
人間の中にいるのは魔物だけじゃない」
そのことをカイルロッドは知っていた。旅の途中で出会った人々が、それを教えてくれ
たのだ。
「イルダーナフがよく、王子のことを甘いって一言ってたけど、そのとお。だと思うわ。本
当に甘い、大甘よ」
しんりつ
辛辣に評してから、ミランシャは笑顔になった。
「でも、そこが王子のいいところかもね」
そう言い、ミランシャはカイルロッドの横を通り抜けて、前にいるブリユウの横へ行っ
た。
「もう、いつまでも嫌いだなんて言ってないの」
「だって、ミランシャ」
「ほら、泣かないで」
どう聞いても幼児と母親の会話である。カイルロッドは苦笑しながら、二人の後ろを歩
いていた。
朝日を浴びて、その小さな石の墓が白く光った。
やまあい                         なだれ つp
山間の小さな村の跡 − 戸数が十数に満たない小さな村は雪崩に潰されたまま忘れ去ら
れ、すでに一〇年近い歳月が流れていた。
冬の厳しさに負けて村や街が消えていくのは、さほど珍しいことではない。ある村は自
然災害によって、ある村は人々に去られ、ひっそりと消えていく。
へいさ
閉鎖された土地1それゆえに雪崩に漬される前に、この村でなにが起きたのかを知る
者はない。
イルダーナフは霜を踏みながら、かつて村だった場所の一角にある、積まれた石の前に
立った。
「まったく、甘いねぇ。わざわざ墓を作ってやるたぁね」
169  野望は暗闇の奥で
あご な
それを見下ろし、イルダーナフは苦笑しながら顎を撫で回した。
にぷ            にセもの
「しかし、王子の鈍さはともかく、あっちの偽者、なかなか鋭いみてぇだな。こりゃ、使
い魔を便うにも少し、用心しねぇといけねぇや」
ぼやきながら、巨体をすくめた。それから墓の前を離れ、ゆっく。とかつて村だった荒
地を歩きながら、
「予想以上にあいつの影響が出ているみてぇだな」
イルダーナフは黒い目を鋭く光らせた。そして、指輪を取。出した。
「フィリオリ。おまえさんの賭けがどういう結果になるか、この目で見せてもらうぜ」
イルダーナフの手の中で、指輪が金色の光を弾いた。
指輪をしまうと、イルダーナフは北へ向けて歩き出した。
朝日に白く光っている小さな石の董だけが、かつてこの地に人々がいた足跡のように残
っていた。
四章 目覚めよと呼ぶ声ありて
それは一つの国だった。
てんねん じようへき
四方を険しい岩山に因まれ、天然の城壁を持つ圏T−−そこを支配するのは王ではなく、
姿の見えぬ神であった。
その国は、一つの巨大な建物を中心にして構成されていた。高台にあるその建物に向か
へいl′′い
って道は造られ、建物からは街並みすべてを輝脱することができた。
一へいきようりよく
高台の巨大な建物はフエルハーン大神殿1かつて大陸全土に大きな影響力を持ち、各
ひぎ        けんせい はこ
国の王に膝を折らせるほどの権勢を誇った、ディウル教の総本山である。
たぴかさ
その神殿も度重なる神殿内部の権力争いと、王権拡張をはかる諸国の国王達との権力抗
すいたい                        じゆんれい
争に破れてからというもの衰退している。最盛期には各国から使者や留学生、神殿の巡礼
.11
参拝者などで賑わい、八万人もの人々が生活していた。
野望は臆閣の輿で
かつての権勢を失い、今は千人にも潤たない人々が生活している街の大通。を、二蹄が
神殿に向かって走っていた。
「トパック様、あの男の、イルダーナフの言うことを信用なさるのですかけ」
くりげ                    とな
栗毛に乗っている黒い肌の美女、ティファが隣りの青年に話しかけた。
「彼の言うことに嘘はないだろう」
たづな
器用に片手で馬の手綱をさばきながら、エル・トパックは言った。
「それはわかるのですが。どうも、あの男は胡散臭くて I」
ティファが渋い顔をすると、
にがて
「君にも苦手があるとはね」
ぷつちようづら
からかうようにエル・トパックが笑った。ティファは仏頂面のまま、なにも言わなかっ
た。
北の街の酒場でイルダーナフと別れ、エル・トパックとティファは真っすぐ、フェルハ
ーン大神殿に戻った。
くず
「カイルロッドがムルトを倒した時、タジエナ山脈は崩れ、本当の敵が現われる。その敵
ちみもうりよう            みぞう
によって、題魅魅魅どもが力を増す。人間達は未曾有の危機をむかえるだろう」
そう、イルダーナフは言っていた。
信じるには証拠が希薄だが、エル・トパックは目の前で、人間が化物に変貌する様を見
ていた。あれを見た以上、イルダーナフの言葉を無視するわけにはいかない。
「もはやフエルハーン大神殿にはそれを食い止める力はない。だが、対抗策をうたねばな
らない」
エル・トパックとティファはとるべきものもとらずに、馬を走らせてきたのである。
のぼ
神殿の下で一一人は馬からおりた。エル・トパックを前に、続いてティファが階段を上っ
ていった。
さんけいしや
一般の参詣者達が入ることのできる神殿の横を抜け、曲がりくねった階段を上がり、奥
へと向かう。
「これはエル・トパック様」
あいさつ
奥の神殿の前にいる見張りの者達がエル・トパックを見つけ、かしこまって挨拶した。
「ご苦労様」
ねざつ
見張り達に労いの声をかけ、エル・トパックは神殿に入っていった。ティファは無言で
続いた。
がんじよう        てんじよう
古い建物だが、全体は頑丈に造られている。天井が高く、柱が太い。参詣者用の神殿と
違って、華美な造りではない。
「あ、エル・トパック様」
「お帰りですか、エル・トパック様」
神殿内部に入ると、エル・トパックの姿を見つけて、あちらこちらから人が集まってき
た。静まりかえった神殿のどこにこれだけの人間がいたのかと思うほど、神学生や神官見
習い、女官達などが出てきて、エル・トパックを囲んだ。
「皆、元気だったようだね」
おだ   −まほえ
人々に囲まれ、エル・トパックは穏やかに微笑んだ。
「はい。あの、また講義をしていただけませんかフ お願いします」
「女官達でエル・トパック様の上着を作りましたの。後でお届けいたしますわ」
ていねい
わいわいと話しかけられ、その一つ一つにエル・トパックは丁寧に応じている。少し離
よムソ1  なが
れた場所からその様子を眺め、ティファは満足気に目を細めた。
「神殿で、トパック様ほど人々から慕われている方はいない」
ひいきめ
ティファの晶眉目でなく、それは人々の態度が語っている。神官位についているわけで
もなく、ただ神殿に出入りしているだけだというのに、姿を見ただけで人々が集まってく
るのだ。そんな人物は、この神殿にはエル・トパックの他にいない。
「トパック様こそ、神官長にふさわしい方だというのに」
75  野望は暗闇の奥で
はが
ティファは歯噛みしたい気分だった。人格、能力、いずれをとっても、神官長アクディ
だれ
ス・レヴィなどとは比べものにならないほど上であることは、誰もが認めることだ。それ
・つわさ
どころか、このままなら大神宮をもつとめられるだろうと、噂されているほどである。
しかく
しかし、それほどの青年でありながら、神宮の資格すら与えられていないのが現状だっ
た。本来、神官の資格を得るために必要なのは、本人の意志と能力だった。他に年齢、性
別、出身などの制限はなかった。
′1ちい
「それがどうだ。今や資格を得るのも位を得るのも、必要なのは金とコネだ。神殿の上層
やから                   いのら
部はそれらを使って出世した輩ばかりになっている。そんな恥知らずどもに憎まれ、生命
ねム
すら狙われねばならないとは・− 神殿は腐敗しきっている」
かこ    セきわん             くちぴるか
人々に囲まれている隻腕の青年を見ながら、ティファはきつく唇を噛んだ。
−▼.7
エル・トパックはその能力と人格を、金とコネで出世した人々に恐れられているのだっ
た。その最たる者が神官長アクディス・レヴィである。神官長のエル・トパックへの敵意
は、神殿関係者では知らぬ者がないというほどだ。
ネノつわ
「なにが神官長だ、位を買った奴が・・…。あいつが神官長の器なものか。その地位をいい
したば                くわだ
ことに、トパック様を下っ端としてこき使いおって。おまけに殺害まで企てている」
理由は色々あるが、ティファはアタデイス・レヴィが大嫌いだった。そして、彼を含む
けいべつ             ねた
神殿上層部を軽蔑していた。エル・トパックを嫉み、殺害しょうとすらしているくせに、
かルL
なにか事が起きた時だけ泣きつくのである。カイルロッドの監視にせよ、街や都を破壊し
せいばつ
ていたカイルロッドの《影》11グリユウの征伐にせよ、神官達が尻込みするようなもの
ばかり、エル・トパックに押しっけているのだ。
こうがん   あき               みかぎ
「あいつらの厚顔さには、呆れてものが言えん。トパック様も、神殿など見限ってしまえ
ばいいものを」
ティファは心の中で独白した。まるで飼い殺しのような扱いを受けながらも、エル・ト
なつとく
パックは神殿を去ろうとしない。それには様々な理由があるのだが、ティファには納得で
きないものだった。
申し分のない能力と人格の持ち主でありながら、神官位も与えられていないエル・トパ
せきわん               げみよう
ック −。赤い髪をした隻腕の青年は、フェルハーン大神殿の中で、実に微妙な立場にい
る人物だった。
「騒がしいと思ったら、これはなんの騒ぎだー」
けんだか どせい  にぎ         Jわ
権高な怒声に、賑わっていた人々の顔が強ばった。呼び止めた者が誰か、すぐにわかっ
いや
たティファは「嫌な奴がきた」と、小さく舌打ちした。
「これはゼノドロス神官」
野望は鵬問の輿で
声の主に顔を向け、エル・トパックは一礼した。
「こんな場所で立ち話をするほど、神殿には仕事がないのかね。学生諸君はそんな暇があ
ったら、勉学にいそしみたまえ」
いやみ                一一、うしん      りが
人々に嫌味を言ってから、裾の長い神官服を着た痩身の男は、まるで汚らわしい物を見
いちへつ
るようにエル・トパックとティファを一瞥した。
「相変わらず嫌な奴だ」
口の中で、ティファは吐き捨てた。
ゼノドロスは金髪に青い目をした青年で、三〇歳を出たかどうかの若さで、神殿内部で
絶大な権力をふるっている。というのも、この男は神官長アクディス・レウィの叔父であ
そつきん
。、側近も兼ねているからだ。
「皆、引き止めてすまなかったね。それぞれの仕事に戻ってください」
にら
エル・トパックは集まった人々にそう言い、ゼノドロスに睨まれるまえに去らせた。皆、
・.
名残り惜しそうに、それぞれの持ち場へ戻って行った。
人々が去。、静ま。かえると、
だいしきゆう
「ゼノドロス神官。大至急、神官長に面会したいのですが、取。次いでいただけません
か?」
78
たの             まわ
エル・トパックは穏やかな芦で、神官長の側近に頼んだ。ゼノドロスの片方の眉が大き
く動いた。
.・
「大至急っ 残念だが神官長はご多忙だ。用があるのなら、後一〇日も待たれよ。さすれ
ば、そうさな、三分ぐらいの面会なら許可されよう」
陰湿な笑いを含んだ声に、「なぶりおって」、怒りでティファはギリッと眉を吊り上げた
が、エル・トパックは表情を変えず、
「事は急を要します。今すぐ面会できるよう、お願いします」
.                                                                                                      ..
静かだが、有無を言わせぬ強い調子で言った。一瞬、ゼノドロスは気圧されたが、
「は、ほう。面会を求めておる者は大勢いるというのに、そうした人々を後回しにしても、
先に会わせろと言われるのか」
上ずった声で皮肉を言った。
「いかにも。これはカイルロッド王子に関することであり、同時に人間達の危機に関する
ことです」
まったく気にもせず、エル・トパックは告げた。
き・−うみ
「カイルロッド王子というと、ルナンの卵王子か。神官長がカイルロッド王子の力に興味
を持ったのをいいことに、なにかあるとそう言って、面会しているそうではないか。王子
野望は暗闇の奥で
・・
のこととは偽りで、地位をねだっているというのがもっぱらの噂だがフ」
せきわん
ゼノドロスは王手をとったような表情で、隻腕の青年を見やった。「なにを言っている
ばか                         あき
のだ、この馬鹿は」、ゼノドロスの発言に、ティファは怒りを超えて呆れた。どうせそん
な噂を流しているのは、ゼノドロスに決まっている。
おい    かさ   いば
甥の権力を笠にきて威張っているものの、それがなければ誰からもかえ。みられない男
だ。おそらくそのことは、本人が一番よく知っているのだろう。ゆえに人々の信頼と尊敬
かたき
を集めているエル・トパックを、とかく目の敵にしているのである。
「それはまた、つまらない噂ですね」
エル・トパックは苦笑した。喝など毛ほども気にかけていない、そういう笑い方にゼノ
しゆうち
ドロスの顔に血が上った。怒りと羞恥の混じった表情だ。
「  ともかく、神官長に会わせろと言われるのかフ」
唸るようにゼノドロス。
「ええ」
「ふん。エル・トパック殿はその若さに似合わぬ人格者よと、神殿の内外で評判だが、存
がい
外我意の強い人だ」
早口に並べたててから、目に残酷な光をうかべた。相手を傷つけたくて仕方のない、そ
んな残忍な光だ。
ゆず
「それとも、そういう我意の抜きは母親譲りですかなフ」
きりゆだ                あぎり
ゼノドロスがニッと笑った。とっておきの切札を出したような、自信満々に相手を嘲る
笑いに、さすがに温厚なエル・トパックも金褐色の冒を鋭く光らせた。
「失礼なー」
エル・トパックの代わりに、ティファが叫んだ。
いや                 ぷれい
「卑しくも神官職にある者が、そのような無礼なことを口にして許されるとお思いかIL
いくじ
脅しに手を剣の柄に伸ばすと、それを見てゼノドロスが腰を抜かした。とんと意気地の
ない男なのである。
「ひ、人殺し− 誰かきてくれ、人殺しだ。殺されるー」
づわ       がいぷん   わめ      いちペつ
大理石の床に座りこんで、恥も外間もなく喚いている男を一瞥し、
「神殿内部で剣など抜きません」
柄から手を離してティファは吐き捨てるように言った。こんな男を斬ったら、剣が汚れ
るだけではないか。
あば
が、ゼノドロスは喚くのをやめない。その姿は、自分に関心を持ってくれるまで暴れる
子供にそっくりだった。
野望は暗閥の奨で
「人殺しだー 誰かきてくれー」
金切り声で叫び続ける。誰かきて、自分の味方になってくれるまで、喚き続ける気かも
しれない。
ティファはうんざ。した。表情には出さないが、エル・トパックだってうんざりしてい
たいはい     しごノ1
るだろう。同時に、こんな男が上層部にいるのだから、神殿が退廃するのも至極当然だと
思った。
「あの男が見たら、大笑いするだろうな」
あわ
イルダーナフの顔を思い出し、ティファは慌ててそれを追い払った。どうしてとっさに
イルダーナフが出てくるのか、自分でも理解できないが、思い出したら腹がたってきた。
にがて
「どうも苦手だ。あの男は」
しやく
イルダーナフが出てくると、自然、そのペースに巻き込まれてしまう。それが痛でたま
1  i
らない。「忌々しい」、ティファが腹の中で唸っていると、ゼノドロスの喚き声を聞きつけ
くつおと
たのか、複数の靴音が近づいてきた。
2
やってきたのは、二人の神官を従えた二〇代前半の若い男だった。
くせ                         ほほ あご
中肉中背で、癖のある金髪が肩にかかっている。顔立ちは整っているが頬や顎の線が鋭
号つぼう
く、青紫色の双降には刃物のような鋭さがある。神宮服に神殿最高位を示す紫の肩布をつ
よっへい まちが                       ただユ
けていなければ、剣士か傭兵と間違えてしまうような、張りつめたものが全身から漂って
いた。
「なにを騒いでおられるのだ」
わいはいしや
「道を開けられよ。これから神官長は礼拝者のためのご祈癖に、表の神殿へ行かれるのだ
ぞ」
お付きの神宮達が苛々と苦ったが、それを年若い紳官長アクディス・レグィが片手を上
げて、止めた。
「祈藤の時間は少し遅らせる。エル・トパック、あんたが帰ってくると、神殿中が騒がし
おじき
くなるらしいな。侍女達や見習い達だけでなく、叔父貴までが騒いでいる」
せきわん
赤い髪をした隻腕の青年に、アクディス・レヴィが冷笑を向けた。ゼノドロスのように
しっと せんぽう そっお
剥き出しにしていないが、その言葉や表情には確かに嫉妬や羨望、憎苦が含まれていた。
それを感じとったのか、エル・トパックは黙っている。
ことわ
「おお、神宮長。このエル・トパックがあなたに今すぐ会わせろと言い、断ると私を剣で
おど
脅したのです」
183 野望は暗閣の奥で
ここぞとばか。にゼノドロスが言った。甥の登場はこの男にとって、勝利を意味してい
た。
「はう、剣で脅したと?」
答えを知りながら、わざわざ確認をとっているような、どこか意地の悪い表情をしたア
クディス・レグィに、ティファが「剣の柄に手をかけて、脅したのは私だ」と言いかけた
が、エル・トパックは視線でそれを止めた。
「どうなのだ、エル・トパック」
アクディス・レヴィに促されたが、エル・トパックは無言だった。
「そうですとも。剣で人を脅すとは、人間として恥ずべき行為です。エル・トパックの行
動は目にあまるものがありますー」
相手の沈黙をいいことに、ゼノドロスが勢いづいた。舌に油でもさしたように次から次
ののし    一7ぺ
へと、滑らかにエル・トパックを罵る言葉が滑り出ている。
「ゼノドロス叔父貴はああ言っているが、なにか言い分はないのかな、エル・トパック」
ベルぜつ
うるさそうに叔父の弁舌を中断させ、アクディス・レヴィが訊いた。
「真実は自分と神だけが知っています」
一′.                           ・h
口を開き、エル・トパックは穏やかに言った。とたん、年若い神官長が弾かれたような
ひび
笑い声をたてた。明るい笑い声が神殿内に響いた。
「神を出されては、叔父貴の負けだな」
「そんなー」
ぐんばい    おい
笑いながらエル・トパックに軍配をあげた甥に、ゼノドロスはかみついた。まさか自分
が甥にやりこめられようとは、想像もしていなかったのである。
つごう
「エル・トパックは神を利用して、自分に都合のいいように言っているだけですぞー 真
実はこの私が」
ゼノドロスがいかに自分が正しいかを主張していると、ふいにアクディス・レヴィが笑
いをおさめた。
ぽつじやくふじん
「叔父貴。あまり傍若無人な振る舞いばかりでは、いずれ神にも他人にも見捨てられよう
な」
きよーフはく     せHソ.ふ
脅迫そのものの台詞に、ゼノドロスは口をつぐむしかなかった。
うるさい叔父を黙らせ、アクディス・レヴィは口の端を上げた。
「さて、エル・トパック。俺に用があるのなら、ここで言ってみろ」
けんかごし
喧嘩腰な物言いだが、エル・トパックは穏やかな口調を崩さなかった。
だいしきゆう
「大至急、神官長をはじめとする、神官職の人々を集めていただきたい」
野望は暗闇の奥で
−   ・
この発言にアクディス・レヴィばか。か、お付きの神官達も驚いた顔をした。
みやr.′          おおげさ
「して、理由はなんだっ 旅の土産話をするにはいささか大袈裟だが」
−J − ・J 一
「わたしは大変な土産話を持ってきましたので・・・。我々、人間達の上にふりそそぐであ
みぞう
ろう、未曾有の危機。その対処を方々に考えていただきたいのです」
力強くエル・トパックは告げた。
ゆが
未曾有の危機と聞いて、アクディス・レグィは顔を歪め、お付きの神官達は顔色を失っ
ぱか
た。しかし、三人ともが「そんな馬鹿な」と、否定しようとしなかったのは、エル・トパ
ックの発言だからだろう。
「未曾有の危機ですとフ・」
「それはいったい」
お付きの二人が質問したが、
「それはこのような場所で口にすべきことではあ。ません」
エル・トパックは首を左右に振った。すでに知らされているティファは黙っている。青
くなった神宮達の中で、ゼノドロスだけが「そんなことを証が信じるか」とHの中でぷつ
ぷつ言っている。
「 それはカイルロッドにも関係があるのか?」
もデか                  きび
少しの時間、難しい顔で考えこんでいたアクディス・レヴィが厳しい表情で訊いた。エ
ぺノ一ヱヲ
ル・トパックは「はい」と領いた。
およl
「よかろう。ただし、俺は祈繭があるから、その後だ」
それからお付きの一人に「昼すぎまでに集めておけ」と命じた。
あしバさつ
「では、それまで私はロワジ1長老の所におります。これから挨拶にいきますので」
あわ
慌ただしく駆け去って行ったお付きの神官を横目で見ながら、エル・トパック。
がんこじい
「ロワジーか。あんな頑固爺さんと気があうのは、おまえぐらいのものだろうな」
鼻先で笑い、アクディス・レグィは神官一人を従えて、エル・トパック達の横を通りす
ぎた。ことさらエル・トパックを無視したような、そんな去り方だった。
甥の退場に、いよいよ形勢不利とみて、ゼノドロスは「覚えていろ」と、神官にあるま
ぜハリふ
じき捨て台詞を残し、奥へ逃げるようにして去っていった。
「まったく、街のゴロッキとなんらかわりない男ですね」
つば
できることなら、ゼノドロスに唾を吐いてやりたいという顔で、ティファが言った。
「そういう人間もいる」
・  7
慣れているのか、エル・トパックは気にもとめていない様子で、神殿の外に向かった。
エル・トパックの横を歩きながら、思い出したようにティファが声をひそめた。
7 野望は暗圃の奥で
「でも、意外でした。アクディス・レヴィがトパック様に味方するなんて」
さつちトて、                   iLぎ
率直なティファの感想に、エル・トパックは不思議な微笑をうかべただけだった。
エル・トバックとティファは神殿の外に出た。昼前の明るい陽光にティファが眩しそう
に目をしぼたたかせた。
ロワジーは神殿の離れにいた。
がんか
そこへと続く階段をゆっくりと上りながら、エル・トパックは眼下に広がる街を見た。
かつての権勢は失われ、人は去った。しかし、建物は残っている。使用されないまま放
ぽひよう
置されている家々は、墓標に似ていた。
「では、トパック様。私はここでお待ちしています」
あた
ロワジー長老のいる建物が見えてきた辺りで、ティファが下がった。というのも、ロワ
きむヂか
ジーという老人は気難しく、気に入った者以外を近づけないのである。ティファはロワジ
にがて
ーが苦手なので、同行しないですむのは内心嬉しいかもしれない。
「神官長からの知らせがきたら、すぐに呼びにきてくれ」
「はい」
そうティファに頼み、エル・トパックは階段を上っていった。
ロワジーは、アクディス・レウィの前の神官長だった。八〇歳をこえた現在もかくしゃ
くとしている。
がんこ ゆうずう        じやま
が、アクディス・レヴィが神官長の地位につくと、頑際で融通のきかない老人は邪魔者
いんたい
にされ、老齢を理由に引退させられてしまったのである。
いんきよ
そして今ではすっかり隠居生活で、もはや神殿とは緑のない生活をしている。というこ
とになっている。
「アクディス・レヴィの振る舞いには、渋い顔をなさっていることだろう」
小さくなった神殿を見て、エル・トパックは苦笑した。
ロワジーが神官長だった頃、ルナン国王サイードに「カイルロッド王子を渡すように」
さいそく                   みこ
と一度だけ催促した。母親で、フェルハーン大神殿の巫女だったフィリオリの力が、息子
のカイルロッドに継がれたのではないかという危惧からだった。
ゆいいつ
父親については、フィリオリが沈黙していたので、わからずじまいだった。唯一知る者
だったザーダックは口を閉ざし、孫娘の死と同時に神殿を去ってしまったので、カイルロ
じっぷ
ッドの実父を知る者はいなくなった。
ともかく、フェルハーン大神殿はカイルロッドの力を恐れた。だが、
「ふざけるな。それ以上言うなら、こっちにも覚悟があるぞ」
野望は暗闇の奥で
189
かか
というサイード国王の強気の返事がきて以来、ロワジ1は神殿がカイルロッドに関わる
ことを禁じた。
しかし、ロワジ1には内密で、サイードにカイルロッドの引き渡しを要求した者もいた。
しよばつ
が、後日ロワジーの知るところとな。、厳しい処罰をうけた。
ルナン王子、カイルロッド。
ふ        はれもの
一八年もの間、この名前はフエルハーン大神殿にとって、触れれば血を吹く腫物のよう
なものだった。
だが、新しく神官長となったアクティス・レヴィは、カイルロッドに手を出したのだ。
その秘めた力を欲して。
「アクディス・レヴィとその親族にも……困ったものだな」
誰もいない安心感からか、ポッリとエル・トパックは洩らした。
階段を上。きると、ロワジーのいる離れがあった。周。は緑だらけで、歳月がたてばそ
の中に埋まってしまいそうだった。
引退した後の、ロワジ1の趣味が庭の草木いじ。だからだ。ただ、草木いじ。が趣味と
しげ
いうわりに、あまり手をいれない。「自然が一番」と言って、好き勝手に草木を繁らせて
おく主義なので、ロワジーの家の周囲だけが、まるで山奥のようになっているのだった。
「そのうち遭難するかもしれないな」
そんなことを考えながら、エル・トパックは繁る緑をかきわけて、離れの建物に近づい
た。
離れにはロワジーの他に誰もいない。結婚しなかったので家族もなく、ロワジーの気難
しさに手伝いの者も居着かないのだ。
「ロワジー様、いらっしゃいますかフ」
エル・トパックは玄関を叩いた。すると、舞いたことに中から若い女の声がした。
とげり
驚いていると、扉が開き、若い娘が顔を出した。その顔を見て、再度エル・トパックは
驚いた。
「いらっしゃいませ」
愛想のない声でその娘は言った。背の高い美女だ。まっすぐな黒髪は腰まであり、黒い
瞳には強い光がある。
「・メディーナ」
エル・トパックが驚くのも無理はない。ロワジーの家にいたのは、イルダーナフの娘、
メディーナだった。エル・トパックはメディーナと面識がある。オアシスの家で一度、会
っていた。
なぜ
「あなたが、何故・」
思いもよらない場所での再会に、エル・トパックは驚きを隠せなかった。メディーナは
その質問に答えず。
「ロワジ1様はお昼寝中です。起きるまでお待ちください」
そう言ってエル・トパックを家の中に通した。女手がある証拠に、以前は散らかり放題
だった室内がきちんと整理されている。
「驚かれたようですね」
テーブルについたエル・トパックに、メディーナがお茶を出した。
「ええ。ゲオルディ様の許にいたあなたが、どうしてここにおられるのです?」
エル・トパックはカップを芋にして、同じ質問をした。
おやじ
「親父に言われたので、ここでロワジー様のお手伝いをしております」
奥にあるロワジーの部屋を見、メディーナは素っ気なく答えた。エル・トパックはかす
かにこめかみを動かした。
「イルダーナフにフ」
「はい。なんでも、ロワジー様とは古い知り合いだとか言っていました」
「・どういう知り合いなんです?」
野望は昭慢Iの奥で
「さぁフ そういうことは言わない人ですから」
.II こ ∴
エル・トパックは黙って、カップの緑を指で撫でていた。イルダーナフがなにを考えて
かいもノ、
いるのか、エル・トパックには皆目わからない。
「ただ、ここにいてカイルロッド王子を助けてやってくれと、頼まれました」
みりん しわ
眉間に雛を寄せたエル・トパックに、メディーナが淡々とした口調で告げた。
「ここにいて?」
「ええ。いればわかると」
ゐ.Iた         いふ
それを聞いて、エル・トパックは改めてイルダーナフという男に環怖を感じた。先の先
を読んでいるような、チェス名人の駒運びを見ているような気さえした。
「わたし程度では、とてもかなわないな」
カップをいじっていた手を止め、エル・トパックは小さくため息をついた。
一 どうやらあの人は、あなたの父上はなにもかもを知っているようですね」
「かもしれません」
とメディーナ。
みタう
「あなたの父上は、やがて未曾有の危機がくると言いました。そして、なすべきことをな
せと」
「そうですか」
メディーナの表情は変わらない。エル・トパックはお茶を一口畷り、
「わたしは自分がなにをなすべきか、いったいフエルハーン大神殿そのものがなにをなす
べきなのか、それを考えているのですよ」
視線を雷にうかせた。
部屋の中に薄い明かりが射し込んでいる。
3
なより
空には鉛色の雲が重苦しくたちこめ、昼間だというのに薄日も射さない。
め J
山岳地帯を抜けて、平地を歩いているのだが、どこにも春の芽吹きはなく、目に入るの
は白い雪や氷ばかりだ。
季節が逆行しているのではないかと思うような景色だった。
「う1、寒い」
頭から布をかぶったカイルロッドが、白い息を吐きながら鼻を畷った。北上しているの
だから、寒さが厳しくなって当然なのだが、カイルロッドは寒いのが苦手だった。
野望は暗闇の輿で
..
故郷のルナンは冬でもそれほど寒くない。雪など何年かに一度降れば、それで大騒ぎに
なるような土地柄だ。そういう土地で育ったカイルロッドだから、たとえ春先とはいえど、
つつ
北国の寒さが格別辛く感じられた。
ぞる
「王子、一人でガタガタと震えないでよ。寒いのが苦手だって言うから、馬じゃなくて人
間のままにしてあげているのよ。まったく、育ちのいい入ってわがままなんだから」
カイルロッドよ。は寒さに強いミランシャが、そんなことを言った。
「どこがわがままなんだよ」
はだか
カイルロッドは鼻を畷った。馬になるというのは、裸になるということだ。
「こんな寒い場所を、裸で歩かそうとしたミランシャの方が、よっぽどわがままじゃない
か」
唸るように言うと、
「ミランシャの悪口、言うな」
− ・
頭にターバンを巻いたグリユウに脛を蹴とばされた。カイルロッドがガタガタと震えて
いるのに、グリユウはまったく寒さを感じていないらしいのだ。
「どうせ、なんでも悪いのは俺だよ」
つぷや
両手をこすりながら、カイルロッドがふてくされて呟いた時、突然冷たい風が強く吹き
つけた。
「雪だ  」
ふぷぎ
空を見上げてグリユウが呟くと、天から白い物が落ち ー 吹雪になった。舞い落ちる程
きれい一           一ぷ
度なら雪は綺一躍だと喜んでいられるが、吹雪くと別物である。
やみ
あっという間に、視界は白い間に塗りつぶされた。
「寒いっー」
ひめい
かぶっていた布を飛ばされ、カイルロッドは悲鳴をあげたが、それは風の音にかき消さ
れた。さっきまでカイルロッドに冷たい日を向けていたミランシャも、突然の吹雪に歯を
鳴らしている。
「おい、道と方角はわかっているんだろうなり」
どな
カイルロッドは道案内人に怒鳴った。怒鳴らないと音が伝わらないのである。こんな時、
一番困るのは寒さではなく、道や方角がわからなくなってしまうことだ。
「この先に街がある」
吹雪の中でも平然として、グリユウが北の方角に顔を動かした。
「衝け」
衝と聞いて、カイルロッドとミランシャは瞬間、顔をひきつらせた。
野望は暗闇の奥で
けはい
「人はいるけど魔物の気配はない。それとも、休まず、ずっとタジェナまで歩くフ▼」
そぽく
グリユウの素朴な質問に、カイルロッドとミランシャは苦悩した。このまま歩くと言っ
さいな
ても、いずれ疲労と空腹に苛まれるだけだ。寒い・眠い・ひもじいと三拍子揃えば、待っ
ているのは凍死である。
つら
「この吹雪の中の野宿は辛いわ」
歯の根も合わないというようにミランシャは震えているし、どのみち、どこかで休息を
とらなくては、旅を続けられないだろう。
「街へ行こう」
ほじゆう
カイルロッドは衝へ行くと告げた。旅に必要な物資も底をつきかけ、その補充もしなけ
せんたノ1
ればならないのである。選択の余地はなかった。
「じゃ、行くよ」
やみ
グリユウは白い闇の中を歩いて行った。伸ばした手の先だって見えないような吹雪の中
を迷わず、足速に進んで行く。見失ってはたまらないと、カイルロッドとミランシャは、
必死になってグリユウの背中を追った。
すご
「凄い吹雪だ」
雪が目に飛びこんでくるので、カイルロッドは員を細めていた。どこをどう歩いている
のか、さっぱりわからなくなっていたが、ここはグリユウを信じるしかなかった。
一時間も歩いただろうか。
前方にぼんやりと建物の影が見えてきた。
「街だー」
がぜん
街の影が見え、カイルロッドはつい大きな声を出した。こうなると人間は俄然、元気が
出るものである。カイルロッドとミランシャは、寒さも疲労も忘れたかのように街に向か
って歩いた。急に歩く速度の速くなった二人に驚いて、クリユウが目をパチパチさせた。
それは思っていたよりも大きな街だった。
街へ入ると、カイルロッドとミランシャは真っ先に酒場に飛び込んだ。
「この行動は 。まるでイルダーナフみたいだ」
自分の行動を振り返って、カイルロッドはなんだか少し悲しい気持ちになったが、場合
からた
が場合である。芯まで凍えた身体は酒でも飲まないことには暖まらない。
店の中は薄暗いが広く、意外に人が多かった。カイルロッド達のように、酒で身体を暖
めようとしている者が多いのかもしれない。
「わぁ」
こういう場所は初めてらしいブリユウが、好奇心に目を真ん丸にして、店内を見回して
野望は晴間の輿で
いる。
すわ
三人は奥の席に座り、カイルロッドとミランシャは適当に酒とつまみを、そしてグリユ
ウのために果実液を注文した。
「今日はいいわよね、王子」
だいじようふ             くちぴる
念を押され、カイルロッドは「大丈夫かなぁ」と不安になったが、唇を紫にしてガタガ
だめ
タと震えているミランシャを見たら、駄目とは言えなくなってしまった。
「脱ぎだしたら、グリユウと二人で止めればいいか」
つなず
先のことを心配するのにも疲れて、カイルロッドは額いた。
かゼ
「風邪をひいちゃうわよ」
ミランシャが、グリユウの滞れたターバンをほどいてやった。
「おい、ミランシャ。いいのか、ターバンを取って」
ろうぼい
カイルロッドは狼狽した。なにしろ手配書の出回っている顔が二つ並んでいるのだ。賞
かせ
金稼ぎや、フエルハーン大神殿の関係者に見つかるのではないかと、カイルロッドは冷や
冷やしていたのだが、
「こそこそしていると、かえって人の目をひくのよ。堂々としていれば、案外、わからな
いものよ。それに見つかる時は、どうやったって見つかるもんよ」
どさよっ す
ミランシャは度胸が据わっている。
「そういうもんかなぁ」
言い包められたような気がしないでもないが、店内にいる客は、カイルロッド達など気
にしていない様子だった。そうなると、根が楽観的な性格なので、
「見つかったら、その時に考えよう」
8つと′ヽ
カイルロッドも簡単に納得した。
ぴル
しばらくして滑が運ばれた。瓶からグラスに注ぎ、カイルロッドは一気に飲み干した。
やっと少し、身体の中から暖まってきた。ミランシャは飲み干した後、
「あーん、生き返った気分」
大きく息をついた。
「イルダーナフほど飲みたいとは思わないけど、こういう時はありがたいもんだよな」
笑いながら、カイルロッドはミランシャと自分のグラスに酒を注いだ。やはり美味いと
まヂ
は思わないが、安心したせいなのか、以前ほど不味いとは思わなかった。
二人で二杯目を飲んでいると、
「俺だけ違う」
ほは
グリユウが両頬を思いきり膨らませた。匂いなどで、自分のグラスと、カイルロッド達
野望は暗1濁の奥で
のグラスの中身の違いに気がついたらしい。
「これは子供が飲んじゃいけないの」
まゆ つ
カイルロッドが言うと、グリユウは頬を膨らませたまま、眉を吊。上げた。
「ミランシャと同じのがいい」
「  あのなー」
なつししく              かか
幼児をどう納得させようか、カイルロッドは頭を抱えた。中身はともかく外見は青年な
のだから、酒を飲ませていいような気もするが、酔っ払ったらどうなるのか。それがわか
うかつ           わめ
らないから、迂闊に飲ませられない。泣き喚く、笑い出す、からみ出す、その程度ならま
せんこよノ           おおごと
だしも、気分の高揚にまかせて手から閃光など放たれでもしたら、大事である。
「グリユウが暴れ出したら、止める自信はないぞ」
ひじ
テーブルに片肘をついて考えていると、
「俺もミランシャと同じの、飲む」
だだ
グリユウが駄々をこね始めた。ミランシャが「子供はこれを飲めないのよ」と、言い聞
かせているが、そういう理屈は子供には通用しない。
しぁん        すみ    ねいろ
どうしたものかとカイルロッドが思案していると、店内の隅から美しい音色が流れてき
た。
リュートの調べが、店内に流れた。
m 見ると、椅子に座った女性がリュートを弾いていた。その女性の姿に、カイルロッドは
いす              ひ
息をのんだ。
まれ
髪が雪のように白く、目が赤い。色素を持たない人間が稀にいる。リュートを弾いてい
る女性がそうだった。
1F
「珍しいわね」
それに気がついたミランシャが、カイルロッドに耳打ちした。のけ者にされたと感じた
のか、グリユウがミランシャの腕にしがみついた。
うれ
やがて、リュートの音律に歌声が加わった。美声だが、憂いを含んだ声だった。
さげ
淋しい、悲しい歌だった。
歌が終わると店内の客から拍手が起こり、カイルロッドも手を叩いていた。歌っていた
えしやく  とげb      すわ
美女は客達に軽く会釈し、扉の近くの席に座った。
「悲しい歌ね」
もう酔いが回ったのか、ミランシャが涙ぐんでいる。
「うん。淋しい歌だ・・ね・フ」
そのうち脱ぎ出すのではないかと、不安を覚えながら相づちをうったカイルロッドの耳
20tl 野慧は暗問の奥で
に、グスグスと鼻を鳴らしている音が聞こえた。なんだろうと思ってひょいと見ると、ブ
リユウが泣いていた。手にはいつの間にか、酒の入ったグラスが握られていた。
「あー、あたしのグラスを」
ミランシャがしまったという顔をした。カイルロッド達が歌に気をとられている隙に、
ミランシャのグラスと取。替えたのだ。
「飲んで平気かフ」
おぴ       うかが
カイルロッドが怯えながら様子を窺うと、グリユウは顔を真っ赤にして、鼻を鳴らして
泣いている。グラス一杯で完全にできあがっているようだ。顔はカイルロッドと同じでも、
酒に弱いところは反対だ。
「ミランシャ。ミランシャ」
へいこう
母親を求めて泣く子供のように、ミランシャを呼んでいる。「こんなに弱いとは」、閉口
しているカイルロッドの横で、ミランシャは「ここにいるわよ」と宥めている。
「身体も暖まったから、出よう」
カイルロッドは席を立ち、泣いているグリユウの片腕を引っ張って外に出ようとした。
じよフご
自分と同じ顔の青年が泣き上戸ときては、恥ずかしいどころではない。ミランシャも席を
立ち、三人は店から出ようとした。
「二度と洒なんか飲ませるものか」
唸りながらグリユウの腕を引いていたカイルロッドだが、急にガクンと動きを止められ
た。グリユウがなにかにしがみついたのかもしれない。
「おい、ちゃんと歩けよ」
振り返ると、グリユウが女性に抱きついているではないか。
「1−−−人」
カイルロッドとミランシャは硬直した。
「お母さん」
ひざ
さっき、歌っていた女性の膝に頭を乗せて、グリユウが「お母さん」と泣いている。そ
の様子にカイルロッドは顔から火が出そうだった。生まれてこのかた、数えきれないほど
恥ずかしい思いをしたが、今ほど恥ずかしいと思ったことはない。
「おまえーつ‖」
この場にミランシャや他の客がいなかったら、カイルロッドはグリユウを力で消し飛ば
していたかもしれない。
カイルロッドは乱暴に、グリユウをその女性から引き鮒がした。幸い、酔いが回って半
分寝ていたので、すぐに引き剥がせた。
205  野望はI駿闇の奥で
「すいません、酒癖の若い奴で」
寝息をたてているグリユウの肩をおさえ、カイルロッドはひたすら頭を下げていた。ミ
あやま
ランシャも「ごめんなさい」と謝っている。
おだ
しかし、その女性は別に怒った様子もなく、穏やかな笑みでカイルロッドとミランシャ
を見ていた。
「いいのよ、別に。それより、あなた達、旅人?」
「え? ええ」
「今夜の宿は決まったのフ・」
「いえ、まだ」
つぷ      ふぷき
カイルロッドは口ごもった。グリユウは酔い潰れるし、外は吹雪ときているので、今晩
はこの街で一泊するしかないようだが、カイルロッドの気は重い。魔物が襲ってきたらど
うしようと考えていると、
つか
「あたしの家にいらっしゃいな。一人暮らしだから、気を遣わなくていいのよ」
その女性はにっこり笑った。
その晩、吹雪はなかなか止まなかった。
結局、さんざん迷った未、カイルロッド達は女性の家に泊めてもらうことにした。その
つか
理由のひとつに、グリユウが彼女の服の裾を掴んで離さなかったことがある。
てっきり引き離したとばかり思っていたら、しっかり擦りしめていたのである。それを
せきめん
見て、カイルロッドが赤画したことは言うまでもない。
き1ゆうけい
カイルロッド達は一番広い部屋を提供され、夕食までの間、休憩していた。ベッドはふ
ゆか
たつ、一人は床で寝ることになるのだが、雪の中の野宿に比べたら、そんなことはたいし
たことではない。
「それにしても、なんて奴だ。昨日までミランシャにべったりくっついていたと思ったら、
みきかい
今度はまた別の女性だ。こいつ、女性とみれば見境なしに甘えているんじゃないか」
せんりよう
ふたつしかないベッドのひとつを占領して、幸せそうな顔で寝ているブリユウを見なが
かんがい
ら、カイルロッドは憤慨していた。何度、本気で殴ってやろうかと思ったことだろう。
「ひがみに聞こえるわよ、王子」
もうひとつのベッドの端に腰かけ、しれっとミランシャが言った。
「どうして俺がひがまなくちゃいけないんだフ」
カイルロッドはムッとしたが、見るとミランシャもあまり楽しそうではない。ブリユウ
おもしろ
があっちになついてしまったのが、面白くないのだろう。女心は複雑である。
207  野望は噺闇の奥で
・−
「あの人、美人だもんね。王子、嬉しいでしょっ」
「ミランシャ、なにが言いたいんだ?」
「別に」
ミランシャはブイッと顔をそむけた。メディーナの時と言い、どうもからまれている。
「どうしてだろフ」、カイルロッドにはからまれる理由がわからない。
女性の名前はヴァランチーヌと言い、年齢は二四歳、酒場の歌うたいだそうだ。
カイルロッドは頭を掻きながら、窓の外を見た。窓越しに雪が斜めの白い線となって、
視界を通り過ぎていく。
「頼む。魔物なんかくるなよ。人の迷惑になるんだからな」
笠を見ながら、カイルロッドはひたすら祈っていた。
ふ〃−FFll
おぷ
その晩、魔物が街を襲った。
姿のない魔物が・・
4
・ぷき フふ
翌朝、空は晴れ渡っていた。昨日の激しい吹雪が嘘のような快晴だった。ただ、吹雪の
せいで、街には一晩のうちに二〇センチも雪が積もっていた。いくら北国とはいえ、この
時期にしては珍しいことだ。
「 ・魔物け」
カイルロッドはフォークに刺していた肉を下に落とした。ミランシャもひきつった顔で、
パンをちぎった。
カイルロッド、ミランシャ、そしてヴァランナーヌは居間で朝食をとっていた。この席
にグリユウがいないのは、二日酔いで起きられないためである。
「ええ、皆、そう言っているわね。姿の見えない魔物って。さっき買物に行ったら、その
話題で持ちきりだったわ」
ゆげ
湯気のたつカップをテーブルに置き、ヴァランチーヌがその話題をきり出した。
「一晩で七人もの凍死者が出たんですって。それも、外に出ていたからじゃないのよ」
話を聞くうちに、カイルロッドは食べている物の味がわからなくなってきた。
だんろ
七人はいずれも、室内で凍死していたのだという。暖炉の前にいながら、あるいはベッ
.、                J・、
ドの中で氷漬けになっていたというのだ。同じ家の中にいたのに無事だった家族は、怪し
い侵入者は見なかったと言っている。
怪異と言わねばならない。街は大騒ぎになっているだろう。
209  野望は聴聞の奥で
ぱけもの          みよううわさ
「このところ、人が化物になったとか、色々と妙な噂が多いみたい。あなた達も旅の道中、
気をつけてね」
きづか                   うなず
ヴァランナーヌに気遣われ、カイルロッドもミランシャも、ただ黙って韻くしかなかっ
た。もう、なにを食べているのか、わからなくなっていた。
とぴら
朝食もそこそこに、カイルロッドとミランシャは部屋に戻った。扉の開閉の音に反応し
うめ                    ひぴ
て、ベッドの中から低い坤き声があがる。グリユウだ。一一日酔いの頭に響くのだろう。
「ミランシャ。その奇妙な凍死って、やっぱ。魔物のしわざかな」
わざと大きな足音をたてながら、カイルロッドは窓の前に行った。「う1」と、抗議の
坤き声がするが、聞こえないふhソをした。
「そうとしか思えないわね」
陰気そのものの顔で、ミランシャはなるべく音をたてないように、ベッドの端に腰かけ
た。
ねら
「俺達を狙った魔物かな、やっぱ。・」
「他になにか思いあたることがあるのフ」
「…・あって欲しいけどね」
じゆうめん
カイルロッドは渋面で窓の外を見た。
まぷ
一面の銀世界である。朝日が雪に反射して眩しい
ので、窓に背中を向けた。
「やっぱり俺は、人のいる場所に近づいたらいけないんだな」
Uぎやく
自虐的な気分になっていると、
「早くここから出ていった方がいいわね」
カイルロッドの心の中を見通したように、ミランシャが腰を上げた。それからベッドの
中のグリユウに、起きるように言った。
うなが       しぷしド
ミランシャに促され、グリユウは渋々起きたが、見るからに二日酔いという表情で、
「頭、痛い」
こんーソん.ざい
とぼやいている。自業自得だと思いつつ、カイルロッドは「金輪際、酒は飲むな」とグ
リユウに言い渡したが、二日酔いで唸っている者の耳に聞こえたかどうか、定かでない。
あいさつ
「よし。それじゃヴァランチーヌに挨拶して、出て行こう。それから物資の補充だけはし
ないと」
言いながら、カイルロッドは手早く荷物をまとめた。
酒場に行くのは夕方からなので、ウァランナーヌは昼間は家にいるのである。カイルロ
ッドとミランシャは、二日酔いで唸っているグリユウを引きずって、居間に行った。
「ヴァランチーヌ?」
野望は嗜闇の奥で
居間にヴァランチーヌの姿はなかった。テーブルの上には朝食の後がそのまま、残って
いる。
「食事の後片付けもせずに、どうしたのかしらフ・」
Iナげん おもも
ミランシャが怪訝な面持ちで、居間から台所に行った。しかし、ヴァランチーヌは台所
にもいなかった。
「どうしたんだろうフ」
魔物が出たなんていう話を耳にしたばか。なので、不安になったカイルロッドとミラン
さが
シャは家の中を探してみた。しかし、ヴァランナーヌの姿はどこにも見当たらない。
けはい
「外に出た気配はしなかったのにな」
「どうするの、王子?」
「少し、待ってみよう。どこかに行っているのかもしれないし」
ということで、カイルロッド達はヴァランチーヌが帰ってくるのを祈りながら、居間に
いた。
だれ
「誰を待ってるのフ」
テーブルに両肘をついているグリユウに訊かれ、カイルロッドは苦笑した。
「ヴァランナーヌだよ、昨日、酒場で歌っていた女の人。おまえがしがみついた人、わか
らないかフ」
7、、・
思い出そうとしているのか、グリユウは寄り目になった。
「うーんと。あっ、白い髪で赤い目のおばさんだ」
「お姉さん−」
カイルロッドは強く訂正した。その声が頭に響いたらしく、グリユウはテーブルに伏し
てしまった。
「昨日のこと、あんまり覚えてない」
消えそうな声でグリユウ。「こいつもいい酒癖じゃないな」、カイルロッドはチラッとミ
ランシャを見た。
「なによ、王子。その日は」
視線に気がついたミランシャに睨まれ、
「いや。グリユウに酒を飲ませるのはやめようね」
あわ    つくろ                       ちか
カイルロッドは慌てて言い繕いながら、「この二人とだけは酒を飲むまい」と、心に誓
った。
そんなふうに、三人は居間でヴァランナー⊥メの帰りを待っていた。が、いつまでたって
213  野望は暗闇の奥で
も帰ってこない。
「ちょっと、いくらなんでも変よ」
テーブルについているミランシャが落ちつきなく、視線を動かしている。待つのに飽き
たグリユウはテーブルに伏したまま、眠ってしまった。
すでに正午を過ぎていた。
あた
「俺、ちょっと、その辺。の様子を見てくるよ」
いす
カイルロッドが椅子から立つと、
「あ、あたしも行くわ」
ミランシャも腰をうかせた。
ガタガタ…・。
椅子や机が揺れているような音だった。しかし、椅子も机も動いていない。
「窓だ」
つぷや
顔を動かし、カイルロッドは呟いた。
わく
白い物が窓を叩き、その強さで窓枠が鳴っている。
「・ 王子、雪じゃないフ」
ミランシャが指摘したように、窓を叩いているのは雪だった。
かぶ
「また吹雪いてきたのか?」
変だなと思いながらカイルロッドが窓の外を見ると、空は晴れ渡っている。それなのに、
吹雪いている。
「どういうことlフ」
ミランシャが叫んだ。
ひめい
その時、風に運ばれて人々の悲鳴が聞こえた。二日酔いのグリユウも、その悲鳴に顔を
上げた。
いや
「嫌な奴− 嫌な奴がきたT」
しわ     つハナ
二日酔いもどこへやら、ブリユウは鼻に紋を寄せて唸った。
「魔物か・−」
けつき
魔物とは本来、夜に力を発揮するものだ。それがこんな昼間から現われたとあって、カ
、.・−
イルロッドは苛立った。
「敵の正体を確かめてやる」
外に出ようとしたカイルロッドだが、ハッとした。
「雪・∴
ぎようし   ひぎ
カイルロッドは窓についている雪を凝視した。陽射しをうけているのに、窓についてい
215  野望は暗闇の奥で
る雪が溶けていない。
「雪だ・…・・−」
「ええフ どういうことフ」
ミランシャがやってきて、カイルロッドの横に立った。
「ミランシャ、この雪が魔物なんだ、こいつらが人を凍らせたんだ。雪なら、簡単に窓や
とげりすきま
扉の隙間から室内に入れるからな」
ぱか
「そんな馬鹿なー」
カイルロッドの言葉に、ミランシャは大きく目をみひらいた。
「見てごらん、ミランシャ。この雪は生きているんだ」
お.もも
カイルロッドは窓についた雪を指差した。ミランシャは半信半疑という面持ちでそれを
見ていたが、
「う、動いているー」
短い悲鳴をあげた。
溶けない雪は生きていた。小さな生き物のようにピクビクと動き、室内に入。こもうと
している。
雪そのものが魔物だったのだ。
きのう
「雪が魔物なんて。・…だって、昨日、ブリユウは気がつかなかったのよ」
おそ
「襲ってきたのは、俺達が街に入ってからだろうから 。あいつ、酒で前後不覚になっ
ていたからね」
カイルロッドとミランシャの会話に、グリユウが困ったような、怒ったような表情をし
た。
「昼間から動くなんて、なんて非常識な魔物なのよ−」
「俺達がここから出ていくと知って、行動に出たらしいな」
カイルロッドは舌打ちした。
−フ一−め
雪は窓にびっちりとはりつき、患きながら、隙間から室内に入ろうとしていた。
あわ
窓の前でミランシャが慌てて、火をつくった。轟いていた雪が火を恐れて、別の場所に
移動していく。
「ねぇ、外に出たら、凍らされるわよねフ」
「たぷん」
家の外から聞こえる悲鳴に、カイルロッドは顔をしかめた。ヴァランナーヌのことが気
になったが、軋む窓や扉の音と、グリユウの「くる−」という鋭い警告に、頭を切り替え
た。
野望は暗闇の奥で
扉の下から雪が、雪に似た生き物が入。こんできた。
「ちっ!」
カイルロッドとグリユウが、同じタイミングで手をかざした。
二つの光を受け、それは蒸発した。
「やっぱり雪に似ているだけあって、熱に弱いみたいだ」
弱点を見つけた安心で少し気楽になったカイルロッドだが、
「包まれたー」
グリユウの声と、ギシギシと軋み始めた家に、そんなものはどこかへ吹っとんでしまっ
だめ     つぷ
た。窓や扉の隙間が駄目なら、家を潰そうというつも。らしい。
木が砕ける音がした。
こわ
扉が壊され、雪がなだれこんできた。
「キヤアァァー」
かば
悲鳴をあげたミランシャを、ブリユウが庇う。カイルロッドは雪の前に立ち、両手をか
ざした。
すさ         はし
手の平から凄まじい金色の光が弄り、雪が瞬時にして蒸発した。
「今のうちに外へ出ろー」
カイルロッドの声に、ミランシャとグリユウが家の外に出た。
三人が外に飛び出すと同時に、家が雪に潰された。
おお
街は白い雪に覆われていた。
建物すべてが白く塗られ、人や犬が氷の像のように立っており、あるいは倒れている。
きせい
短時間のうちに、かなりの人数が生きた雪の犠牲になっていた。街の半数ぐらいの人間が、
氷漬けにされたかもしれない。
「なんてことだ」
ぱうぜん
カイルロッドは呆然とした。
オマエガ死ヲ運ブttttL
くちぴるカ
妖魔の言葉が思い出され、カイルロッドは唇を噛んだ。
「王子−」
われ           うごめ
ミランシャの声に我にかえると、足元で雪が急いていた。
「くそっー」
それを光で消し、カイルロッドは手招きしているミランシャの許へ走った。
ほのお
白一色の街の中で、そこだけが赤くなっているのは、炎があるからだ。ミランシャとグ
219  野望は暗闇の奥で
おり           すペ
リユウは、炎の檻の中にいた。その中に滑。こみ、カイルロッドはフーツと息を吐いた。
こわ
「あいつら、火が恐くて、近づいてこないわよ」
ミランシャの言うとお。だが、いつまでもこの中にいては壇があかない。
「あんなの、消してやるー」
しだい
手当たり次第にグリユウが光を放っているのだが、なにしろ雪である。き。がない。し
しようめつ
かし、だからといって一度に全部を消すとなると、衝が消滅するかもしれない。それは避
けたかった。まだ雪の犠牲にならず、生きている人もいるはずだ。
「どうしたものかな」
このまま夜になったら、雪の動きはさらに活発化するだろう。
「こんな雪の結晶ひとつひとつが、思考しているはずはないな」
のうり
轟いている雪を見ながら、「昆虫の集合体みたいだ」と、カイルロッドは思い、脳裏に
ひりめ
なにかが閃いた。
ねら
昆虫−1鹿虫型の魔物に狙われたのは、タジのいた村だった。あの時、イルダーナフは
はち あり
なんと言っただろう。たしか、こういう蜂や蟻のようなものには、中心になるものがいる、
と。
「女王蜂のように、こいつらを支配しているものがいるはずだ。それを探し出して、倒す
しかない」
それが一番手っ取りばやいと判断し、
「グリユウ、おまえはミランシャを守れ」
カイルロッドは炎の檻を出た。
「王子、どこへ行くのけ」
「女王を探しに」
心配しているミランシャに軽く手を振って、カイルロッドは走り出した。
ズズズッ  。
移動したカイルロッドを狙って、生きた雪が動き出した。
5
雪が追ってくる。
まるで津波のようになって、カイルロッドを追ってくる。
「最初から俺だけを狙えばいいのに」
か              しかく
振り向き、カイルロッドは奥歯を噛んだ。フェルハーン大神殿の刺客にしろ、ムルトの
手下にしろ、カイルロッドだけでなく、必ず周囲を巻き込むのだ。
21野望は鴫闇の奥で
「少しは他人の迷惑ってものを考えろよな」
あ7ヽたい
などと悪態をつきながら、カイルロッドは氷漬けになった街中を走っていた。走りなが
ら、津波のような雪に向かって光を放った。その時は消えるのだが、すぐにまた別の雪が
集合体を作って、襲ってくる。
追いかけられながら、カイルロッドは全身の神経を集中させて、女王雪を探していた。
「この近くに必ず女王がいるはずだ」
しかし、どこにいるのか、それがわからない。カイルロッドに、グリユウほど鋭い五感
はない。「グリユウなら見つけ出せるだろうが」、しかし、そのグリユウは二日酔いであて
にならないのだから。仕方ない。
しよくしゆ
雪は津波ではカイルロッドを飲み込めないと判断したのか、今度は無数の触手となった。
その一つがカイルロッドの足首にからみついた。
「くっー」
すぐに蒸発させたが、前につんのめった拍子に、ポケットから白い珠が落ちた。
「あっ、ゲオルディ様からもらった・」
よみがえ
手を伸ばしたカイルロッドの脳裏に、ゲオルディの言葉が廷った。
この珠を探す時、目で探すなとゲオルディは言った。目に頼らずとも、探せると。
「……ああ、そうか」
あの時はさっぱりわからなかったが、訓練はこういう時のためのものだったのだ。ずっ
・・ h・
とわからなかった数式が解けたように、カイルロッドは破顔した。イルダーナフやゲオル
むだ
ディが教えてくれたことに、無駄なことはなにひとつなかったのだと、今さらのように知
った。
「そうだ。[日で見なくても探せるはずだ」
カイルロッドは立ち止まり、目を閉じるとゆっくりと呼吸を整えた。
あせ
焦っていた気持ちが落ちついてくる。世界が、カイルロッド自身が透明になっていく。
− 7.
立ち止まったカイルロッドの上に、再び津波になった雪が覆いかぶさったが、それらは
熱に触れたように溶けた。
まぷた
閉じた隙の奥になにかが見えた。
大きな雪の結晶。
地面の下に雪の結晶が、女王雪がいる。
「下かー」
ひぎ
冒を開き、カイルロッドは片膝をつくと、白い大地の上に両手を置いた。
そして、手の平に全神経を集中させた。
野望は暗閣の輿で
両手が金色に輝きだし、大地を覆っていた白い物が音をたてて蒸発した。
き..、レつ
現われた黒い地面に亀裂がはしる。
大地が一文字に割れ、そこから白い巨大な結晶が見えた。
女王雪に違いなかった。
が、見えたのはほんの一瞬で、それは高熱に溶かされ、蒸発した。
「・I・ふう」
ひたい   ぬく
亀裂の横で、カイルロッドは深呼吸し、額の汗を拭った。これでなんとか終わったはず
だ。顔を上げると、街を覆っていた雪が風に流されていくのが見えた。
「…ゲオルディ様とメディーナ、元気でいるかな」
二人の顔を思い出し、カイルロッドは白い珠を拾いあげ、それを手の平の上で転がした。
なつ
あの荒野での出来事が、ひどく懐かしく思い出された。
「イルダーナフもいたしな」
つぷや
呟き、カイルロッドは白い珠をしまった。それから、ミランシャとグリユウのいる所へ
走って戻った。
「王子!」
炎の檻を消して、ミランシャが振。返った。グリユウも振り返った。
「やっつけたのね」
「うん」
うなヂ
カイルロッドは領いた。
サーッと、砂が流れるよりも軽い音をたてて、雪が流れていった。女王を失い、街を覆
っていた写達が風に流されていく。統率を失い、いずれ死ぬだろう。
「あ、雪が流されていく」
「本当だ」
生き残った人々が外に出てきて、雪を見つめている。氷漬けになった人々と同じくらい
の数だろうか。
「あー、あんな魔物もいたなんてね」
ようやく安心したのか、ペタンと地面に両膝をつき、ミランシャが肺にたまっていた重
い空気を吐き出した。
「俺、なにもできなかった」
くや         にじ
カイルロッドとミランシャの前で、グリユウがうなだれた。悔しいのか、目に涙を渉ま
せている。
「なに言ってんの。ここで、あたしを守ってくれたじゃない。ありがとうね」
野望は暗閣の奥で
立ち上がったミランシャが笑顔で、グリユウの髪を一房、軽く引っ張った。確かにその
くちP、
とお。なので、カイルロッドも「そうだよ」と口添えすると、
「本当フ」
きげん                  かわいげ
グリユウはたちまち機嫌を直した。単純ではあるが、こういうところは可愛気がある。
なにはともあれ、雪は消えた。が、氷漬けの死体は残った。それがカイルロッドの気持
ちを重くしていた。
「そうだ、ヴァランナーヌを」
あわ
カイルロッドは慌てて、生き残った人々と死体の両方にヴァランチーヌを探したが、ど
ちらにも彼女の姿はなかった。それどころか、「ヴァランチーヌを知らないか?」と人々
に訊くと、
「そんな女は知らない」
「この衝にゃ住んでないぜ」
という返事だった。街の人が口を揃えて、昨日初めて酒場に現われた女だと言うのだ。
当然、家などない。昨日泊まった場所を言うと、
はいよく
「その家は廃屋だぜ」
不思議がられた。
「どうやら、またひっかけられたな」
うめ
街の通りの真ん中でカイルロッドが坤くと、ミランシャがうんざりした顔をした。
「じゃあ、ヴァランチーヌって、ムルトの手下だったのっ」
「らしいね」
くちぴる   ゆが
乱れた髪をかき上げ、カイルロッドは唇を大きく歪めた。「してやられた」、そんな舌打
ちしたい思いはあるものの、憎しみは薄かった。
てごわ
「手強い敵だったのは確かだな」
酔っていたとはいえ、グリユウがしがみつくほどだ。最初から最後まで、ヴァランチー
ヌからは啓のにじみでるような悪意も敵意も感じなかった。
「あれも魔物なのか  」
酒場で歌っていた姿は、どう見ても人間そのものだった。
だめ
「あたし達って駄目ね。まだ敵味方の区別がつかない」
ミランシャは自嘲した。が、それはカイルロッドも同じだった。
「まったくだ」
ぱくぜん      いだ
苦笑しながら、「またあの女に会うだろう」、カイルロッドは漠然とした予感を抱いてい
た。が、ミランシャには言わず、黙っていた。
227  野望は暗闇の奥で
まいそう
生き残った人々が、凍った人々の埋葬や後片付けを始めていた。その様子を見つめなが
ら、「俺は死神だな」、カイルロッドはきつく呂を閉じた。
その街で物資の調達をして、カイルロッド達はさらに北へと向かった。
「ミランシャ、いいのか? 探し物があるんだろう? もう引き返した方がいいんじゃな
いかフ」
たたか
ムルトとの闘いにミランシャを巻き込むことを恐れて、カイルロッドは別行動をとるよ
う何回も言ったのだが、
「ここまで付き合わせておいて、帰れって亭っの? ずいぶんとつれないことを言うじゃ
ないフ あたしは行くわよ。グリユウだっているんですもの」
ミランシャは最後まで付き合うと言い張って、ついてきた。言い出したら挺子でも動か
ないところがある娘だ。どうやらカイルロッドのことが心配でならないらしい。
「あ。がとう、ミランシャ」
巻き添えにすることを恐れながらも、ついてきてくれるというミランシャに、カイルロ
ッドは感謝した。そして、ミランシャだけはどんなことをしても助けようと、思った。
北へ、ムルトのいるタジェナ山脈へ。
黙々とカイルロッド達三人は歩き続けた。
しゆうげき
街を出てからの道中、カイルロッドが魔物に襲撃されることはなかった。フエルハーン
しかく
大神殿の刺客も、さすがにここまでは追ってこなかった。
ぷきみ
ムルトの不気味な沈黙に、カイルロッドはタジェナ山脈が近いことを痛感した。同様に
ただならぬものを感じているのか、ミランシャもダリユウも口数が減っていた。
lヰノもの
北へ進むにつれ、人も獣も見かけなくなっていく。一行が街に寄ることはなかった。そ
もそも、街そのものがなくなっていた。
雪と氷に閉ざされた大地 − 氷の平原をカイルロッド達は歩いていた。木々もなく、人
家もなく、ただ見渡す限りの氷の平原を歩きながら、カイルロッドは自分が途方もなく遠
い場所にきたことを感じていた。
故郷のルナンは遠く、石になった国を出てからもう何年もたったように思われた。
大勢の人に会い、別れた。ただムルトを倒すことだけを目的に歩いてきた。
「なんだか、人生の終わりみたいだな。これまでのことを振り返って、思い出しているな
んて」
身を切るような風にさらされながら、カイルロッドは小さく笑った。
まぎわ
死ぬ間際に、自分の人生が走馬灯のように思い出されるというが、今のカイルロッドも
野望は暗闇の奥で
さまぎま
そんな感じだった。一八年の様々な出来事が、出会った人々、別れた人々などが、次々と
脳裏をよぎる。
うば ちきよフだい
真っ先にサイードやダヤン・イフエの顔がうかんだ。乳母と乳兄弟のソルカンの顔も見
やみ          あわ   へぴ   ほlまえ
えた。ルナンの闇にいた吸血鬼、ユーリン、憐れな骨の蛇もいた。微笑んで死んだシャオ
あこが        してい
ロンと、ひそかに憧れていたメイリンの姉弟もいた。死んだら好きな人のところに行くの
だと、ハムは笑っていた。息子を返せと叫んだタジの母親の顔が忘れられない。
かせ     いせき              かがや
陽気で豪快な賞金稼ぎのレイブン、遺跡好きの青年は今日も新しい発見に目を輝かせて
いるだろう。
イルダーナフやエル・トパックはどうしているだろうか。
ののし
多くの人に会い、憎まれ、罵られ、ある時は絶望し、だが助けられてきた。
荒野で見た、母の夢が思い出された。
美しい世界を子供に見せてやりたい ー
みにく
少女のようなフィリオリがそう言った。世界は美しいだけでなく、醜いものも多い。だ
が、そのことを知るのも生きていればこそではないか。
「生きていてよかった」
カイルロッドは短剣を撮り締めていた。
生きてルナンへ帰るのだ。そうゲオルディとメディーナに約束した。
これまでのことを思い出しているのは、死ぬためではない、生きるためにだ。
「俺は生きて帰るぞ」
みす
カイルロッドは自分に言い聞かせ、真っすぐに前を見据えた。
いくつもの昼と夜が過ぎた。
その日、氷原はよく晴れた青い空を映し、美しい青に染まっていた。風もなく、空には
雲ひとつない。
・・・
世界は深く明るい青に彩られていた。
きれい
「綺麗だなぁ」
思わず立ち止まったカイルロッドの耳に、
「タジエナだ」
つふや
グリユウの呟きが聞こえた。
「タジェナだってP」
勢いよく振り返ったカイルロッドだが、山脈どころか雲ひとつ見えない。
グリユウの横へ行き、その視線を追ってみたが、やはりなにも見えない。いや、グリユ
ウには見えているが、カイルロッドには見えていないだけだ。
「あたしにも見えないけど」
とまど     あた
ミランシャが戸惑いながら、辺りを見回している。
「あそこだよ」
そんなミランシャのために、グリユウがタジェナを指差した。が、やはり見えない。
「タジェナ…・」
にら                っぷや
グリユウの差したところを睨みながら、カイルロッドは抑揚のない声で呟いた。
ムルトのいる山 −、見える者にしか見えない山。
「見えるはずだ」
カイルロッドは自分にそう言い聞かせた。ハムが言ったではないか、タジェナはあるの
だと。
「・・・ハム」
うっすらと呂に涙をうかべて見ていると、なにもない青い空に形がうきあがった。
しんき ろ・フ
蜃気楼のようだった。
りんかく
それがゆらめきながら、輪郭をはっきりさせていく。
「山だわー」
233  野望は暗闇の奥で
ミランシャが叫んだ。
目の前に巨大な山脈が出現した。
雪と氷で作られているように、白く光っている。
「タジェナ山脈だ。 ついにきたんだ」
あふ   なぜ
カイルロッドの目から涙が溢れた。何故、涙が出るのか、カイルロッド本人にもわから
なかった。
青い空を背にして、そびえる大山脈。
まぼろし              つ
姿を現わした幻の山の前で、カイルロッドはしばし立ち尽くしていた。
あとがき
どうも。
卵王子の五巻です。(順調に出ているのでありがたい)
つつ
最近、早いペースで文庫が出るので、あとがきが幸いです。(それでなくたってネタが
ないのに、短期間でそんなに書くことがあるわけがない)
「あとがきがうまらない」
ぎん
しばらくワープロの前で唸り続けるものの、やはり書くことがない。なにしろ、仕事三
まい
昧の日々。
困り果てた私は席を立ち、
「なんか、あとがきのネタはないかな〜?」
つぶや
呟きながら、机の斜め横でクルクルと独楽のように回っていると、後ろでバタッと、な
▼...−
にかが倒れる音が。なんだろうと思って振り返ると、妹が畳の上に倒れていました。
たげ
「頼むから、あとがきのネタにつまる度に踊らないでくれ」
泣かれました。(同室の悲劇というのでしょうか)
「お見せできないのが残念です」(妹談)
Iだそうです。
最近、いただく手紙に、
「本が見つからない。どうしたらいいんですかフ・」
という内容がいやに多くなりました。
見つからない場合、本屋さんに注文してください。届くまで少々時間がかかりますが、
それが二者確実です。(さもなくば、体力と気力を振り絞り、近場の本屋さんを手当たり
しだい
次第に探すとか)
それと、「絶対に返事を下さい」という手紙もありまして。
すいません。
1・・あ
忙しくて、返事はほとんど書けないと思います。(いただく手紙は皆、読んでます)
2  最後に。
イラストの田中久仁彦氏に御礼申し上げます。
では、次巻もよろしく。
冴木 忍拝