〈卵王子〉カイルロッドの苦難A
出会いは嵐の予感
lTlウ
冴木 忍
S
富士見ファンタジア文庫
32−4
口絵・本文イラスト 田中久仁彦
目 次
うたげ
こ早 無法者達の宴
二章 約束の地
三章 聖者はいざなう
四章 さよならのかわりに
あとがき
Fへ1直
出会いは嵐の予感
うたげ
一章 無法者達の宴
春とはいえ、夕薯になると風が冷たくなる。吹きつける風に、木々の枝葉が身買いする
ように震え、大きく揺れていた。
「今夜は冷えこみそうだぜ」
なが                つぷや
ガタガタと鳴る窓の外を眺めながら、黒髪の大男イルダーナフが楽しそうに呟いた。安
とぴらにぎ
宿で立て付けが悪いのか、風が吹きつけるたびに窓と扉が賑やかに鳴る。
「冷えるとか言って、酒場に行く口実にするんじゃないだろうな」
あおむ             くぎ
ベッドに仰向けになっているカイルロッドが釘を刺すと、イルダーナフは黙って耳の裏
はんかがい
を掻いた。どうやらそのつもりだったらしい。「だから繁華街の真ん中の宿をとったんだ
あき
な」、酒好きには呆れた。
のき つろ
通りの向かいには酒場が軒を連ねており、そろそろ店に灯がともる時刻だ。夜の到来と
ともに眠っていた繁華街は目覚める。
おい
「酒飲みって、なにかと口実をつくっては飲みたがるのよね。そんなに美味しいのヱ
日没とともに気温が下がってきたので、暖炉で火をおこしながら、ミランシャが顔だけ
動かした。
おれ
「俺は美味しいと思ったことはないな」
グラス・杯で酔うミランシャと、飲めば底無しでも、酒は好きでないカイルロッドが、
互いにどうも理解できないという表情で、「ねぇっ」と目くぼせを交わした。
若い二人に首を傾げられ、イルダーナフは日だけで笑った。
「酒の味がわからないってぇのは、二人ともまだ子供って証拠だな」
さも年長ぶった物言いに、カイルロットとミランシャの二人が口をそろえて「子供じゃ
ない」と反発したが、「それ、そういうところが子供だってぇの」と、鼻先でせせら笑わ
れただけだった。正確な年齢は不明だが、四〇代後半から五〇代前半と思われるイルダー
ナフから見れば、二人など尻に殻をつけたひよこ同然だろう。
「すぐ子供扱いするの、やめてほしいわ。あたしはもう大人なんだから」
はは かく
ミランシャが不満そうに頬を膨らませ、イルダーナフは楽しそうな笑い声をたてた。
出会いは嵐の予感
なつ
「子供の時は大人のふりをしたが。、大人になると子供時代を懐かしむんだとよ」
「イルダーナフもっ」
しんしん
興味津々にカイルロッドが訊くと、
「俺は過ぎたことにゃ興味はねぇ」
たいせつ
素っ気ない声が戻ってきた。過ぎた昨日よ。、今日と明日の方が大切だと、黒い目が雄
弁に語っていた。若者とは言えない年齢であってもそう言い切る姿勢に、カイルロッドは
尊敬の念を抱いた。
なか
「それよ。も、ねぇ、お腹すかない? 早く食べに行き致しょうよ。お酒よ。食事が先よ。
今日はだいぶ歩いたから、お腹がすいちゃった」
いろけ  くいけ          さいモく
色気よ。食気のミランシャが食事を催促し、イルターナフは「やっぱりまだ子供だ」と
言いたげに肩を震わせた。
「よし。それじゃ、下に行って食事するか」
とぴら              あおむ
イルダーナフとミランシャが扉に向かう姿を見ながら、カイルロッドは仰向けのまま、
手足をハタハタさせていた。
「こ・なにをしてるのフ」
けげん   まゆ
ミランシャが怪訝そうに眉を寄せた。
からだ
「・・・筋肉痛で身体が動かないんだ」
懸命に起き上がろうとしているのだが、手足の筋肉が突っ張り、全身がギシギシと乱ん
かめ
で、思うように動かせない。自由に動くのは日ぐらいだ。「まるでひっくり返された亀だ」、
じぎやく  つぶや
自虐的に呟いたカイルロッドに、二人の冷たい視線が注がれた。
たんれん
「情けねぇなぁ。あれぐらいで筋肉痛になるなんざ、日頃の鍛練がなってねぇ証拠だぜ」
「あたしだって平気なのに」
なんじやく
「育ちのいい坊やってのは、軟弱で困るぜ」
「生まれてから、スプーンより重い物を持ったことがないんじゃないのっ」
扉の前で二人が好き勝手なことを言っているのを聞きながら、
おれ
「そりゃ、イルダーナフとミランシャは疲れたら、俺の背中に乗って休んでいたんだから、
楽でいいよ。筋肉痛になるわけがない。でも、俺は背中に重い荷物をくくりつけられ、ず
っと歩いていたんだぞ。休息もなしに−」
やっと上半身を起こしたカイルロッドが強い調子で噛みつノ、と、一人が調子を合わせて
「まるで覚えがない」とすっとぼけた。
つごう
「都合の悪いことはすぐに忘れるんだな」
にら                       ひんぽん
交互に二人を睨みつけ、カイルロッドは唸った。「荷物運びに便利」という理由で頻繁
出会いは嵐の予感
に馬にされ、荷物ばか。かイルダーナフやミランシャまで背中に乗せて、休みなく歩かさ
れていたのだ。全身筋肉痛になっても少しもおかしくない。おまけに馬になったとたん、
扱いまで馬になるのだ。
「俺は馬に同情するぞ。馬といえど、こき使うのはよくない。馬だって疲れるんだ」
おおまた
馬の立場を力説するカイルロッドに、イルダーナフが大股で歩み寄って来た。
ごと
「あのな、王子。いい若い者がうだうだと泣き言並べるもんじゃねぇよ。そういう男は女
にもてねぇぜ。それにな、馬に文句を言う権利はないんだぜ」
そして大真面目な顔で、バンとカイルロッドの両肩を叩いた。
「   一   日」
ひめい               しようげき
カイルロッドは声にならない悲鳴をあげ、硬直した。全身の筋肉が衝撃で引きつ。、そ
のままベッドに逆戻。してしまった。
「馬が大変だって亭つけど、足が四本なんだから、歩くのは楽なんじゃないのヱ
「…楽なら全身筋肉痛なんかにならないよ、ミランシャ」
むじやき
無邪気なミランシャの声に、カイルロッドは起き上がる気力を失った。「この二人も一
つら
度、鳥になって荷物運びをしてみればいいんだ」、そうすればあの辛さがわかるだろう。
もっとも、イルダーナフなら軽々と運びそうだが。
またもひっくり返った亀になったカイルロッドを、ミランシャとイルダーナフはしばら
1.・..
く眺めていたが、これは起き上がるまで時間がかかると判断したらしノ\
「それじゃ、先に行ってるわね」
「早く来いよ、遅いと食事抜きになるぜ」
声だけかけて、さっさと食事に行ってしまった。
はくじよヱノもの
「この薄情者っ!」
どな
二つの足音が階段を下りていくのを聞きながら、カイルロッドは怒鳴ったが、引き返し
てんびん
て来る音はしなかった。カイルロッドと食事を天秤にかけると、あの二人の場合、食事に
大きく傾くようだ。
「つ、冷たい  」
たきぎ
ベッドの上でいじけていると、パテパチと薪のはじける音がいやに大きく聞こえた。二
人がいなくなったせいだろう。狭い部屋も広く感じられる。
にぎ
前の通りから人々の声や賑やかな音楽が流れてくる。それらに耳を傾けながら、カイル
ロッドは少しの問、ぼんやりしていた。
北にムルトがいると言われ、それを信じて街道を北へ進んでから、七日が過ぎた。が、
うわさ
まだムルトの噂すら耳にしていない。
出会いは嵐の予感
まどうし
「魔道士ムルトか」
っら                       なぞ
しかめっ面でカイルロッドは独白した。知名度に反して、その実体は謎という魔道士を
じゆばく        まぷた
探し出し、石になった故郷を呪縛から解き放ちたい。瞼の裏に、石になったルナンの風景
と人々の姿が浮かんだ。
急がなくてはいけないのに、まだ手がか。のひとつも見つからない。そう思うと、意味
もなく動き回。、大声を出したいような衝動にかられる。
そして、その騒ぎに顔も名前も知らない実父が関わっているということが、いっそうカ
いらだ
イルロッドの神経を苛立たせた。
心の中に広が。つつある暗雲を振り払うように、勢いよくカイルロッドは起き上がった。
あせ
本当に恐ろしいのはムルトより、自分の内部の焦りや絶望だ。もし、一人だったら、焦燥
むしは                ごうかい
と苛立ちに耐えられず、精神を蝕まれていたかもしれない。イルダーナフの豪快さと強さ
に、ミランシャの明るさと気丈さに、どれだけ救われていることか。それを考えると、二
人には感謝しなくてはならないじ
いじわる
「たとえ、意地悪で薄情でも…」
食いしばった歯の問から声を押し出し、カイルロッドは苦労してベッドから下りた。こ
のままでは本当に食事抜きになってしまう。
「食事をとっといてくれるわけないもんな」
、′h
髪を束ねようとしたが、指がつって動かない。仕方なくそのままで、壁に手をつきなが
われ
らよたよたと移動し、部屋の外に出た。我ながら情けない姿だと思った。
てす
手摺りにもたれるようにして階段を下り、カイルロッドが食堂に顔を出すと、
「よぉ。思ったより早かったなぁ」
おい
「これ、美味しいわよ」
奥のテーブルで食事をとっている二人が手を振った。
一階すべてが食堂兼酒場になっているので、かなり広く、席も多い。その大部分が空席
ちゆうとはんば
なのは、食事をとるにも酒を飲むにもまだ少し早い、中途半端な時間だからだろう。イル
ダーナフとミランシャの他に、客が三人いるだけだった。
ひぎ
カイルロッドは足を引きずって、二人のいるテーブルに歩いていった。膝がガクガタと
笑っている。
「苦労してるみてぇだな」
おれ      おもしろ
グラス片手に、イルダーナフが笑った。「俺の不幸を心底面白がってるな」、心の中でぼ
すわ          つまきき
やきながら、苦労してミランシャの隣りに座ったカイルロッドの爪先に、なにか固い物が
出会いは嵐の予感
13
lナげん         のぞ  カlちさかぴん
ぶつかった。怪訝な顔でテーブルの下を覗くと、空の酒瓶が七本、隠すように置かれてい
た。
「もうこんなに飲んでいたのか」
あき
カイルロッドは呆れ顔になった。テーブルに酒瓶が一本しかないので、たいして飲んで
ゆか
いないと思ったのは甘かった。この調子では時間とともに空瓶の数が増え、そのうち床は
lJりと
足の踏み場もなくなるだろう。カイルロッドは苦笑して、空の酒瓶を爪先で蹴飛ばした。
「そう。水でも飲むみたいに飲むのよ。あれで味なんかわかるわけないわよ。いっそ、水
を飲んでいればいいのに」
魚の切。身にフォークを突き刺し、ミランシャが聞こえよがしに声をあげた。
「手厳しいねぇ」
まゆ
イルターナフはおどけたように太い層を動かし、
まヂ
「それなら、ミランシャも飲んでみちゃどうだっ うまいか不味いか、さ。三人もいるの
に、一人で飲むってぇのは味気ねぇ。だからといつ一て、男同士ってのもつまらねぇからな。
かわい     いつしよ
どうせなら、可愛い女の子と一緒に飲みてぇぜ。せっかく近くにいるんだしよ。そうすり
ゃ、酒も格別うまくなるってもんだ」
人なつこく笑い、片目をつぶる。「可愛い女の子」とおだてられ、ミランシャの表情が
一変した。
「そうフ じゃ、飲んでみようかな」
「よしよし。ほら、グイッといけよ」
よからぬことを教える非行少年のような調子でイルダーナフが差し出したグラスを、カ
あわ
イルロッドは慌ててひったくった。
きけぐせ
「待て! ミランシャは酒癖が悪いんだー」
「いいじゃねぇか、酒癖が悪いくらい。一人で飲むんじゃねぇんだから。若いくせに堅い
ねぇ、おまえさん」
じやま          ぷつちようづち
楽しみを邪魔され、イルダーナフが仏頂面になった。
だめ
「駄目なものは駄目。そうだろう、ミランシャ」
ぎようし      きよよノはノ、
グラスを空にして、カイルロッドは光る青い日で、ミランシャを凝視した。まるで脅迫
のようだが、なんと言われようと、ミランシャに酒を飲ませるわけにはいかない。本人の
ためにも、カイルロッドのためにも。それに、イルダーナフにミランシャの「脱ぎ癖」を
おもしろ
知られたら、これから面白がって飲ますに決まっている。それが一番困るのだ。
「あ、あのね、イルターナフ。あたし、酔うと暴れるらしいの。だからお酒は駄目なの」
にら
青い目に睨まれ、ルナンでの空白の一夜を思い出したのか、ミランシャは胸の前で両手
出会いは嵐の予感
を小さく動かし、うつむいた。「暴れ癖があると聞けば、いくらなんでも引き下がるだろ
う」、そうカイルロッドは思ったのだが、イルダーナフには通用しなかった。
おもしれ
「そ。や面自え、ぜひとも飲んでほしいもんだ」
今度はグラスでなく、酒瓶ごとミランシャの前に差し出した。
「暴れたら、俺がどうにかしてやるからよ」
「  イルダーナフ」
なんでも面白がる男を、カイルロッドとミランシャが据わった目で睨んだ。「人の気も
知らないで」とミランシャがぼやき、カイルロッドは心の中で「まったくだ」と力一杯
うなず
領いた。
けんのん まなぎ                     ひたい
若者二人の剣呑な眼差しに、イルターナフは広い肩をすくめた。そして額に手をあてる
ひそ・フ
と、突然、悲愴ぶった口調になった。
せんきい
「若いのが二人がか。で、おじさんをいじめないでくれよな。こう見えても、俺は繊細な
神経をしているんだぜ。せっかく世代をこえた親交を深めようとしてるのに、理解しても
かわいそう                      みのが
らえねぇなんざ、可哀相だと思わねぇか? 思うよな。だったら、深酒ぐらい見逃してく
れるよなぁ」
指の間からチラリとカイルロッドを見、
「朝には帰って来るからよ」
反対の手を前に出した。その手には皮袋が握られていた。見覚えのあるそれに、カイル
あわ  ふところ
ロッドは慌てて懐をさぐり、あるはずの物がなくなっていることを知った。
「いつの間にー それは旅費だぞー」
すごうで     みよう
この凄腕の剣士には妙な特技が多く、人の懐から金をすり取るというのも、そのひとつ
だ。旅費を取り返そうとして伸ばしたカイルロッドの手を、パンッとイルダーナフが払い
のける。
「イルダーナフ。それがないと困るんだ。宿代だってまだ払っていないんだから」
叩かれてひりひりと痛む手をさすり、カイルロッドは宿屋の人間に聞こえないよう、声
ばつとう
をひそめた。ミランシャはなにも聞こえないふりで、食事に没頭している。
「心配するな、こいつを元金に増やしてやるから」
「嘘つけ! そう言って何度も酒代にしたくせに−」
すね
立ち上がったカイルロットの脛を、澄ました顔でイルダーナフが蹴とばした。
、.
ふだん                          っら
普段であればよろめく程度だろうが、筋肉痛で立ったり座ったりも辛いところをやられ
いす
たのだ。カイルロッドは踏みとどまれず、椅子ごと後ろに倒れた。ガターンという大きな
出会いは嵐の予感
音が、店内に響き、客が驚いた顔を向けた。
「いかんなぁ。その若さで人間不信とは」
からかうような声が遠ざかっていく。
り.
「誰のせいだと思っているんだ  」
とぴら
カイルロッドが起き上がった時、すでにイルダーナフの姿はなく、扉の閉まる音だけが
づばや
聞こえた。巨躯に似合わず、実に素早い男である。
「うまく逃げられたわね」
「どうして止めてくれないんだ、ミランシャー全財産を持っていかれたんだぞ!」
「止められると思っているのフ」
ぬぐ          つか
食事を終え、ミランシャは悟りきったような顔で口元を拭った。テーブルの緑に掴まり
ながら、カイルロッドは肩を落とした。旅に出てからというもの、金の苦労ばかりしてい
るような気がする。
「・このままじゃ、皿洗いだ」
ひじ          なげ
座り直し、テーブルに両肘をついてカイルロッドが嘆いていると、扉の聞く音がした。
乱暴に扉を開け、必要以上に大きな足音をたてた男達が四人、扇をいからせて入って来
た。四人ともまだ若く、せいぜい二〇歳を一つ二つ出たぐらいだろうが、暴力的な雰囲気
を身にまとっている。
注文をとりに奥から出た中年女性が、四人を見ると奥に引っこみ、すぐに手に布袋を持
って出て来た。
「なに、あの人達」
布袋を渡して、何回も頭を下げている中年女性と、それを当然のように受けている四人
を横目で見、ミランシャが声をひそめた。
「どこにでもいる街のゴロツキだな。売り上げの何割かを、吸い取られているらしい」
やはり声を低くして、カイルロッド。あの四人は街の顔役の便いっぱしり、仕切ってい
むし
る組織の下っ端というところだろう。どんな街にでも、こういう手合いはいるものだ。虫
酸のはしるような連中だが、その街にはその街の事情がある。ここがルナンならともかく、
けんめい                 いそ
部外者は知らん顔しているのが賢明だ。他の客も知らぬ顔で、食事と談笑に勤しんでいる。
「知らん顔してればいいさ」
つぶや                 こわ
気楽に呟いたカイルロッドの横で、ミランシャが顔を強ばらせた。視線の先を追うと、
げぴ
ゴロッキ四人がいて、下卑た笑いをはりつけてこちらに近づいて来るではないか。
かわい
「可愛い娘じゃねぇか」
ねえ
「姉ちゃん、今夜、付き合えよ」
出会いは嵐の予感
そして、ミランシャにからみ出した。これでは知らん顔もできない。
「人の連れに気やすく声をかけないでほしいな」
っら                おさ こわね
筋肉痛の辛さをこらえて立ち上が。、カイルロッドが抑えた声音で注意すると、四人の
なぐ
中で一番体格のいい男が、問答無用で殴。かかってきた。
あぶ
「危ないー」
かんだか                      こぶし
甲高いミランシャの声を聞きながら、カイルロッドは顔だけ動かして拳をかわし、同時
ひぎ
に右膝を男の腹部にめ。こませた。
「ぐえっ!」
からだ            ゆか
奇怪な声をあげ、男は身体をくの字に折り、そのまま床に膝をついて転がった。ロから
泡を吹き、白目を剥いていた。
「…・まずかったな」
けいれん
痙攣している男を見下ろし、カイルロッドは口元をおさえた。殴られてやればよかった
ふl′ノん
のかもしれないが、考えるより先に身体が動いてしまった。おまけに、筋肉痛で加減がで
きなくなっている。
「すまない。反撃するつもりは ・」
なかったと、言いかけた時、
「てめぇー」
のば       ほうこう          めちやくちや
仲間を倒され、頭に血がLつた長身の男が、砲埠をあげて突進してきた。目茶苦茶に腕
.・H
を振り回しながら、意味不明の一岩葉を大量の唾とともに吐き出している。
あやま
「謝っているじゃないかー」
さけ
避けながらカイルロッドは叫んだが、そんな言葉はまるで耳に入っていない。
「手負いの獣じゃあるまいしー」
鋭く舌打ちして、カイルロットは男に後ろ姿を見せた。「逃げるのかl」、ここぞとばか
りに男が飛び出した。カイルロットの青い目がスッと細まる。
男が間合いに入った瞬間、左脚を軸にして、身体ごと右脚を回転させた。しなった脚が、
男の顔をとらえた。スピードもバランスも申し分のない回し蹴りだった。
あご   にぶ          ちゆう        えが
顎の砕ける鈍い音とともに、男の身体が宙に浮き、そのまま弧を描いて床に落ちた。重
..・       ・h、.
い物が床に落ちる昔と、瓶や皿の割れる派手な音が店内に響きわたった。
マご
「凄いわ、カイルロッド! こんなに強いなんて知らなかったー」
いんうつ
顔を紅潮させたミランシャが、駆け寄って来た。が、カイルロッドは陰鬱な表情で、色
違いの髪をいじくっていた。
「野郎っー 生きてこの店を出られると思うなよー」
予想どおり、残った一大が手にナイフを持って吠えた。目が血走っている。どうやら、
おとなしく引き下がってもらえないようだ。
「騒ぎを起こしたくなかったんだけどな」、カイルロッドは音のないため息をついた。
2
ひめしl                    とぴら
細く長い悲鳴をあげながら、投げ飛ばされた最後の一人が、勢いよく扉をぶち破った。
「これて終わり」
扉ごと地面に叩きつけられた膏を背中で聞きながら、カイルロッドは長い息を吐いて、
いす        さかぴん
店内を見回した。乱闘の舞台となった店内は倒れたテーブルや椅子が散乱し、割れた酒瓶
ゆか
とグラスの破片が床の上でキラキラと光っている。そして、その上に、三人のコロッキが
だらしなくのびていた。
「なによ、口ほどにもないじゃないの」
いちべつ                めんつ
転がっている男達を這目し、ミランシャが鼻で笑った。意地と面子をかけてカイルロッ
ドを半殺しにしようとした四人は、ものの数分とかからずに、あっけなく返り討ちにされ
てしまった。
けんか        だめ
「でも、意外よね。長剣はへただし、育ちがいいから、喧嘩なんかまるっきり駄目だと思
出会いは鼠の予感
ってたのに」
そつちよく                       つわもの
率直なミランシャの感想に、カイルロッドは苦笑いした。剣と体術にかけては強者のダ
ちせつ
ヤノ・イフ工が教育係だったのだ。長剣は「あまりに稚拙」と見捨てられたが、かわ。に
短剣と体術はみっちりと仕込まれている。ゴロツキ程度では相手にならない。
「強いなぁ、あの若いの」
「けど、後が大変だ」
うかが       あわ
小動物が嵐を避けて巣穴に寵もるように、物陰に隠れて様子を窺っていた客達が、憐れ
まなざ
むような眼差しをカイルロッドとミランシャの二人に向けた。
「一l一己いたいことがあるなら、こそこそしないで、堂々と言いなさいよー」
にら  Hとな
耳ざとく聞きつけたミランシャが客達を睨んで怒鳴りつけた時、
「ちょっと、あんたー なんてことをしてくれたんだい−」
けつそう
やは。奥に避難していた中年女性が、血相を変えて出て来た。あの四人に金を渡してい
た女だ。髪をかきむし。ながら、高い靴薯をたててやって来る。そして、カイルロッドの
前に立つと、真下から指を突きつけた。
「あ、あの・」
わけ
「お黙。っー言い訳なんか聞きたくないよー まったくとんでもないことをしてくれた
もんだー旅人のあんたは知らないかもしれないが、あの四人はこの街を仕切っているツ
アオ一族の身内なんだーそいつらを半殺しにしたなんて知られたら、ただじゃすまない
よー あんたらだけじゃなく、あたしらだって迷惑するんだからね1」
すご
カイルロッドやミランシャに口をはさむ余地も与えず、もの凄い早口でまくしたてた。
文句をぶつけられているカイルロッドは、その早目と勢いに閉口し、ただ目を真ん丸にし
ているだけだった。
やくぴよヱノがみ
「とんだ疫病神を客にしちまったー」
ひとしきり文句を並べた後、中年女性が憎々しげに吐き捨てると、それまでしかめっ面
りゆよノぴ         かんにんぷくろお
をしていた主フンシャの柳眉が連立った。ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。パンツ、と
床を踏み、
「ちょっと、えらい言い種じゃないー それじゃなにフ・ツァオ一族の身内だかなんだか
、フれ
知らないけど、あんな礼儀知らずな連中にからまれて、にこにこ嬉しそうに笑っていろっ
て言うのフ ふざけないでよー 客に文句をつける前に、自分達の対応を反省したらどう
なのー 仮にも客商売しているなら、客に迷惑をかけないように処理するのは、その店の
責任じゃないー」
負けじとミランシャが早口で反撃した。その迫力にカイルロッドは目をパナパチさせ、
出会いは嵐の予感
正論をぶつけられた中年女性は一瞬、返す言葉を失った。
「・ だいたいね」
一息つき、ミランシャは再び激しい口調で、言葉を吐き出した。
「そんなに騒ぎにしたくなかったのなら、さっさと止めればよかったんだわ! それをカ
イルロッドがあの四人をやっつけるまで、あんたはなにをしていたのよけ 奥に逃げてた
だけじゃない。安全な場所に隠れて、ただ見ていただけじゃないの! 安全な場所からた
たたカ
だ見ていただけの人間なんかに、闘っていた人間を非難する権利も資格もないわ1」
少女の手厳しい指摘に、客達がこそこそと店の外に逃げだした。中年女性は顔を真っ赤
にし、全身をわななかせていたが、
「で、出て行け1 ツァオの連中が仕返しに来る前に、さっさと出て行っとくれー」
とぴらはず  でいりぐち
床を踏みならし、扉の外れた出入口を指差した。そこには店内の騒ぎに気がついた人々
のぞ
が群が。、興味深そうに中を覗いていた。
「言われなくたって出て行くわよ、こんな宿−」
どな           ぼうぜん
相手よ。大きな声で怒鳴り返すと、ミランシャは茫然と二人を見ていたカイルロッドの
つか
腕を掴んで、足早に歩き出した。
「ちょっ、ちょっと、ミランシャ」
ろつばい
引っ張られながら、カイルロッドは狼狽していた。出て行くと言うが、部屋に荷物が残
っているし、二人ともいなくなっては、イルダーナフが帰ってきた時に困るだろう。
「荷物が離岸にあるんだぞ。それに、イルダーナフが帰ってきたら…こ」
「荷物なんか宿代がわりにくれてやるわー イルダーナフなら、簡単にあたし達を見つけ
るわよー」
ぜhソh           やじょノま
投げやりな言葉を捨て台詞に、ミランシャは群がる野次馬を押しのけて、外に出た。
「また野宿か  」
おもしろ
正直なところ、カイルロッドはげんなりした。野宿が面白かったのは最初だけで、地面
からだ こわ
に寝ると身体は強ばる、虫には刺される、おまけにろくな物が食べられない。しかし、ど
わめ
う喚いたところで全財産をイルダーナフに持っていかれた以上、宿には泊まれない。また、
ぱ たた
仮に金を持っていたとしても、街の支配者ツァオの下っ端を叩きのめしたと知られたら、
どこの宿屋も泊めてくれないかもしれない。
「ツァオの下っ端を叩きのめしたんだって」
かわいそう                ねら
「可哀相に。あの二人、この街にいる限り、狙われるぜ」
「早く出て行くしかねぇな」
ささや         みlす′ん しわ              ぎゆたノじ
野次馬達の囁きを、カイルロッドは眉間に駿を寄せて聞いていた。この街を牛耳ってい
出会し、は鼠の予感
るツァオ一族の力がどれほどのものか、部外者のカイルロッドには計り知ることができな
めんどう
い。だが、面倒な連中を敵にしたことは確からしい。
やつかい
「厄介なことにならなければいいが」
つぶや  はんかがし− にぎ
祈るようなカイルロッドの呟きは、繁華街の賑わいにかき消されて、ミランシャの耳に
は届かなかった。
やみ
外は闇が広がり、これからいよいよ濃くなろうとしていた。街は夜の顔に化粧をし、眠
あか  きようせいも
りから覚めた店々から灯りと婦声が洩れていた。押し寄せる圧倒的な闇を払おうとする繁
きまぎま
華徳の灯。の間を、様々な男女が行き交う。
かつしよく             よ・フlぎう           ぶえんりよ
夜でも、褐色の肌に銀髪というカイルロッドの容貌は目立つ。すれ違う男女の無遠慮な
視線と噴きに、カイルロッドは心の中で舌打ちした。
「ターバンだけでも取ってくるんだった」
今から宿屋に引き返すわけにもいかず、ターバンを置いてきたことが悔やまれた。
しばらく二人はおし黙ったまま、繁華街を漂っていた。
「人がまるで魚のようだ」
笑いさざめきながら通りすぎる人々を見て、カイルロッドはそう思った。
色鮮やかなドレスを着た熱帯魚のような女達の間を、大きな色ノにも似た男達が流れてい
く0
あや
ゆらゆらと揺れる灯りの海を、魚のように泳いでいく男女の影はひどく危ういものに見
おぽ
えた。人々だけでなく、繁華街そのものが騰ろで頼りなく感じられるのは、毒々しい華や
きようせい                                    しんき
かさも矯声も、交わされる愛も嘘も、すべてが夜明けとともに消えていく、夜だけの蜃気
楼だからだろう。
はヂ
繁華街の外れまで来た頃、先を歩いていたミランシャが、細い路地の入り口でふいに育
ち止まった。
「ここ・・ミランシャ?」
のぞ                  くちぴる
心配してカイルロッドが顔を覗きこむと、ミランシャは目に涙をため、唇をきつく噛み
しめていた。
「 こ女なんてつまらない。あんな連中にからまねても、どうすることもできないんだも
くや
の。あたしが男で、カイルロッドやイルダーナフぐらい強かったら、きっとこんな悔しい
思いをしないですむのに」
いきどお
憤った声は低く、かすかに震えていた。路地の奥にある酒場から、けたたましい笑い声
をあげて三人の女達が出て来た。
出会いは嵐の予感
おれ
「・俺は女性じゃないから、そういう気持ちはよくわからないけど…・」
すれ違った女達の、むせるような香水の匂いに顔をしかめ、
「男でも女でも、強くても  どんな人間でも、悔しいことっていっぱいあるんじゃない
かなフ」
あご                      だれ
カイルロッドは顎に手を当てて、大通。を行き交う男女を見やった。誰もが笑っている
うれ
が、本当に楽しノ、て嬉しくて笑っているとは限らない。辛くて、苦しノ、て、それでも笑っ
ている人や、あま。に悲しくて笑うしかない人だっているはずだ。
「俺もね、これでも結構、悔しい思いをしてきたんだぜ」
明るく笑いとばすと、ハッと息をのむ膏がして、ミランシャが顔を上げた。店から洩れ
る幻。に照らされた顔には、同情と罪悪感の入。混じった複雑な表情が浮かんでいた。
「そんな表情で見ないでくれ。悔しい思いはしたけれど、不孝だったなんて思ったことは
ないんだから」
かし
囲ったように少し首を傾げ、カイルロッドは微笑した。不幸だと思ったことはない。い
や、不幸になってはいけないと、ずっと自分に言い聞かせていた。「俺には辛せになる義
いのちが
務がある」、カイルロットはそう思っている。生きて幸せにならなければ、命懸けで産ん
じっし                      わけ
でくれた母と、実子でもないのに一八年間も育ててくれた父に申し訳ないではないか。
じんじよう
ミランシャは少しの間、尋常でない生い立ちの王子を見つめていたが、
「……そうよね。強いとかそんなこと、関係ないわね。生きていれば、誰だって悔しい思
いはするものね。世の中なんて、思いどおりにならないことの方が多いんだもの。つまら
ぐち
ない愚痴をこぼして、ごめんね」
くつたく             ぬぐ
いつもの屈託のない調子で言い、目元を拭った。
「さぁ、今晩は野宿よ。早く繁華街を出ましょう」
そして、明るい笑顔を見せて歩き出した。カイルロッドは小さく微笑して、ミランシャ
の横に並んだ。
あか
人の流れに逆らって進むうちに、少しずつ灯りと人が減り、気がつくとカイルロッド達
ひとけ    さぴ
は繁華街を抜けて、人気のない淋しい場所に出た。
こうや
まるで荒野のようだった。人家らしきものは一軒もなく、生命が芽吹く春だというのに、
ぼひよう                   にぎ
薬の一枚もない立ち枯れた木々の影は、墓標のように見えた。時々、繁華街の方向から賑
ぶきみ             ふくろう
やかな音が聞こえる他は、不気味なはどの静けさに包まれ、桑の鳴き声の他にはなにも聞
こえない。
「なんか気味の悪い場所ね」
つぷや     じゆもん とな
気丈なミランシャも、いささか気味悪そうに呟き、それから呪文を唱えた。
出会いは嵐の予感
ほたるぴ
ポウツと、蛍火のような小さな火が七つ、宙にふわふわと漂った。それを見ながら、
−・
「今夜はここで野宿か。それじゃ、俺は焚火用の小枝を拾って来るよ」
短剣を取。出して歩き出すと、蛍火がふたつ、カイルロッドの横についてきたっ足元と
周囲がほのかに明るくなった。
「あ。がとう」
振。向いて、カイルロッドが礼を言うと、
まいご
「迷子にならないでね」
冗談だか本気だかわからない口調で、ミランシャが手を振った。
「俺よ。年下のくせに、年上ぶるんだよな」
やわ
女の子はよくわからない。ぷつぷつ言いながら歩いていると、なにか柔らかい物を踏み
つけた。反射的にカイルロットは飛びすさ。、短剣を構えた。
「・・う  」
人間の坤き声がして、カイルロッドは警戒しながら目をこらして足元を見た。人間が倒
れている。
「こんな場所にフ」
けが
蛍火に照らされたのはまだ若い男で、よくよく見るとあちこちに怪我をしていた。
「もしもし。生きてますかフ」
横に屈みこんで、カイルロッドは声をかけてみた。
「  はい  」
消えいりそうにか細い返事が戻ってきた。
3
「小枝だけじゃなくて、怪我人まで拾って来たのフ」
あき
焚火の前に横たわっている男を見て、ミランシャが呆れたように頭を横に振った。
「だって、怪我してるし。知らん顔もできないだろ」
拾った男の規則正しい寝恩を聞きながら、カイルロッドは苦笑いした。あの後、色々と
しっしん
話しかけてみたのだが、すぐに失神してしまい、一芸だ名前すら聞いてない。
はのお
中肉中背で、炎に照らされた顔はまだ若ノ\ せいぜい二〇代前半だろう。おとなしそう
あぎ
な顔は痕や傷だらけで、削げた頬には濃い影ができている。
l,んみ     Jくろだた
「とう見ても、大勢と喧嘩したとか、袋叩きにあったっていう様子よね」
というミランシャの憲見に、カイルロッドもほぼ同感だった。おそらノ、袋叩きにあった
というのが正しいのではないかと思う。
3 出会いは風の予感
カイルロッドは男の右手をとって、
きやしや
「この男は荒っぽいことに不慣れな人間だよ。華著で形のいい事をしている。剣を持つ人
間の手じゃない。ペンを持つ人間だ。指にたこができている」
ミランシャに見せた。
「育ちがいいわけね。でも、そんな人がどうしてっ」
「さあ。それは本人に訊いてみないと」
眠っている男の顔を見ながら、カイルロッドはため息をついた。助けたはいいが、こち
に′ノ
らも街の支配者ツァオに睨まれている。かえって迷惑をかけることにな。はしないだろう
か一一その不安があった。
だいじようぷ
1大丈夫、なんとかなるわ」
なぐさ
不安がそのまま顔に出ていたのか、ミランシャが慰めるように明るく笑って、カイルロ
ッドの背中を軽く叩いた。不思議なもので、イルダーナフやミランシャに「大丈夫」と言
・.J..
われると、本当に大丈夫な気がしてくる。カイルロッドは素直に領いた。
「それよ。も、夜が明けたら、さっさとこの街を出た方がいいな」
「問題はイルダーナフよね。でも、あのおじさんのことだから、あたし達が街を出ても、
すぐに追いついて来ると思うわ」
「ありうるな」
笑いながら火に枝をくべようとしていたカイルロッドが、その手を止めた。
「王子?」
みよう
「妙な連中がいる」
すばや
鋭く言い、カイルロッドは素早く火を消して、眠っている男を背負った。ミランシャも
あわ
慌てて立ち上がった。
やみ     けけい
闇の中に人の気配がある。
さつき
一人二人ではない。少なくとも七、八人はいるだろう。貫骨な敵意と殺気が伝わり、そ
れが少しずつ、おし迫ってくる。
「ツァオの連中だろうか」
他に思いあたるふしはない。背中から男が落ちないよう片手でおさえ、カイルロッドは
短剣を構えた。ミランシャと怪我人がいることを考えれば、逃げるのがまず最良の策なの
だが、おそらくすてに周りを取り囲まれているはずだ。
たたか
「どこまで闘えるかな」
カイルロッドは独白した。叢喪の場合でも、ミランシャとこの男だけは助けなくてはな
らない。
出会いは風の予感
ぽうちよう
息の詰まるような沈黙の車で殺気と緊張が膨張し、肌をあぶられているようだった。
夜気が揺れた。
闇の中から音もなく人影が飛び出した。
おれ
「ミランシャ、俺から離れるな1」
ひらめ おそ               かんだか
カイルロッドの短剣が閃き、襲いかかった長剣を弾き返した。甲高い金属音が響きわた
り、闇の中で青白い火花が散った。
「ツァオの手先かー」
▼こな
姿の見えない敵に向かってカイルロッドが怒鳴ると、
「そのとお。、あんたには用事がある。力ずくでも連れて来いとの命令だ」
低い声が聞こえ、今度は反対側からナイフが飛んで来た。それを叩き落とし、カイルロ
うわくちぴる  な
ッドは乾いた上唇を軽く舐めた。
「震いが、こういう乱暴な招待を受けるつも。はない」
呼吸を整え、カイルロッドは短剣を握り直した。
のど                 ひめい
喉をかき切られた男が、笛のような悲鳴をあげて、地面に転がった。
それを見届け、カイルロッドはホーツと長い息を吐いた。
「これで終わったな・ 」
あご
汗が頬をつたい、顎から滴り落ちた。
全身で荒い息をしているカイルロッドの足元には、八つの死体が転がっていた。
いずれも腕のたつ男達だったが、カイルロッドの体術と短剣には勝てなかった。とは言
、.h
え、荷物を背負っているうえにミランシャを庇っているので、かなりの苦戦を強いられた
ことは否定できない。
「殺すつもりなんかなかったのに  強いから、とても手加減できなかった」
にお     ゆが
むせるような血の匂いに顔を歪め、カイルロッドは死体から顔をそむけた。
lヶカ
「ミランシャ、怪我はないかっこ
ミランシャに声をかけ、カイルロットは背負っていた男を下ろした。よはと疲労してい
じゆくすしl
るのか、単に神経が太いのか、あの騒ぎの中でも熟睡していた。
「ないわ。おかげさまで」
たきげ
焚火をおこしているミランシャが、怒ったような声とともに顔を上げた。
「それよりね、あたし、ずっと気になっていたんだけど 。この人、どうしてこの騒ぎ
で目が覚めないのけ」
信じられないというように、ミランシャが叫んだ。どうしてと言われても、カイルロッ
出会いは嵐の予感
ドに答えられるはずもないので、ポリポリと頬を掻いていると、
「人が苦労しているのに、あんなに大騒ぎしているのに、気持ちよさそうに寝ていてー
わめ
今だってこれだけ喚かれても、ピクリとも動かないじゃないー そういう姿を見ていると、
なんか腹たつのよねー」
あわ  なだ
眠っている男をそのまま焼き殺しかねないミランシャの様子に不安をおぼえ、慌てて宥
めた。
「まあまぁ。きっと疲れているんだよ」
い.
宥めながら、カイルロッドのU元は引きつっていた。ミランシャの苛立ちはよくわかる。
なにしろ、気持ちよさそうな寝息を聞きながら、カイルロッドは闘っていたのだ。mulよく
あの騒ぎの中で熟睡できるよな」、眠っている男を見下ろし、カイルロッドは呆れるやら
感心するやらだ。
ねら
「しかし、これでどうやらツァオに狙われていることがはっきりした。ここは逃げるが勝
ちだろうな」
「こんな不愉快な街、さっさと出ましょう。もう、イルダーナフなんか捨てて行っていい
わよ」
はくじようせりふ                    ノなヂ
ミランシャが薄情な台詞を口にし、カイルロッドも「同感だな」と額いた時、
「おいおい、つれねぇことを言うなよ。そいつはちょっと薄情じゃねぇかっ」
太くてよく通る声がすぐ近くから聞こえ、ハッとしたカイルロッド達の前に大きな影が
ゆらりと現われた。
「二人とも冷てぇよな」
「自分のことは棚にあげて、なにを害ってるのよ」
たいまつ
ミランシャが火のついた枝を松明がわりにかざすと、イルダーナフが両腕を組んで立っ
ていた。
「どっから現われるんだ、この男は」
しんしゆつきぽつ           うな   け・Hはい
神出鬼没ぶりにカイルロッドは唸った。気配も足音もなかったので、まるで気がつかな
かった。
ごうりゆう
「この際、今までなにをしていたかなんて言わないわ。非常時ですものね。合流したんだ
から、三人でこの街から逃げましょう」
さっきの襲撃がよほど懲りたのか、ミランシャがカイルロッドとイルダーナフの二人を
急かす。カイルロッドも衛を出ることには賛成だったので再び男を背負ったが、
「そりゃ困る」
あご な
ただ一人、イルダーナフは困った表情で顎を撫でまわした。
39  出会いは嵐の予感
「どうしてけ」
けげん
思いもかけない拒絶に、怪訝な顔をしたカイルロッドへの返答がわりにか、イルダーナ
つか
フはにっこり実って贋の長剣の柄に手を伸ばした。
「ちょっと、なにをする気よー」
ぎようてん                さけ
仰天したミランシャがうわずった声で叫び、驚いたカイルロッドは背中の男を下に落と
してしまった。しかし、それでも男は気がつかない。
「どういうことだ、イルダーナフ」
えたい         やと
頭が源乱していた。カイルロッドはイルダーナフという得体の知れない剣士を雇ったが、
決して頭から信用はしていない。にもかかわらず、おかしなことだが、この男に剣を突き
つけられるなど、考えたこともなかった。
少しの間、動揺を隠しきれない若者二人を見ていたイルダーナフは、
L・・
「馬鹿な連中だぜ。生かして連れて来いと言われたのに、殺そうとするんだからな。あん
きつき       ・てば
なに殺気を放出すりや、側にいるのがすぐにばれちまうってのによぉ」
なが
周。に転がっている死体を眺め、柄から手を離した。それから涼しい顔で、とんでもな
い発言をした。
おれ
「実は俺もツァオの追っ手の一人なんだな、これが」
「なんだってP」
はねあがったカイルロッドとミランシャの声が重なった。
「よりによってツァオですってり どういうことよ、おじさんー きちんと説明しなさい
よ‖」
髪を逆立てたミランシャが、イルダーナフに噛みついた。子犬が熊に吠えかかっている
ような光景だった。
ばくち
「わかった、わかった。説明するからそんなに怒らんでくれよ、怖えなぁ。実は博打で大
負けしちまってよ。踏み倒そうとしたら、乱闘になっちまって。ツァオの身内って連中を
二〇人ばかり、倒しちまってなぁ。その腕をかわれて、臨時の用人樺をやる羽目になっち
まってな」
あっさりと害われ、カイルロッドはしばし二の句がつげなかった。第二 同じようなこ
ねり     なぜ
とをしたのに、一方は気に入られて用心棒、一方は生命を狙われるのは何故だろう。イル
ダーナフなら「人柄だろうぜ」 と言うだろうが、カイルロッドは「Uのうまさの違いだ」
と思う。
ほ たた        やつ
「そうしたら、すぐに仕事がきてな。宿屋で下っ端を叩きのめした若い奴を捕まえろって
ようぼよノ            まちが
言われてよ。そいつの容貌を聞いてみりや、こいつは間違いなく王子だ。[日立つってのも
出会いは嵐の予感
考えもんだよなぁ」
おさ
気にしていることをしみじみとした口調で言われ、カイルロッドの抑え二んていた不満
が、一気に吹き出した。
やと          かんじん
「イルダーナフ、臨時の用心棒もいいが、あんたは俺に雇われているんだぞー肝心な時
に限って不在になるだけならまだしも、敵にまわるっていうのはどういうことだー契約
違反だぞ!」
まゆ
声を荒げると、イルダーナフは片方の眉だけを大きく動かした。
「だからよ、こっちは臨時だって」
「雇い主を捕まえて、ツァオの連中の前に差し出すのか▼」
「おじさん、節操がなさすぎるわよーどっちの味方なのか、はっきりしなさいよー」
二人に食ってかかられ、
つこう
「だから、形だけだよ。いいかい、お嬢ちゃん。おじさんにはおじさんの都合ってもんが
あるんだぜ」
イルダーナフは真顔になった。が、黒い目はからかうように笑っている。その日がまっ
すぐカイルロッドを射た。
おもしろ             なぜ
「それにな、王子。こっちにくれば、なかなか面白い話を聞くことができるんだぜ。何故、
こんなに大勢で王子を追いかけたか、わかるかいフ」
「宿屋の一件じゃないのフ」
おおlァさ
ミランシャが口をはさむと、イルダーナフは「それだけにしちゃ、大袈裟すぎらぁな」、
と苦笑した。カイルロッドもそれしか考えていなかったので、首をひねった。
「でも、他になにか理由が・…・」
つぶや
あっただろうかと呟きかけ、カイルロッドは自分の首に賞金がかけられていることを思
い出した。
おれ
「俺に賞金をかけた・ツァオもフェルハーン大神殿とつながっているのか?」
ねら
「つながっているかどうかは知らねぇが、賞金首を狙っているのは確からしいぜ」
なまつぱ
思いもよらない話に、カイルロッドは生唾を飲みこんだ。またもフェルハーン大神殿だ。
いったい、どんな理由でカイルロッドに賞金をかけているのだろう。
「どうするの、王子。ここはおとなしく捕まるっ」
ミランシャの問いに、カイルロッドは無言で首を縦に振った。
けがにん
「それによ、ついでにその怪我人も手当てできるはずだぜ」
あご
眠っている男を顎で指し、イルターナフが抜け目なく笑った。
出会いは嵐の予感
4
こうや        おさ
イルターナフに連れられ、カイルロッド連は荒野から、ツァオの長がいる繁華街の中心
部へと向かった。
ぶきみ    せいじやく
そして、人の姿が消え、再び荒野に不気味なほどの静寂が戻った頃 − どこからともな
なまハ1き
く生臭い風が吹きつけた。
Il
立ち枯れた木々が大きく揺れ、空には灰色の雲が広がり、月と星を覆い隠した。
やみ
闇が到来した。
しっこく
漆黒の闇の中で、カイルロッドに殺され、大地に転がっていた八つの死体に変化が生じ
ぜつめい
た。絶命したはずの男達の指がピクビクと動き、続いて腕が動いた。
そして、八つの死体はゆっく。と起き上がった。だが、ぎこちない不自然な動きで、ま
あやつ
るで操。人形のようだった。
雲の切れ間から月明か。がもれ、一条の光が荒野の中央を照らした。その光に招き寄せ
られるように、八つの死体が荒野の中央に向かって歩き始めた。[日に見えない力によって
動かされているようだ。
月の光の下で死体は止まった。
と、布を裂くような音がして、死体の固まりかけていた傷口が大きく裂け、そこか、つ大
あふ
量の血が吹き出した。体内の皿液すへてが一度に溢れ出したようだった。
大量の血は荒野を赤く染め、みるみるうちに地面にしみこんだ。血液を失った死体は瞬
ひから
時にして千滴び、そのまま塵となって風に流された。
荒野に異臭がたらこめた。
(・ オオッ  )
うめ
風の音に混じって、低い声が流れた。坤き声とも歓喜の声ともつかない、低ノ、乾いた声
だった。それが地の底から響いてくる。
(長イ・長イ苦シミダッタ  )
さぎなえ
血を吸った大地が生き物のように、かすかな震動を始めた。湖の表面に小波がたったよ
うな、そんな震動だった。それが次第に大きくなっていく。木々は倒れ、荒野の中央から
きれつ
一直線に亀裂がはしった。
どしや
大地が軋むような音をたて、亀裂が少しずつ持ち上がっていノ、。土砂を持ち上げて、地
の底からなにかが現われようとしていた。
強い風が吹きつけ、雲が流れた。夜空に三日月が現われた。剣のような三日月が、血よ
りも赤く輝いている。
5!j男会いは嵐の予感
赤い月光を浴びて、ゆっく。とそれが地底から姿を現わそうとしていた。
lまんかがい
繁華街に戻る途中、カイルロッドは何回も後ろを振。向いた。
「どうしたのフ そんなに荒野ばかり気にして」
ひんばん
頻繁に振。向くカイルロッドに、ミランシャが不思議そうに問いかけた。怪我人を背負
って先頭を歩いているイルダーナフも、足を止めた。
「声が聞こえないかっ」
やみ                    つぷや
後方の闇を見据えて、カイルロッドは独。言のように呟いた。風の音と繁華街の暗感等
にまざれて、かすかな声が聞こえる。
「声っ」
がく ね
聞き取ろうとしてミランシャは耳をすまし、イルターナフも注意してみたが、楽の音や
にぎ
賑やかな笑い声しか聞こえなかった。
「風の竃じゃねぇのか」
気楽なイルダーナフの声を聞きながら、カイルロッドは揺れる長い髪をおさえた。
あれは笑い声だ。
解放されたものの、どす黒い笑いだ。
それが風にのって流れて来る。
イルダーナフにもミランシャにも聞こえないようだが、カイルロッドには聞こえる。
えたい         かまくび
闇の中で得体の知れないものが鎌首をもたげたような、不吉な予感がして、無意識に
ふところ
懐の短剣を握りしめていた。
「胸騒ぎがする  」
せいかん      えいり
不安を訴えるカイルロッドを、黒髪の大男は無表情に見ていた。精悍な顔を冷たく鋭利
な光が横切ったが、カイルロッドもミランシャも気がつかなかった。
おき
「まぁ、王子。ともかく、今はツァオの長の所へ行こうせ。なにかあったら、そん時はそ
ん時よ」
そう言って、イルダーナフは立ち止まっているカイルロッドとミランシャの肩を叩いて、
ぬぐ
先を歩き出した。精悍な顔にはどこか皮肉っぽい、いつもの笑みが刻まれていた。拭いが
たい不安を胸に残したまま、カイルロッドも歩き始めた。
「ねぇ、イルダーナフ。ところでツァオ一族ってなんなのフ」
まぷ
繁華街の入り口付近で、押し寄せる光の眩しきに目を細めながら、ミランシャがツァオ
について質問した。考えてみればカイルロッドとミランシャは、ツァオ一族が街の支配者
であることは知っていても、それ以外のことはなにも知らないのだ。
班会いは嵐の予感
「一族ってことは血縁関係で組織されているのか?」
若者二人の質問に、
「どうやら街の創立者の子供らしいぜ。小耳にはさんだ程度だがよ」
そう前置きして、イルダーナフは説明してくれた。
ツァオというのは、百年ほど前、作物も実らない不毛のこの地に街を作った、いわば街
の創立者の名前であり、ツァオ一族はその子孫にあたるのだという。もともと、血族の結
束が固いうえに、創立者の子孫ということで団結して街の発展に尽くしてきたそうだ。
「でまぁ、代々領主みてぇな仕事を独占していたらしいが、二〇年ぐらい前に、市民と衝
突し、地位と特権を奪われたんだってよ。百年もツァオ一族だけで支配して。や、だいぶ
好き勝手やってたんだろうぜ」
どんな善政であっても、長すぎる統治は腐敗を生み、不正と汚職の温床となる。流れな
よど  ′ヽさ
い水は澱み、腐るものだ。父サイートの言葉を思い出し、カイルロッドはほろ苦く笑った。
なぜ                         うば
旅に出てから、何故かよくサイードの夢を見る。夢の中にはダヤン・イフ工や乳母、ソル
カンもいる。あまり自覚はないのだが、やはり故郷やそこにいる人々が恋しくなっている
のだろうか。
「それでどうしたんだフ」
人の茸があるので、カイルロッドは声をひそめた。
「それてっ それで、過去の人脈と金を利用して、今度は表舞台の主役から、裏舞台の主
おさ
役になったというわけだ。どっちもどっちだがな。現在の長はツァオ・シャオロンってぇ
おれ
若造だが、どうもそいつはお飾りらしい。事実上の長はその姉、メイリンだな。俺はメイ
リンに会ったんだが、これがまた住い女でなあ」
まなぎ
さも楽しけなイルターナフに、ミランシャが冷たい眼差しを浴びせた。
「住い女で創立者の子孫だっていうだけで、無法が許されちゃうわけフ・一白年も址日のご先
いば
祖の威光で威張ってるなんて、笑っちゃうわよ」
「街の創立者の子孫ということで、みんなが泣き寝入りしているのかフ」
Jんぜん
ミランシャは憤然とし、前髪をかき上げてカイルロッドがイルダーナフを見上げると、
「どうも、それだけじゃねぇらしいんだなぁ。街の人間を見ているとよ」
あわ      さまぎま
大男は複雑な表情を見せた。嘲笑するような、憐れむような、様々な感情の混在する表
つか
情がどういう意味なのか、カイルロッドには掴みきれなかった。
「他に強く出られない理由があるの?」
かし     かんべん
芦をかけてきた酔っ払いを無視し、ミランシャは首を傾げたが、「勘弁してくれ、俺も
それ以上はわかんねぇよ」、おどけてイルダーナフが両手を上げた。
出会いは嵐の予感
49
「わけあ。の街なんだな」
みよう    りだ
色々な街があるものだと、カイルロッドは妙な感慨を抱いた。
百年前は不毛の地だったという街の繁華街を歩いて行くと、次第に様相が変わって来た。
けんご
店と人が減り、三人は堅固な壁に突き当たった。
「ツァオ一族の城だ」
Hノ
壁を職とばし、イルダーナフが皮肉と侮蔑をこめて吐き捨てた。それからカイルロッド
えんえん
達は壁にそって歩いていたが、いつまでたっても壁が終わらない。延々と続いている。
「ちょっと、いつになったら終わるのフ」
うんざ。したミランシャが、恨めしげな上目遣いをイルダーナフに向けた。イルダーナ
フは口の片端だけを上げて、
「そら、入り口だ」
あご
門を顎で指した。壁が終わ。、門があった。その奥には城とみまごうばか。の豪邸があ
った。ツァオ一族の富と権力を象徴するように、繁華街の中央にそびえ立っている。
「お城みたいね」
きようたん
ミランシャが驚嘆の声をあげ、カイルロッドは口笛を吹いた。
ひたすら感心している若者二人を残し、イルターナフは大声で門番を呼びつけて、門を
なぐ
開けさせた。そして、案内係だという男達を「うっとおしい」という理由で殴り倒し、
「おう、行くぜ」
やしき
ずかずかと邸の入り口に歩き出した。はぐれてはたまらないので、カイルロッドとミラ
あわ
ンシャの二人は、慌ててイルダーナフの背中を追った。
てんじよよノ                   ぷつちようづらすわ
天井の高い豪華な客室のソファに、カイルロッドは仏頂面で座っていた。ミランシャは
いごこち             ゆうぜん       けがにん
居心地悪そうに、イルダーナフは悠然と座っている。怪我人の若い男は別のソファに横た
わっており、相も変らず幸せな眠りの中にいた。
「よく寝てられるよな」
カ、げん                    こうや
ここまでくると、いい加減にカイルロッドも呆れてきた。あのまま荒野に捨てておいて
も、この男なら平気かもしれない。
カイルロッド達は邸の五階にある客室に通され、形の上では客扱いされているが、とて
もくつろげる雰囲気ではない。というのも、周りを数十人の黒服の男達に囲まれているの
ふしん
である。男達は手に剣を持って、カイルロッド達が少しでも不審な動きを見せたら、即座
に斬りかかれる体勢になっていた。
カイルロッドはなるべく彼らの顔を見ないよう、視線をそらしていたが、時々、横から
出会いは嵐の予感
噛みころした笑い声が洩れる。ミランシャだ。彼女もカイルロッド同様、男達の顔を見な
いようにしているようだが、こらえきれずに笑ってしまうらしい。
やつ
「イルダーナフの奴」
口元を隠して、肩を震わせているミランシャを横目で見、口に出さずにカイルロッドは
あくたい
悪態をついた。
そもそも、こんな厳重に警戒されているのは、すべてイルダーナフのせいなのだ。よせ
とぴらけ
ばいいのに、荒っぽい大男は邸の扉を蹴破って内部に入った。中に足を踏み入れると同時
に、手に刃物を持った数人が斬。かかってきたが、これは当然だろう。そこで説明すれば
ム1
いいものを、「長を出せ」 の一言だけで、奥に入ろうとしたものだから、乱聞顧ぎに発展
してしまった。あっと言う間のことで、カイルロッドとミランシャには止める暇もなかっ
た。
ゆか
ものの数分とかからず、男達は床に転がった。その男達が、今立っているのだ。ミラン
シャが彼らの顔を見て笑うのも無理はない。全員がイルダーナフに殴られ、顔が厘.れた。、
あぎ              ひよ4ノきん
前歯が教本欠けた。、目のまわ。に丸い症があったりして、なかなか剰軽な顔になってい
るのだから。
けんか
「まったくあんたは喧嘩っ早いな」
すわ
ミランシャを問に挟んで右側に座っているイルダーナフに、カイルロッドが文句を言っ
た。長に会う段取りに守ったはいいが、どこへ行ってもこの調子だから、一緒にいる者の
心臓に悪い。
「なぁに。こういう連中には吉葉より、暴力の方がわかりやすいもんだ。それにしても、
待たせてくれるねぇ。おい、そこの若いの、酒を持って来いや。早く持って来ねぇと、前
歯がなくなるぜ」
酒場で酒を注文するような調子で、イルダーナフが近くにいる若い男にそう言った。怒
りに顔を真っ赤にしながらも、前歯を失いたくないのか、男は言われたとおり酒を取りに、
とぴら
部屋の外に出ようとした。把手に手を伸ばした時、一呼吸早く扉が開き、二人の若い男女
が入って来た。
黒服の男達の間に緊張がはしった。顔をこわばらせ、背筋をのばす。にわかに姿勢を正
して、男女を迎え入れた。
いふ
奇妙な畏怖と緊張が張りつめる中を、二人はゆっくりとした足取りで、カイルロッド連
の方に近づいて来る。
身体にぴったりとした黒い服を着た長身の美女と、やや線の細い青年のl 人連れを、カ
まちが
イルロッドは興味深げに見つめた。女はツァオ・メイリン、男は弟のシャオロンに間違い
ないだろう。
べつぴん
「これはメイリン。いつ見ても別嬢だねぇ」
たた         まゆ             つや
イルダーナフが軽口を叩いたが、メイリンは眉ひとつ動かさなかった。黒い艶やかな髪
からだ
を肩で切り揃えた、二〇代後半の美女である。しなやかな猫を連想させる身体つきと、強
ひとみ
い光を宿した黒い瞳。張りつめた緊張感があり、並々ならぬ強さを感じさせる。
∵万、人の目を引きつける姉に比べ、顔立ちはよく似ているのに、弟のシャオロンはま
るで影が薄かった。よく見ればまずまずの美青年だが、目をそらしたとたんに忘れてしま
いつしよ
うような、印象の弱い男だ。今もメイリンが一緒でなければ、入ってきたことにも気がつ
かなかったかもしれない。
い一ウベつ
メイリンは切れ長の目で、カイルロッド達を一瞥し、向かいのソファに脛を下ろした。
弟は扉の前に立ったままだが、気にかける者はない。いてもいなくても同じらしい。
「確かにこれはお飾りだな」
黒服の男達の態度にも、それがありありと表われている。カイルロッドは少しばかり、
シャオロンに同情した。
「手配書どおりね。ルナン王子、カイルロッド」
あで
艶やかに微笑し、メイリンは取り出した手配書を、カイルロッドの前に置いた。それを
出会いは嵐の予感
ぎようし       すば
取り、カイルロッドは食い入るように凝視した。似顔絵と素晴らしい賞金額があり、「生
死を問わず、フエルハーン大神殿まで連れて来るように」、と記されていた。署名には神
官長アクディス・レヴィとある。
「王子、いったい、なにをしでかしたのっ」
のぞ          まゆね
手配書を覗きこんだミランシャが眉根を寄せた。怒。のあま。、カイルロットは手配書
つぷ                    ねら
を握り潰した。はっき。とした理由があって狙われるならまだしも、なにもしていないの
おんこスノ
にこんな物をばらまかれては、どんなに温厚な人間でも腹がたつだろう。
おれ
「どうして俺が神殿から指名手配されなくちゃならないんだ」
破り捨てようとしたカイルロッドの手から、メイリンがスッと手配書を抜き取った。優
みlま
美と言っていい手の動きと仕草に、カイルロッドは見惚れていた。動作のひとつひとつが
これほど絵になる女性も珍しい。
「元気のいいこと。これから自分がどうなるか、わかっているのかしらね、坊や」
からかうように手配書を揺らすメイリンに、カイルロッドはむっつりと応じた。
「坊やではあ。ません。カイルロッドという名前があります。俺を捕らえて、神殿に引き
渡すつも。ですか」
くちぴる       つ
美女は赤い唇の両端をキユツと吊り上げた。笑ったらしい。
「それもいいわね。私はあの神殿がこれほどまでにして追う人物に興味があっただけ。こ
の街にいると聞いて、会ってみたかっただけよ。けれど、人は見かけによらないものね。
宿屋でうちの若者四人に重傷を負わせたようには見えないわよ、坊や」
「あれは、彼らが悪いんです。そりゃ、少し、やりすぎたけど」
くちご        おもしろ
そう口鴇もると、なにが面白いのか、メイリンが声をたてて笑った。どうして笑われる
のかわからないカイルロッドは、助けを求めるようにイルダーナフを見たが、リラックス
しきっている大男も口元に笑みをはりつけていた。「どうして笑うんだ?」、カイルロッド
つぶや
は口をおさえて小さく呟いた。
「ところでイルダーナフ、他の八名は? この坊やにやられたのフ」
笑いをおさめたメイリンが、つまらなそうに脚を組んだ。
lまヂ  こうや
「ああ、今ごろは地獄の一r目よ。街外れの荒野に八人、仲良く転がってるはずだ」
「荒野でっ」
メイリンの細い眉がかすかに動いた。
「あそこは人の入れる場所じゃない」
独白し、メイリンはイルダーナフとカイルロッドを、探るように斜めに見やった。燃え
ひとみ
るような黒い瞳に、カイルロッドの姿が映っていた。
田会いは嵐の予感
「けどよ、荒野で野宿してたもんなぁ、カイルロッド」
「え、ああ」
こんわく
なにかまずかったのだろうか、メイリンのただならぬ様子に、カイルロッドは困惑して
いた。
「姉さん、どうしよう! あそこで血が流れるなんてー」
それまでただ立っていただけのシャオロンが心細い声を出し、美女はジロリと弟を睨ん
なまやさ        そうぼう
だ。睨むなどという生易しいものでなノ\ 双蜂から強い光を発して射抜いているようだっ
た。この目を向けられたら、たいていの人間は射すくめられることだろう。弟も例外では
なく、ビクッと肩をすくめ、数歩後退。した。
「落ち着きなさい、シャオロン」
美女は二コリともせず、震えている弟から視線をそらし、カイルロッドのLLで止めた。
まなぎ
その眼差しに少し前まであったかすかな好意は消え失せ、かわりに冷たい憎悪と敵意が燃
え上がっていた。
「坊や、とんでもないことをしてくれたわね。フエルハーン大神殿に送る前に、ツァオの
ごうもん
拷問でも受けていただくわ」
黒い瞳が底光。したように見えた瞬間、カイルロッドの全身から力が抜けた。
、−h
からだ                   ゆか ノ、ヂ
身体が傾き、そのままカイルロッドはソファから床に崩れ落ちた。
「王子−」
ソファから下りたミランシャが、カイルロッドを揺さぶった。意識と五感はあるのに、
身体が動かない。ロも手も動かせず、自分の身体がまるで他人のようだった。
「両手両足を切断し、逃げられないようにしてから、神殿に送ってやる」
立ち上がったメイリンが、凍てつく声で宣告した。
LへJ
さつき            いつせい
メイリンの殺気に反応し、黒服の男達が一斉に剣を抜いた。
室内に充満した緊張と殺気が見えない針となって、カイルロッドやミランシャの上に降
かわいそう
り注いだ。カイルロットは息苦しさを感じ、ミランシャは可哀相なぐらい青ざめていた。
大勢の中でただ一人、イルダーラフだけが平然としている。
こうや
「待って、姉さん。こいつらのことより、荒野の方が先だよ。万が一のことがあったら
・」
おぴ                    せつな
シャオロンの怯えた声が、張りつめていた殺気の糸を切った。刹那、メイリンの表情が
出会いは嵐の予感
くじゆう
殺意から苦渋へと切り替わった。
丁・そうね。この坊やのことより、荒野の方が先だわ。ウォン、荒野にパオとシャオピ
ンを向かわせなさい。万が一、彼らの手におえないような事態になった時は、私も行きま
す」
うなヂ とぴら
ウォンと呼ばれた大柄な男が小さく瀬き、扉の外に消えた。
「姉さんが出るような事態なんて  」
考えたくもないと言いたげに、影の薄い青年が自分の扇を抱いて身震いした。
「楽には死ねないわよ、坊や」
たたノ
持っていた手配書をカイルロッドの顔に叩きつけ、メイリンが抑揚のない声で言った。
や            おど    すごみ
押し殺した怒。の無表情と灼けた冷たい声には、単なる脅しではない凄味があった。
なぜ
「でも、荒野で人が死んだことで、何故、こんな大騒ぎになるのだろうヱ
カイルロッドにはそれがわからない。
ねえ
「まぁ、落ち着きなよ、姐ちゃん」
今にもカイルロッドを殺しかねないメイリンに明るい声をかけ、イルターナフがのそり
とソファから立ち上がった。数十本の剣の切っ先が向けられたが、そんな物は目に入らな
いらしく、
「カイルロットが荒野に入り、そこで血を流したことが許せねぇなら、その前にまず、お
まえさんは身内の不始末を片づけねぇとな。そうでなくちゃ、筋が通らねえぜ」
つか              すわ
腕を掴んでカイルロッドをソファに座らせ、自分も腰を下ろした。心配していたミラン
シャだが、とりあえず何事もなかったので、ホッと胸を撫でおろした。
「イルダーナ7、それはどういう意味フ」
はお           よノわめづか
組んだ脚の上で頬づえをつき、メイリンが上目遣いをした。
「さぁて? どういう意味かなぁフ」
イルダーナフはすっとぼけている。相手の自尊心の強さを利用し、駆け引きを始めたの
だ。そう気づき、カイルロッドは心の中で笑っていた。まったく巧みに相手を引き込む男
である。
「私と取り引きするつもりフ」
くヒソぴるゆが
メイリンもすぐに気づき、皮肉っぼく赤い唇を歪めた。
「話が早くていいな。カイルロッドを元通りにしてくれ。そうすれば、教えるぜ」
「坊やに同情して、寝返るのっ」
けいべつ
軽蔑を含んだ芙女の声に、
やと
「バッハッハ、寝返るってのは穏やかじゃねぇな。なぁに、こっちの坊やが本当の雇い主
出会いは嵐の予感
なのさ。ツァオの用心棒は臨時のもんよ。それに、この坊やを連れて来た時点で、仕事は
終わってるはずだぜ」
イルダーナフがしれっとした顔で応じ、聞いていたカイルロッドは苦笑するしかなかっ
た。
「食えない男ね。雇い主の坊やを連れて来るからには、それなりの目的があってでしょう
ね。手配書を見せてや。たかったのかしら」
「ご名答」
たた
口笛を吹き、イルダーナフは楽しそうに手を叩いた。メイリンの衷情に変化はないが、
まゆ つ
周りの男達とシャオロンが眉を吊。上げている。「なんだってあのおじさんは、人を怒ら
うめ
せるのが上手いのよ」、両手で顔をおさえ、ミランシャが岬いた。
「それで、身内の不始末とはどういう意味なの」
うなが
首筋に手を当て、メイリンがつまらなそうに促したが、イルダーナフは無言でカイルロ
ッドを指差しただけだった。「こっちが先だ」、声に出さずにそう言っている。
いらだ
それが数回繰。返され、さすがにメイリンも苛立ちを隠せなくなった。
「…Iイルダーナフ」
危険なほど低くなった声に、剣を持って構えていた男が動いた。が、一人として無防備
なイルダ]ナフに斬りかかれなかった。剣を頭上まで振り上げておきながら、振り下ろす
ことができずに汗をかいている。利枝や腕力以前の、重みと迫力に圧倒されているのだ。
「たいしたものだ」
えたい     さぎし
カイルロッドはただ感心するばかりだった。得体の知れない詐欺師じみた男だが、威圧
すごみ
感と凄味は本物だ。
手下達が役にたたないとあって、美女は鋭く舌打ちし、イルダーナフを睨んだ。
「イルダーナ7、メイリンの目を見るなー」
さけ                からだ
心の中でカイルロッドは叫んでいた。メイリンの目を見たとたん、身体が動かなくなっ
た。人を吸いこむような、あの黒い目がくせものなのだ。
しかし、イルダーナフはカイルロッドのように倒れたりしなかった。小憎らしいほどの
すわ
余裕で、ソファに座っている。
「な、なんともないのかフ」
Iヰノ1.ノん
怪訝な顔をしたのはメイリンではなく、シャオロンだった。姉の方は、心なし顔が青ざ
めて見えた。
まがん き
「残念だけどよ。俺にゃ、魔眼は効かねぇ」
くず   きようがく  ひとみ
二ヤリと不敵に笑われ、メイリンが初めて大きく表情を崩した。驚愕に黒い瞳が大きく
3  出会いは嵐の予感
開かれている。
「魔眼万」
ひめい                 くわ
ミランシャが悲鳴に似た声をあげた。カイルロッドも驚いた。詳しくは知らないが、人
あやつ
を操ったりできる力だと、ダヤン・イフエから聞いたことがある。「それで身体が動かな
くなったのか」、街の人々が恐れているのは、メイリンの魔眼かもしれない。
「魔眼が効かないなんてー」
ろフばh
狼狽しているのはシャオロンと手下達だけで、当のメイリンははやばやと感情を切り替
え、冷静さを取り戻していた。そして、動揺している弟と手下達を手だけで黙らせ、
「剣技だけの男じゃないとは思っていたけれど、つくづく得体が知れないわね。坊や、私
ならこんな危険な男は雇わないわよ」
ようえん                  のぞ
妖艶といっていい微笑を浮かべ、カイルロッドの目を覗きこんだ。黒いはずのメイリン
の瞳が金色に光って見えた瞬間、身体が軽くなった。
「ふうっ」
ようやく身体の自由を取り戻し、カイルロッドは全身で呼吸した。今頃になって汗が吹
き出した。
「さぁ、約束を守ってもらいましょうか」
しばい
メイリンが肩で切り揃えた髪を払った。芝居じみた仕草だが、それが様に亨Q。
「はいはい」
室内にいるすへての人間の視線を一身に受けたイルダーナフが、楽しそうに指を鳴らし
けがにん                       すご
ながら眠っている怪我人に歩み寄り、片手でソファをひっくり返した。ガターンという凄
い音に、思わずカイルロッドとミランシャが首をすくめた。
「ちょっと、ソファの下敷きになったわよ」
「あの男、生きてるのかな」
きさや
ひっくり返ったソファの下を見つめながら、カイルロッドとミランシャが不安そうに囁
きを交わした。
「なんて乱暴な」
さすがにメイリンも呆れたが、イルダーナフは平然たるものである。
「ちょっとやそっとじゃ起きねぇんだよ、この若いのはよ」
「ううっ」
うめ              ねぼ
ソファの下から坤き声がして、男が甘旭い出て来た。そして寝呆けた顔で、大きく伸びを
した。怪我はしているが、重傷ではないようだ。怪我で気を失っていたというより、疲労
じゆくすい                          っか
で熟睡していたのがほんとうのところだろう。「そうと知っていれば、あんなに気を遣わ
5  出会いは嵐の予感
たたか
ずにすんだのに」、闘っていた時の苦労を思い出し、カイルロッドはひそかに後悔した。
「あの1、ここはどこでしょうかフ」
まの
キョロキョロと周因を見回し、男は間延びした声で尋ねた。
「ここはツァオの本拠地よー今まで、ほんっとによく寝てられたわね⊥
のんき          とな
あま。の呑気さに、ミランシャが怒鳴。つけた。
「ツァオn」
とんきよう
目が覚めたのか、頓狂な声を上げて男は立ち上がった。
「では、すくに銀杯を返して下さいっー」
「銀杯フ」
けげん  まゆ          うなヂ
男のうわずった声に、メイリンが怪訝そうに眉をひそめた。男は大きく領き、
はうのう
「この先の山の中にあるディウル教の神殿に、奉納するはずだった物です」
そう言って、話を始めた。男の名前はバルト。銀杯を神殿に運ぶ途中、立ち寄ったこの
たいせつ
衝でゴロツキにからまれ、大切な銀杯を奪われてしまった。奪ったゴロツキどもは「ツァ
オの身内」と言っていたそうだ。バルトは必死になって返してくれと頼んだが、相手はそ
なぐ け
んな言葉を理解する男達ではない。数人に殴る蹴るされ、そのまま意識を失っていたらし
「このままでは国に帰れません」
くや
語り終えると、バルトは日に悔し涙をため、うつむいた。
「やりたい放題だな」
まなぎ
カイルロッドは非難の眼差しを黒服達に注ぎ、イルダーナフは眠そうな半眼でメイリン
を見た。
「下っ端どもはこんな調子て荒稼ぎしてやがる。監督不行き届きだぜ。それに、おまえさ
ぬす
んの目を盗んで、あの荒地に死体の一つや二つは埋めているかもしれねぇな」
メイリンの顔から表情が消えていた。怒りに青白く凍りついている。
「ツァオの身内が ・」
くちぴる              とぴち
赤い唇からしゃがれた声が洩れた時、乱暴に扉が開き、男が飛びこんできた。
「大変ですー パオとシャオピンがやられました−」
「1日」
ひめい     ゆか
メイリンは立ちLLがり、シャオロンが悲鳴をあげて、床につっ伏した。
はろ
「街が滅びる時が来たんだ  〓」
やみ
滅びの言葉を告げ、青年は闇を恐れる子供のように、ガタガタと震えていた。メイリン
も手下達も一言も発せず、石像のように立ち尽くしている。この異様な光景を、カイルロ
67  出会いは嵐の予感
ぽうぜん
ッドはただ見ていた。ミランシャとバルトも茫然とし、イルダーナフは目を閉じ、頭の後
ろで手を組んでいる。
「なんなんだ、いったい・ 」
かろ
なにがなんだか、カイルロッドにはさっば。理解できない。辛うじて理解できることは、
とほう   やくさい
途方もない厄災が降。かかろうとしていることだけだ。
lまんかがい にぎ   とぎ
そして、カイルロッドはようやく異変に気がついた。繁華街の賑わいが途切れている。
かわりに細い悲鳴が風に流されてきた。
出会いは嵐の予感
せいいつぱい
っけられた。カイルロッドはどうにか立っていたが、それが精一杯で、動くことはできな
い。
「ミランシャ、イルダーナフ!」
よろめきながら連れ二人を探すと、ソファごとひっく。返ったミランシャを、イルダ】
ナフが立たせていた。
カイルロッドの視線に気がつき、イルダーナフが笑って片目をつぶった。そして、ミラ
ンシャを抱き上げると、
やしきノ、ず
「この邸は崩れるぜー 外へ逃げろー」
とどろ
沸くような声を放ち、立っているだけで精一杯という揺れの中を、よろめきもせずに外
はず
に走。出た。並み外れたバランス感覚の持ち主だ。
「早く逃げろー」
「外へ出るんだー」
ぎようそうとぴら
崩れると聞いて、その場にいた者達が必死の形相で扉へと向かった。這lいながら、あち
らこちらに激突しながら、扉から出ようとする。
やつ
「イルダーナフの奴、自分だけさっさと逃げるんだからな」
ヵィルロッドも壁つたいに、扉に近づいた。窓から飛び下。るのが一番早いのだが、五
階ではそうもいかない。
てんじよう              ほこり
天井や壁が崩れ出し、室内にもうもうと攻がたちこめた。一メートル先ですらよく見え
ず、ほとんど視界がきかない。咳きこんでいたカイルロッドは、部屋の中に戻ろうとする
人影を見つけて、立ち止まった。
「おい、死にたいのか!」
つか
宿を掴んで止めると、
「弟がいるの、残しておけないわー」
せつぱ
切羽詰まった声がはねかえった。
「メイリンけ」
1.ノが
カイルロットが止めたのはメイリンだった。顔は攻で汚れ、腕や足に怪我をしながらも、
弟を助けに室内に戻ろうとしていた。
「離してー」
止める手を振りきって、メイリンは室内に入ろうとしたが、大きな横揺れを受け、二人
かば   ゆか
とも扉の外、通路に放り出された。カイルロットはメイリンを庇って、床に背中から叩き
つけられた。
だいじようぷ
「坊や、大丈夫け」
出会いは嵐の予感
「… 大丈夫」
あま。大丈夫ではなかったが、心配しているメイリンを見て、カイルロッドは無理に口
元をほころばせた。休術に自信はあるものの、揺れの最中に他人を庇ってでは、充分な受
け身がとれない。
「坊や  あなたって子は  」
あき
メイリンは呆れたような、なんとも複雑な表情をした。
「階段が崩れます、早く−」
ろぺノか
廊下のつきあたりから、かすれた声がした。バルトの声だ。
「まだいたのか、あいつ」
てす
顔を向けると、揺れる手摺りに掴まったバルトが、泣きそうな表情で声を張り上げてい
つJ
た。その周。には、落ちてきた石に頭を潰された黒服の男の死体が転がっている。
「バルト、メイリンを連れて行ってくれー俺はシャオロンを助ける⊥
からだ
階段の方にメイリンの身体を押し出し、カイルロッドは窒内に飛びこんだ。背中からメ
イリンとバルトの声がしたが、言葉までは聞き取れなかった。
′...−
天井から降ってくる人の頭ほどもあろう塊りを避けながら、
「シャオロン、どこだ! いるなら返事をしてくれー」
視界のきかない部屋を動いていると、
「僕はいいから、早く逃げてくれ−」
返事が戻ってきた。カイルロッドは声のした方向に走り、倒れた家具に足を挟まれて、
身動きできないシャオロンを見つけた。
「早く逃げろー」
ほこりせ                     ちゆうちよ
嘆に咳き込みながら、シャオロンが叫んだが、カイルロッドは躊躇なく近づき、横にH
ひぎ
膝をついた。
「右足をがっちりと挟まれているな」
家具を持ち上げようとしたが、ただでさえ重いのに、揺れがおさまらず足場が安定しな
いので、なかなか動かせない。
「僕はここで死ぬ。僕がいなければ、姉さんだって牽せになれるんだ。だから署も早く逃
げてくれ」
かげん
「いい加減にしろー」
あきら
すっかり諦めた様子に腹をたてたカイルロッドが、シャオロンの横顔を平手打ちした。
「あんたが死んだら、メイリンが悲しむんだからー悲しんでくれる人がいる以上、簡単
。ため
に諦めるな! 自分で駄目だと思ったら、本当に駄目になるんだぞ!」
出会いは嵐の予感
ひっぱたかれ、シャオロンは鳩が豆鉄砲くらったような表情で、カイルロッドを見上げ
ていた。
こわ  いす
カイルロッドは自力で持ち上げるのを諦め、家具と足のわずかな隙間に、壊れた椅子の
だれ
破片を入れた。そして、下に落ちている誰かの長剣を拾い、挺子の原理で隙間を広げた。
「いいか、合図をしたら足を抜け−」
ゆが     うなヂ
カイルロッドの指示に、シャオロンが顔を歪めながら、領いた。
「いまだー」
すばや
揺れがきた瞬間、その反動を利用して、隙間を広げた。素早くシャオロンが這い出した。
つか
足が出たすぐ後、重みに耐えかねた剣が柄から折れ、家具が落ちた。大壷の嘆が舞い上が
る。
「安物の剣だな」
1fフぜん すわ             つか
握っていた柄の部分を捨て、カイルロッドは茫然と座。こんでいるシャオロンの腕を掴
んで、立たせた。
「ぼんやりしている暇はないぞ。外へ出るんだー」
とびら
すっか。従順になったシャオロンに肩を貸し、カイルロッドは扉に向かった。
・ 1
が、その時、上から巨大な石片が落ちて、扉の前を塞いでしまった。
だめ
「もう駄目だ・・・やはり、ここで死ぬんだ」
−のきら
「ll諦めるのはまだだー」
きよむかん
虚無感にとりつかれている男を引きずって、カイルロッドは窓の方に進んだ。残る脱出
口はここしかなかった。
窓枠もカラスもなく、ぽっかりと空間が口を開けていた。いやに外が明るいのが気にな
って、顔を出してみたカイルロッドは絶句した。
空が明るい。
ほのお
いや、炎が空を焼いているのだ。街が燃えている。
おちい
「恐慌状態に陥った人々が、暴動でも起こしたのかもしれない」
つぷや              のぞ
ひどく投げやりな呟きを聞きながら、カイルロッドは下を覗き、舌打ちした。
「木でもあれば、それをつたって逃げようと思ったのにー」
やしき                  ゃゎ
侵入者を防ぐため、邸の周辺に木は植えられていなかった。窓の下に柔らかな物を敷き
かんじん
つめて飛び下りるという手段もあるが、肝心の柔らかい物がない。このまま飛び下りたら、
死ぬだろう。
ぱか
「僕なんか放っておけば、助かったかもしれないのに。君も馬鹿だな」
おれ
「うるさいな、俺は死ぬつもりなんかないー俺の帰りを待っている人間がいるんだ、死
出会いは嵐の予感
ぬわけにはいかないんだー」
こんな所で死んでたまるか。生きてムルトを倒し、ルナンを元通りにするのだ。カイル
はぎし
ロッドが歯乱りした時、
「王子−」
ミランシャの声が聞こえたような気がした。何気なく窓から顔を出すと、大きな影がや
わし
ってくる。鳥だ。足に荒縄を結んだ大きな鷲が四羽、近づいてノ、る。
「ミランシャかつ⊥
火を起こすことと、鳥を寄せることだけはできる魔女見習いの顔を思い出し、カイルロ
ッドは微笑んだ。
「ど、どうするつも。だー」
「飛びうつる。落ちたくなかったら、俺の背中にしがみついていろー」
あわ
落ちたくなかったらしく、シャオロンは慌てて、カイルロッドの背中にしがみついた。
「行くぞ!」
つか
ヵィルロッドは窓枠を蹴って、鷲の足に結んである荒縄を掴んだ。耳元で「ひっ−」と、
息をのむ声がした。
からだちゆう       やしきごうおん   ほうかい     ごうそう
二人の身体が宙に浮くとほぼ同時に、邸が轟音をたてて崩壊した。足の下で豪壮な邸が
くヂ
崩れ落ちていく様子に、「ツァオの城が崩れた」、シャオロンが自虐的に呟いた。
鷺達は人間二人の重さをものともせず上昇した。明るい夜空を飛行しながら、カイルロ
がんか
ッドは眼下の街の様子に、顔をしかめた。
つめあと   きれつ じゆう率っむじん
地震によって建物のことごとくが崩壊し、大地には爪痕のような亀裂が縦横無尽に刻ま
ほのお
れている。炎は空を焦がし、街を飲みこみ、なお荒れ狂う。その中を逃げ惑う人々、暴動
や私刑らしき様子がつぶさに見えた。
秩序を失った人間とは、なんと脆いものなのか。
むな
カイルロッドがひどく虚しい気持ちになっていると、背中にぶら下っているシャオロン
ぺノめ
がひび割れた坤きを洩らし、
「あ、ああっ。あれを・・」
ぐれん
空を焼く紅蓮の炎を指差した。その震える指の先に、巨大な影が見えた。
カイルロッドは目をこらした。
いノゆネノ
黒く巨大な影が街を破壊しながら、炎の中を泳いでいる。細く長い姿は竜のように思わ
れた。
「竜? いや、違う・ 」
それの姿を正しく認識したカイルロッドは総毛だった。
へび
蛇だった。
がいこつ
それも骸骨だけになった蛇だ。
「骸骨の蛇・・」
のど   よノめ
カイルロッドは喉の奥で坤いた。ロの中がカラカラに乾いていた。
街を破壊しているのは、巨大な骸骨の蛇だった。        さば
蛇は目についた人々を片っ端から殺害していた。女子供など関係なく、その鋭い牙にか
か     っぷ
けている。噛み砕かれ、潰され、いずれも人の原形をとどめない、肉片になっていく。
「やめろー・やめてくれ−」
さけ
叫んでいるのに声が出なかった。
ひめい ぜつきよう
人々の悲鳴や絶叫が胸を突き刺し、カイルロッドは固く目をつぶった。とても正視でき
なかった。背中でシャオロンが激しく震えている。
・.L        ’1.
白い骨を炎と血で赤く染め、蛇が嬉しそうに空を仰いでいる。
悪夢としか言いようのない光景だった。
ふういん
「… 封印が破られたんだ」
うつ  つぷや
シャオロンが虚ろに呟いた。
「封印?」
出会いは嵐の予感
こ▼ソや
「あいつは荒野に封印されていた。流された血が解放してしまったんだ」
「・ ・」
カイルロッドは声を失った。それが事実なら、荒野を離れる時に聞いた笑い声は、あの
骨だけの蛇のものだったのだ。
わし
鷲がゆっく。と高度を下げはじめた。
2
はず
カイルロッド達を敷地の外れに下ろし、鷲はどこかに飛んで行ってしまった。
「これで風景が良ければ、なかなか快適な飛行だったのに。そう思わないかヱ
すわ
腰が抜けたように座りこんだままのシャオロンに、カイルロッドはつとめて明るく声を
ぅっ    ちゆう        せんさい
かけたが、返事はない。虚ろな表情で宙を見ているだけだ。繊細な神経の持ち主らしく、
おちい
上空から見た街の光景と蛇の姿に名状Lがたい衝撃を受け、放心状態に陥ってしまった。
やしき
情けないやら気の毒やらで、カイルロッドが横でため息をついていると、先に邸から脱
出した人々が待ち構えていたように駆け寄って来た。先頭にミランシャとメイリン、その
後ろをバルトが息をきちして走って来る。
けが
「王子、怪我はlフ」
すす つちぼこり
ふわふわの髪と肩を大きく上下させたミランシャの顔は煤や土壌で汚れていた。
あやつ
「ないよ、おかげさまで。あの鷲、ミランシャが操ったんだろ。ありがとう、おかげで助
かった」
見下ろしてカイルロッドが礼を苧つと、魔女見習いは少し照れたように微笑した。
「シャオロンー しっかりしなさいー」
からだ
日頃の冷静さをかなぐり捨て、メイリンは放心している弟の身体を揺さぶっている。
こわ
「姉さん・・。街が壊れるよ。人が大勢死んでいくんだ・・」
われ
我にかえったシャオロンが、半分泣いた顔で苦しそうに岬いた。眼下に見た光景が、こ
の繊細な青年の神経を苛んでいるのだろう。
「神経が細いと苦労も多いんだろうな」
してい
カイルロッドが同情混じりにツァオ姉弟を見ている横で、
「ミランシャさん、あなたを疑ったことを許して下さい! 烏で人助けができるなんて、
思わなかったんです。しかし、この目で見て、考えを改めました「 鳥寄せとは輿の深い
ものだったんですねー」
しようきん
適応も早く神経も太いバルトが、称賛の二文字を大きく書いた顔で、ミランシャの手を
両手で握り、プンプンと上下に振っている。
出会いは風の予感
81
かたわ      こつけい   おおげき      は
傍らで見ていると滑稽なほど大袈裟な称賛だが、誉められている方は悪い気はしないら
のんき
しい。「たいしたことじゃないのよ」、ミランシャが頬を染めた。寝ていたバルトの呑気さ
ぼうきやくかなた
に腹をたてていたことなど、すっか。忘却の彼方に捨て去っている。
「しかし、大騒ぎだな」
ゆっく。とした足取。で、イルダーナフがようやく姿を見せた。
みよう                にぎ
「妙な骨が動いているし、暴動にゃなるし。賑やかなこった」
すごうで
赤く燃える空と立ち上る黒煙、その間を泳いでいる骨の蛇を、凄腕の剣士は面自そうに
1..r
眺めている。どんな異常事態でも平然と適応できる男だ。
おれ
「俺の連れは神経が太いんだなぁ」
ミランシャとイルターナフを見て、しみじみと実感するカイルロッドだが、もし一l一人が
つぷや
この呟きを耳にしたら、「王子の方がずっと図太い」と反撃するだろう。
「ところでよ、あの蛇はどっから現われたんだフ」
こ、つや  ふ.り′しlん
「ええと、シャオロンが亨っには、荒野に封印されていたらしい」
いきりよう
「あの蛇、凄い力を持っているわ。生霊みたい。並みの魔法使いじゃ歯がたたないわよ」
「えフ それじゃ困るんじゃないですかフ」
イルダーナフ、カイルロッド、ミランシャ、バルトの四人が横一列に並んで空を見上げ
ていると、パァンという音がした。
からだ                 くちぴるか
びっくりしてカイルロッドが身体ごと向き直ると、右手を上げたメイリンと、唇を噛み
いちもくりようぜん      ほは
しめたシャオロンの姿が目に映った。なにがあったのかは一目瞭然、シャオロンの頬が赤
く腫れている。バルトが「うっ、痛い」と自分の頬をおさえて、亀のように首をすくめた。
つられてカイルロッドも首をすくめた。
「あの蛇を倒すためにツァオ一族はいるのよーそれを長たるおまえが逃げるなんて
まがん            ひとみ
魔眼と恐れられるメイリンの黒い瞳が、ギラギラと光っている。激しい怒りを虚わにし
た姉に、叩かれたことでひらき直ったのか、シャオロンが食ってかかった。
「僕は長なんかじゃないー 長は姉さんで、僕はただの飾りだー」
かれつ
聞いているカイルロッド達が驚くほどの苛烈な口調で、長い間ためこんでいたものを早
口にぶちまけ始めた。
ぱけもの
「ツァオがなんだ−街の創立者で魔道士の血筋だっていうだけで、どうしてあんな化物
を倒さなくちゃならないんだけ 街の人は助けたいけど、あんな化物、魔眼程度じゃ封じ
られっこない1 そんなこと、姉さんにだってわかっているはずじゃないかー勝ち目の
たたか                   いや
ない闘いをして死ぬなんて、ただの犬死にだ。僕はそんなの嫌だ「」
出会いは嵐の予感
そぺノはく
おとなしい弟に反発され、蒼白になったメイリンが唇をわななかせた。
「 シャオロン ・−」
メイリンが手を振りしげた。シャオロンはきつく口を結び、覚悟したように日を閉じた。
メイリンの次の行動を予期した見物人達が思わず目をつぶった。
ぬえ        げんか
「血の気の多い姐ちゃんだな。姉弟喧嘩はよくねぇよ」
ひっぱたく膏のかわりに、明るい声がしてカイルロッドが目を開けると、少し意地の悪
つか
い笑みを浮かべたイルダーナフが、メイリンの腕を掴んでいた。
「手を放しなさい」
睨みつけられ、「これは失礼」と、イルダーナフはすまして手を放した。
へぴ          ▼しノや
「…メイリン、あの蛇はなんです? どうして荒野に封じられていたんですか?」
−.Jl.
カイルロッドの問う眼差しに、メイリンは苦いものを噛んだ表情で黙りこんだ。ミラン
シャやバルトの視線もメイリンに注がれた。しばし、重苦しい沈黙が頭上で翼を広げた。
ほのお           ひめいどせい とぎ
炎と混乱に支配された街から、悲鳴と怒声が途切れることなく流れてくる。上空から見
よみがえ
た街の光景が鮮明に迫った。母親を探している子供の泣き声が、カイルロッドの胸を刺し
た。
「・ニ」の街はね、あの蛇の血肉を食べていたのよ… ⊥
聞こえてくる悲鳴や泣き声を振り払うようにメイリンは語気を荒らげた。シャオロンが
つら
辛そうに耳を塞いでいる。
「どういうことだフ」
カイルロッドには、その言葉の意味が理解できなかった。ミランシャとバルトも膏をひ
すわ
ねり、イルダーナフだけ興味のない顔で、下に座りこんで腰の剣の手入れをしている。
ま.こうし
「・・この土地は不毛の地だったの。そこにツァオは街を作ったわ。彼は魔道士だったの
でついん
で、その力であの蛇を封印したのよ。この土地は、この街は蛇の生気を取り込んで栄えて
いたの」
「そんなこと、できるのけ」
きようがく        くちぴるじぎやくてきゆが
魔女見習いの驚愕の声に、メイリンは赤い唇を自虐的に歪めた。
「力の強い魔道士だったそうだから。元々、こんな土地に街を作ることになったのは、近
くの山に金脈があったからなのよ」
そんなふうにメイリンが説明を始めた。
今は採り尽くしてしまった金だが、当時は採掘のために、人が大勢集まった。その人々
が生活するために、街が必要だった。しかし、痩せて水脈もない土地に街は作れない。
1gくだい ほうしゆう
権力者は金の採掘のために街を必要とし、魔道士ツァオは衝の支配権と莫大な報酬を条
出会いは嵐の予感
件に、その仕事を引き受けた。ツァオは魔物を地の底に封じた。蛇の強い生命力を吸い上
うるお
げ、土地を潤し、水脈を呼び込み、街は短時間で完成した。
それから百年の問、生かさぬよう殺きぬよう、封じこめた蛇の力と生命力を汲み続けな
がら、街と人々は生きてきた。
「でも、ツァオにはわかっていた。いつかは蛇が復活すると。その時のために力のある者
を次々と身内にしたわ。けれど歳月は流れ、ツァオ一族とは名はか。にな。、あの蛇を封
まがん
じるだけの力を持つ者はいなくなってしまった。直系の私でもせいぜい魔眼程度よ」
メイリンの説明を聞きながら、カイルロッドは解放された蛇の姿を見つめていた。自年
のろ
の間、地の底に閉じこめられ、生きながら食われていた蛇。闇の中で人間を呪い続けてい
たに違いない。ようやく苦痛から解き放たれた蛇の怒。を前に、魔眼など無力に等しい。
シャオロンが逃げようと言い出すのも、無理からぬことだ。そう思って気丈な美女を見
ひとみ                      いど
ると、燃える黒い瞳で敵を睨み据えていた。負けるとわかっていても、メイリンは挑むの
だろう。ツァオの直系である義務と誇りをかけて。
シャオロンとメイリンと、カイルロッドにはどちらの気持ちも理解できる。
「どうすれば蛇を倒せるんだろう」
つめ
難しい顔で爪を噛んでいると、
たたか
「蛇だけてなく、街の人間とも闘わなくちゃならねぇようだが?」
手入れのすんだ剣で、イルダーナフが後方を指した。その先に人だかりらしさものが見
えた。
ぼうと
「暴徒だー」
さけ
叫んだのはシャオロンだった。
こわ
異様な熱を帯びた奇声をあげ、大勢の人間が押し寄せて来た。手には棒や剣を持ち、壊
れた壁や門から続々と侵入して来る。
やしき        ねら
「ツァオの邸にある財産と食料を狙って来たんだわ▼」
りやくだつ
「わー、略奪だー」
どとえノ
怒涛となって押し寄せる群衆に、ミランシャとバルトが顔色を失った。混乱の最中にお
いて、こうした集団ほど性質の悪いものはない。混乱と集団心理によって暴走し、日常で
しゆうしゆう
は考えられないようなことをしてのける。そうしてますます混乱を大きくし、収拾のつか
ないものにしていくのだ。
「一族の者も多いわ」
つめ
群衆の中に多数の見知った顔を見つけ、メイリンは爪が食いこむほどきつく手を握りし
めた。
出会いは嵐の予感
あり    くず
群衆の目的はミランシャの指摘どお。のもので、砂糖にたかる蟻のように崩れた邸に群
ノ.ト.
がっていたが、ふいにその中の誰かが、こちらを指差して叫んだ。
「ツァオ・メイリンがいるー」
ぞうお                ふく
それは憎悪の叫びであ。、たちまち群衆の問に殺意が膨れ上がった。
おき
「ツァオの長だ−」
つら
「なにがツァオだー街も護れないくせにさんざん大きな面をしやがってー」
「あの蛇を倒せ、そのためのツァオだろ!」
秩序が崩れた今、人々のツァオへの積年の恨みが一気に吹き出した。「いざという時、
にんじゆう
街を護る」、そういう暗黙の約束があったからこそ、街の人々はツァオの圧政にも忍従し
てきた。それがどうだ、ツァオはなにもしない、できないではないか。
「姉さん、逃げよう。このままじゃ、殺されるよー」
たか                 つか
異様なまでに昂ぶった群衆の殺意に、シャオロンが姉の腕を掴んだ。その手を払いのけ、
メイリンはその場にとどまった。
めぎつね
「あの女狐を殺せ!」
しいた
「今までさんざん俺達を虐げたツァオの女だ、遠慮なんかいちねぇー」
はこさき
怒。の矛先をメイリン一人に向け、群衆が目を血走らせてやって来る。
「ちょっと、どうするのl」
気丈なミランシャも、押し寄せる群衆を前にしては恐怖を隠せない。バルトは動揺のあ
ひめい
まりわけのわからない悲鳴をあげ、ハタハタと足踏みしている。
「勝手なことをー」
放っておけば、メイリンもシャオロンもなぶり殺しにされるだろう。舌打ちしてツァオ
さや
姉弟の前に出ようとしたカイルロットを、イルダーナフが稗で刺した。
まか             やと
「待ちな、王子。ここは俺に任せてもらおうか。一応、王子に雇われてる身だからな。少
ほうしゆう
しは働かねぇと、後で報酬を減らされそうだからよ」
ぶっきらぼうに言い捨て、巨躯が風のように動いた。メイリンが目をみはり、シャオロ
ぼうぜん
ンが茫然とその後ろ姿を見送った。
たぜい ぷぜい
「ちょっとおじさん、無茶よー い′、ら強くたって、多勢に無勢よ⊥
広い背中に同かって、ミランシャが声を張り上げると、イルダーナフは振り向かずに小
さく手を振った。
「あの人、強いんですか?」
うなヂ
足踏みしたバルトの不安そうな目に、カイルロッドは無言で領いた。額くしかなかった。
イルダーづフが強いことは重々承知している。しかし、ミランシャではないが、多勢に無
出会いは嵐の予感
勢だ。いくら達人でも形勢不利である。
生きた心地もしないカイルロッド達の心情を知ってか知らずか、イルダーナフは肉食獣
の笑みで群衆の真っ正面に立った。
お     Efか
「生命が惜しくない馬鹿だけかかってこい」
切っ先を突きつけての忠告に、
「ほざけー」
はうこう                      ひらめ
まだ若い男が一人、咄噂をあげて斬りかかってきた。瞬間、イルダーナフの剣が閃き、
ごかん             のつしよう
努は剣を振。上げたまま、頭から股間まで縦一文字に斬られた。血と脳梁をまき散らかし、
からだ
割れた身体が右と左に倒れた。
あつけ
速さといい骨ごと切断する力といい、尋常ではない。見ていたカイルロッドは呆気にと
Jご   つ.ゆや
られ、バルトが「凄い」と呟いた。あま。の鮮やかさに、群衆が怯んだ。
「怯むなー 相手は一人だ、やっちまえー」
せんどう
群衆の中から勢いのいい声があがる。イルダーナフのよく光る黒い目が扇動していると
見られる男をとらえた。
わぁっ、と歓声をあげ、数十名の男女がイルダーナフに襲いかかった。
ぎこ
「悪いが雑魚にゃ用はねぇんだ」
イルダーナフが跳んだ。襲いかかった男女の頭上を飛び越え、その男めがけて剣を薙ぎ
レワゆう
払う。一振りで首が十数個、鮮血を吹いて確に飛んだ。地鳴りをたてて胴が倒れ、その上
にそれぞれの首が落ちた。
つえ
「死にたくなかったら、とっとと失せな。断っておくが、俺は強えぜ」
音もなく着地し、イルダ〜ナフはプンツと剣を振った。血が数人の顔に飛び、情けない
ひめい
悲鳴があがる。
扇動者の死と恐るべき敵の出現で急激に熱の冷めた群衆達が、まるで蜘蛛の子を散らす
ようにしてツァオの敷地内から逃げだした。
「いい逃げっぶりだぜ」
きや            ゆうゆう
剣を棺におさめ、イルダーナフは悠々と戻って来た。
「あんた、本当に強いな」
シャオロンとバルトが英雄を見る少年の顔で、イルダーナフを迎えた。ミランシャなど
ばけもの                      ぁんど
「考えてみれば、化物にも勝てるような人が、人間相手に負けるわけないわね」、と安堵を
あくたいごまか                    しょぅさん
悪態で誤魔化した。メイリンは撃一盲だったが、その顔には静かな称賛と尊敬があった。
苦い表情をしているのはカイルロッドだけだった。残された死体を見ると、シャオロン
やバルトのように、手放しで称賛する気にはなれない。
出会いは嵐の予感
「とりあえず群衆は追っ払ったが、これからどうするね。王子」
まなぎ
複数の称賛の眼差しを一身に受けながら、イルダーナフがやって来た。カイルロッドは
うわめづか  すごうで
上目遣いに凄腕の剣士を見上げた。
「殺しすぎじゃないか?」
とが
答める口調に、イルダーナフは太い眉を動かした。
「そうかいフ」
かん
心外というより、当然それを予想していたような口振りが、カイルロッドの痛にさわっ
た。
「だって、一般市民だ。化物でも暗殺者でもないのに」
やつ
「剣を向けた奴はすべて敵だ。一般市民だってな、欲に目が眩んだ奴あ、化物にも暗殺者
にもなるんだぜ」
せいさん
斬り捨てるような鋭い]I調で言われ、カイルロッドは上空から見た凄惨な光景と子供の
泣き声を思い出し、返す言葉を失った。
「俺に言わせ。やな、あの蛇なんかよ。も人間の方がずっと怖えぜ」
黒い目が冷たく光った。
「それに、俺は被害を最小限にしたつも。だぜ。ああいう連中には必ず扇動している奴が
うご・フ
いる。そいつとその手下どもさえいなけりや、後は烏合の衆よ。だから、そいつらを殺し
かんしよう
た。そうしなけりや、もっと多くの死者が出た。おまえさんのはただの感傷だ」
迷いも後悔もない声できっぱりと言われ、カイルロッドはなにも言えなくなってしまっ
た。目先の感傷に流されている自分の甘さを痛感し、肩をおとしてうなだれていると、イ
ルダーナフの大きな手が背中を叩いた。
「優しさってぇのは美徳だが、人の上に立つ者は優しいだけじゃつとまらねぇ。そいつを
覚えておきな」
そう言ったイルターナフの黒い目が、ふっと優しくなった。
「覚えておくよ」
顔を上げ、カイルロッドは微笑した。
とんきよう
と、その時、ミランシャとバルトの二人がすっ頓狂な声を上げた。
へぴ
「蛇が消えてるけ」
はじ
その言葉に弾かれて、カイルロッドは空を見上げた。まったく気がつかない間に蛇の姿
が消えていた。
「どこに消えたんだ膏」
取り乱したカイルロッドがミランシャの肩を揺さぶると、
3 出会いは嵐の予感
「そんなこと、あたしに訊かないでよーあたしにだってわかんないんだからー」
どな
怒鳴。つけられた。
「まさか… 街の外に出たのではけ」
身の毛もよだつバルトの恐ろしい発言に、カイルロッドとミランシャは顔をひきつらせ
た。そんなことになったら、まさに最悪ではないか。蛇が人間を恨んでいることは確かな
のだ。街の人々ばかりか、人間という人間を手当たり次第に殺害しかねない。
けつかい
「街の外には出られないと思うよ。ツァオの結界が張ってあるから。おそらく、朝が近づ
いたから地の底に戻ったんだろう。魔物は朝に弱いから」
ノ.1
想像して青ざめたカイルロッド達を、弱々しい声が宥めた。シャオロンだった。その声
しようすい
だけで惟俸ぶ。がうかがえた。
日中は動かず、結界があると聞いて、「よかった」と、ミランシャが安心したところに、
鋭い否定がとんだ。
「安心はできないわ。ツァオの結界など、蛇が完全に力を取り戻せば破ってしまうでしょ
はつき
ぅ。そう、今夜にでも結界は破られるわ。魔物は夜にこそ力を発揮する。おそらく今夜、
蛇は力を取り戻すでしょうね」
.71一
蛇の完全復活を予言して、メイリンが空を仰いだ。ミランシャが、バルトが空を仰ぎ見
た。
いつしか空は白み始めていた。
はのお
街を焼いた炎はくすぶり、黒煙が朝の光を遮るように立ち上る。
「それが本当なら、倒すのは日申しかねぇようだな」
まぷ
眩しそうに目を細め、イルダーナフが薄く笑った。
夜明けとともに悪夢が終わったわけではない。この静けさは蛇にとっても、人間にとっ
ても、本番前の小体l上にすぎない。夜になれば蛇は完全に力を取り戻し、街を破壊し、
人々を殺し、ツァオの結界を破って出て行くだろう。
おんねん
「百年の怨念に勝てるのだろうか  」
刻々と明るくなっていく空を児ながら、カイルロッドは長い息を吐き出した。
I、し
やみ おお         よよノしや
陽光は、夜の闇が覆い隠していたものを容赦なく照らし出した。
がれき                  くず かおく
瓦礫と化した街のあちらこちらに、死体が転がっている。崩れた家産の下敷きになった
もの、炎に焼かれて炭化したもの、暴行と私刑を受け、人の形すらとどめていないもの
ざ11..
− 無残な死と破壊、割出しになった人の心の闇が、光の中に曝け出されていた。
地合いは嵐の予感
へぴ
「どう見たって、この死体の多さは蛇だけのせいじゃねぇぜ」
むくろ        しかばね            じゆう
まだ幼い子供の骸や、暴行されて死んだ娘の屍を目にして、さすがのイルダーナフも渋
めん
面になった。
「こんな死に方するなら、蛇に殺された方がまだましよー」
瓦礫の中を歩きながら、主フンシャは正視に耐えないというように顔をそむけ、吐き捨
びれしl   ゆが
てた。もはや吉葉もなく、美麗な顔を歪めているだけのカイルロッドの横から、哀感のこ
もった声がした。
「どうして、なんの罪もない子供や女まで殺すのだろう」
まぶか
それは右足を少しひきずり、目深にフードをかぶったシャオロンの問いだった。カイル
ロッドも問いたかった。どうして人間は同族殺しをするのか、と。
どうして − フ
おの
死んでいった人々はそう問うたに違いない。突然の己れの死に対して、死をもたらす狂
気と暴力に対して、絶命する直前まで問うただろう。
どうして1つ
ふしゆう      ひぎ       いた
ヵィルロッドの長い髪が揺れた。風が腐臭を運んできた。陽射しの下で死体が傷み始め、
どこからともなく黒い烏が集まってきた。
ぱlぎ        おさなご
「どうしてですけ この老いた婆が生き残り、こんな幼子が死んでしまうなと。神様、ど
うしてですかけ」
がれき            ろうば なげ
瓦礫の中で死んだ幼子を抱きかかえた老婆の嘆きが聞こえた。生き残った人々は虚ろな
顔でその場にうずくまり、あるいは泣き叫び、また肉親を探して歩き回っている。
へぴ    こうつごう
「人間同士の殺し合いは、蛇にとっては好都合でしょうね。大地に血が多く流れるほど、
力になるんですもの」
つ.かや
フードを深くかぶり直し、メイリンが抑揚のない声で呟いた。二人がフートをかぶって
いるのは、街の人間にツァオ姉弟だと知られないためだ。昨夜の様子からも、ツァオ姉弟
だと知られたら、どんな騒ぎになるかわかったものではない。
「ところで、あなた達」
ふいにメイリンが立ち止まった。なにごとかと、カイルロッドが身構えると、
「昨夜は色々とありがとう。助かったわ。でも、なにも私達に付き合うことはないのよ。
さが
街を出るなり、捜し物をするなり、それぞれの目的を果たしなさい」
ひとみ       まがん
フードの奥で黒い睦が優しく笑った。魔眼と恐れられる女性が、こんなにも優しい目を
するなどと、カイルロッドには少し意外に感じられた。
「そうだー早く銀杯を見つけないと−このままでは国に帰れないー」
出会いは嵐の予感
おの              わめ
メイリンに言われて、ようやく己れの目的を思い出したバルトが喚いた。
「銀杯が街の外に出たとは思えない。そんな暇もなかっただろうし。多分、まだこの街に
あるはずだ」
「・・バルト…。この瓦礫の中から、銀杯を探しだすのかフ」
みけん しわ
ぷつぷつ言っているバルトを見ながら、カイルロッドは眉間に級を寄せた。他人事なが
めまい                    かか
ら、考えただけで目眩がしてくる。バルトも目眩を感じたのか、頭を抱えてしゃがみこん
でしまった。
「でフ 俺達はどうするね、王子。街を出るかい?」
あご な                   モらぞら
ざらつく顎を撫でまわしながら、イルターナフがいかにも空々しく意見を求めた。「答
えがわかっていて、わざわざ訊くんだもんな」、口の中でぼやいてから、
「ここまで来たら、最後まで付き合うよ。よろしく」
はほえ
カイルロッドは微笑んで、メイリンとシャオロンの前に手を差し出した。予測済みだっ
たイルダーナフとミランシャは「付き合いのいい王子だ」と、苦笑を交わし合ったが、メ
イリンとシャオロンは驚いただろう。
いのち       ばか
「坊や。つまらない同情と正義感で生命を捨てるのは、馬鹿のすることよ」
握手のかわ。にパンツと叩かれた。少し赤くなった手の平を動かしながら、
「生命を捨てるつもりはないよ。まだ死にたノ、ないから。ただ、ここまで関わったら、も
う無関係じゃない。それなら最後まで見届けないと気がすまないんだ」
ふしゆヱノ
カイルロットは澄んだ青い目に、瓦礫と腐臭の広がる光景を映した。
ぱけもの
化物と人の引き起こした傷跡から目をそむけ、その場を立ち去って忘れてしまえば楽だ
ろう。だが、とうやらそういうことができない性格らしい。
「育ちのいい坊っちゃんだからよぉ」
あき
呆れたようなイルダーナフのぼやきが聞こえたが、カイルロッドは聞こえないふりをし
あきら
た。メイリンはしばらくカイルロッドを睨んでいたが、意見を変えそうもないと諦めたの
か、71ツと息をつき、
「じゃ、勝手になさい」
投げやりに片手を振った。
「わざわざ危険に飛びこむなんて、変わってるな」
フードの下で、シャオロンが苦笑したようだった。
へびたいじ
「少しは役にたつと思うよ。蛇退治はともかく、街の人間達の襲撃からは護れるはずだ。
そうだよな」
同意を求めてイルダーナフを見ると、「お安いご用だ」、頼もしい返事が返ってきた。
出会いは嵐の予感
99
なご
一息ついて空気が和むと、下からカイルロッドを呼ぶ声がした。見下ろすと、地面にの
の字を書いているバルトの姿があった。
「なにをしてるんだっ」
よノかが             いや
声をかけると、バルトはカイルロッドの顔色を窺うような上目遣いをした。なんだか嫌
な予感がして背中を向けると、
「蛇を倒した後でいいんですけど、銀杯を見つけるのを手伝ってくれませんかフ この中
から一人で見つけだす自信がないんです」
すそ つか
ズボンの裾を掴まれ、カイルロッドは前につんのめった。
「カイルロッドさんは親切ですよね。困っている人間を冷たく突き放すような人じゃあ。
ませんよね。カイルロッドさんは優しい人ですから、きっと手伝ってくれますよね」
「う・・・」
つかや
背中から陰気に呟かれ、カイルロッドはたじろいだ。連れの二人に助けを求めるが、
「あたしは嫌よ」
ごめん
「俺も御免だ」
にべもなく断られ、バルトの泣いてすがらんばかりの様子に、ついカイルロッドは首を
あご
縦にふってしまった。見物していたシャオロンが顎に手をあて、頭を左右に振った。
「では、一刻も早く銀杯を探してもらうために、早いところ蛇をやっつけましょう⊥
たちまち元気になったバルトが立ち上がり、しごく簡単に竺口った。あまりの空気楽ぶり
に、ミランシャが腰に手をあてて、バルトの前に立った。
「あのね、バルト。簡単に言うけど、倒す方法があるのフ それに第一、地の底に逃げた
蛇をどうやって見つけるのフ」
なにも考えていなかったバルトがすっとぼけた顔で視線をそらし、人差し指で類をポリ
ポリと掻いた。
「そうか、簡単じゃねぇか。引っ張り出して、ぶった斬る。それだけの話だ」
指を鳴らし、イルダーナフは斡こと背中の剣を抜いた。
「簡単フ どうやって引っ張り出すんだフ」
いぶか                 っか
訝しむカイルロッドの懐を、イルダーナフは剣の柄で軽く突いた。
「ええフ この短剣を使うのかっ」
苦わんとするところを察して、カイルロットが短剣を取り出すと、イルターナフは潜足
そうな顔をした。
「確かそいつにゃ、魔除けの威力があるんだろフ それであいつをいぶり出すのさ」
のぞ
魔除けと聞いて、メイリンが横から短剣を覗きこんだ。
出会いは嵐の予感
「それが本当なら、やってみる価値はあるわ。蛇がまだ弱いうちなら、効果があるかもし
れない」
くらやみ
暗闇の中で一条の光を兄いだしたようなメイリンに、カイルロッドは「あの巨大な蛇に
魔除けが効くかどうか」、という不安の害葉を飲み下した。過剰な期待をかけられて回っ
た顔をしていると、
だめ
「陰気な顔しないでよー何事もね、試してみなけりやわからないんだからー駄目て
元々、当たればもうけよー」
たんか
ミランシャの威勢のいい喚呵がとんできた。こういう場合、実に思い切。のいい少女で
ある。
「こいつは名一言だぜ」
あつけ
イルダーナフが手を打って豪快に笑った。呆気にとられていたメイリンやシャオロン、
バルトまでもつられたように「そのとおりだ」と笑い、カイルロッドは急に肩が軽くなっ
たように感じた。
「駄目で元々、当たればもうけか」
っまり当たって砕けろということだ。「そのとお。だ」、カイルロッドは気持ちを切。替
えた。
「それじゃ、人の迷惑にならないような場所で試してみよう。どこがいいかな」
カイルロッドが選択に首をひねっていると、ミランシャが胸の前で手を叩いた。
こ、つや
「荒野はどう? 見晴らしはいいし、人はいないだろうし。なにより蛇の封じられていた
かん
場所だもの。あたしの勘だと、蛇はきっとその近くにいるわ」
こうつごう
「ああ、そりゃ好都合だぜ」
はず
イルターナフも賛成し、異議を唱える者もいなかったので、街外れの荒野で試すことと
なった。
一行は人の目につかないように衝を通り抜け、荒野にたどりついた。
きつぱつ         せいじやく      がれき
殺伐とした地には、凍ったような静寂が横たわっていた。瓦礫と化した街をさまよう
なげ  のろ
人々の嘆き、呪い、祈りも、ここまでは届かない。ひび割れた大地の上にカイルロッド達
の影が落ちる。他にはなんの影もない。
「それじゃ、離れていてくれよ」
中心部に向かって歩きながら、カイルロッドはミランシャ達に声をかけた。これからな
にが起こるかわからない。万がlの場合を考えて、できるだけ安全な場所にしてほしいと
いう配慮を、メイリンが拒絶した。
出会し−は嵐の予感
ぱうかん
「これはツァオの仕事だわ。ツァオである私が傍観しているわけにはいかないのよ」
フードを脱ぎ捨てたメイリンが、カイルロットとイルターナフを追ってきた。
たたか
「力にならないかもしれないけど、私も闘うわ」
あわ
挺子でも動きそうにない。カイルロッドはその責任感の強さに敬服しながらも、憐れを
感じた。メイリンのその強さが、自分と弟を縛。つけているのではないだろうかC
いつしよ               ゆが
見ると、ミランシャやバルトと一緒にいるシャオロンが、苦しそうに顔を歪めてこちら
を見つめている。
L′、    1r
「あの壷、姐ちゃん。俺は基本的におまえさんのそういうところは好きなんだがよ、ちい
しlこりレ
っと意固地になっちゃいねぇかフ」
めんどう
説得しようとしたカイルロッドより二心早ノ\頭を掻きながらイルターナフが面倒そう
に口を開いた。
「おまえさんの自尊心を傷つけるようですまねぇが、役にたたないのがいると、邪魔にな
っちまうんだよ」
ずけずけと言われ、メイリンの顔から表情が消えた。細い肩が小刻みに震えているのが
わかった。
「それにな。おまえさんが避難してくれねぇと、弟も避難できねぇんだぜ。姉思いの弟だ
けが        たたか
からよ。役にはたたねぇ、おまけに足を怪我してるってぇのに闘わせる気かいっ なぁ、
ごしようだいじ
義務とか誇りとか、そんな肩のこるもん、後生大事にするこたぁねぇよ。そんなもんより、
たいせつ
もっと大切なものがあるんじゃねぇのかいフ」
たんたん             こわね
淡々としているが、いつになく優しい声音にカィルロッドは少し驚いた。
「しかし、ツァオは ・−」
つか
激しく自尊心を傷つけられ、食ってかかろうとした美女の肩を掴んで、イルターナフは
反対側を向かせた。メイリンがハッと息をのんだ。
ミランシャやバルトの止める手を振りきって、右足をひきずりながらシャオロンがやっ
そうぽう
て来る。メイリンの双畔が大きく開かれた。
もくぴょう
「俺は逃げることが腰病だとは思わねぇ。人間にゃ向き不向きがあるもんさ。おまえさん
の弟は荒っぽいことに向いてねぇ。ただそれだけだ。それを能無しみてぇに決めつけるの
は、ちょいと気の毒なんじゃねぇか?」
背中を押され、数歩踏み出したメイリンが両手で口元をおさえた。
「人間をひとつの物差しで計っちゃいけねぇんだよ」
つぷや        せいかん
そう呟いたイルダーナフの精悍な顔に、ほろ苦いものが刻まれていた。
5  出会いは嵐の予感
こうや
魔女見習いのミランシャが、メイリンとシャオロン、バルトの三人を連れて、荒野の外
れに避難した。しかし、障害物がなにもないので、遠く離れていても互いに姿が見える。
なまぐさ
生臭い風の吹き抜ける荒野の中央にぽつんと立ち、短剣をいじりながらカイルロッドは
破顔した。
「驚いたな」
「なにがっ」
正面のイルダーナフがつまらなそうな顔で、刀身を陽にかざしてあれこれと調べている。
カイルロッドはなびく髪を片手でおさえた。
「メイリンに色々と言っていたじゃないか。驚いた」
だて とし
「ふふん。伊達に歳をくってるわけじゃねぇからな」
えたい
鼻で笑った大男を、カイルロッドは目を納めて見ていた。得体の知れない中年男だが、
その言動に時々、この男の歩んできた人生が見え隠れする。豪快で陽気でしたたかで、だ
しんく な
が、若い頃はさまさまな辛苦を舐めたのではないか。自分のことはなにも語らない男だか
ら、訊いてもきっと答えてノヽれないだろうが。
きぎし    まね
「これで詐欺師みたいな真似さえしなけりや、文句のない男なのに」
ガま  やす
騙され易いカイルロッドは、しみじみと思った。
うなが
太陽が真上にきた。手をかざして見上げ、イルターナフはカイルロッドを促した。
「おい、卵王子。そろそろやるぜ」
「わかったけど、卵王子はやめてくれ」
「悪かったな、馬王子」
「うるさいっー」
ぼんきい
「大声を出すなよ、盆栽モ子」
「どうせ俺は卵から生まれて、魔法で馬にされて、趣味が盆栽の王子だよ! それが悪い
のかー」
顔を向けて怒鳴り返すと、イルターナフが剣先で地面に、割れた卵から馬が顔を出して
いる絵を描いていた。なかなか達者な給だ。
「絵にすると一層笑えるな」
真顔で言われ、カイルロッドは顔を真っ赤にした。完全にからかわれている。
「勝手に笑っていろー」
怒りにまかせてカイルロッドは短剣を地面に突き立てた。
一瞬だが、大地が大きく揺れた。
「おおっ、さすが魔除けの剣だぜ。効果があるじゃねぇか」
へぴ
そのあとは大きな揺れこそないが、足元がかすかに震動している。地の底で蛇がもがい
ているようだ。
「早く出て来てもらわんとな」
ニッと笑ったイルダーナフが背中の剣を、地面に突き立て、それで奇妙な文様を描いた。
「魔物の嫌いなものよ」、不思議そうな顔をしているカイルロッドにそう言って、イルダー
ナフは再び剣を突き立てた。
オォォォン ・〜
ぷきみ lきつこうとどろ               からだしび
地の底から不気味な鴫埠が轟き、大地と大気を震動させた。どリビリと身体が痺れた。
離れているミランシャやメイリン達から、短く鋭い声があがった。
「来るぞ!」
うれ
嬉しそうなイルダーナフの叫びと同時に、大地が大きくうねり始めた。地の底で蛇がの
たうちまわっているのか、波の高い海に出た小船のように、足元が大きく揺れる。
「酔いそうだ」
じゆ・つめん
渋面でカイルロッドは軽ロをたたいた。投げ出されないよう、力を入れて踏みとどまっ
きれつ
ていると、すぐ横に亀裂が走った。地面に突き立てた短剣を取り、カイルロッドは反対側
に跳んだ。
出会いは嵐の予感
地場。と震動の中、土砂を押し退けて、骨の蛇が姿を現した。
. 1
カイルロッドは蛇を見上げた。間近で見ると大きい。全身が現われたわけでもないのに、
それだけで軽く一〇メートルはある。
こぎか  まね
(小賢シイ真似ヲスル)
その声は耳でなく、直接頭の中に聞こえてきた。
「イルダーナフ、聞こえたかつ」
「ああ。聞かないですむなら、聞きたかねぇ声だぜ」
「そうだな」
カイルロッドも同感だった。錆びた鉄を擦。合わせたような、聞いていて胸が冷たくな
る声だった。蛇の声はこの場にいる者達に聞こえているらしく、離れているミランシャ達
も顔をしかめていた。
いまいま        われ
(忌々シイ人間ドモガ我二手ムカイスルカ)
きつりく
「殺教をやめろー これ以上、人間を殺すなー」
無意味だと思いつつも、カイルロッドは言わずにはいられなかった。蛇を憎む気持ちに
はなれなかったからだ。
「説得できるとも思えねぇが」
えんご                           ぁき
カイルロッドの援護という形をとっているイルダーナフが、ロを思いきり曲げた。呆れ
ているのだろう。
蛇はやや風変わりな人間二人に興味を持ったのか、すぐには襲いかかってこなかった。
へいげい
かま首をもたげ、下の人間を脾睨している。
「街には人が大勢住んでいる。女子供もいる。憎む気持ちもわかるが、やめてくれ」
(ヤメヌ。コレハ殺教デハナィ。我ノ当然ノ権利ダ)
こんが一ハ     がんか               ぞフお
カイルロッドの懇願に、蛇は暗い眼満の奥に赤い火を点らせた。鬼火だ。憎悪の火だ。
蛇にあるのは人間に対する憎悪だけだ。
(人間ドモこ罪ガナイトイウノナラ、我ニドンナ罪ガアッタノカ? 我ハ人間二害ヲナシ
タコトナドナィ。我ハ人間ナドニ関ワラズ生キテキクノダ)
ひぎ
強い陽射しの下、蛇がガチガチと歯を鳴らした。乾いた音を聞きながら、カイルロッド
は短剣を構えていた。
ふもと
(我ハ緑ノ広ガル静カナ土地ノ、山ノ禁デ畢フシティタ。人間ハ我ヲ山ノ神トシテ敬ッテ
おろ
ィタカラ、我モ人間二手出シナドシナカッタ。人間ハ愚カシクズルイガー 少ナクトモ我
出会いは嵐の予感
ハ憎ンテナドイナカッタ。ツァオガ来ルマデハ)
くちぴるか
聞いているツァオの子孫達が、きつく唇を噛みしめた。
(ツァオトイウ魔道士ガ、我ヲコンナ土地二連レテ来タ。我ノカヲ利用シ、水脈ヲ呼ビ寄
セ、土地ヲ豊カニシタ。ダガ、ツァオハソレダケデハ飽キ足ラズ、我ヲ封ジコメタ。ソレ
カラ百年、我ハ人間ドモニ生命ヲ吸イ取ラレティタノダ。コノ地ハ我ノ血、我ノ肉。人間
かて
トモハ我ヲ食ッテ生キテキタ。ダカラ、我モ人間ヲ食ッチャル! 人間ドモノ血ヲ我ノ塵
トスルノダー)
かなた
土の下に隠れていた蛇の尾が、はるか彼方から地面を割って現われた。
「巨大化してる〓」
カイルロットは目を剥いた。昨夜見たよりもはるかに大きい。力をつけているだろうこ
とは予測していたが、まさか巨大化していようとは考えもしなかった。
「いやー、こいつは盲点だったぜ」
「落ち着き払ってl言わないでくれ−」
心底感心している男から顔をそむけ、カイルロッドはミランシャ達の方に目をやった。
顔色を変えて逃げまわっている。
ぬら
「あっちの適中のことより、気をつけろよ、王子。おまえさん、集中的に狙われるぜ」
「えっけ」
不吉なことを言われ、ギョッとしたカイルロッドに、「自分の身は自分で守れよ」、薄情
せりふ          すばや
な台詞を残し、イルダーナフは素早く離れてしまった。
「薄情者−」
叫んだカイルロッドの周辺が暗くなった。自分の周りにだけ影が落ちていると気づき、
カイルロッドが顔を上げる。と、真上に蛇がいた。ほんの半瞬だが、カイルロッドは文字
かえる
どおり蛇に睨まれた蛙になってしまった。
蛇はカァッとロを開け、カイルロッドを噛み砕こうと、急降下した。
きば
ゾロリとした牙を避け、カイルロッドの長身が後方に跳んだ。が、それが失敗だった。
うな
プンッと空気が唸り、蛇の尾が鞭となり、カイルロッドめがけて、しなった。
「1日」
すれすれで避けたつもりだったが、尾の先の骨が衣服の袖にひっかかり、カイルロッド
はそのまま飛ばされた。
「指輪が−−−1H」
ひも
ひっかかった袖口から胸のあたりまで服が裂け、首に下げていた皮紐も切られてしまっ
た。紐に通してあった指輪が光を反射しながら、カイルロッドの飛ばされた反対側に弧を
出会いは嵐の予感
描いて飛んでいった。
▼I・1
「母の形見の指輪が… 」
手を伸ばしたが、届こうはずもない。
大きく飛ばされながら、カイルロッドは空中で猫のように回転して着地した。
(人間ゴトキl一同情ナドサレテタマルカ)
ひぎ
片膝をついたカイルロッドに向けられた蛇の目が暗く燃えている。カイルロッドが集中
的に狙われるのは、蛇の自尊心を傷つけたせいらしい。
「そんなつも。はないんだが」
息苦しいまでの殺意をぶつけられながら、カイルロッドは蛇よ。も、なくした指輪の方
みのが
に気をとられていた。その隙を蛇が見逃すはずはなかった。
一ぼけっとしているんじゃねぇー」
しっンh
鋭い叱咤に我にかえると、正面に蛇のロがあった。その巨大な口の上に、黒い影が跳ん
だ。イルダーナフだ。
太い笑みを口元にはりつけたイルダーナフが、気合いをあげて振。かぶった剣を打ち下
ろすのと、カイルロッドがその場から移動したのと、ほぼ同時だった。
カシーン。
固く乾いた物を切断する音がした。イルターナフの剣が蛇の頭を斬り落とした。凄まじ
ずがいこつ   つちぼこり
い力である。カイルロッドが立っていた場所に蛇の頭蓋骨が落ち、土壌をたてた。
からだ         こうや
頭を失った身体が狂ったように動き、荒野の上をのたうっている。
たたか                ばか
「闘っている車中にぼんやりするんじゃねぇよ、この馬鹿王子−」
きや
剣を鞠におさめたイルダーナフが「馬鹿」を連呼する。
「だって、指輪が飛ばされちゃったんだー」
しか                                          っぷや
叱られた子供のように言い返し、カイルロッドは「どうせ馬鹿だよ」と呟きながら、指
にじ
輪を探しに動いた。ひっかけられた時に皮膚も裂け、傷口から血が渉んでいたが、それよ
り指輪を見つける方が先だった。
指輪の飛んだ方向に走って行くと、
「王子−」
「逃げろー」
ひめい
背中からミランシャとイルダーナフの声、メイリンやシャオロン、バルトの悲鳴が聞こ
えた。
「け」
振り返ると、切り落とされた蛇の頭蓋骨が、地面すれすれの高さで、カイルロッドめが
出会いは嵐の予感
けて飛んでくる。
(許サヌー)
しゆよノねん
恐るべき執念だった。
がんか
逃げなくては ー わかっているのに身体が動かなかった。あの目に、いや眼肩の奥の憎
悪に射すくめられたのか、身体が動かない。
噛み殺される。
すみ
頭の隅でひどく冷静な声がした。
いや
「嫌だ、まだ死にたくない ・−」
のど    さけ  すペ
頭の中の声を否定するように、喉から激しい叫び声が滑り出た。
青い空と大地が白銀色の光に包まれた。
光が消えた時、風景が変わっていた。大地が灼け、蒸気があがっている。蛇の頭蓋骨は
くず
真っ黒に焦げて転がっていた。暴れていた身体の骨は粉にな。、風がその形を崩していた。
「なんだ・・・フ」
すわ          ぽよノぜん つぷや
焼けて熱い大地に座りこんだカイルロッドが、茫然と呟いた。頭が割れるように痛む。
あの奇妙な頭痛だ。
「なにが起きたんだフ・」
とな
すぐ隣りには真っ黒になり、一回りも小さくなった蛇の頭蓋骨が転がっていた。傷のこ
きれい
とを思い出し、胸のあたりを見てみると、傷は綺贋に消えていた。
「どうなっているんだ?」
頭痛に、カイルロッドがしかめっ面で頭をおさえていると、
だいじようぷ
「王子、大丈夫っ」
ミランシャがやって来た。続いてイルダーナフ、ツァオ姉弟、バルト達が来た。それぞ
たたか     あんど
れの顔には、闘いが終わった安堵と喜びがうかんでいた。
「坊やが魔法使いとは知らなかったわ」
えんぜん ほlまえ                                         いそが
腕無と微笑み、メイリン。バルトの手を借りて立ち上がったカイルロッドが、忙しくま
ばたきをした。
おれ
「魔法使いフ 俺がフ」
いや
「だって、坊やが蛇を倒したのよ。嫌だわ、覚えていないのっ 坊やが光を発したのに」
風に流される灰と化した蛇の骨を指し、メイリンがおかしそうに声をたてた。そんなこ
とを言われても、カイルロッドには実感がない。
「そうなのか?」
7 出会いは嵐の予感
困ってイルターナフを見上げると、「よくわからん」と言われ、ミランシャは「あたし
もよくわかんない」、と肩をすくめた。バルトとシャオロンも首を横に振。、明快に断定
まがん
しているのはメイリンだけだった。これも魔眼ゆえなのだろうか。
「俺が魔法使いか。知らなかったな」
つぷや
他人ごとみたいに熱のない芦で呟いてから、カイルロッドは重大なことを思い出した。
「指輪− 指輪を見つけないとー」
かつこよノ
ぅゎずった声を出して、地面にへばりついた。「情けない格好」、ミランシャがげんな。
と呟いたが、今のカイルロッドにはどうでもいいことだった。格好や、魔法使いかどうか
かたみ         たいせつ
などということより、母の形見の指輪の方が数倍も大切なのである。
「わかった、わかった。全員で手分けして探してやっから。そんな子供みてぇな顔すんな
よ」
フなヂ
見かねたイルターナフがそう言い、ツァオ姉弟とバルトも領いた。
こうや
こうして六人は、指輪を探して荒野を歩きまわることになった。ツァオ姉弟とバルトが
はず
かたまって荒野の南を、イルダーナフは外れを一人で、カイルロッドとミランシャが北側
いつしよ
を一緒に探していた。
「なくしたなんてことになったら、ダヤン・イフェと父の二人がか。で、説教されるに決
まっている」
いや          たたかしんかん
考えただけで涙が出てきそうになった。なにが嫌かと言えば、父サイードと闘う神官の
二人がかりの説教ほど嫌なものはない。頭痛をこらえながら、カイルロッドが目を皿のよ
うにして指輪を探していると、
(ナントイウコトダ。即が、気ガツカナカッタノダロウ。アナタハ )
だしぬけに頭の中で蛇の声がした。蛇は死んだものとばかり思っていたカイルロッドは、
総毛だった。そして、勢いよく振り返った。遠くにある黒い蛇の頭蓋骨がかすかに揺れて
きつか′、
見えるのは、目の錯覚だろうか。
「どうしたの?」
すぐ横で探しているミランシャが手を止めて、立ちすくんでいるカイルロッドを下から
見上げた。
「蛇の・」
言いかけた途中で、カイルロッドは口をつぐんだ。ミランシャも、他の五人も黙々と指
輪を探している。あの声が聞こえていれば、黙っているはずはない。
「・・俺にしか聞こえていないんだ」
えたい
得体の知れない冷たいものが背筋を這い上がった。声は再び聞こえた。
出会いは嵐の予感
われ
( アナタガ何故、我ヲ殺スノデスフ・何故、アナタガ l )
「油断するな、蛇はまだ死んでいないtL
さけ              ぜつきよう
叫んだカイルロッドの頭の中で、蛇の絶叫が聞こえた。そして、高い音をたて、頭蓋骨
が砕け散った。
最後の力を振。絞ったかのように、黒い骨の破片がメイリン、シャオロン、バルトやミ
ランシャ、イルダーナフめがけ、飛んできた。
1−           ノり
ヵィルロッドはミランシャに覆いかぶさって彼女を庇った。イルダーナフは、自分めが
けて来た破片のすべてを叩き落とした。
「シャオロンー」
メイリンの叫び声に、カイルロッドは飛び起き、駆け寄ると、シャオロンが倒れていた。
全身に破片が突き刺さっている。ぐった。として、血の気を失った顔は紙のように白い。
その弟にメイリンがすが。つき、横にバルトが立っていた。
「僕達を庇ってくれたんですー」
ひぎ
ガタガタと膝を震わせ、バルトが半ペソになった。
「こいつは破片を取。出すしかねぇな。しかし、消毒やら取り出す道具がねぇや」
かなり遠くにいたイルダーナフが走って来て、舌打ちした。「近くにい。や、破片なん
ぞ叩き落としてやれたのに」、いつになく渋い顔でイルダーナフが独白した。
「動かしたら危険だわ。街に戻って、そこで調達しましょう」
とミランシャ。
まか
「よし、そいつはミランシャと王子に任せるぜ」
うなず
ミランシャとカイルロッドは頒いた。
5
がれき
カイルロッドとミランシャの二人は、大急ぎで街に戻った。瓦礫の中を走り抜け、治療
さゆうぼう
の道具を探し求めた。こうした混乱の時、まず物資が窮乏する。特に薬品等については、
簡単には手に入らない。
「医者のところに行ってみよう」
必要な物を分けてもらおうと、二人は医者の元に行ったが、とてもそれどころではなか
lナがにん                  ひめい
った。怪我人が列をなし、分けるどころか薬も包帯も底をつき、医者達が悲鳴をあげてい
る有様だ。
ちゆ
「こういう時、治癒能力があればと思うわ」
くや
列をなす人々を見るミランシャは、悔しそうだった。その言葉に、カイルロッドはメイ
出会いは嵐の予感
せりJ
リンの台詞を思い出した。「魔法使いか」、本当にそうならば、石になったルナンを元に戻
せただろうし、シャオロンだって簡単に治癒できただろう。だが、カイルロッドはどちら
もできなかった。
へぴ      よみがえ
あれこれ考えているうちに、ふっと蛇の声が耳の底で起った。
「あれはどういう意味だったのだろう」
だれ  まちが
蛇はカイルロッドと誰かを間違えたのだろう。そうとしか思えない。それとも・。
あま。考えたくないようなことだったので、追い出すように激しく頭を振ると、
「おい、そこの二人」
後ろから急に呼び止められた。立ち止ま。、振り返ると、あまり人相のよくない男達が
数名、嫌な笑いをへばりつけて立っていた。
「なによ、あんた達」
こわ ひげづら     む
気の強いミランシャがつっかかると、剛い髭画の男が歯を剥き出した。
いつしよ
「あんたら、昨夜、やたら強い大男と一緒にいた連中だろ?」
まゆ
カイルロッドは片方の眉を少し動かした。この発言からして、この男達はツァオの敷地
内に侵入した群衆の中にいたのだ。
「知らないな、人違いじゃないかっ」
カイルロッドはすっとぼけた。そしてミランシャの手をひいて、そしらぬ顔で立ち去ろ
あきっ
うとしたが、男達は諦めなかった。
「おいおい、とぼけなくてもいいじゃねぇか。別にあんたらをどうこうしようってわけじ
ゃないんだからよ。俺達が知りてぇのは、メイリンの居場所だ。正直に言ってくれりや、
あんたらの安全は保証してやっからよ。だから、メイリンがどこにいるか教えてくれよ」
腕ずくでも言わせるぞとばかりに、グルリと周りを囲まれた。
「知らないな」
なにか叫ぼうとしたミランシャのロをおさえ、カイルロッドは静かに応じた。髭而男の
ねこな
顔の筋肉がヒクヒクと動いたが、懸命に猫撫で声をかける。
やつ
「あのな、メイリンは街を破壊した魔女なんだぜ。一番悪い奴なんだ。街の秩序のために、
捕らえなくちゃいけねぇんだよ」
だま
子供でも騙されない幼稚な嘘に、カイルロッドは呆れて声も出ない。どうやら、この混
くわだ     さしで
乱に乗じて、街の支配を企てる連中の指図らしい。その連中にとってメイリンは旧勢力の
象徴であり、恐るべき敵である。ツァオへの不満を吐き出した人々を満足させ、同時にこ
しゆうしゆう
の混乱を収拾し、新勢力を誇示するため、メイリンを犠牲にしようとしているのだ。
カイルロッドが沈黙していると、ついに髭画が爆発した。
23 出会いは嵐の予感
「きさまはメイリンの手下だ、仲間だー 街を破壊したあの女とグルなんだ「」
完全な言いがか。である。
「おじさん、あんたねー 言ってること、わかってるのけ」
だれ                       やく
ミランシャがくってかかるが、誰も聞いていない。一]々に 「メイリンの手下」「衛に厄
さい            わめ
災をもたらした」、などと喚き始めた。
「集団発狂だな」
ぱか
まともに何き合うのも馬鹿らしい。カイルロッドは目で 「逃げるぞ」 と、ミランシャに
あいず
合図した。
「皆、聞いてくれー こいつらはメイリンをかくまっているんだ1 あの魔女をかくまっ
てやがるー」
髭面が周囲に向かって、大声で演説を始めた。疲れきっていた人々の目に、尋常ではな
い狂気の光が宿った。カイルロッドはソッとした。
「あの魔女を渡せー」
「メイリンが街の人々を殺したんだ「」
狂気は人々の間に伝染し、カイルロットやミランシャめがけて、小石が飛んできた。
「キャッー」
飛んできた小石を片手で止め、カイルロッドはミランシャの手をひいて、その場から走
り去った。
ぽとう
後ろから怒声と罵倒、そして小石が追って来る。カイルロッドとミランシャは必死で逃
げていた。
「こっちだ、ミランシャ」
くず
二人は崩れた建物の物陰に隠れた。身体を小さくし、息をひそめ、男達が通りすぎるの
を待った。
「畜生、逃げ足の早い連中だぜ」
「メイリンを捕まえりや、金がたんまりだ」
声を張り上げながら、男達はカイルロッド達の隠れている場所を通りすぎた。
静かになっても、用心して潜んでいると、
くや
「悔しい。どうして、こんなことされなくちゃならないの」
ひぎ かか
両目に涙を一杯にため、ミランシャが膝を抱えた。カイルロッドにはかける言葉が見当
らなかった。
これはツァオのしてきたことだ。メイリン自身には関係ないことかもしれないが、ツァ
かさ
オを笠にきた連中のしたことと同じなのだ。
出会いは嵐の予感
そして、今、メイリンを追っている連中は、やがていつか別の託かに追われる。そんな
ことを繰り返すのだ。永遠に栄えるものなどあ。はしない。
「帰ろう、ミランシャ」
打ちひしがれている少女に、カイルロッドは優しく声をかけた。
こjノや
てぶらで荒野に帰ると、二人の様子からすべてを察したイルダーナフが苦笑した。
だめ
「駄目だったらしいな」
「ごめんなさい」
しゅんとして、ミランシャが頭を下げると、メイリンはゆっく。とかぶ。を振った。
「それよ。、ひどい目に合ったようね。私の仲間と思われたからでしょうフ」
明敏な女性であるから、この混乱に乗じた者達によって、自分が犠牲の羊に選ばれたこ
とを察したのだろう。美しい顔に驚きも怒りもなかった。ただ、諦めに似たものがあるだ
けだ。
街の様子についてミランシャはなにも語らず、カイルロッドもそれにならった。石を投
げつけられたことなど告げて、これ以上メイリンを苦しめたくなかった。
「ああ、そうだ。カイルロッド、指輪を見つけておいたぜ」
「よくそんな暇があったな」
「仕事で、砂漠に落とした真珠一粒ってぇのを、探し出したことがある」
よたぼなし
与太話に決まっているのだが、一瞬、本気にしかけて、カイルロッドは赤面した。イル
ダーナフは目だけで笑い、指輪をカイルロッドに放った。女物の細い指輪が光りながら、
カイルロッドの手の平の上に落ちーー
「熱っー」
カイルロットは指輪を下に落としてしまった。真っ赤に焼けた鉄でも置かれたように、
手の平が焼けただれている。
「熱いフ」
落ちた指輪を拾い、イルターナフが手の上で転がした。「なんともねぇな」と言う横か
ら、好奇心いっぱいのミランシャが指輪を取ったが、やはり平気な顔をしている。指輪は
メイリンとバルトの上にも渡ったが、誰も熱いなどと言わなかった。
カイルロットはそろそろと指輪に触れて、すぐに手をひっこめた。やはり熱い。
おれ
「どうして俺だけフ」
母に拒絶されたようで、なんだか悲しくなった。
「よくわからねぇが、それじゃ、こいつは俺が預かっておこう」
27 出会いは嵐の予感
気落ちしたカイルロッドの前で、イルダーナフが指輪をしまった。「酒代にしたら承知
くぎ
しないから」 と、ミランシャが釘を刺す。
「とんと信用がなくなったな」
じごうじとく
自業自得なのだが、情けなさそうにイルダーナフがぼやいた。
「あのー」
バルトが、思いきったように声をかけてきた。
「いつまでもこの街にいるのは危険です。それならいっそ、神殿に行きませんか。あそこ
ならきっと薬もあるし、必要な道具ぐらいあるはずです」
神殿に行く途中だったせいか、バルトが熱心に勧める。カイルロッドはシャオロンを見
た。横たわったシャオロンは、息をしていないように見えた。このままでは助からないこ
とは、誰の日にもわかる。
「神殿はいいけど、ここからの距離はフ それにどうやってシャオロンを運ぶっ 運ぶ方
法が」
ないと言いかけ、カイルロットは自分に向けられている二種類の視線に気づき、沈黙し
た。
「なかぁない。馬がいるじゃねぇか、馬が。いやー、よかった」
いやに明るいイルダーナフが、カイルロッドの肩をパンパンと叩く。
「すっかり忘れるところだったわ。やっぱり労働には馬が必需品よね」
なつとJヽ
同調してうんうんと納得するミランシャ。
くしゃみをするとカイルロッドは馬になる1そんなことは知らないメイリンとバルト
が、「馬フ どこに馬がいるのっ」と、周りをキョロキョロと見ている。
「イルダーナフ。俺は人間で馬じゃないぞ」
その二人に聞こえないように唸ると、
「細かいことを気にしちゃいけねぇよ。人命がかかっているんだぜ、人命が。衝から出て
じやま  やつ
行くのを邪魔する奴は、俺がぶった斬ってやる。だから、安心して荷運びしろよ、な」
イルダーナフが人命にやたらと力を入れる。「人命尊重」、こう言われて断れる者がいる
にがむし   っぶ
だろうか。カイルロッドは苦虫を噛み潰した顔で、承知した。
五人と一頭は街を出た。街から遠ざかりながら、誰も言葉を発しなかった。メイリンは
みれん    つぷや
l度として振り向こうとせず、バルトは「銀杯が」と時々、未練たらしく呟いていた。
「自主的に」馬になったカイルロッドは、シャオロンを乗せた荷車を引き、背中にメイリ
ンとミランシャを乗せていた。神殿についた頃には、また筋肉痛に泣くことだろう。
へぴ              はう
歩きながら、カイルロッドは街の未来を考えていた。蛇はいなくなり、同時に水と豊
ちすLY、
穣も消えた。そこで人々が生きていくためには、秩序の回復、大がかりな治水工事と、難
まか
問が山積みになっている。百年間、何事も他人任せで生きてきた人々が、これらの問題を
乗り切れるかどうか − それは誰にもわからないことだ。
「あの街は風化するだけだな」
たづな
手綱をとっているイルダーナフが誰にともなく呟いた。
ひめい
たてがみを揺らし、大地を渡る風が乾いた音をたてた。人の悲鳴に似ていた。
出会いは嵐の予感
三章 聖者はいざなう
l
きんばいしや           ろうきゆうか
神殿は山の中にあった。古い小さな神殿で参拝者も絶えて久しいのか、建物は老朽化し、
その周囲には雑草がはびこっていた。
こつとユノひん
「まるでひび割れた骨董品みたいな建物だ」
てんじトーう
両腕を伸ばし、カイルロッドが天井を見上げた。全面にひびが入っており、いつ落ちて
きても不思議ではない。角の小さな穴からは星空が見える。
「おまけに無人だもんな」
「神官が逃げたなんて、聞いてませんよ」
ゆか すわ
床に座りこんだバルトがため息をついた。
カイルロッド達一行が神殿に着いたのは、夕暮前だった。ポロポロの建物に驚きつつ、
声をかけたが返事はない。それで黙って神殿の中に入ってみたのだが、どうも人の住んで
けげん
いる様子はない。怪訝に思いながらあちこちの部屋を調べていると、広間のテーブルの上
ほこり
に境をかぶった手紙が置いてあった。日付を見ると一年前で、どうやら後任者にあてた物
らしい。日く「愛に生きます、追わないで下さい」、金目の物を持って、神官は女と逃げ
ていたのだった。
ろうばい
それを知って狼狽したのはバルトだが、
「でもまぁ、神官が女と駈け落ちして不在なら、銀杯が無くなっても平気ですよね」
わめ                                やつ
喚いても仕方ないとさっさと割り切って、こコニコしていた。「やっぱり神経の太い奴
だ」、カイルロッドは感心した。
さて、苦労してたどり着いたものの、一年も前から無人と知り、カイルロッド達はがっ
あや
かりした。これでは治療ができないのではないかと危ぶんだが、幸い日常生活に必要な道
具や薬などは残っていた。
それらをかき集めて、イルダーナフ、メイリン、ミランシャの三人は、シャオロンの治
療をすることにした。しかし、カイルロッドは不安だった。
まねごと
「イルダーナフに、医者の真似事ができるのだろうかフ」
くわ              なつとく
魔女見習いで、薬草に詳しいミランシャが立ち会うのは納得できる。気丈なメイリンを
助手にするのももっともだ。だがしかし、剣士が医者の代理をするのは ・。
出会いは威の子感
ヵィルロッドが不安そのものの表情で、治療を始めようとする顔触れを見ていると、
「ま、なんとかなるだろうぜ」
イルダーナフはあっさ。簡単に言い、なおも不安そうなカイルロッドと、血を見て卒倒
じやま
したバルトの二人を「邪魔」の二言で、荷物でも投げ捨てるように、部屋の外に放。出し
た。追い出され、やることもない二人は、別室でぽんや。していた。
「助かってくれるといいな」
まぷた
シャオロンの青白い顔が槍に浮かんだ。心からそう祈。ながら、カイルロッドは横にあ
る箱をゴソゴソと片手で探った。
「なにをしているんですフ」
のタ
バルトが覗きこむと、カイルロッドは箱の中から針と糸を取。出し、
つくろ
「うん。裁縫箱を見つけたから、服の破れを繕おうかと思って」
ひぎ
胸のあた。が破れた服を膝に乗せ、針の穴に糸を通していた。破れた服の替わりに神官
服を借りているのだが、裾が足首まであって動きにくいのだ。
「う1ん、なかなか糸が通せない」
いつもなら簡単に通せるのに、筋肉痛で手が琴え、なかなか糸が入らない。真剣な顔で
糸を通しているカイルロッドを、バルトは呆れたように見つめていたが、
一本当に王子なんですか、あなた」
ため息とともに吐き出した。
神殿までの道中、ミランシャやイルターナフから、カイルロッドがルナンの王子である
とまど
と聞かされたものの、繕いものをしている実物を前に戸惑っている。世間一般の認識では、
王族の、特に男性は、裁縫など決してしないものなのだ。
「裁縫する王子なんて、聞いたことありませんよ」
「ふーん」
こうした反応にはすでに慣れているので、カイルロッドは気を悪くしたりしなかった。
ようやく剣に糸を通し、服を繕いながら、
うば                        ぉれ
「乳母の教育方針なんだ。自分のことは自分でできるようにって。俺は料理も掃除もする
し、子守だってしたことがある」
ははえ
亡き乳母を思い出し、微笑んだ。王子といえど決して特別扱いしない、そんな女だった。
.・
ソルカンと同じように扱い、叱り、誉め、我が子同然に愛してくれた。厳しくて優しい女
.‥.・ノ
「よし、終わり」
歯で糸を切り、カイルロッドは繕い終わった服を前で広げ、満足気に笑った。
5  出会いは鼠の予感
「洗って干しておこう」
「変わった王子様ですねぇ」
あき
呆れと感心が半々という表情でバルト。
ろうそく あか
どこからともなく流れこんでくる隙間風に、蝋燭の灯。が大きく揺れた。
「しかし、あなたには色々と驚かされますね」
沈黙を漁れるようにバルトが話しかけてきた。不安をまざらわそうとしているのだろう。
「なにがフ」
針と糸をしまいながら、カイルロット。
「カイルロッドさんが馬に変身できるなんて。いやーdあれには驚きました」
「あれは・魔法をかけられて、それが解けないだけなんだけど・・・・」
Jめいいーノよへノ
もごもごと不明瞭な声で、弁解するように言う。カイルロッドが馬になった時のメイリ
ンとバルトときたら、日と日の両方を真ん丸にしてどよめいた。メイリンなど「そういう
すば        きようたん
魔法も使えるのね」と感心し、ハルトは「なんて素晴らしい特技だ」と、驚嘆していた。
「馬に変身できるなんて、便利でいいですよね」
馬というー琵葉を聞いただけで、筋肉痛がひどくなった気がした。便利なのは馬になる本
人でなく、馬になったカイルロッドをこき使う一天の連れだ。
「メイリンもバルトも誤解している・ 」
動かすとギシギシと音をたてそうな腕で頭を抱え、カイルロッドはぼやいた。
ろうか  とびら
そんなことを話しているうちに、廊下から扉の開く音がして、すぐに大きなため息と足
音が聞こえた。
「終わったらしい」
立ち上がり、カイルロッドは扉に飛びついて、勢いよく開けた。
いっしよ
真っ暗な廊下の輿に、ポッンとランプの灯が見えた。それが複数の足音と一緒に近づい
て来る。ミランシャがランプを持ち、その横にメイリン、二人の後ろを、頭一つ半も抜き
出ているイルダーナフが歩いていた。
「シャオロンはっ」
カイルロッドが尋ねると、イルダーナフはフーツと息をつき、
「ま、なんとかなるんじゃねぇか?」
楽観的に言い捨てた。しかし、その声には隠しきれない疲労があった。さすがのイルダ
ーナフも剣を振り回すのとは勝手が違うので疲れたらしく、
「俺は奥の空いている部屋で休むからよ」
やみ
はやばやと闇の中に消えてしまった。
出会いは嵐の予感
「大変だったんですか?」
のそ。と、廊下に出て来たバルトがメイリンに訊くと、
「破片を取り出していたの。イルターナフは医術の心得があるのかしらフ」
ひたい  ぬぐ
額の汗を拭いながら、黒髪の美女はイルダーナフが消えた闇の方に顔を向けた。
「とても素人の手つきじゃないわ」
「あのおじさん、なんでもできるんじゃないかしらフ」
ランプを奥に同け、ミランシャがそんなことを言った。殺す達人は、生かす達人でもあ
るかもしれない ー ふとそんな言葉が、カイルロッドの頭をよぎった。
・11
「それより、メイリンもミランシャも疲れただろうフ シャオロンの看護は俺とバルトが
交代でするから、ゆっくり休んでくれ」
きづか
疲労の色の浅い二人を気遣い、カイルロッドがシャオロンの看護を申し出た。初めは
「王子にそんなことをさせられない」と断ったメイリンも、「無理をしてメイリンまで倒れ
たらどうするんだ」という、カイルロッドの説得に折れた。
とな
「それじゃあたし達、シャオロンの隣。の部屋で休んでいるけど。なにかあったら遠慮な
だめ
く起こしてよ。いいわね。そっちこそ無理しちゃ駄目よ」
カイルロッドとバルトの一一人に、ミランシャがしっこいぐらい念をおした。
「わかった」
たび    うなず
ランプを受け取り、カィルロットはその度にいちいち肯いてみせた。
メイリンとミランシャが隣の部屋に入るのを見届けてから、カイルロッドとバルトはシ
.hl
ャオロンのいる部屋に入った。扉を開けると、消毒薬の匂いが鼻をついた。
大きな音をたてないように注意しながら、ベッドに近づく。そしてランプの火を小さく
まゆ
して、横たわったシャオロンを照らした。一瞬、カイルロッドとバルトは眉をひそめた。
そこには、全身を包帯で覆われ、目をそむけたくなるほど痛々しい姿をした青年がいた。
だが、それでも一時期より呼吸が楽になっており、顔色もわずかだが良くなっている。
「よかった。これなら絶対に元気になりますよ、絶対に」
あん▼こ
胸を撫でおろし、バルトが涙ぐんだ。カイルロッドも安堵した。
カイルロッドとバルトの二人は、三時間交代で看護することにした。
その隣りの部屋で、ミランシャとメイリンは、毛布を敷いた床の上で並んで眠っていた。
たか
が、神経が昂ぶっているのか、ミランシャはなかなか寝つけず、何回も寝返りをうってい
た。
「眠れないのフ」
出会いは嵐の予感
眠っているとばか。思っていたメイリンに声をかけられ、「ごめんなさい、起こしちゃ
からだ
った?」、すまなそうにミランシャが身体を横にした。身体は疲れているのに、頭だけが
みようさ
妙に冴えて、眠りにつけない。
「そうじゃないわ。私も寝つけなかったの」
やみ
闇の中から笑いを含んだような声が戻ってきた。
「シャオロンが心配でフ」
「そうね。 でも、あんまり色々なことがあったから ▼ こさっと、それで気が昂ぶって
いるのよ」
ミランシャは沈黙した。この女性が失ったものはあま。に多い。生まれ育った街とそれ
ノ...
までの生活を失い、残ったものは我が身と、怪我をした弟だけだ。弟の容体や、これから
しん
のことを考えると、いかに芯の強い者であっても心細さを隠せないだろう。
「あたしだったら、きっと途方にくれているだろうな」
そう思い、ミランシャはメイリンに同情したが、
「ね、シャオロンが回復したら、メイリンはどうするのフ」
同情されて喜ぶような女性ではないと知っていたので、おくびにも出さず、明るい声で
訊いた。
「そうね・。二人でどこかの街に行って、そこで普通に暮らしたいわ。それより、ミラ
ンシャはあの坊やが好きなのっ」
はな
ふいにメイリンの声が華やいだ。女が二人寄れば、必ずこうした謡が話題になるものだ
が、出し抜けの質問だったので、ミランシャはつい大声を出してしまった。
じようだん
「冗談じゃないわー あんな卵王子−」
さけ     あわ
叫んでから、慌てて口をおさえた。その卵王子が隣りの部屋にいるのだ。
ぽんさい
「あんな情けない王子、あたしの好みじゃないわ。趣味が盆栽よ、盆栽。育ちがいいから
ばか
人が好すぎて馬鹿をみるし、言わなくていいことまで言う馬鹿正直だし。そんなのを好き
だなんて、とんでもないわ」
あくたい       なぜ ほは
口では悪態をつきながら、何故か頬が熱くなってくる。闇で互いの顔も見えないはずな
のに、メイリンにはミランシャの様子が見えているのか、クスクスと笑っている。
けんか
「私もね、ミランシャぐらいの時、意地をはって、好きな人と喧嘩別れしちゃったわ」
メイリンの告白に、ミランシャは驚いて数回まばたきした。
まがん
「私、ずっと意地をはっていたから、魔眼だとか、ツァオの血筋だとか。だから今ね、ホ
あんど
ッとしているのよ。街を追われて安堵しているの。これでもう、意地をはらずにすむ。そ
うれ
れが嬉しいの」
出会いは嵐の予感
疲れた旅人がようやく安住の地を見つけたような、初めて聞くメイリンの安堵の声だっ
た。顔の見えない闇である安心と、同性の気安さが言わせたのだろう。そんなメイリンの
めがしち       だれ
言葉を聞いて、ミランシャは冒頭が熱くなった。誰もが恐れた魔眼の女性は、ただの女性
よろい     おお
だったのだ。ツァオの長という鎧でその身を覆い、細い肩に重い荷を負い、泣き言も言わ
ずに耐えてきた。そして、街を失ったことで、ようやく自由になれたのだ。
すてき                        だめ
「あとは素敵な男性に会えたら、文句ないわね。でも、魔眼の女なんて駄目かなフ」
みようれい
妙齢の女性らしいことを言い、楽しそうに笑った。ミランシャは上半身を起こし、
「これから素敵な男性に会えるわ、魔女のあたしが保証する。こんな美人で素敵な女性を
放っておく男なんかいないわよ。魔眼なんてたいしたことじゃないわ」
むきになっていた。メイリンは幸せになるべきだ、いや、なる権利があるはずだ。「で
ぬぐ
なけ。や、あんまりじゃない」、ミランシャは流れる涙を片手で拭った。
ややあって、メイリンの手がミランシャの手に触れた。
「ありがとう」
手を握。しめ、メイリンは何回も「ありがとう」と言った。彼女もまた泣いていたのか
もしれない。
「ミランシャも、きっと素敵な人に会えるわよ」
「・・・あたしは駄目」
ミランシャは顔を曇らせ、ゆっくりと身体を横にした。
きが
「……あたし、捜し物をしているの。それを見つけるまで、駄目なの」
そして、メイリンに背中を向けて、頭から毛布をかぶった。
「ミランシャ?」
心配してメイリンが声をかけたが、ミランシャは答えなかった。
くさむら
窓の外の草叢から、何種棟もの虫の音が聞こえていた。
2
よほど疲れていたのか、バルトと交代すると、カイルロッドはすぐに眠りについた。深
い眠りだったので、夢も見なかった。
「…・・さん、カイルロッドさん」
からだ                   ごよノいん
名前を呼ばれ、身体を揺さぶられ、カイルロッドは心地よい眠りから強引に引き戻され
た。
「カイルロッドさん、起きて下さい」
「シャオロンの容体が急変したのかけ」
出会いは嵐の予感
かけていた毛布をはねのけ、カイルロッドが起き上がると、「静かに」と、バルトは自
くちぴる
分の唇の前に人差し指をたてた。
「シャオロンさんは平気です。顔色もずいぶん良くな。ました」
そう言われ、ホッとしたカイルロッドは毛布を拾い上げた。まだ夜は明けておらず、部
屋の中は暗い。
「交代の時間なのかフ」
あ′、び
眠い目をこすり欠伸しながら訊くと、バルトは首を振って、無言で窓の外を指差した。
「なにかいるのか?」
のぞ
音をたてないように注意しながら窓に近づき、そっと外を覗いたが、真っ暗でなにも見
えない。
「虫の音が止んだのが気になるんです」
なつとく
バルトに小声で言われ、カイルロッドは「ああ、そう言えば」と納得した。うるさいぐ
らいだった音が止んでいる。
「気のせいならいいんですけど」
そう言いながらも、バルトはどうも落ち着かないというように、チラテラと窓の外を見
ている。
へた
「気になるなら、イルダーナフを起こしてこようか。下手に俺達が出て行くより、ずっと
確かだからな」
ここまで気にされると、カイルロッドも気になってくる。「でも、気のせいかも」と、
のんきもの
止めるバルトに看護を頼んで、カイルロッドは部屋の外に出た。呑気者とばかり思ってい
たバルトの意外な一画に、カイルロッドは少しばかり驚いていた。
「しかし、イルダーナフを無理に起こして、それでなにもなかったら…きっと、怒るだ
ろうな」
こわ    なノ、
不機嫌なイルダーナフは、飢えた肉食獣より恐いのだ。殴られるぐらいは覚悟しなくて
ろうか
はならない。それでも万が一のことを考えて、カイルロッドは廊下を歩いていた。
「おかしいな」
カイルロッドは異変を感じとった。たいした距離ではないはずなのに、いつまでたって
とぴら
も扉の前にたどり着かない。足の下も固く冷たい石ではなく、ふわふわと頼りない感触に
変わっている。
わな
「何者かの罠にはまったらしい」
まゆね
カイルロッドは眉根を寄せた。忘れていたが、カイルロッドはディウル教の総本山フェ
ルハーン大神殿から、指名手配されている賞金首だったのだ。「非常時だったとはいえ、
出会いは嵐の予感
ディウル教の神殿に来たのは失敗だったかもしれない」、後悔先にたたずだ。
警戒しながら闇の中を歩いていると、突き刺す視線を背中に感じた。振。向きたい衝動
に、カイルロッドは耐えた。振。向いてもなにもない。前も後ろも、ただ闇があるだけだ。
だれ
その中に、誰かがいる。
lキ′ほい ひそ
いや、正確には気配が潜んでいる。まとわりつくような視線で、カイルロッドを見てい
る。
「誰だ」
よノな
立ち止ま。、カイルロッドは低い声で唸った。
ねら
「この賞金首を狙っているのか」
答えはない。短剣を取。出し、構える。
(おまえは何者なのか)
どこからともなく、しやがれた声が聞こえた。不毛の大地を渡る乾いた風のような声が、
地の底から響いてくる。生身の人間の声ではない。全身の毛がそそげだら、カイルロッド
の背中を冷たい汗が一筋、流れた。
(おまえは何者なのか)
きわ         あらが
その声が同じ言葉を繰。返した。不快極まる声なのに、一種抗いがたいものがある。ま
るで催眠術にでもかけられているように、カイルロッドはその声に引きこまれた。
「俺はルナン王子、カイルロッドだ」
かんげつ
闇に向かって返事をすると、間髪入れずに否定がはね返ってきた。
(それは違う。仮の姿にすぎん。本当の姿は? 真実の姿はフ・)
.r
まだ癒えていない傷口を広げられたような痛みに、カイルロッドは爪が食いこむほどき
▼意し
つく拳を握った。「真実の自分」、それはカイルロッドにとって大きな不安と恐怖を伴う言
葉なのだ。
(おまえの本当の姿はフ)
声もなく、怒りに全身を震わせているカイルロッドの目の前に、白い影が浮かんだ。そ
へんぼう
れはゆっくりと人の形へと変貌した。
「母上I・!」
白い影は母フィリオリになり、カイルロッドは噛みしめた歯の間から、振り絞るように
声を出した。
いと  わ
(カイルロッド。愛しい我が子。わたくLを助けて)
若くて美しいフィリオリが悲しそうな顔で、カイルロッドに助けを求めた。これまでも
まばろし
夢や幻でフィリオリの姿を見たことがある。だが、話しかけられたことはない。カイルロ
7  出会いは嵐の予感
ひぎ
ッドの膝はガクガクと震えた。
「これは幻だ、幻なんだ」
つか
震える肩をきつく掴み、カイルロッドは自分に言い聞かせた。これは誰かが見せている
幻影だ。母は死んだのだ。頭ではわかっているのに、どうしようもないくらい気持ちが動
揺している。
(カイルロッド、この旅をやめなさい。真実の自分など知れば、おまえが傷つくだけ。母
のわたくLを苦しめるだけなのですよ)
すべ                       しりぞ
滑るようにフィリオリが近づき、カイルロッドは退く。〓疋の距離をおきながら、カイ
ふところ
ルロッドは懐の短剣を掴んでいた。敵は心の弱さにつけこもうとしているのだ。気を許し
たら負ける。
のろ
(愛しい我が子。生まれてはいけない呪われた子  )
さや
腕を広げて近づくフィリオリに、カイルロッドは輪から抜いた短剣を向けた。まだ少女
おもか1.ノ               ゆが
の面影を残す母の顔が、苦しげに衷しげに歪む。
(カイルロッド、息子のあなたがわたくLを殺すのですか?)
細く、弱々しい声音に、知らずに短剣の先が下がっていく。
「母上・…」
飾られた肖像画を見ながら、いつも思っていた。どんな人だったのだろうか、どんな声
で話し、どんなふうに笑ったのだろう。子供の時からずっと、思っていた。
(カイルロッド、さあ、短剣などしまいなさい)
甘い誘惑に流されそうになりながら、カイルロッドは懸命に踏みとどまっていた。「ど
しった
んなに優しく笑っても、これは幻だ。幻でしかないのだ」、くじけそうになる自身を叱咤
し、
ひきよう
「誰だか知らないが、幻を見せるなんて卑怯だぞ〓」
てごた
短剣を振りLLげ、近づくフィリオリに斬りつけた。空を斬ったように、手応えはなかっ
た。
(オォォォ〓)
ぜつきよう           −まのお
フィリオリの口からかすれた男の絶叫が上がり、美しかった姿が炎にあぶられた蟻のよ
うに、ドロドロと溶け出した。
「俺は旅をやめない、やめるわけにいかないんだー」
たた
溶けて下に広がっていくそれに向かって、カイルロッドは叩きつけるように叫んだ。
ムルトを倒し、石になったルナンを元通りにするのだ。その途中で「真実の自分の姿」
つら
に突き当たるのかもしれない。だが、どれほど辛くとも、目をそむけるわけにはいかない。
出会いは嵐の予感
自分自身から逃げだせる者などいないのだから。
「辛くて、苦しくても 。俺は …!」
のど  うめ             ゆか
肩で息をしながら、カイルロッドは喉の奥で坤いた。短剣が手から滑。落ち、床に落ち
かんだか   ろうか
た。甲高い書が廊下に響き渡った。
われ
その昔に我にかえると、廊下は薄明るくなっていた。窓から弱々しい光が射し込み、夜
明けが近いことを告げる烏の声が聞こえてきた。
どれほどの時間そこに立っていたのか、
「どうしたい、王子」
奥からよく通る声がして、大きな影が足音もなく近づいて来た。
「イルダーナフ」
あんど
びっしょりと冷たい汗をかいたカイルロッドが、安堵とともに大男の名前を呼んだ。
まぽろし
「…こ幻を見ていたんだ。母の幻で  俺に旅をやめろって言うんだ」
蝋のように溶けた姿を思い出し、カイルロッドは口をおさえた。あま。にグロテスクで、
気持ちが苦くなってきた。
いや
「嫌な幻だった・▼・」
そのことをカイルロッドは包み隠さずに話し、イルダーナフも黙って耳を傾けていたが、
ゆが
一段落つくと口元を大きく歪めた。
bめ
「なるほど、それでか。廊下から母上、母上って、どっかのガキが喚いているから、やか
ましくて目が覚めちまったのは」
笑われ、カイルロッドは首筋まで真っ赤になった。.八歳になった男が「母上」を連呼
していたところを他人に聞かれたら、やはりこういう反応をするだろう。
「う、う、う、嘘だー 俺、そんなに連呼してないぞー」
「母上−」
くちまね
からかって、イルダ〜ナフがカイルロッドの口真似をする。間かれたのが運の尽きだっ
た。「イルターナフなんか嫌いだっー」、カイルロッドがむきになると、
「ま、冗談はともかく。おまえさん、気をつけるんだな。どうやらこの神殿にゃ、なにか
あるらしい」
すごうで
すっ、とイルターナフが目を細めた。黒い目の奥には、鋭利な刃物の光があった。凄腕
なまつぱ
の剣士の様子にただならぬものを感じ、カイルロッドは大きな音をたてて生唾を飲みこん
だ。
「なにかって…・・俺の見た幻と関係あるのかフ」
「と、俺は思うがな」
出会いは風の予感
151
うなず
身を乗り出したカイルロッドに、イルダーナフは真顔で額いた。
やつ        ひそ
「・・それじゃ、幻を見せた奴が、神殿内部に潜んでいるってこともあるのかっ」
まちが                      うかが
「そう思って、まず間違いあるめぇ。王子の行動や俺達の様子を、陰からこそこそと窺っ
ていやがるに違えねぇな」
「すると、またフェルハーン大神殿のまわし者か  」
「おそらくな」
「またか  」
舌打ちして、カイルロッドは前髪をかき上げた。
「くそっ。この建物の中にいるなら、探し出してやるー」
ひきようきわ     たいせつ
姿も見せず、幻で惑わすなと卑怯極まりない。大切なものを踏みにじられた怒りに、勢
いこんで歩き出したカイルロットだが、
「おいおい、よしなって。簡単にゃ見つかりやしねぇよ」
えりくぴ つか
イルターナフに襟首を掴まれた。
「どうせまたなにか仕掛けてくるに決まってる。それまで待ってりやいい」
「また母の幻を見せるかもしれないじゃないかー」
「ただの幻じゃねぇか」
いや
「嫌だっ〓」
自分でも驚くほど大きな声だった。カイルロッドはむきになっていた。母を玩ばれてい
るようで、どうしても許せなかったのだ。
「幻でも嫌だー 幻でも、一一度と母を斬りつけるなんてしたくないー」
目に涙をためたカイルロッドを、イルダーナフは驚いた表情で見ていた。が、それはす
ぐに苦笑に変わった。
やつかい
「悪かったな、王子。けどよ、相手もわからねぇのにこっちから動くと、厄介なことにな
っちまう。だから、もう少し待ちな」
なガ
泣いている子供を宥めるように、カイルロッドの頭をボンボンと軽く叩き、
「しかしよ、おまえさんは俺の見込んだとおりだったなぁ。息つく暇もない騒動ばかりで、
うれ
俺は嬉しいぜ」
イルダーナフが白い歯を見せて破顔した。
「いやー、人生、捨てたもんじゃねぇわな。長生きするもんだ」
バッハッハと笑いながら、去って行くイルダーナフの広い背中に、カイルロッドは泣き
きけ
そうな声で叫んだ。
「息つく暇もない騒動ばかりなんて、俺は少しも嬉しくないんだぞ〜」
出会いは嵐の予感
153
半分、本気で泣いていたかもしれない。
「ああ、そうだ、王子」
あご
ふいに足を止めて振り返り、イルダーナフが窓の外を顎でしゃくった。
おもしれ
「外に出てみな。蘭白えもんが落ちているからよ。一晩中、この建物の周。をウロウロし
ていたやつだぜ」
やけに楽しそうな物警Rいに、カイルロッドは当初の目的を思い出した。
「バルトが気にしていたのは、それかつ」
もしかしたら、その人物がフェルハーン大神殿のまわし者かもしれない。そんな考えが
カイルロッドの頭をよぎった。
「イルダーナ7、その  し
ちようどとぴら
大男を呼んで振。返ると、丁度扉が閉まったところだった。
「自分で確かめるしかないか」
イルダーナフに言われたままに、カイルロッドは入。ロに走って行った。
そして、外に出ようとして勢いよく扉を開けると、ガンツだかゴンツたか、固い物にぶ
つかった音がした。
「・・・?」
扉の左右を見て、それから下を見て、カイルロットは目をパチパテさせた。
扉の前に男が倒れている。ポロポロの服を着た、薄汚れた男だ。どう見ても行き倒れで
ある。
「こんな男が幻を見せた奴だろうかフ・とてもそんなふうには見えないな」
カイルロッドは自問自答した。だいたい、幻を見せるような奴が、のこのこと資を現わ
すとも思えない。
「道中、おいはぎにあった旅人が、助けを求めて来たのかもしれない」
なつとく              かが
そう納得し、カイルロッドは男の横に屈んで、声をかけてみたレ
だいじようぶ
「しっかりして下さい、大丈夫ですかっ」
すると、薄汚れた男が顔をとげた。
「ああ、やはり人がいたのですね。昨夜、灯りを見て、やっとここまで来たのです。わた
しへかん
しは以前、この神殿で神官をしていた者です」
しっしん
消えそうな声でそれだけ言い、安心したのか、失神してしまった。思いがけない訪問者
・ r、
に、カイルロットはしばし唖然として見下ろしていた。
「女と駈け落ちした神官が、行き倒れて戻って来るなんて ▼ 」
あお                  つぷや
すっかり明るくなった空を仰ぎ、カイルロットは名状Lがたい表情で呟いた。
出会いは嵐の予感
朝日を浴びた葉の上の朝露が宝石のように輝いている。早朝の空気はひんやりと冷たく、
かな
烏の声が合唱を奏でていた。
3
とび
一年前に女と駈け落ちし、行き倒れて戻って来た神官の名前はマディと言った。鳶色の
そうしん
髪と茶色の因をした痩身の中年で、渋みがかった二枚目だが、頭髪の半分以上が白いため、
実際の年齢よ。老けて見える。
「戻って来たんですか、その神官さんは」
うなヂ
ため息のようにバルトが吐き出した。カイルロッドはただ領いた。
みじレたヽ
行き倒れていたマディはあれから身仕度を整え、今はぐっすりと眠っている。
「戻って来るってことは、女とは別れたんだろうけど・…」
もし自分がマディの立場だったら、恥ずかしくて戻って来れないだろうなと、カイルロ
ッドは木の実の皮を剥きながら思った。
「よく戻って来れましたよねぇ」
なペ                  あき
鍋をかき回しながら、バルト。その声には呆れたような響きが含まれていた。
ちゆうぽう
カイルロッドとバルトは厨房で食事を作っていた。
「男だからって家事をしなくていいなんて、そんな甘いことは許されませんからね」
というミランシャの主張で、食事の当番制が出来た。別にその主張に反対ではなかった
し、ジャンケンに負けたのでカイルロッドは当番をやっている。
「せめて、こういう時ぐらい役にたちたいんです」
バルトは自分から当番を申し出た。
そういうわけで、二人で朝食を作っているのである。
「しかし、ろくな物がないなぁ」
のぞ
鍋を覗きこみながら、カイルロットはぼやき、バルトが苦笑した。一年も無人だった神
殿である。めぼしい食料などあろうはずもない。外の森から木の実や食べられる草などを
採って来て、それで空腹をしのいでいた。
がまん
「我慢して下さい。そのかわり、味付けには工夫しましたから」
てぎわ
バルトは見かけによらず器用で、料理も得意らしかった。カイルロッドより数倍も手際
よノ\ 料理している。
「俺のことを器用だって言っていたけど、バルトの方がずっと器用じゃないか」
バルトの手元を覗きこむと、
「そりゃ、僕は王子じゃありませんからね。自分のことは自分でやるしかなかったんです
出会いは嵐の予感
よ。僕も色々なことをやって、生きてきましたからね」
手を止めて、小さく笑った。
「そう言えば、バルトはなにをしていたのだろう?」
銀杯を持ってきたということの他には、バルトの職業や故郷はどこかなど、なにも知ら
ないことに気がついた。カイルロッドがバルトにそうしたことを尋ねてみようとした時、
にお
「お一、いい匂いがするじゃねぇか」
陽気な声がして、イルダーナフが入って来た。
「朝から野郎の手料理というのは、どうも色気がねぇな」
「勝手なことを言うなあ」
カイルロッドが振り返ると、イルダーナフは手に烏を数羽持っていた。
「どうしたんだ、それ」
丸々と太った鳥を指差すと、
「森に来たやつを捕ったんだよ。食ったらうまいぜ。ほらよ」
いつせい
にこにこ顔でイルダーナフが手を離した時、死んだとばかり思っていた鳥が一斉に暴れ
出した。
「わーっ!」
羽音と鳴き声をあげて、鳥達が狭い厨房の中を飛び回った。壁にぶつかったり、鍋をひ
っくり返したりと、たちまち厨房は大騒動になった。
「外に出すんじゃねぇぞー」
「待て、朝ごほんー」
バルトがプンプンと料理用ナイフを振り回し、カイルロッドは鳥を捕まえようと走り回
った。
一〇分後 −
「ちゃんとひねってくればいいのに」
鳥をテーブルの上に並べ、カイルロッドはフーツと長い息を吐いた。
「死んだとばかり思っていたんだがなぁ」
いごこち
少し居心地悪そうに、イルダーナフが巨躯を揺さぶった。
結局、三人がかりで鳥を捕らえたが、狭い場所で人も鳥も暴れたので、せっかく用意し
だめ
た食事がすべて駄目になってしまった。
「せっかく作ったのに」
から                          まなぎ
床に散らばった皿や空になった鍋を見ながら、おたま片手にバルトが恨めしげな眼差し
をイルダーナフに向けた。
「これからまた鳥を料理するのか」
ため息混じりに、カイルロッドもイルダーナフを見上げた。
へきえき
イルダーナフは鼻の頭をこすっていたが、二人の冷たい視線に辟易したのか、
おれ
「わかった。俺が料理する」
観念したように、料理当番を申し出た。カイルロッドとバルトが不安そうに顔を見合わ
せた。
「イルターナ7、料理できるのか?」
不安そうなカイルロッドの声に、大男の剣士は料理用ナイフを手の中で回しながら、口
の端を上げた。
「なめるなよ、若造。それぐらいできねぇで、剣士がつとまるか」
ぼうぜん                 ごういん
関連性のないことをl亨っと、茫然としているカイルロッドとバルトの二人を、強引に厨
房から追い出した。
「・・・・なんとなく不安を感じる」
とぴら
厨房の外の扉にはりつき、カイルロッドは不安におののいていた。イルダーナフの料理
1とてつもなく豪快な料理が出てきそうな気がする。それはバルトも同感らしく、
だいじようぷ
「大丈夫。味はともかく食べられる物なら、僕はなんでも食べます」
出会いは嵐の予感
「そうだな。空腹ならなんだって食べられるはずだ」
二人で虚ろに笑っていると、軽やかな足音がして、ミランシャがやって来た。一天の食
事当番に不安を感じて、様子を見に来たのだろう。
「あら、どうしたの、二人とも」
「実は  」
ミランシャに事情を説明すると、やは。顔を曇らせた。
「イルダーナフの料理フ」
「そう」
「料理なんて作れたの? あのおじさん」
「作れると豪語した」
厨房の扉を見ながら、若者三人は不安を隠しきれなかった。
「どんな物が出ても、食べましょう」
ひそう つぷや             じゆうめんうなヂ
バルトが悲愴に呟き、カイルロッドとミランシャは渋面で額いた。
161 悲愴な覚悟をした三人だが、食堂に用意された食事を見て少し安心した。イルダーナフ
が作ったのは鳥肉のスープと丸焼きだった。
「思ったよりまともな物が出たな」
眠っていたマディを起こして連れて来て、カイルロッドは席についた。そして、覚悟し
て口にしたカイルロットだが、思いもよらない美味に目を真ん丸にした。ミランシャとバ
ルトが続いて口をつけ、同じような表情になった。
「どうだフ」
きゆよノりレ
給仕をしているイルダーナフが、ニヤ二ヤ笑いをはりつけて三人を見た。
おい
「美味しいー」
三人はロを揃え、その感想にイルダーナフは満足気に笑った。
「当然だぜ」
「俺よりうまいな」
ちそフ したつづみ
食べることの大好きなカイルロッドは、思わぬご馳走に舌鼓をうった。「これからはイ
ルダーナフに食事を作ってもら登う」、なとと考えながら食べていると、
「おかわり下さい」
三日間、飲まず食わずだったという元神官は、すごい早さで食事を平らげている。まる
がき
で餓鬼のような食べ方だった。
「僕にもおかわり下さいー」
出会いは嵐の予感
163
「あたしもー」
「俺もー」
こうして大量の食事はあっと言う間になくなった。
「よく食う連中だぜ」
から    きれい                      つぷや
空になった鍋と綺犀に骨だけになった鳥を見ながら、イルダーナフが感心したように呟
いた。
腹が満たされ、それぞれ一息ついた頃、
「助けていただいたお礼もせず、失礼しました。いや、神官服を着ていたから、てっきり
後任の神官かと思っていたら、旅人だったんですね」
マディがカイルロッドに笑いかけた。
「服は借りていたんです」
満腹で機嫌のいいカイルロッドの横から、
あた
「ところで、どうして夜中に神殿の辺りをうろついていたんですかヱ
にじ
気をもまされたバルトが責めると、マディはふいに目尻に涙を渉ませ、
「だって・・あなた、あなたならどうです?・女と駈け落ちして、それが一年で舞い戻っ
とぴらたた
て来るなんて・・みっともなくて、扉を叩けなかったんですー」
テーブルに伏して、大声で泣き出した。「愛に生きる」と、女と手を取り合って神殿か
ら逃げた神官だが、一年とたたないうちに金を使いきってしまった。すると女は「金の切
れ目が縁の切れ目」とばかりに、新しい男をつくって逃げてしまったのだという。
「たしかにみっともねぇな」
おおまじめ       あいづち
大真面目にイルダーナフが相槌を打つと、マディが顔面をぐしゃくLやにして、
「わたしを愛していると言ったくせにー ああっ、女なんか、女なんか嘘つきだっー 私
の人生を狂わせたあの女が憎いっー」
しらふ
素面で酔える体質らしく、女への恨み言と悪口を並べ始めた。カイルロッドはテラッと
ばか
ミランシャを見た。「女は皆、馬鹿で薄情で、嘘つきだ」、などと言われては、ミランシャ
の性格上、黙っているはずはない。
案の定、ロをへの字にしてしばらくは黙って耐えていたミランシャだが、エスカレート
あつこうぞうごん     がまん
していくマディの悪口雑言に、ついに我慢の許容量を越えた。
「自分の間抜けさを棚に上げて、言いたいこと言ってくれるじゃないー そんな女にひっ
かかるなんて、あんたが間抜けなのよ。女を見る目がないんだわー」
立ち上がってマディの横に行き、その耳元で大声を出した。離れているカイルロッドで
すら顔をしかめるような声だ。マディは両耳をおさえ、飛び上がるように顔を上げた。
出会いは嵐の予感
165
おもしろ
「メイリンもいりや、もっと面白かったかもしれねぇな」
酸欠の魚のようにロをバクバクさせているマディと、腰に手をあてて、ボンボンと手厳
せりふ
しい台詞を投げつけているミランシャを見比べながら、イルダーナフが口元をゆるめた。
なぐ
「殴られているんじゃないかフ」
はお
頬づえをつき、カイルロッド。メイリンはカイルロッド達と交代して、シャオロンに付
き添っている。あの女性ならマディの情けない泣き言など、一言で沈黙させるだろう。
′1や
「悔しかったら、女をひっかけられるぐらいのいい男になってみなさいよー どうせ、神
殿の外のことについては、なにも知らないんでしょ」
「な、なにもそこまで本当のことを言わなくたって」
少女の発言にいたく傷つき、マディは助けを求めるように同性三人を見たが、
つら     やつ
「金目の物を持って女と逃げ出しておいて、のこのこと戻って来るような面の皮の厚い奴
にゃ、これぐらい言わねぇと言葉が通じねぇよな」
「僕もそう思いますね。普通ならとても戻って来れませんよ」
「これぐらいは覚悟していたんでしょう?」
しんらつ
イルダーナフ、バルト、カイルロッドにもっと辛辣な一言葉をぶつけられただけだった。
どこにも味方がいないと知って、マディは悲愴感を漂わせた表情になった。
しルこう
「信仰より女を選んだことを悔い、だから恥を承知で再び戻って来たんですよー これか
つか
ら心を入れ替えて神に仕えようと決意したんじゃないですか。ええ、わたしは一生を神に
捧げ、この先は我が身を病み苦しんでいる人々のために使いますー」
というマディの台詞に、カイルロッドは白々しいものを感じた。聞いた限りでは、使命
あ4  りつぱ                   じことうすい
感に溢れた立派な言葉だが、この男のロから出ると、ただの自己陶酔にしか聞こえない。
同じ神官でも、ダヤン・イフ工とはだいぶ違う。
「昼食用に、裏の山から木の実でも採ってこよう」
タヤン・イフェとこんな男を比べてしまった自分が腹立たしくなり、カイルロットは席
を立った。
「そうね。そうしましょう」
くわ
木の実や植物に詳しいミランシャが同行を申し出た。二人が外に足を向けた時、
「キヤアァァー」
ひめい
神殿中に悲鳴が響きわたった。メイリンの声だ。ただならぬ悲鳴に、全員が顔を緊張さ
せた。
「シャオロンになにかあったのかP」
・・・
真っ先にカイルロッドは部屋を飛び出し、疾風のように駆けて行った。
出会いは嵐の予感
とぴらけ
扉を蹴破ってカイルロッドが飛ひこむと、部屋の中央に全身に包帯を巻いたままのシャ
オロンが立っていた。その足元にメイリンが倒れている。ぐった。とした様子に、
ゼいじようぷ
「大丈夫が、メイリンー シャオロン、どうしたんだけ」
けつそう                     つか
血相を変えて駆け寄ろうとしたカイルロッドの霜を、大きな手が掴んだ。見上げると、
せいかん
イルダーナフの精悍な顔があ。、いつもの不敵な笑みの代わ。に厳しいものがあった。
「落ち着けよ、至ナ。あ。や、シャオロンじゃねぇ。別人だぜ」
「別人lフ」
おぴ
かすれた声で鋭く叫ぶと、後ろから「じゃ、憑依されているの?」と、ミランシャの怯
つぷや
えたような呟きが聞こえた。
からだ              たたか  やつ
「ああ、意識のねぇシャオロンの身体にとり憑いてやがるのき。正面きって闘えねぇ奴の
使う手段だ」
さげす
若者二人の質問に答え、大男は蔑む視線をシャオロンに向けた。
「ど、どうすればシャオロンさんを助けられるんですか!フこ
はず
息を弾ませたバルトに問われ、イルダーナフは沈黙した。わからないのか、それともわ
うかが
かっていて沈黙しているのか。他人を寄せつけない厳しい顔からは、なにも窺い知れなか
った。
「ああーつ、こんなことなら帰って来るんじゃなかったー」
りつば せりか みずか
用もないのにくっついて来たマディが、つい先程の「立派な台詞」を自ら否定するよう
な叫びをあげた。その場にいた人々の軽蔑をかったことは吉うまでもない。
なぜ
「何故、シャオロンにとり憑くんだっ きさまは何者だ?」
カイルロッドは呼吸を整えながら、ゆっくりとシャオロンとの距離を縮めた。
「待っていたよ、カイルロッド」
シャオロンのロから、老人のようなしゃがれ声が流れた。聞き覚えのある声だ。忘れた
くても忘れられない声に、カイルロッドは大きく目をみひらいた。
ろうか   まばろし
「廊下で俺に幻を見せた奴だな〜」
「覚えていてもらえて、光栄だ」
のど
クックックと喉の奥で低く笑った。室内の温度が低下するような、冷え冷えとする笑い
声に、ミランシャが身震いした。
「幻の次は憑依かーそんなことをしないで、自分の姿を現したらどうだー」
短剣を取り出してカイルロッドが唸ると、シャオロンに憑依したそれが、菜しくてたま
らないとでも言うように、乾いた笑い声をたてた。
出会いは嵐の予感
169
めんどう
「元気のいい男だ。あの時におとなしく死んでくれれば、こちらも面倒なことをしなくて
すんだのに」
知らない間に、シャオロンの手にはナイフが握られてお。、切っ先は下を向いていた。
けがにん
怪我人のシャオロンが身につけていたとは思えないから、おそらくメイリンの護身用の
物を奪ったのだろう。
「う・・」
ゆか
床に伏したまま、メイリンが薄く目を開けた。
「メイリン!」
駆け寄ろうとするミランシャを、バルトが慌てて押し止めた。
ものすご
「来ないて。動けな  いのよ。上から物凄い重圧がかかっていて…・・動けないの」
とぎ                    ひたい
ところどころ途切れたメイリンの声が苦痛を雄弁に語っていた。額に大粒の汗が浮かん
でいる。
ゆが
苦痛に美しい顔を歪めるメイリンと、怒っているカイルロッドを交互に見比べ、シャオ
ロンに憑依している者が薄く笑った。
いや
「手を開けば、刃物がこの女に突き刺さるだろうな。それが嫌なら、おかしな動きはしな
いことだ」
「きさま…・」
・−・
どこまでも汚い手段を使う。カイルロッドはきつく唇を噛んだ。あまりにきつく噛みす
ぎて、端から糸のような血が流れた。
ねら
「目的は俺なんだろう。だったら、俺だけを狙えー」
わけ
バルトやツァオ姉弟、関係ない人間まで巻き込んでしまい、カイルロッドは申し訳なさ
で胸がはちきれそうだった。この身になにが起きようと、それは仕方のないことだと諦め
られる。しかし、自分の周りにいるというだけの理由で、無関係な人々に迷惑をかけてし
まう。それがたまらない。
「それはすでに失敗したのでな。この女を助けたくば、おとなしノ1死んでいただこうか。
おき
この女の生命と自分の生命を交換だ。そうすれば、すべてが丸く収まる」
「なにを勝手なことを・」
怒りで口もきけないカイルロッドの代わりに、ミランシャが吐き捨て、
やつ
「イルターナフ、どうにかしてよー 強いんでしょうけ あんなふざけた奴、おじさんな
ら簡単に倒せるはずだわー」
かろだ
頼みの綱であるイルダーナフに身体ごと向き直った。バルトも「お願いします」と、ミ
いつしよ しんがん
ランシャと一緒に懇願したが、イルダーナフは動こうとしない。
出会いは嵐の予感
「イルダーナフ!」
「もうちいっと待ってくれよ、お嬢ちゃん」
ボンとミランシャの肩をひとつ叩き、後は得意の軽口も叩かず、腕組みして成。行きを
見守っている。
「さて、どうするね?」
ひようい
シャオロンに憑依している者は、最初からカイルロッド以外を無視しているので、イル
.・1 1・
ダーナフの不気味な沈黙などまるで気にしていない。
「カイルロッド、返事は?」
ねずみ                      ひとじち
猫が鼠をいたぶるような目をする。シャオロンとメイリンと、二人も人質にとられては、
手も足も出ない。カイルロッドは無言で、短剣を下に放。捨てた。ニッと、シャオロンの
くちぴる
唇の両端が吊。上がった。
ぱかもの  なぜ
「お人好しの馬鹿者は、何故かこの手段によくひっかかってくれる」
げす
「下衆が!」
はぎし          へいげい
胸がむかついた。ギリギリと歯軋りしているカイルロッドを曙睨し、憑依している者が
カラカラと笑う。
「負け犬の遠吠えは何度聞いても楽しいものだ。特に、フエルハーン大神殿の神官長が目
えもの
の敵にするほどの獲物ならば、なおのこと」
「やはりフェルハーン大神殿のまわし者か」
予想どおりの相手に、カイルロッドは舌打ちした。その神官長アクディス・レヴィの襟
くぴ つか     かげん    どな
首を掴んで、いい加減にしろと怒鳴ってやりたい。
おれ ねち
「どうして俺を狙うんだ。俺はなにもしていないのにー」
ついっと、シャオロンの指がカイルロッドを差した。
きようい                     たて蔓た
「神殿にとっての脅威、人間にとっての脅威だからだ。しかし、それは建前だろうよ。神
官長アクディス・レヴィは、カイルロッドの力を利用したがっているだけだ」
「俺のカフ」
神殿と人間にとっての脅威だとか、力とか、カイルロッドにはまるで理解できない。
「自覚がないだけに始末が悪い。一八年、なにも知らずにこれたとは、幸せな男だ。自分
のろ
が呪われた忌まわしい存在だと、まるで知らなかったのだな。幸せなカイルロッド」
じょよノぜつ
勝利を確信して気がゆるんだのか、シャオロンに憑依しているそれは、餞舌になってい
た。
ゆず
「アクディス・レヴィは、カイルロッドの父親譲りの力を欲しているのだ。父親は・・」
みみぎわ
「いい加減にしろよ、この野郎。図にのって耳障りな声で、ベラベラしゃべるんじゃねぇ
出会いは嵐の予感
じゆうぷん
よ。そこまで聞けば充分だ」
ごういん さえぎ
神殿のまわし者の得意気な声を、底抜けに明るい声が強引に遮った。長い沈黙を守って
いた大男は不敵な笑みを刻み、組んでいた腕をほどいた。
からが
「長々とつまらねぇ話を聞いていて、身体がなまっちまいそうだぜ」
「きさま!」
シャオロンの手が動き、メイリンを刺そうとしたが、キンツと高い金属音がして、ナイ
てんeレよよノ
フの先が飛び、天井に突き刺さった。イルダーナフの長剣が、ナイフを切断したのだ。
だれ
いつ長剣を抜き、いつ間合いに踏み込んだのか、誰もわからなかった。目にも止まらぬ
けやわぎ
早業だった。
身体の自由をと。もどしたメイリンか紺ね起き、短剣を拾ったカイルロッドがその腕を
つか
掴んで、シャオロンから離した。
それらは一瞬の出来事だった。
「形勢逆転ね−」
探呼吸しているメイリンの横で、ミランシャが「ザマーミロ」と言う表情をした。
「また父親か …」
いまいま
カイルロッドは忌々しげに短剣を蛭。しめた。身に覚えのない恨みをかう原潟に、顔も
..−.・’
知らない父親がからんでいるとあっては、憤りもひとしおだ。
「おいおい、顔色が悪いぜ?・.さっきまでの自信はどうしたいフ」
剣をおさめ、イルダーナフがジリジリとシャオロンとの距離を縮める。
「う・…こ。しかし、人質がいなくなったわけではないぞ。憑依しているこの身体が…な
にけこ
あと.レ一e
後退りしたシャオロンの前に、すっとイルダーナフの巨躯が影のように立った。いつ動
いたのか、カイルロッドはもとより、シャオロンに憑依した者にもわからなかったに違い
ない。
ひたい
イルダーナフの指が、シャオロンの額を突いた。カイルロッド達には軽く突いたように
しか見えなかったが、シャオロンの身体が硬直した。金縛りにでもあったようだ。
「うぐつ… 」
そうぽう きようがく
シャオロンの双畔が驚愕にみひらかれた。
「へっ、動けねぇよな。その身体から出ることもできねぇぞ」
えたい
そう宣告し、得体の知れない剣士はカイルロッド達の方を振り向いた。
「野郎はここに縛りつけておくから、王子は本体を探せt 憑依している間、本体は脱け
殻だ。それを倒せば、野郎はあの世行きよ。必ずこの神殿の内部にいるはずだ」
うむ
有無を言わせぬ迫力に、カイルロッドは父親のことを訊こうと思っていたのに、反射的
うなず
に領いてしまった。
「ちょっと、ぼんやりしてないで、さっさと動きなさいよー あんたが神殿内部に一番詳
しいんだから、案内しなさいよー」
すね けと
ミランシャがマディの脛を蹴飛ばした。蹴飛ばされた元神官は「どうして、わたしが」、
情けない表情で部屋を出た。
「行くぞ」
カイルロッド、ミランシャ、バルトが部屋を走り出て行った。
「では、こっちはしばらく休憩してるか」
遠ざかる複数の足音に目を細め、イルダーナフはメイリンに笑いかけた。
4
.・..・
「子供の頃に、よく城の中を探険したけど。それを思い出すよ」
走りながら、カイルロッドはぼやいた。四人は手分けをして、神殿の部屋という部屋を、
本体を探して駆けずり回った。しかし、どこにもそれらしきものは見あたらない。
「これで那犀は全部ですよ」
出会いは嵐の予感
ゆか
最後の部屋の中に入るなり、マディは床にへたりこんでしまった。若者につきあわされ
あご
て神殿中を走。まわったのが、相当こたえているのか、細い顎から汗が滴。落ちている。
おのおの
ばてている中年の横を素通。し、若者三人は室内に入った。そして各々、壁や床などを
調べ始めた。
「隠し部屋とか、地下室はないんですか?」
床の上に四つん這いになって、舐めるように下を見ているバルトの問いに、マディは無
言で頭を左右に振った。汗が飛び散った。
「部屋にいないとなると、外かな?」
つぷや
壁に張りついているカイルロッドの呟きを、即座にミランシャが否定した。
「それはありえないわ」
ひようい
魔女見習いの説明によると、憑依している間、本体はまったくの無防備になるから、強
すく
力な庸遠T一一例えば魔法陣に守られているはずだと亭っ。「いくら憑依能力が優れていて
も、本体を倒されたら終わ。だものね」、もっともな話に、カイルロッドは感心した。
ぷきみ
「でも、憑依なんて不気味な能力だよな」
じゆうめん
渋面でカイルロッドが壁に寄。かかっていると、
「カイルロッド、ねぇ、見て見て」
うれ
やたら嬉しそうな声がして、顔だけ動かして見ると、壁ぎわでミランシャが手招きして
いる。
「どうした?」
何事かと思ってミランシャのところへ行ってみると、
「見て、これカイルロッドにそっくり」
笑いながら少女が指差したのは、テーブルの上にあるブロンズ製の馬の置物だった。
「ね、そっくりでしょフ」
.ヽ.,.  ,.、,,,
カイルロッドが沈黙していると、「どうしたんですフ」と、好奇心の強いバルトがやっ
て来た。
だれ
「これ、馬になった誰かに似てないフ」
ミランシャが笑いながら言い、
「似ています」
よノなず
バルトが真顔で額いた。
二人の会話を聞きながら、カイルロッドはこめかみに青筋をたてていた。似てると言わ
れても、カイルロッドは馬になった自分の姿など知らないし、知っていたところで首を縦
班会いは嵐の予感
になど振る気はない。ミランシャとイルダーナフの二人は、カイルロッドが馬になること
おおまちが
に抵抗を感じていないと思っているのかもしれないが、それは大間違いだ。
「魔法で馬にされて、それをいいことに荷物持ちにこき使われるわ、路銀稼ぎに売。飛ば
やつ
されるわ。それで平気な奴がいるか」
たぴ
くしゃみが出そうになる度、どれほど苦労して止めているかなど、連れの二人にはわか
るまい。
そう思うと、ブロンズ像の前で笑っているミランシャに対して、腹がたってきた。
「俺はそんな物を見たくない。部屋の外に出してやる」
ミランシャのかわ。にブロンズの馬に八つ当りし、カイルロッドはそれを捨てる気で、
乱暴にブロンズ像を持ち上げた。
と[。
ゴゴゴツ。
重い音をたてて、すぐ後ろの壁が閃いたではないか。
「見つけた、隠し部屋よγ」
とぴら
ミランシャの声が響きわたった。カイルロッドは開いた扉に、目を丸くした。回転扉に
なっていて、奥に小部屋がある。
だれ
「誰よ、隠し部屋がないなんて言ったのは」
いやみ
ここぞとばかりのミランシャの嫌味に、マディが身体を締め、「知らなかったんですっ
てば」、ぐずぐずと鼻を鳴らした。とんだ案内人である。
「こんな場所に隠し部屋なんて。神殿の宝でも隠していたんですかね」
とうぞく  りやくだつ    ゎ
物珍しそうにバルト。盗賊などの略奪から、宝と我が身を守るために、神殿の多くは地
下室だの逃げ道だのを作っているという話を、カイルロッドは聞いたことがある。おそら
く、この隠し部屋もそのための物だろう。
「それじゃ入るけど、気をつけてくれ」
カイルロッドが回転扉を押した。
てん。レよネノ
扉の奥には小さな部屋があった。天井はカイルロッドが立ってすれすれの高さしかなく、
きゆ・つくつ
室内は狭くて、五人も入れば窮屈になってしきつ。
その床には複雑な文様の円陣が描かれ、青白い燐光を発していた。魔法陣だ。円陣の中
いす       すわ
央に椅子が置かれ、人が座っている。
やつ
「あれが憑依している奴の本体か」
目をこらしたカイルロッドが、鋭く息をのんだ。ミランシャとバルトは声もなく、マデ
イが「げっ1」と奇妙な声をたてた。
出会いは嵐の予感
からだ
座っているのは子供だった。いや、身体は確かに子供なのに、顔だけが適うD老人の顔
しゎ           くlま がんか
だ。百年も生きたように、無数の紋が刻まれた老人の顔−。落ち窪んだ眼駕の奥の黄色
い目が、虚空を漂っている。
「身体の成長が止まったまま、年をとったみたい」
さぴ
ミランシャの声は震えていた。奇妙で淋しい姿に、カイルロッドはやりきれなさを感じ
た。
「ともかく、倒さないと」
な                     せつな
萎えかけた闘志をふるいおこし、カイルロッドが魔法陣に足を踏み入れた。刺那、見え
ない壁に押し返された。
「入れないぞー」
数回、魔法陣に入ろうと試みたが、いずれも押し戻された。「どれどれ」と、ミランシ
ャ、バルト、マディの三人も円陣の中に入ろうとしたが、ことごとくはね返された。
「なんということだっ!・一口の前にいながら、歯がたたないなんて▼」
わめ
両手で髪をかきむし。ながら「うわあぁぁ」と、無意味に喚いているマディの背中を、
「うるさいから、外へ出ていて下さいー」
けと
バルトが蹴飛ばして、隠し部屋の外へ追い出した。バルトがやっていなかったら、ミラ
ンシャとカイルロッドのどちらかが、同じことをしていただろう。
「王子の短剣は? 効果があるんじゃないかしらっ」
ミランシャに言われるまでもなく、カイルロッドは短剣を取り出して、魔法陣の端に突
き立てていた。
だめ
「駄目で元々、当たればもうけ、か。説得力あるな」
くセ         っぷや
すっかりひらき直り癖のついたカイルロッドが呟いた時 −。
ピシッ。
なにかが裂けるような音がした。
せんこう
突き立てた短剣から閃光が〓肋、円陣を二つに割るようにして伸びた。
燐光が失せ、魔法陣の文様が拭きとられたように消えた。魔法の効力が失われたことは、
素人のカイルロッドにもわかった。
しゆんぴん          ひたい       ちせつ
俊敏な動きで短剣を拾い上げ、本体の額めがけて放った。長剣は稚拙でも、ナイフ投げ
まと はず
で的を外したことはない。
短剣は光の線を描いて額に刺さり、後ろの椅子にまで突き抜けた。
(グアァァァ〓)
だんまつま               ひめい
断末魔の声が、耳でなく、頭の中に直接響いた。悲鳴など耳で聞くことすら耐えがたい
出会いは嵐の予感
のに、頭の中に響かれてはたまらない。カイルロッドはきつく目を閉じた。ミランシャが
固く両目を閉じて両耳をおさえ、バルトは歯を食いしばった。
こくう か一ムた
細く長い尾をひいて、悲鳴が虚空の彼方に吸いこまれた。
あとかた
ヵィルロッドがそっと目を開くと、本体は塵となって消え、魔法陣は跡形もなくなって
いた。ガランとした灰色の部屋に残った物は一脚の椅子と、その背もたれに突き刺さって
いる短剣だけだった。
「これで、シャオロンも大丈夫だ」
椅子から短剣を引き抜き、カイルロッドは全身で息をついた。
「終わりましたフ」
すきま           のぞ
回転扉の隙間から、こっそ。とマディが覗きこんだ。すべてが終わるのを見計らって顔
を出した中年に、ムッとしたミランシャが、
「終わったわよ−」
乱暴に扉の反対側を押し、マディは中に倒れこんだ。
こわ
「ミランシャさんって、怒らせると恐いですね」
「うん、恐い」
ささや
バルトとカイルロッドは聞こえないように小声で囁き合った。しかし、耳ざとい魔女見
にち         ぁゎ
習いに睨まれ、カイルロッドは慌てて隠し部屋を出た。
ひざ     まぷ
外から射し込む陽射しがひどく眩しく、カイルロッドは目の前に手をかざした。
「これでやっと安心して眠れますね」
出て来たバルトが満面の笑みで言い、
「いつだって眠っていたと思うけど」
ミランシャが意地悪く扇をすくめた。
「これで少しはゆっくりできるな」
気になることも多いが、一時の解放感に、カイルロッドは大きく伸びをした。
ひぎ
断末魔の声が細くなり、やがて消えると、硬直していたシャオロンの膝がガクッと折れ、
ゆか
前に倒れた。床に激突する寸前、イルダーナフが抱き取った。
「どうやら、本体を倒したらしいな」              志
気を失っているシャオロンを抱え上げ、イルダーナフがやれやれという調子で、眉を動
かした。
「よかった・‥」
つぶや            ぉぉ
絞りだすように呟いてメイリンは涙ぐみ、両手で顔を覆った。肩や腕が小刻みに震えて
出会いは嵐の予感
いる。
「まぁ、あれくらい自力で倒してもらわねぇとな。ちいっと時間がかかりすぎるがな」
しわ           で
シャオロンをベッドに横たわらせ、イルダーナフは目尻の級を深くした。出来の悪い弟
子の採点をしている師匠のような口振りだった。
まどぎわ
やるべきことをすませ、カイルロッド達が戻って来るのを待つ間、イルターナフは窓際
の壁にもたれかか。、腕組みして目を閉じていた。メイリンはベッドの横に立ち、弟の顔
を見ている。
せいじやノ1
明るい室内に静寂が訪れた。
かお
時折、花の薫りを運んだ風が流れこみ、メイリンの髪を揺らした。
眠っている弟の顔を見ていたメイリンが、ふと思い出したように、からかうような表情
をイルターナフに向けた。
「ねぇ、イルダーナフ。訊いてもいいかしらフ」
「んフ⊥
「あの坊やは何者なのフ」
「ルナンの卵王子だ」
そ lキ′            くちぴる
目を閉じたまま素っ気なく言う。メイリンが赤い唇の片端だけ動かした。
ねち          ひよよノ
「嘘ではないけど、真実ではないわね。ただの王子があんなに狙われるわけないもの。憑
依していた者も言っていたじゃない。神殿はあの坊やの力を利用したがっているって。あ
の坊やにはなにか秘密があるのね」
ねえ
「記憶力のいい姐ちゃんだ」
めんどう
やれやれと、面倒そうにイルダーナフが目を半分だけ開いて、メイリンを見た。黒い日
に警戒の色がある。
「卵王子の秘密なんて知っても、おまえさんにゃ、なんの得にもならねぇよ」
すご
「凄まないでほしいわね。私はもうツァオじゃないんですからね。普通の女なのよ。神殿
やつかいごと
がらみの厄介事に巻き込まれるなんて、願い下げだわ」
つや                        せきりよう
どこか艶っぽい、したたかな笑みで応じたが、すぐにその顔を凝蓼がかすめた。
かわいそう
「ただね 。あの坊やが可哀相に思えて 。あの坊やはいい子よ。秘密なんてものに
振り回されるのは、可哀相だわ」
「・ ・」
音のない息を吐いて、イルダーナフは足皇父差させた。そして、窓の外に顔を向けた。
繁る緑の中に、鮮やかな色の花が咲いている。
だれ
「・…あの王子の不幸はよ、誰にもどうしてやることもできねぇもんなのさ」
出会いは嵐の予感
こわね      いきどお あわ
表情はわからなかったが、大男の声音にやりきれない憤りと憐れみが含まれているよう
ひたい       な
に感じられた。メイリンは弟の額にかかった髪を撫でつけながら、禁句を口にした。
「それは坊やの父親のことっ一
怒るか、不機嫌になるのではないかと思われたが、イルダーナフは無言だった。肯定も
否定もしない、それが返答らしい。
「イルターナ7、あなた、あの坊やの父親を知っているんじゃないの。それどころか、あ
の坊やに関して、なにもかもを知っているんでしょう? 知っていて黙っているのねフ
どうしてフ」
質問を畳みかけると、
「メイリン姐ちゃん」
われ
立ち入。を拒絶する、冷ややかな声がはねかえってきた。メィリンは我に返。、ハッと
まなぎ
息をのんだ。ゆっノ、。と向き直ったイルダーナフの冷たノ、冴えた眼差しが、まっすくにメ
イリンを射た。
「こめんなさい。那外者の立ち入ることじゃないわね」
っと             わ
ぅろたえながらも、努めて冷静さを装い、メイリンは詫びた。目の前にいるのは、豪快
じゆぺノこう
で陽気で、軽口ばか。叩いている剣士ではない。近寄。がたい威圧感と重厚さを身につけ
た見知らぬ男だ。
やわ       おおまた
メイリンの様子に、イルダーナフの表情が柔らかくなった。大股で近づいてきて、
「すまねぇな。おまえさんが心配してくれるのはわかるんだが、知りすぎると、迷惑がか
かっちまうんでな」
にがにが  つぶや               はほえ
横に並んで、苦々しく呟いた。そんな男を見上げ、メイリンは微笑んだ。
なぞ
「坊やも謎だらけだけど、あなたも謎だらけなのね」
少し意地の悪い微笑みに、大男は口元に苦笑をはりつけたが、なにも言わなかった。
ろうか
廊下から複数の足音が聞こえ、部屋に近づいて来ていた。
出会いは嵐の予感
四章 さよならのかわりに
ひぎ                lまんてん
晴れた空は青く、陽射しに木々の緑色が輝いている。木漏れ日が大地に光の斑点をおと
していた。
すわ強い陽射しを避けて、カイルロッドは空に向かって枝を伸ばしている見事な大木の下に
座。、目を閉じた。木陰のひんやりとした空気が心地よい。
「明日にでもここを出ないとな」
ひようい
自分に言い聞かせるように、カイルロッドは独白した。憑依していた者は倒したし、シ
かんち        いつしよ
ャオロンの容体も順調だ。完治すればメイリンと一緒にどこかの街に行き、そこで平凡な
生活を営むことだろう。バルトはもうしばらくしたら、国に帰ると言っていた。舞い戻っ
てきた神官マディは悔い改め、一生を神に捧げると言っていたが、これまでの言動からす
ると、あま。あてにはならない。
あわ
「この数日間、慌ただしかったな」
目まぐるしかったが、それでも終わってみれば、心配するほどのことはなくなった。こ
れで安心して、旅立てる。「先を急ぐ身なのに、ゆっくりしすぎた」、反省していると、な
にお            ぅった
にやらおいしそうな匂いが流れてきた。腹が空腹を訴えて鳴いた。考えてみれば、起きて
からまだなにも食べていないのだ。
「いい場所にいるわね」
軽い足音と明るい声がして、片手に盆を持ったミランシャが木陰に入って来た。
「はい、食事を持って来てあけたわよ。木の実とか山菜しかなかったんだけど、文句は受
けつけないわよ」
「文句なんてとんでもない。俺は好き嫌いなんかないよ」
うれ
盆を受け取り、カイルロッドは嬉しそうに笑った。「いただきます」と言って、食事を
始めたカイルロッドを、ミランシャはしげしげと見ている。
「俺の顔になにかついてるフ」               おい
「ううん。本当に幸せそうに食べてるなぁと思って。いつもそうよね。なんでも美味しそ
うに食べてるもの」
スプーンをくわえたまま、カイルロッドは困った顔をした。誉められているのか、けな
出会いは嵐の予感
されているのか。
「で、王子。いいの?」
しばらくじっと食事の様子を見ていたミランシャが、焦れたようにロを開いた。カイル
とな
ロッドは食へる手を止め、隣。の娘を見た。
「なにがフ」
「なにって、おじさんよ。イルダーナフおじさんーあの人、王子の秘密を知っているわ
よー」
「ああ、それか」
あいまい つぶや
色違いの髪をいじくりながら、カイルロッドは曖昧に呟いたC
「ああ、それか、じゃないでしょう!」
にぶ
ヵィルロッドの反応が鈍いので、ミランシャの声がますます大きくなった。カイルロッ
ドは片手で耳をおさえた。
ひようい  やつ                      じゃま             いと
「憑依した奴が、王子の父親のことを言おうとしたら、邪魔したじゃない。絶対−意図
的に邪魔したわー・」
「うん。俺もそう思う」
うなず  のんき
スプーンを口に運びながら、カイルロッドは額いた。呑気としか思えない反応に、ミラ
まゆ        つ                          じかだんばん
ンシャは眉をキリキリと吊り上げ、ずいっと詰め寄った。その姿は「直談判でねじこみに
こわ
来たようだ」と思ったが、怒らせると恐いので黙っていた。
「だったら、どうして問いつめないのフ 知っていてしらばっくれてるのよ、イルダーナ
フはー このまま、ずっとしらばっくれさせるのけ」
「だって、問いつめて話してくれる人じゃないよ。仮に話してくれても、どこまで本当だ
かわかったもんじゃないだろうし、気がついたら言いくるめられてるのが関の山だ。どう
けむ
やっても、口先三寸で煙にまかれるだけじゃないのか」
道中でさんざんそれをやられ、骨身にしみていた。あの男に口で勝てる者がいるだろう
か。腕はたつわ、口は達者という男である。まったく性質が悪い。
「なにを頴にl 自分の。となのよ、わかっているの】」     ひとごと
耳元で怒鳴られ、カイルロッドは顔をしかめた。まったく元気のいい娘である。他人事
はlまえ
だというのにむきになっているミランシャに、カイルロッドは微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも、俺は佳嵩ないことにしたんだ。旅をしている間に、
きっと知るだろうから。イルダーナフがなにも言わないのは、まだ知らなくていいってこ
となんだ、きっとね」
ミランシャがふいをつかれた顔をした。
3 出会いは嵐の予感
まぷ
目に眩しい緑の問を白い蝶がひらひらと飛んでいくのを見ながら、カイルロッドは「き
.P
っとね」と小さノ、呟いた。
本当は、憑還した者の本体を倒した直後にでも、イルダーナフに尋ねてみる気でいたの
なぜ
だ。だが、部屋に戻って、イルダーナフを前にしたら、何故かそんな気が失せてしまった。
えたい
得体の知れない男だが、理由のないことはしない。教えようとしないのは、きっと理由が
ぁるはずだ。そう考え直し、カイルロッドは沈黙することにしたD
「父親のことより、ムルトを倒すことの方が先だし」
「やっぱ。王子って呑気だわ」
ため息ひとつつき、乱れた髪を直しながら、ミランシャは少し遠慮がちに質問した。
「本当の父親を憎んでいるのフ」
「・どうかな。子供の頃は憎んでいたし、今は…顔を見たら、色々と言ってやりたい
気分だ」
カイルロッドは正直に答えた。
「でも、父親だなんて思わない。育ててくれたのが親だ。俺の父はサイードだよ。他には
いない」
から
空の皿を盆に返し、カイルロッドはきっば。と言った。どんな事実があろうと、実父と
やらに会っても、それだけは決して変わらない。
「ふーん」
難しい顔をしていたミランシャが、ふいに破顔した。
けつこヱノ
「少し見なおしたわ。結構しっかり考えているのね」
−1、こ
これまでいったい、どう思われていたのだろう。カイルロッドは空恐ろしくなった。
「いいけとね」
盆を持って立ち上がると、ミランシャが「とうしたのっ」という表情をした。
「旅立ちの用意をしようかと思ってゥ何事もないみたいだから、安心して神殿を出ていけ
るよ」
「そうよね。早くムルトを見つけ出さないといけないんですものね」
土を払って、ミランシャも立ち上がった。
緑の中を並んで歩きながら、カイルロッドは久しぶりの平穏に感謝していた。同時に、
この平穏が少しでも長く続くことを、祈らずにはいられなかった。
しかしー神殿に戻ったカイルロッド達を待ち構えていたのは、シャオロンの危篤だっ
ユ95 出会いは嵐の予感
た。もう心配はないものと、楽観していただけに、カイルロッドは横面を張りとばされた
ような衝撃を受けた。
「どうしてだ=ほんのついさっきまで、なんともなかったじゃないか⊥
「で、でも、イルダーナフさんが、そう言ってます!」
知らせてくれたバルトも、あまりに急激な容体悪化が信じられないという表情だった。
「言っているって、見たわけじゃないの?」
ミランシャがバルトに噛みつく。
「だって、室内に入れてくれないんです。僕だけじゃなくて、メイリンさんまで立ち入。
禁止にされて」
けげん
ヵィルロッドとミランシャが怪訝な顔を見合わせた。バルトの亨っところでは、突然イ
ルターナフに呼ばれたので、どうしたのかと思って行ってみると、「シャオロンの容体が
悪化した」と、前置きも説明もなく、それだけl言われた。メイリンが説明を乞うたが、イ
ルダーナフは無言だった。そして、シャオロンの部屋への立ち入。を禁止したそうだ。
ごういん
「説明もなしに締め出すなんて、ずいぶん強引じゃないの⊥
ミランシャの声を聞きながら、カイルロッドはバルトを押し退け、シャオロンのいる部
屋に向かった。後ろからミランシャとバルトが追って来る。
しかし、部屋に行くまでもなく、カイルロッド達は途中でイルダーナフとメイリンの二
人に鉢合わせした。二人ともただならぬ様子だった。特に、メイリンなど死人より青い顔
をしていた。
「イルダーナフ、シャオロンが危篤というのは、どういう…・」
「気をつけろ、野郎、逃げやがったー」
カイルロッドの質問は、イルダーナフの声に消された。
「に、逃げたぁり」
「逃げたって、危篤じゃなかったのけ」
あご はず
死人が動き出したと言われたようなものだ。仰天したバルトが顎の外れそうなぐらい大
きくロを開け、ミランシャが叫んだ。
シャオロンに異変があったのは確からしいが、いったいどうなっているのだろう。危篤
むじゆん
だと言ったり、逃げたとか、矛盾しているではないか。
「イルダーナフ、なにがあったんだP」
先を急いでいるイルダーナフを止め、カイルロッドが鋭い呼吸で問いかけた。イルダ1
まゆ
ナフの太い眉が、かすかに動いた。
「シャオロンになにがあったんだっ」
出会いは嵐の予感
「あれはシャオロンじゃないわ!」
イルダーナフの代わりに、メイリンが血を吐くように叫んだ。
ぱけもの
「あれは、ただの化物よ〓」
つよノせつ さけ
身を切るような痛切な叫びに、カイルロッド達はただ立ちすくんでいた。
重く息苦しい空気が、建物の中に充満していた。足音をたてぬよう、どんな小さな物音
のが
も聞き逃さぬよう、神経をとぎすました状態でカイルロッドは神殿内部を歩いていた。
せいじやく
張。つめた静寂の中で、自分の心臓の昔だけがいやに大きく聞こえた。
へぴ
「まさか今頃になって、蛇が現われるなんて・」
つぷや
カイルロッドは心の中で呟いた。
「シャオロンは蛇に支配されている」
ぱうぜん
そうイルダーナフは、カイルロッド達に告げた。予想だにしなかった話に、ただ茫然と
くヂ
しているカイルロッド達の前で、こらえかねたようにメイリンが泣き崩れた。
シャオロンの異変にまず気がついたのは、メイリンだった。どこがどうというのでなく、
なにかが違う。強いて亨っなら、別人がシャオロンにな。すましているような、そんな違
和感を感じたらしい。そのことをイルダーナフに告げると、メイリンは部屋の外に出され
た。
2・▼
「まさかと思って脅してみたら、すくに正体を現しやがった。蛇に身体を乗っ取られてい
たんだ」
シャオロンが蛇に乗っ取られたと知ったイルダーナフは、蛇が神殿にいる人々に害をな
りつかしl
すのを恐れ、部屋に結界を張ろうとした。しかし、そんなこととは知らないメイリンが心
とぴろ            こわ
配して扉を開けてしまったため、結界は壊れ、シャオロンを乗っ取った蛇は逃げ出した。
ふういん
「蛇って、街に封印されていた蛇だろうっl
蛇がシャオロンを乗っ取ったと聞いた時、カイルロッドは一瞬、その意味が理解できな
なぜ
かった。街に封印されていた蛇は死んだはずだ。確かに倒したのだ。それが何故、シャオ
ロンを乗っ取れるのか。
「シャオロンの体内に、蛇の骨が残っていたからだろう」
カぱ
メイリンとバルトを庇った時、身体に入った無数の骨。深く刺さった物は取り出せなか
った。それが溶け、血肉と混ざり合い、蛇はシャオロンの身体を乗っ取ったのだ。
「まさかここまでやろうとは  」
12がYhが             だれ
苦々しくイルダーナフは吐き捨てた。誰に予想できただろうか。体内に残ったわずかな
かけら
骨の欠片が、シャオロンの身体を乗っ取ろうなどと。
出会いは嵐の予感
ふくしゆう
「蛇はシャオロンの身体を乗っ取って、人間に復讐しようとしている」
カイルロッドの全身から血の気がひいた。蛇はあれで完全に死んだもの、終わったもの
とばかり思っていた。それが数日たってから、こんな形で現われようとは。この世のすべ
しゆうねんおんねん
ての人間が死ぬまで、蛇の憎しみはおさまらないのだ。蛇の執念と怨念の深さに、カイル
ロッドもミランシャも、言葉を失った。
ひそ
「とにかく、蛇を倒すにゃ今しかねぇ。野郎は必ず神殿内部に潜んでいやがる。弱ってい
ひぎ
るから陽射しの中には出られねぇはずだ。夜になる前に倒さねぇと、野郎、街へ行って今
度こそ皆殺しを始めるぜ」
その言葉を疑う者はいなかった。
こうして、メイリン、ミランシャ、バルトの二天を、イルダーナフの張った結界の中に
残し、カイルロッド達は蛇を倒すことになった。
「しかし、マディはどこにいるんだろう」
ぎんげ
マディの姿が見当らないのが気になる。礼拝堂で慨悔でもしているのかもしれないが、
あぷ
非常事態なのだ。「結界に入らないと危ないのに」、危惧して探そうとしたカイルロッドを、
イルターナフが止めた。
「この大変な時に、近くにいねぇのが悪い」
やつ めんどよノ
いない奴の面倒までみきれるか、黒い目がそう言っていた。
えたい
「剣は達人、そのうえ聞きかじっただけで結界を張る。つくづく得体の知れない男だ」
歩きながらカイルロッドは改めて思い、そして、その得体の知れない男に声をかけた。
「イルダーナフ。蛇を倒したら、シャオロンはどうなるんだフ」
一番心にひっかかっていた疑問、もしくは不安だった。イルダーナフはつまらなそうに
いちふつ
カイルロッドを一瞥し、
「まず助からねぇ」
前置きなどなノ\ずばりと亭っ。わずかな希望を砕かれ、カイルロッドは肩を落とした。
シャオロンが、そして、メイリンが憐れだった。
「血肉に溶けたってぇことは、同化したってことだからな。どうしようもねぇ。蛇が死ね
ば、シャオロンも死ぬ。どちらかだけを助けるなんざ、まずできねぇな」
たんたん
背中の剣を抜き、点検しながらイルダーナフは淡々と言った。事実のみを述べる事務的
な口調が、ひどく冷酷な響きを帯びてカイルロッドには聞こえた。
そうしたカイルロッドの感情の動きがわかるのか、
「だから、言っておくがな。助けようなんぞと考えるな。もう助けられねぇんだからよ。
ねら
シャオロンを見つけたら、短剣で心臓か頭を狙え。その短剣なら、弱っている蛇なんざ敵
出会いは嵐の予感
じゃねえが、ためらって仕損じるなよ。いいか、ためらうな。シャオロンと蛇が憐れと思
うなら、一思いに殺してやれ」
たた
胸を突く鋭い言葉を叩きつけた。
「憐れんで涙を流すだけが優しさじゃねぇ」
や          つら
イルダーナフの陽に灼けた顔には、若さと辛さを熟知したものがあった。これまでに、
いくた
幾多となくこうした場面に立ち合い、殺す方と殺される方を見てきた者の顔だった。
「…・わかった」
きれいごと
カイルロッドも心を決めた。自分の手を汚すことをためらい、安全な場所から綺麗事だ
け言っているような、そんな人間にはなりたくなかった。
カイルロッドとイルダーナフは二手にわかれて、シャオロンを探すことにした。
礼拝堂に向かってカイルロッドが進んでいると、
「うぎゃあぁ」
ひめい
礼拝堂の中から間の抜けた悲鳴が聞こえた。マディの声に違いなかった。
おそ
「マディP.蛇に襲われているのかけ」
短剣を撮り直し、カイルロッドは礼拝堂に走って行った。
2
とびら
勢いよく扉を開けて飛びこむと、部屋の中央に神官服を着たマディがいた。腰を抜かし
すわ
たのか、ペタンと床に座りこんでいた。
「あああ」
歯をガチガチと鳴らして震えていたが、カイルロッドを見ると、
ぱけもの
「化物がっ! いきなり化物が飛び込んで来て!」
震える指で祭壇を指した。
「祭壇の陰に隠れているんですー」
あぷ
「危ないから、下がっていてくれ」
マディに下がるように言い、カイルロットは全身の筋肉と神経を緊張させて、祭壇に忍
び寄った。
、−−−−1一日、
ひそ
だが、祭壇の陰にはなにも潜んでいなかった。「どういうことだ」 と、言いかけ、カイ
ルロッドは背後に殺気を感じ、振り返った。
「〓」
出会いは嵐の予感
ほじ    かんだか
数本の光の矢が、カイルロッドめがけて飛んで来た。短剣が弾き返す。甲高い金属音が
礼拝堂に響きわたり、床に長い物が落ちた。針だった。二〇センチはある、ずっし。と重
い銀色の針だ。
「針け」
すき ねら
気を奪われたわずかな瞬間、その隙を狙って再び、針が空間に光る直線を描いた。
「ぐつー」
はヂ
すべてを弾き返したつもりだったが、一本だけ外していた。右脇腹に衝撃を受け、カイ
ルロッドは後ろによろめいた。
「いや、刺さったのが一本だけとは、なかなか優秀ですな」
ニコ二コと、楽しそうに笑ったマディが立っていた。両手に長く大きな針を広げて持っ
ている。その姿に、カイルロットはすべてを悟った。
「  きさま……神殿のまわし者だな  」
はぎし
脇腹に突き刺さった針を抜き捨て、カイルロッドは歯乳りした。
ひとこと        やと
「ま、そんなものです。二言で苧つなら、金で雇われた暗殺者ですな。ああ、そう。本名
も名のらずに失礼しました。わたしはギュンタ1と申します」
こばか
訊きもしないのに名のり、うやうやしく礼をした。いかにも人を小馬鹿にした態度だっ
た。
「あの大男がいては、あなたを殺せないのでね。ずっとこの機会を待っていたんですよ。
まさか、こんなに簡単にひっかかってくれるとはねぇ。いや、驚きましたよ」
こくはく    ほは
酷薄な笑みを頬にはりつけている。
ひきよよノ.もの
「卑怯者が ・」
うめ   にぷ
右脇腹をおさえ、カイルロッドは坤いた。鈍い痛みがして、指の問を熱いものが流れて
いく。
ののし
「仕事とはいえ、情けない神官の役は疲れましたよ。あなたの連れのお嬢さんに罵られた
われ
り、蹴飛ばされたり。いや、我ながら忍耐強くなったものだ」
すばや
短剣を構えようとしたカイルロッドのわずかな動きに素早く反応し、ギュンターの手か
ら針が離れた。それはカイルロッドの左手の平を通り抜けた。
「動くと針の的になりますよ、王子」
顔をしかめたカイルロッドに、暗殺者がにこやかに忠告した。血が衣服を染め、次第に
重くなっていく。その重さに耐えかね、カイルロッドの足元がふらついた。
なぜ
「しかし、信じられない。こんな簡単にしとめられる坊やを、何故今まで殺せなかったの
か。まったく理解できない」
出会いは嵐の予感
なが
眺めているギユンターが、さも不思議そうに首を振る。
ひようい  やつ          めんPう
「憑依した奴もそうだ。あんな面倒なことをしなくてもよかったのに」
カイルロッドの視界が次第に低くなってきた。血の気がひいていくのがわかる。
「本物のマディはどうしたフ」
おんまえ
「おかしなことを気にする方だ。ご安心下さい。彼は女と墓の下、いや、神の御前にいる
はずですよ。でも、駈け落ちするような神官では、神の元にはいけないかなフ」
クスクスと楽しげな含み笑いに、カイルロッドは胸が悪くなった。殺したのだ、マディ
を。そして、す。変わったのだ。
きたな
「汚いや。方だ」
吐き捨てると同時に、針が右肩に刺さった。衝撃と痛みに、カイルロッドの手から短剣
が落ちた。
ひめい
「ほう。悲鳴もあげないとは。その若さで見上げたものだ。しかし、そうなると、ぜひと
も悲鳴を聞いてみたいと思うのが、人情というものですよ」
うれ
服の袖から針でなく、刃の広い短剣を取。出し、嬉しそうな顔をする。この男は人殺し
が、人をなぶり殺すのが好きなのだ。
「…・三」のー」
目も眩むような怒りが突き上げた。
よノな
ゴウッと大気が唸った。
強い風が吹きつけた。
カイルロッドの髪が大きくなびいた。祭壇がガタガタと揺れ、ひっくり返ると同時に、
パラバラに砕け散った。
いつせい
礼拝堂の窓ガラスが一斉に割れた。
ゆか
鋭利な刃物で切断されたように、柱が次々と倒れる。壁や床にも、刃物で斬りつけたよ
うな傷が生じた。
風が刃となって荒れ狂っている。
まひ
その様子をカイルロッドは無感動に、ただ見つめていた。傷の痛みで意識が麻痺してい
るのかもしれない。
止めなくては・・。
こわ
止めなければ、この礼拝堂だけでなく建物すべてが壊れる。イルダーナフやミランシャ、
けが                      とお
メイリンやバルトに怪我をさせてしまう。そう思いながら、意識が遠のいていく。
「ギャアァァー」
ぜつきよう
ギュンタ1の絶叫が、カイルロッドの意識を引き戻した。
出会いは嵐の予感
「わたしの腕がぁぁー」
見ると、ギュンタ1が右腕の付け根をおさえ、床をころげまわっている。少し離れた場
さくらん           わめ
所に、血まみれの右腕が落ちていた。激痛とショックで錯乱したのか、ギュンターは喚き
声をたてながらのたうちまわっている。大量の血が床に赤い花を咲かせた。
いつしか風が止んでいた。
にお               ゆが
血の匂いと頭痛に、カイルロッドは顔を歪めた。壁にもたれ、そのまま下にず。落ちた。
なまり
冷たい汗が流れ、手足が鉛のように重くて動かせない。
「小僧、よくもわたしの脱を〓」
あつき ぎようそう      おそ
刃の広い短剣を拾い、それを振。上げて、悪鬼の形相でギュンタ1が襲いかかった。
からだ
逃げなくてはと思いながら、身体が動かない。ギュンターの影が視界に入り、カイルロ
ッドはきつく目を閉じた。
「ひっー」
ひめい
短剣は振り下ろされず、ギュンタ1が鋭い悲鳴を上げた。目を開け、カイルロッドは息
つか
をのんだ。ギュンターの頭を、両手で摘んでいるシャオロンがいた。
いつ礼拝堂に来たのか、カイルロッドにはわからなかった。
「シャオロン・…・」
ヘヘぱう               へぴ
ひさしぶりに見るシャオロンの姿は変貌していた。顔や腕に鱗が浮かんでいる。蛇の顔
だ。
「なんだ、きさまは!」
あわ
思いがけない人物の出現に、慌てふためいたギュンタ1が、短剣をでたらめにシャオロ
ンの腕に突き立てた。が、傷はつけられず、刃が折れただけだった。
「コノ方ヲ傷ツケルコトハ許サナイ」
シャオロンのロから、蛇の声が流れた。シャオロンは完全に蛇に支配されている。カイ
ゆか
ルロッドは無意識に床をまさくり、短剣を探していた。
「倒さなくては ・」
よみがえ                   かんじん
イルダーナフの言葉が耳元に起った。蛇とシャオロンを助けなくては。しかし、肝心の
すみ
短剣が近くになかった。短剣は堂の隅に落ちていた。距離にしてたった一〇メートルだが、
今のカイルロッドには、その距離が果てしなく遠く感じられる。
「うわっけ」
もがいていたギュンタ1の足が床から浮いた。シャオロンが頭を持ったまま、持ち上げ
のが
たのだ。ギュンタ1は子供のように足をハタハタさせ、逃れようと暴れたが、シャオロン
出会いは嵐の予感
の手を振りほどくことはできなかった。
「許サナイ」
ぐっとシャオロンの手に力が加わった。反射的にカイルロッドは目をそむけた。
グシャツ。
つぶ             のうしよう
果物を握。潰したような音がして、大量の血と脳梁が飛び散った。
頭を握り潰された身体が床に落ちた。
おれ
「蛇が、どうして俺を助けるんだっ」
つぷや
無残な死体から顔をそむけ、カイルロッドは呟いた。
われわれ
「アナタガ我々ノ希望ダカラダ。マダ自覚ガナイヨウダガ、アナタハ我々ノ希望ダ」
ぇんきよく                      おつくう
娩曲な物言いに、カイルロッドはため息をついた。口を開くのも億劫になっていた。
「惑いが、俺は魔物の希望にはなれないよ。俺は魔物達が煉っている、人間だからな」
「魔物ガ人間ヲ嫌ウノデハナィ。人間ガ魔物ヲ嫌ウノダ。我が身ヲ映シテ憎ムノダ」
れんぴん
カイルロッドを見下ろす黒い目に、かすかな憐啓が揺れていた。
たましい
「イツカ、アナタハ我々ノ苦シミヲ知ル。憎シ、三魂ヲ食フレタ者ノ苦シミヲ知ルダロウ。
えんこん
歳月ガ流レ、コノ身ヲ失ッチモ残ル怨恨ヲ。踏ミツケ夕方ハ忘レテモ、踏ミツケラレ夕方
ハ忘レラレナイノダト」
凍りついた怒りを前に、カイルロッドは自分の無力さを知った。踏みつけた人間が、時
間が過ぎたから恨みを忘れてくれと言ったところで、踏みつけられた者がどうして忘れよ
うか。
「だから、蛇を放っておくわけにはいかないんだ」
ふいに、声が変わった。
「シャオロンけ」
叫んだカイルロッドに、シャオロンは笑みを向けた。その笑みは蛇のものではなく、シ
ャオロンのものだった。完全に支配されていたわけではないらしい。
「今はまだ、僕と蛇の力は同じくらいなんだ。だがいずれ、僕が負ける」
そう言い、シャオロンはカイルロットに背中を向けた。そして隅に行って短剣を拾い、
「蛇は僕になり、僕は蛇になった。まだ僕の意識のあるうちに、僕は蛇をつれて逝くよ。
・・ツァオの子孫である僕と滅ぶなら、蛇も諦めてくれるだろう」
はは一ん
振り返って、微笑んだ。
自分で死ぬつもりだ。
ひめい    おえつ      かたまりのど
止めたかったのに、声が出なかった。悲鳴のような鳴咽のような、熱い塊が喉にひっか
かっている。
出会いは嵐の予感
「ただ、姉さんのことが気がかりだ。あの人は強がっているけど、本当は優しい人なんだ。
僕のために強がっていたんだ。姉さんのこと、頼むよ」
うなヂ
なにもかもを受け入れた人間の、透明な笑顔に、カイルロッドは黙って領いた。シャオ
ロンはもう決意しているのだ。自分が蛇に支配されることがどういうことか、それを知っ
てシャオロンは決意したのだ。
「ありがとう。それと、死ぬ前にあんたに礼を言いたかった」
「礼?」
かろうじて声が出た。震え、かすれ、まるで他人の声のようだった。
やしきl・、ず
「ああ。ツァオの邸が崩れた時、僕を助けてくれたじゃないか。なんの見返りもなしに他
うれ
人に助けてもらったのは、初めてなんだ。…嬉しかったな」
つぷや
しみいるような声音で呟き、心臓に短剣を突き立てた。
ひまつ
胸から吹き出した血の飛沫が、宝石のように見えた。時間が引き延ばされたように、ゆ
からだ                   ゆか
っくりとシャオロンの身体が傾いていく。そして、やは。ゆっくりと、音もなく床に倒れ
た。
「わあぁぁぁ〓」
せき       のど
堰をきったように、喉から熱いものがほとばし。出た。カイルロッドはシャオロンに駆
まぶた
け寄り、抱き起こした。胸を赤く染めたシャオロンを激しく揺さぶるが、瞼を開かなかっ
た。顔から鱗が消え、口元にかすかな微笑が刻まれていた。
「シャオロン‖」
あふ
涙が溢れていた。
すまない。
すまない。
自分で自分を殺させてしまって。
ぬ              ひたい
顔を涙で濡らしながら、カイルロッドは床に額をこすりつけていた。
「俺が殺してやるべきだったのに・・」
それは言葉にならず、鳴咽だけが洩れた。心のどこかに、殺すことをためらう気持ちが
あったのだ。
「イルダーナフ、俺は弱い人間なんだ」
おかん
目がかすみ、悪寒がしてきた。息が苦しくなり、身体を支えていられない。カイルロッ
ドは床の上に倒れた。肩と脇腹から、血が流れ出ているのがわかる。
すまない。
あやま
遠ざかる意識の中で、カイルロッドはずっと謝っていた。
外からイルダーナフの声が聞こえた。
3
空には鉛色の雲が重くたちこめていた。時々、雲の切れ目から光がカーテンのように地
上に射す。風はなく、少し蒸し暑い。
神殿内部は息がつまるような重苦しさに包まれていた。
とな  し、す すわ
ミランシャはヘッドの隣りの椅子に座って、横たわっているカイルロットの顔を見つめ
ていた。整った顔は青ざめ、苦しそうな呼吸をしている。高熱が続き、時々、うなされて
つぷや
なにかを呟いているが、よく聞き取れない。ただ、「すまない」と亭っ吉葉だけは聞き取
れた。
すまない。
だれ
誰に対して、なにに対して、謝っているのか。ミランシャにはわからない。ただ、カイ
ルロッドが肉体的にも精神的にも苦しんでいることだけはわかる。
「王子、しっかりしなさいよ。まだ、しなくちゃいけないことがあるんでしょう? まだ
死ねないのよ」
ぬぐ             しった
湿らせた布で汗を拭いながら、ミランシャは涙声で叱咤した。
出会いは嵐の予感
血まみれのカイルロッドを、イルダーナフが運んできたのは半日前だった。そこでミラ
やと
ンシャは、どうやらマディが神殿に雇われた殺し屋だったらしいことと、シャオロンと蛇
は死んだことを知った。
「詳しいことは王子が目を覚まきねぇとわからんが、あの状況からまず間違いあるめぇ」
きび
厳しい表情でイルダーナフが言った。
ていちようほうむ
シャオロンは丁重に葬られ、神殿の敷地内に小さな墓を建てた。が、殺し屋の方は「こ
しかぼね
んな野郎に墓などいらねぇ」と言うイルダーナフの主張で、屍を外に放置したままだ。い
けもの
ずれ、獣か鳥に食われてしまうだろう。
「それぐらい当然だわ」
屍を放置して獣に食われたとしても、ミランシャは同情する気にならない。情けない神
官だとばかり思っていたら、殺人者だったのだ。しかも、毒を塗った針で、カイルロッド
を殺そうとしたような男である。
ヵィルロッドを刺した針には、いずれも毒が塗られていた。
1・・1.
「解毒剤があれば」
いらだ
すい
苛立たしげにミランシャは髪をかき上げた。多量の出血と毒でカイルロッドの身体は衰
.レやく
弱している。
「なにもないなんてー」
神殿には解毒剤はおろか、薬も包帯もないのだ。わずかにあった薬はシャオロンの治療
で使い果たしている。近くには人家もなく、一番近い街は混乱の最中で、薬が不足してい
ることは知っている。
「あたしに治癒能力があればよかったのに」    うめ  とびら
無力さともどかしさに、ミランシャがシーツの上に伏して坤いた時、扉が開いて黒髪の
美女が顔を出した。
だいけようJ
「メイリン、大丈夫なのフ」
顔を向けて声をかけると、心なしやつれたメイリンが薄く笑った。シャオロンの死を見
ても、メイリンは泣き叫んだりしなかった。すでに覚悟していたのだろう。しかし、だか
だれ
らといって悲しみが薄れたわけてなく、メイリンは声もなく奥に引き籠もり、今まで誰と
も顔を会わせなかった。
室内に入ったメイリンは、ベッドとその前にいるミランシャを見、にっこり笑った。
「心配をかけてごめんなさいね。自分の悲しみで手がいっぱいで、他の人のことを考えず
に部産に閉じこもっていたりして。でも、もう大丈夫よ。それより、少し休みなさい。イ
ルダーナフに聞いたわよ、ずっとついているんですってヱ
出会いは嵐の予感
「だって、あたし、他になにもできることがないから」
ぬ                ひたい
濡らした布を絞。、それをカイルロッドの額に置く。熱が高いので、すぐに乾いてしま
う。
「・…ない。すまな  」
まゆ
カイルロッドのうわごとに、メイリンが軽く眉をひそめた。
「すまないって。ずっと、うなされているの  」
つぷや
カイルロッドを見つめ、ミランシャは呟いた。
「・…そう」
−・...
メイリンが目を閉じた。長い陸が肌に薄い影を落とし、それが震えていた。
きさい
カサカサと、ゆるい風に木々の葉が揺れ、触れ合って小さな音をたてる。些細な物音が
ミランシャの不安をかきたてた。
「あたし、水を取り替えて来る」
水の入った入れ物を持って、ミランシャは逃げるように部屋の外に出た。もう涙をこら
えきれなくなっていた。
しょうすい              つら
憮悸したカィルロッドを見ているのが辛かった。
なにもできずに、ただ見ているだけの自分が腹立たしかった。
’つスノか
足早に廊下を歩きながら、ミランシャはポロポロと大粒の涙を流していた。
かー,いそう
「可哀相に。坊やもミランシャも  」
部屋に残ったメイリンが低く呟き、額に指をあてた。
風に窓枠がカタカタと鳴った。
うつそ・フ
鬱蒼とした緑の中をイルダーナフは歩いていた。どんよりと曇った空は重く、時折吹く
風は生暖かい。
イルダーナフは緑の中に人の背中を見つけ、立ち止まった。木の根元に屈みこんで、土
いじりしているのはバルトだった。
「おい、なにしてんだ?」
近づいて行って声をかけると、バルトがびっくりした顔で振り返った。その顔は土で汚
れている。
「びっくりしたなぁ。イルダーナフさん、足音もたてずに背後に立つんだもの」
「驚かしちまって、すまねぇな」
のぞ
手元を覗きこむと、深さ三〇センチぐらいの穴が掘られていた。バルトはその穴を掘る
手を休めず、
出会いは嵐の予感
まちが                 せん
「僕の見立てに間違いがなければ、この木の根は薬にな。ます。煎じて調合すれば、解毒
剤になるんですよ。薬がないから、こんな物で代用するしかないでしょうフ カイルロッ
ドさんに効くといいんですが」
顔を振って汗を飛ばした。前髪は汗で濡れ、顔が上気している。それでも懸命に掘って
なが
いるバルトを、イルターナフは腕組みして上から眺めていた。
おれ
「芙はな、俺もそいつを探しに来たんだがよ。まさかおまえさんが掘っているたぁ、思わ
なかったぜ」
「僕もイルダーナフさんが来るとは思いませんでしたよ。よいしょ」
がんぽ
「よーし、頑張れ。しかし、請け負った獲物を助けたりしていいのかい?」
天気の請でもするような調子で、掘っているバルトに笑いかけた。しかし、黒い目は少
しも笑っていない。バルトがひきつった笑いで、イルダーナフを見上げた。
じようだん
「イルダーナフさんフ なんですか、それ? 冗談にしても笑えませんよ」
「冗談じゃねぇよ。毒薬使いのバルト。神殿からいくらで請け負ったフ」
さや                    かし
トンツと、バルトの肩を鴇つきの長剣で軽く叩き、イルダーナフが首を傾げた。バルト
かげ
の顔からひきつった笑みが消え、一変した。少し翳。のある、抜き身の刃を思わせる鋭い
顔になる。
「いつ、気がつきましたっ」
口調も変化している。
こ ・・
「最初っから」
なぜ
「何故フ」
つら
「以前、おまえさんの画を拝んだことがあるんでな」
バルトが肩をすくめた。
「なるほど。最初から僕を見張っていたんですか。人が悪いなぁ」
たぬき
「ほざけ。ずっと狸寝入りして、王子を観察していたような野郎に非難されたかねぇな」
ゆが       じぎやく
イルダーナフが大きく口を歪めた。バルトが自虐的に微笑した。
「ばれてましたか」
「ああ」
「どういう人物か、興味がありましてね。それでしばらく観察させてもらったんですよ。
人の好い、優しい方だ。この僕が殺すのをためらってしきつはどね」
毒薬使いの目が優しくなった。
ゆレやま
「やっと毒を盛る気になったら、あなたが邪魔をするし。鳥なんか使って、うまく邪魔し
てくれましたね」
出会いは嵐の予感
くつたく
軽く睨むと、イルダーナフが屈託なく笑った。
やつ
「当たり前だ。毒薬使いの作った料理を食う奴がいるかよ。あの王子はぼんや。してるか
とな
らな、隣。でおまえさんが料理に毒を盛っても、気がつきっこねぇ」
「そうでしょうね」
バルトがクスクスと笑う。
やと
「俺は王子に雇われている身だからな。雇い主を護らにゃならねぇんだ、毒薬使い」
まちが
ふいにイルダーナフの芦が危険なほど低くなった。少しでも動いたら、間違いなくバル
トの首は飛ぶだろう。
が、バルトは冷静だった。少なくとも表面上はなんの変化もなかった。
「正体を知られた以上、抵抗はしません。それに僕は毒薬以外、特に剣だの腕力にはまっ
たく自信がないんです。この期に及んで、あなたとや。あう気はありませんし、勝てるは
ぷつそう
ずもありません。ですから、この物騒な物をおさめて下さい」
穏やかと言ってもいい声音に、イルダーナフは皮肉っぼく鼻で実って剣をひいた。
よほど重かったらしく、「やれやれ」とバルトは一眉を回しながら、
はさ
221 「確かに神官長アクディス・レグィとは契約しましたが、この契約は破棄します」
質問するよ。先に、すんなりと雇い主のことなどを話し始めた。
「そんな簡単に破棄できるもんかい?」
「場合が場合なのでね」
たた
バルトが土のついた両手を叩いた。
ひようい
「依頼主は僕を信用していない。僕に王子の毒殺を頼んでおきながら、憑依能力者や、あ
んな三流殺し屋まで雇っている。それが気に入らないんですよ」
h..∴
憤慨しているらしノ\ 目に鋭い光がある。
金で雇われた連中というのは、得てして口が軽い。金以外に義理も恩もないから、正体
がばれると生命惜しさに頼みもしないことまで、まるで油紙に火がついたようにしゃべり
だす者が多い。が、バルトの場合、生命惜しさとは少々、事情が違うようだ。
「いったい、何人の殺し屋を差し向けているんだ、そのアクティス・レヴィは」
あき
呆れ顔をしたイルダーナフに、バルトが「知りたいのはこっちですよ」と、不快そのも
のの口調で応じた。
なつとく
「僕はね、これまで毒殺を仕損じたことはないんですよ。僕は仕事を急がない。納得する
いつしぶ
まで殺す相手を調べる主義でしてね。今回のように、一緒に旅をするなんていうのは、ち
ょっと例外ですが。ともかく、時間をかける方なんですよ」
やわ
旅を思い出しているのか、少し表情が和らぐ。
出会いは嵐の予感
「証拠を残さず、周囲にも本人にも自然死だと思わせ、確実に殺す。それを、あんな汚い
ーrか          Jじよノ1
やり方をする馬鹿どもと同列視されるなど、侮辱です」
「毒殺は汚くないのかフ」
常人には理解しがたい理屈にイルターナフが苦笑すると、バルトはひどく傷ついたよう
な表情で立ち上がった。そして、真下からイルダーナフに抗議した。
「僕は自分がなにをしているか、わきききしいるつも。です。僕はね、相手を苦しめずに
殺すことに心血を注いでいるんですよ。苦しまずに安らかに死んでもらう。それが僕の、
殺す人への礼儀なんです。それを精神的にも肉体的にもいたぶって殺すような、そんな連
いつしよ
中と一緒にされたくないですね」
専門家の意地とでもいうのだろうか。そんなことを真顔で言われ、イルダーナフは苦笑
するしかなかった。
「ですから、僕の他に殺し屋を雇った時点で、契約は破棄になったんですよ。依頼主は僕
を信用しなかった。信用だけがすべての仕事だというのにね」
苗打ちしてバルトが木の葉を一枚ちぎった。憑依者やマディになりすました殺し屋の出
だれ  いきどお
現に、誰よ。も憤っていたのは、この毒薬使いだったのかもしれない。
「カイルロッド王子があんな連中の汚い手にかかって死ぬなど、僕の自尊心が許しません。
どんなことをしても助けてみせますよ」
せりふ
意地と誇りをかけた台詞に、イルダーナフがニヤリと笑った。
まか
「その専門家意識に敬意をこめ、おまえさんに任せるぜ」
「どうも」
こコッとバルトが笑い、それから、ややためらいがちな表情になった。なにかを真剣に
うなが
悩んでいるような顔に、イルダーナフが「どうしたっ」と話を促すと、
「僕が毒薬使いで、王子の殺害が目的で一行に加わったという詣なんですが。そのことは
王子や、ミランシャさんやメイリンさんに黙っていてくれませんかフ あの二人だけでも
ショックなのに、僕まで殺し屋だなんて知ったら、きっと傷ついてしまうと思うんです。
メイリンさんなんか、弟さんを亡くしたばかりですし」
心から三人を案じている物言いだった。
「わかった、わかった。誰にも言わねぇから、安心しな」
「よかった。これでミランシャさんやメイリンさんを傷つけないですむ」
あんど      な
イルターナフに約束され、バルトはホッと安堵の顔で胸を撫でおろした。人を殺すこと
いだ
はためらわないくせに、心を傷つけることには罪悪感を抱く殺し屋を、イルダーナフは斜
かたよ
めに見やった。こうした職業につく人間は、どこかしら精神のバランスが偏っているのか
もしれない。
なぜ
「ところで、イルダーナフさんは何故、僕を殺し屋と知っていて、今まで放っておいたん
ですかっ」
根を掘り出し、−.息ついてバルトが訊くと、近くの木にもたれかかって見学していた大
男はすっとぼけた顔で頬を撫で、
いつしょ
「いつまでたっても毒を盛る様子はねぇし、なんだか知らねぇが王子やミランシャと一緒
にぎ
になって賑やかにやってるし、放っておいても平気かと なんてぇ甘いことを思ってた
わけじゃねぇぞ」
ギロリと日だけを動かして、毒薬使いを見た。
「毒をもって毒を制す、そのつもりだったんだよ。どうせあのマディの野郎も神殿のまわ
し者だろうから、相討ちさせてやるつもりだったのさ」
肉食獣の笑みを間近で向けられ、バルトは一瞬、顔を凍らせた。イルターナフは木から
離れると、
lJノ どくぎい
「解毒剤、急げよ」
ノヽぎ
明るい声で釘をさし、神殿の方に歩き出した。
J・
「・殺し屋なんかより、数倍も恐い人ですよ、イルダーナフさん」
出会いは嵐の予感
緑の中に溶けていく広い背中を見送りながら、バルトは身震いした。
4
のど
喉が焼けつくようだった。
しやくねつ   ほうこう
生き物を焼き殺す太陽の下、カイルロットは水を求めて、灼熱の砂漠を彷復していた。
さいな
喉が焼けつノ、。疲労と乾きに苛まれ、カイルロッドは喘いでいた。
砂に足をとられ、カイルロットは倒れた。
ああ、死んでしまうのだ。
ほほえ
頭の中で醒めた声が囁き、カイルロッドは微笑んだ。死の囁きは甘美な響きを帯びてい
る。
砂の上に倒れていると、サクサクと砂を踏む音が近づいてきた。薄く日を開けると、皮
袋を持ったシャオロンが横にいて、悲しそうな顔で見下ろしていた。
なんだか責められているような気がして、カイルロッドは力を振。絞って起き上がった。
すると、シャオロンは黙って、カイルロッドに皮袋の水を飲ませてくれた。
喉を鳴らして水を飲み、二思つくと、いつの間にかシャオロンの姿が遠ざかっていた。
行ってしまう。
なにか言わなくては。
言わなくてはいけない言葉があったはずなのに、それを思い出せない。後ろ姿は遠ざか
って行く。
「・  〓」
さけ
砂丘に吸いこまれていく後ろ姿に、カィルロッドは大声で叫んだ。なにを叫んだのか、
よくわからない。だが、確かになにかを叫んだ。
影が立ち止まった。黄金色の光の中でシャオロンは一度だけ振り返った。穏やかな、優
ノ、ちぴる
しい表情だった。唇が動いている。なにかを言っているのに、言葉が聞き取れない。
「聞こえないー 聞こえないよ、シャオロンー」
そう叫んだ自分の声で、カイルロッドは巨を覚ました。
そこは砂漠ではなかった。
のぞ
古びた室内の壁と天井、そして、上から覗きこんでいる見慣れた人々の顔があった。目
元を手でおさえたミランシャがいた。メイリンが、バルトがいた。
ひぎ         まぷ
部屋に射しこんでいる陽射しが、目に痛いほど眩しかった。
「坊やは三日間も眠っていたのよ」
ほはえ
メイリンが微笑んだ。
229  出会いは嵐の予感
「三日間も・・」
さげ
ヵィルロットはまはたきをして、錆ついた引き出しの奥から記憶を取。出した。鮮やか
1                        ・.
な色彩で、様々な場面が断片的に起った。礼拝堂でギュンクーが頭を握。潰された場面、
へび
蛇に乗っ取られたシャオロンの姿。蛇の怒り、そしてシャオロンの死。それらがまさまざ
のうり
と脳裏に起った。
「俺、あの後、気を失って・」
からだ
身体を起こそうとして、ミランシャに止められた。
「動かないで。針に毒が塗ってあったのよ。ずっと、苦しんでいたんだから。てもバルト
がね、解毒剤を作って、それを王子に飲ませてくれたの」
さんざん泣いたのだろう、ミランシャの目が赤く腰れていた。この少女のことだ。カイ
ルロッドが気を失っていた三日間、ほとんど一人で看護していたに違いない。
「心配かけて、ごめん」
また泣きだしそうなミランシャにそう言って、カイルロッドはバルトに顔を向けた。
「ハルト、あ。がとう」
礼を言われたバルトが照れたように頭を掻き、
「僕、イルダーナフさんを呼んで来ます」
軽やかな足取りで外へ出た。
横になったまま、カイルロッドはしばらくミランシャやメイリンの顔を見ていたが、思
いきったようにロを開いた。
「メイリン…・シャオロンは自分で短剣を胸に突き立てたんだ」
かすかにメイリンの表情が動いた。ミランシャがどうしていいのかわからない表情をし
て、カイルロッドとメイリンを見比べていたが、
「あ、あたし、外に出てる」
とぴら
逃げるようにして、そそくさと部屋の外に出た。扉の閉まる昔を聞きながら、メイリン
うなが
が穏やかにカイルロッドを促した。
「・・話してちょうだい。ありのままを。なにも隠さずに話して」
ひとみ
黒い瞳に強い光を宿し、メイリンは真っすぐにカイルロッドを見ていた。どんな事実で
あっても受け止めると、そう心を決めた女性の瞳を見つめながら、カイルロッドはありの
ままを話した。マディにすり変わった殺し屋を蛇が殺し、その蛇をつれてシャオロンが死
んだことを、カイルロッドは隠さずに話した。
話を終え、カイルロッドは大きく深呼吸した。肩と脇腹の傷が痛んだ。メイリンは話の
間、二言もロをきかず、終わると目を伏せ、こみあげてくる激情に耐えているようだった。
出会いは嵐の予感
「俺はシャオロンを楽にしてやりたかった。でも、身体が動かなくて。いや、動かないと
いう理由を見つけて、それを実行しなかった。・俺がためらっている間に、シャオロン
は、自分で自分を殺したんだ」
メイリンの和い肩が震えていた。
いつしよ   あきら
「シャオロンは蛇をつれて逝くって。ツァオの子孫と一緒なら、諦めてくれるだろう、そ
う言っていた」
lほdけヰ
微笑んでいたシャオロンを思い出し、カイルロッドはシーツをきつく捏った。[日にする
つら
のが辛くて、獣困ってしまいたかった。しかし、メイリンの方が数倍も辛いのだ。「俺には
シャオロンの言い残したことを、メイリンに告げる義務がある」、カイルロッドは歯を食
いしばった。
「姉さんのことが気がか。だって、そう言っていた」
「 優しい子だったの。あんな家に生まれたばっか。に」
メイリンが唇を震わせた。シャオロンは穏やかで平凡な家庭に生まれるべきだったのだ
き1よえい
ろう。権力を誇示し、虚栄と他人の犠牲の上に成。立っているような生き方など、あの繊
細な青年には似つかわしくなかったのだ。
あやま
「・俺はシャオロンに謝りたかったんだ。でも、謝れなかった」
寝返りを打ちながら、
のと
「夢を見たんだ 。砂漠を歩いている夢だ。俺は喉が乾いて死にそうだった。そこにシ
ャオロンが来て、水を飲ませてくれた。そこで、俺はなにか言ったんだ。覚えていないけ
どこ なにか言ったんだ。すると、シャオロンも俺になにか言った・・。でも、聞こえな
かったんだよ・ 」
ののし
身体を丸め、カイルロットはきつく目を閉じた。あの声を聞きたかった。罵りでもいい、
恨み言でも構わない。どうしても聞きたかったのだ。
「聞きたかったんだ  」
うな        ひたい やわ
低く唸ったカイルロッドの額に、柔らかい物が触れた。目を開けると、メイリンの白い
手が額にかかった髪を撫でていた。
「シャオロンはね 。きっと、そんなに自分を責めなくていいんだよって、そう言った
のよ」
ほはえ         さいご
聖母のように微笑んだメイリンの上に、最期に微笑んだシャオロンの顔が重なって見え
た。                        せいいっぱい
「シャオロンならきっと、そう言ったわ。いいのよ、坊や。生き残った者はね、精一杯生
きるのよ。それが死者への供養なのよ。坊やはシャオロンの分も生きてちょうだい。もう、
出会いは嵐の予感
自分を傷つけなくていいのよ。さぁ、お眠。なさい。坊やには休息が必要だわ」
髪を撫でられながら、カイルロットは子供に戻っていくような気がした。生い立ちのこ
うば
とで街の子供にいじめられて、泣きながら乳母の元に行ったことがある。「男なら泣くな」
しか
といつも厳しい乳母が、その時だけは叱。もせず、黙ってカイルロッドを抱きしめた。眠
る時、ずっと髪を撫でていてくれた。
「ゆっくり眠。なさい」
優しい声を聞きながら、カイルロッドは深い眠。におちていったC
シャオロンの墓の前にいるイルダーナフを見つけ、バルトが声をかけた。
「イルダーづフさん、王子が目を開けましたよ」
lまlま こうちよよノ
息をきらし、頬を紅潮させて走ってくるバルトに、イルダーナフが口笛を吹いた。
「たいしたもんじゃねぇか。さすが毒薬使いバルトだな」
「ははは。毒も薬になりますからね」
墓の前で、バルトは笑った。そして、少し表情を改めると碁に黙繕した。殺し屋という
げんしゆく
職にいるせいか、死というものを人一倍厳粛に受け止めているようだ。
黙痛を終えると、毒薬使いはイルダーナフに向きなおった。
「これで僕も安心して、立ち去れますよ」
ほれぼれとした顔だった。
「ほう。さっそく逃げるのか」
「ええ。グズグズしていたら、いつあなたにバッサリ斬られるかわからないですからね。
それに、このままいると情が移ってしまいそうでね」
たた
軽口を叩くイルダーナフに笑顔で応じたバルトの顔を、ふっと影がよぎった。
「いっそ廃業しちゃどうだフ」
他人の心が見透かせるのか、イルターナフの言うことは鋭い。バルトが苦い笑みを張り
っけた。                      だめ
「ときどきね。そう思うんですが。普通の薬師にでもなろうかとね。でも、駄目てす。一
人殺してしまったら、もう取り返しがつかないんですよ」
殺される日まで人を殺すのだ、ため息のようにバルトは吐き出した。どんな理由でバル
トが毒薬使いになり、人殺しに手を染めたのか、それは知らない。だが、そんなことを聞
く気はなかった。
「別れくらい告げねぇのかフ ミランシャや王子が寂しがるぜ」
流れていく雲を見つめながら、イルダーナフ。上空は風が強いのか、雲が流れていく。
出会いは嵐の予感
っまさき    かかとか
バルトは右脚の爪先で左脚の脛を掻きながら、黙って首を振った。
「僕がさよならを言うのは、死にゆく人にだけです」
「そうかい」
hUり1.レ
イルダーナフは無理強いをしない。
わけ
「しかし、どう言い訳したもんかな。おまえさんはいなくなるからいいが、俺が質問責め
にされるんだぜ」
「そうですね。銀杯を取りに、街に戻ったとでも言って下さい。そして、そのまま国に帰
ったと」
「銀杯か。そういや、大騒ぎしていたようだな。だが、それは嘘だろヱ
「本当です」
バルトの目が楽しげに光った。
ごつよく りんしよくいじきたな じし、
「老人に頼まれましてね。ああ、毒殺したんですけど。強欲で客義甲で意地汚い爺さんでし
からだ
たが、毒を盛られて少しずつ身体が弱。はじめたら、気も弱くなったとみえましてね。そ
っみはろ          はうのう
れまでの罪滅ぼしに、どこかの神殿に奉納してくれと頼まれたんです。それで僕が持って
来たんです」
やつ
「毒を盛ってる奴に頼むたぁね」
あき
呆れて頭を振ったイルダーナフに、ハルトが肩をすくめて見せた。
「息子に頼むより、住み込みの手伝いの力がましだったんじゃないてすかっ まぁ、息子
かサ と
に頼んだら、奉納どころか掠め盗られるだけですからね」
毒殺の依頼をしたのはその息子だと、バルトは薄く笑った。金欲しさに父親を毒殺した
いんさん             たんたんつぷや
のだと、陰惨な人間模様を見つめている毒薬使いは淡々と呟いた。
「結局、僕も奉納できませんでしたが、盗られたんだから仕方ないでしょフ 爺さんも今
じごtソじとく
までさんざん他人の物を盗ってきたんだから、自業自得ということで」
せりふ
その台詞の中には、自分がどんな死に方をしても、それは自業自得だと、そんな響きが
ヂいー
含まれているようだった。いずれにしろ、バルトは骨の髄まで毒薬使いなのだろう。
「逃げるなら、早く逃げな。俺の気が変わらねぇうちによ。だがな、バルト。二度と俺の
つら                    ぎ
前にゃ面を出すなよ。今度その面を見かけたら、俺は問答無用でぶった斬るぜ」
おど       っか         ぁゎ
脅すように、腰の剣の柄に手をかける。バルトが慌てて飛びすさった。
「では、もし遠くで見かけたら、さっさと隠れることにします」
かなりの距離をおいてから、バルトが冗談めかして笑った。それから後ろ向きに大男か
ら離れていきながら、
「ああ、そうだ。さよならのかわりに、ひとつ忠告を。エル・トパックという男を知って
出会いは嵐の予感
いますか?」
せきわん
「知らねぇが、名前は聞いたことがある。王子が会ったとか言っていたぜ。隻腕の青年だ
ってぇ話だが」
「ええ」
うなヂ
バルトが大きく額いた。
「どうもあの男がカイルロッドの監視をしているという話ですよ。神官長のアクディス,
レヴィなどよ。、エル・トパックに用心して下さい」
亭っだけ言い、斬りつけられる心配もなしと判断したバルトが背中をひるがえし、一目
散に駆けて行った。なにも持たず、身ひとつで神殿を後にした毒薬使いを見送っていると、
反対側からミランシャの声がした。
「ちょっと、あれ、バルトじゃないのフ」
生い茂る木々の枝や草をかき分けて、ミランシャがやって来る。
「どこへ行くのよ、バルトl
「銀杯を探しに街に戻るってさ」
「正気なのn 混乱の最中よ」
みカ1ら
「一日探して見つからなかったら、諦めて国に帰るそうだ。そういっていたぜ。いつまで
もゆっくりしてられねぇんだろ一
イルターナフがバルトに言われたとおりの説明をすると、ミランシャは不満そうに頬を
膨らませた。
「ちょっと冷たいんじゃない? 二言、別れぐらい言っていけばいいのに」
L.Y
「別れが苦手なんだとよ。さて、俺も王子の面を見てくるか。意識が戻ったってヱ
ミランシャの頭に手をおいて、イルダーナフが白い歯を見せた。ミランシャがボンと手
を叩いた。
「そう、あたし、それを知らせようと思って、イルダーナフを探していたの。バルトから
先に問いちゃったのね」
「ああ」
げどくぎい
「でも、あたし、驚いちゃった。あんなボーッとしているくせに、解毒剤を作るなんて、
人は見かけによらないわね」
「まったくだ」
並んで歩きながら、イルダーナフは小さく笑った。
夕薯が近くなり、風が冷たくなってきた。
出会いは嵐の予感
lつ.
こんすい
ヵィルロッドが昏睡状態から醒め、バルトが神殿を去ってから一週間が過ぎた。
ミランシャとメイリンの手厚い看護と、
やつ
「寝ている奴を見ると、どつきたくなるんだよな」
か1V、
という、イルターナフの心暖まる励ましの甲斐もあって、カイルロッドの回復は早かっ
た。
なお
「若いだけあって治りが早いわね」
と、ミランシャなど感心していた。それほど早かったのだ。
ヵィルロッドが歩けるようになると、四人は神殿を後にした。食料の関係上、これ以上
lけ′が
はとどまっていられなかったのである。たいした荷物もなく、怪我が治ったばか。という
・一
ことで馬にされずにすみ、カイルロッドは胸を撫でおろした。
遠ざかりながら、メィリンは何回も後ろを振り返った。弟の眠る地を去るのだ。後ろ髪
はいきよ
引かれる思いだったろう。神殿はやがて完全な廃墟とな。、忘れ去られるかもしれない。
一行は北へと進路をとった。メイリンの生まれ故郷の衝には立ち寄らず、素通。したの
だが、途中で街を見てきたという旅人と会い、様子を聞いてみた。
「もう街じゃないよ。なんでも井戸という井戸が枯れたそうだ。あれじゃ人は住めないさ。
街の人々?・.さっさと見切りをつけて、よそへ行ったよ。中には残っている人もいたけど
ね」
街は死んだ。やがて地上から消えるだろう。そしてあの地は百年前の姿に戻るのだ。人
を寄せつけぬ不毛の大地に。
ほはえ
旅人から諸を聞いたメイリンは、黙って微笑んだ。街が死んだことを喜んでいるのか、
悲しんでいるのか、カイルロッドにはわからなかった。わかることは、メイリンの故郷は
消えてしまったということだけだ。
それから一行は小さな村にたどり着いた。のどかな田園風景が広がる、人口が百人にも
満たない小さな村だった。
「ここでお別れするわ」
ほたご                とうとつ
村に一軒しかない旅龍の部屋をとり、そこで二思ついている時、唐突にメイリンが別れ
を告げた。メイリンとはどこかで別れるとわかっていたが、あまりに急だったので、カイ
ルロッドは動揺した。ミランシャも驚き、
いつしょ
「もうしばらく一緒に旅をしましょうよ」
引き止めたが、メイリンの決意は変わらなかった。イルダーナフは聞いているのか、い
出会いは嵐の予感
いす すわ
ないのか、椅子に座りこんで剣の手入れを始めた。
「それて、これからどうするのっ」
カイルロッドの問いに、メイリンは首を振った。
「わからない。けれど、どこかの街にでも行って、そこでしばらく考えるわ」
自分自身の他に持てる物すべてを失った女性は、はかなく微笑した。そして、おもむろ
はず
につけていた耳飾。を外し、カイルロッドの手の上に置いた。
ルビl
「金と紅玉でできているわ。細工も凝っているから、いい値段になるはずよ。旅費の足し
にしてちょうだい」
「でも  」
「いいから、もらっておけよ」
イルダーナフが言い、戸惑いながらカイルロッドは耳飾りを握りしめた。メイリンは満
足そうに目を細め、
「それじゃ元気でね」
一人一人の顔を見て、笑った。
「メイリンも元気でね」
なご                         だれ
名残り惜しそうに言い、ミランシャがメイリンの手を握った。メイリンとの別れを誰よ
りも惜しんでいるのは、ミランシャかもしれない。
名残りは尽きなかったが、それを振り払うようにメイリンは部屋を出て行った。カイル
ロッドはしばらくぼんやりしていたが、
「俺、途中まで見送ってくるよ」
後を追って、階段を駆け下りた。
カイルロットが追いついた時、メイリンは買った馬の背に荷物をくくりつけていた。残
る片方の耳飾りを売って、それで旅に必要な荷物と馬を買ったらしい。
「どうしたの、坊や?」
・・・Jl
「もう少し…・せめて村の外れまで、見送らせて下さい」
たづな
好きにしなさいと言うように、メイリンは手綱を引いて先を歩き出し、カイルロッドが
ついて行った。
村の通りを並んで歩きながら、二人とも黙っていた。旅寵を出る前までは色々と話した
いことがあったはずなのに、いざ並んでみると言葉が出てこなかった。
またが
村の出口に来た時、メイリンは立ち止まり、ひらりと馬に跨った。
「見送りありがとう、坊や」
「最後まで坊やですか」
出会いは嵐の予感
lまほえ
馬上からの声に不満顔で見上げると、年上の美女は楽しそうに微笑んだ。どう見ても幼
い子供の相手をしている顔だ。
’.、
「坊やには色々と大変なことがあるようだけど、惑わされないでね。事実だけがすべてじ
ゃないのよ。最後は自分の中の真実だけを信じなさい。そうすれば、おのずと迷いは消え
るはずよ」
自分の中の真実という言葉が胸にしみた。
「なんだか、俺の秘密を知っているような口振。ですね」
「知っているのは、坊やの旅が大変なものになるということだけよ」
lまなづち な
馬の鼻面を撫でるメイリンに、カイルロッドは思いきったように言った。
「そのニ・別れの時ぐらい、名前を呼んでくれませんかつ」
「そうね。あと一〇年もして、坊やがいい男になったら、名前を呼ばせてもらうわ。だか
だめ
ら、それまで死んでは駄目よ。約束よ」
はな あで                    ひづめ
大輪の華よ。艶やかに笑い、メイリンは馬の腹を蹴った。いななき、馬の蹄が大地を蹴
った。
「いい男にな。なさい、坊や」
風をきって馬が駆けて行く。髪をなびかせる馬上の美女を見送。ながら、カイルロッド
は彼女の人生に幸多いことを祈っていた。
「幸せに」
強くて優しい、美しいメイリン。
そんな彼女に、カイルロッドは確かに魅かれていた。
「そして、さようなら」
きえい
酪影が視界から消えてからも、カイルロッドはそこにたたずんでいた。
薄暗くなった達をカイルロッドはゆっくりと歩いていた。村の家々から、夕食の用意の
煙がたなびいている。日々の生活にいそしむ、堅実な人々の生活の匂いがした。
旅龍の前まで来て、カイルロッドは首をひねった。中から大勢の人の声がして、いやに
にぎ
賑やかだ。
もよお
「催しものでもあるのかな」
とぴら
などと思いながら扉を開けると、下の食堂兼酒場が異様に盛り上がっていた。出た時は
カPんさん
閑散としていたのに、席は酒席、立って酒を飲んでいる者までいる。しかも、いるのは何
故か男ばかりだった。
「村の集会だろうか」
二階の部屋に戻ろうと、人をかきわけて階段まで行き、半分ぐらいまで上ってから何気
なく下を見−IIさカイルロッドは硬直した。
「ミランシャ ー ‖」
店の中心でミランシャが脱いでいる。「暑いよぉ」と、舌足らずな声で言いながら、上
気した顔で。
盛り上がるわけである。
やつ
一飲ませたな、イルダーナフの奴−」
のーぎ                てす
ひいた血が頭に上った。カイルロッドは真っ赤になって階段の手摺りを飛び越えた。三
メ]トル弱の高さから飛び下り、垣根を作っている人々をおしのけ、近くの席にいる客の
マントをはぎ取って、上半身が露わになったミランシャにかけた。
「やだぁ、暑いい」
かつ
暴れるミランシャを担いで、部屋に連れて行こうとしたが、奥の席で酒を飲んでいるイ
ルダーナフを見つけ、足を止めた。
「イルダーナフー ミランシャに飲ませたなー」
るす
ほんのわずかの問、カイルロッドが留守になったのをいいことに、言葉巧みにミランシ
すす
ャに酒を勧めたのだ。
出会いは嵐の予感
「少量なんだが」
さかびん
酒瓶を持ったイルダーナフが、人をかきわけてやって来た。
ぐせ
「脱ぎ癖とはなぁ。恐れいったぜ。道理でお士チえさんが、ミランシャに飲ませたがらない
わけだ」
つぶや
大男は澄ました顔で呟いてから、客に向き直り、
にい
「さぁ、これで終わ。だ。後はこの兄ちゃんが独り占めする予定でな」
陽気に言った。どよめきのような、歓声のような、そんな声がドッとあがる。
「な、な、なっ  」
がんげ
真っ赤になって震えているカイルロッドに、客が口々に「頑張れよ」「しっか。な」な
どと、冷やかしを飛ばす。
「声援、ありがとよ」
口もきけないカイルロッドの腕を引っ張。、イルダーナフが愛想を振。まきながら、階
段を上って行った。階下から口笛、指笛、声援などがあがっていた。
「独。占めとはどういう意味だっ−」
部屋に入るな。、カイルロッドがイルターナフに食ってかかった。
「大声出すんじゃねぇよ。目を覚ましちまうじゃねぇか」
カイルロッドからミランシャを抱き取り、ベッドに横たわらせる。ミランシャは気持ち
よさそうに寝息をたてていた。
「脱ぎ出したら、止めてくれたっていいだろうがっ!」
「暴れ癖なら止めたけどなぁ。他人の迷惑になるからよ。しかし、脱ぎ癖は別に迷惑じゃ
ねぇ。見たろ、客も喜んでいたぜ」
ゆか すわ
ぬけぬけと言い、床に座った。この言い種にカィルロッドは日もきけない。
「これからも飲ますつもりか」
からだ
イルダーナフの前に座り、カイルロッドがずいっと身体を乗り出した。
「本人が飲みたいと言えはな」
あくへき
「悪癖を直してやろうって気にならないのか、あんたは」
「ならねぇな」
まぎ  かす と
断言し、イルターナフは背中から酒瓶を取り出した。あのどさくさに紛れて掠め盗って
来たに違いない。
「どうせ本人は覚えていないんだ。黙ってりやわかんねぇよ」
かわいそう
「可衷相じゃないかー」
「そう思ったら、おまえさんが言ってやれよ。脱ぎ癖があるってよ。そして、数回脱いで
出会いは嵐の予感
るって」
「・こ まだ二回だ・ 」
ィルダーナフに知られてしまった以上、これからなにかとミランシャに酒を勧めること
たぴ
だろう。その度に、カイルロッドは日を光らせ、日を酸っぱくして注意しなくてはならな
いのか。
そう思うとなんだか情けなくて、泣きたくなってきて、カイルロッドは床に倒れた。イ
ルダーナフは知らん顔して、盗ってきた酒をあおっている。
「どうして脱ぎ癖なんだ……酒乱の方がまだましじゃないか」
幸せそうな寝息を聞きながら、カイルロッドは床に爪をたてていた。
・1こ
ーまたご                                      つぷや
旅寵を出て、道を歩いている途中、ミランシャが不思議そうに呟いた。
「この村の入って、皆親切ねぇ。あたしに声かけてくれるのよ。どうしてかしらヱ
かわい
「そりゃ、お嬢ちゃんが可愛いからに決まっているじゃねぇか」
「イルダーナフって日がうまいわね」
そう言いつつ、まんざらでもなさそうだ。
平和そのものの二人の会謡に、カイルロットは絶句していた。
やつ きのう きよぅ           せhソふ
「イルダーナフの奴。昨日の今日で、よくもそんな白々しい台詞をロにてきるものだ」
みけん しわ
昨夜の騒ぎを思いおこし、カイルロッドは眉間に紋を寄せた。部屋に戻ってからも一騒
どう
動あったのだ。
だれ
「誰がミランシャに服を着せるか」
この問題が残っていた。目が覚めて服を着ていなかったら不審に思うだろう。かといっ
てカイルロットにはてきない。困っていると、「俺が着せてやってもいいぜ」と、イルダ
ていー、よっ
ーナフがかって出たが、丁重にお断わりし、旅箆で働いている女性に頼んで着せてもらっ
たのだ。
「これからもこんな苦労をするのか」
考えただけで頭痛がしてくる。
なが
笑い声をたてている連れ二人の背中を眺めながら、
ノ、せ
「俺にかけられた魔法を解くより、ミランシャの脱ぎ癖を直す方が先かもしれない」
カイルロッドはため息をついた。
あとがき
どうも。卵王子の二巻です。(おおっ、早い)他社からのも入れて、これで五間日の本
になります。
このところたて続けに本が出るようになりました。(出ない時はまるで出ないが、出る
なぜ
時はいきなり出る。何故だろう?)
「これて読者の皆さんに、早く本を出せと言われないですむ」
つか
と、うかれ喜んだのも束の間、本編を書くより気の重いものが私を待っておりました。
そう、あとがき・。ただでさえあとがきが大苦手なのに、同じような頃に続けて書く羽
目になり、悲鳴をあげていました。(どうしてこう、書くことがないのか。情けない気も
する・)
思えば、
「あとがき、書かなくちゃいけませんか? やめちゃいけませんフ 書くことがないんで
おもしろ
すよ、なくたっていいじゃないですか。どうせ、私のあとがきなんか、面白くもなんとも
ないんですし」
つど
などと、毎回しっこく担当氏に交渉しているのですが、その都度にべも亨\
だめ
「駄目です。書いて下さい」
きやつか
却下され・。たかが原稿用紙四、五枚に二日も三日もかけながら、なんとかマス目を
うめているわけです。
さて、一巻が出た直後ですが。
「卵王子なんて書いてあるから、本を読むまでハンプティダンプティみたいな主役を想像
してたわ」
などと、友人知人に笑われ(いただいた手紙にも結構あった)、さすがに私も苦笑して
しまいました。
いくらファンタジーが無法地帯でも、ハンプティダンプティがマント着て、剣を持って、
旅に出れば・目立つどころじゃないでしょう。ついでを一一苧えば、私はハンプティタンプ
ティの表紙など見たくない・
「それで、旅に出たハンプティダンプティは目的を果たす前に割れてしまい、ジ・エンド
253 あ とがき
になっちゃうの」
すご
だそうです。(う1ん、凄い謡だ。原稿用紙一〇枚で完結するぞ)
二巻の方は、書いているうちにどうも、カイルロッドの長い髪がうっとおしく思えてき
たので、ばっさ。切ってやるつも。だったんですが、
みば
「見栄えが悪くなるからやめて下さい」
さ  え
と、止められてしまいました。(私は気楽に言うけど、やはり挿し絵が困るだろうな)
なんとなく残念な気がします。残念と言えば、l一義で登場させるつもりだったのに、謡の
つごう
都合で出番なしになってしまったキャラクターがいた。して、今回も色々と予定が狂って
しまいました。(後で自分が困るだけだった。する)
見栄えといえは一一一d
ていねい みりよくてき
このシリーズの挿し給をお願いしている田中久仁彦氏の、丁寧で魅力的なイラストがと
うれ   しかた
ても評判が良く、措いていただいている私は嬉しくて仕方あ。ません。(本になったイラ
ストを見るのが楽しみです)シリーズ完結まで、よろしくお願いします。
というわけで、次巻もよろしく。
冴木 忍 拝
S富
士見ファンタジア文庫
く卵王子〉カイルロットの苦鰍A
であ あらし よかん
出会いは嵐の予感
平成1年1川25日 初版発行
平成7年4月=り=[六版発行
きえき しのぷ
著者−−冴木 忍
発行者…佐藤吉之輔
発行所ルー富士見書房
〒1り2東京粧丁代間区富士見l
電訪
常業潮 間(湘)2521
編集部 は(32c)…5
振替 く附】7年づ柵0月
印刷価−…旭印刷
製本所〜大谷製本
前 札 ノ机tおとりカえし、1−−ます
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1榊2FuJmish止。PrlnLdinJap卸
ISBN4−829ト2469−5CO193
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二章 約束の地
ひめい
悲鳴を聞きつけ、カイルロッドは立ち上がった。
「ただごとじゃないぞ」
ほlま こわ
緊張で頬を強ばらせたカイルロッドの耳に、かすかな音が聞こえた。震動にも似た低い
膏 − 地鳴りだ。頭の中で、危険を告げる鐘が鳴り響いた。
「逃げろ、地鳴りが ー」
さえぎ
カイルロッドの声は途中で遮られた。だしぬけに視界が傾き、足元が大きく揺れた。
ゆか
窓枠がガタガタ鳴り、高価な置物が床の上に落ちて砕け散った。
「地震lフ」
悲鳴に似た声は、地鳴りと揺れにかき消された。メイリンは壁に叩きつけられ、シャオ
ロンとバルトが投げ出された。黒服の男達も次々と床に転がり、あるいは壁や家具に叩き