コロボックル物語別巻 コロボックル童話集
佐藤さとる
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
:ルビ
(例)別巻《べつかん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)第《だい》一|巻《かん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)1[#「1」は丸付き数字]
-------------------------------------------------------
コロボックル童話集《どうわしゅう》 もくじ
[#ここから1字下げ]
コロボックルと時計《とけい》――――――5
コロボックルと紙《かみ》のひこうき――――――11
[#この行筺囲い]コロボックルのトコちゃん
はじめに コロボックルのこと――――――18
コロボックル 空《そら》をとぶ――――――21
トコちゃん ばったにのる――――――37
コロボックル ふねにのる――――――52
そりにのったトコちゃん――――――68
[#この行筺囲い]コロボックルとその友《とも》だち
ヒノキノヒコのかくれ家《が》――――――86
人形《にんぎょう》のすきな男《おとこ》の子《こ》――――――112
百|万人《まんにん》にひとり――――――141
へんな子《こ》――――――171
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
あとがき 佐藤《さとう》さとる――――――202
[#改丁]
[#ここから2字下げ]
コロボックルと時計《とけい》
[#ここで字下げ終わり]
コロボックルって、知《し》っていますか。
もとはアイヌ語《ご》で、「ふきの葉《は》の下《した》の人《ひと》」という意味《いみ》だそうです。そういう小人《こびと》が、むかし、北海道《ほっかいどう》にいたという、アイヌの伝説《でんせつ》がのこっています。
けれども、ここでいうのは、そんなむかしの話《はなし》ではありません。いまの日本《にっぽん》にちゃんと生きのこっている、ほんものの小人《こびと》――コロボックルのことです。
とはいっても、背《せ》の高《たか》さが三センチほどしかない、虫《むし》のような小人《こびと》のことですし、おまけにむやみとすばしこく、人間《にんげん》の目《め》にとまらないほど、はやく動《うご》きまわりますから、めったにすがたを見《み》ません。
それでも、ときには、運《うん》のいい人《ひと》がいます。
こんな、世《よ》にもめずらしい小人《こびと》と、ぱったり顔《かお》をあわせる人《ひと》が、たまにはあるのです。
たとえば、この話《はなし》のタツオがそうです。
タツオの家《いえ》には、こわれた柱時計《はしらどけい》が、そのまま、かべにかけてありました。
この時計《とけい》は、ぜんたいが古《ふる》い西洋館《せいようかん》のような形《かたち》をしていて、ふりこの見《み》えるガラスまどのあるところが一|階《かい》、文字盤《もじばん》のあるところが二|階《かい》です。ひさしの下《した》には、かわいいかざりまどもあり、とびらをあけると、そこからねじがまけるようになっています。
ずいぶんまえから、とまったままですが、そんなかわったおもしろい形《かたち》をしているので、おとうさんもおかあさんも、かたづけてしまうのがおしかったのです。
時計《とけい》のはりは、三|時《じ》七|分《ふん》まえをさして、とまっていました。
「だからぼく、この時計《とけい》を見《み》るたびに、もうじき三|時《じ》のおやつだな、なんておもっちゃうよ。」
タツオは、よく、そういってわらいました。
ところが、ある日《ひ》のことです。
タツオが、ふと時計《とけい》を見《み》ると、はりは、三時《じ》二分《ふん》まえをさしていました。タツオは、おやっとおもいました。
「あれ、いつのまにか、すこしすすんだな。こいつ、いまでもちょっとは動《うご》くことがあるのかな。」
そんなことをつぶやいて、首《くぴ》をひねりました。でも、それはそのときだけで、すぐわすれてしまいました。
こわれた時計《とけい》が、なぜ動《うご》いたのかというと、コロボックルの子《こ》どもが、あそびにきたからです。もちろん、だれもいないときに。
コロボックルの子《こ》どもは、家《いえ》の形《かたち》をした柱時計《はしらどけい》が気《き》にいって、中《なか》にもぐりこみました。そして、一人《ひとり》がふりこをみつけると、さっそくぶらんこあそびをはじめました。
カッチン、カッチン、カッチン……。
ふりこがゆれると、ほんのすこしのこっていたぜんまいの力《ちから》で、はりが動《うご》きました。それで、五|分《ふん》だけすすんだのでした。
このぶらんこあそびが、コロボックルたちの気《き》にいったのでしょう。しばらくすると、またやってきたのです。
こんどは、タツオがひとりで、るすばんをしているときでした。でも、むちゅうで本《ほん》を読《よ》んでいるようでしたから、コロボックルたちは、かまわずにぶらんこあそびをはじめました。
いきなり、こわれているはずの柱時計《はしらどけい》が、ボーン、ボーン、ボーンと、三つ鳴《な》りました。
「あれ、とうとうおやつの時間《じかん》になったよ!」
タツオは、おもわず、そうつぶやきました。
そして、ふりこの上《うえ》に、小《ちい》さな小《ちい》さな人《ひと》が、二人《ふたり》ものっていて、あわててどこかへきえていったのを、タツオは、はっきりと見《み》たのです
だから、お正月《しょうがつ》のしたくをしたとき、タツオは、かわいいしめかざりをつくって、この時計《とけい》のかざりまどのところにつけました。自分《じぶん》の見《み》た小人《こびと》――コロボックルのために、お正月《しょうがつ》のかざりをしてあげたのです。
[#改ページ]
[#ここから2字下げ]
コロボックルと紙《かみ》のひこうき
[#ここで字下げ終わり]
タツオは、おとうさんの大《おお》きなつくえにむかって、紙《かみ》のひこうきをつくりはじめました。
「こうやって、こうやって……。あれ、どこかまちがえたかな。」
ひとりごとをいいながら、いっしょうけんめいです。きのう、おねえちゃんからおそわったばかりなのですが、どうもうまくいきません。ぴんと耳《みみ》をはったような、すてきな形《かたち》になりません。
そのタツオのよこの、たなの上《うえ》で、なにかが、ちらりと動《うご》きました。
なんでしょうか。
たなの上《うえ》には、こけし人形《にんぎょう》と、かわいいだるまさんと、かぜぐすりのあきびんと、たばこのパイプとマッチばこと、なにがはいっているのか知《し》らないはこが、いくつものっています。
また、ちらりと動《うご》いたものがあります。ねずみでしょうか。
いいえ、ねずみではありません。そんなに大《おお》きくないのです。
では、虫《むし》かな。
いいえ、虫《むし》でもありません。虫《むし》みたいに小《ちい》さい小人《こびと》でした!
マッチのぼうとくらべてみると、どんなに小《ちい》さいかわかります。コロボックルにちがいありません。コロボックルというのは、日本《にっぽん》にすんでいる、めずらしい小人《こびと》のことです。
コロボックルは、たなの上《うえ》から、タツオのしていることを、じっとながめています。いたずらそうな、男《おとこ》の子《こ》のコロボックルでした。
「ほらほら、そこで一|度《ど》ひっくりかえしてからおるんだよ。ほらっ。」
コロボックルが、そんなことをつぶやきました。でも、すごい早口《はやくち》で、おまけに小《ちい》さい声《こえ》でしたから、タツオにはなんにもきこえません。
そこへ、もう一人《ひとり》コロボックルがやってきました。まえからいた子《こ》と、顔《かお》もすがたも、そっくりです。
二人《ふたり》は、ふたごです。二人《ふたり》とも、「サザンカノヒコ」という名《な》まえです。
いくらふたごだって、名《な》まえまでおなじではこまります。そこで、コロボックルたちは、にいさんのほうをサザン、あとからきた弟《おとうと》のほうを、ザンカとよんでいます。
二人《ふたり》あわせて、サザンカです。
「おい、サザン、なにを見《み》てるんだい。」弟《おとうと》のザンカがききました。
「タツオくんさ。」
サザンは、そうこたえると、すぐにまた、じれったそうにつぶやきました。
「そこで、ひっくりかえすんだってば!」
サザンのいうとおりなのです。一|度《ど》うらがえしにして、おらないと、ぴんと耳のはった、きれいな紙《かみ》のひこうきはできません。
タツオは、そこのところをわすれているのです。
「ようし、ぼく、タツオくんに教《おし》えてきてあげる。」
弟《おとうと》のザンカは、にいさんのサザンよりも、気《き》がはやいのです。いきなり、たなから、ひゅっととびおりて、タツオのかたにのりました。
そして、タツオの耳《ふム》にささやきました。
「そこで、一|度《ど》ひっくりかえすんだよ。」
むちゅうになっていたタツオは、びくんと顔《かお》をあげました。
「そうかあ、ぼく、わすれていたよ。」
タツオは、大声《もおごえ》でそういって、たちまち大《もお》きな紙《かみ》のひこうきをつくりあげました。
「わあ、できたできた。」
うれしくて、まどから、できたてのひこうきをとばしました。
ふたごのいたずらコロボックルが、いつのまにか、その紙《かみ》のひこうきにとびのっていて、じょうずにかじをとっていました。
そのためか、庭《にわ》のむらさき色《いろ》の野《の》ぎくの花《はな》まで、すうっととんでいきましたよ。
[#改丁]
コロボックルのトコちゃん
[#改ページ]
[#ここから4字下げ]
はじめに コロボックルのこと
町《まち》はずれのおかのつづきに、おむすびをころがしたような形《かたち》の、ちっぽけな山《やま》がありました。
見たところは、どこもかわっていません。くりの木《き》や、もちのきや、かしの木《き》や、さくらの木《き》や、ヒマラヤすぎや、つばきや、もみじなどが、こんもりしげっています。
木《き》のあいだに、小屋《こや》が二けんたっていましたが、だれもすんでいないみたいです。
こんな、ちっぽけなつまらない山《やま》が、ほんとうは、富士山《ふじさん》よりすてきな山《やま》なのです。というのは、ここに、コロボックルの国《くに》があるからです。
コロボックルというのは、大《おお》むかしから、ずっとここにいる、小人《こびと》たちのことです。からだは、みなさんの小指《こゆび》くらいしかありません。子どものコロボックルなら、その半分《はんぶん》くらいです。そんなに小《ちい》さいくせにとてもすばしっこくて、目《め》にもとまらないはやさで走《はし》ります。
でも、このことは、ひみつです。知《し》っている人《ひと》は、ほんの三、四|人《にん》です。その人《ひと》たちは、みんなコロボックルのみかたですから、ひみつをもらすような心配《しんぱい》は、ないのです。
ここに小屋《こや》をたてたのも、もちろんそういうみかたの人《ひと》たちで、大《おお》きいほうの小屋《こや》は、いまでも、ときどきあそびにきたときつかいます。
小《ちい》さいほうの小屋《こや》は、コロボックルのしろです。大《おお》きなつばきの木《き》の下《した》に、たっています。コロボックルのしろには、コロボックルの国《くに》の「役場《やくば》」や「公会堂《こうかいどう》」や「学校《がっこう》」があります。ついこのあいだ、コロボックル=ラジオの「放送局《ほうそうきよく》」もできました。
コロボックルたちの町《まち》は、山《やま》の地面《じめん》の下《した》にあります。かたい岩《いわ》をくりぬいて、きれいな家《いえ》が、たくさんかたまってできています。
そんな地面《じめん》の下《した》の町《まち》が、山《やま》のあちこちにあって、みんなトンネルでつながっています。トンネルから外《そと》へでる出入口《でいりぐち》も、あちこちにあります。だから、コロボックルたちは、外《そと》にでないときも、すきなところへ、すきなときにいけます。
このコロボックル山《やま》には、ぜんぶで千|人《にん》ものコロボックルたちが、なかよくくらしているのです。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
コロボックル 空《そら》をとぶ
[#ここで字下げ終わり]
コロボックル山《やま》に、春《はる》がきます。
まっかな花《はな》をつけた、大《おお》きなつばきの木《き》の下《した》を、コロボックルの子《こ》どもが、たったひとりでのぼっていきました。いい天気《てんき》です。
この子《こ》は、トコという男《おとこ》の子《こ》です。ほんとうの名《な》まえは、「トネリコノヒコのトコ」といいますが、めんどうなので、みんなトコとだけ、よびます。ひとりでどこへでも、とことこでかけていってしまうので、そんな名《な》まえがつきました。
トコは、山《やま》をたんけんしているのです。どこへいくにも、トンネルをくぐっていけるのに、トコは、山《やま》のようすが知《し》りたくて、たまらなかったのです。それで、毎日《まいにち》、トンネルからでて、山《やま》をあるきまわりました。
子《こ》どものコロボックルは、国《くに》からでてはいけないのですが、国の中《くになか》なら、どこへいってもしかられません。
トコは、やぶの中《なか》をゆっくりすすみました。いくらコロボックルがすばしっこいとはいっても、やぶの中《なか》はあるきにくいのです。
すると、きゅうにやぶがきれて、大《おお》きなな木《き》の古《ふる》かぶのまえにでました。
パタパタパタ。
鳥《とり》のはねの音《おと》がしました。トコは、ひゅっとかぶのかげに走《はし》りこみました。
コロボックルは、鳥《とり》なんかこわがったりしません。ただ、空《そら》にいるもずだけは、用心《ようじん》したほうがいいのです。
パタパタパタ……。
もっとちかくで、音《おと》がしました。これは、もずではありません。
トコは安心《あんしん》して、木《き》のかぶの下《した》をのぞきました。
根《ね》っこのあいだが、ぽっかりあいていて、中《なか》はふかいほらあなのようになっています。鳥《とり》のはねの音《おと》は、その中《なか》から、きこえたようです。
(こんなところに、鳥《とり》のすがあるのかな。)
そうおもって、あなのおくを見《み》ました。コロボックルは、くらいところでも目《め》がききます。
「やあ。」
トコは、声《こえ》をあげて、根《ね》っこのあいだにもぐっていきました。
見《み》たこともない、かわいい鳥《とり》が、一わいたのです。かわいいといったって、トコにとっては、ずいぶんおきく見《み》えます。もし、トコが人間《にんげん》の子どもだったら、鳥《とり》は、ぞうほどもあるのですから。
トコを見《み》た鳥《とり》は、うずくまったまま、はねをパタパタさせました。
「おや、足《あし》が立《た》たないみたいだね。」
せなかが青色《あおいろ》がかったはい色《いろ》、おなかはなかはまっ白《しろ》です。くちばしは、きれいなピンク色《いろ》でした。
これは、ぶんちょうという鳥《とり》です。でも、トコは、はじめて見《み》たので、なんという鳥《とり》かわかりませんでした。
「ほらほら、しずかに。あばれちゃだめだよ。ぼくがみてやるからね。」
そういって、じっと鳥《とり》の目《め》をみつめると、鳥《とり》はおとなしくなりました。
「ふうん。おまえは、きっと人間《にんげん》にかわれていたんだな。ぼく、知《し》ってるよ。人間《にんげん》は、鳥《とり》をかごにいれてかったりするんだって、おかあさんからきいたもの。」
そういって、足《あし》を見《み》ました。どうやら、くじいているようです。
「よしよし。ぼくがほうたいをしてやるから、まってるんだよ。」
トコは、さっと根《ね》っこの下《した》からとびだして、いちばんちかくのトンネルの出入ロ《でいりぐち》へ、走《はし》っていきました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
それからトコは、大《だい》かつやくしました。
ひとりでくすりとほうたいをもってくると、小《こ》鳥《とり》の足《あし》に小《こ》えだをそえてしばりました。なにしろ相手《あいて》が大《おお》きいので、たいへんです。
すっかり手《て》あてがおわると、こんどは水《みず》をはこびました。一|回《かい》に、ほんの一《ひと》しずくですから、十|回《かい》も水《みず》をはこんで、鳥《とり》にのませました。
さすがのトコも、すっかりくたびれました。
けれども、うれしいことに、水《ムず》をのんで元気《げんき》になった鳥《とり》は、ひとりで立《た》ちあがって、ぴょんぴょんと、根《ね》っこの下《した》からでていきました。
そこで、はねをパタパタさせて、とびあがろうとするのですが、だめでした。
「おまえ、はねもきっといたんでいるんだ。むりしないで、この山《やま》で休《やす》んでいきなよ。」
トコは、かけよってなだめました。鳥《とり》は、まるでトコのいったことがわかったみたいに、また根《ね》っこの下《した》へ、ぴょいぴょいと、はいっていきました。
そのあと、トコは、いろいろな草《くさ》の葉《は》っぱや、実《み》をはこんできましたが、鳥《とり》は、見《み》むきもしないで、じっとすわっていました。
トコは心配《しんぱい》で心配《しんぱい》で、夜《よる》になるまで、鳥のそばについていました。
つぎの日《ひ》の朝《あさ》、起《お》きるとすぐ、トコは家《いえ》をとびだしました。
おかあさんが、びっくりして、うしろから声《こえ》をかけました。
「トコちゃん、こんなにはやくから、どこへいくの。」
「うん、ぼく、外《そと》へでて、朝日《あさひ》を見《み》てくるんだ。」
「ごほんぐらいたべていったらどう。」
おかあさんがそういったときは、もうトコは、走《はし》っていってしまいました。
きのうの、古《ふる》かぶのところへきて、トコはびっくりしました。根《ね》っこの下《した》は、からっぽだったのです。
「あれ、もうなおって、とんでいっちゃったのかあ。」
すると、うしろで、チイチイチイと、元気《げんき》な小鳥《ことり》の鳴《な》き声《ごえ》がしました。
カサカサとやぶをかきわける音《おと》がして、きのうの鳥《とり》が、トコのほうに、ぴょんぴょんあるいてちかよってきたのです。
「やっぱりいたのかあ。元気《げんき》になってよかったな。」
トコがいうと、鳥《とり》は、チイチイチイと、トコにからだをすりつけました。どこかでえさをひろって、たべてきたようです。
トコも、きゅうにおなかがすいてきました。
「ちょっとまってろ。ぼくもごはんたべてくるから。」
そういって、うちへもどったのです。
その日《ひ》から、毎日《まいにち》トコは、鳥《とり》とあそびました。
鳥《とり》は、すっかりトコになれて、トコがピーッと指《ゆび》ぶえをふくと、どこにいても、走《はし》ってきました。
ときどき、トコが鳥《とり》のせなかにとびのったりしても、おどろかなくなりました。せなかにトコをのせたまま、ぴょんぴょんあるいたりしました。
(ぼくが、鳥《とり》とこんなになかよくなっているなんて、だれも知らないだろうな。)
そうおもって、ひとりでトコは、にこにこしました。
でも、ほんとうは、ちゃんと知《し》っているコロボックルがいました。山《やま》のてっぺんには、くりの木《き》があって、この木《き》の上《うえ》には、コロボックルの「みはり所《じょ》」があります。いつでも、コロボックルが二人《ふたり》ずつのぼっていて、山《やま》をみはっているのです。
ここのみはりのコロボックルたちは、トコが、とべない鳥《とり》となかよしになって、鳥《とり》といっしょにあそんでいるところを、何度《なんど》も見《み》ました。
「あのぼうやが、またきてるよ。」
くりの木《き》の上《うえ》では、コロボックルのみはりが、そういいながら、にこいこして見《み》ていました。
「どうする。鳥《とり》とあそんでいるが。」
「だいじょうぶだろう。あぶないこともなさそうだ。」
そんな話《はなし》をしたこともあったのです。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
つばきの花《はな》が、みんなちってしまうころ、鳥《とり》のつばさは、すっかりなおっていました。
ところが、そのことに、トコは気《き》がつかないでいたのです。いいえ、トコだけではありません。鳥《とり》も、自分《じぶん》のはねがなおっているなんて、おもっていなかったようです。
ときどき鳥《とり》は、はねをひろげて、ためすように、二、三|度《ど》ずつ、はばたきましたが、とびあがることはありませんでした。
いつものように、トコが鳥《とり》をさがしにいくと、鳥《とり》は、かわいたすなの上《うえ》で、すなあびをしていました。
トコは、鳥《とり》をおどろかしてやろうとおもって、いきなり走《はし》っていくと、鳥《とり》のせなかにとびのったのです。
鳥《とり》は、はげしくはばたきました。そして、せなかにトコをのせたまま、あっというまに空高《そらたか》く、まいあがってしまったのです。
トコは、おもわず目《め》をつぶって、鳥《とり》のやわらかいせなかのはねにしがみつきました。
とびあがった鳥《とり》は、自分《じぶん》でもびっくりしたように、ピイッと鳴《な》きました。そして、うれしそうに、コロボックル山《やま》の上《うえ》を一《ひと》まわりすると、町《まち》へむかったのです。もちろんトコをのせて。
ヒュッ、ヒュッと、はねが風《かぜ》をきりました。トコのかみの毛《け》が、うしろへふきとばされそうになりました。
そっと目《め》をあけて、下《した》を見《み》ると、もう、町《まち》へきています。ふりかえっても、コロボックル山《やま》がどこにあるのか、わかりませんでした。
やがて、鳥《とり》は、町《まち》の山《やま》の上《うえ》にできた、新《あたら》しい団地《だんち》の上《うえ》にくると、ピイック、ピイックと、するどい声《こえ》で鳴《な》きました。
そして、団地《だんち》のすみのしばふの庭《にわ》に、すうっとまいおりたのです。
ピイック、ピイック。
鳥《とり》は、上《うえ》をむいては、鳴《な》きました。でもトコは、鳥《とり》のせなかからおりませんでした。だって、こんなところへおりてしまったら、トコはひとりで山《やま》までかえれるかどうか、わからなくなります。
(ぼく、おりないよ。この鳥《とり》、きっとまた、ぼくたちの山《やま》へかえるにきまってるもの。)
トコは、しっかりと、鳥《とり》のせなかにしがみついていました。
団地《だんち》の三|階《がい》のベランダに、男《おとこ》の子《こ》が一人《ひとり》、でてきました。手《て》にもった紙《かみ》のつつを目《め》にあてて、下《した》をのぞきました。
「やっぱり、ぶんちょうだ。」
つつをのぞいたまま、男《おとこ》の子《こ》は、ふしぎそうにつぶやきました。
手にもっているのは、ぼうえんきょうだったのです。それも、自分《じぶん》でつくったものらしく、あちこちセロハンテープではってあります。
「カヨちゃんちの、にげたぶんちょうが、かえってきたのかな。」
そんなことをつぶやいて、それから、おやっと、声《こえ》をあげました。
「あのぶんちょうの、せなかにくっついているのは、なんだ。虫《むし》か……葉《は》っぱか……いや、なんだい、ありゃあ。」
いきなり、ベランダから、へやの中《なか》にひっこむと、こんどはゴムのボールをもって、でてきました。それから、しばふの上のぶんちょうにむけて、そのゴムボールをなげたのです。
もちろん、ボールは、あたりませんでした。けれども、ボールがしばふにあたって、はねかえる音《おと》は、ぶんちょうを、ひどくおどろかしたようでした。
はげしくはばたきをして、とびたつと、たちまち団地《だんち》のたてものより高《たか》くまいあがりました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
そのあと、鳥《とり》がどこへとんでいったかというと、もとの、コロボックル山でした。トコが考《かんが》えたとおり、鳥《とり》は、いちもくさんに、山《やま》の古《ふる》かぶの上《うえ》まで、とびかえったのです。
こんどこそ、トコは、鳥《とり》のせなかからとびおりました。そして、鳥の、ピンクのくちばしをなでながら、いいました。
「かえってきて、よかったね。ぼくがおまえにのって、空《そら》をとんだなんて、だれも知《し》らないよ、きっと。だから、だまっていようね。そうしないと、ぼく、しかられるよ。だまって、山《やま》からでたんだもの。」
でも、そのことを知《し》っているコロボックルが、いました。もちろん、くりの木《き》の上《うえ》の、みはりをしていたコロボックルでした。
「おい、あのぼうず、ちゃんとかえってきたよ。たいしたもんだ。」
「まったくだ。では、さっそく、みんなに知《し》らせよう。トコはまいごにならなかったから、もう、心配《しんぱい》いらないって。」
そうです。コロボックルたちは、トコが、鳥《とり》にのって町《まち》へとんでいったのを、知《し》っていたのです。それで、もし、まいごになったらたいへんなので、むかえにいくしたくをしていたのです。
トコは、だれにもしかられませんでした。
コロボックルのえらい人《ひと》が、こういって、わらったのです。
「空《そら》からでて、空《そら》からかえってきたのなら、国《くに》をでたことにはならん。空《そら》には、さかいがないものな。はっはっは。」
そして、コロボックルが、鳥《とり》をかいならしてとぶことを、これからもためしてみようではないか、といったのです。
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
トコちゃんばったにのる
[#ここで字下げ終わり]
コロボックルの山《やま》に、秋祭《あきまつ》りがちかづきました。
おとなのコロボックルたちは、お祭《まつ》りのしたくで、とてもいそがしくなります。
まず、広場《ひろば》の大《おお》そうじから、はじめなくてはいけません。
お祭《まつ》りには、山《やま》のあちこちにある七つの町《まち》から、何《なん》百|人《にん》ものコロボックルがあつまるので、池《いけ》のまわりの広場《ひろば》を、きれいにひろげるのです。
男《おとこ》のコロボックルたちは、毎日《まいにち》、かわるがわる、広場《ひろば》の草《くさ》かりにでかけました。草《くさ》かりといったって、コロボックルにとっては、たいへんな仕事《しごと》です。
ところどころに、一《ひと》かぶずつの草《くさ》をのこして、空《そら》からコロボックルのすがたが見《み》えないようにしていくのです。
女《おんな》のコロボックルは、神《かみ》さまにそなえるくだものや、草《くさ》の実《み》をあつめます。コロボックルの神《かみ》さまは、スクナヒコさまといって、あまがえるのせなかにのった、おじいさんの神《かみ》さまです。
そのほか、お祭《まつ》りのごちそうのしたくも、しなければいけませんし、ひまをみて、おどりや、おはやしのけいこも、しなくてはいけません。それで、コロボックルたちは、たいへんいそがしくなるのです。
子《こ》どもたちも、もちろんいそがしくなります。やっぱり、お祭《まつ》りのしたくがあるからです。とくに、男《おとこ》の子《こ》たちは、目《め》の色《いろ》がかわります。
(ことしこそ、ぼくもしっかりしなくちや。)
ちびのトコちゃんも、そうおもいました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
トコちゃんは、めずらしく、ひとりではありませんでした。妹《いもうと》のチョコをつれて、コロボックル山《やま》のくさむらを、あるいていました。
くさむらといっても、コロボックルにしてみれば、森《もり》の中《なか》にいるようなものです。
チョコの、ほんとうの名《な》まえは、「トネリコノヒメのチョコ」といいます。どこへでも、 いつのまにか、ちょこちょこついてくるので、チョコとよばれています。
そのチョコが、きょうは、にいさんのトコちゃんのあとに、ちょこちょこくっついてきていました。
おかあさんは、お祭《まつ》りのしたくで、とてもいそがしいのです。それでトコちゃんに、チョコをつれてあそびにいきなさいと、いいつけました。
ひとりのほうがよかったのですか、しかたがありません。トコちゃんは、チョコをうしろにつれたまま、くさむらへやってきたわけです。
「ほらほら、音《おと》をたてちゃ、だめだ。」
トコちゃんは、またチョコをふりかえって、注意《ちゅうい》しました。
もう、何度《なんど》も、おなじことをいってきかせているのですが、チョコのほうは、トコちゃんといっしょにいるのがうれしくて、どうしても、はねてしまうのです。
「おにいちゃんはね、とてもむずかしいことをするんだからね。じゃまをしないで、しずかに見《み》ているんだよ。」
小《ちい》さな声《こえ》で、トコちゃんは、いいきかせました。
「お祭《まつ》りの、だいじなしたくだからね。いいかい、もうすこし、はなれて、しずかにおいで。」
「うん。」
チョコは、おとなしくうなずきました。
トコちゃんは、ほそいひもを、ぐるぐるまきにして、かたにかけています。これは、くもの糸《いと》をかためて、長《なが》いなわにしたものです。かるくて、じょうぶなひもでした。
そのひもを、ちょっとゆすりあげて、トコちゃんは、じっと耳《みみ》をすませました。
サラサラサラ……。
草《くさ》の葉《は》が、風《かぜ》にゆられて鳴《な》る音《おと》がします。遠《とお》くで、歌《うた》をうたう声《こえ》が、かすかにきこえてます。広場《ひろば》の草《くさ》かりをしている、おとなたちの声《こえ》でしょう。
ここは、池《いけ》のちかくの広場《ひろば》から、だいぶはなれていました。
ショリ、ショショリ……。
ちがう音《おと》がしました。トコちゃんは、まゆをぴくりとあげました。
それから、手まねで、チョコに、じっとすわっているように、合図《あいず》しました。
ゆっくりゆっくり、かたから、ひもをはずして、下《した》におきました。
ひものはしっこを両手《りょうて》でもつと、音《おと》のするほうを、のぞきこんでかまえました。
そして、ひゅっと、草《くさ》のあいだをくぐりぬけていったのです。
シュルシュルシュルッ。
ひもが、まるで生《い》きているみたいに、のびていきました。
おもいがけないところで、いきなり大《おお》さわぎがもちあがりました。
バタバタバタ!
キチキチキチ!
大《おお》きな、とのさまばったでした。
どうやらトコちゃんは、ばったをつかまえにいったようです。
ばったは、くさむらから、何度《なんど》もとびだそうとしました。けれども、トコちゃんのひもが、首《くび》にひっかかっているので、とびあがるたびに、下《した》へおちました。
「えい、えい。」
トコちゃんは、ひもをつかんで、力《ちから》いっぱいひっぱりました。
「ううん、おとなしくしろったら……。」
それでも、ばったは、つよい足《あし》で、はねまわりました。とうとう、はねをひろげて、空《そら》へとびあがりました。
とのさまばったは、いざとなると、ずいぶん遠《とお》くまで、はねをつかってとべるのです。
トコちゃんは、おもわずひきずられました。そして、あっというまに、ばったにひっぱられて、ぐうんと空《そら》にまいあがってしまったのです。
ところが、トコちゃんのひもが、するするっとのびきったとたん、ぴぃんととまりました。ばったも、トコちゃんも、ひもにひっぱられて、そのまま草《くさ》の上《うえ》におちました。
「しめた! きっと、どこかにひもが、ひっかかったんだ!」
トコちゃんは、大《おお》よろこびで、ばったにとびつきました。
くるくるくるっと、ひもを、ばったのおなかにまきつけて、しばりました。これで、もうばったのはねは、ひろがりません。足も、すこししか動きませんから、にげられる心配《しんぱい》もなくなりました。
「やれやれ、うまくいったぞ。十日《とおか》もおいかけて、やっとつかまえた。」
トコちゃんが、ほっとして、あせをふいていると、チョコのさけぶ声《こえ》がきこえました。
「おにいちゃあん、はやくきてえ。」
びっくりして、トコちゃんは、とんでかえりました。
「おにいちゃん、これ、もうはなしてもいい?」
「あれっ!」
トコちゃんは、目《め》をまんまるくしました。ひもは、ひっかかったのではありませんでした。チョコが、ひものはしっこを、草《くさ》のくきにまきつけて、歯《は》をくいしぼっておさえていたのです。
「やあ、チョコ! よくやったなあ。おかげでおにいちゃん、すごいばったをつかまえたよ。」
「そう、よかった。」
チョコは、まっかになった、小《ちい》さな小《ちい》さな手《て》を、ひろげてみせました。
「ほうら、こんなになっちゃった。」
「うんうん、ありがと。おまえをつれてきて、ほんとうによかったよ。」
トコちゃんは、チョコの頭《あたま》をなでてやりました。
「これで、お祭《まつ》りの『ばったきょうそう』に、でられるよ。おにいちゃん、ことしがはじめてだけど、がんばるぞ。」
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
まちにまった、お祭《まつ》りの日《ひ》がきました。お月《つき》さまが、まんまるになる十五|夜《や》の日《ひ》が、お祭《まつ》りです。
朝《あさ》から、みんなきれいなきものをきて、広場《ひろば》にあつまってきました。
プープー。
ふえが鳴《な》りました。
「ばったきょうそうが、はじまるぞう。」
広場《ひろば》のすみで、わあっと、声《こえ》がしました。
お祭《まつ》りは、毎年《まいとし》この「ばったきょうそう」で、はじまるのです。
ばったにのるのは、男《おとこ》の子《こ》です。ばったも、子《こ》どもたちだけで、つかまえなくてはいけません。
子《こ》どもは、コロボックル山《やま》から外《そと》にでてはいけないので、山《やま》にいるばったをつかまえることになります。
これが、なかなかむずかしいのです。たいていは、何人《なんにん》もなかまをつくって、何日《なんにち》もかかって、つかまえるのです。トコちゃんだって、つかまえるまでに、十日《とおか》もかかっていたのです。
ばったには、首《くぴ》にひもをつけるだけです。ばったのせなかにのった男《おとこ》の子《こ》は、はねをひらかせないように、足《あし》でぎゅっと、おさえつけます。もし、ばったからおちたり、ばったがはねをひろげたりしたら、きょうそうからはずされます。
「選手《せんしゅ》は、こっちへあつまれえ。」
係《かかり》のコロボックルが、よんでいます。きっと、トコちゃんも大《おお》きなとのさまばったをつれて、あつまっているでしょう。
プー。
また、ふえが鳴《な》りました。
ドーン。
こんどは、たいこが鳴《な》りました。いよいよ、ばったきょうそうがはじまったのです。
ぴょんぴょん、バタバタ。
ばったが、はねてきました。三十ぴきぐらいいます。
まえにはねないで、よこにとんだり、うしろにはねたりするばったもあります。ばったから、ころがりおちる男《おとこ》の子《こ》もあります。
「おにいちゃあん。」
草《くさ》のてっぺんから、大《おお》きな声《こえ》がしました。
チョコです。チョコが、おとうさんといっしょに、おうえんしていました。
ぴょうん!
大《おお》きなとのさまばったが、草《くさ》より高《たか》くはねました。
トコちゃんです。とても.いっしょうけんめいな顔《かお》をしています。
「おにいちゃあん、しっかりい。」
チョコが、よろこんで、手《て》をふりました。
ちらっと、トコちゃんが、よこ目《め》でチョコを見《み》ました。とたんに、ばったは、よこにとびました。
トコちゃんは、草《くさ》の上《うえ》に、ころがりおちてしまいました。
「はっはっは。」
おとうさんは、うれしそうにわらいました。
「えらいぞ。ことしは勝《か》てなくても、えらいぞ。きょうそうにでただけでえらい。」
トコちゃんも、にこにこしなから、起《お》きあがってきました。
やがて、パチパチパチッと、手《て》をたたく音《おと》がしました。ばったきょうそうが、おわったのです。いよいよ、お祭《まつ》りのはじまりです。
音楽《おんがく》が、にぎやかに鳴《な》りはじめました。
木でつくったスクナヒコさまが、地面の下の町から、かつぎだされて、池《いけ》のふちにかざられました。
女《おんな》のコロボックルたちが、スクナヒコさまのまえに、おそなえものを、山《やま》のようにもりあげました。
草《くさ》のかげには、いくつもテーブルがはこばれてきました。テーブルの上《うえ》には、つぎつぎとごちそうがならびました。
トコちゃんも、チョコも、音楽《おんがく》の鳴《な》るほうへ、かけだしていきました。もうじき、おどりがはじまります。
夜《よる》になって、まんまるのお月《つき》さまがでるころまで、お祭《まつ》りはつづきます。
月《つき》の光《ひかり》の下《した》で、コロボックルたちは、うたったり、おどったり、ごちそうをたべたりして、たのしくすごすのです。
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
コロボックル ふねにのる
[#ここで字下げ終わり]
コロボックル山《やま》の広場《ひろば》には、すみっこに、きれいないずみがわいています。
山すそに、ぽっかり小さなほらあながあいていて、そのほらあなのおくから、つめたい水《みず》が、トクトクと音《おと》をたてて、わきでているのです。
いずみの水《みず》は、広場《ひろば》からあふれて、山《やま》の下《した》の、南《みなみ》がわにある、大《おお》きな広《ひろ》い池《いけ》へ、ながれおちています。
この大《おお》きな池《いけ》は、ここから、人《ひと》が、コロボックル山《やま》へはいってこないように、山《やま》をまもっている、だいじな池でした。
夏《なつ》になると、コロボックルの子《こ》どもたちは、この広《ひろ》い池《いけ》で、およいだり、ふねをうかべたりして、あそびました。
ふねといっても、ただの葉《は》っぱです。
葉《は》っぱのふちを、じょうずにまるめて、水《みず》がはいらないようにしただけです。それでも、つくるのはなかなかむずかしくて、小《ちい》さい子《こ》には、むりでした。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
トネリコノヒコのトコちゃんも、ふねがほしくてたまりませんでしたが、自分《じぶん》では、まだつくれません。
いまも、広場《ひろば》から、大《おお》きな池《いけ》のほうへ、おりていきました。
「トコちゃん、どこへいくの。」
友《とも》だちのグミノヒメが、ききました。
コロボックルの男《おとこ》は、みんなヒコで、女《おんな》はみんなヒメです。グミノヒメは、キキちゃんとよばれています。なんでも、ききたがるからです。
「ぼく、池《いけ》のむこうへいってみたいんだ。」
トコちゃんは、こたえました。
グミノヒメのキキちゃんは、もっとききたそうにしましたが、トコちゃんは、どんどん走《はし》って、がけをおりていきました。
「ぼうや。」
くさむらから、よびとめられました。
みはりをしているコロボックルです。
「ここから、まっすぐいくと、もう、山《やま》の外《そと》にでてしまう。子《こ》どもは、かってにでていってはいけない。」
「そう。」
トコちゃんは、みはりのコロボックルを、下《した》から見《み》あげました。
「ぼく、池《いけ》のむこうがわをまわってみたいんだけど、だめなの。」
「ううん。」
みはりは、うでぐみをしました。
「池《いけ》のふちだけなら、まだ山《やま》の外《そと》ではないから、かまわない。でも、池《いけ》からはなれてはいけないよ。」
「わかりました。ぼく、池《いけ》にそって、ぐるっとまわってくるよ。まだ一|度《ど》もいったことが、ないんだもの。」
「いいだろう。この道《みち》から、はみでないようにな。」
みはりは、にっこりわらって、ゆるしてくれました。
そこでトコちゃんは、おそわった道《みち》をあるいていきました。
道《みち》の右《みぎ》がわには、いつも池《いけ》が、ちらちらと見《み》えています。
まわりは、背《せ》の高《たか》いくさむらで、ちょうど、ふかい森《もり》の中《なか》のようでした。
でも、みはりのとおる道《みち》は、ずっとつづいていましたから、それほどあるきにくくはありません。
しばらくすると、トコちゃんは、またべつのみはりにであいました。
「ぼうや、ひとりかね。」
「そう。」
「それなら、池《いけ》からはなれないようにな。この道《みち》からはみでないように。」
こんどのみはりも、おなじことをいいました。
「はあい。」
トコちゃんは、元気《げんき》よくへんじをして、またあるいていきました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
すこしいくと、池《いけ》の水《みず》べに、かわったものが見《み》えました。
「なんだろう。ふねみたいだけど。」
草《くさ》につかまって、トコちゃんは、岸《きし》までおりました。
「やっぱりふねだな。」
そうです。それは、まちがいなく、ふねでした。
つい二、三|日《にち》まえ、人間《にんげん》の子《こ》どもたちが、ここまでまぎれこんできて、おはぐろとんぼをとっていきました。そのとき、だれかが、ささぶねをつくったのです。
とてもよくできた、小《ちい》さなささぶねでした。
「ぼく、のってみようかな。」
トコちゃんは、ひとりごとをいって、それから、ひょいと、ささぶねにのりました。
くらん、と、ささぶねはゆれました。
のりごこちは、なかなかすてきです。
「すごいや。ぼく、こんないいふね、みつけちゃった!」
岸《きし》をちょっとおすと、ささぶねは、草《くさ》の下《した》から、すうっとすべりだしました。
「わあっ。」
トコちゃんは、おもわず声《こえ》をあげて、両手《りょうて》で水《みず》をかきました。
なにしろ、本気《ほんき》になれば、人《ひと》の目《め》には見《み》えないくらい、はやく走《はし》れるコロボックルのことですから、トコちゃんの手《て》は、まるで風車《かざぐるま》のように、すばやく動《うご》きました。
「わあい。」
ふねは、岸《きし》にそって、ぐんぐん走《はし》りました。トコちゃんは、こぐのをやめて、手《て》を上《うえ》にあげました。
いきおいのついたふねは、まっすぐすすみます。
左《ひだり》のほうに、草《くさ》がおおいかぶきって、トンネルのようになっている、せまい水《みず》の道《みち》が、見《み》えてきました。
「ようし、あの中《なか》にふねをいれて、.ひと休《やす》みしよう。」
トコちゃんは、右手《みぎて》で水《みず》をかいて、かじをとりました。ふねは、草《くさ》のトンネルに、まっすぐむかいました。
うすぐらい草《くさ》の下《した》にはいると、お日《ひ》さまの光《ひかり》が、ちろちろと水《みず》にうつりました。トコちゃんの顔《かお》にも、水《みず》からはねかえった光《ひかり》が、ゆらゆらとあたりました。
目《め》のまえを、すきとおったはねの、かわいいとうすみとんぼ[#「とうすみとんぼ」に傍点]が、ひらひらととんでいきます。
「きれいだなあ!」
トコちゃんは、ぐるっとあたりを見《み》まわして、ほうっとため息《いき》をつきました。
ふねは、トコちゃんがなにもしないのに、ひとりでゆっくり動《うご》いています。いくらいきおいがついていたとしても、こんなに遠《とお》くまで走《はし》るでしょうか。
サラサラという水《みず》の音《おと》が、だんだんちかづきました。
そして……。
あっというまに、トンネルがせまくなって、ふねは、ものすごくはやいながれに、のってしまったのです。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
草《くさ》のトンネルの、せまい水《みず》の道《みち》は、あの広《ひろ》い池《いけ》からあふれた水が、ながれだすみぞだったのです。
「ひゃあ。」
トコちゃんは、ふねにしがみつきました。
でも、こわかったのではありません。その反対《はんたい》です。わくわくするほど、おもしろかったのです。
「ひゃあ、すごいなあ。」
水《みず》しぶきをあびながら、トコちゃんは、ひどくゆれるささぶねの上《うえ》で、立《た》ちあがりました。ながれは、ぐうっと右《みぎ》へまがっていきます。
いきなり、ひらっと、大《おお》きな黄色《きいろ》いちょうちょがとびたちました。
ちょうちょは、よほどおどろいたとみえます。もうすこしで水《みず》におちそうになって、やっと草《くさ》のあいだから、上《うえ》へにげていきました。
「ごめんよ。」
トコちゃんは、ちょうちょをふりかえって、あやまりました。
また、ながれは、ぐっと右《みぎ》へまわっていきます。
「おっと、あぶない。」
こんどは、くものすです。草《くさ》のトンネルいっぱいに、くものすがかかっていたのです。
あぶなくトコちゃんだけ、ひっかかるところでした。
くものすをくぐると、ながれはゆるやかになって、はばもずっとひろがりました。
トコちゃんは、ふねにこしをおろして休《やす》みました。
水《みず》をのぞきこむと、げんごろうがいました。トコちゃんを見《み》て、あわててもぐっていきました。
「おい、おい。」
いきなり、上《うえ》のほうで、声《こえ》がしました。
「ぼうや、そんないいふねにのって、いったいどこへいくつもりだね。」
トコちゃんは、おどろいて、顔《かお》をあげました。
ゆくての草《くさ》のさきっぽに、また、べつのコロボックルのみはりが、さかさまにぶらさがっていたのです。
トコちゃんは、あわてました。
「あの、あの、どこへもいくつもりは、ないんだよ。だけど、ぼく、知《し》らないうちに、山《やま》から外《そと》へでちゃったのかな。」
「いや、山《やま》からでたわけではないよ。ながれの左《ひだり》がわが山《やま》の外《そと》だからな。つまり、このみぞは、コロボックル山《やま》の下《した》を、ぐるっとまわっていくわけさ。」
足《あし》でぶらさがったまま、みはりのコロボックルは、そういいました。
「よかった。ぼく、もうすぐ、かえるよ。」
「そうしたほうがいいね。このさきの右《みぎ》がわに、たいらな岩《いわ》があるから、そこでふねからおりるといい。」
「ありがとう。」
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
おしゃべりしているうちに、トコちゃんをのせたささぶねは、ぶらさがったみはりの下《した》をゆっくりととおりすぎて、また右《みぎ》へまがっていきました。
すぐに、岩《いわ》が見《み》えてきました。
トコちゃんは、ふねの中《なか》で立《た》ちあがって、とびうつろうとしました。
そのとき、岩《いわ》のかげから、大《おお》きなあかがえるがとびだして、ボチャンと水《みす》にとびこんだのです。
ふねは、ひどくゆれて、さきのほうへぐうんとおしながされました。
「ほら、ほら、ほら。」
もうすこしでひっくりかえりそうになったふねを、トコちゃんは、やっとおさえつけました。
でも、そのときは、またせまい草《くさ》のトンネルの中《なか》に、すうっとすいこまれていきました。
かえるのおかげで、トコちゃんは、岩《いわ》の上《うえ》に、おりそこなってしまったのです。
こんどのトンネルの中《なか》は、さっきより、もっとすごいはやさです。水《みず》の音《おと》も、まえよりはげしくきこえました。
「うわあ、はやいぞう!」
目《め》をいっぱいにあけて、トコちゃんは、うれしそうにさけびました。
と、いきなり水《みず》のながれがなくなって、トコちゃんは、ふねごと、空中《くうちゅう》にほうりだされたのです。
ながれは、そこからたきになって、広《ひろ》い川《かわ》へおちこんでいたのでしだ。
でも、さすがはトコちゃんです。下《した》の川《かわ》までは、おちませんでした。
とちゅうで、からだをひねって、さっきのみはりのように、草《くさ》のさきっぽへしがみつきました。
そこから、がけをほんのすこしよじのぼったら、もう、コロボックル山《やま》の広場《ひろば》へはいりました。
「おや、トコちゃん、どこからきたの。」
キキちゃんが、草《くさ》の実《み》をあつめにきていて、トコちゃんを見《み》ると、ふしぎそうにききました。
ききたがりやのキキちゃんでなくても、これは、きくのがあたりまえです。
だって、トコちゃんは、ついさっき、南《みなみ》がわの池《いけ》のほうへおりていったばかりなのに、いま、まうしろの北《きた》がわから、コロボックル山《やま》へかえってきたのです。
「ぼく、ふねにのってね、コロボックル山《やま》を、ぐるっとまわってきたところだよ」
トコちゃんは、そうこたえたのですが、キキちゃんは、なかなか本気《ほんき》にしてくれませんでしたよ。
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
そりにのったトコちゃん
[#ここで字下げ終わり]
コロボックル山《やま》には、朝《あさ》から、つめたいみぞれまじりの雨《あめ》が、ふっていました。
「やあ、さむいですねえ。」
「ほんとうに、このぶんでは、雪《ゆき》にかわりそうですねえ。」
コロボックルのおとなたちは、あまりうれしくないような顔《かお》で、そんなあいさつをしました。
けれども、子《こ》どもたちは、はやく雪《ゆき》になればいいとおもっていました。
トコちゃんもそうです。
朝《あさ》から、もう何度《なんど》も、トンネルの出口《でぐち》まででていっては、空《そら》を見《み》あげてばかりいました。
夕方《ゆうがた》ちかく、また、トコちゃんが、外《そと》を見《み》にいったときです。
「あっ。」
おもわず大《おお》きな声《こえ》をだしました。
「わあい、雪《ゆき》だ、雪《ゆき》だ!」
いつのまにか、みぞれまじりの雨《あめ》が、大《おお》きなぼたん雪《ゆき》にかわっていたのです。
トコちゃんは、そのまま、くらくなるまで、じっと雪《ゆき》のふるところをながめていました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
雪《ゆき》は、一《ひと》ばんじゅうふりづづいて、つぎの日《ひ》の朝《あさ》になっても、まだやみませんでした。
コロボックル山《やま》は、まっ白《しろ》い雪《ゆき》げしきになっていました。
トコちゃんは、いつもよりはやく起《お》きて、ねまきのまま、外《そと》を見《み》にいってみました。
「ひゃあ!」
ぶるぶるっとふるえながら、トコちゃんはさけびました。
「すごい。まだふってる!」
さあ、雪《ゆき》あそびに、いかなくてはなりません。
大《おお》いそぎでへやにもどって、着《き》がえをして、朝《あさ》ごはんをたべて、したくをして、やっと外《そと》へとびだそう上したとき、妹《いもうと》のチョコちゃんが起《お》きてきました。
「おにいちゃん、どこへいくの。」
この子《こ》は、どこへでもちょこちょこついてくるので、チョコとよばれているくらいです。もし、雪《ゆき》がつもっているなんていったら、きっとついてきて、トコちゃんのじゃまをするにきまっています。
そうおもったので、トコちゃんは、あわてて、手《て》をふりながらいいました。
「ちょっとそこまでさ。すぐかえってくるから、チョコはうちでまってな。」
そして、さっとかけだしていきました。
「ああん、おにいちゃんが、いっちゃったあ。」
チョコのなき声《こえ》が、うしろからおいかけるようにきこえてきました。よほど、もどって、チョコもつれていってやろうかとおもったのですが、やはりやめにしました。
(チョコなんかつれていったら、おもいきってあそべないや。)
トコちゃんはそう考えて、雪《ゆき》の中《なか》とびだしました。
コロボックルのからだは、とてもかるいので、ふわふわの雪《ゆき》の上《うえ》でも、それほどしずみません。じょうずに雪《ゆき》にのれば、走《はし》ってもだいじょうぶなのです。
ところが、いきなりとびだしたトコちゃんは、すぐにころんでしまいました。頭《あたま》がら雪《ゆき》の中《なか》にもぐって、さかさまになってしまいました。
「うわあい、たすけてくれえ。」
足《あし》をばたばたさせて、さけびましたが、だれもたすけてくれません。
ようやくのことで、雪《ゆき》からはいあがったとたん、山《やま》の上《うえ》のほうから、なにか、黒《くろ》い大《おお》きなものがすべってきて、トコちゃんの目《め》のまえを、シューッととおりすぎました。
トコちゃんは、びっくりして、またしりもちをつきました。
「あはははは。」
遠《とお》くで、わらい声《ごえ》がしました。
コロボックルの男《おとこ》の子《こ》たちが、木《き》の葉《は》をそりにして、すべっていったのです。
葉《は》っぱのそりには、一、二、三、四、四|人《にん》ものっていました。
「なんだい、びっくりさせるなあ。」
そりを見《み》おくりながら、トコちゃんはつぶやきました。
「よし、ぼくだって、あんなふうにすべってやるぞ。」
こんどは、そろそろと雪《ゆき》の上《うえ》をあるきました。すこしなれてくると、はやくあるきました。しまいには、ひゅっと走《はし》って、つばきの木《き》の下《した》へきました。
そこで、トコちゃんは、上《うえ》をむいて大声《おおごえ》でよびました。
「おうい、みはりのおじさあん、ぼくに、葉《は》っぱを一まい、とっておくれよう!」
つばきの木《き》のてっぺんには、コロボックルのみはりの小屋《こや》が、とりつけてあるのです。
すぐに、へんじがありました。
「そうら、ぼうや、一まいだけだぞう。」
声《こえ》といっしょに、ひらひらと、葉《は》っぱが一まいおちてきました。
「ありがとう!」
トコちゃんは、お礼《れい》をいって、葉《は》っぱをひろいました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
そりにするのは、できるだけつるつるしていて、そのうえ、しなやかで、じょうぶでなくてはいけません。
かれた葉《は》っぱはだめです。
ささの葉《は》も、あまりよくすべりません。
冬《ふゆ》でも青《あお》いつばきの葉《は》っばが、いちばんいいのです。
トコちゃんが、うらがえしたつばきの葉《は》っぱを、するするとひきずって、コロボックル山《やま》をのぼっていくと、だれかがちかよってきました。
「トコちゃん、それ、どうするの。」
キキちゃんです。なんでもききたかるので、キキちゃんとよばれている、おとなしい女《おんな》の子です。
「どうするって、そりにするのさ。」
「だれが、のるの。」
「ぼくさ。きまってるじゃないか。」
「トコちゃん、ひとりだけで、のるの。」
「そうだよ。」
「お客《きゃく》さんは、のせないの。」
「お客《きゃく》さん?」
トコちゃんは、ききかえしました。
「お客《きゃく》さんって、どこにいるんだい。」
「あたしの、ことなんだけど。」
キキちゃんは、にこにこしながら、自分《じぶん》の鼻《はな》の頭《あたま》を指《ゆび》さしました。
「なんだ、キキちゃんのことか。そうだなあ、のせてもいいけどさ……。」
トコちゃんは、ちょっと、首《くひ》をひねってからいいました。
「ぼくはね、この山《やま》でいちばんきゅうな坂《さか》を、だれよりもはやく、てっぼうだまみたいに、すべりおりようとおもってるんだよ。それでもよければ、のっていいよ。」
キキちゃんは、おとなしい女《おんな》の子《こ》でしたから、それをきくと、こまったように目《め》をふせました。
「それじゃ……あたし……、やめておく。」
「うん、そうしたはうがいいよ。きっと、こわくて、なきだすかもしれないよ。」
トコちゃんは、いじわるをするつもりではなかったのです。ただ、女《おんな》の子《こ》といっしょでは、おもいきってあそべないので、つい、そんないい方《かた》になったのです。
キキちゃんは、おこったように目《め》をあげて、トコちゃんをにらみました。
「トコちゃんの、いじわる−」
そういうと、さっさとむこうへいってしまいました。
「なんだい、へんなやつ。」
トコちゃんは、ひとりでなにかつぶやいただけで、また、つばきの葉《は》っぱをひっぱりました。
山《やま》のてっぺんにつきました。
トコちゃんは、ぐるぐるっと見《み》まわして、いちばんきゅうな坂《さか》のほうへ、葉《は》っぱをひっぱりました。
それから、いきおいをつけて、葉《は》っぱをおしながら、ぱっととびのりました。
シューッ!
葉《は》っぱのそりは、ものすごいいきおいですべりはじめました。
下《した》のほうに見《み》えていたくさむらが、たちまちちかづいてきました。
トコちゃんは、立《た》ったまま、葉《は》っぱのふちをつかんで、ぐいっとひねりながら、ひきおこしました。
そりは、うまくくさむらをよけました。
ほっとしたとたん、おもいがけないことがおこったのです。
あまりいきおいがついていたために、葉《は》っぱのそりは、トコちゃんをのせたまま、ふわりと空《そら》へうきあがって、おまけに、くるんとちゅうがえりをしてしまいました。そのあと、いったいどうなったのか、トコちゃんにもよくわかりませんでした。
がけのような坂《さか》を、トコちゃんは、石《いし》のようにごろごろところがりおちました。ころがるうちに、雪《ゆき》がくっついて、トコちゃんは雪《ゆき》だんごになりました。
雪《ゆき》だんごは、ぐんぐん大《おお》きくなって、ボールのようになりました。そして、山《やま》の下《した》のたいらな岩《いわ》のかげで、やっととまりました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
雪《ゆき》だんごの中《なか》で、トコちゃんは、目《め》をばっちりあけていました。
手《て》も足《あし》も、動《うご》きません。口《くち》の中《なか》まで、雪《ゆき》がはいっています。頭《あたま》だけ、すこし動《うご》きました。ぐりぐり頭《あたま》を動《うご》かして、口《くち》の中《なか》の雪《ゆき》をはきだしました。
どうやら、すきまができて、らくに息《いき》ができました。
「たすけてえ!」
トコちゃんは、大声《おおごえ》をあげました。いいえ、大声《おおごえ》をあげたつもりでしたが、ほそいほそい声《こえ》でしかありませんでした。
そこへ、だれかがやってきたようです。
「あら、チョコちゃん。ここに、こんな大《おお》きい雪《ゆき》だまができている。」
「ほんとだ。ねえ、キキちゃん、これで雪《ゆき》だるまつくってよ。」
キキちゃんとチョコでした。
女《おんな》の子《こ》どうしで、雪《ゆき》の中《なか》をあるいていたようでした。
二人《ふたり》は、よいしょ、よいしょ、と、かけ声《ごえ》をかけて、小《ちい》さい雪《ゆき》だまをつくりはじめました。
「もういいわ、チョコちゃん。さあ、これをあっちの大《おお》きいほうへのせるのよ。てつだってね。」
二人《ふたり》でかかえて、トコちゃんのはいっている雪《ゆき》だまの上《うえ》に、のせようとしていると、
「たすけてえ。」
どこかで、声《こえ》がしました。
「キキちゃん、だれかがよんでる。」
チョコがききつけて、いいました。
「おうい、ぼくだよう。たすけてえ。」
また、きこえました。
「だあれ。」
キキちゃんがききました。
「ぼくだってば。トコだよう。」
「トコちゃんだって?」
キキちゃんは、ぐるっとあたりを見《み》まわしました。
「どこにいるの。」
「ここだよう。」
「ここって、どこなの。」
「この、大《おお》きな雪《ゆき》のおだんごの中《なか》だよう。」
「ひえっ。」
キキちゃんは、そんな声《こえ》をだしました。それから、チョコと二人《ふたり》で、いっしょうけんめい雪《ゆき》だまをけずりました。
「ふわあっ。」
すぐに、トコちゃんの頭《あたま》がでました。
「あれあれ、おにいちゃん、こんなところでなにしてるの。」
チョコがたずねましたが、トコちゃんは、へんじもできません。
「チョコをおいていったのは、こんなところにかくれて、おどかすつもりだったの。」
「ち、ちがうよ。」
ようやく、雪《ゆき》だまからはいだしたトコちゃんは、ばたばたと、からだについた雪《ゆき》をはたいて、いいました。
「とにかく、ありがとう。お礼《れい》に、ぼく、二人《ふたり》をそりにのせてあげるよ。」
「ほんと!」
キキちゃんは、うれしそうにいいました。
「ほんとさ。いま、葉《は》っぱをさがしてくるから、山《やま》の上《うえ》で、まっていてくれよ。」
「わあい、うれしいな。」
チョコも、とびはねてよろこびました。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
しばらくすると、山《やま》の上《うえ》から、三|人《にん》ののった葉《は》っぱのそりが、シュルシュルシュルッと、すべりおりていきました。
いちばんまえが、トコちゃんです。
まん中《なか》が、チョコです。
いちばんうしろが、キキちゃんです。
もちろんトコちゃんは、あまりきゅうでない、ゆるい坂《さか》を、ゆっくりすべりおりるようにしました。
だって、また、三|人《にん》とも雪《ゆき》だんごになったら、たいへんですものね。
いつのまにか、雪《ゆき》がやんで、ごく、うっすらと、うす日《び》がさしてきていました。
[#改丁]
[#ここから1字下げ]
コロボックルとその友だち
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
ヒノキノヒコのかくれ家《が》
[#ここで字下げ終わり]
日本《にっぽん》にいた小人《こびと》のコロボックルたちが、人間《にんげん》と友《とも》だちになってもよいときめられたのは、つい五、六|年《ねん》まえのことだ。
たしか有名《ゆうめい》な「ミツバチゆくえ不明《ふめい》事件《事件》」がそのきっかけになったはずで、世話役《せわやく》のヒイラギノヒコが、コロボックルの古《ふる》いおきてをかえたのだ。
この「ミツバチゆくえ不明《ふめい》事件《じけん》」というのは、新《あたら》しいはばたき式《しき》ひこうきの試験《しけん》飛行《ひこう》中《中》におこっためずらしい事件《じけん》で、そのときのテストパイロット、クルミノヒコがもずにおそわれて、人間《にんげん》の町《まち》のまん中《なか》についらくし、気《き》をうしなったまま人間《にんげん》の少年《しょうねん》にひろわれたという事件《じけん》である。
クルミノヒコには、ミツバチぼうやというおもしろいよび名《な》がついていたことから、「ミツバチゆくえ不明《ふめい》事件《じけん》」といわれているようだ。
このときのことを、もっと知《し》りたければ、「星《ほし》からおちた小《ちい》さな人《ひと》」という本《ほん》にくわしく書《か》いてあるから、そっちを読《よ》んでもらうことにして、とにかくその「ミツバチ事件《じけん》」の あと、コロボックルは人間《にんげん》と友《とも》だちになってもよい、ということになったのだ。
だからといって、それからあと、コロボックルたちがどしどし人間《にんげん》の友《とも》だちをつくっていったかといえば、けっしてそうではない。だれがなんといっても、コロボックルは長《なが》いあいだ人間《にんげん》の目《め》からかくれて生《い》きてきたのだし、また人間《にんげん》のほうにも、おいそれとコロボックルと友《とも》だちになれるようなものは、なかなかいなかった。
考《かんが》えてもみたまえ。自分《じぶん》の目《め》のまえに、背《せ》の高《たか》さ三センチメートルほどの小人《こびと》がでてきて、いきなりこういったとする。
「あのう、ぼくはコロボックルという小人《こびと》の一人《ひとり》です。あなたはぼくと友《とも》だちになってくれますか。」
これがお話《はなし》のことでなく、ほんとうにあったとしたら、まず十|人《にん》が十|人《にん》とも、びっくりぎょうてんしたまま、口《くち》もきけなくなってしまうだろう。そのあげく、自分《じぶん》の頭《あたま》がどうかなってしまったのではないか――と、青《あお》くなるにちがいない。
なぜかといえば、だれもそんな小人《こびと》がほんとうに生《い》きているとは、おもってもいないからだ。だからコロボックルは、うかうかと人間《にんげん》のまえにはでていかない。すきな人間《にんげん》をみつけても、そのまわりをちらちら走《はし》りまわるだけで、なかなか立《た》ちどまろうとはしないのだ。
それでも、まだ子《こ》どもはいい、とコロボックルたちはいう。おさない子《こ》どもならおさないほど、目《め》のまえにコロボックルがでてきても、おどろかない。よちよちあるきの赤《あか》んぼうだと、「ばあ。」なんていってあやしてやっても、へいきでいるだろう。
「だから、ぼくたちは考《かんが》えるんです。人間《にんげん》とほんとうに友《とも》だちになりたかったら、おたがいが赤《あか》んばうのころから知《し》りあって、ずっとおとなになるまで、つきあうようでなければいけないってるきっと、いつかはそんなふうな、ほとんうの友《とも》だちができることでしょう。」
あるコロボックルはそういって、いたずらそうに目《め》をつぶってみせた。
「でもね、ときには、すてきな人間《にんげん》にぶつかるコロボックルもいるんです……。」
そのすてきな人間《にんげん》の一人《ひとり》が、クラさんだった。
大工《だいく》のクラさんは、小人《こびと》なんかにはおどろかなかった。たしかにめずらしいおとなだった。そういう人間《にんげん》も、ごくたまにはいるのだが、クラさんはそういう人《ひと》の中《なか》でも、とくベつおどろかない人間《にんげん》だった。
いなかの中学《ちゅうがく》をでると、すぐに大工《だいく》のでしになって、もう十二|年《ねん》になる。いまではどんなむずかしい仕事《しごと》もこなす、りっぱな大工《だいく》だった。子《こ》どものころから大工《だいく》になりたくて、そしておもいどおり大工《だいく》になったのだが、さすがにうでがたった。ほかの人《ひと》なら三年《ねん》がかりでおぼえる仕事《しごと》も、クラさんは一|年《ねん》でおぼえてきた。
そういう大工《だいく》のことを、なかまのあいだでは「カツ大工《だいく》」という。ただうでがいいというだけの大工《だいく》ではない。うでのいい大工《だいく》になら、心《こころ》がけしだいでだれでもなれる。「カツ大工《だいく》」は、生《う》まれつき大工《だいく》にむいていたような人《ひと》のことをいうのだ。
クラさんの仕事《しごと》ぶりを見《Å》ていれば、それがどんなことかはすぐわかる。ものさし――大工《だいく》はかねの曲《ま》がり尺《じゃく》をつかう――を、ちょいちょいとあて、すっとえんぴつで線《せん》をひいて、シュンシュンショリンとのこぎりで切《き》って、柱《はしら》と柱《はしら》のあいだにあてがって、木《き》づちでストーンと一|発《ぱつ》ではめこむ。けっして長《なが》すぎもしないし短《みじか》すぎもしない。きつすぎもしないしゆるすぎもしない。見《み》ていてむねがすくようだ。
かんなけずりでもあなあけでも、すべてがこの調子《ちょうし》で、まよったりまごついたり、ということがなかった。
そんな仕事《しごと》のできる大工《だいく》を「カツ大工《だいく》」というのだ。そして、「カツ大工《だいく》」のたてた家《いえ》は、めったにくるいがこないで長《なが》もちする。
その反対《はんたい》なのが、「タタキ大工《だいく》」だ。あっちをたたき、こっちをたたき、またはずしてはけずったり切《き》ったりして、たたきたたき組《く》み立《た》てていくような大工《たいく》のことで、これはあまりほめられない。
その「カツ大工《だいく》」のクラさんは、たいていぶしょうひげをはやしている。だが人間《にんげん》は、ぶしょうものではない。ただすこし、いそがしすぎるのだ。おまけにひげがこくて、朝《あさ》きれいにそっても、午後《ごご》になるともう青《あお》くはえてくる。
仕事《しごと》のほかはめったに口《くち》をきかないが、これもおしゃべりがきらいなのではなくて、気にいったおしゃべりの相手《あいて》がいないからだった。もちろん、クラさんはまだひとりものだ。いつもひっぱりだこだから、いそがしくて、ゆっくりおよめさんをもらっているひまがない。
むかしから世話《せわよ》になっている親方《おやかた》の家《いえ》の、二|階《かい》のへやをかりて、そこでねとまりしている。親方《おやかた》は、クラさんのことを、かげでときどきこんなふうにいう。
「おれにむすめがありゃあ、なにがなんでも、あいつといっしょにさせちまうんだがな。」
「ほんとだよ。」
親方《おやかた》のおかみさんも、ざんねんそうにいう。
「あの子《こ》は気《き》だてもいいし、あんたとちがって、お酒《さけ》ものまないし、ほんとにおしいことをしたよ。うちには男《おとこ》の子《こ》しかいなくてさ。三人《にん》とも男《おとこ》だからねえ。どれか一人《ひとり》、女《おんな》の子《こ》ならよかった。」
そんなことは、クラさんは知《し》らない。毎朝《まいあさ》はやく起《お》きて、さっさと身《み》じたくをすると、百二十五cc[#「cc」は一文字分縦中横]のすてきなオートバイにのって、工事《こうじ》現場《げんば》へすっとばしていくのだ。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
そんなクラさんのまえに、一人《ひとり》のコロボックルがすがたを見《み》せた。
そのコロボックルは、さいくものがすきで、しかもすばらしくじょうずだった。ヒノキノヒコの一|族《ぞく》で、よび名《な》をトギヤという。ひまさえあれば、自分《じぶん》の大工道具《だいくどうぐ》――それはまったくかわいらしいものだ――をといでいるので、そういわれている。つまり、こっちもコロボックルの 「カツ大工《だいく》」だった。
コロボックルたちは、地面《じめ人》の下《した》の、かわいた岩《いわ》をくりぬいて、アパートによくにた自分《じぶん》たちの家《いえ》をつくる。しかし、とびらやゆかやかべは、木《き》や竹《たけ》をつかってきれいにしあげる。たいていのコロボックルは、そういった大工《だいく》仕事《しごと》がすきで、自分《じぶん》のことは自分《じぶん》でするのがたてまえだ。しかし、ヒノキノヒコのトギヤくんのように、とくにじょうずなものは、みんなでつかうはしご道《みち》を新《あたら》しくつくったり、古《ふる》くなったものをとりかえたりしゅうぜんしたりする仕事《しごと》をひきうけている。
「おれたちにくらべりゃ、まあなんだな、人間《にんげん》の大工《だいく》なんて、へたくそで、見《み》ちゃいられないな。仕事《しごと》はざつだし、どこもかしこもすきまだらけで、なってないものな。」
トギヤくんは、あまりおしゃべりはしないが――そのへんもクラさんににている――自分《じぶん》のうでに自信《じしん》があるから、なかまにはそういっていた。
たしかに、小《ちい》さいコロボックルたちの目《め》から見《み》たら、人間《にんげん》の家《いえ》なんかすきまだらけだろう。どこからだってもぐりこめるし、もぐりこんでいって、自分用《じぶんよう》の「かくれ家《が》」をつくるのも、わけないっていうことになる。
じつをいうと、コロボックルたちが人間《にんげん》と友《とも》だちになりたいとおもうようになってから、まずはやりだしたのが、その「かくれ家《が》」をつくることだった。
コロボックルは気《き》にいった人間《にんげん》をみつけると、その人間《にんげん》のちかくに、コロボックルにとって安全《あんぜん》な場所《ばしょ》をさがし、そこをかくれ家《が》にして、そこからゆっくりと人間《にんげん》をながめる。それだけで、人間《にんげん》にはすがたを見《み》せないままでいることが多《おお》いのだが、自分《じぶん》ではその人間《にんげん》の友《とも》だちになったつもりでいるから、心配《しんぱい》ごとがありそうだと、いっしょになって心配《しんぱい》し、うれしそうなようすを見《み》れば、自分《じぶん》もうれしがってなかまにじまんしたりする。
ヒノキノヒコのトギヤくんは、なかまがそういう「かくれ家《が》」をつくるとき、いつもいっしょにいってしらべてやる。そうするように、世話役《せわやく》から命令《めいれい》されているのだ。
「うん、ここならねずみもこないな。それに湿気《しっけ》もない。ここからこうやって道《みち》をつくれば、ではいりにもらくだ。」
あちこちしらべてから、トギヤくんはそんなふうにいう。そして、新《あたら》しい「かくれ家《が》」が生《う》まれる。
――その日《ひ》も、トギヤくんは、なかまの一人《ひとり》のために、人間《にんげん》の家《いえ》へやってきていた。
もうかなり古《ふる》い家《いえ》で、そのうえ小《ちい》さなぼろ家《や》だった。ただでさえすきまだらけの家《いえ》が、いっそうすきまだらけになっていた。それでも、すんでいる人《ひと》の心《こころ》がけがいいのだろう、あまりきたない感《かん》じはしなかった。
「こんな家《いえ》は、どこにだってかくれるところはつくれるさ。ただし、やもりがやってこないようなところがいい。」
トギヤくんは、天《てん》じょううらでぼそりとそういった。なかまの、まだわかいコロボックルは、あきれたような顔《かお》をした。
「だって、トギヤ。ここは町《まち》のまん中《なか》だよ。やもりがいるはずはないよ。」
「いや、そうでない。」
トギヤは口《くち》をへの字《じ》にまげていった。
「つい二、三|年《ねん》まえまでは、ここも町《まち》はずれだった。ほら、このかべのすきまから、まえの原《はら》っぱが見《み》えるだろ。いまでも草《くさ》ぼうぼうだ。だいたいこのあたりの古《ふる》い家《いえ》には、やもりがいるんだよ。あいつはうるさいからな。」
「でもさ、やもりなんて、われわれコロボックルにはめったにちかづかないし、ぼくだってちっともこわくないよ。」
「うん、それはそうだ。でもな、やもりがうろうろしていたりするのは、いい『かくれ家《が》』とはいえないからな。」
「なるほど。」
まだ少年《しょうねん》のようなわかいコロボックルは、トギヤくんのいうことにすなおにうなずく。なにしろ、トギヤくんはコロボックルの中《なか》の「カツ大工《だいく》」なのだ。コロボックルの国《くに》でいちばんえらい世話役《せわやく》の命令《めいれい》で、こうやってコロボックルの「かくれ家《が》」をしらべる役目《やくめ》についているのだ。
こんなふうに、トギヤくんは、ずいぶんたくさん、なかまの「かくれ家《が》」を見《み》てきてやった。けれども、自分《じぶん》の「かくれ家《が》」はまだもっていなかった。気《き》にいった人間《にんげん》なんか、いるわけがないさ、とおもっていたからだ。
(どうせ、人間《にんげん》とコロボックルとでは、いい友《とも》だちなんかにはなれっこない。人間《にんげん》をよく知《し》るってことは、これからのコロボックルにはたいせつなことだろうから、みんながでかけていって、人間《にんげん》の家《いえ》の中《なか》に「かくれ家《が》」をつくるのもわるくない。だけど、見《み》ろよ。ほんとうに友《とも》だちになったものは、かぞえるほどしかいないじゃないか。おれは人間《にんげん》なんかと、ふかいつきあいなんか、もちたくないよ。)
トギヤくんは、めったに口《くち》にはださないが、心《こころ》の中《なか》ではそう考《かんが》えていたのだった。
ところが、その古《ふる》い家《いえ》に、大工《だいく》がはいって仕事《しごと》をしていた。それが大工《だいく》のクラさんだった。
うらのせまいろうかをこわして、新《あたら》しく小《ちい》さなへやをつぎたしているらしい。
「そう、ぼくの友《とも》だちになるはずの男《おとこ》の子《こ》が、ひとりでつかうへやができるんだ。男《おとこ》の子《こ》は、大《おお》よろこびしているよ。」
わかいコロボックルは、自分《じぶん》もうれしそうにいった。
「そうかい。だったら、『かくれ家《が》』も、その新《あたら》しいへやのどこかへつくったほうがいい。もうちょっとまてば、できあがるだろう。」
トギヤくんはそういって、人間《にんげん》の大工《だいく》――クラさんの手《て》もとを、さもばかにしたような目《め》つきでながめた。
「それなら、きょうはかえろう。」
わかいコロボックルがそういったのに、トギヤくんは、だまってじっとクラさんの仕事《しごと》ぶりをながめていた。
「おまえさんは、さきにかえりな。」
しばらくして、トギヤくんはそういった。
「おれは、もうすこし、あいつの仕事《しごと》ぶりを見《ん》ていくから。」
「なぜ。」
「なぜでもさ。世話役《せわやく》さんにも、そういっておいておくれ。」
わかいコロボックルは、ふしぎそうに、首《くび》をふりながら、さっときえていった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
それから何日《なんにち》か、ヒノキノヒコのトギヤは、毎日《まいにち》クラさんの仕事《しごと》をながめにかよってきた。
(人間《にんげん》の大工《だいく》にしちゃ、まったくじょうできだな。えれえもんだ。あんなふうに、すぱーりすぱーり仕事《しごと》のできる人間《にんげん》なんか、はじめて見《み》た。まったくたいしたもんだ。)
そうおもって見《み》ているうちに、トギヤくんは、すっかりクラさんがすきになってしまった。
そうなると、もうトギヤくんは、おもいきったことをする。ほかのコロボックルがきいたら、びっくりするようなことを、やってのけてしまった。
つまり、「カツ大工《だいく》」が、のこぎりでシュンシュンショリンと木《き》を切《き》って、柱《はしら》と柱《はしら》のあいだにあてがって、木づちでストーンと一|発《ぱつ》ではめこむときのように、おもいきりよく、いきなり、かんなけずりをしているクラさんの目《め》のまえにとぴおりていって、力《ちから》いっぱい、こうどなったのだ。
「いいうでしてるな。すごいぞ!」
シューと、うすい紙《かみ》のようなかんなくずが、トギヤくんのまわりに走《はし》った。くるくるっとそのあいだをくぐりぬけて、トギヤくんは、クラさんのにぎっていたかんなの上《うえ》に、とびのった。
「ほい。」
クラさんも、さすがにぴたりと手《て》がとまった。しかし、すぐに、そのままシャリン!とかんなをひききって、それからトギヤくんを、ふっと、ふきとばした。かんなくずといっしょに。
「どいてな。仕事《しごと》のじゃまだよ。」
クラさんは、そういっただけだった。
「ふえっ。」
仕事場《しごとば》のすみにとばされながら、トギヤくんのほうもへいきだった。
「ほんとだ。こいつはこっちがわるかった。いきなりとびだしていったんじゃ、じゃまになるぽっかりだ。いいとも、ではまたあとでな。」
そうつぶやいて、それからは、ゆっくりまどわくの上《うえ》にこしかけて、クラさんの仕事《しごと》ぶりを、あかずにながめていた。
「お茶《ちゃ》がはいりましたよ。」
そのうちに、そんな声《こえ》がして、わかい女《おんな》の人《ひと》がでてきた。かみの毛をきりきりっとうしろにしぼった、元気《げんき》そうな女《おんな》の人《ひと》だった。この家《いえ》のむすめさんらしい。新《あたら》しいへやができるのをよろこんでいるという男《おとこ》の子《こ》の、ねえさんなのだろう。
「はい、どうもありがとうございます。」
クラさんは、ちょっと顔《かお》を赤《あか》くして、きちんとへんじをした。そのまま、けずりかけの 板《いた》をしあげてから、かんなくずを足《あし》でかたよせて、こしをおろした。
「はい、クラタさん。」
むすめさんは、お茶《ちゃ》をつぎながら話《はな》しかけた。クラさんの本名《ほんみょう》は倉田《くらた》というんだ。
「クラタさんって、いつもたのしそうにお仕事《しごと》をしているのね。」
「はあ。」
クラさんは、目《め》をあげた。
「きょうは日曜日《にちようび》なのに、大工《だいく》さんって、お休《やす》みしないの。」
「はあ、つまりその、休《やす》みは第《だい》一|日曜《にちょう》と、第《だい》三|日曜日《にちようび》なんで、だから。」
クラさんは目《め》をぱちぱちさせて、お茶《ちゃ》をすすった。
「そんなにはたらいて、つかれないのかしら。」
「お、おれは、その、あれなんです。この大工《だいく》て仕事《しごと》が大《だい》すきなもんで、た、たまに休《やす》んだりすると、つまらなくて、ぼんやりしちまうんだね。」
「えらいわねえ。あたしなんか、おつとめしてても、日曜日《にちようび》がまちどおしくてたまんないのにねえ。」
クラさんは、こまったように、またすこし顔《かお》を赤《あか》らめた。どう見《み》ても、クラさんのほうがむすめさんより年上《としうえ》だが、話《はなし》をきいていると、まるでぎゃくのようだった。
「あたしは、きっと、クラタさんみたいに自分《じぶん》の仕事《しごと》がすきじゃないんだわ。だからすぐにくたびれるのね。」
むすめさんはそういって、ひとりでくすりとわらった。
「クラタさんって、うでがいいんですってね。それに、よく勉強《べんきょう》してるって。このまえ、親方《おやかた》さんがきて、ほめてたわよ。」
「ベ、勉強《べんきょう》ってこともないけどね。」
「だって、ついこのあいだ建築士《けんちくし》の試験《しけん》うかったんでしょ。学校《がっこう》でても、なかなかむずかしいっていうのに。ちゃあんときいちゃった。」
「そ、そりゃあ、どうも。」
クラさんは、茶《ちゃ》わんをおいて、かんなくずを手《て》にとると、両手《りょうて》でもんだ。
「こ、これからの大工《だいく》は、た、ただうでがいいだけじゃ、いけないとおもってね。つまり、その、もっといろんなことを知《し》ってなきゃ……。」
クラさんは、むすめさんのほうを見《み》ないで、もそもそとそんなことをいった。むすめさんは、にこにこして、いきなり話《はなし》をかえた。
「この仕事《しごと》、あとどのくらいかかるの。」
「そうですね、え、あと十日《とおか》もあれば、ほとんどできます。」
仕事《しごと》の話《はなし》になれば、クラさんもどもったりはしない。なにをきかれたって、びくともしない。
「かべも、できる?」
「だいじょうぶです。左官屋《さかんや》には話《はなし》をしてありますから。」
「電気《でんき》もつく?」
「もちろんです。電気屋《でんきや》は、あさってはいります。」
家《いえ》をたてるときは、大工《だいく》さんのほかにも、いろいろな仕事《しごと》をする人《ひと》たちがあつまる。そして、いつごろ、どんな仕事《しごと》をしたらいいか、さしずをするのは、いつでも大工《だいく》の役目《やくめ》なのだ。
柱《はしら》が組《く》みおわったころ、屋根屋《やねや》がはいり、かべの下地《したじ》ができたころに、電気屋《でんきや》・水道屋《すいどうや》・ガス屋《や》がはいる。それから、かべをぬる左官屋《さかんや》がはいる。タイル屋《や》なども、あとのほうにやってくる。そして、おしまいごろに建具屋《たてぐや》がやってくる。
この手順《てじゅん》がうまくないと、工事《こうじ》はぐうんとおくれてしまう。大工《だいく》は、こういう職人《しょくにん》のチームの、キャプテンのようなものだ。キャプテンがもたもたしていると、ほかの職人《しょくにん》もついてこない。クラさんは、年《とし》はわかいが、りっぱなキャプテンぶりで、みんなから信用《しんよう》されていた。
やがて、むすめさんは、お茶《ちゃ》の道具《どうぐ》をもってひきあげていった。クラさんは、さっとこしをあげて、また仕事《しこと》にとりかかった。コロボックルのヒノキノヒコのトギヤくんも、なにかうなずきながら、ひきあげていった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
それから十日《とおか》たったら、クラさんのいったとおり、つぎたしのへやは、りっばにできあがった。
きっと、あまりお金《かね》がなかったのだろう。つかわれた材料《ざいりょう》も、あまり上等《じょうとう》ではないし、小《ちい》さなへやだったが、クラさんは、そんな仕事《しごと》でも、ちっとも手《て》をぬかないから、しっかりしたいいへやになった。
すっかりできあがって、あとかたづけをしているクラさんのそばに、その家《いえ》のおばさんがついて、あれこれとてつだいをしていた。にこにこしたきさくなおばさんで、もちろんいつかのむすめさんのおかあさんだ。目《め》もとがそっくりだな、と、クラさんはこの親子《おやこ》を見《み》るたびにおもう。
「ほんとに、きれいなへやができたねえ。」
おばさんは、うれしそうに、何度《なんど》も何度《なんど》も、おなじことをくりかえしていた。クラさんは、だまって手《て》ぼうきをつかっていた。
クラさんは、そのとき、ぼんやりとめずらしく考《かんが》えごとをしていた。
(そういえば、ここで仕事《しごと》をしているあいだに、おかしなことが何回《なんかい》かあったな――ほんとうは一|回《かい》きりだったのだが、クラさんは、何回《なんかい》もあったような気《き》がしていた――ちっぽけな、虫《むし》みたいなやつがとびだしてきて、おれのことを、いい大工《だいく》だなあ、なんていった。ふん、あれはなんだろ。もしかしたら、たくみ[#「たくみ」に傍点]の神《かみ》のお使《つか》いかもしれんな。ふん、だけど、そんなことって、この世《よ》にあるかどうか。――まあいい。もしあれが、神《かみ》さまのお使《つか》いだとしたら、ますますおれは、しっかりうでをみがかんといかん。そうしないと、せっかく神《かみ》さまにかわいがられているのに、もうしわけないからな――。)
「……ねえ、そうでしょう。」
「はあ?」
クラさんは、びっくりしておばさんの顔《かお》を見《み》た。なにか話《はな》しかけられたらしいのだが、クラさんはきいていなかった。
「まあ、クラさんって、ほんとに、仕事《しごと》にかかると、むちゅうになっちまうのね。こんなあとかたづけみたいな仕事《しごと》でも。」
「いやあ、その、ちょっと考《かんが》えごとをしてたもんで、すみませんでした。なにか――。」
「いやね、あんたは、まだひとりもんだってきいたけど、およめさんのあては、どうなのさ。やくそくした女《おんな》の人《ひと》でも、いるのかい。」
「そ、そんな、どうもこまっちまうな。お、おれは、まだ、そんなこと考《かんが》えてもいませんよ。」
クラさんは、あわてて手《て》をふった。
「いや、いけませんよ。いいうでをもっているんだから、もうおよめさんをもらって、一人《いちにん》まえになりなさいよ。親方《おやかた》も心配《しんぱい》していましたよ。」
「だ、だって。」
クラさんは赤《あか》くなって、やけにほうきをつかった。
「お、おれみたいなぼくねんじんのところへなんか、よめにきてくれる女《おんな》の人《ひと》はいませんよ。いまどきの女《おんな》の子《こ》は、なにしろ、その、かっこいいのばっかりねらうでしょう。」
「そんなこと、いうもんじゃありませんよ。あんたさえよければ、わたしに心《こころ》あたりがあるんだから。おしつけるわけではないけど、あんたなら、およめにいきたいっていう子《こ》があるのよ。」
「よわっちまったな。」
クラさんは頭《あたま》をかいた。
「まあ、いい人《ひと》がいたら、お世話《せわ》してください。」
そのとき、クラさんの目《め》のまえの、ほうきではきよせられたかんなくずの中《なか》に、このまえ見《み》たのとおなじ、小《ちい》さな、神《かみ》さまのお使《つか》いのような人《ひと》がすがたを見《み》せた。その人《ひと》は、ひゅうっとクラさんのかたにとびうつってきて、こんなことをささやいたのだ。
――おばさんのいっているのは、自分《じぶん》のむすめのことだよ。おれは、ちゃんと知《し》ってるんだ。もらっちまえよ、クラさん! ――
クラさんは、あきれかえって、自分《じぶん》のかたへそっと手《て》をやった。そして、なにもいないのがわかると、かんなくずをはらうようなしぐさをして、ごまかした。
これでどうやら、ヒノキノヒコのトギヤくんも、自分用《じぷんよう》の「かくれ家《が》」をさがすことになりそうだった。
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
人形《にんぎょう》のすきな男《おとこ》の子《こ》
[#ここで字下げ終わり]
竜也《たつや》は土曜日《どようび》もたったひとりで、そっと学校《がっこう》の門《もん》をでた。
おなじ道《みち》をかえる子《こ》がいないわけではない。うらの家《いえ》の樹《みき》ちゃんなんかは、おなじ四|年生《ねんせい》の、しかも同級生《どうきゅうせい》だ。竜也《たつや》とは、赤《あか》んぼのころからの友《とも》だちといっていい。だが、その樹《みき》ちゃんさえ、さっさとさきにかえってしまった。
竜也《たつや》の家《いえ》の近所《きんじょ》には、男《おとこ》の子《こ》がごちゃごちゃいる。ついこのあいだまでは、竜也《たつや》もその中《なか》の一人《ひとり》で、毎日《まいにち》、たばになってわいわいさわぎながら学校《がっこう》へかよっていた。
ところが、この一|週間《しゅうかん》ぐらい、竜也《たつや》は学校《がっこう》へいくのもかえるのも、たったひとりだった。だれも竜也《たつや》をさそわないし、竜也《たつや》のほうもみんなと顔《かお》をあわせないように、苦心《くしん》していた。わざわざ、まわり道《みち》をしたり、路地《ろじ》から路地《ろじ》へぬけたりして学校《がっこう》へかよっている。
そんな、まるで女《おんな》の子《こ》がいじめっ子《こ》をさけるみたいなだらしないことを、竜也《たつや》はなぜ一|週間《しゅうかん》もつづけているか。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
竜也《たつや》は、けっしてよわむしではない。四|年生《ねんせい》としては大《おお》きいほうだし、とてもすばしこい。足《あし》もはやいし、からだがやわらかくて、「さかだち転回《てんかい》」だって、ほとんどできる。正《ただ》しくは前方回転《ぜんぽうかいてん》のことだ。
「ほとんど」というのは、着地《ちゃくち》のあとに、きまってしりもちをつくからだが、それにしても空中《くうちゅう》ででんぐりがえしをうつなんて、なかなかどきょうのいることなのだ。四|年生《ねんせい》では三|人《にん》しかこれができない。
勉強《べんきょう》だって、そんなにわるいほうではない。委員《いいん》選挙《せんきょ》のときに、ちらほら票《ひょう》がはいることもある。もっとも当選《とうせん》したことはないが。
いたずらは、だれにもまけない。だいたい竜也《たつや》の友《とも》だちは、みんな年上《としうえ》の子《こ》ばかりだった。二|年生《ねんせい》のころから、もうそのころの六|年生《ねんせい》のなかまにはいって、なにをやっても、おみそにはならなかった。がき大将《だいしょう》がちゃんと竜也《たつや》をみとめて、一人《にん》まえにあつかってくれたのだ。
そこへいくと、おない年《どし》の樹《みき》ちゃんなんか、ついこのあいだまで半人《はんにん》まえだった。それで樹《みき》ちゃんは、自分《じぶん》より年下《としした》の子《こ》ばかりあつめて、その大将《たいしょう》がなってあそんでいた。こいつらは、野球《やきゅう》でいえば「二|軍《ぐん》」だ。竜也《たつや》はれっきとした一|軍《ぐん》選手《せんしゅ》だから、自分《じぶん》より年下《としした》の子《こ》とはあまりあそんだおぼえがない。
そんな竜也《たつや》が、なんでなかまの男《おとこ》の子《こ》たちの目《め》をさけて、こそこそとにげまわるようなみっともないことを一|週間《しゅうかん》もつづけているのか。
話《はなし》を一|週間《しゅうかん》まえにもどさなくてはいけない。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
一|週間《しゅうかん》まえ――土曜日《どようび》だった。竜也《たつや》は学校《がっこう》からかえると、いっぱいだされたしゅくだいをつくえの上《うえ》にひろげた。ひろげただけで、ちっとも手《て》がつかなかった。
(時間《じかん》はたっぷりある。あるけれども、いまやっておかないと、あしたの日曜日《にちようび》がつぶれてしまう。あしたはプラモデルを組《く》み立《た》てるんだ。四日《よっか》もまっているんだからな。でも、めんどうだな。いまあそびにいって、夜《よる》勉強《べんきょう》しようか。いや、そうするとテレビを見《み》そこなうし――。)
そんなことばかり考《かんが》えているものだから、時間《じかん》がむだにたっていった。時計《とけい》を見《み》ると、もう四|時《じ》をすぎている。
これはいけないとおもいなおして、どうやらしゅくだいを半分《はんぶん》ぐらいすませたころ、樹《みき》ちゃんの声《こえ》がした。
「タッちゃーん、あそぼう。」
まどの外《そと》でよんでいる。
(あいつ、しゅくだいはどうしたんだろ。また、にいさんにやってもらったのかな。)
樹《みき》ちゃんには中学生《ちゅうがくせい》のにいさんがいて、しゅくだいのわからないところは、みんなきいてしまうらしい。
「こんなことわかんねえのか、なんて、頭《あたま》をこづかれたりするけどな、おれ、がまんしてるんだ。だって、おそわったほうが、自分《じぶん》でやるよりはやいもんな。」
いつか、そんなことを話《はな》していたことがある。竜也《たつや》は、それをきいてうらやましいとおもった。竜也《たつや》には、にいさんもねえさんもいない。下《した》に妹《いもうと》が一人《ひとり》いるだけだ。妹《いもうと》では話《はなし》にならない。
「タッちゃーん!」
樹《みき》ちゃんの声《こえ》が大きくなった。
「うおーい。」
とにかくへんじをして、まどから首《くぴ》をだした。樹《みき》ちゃんは、かきねの外《そと》でにやにやしていた。
「おい、あそほうよ。はやくあそばないと、日《ひ》がくれちまうよ。」
「そうだな。」
竜也《たつや》が空《そら》を見《み》あげると夕《ゆう》やけがうっすらとかかりはじめた、美《うつく》しい秋《あき》の空《そら》があった。
「さあ、でてこいよ。」
「うん。」
竜也《たつや》は、めずらしくためらった。いつもなら、おもいきりよくばっととびだしていくところなのに。
それでも、げんかんにまわって、くつをつっかけた。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
「みんながまってるんだよ、ひろっぱで。シゲちゃんやタモちゃんなんかが。」
樹《みき》ちゃんは、竜也《たつや》とかたをならべて走《はし》りながらいった。
家《いえ》なみのはずれのひくいがけの下《した》に、ほんのちょっぴり広場《ひろば》があった。石《いし》けりあそびのまるい輪《わ》が、ちょうどいい大《おお》きさでかけるくらいの広《ひろ》さしかない。だが、竜也《たつや》の近所《きんじょ》の子《こ》は、たいていここにあつまる。
「やあ。」
がき大将《だいしょう》のシゲちゃんが、がけにこしかけて、足《あし》をぶらぶらさせていた。五、六|人《にん》のわんぱくなかまが、がけの上《うえ》からひろっぱにむかって、一人《ひとり》ずつ順《じゅん》にとびおりていた。
竜也《たつや》は、そのときに気がつかなくてはいけなかった。なんとなく、いつもとちがう空気《くうき》だったからだ。シゲちゃんはばかにあいそがいいのに、ほかのなかまはなんとなくかたくなっているようなところが見《み》えた。
「おれたち、いま『とびっくら』をやってるんだ。だれがいちばん遠《とお》くまでとべるかってな。タッちゃんもやってみな。」
「ああ。」
そういうことは、竜也《たつや》のとくいなことだった。五|年生《ねんせい》のタモちゃんにも、もしかしたら 六|年生《ねんせい》のシゲちゃんにも、まけないかもしれなかった。
「ようし。」
だれだって、自分《じぶん》のとくいなことを、みんなのまえでやってみせるのはうれしい。竜也《たつや》は、二、三|人《にん》とびおりるのを見《み》て、歯《は》がゆくなった。みんな、力《ちから》げっぽいとんでいるように見《み》えるのだが、たいしてとべない。
「ようし。」
もう一|度《ど》声《こえ》をかけて、がけにのぼった。がけの高《たか》さは一メートルほどはある。そこからとぼうとすると、シゲちゃんがいった。
「ちがうちがう。もうちょっとこっちだ。ここがスタート台《だい》だ。」
そして、竜也《たつや》の足《あし》の位置《いち》をなおした。
「さあ、やれ。きっとタツちゃんが一|番《ばん》だろうって、みんなでいったんだ。」
竜也《たつや》はとんだ。だれよりも遠《とお》くへとんで、あっといわせてやろうとおもって、とんだ。
そして、たくみにつくってあったふかい大《おお》きなおとしあなに、むねまですっぽりとはまりこんだ。
いっしゅん、竜也《たつや》はぼんやりした。シゲちゃんをはじめ、なかまたちが手《て》をうってはやしたてた。ぴょんぴょん、とびあがったやつもいた。樹《みき》ちゃんだった。
竜也《たつや》なら、きっととびそうなところへ、じょうずにつくったおとしあなだった。ていねいに水《みず》までいれたとみえて、中《なか》はどろどろのおしるこのようになっていた。
そこへ、高《たか》いところからおもいきりとびこんだのだから、竜也《たつや》はむねまでどろだらけになった。
(やったな!)
声がでなかった。あなから、もがくようにしてはいあがった。頭《あたま》の中《なか》が、かっとあつくなった。
いきなりがけっぶちへかけていくと、わらっているシゲちゃんの両足《りょうあし》をもってひきずりおろした。
「なにするんだ!」
シゲちゃんは、ゆだんしていたからたまらない。頭《あたま》からがけの下《した》へおちた。そのいきおいで、竜也《たつや》はシゲちゃんをおとしあなまでひきずっていくと、さかさまにつっこんだ。ぎゃっというような声《こえ》がした。
わんぱくなかまたちは、足《あし》がすくんだように、じっと動《うご》かない。どろだらけのものすごい顔《かお》で竜也《たつや》はみんなをにらみまわし、さっと手《て》をのばして、樹《みき》ちゃんのえり首《くび》をつかまえた。
「な、なんだよ、よせよ。おれは、ただ、いわれたとおりに……。」
「なにを! おまえがうまいこといって、おれをさそいだしたんじゃないか。」
樹《みき》ちゃんは、青《あお》い顔《かお》をして竜也《たつや》の手《て》をふりもごうとした。けれども竜也《たつや》は、樹《みき》ちゃんをかかえて、ずでんどうとなげたおし、力《ちから》いっぱいけとばそうとした。
そのとき、竜也《たつや》はうしろからつきとばされた。ようやくおとしあなからはいあがったシゲちゃんがいた。
「このやろう、ふてえやろうだ。」
シゲちゃんは、どろだらけの顔《かお》を、うででしごくようにふきながらあえいだ。
「自分《じぶん》がぼんやりだから、ひっかかったんじゃねえか。なんでえ、もうおまえなんかなかまにいれねえぞ!」
「くそったれ!」
竜也《たつや》はいった。
「おれは、こ、こんな、ひきょうなやつらのなかまになんか……。」
あまりおこっているので、うまく口《くち》がまわらなかった。
「いったな。」
シゲちゃんはそうどなったが、さすがにもう手《て》はださなかった。いま竜也《たつや》ととっ組《く》みあいをすれば、どっちが勝《か》つかわからない。なにしろ竜也《たつや》は、ストーブみたいにがんがんにおこっていた。
おびえたようにじっとしそいるなかまたちのほうを、シゲちゃんはふりむいた。
「もうこいつにはかまうな。こんどなまいきなことをしたら、みんなでやっつけてやろう。」
それから、わざと元気《げんき》な声《こえ》でつけくわえた。
「かえろ、かえろ。あしたは、みんなでドッジボールをしようぜ。」
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
それで、竜也《たつや》はなかまはずれになった。
土曜日《どようび》の夜《よる》から日曜日《にちようび》いっぱい、くやしくてくやしくて、なみだがでた。上《うえ》から下《した》までどろんこになってかえってきたものだから、おかあさんにもしかられた。
もう勉強《ぺんきょう》どころのさわざではないから、しゅくだいもやらなかった。むしゃくしゃしながらプラモデルをつくったが、うまくいかなくてすててしまった。
月曜日《げつようび》の朝《あさ》、シゲちゃんは、学校《がっこう》へいく竜也《たつや》をまちぶせしていて、こういった。
「やい、タツ公《こう》。あやまれ。あやまらないとなぐるぞ。」
「へん。」
竜也《たつや》は目《め》をきらきらさせてこたえた。
「あやまるのは、そっちじゃないか。なぐるならかってになぐれ。」
そのけんまくにおどろいたか、シゲちゃんは口《くち》でおどかした。
「いったな。そんなになぐられたいなら、そのうちになぐってやらあ。いいか、用心しろよ。いつやるかわからないぞ。そのへんでうろうろしてると、あぶねえぞ。」
「いいさ、かってにしろ。」
竜也《たつや》もそうこたえて、さっさとあるきだした。しばらくいくと、どこからかビューンと小石《こいし》がとんできて、電信柱《でんしんばしら》があたった。ぎょっとしてふりむいたが、だれもいなかった。
(こんちくしょう!ひきょうだぞー)
いそいで竜也《たつや》も小石《こいし》をひろった。右手《みぎて》に一つ、左手《ひだりて》に二つ、合計《ごうけい》二つの小石《こいし》をもって学校《がっこう》へいった。
学校《がっこう》では、いやでも樹《みき》ちゃんと顔《かお》があう。だが、「二人《ふたり》とも口《くち》をさかなかった。しゅくだいを半分《はんぶん》しかしていなくて、竜也《たつや》が先生《せんせい》にしかられたとき、樹《みき》ちゃんがにやっとしたような気《き》がして、ますますおもしろくなかった。
火曜日《かようび》。学校《がっこう》がおわって、竜也《たつや》が校庭《こうてい》を門《もん》のほうにあるいていくと、五|年生《ねんせい》のタモちゃんのすがたがちらりと見《み》えた。校門《こうもん》の外《そと》に、二、三|人《にん》でかくれているらしい。
竜也《たつや》は、わすれものをしたようなふりをして、ゆっくりと昇降口《しょうこうぐち》にもどり、そこから用務員室《ようむいんしつ》をかけぬけて、うら門《もん》へでた。そして、自分《しぶん》の家《いえ》のあるほうとは反対《はんたい》の町《まち》へにげた。
大《おお》まわりしてかえることにしたのだ。ついでに、町《まち》のおもちゃ屋を《や》のぞいた。竜也《たつや》は、プラモデルがすきだから、なにか新型《しんがた》のキットがでていないかなとおもった。
町《まち》には、プラモデル=キットを売《う》っている店《みせ》が三げんある。竜也《たつや》は、いつも自分《じぷん》の家《いえ》のちかくの小《ちい》さな店《みせ》か学校《がっこう》まえの文房具屋《ぶんぼうぐや》で買《か》う。駅前《えきまえ》通《どお》りのこの大《おお》きなおもちゃ屋《や》には、めったにこない。ここにはいちばんたくさん種類《しゅるい》があったが、みんなねだんの高《たか》いものばかりなのだ。
長《なが》いこと時間《じかん》をかけて、ショーケースの中《なか》のプラモデルを見《え》てまわった。ちょっと気《き》にいったのは、一人《ひとり》のり潜水艇《せんすいてい》だった。電池《でんち》をいれて水《みず》に走《はし》らせると、ほんとうにもぐるらしい。モーターをいれて七百三十|円《えん》もする。
(ええと、ぼくの貯金《ちょきん》は、いま千二百七十|円《えん》か。買《か》えないこともないな。)
わんぱくなかまにねらわれていることを、ふとわすれた竜也《たつや》は、そんなことを考《かんが》えた。そして、うら通《どお》りからうら通《どお》りをつたって、家《いえ》にかえった。
水曜日《すいようび》は、なにごともなかった。小石《こいし》もぶつけられなかったし、校門《こうもん》でまちぶせされることもなかった。あいかわらず竜也《たつや》は用心《ようじん》しいしい、たったひとりで、うら道《みち》づたいに学校《がっこう》へかよった。学校《がっこう》では、樹《じゅ》ちゃんと顔《かお》をあわせても口《くち》をさかなかった。
さすがの竜也《たつや》も、あそび相手《あいて》はなし、気《き》をはりつめていなければならないし、ちょっとばかりうんざりしていた。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
金曜日《きんようび》は、朝《あさ》から雨《あめ》がふっていた。
竜也《たつや》は、もともと雨《あめ》がすきだった。ひどいいたずらこぞうのくせに、家《いえ》の中《なか》で雨《あめ》の音《おと》をききながら本《ほん》を読《よ》んだり、プラモデルをつくったりするのもすきなのだ。だから、朝起《あさお》きて雨《あめ》の音《おと》をきいたとき、なんとなくほっとするおもいだった。
(そうだ、きょうのかえりに、町《まち》のおもちゃ屋《や》へよって、あのプラモデルを買《か》っちゃおう。)
そう考《かんが》えたので、自分《じぶん》のお金《かね》をポケットにいれて家《いえ》をでた。
そのくせ、かえり道《みち》で町《まち》の大《おお》きなおもちゃ屋《や》にはいったとき、竜也《たつや》はまだ決心《けっしん》がつかなくて、プラモデルを買《か》うまえに、ぐるっと店《みせ》の中《なか》をあるいた。すると、目《の》にとまったものがあった。
たなのおくに、見《み》たこともないようなかわいい人形《にんぎょう》があった。大《おお》ききは二十センチくらいで、その三|分《ぶん》の一が頭《あたま》だ。ふっくらとほっべたがふくらんで、小《ちい》さい鼻《はな》は天《てん》じょうをむいている。大《おお》きな目《め》をいっぱいにあけて、口《くち》もとをちょっとひんまげていて、そこからしたのさきがちょっぴりのぞいている。まゆげのかたほうが、きゅっとつりあがっているの だが、それで顔《かお》ぜんたいはものすごくかわいらしく、いまにも口《くち》をとんがらせて、なにか おしゃべりをしそうな気《き》がする。服《ふく》はきていない。はだかんほうだった。
(こんな人形、《にんぎょう》はじめてだな。)
竜也《たつや》は、そっと手《て》をのばして、人形《にんぎょう》を手《て》にとった。やわらかい上等《じょうとう》のビニールでできているらしく、手《て》ざわりが気《き》もちいい。首《くび》のうしろにねふだがさがっていた。ひっくりかえしてみると、五百|円《えん》だった。
竜也《たつや》は、ため息《いき》まじりつぶやいた。自分《じぶん》の貯金《ちょきん》から、きっちり七百三十|円《えん》もってきたのだから、プラモデルを買《か》えば、どうせほかにはなにも買《か》えない。それなのにざんねんだった。
やがて、ようやく心《こころ》をきめて、七百三十|円《えん》の一人《ひとり》のり潜水艇《せんすいてい》のプラモデルを買《か》って、店《みせ》をでた。
雨《あめ》はまだふっている。かさをさしてあるきながら、竜也《たつや》は考《かんが》えた。
(あの人形《にんぎょう》、すごくかわいかったな。もう一|度《ど》見《み》てくればよかった。)
そして、ふと足《あし》をとめた。きゅうに、どうしてももう一|度《ど》見《み》たくなったのだ。それでまた店《みせ》へもどった。
たなから人形《にんぎょう》とってながめると、ますます竜也《たつや》は気《き》にいった。この人形《にんぎょう》をじっとながめていると、近所《きんじょ》のわんぱくなかまから、なかまはずれにされていることなど、なんでもないことのようにおもわれた。
「あのう。」
竜也《たつや》は、おもいきって店《みせ》の女《おんな》の人《ひと》に、プラモデルのつつみをさしだしながらいった。
「ぼく、さっきこれ買《か》ったんだけど、こっちの人形《にんぎょう》ととりかえてくれない?」
「あらま。」
女《おんな》の人《ひと》はそういうと、たいしてめんどくさがりもせず、プラモデル売《う》り場《ば》へいって、二百三十|円《えん》もどしてくれた。それから、ボール紙《がみ》のはこに人形《にんぎょう》をいれて、きれいにつつんでくれた。
「はい、ぼうや、この人形《にんぎょう》、そんなに気《き》にいったの?」
「う、うん。」
竜也《たつや》は、まっかになった。よく考《かんが》えてみれば、まったくおかしなことだった。
近所《きんじょ》じゅうの男《おとこ》の子《こ》をむこうにまわして、何日《なんにち》もつめたいけんかをしているほどのたいへんないたずらこぞうが、一|度《ど》買《か》ったプラモデルをかえしてまで、人形《にんぎょう》を買《か》ったのだ。
(これを、妹《いもうと》のやつにみつかったら、いったいなんていわれるだろう。)
竜也《たつや》は店《みせ》をとびだして、表通《おもてどお》りをいちもくさんに家《いえ》にかえった。雨《あめ》のせいか、だれにもであわなかった。
人形《にんぎょう》は、自分《じぶん》のつくえの下《した》にかくした。
そして、また土曜日《どようぴ》になったのだ。
竜也《たつや》は、その日《ひ》もたったひとりで学校《がっこう》からかえった。雨《あめ》はすっかりあがって、きれいな 秋晴《あきば》れだった。
うら通《どお》りをすたすたあるいていると、うしろからだれかがかけてくる足音《あしおと》がした。竜也《たつや》はすばやく家《いえ》のすきまにとびこみ、表通《おもてどお》りへぬけた。そこから、またすぐ反対《はんたい》がわの路地《ろじ》へはいって、べつのうら道《みち》へでた。だれもいなかった。
と、いきなりまがり角《かど》から、ばらばらっと五、六|人《にん》の男《おとこ》の子《こ》がとびだしてきて、あっというまに竜也《たつや》をかこんだ。もちろん、シゲちゃんたちのなかまだった。さすがの竜也《たつや》もふいをつかれて、にげるひまがなかった。かくごはしていたものの、こうしてみんなにとりかこまれてみると、ぶるぶると胴《どう》ぶるいがした。
「やい。」
シゲちゃんが、一|歩《ぽ》まえにでていった。
「おまえ、なぐるならかってになぐれっていったな。」
「ああ。」
こうなったらしかたがない。いくら竜也《たつや》があばれたって、五|人《にん》――いや六|人《にん》もいるんでは、とてもかなわない。
「なぐりたきゃ、なぐれ。でも、おれはあやまらないぞ。あやまるのはそっちだ。」
すると、シゲちゃんが、ふいににやっとわらった。そして、こんなことをいった。
「タツ公《こう》、おまえってやつは、ほんとうにごうじょっぱりだな。でも、よく考《かんが》えてみりゃ、たしかにおれたちがわるかったんだ。おまえをさそいだして、わざわざおとしあなにとびこませたんだからな。」
竜也《たつや》は、めんくらっていた。
「だからさ、おれ、あやまるぜ。ごめんな。」
シゲちゃんはそういって、ほんのもうしわけみたいに頭《あたま》を動《うご》かした。それでさげたつもりらしい。竜也《たつや》はどうしていいかわからずに、まだむすっとしていた。
「おい、おれは代表《だいひょう》であやまってるんだぜ。なんとかへんじをしろよ。」
竜也《たつや》は口《くち》ごもりながらいった。
「あんなことされれば、だれだって頭《あたま》にくるよ。」
「ふふふ、まったくだ。」
シゲちゃんは、おとなのようないい方《かた》をしてわらった。
そのとき、家《いえ》のかげから、背《せ》の高《たか》い少年《しょうねん》がでてきた。中学生《ちゅうがくせい》のおチャちゃんだった。むかしのがき大将《だいしょう》だ。
「なあ、タッちゃん。」
おチャちゃんは、竜也《たつや》のかたをたたいていった。
「話《はなし》はシゲからくわしくきいたけどな、あのあそびは、むかし、おれもやったことがあるんだ。それで、やっぱりひどいけんかになっちゃってね、あのときもこまったよ。」
そして、にこにこした。
「シゲにその話《はなし》をしたら、さっそくまねをしやがった。だから、おれにも責任《せきにん》がある。どうだね、おれをゆるしてくれるかい。」
竜也《たつや》はあわてた。なるほど、どうもいきなり話《はなし》がうまくいくとおもったら、この人があいだにはいってくれたのか、と、やっと気《き》がついた。
「そ、そんな、おれ、もうどうでもいいや。おれだって、ぼんやりしてたから、ひっかかったんだもんね。それに、あとでめちゃくちゃやってるし。なあ、樹《みき》ちゃん。」
「うん。」
樹《みき》ちゃんも、てれくさそうにわらった。一|週間《しゅうかん》ぶりで、二人《ふたり》は口《くち》をきいた。
「おれがさそいにいったんだから、しかたがないよ。でも、ほんとうにうまくひっかかったねえ。」
「ちぇっ。」
竜也《たつや》は、おもわず顔《かお》をしかめた。みんなは、あのときの竜也《たつや》のすがたをおもいだしたとみえて、にやにやした。
「あとでドッジボールするから、タッちゃんもこいな。」
シゲちゃんがいった。
「いくとも。おれ、ほんとをいうと、一週間《しゅうかん》なかまはずれだったから、あそびたくてうずうずしてるんだ。」
「しゅくだいはやらないのかい。」
よこから樹《みき》ちゃんが口《くち》をだした。
「そんなもの、あしただ。あしたは日曜日《にちようび》だ!」
すると、おチャちゃんがいった。
「わからないところがあったら、おれのところへききにこい。教《おし》えてやるぞ。」
この人《ひと》、にいさんみたいだな、と竜也《たつや》はおもった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
家《いえ》にかえってみたら、つくえの上《うえ》にあの人形《にんぎょう》のはいったはこがのっていた。たしかにかくしておいたはずなのに。竜也《たつや》はそれを見《み》てぎょっとした。
そこへ、妹《いむうと》がとんできた。
「おにいちゃん、ごめんね、とてもがまんできなくて、あけてみちゃった。すてきね。すてきにかわいい人形《にんぎょう》ね。あたし、うれしくてたまんない。どうもありがと、おにいちゃん。」
いきなり、妹《いもうと》にそういわれて、竜也《たつや》はあわてた。
「ばか、おまえにやるなんて、ひとこともいってないぞ。」
「あら、だめよ。もうわかっちゃったんだもん。あしたまでかくしておくつもりだったんでしょ。でも、もうだめだわ。」
(あした? あしたって、なんの日《ひ》だ。あしたは日曜日《にちようび》で、十|月《がつ》の――あっ。)
あっと気《き》がついた。妹《いもうと》のたんじょう日《び》だったのだ。だから妹《いもうと》は、なにかプレゼントがしまってないかとおもって、あちこちさがしたにちがいない。そして、この人形《にんぎょう》をみつけてしまったのだ。
いまさら、いいわけするのもおかしい。おまけに、人形《にんぎょう》がほしくてプラモデルをかえして買《か》ってきたんだなんて、口《くち》がさけても妹《いもうと》なんかにはいいたくない。竜也《たつや》はあっさりあきらめた。
「だけどな、かってにこのへんをかきまわしちゃいけないぞ。そんなことしたら、もうプレゼントはやらないから。」
「ごめんごめん、ごめんなさーい。」
むやみやたらと、妹《いもうと》は頭《あたま》をさげた。きょうはよく人《ひと》からあやまられる日《ひ》だな、と竜也《たつや》はおもった。そうおもったらおかしくなった。
竜也《たつや》は、はこから人形《にんぎょう》をとりだして、おおっぴらにながめた。
たしかにかわいい人形《にんぎょう》だった。五百|円《えん》もしただけのねうちはある。人形《にんぎょう》をじっとながめながら、竜也《たつや》はおもしろいなあ、とおもった。
(まあいいや。おれは男《おとこ》の子《こ》なんだし、人形《にんぎょう》をつくえの上《うえ》にかざるわけにもいかないだろう。よし、こんどはもっともっと小《ちい》さくて、おまもりになるくらいの小《ちい》さな人形《にんぎょう》で、これとおなじくらいかわいい、おかしな人形《にんぎょう》をさがそう。もし、どこにも売《う》っていないなら、自分《じぶん》でつくっちまえばいい。この人形《にんぎょう》を手本《てほん》にしてな……。)
そのとき、竜也《たつや》のつくえの上《うえ》の、ふで立《た》てのうしろに、ちょうどいま竜也《たつや》の考《かんが》えたような小《ちい》さい人形《にんぎょう》が一つ立《た》っていた。
その人形《にんぎょう》は、生きて動《うご》いて口《くち》をきく人形《にんぎょう》――はっきりいえば、日本《にっぽん》のふしぎな小人《こびと》、コロボックルの少年《しょうねん》だった。まだ、ほんの子《こ》どもで、そう、人間《にんげん》でいえば竜也《たつや》ぐらいの男《おとこ》のコロボックルだった。
コロボックルの少年《しょうねん》は、きのう竜也《たつや》が買《か》った人形《にんぎょう》といっしょに、この家《いえ》へやってきた。人形《にんぎょう》と、このコロボックルの顔《かお》は、びっくりするほどよくにていた。そのことに気《き》がついたコロボックルのなかまたちが、この人形《にんぎょう》のうしろに、少年《しょうねん》の「かくれ家《が》」をつくってやり、どんな人間《にんげん》がこの人形を買《にんぎょうか》うか、一月《ひとつき》もまえからたのしみにしていたのだ。
そうしたら、おもいがけないことに、男《おとこ》の子《こ》の竜也《たつや》が買《か》った。コロボックルの少年――クヌギノヒコは、竜也《たつや》を見《み》ながら、こんなことを考《かんが》えていた。
(この子は、らんぼうな男《おとこ》の子《こ》だけど、やさしい心《こころ》ももっている。もし、ぼくがこの子のまえへとびだしていったら、どうするだろう。ぼくと友《とも》だちになってくれるだろうか。)
そして、なんとかこの人間《にんげん》の男《おとこ》の子《こ》と、なかよしになりたいものだと、むねをわくわくさせていた。
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
百|万人《まんにん》にひとり
[#ここで字下げ終わり]
ウメノヒコじいさんが、人間《にんげん》の友《とも》だちをもった、ときいて、おどろかないコロボックルはひとりもいなかった。
むりもない。このじいさんには、「つむじ」というよび名《な》があるくらいで――つむじ風《かぜ》のつむじではない。つむじまがりのつむじ――わかいころからつむじまがりのへそまがり、というひょうばんのコロボックルだった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
せいたかさんたちの力《ちから》で、もう何年《なんねん》もまえに、コロボックルのすむ山《やま》がきちんとしたコロボックルの国《くに》になり、みんなが安心《あんしん》してくらせるようになっても、つむじのじいさんはまだこんなあくたれをいっていた。
「ふん、人間《にんげん》の力《ちから》をかりて、いつまで安気《あんき》なくらしができるかね。ふん、まったく、いまだって信《しん》じられないくらいじゃい。」
「というのは、せいたかさんも信用《しんよう》できないっていうことなのかい。」
わかいコロボックルが、半分《はんぶん》おこってそうきいたら、つむじのじいさんは、ひげの中《なか》の口《くち》をひんまげて、こうこたえた。
「ああいうのは、とくべつ人間《にんげん》っていうんじゃ。とくべつ人間《にんげん》が、いつの世《よ》にもいるとおもったら大《おお》まちがいだぞ、ばかもん。」
それで、「とくべつ人間《にんげん》」ということばが、コロボックルのわかものたちのあいだにはやったことがある。もっとも、このじいさんの心配《しんぱい》は、りくつにあっているのかもしれない。
とにかく、つむじのじいさんはかわりものだった。むかしっからひとりぐらしで、おなじウメノヒコを名《な》のるものたちからも、ぽつんとはなれていた。
狩《か》りにも、たったひとりでいく。ずいぶんあぶないところへも、へいきででかけていくので、当時《とうじ》の世話役《せわやく》(コロボックルの大統領《だいとうりょう》のような役目《やくめ》)だったモチノヒコ老人《ろうじん》が、だれかわかいものをつれていけ、と注意《ちゅうい》したことがある。だが、うんといわなかった。
「わしゃあ、ひとりがいいんじゃ。ひとりででかけりゃ、気《き》がちらんでいい。だいいち、犬《いぬ》にくわれようが、ねずみにかじられようが、だれにもめいわくはかからん。」
「おまえのへそまがりは、子《こ》どものころからよく知《し》っとるがね。」
と、そのとき世話役《せわやく》はいった。二人《ふたり》は、おさな友《とも》だちだった。
「もし、人間《にんげん》につかまったら、どうするつもりだ。」
すると、つむじのじいさえは、かえってむねをはってこたえた。
「ふん、おもしれえ。人間《にんげん》につかまるなんて、まったくおもしれえよ。わしゃ、いちど人間《にんげん》につかまってみてえとおもってる。」
ひどいつむじまがりだな、と、さすがの世話役《せわやく》さんもだまってしまったそうだ。だが、口《くち》ではあくたればかりいっているが、このじいさん、本心《ほんしん》はずいぶんちがう。
このあいだ、クルミノヒコというコロボックルが、人間《にんげん》につかまた大事件《だいじけん》のとき、人《ひと》の倍《ばい》もおろおろして、スクナヒコさまにおいのりしていたのは、みんなが知《し》っている。そのくせ、ぶじにもどってきたクルミノヒコをつかまえて、どなりつけた。
「このぼけ! しっかりしろい!」
クルミノヒコは、じいさんの気質《きしつ》を知《し》っているから、わらいながらだまって頭《あたま》をさげていたっけ。
もうかなりの年《とし》よりだが、もちろんつむじのじいさんが、人間《にんげん》につかまったりする心配《しんぱい》はなかった。それどころか、いまどきなかなか手《て》にはいらない、水晶《すいしょう》のかけらとか、うで時計《とけい》のぜんまいとか、銀粉《ぎんぷん》とか、馬《うま》のしっばの毛《け》とか、どこでみつけるのかわからないが、すごいえものをもってきて、おしげもなく近所《きんじょ》のものにくれてやる。
「あれ、じいさん。こんないいもの、もらってもいいのかい。」
そんなことをいったりすれば、すぐにむくれる。
「いらなきゃかえせ。」
そういって、ほんとにひったくりそうにするからこまってしまう。これではまるで子《こ》どもみたいだが、よく小言《こごと》をいうところは、やっぱり年《とし》よりだ。
「なあ、おまえたち、せいたかさんに、あんまりおんぶしちゃいかんぞ。あの人《ひと》にだって、できることとできねえことがある。むかしっから、わしらのほしいものは自分《じぶん》でさがして 手《て》にいれてきたんじゃからな。せいたかさんはとくべつ人間《にんげん》にはちげえねえが、コロボックルをなまけものにするかもしんねえからなあ。」
それこそよけいな心配《しんぱい》だが、じいさんはそうおもいこんでいたようだ。
じいさんのきげんのいいときは、まえの世話役《せわやく》モチノヒコ老人《ろうじん》のことを、じまんのたねにした。
「あいつもむかしはのろまでしょうがねえとおもったが、頭《あたま》はよかったな、うん。それであいつが、コロボックルの山《やま》を人間《にんげん》の手《て》からすくったんだ。この山《やま》は、もうちっとでひっくりかえされるところだったんだぞ。それをあいつは、ちえをしぼってたすけた。うん、たいしたやつだったなあ。」
その、モチノヒコ老人《ろうじん》が、あとをわかいヒイラギノヒコにゆずり、やがてなくなったとき、みんなのまえではぷりぷりしていた。
「あのやろう、さっさと死んじまいやがって、しようのねえやつだ。もうちっとまともに長生《ながい》きしたらどうだ。なんでえ、年《とし》はわしとおんなじじゃねえかい。」
そして、ひとりになったとき、ないた。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
そんなじいさんだから、コロボックルが、自由《じゆう》に山《やま》をでて、人間《にんげん》の中《なか》に自分《じぶん》の友《とも》だちをみつけてもよろしい、ということになると、たちまち、へん、とつむじをまげた。
「そんなことってあるか。せいたかさんやママ先生《せんせい》みてえな人間《にんげん》が、そうざらにいてたまるもんけえ。まったくなさけねえ話《はなし》じゃねえか。わしはいやだね。コロボックルは、むかしっから人間《にんげん》とはなれてくらしてきたんじゃい。それが、なんだと? 人間《にんげん》と友《とも》だちになるんだと? ふん、あまったれたこというな。そんなコロボックルがどこにあるか。友《とも》だちがほしけりゃ、コロボックルどうしでたくさんじゃい。」
このへんが、つむじまがりのつむじまがりらしいところで、そんなに反対《はんたい》なら、どんなことがあっても、自分《じぶん》だけは山《やま》をおりないぞ、と、がんばるところだろうに、かえって人間《にんげん》の中《なか》にとびこんでいく。どうもたいへんなつむじまがりである。
しかも、山《やま》をでるとき、みはりのクマンバチ隊員《たいいん》に、こういいのこしていった。
「『おきて』では、世話役《せわやく》さんの許可《きょか》をとっていなければ、町《まち》にすんではいけないんだったな。ところがわしはまだ、許可《きょか》をもらっておらん。おまえから世話役《せわやく》さんにあやまっておいてくれ。いずれ、すむところがきまったら、あいさつにもどってくる。」
それで、そのことはすぐに隊長《たいちょう》のスギノヒコに知《し》らされ、隊長《たいちょう》はすぐに世話役《せわやく》(ヒイラギノヒコ)に知《し》らせた。すると世話役《せわやく》は、にやにやしながらいった。
「そうか、つむじのじいさんがとびだしていったか。なるほどつむじまがりだな。しかし、ほうっておくわけにはいかん。『おきて』をやぶっているんだからな。だれかにいいつけて、じいさんの行《ゆ》きさきをさがさせろ。そう遠《とお》くへはいくまい。ただし、じいさんにはみつからないように。それから、じいさんをみつけても、そのままだまってもどってくるように。」
「それはもう手配《てはい》しました。」
クマンバチ隊《たい》の隊長《たいちょう》スギノヒコも、にやっとしてこたえた。
「じつは、隊員《たいいん》のひとりに、そういいつけてあとをつけさせました。」
「よしよし。」
世話役《せわやく》はうなずいた。
「あのじいさんときたら、まったくがんこでしょうがない。しかし、われわれにとっては、たいせつな長老《ちょうろう》である。先代《せんだい》の世話役《せわやく》さんの友人《ゆうじん》でもあるしな。あのじいさんはだいじにしてやらなければいかん。」
「わかっています。」
まじめな顔《かお》になった隊長《たいちょう》は、敬礼《けいれい》してもどっていった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
ところが、つむじのじいさんのやどは、なかなかきまらなかった。むりもない話《はなし》だ。
ふつうのコロボックルなら、人間《にんげん》の家《いえ》のどこかかたすみにじんどって、自分《じぶん》のかくれ家《が》にする。だが、もともとつむじのじいさんは、人間《にんげん》とつきあう気《き》もちなんてないから、人間《にんげん》の家《いえ》の中《なか》にはすむ気《き》がない。
はじめの夜《よる》は、町《まち》のうら通《とお》りの石《いし》がきのすきまでねた。しかし、あまりねごこちはよくなかったとみえて、つぎはりっぱなしばふの庭《にわ》におかれた、からっぽの犬小屋《いぬごや》でねた。この犬小屋《いぬごや》に犬《いぬ》がいなくなって、ずいぶんたつらしいのだが、それでもじいさんはぶつぶついった。
「どうも、やっぱり犬《いぬ》のにおいがする。」
それで、つぎの日《ひ》は、たばこ屋《や》のよこの空《あ》き地《ち》で、かれ草《くさ》のかげにねた。
「星《ほし》が見《み》えるな。『山《やま》』にいるときも、ときどきこうして、星《ほし》の見《み》えるところでねたもんじゃい。」
そういっていばっていたそうだが、春《はる》とはいえまだ三|月《がつ》だ。明《あ》け方《がた》はひえこんで、つらかったらしい。
「きょうも、新《あたら》しいやどさがしです。この調子《ちょうし》じゃ、あのじいさんのかくれ家《が》は、なかなかきまりそうもありません。いまちょっとじいさんが昼休《ひるやす》みのひるねをしているんで、報《ほう》告《こく》にもどったわけですが。」
あとをつけていったクマンバチ隊員《たいいん》は、隊長《たいちょう》にそういってわらった。
だが、ようやくのことで、つむじのじいさんの 「かくれ家《が》」はきまった。古《ふる》いうめの木《き》のみきに、ぽっくりあながあって、もぐりこんでみたら、あんがいと中《なか》は広《ひろ》く、かれ草《くさ》やわたをもちこんだら、すてきな家《いえ》になったらしい。入《い》り口《ぐち》にも、うめの木《き》の皮《かわ》でしっかりした戸《と》をつけた。
そのことも、すぐに知《し》らせがあったが、その報告《ほうこく》にきたクマンバチ隊員《たいいん》は、隊長《たいちょう》ど世話役《せわやく》のまえで頭《あたま》をかいた。
「どうもすみません。じいさんにみつかっちまいました。」
「ほう。」
世話役《せわやく》がおもしろそうな顔《かお》をした。
「あのじいさん、まったくゆだんがなりません。わたしがずっとあとをつけていたことを、ちゃんと知《し》っていたんです。それで、自分《じぶん》のかくれ家《が》がきまると、さっとわたしのまえにとびだしてきました。――ありゃ、たいへんなじいさんだ。」
おもわずそうことばをはさんで、あわててあとをつづけた。
「ええ、つまりこういうんです。『きみ、ごくろうだった。わしのすむところもきまったから、もう安心《あんしん》じゃろ。おきて≠ノしたがって、本来《ほんらい》ならばわしが世話役《せわやく》さんに報告《ほうこく》にもどらなきゃならんのだが、ものはついでだ、おまえさんからそういっといてくれ。』って。」
「ふふふ。」
世話役《せわやく》はわらった。そして手《て》をふった。
「いいよ。それで正式《せいしき》のとどけとしてみとめよう。じいさんのことばじゃないが、ものはついでだ。きみはときどきじいさんをみまってやってくれ。なるべく――そう、なるべくじいさんにはみつからんようにな。そっとしておくんだ。」
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
つむじのじいさんのすみついたうめの木《き》は、町《まち》の小《ちい》さな公園《こうえん》にあった。公園《こうえん》といったって、ほんのちっぽけなものだ。子《こ》どものあそび場《ば》といったほうがいい。がけ下《した》のわずかばかりの空《あ》き地《ち》に、ぶらんことすべり台《だい》と、てつぼうとすな場《ば》をつくっただけだ。
うめの木《き》は、もともとこの空《あ》き地《ち》のすみにあったものだろう。あとで植木《うえき》もうえられたようだが、いちばんおくにあるうめは、たけはひくいが、みきは太《ふと》く、かなり年《とし》もたっている。
木《き》はだがあらく、木《き》のぼりにはむかないし、この公園《こうえん》にあつまる子《こ》どもたちも、ほとんどよりつかない。もちろん、つむじのじいさんは、そんなこともちゃんと考《かんが》えていた。
「ふん、うめっていう木《き》は、だな。」
自分《じぶん》の新《あたら》しい家《いえ》にすっかりまんぞくしたとみえて、じいさんはひとりごとをいった。
「見《み》たところはじみな木《き》なんじゃ。そのくせ、春《はる》一|番《ばん》に花《はな》をつけ、ひっそりといいにおいをながす。そういう木《き》なんじゃ。うん、ウメノヒコを名《な》のる一|族《ぞく》も、そうでなくちゃならんわけじゃな。」
このうめの木《き》にすめば、わざわざ人間《にんげん》の家《いえ》まで、狩《か》りにでかけることもない。子《こ》どもたちは、じいさんのほしいものをなんでももってきて、ちゃんとおとしていってくれた。
ふだんの日《ひ》の午前中《ごぜんちゅう》は、小《ちい》さなまごたちをつれた年《とし》よりが、何組《なんくみ》もやってくる。わかいおかあさんが、うば車《ぐるま》に赤《あか》んほうをのせてやってくることもある。
午後《ごこ》になると、幼稚園《ようちえん》や小学校《しょうがっこう》にいっている子《こ》どもたちがあつまってくる。三|輪車《りんしゃ》をのりまわしたり、キャッチボールをしたり、石《いし》けりやなわとびなどをしてあそぶ。このころが、公園《こうえん》はいちばんにぎやかだ。
夜《よる》になると、わかい人《ひと》たちがきた。ちょっとぶらんこにのってみたりはするが、たいていはしずかに話《はなし》をしたり、たばこをすったりして、またしずかにもどっていく。
「こうして見《み》ていると、まぬけなやつばかりだが、まあかわいいところもあるわい。」
じいさんは、うめの木《き》のえだの、たいらなところにあぐらをかいて、毎日《まいにち》公園《こうえん》をながめてくらした。
なにしろ、することがないんだから、たいくつしている。いくらひとりばっちになれているといっても、そうそうひげの手入《てい》ればかりはしていられない。元気《げんき》なじいさんだから、ときどきは運動《うんどう》もしたくなる。
三|輪車《りんしゃ》のうしろにとびのってみたり、ぶらんこをこいでいる女《おんな》の子《こ》のおさげにぶらさがって、つまり二|重《じゅう》のぶらんこをやってみたりする。じいさんは、まだまだ足《あし》こしがたっしゃだから、そんなことをしても、けっして人間の目にとまったりする心配《しんぱい》はなかった。
一|度《ど》など、なわとびのなわの上《うえ》を、走《はし》ってみた。二人《ふたり》の子《こ》どもが、なわの両《りょう》はしをもってぴゅうぴゅうまわしているのだが、そのなわからおちずに、女《おんな》の子《こ》たちの目《め》にもとまらずに、なわをわたるのは、かなりむずかしいわざだった。が、それもじいさんはちゃんとやってのけた。
もっとも、調子《ちょうし》にのりすぎて、何回《なんかい》もくりかえすうち、中《なか》にはいってとんでいた子《こ》どもが、なわにひっかかった。はずみで、じいさんは五メートルもふっとばされた。
そのとき、ちょうどみまいにきていたクマンバチ隊員《たいいん》が、おもわずじいさんにかけよろうとした。しかし、じいさんは、そのままさっと、うめの木《き》のほうにきえた。まったくみごとだった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
そんなじいさんが、ひやりとするようなことがおこった。
午前中《ごぜんちゅう》の、しずかな公園《こうえん》には、おばあさんにつれられた二つくらいの男《おとこ》の子《こ》があそびにきていた。めずらしく、公園《こうえん》にはその二人《{たり》だけしかいなかった。
(ふん、あの二人《ふたり》は、ときどきここへやってくるな……。)
じいさんは、ひげの手入《てい》れをしながら考《かんが》えた。いつのまにか、顔《かお》なじみの人間《にんげん》もできたのだ。
ふくふくとそだった男《おとこ》の子《こ》は、まゆがきゅっとつりあがっていて、色《いろ》が白《しろ》くて、ほんのちょっと、目《め》がやぶにらみだった。口《くち》をへの字《じ》にむすんで、ひたいにしわをよせてあたりを見《み》まわすところは、こいつ、いまにすごいわんぱくこぞうになるぞ、という気《き》がする。そのくせ、わらうと女《おんな》の子《こ》のようなかわい顔《かお》になる。
「ふん。」
じいさんは、この子《こ》を見《み》ると、コロボックルの子《こ》どもたちをおもいだした。からだつきがなんとなくにていたからだ。まだほんの赤《あか》んぼうのくせに、なかなかどきょうがある。
その日《ひ》も、すべり台《だい》にひとりでのぼり、わざと頭《あたま》がらすべりおりたり、うしろむきにすべりおりたりした。それからぶらんこにかけより、おばあさんの手《て》をふりはらって、よじのぼった。ぶらんこの板《いた》にしがみつき、何度《なんど》も地面《じめん》にころげおちる。それでも、ぶつけるということがなく、くるんくるんところがって、きゃっきゃっとわらいながら、またぶらんこにしがみつく。
「ふふ、たいしたもんだ。」
つむじのじいさんは、つい立《た》ちあがって、その子《こ》のちかくへ走《はし》っていった。
すると[#「すると」に傍点]、男の子は走ってくるじいさんを見た[#「男の子は走ってくるじいさんを見た」に傍点]。
相手《あいて》が赤《あか》んぼうだったので、じいさんもちょっとゆだんしたかもしれない。だが、それにしても、男《おとこ》の子《こ》の、ほんのすこしやぶにらみのような目《め》は、すばやく動《うご》いた。
(ひえ!)
じいさんも、あわてて首《くぴ》をすくめた。
(いかん。ゆだんたいてき、こんなぼうやの目《め》にとまるようじゃ……。)
それで、こんどはじまんの足《あし》をけって、ぼうやの足《あし》のあいだを正面《しょうめん》から一|気《き》にすりぬけた。
するとまた[#「するとまた」に傍点]、男の子はじいさんを見た[#「男の子はじいさんを見た」に傍点]。
じいさんが走《はし》ったとおり、自分《じぷん》の足《あし》のあいだをのぞいた。そのとき、あまり力《ちから》いっぱいからだをまえにこごめたために、男《おとこ》の子《こ》はきれいなでんぐりがえしをうった。そして、にこにこわらいながら立《た》ちあがった。
「ぼくのあんよのとこ、だれかがハチっていったよ、おばあちゃん。ねえ、おばあちゃん。」
「なんのことなの、テッちゃん。」
おばあさんは、男《おとこ》の子《こ》のせなかの土《つち》をはたきながらいった。
「なにが走《はし》っていったの。」
「あのね、チイチャナ、チト。」
まだ、したがよくまわらない。だが、それをきいて、つむじのじいさんはぞっとした。
この男《おとこ》の子《こ》は、「小《ちい》さな人《ひと》」が自分《じぶん》の足《あし》のあいだを走《はし》りぬけた、といっているのだった。
「あらそう。おもしろいね。」
おばあさんは、そうこたえただけだった。男《おとこ》の子《こ》のほうも、それっきりで、またすべり台《だい》にかけよった。
すっかりあわてたつむじのじいさんは、公園《こうえん》のすみを大《おお》まわりして、うめの木《き》にもどった。そして、自分《じぶん》のかくれ家《が》にとびこんだ。
(えいくそ! そんなことってあるかい!)
頭《あたま》を二つ三《み》つ、自分《じぶん》でたたいて、じいさんはおちつこうとした。
(わしは、まだまだ人間《にんげん》の目《め》にとまるほど、もうろくはしていない。そのわしが、あのときはいつもより気《き》をいれて走《はし》った。それなのに、あの男《おとこ》の子《こ》はわしを見《み》たといっている。ほんとじゃろうかい?)
ええい、ものはためしだ、と、じいさんは考《かんが》えた。もう一|度《ど》うめの木《き》からとびだすと、すな場《ば》でいたずらをはじめた男《おとこ》の子《こ》のほうにむかった。そして、すなをいじっている男《おとこ》の子《こ》のまわりを、それこそ力《ちから》いっぱいのはやさでまわってみた。
やはり[#「やはり」に傍点]、男の子はじいさんを見た[#「男の子はじいさんを見た」に傍点]。
男《おとこ》の子《こ》の目《め》がすばやく動《うご》き、からだはくるっと一|回転《かいてん》して、すなの上《うえ》にひっくりかえった。
「どうしたの、テッちゃん。」
おばあさんがきくと、男《おとこ》の子《こ》はこたえた。
「あのね、チイチャーイ、チトがね、くるくるくるって。」
「ううん、そう、おもしろいねえ。」
おばあさんは、わけがわからないまま、男《おとこ》の子《こ》にうなずいた。そして、ふところからハンカチをだすと、男《おとこ》の子《こ》の鼻《はな》にあてた。
「おはながでてるね、テッちゃん。ほら、チーン。」
「いや、いや。」
男《おとこ》の子《こ》が顔をそむけてにげだした。おばあさんはそのあとをおいかけた。
「ほらほら、もうおうちへかえりましょ。ママもおそうじがおわって、テッちゃんをまっているよ。」
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
つむじのじいさんが、おばあさんに手をひかれて公園《こうえん》をでていく男《おとこ》の子《こ》のあとをつけたのは、いうまでもない。
どっちみち、あの男《おとこ》の子《こ》のことは、もっとよくしらべてみる必要《ひつよう》があった。あの男《おとこ》の子《こ》は、コロボックルのすばらしくはやい動《うご》きに、ついていける目《め》をもっているらしい。とすれば、もっともっとよく知らなくてはいけない。
じいさんはそうおもった。
「えれえことになった。あの子《こ》が、もしほんとうにわしらの動《うご》きを見《み》る目《め》があるなら、わしとしても、考《かんが》えをかえなくちゃならん。」
その夜《よる》、うめの木《き》のかくれ家《が》にもどったじいさんは、いつまでも起《お》きていた。
(ずっとあの子《こ》を、だれかがみはっていなくちゃならんだろうな、うん。)
そんなことも考《かんが》えた。
(あのむかし話《ばなし》ほんとうだったんだのう。わしは、てっきりつくり話《ばなし》だとおもっていたっけが。)
むかし、人間《にんげん》たちがまだちょんまげをゆっていたころ、百姓《ひゃくしょう》のせがれで、やっぱりコロボックル――むかしはコボシさまといった――を見《み》ることのできる男《おとこ》がいたそうだ。
その男《おとこ》は、なにをやらせても不器用《ぶきよう》で、へまばかりしていたが、コロボックルがどんなにはやく走《はし》っても、きっとすがたを見《み》たという。
そしてその男《おとこ》は、ふとしたことから剣術《けんじゆつ》をならうようになった。そういうすぼらしい目《め》の持ち主だったから、相手《あいて》のうちこんでくる竹刀《しない》は、どんなにすばやくても、見《み》わけることができた。ところが、はじめのうちは、からだがついていかないから、みすみす相手《あいて》にたたかれてしまう。
しかし、やがて人《ひと》なみに身《み》のこなしができるようになって、ついには名人《めいじん》といわれる人《ひと》になったそうだ。
「ふふうん。」
つむじのじいさんはうなった。
「そうすると、あの子《こ》もいまに剣術《けんじゅつ》の達人《たつじん》になる――いや、いまどきはそんなんじゃない。ほれ、なんといったっけか、人間《にんげん》の子《こ》どもたちがやってたな。そうだ、野球《やきゅう》だ。その野球《やきゅう》の名人《めいじん》になるかな。それとも、あの、なんていったっけか、手《て》に、おだんごみたいな手《て》ぶくろをはめて、はだかんぼうでなぐりっこする……。」
つむじのじいさんのいっているのは、ボクシングのことらしいが、そういう名選手《めいせんしゅ》になるかもしれない。
「ううん、わしは、山《やま》をとびだしてきてよかった。ああいう人間《にんげん》と、もしなかよくなれたら、コロボックルみんなのために、役《やく》にたつにちがいない。反対《はんたい》に、あんなのが大《おお》きくなってわしらの敵《てき》になったら、それこそうるさくてこまる。」
そうつぶやいて、じいさんは決心《けっしん》した。さっそくうめの木《き》のかくれ家《が》とびだすと、コロボックル小国《しょうこく》へかけもどった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
「わしは、そういうわけで、もどってきたんじゃ。」
世話役《せわやく》をたたき起《お》こしたつむじのじいさんは、くわしい話《はなし》をした。世話役《せわやく》は、目《め》をぱちぱちさせて、じいさんの話《はなし》をきいていた。
「ありがとう、じいさん。」
ききおわると、世話役《せわやく》はまじめな顔《かお》でこたえた。
「そんな人間《にんげん》がいるなんて、ほんとのところ、わしもいまのいままで知《し》らなかった。それはたぶん、何万人《なんまんにん》にひとり、いや、百|万人《まんにん》にひとりという、めずらしい才能《さいのう》なんだとおもう。そういう人間《にんげん》にめぐりあえたというのは――しかも、まだ二つぐらいの小《ちい》さな子《こ》どものうちにめぐりあった、というのは、わしらにとってたいへんな幸運《こううん》だったようだ。」
ちょっとことばをとぎらせて、世話役《せわやく》はあごをなでた。
「人間《にんげん》と友《とも》だちになるには、相手《あいて》がおさないほどうまくいくんじゃないかと、わしは考《かんが》えている。だから、心配《しんぱい》はないでしょう。」
「よかろう。で、だれがその子《こ》と友《とも》だちになるかね。」
「だれがって?」
世話役《せわやく》は、びっくりしたように目《め》をあげた。
「きまってるじゃありませんか。」
「というと、つまり、わしに友《とも》だちになれっていうのか。」
つむじのじいさんは、いらいらしたようにいった。
「じょぅだんじゃない。わしはもう年《とし》よりだ。いまさらそんな、まだおしめもとれないような人間《にんげん》と――友《とも》だちになんか……。」
「いやですか。」
世話役《せわやく》が目《め》でわらいながら、しずかにいった。そして、だまっているじいさんのかたをたたいた。
「こんどだけは、いわせてもらうよ、じいさん。あんたはたいへんなつむじまがりだっていうけど、これは世話役《せわやく》としてのたのみだ。その子《こ》をみつけたじいさんが、いちばんいいんだ。だいたい、年《とし》よりと子《こ》どもっていうのは、むかしから気《き》があうもんだ。どうかよろしくたのみます。」
「ふん。」
つむじまがりのつむじのじいさんが、そこでつむじをまげたか、といえば、もちろんまげなかった。
「よかろう。」
にやりとして、あっさりひきうけた。そして一つ注文《ちゅうもん》をつけた。
「ただし、どういわれようと、わしがじじいであることにはかわりない。だから、あの男《おとこ》の子《こ》とわしは、いつまでも友《とも》だち、というわけにはいかん。」
「わかりますよ、じいさん。」
世話役《せわやく》はわらった。
「いずれ、じいさんの気《き》にいったコロボックルにあとをひきつがせましょう。それでいいですか。」
「いいとも。」
そのあと、しばらくのあいだ、つむじのじいさんはだまっていたが、やがてぽつんと口《くち》をきいた。
「なあ、ヒイラギノヒコよ。」
世話役《せわやく》をそうよんだ。
「わしは、あの男《おとこ》の子《こ》が気《き》にいっているんだ。うん、いっぺんで気《き》にいったんだな。一目《ひとめ》ぼれ、つていうやつじゃ。」
二人《ふたり》は、ふっ、ふっ、ふっと、声《こえ》をころしてわらった。もうま夜中《よなか》をとうにすぎていたから。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
さて、そんなことで、つむじのじいさんは人間《にんげん》の友《とも》だちをもった。それをきいて、おどろかないコロボックルはひとりもいなかった。なにしろ、たいしたつむじまがりだったのだ。
たしかに、世話役《せわやく》がいったとおり、相手《あいて》の人間《にんげん》がおさないと、友《とも》だちになるのもかんたんだ。
ひとりで庭《にわ》にでてあそんでいるテッちゃんのまえに、つむじのじいさんは、のこのことでていった。すると、テッちゃんはへいきな顔《かお》でいった。
「コンチハ、チイーチャイ、オジイチャン。」
それで、もうあいさつもすんでしまった。つむじのじいさんは、テッちゃんの家《いえ》にかくれ家《が》をうつし、一|日《にち》に何度《なんど》もテッちゃんと話《はなし》をする。
テッちゃんは、「小《ちい》さいおじいちゃん」が大《だい》すきで、どんなにむずかっていても、きげんよくなった。
とくに、夜《よる》ねないでぐずっているとき、つむじのじいさんがテッちゃんの耳《みみ》もとへきてお話《はなし》してやると、テッちゃんは、うす緑色《みどりいろ》のタオルケットをチュウチュウしゃぶりながら、すやすやとねむるのだった。
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
へんな子《こ》
[#ここで字下げ終わり]
名《な》まえは松山《まつやま》正子《まさこ》。いまは町《まち》の図書館《としょかん》につとめているおねえさんの話《はなし》。
その正子《まさこ》ねえさんも、ほんのすこしまえは、おさげの高校生《こうこうせい》だった。そのまえは中学生《ちゅうがくせい》だったし、そのまえは小学生《しょうがくせい》だった。あたりまえの話《はなし》だけれども。
ところが、あたりまえでないところが一つだけあった。おかっぱ頭《あたま》の小学生《しょうがくせい》のころから、正子《まさこ》はずっと、へんな子《こ》だといわれつづけてきた。
おかあさんも、二人《ふたり》いるにいさんたちもいった。おとうさんは、正子《まさこ》が赤《あか》んぼのころになくなったから、なにもいわない。そのかわり、というわけではないが、北海道《ほっかいどう》にいるおじさんも、正子《まさこ》とあうたびに、へんな子《こ》だなといった。学校《がっこう》の先生《せんせい》も友《とも》だちもいった。いまのつとめさきでも、おなじことをずいぶんいわれた。
みんながみんな、正子《まさこ》のことをへんな子《こ》だという。そして、たぶんへんな子《こ》であるためだろうが、とくに親《した》しい友《とも》だちというのがいつもなかった。
そのくせ、どこがどうへんなのかは、なかなかせつめいしにくい。
子《こ》どものころから、ちびでやせていて、鼻《はな》がしゃくれていて、あごがとがっていて、口《くち》は見《み》たところなまいきそうで、色《いろ》が黒《くろ》くて目玉《めだま》ばかり大《おお》きく、みけんにたてじまをよせて、人《ひと》をじっと見《み》あげたりする。小《ちい》さいころから、自分《じふん》でもみっともない子《こ》だとおもっていた。もちろん他人《たにん》は、えんりょなく口《くち》にだしてそういった。
これだけでもかなりへんな子《こ》だが、まだまだある。
そんな正子《まさこ》なのに、なんとなく動《うご》きがしなやかで、足《あし》がはやく、いそいであるいてもほとんど足音《あしおと》をたてない。まるでねこのようだった。そして、へんなのはそれだからというわけでもない。いくらか関係《かんけい》はあるが。
上のにいさんは、こんなふうにいう。
「マアぼうは、まったくへんな子《こ》だよな。おかしいことがあっても、わらったことがないものな。」
「そんなことありませんよ。おかしいことがあれば、あたしだってちゃんとわらいます。」
正子《まさこ》はいいかえす。たしかに正子《まさこ》のいうとおりで、わらわない人間《にんげん》なんて考《かんが》えられないのだが、おもしろいのは、こうしていいかえしているときでも、正子《まさこ》が口《くち》をとがらしたり声《こえ》を高《たか》くしたりということを、したことがないところだ。むかしからそうなのだ。
下《した》のにいさんも、このごろになっていう。
「おまえはめったになかないやつだったな。おれは兄貴《あにき》にやられて、ずいぶんないたおぼえがあるがね。おまえはよほど強情《ごうじょう》なのか、それともにぶいのか、おれがいじめてもなかなかなかないやつだった。たしかにへんな子《こ》だよ。」
「うそ、あたしだって、ずいぶんなかされたわ。」
正子《まさこ》は、けっしてむきになったりせず、しずかにこたえる。
またおかあさんは……たとえば、ついこのあいだの休《やす》みの日《ひ》にも、こんなことがあった。
「正子《まさこ》、おまえ、なにか気《き》にいらないことでもあるのかい。」
おかあさんは、その日《ひ》の夕方《ゆうがた》、正子《まさこ》をつかまえてそっとたずねた。しかし、正子《まさこ》はだまったまま、ひとえまぶたの大《おお》きな目《め》で見《み》かえしただけだった。だからおかあさんは、心配《しんぱい》そうな口《くち》ぶりでつづけた。
「だって、きょうは朝《あさ》から、一|度《ど》も、だれとも、ろくに口《くち》をきかないじゃないか。」
「あら、そうだったかな。」
「そうだったかな、つて、おまえは気《き》がついていないのかい。」
正子《まさこ》は、なんだつまらない、という顔《かお》をしていった。
「きっと、話《はな》すことがなかったから、だまっていたんじゃないかしらね。ね、おかあさん、どうおもう。」
これではまるで他人《たにん》ごとだ。だからおかあさんは、ため息《いき》をついていった。
「年《とし》ごろのむすめだとおもって、こっちが心配《しんぱい》しているのに。……へんな子だねえ。」
いまでもこんなぐあいだから、子《こ》どものころの正子《まさこ》は、もっとわけのわからない子《こ》だった。おとなしいくせに気《き》がつよく、器量《きりょう》はわるいくせに気《き》どって見《み》えた。ぼんやりしているようで、めったに失敗《しっぱい》したことがない。そんな正子《まさこ》を、男の子《おとここ》たちはとくに毛《け》ぎらいした。
むだなおしゃべりはしないし、みんなが大口《おおぐち》をあけてげらげらわらっている中《なか》で、ひとりだけすましているし、いじめようとすれば、さっとにげて――足《あし》がはやくて男《おとこ》の子《こ》でもおいつかない――かくれてしまうし、そうかとおもうと、まわりで口《くち》げんかがはじまっても、よこにいてじっとながめていたりする。
こんな子《こ》がなかまにいたら、だれだって調子《ちょうし》がくるってしまうだろう。
だから友《とも》だちの女《おんな》の子《こ》たちも、みんな正子《まさこ》をそっとしておいた。なかまはずれにしたわけではないのだが、しぜんとそうなった。
それでも正子《まさこ》は、べつにひがんだりはしなかった。自分《じぶん》はへんな子《こ》なんで、いっしょにいてもたいくつするのだろうと、あっさりかたづけていた。おかげで正子《まさこ》は、とっぴな空《くう》想《そう》をしては、ひとりでたのしむような子《こ》になった。
自分《じぶん》には自分《じぶん》だけの守《まも》り神《がみ》さまがついていると、しんけんに考《かんが》えて、信《しん》じこんだ。そして、その神《かみ》さまのすがたをいろいろ空想《くうそう》してはたのしんだ。あるときは、ひげの白《しろ》いおじいさんだったり、あるときは一本角《ぽんづの》のこわいおにだったり、またあるときは、せなかにちょうのはねをつけた小《ちい》さい妖精《ようせい》のすがただったりした。
この空想《くうそう》は、ずいぶん長《なが》いあいだ、正子《まさこ》の頭《あたま》の中《なか》にあった。その守《まも》り神《がみ》さまのおかげで、へんな子《こ》の、なかまはずれの、みっともない正子《まさこ》が、ひねくれもせず、すなおにそだったといえるかもしれない。
ところが、中学《ちゅうがく》の二|年生《ねんせい》ごろから、正子《まさこ》のまわりはすこしずつかわってきた。へんな子《こ》はへんな子《こ》なりに、ふしぎなふんいきが生《う》まれて、それにひきつけられた友《とも》だちが、いつも何人《なんにん》かいるようになった。男《おとこ》の子《こ》たちも、まえほど毛《け》ぎらいするようなことはなくなった。本人《ほんにん》は本人《ほんにん》で、あたしがみっともない女《おんな》の子《こ》で、あんまりおしゃべりもしないもんだから、この人《ひと》たちは安心《あんしん》してあたしとつきあってくれるんだろうと、のんきに考《かんが》えていた。
そんな正子《まさこ》のことを、やっぱり人《ひと》はへんな子《こ》だといった。なるほど、これはへんな子《こ》にちがいない。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
ところで、図書館《としょかん》につとめているといっても、正子《まさこ》の仕事《しごと》は、ふつうの会社《かいしゃ》の事務員《じむいん》とたいしてちがわない。伝票《でんぴょう》の整理《せいり》と電話《でんわ》の番《ばん》と、ときどきお茶《ちゃ》をいれることだ。だが、それだけではすまなかった。
「ちょっと松山《まつやま》くん、てつだってくれないか。」
児童室《じどうしつ》主任《しゅにん》のアパッチ先生《せんせい》が、事務室《じむしつ》にあらわれては、そういって正子《まさこ》をかりだしにきた。
アパッチというのは、この主任《しゅにん》さんに、正子《まさこ》がたてまつったあだ名《な》だ。正子《まさこ》には、そんなちゃめなところもある。だが、けっして口《くち》にはださない。
ところで、はやまってはこまる。児童室《じどうしつ》主任《しゅにん》のアパッチ先生《せんせい》は女《おんな》の人《ひと》だ。もうすこしで五十になるといって、しょっちゅうなげいている陽気《ようき》なおばさんだった。もっとも、館長《かんちょう》代理《だいり》の浜村《はまむら》さんが(館長《かんちょう》はめったに顔《かお》を見《み》せない)、いつかこういっていた。
「あの先生《せんせい》、五|年《ねん》も前《まえ》から、もうじき五十だって心配《しんぱい》しているんだよ。わたしとおなじで、もうとっくに、五十になってるはずだなあ。」
だまっていさえすれば、すらりと背《せ》が高《たか》く、いくらかしらがのまじった頭《あたま》も手入《てい》れがゆきとどき、しかもすてきな美人《びじん》だったらしいなごりもあって、アパッチ先生《せんせい》は上品《じょうひん》な貴婦人《きふじん》にさえ見《み》える。ところが、この貴婦人《きふじん》はひどく口《くち》がわるい。中学校《ちゅうがっこう》の先生《せんせい》を長《なが》くしていたために、いつのまにか、男《おとこ》みたいな口《くち》をきくくせがついたのだそうだ。
「わたしのつとめていたのは、港町《みなとまち》のあらっぼい土地《とち》の中学校《ちゅうがっこう》でねえ。ていねいなロをきいていたら、生徒《せいと》がつけあがってしょうがなかったんだよ。」
正子《まさこ》からはなにもきかないのに、そういって話《はな》してくれたことがある。正子《まさこ》はそのときも、だまってうなずいただけだった。するとアパッチ先生《せんせい》は、わらいながらつけくわえた。
「きみみたいな子《こ》は気《き》がらくでいいよ。たいていの女《おんな》の子《こ》は、わたしと話《はなし》をすると目《め》をまるくするんだけどね。きみは、あまりものに動《どう》じないたちらしいな。」
それをきいて、はじめてこの先生《せんせい》に紹介《しょうかい》されたときのことを、正子《まさこ》はおもいだした。アパッチ先生《せんせい》は、正子《まさこ》のことを、いきなり、おいきみ、とよびかけた。
「きみは、本《ほん》がすきかい。」
ぅなずきながら、さすがの正子《まさこ》もびっくりした。すがたとことばがひどくくいちがっていたからだ。へんな子《こ》なりにびっくりしたのだが、そうは見えなかったのだろう。
「しっかりやりなよ。」
それだけいって、さっさといってしまった。その児童室《じどうしつ》主任《しゅにん》さんの、上品《じょうひん》なうしろすがたををがめていたら、どういうわけか正子《まさこ》の頭《あたま》の中《なか》に「アパッチ」ということばがうかんだ。それでアパッチ先生《せんせい》というあだ名《な》がついた。
その児童室《じどうしつ》主任《しゅにん》のアパッチ先生《せんせい》が、なぜ、正子《まさこ》をかりにくるのか――。
図書館《としょかん》の児童室《じどうしつ》というのは、子《こ》どもたちだけ――ここでは中学生《ちゅうがくせい》もふくめる――はいれるへやで、ここには子《こ》どもむきの本《ほん》だけをそろえてある。ふつうの日《ひ》は午後《ごご》だけ、日曜日《にちようび》は一|日《にち》じゅうあいている。休《やす》みは月曜日《げつようび》にずれる。
ところが、主任《しゅにん》といったって、ほかにはだれもいないから、アパッチ先生《せんせい》がひとりできりもりしている。貸《か》し出《だ》し係《がかり》も、図書《としょ》の整理《せいり》も、読書相談《どくしょそうだん》も、みんなひとりでしなければならない。おまけに、アパッチ先生《せんせい》は、よく学校《がっこう》やPTA《ピーティーエー》のあつまりなどにまねかれて、講演《こうえん》をしにいく。そういうときは、だれかがるすばんをしなくてはならない。そのたびに、正子《まさこ》は事務室《じむしつ》から児童室《じどうしつ》へ出張《しゅつちょう》させられた。
小《ちい》さい図書館《としょかん》で、館長《かんちょう》代理《だいり》の浜村《はまむら》さん以下《いか》、館員《かんいん》は七|人《にん》しかいない。だから、いそがしいときはみんなでたすけあうことになっているが、アパッチ先生《せんせい》は正子《まさこ》が気《き》にいったとみえて、そのほかのときでも、正子《まさこ》を助手《じよしゅ》につかうことが多《おお》かった。
「浜村《はまむら》さん、ちょっと松山《まつやま》くんをかりていくよ。」
正子《まさこ》の上役《うわやく》は浜村《はまむら》さんだから、アパッチ先生《せんせい》は、かならず浜村《はまむら》さんにことわった。
「どうぞ。」
浜村《はまむら》さんはにっこりする。人《ひと》がよくて、いやみなんかいったことがない。
「松山《まつやま》くんも、そのほうがうれしいんだろう。」
たいていは、そんなふうにかるくじょうだんをいう。そのたびに正子《まさこ》は、せめてにっこりしてみせたほうがいいのかな、とおもう。でも、そうはしなかった。ちょっと頭《あたま》をさげただけで、アパッチ先生《せんせい》のあとをおう。人《ひと》のいい浜村《はまむら》さんは、心《こころ》の中《なか》でつぶやく。
(あの子《こ》はどうもへんな子《こ》だな。もうそろそろ三月《みつき》になるのに、ちっともうちとけないようだ。なんとなく、とっつきのわるい子《こ》だね。よく見《み》りゃ、なかなかかわいい顔《かお》をしているのに。あれじゃあ、人《ひと》にもすかれないだろうなあ。)
浜村《はまむら》さんは、正子《まさこ》ぐらいのむすめさんが二人《ふたり》あるそうだ。だから、ついそんなことまで考《かんが》えてしまうのだろう。
アパッチ先生《せんせい》が正子《まさこ》を助手《じょしゅ》につかうのは、新《あたら》しくでた本《ほん》が、どっととどいたときとか、毎月《まいつき》一|回《かい》おこなう書庫《しょこ》の点検《てんけん》のときとか、いたんだ本《ほん》の修理《しゅうり》をするときなどだった。
正子《まさこ》は、どの仕事《しごと》もよろこんでてつだった。もともとひとりでいるのはへいきだったから、ほこりくさい書庫《しょこ》にとじこもっていても、なんでもなかった。アパッチ先生《せんせい》も、正子《まさこ》が相手《あいて》ではあまりおしゃべりもできず、したがって仕事《しごと》ははかどった。
本《ほん》の修理《しゅうり》の方法《ほうほう》をくわしく教《おし》えてもらったとき、正子は、アパッチ先生《せんせい》が、見かけよりもずっとこまやかでやさしい心《こころ》の持《も》ち主《ぬし》なのを感《かん》じた。
「こうやってね、ちぎれた表紙《ひょうし》をはりなおして、背《せ》にクロースをつけて、うらうちして、しっかりとじなおすとね、本《ほん》はまた生《い》きかえるんだよ。」
そのための道具《とうぐ》も、アパッチ先生《せんせい》は二組《ふたくみ》もっていて、一組《ひとくみ》を正子《まさこ》にかしてくれた。いたんだ本《ほん》が、またこうして「生《い》きかえっていく」のを見《み》るのは、正子《まさこ》にも気《き》もちよかった。
「いたむ本《ほん》はね、それだけたくさんの子《こ》どもたちからすかれているしょうこさ。人間《にんげん》も、にたようなところがあるねえ。愛《あい》される人《ひと》ほど、はやくすりきれてしまう……。」
そういって、アパッチ先生《せんせい》はため息《いき》をついた。
「にくまれっ子《こ》世《よ》にはばかる、つていってね。にくらしい人《ひと》は長生《ながい》きするのさ。」
わたしみたいにね……、と、早口《はやくち》でつけくわえて、はっはっはとわらった。
正子《まさこ》は、それならあたしもきっと長生《ながい》きするわ、とおもった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
夏休《なつやす》みにはいると、児童室《じどうしつ》は、毎日《まいにち》朝《あさ》からあけた。おとずれる子《こ》どもの数《かず》も、ぐんと多《おお》くなった。二|回《かい》ほど、子《こ》どもたちをあつめて読書会《どくしょかい》もひらかれる予定《よてい》だった。アパッチ先生《せんせい》は、ますますいそがしくなった。
もっとも、この児童室《じどうしつ》にこしをおちつけて本《ほん》を読《よ》む子《こ》はあまりふえなかった。冷房《れいぼう》装置《そうち》もないし、とくに午後《ごご》になると暑《あつ》くてたまらないのだ。図書館《としょかん》の二|階《かい》のかたすみのへやで、まどの外《そと》には大《おお》きなにせアカシアの木《き》がしげり、日光《にっこう》はさえぎってくれたが、ついでに風《かぜ》もさえぎった。それでも、本《ほん》の貸《か》し出《だ》しと受《う》けとり、かえさない子《こ》へのさいそく、読書《どくしょ》指導《しどう》などで一|日《にち》じゅうばたばたした。
アパッチ先生《せんせい》は、ほとんど毎日《まいにち》、午後《ごご》になると正子《まさこ》をかりにきた。
「めんどうだから、松山《まつやま》くんを児童室《じどうしつ》勤務《きんむ》にかえてしまおうか。」
浜村《はまむら》さんが、正子《まさこ》にむかってそういったほどだ。
「そして、こんどはこっちから、しょっちゅうきみをかりにいって、あの先生《せんせい》をこまらせてやりたいよ。」
正子《まさこ》は、おもいきってきいてみた。
「毎年《まいねん》、こんなふうに夏休《なつやす》み中《ちゅう》はいそがしくなるんですか。」
「まあそうだね。だから大学生《だいがくせい》をアルバイトにたのんでいたんだが……。なにしろ、うちのアルバイト料《りょう》がやすくてねえ。なかなかいい人《ひと》がきてくれないんだ。」
正子《まさこ》がだまってうなずくと、浜村《はまむら》さんはなだめるようにいった。
「きみならただでつかえるから、なんてひがまないでくれよ。ほんとをいうと、みんなきみのおかげでたすかっているんだ。めんどうでも、もうすこしてつだってあげてくれたまえ。こっちの仕事《しごと》は、あまり気《き》にかけないでいいからね。」
正子《まさこ》はこっくりしただけだが、めんどうだなんて、ちっとも考《かんが》えてはいなかった。児童室《じどうしつ》にいて子《こ》どもたちとつきあっていると、たのしくてたまらなかった。
子《こ》どもたちは、正子《まさこ》のことも先生《せんせい》とよんだ。はじめはずいぶんまごついたが――そのくせ正子《まさこ》がまごついているとは、だれも気《き》づかない――すぐになれた。
「そっちの、わかいほうの先生《せんせい》。」
子《こ》どもたちが、アパッチ先生《せんせい》とくべつしてそうよんだりしても、あわてなかった。
アパッチ先生《せんせい》も児童室《じどうしつ》にいるかぎり松山《まつやま》くんなどとよばずに、ちゃんと、松山《まつやま》先生《せんせい》と一|人《にん》まえのあつかいをしてくれた。
それが、たちまち、ほかの人《ひと》たちにもうつった。だれかが、からかうつもりで正子《まさこ》のことを松山《まつやま》先生《せんせい》とよんだ。でも正子《まさこ》は、すまして、はい、とへんじをした。
へんな子《こ》だな、といつものとおり、みんなはおもった。しかし、正子《まさこ》がおこりもはずかしがりもしないので(そういうふうに見《み》えるだけなのだが)、すぐにそれがあたりまえのことになった。
図書館《としょかん》のいちばん下《した》っばの新米《しんまい》の女子《じょし》事務員《じむいん》でしかない正子《まさこ》は、とうとう、館長《かんちょう》さんにまで松山《まつやま》先生《せんせい》とよばれるようになった。そして、そうよばれることが、へんでもなんでもなくなってしまった。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
さて、ここで、もう一人《ひとり》のへんな子《こ》が登場《とうじょう》する。
コロボックルの国《くに》にも、へんな女《おんな》の子《こ》がいた。まつの一|族《ぞく》だから正式名《せいしきめい》はマツノヒメだが、よび名《な》をツクシという。ふつうはツクちゃんでとおる。子《こ》どものころから、あいきょうのない、つんつんした女《おんな》の子《こ》だった。まるでつくしんぼのような、ということから、よび名《な》がついた。
「おまえは、どうしてそうそっけない子《こ》なんだろうね。おまけに、毎日《まいにち》ふらふらとであるいてばかりいて、そんなことでは、およめのもらいてがないよ。」
ツクちゃんのおかあさんは、年《ねん》じゅうそういってむすめをたしなめた。しかし、ツクちゃんのほうはへいきだった。
「あたしはいいのよ。あたし、考《かんが》えていることがあるんだもの。」
そういって、相手《あいて》にならなかった。
ツクちゃんの「考《かんが》えていること」というのは、じつにたいへんな計画《けいかく》だった。
いままで、コロボックルのだれもいったことのない、広《ひろ》い人間《にんげん》の世界《せかい》にとびだしていってみたい、ということだった。
もともと女《おんな》のコロボックルは、コロボックルの領土《りょうど》である小山《こやま》から、あまり外《そと》にはでたがらない。むかしから、小山《こやま》をでてえものをさがす「狩《か》り」にも、女《おんな》はゆるされなかった。そのことが、いまでも尾《お》をひいているのだ。
しかし、コロボックルの国《くに》が新《あたら》しく生《う》まれかわるにつれて、この古《ふる》い考《かんが》えも、わかいコロボックルのむすめたちによって、すこしずつやぶられてきている。
それにしても、ツクちゃんの考《かんが》えはけたちがいだった。人間《にんげん》の世界《せかい》がどんなふうにひろがっているか、実地《じっち》に自分《じぶん》の目《め》で見《み》てきたい。そのためには、力《ちから》のかぎり広《ひろ》く遠《とお》く旅《たび》をしたい。それも、たったひとりでいきたい。だれにも知《し》られずこっそり世界《せかい》を見《み》てきて、自分《じぶん》の見《み》たこときいたことをくわしく旅行記《りょこうき》に書《か》き、コロボックルたちをあっといわせたい。
そんな計画《けいかく》とのぞみをもっていたから、いつもかくしごとをしているようなところがあり、つんつんしているようにも見《み》え、まわりからへんな子《こ》だといわれるようになったのだ。
ツクちゃんは、コロボックルの学校《がっこう》をでると、すぐにコロボックル通信社《つうしんしゃ》にいれてもらって――そこはコロボックルの新聞社《しんぶんしゃ》――はたらきながら人間《にんげん》についてしらべた。
ときには町《まち》へもでてみた。そして、夜《よる》ねる場所《はしょ》をさがすときの心得《こころえ》、食料《しょくりょう》をさがずときの注意《ちゅうい》、きものを手《て》にいれる方法《ほうほう》、雨《あめ》や風《かぜ》の日《ひ》のすごし方《かた》、夏《なつ》と冬《ふゆ》とのちがい、人間《にんげん》の交通《こうつう》機関《きかん》の利用法《りようほう》、とくに、ひこうきについてしらべた。だが、なかなかはかどらなかった。
もちろん、コロボックルには、すでにみかたになってくれた、安心《あんしん》できる人間《にんげん》がついている。せいたかさんや、ママ先生《せんせい》とよばれている人《ひと》たちだが、この人《ひと》たちに教《おし》えてもらえば、もっとかんたんに、はやく、くわしくしらべられただろう。だが、ツクちゃんにとっては、たったひとりのひみつの計画《けいかく》だったから、みかたの人間《にんげん》にたよるわけにはいかなかったのだ。
人《ひと》にきくわけにもいかず、地図《ちず》を買《か》うわけにもいかず、だれかと相談《そうだん》するわけにもいかない。駅《えき》や本屋《ほんや》の店《みせ》さきにある案内図《あんないず》とか時間表《じかんひよう》などは、できるだけうつしとってきたが、これだけではとてもだめだ。
やがてツクちゃんは通信社《つうしんしゃ》をやめて、人間《にんげん》の学校《がっこう》をぐるぐるまわった。ここでは、社会科《しゃかいか》という勉強《べんきょう》があって、外国《がいこく》のことも教《おし》えていた。ツクちゃんは、社会科《しゃかいか》の時間《じかん》わりだけをしらべて、できるだけその時間《じかん》にいろいろな学校《かっこう》へいった。
そして、ふと、図書館《としょかん》のことを知《し》った。そこにはたくさんの本《ほん》があって、わからないことがあるとき、人間《にんげん》はみんな図書館《としょかん》にいってしらべるという。学校《がっこう》の中《なか》にも図書室《としょしつ》があって、本《ほん》がならんではいたが、ツクちゃんの読《よ》みたい本《ほん》はすくなかった。
(図書館《としょかん》にいけば、本屋《ほんや》さんよりたくさん本《ほん》があるらしいわ。ちょっとのぞいてみたほうがいいかな。)
コロボックルにとって、人間《にんげん》の本《ほん》は読《よ》みたくても読《よ》めないことが多《おお》く(字《じ》が読《よ》めないのではなく、本《ほん》をひらくことさえコロボックルの力《ちから》ではむずかしいから)、あまり役《やく》にたつとはおもえなかったが、それでもツクちゃんは図書館《としょかん》へやってきた。
正子《まさこ》が、まだつとめはじめたばかりの春《はる》のことだ。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
やはり本《ほん》は、コロボックルの役《やく》にはたたなかった。図書館《としょかん》で、だれかがツクちゃんの読《よ》みたい本《ほん》を読《よ》んでいれば、そっとうしろからぬすみ読《よ》みもできるだろうと、そう考《かんが》えていたのだが、ツクちゃんの読《よ》みたい本《ほん》を読《よ》む人《ひと》には、めったにぶつからなかった。
「世界《せかい》をまわろう」「日本《にっぽん》の名所《めいしょ》」「アメリカ案内《あんない》」「ヨーロッパ旅行《りょこう》案内《あんない》」「北海道《ほっかいどう》の旅《たび》」「全国《ぜんこく》観光地《かんこうち》めぐり」「九州《きゅうしゅう》の旅《たび》」……。
書庫《しょこ》にいってみると、そんなよだれのたれるような読《よ》みたい本《ほ人》がならんでいるのに、ツクちゃんにはどうしようもない。ただ、ここのかべには、外国《がいこく》の大《おお》きな都市《とし》の地図《ちず》がはってあって、かなり新《あたら》いものだった。ツクちゃんは、その地図《ちず》をうつしとることにした。
駅《えき》や学校《がっこう》とちがって、ほとんど人《ひと》かげのないことがよかった。あまり気《き》をつかわなくてもいいからだ。
と、となりのへやから人声《ひとごえ》がして、二人《ふたり》の女《おんな》の人《ひと》がはいってきた。アパッチ先生《せんせい》と正子《まさこ》だった。アパッチ先生《せんせい》は、正子《まさこ》にこういっていた。
「どう考《かんが》えてもきみは、あまりものに動《どう》じないたちらしいな。」
そういわれたわかいほうの人《ひと》――正子《まさこ》は、だまっていたが、ものかげにいたツクちゃんが、かわりにこたえてやった。もちろん、きこえるような大声《おおごえ》はださなかったが。
「そんなことありませんよ。もし、いまあたしがとびだしていったら、きっととびあがっておどろきますよ。」
そして、ふふっとわらったとき、ツクちゃんの頭《あたま》にひらめいたことがあった。
(そうだ、あたしに、あたしだけの人間《にんげん》の友《とも》だちがあったら、どんな本《ほん》だって読《よ》めるわ! あたしがたのめば、あたしの知《し》りたいことを、しらべてくれるわ!)
コロボックルが、人間《にんげん》と友《とも》だちになってもいい、ということになってから、これまで女《おんな》のコロボックルが、人間《にんげん》の友《とも》だちをもったためしはない。
(あたしがはじめて、というのも、ちょっといいじゃないの!)
ツクちゃんは、書庫《しょこ》のかたすみで考《かんが》えた。
自分《じぶん》ひとりだけの友《とも》だちだったら、ひみつが、ほかのコロボックルに知《し》られるおそれもぜんぜんない。
(なんで、こんなことに、はやく気《き》がつかなかったのかな。)
ひとりでにこにこしながら、ツクちゃんは自分《じぶん》の頭《あたま》をぽんとたたいた。そして、また気《き》がついた。
(でも、かんじんの、友《とも》だちになれそうないい人間《にんげん》なんて、そうたやすくみつかるわけがないわね。)
本《ほん》を読《よ》むのは、あきらめたほうがいいかもしれない、と考《かんが》えなおした。人間《にんげん》を友《とも》だちにしてなんて、そんなむしのいいことをあてにしていたら、それこそ、いつになったら計画《けいかく》を実行《じっこう》できるかわからない。
ツクちゃんは、とにかく気《き》がすむまで、自分《じぶん》だけでじゅんびをすすめることにきめた。
それでもツクちゃんは、ときどき図書館《としょかん》へやってきた。読《よ》みたい本《ほん》のことが、なかなかあきらめきれなかったのだ。そのたびに、正子《まさこ》とあった。
そして、そのたびに、いつかのすてきなおもいつき――自分《じぷん》だけの人間《にんげん》の友《とも》だちをつくること――をおもいだした。正子《まさこ》のそっけない話《はな》し方《かた》や、それでいておちついたようすが、ツクちゃんはだんだんすきになり、あんな人《ひと》ならいい友《とも》だちになれるかもしれないな、と考《かんが》えるようになったのだ。
(まず、あの人《ひと》からためしてみるのもいいわね。なんとなくあたしと、うまがあうみたいだもの。うまくいったらしめたもの。だめだったとしても、もともとだわ。)
とうとう、夏《なつ》のおわりごろ、ツクちゃんは重大《じゅうだい》な決心《けっしん》をした。いちばんふつうにつかわれる方法《ほうほう》によって、「ものに動《どう》じない」わかい女《おんな》の人《ひと》をためした。
松山《まつやま》正子《まさこ》が、ひとりで書庫《しょこ》にはいってきて、たなの本《ほん》をひっぱりだしたとき、その目《め》のまえに、ぱっとすがたを見《み》せた。そして、すぐにきえた。
パタン、と、本《ほん》が正子《まさこ》の足《あし》もとにおちた。
コロボックルは、よくこの方法《ほうほう》をつかう。コロボックルのすがたを見《み》せられた人間《にんげん》が、どんな反応《はんのう》をしめすか、しらべて判断《はんだん》する。
ほとんどの人間《にんげん》は、ひどくびっくりするくせにまるっきり信《しん》じない。自分《じぷん》の目《の》のまちがいだと考《かんが》えるわけだ。一|部《ぶ》の人《ひと》は、くよくよ心配《しんぱい》をはじめる。自分《じふん》の頭《あたま》がどうかしたのではないかとおもうらしい。どちらも、コロボックルのことをみとめさせようとしたら、たいへんな時間《じかん》がかかるにちがいない。
ほんのひとにぎりの人《ひと》だけが、自分《じぶん》の目《め》も頭《あたま》も信《しん》じ、コロボックルを信《しん》ずる。これは生《う》まれつきそなわっている性格《せいかく》といってよいだろう。知能《ちのう》や教養《きょうよう》とはほとんど関係《かんけい》がない。
へんな子《こ》の正子《まさこ》は、どちらかといえば、ほんのひとにぎりの人《ひと》たちのなかまだった。とはいえ、はじめはやはり目《め》を信《しん》じなかったようだ。
(子《こ》どものころにいつも考《かんが》えていた、あたしの守《まも》り神《がみ》さまかしら。あんなすがたの神《かみ》さまのこと、空想《くうそう》したことがあったかしらねえ。もうずいぶん長《なが》いことわすれていたわ。)
そう考《かんが》えた。つまり、頭《あたま》の中《なか》にあった古《ふる》い考《かんが》えがふともどってきて、まるで目《め》に見《み》えたように感《かん》じたのだろうと、正子《まさこ》はおもったのだ。
だから、ちょっと目《め》こすっただけで、おちた本《ほん》をひろいあげ、すまして児童室《じどうしつ》にもどっていった。
「脈《みゃく》があるわ! ぜんぜんとりみださなかったもの! ようし、またあしたもためしてみるわ!」
ものかげにいたツクちゃんは、首《くぴ》をすくめてそうつぶやいた。
[#ここから7字下げ]
☆
[#ここで字下げ終わり]
正子《まさこ》は、午後《ごこ》になると、きまった時間《じかん》に書庫《しょこ》へやってくるようになった。用《よう》がなくても用《よう》があるふりをして、ぐるっと本《ほん》だなのまわりをひとまわりする。
そうすると、きまって目のまえに、かわいらしい虫《むし》のような小人《こびと》が、ちらりとすがたを見《み》せた。
はじめの二、三|回《かい》は、ふしぎでふしぎでたまらなかったのだが、一|週間《しゅうかん》めごろからは、もうへいきになった。
このあたりがコロボックルの友《とも》だちになれる人《ひと》と、なれない人《ひと》とのちがいだ。ふつうなら、おどろきと心配《しんぱい》がだんだん大《おお》きくなって、医者《いしゃ》へいったり他人《たにん》に相談《そうだん》したりしたくなる。
正子《まさこ》はちがう。本《ほん》だなのまえでツクちゃんのすがたを見《み》ると、ふっとかすかにわらった。正子《まさこ》がにっこりするなんて、ほんとにめずらしいことだ。そして、さっさと書庫《しょこ》からでていった。
十日《とおか》めに、ツクちゃんは正子《まさこ》の家《いえ》までついていった。そして、正子《まさこ》あてのメッセージを、正子《まさこ》の日記《にっき》のページに書《か》きこんでかえった。
正子《まさこ》は、自分《じぶん》の見《み》た小人《こびと》の神《かみ》さまのことを、毎日《まいにち》この日記《にっき》につけていた。ツクちゃんは、その日記《にっき》を正子《まさこ》のかたごしにぬすみ読《よ》みして――いけないことにはちがいないが、コロボックルとしてはやむをえない――、安心《あんしん》して手紙《てがみ》をのこす考《かんが》えをきめたのだ。
その夜《よる》、正子《まさこ》は、日記《にっき》にこう書《か》いた。
「きょうで十日《とおか》め。どう考《かんが》えてもふしぎなものを見《み》る能力《のうりょく》が、わたしにはそなわっているみたい。とにかくとてもたのしみだし、あの小《ちい》さな神《かみ》さまとお話《はな》ししてみたいとおもう。なんだか、世《よ》の中《なか》がいっぺんに明《あか》るくなったような気《き》がする。」
そして正子《まさこ》は、その夜《よる》にかぎって、日記《にっき》をひらいたままねてしまった。で、ツクちゃんは、小《ちい》さい小《ちい》さい字《じ》でそのあとに書《か》きつけた。こんな機会《きかい》をのがしたら、もう二|度《ど》とできないとおもったからだ。
「わたしは毎日《まいにち》書庫《しょこ》でおあいする、ふしぎな小《ちい》さい人《ひと》です。ただし、神《かみ》さまではありません。あなたとお友《とも》だちになりたいとおもいます。」
もちろん、二人《ふたり》は友《とも》だちになった。
アパッチ先生《せんせい》は、正子《まさこ》をますますちょうほうがり、秋《あき》のおわりごろに、とうとうこんなことをいいだした。
「きみ、どうだろうね。来年《らいねん》から夜間《やかん》大学《だいがく》にすすんで、図書館《としょかん》の司書《ししょ》の資格《しかく》をとるつもりはないかな。きみがその気《き》になるなら、わたしが力《ちから》になるけど。」
「ほんとですか!」
正子《まさこ》はうれしそうに大《おお》きな声《こえ》をだした。目《め》がばっちりと大《おお》きく、かがやいていた。自分《じぷん》でもそんなことを考《かんが》えていたからだった。
(おや、この子《こ》、あんがい美人《ぴじん》なんだね。すこしおけしょうのしかたも、教《おし》えてやらなきゃいけないよ。)
アパッチ先生《せんせい》は、心《こころ》の中《なか》でそうおもった。
ツクちゃんは、それまでひみつにしていた自分《じぶん》の遠大《えんだい》な計画《けいかく》を、あっさり正子《まさこ》にうちあけた。正子《まさこ》は、ツクちゃんのおもっていたよりずっとすぐれた友《とも》だちだったのだ。
もちろん、コロボックルの国《くに》のことは、おきてにしたがって話《はな》さなかったが、自分《じぷん》のことはできるだけ話《はな》してきかせた。そして、いまでは、読《よ》みたい本《ほん》をかたっぱしから読《よ》んでいる。
やがて、コロボックル小国《しょうこく》には、一人《ひとり》の偉大《いだい》な女流《じょりゅう》旅行家《りょこうか》が誕生《たんじょう》し、その旅行記《りょこうき》を読《よ》むことによって、コロボックルの国《くに》は大《おお》きく前進《ぜんしん》することだろう。
そのころはまた、一人《ひとり》のわかい、優秀《ゆうしゅう》な図書館員《としょかんいん》が生《う》まれ、この町《まち》の子《こ》どもたちはもっと本《ほん》がすきになるだろう。
しかし、そうなっても、正子《まさこ》がへんな子《こ》であることにはかわりない。たとえもうへんな子《こ》に見《み》えないとしても。だって、小人《こびと》を友《とも》だちにもっている図書館員《としょかんいん》なんて、どう考《かんが》えて
もやっぱりへんだからね。
[#地付き](おわり)
[#改ページ]
[#ここから3字下げ]
●収録作品一覧
「コロボックルと時計」 一九七〇年 「サンケイ新聞」
「コロボックルと紙のひこうき」 一九六九年 「ワンダーブック」十月号
「コロボックル 空をとぶ」 一九七一年 コロボックルカラー童話1
「トコちゃん ばったにのる」 一九七一年 コロボックルカラー童話2
「コロボックル ふねにのる」 一九七一年 コロボックルカラー童話3
「そりにのったトコちゃん」 一九七二年 コロボックルカラー童話4
「ヒノキノヒコのかくれ家」 一九六七年 「きりん」二一四号
「人形のすきな男の子」 一九六八年 「きりん」二一五号
「百万人にひとり」 一九六八年 「きりん」二一六号
「ヘンな子」 一九六九年 「きりん」二一七号
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#ここから1字下げ]
あとがき
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]佐《さ》藤《とう》さとる
ここにまとめてあるのは、コロボックルが登場する短い話ばかりです。
これまでに、コロボックルを主人公にして掌編《しょうへん》童話を書け、という注文を受けたことが二回ありました。できるかどうかわからないと思いながら、おそるおそる試みたのが、巻頭の二編です。別表のように、一つは新聞紙上、もう一つは絵本雑誌に寄せたものでした。
つぎの「トコちゃん」を主人公にしたものは、「コロボックル絵本」(講談社)のために書きおろしたもので、もとは四冊に分かれていました。こうして一つにまとめてみると、それなりに楽しめるように思います。
[#ここから7字下げ]
*
[#ここで字下げ終わり]
そのあとにつづく四つの短編は、はじめから短編集にまとめるつもりで、小雑誌に発表していったものでした。しかし、その雑誌がまもなく廃刊《はいかん》になったことから、やむなく中断《ちゅうだん》し、そのままになってしまいました。
このことは、コロボックル物語の第四巻「ふしぎな目をした男の子」(講談社)の初版本のあとがきで、こんなふうに書いてあります。
「実をいうと、窒めのコロボックル物語は、『コロボックルとその友だち』という表題の短編集にするつもりだった。(中略)その短編の中で、もっとも気に入った一組(コロボックルと人間との)を主人公に選び、また長編を書きつごうと思った。ところが、その短編がまだ四つしかできていない時点で、はやくもつぎの長編の主人公にふさわしいカップルがとびだしてきてしまい、作者としてはどうにもならないうちに、この本ができてしまった。」
つまり、第四巻の主人公になったタケル君という少年は、ここに収めてある「百万人にひとり」のテッちゃんのことです。したがって、「ふしぎな目をした男の子」という本の第一章は、主人公の名まえをかえただけで、この短編をほとんどそのまま使っています。
こうしたことがあって、以前に「佐藤《さとう》さとる全集」(仝十二巻/講談社)を出版していただいたとき、この「百万人にひとり」ははぶいておきました。わたしとしては思いきって捨てるつもりだったのです。
しかし、すでに一度活字になっているのは事実で、わたしが捨てようと思っても、なかなか消えてはくれません。長編の一部分とはまたちがう味わいもあるのでしょう。作品は どこまでが作者のものなのか、ちょっと考えさせられるところではありますが、そのわたしにも、自作を一つ消すことに痛みがないわけではなく、いろいろとまよったすえ、とにかくこの「コロボックル童話集」には、「百万人にひとり」も加え、もとの形のままで残すことにしました。
そんなことから、この本の読者の中には、どこかで読んだような話にぶつかって、びっくりする人があるかもしれません。
[#ここから7字下げ]
*
[#ここで字下げ終わり]
さて、数年前、わたしはコロボックル物語の第五巻を書きはじめることにして、登場人物などをあれこれ考えているうちに、ふっとこの本にはいっている「へんな子」という作品の一組――松山《まつやま》正子《まさこ》という人間とツクちゃんという娘《むすめ》コロボックル――を借りることを思いつきました。四巻にならって、というわけではなく、キャラクターを借りるだけのつもりでした。
そのときは、約八十枚ほど書いたところで、筆を止めました。その大きな理由の一つは、キャラクターを借りただけのはずが、どうしても前作の「へんな子」にもどっていってしきりことでした。「へんな子」は、すでに全集にも収録されていましたから、気にしないつもりでも、ついつい気になって、話づくりの興をそがれてしまったのでした。
また、短編とはいえ、一つのまとまった作品世界を持っているものを、ばらばらにして長編に組み込《こ》むという作業は、書きおろす以上にめんどうでわずらわしく、わたしが音《ね》をあげた、ということでもあります。
しかし、この「コロボックル童話集」がでるときまって、わたしは踏《ふ》んぎりがついたようです。以前に書いた八十枚の先を書きつづける気になりました。というわけで、まだ書きあげてはいませんが、コロボックル物語の第五巻の一部分は、おそらく「へんな子」とそっくりになってしまうだろうと、今から覚悟《かくご》しています。
[#ここから7字下げ]
*
[#ここで字下げ終わり]
短編から長編を書き起すのは、ときに作家が試みる手法で、それほどめずらしいことではありません。とはいうものの、ふりかえってみると、わたしにはコロボックル物語のほかにもかなりあります。一時、創作メモをつけるかわりに掌編《しようへん》童話に仕立てておく、というようなことをしたために、結果としてふえてしまったようです。もしかすると、気に入った主題や場面を、何度でもとりあげてみたくなるのは、わたしが人一倍|凝《こ》り性《しょう》であるためかもしれません。
[#地から1字上げ](一九八二年十二月)
底本:講談社青い鳥文庫 18−8 「コロボックル童話集」佐藤さとる著
1983年1月19日 第1刷発行
1993年8月20日 第19刷発行
二〇〇五年一〇月テキスト化