コロボックル物語4 ふしぎな目をした男の子
佐藤さとる
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【テキスト中に現れる記号について】
:ルビ
(例)鬼門山《きもんやま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その性|敏捷《びんしょう》にして
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)1[#「1」は丸付き数字]
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[#表紙(img\表紙.jpg)]
[#挿絵(img\000.jpg)]
[#小見出し]はじめに[#「はじめに」はゴシック体]
日本のある町の町はずれに、コロボックルの住むコロボックル山がある。山といっても小高い丘のようなもので、近くの人々は鬼門山《きもんやま》とよんでいる。
コロボックルというのは、背の高さがおとなで三センチほどしかない、日本の小人のことで、そのコロボックルが千人ほどかたまって住んでいるのが、コロボックル山である。この山の地下には、コロボックルの町がいくつもできている。
念のためにいうが、これはむかしの話ではない。いまの話だ。だから、コロボックル山にも、当然正式な番地もあれば町名もある。しかし、ここではっきりいうわけにはいかない。コロボックルがゆるさないためだ。
「人間に知られて、集まってこられるとこまるんだ。なにしろ、ものずきな人間はいっぱいいるからね。」
コロボックルたちは、とくいの早口で、そういう。もっとも、あんまり早口なので、なれない人には、ルルルルルとしかきこえないだろうが。
だからといって、コロボックルたちが、人間をこわがっていると思ったら大きなまちがいである。
生まれつき、たいへんにすばしっこく、人間の十ばいもはやく走れるからコロボックルがその気になれば、人間をやっつけることなんか、朝めしまえだ。なにしろ人間の目には、見えないほど、コロボックルはすばしっこい。
実をいうと、このコロボックル山は、小さいけれど、りっぱな一つの独立国になっている。そして、このコロボックルの国には、クマンバチ隊という隊がある。
隊員は、わかい男のコロボックルから、えらばれるのだが、なぜクマンバチ隊≠ネんていう名まえがついているかというと、この連中は、いざとなると、どくをぬったやりを持って、人間にでもいぬにでも、くまんばちのようにおそいかかる。目をねらうことも、もちろんできるわけである。
十人のクマンバチ隊員におそわれたら、おそらくぞうでもひっくりかえるだろう。そして、深海用潜水服でもつけないかぎり、このコロボックルのクマンバチ攻撃はまずふせげない。
しかも、コロボックルのすばしっこいのは、足だけではない。頭もたいへんすばしっこい。つまり、頭の回転がはやくて、りこうなのだ。そういうすぐれた小人だったからこそ、いままで長いあいだ人の目にふれずに、ひっそりと生きのびてこられた、ともいえるだろう。
ところで、コロボックル山には、人間のつくった小屋が、二つ建っている。
一つは、小さいもので、ものおきぐらいしかない。これは、山の南斜面の中ほどの、大きなつばきの木の下にある。もう一つは、これより二まわりほど大きいのだが、この山がかかえているような、三角の形をした平地のすみに建っている。
この二つの小屋は、片ながれの屋根の形や、かべからとびだしたような窓が、よくにている。まるで、親子のようにそっくりである。
小さいほうは、コロボックルの城で、ここには、コロボックルの役場や、学校や、公会堂や、ラジオ放送局などがある。
もう一つの大きいほうは、いまのところだれも住んでいない。実は、コロボックルのひみつをよく知っている人間の一家があるのだが、その一家が、ときどきこの山へあそびにきたときつかうだけだ。もちろん、この二つの小屋を建てたのもその人間で、公式にはこのコロボックル山の持ち主でもあった。
コロボックルたちは、その人間一家を、コロボックルの味方≠ニいっている。ご主人は、町の電気会社の主任技師さんで、おくさんもふたりの子どもも、みんなコロボックルにとっては味方である。
ここいらの話は、なかなか一口には説明しにくい。できれば、コロボックル物語の1[#「1」は丸付き数字、unicode2460]「だれも知らない小さな国[#「だれも知らない小さな国」はゴシック体]」2[#「2」は丸付き数字、unicode2461]「豆つぶはどの小さないぬ[#「豆つぶはどの小さないぬ」はゴシック体]」3[#「3」は丸付き数字、unicode2462]「星からおちた小さな人[#「星からおちた小さな人」はゴシック体]」を読んでくれるといい。そっちにくわしく書いてある。
さて、こういう「味方」は、コロボックルがえらぶので、人間のほうから、かってにコロボックルの味方にはなれない。だいたい、コロボックルたちは、しょっちゅう人間のあいだを走りまわっているくせに、めったなことでは立ちどまってくれない。つまり、人間には見えないということになる。見えないのだから、人間からはどうしようもないわけだ。
いまのところ、コロボックルの味方は、その電気技師の一家だけである。
だが――。
コロボックルと友だちになった人間が、ほかにいないわけではなかった。
ただし、「友だち」というのは、いままで説明してきたような、コロボックルのひみつは、なにも教えてもらえない。ただ、ひとりのコロボックルとなかよしになった、というだけである。そして、こういう友だちを、えらぶのも、やはりコロボックルのほうで、人間ではない。人間からコロボックルに近づくことは、ほとんどできないといってもいい。
さて、この物語は、そういうコロボックルの友だち≠ノなった人の物語である。
[#地から2字上げ]佐藤さとる
[#挿絵(img\006.jpg)]
もくじ
はじめに……………………………………3
第一章 つむじまがりの学者………………11
第二章 タケルとヒロシと用水池…………51
第三章 二つのいいつたえ…………………91
第四章 かわいそうな池……………………133
第五章 ほんとうのトモダチ………………173
あとがき……………………………………206
[#地付き]さしえ/村上勉
[#改ページ]
ふしぎな目をした男の子
[#改ページ]
[#見出し] 第一章
[#見出し] つむじまがりの学者
[#挿絵(img\011.jpg、横276×縦380、下寄せ)]
コロボックル山に、ひげもじゃの、へそまがりの、つむじまがりの、がんこもののじいさまコロボックルがいた。
このじいさまのほんとうの名まえは、ウメノヒコという。もともと、コロボックルの男はみんなヒコという名で、女はみんなヒメである。上にくっつくウメとかマツとかヒノキとかいう木の名は、一族をあらわす。
だがこんな名まえだと、ウメ族の男はぜんぶウメノヒコという同じ名まえになって、区別がつかなくなってしまう。そこで、それぞれにべつのよび名がつけられていた。
さて、このウメノヒコのじいさまのよび名は、『ツムジ』といった。正式にいうと、『ウメノヒコ=ツムジ』というわけだ。
このツムジというのは、つむじまがり≠フつまったものだ。わかいころから、このコロボックルはたいへんにがんこで、そのうえたいへんにつむじまがりだったという。
ツムジのじいさまは、ウメの一族からもぽつんとはなれて、ひとりでくらしていた。コロボックルの町は山の地下のあちこちに七つあるのだが、このじいさまはどの町にもはいらず、山のうらがわのやぶの中に家を持っていた。
家は、小さなかけたどびんである。そのどびんがいつごろからそこにあるのかは、じいさまも知らない。とにかくもうずいぶん古いもので、じいさまがまだ子どものころに見つけて、そのころから自分のかくれがにしていたものだそうだ。
どびんには、つるもふたもない。横にころがった形で、すこし土にうまっていた。そのために入り口は半円よりすこし大きい形になる。その入り口を板でしきり、あかりとりの窓ととびらがつけてあった。
どびんのかけた口はちょうどななめ上をむいていたので、そのままえんとつに使えた。もちろん雨がふきこまないようにかさをつけてある。
ツムジのじいさまは、そこでもう、長いことひとりぐらしをしているのだった。
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どびんの家にはたながたくさんつってあって、書類のようなものがいっぱいならべてあった。このじいさまは、自分たちコロボックルの古いむかしのことをしらべるのが、おもてむきのしごとだった。だから、たとえばこんなことも、じいさまにきけばよくわかる。
『コロボックル』というのは、もともとアイヌ語の、『ふきの葉の下の人』という意味で、大むかしからある名まえである。だが、すこし前まで村の人たちは、コロボックルのことを『こぼしさま』とよんでいた。漢字で書くと『小法師《こぼし》さま』となる。小さなおぼうさんという意味である。
もっと前には、『コロボッチ』とよんでいたらしい。これも、漢字で書くと『転々童子《ころぼっち》』となるそうだ。コロボックルのなまったことばにちがいないが、それにしても漢字を見ると、『ころころころがるような、すばやい小人』というような意味もふくまれて、なかなか気がきいている。
こんなふうに、ツムジのじいさまは、コロボックルのあちこちの家にのこされた古い書きつけや、しみだらけの手紙や、年よりからきいた話などを、きちんとまとめるしごとをつづけていた。つまり、このコロボックルは学者だったのである。とてもそんなふうには見えなかったが。
けれども……。
そのしごとのためだけに、ツムジのじいさまはひとりぐらしをつづけていたのではなかった。ほんとうは、もう一つべつのことを、長いあいだ研究していたのだ。
わかいころから、このつむじまがりのじいさまは、先のことがなんとなくわかるような気がしてならなかった。
もともとコロボックルは、みんなたいへんかんがするどくて、二、三分あとのことなら、ほんとうにわかっているみたいなところがある。
ところが、ツムジのじいさまは、二、三分あとどころか半日ぐらい先のことまで、ふっとわかることがたびたびあった。それで、なんとかしてもっとはっきり、もっと先のことまで正確にわかるようになりたいと考えた。そのためには、静かなひとりぐらしにかぎるときめて、なかまや家族とわかれ、このどびんの家にやってきたというわけである。
なにも知らないほかのコロボックルたちは、みんなふしぎに思った。
「おい、ツムジよ、なんでまたきゅうに、そんなところへひとりでもぐっちまったんだい。」
顔をあわせると、あちこちでそうきかれた。ついでにことわっておくが、コロボックルどうしの話はものすごい早口である。だがおなじ日本語であることはまちがいない。
さて、そうきかれたじいさまは――そのころはまだじいさまではなかったが――にやにやして、こうこたえたものだ。
「うん、つまらんことを、くどくどきかれるのがいやなんでね。」
「ふうん。」
あいてのコロボックルは十人が十人、思わずつりこまれた。
「つまらんことって、その、たとえばどんなことだい。」
「たとえば、おまえがたったいまきいたようなことさ。」
「えっ。」
「まったく、つまらんことをきくやつがおおくてかなわんよ。」
じいさまはにやにやしながらそんなことをいう。このつむじまがりめ、と、みんなはぼやいた。でも、おこるものはめったにいなかった。つむじまがりではあったが、根は正直ではたらきものであることも、よく知られていたからである。
さて、こうしてツムジのじいさまは、ひとりでむかしの古い書きつけをしらべながら、ひまさえあれば先のことをうらなうくふうをしていた。
ある夏の朝のこと、いつものように朝つゆを集めにでていった。ここのやぶは水場が遠いので、毎朝つゆを集めることにしていたのだ。(冬はしもを集める。)
水おけ――といっても、どんぐりのはかまだが――に水をくみとるまえに、いつものとおり、まず手近なつゆの一つぶで顔をあらい、口をすすいだ。さっぱりしたところで、水おけを持ちあげ、大つぶのつゆの玉をくみとろうとしたとき、ふとその水玉にちらりとうつったものがあるのに気づいた。
「あれ、モチノヒコじゃないか。」
びっくりして、思わずうしろをふりむいた。なかよしのモチノヒコが、こんな朝早くからたずねてきたのかと思ったのだ。だって水玉には、たしかにモチノヒコがわらいながら歩いてくるところがうつっていたから。
だが、うしろにはだれもいなかった。
[#挿絵(img\017.jpg)]
もういちど水玉を見た。やはり友だちのモチノヒコにちがいなかった。このモチノヒコとツムジとは、どういうわけかうまがあって、子どものころからなかがいい。そのくせ、あえばおたがいにわる口ばかりいいあっている。
息をころして見つめていると、いきなり水玉はつうっと走りだして、ポトンと下へおちてしまった。
「やれやれ。」
ツムジは、目をこすってつぶやいた。たぶん朝日に光ってきらきらしていたのが、そんなふうに見えたのだろうと、そのときは思った。
「そういえば、あいつともしばらくあっていないなあ。」
そんなことをいっただけで、すぐにわすれてしまった。
ところがその日の午後、モチノヒコがめずらしくどびんの家へあそびにきたのだ。そのモチノヒコの顔を見たら、朝の水玉にうつったモチノヒコのことを、きゅうに思いだした。それで、ツムジはひざをうってこういった。
「やあ、わかったぞ。わしは、おまえがくるのを、朝から知っていたんだ。」
モチノヒコは、このつむじまがりの友だちがなにをいっているのかさっぱりわからず、ただ目をぱちくりさせていたという。
でも、それがはじまりだった。
ツムジのじいさまは、天気さえよければ毎朝つゆの水玉をのぞくのがしきたりになった。といっても、はじめのうちはめったにはっきりしたことは見えなかった。まぶしいばかりでなにがなんだかわからないことがおおく、つゆがかわくまで見つめて、目がいたくなったこともたびたびあった。
三年ほどたつと、三日に一度ぐらいは、はじめのときのように、水玉の中にくっきりとかわったものを見るようになった。あるときはコロボックルのすがただったり、またあるときは知らない町のけしきだったりした。
ところが、その水玉にうつったものがいったいどういう意味なのか、なかなかわからなかった。
十年ほどたつと、それもすこしずつわかりかけてきた。水玉をのぞくとき、自分がなにを知りたいか、なにを見たいか、強く頭の中に念じていれば、そのことについてちらりとなにかが見えるのである。ほんのちょっぴりしかうつらないから、それを手がかりにしてあれこれと考えなければならない。
ぴったりあたることもあったかわりに、ぜんぜんまとはずれのけんとうちがいをすることもあった。
二十年もたつと、もうあまりまちがえなくなった。そして、朝つゆだけでなく自分で水玉をつくってのぞいても、おなじように見えるようになっていた。
こうして、とにかく先のことは、ほんのちょっぴりではあったか、かなり正しくわかるようになっていたのである。
このころが、じいさまにとっては、いちばんおもしろかったようである。この調子でいったら先のことはなんでもわかるようになるだろうと、むちゅうになった。むりもないが、むかしのことを調べることも、しばらくはおるすになったほどだ。
――むかしのことを知るのもおもしろいが、これから先のことを知るのはもっとおもしろいからな――。
じいさまはそんなことを思った。そして、ひまさえあれば水玉を見つめつづけて、とうとう四十年もたってしまった。
ツムジのわかものは、いつのまにかツムジのじいさまになっていた。でも、やっぱり先のことはほんのちょっぴりしかわからなかった。せいぜい三日先である。
「いくら先がわかるといったって、これっぽっちじゃしょうがない。まあ、わしもたいしたことはないというわけじゃな。」
ある日、じいさまはため息をついて、そうつぶやいた。ところがそう思ったら、かえってすっきりしたという。どういうぐあいにすっきりしたかというと、たとえばコロボックルの人相を見ることなどがたいへんじょうずになった。もちろん、だからといって、つむじまがりがなおったというわけではない。
男のコロボックルは、ときどき人間の村や町へ、二、三人ずつ組みになってでかける。
これを、『狩り』といっている。狩りだから、もちろんえものをとるのが目的である。だがコロボックルのえものは、動物や魚とはかぎらない。人間がおとしたたべもののくずや、糸くずや、針や、そのほかコロボックルの役にたちそうなものなら、なんでもえものだ。
この『狩り』は、むかしからつたわるコロボックルのならわしの一つだった。
いまは、コロボックルのひみつを知っている味方の人間一家がいるので、わざわざ狩りになどでなくても、ほしいものはなんでも手にはいるようになった。それでも、コロボックルたちは、むかしどおり狩りにでる。できるだけ自分たちの力だけで、生きていこうとしているのである。
「味方の人間にばかりたよると、いまにコロボックルはいくじがなくなって、やがてはほろびてしまうだろう。」
コロボックルたちは、そう考えている。
ツムジのじいさまも、もちろん狩りにでる。それもきまってたったひとりでいく。
なかよしのモチノヒコが心配して、だれかわかいものをつれていけ、と注意したことがあった。このモチノヒコは、人がらのすぐれたコロボックルだったので、はやくから世話役(大統領のような役め)にえらばれていた。
そのときも、ツムジのじいさまは、口をひんまげてくびを横にふった。
「わしはひとりがいいんじゃ。ひとりででかけりゃ、気がちらなくていい。」
「おまえのつむじまがりは、子どものころからよく知っているがね。」
モチノヒコ世話役は、にがわらいしながらいった。
「もし、人間につかまったりしたら、どうするつもりだ。」
すると、ツムジのじいさまは、ひげの中の口をいっそうひんまげてこたえた。
「ふん、おもしろい。人間につかまるなんてまったくおもしろいな。わしは、前からいちど、人間につかまってみたいと思っているんだがね。なかなかうまくつかまらないよ。」
ひどいつむじまがりだな、と、さすがの世話役もあきれてだまってしまったそうだ。
だけど、ツムジのじいさまの口と心とは、ずいぶんちがっていた。口ではそんならんぼうなことばかりいっているが、本気でいっているわけではない。
だいいち、人間につかまるような、むちゃなことはしない。年はとっても、まだまだたいへんすばしっこくて、そのうえ先のことがいくらかでもわかるためだろうか、めったに手にはいらない、すばらしいえものをとってくるので有名だった。
たとえば水晶のかけらとか、腕どけいのぜんまいとか、銀の粉とか、うまのしっぽの毛とか、どこでどうやってみつけるのか知らないが、そんなすてきなえものをとってくる。それをまた、おしげもなく人にわけてやることでも有名だった。
「あれ、じいさま。こんないいものもらってもいいのかい。」
うっかりそんなことをいうと、もういけない。じいさまはつむじをまげてしまうのである。
「いらないなら、かえしてもらおうかい。」
そういって、ほんとにとりかえしそうにする。まるで子どものようである。じいさまとしては、お札をいわれるのがてれくさいだけなのだが、なにしろたいへんなつむじまがりだから、まるでおこっているように見えてしまう。
きげんのいいときのじいさまは、わかものの集まっているところへやってきては、よくこごとをいった。
「おまえたち、しっかりしろよ。人間のまねなんかして、のんきなくらしをしようなんて、けっして思うなよ。」
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コロボックルに、味方の人間ができてからというもの、思いがけないほどコロボックルのくらしはかわってきた。コロボックルの城ができたり、コロボックルの学校ができたりした。それにつれて、むかしからのおきて(きまり)も、すこしずつかわっていった。
それが、ツムジのじいさまには、あまりおもしろくないのだ。
「むかしはな、この山からでるにも、いちいち世話役のゆるしをもらわなくてはいけなかった。それがどうだ。いまでは、いつでていっても、いつ帰ってきてもいいという。わしらは、むかしからきびしいおきてを持っていて、それをきちんとまもってきたからこそ、こうしていられるんじゃ。むやみとおきてをゆるめるのはいかん。いいかね、おまえたちも、そのつもりでしっかりしなさいよ。」
じいさまのいうように、ちっぽけなコロボックルたちが生きてこられたのは、きびしく、しかもすぐれたおきてがあったからだ、といえないこともないだろう。むかしのことを調べているじいさまには、とくに強くそう思われたのかもしれない。
わかものたちは、おとなしくこごとをきいていた。このじいさまがすぐれた学者だということ を知っていたし、だいたい、いいたいことをいってしまえば、いつだって、さっさとどこかへいってしまうからだ。
やがて、友だちのモチノヒコ世話役が、あとをわかいヒイラギノヒコにゆずった。わかい新し世話役は、コロボックルの国を、ますます新しくかえていった。
コロボックル新聞が発行されたり、コロボックル用のはばたき式飛行機(オーニソプター)ができたり、テレパシー=ラジオ(コロボックルのからだが、トランジスターのような働きをすることがわかって、かんたんなしかけでラジオがきこえる)を発明したり……。
ツムジのじいさまは、そのころからめったにこごともいわなくなった。ますますつむじまがりになって、狩りにでるほかは、やぶの中のどびんの家にとじこもるようになった。
モチノヒコ前世話役は、やがて病気になってなくなった。その知らせをツムジのじいさまのところへつたえにいったコロボックルはびっくりした。じいさまが、きちんと礼服を着てあらわれたからだ。
じいさまは、十日も前に、このことを水玉の中に見たのである。じいさまは、知らせにきたコロボックルにむかって、わしとおない年のくせにもう死んでしまうなんてだらしがないといって、口をへの字にまげておこったそうだ。おこりながら、涙をぽろぽろこぼしたそうだ。
そんなツムジのじいさまを、かんかんにおこらせるようなことがとうとうおこった。
ある年の春、コロボックルの『おきて』が大きくかわったのだ。
これまで、コロボックルと人間とがかってにつきあうことは――ただ、すがたを見せるだけでも――かたくとめられていた。コロボックルのひみつを知られるおそれがあるし、ひみつを知った人間が、どんなわるい考えをおこすかわからない、といわれてきたのである。
だから、コロボックルが人間にすがたを見せるには、世話役だけでなく相談役(副大統領のような役めで数人いる)全部のゆるしがなければいけなかった。
やむをえない理由で、どうもすがたを見られそうだというときには、かならずあまがえるの服を着なければならない。(この服を着て、あまがえるそっくりに動けるよう、いまでもコロボックルの学校では教えている。)
ところが、新しいおきてでは、もしコロボックルが自分の気にいった人間をみつけたら、トモダチになってもいい、ということになった。
ただし、ひとりのコロボックルは、いちどにひとりの人間としかトモダチになれない。それから、コロボックル山のひみつは、いっさいしゃべってはいけない。
それさえまもれば、人間とつきあってもよいことになったわけである。しかも、どこのどういう人間とトモダチになったか、あとで世話役にとどけるだけでいい。コロボックル山をでて人間の町に住むことも、もちろんゆるされることになった。
ほとんどのコロボックルは、この新しいおきてができたとき、たいへんよろこんだ。けれども、ツムジのじいさまはつむじをまげた。いままでにないくらい、おっそろしくひんまげた。
「そんなことってあるものか。わしらのトモダチになれるような、そんな人間がざらにいるわけがない。わかいものたちが、おもしろ半分に人間とトモダチづきあいをはじめたら、コロボックルはきっとだめになってしまう。なんでもかんでも、人間にたよるようになって、しまいにはこの山にも人間たちがわいわいやってきて、わしらはにげださなくてはならなくなるじゃろう。わしは気にいらん。ぜったいに気にいらん。」
そういって、役場へのりこんでいった。
わかい世話役のヒイラギノヒコは、この有名なつむじまがりのかわりものの、がんこなじいさまをとても尊敬していたので、そんな心配はないからといって、なんとかなだめようとした。だが、だめだった。
「わしは、もう、この山には用がないようじゃ。」
ぷんぷんおこったまま、コロボックル山をとびだして、人間の町へいってしまった。
このへんが、つむじまがりのつむじまがりらしいところだ。そんなに人間とつきあうのに反対ならば、どんなことがあってもわしだけはこの山から一歩もでていかないぞ、とがんばるところだろうに、あまりつむじをまげすぎたものだから、かえって人間のまんなかへとびだしていってしまったのである。おまけに、山をでるとき見はりのコロボックル(クマンバチ隊の隊員)に、こういいのこした。
「わしは、町へいってくらすぞ。おきてでは、世話役にことわらないといけないんだったな。わしはとどけるひまがないから、おまえからそういっておいてくれ。いずれ、住むやどがきまったら、知らせるからってな。」
じいさまが山からとびだしていったことは、見はりのクマンバチ隊員から隊長のスギノヒコに知らされ、隊長から世話役のところへ知らされた。すると、世話役はにやにやしながらこういった。
「そうか、ツムジのじいさまがでていったか。なるほどつむじまがりだな。しかし、ほうっておくわけにもいかん。クマンバチ隊員をふたりやって、じいさまのゆくえをさがさせろ。ただし、じいさまにはみつからないように。それから、じいさまがやどをきめたことをたしかめたら、そのままだまってもどってくるように。」
「それは、もう手配してあります。」
スギノヒコ隊長も、にやっとしてこたえた。
「じっは、隊員にそういって、あとをつけさせました。」
「よしよし。」
世話役はうなずいた。
「あのじいさまときたら、まったくがんこでしょうがない。しかしながら、われわれにとってはたいせつな老人であり、見かけはあんなだがすぐれた学者でもある。あのじいさまはひとりぼっちだし、みんなでだいじにしてあげなくてはいかん。」
「わかっています。」
隊長はまじめな顔にもどると、敬礼して帰っていった。
ツムジのじいさまのやどは、なかなかきまらなかった。ふつう、コロボックルが人間の町へ住みつくときは、たいてい人間の家の中に自分のやどをさがす。なんといっても、人間の家の中は風もあたらないし、雨もふりこまない。よくさがせば、ねずみもはいれないようないいかくれ場所がいくらでもある。
ところが、ツムジのじいさまは、人間の家なんかに住むなんて、はじめっから考えていない。
山をでていった日は、町のうら通りの石がきのすきまでねた。けれども、あまりねごこちはよくなかったとみえて、つぎの日の夜は、しばふの庭においてあったからっぽの犬小屋にもぐりこんだ。この小屋にいぬがいなくなってから、ずいぶんたっているようだったが、それでも、じいさまは、ひろい犬小屋のすみっこで、ぶつぶつもんくをいった。
「どうも、やっぱりいぬのにおいがする。」
そこで、つぎの夜は、たばこ屋の横のあき地でかれ草のかげにねた。
[#挿絵(img\029.jpg)]
「星が見えるな。山にいるときも、ときどきこうして、星の見えるところでねたもんじゃ。」
そういっていばっていたそうだ。もう春だったから、寒くてふるえあがるようなことはなかっただろうが、明けがたにはつゆがおりて、かなりねぐるしかったとみえる。あとで、じいさまをつけていたクマンバチ隊員のひとりは、隊長のところへ知らせにきたとき、わらいながらいった。
「きょうも、朝からやどさがしですよ。この調子じゃ、なかなかじいさまのねぐらはきまりそうもありません。いま、じいさまはひるねをしているので、そのすきに報告にきたのですが。」
なにしろきのうの夜は、ろくにねむれなかったようですからね、とつけくわえて、隊員はいそいでまたもどっていった。そして四日めの夜、ようやくのことで、ツムジのじいさまのやどがきまった。
古いうめの木のみきにぽっくりあいていたほらあなだった。中はあんがいとひろかったらしく、かれ草やわらを持ちこむと、すてきなねぐらになったようである。
ツムジのじいさまは、せっせとはたらいた。うめの木の皮で戸をつくり、入り口につけたりした。
そのことも、すぐにコロボックルの山へ知らせがいった。
「どうもすみません。」
知らせを持って山へ帰ってきたクマンバチ隊員は、報告をすませたあと、隊長と世話役の前で頭をさげた。
「すみませんって、なにが。」
「いえ、その、つまり、わたしたちはじいさまに見つかっちまったんです。」
「ほう。」
世話役は、おもしろそうな顔をした。隊員は、頭をかきかきこんな話をした。
「あのじいさま、ほんとにゆだんがなりません。わたしたちがずっとあとをつけていたこと、ちゃんと知っていたんです。それで、自分のやどがきまると、あっというまにわたしたちの前へとびだしてきました。ありゃ、まったくたいへんなじいさまだ。」
思わずそんなことばをはさんで、あわててつづけた。
「ええと、つまりこういうんです。『きみたち、ごくろうだった。わしの住むところもきまったから、もう安心しろ。おきてにしたがって、ほんとうならわしが山へもどって世話役にとどけなくちゃいけないんだがな、ものはついでだ。おまえさんたちから、そういっておいてくれ。』って。」
「ふふふ。」
世話役は、おもしろそうにわらった。そして、わらいながら手をふった。
「よろしい。それで正式のとどけとみとめよう。ところで、じいさまのことばじゃないが、ものはついでだ。きみたちふたりはときどきじいさまを見にいって、なにかこまっていることはないかどうか、気をつけてやれ。なるべく――そう、なるべくじいさまには見つからんようにな。そっとしておくんだ。いずれ、かかりのものを見舞いにいかせるがね。それまではほうっておこう。」
さて、こうしてツムジのじいさまの住みついたうめの木は、町の小さな公園にあった。公園とは名ばかりで、子どものあそび場といったほうがいいくらいである。がけ下のわずかなあき地に、ぶらんことすべり台と鉄棒と砂場があるだけだった。いや、ほかにベンチが一つあった。
うめの木は、もとからこのあき地のすみにあったもののようだ。ほかに、つつじやあおぎりなどが三、四本うえられていたが、うめの木はいちばんおくのがけのま下にある。たけはたいして高くないが、みきはふとく、さしわたしで二十センチ近くあったろうか。もうずいぶん古い木のようだった。
うめの木は、はだがあらくて木のぼりにはむかないし、草むらのがけ下にあったため、公園に集まる子どもたちはめったに近よりもしない。もちろんツムジのじいさまは、そういうことも考えたうえで、この木をえらんだのかもしれない。
「うん、うめっていう木は、だな。」
自分の新しい家がすっかり気にいったとみえて、じいさまはひとりごとをいった。
「見たところじみな木なんじゃ。そのくせ春一番に花をつけて、すばらしいにおいをながす。そういう木なんじゃ。うん、ウメノヒコを名のるコロボックルも、そうでなくちゃならんわけじゃな。」
このうめの木に住めば、わざわざ人間の家まで狩りにでかけることもなかった。子どもたちは、じいさまのほしいものをなんでも公園に持ってきて、おとしていったのである。
ふだんの日の昼前は、小さなまごをつれたお年よりや、赤ちゃんをつれたわかいおかあさんが、なん組もやってきた。
お昼をすぎると、幼稚園や、小学校の一、二年生ぐらいの小さい子から集まりはじめる。やがてこれに三、四年生、五、六年生とまじってくる。
そして、三輪車をのりまわしたり、キャッチボールをしたり、石けりやなわとびをしたりしてあそぶ。夕方ごろが、公園はいちばんにぎやかだった。
夜になると、こんどはわかい人たちがきた。ちょっとぶらんこにのったりはするが、たいていはしずかに話をしたり、たばこをすったりして、またしずかに帰っていく。
「こうして見ていると、人間なんてまぬけなやつらばかりだが、まあ、なかなかかわいいところもあるわい。」
じいさまは、うめの木の枝のたいらなところにあぐらをかいて、毎日公園をながめてくらした。
なにしろ、ほかにすることがないのだから、たいくつでたまらない。いくらひとりぼっちにはなれているといっても、そうそうひげの手入ればかりしているわけにもいかない。といって、古い書類は、みんな山のどびんの家においてきてしまった。
じっとしているとからだがなまってしまいそうなので、ときどき力いっぱい運動をした。
走っている自転車のスポークのあいだをくぐりぬけたり、ぶらんこをしている女の子のおさげの先にぶらさがって、ぶらんこをしたり(これは二重のぶらんこをしたことになる)、なわとびのなわの上を走ってみたりした。
なわとびのなわの上といっても、なわはじっととまっていたわけではない。ふたりの女の子がなわの両はしを持って、びゅうびゅうふりまわしていたときだ。そのなわの上を走りぬけるのは、いくらコロボックルでもむずかしいしごとだったが、じいさまはちゃんとやってのけた。
もっともあまり調子にのって、なん回もくりかえしているうちにとんだ失敗をした。ぐるぐるまわっているなわの中に、もうひとりの女の子がはいってとびはじめたのだが、二、三度とぶとなわを足にひっかけた。
はずみをくらったじいさまは、五メートルもふっとばされてしまった。
ちょうど、ようすを見にきていたクマンバチ隊の隊員は、思わずかくれていた草かげからとびだして、じいさまにかけよろうとした。ところがじいさまは、さっと立ちあがって、うめの木のほうへ消えていったということだ。
[#挿絵(img\034.jpg)]
そんなじいさまが、ひやりとするようなことがおこったのは、それからまもなくである。
午前のしずかな公園に、おばあさんにつれられた二つぐらいの男の子があそびにきていた。めずらしく、公園にはそのふたりだけしかいなかった。
「ははん、きょうはあの組が一番のりか。」
じいさまは、日あたりのいいうめの木の枝にこしかけて、みのむしの皮でつくった雨がっばの手入れをしていた。いつのまにかじいさまにも、顔なじみの人間がなん人かできていたのである。このふたりも、ときどき見る顔だった。
ふくふくとそだった男の子は、まゆがきゅっとつりあがっていて、ほんのちょっぴり目がやぶにらみだった。口をへの字にむすんで、ひたいにたてじわをよせて、あたりを見まわすところは、いまにこいつ、たいへんなわんぱく小僧になるぞ、という気がした。そのくせ、わらうと女の子のようなかわいい顔になる
「ふん。」
じいさまは、この子を見ると、なかまのコロボックルたちを思いだした。からだつきが、なんとなくにていたからだ。おとなでも、コロボックルは人間にくらべれば頭が大きく、ちょうどこの男の子くらいのつりあいだった。
男の子は、まだ赤んぼのくせになかなかどきょうがあった。
その日も、まず、すべり台にひとりでのぼって、わざと頭からすべりおりたり、うしろむきにすべりおりたりした。そのあと、ぶらんこにかけよって、ひとりでぶらんこの板によじのぼった。ぐらりと、ぶらんこがゆれて、男の子は地面にころがった。
「ほらほら、あぶない。」
おばあさんが、はらはらして手をだしたが、その手をふりはらうと、またすぐぶらんこにかじりつく。そしてまたころがりおちた。
なんどもなんども、よじのぼってはおちるくせに、頭をぶつけるということがない。くるんくるんところがっては、きゃっきゃっとわらった。
「ふふふ、たいしたもんじゃ。」
ツムジのじいさまは、つい、立ちあがって、その子の近くまで走っていってみた。
すると[#「すると」に傍点]、男の子は[#「男の子は」に傍点]、走ってくるじいさまを見た[#「走ってくるじいさまを見た」に傍点]。
じいさまは、びくっとくびをすくめた。
相手が赤んぼだったので、じいさまも、ちょっとゆだんしたのかもしれない。それにしても、男の子のほんのすこしやぶにらみの目は、じいさまの走るとおりにすばやく動いた。
(ひぇっ!)
じいさまは、口をすぼめた。
(いかん! ゆだん大敵とはこのことじゃ。こんなぼうやに見られるようじゃ……。)
[#挿絵(img\037.jpg)]
そこで、こんどはじまんの足をけって、ぼうやの足のあいだを、正面から一気にすりぬけた。
するとまた[#「するとまた」に傍点]、男の子はじいさまを見た[#「男の子はじいさまを見た」に傍点]。
じいさまが走ったとおり、男の子は自分の足のあいだをのぞきこんだ。あんまり力いっぱいからだを前にかがめたために、男の子は、きれいなでんぐりがえしをうった。そしてにこにことわらいながら立ちあがった。
「ぼくの、あんよのとこ、だれかが、はちっていったよ、おばあたん、ねえ、おばあたん。」
「なんのことなの、タケルちゃん。」
おばあさんは、男の子の背中の土をはたきながらいった。
「なにが走っていったの。」
「あのね、ちいちゃい、ちと。」
まだ、したがよくまわらない。しかし、それをきいて、ツムジのじいさまはぞっとした。この男の子は、小さい人≠ェ、自分の足のあいだを走りぬけていったと、おばあさんにいっているではないか。
「あらそう、おもしろいねえ。」
おばあさんは、そうこたえただけだった。男の子のほうも、それっきりで、またすべり台にかけよっていった。
すっかりあわてたツムジのじいさまは、公園のすみを大まわりして、うめの木にもどった。そして、一目散に自分のやどへとびこんだ。
(えいくそ! こんなことってあるか!)
頭を二つ三つ自分でたたいて、じいさまはつぶやいた。
「わしは、まだまだ、人間の目にとまるほど、もうろくはしておらんぞ。そのわしが、あのときはいつもより気をいれて走った。それなのに、あの男の子はわしを見たといっている。ほんとじゃろか。」
じいさまは、気をおちつけるために、ひしゃくで水がめから水をくみ、ごくりと一口のんだ。
それから、ふと思いついてひしゃくの水を外のうめの葉にさっとかけた。
水玉が、ポタンポタンとおちて、やがてじっととまる。その水玉を、じいさまはぼんやりと見つめていた。
「おやおや、わしは今夜おそく山へ帰って、世話役とあうことになりそうじゃな、ふうん、この水玉にうつっているわい。」
そうつぶやいてはいたのだが、水玉のことなんて、まるっきりうわの空だった。
ものはためしじゃ、とじいさまは考えた。あの男の子が、ほんとうに自分のすがたを見たのかどうか、もういちどたしかめてみたくなった。まだ信じられなかったのである。
さっとうめの木からとびおりると、砂場でいたずらをはじめた男の子のほうにむかった。そして、かがんで砂をいじっている男の子のまわりを、それこそ力いっぱいのはやさでまわってみた。
やはり男の子はじいさまを見た[#「やはり男の子はじいさまを見た」に傍点]。
男の子の目がすばやく動き、からだはじいさまを追って、くるっと一回転した。おかげで男の子は、砂の上にひっくりかえった。
「どうしたの、タケルちゃん。」
おばあさんがきくと、男の子はこたえた。
「あのね、ちいちゃあい、ちとがね、くるくるって。」
「ふうん、そう、おもしろいねえ。」
おばあさんは、わけのわからないままにうなずいた。そして、たもとからハンカチをだすと、男の子のはなにあてた。
「おはながでてるね、タケルちゃん。ほら、チーン。」
「いやいや。」
男の子は、顔をそむけてにげだした。そのあとを追いかけながら、おばあさんがいった。
「ほらほら、もうおうちへかえりますよ。ママもおそうじがおわって、タケルちゃんをまっているよ。」
ツムジのじいさまは、おばあさんに手をひかれて、公園をでていく男の子を、じっと見つめていた。
どっちみち、もっとよくしらべてみなくてはいけないと、じいさまは考えた。
[#挿絵(img\041.jpg)]
(どうも、あの子はわしらコロボックルの動きについていけるような、すごい目を持っているらしいわい。)
じいさまはそう思った。あとを見おくりながら、ひとりごとがでた。
「えらいこっちゃ。あの子が、もしほんとうにわしらの動きを見る目の持ち主だったら、こりゃ、わしも考えをかえなくてはいかん。」
それからあと、一日じゅう、じいさまは、うめの木の家にとじこもってすごした。
(こうなったら、あの子を、だれかがずっと見はっていたほうがいいだろうな。)
なんどもなんども考えては、ひとりでうなずいた。夜になっても、まだくびをひねっていた。
(あのむかし話も、うそだとはいえなくなるようじゃな。わしは、てっきりつくり話だと思いこんでいたっけが。)
そのむかし話というのは、じいさまが、前にしらべて書きとったもので、こんな話である。
むかしむかし、人間の男たちが、まだちょんまげをゆっていたころ、かじ屋のせがれで、コロボックル――むかしの村人はこぼしさまといっていたが――を見ることのできる男がいたという。
名まえを藤助《とうすけ》といって、子どものころから、なにをやらせてもはしっこかったそうだ。おまけに藤助は、コロボックルがどんなにはやく走っても、きっとすがたを見たというのである。
藤助がふとしたことから剣術をならうようになったとき、なにしろすばらしいいい目を持っていたので、相手の打ちこんでくる木刀がどんなにするどくても、はっきり見わけることができた。
ところが、はじめのうちは、からだが目についていかないために、みすみす相手にたたかれてしまった。それで藤助はずいぶんくやしい思いをしたということだ。
そのうちに、だんだん身のこなしがじょうずになると、ほんの紙一枚のあいだをおいて、相手の木刀をかわしたという。つまり、剣術の名人といわれるようになったのである。
「ふうむ。」
ツムジのじいさまは、思わずうなった。
「そうすると、あの子もいまに剣術の名人になるか――いや、いまどきはそんなんじゃない。ほれ、なんといったっけか。人間の子どもたちが、いってたな。棒っきれで、まりをひっぱたいて――そうそう、野球だ。野球の名人になるかな。」
じいさまも、ここのところ、しばらく公園にくる子どもたちをながめていて、だいぶ新しいことをおぼえていた。
「ううん。わしは、山をとびだしてきてよかった。ああいう人間と、もしなかよくなれたら、わしらのみんなのためにもなるにちがいない。反対に、あんなのが大きくなって、わしらの敵になったら、それこそうるさくてこまるじゃろう。」
そうつぶやいて、じいさまは立ちあがった。さっそく、うめの木の家からとびだすと、コロボックル山へむかって、まっしぐらに走った。
そのときになって、じいさまは思いだした。昼前、気をおちつけるために水玉をのぞいたときから、今夜おそく山へ帰ることになりそうだと、たしかわかっていたはずだった。
あんまりびっくりしていて、さすがのツムジのじいさまもわすれていたのだ。じいさまはくらい夜道を走りながら、思わずにがわらいをした。
やがて、見はりのクマンバチ隊員が目をむいたほどのいきおいで、コロボックル山へかけこむと、まっすぐコロボックルの城へいき、その城のかべにかかっているこわれたはとどけいのとびらの前まできて、世話役をたたきおこした。このはとどけいが、世話役の家だった。
「とにかくそういうわけじゃ。」
ツムジのじいさまは、世話役にむかってくわしく話をした。世話役は目をぱちぱちさせて、おわりまできいていた。
「ありがとう、じいさま。」
ききおわって、世話役は、まずお礼をいった。それからなんどもうなずいた。
「そんな人間がいるなんて、ほんとのところいまのいままで信じていなかった。それはたぶん、なん万人にひとり、いやなん百万人にひとりというような、めずらしい人間なんだと思う。そういう人間にめぐりあえたというのは、しかも、まだ一つか二つぐらいの小さい子どものうちにめぐりあえたというのは、わしらにとってたいへん運がよかったようだ。」
ちょっとことばをとぎらせて、世話役はあごをなでた。
「わしらが人間とトモダチになるには、相手がおさないほどうまくいくんじゃないかと、わしは考えているんです。だから心配はありません。すぐトモダチにしてしまいましょう。」
じいさまも、うなずいた。
「で、だれがその子のトモダチになるかね。」
「だれがって。」
世話役は、びっくりしたように目をあげた。
「きまっているじゃありませんか。」
「というと、つまりこのわしにトモダチになれというわけか。」
ツムジのじいさまは、あきれたような声でいった。
「じょうだんじゃない。わしは、そんなのごめんこうむる。そんなことがいやだから、だからわしは、この山をとびだして、そして……それに、わしはもうじじいだ。いまさらそんな、赤んぼみたいな人間と……トモダチになんか……。」
「いやですか。」
世話役が目でわらいながら、しずかにいった。ツムジのじいさまは、ふんと、横をむいてしまった。
世話役は、だまっているじいさまのかたに、そっと手をおいた。
「こんどだけはいわせてもらうよ、じいさま。あんたは、たいへんなつむじまがりだっていうけれど、これは世話役としていいたい。その子どもを見つけたじいさまが、いちばんいいんだ。だいたい、年よりと子どもっていうのは、むかしから気があうものとしてある。どうかよろしくたのみます。」
「ふん。」
つむじまがりの、がんこものの、かわりもののじいさまとしては、そこでぐいっとつむじをまげたいところだった。けれども、こんどばかりはまげなかった。
「よし。」
にやりとわらって、あっさりひきうけたのである。
「ただし、どうおだてられたって、わしがじじいであることにはかわりない。だから、あの男の子とわしとは、いつまでもトモダチでいるわけにはいかんぞ。」
「わかりますよ、じいさま。」
世話役はわらった。
[#挿絵(img\046.jpg)]
「先のことにはなるでしょうが、いずれ、じいさまの気にいったわかいコロボックルに、あとをひきつがせましょう。それでいいですか。」
「もう一つある。」
じいさまは、めずらしくもぐもぐと口ごもった。
「つまり、わしは、わしが集めた古い書きつけを、すこしばかり山から持ちだしたいんじゃが、どうじゃろうか。」
「もちろん、かまいませんよ。」
「うん、そうか、あれはわしひとりのものでなく、コロボックル全体のものじゃからな。世話役のゆるしがなければ、山から外へは持ってでるわけにはいかんので。つまり、わしはひとりでいるとたいくつしてな。」
「ふふふ。」
世話役はわらった。つむじまがりのじいさまが、子どもみたいにいいわけをして、へどもどしているのがおかしかったのだ。
「心配しないで、いるものは持っていっていいですよ。あっちでもぜひいいしごとをつづけてください。」
「ありがとよ。」
そのあと、しばらくのあいだ、ツムジのじいさまはだまっていたが、やがて、ぽつんと口をきいた。
「なあ、ヒイラギノヒコよ。」
世話役を、そうよんだ。
「わしは、あの人間の男の子が気にいってるんじゃ。うん、いっぺんで気にいったんだな。ひと目ぼれっていうやつだよ。」
それをきいて、世話役は、うれしそうにはっはっはと、声をおさえてわらった。じいさまも、ふっふっふと、声をころしてわらった。もうま夜中だったから。
とにかく――。
そんなことから、ツムジのじいさまは、人間とトモダチになってしまった。
その知らせをきいて、おどろかないコロボックルは、ひとりもいなかった。なにしろ、たいしたつむじまがりだったのだ。そして、その、つむじまがりのじいさまが人間とトモダチになるなんて、とても考えられなかったのだ。
でも、世話役のいったとおり、じいさまと男の子――タケルちゃん――は、とてもうまくいった。相手の人間がおさないと、トモダチになるのもらくだ。めんどうなことは、なんにもいらない。
ひとりで、庭にでてあそんでいたタケルの前に、ツムジのじいさまは.のこのことでていった。すると、タケルは平気な顔でこういった。
「こんちは、ちいいちゃい、おじいちゃん。」
それで、もうあいさつがすんだのである。ツムジのじいさまは、タケルの家に、ときどきあそびにいった。そして、話をした。
タケルは、『小さいおじいちゃん』がだいすきで、どんなにむずかっていても、たちまちきげんがよくなった。
とくに、夜ねないでぐずっているとき、ツムジのじいさまが、タケルの耳もとへきてお話をしてやると、タケルはうすみどり色のタオルケットをチューチューしゃぶりながら、すやすやとねむるのだった。
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[#見出し] 第二章
[#見出し] タケルとヒロシと用水池
[#挿絵(img\050.jpg、横281×縦374、下寄せ)]
ふしぎな目を持ったタケルの家は、すぐ近くにあった。町の小さな公園から、いちどにぎやかな町通りへでて、そこから左のがけの上にわかれてあがっていく、ゆるい坂道をすこしのぼったところである。
この町には丘が多く、こんな坂道があちこちにあった。
この坂道の右がわは、ガードレールのついたがけっぶちで、左がわだけ家がならんでいる。
下から、かどのパン屋さん、そのつぎが、いけがきにかこまれた大きな古い家、そのつぎはかなあみのかきねにかこまれたしばふつきの大きな新しい家がある。前にツムジのじいさまが一晩とまったことのある、いぬのいない犬小屋のあったのはこの家だ。
しばふつきの家のつぎに、かわいい二階屋があった。右上から左へ流れる片ながれの屋根で、二階がそのまま左へすこしずれて、とびだしたような形だ。どこかで見たような気がするのは、コロボックル山にある二つの小屋によくにているためかもしれない。
とびだした二階の下には、自動車のタイヤのあとがある。車庫につかっているのだろうが、いまはからっぽだ。
家の正面には、かんばんがかかっている。
┌──────────────────────┐
│ フジノ建築事務所 一級建築士 フジノシゲル │
└──────────────────────┘
フジノシゲルというのが、タケルのおとうさんである。
[#挿絵(img\052.jpg)]
ガラス戸の中を、ちょっとのぞいてみよう。わりあいとひろいコンクリートのゆかのへやになっている。左のかべにむけてそまつな木のつくえがある。つくえの上には、電話がのっている。花びんものっている。大きなチューリップがさしてあった。
右のかべには窓があって、その下にふたり用の長いすと、ひじつきのいすが二つ、きゅうくつそうにならんでいる。そのあいだには、小さいテーブルがおいてあった。
テーブルの上には、たばこのはいざらと、本が一さつひらいたままになっている。どういうわけか、本の上に水道のじゃ口がころんとのせてあった。
へやのあちこちに、タイルの見本や、ベニヤ板の見本や、すてきな家の写真や、ポスターや、カレンダーなどが、きれいにかざってある。
おくのかべには、左にドア、右にカーテン。カーテンのかげには、図面をかく製図台がちらりと見えている。ドアとカーテンのあいだのかべに、しゃれたかけどけいがおさまっていた。
そのとけいが、ポーンと一つなった。いまちょうど二時半。へやにはだれもいない。春の日が、ガラス戸からさしこんでいる。とけいが静かな音をたてているだけで、なんとなくねむくなるような気分だった。
と、そんな気分をひっかきまわすように、いきなり電話がなった。一回、二回、三回……。
だれかが、トトン、トントンと、二階からかけおりてきた。
パチンとドアがあいて、スリッパをはいた小さな男の子が、へやにとびこんできた。大いそぎ でスリッパをぬぎすてると、いすにのった。そうしないと電話に手がとどかない。
つくえに手をかけて受話器をとると、大きな声でいった。
「はい、フジノ建築事務所です。」
建築事務所が、けんちこじむしゅときこえた。
「あ、おとうさんか。うん、ぼくひとり。おかあさんはね、いま、せんたくものほしてるの。おばあちゃんはおつかい。ミイコはひるねしているよ。」
そういって、ほっとしたように、つくえにこしかけた。
「うん、わかった。だいじょうぶ。そんなこと、ちゃんとできるよ。うん、だれもこなかった。うん。スギヤマさんがきたら、まっててもらうんだね。三時に帰るからって。そういうよ。おかあさんにいうよ。」
こっくん、こっくんと、なんども電話にうなずいてから、バイバイと見えないおとうさんに手をふって受話器をもどした。
そのとき、男の子は、ちょっとかわったことをした。つくえの上の花びんのかげをのぞきこんで、にこっとしながら、「こんにちは。」とつぶやいたのだ。
「おかあさあん、あのねえ。」
こんどは、さけびながら、ドアからでていった。あとには、また静かなとけいの音と、男の子のスリッパがのこった。
この子がタケルだ。
そんなはずはない、あの子は、まだ赤んぼだったじゃないか、と思うかもしれないが、まちがいではない。つまり、あれから三年たっているのである。
タケルはもう五つで、幼稚園にかよっていた。
さきほど、タケルが花びんのかげにむかってあいさつしたのは、そこにコロボックルのツムジのじいさまがいたからだった。
タケルは、ツムジのじいさま≠みじかくして、『ツムジイ』とよんでいた。ツムジイは、三年たっても、あいかわらず元気だった。
いまでも、小さい公園にあるうめの木のほらあなに住んでいて、三日に一度ぐらい、タケルの前にあらわれる。
タケルは、自分のまわりに、ときどき小さな小さなおじいさんがあらわれて、耳もとでおもしろい話をしてくれたり、いたずらのしかたを教えてくれたり、そのくせ、あぶないことをすると、きびしい声でとめられたりするのになれていた。
なにしろ、赤んぼのころからそんなことがあったので、自分では、ふしぎでもなんでもなかったのだ。ふしぎなことは、ほかにあった。
その小さいおじいさんのすがたが、おかあさんにも、おとうさんにも、おばあちゃんにも、ぜんぜん見えないらしい、ということだ。
それに気がついたとき、タケルはあまりふしぎで、おかあさんにきいてみた。二年ほど前のことである。
「おかあたん(さん、といえなかったころだった)、ほら、ちいちゃいおじいちゃんがいるよ。見えないの。」
「見えませんよ。」
おかあさんは、あきれたようにいった。
「そんな小さいおじいちゃんなんて、いるわけがないでしょう。」
「でも、いるんだよ。ちゃんといるんだってば。ぼくには見えてるよ。おはなちだってするよ。」
「ふふふ。」
おかあさんは、タケルの頭をなでてわらった。
[#挿絵(img\056.jpg)]
「おかしなことを考えるのねえ、タケルちゃんは。」
「だけど、ほんとだよ。ほら、あちょこにいるよ。」
タケルはゆびさした。ツムジのじいさまはおかあさんのかげにいて、タケルにむかってゆっくりとくびを横にふっていた。おかあさんは、ついつられてタケルのゆびさしたほうをふりかえったが、そのときはもう、さっとツムジのじいさまはかくれていた。
おかあさんは、タケルを見てしかった。
「いやな子ね。おかあさんをからかったりして、わるい子。」
「ぼく、わるい子じゃないやい。」
きかんぼのタケルは、むきになった。そして、なんだかかなしくなって、そのあとさんざんだだをこねてあばれて、やっとさっぱりした。
だが、タケルがひとりになると、小さいおじいさんが耳もとへきて、そっとささやいた。
「いいかい、タケルぼうや。よくきいておくれ。わしのすがたは、タケルにしか見えないんだよ。だから、ほかの人にはだまっていたほうがいいのだ。」
ツムジのじいさまは、タケルが、こんなふうに、自分が人とちがうことに気がつくのを、ずっとまっていたのだ。そして、気がついたら、はっきり教えてやろうと思っていたのだ。
「いいかね。おかあさんにもおとうさんにもおばあちゃんにも、わしは見えない。そういう見えない人たちにわしのことを話してきかせると、みんな心配したりびっくりしたりすることになる。わかったかね。」
「うん、ぼく、わかったよ。」
タケルはおとなしくうなずいた。
もしもタケルが、もうすこし大きくなっていたとしたら、きっと、『なぜ自分にだけ見えて、人には見えないのか。』『小さいおじいちゃんは、いったいどこからきたのか。』などと、つぎからつぎへききたがったことだろう。
ところが、タケルはまだ小さかったので、いっぺんに一つのことしか、気にならなかった。人に話さないほうがいい、ということだけよくわかったので、それで満足した。
とにかく、それからというもの、タケルは、小さいおじいちゃんのことをめったに口にしなくなった。たまにうっかりしゃべっても、おかあさんやおとうさんがびっくりしないように、気をつけるようになった。
どちらかというと、おかあさんよりもおとうさんのほうが、タケルのそんなひみつをきかされても、おどろかなかったようだ。
「そうか。おまえには、小さいおじいさんの守り神さまがついているんだったっけな。」
そんな返事をされると、タケルも思わずとくいになってこたえてしまう。
「神さまとは、ちがうみたいだよ、ツムジイは。だって、人間とおんなじようにだんだん年をとって、いつかは死ぬんだっていってたもの。神さまなら死なないよね。」
「なるほど。神さまでないとすると、なんだろうね。」
「うん、でも、ぼく、やっぱり神さまみたいなものだと思うな。神さまとはちがってもさ。」
「そうすると、神さまでない神さまだね。その、ツムジイさんは。」
「そう。」
タケルは、くびをかしげながらいう。
「ぼく、ほかにもツムジイのなかまは、たくさんいるんだと思うよ。どこかにみんなかくれているんだ、きっと。ツムジイはなんにも教えてくれないけれどね。」
タケルは、どうやら、コロボックルのひみつに、そのころから感づいていたらしい。
さて、事務所のとけいが三時をうつと、まもなくにぎやかな声がした。おとうさんの自動車が帰ってきたのだ。
「さあ、どうぞ。」
作業服を着たおとうさんは、よその人といっしょだった。背のひくい、色のくろい男の人で、おとうさんよりずっと年上の人だ。
「おうい、スギヤマさんをひろってきた。お茶をさしあげておくれ。」
おとうさんはドアを半分あけて、おくにむかって、ふきこむようにいった。それからふたりは長いすとひじかけいすにわかれてこしをおろすと、世間話をはじめた。
しばらくして、おばあちゃんがお茶をはこんできたとき、タケルもくっついて事務所にはいってきた。そして、つくえのかげのかべによりかかってこしをおろすと、持ってきた絵本をひざの上にひろげた。おとうさんもお客さんもおばあちゃんも、そのことには気がつかなかった。タケルはとてもおとなしくしていたからだ。
[#挿絵(img\061.jpg)]
「いよいよだそうですねえ。」
それは、おとうさんの声だ。それにスギヤマさんがこたえる。
「そうなんです。いよいよはじまります。」
「あのへんも、すっかりかわってしまいますなあ。」
「まったく。むこうがわの山をけずって、桜谷《さくらだに》のたんぼをうめるんですから。」
「たんぼを、ねえ。」
おとうさんは、ため息のようにいった。
「たんぼが見られなくなるのは、さびしいですね。わたしの子どものころは桜谷のずっと町よりのほうも、すっかりたんぼでしたが。」
「そう。もっとむかしは、線路のそばまでたんぼでしたよ。まず、駅の近くがうめられて工場になりました。それがいまの中央光学工場です。」
「ううん、それは知らないな。わたしの知っているのは、小学校の分校ができたころぐらいです。いまは柏《かしわ》小学校になってますが。」
「そうでしょう。あの小学校が十五年ぐらい前でね、あれからこっちは、しばらくたんぼがのこっていました。七、八年前に、ちょっぴりうめたてられて、アパートができましたな。」
「柳《やなぎ》アパートですね。」
「そう、それからあとがはやかった。ばたばたうめたてられて、どんどん家が建った。シラカバ幼稚園もできた――、ええと、あれがいつごろでしたか。」
「まる三年前です。わたしが設計をたのまれたので、よくおぼえています。」
「ほう、そうでしたか。あれはフジノさんの設計でしたか。」
「そうなんです。ひとりだちして、この事務所をつくったばかりでしてね。いやもう、たいへんでしたよ。」
「なかなかたいしたもんだ。」
スギヤマさんは、ちょっとおおげさにいって、またすぐつづけた。
「このあたりのたんぼといったら、もう桜谷にちょっぴりあるだけですよ。こいつも、どうせ近いうちにはなくなっちまうだろうと思ってはいましたがね。」
「それがとうとうなくなるのは、さびしい気がします。たんぼになえが植えられて、だんだん大きくそだって、やがて秋になって、いねのみのるころには、こうばしいにおいがただよってねえ。とてもいいものでしたが。」
「それも、もうおしまいというわけですな。ほんのちょっぴりのこった桜谷のたんぼも、きれいにうまっちまう。山が一つなくなってね。ことしじゅうには家が建って、町になるでしょうな。」
「そういえば、桜谷のどんづまりに用水池がありますね。あれも、うめるんですか。」
「うん、それがね。」
スギヤマさんは、くびをかしげた。
「あの池も、これですっかり用がなくなるわけだ。たんぼの水がたりないときのために、むかしの人がつくったもんだからね。たんぼがなくなりゃ、池もいらないわけだ。」
しわだらけの日にやけた顔を、つるんとなでていった。
「ところが、あの池のある土地は役所のものでね。かってなことはできないらしい。」
「そうですか。まあ用はないといっても、池の一つぐらいは、のこしておきたいものです。わたしも子どものころは、よくあそびにいきました。親にかくれて水あびにいったりしたところです。」
「しかしまあ、こいつもたんぼとおなじで、いずれはうめられちまうんだろう。」
そういって、スギヤマさんは、ポケットからたばこをとりだした。
「で、わたしにお話とは。」
おとうさんが、いすにすわりなおしてきいた。スギヤマさんは、たばこに火をつけながらうなずいた。
「それそれ。じつは、わたしのところも、新しい家につくりなおしたくてね。」
「なるほど。」
ふたりのおとなは、こうしてむずかしいしごとの話にはいっていった。
つくえのかげで、絵本をながめていたタケルは、おとなの話の中に『シラカバ幼稚園』ということばがでてきたときから、じっと耳をすましていた。シラカバ幼稚園は、タケルのかよっている幼稚園だったからだ。
その幼稚園を、おとうさんが設計したということはタケルもよく知っていた。幼稚園の友だちにも、じまんしたことがある。
「この幼稚園つくったの、ぼくのおとうさんだぞ。」
すると、友だちのひとりが、びっくりしてききかえした。
「タケルちゃんのおとうさんは、大工さんなの。」
「ちがうよ。」
タケルは、いっしょうけんめい説明した。
「ぼくのおとうさんはね、園長先生にたのまれて、図面をかいて、教室のひろさや、窓の大きさやなんか、きめただけなんだ。せっけいっていうんだ。」
そして、もしおとうさんが大工さんだったらもっとよかったのに、と思ったものだ。
(ふうん、シラカバ幼稚園のところは、むかし、たんぼだったのかあ。)
タケルがそう考えて、また絵本にもどったとき、おとうさんたちの話は桜谷の用水池のことにうつった。このときも、タケルは顔をあげて耳をすました。
なぜかというと、その用水池もタケルはよく知っていたからだ。よく知っていただけでなく、その池はタケルの大すきなところだった。おとうさんと散歩するときも、たいてい池のふちまでいくことにしている。
この池へひとりでいってはいけませんと、家の人にいわれていた。幼稚園の先生にも、おなじことをいわれた。もちろん、ひとりでいって、水におちるとあぶないからだ。
けれども、きかんぼのタケルはへいきだった。ただきかんぼなだけでなく、ふしぎに用心ぶかいところがあって、あぶないかあぶなくないか自分でよく知っていた。
タケルは、幼稚園の帰りに、池を見にまわり道することがよくあった。そして、ツムジイがついてきているのがわかったときだけ、池のふちまでいった。ツムジイが見えないときは、遠くから見るだけで、すぐにもどってきた。
ツムジイは、タケルが池に近づいていくのを知ると、きまって耳もとでささやいた。
「池へいくなら、ころぶな。水におちても、わしはたすけられんぞ。」
それだけで、あとはなにもいわない。ツムジイはいつもそんなやりかたをした。タケルがよほどむちゃをしないかぎり、とめたりはしない。
(あの池も、うめられるんだって。)
タケルは、ふいに絵本をとじた。
(あの池がなくなるなんていやだな。)
くちびるをひんまげて、そう思った。ほんのすこしやぶにらみの目は、いまでもそのままである。
(ぼく、もっと大きくなったら、船をつくって走らせにいこうって思っているのに。)
タケルは絵本を持って、静かに立ちあがった。
音がしないようにそっとドアをあけて、事務所からぬけだした。そのあと、ドアがまたそっとしまる……。
しばらくすると家のうら口があいて、タケルがひとりとびだしてきた。長ズボンにジャンパーを着ていた。
うら口から庭へでて、庭のかきねの木戸をとおって、となりの家とのあいだのほそい道から、畑のわきの一本道を走っていく。かげろうがタケルのうしろでちらちらとゆれていた。
畑のむこうには、また家がある。このあたりは町はずれの丘の上で、道の右がわはささやぶのがけだ。そのがけの下にも家の屋根があり、そのむこうに四階だてのコンクリートのアパートが、きちんと四つならんでいるのが見おろせる。
「タケルちゃん、どこへいくの。」
男の子が二、三人あそんでいて、タケルに声をかけた。だがタケルは、うん、とうなずいただけでとおりすぎた。
道の左がわには、小さな家がつづいていた。そこを走りぬけるとこんどはくだり坂になって、その先はきゅうな石段につながっている。
この石段は、下の町の道まで八十八段もあった。タケルには、まだ全部はかんじょうができないのだが、八十八段あるということはよく知っていた。とにかくここは、タケルが毎日幼稚園にかよう道である。
その八十八段の石段を、タケルは身がるに走りおりていった。中ほどの四十段めぐらいのところで、ふっと、タケルのすがたが消えた。
そこの左がわに、ほそいきりどおしの道があった。上から見ただけでは、そんなわかれ道のあることなどぜんぜんわからない。
タケルは、そのきりどおしのわき道へ、とびこんでいったのだ。
きりどおしのわき道は、左も右もむきだしの土のどてで、そのどての上には、道におおいかぶさるようにして、木や草がしげっていた。そのために道には日がさしこまないから、いつもじめじめとしめっていた。
「おっと。」
ぬれた岩はだに足をとられたタケルは、思わずそんな声をあげて立ちどまった。それから、びっくりしたように地面を見て、にこっとした。
「ほら、ころばなかったろ。」
そこに、ツムジイがいたのだ。ツムジイは、タケルのあとを、ずっとつけていたようだった。
ツムジイはちょっとかたをすくめて、そのままさっと消えた。いや、消えたように見えた。もちろん、ツムジイは、タケルのようにわき道へとびこんだわけではなく、すばやく走っていっただけである。
けれども、タケルの目は、道の先をずっと見おくっていた。ツムジイのすがたが見えているのにちがいなかった。
「ツムジイったら、どんどん先へいっちゃって、ぼくがどこへいくつもりかわかってるのかな。」
そんなことをつぶやいて、またちょこちょこと走りだした。
きりどおしのほそい道はすこしずつくだり坂になって、ところどころに段がついてくる。そして、いきなりぽかっとひろいじゃり道にでた。
目の前に草ぼうぼうのたんぼが見えていた。この近くでたんぼが見られるのはここしかない。つまりここが桜谷だった。たんぼのむこうには、雑木林のゆるい丘がある。
じゃり道を、右へいけばシラカバ幼稚園のほうへいく。先ほどの八十八段の石段をまっすぐおりて下の道へでたほうが、幼稚園にはずっと近い。だが、タケルは、ときどきこの遠まわりの道をつかった。
さて、タケルは、用心ぶかく道をのぞいたあと、右へまがらずに左へまがった。そのまますこしいくと、道は二つにわかれるが、タケルは右へいく。桜谷のおくへむかうにしたがって、たんぼがすこしずつ高くつみかさなるようにつづいていた。じゃり道も、それといっしょにすこしずつのぼり坂になっていった。
[#挿絵(img\068069.jpg)]
道の左がわはこんもりした山で、雑木林になっている。山とじゃり道とのあいだは、小川がはさまって流れていた。小川といっても、水はほとんど見えないくらいのほそい流れだ。
すすむにつれて、右がわのたんぼは小さくせまくなっていった。道のはばはあまりかわらないが、草がしげって、人のとおるところはほんのひとすじになる。
その道も谷のどんづまりで、とうとうなくなってしまう。小川も地面の下の土管にかくれる。
そこからは、目の前のやぶのがけに、ななめについたほそ道を、ぐいぐいとのぼる。
「ぼく、ちゃんとわかってるさ。」
タケルは、はあはあ息をはずませながら、ひとりごとをいった。いや、ほんとうはひとりごとではない。いつものように、ツムジイがかたにのってきて、ひとことだけ注意したのだ。タケルはそれにこたえたわけである。
「ぼく、池を見たいんだ。ゆっくりながめるだけさ。水いたずらなんかしない。」
そして、かまわずに草のどてをのぼっていった。
そのどては、たしかに人がつくったものにちがいなかった。いまではあちこちにすすきのかぶがはえていたり、くずれたあとがあったりして、はっきりしなくなっていたが。
チョロチョロと、どての右はしで水音がしていた。草のかげに鉄の丸ハンドルのついた小さなコンクリート製の水門があって、池からあふれた水が流れだしているのだ。
どての中ほどから道は『く』の字にまがって、左の雑木林にはいっていく。林の中は、つるくさと、ささやぶと、木の枝にかこまれて、まるでせまいトンネルの中を歩くようである。
そのトンネル道を右にまわりながらくぐっていくと、やがて目の前の木と草でできたまるいトンネルの出口のむこうに、青い空をうつしたきれいな水面が、しんと静まりかえっているのだ。
ここが、桜谷の用水池だった。思いがけないほど大きくひろく、ほとんどまんまるの形をしていた。水ぎわまで近よれるのは、どての上のたいらなところだけで、あとは山がせまっていて、水の上に木や草がかぶさっている。池のまわりの山はみんな杉林で、その山のかげが水にうつってゆらゆらゆれていた。杉林のあいだから、春のやわらかい日がちらちらともれていた。
「ほら!」
タケルはどての上の草わらに立って、そんな声をあげた。こんどは、ツムジイにむかっていったのではなかった。
ほら、こんなにきれいな池じゃないか。うめたりしないでよ。
タケルは、おとなたちにむかっていったのだ。池がいらない、なんていうかもしれないおとなたちに。
すると、思いがけなく、近くから人の声がした。
「びっくりさせるなよ。」
そういって、茶色のセーターをきた男の子が、すすきのかぶのむこうから、ひょっこりすがたを見せた。四年生か五年生ぐらいの男の子だった。
その子は、すすきのかげで、みじかいつりざおを池にさしのべていた。びっくりしたのは、タケルもおなじだ。だれもいないと思っていたのだから。
タケルが、この池でつりをしている人にであったのは、これがはじめてだった。
「さかながびっくりするからな。静かにしてくれよ。」
男の子は、小さな声で、タケルにいった。日にやけて、がっしりした子だ。
「さかな、つってるのかい。」
タケルは近づいていってかがみこみなから、ささやき声できいてみた。
「ああ、つってるのさ。見りゃわかるだろ。」
「どんなさかなが、いるんだい。」
すると、あいての男の子は、うふっとわらった。
「そいつがよ、まだわかんねえんだ。」
「なんで。」
「なんでって、まだ一ぴきもつれねえからさ。ふふふ。」
[#挿絵(img\073.jpg)]
それでもまだ、タケルがふしぎそうにじっと男の子の顔を見つめていたものだから、男の子は、しかたがないというふうに、説明してくれた。
「この池にはな、いまさかながいるかいないかわからねえんだよ。五年ごとに、水をおとしてそうじをするためだって。もし、さかながいても、そのときとっちまうから、なかなか大きくそだたないんだっていうよ。」
「それでも、つりをしているのかい。」
「そうさ。いるかいないか、わからないところがおもしれえんだよ。おまえ、どこの子だい。」
いきなりきかれて、タケルは大いそぎでこたえた。
「ぼく、フジノタケル。シラカバ幼稚園にいってるよ。」
「ふうん、そうか。」
男の子は、水のほうに目をもどして、ゆっくりといった。
「こんなところまで、ひとりできたのか。」
しかられるのかもしれないと思ったタケルは、わざといばってこたえた。
「うん、ひとりだよ。」
もちろん、いまでもきっと近くにいるはずのツムジイは、かんじょうにいれていない。ツムジイとタケルは、ふたりあわせてもやっぱりひとりだ。
「えらいな。おまえ、まだ幼稚園だっていうのに。」
ほっとして、タケルはかたの力をぬいた。男の子はしかるどころか、えらいなとほめてくれたのだ。そこで、安心してききかえした。
「おにいちゃんは、どこからきたのさ。」
「え? ああ、おれか。おれはね、あのすぐうらに、家があるよ。」
そういって、池のうしろの杉林をゆびさした。タケルは立ちあがって、男の子のゆびの先をのぞきこんだ。
「ははは。」
男の子は、おもしろそうにわらった。
「いくら背のびしたって、見えるわけはねえよ。山のむこうの谷だからな。」
「なんだ、そうか。」
「いまおまえがのぼってきた林の中の道をな、こっちへでてこないでそのまままっすぐいくと池のむかいがわへいくんだ。そこから杉林をぬければ、おれのうちに……ちょっとまて……。」
水の上の赤いうきがぴくんとゆれて、水の輪がひろがった。目を光らせた男の子は、うっというような声をあげて、さおをはねあげた。
糸のさきには、小さなさかなが光っていた。その小さなさかなは、男の子があまりいきおいよくさおをあげたために、ヒュッと音をたてて、タケルの顔にま正面からぶつかっていった。
ピシャリとあたった、と思ったのだが、タケルはほんのわずかくびをひねっただけで、きれいによけた。またたき一つしなかった。
「ごめんよ。」
男の子は、そんなタケルのすばやい動きを見て、ちょっとふしぎそうだったが、すぐ目をさかなへうつした。
「ほら、ちび、見ろよ! さかなだ。やっぱりいたんだ。さあ、おじいちゃんに見せてやるぞ!」
「すごいね。」
ちびなんてよばれたこともわすれて、タケルはすりよった。
「生きてるね!」
「あたりめえさあ。こいつは、くちぼそだぜ。おれ、くちぼそぐらいは、きっといるだろうって思ってたんだ。」
「よかったねえ。」
「ああ。」
にやっとうれしそうにわらって、男の子は、針からさかなをはずし、水をいれたあきかんにうつした。そして、さっさとつりざおをかたづけはじめた。
「なあ、ちび、おれといっしょに、おれのうちへこいよ。おれ、うちのおじいちゃんとかけをしたんだ。おれはこの池にさかながいるっていうのに、おじいちゃんは、まだいないだろうっていったんだ。だからさ、おれがここでさかなをつったら、もっといいつりざおを買ってくれるっていったんだ。」
タケルがきょとんとしているのにはかまわず、男の子はつづけた。
「こんなけちなつりざおでなくってよ、おれ、もっとすごいつなぎざおがほしいのさ。だから、おまえ、いっしょにきてくれよ。おれが、たしかにここでくちぼそをつったって、おじいちゃんにいってくれよ。」
「うん。」
「おまえは、ええと、なんていったっけ。ああそうだ、証人だ。証人なんだからな、おまえは。おまえは、なんていう名まえだっけ。」
「フジノタケル。」
「そうか、タケルか。タケルちゃんだな。おれは、カキムラヒロシっていうんだ。四年生さ。さ、いこう。」
「だけど……。」
タケルはこまった。
「ぼくあんまりおそくなると、しかられるよ。」
「うん、そうだな。よし、おじいちゃんにこのさかなを見せたら、すぐにおれが、おまえのうちまで、送っていってやる。だから安心しろよ。」
ヒロシは、小さなさかなをつったことがよほどうれしかったのだろう。たちまちしたくをすませて、先に立った。
「さあ、こっちだ。」
ヒロシの家は、ほんとうに池のすぐうらだった。
しめっぼい杉林の草をかきわけていくと、いきなり南にむかった小さな谷間の横にでた。ところが、その谷間いっぱいにきみょうな形をした建物や、小さいクレーンのような機械や、鉄のパイプや、木のはこのかたまりや、小型トラックなどが、ちらばっていた。
タケルは、杉林をでたところで、そんなへんてこりんなけしきを見おろして、どこかで見たことがあるなあと思った。
――そうだ、これは、おもちゃばこをひっくりかえしたときと、そっくりだ――。
まわりは、静かな杉林や雑木林にかこまれているのに、ここだけは思いがけないほどあたりとようすがちがう。
谷の入り口には、りっぱな鉄のさくがあり、大きな鉄門がある。その門のむこうはむぎ畑で、その畑のまん中に、ひろいでこぼこのじゃり道がつづいている。
ジージージー、バチバチバチ……。
そんな音がして、赤い火花が、屋根だけの建物の下からもれてきていた。
「おい、おどろいたかい。」
ヒロシがにやにやしていった。
「おれのうち、鉄工場なんだ。おじいちゃんとおとうちゃんと、上のあんちゃんと、中のあんちゃんと、みんなでやってるんだ。おれもいまに学校でたら、いっしょにはたらくつもりだよ。」
「こんな山の中に、工場があるの。」
タケルは、目をまるくした。
[#挿絵(img\079.jpg)]
「そうだよ。もとは町にあったんだ。だけど町はせまくて、おまけに道路をひろげたとき、工場を半分けずられちゃったんだって。だから、おれが三つのとき、ここへひっこしてきたのさ。もとはおじいちゃんの家があって、百姓してたんだっていうけど、いまは鉄工場だ。」
「鉄工場って、なにをつくるの。」
「いろんなものだよ。鉄のかきねや、自動車のガレージや、ベランダの手すりや、鉄の柱や、鉄のはしごや、なんでもつくるんだ。」
そのあいだにも、パチパチパチという音と、火花はつづいていた。あれは、鉄と鉄をくっつけているのだ、とヒロシがいったそのとき、べつのところで、カーン、カーンと鉄をたたく音かした。
「あれがおじいちゃんだ。」
ヒロシのゆびさす先に、男の人がいた。きちんと作業服を着て、作業用の帽子をかぶった人が、むかいのがけにたてかけた鉄の棒をしらべていた。
「おじいちゃあん。」
ヒロシは、タケルがびっくりするような大声をはりあげて、ほそ道をかけおりていった。タケルも、そのあとからとことこついていった。
トタンぶきの、そまつな家のわきにおりて、片ながれの屋根だけのしごと場――そこでだれかがパチパチと、赤い火花を散らしている――の前をとおって、谷間のむこうがわへかけぬけた。
「なんだ、ぼうず。」
作業服の男の人がふりかえった。遠くから見たときは、がっしりしていてわかい人のようだったが、近よってみると、たしかにしわだらけのおじいさんだった。
「ほら、見てよ! おじいちゃん、くちぼそだぞ。おれ、うらの池でつったんだ。」
「どれどれ。」
おじいさんは、手にもったハンマーを、作業服のズボンの大きなポケットにおとしこんで、ゆっくりとヒロシのさしだしたあきかんをうけとった。
「なるほど。いくら小さくても、こいつはさかなにちげえねえな。ほんとにこいつがあの池にいたのか。」
「そうさ。ほら、ここに、ちゃんと証人をつれてきた。」
ヒロシはそういって、タケルをおじいさんの前におしだした。
「おやおや、こんなかわいい子、どこの子だ。」
「ぼ、ぼく、あの、フジノタケル。」
「フジノタケル? フジノっていうと、もしかしたら、フジノ建築事務所の、あのシゲルさんの子かね。」
「そうだよ!」
タケルは、自分の父を知っている人にであったのかうれしくて、大きな声をだした。
「そうか。やっぱしそうかい。ぼうやのおとうちゃんなら、わしもよく知ってるよ。なるほど、そういや、おやじさんにそっくりだ。ヒロシ、このぼうやが証人っていうわけか。」
「そうなんだ。これがつれたとき、ちょうどこの子がきてて見ていたんだ。なあちび。」
「うん、ほんとだよ。つれたんだよ。だから、本物のすごいつりざお、買ってやってよね。」
「はっはっは。」
おじいさんは、ゆかいそうだった。
「そうか、よし。約束はまもるぞ。つりざおはひきうけたが、しかし、あの池にさかながいるとなると……。」
そういってから、ゆびをおってかぞえていたが、やがてうなずいた。
「なるほど、ここしばらく、池の水をぬいていないからな。そろそろさかなも、そだちはじめていいころか。」
ヒロシは、タケルの耳にささやいた。
「おじいちゃんはね、池のことならなんでも知ってるんだ。」
すると、おじいちゃんは目をほそめていった。
「ぼうや、それはほんとだ。わしの子どものころはな、家はもちろん百姓だ。わしは百姓しごとのあいまをみちゃ、あの池へあそびにいったもんだ。」
おじいさんはなつかしそうだった。きっと、自分の子どものころを思いだしたのだろう。
「さあ、ちび、いこう。送っていってやる。」
ヒロシはほうりだすように、いきなりつりざおもあきかんも足もとへおいて、タケルの手をひっぼった。
「うん。」
タケルはうなずいて、それから思いきっていった。
「ねえ、おにいちゃん、ちびってよばないで、タケルってよんでよ。」
「まあ、気にするな。」
ヒロシはあっさりこたえたが、それでも、タケルの気持ちがわかったとみえて、にやにやしながらいった。
「とにかく、いこうぜ、タケルちゃん。」
へへっと、タケルはわらった。とてもうれしかったのだ。だから元気よく、ヒロシのあとからとびだした。
帰り道は、杉林をこえずにまっすぐ鉄の門からひろいじゃり道へでた。この道は桜谷のじゃり道へもつながっていて、わりと近道である。ここから先はタケルが道を教えた。
やがて、ふたりはほそいきりどおしの道へはいり、そこから八十八段の石段の途中へでて、その石段をのぼりきったところで、どちらからともなくならんで石段にこしをおろした。
ここまでくれば、タケルの家はすぐそこだ。タケルもヒロシもほっとしていた。もう夕方が近く、ふたりのほっぺたに夕日がうつっていた。
「わあ、すごい夕焼けだ。」
ヒロシは、両手を上にのばしてさけんだ。
「わあ、すごい夕焼けだあ。」
タケルも、まねをして手をのばした。そして、ふたりはそのまましばらく空をながめていた。からすがなきながら桜谷のほうへとんでいった。
「ねえ、おにいちゃん。」
タケルが下からヒロシをのぞきこむようにして、いいかけた。
「おにいちゃんはよせよ。おれはヒロシっていうんだから名まえをよびな。くすぐったくて気持ちがわりい。」
タケルはにやっとした。にたようなことを、さっきはタケルがヒロシにむかっていった。こんどはヒロシがタケルにむかっていった。しかえしされたようなものだ。
「それじゃ、ヒロシさん……あれ、ぼく、なにをいおうとしていたのか、わすれちゃった。」
はっはっはあと、ふたりは声をあわせてわらった。
「あのな、あの桜谷の用水池にはおもしろい話があるんだぜ。教えてやろうか。」
ヒロシがいうと、タケルは目をかがやかせた。
「うん、教えて。」
「よし。」
ヒロシは足をくみかえて、石段の上にあぐらをかいた。
「おじいちゃんにきいた話だよ。ええと、あの池ができるずっと前、ええと、あそこにつめたいしみずがいきなりわきだしたんだ。ええと、そのしみずがわいてから、すいせんの花がさいて、夏になると、ほたるがいっぱいとぶんで、ええと、むかしはほたる沼とか、水仙沼とかいってたんだってさ。だけど、その沼はあさくて、ひざぐらいまでしかなかったんだ。」
ヒロシは、さかんに、ええと、ええと、とはさみながら話してくれた。
[#挿絵(img\085.jpg)]
そのほたる沼には、かわったいいつたえがあった。かっぱが住んでいたというのである。あさくてひざぐらいしかない沼に、かっぱなんて住めないと思うかもしれないが、それがいたのさ、とヒロシはいった。
「ちっぽけなやつでね、一寸(三センチほど)かっぱ≠チていうんだ。」
ヒロシは、右手を夕焼け空にむけた。そして、人さしゆびと親ゆびで、三センチぐらいの長さをつくってタケルに見せた。
「ふうん。」
タケルは、そうするとツムジイとおなじくらいだな、と思った。
「その小さいかっぱは、いまでもいるのかな。」
「いないさ。」
ヒロシはあっさりとこたえた。
「いないけど、そのかわりに石があるんだ。水の神さまなんだってさ。しみずをわきださせたのがその一寸かっぱで、あの池の水がいまでもすごくきれいなのは、水のわき口を、一寸かっぱがまもっているからだっていうよ。」
「そうか。」
「その、水のわき口においてあるのが、かっぱ石っていってね。池の水をからっぽにしたときは、そこにしめなわをはって、神主さんがきて、おそなえものをまつったりするんだ。」
「おもしろいなあ。」
タケルは、小さなかっぱのすがたを、頭の中に思いうかべてつぶやいた。
「あの池、ずっとなくならないといいねえ。」
「ああ、おれもそう思う。」
ヒロシは、大きくうなずいた。
「おれが、おまえぐらいのころは、まだほたるもたくさんいたんだ。近ごろじゃ、ぜんぜんいないけどな。」
「だけど、くちぼそがいるじゃないか。」
「ああ、そいつがわかったのは、ありがてえ。」
「うめられるといやだなあ。」
タケルがそういうと、びっくりしたように、ヒロシはタケルを見た。
「うめるって、だれが。」
タケルは、あわててくびを横にふった。
「知らない。だけど、ぼく、きいたんだ。桜谷のたんぼをうめて、町ができるって。そうすれば、池は用がないから、きっとうめられるだろうって。」
ヒロシはだまっていた。そんなことさせるもんかというように、口をぎゅっとむすんでいた。しばらくして、ほっと息をついた。
「じゃ、おれ、もう帰るぜ。ここからなら、ひとりでいけるんだろ。」
「いけるよ。どうもありかと。」
「じゃあ、またな。あそびにこいよ。おれのうちのほうへこい。そうしたら、いっしょに池へつりにいこう。」
タケルはうなずきながら二、三歩いきかけて、あわててまたもどってきた。
「ぼく、さっきいいかけたこと、思いだしたよ。すごいつりざお買ってもらったら、古いほうをぼくにかしてくれるかい。」
「いいよ。おまえにやるよ。」
ふたりは、にっこりわらってわかれた。
だが、もうひとり、ヒロシとタケルの話をずっときいていたものがいた。そう、もちろんツムジのじいさまだ。ツムジのじいさまは、タケルのあとから、なにか考えながら、ゆっくりと走っていった。
さすがのタケルも、うしろにいるツムジイのことは、見えなかった。
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[#見出し] 第三章
[#見出し] 二つのいいつたえ
[#挿絵(img\088.jpg、横283×縦427、下寄せ)]
一月ほどたった静かな夜のこと――。
町の小さな公園にある、古いうめの木も、わか葉のかおりにつつまれていた。しろつつじの花が、ぼうっとうきあがって見えていた。
「人間ちゅうやつは、まったく……。」
そのうめの木のほらあなで、ツムジのじいさまは、ぼそぼそと話をしていた。小さなガラスびんの中で青いりんがもえて、へやの中をてらしていた。
「つむじのまがるようなことがあったかね。」
あいてをしているのは、おなじコロボックルのヒノキノヒコだった。このコロボックルはよび名をトギヤという。トギヤは大工しごとがじょうずで、ひまさえあればのみやかんなの刃――それらはもちろん、たいへんにかわいらしいものだ――をといでいるので、トギヤとよばれるのである。
トギヤは、世話役のいいつけで、町にあるコロボックルのかくれがをときどき見まわる。かくれががいたんでいないかどうかしらべて、なおすところがあればすぐになおす。
ツムジのじいさまのうめの木の家にも、三月に一度ぐらいはまわってくるが、このトギヤとツムジのじいさまとは、ふしぎと気があった。
トギヤはもともとぶっきらぼうなたちで、あいてががんこもののツムジのじいさまでも、平気でずけずけといいたいことをいう。それが、ツムジのじいさまには、かえって気らくだったようだ。
トギヤは、今夜のように、じいさまの家でおそくまでやすんでいくことが、いままでにもよくあった。
「まったく人間ちゅうやつは、めちゃくちゃをやる。」
ツムジのじいさまは、トギヤにむかってもんくをいった。
「いまさらの話でもないでしょう。」
トギヤはすましてそうこたえると、ほらあなをぐるっと見まわした。
「なあじいさま、ここも、だいぶ古くなったな。こんど、すっかり新しくつくりなおすことにしょうか。」
「なあに、まだまだ、このままでいい。」
へやの中は、コロボックルふたりがすわりこむと、もういっぱいである。入り口近くには、水がめや、つぼや、さらがおいてあるし、おくのほうには、ね台がある。そのほかのかべには一面にたながつってあって、コロボックル山のどびんの家からすこしずつはこんできた古い書類が、ぎっしりつまっていた。
[#挿絵(img\091.jpg)]
「ところでじいさま、わしは、一つたのみがあるんだがね。」
へやを見まわしながら、ぼそりといった。
「なんだか知らんが、いうだけいってみなさい。」
「うん、じつは、わしのむすこを町へつれてきてやろうと思っているんだが、そのとき、ここへよって、ひとやすみしていってもいいかね。」
ツムジのじいさまは、じろっとトギヤをにらんで、ふん、とはなをならした。
「おまえのむすこも、五つになったか。」
「なった。」
「そうか、はやいものじゃな。」
じいさまは、ひげをしごきながら、天井をむいてこたえた。
「コロボックルの男の子が五さいになれば、人間の町を見せるのは親のつとめじゃ。しっかり見せてやれ。」
「うん、そのつもりだ。で、そのときちょっとここへよって、夜までやすませていきたいんだ。」
「ことわっても、どうせくるんじゃろ。」
「まあそうだ。」
「おまえの考えは、ちゃんとわかっている。むすこにあって、わしに行くすえをうらなってくれというんじゃろが。」
このコロボックルのじいさまは、人相を見て先のことがわかるらしい、ということは、いつのまにかコロボックルのあいだに知られていた。トギヤも、もちろんよく知っていた。
「やれやれ、わかっているならぜひたのみます。」
「ふん、まあよかろう。しかし、わしのいうことなど、あまりあてにはならんぞ。」
「あてにするかしないか、じいさまに見てもらってきめるさ。」
「うん、そういえば、思いだした。」
じいさまは、ふいに顔をあげてつぶやいた。
「わしのほうにもたのみがあった。」
「なんです。」
トギヤは、はりきってこたえた。じいさまの役にたつのがうれしいのだ。
「なんでもひきうけるよ。もっといいかくれがをさがしますか。」
「よけいなことはいわんでいい。」
ぴしゃりと、おさえつけるようないいかただ。しかし、トギヤはなれているから、平気でにやにやしていた。
「山にあるわしのどびんの家は、知っているだろうね。」
「もちろんさ。知らないコロボックルは、まずいないね。」
くふんと、ツムジのじいさまは、はなをならした。
「わしは、家の中のことをいってるんじゃ。おまえは、たびたびあの中にはいったことがあるはずだ。」
「あるよ。じいさまがるすになってから、ときどき見まわるようにって、世話役にいわれているから。」
「そんなら、左のたなの上から三つめにある書きつけだ。それをここへとどけてくれ。」
「左のたなの上から三つめだね。」
「そう、黄色い糸でとじてあるから、すぐわかる。」
トギヤは、のみこむようにうなずいた。
「すぐとどけよう。」
ああ、とこたえて、じいさまは、またぽつんといった。
「この町のおくに、桜谷というところがあって、そこに、用水池がある。」
トギヤは、いきなり話しだしたツムジのじいさまを、おもしろそうに見つめていた。
「その桜谷の用水池へ、わしは一月ほど前にいってみた。うん、タケルぼうのあとについていったわけだが。」
タケルとツムジのじいさまのことは、トギヤもきいている。タケルにあったことはなかったが。
「そのとき、桜谷にすこしのこったたんぼのわきをとおった。あのへんはなかなかいいところだ。」
「うんうん。わしもいったことがあるよ。」
「そいつが、なんということだ。あっというまに、うめたて工事がはじまった。東がわの丘の上に、土をけずる大きな機械が……。」
「ブルドーザーでしょう。」
「そう、そのブルドーザーが三台もはいりこんでいてな。ひどい音をたてて土をけずっては、たんぼへおとしていた。みるみるうちに、たんぼはうめられていく。なんとも、人間というやつは思いきったことをするもんじゃのう。」
「そのことか、さっきから気にしていたのは。だがじいさまよ。そんなのは、いまはじまったこっちゃないだろ。このへんのたんぼは、みんな、町に近いほうからじゅんじゅんにうめられて、家が建っていったんだからね。」
「そのとおり。たんぼをつくったのも人間、それをうめるのも人間、わしらの口をだすところではないが、しかし、桜谷の用水池はうめられたくないんじゃ。」
「なぜ。あれだって人間がつくったものだろう。」
「うむ。いまのように、大きな池にしたのはたしかに人間じゃがね。その前にわざわざ水の道をつけて、わき水をひいて、あの谷のおくに沼をつくったものがいたんじゃ。つまり、あの池のもとになった小さな沼をつくったのは、人間ではないよ。」
「ほう。」
トギヤは、ひざをのりだした。
「もともとあったのではなく、人間でもないとすると、だれだ。もぐらか、のねずみか。それとも……。」
「それとも、わしらコロボックルの先祖たちか。」
ツムジのじいさま、両手でひげをしごいて、にやりとした。トギヤは、しげしげとじいさまの顔を見てなにかいいかけたが、けっきょくなにもいわずにため息をついた。じいさまは、かまわずにつづけた。
「わしはいま、そう考えている。用水池ができるほど、たっぷりあふれる水の道をさぐりあてて、それをあけたのは、きっとわしらの先祖じゃ。まあ、ちょっときけ。」
「きいてます。」
「百五十年ほどむかし、わしらの先祖が、新しいすみかをつくりかけた話は、トギヤもきいたことがあるじゃろう。」
ツムジのじいさまは、そんなふうに話しはじめた。
そのころ、いまのコロボックル山からあまり遠くないところに、新しいコロボックル山をひらきはじめたといわれているのだ。コロボックルの数がふえて、もっとふえるかもしれないと考えられていたためである。
ところが、なぜかその話は、それしかつたわってはいない。新しいすみかになるはずだった山がどこにあったのか、そして、その大しごとがどうなってしまったのか、いまではほとんどなにもつたわっていないのだ。
「それが、どうやら、あの桜谷のおくの山だったらしい。わしもついこの前までは、わからなかったがね。」
「ふうん。」
トギヤは、目をまるくした。
「そんなことが、古い書きつけにでていたのかい。」
「いや、どこにもでていなかったね。」
あいかわらず、いじのわるいこたえかただ。トギヤは口をとがらせた。
「それなら、どうしてじいさまにわかったんだ。」
「耳をはたらかせ、目をはたらかせ、足をはたらかせ、そして、頭をはたらかせると、そういうことになるな。」
「でも、ふしぎだねえ。」
トギヤは、ほんとうにふしぎそうだった。
「じいさまにだけわかるなんてね。そんなことが、なぜわしらには、なにもつたわっていないのかな。」
「それは、たぶん、そのころのコロボックルたちにも、くわしいことは知らされなかったためにちがいない。」
「だから、なぜ。」
「しっぱいしたからさ。新しいコロボックルの山をひらくことは、しっぱいした。」
「しっぱいしたって。」
目をあげて、トギヤはじっとじいさまの目を見た。
「しっぱいしたなんて、どうしてわかる。」
「ははは。」
めずらしく、じいさまはわらった。
「おちついて考えてみろ、トギヤ。いま、コロボックルの山は一つしかない。しっぱいしていなければ、二つあるはずじゃないか。」
「なるほど。」
ふふふ、と、トギヤもわらった。
「いわれてみれば、そのとおりだね。」
じいさまは、きげんよく、もっとくわしい話をしてくれた。
「古い書きつけには、この話が、あちこちにちちょっぴりずつでていてな。それをまとめると、だいたいのことは想像がつくんじゃ。たとえば。」
じいさまはくびをかしげて、思いだすようにつづけた。
「こんなこともでている。『新しい国づくりは、水の道をあけて、人の足を遠ざけることからはじまる。』というのだ。それから、『三十八人ぶんのあまがえるの服をそろえて、送りだした。』という、そのころの古い手紙もある。ただし、どこへ、なんのために送ったのかは、どこにも書いてない。」
「……まってくれ、じいさま。わしにもすこしわかってきた。わしらの先祖は、水の道をとおして、山の前に水をはった。そのしごとのために、あまがえるの服が、いっぺんに三十八もいることになったわけだろ。」
「うん。こういうふうに、二つだけとりあげるとおまえでも、その二つをむすぴつけて考えることができる。だが、たくさんの中から、この二つのちょっとしたもんくをひろいだしてくることが、どうしてどうして、なかなかむずかしいんじゃ。」
ツムジのじいさまは、いばっていった。
「つまり、先祖たちは、山の前に水をはって、沼をつくった。そこから村人たちが近よらないためにな。それだけでも、八年から十年はかかったはずだ。ところがそのあとで、きゅうにこのしごとは中止になった。」
「どうして。」
「わしの考えでは、思いがけないことになったからだ。コロボックルのつくった沼を見て、人間たちは、もっと大きい池につくりかえてしまった。」
「それが、桜谷の用水池かね。」
「そうらしい。」
「ふうん。それにしても、ずいぶんくわしくわかったもんだ。いったいどうやってしらべたんです。」
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そこで、ツムジのじいさまは、いつかタケルがヒロシからきいた、一寸かっぱの話をした。あの池の水の神さまとして、ついさきごろまでだいじにまつられていたという、おもしろいいいつたえである。
「人間は、一寸かっぱといっている。だが、わしは、その話をきいたとき、すぐにぴいんときた。そいつはきっと、あまがえるの服をきた、わしらコロボックルにちがいないってな。」
そして、コロボックルの先祖は、なんでそんなところにいたのか、考えたのだそうだ。そうしたら、新しいコロボックル山をつくろうとしたというむかしの話を思いだした、といった。つまり、人間のいいつたえと、コロボックルのいいつたえを、ツムジのじいさまは、一つにくっつけたわけだ。
「だからわしは、ここ一月のあいだに、もうなんどもその池へいって、しらべてみたんじゃ。池にももぐってみたしな。」
「へええ、その年で水もぐりかい。」
トギヤは、ちょっとあきれたように口をはさんだ。いくらか心配そうでもあった。どう考えたってまだ水あびの季節には早い。
もっとも、ツムジのじいさまも、あまがえるの服を持っている。だから、それをきて池へはいったのだろう。あまがえるの服は、水にもぐるときにもつかう。潜水服のかわりもするわけである。
「まず、池の中の水のわき口をしらべた。右がわの、岸の底に近いところにある。人間が、わき口を石でかこんで、口がつまらないようにしてあった。」
そのあと岸へあがって、わき水の音を、ときどき地面に耳をつけてききながら、たどってみたそうだ。すこしやぶにはいった草むらに、虫のでたあながみつかったので、そこから地面にもぐっていったという。
「水の音がもっとはっきりすると思ったのでな。」
じいさまは、そういった。
「虫のあなは、思いがけなく、もうひとつべつの大きいほらあなにつながっていた。そして、水の音がひびいていた。そのほらあなは、たしかに、コロボックルのつくったものだ。わしらのつくりかたとそっくりだし、岩をけずったあともある。」
用意してあったりんをもやして、そっとおりていくと、いきなりぽかっと、地面の下をながれる『見えない川』の岸へでたそうだ。川といっても、コロボックルにとって、川のように大きく見える、という意味である。
「まわりは粘土をかためたようなかたい土でな、あの水の道はめったなことではつぶれまい。地面からは、三メートルほど下になる。」
そこまでいうと、じいさまはトギヤにむかってゆびを立ててみせた。
「どうじゃ、トギヤ。わしが、あの池をうめたくないと思うのも、むりはあるまい。あの池は、人間とコロボックルと、力をあわせてできたようなもんじゃ。」
じつをいうと、ツムジのじいさまは、その日の午後も池へいってきたばかりだった。いや、池はついでで、タケルが柿村《かきむら》鉄工所のヒロシをたずねていったのに、くっついていったのだが。
ところが、ヒロシはまだ学校から帰っていなかったので、タケルはしばらく外でまった。そのとき、ヒロシのおじいさんがタケルの横にやってきて、たばこをすいながらひとやすみした。
ツムジのじいさまは、いそいでタケルのかたにのり、耳もとへささやいたのだ。
――用水池のこと、いつごろできたのかきいてみな――。
タケルは、ぴくんとしたが、それでもすぐにきりだした。
「あのう、うらの池のことだけどさ。」
「おう、あの池がどうかしたかね。」
ヒロシのおじいさんは、にこにことこたえてくれた。
「いつごろできたの。」
「うん、ずいぶん古いものだよ。そう、百年か、いや、もっと前だな。百五十年ぐらい前だ。子どものころにきいた話だが、なんでもあの桜谷というのはかれ谷でな。つまり、水けのない谷間、という意味だ。」
おじいさんは、タケルにもわかるように、やさしく話した。
「水けがないから、いいたんぼができない。夏に雨がふらないと、すぐにいねがかれちまうからな。それで、おかぼしかつくれなかった。おかぼというのは、畑でつくるいねだよ。ところが、あるとききゅうに、谷のおくのくぼ地にきれいないずみがわきだして、沼ができた。」
「ああ、それならぼく知ってるよ。ヒロシさんにきいたんだ。ほたる沼っていうんだよね。」
「おや、よくおぼえていたな。そのとおりだ。ほたる沼とか水仙沼とかいった。むかしの人は、そのほたる沼ができたのを見て、いまの用水池をつくったそうだ。おかげで、桜谷は、ずっと下のほうまで、りっぱなたんぼになってな。夏にいねがかれそうになると、あの用水池から水をながしてたすけたわけだ。」
タケルにも、その話はたいへんおもしろかったのだが、近くできいていたツムジのじいさまのほうが、もっとおもしろがっていた。自分の考えたことが、ぴったりあたっていたからだ。池がなぜできたのかということも、池がいつごろできたのかということも、ツムジのじいさまの考えたとおりだった。
それで、じいさまも、なんとかあの池を、うめたくないものだと思った。はっきりタケルに賛成したわけだ。池をなくして、コロボックルのつくった水の道をふさいでしまうのは、どう考えてももったいない話だと、じいさまは思ったのである。
「なあ、トギヤ。おまえも、いつか、わしらの先祖のつくった水の道を見てくるといい。わしのもぐっていった虫のあながうまらないうちにな。」
「いまなら、すぐわかるかい。」
「わかる。わしが、くもの糸でしるしをつけてきた。」
「うん、ぜひ見にいってこよう。」
トギヤも、その気になったようだった。
「わしだけでなく、山のなかまにもいって、みんなで見にいってみたい。」
「それもいいが、あまり大きわざはしないほうがいい。なんといっても百五十年からたっている。おおぜいでおしかけて、もし水におちたりしたらいけない。地面の下はせまいからな。世話役には、いずれわしから知らせるつもりじゃよ。」
「うん。」
トギヤは、すなおにうなずいた。
「そうだな。しかし、とにかくわしは見てくるよ。」
そういって、やっとこしをあげた。
「おもしろい話をきかせてくれて、ありがとう。近いうちにまたくる。」
「ああ、書きつけをわすれずにな。」
「もちろん。では、さよなら。」
さっさと帰りじたくをして、トギヤは戸口へむかった。じいさまはだまって手をあげただけだった。
「きれいな月夜だ。こりゃ、あしたもいい天気だね。」
戸をあけたまま、トギヤはふりかえっていった。それから、音もたてないで戸をしめた。そのとき、どこからかこうばしいわか葉のかおりがながれこんできた。
ツムジのじいさまは、ううんと手をのばしてあくびをした。
「さて、そろそろねるとしようか。」
さすがに、じいさまもつかれていた。こんなにながくおしゃべりしたのは、ひさしぶりのことだ。ツムジのじいさまは、トギヤがくると、どういうわけかおしゃべりになってしまった。しかし、なんとなく気持ちのいいつかれかただった。
それからしばらくたった日の夕方近く、トギヤは、じいさまにたのまれた古い書きつけのつづりを持ってやってきた。それだけではない。五つになるむすこをつれてきていた。
前にきたとき、こんどいつくるのか、トギヤはじいさまになにもいいのこしていかなかった。それなのに、ツムジのじいさまはトギヤのくるのがわかっていたとみえて、いつになくうめの木のほらあなの家をきれいにそうじしてまっていた。
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トギヤがむすこといっしょにあらわれると、だまってうなずいて、そこへすわれと、目であいずした。ゆかの上にはふたりぶんの席が用意してあった。
「おや、さすがはじいさま。わしらのくるのを知ってたようだ。」
トギヤはうれしそうにいって、むすこを前におしだした。
「ほれ、じいさま。これがわしのむすこだ。ヒノキノヒコ=ツムジだ。」
顔をあげたじいさまは、ぴくりと右のまゆをあげた。
「ツムジ、と、いったかね。」
「そうだよ、じいさま。」
トギヤは、ますますうれしそうににこにこした。
「こいつは、じいさまとおなじよび名がついちまったんだ。なぜかというと、ちびのくせに、まるでつむじ風のようにはやくて身かかるい。そのうえ――。」
ことばをきって、トギヤはうふっとわらった。ツムジのじいさまは、なにがおかしい、というように、こんどは左のまゆをぴくりとあげた。
「つまり、じいさまとおなじだ。どうもちっとばかり、つむじまがりなところもある。」
「ふむ。」
じいさまは、父親の横で、じっと自分を見つめているむすこをよんだ。
「ちょっとこっちへおいで。」
「こんにちは、ツムジのじいさま。」
トギヤのむすこは、気おくれしたようすもなくじいさまの前にでてきて、はきはきとあいさつした。
「ああ、よくきたな。町はよく見たか。」
「見てきた。またきてみたい。」
「これから、ときどきつれてきてもらえ。」
「はい。」
「おまえ、わしとおなじよび名だそうだな。」
「はい。」
「そのよび名が、すきかね。」
「じいさまは、すきかい。」
いきなりききかえされて、ツムジのじいさまは、目をほそくした。そしてなにかいいかけたが、ふっと口をつぐんで、トギヤのむすこの顔をのぞきこんだ。
「はて、もっとよく顔を見せてくれないかね。トギヤ、戸口を大きくあけてくれ。」
もう夕方だったので、へやの中はそれほど明るくなかった。それでじいさまは、戸をいっぱいにあけるようにたのんだのだ。トギヤは気がるに立っていって、戸をあけながらいった。
「ほれ、じいさま。こいつの人相を、よく見てくれろ。」
「おまえは――どこかで見たような顔をしているな。」
ツムジのぼうやのかわいいあごを持って光のほうへむけながら、ふしぎそうにじいさまはいった。ツムジのぼうやのほうは、まぶしいのか、ひたいにたてじわをよせた。
「なんじゃ、あの子にそっくりじゃ。」
「あの子って?」
トギヤが、けげんそうにききかえした。だが、じいさまはトギヤにはこたえず、目を大きくあけて、ぶつぶつとひとりごとをいった。
「口もとも、天井むいたはなも、ちょっぴりやぶにらみの目まで……、ひたいのたてじわも……まったく、ふしぎなことがあるもんじゃな。よくもまあ、にたもんじゃ。……そのくせ、目だけ見れば、おやじのトギヤによくにているし……。」
「だからよ。」
トギヤは、もどってきていった。
「だれにそっくりなのか教えてくれてもいいだろう。」
「わしのあいぼうの、タケルという人間の子にきまっとる。」
「ふうん。」
トギヤも、びっくりしていった。
「その、あれかね。わしらがどんなにはやく走っても、ちゃんと見てしまうという……。」
「そうじゃ。こりゃおもしろい。うん、トギヤよ。おまえのむすこは、たいしたものになるぞ。ツムジという、わしとおなじよび名がついているのもむりはない。うん、いまにりっぱな役にたつコロボックルになるじゃろう。」
「そうかそうか。」
トギヤは、うれしそうだった。子どもをほめられてうれしくない親はいない。コロボックルだっておなじだ。
「ねえ、ツムジのじいさま。」
それまでだまっていたツムジのぼうやが、ふいに口をとがらせた。
「ぼくは、人間の男の子にそっくりなの。」
「そうじゃ。じつによくにているよ。」
「その子は、ぼくより年上なの。」
「いや、あの子は五つじゃ。おまえも五つ。おない年、というのがまたふしぎじゃ。」
「それなら、ぼくがその子ににているのか、その子がぼくににているのか、わからないじゃないか。」
じいさまは、にこにこした。小さな子がみょうなりくつをこねるのが、おもしろかったのだ。
「どっちがどっちににたのでも、わしはかまわんよ。とにかくよくにとるんじゃ。まあこっちへきてやすみなさい。はらはへってないかね。」
「うん、へった。」
「それなら、こいつをたべて。」
じいさまは、用意してあったたべものとのみものをゆびさした。
「たべたら、あっちでひとねむりしなさい。山へ帰るときは、おこしてやろう。」
それからまたしばらくたった。
つゆにはいったとみえて、雨のふる日がなん日もつづいていた。
そのころの日曜日のこと――。
朝から、しとしととこまかい雨がふっていた。やみそうで、なかなかやまない雨だった。タケルは、雨がやんだら外へいこうと考えていたようだったが、とうとうまちきれなくなったとみえる。
長ぐつをはいて、黄色いかさをさして、ひとりで家をでた。ヒロシの家――山の谷間にある柿村鉄工所――へ、おかあさんにことわってあそびにいったのだ。
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ツムジのじいさまはちょうどタケルの家にやってきたところで、タケルがでていくのを見た。それで、もちろんタケルのあとについていった。そんなこともあるだろうと思ったじいさまは、みのむしの皮でつくったコロボックル用の雨がっばを用意していた。
桜谷へくると、たんぼはもうどこにも見えない。すっかりうめられてしまっていた。雨と日曜日がかさなったためか、工事はやすんでいた。どろんこの中に大きなブルドーザーが三台、ほうりだしたようにおいてあった。
タケルは、あたりをながめながらゆっくりと歩いた。むかいの山はまるぼうずで、もとの半分ほどの高さしかない。谷のおくの用水池のすぐ近くまで、ブルドーザーが土をけずりとったとみえて、池のどての下に新しいがけができていた。
「あれ、あそこから、池にのぼる道はどうなっちゃったんだろ。」
タケルは、ひとりごとをいった。池のどてをのぼって、雑木林のトンネルをくぐっていくすてきな道があったはずだ。
ヒロシの家にいくわき道を左にまがりかけて、タケルはまたもどってきた。池のどての下までいってみる気になったらしい。
たしかに、どての下はブルドーザーでざっくりけずりとってあって、二メートルほどのがけになっていた。
「あああ、やっぱりだめになっちゃった。」
タケルは、がっかりしたようにつぶやいた。
ツムジのじいさまは、そのとき、ちょっとだけ池をのぞいてこようと考えた。そこで、タケルからはなれて雑木林にとびこみ、やまざくらの木にかけのぼった。
そのまま枝の先へ走っていって、用水池を見た。ここは、まだすこしもかわっていないようだった。
じいさまの目の前のやまざくらのわか葉に、水玉がさがっていた。水玉を見るとのぞきこむくせがついているじいさまは、ぎょっとした。
水玉の中では、どこからどうやってのぼったのか、がけのふちにタケルが立っていて、じいさまがのぞきこんだとき雨でゆるんだがけが、タケルといっしょに音もなくくずれおちたのだ。
「あぶない!」
じいさまは、さっとふりかえった。目の下にはどろどろの土の広場がひろがり、右手の道にタケルの黄色いかさがほうりだしてあった。そしてタケルは、やぶをまわって、がけの上にいこうとしているところだった。
タケルは、まだがけの上にいるわけではない。じいさまは、それからおこるかもしれないことを、水玉の中に見たのである。
考えるひまもなく、じいさまは、枝の上からタケルのかたをめがけてとびおりた。そこまで、十メートル以上はあっただろう。
もともと、コロボックルたちは、とびおりるだけならかなり高くても苦にしない。足の力が強いうえに、下につくときからだに風をうけてブレーキをかけるようにするからである。
ツムジのじいさまだって、もっとわかいころなら、いや、三年前だったらわけなくやってのけただろう。ところが、大いそぎでからだをそらせて空中にとびだしたとき、ほんのわずか、ふみきりの力がたりなかったのだ。
[#挿絵(img\114.jpg)]
ツムジのじいさまは、ねらったタケルのかたにはおりられずに、背中にあたった。しかし、タケルの耳もとをかすめたとき、せいいっぱい大声でさけんだ。
「のぼるな!」
タケルはふりかえった。ほんのしばらくのあいだそのままじっとしていたが、やがて、のぼりかけていたやぶを、うしろむきのままゆっくりとおりて、道までもどったのだ。
タケルが道に立って、おいてあった黄色いかさをひろいあげようとしたとき、ザザーンというはらにこたえるような音かした。びっくりしているタケルの目の前で、がけが五メートルほどゆっくりとくずれたのだ。
「あ、あ、あ。」
タケルは、小さなさけび声をあげた。自分が、いまくずれたがけの上にのぼろうとしていたのだと思うと、さすがにぞっとしたのだ。もし、あのままやめていなければ、いまごろは土といっしょにころがりおちていたかもしれない。
「ああよかった!」
ほっと息をついて、足もとをきょろきょろとさがした。ツムジのじいさまに、お礼をいおうとしたのである。
「ツムジイ、ツムジイ。」
声にだして、タケルはよんだ。
「ねえ、どこにいるの。でてきておくれよ。ぼく、びっくりしたよ。」
それでも、ツムジイのすがたは見えなかった。タケルの目でも見えないのだから、タケルとしてはもうさがしようがない。
こんなことは、これまでもときどきあった。ツムジのじいさまは、タケルをおいて、さっさと先にいってしまうことがよくあった。
そこでタケルは、とめてくれてありがとう、と小声でお礼をいった。それから、もう用水池にいくのはやめにして、ヒロシの家へいってしまった。
そのあとしばらくたって、道までツムジのじいさまがでてきた。
「ううん。こりゃ、えらいことになったわい。」
じいさまは、よろよろとよろけて、草につかまった。しきりにこしをなでていた。どうやら、地面におりたとき、こしをいためたようだった。
草からはなれて二、三歩あるいたが、またすぐとまってしまった。
「まてまて、あわててはいかん。こういうときは、まずおちつくことじゃ。」
自分に自分でいいきかせて、ゆっくりとやぶにもどった。雨にぬれていないかわいたかれ葉の上に、そっとこしをおろしてあぐらをかいた。
「こうしているぶんには、たいしていたくない。だが、わしも年をとったな。あれっぱかりのところをとびおりそこなうなんて。」
そんなことをつぶやきながら、おびにつけていた刀をぬいて、目の前のほそいたけを一本切りとった。じいさまは、そのたけで手ばやくつえをつくった。
「まあ、しばらくやすめば、いたみもなくなるじゃろう。」
[#挿絵(img\117.jpg)]
ひげをしごきながら、のんびりとつぶやいた。ひげは、しっとりとぬれていた。見たところ、じいさまはたいへんのんきそうにしていたのだが、ほんとうはすこしもゆだんしていなかった。
走れなくなったコロボックルは、まず、空のもずに注意しなくてはいけない。のらねこやのらいぬもこわい敵になる。人間にみつかるのももちろんいけない。ただし、虫たちは、どういうわけかコロボックルには近よらないので、心配することはない。
じっとしていればたいていだいじょうぶだが、じいさまがこれから公園のうめの木までもどるとすれば、動かないわけにはいかない。
元気なときのじいさまなら、三分たらずで帰りつくはずだ。けれども、とことこ歩いていくとすれば、一時間半はかかってしまうだろう。
さっき、タケルがよんだとき、じいさまは、よほどでていってつれて帰ってもらおうかと思った。しかし、タケルは、ツムジのじいさまを神さまみたいに思っているのである。
「いやはや、その神さまみたいなわしが、ぎっくりごしではなんともかっこうがつかんものな。」
じいさまは、そんなひとりごとをいって、くすくすわらった。
「さあて。とにかく、すこしずつでもいってみるとしようかい。」
つくったばかりのつえをついて、よいしょっと立ちあがった。
「いたたた。」
まだいたんだが、つえをつかうと、だいぶらくだった。なんとかするするっと走りだした。
しばらくは、かなりのスピードだったが、やがてゆっくりになった。しまいにはこしをまげて、くるしそうに歩きはじめた。
桜谷の道から、ほそいのぼり坂のわき道にはいると、ところどころに段がある。いつもならわけなくとびあがれるところも、顔をしかめて息をのみながらのぼった。
とうとう、じいさまは、道のわきのしだのしげみの下にもぐりこんで、またひとやすみした。
ほっとため息をついて、そでで顔をふいたとき、じいさまは、いきなりさっと立ちあがった。いや、立とうとして、ビー玉のようにころがった。
「う、ううむ。」
そんなうなり声をあげたくらいだから、ずいぶんいたかったにちがいない。それでも、こしをまげたまま、まるで四つんばいのようなすがたで、しかも、人間の目には見えないくらいのはやさで、横に一メートルほどすっとんだ。
そのうしろで、まっ黒なのらねこが、しだのしげみにおそいかかっていくのが見えた。もちろんそののらねこは、しだのしげみの下にいた、じいさまをねらっていたのにちがいない。
ツムジのじいさまは、苦しそうにこしをかがめたまま、どうやらねこのつめの下をくぐりぬけた。そして、なりふりかまわずしばらくはそのまま走りつづけていった。
さいわい、それからあとは、もうねこにもいぬにも人間にもあわなかった。じいさまは、からだじゅうあぶらあせをながしながら、町の小さな公園にはいり、住みなれたうめの木の下へたどりついた。
そこからうめの木のほらあなまで、ほんとうにじいさまは手だけをつかってよじのぼった。そのときは、日暮れが近くなっていた。
ほらあなのへやにはいって、ぬれたきものをとりかえて、ね台にもぐりこんだじいさまは、思わずほっと大きなため息をついた。こうしてじっとしていると、いたみはだんだんやわらいでいった。
「やれやれ、わしとしたことが、いったいどうしたことじゃ。」
こしがいたくて走れないなんて、すばしこいことではめったにまけたことのなかったじいさまとすれば、生まれてはじめてである。これでは当分、コロボックル山へも帰れないだろう。
「しかしまあ、しばらくすればなおるじゃろ。」
こしをさすりながら、じいさまはぶつぶついっていた。
と、ふいに戸口があいて、コロボックルがひとりはいってきた。道具ぶくろをかついだトギヤだ。
「るすかね。」
トギヤは、まるで自分の家のようにえんりょなくどんどんはいってきた。きょうは、この家の修理をするつもりでやってきたのだ。じいさまがいてもいなくても、トギヤは平気だ。むしろいないほうが、がみがみもんくをいわれないですむから、しごとはしやすい。
ところが、じいさまは、ね台で横になっていた。
「おや、いたんですか。めずらしいことがあるもんだね。明るいうちからじいさまがねているなんて……。まさか病気じゃないでしょうね。」
おしまいのほうは、きゅうに心配そうな声になった。トギヤは、大工道具をほうりだすと、大いそぎでね台に近よった。
「なあに、病気なんかじゃない。ちょっとこしがいたむんで、やすんでいただけじゃ。どうせ外は雨だしな。」
ツムジのじいさまは、わざと元気よくこたえた。
「ふうん、そいつはいけないね。」
ね台の横にきたトギヤは、じいさまをのぞきこんだ。
「どれ、どのへんがいたむ。」
「いいから、ほうっておいてくれ。それよりきょうはなんの用だ。」
「べつにたいした用があるわけじゃない。」
そういいながら、じいさまを横にむかせて、こしをさすった。
「ここかね、このあたりかね。」
さわられるとひどくいたむものだから、じいさまはトギヤの手をおさえた。
「もういい。」
「よし。」
トギヤはうなずいた。
「わしは、ひとっ走り山へもどって医者をつれてこよう。」
「よけいなことはせんでいい。」
じいさまはがんこにいいはったが、もうトギヤはあいてにしてはいなかった。さっと戸口からとびだしていってしまった。
コロボックルのなかまには、むかしから医者がいる。薬草のえらびかた、くすりのつくりかた、病気やけがの手当てのしかたなど、人間とくらべてもまけないほどすぐれた独得の医術がつたわっている。
あたりが、ようやくうすぐらくなったころ、ひさしぶりに雨があがって、まっかな夕焼けになった。
その夕焼けの中を、トギヤは、医者のカエデノヒコをつれてもどってきた。このコロボックルは医者の中でいちばん年がわかく、よび名をハカセという。そのハカセのほかにもうひとり、コロボックルがついてきていた。トギヤのむすこのツムジのぼうやだった。
「こいつがね、どうしてもじいさまの見舞いにいくといって、きかないんでな、つれてきた。ここまで、どうやらわしらといっしょに走ってきた。」
トギヤは、ツムジのぼうやをおしだした。ツムジのぼうやは、にこりともしないでじいさまの頭のほうにすりよった。
[#挿絵(img\123.jpg)]
「じいさま、まだいたむか。」
「よくきたな、ぼうず。なあに、わしはたいしたことはないといっとるのに、おまえのおやじは気がはやくていかん。」
「だけどさ、じいさまはつむじまがりでがんこだから、いたくてもいたくないっていうかもしれないじゃないか。」
「そんな、はっはっは、いたたた。」
ツムジのじいさまは、いたがりながらわらった。
「おまえのそのしゃべりかたまで、タケルぼうにそっくりじゃ。つまり、タケルぼうがおまえにそっくり、といってもいいわけじゃ。うん、ふしぎなことがあるもんじゃな。」
そのとき、医者のカエデノヒコ=ハカセが、ツムジのぼうやのかたをたたいた。
「さ、そこをどいてくれ。じいさまの手当てをするから。」
カエデノヒコは、なれた手つきでじいさまのこしにねりぐすりをつけ、あとをぐるぐるとほうたいでまいた。
すっかりすむと、じいさまはらくになったとみえて、いつのまにかねむってしまった。むりもない。先ほどの、桜谷からここまでの苦労でひどくつかれていたのだ。
トギヤと医者はひそひそと相談して、しばらくのあいだここへじいさまをおいておくことにきめた。そのかわり、トギヤが毎日見舞いにくることもきめた。
さいわいなことに、ツムジのじいさまは、すこしずつ元気になっていった。こしのいたみもだんだんとれて、長い時間でなければ走ることもできるようになった。
しかし、コロボックル山の世話役は、ツムジのじいさまに山のどびんの家へもどるようにいいつけた。そのことを、世話役は、わざわざ町のうめの木まできて、自分でじいさまにつたえたのだ。
「まだ、こっちでくらしたいかね。」
世話役は、まずそうきりだした。じいさまは大きくうなずいてからこたえた。
「くらしたいと思うよ。わしは、タケルぼうのそばをはなれたくないのでね。だが、いまのからだでは、これまでのようにあの子の近くにいるわけにもいくまい。」
「そうだね。いちど山へ帰って、ゆっくりしたほうがいい。」
「わかっとるよ、ヒイラギノヒコ。」
じいさまとしては、わりあいすなおにうなずいた。
「わしも、あとのことは、タケルぼうの新しいトモダチにゆずりたいと思う。」
「それがいい。じいさまも、はじめからいっていたことだ。わしは年よりだから、いつまでもあの子のトモダチになっているわけにはいかんってね。」
「そのとおりじゃ。タケルは、なんといっても百万人にひとりいるかどうかというめずらしい人間であるし、このへんでわしのような年よりはひっこむのがよい。」
「で、じいさまには、あとをゆずりたいという、コロボックルがいるかね。」
「いる。」
また大きくうなずいて、ツムジのじいさまはにっこりした。世話役はひざをのりだした。
「その、運のいいコロボックルはだれだ。」
「ヒノキノヒコ=トギヤのむすこ、ヒノキノヒコ=ツムジがいい。」
「ツムジ? しかし、ヒノキノヒコのむすこは、まだ、たしか五つになったばかりではないか。」
世話役は、くびをかしげた。
「これから、コロボックルの学校へもいかなくちゃならんし、五つではむりだろう。」
じいさまは、くびを横にふった。
「いや、いそぐことはないんだ。タケルには、わしからよく教えこんでおく。三年あとか、五年あとに、ほんとうのトモダチが、わしのかわりにあらわれるだろうと、いいきかせておくつもりじゃ。」
世話役は、だまってきいていた。
「あの、トギヤのむすことわしはおなじツムジという名で、とても縁がふかい。だが、それだけではない。」
「なにか、とくべつな理由があるんだろうね。」
「あるとも。おまえさんも、ツムジぼうとタケルの両方にあってみればわかるよ。きっとびっくりする。タケルとツムジぼうは、あきれるほどよくにているんじゃ。人間とコロボックルとのちがいはあるとしても、これはまったくふつうではない。いや、顔ばかりではないぞ。」
じいさまは目をほそめた。なんだかたのしそうな口ぶりだった。
「ツムジぼうは、春ごろからもうなんどもここへあそびにきているんだが、じつにどうもよくにている。話しかたも性格もそっくりじゃ。どこをさがしたって、こんなふさわしい組みあわせはまずあるまいよ。」
そしてさいごに、じいさまはこうつけくわえた。
「だから、タケルのトモダチにツムジぼうをえらんだのは、わしではない。スクナヒコさまだと、わしは本気で考えている。」
きいていた世話役は、ほっと息をついていった。
「よろしい。ツムジのじいさまがそれだけいうのなら、まちがいない。じいさまのいうとおりにしよう。いずれ、じいさまにはいろいろとしこんでもらうことになるが、よろしくたのむ。」
「いいとも。」
じいさまも、ほっとしたようにこたえた。
「わしも、ひさしぶりで山へ帰るとしようか。世話役にいろいろ話したいこともあるしな。」
「ああ。」
世話役は、にっこりした。
「うすうすはきいているよ。じいさまは、わしらの先祖ののこした池を、みつけたとかいうじゃないか。」
「おや、もう知っていたかね。うん、そのことじゃ。どうかね、くわしい話をききたいかな。」
「ききたいとも。」
「よしよし。いずれ、きちんと書きものにしてとどけるつもりじゃが、まあ、ちょっときけ。」
ツムジのじいさまは、ゆっくりと桜谷の用水池の話をはじめた。
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[#見出し] 第四章
[#見出し] かわいそうな池
[#挿絵(img\128.jpg、横280×縦436、下寄せ)]
桜谷の、ずっと南よりにある柏《かしわ》小学校の門から、ぞろぞろと生徒たちがでてきた。
男の子がふたりならんでしゃべりながら、桜谷へむかう道を歩いていった。ひとりはみるからにはしっこそうな子、もうひとりは色の白いおとなしそうなふとった子だ。
やがて、道は二つにわかれる。ふたりはそこで立ちどまった。はしっこそうな男の子が、ふとった子にむかっていった。
「なあ、ヤッちゃん。あとでヒロシさんのところへ、あそびにいかないか。」
「いいよ、いくときぼくのうちへよって、よんでくれるかい。」
「ああ、そうするよ。」
はしっこそうな子は、じゃあまたあとで、と、片手をあげて、左の道をかけていった。その背中でおどっているランドセルも、だいぶ古くなっている。
この子がタケルだ。つまり、あれからまた、三年とすこしたっているのである。タケルはもう三年生だった。そしていまは二学期。もうじき学校では秋の運動会がある。
[#挿絵(img\130.jpg)]
この三年のあいだに、ずいぶんいろいろなことがあった。たとえば、桜谷のたんぼのうめたて工事がおわると、たちまち家がたちならび、すっかり町になってしまった。いま、タケルとわかれていったふとった男の子も、その新しい町にひっこしてきた子だ。
タケルは、いつかツムジのじいさまがいったとおり、たいへんなわんぱく小僧になっていた。
けんかではめったにまけたことがなく、いまでは年上の子もタケルのことをよく知っていて、いじめるものはない。
学校では算数がとくいで、みんなから数学博士≠ニいうあだ名をもらっていた。ほかに、絵と音楽がわりあいじょうずだ。社会科はだいきらいで、国語と理科はよくもわるくもない。
おもしろいのは体育で、タケルは体育の時間になるととても気まぐれになる。とびばこや、鉄棒や、ボール競技などをやらせるとだれよりもうまいくせに、ならんで体操をするのがきらいだった。そんなときは、わざとみんなよりすこしずつおくらせて、からだを動かす。タケルひとりのために全体がばらばらに見えるので、先生からよくこごとをくった。
「フジノくん、しっかりー」
先生は、まだわかい女の先生だったが、ときどき男みたいな口をきく。
「ほら、きみだけおくれるぞ。」
タケルは大いそぎで手足を動かして、こんどはみんなよりすこしずつはやくする。そんなことを、なんどかくりかえしているうちに、たいていおわりになってしまう。
どちらかというと、タケルはクラスの人気ものだった。委員の選挙でも、草花委員(花だんの手入れのかかり)とか、黒板委員(黒板のチョークを消すかかり)などのへんな委員によくえらばれた。三年二学期のいまも、窓あけ委員である。これは、教室の空気をいれかえるために、窓をあけたりしめたりするかかりだ。
「おい、タケダくん、窓をあけろ!」
タケルは、雨の日など、時間中にいきなり立ちあがって、命令したりする。
そんなタケルを見たら三年のあいだにずいぶんかわったなあと思うかもしれない。だが、タケルのかわったのはそんなところだけではなかった。
ついこのあいだ、おとうさんが、タケルにこんなことをきいた。
「そういえば、タケルは、このごろツムジイの話をしなくなったな。小さいおじいさんは、もうおまえのまわりにでてこなくなったのかね。」
タケルは、そのとき、事務所のおとうさんのつくえの上で、プラモデルを組み立てていた。カーテンのおくで図面を書いていたおとうさんは、たばこを持って事務所の長いすへ休みにきたところだった。
「こられないらしいよ、ツムジイは。」
「ほう、そいつはまた、どういうわけかね。」
「うん。」
タケルはふりむきもしないで、めんどくさそうにこたえた。
「ツムジイは年よりだからね。もうこられないんだよ。そのうちにかわりのだれかがくるってさ。」
「その、かわりのだれかっていうのは、やっぱり神さまみたいな、小さい人かね。」
タケルは、おとうさんが自分のことをからかっているのかどうかたしかめるように、ちらりとうしろをむいた。おとうさんは、もちろんからかってなんかいなかった。いつもとからない口ぶりで、まじめに話していた。それでタケルは、からだをひねったままゆっくりとこたえた。
「そうだよ。ツムジイは、ずっと前にそういいのこしていったんだから。」
くるんとまたつくえにむきなおって、タケルはプラモデルの組み立てにもどった。そこでは小さな飛行機ができかかっている。それから、タケルはふふっとわらうと、こんなことをつけくわえたのだ。
「でも、それは、ただぼくがそう思ってるだけかもしれないよ。」
するとおとうさんは、なぜかほっとしたような目つきになった。
――すこしはおとなになったとみえるな――。
おとうさんの目は、そんな目だった。
そのときタケルは、おとうさんにくわしいことをなにもいわなかったのだ。小さな人は自分にしか見えないこともわかっていたし、そのことをむきになっていいはると、おとなも子どももへんな顔をするか、わらうかすることも、よく知っていた。
――これは、ぼくだけのひみつにしておかなければいけないんだろう。たとえ、おとうさんにでも、できるだけいわないほうがいいんだな――。
タケルは、いつのまにかそう思うようになっていた。だからそのときもおとうさんによけいな心配をかけないように、くわしいことは話さないでおいたのである。
こんなふうに気をくばるようになったことから考えて、タケルがすこしはおとなになった、というのはたしかだろう。
ほんとうのことをいうと、タケルは、たったいちどだけだったが、ツムジイではないべつの小さい人とであったことがあった。
二月ほど前の夏休みのおわりごろのことだった。そのとき、タケルはたったひとり、公園の鉄棒で『足かけおり』の練習をしていた。
まげた両ひざを鉄棒にひっかけて、さかさまにぶらさがってから、からだを大きくふる。地面が目の下にいちばん遠く見えとき、背中をそらせて、鉄棒にひっかけていた両足を思いきってはずすのだ。そして、ひょいと地面に立つ。それが『足かけおり』である。
タケルは、鉄棒にぶらさがったまま、頭の上の、いや頭の下の地面を上目づかいに見た。地面まで、三十センチぐらいしかはなれていなかった。
ズボンからシャツがはみだして、さかさまにたれさがり、おへそも背中もすっかりのぞいていた。なにしろ夏のことだったから、シャツ一枚しかきていなかった。
さて、はずみをつけて大きくからだをゆすろうとしたとき、ちらちらと小さな人のすがたが目にはいった。
――あっ、ツムジイ――。
もう、長いことツムジイにあっていなかったタケルは、とっさにそう思った。しかし、ツムジイのあのじまんの白く長いひげは、見えなかった。
タケルは、もうすこしで鉄棒からおちるところだった。あわてて手をのばして、パタンと足をはずした。そのタケルの手のあいだに、ひとりの小さな男の子がいて、タケルにむかって手をふったのだ。
タケルは、土の上にひざをついてすわりこんだまま、口をぽかんとあけてじっと見つめ、またそれから、ぐっと目を近づけた。
――おや、このちびすけ、どこかで見たような顔をしているなあ――。
そう思った。なんだか、むかしからとてもよく知っている顔だと思ったのである。
[#挿絵(img\135.jpg)]
小さな男の子は、にやっとわらった。それから自分のはなの頭をゆびさすと、からだを折るようにして、力いっぱいさけんだのだ。
「ト、モ、ダ、チ。」
そうきこえた。そして、あっというまに小さな男の子は、公園のすみの草むらにむかって、すばらしいはやさで消えていってしまった。
が、タケルには見えていた。まるで、百メートル競走のスタートのように、タケルはかがみこんでいた姿勢から、土をけってとびだした。
草むらへかけよってむちゅうで草をかきわけてみたのだが、ばったが二、三びきあわててにげていっただけで、もう男の子はすがたを見せなかった。
せみのなくあつい日ぎしの中で、タケルはほうっとため息をついた。
――あいつ、たしか、トモダチ、っていったな――。
ツムジイが、いつか新しいほんとうのトモダチがくるはずだ、といっていたのを思いだして、ひとりでうなずいた。
――あいつがきっと、そのほんとうのトモダチにちがいない――。
のろのろと日かげのほうに歩いていきながら、タケルはつぶやいた。
「だけど……、あいつ、なんであんなにあわててにげていったんだろうな。」
ツムジイとはちがって、自分とおなじくらいな男の子だったのが、タケルには思いがけなかった。それで、もうすこし話をしてみたかったのだ。
「まあいいや。あいつ、なれないんで用心しているんだろう。こんどでてきたときに話をすればいい。」
なんといっても、赤んぼうのころからツムジイと話をしてきたタケルである。いつまでもおどろいてはいなかった。のんきに、そんなことを思っただけだった。
ところが――。
新しい小さなトモダチは、それっきりで、そのあとはあらわれなかった。夏休みがおわって二学期がはじまって、タケルが名誉ある窓あけ委員に任命されて、運動会の練習がはじまっても、小さい新しいトモダチはでてこなかったのだ。
ある朝、顔をあらっているとき、タケルは、ふっとへんなことに気がついた。
鏡の中の自分の顔を見ていたら、あのときの小さな男の子の顔を思いだしたのだ。
「あっ!」
思わず、タケルは大きな声をあげた。それから、ひとりでわらってしまった。
「はっはっは、へっへっへ。」
台所にいたおかあさんが、びっくりしてふりむいた。
「おやおや、タケルちゃん、けさはごきげんね。」
「うん。」
タケルはいそいで口をひきしめたが、にやにやわらいは、なかなかとまらなかった。むりもない。鏡にうつった自分の顔は、一度だけあった小さなトモダチの顔とまるでそっくりだったのだから。
――ぼくったら、よく知ってる顔みたいだなあなんてさ。自分の顔のこと、そう思ったんだからな。てへっ、こいつはおかしいや――。
それからというもの、タケルは毎朝顔をあらうたびに、おかしくなった。そして、はやくあのちびすけ、でてこないかなあ、と心まちするようになった。
小さいトモダチが、なかなかでてこないうちに、タケルにはべつの新しい友だちかできた。こちらはもちろん人間の男の子だ。
二学期になったときよそからひっこしてきた子で、ヤスオといった。この子が、さきほどわかれ道でタケルと話していたヤッちゃんである。
ヤスオの家は、桜谷にできた新しい桜谷町にあった。
桜谷町は、三年前にたんぼをうめたあと、たちまち生まれた町だ。ほんとうに、ここはあっというまに町になってしまった。タケルは、ヤスオの家にあそびにいくたびに、いつもそう思う。
アスファルトのひろい道が、むかいの丘の上までたて横に走っていて、ま新しいしゃれた小さな家がきちんとならんでいる。その中にはたばこ屋や酒屋や、美容院などもまじっていた。
ヤスオの家は、丘のまん中あたりにあった。つい三年前までそこが雑木林で、目の下にはたんぼがあったなどとは考えられないような風景だった。
タケルのおとうさんとヤスオのおとうさんは、古い友だちどうしで、ここに家を建てることになったヤスオのおとうさんは、タケルのおとうさんのフジノ建築士に設計をたのんだ。それで、タケルとヤスオは、まだヤスオが転校してこない前からなかよしになっていたわけである。
ヤスオは、ふとっているためか、野球もドッジボールもへたくそだったが、おっとりしていてのんきぼうずで、そのくせたいへんによく勉強のできる子だった。
そんなヤスオと、どちらかというと気が強くて、はしっこくて、いくらからんぼうなところもあるタケルとは、みょうに気があってすぐなかよしになった。
桜谷町からは柿村鉄工所のヒロシの家に近いので、タケルは、これまでもなんどかヤスオをさそって、いっしょにヒロシの家へあそびにいっている。だから、さっきもタケルはヤスオをさそったわけだ。
ヒロシは、もう中学生になっていた。そのくせタケルやヤスオがくると、よろこんであいてになってくれる。
べつむねになっている倉庫の二階(といっても屋根うらのようなところ)にヒロシのへやがあった。中学生になったとき、もらったへやである。
ヒロシは、自分がタケルぐらいのころにあそんだ、古いおもちゃをいっぱい持っていた。はげちょろけのミニカーや、手のとれたロボットや、こわれた水でっぼうや、ばらばらにしたモーターなどが、それこそ山のようにある。
それを一つもすてないで、だいじにとってあるのだが、タケルたちがいくと、ヒロシはなんでもみんなかしてくれた。
「おれは、四人兄弟の末っ子だろ。だから兄貴たちからのじゅん送りにおさがりになってきてよ、いつのまにかこんなにたまっちまったんだ。おれの下にはだれもいねえから、おまえたちにかしてやるよ。」
そういって、大きなタンボールのはこごとあずけてくれる。
ヒロシのへやには、東むきの窓が一つだけついていたが、その窓の前に、大きなガラスの水そうがおいてあった。はば三十センチ、横九十センチ、ふかさは五十センチぐらいあるだろう。金のわくでしめつけたずいぶん大きなものだ。
その大きな水そうに、ヒロシは小さなくちぼそを十ぴきほどかっていた。水草や、藻《も》もうえられていて、底には砂と小石がしきつめられていた。
タケルは、ヒロシのへやにはいると、まずその水そうをのぞくことにしていた。なぜかというと、この水そうは、桜谷用水池の一部分だからだ。きれいで静かだった三年前の用水池の。
[#挿絵(img\141.jpg)]
タケルがまだ一年生になったばかりのころ、ヒロシは、その大きすぎるような水そうを自分のへやにそなえつけた。
もともとは、熱帯魚をかうためのものだろうが、駅前の店にはこんな大きなのがなくて、ヒロシはにいさんの運転する自動車にのせてもらい、わざわざ遠くの大きな町のデパートまででかけて買ってきたものだ。ヒロシは、それまでなん年もかかってためたお金を、みんなこのガラスの水そうにつぎこんでしまったという。
その水そうに、ヒロシは、桜谷用水池でとったくちぼそを、十ぴきほどいれただけだった。それがタケルはとてもふしぎだったので、こんなことをきいてみたことがあった。
「くちぼそなんかかうなら、こんなすごいもの買わなくたって、庭に池をつくればいいじゃないか。」
するとヒロシは、すぐさま、ばかいえ、と、いばってこたえてから、つくえの上に小さなけんび鏡をとりだした。このけんび鏡はヒロシの宝もので、めったにさわらせてくれないものである。
「おれはな、くちぼそやだぼはぜをかうために、このでっかい水そうを買ったんじゃない。さあ、おまえにいいもの見せてやる。」
タケルは、そのときのことをいまでもよくおぼえている。
ヒロシは、けんび鏡の下のガラス板に水そうの水をちょっぴりつけると、なれた手つきでピントをあわせてから、タケルにものぞかせてくれた。
タケルは、びっくりした。けんび鏡のレンズの中には、きみょうな形をした生きものがいくつも動いていた。おまけに、光のかげんで、その生きものが赤や青やピンクにかがやいて見えるのだ。
「なに、これ。」
タケルがのぞきこんだままたずねると、ヒロシはとくいそうに教えてくれた。
「みじんこさ。もっと小さいのはプランクトンだ。」
「ふうん。めずらしいんだね。」
「ところが、めずらしくなんかないんだ。どこの水にも、たいていみじんこやプランクトンはいるよ。ただ小さいから見えないだけだ。」
ヒロシは、まじめな口ぶりだった。
「なあ、タケルちゃん、このガラスの中の水はね、ちゃんと生きているんだ。」
「水が生きてるって、どういうことさ。」
タケルは、めんくらってそういった。
「つまり、みじんこたちは、水の中におちたこまかいごみや、藻のきれっぱしなんかをたべてふえていく。そうすると、そのみじんこをたべて、くちぼそが生きる。みじんこの死んだのやくちばそのふんは、水草や藻のこやしになる。だから、水草なんかもずっと生きていける。」
タケルが、だまってヒロシの顔を見つめていると、ヒロシはゆっくりとつづけてくれた。
「水草や藻は、植物だ。だから、日にあたると水の中の炭酸ガスをすって、きれいな酸素をはきだす。その酸素を、みじんこやくちぼそがすって、炭酸ガスをはきだす……。」
ヒロシは、両手を胸の前でぐるぐるとまわしてみせた。
「な、この水の中でいのちがまわっているんだ。ちょうどいい数だけみじんこがふえて、ちょうどいい数だけくちぼそがそだって、ちょうどいいだけの水草や藻があって、うまくつりあいがとれているんだよ。だからこうして、いつまでたっても、水はきれいにすんでいる。」
タケルは、こっくりとうなずいた。そこのところは、とてもよくわかったからだ。
「海や湖や川やきれいな池なんかは、このガラスの中の水とおなじで、いのちがうまくまわっているんだ。それがほんとなんだ。ところが、人間がくすりをまいたり、ごみをぶちこんだり、やたらにさかなをとりすぎたりすると、つりあいがぶっこわれる。」
ため息まじりに、ヒロシはいった。
「そうなるとな、もういのちはうまくまわらなくなるんだ。どこかでとまってしまう。水が死ぬのさ。水が死ねばいのちも死ななくちゃならない。」
タケルは、そのときのヒロシの話をきいて、たいへんに心を動かされた。
「いいかい、タケルちゃん。」
ヒロシはそんなタケルを見ながら、こうつけくわえた。
「このガラスの中の水はね、うらの桜谷用水池からくんできたんだよ。水がきれいなうちにな。水草も、藻も、くちぼそも、もちろんみじんこもさ。みじんこは、水といっしょにはいってきたわけだ。だから、桜谷貯水池はこのガラスの中でずっと生きていくんだ。もとの用水池が死んじまってもな。」
そして、こんな生きた水≠フつくりかたのでている本を、ヒロシは見せてくれたのだった。
ヒロシのいうとおり、桜谷の用水池はもう死んでいた。信じられないくらい早く、桜谷の用水池は死んだ。まずだれかがいつか、ちょっぴりごみをすてた。すると、ごみをすてる人がどんどんふえた。そのあと、池にくすりをまいた人がいて、一晩でさかなは全部死んだ。
しまいには、ダンプカーが右の丘の上をけずった土をなんばいも杉林にすて、その土が雨にながされて、かなりたくさん池の中まではいりこんだ。おかげで池は形まですこしかわってしまった。
いつからか、池のわき水がとまって、水がへりはじめ、やがて、いくらかくさいにおいもしてきた。
そのために、桜谷の用水池なんかうめたほうがいい、というおとなが前にもましてふえた。ヤスオが教えてくれたのだが、桜谷の新しい町の人は、はやくうめてしまうよう役所にかけあいにいったりしているそうだ。
そんなことをきくと、ますますタケルは、ヒロシのへやにあるもとのきれいな池の生きている水が、たいせつに思われた。だから、ヒロシのへやへあそびにくると、きまってガラスの水そうをのぞきこむのだ。くちぼそも水草も元気そうで、すんだ水に、窓のそとの青空や白い雲がうつっていたりするのを見ると、ほっと安心するのだ。
ときには、ヒロシにねだって、みじんこを見せてもらうこともあった。もちろん、みじんこは、けんび鏡をつかわなくては見えないし、そのけんび鏡はいまでもヒロシの宝ものだったから、いつもというわけにはいかなかったのだが。
「ほんとに、ここはひどいなあ。」
「うん、ひどい。」
その日の午後おそく、タケルとヤスオは、桜谷用水池のうしろの杉林から、きたなくなった水を見ていた。秋の日が、林の中をななめにさしこんでいた。
ふたりは、いまヒロシの家から、杉林の丘をこえて帰ってきたところだった。桜谷町のヤスオの家にもどるには、このほうがずっと近道になる。
タケルとヤスオは、用水池のふちをまわってどての上にきた。桜谷町の家々が目の下につづいている。
「ぼくはね。」
タケルが、手に持ったたけの棒で、町なみをぐるっとさししめしながらいった。
「ここで、ヒロシさんとはじめてあったときのことを考えると、頭がへんになりそうだ。」
「へんになるって、どうしてさ。」
「ぼくはまだ幼稚園だったけどね。この下はずっとたんぼでさ。あれは、ええと、まだ春だったよ。そのあと、すぐたんぼのうめたて工事がはじまったんだ。こっちの右がわの山とおんなじように、あっちがわも林があったんだ。あの丘は、いまよりずっと高くてさ、こんもりしげっていて、とてもいいながめだったのに。」
「いまだって、そんなにわるくないけどな。」
ヤスオは前のことを知らないので、のんきにこたえた。たしかにきれいな町だった。
「まあね。」
タケルはうなずいた。それから、くるりとふりかえって、見るかげもない用水池のほうにむきなおった。
「だけど、こっちを見ると、がっかりしちまう。」
「ほんとだ。」
ヤスオもうなずいて、まゆをしかめた。
「こんなきたない池なんか、はやくうめちまえばいいんだな。」
タケルは、しばらくだまっていた。池は、ヤスオにそういわれてもしかたがないようなあわれなすがたをしているのだ。むかしの池をよく知っていたタケルは、なさけなくなった。
[#挿絵(img\146147.jpg)]
「ぼくとヒロシさんが、ここではじめてあったときはね、すごくきれいないい池だった。ヒロシさんは、ここでそのときはじめてくちぼそをつったんだ。」
「ふうん。」
さかながいたなんて、信じられないというような顔をして、ヤスオは池をのぞきこんだ。半分くさったような水が、とろんとたまっている。その上に、ごみがたくさんういていた。
「わき水がとまっちゃったから、もうだめだって、ヒロシさんはいってたよね。水の神さまを人間がだいじにしないから、水をとめられちゃったんだって。神さまがおこって断水にしたんだろって、そういってたじゃないか。」
ヤスオは、わらいながらしゃべった。しかし、タケルはわらわなかった。わらう気もしなかった。水道の断水なら、またいつか水はでてくるけど、池のわき水じゃどうしようもないや、と考えていたのだ。
このままほうっておいても、やがて池はひあがってしまって、大むかしのようにかれてしまうだろう。まったくざんねんなことではあるが。
――いいよ。こんなきたないままにしておくくらいなら、ヤッちゃんのいうとおり、はやくうめたほうがいいな――。
タケルは、そう思った。そして、小石をぽんと池の中へけりこんだ。ひよどりがピイピイとかん高い声でないて、むかいの杉林からとびたった。
この杉林は、ヒロシの家の持ち山である。そういえば、いつか、ヒロシのおじいさんがいっていた。山の中に鉄工所を持ってきたかわりに、杉林は絶対にきらないのだそうだ。
「さあ、いこうよ、ヤッちゃん。」
タケルは、さっさとどてをかけおりた。ヤスオは、あわててうしろからよびとめた。
「タケルちゃん、まってくれよ。」
どてのとちゅうにタケルはとまって、ヤスオをふりかえった。
「まってるから、ゆっくり草につかまってこいよ。」
そうこたえたタケルは、自分の立っている足もとを見た。そこは、池の水を流しだすためにつくられた、小さな水門の上だった。
――おや――。
タケルは、ぐるっとあたりを見まわした。ここには、水門をあける鉄のハンドルがついていたはずだった。雨ざらしのままさびだらけになって、このあいだまでずっとここにあったのだ。それがいまは、ハンドルをはめこむあなだけあって、ハンドルがない。
ふとっちょのヤスオは、こしをおろして、そろそろとどてをおりてきた。そのときふっとタケルは、そのハンドルが、ついさっきヒロシのへやのすみっこに、ぴかぴかになってころがっていたのを思いだした。
――なんだ。あれは、ここのハンドルじゃないか――。
いつのまにか、ヒロシはさびだらけのハンドルをはずしていって、ぴかぴかにみがきあげたとみえる。
いきなり、タケルの頭の中に、一つの考えがうかんだ。びくっとかたをふるわせて、手に持ったたけの棒をほうりだすと、せっかくおりたどてをまたよじのぼっていった。
「あれ、タケルちゃん、どうしたの。」
ヤスオは、草につかまったまま、ふしぎそうにタケルを目でおった。
タケルは、ひとりでどての上に立つと、じっと池の水面を見つめた。
タケルの考えていたのは、こんなにきたない池の水は思いきってみんな流しだして、きれいさっぱりからっぽにしてしまいたい、ということだった。
――ヒロシさんからハンドルをかりてきて、水門をあけちまえばいいんじゃないか。そうすれば、きたない水はなくなる。こんな水がひあがるまで、ずっとかかえてなくちゃならないなんて、池がかわいそうだ――。
タケルはこぶしをぎゅっとにぎったまま、池をにらみつけていた。それからゆっくりとふりかえって、どての水門をのぞきこんだ。水門から先は、コンクリートのみぞがついている。そのみぞは、桜谷町の新しい道路にそってつづいていた。
「タケルちゃあん。」
どての下から、ヤスオのよぶ声がした。タケルは、立ったままどてをかけおりようとした。とふいに小さな小さな人かげが、自分より先に、まるでころがるようにどてをおりていくのを見た。秋の日ざしをうけて、きらきらときらめきながら、たちまち消えていったのだ。
タケルは、ぶつぶつとつぶやいた。
「あいつ、ひげがなかったぞ。だからツムジイじゃない。ぼくとそっくりな、あのちびすけだな、きっと。」
そこで、ピーッと口ぶえをふいた。このごろ、やっとじょうずにふけるようになった口ぶえだった。それからさけんだ。
「帰ってこうい。」
「なんで。」
ヤスオの声が、どての下からふしぎそうにききかえしてきた。
「なんか、あったのかい。」
タケルは、あわてて手をふった。もちろん、いまはヤスオをよんだのではない。新しい小さなトモダチにむかって、思わずさけんでしまったのだった。
「なんでもない、なんでもない。いまおりていくよ。」
大いそぎでどてをかけおりて、ヤスオにいいわけをした。
「ぼく、その――ああ、そうだ。むかしのきれいな池のけしきが、またもとどおりに返ってくればいいと思ってさ。そう思って池を見てたんで、つい、帰ってこい、なんていっちゃったよ。」
「ふうん。」
ヤスオは、うなずいた。そして、ほんとに、きれいな水がまたでてくればいいのにね、とつけくわえた。タケルは、ほっとした。
「さあ、いそいでもどろう。はやく帰って宿題しなくちゃ。」
そういうと、先に立って走りだした。ヤスオも、とことことうしろからついてきた。
桜谷町をくだっていくと、左に新しい酒屋がある。その酒屋のむかいがわに、きりどおしのほそ道が見える。八十八段の石段のとちゅうにでるわき道だ。ここもいまは、コンクリートのしき石が二列にしきならべられていて、三年前よりは、ずっと歩きやすくなっていた。
酒屋の前で、タケルとヤスオは手をあげてわかれた。
「あばよ。」
「あばよ、またあした。」
タケルは、ひょいとせまいきりどおしの道へとびこんだが、すぐに立ちどまった。いきなり耳もとで、なつかしいささやき声がしたからだった。
「ひ、さ、し、ぶ、り、だ、ね。」
ぎくんと、タケルは立ちどまって、自分のかたをふりむいた。するとそこから、小さい虫のような白いものが、しゅっと足もとへとびおりるのが見えた。
こんどは、ちびすけもにげなかった。タケルは、地面にひざをつくと、ぐっと目を近づけてのぞきこんだ。そして、思わずふふふっとわらってしまった。だって、二センチ五ミリにもたりないほどのちびすけは、やっぱり鏡で見る自分の顔とそっくりな顔をしていたからだ。
[#挿絵(img\153.jpg)]
わらいながら、タケルは自分のはなをゆびさした。
「ぼくはタケルだ。知ってるだろうけど。おまえは、なんていうんだい。」
「ルルルル。」
ちびすけは、ひどいはや口でこたえた。タケルが、えっとききかえすと、すぐにいいなおした。
「ツ、ム、ジ、って、いう、んだ。」
「ツムジ?」
「そ、う、だ、よ。」
「それじゃ、ツムジイとおなじじゃないか。」
「そ――う。」
この小さい小さい男の子は、なんとなく口のききかたがあまりじょうずではなく、タケルにもききとれないところがあった。ツムジイとは、ちがうしゃべりかただな、と、タケルは思った。
「だけどさ、でてくるの、ずいぶんおそかったじゃないか。夏ごろちょっとだけ顔を見せたのに。」
「だって……まだ……子ども……だから……ね。なか、なか、…‥こられない。」
「子どもって、いったいきみはいくつなんだい。」
「タケルと、おな……じ。」
ちびのツムジは、タケルをよびすてにした。そこで、タケルも安心していった。
「そうすると、ツムジも、八つなのかい。」
「そ――う。」
ふうん、とうなずいて、タケルはいちばんききたいことをきいてみたのだった。
「ツムジイは、どうした。元気かい。」
「ああ。」
「もうあえないのかな、ツムジイとは。」
「……ね。あえ、ない。」
「手紙でもくれるといいのに。」
こくんと一つうなずいて、ちびのツムちゃんは、手をあげた。
「じゃあ……また……くる。」
「ちょっとまてよ。」
タケルは、いそいでとめた。いまはもう、タケルも赤んぼではない。たしかめてみたいことが、いくつもあった。
「おまえみたいな小さい人は、ほかにもたくさんいるんだろ。」
すると、ツムジのツムちゃんは、二、三度だまってくびを横にふった。なんとなく、こたえられないようすだった。タケルは、ゆっくりうなずいた。
「なんだか、おまえにもわかんないみたいだなあ。まあいいや。」
そういって、つづけた。
「ツムジは、ツムジイの、まごかい。」
「ちが、う。まご……でない。子ども……でも、ない。みん、な……ちが、う。」
「じゃ、おまえは、いったいなにものだい。」
「ぼくは、タケルのほんとうのトモダチだ。」
このときは、いやにはっきりとすらすらとこたえたのだ。なんだか、このこたえだけは前から練習していたのではないか、と思うほどだった。
そのへんじをきいて、タケルは、ずいぶんへんてこりんだなあと思った。そして、もしかしたらあのツムジイが、自分とおなじような子どもに生まれかわってきたんじゃないかといきなり思いついたのだ。
この思いつきは、たいへんにタケルの気にいった。小さいふしぎな人も、人間とおなじように年をとって、やがて死ぬことは、前からツムジイにきいて知っていた。けれどもタケルは、コロボックルのひみつをすっかり知らされたわけではない。だから、こんなふうに考えたのだ。
――小さい人たちは、死ぬとすぐに生まれかわることができるのかもしれない。そのくらいのふしぎなことは、できそうな気がするよ。おまけに生まれかわるとき、自分のすきな年の、すきな顔になれるんだ、きっと――。
それだと、とてもうまくつじつまがあうような気がした。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
1[#「1」は丸付き数字、unicode2460]ツムジイは、だんだん年をとって、とうとうあらわれなくなった。それでもまだ、元気だという。そして、元気なくせに、もうあえないなんていわれる。
2[#「2」は丸付き数字、unicode2461]そのツムジイは、さいごにきたとき、『新しいほんもののトモダチ』が、いつかあらわれるはずだ、といいのこした。そして、「わしをわすれるんじゃないぞ。」とつけくわえていった。
3[#「3」は丸付き数字、unicode2462]そして、やっとでてきたほんもののトモダチというのが、このおなじツムジという名まえの、自分とおない年の男の子で、しかもその子は自分とそっくりな顔をしている。
[#ここで字下げ終わり]
こういう、とてもふしぎなできごとも、ツムジイが生まれかわってきた、と考えれば、なんでもないではないか。
ほんとに生まれかわったのかどうか、タケルにはわからない。わからないけどそうきめておけばいい。
もちろんタケルは、こんなふうにきちんとすじ道をたてて考えたわけではなかった。なんだかへんてこりんだな、と思っただけである。そして、そのへんてこりんなことを、へんてこりんでなくするためには、そう考えればいいと、一足とびに思いついただけだ。
タケルは、ひとりでなんどもうなずいた。そこで、よほど「おまえはツムジイの生まれかわりだろう。」ときいてみようかとも思った。ことばはのどまででかかったのだが、やめておいた。
どうせ、ほんとうのことは話してくれないにちがいなかった。たとえほんとうのことをきかされても、いまのタケルではむずかしすぎて、話してもむだなのかもしれない。
たぶん、いまにタケルがおとなになって、むずかしいことでもよくわかるようになれば、教えてくれるにちがいない、と、タケルは考えたのである。
どっちにしても、あのツムジイが、自分とそっくりなおない年の男の子になって、こうしてもどってきてくれた、と考えるのはなかなかすてきだった。だから、タケルは、手をあげていった。
「じゃあ、またすぐこいよ。ツムジのツムちゃん。」
にこっと、小さな小さな男の子も、わらいかえしてうなずいた。それから、しゅっと道を走っていった。タケルは、そのすばやい動きをずっと見おくってから、やっとからだをおこしたのだった。
ちょうどそのとき、ほそ道のむこうから、女の人が小さい女の子の手をひいて、なにか話しながらやってきた。そこへいきなりタケルが立ちあがったので、女の人は、びっくりして女の子をひきよせた。
タケルは、かまわずに、おぼえたての口ぶえをふきふき、さっさとかけぬけていった。
走りながらタケルは、もうまるっきりべつのことを考えていた。桜谷用水池のきたない水を、すっかり流してしまうことを。
ふつかあと、タケルはまた柿村鉄工所のヒロシのへやにきていた。こんどはヤスオといっしょではなく、ひとりだった。
「な、ヒロシさん。だから、くさったような池の水なんか、みんな流してやろうよ。もうどうせ、あの水は死んでるんだ。きれいさっぱり、からっぽにしてやろうよ。池がかわいそうだよ。」
タケルは、しきりとヒロシをたきつけた。鉄工所の倉庫の二階にあるヒロシのへやには、タケルのランドセルがころがっている。学校からまっすぐここへきたのだ。
[#挿絵(img\158.jpg)]
「おもしれえな。」
ヒロシもうなずいた。
「うん、やってみてもいいな。おれも、このごろは池にいかないようにしてるんだ。あんなきたねえ池なんか、見たくもねえからな。ほんとに、おまえのいうとおり、あれじゃあ池がかわいそうだ。」
そこで、声をひくくした。
「だけど、こいつはひみつにしないとだめだぞ。いたずらして池の水を流したなんていわれると、いやっていうほどしかられるからな。学校の先生にいいつけたりするやつが、きっといるんだ、おとなには。」
「うん、もちろんひみつにするよ。」
「夜でなけりゃだめだろうな。夜のうちに、水門をあけて、からっぽにしないと。」
ヒロシは、考え考えつぶやいた。窓の前にあるガラスの水そうを、じっと見つめたままだった。
「百五十年も前にできた池だそうだが、いま水を流せば、とうとうなくなっちまうわけだ。だけど、まあいいや。このガラスの中に桜谷用水池は生きてるんだしな。」
やろう、と、ヒロシも決心した。そこで、ふたりはこまかいことをきめた。
まず、池の水をぬくのは、こんどの土曜日の夜がいいと、ヒロシがいった。
「土曜なら月もないし、おれがこっそりでかけていって、やっつけてやる。」
「ぼくもいく!」
タケルがからだをのりだした。でも、ヒロシはゆるさなかった。
「おまえみたいながきは、日がくれてから遠くまででてこられやしねえさ。なにしろ夜だからな。おれんちは池に近いから、おれひとりでいい。」
「いやだ。」
タケルは口をとがらせていった。
「それなら、土曜日の晩、ヒロシさんの家へとめてよ。ぼく、おかあさんにことわってくるからさ。」
「そんなこと、できるかい。」
「できるよ。きっとゆるしてくれるよ。」
「ふん。」
ヒロシはちょっと考えてから、うなずいた。
「ようし。おまえがどうしてもというなら、ここへとまってもいいという、ゆるしをもらってこい。おれも、おまえをうちへとめてもいいという、ゆるしをもらっておく。ここでふたりでねればいいだろう。」
「わあっ。」
タケルは、とびあがってよろこんだ。タケルにしてみれば、まったく思いがけないことになった。池の水をぬくというぼうけんのほかに、ヒロシの家にとまるというおまけがついたのだ。
タケルはむやみと胸がわくわくして、もうなにも考えられなくなった。だからあとのことはみんなヒロシにまかせて、さっさと家へ帰った。はやくおかあさんのゆるしをもらわなくちゃと、あせびっしょりになって、家の中にかけこんでいった。
「あのねえ、おかあさん。」
台所にいたおかあさんをつかまえて、タケルは、はあはあ息をはずませながら大声をだした。
「あのね、おかあさん。ぼく、こんどの土曜日、ヒロシさんのうちにとまりにいってもいい?」
「おや、ランドセルぐらい、おろしたらどう。」
「うん。」
いそがしく背中からランドセルをおろしながら、またいった。
「ねえ、とまりにいっていい?」
「いきなりそんなこといって、どういうわけなの。ヒロシさんの誕生日?」
「ううん、そうじゃないけどさ。」
おかあさんがへんなことをいいだしたので、タケルはめんくらった。誕生日と、とまることとどういう関係があるのだろうと、くびをかしげながらつづけた。
「誕生日なんかじゃないけど、ヒロシさんが、とまりにきてもいいっていったんだ。」
「ヒロシさんって、柿村鉄工所のぼうやだね。」
おばあちゃんが台所にやってきて、口をはさんだ。おかあさんもおばあちゃんも、ヒロシのことはよく知っていた。タケルの家にもきたことがあるし、タケルがしょっちゅう話をするからだ。
「あの子はなかなかいい子だよ。柿村のおやじさんによくにて、さっぱりしている。」
おばあちゃんは、ヒロシのおとうさんもよく知っているのだった。
「タケルは、ひとりでとまれるの。」
手を動かしながら、おかあさんがいった。
「とまれるさ。このまえ、おじさんのうちにも、ひとりでとまりにいったじゃないか。」
「そうねえ。」
おかあさんは、くびをかしげた。
「あとで、おとうさんにきいて、いいっていったらいいわ。」
それをきいて、タケルは、ああよかった、とほっとした。おとうさんは、きっとゆるしてくれるという自信があったから。
さて、その土曜日――。
おそくまで、テレビにかじりついていた桜谷町のヤスオは、おかあさんにしかられて、しぶしぶ二段ベッドの上にのぼった。ヤスオには弟がひとりいるが、その弟はもう下の段でねむっていた。
ねむれないまま、ヤスオは、くらいところでばっちり目をあけていた。すると、遠くで、ゴーッという音がきこえてきた。
はじめは、風の音だと思った。そのつぎは、飛行機かなと思った。ところが、風でも飛行機でもないようだった。音はだんだん近くなって、やがて、ザーツというはげしい水の音になった。
「雨か。」
ヤスオは、つぶやきながら、ねがえりをうった。
――ずいぶんふりだしたみたいだな。さっきまではなんでもなかったのに――。
そして、目をつぶった。雨のような音は、そのままずっとつづいていた。その昔をききながら、ヤスオはねむってしまった。だから、あとのことはなにも知らない。
ヤスオの家は丘のほうにあったから、まだそのくらいですんだ。しかし、下のひくいほうでは、道のわきにあるみぞを、いきなりザーザーと水が流れはじめたので、みんなおどろいた。
みぞがつまっていたり、せまくなっていたりしていたところは、道まで水があふれて、アスファルトの上を流れた。あちこちで、いぬがほえはじめた。
「どうしたんだい、こりゃ。」
外を歩いていた男の人が、あきれたような声をあげた。
「水道管でも、はれつしたのかな。」
ひどいひどいともんくをいいながら、くつをぬらさないように、つまさき立ちで歩いていった。
「なんでしょうね、いまごろ。」
わざわざ外にでてみる女の人もいた。そして、みぞに流れる水をのぞきこんで、くびをかしげていた。
用水池に近い家の人は、滝のような音におどろいて家をとびだした。懐中電燈をふりながら、くらい用水池のどてのほうを見あげた。水門は、草むらのかげになっているので、下の道からはよく見えない。
[#挿絵(img\164165.jpg)]
しばらくすると、二、三人の男の人が、ぐるっと遠まわりして、池のどてから水門までそろそろとおりてきた。
「だれがどうやってあけたのかな。」
「こんな夜ふけに、わるいいたずらをするやつがいるもんだな。」
そんなことをいいあって、かわるがわる水門をしめようとしたが、もちろん、ハンドルがなくてはもとにもどせない。
「しかたがない。そのうち池の水がからっぽになるでしょう。どうせ、こんなきたない池は、うめたほうがいいんだから、ほうっておきましょう。」
「そうですね。やむをえませんね。まったく、ばかなことをするやつがいるもんだ。」
男の人たちは、もんくをいいながら、もどっていった。
するとそのあとで、近くの杉林の草むらがカサコソと動いた。
「うまくいったね! ヒロシさん。」
「うん、うまくいった。」
おしゃべりしても、水音がはげしいので、人にきかれる心配はない。
もちろんヒロシとタケルだった。ふたりは、水門をあけるのに、思ったより手間どった。ねじがさびていて、なかなかあかなかったのだ。
ヒロシは、機械油を持ってきていた。その油をたっぷりかけて、ねじにしみこませてから、すこしずつハンドルを動かした。タケルも、力いっぱいてつだった。
やっとのことで、水門を上まであけてハンドルをはずしたとき、もう下の道には、懐中電燈のあかりが、ちらちらと見えていた。なにしろ、水門はすこしでもあけば、もう水がふきだして、すごい音をたてるのだ。
ふたりははずしたハンドルをかかえて、近くの杉林までにげるのがやっとだった。
「まて、まだ下にいる。」
ヒロシは、とびだそうとしたタケルをおさえていった。
「そっといこう。こっちだ。」
はじめはゆっくり、それからうさぎのようにはねて、ふたりはどての上にきた。黒い水が、にぶくなまり色に光りながら、水門から流れでていくのが見えた。どうやら池の水は、ぐんぐんへっていくようだった。
「ね、ヒロシさん、朝になったら、また水門をしめにこなくちゃいけないね。」
タケルが顔をあげていった。
「ああ、まかしとけ。」
ヒロシはタケルの手をつかんで、こしをのばした。
「さあ、はやくおれのへやへもどって、ねようぜ。」
[#改ページ]
[#見出し] 第五章
[#見出し] ほんとうのトモダチ
[#挿絵(img\167.jpg、横288×縦512、下寄せ)]
そのころ――。
コロボックル山もすっかり秋がふかまって、落ち葉が散りはじめていた。.
山のうら手のやぶかげに、ころんところがった小さなどびんにも、かれ葉がふりかかった。もちろん、ここはツムジのじいさまの家だ。あるじのじいさまは、ずっとこのどびんの家にこもって、のんびりくらしていた。ときどき近くのやぶの中を散歩するくらいで、遠くへでかけることはもうほとんどなかった。
毎朝つゆの水玉をのぞきこむことだけは、いまでもつづけていた。タケルとわかれて、このどびんの家に帰ってきてからというもの、じいさまはタケルのことばかり考えて、毎朝水玉をのぞきこんだ。そのために、水玉にはタケルのすがたが、しょっちゅう見えたようだった。
おかげで、じいさまはタケルとはなれていても、年ごとにぐんぐんそだっていくタケルを、たいへんよく知っていた。
それだけでなく、クマンバチ隊員にたのんで、ときどきタケルのようすを見にいってもらった。
「近よりすぎないように。あの子にすがたを見られてはいけない。遠くからながめてくるだけでいいんじゃ。どんなことをしていたか、どんなことを話していたか、ちょっとでもいいから教えてくれればいい。」
そういっては、町へおくりだした。なにしろいまのじいさまは、むかしのようにすばやく走ることもできないし、自分で町へいくことはあきらめなくてはならなかった。
どびんの家には、コロボックルたちがようすを見によってくれる。そのほか、ヒノキノヒコ=トギヤも、ひまをみてはあそびにきた。トギヤのむすこの、ツムジのツムちゃんときたら、もう毎日一度はきまって顔を見せる。
コロボックルの国にも学校があるが、ツムちゃんはいま一年生である。つまり、コロボックルの学校は、八つで一年生になり、ふつうは三年で卒業する。もし、三年間で勉強することを、たとえば二年半でおぼえてしまえば、あとの半年は、おとなのコロボックルの助手や見習いをさせられることになっていた。
[#挿絵(img\169.jpg)]
さて、ここで、話をすこし前にもどしたい。
ことしの春のこと、ツムちゃんは学校の一年生になるとすぐ、おとうさんのトギヤといっしょに、世話役によばれた。
世話役は、ツムちゃんにむかって、学校で勉強するほかにもう一つ、特別の勉強をするよう、いいわたしたのだ。
「おまえは、人間のいいトモダチになれるよう、勉強しなくてはいけない。」
ヒイラギノヒコ世話役は、てきぱきといいつけた。
「あいての人間は、ツムジのじいさまが知りあった、フジノタケルという男の子だ。」
「はい。」
ツムちゃんは、目をかがやかせた。
「その子の話はきいてるよ……あの、きいています。」
トギヤに頭をつつかれて、ツムジくんはあわてていいかたをかえた。
「ツムジのじいさまから、きいたんだ、ぼく。コロボックルがどんなにはやく走っても、ちゃんと見つけるっていう、ふしぎな目をした男の子でしょ。」
「そう。」
世話役は、目でわらいながらうなずいた。
「まあ、百年にひとり、でるかでないかという、特別な人間だ。だから、われわれコロボックルとしては、どうしてもなかよくしていきたい人間なのだよ。将来は、われわれの味方にほしいとも考えている。わかったね。」
「わかりました。」
「なぜおまえがえらばれたか、知っているかね。」
「知ってます。」
ツムちゃんは、にやっとした。
「ぼくとそのタケルって子は、そっくりなんだって、じいさまにいわれています。」
「そうだ。しかし、それだけではない。おまえの持っているちえや力が、タケルにふさわしいと思うからだ。そのつもりで、いいトモダチになりなさい。おたがいがたすけあえるように。」
「はい。」
「この特別の勉強は、ツムジのじいさまについてならうこと。学校から帰ったら、ツムジのじいさまの家にかようこと。はじめのうちは、一日おきでよろしい。」
「はい。」
そこで世話役は、父親のトギヤに目をうつした。
「きみは、このぼうやの勉強を、しっかりかんとくする責任がある。つまり、父親としてだ。」
トギヤは、ちらっと片目をつぶってこたえた。
「おやじというものは、いつだってそういう責任があります。びしびしやりましょう。」
そのとき、いたずら小僧のツムちゃんは、ふたりのおとなの顔を見くらべて、やれやれ、というようにかたをすくめた。しかし、おとなたちはそんなツムちゃんには気がつかなかった。
とにかく、こうしてツムちゃんは、ツムジのじいさまのどびんの家にかようことになったのである。
じいさまは、ツムちゃんに、いろいろなことを教えた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
○タケルはどんな子か。どんなくせがあるか。
○タケルのおとうさんやおかあさんやおばあちゃんについて、知っていなくてはならないこと。
○タケルと話をするときは、どうしたらいいか。
○タケルのほかに人間がいるとき、どういう注意をしたらいいか。
[#ここで字下げ終わり]
などについて、すこしずつ話してくれた。タケルとツムちゃんが、どんなトモダチになったらいいかということについて、じいさまはよくこういういいかたをした。
「タケルをちぢめたのが、おまえだと思え。そして、おまえをひきのばしたのが、タケルだと思え。」
ツムちゃんは、はっきりとはわからないながらも、おもしろがってきいた。
はじめのうちは、世話役にいわれたとおり、一日おきにどびんの家までかよっていたが、やがてすぐ、毎日でかけるようになった。勉強のひまに、ツムジのじいさまが話してくれるむかし話がききたかったからだ。
ときには、おなじような子どものコロボックルを、なん人もつれていったりした。そんなときは、じいさまのほうも、教えることより、むかしの話やじまん話をしてたのしんでいたようだ。
[#挿絵(img\173.jpg)]
ある日、ツムちゃんは、じいさまの顔をしげしげとながめながらいった。
「ツムジっていうじいさまのよび名は、つむじまがりのつむじじゃなかったの。」
「そのとおりじゃよ。」
「へんだねえ。」
ツムちゃんは、ふしぎそうだった。
「どう見たって、つむじまがりじゃないと思うけどなあ。」
じいさまは、うえっへんと、せきばらいをして、せいぜいつむじまがりのような顔をしてみせた、ということである。
夏のまだあつかったころ、はじめてツムちゃんは、タケルとあった。
そのときタケルが、町の小さな公園で、たったひとり鉄棒の練習をしていたことは、もう前に書いた。
それも、ツムジのじいさまの考えでしたことだ。ある日、もうそろそろ顔あわせをしておいたほうがいいだろうと、じいさまはいった。自分がタケルとわかれてから、どのくらいの月日がたったか、いつも計算していたようだ。
「はやいもので、もう三年になるな。あの子は、そのあいだいちどもコロボックルを見ていないことになる。あんまり長いことほうっておくと、わすれてしまうかもしれんしな。ここらでちょっと、あいさつしてきたはうがいい。」
そういって、ツムちゃんにいいつけた。
「いつどうやってタケルとあうか、おまえが自分できめろ。すがたを見せるだけでいいんだから。」
ツムちゃんは、よろこんで山をでた。もちろん、ひとりではなかった。クマンバチ隊の隊員がふたり、いっしょについていった。そのあとを、父親のトギヤも、そっとついていった。
じつをいうと、ツムちゃんにはどうしても信じられないことがあった。コロボックルがどんなにはやく走っても、タケルの目にはつかまってしまうということだ。
――ようし――。
ツムちゃんは、ひそかに思った。
――ぼくは、タケルがまごまごするほどはやく走って、目をくらましてやる――。
ところが、やっぱりだめだった。タケルは、ちゃんとツムちゃんのにげていった草むらまで正しくまっすぐおいかけてきて、さがしまわった。もちろん、草むらにはいってしまえば、コロボックルのかくれるところもたくさんあるので、タケルには見つからずにすんだが。
とにかく、こうしてタケルとあったツムちゃんは、たいへんに満足した。
――じいさまのいうとおり、さすがはタケルだ。たいしたもんだ。あの子とぼくがトモダチになれるなんて、ほんとにすごいや――。
ツムちゃんは、一日もはやくタケルとなかよしになりたいと思った。だが、そのあとしばらくのあいだ、ツムジのじいさまは、ツムちゃんを町へだしてはくれなかった。
そのうちに夏がすぎて、秋になった。そしてつい十日ほど前、ツムちゃんは、いきなりじいさまにいわれた。
「いままでならったことを、実地にためしてこい。きょうから三日間、昼のうちだけ、タケルのまわりにいてみるんだ。ときどき、すがたを見せてもいいぞ。」
ツムちゃんは、目をかがやかせてききかえした。
「ね、話は? 話をしてはいけないの。」
じいさまは、ちょっとくびをかしげてから、ゆっくりとうなずいた。
「話がしたければ、してもいい。どうせ、あまり長いあいだはむりじやろう。おまえはまだ、人間にわかるようにゆっくり話すのがへたじゃからな。」
「でも、ぼく、やってみたい。なんでもためしてみないと、うまくならないもの。」
「よしよし。」
というわけで、ツムちゃんは朝はやくからはりきって山をでた。
こんども、ツムちゃんにはないしょで、おとうさんのトギヤとクマンバチ隊の隊員ふたりが、ずっとあとをつけていった。
はじめの一日め、ツムちゃんは、あまりタケルに近づかなかった。できるだけすがたを見られないように、わざとうしろへうしろへまわっていた。そして、夜になると、元気いっぱい山へもどってきた。
ふつかめは、もっと近くへよった。だんだんなれて、タケルの足もとにもいってみたし、タケルのランドセルの上にも、のってみた。そこででんぐりがえしをしてみたりもした。タケルは、まだいちどもツムちゃんを見つけていなかった。
すっかりなれた三日め、あいてのタケルは、学校から帰ると、ふとった男の子をさそって、柿村鉄工所へあそびにいった。(ここのところも、もう前に書いた)。
その帰り道で、タケルが桜谷の用水池のどてにいるとき、ツムちゃんは、思いきってタケルの目の前にとびだして――、それからすぐあと、人どおりのないほそいきりどおしの道で、タケルをつかまえて話をしたのだが――、ここのところも前にくわしく書いたから、もうくりかえさない。
[#挿絵(img\176.jpg)]
そのあと、ツムちゃんはむやみとうれしくて、とぶようにまっすぐコロボックル山までもどってきた。一気にツムジのじいさまのどびんの家へかけこんできて、大声でさけんだ。
「じいさま! ぼく、話ができたよ! タケルと、話をしてきたよ。」
ちょうどそのとき、じいさまのどびんの家には、クマンバチ隊員がひとりきていた。そして、ツムちゃんがとびこんでくると、いれかわりに立ちあがって、帰っていった。このクマンバチ隊員は、一足先に、ツムちゃんがタケルと話をしたときのようすを、知らせにきていたのだった。
しかし、じいさまは、なんにもきかなかったような顔をして、ツムちゃんをむかえた。
「ほれ、立ってないで、すわってゆっくりきかせなさい。」
ツムちゃんの報告を、じいさまは、ふんふんとまじめな顔でききおわって、よくやった、とほめてくれた。
「はじめてとしては、なかなかよろしい。だが、こんどからは、もうすこし頭をはたらかせて、タケルがどんなことを考えているか、なにを思いついたか、タケルがなにもいわなくても、はっきり読みとれるように、練習してみるといい。」
そこで、ひげをしごきながらつづけた。
「たとえば、おまえがタケルの前にとびだしていったとき、タケルは池のどての上で、なにを考えていたか、わかるかね。」
「いいえ。」
ツムちゃんがふしぎそうな目をむけると、じいさまはいった。
「わしにはわかる。できるだけくわしく、もういちどタケルのようすを話してみなさい。」
「ええと、タケルは、池の水がきたないといって、おこってるみたいだった。それで、どてをおりかけて、どての水門のところに立っていたのに、足もとを見て、きゅうにまたどてをのぼりました。」
「それから。」
「池をじっとのぞきこんで、それからゆっくりふりかえって、また、どての水門を見ました。そのあと、ずうっと下のほうの町をながめて……そうしたら、もうひとりのふとった男の子によばれた……。」
「で、そのときに、おまえがすがたを見せたというわけだな。」
「そう。」
「なるほど……。」
じいさまは、うでぐみをして、にやりとした。
「タケルときたら、ずいぶん思いきったことを考えついたもんじゃな。」
「思いきったことって?」
ツムちゃんにはわからない。
「いいかね、よく考えてみなさい。そのちょっと前、タケルは、池の水がよごれているって、おこっているようだったと、おまえはいったな。だから、どてをおりかけて、水門のところに立っていたとき、この水門をあけて池のきたない水を流してしまおうか、と考えついたにちがいないのだ。」
「ふうん。」
「それで、大いそぎでまたどてをのぼって、池の水を見た。それからまた水門を見た。水門から水を流したらどっちへ流れていくかと思ってな。で、そのつぎには、下の町のほうを見たんじゃ。」
じいさまは、そこでふいに口をつぐんだ。そのまましばらくだまっていたが、やがて、ぼそりといった。
「あの池の水が、そんなにきたなく、みすぼらしくなるなんて。まったく、タケルでなくても水を流したくなる。」
ツムちゃんもうなずいた。
「わき水がとまっちゃったんだって。だからきたなくなって、水もへっていくんだって。あの子たち、そういっていた。」
「うん。」
なにかじっと考えているように、じいさまはうでをくんで、目をつぶったまま、動かなくなってしまった。
「ね、じいさま。ぼく、五つの年にはじめておとうさんと町へいったとき、あの池にもいったよ。おとうさんがつれていってくれたんだ。それで、地面の下の、ぼくたちの先祖がつくった水のトンネルも、見てきたよ。」
「うん。」
じいさまは、きいているのかきいていないのか、うなずくだけだった。
「あのトンネル、つぶれちゃったんだろうかなあ。」
ツムちゃんが、ひとりごとのようにいうと、じいさまは、ようやく目をあけた。
「あれがつぶれるわけはない。うん、いいことを思いついた。おまえはもう帰ってよろしい。帰ったら、おとうさんのトギヤに、ちょっとここまでくるようにいってくれないか。」
「はあい。」
ツムちゃんは元気よく立ちあがって、とびだしていった。
ツムジのじいさまがトギヤをよんだのにはわけがある。もういちど、あのコロボックルの先祖のつくったわき水のトンネル道を、しらべさせようと思ったのだ。
「ほんとうにわき水がかれてしまったのか、それともわき口がふさがっているだけなのか――。」
じいさまは、ひとりでぶつぶつとつぶやいた。
「こんなことなら、あれを見つけたあと、ときどきしらべておけばよかった。わしが、こしをいためたりしたんで、とうとうあれっきりになってしまったが。」
夕ぐれが近づいて、あたりがだんだんくらくなってきた。だが、ツムジのじいさまは、あかりもつけずに、じっとへやのまん中にすわっていた。どこかで虫のなく声がしきりにきこえていた。
トギヤは、そこへやってきた。
「やあ、じいさま。桜谷用水池の、わき水のトンネルをしらべなおすそうだね。」
そういいながら、くらいへやの中にはいってきたのだ。
「そんなことを、いったいだれにきいたんだ。」
あきれたように、じいさまはいった。
「うちのぼうずがそういってたが、ちがいますか。」
「うん、じつはそのとおりじゃ。だが、わしは、なにもいわなかったぞ。」
にがわらいしてじいさまは、まあいいというように手をふった。ツムちゃんには、タケルの心を読みとれと、教えたばかりだった。このちょうしなら、たちまちツムちゃんは、タケルの心も読むようになるだろう。
「そのことなら、じいさま、わざわざしらべにいくことはないですよ。」
トギヤは、そんなことをいいだした。
「なぜ。」
「わしが、ちゃんとしらべてありますから。」
「ほう。」
じいさまは、目をあげた。
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トギヤは、にこりとわらった。
「三年前、じいさまにあの地面の下の水のトンネルを教わってから、ちょいちょいでかけてはしらべていたんだ。もっとも、だいぶ前から、トンネルにははいれないがね。きょうも、むすこのあとについていって、見てきたばかりですよ。」
「で?」
じいさまは、ひざをのりだした。
「水は、かれてしまったかね。」
「わしの見たところでは、すっかりかれたとはいえないね。二年ほど前、池にかなりの土がながれこんで、まず水のわき口がふさがった。そのあと、地面の下の、コロボックルの先祖がつくった水のトンネルにもどろがはいりこんで、すこしずつうまっていったために、すっかりつまってしまった。地面の下の水は、たぶん丘の上のほうで、わきへそれているのでしょうな。」
「それはたしかかね。」
「とにかく、地面の下の水が、池の近くまできているのはたしかです。杉林の中に、ほんのすこし水のしみでているところが、三カ所ほどある。」
トギヤはあごをなでながら、のんきそうにつづけた。
「つまり、そういうことです。もういちど池のわき水の口をほりだして、水のトンネルにつまっている土をとれば、もとどおり水がわいてくるかもしれませんな。」
じいさまは、うなるようにいった。
「そんなだいじなことを、なぜいままでわしに知らせなかった。」
「うん。」
こまったように、トギヤはこたえた。
「じいさまは、前から、あの池はいつまでもそっとしておきたいって、そういってたからね。それが、みるみるうちにきたなくなっていくんで、つい、いいそびれた。」
「水は、またわきでてくると思うか。」
「――そいつは、やってみなければわからない。もしでたとしても、前ほどたっぷりわいてくるかどうか……。」
「では、やってみることにしよう。」
ツムジのじいさまは、立ちあがった。
「トギヤ、ごくろうだが、わしといっしょに世話役のところまでいってくれ。」
「世話役?」
トギヤは、びっくりしてききかえした。
「いまから、いくんですかい。」
「そうだ。ひさしぶりにあってこよう。こいつはどうも、コロボックル全体の力をかりなくてはいかんかもしれん。」
「そんなにあわてないで、あしたにしたらどうです。」
「いや、いかん。」
ツムジのじいさまは、強くくびを横にふった。
「タケルという子は、きっとやる。あの子が池の水をぬいたあと、できるだけ早く、すぐ水がわきだすようにするんじゃ。一日でも早いほうがいい。」
「タケル? タケルがなにをするって?」
トギヤはふしぎそうにききかえしたが、じいさまはもうこたえなかった。さっさとしたくをすますと、先にたってどびんの家をでた。トギヤもしかたなく、ついていった。
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世話役は、まだコロボックルの城にある役場にいた。
コロボックルの城は、はじめにいったようにものおき小屋ほどの大きさだが、ここもはじめのうちは、味方の人間がつかっていたものだ。せまいへやの窓の前に、ぴっちりとつくえがはめこんであったが、そのつくえのいちばん上のひきだしの中がコロボックルの役場になっていた。ついでにいうと、ほかのひきだしにはコロボックルの学校がある。つくえの上は、広場になっている。
ツムジのじいさまとトギヤは、つくえのうしろにとりつけてある階段をのぼって、役場にはいっていった。
そのあとしばらくすると、ツバキノヒコ技師長と、スギノヒコ=クマンバチ隊長がきて、役場にはいっていった。それからまた、コロボックル新聞の編集長のクリノヒコもかけつけてきた。
ほかに、クマンバチ隊の隊員がなん人もなん人も、いそがしそうにでたりはいったりして、なんとなくあわただしいようすだった。
やがて、ツムジのじいさまとトギヤが、役場からでてきたときは、もうすっかり夜になっていた。
「やれやれ、これでひと安心。」
じいさまは、コロボックルの城をでたところで、ほっとしたようにつぶやいた。
「うまくいくといいね。じいさま。」
トギヤもよくはれた星空を見あげて、そっといった。
「月はないが、かえってしごとはしやすいな。うん、わしもあしたはいってみよう。」
ふたりは、ゆっくりゆっくり、じいさまのどびんの家に帰っていった。
コロボックルたちは、大むかしの先祖たちののこした桜谷用水池の水のトンネルを、ほりなおすことになったのである。つまった土をとって、もういちど水をとおすつもりだった。
ツムジのじいさまは、そのことを世話役にたのみにきたのだった。もちろん世話役は、じいさまの話をきくと、すぐにうなずいてこたえた。
「いいでしょう。技師長に相談して、やってみます。先祖ののこしたものを、このままつぶしてしまいたくはありませんからね。できるだけやってみます。」
そういって、ひきうけてくれた。
「もし、トンネルがなおっても、水はもとのようには、でないかもしれないんじゃが……。」
じいさまがいいかけると、世話役はわらってとめた。
「だめならだめで、しかたがありませんよ。だいいち、水がわいたところで、人間はやっぱり、池をうめてしまうかもしれないじゃないですか。」
ツムジのじいさまがいったとおり、タケルは池の水をぬいてしまった。そのことは、もうみんな知っているはずである。あれは土曜日の夜だった。
その土曜日の夜まで、コロボックルたちはめまぐるしくはたらいた。五日のあいだ、毎晩三百人ほどのコロボックルの男たちが、いっしょうけんめい、土をほりつづけた。
水のトンネルまで土をほってもぐるのが、まずたいへんだった。いつかツムジのじいさまがみつけた虫のあなは、とうのむかしにうまっていたから。
それに、三日かかった。そのあと、ふつかかかって、トンネルの土をとった。それでもまにあわずに、まだだいぶのこった。しかし、コロボックルたちは、タケルたちが池の水をぬいたあとも、ひきつづいてしごとをすすめるつもりだった。池に水がなければ、それだけしごとはしやすくなるだろう。
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ところが、ちょっと思いがけないことになった。
日曜日の朝、からっぽになった池には、ヒロシとタケルと、それにヒロシのおじいさんが、いっしょにやってきたのである。秋晴れのとてもいい天気だった。
ヒロシのおじいさんは、ヒロシたちが、前の晩に池の水門をあけたことも、まだ夜があけないうちにヒロシが水門をしめにいったことも、ちゃんと知っているようだった。それでも表面はなにも知らないふりをしていたし、もちろんヒロシもタケルも、自分からいいたくはなかったので、だまっていた。
「おい、ぼうずたち、うらの池の水がぬけちまったぞ。ちょうどいい。わしといっしょにこないか。」
そういって、ヒロシのおじいさんは、ふたりをさそった。おじいさんは長ぐつをはいて、スコップと長いさおを手に持っていた。
「いったい、そんなもの持って、どうするのさ。」
ヒロシがきくと、おじいさんは、すましてこたえた。
「むかしからな、あの池の水をぬいたときには、水のわき口のかっぱ石におそなえものをあげるのがしきたりだよ。だが、あのへんには土が流れこんじまったから、かっぱ石もうまってるだろう。わしはほりだして、きれいにしてやるつもりなんだ。どう思う、おまえたち。」
「どう思うって。」
ヒロシはタケルの顔を見て、それからまたおじいさんの顔を見た。
「おれたちもてつだうよ。な、タケルちゃん。」
「うん、ぼくもてつだうよ。」
タケルもうなずいた。
「そうか。それなら、したくしてこい。池の底はどろどろだから、長ぐつをはかなきゃだめだ。」
はあい、と、ふたりはいいへんじをして、ヒロシの家にかけもどった。が、タケルは、ふいに立ちどまって、ヒロシにいった。
「あれ、ぼく、長ぐつなんか持ってきてないよ。」
「おれのをかしてやる。」
ヒロシは、かまわずげんかんにとびこんでいきながら、こたえた。
「ちっとばかり大きいかもしれねえけどな。おれは兄貴のをかりるからいい。」
そういって、げたばこの中から二足の長ぐつをひっぱりだした。
たしかに、タケルには大きすぎる長ぐつだったが、ヒロシが、上のほうをすこし折りかえしてくれた。それでなんとかかっこうがついた。
ふたりが、ブッカブッカと長ぐつの音をさせながらおじいさんにおいつくと、おじいさんは、ヒロシにくわとバケツを持たせた。バケツの中には、もいだばかりのかきの実が、いっぱいはいっていた。
杉林をこえて、池へいってみると、近くの子どもたちが、もうどての上に集まっていた。その中には、ヤスオもいた。
「おうい、ヤッちゃあん。」
さすがにタケルは目がはやくて、杉林の中からヤスオを見つけて、大声でよんだ。ヤスオのほうは、びっくりしてきょろきょろあたりを見まわしている。
「ここだよう。」
タケルは、プッカブッカと走って、どての上にまわっていった。
「あれ、タケルちゃん、どこからきたのさ。」
「うん、ぼく、ヒロシさんとこで、長ぐつかりてきたとこだよ。」
それからちょっと声をひくくして、ヤスオにささやいた。
「あとで、いっしょにヒロシさんのうちへいこう。おもしろいこと、教えてやるよ。」
「ふうん。」
なんだかわからないままに、ヤスオはうなずいた。
タケルは、ヒロシとふたりで池の水を流した話を、このヤスオにだけは、こっそりうちあけるつもりだった。
「ぼく、ちょっといってくるから、まっててくれな。」
「いくって、どこへさ。」
「あそこだよ。」
タケルは、からっぽになった池の中の、ヒロシとおじいさんをゆびさした。ふたりは、杉林のほうから池におりたところだった。
「ヒロシさんたちはね、かっぱ石をほりだして、水の神さまにおそなえをあげるんだって。この池の水を流したあとは、いつでもそうしていたんだから、こんどもしなくっちゃいけないってさ。おじいさんがそういうんだ。」
タケルは、いうことだけいうと、またブッカブッカと音をたてながら走っていった。
ヒロシのおじいさんと、ヒロシと、タケルは、せっせとはたらいて、ようやくかっぱ石をほりだした。ここが水のわき口だが、いまは、ぎっしり土がつまっている。じいさまは、手ですこしずつ中の土をかきだした。
うでまではいるようになってから、こんどはたけざおで、ぐんぐんついた。
たけざおは、すこしずつ、おくまではいった。そして、しばらくすると、ずばっと手もとまではいった。
「よしよし。」
おじいさんは、ひたいのあせをそででふいてつぶやいた。ところが、そでにも土がついていたから、おじいさんの顔もどろだらけになってしまった。
「まず、こうしておけばいいとしよう。さあ、くだものをそなえようか。」
そういって、かっぱ石の上に、持ってきたかきの実をのるだけのせたのである。
そのあと、三人は、池からあがってやすんだ。どての上で、タケルはからっぽになった池をふりかえって、ほうっとため息をついた。
――水のない池なんて、もう池じゃないや。あたりまえの話だけど。ずっと前は、あんなにきれいで静かですてきなところだったのにな――。
そして、ヤスオをさそうと、またヒロシの家へむかった。もうお昼が近くなっていた。
集まっていた子どもたちも、ひとりふたりといなくなって、やがて、からっぽの池のまわりには、だれもいなくなった。いや、ほんとうはいたのである。もしタケルがそこにいたら、目を丸くしておどろいたことだろう。
人のいなくなったどての上に、コロボックルたちが、二十人ほどしゅっしゅっととびだしてきたからだ。
水のトンネルをあけるために、池ではたらいていたコロボックルたちは、ここへも見はりをおいていた。その見はりが、山へ知らせに走った。ヒロシのおじいさんが、かっぱ石をほりはじめたことを。
その知らせをきいて、世話役もトギヤもやってきた。ツムちゃんまで、トギヤといっしょにきていた。三百人のコロボックルが、五日間ぶっとおしではたらいてもできなかった『仕上げ』を、ヒロシのおじいさんは、一時間半ほどで、かたづけてしまったのである。
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「どうだ。水はでそうか。」
世話役が、クマンバチ隊員のひとりにきいた。その隊員はぬれたあまがえるの服をつけていたが、ぽんとかえるの頭の部分をうしろへはねのけてこたえた。
「しばらくすると、でてくるようです。」
「まちがいないか。」
「まちがいありません。はじめはすこしずつ、そのうちに、たっぷりでてくるはずです。」
「そうか、それはよかった。」
世話役は、うなずいていった。
「見はりだけ、ここにのこれ。あとのものは山へもどろう。だれか、ツムジのじいさまにも知らせてやれ。」
「ぼくがいく!」
ツムちゃんだった。ところが、世話役は手をあげてとめた。
「ぼうやには、ほかに知らせにいってほしいところがある。」
「どこへですか。」
ツムちゃんがきくと、世話役はにこりとしていった。
「おまえのトモダチさ。あの子がひとりになるのをまって、教えてやれ。水はまたでてくるだろうってな。」
「はあい。」
ツムちゃんがとびだしていくと、世話役はトギヤに目であいずした。ツムちゃんといっしょにいけ、ということだろう。トギヤもうなずいて、さっと走っていった。
コロボックルのいったとおり、だれもいなくなった池の、かっぱ石の下の水のわき口からは、やがて、ポタンポタンとしずくがたれはじめた。
時間がたつにつれ、ポタンポタンは、ポタポタポタとはやくなった。そして……その日曜日が夜になるころ、前とおなじきれいな水が、サラサラとわきだしていた。
さて、このへんでこの物語は、ひとまずおわりにしよう。
池はどうなったかって。
桜谷の、どんづまりの、用水池へいってみればわかる。
むかしとかわらない、静かできれいな池があるはずだ。そして、そこのどてには、立てふだが三つ立っている。
[#挿絵(img\197.jpg)]
『消防水利』
これが、第一の立てふだである。まるい立てふだで、ふちを赤く中は青でぬられていて、白いペンキで字が書いてある。この池は、消防署が、桜谷町の防火用水として、ずっとのこすことになったのだ。
「こんなきれいな池、うめるのはもったいないじゃないか。」
桜谷町の人がきゅうにそういいだして、消防署に相談して、それできまった。前にはうめろうめろといい、こんどは、のこせのこせという。かってといえばずいぶんかってだが、まあそれはいいとしよう。
二つめの立てふだには、こう書いてある。
『よい子は池であそばない 柏小学校』
これは、小学校で立てたもので、ほそながいくいのような三角の立てふだだ。まっ白にぬった上から、黒い字で書いてあった。
さて、三つめの立てふだは、四角いじょうぶそうな板をふといまるたにうちつけた、がんじょうなものだ。その板に、あまりじょうずでない赤ペンキの字で、横書きにこう書いてあった。
『この池よごすべからず 桜谷用水池保護同盟』
これは、ヒロシとタケルとヤスオの三人で立てたものだった。つまり、この同盟≠ヘ三人でつくられたものである。
だがこの三人のほかに、コロボックルのツムちゃんほか数人のコロボックルたちが、自分では桜谷用水池保護同盟にくわわっているつもりのようだった。そのことは、タケルもまだ知らない。
とにかく、この池へ、こっそりごみをすてようとしてひどくはちにさされた、という人がなん人もいるのはたしかである。
[#地付き](おわり)
[#改ページ]
あとがき
コロボックル物語の既刊四冊は、本編を以てすべて文庫に収まった。シリーズとしては未完のつもりではあるけれども、こうして小型の本になって揃ったところを見るとやはりほっとする。愛読者の支えがあればこそ、という感慨があらためて湧いてくる。
これまでに、私は実に多くの若い読者から手紙をいただいた。そのほとんどは続編を望むもので、いわば督促状を兼ねた内容である。作者にとってこれほどの名誉はなく、全く有難いことだと思う。もちろん、その一つ一つに返事を差上げるべきなのだが、これがなかなか思うに任せない。したがっていつも私の心の底にひっかかっている。
生来私は字を書くことが大きらいで、小中学生の頃から漢字の書取りと書き方と、それに作文が苦手だった。
それが、いつの間にか物語を書く人間になってしまったのだから、私自身今だに閉口しているのである。よく考えてみると、字を書くのは昔からきらいだが、話を創るのは大好きだった、ということらしい。その結果、自分の創った話を定着させるために、いやでも自分で字を書いて綴らなくてはならず、仕方なくきらいな字を――それも我ながらあきれるほど大量の字を――書く破目に至ってしまった、というわけである。
当然私の文章は下手くそで、一回書き下したぐらいでは目も当てられない。しかも、編集者としてながく勤めたこともあって、下手なことはよくわかる。眼高手低の見本のようなもので、やりきれない思いをしながら、二回三回と手を入れることになる。
いつだったか、「あなたは原稿を万年筆で書きますか、それともサインペンとかボールペンなどを使うこともありますか」という質問を受けたことがあった。そのとき私は、つい「消しゴムで書きます」と答えて笑われた。しかし、私は半ば本気で答えたので、下書きには必ず鉛筆を使い、それを消して消して消して、ちょっと書き直してはまた消して、という作業を続けるのである。
そんな私が、とにかく、この物語をここまで書き続けたのだから、全く不思議である。一人で書いてきたつもりだったが、実際には非常に多くの人と一緒に書いてきたような気もする。「コロボックルたち」というのも、或はそういう人々の具現であったのかもしれない。
[#地から3字上げ]一九七六年 五月   佐藤さとる
底本:「ふしぎな目をした男の子」佐藤さとる著
昭和五十一年六月十五日第一刷発行
昭和五十三年十一月四日第七刷発行
二〇〇五年九月 テキスト化