コロボックル物語1 だれも知らない小さな国
佐藤さとる
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)峰《みね》のおやじさん
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(例)その性|敏捷《びんしょう》にして
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[#表紙(img\表紙.jpg)]
[#挿絵(img\000.jpg)]
はじめに
世界は、たくさんの国々にわかれています。
大きな国もありますが、なかには、モナコ公国やバチカン市国のように、まめつぶのような小さな国も、いくつかあります。
ところが、そういう小さな国とくらべても、まだまだけたはずれに小さな国があります。それも、遠くではありません。遠いどころか、日本のすぐとなりにあるのです。――と、こんなことをいったら、世の人は、きっと、びっくりすることでしょう。もしかしたら、わらいだす人もあるかもしれません。
でも、わらうまえに、この小さな国の物語を読んでみてください。
[#地から1字上げ]佐藤さとる
[#挿絵(img\0000.jpg)]
もくじ
はじめに …………………………………………3
第一章 いずみ ……………………………………9
第二章 小さな黒いかげ …………………………45
第三章 矢じるしの先っぽ ………………………87
第四章 わるいゆめ ………………………………135
第五章 新しい味方 ………………………………179
あとがき …………………………………………215
解 説 ………………………………神宮輝夫 219
[#地付き]さしえ/村上勉
[#改ページ]
だれも知らない小さな国
[#挿絵(img\006.jpg)]
[#見出し] 第一章
[#見出し] いずみ
[#挿絵(img\007.jpg、横243×縦445、下寄せ)]
二十年近い前のことだから、もうむかしといっていいかもしれない。ぼくはまだ小学校の三年生だった。
その年の夏休みには、町の子どものあいだで、もちの木の皮から、とりもちをつくることがはやった。だれがどこでおぼえてきたものか、もちの木の皮をしばらく水にさらし、すりつぶしながら、かすをあらい流していくと、上等のとりもちができる。
近所の家の庭に、五本ばかりもちの木があって、皮はそこからとった。ところが、おおぜいがよってたかって、その庭をねらったものだから、たちまち見つかって、ぼくたちは大目玉をくった。
「平気だよ。峠のむこうにいけば、きっとあるさ。」
大目玉のあとで、年うえのがき大将は、したをだして、自信たっぷりにそういった。みんなもそう思った。峠のむこう≠ノは、町にはないものがなんでもあった。もちの木だって、あるにちがいない。ぼくもやはりそう考えたのだ。
峠というのは町のはずれにあった。うら通りからつづく細い道が、町のうしろの丘にぶつかって、ゆきどまりのように見える。それでもかまわずに丘のふもとまで行くと、左におれて、きゅうな石段があった。それをのぼりつめると、やっとひとりが通れるくらいの、せまい切り通しの道になる。
ここが峠だ。ぼくたちはそうよんでいた。このうす暗いトンネルのような切り通しをぬけると、ぽっかりと明るい村のけしきが目の下にひろがってくる。いままでの町の感じが、いきなり村のけしきにかわるのだ。どういうわけか、風のふきぐあいまでぎゃくになってしまう。
ここは町から村へぬける近道だった。しかし自転車も荷車も通れないから、この道を使う人はめったにいない。いちばん使うのは、ぼくたち子どもだったかもしれない。
ぼくたちは、ここを通ってよく峠のむこうへ遊びにいった。そこには、小さな流れや、迷路のような細道があり、いろいろなえものがあった。春はさくらんぼ、夏は木いちご、秋になると、くりの実やあけびがとれる。やまいもをほるのもおもしろかった。小川のふなやどじょうを追いまわすのはもちろん、夏休みの宿題のこん虫採集もここでする。学校で使う竹細工の材料もここでまにあわせる。
だから、もちの木も、ここへいけば、きっとあるだろうと、みんなが考えた。
「だいぶ遠くまでいかなくちゃいけないぞ。」
がき大将はそういった。ぼくたちはうなずいた。峠のむこうはおくが深いのだ。近くでは、農家の目が光っているから、いままでも、ろくなえものはなかった。そればかりか、うっかり畑にはいったりすると、どなられることもあるのだ。
こんどは、かなりおくの、山の中までいかなくてはならないだろうと思った。
ぼくたちは、みんなでもちの木をさがした。皮をはいでも、しかられないようなところにあるのを見つけるのは、なかなかたいへんだった。やっとさがしあてたのは、峠から三十分もはいった山の中で、さいわいそれはかなりふとい木だった。
しかし、がき大将は、その木の前で、ぼくたちにいった。
「この木はおれの木だぞ。だまってとったらしょうちしない。そのかわり、すこしずつわけてやる。」
それはやむをえないことだったが、ぼくはがっかりした。三年生のちびのぼくには、ほんのおなさけに、わけてくれるだけだ。ぼくはいつも指の先でひねるくらいのとりもちで、がまんしなければならなかった。
ぼくは、思いきって、もちの木を自分ひとりでさがそうと考えた。しかしあんなにみんなでさがしたのに、一本きりなかったのだから、かんたんにさがせるとは思えなかった。それに、ひとりでは、あんまり遠くまでいく元気もなかった。
ぼくは、とりあえず、みんながばかにしている峠の近くを、あたってみるつもりになった。このあたりを峠山といっていたが、だれもさがしてみなかったところだ。
暗い切り通しの道に立ちどまり、せみの声をききながら、ぼくは右がわによじのぼろうか、それとも左がわにしようか、と、しばらくまよった。そしてのぼりにくい左がわの山にきめて、もぐりこんでいった。
顔にはねかえるささや小えだをよけて、もちの木の葉の色をさがした。しばらく進むと、足もとがきゅうに落ちこんでいて、ぼくはがけの上に出た。向かいにも山があったし、草が深くて先が見えなかったので、ぼくはあやうくころげ落ちるところだった。
きもをひやして、木につかまった。そのままのぞきこむと、かなり高そうだった。ぼくは左に大まわりした。
がけをまわっておりると、大きな杉林にはいった。杉林の中はしいんとしていた。もちの木は見つかりそうにもなかった。ぼくは、さっきのがけの下へいってみようと思い、杉林をつっきっていった。正面にはがけの上からも見えた、とがった小山があった。つきあたりのやぶをむりやりおしわけて、小山にのぼりはじめた。
いくらものぼらないうちに、ぼくは、その小山がかくしていた、きみょうな三角の平地にひょっこりと顔をだした。
ふいに、そこへ出たときの感じは、いまでも、わすれない。まるでほらあなの中に落ちこんだような気持ちだった。思わず空を見あげると、すぎのこずえのむこうに、いせいのいい入道雲があった。
右がわが高いがけで、木がおおいかぶきっている。左はこんもりとした小山の斜面だ。ぼくのはいってきたところには、背の高い杉林がある。この三つにかこまれて、平地は三角の形をしていた。杉林の面が南がわだから、一日じゅう、ほとんど日がささないのだろう。足もとは、しだやふきやいらくさがびっしりはえていた。
そのときまでの、いきごんだ足どりは、ここですっかり消えてしまった。こういう湿気のある場所には、よく、まむしがいるのだ。ぼくは、ふきやいらくさをぼうでたたきながら、一歩一歩進んだ。左手の三角のかどに、小さないずみがわいているのを、すぐに見つけた。
その水が、きれいで、かなり深いのが、まずぼくの心をひきつけた。いずみのふちは、ところどころくずれてはいたが、いつかだれかが、きちんとほったものにちがいなかった。小山のすそを、かべのようにまっすぐにけずり、そこに深く暗い小さな横あながえぐられていた。しみずはそのおくからわきでていた。
(この水はのめるだろうか。)
ぼくはすぐにそう考えた。ためしに片手ですくってみると、おどろくほどつめたかった。
ぼうしをほうりだして、なんども手ですくっては口へ運んだ。しずくがこぼれて、むねのほうまで、つたっていった。
そのまましばらくのあいだ、この美しいいずみをながめていて、ぼくはもちの木のことをわすれてしまった。こずえからもれる日光が、水にうつり、ゆらゆらとゆれている。それをぼんやり見ていると、いつか同じことをゆめに見たことがあるような気がした。
[#挿絵(img\012.jpg)]
いずみの水は、あふれて杉林のほうへ流れだしていた。その小さな滝の音が、せみの声にまじってきこえていた。ぼくはこの小山が気にいってしまった。こんなところにこんないずみがあるなんて、だれも気がつかないだろうと思った。
やがて平地をまっすぐに横ぎり、三角のいちばんとがった先へいってみた。木のあいだをくぐりぬけてみると、目の下に小川の流れがあった。足もとから流れの中に、大きな岩が、石段のようにかさなって出ていた。むこう岸は深い竹やぶで、その間を小川は大きくまがっていく。ぼくは、木につかまりながら、段々岩《だんだんいわ》の下までおりてみた。水の流れていく方をのぞいてみると、かすかにあかるく見える。
そのとき、ふとぼくは、この岩に見おぼえがあるような気がした。
――いつかここへきたことがあるぞ。いつだっけ。そうだ。みんなで、川の中を歩いていったときだった。どこまでも、どこまでも、川をさかのぼっていたときだ。なんだ。こんな近くだったのか――。
ぼくは、段々岩の上に立って、あたりを見まわした。いま三角平地《さんかくへいち》から出てきたところには、二本の木がならんで立っていた。その木のあいだが黒くあなのように見えるが、そこが三角平地の出入口だった。
「あっ。」
と、ぼくは、声をあげた。その木は二本とも、もちの木だった。ぼくは、声をだしてわらった。こんなところにあった!
「この山はぼくの山だぞ!」
ぼくは思わずそういった。とくいでたまらなかった。もちの木のそばまでもどり、皮をすこしはいでポケットへ入れた。それからまた小山の三角平地にはいった。杉林へおりてみて、小山の外をぐるっとひとまわりしてみた。
いずみからあふれた水や、杉林のひくいところからしみでる水が集まって、小さな流れになっている。この流れが、小山の外がわのすそをまわって、さっきの岩の近くで、小川にそそぎこんでいた。
小山は、峠山からちぎれたように、ぽつんとはなれているのだ。その外がわはきゅうな斜面で、はいってくる道は、ほかにどこもなかった。
ぼくは岩の上でくつをぬいだ。小川の中にはいって、流れにしたがって歩いていった。ほんの三十メートルもいくと、峠へ出るいなか道へはいあがった。
その年の夏休みには、なんどもひとりでこの小山にでかけていった。もちの木の皮をとるだけではない。いずみのそばで、安心して遊べるように、かまや小さなくわを持ちだして、草かりをしたり、地ならしをしたりすることもあった。
そんなとき、ぼくは、たいてい川の中を歩くことにしていた。水音をたてないように、静かに歩くと、星間でも暗い川の中は、ちょうど、ひみつの道のようだった。だから、天気がよくても長ぐつをばくばくはいていった。これはひとつには、まむしがこわかったからでもあったが、まむしも、そのほかのへびも、一度も見なかった。そのかわり、かえるがたくさんいた。
ぼくは、三角平地に細い道をつけた。いずみのまわりには、川から運びあげた石をならべた。小山の雑木林にも、自分の通る道をつくりかけたが、この下草は、三年生のぼくには手におえないようなやぶだったので、やめにした。しかし、小山じゅう、くまなく探険して、どんな木が、どこにあるかまで、よくおぼえこんだ。
小山の南がわには、大きなつばきの木があった。つばきはえだが多く、じょうぶでのぼりやすいが、ここのえだぶりは、とくにおもしろかった。まるで魔法のいすのように、ちゃんとこしかけられるところがあった。ちょっとしたよりかかりや、ひじかけまでそろっていた。
ここにこしをおろすと、町の一部も見えたし、遠く村のおくまで見わたせた。足もとには、木の葉のすき間に、いずみが小さく光っていて、この平地にはいってくるものを、見はることができた。そして、杉林のむこうがわには、あんがい近くに畑や道路があり、はたらく人ののどかなすがたが、まぢかに見えた。
ひとりで遊ぶには、もったいないと思ったこともあった。なかまとおおぜいでやってきたら、どんなにおもしろいだろう、とも思った。それでもぼくはがまんした。
がき大将どもは、見つけたぼくのことなどすぐにわすれて、このたのしい静かな小山を、あらしまわるにちがいない。もちの木も、つばきの座席も、とりあげられてしまうだろう。
家の近くで、なかまとさわざながら、ときどきふっと暗い木かげや、つめたいいずみの水を思いだすことがあった。そんなとき、ぼくは、むねをどきどきさせながら、なかまの顔をそっとながめた。
こうして、その年の夏休みがおわり、秋がすぎた。
冬の小山は、またちがったたのしみがあった。日のさしこまないがけの下には、このあたりにはめずらしい|つらら《ヽヽヽ》が見つかった。その反対に、つばきの上は日なたぼっこの天国だった。北をうしろに背おっているので、寒い風は頭上を通りぬける。
ぼくは、すきな本をなんさつもかかえて、ここへやってきた。名も知らない小鳥が、そのすぐそばまで飛んでくることがある。とんでもないところに人のすがたを見て、あわてたようににげていくのがおかしかった。
春にさきがけて、つばきには赤い花がさく。びっくりするほどきれいな色だった。あまりばあっと目だつので、そのために、小山が人に知られやしないかと、心配になったほどだ。
やがて、いずみからあふれる小さな滝の音が、きゅうにいきいきときこえてくるようになって、小川の中を長ぐつで歩くぼくには、水があたたかくなってくるのがよくわかった。
そのうちに、近くの田んぼで、気の早いかえるが鳴きだし、小山の木にも、若葉が出はじめる。
ぼくが知らない前から、小山はそうやって毎年毎年同じようにくりかえしていたのにちがいない。考えてみればもったいないことだった。ぼくはいつの小山も、みんな気にいった。こんないいところは、きっとどこにもないと思った。いつかぼくが大きくなったら、この小山を買って、ほんとうに自分の小山にしたいと考えた。
(それまでは、だれにも教えてやるまい。)
若葉のかおりの中で、ぼくはそう決心した。
そのころのある日曜日、ぼくは板きれをけずった手製のボートを持って、小山へいった。まだ昼前のことだ。
いずみの岸にひざまずき、ボートの走りぐあいをためすのに、むちゅうになっていた。ふと杉林の中に、人のけはいがするのに気がついて、ぼくは顔をあげた。だれかなかまがやってきたのかとびっくりしたが、おとなのせきばらいだった。その人は、だんだんこちらへ近づいてきた。
――この山の持ち主かな。――
にげだそうか、それともどこかにかくれようかと、ちょっととまどった。にげだすほどのわるいことは、していないつもりだったが、他人の山にかってにはいりこんで、道をつくったり、草をかったりしたのは、よくなかったかもしれない。こんな峠山の近くでは、やはりどなりつけられるかもしれない。
とにかく、ボートをだいて、いつでもかけだせる用意をしていると、その人が、やぶの中から出てくるのが見えた。
ぼくのよく知っている、トマトのおばあさんの、しわくちゃな顔だった。
ずいぶん前からぼくの家へ、野菜を売りにくる人だ。このおばあさんの持ってくるトマトが、特別に上等で、いつもじまんにしていたので、ぼくはトマトのおばあさんとよんでいた。
ぼくのほうは、すっかり安心してしまったが、ぼくを見つけたおばあさんのほうは、びくっとして、立ちどまった。ふしぎなものを見るような目つきで、ぼくをながめ、目をしょぼしょぼさせた。
「ぼくだよ。おばあさん。」
ぼくは、大いそぎでそういった。おばあさんは、そろそろと近づいてきて、ぼくの顔をのぞきこんだ。
「おやおや、ぼうやだったのかい。」
と、あたりを見まわした。
「ひとりで?」
ぼくは、だまってうなずいた。
「ぼうやは、こんなところまで遊びにくるのかい〕
「ときどきくるよ。」
「えらいんだね。だけど、おばあさんはびっくりしたよ。だれもいないと思ったからね。」
やっと安心したように、おばあさんはにこにこした。そして、ぼくが苦心してつくった道や、きれいになっているいずみのまわりに気がついたようだった。
[#挿絵(img\019.jpg)]
「友だちと、こしらえたのかい。」
「ぼくひとりで……。」
もしかしたら、しかられるかもしれないと思って、ぼくは口ごもった。しかし、おばあさんはにこにこして、
「ほうほう、ひとりでね。」
と、ぎゃくにほめてくれた。ぼくはほっとした。
「この山は、おばあさんとこの山?」
「そうじゃないけどね。」
「おばあさんは、なにしにきたの。」
「ふきをとりにきたんだよ。この山のふきは、やわらかくておいしいのでね。毎年いまごろになると、とりにくることにしているんだよ。」
そういいながら、トマトのおばあさんは、もうこしをまげて、めぼしいふきを、ぶつりぶつりととりはじめていた。ぼくは、ふきを食べることなど、考えつきもしなかったので、感心してしまった。さっそく、おばあさんの手つきをまねて、手つだいをはじめた。
ふたりでとったおかげで、たちまち、おばあさんの持ってきたかごに、はいりきれないほどになった。
「こりゃたくさんできたね。すこしおかあさんに持っていっておくれ。いまきれいにしてあげるから。」
トマトのおばあさんは、いずみの岸に、かわいた落ち葉をあつくしき、ぼくとならんでこしをおろした。
しなびた手がじょうずにふきの皮をむくのを、ぼくは、横からだまって見ていた。
「さっき、おばあさんがびっくりしたのはね、わけがあるんだよ。」
と、おばあさんは、ふいにいった。
「ぼくがいたからだろ。」
「それはそうだけど、この山の古い話を思いだしたからだよ。」
「ふうん。どんな話。」
「おばあさんがね、ずっとむかしのころ、としよりからきいた話。」
手を休めて、しばらく考えているようだった。
「とてもおかしな話だよ。」
「それ、話してくれる?」
「するともさ。」
おばあさんは、どっこいしょと、すわりなおした。
昼近い太陽は、やっと杉林の上から顔を見せた。この暗い三角平地にも、いっとき、明るい日光がさしこんでいた。ぼくは、ふきの葉をもてあそびながら、じっと耳をすませた。おばあさんは、せっせとふきの皮をむいていた。だからぼくは、いまでもふきのにおいをかぐと、このときのことを思いうかべる。また、このとききいた話を考えると、ふきのにおいをいっしょに思いだすこともある。
「ここは鬼門山《きもんやま》という名まえがあってな。」
おばあさんは、この山についている名まえのことから話しはじめた。
「ぼうやは知らないだろうけれど、鬼門というのは、えんぎのわるい方角のことでね。ここでいえば、こっちのほうかな。東と北のあいだだから。」
そういって、がけのほうを指さした。
「反対の南と西の間を、裏鬼門といってね。やっぱりえんぎがわるい方角なんだよ。ところが、この山は、むかしから二つの村のさかいめにあって、こっちの村からは鬼門にあたり、むこうの村からは裏鬼門にあたっているのさ。そんなことから、鬼門山というんだろうね。」
その説明をきいて、ぼくはちょっと不安になった。
「それじゃあ、ここはえんぎがわるいの。」
「そういうね。この山には、まものが住んでいて、むやみにあらすとたたりがあるって。いまでもめったに人は近よらないよ。」
ぼくは、ぞくっとして思わずおばあさんにからだをすりよせた。しかしおばあさんは、にこにこしていた。
「こわがることはないよ。そのまものというのが、とてもおもしろいんだから。いまの人はまものの正体なんか、なにも知らないんだよ。」
「おばあさんは知ってるの。」
「知ってるとも。」
「どんなまもの。」
「それが、たしかこぼしさま≠ニいってな。小さい小さい人のことさ。」
「こぼしさま?」
「そう。起き上がり小法師《こぼし》というのがあるだろう。あの小法師という字を書くんだよ。このくらいの人ということなんだろうね。」
おばあさんは、指で大きさを説明しながらそういった。ぼくはひざをのりだした。
「その小さな人はなあに。」
「まものさ。」
「それがわるいことをするの。」
「いやいや。ほんとはわるいことなんかしなかったんだよ。それどころか、むかしは二つの村をわるい神さまから守ってくれたらしいんだね。」
「ふうん」
おばあさんは、そこで一息いれた。
大むかしから、この小山には、一寸法師のこぼしさまがたくさん住んでいた。そのために、わるい神さまも鬼門を通ることができなかった。この小山にへびがいないのも、そのころからこぼしさまがみつけしだいにたいじしたからで、へびのほうが近よらなくなったのだそうだ。だからむかしは、このいずみのわきに、こぼしさまをまつった小さなほこらがたっていたという。
ところがこのこぼしさまは、いたずらが大すきだった。ときどき、とんでもないいたずらをひきおこしては、村人たちをわらわせたり、こまらせたりした。また、村であらそいごとがあると、たいていは、どちらもひどいめにあわされた。ときには、いっぽうだけがねらわれることもあった。そのときは、そのほうがわるいときまっていた。だいたいが、小さいうえに、目にもとまらないほどすばしこかったから、めったなことではすがたを見せなかった。それでも、ときどきは失敗したという。
あるとき村の人が石うすでまめをひいていると、一つぶずつ落としてやるあながふさがってしまった。まめを指でおしこむと、もりあがって出てきてしまう。はておかしいなと思って、石うすをはずしてみると、ひとりのふとったこぼしさまが、あなの中で顔をまっかにして、ふんばっていた。おもしろ半分に、このあなの中にはいってみたところが、からだがいっぱいで、出られなくなってしまったのだ。そこへ上から、ぎゅうぎゅうまめをおしこんだものだから、こぼしさまは必死になって、ふんばっていたわけだ。
村の人は、おかしさをこらえながら、はしの先でおしだしてやった。スッポン! と、音がしてぬけると、こぼしさまは、ぺこりと頭をさげて、たちまち、どこかへ見えなくなってしまったそうだ。
また、いなごとりの子供に、つかまえられたこともある。
こぼしさまは、いなごの背にまたがって、ぴょんぴょんのりまわしていた。それがおもしろくて、むちゅうになっていたものだから、ついうっかり、いなごとりの子どもに、いなごといっしょにつかまってしまった。子どものほうはそれに気がついて、紙のふくろに入れると、しっかりにぎって家へとんで帰った。こぼしさまは、いなごがにげるといけないので、子どもが家へ帰って口をあけるまで、ふくろをやぶらずに、じっとしていたそうだ。そして、子どもがそっとのぞきこんだとき、とびだしていってしまった。
また、村のわかものが、この小山のわきの小川で(おそらく、段々岩のあたりだったのだろう)、うなぎの夜づりをした。すると、どこからか、にぎやかな歌声や、手びょうしの音がする。おやおや、どこかで、おめでたの集まりでもあったかな、と思っていると、やがて、上流から湯のみ茶わんが一つ、夜目にも白く流れてきて、わかものの足もとにぴたりととまった。思わず手にとってみると、なんと、ぷうんとよい酒のにおいがする。底のほうに、さかずき三ばいほどの、酒がはいっていたのだ。そして、ピチャピチャと水音がして、この茶わんを運んできたらしいふたりのこぼしさまが、大急ぎでにげていったそうだ。
宴会の主は、もちろんこぼしさまで、たまたま近くにきていたわかものにも一口ふるまってくれたわけだった。
こんな話が、だれからともなくつたわって、村の人たちは、小山をあらさないように気をつけるようになった。
だから、そのころの小山は、二つの村のどちらにもはいっていなかった。こぼしさまのご領地として、だれも近よらないようにしていたのだ。
しかし、いつのころからか、こぼしさまは、すがたを見せなくなった。めいしんぶかい村人たちは、世の中がうるさくなったので、こぼしさまは小山にとじこもってしまったのだと思った。そして、小山へ近よってはいけないということを、ますますかたく守っていた。
たまに山の手入れをするのは、トマトのおばあさんの先祖だった。それは、おばあさんの家が、代々このあたりで一けんだけ大工をかねていたためだそうだ。ほこらの修理をするついでに、草かりをしたり、木の下えだをはらったりしたものらしい。
そして、長いあいだたった。いつのまにか、こぼしさまの話まで、すっかりわすれられていった。
ただ、近よってはならない、えんぎのわるい山≠ニいうことだけが残った。こぼしさまは、こわいまもの≠ノかわり、ほこらもなくなった。この山も、とうのむかしに村人の持ち山になっているということだが、いまでも、山の手入れはしないのだという。
「古い話だよ。おばあさんもわすれていたくらいだからね。さっきぼうやを見たとき、きゅうに思いだしたんだよ。ぼうやのことをこぼしさまの生まれかわりじゃないかと思って、びっくりしたのさ。だけど、こんな大きいこぼしさまはいないねえ。」
おばあさんは、たのしそうにそういってわらった。ぼくはため息をついた。
「おもしろい話だねえ。」
おばあさんは静かにいった。
「そうかい。そんなにおもしろいかい。」
「こぼしさまって、ほんとにいたのかなあ。」
「さあ。」
と、おばあさんはだまっていた。だが、ぼくは、こぼしさまというおかしな人に、すっかりひきつけられていた。
「ねえ、おばあさん、そのこぼしさまっていう小人が、いまでもいたら、ずいぶんおもしろいだろうね。」
「そうだねえ、おもしろいだろうねえ。」
「ぼく、さがしてみょうかな。」
「見つかりっこないよ。とてもすばしっこいんだから。」
それはそうかもしれない、と、そのときぼくは思った。ほんとうにいるなら、たったいまだって、どこかの草の下で、くすくすわらいながらきいているかもわからない。あの草あたりがあやしいな、と思うと、わらいをこらえているこぼしさまのようすが、目に見えるような気がした。といっても、ぼくはこの小さなこぼしさまが、いまでも生きているとは思わなかった。もしも生きていて、いまでもこの小山に住んでいるのなら、ずいぶんたのしいだろうと思っただけだ。そのくせ、ちょっとこわいような気もした。
(ぼくの小山はたいしたもんだ!)
おばあさんの、日にやけた顔を見あげながら、ぼくはそう考えた。いずみの水が、きらきらかがやいていた。ぼくは、おなかがすいているのもわすれて、じっとしていた。
おばあさんは、できあがったふきをそろえて、二つに分けた。その一つをふきの葉でつつみ、草でしばってくれた。
「もうお昼はすぎたようだね。ぼうやも早くお帰り。」
「うん。」
受けとりなから、ぼくはきいてみた。
「ぼく、ときどきここへ遊びにきてもしかられないかしら。」
「だいじょうぶ。人はめったにこないよ。だけど、おおぜいで山をあらすようなことは、なるべくしないほうがいいだろうね。こぼしさまの話を知らない人が、びっくりするといけないから。」
「ぼく、いつでもひとりでくるんだ。」
「それならいいね」
ぼくは安心した。もらったふきをむねにかかえ、峠道をゆっくり考えながら歩いた。そして、あの小山は、どうしても自分のものにしなければならないと思った。
この話を、こんなことからきいておいて、ほんとうによかったと、いまでもつくづく思うことがある。その後も、トマトのおばあさんは、あいかわらず、ぼくの家へ野菜を売りにきた。だが、この小山でであったことはない。
いつだったかこぼしさまのかっこうがよくわからなかったので、家にきたおばあさんを、追いかけていってきいたことがあった。
「そうだねえ。おばあさんも知らないねえ。ぼうやがすきなようにきめてごらん。」
おばあさんはそういってわらった。しかし、ぼくにはなかなかきめられなかった。小山へくるたびに、なんとなく、草の下や岩のかげを、のぞいてみたりした。
こうして、その小山はぼくにとって、ますますたいせつな、わすれられない場所になった。さいわい、ぼくがそんな場所を知っていることは、だれにも気がつかれなかった。ぼくのほうも用心するようになり、それまでのように、あまり長い時間を、その小山ですごすようなことはしないようにした。
やがて、また暑い夏がやってきた。ぼくはもう、もちの木の皮もはがさなかった。こんなだいじな小山の木を、すこしでもきずつけるようなまねは、もったいなくてできなかったのだ。
その年の夏休みが、おわりに近づいたころ、ぼくは写生道具を持って、峠をこえていった。宿題の絵をどこかでしあげるつもりだったが、小山の近くまでくると、しぜんに足がそちらへ向いてしまった。
ぼくは、いつものように、小川の流れの中を、はだしになって歩いた。水音をたてないように、静かに進んでいくと、川が曲がって、その先に段々岩が明るくぽっかりと見えてくる。
そこまできたとき、ぼくは、思わずぎょっとして立ちどまった。
ひとりの女の子が、岩の上にすわっていて人形のようにじっと動かずにいた。おかっぱの頭がうつむいて、いっしんに流れの中を見つめているようだった。
暗い川の中から見ると、ま上からさしこむ夏の日にてらされて、クリーム色の洋服と、岩の上においた大きな赤いぼうしが、かがやくように美しかった。しかし、それがかえって、ぼくにはうすきみわるかった。とんでもないものが、まざれこんだような、おちつかない気がしたのだ。
ぼくは、二、三歩、もとへもどりかけたが、すぐに思いかえした。
――なんだい。たかが女の子じゃないか。あんなやつに、小山へはいられてたまるもんか――。
そう考えて、こんどは口ぶえをふき、水音をわざと高くあげながら、近づいていった。
女の子は、気がついて、岩の上にぼう立ちになった。そして、目をまるくして、ぼくの顔を見つめた。見たことはないが、かわいらしい顔をしていた。しゃれた服から考えて、この近くの村の子ではないようだった。
[#挿絵(img\031.jpg)]
一年生か、それともまだ学校にははいっていないのか、どちらにしても、ひとりでこんなところにいるのは、おもしろくないと思った。
「きみ、だれときたの。」
ぼくは、あたりを見まわしながら、きいてみた。しかし、女の子は、まばたきもしないで、ぼくの目をまっすぐに見かえした。その赤いほおのあたりに、流れから反射した光が、ゆらゆらとゆれていた。
「どっちからきたんだい。」
かさねてきくと、だまって手をあげて指さした。ぼくのきたのとはぎゃくに、小川の上流のほうだった。そういえば、この子もはだしになっていた。
「ひとり?」
ぼくは、すこし心配になって、そういった。まい子かもしれないと思ったのだ。すると、女の子は、首を横にふって、むこう岸の深いやぶをのぞきこんだ。ぼくもつられて、そのほうをうかがってみたが、だれもいなかった。それでも、だれかがそこにいて、やまいもでもさがしているか、あるいは、しのだけでもとっているのだろうと思った。
そのとき、それまで一ことも口をきかなかった女の子は、足もとを見て、おどろいたようにつぶやいた。
「くつがない。かたっぽしかない。」
そして、一つだけ岩の上に残っていた赤い運動ぐつをひろいあげ、あわてたようにあたりをさがしはじめた。
「さっきまで、ここにちゃんとあったのに……。」
と、女の子はなきそうな顔になって、ぼくを見た。ぼくもいっしょになって見まわしたが、水の中にも落ちていなかった。
大きなむぎわらぼうしが、ふわりと水に落ちて、流されかけた。それをひろいあげて、女の子の頭にぎゅっとかぶせてやった。
「なくんじゃないよ。きっとさっき立ったときに、落っこって流されたんだ。ぼくがさがしてきてやるから、待っているんだよ。」
ぼくは、責任を感じてそういった。そして、手に持っていた写生道具を岩の上におくと、水をはねかえしながら、いそいで流れの中をひきかえした。
流されたとしても、運動ぐつは、まだそれほど遠くまでは、いっていないと思った。流れを追いこして、いちど道までもどり、そのまま道にあがって、だいぶ先までいってみた。だがみつからなかった。
ぼくは、あきらめきれないような気持ちで、ゆっくりとまた川の中を小山へもどりはじめた。
もしかしたら、どこかにしずんでいるかもしれないと思い、水の中をのぞきこむように、中ごしのまま歩いていった。すると、ちょうどぼくがそこへいくのを待っていたように、草の根にひっかかっていた赤いくつが、水におされて、するするっと流れだすのが見えた。
「あった、あった。」
水しぶきをあげて、くつにかけより、手をのばした。そして思わずその手をひっこめた。小さい赤い運動ぐつの中には、虫のようなものが、ぴくぴくと動いているのに気がついたからだ。
しかし、それは虫ではなかった。小指ほどしかない小さな人が、二、三人のっていて、ぼくに向かって、かわいい手をふっているのを見たのだ。
ぼくは、あきれかえって、つっ立ったまま、流れていくくつを見おくった。
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なんだい、ありゃあ。くつは、すぐにまた草の下にかくれた。大きな口を、ぽかんとあけていたぼくは、そのときになって、やっと気がついた。
あれがこぼしさまだ!
それからはむちゅうだった。むねまで水をはねあげて、赤いくつにとびついた。しかし、つかみあげたくつの中は、からっばだった。そのくつを、しっかりにぎったまま、あわてて近くの岸をひっかきまわした。もちろん、そこにはなにもいなかった。
しばらくのあいだ、ぼくは息をはずませて、あたりをにらんでいた。
いま見たのは、たしかに人間の形をしていた。あれこそこぼしさまにちがいない。こぼしさまは、いまでも生きているんだ。けれども、そんなことってあるだろうか。
それとも、あれは目のまちがいだったのだろうか。ぼくは空をあおいでみた。おおいかぶきった木の葉の間から、ちらちらと日光がもれていた。それが、まるい光になって、水の上や、岸の草にうつっていた。
ぼくは、岩の上で待っている女の子のことを、やっと思いだした。
段々岩《だんだんいわ》の上には、だれもいなかった。女の子のすがたは、こぼしさまと同じように消えていた。ぼくは、きつねにばかされたような気持ちだった。写生道具だけが、ちゃんと岩の上に残っていた。
考えてみれば、ずいぶん時間がたっていたのだし、待ちきれなくなって、そのまま帰ったのかもしれないが、頭がこんがらがっていたぼくは、こぼしさまと女の子を、ごちゃごちゃにしてしまった。
片方の赤い運動ぐつは、たしかにぼくの手の中にあった。まだ、あまりはいてないようで、底がへっていなかった。名まえが書いてあるかと思ったが、それもなかった。ぼくは、くつをながめて、すっかり考えこんでしまった。
あの女の子は、いったい、なにをしに、こんなところへやってきたのだろう。こぼしさまのことを知っているのだろうか。ひとりではないといっていたが、こうなってみると、どうだかあやしいものだ。だいいち、あの子は、ぼくがなにをきいても、ろくな返事をしなかった。きっと、なにか知っていたのにちがいない。
(あいつは、ぼくをからかっていたんだな。なきそうな顔をしたくせに、なまいきなやつだ。)
ぼくは、岩の上にすわりこんでしまった。
ぼくが見たのは、ほんとうにこぼしさまだったのかしら。かれ葉でものっていたのを、光のかげんで、見まちがえたのかもしれない。手をふっていたような気がしたが、はっきりそれと見きわめたわけではない。だけど、やっぱりあれは、こぼしさまだ。それでなければ、女の子まで、いなくなるはずがないもの――。
もし、こぼしさまだとしたら、どうしてにげたのだろう。ぼくはなにもわるいことはしないのに、わからないのだろうか。どっちにしても、もうすこしよく見ればよかった。声をかけたほうがよかったかもしれない。あわててとびついたものだから、おどろいてにげたのかもしれない。ほんとうにおしいことをした――。
ぼくは、見たばかりのこぼしさまのすがたを、いっしょうけんめい思いだそうとした。ところが、どうしても、はっきりしなかった。写生道具をとりあげて、スケッチブックをひらいた。なんとかして、こぼしさまの絵をかいてみようと思ったのだ。
ちらりと見ただけだし、そのうえ、相手は小指よりも小さな人のことだから、こまかいところはなにもわからなかった。なにかきらっと光ったようなおぼえがあった。あれは首かざりかもしれない。白っぽい着物を着ていたようだった。その着物に、黄色や茶色のもようがついていた。頭ははちまきのようなものをしていた。顔はどうしても思いうかばない。ひげもじゃの顔だったような気もするし、ちがうような気もする。かんじんの顔をおぼえていないのはくやしかった。
長いあいだかかって、ぼくは目をつぶったり、首をひねったりしながら、画用紙の上に、いくつもいくつもこぼしさまの絵をかいた。ひげづらもあれば、わらっているのもあった。しまいには、なにがなんだか自分でもよくわからなくなってしまった。ぼくはクレヨンをほうりだして、ぼんやり空をながめた。いつか、日がかげって、まっかな夕焼けだった。
とにかく、ぼくはこぼしさまを見たんだ!
ゆめからさめたような気持ちで、ぼくはそう思った。だれも知らないこぼしさまを、ぼくだけは知っているのだ。そう思って大きく息をした。いつかまた、きっとこぼしさまは、ぼくの前に出てくるにちがいない。そのときこそ、あわてないでゆっくり見よう。静かに話しかけてやろう。
ぼくは元気になって、帰るしたくをした。赤い小さな片方の運動ぐつも、たいせつにポケットへしまいこんだ。こぼしさまが、この中にはいっていたのだと思うと、そまつにはできなかったのだ。
それからのち、このくつは、ぼくのたからものになってしまった。だまってくつをながめては、いずみのある、木かげの深い小山で、こぼしさまが、どんなくらしをしているのか考えた。そのたびに、ふしぎでたまらなかった。
ぼくは草のかげにかくされた、小さなこぼしさまの家を思った。それは、ぼくなんかさがしても見つからないようにできているにちがいない。きっと、岩のかたまりか、ただの草むらにしか見えないのだろう。もしかすると、木のうつろかもしれない。古い雑木の根もとは、大きな株になっているものが多い。そういう株には、たいてい、しっとりとしたやわらかいこけがついている。そして、小さなあなが二つぐらいはある。こぼしさまの家にはぴったりする。
食べるものは、なんだろう。草の実だろうか。それとも、かえるなども食べるのだろうか。へびはみつければ、たいじしてしまうということだったが、まさか食べるためではないだろう。
しかし、あの小さなからだで、どうやってへびたいじをするのだろう。ことによると、魔法のようなものをかけて、動けなくするのかもしれない。かえるはへびににらまれると、からだがすくんでにげられないというが、へびはこぼしさまににらまれると、動けなくなるのかもしれない。それとも、やりや刀を使って、勇敢に戦うのだろうか。それだったら、いちどでいいから見物してみたい。
小山には、ぜんぶで何人くらいこぼしさまが住んでいるのだろう。なんど小山へいっても、これまで、ぼくの目にふれたことがなかった。こぼしさまは、よほどすばやいのにちがいない。もっとも、ぼくの目をかすめるくらいは、なんでもないのかもしれない。ぼくが小山へ近づいていくと、見はりがみんなに知らせるのだろう。
「また、いつもの子どもが、川の中を歩いてくる。」
「うるさいやつだ。みつからないように、かくれてしまえ。」
そんなことをいってるのかもしれない。そのこぼしさまが、どうしてぼくにすがたを見せたのか、ぼくにはよくわからなかった。ぼくのことを気にいっているのならいいと思った。
「あの子は、この小山がよほどすきだとみえる。われわれのこともうすうす感づいているようだ。一ペんだけ、あいさつをしてやろうじゃないか。」
こぼしさまが、こんな相談をしたのなら、どんなにいいだろうと思ったりした。しばらくは、またこぼしさまが見られるかもしれないと思って、ひまさえあれば、小山へでかけてみた。だが、これだけは、ぼくがどんなに苦心して目をさらのようにしても、いっこうにききめはなかった。
それからつぎの年の春まで、ぼくはあいかわらず、思いだしたように、小山へひとりで遊びにいくことをつづけた。もうだれにも会わなかったし、小山はいつでも静かだった。
しかし、やがてぼくは、この静かな美しい小山からわかれなくてはならなかった。ぼくの家が引っ越しをしたからだ。引っ越し先は、電車で四十分ぐらいはなれた、大きな町だった。それほど遠いところではないのだが、そのときのぼくには、遠すぎるような気がした。
友だちとわかれるのもさびしかったが、小山からはなれるのが、いちばん気になった。ぼくの知らないうちに、だれかが横どりするかもしれないと思うと、なかなかあきらめられなかった。
いよいよ引っ越しの日がせまり、大きな荷物だけ、先に送りだした。その日は、朝から糸のような雨がふっていた。家の中はきゅうにがらんとして、ますますものさびしくなった。
ぼくは、雨がっばを着て、こっそりと家をぬけだした。雨の小山は、ぼうっとけむるようだった。そのしっとりとぬれた三角平地に立って、ぼくはしばらくぼんやりしていた。
一月に一度か、半年に一度か、それとも一年に一度になるかわからないが、引っ越しをしても、できるだけここへやってこようと思った。
ポケットをさぐって、青いガラス玉を三つとりだした。雨の中で、いずみのふちをほり、ていねいに一つずつうめた。そして、大いそぎで家へ帰った。
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あわただしい引っ越しがすむと、ぼくも新しい学校に転校した。その当時は、友だちもいないし、小山のことばかり考えていた。学校の帰りに、そのまま思いきっていってみようかと本気で考えたりした。自分の貯金箱をさらって、二、三日持って歩いたが、これはとうとう決心がつかないまま、また貯金箱にもどしてしまった。
そのうちに、学校にもなれて、新しい友だちもできてぼくはやっとおちついた。小山のことを、すっかりわすれてしまったというわけではなかったが、日がたつにつれて、すこしずつあきらめていった。いつでもいこうと思えばいけるんだ、と思って、気にしなくなった。
そうして、一年はすぐにすぎた。
やがて、ぼくは、中学校へ進んだ。小山のある町とは反対の方向へ、毎日電車で通うことになった。そのころになると、ぼくはもう、ほとんど小山のことを思いださなかった。勉強することも、小学生よりはずっと多くなったし、そのほかにも、目新しいことかつぎつぎと出てきて、小山どころではなくなったのだ。小さい赤いくつも、つくえのおく深くしまいこまれていた。
こうして、長いあいだ、ぼくは小山へ足をいれないまま、月日がすぎていった。
いつか日本は、戦争のうずまきにまきこまれていた。ぼくの身のまわりも、だんだんきびしくなって、ゆめのような思い出などは、消しとんでしまった。戦争はますますはげしくなって、ぼくの父も出ていった。そして、空襲がはじまるころ、船といっしょに南の海にしずんだ。
町は焼かれ、人は目ばかり光らせていた。ぼくは、のっぽな中学校の上級生となり、工場につれていかれた。油だらけになってはたらいているうちに、学校も焼けてしまった。
毎日が苦しいことばかりだったが、また底ぬけに楽しかったような気もする。家が焼けたことを、まるでとくいになって話しあったり、小型の飛行機に追いまわされて、バリバリうたれたりするのが、おもしろくてたまらなかったりした。これは命がけのおにごっこだったが、中にはおににつかまってしまう、運のわるい友だちも何人かあった。いまになってみれば、ぞっとする話だ。
そして、終戦がやってきた。
むし暑いま夏のことだった。ぼくは、焼け野原になった町に立って、あつい雲がはれるように、ぽっかりと小山のことを思いうかべた。なつかしい小山。あれからとうとう、一度もいってみなかった小山。いまでもむかしのままで残っているだろうか。あの山には、おもしろい話がつたわっていたっけ。ぼくは、きゅうに、ふきのにおいを思いだした。なつかしい小山。
いつか、ふしぎなものを見たことがあった。あれはいったいなんだったのだろう。なぜぼくは、もっとよく調べてみなかったのだろう。そういえば、あの赤い小さな運動ぐつはどうしたろう。どこかにしまってあるはずだから、さがせばみつかるにちがいない。
大きな不幸がつづいたが、ぼくの家は、郊外にあったため、さいごまで焼けなかった。だからそんな思い出のかけらまで、なくさないですんだのだ。
一つのことを思いだすと、つぎからつぎへと、いろいろなことが、ばかりぽかりとうかんでは消えた。なつかしさがむねにせまってきた。
――よし、近いうちにいってみよう――。
ぼくは決心した。心のかたすみにおしつけられていた思い出が、音をたててはじけるような気がした。ぼくと小山の小さな歴史は、ふたたび流れはじめた。だが、ぼくの小山は、むかしと同じように、ぼくのことを静かにむかえてくれるだろうか。
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[#見出し] 第二章
[#見出し] 小さな黒いかげ
[#挿絵(img\043.jpg、横232×縦484、下寄せ)]
その日は、すばらしい秋日よりだった。ぼくは何年ぶりかで、小さな町の駅におり立った。
戦災もほとんどうけなかったようすで、ほっとする思いだった。おさないころをすごした町なみに近くなると、ひとりでにむねが鳴った。道ばたの石ころ一つにも、小学生のぼくが見えるような気がした。
すれちがう人にも、どこか見おぼえのあるような顔があった。相手にはもちろんぼくがわかるはずはない。わんぱくなかまだった友だちの家の前では、そっとのぞきこんでみたりした。道がひどくせまくなったような気がしたが、ぼくのほうが大きくなったからだろう。
やがて、なつかしい峠へかかってきた。このあたりは、ほとんどむかしと同じだった。古びた石段のへこみぐあいまで同じだった。暗い峠をぬけると、けしきがひらけて、あせばんだからだに、ここちよい風がふきぬけていった。むかしもやはりそうだった。
小山のとがった頭が見えてきた。ぼくはひと安心した。まわりの山が、まるぼうずにされているのに、ぼくの小山だけは、紅葉しかけた木が、こんもりとしていた。だれかが、ぼくのために、たいせつにしておいてくれたような気がして、うれしかった。
がんじょうな皮ぐつをはいていたので、峠からはいったほうがよかったのだが、わざわざ川までいって、はだしになり、つめたい水の中を歩いていった。川のようすは、なんとなくちがっているように思われた。ぼくが大きくなったからか、それとも、水の流れで、いくらかかわったのか、たぶん、両方だろう。
ぼくはうす暗い川の中で立ちどまった。段々岩のほうをすかしてみたが、べつにだれもいなかった。
ぼくのもちの木は、番兵のように、二本ともしっかりと立っていた。しかも、もちの木のはだには、ぼくが皮をはがしたきずあとが、はっきりと残っていた。
「やあ。」
と、思わず声をかけてしまった。こうして、外から見たところは、この小山はぜんぜんかわっていないようだった。ところが、くつをはいて、三角平地にもぐりこんでいくと、がらりとようすがちがっていたのだ。
うす暗かった平地は、明るい日光をいっぱいうけていた。南がわにあった杉林が、一本のこらず切りとられていたからだ。ぼくは、見なれない場所にきたような、はぐらかされた気持ちがした。
しかし、岩かべにかかえられた美しいいずみは、そっくりそのままあった。ぼくの運びあげた石が、列をくずしてころがっていた。ふきの葉も、いずみのまわりや、がけの下の木かげには、まだまだ残っていた。見あげると、つばきの木も、同じすがたをしていた。
しばらくながめているうちに、明るい平地は、はじめ思ったより、だんだん気にいってきた。ぼくは、むかしのように、いずみのわきにこしをおろした。ときどき、気の早い落ち葉が、かさかさと舞いおりてきて、びくっとさせた。
いずみからあふれて落ちる水が、静かな小山に水音をひびかせている。それをじっときいていると、トマトのおばあさんからきいた話がうかんできた。
ぼくは目をつぶった。そっとひらくと、目の前のふきの葉が動いた。手をのばすと、かえるが一びきとんでにげた。
ふとぼくは、さいごにこの山へわかれをつげにきたとき、ガラス玉を三つ、うずめたのを思いだした。あれはたしか雨の日だった。
立ちあがって、心あたりの場所をさぐってみた。だが、それほど深くうずめたつもりはなかったのに、どうしてもみつからなかった。本気にさがすなら、道具を持ってこなければなるまいと思った。ぼくは、手をとめて、もとのとおり、こしをおろした。そして、この小山を買うにはどうしたらいいかを考えた。
――まず持ち主をさがさなければならない。これは、たいしたことはないだろう――。
しかし、売ってくれるかどうかが問題だった。そして売ってくれることになっても、ぼくには金がないのだ。いまのところは、一文なしと同じだった。山を買うほどの金が手にはいるのは、きっと、うんざりするほど先のことにちがいない。
父がいなくなったため、これからはぼくもはたらかなくてはならなかった。一家が力をあわせてはたらかなくては、生きていけないようなときだった。それに、ぼくははたらきながら上級学校へも進む決心をしていた。
それでもぼくは、小山を買うつもりだった。いつかここを自分のものにしたいという気持ちは、たいせつにしまっておこうと思った。当分の間は、ときどきここへやってきて、ぼんやりするだけでがまんしようと、自分にいいきかせた。
いつのまにか、ぼくは草の上にねころんで、青い秋の空をながめていた。世の中ははげしくうずをまいて動いているのに、ぼくと小山は、そこからはみだしてしまったように、静かだった。
どのくらいたっただろう。ぼくは起きあがっていずみの水を飲み、まずしいべんとうを食べた。
小山をたずねてからしばらくたったころ、ぼくは、おかしなことがときどきあるのに気がついた。
ポケットの中のものをとりだすときに、なにかがいっしょにこぼれ落ちたような気がするのだ。小さな黒いかげが、ぼくの目のはしをかすめて、足もとに消えていくような感じだった。それはほんの一しゅんのことで、もちろん、音がするわけでもなんでもなかった。あたりをさがしたところで、べつに落ちているものはなかった。
それでも、思わず二、三歩もどって、さがしてみることがあった。そして、はじめからポケットにはなにもはいっていなかったことに気がついて、わらいだしてしまうこともあった。
はじめのうちは、気のまよいだろうと思っていた。しかし、たびたびそんなことがあったので、目がわるくなったのかもしれないと考えた。いつもおなかをすかしていたころなので、栄養失調で目がよわっているのだろうと考えたのだ。
そのうちに、そういう感じがするのは、なにも、ポケットの中のものをとりだすときだけとはかぎらないのに気がついた。たとえば、服をぬいでくぎにかけるときとか、すわっていたいすから立ちあがるときや、読みふけっていた本から顔をあげたときなども、ふとぼくの目のはしに、小さい黒いかげが、さっところがるのがうつった。それで、もうこのことでは心配しないことにきめてしまった。なれてしまえば、とりたてていうほどのことはないし、視力がよわくなったとも思えなかったからだ。
ある日のこと、ぼくは、町で外人の牧師さんから、大声でよびとめられた。道がわからなくてこまっているということだった。ぼくは口で説明するのはたいへんなので、地図を書こうと思い、ポケットから手帳をとりだした。いつもはむねポケットにいれておくのだが、そこにはなかったので、あちこちと手を動かして、ズボンのポケットからひっぱりだした。そのときも、小さな黒いかげが走った。
すると、おどろいたことには、相手の牧師さんまで、地面の上を、まるで落としものでもさがすように、きょろきょろと見まわした。
「なにをしているのです。」
「いや、いま、わたし、あなたのポケットから、なにか落ちたように思いました。」
ぼくは、あきれて、牧師さんの顔を見た。あの黒いかげは、ぼくだけが感ずるのではないのだろうか。
「わたしには、クリケット(こおろぎ)がはねたように見えたが……。」
「クリケット?」
「いや、そう思ったんだが、まちがいらしい。なにも落ちなかったようだ。」
牧師さんは、そういう意味のことをこんどは英語でいって、にこにこした。ぼくは気をとりなおして、手帳に地図を書いた。それをひきちぎって説明してやると、牧師さんはサンキューといって、ぼくの肩をたたき、教えられたほうへ大またに歩きさった。
[#挿絵(img\049.jpg)]
そのすがたを見送りながら、ぼくは考えこんでしまった。ぼくの目だけにうつるのかと思っていたら、他人の目にも、ときには感じられるものらしい。牧師さんは、クリケット≠ニいったが、なるほどそういえば、ぼくの目にうつるときも、こおろぎが、すばやくはねるのに似ていた。ふたりは、同じ黒いかげを見たのにちがいなかった。ぼくのポケットには、いやポケットとはかぎらず、身のまわりには、まるでなにかがとりついているようだった。まさかほんとうにこおろぎ≠ナはあるまい。それよりももっとすばやくて、ふしぎなものでなくてはならない。
ぼくは、あっと声をあげた。もしかすると、あの小さい黒いかげの正体は、小山に住むこぼしさまではないのか。いまでもこぼしさまが生きていて、ぼくのポケットにしのびこんだり、上着の下にかくれたりしているのではないだろうか。もし、そうだとしたら――。
そこまで考えて、ぼくは頭をふりながら歩きだした。あまりばかげたことだと思ったのだ。そんな小人が、いまの世に生きているとは、信じられないことだった。しかし、ぼくはまたすぐに立ちどまった。
ぼくは、子どものころにこぼしさまのすがたを見たではないか。いま考えても、あれはたしかに小人だったと思う。それに、たったいま、なにも知らないはずの外人の牧師さんまで、小さな黒いかげをみつけた。黒いかげはたしかにあるのだ。あるとすれば、それはこぼしさまにちがいない。
ぼくは、からだがふるえるような気がした。こいつはおもしろくなってきたぞ。こいつはおもしろくなってきたぞ。こいつは……。
そんな同じことを心の中でつぶやきながら、いつのまにか息が切れるほどはや足で歩いていた。
その後も、小さな黒いかげは、あいかわらずぼくの目のはしをかすめた。正体を見きわめてやろうと、こんどはいっしょうけんめいになったが、やはりぼくの手にはおえなかった。
小山にもなんどかいって、いままでにも熱心にさがしてみたが、これはむだだった。小山をまるぼうずにしてみれば、なにかわかるかもしれなかったが、もちろんそんなことはできない。
ぼくは、こぼしさまのことを、なんとかして、もっとくわしく知りたいと思った。そこで、手あたりしだいに本をひっぱりだして、いろいろな小人の話をしらべてみた。もしかしたらその中に、手がかりになることでもあるのではないかと思ったのだ。
小人の話は、もともと日本ではあまりきかないようだった。一寸法師はだれでも知っているが、これはほんとうの小人とはちがう。話の中でも、両親はふつうの人間になっているからだ。ほんとうの小人は、こぼしさまのように、小人の一族でなければいけない。そういう小人族の話は、日本にはほとんどない。
ぼくはずいぶんさがしてみたが、こぼしさまに似た話はなかなかみつからなかった。
ところが、しばらくたつと、ぼくは、とうとうすばらしい話をみつけだした。日本にも、こぼしさまにそっくりな、小人族の話が、ちゃんとあったのだ。
北海道のアイヌが伝えているコロボックルの物語だった。この話は知っていたのに、それまで、うっかり思いださなかった。ぼくはすぐさま手もとの字引きにとびついた。
『コロボックル――アイヌ語(ふきの葉の下の人の意味)1[#「1」は丸付き数字、unicode2460]アイヌの伝説に出てくる小人のこと。2[#「2」は丸付き数字、unicode2461]またはその伝説をもとにして、アイヌが住みつく前から、北海道に住んでいたと考えられる小人種の名。』
これだけでも、もうじゅうぶんのような気がした。ぼくにとっては、こぼしさまの話と、ふきのかおりとが、おたがいに結びついているのだ。さては、こぼしさまというのは、コロボックルのことだな、とぼくはむねをおどらせた。こぼしさまは、もともとふきの葉がすきなので、ふきのある小山が気にいっていたのではないだろうか。
かたっばしから本をひっくりかえしていくと、思いがけないことに、たくさんの学者が、コロボックルのことを研究していて、けっきょくのところ、そんな人種はいなかったということになっているようだった。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。ぼくは生きているコロボックルを知っているかもしれないのだ。
そういう学者の書いた本とはべつに、コロボックルの伝説をもっとよくしらべようとしたら、これがむずかしい仕事だった。ぼくは、やっとのことで、古ぼけた小さな本をみつけてきた。それには、コロボックルのことをこう書いてあった。
『身長一〜二寸(三〜六センチ)。その性|敏捷《びんしょう》にして、つねに身をあらわすことをきらっていたという。あるいは、その声のみあって形を見ず。』
ぼくの知っているこぼしさまは、三センチぐらいだった。声はきいたことがないが、はっきりした形を見たのは、たった一度だけある。どちらにしても、よく似ていることはたしかだった。
大むかしのコロボックルは、あるとき、いたずらなアイヌ人につかまえられて、はずかしめをうけてから、一族こぞって他国へ移ってしまったそうだ。その後はどうなったか、だれも知らないという。
その名まえの意味のように、一まいのふきの葉の下に、ときには、数百人もかくれていたことがあったそうだ。これは、北海道のふきの葉が、かさのように大きいためだろう。
コロボックルのからだが小さいことについては、その本はこう説明していた。
『一本のあしを運ぶのに、数十人を要し、かがいも(植物の名)の実を両分し、その一つを船として漁した。』
かがいもという植物がわからなかったので、すぐに調べてみた。これは、野生のつる草で、どこでもみつかるものらしい。これが十センチから十五センチぐらいの、まめのさやのような実をつけるのだ。ぼくが見たことのあるもう一つの船――赤い小さな運動ぐつ――と、ほぼ同じ大きさで、これも一つの証拠になると思った。
ぼくは、自分の調べたことを、小さなノートに書きうつしながら、うれしくてたまらなかった。そして、これがあたっているかどうか、なんとかしてたしかめてみたかった。それには、どうしてもこぼしさまに会って話をしてみなくてはならないのだ。
小山へ、手紙を書いておいてくることを考えたが、はたしてこぼしさまが字が読めるかどうかわからなかった。それでも、なにもしないよりはましだと思ったので、友だちになりたいこと、なんのために、ぼくのまわりについてくるのか知りたいこと、こぼしさまとは、じつはコロボックルではないのか、ということなどを、かんたんに書いて、草かげにおいてみた。そして、返事があるのをたのしみにしていたのだが、ざんねんながら手ごたえはなかった。
しばらくしていってみると、手紙は、おいたところに、ぬれてそのままになっていた。
しかし、ぼくはそれだけではあきらめなかった。こうなったら、一日も早く小山を買いとって、こぼしさまを安心させ、むこうから出てこさせたいと思った。
そんなことから、とりあえず小山の持ち主だけでも調べておこうという気になったのは、ぼくが、夜間の専門学校(旧制)へ進んだころのことだった。
これは思ったとおり、かんたんな仕事で、半日ですんでしまった。小山のあたりから、峠の近くの山は、同じ人の持ち山だった。持ち主の名まえと住所がわかると、いちどその家を外からでも見ておきたいという気になり、その足でいってみた。
峠の道から、小山の横を通り、かなりおくにはいったところだった。子どものころにきたことがあるので、だいたいの見当はついていた。しかし、このあたりの農家は同姓が多く、表札も外からは見えないし、町で家をさがすのとは、すこしかわったむずかしさがあった。
そこで、思いきって通りかかった女の人にきいてみた。
「ああ、峯《みね》のうちだね。そんなら、ほらすぐそこの、いけがきのところで、男の子が遊んでいるうちだよ。」
と、女の人は指さして教えてくれた。五つぐらいの男の子が、ちょうどそのとき、いけがきの中に走りこむのが見えた。あとで知ったのだが、峯というのは、この家の屋号だった。むかしから、おたがいに屋号をつけ、それでよびあっているのだ。やはり同姓では区別がつかないのかもしれない。
ぼくのさがしていた家は、峯のうち≠セった。そうなると、ぼくにはもう一つ欲がでてきた。せっかくここまでやってきたのだから、ここの主人に会ってみたい。そして、いつかぼくに金の用意ができたとき、はたして売ってもらえるかどうか、それだけでもきいてみたいと考えたのだ。
ずいぶんむてっばうな話だが、べつにわるいことをしようというわけではなし、ことわられたら、時期を待ってまたくればいいと思った。ぼくは、いけがきの前で立ちどまった。ふりかえってみると、さっきの女の人が見ていて、手をふって、そこが峯のうちだということを、遠くのほうから教えてくれた。前を通りすぎたりしたら、かえって、あやしまれたことだろう。
ぼくは、はじめになにから切りだそうかと、頭をいそがしくはたらかせながら、門の中にはいっていった。縁側が正面にあり、のら着を着たひげもじゃのおやじさんが、たばこをふかしていた。
「ごめんください。」
「なんだね。売るわけにはいかないよ。」
ひげの中からどら声がそう返事した。ぼくは、出鼻をくじかれた思いがした。小山は売らないっていうのだろうか。しかし、ぼくはすぐに気がついた。そのころは、まだ食べる物がなかったときだった。ぼくは食料を買いにきた町の人間だと思われたのにちがいないのだ。
「そ、そうじゃないんです。ちょっとお願いがあるんです。」
「こめを買いにきたんじゃないのかね。」
「ちがうんです。ぼくのほしいものはこめじゃないんです。」
「いもかね。」
「いえ、いもでもないんです。」
ぼくはからだじゅう、あせびっしょりになった。
「なにがほしいんだい。」
「山です。」
「やまあ?」
ひげもじゃの峯のおやじさんは、くわえていたきせるをひざの上に落としたほど、びっくりした。そのあきれたような顔は、ひげづらに似合わずなんとなくおかしくて、親しみがあった。ぼくはすこしおちついてきた。
「なんだか話がわからねえなあ。まあ、ここへきてこしかけねえか。」
そういって、ひろったきせるの先で縁側をしめした。ぼくがいわれたとおりにすると、しげしげと顔をのぞきこみながらいった。
「山がほしいってのは、いったい、だれがほしいんだね。」
「ぼくですよ。」
と、ぼくは、いそいで自分の名まえと、住所と、それから小学校五年まで、この近くの町に住んでいたことなどをのべた。
[#挿絵(img\057.jpg)]
「ぼくのいっているのは、鬼門山のことです。知っていますか。」
「あんなところが、どうしてほしいんだい。」
「子どものころからすきな山なんです。ぼくは、いつか家をたてたいと思っています。」
おやじさんは、どう答えていいかまよっているような、へんな顔をした。
「そりゃあなんだな。やぶからぼうで、返事のしようもねえが。だいいち、あの山は名まえから考えてもわかるように、えんぎのよくねえ山だ。わしもあの山だけは木を切らねえようにしているくらいだからな。むかしから、はだかにするとたたりがあるっていうんだよ。そんなこと知らなかったんだろうがね。」
「それは知りませんでしたが、たたりがあるというのはきいています。しかし前の杉林がなくなったから、木は切らなくても家はたてられます。」
「あんな不便なところへかね、道もないはずだが。」
「道はそのうちにつけます。」
「ずいぶんほれこんだもんだね。」
と、おやじさんは、もてあましたようにいった。
「なにか、たからでもでるんじゃねえかね。」
「たから? たからはどうか知りません。」
ぼくはちょっとおどろいて答えた。こぼしさまのことを、たからだと思えないこともない。すくなくとも、ぼくにとっては、たからにちがいなかった。しかし峯のおやじさんは、ひげづらでにやにやしていた。ぼくがあまりしんけんなので、からかってみたのだろう。
「おとっつあんはしょうちかね。」
「父は戦死して、いません。」
「そうか。そりゃたいへんだな。しかし、だれか家の人と相談しているんだろ。」
「だれにも相談してないんです」
「そいつはだめだ。山の一つも買おうというのに……。」
「いえ、つまり、ぼくがほんとうに買うのはもっと先の話なんです。いまは山を買うどころか、いもも買えません。きょうは、きゅうに思いたってお願いにきたんです。」
ぼくは、いまは買えないが、一人まえになって、かならずあの小山を買いたい思っていること、これは子どものころからの望みであること、したがって、何年か先に、買うだけ準備ができたとき、売ってもらえるかどうかそれだけがききたくて、とびこんできたものであることを、苦心して説明した。
おやじさんは、そのあいだ、だまってふんふんとうなずいていた。ぼくが本気であることは、話しかたを見ていてわかったのだと思う。やがてあきれたような口ぶりでいった。
「おまえさんもかわった人だね。だが話はよくわかった。わしとしてみれば、あの山はべつに売らなきゃならない理由もない。といって、売りたくないというほどの場所でもない。つまり、どっちかといえば、あってもなくてもいい山にはちがいないんだな。だから、おまえさんがそんなに気にいっているなら、そのときは相談にのってやろうじゃないか。ただし、あんまりあせらず、気長にやることだね。わしもゆっくり待ってやることにする。といっても、わしが生きているうちに相談にきてくれよ。」
峯のおやじさんは、そういって、「はっはっは。」と、おもしろそうにわらった。
その日、ぼくは、おみやげに、いもや野菜を、いやというほど持たされて、家へ帰った。その荷物は重かったが、ぼくの心はかるがると宙を舞うようだった。
そののち、峯のおやじさんとは、すっかり親しくなった。ぼくのことを、かわった人だなといったが、おやじさんもかなりかわっているほうだった。かわりもの同志で気があったのかもしれない。ぼくが、小山へはいる道をつけたいと思って、おやじさんに相談したときも、いっしょになって考えてくれた。
「そりゃ、やっぱり川のふちに作ったほうがいいぞ。山からいくのは、かえって遠まわりだもんな。右がわのやぶをかって、川岸をすこしけずってみたらどうだ。その先で、ちょっとした橋をかければいいだろう。なに、かまわんさ。ひまがあったら、手つだってもいい。」
「ぼくひとりでできると思います。」
ぼくはいそいで答えた。
「うん。それなら、そこらにある道具を使ったらいい。」
と、おやじさんはいった。ぼくはその新しい道にそって、ヒマラヤすぎの苗木を植えようと思った。これは、友人からわけてもらうやくそくになっていた。
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夏のはじめになって、ぼくは準備をととのえ、朝早く小山へやってきた。峯のうちからは、スコップと小さいくわをかりた。そして、用意してきた作業服に着かえ、段々岩の前から、道へ向かって仕事をはじめた。ひとりでできます、などといったが、どうして、なかなかたいへんな仕事だった。かまだけは、家から持ってきたのだが、これがちっとも切れないで、思わぬ時間がかかった。
やっとの思いでやぶを切りひらいたときには、昼をとうにすぎていた。ここで昼飯にして、午後からは、川にはいってくわをふるった。このほうがからだもらくで、仕事もはかどったが、それでも、川岸のふちに、ヒマラヤすぎの苗木を植えるころには、夕ぐれがせまっていた。
こんなに苦心して作った道も、幅は五十センチそこそこで、ひとりがやっと通れるだけだった。
すれちがう人もないだろうし、これで十分だと思った。橋をかける仕事が残ったが、とうぶんは岩の上にとびうつればいい。要するに、ぼくがいつまでも川の中ややぶの中を歩かなくてもすむようになればいいのだ。
苗木が十本ばかりあまったので、ぼくは小山にはいっていった。ついでに、小山の境をはっきりさせて、くいのかわりに植えておこうと思ったのだ。まず、がけの上にのぼって、二本植えた。南がわは、小山の前のくぼ地までふくめることにした。このくぼ地は、まわりの山からわくしみずで、いつでも水けがある。ぼくの計画では、ここをもうすこし深くほって、小山の前に、大きな池を作るつもりだった。そうすれば、この小山は、ぼくの作った道のほかは、入り口がなくなってしまうのだ。
小山を一まわりして、要所要所に苗木を植え終わったときは、もう、あたりがうす暗くなっていた。ぼくは、とりあえず、道具をかえしに峯のうちへ急いだ。まだ作業服のままだったが、いずみの水でゆっくりからだをふいてから、着がえようと思ったのだ。道がついたのだから、小山へ出入りするのも、いままでのように、めんどうではなくなった。
峯のおやじさんは、ちょうど田からあがってきたところで、まだ庭ではたらいていた。そして、ぼくのすがたを見てにこにこした。
「おう。どうだね。うまくできたかな。」
「できました。まる一日かかりましたよ。」
と、ぼくは元気よく答えた。
「そいつはよかった。あしたになったら、いってみようかな。」
そういって、おやじさんは、
「飯を食っていかねえか。ふろもあるぞ。」
と、ぼくをさそった。そういわれると、はらのむしがきゅうきゅういったが、めいわくをかけたくなかったので、ことわった。
「けっこうです。着がえを山においたままですから、すぐに帰ります。」
「そうか。それならちょっと待て。」
おやじさんは、ふりむいて、大声で家の人をよんだ。
「おい。にぎり飯を五つばかり、大いそぎでつくってくれ、お山の大将は、はらがへっているらしい。」
お山の大将≠ニは、ぼくのことだった。わらいなから、おばさんがひっこんで、やがて、つけものをそえたぼくの夕食が運ばれてきた。そして、
「歩きながらでも食えるだろう。わかいものが、はらをすかしているのはたまらねえからね。」
と、手わたしてくれた。ありがたく、ぼくはうけとって、山へ帰った。歩いていく正面から、大きな月がのぼりかけていた。
冷たいいずみの水で、からだじゅうをさっぱりとふき、かわいた落ち葉の上にこしをおろして食べた大きなにぎり飯は、まったくうまかった。
力仕事をしたあとの、こころよいつかれがでて、ぼくはぼんやりと月をながめていた。ときどき、やぶかがすごい音をたててとんできたが、それさえなければ、ひとねむりしていきたいところだった。うっかりやぶかをたたくと、つぶれたまめが、いつまでもひりひりした。
ぼくは手をのばして、ふきの葉を一まいとり、それをうちわのかわりにして、足もとをあおいだ。ふきのにおいが流れて、ぼくにむかしのことを思いださせた。
――トマトのおばあさんは、どうしたろう――。
そんなことをぼんやり考えながら、あたりの草むらを見るともなくながめていた。月あかりのとどかないところは、暗くてよく見えなかった。その暗い中で、ちかりと白いかげが走った。
思わずはっとして、ぼくは向きなおった。いつも感じる黒い小さなかげと、同じ動きだったのだ。白いと見えたのは、月の光でかがやいたのではないか。ぼくが顔をそちらへ向けると、また横のほうでちかりと動いた。そして、かれ葉が一まい、ゆっくりとうらがえしになるのが見えた。それを見ていると、いきなり、ぼくのうしろで、ばらばらっと、小石が山をころがりおりるような音がして、ぼくのせなかにこつんとあたった。手さぐりでひろいあげてみると、青い小さなガラス玉だった。
おどろいているぼくの目の前を、白い小さなかげが、きらきらと飛んだ。
とうとう出てきたな!
と、ぼくは息をのんだ。からだがひきしまるような気持ちだった。いつかは、こういうことが起こるにちがいないと思っていたが、とつぜんのことで、どうしていいかわからなかった。もしかしたら、ぼくのことを、おこっているのかもしれないという心配が、ちらっと頭の中をかすめた。小山にはいる道をつけたのが、こぼしさまには気にいらないのかもしれない。
とにかく、その小さなすがたを見きわめてやろうと、じっとからだをかたくしたまま、いっしんに目をこらした。そのうちに、小さなかげは、くるくるとぼくを中心にしてまわりはじめた。
はじめは光る輪のように、それからすこしずつゆっくりになって、三つばかりの点になった。そして、しだいに、小さな人の形がみとめられるようになり、やがて静かにとまった。
ぼくがたった一度だけ見たことのある、こぼしさまが三人いた。三センチそこそこの、まめつぶのようなかげが、そろそろと集まって、ひとかたまりになった。そのまま、じっとぼくのほうを見あげているようだった。
さあ、なにをはじめるんだろう。そう思ってながめていくうちに、むねがどきどきしてきた。しかしこぼしさまは、いつまで待っても動かなかった。
「きみたち――。」
思いきって声をかけると、そろって、しゅっととびさがった。びくびくしていたのは、ぼくだけではなかったのだ。どうやら、おこっているわけではないなと、ぼくはひと安心した。
「にげなくてもいいんだよ。なにもしないよ。」
返事はなかった。ことばがわからないのだろうか。日本語は通じないのかもしれないと思った。
「ぼくのいうことがわかるかい? わかったら答えてくれないか。」
声がしたような気がした。だがよくわからなかった。ぼくは地面に両手をついた。
こぼしさまは、草のかげを伝わって、するするっと近よってきた。そして、ぼくの目の下にあったふきの葉にかくれた。その葉をそっとめくってみると、あっという間に、ふたりが見えなくなった。残ったひとりは、ふきのくきにつかまったまま、ぼくを下から見かえした。月が、ま横からさしこんで、その勇敢なこぼしさまを照らしだしていた。
ズボンのようなものをはいていたが、上着は長く、ひざの下まであった。そして、糸のようなおびをしめていた。おびのはしがたれさがっていて、きらきらと光っていた。顔はあまり小さくてはっきりしなかったが、わかいこぼしさまのようだった。
この小さいわかものは、のびあがるようにして、こちらをねんいりにながめた。ぼくは顔がむずがゆくなるのをがまんしていた。やがて、わかものは、草の下からすっとでてきた。手をふって、なにかいったが、小さい声なのでききとれなかった。しかし、はじめてきくこぼしさまの声は、虫の羽音に似ていると思った。ぼくはかがみこんで耳をよせた。
「コンバンハ。」
「やあ!」
ぼくは、ちょっとあわてた。なにをいうのかと思ったら、こぼしさまは、ぼくにあいさつをしたのだ。
「よくでてきたな。なにもしないから、にげるんじゃないよ。」
「ニゲナイ……。」
小さな相手は、もう、すっかりおちついているようだった。
「なにか用かい。」
「ウン……。」
「どんなこと。」
わかものは、だまっていた。どういっていいか、考えているように見えた。
「さあ、なんでもいってごらん。ぼくのことは、よく知ってるんだろう。」
「ウン……。」
そして、まただまってしまった。長いこと、人目をさけてくらしてきたのだから、きゅうにはうちとけられないのかもしれないと思った。ぼくは、ゆっくり待つつもりになって、からだをらくにすわりなおした。月がかげって、ちょっとのあいだ、あたりが暗くなった。
いつのまにか、うしろにさがっていたふたりのこぼしさまも、そろそろと近づいてきた。そして、ぼくの目の前の石の上に、ならんでこしをおろした。三人とも同じように見えたが、よく見ると、あとからきたふたりのうち、ひとりはまるまるとふとっていた。もうひとりはまだ少年のようだった。ぼくはきょうだいかもしれないと思った。
[#挿絵(img\067.jpg)]
いくら待っても、こぼしさまはなかなか切りださなかった。だが、ぼくのほうには、ききたいことが山ほどもあった。そこで、こぼしさまを気らくにさせてやろうと思って、こちらからききはじめた。
「きみたちは、いつからここに住んでるの。」
しばらくして返事があった。
「オオムカシカラ。」
「ずっと?」
「アア。」
「何人ぐらいいるの。」
「タクサン……。ナンビャクニンモ……。」
心配するほどのこともなくこぼしさまは、ぼくがきくことには、すらすらとよく答えてくれた。
「きみたちは、ときどき、ぼくの近くにいたことがあるね。」
「アル。」
「なにをしていたんだい。」
「アレハネ。」
と、ふとったわかものがいった。
「シラベテイタンダ。」
「ぼくを?」
「アア。」
「なるほど。」
ぼくはうなずいた。むりもないことだった。それまで、だれも近よらなかった小山へ、たのしそうにやってくるやつがいたのだから、それがいったいどんな人間なのかわかるまで、こぼしさまにとっては心配の種になったことだろう。
「それなら、ねんのためにいっておくけど、ぼくがきみたちを知ったのは、もうずいぶん前のことだよ。子どものころに、一度見たこともある。」
「ソレハ、ワカッテイル。」
ぼくは、ゆっくりとうなずいた。
「ぼくは、そのときから、きみたちと友だちになりたかったんだよ。だから、きみたちのためにならないことは、いっさいしたくないんだ。もし気にいらないことでもあったら、えんりょなくいってもらいたいね。」
「ウム。」
三人のこぼしさまは、そろってうなずいた。そして中のひとりがなにかいった。ところが、ぼくには、「ルルルル。」としかきこえなかったのだ。ききかえそうとすると、すぐにいいなおしてくれた。
「コレカラ コノヤマヲ ドウスル ツモリ。」
「そのことかね。」
と、ぼくはいった。
「いつか買いとって、自分のものにするよ。それから小屋をたてて、ひとりで住んでみたいね……。」
わかものたちは、いいともわるいとも答えなかった。しかし、どこかほっとしたようすになったのが、よくわかった。出てきたのは、それをたしかめたかったのかもしれないと思った。
「はじめになにかいったのは、きみたちのことばだったのかい。」
「イヤ。」
と、三人は首をふった。
「オナジコトヲ イッタヨ……。ワシラハ ニンゲンヨリ ズット ハヤクチナンダ。ダカラ……。」
ぼくは感心してしまった。こぼしさまがすばしこいのは、手や足ばかりではなかったのだ。このぶんでは、頭のはたらきも、さぞ早いことだろうと思った。
「とにかく、これからは、きみたちも、安心して、ぼくの前に出てくることだね。いろいろ相談もしてみたいし、話もきいてみたいんだ。」
「デキレバ、ソウショウ。」
こぼしさまは、あいまいに答えた。ぼくが、もういちどねんをおそうとしたとき、いちばん小さなわかものが、また「ルルッ……。」といいかけて、大いそぎでいいなおした。
「ダレカガ、ワシラニ キガツクコトハ ナイカ。」
「それはだいじょうぶだろう。」
ぼくは考えながら答えた。
「きみたちさえ、すがたを見せなければ、だれも気がつくわけがないよ。もし、見たとしても、自分の目を信じないかもしれない。だから、もしぼくが、口をすっぱくして、きみたちのことを説明してやったとしたって、信用するやつはないと思うね。じょうだんをいっていると思うか、頭がどうかしていると思うか、どっちかだろうな。」
三人はだまって顔を見合わせていた。
[#挿絵(img\068069.jpg)]
「しかし、きみたちは、世の中に出ていって、みんなをあっといわせてやる気はないのかい。それだったら、ぼくはいっしょうけんめいに手つだってやるつもりだけど。」
「イヤ、ワシラハ ソンナコトシタクナイ。」
「それはそうかもしれない。」
「ソウトモ!」
ぼくが、なにげなくあいづちをうったのに、三人は、力をこめてそういった。こぼしさまは、かなり人間をきらっているようだった。ぼくはなんといっていいかわからずに、だまってしまった。
やがて、三人は石の上に立ちあがった。
「もういくのかい。」
「ミンナガマッテルンダ。」
「ちょっと待ってくれ。もう一つききたいことがある。」
ぼくはあわててひきとめた。
「きみたちは、コロボックルというものを知らないか。」
「コロ……?」
「コロボックルさ。」
ぼくはちょっとがっかりした。三人とも、顔を見合わせて首をふったからだ。
「そうかな。ぼくは、きみたちがコロボックルだと思っていたんだ。」
「ソウイエバ、キイタヨウナ コトバダナ。」
はじめの、勇敢なわかものが、ふと気がついたようにいった。ぼくは思わず力をこめていった。
「そうだよ。きっときいたことがあるはずだ。」
「イヤ、ヤハリ チガウヨウダ。ソノ コロボックルッテ、ナンダイ。」
「むかしの小人の名まえなんだよ。ぼくは、それがきみたちのことじゃないかと思っていたんだが。」
「フウン、オモシロソウダナ。」
ふとったわかものが、またこしをおろしそうになった。だが、すぐにまた立ちあがった。
「ソノ ハナシハ コンド キカセテ モラウヨ。コンヤハ モウ カエル。」
「そうか、ではそういうことにしよう。」
ぼくもあきらめて答えた。
手をふって、三人はふっと見えなくなった。あっけないほどの早さだった。
ぼくはまたひとりぼっちになった。あいかわらず小山は、明るい月の光でいっぱいだった。
ほっと、思わず長いため息がでた。
ずいぶん時間がたっているような気がしたが、うでどけいを見ると、いくらもすぎていなかった。いまあったことが、ゆめのようだった。しばらく気持ちがおちつくまで、ぼくはだまって月をながめていた。
にぎりしめていた右手をひらくと、じっとりあせばんだ手のひらに、青いガラス玉が一つあった。ぼくが子どものころにうずめたものにちがいなかった。
それから一週間ぐらいのあいだ、ぼくは熱にうかされた人のようだった。なにも食べたくなかったし、目のふちがほてって、足がふらふらした。あるいは、ほんとうに熱があったのかもしれない。
ぼくは、こぼしさまと会ったときのことを、はじめからおしまいまで、なんどもなんども頭の中でくりかえした。
ぼくとこぼしさまが、どんなことをどんな順序でしゃべったか、一つ一つねんいりに思いだしていたのだ。そして、こぼしさまが消えていったところまでくると、大いそぎでまた出てきたところへもどった。
とにかく、ぼくが小山の持ち主になることは、こぼしさまも反対していないようだった。しかし、それだけでなく、ぼくになにか用があるのかもしれないという気もした。それなら、もっといろいろなことをきいてみればよかったと、日がたつにつれて、だんだんくやしさがました。
こぼしさまがコロボックルを知らなかったのにも、すこしがっかりした。しかし、こぼしさまが知らないからといって、コロボックルの子孫ではないとはいえないと思った。これだって、もっとくわしく話しあえば、はっきりするかもしれなかった。
これからは、ときどき出てもいいようなことをいっていたが、いつくるだろうかと、ぼくはたのしみにしていた。しかし、こぼしさまはいっこうに現われなかった。ふと気がついてみると、小さな黒いかげも、その後はぴったり見えなくなった。ぼくをしらべなくてもよくなったためだろうか、それならば、さっさと出てきそうなものだと思った。
待ちきれなくなって、ぼくのほうから小山にいってみた。だが、いくらぼくがよびかけても、こぼしさまは出てこなかった。昼間は出にくいのかもしれないと思い、いつかのように、夜まで待ってみたが、やはり小山は静まりかえっていた。
そのうちに、ぼくもあきらめてしまった。こぼしさまは、よほどのことがなければ、人間の前には出てこないのにちがいない。ところが、ぼくにだけは特別だった。だから、そのうちにまた、ぼくがわすれたころになって、ひょこっとやってくるかもしれないのだ。そう考えて、やっと、ぼくはおちつきをとりもどした。
こぼしさまのことをあきらめたかわりに、ぼくはますます小山がほしくなった。なんとかして、一日も早く、自分のものにしたくなったのだ。といって、ぼくはあいかわらず一文なしだったから、おいそれと買うわけにはいかなかった。
そこで、ぼくは、小山を借りることを考えた。土地を借りて家をたてるのは、世間でもふつうの話だ。ぼくは小山を借りて、小屋をたてることにしたいと思った。
しかし、それもぼくにはなかなかむずかしい仕事だった。だいいち、峯のおやじさんがしょうちするかどうかわからなかった。小屋をたてるのだって、長い時間がかかるにちがいない。ぼくは一歩一歩進めていくしかないと思って、自分で計画をたてた。
やがて、一年ほどはすぐにすぎた。ぼくは学校を出て、小山のある町に新しく勤め先をみつけた。電気工事をする小さな会社だったが、ぼくはうれしかった。これで、いくらか、ぼくのくらしにもゆとりができるし、小山の近くに、毎日通ってくることになるからだった。
小山にも、もっとたびたび顔をだすことができるだろう。そうすれば、こぼしさまともまた会えるかもしれなかった。
ぼくは、勤め先がきまると、さっそく、峯のおやじさんのところへ出かけた。そして、小山を借りることについて、おそるおそる申しいれをした。おやじさんは、ぼくの話をきいて、首をふりふり答えた。
「いまだって、貸してあるようなもんだよ。おまえさんとは、やくそくもしてあるし、そう熱心なところをみると、いずれは売らなきゃなるまい。だから、はっきり貸してやるのもいいだろうな。ところで、まさか家をたてるというわけでもないんだろう。」
「もちろん、家はまだですが、小屋をたてようと思っています。」
「小屋を?」
「ええ。ぼくがねとまりできるような小屋がほしいんです。勤めもこの町にきめましたから。」
「ほう。」
と、おやじさんはまた首をふった。
「いけませんか。」
「いや、それはかまわんとは思うがね。ただ、むやみに山をあらすのは、気をつけたほうがいいぞ。わかい人は、そんなことを気にしないかもしれんが。まあ、さわらぬ神にたたりなしということもある。」
「気をつけます。」
ぼくは、さからわずにそう答えた。おやじさんは、鬼門山としてのいい伝えを、やはり信じているようだった。
そこで、ぼくとおやじさんは、こまかいとりきめをすることになった。そのときに、いつかぼくがお金の用意ができたときには、てきとうなねだんでゆずりわたすということを、あらためてつけくわえてもらった。
ぼくたちは、つれだって小山へ出かけ、境界をはっきりさせた。ぼくが前に植えたヒマラヤすぎが、一本もかれずに、しっかりと根をはっていたが、おやじさんは、それにはすこしも文句をつけなかった。
そのとき、ぼくが小山の前に大きな池をつくる話をすると、おやじさんはおもしろそうにいった。
「こいをかうんだな。こいはいいぞ。」
こうして、まがりなりにも、ぼくは小山を手にいれた。あんがい早く、子どものころからののぞみが、半分だけかなえられたわけだった。だが、仕事はこれからだった。
勤めにもなれると、ぼくはすこしずつ小屋をたてる準備にかかった。あちこちで、古材木や、焼けトタンを安く手にいれたり、家にあった大工道具をひっぱりだして、ひそかに手入れをしたり、ひとりで住むのに便利な、小屋の設計をしてみたり、小山の正確な地図を作ったり、なかなかいそがしかった。
やがて、小山のつばきが美しくさきはじめると、ぼくは、もうじっとしていられなくなった。いつかのように、峯のうちでスコップやくわを借りて小山へやってきた。小屋をたてる場所の地ならしをしようと思ったのだ。
春とはいえ、まだかなり寒かった。ぼくは、わざと草ぼうぼうにしてある三角平地にはいり、スコップをつきたてた。そして、ジャンパーをぬぎすて、仕事にかかる用意をした。
小屋をたてる位置は、まえからきめてあった。いずみのすぐうしろで、つばきの木の下だった。ここは、小山からこぶのようにつきでていて、小山の前に大きな池をほれば、ちょうど、みさきのように、水の上にうかぶようなすがたになるところだった。
ぼくは、いずみの前に立って、あたりを見まわした。もしかしたら、こぼしさまが出てこやしないかと思ったのだ。あれからは、もちろん一度も出てこないし、黒いかげも見なかった。ぼくのすることが、こぼしさまにわかっているのかどうか、ちょっと心配だった。
それで、こぼしさまにも、いよいよ小屋をたてはじめるのだということを、いちおうことわったほうがいいような気がした。ぼくは、小山に向かって声をかけた。
「おうい。きいてるかあ。」
耳をすましたが、べつに返事のようなものはなかった。しかし、気のせいか、つばきの木の下あたりで、やぶがさやさやと音をたてたような気がした。ぼくは、いきおいづいてつづけた。
「これから、そのへんへいって、すこしひっかきまわすぞ。いいかあ。いけないなら、いますぐ出てきてくれえ。」
また、やぶが動いた。こんどは、たしかに動いたと思って、ぼくはからだをのりだした。
そのとき、思いがけなく、つばきの木の上から、いきなりとびおりた人がいたのだ。
ぱあっと、あざやかなセーターの黄色が、目の中にとびこんできた。太いふちのめがねをかけたわかい女の人が、口をとがらして、ぼくをにらみつけた。
ぼくはもうすこしで、こしをぬかすところだった。だらしがないと、あとでは思ったが、そのときは、口がきけないほどびっくりしていた。そんなぼくの目の前で、女の人は、からだをひるがえすと小山のむこうがわへ、やぶの中をかけおりていった。あっというまのできごとだった。
[#挿絵(img\081.jpg)]
やっとのことで、ぼくはむねのどうきを静めた。小山の前へ出ていってのぞいてみたが、どこからどこへにげていったのか、もうその人のすがたはなかった。
やぶを分けて、つばきの木の下へいってみると、まだ半分くらいはいっているキャラメルが落ちていた。
――いったい、なにしにきたんだろう――。
そう思いながら、ぼくはつばきの木を見あげた。すると、中ほどのえだに、短い緑色の半コートがかけてあるのが見えた。
「こいつはいけない。」
ぼくは、大いそぎで、つばきの木にのぼった。女の人のにげていった方向を見たが、見あたらなかった。それでもぼくはよんでみた。
「おうい。わすれものだぞう。」
しかし、なんの返事もなかった。ぼくはあきらめて木からおり、その半コートをしらべてみた。ポケットの中には、くしゃくしゃになったはがきが一まいはいっていた。住所はこの町だった。なにげなく読んでみると、なかのいい友だちからでもきたものらしく、あの女の人ははがきの中で、さかんに、おちび、おちびとよばれていた。
ぼくは、きゅうにおかしくなってきた。おどろいたのは、ぼくよりも、こんな山へまぎれこんできた、あのおちびさんだったかもしれなかった。へんな男がやってきて、いきなりへんなことをよびかけたのだから、おどろかないほうが、どうかしていると思った。
ぼくは、ひとりでくすくすわらいだした。それがいつまでも、とまらなくてこまった。びっくりしてとびさがった自分のすがたを考えてみて、とうとうがまんができなくなり、大声をあげてわらった。そのわらい声が、小山いっぱいにひろがっていった。ぼくはすっかりおちつきをとりもどした。わすれものは、とどけてやってもいいし、あるいは、ここへおいておけば、とりにくるかもしれないと思った。
「さあ、仕事だ。」
ぼくは、手につばきをつけ、かまを力いっぱいふるった。
仕事はどんどんはかどった。きれいにやぶをかりとって、地ならしをするころには、ぼくは、シャツもぬいで、はだかになった。つばきの木の下は、まわりのやぶをすっかりとられて、まるで小山の横腹に、あなをあけたように見えた。やがてはそこへ、小屋がすっぽりとおさまるわけだ。ついでに、三角平地からいずみの横を通ってあがる段々もつけた。
いずみの水で手足をあらい、からだをふいて、ほっとひと休みした。
10
ふと、人の足音に気がついて、ぼくはふりかえった。もちの木の入り口に、黄色い色が動いたのだ。ぼくは思わずにやっとした。ぼくが帰ったころを見はからって、わすれものをとりにきたのにちがいなかった。
「どうぞ。」
そうよびかけると、すぐにかくれてしまった。だまっていれば、そのまま、またにげていきそうだった。ぼくは立ちあがって近よっていった。女の人は、ぼくの作った川ぞいの道を、ばたばたとかけていった。さっきはよくわからなかったが、スラックスをはいて、足にはゴムの雨ぐつをつけていた。
「おうい。」
ぼくは大声をだした。
「おうい。おちびさあん。」
女の人は、びくっと立ちどまった。
「これをとりにきたんでしょう。」
ぼくは、わらいながら、半コートをふりまわした。女の人は、なにかいいたそうな顔つきだった。だが、なにもいわなかった。ぼくはゆっくりと近づいた。
「さっきはおどかしてすみませんでした。でも、なぜにげるんです。」
「だって……。」
あまり似合わない赤いふちのめがねをおさえながら、おちびさんはまた口をとがらせた。なんとなく、子どもっぼいしぐさだった。鼻の頭にあせをかいていた。
[#挿絵(img\084.jpg)]
「木の上で、なにをしていました。」
ぼくは、できるだけ気軽な調子できいてみた。
「……本を読んでいました。」
「なるほど、そうすると、ここへはときどきくるんですか。」
きゅうに心配になって、ぼくはいった。つばきの木の上で本を読むというのは、ぼくがむかしよくやったことだった。この人が、そんなことまでしていたとすると、いままでになんどもきているのではないだろうか。しかし、おちびさんはそれに答えなかった。
「この山は、あなたの山でしょうか。」
「まあそうです。」
「では、もうこないことにします。」
「なぜです。」
おちびさんは首をふって、だまったまま手をだした。ぼくがコートを返してやると、その場で着こんだ。
「どうも、ありがとうございました。」
そういって、ていねいにおじぎをすると、まるで、こわいものからでも遠ざかるように、大いそぎで、かけていった。
ぼくは、やれやれと、もとのところへもどって、こしをおろした。キャラメルを口にほうりこんで、そういえば、このキャラメルも返さなければいけなかったな、と思った。
「しかし、うっかりはしていられないぞ。」
ぼくは自分にいいきかせた。考えてみると、おちびさんのような人が、いちばんこまるのだ。
ぼくと同じように、この小山が気にいって、むやみにはいってくるようになれば、こぼしさまだって、よけいな心配をするだろう。
ぼくは、小山を借りてよかったと思った。小山は、もうぼくの小山だ。こうなったら、小屋を作る計画は、もっと早く進めなければいけない。一日も早く小屋をたてて、だれにもはいられない静かな小山にしてしまおう。
ここをだれにもおかされないこぼしさまの国にしてやるのだ。そして、ぼくはその国の番人をひきうけよう。そうすれば、こぼしさまも安心して出てくることだろう。
ぼくは立ちあがって、いま地ならしがすんだばかりの、つばきの木の下へいってみた。そして、ことしの夏は、どうしてもここでくらせるようにしようと決心した。
その日の帰り道で、ひさしぶりに、目のわきを小さな黒いかげが走るのを見て、思わずぼくは声をあげた。こぼしさまは、またぼくのまわりに帰ってきたのだ。
――さては、ぼくがどうやって小屋をたてるのか、しらべはじめたな――。
ぼくは、こぼしさまが近くにもどってきたのが、うれしくてたまらなかった。
[#改ページ]
[#見出し] 第三章
[#見出し] 矢じるしの先っぽ
[#挿絵(img\087.jpg、横255×縦492、下寄せ)]
ぼくは、こぼしさまの黒いかげに見まもられながら、安心して小屋をたてる準備をすすめた。小山の上まですっかり材料を運びあげて、いつでも仕事にかかれる用意ができたのは、七月にはいってまもなくのことだった。
ぼくは、四、五日会社を休んで、いっきに作りあげるつもりだった。そのことを峯のおやじさんに話すと、おやじさんはおもしろがって、
「いそがしいときだが、わしも一日ぐらいは手つだってやろう。おまえもわしの家へとまって、仕事をしたらどうだい。そのほうがはかどるぞ。」
といってくれた。これは願ってもないことだった。ぼくはよろこんですすめにしたがった。そうすれば、朝早くから夜おそくまで、ゆっくりはたらくことができると思った。
いよいよ仕事をはじめてみると、峯のおやじさんは、大工にまけないようなうでまえだった。たった一日だけ手つだってくれたのだが、その日のうちに、がっしりした、りっぱな骨組みが、八分どおりできあがってしまった。
「ここまでできれば、あとはひとりでもできるだろう。こうやってみると、なかなかいいじゃないか。ちょっととり小屋みたいだが。」
夕がたになって、ひと休みしながら、おやじさんはそういってわらった。きゅうな片流れのやねから、ふたをあけたような、大きなまどがとびだしているという、ぼくの苦心の設計だった。
つぎの日から、ぼくはおやじさんの末っ子のボクチンを助手にして、こつこつと仕上げをした。この子は、ぼくがはじめて峯のうちにやってきたとき、いけがきのところで遊んでいた子だ。あのときは、まだ小さかったが、もう小学校の二年生だった。
ボクチンは、仕事を手つだいながら、ぼくに、おもしろい話をきかせてくれた。
「どうして、こんな山の中に家をたてるんだか、わかんないや。ぼくならいやだな。」
「なぜだい。」
ぼくは、手を休めずに相手になっていた。
「だって、この山にとまったりすると、きっと病気になっちゃうよ。」
「なんで。」
「むかしこの山の木を切った人が、みんなつんぼになっちゃったんだって。」
「へええ。それで、どうしたんだい。」
「おいしゃさまに耳の中を見てもらったら、石みたいなものがはいっていて、どうしてもとれなかったんだって。そんなことになったら、どうするの。」
「そりゃこまるよ。」
ぼくはわらいながらいった。こぼしさまのやりそうなことだと思って、おかしかった。
「そんな話を、だれにきいたの。」
「おかあちゃんさ。この山にはたたりがあるんだよ。わるい神さまがいるんだっていってたよ。」
ボクチンは、まゆをよせて小山をながめまわした。そのわるい神さまが、いまにもどこかから出てこやしないか、というような顔つきだった。
「よく気をつけることにしよう。つんぼになっちゃ、たいへんだからね。」
ぼくはそういって、ボクチンを安心させた。ほんとうは、そんなに心配しなくてもいいのだということを、もっとくわしく説明しようかとも考えた。しかし、こぼしさまがいやがるかもしれないと思って、やめておいた。
こうして、四日めに小屋はほとんどできあがった。見たところは、うすぎたなくて、峯のおやじさんがいったように、とり小屋そっくりだった。それでも、ぼくはまんぞくだった。
町から大きな南京じょうを買ってきて、かざりのように、入り口にとりつけた。どろばうよけというよりも、かってにはいってはいけないということが、わかればよかった。そのつもりで、わざわざりっぱなものをえらんだのだ。
ぼくは、小屋の前に立って、ひとりでにこにこした。こんどの休みには、ここへとまる用意をしてこようと思うと、むねがはずんだ。
それから二、三日あとのことだった。季節はずれの台風が近づいているということで、その日は夜にはいって雨がふりだした。
ぼくは、早くから横になったのに、なかなかねつかれなかった。
ぼくのへやは、物置きをつくりなおしたせまいへやで、中二階になっている。まどが一つあって、その前につくえがすえてあった。かべには小山のある町の、大きな地図がはってある。ぼくの小山は、その地図の上でさえ、さがさなければわからないほどだった。だから、そこには、大きな矢じるしを書きいれてある。
ぼくは、その地図を横目でながめながら、台風で、小屋がとばされるようなことにならなければいいと、ぼんやり考えていた。
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ぽとりと、まくらもとに、雨もりがしたようだった。起きあがって、てんじょうをながめてみたが、つづいて落ちてくるようすはなかった。ぼくは、あかりを消してねむろうと思い、スイッチの方へ手をのばした。
すると、いきなり目の前の本の上に、ポトンと音をたてて、青いものが落ちてきた。宝石のような小さいあまがえるだった。おどろいて、からだを起こしかけると、つづいて、ポトンともう一ぴきふってきた。ぼくはとび起きた。
まごまごして見ていると、二ひきのあまがえるは、ひょいとあと足で立ちあがった。そして、頭をうしろへはねのけた。それは、あまがえるの皮を着たこぼしさまだったのだ!
あまり思いがけなくて、ぼくはなんども目をこすった。こぼしさまは、もう出てこないものと思いこんでいたからだ。だが、まちがいなかった。
「消えないでくれ!」
ぼくはせきこんでいった。のどがつまって、かすれ声になった。
ふたりのこぼしさまは手をあげて答えた。ひとりは白いひげをはやした老人だった。もうひとりは、がっしりした強そうなわかもので、この前、いちばん先に口をきいたこぼしさまにちがいなかった。
「コンバンハ。」
と、そのわかものが、あげた手をふっていった。
「よくきてくれた。」
ぼくは、ほっとしながらいった。それでもまだ、早くしないとすぐいなくなってしまうような気がして、手早く身じたくをした。大いそぎでつくえの上にハンカチをしき、小さなお客さまのために、席をつくった。
ふたりは、一度、かべの下までさがり、そこからぴゅっといきおいをつけると、いっきにつくえの上までとびあがった。そしてゆっくりと、あまがえるの皮をぬいだ。
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ぼくはつくえの前にすわって、だまってふたりをながめた。こうして、明るいへやの中でこぼしさまを見ることは、もちろんぼくにもはじめてだった。
ふたりとも、きりっとした服装をしていた。上着のすそには、もようがふちどってあって、どこかアイヌを思わせた。足は、なんの皮か知らないが、白い長ぐつのようなものをはいていた。
「セイタカサン。」
と、わかものがぼくをよんだ。こぼしさまは、ぼくにそんな名まえをつけたようだった。
「ワシラノ セワヤクヲ ツレテキタヨ。」
「せわやく?」
「ソウ。」
「わかった。きみたちの世話役さんだね。」
ぼくは老人にむかって、あいさつをした。
「よくきてくれました。」
老人は、
「ルルルルッ。」
と、なにかいった。
「なんていったの。」
ぼくは小声でわかものにきいた。
「セイタカサント ナカヨシニナッテ ウレシイッテ。」
「おやおや。ぼくのほうがよっぽどうれしいよ。」
わかものがにこっとした。ぼくは、老人のほうに手をきしだした。老人は人さし指だけを、両手でかかえるようにつかみ、口をまげていった。
「ワシハ、モチノキノヒコ。」
「ヒコ老人ですね。どうぞよろしく。」
かわった名まえだなと思いながら、ぼくはあいさつをした。
老人は、また、
「ルルルッ。」
といった。ゆっくりしゃべるのは、にがてなようだった。
「コヤガ デキテ、ワシラモ ヒトアンシン。」
横から、わかものがかわってつたえた。
「ミンナマッテイタンダヨ。」
「なにを?」
「コヤガ デキルノヲサ。」
ぼくはなるほどと思った。こぼしさまが出てきたのも、小屋ができあがったのを見て、これからのことを、相談しにきたのだろうかと思った。
「それだったら、なぜもっと早く出てきてくれなかったんです、ヒコ老人。」
ぼくがたずねると、老人はしばらく口をもぐもぐ動かしていた。そして、そのままわらいながら、首を横にふった。たいしたことはないよというような、おちついたようすだった。
「それはとにかくとして……。」
ぼくは、ふたりから目をはなさずにいった。
「きょうは、ゆっくり話していってくれるだろうね。」
ふたりともうなずいた。そのつもりでやってきたのにちがいなかった。そこで、ぼくはあっさりと話をかえて、わかものの顔を見た。
「きみは、なんていう名まえ。」
「ワシハヒイラギノヒコ。」
「おや、きみもヒコかい。」
「ソウ、ワシラハ ミンナ ヒコダヨ。」
「女も?」
「オンナハヒメ。」
「なるほど。それで、頭には木の名まえがついてるんだね。」
「アア。」
「おもしろいな。」
ぼくは心からそう思った。目の前に、小山のすがたがふわりとうかんできた。
「ツバキノヒコもいるかい。」
「イルヨ。コノマエ セイタカサンモ、アッテルヨ。」
「あのまるいのかい。」
「チガウ。」
「それじゃ、まん中にいた小さいのだね。ぼくは、きみたち三人はきょうだいかと思っていた。」
「ミンナ キョウダイミタイダヨ。デモ、ツバキノヒコハ トクベツ ナカヨシ。」
「そうかい。あのまるいのは、なんていうの。」
「エノキノヒコ。アレモ ナカヨシ。アレハユカイダヨ。」
わかものはそういって、またつけくわえた。
「ワシラ サンニンガ、ユックリ シャベル レンシュウヲ サセラレタンダ。」
「へえ――ぼくのためにかい。」
「ソウ。コンドカラ、ワシラガ、チョイチョイヤッテクル。」
「うん。ぜひそうしてくれ。」
ぼくは、こぼしさまのしていることが、すこしずつわかっていくような気がした。長いあいだ、ぼくをしらべたうえに、三人のれんらく係まで用意していたのだ。
「ヒイラギノヒコに、エノキノヒコに、ツバキノヒコか。」
ぼくはつぶやいた。三人そろったら、こんがらがりそうだった。もっとなかよくなったら、べつのよびやすい名をつけてやろうと思った。
ぼくたちは、やっとくつろいだ気分になった。
ヒコ老人は、ゆったりとあぐらをかき、ヒイラギノヒコは、インクびんの上に、ちょこんと、こしをおろしていた。雨もわすれたように小ぶりになっていた。いつの間にか雨だれの音が間遠になっていた。
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「ところで、きみたちは、ぼくに、なにか用があるんじゃないかい。」
ぼくは思いきっていった。すると、老人がおもおもしくうなずいて、わかものに目であいずをした。ヒイラギノヒコは、インクびんから、ぽんととびおりた。そして、思いがけないことをいった。
「ワシラハ ミカタニナッテクレル ヒトガ ホシカッタンダ」
「味方に?」
「ソノトオリ。ワシラハ ズイブン マエカラ、セイタカサンヲ ネラッテイタ。」
ぼくはうなずいた。ヒイラギノヒコはそれを見て、なぜか、にやっとした。
こぼしさまは、長いあいだ、味方になれる人間をさがしたというのだ。
その人間というのは、こぼしさまが生きていることを、すなおに信じてくれる人で、つかまえて見せ物にしたり、標本にしようなどとは考えない人だという。そして、ぼくが、そのこぼしさまの考えていた人に、ぴったりだというらしかった。
そういわれてみると、なるほど、ぼくはそうかもしれないと思った。が、ぼくにはよくのみこめなかった。
こぼしさまは、なぜそんなことを思いたったのだろうか。なぜ味方≠ェいるのだろうか。こぼしさまには、どんな力があって、どんなことを知っているのか。
だいいち、あの小山で、どんなくらしかたをしているのだろう。これは、ぼくの子どものころからのなぞ≠ナもあった。ぼくは思わずからだをのりだした。
「ソノマエニ、ワシラノコトヲ クワシク ハナソウ。」
ヒイラギノヒコは、遠くからぼくを手でおさえて、インクびんの上にもどった。雨がまたふりだしていた。
いまのこぼしさまたちは、小山の地面の下に住んでいた。一か所にかたまっているのではなく、ほうぼうに、アパートのような町があり、町と町とのあいだは、りっぱな道でつないであった。その道には、街燈のように、くさった木がおいてある。くさった木からは、青いりんの光がでて、白いすなをしいたトンネルを照らしていた。だから、そういう木を集める係りがきめられている。
といっても、こぼしさまは火を知らないわけではないと、ヒイラギノヒコはいった。
もちろんマッチやライターはないが、むかしからつたわった方法て火を作ることができる。もしまにあわなければ、近くの農家のかまどへとんでいって、借りてくることもできるのだ。もっとも、たいていは、火種を残しておくから、その必要もなかった。
また、こぼしさまは、夏になると、短いあいだだが、地面の上に出てきてくらすこともある。そのときは、みんな高い木の上に住むという。
だが、小山からかってに外へ出て住むことは、ゆるされていなかった。仕事で出るときでも(たとえば、火を借りにいくときでさえ)、世話役さんまでとどけなければいけなかった。しかし、ゆるしがあれば、かなり遠くまで出ていくこともある。三日も四日もかかるような、長い旅をすることもあった。
ごくまれには、そうやって山から出ていったきり、帰ってこないものもあった。
「タブン『ネズミ』カ『モズ』ニ ヤラレタニ チガイナイノダガ……。」
と、ヒイラギノヒコはかなしそうにいった。
こぼしさまは、人間の目にとまらないほど早く動くことができる。それでもやはり、人の目をよけて動くことは、長くつづくとつかれるのだ。そんなときに、うっかりゆだんすると、とんでもない災難が見舞う。
どちらかというと、ねずみよりも、もずのほうが、こぼしさまにとってはおそろしい敵だった。このするどい口ばしをもった鳥は、石のように空からおそいかかってくるからだ。ただし、小山にいれば、どちらもまったく安心だった。見はりがいつでも立っているし、だいいち、もずもねずみも、小山には、けっして近よらなかった。
たくさんのこぼしさまが、いまはこうしてなかよく小山に住んでいる。ヒイラギノヒコは、きょうだいみたいだといったが、ほんとうにそうだった。あらそいもなく、もめごともほとんど起こらなかった。みんなが考えて、みんなできめたおきて≠ェあり、それにみんながしたがっていた。したがわなければ、自分たちのなかまぜんたいに、きっと大きなわざわいがふりかかってくるといわれていた。
「そのきみたちが、どうして、ぼくの前に出てきたんだい。おそらくおきても破ったんだろう。」
ぼくは、ふしぎに思ってきいてみた。ヒイラギノヒコは、ヒコ老人をふりかえって静かにうなずいた。
「ネズミヨリモ モズヨリモ、ワシラハ ニンゲンガ コワイノダ。」
「そうすると、ますますわからないな。」
ぼくだって人間なのに、といいかけて、ぼくはだまった。なんとなく責任があるような気がしたからだった。
「セイタカサン。」
と、ヒイラギのヒコがいった。
「ワシラモ、オオムカシハ モット ノンキデ、モット タノシカッタンダヨ。ニンゲンヲ コワガッタリ シナカッタンダ。」
ほんとうに大むかしの小山は、こぼしさまの天下だった。いずみのわきにたっていた小さなほこらは、こぼしさまにとってはひろすぎるくらいの集会所だった。まわりのふきの葉の下に、こぼしさまたちが気楽に走りまわっていたし、子どもたちは、いずみに木の葉をうかべて、船あそびをした。おとなたちは、近くの山へ狩りにでかけ、女の人は、日のあたるところでまゆから糸をつむいだ。地下の町には、ねむるときだけ、帰っていったものだった。
そんなこぼしさまを、地面の下へ追いこんだのは、らんぼうでよくばりの人間どもだった。
うわさをきき伝えたよそものが、こぼしさまをつかまえて、金もうけの種にしようとしたのだ。それも、ひとりやふたりではなかった。
多いときには、十人もでやってきた。村人にわかれば、追い帰されてしまうにきまっているから、そいつらは、みんなこっそりときて、こっそりと帰った。はじめのうちは、くまでや手あみをもって、めくらめっぽうにひっかきまわすだけだった。しかし、そんなことではこぼしさまがつかまらないことに気がついて、こんどは、わなをしかけたり、薬をつかったりするようになった。そのために、ひどいめにあったこぼしさまが何人かあった。それまで相手にしなかったこぼしさまも、とうとう、はらをたてた。小山にやってくる悪人たちは、かたっばしから目をつぶされたり、耳をふさがれたりした。そして、こぼしさまのほうも、もうけっして人の前にすがたをあらわさないことにしたのだ。
「そうして、きみたちはかくれてしまったんだな。」
と、ぼくはいった。
「ソレカラ ズットダヨ。」
ヒイラギノヒコは、おこったように答えた。
やがて、小山にはだれも近よらなくなった。そればかりか、人々からは、なんとなくこわがられるところになっていった。
まわりの山の雑木は、何年かたつと、すっかり切りとられて、はだかにされてしまう。しかし小山だけは残されるようになった。ときどきこぼしさまの話をおぼえている人が、手入れをしにきたり、子どもがまぎれこんできて遊んでいったりした。そんなときは、もちろんこぼしさまはなにもしなかった。
そうして、長いあいだ、こぼしさまはひっそりとくらしていくことができた。そのかわり、こぼしさまをおぼえている人も、だんだんすくなくなっていった。
「ココマデハ ヨカッタノサ。ハナシハ コレカラダヨ。」
ヒイラギノヒコはそういって、ぼくの顔をのぞきこんだ。
あるとき、町の植木屋が、山のつばきの木に目をつけた。そして、どう話をつけたのか、しばらくすると、ゆずってもらうことをきめ、手つだいのわかものを連れて、山へやってきた。この植木屋は、こぼしさまの話も知らなかったし、小山がおそろしいところだということなど、頭から信じなかったのだ。
「あのつばきは、ぼくもめだちすぎるような気がしたよ。花があんまりきれいだからな。」
と、ぼくはつぶやいた。
木を切られるくらいならいいが、大きなつばきの木を、根こそぎほりとられてはたまらないと思ったこぼしさまは、やむをえず、ひどいめにあわせて追いはらってしまった。やがて、その話がつたわると、小山の持ち主もこわくなって、つばきの木をゆずることはとりやめになった。
小山が、ほんとうにおそれられるようになったのは、このことがあってからだった。これは、静かにくらしたいというこぼしさまにとっては、むしろつごうがよかった。しかし、同時に、大きな心配も生まれてきたのだ。
世の中が進むにつれて、この植木屋のように、小山をこわがらない人は、ますますふえてくるだろう。そういう人に、いつかまた小山をあらされることになるかもしれない。つばきの木どころか、人間たちは、山の一つや二つ、ひっくりかえすこともやりかねない。そこで、そのときになってあわてないようにこぼしさまは、毎日しかえしの練習をした。きびしい見はりをおいたり、村人たちの考えをしらべたりすることも、そのときからはじめた。そんなことになったら、いっそのこと、引っ越してしまったほうがいいというものもあった。だが、できることなら、引っ越しはしたくなかった。近いところでは、また同じようなめにあうかもしれないし、もずやねずみの苦労もある。といって、あまり遠くでも、こまることがあった。こぼしさまは、自分たちの道具や、着物や、ときには食料まで、人間たちから手にいれていたからだ。
そのころはまた、小山の持ち主がよくかわった。なにかよくないことがあると、みんな小山のせいにして、売ってしまうのだ。こぼしさまは、そのたびに、山をとられやしないかと思ってひやひやした。
大むかしの村人のように、こぼしさまのことをよくわかってくれる人が、持ち主になってくれればいちばんいいと思った。そうすれば、こぼしさまのほうから出ていって、小山はもともと自分たちのものだということを、知らせることもできる。だが、そんなうまいことには、なりそうもなかった。
こぼしさまは、ただ心配しているばかりでは、どうにもならないと思った。そこで、自分たちの力で、こぼしさまの味方になってくれる人を、さがしだそうとした。おおぜいの中には、きっと、そういう人もいるにちがいないと思ったのだ。たったひとりでもいい。その人が、たとえどんなに力のない人でも、こぼしさまの考えていることを、ほかの人間につたえてくれるだけでもいいと思った。
こうしてこの願いは、世話役から世話役へと、代々申しおくられてきたのだ。
「それで、とうとうぼくが目にとまったんだな。」
「ソウダ。」
「いつごろのことだい。」
「ハジメカラサ。」
「はじめから?」
ぼくにはますます思いがけなかった。こぼしさまは、ぼくをしらべるのに、あきれるほど長い長い時間をかけていた。いつだったか、ぼくがこぼしさまの話を、トマトのおばあさんからきいたのを見て、これなら、だいじょうぶかもしれないと思ったという。
こぼしさまは、ちえをしぼったあげく、ぼくに一度だけすがたを見せることにした。そして、ぼくが大きくなってから、そのときのことをどう考えるようになるか、じっと待っていたのだ。もしぼくが、わすれてしまえばそれでもいい。おぼえていても、信じないようなら、これまでと同じように、出ていかなければいい。だから、ぼくがおとなになって、ふたたび小山へあらわれたとき、小山じゅうは大きわざになった。
「ちょっと待ってくれ。」
と、ぼくは口をはさんだ。
「きみたちのことをおぼえているのはいいが、追いまわすようになるとは考えなかったのかい。もちろん、ぼくはそんなつもりはなかったけどね。」
それまで、じっとだまっていたヒコ老人が、このとき、なにかいった。ヒイラギノヒコがつたえた。
「ソノシンパイハ ナイトオモッタ。ダガ、モシソウナラ ワシラニモ カンガエガ アッタ。」
「うむ。」
ぼくはうなった。ヒコ老人のいうことがよくわかったからだ。むかしのわるものと同じようなめにあわすというのだろう。
雨がまたはげしくなって、まどをたたいていた。
ぼくたちは、おたがいに顔を見あわせて、ほっと、ため息をついた。
ぼくは、つくえのひきだしをあけて、中から紙づつみを一つとりだした。ひろげていくと、古ぼけた小さな運動ぐつがころがりでた。
「この中に、きみたちのだれかがはいっていたんだよ。ぼくはそれを見たんだ。」
ヒコ老人が立ちあがってきた。そして、
「ルルルルッ。」
といいながら、自分を指さした。
「そうか! あのときは、ヒコ老人ものっていたのか!」
老人がにこにこしてうなずいた。そのころは、いまほど老人ではなかったのだぞと、うれしそうに身ぶりでいった。ふたりは思わず、また握手をかわした。ヒイラギノヒコは、それをおもしろそうにながめていた。ぼくは、やっとおちついた気持ちをとりもどした。
「じつをいうと、ぼくのほうでも、きみたちのことをしらべてみたんだ。こぼしさまとは、いったいなにものだろうと思ってね」
そういいながら、ぼくは小さなノートをとりだした。いつか、コロボックルのことをしらべたときのノートだった。
「ヒコ老人にうかがってみたいんですが、老人もやはり、コロボックル≠ニいう名まえは、きいたことがありませんか。」
すると、ヒコ老人は、しばらく考えてから、わかものに向かってなにかいった。わかものも、なにかそれに答えた。そしてぼくにいった。
「ワシラノコトハ、コロボウシ<gカコロボッチ<iドトモ イウンダソウダヨ。ヨクニテイルナ。」
「それだ。それにちがいない。」
ぼくは、思わず手をうった。
「コロボウシやコロボッチというのは、きっと、コロボックルがなまったことばだろう。これで、きみたちの先祖がコロボックルだということは、ほとんどまちがいないな。」
「チョットマッテ。」
ヒイラギのヒコは、首をかしげながらいった。
「ワシラノゴセンゾハ、『スクナヒコ』サマダヨ。」
「スクナヒコサマ?」
ぼくは目を見はった。スクナヒコさまというのは、日本の神話に出てくる、スクナヒコナノミコトにちがいないと思ったからだ。ぼくも、それには気がつかなかった。
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――むかしむかし、まだ日本に神々が住んでいたころ、オオクニヌシノミコト(大黒さま)が、このまめつぶのような小さな神さまにはじめてであったとき、どういう神さまだかわからなくて、がまがえるにきいてみた。がまも知らなかったが、「いつも見はりをしているかかしにきいてみたら、わかるかもしれません。」と答えた。そこでかかしにきいてみると、「あれは、スクナヒコナノミコトといわれるかしこい神さまです。」と答えた。そこで大黒さまは、ていねいにその小さな神さまをおむかえして、いっしょに国をおさめたという――。
そのスクナヒコナノミコトは、なるほどこぼしさまの先祖にはふさわしい神さまだった。大黒さまにであったときも、火虫(が)の皮で作った衣を着て、豆のさやのようなものを船にして出てきたのだ。
そのときぼくは、おやっと思った。
この神さまは、なにを船に使ったのだろう。豆のさやのようなもの、というのは、もしかしたら、コロボックルと同じように、かがいものさやではないのか――。
ぼくはいそいで本だなの前へいって、あちこちとさがしはじめた。たしかそういう話の書いてある本があったはずだった。
「わかった!」
ぼくは見つけだした本をひらいたまま、大きな声でこぼしさまにいった。小さなふたりは、おどろいてとびさがった。
「しっけい。おどかすつもりじゃなかったんだ。たったいまわかったんだが、きみたちは、やっぱりコロボックルだと思う。というのは、きみたちのスクナヒコさまが、そもそもコロボックルだったような気がするんだよ。」
スクナヒコナノミコトののっていた船は、やはりかがいもの実のさやだった。両方とも、同じ船を使っているのだ。そうすると、こぼしさまの先祖のスクナヒコナノミコトも、もともとはコロボックルだったのではないか。アイヌはコロボックルとして伝え、日本の神話ではスクナヒコナノミコトになったのかもしれない。ぼくはそう考えたのだ。
ヒコ老人が手をふって、ぜひその話をきかせてくれとあいずした。
ぼくは、自分でもおもしろくなって、ノートと本をとりあげた。ふたりとも、目を輝かせてぼくの説明をきいていた。
「ナルホド、タシカニ ワシラハ コロボックル ラシイネ。」
ヒイラギノヒコは、ぼくが話しおわるとそういって、ヒコ老人と、なんどもうなずきあった。
「どうもそうらしい。きみたちは、古い歴史のある、コロボックルにちがいないようだ。」
ぼくは、なんとなく重荷をおろしたような気持ちになっていった。こぼしさまが、すなおにぼくの考えをうけいれてくれたのが、うれしくてたまらなかった。
夜は、だいぶふけていた。雨もあいかわらずふっていた。ぼくは、ふたりにとまっていくようにすすめたが、小山までひと息でかけぬけるから、心配はないということだった。
ふたりは、立ちあがって、あまがえるの皮を着た。頭をかぶると、どこから見てもあまがえるとしか見えなかった。
「では、気をつけていきたまえ。」
「ウン。」
「きみの友だちにもよろしく。こんどは三人いっしょにこないか。」
「ウン。セイタカサンモ、ハヤク、ヤマへオイデ。」
「いくとも。」
ぼくたちは、別れのあいさつをかわした。二ひきの小さなあまがえるは、ぼくがあけたまどから、まっ暗な雨の中に、しゅっと見えなくなった。ぼくは雨のしぶきをあびながら、しばらく顔をだして見送っていた。風がすこし出てきたようだった。
こうして、ぼくはやっとコロボックルを知ったのだ。ところが、どういうわけか、ぼくはその夜、自分でもびっくりするほど、ぐっすりとよくねむった。
はげしい台風がすぎて、ぼくの会社ではしばらくいそがしい日がつづいた。台風のおかげで、ひきうけていた工事の予定が、すっかりくるってしまったからだ。
いつもは、外の仕事に出ないぼくまで、とうとうかりだされることになった。どこかの幼稚園へいって、たのまれていた工事の、下しらべをしてこいということだった。きいてみると、その幼稚園は、小山へいく道の近くにあった。ぼくは、すこし早めに会社を出て、先にちょっと小山をのぞいてみようと思った。あらしでどうなったか心配していたのだが、それまでいくひまがなかったのだ。
小屋はしっかりしていた。峯のおやじさんのうでは、たいしたもんだと、あらためて感心してしまった。
小屋をながめているぼくの肩へ、ヒイラギノヒコがとんできて、ぼくをおどろかせた。すっかりうちとけたようすで、近いうちに、ぼくの家へいってもいいかと、耳もとでいった。
「いいとも、待っているよ。」
ぼくがそう答えると、すぐに見えなくなった。ぼくのほうも、大いそぎで小山から幼稚園へまわった。
子どもたちは、もう帰ったあととみえて、新しいクリーム色の建物は、ひっそりとしていた。玄関に立って声をかけると、わかい女の先生が出てきた。ぼくは、会社の名まえをいって、中を見せてくれるようにたのんだ。
その先生が、ひっこむと、ふとった女の先生が顔を出した。園長先生だった。
「おい、ずいぶんひまがかかったんだねえ。」
と、園長先生は、男のようながらがら声でいった。ぼくは、まわり道したのがわかったのかと思って、びっくりした。
「もう十日も前にたのんだんだよ。こまるじゃないか。こっちはいそいでるんだから。」
「すみませんでした。」
ほっとしながら、ぼくは答えた。おそいというのは、そのためだったのだ。
「なにしろ台風があったもんで、仕事の予定がくるったんです。あすからすぐにかかるようにします。」
「そうしておくれ。」
園長先生は、あんがいあっさりといって、案内してくれた。ぼくは、図面とてらしあわせたり、略図をかいたり、長さをはかったりして、しばらく仕事にかかりきりだった。さきほどのわかい先生が、そばに残って、てつだってくれた。
「あらっ」
と、とつぜん、その先生が声をあげた。
「どうかしましたか。」
「あの、いいえ。やっと思いだしたの。」
そういって、おかしそうにくすりとわらった。
「おぼえていませんか。」
「なにをです?」
「あなたは、山の制多迦童子《せいたかどうじ》さんでしょ」
「山のなんですって?」
「せいたかどうじ。そんな感じだったわ。」
きょとんとしていると、先生は、わらいながらいった。
「わたしのあだ名も知ってらしたくせに、もうわすれたんですか。はじめはほんとに神通力があるのかと思ったの。……でも、ポケットに、はがきがはいっていたのね。」
「なあんだ。きみだったのか。」
ぼくもおかしくなった。いつか、小山へはいりこんで、ぼくにキャラメルを残していってくれたおちびさんだった。とんでもないところで会うものだと思って、少々あきれていった。
[#挿絵(img\115.jpg)]
「きみは、幼稚園の先生だったのか。」
「そう。きみは、電気やさんだったのか。」
おちびさんは、ぼくの口まねをして、また声をたててわらった。
「めがねをかけていないんで、わからなかった。」
「ええ。あれは、本を読むときだけ。目はそんなにわるくないのよ。」
「でも、あとからきたときもかけていたよ。」
「あのときは、変相のつもりよ。顔を見られるのがこわかったから……。」
「なるほど。」
「あのとき、わたしがいるのがわかっていて、おどかしたの? それとも……。」
「いや。それはちがう。」
ぼくは、思わず力をこめていった。
「つまり、だれか人がいるような気がしたのさ。」
「そうかしら。それにしても――。」
おちび先生は、なにかいいかけてやめた。
「よわったな。とにかく、ぼくはおどかすつもりなんかなかったんだ。きみのほうが、かってにおどろいたんだよ。」
「かってにおどろくなんて――。でも、まあいいわ。コートをかえしてくれたから、ゆるしてあげるわ。」
おちびさんは、にこにこした。しかし、ぼくは、ちょっと気になることがあった。コロボックル――こぼしさまのことを、ぼくはそうよぶことにした――は、ぼくのことを、「セイタカサン」とよんでいる。このおちび先生は、いま制多迦童子≠ニいった。これはたしか、仏教のお経にでてくる人の名だ。知っているはずはないと思ったが、あまり似かよっているので、気になった。
「あの山はすきですか。」
「ええ。」
「あれからも、いったことある?」
「あのあとは、一度も。」
ぼくはうなずいた。そうすると、小屋をたてたことも知らないわけだ。それを教えようかどうしようかとまよっていると、おちび先生がいった。
「あの山、ちょっとふしぎな山だと思わない?」
「ふしぎ?」
「ええ、ふしぎなところよ。わたし、そう思って、前にはよくいったのよ。」
ぼくは、どきんとした。だが、できるだけへいきな顔をしてきいた。
「なぜ、ふしぎなんです。」
「なぜって、――うまくいえないわ。」
おちび先生は、ことばをにごしたまま、なにもいわなかった。ぼくは、それがどういうことなのか、もうすこしくわしくきこうとした。
そのとき、園長先生がはいってきた。
「きみたち、仕事がすんだら、お茶にしなさい。」
おちび先生は、ちょっと肩をすくめて、そのまま、お茶のしたくにいってしまった。
それっきり、ぼくたちは、ゆっくり話をするおりがなかった。お茶をのみながら、園長先生は、ぼくを相手にひとりでおしゃべりをした。そのあいだ、おちび先生はほとんど口をはさまず、だまってにこにこしていたのだ。ぼくがとけいを見て、あわてて立ちあがったときも、園長先生が、わざわざ玄関まで送ってきてくれた。ぼくは、心残りのまま、帰らなければならなかった。
それから二、三日のあいだ、このことは、ぼくの頭にひっかかっていた。しかし、いそがしさにまぎれて、とうとうそのままになった。
コロボックルの三人が、そろってぼくをたずねてきたのは、そのころのことだった。夜おそくまで、つくえに向かっていたぼくは、ピーッというかすかな口ぶえに気がついて、やってきたな、と思った。コロボックルが、ぼくの前にあらわれるときには、かならず、ぼくにだけきこえるような、あいずを送ってよこした。これは、その後もずっとそうだった。
「やあ。」
と、ぼくは顔をあげた。目の前には、ヒイラギノヒコと、ふとったエノキノヒコと、小さなツバキノヒコがならんで立っていた。エノキノヒコが、しかめっつらをしながら、いきなりいった。
「セイタカサン。ワシノコトヲ、『デブ』ッテイッタカイ?」
「おや、だれかがつげ口したな。」
ぼくがにやにやしながらそういうと、ヒイラギノヒコが、うしろのほうで、おもしろそうにわらい声をたてた。
「ぼくは、でぶなんていわなかったよ。ただ、『まるいの』っていったんだよ。」
「ホラミロ。」
と、エノキノヒコは、わらっているヒイラギノヒコをつきとばした。
「セイタカサンハ ソンナコト イウハズガナイ。」
「そうとも。」
小さいツバキノヒコが、うしろから「ルルルッ。」といった。「でぶ」も「まるいの」も同じようなものだといったようだった。エノキノヒコもなにかいいかえした。そして、きゅうにまじめになって、あらためてぼくにあいさつをした。
「エノキノデブ[#「デブ」に傍点]デス。」
ぼくは、思わずふきだした。
「ミンナ ソウヨビマス。セイタカサンモドウゾ。」
ツバキノヒコも、つづいて自分で名のった。
このコロボックルはよく見ると、人形のような美しい顔をしていた。少年というよりも、少女といったほうがいいくらいだった。ぼくは、ちょっとおどろいた。このまえ月の光で見たときは、気がつかなかった。
「きみも、ほかに、みんなからよばれている名まえがあるの。」
「キムズカシヤ。」
「気むずかしや?」
ゆかいなエノキノデブちゃんが説明した。
「コイツハ、アタマガ ワルインダ。ダカラ ヒトノ イウコトガ スグニワカラナイデ、ナンカイデモ イワセル。ソシテ モンクヲツケル。」
「それは、ほんとの話かい。」
ぼくが、本人にききかえすと、ツバキノヒコは、だまって、にこにこしていた。ヒイラギノヒコが、いまデブがいったのは、ちょうど正反対なのだ、といいなおした。気むずかしやといわれるのは、ふだんは、あまりしゃべらないくせに、いざとなると、自分の考えを、なかなかゆずらないからだといった。
「それで、ヒイラギノヒコは、なんてよばれてるんだい。」
ぼくは、おもしろくなって、きいてみた。しかし、ヒイラギノヒコは、こまったように首をふった。
「ワシハ――ナイ。」
「ヒイラギノヒコハ ヒイラギノヒコダヨ。」
横から、デブちゃんがいった。
[#挿絵(img\121.jpg)]
三人には、べつの名まえをつけてやろうかと思っていたが、その心配はいらないようだった。ぼくたちは、まるで、古くからの友だちのような気分で、いっぺんになかよくなってしまった。エノキノデブちゃんは、ぼくがそれまで読んでいた本の上にねそべり、ヒイラギノヒコは、この前のようにインクびんにこしをかけた。かわいい気むずかしやは、つくえの上をぶらぶらと歩いて、めずらしそうに、あちこちをのぞきこんでいた。そして、かべにはってあった地図を見て、ぼくにきいた。
「コレハナンダイ。」
「小山のあたりの地図だよ。」
「へエー、ヤマハ ドコニアルノ。」
「そこに、矢じるしが書いてあるだろう。その先っぽさ。」
「コンナニチイサイノカイ。」
「そうなんだ。だが、その矢じるしの先っぽは、きみたちの国だよ。ぼくは、小山に新しいコロボックルの国をつくろうと思っているんだ。小さくとも美しい静かな国をね。」
「ウン。イイハナシダ。」
エノキノデブちゃんが、目をくりくりさせながら、立ちあがってきた。ぼくはすこしとくいになってつづけた。
「矢じるしの先っぽの小さな国だよ。いずれ、ヒコ老人とも相談して、きちんとした国にしたいね。そうしたら、まず、コロボックルの学校をつくるつもりさ。」
「ガッコウ?」
「そう。きみたちだって、人間の知っていることは、知っておいたほうがいいだろう。」
「ダレガ オシエルンダイ。」
「ぼくが、きみたちに教えるから、きみたちが先生になればいい。」
「スゴイ。」
エノキノデブちゃんは、とんぼがえりをうった。五十センチもとびあがって、空中で、こまのようにまわった。ふとっていても、さすがに身軽なものだった。
先生ということばで思いだしたことがあった。もしかしたら、このコロボックルたちが、幼稚園のおちび先生のことを、くわしく知っているかもしれないと思ったのだ。
「きみたちに、ぜひきいてみたいことがあるんだ。ほら、ぼくが、小屋をたてるんで、地ならしにいったことがあったろう。あのとき、出あった女の人をおぼえているかい。」
「ウン。」
三人は、そろってうなずいた。
「あの人は、そのまえにも、よくひとりできたそうだね。」
「アア。ソレデ、イツカ セワヤクサンガ、シンパイシテイタ コトガアル。」
「なぜ」
ぼくは、からだをのりだした。
「ナンベンモキタカラ。」
ヒイラギノヒコは、あっさりと答えた。いつもひとりできては、長いこと本を読んだり、ノートになにか書きこんだりしていたので、コロボックルも気にしてはいたのだそうだ。しかし、それだけのことで、べつにとりたてていうほどのこともなかったらしい。
ぼくは、かいつまんで、おちび先生にあった話をしてきかせた。三人とも、まじめな顔つきできいていた。
「ところが、その人は、小山のことをふしぎな場所だっていうんだ。きみたちに、なにか思いあたることでもないかな。たとえば、うっかりすがたを見られたとか――。」
三人は、顔を見合わせて、こんどは、そろって首を横にふった。コロボックルが、そんなへまをするはずはないというのだ。よほど、むずかしい仕事でもしていないかぎり、すがたを見られることはないし、小山に人がきているときなど、そんな仕事をするわけもないといった。
エノキノデブちゃんは、のんきそうにつぶやいた。
「ナントナク フシギダトオモッタダケダヨ。キット。」
「それはそうかもしれない。だが、そうだとすると、ちょっとこわいほど勘がいいってことになる。」
「ワシノカンガエデハ――。」
と、ツバキノヒコが、ゆっくりと口を入れた。
「ワシラノ オオムカシノ ハナシヲ、ドコカデ キイテキタンジャナイカナ。」
「なるほどね。」
ぼくも、それは考えられると思った。ぼくがトマトのおばあさんから、こぼしさまの話をきいたように、おちび先生も、だれかから、似たような話をきいているのかもしれなかった。
あれだけおもしろい話だから、すっかり消えてなくなったようでも、どこかに、まだ語りつたえている人が、いるかもしれないのだ。
そうすると、あのおちび先生は、やはり小山のひみつに感づいているのだろうか。あるいは、エノキノデブちゃんがいうように、なにも知らないで、なんとなく感じただけなのかもしれない。とにかく、ふしぎな場所だと思っていることだけは、たしかだった。
――なんとかして、はっきりたしかめないといけないな――と、ぼくは考えた。
もしかすると、おちび先生という人は、ぼくと同じように、コロボックルの味方になれる人なのかもしれないと思った。そう考えると、また気になってきた。
だいたい、そんな人が、ぼくのほかにもいるとは、ちょっと信じられないようなことだった。それがもしいるとなると、ぼくもコロボックルも、かえってめんくらってしまうのだ。
ぼくは、思いきって、三人のヒコに向かっていった。
「きみたち、ヒコ老人と相談して、あの人をしらべてみてくれないか。どういうわけで、あの小山をふしぎだと思ったのか、古い話を知っているなら、どうして知ったのか、その話をどう思っているか、つまり、ぼくをしらべたように、しらべてほしいんだ。」
「ソレデ?」
ヒイラギノヒコが、のり出してきた。
「うまくいけば、もうひとり、きみたちの味方がふえるかもしれない。」
「ホントカイ。」
「うまくいけばの話さ。ぼくも、こんど会ったらきいてみるつもりだが、うっかりすると、やぶへびになるかもしれないんだ。」
そういいながら、この前会ったときのおちびさんの顔を思いだした。ことばをにごして、ぼくをさぐるような目つきをしたっけ……。
「ヨシキタ。」
エノキノヒコが、元気な声をあげた。
「コンドハ セイタカサンガ テツダッテクレルカラ ラクダナ。」
「いや、ぼくはあてにしないほうがいい。きみたちが気にいらなければ、ぼくはなにもしないでいよう。さいごにきめるのは、やはりきみたちだからね。」
「ワカッタ。」
三人とも、すっかりはりきっていた。ぼくたちは、時間のたつのもわすれて、しばらくのあいだは新しい仕事のことを話しあった。これが、ぼくとコロボックルとで、ひとつの仕事の相談をした、いちばんはじめだった。
やがて、帰るときになると、ヒライギノヒコが、かべの地図を指さしていった。
「アレハ、ヤマへ モッテキテ ホシイナ。」
「気にいったようだね。」
「ワシラノクニダカラネ。」
「よし。小屋のかべにも、同じものをはることにしよう。」
ぼくは、大きくうなずいた。
「ヤジルシノサキッポノクニ。」
かわいい気むずかしやが、味わうようにつぶやいた。
しばらくたったある暑い日だった。ぼくは、リュックサックをかつぎ、ちょうどキャンプに出かけるようなかっこうで、小山へやってきた。一ばんだけ、小山ですごしてみようと思ったのだ。
もちろん小屋は、まだここでくらすほどには、きちんとしていなかった。だが、コロボックルもしきりにすすめるし、せっかくたてた小屋だから、ぼくとしても、一日でも早く小山にとまってみたかった。
小山は、ぼくがやってきても、しいんとしていた。コロボックルたちは、どこかで見ているにちがいないが、すがたを見せなかった。三人のヒコも出てこなかった。
――ひるねでもしているのかな――。
ぼくはそう考えただけで、たいして気にもかけずにリュックサックをおろして、小屋のかぎをがちゃがちゃとあけた。くつをはいたまま、うす暗い小屋の中にはいっていって、まどをあけようとした。ガラスが手にはいらないので、まだかりに板戸がつけてあるのだ。
そのとき、足もとでサーッという、ほうきでゆかをはくような音がした。さてはと思って、まどをいきおいよくおしあけた。
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いっぺんに明るくなった小屋の中には、コロボックルたちが、びっくりするほどたくさんかくれていた。ゆかの上ばかりでなく、戸のはいっていない戸だなの中にも、その上にあるぼくのねどこの上にも、びっしりとならんでいた。
あっけにとられていると、耳もとで声がした。
「オドロイタカイ。」
いつのまにか、ヒイラギノヒコが、肩の上にのっていた。ぼくはうなずきながら、手をふって、みんなにあいさつをした。よく見ると、コロボックルは、みんなわらっていた。
「デハマタアトデ。」
ヒイラギノヒコがささやいて、ゆかの上にとびおりた。
ササーッと、またほうきの音がして、コロボックルは、目の前からするすると消えていった。ほんとうに見えない魔法のほうきが動いて、コロボックルを戸口のほうへはきよせていくようだった。小屋の中は、たちまちきれいにからっぽになってしまった。これがコロボックルの歓迎のあいさつだった。
さすがのぼくも、目をぱちぱちさせた。すずしい風が、小屋をふきぬけていった。
ぼくは、夕がたまでいそがしくはたらいた。小屋をそうじしたり、まどにあみをはったり、たきぎをさがしたり、仕事はいくらでもあった。明るいうちに、峯のうちへもちょっと顔を出した。ボクチンがいて、ぼくをおどかすようにいった。
「まものに食べられちゃっても、知らないぞ。」
「へいきだよ。ボクチン、いっしょにとまらないか。」
「いやだ。」
ボクチンは、目をむいて、にげていった。
ぼくは、峯のうちから、木のあきばこを二つかりてきた。これが、こしかけにもなるし、つくえにもなった。
夕がたになると、外ですいじをし、ひとりでのんびりと食事をした。そして、冬になるまでには、いろりを切って、えんとつをつけようと思った。
やがて、ぼくは手製のカンテラをとりだして、あかりをともした。その光で、あらためて小屋の中をながめてみたが、住みごこちはよさそうだった。ぼくはまんぞくした気持ちで、あきばこの上にこしをおろした。
まどべにひじをつき、かべによりかかって、長いこと、ぼくはぼんやりしていた。小山の前にほる池のことを考えていたのだ。池ができたら、その水に小山がうつって、さぞ美しいだろうと思った。
ふと、せなかをこづかれて、ぼくはびっくりした。かべのそこには、小さな節あながあった。そこから、ゆかいなエノキノデブちゃんが、むりやりに出てこようとしていた。半分だけはなんとか出たが、おなかがひっかかって、ばたばたした。やっとぬけだしたものの、デブちゃんは、へやの中にころげおちた。
「どうして、また、そんなむりなところからやってくるんだい。もっと大きい節あなだってあるのに。」
「チカミチサ。」
デブちゃんは、けろりとしてそう答えた。そのとき、同じ節あなから、気むずかしやがとびだしてきた。つづいて、ヒコ老人もでてきた。そのつぎは、ぼくの知らないわかい女のコロボックルだった。さいごに、ヒイラギノヒコがとびおりた。ぼくはいそいで、もうひとつの木ばこを立てて席をつくってやった。
ヒコ老人は、ぼくとあいさつをすますと、もうずっと小屋に住むようになるのかときいた。そうしたいのはやまやまなのだが、とうぶんのあいだは、まだむずかしいと、ぼくは答えた。
ヒコ老人はうなずいて、なにかぼくにわたしてくれた。一センチにもたりないような、小さい小さい短剣だった。なかよくなったしるしに、さしあげるというのだ。ぼくは、指先でそっとつまんで、カンテラのあかりの下へいってみた。小さいながら、宝石がちりばめてあるらしく、きらきらと美しく光った。ぼくは、ヒイラギノヒコをよんだ。
「ちょっと、ぬいてみせてくれないか。ぼくがやると、こわすかもしれない。」
ヒイラギノヒコは、すぐに手のひらの上で、短剣をぬいてみせた。そして、これはヒコ老人の家につたわる、たからものなのだ、といった。ぼくは、ヒコ老人に心からお礼をいった。
「ぼくのおまもりにしますよ。たいせつに持って歩くことにしましょう。」
そして、紙につつんで、むねポケットにしまった。
いっしょにきていた女のコロボックルは、ハギノヒメといった。とくにえらばれて、おちび先生をしらべる役についたということだった。コロボックルたちは、さっそく仕事にとりかかっていたのだ。
ハギノヒメ――おハギちゃん――は、男まさりのすばしこいコロボックルなのだそうだ。まだゆっくりしゃべるのはへただったが、なにかあったら、ぼくにも知らせるといって、にっこりした。
ぼくたちは、それからもしばらくおしゃべりをした。おもに、コロボックルの国をつくる話だった。おもしろいことに、コロボックルたちは、小山のことを、さかんに矢じるしの先っぽ≠ニよんだ。いつのまにか、そういう名まえがついてしまったようだった。
10
それからのち、ぼくは、ほとんど三日に一度のわりあいで、小屋にとまった。そして、いよいよ池をほりはじめた。ところが思ったより土がかたくて、一日はたらいても、まるで、いぬがひっかいたくらいしか、進まなかった。これにはいささかうんざりだった。そのかわり、できあがってしまえば、きっと水のもらない、いい池になるだろうと思った。
小山にとまるたびに、小屋の中には道具がふえていった。いすやつくえは板きれで作ったし、こまごまとしたものは、家から持ってきたり、町で買ったりして、いつのまにかたまってしまった。
ヒイラギノヒコとやくそくした地図も、ぼくのへやにあるのと同じものをかべにはった。矢じるしも同じように書き入れた。そのとなりに、ぼくが作った小山の地図をがくに入れてかざった。こうして、小屋はますますいごこちのいいところになっていった。そうなると、ぼくは小山から会社に出かけて、また小山に帰ってきてしまうこともたびたびあった。
コロボックルたちは、小屋を城≠ニよんだ。そして、ぼくがいないときは自由に出入りした。ちょうど、大むかしのほこら≠フ役めをするようになったのだ。エノキノデブちゃんがみつけた節あなは、いつのまにかコロボックルのための出入口になった。もちろんぼくは、ナイフであなをすこしひろげて、デブちゃんにもらくに通れるようにしてやった。
その後は、おちび先生もやってこなかったが、そのことは、コロボックルにまかせたまま、ばくは国づくりにむちゅうだった。おちび先生にかぎらず、小山には、ほとんどだれもたずねる人がなかった。たまに、めずらしがって村の人がのぞきにきたようだが、小山へはいってくることはなかった。はいってくるのは峯のおやじさんくらいなものだった。ボクチンときては、かならず小山の入り口に立って、ぼくをよんだ。ぼくがいなければ、そのまま帰っていくのだ。
池をほる仕事も、なれるといくらか早くなった。しかし、ほるそばから水がたまってしまうので、どろ水がからだじゅうにはねかえった。ぼくは寒くなったらどうにもならないと思って、はじめ考えていたよりも、あさい池でがまんすることにした。おかげで、だんだん池らしいものができあがった。
そうなってみると、水にうつった小屋のすがたが、すこしひんじゃくだった。ぼくは思いきって小屋をまっ白なペンキでぬった。たったそれだけのことで、小山の感じはがらっとかわった。暗い木かげをぬけてくると、小屋はまるで輝くように見えた。
そのつぎにぼくのしたことは、小屋まで電気をひくことだった。これは会社からたのんでもらえばわけないのだが、ぼくはそうしなかったので、なかなかできなかった。しまいには峯のおやじさんの名まえをかりて、やっと許可してもらえた。
こうして、ぼくとコロボックルの領土は、ちゃくちゃくとととのえられていった。ぼくたちは、この小さな国の名まえを、『矢じるしの先っぽの、コロボックル小国』とよびあった。小さいことが、おたがいにじまんだったのだ。
この国の国旗は、ぼくが考えてつくった。緑色の地の肩に、白い矢じるしをそめぬいたものだった。緑は、コロボックルとは緑の深いふきの葉からとったもので、小さい世界をあらわしている。その小さい世界に、矢じるしをつけなければわからないような国があるという意味で、かべにはってある地図を、そのまま国旗の図案にしたものだった。
町をあるいていても、同じような矢じるしの書いてあるのを見ると、ぼくはむねの中が熱くなるようなたのしい気分を味わった。
ぼくの近くには、あいかわらず黒い小さなかげがあった。
これはヒイラギノヒコたちが、ぼくの世話係として、ひとりずつ交代でついてきたためだ。そして、あいずをすれば、いつでもぼくの手の中にとびこんできた。
ときには、なにげなく会社のつくえの引きだしをあけると、その中にちょこんとデブちゃんがこしをおろしていたりして、ぼくをおどろかせた。だからコロボックルには、なにもかくしておけなかった。コロボックルは、いつのまにか、ぼくの心の中にまではいりこんでしまったような気がした。失じるしの先っぽの小さな国を知ったかわりに、ぼくの心をあけわたしたようなものだった。
しかし、コロボックルがついているのだと思うと、いつでもゆたかな気持ちだった。小さなことにくよくよするようなことなど、すっかりなくなってしまった。
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[#見出し] 第四章
[#見出し] わるいゆめ
[#挿絵(img\137.jpg、横280×縦394、下寄せ)]
いつか小山には、またつばきの花がさき、ぼくの作った大きな池に、ポトリポトリとかすかな音をたてては散った。
ぼくたちの国は、世の中のほんのかたすみで、ひっそりと静かな日を送っていた。こんなところに、大きなひみつがかくされていることなど、だれも気がついていなかった。
もし気がついているものがあるとすれば、それはおちび先生かもしれなかった。コロボックルのしらべによると、おちび先生は、自分の近くに、ときどき黒いかげが走りまわっていることを、もう知っていた。そのたびに、顔をしかめるのだそうだ。
ヒコ老人は、おちび先生が、小山についてなにか知っているなら、かならず思いだして、やってくるにちがいないといった。そうしたら、コロボックルは、おくの手を使うから、あとはぼくにたのむという。ぼくがためされたと同じように、コロボックルのすがたをちらっと見せて、おちび先生が、どう考えるようになるかしらべることだった。ぼくもそのつもりでたのしみに待っていた。
ある日、家にいたぼくのところへ、小山からきゅうな使いがやってきた。さては、おちび先生があらわれたかと思ったら、そうではなかった。知らない男が小山へやってきたので、追いかえしてしまったという知らせだった。
これが、静かな小山にはじめて起こった小さな事件だった。そして、もしかすると、つづいて起こった大事件の、前ぶれだったのかもしれなかった。しかしそれにしては、なんとなくとぼけていて、おもしろいできごとでもあった。
その男は、ずかずかと小山へはいってきた。そして、うろうろと歩きまわったあげく、小屋の前に立ってがたがたと戸をあけようとした。
こんなことは、小屋ができてからはじめてのことだった。コロボックルたちも、どうしていいかしばらくまよったらしい。ところが、男がなかなかあきらめなかったので、コロボックルは、ひさしぶりにうでをふるってしまったのだという。ふたりの、とくにすばしっこいわかものが、はちのどくをたっぷりぬったはりで、男の手と足をさしたのだ。
これは、もしものばあいにそなえて、むかしからコロボックルが練習していた方法だった。これで目をねらわれれば、それっきり目はつぶれてしまうだろう。
男は、ひめいをあげたということだが、むりもないことだった。ふつうのあしながばちでも、かなりいたいが、それよりもずっと深く強く、一度に二か所もさされたのだから、だれだって、とびあがるにちがいなかった。男は、わるくちをはきちらしながらにげていったそうだ。
ぼくは、この知らせをきいたとき、てっきりどろぼうだと思った。しかし、くわしくきいていくうちに、そうではないことに気がついて、思わず目をまるくした。どろぼうどころか、そのあやしい男というのは、どう考えても、見まわりのおまわりさんにちがいなかったのだ。
それがはっきりしたのは、四、五日あとの日曜日だった。こんどは、ぼくがいるときをねらってきたらしく、同じ人がまた小山へやってきた。
ぼくは小屋の中にいたが、見はりのコロボックルから、すぐに知らせがきた。まどへよって見ていると、はたしておまわりさんが、もちの木の入り口にすがたを見せた。この前でこりたとみえて、そこから大声をあげた。
「おうい。だれかいますかあ。」
ぼくは、すぐ外へ出ていった。おまわりさんは、ほっとしたようなようすで、ぼくが近づくのを待っていた。
「やあ、この山に住んでいるというのは、あんたですか。」
「そうです。なにかご用でしょうか」
「いや、わたしは、このあたりの受け持ちですがね。じつは、いままでここに人が住んでいることを、知らなかったもんで――。ここにきてから、どのくらいになりますか。」
「ついこのごろです。しかし、毎日いるわけではないんですよ。」
ぼくは、いそいでそう答えた。だが、相手には通じなかったようだった。
「とどけは出ていませんでしたな。ここはあんたの土地ですか。」
「いいえ、借りています。」
「家は?」
「ぼくのです。」
「すみませんが、身分証明書のようなものをお持ちですか。」
「あるでしょう。」
ぼくは、小屋へひきかえした。おまわりさんは、そのときも、もちの木の入り口から、動かなかった。よほどこりたのだろう。ぼくが証明書を持ってきてみせると、なんどもひっくりかえしてはていねいにながめた。
「住所が、こことちがうようですな。」
「ぼくは、その証明書に書いてあるところに、ちゃんと住んでいます。そのうちに、ここへ、家をたてようと思っているもんですから、とりあえずこんな小屋をつくって、ときどき手入れをしにくるわけです。ときにはとまっていくこともありますが――。」
「なるほど。」
おまわりさんは、やっとのみこめたようだった。ぼくは峯のおやじさんの家を教え、そこできいてもらえば、よくわかるはずだといった。手帳になにか書きつけながら、おまわりさんは、ふんふんとうなずいていた。そして、証明書をかえしてよこすとき、にやっとしていった。
「ところで、このあたりにはひどいどく虫がいるんじゃありませんか。」
「そ、そうです。」
ぼくは、まごつきながら返事をした。
「どうも、近くに、くまんばちが巣をつくっているんじゃないかと思っていますよ。」
「くまんばちか。どうりでね。」
おまわりさんは、ひとりでうなずいていた。ぼくは、それを見て、ちょっとからかってみたくなった。
「よくごぞんじですね。さされましたか。」
「一ばんじゅう熱が出て、ねられなかったね。いや、その――ねられないほどいたいらしい。」
おまわりさんも、まごついていた。そして、あわてて、ぼうしに手をあげた。
「や、どうもおじゃましました。しかし、ここはなかなかいいところですな。」
そういって、あたりを見まわしながら帰っていった。それっきり、おまわりさんはこなかったが、ぼくは、コロボックルのくまんばち攻撃が、思ったよりすばらしい力をもっているのに、おどろいてしまった。
はちにさされて人が死ぬこともあるそうだし、そうすると、ばかにはできないと思った。そこで、ヒコ老人にたのんで、むやみに攻撃しないように注意したほどだった。
そんなことがあってから、しばらく雨のふる日がつづいた。
もともとぼくは、雨の小山もすきだった。明るい光にてらされて、輝くような小山もいいが、しっとりとぬれた小山も、なんとなく心が静まるような気がするのだ。とくに春の雨は、子どものころの思い出にも、つながっていた。
――今夜は、ゆっくり、コロボックルたちと物語りでもしよう――。
ぼくは、いつもより早めに会社をひきあげて、小山に向かいながらそう思った。ふと気がついて、近くにいるにちがいないコロボックルをよぶと、気むずかしやが、頭の上のかさのほねにこしかけていた。ぼくは安心してまた歩きだした。
――雨の日は、コロボックルたちも気楽になるのだ。女のコロボックルも、つれだって城≠ヨやってきて、おしゃべりをしたり、歌をうたったり、ときにはまるくなっておどったりする――。
雨の中を、小山へはいる細い道を歩いていくと、夕ぐれのうす暗い小山は、白いカーテンをかけたようにけむっていた。ぼくは、あぶない足どりで丸木橋をわたった。
[#挿絵(img\143.jpg)]
もちの木に、だれのしわざか、一まいの紙がおしピンで止めてあった。おどろいて近よってみると、こんなことが、クレヨンの大きな字で書いてあった。
[#ここから2字下げ]
おとうさんがおはなししたいことがあるから、こんどやまにきたら、あそびにこいっていいます。わすれずにきてください。
[#ここで字下げ終わり]
そのとき、コロボックルの見はりが、かさの中へとびこんできて、なにかいった。みのむしのふくろで作ったレーンコートを着て、黒いしずくのようだった。肩の上で、気むずかしやが立ちあがった。
「ヒルスギニ ボクチンガ モッテキタソウダヨ。ナニガ カイテアル。」
「おやじさんが、ぼくに話があるとさ。」
ぼくは、ちょっと考えて、その足ですぐいってみる気になった。どんな話かわからないが、わざわざボクチンを使いにだしたくらいだから、早いほうがいいだろうと思ったのだ。しばらく、おやじさんにも会っていなかった。
そのことを気むずかしやにいって、ヒコ老人につたえておくようにたのんだ。ぼくはひとりになって、道をひきかえした。
峯のおやじさんは、まだ土間で仕事をしていたが、大よろこびでぼくをむかえてくれた。
「こんな雨の日にも、あのとり小屋にねるのかい。」
「もちろんです。」
「あきれたもんだね。」
そうはいうものの、おやじさんは、にこにこしていて、たいしてあきれているようには見えなかった。しかし、それからあと、おやじさんの話したことは、たいへんなことだった。ぼくたちのコロボックル小国にとっては、思いがけない一大事だったのだ。
「おまえさんには、早く知らせておいたはうがいいと思ってな。」
おやじさんは、たばこをとりだしながら、話をきりだした。
「このあたりに、新しい道路ができるんだそうでね。なんでも、自動車専用のりっぱな道なんだそうだ。明るいうちに、役人がやってきて、土地の買いあげについて、おおよその話をしていったんだが、それだと、どうも鬼門山のあたりにひっかかるようなぐあいだ。」
「ひっかかるというと――。」
「あの山を通るんだそうだよ。せっかく売るやくそくだったが、それもできなくなるわけだな。」
「つぶされるんですか。」
「そうらしいな。」
ぼくは、あっけにとられておやじさんの顔を見た。それこそコロボックルが、いちばん心配していたことではないか!
――どうしよう。
ぼくはしばらくのあいだ、むねのどうきをおさえていた。こんなに早くさいなんがやってこようとは、思いもよらないことだった。
「その計画は、まだ本ぎまりではないでしょう。」
「いや、だいたいはきまっているということだ。あとは土地の買いあげさえ、うまくいけばいいんだそうだがね。」
おやじさんは、あごをなでながらそう答えた。
「それで、反対する人はいないんですか。」
「それはまあ、畑や田をつぶされるのは、だれでもこまるんだが、こんどのことは、しかたがないと思っているようだな。金もじゅうぶん出すそうだし。」
ぼくがだまっていると、おやじさんは、なぐさめるようにいった。
「あの山は、おまえさんに貸してあるんだから、そのうちに、おまえさんのほうにも、話がいくだろうよ。小屋もあるんだから、そうとうなことはしてもらえるように、わしからも話してやる。まあ、べつの場所をさがすんだな。わしの山なら、また相談にのってやるぞ。」
そういわれても、返事のしようがなかった。ぼくもコロボックルも、あの小山でなくてはいけないのだ。こまったことになったなと思った。
「そんなことが、いつごろきまったんだろう。」
「いや、これは、戦争中に計画したもんでね。そのころから話はあったのさ。とちゅうで戦争がおわったもんで、そのまま、たち消えになっていたんだよ。」
「なるほど。」
そういえば、いつかヒイラギノヒコが、そんなことをいっていたような気もした。その計画が、ちかごろ自動車がふえたので、またとりあげられたのにちがいない。町の中を通る道は、せまくて不便なのだ。
そのとき、おやじさんが、思いだしたようにいった。
「そうそう、いつか、おまわりさんが山へいったそうだな。」
「きました。」
「ほんとかうそか知らないが、地所の持ち主を、ひととおりまわったといううわさだね。わしのところへもきていったよ。そのとき、おまえさんのことをきいていたっけ。」
「そうですか。」
ぼくは、答えながら、だんだん心配になってきた。もしそのうわさが正しいのなら、この計画は、ずっと前から、ねんをいれて進められているにちがいない。とにかく、ぼくは、なんとかしなくてはいけないと思った。小山をつぶされるのは、どうしてもふせがなくてはならない。それは、ぼくの役めだった。
その夜、まっ暗な小屋へ帰ってみると、ヒコ老人と三人のヒコが待っていた。コロボックルの耳にも、もちろんとどいていたのだ。しかし、コロボックルは、峯のおやじさんが、なぜ、ぼくとのやくそくをやぶって、ほかの人に小山を売るのか、よくわからなかったようだった。
「やくそくは、やぶるわけではないんだよ。」
ぼくも、考えながら説明してやった。
「道路は国がつくるのだし、国には大きな力があって、ぼくたちには、どうにもならないことがある。」
三人のヒコたちは、がっかりした顔つきになった。だが、ヒコ老人だけは、さすがにおちついていた。ぼくはそれを見てほっとした。とにかく、あわててもはじまらないことだったし、くわしい相談は、もっとよくしらべてからのことにして、ぼくたちは別れた。
[#挿絵(img\148.jpg)]
峯のおやじさんのいったことは、ほとんどまちがいなかった。しらべてみると、新しい道路は、村のまん中を通って、ひろい田んぼから、まるでねらったように、小山にぶつかってくる。小山は、たしかにつぶされることになっていた。
そればかりか、準備ができしだい、土地が買いあげられ、一年後には工事にかかるということだった。思ったより、工事はいそいでいるのだ。
そのうちに、この道路のことが、新聞に出た。三年後には、すっかりできあがるはずで、そうなれば、有料道路にするのだそうだ。だいたいはさんせいしたような記事だったが、おしまいのほうに、こんなことがつけくわえてあった。
『有料の自動車専用道路となると、地元の人にはあまり役にたたないことになるので、一部には反対している向きもある。』
ぼくは、この記事をコロボックルにも読んできかせ、通り道の土地を持っている人を、ぼくなりにしらべさせた。そして、だれがどんなことを考えているか、ひと目でわかるような表をつくってみた。ところが、近くの村の人は、だれも反対していなかった。
ぼくたちは、小山をまもる方法について、なんども集まっては相談した。小屋にはってある地図をにらんで、三人のヒコたちと何時間も首をひねった。
ヒイラギノヒコは、思いきったことをいった。小山に近よってくる人は、かたっばしから、くまんばち攻撃をしかけて、みんな追いはらってしまうというのだ。
「ハチノ ドクヨリ モット スゴイ ドクモ アルヨ。」
ヒイラギノヒコは、自信たっぷりにいったが、そうなったら、コロボックル小国≠ニ日本の国の戦争になってしまう。だいいち、小山にふみこむ人が、かならず原因のわからない病気にかかったりしたら、人間たちもだまってはいないだろう。見えないはちに、みんなが気がついてしまったら、矢じるしの先っぽは、かえってあぶなくなるのだ。
ぼくは、土地の買いあげをむずかしくさせるために、いますぐ小山を買いとってしまおうかとも考えた。小山をぼくのものにしておいて、売らないようにがんばってみたら、どうだろうと思ったのだ。
峯のおやじさんは、むだだからよせというのにきまっているが、それでも、むりにたのめば、コロボックルのいうように、やくそくもあることだし、売ってくれるかもしれなかった。
しかし、そんな苦労をしても、反対するのがぼくひとりでは、なんにもならないと思った。たったひとりががんばったくらいで、この大工事がとりやめになるわけもなかった。できることなら、コロボックルを総理大臣の前につれていって、ひと目見せてやりたいと思った。
こういうめずらしい小人が住んでいる、たった一つの山だから、とりこわすのはやめてくれといえば、もちろん、よろこんでやめるにちがいない。しかし、総理大臣がひとりでむねにおさめて、コロボックルの味方になってくれるならいいが、そうもいくまい。コロボックルは、学者にひきわたきれて、ガラスのびんに入れられ、標本にされてしまうかもしれない。
ぼくは、仕事に手かつかなくなった。大きな力で、ぐんぐん工事が進められる前に、なんとか手をうたなくてほならないのだが、いくら考えても、うまい考えがうかばなかった。
いつもはのんきなエノキノデブちゃんでさえ、ときどき考えこんでいるようだった。気むずかしやは、はじめから、ほとんどなにもいわなかった。そのほかのコロボックルたちも、なんとなくうかぬ顔をしているのがわかった。ただ、ヒコ老人だけは、あいかわらずおちついていた。どうしてもだめなら、引っ越しをすればいいというのだ。ヒコ老人のそういうようすを見て、ぼくは安心もしたが、申しわけないような気もした。
そのうちにも、計画はどしどし進められていた。いつのまにか、第一回の測量がはじまって、田んぼの中を動きまわる人が、毎日すこしずつ小山に向かって近づいてきた。そして、たちまち小山をこえて、消えていった。
そのころぼくは、ゆめを見た。
小山より大きなブルドーザーが、音もたてずに走ってきた。小山は、ぼくの見ている前で、みるみるうちにけずりとられていった。運転しているのはだれだろうと思ったら、いつかのおまわりさんだった。ぼうしに手をあげて、「やっ、どうもおじゃましました。」といった。
このおかしなゆめは、いつまでもぼくの頭に残った。そして、できそうもないことをくよくよ考えているより、もう引っ越しの用意をすすめたほうがいいと思うようになった。
ぼくは、ひそかにかくごをきめ、コロボックルたちのおちつく先を考えはじめた。
おちび先生が、小山へやってくるかもしれないという知らせがあったのは、ちょうどそんなときだった。
ぼくは、おちび先生のことを、うっかりわすれていた。それまでは小山をまもることで、頭がいっぱいだったのだ。しかし、ヒコ老人は、こんきよくつづけさせていたらしい。
「あの人が、そんなことをいっていたの。」
「エエソウデス。」
知らせをもってきたハギノヒメは、ぼくにわかるように、じょうずにしゃべった。ぼくはいきおいこんできいた。
「というのは、やっと黒いかげの正体に気がついたというわけ?」
「ソレハ ワカリマセン。」
小さなおハギちゃんは、首をふった。ぼくは、ちょっとがっかりした。
「そうか、でもこの山の古いいいつたえは、知っているんだろうね。」
「サア……。ワタンハ シラナイノダト オモイマス。」
「こぼしさまの話も?」
「シラナイヨウデス。」
ぼくはまたあてがはずれた。そうすると、おちび先生は、なにも知らないのだろうか。
「トコロガ、ヤハリ ナニカ シッテル ヨウナンデス。フシギナ ヒトデスネ。」
おハギちゃんは、ぼくの気持ちを見とおしたようにいった。そのとおりだと、ぼくは思った。
「とにかく、きみの知っていることを、くわしくきかせてくれないか。」
おハギちゃんは、しばらく考えてから、ゆっくりと説明をはじめた。
おちび先生は、幼稚園の子どもたちを集めて、こんな話をしたそうだ。
「きょうのお話は、先生の知っているお山のお話です。そのお山は、静かで、美しいところでした。赤いつばきや、白いやまゆりの花がさきました。小鳥が、いつでもかわいい声で鳴いていました。
先生は、そのお山へひとりであそびにいくのか、とてもたのしみだったのです。
ところが、あるときのことでした。先生が、そのお山で本を読んでいますと、いきなり、『こらっ、そこにいるのはだれだ。』って、どなったものがありました。びっくりしてふりかえってみると、大きなおにがひとり立っていたではありませんか。『この山は、おれの山だぞ。どこからはいってきた。』と、おには目玉をぐりぐりさせました。先生は、口もきけなくなって、どんどんにげだしました。あまりあわててにげたものだから、ぼうしをわすれてきてしまいました。
そうしたら、そのおにが大またで追いかけてきて、『おうい、わすれものだぞう。』といいました。そして、たちまち先生に追いついて、ぼうしをかえしてくれたのです。ほんとはしんせつなおにだったのですね。」
この話は、ぼくにもおもしろかった。おにというのは、いつかのぼくのことにちがいなかったからだ。
「それで?」
ぼくは先をうながした。
「それっきり、先生はお山へいかなかったのですが、そのおには、この幼稚園で、もう一度だけ見たことがあるのです。
みんなが帰ったあとで、先生がおるすばんをしていたときでした。目の前がぴかぴかっと光ったと思ったら、ゴロゴロドスーンと音がして、かみなりさまが落ちてきました。天気がよい日だったので、先生はびっくりして外を見ました。すると、いつかのおにが、おしりをなでなで立ちあがるところが見えたんです。
おにも先生に気がついて、『やあ、こんにちは。』といいました。そして、すぐにどこかへいってしまいました。
お山であったおにというのは、かみなりさまだったんですよ。」
「かみなりきまだって?」
ぼくは半分あきれて、おハギちゃんの顔を見た。しかし、よく考えてみると、ぼくの仕事は電気を使うのだから、おにでいえば、かみなりさまにあたるかもしれないと思った。
その話をしたあと、つづきをせがむ子どもたちと、おちび先生は、こんなやくそくをしたのだそうだ。
「先生は、近いうちに、またお山へいってみようと思っているのです。もしそのときにもかみなりさまにあえたら、このつづきをお話ししてあげましょう。」
「なるほど。それならたしかにやってくるね。」
ぼくは、うなずきながらいった。おハギちゃんは、にこにこした。
「ヒコ老人は、どうするつもりだろう。」
「キメタトオリニスルッテ。」
「そうすると、やはりすがたを見せるんだな。」
ぼくは、そう思うと、ちょっと気になった。おちび先生が、こんど山へくるとすれば、つくりばなしのまぬけなかみなりさまなどでなく、ほんものの小人にであうことになるのだ。
やくそくした子どもたちに、どうやって話すだろう。子どもだけならまだいいが、相手かまわず、むやみにおしゃべりされるようなことはないか。ぼくはねんのために、おハギちゃんにきいてみた。
「きみは、すがたを見せてもだいじょうぶだと思うかい。」
「オモイマス。」
返事がはねかえってきた。
「味方になれそうなんだね。」
「ナレルトオモイマスヨ。」
「そうか。」
ぼくは、内心ほっとした。しょうじきなことをいうと、いまのコロボックルには、たとえひとりでも、味方がほしいところだった。
このまま小山がつぶされることになれば、なおさらそうだった。引っ越しするといったって、右から左というわけにはいくまい。コロボックルたちを、いちじ安全な場所にかくまってやるようなことも、きっとあるにちがいなかった。そんなとき、ぼくのへやだけでは、すこしきゅうくつかもしれない。おちび先生が、もし味方になれるなら、願ってもないことだった。
このことは、もちろんヒコ老人も考えに入れているのだろう。ぼくは、ひさしぶりに気持ちがはずんだ。
おちび先生は、土曜日の午後に、幼稚園をぬけだして、小山へやってきた。もちろん、ぼくはまだ会社にいた。
エノキノデブちゃんが、いきなり、つくえの上にすがたを見せた。びゅんと、まるでゴムひものように目の前をよこぎり、はねかえってきて、あいずをした。ぼくは、いそいで手でかこってやった。
「キタヨ……。イマ キタ。」
デブちゃんは、あわてて口をぱくぱくさせた。声はしなかったがなにをいったか、よくわかった。ぼくも目で答えた。
――もうきたのか! それでどうした――。
手の中にデブちゃんをすくいあげ、耳もとへもっていった。
「コヤヲ ミテ、ビックリ シテイル。」
――すがたは見せたか。
「ソレハ コレカラダ。アトデ ユックリハナス。ダカラ、コンヤハ セイタカサンモ キテホシイ。」
「いくとも。」
ぼくは、思わず声を出して返事をした。ちょうど電話をかけていたような感じだったので、つりこまれたのだ。あわててせきをしてごまかした。そのあいだに、デブちゃんは消えてしまった。
会社がひけるまで、ぼくはおちつかない気持ちですごした。おちび先生が、小山のひみつをどう思ったか心配だった。そのくせ、コロボックルのすがたを見て、どんな顔をしたかと考えると、わけもなくおもしろかった。時間がくると、ぼくは小山へかけつけた。
――思ったほどは、おどろかなかった――。
ヒコ老人は、ヒイラギノヒコを通じて、まずそういった。そして、あれは、なにか知っているか、そうでなければ、生まれつき、あまりおどろかない人なのか、どちらかだろうといった。
「自分の見たことが、信じられなかったからではありませんか。」
ぼくは、ふつうの人ならそうだと思ってきいたが、ヒコ老人は首を横にふった。
おちび先生は、デブちゃんがいったように、小屋ができているのを見て、大いそぎで、もちの木の入り口までひきかえしたそうだ。だまってはいってはいけなかったと思ったのだろう。そこからしばらくのぞきこんでいたが、やがて、おずおずとまたはいってきて、二、三度声をかけた。
だれも出てこないのを見て、おちび先生も、やっと安心したようだった。そのまま、いずみのふちまでいって、目の下に大きな池ができているのに気がついた。
「ほうっ。」と、目をまるくしてながめていたが、くるりとふりむいて、小山からかけだしていった。小山の外のやぶをまわって、池の向こうがわにいったのだ。小山は、そこから見るのがいちばん美しいのだが、おちび先生も、そう思ったのにちがいなかった。
しばらくのあいだ。あちこちと場所をうつして、こしに手をあてたり、うでぐみをしたりしてながめていた。それで気がすんだようだったが、もどってきたおちび先生は、もちの木のあいだから、ちょっとだけからだを入れて、もういちど小山を見まわした。
ヒコ老人は、そのときに命じた。
――さあ、いっておいで、知られすぎるほど長くなく、気がつかれないほど短くなく、ちょうどいい時間だけ、あの人にすがたを見せておいで――。
そのたいせつな役めは、相手をよく知っているおハギちゃんにあたえられた。
おハギちゃんは、いつもは男のコロボックルと同じ服を着ていたが、このときには、女らしい服に着かえたそうだ。
[#挿絵(img\159.jpg)]
おちび先生は、足もとのふきの葉が、しきりにゆれるのに気がついた。そして、その実の上に、いきなり小人がひとり出てきて、手をふったのを見たのだ。小人はすぐにいなくなって、ふきの葉だけがゆれていた。
「それで、どうだった。」
ぼくは、つばをのみこんできいた。
「ニッコリ、シタンダ。」
ヒイラギノヒコは、ぷつんと答えた。もちの木の上から、よく見ていたが、おちび先生は、ちっともおどろかなかった。それどころか、まるであたりまえのことを見たような、おちついた態度だったという。おちび先生は、やがて口ぶえをふきながら帰っていったそうだ。
「ぼくのときとは、ずいぶんちがうじゃないか。」
「ソウナンダ。チョット ヒョウシヌケシタネ。」
そうはいうものの、ヒコ老人も、そのほかのコロボツクルもひと安心したようだった。そして、ひきつづきおハギちゃんがついているが、これからは、ぼくにも手つだってもらいたいといった。
「ゼヒタノム。コレカラガ ムズカシインダ。」
ヒイラギノヒコは、力をこめてそういった。ぼくとしても、なるべく早く、味方になれるかどうか、知りたかった。そのことだけを、ゆっくり考えているようなときではなかったからだ。小山をつぶされる前にはっきりさせて、できることなら、これからのことを相談してみたかった.。
つぎの日、ぼくは一日じゅう小山にいて、おちび先生を心待ちに待っていた。もしかしたら、またやってくるかもしれないと思ったのだ。しかし、おちび先生はあらわれなかった。
ヒコ老人も同じ思いだったとみえて、おハギちゃんとしきりにれんらくをとっていた。そのたびに、ぼくにも知らせてよこしたが、いつもとかわったところはないというだけだった。
「おうい、なんとか幼稚園から電話だ。いつか工事をしらべにきた人はいるかとさ。」
だれかが、昼休みのがらんとした事務所でどなった。残っていたぼくは、とびあがった。こちらから電話をするつもりで、それまで残っていたからだった。
あれから、三日ほどたっていたが、おちび先生からは、なんの手ごたえもなかった。おちび先生は、子どもたちとやくそくしたはずのお話のつづきも、まだしていなかった。
ぼくは下腹に力をいれて、ゆっくりと電話をとった。
「もしもし。」
「もしもし、せいたか童子さん?」
ぼくは、息をついた。
「そうです。おちび先生ですね。」
「そうです。」
「どんなご用です。」
「あのう、この前のときつけていただいたスイッチから、青い火がとぶんです。あつくなって、あぶないと思いますので、ちょっと見ていただきたいんですが。」
ぼくはがっかりした。だがすぐに気をとりなおした。
「それだったら、帰りにでもちょっとよって、しらべてみましょう。」
「お願いします。それから――。」
おちび先生は口ごもった。ぼくは、電話をしっかり耳におしつけた。
[#挿絵(img\163.jpg)]
「山に小屋をたてたのは、あなたですか。」
「そうです。」
「このまえいってみておどろきました。池ができていて、すっかりかわったのね。」
ぼくはだまっていた。
「でも、ふしぎな感じはまだ残っていたわ。」
「そうですか。どんなところがふしぎでした。」
ぼくは、わざとなんでもないふりをしていった。しかし、おちび先生はすぐに話をかえた。
「あの小屋に、ずっと住んでいらっしゃるの。」
「そうですね、住んでるようなもんです。日曜日にはたいていでかけますし、とまることもあります。」
「ひとりで、さみしくありませんか。」
「べつにさみしくはありませんね。」
「ちょっとすてきな話ね。いまに、ほんとの家をたてるんでしょう?」
「そう思っていたんですが、それができなくなりそうなんですよ。」
「どうして。」
「こんど町はずれを、自動車道路ができるのは知っているでしょう。あの通り道にあたってるんです。」
「ほんと?」
「ほんとです。あの山はつぶされてしまいます。」
「それはいけないわ。」
おちび先生はおこったようにいった。ぼくはにやりとした。
「なぜいけないんです。」
「だって――、もったいないわ。」
そういって、おちび先生はだまった。ぼくもだまって耳をすました。
「あのう、とにかく、きょうきていただけますね。」
「もちろんです。」
「では、よろしくお願いします。」
電話はきれた。ぼくはしばらくじっとしていた。けっきょく、おちび先生はなにもいわなかった。だが、ぼくは糸口がほぐれたような気がしたのだ。
――とにかく、小山の味方にはちがいない――。
ぼくはそう思った。しかし、すぐにコロボックルの話をきりだしていいかどうかわからなかった。ぼくひとりで、かってなまねはできないのだ。ふりかえってみると、事務所にはだれもいなかった。ぼくは小声でよびかけた。
「ヒコ!」
そして、耳もとに手を持っていった。ほとんど同時にヒイラギノヒコの返事があった。
「ナニカヨウ。」
「うん。」
ぼくは受話器をはずして、ちがうほうの耳にあてた。他人にきかれても、電話をかけているように見せるためだった。
「いまの電話をきいていたか。」
「キイタ。」
「あとであの人に会うんだ。きみたちのことをうちあけてもいいかな。」
「サア。」
さすがのヒイラギノヒコも、首をかしげたようだった。そして、とりあえず小山につたわっている古い話を、教えてやったらどうかといった。それはぼくもいい考えだと思った。
「では、そのへんから、話をもっていってみよう。」
ぼくは静かに、受話器をかけた。
幼稚園の庭から声をかけると、おちび先生が顔を出して、戸をあけてくれた。いつかのふとった園長先生が、いすにこしかけたまま、大きな声でいった。
「ごくろうさま。たいしたことはないだろうけど、この人が心配だっていうんでね。よくなおしてってくださいよ。」
「しょうちしました。」
ぼくは、おちび先生に向かって答えたが、おちび先生はすましていた。
スイッチは、ねじがゆるんで、ばねがきかなくなっていた。ぼくはねんのために持っていった、新しいものととりかえることにした。おちび先生は、ぼくのあとからついてきて、のぞきこむようにして見ていた。
「山には、いつきたんです。」
ぼくはなにげなくいった。
「三日ばかり前だわ。ちょっと思いついたもんだから。」
おちび先生は、そういって、くすりとわらった。自分でつくったかみなりさまの話が、おかしかったのかもしれない。
「あの山の名まえを知ってますか。」
「名まえがあるんですの。」
「あります。鬼門山っていうんですよ。むかしから、あんまりえんぎのよくないところだという話が残っています。」
「そう。」
気のない返事だったので、ぼくはふりかえっておちび先生を見た。おちび先生は顔をしかめた。
「でも、つぶされるんでしょう。」
「そうです。」
「だめねえ。」
「なにがだめなんです。」
おちび先生は、うでぐみをして、ぼくをじっと見つめた。ぼくはあわてて仕事にもどった。そして、もしかするとこの人は、小山のひみつだけでなく、ぼくがコロボックルをよく知っているということまで、すっかり感づいているのかもしれないと思った。
ぼくはきゅうにさとった。ぼくたちは、おちび先生を見くびっていたのだ!
――小人たちをどうするつもり? ――
うしろから、いきなりそういわれるような気がして、ぼくはせなかをかたくした。
しかし――。
おちび先生は、ため息をついただけだった。
スイッチはすぐになおった。ぼくは道具をかたづけながら、思いきってコロボックルの話をもちだしてみようかと考えた。すると、おちび先生がいった。
「とにかく、運がわるかったのね。もうひとつのほうにきまればよかったんだわ。」
「もうひとつのほうって、なんです。」
「新しい道路の通り道よ。二通りあって、なかなかきまらなかったんですって。」
「へえ。それははじめてきいた。」
ぼくは顔をあげた。
「きみはくわしいんだね。」
「いいえ。わたしもさっききいたばかりなの。なにも知らないんで園長先生にいろいろたずねてみたんです。」
園長先生は、お役所に知り合いの人が多いのよ、と、おちび先生はつけくわえた。ぼくはだまってうなずいた。
「みんなで反対したら、いまからでも、そっちへかえてもらえないかしら。」
「むずかしいでしょうね。」
「でもやってみなければわからないわ。」
「それはそうですが、だれも反対していないんです。」
「だめねえ。」
おちび先生はまたそういった。ぼくはわらいなから答えた。
「もうあきらめているんです。ぼくひとりで反対したって、どうにもなりません。」
「でも、くやしくないの?」
「そりゃくやしいですがね。ゆめにまで見たくらいですから。」
「どんなゆめ。」
「あの小山がけずりとられるゆめです。くやしくて目がさめました。」
「ゆめってふしぎね。」
おちび先生はうなずいていった。
「ほかの人にも、なにかこわいゆめを見せてやるといいのね。」
「そうですね。」
ぼくはぼんやり答えながら、これは順序がちがうと思った。くやしいからそんなゆめを見るので、くやしくもなんともない人は、はじめから見るわけがないだろう。
「むりに見せるというわけにもいかないし――。」
いいかけて、ぼくははっとした。頭の中でいきなり、ぱちぱちと火花がちった。おちび先生のいったことから、とんでもないことを思いついたのだ。
――むりにゆめを見せてやることも、コロボックルを使えば、できるじゃないか!
ぼくはしばらく、おちび先生の顔を見なから考えた。はじめはそれだけだった思いつきが、ぐんぐん大きくしっかりしていった。
――おちび先生のいうとおり、反対するなら、いまからでもたしかにおそくはないかもしれない。土地の買いあげがはじまるのは、第一回の測量が、すっかりすんでからだった。工事を中止させることはできないが、多少の変更なら、まだまだあきらめることはないのだ。そのために、ゆめを使うという手があった――。
「なにを考えていらっしゃるの。」
「やあ。」
ぼくはきゅうに、なにもかもすっかり話してしまいたいような気持ちになった。しかし、こうなったらあわてることはないと思いかえした。
「きみには、もっときいてみたいことがあるんですよ。でも、もうすこしあとにします。」
「わたしも、そう思っていたんです。」
ぼくたちは、おたがいにさぐるような目つきになった。しかしすぐにわらいだしてしまった。
ぼくは、ほっとしていった。
「そのときには力になってもらうかもしれません。とりあえず、ぼくは、ちょっと考えたことがあるんです。きみのいうようにして、小山をまもってみようということです。」
おちび先生はだまってうなずいた。
コロボックルたちも、ぼくがなにか考えだしたのに気がついて、わけもわからずにいきいきとしてきた。ぼくは、計画をまとめるために、二、三日じっくりひとりで考えていたのだ。
やがてぼくは、コロボックルを役所にしのびこませることからはじめた。工事の進みぐあいや、どんな人がどんな考えをもっているか調べるためだった。
しばらくすると、だいたいのようすがわかった。おちび先生がいっていたように、道路の通り道はなかなかきまらなかったようだった。しかし、はっきり二つの道を考えていたというわけではなく、工事にかかるお金とにらみあわせて、山の多い所をさけたり、なるべくカーブをすくなくしようとしたり、いろいろな意見があったのだ。
ぼくは、あらためて地図を見た。小山を通らずに、もうすこし北の山の上をまわれば、田んぼもつぶれないし、カーブも一つすくなくなって、つごうがよいと思った。そのかわり、工事はめんどうになるかもしれないが、全体から見ればわずかな長さだった。
[#挿絵(img\171.jpg)]
ぼくはヒコ老人と三人のヒコをよんで、こまかいうちあわせをした。そして、コロボックルたちを、小屋にいっぱい集めてもらった。
「これから説明するのは、コロボックル小国を、道路工事からまもるための方法です。うまくいくかどうかわかりませんが、とにかくやってみようと思います。」
ぼくは、かべの地図を指さした。
「この道路は、ここからこういうように曲がって、田んぼの中を通り、お宮の横からはまっすぐにこの小山にぶつかって、右へまがっていきます。この近くでは、ほとんど田んぼの中を通っているのに気がつくと思います。ぼくたちは、おもにその田んぼの持ち主たちにたのんで、土地を売らせないようにします。」
コロボックルたちは、いつかぼくがはじめて小屋にとまりにきた日のように、小屋のすみずみまであふれていた。地図の見えないものが、なんとかして見ようとしたものだから、大きわざになった。ぼくはみんなが静まるまで待った。
「どうやってたのむのかというと、きみたちコロボックルが、地主のゆめの中に出ていってたのむ――。」
ざわざわと、またさざめきが起こった。ぼくのいっていることが、よくわからなかったのだろう。
「ゆめの中に出るなんて、できないと思うかもしれないが、それができそうなんだ。ゆめというものは、まだほんとにねむっていないときに見るもので、つまり、ねむりはじめと、目がさめかかっているときの、わずかな時間に見るんだ。そういうときに、きみたちがその人の耳もとで、いろいろなことをささやく。もちろん、長いことばではないから、きみたちはよく練習して、ゆっくりしゃべるようにする。そうすると、ささやいたことが、ゆめの中にはいってしまう。きみたちだって、近くでもの音がしたり、話し声がしたりすると、それをゆめに見ることがあるだろう。」
ざわめきがまた高くなった。コロボックルたちは、おもしろがっていた。
「ただし、ねむりはじめのゆめはたいていわすれてしまうから、ぼくたちは、目がさめかかっているときをねらう。それも、一度ではききめがないから、なんども、同じゆめを見るようにしてやるんだ。」
こうやって、かたはしからしかけていけば、みんながそのゆめを気にするようになるだろう。そして、なんとなく土地を売ってはいけないような空気が、村じゅうに生まれてくるにちがいなかった。コロボックルにもわかったとみえて、すぐに静かになった。
「仕事はもうひとつある。」
ぼくは、自分で自分にいってきかせるようなつもりでいった。
「この工事を進めている役所の人たちにも、手をうっておかなければならない。やはりねむっているときに、『道路の計画は、もうすこし考えなおしたほうがいい。』と、根気よくくりかえしてささやく。これはゆめに見なくてもいい、ねむっているときでも、人間の頭はすこしずつはたらいていることが多い。そのときに、こちらの考えをふきこんでやると、目がさめたときにもそう思いこむようになってしまう。」
しゃべりながら、ぼくは自分でもおかしかった。うまくいきそうな気がしたのだ。
「仕事の手順や受け持ちは、あとで世話役さんから、きみたちに知らせてもらいます。役所の人はべつとして、ほかは相手によってささやくもんくも、ちがえなければいけないので、三人一組になって、一つのもんくを練習してもらうつもりです。いいですね。」
コロボックルたちはルルルッと、くちぐちに答えた。なかには、ぽんぽんととびあがるものもいた。それがちょうど、フライパンでまめをいっているようでおもしろかった。
前に、土地の持ち主たちをしらべた一覧表ができていたが、その表に、役所の人たちや、関係のない村の人でもとくにうるさい人や力のある人をつけくわえた。これを見れば、だれがどんな考えをもっているかが、ひと目でわかった。ぼくは、その表の下のほうに、ささやくもんくを書きつけていった。
「太郎よ。おまえは田を売ってはいけないよ。わしは、おまえのおじいさんだ。あの田はわしがだいじにしていたところだよ。売ってはいけない。売ってはいけない。」
とか、
「やいこら。田んぼを売ると、おまえを食べちゃうぞ。わしは、うら山のおいなりさんだ。そのかわり、売らなければ、もっともっとこめがとれるようにしてやろう。」
などというもんくがあった。ただきいただけでは、ばかばかしいようなものだったが、ゆめの中にこんなことをふきこまれたら、きっとびっくりするにちがいない。
ぼくの世話係には、気むずかしやだけを残し、ヒイラギノヒコと、エノキノデブちゃんが中心になって、えらばれたコロボックルたちに、それぞれ仕事を教えることにした。もんくがいえるようになると、ぼくが横になって、耳もとにひとりずつこさせては、わるいところをなおしてやった。コロボックルもいっしょうけんめいだった。
ある朝、ぼくは大きな木につりさげられて、その木にくどくどとなきごとをいわれているゆめを見た。
大きな木は、うでのようなえだでぼくをつまみあげ、「田んぼは売らないでください。」と、なんどもなんども頭をさげた。そのたびにぼくは、木のてっぺんまでささげられて、目がまわりそうだった。しまいには、「田んぼを売ったら、こうしてやる。」と、大空へぽうんとなげられた。
[#挿絵(img\175.jpg)]
びっくりしてとび起きると、デブちゃんが、にやにやして、ぼくの顔をのぞきこんだ。
「セイタカサン。ユメヲミタカイ。」
「なんだって!」
「チョットタメシテミタンダヨ。」
ぼくははっきりしない目で、デブちゃんを見た。デブちゃんは、村の一本すぎになって、だれかにたのみにいくことになっていたのだ。
「すごいゆめを見たよ。一本すぎになきつかれて、さいごにはほうりだされてしまった。」
ぼくは顔をしかめながら答えたが、ききめは、思ったよりありそうなので、内心はうれしかった。しかし、その後は、ぼくを試験台にすることを禁じた。小屋へとまるたびに、こんなゆめを見せられてはたまらないと思ったからだ。
やがて、コロボックルたちは、それぞれの受け持ちにしたがって、いっせいにこの計画を実行しはじめた。
村には、たちまちうわさがたちはじめた。そのうわさをばかにする人があると、こんどはその人がゆめを見るようになった。村じゅうがいらいらしているのが、気むずかしやを通じて、ぼくにもよくわかった。
そのころ、おちび先生からも、一度だけ電話がかかってきた。幼稚園は夏休みだが、先生はなかなか休めないといってから、小山のことをぼくにきいた。
「まだわかりませんが――。」
ぼくは、村の人たちも反対するように、いまさかんにはたらきかけているところだと答えた。
「うまくいきそうなの。」
「いまのところは、とてもうまくいっています。しかし、これから先はわかりません。」
「心配ね。でも、はっきりしたら、わたしにも知らせてくださいね。もしだめだったとしても。」
「もちろんですよ。」
おちび先生は、あまりしゃべらず、いい知らせを待っていますといって電話を切った。ぼくは新しい勇気がわいてくるような気がした。
しばらくすると、いよいよ土地の買いあげがはじまった。どうなることかと、ぼくたちはむねをおどらせて見ていたが、だいたいぼくの思っていたとおりになった。前に話はついていたのに、思いがけない反対者かつぎからつぎへとでて、なかなか進まなくなったのだ。
ころあいをはかって、ぼくは峯のおやじさんにたずねた。
「道路はどうなりました。ぼくのところへは、まだなんともいってきませんが――。」
そういってさぐりを入れると、おやじさんは、首をかしげた。
「それがね、このあたりで、きゅうにしぶるやつがふえたんだ。じつはへんなうわさがとんでいるんだよ。」
「へんなうわさって、なんです。」
「みんなよくないゆめを見るそうだ。何日もつづけて同じやつをな。どうも、この村の神さまが、道路工事に反対していなさるらしいって、みんながいってるんだよ。」
「そりゃそうでしょう。」
おやじさんは、おどろいてぼくを見た。
「だって、この道路は鬼門山をつぶすんですよ。木を切ってもたたりがあるっていうのに、山をなくすんじゃあたりまえですよ。ぼくも気になってしょうがないんで、相談にきたんです。」
「おまえさんも、なにか見たかね。」
「小屋へとまると、うなされます。」
ぼくはそう答えて、おやじさんをうかがった。じつをいうと、この峯のおやじさんにも、二、三度鬼門山を使って、そういうゆめを見させているのだ。この人が、まず知ってくれないと、話にならないからだった。
「たたりのあるなしはともかくとして、新しい道路は、このへんで田をつぶしすぎるような気がしませんか。もうすこし北をまわれば、山ばかりでいいのに。」
おやじさんは、すなおにうなずいた。
「そうだな。たしかに田がつぶされるのはよくない。これはひとつ、みんなに相談してみるか。」
「そうですよ。みんなで一度願いでてみたらどうでしょう。農家は、やはりこめを作るのがいちばんたいせつなんだから、そのこめを作る田がすくなくなってはこまるといえば、りっばに理由がたちますよ。やってそんなことはないと思いますね。」
ぼくは、さりげないふりをして、いっしょうけんめいにたきつけた。みんな計画どおりだった。
しばらくすると、峯のおやじさんが先に立って、道路の通り道をかえてほしいという強い願いが、役所に送られたという知らせがあった。ぼくは、すぐにコロボックルにゆめをくばることをやめさせ、そのかわりに、また役所をしらべさせた。
10
はじめのうちは、せっかくの村の人の願いも、まったくむだだったような気配だった。
役所にしてみれば、一度きまったことを、そんな一部の人たちの反対だけで、すこしでもかえたくなかったにちがいない。あらためて通り道を考えなおすとすれば、よぶんな人手もかかるし、時間もかかる。むろんお金もかかる。
そのくらいだったら、反対した村の人たちがしょうちするまで、ゆっくりこしをすえ、なんとか、いままでどおりの計画を進めたいというつもりのようだった。
――やっぱり、おそかったか――。
それをきいたとき、心の底ではそう思った。だが、ぼくもコロボックルもあきらめなかった。
役所のおもだった人たちの耳には、前にもまして熱心にささやきがくりかえされた。一つの役所だけではいけないこともわかり、コロボックルがびっくりするようなところまで、ぼくは手をのばした。
しかし、それにもかかわらず、役所からは、わざわざ村まで、えらい人がやってきて、地主たちを集め、話し合いがひらかれることになった。このとき、ぼくはふと心配になって、コロボックルたちにいった。
「その話し合いが、あまりすらすらとまとまるようだとこまるぞ。そんなようすが見えたら、きみたちには、もう一役買ってもらわなければなるまい。」
「イヨイヨ『クマンバチ』ヲ ヤルカイ。」
ヒイラギノヒコがのりだしてきた。
「まてまて。」
ぼくは、あわててつけくわえた。
「ほんとにおこらしてはいけない。とにかく話しあいにでてきた人たちが、なんとなく、『ふきげん』になるような方法を、考えておいてほしい。」
ヒイラギノヒコは、しばらくぼくの顔を見ていたが、やがてうなずいた。
「クマンバチデハ ツヨスギルンダナ。ソレナラ、セナカニ クサノ『ミ』デモ イレテヤロウカ。」
「そうだな。そのくらいでいいだろう。」
ぼくは、それ以上説明しなかったが、おたがいにふきげんになれば、話しあいだって、うまくいくはずがないと思ったからだった。
ヒコたちは、さっそく、いのこずちの実をとってきて、ぼくに見せた。ぼくはためしに一つだけせなかにいれてみたが、なるほどちくちくいやな気持ちになって、あわててコロボックルにとってもらった。
[#挿絵(img\181.jpg)]
いっぼう、話しあいの前のばんには、地主たちにもう一度ゆめをくばった。もっとも、一ばんだけでは、ゆめを見た人も、見ない人もあったにちがいない。とにかく、そんなことでも、いくらか役にたったのか、そのときの話し合いは、コロボックルが活躍するまでもなく、あっさりともの別れになった。
やがて――。
小さな希望の火がぽつりとともった。
土地の新聞が、この問題をとりあげてくれたのだ。村の人のいいぶんと、役所のいいぶんをならべたうえで、役所は手間をおしまずに、思いきって計画の一部を練りなおしたらどうか、といっていた。
その新聞社の人たちにも、ぼくは、コロボックルをさし向けて、ささやき≠させていたものだった。だから、ぼくが新聞を読んできかせたとき、コロボックルたちは、わあっといってよろこんだ。
これがきっかけになって、役所の中にも、ぼつぼつ同じような意見をもつ人が出てきた。そして、ふしぎなことに、二、三人そういう人が出たあとは、同じ考えの人が、どんどんふえていった。
みんなが、「じつは、わたしもそのほうがいいかもしれないと思っていたんですがね。」などといって、計画をかえることにさんせいしはじめたのだ。ぼくたちの努力は、そのころになって、やっとききめをあらわしたようだった。
役所では、なんどもなんども会議がひらかれた。そして、新しい図面が書かれた。そのつぎには、なんまいもなんまいも同じような書類が作られ、あちこちへまわされた。その書類には、何人もの人が、ぺたぺたと判をついた。
――もうだいじょうぶらしい――。
ヒコたちが、そんなことをさぐってくるようになると、ぼくもやっとそう思うようになった。そして、からだじゅうの力がぬけたように、がっくりした。
コロボックルも、しばらくはぼんやりしているようだった。だが、こうして、ぼくの作戦は、みごとに図にあたったのだ!
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[#見出し] 第五章
[#見出し] 新しい味方
[#挿絵(img\183.jpg、横229×縦503、下寄せ)]
いつのまにか、すきとおった美しい空を、あかとんぼがとぶようになった。
ぼくは、はじめておちび先生に手紙を出した。役所からの返事がやっと村にとどいた日だった。新しい道路は、ぼくの考えていたとおり、ずっと北をまわることに決まったのだ。もちろんぼくとコロボックルは、もっと早くからそれがわかっていた。しかし、はっきりした通知があるまでは、なんとなく安心できなかったので、おちび先生にも知らせないでいた。
手紙には、おちび先生のおかげで、小山がつぶされなくてすんだことをかんたんにのべ、こんど会ったら、くわしい話をしたいとだけ書いた。おちび先生からは、家のほうに折りかえし返事があった。こんな手紙だった。
[#ここから1字下げ]
お手紙拝見いたしました。あの山がこわされずにすんだそうで、ほんとうにようございました。でもわたくしは、きっとそうなるだろうとは思っていましたのよ。制多迦童子《せいたかどうじ》さまは、いざとなったら神通力を使うような気がしていましたの。
お手紙では、わたくしのおしゃべりから、名案が生まれたということですが、そうしますと、わたくしは、制多迦童子さまのふしぎな力に火をつけたことになるわけですね。とにかく、お役にたって、うれしいと思います。
書きたいことが、たくさんあるのですが、きょうはやめておきます。書きだすときりがないようですから。いずれお会いしたとき、お話しします。ひさしぶりに、山へいってみたいと思っております。そのときには、どうぞよろしく。
[#地付き]おちび
制多迦童子さま
追伸 立って歩く小さなかえるを、童子さま、知ってらっしゃるでしょうね。
[#ここで字下げ終わり]
おしまいの一行を読んで、ぼくは目をまるくした。立って歩くかえるとは、コロボックルのことにちがいないし、それまで知っているとは、思わなかったのだ。
しかし同時に、一つだけなぞがとけたような気もした。おちび先生は、前から小山をふしぎなところ≠セといっていたが、それはきっと、立って歩く小さなかえるの住む山≠ニいうことだったのだ。そして、コロボックルのすがたを見ても、あまりおどろかなかったことから考えると、かなり本気で信じていたにちがいなかった。
――ところで、いつ見たのかな――。
ぼくは首をひねった。いつか三人のヒコにたずねてみたときも、三人そろって、首を横にふった。コロボックルは、そんなへまをするはずがないという答えだった。といって、人からきいたとも思えなかった。
やれやれ、とぼくは思った。大むかしのこぼしさまも、ときどきしっぱいしたことがあるのだ。いまのコロボックルだって、たまにはへまをすることがあるのだろう。
それにしても、相手がおちび先生でよかったと思った。うっかりすると、めずらしいかえるをさがすために小山じゅうをあらされたかもしれなかった。そうなれば、また一さわざするところだった。
「あぶない、あぶない」
ぼくは、ひとりごとをいった。そして、おちび先生は、おハギちゃんのいったように、ふしぎな人だと思った。とにかく、コロボックルの味方であることだけは、はっきりしていると思った。
この手紙は、コロボックルたちにも読んできかせた。ぼくと同じように、おしまいの一行をきいて、びっくりした顔になった。ぼくはうなずいていった。
「やっぱり知っていたよ。」
「イヤ……。」
ヒイラギノヒコが、なにかいいかけたが、だまってうでをくんだ。ヒコ老人は、しばらくしてから、こんな説明をした。
[#挿絵(img\186.jpg)]
――コロボックルが、あまがえるの皮を着るのは、春から秋にかけてのことだが、雨ふりの日だけとはかぎらない。人間の前に出ていって、ゆっくりながめていたいときや、めんどうな仕事をしていて、人の目をかすめるのがむずかしいときなどにも、よくあまがえるにばける。そのために、わざわざ練習をするくらいだから、めったなことでは、立ちあがったりしない。しかし、それでもたまには、うっかりすることがあったかもしれない。おちび先生は、なんども小山へきているうちに、いつか、そんなときのあまがえるのすがたを見たのだろう――。
「シラベレバ、ダレガ イツ アマガエルノカワヲ キタカ ワカルケド……。」
ヒイラギノヒコがいった。
「キット ダレモ キガツイテイナイヨ。」
「それはそうだろうな。」
ぼくは、手紙をしまいながらいった。
「ところで、もう、あの人にはすっかり話してもいいようだね。」
ヒコ老人は、だまってうなずいた。
やがて、おちび先生からは、つぎの日曜日に小山へくるという知らせがきた。といってもその知らせは、思いがけない方法でつたえられたものだった。おちび先生は、電話や手紙のかわりに、自分の身のまわりにいる黒い小さなかげ――おハギちゃん――が使えるかどうか、ためしてみたのだ。
おハギちゃんの話によると、子どもたちの帰った静かな幼稚園で、おちび先生はピアノの前にきちんとこしかけた。ふたをあけると、そのまま目をつぶって、はっきりいった。
「わたしは、こんどの日曜日に、山へいきます。」
三度同じことをいった。そして、目をあけると、あたりを見まわしながら、大きな声をだした。
「わかった? そうつたえるのよ。」
近くにいたおハギちゃんは、それをきいてびっくりした。どうやら、自分に向かっていっているらしいと、やっと気がついたからだった。
おちび先生はつづけていった。
「さあ、わかったら、ピアノを鳴らしてちょうだい。わたしは目をつぶっています。」
そういわれて、おハギちゃんは、思わずキーの上にとびおりてしまったのだ。ポーンと、高い音が、だれもいない教室にいつまでもひびいた。
「ああ、やっぱり!」
おちび先生は、うれしそうにそういって、びっくりしたときのように、両手でほおをおさえたそうだ。
「アワテテシマイマシタ。」
おハギちゃんは、おちび先生のまねをしてみせながら、こまったようにいった。
「かまわないよ。もうわかっているんだから。」
ぼくもちょっとおどろいたが、そう答えておいた。そして、おちび先生はおちび先生らしいやりかたで、コロボックルを知ろうとしているのだろうと思った。
その日曜日は、秋ばれの上天気だった。コロボックル小国は、お客さんをむかえる準備が、すっかりできあがっていた。
ぼくは前の日から小屋にとまった。朝早く起きて、小屋の大そうじをした。小屋の中がかたづくと、三角平地の落ち葉をかきよせ、いずみのわきに手製のいすを二つおいた。
コロボックルたちは、峠のほうまで見はりに出ていった。
お昼前に、おちび先生はやってきた。見はりのコロボックルが、つぎつぎとつぶてのようにとんできては、また消えていった。さいごにおハギちゃんがきて、ぼくの耳もとに、一ことささやいた。
「キマシタ。」
ぼくはうなずいて、もちの木の入り口までむかえにでた。おちび先生は、もう丸木橋まできていた。ぼくに気がつくと、橋の上で、からだの平均をとって、ぺこんとおじぎをした。
「こんにちは。」
「やあ、待っていましたよ。」
「そう。」
ぼくのさしだした手につかまって、おちび先生はいっきに段々岩をのぼった。そして、小さな声でいった。
「くるのがわかった?」
「わかりました。」
ぼくがうなずくと、安心したように目をくるくるとまわした。だが、そのままなにもいわず、先に立って三角平地にはいっていった。
[#挿絵(img\191.jpg)]
向かいあっていすにこしをおろすと、ぼくたちはしばらくだまっていた。ふたりとも話したいことがたくさんありすぎて、どこから話していいかわからなかったのだ。目の前にならんだごちそうを、どれから食べていいか、まよっているような気持ちだった。
「どこから話しましょうか。」
思いきっていいかけると、むこうも同じような調子で同じことをいっしょにいった。ぼくたちは、思わず顔を見あわせた。おちび先生は、顔を手でおおって、くすくすとわらった。
「わたし、きょうは、とてもたのしみにしてきたんです。わたしの知ってることもきいていただきたかったし、もっと、いろいろなことを教えていただこうと思って。」
「そのつもりですよ。」
ぼくもわらいながら答えた。
「しかし、きみは、どのくらい知ってるんです。」
「ほんのすこしなの。」
おちび先生はそのとき、ちょっとためらった。だが、すぐにまじめになっていった。
「わたしの知っているのは、小人がここに住んでいるということです。」
「そ、それでぜんぶです。」
あまりあっさりいわれて、ぼくはかえってまごついてしまった。ほんの短いあいだ、またぼくたちはだまった。
「それを知っているのは――というより、そう信じているのは、ほくときみだけなんです。」
「そうだろうと思っていました。こんなことを人にいったって、だれも信じないにきまってますから。」
「きみは、いつから知ったんです。」
「そうね。」
おちび先生は、遠くの雲をながめた。
「信じていたのは、ずっと前からだわ。」
「というのは、かえるを見てからですか。」
「そう。だけど、はっきり知ったのは、この前ここへきたときに小人を見たからです。」
ふと気がついたように、おちび先生はつづけた。
「あれは、あなたが見せてくださったわけ?」
「いや。」
ぼくは首をふった。
「小人が自分でしたことですよ。」
「そうすると――なぜかしら?」
「小人たちは、きみが味方になれる人かどうか、ためしたんです。」
「味方に?」
「そうです。小人の味方は、小人がしらべてえらびだします。きみも長いことしらべられていたんですよ。」
おちび先生は、ばっと顔を輝かした。
「わかったわ! わたしのまわりにいたのは、そういうわけだったのね。」
「そうなんです。」
ぼくは大きくうなずいた。おちび先生がからだをのりだしてきた。
「味方って、どんなことをするの。」
「べつにむずかしいことはありません。むずかしいことは、もうかたづいてしまいましたからね。」
――小山がつぶされるようなことは、もう二度と起こるまい――。そう思いながら、ぼくは答えた。
「そうだったわね。その話もきかせてくださるはずよ。」
「もちろんです。ただし、ねんのためにいいますけど、このひみつは、小人のゆるしをうけないかぎり、だれにも教えてはいけないのです。」
「それはだいじょうぶだわ。」
「では、ぼくの知っていることを、みんなお話しします。そのあとで、小人たちにも会ってください。」
ぼくは、いすに深くすわりなおした。
「ここに住んでる小人たちは、コロボックルといいます。これは、ぼくがつけたよび名ですが、もとはアイヌの伝説に出てくる小人の名まえなんです。」
ぼくは、その説明からはじめた。そして、トマトのおばあさんからきいた古い話、ヒイラギノヒコからきいた小山の物語、峯のおやじさんとぼくとのへんなやくそくのこと、それに、ぼくと小さな人たちとの、おかしなやりとりのかずかずを物語った。
おちび先生は、熱心にきいていた。
ぼくが、子どものころに、一度だけコロボックルを見た話は、とくにおもしろかったらしく、話をさえぎって、なにかいいかけた。だが思いかえしたようにつづきをうながした。小山がつぶされないですんだ話では、エノキノデブちゃんのいたずらで、ぼくまでとんでもないゆめを見せられたことをつけくわえると、おなかをおさえて苦しそうにわらった。
「さあ。」
と、ぼくはいった。
「ぼくから話すことは、これでおわりです。あとはコロボックルにきいてください。」
おちび先生は、きゅうにそわそわして、あたりを見まわした。
「どこにいるの。」
ぼくは、だまって白い小屋――コロボックルの城――をゆびさした。おちび先生はうなずいて、ひとりで立ちあがっていった。
長いこと、ぼくは待っていた。おちび先生は、いつかのぼくのように、小屋じゅうにあふれたコロボックルたちから、歓迎のあいさつをうけたはずだった。そのあと、ヒコ老人やおハギちゃんたちをつかまえて、根ほり葉はりたずねているのにちがいなかった。
ぼんやりしていると、いつのまにか、ヒイラギノヒコが肩にきていた。待たされぼうずのぼくを心配して、ようすを見にきたものらしかった。
「どうだい。」
ぼくがそういうと、ヒコはうなずいて、にっこりした。
「ワシラノコトヲ、キイテイルヨ。ソレカラ セイタカサンノコトモ。」
ぼくはうなずいた。
「味方もふえたし、あとは、この山を買うだけだ。」
ぼくはつぶやいた。それだけは、まだ遠い先のことになりそうだった。
「アノヒトハ ナイテイタヨ。」
いつまでも、ぼんやり考えごとをしていると、ヒコがいきなりいった。
「ないて?」
「ミンナデアイサツシタトキ。」
「そうか。それは、おどろいたんだよ。」
「オドロイテモ、ナクノカナ。」
「そんなこともあるさ。」
ぼくはそう答えた。ヒイラギノヒコは、おもしろそうにわらって、またふっと見えなくなった。
やがておちび先生は出てきた。元気にかけおりてきて、ぼくの前に立ったが、そのまま長いことだまっていた。なにから話していいかわからなかったのだろう。
「せいたかさん。」
おちび先生は、首をかしげて、やっとぼくをよんだ。
「あの人たちも、せいたかさんって、よんでいるんですってね。」
「そうですよ。それで、はじめはどきんとしたんです。しかし考えてみれば、せいたかのっぽなんだから、あたりまえかもしれない。」
ぼくは、かみなりさまの話を思いだして、なんとなくおかしかった。おちび先生は、そっといすにこしをおろした。
「わたしの役めもきいてきたわ。わたしは、あなたの相談役になればいいんですって。」
「そんなことをいってましたか。」
「ええ、それで、かわいい鏡をもらいました。ほら。」
おちび先生は、手のひらの上で、紙をひろげてみせた。ぼくがもらった短剣と同じように、美しくきらりと光った。
「これで、きみは味方になったわけです。」
ぼくたちは、立ちあがって握手をした。おちび先生の顔には、日があたっていた。まぶしそうに、小手をかざして、ぼくを見あげた。そして、ふいに目をそらして、また遠くの雲をながめた。
気がついてみると、小山は、お昼どきをとうにすぎていた。
「おなかがすきませんか。」
「それより、のどがかわいたわ。」
「では、お茶をわかしましょう。」
「わたしがするわ。」
おちび先生は、あわてていった。
「いや、きみはお客さまだからね。」
ぼくは小屋にかけこんだ。もうコロボックルのすがたはどこにもなかった。つくえの上には、ぼくがならべておいた地図や国旗やノートが、きちんとかたすみによせておいてあった。
からのやかんをさげてもどってくると、おちび先生は、なにか考えごとをしているようすだった。ぼくは、いずみの水をくみ、三角平地に石をつんで、かまどをつくった。
「あら、そこでわかすの。」
「おもしろいでしょう。」
「気にいったわ。」
おちび先生は、そういうと、落ち葉を集めてきて火をつけてくれた。うす青いけむりがあがって、ぱちぱちと気持ちよくもえた。
[#挿絵(img\199.jpg)]
「外でお料理ができるように、材料を持ってくればよかったわねえ。」
火を見ながら、ざんねんそうだった。
「かんづめと、こめがすこしありますよ。」
「いいえ、きょうは、わたし、おべんとう持ってきたの。」
おちび先生は、たのしそうに、ふろしきづつみをひろげた。ぼくの分まで用意してきたとみえて、サンドイッチがたっぷりあった。
「あの人たちも、ここへこないかしら。」
落ち葉の上にすわりこみながら、そうつぶやいて小屋を見あげた。
ぼくはだまってあいずをした。おちび先生の肩にはおハギちゃんがとびのってきた。そして耳もとになにかささやいたのが見えた。おちび先生はびっくりして声をたてたが、ぼくは知らん顔をしていた。
やがて、ヒコ老人も三人のヒコも、ぼくたちのなかまにくわわった。だがサンドイッチは、ほとんど、ぼくひとりで食べた。
おちび先生は、それからあと、ほとんど口をきかなかったが、ぼくは、そっとしておいた。ぼくも、はじめてコロボックルと話をしたときには、まるで病気のようになったおぼえがあるのだ。
やがておちび先生は、だまって立ちあがると、ひとりで小山のあちこちをのぞいてまわった。つばきの木にもちょっとのぼってみた。そこからぼくに手をふってみせたが、すぐにおりてきて、小屋の中にはいった。そこからもすぐに出てきて、こんどはもちの木の門から出ていった。そしてしばらく帰ってこなかった。
池のむこうにいったのだろうと思っていたが、どこにもすがたが見えなかった。きゅうに心配になって、もちの木から顔をだしてみると、おちび先生は段々岩の上にこしをかけて、ぼんやりしていた。
「なんだ。ここにいたのか。」
ぼくは安心して声をかけた。おちび先生はにこにこしたが、返事はしなかった。
「どうです? すこしはおちつきましたか。」
「ええ。」
こっくりとうなずいて、またむこうを向いてしまった。川の流れの音に、耳をすましているように見えた。
「いまわたし、おもしろいこと考えていたんです。」
しばらくして、おちび先生はひくい声で、むこう向きのままいった。
「どんなことです?」
「せいたかさんに会うのは、きょうで何度めかしらと思って。」
「そうだな。」
ぼくは指をおった。
「いちばんはじめは、ここできみをおどかしたとき、それから、幼稚園で二度会ってますね。それからきょうだから、四度めだな。」
「そうね。」
おちび先生は、そう答えながら、ゆっくりかたほうのくつをぬいで、それをしずかに流れの上においた。皮ぐつは水にういて、すうっと流れだした。ぼくはびっくりして、おちび先生の顔を見たが、おちび先生は、流れていくくつが見えなくなるまで、じっと見送っていた。そして、いきなりふりかえっていった。
「さあ、とってきて!」
わけがわからないまま、ぼくは小山をとびだした。細道をかけていくと、くつはすぐにみつかった。だが川にはいらなければとれなかった。しかたなく、すばやくはだしになって、冷たい水の中におりた。
くつをひろいあげて、ぼくはひさしぶりに流れの中を歩いて、そのまま段々岩に近づいていった。
――どういうつもりで、むかしの女の子のまねをしてみせたのだろう――。
ぼくは歩きながらそう考えた。くつを流した女の子の話はさきほどおちび先生にもきかせたばかりなのだ。あのときは、こうやってくつを持って帰っていったら、女の子が岩の上から消えていた。
――あの人も消えるつもりかな――。
ぼくはふと心配になった。
しかし岩の上のおちび先生は、しんけんな顔つきで、ぼくを待っていた。その目が大きかった。そのときぼくは、流れの中でぼう立ちになった。おちび先生が、なぜこんなことをしたのか、いきなりわかったからだ。
[#挿絵(img\203.jpg)]
――そうか、そうだったのか! ――
からだじゅうが、かっと熱くなってきた。岩の前につっ立ったまま、おちび先生を上から下まで、あらためて、ゆっくりとながめた。
「きみが――あのときの女の子か。」
大きくうなずいて、おちび先生は顔をくしゃくしゃっとさせた。ぼくはぼうっとして、なにをいったらいいのかわからなくなった。
「やっと気がついたのね。わたしたち、四度めではなくて、五度めだわ。」
「いや」
しばらくのあいだ、ぼくは目をつぶって、いっしょうけんめいに、むかしの女の子のすがたを思いだそうとした。まぶたのうらには、ぼくをじっと見かえしたときの、女の子の目つきがうかんだ。それだけしかおぼえていなかった。目をあけてみると、たしかに似ているような気がした。
長いあいだ消えていたあの女の子が、おちび先生になってあらわれたのだ。
「いつ、きみは気がついた?」
「いつか、幼稚園でばったり会ったときに、すぐ、そうじゃないかなって思ったの。」
「なぜ、いままでだまっていたんだい。」
「なんだか、口にだすのがもったいなかったのよ。ほんとは、せいたかさんが気がつくまで、だまっていようと思っていたの。」
「人がわるいな。」
ぼくはうなった。
「しかし、あんなことを、よくおぼえていたなあ。」
「あなただって、おぼえていたでしょう」
「ぼくには、わすれられないわけがあった。」
「わたしにも、わすれられないわけがあったのよ。」
おちび先生は、にこにこして答えた。ぼくはびっくりしていった。
「きみもあのとき、コロボックルを見たのか!」
「いいえ。」
おちび先生は、幼稚園の子どもに話すような口ぶりでいった。
「男の子は、そのとき小人さんを見ました。女の子のほうは、立って歩く小さなかえるを見たのです。」
――あのときだったのか! ――
ぼくは、あいた口がふさがらなかった。そういえば、おちび先生が、いつあまがえるのすがたを見たのか、まだなにもきいていなかった。ぼくもコロボックルも、まさかそんなむかしだとは思ってもいなかったのだ。
コロボックルは、とんでもないときにしっぱいをしたものだった。おそらく、ぼくにすがたを見せるという、めんどうな仕事に気をとられていたのだろう。それに、相手が小さな女の子だったので、ゆだんしたのかもしれなかった。しかし、このしっぱいは、すばらしい大しっぱいだった。コロボックルは、ひとりだけ味方をつかまえようとして、うっかりもうひとりつかまえてしまったのだ。そう思うと、ぼくはおかしくなった。
「ぼくたちは、同じ日の同じときに、この小山のひみつを見ていたわけだな。」
「そうなのね。」
おちび先生も、そう答えてわらった。ぼくは、はだしのまま、いすのところまで、おちび先生をひっぱっていった。ヒコ老人たちも、いつのまにか話をきいたらしく、そこで待っていた。あきれたような目つきで、ぼくたちの顔を、かわるがわるながめていた。
「さあ、きみの話をきこう。ぼくは、あの女の子が、じっと水の中をのぞきこんでいたのを見たんだ。あとになって、もしかしたら、小人を見ていたのではないかと思ったんだが、きみは、かえるを見ていたんだね。」
おちび先生はうなずいた。そして流れの中をのぞいていたのは、横目をつかっていたのだといった。岩の上に、どこからきたのか、小さい青いかえるが一ぴきやってきた。そのかえるが、ふと二、三歩立って歩いたような気がしたし――。
「わたし、そっちへ顔を向けたら、もう立ちあがらないだろうと思ったんです。だから、わざと水の中を見ているふりをしていました。」
そのかえるは、しばらくおちび先生の横で、おとなしくしていた。おちび先生が見ていないと思ったのか、やがてまた立ちあがって、遠くのほうをながめるようなかっこうをした。
「そのときは、歩かなかったんです。わたしは、早く歩かないかと息をころしていました。そうしたら、男の子がひとり、川の中をこっちへ、口ぶえをふきふき、やってきてしまいました。」
「それで、かえるはどうなった?」
「もういませんでした。気がついて、かえるをさがそうとしたら、くつがなかったんです。そのくつを――。」
おちび先生は、いいかけて、コロボックルたちのほうをふりむいた。
「そのあとは、あなたがたの受け持ちよ。」
「ワシラハ、セイタカサンガ クツヲ オイカケテイクノヲ ミタ。ソコデ クツノナカニ カクレテイタンダ。」
「ぼくはくつをつかんで、岩のところまでかえってきた。これはさっき話したとおりだ。しかし、きみはなぜ消えたんです。」
「帰ったんです。」
ヒコ老人が、なにか思いだしたらしく、早口でなにかいった。あのときは、もうひとり、山の近くに人がいた。おちび先生は、その人におぶさって帰ったというのだ。
「そうなの。あれは、そのころ中学生だった、わたしのいとこです。」
「そうだった。きみは、だれかときていたといったな。」
「わたしは小学校の一年生で、はじめての夏休みだったのよ。この町にあったいとこの家へ、とまりがけで遊びにきていたときだわ。」
「まてよ。そうすると、きみは、この町でそだったのではなかったのか。」
「ちがうのよ。戦争で焼けだされて、その親類の家をたよってきたの。ここへときどきくるようになったのは、それからだったわ。」
「そうか。」
ぼくは、だまっておちび先生をながめた。ぼくはこの町で育ち、とちゅうではなれていった。そしてこの小山がわすれられず、またかえってきたのだ。ところがおちび先生も同じようなことをしていた。ふしぎなような気もするし、あたりまえのような気もした。ぼくたちは、ふたりとも小山にひきつけられていたから、いずれは、ここでめぐり合ったにちがいない。
「それで、そのあまがえるを見て、きみは、どんなことを考えたんだい。」
「とにかく、このかえるは、きっとただのかえるではないと思ったわ。」
おちび先生は、ちょっと首をかしげた。
「はじめは、それだけだったんです。でも、そのうちに、この小山の近くは、ふしぎなものが住んでいるところにちがいないと思いました。わたしの見たのが、あまりはっきりしていたので、そう信ずるほかはなかったんです。もしかしたら、小人がかえるにばけたのかもしれないと思ったし、口をきくかえるがいるかもしれないとも思いました。そんなことをひとりで考えるのが、とてもたのしみでした。」
ぼくはうなずいた。ほっと、思わずため息がでた。おちび先生は、ほんのすこしの手がかりから、ほとんど小山のひみつを見やぶっていたといってよかった。ぼくのほうは、こぼしさまの話も知っていたし、早くからコロボックルのすがたを見ていた。それでさえ、いちじはわすれていたことがあったのだ。
おちび先生は、だまっていすからはなれると、また小屋にはいっていった。そして、小さな赤い運動ぐつを持ってもどってきた。これも、ぼくがつくえの上にならべておいたものだった。
「これをなくして、おかあさんからずいぶんしかられたわ。買ったばかりだったんです。」
「いまからでもよければ、かえします。」
ぼくはわらいなからいった。
「いいえ。これは。コロボックル小国のものだわ。でも、なつかしい――。」
おちび先生は、両手であたためるようにだいた。ぼくはそんなおちび先生を、ぼんやりながめていた。小山も、ようやく日がかげって、つばきの木のかげが、長く三角平地にのぴていた。おちび先生が帰るとき、ぼくは町まで送っていった。そして、歩きながらコロボックルの話をしてきかせた。そうやって、気楽に小山のひみつを語りあえるのが、ぼくには、むねがすくような気持ちだった。
――こんなことなら、思いきって、もっと早くうちあければよかった! ――
ぼくはそう思った。ひとりだけ知っているというのも、たしかにいい気持ちだった。しかし、だまっているのが苦しいこともずいぶんあった。この前おちび先生と会ったときも、ぼくは口から出かかるのを、いっしょうけんめいおさえなければならなかったのだ。
おちび先生も同じような気持ちだったらしく、はればれとした顔つきだった。
こうして、コロボックルには、新しい味方ができた。コロボックルの国づくりも、これからはぐんぐん進みそうだった。おちび先生は、コロボックルたちが、もっともっと、人間のことを知ったほうがいいという考えだった。もちろんぼくもそれには大さんせいだった。そのつもりで、いままでも、三人のヒコたちには、すこしずつ文字を教えたり、世の中のしくみを話してやったりしていた。しかし、大部分のコロボックルは、小山の近くだけのことしか知らなかった。
「ただかくれているだけでは、いけないわ。」
おちび先生はそういった。
「せっかく国ができたんだし、コロボックルだって、これからはたくさん仕事があるはずよ。自分たちで、なんでもできるようにしてやらなくちゃ。」
そこでぼくたちは、ヒコ老人とも相談して、前から考えていたコロボックルの学校をさっそく開くことにした。三人のヒコが中心になって、ぼくたちの教えたことをみんなに教えるのだ。生徒は、子どもからとしよりまで、みんながかわるがわる集まった。もともと頭のはたらさの早いコロボックルのことだから、おぼえるのも早かった。ぼくとおちび先生は、コロボックルに追いかけられるように、つぎつぎと、教えなければならなかった。そのころぼくたちは、コロボックルに本を買ってやった。エノキノデブちゃんが、その本をみんなに読んできかせるところを見たが、なかなかおもしろかった。デブちゃんは、大きな本をひろげて、その上をとびまわりながら読んでいたのだ。
[#挿絵(img\211.jpg)]
そのうちにコロボックルたちの考え方も、すこしずつかわっていった。おちび先生のいったように、ただ世の中からかくれているのではなく、自分たちの国を、もっと元気のあふれたたのしい国に育てていこうと思うようになってきたのだ。そうなると、ぼくのほうも、ますますはりあいがでてきた。ヒコ老人もすっかりのり気だった。このごろ、やっとゆっくり話せるようになった口で、こんなことをいった。
(わしらが、自分の力で味方をさがそうとしたのは、やはりまちがっていなかった。なんでもやってみるつもりにならないといけないな。)
ぼくも、そのとおりだと思った。とくにおちび先生という相談役ができたからには、なんでもいいと思うことは、どしどしやってみようと考えていた。ヒコ老人は、またこんなこともいった。
(コロボックル小国の物語を、きちんと書きのこしておきたいのだが、せいたかさんにてつだってもらえないだろうか。)
ぼくはよろこんでひきうけた。そして、この仕事は、ぼくとヒコ老人のたのしい仕事になった。ぼくは、厚いノートを買ってきて、ヒコ老人の話すままに、古いことも新しいことも書きとめた。
コロボックルたちが、そうやって日ごとに熱心になってくるのを見て、ぼくは、一日も早く小山を買ってしまいたくなった。さしあたってなんの心配もなかったのだが、やはりしっかりとぼくの小山にしておきたかった。ぼくにとっては、子どものころから考えつづけているのぞみでもあった。しかし、これは、おちび先生にもめいわくをかけたくなかったし、コロボックルを使うわけにもいかなかった。ぼくは、それまでも余分のお金は、このために積み立てていた。だが、まだほんのわずかなものだった。
このことについては、おちび先生もいれて、みんなで話しあったことがあった。そのとき、コロボックルたちは、ぼくをなぐさめるようにいった。
「セイタカサンハ イソガナクテモイイ。ワシラハ イマノママデモ、アンシンシテイルヨ。」
「そうねえ。」
と、おちび先生もいった。
「わたしがおてつだいしたくらいでは、どうにもならないでしょうし――。あまりむりなことは、しないほうがいいのじゃないかしら。峯のおじさんは、話をきいただけでも信用できるかたのようだから、あわてなくてもだいじょうぶよ。」
「そうかもしれない。だが、この調子では、いつになることやらね。」
ぼくはため息まじりに答えた。コロボックルだって、そもそも味方をさがす気になったのは、心配のない人間に、小山の持ち主になってもらいたかったからなのだ。そして、ぼくの長いあいだのゆめも、自分でみつけたいずみのある美しい小山を自分のものにすることだった。ぼくは、早くそんな日がくればいいと心から思った。ぼくの考えでは、そうなったときこそ、コロボックル小国がほんとうにひとり立ちしたことになる日だった。
――そのときは、すごいお祝いをやろう。コロボックルの城には矢じるしの旗を立て、もちの木の入り口にはアーチをつくろう。なにも知らないやつが、どんなにおどろいたってかまうもんか。その日は、この小さな国の記念日にするんだ――。
ぼくは、そんなことを考えては、ひそかにむねをおどらせた。しかし、もしかすると、そのときは、ぼくもすっかり年をとって、頭が白くなっているかもしれないと思った。
いつのまにか、おちび先生を味方にむかえてからも、月日がたっていた。いろいろなことのあった一年がすぎて、小山には、またつばきの花がさいた。
ある日の朝、ぼくはりっぱな封筒にはいった手紙をうけとった。あて名はたしかにぼくの名まえだったが、うらをかえすと、有名な自動車会社の名まえがすりこんであった。
――広告かな――。
ぼくはすぐにそう思った。が、ぼくと自動車とは、あまり緑がなかった。首をかしげながら封を切って、中からうすい紙をひっぱりだした。きれいに印刷された手紙の中に、ペンで書きこんだ文字があった。それが、いきなり目にとびこんできた。
コロボックル! たしかにコロボックルと書いてあった。
どきん! とむねが鳴った。大いそぎで、ぼくは目を走らせた。
[#ここから1字下げ]
拝啓、先に、当社の新製品である小型四人乗り軽自動車につきまして、広くペットネーム(愛称)を募集いたしましたところ、多数のご応募をいただきまして、まことにありがとうございました。
さて、このたび、慎重な審査の結果、あなたのお考えくださった『コロボックル』号が、めでたく『一等』に当選と決定いたしましたので、ご通知いたします。
なお、賞金『二十万円』は、おって係員がおとどけにあがります。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]敬具
『コロボックル』『一等』『二十万円』それにぼくの名まえが、ていねいにペンで書きこまれていた。ぼくはまるで、きつねにつままれたような気持ちだった。二度も三度も読みなおしてみたが、頭の中はこんがらかるばかりだった。まったく身におぼえのないことだったのだ。はじめのうち、ぼくはだれかのいたずらかもしれないと思った。ぼくがコロボックルを知っていることに気がついたものがいて、たちのわるい、からかいかたをしているのかと思った。しかし、この会社がそういう募集をしていたのは、ぼくも前に、なんどか新聞で見たことがあった。
――まてよ――。
ぼくは、その日の新聞にとびついた。さがすまでもなく、その広告らんに、かなり大きな発表が出ていた。一等当選は、たしかにぼくの名まえで、住所で、そしてコロボックル号だった!
そうなると、ますますあやしくなった。もしこれがぼくの名まえでなかったら、まだわかることだった。コロボックルという名まえは、みずすましのように、すいすいと走りまわる小さな自動車には、なるほどふさわしいよび名にちがいなかった。だれかがそんな名まえを歴史の本からひろいだしてきたって、すこしもふしぎではなかった。ところが、その名まえは、ぼくがだしたことになっているのだ。
――だれのしわざだろう――。
ぼくは、さっそく、おちび先生に相談してみなければならないと思った。
――おちび先生とコロボックルを集めて、だれがやったかしらべさせよう――。
やっと考えがまとまったとき、ぼくはふいに気がついた。ぼくとコロボックルのことを知っている人が、ひとりだけいた。それがおちび先生だった。
――なんだ。こいつはおちび先生がやったことだな――。
ほっとすると同時に、われながらおかしくてたまらなくなった。おちび先生のほかに、ぼくのひみつを知っている人はないはずだった。ぼくはすっかりのぼせてしまっていたのだ。
「うん。おちび先生にちがいない。」
もういちどゆっくり手紙を読みながら、ぼくはつぶやいた。そしておちび先生は、ほんとうに、ぼくをびっくりさせてばかりいる人だと思った。
それでもまだ、一つだけ心配が残っていた。当のコロボックルたちが、このことを知ったら、どう考えるだろうかと思ったのだ。ぼくはかまわないが、コロボックルは気にいらないかもしれなかった。そのときに、ぼくはどういってなっとくさせたらいいだろう。もしこれが、なにも知らない人のしたことなら、やむをえないともいえる。だが、同じ味方がことわりなしにしたことでは、いいわけのしょうもないような気がした。
ぼくは、心配しながら自分のへやへもどって、コロボックルをよんだ。ヒイラギノヒコがすぐにあらわれた。だまって新聞と手紙を見せると、しばらくしてから耳もとでささやいた。
「コレハ オチビセンセイト セワヤクサンノ ヤッタコトダヨ。」
「世話役さんだって? そうすると、きみたちは知っていたんだな!」
「ウン。」
ヒイラギノヒコは、うれしそうにわらった。
「コレデヤマガカエルカイ?」
――そうか――。
返事が声にならなかった。さすがにおちび先生だった。ちゃんとヒコ老人とも相談してあったのだ。ぼくだけなかまはずれにされていたわけだが、そんなことは、もうどうでもよかった。ぼくははじめて一等に当選したことがうれしくなった。
――二十万円か。なるほど、これで小山は買えるかもしれない。だが、それこそおちび先生と相談しなくてはならない――。
手紙をたいせつにポケットにいれて、ぼくは家をとびだした。
「わたしもびっくりしているのよ。あまりうまくいきすぎたんですもの。」
おちび先生は、あとになってもよくそういった。
「しかし、きみは、よくあんなことを思いついたね。小型自動車の名まえには、たしかにぴったりするよ。」
「そうね。でも、もともとは、あなたのさがしだしてきた名まえよ。」
「それにしても、きみはすばらしい相談役だ。」
ぼくは、いつかヒコ老人のいったことばを思いだした。
(なんでも、やってみる気にならなければいけないな。)
ヒコ老人はそういった。考えてみると、あのころに、おちび先生は思いついたらしい。
「とにかくこの賞金は、きみの考えどおりに使うことにするよ。」
ぼくはゆっくりいった。
「きみの分も、とってもらいたいんだ。」
「いいえ。そんなことおかしいわ。」
おちび先生は相手にならなかった。そして、ぼくが、えんりょなく小山を買えるように、わざわざ、ぼくの名まえをつかったのだといった。
「そうでなければ、ヒコ老人だって、承知しなかったかもしれないわ。」
「うむ。」
ぼくは、なんと答えていいかわからずに、ただうなずいていた。
それから十日ばかり、ぼくはきゅうにいそがしくなった。小山を買うためにあちこちかけまわったからだ。
峯のおやじさんは、ぼくが手紙を見せて説明すると、それだけあれば、じゅうぶん山は買えるといった。しかし、心配そうにつけくわえてくれた。
「せっかくの大金なんだから、もうすこしおまえさんが持っていたらどうだい。山を買うのは、あわてなくてもいいだろう。」
「いいえ。」
ぼくはわらいながら答えた。
「ほかのことに使っては、いけないお金なんですよ。ぼくひとりで考えたことではないんです。」
「ほほう。」
おやじさんは顔をあげた。
「だれか、あいぼうがいるのかね。」
「そうなんです。その人も、ぼくが山をほしがっているのを知っているんです。それで、すっかりまかせてくれました。」
「なるほど。」
ぼくは、コロボックルという名まえについても、ちょっと説明してからいった。
「あの山を、こんどからコロボックル山ということにしますよ。記念に、自動車の名まえと同じ名まえをつけようと思うんです。」
「うん、それはいい。鬼門山というのは、たしかにえんぎがわるいからな。」
おやじさんは、そういってよろこんでくれたが、これは、コロボックルたちとも話しあってきめたことだった。これからは、ぼくもおおっぴらにコロボックル山ということもできるし、なぜそういうかときかれたときでも、よけいなことをいわないでもすむのだ。なんとなく、肩かかるくなったような気持ちだった。
小山が、ほんとうにぼくのものになったのは、それからすぐだった。
そして、はじめての日曜日。
ちょうど小山は、きらきら輝く若葉につつまれていて、まるで、たからもののように見えた。この大きなたからものを、ぼくはやっと自分の手にいれたのだ。
子どものころのように、ひとりでつばきの木にのぼって、ぼくは小山をながめた。足もとにはいずみが光っていたし、町のやねも見えた。このごろ町がだんだん大きくなって、小山のすぐ近くにも、新しい家がたちならんでいた。
えだの上に足をのばし、頭の下に手をやって、ぼくは木の上でじょうずにねころんだ。空には、見たことのあるような雲がうかんでいた。さわやかな風が、さやさやとふいていった。
ぼくの頭の中には、小山を手にいれようと思いたった遠いむかしのことが、雲のように、ぽかりぽかりとうかんで流れていった。
――ゆめのようじゃないか――。
ぼくはふとそう思った。そのとき、もちの木の入り口から声がした。
「せいたかさあん。」
コロボックルのもうひとりの味方が、このだれも知らない小さな国のお祝いをするために、やってきたのだ。ぼくは木の上でからだを起こしながらつぶやいた。
「あの人も、いい人だし――。」
ふっとむねがしまった。ぼくは心の中で小山によびかけた。
「矢じるしの先っぽのコロボックル小国! いつまでも静かな明るい国でいてくれ。」
[#挿絵(img\221.jpg)]
あとがき ――その1――
わたしはこの物語で、コロボックルという小さな人たちを、活躍させてみました。もしこの物語を読み終わったとき、小人たちが、実際に身のまわりを走りまわっているような気がしてきたら、それだけでも、わたしにとってはうれしいことです。
わたしたちの日本には、どういうわけか、小人族の話があまり伝わっていません。なんとなくおかしみがあって、そのくせ、いくらかおそろしいところもあるような、ひとくちにいえば西洋の妖精のような小人を、わたしたちの祖先は残しておいてくれなかったようです。
はじめのうち、わたしは、このことがざんねんでたまりませんでした。しかし、アイヌ伝説のなかに、コロボックル(ロポックンクル・コロポックルともいう)の話を見つけだしてからは、いまからでも、けっしておそくはないと思うようになったのです。これからの日本人の心に、おにやてんぐやかっばなどにくわえて、もうひとつ、わたしの手で小人をわりこませることができたら、どんなにゆかいだろう! そんな願いを持ったのです。そして、その小人には、ぜひとも、コロボックルに再登場してもらわなければならないと考えました。そんなことからいって、この物語は、大むかしのコロボックルを、わたしが、あらためて現代の世の中に紹介しようとしたものだといっても、ほとんどまちがいありません。
しかし、ほんとうのことをいうと、わたしがこの物語で書きたかったのは、コロボックルの紹介だけではないのです。人が、それぞれの心の中に持っている、小さな世界のことなのです。人は、だれでも心の中に、その人だけの世界を持っています。その世界は、他人が外からのぞいたくらいでは、もちろんわかりません。それは、その人だけのものだからです。そういう自分だけの世界を、正しく、明るく、しんほうづよく育てていくことのとうとさを、わたしは書いてみたかったのです。
自分だけの小さな世界は、たいせつにしなければいけないと思います。同時に、他人にもそういう世界があるのだということを、よく知って、できるだけ、たいせつにしてやらなければいけないでしょう。
とにかくわたしは、この物語で、コロボックル小国をえがきだしてみました。それは、わたしの心の中の小さな世界でもあります。
本来なら、わたしだけの世界であるべき小さな国を、そんなことから、わたしは、思いきって発表してみました。しかし、これからも、たいせつに、この小さな国をもりたてていこうと考えています。そして、できれば、これからの、この国のいろいろなできごとも、ひきつづき書きとめていきたいと思っているのです。
[#地から3字上げ]昭和三十四年七月 佐藤さとる
[#改ページ]
あとがき ――その2――
私にとって「コロボックル物語」とはなんだろうか、と考えることがある。
幼年時代から抱きつづけてきた或る幻想の総和のようなつもりで、この「だれも知らない小さな国」を書き、その後「豆つぶほどの小さな犬」「星からおちた小さな人」「ふしぎな目をした男の子」と続けて、すでに四巻のシリーズになっている。しかも、まだまだ先を続けるつもりだから、どうやら私は、コロボックルという小さな魔ものにとりつかれて一生を送ることになるらしい。
となると、私にとって「コロボックル物語」は、単に分身であるとか内面世界の展開であるとかいうだけではすまされないわけで、これは、狐|憑《つ》きならぬコロボックル憑き≠フ私が唱える長い長い呪文のようなものかも知れない。
とにかく、思いがけずこうして文庫に収められることになり、この「だれも知らない小さな国」をせっせと書いていた十数年前の私の希い――小さな可愛いい本にしたい――がかなえられて、嬉しくてたまらない。
[#地から3字上げ]昭和四十八年六月 佐藤さとる
[#改ページ]
解説
[#地から3字上げ]神宮輝夫
一九四五年の敗戦を期に、それから五年間ほど、相当数の児童文学が出版されたが、それらの中から今もなお残るものは「ノンちゃん雲にのる」(石井桃子)「太陽よりも月よりも」(平壌武二)「二十四の瞳」(壷井栄)「五十一番目のザボン」(与田準一)その他少数であって、あとは歴史の中に埋没しかけている。
急激にまきおこった活字への渇望と執筆のまったき自由が、児童文学作家たちの、足下を見失った多作をうながし、それが読者を離反させたことや、貧困な経済状態が、一九五〇年代の出版停滞をうながした。そして、この時期、戦後に作家となった人たちの大部分は同人誌に依って創作活動をしていた。二、三の例をあげれば、いぬい・とみこ、神戸淳書、長崎源之助、佐藤さとるが「豆の木」、松谷みよ子、塚原亮一が「児童文学研究」、永井鱒三前川康男、寺村輝夫が「びわの実」、山中恒、古田足日、鳥越信そして私が「小さい仲間」、上野瞭、安藤美紀夫が「馬車」にといったように、現在、創作、評論、翻訳等で多くの仕事をしている人たちが、この同人誌時代を経ている。
戦後に実質的な創作活動に入った若い作家たちの間では、激動する日本の現実の中の子ども像を立体的、継続的に把握しようとする点でほぼ共通した創作態度が見られた。一見ひじょうに奇妙にうつるが、明治以来、子どもが、その外面と内面において、彼らの環境と深くかかわりながら把握されるようになったのは、この時期が最初であり、その意味で画期的な変化といってよい。彼らの活動が、経済の好転と結びついた一九六〇年代から、日本の児童文学は長盛期を迎える。
戦後の作家たちの中で、しかし、佐藤さとるは孤立した特異な存在としてきわだっている。それは、現在四十代にいる作家たちの中で、彼のみが一貫して自己をのみ語る点にある。「だれも知らない小さな国」の語り手兼ヒーローの(ぼく)は、小学校三年生の夏、小人族の住む小山をみつけ、「この山はぼくの山だぞ!」と思わずさけぶ。そして、友だちに所在を教えず、ひとり楽しむ。そして、戦後山を手に入れ、小人たちと再会し、やがて人生の伴侶となるべき女性とともに、小人の国を守り育てる。
戦前、戦中、戦後を通じて失わなかった小山への憧憬は、戦争中守りぬいたもの、そして戦後の子どもたちに提示できるものと解釈され、この作品は他の新しい作品同様、戦後世代の声として認められた。だが、「評論家の中で、戦争文学としてその作品を論じた人がかなりいたが、ばくには、彼が戦争の部分だけをとびこして書いているとしかおもえない。恐らく彼にもそんな意図はなかったろうし、あの作品は、『戦争』ということをぬきにして考えても、充分傑作にあたいするものである。」(長崎源之助〈建築家サットル氏〉『日本児童文学』'69・6月号)が、もっとも本質に近い評価であると思う。
佐藤が意図したものは、平たくいえば、自分で楽しみたいものを書くことであった。彼は「私は、自分がおもしろいと思ったことを自分の喜びのために書く。他人の力の及ばない自分だけの世界を作って、その中で作者の私は一種の支配者となる。私は生殺与奪の権を握っている。その世界のこ七は、他に対して一切の妥協・説得を必要としない。すべて私の一個人の責任のもとにあって、もちろん他人の意見をとりいれるのは自由だが、それを斥けるのはより一層自由である。」とのべている。この創作態度は、イギリス児童文学の高峰をきずいた作家たちのそれと同根である。ロバート・ルイス・スチーブンソンは、自らの心からなる喜びにひたるために「宝島」を書いたのであったし、ルイス・キャロルは格式のやかましい学問と紳士の世界から一種の狂気の世界へ息抜きに出かけるために「ふしぎの国のアリス」を創造している。そして、彼らの自己没入は、教訓、義や実利主義から子どもの文学と子どもを解放する積極的な意義を果した。
問題は、佐藤の自己追究が一九六〇年代以後の日本の児童文学に、イギリスの彼らのそれと同じ積極性をもちえたか、そしてもちえるかである。
この問題に、もっとも積極的にとりくんだのは作家・批評家古田足日であった。古田は「児童文学の旗」理論社)の序文で「ぼくの六〇年代が『だれも知らない小さな国』とのたたかいであったらしい」とのべ、本文中で、何カ所か、この作品にふれている。最終的な意見と思える、「七〇年代を考えるおぼえ書」によれば、古田の望んでいた変革の文学は、大まかにプロレタリアートの文学を中心にしたものであったが、新しい文学として登場した「だれも知らない小さな国」は、主人公がほぼ労働者階級に属するのに、その思想一般は階級的自覚に基づくより、個の主張、個に内在する価値体系の確立に基礎をおいた点で、彼のめざす子どもの文学と相違するとのべている。
古田のチャレンジは、児童文学が読者をひろげ、子どもへの密着度を高めてきた戦後の動向の中では当然なことであった。そして、空想の領域で支配者になるといった佐藤の言葉は、その言葉だけをあげつらうならば、ブルジョア的、いや、ときには貴族趣味的と誤解されかねないひびきを持っていた。
だが、現在に至るまで、佐藤の詩作は、読者から圧倒的に支持され、ある意味では、社会意識の強い文学系列にとって一つの痛点となっている。
ある子どもがヒユー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズを愛好して、その空想世界をひとり楽しんでいたが、ある時図書館でその全集が多くの人たちに読まれているのを知り、一瞬自分ひとりの世界に大勢が土足でどかどかと入りこんできた感じをもったが、やがて、その楽しみを分ちあう喜びを持つようになったという話をきいたことがある。
佐藤の作品の魅力も、このエピソードの中にあるように思う。まず、読者がひとり楽しむ態度を排他的でありブルジョア的であるとよぶことはできない。「ドリトル先生」の世界も「コロボックル小国」も、子どもの本能的正義感が容認したものであり、人に知られたくない気持は、いわば善が栄え悪がこらしめを受け、美しいものが美しいままに保たれる秩序ある世界の防衛本能である。これは、自我への素朴なめざめであって、独善やわがままとはちがう。自我へのめざめがあって、はじめて他と共通する部分で人間はつながりあえる。
戦後日本の児童文学は、大人と子どもを含めた人間の連帯や、大人をのりこえた子どもたちの連帯などを語った作品をかなり創造してきたが、結局は、現在に至るまで、個人の願望を包みこみつつ、人間の連帯を確信させる奥行きのある作品を生むに至っていない。はやくいえば日常生活的次元での連帯が魂の連帯にまで高まるものがないのである。私は、佐藤の作品が、その不足を大きくおぎなっていると考える。
また、児童文化の状況も、彼の文学を要求していると思う。小説は、自我の確立とともに歩んできた文学形式であり、佐藤の文学もその線上にある。だが、テレビの出現は、現在のところ、複数の人間の同時的享受の中で、小説と個人の向かいあいほどに強烈なものを与えることをさまたげている場合があまりにも多い。平均化した作品に対する、無害な平均化した反応が横行し、個性の発達をさまたげている。そして、それは、本の分野でも、集団読書を誤解した平均化した本などにもあらわれている。そうした状況下で、一貫して自己の追求をつづける作品は、やはり 大きな影響を幼ない魂に与える積極的な役割を果すといわねばならない。
今までのべたことは、いわば、戦後児童文学における「だれも知らない小さな国」の相対的価値と位置づけかもしれない。この作品及びその前後にある多くの短編には、かりに他の作家の作品に、近代を超克した新しい人間観や人間関係が生まれていたとしても、なお多くの読者を魅することのできるものがある。その一つは物に対する強い興味である。
この特徴は、コロボックルの国の続編である「豆つぶほどの小さないぬ」や続々編である「星からおちた小さな人」などによりよくあらわれ、別系列の作品「おばあさんのひこうき」を経て「ジュンとひみつの友だち」でもっとも明瞭になっている。
「ジュンとひみつの友だち」は、鉄骨に宿った技師の魂が小学生の男の子と友だちになる話である。これは、つまるところ、つくられたものが充分に機能を果している場合、それには製作者の技術の粋と情熱がこめられているという考えであり、その製作者への深い尊敬の表明である。だから、佐藤の物への興味と愛好心には人智への深いおどろきと敬意がこめられている。それは、即人間への愛にほかならない。
彼は、たしかに、自らが絶対的な力をふるえる、自分と配偶者だけが知っている小さな美しい世界を作った。しか主その世界にしても、小人たちの生命や生活をおびやかす恐れのある人間は入ることができないし、もし語り手である「ぼく」が不用意に小人のひみつをもらせば消え去る危険をはらんでいた。また、すでにのべたように、作者が生殺与奪の権をふるえる物語世界は、子どもの知識、経験、感覚から考えて納得の行く正当性がなくてはならなかった。だから、佐藤のいわゆる自分だけの自由な国とは、子どもが認めるかぎりにおいてという条件がつく。自分ひとりが好むままに創造した物語世界が子どものものでありえるのは、子どもの心身の正常な成長をうながす思想にうらづけられている場合のみである。「だれも知らない小さな国」が十数年にわたって子どもたちに読みつがれているのは、彼のただひとりの心からなる喜びが、じつは戦後の子どもたち多数の心からなる喜びと合致する健康なものであって、ブルジョア趣味のひとりよがりでないことを、雄弁に物語っている。
この物語が続編を書くべきだったかどうかは多分にうたがわしい。ただ、佐藤は、「このつぎ、どうなるの?」と読者にせがまれて書きつづけざるをえなくなった幸運なひとりになったことはたしかである。
「星からおちた小さな人」で、ついに小人のひとりが保護者以外のものにつかまってしまう。そして、この場合は、小人の側は被発見者を切りはなすことによる保身をすて、人間の場合は小人を金にかえる野心から友情へと変る内心の葛藤を経て、問題は解決する。作者の自己確立と尊厳の維持は、他者との信頼を基礎にした連帯なくしてはできないことを自覚したことの証明ともいえよう。
「ふしぎな目をした男の子」では、もう小人たちは、自由に人間社会に出て行っている。そして、さらに、人間の中に友をえらべる。かつての保護者は、ほとんど姿をあらわさない。小人が見え、友だちになれる人間は、すばやい日という特異なものをもつ人間ではあっても、多数になりえるのである。
ふしぎな目をした男の子は、自己の信条を持ち、他人の自由に生きる権利を犯すことなく、人間社会の向上に資することに対して協同歩調のとれる人間の象徴にほかならない。佐藤はコロボックルの四冊を中心に、今日の生き方を読者に提示している。それ故、最初の「だれも知らない小さな国」も、単に十九世紀的な自己確立や戦争体験の空想的展開ではなく、新しい時代の作者の生き方の表現にほかならなかったことを、あらためていっておきたい。佐藤はただ、盲目的連帯や、翻訳的階級意識の伝達を拒否し、独自の方法を児童文学で手さぐりしたのである。そして、それがじつは文学の機能であると私は考えている。
最後に、佐藤の空想の質についてすこしのべておきたい。
「こぼしさまは、草のかげを伝わって、するするっと近よってきた。そして、ぼくの目の下にあったふきの葉にかくれた。その葉をそっとめくってみると、あっという間に、ふたりが見えなくなった。残ったひとりは、ふきのくきにつかまったまま、ぼくを下から見かえした。月が、ま横からさしこんで、その勇敢なこぼしさまを照らしだした。/ズボンのようなものをはいていたが、上着は長く、ひざの下まであった。そして、糸のようなおびをしめていた。おびのはしかたれさがっていて、きらきらと光っていた。顔はあまり小さくてはっきりしなかったが、わかいこぼしさまのようだった」(本文六七頁)
のような文章でよくわかるように、彼の空想は具体的で詳細をきわめている。この空想性は、当時手本とされていたイギリス的空想性とよく似ていたので、その模倣と見なす人びともいる。彼が「ピーター・パン」をはじめ、かなりの外国作品を読んでいることはたしかだが、それは、子ども時代にだれでも読む程度のことであり、直接的な影響ではない。佐藤は、敗戦とほとんど同時に創作をはじめたのだが、当時から描写は精密にして簡潔であり、すべてをあいまいに残すことがなかった。それがふしぎなできごとの描写にもそのままあらわれている。その点は、ふしぎさを論理的に解剖して再構成するイギリス人たちの空想と、たしかに似てはいる。
佐藤は、物に対する興味を持ち、物の機能に驚嘆し、もっとも機能的である物に美を見出す。そこに彼の空想の一つの泉があることはたしかなのだが、神秘なものへの好奇心と愛好心も人一倍強い。それは合理的な物を多くつくりだした人間の力への驚異の念から、一面もっとも不合理な人間への興味と、その人間をとりまく解明できない大きなものへの強烈な好奇心であろう。
佐藤さとるは、一見ぜいたくな自己の世界への没入や事物への強い興味や神秘へのあこがれなど、多くの点でイギリスのアーサー・ランサムを思い出させる。仕事ぶりから見て、ある時期リアリスティックな作品に、流れがかわっていくような気がする。
[#地付き](青山学院大教授)
[#改ページ]
佐藤さとる
一九二八年 神奈川県横須賀市に生まれる。父は海軍軍人、母は小学校教員だった。
一九三八年 (十歳)横浜市へ転居。以後横浜に住む。
一九四九年 (二十一歳)関東学院工業専門学校建築家卒業。
一九五〇年 (二十二歳)神戸淳吉・長崎源之助・いぬいとみこ氏らと同人誌「豆の木」発刊。
一九五九年 (三十一歳)「だれも知らない小さな国」自費出版。同年講談社より出版。毎日出版文化賞・アンデルセン国内賞受賞。
一九六七年 (三十九歳)「おばあさんのひこうき」で厚生大臣賞・野間児童文芸賞受賞。
一九七二年 (四十四歳)「佐藤さとる全集」全12巻を講談社より刊行、七四年完結。
さし絵
村上 勉
一九四三年、兵庫県に生まれる。
児童図書のさし絵や絵本・装丁などで活躍中。佐藤さとる氏の作品のイラストで長くコンビを組んでおり、コロボックルシリーズや「佐藤さとる全集」なども、すべて村上氏が絵をつけている。
「おばあさんのひこうき」「宇宙からきたかんずめ」により、小学館絵画賞を受賞。
底本:「だれも知らない小さな国」講談社文庫 佐藤さとる著
昭和四八年七月一五日初版発行
昭和五四年六月一五日一九刷発行
底本は一ページが四三字×十八行。
二〇〇五年九月 テキスト化。