マリア様がみてる
プレミアムブック短編 Answer
今野緒雪
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)小笠原《おがさわら》祥子《さちこ》は
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》
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(例)[#改ページ]
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小笠原《おがさわら》祥子《さちこ》は、怪獣に似ている。
大きい手提《てさ》げ袋を肩から提げて黙々と歩く姿が、箱庭のような街を壊して歩く、特撮ものの怪獣の姿とどうしてか重なって見えるのだ。
いつも、何かに怒っている。
見えない何かと戦っている。
戦う相手は、今目の前にある何かではないことは、たぶん重々承知の上で。
自分の存在を持てあましている。
この世界に順応できずにもがいている。
怪獣が歩くたびに、街は壊れる。
けれど、傷ついているのは行き場のない怪獣の方なのかもしれない。
怪獣には、そんな哀愁《あいしゅう》がある。
リリアン女学園高等部一年、小笠原祥子もまた。
*
「蓉子《ようこ》、決めた?」
背後から、|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》が尋ねる。
「……何のことでしょう? お姉さま」
蓉子は、お茶をいれる手を休めずに答えた。だから、もちろん振り返りもしなかった。
「可愛《かわい》げない子ね」
お姉さまは笑った。
「『何のことでしょう』の前の『| …… 《てんてんてん》』が、物語っていたわよ。何のことかわかっています、って」
「恐れ入ります」
言いながら、蓉子はティーポットからカップへとダージリンを注いだ。やわらかい香りのついた湯気が、ふわりと身体を包み込む。
まったく修行が足りない。気を取り直すように、一度深呼吸をした。
「| 妹 《プティ・スール》のことですか」
放課後の薔薇《ばら》の館。テーブルへと運んだカップは三つ。|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》と蓉子と、そして――。
「何か一つ、わかりやすい特徴がある子にしてよ、蓉子ちゃん。これ、私からのリクエスト」
|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》。佐藤《さとう》聖《せい》のお姉さまだ。
「わかりやすい特徴、ですか?」
「例えば、すっごく背が高い子とか、お相撲《すもう》さんみたいにふくよかな子とか、ガマガエルみたいな声の子とか、チリチリの天然パーマの子とか」
「バタくさい顔とか?」
蓉子が言うと、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》は「その通り」と愉快《ゆかい》そうに肩を揺すった。
「何《なん》の某《なにがし》と名前を言われるより、ほらあの男の子みたいな子、って言ってもらった方がピンとくるじゃない」
「ああ、支倉《はせくら》令《れい》のことね」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》の口から出たのは、新一年生の名前だった。ベリーショートヘアに涼しげな顔立ちで、一見美少年に見えなくもない。| 黄薔薇のつぼみ 《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》である鳥居《とりい》江利子《えりこ》が気に入っているらしいから、顔と、剣道部に在籍しているという情報くらいは知っていた。
「江利子ちゃんらしいわ。いいところに目を付けた」
「私たちだけじゃなく、|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》までノーチェックだったそうじゃない?」
「ありきたりな枠内に収まるような江利子ちゃんじゃないものね。今日は|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》と一緒に、剣道部の練習を見に行ってるらしいわよ。で、少し遅れます、って」
「わざわざ、お姉さま連れで?」
「剣道部の二年生部員に圧力かけているのよ。支倉令はすでに黄薔薇ファミリーが目を付けているんだ、って。部活の先輩後輩で姉妹《スール》になるパターンは多いからね」
「なーる……」
このまま黄薔薇ファミリーの| 妹 《プティ・スール》問題は片づきそうだ、と会話を締めくくって、|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》と|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》はお茶をすすった。うらやましいことね、と。
まだ新入生が入ってきて一月《ひとつき》も経っていない、五月の初めだ。だから蓉子本人にしてみればまったく焦《あせり》りはないのだが、上級生二人にこんな風《ふう》にチクチクと責められるのはあまり楽しいことではなかった。候補すら見つけていないということなら聖だって同じであるのに、薔薇の館での会合をサボってばかりいるから、結果蓉子は一人で針のむしろに座らなくてはいけなくなる。
「ということで、次は蓉子ちゃんの番。支倉令に負けないくらい面白《おもしろ》い子を、連れてきてちょうだい」
「|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》、リクエストならご自分の妹にどうぞ」
「聖ね。……あの子に妹が作れるかどうか。自分のことで手一杯って感じじゃない?」
「相変わらず、甘いわね」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》が、非難するように|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》を見た。|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》の、妹過保護は今に始まったことではない。
「聖を無理に型に填《は》め込んでご覧なさいな。粉々に壊れちゃうから。そうなったら、床に散らばった先の尖《とが》った欠片《かけら》を、いったい誰が片づけてくれるっていうの」
そういう一種の脅《おど》しをちらつかせて、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》はこれまで妹を庇《かば》い続けてきたのである。
蓉子は、片づけくらいならいくらでもしようという気持ちはあるが、佐藤聖という友が傷ついたり壊れたりするのを見たくはなかった。だから、結局|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》のやり方に従ってしまう。甘いのは一緒。連帯責任なのである。
「何だって、こう面倒《めんどう》くさい相手を妹に選んだのかしらね。|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》?」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》の言葉に、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》は笑った。
「薄いガラス細工の置物を、飾って眺めていたいから」
顔が好きだと言われて、聖は|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》の妹になる決心をした。ある意味、究極の求愛である。
「蓉子ちゃんみたいに実用的な妹の方が重宝する、ってことは私だってわかっているんだけれどねぇ」
「ちなみに、聖ちゃんがガラス細工なら、蓉子は何だと思う?」
「風呂敷」
「その心は」
「用途に合わせて便利に使える。邪魔にならない。壊れない」
「うまい! 座布団二枚」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》は手を叩いた。確かに、言い得て妙。蓉子自身、こんなに自分を喩《たと》えるにピッタリの品はないと思われた。
「蓉子の姉としてお願い。できれば、頭に『高級』をつけてやって。ビニールのじゃなくて、布製の。ほら、刺繍《ししゅう》とか名前とか入っているやつ」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》のささやかな思いやりには感謝するが、あまり笑われるとフォローも台無しになる。蓉子が複雑な表情でため息をつくと、お姉さまから「忘れていたわ」と一冊のノートが差し出された。
「何です、これは?」
「めぼしい一年生を私たちがリストアップしてみたの。別に、この中から探せとは言わないけれど。参考にはなるでしょう?」
「拝見します」
こういうお節介、聖にしようものなら激しく反発するんだろうな。そう思いながら蓉子は、ノートを受け取った。中には二十人ほどの一年生の名前とクラス、そして部活などの簡単なプロフィールが書かれていた。三人の薔薇さますべてがノーチェックだったという支倉令は、もちろんこのノートに載っていなかった。
蓉子はノートをパラパラとめくった。しかし顔写真もない一年生の名前をただ眺めてみたところで、「これぞ」と決められるわけがない。
「このノートを参考書として活用するのは、なかなか難しそうです。お姉さま」
「ま、そうでしょうね。あまりノートに頼らない方がいいわ」
どうやら、面白半分に作ったらしい。もしくは、蓉子の反応を見て楽しむために。そういう手の込んだ悪戯《いたずら》をする人たちなのである。受験勉強で頭を使いすぎた反動だろうか。
「あ」
蓉子は、ある一人の生徒のページで目を留めた。
「……怪獣」
「カイジュウ?」
「え、別に」
つい、つぶやいてしまったが、もちろんリストの彼女は怪獣ではない。彼女は、ある意味学園内の有名人である。顔写真がなくとも、蓉子も彼女のことは知っていた。
「ああ、小笠原祥子?」
|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》が、蓉子の手もとを覗き込んで言った。
「なぜ、彼女のページを斜線で消してあるのです?」
「一応、名前は挙がったけれど、彼女を妹にするのは無理だって判断したので、全員一致でリストから削除《さくじょ》したの」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》、|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》。三薔薇さまの統一見解というわけだ。
「お金持ちのお嬢さまだから扱いにくい、とか?」
小笠原祥子は、大企業の社長令嬢である。
「お金持ちのお嬢さまであれ、庶民のお嬢さまであれ、一後輩には変わりないわ。まあ、誰を妹にするにせよ、一人の人間ととことん向かい合うことになるのだから、いずれ扱いやすいとか扱いにくいとかを含めて、性格的な問題は出てくるかもしれない。けれど、それはもっと後の話でしょ?」
「では?」
小笠原祥子を削除した理由を尋ねると、今度は|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》が答えた。
「単純なこと。小笠原祥子には暇がない」
「習い事、ですか?」
蓉子が頭に浮かんだままを口にすると、二人の薔薇さまは少し意外そうに「知ってたの」と言った。
「登下校の折、何度か鞄《かばん》以外の大きな手提げ袋を持っている姿を見たことが」
「何度か、ね」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》がそこの部分を強調したが、蓉子は気づかないふりをして話を続けた。
「でも、部活をしていると思えば――」
支倉令だって、剣道部に在籍しながら江利子の妹になるのだろう。それに若い娘だったら、習い事の一つや二つやっていたっておかしくない。リストアップされた一年生の残りすべてが、習い事をしていないなんて思えなかった。
「部活は毎日ないわよ」
「彼女の習い事は、毎日なんですか」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》はうなずいた。
「荷物を持っていない日も、自宅に某《なにがし》かの教師が来るんですって」
|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》が続けた。
「たとえ毎日でも、それが学校の部活だったら、生徒会との両立もしやすいわ。忙しさに応じて、細かく時間を配分することだって可能だし、極端な話、同じ敷地内なら行ったり来たりもできる」
けれど下校後の用事であれば、やり繰りのしようもない。そういう事情から、小笠原祥子はリストから削除されたのだ。
「外した理由はそれだけですか」
「それだけよ。でもその一つが、動かしがたい理由じゃないの?」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》はほほえんで、紅茶をすすった。
「わかりました」
蓉子はノートを閉じた。すると。
「小笠原祥子に、習い事を辞《や》めるよう説得するのはなしよ、蓉子」
顔も上げずに、|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》が言った。まるで天気の話でもするように。
「お姉さま……」
やはり敵わない。妹が自覚するより先に、お姉さまは気持ちを的確に言い当ててしまった。
「校外のことよ。たかだか学校の一先輩が、立ち入ることではないの」
「じゃあ、どうしたら」
「どうしたら? じゃあ聞くけれど、あなたはどんな状態にしたいと思っているの?」
「どんな、って」
「あなた、小笠原祥子を妹に決めているの?」
「いえ」
「はい」とは言えなかった。しかし、「いいえ」は嘘《うそ》だった。小笠原祥子が気になる存在であることは間違いないが、だからといってすぐさま「妹」にとは望めなかった。
向かい合うためには、腹を据《す》えなければならない。たぶん、彼女は佐藤聖くらい「面倒くさい相手」になるだろう。習い事よりも、むしろそっちの方がハードだと思われた。
「それなら、どうもしなくていいことでしょ? 関わるのはおやめなさい」
答えられずにいると、重ねて言われた。
「蓉子、返事」
「……はい」
言葉とは裏腹に、ますます小笠原祥子に気持ちが傾いていく自分を、蓉子は正しく理解していた。
登校時。
無意識に小笠原祥子の姿を探している。
放課後。
一旦薔薇の館へ行って、掃除などの雑用を終えてから、お手洗いにでも行くかのようにそっと抜け出して、銀杏《いちょう》の並木道まで意味もなく歩いたりした。
いや、意味はある。小笠原祥子を見る、それが目的だった。
彼女はいつだって美しく、意志の強そうな表情をしていた。しかし蓉子は、時折見ていてつらくなることがあった。
何と戦っているのだろう。なぜ、戦わなければならないのだろう。
外から見ているだけでは、何もわからない。彼女の内面に触れたい。心の中を覗きたい。気持ちはどんどん膨らんでいった。
ある日。
とうとう、蓉子は小笠原祥子に声をかけてしまった。
「小笠原祥子さん」
いつものように、街を壊しながら進む怪獣のような表情の一年生を眺めているうちに、つい魔が差してしまった、そんな感じ。マリア像の前だった。
「はい」
祥子は一瞬、驚いたような表情をして振り返ったが、すぐにいつもの戦闘態勢ともいえる力の入った目で見つめ返してきた。「何か」と。
「ちょっと、お話ししたいんだけれど。どれくらいならお時間大丈夫?」
祥子は腕時計を見た。
「十分《じっぷん》くらいなら」
「十分。それでいいわ。来て」
蓉子はほほえんで歩き出した。
ここは、下校する生徒たちが次から次へと通り過ぎていく並木道である。別に見られて不都合はないが、落ち着いて話せる場所ではなかった。
「書道?」
布製の手提げから巻き簀《す》のような物が飛び出していて、中から書道用の筆がチラリと見えていた。
「はい」
自己紹介はしなかったが、祥子は蓉子のことを知っているようだった。しかしなぜ| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》が自分に声をかけたのか、その理由までは理解できていないようである。
「警戒しなくてもいいわ。姉妹《スール》の申し込みじゃないから」
先回りして、蓉子は言った。すると祥子は複雑な顔をして見せたから、あるいはそのような用件ではないかと、脳裏《のうり》を過《よぎ》った一瞬があったのかもしれない。
「習い事をたくさんやっているんですってね。それじゃ、山百合会の仕事を手伝って、なんて言えないものね」
蓉子はフォローした。祥子に| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》の| 妹 《プティ・スール》としての資質がないとか、そういう意味ではないのだ、と。
二人は大学の敷地に入り、噴水の見えるベンチに腰掛けた。人通りが皆無というわけではないが、自分たちと同じ制服姿がないだけで、不思議と目の邪魔にはならないのだった。
蓉子は、噴水の飛沫《しぶき》によって作り出される小さな虹を見ながら言った。
「何が一番好き?」
「は?」
「習い事」
すると祥子は、少し間をおいてから答えた。
「好きかどうか。そういうことを考えたことはありません」
それは、まったく予期していなかった答えだった。
書道が好き。バレエが好き。そんな無邪気な答えばかりを期待してはいなかったが、「考えたことがない」という言葉が出るとは思っていなかった。さっき会ったばかりの上級生を適当にいなすつもりなら、「どれも好きです」とか「優劣はつけられません」などと言って適当に逃げればいいのだ。
けれど「考えたことがない」。蓉子は、ゾクゾクした。祥子は思ったままの言葉を、飾ることなく口にしている。
だからついつい、次の言葉を聞きたくて質問をぶつけた。
「好きでやっているんじゃないんだ。じゃ、惰性《だせい》? 親の言いなり?」
「この歳《とし》になったら、親の言いなりも何も。教師は祖父や父が探してきた方たちですが、自分の意志で続けています」
「好きじゃないのに?」
「嗜《たしな》みですから」
嗜みとは。高校一年生の少女には、あまりに似合わない言葉だった。だから、冗談のつもりで聞いてみた。
「お見合いでもするの?」
「お見合い? ……いえ」
祥子は即座に否定した。が、少し考えてから言い直した。
「わかりません。もしかしたら、お見合いすることになるかもしれません」
その数秒の間に、何が彼女の頭に浮かんだのだろう。けれど、突っ込んでは尋ねられなかった。二人は姉妹《スール》ではない。何より蓉子は、祥子の表情に陰《かけ》りのようなものを見つけてしまったから。大きなお家の娘には、庶民には思いも寄らないドラマがあるのかもしれない。
「だったらその時の箔《はく》にはなるわね」
お金持ちで、美人で、聡明なお嬢さんに、今更箔なんて必要ないと思いながらも、蓉子は話を締めくくった。何となく、話しながら祥子を追いつめている気がしてきたから。けれど。
「箔とかではなく」
祥子は、言った。
「私は何か欠けている部分があるようなので。それを何かで埋《う》めたいと思っているようです」
「向上心があるのね」
「今のままの自分がいいとは思っていないだけです。私の十五年間を否定はしません。けれど、私は何かを探しているのだと思うのです」
「見つかるといいわね。その何か」
蓉子はベンチを立った。
「十分経ったわ」
危なかった。もう少しで、ロザリオを渡すところだった。祥子の「何か」を、一緒に見つけたい、そう思ってしまったのだ。
「ご用件はいったい何だったのでしょう」
祥子も立ち上がり、手提げを肩に提げてから鞄を持った。
「言ったでしょ? あなたとお話ししたかったのよ」
「そうですか」
一瞬笑ったように見えたのは、気のせいだったろうか。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
二人はリリアン女学園定番の挨拶《あいさつ》を交わし、噴水の前で別れた。薔薇の館へ戻るべく、蓉子が並木道に戻ると、そこに聖が立っていた。
「へえ。蓉子が小笠原祥子に目を付けた、って本当だったんだ」
帰り支度している。今日も、会合をサボるつもりらしい。
「らしい、わね。すごく」
「らしい?」
聞き返すと、聖は皮肉っぽく笑った。
「世話好きの蓉子に、お世話し甲斐のありそうな一年生」
「世話好き、なんて言葉で片づけないで。私だって、誰も彼もの世話をやきたいわけじゃないわ」
「そう。それは失礼したわ」
ただ、蓉子は気になる人と関わりをもちたいだけだった。そして気になる人というのが、大概みんなに「面倒くさい人ね」と言われる人だということだけの話。
「申し込んだの?」
「いいえ。いろいろあって。お姉さまにも深入りするなと止められているし」
「止められたって、やる時はやるでしょ。蓉子は」
「ふふ」
よくわかっていること、と蓉子は笑った。
「それより、紅と白にうまいこと仕組まれたんじゃないの?」
「仕組まれた? お姉さまたちに?」
思いがけない言葉が飛び出してきた。
「でも、小笠原祥子を妹にできない最大の理由を提示したのは、お姉さまたちなのよ」
「それが何かは知らないけれど。蓉子って、ちょっとだけ高いハードルを越えるの好きじゃない」
聖はトンボを捕まえるみたいに、蓉子の顔に向けて人差し指をくるくると回した。
「ハードル……」
リストアップされた一年生の中で、一人だけリストから外された名前。小笠原祥子。そのページだけ切り取ってもいいのに、なぜか一本の斜線で片づけられていた。
「お膳立《ぜんだ》てされた、ってこと?」
「さあ?」
ならば、問題を解決することこそが、お姉さまから与えられた課題なのだろうか。
小笠原祥子を妹にしたければ、自力でクリアしろ、と。
でも、どうしたらいいのだ。習い事を辞めるように説得することは禁じられている。
「ま、あなたに妹ができるならば、私にとっても喜ばしいこと。せいぜいがんばってね」
「聖」
同じ|つぼみ《ブゥトン》なのに、聖は自分の妹問題を完全に棚の上にあげている。
「明日は、新入生歓迎会だから」
校門に向けて歩き出した友の背中に、蓉子は声をかけた。
「ちゃんと出るわよ」
聖は振り返らずに答えた。
「お姉さまと約束したからね」
ああそう。
これだから、「世話好き」なんて言われるのだ。
山百合会主催の新入生歓迎会は、例年五月の半《なか》ば、マリア祭の日の午後に行われている。
内容は、山百合会の幹部がお聖堂に高等部の新一年生を集め、仲間入りのしるしにおメダイを渡し、簡単な出し物などを披露《ひろう》して歓迎するというもの。薔薇さまと呼ばれる生徒会役員の顔を、新入生に覚えてもらうという意味合いも多分に含まれている。
「お姉さま。私、妹をもたないかもしれません」
開会直前、蓉子は準備のために|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》の側に行った。準備されたカゴの中には、祝別されたおメダイが入っている。これから薔薇さま三人が、手分けして新入生全員の首にこれをかけていくのだ。
「あらまあ。それは困ったことね」
お姉さまの言い方からは、あまり困った感が伝わってこなかった。たぶん、本気にしていないのだ。
「お姉さまには、ご迷惑おかけすることになりますが」
「いいわよ。苦労するのは私が卒業してからのあなた自身でしょ? 私は……そうね、いちご牛乳一パック分の損くらいなものよ」
「は?」
「|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》と賭《かけ》をしたの。どっちの妹が先に妹をもつか、ってね」
「賭けた物が、いちご牛乳ですか」
「だから、その程度のことなの」
お姉さまの言葉は、じんわりと心にしみた。たぶん、この人には一生敵わないだろう、と蓉子はあらためて思った。
「そっか。やっぱり、蓉子は小笠原祥子がいいんだ」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》が小さくつぶやいた時、「新入生の皆さん。入学おめでとう」と、マイクを通した|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》の声がお聖堂内に響き渡った。山百合会主催の、新入生歓迎会の始まりである。
蓉子は籠を持って、|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》の隣に立った。まずは一年|李《すもも》組・藤《ふじ》組・菊《きく》組が呼び出されて席を立つ。
「マリア様のご加護《かご》がありますように」
お姉さまは、平等に、そして手際よく一人一人の首におメダイをかけていく。
「マリア様のご加護がありますように」
三クラス分の授受が無事終了すると、続いて桃《もも》組・松《まつ》組・椿《つばき》組の番である。
だって仕方ないじゃない、と蓉子は松組の集団を眺めながら思った。
こんなに大勢の一年生がいる中で、小笠原祥子だけにしか目がいかないのだから。
この、正常ではない視線を正当化するためには、彼女を妹に、そう、他とは別格な存在にするしかない。彼女を妹にできないならば、妹をもつこと自体が間違いだ。
出席番号の早い祥子は、すぐに目の前にやって来た。
「マリア様のご加護がありますように」
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》におメダイをかけてもらった後、すぐに脇に移動して後ろの人に場所を譲るべきところ、祥子は流れ作業を無視して蓉子の前に進み出た。
「| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》」
「はっ!?」
思いがけない祥子の行動に、蓉子は驚いた。そんな様子がおかしかったのか、祥子は微笑した。華やかなほほえみ。こんなに可愛らしく笑える子だったなんて、知らなかった。
「私、習い事をすべて辞めて参りました」
ニッコリと、しかし意志の強そうな瞳で、そう告げると、祥子は一礼して背中を向け、自分の席へと帰っていった。
「いちご牛乳、ただで飲めそうね」
蓉子にしか聞こえない声で、|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》がつぶやいた。
ああ、そうだ。蓉子はうなずいた。
祥子の出した答えに、今度はこちらが応《こた》える番だった。
[#改ページ]
あとがき
こんにちは、今野《こんの》です。
何か、いつもと勝手が違いますね。
いやー、『マリア様が見てる プレミアムブック』ですか。
直訳すると「増刊号」かな? それとも「おまけ本」?
どんな本になるのか、あとがきを書いている今の私にとって未知の世界です。なにぶん、こういう本を作ってもらうのは初めてのことなので。
アニメの設定とか、ひびきさんの漫画とか、座談会とかあるんでしょ。
わくわく、どきどき。
実際、読者の方たちと変わらない気分で発売日を待っています。いつもは、イラスト以外はほとんど自分の文章なものだから、ある程度どんな本になるのかわかっちゃってるものだけれど。今回はコバルト編集部をはじめ、各方面の方々の努力のたまもので出来上がった本ですから。
それなのに、私があとがきなんて書いちゃっていいのかしら、って感じです。あ、でもっ。この本のために短編書いたから許してね。
――というわけで、必然的に書き下ろし『Answer』の話をば。この辺でちょこっと。
順を追ってこの本を読んでくださった方は、たぶん「おおっ」と、ちょっとした感動を味わえたはずです(であって欲しい)。
種明かしをすると。この短編、蓉子《ようこ》さまと祥子《さちこ》さまのリクエストにお応《こた》えすべく書きました(恵美《えみ》さん、美紀《みき》さん読んでねー)。
本文の座談会部分はまだ未読なのですが、「お二人が、蓉子と祥子の出会いを書いて欲しいって言ってましたよ」という情報を小耳にはさんだもので。ここは、チャレンジするしかないでしょう!
でも、書き終えて振り返ってみると、紅薔薇姉妹の出会いっていうのは、代々、桜の花びらちらほらの白薔薇ファミリーに比べてロマンチックさに欠けるような気がします。人というものは、自分がやられたことを、無意識になぞってしまうものなのでしょうか。約一年半後、祥子は同じような場所で祐巳《ゆみ》に声をかけてしまうわけですしねぇ(笑)。
それはともかく。
私はこの本が、『マリア様がみてる』の既刊本やアニメ、漫画、ドラマCDなどの良き友となってくれればいいな、と思っています。
[#地から2字上げ]今野緒雪
底本:「マリア様がみてる プレミアムブック」
2004年8月10日 第1刷発行
このテキストは、
(一般小説) [今野緒雪×ひびき玲音with山百合会] マリア様がみてる プレミアムブック 「Answer」 (TXT).zip d2c5c025783b46428f53fec22d56bee6
を元に、
(一般小説) [今野緒雪×ひびき玲音with山百合会] マリア様がみてる プレミアムブック (縦1600).zip 13fee9af0fb753b3bea44c4875b66cd6
を底本として校正しました。
上記テキスト版はOCRで作成されたと思われるので、画像版を元に手入力テキストを
作成して、両者をエディタの比較機能で比較、校正しています。あとがき部分については画像版からそれぞれテキストを作成して同様に校正しました。
それぞれの放流者に感謝します。
なお、ルビに関しては目視校正しただけなので間違いがある可能性があります。
******* 底本の校正ミスと思われる部分 *******
293行
いやー、『マリア様が見てる プレミアムブック』ですか。
マリア様がみてる
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