マリア様がみてる
私の巣
今野緒雪
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|私の巣《マイネスト》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あれ[#「あれ」に傍点]が起こる
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[#挿絵(img/35_000.jpg)入る]
もくじ
私の巣
お引っ越し
一週間
聖夜
憂鬱
私たちの巣
あとがき
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[#地付き]イラスト/ひびき玲音
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マリア様がみてる |私の巣《マイネスト》
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「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
さわやかな朝の挨拶《あいさつ》が、澄みきった青空にこだまする。
マリア様のお庭に集《つど》う乙女《おとめ》たちが、今日も天使のような無垢《むく》な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
汚《けが》れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻《ひるがえ》らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在していようはずもない。
私立リリアン女学園。
明治《めいじ》三十四年創立のこの学園は、もとは華族《かぞく》の令嬢《れいじょう》のためにつくられたという、伝統あるカトリック系お嬢さま学校である。
東京都下。武蔵野《むさしの》の面影《おもかげ》を未《いま》だに残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、幼稚舎《ようちしゃ》から大学までの一貫教育が受けられる乙女の園《その》。
時代は移り変わり、元号《げんごう》が明治から三回も改まった平成《へいせい》の今日《こんにち》でさえ、十八年通い続ければ温室育ちの純粋培養《じゅんすいばいよう》お嬢さまが箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な学園である。
大きな木の枝に、小さな鳥の巣が一つ。
中にはヒナが一羽。大空を見上げて、親鳥の帰りを待っている。
大丈夫。
もうすぐお母さんは帰ってくる。
そうしたら、一緒にご飯を食べて、くっついて眠ろう。お母さんの広げた羽《はね》の下は、いつでも温かくて安全だから。
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|私の巣《マイネスト》
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「でね。百《もも》さんの話をしたら、先方もとても乗り気で。ふふふ」
そんなクラスメイトの可愛《かわい》らしい笑い声に引きずられて、私も「ふふふ」とほほえんだ。しかしその裏で、何が面白《おもしろ》いのか必死に考えている。申し訳ないことに、話の途中で自分だけ別の世界にワープしていたようなのだ。廊下の窓から見えるまだ降っていない雨雲のかたまりを眺《なが》めながら、「ああ、とろろ昆布《こんぶ》が切れていたっけ」なんて考えて、そこから「今日の安売りは何だったかなぁ」までは一直線。新聞折り込みチラシの商品写真が、次から次へとフラッシュバックした。
「よかった。じゃ、さっそく行きましょうか」
美幸《みゆき》さんが、私の手をとって歩き出す。七月初めの放課後。掃除が終わってすぐのクラスメイトの手のひらは、ちょっと湿っていた。
「あ、あの?」
「ごめんなさいね。私もお姉さまも、この後部活だからあまり時間がないの」
「えっ、ええ……そうね」
美幸さんが、聖書朗読部なんていう不思議なクラブに入っていることは知っていた。それに、さっさと用事を済ませてもらえるのなら私にとっても願ってもないこと。何せ、今日は近所のスーパーマーケットで、お一人様一本限りの麺《めん》つゆが、私の迎えを待っている。
「行きましょうって、どこへ?」
手を引っ張られながら尋《たず》ねると、美幸さんは一旦《いったん》足を止め、呆《あき》れ顔を私に向けた。
「いやあね。聞いていたんじゃないの?」
やれやれと、もう一度一から説明し直してもらってわかったことは、どうやら美幸さんのお姉さまのクラスメイトが| 妹 《プティ・スール》を捜していて、私に白羽《しらは》の矢がたった、ということらしい。私は部活も委員会も入っていないので、上級生と知り合う機会もないだろうと、美幸さんが推薦《すいせん》してくれたようなのだ。
我がリリアン女学園高等部には、姉妹《スール》制度という風変わりな伝統がある。学年の違う生徒同士がやたらとくっついて干渉《かんしょう》し合う、簡単に言えばそういうものだ。建前、指導という名のもとに。
「でも、私」
言いかけてやめた。さっきあやふやな「ふふふ」を披露《ひろう》した手前、今更「お姉さまはいらない」なんてとても言えない。私は困惑《こんわく》しながらも、美幸さんの言う「約束の場所」へとずるずるついていってしまった。
そこは校門から高等部校舎へ続く銀杏《いちょう》並木道の途中にある、二|股《また》の分かれ道だった。分岐点《ぶんきてん》に小さな庭があって、純白のマリア像が立っている。姉妹《スール》の契《ちぎ》りを結ぶ定番スポット、といっていい場所だ。
美幸さんのお姉さまも、私のお姉さま候補もまだ来ていないようだった。
「会って、嫌なら断ればいいわよ」
そんな風《ふう》に、美幸さんは気軽に言うけれど、ここまでお膳立《ぜんだ》てされた上は、余程の理由でもない限りこちらから嫌とは言えない。リリアン女学園高等部は、上下関係に厳《きび》しい。だから私ができることといったら、先方が私を気に入らないでくれることを祈るくらいだ。
それに、会ってみたら気が変わるかもしれない。美幸さんだって、何も意地悪で私にお姉さまをあてがおうというわけではないだろう。きっと、素敵な人だから紹介してくれるに違いない。――なんて、思っていると。
(あ、まずい)
私は、胸の上に手をあてた。ドキドキする。これは、あれ[#「あれ」に傍点]が起こる前兆《ぜんちょう》だ。
「美幸さん。悪いんだけれど」
日を改めてもらえないか、そう言おうとした時。
「お姉さま、こちらでーす」
下校する生徒たちの中にお姉さまの姿を見つけたのだろう、美幸さんは私に気づかず大きな声で呼びかけた。彼女の大きく左右に振られている手が、グルグル回って見えた。いや、違う。そう見えるのは、私の目が回っているからで。
ああ、またやっちゃった。そう思いながらも、私は冷静に膝《ひざ》と両手を地面の上についたのだった。
「またやっちゃった、じゃないわ。ここ一週間で三度じゃ、笑って済まされないよ」
保健室のベッドで人心地ついた私の顔を見下ろして、この部屋の主である栄子《えいこ》先生が怖い顔をした。
「中等部の時は、一回も来なかった人が」
「はあ」
高等部入学直後の健康診断で、私が貧血症でないことは証明されている。そんな生徒が、こうも頻繁《ひんぱん》に気分が悪くなって保健室のご厄介《やっかい》になっているとなると、健康診断では表面にでなかった病《やまい》を疑ってかかるのは、養護教諭としては真っ当な感覚なのかもしれない。
「えっと……お弁当食べてなくて」
しかし、とっさについた嘘《うそ》はすぐばれる。
「にしてはお弁当箱は軽いわね」
栄子先生はお弁当箱の入っている私の手提《てさ》げを手に持って、重さを確かめるように上下運動をした。
「ここまであなたを連れてきたお友達が、教室から荷物を持ってきてくれたの。このまま帰れるように、ってね」
「……そうですか」
その言葉通り、ベッドの側《かたわ》らにある椅子《いす》の上には、私の学生|鞄《かばん》も置いてあった。持ってきてくれた本人の姿が見えないのは、お姉さまともども部活に行ったからなのだろう。
「一度、病院に行って検査してもらったほうがいいわね。担任と保護者にも話をしないと」
「検査なんて、するだけ無駄ですよ」
私は白いパイプベッドの上で身を起こし、ゆるんだタイを結び直した。私の症状は突然胸の辺りが苦しくなって立っていられなくなるのだが、少し経つと嘘のようにケロリと良くなってしまうのだ。時間にして、十分か十五分くらい。
「無駄かどうか、お医者さまでもないあなたがどうしてわかるの? それとも、何か心当たりでもあるの?」
「ええ、まあ」
私は、あやふやにうなずいた。心当たりなら、大ありだった。
先月の終わり、父の十三回忌を済ませた直後、うちのお母さんが爆弾宣言をした。「お母さんは、修《しゅう》ちゃんと結婚することにしました」――と。
修ちゃんこと大場修人《おおばしゅうと》さんは、お母さんの元部下で、私も昔からよく知っている。一言で言えばいいヤツだ。男|勝《まさ》りでバリバリ働くうちのお母さんに憧《あこが》れているのは見ててもろわかりだったけれど、まさかお母さんが彼のアタックに首を縦《たて》に振る日が来ようとは思いもよらなかった。だって、お母さんは死んだお父さんのことをずっと愛し続けてきたんだから。再婚なんて、ありえないことだった。
その直後からだ。ちょっとしたきっかけで、私の胸が苦しくなるようになったのは。
「たぶん、精神的なものだと」
私は逃げ腰になった。
「そういうものを診《み》てくれるお医者さまもいるのよ」
栄子先生が顔を覗《のぞ》き込んでくる。でも、ここで負けていられない。
「気持ちが落ち着かないだけだと思います。近々、引っ越しをするので」
「引っ越しが終わったら、落ち着くわけ?」
「はい」
私は嘘をついた。本当は引っ越しが終わったら治るなんて保証、まったくなかった。が、お母さんや担任に連絡されるのを回避するためには仕方なかった。
やれやれと栄子先生がため息をついたので、今日のところは許してもらえそうだ。
「帰ってもいいですか」
「あ、ちょっと待って。今」
栄子先生が私を制し背後に顔を向けた時、ちょうど扉が開く音がして誰かが入室する気配があった。
「あ、目が覚めたのね」
衝立《ついたて》の陰《かげ》から現れたのは、見知らぬ生徒だ。
「彼女、保健委員の筒井環《つついたまき》さん」
よろしく、とほほえむその顔は、パッとした美人。豊かで真っ黒な巻き毛が、背中で揺れていた。
私はとっさに乱れた髪を手櫛《てぐし》でといた。襟足《えりあし》で切りそろえられた短い髪じゃ対抗するだけ無駄だとわかりつつも。
「筒井さんは、あなたと帰る方向が同じそうだから、一緒に帰ってもらいなさい」
思いがけない栄子先生の言葉に、私はあわてふためいた。
「えっ。一人で帰れますよ」
「彼女を断るなら、仕方ない。お母さんに電話して迎えに来てもらうしか――」
「ちょっ、タイム。それはなし」
私の反応がわかっていたのだろう、栄子先生は勝ち誇ったように言った。
「じゃ、決まりね」
「はあ……」
一緒に帰ると言っても、せいぜい駅くらいまでのことだろう。それで先生が安心するのなら。その時私は、それくらいの軽い気持ちで、条件を受け入れたのだった。
それが、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
今、その親切な保健委員は、私の家の居間で扇風機の前に陣取り、大口を開けておにぎりを頬張《ほおば》っている。
「お構いなく」
そう言いながら、二個目のおにぎりに手を伸ばし、喉《のど》に詰《つ》まらせては麦茶をすする。
駅で別れるつもりだった。しかしその人は、責任感からか家まで送ると言って聞かなかった。丁重《ていちょう》に断っても、頑《がん》として譲《ゆず》らない。終《しま》いにはスーパーマーケットまで追いかけてきた彼女に私は根負けし、ついお一人様一本限りの特売麺つゆを一本買ってもらった。たぶん、それがいけなかった。麺つゆ一本分だけ、私は彼女を自分のテリトリーに入れてしまったのだ。
結局その人は麺つゆとともに、私の家までくっついてきた。ありがとうございました、とお礼を言ってマンションの入り口で別れようという時、彼女の口から出た言葉は「ごきげんよう」ではなく「トイレ」だった。
送ってもらっておいて、お手洗いを貸さないわけにもいかず、私は仕方なく部屋の鍵を開けて中に招き入れた。
そしてお手洗いから出てきた彼女はというと、まるで狙って出したとしか思えないほどピッタリのタイミングでグググーグーとお腹を鳴らした。それはもちろん、空腹を知らせる合図にほかならない。
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そこから私は、冷凍庫のご飯をチンしておにぎりを握った。急なことで、昆布と梅干しくらいしか具はなかったからその二種類。海苔《のり》をガスレンジで軽くあぶり、それを巻いた。「どうしてこんなことに」と思いつつも、ぬか漬けを甕《かめ》から取りだして「どうぞ」と振る舞っている。しかし遠慮することなくおいしそうに食べるその人の姿を見ているうちに、「どうして」すらどうでもよくなってきた。
「私、まったく料理できないから、こういうのちゃっちゃって作れる人、尊敬しちゃう。ぬか漬けって、家で作れるものなのね」
言いながら、ナスを指で摘《つま》んで口に放り込む。彼女の家で、漬物とはスーパーで買うものらしい。
「よろしければ、ぬかをお分けしましょうか」
あまりに興味を示しているので、私は申し出た。
「無理無理。うちじゃ、誰も世話できないって。でも、モモッチはずーっとそのぬか床《どこ》を大事にして、お嫁入り道具にしたがいいやね」
「も……モモッチ?」
「あなた百ちゃんっていうんでしょ? だからモモッチ。可愛《かわい》いじゃない」
「えーっ」
「あら、気に入らないの?」
気に入る気に入らないの問題じゃなくて、今さっき知り合ったばかりの人にあだ名をつけられたことに対しての「えーっ」である。
リリアン女学園高等部では、ニックネームはあまり流通していない。基本は名前。それに立場に応じて「さま」「さん」「ちゃん」などをつけるのが通例だった。
「私のことも、好きに呼んでいいから。環だからタマちゃんとか、タマタマとか」
「……先輩つかまえて、タマタマなんて呼べませんよ」
筒井環さまは、一学年上の二年生なのだ。
「じゃ。環お姉さまでどう?」
どう、って。
「姉妹《スール》でもないのに?」
私のそれは深い意味もない発言だったのだが、環さまはちょっとだけ真顔になった。
「姉妹になったら、お姉さまって呼んでくれるの?」
「は?」
環さまにとって私は、「たまたま家が近かったから送ってあげた一年生」でしかない。「今後」があるかどうかもわからないのに、なぜ、そんなに呼び名にこだわるのだろう。
まさか。
一瞬、脳裏《のうり》にある疑念が過《よ》ぎった。私は慎重に尋《たず》ねた。
「環さまのお父さまって、修人って名前じゃないですよね」
環さまは、巻き毛をいじりながら答えた。
「信五郎《しんごろう》だけれど?」
しかし、まだ油断はできなかった。
「歳《とし》の離れたお兄さんとか、いますか」
「兄はいるけれど、名前は修人じゃないわね」
「……ですよね。すみません、変なことお聞きして」
考えてみたら、修ちゃんの苗字《みょうじ》は大場であって筒井ではない。お母さんと違って初婚だし、一人っ子のはずだから、連れ子がいたり妹がいたりするわけはないのだ。たとえいたとしても、こんな回りくどいやり方で私に接近してくる理由がわからない。どうかしてる。
「推測するに、環境の変化?」
突然、環さまが言った。
「え?」
「引っ越しの準備に見えるけれど、違う?」
海苔のついた指が指し示す先には、畳《たた》んだ段ボール箱の束が壁に立てかけてあった。
「ええ。まあ」
「嫌なんだ?」
穏やかにほほえみながら、環さまは遠慮なくズバッと斬《き》り込んでくる。
「どうして、そう思われるんですか」
「んー。何となく」
何となく、というものはくせ者だ。理屈でない分、覆《くつがえ》すのが難しい。
「言いたいことを身体にため込むと毒だって、よく言うじゃない」
「そんなもの、ないですよ」
「そう? ずいぶんと良い子ちゃんなのね」
ちょっと棘《とげ》のあるそんな言葉を残して、筒井環さまは帰っていった。
一人残った部屋で、二枚のレシートを眺《なが》めながら、私は苦笑した。
「麺つゆ二本、って」
もうすぐ引っ越すのに、買いだめしてどうするのだ、と。
お母さんが帰ってきたのは、八時半過ぎだった。
「お帰りなさい。ご飯? お風呂?」
「ご飯! ……の前に、取りあえずビール!」
「はいはい。うがいと手洗いだけしてきて」
私は冷蔵庫から缶ビールを取りだし、グラスを添えて食卓の上に置く。それからキャリアウーマンが脱皮のごとく脱ぎ散らかした、スカートとかストッキングとかブラウスとかを拾って歩いた。
父親のいない我が家では、お母さんが一家の大黒柱で私が家を守る主婦なのだ。
「ういーっ、生き返る」
グラスを使わず直《じか》に缶に口をつけ一気に半分ほどを喉《のど》に流し込んで、口の横についた泡を手の甲《こう》で拭《ぬぐ》うお母さん。下着姿で、椅子に立て膝。外ではパリッとしているから、会社の人たちはまさかこんな人だとは思っていまい。
「なあに?」
私の視線に気づいて、お母さんが言った。
「別に」
言いたいことなんて、何もない。
お母さんの結婚相手の修ちゃんはいい人だし、修ちゃんが「大場」を捨てて「朝倉《あさくら》」を名乗ってくれることになっているから、私とお母さんは今まで通り同じ苗字でいられる。
だから、住む場所くらいどうってことない。
この2Kの賃貸マンションには、修ちゃんが転がり込んでくるスペースなんて到底《とうてい》ないわけで。逆に修ちゃんの家には空《あ》いている部屋があるそうだし。何と言っても彼は一人っ子だから、遅かれ早かれあちらのご両親の面倒《めんどう》をみなければならないのだ。もちろん、苗字を譲《ゆず》ってもらった負い目もある。
でも、お母さんが修ちゃんの実家で暮らす決断を下した決定的な理由は、たぶん私にあると思う。
修ちゃんの家族は現在、修ちゃんのお祖父《じい》ちゃん夫婦と、修ちゃんの叔母《おば》さんと、修ちゃんの両親という大家族なのだ。先日部長に昇進してますます忙しくなったお母さんは、今後は一人で留守番している娘のことを気にすることなく仕事に勤《いそ》しめる。その上、物心ついたころから母子の二人暮らしだった私に、家族ってものを体験させることもできて一石二鳥というわけだ。
おいしそうにビールを飲み干すお母さんを見ながら、私は思った。
お母さんの選択は、いつでも正しい。今まで失敗したことといったら、最初の結婚で、丈夫で長持ちする男を見極められなかった、それだけだった。
翌日。
学校に行くと、美幸さんがやって来て「具合はどう?」と聞いてきた。私が大丈夫だと答えると、言いにくそうに「あの話はなかったことにして」と告げられた。
あの話。お姉さまを紹介してくれる、というあれである。何でも、待ち合わせ場所で倒れていた私を見て、相手の人が引いてしまったらしい。それとも、あちらもそう乗り気ではなかったということか。どっちでもいい。先方から断ってくれて、私はホッとしていた。
その足で、保健室に行った。
「おー。今日は顔色がいいわね」
保健委員の生徒はおらず、栄子先生一人だった。私は、栄子先生に環さまのクラスを聞いたけれど、教室まで訪ねはしなかった。
だって、会って何を言ったらいいのだ。昨日送ってくれたお礼? 違う。確かに会いたいと思ったけれど、それを言いたかったわけではない。
それからすぐに一学期の期末試験に突入し、勉強と家事にと忙しくしている間は、例の発作は起きなかった。
試験休みになって、私は思い立って修ちゃんの家をこっそり見にいった。
次の日曜にホテルで両家の顔合わせ兼お食事会が開かれ、八月に入って早々に引っ越しをする予定だった。その前に、これから自分が暮らす家を見ておきたかったのだ。
今年修ちゃんから届いた年賀状を探し出して、差出人の欄《らん》に書かれた住所を頼りに目的の家を探した。バス停四個分の距離は思ったより近かったけれど、近所であっても見知らぬ土地は番地の並び方もわかりづらく、見つけ出すのはなかなか大変だった。
「住所は確かにここなんだけれど……」
やっとたどり着いた住所に建っていたその家は、古い洋館で表札に「小森谷《こもりや》」とあった。しかし、修ちゃんの苗字は「大場」である。
「ああ。大場さんね」
ちょうど、バイクに乗った郵便配達の小父《おじ》さんが通りかかったので尋ねてみると、あっさり「ここだよ」と答えが返ってきた。
何でも小森谷というのは「大場さん」の亡くなったお母さんだかお祖母さんだかの苗字だったそうだ。あまりに立派な表札は門柱の一部と化していて、小森谷という人がいなくなっても、そのままになっているらしい。しかし、何ていう大きさ。部屋が余っていると言うだけのことはある。
「あれ? モモッチ?」
家に圧倒されていると、背後から声をかけられた。振り返るまでもない。モモッチと私を呼ぶのは、世界にたった一人しかいない。
「環さま……。なぜ、ここに?」
「私の家の近所に、私がいて悪い?」
黒い日傘《ひがさ》の下は、Tシャツに短パン、それにミュールというよりむしろ突っかけという軽装で、手にはコンビニのレジ袋を下げている。確かに、「ちょっとそこまで買い物に」というスタイルだ。
「環さまのお宅は、この辺りなんですか」
私はキョロキョロと見回した。
「せっかく会えたんだから、環お姉さまの家にご招待して麦茶なりご馳走《ちそう》したいのは山々なんだけれど、ちょっと今日はダメなんだ」
「あ、いえ」
そんなつもりで聞いたのではない。ただ、何となくこのまま素っ気なく別れるのも変なので、言葉をつないだだけだった。
「その代わり、ジュース奢《おご》ってあげるからおいで」
「えっ」
返事も聞かずにどんどん歩いていくから、私はあわてて追いかけた。「小森谷」の大きなお屋敷が、ずんずん小さくなっていく。
五分ほど歩いて、コンビニに着いた。なぜか、環さまの手にしていたレジ袋に印刷されたコンビニ名とは別のコンビニだった。
「私、コーラ。モモッチは?」
選ばなかったらもれなくコーラになると言われて、健康茶のペットボトルを冷蔵庫から取りだして「ごちそうさまです」とレジまで持っていった。
コンビニ近くの公園は、まったく人気《ひとけ》がなかった。平日ということもあるだろうが、真夏の正午過ぎは日差しが強いせいか、子供を遊ばせるお母さんグループの姿もない。
木陰のベンチに二人で座って、ペットボトルの飲み物を口にしながら、誰もいない砂場や遊具を眺めた。世界の終わりの一日って、案外こんな感じかもしれないと、私は思った。
「梅と昆布、どっちがいい?」
環さまは、私に尋ねた。もともと持っていたコンビニの袋から出てきたのは、何とおにぎりだった。
「漬物は、生憎《あいにく》売りきれだったの」
三角形のおにぎりを両手に持って、「どっち?」とゆっさゆっさ振る。
「いえ。私は結構です」
「そう?」
私が断ると、環さまはビニールフィルムを破って、一人でおにぎりを食べ始めた。
私は、まぶしい空を見上げて、白い雲がゆっくり流れるのを眺めた。環さまが食べている間は、二人の間に会話がなくても許されるような気がした。
きっと私は、こうしてほんの少しだけ、環さまの隣で無言の時間をもちたかったのだ。
環さまが、二つめのおにぎりの封を開けた。
「母が結婚するんです」
やがて、私は口を開いた。誰かに聞いてもらいたいというよりも、自分自身に言い聞かせる、そんな気持ちだったように思える。
「相手の人は、私も大好きな人で。反対する理由なんて何一つなくて」
「だから辛《つら》いってこともあるよね」
黙々とおにぎりをほおばっていた環さまが、突然言った。相変わらず、遊具の方向に視線を向けたまま。
「相手の人が元気なのに働かないとか、浮気性だとか、浪費|癖《ぐせ》がすごいとか、お母さんに暴力をふるうとか。反対する正当な理由があったほうが、いっそモモッチには楽だったよね」
そういう理屈になるのだろうか。私は、本当はお母さんの結婚に反対したいのに、できなくて辛いのだろうか。いいや、違う。
「いい人でよかった。反対しなきゃいけないような人だったら、お母さんがかわいそう」
「そういうところが、良い子ちゃんの困ったところ。悪い子って思われたくないから、いろんなものを身体の中にため込んじゃう」
ズキンと胸に刺《さ》さる言葉。私は胸を押さえた。でも発作は起きなかった。
環さまは、食べ終えたおにぎりのビニールフィルムをコンビニ袋の中に捨てて笑った。
「モモッチは、まだクチバシの黄色いヒナなんだね。ため込んだものはさ、何も表に出しちゃいけないものばかりじゃないんだよ」
「え?」
思いがけない言葉に戸惑っていると、環さまはじっと私の顔を見て、それはそれはやさしい声で言った。
「『お母さん、大好き』『私、寂《さび》しい』『ずっと側にいて』」
すると。
どうしたのだろう。私の目から、涙がぽろぽろと流れてきた。
環さまが言った言葉は、確かに私の胸にずっとしまわれていた言葉だった。
私は、良い子でいたかった。我がままを言って、お母さんを困らせてはいけなかった。
学校でも、問題を起こしちゃいけない、けんかしちゃいけない、って自分に言い聞かせていた。そして気がつけば、本音で話せる友人もいない。
自分は大人だと思い込んでいた。でも、確かに未熟なヒナ鳥でしかなかったのだ。
私は、初めて対面した自分の弱い部分を、どうしたらいいのかわからなかった。
「いいんだよ」
環さまは、そっと私の肩を抱いた。
「ヒナはヒナらしく、エサちょうだいって口をパクパク開けてればいいってこと。案外お母さんも、そうして欲しいと思っているのかもしれないよ」
「そう、でしょうか」
「そうだよ」
環さまは笑った。
「今までお母さんとモモッチは一対一で支え合ってきたけれど、新しいお父さんができたらお役目返上して、モモッチは純粋な子供に戻ればいいじゃない」
不思議だ。環さまが言うと、本当にその通りの気がしてくる。お母さんと修ちゃんと私。おにぎりみたいな三角形は、何だかとてもいじらしい。
「ところで、あの。子供って、何をしたらいいんでしょうか」
早くから子供のままでいてはいけないと戒《いまし》めてきたから、今更戻る方法がわからない。
「そういうことを考えないのが子供なの」
環さまは呆《あき》れて言った。
「でも私、新しい家では家事とかしなくてよくなっちゃって。急に子供らしくなんて言われても」
「そうね。突然じゃ無理か。じゃ、することがなくて困ったら、また私におにぎりを作ってよ」
「おにぎり?」
私は耳を疑った。
「モモッチのおにぎりと漬物を食べて以来、はまっちゃってさ。いろんなお店のを食べ比べているんだけれど、やっぱりモモッチのが一番なんだわ」
わざわざ遠出したコンビニの、レジ袋が午後の風にあおられカサカサと笑った。
「そんなものでよろしければ、いつでも」
私は笑って了解した。
引っ越してきたら、家も近所になるんだし。学校も一緒だから、お昼のお弁当として時々余計に作って持っていってもいい。
「約束よ」
環さまが、小指を差し出した。
私は、その指に自分の小指を巻きつける。おにぎりを口実に、環さまとの関係がこれっきりにならないことを喜びながら。
「はい。環……さま」
相談にのってもらったささやかなお礼の気持ちを込めて、私は心の中で「……」の部分に「お姉」と入れてみた。
その夜、私はお母さんに甘えてみた。もう夏だというのに、お母さんに抱きついて眠ったのだ。
お母さんは布団《ふとん》に滑り込んできた私に、まるでレスリングのような寝技をかけてきた。そしてギュウギュウ締め上げては、「この、世界一が」と何度も何度も言い続けた。
私はそれですごく満足して、翌朝は憑《つ》き物が落ちたようにすっきりしていた。全身で、世界一の愛情を実感できたせいだと思う。
たぶんもう、私は発作を起こさないってわかった。そうして、心からお母さんと修ちゃんの結婚をお祝いする気になれたのだ。
次の日曜。
予定通り、都内のホテルで大場・朝倉両家の顔合わせが行われた。
私とお母さんが待ち合わせたロビーに十分前に着くと、修ちゃんとご家族はすでに来ていた。さっそく、修ちゃんが照れながら紹介する。
「こちら僕の両親。幸二《こうじ》、柳子《りゅうこ》です」
修ちゃんにちょっとずつ似ているご両親は、私にとってはお祖父ちゃまお祖母ちゃまになるのだけれど、とてもそんな風《ふう》には呼べないくらい若々しかった。
「そして、祖父の信五郎と椿《つばき》さん」
修ちゃんのお祖父さまはダンディーで、俳優みたいだ。その隣にいるのは、修ちゃんのお祖母さま、ではくてお祖父さまの再婚相手だそうだ。道理で、若いはずだ、修ちゃんのお母さんより年下に見える。
「あと、もう一人来ているんだけれど、今お手洗いに行っていて――」
修ちゃんが振り返ると、ちょうど向こうから手を上げて駆け寄ってくる人影があった。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
その顔を確認するやいなや、私は仰天《ぎょうてん》して声をあげた。
「たっ、環さまっ!」
「あら、百さん。ごきげんよう」
何が悔《くや》しいって、相手はまったく驚いておらず、しらっと笑っていることだった。
「あ、そうか。タマちゃんと百ちゃん、同じ学校だったよね」
いいヤツだけれどちょっと抜けている修ちゃんは、今更ながら気づいたように言った。それを聞いた大人たちは「それはいい」と、ニコニコ笑う。しかし、私にとっては笑いごとではない。
環さまはどうしてここにいるの。この人いったい何者なの、と大混乱している。
「信五郎と椿の娘、環です」
余裕の表情で自己紹介する環さま。私はというと、頭をフル回転して自分と環さまの関係を整理した。
修ちゃんのお祖父さんの娘さん……ということは、私にとって。
「大叔母《おおおば》さん?」
すると環さまは、打ってかわって般若《はんにゃ》のような形相《ぎょうそう》でにらみつけてきた。
「そう呼んだら、金輪際《こんりんざい》許さなくってよ」
だから、しつこく「環お姉さま」を強要し続けていたわけだ。高校二年生だったら「叔母さん」だってきつい。それを大叔母さんって。まるでお婆《ばあ》さんみたいな響《ひび》きで、嫌なのだろう。
「にしても、アンフェアじゃないですか」
私はにらみ返した。知っていて黙っていたなんて卑怯《ひきょう》ではないか、と。
「でも、嘘は言っていないわよ」
確かにお父さんの名前は修人ではないし、歳の離れたお兄さん(修ちゃんのお父さん)の名前も修人ではない。小森谷さんのお屋敷の側で、家が近所だっていうのも厳密《げんみつ》にいえば嘘ではないけれど。
だけど。
だけど私としては、どうにも釈然《しゃくぜん》としないものが残るのだった。
「これから楽しくなりそうね」
環さまがウインクをした。
「うーっ」
新たな巣に移り住むヒナとしては、これから始まる生活のことを考えると、無邪気にぴーぴーばっかりは言っていられそうもない。 ――無性《むしょう》にそんな予感がするのである。
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|お引っ越し《リムーヴァル》
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「つまり。我が家の男子は、すべて改姓《かいせい》しているわけよ」
紙に細字黒のサインペンを走らせながら、環《たまき》さまが言った。
「私のお父さんなんて、結婚するたびに奥さんの姓《せい》に変えちゃってるもんね」
「いったい何回結婚してるんですか」
「二回だけだけれど?」
なんだ。じゃ、うちのお母さんと同じだ、って私は思った。ただし、お母さんは今回の結婚では苗字《みょうじ》を変えないから、改姓は結婚の回数とは一致しないんだけれど。
「じゃあ、修《しゅう》ちゃんのお父さんも、修ちゃんのお母さんの姓になったんですね」
「ううん。あそこの夫婦は幸二《こうじ》さんの姓」
「でも、さっき『我が家の男子は、すべて改姓している』って」
「あー、そうそう。幸二さんは生まれた時は小森谷《こもりや》だったんだけど、次男だったからお父さんの実家の養子になったの。で、大場《おおば》なわけ。でも、長男の正一《しょういち》さんが若くして死んじゃったから、この家に呼び戻されたんだわ。でも、もう修ちゃんも生まれていたし今更小森谷に戻るのも面倒《めんどう》くさいからそのままでいるの」
キュッキュッと、複雑な家系図を書き進めていく環さま。これは、相当書き慣れていると見た。
引っ越しの荷物整理もまだ途中なのに、なんで台所の作業テーブルで環さまとこんなことをしているのかというと、始まりは私の何の気なしの軽い質問なのだった。
「立派な表札がかかっていますけれど、この家に小森谷さんはいないんですよね」
――だって。
今考えると、なんてバカな質問をしてしまったのだろう、と思う。いや、質問自体は悪くない。いずれは理解しないといけないことである。でも、よりによってこの忙しい時に振るべき話題ではなかったのだ。
私はただ、自分の荷物と一緒に部屋に持ってきてしまったぬか漬けの甕《かめ》を、台所のどこかに置かせてもらおうと思ってここに来ただけだった。しかしこの家の主婦である修ちゃんのお母さんの姿が見えなかったものだから、たまたま廊下を歩いていた環さまに「どうしましょう」と声をかけた。
それが、そもそも間違いだったらしい。環さまは、台所のことにはあまり詳しくないみたいで、冷暗所と言ってもすぐにこういう物の置き場所を思いつかなくて、「ここでもない」「あそこかしら」なんてあっちこっちの扉を開け閉めするものの一向《いっこう》に埒《らち》があかない。
私は「もう、修ちゃんのお母さんが見つかるまで涼しそうな廊下とかに置かせてもらおう」なんて結論を出したものの、一生懸命に置き場所を考えてくれている環さまに言いにくくて、つい世間話のようなノリで言ってしまった。それが、「小森谷さんはいないんですよね」なわけである。
するとその質問を耳にした環さまは、台所のことはよくわからないけれど、そのことならばお手のものとばかり、さっき抽斗《ひきだし》を開けた時に見つけた裏が印刷されていない広告の束の中から特に白くてツルツルしている紙を選んで、意気|揚々《ようよう》と家系図を書き始めた、というわけだった。
「すみません。一度にはとても覚えきれません」
「そりゃ、そうでしょ。私だって、ちゃんと理解できたのは中等部に上がってからだもの。さすがに両親は誰かってことくらいわかっていたけれど、修ちゃんのことなんて実のお兄さんだと思っていたし。なんか複雑そうだから、アバウトに家族って括って暮らしていたからね。しかし十歳くらいの時かな、幸二さんが私のお父さんのことを『お父さん』って呼んでいた時には、びっくりしたなぁ。修ちゃんが『お祖父《じい》ちゃん』って呼んでるに至っては、一度頭の中が爆発したもんね」
そうなのである。「修ちゃんのお父さん」のお父さんが再婚して生まれたのが環さまだから、環さまにとって「修ちゃんのお父さん」はお兄さんで、修ちゃんは年上の甥《おい》なのだ。そこにまた、修ちゃんが子連れの女性(私のお母さん)と結婚しちゃうものだから、もうグッチャグチャ。金輪際許さないと宣言されている手前口には出せないが、修ちゃんを「私のお父さん」と認定するなら、環さまは私の大叔母《おおおば》ということになる。
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「だからさ、この家に住んでる人は家族ってザックリわかっていればいいんだってば」
「はあ」
うなずいたものの、ザックリでは済ませられない事案もあるんじゃないか、って私は思った。たとえば、それぞれの呼び方、とか。親の再婚相手を何て呼ぶか、だけでも連れ子って悩むものだと思うのだけれど、一度にこんなに大勢の家族が増えてしまっては、悩むとか悩まないとかじゃなくてマニュアルとか法則とかを誰かに提示してもらわないことには、新参者にはどうしていいのかわからない。
修ちゃんは、結婚話が出た時に「お父さんって無理に呼ばなくていいよ」と言っていたから、「修ちゃん」でいいんだけれど、修ちゃんのご両親のことは「お祖父《じい》さん」「お祖母《ばあ》さん」って呼ぶべきなのかな、とか。でも初孫ができたと思ったら高校生、なんてどうだろう。突然老け込んだみたいで嫌じゃないかな。かといって「修ちゃんのお父さん」「修ちゃんのお母さん」なんて長すぎて変だし、「大場《おおば》さん」なんて他人|行儀《ぎょうぎ》すぎてかえって悪いし。
修ちゃんのご両親でさえどうしていいかわからないのに、その上、つまり環さまのご両親に関しては、もうお手上げだ。環さまのお父さんを「曾《ひい》お祖父さん」とは呼びにくいし、お母さんなんて私のお母さんと同世代だから口が裂けても「曾お祖母さん」とは呼べない。かといって「環さまのお父さん」「環さまのお母さん」や「筒井《つつい》さん」は、修ちゃんのご両親と同じ理由でパスだろう。
(あーあ)
その点、あちらさん側はただ「百《もも》ちゃん」って呼べばいいから、こんなことを思案しているなんて考えもしないのだろうけれど。
環さまが書いてくれた家系図を畳《たた》んで短パンのポケットにしまっていると、台所にお母さんが入ってきた。
「あ、百ここにいたの。あ」
環さまに気づいて軽く会釈《えしゃく》するお母さんに向かって、私は口を開いた。
「お母さん、今ぬか漬けの甕を――」
しかし、最後まで言い終わらないうちに、被《かぶ》せるように言い渡される。
「修ちゃんが、今のうちにご近所に挨拶に行くって言うから来て」
「えーっ、私も?」
「そりゃそうよ。でも」
お母さんは、私の姿を上から下へと眺《なが》めた。
「もうちょっとマシな格好ないの?」
朝からずっと同じなんだから、今更チェックする必要もないだろうに。半袖のTシャツとデニムの短パン姿は、真夏の引っ越しデーの装いとしては大きく外してはいないはずだった。
「ご近所回るのに、おめかしする必要あるわけ?」
「最初が肝心《かんじん》でしょ」
そう言いきるだけあって、お母さんはさっきまで着ていたポロシャツ&ジーパンから装いをチェンジし、麻のスーツをパリッと身につけている。いつの間にか、化粧までしている念の入れよう。
「まだ、服の段ボール箱開けてないし」
「制服でいいわ。リリアンの制服なら、ちゃんとして見えるから」
「制服だって同じだってば」
荷ほどきしてない、って言ったのに。全然聞いてないんだから。いや、お母さんも慣れないこと続きで、いろいろと気も遣《つか》わなくちゃいけないこともあって、テンパっているんだ、きっと。
まあまあ大きな会社で部長やっているんだから、仕事はバリバリこなしているんだろうけれど、企画力とか事務処理能力とか部下をうまく使う力とかは、ご近所づきあいとか、引っ越しとか新たな人間関係構築とかで必ずしも役に立つとは限らないのかもしれない。
「言っておいてくれたら、引っ越し前にマシな服の一枚くらい出しておいたのに」
「そんなの常識じゃない」
私をご覧《らん》なさい、とばかりその場で一回転するお母さん。
「お母さんは明日会社に行くスーツだけは出しておかなくちゃいけない、って別にしておいただけでしょっ」
「間違っていないけれど。それも含めて、って準備してたの」
絶対|嘘《うそ》だ。だって目が泳いでいるもん。修ちゃんに言われて、「あ、ご近所の挨拶回り!」って思い出したに決まっている。
「あのー」
と、ここで、母子のコミュニケーションに割り込んでくる声がある。声がした方向を見ると、環さまの笑顔にぶつかった。
「お話中ですが、よろしければ私の服をお貸ししましょうか」
「は?」
「大した服はありませんけれど、要するに百ちゃんに香也《かや》さんの横に並んでも浮かない程度の格好をさせればいいわけでしょ?」
「……ええ、まあ」
第三者が会話に加わったことで、はたと我に返るお母さん。つい娘との口論にヒートアップしてしまい、環さまの存在を忘れていたみたいだった。今更取り繕《つくろ》っても仕方ないんだけれど、取りあえずおしとやかな顔を作ってから言った。
「でも、甘えちゃっていいのかしら」
「もちろんです。百ちゃんは、私の妹と思っていますから」
「ありがとう。それじゃ百、そうさせてもらいなさい」
「えっ、でも」
母は、どんな服を出されようと、汗と埃《ほこり》を吸ったTシャツに太股《ふともも》むき出しの短パン姿の娘を連れ歩くよりはマシ、だと判断したようだった。環さまが今着ている服だって、私と似たり寄ったりなんだけれど。
「おいで、モモッチ」
環さまが二階へ誘う。なんか面倒《めんどう》くさいことになったな、と思いつつ私はあとに続いて階段を上った。
階段を上ってすぐのところにあるのが、環さまの部屋だった。
その隣が私、そのまた隣がお母さんと修ちゃんの新居になる。階段から見て向かって左側の光景、つまり廊下側まであふれた私やお母さんや修ちゃんの荷物をうんざりと眺めながら、私は環さまの部屋にお邪魔《じゃま》した。
取りあえず引っ越し屋さんのトラックから下ろした荷物を運び入れました、という私の部屋に比べれば、大概の部屋はすっきり片づいているように見えるものである。
「どれでもいいから、好きなの出して着たらいいやね」
「はあっ?」
「――と言われても困るか。これがいい、とかモモッチが言っても、冬服だったら香也さんからものいい[#「ものいい」に傍点]がつくだろうし」
「夏冬の違いくらい、私だってわかりますって」
あ、「香也さん」というのは朝倉《あさくら》香也、私のお母さんのことだ。環さまったら、当たり前のようにいつの間にか「香也さん」なんて呼んでいるんだから。迷いがなくっていいなぁ。
「取りあえず、スカートをはかせておけばいいか」
環さまはクローゼットから取っ替え引っ替え夏物の洋服を出しては戻してを繰り返して、やっと「これだ」と一枚のワンピースを選んだ。私はもう面倒くさくなっていて、何でもいいやって気になっていたんだけれど、手渡されたそれを見てちょっと嬉《うれ》しくなった。
何て言うか、私にでも似合いそうな服なのだった。綿で、上品なグリーンのチェック柄で襟《えり》がついているシックなワンピース。お母さんのスーツがレモン色だから、色味も合う。パッとした美人の環さまが着て似合う服なんて自分にどうかと思ったけれど、これなら引け目を感じずに済みそうだった。
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「着てみて」
環さまがワンピースを突き出しながら言った。
「ここで?」
「自分の部屋がよければどうぞ」
あの段ボール箱が積み上がった部屋を思い浮かべて、私は首を横に振った。
「いえ。ここの場所借ります」
環さまは部屋から出て行ったり後ろを向いたりしなかったけれど、まあ女同士だしいいか、と思った。学校の先輩後輩だから、ある意味運動部の部活で着替え中ってノリである。ってことで、私はTシャツと短パンを脱ぎ捨てて、グリーンのワンピースを着た。
「あー、可愛《かわい》い、可愛い。やっぱり、私の見立ては確かだわ」
「……」
何か、途中から自分への賛辞に変わっているんですけれど。でも、いつもより二割増しくらいよく見えることは間違いないので、否定せずに「ありがとうございます。お借りします」と言って、脱いだ衣類を畳《たた》み、それを抱えて部屋を出た。すぐ隣にあるドアに片足だけ入れて段ボール箱の上にTシャツ短パンを置きながら、また荷物が増えた、なんて思った。
階段を下りて玄関に向かって廊下を歩いて行くと、今度は修ちゃんとお母さんが居間で言い合いをしていた。
「何で近所に行くのに着替えないとならないわけ?」
「最初が肝心《かんじん》でしょう」
「君はそうかもしれないけれど、僕は小さい頃からここに住んでいるんだから。今更めかし込む必要ないじゃない。それに、僕だって家の中だけど部屋を移っているんだから、ちゃんとした服とか言われたって、すぐには出ないよ」
どうやら、挨拶回りするって言い出した修ちゃんがTシャツにジーパン姿のままでいることについて、お母さんがクレームをつけたらしい。
「会社のスーツは? 明日出勤するんだから、別にしてあるでしょ?」
お母さんたら、私としたやり取りをもう一度修ちゃんとやる気のようだ。結果が見えちゃっている私は、そんなことおくびにも出さないで居間に足を踏み入れた。
「お母さん。これでいい?」
「あー、いい、いい」
お母さんは一旦《いったん》会話を中断して、私に向かってパチパチパチパチと手を叩いた。計四回だから、柏手《かしわで》じゃなくて拍手《はくしゅ》。こうして「良くできました」と評価するのは、修ちゃんに対する牽制《けんせい》だ。さて、第二ラウンド突入か、と思いきや、早くもお母さんの対戦相手は、うつむいて居間《リング》をあとにする模様。
「どうしたの、修ちゃん」
戦意|喪失《そうしつ》の修ちゃんを、私は追いかけた。まさか勝てるとは思っていなかったけれど、もう少し粘《ねば》るところは見たかった。
「百ちゃんがそんなに可愛くしちゃったなら仕方ないじゃないか。三人並んだら、一人浮きまくりだろう」
確かに、スーツとワンピースの横に着古したTシャツとお洒落《しゃれ》のつもりかもしれないけれど所々に穴の開いたジーパンでは、統一感がなさすぎだった。ご近所に挨拶しにいくということは、「引っ越してきました」だけじゃなく「新しい家族です」の報告もあるわけで、ここは二対一になっちゃいけない。まあ、全員がラフなスタイル、って選択肢もあるわけだが、こうなった以上、修ちゃんが着替えるのが早い。
「そういうこと。手伝ってあげるから、さっさと着替えましょ」
お母さんは、修ちゃんの背中を押して居間を出ていく。
最初が肝心《かんじん》っていうけれど、これからは万事この調子なんだろうな。修ちゃんは年下だし、お母さんにぞっこんだし、今は部署が変わったけれど、この間まで上司と部下だったわけだし、尻《しり》に敷かれるってことはわかっていたけれどね。
修ちゃんが着替えて戻るまでそうかからないだろうから、私は玄関から出たところで待つことにした。門から玄関にかけての細い道は、背の高い樹が植わっているから、真夏であっても日陰《ひかげ》になっていて涼しい。
この敷地内に、いったいどれほどの樹木があるのだろうか。門までの道に沿って樹が植えられているから全体を見渡すことはできないけれど、居間から見えた庭にもいろいろな花が咲いていたし、塀《へい》の外から見た限りでは裏とか離れの周りにも緑があるようだった。
生まれた時から集合住宅暮らしならば、家の周りに小さな庭があるというだけでわくわくするはず。けれど、人生初の庭付き一軒家がここまでラージサイズだと、ただただ圧倒されるばかりだった。
ちゃんと見て回りたいけれど、今日のところはやることが多くて叶いそうもない。取りあえず一番近い樹の幹に手を触れて、「よろしくお願いします」と心の中でつぶやいた。新参者ですが仲よくしてください、と。すると、風が起こったのか突然上方の枝がカサカサと音をたてた。偶然でも、何だか応《こた》えてくれたみたいでうれしかった。
調子に乗ってその辺の樹を撫《な》で撫でしていると、木々の間から人が出てきた。
「あら、百さん。可愛い」
手には目に鮮やかな黄色いひまわりの花を何本も持っている。環さまのお母さんだった。
「あ、環さまのお洋服をお借りしたんです。ご近所にご挨拶するのに、服をしまい込んじゃってたから――」
「まあ、そうなの。でも、よくお似合いよ」
ふふふと笑ってからひまわりを私の顔の側まで近づけて、「こっちもね」と言った。
「もっと茎《くき》が細くて花も小さかったら、お洋服につけられたのに、残念」
「それ、お庭から?」
手に園芸用のハサミを持っているから、聞いてみた。
「ああ、そう。お玄関にでも飾ろうと思って」
「きれいですね」
ひまわりを誉《ほ》めて顔を上げると、環さまのお母さんと視線がぶつかった。どうやらずっと私を見ていたらしい。
「は?」
何か言いたいことでもあるのかな、と首を傾《かし》げると、満面の笑みと一緒に思いがけない言葉が返ってきた。
「この家も、庭も、百さんが来てくれて喜んでいるわよ」
「……そうですか」
「そうよ」
この家に暮らしている先輩に太鼓判《たいこばん》を押されたから、だけじゃなく、実は私自身もそんな気がしていたのだった。
「遅かったね」
二階の部屋に修ちゃんの着替えにいっただけのわりには時間をくった二人が、やっと玄関から出てきた。
たぶん十五分から二十分てところだろう、ちょっとの間立ち話していた環さまのお母さんも、ひまわりを生けるためずいぶん前に家の中に引っ込んだ。何かアクシデントでもあったかと思って、見にいったほうがいいかな、なんて考えはじめていたくらいだ。
「まあね」
さっきと打って変わってスカイグレーのスーツを着た修ちゃんは、男っぷりは上がったけれど同時に小父《おじ》さん度も上がっていた。自分の思い通りになって満足していると思いきや、お母さんの顔は曇《くも》っていた。
「どうしたの?」
どこかで第二ラウンドが繰り広げられて、修ちゃんが一勝一敗にもち込んだか、と思いきや、お母さんの表情が芳《かんば》しくない理由はまったく別のところにあった。
「向こう三軒じゃないんだって」
「え?」
ムコウサンゲンって、耳で聞いただけだと、何のことだかすぐにピンと来なかった。漢方薬とかの名前か、って思ったらご近所づき合いの話だった。――向こう三軒両隣。
「ああ、挨拶回りする範囲のことか」
「普通、向こう三軒両隣っていうでしょ。だから五軒よね」
「……うん」
この話がどこに向かっているのかわからなかったけれど、とにかく私はうなずいた。向こう三軒とは、お向かい三軒と左右のお宅のことだ。つまり自分の家から見て両隣と、お向かいと、左右|斜《なな》め前の家。
「だから五軒、予備一軒を含めて、計六軒分用意したのに」
「用意、って何?」
「お蕎麦《そば》よ」
「お蕎麦ぁ!?」
「何、変な顔をしているのよ。別に茹《ゆ》でた蕎麦じゃないわよ」
「いや、そんなこと思っていないけど」
「半生《はんなま》でもないわよ。カチンカチンの乾麺《かんめん》だってば」
お母さんが言うことには、会社の近く(と言っても駅二つ分離れているらしいが)に老舗《しにせ》の蕎麦屋があって、そこで予約して買ったんだって。「朝倉《あさくら》」っていう熨斗《のし》までつけたらしい。
「しかし、お蕎麦とは」
「引っ越しの定番なのよ。なぜなら――」
いや、みなまで言うな母上。高校生なんだから、それくらいのことは知っている。「おそばに参りました」っていう、クラシックな駄洒落《だじゃれ》だ。
「で、その六軒分のお蕎麦がどうしたのよ。足りなかったの?」
「そうなの。ここの家、敷地が広いでしょ。お向かいがすでに三軒あって、斜め前まで含めると向こう五軒になるんだって」
なるほど、すると向こう五軒両隣だと計七軒。買ってきた乾麺が不足する、と。
「修ちゃんが、ちゃんと教えてくれなかったから」
「それは悪かったけど、一緒に買い物にいくって言ったら、『任せて任せてもう買った』って話し終わらせちゃったじゃないか」
「うち大きいよ、って一言あれば追加で買ってきたわよ」
「うちが大きいことくらいは知ってるだろう、小さかったら四世代同居の話なんてでないよ。家の見取り図だって見せただろう。それに、あーっ、以前会社の飲み会で遅くなった時、タクシーでうちの前通ったじゃないか」
だんだん思い出したらしく、修ちゃんも声が大きくなった。恋人となったのは最近でも、同じ会社でつき合いも長いから、いろんなシーンでお母さんにヒントはばらまいてきたはずだった。
「で、どうするの?」
犬も食わないものを眺めていたって時間の無駄だから、私は二人の間に割って入って質問した。
「スーパーかなんかで、乾麺買ってこようか? 老舗の蕎麦屋のじゃないし、熨斗とかつかないけど」
それでも、「蕎麦だ」っていうことは変わらないから。ご近所なだけに、まるっきり別の物を配るわけにもいかない。
「いいの」
「いいの?」
「それは解決した。お義母《かあ》さんが、クッキーの小箱七軒分買っておいてくれたから」
お母さんが自称以外で「おかあさん」というのはすごく聞き慣れないのだが、つまりは修ちゃんのお母さんのことであろう。
「よかったじゃない」
ああ、そうか。修ちゃんの持っている紙袋に違和感があると思ったら、メープルパーラーのロゴが入っていたのだ。洋菓子のお店で、普通日本蕎麦は売っていないよ。
「どうかな」
えっ、早くも| 嫁 姑 《よめしゅうとめ》戦争|勃発《ぼっぱつ》か、って私は思った。引っ越しして一日目でそれじゃ、先が思いやられる。まだ婚姻《こんいん》届出していないんだから、正式には嫁姑じゃないんだろうけれど。
「本当は、できる嫁になりたかったのよー。なのに、お義母さんにはバレバレだったんだわ。それも、気を遣《つか》って納戸《なんど》に隠しておいたらしいの。なんてできるお姑さんなのー」
できる嫁と思われるより、詰めが甘くてぬけてる嫁って、早々に知られるほうが楽だと思うけれど。でも最初はよく見せたい気持ちはわからなくもない。ただでさえ、子連れで年上の嫁って引け目を感じているんだろうし。
「お母さんだって、香也さんが準備してきたことは評価したと思うからさ」
修ちゃんが慰めている様子を見ていたら、親身になって話を聞いてあげるのが何だかアホらしくなってきた。
日曜日の昼間だからお留守のお宅もあるかもしれない、なんて心配したものの、インターホンを鳴らすやいなやどちらもすぐに玄関を開けて、新たに「小森谷さん」に加わった私たち朝倉一家を笑顔で歓迎してくれた。
もしかして修ちゃんのお母さんが「挨拶に伺《うかが》いますのでよろしく」なんて根回ししておいたのでは、とお母さんは考えたみたいだけれど、家の前にトラックが止まって家具などの荷物を運び入れていたら、今日引っ越しだって丸わかりのはずだった。そろそろ挨拶に来るんじゃないか、って予想くらいついているだろう。
そんなわけで、向こう五軒両隣に無事挨拶を済ませて帰ったのだけれど、家を空《あ》けていた間に小さな事件が起きていた。
ぬか漬けの甕《かめ》が、台所から消えていたのだ。
ぬか漬けのことを思い出したのは、帰ってすぐ、その足で訪ねた環さまの部屋でのことだった。
「お洗濯して返しますので、もう少しお借りしていていいでしょうか」
ワンピースのことを言いにいったのだが、「洗濯なんてどうでもいいけどさ」と切り替えされた。
「それよか、今晩ぬか漬け食べられる?」
「はっ? あ、はい」
引っ越しだっていうのに、私は昨日しっかりキュウリとナスとニンジンをぬか味噌《みそ》の中に沈めておいたのだ。今は夏だから、漬かりも早い。夜にはちょうどいい具合に――と考えたところで、はたと思い出した。私、ぬか漬けの甕、どこに置いたっけ?
確か、台所で置き場所を探しているうちに環さまの講義が始まって、その後お母さんに着替えてこいと命じられて二階に行ったから、まだあの場所に放置されたままか。
私は回れ右して、階段に直行した。
「あ、モモッチどうしたの」
「気になるので、見てきます」
「えっ、何が」
環さまが追いかけてくる。
「ぬか漬けが、です」
言いながら、階段をダダダと下って一階に。暑さで頭の中まで溶けているのかな、私。帰って二階に行くまでの間、台所の前の廊下を歩いて来たっていうのに、ぬか漬けのことをまったく思い出さなかった。
「――ない」
台所に着いて、心当たりの場所に目をやったが、そこに甕の姿はなかった。
「うん」
追いついた環さまも、その通りだと大きくうなずく。
「環さま。まさか、まさかどこにあるかご存じないですよね」
あの時私と一緒に、いや私より先に台所を出て二階に行った環さまが知っているわけがない、と思ったけれど、一応聞いてみた。すると。
「ご存じある」
「えっ」
「だって、私が移動したから。モモッチさ、涼しい場所とか言ってたじゃない。だから、三人がご近所の挨拶回りに行っている時に一階に下りて。火を使う台所よりはいいかな、って気を利かせたつもりだけれど?」
どうだ、って胸を張るものだから、取りあえず「それは、ありがとうございます」とお礼を言った。対応を間違って機嫌を損《そこ》ねられでもしたら、移動場所を教えてもらえなくなるかもしれない。
「ついていらっしゃいな」
環さまは胸を張ったまま、廊下を歩き出した。これで太っていたら、まるで花道《はなみち》を歩くお相撲《すもう》さんだ。
案内されたのは、廊下を東に向かって進んで、階段を通り過ぎてもっと先の突き当たり、お風呂場の側だった。
「ほら、ここをちょっと折れると裏に出られる扉があるの。開けておけば風通しがいいでしょ」
なるほど、北向きに開いているから日も差さない。でも。
「肝心《かんじん》の甕はどこに」
「あら?」
私が尋ねると、環さまは今更気づいたように辺りを見回した。
「ないわね」
確かここに、と廊下の床板を踏みしめるのだが、そこには甕もそれ以外の何かもないのだった。
「じゃあ、私のお母さんかしらね」
環さまがつぶやいた。
「どうしてですか」
「私がここに甕を置いた時、そこにいたから」
そこ、というのは、視線からして今私が立っている辺りであろう。
「ひまわり生けるとかで、洗面所に水を汲みにきてたのよ」
「甕について、何か言っていました?」
この世には、ぬか漬けの匂いが嫌いな人もいる。もしかして気分が悪くなって、風下とかに移動させたのかもしれない。甕と蓋《ふた》の間に布巾《ふきん》を噛《か》ませた上に、今日は引っ越しとあってビニールを掛けて首を紐《ひも》でグルグル縛って、風呂敷で包んであったはずだから匂いは外に漏《も》れにくいとは思うけれど、嫌いな人は敏感に嗅《か》ぎ取ってしまうものかもしれない。
「何か言ってたか、って? うーんとね。『何?』って聞かれたから、『朝倉家の家宝』って答えといたけど」
家宝、って。大げさな。
「ぬか漬けお嫌いですかね」
「さあ? そもそも、うちのメニューで、ぬか漬けって出たことないからわからない」
「そうでした」
だから環さまは、漬物はお店で買う物と思っていたわけだし。それに、スーパーとかでぬか漬けってあまり見ないかも。捜せばあるんだろうけれど、よく目につくのは、浅漬けとか古漬けとか、あと刻《きざ》んでパックされた物とか。
「とにかく、お母さんに聞いてみようか。何か手がかりあるかもしれないし」
いろんなところで「お母さん」が出てくるので紛《まぎ》らわしいが、この場合の「お母さん」は環さまのお母さんのことである。
「は、はい」
とにかく私は、廊下をさっきとは逆に歩き出した環さまを追いかけた。環さまのお母さんにはすぐに会えると思いきや、これがなかなか姿を見つけられなかった。
「玄関にひまわりは生けてある。じゃ、離れに戻ったか」
ちょっと見てくるわ、と言い残すと環さまは廊下を歩いていってしまった。環さまのご両親は、あとから増築した離れに住んでいるのだ。取り残された私はというと、ただぼんやりここで立っていることもないので、廊下を歩きながら扉が開いている部屋を覗いて回った。さすがに引っ越してきたばかりで、勝手が今ひとつわかっていないから、プライベートスペースとかうっかり入ってしまわないためだ。
「百ちゃん。誰か捜しているのかい?」
居間では、ソファに座って新聞を読んでいた修《しゅう》ちゃんのお父さんと目が合った。
「あ」
「手が足りなかったら、遠慮なく言いなさい。家具の移動とか、修人だけじゃ動かせない物もあるだろうから」
「ありがとうございます。お願いすることがあるかもしれません」
頭を下げながら、実はうちのお母さんは修ちゃんくらいの力なら平気で出せるんだ、って思ったけれど、黙っていることにした。
「――ってことは、捜しているのは男手じゃないのか。うちの母さんかな」
「いえ、環さまのお母さん」
「タマちゃんの……ああ、椿《つばき》さんのことか」
「はい」
捜しているのはぬか漬けの甕です、って言ったほうがよかったかな、って一瞬頭を過《よ》ぎったけれど、かえってややこしくなる気がしなくもない。
「椿さんなら、たぶん納戸《なんど》にいるよ。さっきまで花を生けていてね、使わなかった花器をしまうって言っていたから」
「ありがとうございます」
「あ、納戸は風呂場の手前。廊下を挟んで階段の前、って言えばいいかな」
「行ってみます」
風呂場の手前っていったら、さっき環さまと甕を捜しにきたところだ。納戸なんてあったっけ、と思ったら、さっき歩いてきた廊下側は壁で、出入りは別の廊下からするのだった。広い家はわかりにくい。
扉は開いていたので、納戸には誰かがいるようだった。
「あの」
私は中に声をかけた。でも、そこにいる人は鼻歌を歌っているらしく、まったくこちらの声に気づいてくれなかった。
「えっと」
こういう時には名前を呼ぶべきなのだろうけれど、何て呼びかけたらいいのか。
(環さまの――)
心の中でリハーサルしていると、隣から声が被った。
「お母さん、捜したのよ」
離れから戻った環さまだ。
「えー、何ー?」
環さまのお母さんは、のんびりした声とともに廊下に出てきた。
「ぬか漬け知らない?」
「ぬか漬け? そんな物うちにあったかしら?」
「やだ、さっきお母さんだって見てたじゃない」
「ぬか漬けを? それ、私? 柳子《りゅうこ》さんか香也さんだったんじゃない?」
「お母さんだった、ってば」
環さまと環さまのお母さんは、だんだん興奮して声が大きくなっていった。
「……」
私とお母さんも、端《はた》から見ていたらこんな感じなのだろうか。一緒に暮らしていると言葉が足りなくてもある程度通じちゃうものだから、こんな風に会話が食い違った場合、「どうしてわからないの」って相手を責めたくなっちゃうのだ。
埒《らち》があかないので、私は横から口を挟んだ。
「あの、ぬか漬けっていうのは『朝倉家の家宝』のことです」
すると、左右からステレオ放送のスピーカーみたいに「ああっ!」と納得の声があがった。やっぱり親子だ。声が似ている。
「『朝倉家の家宝』なら見たわ。あ、そう、あれぬか漬けが入っていたの」
しみじみと思い返してうなずく母親に向かって、環さまは質問をし直した。
「お母さん、『朝倉家の家宝』知らない?」
「……なら、知ってる」
「えっ」
「風呂敷包みの隙間《すきま》からチラッと見たら、中身は陶器みたいだったし。それに、家宝を廊下なんかに置いといて、蹴って割っちゃったら大変じゃない。だから安全な場所に移動させたわよ」
「それ、どこですか」
「和室の床《とこ》の間《ま》」
「わっ」
私のぬか漬けが、床の間に鎮座《ちんざ》ましましているなんて。昔話で、お殿《との》さまと着物を交換した農民みたいな心持ちだった。早く救出に行かないと、って飛び出したら、環さまに首根っこを掴まれた。
「和室はこっち」
もう、広い家ってこれだから。一回説明されたけれど、覚えきれるものではない。
廊下を環さま、私、環さまのお母さんの順でぞろぞろ歩いていると、階段から下りてきた私のお母さんと鉢合わせした。
「どうかしたの?」
「ぬか漬けが床の間に」
「何、それ」
笑いながら、それでもお母さんは一団に加わった。
「そういえば、修ちゃんのお母さんが、さっき何か変なこと聞いてきたのよね」
「変なこと?」
蕎麦とかメープルパーラーのクッキーとかとは、また別の話なのだろうか。
「お墓はどうする、とか何とか。だから修ちゃんのことかと思って、ほら苗字が朝倉に変わるけれど長男だし気になるんじゃないの? 私としては、大場家のお墓に入ってもいいし、私と修ちゃんだけで新しいお墓を建てたっていいと思ったから、『私はどっちでもいいですよ』って答えたんだけど、不思議な顔をしていたのよね。何か間違ったこと言ったかな。でも、同居した途端、もうお墓の話か。ずっと先のことかと思っていたけど」
「修ちゃんとお母さんだけ? 私は?」
「新しいお墓のこと? 百も一緒に入りたいならいいけど」
「お邪魔でなければ」
後ろで聞いていた環さまのお母さんが、思わずプッと噴き出した。
「百ちゃん。好きな人ができたら、きっと気が変わるわよ」
そっか。今は考えられないけれど、そういうパターンもあるかもしれない。お母さんだって、以前は私のお父さんのお墓に入るって決めていたはず。でも、今は修ちゃんと、って思っているわけだから。
「おいおい、何事だ」
居間の前の廊下を行進する女たちを見て、修ちゃんのお父さんも飛び出してきた。
「はあっ? ぬか漬けの甕? どうしてそれが床の間にあるんだ?」
さらりとした説明を聞いたところで、理解できるわけがない。思った通り、その目で確かめようとついてきた。
和室は四畳半が二つくっついた形になっていて、間の襖《ふすま》をすべて開けば九畳間としても利用できるという。床の間があるのは、廊下に近い方の四畳半である。しかし。
「……ない」
五人は口々につぶやいた。
「本当よ、私ここに置いたんだから」
環さまのお母さんが、指をさした。
「はい」
誰も嘘《うそ》とは思っていない。「ここ」には、本来一人で主役を務《つと》めていたはずの立派な石(人間の頭大、台座付き)をずらして作ったと思《おぼ》しき不自然なスペースがあった。大きさからいって、あのぬか漬けを入れた甕がちょうど収まるくらいの。
「床の間から、移動させた人」
環さまが和室にいた人々を見回した。当然、ここで手を上げる人はいない。
「――ってことは犯人は、私のお父さんか、柳子さんか、修ちゃん、ってことよね」
甕が一人で歩いていくことはないわけだから、当然今ここにいない人物が別の場所に置いたと考えられる。しかし、犯人って。消えたのがぬか漬けの甕では、推理小説のネタにもならないだろう。
予想通り、ここの解決編は名探偵がお役ご免《めん》になるほど呆気《あっけ》なかった。
「……あの」
声とともに、スルスルと襖が開いて隣の間から修ちゃんのお母さんが出てきて言ったのである。
「たぶん、犯人は私です」
「ええーっ!」
すぐ出てきてすぐ白状、って。もう少し引きがあっても、って、推理小説じゃないからいいのか。
「どこにやったんだ」
修ちゃんのお父さんが、一歩前に出ると、代表して尋ねた。隣の部屋のどこかにあると、当たりをつけたのだろう。片づけ物でもしていたのか、押し入れの襖が開いていたし。
「その前に。聞いてもいい? あれには何が入っていたの?」
「なんだ、小判でも入っていたと思ったのか」
「そんなこと、考えもしませんでしたよ」
小判はさておき、じゃあ何だと思って移動させたのだろう。焦《じ》らしても悪いし、何が入っているのか言わないことには話が進まないので、私は口を開いた。聞き間違えのないよう、大きな声で滑舌《かつぜつ》よく。
「ぬか漬けです」
「……ぬか……漬け」
リピートされた声は、脱力気味だった。
「やだ、そうなの? 本当に、ぬか漬け? どうりで重かったはずよね」
ということは、持ってみるまではもう少し軽い物を想定していたわけだ。
「そうそう、ぬか漬けだったわね。ぬか漬けはね、ここに置いたの」
次の瞬間、修ちゃんのお母さんがした行動に、私とお母さん以外、つまりもともとこの家に住んでいた人たちはギョッとした顔をした。「ここ」と言って手をかけた床の間の並びにある観音《かんのん》開きの扉の中に、何が入っているか知っていたからだ。
現れたのは、仏壇《ぶつだん》だった。そりゃ、予想外もいいところだ。なんでぬか漬けが供《そな》えられているわけ? ――って。
「あら?」
しかし、置いたはずの人が狐《きつね》に摘《つま》まれたような顔をしている。
「確かにここに置いたのよ」
仏壇の前にある台(たぶんお供え物とか仏具とか置くためのものだろう)を指差す、修ちゃんのお母さん。
「……」
何ていうのかな、こうまで続くと「どうして」以前に「またか」ってなる。ある意味、期待していた感もなきにしもあらず。
「しかし。なぜに、仏壇なんですか」
環さまが質問した。ぬか漬けだって知らなかったわけだから、仏様に味見してもらおうと思ったわけではないだろう。そうだとしても、普通は甕ごとは供えないものだ。
「えっ、あ、それは」
言いにくそうにしているところを見ると、あの甕の中身、かなり突拍子《とっぴょうし》もない物を想像していたに違いない。でも、仏壇に置くのが相応《ふさわ》しい物っていったい――。
「お骨だと思ったんですよね」
お母さんが言った。
「えっ」
みんなが一斉《いっせい》に、修ちゃんのお母さんの顔を確認した。黙っているところを見ると、図星だったらしい。しかし、お骨って。いったい誰のお骨だと思ったんだろう。
「百の父親は、彼の両親と一緒に都内の小さなお寺で眠っています」
静かに説明するお母さんの瞳《ひとみ》は、心なしか潤《うる》んでいた。それで私は、私たち親子がお父さんのお骨を引っ越しの荷物と一緒にこの家に運び入れたのだと、勘違いされたことに気がついた。えーっ、さすがにそりゃないだろう。お父さんが死んで、十年以上経っているのに。いや、年月の問題だけじゃなくて、再婚しようという人が新居(結婚相手の実家)に前の配偶者のお骨は持ってこないでしょう。
「ごめんなさい、私」
修ちゃんのお母さんは、お母さんに気まずそうな顔を向けた。
「いいんです。あれ、そう見えなくもないですよね。陶芸をやっている友人があんな壺《つぼ》を作っていて、聞いたら自分の骨壺だって言ってましたよ」
そう応《こた》えるお母さんを見て、私はちょっと見直した。「私はそんな非常識な人間に見えますか」って、泣きながら抗議するかと思った。けれど、まったくそんな様子も見せないで、ほほえみすら浮かべて穏やかに話をしている。友達が骨壺作っている云々《うんぬん》の話題は、ベストチョイスかどうか微妙だけれど、フォローしようという気持ちがあることだけは見ていてわかる。大人だな、って感じた。
しかし、そうか。あれを見て骨壺だと思ったから、修ちゃんのお母さんは、唐突《とうとつ》にお墓の話をしたのだ。納得。――なんて、一件落着ムードにひたるのはまだ早い。
「そうよ、ここにないということは」
環さまのつぶやきに、私もうなずく。
「ここから運び出した人がいる、っていうことです」
「となると」
残っているのは、もはや修ちゃんと環さまのお父さんだ。
「家族以外、って可能性は」
「それはないんじゃないか? 引っ越し業者が帰ったのはかなり前のことだし、こう家族がいっぱいいてガヤガヤしていたら、泥棒《どろぼう》だって入ってこないだろう」
「それもそうですね」
大人たちも加わって、意見を言い合った結果。
「とにかく、二人とも来てもらいましょうか」
ということになった。
ここは、二人とも[#「二人とも」に傍点]というところが重要。一人に聞いてみて仏壇から移動させたと白状したとしても、これまでのようにその場所に行ったらまた消えている、という可能性が大いにあるからだ。三度あることは四度ある、かもしれない。
しかし、呼びに行く前にあちらさんから声がかかった。
「そこの集団に香也さんはいるかい」
環さまのお父さん。残念ながら修ちゃんはいない。
「あ、はい」
名指しで呼ばれたお母さんは、前に進み出た。
「ちょっといらっしゃい」
「あの、でも、今……」
段取りでは、修ちゃんも揃《そろ》ってから甕の場所を聞き出すことになっていたわけだけれど、その質問をしていいかどうかもわからないまま、お母さんは先を歩き出した環さまのお父さん(お母さんにとっては義理のお祖父さん)を追いかけた。
こうなった以上、他のメンバーもあとをついていくしかない。
到着した先は、台所だった。ただし、さっき私が環さまの講義を聴いていた時とは様子が少し違う。
「これは」
「床下収納だよ」
床板を三枚ほど外した部分には、半畳ほどの四角い穴が開いている。深さは五十センチほどあろうか、もちろん土むき出しではなくて、暗くて定かではないが煉瓦《れんが》かタイルのようなもので底と壁を覆《おお》っているようだ。あと何枚かは床板を外せるようで、全体は今見えているよりもう少し大きいのだろう。
「こんなものあるなんて知らなかった」
隣にいた環さまがつぶやいた。
「ずっと使っていなかったからちょっと埃《ほこり》っぽいが」
続いて出てきたのは、意外な言葉だった。
「ぬか漬けはここに置いたから」
五秒ほどの沈黙の後。
「ええーっ!?」
一同驚きの声をあげた。そして穴を覗いて中を確認すると、風呂敷包みのまま私のぬか漬けの甕が、居心地よさそうにそこに座っている。
「お父さんっ、どうしてっ」
「どうして、って。ぬか漬けは、長いこと仏壇に供えておく物じゃないだろう」
「甕を見ただけでぬか漬けってわかったの? それとも蓋を開けてみたの?」
「蓋が閉まってたって、外から匂《にお》いをかげばわかるだろう、そんなもの。昔、お母ちゃんが漬けてくれたからな」
「お母ちゃん、って。俺の母さんが?」
修ちゃんのお父さんが聞き返した。
「アホ。桐子《きりこ》さんがやるわけないだろ。お母ちゃんといったらワシの、大場のお母ちゃんのことだ」
「ああ、お祖母《ばあ》ちゃんか。なら、わかる」
どうやら環さまのお父さんの前の奥さんは、そういうことをやるタイプの女性ではなかったらしい。この洋館のお嬢さまだったわけだから、あまりお料理とかしなかったのかもしれない。
「昔は梅干しとかカリン酒とか貯蔵《ちょぞう》していたんだが、漬ける人もいなくなって久しいからな」
遠い目が今見ているのは、どれくらい昔の思い出なのだろう。
「もう今はぬか味噌《みそ》かき混ぜる女なんて天然記念物並みに見られなくなったと思ったら、絶滅していなかったんだな。香也さん、あんたは偉《えら》い。女手一つで百ちゃんをここまで立派に育てた上に、ぬかまで守ってきたなんて。その上、ご先祖様に家にぬかを持ち込む許しをえようと仏壇に供えるとは、大和撫子《やまとなでしこ》の鑑《かがみ》」
環さまのお父さんが感激して、私のお母さんの手を取った。しかし、残念ながら要所要所にかなり誤解が混じっている。
「すみません、私じゃないんです」
お母さんは、握られた手からそっと逃れた。環さまのお母さんが側にいたので、気にしたのだと思う。
「え? ぬか漬けは、引っ越しの荷物と一緒にうちに来たんじゃないのかい」
「そうなんですけれど。私も、たぶん桐子さんタイプの女なんで」
「じゃあ、いったい」
すると、環さまが私を前に押し出した。
「大和撫子は、ここにいまーす」
わ、どうしよう。みんなの視線が集中した。
「百ちゃんが?」
「はい、ごめんなさい」
ぬか漬け大事にしているのが、こんな小娘で。
「何を謝ることがある。もっとすばらしいじゃないか。日本の将来は明るい」
環さまのお父さんは、今度は私に抱きついた。お母さんと違って、私はまだ子供だから遠慮がなかったんだろう。もちろん全然いやらしい感じじゃなくて、むしろ私は気持ちよかった。
両親とも親に縁が薄くて、私が生まれた時にはもうお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも亡くなっていたから。お年寄りの匂いとか、筋張った身体とか、至近距離で見る深い皺《しわ》とか、そういうの知らないで育った。環さまには悪いけれど、「ああ、お祖父ちゃんができて嬉しい」そう思った。
「あれ? ……何か、あったの?」
一階が騒がしいので階段を下りて台所までやって来た修ちゃんが、目をパチクリしてつぶやいた。
「ふふふ、それが傑作《けっさく》なの」
一生懸命部屋の片づけをしていた人が仲間はずれになっちゃったわけだけれど、みんなが笑顔だったので修ちゃんは文句を言わなかった。
その晩の夕食は、お母さんの会社の側《そば》の老舗《しにせ》のお蕎麦屋さんから買ったお蕎麦になった。それと修ちゃんのお母さんが作っておいてくれた具だくさんのミートローフ、プラス私のぬか漬け。組み合わせとしてはちょっと変かもしれないけれど、今まで別々に暮らしていた私たちが家族の仲間入りをした最初の食卓には相応《ふさわ》しいメニューかもしれない。
寄せ集めだって意外に合うんだ、これが。
その夜、まだ片づけ終わらずにどうにか寝床だけはこしらえた私の部屋に、パジャマ姿のお母さんが転がり込んできた。電気も消して、もう寝ようって時だ。
「何、もう夫婦げんか?」
実家に帰らせてもらいます、ってやつ? 生憎《あいにく》身を寄せられるような身内の住まいは、隣の部屋なわけだけれど。
「何言ってるの。修ちゃんとは良好。でも、まだ籍《せき》入れてないから正式な夫婦じゃないしね」
だから娘の部屋に来た、ってことか。
「古いね」
「何とでも」
お母さんはベッドに座ると、お尻《しり》をぐりぐり動かして私の身体《からだ》を奥に押し込んで、自分の寝るスペースを作った。
「これシングルベッドなんだけど」
「いいじゃん」
「暑いよ」
真夏なんだからさ、勘弁《かんべん》してよ。
「へー。百はさ、お母さんのお腹の中に十カ月もいたんだよ。こうやって、ぴったりくっついて。その時は、暑いとか狭いとかの文句なんて一言もなかったけど」
「胎児《たいじ》や乳幼児の頃のことを持ち出して優位に立つの、ずるいんじゃない?」
「親の特権じゃ」
そう言ったかと思うと、まるで嫌がらせのように抱きついてきた。
「今日のぬか漬け事件、最高だったね。後世に語り継ぐべき話だわ」
「ぬか漬けがいろんなところ渡り歩いて?」
「そー。まるで足が生《は》えてるみたい」
最後は一番居心地のいい場所で見つかったわけだし。案外ぬか味噌が、人間をうまい具合に操ってその場所まで移動したのかもしれない。
「私さ」
お母さんに後ろから抱かれながら、私はつぶやいた。
「あの時、お母さんが泣くかと思った」
「泣く? いつ?」
「ぬか漬けが、お父さんのお骨と思われた時」
お母さんはすぐに思い出せなかったらしく、ちょっと考えてから「ああ」と言って身体を離すとそのまま身を起こした。
「あれね。正直、泣きそうだったわ。でも、泣いたら誤解されそうだから必死に堪《こら》えたんだ」
「誤解って?」
私も、起きてお母さんと向き合った。闇に近い暗がりなのに、お母さんの顔が妙にはっきり見えた気がした。
「私が怒っている、ってね。思われちゃいそうじゃない」
「違ったの?」
「違うよ。泣きそうだったのは、感動したから。だって、お父さんのお骨だと思いながら、この家のお仏壇に置いてくれたんだよ。普通、しないでしょ。考えられないよ。で、その時思ったの。ここの人たちは、お父さんごと私と百を受け入れてくれているんだ、って」
それで泣きそうになったんだ、お母さん。私はあの時、全然そんなこと考えられなかったのに。子供と大人の差なのかな。
「だからさ、百。明日、お母さんは修ちゃんと役所に行って籍入れてくる」
「え?」
知らなかった。
籍入れるタイミングって、大丈夫やっていけるってお母さんが判断した時だったんだ。
「十六年間、お世話になりました」
お母さんはベッドの上で、正座して三つ指をついた。
「幸せになってね」
「一緒になろう」
「うん」
今度は私から抱きついた。
家事は得意じゃないけれど、うちのお母さんは「いい女」だ。
こんないい女を嫁にできるなんて、修ちゃんは果報者《かほうもの》だ。
惜しいけれど、くれてやる。
私は隣の部屋に向かって、小さく舌《した》を出したのだった。
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|一 週 間《アバウト ワン ウィーク》
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八人中たった一人いなくなっただけで、こんなにガランと感じられるとは思わなかった。
何のことかって、家族の話だ。
お母さんと二人暮らしだった頃は、一人いなくなったら残りも一人になるわけで、一人が占《し》める割合としては五十パーセント、八分の一の十二・五パーセントに比べると遙《はる》かに大きかったわけだが、私が一人で取り残されることは滅多《めった》になかったから、今回のようなガランは経験なかった。残業やつき合いで帰りが遅いことがあっても、お母さんは日付をまたがずに帰ってきたし、泊《と》まりの社内旅行には行かなかった。
環《たまき》さまが、修学旅行に出ている。かれこれ四日になる。
最初のうち私は、家の中だけでなく学校への行き帰りとかにもくっついて歩いて、あーだこーだと「生活指導」と称したちょっかいを出してくる人がいなくなって、正直清々していた。もともと一人でいることが苦でない性格だったし、そういう環境に慣れていたから、約一週間の間久々に雑音のない生活を思う存分|満喫《まんきつ》しようと決めていた。
しかし、若者の順応ってバカにならない。
のびのびしたのは初日の金曜日だけで、二日目の土曜日には家にいるはずもない環さまの姿をうっかり捜し、学校が休みだった三日目の日曜日には退屈を持てあまして近所の公立図書館まで自転車を走らせて、本を三冊も借りてきてしまった。横でおしゃべりする人がいないと、宿題もはかどって、「やらなくちゃいけないこと」がなくなってしまったのだ。
改めて、私って無趣味だったんだ、って思い知らされた。フルタイムで働いているお母さんの代わりにほぼ家事の一切をやっていた頃は、暇って感じたことがなかったから気がつかなかった。
この家に移り住んで、一カ月ちょっと。これまで引っ越しの片づけとか、新しい生活のリズムに慣れなくてバタバタしていたけれど、そろそろ落ち着いてくる頃だろうし、何か打ち込めるものでも見つけたほうがいいのかもしれない。
することがなければおにぎりを作ってよ、と言った環さまがいないんだから。
お互い成長すればこれから先、環さまが家にいない日が増えていくかもしれない。一日一回、ぬか味噌《みそ》かき混ぜているだけじゃ間が持たない。
とにかく、一人いないだけで、いつもの調子が出ないものだ。あてにされているから仕方なく毎朝目覚まし時計の役を引き受けているだけなのに、今朝も環さまのドアをノックしてしまった。
トン、で気がついて二つ目の時|拳《こぶし》を引き戻した。いっそのことトントンとやりきってしまえばよかったのだろうが、ワンノックが耳に残って「やっちまった」感でいっぱいになる。
しかしそれは、環さまの部屋の隣人である私のみに起こる現象、ではなかったらしい。
「おはようございます」
「おはよう、百ちゃん、あ、そうか。環ちゃんいないんだっけ」
私が一人で台所に現れたのを見て、柳子《りゅうこ》さん(修《しゅう》ちゃんのお母さん)が「しまった」と最後に小さくつぶやいた。
「やっちゃいましたか」
「やっちゃったわね」
その言葉通り、調理台には八人分のお皿が並べられ、今まさに盛りつけしている最中だった。それだけではなく、電子レンジの側にあるアルミのバットの中には二人分のお弁当のおかずが、余熱をとるために放置されている。
「仕方ない。私がお昼に食べるからいいわ」
柳子さんはため息をついた。
「どっちをです?」
「あ、そうか。朝ご飯もお弁当もあるんだった。今日は筒井《つつい》夫妻は出かけるっていうし、困ったわ太っちゃう」
「じゃ、お弁当のほうは引き受けますよ」
私が申し出ると、柳子さんは目を丸くした。
「百ちゃん、おかずを二人分食べるの?」
「いいえ」
言いながら私は制服の上からエプロンを着け、冷凍庫の中からラップで丸めたご飯を二個取り出して電子レンジでチンをした。
「おかずだけじゃなくて、ご飯も!?」
「まさか」
この家の朝の主食は、ほとんどパンである。だから、朝お米を炊《た》いたご飯を準備するというのは即《すなわ》ちお弁当用なのである。
冷蔵庫から梅干しを、戸棚から粗塩《あらじお》の入った瓶《びん》を出して流し台の側にセッティング。ほかほかご飯が出来上がったら、ラップを開いて軽くほぐしてから種を取った梅干しを千切って真ん中に入れ、それを塩で握る。三角でも俵《たわら》でもなく、太鼓《たいこ》型。真ん中をちょっと潰《つぶ》した赤血球みたいな形になるのが私流。海苔《のり》を巻いたら完成。二個の梅干しおにぎりができた。
私は、月−金でほぼ毎日これを作っている。おにぎりの具は、その時によって昆布《こんぶ》の佃煮《つくだに》だったり鮭《しゃけ》フレークだったりはするけれど、基本はあまり変わらない。まだ暑いので、梅干しの出番は多い。
毎日のおにぎりは、環さまのリクエストだった。新学期になってお弁当の話が出た時、「モモッチ、おにぎり作ってよ」と言った。で、おかずは「柳子さんお願い」。
私たち母子が引っ越してくる前も、環さまのお弁当は柳子さんが作っていたらしい。私は、朝ご飯もお夕飯も作ってもらっている上にお弁当まで柳子さんにお世話になるのは気が引けていたんだけれど、かといって主婦の聖域みたいな台所にあまり踏み込んではいけない気もして、悩んでいた。それでなくても、ぬか漬けがお世話になっているというのに(メインがシチューとかローストビーフとかの日でも、快《こころよ》く食卓に並べさせてもらっているのだ)。
だからおにぎりだけ作る、っていうのはいいバランスだった。柳子さんが了解してくれたから、以来そうしている。おかずも、自分でタッパーに詰める。ついでだから、環さまの分もしてあげる。
そういった感じで、この家では女子高生が持っていくお弁当が二つ並ぶわけだけれど、修学旅行のため不在者がいるというのに、私はいつもと同じように二つ作ってから、柳子さんのアシスタントを始めた。といっても、今朝はほとんどできているから、隣の食堂にできたてのおかずを運ぶくらいだけれど。ワンディッシュプレートみたいに、大きなお皿にサラダとかウインナーとかスクランブルエッグとか載っていておいしそう。それから、焼きたてのパンとコーンスープ。だいたい準備が整うと、匂《にお》いを嗅《か》ぎつけてか、家の方々から家族がゾロゾロと集まってくる。
「そうか、環いないんだったな」
食卓を見て、信五郎《しんごろう》さんがしみじみつぶやいた。一人分の席が空《あ》いていると、それだけで非日常になってしまうのだ。
ところで、引っ越した翌日には、私の「何て呼んだらいいだろう問題」は解決した。環さまに相談した結果、この家で誰かを呼ぶ時の法則を教えてもらったのだ。
「迷ったら、名前を呼ぶ。それだけ」
つまり、こういうことだ。家族の中には、迷うことなく呼べる人がいるだろう。私だと、「お母さん」「修ちゃん」、微妙だけれど「環さま」。その人たちは今まで通りでOK、「何て呼ぼう」と考える人については、「○○さん」と呼べばいい、と。
でも、環さまのお父さんを「信五郎さん」なんて呼んでいいのだろうか、と躊躇《ちゅうちょ》していると大口開けて笑われた。
「自然に『曾《ひい》お祖父《じい》ちゃん』って呼べるなら、それでいいけど?」
それは、とてもできそうにない。
「私なんかさ、修ちゃんのお父さんのことだって『幸二《こうじ》さん』だもんね」
なるほど血がつながった兄にさえ、「さん付け」がまかり通っている家なのだから、みんなそれが普通だと思っているのだ。というわけで、私もすぐに「柳子さん」とか「椿《つばき》さん」とか呼べるようになった、というわけだ。
さて朝食後。
私は、朝倉《あさくら》夫妻(お母さんと修ちゃん)の前に、いつもは環さまが持っていってるお弁当の包みを置いて言った。
「ジャンケンして勝ったほうに食べてもらいます」
というのは冗談で、本当のところはお母さんに持っていってもらおうと考えていたんだけれど。二人は本気のジャンケンをはじめた。先に三勝したほうが勝ち、って。朝からテンションが高い。
「社食だっておいしいんでしょ」
「おいしいけど」
二人は口を揃《そろ》えて言った。
「そのお弁当、ずっとうらやましかったんだから!」
口に出したことはないけれど、制作現場に遭遇《そうぐう》した時なんか、「いいなー」と横目で眺めていたらしい。そんなわけで本気ジャンケン。曰《いわ》く、「こんな機会でもなければ、口にすることができないお宝」らしい。
「じゃ、二人で分けっこしたら? 社食のご飯を食べながら」
同じ建物の中で仕事しているんだし、お昼休みの時間も一緒なんだから。
「それは嫌」
お母さんが拒否し、修ちゃんも大きくうなずいた。
「社内で会っても、必要以上の話はしないのよ。みんなだって私たちのこと知っているけど、見ない振りしてくれているのに、どうしてわざわざ自分たちから冷やかされるようなことしなきゃいけないのよ」
なるほど。社内結婚もなかなか大変らしい。ということは、お母さんが昇進して部署が変わったのは、二人にとって願ってもない幸運だったわけだ。お給料がちょっと上がった、なんて喜びとは比べものにならないくらいの。
あいこが続いて決着がつかない勝負につき合うこともないから、私は構わずちゃっちゃと身支度をして、笑って新婚さんのジャンケンを見物している筒井・大場《おおば》両夫妻に「行ってきます」と挨拶《あいさつ》してから家を出た。
(待ってよ、モモッチ)
門を飛び出した時、そんな声が聞こえた気がして振り返った。
革靴《かわぐつ》のストラップがうまく留まらないとか、バレッタが外れそうだとか、毎朝どうでもいいぼやき声を出がけに後ろから発する環さまは、イタリアにいるくせに今日も私の足を止めさせるのだ。
火曜日。
放課後、学園祭用の数珠《じゅず》リオ作りで教室に残った。
我が一年|椿《つばき》組は、『他教のそら似』という展示をすることになっていて、観《み》に来てくれたお客さんにビーズで作ったブレスレットのような物を差し上げる予定だった。数珠リオとは、数珠とロザリオをもじって作ったネーミングだ。
蓋《ふた》を開けてみないと来場者の数はわからないから、少し多めに用意する必要がある。学園祭はまだ先だけれど、今のうちからコツコツ作っていかなければ間に合わない。
ところで、この一週間は、ある意味学園祭の準備にもってこいの時期だった。二年生が修学旅行で留守だから、活動日なのに部活がお休みになるケースが結構ある。その時間を利用すれば、普段は忙しいクラスメイトたちも数珠リオ作りに参加できる、というわけ。強制的に「一人いくつ」っていうノルマはないから自由参加なわけだけれど、今日は結構な人数が残っている。私も部活に入っていないから、できるだけ協力しようとは思っている。一学期中は、主婦やっていたから、クラスメイトとのつき合いも悪かったし。
とにかく、さっさと家に帰っても特にやることもないわけだから、こういうクラスの居残り作業っていうのは大歓迎だ。
「百さん、最近保健委員の二年生と親しくしていらっしゃるけれど」
敦子《あつこ》さんが、一粒ビーズを紐《ひも》に通しながらさらりと言った。百さんと名指しなのだから、私に話を振ったということなので、取りあえず顔を上げる。それから、質問の内容を思い返した。
「保健委員……ああ、環さまのこと」
放課後の教室は、社交場と化していた。長屋のおかみさんたちが、井戸端《いどばた》で家事をやりながら情報交換するみたいに、黙々と手を動かしながら口も、――というわけ。普段一緒にお弁当を食べることのないクラスメイトが、お隣やお向かいの席で作業することもあって、尚《なお》のこと今まで聞いたり聞かれたりしたことがない話題も出るのだった。
「えっと、親しいというより何と言ったらいいかあの人は」
義理の大叔母《おおおば》だなんて説明したのが知れたら、環さまにどんな目に遭《あ》わされるかわかったものじゃない。
「まあ、隠すことないのに。わかっているわ」
わかっているなら、わざわざ聞かなくてもいいのに。でも、彼女の「わかっている」はたぶん間違っているんだろうな、とも思った。でもって、その通りだった。
「お姉さまなんでしょ」
「いえっ、まさか」
すかさず否定したものの、別のクラスメイトが「そうそう」と話に加わってきた。
「毎朝一緒に登校しているし、帰りだってよく連れだっていらっしゃるものね。百さんだって、保健室に迎えに行ったりしてるじゃない」
よく見ているな。
「仲がよろしいわね」
「仲がいい、っていうか」
一緒に住んでいるから仕方なく、なんて言ったら、話がもっと盛り上がっちゃうんだろうな。
その時、隣で黙々と作業をしていた瞳子《とうこ》さんが椅子《いす》を立った。
「よろしければ、席を替わりましょうか?」
わざわざ遠くの席からここまで出張してきて話に加わったクラスメイトに向かって、そう告げた。
「えっ、いえ」
「ご遠慮なく。どのみち私はこの話題に加わっていませんし、どちらの席でも差し障《さわ》りありませんから」
一つ作り終えたところだったのでちょうどいい、とばかり、空《から》になった席に移動して次の数珠リオ制作に着手する。口調は丁寧《ていねい》だし、表情も穏やかだけれど、噂《うわさ》話が高じて手が疎《おろそ》かになっていることを非難していることは明らかだった。もっとも、そう思わせることも彼女なりの計算なのかもしれない。瞳子さんは演劇部に入っていて、一年生ながら今年の学園祭で『若草物語』のエイミーに抜擢《ばってき》されたくらいの実力者だ。
「なんか……ね」
そうなったからには仕方ない、立っていたクラスメイトは私の隣の席に収まった。けれど、もはや楽しげにさっきの続きを話そうという気持ちにはならなかったようで、背後のグループに視線を向けてからコソコソと言った。
「山百合《やまゆり》会のお手伝いをする者同士、ちょうどいいんじゃないの」
瞳子さんの新たな席は、可南子《かなこ》さんのお向かいだった。ふうん、瞳子さんと可南子さんが山百合会の劇に出るって噂、本当だったらしい。でもあの二人、仲悪そうだけれど大丈夫なのかな。
「大丈夫なんじゃないかしら」
乃梨子《のりこ》さんが笑った。
お手洗いに立ったら、入れ違いで戻ってきた彼女の姿を廊下で見かけて、つい私から話しかけてしまったのだ。
乃梨子さんといえば、体育祭で行われた『棒引き』のパフォーマンスは記憶に新しい。瞳子さんと可南子さんが一つの棒を取り合って埒《らち》があかないものだから、乃梨子さんが棒の真ん中を掴《つか》んで横の力で押し込んで陣地まで運んだ、というアレだ。この話のポイントは、三人とも同じチームだったというところだろう。
「ああ見えて二人とも大人だから。やるべきことはやると思うし」
「そっか」
私が心配することじゃなかったのかもしれない。何か事が起きても、きっと乃梨子さんが『棒引き』の時みたいにポイポイポイっと解決してくれる。
安心して、お手洗いに行こうと歩きかけたら、乃梨子さんが不思議そうな顔をして私の顔を見ていた。
「何?」
「百さん、ってそういうことに、……なんて言うか無関心かと思っていた」
「それを言うなら、乃梨子さんだって」
入学当初なんて、常《つね》に「話しかけないでください」って空気を発していた。世話をやきたがる瞳子さんたちから、逃げ回ってもいた。それなのにいつの間にか| 白薔薇のつぼみ 《ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン》になって、クラスにも溶け込んでいる。以前の乃梨子さんだったら、私はこうして話しかけるのを躊躇《ちゅうちょ》したと思う。むしろ、今は瞳子さんのほうが話しかけにくい。可南子さんは今も昔も変わらずバリアを張っているけれど。
「一学年分の生徒がまるまるいなくなった校舎もそうだけれど」
窓から外に顔を出して、乃梨子さんがつぶやいた。
「いつもいる人が家にいないと、調子が出ないでしょ」
「え?」
私さっき、環さまと同居していること言ったっけ? ちょっと狼狽《うろた》えていると、クスッと笑われた。
「保健委員の二年生。私のお姉さまと一緒のクラスだから」
「あ、そういうこと」
|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》も、環さまと同じ二年|藤《ふじ》組だった。クラスメイトだったら、そういう話もでるかもしれない(大叔母というNGワードはさておき)。
「|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》もイタリアに行ってるんだっけ」
だから乃梨子さんの場合は、「いつもいる人が薔薇の館にいない」わけだ。薔薇ファミリー六人中三人が不在では、相当ガランとしているはず。でも部活と一緒で、修学旅行中はあまり生徒会活動もしないことにしているらしい。
「乃梨子さんさ。お姉さまがいなくて淋《さび》しい?」
ふと、聞きたくなって質問した。すると乃梨子さんは、空を見上げて笑った。
「淋しいというより、早く会いたい、かな」
なるほど。
その気持ちすごくわかる、と思った。
「やっぱ調子が出ないな」
私はハンガーピンチにハンカチを挟《はさ》みながら、つぶやいた。
水曜日の朝は、私の洗濯デーだ。
いつもよりほんの少し早く起きて、朝一番に洗濯機を回し、食後に脱水まで済んだ洗濯物を干してから学校に行く。この家には、便利なことに洗濯室なる日当たりのいい庭に面したサン・ルームがあって、雨に降られる心配なく干して出かけられる。風のない晴れの日だと、柳子さんが日中ガラス窓を開けておいてくれるから、屋内でも外干しとほとんど変わらず気持ちよく乾くのだ。
いや。水曜日の朝は、私の、ではなく、正確には娘たちの洗濯デーなのだった。同居にあたって、会議で洗濯日を決めた。
お母さんと二人暮らしだった時は、二人分を週末にまとめて洗濯機にぶち込んで回していた。
この家では、月・木を大場家、火・金を筒井家と決めて、残りは予備日として大きな物やイレギュラーな洗い物とかがある人が、申告制で行っていたらしい。
さて、そこに私とお母さんが引っ越してきたわけだけれど、私たち親子がどこかの曜日をもらう、なんて単純に解決する問題ではなかった。
だって、結婚した修ちゃんが大場家で洗濯してもらうって、どう考えても変なのだ。ではここで朝倉家というグループを立ち上げるか、っていうと、またちょっと「どうでしょう」なわけだ。
修ちゃんのことは好きだけれど、私は修ちゃんのパンツを干す自信はない。そして、修ちゃんに私の下着を干されるのは抵抗がある。
そんなこと、週末にでもお母さんにやってもらえれば解決、って? もちろん、それはそうだけれど、忙しいお母さんができない日だって絶対ある。なので、私は親からの独立宣言をした。修ちゃんに「お父さんの下着と一緒に洗って欲しくない」と思っていると思われたらどうしよう、と考えなくもなかったけれど、案外修ちゃんもホッとしたような顔をしていた。
その時、「じゃ、私が百ちゃんと組む」と手を上げたのが環さまだった。
「えええーっ!?」
私の驚きもかなりだったけれど、それ以上にもともとこの家に住んでいた人たちの反応は大きかった。それくらい、環さまは家のことを一切しない人だったということだ。
「だって私より一個だけだけれど若い百ちゃんが親から独立しようって言っているんだから、当然私も、ってことになりませんか。私が百ちゃんと組めば数も二・二・二・二に分けられるから、ちょうどいいし。香也《かや》さんはお休みの日がいいんでしょ? だったら土曜日は朝倉夫妻に譲《ゆず》って、娘チームは水曜日でいいや。ね、モモッチ」
簡単に決めちゃってくれたけれど、先行きは非常に不安だった。もちろん、同じ年頃の女の子同士だから「組む」ことに異論はない。けれど、相手が家事初心者では、結局私が二人分の洗濯を引き受けるはめになるような気がしたのだ。
けれど、環さまは「やる気」だけはあった。
水曜日の朝だけは、私が部屋のノックをする前にちゃんと目覚まし時計で起きてきて、自分の洗濯物を入れた布袋を持って機嫌よく階段を下りていき、洗濯機の蓋を開けて私の来るのを待っている。お弁当は私と柳子さんに任せきりだから、洗剤と洗濯機のスイッチくらいは入れようという気持ちなのだろう。
「やっぱ調子が出ないな」
私はハンガーピンチにハンカチを挟みながら、つぶやいた。
いつもだったら、洗濯物干しは環さまと一緒に行う。といっても、やり慣れていない環さまは要領が悪くて、つい「皺《しわ》を伸ばしてから」とか「急いでください」なんて私は注意してしまうわけで。けれどいざそれがないと、物足りないというかリズムがつかないというか、つまりは調子が出ないのである。
もちろん、一人分の洗濯物は量も少ないし、竿《さお》やピンチの配分も一人で決められるから、楽だしはかどるわけだけれど。
「あーあ。洗剤入れすぎ、とか、ゴムを上にしてください、とか言いたいな」
このままだと、自分がだんだん変な人になっていくような気がした。
木曜日の夜。
居間のテレビを視《み》ていたら、十時過ぎにお母さんが帰ってきた。
「遅かったね」
「へへへ」
「お酒飲んでるんだ」
珍《めずら》しい。この家に越してから、明らかに酒量を抑《おさ》えていたから、飲んで帰ってくることも、帰宅後即ビールもあまり見られなくなっていたのだ。もっとも、二階の自室ではちびちびと寝酒とかはやっているようだった。修ちゃんの身内に、酔っぱらいの嫁の姿をさらさないようにしているのだろう。酔うとオヤジ化することを、ちゃんと自覚しているってことか。
「接待で軽く一杯だけね。そうしたら、間違って前の家のほうまで行っちゃった。まだバスあったけど、夜は本数少ないし一、二キロってところでしょ? だから歩いて帰ってきた。修ちゃんは?」
「とっくに帰って、今お風呂」
軽く一杯ってことはないんじゃない、と思いつつ、台所に行って水を汲んできてあげる。酔って家を間違ったのは本当だろうけれど、歩いて帰ってきたのは酔い醒《さ》ましの意味もあったと思う。
「んー、ありがと」
コップ一杯の水を、それはおいしそうに飲み干したお母さんに、私は聞いた。
「ご飯、どうした? お茶漬けでも食べる?」
食べる、と答えたので、冷凍ご飯をチンして薬缶《やかん》でお湯を沸《わ》かした。
「ごめん。ドラマ視てたんでしょ」
「いいよ。録画しているから」
三つ葉とかあるとおいしいんだけれど生憎《あいにく》ないので、ご飯の上にお茶漬けの素と白胡麻《しろごま》と崩した梅干しをのせて熱々のお湯をかけただけのお茶漬けを、お母さんに出した。夕飯で出したキュウリとナスとミョウガのぬか漬けをちょっとだけ残しておいたから、それを添えて。
「録画? ああ、これ環ちゃんがいつも視てるやつか」
テレビ画面では、私くらいの歳《とし》の主人公が親戚《しんせき》の小父《おじ》さんに口汚く罵《ののし》られて泣いている。ソファーに突っ伏した少女を一瞥《いちべつ》すると、小父さんはリビングルームを去りながら意味ありげに唇《くちびる》の端をわずかに上げた。
「この人、いい俳優になったわね。私が若い頃、ただ顔がいいだけの大根役者だったのに」
悪い顔のアップ。で、コマーシャル。するとドロドロとしたドラマの雰囲気《ふんいき》と打って変わって、明るいホームパーティーの映像が流れる。主役はキャビアやチーズなんかを載せたクラッカー。
「そうだ、百。土曜日のパーティー来る?」
お茶碗に口をつけて底に残ったご飯をかき込みながら、お母さんが聞いてきた。
「……どうしようかな」
口だけじゃなくて、本当に「どうしようかな」と迷っている。何かというと、そのパーティーって、修ちゃんとお母さんの会費制結婚|披露《ひろう》パーティーなのだ。
結婚式も披露宴も省略して、同居入籍をもって結婚とした二人だったが、ここにきて修ちゃんの同僚たちがパーティーを企画した。こういうの照れくさくて嫌だという二人だけれど、せめて会社の人たちくらいにはお披露目《ひろめ》しないといけないだろう、と観念したようだった。
「会社の人たちも、どうぞって言ってるし。私たちにかこつけてワイワイ騒ぎたいだけだから、堅苦しくないと思うよ。ビンゴ大会とかもあるみたい」
コンセプトは、「一次会のない二次会」らしい。それに私を呼んでくれる、と。
「環ちゃん、土曜日に帰ってくる予定だけど、何時になるかわからないし。百、一人だったら出にくい?」
「ってこともないけど。午前中は学校あるし」
「二時からだから、間に合うでしょ」
「学園祭の準備で居残るかもしれない」
「……ま、いいや。私たち先に会場入りしているから、気が向いたらおいで。場所わかるよね」
「うん。ご案内のプリントもらったから」
ドラマでは、主人公が思い詰めたような表情で、空港から飛行機が飛び立つのを見上げている。
『私一人でなんて、行けるわけがない』
そんなつぶやきの後、エンディングテーマが流れだす。私は、さっきお母さんに言った言葉を二回心の中で繰り返した。
ってこともないけど。――ってこともないけど。
金曜日の夕方。
放課後数珠リオの内職を少しだけやって帰ってきたら、家の最寄りのバス停で修ちゃんとばったり会った。
ばったり会った、は本当のところ正確じゃない。お互い同じバスに乗っていたのに、混んでいたから気がつかなかったのだ。停留所に着いて、さて降りようかとなった時、降車ステップ前に現れた相手の顔を見て「あ」と。
「修ちゃん、早いね」
「うん。今日の午後、取引先の会社で打ち合わせがあって、会社に戻っても終業時間になりそうだから直接帰っていいって言われたんだ」
直帰《ちょっき》って言うらしい。はじめ漢字がわからなかったから、洋服のチョッキ、つまりベストの映像が頭に浮かんだ。
太陽が大きく西に傾《かたむ》いた、黄昏時《たそがれどき》と呼ぶにはまだ少し早い時間に、修ちゃんと二人並んで家路についた。義理だけど、こう見えて一応親子。でも端からは、兄妹くらいにしか見てもらえないことだろう。
「百ちゃん、うちの生活に慣れた?」
「うん。新しい環境って戸惑うこともあるけど、みんないい人たちだし。家に帰って、誰かしらいるのっていいよね」
「そうか、よかった」
自分の身内を誉《ほ》められて、修ちゃんは満更《まんざら》でもないという顔をした。
「修ちゃんは?」
私はお返しに聞き返した。
「ん?」
「朝倉さん、って呼ばれるの慣れた?」
「ははは。それは、まだ慣れないかな」
「だよね」
先日出来上がったばかりの新しい名刺に書かれた『朝倉修人』という文字は、私でも違和感があったから、本人にしてみれば尚《なお》のことだろう。
「ね、なんで朝倉になってくれたの?」
「別に、どっちでもよかったから。うちの家系、苗字にこだわらないというか。僕だって、親父が祖父《じい》さんの実家に養子にいかなけりゃ、大場じゃなく小森谷《こもりや》だったわけだし」
それは環さまに聞いた。でも修ちゃんは長男で、おまけに一人っ子だし、両親の苗字を捨てるって、言うほど簡単ではないはずだった。
「お母さんが大場になるの、私が嫌がると思った? だから譲ってくれたの?」
すると修ちゃんは「うーん」と唸《うな》ったあと、「悪いけど、苗字に関しては百ちゃんは関係ないんだ」と言った。まさかお弁当の時みたいにジャンケンでもして苗字を決めたんじゃ、なんて想像してしまったんだけれど、さすがにそれはないらしい。
「香也さんに内緒《ないしょ》だぞ?」
修ちゃんは声をひそめた。今この道には、お母さんどころかご近所の誰一人見当たらないのに。それはともかく、私はうなずいた。
「百ちゃんも知っていると思うけど、僕は昔から香也さんのことが好きで、何回かプロポーズしたけどいつでも断られていた」
それでも諦めきれなくて、めげずにアタックし続けたのだから立派なものだ。そして、今年の春のこと。
「僕のどこがだめなんですか、って。今思い出しても顔から火が出そうなくらい恥ずかしいんだけど、そう聞いたんだ」
「そうしたら?」
わくわくと、先を促す。お母さんは何と答えたのだろう。
「苗字、だって」
「え?」
「僕と結婚したら苗字が大場になるから嫌だ、って。そんなこと? じゃあ、僕が朝倉になるよって言ったら即OKしてくれた」
即OK、って。
「お母さん、そんなに朝倉って苗字が気に入っていたの?」
「じゃなくて、大場にだけはなりたくなかったらしいよ」
「何でだろう」
「僕も気になったから、いろいろ想像してみたんだ。それで一つの結論を出した」
「何、何?」
「おおばかや」
「え?」
「苗字と名前を続けて読むとさ。大|馬鹿《ばか》や、こいつ――ってなっちゃうだろう?」
「まさか」
そんな理由で?
「うん。だから仮説。確認はしてない」
でも、すごく説得力があるんですけれど。私と苗字が別になりたくないとか、そんな理由よりもずっと。
大場という苗字になりたくなかったのは本当かもしれない。でも、お母さんは苗字の件を譲ってくれたから修ちゃんと結婚しようと思ったんじゃないと思う。
私がまだ十歳くらいの時、お母さんが会社で具合悪くなって修ちゃんが送ってきてくれたことがあった。お腹にくる風邪《かぜ》で、途中でお母さんは戻してしまったんだけれど、修ちゃんはちゃんと介抱して家まで連れてきてくれた。修ちゃんのジャケットの袖に真新しい染みを見つけて、とても悪いことをした気がした。でも、小学生だったから、どうやって気持ちを伝えたらいいのかわからなかった。
お母さんの症状が落ち着いたのを確認してから、修ちゃんは自宅の電話番号をメモした紙を置いて帰っていった。僕の家はここから一キロくらいの距離だから、何かあったら電話して、って。真夜中でも飛んでくるから、って。それが、どんなにか心強かったことか。
そういう人だから、お母さんは家まで送ってもらう気になったのかもしれない。だから私は、お母さんが再婚することには驚いたけれど、相手が修ちゃんだったということに関しては何ら異存はないのだった。
プーポーと、お豆腐《とうふ》屋さんのラッパの音が聞こえてきた。修ちゃんは立ち止まって、曲がり角から姿を見せたバイクに手を上げた。
「絹ごし四丁。容器ないんだけど、いいですか」
「毎度っ」
ビニール袋にお豆腐を入れてくれたお豆腐屋さんは、小父さんかと思いきや結構若いお兄さんだった。
「急に冷や奴《やっこ》が食べたくなっちゃった」
「いいねー。じゃ、私薬味作るよ」
ネギと、確かまだ冷蔵庫にミョウガが残っていたから、一緒に刻《きざ》んで。あと、生姜《しょうが》をすり下ろす、っていうのもいい。
「修ちゃん、お豆腐とかよく買うの?」
「いや、全然。今日は、完全に百ちゃんをあてにして買った」
歩きながら、ビニール袋をちょっと上に掲げて悪戯《いたずら》っぽく笑う。
「うちのお袋、柳子さんはさ、洋風な料理はプロ級に上手なんだけれど、和食とか全然なんだよね。でも百ちゃんが来てから、食生活にバリエーションが増えて嬉しいな。時々一緒に台所に立って教え合いっこしているんだって?」
「最初は、領域侵しちゃいけないかな、と思っていたんだけど」
ぬか漬けが家での市民権を得てしまったから、なし崩しで毎日台所に入り浸っている。
「お袋も感心していたよ。ご近所から新鮮なイカのお裾分《すそわ》けをもらっても、今までだったらただ鍋にぶっ込んでブイヤベースみたいなスープになってたんだけど、百ちゃんは刺身《さしみ》にしたり塩辛《しおから》にしたりしてくれたから。百ちゃんさえよければ、また頼むよ」
「じゃ、今後ともお邪魔することにします」
「でも勉強とかのほうが優先だから」
「あ、修ちゃん今すごく父親らしいこと言った」
「言った!」
笑いながら、二人は門扉《もんぴ》を開いて敷地内に入った。
「明日、帰ってくるな」
修ちゃんがつぶやいた。誰が、とは言わなかったけれど、もちろん環さまのことだ。
「一人いないと、何か調子狂うよな」
「そう?」
「たとえば、この豆腐だけどさ」
指差されたのは、ビニール袋の中で揺れている四丁の豆腐。
「七人でどうやって分けようか」
確かに、って私は大きくうなずいた。
結局、お豆腐は一人半丁ずつ食べて、翌朝私がそれでお味噌汁を作った。
柳子さんのメニューはポテトサラダとチーズオムレツだったけれど、全然アリって感じだった。
その日の授業は、一部の生徒たちの気がそぞろで先生方には災難だったと思う。
チラチラ教室や自分の腕を返して時計を見たり、あてられても答えられない生徒が続出したり。
「……気をつけて家に帰るように」
帰りのホームルームでは、先生はそれだけ言ってお終《しま》いにした。お小言を言ったところで、耳に入るまいとの判断だったのだろう。
修学旅行に行っていた二年生が、今日帰国する。午前中に成田《なりた》に着くことになっているけれど、遠くヨーロッパから飛んでくる飛行機のこと、ぴったり予定通りとはいかないかもしれない。
二年生のお姉さまがいる生徒たちは、無事帰ってきたかどうか気になって仕方がないのだ。急いで下校する生徒は、早く帰ってお姉さまから電話がかかってくるのを待つつもりなのだろう。すぐに帰らず、掃除が終わるとその足で職員室に詰めかける生徒もいる。成田に着いたら引率の先生からの連絡が入るはず、と踏んでいるのだ。
そんな調子だったから、我が一年椿組は学園祭の準備で居残るなんて選択肢はないようだった。だから私も、お母さんと修ちゃんの結婚披露パーティーに間に合いそうだ。
(どうしよっかな)
どんなパーティーなのか気になるけれど、会社の人たちが多いって話だから、一人だとぽつんと淋しい人になってしまうかもしれないし。そもそもお母さんの会社の人でよく知っている人と言ったら、修ちゃんくらいなのだった。しかしその人が主役の新郎じゃ、引っついてもいられない。
(環さまが帰ってたとしても、疲れて爆睡《ばくすい》だろうしな)
考えながら玄関のノブに手をかけると、中から勢いよくドアが開いた。
「お帰りっ! ただいま!」
元気に飛び出してきたのは、環さまだった。何だ、このハイテンション。いきなりだったからどう対応したものだか戸惑ったけれど、とにかくかけられた言葉にだけは返事をした。
「ただいま……お帰りなさい」
先の「ただいま」は、私が学校から帰ったから家族全体に対して。「お帰りなさい」は、イタリアから帰ってきたただ一人の人に向けて。
「待ってたの。パーティーに行くでしょ?」
迫力に負けて、「うん」とうなずく。環さまは、私がたかだか一分前に「どうしよっかな」と思っていたなんて考えてもいない。爆睡なんてどこへやら、行く気満々、すでに真っ赤なワンピースに身を包み、いつでも出かけられる状態だった。
「いつ、戻られたんですか」
「ついさっき。もう速攻で支度した。ほら、モモッチも早く上がって。着ていく服は準備しているの? 手伝ってあげるから急いで急いで」
靴《くつ》を脱いでいる最中なのに、手を引っ張って急かす。ああ、確かに環さまという人はそういう自由な人だったと思い出す。自由な人は、台所の前を通りかかった時に、ふと立ち止まっておもむろに言った。
「でも、その前におにぎり握ってくれない?」
「はあっ?」
「お腹すいた」
「ええっ!?」
驚きのあまり大きな声を発したら、居間から柳子さんがトホホの顔をして出てきた。
「百ちゃん、お願いできる? 環ちゃん、私がサンドウィッチ作ってあげるって言っても、百ちゃんのおにぎりがいいって、お腹鳴らしながら待っていたから」
「柳子さんのサンドウィッチがおいしいのは知っているけれど、今私が求めているのは米よ、白米なのよ」
拳《こぶし》を突き上げて主張する人に対し、私はもう「はあ」とうなずくしかない。そのまま台所に入って、エプロンをつけた。
ご飯は、柳子さんが気を利かせて炊《た》いておいてくれたから、私は昆布の佃煮《つくだに》を出しておにぎりを握った。作った端から海苔を巻いておいしそうに食べる環さまを見ていたら、急に食欲がわいてきて、自分の分も握った。
「立食でしょ? 昼の二時からのパーティーなんて、大したご飯出ないって」
そう言いつつ、柳子さんに食べてもらうつもりで作った分を横取りしたのも含めて、計三個のおにぎりを胃袋に納め大満足の環さまは言った。
「イタリアで何が恋しい、って。モモッチのおにぎりだったよ」
おにぎりだけかよ、って突っ込みを、取りあえず心の中でだけでしておいた。
それから慌てて支度して二人で出かけたわけだけれど、案の定パーティーには遅刻した。
お母さんはウエディングドレスも白無垢《しろむく》も着なかったけれど、生花《せいか》で作った白っぽいコサージュをつけたアイボリーのワンピースを着てきれいだった。修ちゃんは普通のスーツ姿だった。しかし、なぜかハリセンで作ったみたいな大きな蝶《ちょう》ネクタイを首につけ、裏に「日本一」表に「しあわせ者」と書かれた幅広のタスキを片方の肩にかけたふざけた人になっていた。たぶん、同僚たちの悪ふざけだろう。
「お帰り、環ちゃん」
私たちが会場入りしたのを見つけると、お母さんが駆け寄ってきた。
「ただいま。香也さん、すごくきれい」
「でしょ?」
自分でも自覚しているのか、まったく謙遜《けんそん》する様子がない花嫁。調子に乗って、その場で一回転。想像するに、乾杯のシャンパンをお代わりしてすでに出来上がっちゃった模様。花婿も花婿で、会場の中央でみんなからつがれるビールを断れずに飲んでいる。酔っぱらい夫婦だ。
「あら。百、こんなの持っていたかしら」
お母さんは、目ざとく私の胸もとにあるペンダントヘッドを見つけた。
「環さまからのお土産《みやげ》」
キラキラお花みたいに光るのはベネチアングラス。環さまは、自分が首から下げている色違いを指で摘《つま》んで笑った。
「ごめんなさい、私と百ちゃんにだけなんです。大人たちにはチョコレートを買ってきたので、帰ったら食べてくださいね」
「それは楽しみだわ。あ、そうそう、ここのご飯も一杯食べてってね。二人の分もちゃんと会費払っているんだから、元を取るくらいの気持ちで」
「はあい。行こ、モモッチ」
[#挿絵(img/35_121.jpg)入る]
環さまはよい子のお返事をして、壁際にあるビュッフェのコーナーに私を連れて歩いていった。おにぎり三個食べたあとだっていうのに、皿に盛ってはもりもり食べる。どうなっているんだろう、この人の胃袋。
しっかり全種類のプチケーキを堪能《たんのう》した頃、ビンゴ大会が開かれて、私はコシヒカリ二キロをゲットした。しかし、私以上に隣の環さまが喜んだので、ちょっと複雑な気分だった。
パーティーの最後に、ブーケ代わりにお母さんのつけていたコサージュが投げられた。独身女性は前に出るように、との司会者の言葉に、みんなちょっとテレながら集まってくる。環さままで前に進み出る。確かに独身女性なんだけれど、ここは先輩たちにお譲りしましょう――なんて考えないらしい。
後ろを向いたお母さんが、女性たちの輪の中にポーンとコサージュを投げた。
小さいけれど、キラキラ輝く。
幸せのお裾分けだ。
[#改丁]
|聖 夜《クリスマス イブ》
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今から二十年前のクリスマス・イブのこと。
とある駅前の小さな花屋の前に、一人の紳士《しんし》が立っていた。
年の頃は六十をいくつか超えたくらいだろうか、ロングコートにマフラー、帽子は、いずれも型は古いが良い品で、茶系でまとめられていたせいか、セピア色の映画から抜け出してきたかのようだった。
「プレゼントですか?」
かれこれ二十分ほど店の前にいる。最初は待ち合わせかとも思ったけれど、それにしては店の中をチラチラと気にしている。というわけで、その花屋の看板娘はドアを開け、思い切って話しかけたのだった。
「いや」
紳士は背中を向けた。
花を買いにきたけれど敷居《しきい》が高くて入りづらい人、かと思ったけれど違ったみたい。娘は「失礼しました」とほほえんでから、店の中に戻りかけた。その時。
「実は」
と背後から声がかかった。
「はい?」
「実は、……そうなんです。女性にプレゼントしたいんですが、慣れないことで――」
戦前生まれだと、そういう殿方は結構多い。
「クリスマスですものね。お喜びになりますわ。どうぞお入りになってください。私でよろしければ、ご相談にのらせていただきます」
看板娘の名前は、花屋に相応《ふさわ》しく椿《つばき》。
老紳士の名前は、小森谷信五郎《こもりやしんごろう》といった。
「で、その看板娘の作った花束を持って一旦帰りかけた老紳士は、振り返って言ったんでしょう? これはあなたへのクリスマス・プレゼントです、――って」
私はラストまで待ちきれず、話の途中でワクワクしながら口を挟《はさ》んだ。
「それができる男が、二十分も店の前でうじうじするかしらね」
演技してたならともかく、と環《たまき》さまは笑った。
「あ、そうか」
二学期の期末試験を終えたばかりの試験休み。私たち二人は台所の作業台に椅子《いす》を寄せて、おしゃべりに興《きょう》じていた。
午後三時。平日なので、大人たちは通常営業。柳子《りゅうこ》さんも買い物に行っちゃっているから、母屋《おもや》にいるのは娘たちだけで、優雅にティーブレイクと洒落《しゃれ》こんだ。ならばなぜに居間や二階の共有スペースではなくて台所なのかというと、環さまが秋口に私が庭のカリンで作ったジュースを味見しようと囁《ささや》いたから。本当はもうちょっと置いてからと思ったけれど、一カ月は経っているのでただ今解禁となって、試飲会を開いているわけである。
「老紳士は、真っ赤な花束を抱えて雑踏《ざっとう》の中に消えていったのよ」
甘いカリンエキスを水で割ったジュースを飲みながら、環さまが続きを話した。
「名前を名乗ったり、連絡先を交換しないまま? どうしよう。そんな悠長《ゆうちょう》なことをしていたら、間に合いませんよ」
「何に」
「環さまが生まれるのに」
私が焦《あせ》るのには理由がある。この、花屋の看板娘と老紳士の出会いのシーン、キャストは実在の環さまのご両親なのである。
現在環さまは十七歳だから、お腹にいる間の年月も足せば十八年は必要だ。ただのお客と店員からのスタートで、二年かそこらで結婚までに至《いた》れるのか。若者同士なら一足飛びに燃え上がっちゃうかもしれないけれど、片っぽが還暦《かんれき》過ぎた人だとあまり期待できない。お母さんと修《しゅう》ちゃんだって、出会いからゴールまでは約十年|経《た》っているのだ。
「ご心配なく。私はこうして無事誕生しています」
「まあそうですけれど」
私もジュースを口にした。初めて飲むけれど、ちょっとカリンののど飴《あめ》みたい。冬だから、紅茶とかに入れるのもいいかもしれない。夏なら炭酸水で割るとおいしいかも。
「それから、ちょこちょこ花とか買いに行ったらしいわよ、お父さん。自然と世間話するようになって。私のお母さん、生まれて間もなく父親と死に別れているから、年上の男の人に弱かったんじゃないの? この家、庭が広いし、その頃はお花は少なかったけれど昔から樹木は豊富でさ、榊《さかき》とか南天《なんてん》とか見にいらっしゃいって誘われて、ホイホイついて行っちゃったらしいわよ。相手がお爺《じい》ちゃんで油断したわけ」
で、いつしか恋愛感情が芽生《めば》えて結婚した、と。しかし、椿さんのお母さんはよく許してくれたな。
「その頃は、お祖母《ばあ》ちゃんも死んじゃってたもん。親代わりで花屋のオーナーの伯母《おば》さんは、もう笑うしかなかった、って言ってたわ。幸二《こうじ》さんや柳子さんは、申し訳なくて笑えなかったらしいけど?」
自分の父親が、自分より若い娘を連れてきて嫁《よめ》にするなんて言ったら、そりゃビックリするだろう、と私はその時の幸二さんの心情を察した。
でも、だからかな、お母さんと修ちゃんの結婚が大場《おおば》家の人たちからまったく反対されなかったのは。年の差三十五のカップルという前例があったから、八つ違いの姉さん女房《にょうぼう》なんて全然普通に見えちゃったんだ。取りあえず、お母さんは大場夫妻より十以上は年下だし。
さて、なぜに環さまのご両親のロマンスについて語っているかというと、きっかけは単純に季節柄「クリスマス」の話題から。
八月のはじめに引っ越してきて早四カ月。私は、地球規模で祝われている、このお祭りが来るのを密かに楽しみにしていたのだ。
この家には、樅《もみ》の木もある。電飾でピカピカにしなくても、星に見立てた銀色の玉を飾ったり、ああそうだ赤いリボンを枝にたくさん蝶《ちょう》結びにしても可愛《かわい》いんじゃないか、なんて思ったり。無駄な枝をちょっとだけ切ってきてもらって、居間に立てたらどうだろう。椿さんが、クリスマスにぴったりのアレンジをしてくれるかもしれない。
お母さんと二人だったら、ホールケーキも一番小さいサイズだったけれど、八人家族ならば絵本で見たような大きいケーキがテーブルに並ぶはずだ。
それにお肉。ハンバーガーショップで出来合いのフライドチキンを買う、なんてあり得ない。柳子さんがうちのオーブンに入るぎりぎりの特大ターキーを丸焼きしてくれるに違いない。――なんて、幻想《げんそう》を抱いていたのだけれど。
「クリスマス? うちじゃ、やったことないわね」
そんな環さまの一言で、私の夢はガラガラともろくも崩《くず》れ去ったのだった。
「少なくとも、私が生まれてからこっちはね。記憶もなけりゃ、その写真もないもの」
「宗教的な理由から、でしょうか」
「そんな家風だったら、私がリリアンに通っているわけないじゃない」
リリアン女学園は、カトリックの学校だ。
「そうですね」
じゃ何でだろう、と考えていると環さまは語り始めたのだった。今から二十年前にね、――と。
「信五郎さんと椿さんの出会いがクリスマスだったのと、我が家でクリスマスパーティーをしないことと、何か関連があるんですか」
「たぶんね。ただ、お父さんもお母さんもこの時期がくると、ピリピリするっていうか、お互いを避けるような素振りもするし、つまり腫《は》れ物になるから深く突っ込めないのよね。だから、筒井《つつい》夫妻以外の家族、つまり去年までは大場一家と私は、早く十二月二十五日になればいいって思って過ごしてたわけ。イブさえ無事に越せれば、あとはお正月の準備とかしている間に仲のいい二人に戻ってるからね」
いつも穏やかでニコニコしているような筒井夫妻が、ピリピリって。実の娘である環さまの口から出た言葉でなければ「嘘《うそ》でしょう」と一笑に付していたところだ。
「何があったんでしょう」
「私もさ、何年か前の夏に、お母さんに聞いてみたことがあるのよね。夏っていうのは、クリスマスと全然関係ない時期を選んだからなんだけれど。そうしたら、急に機嫌悪くなっちゃって。一言『クリスマス・イブは、お父さんが女の人に会いにいく日なのよ』って。それっきり、その話はできなくなっちゃった」
「女の人? あっ!」
私は閃《ひらめ》いた。
「真っ赤な薔薇《ばら》を贈られた人だ」
「たぶんね」
環さまがうなずく。
「私、それ聞いた時、お父さんに愛人がいるのかと思ったわよ」
「……違うんですね」
それを聞いて、少し安心した。実は私も「女の人」と聞いて、信五郎さんが浮気しているのかって頭を過《よ》ぎったのだ。もちろんそんなイメージなんて全然ない人なんだけれど、一般論として。
「私のお母さんと出会う前からつき合っているなら、なぜお母さんとじゃなくてその人と結婚しなかったんだろう、って話よ。相手に家庭があったとか? だったら、尚《なお》のことクリスマス・イブに二人でなんか過ごせないよね」
「はあ」
環さまったら、自分の親のことだから、一生懸命いろんなパターンを推理《すいり》しては潰《つぶ》していったらしい。
「椿さんは、信五郎さんが誰に会っているかご存じなんでしょうか」
「知ってるから、女だって言いきるわけだし、不機嫌にもなるんでしょ」
「なるほど」
「でもさ、それってどうかと思うのよね。この先ずっと、クリスマスシーズンは家族が暗ーく過ごさなきゃならない、なんてことね。両親だって、心の中ではもうやめにしたいってそう思っているはずなのよ。でもきっかけがつかめないから、毎年ずるずる続けているの」
確かに、家族が暗いクリスマスって、考えただけでも気が重くなる。しかし『どうかと思う』と思っても、どうしたらいいのか解決策はあるのだろうか。
「そこで、君の出番だ」
「はっ?」
肩を叩《たた》かれて、私は目を瞬《しばたた》かせた。
「新たな家族が加入した今年こそが、改革のチャンス!」
テレビコマーシャルで商品のキャッチフレーズを言うアイドルタレントよろしく、人差し指を立てて決め顔の環さま。
「無邪気に、クリスマスにかける君の思いを、家族に向かって発信して回ってくれたまえ。そうしたらみんな、百《もも》ちゃんががそんなに楽しみにしてるんだったらやりましょう、ってことになる」
「ええっ!?」
「ツリー? 七面鳥《しちめんちょう》? ケーキ? プレゼント? 大きな家、大家族になったからには、いろいろな夢があったでしょうが」
「そりゃ、ありましたけれど。筒井夫妻の話を聞いたあとじゃ、無邪気になんてとても無理ですって」
「ならば聞かなかったことにして」
「実際聞いちゃいましたもん」
環さまの計画は、こうだ。私がパーティーをやるものだって思い込んでいるから、毎年やってないことは隠して、今年はやることにする。せっかくのパーティーに信五郎さんが欠席なんておかしいから、出かけたって早く帰ってくるだろうし、いっそ外出自体をやめるかもしれない、と。
「でさ、パーティーで暗い顔ばかりもしてられないでしょ。自然とわだかまりも消える、って」
「――でしょうか」
口で言うほど、うまくいくとも思えないんだけれど。それに、信五郎さんが女の人と会っているという部分をどうにかしないと、根本からの解決にはならない気がした。
まあ、とにかくパーティーはやる方向で。
大場・朝倉《あさくら》両夫妻にも、協力してもらう必要がありそうだった。
「ある意味、一番|手強《てこわ》い相手かもしれないわね」
お母さんが言った。手にしたグラスには、カリン酒のロック。カリンジュースと一緒に私が「大人用」に漬けた物で、お母さんは制作者に断りなく独断で本日解禁にした。
「……そうよね」
そうつぶやいたのは、椿さん。こちらはカリン酒の水割りだ。
「昔の女、だもんね」
「それも、もはやこの世にいない」
グビグビと、ホワイトリカーベースのカリン酒を喉《のど》に流し込む母親たち。娘たちは、息を殺して見守った。
環さまのパーティー計画から二日経った夜。ここは小森谷邸の二階である。
私の部屋の前というか、お母さんと修《しゅう》ちゃんの部屋に入る前というか、つまり北側のトイレや洗面所の並びに、廊下を広くしたようなスペースがある。
そこにはもともとソファセットが置いてあったのだけれど、こっそり小さな冷蔵庫を持って来て、ビールやら化粧水やらを入れたのはお母さんだ。夏場は私たちもちゃっかり冷たい飲み物なんかキープさせてもらっているから、もちろん文句はない。
しかし、広いとはいえここはドアがないから廊下である。
けれど、お酒が入っているからか、話が白熱しているせいか、母親二人は寒さを感じないようだった。娘たち二人はパジャマの上に半纏《はんてん》を着込み、温かいミルクココア持参での参加。名目はパジャマパーティー。しかし、冬に廊下でやるものじゃないと思う。
修ちゃんはいない。今頃は、離れで信五郎さんの話を聞いているはずだった。女たちに追い出された、ということにして、お祖父《じい》さんのもとに転がり込む作戦。娘たちに相談された朝倉夫妻は、とにかく当人から事情聴取する役を買って出たのだ。
同世代のせいか、まだ遠慮があるからなのか、椿さんは案外早く口を割った。自室に引っ込んでいるのも不自然なのでその場に留まっていた私と環さまは、そこで衝撃の事実を知ることになる。
なんと信五郎さんは、クリスマス・イブに亡き前妻、桐子《きりこ》さんの墓参りに行っていたのだ。
「最初はね、知らなかったのよ。ただ奥さまに花をプレゼントするっていうから、いいご主人だな、くらいに思ってね。でも何度か店に来てもらううちに、奥さまを亡くされているってことがわかってきて。墓前にあの真っ赤な薔薇の花束を供《そな》える姿を想像したら、……ズキュンってなったの」
椿さんは、胸を押さえる仕草をした。信五郎さんにやられたのだ。恋に落ちた瞬間だったのだろう。
「だからね。クリスマス・イブにお墓参りに行くことは最初から知っていたの。承知の上で結婚したから、そんなあの人を好きになったから、文句を言っちゃいけないの」
「でも、つらいんでしょ? 我慢《がまん》しているんでしょ?」
環さまが、横から口を挟んだ。けれど、椿さんは首を横に振る。
「そうよ。でも、信五郎さんに腹を立てているわけじゃないのよ。桐子さんに嫉妬《しっと》している、心の狭《せま》い自分に嫌気がさしているだけなの」
亡くなった奥さんじゃ、もう勝負することも叶《かな》わない。だから椿さんは、悶々《もんもん》としてしまうのだろう。裏を返せば、それくらい信五郎さんのことを愛しているってこと。
しかし、これは難問だ。
椿さんが信五郎さんの態度に怒っているのでないならば、信五郎さんが「ごめんなさい」と頭を下げたところで、解決する話じゃないのだ。
「けれど、ごめんね環。せっかくのクリスマスに、いつも不機嫌なお母さんで。サンタクロースも寄りつかない家にしちゃって」
「そんなこと、……もういいよ」
うつむく環さま。声もだんだんフェードアウトしていく。
沈黙が訪れた。女たちは、この話の出口を求めて彷徨《さまよ》っている。
「過去は過去。未来は未来じゃないの? 少なくとも私は、今の生活を大切にしたいと思っているわよ」
最初の結婚で配偶者を亡くしたサンプルの一人として、お母さんが発言した。しかし、椿さんはバッサリと切り捨てる。
「男は女ほどサバサバしていないから」
もう、諦《あきら》めちゃっているのかもしれない。
「話を聞いてもらえて、少し楽になったわ」
椿さんはカリン酒の水割りを飲み干すと、ソファから立ち上がった。信五郎さんのことが気になるから、もう部屋に戻るという。
去り際、一度振り返って言った。
「百ちゃんが楽しみにしているなら、今年はパーティーをやりましょう。できるだけ協力させてもらうから」
話を聞いてもらって楽になったのは嘘じゃないだろうけれど、その「少し」がものすごく微々《びび》たる量だったってことは、椿さんの表情を見ればわかった。
椿さんが離れに戻ったことで、居場所を失った修ちゃんが二階に帰って来た。
「どうだった?」
さっそく、女三人が取り囲んで首尾を聞き出す。
「どうもこうもさ」
修ちゃんはまず、大きなため息をついた。そんなに解決が難しそうな状況なのか、そんなふうに私たちが覚悟を決めた時、修ちゃんは次の一言を発した。
「もう、ばかばかしくて」
「えっ!?」
今ばかばかしいとおっしゃいましたか、修人《しゅうと》さん。どうして。椿さんは、真剣に悩んでいるっていうのに。
「お祖父ちゃんがクリスマス・イブにどこに行ってるかは聞いた?」
修ちゃんが言うお祖父ちゃんとは、信五郎さんのことだ。
「桐子さんのお墓でしょ?」
女たちは口々に答える。それが正解だと、修ちゃんはうなずいて先に進む。
「じゃ、何で行ってるかは?」
今度の質問には、回答席からすぐに声はあがらない。
「あれ、そういやちょっと妙よね。お墓参りって、まあいつでも行っていいものだけれど、定番だとお盆とか命日とかよね」
お母さんが、腕組みをして首をひねる。すると環さまも、顎《あご》に片手を添えて考え込む。
「桐子さんが亡くなったのは春でしょ? 二十三回忌の時、桜が咲いていたもの」
「クリスマスだから? 桐子さんクリスチャンだっけ? いや、仏壇に位牌《いはい》があるから仏様よね」
年回忌の話が出た段階で仏教徒だって判明しているんだけれど、お母さんはお酒が入っているせいか頭の回転がかなりスローになっている。
「結局、なんでクリスマス・イブに信五郎さんは桐子さんのお墓参りをしているわけ?」
「それがさ」
お母さんに促された修ちゃんは、「とほほ」の顔をした。
「椿さんがそう信じているから、仕方なく行っているんだって」
「はあっ!?」
「最初に誤解させたお祖父ちゃんが悪いんだけどね」
修ちゃんが聞いてきた信五郎さんの打ち明け話を要約すると、こうだ。
それは、二人が出会った二十年前まで遡《さかのぼ》る。
その日信五郎さんは、ケーキを買いにクリスマス一色の街へと出かけた。
「ケーキ!」
話が核心に迫る前に、環さまが叫んだ。
「どういうこと? 二十年前は普通にクリスマス会をやっていた、ってことなの?」
「うん。僕が小学生くらいの時までは、やってたんだ。僕は、大きくなったから漠然《ばくぜん》とパーティーをやらなくなったのかと思っていたけどね」
ちょっとぬけている修ちゃんは、今日までそのことに関して何の疑問も抱かなかったらしい。
でもって、話の続きであるが。
信五郎さんは花屋の前で、初恋の人に面影《おもかげ》が似た女性を見つけた。それが、花屋の看板娘であった椿さんだった、というわけ。
残念ながら、初恋の人は桐子さんではない。信五郎さんと桐子さんはお見合い結婚だ。もっと説明するなら、初恋だけれど相手は自分のことなんか知らない、ただ遠くから見つめるだけの片想いだった。
花屋で一生懸命働く姿は、あの頃の彼女そのもので、つい見とれて長い時間店の前に立っていた。そんな時、椿さんのほうからドアを開けて声をかけてきた。――プレゼントですか、と。
信五郎さんは、椿さんを覗き見していたなんて白状できないから、とっさに花束を作ってもらうことにした。プレゼントするあてもない花束だったけれど、それで彼女と話ができたからよしとした。椿さんは、勝手に奥さんへのクリスマス・プレゼントだと思い込んでいたから、そのままにしておいた。すでに桐子さんが亡くなって数年経っていたのだが、独身だと言えば警戒されると思ったらしい。そりゃ自意識過剰だよ、とは修ちゃんのコメント。
それでまあ、いろいろあって二人はうまいこと結婚までこぎ着けたわけだけれど、椿さんは「クリスマス・イブに奥さんのために花束を買った信五郎さん」のことを忘れていなかった。
だからイブの前日には、夫のためにコートにブラッシをかけ、帽子を箱から出し、革靴《かわぐつ》をピカピカにして準備しておくのだ。そうなったら、もう信五郎さんは出かけないわけにはいかない。結婚した最初の年に誤解を解くチャンスを逃して以来、毎年クリスマス・イブに墓参しなければならないはめに陥《おちい》った、というわけだ。
「お祖父ちゃんはさ、毎日仏壇に手を合わせているんだし、命日やお盆にはちゃんとお墓参りしているんだから、クリスマスに行く必要はないと思っているわけだよ」
けれど、椿さんがそう思い込んでいるから行く。信五郎さんがこの時期ピリピリするのは、今年こそはそのことを打ち明けようと思いつつ実行できない、いらつきのせいらしい。
「じゃ何? あの夫婦、単なる誤解で十数年間クリスマスをフイにしてきたわけ!?」
環さまはぷるぷる震えた。ばっかじゃないの、と。うん、ばかみたいだね。私も思う。修ちゃんだって、「ばかばかしい」って前振りしていた。
「で、どうする?」
お母さんが、みんなに向かって聞いた。そうそう、肝心《かんじん》なところはそこだ。二人がああなっちゃった経緯《けいい》はわかった。じゃあ、どうやってこのわだかまりをとってやるか。
修ちゃんの話だと、信五郎さんは年々椿さんに事情を説明しづらくなっているようだった。
わからないでもないけれど。出会いの時から二十年つき続けた嘘を、告白するには勇気がいる。
「だからといって、椿さんから何とかしてくれっていうのは無理よ」
お母さんは女同士ということもあって、椿さん寄りだ。
「じゃあ、お祖父ちゃんを説得しなきゃならないわけ? 誰が?」
言いながら修ちゃんは、すでにそれが自分に割り振られていることを察している。案の定、お母さんは修ちゃんの肩をポンポンと叩いて「期待しているから」と笑った。
「でも、それとなく椿さんに伝えておくのはありかもね。信五郎さんが歩み寄りの姿勢を示したら、すぐに乗れるようにしておく。うん、それがいい」
椿さんが退場した時は、自信を失いかけていたお母さん、ここに来て急に張りきりだした。
「わかった。環ちゃんに百、ここは私たちに任せて」
「私たちって?」
「私と修ちゃん。これはケーキ入刀なんかより、ずっと実のある共同作業よ」
拳《こぶし》を振り上げるお母さん。酔いが回ってきたんじゃないかな、そう思ったら、同じように感じたのだろう、修ちゃんが「そろそろ」とお母さんの手をとってソファから立たせた。
「何よ、酔っぱらってないわよ」
「わかっているよ。でも、もう遅いから」
うまくなだめて部屋まで連れていく。修ちゃんが環さまと私に、声を出さずに「おやすみ」と口を動かして見せたので、今夜のところは解散となった。
「任せて大丈夫ですかね」
私は環さまの意見を聞いた。
「あんなに張りきっているんだから、やらせてみればいいじゃない。うまくいかなかったとしても、もうこれ以上は悪くはならないって」
そんな答えが帰ってきたので、私はそれもそうだなと思って、コップやグラスを台所のシンクで洗ってから、真面目《まじめ》に歯を磨《みが》いてベッドに入った。
それからクリスマス・イブまでは、あっという間だった。
お母さんの指示は、娘たちは筒井夫妻のことには一切触れずに、ただパーティーの準備をすること、だったのでその通りにした。ケーキは当日お母さんが会社帰りに買ってくる手はずだから、任されたのはお料理とか飾りつけとか、そういうことだ。
二階廊下でのパジャマパーティーから二日も経つと、信五郎さんと椿さんの様子に少し変化が見られるようになった。ピリピリじゃなくて、モジモジ? 何か言いたげだけれどうまく言えない、そんな感じだ。これは、朝倉夫妻から相手の心情を聞いたことによる反応が早くも表面に現れた、と分析できる。
あとは何かいいきっかけでもあれば丸く収まりそうなんだけれど、お母さんたちはどうするつもりなのか。
とうとうやって来たクリスマス・イブ当日、今年もまた信五郎さんの革靴がピカピカに磨かれ玄関にスタンバイしているのだ。
このままでは、モジモジしながら信五郎さんはやはり出かけなければならなくなる。さて、どうする。私と環さまは終業式で学校に行かなくちゃならないし、お母さんと修ちゃんと幸二さんは会社に行くし、柳子さんは初めて作る大物料理のことで頭がいっぱいだから、筒井夫妻に構っていられないのだ。
「あー、しまった」
朝食の席で、お母さんが大きな声をあげた。
「ケーキを予約するのすっかり忘れちゃった!」
そこで、修ちゃんがすかさず尋《たず》ねる。
「えっ、クリスマスケーキって予約しないと買えないの?」
何かアクションを起こすとは思っていたから、環さまと私は息を殺して二人の会話に耳を傾《かたむ》ける。ピンと来ていない幸二さんが何か口を挟みそうになるのを、すごい形相《ぎょうそう》でにらみつけて制することも忘れない。
「買えないこともないと思うけれど、でも私が会社の帰りにお店に着いた頃には、売り切れているかもしれないわ。私ったら、そういうところちょっとぬけているのよね。どうしよう、百があんなに楽しみにしていたのに」
言いながらお母さんがこちらを見たので、私はうんうんと大きく二回うなずいた。
「わかった、僕が昼休みに買いにいくよ」
「だめよ、ダーリン。会社の冷蔵庫になんてとても入らないわ」
朝倉夫妻の演技は少々古くて臭《くさ》かったけれど、要するに肝心《かんじん》なことさえ伝えられればいいのである。
「困ったわ。百も環ちゃんも学校だし、柳子さんはデパートから届くターキーを受け取ってすぐにオーブンで焼かないとならないから外出なんてできないし。他に手が空《あ》いている人なんて――」
そこで、チラリと信五郎さんを見るお母さん。しかし、すぐに目をそらしてため息をつく。信五郎さんに頼むわけにはいかないわよね、って顔だ。
「それじゃ、ワシが買いにいこうか」
この流れでは、信五郎さんだってそう申し出るしかない。しかし、だからといって「待ってました」とすぐにお願いしてはいけない。もう一押し。いや、あちらからもう一歩こちらに踏み込んでもらわないと。
「でも、それじゃ申し訳ないですもの」
「なに、ケーキくらい買ってこられるさ。修人が小さい頃は、よく頼まれたものだ」
網《あみ》にかかった。
お母さんの目が、光る。修ちゃんが、かねてより決めていたであろうキーワードを発した。
「そうだよ、ここはお祖父ちゃんたち[#「たち」に傍点]にお願いしようよ」
信五郎さんが「えっ」という顔をした瞬間、お母さんが椿さんに向き直った。
「では、お願いしてよろしいですか?」
でもって、椿さんも。
ここまできて、嫌だと意思表示できるはずがなかった。
かくして、筒井夫妻は朝倉夫妻にうまいこと乗せられて、二人でケーキを買いにクリスマスの街に出かけることとあいなった。
「細川可南子《ほそかわかなこ》さんと、松平瞳子《まつだいらとうこ》さんを呼んでいただけないかしら」
そう言って一年椿組教室の前に立っているのは、| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》と|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》のお二人だった。
朝のホームルームが始まる、少し前の時間。クリスマス・イブでもある今日は、ホームルームのあと体育館で終業式と、お聖堂でのミサが予定されていた。
「あ、はっ。しばらくお待ちをっ」
たまたま扉の前にいたために声をかけられた私は、転がるように教室の中程まで進んで、それから名指しの二人の姿を捜した。
(| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》と|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》の揃《そろ》い踏みだぁ……)
このクラスには| 白薔薇のつぼみ 《ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン》である乃梨子《のりこ》さんも在籍しているから、一年生のクラスの中では薔薇《ばら》ファミリーの皆さんの姿が比較的|頻繁《ひんぱん》に見られるほうだけれど、それでも一輪だけじゃなく束になると、またゴージャスさが違うのだった。
「可南子さん、瞳子さん」
声をかけながら私は、あれ、この二人でよかったんだっけ、なんて思い返していた。
瞳子さんは、| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》の妹候補なんて噂《うわさ》が飛んだことがあるほど親密な間柄らしいからわかるけれど。可南子さんはどうだろう。|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》がいらしたんだから、もしかして呼び出しは乃梨子さんだったんじゃないの、と。
でも、可南子さんと瞳子さんは教室の扉まで歩いてきて、そのまま| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》・|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》と話をしている。
ホッとして席に戻りかけると、会話の中に「パーティー」という単語が聞こえた。
「きっと、薔薇の館のクリスマスに呼ばれたんでしょうね」
私は、銀杏《いちょう》並木を歩きながら環さまに話をした。
「うらやましい?」
「全然」
自由参加のミサはパスした。それより二人は、早く家に帰りたかったから。
「柳子さんのターキーも楽しみだけれど、気になるのはケーキよね」
ケーキというより、ケーキを買いにいった二人のことだ。
「何時に出かけたかわからないし、まだ帰っていないかもしれないわね」
腕時計をひっくり返して、環さまが笑う。うちは会社員が三人いるためパーティーは夜で、それまでに間に合えばいいって話だから。
「うまくいっていれば、いいですね」
二人仲よくケーキを選んで、何もなかったように帰ってくれば、お墓参りの習慣はここで途切れる。代わりに毎年二人でケーキを買いにいく、というのを恒例行事にチェンジするというのがお母さんの目論見《もくろみ》だった。
「香也《かや》さんのシナリオ通りにいかなくたって、悪くはならないと思う」
「そうですね」
何にしても、ここで一旦|攪拌《かくはん》が起きたわけだから。長年泥が沈殿した水たまり状態のままよりはましだろう。
「ねえ、モモッチ」
環さまが、ちょっと甘えた声を出した。
「いいですよ」
私が答えると、隣から横っ飛びする音が聞こえてきた。
「えっ、私まだ何も言ってないけど」
「家に帰ったら、まずおにぎり、じゃないんですか?」
「わ、テレパシーだ!」
――なわけないだろ。
「……そのリクエスト多すぎですから」
「なるほど」
そんな会話を交わしながら、落ち葉を踏みしめている頃。
信五郎さんと椿さんが、薔薇の花束を抱えて仲よく墓参りをしていたなんてこと、二人は知るよしもなかった。
それから。
和解したことで満足してしまい、ケーキを買うという使命を忘れて筒井夫妻が帰宅してしまう未来もまた。
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|憂 鬱《メランコリー》
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寒くなったな、と実感する瞬間って、人によってそれぞれだと思うけれど。
私の場合は、ぬか味噌《みそ》に手を突っ込んでヒヤッと感じた時。まな板の上で切ったぬか漬けを一口味見してみて、漬かりが今ひとつだなと思った時。
でもって、今年はプラス、いつも鬱陶《うっとう》しくさえ感じている人が、ちょっと距離をとるようになって、周りをスースーと冷たい風が通り過ぎていった時。
「二月になるまで、モモッチとは学校で仲よくできないわ。だって、私たちはライバルなんですもの」
少し芝居《しばい》がかっていたけれど、まるっきり冗談ではなさそうな表情で、環《たまき》さまがそう告げたのは三学期が始まって間もなくの朝。家の最寄りの停留所で、二人並んで駅までのバスを待っていた時だった。
「ラ、ライバルって」
また何を始める気なんだ、この人。
私はその時、環さまが新たなゲームでも仕入れてきて、私と対戦でもしようと一人盛り上がっている、くらいに思っていた。でも、そうなると先の言葉の「学校では」の部分が引っかかる。
「なに目をパチクリしているの。ああ、わかったわ。環お姉さまと学校の中だけとはいえ疎遠《そえん》になるなんて悲しすぎるから、考えないようにしているんでしょ、百《もも》ちゃん。なんていじらしいのかしら」
鞄《かばん》を持っていないほうの手で、私の着ているコートの肩の辺りを「いいこ、いいこ」と撫《な》でる環さま。しかし私には、いまだ何が何だかわからない。ライバルだから学校では仲よくできない、ってそりゃ何だ?
「すみません。まったく心当たりがないので、もう少しわかりやすく説明してもらえませんか」
仕方ないので、私は下手《したて》に出て尋ねた。自分の口から出た息が、煙草《たばこ》の煙みたいに白くたなびく。
「あら、照れなくても」
「照れてません、って」
「まあいいわ」
環さまが、「詳しく説明ね」と首をすくめた。
「私は二年|藤《ふじ》組、モモッチは一年|椿《つばき》組。わかった?」
「そんなこと、今更教えていただかなくても知ってます」
どこが詳しく説明、だ。
「鈍《にぶ》いわね。わからないの?」
「何がです」
「二月になるまでっていうのは、一月の末にある何かが終わるのを待つという意味なの。さあ、一月にある高等部の一大イベントといったら何?」
カチカチカチ、チーン。そう口で言ってシンキングタイムを終了させた環さまは、勿体《もったい》ぶることもなく素速く正解を発表する。
「次期生徒会役員選挙でしょうが?」
「あ」
確かに鈍いかもしれない私でも、そこでやっと思い至《いた》った。
「|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》と、瞳子《とうこ》さん……ってことですか」
「そうよ。それ以外にあって?」
ふん、とふんぞり返る環さま。白い鼻息が二本発射されるだけで、美しい顔が台無しだ。
「なるほど、そういうことですか」
一月の終わりに、来年度の生徒会役員選挙が行われる。役員が三人の枠《わく》に今年は四人立候補者がいる、との噂《うわさ》だ。|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》の藤堂志摩子《とうどうしまこ》さま、| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》の福沢祐巳《ふくざわゆみ》さま、| 黄薔薇のつぼみ 《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》の島津由乃《しまづよしの》さまのお三人は、現職と、現職の後継者で堅《かた》い。そこに無謀な戦《いくさ》を仕掛けてきたのが、我がクラスの松平《まつだいら》瞳子さんなのだ。
環さまはクラス一丸となって立候補者を応援するという前提のもと、同じクラスの志摩子さまの敵として一年椿組を位置づけたのであった。
「……んな、大げさな」
「甘いわ、モモッチ。学校で仲よくしていたら、いらぬ疑《うたが》いをかけられるかもしれないわよ」
「いらぬ疑い、って?」
「敵の間者《かんじゃ》だと」
何時代の人だ、環さま。
仮に間者が存在したとして、何を探るというのだ。生徒会役員選挙にともなう活動で、敵方に秘密にしておかなければならない作戦があるのなら、後学のためにぜひとも教えてもらいたいものだ。
でも、まあ、そういう妄想《もうそう》とかも含めてこのイベントを楽しんでいるようだから、放っておこう、とは思うんだけれど。
「それじゃ、明日からお弁当もご自分で詰《つ》めるんですね」
「待って。それとこれとは別」
弁当を作るのは家の中だからいいのだ、とは、へりくつにしか聞こえない。
「作るのは家の中でも、食べるのは教室でしょ? ライバルが作ったお弁当と知られたら、間者だと疑われますよ」
「うーっ、知られないよう努力する」
片手で拝《おが》むようなポーズ。やれやれ、徹底してないな。そんなにお弁当を詰めたくないとは。
「仕方ないですね。くれぐれも気をつけてくださいね」
私は笑いながら、やって来たバスに乗り込んだ。
「かたじけない」
そう言ってから環さまは、私からちょっとだけ距離を置いて吊革《つりかわ》につかまった。
「あれ? 香也《かや》さん、まだ帰ってないの?」
コートを脱ぎながら、居間に入ってきた修《しゅう》ちゃんが言った。おかしいな、と首をひねりながら。
「何がおかしいの?」
同じ会社だからって、修ちゃんとお母さんは一緒に帰ってくるとは限らない。いや、部署が違うからむしろ別々。一緒に朝ご飯を食べるから、出かける時間はそんなに違わないのだけれど。
「僕が帰る時、書類を届けに香也さんのいるフロアに行ったら、もう帰ったって聞いたから」
「ふうん」
あとから帰った修ちゃんが先に着いたから、「おかしいな」なわけか。でも、途中下車してデパートで買い物しているとか、そういうこともあるだろう。
「修人《しゅうと》、ご飯はまだなんでしょ」
「うん。うがいと手洗いだけしてくる」
修ちゃんが洗面所のほうへ歩いていくのを見送ってから、「よっこらしょ」とソファを立とうとする柳子《りゅうこ》さんに、私は「やります」と言って台所に向かった。
幸二《こうじ》さんの会社は残業があまりなくて、時間通り帰ってくるからみんなと一緒にお夕飯を食べられるけれど、お母さんと修ちゃんは帰宅時間がまちまちで、その度に温めたりしないといけないから大変だった。せめて二人が一緒に帰ってくればいいんだけれど、と思ってシチューの鍋を火にかけた時、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
おお、お母さんだ。グッドタイミング。
「お帰り。今修ちゃんも帰ってきたところだから、ご飯一緒に食べれば?」
廊下を歩いてきたお母さんに、台所から顔だけ出して言う。すると、予想外の言葉が返ってきた。
「あー、百。私自分でよそうから構わないで」
いつもは帰ってきたら疲れて動きたくない人が、どうしたことか。一度居間に行って柳子さんと幸二さんに「ただいま」を言ってから、台所のシンクでちゃっちゃっちゃと手を洗って、準備しておいたのとは別の小さなお皿を棚から出した。
「ダイエット?」
修ちゃんの分と並べるまでもなく、テーブルの上に置かれたお母さんの夕飯は、すべて半人前ずつ、おまけに主食のご飯はパスという小食っぷりだった。
「ごめん。ケーキ食べてきた」
こちらが何か言う前に、早々に口を割る。
「つき合いで?」
「ううん、一人」
「どうかしたの」
「別に」
別に、ってことないでしょう。飲んで帰ってくることはあっても、甘味を食べて帰るなんてこと、これまで一度もなかったのに。
「会社で何かあったの?」
「あったっていうか、ないっていうか」
どうにも歯切れの悪い返事。
「ま、会社って場所はいろいろあったりなかったりするところだってことよ」
独《ひと》り言《ごと》のようにつぶやきながらジャガイモとカボチャのサラダをフォークで突き刺したけれど、お母さんの視線はそこに集中していなかった。
「どわっ、香也さんがいるっ!」
うがい手洗いを済ませて食堂に入ってきた修ちゃんは、さっきまで帰ってもいなかった妻がすでに食事を始めているのを見て驚いていた。
「いちゃ悪い?」
ガンつけるような目つきを、夫に向けるお母さん。虫の居所が悪いのは間違いない。これは、確かに会社で何かあったと見える。原因が修ちゃんとは限らないけれど、修ちゃんは同じ会社の社員だから、見ていると会社のことを思い出してイラッとくるのかもしれなかった。ケーキを食べて帰ったのは、やけ食いで決定だ。
修ちゃんも何か察したようで、無駄なおしゃべりを慎《つつし》んで黙々と夕飯を食べ続けた。
私は、気まずい雰囲気《ふんいき》の中にいるのはきつかったけれど、食堂に二人きりにしておくのも良くない気がして、留まることにした。さりとて適当な話題も見つけられず、二人同様黙っていると、そこに力強い助《すけ》っ人《と》が現れた。
「おっ帰りなさいまし、お二人さん。仲よくお夕飯とは、まーいいこと」
お風呂から出てきた環さまは、対照的に上機嫌だ。
「おや、香也さんダイエット?」
おかずの載った皿がどれも小さいことを、目ざとく見つける。
「ええ、そう」
お母さんは、うなずいた。もう、説明するのが面倒《めんどう》くさくなったようだ。
「へー、じゃあ、シチューとかまだ残っているよね。食べよっかな」
頭にタオルをターバンみたいに巻いた人が、台所から鍋と皿を手に戻ってきた。
「いっただきまーす」
さっきお代わりまでした人が、また一人前ほどの量を皿に盛っている。私も誘われたけれど、丁重《ていちょう》にお断りした。
その食べっぷりを眺めながら、お母さんがつぶやいた。
「若さって、理屈じゃないのよね……」
さて、二年藤組と一年椿組のことだけれど。
環さまが気にしたように、互いを敵視するみたいな関係にはまったくならなかった。
というか、我が一年椿組が候補者を抱えたクラスとは思えないほど盛り上がっていなかったため、相手にもされなかったといったほうが近い感じだろう。
二年藤組だけでなく、二人の候補者がいる二年|松《まつ》組も活気《かっき》がある。教室なんて、選挙事務所のようだという。
我がクラスが一年生だから差がついているのではなかった。もちろん、応援の仕方がわからないわけでもない。問題は、クラスメイトの手伝いをことごとく断る、瞳子さんにあるのだ。
瞳子さんは、「この選挙は誰にも手出しされたくない」って、そう思っているようだった。
だったら、もうそれは仕方ないこと。私も手伝いたかったけれど、静かに見守ることにした。
今回の瞳子さんに関しては乃梨子《のりこ》さんもお手上げのようで、「大丈夫なんじゃないかしら」と大らかに笑ってはくれなかった。もっとも乃梨子さんの場合は、お姉さまが立候補しているわけだから安易に行動するわけにもいかないのだろう。
「それに。どうも私は、瞳子の痛いところを突いて怒らせちゃったみたいだからなぁ」
乃梨子さんは、諦《あきら》めたように微笑した。
乃梨子さんですら、シャッターを下ろすように閉め出してしまった瞳子さんは、ますますクラスの中で孤立していった。
表面上は平静な瞳子さんだったけれど、ふとしたはずみで苦悩の表情を浮かべることがあった。きっと自分でも気づいていない、ほんの一瞬のことで、もちろんそれを誰かに見られていたなんて思ってもいなかっただろう。
私がそれに反応してしまったのは、「たぶん」という前置きつきで理由があった。
私のお母さんが、このところ似たような表情を浮かべることがあるのだ。もちろん、お母さんは選挙を控えているわけではないから、まったく同じ心情にあるわけではないけれど、何かと戦っている、それも一人で、という共通点があったのかもしれない。
そう。
お母さんは、このところやはり変なのだった。
ケーキを食べて帰宅することはなくなった代わりに、生《なま》菓子を大量に買って帰って、家族に振る舞うようになった。最初はみんな喜んでいたけれど、三日にあげずでは、さすがにうんざりしてしまう。せめて日持ちのする干菓子にして欲しいのだが、買ってくる本人が生クリームとかフルーツとか載った「本日中にお召し上がりください」と箱にシールがついたような物を好んでいるわけだから、一向に改善されることはない。確かに、やけ食いのイメージは「両手にケーキ」だ。
それから、朝の寝起きが悪くなった。いつまでもベッドの中でぐずぐずして、会社に行く準備をしたがらない。かといって具合が悪いのかと思いきや、会社は休まず、ギリギリ間に合うように家を飛び出すのだ。
寒くなったから朝活動しにくくなったように見えなくもないが、朝起きられないのは夜眠れないせい、ということはないだろうか。
もし夜眠れないほどの悩み事があるとしたら、それは何なのだろう。私や修ちゃんや、他の家族にも言えないことなのだろうか、って私のほうが悩んだりした。
今のところ柳子さんは「一口くらい食べないと」なんて笑ってくれているけれど、せっかく作ってくれた朝ご飯を食べないなんて、娘として本当に申し訳なく思った。それで私は、お母さんの朝ご飯のおかずをタッパーに詰めて、おにぎりと一緒に持たせることにした。
「百、これグッドアイディア。社食に行かなくていいのは楽だわ」
当の本人は、まったく反省の気持ちはないようだ。しかし、「社食に行かなくていいのは楽」というのはどういう意味だろう。
お昼休みに社食に行けないほど仕事が忙しいのか。たかだか社食まで歩いていくのがおっくうだという意味か。行けば会いたくない人とも顔を合わせなければならない社食が嫌なのか。それとも、単に食券が浮くから経済的に楽だと言っているだけなのか。
わからないけれど、やはりこれは会社に何か問題があるんだろうな、と私は確信を深めた。
それから二日後。
私と環さまが帰宅すると、柳子さんと椿《つばき》さんが食堂のテーブルで内緒《ないしょ》話をしていた。内緒話といっても、私たちの姿を見つけて黙り込むというわけでもなく、むしろちょっといらっしゃいという感じで手招きをする。声をひそめているのは、むしろ二階に聞こえないようにするためらしい。いや、広くて天井《てんじょう》の高い家のこと、食堂の話し声が二階に聞こえるわけはないのだけれど、二階にいる人が階段を下りてきたらすぐやめちれるように耳をすましている、とのことだ。
なるほどね。――っていうか、ちょっと待って。
「二階? 二階に誰がいるんですか」
私は尋ねた。
平日の夕方、まだ五時前だ。二階に自室をもつのは、朝倉《あさくら》夫妻と高校生の娘二人。私も環さまもここにいる。とすると……?
「香也さん。早退してきたの」
紅茶をすすりながら、柳子さんが言った。
「え?」
「なんか、調子が悪いみたいで寝ているのよ」
今度答えたのは椿さんだったけれど、現在どっちも人差し指を一本上に向けている。
「調子悪い、って?」
どんな様子なのだろう。
「頭が痛いらしいわ」
「あら、私には腰が痛いみたいなことを言っていましたけれど?」
それでも柳子さんも椿さんもここでお茶をすすっているわけだから、さほど悪そうには見えなかったのだろう。よっぽどだったら、救急車とか呼ぶだろうし。
「近所の医院に電話して往診してもらおうかと思ったんだけれど、病気じゃないから嫌だって激しく拒絶されて」
「すみません。母は医者嫌い、薬嫌いで」
「……のようね」
症状が軽いうちに病院に行けばすぐ治るような風邪《かぜ》をこじらせて、ダウンした前科がある人なのだ。あの時は修ちゃんに送ってもらったけれど、今回は一人で帰ってこられるくらいの余力があったというところか。
「仮病《けびょう》じゃないの?」
黙って聞いていた環さまが、ボソッと言った。椿さんが、あわてて「これ」と制する。私に気を遣《つか》ってくれたのだろう。
「仮病は言い過ぎかもしれないけれど。たとえば月曜の朝になると、決まってお腹が痛くなる小学生」
「それ、環ちゃんのことじゃない」
柳子さんが、横から茶々を入れた。
「嘘《うそ》じゃなくて、本当にお腹がチクチク痛くなったもの」
否定しないところを見ると、環さまはそういう子供だったらしい。
「学校に行きたくなくてね、身体《からだ》がそうなっちゃうの。肉体が精神に負けるのかな。それとも肉体が精神に同情しちゃうのか」
「じゃ、お母さんも会社にいたくなくて?」
「それはわからないけれど」
そういう可能性もあるんじゃないの、と環さまは言っているのだ。だとすると、「病気じゃない」とお母さんがお医者さんを拒否するのもわかる。頭痛腰痛があるにしても、それが半端じゃないほど痛かったら、観念して病院に行くと思う。風邪だったら自然に治っても、盲腸《もうちょう》とかだったらお医者さんの手助けが必要だから。
環さまの説に思わずうなずきそうになった時、
「私は違うと思うな」
柳子さんが言った。
「あれだと思うのよ」
「あれ?」
椿さんと環さまと私が、同時に聞き返した。
「ええ、あれ」
私も覚えがあるもの、としみじみつぶやく柳子さん。一人で納得されても、残りの三人にはまったく伝わらない。
いや、椿さんが「もしかして」と心当たりがあるような言葉を発したから、一抜けするのかもしれない。
「でも。あれって、頭痛とか腰痛とかって症状が出るんですか」
「個人差があるのよ。私はそうだったわ」
「そうですか。私は口の中が乾いたりしましたけれど」
「ああ、口の中は乾くわよね。あと何もしていないのにのぼせたり――ってちょっと待って、あなたまだ経験してないでしょ」
柳子さんがストップをかけた。二人の会話は、かみ合っているようで、その実まったくかみ合っていなかったらしい。つまり柳子さんの「あれ」と椿さんの導き出した「あれ」は別物だったというわけだ。それもこれも、いつまでも「あれ」なんて代名詞で呼んでいるせいだ。
「何ですか、はっきり言ってください」
私は柳子さんに詰め寄った。柳子さんが経験して椿さんは未経験の「あれ」の正体は、いったい何なのだ。
「あれっていうのはね」
柳子さんは声をひそめた。
それは、高校生の私には、とても想像がつかなかった単語だった。
結局お母さんは、その日夕飯には下りてこなかった。
気になったから、何度か部屋を訪ねてみたけれど、布団《ふとん》を身体に巻きつけて蓑虫《いもむし》みたいな状態のお母さんが、拗《す》ねたような顔を私に向けるだけで、肝心《かんじん》なことは何も言ってくれなかった。
「お粥《かゆ》でも作ろうか」
人間、食べなくても数日は平気だって話だから無理に食べさせる必要はないんだけれど、聞いてみたらお粥はいらないが野菜ジュースとチョコレートが食べたいというので、持っていった。
夜の十一時過ぎだろうか、私がベッドに入ってすぐくらいに左隣、つまりお母さんと修ちゃんの部屋から物音が聞こえた。どうしたんだろうと耳をそばだてると、かすかに言い争うような声がする。
部屋と部屋の間に収納があるから、普段はお母さんと修ちゃんの会話もあまり届かない。それが、窓を開けている夏でもないのに聞こえてくるということは、よほど大きな声を出しているということだ。時折何かが落ちる音、何かが壁にあたる音も混じる。
「やだ、夫婦げんか?」
暗がりの中で身を起こしてみたものの、ここから先どうしていいのか思案する。止めに入るべきか、黙って無視を決め込むか。小さい頃にお父さんが死んじゃったから、夫婦げんかに遭遇《そうぐう》した経験ゼロで、判断がつきかねるのだ。
幸いというかなんというか、物音も言い争う声もすぐになくなった。ほっとして布団にもぐり直すと、今度は部屋のドアが音をたてた。
トントン。耳をそばだてる必要はない。これは間違いなくノックだ。
私は「誰」とも「どうぞ」とも声を発することなく、素速くベッドから下りてドアを開けた。
予想通り、そこに立っていたのは朝倉香也さんだった。
「泊《と》めてください」
「どうぞ」
うつむきがちに枕《まくら》を抱きしめて、上目遣《うわめづか》いでそう頼まれては、断ることができなかった。
「修ちゃんとけんかしたの?」
「うん、そうかな」
私の体温で程よく温まったベッドの中に、お母さんはもぞもぞと入った。
「修ちゃんが部屋を出ていくって言うから、私が出てきた。実家に帰らせていただきます、ってところかな」
「それがいいよ」
私は、お母さんが半分開けたスペースに滑り込む。
「本当はけんかじゃないの。私の、ただの八つ当たり」
お母さんはわかっているんだ。修ちゃんは悪いわけではなく、巻き添えをくっているだけってことを。だから、今は少し離れていたほうがいいって互いにそう思った時に、修ちゃんに部屋を譲《ゆず》ってここに来た。自分は娘のところに転がり込めば済むけれど、修ちゃんは行き場に困るだろう、って。部屋はいっぱいあっても、冬場に即席で寝床を作るのは大変だ。和室の押し入れから布団を出したりしたら、物音を聞きつけて一階の大場《おおば》夫妻が起きてしまう。
「私、この頃なんかイライラしてるの」
お母さんは、一宿の恩義があると思ったか、ポツリポツリと語り出した。
「理由とかきっかけとかあるの」
「まあね。今年に入ってから、若い女の子がうちの部署に異動になってね。若いっていっても、私よりは若いってことで、もうじき三十ってところね」
それでも、お母さんは四十歳代だから十歳以上は若いわけだ。
「その子がね、何かにつけて私を年寄り扱いするわけよ。最初は年上だし上司だし、気を遣ってくれているのかと思っていたんだけれどね、そのうちわかってきた」
「何を?」
「私のこと嫌いなんだって」
被害|妄想《もうそう》じゃないのかな、とちょっと思った。あんなにやさしい修ちゃんにきつくあたるくらい精神的に追い詰められているお母さんなら、世の中の大半ぐらいが敵に見えていたっておかしくない。だから私は、話半分くらいの気持ちで聞くことにした。
「定時になったら『お疲れさまでした。残りの仕事は私たちがやっておきますから』って追い出しにかかるし。給湯室で女の子たちがおしゃべりしていたから、『何?』って聞いたら、『朝倉さんの年代の方にはわからない話題でしょうから』って黙っちゃうし。いいから試しに言ってみろ、っていうのよ。知ってるかもしれないじゃない。感じ悪いったら。部下の男の子が買ってきた旅行|土産《みやげ》を配る役を引き受けた時なんか、私の机に何も聞かないで饅頭《まんじゅう》二つ置いたのよ。普通聞くでしょ、どっちがいいですか、って。チョコレートと饅頭の二種類あったら。もしくは、一種類ずつにするものよ」
弾《はず》みがついて、お母さんは溜まっていた鬱憤《うっぷん》をどんどん口にした。
「そりゃ饅頭もおいしかったわよ。でも、それとこれとは別の話でしょ? 最初から決めつけてかかられたことに腹を立てているの。チョコレートを食べられなかったのが悔《くや》しかったんじゃないの」
そうは言っても、こうして執念《しゅうねん》深く覚えているわけだから、やはりチョコレートは食べたかったんだろうな、と思う。やっぱり食べ物の恨《うら》みは恐ろしい。
「それ、全部同じ人なの?」
「そうよ」
「なるほど」
嫌いかどうかはその人の感情だから勝手に推《お》し量《はか》ることはできないけれど、少なくともお母さんと馬が合わないことだけは確かなようだ。いったいどんな人なんだろう。
「結婚|披露《ひろう》パーティーに来てたわよ」
「あ、そうなの?」
「私の投げたコサージュ、すごいジャンプして取った子。覚えてない?」
そう言われて、すぐに「ああ」と思い出せるほどインパクトがある人だった。結婚披露パーティーというのに、純白のワンピースを着てきて、花嫁さんより目立っていた。
「でも、コサージュを欲しがったわけだから、お母さんのこと嫌いというわけじゃないんじゃない?」
「あのコサージュ、会場の近くの女子トイレのゴミ箱に捨ててあったけどね」
「嘘」
「ホント」
お母さんが見たというなら、事実なんだろう。しかし、どういうつもりなのか。物に執着しないさっぱりした性格なのか、それともやっぱり嫌がらせなのか。
「あの子、修ちゃんのこと好きだったみたい」
「えっ?」
「だからって、私を邪魔者扱いしていい理由はないと思うのよね」
「それゃそうだけれど」
その人のお母さんへの態度があからさま過ぎて見かねたのか、同じ部の女性が「実は」と耳打ちしてきて判明したらしい。
「そのこと、修ちゃんは知ってるの?」
「さあ? 鈍感だから気づかないんじゃない?」
というより、お母さんのことしか見ていなかったから、他の女性は見えなかったんだと思う。
「気づいていたら、その子のこと庇《かば》ったりしないでしょ」
「庇ったの? 修ちゃんが?」
「そうよ」
「どうして庇うの?」
お母さんの話じゃ、向こうから一方的に意地悪されていたみたいなんだけれど。そうじゃなかったのかな。
「いやあね。私は何もしてないわよ。何もしてないからイライラしてるんじゃない」
――ごもっとも。
「その子、修ちゃんと同じフロアにいる同期の人と婚約して去年いっぱいで| 寿 《ことぶき》退社する予定でいたらしいの。でも何があったか知らないけれど、破談になっちゃって。それで人事部に相談して部署替えしてもらったんだって」
「……」
私は、お母さんのコサージュのことが頭に浮かんだ。幸せのお裾《すそ》分けを一旦ゲットしたのに、手から離れてしまったんだな、って。
「修ちゃんは、配置換えしたばかりで勝手がわからないんだから大目に見てやれって言うのよ。結婚がだめになってかわいそうって同情もあるんでしょうね。だから言ってやったの。そんなにかわいそうなら、修ちゃんが慰《なぐさ》めてあげればいいじゃない、って。そうしたら」
「そうしたら?」
「怒られた」
「そりゃ怒るよ」
普段は穏和な修ちゃんだってさ。
で、修ちゃんが怒ったことがまた面白《おもしろ》くなくて、お母さんは暴れたらしい。それがさっきの物音というわけ。
「ふうん」
子細《しさい》はわかった。でも、どこか納得できないところもある。
「お母さんは、何でそんなにイライラするんだろう」
「だから、その子が」
「それはわかったけれど、いつものお母さんだったらそんなの放っておくんじゃないの?」
いいたいヤツには言わせておけ、って。
「だから放っておいたわよ。仕返しなんてしてないでしょ」
「そういうことじゃなくて。なんていうのかな、気にしない? 一々引っかからないんじゃないかな」
「どうだろう」
お母さんは布団の中で唸《うな》った。一々引っかからないものは、本人が覚えているわけもなく、カウントしようがない、ってことか。
「何? そういうことに一々引っかかっている私に、問題があるってこと?」
「そうは言ってないけど」
「けど、何よ」
「お母さんも気にしている、ってことじゃないかな」
そうだ、乃梨子さんも言っていた。人間、痛いところを突かれると、怒るのだ。
言ったあとで私は、「お母さんも気にしている」もまたお母さんにとって痛いところだったかもしれない、なんて思ったけれど、今更取り消せなかった。
やっぱり怒るかな、と動向を見守っていたら、意外にも笑いながら肩を叩かれた。
「あんたはすごいね」
「何が」
「まさにその通りなのよ」
驚いたことに、お母さんは肯定《こうてい》してきた。
「気づいていたの?」
「ずっとじゃないわよ。今日早退して、部屋で寝てる時ね。私なりに、悶々《もんもん》と考えたからね」
ベッドで横になっていたものの、熟睡《じゅくすい》なんてできなかったのだ。
「私、今日は朝から調子が悪かったんだよね」
お母さんは、本日会社で何があったのかを話し始めた。
「どうにか会社には行ったけど、連日の不摂生《ふせっせい》からか胃がムカムカして、昼前からトイレに籠《こ》もっていたわけよ。あ、そうか。腰痛なのは、ずっと同じ体勢でいたせいだ」
まあ腰痛はともかく、夜ケーキをバカ食いしたり朝ご飯抜いたりしてたら、胃も音《ね》を上げるはずだった。
「そうしたら昼休みに、例の子が化粧直しにやって来て、同僚の女の子たちに明らかに私のことだって思われる悪口を言い出したの。年寄りは残業キツイから、定時になるとすぐに帰る、とか。いつでも機嫌が悪くてイライラしている、とか。それくらいだったら、心の中で『お前がそうさせてるんだろ』って突っ込んでいられたんだけどね」
そのうち、そうしてもいられない言葉が出たわけだ。
「『新婚早々奥さんが更年期《こうねんき》障害じゃ、旦那さまがかわいそう。結婚するなら若いうちよね』だってさ」
「あ、えっ?」
出ました、更年期障害。この漢字五文字こそ、柳子さんが言っていた「あれ」の正体だった。
「お母さん、更年期障害……なの?」
私は恐る恐る尋《たず》ねた。柳子さんの診断を疑っていたわけではないけれど、やはり本人の口から聞かないことには信じられなかった。
「そうなんじゃないの? ホルモンバランスが乱れて、イライラしたりムカムカしたりするって話じゃない。口の中は乾くし。おまけに、ここのところは生理不順なんだから」
自覚症状があったから、自分でも「もしや」って思っていたらしい。そんな時に、トイレで気になるキーワードを耳にしちゃった、ってわけだ。
「いっそ、出ていって文句の一つも言ってやろうと思ったけど。できなかった。何でできなかったんだろう、って家で考えて、わかったの。私は、若くないことを修ちゃんに悪いと思っていたんだって」
お母さんは絞《しぼ》り出すように言った。私は小さく丸まったお母さんを布団の中で抱きしめて、背中をそっと撫《な》でた。
お母さんは、私のお母さんだけれど、その前に一人の女の人でもあるんだって思い知った。
「それでも、修ちゃんはお母さんがよかったんだよ」
「うん。だから、ますます負い目を感じちゃうの」
お母さんは、以前より臆病《おくびょう》になって欲張りになった。
やさしい修ちゃんが側にいてくれるだけでいいじゃない。どうして余計なことを考えたりするんだろう。
お母さんと合わないその女の人だって、その小さな幸せをうらやんでいる。修ちゃんはそれくらい素敵な人で、その素敵な人に選ばれたんだって自信を持てばいいじゃない。
「ねえ、百」
お母さんがつぶやいた。
「私は修ちゃんのためにもう少し若かったら、とは考えたけれど、それは百や百のお父さんのことを否定しているわけじゃないのよ」
「うん」
わかっている、って。私は大きくうなずいた。
「修ちゃんは、いろんなことを乗り越えてきた今の私を好きなんだから」
溜まっていたものを全部吐き出したと思ったら、今度はのろけか。
「枕投げつけて悪かったかなぁ」
「そういうことは、本人に言えば?」
私が先にベッドを出て道を作ってやると、お母さんは素直にドアまで歩いていった。
「ありがとうね、百」
「どういたしまして」
「お返しに、いつか恋の相談にのってあげるから」
それに対して何て返事をしたらいいものかわからなくて、私はただ「ははは」とだけ笑った。
お母さんは私の部屋から出ていくと、数歩あるいて隣の部屋のドアをノックした。
三分ほど待っても戻ってこなかったから、私は安心して再び布団に潜り込んだ。お母さんは、ちゃんと修ちゃんと仲直りできたんだ。
さっきまでキツキツだったベッドが、急に広く感じられた。
でも、スカスカして寒いわけじゃない。お母さんのぬくもりが、まだ布団の中に残っている。安心したら、急に眠気が襲ってきた。
ゆりかごに揺られるようにとろとろと微睡《まどろ》みながら、ふと考えた。
椿さんが想像していた「あれ」って、いったい何のことだったのだろう。
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|私たちの巣《アワ ネスト》
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「でね。その子ったら百《もも》さんのこと紹介して欲しいなんて言ってるのよ。最近の一年生って大胆ね。ふふふ」
そんなクラスメイトの可愛《かわい》らしい笑い声に引きずられて、私も「ふふふ」とほほえんだ。しかしその裏で、何が面白《おもしろ》いのか必死に考えている。申し訳ないことに、話の途中で自分だけ別の世界にワープしていたようなのだ。
廊下の窓から見える、丸々としたオレンジ色の太陽を眺《なが》めながら「ああ、玉子があと一個だったけど、柳子《りゅうこ》さんスーパーで買ってきてくれたかしら」なんて考えてしまった。もし忘れてたら、帰ってからひとっ走り自転車飛ばして買いにいかないと。このところお母さんが「玉子」「玉子」ってうるさいから。一週間くらい前だったか、朝コンビニに買いに行かされたこともあった。
「よかった、じゃOK? 今からいい?」
「何が」
「いやあね。聞いてたんじゃないの?」
なんか、以前にも同じようなことがあった気がする。それも今私の手を引っ張っている相手まで同じ、美幸《みゆき》さんだった。確か、一年くらい前に。
「何だろう、私このシーン二度目な気がする」
美幸さんも言った。
「つまり、私の妹のクラスメイトが百さんに憧《あこが》れているらしいんだ。で、もし百さんに特定の下級生がいないんだったら、妹にどうか……って」
そういう話なんだけれど、と言いながら、美幸さんは考え込んだ。
「また改めるわ。なんだろう、急に気持ちが盛下がってきちゃった」
以前お姉さまを紹介してくれるという話があった時、待ち合わせの場所で私の具合が悪くなったことを思い出したのか、このデジャブのようなシチュエーションでの決行を美幸さんは見送った。
「ごきげんようっ」
我が二年|藤《ふじ》組教室の前を、瞳子《とうこ》さんが駆け抜ける。
「ごきげんよう」
私と美幸さんも挨拶《あいさつ》を返したけれど、たぶん届いてはいないだろう。それくらい、彼女の後ろ姿はもう小さくなっていた。
「廊下は走るな、って言っても聞こえないか」
「あーあ、ご自慢の縦《たて》ロールがぐっちゃぐちゃ」
私と美幸さんは、ほほえみながらこの春から| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》になった元クラスメイトを見送ると、「ごきげんよう」の言葉を交わして別れていった。
七月初めの放課後。
銀杏《いちょう》並木の上方にあるすっきりと晴れ上がった空を見上げて、「梅雨《つゆ》明けしたんだっけ?」なんて考える。
生《なま》玉子の黄身みたいな太陽。白い雲は、カラザほどの量しか見えない。
妹の話は流れるかもしれないな、と分かれ道に立つ白いマリア像の前で私は思った。美幸さんには悪いけれど、そのほうがいい。今の私は、正直妹を作るなんていう気持ちの余裕がないのだった。
(遅いな)
腕時計を見ながら、私は校舎の方角を窺《うかが》う。
今日は保健委員の当番じゃないから、掃除が終わったらすぐに行く、なんて言っていたのに。美幸さんと立ち話していた私のほうが早く着くとは思わなかった。
しかし、何だってマリア像の前で待ち合わせなんて提案したのだろう。お天気だからいいようなものの、雨降りだったら結構悲惨。
いや、雨が降っていなくても、こんなところで突っ立っているのは目立っていけない。帰りのお祈りをする生徒たちの邪魔にならないよう避《よ》けていないとならないし、もし偶然今から姉妹《スール》の契《ちぎ》りをする生徒たちが来たら、避けるだけじゃなくて姿も消さないと悪いだろう。
「百さん?」
声をかけられたので「待ち人来たる」かと思いきや、目の前で笑っているのはクラスメイトの乃梨子《のりこ》さんだった。私とは別の掃除区域で今週は外の担当だから、竹箒《たけぼうき》を持っているのはわかるんだけれど、今まで時間がかかったとはどれだけゴミが散らばっていたんだ。
「ああ、これね」
私が箒を見ているのに気づいて、乃梨子さんは笑った。
「掃除はずいぶん前に終わっていたんだ。ただ鳥命救助《ちょうめいきゅうじょ》に勤《いそ》しんでた」
「チョウメイキュウジョ?」
「鳥のヒナが、植え込みに引っかかっていたの。何の鳥かはわからないけれど、まだ巣立ちには早い感じのね。どこから落ちたんだろう、ってみんなで見回したら近くにある木の枝に巣らしきものを発見して。それから先生呼んで、脚立《きゃたつ》たてて、結構大がかりだったな。ほら、よく他の動物の匂いがついたら育児|放棄《ほうき》するとか聞くじゃない? だからこの竹箒なんかもフル活用――」
そこまで言ってから、乃梨子さんは「あ、シャレじゃないわよ」と笑った。放棄と箒か。気づかなかった。
「それで、ヒナは親鳥の巣に戻れたのね?」
「うーん、まあそうね。こっちはやれるだけのことはやったから、あとは運を天に任せるだけね。先生も、人間がやるのはここまでだって言ってらしたし」
「そうか」
私は空を見上げながら、どこだかわからないけれど、この学校のどこかにある巣の中にいる小さな命のことを思った。
「で、箒を片づけにいこうと思ったら、百さんの姿を見かけてここまで」
乃梨子さんは、本題とばかりに話を切りだした。
「何かご用があった?」
わざわざ遠回りしてきたみたいだから、尋ねてみたのだ。すると。
「ご用、っていうか。もしかして、百さんが筒井環《つついたまき》さまを待っていらっしゃるのなら、って」
「え?」
「先ほど図書館に入っていかれるのを見かけたの。それをお知らせしたほうがいいかと思ったから」
「……あ、それはどうも」
なんて親切なんだ、乃梨子さん。さすがは一年生の憧れ、| 白薔薇のつぼみ 《ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン》。しかし、環さまったら、人のこと待たせておいて図書館で何をやっているんだ。
「でも、私が言いにくるほどのこともなかったわね。ほら」
乃梨子さんの視線を追っていくと、図書館の脇の道からまさに今環さまが歩いてくるところだった。
「それじゃ、ごきげんよう」
ほほえんで、乃梨子さんは講堂へ続くほうの道を歩いていった。
「ごきげんよう。ありがとう」
私は後ろ姿に声をかけた。
ありがとう。
きっと、ヒナもそう思っているよ。
入れ違いで現れた環さまは、私の顔を見るなり手提《てさ》げ袋を開いた。
「ほら」
大方の予想はついていたけれど、そこには図書館の本が数冊入っている。
「……はあ」
「リアクション、薄っ」
何を期待していたか知らないが、事前に乃梨子さんから情報を仕入れていたから、リアクションが薄いのは仕方ないのだ。
「で、これらが私を二十分以上待たせてまで借りなきゃならなかった本なわけですか」
「うん」
思い切りうなずいてるし。こっちは嫌味のつもりで言っているのに、まったく通じていない。
「いやー、半信半疑で図書館覗いてみたんだけど、意外にあるもんだね、こういう本も」
ほいほいほいと、取り出しては私に手渡す環さま。外で立ったまますることもないと思うんだけれど、相変わらずマイペースだからやりたいようにやる。
「何ですか、これ。『姓名判断』? 『名前のつけ方辞典』?」
他にもお目出度《めでた》い漢字ばかりを集めた辞典とか、人名辞典のような物もある。
「これ……って、まさか」
恐る恐る質問してみる。いや、このラインナップを見れば、それ以外にないとは思うんだけれど。
「まさか? あと二カ月もないのよ、早いってことはないでしょ」
やっぱり。
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて、って?」
「あーっ、まどろっこしい。つまり私は、どうして私の弟か妹の名前を環さまがつけるんです、って聞いているんですよっ」
私は、一気に捲《まく》したてた。
やり慣れないことをしたせいか、言い終わったあとしばらくは肩で息をしていた。
そうなのだ。
八月の末か九月の初めあたり、お母さんが赤ちゃんを産む。
体調不良やイライラ・ムカムカを更年期障害とした、柳子さんとお母さんの診断ははずれだった。正解は、妊娠初期のつわり。
お母さんが修ちゃんとけんかしてプチ家出(部屋出?)した翌朝、やっぱり「あれ」が何だったのか気になった私は、椿さんに聞いてみた。
「おめでただと思ったの」
との返事を聞いて、その場にいたお母さんと柳子さんは「あ」と固まった。二人とも経験者なのに、その可能性をまったく考えてみなかったらしい。
そこから家族は大騒ぎ。ぬか喜びにならないように気持ちを抑《おさ》えながら、修ちゃんは家からちょっと離れている薬局が入ったコンビニに自転車飛ばして、妊娠検査薬を買ってきて、みんな遅刻ギリギリまで家に留まりお母さんがトイレから出てくるのを待った。結果が陽性だった時、全員で万歳三唱《ばんざいさんしょう》しちゃったもんね。
こんなにたくさんの家族に心待ちにされて、私の弟か妹は幸せ者だと思う。
少し前に、庭の梅を一緒に収穫した椿さんが言っていた。
「香也《かや》さんの産む子供は、環と百ちゃんをつないでくれるわね」――って。
椿さんは環さまを産んだ時、信五郎《しんごろう》さんの家族とつながったって思ってすごく嬉しかったんだって。だから今度生まれてくる子も、朝倉《あさくら》家と大場《おおば》家と筒井《つつい》家と小森谷《こもりや》家の子供になる。
調子が悪いのは妊娠のせいだってわかったとたん、気の持ちようなのか、お母さんのつわりはピタリとなくなった。そしてお腹も大きくなってきたというのに、まだ働いている。産休は来月に入ったらとるんだって。あの様子では、出産後の会社復帰も早そうだ。お母さんも修ちゃんも、当然のように家族をあてにしているし。
さて。
肩で息をしている私を冷ややかに見つめて、環さまが言った。
「私が名前を考えて悪い? その子にとって私は大叔母《おおおば》さまなんだから、私にもその権利あるんじゃない?」
義理の関係である私と違って、生まれてくる子は正真正銘環さまと血縁関係がある。しかし、自《みずか》ら課した禁句を破ってまで権利を主張するわけだから、環大叔母さまは開き直ったというか、相当張りきっている。
「そうは言っても」
親を差し置いて、って。ちょっと勇み足過ぎやしませんか。私は、さっき手渡された本を環さまの手提げにゴッソリ戻した。
「じゃ、誰がつけるの? 修ちゃん? 香也さん? 今朝聞いたら、まだ決めていないって言ってたわよ。忙しいからって、誰かに丸投げするつもりなんじゃないの?」
「頼むにしても、普通はお祖父《じい》ちゃんとかお祖母《ばあ》ちゃんとか」
すると環さまは、チチチッと人差し指を横に振った。
「幸二《こうじ》さんにつけさせてみ? 今度はゴールとかハットトリックとかになるわよ」
ゴールとかハットトリック……?
「まさか、修人《しゅうと》ってサッカーからなんですか」
「そうよ。柳子さんの陣痛が始まった時、幸二さんがスポーツニュース視《み》てたんだって」
「えーっ」
本当かな。誰かが後付けで作ったホラ話じゃないの、それ。
「あ、私のお父さんもだめだから。私の時も、梅とか竹とかになりそうだったのを、お母さんが止めたんだって。あの人、二人とも奥さんが植物の名前じゃない? 桐子《きりこ》と椿。もちろん偶然だけれど、そういうの好きなのよ」
だから幸二さんが柳子さんを婚約者として紹介した時、まず名前を聞いて気に入ったらしい。
「正一とか幸二とか、お兄さんたちの普通っぽい名前は桐子さんがつけたって話よ」
「はあ……」
かなりリサーチしているところを見ると、本気で名前を考える気らしい。まあ決定権は両親にあるだろうから、アイディアを出すくらいなら自由かもしれない。参考までに、ってやつ。
「でね、千《せん》ってどうかって思うのよ」
「セン?」
「モモッチは百《ひゃく》でモモでしょう? モモッチのお父さんは十《じゅう》でヒサシなんだって? まさかと思って香也さんに聞いてみたら、やっぱりお祖父さんが一《いち》でハジメって」
一、十、百ときて今度は千? 面白《おもしろ》がっている、完全に。
「千なら、男の子でも女の子でもいいじゃない」
いいかもしれないけれど、ちょっと待て。
「でも、それは私のお父さんの家系のことでしょ?」
「あら、修ちゃんはもう朝倉家の人なんだから遠慮しなくていいのよ」
「遠慮じゃ――」
「ま、モモッチが自分の子供につけたいなら取っておくけど?」
ならばますますこれらの本の出番だ、と手提げ袋を掲げる。中身をもう一度取り出そうとするので、慌ててストップをかけた。
「だったら、立ち話でなくても」
家の方向が違う友達じゃないんだから。移動しながらでも、家に着いてからでも、時間はいくらでもあるのだ。
「それもそうね」
やっと納得して歩き出したので、私も並んだ。
「そもそも、どうしてこんなところで待ち合わせしたんです」
チラリと後方に視線を投げかけただけなのに、環さまはつられるように大きく回れ右した。
「この場所に立っているモモッチを見たかったからかなぁ」
「は?」
「一年経って、身長伸びて、顔色がよくなったモモッチをね」
まるでお祖母《ばあ》ちゃんが大きくなった孫の成長を喜ぶみたいに、環さまは私の頭を撫《な》で、そのままその手を頬《ほお》まで下ろした。この一年で二人とも身長が伸びたけれど、わずかに私の伸び方が勝ったので、立っていてほとんど差がなくなった。
「第一印象あんまよくなかったからさぁ。立派になった姿を、いうなれば上書きしたかったわけよ」
なるほどそういうことか、とうなずきかけて、私ははたと思いとどまった。
「それじゃ、場所が違うんじゃないですか」
だって、最初に会ったのは、保健室のはずで。確か栄子《えいこ》先生と、「病院に行く・行かない」とか「担任や親に相談する・しない」とかの押し問答をしていた時だったかした後だったかに、衝立《ついたて》の陰《かげ》から出てきた美人が環さまだった。
「ここよ。あれ、覚えていないの?」
いやに自信満々に言いきるから、私はだんだん自分の記憶のほうが違っているのだろうか、と不安になってきた。保健室より前に会っていた、ということか。それも、あのマリア像の前で。
私は振り返ってみたけれど、銀杏並木をもうずいぶんと歩いてきたため、マリア像は遠く確認できなかった。
「っていうか、私のこと聞いてなかった? えーっと、何ちゃんっていったっけな。江美《えみ》さんの妹の……そうだミユキちゃん」
「美幸さんが何か」
ミユキといったら、さっき廊下で立ち話をしていたあの美幸さんのことしか思い浮かばない。高等部に入ってから同じクラスになったミユキさんは、彼女だけだった。で、その美幸さんと言えば――。
「まさか」
一年前のことを思い返してつぶやく。すると。
「あなたのことを紹介して欲しいって言った上級生って、私よ。モモッチったら、お姉さま候補の名前も聞かないで来たの?」
「……聞きませんでした」
というか、じつはあまり興味なくて。相手から断ってくれたらいい、くらいの気持ちだったし。でも、環さまは私のことを知っていたわけだ。
「そりゃ、もちろん。顔合わせの前に、会っておきたかったんだもの。もっとも、あの日より前からモモッチのことは遠巻きには見てたけどね」
「えーっ、ストーカー」
私の声を受けて、環さまは肘鉄《ひじてつ》を返してきた。
「遠巻き、って言ったでしょ」
最初は、「修ちゃんのお嫁さんの娘」の顔を見てやろうと思ったんだろう。
でも見た後で、クラスメイトを介して「紹介して」と頼んだということは、私のことをそんなに嫌な子だと思わなかったということで――。ううん、この際だ。たぶん気に入ってくれたんだ、と思っちゃおう。
「ふふふ」
なんか嬉しくて、私は笑った。
「何?」
「いいえ。帰りましょ」
私は環さまの手を取って、一歩先を歩いた。
早く、早く。
気持ちが逸《はや》る。
だから、ちょっとだけ足を速めて歩いていく。
「ねえねえ、何か、いいことでもあるの? あ、今日あたりモモッチの梅ジュースが解禁になるとか?」
「まだまだ」
「そう言わずに一口だけ」
「うーん、赤ちゃんが生まれたらにしようかな」
「えーっ」
二人が歩いているこの道の先には。
あたたかな巣が、私たちの帰りを今か今かと待っている。
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あとがき
読み終わって、何を食べたくなりました?
こんにちは、今野《こんの》です。
本編に食べ物がいっぱい出てくるので、空腹で読んだらお腹の虫が相当やかましく鳴りそう。「これから読むよー」という現在満腹ではない方は、おにぎり一つお側《そば》に用意されることをお勧《すす》めします(移動中が読書タイムの方は、ごめんなさい)。
というわけで、『マリア様がみてる |私の巣《マイネスト》』のお届けです。
この作品は、一話目が雑誌『Cobalt』2007年8月号に掲載されたもので、残り五話が書き下ろしになります。『マリア様がみてる リトルホラーズ』のあとがきでも触れましたが、こちらはホラーという括《くく》りに合わなかったので短編集に入れることを見送り、今回このような形で一冊になりました。
もともと短編の番外編だったものをふくらませたわけですから、シリーズの中でも異彩をはなっていると思います。ご了承ください。
主役であるところの「私」こと朝倉百《あさくらもも》は、薔薇《ばら》ファミリー(と呼ばれる生徒会役員やその補佐をする人たち)ではありません。今後、そうなる予定もありません。なので、今回は薔薇の館のシーンがまったくない、という珍《めずら》しさもあります。で、代わりに主な舞台になっているのが、『|私の巣《マイネスト》』のサブタイトルが指している「家」になります。
家が舞台ということで、家族もたくさん出てきます。おまけに関係が複雑なので、家系図を作って時々それを確認しながら書きました。
あまりにわかりにくかったのか、担当さんから「家系図を載《の》せましょう」と提案されました。本来ならば相関図《そうかんず》なんてものはもくじの側にくっつけるものなんでしょうけれど、「一話目の前に載っけたらネタバレになる!」と私が言い張ったので、出来上がりは環《たまき》が家系図を書いている付近にイラストみたいに挿入されているのではないか、と思います。この文庫に載せたものは、私が使用していたものより簡易です。第二話の『お引っ越し』の時点で登場している人以外は、かえって混乱すると思うので省略、ってことで。
さて、四話の『| 聖 夜 《クリスマス イブ》』でクリスマス・パーティーの話題になりますが、我が家のクリスマス・パーティーでは、丸ごとのターキーやチキンは出ません。
家族に一人|鶏肉《とりにく》を食べない人がいるため(私じゃないです!)、大物は諦めて毎年某ハンバーガーショップでボックス入りのフライドチキンを買ってくるというささやかさ(去年までの百と一緒です)。大体一〜二個残るので、後日、割《さ》いてパスタの具にするのがまた楽しみです。ニンニクとブロッコリーと玉ねぎ、マッシュルームかエリンギのキノコ類が入れば文句なし。あとは適当に塩とかコショウとかドライハーブなんかで味付けします。ああ、思い出したら食べたくなりました。この文庫の発売日が十二月二十五日(佐藤聖《さとうせい》の誕生日)だから、その頃もりもり食べているかも!
でも、お友達のお家のクリスマス・パーティーにお呼ばれした時には、ターキーの丸焼きをご馳走《ちそう》になりました。何だろう、大きい料理ってテーブルにどどーんと置かれるだけで、妙に興奮しますね。もちろん味も最高! そのお宅では、小さく切り分けて(男性の仕事だそうです)パンに挟んで食べるんですよ。おいしかったな〜(本文だけじゃなくて、あとがきでも食べ物の話をしてますね、私)。
ところで。
小森谷《こもりや》家(筒井《つつい》家・大場《おおば》家・朝倉家の総称)は小笠原《おがさわら》邸には遠く及びませんが、東京では結構広い家という設定です。
百たちが家の中を歩き回るので、必要に迫られて家の見取り図も作ってみましたが、専門家ではないので矛盾点《むじゅんてん》とかありそう。まあ、部屋の位置関係を把握《はあく》できればいいかな、という覚え書き程度のものですので、こちらは載せません。
古い洋館なので、たぶん何度も改築とかしていると思います。離れもありますしね。その時代時代で、住む人に合わせてちょこちょこ直していったんじゃないかな、と。
その広い家を掃除するのは大変そうですが、どうしているんでしょう。
エピソードとして出てこなくても、そういう表に出ないことを考えるのは楽しいもので、なんとなく私の中では解決しています。
お手伝いさんはいないみたいだから、普段は家にいる柳子《りゅうこ》さんと椿《つばき》さんが手分けして一階の掃除をする。
二階は若い者たちでやりなさい。でも、一週間に一回ってところかな。やるとして。意外と修《しゅう》ちゃんが一番掃除機をかけそうな気がします。で、一番やらなさそうなのは環かな。いいや、香也《かや》さんか!
他にも、信五郎《しんごろう》さんは定年退職して家にいるみたいだけれど、家で何しているのかな、とか。桐子《きりこ》さんてどんな人だったのかな、とか。百のお父さんのこととか……。考え出すときりがありません。
そういうこぼれた話を集めるのも面白《おもしろ》いかもしれませんが、ここでちょこっと書いたから、満足しちゃったかも。だから『|私の巣《マイネスト》2』はいつですか、って催促《さいそく》はなしですよ(笑)。
お馴染《なじ》みのメンバーもチラチラですが出てきます。
百が一年椿組、環が二年藤組なので、百の教室には瞳子《とうこ》や乃梨子《のりこ》がいるし、百と乃梨子の会話に志摩子《しまこ》の話題なんかも出るわけです。
『|私の巣《マイネスト》』は約一年を通しての家族の物語です。
そんなわけで、時間的には前巻『リトルホラーズ』を追い抜いてしまいました(番外編なのに!)。
ラストの六話目に乃梨子や瞳子が出てきますが、大した話(妹問題とか)はしていないのでフライングにはならないでしょう。
一冊で一年というのも、このシリーズでは異例ですね。
[#地から1字上げ]今野緒雪
底本:「マリア様がみてる 私の巣」コバルト文庫、集英社
2010(平成22)年1月10日 第1刷発行
入力:暇な人z7hc3WxNqc
2009年12月31日作成
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このテキストは、Share上で流れていた
(一般小説) [今野緒雪×ひびき玲音] マリア様がみてる 第35巻 「私の巣」.zip 白百合lPvqOensU9 27,392,400 28cfbeb4441b5aa5d72fa7439164d78e75efc0c2
をOCRソフトでスキャンし、それを校正して仕上げました。
毎回非常に綺麗なスキャン画像を流してくれる白百合lPvqOensU9氏に感謝いたします。
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底本の校正ミスと思われる部分
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底本34頁17行 ではくてお祖父さまの再婚相手だそうだ。
ではなくて
底本132頁1行 百ちゃんががそんなに楽しみに
がが?
底本168頁13行 蓑虫《いもむし》みたいな状態
みのむし
底本173頁15行 「それゃそうだけれど」
それゃ?