マリア様がみてる
キラキラまわる
今野緒雪
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)乙女《おとめ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)遊園地という場所|柄《がら》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)らしくない[#「らしくない」に傍点]物
-------------------------------------------------------
[#挿絵(img/30_000.jpg)入る]
もくじ
晴れ のち ところにより
軽い気持ちと自己嫌悪
一方 この二人は
スターアップ ティーカップ
どういう組み合わせ
遠くのぞむ
星くずの中
あとがき
[#改ページ]
[#挿絵(img/30_004.jpg)入る]
[#挿絵(img/30_005.jpg)入る]
[#地付き]イラスト/ひびき玲音
[#改丁]
マリア様がみてる キラキラまわる
[#改ページ]
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
さわやかな朝の挨拶《あいさつ》が、澄みきった青空にこだまする。
マリア様のお庭に集《つど》う乙女《おとめ》たちが、今日も天使のような無垢《むく》な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
汚《けが》れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは| 翻 《ひるがえ》らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在していようはずもない。
私立リリアン女学園。
明治《めいじ》三十四年創立のこの学園は、もとは華族《かぞく》の令嬢《れいじょう》のためにつくられたという、伝統あるカトリック系お嬢さま学校である。
東京都下。武蔵野《むさしの》の面影《おもかげ》を未だに残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、幼稚舎《ようちしゃ》から大学までの一貫《いっかん》教育が受けられる乙女の園《その》。
時代は移り変わり、元号《げんごう》が明治《めいじ》から三回も改まった平成《へいせい》の今日《こんにち》でさえ、十八年通い続ければ温室育ちの純粋|培養《ばいよう》お嬢さまが箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な学園である。
まわる、
まわる。
クルクル回る。
お姉さまが、友達が、妹が。
その顔が、
キラキラとほほえみ、
ピカピカに輝く。
きっと、明日も明後日《あさって》も、
たぶん何年経っても忘れない。
今日の日のこと。
楽しかったね、って。
ずっと。
[#改ページ]
晴れ のち ところにより
三月|某《ぼう》日(日曜日)。
この日の午前十時半、とある遊園地の正面入り口付近に現れた十人の若者たちは、まるで示し合わせたように、一様《いちよう》に「ごきげんよう」とは言い難い表情を浮かべていた。
遊園地という場所|柄《がら》、カップルや興奮気味の子供たちがはしゃぐ中で、その一団だけ明らかに浮いていたといっても過言《かごん》ではなかった。
どこから話したらいいのだろう。
そうそう、全校生徒参加型の『三年生を送る会』の後、内々で祥子《さちこ》さま令《れい》さまのお別れ会を行ったのは昨日の土曜日のこと。
一年生たちが隠し芸を披露《ひろう》してくれたり、ダンスを踊ったりして大いに盛り上がったのだけれど、もちろんその楽しい時間は永遠に続くわけもなく、見回りにきた守衛《しゅえい》さんに「早く帰るように」と注意されて閉会した。
現実とはそんなものだ。
みんな去りがたくて自分から「帰る」と言いたくなかったから、むしろ外からきっかけをもらってよかったのだ。でなければ、夜の七時や八時になっても学校に居座り続けていたかもしれない。
そんなこともあって、帰り道では、翌日に控えていた祐巳《ゆみ》と祥子さまの遊園地デートにみんなで押しかけちゃおう、という空気になっていた。それならばクリスマスパーティーに参加していた人たちにも声をかけるのが筋だとばかり、校門近くの電話ボックスで武嶋《たけしま》蔦子《つたこ》さんと細川《ほそかわ》可南子《かなこ》ちゃんに電話をかけた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
『え? 何? どういうこと?』
電話の向こうで、蔦子さんは何度も聞き返した。当たり前だ。お別れ会の席で、祥子さまが突然提案したそのことは、その場にいた人間でさえすぐには理解できなかった。
自分たちは明日遊園地に行くから、来たい人はどうぞ、って。でも待ち合わせして集合したりはしないから、各自ご自由に、って。
そりゃ、耳も疑うってものだ。電話だから、耳から入ってくる情報しかないわけだし。
「だからね」
祐巳が根気よく説明すると、やっと(少しは)わかってもらえたようだ。自分に声がかかった理由も。みんなで遊園地に行くという話が去年のクリスマスパーティーで出たからということは、やはり忘れていたようだ。
『いつ話が出たのかは失念していたけれど、遊園地に行くっていう話は覚えていたわよ』
本当か、と思いつつも祐巳は、いや、嘘《うそ》じゃないんだろうなと結論づけた。だってクリスマスパーティーで「皆さんもご一緒に」と祥子さまが誘った時、一番先に返事をしたのが蔦子さんだったからだ。大きな声で元気よく「是非《ぜひ》」と。
『行くかどうかはこれから検討《けんとう》するけれど』
蔦子さんの言葉に、祐巳は「もちろん」とうなずいた。ご自由に、だから出欠の返事などはいらない。
『じゃ、他に連れていってもいい?』
祐巳は受話器をフックに掛けながら、蔦子さんは笙子《しょうこ》ちゃんを誘う気なのかもしれない、と思った。
続いて電話した可南子ちゃんは、留守《るす》だった。お母さんも出かけているのか、十回呼び出しコールをしても誰も電話に出なかった。
「帰ったら、私が自宅から電話してみます」
瞳子《とうこ》がそう申し出たので、任せることにした。以前は天敵とか犬猿《けんえん》の仲とか言われていた瞳子と可南子ちゃんだけれど、いつの間にかすっかり氷解《ひょうかい》して、穏やかな仲になっている。二人とはクラスメイトである乃梨子《のりこ》ちゃんも、「それじゃお願い」と瞳子に一任した。
「菜々《なな》ちゃんはどうするの?」
志摩子《しまこ》さんが、由乃《よしの》さんに顔を向けた。別に由乃さんが保護者というわけではないのだけれど、何となく由乃さんに尋《たず》ねてしまうのは、菜々ちゃんが一番由乃さんの妹に近い存在と思われるからなのだろう。
「菜々は――」
由乃さんは口ごもった。一瞬令さまの方に視線を向けかけたが、すぐにそらした。一方、令さまはというと、由乃さんのことを見ている。すごく、見ている。
「クリスマスパーティーの参加者に声をかけるとすると」
祥子さまが、由乃さんに尋ねた。当然、菜々ちゃんにも電話をかけるものではないか、と。
「でも、菜々は私たちと立場は違うわけですし」
もうすぐ卒業とはいえ、菜々ちゃんはまだ中等部の生徒だ。ほんの少し校舎が離れているだけだが、中等部と高等部を分ける目に見えない壁は、結構厚くて高い。
「そうね……」
高校生が中学生を遊びに連れ出す。確かに、何となく「いいのかな」という気になってくる。
「仲間内で遊ぶというのは、自分のお小遣いを使うということなわけだし」
やはり、軽々しく誘えない。由乃さんが躊躇《ちゅうちょ》するのもうなずける。しかし、だからといって菜々ちゃんにだけ黙って行くのは、やっぱり何となく気が咎《とが》める。
「家に帰ってから、電話してみます」
由乃さんの言葉に、一同うなずいた。電話ボックスでひしめき合いながらではなく、落ち着いた場所で話をする方がいい。そして、その話がどういう風に転がろうと、最後は由乃さんの決断に委《ゆだ》ねようというわけだ。
菜々ちゃんのことを一番よく知っているのは、この中では由乃さんだ。菜々ちゃんのことを考えられるのも由乃さんだって、みんなそう思っている。
「参考までに。祐巳さんたちは、明日何時あたり遊園地に着くつもりでいるの?」
話題を変えるように、由乃さんは校門をくぐりながらカラリと表情を明るくして質問してきた。
「何時あたり……」
実はまだ、具体的に待ち合わせ時間とか決めていない。「どうしましょう」という意味で祐巳が祥子さまをチラリと見ると、代わりに祥子さまが答えた。
「私たちは、開園と同時に入場できたら、って思っているの」
おおっ。さすがは祥子さま、リベンジと宣言しているだけに気合いの入りようが違う。
「了解《りょうかい》しました」
由乃さんは右手で令さまの腕をとり、左手で敬礼のポーズをとった。
「了解しなくていい、ってば。最初から祥子たちのデートを邪魔《じゃま》する気?」
手を振りほどいて、令さま。調子に乗るな、という感じで、由乃さんの額《ひたい》を指でちょんと弾《はじ》いた。
「参考までに聞いただけなのにー」
「参考に、ってさ。私たちもそれに合わせて家を出たら、同じ電車になっちゃうかもしれないでしょ」
迷惑だ、いや偶然|一緒《いっしょ》になるんだったらいいじゃないの、それって偶然って言わないよ、――などと仲よく痴話《ちわ》げんかをしているところ恐縮であるが。
「絶対に、一緒にはならないと思います」
祐巳は、黄薔薇姉妹の間に入ってそう告げた。
「そりゃ。同じ車両にまでなるっていう確率は、低いとは思うけれど」
そこまで言って、令さまは「ん?」って顔をした。祐巳の「絶対」っていう言葉に、引っかかったのだろう。
「私と祐巳は車で行くのよ」
今度は、祥子さまが言った。すると、すかさず由乃さんが聞いてくる。
「何ですとっ、お二人は小笠原《おがさわら》家の運転手さんが運転する黒塗りの自家用車でっ!?」
「違う、違う」
祐巳は、手と首を同時に振った。
「じゃ、タクシー!?」
健康な高校生が遊びに行くのに、タクシーって。いくら天下の小笠原家のお嬢《じょう》さまとはいえ、それはない。
「柏木《かしわぎ》さんが一緒なの」
柏木さんは、お隣の花寺《はなでら》大学に通う学生である。実際に乗ったことがなくても、彼の赤い車とダイナミックな運転テクニックは、仲間内では有名な話である。
「なーんだ」
と、何てことはない種明かしを聞いてまず脱力した後で、一同は、改めて柏木さんの名前を噛《か》みしめてから、ノリ突っ込みみたいに「えーっ」と叫んだ。
「二人きりじゃなかったの? 何で三人で行くの?」
「いや、三人じゃなくて。うちの弟も一緒だから」
「祐麒《ゆうき》君も? 何なの、それ」
柏木さん一人だってよくわからないのに、その上祐麒までも加わっては、混乱するのは当たり前だ。
「ダブルデートですか?」
黄薔薇姉妹に混じって、乃梨子ちゃんも質問してきた。
「身内だよ?」
片や祐巳の弟、片や祥子さまの従兄《いとこ》である。そんなロマンチックなものじゃない。
単に、これは祥子さまのリベンジだから。秋に行った時と同じ状況を作って、やり直そうという主旨《しゅし》のもと、柏木さんと祐麒を誘うことにしたのだ。
そこのところは祥子さまのプライドにも関わってくる話だから軽く流して、以前行った時にまた一緒に行こうということになっていたのだ、というような説明に留めたのだけれど。
「柏木さんの車じゃ、私たちと一緒になりようもないわね」
令さまは由乃さんをふふんと見た。まあ、そうだ。小型のバスでも出さない限り、声をかけた人間全員の収容はできない。そういう意味も含めて、祥子さまは「私と祐巳」以外の人たちは自由参加としたのだろう。
「その代わり、水入らずにもならないけれどね」
負けず嫌いの由乃さんは、明後日《あさって》の方を向いて言った。
「瞳子は、どうする?」
ここにいる全員は無理として、あと一人なら車に乗れる。柏木さんが車を出してくれるのなら、彼の従妹《いとこ》である瞳子にも、すでに声がかかっているかもしれない。秋に遊園地に行った時、柏木さんは当初祐麒でなく瞳子を誘ったという話だったし。
「お気遣いなく。行けるかどうかも、家に帰ってからでないとわからないので」
「あ、そう」
運転席に柏木さん、助手席には祐麒、後部座席は紅薔薇三姉妹でワイワイおしゃべりしながらドライブする、という図を早々と祐巳は思い浮かべていたのだが。確かに今日言って明日出かけるというのは、そんなに簡単にはいかないことだ。普通は親の許可をとってからが、正しい高校生の行動であろう。祐巳だって、ちゃんとお父さんとお母さんに話をしてある。
「あ。バスが」
志摩子さんがつぶやいた。車道を見れば、おでこに『M駅』と書かれたバスが、バス停目指して滑り込んでくるところだ。由乃さんと令さま以外が、一斉に走り出す。幸い、先に待っていた生徒がいたから、手を振ったりして大げさにバスを止める必要はなかった。
「じゃ、明日」
「ええ。現地で」
バスの中と外で、声をあげながら、どちらもたぶん「本当に会えるのか?」と思っているに違いなかった。
明日の日本は、全国的に日曜日。
その上、関東地方の天気は曇りのち晴れ。
絶好の行楽|日和《びより》なのだった。
そして、一晩なんてあっという間に過ぎて、今日の日を迎えた。
天気予報で確認するまでもなく、東の窓からはサンサンと明るい日が差している。昨日の朝の段階では、「日曜日は曇りのち晴れ」って言っていたのに。すでに晴れちゃっている。まさに、SUNSUNである。
「遠足だったら、両手を挙げて喜ぶところなのになぁ」
腕組みして新聞の天気予報|欄《らん》をじっと見る。一日中晴れマーク。これは、相当混みそうだ、遊園地。
「雨よりいいだろう。大雨だと中止になる屋外のアトラクションもでるだろうし、中止にならなくても乗ったら濡れるぞ」
自分の荷物を持って二階から下りてきた祐麒《ゆうき》が、眉間《みけん》にしわを寄せた。
「そりゃそうだ」
一つ伸びをしてから、祐巳《ゆみ》は笑った。お姉さまとデートなのだ。雨が降っていようと楽しいはず。なのに、晴れているんだから。文句を言ったら罰《ばち》が当たる。混んでいる遊園地、ドンと来い。待ち時間は楽しいおしゃべりタイムだ。――てな感じで、気持ちはどんどん盛り上がっていく。
もうじき八時。だいたい八時頃に、福沢《ふくざわ》家の前まで迎えに来てくれるという話だった。自動車だから、道路の状況などにより、多少前後することはあるだろう。
「悪いね、祐麒」
リモコンをいじってテレビの予約録画をしている弟に、後ろから声をかけた。すると振り返りもせずに、「何が?」という声。
「私のお姉さまにつき合わせちゃって」
「ああ」
祐麒は、テレビの電源を消してからこちらを向いた。
「前回あんな感じでお開きになったから、俺も気になってたし。祥子《さちこ》さんの気持ち、わからないでもないし。それに、遊園地は嫌いじゃないからさ」
「……うん」
我が弟ながらいいヤツじゃん、と嬉《うれ》しくなって、思わず肩をポンポンと叩くと「何だよ気持ち悪いな」と逃げられた。小さい頃は、鬱陶《うっとう》しいくらい祐巳の後をついて回っていたくせに。この仕打ちはないだろう。
「ねえ、祐巳ちゃん。祥子さまと柏木《かしわぎ》さんがいらっしゃるのよね? 一度、家に上がっていただいて、お茶とかお出しした方がいいんじゃないの」
トイレから出てきたお母さんは、はめていたゴム手袋を脱いだ。その様子から推理するに、どうやらトイレ掃除《そうじ》をしていたらしい。
「いいって、いいって」
祐巳は右手を振った。
「車が心配なら、今日は日曜だから、お父さんの事務所の駐車スペースに止めてもらっていいぞ」
お父さんまで。福沢両親は、一見好青年の柏木さんを気に入っているのだ。祥子さまのことは、最初は娘の洗脳から、一度会ってからは自発的に、スターを愛《め》でるように崇拝《すうはい》してる。そんなわけで、子供たちだけでなく自分たちもちょっとは仲間に加わりたいようなのだ。
「そういう問題じゃなくて、開園時間に着くように計算してうちに迎えに来てくれるんだから」
家に上がってもらったりしたら、軽く三十分や一時間は経ってしまう。もちろん、少しは時間に余裕《よゆう》をもっているはずだけれど、それは渋滞に巻き込まれる可能性とか考えてのゆとりであって、福沢家でまったり過ごすための時間ではない。
「そう?」
言いつつお母さんは、トイレのタオルを、来客用のちょっといい物に交換した。そうは言っても念のため、らしい。
「そうやって見ると、あなたたち、本当にそっくりね」
そろそろ来るかなと、二人して上着をきると、お母さんが笑った。ジーパンにピンクの花柄《はながら》のカットソーと、ジーパンに焦げ茶のTシャツだけの時には気にならなかったが、確かに二人とも同じような色合いのジージャンを上に羽織《はお》ると、まるで合わせたみたいに似たような格好になるのだった。でもって、もともと同じ作りの顔がそこについているものだから、規格品みたいで面白かったらしい。自分の産んだ子供二人を交互に指さしながら笑うんだから、無邪気《むじゃき》というか無責任というか。
「変えてくる」
ムッとした祐麒が、階段を駆け上っていく。
「ほら、気にしちゃった。ああ見えて、祐麒って繊細《せんさい》なんだから」
「ホントね。誰に似たのかしら」
少なくともあなたじゃないでしょう、と喉《のど》もとまで出かかった言葉を、祐巳はギリギリ押しとどめた。
福沢家のインターホンが鳴ったのは、祐麒が着替えを済ませて二階から下りてきたのと、ほぼ同時だった。
「はい」
自動車が止まるような音が聞こえたので、インターホンの前でスタンバイしていた祐巳はすぐさま応答ボタンを押すことができた。
『小笠原《おがさわら》です』
「はいっ。ただ今」
お姉さまの声に舞い上がりながら、バッグを肩に掛けて玄関へと急ぐ。当然というように、お父さんとお母さんが後からくっついてくる。ご挨拶《あいさつ》を、というわけだ。
祐麒は、一足先に上がり框《かまち》にお尻を載せてスニーカーの靴紐《くつひも》を結んでいた。ジージャンの替わりにベージュっぽい合皮のブルゾンなんて、らしくない[#「らしくない」に傍点]物を着ていた弟を「邪魔《じゃま》邪魔」と端に避けさせて、祐巳もスニーカーに足を突っ込んだ。トントンとつま先をたたきに打ちつけると、ドアノブを回して急ぎ飛び出す。
「おはようございますっ」
門の前には、柏木さんと祥子さまが立っていた。
「おはよう」
「今日はよろしくね」
悔《くや》しいけれど、認める。端《はた》から見れば、間違いなく美男美女カップルだ。それに比べて、と追いついた祐麒にチラリと視線を向ける。
「どうも、っす」
門を挟《はさ》んでこっちは、揃《そろ》ってタヌキ顔のちんちくりんコンビ。遺伝子の違いが、こうまで差をつけるかね、って感じだ。美男美女も、ジャケットにジーパンというスタイルである。
祥子さまと柏木さんが、祐巳の背後辺りを見て同時に「あ」という顔をした。振り返るまでもない。福沢両親の登場だ。
子供たちがご迷惑かけるかもしれませんが。いえいえ、こちらこそ。そんな世間一般の挨拶《あいさつ》を交わした後、車に乗り込むことになった。
「あれ?」
今度は福沢一家が同時に声をあげた。
「柏木君。車買い換えたのかい?」
最初に尋《たず》ねたのは、お父さんだった。そうなのだ。公道に止まっている自動車は、いつものあの唐辛子《とうがらし》みたいな赤い車じゃなかった。
「いえ。これは僕のじゃなくて、小笠原の祖父の車なんです。女性を乗せるのだったら、頑丈《がんじょう》な車にしろと貸してくれました」
「小笠原|財閥《ざいばつ》の会長の車か。どうりで――」
お父さんはその後言わなかったけれど、たぶん「高そう」と思ったのだろう。祐巳なんか、「深緑か濃紺《のうこん》かな」なんて色のことと「左ハンドルだ」くらいのことしかわからなかったけれど、多少なりとも車の知識がある人には、その車がどれくらい価値のあるものかは一目瞭然《いちもくりょうぜん》らしい。
「中古ですけれどね」
祥子さまが言った。
そうそう。そんなに新しくなさそうだということは、祐巳にもわかった。前の方と横の方に、軽いひっかき傷みたいなものがついていたからだ。
「取りあえず、祐巳と祐麒さんは後ろに乗って」
「えっ?」
当然、後部座席にお姉さまと二人で収まるものと思っていた祐巳は、ちょっとガッカリした声をあげた。
「取りあえずって言ったでしょ? 途中席替えもあるから。ほら、後ろから車が来ている」
「はい」
そう言われて「それでも」と駄々《だだ》をこねられるものでもなく、渋々祐麒と一緒に後ろに乗り込む。
「では、行ってきます。帰りもちゃんと送り届けますので」
柏木さんは福沢夫妻に頭を下げてから、運転席に収まり、それから素早く椅子《いす》の位置とミラーの角度を直した。助手席の祥子さまは、シートベルトを締めてから、「じゃ、優《すぐる》さん」と冷ややかにGOサインを出す。
柿《かき》ノ木《き》さんの家の角を曲がって、手を振っていたお父さんとお母さんの姿が見えなくなると、祥子さまが言った。
「この辺りで、車を止められる広い道はないかしら」
「は?」
出発早々、どうして車を止めなくちゃいけないのだろう。質問する前に、柏木さんが窘《たしな》めるように「さっちゃん」と言った。彼は、祥子さまがなぜそんなことを言い出したのか、理解しているようだ。
「ねえ、祐巳。どうかしら」
柏木さんを無視して重ねて聞かれたので、取りあえず祐巳は祥子さまを優先することにした。
「広い道、ですか」
あったっけ、と右隣を見れば、祐麒は苦悩するような戸惑うような複雑な顔をしている。
「どうしたの?」
スタートして一キロも走っていない。っていうか、まだ大通りにさえ出ていない。いくら柏木さんの運転が乱暴でお馴染《なじ》みとはいえ、車酔いするには早すぎる。
「嫌な予感が」
祐麒は声をひそめてつぶやいた。
「へ?」
今、「嫌な予感」って言葉が聞こえた気がしましたけれど、聞き間違いでしょうか。祐巳はその後の言葉を聞き漏《も》らすまいと、右耳に手を添えて弟の声を注意深く集音した。
「だから俺としたら、このままノンストップで遊園地まで行ければ、と願っているんだけれど」
ということは。どうやら、さっきの「嫌な予感」は間違いではなかったらしい。しかし。
「どういうこと?」
祐巳は聞き返した。だって、今度は意味がわからない。
「ユキチの嫌な予感ね、たぶん合ってるよ」
柏木さんが、ハンドルを切りながらボソッと言った。
「失礼ね」
祥子さまが憤慨《ふんがい》したように声をあげる。
何だ、何だ。祐巳は前と斜め右前と右横をキョロキョロしながら、必死になって置いていかれないようヒントを探した。しかしここに一人、遭難《そうなん》しかかっている人がいるというのに、話はどんどん進んでいく。
「このまま車を止めずに行くのに賛成の人」
柏木さんの質問に、祐麒が元気よく「はーい」と手を上げる。
「じゃ、反対の人」
今度は祥子さまが手を上げる。何のことかわからない祐巳は、当然どちらにも手を上げられなかった。
「二対一だ」
「祐巳っ、お姉さまである私に同意しなさい」
「えっ。でも」
何のことかわからないのに、同意って。そしてお姉さまに同意するということは、即《すなわ》ち、祐麒と柏木さんの言う「嫌な予感」が起こる可能性がある方に、一票投じるということになるわけで。
「有効票は三だ」
「待って。祐巳の票は、まだ無効票って決まったわけじゃないわよ。意味がわからないで目を白黒している人間が、すぐに決断できるわけがないじゃないの」
だったら、決断できるように誰かちゃんと説明してください。さっきから、祐巳が目で訴えているのに気づいてくれなかったくせに。
「状況を理解した祐巳ちゃんが、果たしてさっちゃん側につくかな」
柏木さんが鼻で笑った。
「まあ。何てことを言うの」
しかし、祥子さまが文句を言うだけで説明をしないところをみると、柏木さんの説はあながちはずれではないということかもしれない。
このままでは埒《らち》があかないと判断したのか、祥子さまはついに強硬手段に出た。
「車を止めないと、そのハンドルをつかんで好き勝手に動かすわよ」
言葉の脅《おど》しだけでなく、本当にハンドルに手を掛ける。柏木さんの両手が十時十分、つまり時計でいうと2と10[#「10」は縦中横]の位置だとすると、祥子さまの手がグイッと握ったのは4あたりだ。
「わー!」
祐麒が叫ぶ。
「ストップ! ストップ! わかった。ちゃんと止められる場所を探すから」
滅多《めった》なことでは顔を崩《くず》さない柏木さんが、情けない顔をして懇願《こんがん》した。まるで、破裂寸前の大きな風船を手渡されたお笑いタレントみたい。ということは、祥子さまはパンパンにふくれた風船か。――なんて考えてから、祐巳はやっとこの事態を「大変じゃない」って気づいた。これは、ハイジャックならぬカージャックである。
祥子さまがハンドルをいじって車がどこかに突っ込んだりしたら、助手席にいる祥子さまだって巻き込まれるのだからやるはずはない、なんて冷静な判断ができるようになるのは、後から振り返ってみた時である。現在進行形では、そんな余裕《よゆう》はまったくない。
柏木さんは、大通りに出て少し行った所にあったガソリンスタンドを見つけ、そこにようやく車を滑り込ませた。給油スペースに車を止めて、ようやくホーッと息をつく。
「ハイオク、満タン」
窓を開けて従業員の男の子に告げてから、祥子さまを振り返った。
「無茶するなよ、さっちゃん」
「約束を守らない、優《すぐる》さんが悪いのではなくて?」
ハンドルから手を離して、祥子さま。そこまで手を離さなかったしぶとさは、相当なものである。
「悪い、ユキチ。意気地《いくじ》なしの僕を許してくれ」
柏木さんは、エンジンを止めてから後部座席を振り返った。
「いいえ。先輩はがんばりました」
「わかってくれるか」
「その戦いぶりは、一部始終見せていただきましたので」
「ユキチ!」
「先輩!」
男二人で、なに手を握り合っているんだか。――祐巳が訝《いぶか》しんで見ていると。
「グチャグチャ言ってないで。さ、席替えよ」
祥子さまがシートベルトを外した。
「え、席替え?」
祐巳のツインテールが弾《はず》んだ。そう言えば「途中席替えもある」って、さっき祥子さまが言っていた気がする。何だ、そういうことか。お姉さまは早く祐巳の隣に来たくて、車を止められる場所を探していたのだ。
(ん?)
でも、そうすると嫌な予感って? 柏木さんや祐麒が反対する理由って?
「やれやれ」
柏木さんも、シートベルトを外した。ガソリンスタンドの中で何か買い物でもしようっていうのか。それとも、会計は一旦車から出ないとできないのか。いや、そんなことはない。お父さんは窓を開けてカードを出して済ませていたぞ、とか祐巳がグルグル考えているうちに、祥子さま同様柏木さんは車外に出てしまった。
「あれ、祐麒は?」
席替えなのに一向に動こうとしない弟は、呆《あき》れたように軽くため息をついた。
「祐巳はさ。ごくたまに冴《さ》えることがあるけれど、大概《たいがい》は鈍いよな」
「何、それ」
「席替えの意味、わかってねえだろ」
「え、だって席替えでしょ?」
祥子さまと祐麒の席をチェンジ、と祐巳は左右の人差し指をクロスさせてみる。
「違うよ」
「え、じゃあ」
祐巳と祥子さまの席をチェンジ、とか。だから祐麒が動かないのか。でも、祐巳が助手席に移動する必然性がわからない。
「……他にもあるだろうが」
「他?」
そう言われたって。柏木さんは運転席にいなくちゃいけないわけだから、助手席と後部座席以外にチェンジする場所はない。後部座席の左右をチェンジするってパターンもあるかもしれないけれど、どうして左右を替えないといけないんだ。
(あれ)
ちょっと待て、と頭のどこかで警笛《けいてき》が鳴った。
(じゃ、何で柏木さんが席を立つの?)
たった今立ったその席は、運転免許証という特別なカードを所持している人のみが着席を許されている、特別なシート。譲《ゆず》ってもらっても、祐巳はガソリンスタンド内で椅子《いす》の座り心地《ごこち》を確かめるくらいはできても、ハンドルを握って公道を走らせることはできない。法律的にも、技術的にも。当然、祐麒も。そして――。
「あ」
突然、過去の映像がフラッシュバックした。
(どうだ!)
そう言って、水戸黄門《みとこうもん》の印籠《いんろう》のように目の前に突きつけられた運転免許証。あの時の佐藤《さとう》聖《せい》さまは、まだ高等部に在学中だった。
「えっ!?」
まさか。まさか!
「遅いよ」
祐麒がつぶやいた時、祥子さまが祐巳の前、つまり前方にある二つの座席のうちハンドルのついている方の椅子に、それは優雅に腰を下ろしたのだった。
お姉さまが、運転席に着席した。そして、すぐにシートの位置とミラーの位置を調整する。それは、先程|柏木《かしわぎ》さんが福沢《ふくざわ》家の前でしていたのとまったく同じ行動だった。
「お、お姉さまっ!?」
焦《あせ》っている間に、車外で従業員にカードとか渡していた柏木さんが戻ってきて、前方にある二つの座席のうち空《あ》いている席、つまりハンドルのついていない方の椅子《いす》に腰を下ろした。
「祐巳《ゆみ》、安心しなさい。ちゃんと免許は持っているから」
ああ、もう。いつぞやの誰かさんと、まったく同じことを言って笑うんだから。水戸黄門《みとこうもん》の印籠《いんろう》ポーズまで寸分違《すんぶんたが》わず。突き出された運転免許証には、麗《うるわ》しの小笠原《おがさわら》祥子《さちこ》さまのお写真が。ほんの少し、緊張気味に写っている。
「あの。いつ、免許をお取りになったんですかっ」
「えーっと。先先週の金曜日よ。私、学校休んだでしょう? あの日」
確かに。休まれました。そして祐巳は、お姉さまの欠席理由を聞いていなかった。
「じゃ、柄《がら》にもなく何か勉強なさっていたご様子だったのは――」
「あら。気がついていて? ペーパー試験の問題集をね。あればっかりは、試験勉強をしないわけにはいかなかったのよ。引っかけとかあるらしいし、慣れというかコツがいるの」
それが、三奈子《みなこ》さまが言っていた「祥子さんの奇行」の正体であり、金曜日を挟《はさ》んでそれが「ピタリと止《や》んだ」理由である。
「教習所とか……」
「ええ。もちろん通っていたわよ。生徒会役員選挙の後くらいからかしら。学校がある日は、夕方から。後は土曜日の午後とか日曜日に集中して」
さっさと下校していたのは、そのためか。
「じゃ、柏木さんが小笠原家に通っていたっていうのも――」
「あら。いろいろ気にかけてくれていたのね」
祥子さまは、何だか嬉《うれ》しそうだ。
「家庭教師だよ。絶対に一回で合格するって意気込んでさ、仮免《かりめん》前とか、本試験前とかに練習につき合わされたんだよ」
「祐巳をビックリさせたくて、黙っていたのよ」
ならば、その計画は大成功だったといえる。祐巳は相当ビックリしている。
「そんな顔をしなくても大丈夫《だいじょうぶ》よ。家から祐巳のお宅まで無事故で来たんですからね」
「事故があったら大変ですよ」
どうして福沢家まで祥子さまが運転してきたのに福沢家からは柏木さんにチェンジしたかというと、免許取り立ての人間が運転すると知ると、福沢両親が心配するだろうという配慮《はいりょ》から、らしい。実際、祐巳だって知らなかったわけだし、出発前に家の前でバタバタするのもどうかと思ったのだろう。頃合いを見計らって祥子さまに交替する、そういう約束のもと柏木さんがハンドルを握ったわけだ。しかし、福沢姉弟を後部座席に乗せて走り出した途端、柏木さんは弱気になった。このまま遊園地まで自分が運転した方が安心なんじゃないか、と。それほどまでに祥子さまの運転は、心臓に悪かったのだろうか。
「祐麒《ゆうき》はいつわかったの」
「先輩が運転席に座った時に、あれって思った」
「うちの前で?」
それは早い。
「そこまで運転してきた人間だったら、シートやミラーの位置を大きく直さないだろう」
「あ、そうか」
今、祥子さまが自分の運転しやすい位置にシートやミラーを調節したのと同様、五分ほど前に柏木さんも変えた。それは、直前に別の誰かが運転していたということにほかならない。
この車で福沢家にやって来た人物は二人。自ずと運転してきた人間の予想はつく、というわけだ。
「今日に限ってお祖父《じい》さんの車っていうのも、気になった」
祐麒の言葉に、柏木さんも笑った。
「無理あるよな」
柏木さんは今までだって、例のあの赤い車に何人も女性を乗せてきたのだ。祐巳が把握《はあく》しているだけでも、祥子さまや祐巳、蓉子《ようこ》さま、瞳子《とうこ》だって乗ったことがあるはず。なのに、今更《いまさら》お祖父さまの車はないだろう。
ガソリンスタンドの従業員の男の子たちが、外から窓ガラスを拭《ふ》いてくれる。三人がかりで、いやに丁寧《ていねい》に磨《みが》くものだと祐巳は不思議に思った。最初、祥子さまがきれいだからかな、と考えたけれど後部座席の窓も同じように時間をかける。どうやら、この車自体に魅力を感じているらしい。そんなに珍しい自動車なのだろうか。
「これ、祥子さんの車ですか」
祐麒が尋《たず》ねた。
「いいえ。言ったでしょう? 祖父のよ」
「ただし。祖父は運転しない。一ヶ月ほど前に、さっちゃんのために買ったんだ」
名義はお祖父さま。でも実質祥子さま専用、ということなのだろう。
ガソリンを入れ終わって、支払いのカードが返されると、従業員たちは名残《なごり》惜しそうに窓から離れた。
「あの」
この先、本当に祥子さまが運転していくのでしょうか。福沢姉弟は、不安げに尋ねた。
「大丈夫《だいじょうぶ》だよ。ちゃんと試験にも通ったんだし」
祥子さまに刃向かうことから「一抜《いちぬ》けた」した柏木さんは、気休めのようなことを言う。でも試験を通って運転免許証を持っている人の運転が絶対に安全ならば、日本の交通事故の量はもっと少なくていいはずだ。
「慎重な運転をするさ。だって、大事な祐巳ちゃんを乗せているんだから。ね、さっちゃん」
「もちろんだわ」
それは、少し説得力があるかも。でも、そうはいっても車を走らせてみないことには、わからない。ハンドルを握ると人格が変わる人がいる、って話も聞くし。
「前方、後方確認」
祥子さまは正面とミラーを指さしてから、ゆっくりと車を発車させた。従業員の男の子が大通りに出て、後続の車を止めてくれる。
「ウィンカー」
柏木さんが指示する。
「わかっているわよ」
左に曲がる合図を出してから、文句を言う祥子さま。
「うるさいわね。ちょっと出すのが遅れただけでしょう」
祐巳はもう、祥子さまの隣に行きたいとは思わなかった。このたどたどしい運転のフォローができるとすれば、一年以上の運転歴がある柏木さんをおいて他にはいないからだ。おまけにこの車には、カーナビという便利な物が付いていない。道案内は、助手席で地図を広げた柏木さんに頼るしかない。
だが。
[#挿絵(img/30_039.jpg)入る]
「もうちょっとスピード上げないと、流れに乗れないよ」
「慎重な運転、って言ったの誰よ」
柏木さんに任せて福沢姉弟がおとなしくしていたら、二人の会話が次第にヒートアップしてきた。
「そんな早くウィンカーを出すことないって」
「さっきは遅いって言ったくせに」
「ちょうどいいタイミングっていうのは、さ」
「ちょっと、黙っていてくれない?」
たぶん、小笠原家から福沢家までの道のりも、このような調子で来たのだろう。
「あー、そこ右だったのに」
「そういうことは早く言ってよ」
「黙っていろって言ったからさ」
「聖《せい》さまが言っていたけれど、あなた、本当に性格悪いわね」
「君が突っかかるからだろう?」
挙げ句の果てに、高速道路で渋滞に巻き込まれ、完全に二人の機嫌が悪くなった。日曜日の午前中、晴れていて絶好の行楽|日和《びより》。渋滞なのは誰のせいでもないのだけれど、ちびちびしか進まない車の流れに、それまでのチリチリにイライラが上乗せされて最悪の空気。前の座席の二人がそんな調子だから、福沢姉弟はその場の空気を盛り上げようと、楽しい話題を振ったりしたのだが、どれもこれも空回《からまわ》りに終わり、結局疲労感のみが残された。
そんなわけで、紅薔薇姉妹と柏木さん祐麒の四人が遊園地に着いた時には、開園時間から三十分も経過していた上に、誰一人いいご機嫌といえる状態ではなかった。
「二時間半も前に家を出てきたというのに、間に合わないなんて」
祥子さまは、車に鍵《かぎ》をかけながら口惜《くちお》しそうにつぶやいた。負けず嫌いの性格が、こんな時にも出る。誰と戦っていたのかは不明だが。
「まあ、遅れたといってもまだ開園から三十分しか経っていませんし」
いい加減お姉さまの機嫌をとるのも疲れてきたのだが、このまま不機嫌でいられてはこちらが楽しくない。
「さ。チケットを買いましょう」
祐巳は祥子さまの手を引いて、正面入り口のすぐ脇にあるチケット売り場へと向かった。何ヵ所もある窓口は、どこも十人くらいの人の列ができていた。振り返れば、駅から続く人波は真っ直ぐそこに向かって流れている。少しでも早く並んで、チケットを買うこと、即《すなわ》ち、少しでも早くアトラクションを体感できるということになる。
とはいえ。これが全部遊園地に入場する人かと思うと、クラクラしてきた。でもって、今見えている人たちはほんの一部にすぎなくて、今より前三十分間にもたくさん入場したはずだし、これ以降も次々と到着するわけである。たぶん。
「あれ?」
渋滞に巻き込まれて大幅に遅刻したというのに、チケット売り場の手前で、見覚えのある人を見つけた。
「祐巳さん……」
長い三つ編みを両肩にたらしたその人は、力なく笑った。
[#改ページ]
軽い気持ちと自己嫌悪
「まさか、待っていてくれた、とか」
そんなわけはないと思いつつ、祐巳《ゆみ》は尋《たず》ねた。
「偶然」
仏頂面《ぶっちょうづら》で、由乃《よしの》さんが答えた。その後ろから現れた令《れい》さまは、祐巳たち四人の姿を見て「ごきげんよう」と挨拶《あいさつ》したものの、やはり晴れやかな表情とは言い難かった。
「けんかでもしたのかしらね」
祥子《さちこ》さまが祐巳に囁《ささや》くまでもなく、黄薔薇姉妹の間の、距離的には二メートルほどの空間には、ピリピリとした変な気が流れているのは明らかだった。
「相変わらずね。いつまで経っても子供みたいで」
ほんのちょっと前まで柏木《かしわぎ》さんと口げんかしていたくせに、祥子さまったら、ずいぶんと高みから物を言う。しかし、ありがたいことに、そのコメントは由乃さんには届かなかったらしい。仏頂面のまま、親指をクイッと後ろに向けて言う。
「偶然組がまだいるわよ」
「へ?」
祐巳が振り返ると、すぐ後ろに蔦子《つたこ》さんと笙子《しょうこ》ちゃん、かなり離れて志摩子《しまこ》さんと乃梨子《のりこ》ちゃんの姿が見えた。
「どうやら、途中から一緒《いっしょ》の電車だったみたいね」
由乃さんが言った。開園三十分後という中途半端な時間に登場の皆さんではあるが、由乃さんが「みたい」と言うからには示し合わせて来たのではないらしい。
「ダイヤ乱れていたの?」
「聞いてないけど?」
ということは、少なくとも由乃さんたちの到着の遅れは、電車のせいではないわけだ。
「バス通りは渋滞していたけれどね」
「ふうん」
バスがのろのろ運転で、乗る予定だった電車に間に合わず三十分のロス。つじつまは合っている。しかし、来るまでの間に起こったことはそればっかりではなかったのではないか、と黄薔薇姉妹の後ろ姿を眺めながら祐巳は思った。渋滞に巻き込まれて遅れただけなら、由乃さんはもっと興奮して「バスレーンの確保」とか「バスの運行本数を増やせ」なんて力説するだろうし、第一温厚な令さまが渋滞ごときでふさぐとは思えない。
それはさておき。祐巳、祥子さま、柏木さん、祐麒《ゆうき》の四人は、当初の決まりで自分のお財布《さいふ》からお金を出して自分の分のチケットを購入した。
とはいえ、今回もオール割《わ》り勘《かん》に決定するまでは一悶着《ひともんちゃく》あった。祥子さまは自分のリベンジにつき合わせるわけだから、祐巳の分も祐麒の分ももつと言って聞かなかった。しかし、毎度のことながら福沢《ふくざわ》両親は「学生のうちは割り勘」主義を曲げないし、両親の教育方針に反して遊びにいけるほど福沢姉弟は大物ではない。結局、柏木さんが車を出すことで、祐巳と祐麒の交通費分を小笠原《おがさわら》家側でもつ、ということで手打ちになった(柏木さんと祥子さまのお財布が一緒のわけではないけれど、一族として両親は納得した)。その時は、祐巳たちも、まさか祥子さまが運転するとは思いもよらなかったわけだが。
一日フリーパスのチケットを買って、正面入り口で待っていると、蔦子さんと笙子ちゃん、志摩子さんと乃梨子ちゃんが合流した。
「あら」
驚くべきことに、そこでやっと白薔薇姉妹は他のメンバーの存在に気づいたようだった。志摩子さんは自分の腕時計を見て「進んでいるのかしら」なんてつぶやく。自分たちは遅れてきたのだから、こんなところで仲間たちに会うとは思っていなかったのだろう。祐巳はチケット売り場で、後方からやって来る志摩子さんに向かって手を振ったりしていたのだが、やはり気づいてもらえてなかったようだ。
しかし。
(何だ、何だ)
この場に漂う、お通夜《つや》のような空気は。
男女取り混ぜ若者十人が日曜の遊園地に揃《そろ》ったのなら、もっと弾《はじ》けていいはずだ。なのにこのグループといったら、栓《せん》を抜いて一時間も放置したようなコーラ並に気が抜けている。まだ入場前だっていうのに、みんなどうした。昨日の夕方の方が、よっぽど弾けていたぞ。
一応「ごきげんよう」と挨拶《あいさつ》をしたものの、誰一人としてご機嫌のいい人はいないように見えた。
黄薔薇姉妹は、どこかでけんかしたとして。志摩子さんのところは、乃梨子ちゃんが妙に無口だ。蔦子さんと笙子ちゃんも、変にギクシャクしている。柏木さんと祥子さまは、渋滞と運転に関わる口げんかによるイライラを引きずっているし、福沢|姉弟《きょうだい》は先輩たちに気を遣いすぎてグッタリしていた。初めから、こんな調子で大丈夫《だいじょうぶ》なのだろうか。
「……そろそろ入場しましょうか」
他の人たちの事情は気になったものの、ここで顔をつきあわせていても埒《らち》があかない。奇《く》しくもほとんどのメンバーが開園三十分後に到着したことで、待ち合わせたみたいに同時入場となってしまったが。
「こうなると、瞳子《とうこ》と可南子《かなこ》ちゃんがいないのが惜《お》しいね」
そもそも、出欠はとらない、会えたら一緒に遊ぶ、という主旨《しゅし》で企画された遊園地デートである。昨日の夕方の時点で可南子ちゃんとは連絡がとれなかったわけだし、瞳子も来るかどうかわからないと言っていた。今が開園時間なら、もう少し待ってみるという道もあるが、開園してからすでに三十分経っているのだ。来る予定でいるのならば、すでに二人が入場していることも考えられる。
「案外、開園と同時に入場していたりして」
「中で会えるといいね」
ならば、『瞳《とう》・可南《かな》を探せ!』というゲームも同時スタートだ。
「あー、汽車が走っている!」
正面ゲートをくぐって間もなく、由乃さんが指をさして叫んだ。
「あれ。あれ、乗らない?」
誰に向かって提案したかというと、祐巳と志摩子さんと蔦子さん。つまり、同学年であるリリアン二年生メンバーである。本来ならば真っ先に笑顔が向けられるべきは、由乃さんのペアである令さまなのだが、完全に無視されている。何が原因でけんかをしたのか知らないが、かなりわかりやすい当てつけだった。
志摩子さんと蔦子さんを引っ張れば、芋《いも》づる式で乃梨子ちゃんと笙子ちゃんもついてくる。そうして由乃さんは、六人グループの先頭を意気|揚々《ようよう》と歩いていく。
「由乃。祐巳ちゃんは祥子と」
あわてて追いかける令さまに、祥子さまが言った。
「いいわよ。どうせそのうちばらけてしまうでしょうから、最初くらいはみんなで楽しみましょう」
「そうそう。汽車なら十人|一緒《いっしょ》に乗れる格好のアトラクションだ。どれ、僕らも混ぜてもらうとしようか」
柏木さんが、祐麒の腕をつかんで笑う。子供じゃないんだからと、その手を振りほどいて、祥子さまと令さまの側について歩く祐麒。年上好みか。
「ほら、園内を走る自動車」
「あ。熊が自転車に乗っている」
十人固まって移動するうち、徐々に会話が増えて、お通夜《つや》は返上。大爆笑はないものの、法事くらいの賑《にぎ》やかさにはなっていった。柏木さんと祥子さまも、その他大勢の人間がクッションになったことで、険悪だったムードが和《やわ》らいできている。たわいもない口げんかであるから、大して根深くはないのだ。
だから、もしかしたら由乃さんも、令さまと二人きりでくっついていたくなかったのかもしれない。白薔薇姉妹や写真部コンビに何かあったのか、なかったのかは知らないけれど、彼女たちも「みんなで汽車に乗る」という提案に即座にのったわけだから、二人だけで楽しみたいという願望はさほどなかったように思われた。
一度に百人以上を乗せることができる汽車は、少しの待ち時間ですぐに順番が回ってきた。さて、問題は席に座る組み合わせだ。普通だったら、一緒に来た者同士がペアになる。つまり、白薔薇姉妹、黄薔薇姉妹、写真部の二人、紅薔薇姉妹に花寺《はなでら》学院組が自然だ。
シャッフルするという方法もなくはないが、すぐにくじを作ることはできないし、誰と一緒に乗りたいと手を上げる人もいないだろう。
「由乃さん、どうしたい?」
一番問題ありそうな人に、意見を聞いてみた。すると。
「いいよ。令ちゃんで」
由乃さんがそう答えた。令ちゃんと一緒じゃ嫌、と言った方が、かえって面倒くさいことになりそうだと判断したらしい。そりゃそうだ。嫌というからには、その理由を言わなければならない。みんな気づいてはいるけれど、まだけんかしたとは一言も口にしていなかった。けんかって、胸を張って言うことじゃないし。
というわけで、全員が一番自然な組み合わせで汽車の客席に収まった。自分は祥子さまの隣にいられて嬉《うれ》しいけれど、由乃さんは楽しいかな、と祐巳は気になって二つ前の席をチラリと見た。
案《あん》の定《じょう》由乃さんは、令さまがいる左隣には一切《いっさい》視線を向けず、右側の景色ばかりを眺めていたのだった。
一つ前の席に座っている幼稚園《ようちえん》くらいの男の子が、「すごい」「すごい」を連発している。
最初は、絵本でしか見たことがなかった(らしい)蒸気機関車に自分が乗っていることに興奮し、動き出せば、大自然を模してギュッと凝縮《ぎょうしゅく》した園内の風景に歓喜し、左右に両親の姿があることを確認しては安心して声をあげる。
(無邪気《むじゃき》でいいこと)
流れる景色を見るとはなしに眺めながら、由乃《よしの》は自分の吐き出した重いため息を流れる風にのせた。うるさいとか、ばかばかしいとか、そんな感想はもたなかった。喩《たと》えるならば、うらやましいとか懐かしい、にむしろ近い。今朝《けさ》、起きたばかりの時は、自分だってあれくらい無邪気で、負けないくらい興奮していたのだ。
昨日遊園地行きが決まってから、楽しくて楽しくてしょうがなかった。令《れい》ちゃんとあれに乗ろう、お昼は何を食べようか、と考えるだけでワクワクして、目覚まし時計が鳴る前に起きてしまったくらいだ。
なのに。
(どうしてこんなことになってしまったんだろう)
どこからやり直せば、今隣にいる令ちゃんの腕をつかんで「ほら見て」「すごい」と前の席の男の子のように無邪気になれるのか、マリア様に教えてもらいたかった。
令ちゃんとの約束は、八時十分だった。
興奮して二時間以上前に起きてしまった由乃が、ゆるゆると朝ご飯を食べて、昨夜から用意していた洋服を一旦着てみて、やっぱりこっちかなと別の服に着替えて、結局最初のに戻ったりとぐずぐず身支度《みじたく》しても、まだ時間は十分に余裕《よゆう》があった。
あまりに時間があまったので、そこに余計なことを考える隙間《すきま》が生まれてしまったのが不幸の始まり。
「ふっふっふ」
たぶん興奮しすぎて、脳みそが沸騰《ふっとう》しちゃっていたんだと思う。思い返せば間違いなく「悪ふざけ」であるのだが、それをやろうと思いついた時には、面白くて面白くて仕方なかったのだ。まるで就学《しゅうがく》前の子供のテンションである。
由乃は、出かける準備をすべて整えると、八時五分になったらベッドに転がり、掛け布団《ぶとん》を頭から被《かぶ》った。
このまま八時十分になっても由乃が家の前に出てこなければ、令ちゃんはいつものように島津《しまづ》家の由乃の部屋まで上がってくる。
(由乃、何やってるの。早く起きな)
令ちゃんが布団《ふとん》をめくったところで。
(ばあー)
もう出かけるだけの姿の由乃が、舌を出す。
(もう、由乃ったら)
(へへへ。驚いた?)
二人は顔を見合わせて笑う。――というのが、由乃の計画だった。
ジャケットを着たまま布団にもぐったから、だんだん茹《ゆ》だってきたけれど我慢我慢。楽しい時間のためには、多少の辛抱《しんぼう》は必要だ。
しかし。
いくら待っても、令ちゃんは部屋に現れない。とっくに五分は経ったのではないか、と布団を少しめくって時計を確認すると、八時二十分。
まさか令ちゃんが寝坊? そう思って布団から身を起こすと、その時お待ちかねの、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。由乃はあわてて布団を被《かぶ》る。
トントンとノックの音がして、すぐにドアが開いた。
さあ来い。
由乃は、ベッドの中で布団をはぎ取られるのを待った。だが。
「何してるの、由乃」
程なく聞こえてきた声は、令ちゃんのものではなかった。
「お母さん!?」
自ら布団をはいで外に出ると、そこに立っていたのは、間違いなく自分を産んでくれた母である。
「令ちゃんはっ!?」
「約束の時間が過ぎたから先に行く、って言い残して行っちゃったわよ」
「えっ」
「早く追いかけなさい。まったく、あんなに早く起きたのに、なに二度寝なんかしているの」
二度寝じゃない、って説明も面倒くさいので、「行ってきます」と言って飛び出した。バス停までの道のりを走りながら、置いてきぼりにしてくれた令ちゃんをこれでもかと呪《のろ》った。
角を曲がった所で、その姿をとらえた。丈《たけ》の短いオフホワイトのトレンチコートからニョキッと出た、ジーンズの長い足がスタスタ歩いている。
「令ちゃんっ」
呼びかけると、令ちゃんは立ち止まった。
「どうして先に行っちゃうの」
文句を言いながら走る。
「約束の時間に来ないからでしょ。私は五分待ったんだよ」
令ちゃんは悪びれもせずに、追いついた由乃の前髪を直した。しまった。布団に潜《もぐ》っている間に、くしゃくしゃになったらしい。
「いつもは迎えに来てくれるじゃない」
ごめんね、って。ここで令ちゃんが言ってくれたら、由乃だって「私こそ」なんて言葉は準備していなかったわけでもない。ないけれど。
「なに甘えているのよ」
そう言われたら、こっちもカチンとくる。
いいじゃない、甘えたって。令ちゃんが卒業しちゃったら、もう、遅刻ギリギリに起こしてもらうっていう、あの定番儀式だってできなくなっちゃうんだから。
でも、令ちゃんはそれを許してくれない。卒業するからこそ、もう頼るなという考えなのだろう。
立場の違いだろうか。旅立つ者は未練を断ち切ろうとし、残される者は引きずるのかもしれない。
「あーっ!」
令ちゃんが叫んだ。たった今、バスが二人を追い抜いていったのだ。バス停には誰も待っていなかった。下りる人もいなかったようで、追いかけてはみたものの、バスはそのまままるで逃げるように小さくなってしまった。
「あーあ」
落胆《らくたん》の声を聞きながら、由乃は言った。
「行っちゃったものは、しょうがないじゃない」
「日曜日は本数少ないんだよ」
令ちゃんは、頭をカシカシとかいた。
「由乃のせいじゃないもん」
「なにっ」
確かに約束の時間に家の前に行かなかったけれど、だからといって令ちゃんは迎えに来てくれたわけじゃない。そりゃ、五分待ったとは言ってたけれど、最後は自分の判断で先に出かけたわけだから、由乃が責められるいわれはない。今だって、そうだ。由乃が呼び止めたって、振り返ったり立ち話したりせずに一人黙々と歩き続ければ、ちゃんとあのバスに間に合ったはずだ。
「……まったく」
令ちゃんは停留所に書かれたバスの時刻表と自分の腕時計を交互に見て、わざとらしいため息を吐いた。ならば、仮に間に合ったなら、由乃が来なくてもさっきのバスに乗ってしまうつもりだったのだろうか。
冷たいよ、令ちゃん。横顔を眺めながら、由乃は下唇を歪《ゆが》めた。こうなったら、向こうから謝ってくるまで口をきいてやるもんか。
次のバスは、二十分近く来なかった。令ちゃんが話しかけてこなかったので、由乃もずっと黙っていた。
やっと乗り込んでも、バスはのろのろ運転でなかなか先に進まなかった。理由はわからなかったけれど、道が混んでいることだけは間違いない。バスのフロントガラスから駅へと続く通りを見れば、大小さまざまな車がぎっしり詰まっている。信号が青になっても、一向に流れる気配がなかった。
「由乃」
約三十分ぶりに、令ちゃんがしゃべった。そろそろ詫《わ》びを入れる気になったのかと思い、由乃は「何?」と隣の席に顔を向けたのだが、令ちゃんの口から出た言葉は。
「私に言うことないの?」
――だった。
「『おはよう、令ちゃん』」
だから由乃は、作り笑いを向けた。
「違うでしょ」
他には、って待っているけれど、「あとはない」ってシャットアウトした。
令ちゃんより先に言う「ごめんなさい」は、生憎《あいにく》今日は持ち合わせていない。
前に止まった自動車のお尻についた赤いランプをぼんやり眺めながら、由乃は、これは遊園地の開園時間には間に合いそうにないな、と思った。
まずはみんなで汽車に乗る。由乃《よしの》さま発のそれは、とてもいい提案だった、と汽車を降りた時|乃梨子《のりこ》は思った。
少なくとも、自分たち姉妹にとってはそうだ。大勢の人間と一緒《いっしょ》に一つの客車に詰め込まれて、ガッタンガッタンという振動を身体《からだ》で感じながら、程よいスピードで園内を巡《めぐ》る。ガラスの入っていない窓から入ってくる風が顔を撫《な》でていくのに、ホッとした。あのまま志摩子《しまこ》さんと二人きりでいたら、空気が重くて、呼吸の仕方さえ意識しなければ忘れてしまいそうだった。
だから「お化け屋敷に行く人ー」という祐巳《ゆみ》さまのかけ声に、一も二もなく手を上げた。志摩子さんは大好きだけれど、本当はもっとちゃんと話をしなければならないのだろうけれど、今はもう少しだけ仲間たちと一緒にいたい。
そんな気持ちをわかってくれるのか、志摩子さんは「そうね。私たちも行きましょうか」と言った。いつもと変わらないそのほほえみに、乃梨子は胸が締めつけられた。
志摩子さんは「どうってことない話」と言ったけれど、それは乃梨子にとっては「どうってことない話」と簡単に片づけられるものではなかった。
でもどうしたらいいかわからなくて、結局できることなんか最初からないんだって思い知って。ならばドーンと受けとめればいいのだろうけれど、それもできずにこうやって逃げている。
志摩子さんがお寺の娘だという秘密を知った時、自分はどんな精神状態だっただろうか。それを思い出そうとしても、乃梨子にはもう思い出すことができなかった。志摩子さんの秘密は大勢の生徒たちの前で発表されることにより秘密でなくなり、二人は姉妹《スール》になり、ぬるま湯のように穏やかで平和な日々を積み重ねてきたからだ。
でも、確かに、志摩子さんのことで知らないことはたくさんあった。それが知らないことだということさえ、乃梨子は知らなかったのだ。
賑《にぎ》やかな音楽が聞こえてきた。メインストリートで、パレードが始まったようだ。ぞろぞろと歩いていた仲間たちも、立ち止まってしばし見物をする。
華《はな》やかな衣装《いしょう》をまとったキャラクターたちが、歌い、踊り、練《ね》り歩く。見ていた子供たちが、熊に手を振られて歓喜の声をあげる。みんな、楽しそうだ。
けれど、パレードが盛り上がれば盛り上がるほど、乃梨子の気持ちは沈んでいくような気がした。実際は五分前と今との心持ちはさほど変わらないはずなのだが、周囲のテンションが上がったことにより、その高低差で自分が落ち込んで感じるのだ。ずっと平坦《へいたん》な道を歩いていても、両端に高い山がそびえ立てば、そこは谷のように感じるのと同じことだ。たぶん。
(重荷になったの?)
一時間ほど前に聞いた志摩子さんの声が、今でも耳に残っている。
すぐ横にいる志摩子さんが、笑いながら熊と握手しているのが何だかとても不思議だった。
志摩子さんとは、地下鉄の改札口で待ち合わせた。
そこまでのJR線も同じ電車を利用するのだが、電車の中で待ち合わせるのはかなり危険なので、見合わせた。
乃梨子は九時十分過ぎに、乗り換えのためJR線を下りた。約束は九時二十分だったから、ちょうどいい頃合いだ。もしかしたら同じ電車に乗っていたかもとキョロキョロ見回しながら待ち合わせ場所にやって来ると、すでに志摩子さんは到着していた。
遠いから、かなり余裕《よゆう》をもって家を出てきたというが、性格もあると思う。ふわふわとろんとしているけれど、志摩子さんは真面目《まじめ》できちんとしているのだ。
「ごきげんよう」
挨拶《あいさつ》を交わしてから、ホームに向かって歩き出す。教会やお寺や仏像展なんかには時々|一緒《いっしょ》に出かけるけれど、遊園地に行くのは初めてだった。だから乃梨子は、自分でも気づかないうちに少々ハイになっていたのだ。
「乗り換えばかりで、目が回りそうね」
東京近郊の鉄道路線図を開きながら、志摩子さんが言った。
「大丈夫《だいじょうぶ》。この辺りは詳しいので、私にお任せください」
もちろん、詳しいのはしょっちゅう遊園地に行っているからじゃないけれど、と乃梨子は笑った。この辺りは昔|親戚《しんせき》が住んでいたのでよく来ていたし、小さい頃から仏像鑑賞のために一人で東京に遊びにきていた実績もあるのだ。
「頼もしいこと」
志摩子さんは、早々に鉄道路線図をバッグにしまった。そんなささいな仕草を見ると、「信頼されているんだ」って嬉《うれ》しくなる。
そのホームでは平日のラッシュほどではないが、思ったよりずっとたくさんの人が電車が来るのを待っていた。まさかこの人たちがすべて遊園地に行くわけではないだろうが、その様子から、三分の二は乃梨子たちと同じ電車に乗りそうだと予想ができた。人は大概《たいがい》、自分が乗りたい電車が入ってくる方向を向いて待っているものである。
程なくやって来た電車には、ほぼ予想通りの人数が乗り込んだ。もちろん降りる人もたくさんいたので、ギュウギュウではない。普通に立って人と触れあわずにすむ、そんな程度だった。
二人は乗車した扉と逆方向の、閉まった扉の前に立った。こちらが開く駅の時は乗り降りの妨《さまた》げにならないようにいちいち避けなければならないが、閉まっている時は落ち着いて話ができる。
「みんな、来るかしらね」
志摩子さんが、窓の外を見ながらつぶやいた。
「由乃《よしの》さんや令《れい》さまは、絶対行くという感じだったけれど」
「瞳子《とうこ》や可南子《かなこ》さんはどうでしょうね。気になったんだけれど、自由参加なわけだから、どうするのっていう電話はしにくくって」
ただ単に行くか行かないかを問う電話のはずなのに、「行かないの?」「行きましょうよ」と誘ってしまいそうだから。
「そうね。遊園地って遊ぶのもお金がかかるし。……乃梨子は大丈夫?」
ふと気づいたように、志摩子さんが尋ねた。乃梨子は親元から離れて暮らす身だから、心配してくれたのだろう。
「不意の出費のためにお小遣いは貯めているし、お年玉もまだ残っているから」
右手の親指と人差し指で丸を作って、OKサインを出す。仏像鑑賞の趣味は、普段はそれほどでもないけれど、ここぞという時にはどどーんとお金が出ていく。日帰りでは行けない場所で数年に一度のご開帳《かいちょう》や展覧会があれば、交通費や宿泊費をかけてでもはせ参じる。そういうわけで、乃梨子は日頃からやり繰《く》りを心がけているのだ。
「私もね、自分で出そうと思っていたのだけれど」
志摩子さんが苦笑した。
「だけれど?」
と言うからには、自分のお財布《さいふ》以外から今回の遊興費が出たのだろう。
「父が特別にお小遣いをくれたの」
「お父さまが?」
志摩子さんのお父さんは、小寓寺《しょうぐうじ》という結構大きなお寺の住職《じゅうしょく》で、乃梨子の仏像愛好仲間であるボーイフレンドのタクヤ君のお友達でもあって、袈裟《けさ》を着ている時も着ていない時も、明るくて面白い小父《おじ》さんである。
「変でしょう? 普通の女の子がしそうなことを私がするの、すごく喜ぶのよ」
「……」
何となく、わかる気がする。
お父さんは、シスターになると頑《かたく》なに思い詰めている娘より、俗世《ぞくせ》にまみれた娘の方が安心なのだ。でもって、それをちゃんと知っている志摩子さんは、ありがたく父親からもらったお金で遊ぶことにしたのだろう。
「志摩子さんって、何が欲しいとかおねだりしなさそうだしね」
見るからに、物欲がなさそうだ。
「乃梨子はするの?」
「しますよ。クリスマスプレゼントに一万円近い仏像の写真集が欲しいとか」
「クリスマスに仏像の――」
「写真集。おかしいでしょ?」
「そうね。少し」
クスクスと笑い合っていると、電車が止まって乃梨子たちが立っていた方の扉が開いた。電車が呼吸するように、乗客を吐き出し、新たなる乗客を飲み込むのを、二人は出入り口の端によって眺めた。電車の口が閉まり、再びガタゴトと動き出す。そのタイミングで、乃梨子もしゃべり出した。
「瞳子のことなんですけれど」
「瞳子ちゃん?」
志摩子さんは首を傾《かし》げた。それは、さっき少しだけ話題に上った名前だ。遊園地に来るかどうかわからない、乃梨子と同じクラスの女の子。たぶん、乃梨子にとっては「親友」って言っていい存在。
「瞳子から、祐巳さまとのデートの詳しい話を聞いたんです。もう『リリアンかわら版』にレポートが載った後だったし、無事|姉妹《スール》になったんだからいいかな、って軽い気持ちで」
「ええ」
「私、あのレポートはダイジェストなんだと思って。でも、違ってた。二人の行った場所とかはその通りなんだけれど。だから、やろうと思えば、誰でも同じコースをたどって、二人と同じデートを体験できるはずなんだけれど。うまく言えないけれど、レポートには書かれていない二人の会話とか感情とか、それがあるのとないのとでは、たぶん全然違って」
自分は何を話しているんだろう、と乃梨子は思った。この話をしようとした時には、確かに志摩子さんに言いたいことがあったはずなのに。でも言葉にすればするほど、どんどん核心から離れていくようで、終《しま》いには自分の言葉でできた迷路の中で、迷子《まいご》になっているみたいな気持ちになった。
でも、志摩子さんは急《せ》かすこともなく、穏やかな表情で乃梨子の言葉に耳を傾けてくれていた。手を引いて導いてくれるわけじゃないけれど、出口でのんびり待っていてくれる。そんな感じだ。
「瞳子は、赤ちゃんの時に本当の両親が交通事故で亡くなって。その場所を祐巳さまと一緒《いっしょ》に訪れたんです」
「ちょっと待って」
志摩子さんが、言葉を遮《さえぎ》った。
「私に話してもいいの?」
唐突《とうとつ》に聞かされたのは、瞳子のプライバシーに関わる話だ。志摩子さんが確認をとるのは、当然かもしれない。
「ええ」
乃梨子はうなずいた。
「瞳子が話してもいいって。お姉さまに黙っているの、辛《つら》いでしょ、って」
瞳子は笑っていた。|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》も祐巳さまも知っていることだし、今更《いまさら》隠すことではない、と言って。
どうやら瞳子にとっては、祐巳さまがそのことを知っているかどうかが、一番の問題だったようなのだ。祐巳さまに打ち明けるという難関を突破したからには、他の仲間たちに知られても痛くも痒《かゆ》くもない。言葉は悪いが、そんな清々《せいせい》した顔つきをしていた。
「そう」
志摩子さんは軽くうつむき、それから腑《ふ》に落ちたような表情を浮かべた。
「そのことを知っていたら、クリスマスパーティーの時にもっと違った話をすることができたでしょうに」
「クリスマスパーティー?」
また、ずいぶん前の話がでてくるものだ。三ヶ月近く前のことだ。
「あの時ね、瞳子ちゃんに家業を継ぐのかって聞かれたのよ」
「ああ――」
なるほど。今度は、乃梨子が腑に落ちた。
事故現場の側に瞳子のお祖父さんが病院をやっていて、松平《まつだいら》のお父さんは跡を継ぐ予定がない、という話だ。瞳子はお父さんの代わりに、病院を背負って立とうと思っていたらしい。志摩子さんの家がお寺だから、参考になるかもしれないと思って聞いたのだろう。
「で、志摩子さんは何て答えたの?」
「まだわからないけれど、兄が継いでくれるといいと思っている、って」
「そっか」
志摩子さんには歳《とし》の離れたお兄さんがいる。一応お坊さんらしいけれど、お菓子を作ったりする(らしい)謎《なぞ》の人だ。
「でも。瞳子ちゃんの事情を知っていたとしても、適切なアドバイスなんて無理ね。人それぞれなのだから、私の経験値なんて参考になるとは限らないわ」
その時乃梨子は、志摩子さんの言葉を漠然《ばくぜん》と「そうだな」と聞き流していた。長い人生で人が経験することなんていろいろだから、似たような立場に立つことはまれなことで、少し先に生まれたからといって、そうそう役に立つ話なんてできない、と。そんな一般論を言っているのだと思っていた。
だから、すぐに自分のことに話を戻してしまったのだ。志摩子さんに聞いてもらって、それについての意見を求めたかった。
「私、駄目《だめ》なんだ。そんな重い話だって思わなくて、軽い気持ちで聞いちゃった。だから、瞳子に何て言葉を掛けたらいいかわからなくなっちゃって――」
その話をした自分の方がもっと駄目だったと、その時はまだ気づいていなかった。
そうね乃梨子はもっと慎重になったらいいわ、そんな風に志摩子さんが笑って諫《いさ》めてくれるものだと信じていた。
けれど待っていたのは、志摩子さんの真顔だった。
「瞳子ちゃんの話を聞いて、重荷になったの?」
「え?」
「乃梨子は、知ってしまって後悔《こうかい》している?」
なぜ、志摩子さんはそんな質問を投げかけたのだろう。
「わからない。でも、どうして?」
わからない、というのは本当の気持ちだったけれど、もし乃梨子が、重荷だった、後悔している、と答えたなら、志摩子さんはどうしようと思ったのだろう。
志摩子さんは、瞳子じゃないのに。なぜ、そこにこだわるのだ。
急に、心臓がドキドキしてきた。
(クリスマスパーティーの時に、何だ、って志摩子さんは言ってたっけ)
そのことを知っていたら、もっと違った話を瞳子にできたのに、そうだ。
(そのことを知っていたら、の「そのこと」って?)
瞳子は両親の実の子供ではないと、いうこと。
(まさか)
乃梨子は志摩子さんを見た。
「駄目《だめ》なのは、私の方ね」
静かな視線が、真っ直ぐこちらに向かって伸びている。
「私の中では、どうってことない話だから。そんなに重く受け取られるとは思わずに、軽い気持ちで話そうとしていたわ」
待って、どんどん話を進めないで。まだ、心の準備ができていないから。けれど、そう思った時点で、その後にどんな話が待っているか、乃梨子は知っているはずなのだった。
「その上、反省してその話を引っ込めることも、もうできそうもなくて」
[#挿絵(img/30_069.jpg)入る]
目をそらしたかった。耳をふさぎたかった。でも、しちゃいけない。もう志摩子さんは気づいている。
「だって、乃梨子は察してしまったものね」
「志摩子さん」
どうしよう、泣きたくなった。でも、泣いたら駄目だ。乃梨子は必死で自分に言い聞かせた。まだ、志摩子さんは何も言っていないのだ。
「そうなの」
志摩子さんは笑った。
「私も両親の間にできた子供ではないの」
途中で話をはぐらかされてしまったら、乃梨子は気になって気になって仕方がなかったと思う。だからきっと、志摩子さんの選択は正しかった。
だが、たとえ察してしまっていたとしても、実際にその事実を本人の口から聞かされるのはショックだった。
ショックを受けている自分が、またショックだった。
何にショックを受けているのか、わからなくて混乱した。
志摩子さんが誰の子供であろうと、志摩子さんは志摩子さんで、乃梨子が志摩子さんに寄せる気持ちは変わらないはずだ。
ならば、なぜ動揺《どうよう》しているのだ。
実の親子でないことを、気の毒だと思っているのではないか。一瞬でも、志摩子さんに同情してしまったことに対して、ショックだったのではないか。
家族は血のつながりだけではない。血縁関係がまったくなくても、愛情に満ちあふれた親子はたくさんいる。逆に、血がつながっていても、一緒にいて不幸な場合もある。
「ちゃんと話すわ。降りましょう」
志摩子さんが、乃梨子の手を取った。
「えっ」
「乗り換えでしょう?」
ちょうど駅に着いて扉が開いたので、二人は大勢の乗客に混じってホームに降りたった。乃梨子は上を見上げて、看板に書いてある駅名を確認した。間違いなく、降りる予定だった駅である。
それでも二人は、すぐには動かなかった。乗り換えのために階段に吸い込まれていく人たちを見送り、風通しのよくなったホームのベンチに腰掛けた。
「私の兄と会ったことがあるわね。実は、あの兄……賢文《まさふみ》というのだけれど、その上にもう一人いたの」
いたの、と志摩子さんは過去形で言った。
「その人が、私の実の父」
「じゃあ」
小寓寺の住職《じゅうしょく》は、志摩子さんにとって――。
「祖父母なのよ。戸籍《こせき》上、今は両親だけれど」
「本当のお父さんとお母さんは」
「亡くなったわ。瞳子ちゃんと同じで。たぶん、赤ん坊といっていいくらいの時」
「志摩子さんはそのこと」
「物心ついた時には知っていたわ。両親は幼い私にわかるように話してくれたから。私の実の親がまったくの他人だったら両親も隠したかもしれないけれど、実の息子ではいずれわかってしまうでしょうし」
家には、亡くなった息子の生前の気配が、そこここに残っている。それらすべてを、志摩子さんの前から消し去ることは難しい。さりとて、彼のことを死んだ兄と伝えるのは心苦しかったのだろう。また、人の出入りも多いお寺という場所では、隠し事をしていることは難しい。長男の忘れ形見《がたみ》を引き取ったとあれば、すぐに檀家《だんか》の知るところとなる。
「だから、私にとっては取り立ててどうこうという話ではないの」
若葉を指さして、それは緑色だと教えてもらったように。魚屋さんやバスの運転手さんと同じように、僧侶《そうりょ》が職業だと教えられたように。死んでしまった両親と今の両親がいるのだと、教えてもらった。志摩子さんは、そう話してくれた。
「当たり前になりすぎて、そのことがそんなに重い話だなんて気づかなかったの。わかっていたら、乃梨子にはもっと早く話していたわ。ごめんなさいね」
乃梨子は、うつむいて首を何度も横に振った。
志摩子さんは隠していたわけではなくて、特別だって意識していなかったから、話題に出さなかったのだ。
今だって、何とも思っていないはずなのだ。なのに深刻な顔をして、勝手に重い話にしちゃって。乃梨子は、自分こそ謝らなくてはならない気がした。
でも、ここで謝ったら、志摩子さんにもっと気を遣わせてしまう。だから、暗い顔をしていちゃいけない。
「乃梨子?」
大丈夫《だいじょうぶ》? と覗《のぞ》き込んでくる志摩子さんに、笑顔を作った。
「うん。ちょっとびっくりしただけ」
そろそろ行こう、ってベンチを立った。ぐずぐずしていると、次の電車が来て、またホーム一杯人の流れができてしまう。
「そうね。道案内お願いね」
「任せて」
乃梨子は大きくうなずいて、志摩子さんの手を取ると元気に階段を下りた。
振り返ってみれば、その元気というのはたぶん動揺《どうよう》を隠すための隠れ蓑《みの》、つまり空《から》元気というやつで、まだまだ心中は平常心を取り戻していなかったのだ。
この辺りに詳しいはずの乃梨子は、乗り換えの路線を間違えはしなかったのだが、下り電車に乗るべきところを上りに乗ってしまった。
だから、到着予定時間を三十分もオーバーして遊園地の正面入り口にたどり着いた時には、乃梨子は二重の落ち込みで、空元気も絞《しぼ》り出せないほど無口になっていたというわけだ。
パレードを抜け出して志摩子さんと握手をしていた熊が、乃梨子のもとにやって来て肩をポンポンと叩いた。
着ぐるみで人間が中に入っているから声は出せないって知っているけれど、なんだか「元気だせよ」って励《はげ》まされているような気持ちになった。
[#改ページ]
一方 この二人は
お化け屋敷は人気アトラクションということもあって、結構な混雑だった。
入場待ちをしている人たちの長い列が、何度も折れ曲がっている最後尾につくと、係のお姉さんに「三十分から四十分待ちです」と伝えられた。
(……よしっ)
笙子《しょうこ》は蔦子《つたこ》さまに見えない位置で、小さくガッツポーズをとった。ここは、一つ私が盛り上げましょう、そんな決意だった。ただでさえ気持ちがふさいでいるであろう、尊敬する部活の先輩が、できるだけ退屈しないように。
「蔦子さま。さっきのパレードでバック転していたウサギちゃん、見ました?」
「え?」
その話題は、あまりに唐突《とうとつ》すぎたかもしれない。蔦子さまは、目を丸くしていた。でも一度話し始めたからには、そのまま続けるしかない。
「あれ、中に入っている人、男の人ですよ、絶対。ちょうちんブルマーから出ていたタイツの足、すごくごつかったですもん。なのに頭に大きなリボンつけちゃって。ふふふ」
「ごめん。見ていなかった」
蔦子さまが言った。これでは話が続かない。
「あ、そうですか」
だが、これしきのことで、めげていてはいけない。次、行ってみよう。
「じゃ、双子《ふたご》のブタ君の間違い探しは?」
この遊園地のキャラクターの一組で、一卵性双生児《いちらんせいそうせいじ》で何もかもそっくりな子豚兄弟。彼らは、毎日五ヵ所違う部分があるという。それを探すのも、客の楽しみの一つなのである。
「私、ボタンの掛け違いと靴下《くつした》の色違いはわかったんですけれど、あと三つはわからなくて。そうしたら、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》が帽子《ぼうし》のつばの形も違うって教えてくれて」
笙子はちょっと振り返るような仕草で、後ろに並んでいる|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》を探した。でも|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》はこちらに気づかないようで、妹である乃梨子《のりこ》さんと話をしている。「最初はみんなで遊ぶ」も十人の団体になると、その中でやっぱり小さいグループに分かれるものなのだ。
「あと、尻尾《しっぽ》の形と持っていた果物《くだもの》」
蔦子さまが言った。
「尻尾?」
「兄の方は巻いていて、弟は真っ直ぐだったわよ」
ほほう。ウサギちゃんは見ていなかったけれど、ブタ君たちのことは見ていたらしい。
「じゃ、果物っていうのは?」
「兄は青リンゴ、弟は梨」
「すごい」
赤いならまだしも、青リンゴと梨なんて、パッと見、同じ物に見える。視力は眼鏡《めがね》で矯正《きょうせい》しても0・7とか言っているから、そんなによく見えているわけじゃないはずなんだけれど。一瞬を捕らえるカメラマンの目とでもいうのだろうか。大したものだ。
(さすがは写真部のエース)
――って。危ない、危ない。今日は、その看板は下ろしているんだった。
どっちかっていうと盛り上げようと必死な笙子に蔦子さまがつき合ってくれている感もあったのだが、あっという間に二十分くらいは経ってしまった。じわじわと行列は進んでいき、お化け屋敷の入り口は、もうすぐそこである。
入場するにあたっての注意事項が書かれた看板の前を通ると、そこには『屋敷内フラッシュ撮影お断り』の文字が。
「暗闇の中で、フラッシュたけないのに撮影する人っているのかしら」
特殊カメラを持ってきたならまだしも、と蔦子さまが笑った。屋敷内撮影禁止、でいいのではないかというわけだ。
「そうですよね。禁止って書かれていたって、興奮してついシャッター押す人だっているかもしれないんですから。いっそコンサートみたいに、入り口でカメラを預けるとか」
「そんなことされたら、大変だ」
蔦子さまはポケットに手を突っ込んだ。
「あ」
すぐさまあがった小さな叫びに、笙子の「あ」も被《かぶ》った。
しまった、と思ってももう遅い。
ポケットの中を探っても、そこに蔦子さまのいつものカメラがないことを、二人ともほんの一瞬忘れてしまっていたのだ。
こんなことになるとは、夢にも思っていなかった。昨日の晩、蔦子《つたこ》さまから思いがけない電話をもらった時には。
『よくわからないんだけれど』
電話口で、蔦子さまはまずそう前置きをしてから話し始めた。その内容というのは、「わからない」と言うだけあって、何とも不可解なものだった。
|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》が、自分たちは明日遊園地に行くから、来たい人はどうぞ、って言っている。でも、それはお誘いとかじゃなくて、待ち合わせして集合したりはしないから、各自ご自由に、ってことらしい。
「遊園地って、あの、遊園地ですよね。ジェットコースターとか、メリーゴーランドとかのある」
笙子《しょうこ》は、玄関に置いてあった電話を、コードを引っ張って階段まで持ってきた。それを抱えて、階段に腰を下ろす。こんなことなら、保留にして二階の子機でとればよかった。けれど、蔦子さまを待たせるのも悪いし、何より何の話か気になって仕方なかったのだ。お母さんの「武嶋《たけしま》さんって人から電話ー」という声に興奮し、気がついたら受話器に飛びついていた。
『うん、それ。その遊園地。さっき、祐巳《ゆみ》さんから電話がかかってきてね。外からの公衆電話みたいだったから、あまり詳しいことはわからないんだけれど』
「| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》から……」
では、又聞きの又聞きということになろう。笙子が全貌《ぜんぼう》を理解できずにいても、仕方がないことなのかもしれない。伝言ゲームとは、後ろに行くに従っておかしくなっていくものだ。
『私は行くつもりだけど、笙子ちゃんも興味あるかな、と思って電話してみた。いい写真とれなくても、遊園地が好きなら楽しいでしょ』
私が行く、遊園地、楽しい、という蔦子さまの言葉が、勝手につぎはぎされて、「私と行く遊園地は楽しいわよ」に聞こえた。はい、きっと楽しいです。笙子は舞い上がった。だって、これってデートっぽいじゃないですか!
「親にっ!」
受話器に向かって叫んだ。
『え?』
あまりの声の大きさに、電話のあちら側の蔦子さまは驚いているようだった。
こちら側でも、リビングから「何事」って感じで姉の克美《かつみ》が顔を出している。何でもないって顔で答えると、姉はつまらなそうに「ふうん」とつぶやいて、二階に上がっていった。つまり、まるで電話を邪魔《じゃま》するように、妹が座っている階段の脇を通っていったのである。
「……失礼しました。親に聞いてみます」
トーンを落として、笙子は言い直した。
笙子は、ほどほどに、真面目《まじめ》である。反対されても行くかもしれないが、黙って行くほどの度胸はない。
『そうね。今日の明日じゃ急だし、相談しないと決められないよね』
相談という言葉の中に、お財布《さいふ》の中身も含まれているんだって、その時気づいた。
(そうだよ)
遊ぶっていうのは、とかくお金がかかるものなのだ。遊園地の入園料っていくらくらいするんだっけ、と思い出そうとしてもわからない。今まで、親としか行ったことがなかったから。
(今月のお小遣いの残りじゃ無理か)
とっさに、お財布の中に入っている額を思い出す。今年のお年玉は、写真関連の書籍《しょせき》とカメラですでに消えた。
(仕方ない、ここは貯金を切り崩《くず》すしか――)
そこまで考えて、あることに気づく。
(明日、日曜日じゃーん)
親に、お小遣いの前借り。いや、駄目《だめ》だ。そんなことをしたら、遊園地に行くこと自体を反対される気がする。自分のお金で遊ぶのだから、強気に出られるってものなのに。
『笙子ちゃん? またかけ直すから』
「あ……はい。いえ、こちらから」
その時、背中を突かれた。
「え?」
振り返れば、いつ戻ってきたのか背後に姉の姿。笙子の二段上に座って、何やら言いたげな表情を浮かべている。
「あの。蔦子さま、少々お待ちいただいてよろしいでしょうか」
断って、保留ボタンを押す。姉は性格はキツイが、一応の常識人。電話中に意地悪するほど幼稚《ようち》ではないから、急ぎの話のはずだった。
「何?」
「これ」
姉は、薄っぺらい定型封筒を突きつけてきた。
「あげる」
「え?」
まさか、お金? って思ったけれど、お金だったら「あげる」ではなく「貸してあげる」のはずだった。
とにかく、何だろうと封のしていない封筒の中に指を入れて中身を出してみると、中から二枚の紙が出てきた。
「どうしたの、これっ!」
笙子は声をあげた。それが何なのか、一目見ればすぐわかった。遊園地のキャラクターたちが笑うイラストに、大きく「一日フリーパスポート」と印刷されている。笙子が今一番欲しい物。姉は魔女か、エスパーか。
「半年くらい前かな、何かの懸賞《けんしょう》で当たったの忘れてた。本当はそのすぐ下の賞の図書カード狙いだったから、私にとってはハズレだったし」
「いいのっ?」
「いいよ。私は行かないし。有効期限、三月いっぱいだからギリギリセーフだったね」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
思わず抱きつくと、姉は「蔦子さんを待たせちゃ悪いよ」と照れくさそうに笑い、階段を下りて再びリビングへと消えていった。
「行きますっ! 行けるようになりました!」
笙子は保留ボタンを押して、受話器に向かって元気に言った。
『ご両親、いいって?』
「あ」
その説得は、これからの仕事だった。
結局、珍しくやさしい姉の口添えもあって、両親はあっさりと遊園地に遊びにいくことを許してくれた。一緒に行くのが学校の先輩ということは、かなりポイントが高いらしい。卒業生である堅物《かたぶつ》の姉の友人は、やはり勉強のできる堅物が多かったから、リリアンの生徒| = 《イコール》|真面目《まじめ》と思われているようである。ここでも、姉は一役買ったというわけだ。
もちろん、蔦子さまが不真面目というわけではない。けれど、「ガリ勉」などと比べて「写真オタク」はあまりわかりやすい記号ではなさそうだから。
待ち合わせであるJR線の駅に二十分も早く着いてしまった笙子に対して、蔦子さまは現れたのが五分前という余裕《よゆう》っぷりだった。
「笙子ちゃん」
振り返ると、まぶしいフラッシュとともにシャッター音が聞こえた。不意打ちで、身構える余裕《よゆう》もない。
「ふふふ。ごきげんよう」
こんな風に、写真に写るのが苦手な笙子のいい写真[#「いい写真」に傍点]を撮《と》るのは、蔦子さまの得意技だった。
「ご、ごきげんよう」
「今日は大人っぽいね」
「えっ」
きれいとか可愛《かわい》いとか誉《ほ》められたわけではないのに、ドキドキした。いや、むしろ恥ずかしかった。久しぶりに蔦子さまと外で会うから、ちょっと背伸びしてお姉ちゃんのスプリングコートを借りてきたのだ。そのちょっとの背伸びや、早く着きすぎてしまった気合いの入りっぷりは、一歩引いて見ると、自分のことながらかなり滑稽《こっけい》だった。
ジーパンにTシャツ、ジャージみたいなジャケットという、全然力の入っていないさらりとした蔦子さまの服装の方が、よほどお洒落《しゃれ》に見えた。少なくとも、今回この遊園地に向かう姿勢のようなものに限っては。
落ち込みかけたところに、またシャッターが切られた。
「でも、似合うじゃない」
そんな一言があっただけで、再浮上するんだから単純だ。単純、上等。何があったわけでもないのに、自爆してはもったいない。
「じゃ、行きますか」
蔦子さまは小型カメラをポケットに入れて、階段を指さした。
改札を入った所で待ち合わせしていたから、キップを買う手間もない。もっとも笙子は、降りる駅で精算するつもりで定期券で入場していた。
日曜日ということもあって、駅の構内は結構な人が行き来していた。電車が出ていったばかりだったのか、そのホームから上ってくる人たちが階段に引かれた「上り」「下り」の片道通行ラインを無視してあふれ出てくる。ホームに行きたい二人は、人波の端の隙間《すきま》を見つけて、慎重に階段を下りていった。
「久しぶりだよね。一緒《いっしょ》に出かけるの」
「はい」
前回は、お正月だったっけ。日曜日に学校で会うのっていうのも、お出かけに入れていいんだろうか、とか、笙子はどうでもいいことを考えていた。どっちにしろ、蔦子さまとイレギュラーで会う時というのは、大抵、蔦子さまが誰かの写真を撮ろうという目的ありきである。もちろん今回だって|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》のお言葉に乗っかっての話らしいから、例外じゃないだろうけれど、いいのだ。笙子はカメラを構えている蔦子さまが好きで、一緒にいたいと思っているのだから。自分がそれで満足しているなら、これをデートと呼ばずに何と呼ぶ。
――なんて。やっぱり、どこか浮かれていたのだと思う。だから、ほんの少しだけ前を見ることが疎《おろそ》かになってしまっていたのだ。
「危ない!」
真後ろを歩いていた蔦子さまが叫んだ。気づいた時には、旅行鞄《りょこうかばん》と言っていいくらいの大きさのスポーツバッグが、目前に迫っていた。
とっさにどこに逃げたらいいのかも思いつかない。思いついたところで、その時にはもう遅い。反射的に動かなければ間に合わないほど、それはギリギリの出来事だった。
で、間抜けなことに、笙子は何もできないまま目を閉じた。すると、奇跡がおきた。自分でない、何か外からの力が働いて、笙子の身体《からだ》はほんの少しだけ移動したのだ。
軽い衝撃に目を開けると、すぐ脇に蔦子さまがいた。いや、正確には、蔦子さまは壁と笙子の間にサンドイッチのハムのように挟《はさ》まれていた。
「すみませんっ」
スポーツバッグが、謝ってきた。いや、スポーツバッグを肩に掛けていた、背の高いお兄さんだ。よそ見したまま、階段を勢いよく上ってきてしまったところに、ちょうど笙子の顔があったというわけだ。
「大丈夫《だいじょうぶ》ですか。ケガはありませんか」
スポーツバッグのお兄さんは、笙子と蔦子さまを交互に見ながら尋《たず》ねた。
「私は大丈夫ですけれど――」
笙子は蔦子さまを見た。たぶん蔦子さまは、笙子を助けようと引っ張ってそのまま壁に激突したと思われる。ケガをしているとしたら、蔦子さまの方だ。
「私も大丈夫です」
蔦子さまはそう言って、打ちつけたであろう右の腕を振って見せた。笙子もホッとした。自分を助けるために蔦子さまがケガでもしたら、悔《く》やんでも悔やみきれない。
「本当に、申し訳ありませんでした」
何度も何度も頭を下げて、スポーツバッグの彼は去っていった。
「ありがとうございました」
人の波が引いた階段を下りてホームに着いてから、改めて笙子は蔦子さまにお礼を言った。あのまま顔面直撃していたらと思うとぞっとする。鼻血くらいじゃ済まないだろう。下手《へた》すれば、顔面を何針も縫《ぬ》うケガをしていたかもしれない。
「どういたしまして」
蔦子さまはほほえんだ。が、すぐに何か重大なことに気づいたように、ガサゴソと忙しない動きを始めた。
どうなさったのですか、と聞く前に答えが返ってきた。
「ごめん、笙子ちゃん。遊園地に行く前に、途中下車して寄り道していいかな」
「は?」
「どうやら、大丈夫じゃなかったらしい」
「え」
やっぱケガ!? とその場で飛び上がると。
「いや、私じゃなくて」
これが、と差し出されたのは、ポケットに入っていた蔦子さまの大事なカメラだった。
JR線を予定の半分くらい乗ってから着いた駅は、地理的には間違いなく都会に位置し、駅舎も立派だった。けれど、駅前の大通りを外れて五分も歩くと、そこはもう細い路地や古い建物が残るこぢんまりとした街並みである。
蔦子さまの目指す場所は、そこにあるカメラ屋さんだった。笙子は、ホームで待つように言われたけれど、行き先までのキップは買っていないからと、強引についていった。たとえキップを買っていたとしても、たぶん改札を出ていただろう。だってカメラが自分の犠牲《ぎせい》になってしまったようで、申し訳なくて、じっとしてなんていられなかった。
「本当に、ごめんなさい」
歩きながら、何度も何度も謝った。
「もういいって。笙子ちゃんのせいじゃないし」
いい加減蔦子さまがうんざりしているのがわかるくらい、しつこくしつこく言ってしまった。でも、道すがらもう別の話題なんて探していられなくて、沈黙がもっと怖くて、口を開けば「ごめんなさい」になってしまうのだ。
「でも、命より大切なカメラ」
すると蔦子さまは笑った。
「命の方がずーっと大切だよ。もちろん、笙子ちゃんのことも大事」
だからこれでよかったなんて、笙子はとても思えない。
「そんなやさしい言葉は、今の私には辛《つら》いだけです」
よそ見しているから悪いんだ、とか。このカメラ高かったのに、とか。ちょっとでも苦情めいた言葉を口にしてくれた方が、よっぽどいい。けれど、そんなことを言うはずがない蔦子さまだから、大好きなのだ。たぶん。
「こんなところにしまっておいた私が悪いんだから」
「そんな」
「もうやめようよ。さっきくれた遊園地のパスポートでチャラ、ね? ほら、着いたよ」
蔦子さまは、小さな建物の前で立ち止まった。
「ここは?」
古い一軒家に見えなくもないけれど、道に面した入り口らしきものは、普通の玄関ではない。横開きの扉は昔のテレビなどで見る駄菓子屋《だがしや》さんの店構えに似ていなくもないが、ガラス張りではない。ガラスは扉の上部に申し訳程度|填《は》め込まれているだけだ。そして間口《まぐち》が狭い。
「私の伯父《おじ》さんの店。趣味でやっているようなものだから」
蔦子さまが、ガラガラと重い音をたてて扉を開く。よく見れば、その扉には『タケシマカメラ』と書かれている。よく見なければ、わからないほどかすれて、ほとんど扉の色に同化していた。
「伯父さん」
蔦子さまの後について店の中に入ると、中はおよそ店とは思えないほど薄暗かった。
「伯父さん」
返事はない。
「お留守《るす》では」
「留守なら、扉の鍵《かぎ》はかけていくよ。それに、お客が私だってわかったからぐずぐずしているの。誰かわからなかったら、すぐに出てきたわよ。例えば、トイレの最中でもね」
「はあ」
その言葉通り、五分ほど経ってから伯父さんらしき中年男性は二人の前に現れた。
「すまんすまん。暗室に入っていた」
言いながら電気のスイッチを入れる。どうやら、店が薄暗かったのは、お客がいない時の省エネモードだったらしい。
「わあ」
明るくなった店内を見回すと、廊下《ろうか》のような細長いスペースの両壁に、棚《たな》一杯のカメラが陳列《ちんれつ》してあった。最近ちょっとだけ本とか読んで仕入れたにわか知識の持ち主でも、知っているような年代物のカメラから、「これもカメラ?」と目を疑うようなへんてこりんな形状のカメラまでずらっと。
ガラスケースに張りついて、すごいすごいと見ていると、伯父さんが蔦子さまに尋《たず》ねた。
「このお嬢《じょう》さんは?」
「写真部の後輩。笙子ちゃん」
「あ、内藤《ないとう》笙子です。初めまして」
あわてて振り返って頭を下げる。夢中になって、ついご挨拶《あいさつ》を忘れていた。
「いらっしゃい」
鬚《ひげ》もじゃから出た目が、笙子にニコリと笑う。それからすぐに蔦子さまの方を見て、「どうした」と聞いた。
「どうして?」
「見りゃわかるよ。どうかしたからここに来た、って顔だ」
「さすが伯父さん。実は、これ」
蔦子さまは、カメラを伯父さんに差し出した。
「ほう。見るからに壊れとるな」
軽く振ってみたりして、中で不審な音がするかどうかも確かめているようだった。
「すぐ直る?」
「ちょっと待て」
そう言い置いて伯父さんは、蔦子さまのカメラを持ったまま奥に引っ込んだ。ただでさえ奥行きのある店の、そのまた奥である。
「博物館みたいですね」
笙子は、蔦子さまに声をかけた。
「まあね。希少な物ばかりで、高くて売れないのよ。ま、さほど売る気もないんでしょうけれど」
「だから、趣味?」
「たまに古いカメラの修理とかはしているけれど、それだけじゃね。別の仕事で生計たてているみたいだから、できることなんだけれど」
程なく伯父さんが戻って言った。
「うちにある部品じゃだめだな。取り寄せないと。そうだな、完治するのは一週間ってところか」
「そう」
覚悟していたけれど、というように蔦子さまは目を伏せた。
「残念だったな。ま、せっかく来てくれたんだから、お茶くらいご馳走《ちそう》するよ。奥で羊羹《ようかん》でも食っていけ」
伯父さんは親指を背後に向けたが、蔦子さまは首を横に振って辞退した。
「これから出かけるので」
「そうか。そこで使う予定があったわけだ」
「ええ、まあ」
いくつかカメラを所有している蔦子さまではあるが、今日持ってきたのはこれ一台きり。家に取りに戻るには遠すぎるほど、もうずいぶんと電車に乗ってしまった。
「よかったら、そこら辺にあるカメラ、貸してやるぞ」
「冗談でしょ」
「ちと、大きすぎるか」
「……値段がね」
二人の会話を聞きながら、笙子は思った。
(こんな時、私が値段の手頃なカメラを持っていたら)
そして、ほぼ同時に自分自身に幻滅した。
(私、どうして今日カメラを持ってきてないの!?)
写真部なのに。蔦子さまだって、一緒に写真を撮《と》りましょうという意味で誘ってくれたはずなのに、って。
(ばかばかばかばか!)
今更《いまさら》気づいても遅い、って。
「で、どこに行くんだ?」
伯父《おじ》さんが尋ねた。
「遊園地」
「ほう、遊園地」
いいね、と笑ってから独《ひと》り言《ごと》のようにつぶやいた。
「しかし。遊園地っていうのは写真を撮りにいく場所じゃなくて、遊びにいく場所じゃなかったか」
そして、突然笙子の方を見る。
「写真部だからって、いつでもカメラを持っていなくちゃいけないって法はない。ねえ、お嬢さん」
「は、はい」
とっさにうなずいてから、はたと思う。
「――っていうか、どうしてわかったんですか」
すると、武嶋《たけしま》伯父・姪《めい》は同時に答えた。
「カメラ馬鹿だから」
「えーっ」
「僕はカメラを愛するあまり、魚群探知機のように、はたまた盗聴器《とうちょうき》を発見する装置のように、カメラを関知するとピピピとセンサーが働き――」
本当かよ、と思いつつも笙子は一応最後まで聞くことにした。
「それって遺伝ですか。蔦子さまも」
「なわけないじゃない。伯父さんのだって、話半分に聞いておきなさいよ。単に勘《かん》がいいってだけのことだから」
「はあ」
しかし、笙子が写真部なのにカメラを持ってこなかったことを当てたのはすごい。写真部なのにカメラを持ってこなかったという、笙子も相当すごいけれど。
「どうかな、蔦子。これは神様の思《おぼ》し召《め》しってことで、今日は休カメラ日。遊園地にいる間、写真を撮らないということにチャレンジしてみては」
「そんなの無理よ」
即答した蔦子さま。自分のことは、自分が一番よく知っているのだろう。笙子でさえ、蔦子さまができない方に八十点かける。何点が満点かは知らないけれど。
「じゃ、伯父さんとのゲームにするっていうのは?」
「ゲーム?」
そうゲーム、と伯父さんはうなずいた。
「蔦子がそれをできた場合、注文した部品代を含む修理代の一切《いっさい》を伯父さんに払わなくていい」
「できなかったら?」
「修理代を払ってもらう、それだけ」
何だか変な展開になってきたぞ。笙子は口出しせずに、成り行きを見守ることにした。
「私が得をすることはあっても、伯父さんが得をすることはないじゃない。片方ばかりが得をするなんて、そんなゲームおかしいわ」
「その代わり、伯父さんは苦しまない。苦しんでいるであろう蔦子を想像して、この店でニヤニヤしているだけだ」
「……ルールは?」
蔦子さまは、かなり乗り気になっている。それほどまでに修理代とは高いものなのか。それとも、挑まれればそれに乗らずにいられない性格なのか。前者ならば、笙子も修理代の一部くらいは出させてもらわないと心苦しい。後者ならば、――ただがんばれと応援するしかない。
伯父さんは「ちょっと待ってろ」と言って、机の抽斗《ひきだし》をいくつか開けて、中から何やら目的の物を探り当てた。それは、壁にコレクションしているアンティークのカメラとは一目で違うとわかる、古くてもここ五〜六年前には新品だったと思《おぼ》しき小型カメラだった。
「これなら、お前だって持ち歩くのに気にならないだろう」
手渡された蔦子さまは、まず一通り眺めてから、シャッターをはじめいろいろなボタンを押してみている。フィルムは入っていないようだから、もちろんボタンを押したところで写真は撮れない。
「どうしても禁断症状が出たら、これを使えばいい。後でフィルムを入れて、ケース込みで貸してやる」
つまり、カメラを返した時にフィルムを一枚でも使っていたら蔦子さまの負け、というわけである。
「私がフィルムを使い切って、同じメーカーのを補充して返すとは思わないの? これには一切《いっさい》手を触れず、コンビニででも使い捨てカメラを買って内緒で撮《と》ることだってできるわ」
「お前はそんな子じゃないよ」
そうまで信用されては、ずるできるわけがない。まあ、確かに伯父《おじ》さんが言うように、蔦子さまはゲームに負けることよりも、負けを誤魔化《ごまか》すことにこそ敗北感をもつような人間だった。
「受けて立ちましょう」
蔦子さまはニヤリと笑った。伯父さんはカメラを受け取ると、その場でフィルムを入れた。そしておもむろに蔦子さまと笙子にカメラを向けて、カシャリとやった。
「よし、壊れていないようだな」
早業《はやわざ》である。レンズを意識した時には、もう撮られていた。
「あのっ」
これに合うケースはあったかな、と奥に歩いていく伯父さんに、笙子は声をかけた。
「今の写真。蔦子さまがゲームに勝ったら、いただけますか」
「うん?」
「……あの。ツーショット写真って、持ってないから」
もじもじと言うと、「ああ、なるほど」と笑顔が返ってくる。写真部は写す側にまわりがちで、お互いに被写体《ひしゃたい》になっても一緒に写るということがあまりない。特に蔦子さまは撮らせたがらないことを、伯父さんだから知っているのだろう。
「どちらが勝っても、プリントしてお嬢《じょう》さんにあげますよ。お目付役《めつけやく》代としてね」
「ありがとうございます」
深々と、たっぷり十秒ほど頭を下げている間に、伯父さんは奥から戻ってきていた。ケースはすぐに見つかったらしい。すでにカメラは、黒い合皮の化粧《けしょう》ポーチみたいな入れ物に収まっている。
「また、ポケットに入れておくんじゃないぞ」
蔦子さまがどんな風にしてカメラを壊したのか話していないのに、伯父さんにはちゃんとわかってしまったようだった。
「バッグの一番下に入れて、絶対に出さないわよ」
「それがいい。ケースを開けたら最後、お前の指は絶対にシャッターを切らずにはいられなくなるからな」
蔦子さまがショルダーバッグの口を開けたところに、伯父さんは黒いカメラケースをぐりぐりとねじ込んだ。
「グッドラック」
それから二人は、行きと同じ道を通って、途中下車した駅まで戻った。
寄り道が祟《たた》って、再び電車に揺られて遊園地に着いた時には、当初の予定より三十分も遅れてしまっていた。
通学中や授業中はカメラをいじらない。だから大丈夫《だいじょうぶ》だって蔦子さまは言っていたけれど、笙子は気づいていた。
時折、蔦子さまの指先はカメラを探してポケットに伸びる。そして、そのことに本人が気づいてハッとしている。
ふと笙子は、従兄《いとこ》が家に遊びに来た時のことを思い出した。禁煙中だった従兄は、やはり時折落ちつきなく指が煙草《たばこ》を探していた。そうして、ちょっとしたことでもイライラしたりふさいだりするのだ。
蔦子さまも、似たような症状が出た。
カメラが壊れた時はどうやったって撮《と》れないのだからあきらめがついたけれど、そこにあるのに自分の意志で使わないというのは、相当に苦しいものなのかもしれない。
ここの遊園地のお化け屋敷は、最初は自分の足で歩いて屋敷内を探検し、途中から三人まで乗れる小型の運搬車《バギー》で移動するシステムになっている。屋敷には、見知らぬ人たちと一緒に入るので、余程注意していなければ、歩いているうちに仲間たちとは別れ別れになってしまう。
「どうしましょうか」
出口で祐巳《ゆみ》は尋《たず》ねた。
「そうね」
答えたのは、もちろんお姉さま。お化け屋敷を歩いて探検している間はずっと手をつないでいて、一緒の運搬車《バギー》に乗ったのだ。はぐれようがない。
「令《れい》さんたちが、僕たちよりいくつか前の運搬車《バギー》に乗ったのは確認したんだけれど」
柏木《かしわぎ》さんが、腕組みをして考える仕草。
「ごめん。俺、誰がどこにいるかなんて考える余裕《よゆう》なかった」
つぶやく祐麒《ゆうき》。結構子供だましのお化けたちだったのに、恐怖を思い切り堪能《たんのう》してきたようだ。
それにしても、あの薄暗くてゴチャゴチャした屋敷内で、自分たちはともかく、男二人がちゃんと最後までくっついていられたのには感心した。まさかずっと手をつないでいたとか。あまり考えて気持ちのいい光景ではないので、祐巳はあえて質問するのを控えた。
さて。現在、ここ、お化け屋敷の出口付近にいるのは祐巳、祥子《さちこ》さま、柏木さん、祐麒の四人である。で、何が「どうしましょうか」なのかというと、もうしばらくここで誰かが合流するのを待つか、それとも場所を移動するか、という二者択一《にしゃたくいつ》。
ここで待っていれば、後から出てくる仲間と再会できるかもしれないが、自分たちがグループ全体の何番目に位置しているのかがわからないので、迷うところなのだ。令さまたち(たぶん同行しているのは由乃《よしの》さん)が先だということは柏木さんの証言から明らかだから、少なくともトップではないことだけは確か。問題は後ろに志摩子《しまこ》さんたち、蔦子《つたこ》さんたちがいるのか否《いな》かだが――。
「行きましょう」
祥子さまが決断した。
「もともと各自自由に遊ぶというのが今回の決まりなのだし。令たちも先に行ったのだから、待っていなくてもいいでしょう」
令さまたちだって、自分たちの順番がわからないから先に行ったのかもしれない。志摩子さんや蔦子さんたちも、ここにみんながいなければ、自然解散になったのだと判断するだろう。
だからといって祐巳たちも、ここで柏木・祐麒ペアとさようならするわけにはいかないのだった。この四人は、四人で一グループ。秋の遊園地デートリベンジ組なのだ。
ここまで乗ってきた自動車の鍵《かぎ》は祥子さまが持っているが、帰り道、柏木さんが助手席に乗っていてくれないとかなり不安。つまり、両ペアは運命共同体なのである。
「何時?」
[#挿絵(img/30_103.jpg)入る]
祥子さまの言葉に、祐巳は腕時計を見た。
「あ、一時ちょい過ぎです」
「私、お腹《なか》がすいたわ」
「食べましょう」
二人が手をつないで歩く後から、男二人がついてくる。
「俺たちには聞かずに決定なわけだ」
祐麒のぼやきを完全無視。だって、そうは言ってもお腹がすいていないわけがない。さっき、祐麒のお腹がなったのを、祐巳はこの耳でちゃんと捕らえていたのだ。
ジェットコースターからの絶叫が聞こえて、祐巳は顔を上げた。
いい天気だ。
瞳子たちは、果たして来ているのだろうか。
一方。
瞳子《とうこ》と可南子《かなこ》は、ちゃんと遊園地に来ていた。
少し時間は| 遡 《さかのぼ》る。
待ち合わせで手間取って(駅の改札の内と外でお互いに相手を待っていた!)時間をロスしたのは、二人にとって不幸としか言いようがない。開園十分後に遊園地の正門にたどり着いたのだが、まさか自分たちが一番乗りだとは思いも寄らなかったため、あわててチケットを買い、正面ゲートをくぐってしまったというわけだ。行くとも行かないとも誰にも言っていなかったから、みんなは先に入場したのだろう、そう思い込んでいた。
とはいえ、たかだか十分の遅刻である。ちょっと探せば、すぐに見つかるものと瞳子は高《たか》をくくっていた。
祥子《さちこ》さまとお姉さま、それに令《れい》さまと由乃《よしの》さまは絶対に行くと言っていたし、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》と乃梨子《のりこ》も行く方向で検討《けんとう》しているようだった。ああ、そうそう優《すぐる》お兄さまと祐麒《ゆうき》さんも一緒ということは、かなりの大人数になる。固まって歩いていたら目立つだろうし、アトラクションに並んでいたとしても、誰か一人でも見つけられれば簡単に合流できる。
後から考えれば当たり前の話なのだが、ざっくり探し回ってもそれらしき団体の姿は見つけることができなかった。
「どっか入って何か飲もうか」
骨折り損はくたびれる。ちょっと一休みしたくなったので、瞳子は提案した。すると、可南子さんが言った。
「私食べていい?」
「えっ、もうランチ?」
「朝、食べてきてないの。だからブランチ」
「……いいけど」
というわけで、二人は軽食もとれるカフェに入った。
「妹なんだから、祐巳《ゆみ》さまと一緒《いっしょ》に来ればよかったのに」
サンドイッチを食べながら、可南子さんがつぶやく。そうしたら少なくとも瞳子さんは今頃こんなところで燻《くすぶ》っていないはずよね、と。
「昨日電話で言ったでしょ。遊園地デートは以前から二人が計画していたことなの。私たちは便乗組なんだから、お邪魔《じゃま》しないでおとなしくしていなくちゃ」
瞳子は紅茶をすすった。目の前にはフルーツタルトが置いてある。朝ご飯は食べてきたので、可南子さんのブランチにつき合うといってもこれくらいがちょうどいい。ちなみに可南子さんが飲んでいるのは、コーヒーだ。
「電話だったからかな。その辺が、今ひとつわからないんだけれど。|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》は、突然どうしちゃったわけ」
「クリスマスパーティーの時に、今度ご一緒に、みたいなそんな話が出たじゃない。だからじゃない?」
「律儀《りちぎ》ね」
「本当」
開園間もない時間帯のせいか、店内にはさほど客の姿がなかった。これが十二時前後になると、たぶん大変な混雑になるのだろう。今お腹を満たしておくのは、ある意味正解だったかもしれない。
「でも、瞳子さんはお邪魔したくないと言いつつ、来るわけだ。自分がいない所で楽しそうなことがあるの、ものすごーく気になる人でしょ」
「まあね」
別に、可南子さん相手に気取ることはない。瞳子は、可南子さんの中に自分と似た部分を見つけることができた。
「黄薔薇姉妹や白薔薇姉妹にくっついていく、っていう発想は生まれなかったわけ?」
「お邪魔虫になれ、と?」
逆に聞き返すと、首をすくめられた。
「じゃあ、私を誘うっていうのは、瞳子さんには好都合だったわけね」
「そう。来てくれて助かったわ」
もし可南子さんがいなければ、今頃ここで一人寂しくお茶していたわけだから。もっとも、一人で来たなら待ち合わせもしなかったわけで、ちゃんと開園時間前に到着していた可能性は高いのだが。
「数合わせ的な?」
「その通り」
二人は顔を見合わせて、ふっふっふと低い声で笑った。それから、自分が注文したメニューをおもむろに食べだした。
しばらく無言で食べ続けていたが、ふと可南子さんが顔を上げた。
「何にしても、誘ってくれて嬉《うれ》しかったわ」
ありがとう、とお礼を言われて、瞳子はあわてて訂正《ていせい》する。
「誘うって言ったの、お姉さまだから」
すると。
「……ふうん……」
「何?」
変な間のわけを尋《たず》ねると、可南子さんは頬杖《ほおづえ》をついて冷ややかに言った。
「『お姉さま』、板についてきたじゃない」
「お陰さまで」
そしてお互いに、コーヒーと紅茶をずずずと飲み干した。
[#改ページ]
スターアップ ティーカップ
祥子《さちこ》さま、柏木《かしわぎ》さん、祐麒《ゆうき》、そして祐巳《ゆみ》のリベンジ組は、秋に来た時と同じレストランに入った。あいにく空席はなかったけれど、五分ほど待っていたら、食事を終えた四人グループが席を立ったので、そこにすっぽりと収まることができた。
遊園地のレストランは面白い。疲れてグッタリしているお父さんもいれば、次のアトラクションに気持ちがはやって急いで食事をかき込む中学生らしきグループもいる。兄弟げんかを始めて床に突っ伏して泣く子供に、食事が済んでも二人の世界にひたっているカップル……。ひとときこのおとぎの国のスペースを共有することになった隣人たちは、それぞれ別のドラマの主人公なのだ。
さて、こちら祐巳たちのドラマはどのように進行しているかというと。前回同様、カウンターで自分の分を注文し、それぞれ割《わ》り勘《かん》で会計を済ませてテーブルに戻ってみると、トレーの上にはやはり全員三色カレーがのっていた。
「みんな、よっぽどカレーが好きなのね」
祥子さまのつぶやきに、残りの三人が「違ーう」と突っ込んだ。
「さっちゃんがリベンジ、リベンジって言うからさ、この前と同じ物を食べないといけないみたいなプレッシャーがあったんだよ」
柏木さんの解説に、ひたすら首を縦に振る福沢《ふくざわ》姉弟。
「あら。私は強制なんてしなくってよ」
とは言いつつ、祥子さまもカレーを選択したのだから、自らのリベンジという呪文《じゅもん》により、知らず魔法にかかっていたのかもしれない。
「ここの、おいしいからいいですよ」
さっそく、特大ナンを千切《ちぎ》ってカレーに浸《ひた》す祐麒。やっぱりお腹《なか》が空《す》いていたようだ。
祐巳と祥子さまは隣同士コソコソと相談して、一枚のナンを半分こにした。そして手つかずの一枚は、男性陣に「どうぞ」とプレゼント。高校生の女の子には少し多めで、ハイティーンの男子には物足りない分量のこのメニュー、だいたいの加減がわかっているので最初から取り分けたのだ。食べ残しをあげるより、ずっとスマート。復習とも言えるリベンジは、こういう時には大いに役に立つ。
「そうだわ、祐巳。まだジェットコースターに乗っていなかったわね」
「まさか、お姉さま」
自動車免許同様、密かにジェットコースターも乗る練習をしていた、とか。
「言ったでしょう? 私は乗らないわよ」
そうでした。
「じゃ、私もいいですよ」
お姉さまを待たせてまで、乗りたいものでもない。前回と同じならば、また柏木さんと二人で乗ることになるのだろうし。それって何か嫌だな、と思った。
「遠慮《えんりょ》しないの。私が乗らないからって、祐巳は我慢することはないのよ」
「我慢じゃないです」
そう答えると、話を聞いていた柏木さんがさわやかに言った。
「僕と二人になるのが嫌なら、令《れい》さんたちを探して一緒《いっしょ》に乗ればいいよ」
どきっ。
また、思ったことが顔に出ていたのだろうか。けれどそこで焦ったり頬《ほお》に両手を持っていったりしたら、柏木さんの言葉が図星だったと認めたことなる。だから、慌《あわ》てず騒がずニコリと笑い返す。
「自意識|過剰《かじょう》です」
「そう? エスコートされる気になったら、いつでもどうぞ」
この余裕《よゆう》っぷりが憎たらしいんだよな、と思いつつ祐巳は、こんな風に柏木さんをライバル視しているようじゃ、自分はまだまだなんだろうと悟った。
もっと上のステージを目指せよ、と柏木さんは言った。あの秋の日。自分はまだ、あの時と同じ位置に燻《くすぶ》っているのだろうか。
「祐巳」
突然、祐麒が言った。
「由乃さんたちが捕まらなかったら、今回は俺が一緒に乗ってやるよ」
「無理しないでいいよ」
「無理なんかしてない」
どうやらお化け屋敷で見せたチキンっぷりを、ジェットコースターで返上しようというもくろみらしい。
千切ったナンを浸《ひた》しているのが鶏《とり》のカレー、ってところが悲しいね。
「あ、そっちのお店だったのか」
レストランを出たところで、由乃《よしの》さんたちとバッタリ会った。
「祐巳《ゆみ》さんたちは何食べたの?」
と言うからには、由乃さんたちは別のお店でお昼を食べてきたわけだ。意外と、人間《ひと》は他人《ひと》がどこで何を食べたかが気になる物である。というわけで、その欲望を満たしてやるべく祐巳は応えた。
「カレー」
「こっちはライスボール」
「おにぎり?」
「そう思うでしょ? でも、違うの。| 丼 《どんぶり》ものなの」
由乃さんは笑った。ボー[#「ー」に傍点]ルじゃなくてボウ[#「ウ」に傍点]ルだったらしい。
「だってさ、これから絶叫系行くでしょ? 行くよね、祐巳さん。だから、それに先だっては軽めのお昼がいいと思ったわけよ。そんな時、お店から出てきた人がライスボールがおいしかったね、なんて言っていたの聞いてこれがいい、って深く検討《けんとう》することもなくふらふらっとね、入っちゃったわけよ。ボールじゃなくてボウルだって気がついた時には、注文する段になっていたから、もうこれでいいやって気になってね。結構並んだから、待っていた時間がもったいないじゃない。味は、まあまあおいしかったわよ」
由乃さんがおしゃべりになっている。これは、まだ令《れい》さまと仲直りしていない証拠である。食事の間、会話が弾《はず》まなかった分をこうして祐巳に向けて発散しているのだ。
それに、和解していたら、令さまとどこでランチにするかって、由乃さんの場合は真剣に話し合おうとするはずである。なのに、歩いている最中に小耳に挟《はさ》んだ見知らぬ人の会話を参考にして決めちゃったわけだから、お互いにかなりテンションが下がっていたと見ていい。その店の料理が予想と違っていたとして、いつもの由乃さんならそこで諦《あきら》めるようなことはなかっただろう。食べたい物があるのなら、文句を言いながら別の店に並び直す。つまりその気にならないくらい、令さまとのランチに期待できなかったのだ。
祐巳はチラリと令さまを見た。ご愁傷《しゅうしょう》さまです、と声をかけるのが似合うほど、どんよりしていた。
「遊園地の間だけでも、休戦したら?」
由乃さんにこっそり提案してみたけれど、「何のこと?」と冷ややかに返された。あくまで、けんかしたとは認めたくないらしい。
「祐巳さんが言っている意味はわからないけれど。あっちから申し出てくるなら、考えなくもない。あっちが悪いんだから」
由乃さんの中では、これはけんかじゃなくて、「令ちゃんが悪い」わけである。一方的に。でも、それってかなり怪しい。令さまは、一方的に悪さをするような人ではないし、少しでも否《ひ》があるならばすぐに謝るような平和主義者だ。それがここまでこじれたとあっては、由乃さんが詫《わ》びを入れない限り和解は難しいのではあるまいか。それでもこうして一緒《いっしょ》に行動しているのだから、二人とも忍耐強いことこの上ない。
「由乃ちゃん、これから何に乗ろうとしているの?」
柏木《かしわぎ》さんが尋《たず》ねた。
「……まだ決めては」
由乃さんは、チラリと令さまを見た。それでも、相談する気はないらしい。
「再会できたわけだから、僕らもご一緒させてもらっていいかな。令さん」
「え。ええ、もちろん」
柏木さんも黄薔薇姉妹の間の不穏な空気に気づいたらしく、取り持とうとしているらしい。仲間でパーッと盛り上げて、なし崩《くず》しに仲直りさせちゃおうという計画なのだろう。
「手始めに、あれだ」
元気よく指をさす柏木さん。ちょうどティーカップが見えてきたところだったから、この流れで一気に突入と考えたのだ。
しかし、そうそう足並みは揃《そろ》わないもので。
「私は乗らないわよ」
祥子《さちこ》さまが言った。
「へ?」
「だから、乗らないって言ったの。ティーカップっていったら、グルグル回るあれでしょう? あんなのに乗ったら、気持ち悪くなってしまうもの」
駄目《だめ》なのは、ジェットコースターだけではなかったらしい。確かに、前回もティーカップに乗った記憶はない。そして「気持ち悪くなる」宣言をしている人を、無理矢理乗せるわけにもいかない。
「じゃ、さっちゃんは見ていたらいい」
「そうさせてもらうわ」
「えーっ」
じゃあ私も、と言う前に、柏木さんが囁《ささや》いてくる。
「ティーカップに乗っている祐巳ちゃんを見ながら、さっちゃんは外から手を振る。いいね。何だか、ファミリーっぽくないかい?」
ほら、と言われて指さす方を見れば、赤ちゃんを抱いたお母さんが、クルクル回るティーカップを見ながら手を振っている。その視線の先には、お父さんと小学生くらいの女の子が嬉《うれ》しそうに手を振り返していた。なるほど、あんな感じになるわけだ。
「わかりました」
うなずいて胸を叩いた。単純だな、と祐麒《ゆうき》が笑ったけれど、柏木さんの誘いに簡単に乗ったわけじゃない。祐巳がいれば、由乃さんはしゃべる。令さまだって、少しは穏やかな表情になる。男二人だけでは、さほどいいつなぎ[#「つなぎ」に傍点]になるとは思えなかったからだ。
さて、黄薔薇姉妹を仲直りさせようという企画が水面下でもち上がっているわけだから、カップは二人一緒に乗せるべきである。食事中は黙り込んでいても、クルクル回るティーカップの中で無言のままでいられるわけがない。あの乗り物は、人をハイにさせる何かがあるのだ。
そういうわけで、柏木さんと祐麒と祐巳が、由乃さんたちより前に順番待ちの列に並んだ。これは作戦である。いざ乗り込むという段になったら、祐巳たち三人がダッシュして一つのカップに収まれば、残った由乃さんと令さまは一緒に乗るより他はなくなる。二人きりで狭い空間にいるのが気まずいからって、まさかティーカップ一台に一人ずつ乗るなんて空《むな》しい選択はしないだろう。
しばらく経つと、列の二組くらい後に蔦子《つたこ》さんと笙子《しょうこ》ちゃんが並んだ。間のお客さんに悪いので、声は出さず、手を振って「ここにいる」という合図だけを送った。みんな、お昼を食べ終わってこれが一つめのアトラクションなのだろう。
もうすぐ順番が回ってくるという時、係のお姉さんが「お客さまは何人さまですか」と聞いてきた。「三人です」と答えると、今度は由乃さんたちに向かって言った。
「申し訳ありません、こちらで区切らせていただきます」
つまり、祐巳たちが次の回にカップに乗れるラストで、由乃さんたちは次の次の回になる、というわけ。蔦子さんたちと一緒の回だ。
由乃さんが、小さく舌打ちした。楽しいはずの遊園地が、令さまとけんかしたことにより今のところあまり楽しくはない。普段はもっと寛容《かんよう》になれることであっても、そんな時はいちいち突っかかりたくなるものなのだ。その気持ちはよくわかる。
「由乃」
けれど、令さまは許してくれない。
「仕方ないでしょ。順番なんだから」
注意されたことで、ただでさえ不満だった由乃さんの表情が、みるみる不快へと変化していく。
「あの、俺たち後でもいいから、先乗る?」
見かねてというか居たたまれずというか、祐麒が二人に声をかけた。
「甘やかさなくていいの、祐麒君」
「そうよ、私は先に乗りたいなんて一言も言っていないんだから」
「祐麒君に当たることないでしょ」
「話しかけられたから答えただけだもん」
良かれと思って申し出た祐麒、撃沈。こうなっちゃったら、あんまり構わない方がいいんだって。でも男子校育ちの祐麒には、女の子の微妙な心情なんてわかりはしないのだ。
とにかく、触らぬ神に祟《たた》りなし。前の回のカップが停止して、お客さんが降りて、カップの中を点検した係のお姉さんが出したGOサインと同時に発せられた、「あの赤いカップ!」という柏木さんの声に促されて祐巳はダッシュした。
残された由乃さんと令さまが、ティーカップ終了後にどうなっているかは神様に任せた。二人でティーカップを回し合ってご機嫌になれればいいけれど、そううまくいくはずもない。まし[#「まし」に傍点]になっていれば御《おん》の字《じ》だ。
最初に目的のカップを定めたお陰か、みんなが迷っている間に柏木さんは赤いカップをゲットした。追いついた祐巳も、カップの中の椅子《いす》に滑り込む。
「あれ?」
祐巳より足の速いはずの祐麒が、まだやって来ない。赤いカップと聞こえなくて、迷っているのだろうか。キョロキョロ見回しても、色とりどりのカップの周囲には、あぶれた少年の姿はなかった。そのうち、係のお姉さんが各カップを回って、出入り口がちゃんと閉まっているか確認し始めた。
「しくじったな、ユキチ」
柏木さんがつぶやく。どういうこと、と振り返れば、何と祐麒は順番待ちの列の先頭に立っていて、情けない顔をこちらに向けている。その腕は逃がすものかとばかり、しっかりと握られている。そう、由乃さんによって。
「由乃さんが祐麒を好きだなんて、聞いたことがない」
「僕も」
ということは、やはりあれか。
「本当は、祐巳ちゃんを道連れにしようとしたんじゃないかな。でも、祐巳ちゃんのスタートが見事だったので、急遽《きゅうきょ》出遅れたユキチに変更した」
「……やられた」
開始の合図であるベルが鳴り、その後楽しげなメロディーが流れ出す。祐巳と柏木さんが乗った赤いカップが、ゆっくりと始動した。
「由乃さん、祐麒を連れて何しようっていうのかしら」
「さあ? 令さんを加えて三人で乗るつもりか、それとも令さんをあぶれさせようって腹か」
柏木さんが、カップの真ん中にある丸いハンドルをグリンと回した。そして、「ほら、さっちゃんだよ」と言う。
思い出して、祐巳はあわてて祥子さまを探す。カップが乗っているトレーも回る上に、自転もするから、なかなか視点を定めることができない。
「祐巳ー」
クルクル、クルクル。目の端にちらっとその姿をとらえたので、そこに向かって必死で手を振る。
「お姉さまー」
しかしその時にはもう、向いている方向が変わって、見知らぬ家族連れに満面の笑顔を向けてしまったり。
「わははは」
柏木さんが、ハンドル操作しながら笑う。
「わはは」
つられて祐巳も笑う。
外にいる祥子さまも、笑っている。はっきりは見えないけれど、きっとお腹《なか》を抱えて笑っている。
ツインテールが、顔にあたる。リボンがほどけかかっているのか、青い色が時折チラチラと目の前で踊っている。
そのうち、自分が回っているのか外の風景が回っているのかが、どんどんあやふやになる。
音楽が、どこから聞こえてくるのかがわからない。自分の外って、何だろう。内側ってどこだろう。
グルグル回っているうちにバターになったトラって、最後はこんな気分だったんじゃないか。そんなことを考えているうちに、ティーカップはゆっくりと停止した。
カップを出て歩き始めると、足がふらふらした。
「大丈夫《だいじょうぶ》?」
柏木さんが、王子さまらしく手を差し出してくれる。普段だったら、「結構です」って突っぱねるところだけれど、一度急上昇したテンションがまだ正常値まで下りてこない。
「わははは」
ありがたくその腕に手をかけさせてもらう。お姫さまというよりお婆《ばあ》さんだな、こりゃ。そんなしがみつき方がおかしくて、ますます笑った。未成年だから、お酒を飲んで酔っぱらったことはないけれど、これは完全に笑い上戸《じょうご》だ。
それでもお酒じゃなくて乗り物酔いだから、五歩くらい歩くと嘘《うそ》みたいにすーっと酔いが覚めた。どうも、ってお礼を言って柏木さんから離れる。
「どういたしまして」
ニッコリ笑ってから、彼はたった今自分たちが出てきたティーカップを振り返った。
「そうか、祐麒」
自分が思いっきり楽しんでいるうちに、すっかり忘れていた。この後の回には、問題の黄薔薇姉妹と囚《とら》われの身となった祐麒がカップに乗る予定なのだ。
由乃さんは未だ祐麒の腕を、しがみつくみたいにつかんでいる。高校二年生の男女が腕組みをしている格好なわけだが、彼女が戦闘的な目つきで彼氏がオドオドしているせいで、まったく恋人同士に見えなかった。
「祐麒を入れて、三人で乗るのが正解だと思うけれど」
「そうだね」
「些細《ささい》なけんかだったら、いっぺんで吹っ飛んじゃうんじゃないかな。私だって柏木さんと二人でも、テンション上がったくらいだから」
ね、と同意を求めると、柏木さんはどんよりとした表情を浮かべていた。
「どうしたんです?」
「祐巳ちゃんって、時々グサッグサッてくることを言う」
どうやら「柏木さんと二人でも」の部分に傷ついたらしい。デリケートだなぁ。
「それは失礼」
言い置いて、待っていた祥子さまに駆け寄った。
「私が手を振ったの、見えました?」
「ええ」
「私がお姉さまのことをわかったのも?」
「もちろん」
二人の世界にひたってはしゃいでいると、落ち込んだままの柏木さんがやって来て、「ほら」と指をさした。注目すると、由乃さんたちの前のロープが外されるところだ。
祐麒という切り札を確保した由乃さん、さあどう使うかが見物である。
「あ」
何てことだろう。スタート直後、由乃さんは祐麒の手を引いて駆けだした。祐麒の手、だけである。
取り残された令さまは、どうしていいかわからず、取りあえず後を追ったものの、一足先にカップに乗り込んだ由乃さんによって、出入り口のドアを閉められてしまった。もちろん由乃さんは、祐麒を先に押し込むことを忘れてはいない。
あまりの仕打ちに、呆然《ぼうぜん》となる令さま。でも突っ立っているわけにもいかず、空《あ》いているカップを探して歩き回る。
けれど、事前に三人一組で申告していたのだろう、係の優秀なお姉さんはカップの数に見合った組を入場させているわけで、空きがでるはずもないのだった。
ひどい。ひどすぎる、由乃さん。係のお姉さんも、自分の采配《さいはい》ミスかと思って平謝りで令さまを迎えにいっている。声は届かなかったけれど、もう一つ後の回にしてもらえないだろうか、とそんなことを言っているように見えた。
見かねた祐麒が、立ち上がってドアを開けようと手をかけたその時、別の場所から助け船がでた。
「令さま。よろしければ、こちらでご一緒いたしませんこと?」
蔦子さんだ。笙子ちゃんと二人でカップに乗っていた蔦子さんが、大きく手を振って呼んでいる。
いつも頼りになる蔦子さんであるが、今回くらい頼もしく思えたことはない。
『GO!GO! 蔦子さん。我らがヒーロー(ヒロインではない)蔦子さん。アイラブユーラブ蔦子さん。T・S・U・T・A・K・O 我らがヒーロー 蔦子! それ』
心の中で即興の応援ソングを歌っちゃうくらい、もうサイコーです。蔦子さん。
もちろん、素直な令さまは申し出をありがたく受け取った。お礼を言って、蔦子さんと笙子ちゃんのカップに乗り込んむ。
敵《かたき》役の由乃さんがどうしているかというと、取りあえず令さまが見せ物状態から脱したことに関してはホッとしているようだった。どうやら後先のことを考えずに、令さまのことを閉め出したようだ。ホントに、もう。
カップが回り始めた。
由乃さんは、一緒に乗っている祐麒を無視して、令さまのカップを見ている。けれども、令さまは由乃さんの方を一切《いっさい》見ない。蔦子さんと笙子ちゃんと楽しげにおしゃべりしながら、クルクルクルクル笑っている。
これは外から見ていた祐巳の想像でしかないけれど、由乃さんはほとほと嫌になったのだと思う。けんかしたことも、素直に「ごめんなさい」が言えないことも、意地悪しちゃったことも、令さまが楽しそうにしていることも、すべて。
でもって、「やだやだやだ」って気持ちが、行動に出た。
由乃さんは、おもむろにハンドルを握ると、すごい勢いで回し始めたのだ。ティーカップってここまで早く回るものなんだ、ってちょっと感動するくらい凄《すさ》まじいスピードだった。
「見ているだけで気持ち悪くなりそうだわ」
祥子さまは背中を向けた。それは正しい。けれど、祐巳は目が離せなかった。ひたすらハンドルを回し続ける由乃さんが、心の中で泣いているみたいに思えたから。
「ユキチ、大丈夫《だいじょうぶ》かな」
柏木さんも心配している。他のカップに乗った人たちも、ちょっと引いてしまっている。
音楽が止んで、カップがゆっくりと停止した。わらわらとカップを後にする乗客たち。しかし、由乃さんは動かなかった。
どうしよう、と祐麒《ゆうき》は思った。
「あの、由乃《よしの》さん?」
カップが動いている間は、何かに取り憑《つ》かれたみたいに彼女はハンドルを回し続けた。振り落とされることはないだろうが、あまりに回転が速くて、カップの側面にしがみついているのがやっとだった。
それが、だ。カップが止まったとたん、由乃さんは電池が切れた玩具《おもちゃ》みたいにグッタリして、ハンドルを握った手の上に顔を下ろしたまま、動かなくなってしまったのだ。ひええーってなものだ。
唯一の救いは、電池が切れる直前に「酔った」とつぶやいていたことだ。昔、由乃さんは心臓が弱かったという話だったから。カップの回しすぎで心臓|発作《ほっさ》を起こして死んじゃったら、シャレにならない。
とはいえ。
「どうしよう」
正直、こういうのに慣れていないのだ。相手が男だったら、「しっかりしろ」って喝《かつ》を入れ、引きずり下ろすくらいのことはするのだが、如何《いかん》せん相手は女子である。下手《へた》な場所に触れようものなら、痴漢《ちかん》扱いされかねない。
そうだ、ここは同じ女性である係のお姉さんに、と思った時、祐麒は後ろから肩をつかまれた。
「ごめん。代わるから」
令《れい》さんだった。
「令さん……」
あんな仕打ちをされたのに、由乃さんのピンチの時にはいち早く駆けつけてくれる。なんて、心の広い人なのだ。
剣道では男顔負けの使い手とは聞いているが、それでもこんなに令さんが男らしく(誉《ほ》めている)見えたことはない。心の中で思わず、即興の応援ソングを歌ってしまいたくなるくらい格好いい。
『GO!GO! 令さん(以下略)』
「由乃。歩ける?」
カップの中に入ってきた令さんは、由乃さんに声をかけた。由乃さんは寝言《ねごと》みたいなはっきりしない言葉で何かを答えたが、令さんには何を言っているのかちゃんとわかるようだった。
「よし、じゃ立って」
令さんに抱きかかえられるようにして、カップを下りる由乃さん。祐麒は、ただ見ているだけしかできない自分が歯がゆかった。
「令さん、俺」
せめて何か手伝うことがあったら、と声をかける。
「じゃ、由乃の荷物お願い」
そんな言葉とともに、バスケットボールのように飛んできたバッグを、喜んで受け取る。
「預かりましたっ」
頼りになる兄貴(失礼)令さんに命じられれば、何でもやりましょう、そんな感じだった。
「他には」
すると、グッタリしていた由乃さんが顔を上げ、祐麒に向かって「伝令」と言った。
「え?」
聞き返すと。
「祐巳さんに伝えて。もう今日はジェットコースターは無理だから、私に構わずどうぞ、って」
その言葉を祐麒に残し、由乃さんは令さんによって、どこぞへと連れていかれたのだった。
[#改ページ]
どういう組み合わせ
ティーカップ降り場で祐巳《ゆみ》たちが待っていると、令《れい》さまに抱えられるようにして由乃《よしの》さんが出てきた。
「心配しないで。酔っただけ」
令さまがそう告げて、由乃さんを連れていく。方角からすると、たぶんお手洗いに向かったのだ。
「令に任せておきましょう」
祥子《さちこ》さまが言った。
確かに、大勢で「大丈夫《だいじょうぶ》?」とか言いながらついていっても、何もできない。具合が悪い時は、構わないで欲しいこともある。祐巳は、由乃さんのことがすごーく気になったけれど、ここは追いかけるのをぐっと我慢することにした。
「令さま、よく気づかれましたね」
蔦子《つたこ》さんと笙子《しょうこ》ちゃんは、由乃さんの異変にまったく気づかなかったという。ティーカップから出たところで、一緒《いっしょ》に歩いていた令さまがいなくなっていることに気づき、祐巳たちが「大丈夫かな」と言っていたのを聞いて、やっとそのことを知ったのだった。
「伝令」
祐麒《ゆうき》がフラフラしながら戻ってきた。カップの中でグルグル回って体力を消耗《しょうもう》したところに、由乃さんのダウンを目《ま》の当たりにするというダブルパンチで、心身ともにかなりダメージを受けているようだった。
「今日はジェットコースターは無理だから、私に構わずどうぞ、って」
「何?」
「由乃さんが、祐巳に伝えてくれって」
「あ、そう」
特に約束していなかったけれど、あの「これから絶叫系行くでしょ? 行くよね」というお誘い、イコール由乃さんの中では約束したこと、であったらしい。
「そうね。祐巳、行っていらっしゃいな。あの様子では、由乃ちゃんはしばらく帰ってこないわよ。蔦子さん笙子ちゃんも、ここはいいから、好きなアトラクションで遊んできたらいいわ」
写真部二人は、「そうですか、じゃ」と言って先に歩きだした。河に見立てた湖の方に向かったところを見ると、ジェットコースターに乗るつもりはないようだ。後ろ姿を眺めながら祐巳は、やっぱりいつもの蔦子さんとどこか少し違う気がするな、とぼんやり思った。ティーカップでは笙子ちゃんや令さまと大笑いしていたから、身体《からだ》の調子が悪いわけではないようなのだが。
「ほら、祐巳たちも。荷物は預かるから」
「でも」
由乃さんも気になるし、お姉さまと別れてまで、ってやっぱり思う。けれど。
「命令」
有無《うむ》を言わさぬ口調に、従わないわけにはいかない。
「はい」
祐巳はハンカチと園内のフリーパスポートだけ持って、バッグを祥子さまに預けた。
「じゃ、行こうか」
柏木さんがふざけて腕を差し出したけれど、祐巳はそれを見なかったことにして、背後を振り返った。
「祐麒は……無理そうだね」
「ごめん」
今回は一緒にジェットコースターに乗ってやると意気込んでいた弟は、最寄《もよ》りのベンチに座ったままどんよりとした目でこちらを見ている。ハンドル操作をしていた由乃さんがあんな状態になったのだから、これくらいで済んでよかったねと声をかけるべきところだろう。この上、ジェットコースターに乗れというのは酷《こく》である。
「行ってきます」
お姉さまに挨拶《あいさつ》してから乗り場に向かった。柏木《かしわぎ》さんは尚も腕を祐巳に向けてきたけれど、祐巳は完全無視した。
「照れなくてもいいじゃないか」
「照れていません。恥ずかしいだけです。よくそういうキザなことできますよね」
遊園地は夢の国、おとぎの国かもしれないけれど、ここは紛《まぎ》れもなく日本である。舞踏会《ぶとうかい》みたいに「お手をどうぞ」はない。百歩|譲《ゆず》って手をつないでいるカップルはいるけれど、自分と柏木さんはカップルじゃないし。
祐巳が応じなくても、キザと言われようと、柏木さんは一向にめげない。
「しょうがない。僕は生まれながらの王子さまだから」
ギンナンの国のね、と祐巳は心の中でつぶやいた。
子供が、珍しい物でも見るように柏木さんのことを見ている。そりゃそうだ。いい大人が、肘《ひじ》を突き出したまま、ちょっと傾《かし》いで歩いているんだから。
「祐巳ちゃんはさ、ずいぶん大人になったよね」
変なポーズのまま、柏木さんが言う。
「何か、嫌らしい。その言い方」
祐巳は冷たく拒絶した。
柏木さんが自分に興味を示しているなんて勘違《かんちが》いはしていないが、まるで若紫《わかむらさき》を見る光源氏《ひかるげんじ》みたいで、やだ。その微妙なところが理解できないらしくて、本人は「嫌らしいかな」と笑っている。これだから、育ちのいいハンサムは手に負えない。祐巳は王子さまを放っておいて、自分のペースでどんどん歩いていった。別に、柏木さんが一緒《いっしょ》でなくてもいいのだ。ジェットコースターくらい、一人で乗れる。
しかし足の長さに物を言わせて、すぐに柏木さんは追いついて祐巳に並んだ。諦《あきら》めたのか、もう変なポーズはしていない。
「具体的に何かって言うとね」
でも、まだ話は続いていたらしい。
「さっきもさ。本当はさっちゃんと一緒に、由乃さんが帰ってくるのを待っていたかったよね。でも、さっちゃんの意図を汲《く》んでこうしてジェットコースターに乗ることにした」
「……祥子さまの意図って?」
適当に聞き流していようと思ったのだが、お姉さまの名前が出てしまっては、祐巳は反応せずにいられない。
「由乃ちゃんが戻ってきた時に、祐巳ちゃんが次のアトラクションにも行かずにそこで待っていたら、由乃ちゃんが気にするだろう。だって、そうならないように由乃ちゃんは祐麒を伝令にたてたんだからね」
「……」
「さっちゃんは前回、具合が悪くなって遊園地デートを途中でリタイアした。祐巳ちゃんの楽しい時間も奪ってしまった。それで、由乃ちゃんに気持ちを重ねているんだ。だから祐巳ちゃんは、さっちゃんの気が済むように行動したんだ。もちろん、それは由乃ちゃんの気持ちに添った行動でもある」
祐巳は、そんなに深く考えていたわけではなかった。ただ、お姉さまがそうしろと命じたことに従うことが正解だって思っただけだ。でも、分析できていなかっただけで、本当はそんな気持ちがどこかにあったのかもしれない。
「別に。ジェットコースターに乗りたかっただけだし」
祐巳は逃げるように大股《おおまた》で歩いた。たとえそれが正解であっても、柏木さんに解説されるのはシャクなのだ。
「そんな風に、憎まれ口をたたく子供っぽい祐巳ちゃんが、僕は可愛《かわい》くてしかたないんだけれど」
「やめてください」
この人、何を言いたいんだか。
口説《くど》いている? いや、柏木さんは同性愛者のはず。あれ、それとも両刀って話だったっけ?
どっちにしろ、今、ここで柏木さんが自分を口説くのはかなり不自然だって、祐巳は思った。
「でも、祐巳ちゃんの成長を止めることはできないよね。寂しいけれど、喜ばしいこととして認めなければならない」
「はあ?」
本当にわからない。やはり口説いているわけではなさそうだと、辛《かろ》うじてわかるくらいだ。目を白黒させていると、柏木さんが小さく笑った。
「つまり、何が言いたかったかというと、僕は祐巳ちゃんに感謝しているんだ」
「感謝?」
「瞳子《とうこ》のことだよ」
瞳子。
そうか。時々忘れそうになるけれど、柏木さんは瞳子の従兄《いとこ》でもあるのだった。
「私、何も」
感謝されることなんて何もない。姉妹《スール》にはなったけれど、それはお互いの意志であって、柏木さんにお礼を言ってもらうことじゃないし。
「してくれたんだよ。僕には救えなかった。あの子の頑《かたく》なな心を、君は受けとめ、溶《と》かしてくれた」
柏木さんは、大切な人の大事な話をする時、デッサン用の石像のような顔になる。石像の顔も、キザでにやけた顔も、どちらも柏木さんなんだろうけれど、別人みたいで、対応するこちらは混乱する。
「瞳子は、祐巳ちゃんの妹になって、心が安定した。それはある意味、肝《きも》が据《す》わった祐巳ちゃんに寄り添っているからだと思う」
「安定?」
祐巳は首を傾《かし》げた。なぜだかその単語が、心に引っかかったのだ。
「……あ」
わかった。つい先日、祥子さまや志摩子《しまこ》さんが言っていた、「どっしり」の正体。
安定だ。
肝が据わっているかどうかはともかく、近頃の祐巳はちょっとやそっとのことでは動じなくなったかもしれない。だから、祥子さまは体育館脇で祐巳を突き飛ばしてみたのだろう。
「僕の言葉がきっかけで何かひらめいた?」
石像はもうすっかりなりをひそめた柏木さんが、顔を覗《のぞ》き込んで笑っている。
「内緒《ないしょ》」
「じゃ、お礼に手をつなごう」
「絶対やだ」
ジェットコースターの順番待ちの行列が見えてきたので、祐巳は一人で駆けだした。すぐに追いつかれることは知っての上で。
お礼は、ジェットコースターの隣の席で、一緒に大声を出してあげることに決定だ。
祐麒《ゆうき》の調子がだいぶ良くなってきた頃、令《れい》さんと由乃《よしの》さんが戻ってきた。
「祥子《さちこ》さま、ご心配かけて申し訳ありません」
祥子さんに向かって詫《わ》びを入れる由乃さん。祐麒は、我が目を疑った。何と彼女は、脱いだジャケットを振り回しながら、スキップしてきたのだ。
どんな魔法を使ったのか、由乃さんはケロリと良くなっていた。話の様子から、何てことはないスピューしてきたということだった。由乃さんは、リバースという言葉を使っていたけれど。
「祐麒君も」
顔を祐麒に向けて、由乃さん。
「ごめんね。いろんな意味で」
ティーカップに乗る直前腕をつかんだ時の、あのハンターのような目つきが、カップのハンドルを回し続けた時の、あの何かに取り憑《つ》かれたような表情が、すっかりさっぱり消え去って、まるで別人のように可愛《かわい》く笑った。
「いいよ。由乃さんも辛《つら》い目にあったみたいだから」
何より令さんと由乃さんの間の、険悪な雰囲気《ふんいき》がなくなっていたのはよかった。雨降って地固まるというか、大事の前に小事が消え去ったのだろう。
誰かと誰かがけんかしているというだけでも、あまり気持ちいいものではない。なのにここの二人ときたら、その上周りを巻き込んでくれちゃうから。とばっちりを受ける方はたまらないのだ。
「祐巳さんは?」
姿が見えないことに気づいたようだ。由乃さんが、祥子さんに聞く。
「優《すぐる》さんと、ジェットコースターに行ったわ」
「あ、ホントに? 良かった」
由乃さんの「良かった」を聞いて、祐麒も「良かった」と思った。祐巳がここに残っていたら、伝令を引き受けた意味がなくなるところだった。
ベンチの、祥子さんと祐麒の間にできたスペースに腰を下ろすとすぐに、由乃さんは言った。
「お腹空《なかす》いたかも」
(えっ?)
「何か食べたい」
(えーっ!?)
いくら胃袋の中にあった物を全部吐き出しちゃったからって、すぐにその空《あ》きを埋めにかかるか、普通? もうちょっと、胃を休めたりした方がいいんじゃないか? 何にしても、復活が早い。早すぎる。
「待って、お腹にやさしい物探してくる」
言い置いて、令さんが行動にうつす。どこまで寛大なんだ。祐麒は、尊敬の眼差《まなざ》しでその後ろ姿を見送った。
「祐麒さん。荷物番をお願いしてもいいかしら?」
「はいっ?」
突然、声をかけられて振り返る。名指しで荷物番、ということは――。
「由乃ちゃんと二人で、ちょっと外したいの。すぐ戻るわ」
「……はい」
これは祥子さんの独断であって、二人で相談した上での決定ではないらしい。当の由乃さんも、「何なの?」という顔をしている。
「じゃ、お願いね。行きましょう、由乃ちゃん」
それでも、先輩からのお誘いである。由乃さんは、首を傾《かし》げながらもついていく。
「あれ? なら俺が外したほうが早かったんじゃ――」
自分の気の利《き》かなさに祐麒が気がついた時には、もはや二人は荷物を置いて歩き始めていた。残された少年は、自分の姿を客観的に見つめて、肩を落とした。
女物のバッグ三つと、女物のジャケット一枚を守ってベンチに一人。一人分だけなら、彼女の荷物を預かっているという解釈もできるが、バッグ三個って。もう、何じゃこりゃ、である。
さて、こういう場合恥ずかしそうにしているのが正解か、それとも「確かに僕は女物のバッグを三つ持っていますが、それが何か?」という開き直った姿勢でいるべきか。これが柏木先輩なら、「モテモテで困っちゃうよ」くらいの余裕《よゆう》をかますんだろうな、と考えたものの、とても真似《まね》できそうもないから、何の参考にもならないのだった。
祐麒は、園内の風景をぐるりと見回した。誰も彼も自分たちが楽しむことに精一杯だから、別に少年がベンチに一人座っていることなんか、気に留めやしない。ましてや、その持ち物のことなんて――。
「あっ!」
そこで、祐麒は声をあげた。視界に入るギリギリの所に、今、気になる人影を見かけた気がする。
「わっ、わっ、わっ」
見かけたのは一瞬。すぐにアトラクションの建物の向こう側に消えてしまった。けれど、たぶん人違いではない。
「待って!」
声をかけて届く距離ではなかった。
追いかけなければ、と立ち上がる。今すぐダッシュすれば、追いつく自信はある。相手は、ただ歩いているだけの女の子だ。
「あ」
だが、三つのバッグと一枚のジャケットが、文字通り祐麒の荷物になった。
「あー、もうっ」
祥子さんに荷物番を仰《おお》せつかったのだ、これらを置いていくわけにはいかない。
どうする、祐麒。この危機を、どうやって乗りきる!?
「仕方ない」
男|福沢《ふくざわ》祐麒は、ある決断をして駆けだしたのだった。
「どうしてこじれたの?」
歩きながら、祥子《さちこ》さまが尋《たず》ねた。
「……」
由乃《よしの》が黙っていると、小さく笑う。
「他藩《たはん》のお家事情に口出しする気はないのだけれど、どうにも気になってしまって。卒業が近いせいかしらね、私もナーバスになってしまいがちで」
「ご心配かけて、申し訳ありません」
ナーバスなのは、祥子さまじゃなくて令《れい》ちゃんと私の方だ、と由乃は思った。
「何がどうってわけじゃなくて、きっかけはちょっとしたことなのに。どっちも折れないというか。つまり、何て言うか……バカなんです」
「令が?」
「二人とも」
「そうね」
素直になれないだけで、由乃はちゃんとわかっている。そのことを理解した祥子さまは、もう何も言わなかった。由乃が頑《かたく》なに「令ちゃんが悪い」と繰り返したら、お説教の一つもするつもりだったのかもしれない。
「でも、令らしくないわね」
ちょっと考えてから、祥子さまはそう言った。
「そうでしょう?」
すぐ横を歩きながら、由乃もうなずく。令ちゃんは、基本、辛抱《しんぼう》強くて寛大なのだ。だから由乃は、ある程度までは許してもらえるものと思い込んで、好き勝手やっていられる。五分待たせたからって先に行っちゃったり、「ごめんなさい」を強要したりする令ちゃんは、やっぱり「らしくない」。
「由乃ちゃんが思っているきっかけが何かは知らないけれど、そればっかりではないのではないかしら」
「そればっかりじゃない?」
「根本に何か……由乃ちゃんが気づいていないだけで、令には何か不満があるとか」
「不満ですか」
由乃が卒業前の令ちゃんに甘えていること、だろうか。もっとしっかりしろということ、だろうか。でも、そんな漠然《ばくぜん》としたことではない気がする。
祥子さまもそう思ったのだろう、「例えば」と投げかけてきた。
「話して欲しいことを言ってもらえない、とか」
「お詫《わ》びの言葉、ですか」
「それは違うのではなくて?」
言われるまでもなく、それは間違いなくハズレだ。ごめんなさいは、ことが起きた後のこと。由乃がなかなか謝らないから、令ちゃんの心が狭くなってしまったということはない。
(私に言うことないの?)
「あ」
突然、令ちゃんの言葉が| 甦 《よみがえ》った。
「思い当たったの?」
「はい。でも、それが何だか……」
何だかぼんやりしている。けれど、引っかかる。令ちゃんはバスの中で、由乃に「ごめんなさい」を求めたのではないのではないか。別の何か。令ちゃんは、たぶん聞きたかったことがあったのだ。
「ところで、菜々《なな》ちゃんはどうしたの?」
菜々。そのキーワードに、今度はピンと来た。
「……それだ」
由乃のつぶやきに、祥子さまは目を見開いた。
「由乃ちゃん。まさか、令にも報告していないの?」
にも、という連語が耳に痛い。
「はい。忘れていました」
令ちゃんだけでなく、祐巳さんにも志摩子《しまこ》さんにも言っていない。だって、忘れていたんだから。
「菜々ちゃんに電話は? したんでしょう?」
「はい、もちろん」
昨日の夕方、請《う》け負ったことだ。それは忘れていない。
「でも菜々は、用事があるから行けない、と。もしかしたら、遠慮《えんりょ》したのかもしれないけれど。……頭のいい子だから」
「そうね」
「なのに、私って相当頭悪い。わざと言わなかったわけじゃないのに、でも令ちゃんは疎外《そがい》感もったのかもしれません」
菜々が来ないことに少しホッとして、一晩寝たら事後報告をすっかり忘れてしまった由乃。これじゃ、三歩あるいたら忘れてしまうというニワトリと一緒《いっしょ》である。その上、布団《ふとん》にもぐって令ちゃんを驚かそうなんて考えていたんだから、ほとほと呆《あき》れる。
「わかったなら、改めればいいのよ」
「令ちゃんに話します。それから、ちゃんと謝ります」
「頭のいい子の対応だわ」
祥子さまは、歩きながら由乃の肩を抱いた。そして「戻りましょうか」と方向転換した時、二人は珍奇な光景に出くわした。
「あれ……祐麒《ゆうき》君ですよね」
「……ええ」
両肩に一つずつ、左手に一つ、計三つのバッグを持ち、右手でジャケットを抱えて全速力で走る少年の姿は、かなり人目を引くものだ。
由乃と祥子さまだけではなく、道行く人がもれなく振り返るほどのインパクトがあった。
そんなことになっているとはつゆ知らず、瞳子《とうこ》と可南子《かなこ》さんは園内を巡る汽車の旅に出発した。ちょうどいい具合に波が引いたようで、ほとんど並ばずに車上の人となった。
お化け屋敷と海賊島《かいぞくじま》の冒険ツアーは両方とも閉鎖《へいさ》的だったから、尚のこと風通しのいい外の旅は気持ちがよかった。風に吹かれて縦《たて》ロールが崩《くず》れたけれど、楽しいから「ま、いいか」と瞳子は思った。可南子さんは長い髪が風に躍らされてこんがらがるのを気にして、早々にゴムでくくっている。
それにしても、まったく誰にも会わない。
遊園地に行くという計画は、本当に今日だったのだろうか、と瞳子は段々不安になってきた。もしかしたら、来週の日曜日だったとか。いや、祥子お姉さまは確かに昨日、「明日」と言っていた。遊園地の名前なんて、間違えようがない。
「ね?」と同意を求めたくても、現場にいなかった可南子さんには確認のしようがないのだった。
「あ!」
突然、可南子さんが叫んだ。
「な、何?」
「あれ、何だろう。鹿? 牛?」
前の席に座っている小学生と、言っている内容はほぼ同じである。
「ほら、あの人。あれ、人形だよね? それとも係の人が扮装《ふんそう》しているの?」
右や左を指さして、瞳子に「あれ、あれ」と話しかける。可南子さんは、意外と好きみたいだ。こういう世界。知らなかった。
「あ!」
「今度は何」
「|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》と| 黄薔薇のつぼみ 《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》が」
「ろさきねんしす?」
一瞬、キャラクターの名前か? と思った。その一瞬の間が、遅れとなった。
「どこっ!?」
「あー、もう岩の陰に」
汽車は動いている。途中下車はできない。見逃してしまったことを残念がっている瞳子の視線の先に、突然|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》の姿が飛び込んできた。
「|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》ー!」
思わず大声をあげて呼びかける。が、たぶん届いてはいないだろう。何ぶん遠いし、そのうえ汽車の出すシュッシュッという蒸気音と、ガッタンガッタンという車輪の音が大きすぎる。
「えっ、どこ、どこ」
今度は可南子さんが見ていなかった。
「まだいるかも」
しかし、その先はいくら目をこらしても、知り合いの姿は見つけられなかった。
汽車は、出発した駅に戻った。下車しながら二人は、首を傾《かし》げた。
「何だか」
「ええ」
互いに相手の言っていることを信じていないわけではない。だが。
「片や、|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》と| 黄薔薇のつぼみ 《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》でしょ?」
「で、もう一方は|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》がお一人」
汽車に乗っていた感覚では、双方の間は距離的に結構離れている。
「いったい、どういう組み合わせで行動しているんだろう」
――彼らの間に起こったドラマを知らなければ、確かにそれはよくわからない事象であったことだろう。
さて、ジェットコースターから戻った祐巳《ゆみ》に、祐麒《ゆうき》が言った。
「瞳子《とうこ》ちゃんを見た」
「トウコちゃん? ――って、瞳子のこと?」
祐巳が尋《たず》ねると、「他にいるかよ」となぜかふて腐《くさ》れるように答える。
「で、今どこに?」
荷物は預かるから行っていらっしゃいと、祥子《さちこ》さまが待合所として定めたティーカップの側のベンチには、他に祥子さまと令《れい》さま、由乃《よしの》さんが揃《そろ》っていた。が、肝心《かんじん》の瞳子の姿は見られない。
「知らない」
祐麒は吐き捨てた。
「知らないって?」
「だから、知らないものは知らないよ」
なかなか要領をえない。まるで子供との会話のようだ。もっとわかるように説明せんかい、とイライラする。祐麒の不機嫌が伝染したのかもしれない。
「見つけたのに、どうして声をかけなかったのよ」
もう少しで、「バカじゃないの」と口に出しそうになった時。
「祐巳」
祥子さまが間に入った。
「祐麒君は努力してくれたわ。だから責めないで」
「へ?」
「見失ってしまうことになったのは、ひとえに私たちのせいだから」
由乃さんも祐麒を庇《かば》う。祐巳がジェットコースターで大声をあげていた間、いったい地上では何があったというのだ。
祐麒は相当落ち込んでいるみたいで、どういうわけだかみんなは彼に気を遣っている。
しかしお姉さまが「責めないで」と言っているので、その場では祐麒を追及するのはやめて(家に帰ったら白状させてやる)、別の質問に切り替えた。
「で、瞳子一人を見たの?」
「いや。可南子《かなこ》ちゃんも一緒《いっしょ》だった」
コンビでいたから、祐麒も気づいたらしい。可南子ちゃんも側にいたならば、それは見間違いではなく瞳子だったのだろう。
「それから、令《れい》ちゃんも声を聞いたんだって」
由乃さんが人差し指を立てる。
「声?」
令さまはうなずいた。
「|黄薔薇さま《ロサ・フェティダ》ーって。確かに呼ばれた気がしたんだけれど、振り返ってもそれらしい姿がなくて。絶対とは言い切れないけれど、あれ、瞳子ちゃんの声に似ていたなぁ」
「お姉さまも、その声を聞かれましたか?」
祐巳は祥子さまに尋《たず》ねた。二人以上が聞いていたなら、聞き間違いとは言えないだろう。
「いいえ。私は由乃ちゃんと二人でいたから」
由乃さんと、二人?
「うん。私はスープ買いに出ていたじゃない?」
令さまがさらりと言った。
しかし、「じゃない?」って同意を求められても初耳なので、祐巳には何とも答えられない。
そういえば、さっきから由乃さんが、カップに入った何かをちびちび飲んでいる。もしかして、スープってあれのことだろうか。
小さな疑問は次々浮かぶが、そこでつまずいていたら話は一向に進まないので先に行くことにする。
「じゃ、祐麒は」
チラリと弟に視線を移すと、言いたくないのか目を伏せた。なぜかは知らないけれど、彼もまたその頃単独行動をとっていた、と。
「いったい、どういう組み合わせで行動していたんだ」
すぐ横にいた柏木《かしわぎ》さんがつぶやいた。その意見に、祐巳もまったく同感だった。
[#改ページ]
遠くのぞむ
観覧車に乗りましょう。
そう、志摩子《しまこ》さんが言った。
乗らない? じゃなくて。乗りましょう、なわけだ。志摩子さんは乃梨子《のりこ》の手を引っ張って、順番待ちの列の最後尾に並んだ。
「乃梨子は高い所、大丈夫《だいじょうぶ》?」
「……普通」
「そう。強いのね」
「普通に怖いってことですよ」
「あらあら」
あらあら、はこちらのセリフだ、と乃梨子は思った。その口調から、志摩子さんだって高い所が大好きというわけではないようなのに、どうしてわざわざ観覧車を選ぶのだ。
「志摩子さんってチャレンジャー?」
観覧車の前に乗ったのはジェットコースターだった。その前は、ゴーカート。
落下やスピードだって、そんなに得意そうではなかった。怖かったのか楽しかったのか、どちらも志摩子さんがキャーキャー叫んでいるうちに終了した。志摩子さんがあんなに大きな声を出すなんて。乃梨子は初めて耳にしたかもしれなかった。
それなのに、自分はどうしていつまでも暗い顔をしているのだろう。乃梨子はため息をついた。志摩子さん本人が「大したことではない」と言っているのに、一人で引きずってバカみたいだ。
「そうね」
志摩子さんは軽く空を見上げ、それから視線を戻して言った。
「乃梨子が一緒《いっしょ》だからかしらね」
「私はそんなにチャレンジャーじゃないですよ」
「そうじゃなくて。乃梨子が一緒なら、できる気がするから。この際、いろいろな物をクリアしようかな、なんて」
「いろいろな物って、苦手な物?」
「苦手かどうかわからないわ。遊園地って、ほとんど来たことがなかったから」
「小さい頃も?」
「ええ。それほど行きたいという気持ちがなくて。連れていって欲しいと、両親に頼んだこともないの」
志摩子さんは、クスリと笑った。
「そうなんですか」
「乃梨子は? よく来る方?」
「そんなにしょっちゅうじゃありませんけれど。妹がいるので」
乃梨子の場合は、自分が積極的にならなくても妹が「行きたい」とせがむので、家族で遊園地に行くことは時折あった。公務員の父と学校教師の母の休日はピッタリ合っていたので、日曜日には家族|揃《そろ》って出かけられたのだ。
「ああ。歳《とし》の近い同性のきょうだいがいると、そうかもしれないわね。それに引き替え、うちは兄が家を出るのが早かったし、父が寺の住職《じゅうしょく》だから、日曜日にはなかなか休めないでしょう? 私みたいなタイプの娘でちょうどよかったわ」
乃梨子に打ち明け話をした後であっても、志摩子さんの、家族のことを語るトーンはいつもと変わらない。本当に、「どうってことないこと」なんだ。
「あ」
不意に前方に視線を向けていた志摩子さんが、うつむいた。何事かと乃梨子がそちらを見ようとすると、手を引っ張って止められた。
「……」
が、間に合わずに見てしまった。すぐ前に並んでいた男女が、人目もはばからずキスをしていたのだ。
こっちは悪いことをしているわけではないので、目をそらす必要はないはずである。このカップルが恥ずかしくなってやめるまでじっと見てやろうかとも考えたが、奥ゆかしく視線を外す志摩子さんに免じて許してやった。
とはいえ、乃梨子たちのすぐ後ろに並んだ小学生の男の子たち三人が、カップルを指さして「チューだ」「チュー」と囃《はや》したてたので、思いの外《ほか》早くその見せ物は終了してしまうことになった。
男の子たちは、兄弟だろうか。身長に差があるけれど、みんな顔がよく似ている。
「うちのママが言ってたもん」
「おばちゃんがそんなこというわけないね」
聞くとはなしに会話を耳に入れていると、どうやら一組の兄弟と従兄《いとこ》らしいということがわかった。
男の子たちの後ろには、お年寄りの男女が並んでいる。ご夫婦だろうか。それとも、お茶のみ友達? 意外なところで、ご兄妹だったりして。古希《こき》は余裕《よゆう》で超えているように見える男性は、杖《つえ》をついている女性をとても上手《じょうず》にエスコートしていた。
じゃあ、自分たちは他からどういう関係に見えているのだろう。乃梨子は、ふとそんなことを思った。
友達? 姉妹? 親戚《しんせき》? 仲はよさそう? それとも団体で遊びに来て、たまたま観覧車に一緒に乗ることになっちゃった気まずい二人?
けんかをしているわけではないのに、自分が暗い顔をしていることで、けんかをしていると思われるのは心外だ。けれど意味もなく大笑いするのもわざとらしいので、乃梨子は志摩子さんの手に自分の手を滑り込ませて、手をつないだ。
観覧車に乗り込むと、二人は向かい合って座ったまま、ずっと窓の外を眺めていた。上昇するに従って、人間の姿が小さくなっていく。どんどん、どんどん。
「人間って。小さいわね」
志摩子さんが、乃梨子より先に、乃梨子が思っていたことを言った。
「私、お寺の娘だっていうことを隠していた時、とてもつらかったわ」
遊園地は、まるで箱庭みたいだった。山があって、湖があって、お城があって、施設の屋根が見える。そこで遊ぶ人たちは虫みたいに小さくて、それでもそれぞれがそこで笑ったり怒ったり泣いたりしているのだろう。
あのちっぽけな入れ物に入っているのだ。あれこれ考えたところで、所詮《しょせん》人間のもっている悩みなんてちっぽけなものなのかもしれない。
「今は?」
乃梨子は聞いてみた。すると志摩子さんは「幸せよ」と即答した。
「だってこんなに可愛《かわい》い乃梨子が側にいるのですもの」
その時、二人の乗った観覧車は一番|天辺《てっぺん》に到達した。
乃梨子は、志摩子さんの言った「どうってことないこと」が、初めて、理屈じゃなくて実感できた気がした。
蒸気船の上は、程よく風が流れて気持ちが良かった。
顔にかかる巻き毛をかき上げるようにして払っていると、すぐ横から「カシャッ」という声が聞こえてきた。
シャッター音ではなく、声である。
笙子《しょうこ》が顔を向けると、蔦子《つたこ》さまが左右の親指と人差し指計四本を使って作った、四角いフレームごしにこちらを見て笑っている。
「何しているんですか」
「写真をとっているの」
「え?」
「現物として残らなくても、私の記憶の抽斗《ひきだし》には、今撮った笙子ちゃんの写真が残るわ」
蔦子さまはいつからか、そこにないカメラを探して「しまった」という顔をしなくなった。カメラのことを忘れようとする代わり、カメラが使えない不自由さを楽しむ、そんな姿勢に変わっていたように思える。
「初めは不安だったけれど。禁断症状を乗りきると、意外に慣れちゃうものなのね」
ある時、突然ふっと軽くなったという。そうすると、カメラを持たない武嶋《たけしま》蔦子が面白くてしかたない。
「あと、祐巳《ゆみ》さんたちが、何も言わないじゃない? 私がカメラを構えないでいることに対して。それは、かなり大きかったな」
指で作ったフレームを陸地の方に向けて、蔦子さまは言った。その方角のどこかにいるはずだけれど、ここからはもちろん| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》の姿は見えない。
「何も言わないことが、大きいんですか?」
笙子は尋《たず》ねた。何か言ってくれたことが心に残ることならある気がするが、その逆はわからない。すると、蔦子さまは手を下げてこちらを見た。
「私、写真以外の部分って、あまり自信がないんだ」
「え?」
「学校で生徒たちの写真を撮るのは好きよ。だから何かイベント事があった時、お声をかけてもらえるは嬉《うれ》しいの。私がカメラマンをして撮った写真を、みんなとても喜んでくれる。私はこのキャラを定着させたことで、ある程度のところまで自分の評価を引き上げられたし、生徒たちとも普通にコミュニケーションしている。つまり、私は写真を撮ることによって学校生活を円滑に営《いとな》んでいるわけ。だから暇さえあれば、カメラを触っている。カメラが側にあると安心するのよ。カメラは、私にとってライナスの毛布なの」
聞きながら、笙子は信じられない思いで一杯だった。だって蔦子さまは、いつでも堂々としていて自信に満ちている、そんな風に見えていたのだ。
「だから、伯父《おじ》さんと賭《かけ》をした時、不安だったのはむしろそっちの方だったかもしれない」
「そっち、って?」
「カメラを持っていない私で大丈夫《だいじょうぶ》か」
何もかもをカメラに頼りすぎていたのだから、自業自得《じごうじとく》なのだと蔦子さまは笑った。いざカメラを取り払った時、いつもの自分でいられるか。周りはどう思うだろうか。
「笙子ちゃんはカメラを持ってこなかったでしょ? 私は心のどこかで、それがとてもうらやましかった。ああ笙子ちゃんは強いんだな、って思った」
「……」
写真部のくせにカメラを忘れたって、笙子が落ち込んでいた時、蔦子さまはそんな風に思っていたなんて。想像だにしなかった。
「でも、祐巳さんは何も言わなかった。というより、私がカメラを持っていないことに気づいてもいない。要するに、天然なんだな」
「天然、いいですか」
「うん、いい。少なくとも今の私にとってはね。だっていろいろ考えた挙げ句じゃなくて、素って証拠でしょう? 祐巳さんにとって私は、カメラがあってもなくても私なわけよ。カメラマンとしてではなく、ただの友達として誘われたんだってことだもの」
「| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》が基準なんですか」
笙子は首を傾《かし》げた。
確かに| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》は蔦子さまのクラスメイトで仲もいいようだが、クラスメイトというだけなら| 黄薔薇のつぼみ 《ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン》もそうだし、|白薔薇さま《ロサ・ギガンティア》だって一年生の時同じクラスだったはずだ。なのに、なぜ| 紅薔薇のつぼみ 《ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン》だけ特別なのか。半分ヤキモチも入っている質問だった。
「だって、黄薔薇姉妹と白薔薇姉妹は朝から自分たちのことで精一杯で、他の人たちのことを気にかける余裕《よゆう》なんてなさそうだったじゃない?」
「えっ、黄薔薇姉妹と白薔薇姉妹に何かあったんですか!?」
蔦子さまは当たり前のように言うが、笙子にとってその情報は初耳である。
「具体的にはわからないけれど、たぶんね。あれ、見ていて気づかなかった?」
気づかなかったかと問われて振り返ってみれば、何となく程度には。でも。
「……こっちも自分のことで精一杯だったものですから」
「そうだったわね」
蔦子さまはニヤリと笑った。笙子が、ハラハラドキドキしながら蔦子さまのことを見ていたのは、とうにお見通しなのだった。
「|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》だけは気づいていたみたいだけれど、あえて何も聞いてこなかった。あの方の場合、祐巳さんとは反対に、考え抜いて言わないことにされたんでしょうけれど」
蔦子さまが風に吹かれながら、気持ちよさそうに目を細めた。
「何でわかるんでしょう」
笙子の疑問に、「さあ?」という答えが返ってきた。
蔦子さまは|紅薔薇さま《ロサ・キネンシス》のことだと思っているようだからそのままにしておいたけれど、笙子は蔦子さまのことを言っていたのだ。
「だから、負け惜《お》しみじゃなくてカメラが壊れてよかったかもしれない」
もうすぐ船の旅は終わる。
「カメラを持っていたら、きっと常に撮る側に回って、心から楽しめなかったと思うんだ」
蔦子さまがこちらを見ている。
「令《れい》さまと一緒のティーカップ、楽しかったね」
「はい」
クルクル回って笑顔が弾《はじ》けて。確かに、蔦子さまがカメラを構えていたら、無防備に笑う蔦子さまの顔は、そこにはなかったはずである。
だから笙子は、蔦子さまの伯父《おじ》さまが言っていた「神様の思《おぼ》し召し」を、本当にその通りだと思ったのだった。
祐巳《ゆみ》さんたちが、ショップで買い物をするという。
「私たちも見にいこうか」
令《れい》ちゃんが先に歩き出すのを、由乃《よしの》はコートの裾《すそ》を引っ張って止めた。
「どうしたの?」
どうしたの、はこっちのセリフだ。令ちゃんったら、由乃がティーカップで酔ってリバースしたのを境に、けんかしていたことが吹っ飛んじゃったみたいで。いつもと変わらない、やさしくて寛容な令ちゃんに戻ってしまった。
まだ機嫌が悪いままなら、団体さんからチョコチョコっと外れて「ごめんね」って言っちゃえばそれでよかった。令ちゃんだって「そろそろ」と考えているはずだから、スムーズに運んだことだろう。けれど、平常運転を再開した令ちゃんは、リセットしちゃったみたいに仲直りのことをすっかり忘れている。だから由乃は、祥子《さちこ》さまに「謝ります」と言ったものの、そのタイミングを計りかねて、なかなか切り出せなかったのだった。
「私、あれに乗りたい」
あれ、と言ってからさてどうしようと由乃は考えた。別に何に乗りたいわけではないのである。ただ、令ちゃんと二人になる口実にアトラクションを利用しようというだけのことで。
「あれ?」
眉《まゆ》をひそめる令ちゃん。
「激しい乗り物は駄目《だめ》だよ」
「わかっているってば」
こうなると、激しくない乗り物を思いつかなくてはならない。可及《かきゅう》的|速《すみ》やかに。
「ほら、あれあれ」
あれって何だよ、と由乃は心の中で自分に突っ込みを入れつつ、必死で、まだ思いついてもいないアトラクションの名前を思い出す振りをした。ジェットコースターは駄目、ティーカップは言語道断《ごんごどうだん》、お化け屋敷は一日に二度入るものではないし、アーケードゲームになるともはや乗り物ではない。
「えっと。……世界をめぐるユルユルボートツアー」
切羽詰《せっぱつ》まったからって、言うに事欠いてそれか。由乃はひどく落ち込んだ。
「いいけれど。由乃さ、それはないって言ってなかったっけ?」
そうなのだ。乙女《おとめ》の令ちゃんが、ボートに乗って訪ねる人形の国のアトラクションに多大な関心を示していたのを、昨日の帰り道に笑いながら一刀両断《いっとうりょうだん》したのだった。子供じゃないんだからそれはない、って。
「気が変わった」
こうなったら、もうその一点で押し切るしかない。正直、今だってユルユルボートツアーに乗りたいとは思わないけれど、ここで引いたら話がこんがらがってしまう。
「祥子。私たち別行動するから」
令ちゃんは、もう五十メートルくらい先に行ってしまった祥子さまに向かって声を張りあげた。
「わかったわ。花火、見ていくでしょう?」
振り返った祥子さまも、大声をこちらに発する。
「うん、そのつもり」
それじゃ、会えたらまた。そんな風に手を振ってから、由乃と令ちゃんはユルユルボートツアーに向けて歩き出した。
待っていてね、令ちゃん。手をつなぎながら、由乃は心の中でつぶやいた。
令ちゃんの好きな人形の国を旅するボートに乗り込んだら、ちゃんと話すから。
菜々《なな》のこと。
それから、言いそびれていた「ごめんなさい」を。
遊園地の正面ゲートにほど近い場所には、お土産物《みやげもの》とかキャラクターグッズとかを扱ういくつものお店が軒《のき》を連ねている。
「あれ、祐巳《ゆみ》さん」
何気なく入ったお店の中には、先客で蔦子《つたこ》さんがいた。もちろん、すぐ側には笙子《しょうこ》ちゃんの姿もある。
「蔦子さんはお家にお土産?」
右手に持っているのはクッキーの缶、左手にはチョコレートの箱。どっちにしようか迷っているところのようだ。
「家にはいいんだ。これは、ちょっと伯父《おじ》にね」
「おじさん……?」
家族にお土産を買わないのに、伯父さんに買っていくってどういうことだろう。この遊園地のキャラクターを愛して止《や》まない人だとか、それともグッズのコレクターか。意外と日頃からお菓子について研究している人だったりして。祐巳の疑問を察したのか、蔦子さんは答えを教えてくれた。
「カメラの修理をただでやってもらうから、お礼としてこれくらいはプレゼントしないとね」
「え? 蔦子さんのカメラ、壊れちゃったの?」
「そ。ここに来る直前にね。だから私、今日はカメラ持っていないでしょ」
「あ、本当だ!」
祐巳が声をあげると、なぜだか笙子ちゃんに非常にウケた。どんなツボにはまったのかは知らないが、お腹《なか》を押さえて笑っている。笑い続けているのが悪いと思ったのだろう、必死に声を押し殺しているようだが、それでますます拍車《はくしゃ》がかかった。
「失礼しました」
ついに笙子ちゃんは、その場から退場した。
「どうしたの、笙子ちゃん」
「さあ?」
そう言って、蔦子さんは再び伯父さんへのお土産選びに取りかかったが、たぶん笙子ちゃんが笑ったわけを知っているのだ。
「祐巳」
そこに祥子《さちこ》さまが現れた。広い店内で商品を見ているうちに、少し離れてしまっていたのだった。柏木《かしわぎ》さんと祐麒《ゆうき》の姿も、買い物客と買い物客の間から確認できる位置にある。背が高くて目立つ柏木さんは、ちょっと目を離してもすぐに見つけることができるからいい目印になった。何が可笑《おか》しいのか、男子二人は何かを指さしてゲラゲラ笑っている。
「ねえ。これはどう?」
祥子さまは両手に一つずつ、熊のキャラクターがついたキーホルダーを持っていた。右手は兄、左手は弟。双子《ふたご》の熊だ。
「向こうに可愛《かわい》いポーチもあったわ。私が薄紫で祐巳がピンクよ、どう?」
遊園地のショップで、お姉さまがお揃《そろ》いの物を買ってくれる。それは、秋から持ち越しされていた約束だった。
「どっちでもいいです」
お姉さまに買ってもらえる物なら、その上お揃いなら、何でも嬉《うれ》しいのが祐巳の正直な気持ちだった。
「どっちでもいい、では困るわ。迷っているから聞いているのに」
確かに、その通りである。だからつい、頭に浮かんだことを口に出していた。
「じゃ、お菓子を買ってください」
「お菓子?」
キツネに摘《つま》まれたような顔をして、こちらを見つめ返す祥子さま。
「食べて消えちゃう物がいいです」
「今日の記念にするのではなくて?」
「物がなくても覚えていますから。おいしかったって記憶を残しておくっていうの、どうですか」
提案した後、お姉さまに向かって何て生意気なことを言ってしまったのだろう、と祐巳は反省した。せっかくお揃いの物を持とうと誘ってくれたのに。一生懸命に選んでくれたというのに。それを踏みにじって、お菓子って。
お姉さまはどう思っただろうか。どんな返事が戻ってくるのか心配になって、商品を見ているみたいに目を伏せた。
夕方になって、店内はとても活気が出ている。
「そうね」
やがて祥子さまが言った。
「今まで思いつかなかったけれど、それはいい考えだわ」
横で聞き耳をたてていたと思《おぼ》しき蔦子さんが、小さく「いいのか、それで」と口を動かしていたのが面白かった。
「蔦子さまっ。これ、どうでしょう」
笑いの波が引いたのか、笙子ちゃんが戻ってきた。その場に祥子さまが増えていることに気づくと、軽く頭を下げて「ごきげんよう」と挨拶《あいさつ》し、それから蔦子さんに何かを見せた。
「伯父《おじ》さまにピッタリじゃないですか」
どれどれ、と蔦子さんの横から祐巳も覗《のぞ》き込む。それは一見すると、使い捨てカメラに見えた。でもパッケージには「チョコレート」という文字がでかでかと躍っている。
「なるほど。笙子ちゃんの考え、わかった」
蔦子さんは肩を揺らした。
「今日借りたカメラを返す時、カメラの代わりにケースの中にこれを入れておくんでしょ?」
「そうです。伯父さまビックリしますよ」
悪戯《いたずら》を考えた悪ガキたちのように、「ふっふっふ」と笑い合う蔦子さんと笙子ちゃん。しかし、祐巳には話がまったく見えない。伯父さまには、カメラの修理をお願いするお礼にお土産を買っていくのではなかったろうか。今日借りたカメラ、っていうのもよくわからない。
「ねえ」
同じく、モヤモヤとした表情で写真部二人を見ている人がここに一人。でもって、こちらは「伯父さん」や「カメラの修理」や「お土産」といったキーワードすら与えられていないのだった。
「話を聞いていると、蔦子さんは今日もカメラを持っているようなのに、どうして全然写真を撮っていないの?」
祥子さまの素朴《そぼく》な疑問は、またもや笙子ちゃんのツボにヒットした。
「失礼しますっ」
使い捨てカメラに擬態《ぎたい》したチョコレートのパックを蔦子さんに押しつけると、再び笙子ちゃんはその場から逃げ出した。
「笙子ちゃんはどうかしたの? 私、何か変なことを言って?」
さすがに今回は蔦子さんも「さあ……」だけで誤魔化《ごまか》すことはできなかったようで、「彼女、今日は何だか感度がいいみたいで」なんて、まったく意味のわからない言葉でフォローしていた。
[#改ページ]
星くずの中
お土産物《みやげもの》が売っているショップを出ると、辺りはずいぶんと薄暗くなっていた。
「でも、花火までにはもう少し時間がありそうね。祐巳《ゆみ》、まだ何か気になるアトラクションはあって?」
腕時計を見ながら、祥子《さちこ》さまが言った。
「メリーゴーラウンドに乗りましょう、お姉さま」
「えっ……あれ?」
思い切って誘ったのだが、思った通り渋い顔が返ってきた。
「グルグル回るのは嫌と言ったでしょう?」
ティーカップで酔ってしまった由乃《よしの》さんを見ているだけに、回転物というくくりだけで、拒否反応が出てしまうようだ。
「確かに回りますけれど、ティーカップほどじゃないし。グルグルじゃなくて、せいぜいクルクルです。ほら、赤ちゃんも乗っているでしょう?」
一歳くらいの子供がお父さんと一緒《いっしょ》に乗っているのを見て、祥子さまはやっと納得してくれた。
「そうね……」
ちょっとだけ祥子さまの警戒心がゆるんだところで、柏木《かしわぎ》さんが言った。
「さっちゃん、乗馬するだろう? 足慣らしに早足で馬場を回るみたいなものだよ。その上、こっちはお尻が痛くならない」
ナイスフォロー。しかし、さらりと「乗馬するだろう」って。祐巳には到底考えつかない喩《たと》えである。
「じゃ。チャレンジしてみようかしら」
「やった!」
祐巳は、お姉さまの気が変わらないうちにと、手を引いて順番待ちの列に並んだ。
「あれ、祐麒《ゆうき》たちは?」
男子二人が後に続かないので「乗らないの?」と質問してみると、二人とも「うん」と揃《そろ》ってうなずく。しかし、理由はそれぞれ違う。
「こういうの、こっ恥《ぱ》ずかしいんだよ」
豪華絢爛《ごうかけんらん》の鞍《くら》や花で飾られた白い木馬にまたがって、上下運動しながらちんたらちんたら回転する様を見知らぬ人たちに披露《ひろう》するなんて耐えられない、と祐麒は視線で訴えかけてきた。あえて言葉にしないのは、せっかく乗り気になった祥子さまの気をそぐような発言は、避けるべきだと判断したからだろう。
「優《すぐる》さんも恥ずかしいの?」
「別に恥ずかしくはないけれど」
柏木さんは、前髪をかき上げて言った。
「僕が白馬になんか乗ったら、あまりに似合いすぎて周囲が引くよ」
ここ、もしかして笑うところなのかな、と祐巳は考えたが、考えているうちによくわからなくなって、結局いいリアクションがとれなかった。祥子さまは苦笑いしていたから、その反応が正解だったのかもしれない。ちなみに、祐麒は完全無視していた。
日が暮れて、遊園地内はいろいろな所でライトアップされだした。
夜仕様になったメリーゴーラウンドも、キラキラと輝き、まるで宝石箱のようにまばゆい。
「昔、お祖母《ばあ》さまの部屋で、こんなオルゴールを見たわ」
うっとりと見つめて、祥子さまがつぶやく。
「蓋《ふた》を開けると、三頭の馬が出てきて音楽に合わせてクルクル回るの。下には抽斗《ひきだし》がついていて、そこには指輪だったのかネックレスだったのか忘れてしまったけれど、色とりどりの宝石が入っていた。抽斗を出したままオルゴールを開いて、回転する馬と宝石とを一緒に眺めるのが好きだったわ。とてもきれいだった」
思い出しながらクスリと笑う。
「あまりにきれいだから、幼かった私は、そのオルゴールの中に入ってしまいたいと思ったものだけれど。あのオルゴール、こんな所にあったのね」
そう言って、祥子さまは白馬にさっそうとまたがった。乗馬経験者だけあって、姿勢がものすごくいい。
祐巳もすぐ、斜め後ろの馬に乗った。お姉さまの見よう見まねで、背筋を伸ばした。
音楽が流れて、馬がゆっくりと動き出す。キラキラ光る宝石箱の中を、優雅に回る数十頭の馬たち。
お姉さまが、時折振り返ってこちらを見る。祐巳は手を振って、それに応える。
クルクルというより、むしろクルリクルリ。何回転したとしても、二人の乗った馬の距離は縮まらない。
縮まらないけれど。広がりもしない。
それでいい。それがいい。
祐巳は答えを見つけた気がした。
お姉さまが回る。
キラキラほほえみながら、「祐巳」って名前を呼んでくれる。
覚えておこう、この光景。
まぶしくて目が痛くなってしまいそうな、このシーン。
これからだって、たくさん素敵なことが起きるだろう。けれど、この一瞬は今だけのもの。
宝石箱の抽斗《ひきだし》の中に、コロンと一つ、宝物をしまい込んだ。
喩えるなら、オパールによく似たきれいなキャンディー、かもしれない。
「確かに、ここはいいポイントかもしれないわね」
ほーっと息を吐いてから、蔦子さまが笑った。
少し坂道を上ってたどり着いた高台は、背後に人工の山を背負うような形になっていて、その分メインストリートの喧噪《けんそう》やアトラクションのイルミネーションがダイレクトに目に入らない、まさに花火見物には打ってつけの場所だった。見下ろす水場は所々ライトアップされてはいるが、言い始めたらきりがない。よくもまあこんな場所を見つけたものよ、と笙子《しょうこ》も感心した。
もしかしたら、ここは穴場として知る人ぞ知るスポットなのかもしれない。早めに着いてしまったけれど、それでもすでに先客は何人もいた。
「そうだ。伯父《おじ》さんのカメラケースに、さっき買ったチョコレートを入れてみようか」
蔦子《つたこ》さまが言った。花火が打ち上がるまで、まだ十五分くらい時間がある。暇つぶしにちょうどいいのではないか、そう思って提案したのだろう。けれど笙子は、蔦子さまのようにグッドアイディアという表情にはなれなかった。
「あの、大丈夫《だいじょうぶ》ですか」
正直言うと、ちょっとだけ不安なのだ。
「何が?」
「えっと。つまり」
言いよどんでいると、蔦子さまが察して「ああ」と言った。
「伯父さんが言っていたこと? ケースを開けたら最後、私の指はシャッターを切らずにはいられなくなる、だっけ? 笙子ちゃんは、あれを気にしているんだ」
「はい」
思い切り気にしていますとも。もちろん、蔦子さまを信じていないわけじゃないけれど、伯父さまのあの言葉、笙子には呪いの言葉みたいに聞こえたのだ。
禁酒している人が、一口飲んでしまっただけで元の酒浸りに戻ってしまうとか。禁煙している人が、たった一本吸ったがために再び喫煙《きつえん》生活に突入しちゃったとか。そういう話、ほら、よく耳にするから。
「いや。禁煙とかと違うし」
蔦子さまは笑った。
「一瞬カメラを出すだけよ。ケースにチョコレートを入れてみてどんな感じになるかわかったら、また元に戻すってば」
「じゃ、私がやります」
考えるより先に、笙子は手を出していた。
「笙子ちゃんが?」
「一瞬カメラを出すだけでしょ? ケースにチョコレートを入れてみて、またすぐにもとに戻す。それくらいのことなら、私にもできます」
蔦子さまはカメラケースを開けて中身を入れ替えるだけだと言うけれど、一瞬でもカメラに触れたら、いつもの癖《くせ》で思わずシャッターを切ってしまうかもしれない。そんなことになるくらいなら、自分がやった方がいい。
カメラをお休みするのは今日一日だけのことで、蔦子さまが再びカメラ中毒になったところで一向に構わないわけだが、このカメラには伯父さまとの勝負がかかっている。負けるわけにはいかないのだった。
「そんなに言うなら、明日にしてもいいんだけれど」
「えっ、そんな」
ここまでその気にさせて、お預けなんて。
「じゃ、お願いしようか」
ちょっともったいぶって笙子の反応を楽しんでから、蔦子さまはバッグに手を突っ込んで底の辺りから黒い物体を取りだした。お久しぶりです、伯父《おじ》さんのカメラケースの登場だ。
「あれ?」
蔦子さまは首を傾《かし》げた。すぐに渡してくれるものと笙子が手の平を上にした両手を前に出して待っているのに、カメラケースを握ったまま手を軽く上下させている。
「どうしたんです?」
「私、さっきもこれ持ったっけ?」
蔦子さまが聞いてくる。さっき、とは、伯父さまのお店でのことを言っているのだろう。
「いいえ」
笙子は首を横に振った。あの時の様子はよく覚えている。
「バッグを開けたところに、伯父さまがぐりぐりと」
グッドラック、なんてキザなセリフと一緒《いっしょ》にこのケースをねじ込んだのだ。
「そっか。やっぱり」
なんて言いながら、蔦子さまは、ケースを蓋《ふた》しているマジックテープをピリピリと外しだした。
「何やってるんですかっ」
慌《あわ》てて飛びつくけれど、蔦子さまは笑っている。
「大丈夫《だいじょうぶ》。絶対に負けないから。っていうか、伯父さんにとっては、勝負なんてもの最初からなかったんだわ」
「はっ?」
「伯父さんにやられた、ってことよ」
ほら、と開かれたカメラケースの中には、カメラの代わりに小型の羊羹《ようかん》が二本並べて入っていた。
たぶんこの賭《か》けは、修理代に匹敵《ひってき》するほどの楽しみを、店にいる伯父さまに与えたに違いなかった。
メリーゴーラウンドを降りると、花火の打ち上げ予定時間になっていた。
「まあ、大変」
まるで十二時の鐘の音を聞いたシンデレラみたいに、慌《あわ》てて走り出す二人。それを追いかける王子さまも二人。
「おい、どこに行くつもりなんだよ」
「さっき、花火を見るのによさそうなポイントを見つけておいたの」
振り返りながら説明する。側に建物がなくて、明るくない。ちょっと高台、そして水場も側にある、見晴らしと景観がとてもいい場所なのだ。
でも、みんな考えることは同じだろうから、すでに夕方くらいから場所取りはでているかもしれない。それでも、取りあえず行ってみる。一杯だったら、仕方ない。実際のところ、空の高いところで開く花火は、だいたいどこからでも見えるのである。
目的地にたどり着くと、ある程度人は出ていたが、あふれるほどではなかった。花火にあわせて夜のパレードがあるので、そちらに流れたのかもしれない。この高台は、パレードのコースからは外れていた。
「失礼」
先客に挨拶《あいさつ》して、その場所で見せてもらうことにする。もうそろそろ始まるだろうかと、腕時計を見ていると、隣から痛いくらいの視線を感じる。
「は?」
振り向いて顔を見ると、そこにいたのは。
「瞳子《とうこ》!」
耳の側で揺れる、バネのような二つの縦《たて》ロール。
「お姉さま」
思わず、ひしと抱き合う二人。――と思いきや、祐巳《ゆみ》の開いた両手の中に、可愛《かわい》い妹の手応えは一向にやって来ない。
「何が、失礼、ですか。いくら暗がりだからって、妹の顔くらい一目で判断してくださいよ」
現実の妹は、とてもクールだ。
「あ、ごめん」
「本来だったら、後ろ姿くらいでわかっていただかないと」
その上、とても厳しかった。
こっちは、気配はあれど、なかなか本人に会えなかったから、このまま会えず仕舞いになるかとやきもきしていたところに、思いがけず会えたから興奮しているのだ。ちょっとくらい盛り上がったって、罰《ばち》は当たらないだろうに。
「瞳子さんは、祐巳さまに会えてとても嬉《うれ》しい、と言っているんです」
微妙な表情で見つめ合う二人の間に、突然言葉が滑り込んできた。
「ごきげんよう、祐巳さま」
声の主を探すと、そこに可南子《かなこ》ちゃんがニッコリ笑って立っていた。キャラクターの帽子を被《かぶ》って、ポップコーンの入ったバッグを肩から提げるという弾《はじ》けたスタイルで。遊園地を満喫《まんきつ》しているようで、何よりだ。
「可南子さん、勝手なこと言わないでよね」
瞳子はにらみつけるが、可南子ちゃんはまったく動じない。
「直訳しますと、本当のことを言われたら恥ずかしいわ、です」
「うーっ」
刃向かえば刃向かうだけ、可南子ちゃんに好き勝手に通訳されてしまうので、瞳子は黙った。黙ったまま祐巳の側までやってきて、小声で「もう会えないかと心配になりました」と言った。今度は、可南子ちゃんは訳さなかった。
「今、瞳子って聞こえたけど?」
ちょっと離れた所から、聞き覚えのある声があがった。どこだろうと見回すと、ちょうどこちらに向かってくる人たちがいる。
「ほら、やっぱり祐巳さんだ」
目をこらしてみれば、先頭にいたのは由乃《よしの》さんである。その後から志摩子《しまこ》さんと乃梨子《のりこ》ちゃん。またけんかしたかと心配していたら、令《れい》さまもすぐに追いついた。何でも、由乃さんの落としたハンカチを拾っていたらしい。
二組は、世界をめぐるユルユルボートツアーで会ったという。それから一緒《いっしょ》に行動して今に至る、というわけだ。
紅薔薇姉妹、黄薔薇姉妹、白薔薇姉妹、それに瞳子と可南子ちゃんを加えて、おまけとして花寺《はなでら》の男子二人。揃《そろ》いも揃ったり、といった感じだ。
[#挿絵(img/30_185.jpg)入る]
「これで蔦子《つたこ》さんたちが現れれば――」
ロイヤルストレートフラッシュ並に、すごい役《やく》になるのではないか。
「でもそんなにうまくいくわけがない」
みんなで「わはは」と笑い合ったところで、少し離れた人混みの中から一本すっと手が上がる。
「お呼びでしょうか?」
「つ、蔦子さんっ!?」
呼ばれて飛び出るなんて、何たら大魔王か。でも、そこにいたのは間違いなく蔦子さんだった。
「ちょっと前に気づいたけれど、由乃さんに先を越されて、何か出るタイミングを逸《いっ》したというか」
「すごい偶然だね」
へへへと祐巳が笑うと、各所から「違う」と突っ込みが入った。
「祐巳さんと祥子さまが、花火を見るならあそこがいいって、この場所を指さしていたから待っていたのよ。偶然じゃないわ」
と言ったのは、志摩子さん。
「そうよ。だから私たちも、さっき祥子が花火を見るかって聞いてきたから、ここに集合って意味だと受け取ったのよ」
令さまも、呆《あき》れたように笑った。
その時、お待ちかねの花火が上がった。
ヒュ――――――、ドッカーン!
薄暗い遊園地の一角が、夢のような大輪の花で飾られる。
花火は次から次へと、休みなく打ち上がる。水辺の表面が鏡のように空を映して、夢のような花畑になった。
「わあ」
花火が上がるたび、それを見ていた仲間たちの顔がほころぶ。
キラキラ、
キラキラ。
夜空に輝く無数の星たちが、地上に降りて一斉《いっせい》に瞬《またた》いているようだ。
由乃さんが令さまの顔を見て、「口が開いているよ」と笑った。
蔦子さんと笙子《しょうこ》ちゃんは、指でフレームを作って夜空を切り取る。
柏木《かしわぎ》さんと祥子《さちこ》さまが、「帰りは僕が運転していいかい」「譲《ゆず》ってあげるわ」といった会話をしている。
志摩子さんと乃梨子ちゃんは、手をつなぐ。
祐巳はというと、可南子ちゃんや、瞳子や、祐麒《ゆうき》、たぶんみんなと同じ顔をして、夜空を見上げているはずだった。
ひかる、
ひかる。
ピカピカ光る。
最初はどうなることかと思ったけれど、キラキラ輝く仲間たちの顔を見ていたら、今日ここにみんなで来られたことがよかったって感じられた。
ひかる、
ひかる。
キラキラ光る。
花火の華《はな》やかさは、つかの間。
だけど、忘れない。
みんなの笑顔。
いろいろあったけれど、楽しかったねって感想を添えて。
きっと。
ずっと。
[#改ページ]
あとがき
『マリア様がみてる』はファンタジーである。――らしい。
他にも、「学園コメディ」、「ソフトな百合《ゆり》小説」、「ミステリー」等々、いろいろ呼んでいただいております。
まあ、小説におけるジャンル分けっていうのは、山ほどある本を整理したり誰かに勧めたりする時には便利なので、あった方がいいとは思いますが、スパッと言い切れるものじゃありません。その人が読後どういった印象をもったかによって、「これはこういう小説」というラベルを貼られるわけで、大きく外れない限りはどう受け取ってもらってもいいんです。
で、冒頭の「ファンタジー」。
時たま「ですよね?」と同意を求められたりすると、「そうですか?」とか「普通の女子高生の生活を書いているつもりなんですけどねー」なんて笑っていたのですが、だんだん「そうかもしれません」という気持ちになってきました。特に今回の話を書いているうちに。
だって。ねえ? 素朴《そぼく》な疑問が浮かんできますよね。
――なぜ、彼女たちは携帯電話を使わないのだ?
キーボードを叩きながら、自分で突っ込みを入れました。
「いったい、いつの時代の話だよ!」
こんにちは、今野《こんの》です。
いえ、江戸《えど》時代でも昭和《しょうわ》でもありません。平成《へいせい》です。8ページの十五行目に、「平成《へいせい》の今日《こんにち》」とちゃんと書かれていますから(書いてありましたね?)。
なので、祐巳《ゆみ》たちがリリアン女学園に通っている(いた)頃というのは、漠然《ばくぜん》と「平成の世のいつか」と定義されます。平成がトータルで何年続くかはわかりませんが、それも含めて「平成のいつか」といっていいでしょう。設定上、かなり無理はありますが。
その無理の部分が、ファンタジーと呼べなくもない。そんな風に思ったわけです。
ファンタジー。
手持ちの大きめの辞書で調べてみると、幻想とか空想とか夢幻などという単語が飛び交っています。なので、別に、龍や剣や魔法や翼の生えた人間が出ていなくても、「この世界、現実とちょっと違う」と思ったらファンタジー小説でいいんじゃないかな。乱暴だけれど。
さて。この本の発売日は平成十九年の十二月の末(奥付《おくづけ》は2008年1月10[#「10」は縦中横]日になっていると思いますが)。平成も二十年近く経っていますと、初期の頃から文化はずいぶん変わっています。
この物語を最近起こった話として成立させるためには、「リリアン女学園は学校内での携帯電話の使用は禁止」の校則で押し通すしかなさそうです。携帯電話を使える時間が極端に少ないのであれば、どうしても持っていようとは思わないかもしれない。学校って、平日ならば、起きている時間の半分くらいは過ごしている場所だし、それに通学時間も入れたら相当なもの。みんなが持っているから自分も必要なわけで、クラスの大半が持っていなければ不便に感じないというものです。
今現在コバルト世代である、十代の女の子には信じられない話かもしれませんが、私が高校生だった頃は誰も携帯電話なんて持っていませんでした。それが普通だったから、不便とも思わなかったです。用事があったら、お家の電話に電話をかけるし、どこに何時って約束したらちゃんと行かなくちゃいけない。「五分遅れる」なんてメール打てないからね。必死で走ったりしましたよ。懐かしいなぁ。
ちなみに、柏木《かしわぎ》優《すぐる》は携帯電話を持っています。けれど一人持っていたって、他が持っていなければあまり意味はありません。
ところで、前回のお預け。
築山《つきやま》三奈子《みなこ》女史|曰《いわ》く、「祥子《さちこ》さんの奇行」の正体がいったい何だったのか、ですが。結構、正解率は高かったです(お手紙による回答)。
「やっぱりね」くらいの反応の方がいいと思って、ヒントを結構ばらまいたしね。試験勉強とか、家庭教師とか、柏木優とか、学校を一日休むとか……。ネタバレになってしまうと悪いので、この辺でよしますけれど。
さてさて、今回の舞台は遊園地。
遊園地は好きです。どちらかというと、パレードやショーを観るより乗り物系を楽しみたい方で、ジェットコースターも並クラスのものなら喜んで乗ります(世界一△△みたいなのは勘弁《かんべん》してください)。誰かさん同様。キャーキャー声をあげます。ストレス発散かな。怖いは怖いんですけれど。
怖いといえば、お化け屋敷。
私は恐がり。当然、お化け屋敷は怖いです。西洋風のものならほどほどに楽しめますが、純和風のものは怖くて怖くて仕方がない。できれば片目をつぶって、誰かに手を引いてもらって進みたいくらい(だったら入るな、って話ですが)。墓地とか、古い井戸とか、廃寺の破けた障子《しょうじ》とか、刑場とか……もう、書いているだけでも怖いですよ。妖怪ならば可愛《かわい》かったりもしますが、そこに白い着物の女性(できれば幽霊とは書きたくない)なんて立っていようものなら。きゃーっ。
それって、私が日本人だからかな。外国の人は、やはり自分の国の墓地やホラー映画がどこのものより怖いのでしょうか。
ちなみに、祐巳たちの入ったお化け屋敷。私は西洋風をイメージして書きましたが、具体的な描写はしていませんので、各々好きなタイプのお化け屋敷を想像しながら読んでいただければ、と思います。
祐巳たちと一緒《いっしょ》に行った気になれるかと思って、遊園地のガイドブックなんぞを数冊買って眺めたりしながら執筆していたら、何だか自分でも遊園地に行きたくなってしまいました。
しかし寒がり&冷え性なので、もうちょっと暖かくなってからにした方がいいかもしれません。
[#地から1字上げ]今野緒雪
底本:「マリア様がみてる キラキラまわる」コバルト文庫、集英社
2008(平成20)年01月10日 第1刷発行
入力:vQT4、ヾ[゚д゚]ゝ
校正:TJMO
2007年12月22日作成
2008年01月10日校正
この作品は、すでにShare上に流れている以下のデータ
(一般小説) [今野緒雪×ひびき玲音] マリア様がみてる 第30巻 「キラキラまわる」.zip tLAVK3Y1RCVwyj0k1m 27,124,780 eaff834bc54545d4289fc75e9c5d6cdb5a8d5beb
を底本とし、
(一般小説) [今野緒雪×ひびき玲音] マリア様がみてる 第30巻 「キラキラまわる」(青空文庫形式対応TXT、ルビ有挿絵無し).rar.rar ヾ[゚д゚]ゝABs07Yvojw 65,758 44e7fa0052b62e9d7c46ecd8db2f242533463eda
(一般小説) [今野緒雪] マリア様がみてる 30 キラキラまわる [ルビ有TXT版].zip WQRCxTTMV0ToeD 70,759 28506af2e4130296ac84e74a995a0d061aeaf6ac
を比較校正したうえ、再度目視による確認を行い、挿絵を追加したものです。それぞれの放流者に深い感謝をささげます。
比較校正方式がもはや標準となりつつあるようで、その高い精度には今回も助けられました。画数の多い漢字や形の似た字、意味・読みも同じだが違う漢字の判別にはかなり有効みたいですね。この作品の場合ですと、
「欝」と「鬱」
「祟」と「崇」
「麒」と「麟」
などです。普通にスルーしそうだ……。
おまけ
//そで
『三年生を送る会』の翌日。祥子《さちこ》の呼びかけで、みんなで遊園地に行くことに。待ち合わせ時間を決めずに、自由集合。祥子は祐巳《ゆみ》と開園時間には到着したいと気合《きあい》十分! しかも柏木《かしわぎ》と祐麒《ゆうき》もいっしょに、車で行くのだという。柏木の運転する高級車が、4人を乗せ、遊園地へ向かって走り出した。しかしすぐに車が停まり、祥子が運転席に移動する!! 祐巳の中で、ある過去の映像がフラッシュバックするが…!!
本文中の「ジーパン」「何たら大魔王」などといった表現がおばさんくさいと思ったのは私だけだろうか。
それはそれとして、
ヾ[゚д゚]ゝ氏の方の誤認識で、「うさきねんしす?」とあったのには、思わず萌えてしまった。
-------------------------------------------
底本で気になった部分
-------------------------------------------
底本で見つけた違和感のある文章や校正ミスっぽいものをまとめてみます。
青空文庫の方針としては底本のまま打ち込み注釈を入れるのですが、見た目が悪くなり読みづらくなるため、あえて訂正することにしました。
直し方が気に入らない方はこちらを読んで修正してください。
※底本p021 01行目
この仕打ちはないだろう
―――文末に「。」抜け。訂正済み。
※底本p024 03行目
揃《そろ》ってタヌキ顔のちんちんくりんコンビ。
―――ちんちくりん、の誤りであろう。訂正済み。
※底本p028 09行目
何のことかわからないのに、同意って。そしてお姉さまに同意するということは、即《すなわ》ち、祐麒と柏木さんの言う「嫌な予感」が起こる可能性がある方に、一票投じるということになるわで。
―――ということになるわけで、の脱字か。訂正済み。
※底本p070 10行目
途中で話をはぐらかされしてしまったら、乃梨子は気になって気になって仕方がなかったと思う。
―――はぐらかされてしまったら、の誤りか。訂正済み。
※底本p079 05行目
「遊園地って、あの、遊園地ですよね。ジェットコースターとか、メリーゴーランドとかのある」
―――ほかは「メリーゴーラウンド」になっている。ただし、台詞文であるので訂正せず、そのまま。
※底本p125 05行目
蔦子さんと笙子ちゃんのカップに乗り込んむ。
―――乗り込む、あるいは乗り込んだ、の誤りか。訂正せず、そのまま。
※底本p128 04行目
『GO!GO! 令さん(以下略)』。
―――最後の "。" が余計。訂正済み。
※底本p129 06行目
由乃さんは令さんによって、どこぞへと連れられていかれたのだった。
―――連れられていったのだった、とか連れていかれたのだった、の誤りか。後者にして訂正済み。
※底本p150 07行目
――彼らの間に起こったドラマを知らなければ、確かにそれはよくわからない事象であったことろう。
―――ことだろう、か。脱字。訂正済み。
蛇足。
メリーゴーラウンド(p173)
メリーゴーラウンド(merry-go-round)とは、遊園地の遊具の一つ。別名回転木馬(かいてんもくば)。しばしばメリーゴーランドとも表記されるが誤り。英語では「carousel (carrousel、カルーセル)」と呼ばれることが多い。(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89
ライナスの毛布 (p161)
――安心毛布(あんしんもうふ、英語:Security blanket)とは、人が物などに執着している状態を指す。 一般で言うお気に入りや愛着がこれにあたる。 漫画「ピーナッツ」に登場するライナスがいつも肌身離さず毛布を持っていることにより、「ライナスの毛布」と呼ばれることもある。(Wikipedia)
今現在コバルト世代である、十代の女の子には信じられない話かもしれませんが、私が高校生だった頃は誰も携帯電話なんて持っていませんでした。(p192)
―――現在のように携帯電話が普及したのは、1997〜1999年ごろと記憶している(個人的な実感で恐縮だが)。メールが送れるようになってから、爆発的に普及した。つまり今から10年ほども昔の話なのだ。現在高校生の子が小学校の低学年の頃ということになるので、「十代の女の子には信じられない話」という表現はあながち大げさとはいえないだろう。鬱だ……。