宇宙海兵隊ギガース5
今野 敏
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)逸《そ》れた
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)心理的|攪乱《かくらん》
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〈帯〉
「TVアニメ化希望! 決まったら脚本全部書きます。監督やると友人を失うので(笑)。」押井守氏 推薦!
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〈カバー〉
GIGAS
In 22nd century, Jupiterrian goes into space-warfare at last.
The human race has not Hept a peace anytime, why not ?
ヤマタイ国を名乗る木星圏と地球連合軍との戦いは、ますます泥沼化! 膠着状態を打破すべく、連合軍は木星圏への侵攻を開始するも、広大すぎる宇宙の海を彷徨うばかりで、緊張を孕みつつも戦闘なき日々が。そんな中、最新型|HuWMS《ヒュームス》(Human-Style Working Machine Standard)ギガースの美少女パイロット、リーナ・ショーン・ミズキ少佐と、ヤマタイ国の指導者、ヒミカとの関係がいよいよ明らかに! 著者の深いこだわりと想いが炸裂する、スペース・ロボット・オペラの決定版!
FROM 今野 敏
木星圏独立には、どんな秘密が? ジュピター・シンドロームとヤマタイ国独立の関係は? ギガースを駆るリーナ・ショーン・ミズキとヤマタイ国を率いるヒミカの関係は? いよいよ物語は核心に迫っていきます。最終決戦まであと数ヵ月。ジンナイとコニーは、最終決戦を事前に防ぐことができるのか? 宇宙で戦争をする意味についてさまざまに考察してみました。
今野 敏 BIN KONNO
北海道三笠市生まれ。
上智大学在学中の78年『怪物が街にやってくる』で問題小説新人賞受賞。レコード会社勤務を経て、作家専業となる。その執筆ジャンルは幅広く、ミステリーをはじめ、伝奇、格闘小説と多彩である。2006年『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞を受賞。おもな著作に『蓬莢』『イコン』『果断―隠蔽捜査2』『ST 警視庁科学特捜班』シリーズなどがある。
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宇宙海兵隊ギガース5
[#地から1字上げ]今野 敏
[#地から1字上げ]講談社ノベルス
[#地から1字上げ]KODANSHA NOVELS
目次
第七章 遠征――メインベルトから木星圏へ
[#地から1字上げ]世界解説=大塚健祐
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第七章 遠征――メインベルトから木星圏へ
アトランティス
メインベルトから木星圏への惑星間軌道上
宇宙の海はおそろしく広い。
ニューヨーク級強襲母艦アトランティスを旗艦とする、同型艦のダイセツ、巡洋艦アイダホ、シャンハイ、マドラス、キプロスからなる艦隊は、およそ秒速三十キロほどの猛スピードで航行しているが、それでもずいぶんとゆっくりとした船旅に思える。
小惑星ケレスでの戦いで、ヤマタイ国の「マグ・ビーム」施設を破壊してからは、まったく戦いもなく、緊張をはらみながらも、何事もない船旅が続いていた。
おそらく、人類が初めて大洋に船出を始めた大航海時代には、地球の海でもこんな気分を味わっていたのかもしれない。
エドワード・カーター大尉は、そんなことを思いながら、ヒュームス・デッキに向かった。
テーブルも椅子も撤去されたガンルームは、居心地が悪い。自室にはベッドがあるが、一人でいるとすぐに退屈してしまう。
カーターは、ヒュームス・デッキに来て愛機であるM2−A1・クロノス改のコクピットでしばらく過ごすのが日課となっていた。同じように時間をつぶすヒュームス・ドライバーも少なくない。
カーターは、ケレスでの戦いの記録を何度も見直していた。カーター自身の戦いについては、ほとんど問題はないと思っていた。問題なのは、リーナ・ショーン・ミズキ少尉だ。
サイバーテレパスであり、本来は海軍情報部所属で、海軍少佐の階級を持つリーナは、現在、海兵隊で最新型ヒュームス、XM3ギガースを駆っている。そのために、少尉の階級となり、事実上二重階級となっている。
これは、軍隊ではあり得ないことだが、情報部というところは、考えられないことを平気でやるところだと、カーターは考えていた。リーナ自身が軍機といってもいい。
彼女は、ヤマタイ国の機動兵器であるトリフネの特殊な管制システムを解明し、対抗するために最新鋭機ギガースを与えられて、最前線に送り込まれたらしい。
カーターの見るところ、その目論見はうまくいっていた。だが、ケレスではそうでなかった。
敵の管制システムに干渉しようとしたとたん、逆に攻撃を受けたようなのだ。
リーナから説明を受けたが、カーターにはよく理解できなかった。おそらくサイバーテレパス同士の目に見えない戦いだったのだろう。その程度の認識しかできない。
敵のサイバーテレパスは、リーナをインターフェイスに使って、ギガースのOSであるムーサを暴走させたのだという。宇宙の海で搭乗機のコンピュータを狂わされるというのは、致命的なダメージだ。宇宙空間では、軌道を逸《そ》れた乗り物はすべて、棺桶と化す。それは、アトランティスのような巨大な船も、ヒュームスのような小さな機動兵器も同じだ。
リーナのギガースは、危険な加速のため、ケレスの弱い重力を振り切り、軌道を逸脱してしまった。カーターは、それを助けるためにコンピュータと操縦系統を切り離し、手動でリーナ機を追った。
その結果、カーター機も軌道を逸れてしまった。再加速によって軌道に戻ろうにも、推進剤が不足しているのは明らかだった。つまり、リーナ機とカーター機は絶望的な状況に追い込まれたのだ。
問題はそこからだった。
二機のトリフネがやってきた。彼らもケレスの周回軌道を逸脱したということだ。そして、彼らは敵であるリーナ機とカーター機を軌道まで押し戻したのだ。
地球の機動兵器では絶対に不可能な行為だ。なぜ、トリフネが戦場で、リーナ機とカーター機を助けようとしたのか。そして、なぜそれが可能だったのか。
カーターは、ケレスの戦い以来、ずっと考えていた。
まったく理屈に合わない。互いに殺し合っていたのだ。その最中に、なぜ敵を助けたのか。
そこで、カーターはまた、サムのことを思い出してしまう。最初のカリスト沖海戦で軌道を逸脱し、戦死したと思われていた。だが、カーターは、戦場でトリフネに搭乗したサムと再会した。
いや、姿は見ていない。声をきいただけだ。だから、敵の心理的|攪乱《かくらん》かとも思った。あの状況でサムを助けることは、誰にもできなかったはずだ。
だが、実際にトリフネに助けられてみると、サムも同様に救助されたとしても不思議はないと思える。
何のために敵を助けるのか。
ヤマタイ国の指導者であるヒミカが唱える『絶対人間主義』のせいだろうか。それならば、なぜ、ヤマタイ国は、独立戦争などを仕掛けて来たのだろう。
いくら一人で考えていても謎は解けない。所詮、ヒュームス隊の小隊長に過ぎない。戦争そのものについて考えても仕方がない。当面、解けそうな謎から解いていくしかない。でなければ、考えるのを止めることだ。
カーターは、何度も見直したクロノス改の戦闘データを記憶メディアにコピーしてコクピットを出た。
慣性航行中、居住区は回転しており重力がある。カーターは、廊下を進み、科学士官たちの部屋が並ぶ一画にやってきた。
一瞬、躊躇《ちゅうちょ》した後にジェシカ・ローランドの部屋のチャイムを鳴らした。すぐにドアが開き、見事なブロンドのジェシカが現れた。知的な青い眼に見つめられ、カーターはちょっとだけたじろいだ。
「なあに、|海兵隊さん《ミスター・マリーン》、何か用?」
「ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
「退屈してるの。面白いものなら何でも歓迎よ」
「ケレスでの戦闘データなんだが……」
「なんだ、がっかりね。もっと刺激的なものだと思ったんだけど……」
「俺には充分に刺激的だ。なんせ、死ぬところだったんだからな」
ジェシカの表情が曇った。
「無神経なこと言ってごめんなさい。でも、どうして、『軌道屋』のあたしなんかに、戦闘データを見せたいの?」
「とにかく、見てくれ」
カーターは記憶メディアを取り出した。ジェシカは、思案顔でそれをしばし見つめていたが、やがて言った。
「いいわ。入って」
カーターは、部屋に入った。科学士官の居室は、パイロットやヒュームス・ドライバーの部屋より狭い。パイロットやドライバーは、常に最前線で戦わなければならないので、生きている間はかなり優遇される。空き室になる確率が一番高いのだ。
ジェシカは、自分のノートパソコンにメディアを差し込んで再生を始めた。
リーナ機が軌道を逸れてから、二機のトリフネにリーナ機とともにカーター機が救助されるところまでが映し出されていた。
ジェシカはじっとその画面を見つめていた。二度同じシーンを見た。それでもジェシカは何も言わない。
カーターは尋ねた。
「どう思う?」
ジェシカは、もう一度映像を再生した。
やがて、彼女は言った。
「これについては、乗組員幹部の間でも話題になっていた……」
「幹部ってのは、具体的には誰のことだ?」
「艦長と作戦司令」
「そうだろうな。戦闘の最中に敵を救助したんだ。トリフネの行動は、まったく理屈に合わない」
「ジュピタリアンには、私たちと違う行動規範があるのかもしれない。艦長たちはそんな話をしていたわ」
カーターは肩をすくめた。
「そういう話は、幹部や司令部に任せるさ。俺があんたに訊きたいのは、軌道を逸れてしまったヒュームスを、どうしてトリフネが助けられたか、だ。俺たちのヒュームスでは、とてもじゃないが、推進剤が持たない」
「つまり、充分な加速が得られないから軌道に戻ることができないということね?」
「そうだ。ムーサにもそういうデータはないはずだ。ムーサは、俺たちを軌道から逸れないように守ってくれるだけだ」
「加速するために、あなたのクロノス改とギガースもメインスラスターを使ったのね?」
「使った。トリフネの指示に従い、彼らの火線に合わせて、推進剤が空になるまで全開で噴かした」
ジェシカは、腕組みした。豊かな胸が腕に押し上げられ、カーターは思わず目をそらした。
「周回軌道に関する計算はごく簡単だから、そういうデータは、あたしたちだって充分に持っている。ただ、ヒュームスのようにペイロードが限られている乗り物には、軌道を逸脱したような場合に必要な加速を得られるだけの推進剤は積めない」
「トリフネだって同じじゃないか?」
「たぶん、ヒュームスとトリフネはもともとの設計思想が違うのね」
「どういう違いだ?」
「ヒュームスでは、軌道復帰はできない」
「そのとおりだ。最新型のギガースでも無理だ」
「でも、空軍のファイターだったらどう?」
「戦闘機か……」
カーターは考えた。
クロノス改の作戦行動時間は、三十分、ギガースでも五十分だ。それに比較して、空軍の最新主力機 Su-107S ツィクロンの作戦行動時間は二百分、従来の主力機だった Mig-103bis ズヴェズダでも百五十分もある。
空軍の戦闘機はもともと、地球や月の高高度や周回軌道上での運用を前提に作られている。母艦の周囲でしか運用できないヒュームスとは違うのだ。
簡単に言えば、空軍の戦闘機は宇宙船の延長であり、ヒュームスは作業用のパワードスーツの延長だということだ。
「空軍機なら、充分な加速が得られるだけのパワーと推進剤を持っているはずだ」
「そういうことね。トリフネは、地球連合の空軍機の推進力とヒュームスの作業能力の双方を兼ね備えているということね」
「その両方をあれだけの小さな機体に詰め込むのは不可能に思えるがな……」
「でも、実際にトリフネはあなたたちを助けた」
ジェシカは、ちらりとパソコンのモニターに眼をやった。「この映像だけでは何とも言えないけど、トリフネが使用した推進剤のデルタVは、ヒュームスが積める量をはるかに超えているはずよ」
デルタVというのは、宇宙だけで使われる単位だ。エンジンの噴射前の速度と噴射後の速度を推進剤の量で表す。
「つまり、トリフネというのは、俺たち地球連合軍の兵器より優れた機動兵器だということか?」
「優れているかどうかは、あたしにはわからない。あたしは、ただの『軌道屋』よ」
「だが、やつらは俺たちにできないことをやった。それだけ優れているということじゃないのか?」
「戦いでは互角だと思う」
「そうかな?」
「これまでの戦果を見ても明らかよ。カリスト沖海戦は、明らかな負け戦だったけど、メインベルトの軌道交差戦では、明らかにこちらに分があった。火星上空の戦いでは、敵の巡洋艦クラスのミラーシップを一隻沈めている。月のエイトケン天文台の攻防戦では、敵の侵攻を阻止した。地球軌道上での戦いでも、こちらはほぼ無傷で敵のワダツミ級を追っ払った……」
カーターは、考え込んだ。
「見解の相違はあるがな……。火星上空の戦いでは、マスドライバーをやられた。あれは甚大な被害だった」
「ケレスの戦いでは、敵の『マグ・ビーム』施設を破壊したのよ。おあいこだわ。それに、マスドライバーは、敵巡洋艦のカミカゼを食らったのよ。総合的には、こちらが勝っていると思う」
「俺たちに気をつかってそう言ってくれているのはわかるが、どうも勝ち戦という気がしない。どうして、物量でも兵力でも圧倒的に有利な地球連合軍と、ちっぽけなヤマタイ国が互角に戦えるんだ?」
「あたしは、ただの『軌道屋』だって言ってるでしょう。そういうことは、司令部とか参謀本部に訊いてほしいわ」
「そりゃまあ、そうだが……」
「私の立場から言えることは一つだけ」
「何だ?」
「ジュピタリアンは、私たちより宇宙を知っている」
「宇宙を知っている?」
「そう。辺境の地から地球に向かって攻めてくるのよ。宇宙航行やその他、宇宙に関する技術は、私たちより進んでいる。それは確かね」
カーターは、その言葉に納得せざるを得なかった。
「マグ・ビーム」による航行は、ペイロードをおおいに節約できる。戦艦に、脆弱な帆を張るなどという発想は、地球連合軍にはなかった。だが、単純に惑星間航行だけに限って考えれば、これほど合理的な方法はない。
それにトリフネの管制システムだ。リーナによれば、そのシステムは、サイバーテレパスが関与しているらしい。
それも、地球連合軍にはないテクノロジーだ。いや、それをテクノロジーと呼んでいいのだろうか。カーターにとって、科学技術というのは、超能力などとはまったく無縁のものなのだ。
そして、彼らは、どうやら地球連合軍よりもずっと優れたレスキュー技術を持っているようだ。
カーターは、迷った末にジェシカに尋ねた。
「サイバーテレパスって、信じるか?」
ジェシカはきょとんとした顔になった。青い美しい眼を見開く。
「なによ、唐突に……」
「いや……。そういう伝説があるんだろう。不思議なことに、俺たち軍人よりも、科学者やメカニックなんかが信じている節があるという……」
ジェシカは急にまじめくさった顔になった。
「私は、信じている。サイバーテレパスって、ただの伝説じゃない。きっと本当にそういう人っていると思う。あたしたちは、一日中コンピュータと付き合っているでしょう。時折、コンピュータと心が通じるんじゃないかって思うことがあるわ」
「コンピュータなんて、所詮ただのプログラムだろう」
「高度に発達したシステムは、だんだん人間に近づいてくる。だいたい、人間の脳だって突き詰めれば、一つ一つの細胞のオン・オフで情報を処理しているのよ」
「ここだけの話だがな……」
「なあに、もったいぶって……」
「ヒミカは、サイバーテレパスかもしれない」
敵の指導者であるヒミカは、神秘に包まれた存在だ。まだ、連合軍ではその正体をはっきりとつかんではいない。
ジェシカは腕組みしたまま、カーターを見つめていた。
「トリフネの管制システムの話ね?」
「そうだ。おそらくヒミカは、敵の旗艦のワダツミに乗船している。ワダツミと戦うときだけ、トリフネの動きが違う」
「そのことは、艦長や作戦司令は知っているの?」
リーナが話すと言っていた。
「ああ、きっともう知っていると思う」
「ヒミカがサイバーテレパスかどうかは、知りようがない。でも、ワダツミだけ特別というのは、わかるような気がする」
ジェシカは、記憶メディアをパソコンから取り出してカーターに返した。カーターはそれを受け取った。引き揚げる潮時だ。
「木星圏までは、あと五ヵ月ほどだったな」
「そうね。宇宙のスケールではあっという間ね」
「すでに、ジュピタリアンの縄張りだ。気は抜けない」
「縄張りなんて概念は、惑星間では存在しない。惑星の位置関係は常に変化しているし、どんな船だって軌道を無視して航行できない。だから、極論すれば、宇宙空間での戦いはどこで戦おうが、有利不利はないのよ」
カーターは、何か大切なことを聞いたような気がしていた。
「話ができてよかった」
「あたしで役に立つんだったら、いつでもどうぞ」
カーターは、ほほえみながらガンルームに向かった。
アトランティス
メインベルトから木星圏への惑星間軌道上
空軍要撃部隊の隊長、オージェ・ナザーロフ空軍大尉は、隊員たちが次第に苛立ちを募らせているのを、強く意識していた。特に、ひげ面のベテランパイロット、アレキサンドル中尉は、不機嫌だった。
船の長旅のせいだ。アレキサンドル中尉は、昔から船嫌いだと言っていた。先祖代々、船酔いする家系なのだそうだ。それは、彼一流のジョークなのだろうが、アトランティスの長旅がこたえているのは間違いなかった。
他の連中も同じだった。オージェだって、さすがにうんざりしている。
地球からケレスまで四ヵ月以上かかった。そして、ケレスの戦いから一ヵ月。戦いの直後は、空軍要撃部隊の隊員たちも少々興奮気味だった。
ケレスの戦いは、明らかに勝ち戦だった。敵の重要な施設を破壊できたし、味方の損傷は軽微だった。アトランティスに艦載されているヒュームスのドライバーも、戦闘機のパイロットも全員が生きて帰還した。
だが、それからが問題だった。
一ヵ月間、何もすることがない。戦闘機を使った訓練すらできない。敵の本陣である木星圏の戦いに備えて、燃料と推進剤を確保しておかなければならないからだ。訓練で無駄に使うことは許されない。
隊員たちは不安なのだ。空軍パイロットは、これほど長期間にわたって宇宙の旅をしたことがない。
アトランティスに配属になったときから覚悟はしていた。だが、ペイロード確保のために、無駄なものはすべて取り外されていた。ガンルームにあったテーブルや椅子も取り払われていた。
ガンルームがある居住区は、現在回転による疑似重力がある。それだけに、始末が悪い。みんな立つか床に座るかしかないのだ。飲み物のベンディングマシンまでなくなっており、保管庫から定期的に運ばれてくる飲み物を待つしかなかった。
アレキサンドル中尉にとって、唯一の救いは、ウォッカの持ち込みを認められたことだろう。もちろん、出撃が近づき、プレブリーズが始まる一日前から飲酒は禁じられるが、戦いまでは、まだ数ヵ月あるはずだった。
持ち込んだウォッカにも限りがあるので、アレキサンドルたちは、大切そうにちびちびとやっていた。
「海軍のやつらは、えらく気が長いんだな」
そんなアレキサンドルの声が聞こえてくる。それに冷静な声でこたえるのは、ユーリ大尉だ。
「彼らはやることをやっているだけだ。見習うんだな」
「ふん、敵の『マグ・ビーム』施設にミサイルを撃ち込んだのは俺たち空軍だぞ」
オージェの僚機に乗る、ミハイルが言った。
「それにしても、食事がいいのには驚きましたね。チューブ入りの宇宙食でも食べさせられるかと思ったら、ちゃんとした食事が出る。ノブゴロド基地の食事よりいいくらいです」
ミハイルらしい生真面目なしゃべり方だ。
「ふん」
アレキサンドルが言う。「メシくらいまともなものを出してもらわんとな。船に乗っけられてこんなところまで遠征するなんて、本来空軍のやることじゃないんだ」
「そういう考え方は、そろそろ改めたほうがいい」
ユーリが言った。「これからは、戦い方も変わる。軍自体が変わる可能性がある」
たしかにユーリの言うとおりだと、オージェは思った。
アレキサンドルも、そのことに気づいているに違いない。だが、文句を言わずにはいられないのだ。その気持ちも理解できた。
ガンルームに、カーターが入ってきた。彼は、壁にもたれているオージェを見つけると、隣にやってきた。同じように壁に背中をくっつけた。
「空軍はいつもつるんでるんだな……」
カーターが言った。オージェは笑いを浮かべた。
「いっしょに酒を飲むくらいしかすることがないんでね……。海軍や海兵隊の連中は、あまりいっしょにはいないんだな。アメリカ流の個人主義か?」
「航海は長い。始終顔を突き合わせていると、飽きちまうんだよ。家族みたいなもんだからな」
「なるほど、それも経験から得た知恵か」
「ケレスの戦いでは、いい働きをしてくれた」
「海兵隊が後方を固めてくれたおかげだ」
「本音か? エースパイロットが、えらく殊勝なことを言うじゃないか」
「もちろん、本音だとも……。だが、疑問に思うこともある」
「何だ?」
「軌道戦に慣れており、それぞれの機体には制御用の優秀なコンピュータを搭載しているはずの海兵隊が、どうして軌道を逸れてしまったのか……。それも、最新鋭機の優秀なパイロットと小隊長が……」
「戦いの最中に、俺たちの動きまで見ていたのか?」
「常に戦場の状況を把握するようにつとめている。でなければ、生きて帰れない」
カーターは、少し離れた場所で酒を飲んでいる空軍要撃隊員たちをちらりと見てから、声を落とした。
「公式には、ケレスの戦いは勝ち戦だった」
「公式にも何も……。事実、大きな戦果を上げた。こちらはほとんど何も失っていない」
「いや、実は、とてつもなく大きなものを失ったかもしれない」
オージェは、カーターのほうを見て、無言で先をうながした。
カーターはさらに声を低くした。
「あんた、ジュピタリアンに畏怖を感じると言っていたな。そして、リーナにも同じようなものを感じると……」
「言った。だが、それは非公式な発言だ。あんたの胸の中だけにしまっておいてほしい。うちの隊員にも言っていないことだ」
「心配するな。それくらいの分別は持ち合わせている。問題は、間違いなくリーナとジュピタリアンには共通点がありそうだということだ」
オージェは表情を変えない。ロシア人の表情は読みにくい。
「エイトケン天文台の攻防戦では、ジュピタリアンの兵士が、ミズキ少尉を見て、『ヒミカ』様と呼びかけた……」
カーターはうなずいた。
「トリフネの特殊な管制システムについては、もう気づいていると思う。地球周回軌道上の戦いでは、ウミサチというミラーシップと戦った。ウミサチは、ワダツミ級だが、トリフネの特殊な管制システムを使っていなかった」
「どういうことだ?」
「ワダツミだけが特殊だということだ。そして、おそらくワダツミには、ヒミカが乗っている」
オージェはしばらく考えていた。
「つまり、ヒミカがトリフネの特殊な管制システムに関わっているということか?」
カーターは再びうなずいた。
「おそらく、ヒミカはサイバーテレパスだ。トリフネの管制システムには、ヒミカのサイバーテレパスとしての能力が必要なのだ」
「サイバーテレパス……。そんなものが実在するとはな……」
「これから言うことは、絶対に口外しないと誓ってくれ。でないと、俺たちは情報部に消されてしまうかもしれない」
「情報部に……?」
「リーナは、実は情報部から来た。本来は少佐の階級を持っている」
ポーカーフェイスのオージェも、さすがに驚いた様子だった。
「なぜだ……?」
「リーナは最前線に出て、トリフネやワダツミと接触する必要があったのだと思う。だから、絶対に量産されることのない最新鋭のギガースを与えられ、少尉の位で海兵隊に転属させられた」
「だから、それはなぜなのだ?」
「リーナは、サイバーテレパスだ」
オージェは、一瞬言葉を失った。
ややあって、彼は自分を落ち着かせようとするように、ゆっくりと言った。
「伝説の存在が、こんなに身近にいたとはな……」
それからふと気づいたように、言葉を継いだ。「ジュピタリアンの将兵たちが、ミズキ少尉を見て、『ヒミカ様』と言った。そして、ヒミカとミズキ少尉は同じサイバーテレパスだという……。これはどういうことなのだ?」
「誰が考えても、肉親だと思うだろう」
「片や地球連合軍の海軍情報部の将校、片や木星圏のカリスマ的な指導者……。それが肉親だというのか?」
「詳しい事情は知らない。だが、そう考えるのが自然だ。リーナ自身そのことを知らないらしい。まだ何もわからない赤ん坊の頃に離ればなれになったということか……」
「ミズキ少尉はその事実を知らない。だが、海軍情報部は、そのことを知っていて、ミズキ少尉を最前線に送った……。そうとしか思えないな。つまり、ヒミカと接触させることを目的として……」
「憶測にしか過ぎないが、そう考えるのが自然だな。だが、そうだとしてもそれは軍機扱いだから、俺たちが事実を知る術《すべ》はない」
「ふん……。だから、エイトケン天文台の攻防戦の直後に、情報部の士官がやってきて、俺たちを尋問したのだな……」
「ワダツミと戦うとき、リーナは、トリフネの管制システムに干渉を加えていた」
オージェは、ふと考え込んでから言った。
「そうか……。時折、完璧だったトリフネの動きが妙に乱れたことがあった……。あれはミズキ少尉のせいだったというのか?」
カーターは肩をすくめた。
「どういうメカニズムなのか、俺にはさっぱりわからないが、サイバーテレパスだからできたことなんだ。だが、今回、敵から反撃を食らった」
「反撃……?」
「トリフネの管制システムにアクセスした瞬間、敵は、リーナをインターフェイスに使って、ギガースのムーサを狂わせた」
「ムーサというのは、メインコンピュータだな?」
「そのせいで、リーナは機体を制御できずに、軌道を飛び出した」
「さっき、大きなものを失ったと言ったが、もしかして、そのことなのか?」
「そうだ。ワダツミと戦うとき、リーナがトリフネの管制システムを無効にしていた。かつて、リーナ機が戦場で動きを止めたことがある」
「ああ、覚えている」
「敵のシステムにコンタクトするために、精神を集中する必要があったからだ。だが、その後、動きながらでもそれができるようになった。一度チャンネルができると、コンタクトが楽になるらしい」
「私たちが、ワダツミのトリフネと互角に戦えたのは、ミズキ少尉のおかげだというわけか……」
「だが、ケレスの戦いで、リーナはコンタクトしたとたんに、敵の反撃にあった。つまり、こちらの有力な武器が封じられたということだ」
「それについて、ミズキ少尉は何か言っているのか?」
「その後、突っ込んだ話はしていない。なにせ、軍機に関わることだからな。リーナは、艦長やエリオット作戦司令には話すと言っていたが、艦長たちがどう思っているかも、俺には知る術はない」
「反撃されたのなら、またその対抗措置もあり得る。戦いというのは、そういうものだ」
カーターは、床を見つめて、今のオージェの言葉について考えていた。
「あんたが、エースパイロットである理由の一部を垣間見た気分だな」
「どういうことだ?」
「戦いに対して常に前向きだ」
「それが私の仕事だ」
「俺たちは戦争をしている」
「ああ、それはまぎれもない事実だ」
「一人でも多くの敵を倒すのが、俺たち軍人の役割だ」
「もちろん、そうだ」
「だが、ヤマタイ国のやつらは、俺とリーナを助けた。戦闘の最中に、だ。これはどう解釈すればいいのだろう」
オージェは、思案顔になった。
「『絶対人間主義』のせいだろうか……」
「ならば、『絶対人間主義』を信奉しているヤマタイ国が、戦争を起こしたのはなぜだ?」
オージェは、かすかにほほえんだ。
「それは、以前私があなたに言ったことだ。覚えていないか?」
「そうだっけな……」
「この戦争には、何か別の要素があるのかもしれない。ジュピタリアンは、戦闘行為よりも情宣活動を重視しているように見える。私はそう言ったのだ」
そのとき、アレキサンドルがオージェに声をかけた。
「そんなところで、何をこそこそ話をしてるんです? こっちで一杯やったらどうです?」
オージェは、アレキサンドルにほほえみを返して、カーターに言った。
「私たちの役割は、戦争そのものを考えることではない。与えられた作戦を遂行することだ。この戦争の理由など考えても仕方のないことだ」
「そうかもしれない」
「どうだ、いっしょに一杯?」
カーターは、要撃部隊の連中を一瞥《いちべつ》してから言った。
「いただこう」
火星 ブラッドベリ市
コニー・チャンは、火星のむっとした熱気に、まだ慣れずにいた。火星上の施設内は、すべて高温多湿だ。地球で言うと、東南アジアや南太平洋の島々のようだ。
これは人間の生活よりも、むしろ植物の育成を重視しているからだ。火星の施設というのは、巨大な温室のようなものなのだ。植物が作り出す酸素が、ひじょうに重要だからだ。
光合成をしていないとき、植物も酸素を消費して二酸化炭素を出す。だが、おしなべて光合成をしているときに生産する酸素の量のほうがはるかに上回っている。
火星の生活には、施設の中の大半を覆い尽くすような植物が欠かせないのだ。それ故に、火星は、熱帯雨林を思わせる地域が多い。
何世代か先には、火星全体をテラフォーミングするという夢のような計画もある。だが、今のところ、人類は、巨大な温室の中でしか生きられない。
これがリゾートならば、どんなに楽だろうとコニーは思った。
火星の居住区の中には、このところ、海を模した巨大な塩水の池が幾つも作られている。それはリゾート施設としても使われるが、重要なのは、海草や珊瑚だった。やはり、二酸化炭素を吸収し、酸素を発生するからだ。
加えて、火星の重力は、地球の三十八パーセントほどなので、月にいるときと同様に、のぼせなどの独特の症状が起きる。これに慣れるのにしばらくかかった。
アトランティスをはじめとする地球連合軍艦隊が木星圏に向けて出発したというニュースが流れてすぐに、コニーは、エドガー・ホーリーランド提督を追って火星に旅立つ準備を始めた。それが四ヵ月以上も前のことだ。
一人では、火星へ行かせられないというオオタの意見を受け容れて、まず、オレグ・チェレンコの行方を探した。
ホーリーランドが火星に行ったと聞けば、チェレンコは必ず関心を示すと考えたのだ。チェレンコの正体は、ヤマタイ国の情報将校、タカメヒコなのだ。
チェレンコを見つけ出し、連絡を取るのに三週間を要した。今までコニーのほうから連絡を取ったことがない。いつも、向こうから接触してくるのだ。
方法はただ一つ。探し回ることだ。
そうすれば、コニーが自分を探しているということを嗅ぎつけて、チェレンコのほうからまた連絡を取ってくると考えていた。
結局、そのとおりになったのだが、それまで三週間かかったということだ。
コニーは、一刻も早く火星へ行きたいと、チェレンコに告げた。チェレンコは言った。
「実は、ホーリーランドには二度と会いたくないと思っていたのだがな……」
「そんなにひどい目にあったの?」
「やり口は、UNBIの連中よりひどかった。やつらは、拷問好きの変態だ。ホーリーランドたちは、俺の傷の手当てまでしてくれたし、ゆっくり眠らせてもくれた。だが、彼は、UNBIのばかどもよりずっと巧妙に俺の心理状態をめちゃくちゃにしちまった」
それは充分に想像できた。
ホーリーランド提督は、伝説のヤマタイ国建国の祖、オオナムチだった。チェレンコにとって、それはとてつもなく大きな衝撃だったろう。
その事実をチェレンコから聞いたとき、コニーもあまりの驚きに言葉を失った。そのオオナムチが自ら、「この戦争を起こしたのは自分だ」と語ったのだという。
混乱するなというほうが無理だろう。地球連合の艦隊が木星圏に向けて出発したことを確認したホーリーランドは、チェレンコを放り出したのだという。
「殺される以上の屈辱だった」
チェレンコは言った。
「殺されたら終わりよ。どんな屈辱を味わおうが、生きていたほうが勝ちよ」
このコニーの言葉も、それほど慰めになったとは思えなかった。コニーと会ったとき、チェレンコは、無力感に苛《さいな》まれているようだった。自ら語ったように、もう、ホーリーランドには関わりたくないと考えていたのだ。
だが、ホーリーランドが火星におり、コニーが火星へ行くつもりだと告げると、にわかに目に生気が戻った。
彼は、本物の男だ。そのとき、コニーはそう感じた。そして、本物の情報将校だ。
それから、二人は具体的に火星へ行く準備を始めた。チェレンコには新たなパスポートが必要だった。用意するまで一週間必要だとチェレンコは言い、事実、ちょうど七日で手に入れてきた。
コニーは、ジャーナリストのビザを申請し、同時に、同行カメラマンとして、チェレンコのビザも申請した。戦時中にもかかわらず、火星圏のビザは、比較的審査が緩い。ただ、少々時間がかかる。申請したその日に下りるというわけにはいかない。
無事にビザが手に入るまでさらに一週間かかった。同時に、火星行きのチケットを手配していたが、これが一番の問題だった。火星までの船は、今は軍の使用が最優先される。
なかなか民間人にまでチケットが回ってこない。コニーはあらゆるコネクションを使って、ようやく二人分の往復チケットを手に入れたのだが、そのためにさらに一週間を費やしてしまったのだ。
チケットが手にはいると、二人はすぐに出発したのだが、なにせ火星までの船旅は三ヵ月ほどかかる。
火星に到着したからといって、その先の展開が容易だというわけではない。
火星の居住区は限られている。月面よりも狭いくらいだ。開発に莫大な費用がかかるからだ。
にもかかわらず、ホーリーランド提督の所在を探すのは一苦労だった。コニーは、チェレンコに頼らざるを得なかった。
ジャーナリストとして取材の方法は充分に心得ている。どこかに潜伏している有名人を探し出すことくらいはできる。
しかし、軍や連合政府の思惑が絡んでいるとなると話は別だ。ホーリーランドはただの有名人ではない。情報戦のプロであるチェレンコでないと痕跡すらつかむことはできなかっただろう。
チェレンコは、ホーリーランドがどこに潜んでいるかを探り出してきた。火星には、木星圏の独立に共感する人々がおり、地球連合政府に反感を持つ者もいる。その両方を持ち合わせている人たちの中から、ジュピタリアンのシンパサイザーが生まれる。
火星は月と同様に自治区だが、もちろん連合政府の監視下にある。そして、当然その監視は、戦争が始まってから強まっている。
だが、監視や規制が強まれば強まるほど、抵抗する力も強まる。ジュピタリアンのシンパサイザーは地下に潜り、細々とだが辛抱強く連合政府や連合軍に対する抵抗を続けているのだという。
チェレンコは、そういう連中と連絡を取り合っていた。地下に潜った抵抗勢力というのは、驚くほどの情報網を持っている。情報だけが、彼らの武器なのだ。
火星には海軍の基地がある。かつて、周回軌道上のベース・バースームは、地球連合軍の基地だったが、ジュピタリアンの攻撃を受けて、今は基地の機能を失っている。
火星の海軍基地は、主に本来ベース・バースームの交替要因が非番のときに過ごす施設だった。教育施設や訓練施設もあるが、それは補助的なもので、将兵は、ベース・バースームと火星の海軍基地で交替勤務を行い、何度目かの交替勤務の後に地球にしばらく滞在するというシフトを取っていた。
地球連合軍は、ベース・バースームを放棄して以来、機能のすべてを火星の基地に移していた。だが、大幅に規模を縮小しなければならなかった。
ベース・バースームと火星地上基地の双方で行っていた任務を、すべて地上でまかなわなければならないからだ。滞在できる将兵の数も減った。
コニーは、ホーリーランドが当然海軍基地にいるものと思っていた。ヨコスカで会った人事担当の将校は、ホーリーランドが、マスドライバー再建の陣頭指揮を執ると言っていた。だが、チェレンコによると、まったく別の場所に滞在しているという。
民間の病院だ。だが、どうやら普通の病院とは違っているようだ。チェレンコは念のためにエドガー・ホーリーランドという入院患者がいるかどうか、病院の受付で訊いてみたそうだ。そんな患者はいないという言葉が返ってきた。
予想できたことだ。偽名を使っているかもしれないし、病院が入院していることを隠しているのかもしれない。その病院は、しばしば政治家やマフィアの大物などが、身を隠すのに使われるということだった。
ただの病院なら侵入することは簡単だ。だが、『クラーク記念病院』という名のこの施設は、ただの病院でないことは明らかだった。
警備が異常に厳重だったし、建物自体の安全対策も通常の病院とは思えないほどにしっかりしていた。誰かをかくまうことを前提に作られているのではないかという気さえしてくる。
チェレンコは今日も出かけている。ジュピタリアンのシンパサイザーたちと会っているのだろう。彼は、コニーがその組織の連中と接触することを拒んだ。
恐ろしく用心深い連中で、地球のジャーナリストなどを連れて行ったら、チェレンコといえども容赦なく消されてしまうかもしれないと言っていた。
コニーは、ホテルでチェレンコの帰りを待つしかなかった。どうやらチェレンコは、火星の低重力にもあまり影響されない様子だった。宇宙に慣れているのだろう。
夕刻にドアをノックする音が聞こえた。続いてドアの向こうからチェレンコの声が聞こえてきた。
「俺だ」
コニーはドアを開けた。チェレンコはいかにも用心深そうに廊下の左右に視線を走らせてから部屋に入ってきた。
「何かわかった?」
「ホーリーランドは、火星にやってきてからずっとあの病院に入っているということだ」
「彼が火星に出発したのは、私たちより少なくとも五週間以上は早かったはずよ。つまり、五週間以上も病院に入っているということね」
「そういうことになるな」
「人事担当の将校は、ホーリーランドがマスドライバー再建の陣頭指揮を執ると言っていた。嘘っぱちだったのね。あの将校はどう見ても人事担当なんかじゃない。おそらく情報部よ」
「いや、そうとも言えない。検査入院という名目で病院にいるのだが、実際は病室からさまざまな指示を出しているようだ。軍の火星方面隊と民間企業が共同でマスドライバーを再建するという話もどうやら本当のようだ」
「マスドライバーが完成したら、軌道上のベース・バースームの基地機能が回復するわね。あなたたちジュピタリアンにとっては、都合が悪い話ね」
チェレンコは肩をすくめた。
「戦争を終わらせればいいだけのことだ。だから、俺たちはあんたたちと手を組んでいる」
「不思議よね」
「何がだ?」
「あなた、軍人でしょう? なのに、戦争を終わらせようとしている。普通、軍人はそういうことを考えないんじゃない?」
「地球の軍人とヤマタイ国の軍人は違う」
「どう違うの?」
「ヤマタイ国の軍人は行政も担当する」
「あなたは軍人であると同時に政治家でもあるということ?」
「そういうことだな」
「終戦は、ヤマタイ国の総意なのね」
「ヒミカ様のご意志だ」
「ジュピタリアンの政治形態って、おそろしく古いという気がするんだけど……」
「たしかに地球連合政府とは違う。だが、見せかけの民主主義よりもずっといいと、俺は思っている」
「見せかけの民主主義ね……」
「UNBIは、どんどん秘密警察化している。今の地球連合政府で、民主主義がちゃんと機能しているとは思えない」
「それも戦争のせいよ。今は戦時体制下ですからね。それでも、独裁制よりはずっとましだと思う」
「ヤマタイ国は独裁制ではない。木星圏で生きていくためには、最も適した政治形態なのだと、俺は思っている。それから、俺はあんたたちのジュピタリアンという言い方が嫌いだ。俺たちだって、故郷は地球なんだ」
「ごめんなさい」
チェレンコは、かすかに皮肉な笑みを浮かべていた。
「問題は、どうやってオオナムチと接触するかだが……」
そこでチェレンコはふと思案顔になった。「それ以前に、あんたはオオナムチと会ってどうする気だ?」
「真実を聞き出す。そして、それをどういう手段でもいいから報道する。そうなれば、ジンナイたちの和平への働きかけの後押しになるはずよ」
チェレンコはしばらく考えていたが、やがてうなずいた。
「オオナムチは話すかもしれない。彼は、すべてが目論見どおりに運んでいると信じている」
「彼は、この戦争をやめるわけにはいかないと言ったそうね」
「言った」
「どういう意味だかわかる?」
「考えろと言われた。だが、理解はできなかった」
「オオタは実験のために戦争を始めたんじゃないかと言っていた」
「オオナムチは、地球連合軍では海軍のESP研究の責任者だったと言ったな。だが……」
チェレンコはかぶりを振った。「戦争が実験の場として利用されることはあり得る。だが、実験のために戦争を起こすなどばかげている。そんな金のかかる実験などあり得ない」
「ほかの要素も絡んでいるはずよ。軍の再編の計画が持ち上がっているそうよ。それと、軍需産業の好景気やエネルギー産業の思惑……」
「木星圏はエネルギー源の宝庫だからな」
「独立したら、エネルギーの供給国として、ヤマタイ国はおおいに潤うことになるわね」
「俺も、当初はオオナムチがそれを目的としていたのかと考えた。だが、本人の口ぶりではどうもそういうことではないらしい。たしかに経済的な側面は無視できない。独立をしたら、地球連合から莫大な金が流れ込むかもしれない。だが、それは結果論だ。オオナムチは、独立が必要だと言ったのではない。戦争が必要だという意味のことを言ったのだ」
「この戦争が必要だった……。それは地球連合政府にとって? それともヤマタイ国にとって?」
「わからない。だが、オオナムチは、この戦争で人類の歴史が変わるかもしれないと言っていた」
「歴史が変わるかもしれない……」
コニーは眉間にしわを寄せた。「ぜひ、ホーリーランドに会って話を聞いてみたいわね」
「病院に潜入する方策がないか、探ってみる。必ず手はあるはずだ」
「私に何かできることはない?」
「そうだな……」
チェレンコは、真剣な表情のまま言った。「今夜、食事をするいいレストランを見つけてくれ。できればロシア料理がいいな」
コニーはこたえた。
「中華でいいわね」
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
ジンナイは、熾烈《しれつ》な選挙戦を戦っていた。その選挙戦も大詰めだ。戦争を終わらせるためにも、まず選挙に勝たなくてはならなかった。
反戦は、政治家を輩出してきたジンナイ家の家訓でもある。だが、反戦派はこの時期、旗色が悪かった。戦争はすでに始まっている。そして、地球に直接の被害がないこともあり、戦争を容認する風潮ができあがっている。
連合政府による「ジュピタリアンは、テロリスト」という情宣も功を奏している。ジンナイの選挙スタッフたちは一様に、できるだけ反戦には触れないで、選挙戦に臨むようにアドバイスした。
ジンナイは、それに従うしかなかったが、チャンスがあれば、反戦派の票を獲得しようと努力していた。
戦争は、ナショナリズムを煽《あお》る。ジュピタリアンという新たな敵の出現で、それまで決して一枚岩とは言えなかった連合政府内の諸国が団結する風潮が見られた。マスコミもナショナリズムと戦争を煽るような論調に傾く。
だが、そんな世間のきな臭い雰囲気を危険なものだと感じている人々も少なくない。婦人団体や、市民団体、軍需産業に関係していない流通業者の団体などは、明らかに戦争に反対していた。
ジンナイは、そういう団体が主催する小さな集会で、反戦の意志を伝えた。
もともと、独創的な経済対策や教育に関する政策で、ジンナイは世間の高い評価を得ている。上院議員としての、これまでの実績も大きく、支持者の層は厚かった。
だが、戦時体制というのは通常とは違う。そして、選挙では何が起きるかわからない。ジンナイは、これまでで最も厳しい戦いであることを充分に意識していた。
ある集会での演説が終わり、ジンナイは事務所に引き上げてぐったりとしていた。すぐさま、オオタがやってきて、次の予定を知らせる。
「わかった」
ジンナイはうなずいた。疲れているなどと言っている余裕はなかった。選挙戦となれば、朝起きてから夜寝る瞬間まで駆け回らなければならない。
「火星のコニーから何か連絡は?」
ジンナイの問いに、オオタは首を横に振った。
「まだ何も……。火星までは三ヵ月もかかる船旅ですからね。着いたばかりで、まだ有力な情報をつかめずにいるのかもしれません」
「コニーからの連絡が、連合軍によって妨害されているというようなことはないか?」
「システムに詳しいスタッフがチェックしていますが、そのようなことはないようです」
「チェレンコがいっしょなのだ。手をこまねいているとも思えない」
「そのうち、きっと、あっと驚くようなネタを送ってくれるでしょう」
ジンナイは、うなずいてからしばらくあれこれ考えていた。だが、なかなか考えがまとまらない。
「私は、今回の選挙で勝てるだろうか」
「弱気になってはいけません。私たちは、勝利を信じて戦っているのです」
「そうだな……」
「次の予定まで、しばらく時間があります。少し横になってはいかがですか?」
ジンナイは、もともと活力にあふれた男だ。スタッフに体のことを心配されたことなどない。だが、このところ、疲れが溜まっているのは事実だった。
「その前に、ウイリアム・コールマン提督と連絡を取ってくれ」
「了解しました」
オオタが部屋を出て行った。しばらくすると、内線電話が鳴った。出ると、オオタの声が聞こえてきた。
「コールマン准将がお出になっています」
「つないでくれ」
接続音がした。
「ジンナイです」
「やあ、いよいよもうじき選挙だね。もちろん、問題なく勝てるのだろうね」
「そのつもりでおりますが……」
「私は、負け戦が何より嫌いだ。絶対に勝ってくれ」
「わかっています。私が落選したら、提督にお願いしている件も無駄になってしまいますからね」
「そういうことだ」
「それで、どんな具合です?」
「軍の再編の動きが本格化しそうだ。ジュピタリアンとの戦争は、もしかしたら地球連合軍の組織のあり方を根本から変えてしまうかもしれない」
「具体的には……?」
「宇宙における海軍と空軍という区別をなくすことになるかもしれない。連合軍というのは、いわば寄せ集めの軍隊だった。宇宙においても、アメリカの伝統を持つ海軍と、ロシアの伝統を持つ空軍に分かれていた。中国などもどちらかというと、空軍の伝統に従っている。だが、ジュピタリアンの軍隊は違う。海軍だの空軍だのという区別がない。宇宙ではそれで当然なのだ。地球連合軍で言う海軍の戦艦も、空軍の戦闘機も、宇宙船であることには変わりはないのだからね」
「木星圏に遠征した艦隊の旗艦、アトランティスには、艦載機ではなく、空軍の要撃部隊が搭乗しているということですが……」
「そう。火星上空の戦いのときに実験的に試して効果を上げた。アトランティスの運用は新たな試みだな。今後はそういうケースが増え、最後には海軍と空軍の垣根を取っ払うことになるだろう」
「それによって得をするのは誰でしょう……」
「地球連合軍で一番幅を利かせているのはアメリカ合衆国だ。アメリカが連合軍に金と人員を注ぎ込んでいる。海軍と空軍の垣根が取り払われることで、いっそうアメリカの発言力が増すことになるだろうな」
「つまり、アメリカの伝統を持つ海軍によって宇宙関係の軍隊が支配されるということですか?」
「そういう見方もできる」
「ロシアの伝統を持つ空軍が宇宙から駆逐されてしまう。これは、地球時代の冷戦の再来のようですね」
「実際、空軍は抵抗を示すだろうね。だが、海軍は押し切ろうとするだろう。今回の木星圏遠征が実績となる。戦果を上げられれば、の話だが……」
「連合軍内でアメリカ軍の実権や発言力が増すと、アメリカやアメリカと手を組んでいる軍需産業がさらに業績を伸ばすことになりますね」
「そう。アメリカと日本のメーカーの経営は盤石になるだろうな」
「そして、アメリカに本拠地を置くエネルギー・メジャーの利権も確保しやすくなる……」
「そういうことだな……。とにかく、私は軍内の終戦交渉推進派をできるだけ組織化する。たしかに、現時点では少数派だが、軍だって主戦派ばかりではない」
「お願いします。選挙後に、提督の働きかけが、私の大きな力になります」
「そのためにも、選挙に勝ってもらわんとな」
「まかせてください」
「その言葉、信じているよ」
電話が切れた。
ジンナイは、疲れた体に再び活力がわいてくるのを感じていた。
そうだ。私は何としてもこの選挙に勝たねばならないのだ。そして、木星圏との戦争を一刻でも早く終わらせなければならない。
アトランティスを中心とする地球連合軍艦隊は、すでにメインベルトに入り、木星へ向かっている。つまり、半年以内には木星圏で戦闘が始まるということだ。
それまでに、終戦にこぎ着けなければならない。軍は、今回の木星圏の戦いを最終決戦と位置づけているようだ。宇宙の航行は莫大な金がかかる。そうそう遠征はできない。
最終決戦となれば、木星圏、地球連合軍双方にかなりの被害が出ることが予想される。ジンナイは、それを許すつもりは毛頭なかった。
出かけるまでまだしばらく時間がある。オオタが言ったように、横になって体を休めようと思った。
今、過労で倒れるようなことがあってはならない。休むことも戦いの一環だ。ジンナイは、ソファに横たわり、目を閉じた。
アトランティス
木星圏への惑星間軌道上
海兵隊第一小隊と空間エアフォース要撃部隊に招集がかかった。カーターたちは、すぐさまブリーフィング・ルームに向かった。
オージェたち要撃隊員も駆けつけてきた。
「いったい、何が起きたんだ?」
ひげ面のアレキサンドルがカーターに言った。「木星はまだまだ先だろう」
「俺に訊くな」
カーターはこたえた。「俺だって呼ばれた理由なんてわからん。作戦司令の説明を待てよ」
海兵隊員と要撃隊員たちは、それぞれ席についてハーネスで体を固定した。
すぐにエリオット作戦司令がやってきた。航行中は、上官が入室してきても起立することは免除される。エリオット作戦司令は、『軌道屋』のジェシカを伴っていた。
エリオット作戦司令は、挨拶も前置きもなしに語りはじめた。
「先行する巡洋艦、アイダホとシャンハイから連絡が入った。敵の艦隊らしい反応をキャッチした」
すぐに、大画面のモニターに太陽を中心とする惑星の運行が映し出された。惑星の軌道と交差して描かれているのは、アトランティスを中心とする艦隊の軌道だ。
そこに、別の軌道が映し出された。
「これが、敵艦隊の予想軌道だ。船影は三。ワダツミ級の大型戦艦一と巡洋艦級が二」
そこで、エリオット作戦司令は、ジェシカに説明をうながした。
「ドップラー効果による敵の針路探査の結果、このような軌道が予想されます」
それは、木星の衛星の一つを通る長い楕円軌道だった。その衛星は、忘れもしないカリストだ。
「私たちの軌道と、敵の軌道は交差しており、三日後、正確にいうと七十一時間後に敵と最接近します」
ジェシカがレーザーポインタで交差点を示した。そこには、時間が表示されており、刻々と減りつつある。最接近までの残り時間の表示だ。
「つまり……」
エリオット作戦司令が説明した。「敵は、こちらと接触することを計算して艦隊を出したということだ。軌道交差戦を挑んでくると予想される。敵の狙いは、本拠地に乗り込むこちらの戦力を減らすことだろう。したがって、被害を最小限に食い止めることが最優先だ。機動兵器一機たりとも失いたくはない。それを肝に銘じておいてほしい。出撃は……」
エリオットは、ちらりと残り時間の表示を見た。「七十時間五十八分後。それに合わせて各自プレブリーズを始めてくれ。軌道データはブリッジから各機に入力しておくので、おのおの確認するように」
プレブリーズ。つまり、出撃準備だ。
ヒュームスや空間エアフォース戦闘機のコクピット内は、船外活動用の宇宙服と同様に〇・二七気圧になっている。
減圧症にならないための措置がプレブリーズだ。
純粋酸素を吸った後に、十二時間以上、〇・七気圧の中で過ごす。その後に再び純粋酸素を四十分間ないし七十五分間吸い、〇・二七気圧まで下げていく。
プレブリーズを行わずに、宇宙の海に出たら、たちまち減圧症で関節が動かなくなり、さらに呼吸困難になって死亡する。
「以上だ」
エリオットが部屋を出て行くと、カーターたちはヒュームス・デッキに行った。
プレブリーズは半日あれば間に合う。また、エクササイズ・プレブリーズという方法もある。これはまず純粋酸素をマスクで吸いながら自転車こぎなどの運動を約十分間行う。これで、半日がかりのプレブリーズが数時間で済む。
エアロックの中に長時間いなくて済むので、こちらの方法を好むドライバーやパイロットもいる。
いずれにしろ、プレブリーズに入るのは明日以降で充分だ。それまでに、ヒュームスのシステムを立ち上げ、軌道データを確認しておかなければならない。
ムーサは、命綱だ。しかも、たいへん頼りになる命綱だ。それは、リーナから学んだことだった。
猛スピードで航行する艦隊同士がすれ違いざまに攻撃を仕掛け合う軌道交差戦は、ほとんど一瞬の戦いだ。
視認できた瞬間から猛然と撃ち合い、視界から消え去るまで攻撃を続ける。ただそれだけだ。
アトランティスが史上初めてメインベルトで経験した戦法だが、その後はすぐに正式な戦術として記録された。
カーターは、クロノス改に乗り込み、ムーサを立ち上げて今回の軌道データを確認した。ケレスの戦いから一ヵ月以上も経っている。久しぶりに戦闘前の緊張感を覚えた。
システムにも軌道データにも何の問題もない。火器システムのエネルギー・ゲージも、燃料も推進剤もすべて確認した。クロノス改はいつでも宇宙の海にダイブできる。
コクピットを出たところで、リーナと鉢合わせしそうになった。ヒュームス・デッキは与圧されているが無重量状態だ。
体を持ち上げたところに、ふわふわと漂ってきたリーナがいて、ぶつかりそうになったのだ。
「おっと、済まんな」
「こちらこそ、失礼しました」
「ギガース、異常ないか?」
「ばっちりですよ」
カーターは、周囲を見回した。他の海兵隊の連中は、まだコクピットの中でごそごそやっているようだ。
「今、ちょっと話せるか?」
「ええ。どうせ、プレブリーズまではまだ時間がありますから」
「じゃあ、ちょっと俺の部屋まで来てくれ」
リーナを部屋に呼ぶことに、もはや抵抗を感じなくなっていた。当初は若い女性を自室に招き入れることになるのでためらっていたが、今ではリーナはれっきとした海兵隊の一員だ。つまり、家族のようなものだ。
「わかりました」
居住区は回転しており重力がある。まだ戦闘態勢に入っていないのだ。カーターの部屋に入ると、リーナはドアの前で気をつけをしていた。
「おい、別に懲罰で呼んだわけじゃない。そんなにしゃちほこ張るな。楽にしてくれ」
「はい」
「例のことは、艦長たちに話したのか?」
「敵にコンタクトしたとたんに、逆にこちらが攻撃を受けたという件ですか?」
「そうだ」
「艦長とエリオット作戦司令には話しました」
「それで、二人の反応は?」
「重要なことかもしれないから、口外はしないように、と……」
「まあ、そうだろうな……。それで、今度同じことが起きたらどうするつもりだ?」
「だいじょうぶです。相手の思念を遮断することもできるはずですし、また逆手に取ってこちらから攻撃することもできると思います」
カーターはしばらく考えてから言った。
「俺にはよくわからないんだが、つまりそれは精神的な戦いということだな?」
「そう考えてもらってけっこうです」
「厳しい戦いになると思うが……」
「そうかもしれません」
「いつかのように、戦場でギガースが動きを止めちまうことになるんじゃないのか?」
「そうならないように努力します」
「だが、そうなる可能性もあるということだ。そのときは、レッド・チームのラインまでさがれ」
「いえ、その必要はないと思います。チャンネルができているので、それほどの精神の集中は必要ないはずです」
「またムーサを狂わされるかもしれない。今度はトリフネが助けてくれるとは限らないんだぞ」
リーナは、一瞬押し黙った。自分の失敗を悔いているのかもしれない。責めるつもりはないが、言っておかなければならないと、カーターは思った。
リーナを失うわけにはいかない。海兵隊の仲間は皆大切だ。しかも、リーナは特別だ。もしかしたら、地球連合軍全体のために必要な存在なのかもしれない。
やがて、リーナは言った。
「わかりました。指示に従います」
「おまえさんとヤマタイ国のヒミカは、よく似ているそうだな」
「そのようですね」
「しかも、どうやらヒミカもおまえさんと同じくサイバーテレパスらしい」
「はい」
「肉親だと考えるのが自然だと思うのだが、ヒミカについて、何か知っているのか?」
「いいえ。私は何も知りません。私の記憶は海軍情報部内のある施設から始まっています」
つまり、物心つく前からその施設で育てられたということだ。
「両親のことは記憶にないのか?」
「ありません。私が赤ん坊のころに亡くなったと聞かされました」
「そいつは気の毒な話だ」
リーナは、どうってことない、というふうに肩をすくめてみせた。
「世の中に、親のいない子はいくらでもいます。それに、私にはとても優しい育ての親がいましたから……」
「育ての親……? 施設の職員か?」
「責任者でした。エドガー・ホーリーランドという名前です」
「その人は今、どこにいるんだ?」
「わかりません。しばらく会っていませんから……」
「情報部というのは、過酷なところだな。育ての親にもなかなか会えないというわけか」
リーナはほほえんだ。
「みんなだって同じじゃないですか。船にいるときは、家族に会えないでしょう」
「まあ、言われてみればそのとおりだが……」
「今は、海兵隊第一小隊のみんなが家族だと思っています」
「そう言ってもらうと、俺も少しは気が楽になる。だが、もしヒミカが肉親だとしたら、おまえさんは、肉親と命を懸けて戦うことになる」
「私は、海兵隊員であり、連合軍の将校でもあります。ヤマタイ国と戦うことに、何のためらいもありません」
そんなはずはない、とカーターは思った。人間である限り、悩み、迷い、苦しむはずだ。おそらく、リーナはそれを相談する相手もいないのだ。
自分を頼ってくれないことに、一抹の淋しさを感じる。
いや、リーナは誰も頼らないのかもしれない。情報部でそういうふうに教育されているのだろう。
物心ついた頃から海軍情報部と関わりがあったということだ。おそらく普通の学校には通っていないだろう。家族もおらず、友達もいない。そんな環境で育ったにもかかわらず、性格的な破綻が見られない。
おそらく、リーナはこの艦にいる誰よりも強いのではないかと、カーターは思った。
ホーリーランドという男が育ての親だと言っていた。ホーリーランドの育て方がよかったのかもしれない。
ふと、カーターは、リーナとムーサの関係を思い出した。リーナが、ムーサのことを語るとき、まるでムーサが人格を持っているような言い方をする。
ムーサというのは、ヒュームスに搭載されているOSだ。カーターはただのコンピュータだと思っていた。だが、リーナは、まるでムーサと会話しているような言い方をするのだ。
そして、リーナはムーサを信頼している。機械の信頼度という意味ではない。まるで誰かを信じるように、ムーサを頼りにしているのだ。
それがサイバーテレパスというものなのか……。
「リーナは、俺にムーサを信じることを教えてくれた。それで、宇宙の海に出る不安が解消された」
「そんなこともありましたね」
「出撃のときに、コンピュータを信頼するというのはわかる。だが、それは俺にとってはあくまで機械と人間の関係だ。サイバーテレパスってのは違うのだろうな?」
「私は、ギガースに乗っているときには、ムーサに抱かれているような気がしています。ムーサの優しさを感じるのです」
「それは人間同士で感じるような優しさなのか?」
「同じだと思います」
カーターは戸惑った。
「コンピュータは、人の悩みを解決してくれるわけじゃない。悩みを聞いてくれるわけじゃないし、アドバイスをくれるわけじゃない」
「人間も同じだと思いますよ」
「どういうことだ?」
「人間って、他人と付き合うときに、相手に自分を投影させてるんじゃないですか? たとえば、何か悩みを相談するとき、あらかじめこたえはわかっているんです。自分が出したい結論と同じことを相手が言ってくれることを期待しているだけでしょう」
カーターは、驚いてリーナを見つめていた。
この少女は、いったいどんな経験をしてきたのだろう。なぜか少し悲しくなった。
「だが……」
カーターは、言葉を探しながら言った。「人間よりコンピュータを頼りにするというのは、やっぱりどうかと思う。なんというか、そういうのは、周りにいる人間も淋しいものだ」
リーナはにっこり笑った。
「あら、あたしは、ムーサだけを頼りにしているなんて、一言も言ってませんよ。出撃するときは、海兵隊の仲間を信じているし、困ったことがあれば、隊長にも相談します」
「俺を頼りにしてくれているということか?」
「もちろんです」
その言葉で、カーターはなんだか救われたような気がした。リーナの力になりたいと思いながら、どうやら慰められたいのは自分のほうではないのか、という気がした。
「わかった。船にいるときは、俺たちは家族だ。いいな」
「その言葉、うれしいです」
「そう言ってくれると、俺もうれしい。話はそれだけだ」
リーナは部屋を出て行こうとして、ふと立ち止まり、振り向いて言った。
「ムーサが暴走して、私が軌道を外れたとき、隊長は危険をかえりみず、私のところに来てくださいました」
「ああ、だが、結局何もできず、二人とも敵のトリフネに助けられた」
「駆けつけてくださったお気持ちがうれしかったです」
カーターは、また報われたような気持ちになった。
海兵隊第一小隊は、各自プレブリーズのためにエアロックに入った。空間エアフォースの要撃隊員たちも、そろそろ始める様子だ。
カーターは、気分が高揚するのを感じていた。彼らの場合、プレブリーズは単なる船外活動ではなく、出撃を意味するのだ。
一度出撃したら、生きて帰れる保証はまったくない。エアロックに閉じこめられている間、ついいろいろなことを考えてしまう。なにしろ、十二時間以上もじっとしていなければならないのだ。
それが嫌でエクササイズ・プレブリーズを選択する者も多い。だが、カーターは昔ながらの方法でやっていた。長時間、エアロックの中にいることで、戦いに対する覚悟を決めることができる。
長時間閉じこめられていると、逆に恐怖を募らせる人々もいるが、そういう人物は海兵隊に入る段階でふるいにかけられる。ヒュームスのコクピットは狭い。
そして、その狭いコクピットがいつ棺桶となるかわからないのだ。その閉塞感は独特だ。閉所恐怖症の者には絶対につとまらない。
プレブリーズに一番長い時間をかけるのは、日本人のカズ・オオトリだ。チーム・レッドのリーダーであるカズは、エアロックの中で坐禅を組むのだ。
チーム・レッドのメンバーたち、つまり、チコ・ドミンゲス、パット・ハミルトンは、禅の効果に絶大な信頼を置いているが、突撃艇のパイロットであるケン・オダは、同じ日本人だけあって、カズの冷静沈着さは禅のせいなどではなく、もともとの性格であり、軍の訓練でそれに磨きをかけたに過ぎないということをよく心得ていた。
逆に最もプレブリーズの時間が短いのが、カーターやリーナと同じチーム・グリーンのホセ・オルティスだった。ラテン系だけあって、彼は気が短い。
エアロックの中で長時間じっとしていることなどに耐えるつもりはさらさらないのだ。だから、彼はエクササイズ・プレブリーズを好み、だいたい数時間しかエアロックの中にいない。
カーターは、エアロックに入るために純粋酸素を吸った。
エアロックを出て、クロノス改のコクピットに収まったら、ほどなく出撃だ。
アトランティス
木星圏への惑星間軌道上
管制室から出撃の命令が出た。
「カーター機出る」
カーターは、カタパルトによってゆっくりと星の海に押し出された。宇宙空間では、カタパルトは地球上の空母のように揚力を得るためではなく、推進剤を節約するために使われる。
ダイブしたカーターは、腕と脚を使ったモーメンタル・コントロールで姿勢を制御した。ベテランパイロットは、バーニアなど使わずに姿勢制御する。これも推進剤を無駄遣いしないためだ。
空間エアフォースの戦闘機などとは違う、ヒュームスの利点だった。その代わりに、戦闘機は、ヒュームスよりはるかに多量の推進剤を積み込んでいる。
すぐに、チーム・グリーンのホセ・オルティス機とリーナ・ショーン・ミズキ機が続く。ホセ機はカーターと同じクロノス改、リーナ機はギガースだ。
続いて、チーム・イエローを乗せた突撃艇が出撃する。リトル・ジョーが操縦する突撃艇には、三機の旧型クロノスが乗っている。イエロー・リーダーのロン・シルバー、アラン・ド・ミリュウ、リュウ・シャオロンの機体だ。
最後に、チーム・レッドを乗せた突撃艇が出る。この突撃艇を操縦するのは、ケン・オダ。レッド・リーダーは、カズ・オオトリ。チコ・ドミンゲスとパット・ハミルトンがそれに従っている。彼ら三人は、第一世代ヒュームスのテュールに乗っている。
テュールは、突撃艇と長いコードでつながれている。このコードからエネルギーやデータを供給されている。空間エアフォースの連中は、テュールを「ひもつき」とか「操り人形」と呼んでいるが、実は、ECM(電子対抗手段・電子戦の一部)が行われる戦場では、通信手段が確保できるので、今でも有効な運用が期待できるのだ。
しかも、コードが命綱の役割を果たすので、機動力はないが安全性は確保されている。
空間エアフォースの戦闘機はすでに別のハッチから出撃してフォーメーションを組んでいる。
他の艦からも、ヒュームス小隊と艦載機が出撃した。海軍の艦載機は、武器を取り付けた小型のシャトルのようなもので、空間エアフォースの戦闘機ほどの機動力はない。
「野郎ども、戦いは一瞬だぞ。油断せずに艦を守れ」
カーターは、無線で呼びかけた。もうじき、アトランティスがECMを開始する。すると無線は通じなくなる。
軌道交差戦は、どちらの艦隊も、またその機動兵器もそれぞれの軌道を逸れることはできないので、ドッグファイトなどほんの一瞬で、ほとんど撃ち合いで終わる。
機動兵器は、艦の周囲を動き回るだけで、敵艦には決して近づけない。
アトランティスからECM開始の連絡が入る。いよいよ敵が近づいてくるのだ。
「太陽座標、方位115。敵艦隊だ」
ホセの声が聞こえた。それを最後に無線が途絶える。
カーターは、クロノス改の腕を前方に振り出して、グリーン・チームに前進の合図を送った。大出力のメインスラスターを噴かせる。
いつもの、巨大なハンマーで後方から殴られるような加速を感じる。左手にはギガース、右手にはホセのクロノス改が見えている。彼らは遅れずにぴたりと付いてくる。
他の艦のクロノス改も、同様に前に出た。敵を最初に迎え撃つのがチーム・グリーンの役割だ。そして、後退しながら撃ちまくり、艦隊がすれ違った後も、艦の後方に移動して最後まで攻撃を続ける。
空間エアフォースの要撃隊は、カーターたちよりさらに前に出た。その名のとおり、要撃が任務なのだから、誰よりも先んじて迎え撃とうとしているのだ。
「見えた……」
はるか遠くに輝点がいくつか見える。太陽から遠く離れているのだが、それでも太陽光を反射している。
チーム・イエローの突撃艇が射程距離の長い高出力の荷電粒子砲を撃ち始めた。同時にチーム・イエローのクロノスたちが二十ミリ無反動機関砲を撃ち始める。
宇宙空間においては、大気の摩擦や重力の影響を受けないため、弾丸を打ち出す物理的な兵器がビーム系の兵器よりも威力を発揮することがある。
曳航弾が宇宙の闇の中で輝く。弾丸は地上とはまったく違った軌道を描く。カーターも荷電粒子砲のライフルを撃ち始めた。
敵艦がみるみる大きくなっていく。トリフネを展開しているのがモニターで視認できた。
最前列の要撃機が何機か被弾した。その場で爆損しなければ、すぐに艦に戻ることになっている。宇宙で使われる兵器はいずれも驚くほど高価だ。できるだけ回収したいのだ。
敵のカガミブネは帆をたたんでいる。それでも巨大だった。ワダツミ級が一隻に巡洋艦クラスが二隻。誰かが、ワダツミ級カガミブネを惑星の周回軌道に乗せれば、それだけで宇宙ステーションになり得ると言っていた。
突撃艇のミサイル攻撃が始まった。
敵艦のあちらこちらに炎の球が浮かび上がる。真空なので爆音は聞こえない。
被弾した者のみがその音を聞くのだ。
敵の艦隊と味方の艦隊が、交差する。一キロほどの距離があるが、宇宙ではその距離は至近距離といっていい。
そのほんの数十秒の間、機動兵器同士もすれ違う。その間だけ、トリフネとのドッグファイトになる。
「ワダツミじゃない」
カーターは、そう思った。
トリフネの動きが鈍い。敵もドッグファイトを想定していないのだ。
「ならば、一機でも多く落とす」
カーターは、一瞬の隙をついてトリフネの背後に回り荷電粒子ライフルを連射した。上部の装甲を撃ち抜いた。
被弾したトリフネは姿勢制御できずに、くるくると回転を始めた。すると、すぐに二機のトリフネがやってきて、被弾したトリフネの救助を始めた。
「あいつら、何やってやがる……」
カーターは、思わずつぶやいていた。「戦闘の最中だぞ」
あと数秒で、互いの陣営はすれ違って離れていく。
ふと、白い機体がモニターの中を横切るのが眼に入った。リーナのギガースだ。相変わらずひやひやするような加速で戦っている。
敵の戦艦がワダツミでないとしたら、サイバーテレパス同士の戦いを心配する必要はない。
ギガースは、トリフネの一機をライフルで打ち抜いた。
「やったな」
カーターが笑みを洩らした次の瞬間、ギガースが妙な行動に出た。被弾したトリフネにつかみかかったのだ。
「ばかな……」
カーターは言った。「格闘戦をやるつもりか。そんな時間はないぞ」
すでに両陣営は離れつつある。軌道交差戦の最終局面だ。機動兵器もそれぞれの艦隊とともに互いに離れていかねばならない。
格闘戦などやっている場合ではないのだ。だが、ギガースが仕留めたトリフネは、すでに抵抗する力を失っている様子だ。
ギガースは、そのトリフネを両方のマニピュレーターでしっかりとつかむと、背中のメインスラスターを思いきり噴かした。
トリフネもろともギガースは加速を始めて、アトランティスの方に向かった。リーナの目的は明らかに格闘戦などではなかった。
「鹵獲《ろかく》か……」
トリフネをパイロットもろとも捕らえようというのだ。
コクピット内に警報が鳴り、照明が赤に変わった。
「おっと、うっかりしてると、母艦に置いてかれちまう……」
すでに、機動力に劣る旧式クロノスやテュールは突撃艇に引き上げ、その突撃艇もそれぞれの母艦に戻ろうとしている。
カーターもアトランティスに向かって、メインスラスターを噴かした。
ギガースの、トリフネ鹵獲《ろかく》は、大手柄だった。
敵の機動兵器の威力におののき、これまでは互角に戦うことで頭がいっぱいだった。カーターですら、トリフネを捕らえようなどとは思わなかったのだ。
しかも、今回はパイロットもいっしょだ。捕虜はいくらでも利用価値がある。
アトランティス内は、リーナの手柄の話題で持ちきりとなった。だが、ほどなくその雰囲気に水をさす措置が取られた。
捕虜は、居住区の一番奥に監禁され、乗組員は厳しく接触を禁じられることになった。その身分も名前も、すべてが秘匿《ひとく》された。
連行される姿をちらりと目撃した者もいたが、捕虜はヤマタイ国のパイロットスーツを着ており、ヘルメットにバイザーが降りていたので、人相も何もわからなかったという。
今回の軌道戦で、味方の死亡者はいなかった。艦載機が三機被弾、ヒュームス四機被弾、要撃隊の戦闘機一機が被弾。そのうち、運用不能になった機体は二機だけだった。
アトランティスも壊滅的な打撃は受けていない。航行には支障のない被害に過ぎない。巡洋艦も同様だった。
被害はごく軽微だった。敵の艦隊にどれくらいの被害を与えたかははっきりしていない。なにせ、すれ違うのは一瞬といっていい。ブリッジでも敵の被害状況は、はっきりと確認できなかったのだ。
それでも、勝ち戦だったという実感があった。敵の目的は、おそらくエリオット作戦司令が言ったように、敵の本拠地に着くまでに、こちらの戦力を削いでおくことだったろう。だとしたら、その目的は阻止したといっていい。
そして、これまで手に入れたことのない敵のトリフネを入手できた。捕虜まで確保したのだ。これは明らかな戦果だった。
にもかかわらず、乗組員幹部の態度は妙だった。やけに秘密めいている。たしかに、トリフネの構造などは機密に属する情報かもしれない。簡単に外部に洩らせないことは理解できる。
だが、カーターは、何かおかしいと感じていた。特に捕虜の扱いが慎重すぎるように感じられる。
海兵隊の連中も同じように感じているらしい。ガンルームでこんな会話が交わされていた。
チーム・レッドのチコ・ドミンゲスが言った。
「捕虜というより、何かの伝染病の患者みたいな扱いだな。隔離して誰も近づけようとしない」
チーム・イエローのリュウ・シャオロンが言う。
「本当に、艦長たちはそう考えているのかもしれないぞ」
「伝染病なのか?」
「ある意味そうかもしれない。つまり、洗脳されることを恐れているんだ。『絶対人間主義』だよ」
チコは、鼻で笑った。
「顔を見たくらいで、洗脳されちまうかよ」
「ジュピタリアンは、得体が知れないからな……」
カウボーイというあだ名を持つ、イエロー・リーダーのロン・シルバーが言った。
「ばかを言うな。ジュピタリアンというが、彼らだって地球人とその末裔《まつえい》なんだ」
チコが反論する。
「でも、世代が変われば純粋の地球人とは変わってくるんじゃないか。例の噂もあるし……」
リュウ・シャオロンが眉間にしわを刻んだ。
「例の噂って、ジュピター・シンドロームのことか?」
「そうだ。第二世代や第三世代には、かなり地球人と違ってくるそうだ」
「それは、単なる噂だ」
チーム・レッドの突撃艇パイロット、ケン・オダが言った。「ジュピター・シンドロームの原因は、木星の強烈な磁場と放射能だ。ジュピタリアンたちは、ガリレオ惑星のカリスト、ガニメデ、エウロパの三つに住んでいるが、どんなに防護措置を施しても、どうしても放射能と磁力の影響を受けてしまう。それで、癌や白血病などの発病率が高まる」
「でも……」
チコが言う。「放射能や電磁波ってのは、染色体を傷つけることがあるんだろう。つまり、遺伝子に影響を及ぼすってわけだ。やはり、地球人とは違う子供が生まれる可能性があるんじゃないのか?」
「ばかな」
ケンが言った。「地球人の子は地球人だ。俺たちと変わりはない。ジュピター・シンドロームというのは、あくまで放射能や電磁波による障害の総称でしかない。ジュピタリアンと我々が呼んでいるのは、地球から木星圏に移住した人々とその子孫のことだ。故郷は我々と同じ地球なんだよ」
カーターは彼らの会話を聞いていて、どちらの意見が正しいのか判断がつきかねた。
チコが言うように、ジュピター・シンドロームの第二世代、第三世代には地球人とはちょっと違った子供たちが生まれると信じている人は少なからずいる。
また、冷静に考えれば、ケン・オダの言うとおりなのかもしれないとも思う。
いずれにしろ、クリーゲル艦長の捕虜に対する扱いは、たしかに神経質すぎる。何か理由があると、疑ってしまうのも仕方がない。
ガンルーム内では、空間エアフォースの連中がまた固まって何事か話し合っていた。同じことを話し合っているのではないかと、カーターは思った。
オージェと話をしに行こうかと思っていると、ガンルームにリーナが入ってきた。リーナは、カーターの隣にやってきた。
「よう、おまえさんの手柄の話でもちきりだぞ」
リーナはほほえんだ。
「ツキがあったんです」
「今まで、誰もトリフネをとっ捕まえようなんて思わなかった」
「私も考えたこと、ありませんでした。ライフルが命中したとき、敵に手が届きそうな距離でした。咄嗟《とっさ》にしがみついていました」
「おまえさんには、いつも驚かされる」
「ギガースの性能のおかげでもあります」
カーターは、ふと思いついて尋ねた。
「トリフネを捕獲したとき、敵のパイロットと話をしたか?」
リーナはきょとんとした顔をした。
「敵と通信はできません」
「ECMの最中でも、機体が接触すれば通信は可能だ」
「無線の周波数が違います」
「敵の周波数などすぐにサーチできるだろう」
「敵と話をする必要など感じませんでした」
カーターは、ちらりとリーナを見てうなずいた。
「まあ、そうだろうな……。連中は、捕虜のことが気になって仕方がないんだ」
カーターは、海兵隊員たちのほうに視線を向けた。「俺もそうだ。なぜか艦長は、捕虜との接触を厳しく禁じている」
「もともと捕虜というのは、そういうものじゃないですか?」
「やり方が厳しすぎるんだ。俺たちに何か隠しているようにすら感じる」
「捕虜の扱いに関しては、私は熟知しているつもりです。クリーゲル艦長の措置は妥当だと思います」
情報部将校の口調だと感じた。その瞬間だけ、リーナとの距離を意識した。
「そんなことはわかっている。捕虜と一般の乗組員を接触させないようにするのは当然のことだ。俺が言いたいのは、なんというか雰囲気の問題なんだ。なぜかぴりぴりしている。海兵隊のやつらも、空間エアフォースの連中もそれを感じている。おまえさん、何か知らないか?」
「どうして私が……」
「いや、何となくだ……」
「私は何も知りません。ただ、トリフネを捕獲してアトランティスに持ち帰っただけです」
「そうだな。気を悪くしたのなら、謝る。とにかく大手柄だったんだ」
リーナは、カーターに笑顔を向けた。
「別に気を悪くなんてしていません」
「みんな神経質になっているだけなのかもしれない。なにせ、これから敵の本陣に乗り込むのだからな……」
リーナはふと押し黙った。
カーターは、その様子が気になって尋ねた。
「どうした? 俺が何か変なことを言ったか?」
「そうじゃないんです。みんな、地球を離れて不安が募っているはずですよね」
「そうだな。正直言うと俺もそうだ」
「私、なんだか変なんです」
「変……?」
「ええ。木星が近づくにつれてなんだか妙な気分になってきたんです」
「どんな気分だ?」
「なんだか、なつかしいような……」
「なつかしいだって?」
「ええ、まるで故郷に近づいているような……」
火星 ブラッドベリ市
「ヤマタイ国のシンパサイザーの連中が、クラーク記念病院のコネクションを当たってくれた。俺たち二人の職員証を用意してくれるそうだ」
今日も一日中歩き回っていたチェレンコがホテルに戻ってきて、コニーにそう告げた。
「信用できるの?」
チェレンコは肩をすくめた。
「信用するしかないな。なにせ、今の俺たちにはそれしか手がない」
「職員証って、どの程度の権限のもの……?」
「二人とも看護師だ。それ以上の職員のものは無理だそうだ」
「やってみるしかないわね」
「手に入り次第、連絡する」
その口調が気になった。
「どこかへ行ってしまいそうな口ぶりだわね」
「せっかく火星までやってきたんだ。俺には俺の仕事がある」
「別行動というわけ?」
「このホテルにいる限り危険はない。もし、危険があるとしたら、オオナムチに近づいたときだ」
「そんなことを言ってるんじゃない。どうして別行動を取る必要があるの?」
チェレンコはにっと笑った。
「俺がいないと淋しいか?」
「ばか言わないで」
「心配するな。裏切ったりはしない。だが、あんたは地球連合の人間で、俺はヤマタイ国の人間だ。いくら説明してもシンパサイザーの連中は警戒するだろう」
コニーは、その言葉について考えた。
「つまり、あたしといるとあなたの立場がまずくなるかもしれないということね?」
「今のところ、シンパサイザーたちが唯一の頼みの綱なんだ」
地球で再会したときより、今のチェレンコはずっと活き活きとしている。彼は本来やるべきことを見つけたのかもしれない。
「あなたにはあなたの仕事があると言ったわね?」
「言った」
「それは、ヤマタイ国のための仕事なの?」
「当然、そういうことになる」
「それは、あたしへの裏切り行為じゃない」
「そうではない」
チェレンコは言った。「目的は同じだ。つまり、この戦争を終わらせるための仕事だ」
コニーは、冷静に判断しようとしていた。これまでチェレンコを信用してきた。だが、彼はヤマタイ国の情報将校なのだ。
いろいろと考えたが、今さら彼を疑ったところでどうしようもないという結論に達した。コニー一人ではどうしようもないことも事実なのだ。
チェレンコが言ったように、今はヤマタイ国のシンパサイザーに頼るしかない。そして、彼らと連絡を取れるのはコニーではなく、チェレンコなのだ。
コニーはうなずいた。
「わかった。あなたを束縛はしない」
「俺はホテルを引き払う」
「どこに滞在するつもり?」
「どこかにもぐり込むさ。だが、病院の職員証が手に入ったら、必ず連絡する」
チェレンコはそう言うと、すぐに部屋を出て行った。
もともと行動派のコニーが、ホテルでじっとしているのは辛かった。外に出て何か取材ができるかもしれないとも考えた。だが、今は慎重になるべきだった。
毎日、火星圏のテレビを見て過ごしていた。ニュースなどの論調から、火星圏の微妙な立場が読み取れるかもしれないと思ったのだ。
だが、テレビ番組はどれもこれも当たり障りのないものばかりだった。そのあたりは、月と似ているかもしれない。自治区というのは、きわどい政治的バランスの上に成り立っている。
チェレンコから知らせが来たのは、彼がホテルを引き払って三日後のことだった。
「これから必要なものを持ってそちらへ行く」
電話の十五分後にチェレンコがホテルに現れた。
「これが、職員証。そして、これが看護師の制服だ。それから、病院の見取り図。これは頭に叩き込んでおいてくれ。職員が病院内で迷うわけにはいかないからな。それに、いざというときに、逃走路を頭に入れておく必要もある」
「いざというとき……」
「軍の秘密の核心に迫ろうとしているんだ。それに、あんたはヤマタイ国の軍人と行動を共にしている。当然、危険を覚悟しなければならない」
わかっているつもりだったが、あらためてチェレンコにそう言われると、やはり緊張した。
「では、すぐに出かけようか」
「今から……?」
すでに昼過ぎだった。
「病院に紛れ込むなら、シフトとシフトの間を縫って、こっそりもぐり込むのがいい」
「わかったわ」
制服と職員証を持って、すぐに病院に向かった。ホテルからクラーク記念病院までは、徒歩で十五分ほどだった。
ホテルを出ると、たちまち汗が噴き出した。重力が弱いせいで長く歩いているとふわふわした感じがする。病院の出入り口は、自由に出入りができる。だが、職員専用のセクションはかなり管理が厳しく、職員証に埋め込まれたICチップがなければ立ち入ることができなかった。
チェレンコは、まったく躊躇《ちゅうちょ》せずスリットに職員証を通した。小さなランプがグリーンに変わり、ドアが解錠される音がした。
コニーは、女性用の更衣室に行き、看護師の制服に着替えた。着ていた服は、肩から下げたバッグに押し込み、そのまま持ち出した。
チェレンコと合流すると、彼はかすかにほほえんで言った。
「へえ、ナースの服がなかなか似合うじゃないか」
「制服っていうのは、誰にでも似合うようにデザインされているらしいわよ」
チェレンコも制服を着るだけで、それらしく見えた。
二人で入院病棟に向かった。
エドガー・ホーリーランドの病室は、病院の最深部にあった。病棟は二つに分かれており、外来や救急患者、軽症の入院患者は正面玄関がある病棟で扱う。奥の病棟には、重症の患者と、その他の入院患者がいる。
その他の入院患者というのが、ホーリーランドのようなVIPを意味している。病気ではないが、何らかの理由で一般人やマスコミの眼から遠ざかりたい人なども入院しているらしい。
コニーは、警戒していたが、思ったよりずっと簡単に、その特別な病棟に入ることができた。
そのエリアに入ったとたんに雰囲気が一変した。クラーク記念病院の表側の病棟は、ごく普通の病院だが、そのエリアはまるで一流ホテルのようだった。
ロビーは広く、高級そうなソファがゆったりと配置されている。間接照明で落ち着いた雰囲気が演出されていた。
ナース・ステーションは、本当にホテルのフロントのようだった。コニーとチェレンコは、まずナース・ステーションに行き、ホーリーランドがどの部屋にいるのかを確かめることにした。
制服を着ている人間を怪しむ者はあまりいない。病院の職員は誰もが多忙だ。それが、コニーとチェレンコにとってはありがたかった。ナース・ステーションに入っていった二人のことを気にする暇がある者など一人もいなかった。
エドガー・ホーリーランドの病室はすぐにわかった。彼は偽名など使っていなかった。ここではその必要がないのだろう。
チェレンコは、目配せをしてからナース・ステーションを出て行った。間を置いてコニーもその後を追った。
エドガー・ホーリーランドの病室は、五階にあった。一つの階に病室が四つしかない。それぞれの病室がいかに大きいかわかる。おそらく、通常のホテルのスイートルームより広いに違いない。
チェレンコが先にエレベーターで五階に向かった。コニーは次のエレベーターに乗る。いっしょに行かないのは、どちらかに何かがあったとしても、それにはかまわず、エドガー・ホーリーランドに会うことを最優先することにしてあるからだ。
五階でエレベーターを降りたとき、チェレンコがホーリーランドの病室の前に立っているのが見えた。チェレンコもコニーのほうを見た。
その瞬間、ホーリーランドの病室の隣のドアが開いて、迷彩服に身を包んだ男たちが飛び出してきた。彼らは自動小銃で武装している。
コニーは驚いて立ち尽くしていた。
チェレンコはたちまち取り囲まれて銃を突きつけられた。抵抗するのは無理だ。
コニーは、いったんその場を去ろうと、手探りでエレベーターのボタンを押した。すぐに扉が開いた。振り向いてエレベーターに乗ろうとしたコニーは凍り付いた。中には、やはり迷彩服を着て自動小銃を構えた男たちがいた。
彼らは、コニーに銃を向けていた。
「いったい、何事です?」
コニーは言った。あくまで看護師として振る舞おうとしたのだ。
一番後ろにいた迷彩服の男が言った。
「お芝居はけっこう。いっしょに来ていただく」
コニーは言葉を失った。
チェレンコとコニーの行動は、すべてお見通しだったということだ。彼らは泳がされていたに過ぎない。
どうりで、簡単にここにたどり着けたはずだ。
コニーは唇を噛んでいた。
二人は、ホーリーランドが入院していることになっている病室内に連行された。チェレンコは何も言わない。失敗を悔いているのだろうか。それとも、逃げ出す方策を考えているのだろうか。
迷彩服を着た男たちは、明らかに軍人だ。体格や雰囲気でわかる。おそらく、ホーリーランドの身辺警護をしている海兵隊員だろう。
最近では海兵隊というと、ヒュームス・ドライバーがもてはやされているが、もちろん彼らは海兵隊員のごく一部に過ぎない。昔ながらの海兵隊員のほうが圧倒的多数なのだ。
突然、チェレンコが笑い出した。
コニーはびっくりした。
チェレンコが言った。
「あんたは、こういうやり方が好きらしいな。すべてが自分のてのひらの上で動いていると思いたいんだ」
おそらく、ホーリーランドに語りかけているのだろう。
コニーたちが立たされているのは、リビングルームのような部屋だった。そこに、出入り口とは違うドアがあった。その向こうにおそらくベッドルームがあるのだろう。
そのドアが開いた。
堂々とした体格の老人がゆっくりと歩み出てきた。彼は、まずチェレンコを見て、それからコニーを見た。また、チェレンコに視線を戻すと、ほほえんだ。
「まさか、ここまで会いに来るとは思わなかったぞ、オレグ・チェレンコ……、いや、タカメヒコと呼んだほうがいいか……」
「もはや、あなたにタカメヒコと呼ばれたくはない」
この老人が、ホーリーランド、つまり、オオナムチなのだ。チェレンコの態度ですぐにそれがわかった。
「これは嫌われたものだな……。だが、わざわざ会いに来てくれてうれしいよ」
「俺が来たかったんじゃない。俺は、あんたとは二度と会いたくはなかった。だが、そこのジャーナリストがどうしても会いたいというのでね……」
ホーリーランドは、コニーのほうを見た。その眼差しは、意外なことに優しさと思慮深さを感じさせた。
海軍情報部の闇の奥底で陰謀を巡らす張本人。そんなイメージを抱いていたが、ホーリーランドは、とてもそのような人物には見えなかった。
ホーリーランドは言った。
「ジャーナリスト……。どこのジャーナリストだね?」
「プラネット・トリビューンと契約しています」
「ほう、地球のメディアだな。地球からわざわざこの私を訪ねてきて、何をしようというのだね?」
その声は理性的で深い響きがある。同時に抗いがたい迫力を感じさせた。コニーは、気圧《けお》されないように、しっかりと相手を見据えて言った。
「真実を知りたくて来ました。私はジャーナリストです。真実を報道するのが仕事です」
ホーリーランドの眼に、笑みが浮かんだ。すると、まるで子供のような無邪気さを感じた。
本当にこの人物が戦争を起こしたのだろうか。コニーは、そんなことを思っていた。
「ジャーナリストが伝えるのは、事実だと思っていた。真実を伝えるのは、ジャーナリストの仕事ではなく、むしろ芸術家などの役目なのではないのかね?」
「私は、事実の中にある真実を伝えたいと思っています」
「この私から真実を引き出せるだろうか?」
「あなたが語ってくだされば……」
「それで、何が聞きたいのだね?」
「すべてです。この戦争がなぜ起きたのか。この戦争とジュピター・シンドロームはどう関わっているのか。この戦争によって誰が何を失い、誰が何を得るのか……」
ホーリーランドは、しばらく無言でコニーを見つめていた。それから、周囲の迷彩服の連中に言った。
「話をする雰囲気ではないな。もういい、下がりなさい」
迷彩服の男たちは、一瞬の躊躇もしなかった。統制の取れた動きで、部屋から出ていった。ホーリーランドの命令は絶対なのだということがわかった。
「さて、地球のジャーナリストと、ヤマタイ国の情報将校がいっしょに行動しているというのは、どういうわけなんだね?」
チェレンコは口を開こうとしない。ホーリーランドとは話をしたくないようだ。コニーがこたえた。
「ある目的が一致しています」
「その目的というのは?」
「戦争を終わらせることです」
ホーリーランドは、チェレンコを見た。
「この戦争は必要なのだ。その理由を考えてみろと言ったはずだが……」
それでもチェレンコは何も言わなかった。
コニーは言った。
「誰にとって必要な戦争なのですか? 地球連合軍ですか? 連合政府ですか? それとも連合政府のスポンサーともいわれているエネルギー・メジャーや軍需産業ですか?」
ホーリーランドは、コニーに眼を向けた。その眼はあくまでも優しく、そして今はなぜか悲しげですらあった。いや、コニーを哀れんでいるようにも見える。
「そんな月並みな考えでは、とうてい真実にはたどりつけまい」
「たしかにおっしゃるとおり、月並みかもしれません。これまで知り得たことには限りがあります」
「歴史がどういうものか考えることだ。これまでの人類の歴史がどういうものか……」
「人類史上、戦争がない時代は一瞬たりともなかった。そのようなことをおっしゃりたいのですか?」
「少しばかり違う。人は戦争によって何をなし得たかということだ」
「戦争というのは、常に愚かな選択だったと、私は考えています」
「では、歴史上もし戦争や闘争がなかったら、世界はどうなっていたか考えてみたことはあるかね?」
そう訊かれてコニーは戸惑った。
「そんなことは、これまで真剣に考えたことはありません」
「ならば、考えることだ」
そのとき、突然チェレンコが発言した。
「その男の言うことをまともに聞かないほうがいい」
ホーリーランドは、チェレンコを見た。
「私は考えろと言った。だが、君は考えなかった。この戦争が誰に何をもたらすのか。それは、本気で考えた者にしかわからない。君は、それを拒否したのだよ」
「私は軍人だ。戦争というものがどういうものか、よく知っているつもりだ」
ホーリーランドは、悲しげにかぶりを振った。
「嵐の中にいる者は、嵐に対処することで精一杯だ。嵐の外で何が起きているか、その嵐がどんな影響を残すかなど、考えている余裕はない。だから、私は君に充分な時間を与え、考えろと言ったのだ」
「あんたも軍人だ。俺と同じく嵐の中にいたはずだ」
「木星圏は隔絶された世界だ。考える時間はいくらでもあった。もっとも、木星圏は、戦争とは別の意味で、常に嵐にさらされているともいえるがね……。つまり、嵐が日常なのだよ。生きていくだけでたいへんな世界だった」
コニーは、ホーリーランドが言ったことについて真剣に考えようとしていた。相手に誠実になってもらうためには、こちらも誠実である必要がある。取材は腹の探り合いだというジャーナリスト仲間もいたが、コニーはしたたかなだけではだめだと思っていた。
そして、ホーリーランドから真実を引き出すためには、彼と同じ思考レベルまで上がっていかなければならないのだと思った。思慮の足りない質問に真剣にこたえてくれる者など、ほとんどいない。
「人類が発祥してから、もし一度も戦いが行われなかったとしたら……」
コニーは言った。「あらゆる種族、あるいは部族は孤立した状態が続き、文化は停滞し、伝染病や風土病などにはきわめて脆弱な状態でいたことでしょう」
ホーリーランドは、コニーに穏やかな視線を向けた。まるで、優しい教師のような眼差しだと、コニーは思った。
「そう。人でも他の動物でもそうだが、混血によって多様性が生まれた。多様性は、種の保存という観点で、きわめて有効だ。そして、古代の戦争は混血を進め、文化の交わりを促進した。人の集団が最も激しく交流するのは戦いや侵略の場においてなのだ。侵略や征服は、文化の画一化を意味するように見えがちだが、実はそうではない。侵略国家や征服国家は、被征服民たちの文化の影響を受ける。ローマ帝国もそうだったし、モンゴルもそうだった。また、植民地時代もそうだった。大英帝国は植民地に英国の文化を押しつけただけではない。自らも植民地の文化の影響を受けたのだ」
「しかし、近代的な戦争は意味合いが違うと思います。大国同士の主導権争い、あるいは大国の横暴……」
「ふん。なんら本質は変わっていないよ。みんなローマ帝国の轍《てつ》を踏んでいるに過ぎない」
「戦争には、常に悲惨な現実がつきまといます。為政者の野心のために、庶民が常に犠牲になる。おびただしい数の、罪もない人々が死んでいくのです」
「戦争がなければ、人類はとっくに滅んでいたと、私は思う。人類は、生態系を無視して増殖し続けるきわめて特殊な生物だ。人口をダイナミックに抑制する装置が必要なのだ。戦争はその装置の役割を果たしてきた」
「他にも方法があったはずです」
「人類は、それほどの英知を持ち合わせてはいない。一見愚かに見える戦争という行為は、実は人類が地球上に繁栄を築く上で、唯一の選択肢だったのだ」
「唯一の選択肢ということはあり得ないと思います。さきほど、ローマ帝国とおっしゃいましたね。パックス・ロマーナという時代がありました。アウグストゥスから五賢帝までの戦いのない平和な時代です」
「パックス・ロマーナは、二百年しか続かなかった。人類の歴史全体から見れば、ごく短い期間だ。日本の徳川時代も戦いのない時代として歴史家は取り上げる。だが、それも三百年だけのことでしかない」
「だからといって、戦争を肯定する理由にはならないと思います」
ホーリーランドは、かぶりを振った。
「私は戦争を肯定などしてない。否定もしていないがね。歴史的事実を述べているだけだ」
「戦争の利点だけを指摘されているように聞こえます」
「戦争がもたらす悲劇などということは、すでに語り尽くされている。そんなことは自明の理だ。私は長い間戦争にたずさわってきた。友人も戦死した。殺したくない一般人を殺したこともある。人一倍、戦争の悲惨さは知っているつもりだ」
「でも、あなたは、また戦争を起こした……」
「そう。それが必要だからだ。さきほどの問いにこたえよう。この戦争は、地球連合にとって必要だったのではない。ヤマタイ国にとって必要だったのだ」
「独立すれば、地球からの資本が流れ込み、国が潤うからですか?」
「それは余禄に過ぎない。経済的な問題ではない。もっと根源的な問題なのだ」
「根源的な問題……?」
「そう」
ホーリーランドは、チェレンコとコニーを交互に見た。「すでに、木星圏に遠征する艦隊は出発した。今から戦いを止めるのは無理だ。この戦いによってさまざまなことが明らかになるはずだ」
コニーは尋ねた。
「さまざまなこととは……?」
ホーリーランドはほほえんだ。
「それをこれから話して聞かせよう」
火星 ブラッドベリ市
「もともと木星圏は、流刑地だったということは知っているね?」
ホーリーランドが、語りはじめた。
コニーは、重要な瞬間に立ち合っているのだという意識があり、緊張していた。
ホーリーランドはコニーのこたえを待たずに話を続けた。
「そこに、エネルギー・プラントや、核融合施設ができて、科学者や技術者が入植した。木星圏の劣悪な環境のもと、人々が生活できる施設を建設するためには莫大な費用が必要だった。具体的には、カリスト、エウロパ、ガニメデの三つの衛星の地下、あるいは氷の海の下に居住区や研究施設を作った。木星のあまりに強烈な放射線と電磁波を、地上では防ぎきれないからだ」
コニーは、そういう事実を文字の上、あるいは人から聞いた情報として知っていた。だが、実感したことはない。
ちらりと、チェレンコの顔を見た。
チェレンコはそれを実際に体験しているのだ。だが、彼の顔には何の表情も浮かんではいなかった。
ホーリーランドの話が続く。
「木星には、人類にとっては無尽蔵といっていいほどのエネルギーがある。だが、そこに移住するためには莫大な金がかかる。民間企業が開発をするようなレベルではない。つまり、地球連合政府の事業でないと成り立たなかったのだ。それ故に、居住区や研究施設が完成すると、ほどなく連合政府は、海兵隊の軍団を送り込み、それを木星方面隊とした。つまり、木星圏は地球連合政府の直轄地だと宣言したことになる」
コニーは、頭の中を整理していた。そのこと自体には何の問題もないように思える。実際、企業レベルでは木星圏の開発など不可能だったろう。一国家でも無理だ。地球連合政府が本気で取り組んだ大プロジェクトだったのだ。
「あなたは、その木星方面隊の責任者として赴任したのですね?」
「そうだ。そして、そこにいるオレグ・チェレンコもかつては木星方面隊に所属していた。懲罰的な配属だったと記憶している。もっとも、木星送りになるのは、たいがいがそういう連中だったが……」
「でも、木星方面隊は消滅しました。解散でも壊滅でもなく、消滅です。いったいどういうことだったのです?」
「軍隊の必要がなかったからだ。敵などいないのだよ。誰があの辺境の地まで攻めてくるというのだ? 木星まで遠征するには莫大な費用がかかる。その旅は危険きわまりない。地球連合軍の直轄地である木星まで行けるのは地球連合軍の艦船だけなのだ」
たしかにホーリーランドの言うとおりだ。木星圏に攻撃を加えようとする者など存在しない。ならば、木星圏を守るための軍隊も必要ないということになる。
「でも、ヤマタイ国は軍隊を持っています。チェレンコを見てもわかるように、ヤマタイ国軍のもとになったのは、地球連合軍の木星方面隊だったのではないですか?」
「そのとおりだ。しかし、もともとは敵と戦うための軍隊ではなかった。いや、そうではないな……。言い方を変えよう。人類同士の戦いなどより、ずっと巨大な敵がいたということだ」
「巨大な敵?」
「木星圏の環境だ。強烈な放射線と電磁波、そして極寒。生きていくことが壮絶な戦いなのだ。木星圏に住む人々にとって安息の日などないと言ってもいい」
突然、チェレンコが発言した。
「あなたは、その木星圏から逃げ出して、地球圏に舞い戻った」
「そうではない。私は、地球に戻る必要があったのだ」
「何のために?」
「まずは順を追って話そう。地球連合軍の木星方面隊は消滅したように見えた。だが、もちろん実体が消え去ったわけではない。地球連合軍司令部の命令系統が、木星圏の実情とまったく合わなくなっていった。地球にいる連中は木星圏での日常の出来事をまったく理解していない。いや、理解しようともしない。そんな命令系統からは切り離してしまわなければ、木星方面隊自体が危険だった」
コニーは尋ねた。
「それで、自ら連絡を絶ったと……」
「地球に住む連中には、木星圏で何が起きているのか確かめる術がない」
「それで、あなたはヤマタイ国を建国して、独裁者となったということですか?」
「ヤマタイ国は独裁国家ではない。かつてもそうではないし、今も違う。木星方面隊に話を戻そう。木星方面隊は、役割が変化するとともにその存在意義も変化していった。つまり、劣悪な環境から人々を守ることが主たる任務となっていった。戦いの技術はもはや必要ない。戦いの技術よりも、切実に必要なものがあったからだ。何だかわかるかね?」
尋ねられて、コニーはしばらく考えた。
「おっしゃるとおり、木星圏のことは、地球育ちの私には想像がつきません」
「それはレスキューの技術だ。いいかね、木星圏は危険に満ちている。ただ生きていくだけで、幾多の危機に直面していかねばならない。木星方面隊は、次第に人命救助を専門とする部隊に特化していった。そのための装備も開発された。木星圏に住む人々は創意に満ちていた。科学者や技術者がたくさんいて、しかも、木星方面隊は、自力で兵器や艦船の修理や製造ができるようにかなりの規模の工廠《こうしょう》を持っていたので、自分たちが持っていた兵器をもとに独自の機材や乗り物を開発したのだ。また、木星圏まで航行した経験を持つ方面隊では、宇宙航行の技術を蓄積することができた。その知恵と技術は、地球圏で生活している連中の比ではない。その宇宙航行の技術がレスキューにもおおいに役立った」
それは想像に難くない。
海難事故は、海を知り尽くした海軍やコーストガードが担当する。それと同じことだ。宇宙での事故は、宇宙を知り尽くした者に任せるのが一番だ。
「つまり」
ホーリーランドは言った。「木星方面隊は地球連合軍の命令系統から離脱して、本当の意味での木星圏の守護隊となったのだ。それが、方面隊消滅の真相だ」
「それについては理解できるつもりです。しかし、木星圏の独立についてはどうしても理解できないのです。経済的な理由は二の次だとおっしゃいましたね? では、独立をしようとする最大の理由は何なのです?」
「彼の権力欲だ」
チェレンコが言った。「自分の国を持ちたかっただけなんだ」
ホーリーランドはかぶりを振った。
「自分の国ではない。君たちの国だよ」
「詭弁だな」
「そうではない」
ホーリーランドは、チェレンコに向かって言った。
「君も木星圏で生きていくということがどういうことか知り尽くしているだろう。地球連合政府の直轄地というのが何を意味しているのか、君にだってわかっているはずだ」
コニーは思わず尋ねていた。
「それはどういうことです?」
「生活圏というのは常に開発が行われなければならないんだ。特に劣悪な環境に作られたべースキャンプのような施設というのは、最初から理想的な生活圏が与えられているわけではない。だが、地球連合政府の直轄地ということは、常に開発が行われるような条件を求めるのは不可能だということだ。役所というのは、一度作ったものをなかなか見直そうとしない。完成してしまったものには、あまり予算を割こうとしないのだ。逆説的に聞こえるかもしれないが、独立国として地球連合の政府やエネルギー・メジャーと取引をして、資本の投入を計り、環境の開発を進めなければならないのだ」
「つまり、こういうことですか?」
コニーは言った。「最初に木星圏に何かを作るためには、企業や一つの国では無理で、地球連合政府の力が必要だった。しかし、それを維持発展させていくためには、独立して取引をしなければならないと……」
「簡単に言えば、そういうことになる。事実そうなのだ。生活していくための施設というのは、現状維持ではだめなのだ。生活は改善していかなければ、後退するのと同じことだ。木星圏に住んだことのある人々は、全員そのことを知っている」
「どうも矛盾しているように聞こえて仕方がないのですが……」
「君の違和感は理解できる。もっとわかりやすく言おう。地球連合政府が、木星圏に人類を送り込んだりしなければよかったのだ。地球連合政府は、木星圏に人類を送り込んでおいて、あとは勝手にやれといった態度だった。少なくとも、木星圏に住む人間にはそれが実感だった。我々は、必死に生活環境を改善しようと努力したよ。放射能や電磁波、極寒と戦い続けたのだ。だが、決定的に資材や予算が不足していた」
「政府にそのことを訴えたのですか?」
「もちろんだ。私は、軍にいるときに、司令部に何度も掛け合ったし、プラントや研究施設の責任者たちと話し合って、政府に要求書を出した。だが、前向きに検討するという返事が来るだけだ。私たちが必要としていたものと、地球連合政府が与えてくれるものは、決定的に食い違っていたのだ」
コニーは、木星圏に住む人々の戦いを想像しようとした。生きること自体が戦いだという劣悪な環境。
だが、やはり無理だった。木星圏の生活の厳しさは、コニーの想像をはるかに超えているだろう。
「木星圏の平均寿命が五十歳に満たないのを知っているだろう」
「はい」
「それが、環境の厳しさを物語っている。象徴的な事柄については、君もよく知っていることだろう」
コニーは、はっとした。
「ジュピター・シンドローム……」
ホーリーランドはうなずいた。
「そうだ。放射線のために癌や白血病に冒される。そして、放射線や電磁波は遺伝子にも影響を与えるのだ。問題は、木星圏で癌や白血病に罹患《りかん》した第一世代ではない。第二世代、第三世代に大きな影響が出はじめた。私は、それを憂慮した」
「あなたは、海軍情報部でESPの研究を担当していたことがありますね? そのこととジュピター・シンドロームは何か関係があるのですか?」
「ある」
コニーは緊張し、興奮した。今、ジュピター・シンドロームと今回の戦争の関わりがホーリーランドの口から語られようとしているのだ。
「どんな関係ですか?」
「ジュピター・シンドローム第二世代や第三世代は、遺伝子の損傷などの理由から障害を持って生まれてくる確率が高い。と同時に、いわゆる超能力と呼ばれる特殊な能力を持って生まれてくる者の確率も高まるのだ」
「海軍情報部では、その特殊な能力を持つ者を軍事利用しようと考えたわけですか?」
「たしかにそういう研究をしていた。そして、約二十年前のことだが、私は海軍情報部から、木星圏の医療施設に派遣されたことがある。その経験があったので、木星方面隊の責任者となり、再び木星圏に赴任することになったのだ」
「ジュピター・シンドローム第二世代、第三世代の軍事利用……。あなたが人体実験をしていたというのは本当だったのですか?」
「人体実験というのは大げさだ。私は、ある施設を作った。ジュピター・シンドロームの第二世代や第三世代には、親のない子が多い。そういう子供に生活と教育の場を与える。その代わりにいろいろなデータを取らせてもらったというわけだ」
「人体実験と言われても仕方のない行為だと思います」
コニーは怒りを覚えながら言った。
「軍の計画だからね。慈善事業のようなわけにはいかん。だが、私は精一杯子供たちに幸せになってもらおうと努力したよ。その中から軍人になった者もいた」
「ESPを持つ軍人……」
「そう。すでに、実戦に投入される段階になっている」
「実戦投入……」
「知っているかね。ヤマタイ国の統率者であるヒミカは、サイバーテレパスだ。その能力によって、本来はレスキューのためのマシンだったトリフネを戦闘機として運用できるようにした。そう、ヒミカはジュピター・シンドロームの第三世代の一人だ」
コニーは、はっとチェレンコのほうを見た。チェレンコは、厳しい表情でホーリーランドを見据えていた。
おそらく、ヒミカの能力はヤマタイ国軍のかなり高度な秘密だったに違いない。だが、ホーリーランドはそれを知っていた。考えてみれば当然かもしれない。ヤマタイ国を作ったのはホーリーランドであり、つまりヤマタイ国軍を作ったのもホーリーランドだ。
ホーリーランドは、ヤマタイ国建国の父、オオナムチなのだ。
「あるとき、ジュピター・シンドローム第二世代の母親から双子の姉妹が生まれた。母親も強いESPを持っていた。だが、不幸なことに、母親は白血病に冒されており、子供を生むとほどなく亡くなった。その双子の赤ん坊にも、ESPの兆候が見られた。しかも、超能力者の中でもきわめて稀《まれ》なサイバーテレパスである可能性があった。二人は、別々の環境で育てられることになった。きわめて貴重な存在だったため、それぞれにリスクを遠ざける必要があった。一人は、木星圏の劣悪な環境で育つというリスクを避け、地球に運ばれた。一人は、木星圏から地球へ旅をするというリスクを避けて、木星圏で育てられることになった。私が直接、地球に連れ帰ったのだ」
双子の姉妹……。
ヒミカとギガースのドライバー、リーナ・ショーン・ミズキは瓜二つだったということだ。
コニーは言った。
「その双子の姉妹の一人が、ヤマタイ国のヒミカというわけですね?」
「そうだ」
「そして、もう一人が、ギガースのドライバー、リーナ・ショーン・ミズキ……」
「さすがにジャーナリストだ。すでにそのことを知っていたか?」
コニーはかぶりを振った。
「いえ、二人がそっくりだという話を、チェレンコから聞いたことがあるのです」
「そう。二人は双子の姉妹だった。そして、成長するに従い、予想どおりサイバーテレパスとして覚醒していった。二人が離ればなれになって、二十年近い月日が流れ、ヒミカはヤマタイ国の精神的な支えとなった。彼女が唱える『絶対人間主義』は、木星圏だからこそ大多数の人々に熱烈に支持されたのだ。そして、ヒミカは自ら先頭に立って戦う。その姿が、またヤマタイ国の人々の心を打った」
コニーは、驚いた。
「先頭に立って戦う……?」
「そうだ」
「待て」
チェレンコが言った。「ヤマタイ国の情報将校として、それ以上の発言は許すことはできない」
ホーリーランドは、哀れむような眼差しをチェレンコに向けた。
「今さら秘密にしたところで始まらない。すでに、海軍情報部ではそのことに気づいている。だからこそ、リーナに最新鋭のギガースを与え、アトランティスに乗せた。そうすれば、必然的にワダツミと接触する機会が多くなる」
コニーは眉をひそめた。
「ワダツミ……?」
「そう。ヤマタイ国の旗艦だ。その艦にはヒミカが乗っている。ヒミカは、ワダツミに乗り、トリフネを操っているのだ」
「ヒミカとリーナ・ショーン・ミズキが直接戦うようにし向けたのはあなたですか? 彼女たちをよく知っている、あなたが……?」
ホーリーランドはかぶりを振った。
「そうではない。たしかに、この戦いにおいて、ヒミカの力を借りた。彼女がいなければ、人々の心を戦いに向けることもできなかっただろうし、限られた物量で地球連合軍と互角に戦うこともできなかっただろう。リーナの実戦投入は、私にとっては想定外だったのだよ」
「二人が戦い続けると、どうなりますか?」
「わからない」
「そんな……」
「本当にわからないのだ。サイバーテレパス同士の戦いなど、人類は未だかつて経験したことがない。何が起きるのか、私にだって予想はできない。だが、望ましいことではない。双子の姉妹が戦うのだ」
「リーナ・ショーン・ミズキは、そのことを知っているのですか?」
「知らない。ヒミカも、自分に双子の姉妹がいることなど知らない」
「あなたは、先ほど、木星圏を離れて地球に来る必要があったと言った」
チェレンコが質問した。「それは、ギガースのドライバーと関係があるのか?」
「私は、リーナとギガースの実戦投入を阻止しようとした。だが、それはすでに情報部と司令部の決定事項で、私個人にはどうすることもできなかった」
「あなたが起こした戦争ではないか」
チェレンコの声には激しい怒りがこもっていた。
「そうだ。だが、すべてを私が掌握することは不可能だ」
「無責任にもほどがある」
「責任を取る覚悟はある。私を殺したければ、ここで殺せばいい。そうすれば、私の目的の実現はさらに確固としたものになる」
コニーは、二人の間に割って入った。
「木星圏の生活の改善。そのためには、資本の再投入が必要だと……。新たな資本の投入には、独立して地球連合政府と取引をする必要がある……。そこまでは何とか理解できました。しかし、それは、あなたが言われた第二の経済的理由に過ぎません。私はまだ、あなたが戦争を起こした最大の理由をうかがっていません」
ホーリーランドはうなずいた。
「ヤマタイ国を作っていくのは、木星圏に住む国民たちでなければならない」
「独立というからには、当然のことですね」
「そして、その国民は市民でなければならない。民主主義を担う、本当の意味での市民だ」
「民主主義……? ヒミカが率いるヤマタイ国は、民主主義とは程遠い政治形態だと思っていましたが……」
「今は過渡期なのだ。だからこそ、この戦争が必要だった」
「どういうことです?」
「だから、歴史を考えろと言ったのだ。いいかね? 戦争を経《へ》ずには、真の市民は育たないのだ。これは、歴史の真実だ」
コニーは、あまりのことに言葉を失った。
そんなはずはない。
市民と戦争とは何の関係もない。
そう思いたかった。
だから、必死に反証を頭の中で探した。だが、何も言うことはできなかった。
ホーリーランドが言うとおり、革命や戦争を経なければ市民という概念すら生まれなかったかもしれない。
ホーリーランドの言葉が続いた。
「私は、建国の祖といわれている。国を作るからには、多少は独裁的なことをやらねばならなかった。ヤマタイ国は独裁国家ではないと言った。だが、建国の際は独裁的な手法も必要だった。そう、君たちが私を独裁者と呼ぶのはかまわない。だとしたら、そこにいるタカメヒコが私を殺すことで、革命が成立する。そうではないか? それならば、私はタカメヒコに殺されても本望だ」
コニーは、ホーリーランドが言ったことを何度も考え直していた。
市民を生むための戦争。ヤマタイ国を真の民主主義国家にするための戦争。
それは、ホーリーランドの妄想ではないのか。
だが、今ここでそれを否定する言葉を思いつかない。それがもどかしかった。
コニーは尋ねた。
「木星圏に向かった地球連合軍の艦隊の旗艦はアトランティスです。リーナ・ショーン・ミズキが乗っている……。当然、木星圏ではワダツミが迎え撃つのでしょう」
「そういうことになるだろう」
「木星圏での戦いが最終決戦になるだろうと、大方は予想しています。いったい、どういう戦いになり、どんな結末が待っているのです?」
「先ほども言った。もはや私にもわからない。私たちは、ただ戦いの行方を見守るしかないのだ」
木星圏があまりに遠く思えた。
手の届かない場所で始まろうとしている戦い。
それは、木星圏での暮らし同様に、コニーには想像もつかないものだった。
ホーリーランドが、チェレンコに言った。
「さあ、どうする。私をここで殺すかね?」
チェレンコは、じっとホーリーランドを見据えていた。やがて、彼は言った。
「私はヒミカ様の『絶対人間主義』を信奉している。どんな場合でも人命は最大限に尊重する」
「それも時と場合による。今は戦争なのだ」
「俺はもはや、あんたの戦争に手を貸すつもりはない」
チェレンコはそう言うと、ホーリーランドに背を向けて、部屋の出入り口に向かった。
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
上院議員選挙の投票が行われ、即日開票の結果がテレビで報じられ始めた。深夜になっても、ジンナイは当選確実とはならずに、スタッフやボランティアたちをやきもきさせていた。
ジンナイ自身も気が気ではなかったが、スタッフたちの手前、それを態度に出すまいとしていた。実際、ジンナイは当確ラインぎりぎりのところにいた。
ジンナイは、悠然と構え、常にほほえみを浮かべていた。
深夜零時三十分頃、ついに当選確実が出た。その瞬間、選挙事務所内で歓声が上がった。詰めていた報道陣が、いっせいにジンナイにマイクを向ける。
テレビ局のライトが点灯し、事務所内はいっそう華やいだ雰囲気になった。
ジンナイはインタビューにこたえ、スタッフやボランティアたちと握手をかわした。
選挙戦で辛くも勝利できた。これで一段落だ。さっそく終戦に向けての活動を再開しなければならない。
シャンパンの栓が抜かれ、選挙事務所はお祭り騒ぎとなった。今日くらいはいいだろう。ジンナイは思った。スタッフもボランティアもたいへんな選挙戦を戦い抜いたのだ。
ジンナイもシャンパンを飲んだ。すばらしい気分だ。選挙に勝つというのは、何度味わっても慣れるということがない。そのたびに最高の気分になる。
勝利のシャンパンをゆっくりと味わい、ジンナイは選挙戦の疲れをしばし忘れた。
事務所内の雰囲気は時間を追うごとに盛り上がっていった。そんな中、ジンナイはオオタが厳しい表情で近づいてくるのに気づいた。
「何事だ?」
ジンナイはオオタに尋ねた。
「UNBIが、選挙違反の容疑でこの事務所に家宅捜索をかけるという情報が入りました」
「選挙違反だって……」
ジンナイは、眉をひそめた。「そんな事実があるのか?」
「あるわけありません。言いがかりですよ」
「なるほど、連合政府と連合軍の締め付けというわけか?」
「今のUNBIなら、選挙違反をでっち上げるくらいのことはやりますよ」
「コニーがUNBIにスパイ容疑で逮捕されたときに、弁護団を率いて助けた弁護士はなんといったかな……?」
「ベン・ワトソンですね」
「彼の助けが必要になるかもしれない」
「すでに手配してあります。彼はすでにここに向かっているはずです」
「さすがに、やることが早いな」
選挙事務所内の華やいだ雰囲気が、急に冷めていったのに、ジンナイは気づいた。見ると戸口に二人の男が立っている。
オオタが言った。
「やることが早いのは、向こうも同じのようですね」
「そのようだな」
戸口に立っている男たちは、明らかに司法当局のにおいを振りまいていた。
一人は、銀色の髪に灰色がかった青い眼をしている。いかにも非情そうな顔つきだ。もう一人は、黒い髪に茶色の眼をしたラテン系だ。
彼らは、ずかずかと選挙事務所に入ってきた。ジンナイを見つけると、まっすぐに近づいてきて、懐から令状を取り出して掲げた。
「選挙違反の疑いがあるので、事務所の家宅捜索をさせていただきます」
口調は丁寧だが、態度は決してそうではなかった。ジンナイに対して反感を持っていることがはっきりとわかる。
ジンナイが何も言わずにいると、二人の捜査官は、戸口に向かって合図をした。数名の捜査官がそこで待っていた。彼らは合図を確認すると選挙事務所内に入ってきた。
ジンナイは、混乱するスタッフやボランティアの人たちに声をかけた。
「何も心配することはありません。私たちは何もやましいことはしていないはずです。捜査に協力することにしましょう」
捜査官たちは、徹底的に書類を検査し、パソコンなどデータの入ったものを押収しようとしていた。
そこに、ベン・ワトソンが駆けつけた。よほど急いできたらしい。彼は息を切らしていた。
「まずは、当選おめでとう」
ベン・ワトソンは、ジンナイに言った。「選挙速報を見終わって、寝ようとしていたところなんだがな……」
少しばかり怨みがましい表情だった。
「こんな時間にお呼び立てして申し訳ありません」
「なに、あんたのせいじゃない。あいつらのせいだ」
UNBIの捜査官たちのほうを指さした。そして、ワトソンは顔をしかめた。「また、あいつらか……」
「捜査官をご存じですか?」
「ハリー・マーティンにボブ・サントス。コニーをスパイ容疑で逮捕したやつらだよ」
「なるほど……」
ジンナイは言った。「彼らはよほど私にプレッシャーをかけたいらしい」
「単なるプレッシャーじゃない。彼らは本気だ。気をつけたほうがいい。連合政府が、あなたの反戦の姿勢を敵視しているのだ。UNBIは、それを笠に着てあなたを本気で検挙するつもりだ。コニーのときも、本命はあくまであなただったのだ」
「承知しています。だが、UNBIのそのような振る舞いこそが、戦争の現実なのです。屈するわけにはいきません」
ベン・ワトソンはうなずいた。
「私が来たからには、やつらの好きにはさせない。令状があるからには、捜索と押収は阻止できないが、彼らがほんの一瞬でも違法な捜査をしたら、徹底的に追及してやる」
「心強いです」
「ところで、本当に選挙違反はしていないのだね?」
ジンナイは、そばにいたオオタの顔を見た。
オオタはこたえた。
「潔白ですよ。議員は反戦派であることから、政府を含めたあらゆる組織から監視の対象となっています。だから、選挙に当たっては、通常以上の注意を払いました。それは、各運動員やボランティアにいたるまで徹底しています」
ワトソンはオオタに言った。
「その言葉を信じることにしよう」
UNBIの家宅捜索は徹底していた。彼らは二時間近く事務所に居座り、捜索を続けていた。
銀色の髪をした捜査官がジンナイたちに近づいてきた。
「押収したデータは徹底的に調べる。覚悟しているんだな」
ワトソンが素速く応じた。
「議員。何も言ってはいけません。こいつらは挑発しているだけです」
銀色の髪の捜査官はワトソンを見て言った。
「またあんたか。あんただって、叩けば埃の一つも出るだろう。いつかあんたも検挙してやる」
「そういう物言いは、UNBIの品格を落とすことになりますぞ、ハリー・マーティン捜査官」
「俺の名前を覚えていてくれたとは光栄だな」
「忘れるものですか。あなたとボブ・サントス捜査官のお名前は決して忘れませんよ」
マーティン捜査官は、実名を呼ばれて、少しだけ居心地の悪そうな顔をした。
「弁護士など無力だということを、いつか思い知らせてやる」
「あなたのほうこそ、慎重になるべきですね。議員を逮捕しておいて、誤認逮捕だったじゃ済まされませんよ」
マーティンは、ワトソンを睨みつけた。だが、明らかにワトソンのほうが役者が上だと、ジンナイは感じた。
マーティンは明らかに劣勢に立っていた。ワトソンの言うとおりだと思った。上院議員を逮捕しておいて、それが間違いだったということになれば、マーティン捜査官の大きな落ち度となる。
もし、逮捕されたとしても、ワトソンならこちらの潔白を必ず証明してくれるはずだ。
マーティンは、ワトソンから眼をそらすと、捜査官たちに言った。
「さあ、引き上げるぞ」
捜査官たちは、押収物を詰めた段ボールを抱えて事務所を出て行った。
「ふん」
ワトソンは言った。「気のきいた捨て台詞もなしか……」
事務所の中はすっかり白けた雰囲気だった。すでに午前二時を過ぎていた。スタッフもボランティアもどうしていいかわからない様子だ。
ジンナイは大声で言った。
「さあ、シャンパンを抜こう。私はみんなに朝まで付き合うぞ」
その一言で、再び華やいだ雰囲気になった。シャンパンの栓を抜く音が響き、乾杯の声が響く。
ワトソンはジンナイに言った。
「たいしたものです。やはりあなたは人の心をつかむのがお上手だ」
「正しいことをしているという自信があるだけです。みんなはそれに共感してくれる」
「私もその一人ですよ。今夜は私も付き合わせていただく」
「大歓迎です」
ジンナイは、自らワトソンにシャンパングラスを手渡し、乾杯した。
その後、ワトソンは勝利の祝いを楽しみつつ、オオタと現実的な話を続けていた。オオタや他のスタッフの記憶を頼りに、UNBIがどんなものを押収していったかのリストを作り上げ、選挙戦に落ち度はなかったかのチェックを始めていた。
シャンパングラスを片手にくつろいだまま、そうした実務的な事柄をてきぱきと進めるワトソンを、ジンナイは心から頼もしく思った。
結局、ハリー・マーティンとボブ・サントスの目論見はうまくいかなかったようだ。
あれから、運動員の何人かを尋問して回ったようだが、しばらくして当局は押収した物品を返却すると言ってきた。
司法にたずさわる役所は、どこでもそうだがひどく横柄なもので、押収するときは勝手に持ち去り、返却するときには、取りに来いという。
オオタとワトソンが手配して、パソコンや書類をすべて取り戻した。ワトソンは、真剣に名誉毀損で、UNBIと二人の捜査官を訴えることを検討しようと言ったが、ジンナイは放っておくことにした。
「日本人の血かね……」
ワトソンは言った。「アメリカ人なら、絶対に黙っていないがな……」
「できるだけ関わりを持ちたくないのです」
ジンナイはこたえた。「それに、そんなことに時間を取られるのはばかげています」
「ならば、私にできることはもうないな」
「あの夜に駆けつけてくれたことを感謝します」
「なに、勝利の美酒にありつけたんだ。こちらのほうこそ礼を言うよ。何かあったら、またいつでも声をかけてくれ」
「私たちの活動に加わってもらえませんか?」
ワトソンは、目を大きく見開いてジンナイを見た。
「あなたたちの活動……? それは、終戦に向けての働きかけのことかね?」
「そうです。コニーが今、火星に行っています。彼女が、決定的な事実を聞き出してくれるかもしれません」
「火星……? 火星になど行って、誰から何を聞き出すつもりだね?」
「その名前を教えるのは、あなたが私の陣営に加わってくれることを確認してからにします」
「なるほど、その人物の名前を知ったら、私も巻き込まれてしまう恐れがあるというわけだね?」
「そういうことです」
「では、聞かないことにしよう」
ジンナイは失望した。
「あなたは、私を支持してくれていると思っていました」
「そうがっかりした顔をしないでほしいな。もちろん支持しているとも。だがね、私は自分の立場をはっきりさせておきたい」
「ご自分の立場……?」
「そう。誰かが危機に陥ったら、全力を上げて助ける。だが、特定の政治家の陣営にいてはそれもままならなくなることもある。どうか、理解してほしい」
「私は束縛はしませんよ。協力してほしいだけです」
「私の矜恃《きょうじ》の問題なのだ。これは誰にも言ったことがなかったのだがね……」
「何です?」
「私は、小さい頃、正義のヒーローになりたいと思っていたんだ」
ジンナイは思わずほほえんだ。
「その夢は叶いましたね」
「いや、まだまだだよ」
「わかりました。それでは、また私たちの陣営の誰かが危機に陥ったときには、バットマンのようにサーチライトで雲にあなたの名前を映し出すことにします」
「いや、電話をくれるだけでいい」
ワトソンは、体格と年齢にそぐわない軽やかな足取りで、ジンナイの事務所を出て行った。
「コニーからの連絡はまだないのか?」
これが何度目になるだろうと思いながら、ジンナイはオオタに尋ねた。
「まだありません」
「火星で、身柄を誰かに拘束されているというようなことはないだろうな」
「チェレンコがいっしょなのです。心配ないと思いますが……」
「彼といっしょであることが、裏目に出るということもある」
「また、スパイ容疑で逮捕されることを心配されているのですか?」
「その他にも危険はあるだろう」
「これまで、コニーはうまくやってくれました。心配するよりも、成果を待ちましょう」
確かに、何の知らせもないことから、自分は少々疑心暗鬼になっているかもしれないと、ジンナイは思った。
「ホーリーランドについての追加情報はないのか?」
「海軍情報部で、ESPについての研究の責任者だったことがあるという事実はすでに報告しましたね」
「ああ」
「同じホーリーランドの組織が、ジュピター・シンドロームについて研究していたという未確認情報を得ました。ジュピター・シンドロームについては、長い間地球圏で、事実関係が明らかにされてきませんでした。その情報管理を裏でやっていたのが、ホーリーランドだったのではないかと思える節があります」
「ESPを研究する組織が、ジュピター・シンドロームについての情報管理を……?」
「ホーリーランドは、木星方面隊の指揮官であり、ヤマタイ国を作った人物でもあります。ジュピター・シンドロームに関わっていても不思議はないと思います」
ジンナイは考え込んだ。
「海軍情報部は、間違いなくESPとジュピター・シンドロームの関係について詳しく研究していたということだな……」
オオタは、肩をすくめた。
「その辺は、慎重に考えないといけないと思います」
「だが、おおいに可能性はある。ホーリーランドがジュピター・シンドローム研究に関わっていたというのは、未確認情報だと言ったな?」
「はい。ウイリアム・コールマン提督の仲間が嗅ぎつけたということです」
「嗅ぎつけたということは、火元があるはずだ。確認を取ってくれ。何かを知っている人物がいたら、君が直接会って話を聞くんだ」
「わかりました」
「私は、ナオト・ユカワと連絡を取ってみる。前回の会合はなかなか実り多かったと思う。ナオトならば、日本の平和推進派をうまく組織してくれるだろう」
「ユカワ議員が、日本の国会議員から連合政府の議員にステップアップしてくれるといいのですが……」
「それぞれに事情があるのだ。そう簡単にはいかない。それに、連合政府の議員にできない細かなフォローが、各国の国会議員にはできる。そういう利点もある」
「わかりました」
オオタは、時計を見た。「今、午後二時ですから、向こうは夜中の零時ですね」
「ナオトのような議員ならまだ起きているだろう」
「すぐに電話をしてみます」
オオタが部屋を出て行くと、ほどなく内線電話が鳴った。オオタの声が告げた。
「ユカワ議員がお出になっています」
「やあ、当選のお祝いがメールだけで失礼した」
「いや、すぐにメールをくれただけでもうれしいよ」
「反戦派は旗色が悪いのに、無事当選したんだ。たいしたものだ」
「当選確実が出て、すぐにUNBIが選挙違反の容疑で家宅捜索にやってきたがね……」
「その話は聞いている。私も同じような目にあったことがある。リベラル派が当選すると、与党が何かと締め付けてくる」
「コニーが今、火星に行っているという話は、もうしたかな?」
「聞いている。ホーリーランドを追って行ったということだが……」
「そのホーリーランドがジュピター・シンドロームに関する情報管理を担当していたらしい」
「ふん、ありそうなことだな」
「ホーリーランドが、木星圏でジュピター・シンドローム第二世代・第三世代の人体実験をしていたという話は、君の秘書のシマダから聞いたのだったな」
「あくまで噂だがね。もし、ホーリーランドがジュピター・シンドロームについての情報管理にたずさわっていたということが明らかになれば、その噂も信憑性を持ってくる」
「戦争の陰に、不幸な病気の罹患者の人体実験があった……。そうなれば、世論は一気に反戦に傾く可能性もある」
「それはあまりに楽観的過ぎるんじゃないのか?」
「地球時代のナチス・ドイツの例もある」
「ナチスのホロコーストが世界的に取り沙汰されるようになったのは、終戦後のことだよ」
「いずれにしろ、世論に大きな影響を与えることは間違いない」
「そうだな……。これ以上は電話では危険だ。今度は、私がニューヨークを訪ねる機会を作るよ」
「そうしてくれると助かる」
「では、あらためて、当選おめでとう」
「ありがとう」
電話が切れた。受話器を置くと、ジンナイは考えていた。
ジュピター・シンドローム。
人体実験。
ESP。
そして、木星圏の独立……。
すべての鍵を握っているのは、エドガー・ホーリーランドだ。
すでに、地球連合軍の艦隊はメインベルトから木星に向かっているという。残された時間はあと数ヵ月しかない。
コニーからの知らせが待ち遠しかった。
アトランティス
メインベルトから木星圏への惑星間軌道上
カーターたち海兵隊と、オージェらの空間エアフォース要撃部隊に、再び招集がかかった。
前回と同じく、ブリーフィングルームには、エリオット作戦司令とともに、軌道屋のジェシカがやってきた。
カーターは、呼び出しがあったときに、一瞬捕虜についての説明があるのかと期待した。だが、この様子ではどうやらそうではないらしい。
捕虜については、依然として何一つ情報が流れてこない。憶測が憶測を呼んで、実は木星圏の人々はすでに突然変異などで、SF映画に出てくる宇宙人のように変わり果てているという噂まで流れはじめた。
もちろん、カーターはそんな話は相手にもしていなかったが、艦長や作戦司令が、どうして捕虜について何も教えてくれないのか、確かに疑問に思っていた。
一方で、メカニックによるトリフネの調査も行われていた。戦場が基地の近くならば、基地に持ち帰って本格的な調査をするべきだ。だが、アトランティスをはじめとする艦隊は今、地球圏から遠ざかりつつあり、帰還できるのは、早くても一年四ヵ月ほど先のことだ。
これから木星圏で戦いがある。当然敵の主力機動兵器であるトリフネと戦うことになる。事前に、少しでもトリフネについての情報があったほうがいい。
艦長たちはそう判断してトリフネの調査をメカニックと技術士官たちに命じたのだ。
それは妥当な措置だと、カーターは思った。敵についての情報は多いほどいい。だが、調査が手間取っているのか、トリフネに関する情報も、カーターたちの耳にはまだ入ってきていなかった。
ブリーフィングが始まった。まず、エリオット作戦司令から説明があった。
「艦隊は、この先危険な海域を航行することが判明した。かなりの船体損傷を避けられない」
その言葉を引き継ぐように、ジェシカが言った。
「軌道計算により、通常往復で二年かかる行程を、三ヵ月ほど縮めました。その結果、危険な海域を通過することになりました。私の責任です」
エリオットが言った。
「誰の責任でもない。宇宙の海は常に危険に満ちているというだけのことだ。我々は、ローランド博士らが計算した軌道を変更しない。このまま岩石と氷塊が密集する一帯を突っ切る。そこで、諸君らの任務だが、ヒュームスには危険海域を抜けた後に、船体の修理をやってもらう。空間エアフォースの戦闘機には、その間の哨戒任務についてもらう」
もともとヒュームスというのは、作業用のパワードスーツから発達したものだ。修理などの作業はお手の物だ。
長旅とあって、カーターは当然こうした任務も覚悟をしていた。作業用の施設部隊などを乗り込ませるペイロードはない。だから、何もかも、今いる者たちでやらなければならない。
「何か質問は?」
エリオットの問いに対し、チーム・イエローの突撃艇パイロット、リトル・ジョーが挙手をした。
エリオットが無言でうなずきかけた。リトル・ジョーが発言する。
「その危険海域で、船が沈むってことはないんですか?」
「ないように最善を尽くす」
「具体的にはどういう対策を講じるのですか?」
「各艦が、砲撃で障害物を取り除いていく」
リトル・ジョーは、不安げな表情のまま質問を終えた。エリオット作戦司令が言ったことが、簡単ではないことは、カーターにもよくわかっていた。
艦隊は秒速三十キロ以上の猛スピードで軌道上を航行している。そして、危険海域の岩石や氷塊というのも、ただ漂っているわけではない。同じような猛スピードで何らかの軌道を回っているのだ。
エリオットは、リトル・ジョーやカーターの心配を読み取ったように言った。
「障害物を狙い撃ちするわけではない。各艦が主砲を交互に撃ち、活路を開きつつ、ビーム砲の弾幕を張る。それでも、船体に衝突する障害物があるだろう。だが、それは、航行には影響のない程度だと予測している」
エリオット作戦司令の声と話し方は常に落ち着いている。それが安心感を与えてくれる。カーターは、エリオットの言うことを信じることにした。疑ったところでどうしようもないのだ。
「他に質問は?」
オージェが手を上げた。
「何だね?」
「哨戒任務を言われましたが、軌道上を航行中にどんな形で敵が現れうるのですか? 敵がまた軌道交差戦でも挑んでこない限り、敵との遭遇はあり得ないと思いますが……」
「敵に対する警戒ではない」
「では何のための哨戒任務ですか?」
「危険海域を抜けたとしても、岩石や氷塊、デブリなどと遭遇する危険がある。そうしたものから作業中のヒュームスを守ってもらいたい」
オージェはうなずいた。
「了解しました」
実際、新型機ツィクロンのビーム砲は頼りになるだろうと、カーターは思った。
「なお、危険海域を抜けるまで、戦闘配備と同様に居住区の回転を止める」
カーターは挙手をした。
「質問か?」
「はい。どれくらいで危険な海域を抜けるのでしょう?」
エリオットはジェシカを見た。ジェシカがうなずいてから言った。
「約三分間」
単純計算で、危険海域は約三千六百キロにわたって続いていることになる。おそらく、帯状になって、太陽を中心とする軌道を回っているのだろう。
三千六百キロの幅の帯というのは、宇宙の規模からいえばちっぽけなものなのだろうが、三分間も弾丸のように飛来する岩石や氷塊の中を通ると思うと、さすがにぞっとした。
「それで、その海域に突入するのはいつのことです?」
このカーターの質問にも、ジェシカがこたえた。
「二十四時間後には徐々に岩石・氷塊が増え始めます。その後、急速に密度を増していき、三十秒ほどで本格的な危険海域に突入します」
エリオットが言った。
「危険海域を抜けたらすぐに応急処置や修理をする必要が生じるはずだ。つまり、約三十四時間後に作業を開始できるように、プレブリーズを開始してくれ。以上だ」
カーターは、いい機会なので、この場で捕虜について尋ねてみようかと思った。だが、エリオットはその時間を与えなかった。話が終わると、即座に部屋を出て行ってしまったのだ。
「海兵隊の諸君、安心していいぞ」
空間エアフォースのアレキサンドルが言った。「天下の要撃部隊がガードしてやるんだ。石っころのことなんて気にせずに、修理に専念してくれ」
それにこたえる海兵隊員はいなかった。カーターも含めて海兵隊のみんなは、空間エアフォースの連中よりも宇宙の海のことを知っている。
危険海域を通過することも、その後の船外での修理も、決して楽観視はできないことを充分に心得ている。だからこそ、アレキサンドルの軽口にこたえる気になれないのだ。
ブリーフィングルーム内が、白けた雰囲気になった。カーターは、黙ってハーネスを外して浮き上がり、椅子を一蹴りして戸口に向かった。
カーターは、プレブリーズを終えてクロノス改のコクピットにいた。すでに、艦隊は危険な海に差しかかっている。砲撃は始まっていた。
何度か船体に何かが衝突する不気味な音が響いた。強襲母艦の装甲は通常の宇宙船に比べて格段に頑丈だが、それでも安全とは言い切れなかった。
もしかしたら、戦争と同じくらいにやっかいかもしれない。
カーターはそんなことを思っていた。宇宙の海は危険に満ちていると、エリオット作戦司令が言っていた。そのとおりだ。
人類は、地球で生まれ地球で暮らすことがごく自然なのだ。地球の環境が生命を育み、その進化の結果、人類が誕生した。
人は、生命維持装置なしでは宇宙空間で生きていくことはできない。それは当たり前のことなのだ。
人類は、月に進出し、やがて火星にも住むようになった。だが、月や火星は基本的には人が生活する場ではない。家族で住んでいる者もいるが、基本的には今でも出産は地球かあるいは地球に準じた1Gの環境がある場所で行われるのが普通だ。
そこまで考えたときカーターは、はっとした。
では、木星圏の連中はどうなのだ……。
月からは数日、火星からでも三ヵ月ほどで地球に行ける。だから、地球で出産することも可能だし、月の軌道上のラグランジュ点には、1Gの重力を持つコロニーも建設されている。空軍のノブゴロド基地などもその一つだ。
月や火星の自治区の人々は、低重力の心配をせずに出産ができる。
だが、木星圏ではそうはいかない。
低重力に加えて、猛烈な放射能や電磁波の影響もあるだろう。木星圏の連中は、そんな環境の中で子孫を増やしてきた。
ジュピター・シンドロームというのは、そうした環境によって形成されていったのだ。木星圏に住む人々はどんな思いで子供を生み、育てていったのだろう。
そして、木星圏の環境しか知らない子供たちというのは、どういうふうに育っていくのだろう。
今までそんなことを考えたことがなかった。その事実に、カーターは驚いていた。木星圏の人々の生活を思いやったことなどなかったことに今さらながら気づいたのだ。
ジュピタリアンは敵でしかなかった。敵に家族がいて、それぞれに生活があるなどということを、兵士が考える必要はない。いや、考えてはいけないのだ。
地球から遠く離れすぎたせいだろうか。普段、考えないことを考えてしまう。
突然、すさまじい衝撃を感じて、カーターは思考を中断した。巨大な岩石か氷塊がアトランティスと衝突したのだ。砲撃で撃ち洩らしたのだ。
まるで、それが始まりの合図だったかのように、続けざまに衝撃と激突音が続いた。砲撃と弾幕が間に合わないくらいに、飛来する岩石や氷塊の数が多くなったのだ。
「おい、だいじょうぶかよ……」
誰かのつぶやきが、ヘルメットに内蔵されたヘッドセットから聞こえてきた。
チコ・ドミンゲスの声だと、カーターは思った。
「心配には及ばぬ」
別の声がする。アラン・ド・ミリュウの古風な英語だ。「万が一船に何かあっても、我らはヒュームスの中におるのだ」
「船がオシャカになったら、ヒュームスに乗ってたって死ぬのは時間の問題じゃないか」
「艦隊が全滅するとは限らぬ。無事な船へ移動すればいい」
「こら」
また別の声がした。ホセ・オルティスの声だった。「おまえら、なに縁起でもない話をしてるんだ」
そこにクリーゲル艦長の声が割り込んできた。
「私の船は、こんな石ころごときではびくともしない。何も心配することはない」
その声は、いつもと変わらず落ち着いていたし、笑いを含んでさえいた。小隊の連中は、艦長じきじきの呼びかけに恐縮したのか、すっかりおとなしくなってしまった。
あるいは、艦長の言葉に安心したのだろうか。不安は人間を饒舌《じょうぜつ》にさせる。
衝撃と衝突音が艦内に鳴り響く。ヒュームス・デッキの照明が消え、すぐに非常電源の薄暗い照明に切り替わった。
メカニックたちはすでにエアロックの外に避難している。
緊張と不安が続く。やがて、衝撃がまばらになってきた。ようやくもっとも危険な海域を抜けたようだ。
時計を見ると、ジェシカが言ったとおり、三分ほどで危険海域を抜けたようだ。その三分がおそろしく長く感じられた。
やがて、艦橋からそれぞれのヒュームスのモニターに、作業の細かい指示が送られた。最大の問題は、通信用のアンテナをやられたことだった。
早急に修理をしなければ、地球からの指令も届かないし、艦隊内での連絡もできない。ヒュームス・デッキに、必要な機材と用具が運び出される。
まず、空間エアフォースの要撃部隊が、出撃して哨戒任務に当たる。空間エアフォースは、ほとんど艦隊と同じ速度で等速度運動をして周囲を警戒することになっている。
つまり、各艦から見ると止まっているように見えるということだ。
続いてヒュームスに出撃命令が出た。カーターは、小隊のみんなに呼びかけた。
「出るぞ、モニターに表示されるマニュアルどおりやればいいだけのことだ」
「チーム・イエロー、了解」
ロン・カウボーイ・シルバーの声がする。
「チーム・レッド、了解」
そうこたえたのは、カズ・オオトリだ。
カーターは、真っ先に宇宙の海にダイブした。腕と脚を使ったモーメンタル・コントロールで姿勢を制御する。すぐに、リーナのギガースが出てきた。
ギガースは、脚や腕の代わりに、メインスラスター脇にある翼のようなものを動かして姿勢制御している。
次に出てきたのは、ホセ・オルティスのクロノス改だった。
続いて、チーム・イエローの突撃艇、さらにチーム・レッドの突撃艇が出撃した。
空間エアフォースは、きちんと編隊を組んで軌道内を等速度運動している。
カーターたちは、それぞれに作業を開始した。通信用のアンテナを修理するのは、チーム・レッドの役割だ。もともと、テュールは最も作業用のパワードスーツに近いので、細かな作業に向いている。
チーム・グリーンとチーム・イエローは機動力を活かして、船体の損傷箇所をチェックし、修理していく。
さすがに、史上最も頑丈な宇宙船といわれるニューヨーク級強襲母艦だけあって、アトランティスの外壁はところどころ傷んでいたものの、航行に支障をきたすほどの損傷はなかった。
エリオット作戦司令やクリーゲル艦長が言ったとおりだった。
クロノスの作戦行動時間は三十分だが、戦闘時のように飛び回るわけではないので、一時間ほどの作業が可能だ。生命維持装置も、ただ宇宙空間にいるだけなら、二時間以上は稼働し続ける。
修理は順調に進んでいた。
「あっ……」
突然、無線から叫び声が聞こえてきた。カーターは何事かと、周囲を見回した。
クロノスが艦からかなりの速度で離れていくのが見えた。
「何が起きた」
カーターは呼びかけた。
「アランの機体だ」
チーム・イエローのリュウ・シャオロンの声が聞こえた。「石ころにやられた。真横から来た石をまともに食らった」
おそらく、石ころというからには、それほど大きなものではないはずだ。しかし、すさまじい速度で襲いかかってくるので、かなりのエネルギーを持っている。
「アラン、姿勢を制御しろ」
カーターは無線で呼びかけた。
「やってますよ」
アランの声は、思ったより落ち着いていた。「しかし、クロノスの推力では戻れないかもしれない」
クロノスのスラスターから白色のガスが見える。たしかに推力が不足しているように見える。
「あたしが行きます」
リーナの声が聞こえた。「ギガースなら……」
カーターが何か言う前に、ギガースが巨大なメインスラスターを噴かして加速した。その加速はいつ見ても心臓に悪い。
「ホセ、俺たちも行くぞ」
カーターは言った。「クロノス改の推力ならなんとかなるかもしれない」
「了解」
二機のクロノス改が、ギガースの後を追った。
アランのクロノスは、ようやく姿勢を制御できたところだった。アトランティスに向けてスラスターを噴かしているが、充分な加速が得られないようだ。
むなしく虚空にガスを噴出している。その間も、アランのクロノスはどんどん軌道と別の方向に向かっていく。
ギガースがそれに向かって飛んでいく。
突然、コクピット内の照明が赤に変わり、警報が鳴りだした。
「くそっ」
カーターは思わず毒づいていた。
クロノス改のムーサが、軌道離脱を防ぐためのプログラムを実行させたのだ。操縦系統がすべて自動的に軌道を離脱しない方策を最優先で選択する。
自動的にマイナスの加速がかけられた。機体が押し戻される感じだ。
「制御プログラムを解除するぞ」
カーターは言った。決められた文字列を打ち込めば、ムーサの軌道離脱回避プログラムは解除できる。
「それは危険です」
ホセの声が聞こえる。「俺たちも軌道を逸脱する恐れがあります」
「だが、リーナはやっている」
ギガースのムーサも同様のプログラムを実行させたはずだ。だが、ギガースは動きを止めずに一直線にアランのクロノスに向かっている。
おそらく、リーナならば文字列を打ち込んだりせずにそのプログラムを停止できるのだろう。サイバーテレパスは、ムーサと直接コンタクトできるのだ。
「プログラムを停止することは許可できない」
エリオット作戦司令の声が聞こえた。艦橋で小隊同士の通信を聞いていたのだ。
カーターは言った。
「しかし、このままではアランが……」
「手は打った」
カーターは、押し黙った。
手を打った……。いったい、アトランティスの艦橋にいて、どんな手を打てるというのか……。
アトランティスのヒュームスデッキから何かが飛び出してくるのが見えた。
それは、リーナのギガースと同様に、迷わず一直線にアランのクロノスに向かっている。
カーターは仰天した。
「トリフネ……」
間違いなく、アトランティスから出撃したのは、リーナが捕獲したトリフネだった。
カーターは混乱した。
いったい、どういうことだ。誰がトリフネを操縦しているのだ。
無線で聞き慣れない声が聞こえてきた。
「これから、当機のレスキュー・プログラムを実行する。ついては、空軍の協力が必要だ。一機、志願してほしい」
おそらく、トリフネのパイロットだ。無線をアトランティス搭載機の周波数に合わせたのだ。
即座に返事があった。
「私が行く。どうすればいい?」
オージェの声だった。
「戦闘機の推力が必要です。ついてきてください」
「了解だ」
何が始まるのだ。
カーターは、軌道内で等速度運動を続けたままその様子を見守るしかなかった。
「トリフネ、指示をください」
リーナの声が聞こえた。
「我々は、マニュピレーターで遭難機を捕獲し、空軍機にしがみつく」
「了解」
ギガースがようやくアランのクロノスをつかまえた。
トリフネのパイロットが言った。
「双方の火線を合わせて、スラスターを最大出力で噴かせ。方向は、アトランティスとアトランティスの進行方向の中間だ」
ギガースは、クロノスを捕まえたまま姿勢を制御してトリフネのパイロットが言ったとおりに、スラスターを噴かした。
クロノスとギガースは、外へ外へと流されていたが、それが止まった。
そこにトリフネがたどり着く。トリフネはマニュピレーターを展開した。片方でアランのクロノスをしっかりと捕まえた。
オージェのツィクロンが接近する。トリフネパイロットの指示が聞こえた。
「ギガースも片手でクロノスを保持して、もう片方の手で空軍機を捕まえてくれ。すべての推力を先ほど指示した方向に合わせる。二秒後に全開だ」
「了解」
リーナの声がこたえる。
ひとかたまりになった四機のマシーンがメインスラスターを噴かした。
彼らは確実にアトランティスとその軌道の方向に戻り始めた。最初はゆっくりだったが、次第に速度を増してきた。
再びトリフネのパイロットの声が聞こえる。
「あとはトリフネだけでだいじょうぶだ。ギガースと空軍機は所定の作業に戻ってくれ」
トリフネは、クロノスを保持したままアトランティスに帰還した。
しばらくして、エリオット作戦司令の声が聞こえてきた。
「ヒュームス小隊と空間エアフォース機は、作業を再開しろ。以上」
訊きたいことは山ほどあった。だが、カーターたちは、エリオットの指示に従うしかなかった。
10
アトランティス
メインベルトから木星圏への惑星間軌道上
修理の作業を終えてデッキに帰還した海兵隊員たちの間に、戸惑いと苛立ちが募っていた。カーターは、それをはっきりと感じ取っていた。
カーター自身もそうだった。海兵隊の任務は、破損したアンテナなどの修理だ。その任務を最優先しなければならなかった。
だが、作業の間、カーターはずっとトリフネのことを考えていた。当然だ。
誰がトリフネに乗っていたのだ……。
リーナによって捕らえられた捕虜しか考えられない。では、捕虜にアランの救助をやらせたことになる。
エリオット作戦司令がそんなことをするとは、とうてい考えられなかった。
海兵隊のみんなも同じようなことを考えているのは明らかだった。このまま、何の説明もないまま木星圏まで旅を続けるのは納得できない。
カーターは、小隊の責任者だ。隊員たちが不満や不安をかかえているのなら、それを解決するよう努力する義務がある。
危険な海域を抜けたアトランティスは、再び居住区を回転させて重力を生み出していた。カーターは、ガンルームに行き、オージェの姿を探した。すぐに見つかった。
オージェもカーターと話したがっている様子だった。
いつものように、他の隊員から離れた場所で二人きりで話を始めた。
「アランを助けてくれて礼を言う」
「私は、あのトリフネの指示に従っただけだ」
オージェは、いつもと変わらず落ち着いているように見えたが、カーターと同じく疑問を感じていることが肌で感じられた。
「トリフネのことが気になるのだろう」
「当然だ。あれは敵の機動兵器だ。いったい、誰が乗っていたんだ?」
「捕虜しか考えられないだろう」
「海軍というのは、信じられないことをするものだ。捕虜に人命救助を命ずるのか?」
「海軍だってそんなことはしない。いや、どこの軍隊だってあり得ないことだ」
「だが、トリフネが君の部下を救助しに出てきたことは事実だ。それを命じたのは作戦司令のエリオットだろう?」
「そうだろうな……」
「じゃあ、あり得ないことが起こったんだ」
「海兵隊の連中は、どういうことなのか理解できずに苛立っている」
「我々はなおさらだよ。海軍のやり方に慣れていない上に、あんなことが起きたのだからな」
「あんたの意見を聞きに来たんだがな……。このままじゃ、隊員の士気に関わる」
「私に何ができるというんだ」
「エリオット作戦司令とクリーゲル艦長に質問に行く」
「越権行為だな。独房入りすることになるぞ」
「空軍のみんなだって、ことの真相を知りたいと思っているんだろう?」
「もちろん、そうだ」
「ならば、隊長の俺たちが何とかしなければ……。だいたい、捕虜の扱いがおかしかった。まるで伝染病患者を隔離するように、俺たちから遠ざけていた」
「実際にそうなのかもしれない。私は、木星圏の実情を知らない。妙な病原菌に汚染されているということも考えられる。検疫上の措置なのかもしれない」
「病人が機動兵器のパイロットになれると思うか?」
オージェは、ちょっと考えてからこたえた。
「それは考えにくいな。失言だった」
「俺たちがエリオット作戦司令に直接訊きに行くしかないと思う」
オージェは、また思案顔になった。しばらくしてから言った。
「まあ、腹をくくるしかないか……」
「あんたでも、怖いものがあるようだな」
オージェはかすかにほほえんだ。
「上官は怖いよ。特に、ロシアの伝統を持つ空軍の上官は怖い」
「それに比べりゃ、きっとエリオット作戦司令は楽なもんだよ」
艦橋に行くと、エリオット作戦司令が言った。
「何事だ? 出頭しろと言った覚えはないぞ」
カーターは気をつけをして、正面を向いたまま言った。
「質問があって参りました」
隣で、オージェも同じく気をつけをしている。
「質問……?」
エリオットが言った。「何だ?」
「トリフネと捕虜のことについてです」
「そんな質問をする権利は、君たちにはない」
「アラン・ド・ミリュウは、自分の部下です。その身に起こったことですから……」
「独房に入りたいらしいな」
「それも覚悟の上です」
カーターは、正面を見たまま言った。「トリフネと捕虜を捕らえたのも、自分の部下であるリーナ・ショーン・ミズキ少尉です。捕虜についての憶測が飛び交い、小隊の隊員たちは浮き足だっています」
「言いたいことはそれだけか?」
エリオットの声は冷たかった。
やはり、直談判は無理だったか。
カーターは、思った。
だが、カーターや海兵隊員、空間エアフォース要撃部隊の隊員たちの気持ちはある程度伝わったはずだ。独房に入れられたとしても、やっただけの価値はあるはずだ。
「いつの時代も、船というのは、やっかいなものだな……」
クリーゲル艦長の声がした。艦長席から正面のモニターを眺めているようだった。
エリオットが艦長のほうを見た。艦長はゆっくりとハーネスを外して艦長席から浮かび上がった。
ふわりと着地する。さすがに艦内生活になれている身のこなしだ。
カーターはいっそう緊張した。艦長がカーターたちの処分を決定するのだと思った。
「アラン・ド・ミリュウ少尉の救助を、トリフネとそのパイロットにやらせたのは、私だ」
カーターは、気をつけのまま艦長の言葉を聞いていた。
「トリフネは、これまでも何度か戦場で味方を救助している。カーター、君自身もミズキ少尉とともに救助されたことがあったな?」
「はい。そのとおりです」
「残念ながら、その方面の能力とノウハウの蓄積において、わが地球連合艦隊は、ヤマタイ国に大きく後れをとっていると言わねばならない」
そのとおりだと、カーターは思った。
ジュピタリアンは、宇宙の海をよく知っている。カーターたち海兵隊も、宇宙での訓練を繰り返し、地球連合軍の中ではエキスパートだといわれている。
だが、何かが決定的に違う気がした。
クリーゲル艦長の言葉が続いた。
「何度かヤマタイ国との戦いを繰り返し、不思議なことに気づいた。我々は、戦闘時の被害をある程度仕方のないものと諦めている。軍人というのは戦場で死ぬものだと考えている。だが、ヤマタイ国軍では、ちょっと違うようだ。彼らは、戦闘時でも人命救助を行う。我々は、戦闘時には、敵を叩くことを最優先する。そうでなければ自分がやられると考えるからだ。だが、ヤマタイ国軍では、戦闘時でも人命救助を優先するように見える」
そうだ。ジュピタリアンとの戦いにおける違和感の理由はそこにあるのかもしれない。
カーターは、もう一つ気づいたことがあった。クリーゲル艦長は、敵のことを「ヤマタイ国」と呼んでいる。これまでは、ジュピタリアンとか木星圏という言い方をしていた。
「ヤマタイ国」と呼ぶことで、公式に敵の独立を認めたことになるからだ。
どうして、クリーゲル艦長が、敵の呼び方を変えたのか。その理由が知りたかった。
「楽にしなさい。これから、捕虜のことを説明しよう。随時質問を許可する」
カーターとオージェは休めの姿勢になった。
「君は、戦場で死んだはずのサム・ボーン少尉に再会したと言ったね。ボーン少尉が、トリフネに乗っていたと、君が報告したことがある」
「はい。しかし、あれは敵の心理攪乱作戦だったかもしれません」
「報告を受けた当初は、私もそうかもしれないと思っていた。だが、今では本当にボーン少尉だっただろうと考えている」
カーターは、眉をひそめた。
「今回、海兵隊が捕らえた捕虜を尋問した結果、それを信じる根拠を得たように思った」
カーターは、思わずオージェと顔を見合わせそうになった。辛うじて正面を向いていた。
クリーゲル艦長は、たっぷりと間を取ってから言った。
「これから話す内容については、ごく限られた者しか知らない。我々は戦闘のために木星圏に向かっている。捕虜の正体を全員に明かすと、中には戦闘自体に疑問を抱く者が出はじめる恐れがあると、私は判断したのだ」
戦闘自体に疑問を抱く……。
そんなことがあるだろうか。
「どんなことがあっても、海兵隊員は戦闘に疑問を抱いたりはしません」
カーターはきっぱりと言った。
「その点については、空間エアフォースの要撃部隊も同様です」
オージェも、クリーゲル艦長の言葉が心外だったようだ。
艦長はうなずいてから言った。
「敵が単なる敵だったら、誰でもそう言うだろう。だが、考えてみてくれ。君は戦場でサム・ボーン少尉と出会った。ボーン少尉は敵の機動兵器であるトリフネに乗っていた。それを知った後、何を考えた?」
艦長は何を質問しているのだろう。
どういうこたえを期待しているのだろう。
それがわからないから、カーターはあのとき感じたことをありのままに話そうとした。
「トリフネと遭遇するたびに、そのどれかにサムが乗っているのではないかと思い、不安になりました」
「つまり、戦いに集中できなかったということだな?」
「いえ、それは……」
言い訳をしようとしたが、それが無駄なことはわかりきっていた。相手が悪い。
「はい。たしかに迷いがありました」
「さきほどの発言と矛盾している。君はどんなことがあっても、海兵隊員は戦闘に疑問を抱いたりはしないと言った。だが、実際、君はサム・ボーン少尉の件で、戦場で迷いが生じたのだろう」
「あれは特別な出来事です。死んだと思った仲間が敵の機動兵器に乗って戦場にいたのです」
「もはや、それが特別な出来事とは言えないのだ」
カーターは、眉をひそめてクリーゲル艦長の次の言葉を待った。
「ミズキ少尉が捕らえたトリフネに乗っていた捕虜は、巡洋艦ロングビーチの乗組員だった」
カーターは、何を言われたのかわからず、ぽかんとしていた。
ロングビーチ……。
その名を何度か頭の中で繰り返した。そして、思わず、あっと声を上げそうになった。
ロングビーチというのは、巡洋艦ホー・チ・ミンとともにメインベルトの偵察任務中に消息を絶った艦だ。敵の襲撃に遭って沈められたと推測されていた。
いずれにしろ、消息を絶ってからすでに長い月日が過ぎている。乗組員は全員死亡とみられていた。宇宙の海というのはそういうところだ。地球の海と違って、どこかに漂着したり、他の艦船に拾われて命が助かるということはあり得ない。
宇宙に放り出されたら瞬時に死ぬ。宇宙服を着ていたり、機動兵器に乗っていたとしても、生命維持装置が切れたら死ぬしかないのだ。
沈んだはずのロングビーチの乗組員が、トリフネに乗っていた。まるで、死んだと思われていたサム・ボーン少尉のように……。
「まさか……」
「だから私は、そのことを秘匿するために、乗組員を近づけないようにした。捕虜がロングビーチの乗組員だったことを、海兵隊員や空軍の要撃部隊員が知ったら、戦闘時に影響が出るのは明らかだ。君自身もサム・ボーン少尉の件でそのことを認めている」
たしかに、クリーゲル艦長の言うとおりだ。それを、海兵隊の連中が知ったら、トリフネを攻撃することにためらいを覚えるかもしれない。
しかし、本当の話なのだろうか。
カーターには信じられなかった。ロングビーチとホー・チ・ミンが消息を絶ったのは、火星上空の戦いの前だ。すでに、一年以上も前のことだ。
その間、捕虜になったロングビーチの元乗組員は、木星圏で生き延びていたことになる。その間にジュピタリアンに寝返ったということか……。
サム・ボーンもそうだった。サムは、筋金入りの海兵隊員だった。カーターとともにチーム・グリーンの一員として訓練を積んだ。
それが敵に寝返るとはとても信じられなかった。だが、実際にサムはトリフネに乗っていた。
クリーゲル艦長が言った。
「部下の混乱を避けるために、私は捕虜について厳しく秘匿することに決めた。だが、君たちには話しておいたほうがいいだろう。すべてを話した後で、君たちの判断を聞こうと思う」
カーターは、質問に来たことを少しばかり後悔していた。知らずにいたほうがいいことが、この世の中にはたくさんある。そんなことを思っていた。
「捕虜になったロングビーチの元乗組員の名は、トーマス・パーカー。さきほども言ったが、ヒュームス・ドライバーだ。ロングビーチではテュールに乗っていた」
「トーマス・パーカー……」
カーターは思わずつぶやいていた。
「知っているかね?」
「はい。士官学校で一級下でした。ヒュームス・ドライバーの訓練をいっしょに受けたことがあります」
無線から彼の声が聞こえたとき、咄嗟に聞き慣れない声だと思ってしまった。カーターの小隊の隊員ではなかったからだ。
今思うと、たしかにトーマス・パーカーの声だったような気がする。
「パーカーの話によると、ロングビーチとホー・チ・ミンは、偵察任務中に敵と遭遇した。火星からメインベルトに延びる長楕円軌道に乗っていたロングビーチとホー・チ・ミンに対して、敵は軌道交差戦を挑んできたということだ。我々が史上初めて軌道交差戦を経験したわずか一ヵ月後のことだ。その戦いでロングビーチもホー・チ・ミンもかなりの被害を受けた。ロングビーチは機関をやられ、永遠に楕円軌道を回り続けなければならないような状態だったし、ホー・チ・ミンも火星上空のベース・バースームにはとてもたどり着けない状態だった。艦内は絶望的な雰囲気になったということだ」
それは想像が付く。
推力を失った船は、軌道上の隕石と同じだ。救助用の艦船をランデブーさせなければならないが、おそらくそれまでロングビーチもホー・チ・ミンももたなかったに違いない。
ならば、どうしてパーカーは生きていたのだろう。
「そんな状態の両艦に、敵のミラーシップがランデブーを試みたのだという。当初は信じられなかった。長楕円軌道上にいるロングビーチとホー・チ・ミンに、別の軌道から近づくことなど不可能に思えた。だが、ローランド博士によると、マグ・ビームの設備があれば、不可能ではないということだ」
それまで、じっと話を聞いていたオージェが尋ねた。
「それで、ミラーシップは、何を目的としてランデブーをしたのですか? とどめを刺しに来たわけですか?」
「想像を絶することが起きたそうだ。ミラーシップは、巡洋艦二隻の乗組員全員を救助したのだそうだ」
「救助……」
オージェは驚きのつぶやきを洩らした。カーターも同様の気持ちだった。
クリーゲル艦長の言葉が続く。
「マグ・ビームがあったとしても、惑星間航行の軌道を修正するのは至難の技だろう。ミラーシップはそれをやってのけ、なおかつ、ロングビーチとホー・チ・ミンとのランデブーに成功した。そして、トリフネとボートを使い、乗組員を全員ミラーシップに収容した。地球連合軍の乗組員たちは、当初は全員捕虜にされたのだと思ったそうだ。だが、そうではなかった。木星圏に帰還すると、乗組員たちは、手厚く保護された。そして、全員がヤマタイ国の指導者であるヒミカに謁見《えっけん》したのだという。そこで、『絶対人間主義』について聞かされた」
オージェが尋ねた。
「洗脳されたのですか?」
「パーカーの話を聞く限り、洗脳ではなかったようだ」
「洗脳というのは、巧妙になればなるほど、本人はそうとは感じないものです」
エリオット作戦司令がオージェに言った。
「ロシア人は、そういうことに詳しいのだろうな」
オージェは、臆面もなくこたえた。
「はい。ソビエト連邦の時代に、おおいに研究が進みましたから」
エリオット作戦司令は、それ以上何も言わなかった。
クリーゲル艦長の説明が続いた。
「ヤマタイ国軍に入ることも強要されたわけではない。希望者だけが、ヤマタイ国軍に入隊したのだという。だが、保護されたほとんどが入隊を希望したという。彼らは、ヤマタイ国軍がもともと地球連合軍の木星方面隊だったことを知ったのだ」
カーターはまた驚いた。
木星方面隊が消滅したという話は、もちろん知っていた。軍隊が消滅するはずはない。もし、消滅をしたのなら、何かに姿を変えたと考えるのが自然だろう。それがジュピタリアンの軍隊だったのだ。
納得できない話ではない。だが、今までそんなことを考えたことはなかった。
おそらくオージェも同様だろうと思った。
オージェが質問した。
「ロングビーチとホー・チ・ミンの乗組員たちは、拘禁されていたわけではないのですね?」
「拘束されてはいなかった。だが、木星圏の生活の場は限られており、そこから抜け出すということは死を意味していた。木星圏に住む人々は、すべてゆるやかな拘禁状態にあると考えることもできる」
「乗組員たちは、地球に帰ることを要求しなかったのですか?」
「それは、不可能だろう。ヤマタイ国の艦船が地球に近づけば、必ず戦闘になる。彼らは、この戦争が終わるまで木星圏に残ることを覚悟したそうだ」
カーターは不思議に思った。
戦争が終わったら地球に戻るということだ。ならば、どうしてジュピタリアンと共に戦うことを決意したのだろう。
そのとき、カーターは、トリフネに乗ったサムが言ったことを思い出した。
「この戦いは間違っている」
サムはそう言った。
戦いの最中に言うことではない。それ以前に、軍人の言葉とも思えない。
だが、あのときのサムの口調は切実だった。何かを訴えようとしていたようだ。
木星圏に保護された地球連合軍の将兵たちの多くがジュピタリアンの軍隊に入隊したという。そのことと、サムの言葉が何か関係あるのだろうか。
カーターは、そんなことを考えていた。
「さて、私は、捕虜についての真実を語った」
クリーゲル艦長が言った。「あとは、君たちの判断を聞きたい。パーカーの件を、海兵隊員たちと、空軍の連中に話すべきだと思うかね?」
こんな難しい判断を迫られるとは思ってもいなかった。カーターは、こたえられずにいた。
オージェが言った。
「パーカーという人物と直接話をさせてもらえませんか? でないと、判断はつきかねます」
なるほど、とカーターは思った。さすがにオージェだ。これで、しばらく考える時間ができた。
クリーゲル艦長とエリオット作戦司令が顔を見合った。エリオットがかすかにうなずいた。
艦長が言った。
「いいだろう。パーカーに会わせよう」
11
アトランティス
メインベルトから木星圏への惑星間軌道上
トーマス・パーカーは、居住区の最深部の独居房にいた。
エリオットの後に続き、カーターとオージェはそこに向かったが、到着するまで誰も口を開かなかった。
独居房のドアの前には、見張りの海軍兵士が立っていた。その兵士はエリオットを見ると、気をつけをして敬礼した。
「ドアを開けろ」
エリオットが兵士に命じる。
ドアが開くと、ベッドに腰かけている男が見えた。彼はすぐに立ち上がった。ひげをたくわえているせいで、すぐにパーカーかどうか、カーターにはわからなかった。
士官学校時代には当然ながらひげなど生やしてはいなかった。
「トーマス・パーカー」
エリオットが呼びかけた。「ヒュームス小隊のエドワード・カーター大尉と、空間エアフォース要撃部隊のオージェ・ナザーロフ大尉だ。カーター大尉のことは知っているそうだな?」
パーカーがこたえた。
「知っています」
それから彼は、カーターに視線を向けた。「しばらくぶりですね」
その声は、間違いなくパーカーのものだと思った。そして、見慣れると、ひげ面でもパーカーだとわかった。
それからパーカーは、エリオットに視線をもどして言った。
「今は、トーマス・パーカーではなく、シシヒコと呼ばれています」
自らヤマタイ国軍の兵士だと言明しているのだ。
カーターは、衝撃を受けていた。たった一年ほどの間に、いったい何があったというのだろう。
エリオットがパーカーに言った。
「シシヒコ、この二人が君と直接話をしたいと言っている」
「はい」
エリオットは、カーターとオージェを見た。
「質問を許可する」
カーターは、まず何を尋ねていいのかわからずにいた。オージェが言った。
「貴官が、地球連合軍の巡洋艦ロングビーチの乗組員だったというのは本当のことなのか?」
「本当です」
「ロングビーチとホー・チ・ミンは、敵の攻撃を受けて大破し、その後、ミラーシップに全員救助されたという話を聞いた。それも事実か?」
「事実です。ミラーシップというのは地球連合軍の呼び方で、我々はカガミブネと呼んでいます。そして、我々を救助してくれた」
「納得がいかないな。救助するくらいなら、なぜ攻撃を仕掛けたのだ?」
「偵察任務についていたロングビーチとホー・チ・ミンが、ヤマタイ国の重要施設があるイキに近づく軌道上にいたため、ワダツミ級カガミブネのウミサチが、軌道交差戦を挑みました」
「イキ……?」
「地球連合がケレスと呼んでいる小惑星です」
「では、その重要施設というのは、先日我々が破壊したマグ・ビームのことだな?」
「そうです」
「その戦闘行為自体は理解できる。マグ・ビームの施設を知られないための作戦だ。だが、理解できないのは、その後のジュピタリアンの行動だ。巡洋艦の乗組員の救助だ。それは、戦争では考えられないことだ。我々は、互いに敵を倒すために戦っている」
「作戦の目的は、イキの施設を地球連合軍に知られないことでした。敵を殲滅することではありません。つまり、目的は達せられたのです」
「捕虜にするというのならわかる。だが、そうではなかったと聞いている」
「捕虜という扱いではありませんでした。我々の行動の自由は保証されていました」
「行動の自由と言っても……」
カーターは言った。「木星圏で自由に行動できる場所なんて、限られているだろう。それに当然監視もついていたはずだ。緩やかだが、拘禁状態と同じことだったのではないか?」
「いいえ。拘禁状態ではありません。ヤマタイ国軍の人々は、我々を同等に扱ってくれました」
「そう思わされていただけじゃないのか?」
「そんなことはありません」
オージェが尋ねた。
「指導者のヒミカに謁見を許されたということだが……?」
「はい。我々全員が拝謁《はいえつ》いたしました」
「そのとき、何を言われたのだ?」
「ヒミカ様は、何もおっしゃいませんでした。ただ、慈しみ深く我々をご覧になっただけです」
「洗脳されたのではないのか?」
オージェは尋ねた。「ヒミカというのは、超能力者だという噂もある」
「洗脳などされてはいません」
「では、どうして敵に寝返った? 助けられたことに恩義を感じてのことか? ならば、それも敵の作戦のうちだとは思わなかったのか?」
「ヒミカ様が我々をお救いになったのは、恩を売るためなどではありません」
「では、なぜだ? なぜ敵を救助した? 大破したロングビーチとホー・チ・ミンとのランデブーはたいへん難しかったそうじゃないか。そんな苦労をしてまで、なぜ、救助したのだ?」
「それは、『絶対人間主義』を理解しない限り、ヒミカ様の行動を理解することはできないでしょう」
「『絶対人間主義』……? それは、ヤマタイ国の宗教的なイデオロギーだろう。やはり、君たちは洗脳されているのだ」
パーカーは、オージェのこの言葉に、きっぱりとかぶりを振った。
「宗教ではありません。それは、ヤマタイ国の理念です」
「だが、君たちはそれにあっさりと影響されてしまった。そうなれば、理念であろうが宗教であろうがたいして変わりはない。かつて、わが祖国は社会主義という幻想に取り憑《つ》かれたことがあった。若者たちに、社会主義や共産主義が、ある種の興奮をもたらした時代があったという。『絶対人間主義』というのは、そのようなものなのではないのか?」
「木星で、一年も暮らせば、いかに『絶対人間主義』が必要なものか、身に染みてわかるのです。そして、それは木星のみならず、火星や月といった本来人類が住めない環境で暮らす人々にとって、おおいに救いになるのです」
カーターは、不安を覚えながら尋ねた。
「その『絶対人間主義』というのは、いったいどういう思想なんだ?」
「宇宙に存在する資源の中で、最も大切なのは、人間だという思想です」
カーターは、意外に思い、言った。
「それくらいのことは、地球でも昔から言われていた」
「そうではないのです。地球では、それはお題目に過ぎません。実際に、長い歴史の中で絶えず殺し合いが行われてきました。それは、人類が生態系を無視して増え続けていったことにも原因があるのです。そして、地球圏では平均寿命もどんどん伸びていきました。地球という器から人類がはみ出してしまっていたのです。しかし、木星圏では違います。生きていくことがたいへんな世界なのです。何もしなくても、人が死んでいく。人の命の重さが地球とはぜんぜん違うのです。そして、ヤマタイ国において、『絶対人間主義』は、単なる思想ではありません。実践することが何より重要なのです」
「つまり、こういうことか?」
オージェが尋ねた。「ミラーシップは、『絶対人間主義』を実践するために、君たちを救助したというのか?」
「そういうことです」
「矛盾している。独立戦争をしかけてきたのは、ジュピタリアンのほうだ」
「地球連合政府の支配下にあっては、もはや木星圏はもたなくなっているのです」
「もたなくなっている……?」
「地球に住む人々は、木星圏の現実を知りません。環境を改善していかなければ、木星圏の人口は減少する一方なのです。木星圏には、独立した行政と独立した経済活動が必要なのです」
「戦争以外にも選択肢はあったと思うが……」
「ヤマタイ国は、それ以外を選択できないほどに追い詰められていたのです」
「いや、やはり矛盾している」
カーターは言った。「戦争は、どう考えても『絶対人間主義』に反しているだろう」
「エリオット作戦司令は、すでにお気づきのことと思います。地球上の戦争に比べ、この戦争は、奇跡と言えるほど将兵の犠牲が少ないのです」
カーターとオージェは、エリオット作戦司令の顔を見た。エリオット作戦司令の表情はまったく変わらなかった。
「それは、宇宙の海があまりに広く、両陣営の作戦行動に時間がかかるからだと解釈している。つまり、地球上の戦争と違って、両陣営が接触する機会が少ないのだ」
「それだけではありません」
パーカーは言った。「ヤマタイ国は、人的な被害が最小限になるように作戦を立てます」
「ばかな……」
カーターは思わず語気を強めていた。「最初のカリスト沖海戦で、ザオウが沈んだ。ザオウには少なくとも二百人以上の乗組員がいたんだ」
「ザオウの乗組員もほとんどが救助されています。彼らの多くもヤマタイ国軍に参加しているのです」
カーターは、思わず口をぽかんと開けてパーカーを見つめていた。
「そうなんです」
パーカーが言った。「ヤマタイ国は、開戦時から、戦争を続けながら『絶対人間主義』を実践しているのです」
「だが、火星上空の戦いのときは、双方に甚大な被害が出た」
オージェが言った。「巡洋艦クラスのミラーシップが、火星のマスドライバー施設にカミカゼ・アタックをかけたのだ。ミラーシップの乗組員全員と、マスドライバー施設の職員らが犠牲になった」
「サマリアは、すでに沈みつつあったのです。火星の引力に引かれていました。いかにヤマタイ国の技術をもってしても救助は不可能だったと報告されています。サマリアの乗組員は、戦いを一日も早く終わらせるために、カミカゼ・アタックを選択したのです。彼らが死ぬことは明らかでした。だから、無駄死にをしないことを選択したのです。自ら死を選んだわけではありません。それに、マスドライバー施設には、すぐに避難命令が出されたので、犠牲は数人程度だったと聞いています」
たしかにパーカーの言うとおりだった。
だが、カーターはどうもすっきりしなかった。『絶対人間主義』が実感できないのだ。だから、パーカーの言うことが納得できない。
カーターは尋ねた。
「サム・ボーンを知っているか?」
「知っています。彼もヤマタイ国軍に救助されました」
「サムのクロノスは、戦闘中に軌道を逸れ、宇宙の果てに消えて行った。誰も救助などできたはずがない」
「ヤマタイ国ならそれができるのです。ヤマタイ国軍は、戦いの技術よりも人命救助の技術に長けているのです」
「戦いの技術よりも、人命救助の技術に長けている……?」
「そうです。木星圏では戦争よりも、日々の生活や宇宙旅行のほうがずっと危険に満ちているのです」
カーターは、木星圏での生活を想像してみた。木星圏の経験は、カリスト沖の戦いしかない。
そこで生活したわけではないのだ。おそらく、それはパーカーの言うとおり、生きていくこと自体が戦いという世界なのだろう。
「サムもトリフネに乗っているのだな?」
「そうです。トリフネは、地球連合軍のヒュームスと空軍の戦闘機というまったく違う系統の技術を統合させたレスキューのための装備でした。もともと地球連合軍の技術が元になっているので、自分らはすぐに操縦に慣れることができました」
カーターは、サムが火星上空の戦いのときに、戦場で訴えていたことを考え直してみた。
「この戦いに意味はない」
サムはそう言った。
では、どんな戦いなら意味があるというのだ。カーターは、妙な苛立ちを覚えていた。
「そろそろいいだろう」
エリオット作戦司令が言った。「これ以上話をしていると、こちらの情報が捕虜に伝わる恐れがある」
カーターとオージェは質問を切り上げて部屋を出た。エリオット作戦司令は、ドアの電子ロックを確認してから言った。
「二人には、艦橋に来てもらう」
エリオット作戦司令は、カーターとオージェを、艦橋ではなくクリーゲル艦長の部屋に連れて行った。そこで、再びクリーゲル艦長を前に気をつけをしていた。
「楽にしろ。私の部屋に来たときはくつろいでほしい」
艦長に言われて、休めの姿勢になる。先ほどの繰り返しで、カーターは一瞬、デジャヴを起こしたかと思った。
「さて、直接捕虜と話をしてもらったわけだが……」
艦長が言った。「君たちの判断を聞かせてもらいたい。捕虜の件は、君たちの小隊の隊員たちに話すべきかどうか……」
「自分たちが判断するには問題が大きすぎると思います」
オージェが言った。「司令部の判断が必要でしょう」
「そうだな」
クリーゲル艦長は言った。「戦争というのはそういうものだ。将兵はすべて司令部の判断に従わなければならない。もちろん、意見書を添付した報告書を送信するつもりだ」
「司令部の命令に従えばいいと思います」
「普通の戦争なら、私もそうすべきだと思うよ」
「これが普通の戦争ではないと……?」
「地球上の戦争ならば、経験が蓄積されている。戦術も戦略もすべて司令部に任せるべきだ。だが、本格的な宇宙での戦争というのは、人類にとって初めての体験なのだ。経験の蓄積がない。司令部でも戦場のすべてを把握できるわけではない。だから、戦場にいる者の判断が重要なのだ」
オージェは、何か言いたそうにしていたが、これ以上の反論は許されないと思ったのか、黙っていた。
何が言いたいのか、カーターにはだいたい想像がついた。
クリーゲル艦長が言ったとおり、宇宙の戦争というのは、人類にとって初めての体験だ。だが、戦争なのだ。前線にいる者の判断だけで物事を決定できるはずがない。
それでは軍隊自体が成り立たない。
前線の部隊は、チェスの駒に過ぎない。カーターはそう思っていた。司令部の方針に従い、命令を全力で遂行する。それが任務というものだ。
クリーゲル艦長が言った。
「地球の海の艦隊では、艦長の上に艦隊司令がいる。だが、宇宙の艦隊ではそうではない。それぞれの艦の艦長の下に作戦司令がいる。宇宙の海の艦隊というのは、地球の海における艦隊とはまったく意味が違うからだ。宇宙で艦隊を組むのは、かつて惑星探査機を飛ばすときに、必ず同じ機体を二機飛ばしたのと同じ意味合いだ。つまり、バックアップなのだ。それは艦が単独で行動できることが前提になっている」
そのくらいのことは知っているつもりだった。だが、カーターは、それを深く考えたことはなかった。
艦が単独で作戦を遂行する可能性。それは、艦単位で、さまざまな判断を下していかなければならないということなのだろうか……。
「司令部に提出する報告書には、私の意見書を付けると言った。その意見書のために、君たちの判断を参考にしたい」
「隊員に事実を伝える必要はないと思います」
オージェは言った。「戦場に出たら、一機でも多くの敵を落とし、一隻でも多くの戦艦を沈める。それを徹底すればいいだけのことです」
「君たちがここに質問に来たのはなぜだ? 隊員たちが浮き足立っているからではないのか? 事実を伝えないまま、それを抑えられるかね?」
オージェはしばらく考えてから言った。
「抑えてご覧に入れましょう」
カーターは、言った。
「自分は、事実を伝えるべきだと思います。隊員たちは、何が起きているのかわからずに苛立ち、不安に思っているのです」
「君は、トリフネにサム・ボーン少尉が乗っていることを知り、戦場で動揺したのだろう。部下たちが、同じように混乱をきたす恐れがあるのではないか?」
「現時点ですでに隊員たちは混乱しています。事実を知らぬまま戦いに駆り出されることが不安なのです」
「敵のトリフネに、かつていっしょに戦った仲間がいるという事実を知って、隊員たちはトリフネに向かって引き金をひけるだろうか」
「それが任務ですから……」
「君は、サムのトリフネと戦えるのか?」
「戦えるか戦えないかではなく、戦わなければならないと思っています。事実を知れば、自覚的に戦えます。知らずに、かつての仲間を殺し、それを後になって知らされるよりずっといいと思います」
「オージェは、違う考えのようだ」
オージェがこたえた。
「兵士の義務はただ一つ。目の前の敵と戦うことです。その敵が何者であるかなど考える必要はありません。それが、戦争というものです。それに、敵の中にかつての地球連合軍が混じっていたとしても、それは何の問題にもならないと思います。ジュピタリアンの軍隊自体が、かつての地球連合軍木星方面隊だったのでしょう? 自分たちはその敵と戦ってきました。この先もそれは変わりません」
たしかに、オージェが言っていることにも一理ある。
しかし、カーターはオージェほどきっぱりと割り切ることはできなかった。
クリーゲル艦長が、カーターに尋ねた。
「二人の意見が分かれた。オージェが今言ったことについてどう思う?」
「まだ、木星圏到達までには時間があります。つまり、隊員たちには考える時間があるということです。いずれにしろ、隊員たちに選択肢はありません。戦うしかないのです。敵を倒さなければ自分が死ぬ。それが戦争の原則です。事実を知ったとしても、隊員たちは必ず気持ちに整理をつけられるはずです」
「はず、では困るのだ」
エリオット作戦司令が厳しい口調で言った。「不確定な要素は、極力排除しなければならない。もし、事実を知った隊員の中に、戦うことをためらう者が出る恐れがあるとしたら、その選択は避けなければならない」
カーターは、エリオットに言った。
「自分らは、チェスの駒に過ぎません。それはよく自覚しております。ですが、何も知らされないまま、かつての仲間を殺したり、彼らに殺されたりするのは耐え難いでしょう。海兵隊員は、自分のなすべきことを自覚しております」
「軍に機密は付きものなのだよ」
エリオットは言った。「機密は守られねばならない。隊員たちも、機密だといえば納得するのではないのか?」
カーターは、この言葉にひっかかるものを感じた。これまでエリオットに反感を覚えたことは滅多になかった。冷静沈着なエリオットを信頼していたし、彼の判断に疑問を持ったこともない。
だが、機密という言葉が、カーターの癇《かん》に障った。
軍に機密は付きものだと……。
この戦争にまつわる大きな機密に、毎日付き合わされているのは、俺たち海兵隊だぞ。
その上、また機密を作るというのか。そして、それを俺たちに守れと言うのか。
「失礼ながら、申し上げます」
カーターは気をつけをした。「今現在も、隊員たちは動揺しております。それは、捕虜についての情報が一切公開されないからであり、なおかつ、その状態のままでトリフネがアラン・ミリュウを救助したからです。秘密は、隊員たちを苛立たせております。この際、リーナ・ショーン・ミズキ少尉のことも、隊員たちに知らせてはいかがかと思います」
エリオット作戦司令は、無言でカーターを見返していた。どうやら驚いている様子だ。
逆らったから驚いたのか、それとも、発言の内容に驚いたのか、カーターにはわからなかった。だが、エリオットの機嫌が悪くなったのは明らかだ。
そのとき、オージェが言った。
「自分のことでしたら、ご心配なく。すでに、ミズキ少尉のことは知っております」
「軍機だと言ったはずだ」
エリオットがカーターに向かって言った。「それを洩らしたら、軍法会議ものだぞ」
「まあいい」
クリーゲル艦長が言った。「秘密は、どう管理したって洩れるものだ。海兵隊や空軍要撃部隊の隊員たちは、まだミズキ少尉のことを知らないのだね?」
「知りません」
「彼女は、すっかり君の小隊の一員として、隊員たちに受け容れられている。だが、それまでにはさまざまな苦労があったと思うが……」
「はい。彼女は自らの力で、海兵隊の一員となったのです。彼女は、我々を家族だと言ってくれています」
「彼女が実は情報部の少佐だということを、隊員たちに知らせるということは、その彼女の努力を無にすることにならないかね?」
痛いところを衝かれた。
カーターは思った。そして、しばらく考えなければならなかった。
リーナの気持ちも考慮しなければならない。そして、隊員たちの気持ちも……。
カーターは言った。
「本当のことを知らされないままに築かれた関係というのは、いつわりの関係でしかありません。事実を知り、それでも隊員たちが彼女を受け容れた場合、本当の関係が築かれると、自分は信じています。事実、自分はミズキ少尉の本当の階級や、アトランティスでの役割を知っております。それでも、ミズキ少尉を本当にわが小隊の一員と考えております」
「話題がずれている」
エリオット作戦司令が言った。「我々は捕虜の話をしていたのだ」
「自分は本質的な話をしているつもりです」
カーターは言った。毒を食らわば、皿まで、だ。こうなれば、言いたいことを言わせてもらおう。「軍機だ機密だと言って、隊員たちに目隠しをしたまま戦わせるわけにはいかないと、申し上げているのです。わが小隊の隊員たちは、筋金入りの海兵隊員です。事実を知ったとしても、ちゃんと対処できるし、その後も正しい判断ができると、私は信じています」
エリオットは、オージェに言った。
「君はあくまで、捕虜のことは隊員たちには伏せておいたほうがいいという主張だね?」
「はい」
オージェも揺るがなかった。「知っても知らなくても、やるべきことは変わりません。ならば、余計なことは知らせないほうがいいと思います」
エリオットは、艦長に言った。
「どうやら、意見は真っ二つのようですね」
クリーゲル艦長は、やれやれといった顔でうなずくと、カーターとオージェに言った。
「君たちの言い分は心に留めておく。他に何か言うことはあるかね?」
このまま、この件は艦長に預けてしまったほうがいい。
カーターはそう思っていた。もともと、カーターやオージェの手に負える事柄ではない。だが、クリーゲル艦長に向かって、カーターは言っていた。
「ミズキ少尉の……、いえ、ミズキ少佐の意見を参考にされてはいかがかと思います」
エリオット作戦司令と、クリーゲル艦長が同時にカーターのほうを見た。
カーターは、自分自身で驚いていた。なんで、そんなことを言ってしまったのか、わからない。
つい、口を突いて出てしまったのだ。
クリーゲル艦長が、興味深げな表情になって言った。
「カーター、その理由は何だね?」
「その……」
理由もなく発言したとこたえるわけにはいかない。何か言いつくろわねばならない。
「トリフネとそのパイロットを捕獲したのは、ミズキ少尉です。彼女も捕虜については知りたがっているはずです。それに、ミズキ少尉はトリフネとともにアランの救助も行ったわけですし、すでに捕虜の正体について気づいているかもしれません。なにせ、海軍情報部の少佐ですから……」
クリーゲル艦長が言った。
「本当に理由はそれだけなのか?」
「ええと、その……」
「私の部屋ではくつろげと言ったはずだ。何でも言いたいことは言ってくれ」
カーターはしばらく考えてから言った。
「ミズキ少尉は、特別です。いえ、サイバーテレパスだからというわけではありません。彼女なら、物事をきっと正しい方向に導いてくれる。そんな気がするのです」
「そんな気がする……?」
エリオットが言った。「それだけのことなのか?」
「はあ……」
「そんな、根拠も何もない提案は考慮にも値しない」
エリオットにそう言われて、カーターは恥ずかしくなった。リーナの意見を聞けなどと言わなければよかった。心底そう思った。
「いや、根拠がないとは言えないだろう」
クリーゲル艦長がエリオットに言った。「カーターが言ったことは、検討に値すると思う」
「どの部分がですか?」
「ミズキ少尉が、すでに捕虜の正体に気づいているかもしれないという部分だ」
エリオットもふと考え込む顔つきになった。
クリーゲル艦長は、オージェに尋ねた。
「ミズキ少尉の意見を聞いてみるという案について、君はどう思う?」
「悪くはないと思います。カーター大尉も言ったように、トリフネとパイロットを捕らえた本人でもありますし、彼とともにレスキューをやったのも彼女です」
クリーゲル艦長は、エリオットに言った。
「ミズキ少尉をここに呼んでくれ」
カーターは驚いた。
カーターたちとは別個に話をするものと思っていた。だが、クリーゲル艦長は、この場にリーナを呼ぶと言っている。
いよいよ逃げられなくなったな。
カーターは思った。
まあ、乗りかかった船だ。こうなれば、とことん付き合うしかないか……。
12
アトランティス
メインベルトから木星圏への惑星間軌道上
リーナは、きょとんとした顔で艦長室にやってきた。
無理もない。突然呼び出されて、来てみたら小隊長二人と、作戦司令、艦長が顔をそろえているのだ。
何かの懲罰かと思ったのかもしれない。
「そんなにかしこまることはない」
クリーゲル艦長がリーナに笑顔を向けた。艦長の笑顔には絶大な効果がある。瞬時にしてリーナの緊張が解けたように見えた。
「私たちは、捕虜のことについて話し合っていた」
クリーゲル艦長がそう切り出した。「海兵隊や空軍の隊員たちの間に、捕虜についてのさまざまな憶測が飛び交っているそうだね?」
リーナは、まずカーターの顔を見た。どうこたえていいか迷っているのかもしれない。
カーターは、うなずきかけた。思ったとおりのことを言えばいいと、無言で語りかけたのだ。
リーナは言った。
「はい。捕虜について誰も何も教えてくれないし、あんなことがありましたので……」
「あんなことというのは、トリフネがアラン・ド・ミリュウ少尉の救助に向かったことだね?」
「そうです」
「あれは、私が決めたことだ。ド・ミリュウ少尉を助けるためには、あれが最良の方法だと思ったからだ」
「正しい措置だったと思います」
「隊員の間で、さまざまな憶測が飛び交っているという話だが、君自身は捕虜についてどう思う?」
「私にはわかりかねます」
「海兵隊の少尉ではなく、海軍情報部の少佐としての君に、同じ質問をするが……」
「こたえは同じです」
「なぜ、捕虜についての情報を厳しく秘匿しているのか……。その理由を知りたいかね?」
「もちろん、知りたいです」
「現段階では、重要な機密だ。聞くには、それなりの覚悟をしてもらわなけりゃならんが……」
「カーター小隊長もご存じのことなのですね?」
「カーターは、捕虜に直接会って話をした」
「ならば、私も覚悟を決めます」
「よろしい……」
クリーゲル艦長は、捕虜が、偵察任務中に消息を絶った巡洋艦ロングビーチの乗組員だったことを告げた。
リーナはそれほど驚いた様子を見せなかった。やはり、捕虜の正体について、薄々感づいていたのかもしれない。
かつて、カーターは、リーナにサムについて語ったことがある。リーナはサムがトリフネに乗っていたことを知っているのだ。
「捕虜の名前は、トーマス・パーカー。もっとも、今はシシヒコと名乗っているがね。彼によれば、消息を絶ったロングビーチとホー・チ・ミンの乗組員はほぼ全員ヤマタイ国軍に救助されたということだ。そして、その多くが今はヤマタイ国軍の軍人として戦っている……」
ようやくリーナの顔に驚きの表情が浮かんだ。だが、決して取り乱してはいない。
この娘の精神力は本当にたいしたものだと、カーターは思った。この年齢で海軍少佐の階級を持っているのは伊達ではないのだ。
「では……」
リーナが言った。「これまで私たちが戦ってきた相手の中にも、かつての仲間がいたかもしれないということですか?」
「そういうことになる。彼らは、志願してヤマタイ国軍に入ったのだという。決して強制されたわけではないらしい」
「実は、サム・ボーン少尉のことを、カーター小隊長から聞いておりました。サム・ボーン少尉は、決して例外的なケースではなかったということですね?」
「多くの元地球連合軍将兵が、ヤマタイ国軍の軍人となっているらしい。さて、これで我々は秘密を共有したことになる。問題はここからだ。海兵隊や空軍要撃部隊の隊員に、その事実を知らせるべきかどうか……。実は、カーターは知らせるべきだと言い、オージェは、知らせる必要はないと言っている」
「なぜ、そんな話を私に……?」
「カーターが、君の意見を聞いてはどうかと言ったのだ」
リーナがびっくりした顔で、カーターを見た。
「なぜ、そんなことを……」
カーターは、肩をすくめた。
「咄嗟にそう思ったんだ。それだけの話だ」
クリーゲル艦長はリーナに言った。
「カーターは、君を信頼しているんだ。海兵隊というのは家族も同然なんだろう?」
「はい」
リーナはこたえた。「海兵隊は家族です」
「捕虜を獲得できたのは、君の働きのおかげだ。そして、君はパーカーとともにアランの救助作業にたずさわった。カーターはその点を指摘した」
「ギガースの性能のおかげです」
「それで、君はどう思う? カーターの言うとおりに、事実をありのまま隊員たちに伝えるべきか、それともオージェが言うように、知らせる必要はないか……」
「現時点で、どれくらいの人が知っているのでしょう?」
さすがに情報部の少佐だとカーターは思った。自分はそれを確認することすら思いつかなかったのだ。
クリーゲル艦長がこたえた。
「アランを救助したときに、艦橋にいた者は知っている。それはやむを得ないことだった。つまり、ここにいる五人の他に、約十人が知っている」
エリオットが付け加えた。
「もちろん、厳重に箝口令を敷いてある」
「すでに約十五人が知っている……。それでは、艦内に知れ渡るのも時間の問題かもしれませんね」
「木星圏に着くまで隠し通せればいいと考えていた。永遠に秘密にしておくわけではないのだ」
「理屈で言えば、ナザーロフ大尉の言われることが正しいと思います。戦いにおいて、敵の素性などいちいち考える必要はありません」
カーターは、この言葉に驚き、少しばかり衝撃を受けた。リーナは当然、自分の意見に賛成してくれると思っていたのだ。
情報将校としては、物事を冷静に判断しなければならないのかもしれない。リーナの言葉が続いた。
「しかも、そのパーカーをはじめとする元地球連合軍の将兵は、志願してジュピタリアンの軍隊に入ったのでしょう。それなら、何も考える必要はありません。彼らは自らすすんで私たちの敵になったのですから……」
なるほど、そういう考え方もある。
クリーゲル艦長は、しばらく無言でリーナを見つめていた。やがて、彼は言った。
「では、君はオージェの意見に賛成だというわけだね?」
「今、申し上げたのは、あくまで理屈で考えた場合です。今のご質問に対するこたえは、いいえ、です。理屈ではナザーロフ大尉のおっしゃるとおりですが、感情的には納得できません。そして、私は感情に従いたいと考えています」
「感情に従うというのはどういうことかね?」
「まず、私は、なぜ元地球連合軍の将兵たちが、自らすすんでジュピタリアンの軍に入ったのかが気になります。そして、彼らが戦場でしばしば見せる行動が不可解でならなかったのです」
「彼らが戦場でしばしば見せる行動……? それは、救助活動のことかね?」
「そうです。戦いの最中でも彼らは、決して味方を見捨てません。そればかりか、私も助けられたことがあるのです」
クリーゲル艦長はうなずいた。
「『絶対人間主義』を信奉しているからなのだそうだ」
「ヒミカの思想ですね」
「木星圏では、それを実践することが何より重要だと、パーカーは言っていた」
「戦死したと思われていたサム・ボーン少尉やロングビーチとホー・チ・ミンの乗組員がジュピタリアンに救助されていた……。その事実は、ジュピタリアンたちの作戦と深い関係があるかもしれませんね」
「作戦……?」
「ジュピタリアンの作戦は、破壊を目的とするよりも、情宣活動を目的としていたという側面があります。月のエイトケン天文台を奪おうとしたのも、地球の衛星軌道上に侵入したのも、情宣活動をすることが目的だったと考えられます」
エリオット作戦司令が言った。
「それは、一将兵が考えることではない」
リーナはエリオットを見て言った。
「そうかもしれませんが、これはひょっとしたら本質的なことかもしれません」
「だから言っている」
エリオットは譲らなかった。「それは、考えてはいけないことだ」
カーターは、リーナとエリオットが何を話し合っているのかわからずにいた。
オージェが言った。
「つまり、敵が戦争を終わらせようとしているということですか?」
エリオットは、オージェを一瞥《いちべつ》して言った。
「停戦というのは、政治で決まる。我々の出る幕ではないのだ」
「それは理解しています」
リーナが言った。「そして、独立戦争を仕掛けてきたのはジュピタリアンであるということも……。ですから、この戦争はどこかちょっとおかしいと感じるのです」
「おかしかろうが何だろうが、戦争なのだ」
エリオットは冷ややかに言った。「そして、我々は今、戦場に向かっている。もはや引き返すことはできない」
「そろそろ、結論を聞きたい」
クリーゲル艦長がリーナに言った。「君は、捕虜の素性について、海兵隊員や空軍要撃部隊員に教えるべきだと思うかね?」
「話すべきだと思います。事実を知っても、隊員たちは、命令に従うはずです」
カーターは、その言葉を聞いてほっとしていた。リーナの考えも同じだった。
クリーゲル艦長は、さらに言った。
「君の本当の身分についても、みんなに話すべきだと、カーターは言うのだが……」
リーナが驚いた顔でカーターを見た。
カーターは慌てて言った。
「いえ、それについては撤回します。ミズキ少尉については、おそらくかなり上のほうで判断されたことでしょうから……」
「賢明だな」
エリオットが言った。「今日、初めて君と意見が合った」
カーターはエリオットに向かって言った。
「申し訳ありませんでした」
「よろしい」
クリーゲル艦長が言った。「君たちの意見は参考にさせてもらう。私から指示があるまで、捕虜の件は変わらずに機密扱いだ。いいな?」
カーターたちは気をつけをして、「はい」と言った。
艦長室を出るとカーターは、ぐったりと疲れ果てているのに気づいた。緊張していたせいだ。
重力ブロックの廊下を進みながら、カーターはオージェに言った。
「おまえさんと意見が食い違うとはな……。エースパイロットというのは、なかなか非情なものだな」
オージェはかすかにほほえんで言った。
「ああいう場合、皆が同じ意見だと逆に判断を迷わせるものだ」
カーターは驚いて、オージェの顔を見つめた。
「じゃあ、わざとあんなことを言ったというのか?」
「君が何を考えているかは明らかだったからね」
「なんてやつだ……」
カーターは、顔をしかめた。「やっぱり空軍のエースパイロットというのは食えないな……」
オージェは立ち止まり、リーナに道を空けた。
「失礼しました。つい、少佐だということを忘れてしまい……」
「あら」
リーナが言った。「この艦にいるときは、私はあくまで少尉です。カーター大尉の部下なんです」
「さきほどのことを、もう少し詳しくうかがいたいのですが……」
「さきほどのこと……?」
「この戦争が、ちょっとおかしいという話です。実は、私もまったく同様のことを感じていたのです」
そういえば、オージェはノブゴロド空軍基地でそのようなことを言ったことがあった。カーターはそれを思い出していた。
「いいですよ」
リーナが言った。「お話をしましょう。ただし、私に敬語はやめてください」
オージェは笑みを浮かべた。
「了解だ。カーター大尉、君も参加してくれ」
「もちろんだ。リーナとおまえさんを二人っきりにするつもりはない」
「どこか落ち着いて話せる場所を探そう」
「俺の部屋に来ればいい。出航前に何もかも放り出されて、ろくなもてなしはできないけどな……」
「そうしよう」
三人は、カーターの居室に行った。
「私は、常に違和感を抱いていた。ジュピタリアンに対する畏怖のようなものを感じたりもした」
オージェが話しはじめた。「そして、パーカーの件を知り、ますます違和感を募らせた。ミズキ少尉が言ったとおり、これはかなり本質的なことなのかもしれない」
カーターは言った。
「俺だって、戦場に死んだはずのサムがいたと知ったときは、どうしていいかわからなくなった」
「私たち地球連合軍とジュピタリアンは、間違いなく戦争をしている。人類史上初めての本格的な宇宙戦争だ。だが、私はどうしても本当に戦争をしているという実感がわかない。パーカーの話を聞いて、その理由の一つに気づいた。この戦争は、意外なほど犠牲者が少ない」
「エリオット作戦司令が言っていたことも、間違いではない。宇宙の海は、戦争をするには広すぎるのかもしれない。今回の遠征を見てもそうだ。戦場に到着するまで約一年もかかるんだ」
「いや、重要なのは、そういうことではない。ミズキ少尉が言ったように、ジュピタリアンの目的が、破壊そのものよりも情宣活動にあるからではないかと思う」
「昔から情宣活動は、戦争の常套《じょうとう》手段だ」
「ナチスの宣伝や共産主義の情宣活動……。それは知っている。だが、今回の戦争はちょっと違う。ジュピタリアンの目的そのものが情宣活動なのではないかとさえ思ってしまう。彼らは幾多の危険を冒して地球に住む人々に何かを知らせようとしている。いったい、何を知らせようとしているんだ?」
「『絶対人間主義』の教義を広めようとしているんじゃないのか?」
「それはない。『絶対人間主義』は、木星圏で実践してこそ意味がある。パーカーの発言からそれを読み取ることができる」
カーターは肩をすくめた。
「残念ながらジュピタリアンじゃないんで、わかりかねるね」
「考えられることはそれほど多くはない。例えば、ミズキ少尉とエリオット作戦司令が、先ほど論議していたことだ」
「つまり、戦争を終わらせようと……」
「そう考えるのが自然だろう」
「だが、戦争を始めたのはジュピタリアンのほうだぞ」
「そこだよ。それが違和感の正体だ。ミズキ少尉に訊きたい。率直に言って、この戦争をどう思う?」
「先ほども言いましたが、ちょっとおかしいと感じています」
「それはなぜだと思う?」
「ナザーロフ大尉が言われたことと同様です。彼らは、戦いの最中に人命救助を優先しているように思えます。戦争だというのに、殺すことよりも助けることを優先しているのです。これはどう考えても理屈に合いません」
「そう」
オージェはうなずいた。「それは、『絶対人間主義』に基づいた行動なのだという。だが、本当に『絶対人間主義』を信奉しているのなら、戦争など起こせるはずがないのだ」
カーターは言った。
「だが、実際に戦争は起きた。そして、今も続いているのだ」
「ジュピタリアンといえども一枚岩とは限らない」
「どういうことだ?」
「簡単に言えば、こういうことだ。誰かが戦争を始めた。だが、その誰かはヒミカではない。ヒミカは戦争に巻き込まれただけなのだ」
「ヒミカはワダツミという旗艦に乗って、自ら先頭に立って戦っているんだぞ」
「戦争を始めたやつが、先頭に立って戦うなんてことはない。特に近代戦ではね。ナポレオンの時代とは違うんだ」
「誰かが戦争を始め、それをヒミカが引き継がざるを得なかったのだと……」
「一番筋が通る話だと思うが……。ミズキ少尉はどう思う?」
「おっしゃるとおりだと思います。ヒミカは、もともと戦争を望んではいなかったのかもしれません。戦争を望まずに、軍隊を率いて戦わなければならない。その矛盾自体が、この戦争のおかしなところなのかもしれません」
カーターは、二人の言うことを考えてみた。たしかに筋は通る。だが、本当にそうなのだろうか……。
「誰が始めたにせよ、戦争を仕掛けて来たのはジュピタリアンのほうだ」
「だから、ヒミカはその責任を取るために戦い続けているのだ。戦争にはいろいろな側面がある。おそらく、この独立戦争は、ジュピタリアンにとってだけでなく、地球連合軍や連合政府の誰かにとっても有益なのだ」
「いつの時代でも、戦争で得をするやつや儲けるやつはいる」
「そう。いったん、戦争が始まるとそういう巨大なメカニズムが働きはじめる。だから、戦争で一番難しいのは、開戦のタイミングと、幕引きのやり方なのだ」
リーナが言った。
「戦争が始まってから、拡大政策を取ってきたのは、むしろ地球連合軍のほうでした。ジュピタリアンは、開戦当初から、ナザーロフ大尉が言われる『幕引き』を考えていたのかもしれません」
オージェは、リーナに尋ねた。
「戦場で、ヒミカと直接コンタクトしたことがあったそうだね?」
「はい」
「サイバーテレパス同士の戦いというのは、我々には想像がつかない世界なのだが、それはどんな感じだったのだろう」
「不思議な体験でした。これまで、ヒミカ以外にもサイバーテレパスには会ったことがあります。コンタクトした経験もあります。でも、あんなのは初めてでした」
「それだけ、ヒミカが強力な能力を持っているということなのか?」
「たしかに、ヒミカの能力は強力です。トリフネの独特なコントロールシステムには、ヒミカの能力が使われていることには間違いはありません。しかし、それだけではありません。私とヒミカは共鳴したのです」
「共鳴……?」
「そうとしか言いようのない現象でした」
「共鳴というのは、固有の振動数が一致する現象だ。つまり、君とヒミカの振動数のようなものが一致していたということだろうか?」
「エイトケン天文台での出来事を覚えておいででしょうか?」
「もちろんだ。ジュピタリアンの捕虜たちが、君を見て『ヒミカ様』と呼びかけたのだ。それについて、カーターと話し合ったことがある。おそらく、君とヒミカは肉親なのではないか、と……」
「そうかもしれません。その可能性はとても高いと思います」
「そのことについて、君は何も知らないのだね?」
「私の記憶は、地球のある施設から始まっています。肉親には会ったことがなく、私の育ての親を本当の親だと思うことにしました。そして、今は海兵隊の仲間が家族だと思っています」
カーターは胸が締め付けられるような思いがした。
「おまえさんは、肉親かもしれないヒミカとまた戦わなければならなくなるだろう」
リーナはカーターを見た。
「それが、任務ならば……」
「立ち入ったことを訊くが……」
オージェが遠慮がちに言った。「君は自分がどこで生まれたのか、知っているのか?」
「いいえ。育ての親は、私の生まれについては話してくれませんでした。私は知ろうとも思いませんでした。知ったところでどうしようもありません。自分が誰かの役に立つこと、それが、私にとって大切だったのです」
カーターは、オージェに言った。
「ホーリーランドというそうだ」
「ホーリーランド?」
「リーナの育ての親だ」
「もしかしたら、その人物は恐ろしく残酷なことをしたのかもしれない。君を研究施設で育て、その能力を軍事用に開発したということだろう」
「もし、そうだとしても、私は怨んではいません。それが、私の運命だったのです」
カーターは、妙に腹が立った。
「そんな話があるか」
リーナとオージェが驚いたようにカーターのほうを見た。カーターは、さらに言った。
「それを運命だなんて思うのはどうかしている。どこで生まれたのかも教えてもらえず、軍で利用されるために育てられたんだ。そして、肉親かもしれないヒミカとの戦いを強いられる……」
「落ち着け」
オージェが言った。「この戦争で一番つらい思いをしているのは、ミズキ少尉なのかもしれないんだ。それを表に出すまいとしているのがわからないのか?」
「わかるさ。痛いほどわかるから言ってるんだ。つらいなら、つらいと言えばいい。怨み言を言いたいなら言えばいい。リーナは、俺たちが家族だと言った。家族なら、それくらいの感情は受け止められる」
「海兵隊が家族だと聞いたとき、私は不思議に思ったものだ。私には、隊員たちととてもではないが、そういう関係は築けない。家族が目の前で死ぬことが耐えられないからだ」
「家族だから耐えられるんだよ」
カーターは言った。「家族だから死に際を見取ってやる覚悟ができるんだ」
「所詮は、疑似的な家族に過ぎない」
「そう。擬似的な関係だ。それでも俺たちは家族なんだ」
オージェは、しばらくカーターを見つめていた。やがて、彼は言った。
「なるほど、これからは海軍とともに行動することも増えるだろう。つまり、長旅が増えるということだ。私も、その問題についてもっと考えてみる必要があるかもしれないな」
「求めても得られなかったものが、今手に入った気分なんです」
リーナが言った。カーターとオージェは同時にリーナを見た。
「つまり、家族です。私はアトランティスに来て、初めて家族というものを知ったのです」
オージェはうなずいた。
「それについては、もう何も言うまい……」
リーナは口調を改めた。
「私が共鳴を感じたということは、向こうもそれを感じた可能性があります」
カーターは、はっとした。
そうだ。共鳴というのはそういうものだ。固有の周波数のせいで互いが振動しあうのだ。
「つまり……」
オージェが言った。「ヒミカも、君の存在を強く意識したということだな?」
「その可能性はおおいにあります」
「それが、戦いに何か影響を与えるだろうか?」
「具体的なことはわかりません。でも……」
そこまで言って、リーナはふと考え込んだ。
カーターは尋ねた。
「でも、何だ?」
「木星圏での戦いでは、何かが起きるような気がします」
「何か……?」
「はい。これまで、地球連合軍がまったく経験したことのない、何かが……」
カーターは、何も言えずにいた。
オージェも同様だった。二人は、しばらく無言でリーナを見つめるしかなかった。
やがて、リーナは言った。
「今ここで話し合ったことは、いずれも軍機に属することです」
オージェが言った。
「わかっている。決して口外はしない」
「まったく、このアトランティスという船は、いったい幾つの秘密を抱えて飛んでるんだ……」
オージェが言う。
「木星圏の戦いで何が起きるにしても、俺たちはもう逃げることはできない」
カーターはうなずいた。
「ああ。最後まできっちりと見届けてやるさ」
13
火星 ブラッドベリ市
コニーは、ホテルに籠もりずっと仕事を続けていた。
ホーリーランドから話を聞いた後、ひょっとしたらそのまま病院に軟禁されるのではないかと思った。
記事にされたくなかったら、当然そうするだろう。
だが、ホーリーランドは、部下に命じてコニーをホテルに送り届けたのだ。当然、監視はついているだろうが、拘束されることはなかった。
チェレンコがホーリーランドの病室を出ようとしたときも、拘束しようとはしなかった。チェレンコが出ていくのを平然と見守っていたのだ。
コニーは気づいた。
もし記事を書いたとしても、発表するのは難しいだろう。地球連合軍や連合政府の言論に対する締め付けは日ごとに厳しくなっている。
プラネット・トリビューンなどのメジャーな新聞は、真っ先に監視の対象になる。もちろん、表立って言論弾圧するようなことはまだないが、広告主からの要求だとか、自主規制を求めたりといった有形無形の圧力がかかっている。
取材したはいいが、それが記事にできない。おそらく、ホーリーランドはそうした事態を見越しているのだろう。あるいは、すでに軍を通して手を打っているかもしれない。
さらに、時間的な問題がある。
コニーが書いた記事が、どこかに載ったとしても、それが世間に波紋を広げ、やがて反戦の声として結実するまでに、どれくらいの時間がかかるかわからない。
最終決戦までは、あと半年ほどしかない。世論を反戦に導き、そこから政府を動かし、終戦にこぎ着けるまでには、半年という時間はあまりに短すぎる。
ホーリーランドは自信があるのだ。コニーがいくら頑張ったところで、最終決戦にはとうてい間に合わない。コニーはそのことに気づいた。
病院から姿を消して以来、チェレンコは現れなかった。
彼には彼の仕事があるのだろう。ホーリーランドの話は、ヤマタイ国にとっても重要な情報だったはずだ。
コニーは、ホーリーランドの話の内容をすべてメモに起こした。録音ができなかったので、記憶に頼るしかなかった。
その膨大なメモを前にして、どうしたものかと考え込んでいた。記事にできないのなら、このメモを直接ジンナイたちに送って、政治的に利用してもらうしかない。
そうなれば、もうコニーのスクープはなくなる。ジャーナリストとしてはつらいところだ。
だが、迷っている時間はない。それに、今回の火星出張の費用は、ジンナイのオフィスから出してもらっている。ジンナイのために情報を集めに来たのだ。
個人的な欲を出している場合ではない。
コニーは、メモをいくらかでもわかりやすいように書き直し、さらにできるだけ固有名詞を使わず、それとわかる内容の言葉で言い換えをした。それをメールで送信した。
すべてのネットやメールは、軍によって監視されていると思ったほうがいい。軍は巨大な傍受施設を持ち、キーワードの検索により、監視しているのだ。
届かなければ、何度でも送ってやる。
コニーは思った。
宇宙の海は、広すぎる。今すぐメモを直接ジンナイに手渡したい。だが、それは不可能だ。火星から地球までは、最短で三ヵ月かかるのだ。
ジンナイへの報告書をメールで送った後、コニーは、しばらく何もする気になれなかった。
だが、やはりジャーナリストであることをやめることはできない。火星自治区のウェブサイトは、地球よりも軍の監視が弱いだろう。
そこに記事をアップすることは可能かもしれない。その記事がサイトからサイトへ転送され、地球に届く可能性はある。
地球のウェブサイトの中にも、記事をアップできるものがあるかもしれない。すぐに削除されたとしても、誰かがコピーしてくれるかもしれない。
削除されたら、また別なサイトを探せばいい。
そうだ。ここにいても戦うことはできる。
コニーは、コンピュータを立ち上げて、馴染みのニュースサイトをいくつか覗いて歩いた。
そして、どのサイトから攻めはじめれば一番効率がいいかという作戦を練りはじめた。
14
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
事務所のジンナイの部屋に、オオタが駆け込んで来た。
「コニーからのメールが届きました」
ジンナイは、読んでいた福祉予算関係のファイルから眼を上げた。
「ホーリーランドには会えたのか?」
「直接話を聞いたようです」
オオタはプリントアウトを持っている。ジンナイは、もどかしい思いで手を伸ばした。
それは、間違いなくコニーからのメールを印刷したものだった。数行読んで、ジンナイは眉をひそめた。
「この、伯父さんというのが、ホーリーランドのことで、お祭りというのが、戦争のことのようだな」
「軍は、キーワード検索でメールやウェブサイトを監視していますから、なるべく固有名詞を使わないようにしたのでしょう」
「伯父さんが昔働いていた会社の部署というのは、海軍情報部のことだな?」
「精一杯工夫したようですね」
「おかげで、削除されずに届いたというわけだ」
「コニーのアドレスが監視されていなかったのが不思議といえば不思議ですが……」
「ふん、高をくくっているのだろう。ホーリーランドも軍も、もう何もかもが手遅れだと思っているに違いない」
実際に、残された時間はあまりない。
ジンナイは急いで読み進んだ。報告書は、ほとんどが箇条書きで、読みやすかった。さすがにプロが書いた文章だ。
驚きに満ちた内容だった。
「ホーリーランドがこの戦争を起こしたというのか? 元海軍情報部所属で、木星方面隊の責任者だったホーリーランドが……」
オオタがうなずいた。
「そして、彼はヤマタイ国建国の祖であるオオナムチでした。その建国の祖が独立戦争を起こさせたということになります」
「木星圏は、エネルギー源の宝庫だ。独立によって得られる経済効果はたしかに大きい。それによって、劣悪な環境を改善できるかもしれない。だが……」
ジンナイは、一度奥歯を噛みしめた。「それは、彼にとって二の次だったようだな……。戦争を起こした最も重要な目的は、真の市民を生み出すことだと……」
「戦争や革命を経ないと、真の市民は生まれない。ホーリーランドは、コニーにそう語っていますね」
「思い上がりとしか思えない」
ジンナイは怒りを覚えた。「歴史をもてあそんでいるのか……」
「固有名詞が出てこないので、わかりにくいですが、どうやら、ヒミカと生き別れになった姉妹というのは、アトランティスに乗り込み、ギガースを操縦している海兵隊員のようですね」
「何と言ったかな……?」
「リーナ・ショーン・ミズキ……」
「彼女もヒミカと同じくサイバーテレパスだということだな」
「そして、彼女たちはジュピター・シンドロームの第二世代らしいです」
「なんということだ……」
ジンナイは、うめいた。「一人の狂信的な男の思い上がりで、世界が戦争に巻き込まれ、生き別れになった姉妹が最前線で戦わされているのだ」
「ただの姉妹ではありません。ジュピター・シンドロームの影響で得た超能力を持った姉妹です。それが軍事利用されている……」
すぐに行動を起こさなければ……。
「このわかりにくい表現を固有名詞に置き換えて日本のユカワ・ナオトに送れるか?」
「メールは危険ですね。ハードコピーを郵送できる手段を考えます」
「急いでくれ。私たちに残された時間は少ない」
「はい」
「これまで調べだした事実を、コニーの報告書の裏付けとなるように、並べていくんだ。それから、ベン・ワトソンを呼び出してくれ。わかりにくい表現を固有名詞に置き換えたコニーの報告書を見せるんだ。法的な措置について可能性を検討したい」
「了解です」
オオタは、部屋に入ってきたときと同様に、駆けて行った。
コニーは、いい仕事をしてくれた。今度は、私が仕事をする番だ。地球連合軍の艦隊が木星圏に着くまで、まだ半年ほどある。
最終決戦となれば、双方の陣営に大きな被害が出るに違いない。それだけは何としても避けたい。ジンナイの故国である日本がはるか昔に被《こうむ》ったヒロシマ、ナガサキの悲劇だけは繰り返したくない。
ジンナイは、その仕事を最優先することを決意した。
カーターは、ガンルームにあるモニターで星の海を眺めていた。
まだ、艦長や作戦司令から、捕虜に関する公式なコメントはない。おそらく、地球の司令部に報告書を送り、指示を待っているのだろう。
艦隊の他の艦に傍受されてもいいように、電子的にロックされた文書で送られるはずだ。それでも機密漏洩の危険は避けられないが、まさか味方の艦の機密文書を覗き見しようなどという艦はないだろうと、カーターは思った。
司令部のお役所仕事を考えると、アトランティスまで返事が届くのに何週間か……、へたをすると一ヵ月以上かかるかもしれない。
それだけ隊員たちの心の整理をつける時間が少なくなるということだ。
クリーゲル艦長は、司令部が何と言ってこようと、捕虜に関する情報をどうするか、すでに方針を固めているように思えた。場合によっては、司令部の命令に逆らうかもしれない。
クリーゲル艦長は、そういう男だ。根っからの海の男で、船で起きることはすべて艦長の責任だと考えている。
地球の大航海時代と同じく、宇宙の海にはそういう男が必要だと、カーターは思っていた。
俺はただ、艦長を信頼してついていくだけだ。
ずいぶん前にそう決めていたし、今でもその考えはまったく変わっていない。
あと半年ほどで木星圏に到達する。
木星圏では何が待っているのだろう。
リーナの言葉が気になっていた。彼女は言った。
「木星圏での戦いでは、何かが起きるような気がします」
そしてそれは、これまで地球連合軍がまったく経験したことのない何かなのだ、と……。
アトランティスは、これまで人類が未経験だった戦いを生き抜いてきた。
宇宙で本格的な戦争をすること自体、人類にとって初めての体験なのだ。人類は、宇宙にまで戦争を拡大してしまった。
いったい、この戦争を始めたのは誰なのだろう。
この戦争はどういう展開を見せるのだろう。
そして、この戦争はどういう形で終わるのだろう。
見当もつかなかった。
それでも、カーターたちは戦い続けなければならない。
戦争が続く限りは、ヒュームスを駆って、宇宙の海で戦わなければならないのだ。
俺はまだいい。
カーターは思った。
リーナは、肉親かもしれない相手と戦わなければならないのだ。その事実を知って、カーターは、開戦以来初めて、本格的にこの戦争に疑問を感じた。そして、終戦を望んだ。
だが、それは口に出してはいけないことだ。部下を率いていかなければならない立場だ。士気をそこなうような発言は禁物だ。
戦ってやるさ。
カーターは自分に言い聞かせた。
木星圏で何が待っていようが、戦ってやる。
カーターの眼に美しい星々が映っていた。いつかこの星の海を、戦いのことなど考えずに、リーナや他の仲間とともに航行できる日は来るだろうか。
それを願った。
そして、もしそんな日々が来るのだったら、それまで生きていなければならない。カーターはそう心に誓っていた。
[#地付き](第五巻 終わり)
[#改ページ]
絶対人間主義に至る技術・文化・思想
[#ここから3字下げ]
著:サーシャ・ミハイロフ
(比較文化学・近代文化史/カナガワ・インスティテュート・オブ・テクノロジ准教授)
訳:オオツカ、ケンスケ(国際政治アナリスト)
[#ここで字下げ終わり]
俗に「ジュピタリアン」と呼ばれる木星圏に居住する人々が組織した独立武装勢力、「ヤマタイ」の人々が思想的なバックボーンとするところの「絶対人間主義」については、原理主義的で危険な信仰と看做されているが、これは必ずしも事実ではない。
むしろ、そのベースにはいささか古典的とも言えるデカルト的な近代科学の思考方法が見られ、思想としてはマルクス、エンゲルス以前の「ユートピア的社会主義」への先祖返りに近いものとも言える。
以下の小論考では、人類の宇宙進出の歴史とそれを支えた文明の変遷をおおきく振り返り、近年の連合を挙げたヒステリックなプロパガンダに捻じ曲げられた観のある「絶対人間主義」に至る思想、技術、文化史について、特に19〜20世紀のキーパーソンの名や具体的な作品をあげながら見ていきたいと思う。
[#改ページ]
爆発する技術
我々の宇宙への憧憬は、魚類が浅瀬まで進出し、夜、海面に揺らぐ月を見上げた昔からはじまっているのであろうが、本論ではその感情が技術的な裏づけを得はじめた時代から話をスタートさせたいと思う。
近代科学の隆盛は、技術と文化、そして思想がそれぞれを進歩させる、らせん状のトラスとでもいうべき構造をつくり上げてきた。
その勢いは19世紀に入って急加速する。
銃火器の進歩が絶対王政のくびきを打ち砕き、共和国は自由と平等の理想を謳い、大陸軍は凶悪な砲火によってヨーロッパのあちこちに瓦礫の山を築いた。
砲兵器の増産によって冶金技術や化学の進歩がもたらされ、その副産物として、11世紀の中国で誕生した忘れられた兵器に、再び日の光があたる時が来た。
それが「ロケット」である。
これこそ、バベルの塔崩壊以来、人類がはじめて手にした天に至る手段、「ヤコブの梯子」であった。
その実現は、後のハーバード・G・ウェルズと共にふたりの「SFの父」と呼ばれる作家が生んだ、一編の作品からはじまったと言って良い。フランス人、ジュール・ヴェルヌが1865年に発表した作品、『地球から月へ』がそれである。
兵器であるロケットを「宇宙旅行」の道具として用いるという技術的な思いつきから書かれたこの作品は、多くの開拓者を宇宙へと誘った。
それは例えば、1897年に最初のロケット理論を数式化し、多段ロケット、宇宙服と宇宙遊泳、宇宙ステーション、軌道エレベータ、スペースコロニーなどのアイデアを次々と描き出したロシア帝国―ソヴィエト連邦のコンスタンチン・E・ツィオルコフスキーである。
彼は同時に優れた思想家、著述家でもあった。ツィオルコフスキーの「地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう」という言葉は、宇宙開発に内包されている生物としての我々のさがを、見事に表現している。
そして彼らの働きが直接間接に、1926年、人類初の液体燃料ロケットを打ち上げたアメリカのロバート・ゴダード、ナチス・ドイツ政権下で史上初の弾道ミサイルV−2を開発し、後にアメリカのアポロ計画によって月に人間を送り込んだウェルナー・フォン・ブラウン、そしてソヴィエト連邦において世界初の大陸間ミサイルの開発、人工衛星の打ち上げ、有人宇宙飛行を実現したセルゲイ・コロリョフらを生んだ。
キリスト教とヒューマニズム
近代の人権思想は、常にキリスト教との厳しい対立と共にあった。
もともとイエスの福音にはヒューマニズムがビルトインされている。古くは2世紀の昔からギリシアには聖書からヒューマニズムを読み取る議論があったが、ラテン教父アウレリウス・アウグスティヌスによってこうした意見は厳しく否定され、ルネサンスによる復興を待たなければならなかった。
トマス・モア、デジデリウス・エラスムスらは、信仰を持ちながら中世的な神権から自由なヒューマニズムを構想する。
しかし16世紀の宗教改革にたちあがったプロテスタント諸派は、カトリック教会の権威による支配を否定しながら、人間の自由意志を肯定するものではなかった。むしろ「救いは恩寵のみ」とし、神と人間の協働を否定する方向に走り、宗教戦争へと突入する。
20年近くに及ぶトリエント公会議によって自らを改革したカトリック教会も、世界的な宣教活動の中で宣教師たちが手にした多文化からの学びの成果を、受け入れようとはしなかった。
つまり、キリストを賛美するだけの「教養」を持つ者のみを人間と看做し、世界を分裂させる可能性を克服できず、事実、激しく分裂させた。
そして19世紀の思想と科学は、一体であるべき天と地、神と人間の関係すら破壊しようとしていた。
技術の爆発が人類に全能感を与え、いくつもの世界帝国が地上に覇を唱えた。
世界を探索しつづけた博物学から生まれたチャールズ・ダーウィンによる進化論は、唯一神への挑戦状だった。ダーウィンは人類に「進化の夢」を与えた。
20世紀、ヨーロッパ世界に深刻な被害を与えたマルクス主義は直接に、ナチズムは哲学者フリードリヒ・ニーチェの超人思想を経由して間接的に、どちらも進化論の影響を強く受けている。
20世紀の悲劇の大部分が、神への挑戦からはじまっていたのである。
世界帝国による富の偏在が生み出したマルクス主義もまた、進歩史観に裏打ちされた夢の思想である。カール・マルクスが言った「宗教は阿片である」という言葉は、宗教が持つ甘美な陶酔感に対して、人が目覚める必要性を訴えるものだ。いわば、「夢から覚めた夢」である。
さらに、人が見る夢の内容そのものを仔細に研究したジグムント・フロイトは、精神医学という未完成な蛮刀によって「たましい」という神の世界に切り込み、多くの後継者たちがその可能性を追求していった。
これらの無神論的なヒューマニズムの追求は、皮肉なことに人間の人間による選択的な淘汰を是とする優生学や「人間機械論」に至り、ホロコーストを引き起こし、人間は諸関係、諸情報の束に過ぎないとするアンチ・ヒューマニズムにまで突き詰められることになる。
彼らとは別の方法でキリスト教ヒューマニズムに反対し、19世紀末から20世紀にかけてイギリスのケンブリッジ大学周辺から誕生したのが、世俗的ヒューマニズムである。
現在では科学的ヒューマニズムと呼ばれることが多いが、その反戦と平等を訴える主張は二度の世界大戦の後、ひろく受け入れられるようになっていった。
著名な作家となったヴァージニア・ウルフやエドワード・M・フォスター、あるいは近代経済学の大家ジョン・M・ケインズ、数学・哲学・論理学の大家にして戦闘的反戦主義者・反核活動家でもあったバートランド・ラッセルなどがその最初期の実践家である。
大戦以降では、「ロボット3原則」の提唱者で科学解説者としても知られたアイザック・アシモフ、衛星通信の基礎理論をはじめて提唱しツィオルコフスキーの軌道エレベータを「再発見」して世に知らしめたことでも知られているアーサー・C・クラーク、米軍歩兵としてアルデンヌの戦いで捕虜となりドレスデン空襲を生き延びたカート・ヴォネガットなどの高名なSF作家たちは、いずれも懐疑主義と人間への愛情を併せ持つ、科学的ヒューマニストである。
こうした動きに対し、キリスト教陣営が無為だったわけではない。
とくに、カトリック最大の男性修道士集団でありながら、もっとも先鋭的な思想家を輩出し続けてもいるジェズイット教団出身者の動きは活発だった。
例えば、司祭にして博物学者、探険家でもあったテイヤール・ド・シャルダンは、まったく独自の進化論を構想し、人類は宇宙に進出し「オメガ点」に達することによって自らがキリストとなるという壮大なビジョンを展開した。
もちろん、これはトマス・アクィナス以来の三位一体説を覆すたいへんな異端理論であり、その生前、著書はバチカンによって印刷を禁じられ、大戦の絶望や高度成長の終わりもあって広まらずに終わった。
アメリカ合衆国の裏庭たる南米においては、大地主や国際農業資本に抑圧される小作農のため、多くの司祭や修道士が、時には銃を取って立ち上がった。
その結果、国家やマフィアによるテロによって多くの聖職者男女が犠牲となったが、バチカンがこれを顧みる事は少なく、後に教皇ベネディクト十六世となる枢機卿は、彼らの「解放の神学」を異端とした。
ローマ教皇ヨハネス二十三世が召集し、準備期間を含めて6年にわたって続けられた第二バチカン公会議は、長らく異端視されていたフランスの哲学者ジャック・マリタンが『アンテグラル・ユマニスム(完全なるヒューマニズム)』などで訴えた内容をとりあげ、民主主義や富の再配分を肯定し、多文化の受け入れを認めたが、それはもはや遅すぎる決断であった。
宇宙への進出と世紀末思想
世界大戦とそれに続く冷戦は、政治的に見れば欧州の行く手をめぐる覇権争いであり、思想的に見ればマルクス主義に対抗するミリタリズムの物語であり、経済的に見れば資本制と計画経済の決闘であった。
その闘争の結果、人類は核兵器と原子力を手にし、戦略爆撃によって多くの都市や村々が炎に焼かれた。
またしても皮肉なことに、究極の兵器である核の拡散は、相対的に見て世界に非常におおきな平和をもたらした。
大国がおのれの持てる力すべてを注ぎ込む「総力戦」は、けっきょく19世紀から20世紀中葉までのごく短期間しか成り立たなかったのである。
科学的ヒューマニストであるウェルズは世界大戦の開始に、ラッセルはソヴィエトの核武装に人類の終末を予想したが、幸いなことに、人類は愚かではなかったのだ。
人類は核の副産物として、高機能なコンピュータを得た。
コンピュータは、人類が宇宙へと飛び出していくための最大の武器、最良の友となった。
宇宙の高みに登る尖兵となった「宇宙船野郎」たちは、その多くが軍の航空機パイロット出身で、男女を問わず鉄の意志力を持つ者たちであり、その一方で、否それ故か、とびきりのロマンチストが多かった。
そうしたメンタリティを持つ飛行士が、きわめて少数の人間にのみ与えられるものであった宇宙飛行の経験を持てば、そこで宗教的な境地に至るのは不思議ではない。
彼らの体験が語られることにより、科学技術が支配していた宇宙進出の世界に、精神世界的な表象が入り込んでいった。
また世界大戦とその核による終結、千年紀の終わりという偶然と19世紀以来の急速な工業化に伴う様々な矛盾と不安の現出……例えばそれは石油をはじめとする炭化物資源の枯渇や、二酸化炭素・メタン等の温室効果ガスの排出による温暖化などは、人々を不安に追い込み、超自然的な思想に力を与えた。
文化面に目を転じれば、未だに多くの追随作品をうみだしている宇宙を舞台にしたポップカルチャーのオリジン、例えば合衆国における『スタートレック』(ジーン・ロッデンベリィ)『スターウォーズ』(ジョージ・ルーカス)であるとか、日本国の『アストロボーイ』(オサム・テヅカ)、『モバイルスーツ・ガンダム』(ヨシユキ・トミノ、ヤスヒコ・ヨシカズ)なども、その最初期の作品には例外なく宗教的・超自然的な描写が頻出する。
そもそも近代ファンタジーは、児童文学とサイエンス・フィクションのサブジャンルとして発達したという歴史を持つ。
したがってこれら、SFテイストのポップカルチャーは、科学よりもファンタジーに親和性があると言えるのだが、そこに内在化されている危険は無視できない。
1995年に、化学兵器による大規模都市テロリズムを現実のものとした宗教結社「オウム」の教義は世紀末思想そのものだったが、そこに集った日本の若者の多くは、驚くべきことにポップカルチャーが描写した「超能力」を真に受けていたのである。
宇宙開発の世界において平和主義・反商業主義のユートピア的な思想を先導した「惑星協会」の創設者の一人である作家・科学者のカール・セーガンは、アンチ・オカルティストとしても知られているが、地球外知的生命探査(SETI)のようなロマンティックなプランを提唱した彼だからこそ、その危険性に気がついていたのだと言えよう。
世紀末思想は新世紀の到来と共に終わりを告げるが、その内容はスピリチュアリズムに多く受け継がれていく。
未来への脱出
一方で、ツィオルコフスキーの蒔いた種は順調に芽吹いてもいった。
希望の世紀としての21世紀を謳い上げた作品として、前述の作家クラークが映画監督スタンリー・クーブリックと組んでつくりあげた映画『2001年宇宙の旅』があげられる。
人類が木星軌道に到達するまではこの映画で描かれたビジョンから半世紀以上が必要となったわけだが、今も色褪せないこの作品の描写は、その後すべての「宇宙もの」作品に受け継がれていく。
なかでも『ガンダム』の初期シリーズ、『スタートレック』の続編には示唆に富む作品が多い。
ローマクラブ「成長の限界」以降につくられたこれらの作品は、部分的にはあきれるほど楽観的な未来を描きながらも、人類の変わり得ぬ部分を描いていることで今に至る影響力を遺している。
それは例えば、地球連合という統一政体の結成を目指した連合主義(ユニオニズム)に力を貸した事実にも見られる。
宇宙開発によって貧困を根絶し平等を達成しようという連合主義者のテーゼである深開発主義(ディープ・ディベロップメンタリズム)に影響を与えているし、その実現のために開発されたマシーンである「ヒュームス」にいたっては、『ガンダム』のモバイルスーツそのものである(開発当初から、ヒュームスの設計製造は、ガンダムの故国である日本がシェアの過半数を占めている)。
ちなみに、ガンダムのトミノは、「輪廻史観」とでも言うべき「黒歴史」という概念を提唱し、技術によって歴史は退歩することもありうると看做したが、これはブッディズムの影響と言うよりも、むしろ当時まだ支配的であった「中世=暗黒時代」という西欧史におけるルネッサンス期に形成された偏見を元にしていると言うべきかも知れない。
終末思想は世紀末で終わりを迎えるが、その中の肯定的側面はスピリチュアリズムに受け継がれた。それとともに、「宇宙もの」における描写も明るさを伴う救済的なものへと変化していく。
人類は人類を超えるか
21世紀の大議論の一つ、トランス・ヒューマニズム、ポスト・ヒューマニズムは、アンチ・ヒューマニズムにルーツを持つ。
コンピュータ文化の影響を受け、「人間は進化し、新たな高みに登るべきだ」というポスト・ヒューマニズムや、さらに遺伝子工学によって選択的に人間を「改良」することを是とするデザインド・ヒューマン思想にも、ポップカルチャーが強く関わっている。
20世紀後半のサイバーパンク、あるいはニューロマンティックとして知られるSFの先鋭的な潮流が、『ブレードランナー』(リドリー・スコット)、『イノセンス』(マモル・オシイ)といった優れた映画表現によって人口に膾炙したからである。
卑近な例で言えば、我々が必需品として活用しているチップもポスト・ヒューマニズムの産物と言えるのである。
また宗教に代わって先進各国で力を得たスピリチュアリズムが、そうした人体改造に対して肯定的な見方をとることが多かった点も大きい。
生体工学は、そうした教団から得た豊富な資金によって進化したという側面が否定できない。
当初は遺伝病の予防・治療や、移植臓器不足の解消、自己再生医療など、反対のし難い分野から切り込んできた彼らは、既に「体のよみがえり」であるクローニング技術をものにしていると言われる。
これは哲学的に見ると、魂の肉体に対する優越を説く唯心論を真っ向から否定するもので、様々な宗派がこれに反対を表明しており、クローン生体の人権や相続権をどう考えるかなどについて、未だに法的な議論も途上にあるが、高額な対価と引き換えに実施が続けられているのは公然の秘密である。
公的機関でも、深宇宙探査に従事する要員にはクローニングの権利が与えられているともいわれるが、その実態は未だに機密の壁の向こうにある。
クローン体の平均余命の短さ、記憶情報の注入の難しさと不完全さなどがどこまで・どのように解決されているのかもまったく不明だが、そうした困難が克服されるのも、時間の問題であろう。
こうした動きに反対したキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の限界は、「人間の尊厳の絶対性は、神の絶対性に基づく」としたところにある。
すべての経典の民、信者は、神が自らに似せて人間をつくったという旧約聖書・創世記の言葉の影響下にあり、原理的に有効な反論を行い得ないのである。
教会は遺伝子情報の保護を訴えたが、こうした行動は反対派から、19世紀初頭に機械文明に対し破壊活動を行った人々になぞらえられ、教皇の新ラッダイト運動と揶揄された。
ユニオニズムに基づき深開発に従事した地球連合海軍とヒュームスの活躍により、月と火星の開発は飛躍的に進み、多くの技術者、建設労働者が地球外で居住するようになると、「宇宙もの」のイメージは著しい変貌を遂げた。
宇宙に関する神話性が剥ぎ取られ、より人間らしく、より実証的な作風が増加したのである。
宇宙はもはや、井戸の底から見上げる蒼い夢の世界ではなく、窓の向こう側にある現実の世界なのである。
そしてその世界は、常に人間の生存を脅かす、恐るべき場所でもあった。
そこで生まれた荒々しく生命感に満ちた文化は「コスミックカルチャー」と呼ばれ、地球上の文化にも大きな影響を与えている。
絶対人間主義の成立
地球のバン・アレン帯と大気に守られていない地球外は、宇宙線による遺伝子障害をはじめとした、危険に満ちた世界である。
とくに乳幼児の死亡率は深刻であり、それは人々の生命についての考え方を決定的に変化させた。
コスミックカルチャーの中で涵養された実用主義的な気風には、医療を含めて様々な技術への生体工学の応用を躊躇わない傾向があり、地球上では考えられない実験的な医療もひろく行われている(高額所得者の聖地となっているL5ポイントの医療コンプレックスコロニー「ヘウレカ」を想起して欲しい)。
もっとも貴重なものである生命を救うためには、およそどんなことをしても許される、という発想である。
またそこには、人間はどんなことをしようとも人間である、という、人間性に対する高い信頼感がある。
人体をどんどんサイボーグ化、機械化していこうとも、人間性が損なわれるとは考えないわけだ。これは非常に唯物論的な考え方と言える。
彼らは同様の発想を社会にも持ち込んだ。
ユニオニズムに基づく宇宙開発は、確かに地球上の貧困問題に一定の解決を与えた。
エネルギー問題は木星圏からの核燃料供給によって解消され、今も我々はその力に頼って日々を生きている。
しかし木星圏では具体的な命の脅威が存在し、彼らはその心配の除去のためにはおよそどんなことをしても許される、と考えるわけである。
連合海軍木星駐留軍の反乱は、どう考えても許されない暴挙であるが、彼らはまったくそう考えない。
また、地球連合と激しく全面的に闘争しつつ、エネルギー禁輸には踏み切らないという彼らの矛盾した行為も、彼らにとっては首尾一貫したものなのである。
絶対人間主義の基本となる考え方は、以上のようなシンプルなものである。「ヤマタイ国」内部の事情は不明だが、こうした意見は文献化されているわけではなく、一種の「常識」として木星圏に居住する人々のあいだで共有されているもののようだ。
また現在まで知られている限り、絶対人間主義は特定の宗派を支持していないが、しかし敵対もしていない。
むしろ、排他的な宗派も含めて、信仰の自由に対して非常に寛容であるという報告がある。信仰者の信心に対する敬意を持つ必要がある、というのがその根拠となっているようである。
いわゆる「ヤオヨロズの神」を崇める汎神論として知られる日本の神道は、ファシズム国家によって採用された時期においてすら、自ら他宗教を殲滅しようとした経験を持たない。
神道宗家は記録の残る人類最古の家系だが、やはり世界最古の王権家系である天皇家を支え続けている力の源泉は、この寛容さにあるとも言われる。
絶対人間主義もまた、同様な傾向を持つ思想であると考えられる。
筆者の立ち位置は必ずしも絶対人間主義を全面的に肯定するものではないが、彼らの考えが近代文化、近代思想の延長線上にあることは、以上見てきたように、間違いないのである。
絶対人間主義と「ヤマタイ国」の関係
最後に、多くの読者がもっとも関心を持っていると思われる点について、私見を述べておきたい。
絶対人間主義を標榜する「ヤマタイ国」に対しては、祭政一致の前近代的な政治組織であるとの見方が根強い。特に、政治学の立場からはそう見えるようだ。
しかしながら、思想史の立場から見ると、これはむしろ超・近代の政治なのではないかとの感を強くする。
「ヤマタイ」は古代日本国内に存在したとされる国家の名称だが、この国家の政治や思想については細かい記録はない。ヤマタイはその後ヤマト王権を確立し、古代日本にゆるやかな統一政府をうち建てた「ヤマト朝廷」につながっていくと考えられているが、ヤマト朝廷が国家のバックボーンとして採用した記紀神話は、群雄の和合を目的とした多神教的価値観に基づき創作されたと解釈されている。日本本州は地勢が険しく、狭い耕作適合地を巡って戦乱の多い地域であったが、ヤマト王権の成立以降は外部からの侵略により支配されることなく、様々に文化が栄えた。
絶えざる戦いにあけくれた地中海文明、ゲルマン文明に比べると比較にならない平和な歴史を、現在に至るまで実に18世紀以上紡ぎ続けているのである。
これは人類史における一つの奇跡であり、希望でもある。
その「ヤマタイ」の名を現代、彼らが復活させて受け継いでいることは、偶然とは考えられない。
ヤマト朝廷が採用した記紀神話は、アニミズム、シャーマニズムの段階にあった神道を、経典を持つ一段進んだ段階へと進歩させたものとも考えられる。
そしてそれは極めて非論理的ながら、多文化受容的であり、平和を生んだ。
「ヤマタイ国」は、ヤマト朝廷が成し遂げた和合の奇跡を、絶対人間主義の名の下に現代において復活させようという野心的な試みなのではないだろうか。
[#地付き]了
[#改ページ]
底本
講談社 KODANSHA NOVELS
宇宙海兵隊《うちゅうかいへいたい》ギガース5
著 者――今野《こんの》 敏《びん》
二〇〇八年五月八日  第一刷発行
発行者――野間佐和子
発行所――株式会社 講談社
[#地付き]2008年7月1日作成 hj
[#改ページ]
底本のまま
・Mig-103bis ズヴェズダ (3巻までは Mig-105bis ズヴェズダ)
修正
ウィリアム→ ウイリアムに統一
置き換え文字
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26