宇宙海兵隊ギガース4
今野 敏
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)ひげ面《づら》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)心理|攪乱《かくらん》
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〈帯〉
吉川英治文学新人賞受賞第一作
宇宙《うみ》を駆ける|G《ギガース》≠ツいに木星圏突入!!
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〈カバー〉
GIGAS
In 22nd century, Jupiterrian goes into space-warfare at last.
The human race has not Hept a peace anytime, why not ?
短期決戦を狙っていた地球連合軍の思惑は外れ、木星圏の反乱者=ジュピタリアンとの戦いは、膠着状態へともつれ込む。そんな中、最新型|HuWMS《ヒュームス》(Human-Style Working Machine Standard)「ギガース」を操る美少女パイロット、リーナ・ショーン・ミズキ少佐と、反乱の首謀者とされる謎に包まれた『ヒミカ』との間に、思わぬ共通点が発見される……。著者の深いこだわりと想いが炸裂する、スペース・ロボット・オペラの決定版!
FROM 今野 敏
ギガース3から3年も間があいてしまいました。申し訳ございません。木星圏独立戦争の秘密を握る新キャラも登場。最終話に向けて盛り上げていきます。ちなみに、この作品の設定等が、アニメ化された某コミックのパクリではないかという声がありますが、実はこちらのほうが早いのです。最初の「宇宙海兵隊シリーズ」は1990年に発売されました。ちょっとだけ言い訳しておきます。
今野 敏 BIN KONNO
1955年北海道三笠市生まれ。
自ら空手道「今野塾」を主宰する。
2006年に『隠蔽捜査』(新潮社)で第27回吉川英治文学新人賞を受賞。
おもな著作に『蓬莢』『イコン』『ST 警視庁科学特捜班』(以上、講談社)などがある。
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宇宙海兵隊ギガース4
[#地から1字上げ]今野 敏
[#地から1字上げ]講談社ノベルス
[#地から1字上げ]KODANSHA NOVELS
目次
第六章 木星圏遠征
[#地から1字上げ]世界解説=大塚健祐
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第六章 木星圏遠征
ノブゴロド空軍基地
「やっぱり、俺が言ったとおり、俺たちはノブゴロドに帰ってこれたじゃないか」
ひげ面《づら》のアレキサンドル空軍中尉が言った。それを聞いて、思慮深いユーリ中尉がかすかに顔をしかめるのを、オージェ・ナザーロフ大尉は笑みを浮かべて眺めていた。
一般に空間エアフォースと呼ばれている地球連合軍の宇宙空軍に所属しているナザーロフ要撃部隊の隊員たちは、くつろいでいた。
たしかに、思いのほか空軍基地のあるノブゴロドでの滞在が長くなっていた。ノブゴロドは居心地がいい。回転による人工重力が一Gに保たれているので、月面よりもむしろ居住性がいいくらいだ。
なにより、ノブゴロドの風景は、スターリン様式の尖塔《せんとう》のある建物やロマノフ王朝様式の寺院などがあり、白樺やポプラの森林が心を和《なご》ませる。
空間エアフォースは、地球時代のロシア軍の影響を色濃く残しており、隊員も圧倒的にロシア系が多いからだ。
ノブゴロドは、月と地球のラグランジュ点の一つ、L5にあるコロニー群の中の一つだ。
L5は月の公転軌道上にあり、地球から見て月とちょうど六十度の角度にある。つまり、月や地球と正三角形を成《な》す位置にあるのだが、月の公転軌道上にあるため、地球と月の間よりもずっと簡単に行き来ができる。地球の重力を振り切る必要がないからだ。
だから、月の軌道は空間エアフォースの縄張りだった。
生粋《きっすい》のロシア人であるアレキサンドルなどは、ノブゴロドの滞在を心から喜んでいたが、ユーリはそうではないようだった。
ユーリは、気づいているのだと、オージェは思った。
木星圏のテロリストたちが月の南極にあるエイトケン天文台を占拠しようとした。強襲母艦アトランティスは、その作戦を阻止することができた。
いや、正確にいうとアトランティス所属のギガースが、月の周回軌道上からランディングを強行し、敵を制圧したのだ。オージェも成り行き上、それに付き合うことになった。
帰投命令が出ていたにもかかわらず、危険な月面着陸を強行したのだ。当然、ギガースのドライバー、リーナ・ショーン・ミズキ少尉とオージェは、ノブゴロドに着くまで、自室での謹慎を命じられた。
命令違反だというのに、おそろしく寛大な措置だった。エイトケン天文台を守ったという功績のおかげであることは間違いなかった。
「月面の上陸戦」に先立つ「火星上空の戦い」では、火星の衛星軌道上にある施設の生命線ともいえるマスドライバーを破壊された。
これは甚大《じんだい》な被害だった。その上、エイトケン天文台を占拠されたら、物量・兵員数ともに圧倒的優位に立っている地球連合軍といえども、安穏《あんのん》とはしていられなかったかもしれない。
ジュピタリアンがエイトケン天文台を狙った目的は明らかだ。エイトケン天文台は電波天文台だ。
クレーターの湾曲面を利用して、そこにパラボラアンテナを並べている。クレーター自体を巨大な一つのパラボラアンテナに仕立てているわけだ。
電波天文台は、宇宙からのありとあらゆる波長の電磁波を受信する。そこを占拠すれば木星圏から直接発信された電波を受信し、それをさらに月自治区、火星自治区、そして地球に流すことができる。
ジュピタリアンの情宣活動に使えるわけだ。敵の放送施設を押さえるというのは、都市侵攻作戦やクーデターの常套《じょうとう》手段だ。
いや、エイトケン天文台を死守できたものの、すでに地球連合軍は尻に火がついているのかもしれないと、オージェは考えていた。
ノブゴロドの滞在が長くなった理由はそこにあるような気がする。つまり、軍の上層部は、大きな作戦を計画しており、その準備に時間がかかっているのだ。
ユーリはそれに気づいているというわけだ。いや、ユーリだけではない。他の隊員も気づいている。アレキサンドルだって気づいているに違いない。
アレキサンドルは、不安など決して表に出さない男だ。だから、わざと脳天気なことを言ってみたりするのだ。
これまでにないほどの大きな作戦になるかもしれない。オージェはそんな気がしていた。そして、もしそうなら、またアトランティスが中心となって戦うことになるだろう。
現在、アトランティスには最新鋭の兵器が集められ、艦載機の代わりにオージェの要撃部隊が配備されている。つまり、連合軍最強の艦なのだ。
しかもその戦力は、同じニューヨーク級の戦艦の中でも突出している。
軍人なのだから、戦うことに異存はない。作戦を与えられたら、全力で遂行《すいこう》するだけだ。だが、オージェはジュピタリアンたちとの戦いに、つい違和感を抱いてしまうのだった。
その違和感の正体は正確にはわからない。
疑問に思うことはいくらでもある。
なぜ、アトランティスだけに特別な戦力が与えられるのか。
その象徴は、ギガースという海兵隊の新型ヒュームスだ。完全なプロトタイプで、見るだけで莫大な費用を注ぎ込んで作られた機体であることがわかる。
ギガースで得られたデータをもとに、主力ヒュームスだったクロノスが改良され、新たにクロノス改が海兵隊に配備されたが、いかにもとってつけた措置のような印象がある。
今後ギガースが量産されることなどないだろう。そんな機体がなぜ作られたのだろう。
オージェは不思議に思う。
さらに、そのおそろしく高価な新鋭機を操縦しているのは、まだ二十歳にもならないリーナ・ショーン・ミズキ少尉だ。
その点も疑問の一つだ。
新鋭機ならば、小隊長のカーター大尉が乗るべきだ。だが、カーターは、クロノス改に乗っている。
そして、エイトケン天文台での戦いで、捕虜となった敵がミズキ少尉を見て、「ヒミカ」と呼んでいた。
ヒミカとは、木星圏の宗教的指導者であり、政治と軍事の実権を握っている人物の名だ。
これはどういうことなのだろう。
たしかに、ミズキ少尉は普通ではない。「火星上空の戦い」では、不思議な行動を取った。軌道上でぴたりと動きを止めたのだ。
敵の恰好《かっこう》の餌食《えじき》になる行為だ。だが、実際にはそうはならなかった。それまで一糸乱れぬ行動を取っていた敵戦闘機のトリフネの動きが急にぎこちなくなったのだ。
たしかに、彼女はあそこで何かをやっていた。それが何かはわからない。
そして、「月の上陸戦」では、誰も考えもしなかったヒュームスによるランディングを単独でやってのけたのだ。
ギガースにはその能力があると、ミズキ少尉は言っていたが、理論と実践は別物だ。過去にギガースで月面着陸の訓練をしたことがあるとは思えない。
どうしてミズキ少尉は、あんな真似ができたのだろう。
それらの疑問が交錯している。
ジュピタリアンとの戦いは、膠着《こうちゃく》状態に入っている。
開戦当初、地球連合軍の誰もが短期決戦の勝利を信じて疑わなかった。軍の規模が違う。オージェもそれを信じていた一人だ。
だが、実際は違っていた。木星圏の連中は地球の住民とは違う。その政治形態は、実に原始的に思える。
政治的な高官がそのまま軍事的な高官でもある。そして、彼らは、ヒミカが唱《とな》える『絶対人間主義』を信奉している。それは、封建時代か、それ以前の古代的な政治システムに似ている。
だが、いざ戦争となるとその原始的な政治形態がきわめて有効に作用しているように見える。
違和感の正体は、その木星圏の人々に対する一種の不気味さなのかもしれない。いや、不気味さというのは、正確な言い方ではないとオージェは思った。
ただ不気味なだけではない。明らかにオージェは、木星圏の連中に対して一種の恐怖を抱きはじめている。理解できないものへの恐れだ。
この私が恐れている?
オージェは自問した。
敵を恐れているということだ。自分自身で認めたくはなかった。だが、認めなければならない。
あのトリフネという機動兵器は強敵だ。そのトリフネを作り、運用している木星圏の人々はさらに強敵だ。
だが、それだけではない。オージェの、木星圏の人々に対する恐れは、単なる恐怖ではない。それは、おそらく畏怖だ。
神秘なものへの怖れ。
いくばくかの敬う気持ちも混じっている。
それが、違和感の正体なのかもしれない。
そして、オージェは気づいた。
私はミズキ少尉に、ジュピタリアンに対する畏怖と似たようなものを感じているようだ。
それも、この戦いにつきまとう違和感と関係がありそうだった。
海兵隊の第一小隊長、エドワード・カーター大尉は、各分隊の役割について考えていた。基本的にはこれまでどおりだ。だが、新たに考えなければならないこともある。
第一分隊は、チーム・レッドと呼ばれ、最後尾で母艦を守る。チーム・レッドには、戦闘用ヒュームスの第一世代であるM1−S1テュール三機が配備されている。
テュールは、突撃艇と呼ばれる小型船とケーブルでつながれている。そのケーブルにより、補助電力や各種のデータが供給されている。
空間エアフォースの連中は、ヒュームスのことを「操り人形」と呼んで蔑《さげす》んでいるが、それはこのテュールのことを揶揄《やゆ》した言葉だった。
ケーブルで突撃艇に接続されているテュールは当然機動性が著《いちじる》しく劣る。戦闘用として開発された機体だが、一般の作業用ヒュームスと大きな違いはない。
第二分隊はチーム・イエローと呼ばれている。かつては、チーム・イエローもテュールを使用していたが、今ではヒュームス第二世代のM2クロノスを使用している。
クロノスは、突撃艇のケーブルから解放された機体だ。機動力はアップしたが、それでも敵の機動兵器であるトリフネや空間エアフォースの戦闘機には遠く及ばなかった。
チーム・イエローは、ミッドフィルダーだ。戦いの流れによって、攻撃に参加したり、チーム・レッドとともに防御に回ったりする。
チーム・イエローにも突撃艇がある。テュールを使っていたときの名残なのだが、トリフネとの戦闘を経験するうちに、突撃艇の役割が見直されつつあった。
クロノスの機動力不足を補うために使用されるのだ。トリフネと比較してクロノスの機動性は著しく劣っている。突撃艇の機動力によってクロノスをさらに活かすことができると考えられるようになった。
第三分隊は、チーム・グリーンと呼ばれている。チーム・グリーンには、最新鋭機のXM3ギガースと、M2−A1・クロノス改二機が配備されている。
クロノス改は、ギガースの戦闘データにより、改良を加えられた機体だ。最大の改良点は、ギガースのような大出力のメインスラスターを装着した点だった。これにより、機動力は格段にアップした。
ヒュームスはペイロードが限られているうえ、真空中では、腕や脚の関節などの可動部が「金属の拡散と固着」という現象が起きてすぐに劣化するため、作戦行動時間が短い。クロノス改で約三十分、ギガースで約五十分だ。
これは、空間エアフォースの戦闘機の約百五十分から二百分に比べればずいぶんと短い。だが、短時間であれば、機動力は戦闘機とほぼ互角になった。
チーム・グリーンは常に戦いの最前線に出る。
だから、最新鋭機のギガースがチーム・グリーンに配備されるのは当然のことのように思われている。
だが、カーターは、ギガースがただ戦力の向上のためだけに配備されたのではないことを知っていた。ギガースとともにドライバーのリーナが着任したからだ。
リーナは、サイバーテレパスなのだという。軍人の多くは現実主義者だ。カーターもそうだった。だから、サイバーテレパスなどというものは、技術屋の戯言《ざれごと》だと思っていた。
だが、リーナは次々と不思議なことをやってのけた。
高度に発達したコンピュータシステムとインターフェイスなしでコンタクトできるのがサイバーテレパスだという。リーナは、ヒュームスのメインコンピュータのOSであるムーサについて語るとき、まるで人格があるような言い方をする。
そして、リーナは実際にインターフェイスなしでムーサとコンタクトしたことがある。
リーナは、海兵隊では少尉だが、現在でも海軍情報部に所属しており、実際の階級は少佐だ。それは、アトランティスの中でも、カーターと艦長のクリーゲル准将、作戦司令のエリオット大佐、そしてリーナ本人だけが知っている秘密だ。
リーナの本来の任務は、トリフネの管制システムを解明することなのだそうだ。
トリフネは、激しいECM(電子対抗手段・電子戦の一部)の中でも一糸乱れぬ連携行動を取る。何らかの管制システムがなければ、宇宙空間であのような動きは不可能だ。
海軍情報部は、リーナにそのシステムの解明を命じたのだ。つまり、リーナはできるかぎりトリフネと接触しなければならない。そのために、ギガースがリーナに与えられたのだろうと、カーターは考えていた。
そこで、カーターはふと不思議に思ってしまう。
海軍というのはそれほど気前がよかっただろうか。
まるで、戦争そのものよりもトリフネとリーナを接触させることを重視しているようにも思える。
そんなばかな話はない。トリフネの管制システムを解明するのは、あくまで戦争で優位に立つためだ。
カーターは、海軍情報部や海軍司令部の考えていることが理解できなかった。
この戦争自体が何か不合理な気がする。戦争そのものは、もともと不合理なものだが、戦略や戦術は合理性の追求だ。だから、戦争が科学を発達させる一面がある。
地球時代のことを考えても、造船の技術や、航空機の技術は戦争がなければ、急速な発達は望めなかっただろう。
宇宙開発にしてもそうだ。米ソが宇宙開発競争を演じていたのは、科学技術が軍事的優位と直接結びついていたからだ。
人々は宇宙の海に船出した。今では、月や火星の自治区に多くの人々が住んでいる。そして、木星圏でもすでに第二世代、第三世代が生まれている。
木星圏の人々は地球連合軍に対して戦争を仕掛けてきた。独立戦争という名目だった。木星圏は、エネルギー・プラントの要所だ。核融合炉の実用化は、木星圏で達成された。
木星圏は、核融合の燃料である重水素とヘリウム3の供給地だ。また、核融合の技術に関しては、地球より木星圏のほうがレベルが高いといわれている。
もともと、木星圏には核融合に関する研究所やプラントがいくつもあった。木星圏は核融合の最先端地だったのだ。
地球連合は、その要地を失うわけにはいかない。木星圏の独立を阻止すべく、開戦に踏み切ったというわけだ。
人類が初めて経験する宇宙戦争だった。
地球連合軍も木星圏も、甚大な被害があった。最初の戦いである「カリスト沖海戦」で、地球連合軍はニューヨーク級強襲母艦のザオウを失った。
また、アストロイド・ベルトの偵察任務中に、巡洋艦のロングビーチとホー・チ・ミンが消息を絶った。安否《あんぴ》はいまだに確認されていないが、宇宙の海で沈黙したということは、ほぼ百パーセント絶望であることを物語っている。
ニューヨーク級の強襲母艦は、人類史上で最も高価な乗り物だ。船だけではない。宇宙の施設にはいずれも莫大な費用が投じられている。
「火星上空の戦い」で失ったマスドライバーもそうだ。いまだに、マスドライバーの復旧の目処《めど》が立っていないのは、経済的な問題が大きい。
一方、木星圏も「火星上空の戦い」で、巡洋艦クラスの艦を一隻失っている。損傷が大きく、火星の周回軌道を離脱できなくなった敵艦が、マスドライバー施設に突っ込んだのだ。
人的な被害も少なくない。月面のエイトケン天文台では、捕虜になったジュピタリアンたちが暴動を起こして、全員射殺されたという。
カーター小隊も、仲間を失った。
いや、失ったと思っていた。
カーターは、そのことを忘れようとしていたが、とても忘れられるものではない。
「カリスト沖海戦」で、チーム・グリーンのサム・ボーン少尉が宇宙の海に沈んだ。急加速で軌道を外れたサムのクロノスが、カリストの引力を振り切り深宇宙に飛び去ったのだ。
誰も助けられないはずだった。だから、サムは死んだものとカーターは思っていた。サムの代わりに配属されたのが、リーナだった。
だが、カーターは、「火星上空の戦い」でサムに再会している。サムは敵の機動兵器であるトリフネに乗っていた。敵に寝返ったのだ。
いや、実際に顔を見たわけではない。軌道上の戦闘では相手を直接見ることは不可能だ。だから、敵の心理|攪乱《かくらん》戦術かとも疑った。
だが、サムが本当に生きていたのだとしたら、これはいったいどういうことなのだろうとカーターは何度も考えた。
宇宙の深淵《しんえん》に沈んでいったサムを助けられる者などいないはずだった。サムがトリフネに乗っていたことを考えると、サムを助けたのはジュピタリアンだということになる。
軌道を外れたヒュームスを救助に行くなど、ほとんど自殺行為だ。ジュピタリアンは、なぜ危険を冒《おか》してまでサムを助けたのだろう。
そう考えると、どうも落ち着かない気分になってくる。
おっと、分隊の運用について考えなければならないのだったな……。
カーターは、思った。
エリオット作戦司令にレポートを提出しなければならないのだ。
陸《おか》にいる時間が長くなると、どうも余計なことを考えてしまう。宇宙の戦争というのは、戦いと戦いの間がおそろしく長い。宇宙の海は戦争をするには広すぎるのかもしれない。
アトランティスは今、空軍基地のノブゴロドに寄港している。艦船が空軍の基地に寄港するというのも妙な話だが、もともと戦闘機と呼ばれるものも戦艦と呼ばれるものも、同じ宇宙船なのだ。空軍基地であれ、コロニーなのだから大型宇宙船用のドッキング施設がある。
寄港が長引いている理由について、カーターには察しがついていた。かつて、同じようなことがあった。「カリスト沖海戦」に向かう前のことだ。
通常、ニューヨーク級強襲母艦の作戦運用時間は、三ヵ月と決められている。だが、遠征に出るときは別だ。惑星間の遠征では慣性航行を基本とするので、無寄港で二年以上の旅が可能だ。
作戦運用時間というのは、常に加速や減速のために推力を必要とする戦闘を想定して割り出されたものだ。推進剤や弾薬、武器のエネルギーなどを考慮して計算される。
一方、ニューヨーク級を単なる宇宙船と見れば、二年くらいの巡航はまったく問題ない。ただし、通常の任務と違い、厳密なペイロードの計算が必要だ。
ヒュームスや戦闘機用の推進剤も積み込まなければならないし、弾薬も必要だ。加えて、将兵たちの食料、飲料水などが不可欠だからだ。
そうしたペイロードの確保のために、余計なものはすべて陸揚げしなければならない。武器も厳選する必要がある。エリオット作戦司令がヒュームス小隊の運用をあらためて考えるように指示したのは、そのためだ。
無駄な武器もすべて置いていく。必要最小限の武器を合理的に運用して戦果を上げなければならない。
乗組員も最小限に抑えなければならない。つまり、兵員もぎりぎりというわけだ。通常の任務ならば、ヒュームス・ドライバーや戦闘機のパイロットは、出撃時以外はやることがない。
だが、長い航海になると艦内の仕事もやらなければならなくなるだろう。なにせ、もともとヒュームスというのは作業用に開発された機械だ。船外活動で、船の修理をやらされることもあるかもしれない。
また、機関室の中性子被曝区域や、放射線被曝区域での作業もやらされることもあるだろう。
メカニックも必要最小限の人数しか連れて行けないので、ヒュームスや戦闘機のメンテナンスの多くの部分はドライバーやパイロットが負担することになるだろう。
月から木星への往復約二年の旅は、やはり長旅だ。最新鋭のニューヨーク級強襲母艦といえどもどんな不具合を起こすかわからない。
カーターは、今回の戦争の端緒《たんしょ》となった「カリスト沖海戦」のことを思い出していた。ザオウとアトランティスの二隻が木星圏に送り込まれた。
地球圏のそばでは、ニューヨーク級はヒュームス二小隊、艦載機二小隊を搭載しているが、「カリスト沖海戦」のときは、ペイロード計算の結果、それぞれ一小隊しか積み込めなかった。
今回もそうなるだろう。そして、連れて行かれるのは第二小隊ではなく、カーターの第一小隊と、オージェ・ナザーロフの要撃部隊であることは間違いない。
第一小隊にはギガースがいるし、ナザーロフ部隊は、艦載機を下ろしてまでアトランティスに配属したのだ。
オージェ・ナザーロフの部隊にも新型機が配備された。つまり、カーターの小隊とオージェの要撃部隊は、今のところ最強の小隊なのだ。他の選択はあり得ない。
「カリスト沖海戦」では、敵のミラーシップとの軌道上の同航戦となった。つまり、同一軌道上を同方向に回りながら戦闘をしたのだ。
あのときも、アトランティスとザオウに積み込んだヒュームス小隊は、一つだけだった。だが、あのときとは違うとカーターは思った。ギガースがいて、ギガースに近い機動性を持つクロノス改も配備されている。そして、オージェの要撃部隊がいる。
「カリスト沖海戦」は、実際のところ負け戦だった。
同じ過《あやま》ちを二度繰り返すわけにはいかない。今度木星圏まで遠征するときは、最終決戦でなければならない。
各分隊の運用の仕方をまとめるためには、どうしてもギガースの戦力を考慮しなくてはならない。
カーターは、迷った末にドライバーのリーナのもとを訪ねることにした。
カーターたち海軍の将兵は、ノブゴロド空軍基地内の宿舎に寝泊まりしていた。ロシア軍の伝統がある空軍なので、どんなひどいところに押し込められるのかと、上陸前には心配したものだが、空軍基地の宿舎はなかなかのものだった。
特に士官にはすべて個室が与えられた。カーターはリーナが与えられている部屋のドアをノックした。すぐにリーナが顔を出した。
「ちょっと話がしたいのだが……」
「どうぞ、お入りください」
カーターは一瞬だけ躊躇《ちゅうちょ》した。若い女性の部屋に入ることに抵抗があった。だが、すぐに考え直した。リーナは部下なのだ。
「失礼する」
カーターは、部屋に入ったが、ドアは開けたままにしておいた。
「クロノス改の配備によってヒュームス小隊は機動力が増した。新たな役割が考えられるかもしれない。そこで、分隊毎の運用についてレポートを出すようにと、エリオット作戦司令にいわれた」
リーナは、緑がかった茶色の眼でまっすぐにカーターを見ていた。
「そこで一つ訊いておきたいことがある。おまえさんはまだ解明されていないトリフネの管制システムを妨害したことがあったな」
「はい」
「サイバーテレパスであるおまえさんにしかできない芸当だ。だが、あのとき、ギガースは完全に動きを止めてしまった」
「精神を集中する必要がありました」
「あのときは無事だったが、戦場で動きを止めるということは、ただの的になるということだ。危険な行為だ」
「そうかもしれません」
「トリフネと遭遇したとき、おまえさんはまたその管制システムにコンタクトしなければならないだろう。トリフネの管制システムを解明することが、おまえさんに与えられた本当の任務なのだからな」
「はい」
「そのたびに、ギガースが動きを止めていたんじゃ、危なくて仕方がない。チーム・グリーンはおそらくトリフネとドッグファイトの最中だから、ギガースを掩護《えんご》することはできない。チーム・イエローかチーム・レッドに掩護を頼むことになると思う。だから、それをやるときは、戦線から後退してやってくれ」
「ご心配には及びません。相手の思念パターンを記憶していますので、次回は最初のときほど精神を集中する必要はないと思います。動きながらでもやれるはずです」
リーナが実際にどんなことをしているのか、カーターにはまったく想像がつかなかった。目の前にいるというのに、サイバーテレパスなどというものがいまだに信じられない。
だから、リーナの言うことを聞き入れるしかない。
「わかった。では、そのつもりで、分隊の運用を考える」
「よろしくお願いします」
「もう一つ、訊いてもいいか?」
「はい」
「トリフネの管制システムにはおまえさんと同じサイバーテレパスが関与しているのだな?」
「そう考えていいと思います」
「そのシステムが解明されたら、当然、地球連合軍は同様のシステムを開発するだろう。そのときには、おまえさんがそのシステムを動かすことになるのか?」
「エスパーの中でもサイバーテレパスはごく稀《まれ》なのです。そういうことになるかもしれません」
それを聞いて、カーターはなぜかいたたまれない気持ちになった。トリフネの管制システムがどのようなものかカーターにはまったくわからない。だが、リーナはかつて海軍情報部でモルモットのような扱いを受け、さらにこの先戦争の道具にされようとしていることだけはたしかだ。
地球連合軍が、そんなシステムを開発する前に戦争が終わってくれればいいが……。
軍人として考えるべきことではないことは自覚している。だが、カーターはそう思わずにはいられなかった。
地球連合・日本
トウキョウ・メトロポリス・シオドメ
コニー・チャンは、ケン・ジンナイ上院議員の海外出張を同行取材していた。出張先はジンナイの母国でもある日本だ。
ジンナイ自身はアメリカで生まれたが、両親は日本人だった。今回の出張は、経済的な諸問題に対する視察という名目だが、実は、反戦派政治勢力の秘密会議が計画されていた。
アメリカ国内での、軍やUNBI(連合保安局)の監視は次第に厳しくなってきていた。
地球連合政府の戦時下体制は、じわじわと強化されている。政府の秘密主義が強まり、市民に対する監視態勢も強化されつつあった。
すべてのウェブ・サイトはほぼ検閲《けんえつ》に近い形で監視されていたし、電子メールや電話は強力な傍受《ぼうじゅ》システムでチェックされていた。
どこかで、政府が定めたキーワードが発見されたら、その発言者がたちまち割り出されて、監視衛星にデータが送られる仕組みになっているらしい。
また、出版物や放送にも有形無形の圧力がかかり、マスコミ各社は自主規制を余儀なくされていた。
コニーもジンナイもUNBIに監視されているのは明らかだった。コニーは、反戦派のジンナイ議員の仲間と目されているのだ。
だから、むしろ今回の旅に同行することに抵抗はなかった。いまさらUNBIに、ジンナイとの関わりを隠し立てする必要がないからだ。
地球時代から日本は、平和推進派の勢力が強いといわれていた。日本を腰抜けと呼ぶ他国の議員は多いが、ジンナイは好戦的でないことに誇りを持っていた。
日本は、世界中で最初に核攻撃を受けた国だ。残念なことに、時が経《た》つにつれてその生々しい記憶は薄れつつあるが、歴史は残りつづける。
秘密会議を前に、ジンナイ議員は日本の国会議員の一人と昼食を取ることになっていた。その議員の名は、ユカワ・ナオト。リベラル派の議員で、現在は野党にいるが、いずれ政権が交替したときには首相になるべき男だといわれていた。
昼食には、ユカワ・ナオトの側近といわれる若手の議員が同行していた。シマダ・ユキオという名だ。ジンナイの側は、秘書のオオタとコニーが同席を許されていた。
昼食会は、ジンナイたちが滞在しているホテルのレストランで行われた。シオドメにある高層ホテルだ。
個室が用意されて、漆《うるし》塗りの重箱の豪華な和食弁当が出された。会席料理などではないのは、ウエイトレスなどの出入りをなくすためだ。
「危ない橋を渡っているようじゃないか」
ユカワ・ナオトが言った。流暢《りゅうちょう》な英語だった。コニーはほっとした。二人は英語で会話をするつもりのようだ。日本語で話されたらちんぷんかんぷんだ。
ジンナイは、平然とカマボコを口に放り込みうまそうに味わってからこたえた。
「どうしてそう思うんだ?」
「俺を何も知らないマヌケと思っているのだろうが、実はそうでもないんだ」
ジンナイがほほえんだ。
「どの程度のことを知っている?」
「UNBIは、あんたとあんたの仲間たちをマークしている。そこにおいでの秘書さんや、プラネット・トリビューンの記者さんだ」
ユカワがちらりとコニーのほうを見た。ユカワはなかなかのハンサムだ。すでに五十歳を超えているが、まだ髪は豊かで黒々としている。
目尻のしわが優しそうな印象を与えるが、どうやら本質はなかなかの頑固者のようだ。語調や眼差しでそれがわかる。
「そう。私は危険な立場にいる。だから、助けが必要だ」
「俺はこの戦争を終わらせたい。だから、ここにこうしているんだ」
「当てにしていいという意味か?」
ユカワはうなずいた。
「そう。やるだけのことはやる。ここにいるシマダも同じ気持ちだ。我々の党は、常に反戦を訴え続けている」
「だが、日本からの反戦の声は世界にはあまり届いていない」
「俺たちは野党だからな。与党はアメリカの方針に逆らわない。これはほとんど日本の伝統といっていい。宇宙時代になっても、昔の政治形態を引きずっているというわけだ。連合政府の実権を握っているのはアメリカだ」
「だったら、早く政権を取れよ」
今度はユカワが笑みを浮かべた。
「日本人というのは、常に保守的なんだ。それに戦争に関してはアメリカに恩があると思い込んでいる国民が多数派だ。アメリカのおかげで、ジュピタリアンとの戦争に日本の軍隊が駆り出されなくて済んでいると信じている」
「だが、火星自治区や月自治区、コロニー基地などでの補給や補修活動をやっているのは、主に日本だ。そして、今回の戦争でクローズアップされたヒュームスを開発、提供しているのはもともと日本がほとんど出資しているカワシマ・アンド・ヒューズ社だ。さらにいえば、ヒュームスの技術はもともと日本人が研究開発した」
「わかっている。だが、国民は日本が戦争に加担しているという自覚がない」
ジンナイは肩をすくめた。見かけはユカワらと変わらない日本人の風貌《ふうぼう》だが、やはり身振りはアメリカ的だ。
「自覚があろうがなかろうが、戦争をしているんだ。地球連合軍が木星圏と戦争を始めたのだから、地球連合政府に属している日本だって戦争に参加しているわけだ」
「日常感覚として戦場はあまりに遠い。火星の衛星軌道上や月が戦場になっていても、一般の人々は戦争をやっているという実感があまりない」
「だが、連邦政府の言論弾圧は日増しに強まっている。戦時下体制を言い訳にメールや電話などのキーワードチェックをやっている。これは事実上の検閲だ」
「わかっている。軍の憲兵隊とUNBIは、まるで大昔の日本の特高かソビエト連邦時代のKGBのつもりでいるようだ」
「一刻も早く戦争を終わらせないと、言論弾圧や人権侵害はますますひどくなる。日本人だって被害を受けることになるんだ」
「ジュピタリアンは、『ヤマタイ国』を名乗っており、その指導者の名前は『ヒミカ』だ。『ヤマタイ国』というのは、日本に初めてできた国の名前だし、それを統治していたのは、卑弥呼《ひみこ》というシャーマンだった。『ヒミカ』という名前はこの卑弥呼によく似ている。いや、古代の日本語では卑弥呼のことを『ヒミカ』と発音したという説さえある。ジュピタリアンたちは自分たちのスペース・プレーンのことを『アメノカク』と呼び、燃料を『ヒノカグツチ』と呼ぶ。また、戦闘機のことを『トリフネ』と呼んでいるらしいが、これらは、いずれも『古事記』や『日本書紀』といった日本創世の物語に出てくる神々の乗り物だ。日本人は、こうしたネーミングに複雑な思いを抱いている」
「私にも日本人の血が流れている。なぜ、ジュピタリアンたちが日本の古代や神話の中の言葉を使うのかはわからないが、彼らのネーミングにはたしかに複雑な思いがする」
「ヒミカが日本人なのかもしれない」
「どうかね。ヒミカという人物は謎に包まれている」
ユカワは茶をすすってから、尋ねた。
「どうやって戦争を終わらせる?」
「この戦争には大きな秘密がある。木星圏が独立を宣言して戦争を始めたということになっているが、その開戦にいたる経緯自体が疑わしいと私は考えている」
「その秘密とは何だ?」
「まだはっきりしたことはわからない。だが、ジュピター・シンドローム第二世代や第三世代が関係している。ジュピター・シンドロームというのは、木星圏の強力な磁場や電磁波、放射能などの影響で、各種の癌《がん》や白血病などが多発する症状だ。遺伝子もダメージを受けるので、第二世代や第三世代はしばしば障害を持って生まれてきた。だが、ごく稀に、障害ではなく超常的な能力を持って生まれてくる子供たちがいた。いわゆるESPというやつだ。そして、海軍情報部は、長年にわたってESPについて研究を続けていた」
ユカワはうなずいた。
「これはあまり知られていないが、どこの国の軍隊でもESPについては研究していたんだ。地球時代の最後の大戦となった第二次世界大戦時のドイツでは、超能力だけでなくあらゆるオカルトについての研究が行われていた。ソ連でもESPの研究は盛んで、当時はアメリカより一歩先んじていた。だが、ソ連崩壊後、財政難や冷戦の終結といった事情からロシアではその類の研究が先細りとなり、アメリカが優位に立った。当時のアメリカでは、FBIも透視能力を持った超能力者に捜査協力を依頼してある程度の実績を上げていたという」
「そう。アメリカは、その後、ESP研究の分野ではほぼ独走状態だった。そしてその研究を担っていたのは、軍隊だった。地球連合軍の海軍情報部はその伝統を受け継いでいる」
「具体的な話を聞きたい」
ユカワは言った。柔和《にゅうわ》そうに見えるが、本来は短気な男のようだ。くどくどした説明よりも結論をまず聞きたがるタイプだ。
「軍を窮地に立たせる情報が必要だ。私は、この戦争は、実は木星圏の人々が始めたのではなく、連合軍によって始めさせられたのではないかと考えている」
「根拠は?」
「ヤマタイ国のスパイと接触したよ。タカメヒコという称号を持っている男だ。ヒコというのは、ヤマタイ国では政府の高官であると同時に軍隊での高級将校に与えられる位らしい」
ユカワは、一瞬眼をむいてジンナイを見つめた。隣のシマダも驚きの表情だ。
「たまげたな」
やがて、ユカワは言った。「そんな事実が発覚したら、たちまちUNBIに逮捕されるぞ。あんた、すべてのキャリアを失うことになる」
ユカワを見るジンナイの眼が鋭さを増した。
「私は腹をくくっているんだ」
ユカワはしばらく無言で何事か考えていた。
「俺にあんたの危険な賭けに付き合えということか?」
「反戦派の秘密会議を開くなどという段階で、もう巻き込まれている」
コニーはユカワの反応をひやひやして見守っていた。ここでユカワがジンナイと袂《たもと》を分かてば、反戦派の組織化の目論見は大きく後退するだろう。
ユカワは突然、にっと笑顔を見せた。
「戦争を終わらせるというあんたの言葉を信用していいようだな」
「反戦はジンナイ家の家訓だ」
「あんただけにいいカッコをさせるわけにはいかん。腹をくくっているのは俺も同じだ」
ジンナイはうなずいた。
「そう言ってくれると思った」
コニーはそのやり取りを聞いて、ほっとしていた。
「軍を追いつめる決定的な情報が必要だと言ったが……」
「ああ。使える手は何でも使わなきゃ。マスコミは事実を報道しづらくなってきている。だが、月や火星からネットで流すという手がある」
「海軍情報部がESPの研究をしていたことや、ジュピター・シンドローム第二世代、第三世代が開戦に関係していると知って、あんたは何をぐずぐずしているんだ?」
「決定的な情報がまだつかめていない」
「俺に隠し事はしていないだろうな?」
「隠し事……?」
「そう。知っているのに、故意に触れずにいる話題とか……」
「そんなものはない」
「では、本当に知らないのか……。これは、灯台もと暗し、というやつだな」
コニーは、思わず眉をひそめた。ユカワはいったい、何を言っているのだろう。
ジンナイも同じ気持ちだったのだろう。戸惑《とまど》った表情でユカワを見つめていた。
ユカワは、隣席のシマダに目配せした。シマダはうなずいて話しはじめた。
「海軍情報部に、エドガー・ホーリーランドという提督がいます。階級は中将。ご存じですか?」
ジンナイはオオタの顔を見た。オオタはかぶりを振った。それから、コニーに尋ねた。
「君は知っているか?」
記憶になかったので、コニーは正直にこたえた。
「いえ。知りません」
ジンナイは、シマダに尋ねた。
「その提督がどうかしたのかね?」
「エドガー・ホーリーランドは、海軍情報部におけるESP研究の責任者です。そして、かつては、木星方面隊の司令官でした」
「つまり……」
ジンナイは眉をひそめた。「その人物が今回の戦争にまつわる数々の謎についてすべて知っているというわけか?」
シマダはうなずいた。
「少なくとも、あなたが関心を持たれていることに、関与していたのは間違いないでしょう」
「どういうことだ?」
「ホーリーランド提督は、木星圏でジュピター・シンドローム第二世代、第三世代の人体実験をやっていたという噂です」
コニーは驚いた。
同時にジャーナリストとして恥ずかしく思った。アメリカ人の提督のことを、アメリカのジャーナリストであるコニーが何も知らなかったのだ。
ジンナイが尋ねた。
「どのような人体実験なんだ?」
「わかりません。しかし、ESPに関係していることは明らかです。そして、エドガー・ホーリーランドが地球に戻ってきてほどなく、木星方面隊は消滅しました」
ジュピター・シンドローム。
人体実験。
木星方面隊の消滅。
コニーはそれらの言葉にまつわるイメージを頭の中に描いていた。それは、そのまま今回の戦争にまつわる謎だ。そして、そのすべてにエドガー・ホーリーランドという提督が関わっているということになる。
そんな重要人物ならば、当然、すでにコニーのアンテナにひっかかっていなければならないはずだ。
同じ疑問をジンナイも感じたようだ。ジンナイは浮かない顔でシマダに言った。
「我々は独自にいろいろなことを調べてきた。ジュピター・シンドロームについても調べたし、実際に木星側の情報提供者にも会った。だが、エドガー・ホーリーランドという名前は初耳だ。アメリカに住んでいる我々が知らないのに、日本にいるあなたたちが知っているというのは、どういう訳だろうな?」
「だから、灯台もと暗し、だと言ったんだ」
ユカワが言った。「ホーリーランドの存在は、海軍では厳しく秘匿《ひとく》されているらしい。海軍は彼のために、わざわざ情報部の外郭《がいかく》団体として『惑星開発機構』という組織を作った。そして、軍はすでに除隊した形を取っている。どこから検索しても、連合軍にエドガー・ホーリーランドの名前はない」
「じゃあ、どうやって君たちはその名前を知ったんだ?」
「木星方面隊に所属していた士官から、シマダが直接聞いた」
ジンナイは怪訝《けげん》そうな顔をした。
「木星方面隊に所属していた士官……?」
「そう。木星方面隊は全滅したわけではない。消滅したんだ」
「その消滅というのが、今ひとつぴんとこない。全滅とか撤退というのならわかる。だが、消滅というのはどういう意味だ?」
「文字通り、消滅したんだ。つまり、彼らは地球連合軍であることをやめた……」
「敵に寝返ったということか?」
「現象だけ見るとそう見える。だが、真実はそうではないそうだ」
「そうではない……?」
「そう。敵に寝返ったのではなく、『絶対人間主義』に帰依《きえ》したのだそうだ」
「帰依……?」
「仏教の言葉だ。心身をなげうって、信仰することを言う」
ジンナイは、不思議そうにユカワを見ていた。コニーもユカワが言ったことがよくのみこめなかった。
木星方面隊の軍人たちがヒミカの唱える『絶対人間主義』を信奉するようになった。その結果、彼らは地球連合軍の兵士であることをやめ、木星方面隊は消滅したというのだ。
そんなことがあり得るだろうか。
ジンナイが言った。
「その木星方面隊にいた士官というのは、どんな人物なんだ?」
「安全保障上の理由で名前や住所は言えない。海軍の士官だった男だ。仲間の多くはヒミカとともにヤマタイ国に住むことに決めたそうだが、その人物は故郷に残していた家族を捨てることができずに、地球に戻った。彼はウクライナ人でね……。ロシア人と同じくスラブ系だが、ウクライナ人は歴史的にロシアと対立しているから、空軍ではなく海軍に入ることが多い。彼もそうした将兵の一人だ」
「その人物に会えないだろうか?」
ジンナイが言うと、ユカワは即座に首を横に振った。
「とんでもない。あんたには、UNBIの監視がついていると考えなくてはならない。そういう行動は、あんたのためにも、その人物のためにもならない」
ジンナイは、ユカワの言葉を無言で検討している様子だった。納得せざるを得なかった。コニーもその人物に会いたいと切実に思った。だが、コニーにもUNBIが張り付いている恐れがある。
「そのエドガー・ホーリーランドだが……」
ジンナイが言った。「いったい、どんな人物なのだろう。人種は? 年齢は? どんな見かけをしているんだ?」
ユカワが言った。
「それもよくわかっていない。元木星方面隊の情報提供者によると、ホーリーランド提督は滅多に将兵たちの前に姿を現さなかったということだ。木星圏にいる頃からミステリアスな男だったんだ」
「だが……」
ジンナイはさらに不思議そうな顔になって言った。「その『惑星開発機構』というところに行けば、会える可能性はあるんだろう?」
「探してみるといい」
ユカワが言った。「たしかに現在もエドガー・ホーリーランドは、『惑星開発機構』の責任者ということになっている。だが、そんな組織はどこを探しても見つからないよ」
反戦派政治勢力の秘密会議は、経済問題の懇親《こんしん》会という名目で開かれた。コニーはジンナイの紹介で特別に取材を許されていたが、もちろん、当分は記事にはできない。
会議は、よく言えばつつがなく、悪く言えば形式的に進んだ。これは仕方のないことだとコニーは思った。
国際会議というのは、すでに会議の段階では確認事項の羅列に終始するのが常だ。大切なのは、会議の前後のロビー活動や分科会に分かれてのワークショップなのだ。
その意味で、ジンナイがユカワと会ったことのほうが実質的な収穫があった。ともあれ、会議には二十名以上の各国の政治家が集まり、会議自体も有意義だったことはたしかだ。
議事録や録音を一切残さないという意味で、秘密会議という呼び方をしているが、これは歴史的な会議となるだろうと、コニーは思った。
ジンナイは、会議の翌日には帰国する予定だった。
「無駄かもしれないが……」
会議を終えると、ジンナイは自室にオオタとコニーを呼んで言った。「いちおう『惑星開発機構』という組織のことを調べてくれ」
コニーはもとよりそのつもりだった。ダミーの組織であることは明らかだが、エドガー・ホーリーランドという提督がどこかに存在していることはたしかなのだ。
その人物のことを調べるだけで何かの収穫があるかもしれない。軍やUNBIの妨害工作がいっそう厳しくなることはわかりきっていた。
だが、やらなければならない。エドガー・ホーリーランドの名前を知ったことは大きな前進なのだ。
ドアをノックする音が聞こえて、オオタが即座にドアについているレンズから外を窺った。
「ホテルの従業員のようです。制服を着ています」
ジンナイがうなずいたので、オオタはチェーンを外してドアを開けた。
「伝言をお持ちしました」
廊下の男は言った。オオタが言ったとおり、クリーム色のホテルのボーイの制服を着ている。
だが、コニーはその声にはっとした。ボーイが顔を上げた。
髭を剃《そ》ってさっぱりとしているが、間違いない。ボーイの制服を着て廊下に立っているのは、オレグ・チェレンコだった。
かつてアームストロング・タイムズの記者だった。そしてその正体は、ヤマタイ国の高官のタカメヒコだ。
「内密の伝言です。お部屋におじゃましてよろしいでしょうか」
オレグ・チェレンコは言った。
ジンナイは厳しい表情で言った。
「よろしい。入りなさい」
チェレンコは部屋に入って円筒形の帽子を取った。髪を短く刈《か》っており、幾分か若返って見えた。
「会いに来てくれるのはありがたい」
ジンナイは言った。「だが、時と場所を考えてほしいものだ」
「ここ以上に安全と思える場所はありませんでした」
チェレンコは言った。「各国の政治家が集まっており、日本の警察が警備を固めています。UNBIもおいそれと手を出せません」
「UNBIや軍の憲兵隊が本気になれば、日本の警察など蹴散らすだろう。危険な行為だ。これほどの危険をかえりみず、私に会いに来たというのは、それだけの情報があるということかね?」
「はい」
「聞かせてもらおう」
「私は、月のエイトケン天文台で、海兵隊の新型ヒュームスのドライバーの顔を見ました。そのドライバーは若い女性でしたが、我々の指導者であるヒミカにそっくりだったのです」
コニーは、思わずジンナイの顔を見つめていた。
ジンナイは眉をひそめている。
しばらく沈黙が続いた。
コニーは困惑していた。チェレンコが言ったことの意味がよく理解できない。おそらくジンナイも同様なのだろうと思った。
「新型ヒュームスというのは……」
ジンナイが沈黙を破った。「アトランティスに配備されているギガースのことだろうか?」
チェレンコはうなずいた。
「そうです」
コニーは、ヒミカのことをまったく知らなかった。いや、コニーだけではない。地球圏に住む人々は、ヒミカがどういう人物なのか知らずに戦争をしているのだ。
チェレンコによって、ヒミカが若い女性らしいことを初めて知った。だが、そのヒミカがギガースのドライバーとそっくりだというのはどういうことだろう。
もともとアトランティスやギガースには何か秘密がありそうだった。
アトランティスには惜しげもなく戦力が投入されてきた。今や、アトランティスとギガースは、戦意高揚のためにおおいに利用されている。
軍はアトランティスの戦果を過剰に宣伝している。戦時中にはよくあることだが、木星圏との戦いで常に活躍するのがアトランティスだった。
同じニューヨーク級の強襲母艦はほかにもある。にもかかわらず、アトランティスだけが常に最前線に送られるのだ。
ジンナイももちろんアトランティスのことは疑問に思っているだろう。戦力を特定の艦にだけ集中させるというのは、戦略・戦術的にもおかしい。
「それは何を意味しているんだ?」
ジンナイがチェレンコに尋ねた。
「わかりません。ですが、その事実を地球連合軍が秘密にしようとしていることだけはたしかです」
「根拠は?」
「捕虜としてエイトケン天文台に収監されていた我が軍の将兵たちが、全員抹殺されました。彼らは、ギガースのドライバーを見て思わず『ヒミカ様』と呼んでしまったのです」
「捕虜たちは、反乱を起こし地上軍との戦闘になって全員死亡したと聞いている」
「丸腰で閉じこめられている捕虜が、どうやって反乱を起こすんです?」
「それもそうだな……」
「さらに、エイトケン天文台の警備を担当していた地上軍の責任者が死亡しています。アルフレッドという名の将校です。彼は、我々の仲間が、ギガースのドライバーを『ヒミカ様』と呼んだのを聞いたがために処分されたのでしょう」
ジンナイはオオタに向かって言った。
「どう思うね?」
オオタは慎重な態度でこたえた。
「信憑性はあるように感じられます」
ジンナイはコニーにも同じ質問をした。
コニーはこたえた。
「アトランティスとギガースには何か秘密があると感じていました。チェレンコの話は信用できると思います」
ジンナイはうなずいてから、チェレンコに尋ねた。
「エドガー・ホーリーランドという名前を知っているか?」
それを聞いて、今度はチェレンコが怪訝そうな顔をした。
「ホーリーランドがどうかしましたか?」
「知っているんだね?」
「ヤマタイ国では、建国の祖といわれています。我々は、オオナムチと呼んでいました」
それを聞いてコニーはさらに訳がわからなくなった。
木星方面隊の司令官だった人物が、なぜヤマタイ国の建国の祖と言われているのか。海軍情報部がその存在をひた隠しにしている人物は、実は敵国の建国者だった。
これはいったいどういうことなのだろうか。コニーは混乱した。
「そのオオナムチとやらは、今どこにいるのだろう?」
ジンナイが尋ねると、チェレンコは急に警戒を露《あら》わにした。
「地球連合軍に捕らえられていると聞いていますが……」
「捕らえられている……」
ジンナイはつぶやいた。
「はい。オオナムチは、地球連合軍に捕らえられ、地球に移送されました。反逆罪だと言われています。オオナムチが率いていた地球連合軍を私兵化したという嫌疑が掛けられたのです」
「私兵化……? それは事実なのか?」
「私兵化という言い方は正しくありません。オオナムチが率いていた木星方面隊は、ヤマタイ国軍のもととなったのですから」
「我々が知っている話とかなり違う。ホーリーランドは、木星圏にいる頃から滅多に人前に姿を現さなかったと聞いている。そして、ジュピター・シンドロームに関わる何かの人体実験をしていたという。その後、地球に戻ったが、海軍情報部は、その存在をひた隠しにしているらしい。ホーリーランドが去った後、木星方面隊は消滅したということになっている」
チェレンコは真剣な表情で言った。
「どちらの話も百パーセント正しいとは言い切れません。私たちもヒミカ様以前の歴史はよく知らないのです。しかし、双方の情報とも、いくらかの真実と、いくらかの嘘が含まれていると考えるのが妥当でしょう」
「ヤマタイ国側の情報が正しいと主張するわけではないのだね?」
「誤解しないでください。我々は狂信者ではありません。ただ、ヒミカ様の『絶対人間主義』が木星圏のような宇宙の辺境で生きるにはもっとも合理的だと信じているだけです」
「合理的……? それだけなのか?」
「合理的であることが、我々にとって何よりの救いなのです」
ジンナイはチェレンコの今の言葉について熟慮している様子だった。コニーも同様だった。
合理的であることが何よりの救い。
その言葉をどう解釈していいかよくわからない。
チェレンコが言った。
「私はそろそろ姿を消さなければなりません。UNBIや憲兵隊は侮《あなど》れません」
「危険を冒して、我々に情報を伝えに来た目的は何だ?」
「目的……? 目的は一つです。戦争を終わらせることです」
ジンナイはうなずいた。
「わかった。あとは我々で調べることにしよう」
チェレンコはボーイの帽子をかぶるとドアを開けて、廊下で一礼し、去っていった。
ドアが閉まると、オオタがジンナイに言った。
「私たちは核心に近づきつつあるようですね」
「そう」
ジンナイが言った。「それだけ危険が増したということだ。慎重に行動しなければ、命がいくつあっても足りない」
「慎重に、しかもすみやかに……」
「そうだ。何としてもエドガー・ホーリーランドを見つけるんだ。それにしても、オオナムチとはな……」
コニーは思わず尋ねた。
「それも日本の神話に出てくる名前なのですか?」
「ああ。オオナムチは、大国主のことだ。出雲《いずも》神話の主神だ。天孫族にとっての最大の反逆者だといわれている」
ノブゴロド空軍基地
強襲母艦アトランティス
強襲母艦が寄港したときには、基本的には半舷上陸だ。乗組員の半数ずつが交代で上陸する。
オニール型コロニーは回転によって人工重力を作り出すので、回転軸に当たる部分は無重量状態だ。ノブゴロドも例外ではない。そして、港はこの回転軸の無重量の部分に作られている。
人間は、無重力や無重量の環境に置かれると、筋力がどんどん弱っていき、カルシウムが失われていく。カルシウムの欠乏は、骨折などの怪我だけでなく、精神的な失調を招く。カルシウムは精神安定剤でもあるのだ。
従って、寄港している間は、乗組員はなるべく重力のある場所に滞在するようにシフトが組まれる。
ノブゴロドの空軍宿舎に滞在しつつ、当番のときだけ港の艦に乗船する。当番は一週間だ。
カーターたち海兵隊第一小隊の当番の週がやってきて、彼らはアトランティスに乗り込んだ。
オージェたち空間エアフォース要撃部隊も同じ週の当番で艦に乗り込んできたが、カーターは気にもとめなかった。カーターたちが出撃するときは、オージェたちといっしょのことが多い。
もしかしたら、上層部ではカーターたち第一小隊とオージェの要撃部隊をセットで考えているのかもしれない。
カーターはそう思った。
艦の中の様子は通常任務のときとはかなり違っていた。居住区からは、必要最小限のものを除いてすべてが陸揚げされていた。
宇宙の海では質量はきわめて重要な意味を持つ。質量とエネルギーの兼ね合いで軌道計算がなされる。質量が過剰だと目的地まで到達できない。ペイロードは生きるための物資と推進剤が最優先される。推進剤が足りなければ、軌道の変更もできず、やはり目的地には到達できない。
まだ正式な通達はないが、私物の持ち込みは厳しく制限されるだろう。
当番の任務に着くことを申告するために、クリーゲル艦長とエリオット作戦司令を、艦橋に訪ねたカーターは、そこに見慣れない男がいるのを見た。
海軍士官の制服を着ている。階級は少佐だった。一目見て、嫌なやつだと感じた。人を見下すような眼をしている。
エリオット作戦司令がカーターに言った。
「ちょうどいい。出頭を命じようと思っていたところだ」
「は……」
「こちらは、海軍情報部のジョン・スミス少佐だ」
ジョン・スミス……。
ありふれた名だ。もしかしたら、偽名ではないかとカーターは思った。
海軍情報部というのは、何から何まで秘密めいている。この少佐もおそろしく表情に乏《とぼ》しい。秘密の固まりのような男だとカーターは感じた。
ジョン・スミス少佐がカーターを氷のような青い眼で見つめて言った。
「エイトケン天文台で起きたことについて、うかがいたい」
「はい」
それから、スミス少佐は、クリーゲル艦長に向かって言った。
「どこか、二人きりで話ができる場所をお借りしたい」
クリーゲル艦長は、エリオット作戦司令にうなずきかけた。エリオットは言った。
「ガンルームがいいだろう。案内しよう」
ガンルームは士官次室のことだ。士官たちがくつろぐときに使われる。
スミス少佐は、かぶりを振った。
「エドワード・カーター大尉に案内してもらいます」
「了解です」
カーターは言った。「では、ご案内します」
現在、艦内は無重量状態だ。カーターは、床を蹴りふわりと宙に浮いて移動した。スミス少佐は、慣れた動きでそれを追ってきた。
地球の参謀本部などで事務仕事をしている将校の身のこなしではない。
通常任務の場合、ガンルームには、椅子やテーブルが置かれている。重力ブロックにあるので、航行中で回転している時ならハーネスなしで腰掛けることができる。今は無重量状態だ。
現在、ガンルームからは、すべてのテーブルや椅子が撤去されていた。
スミス少佐は、艦内靴の磁石で床に立った。カーターもそれにならい、気をつけをした。スミス少佐は立ったまま、質問を始めた。
「敵がエイトケン天文台を襲撃したとき、アトランティスは、海兵隊および要撃部隊に帰還命令を出したということだが、それは確認したか?」
「しました」
「だが、その命令に逆らった者が二名いた。この事実に間違いはないな?」
「間違いはありません。しかし、その二人のおかげでエイトケン天文台は……」
「訊かれたことだけにこたえるんだ。その二名というのは、ギガースのドライバーのリーナ・ショーン・ミズキ少尉と、空間エアフォースのツィクロンのパイロット、オージェ・ナザーロフ大尉だな?」
「はい」
「その二人から、エイトケン天文台での出来事を聞いたか?」
本当は、聞いていた。
ジュピタリアンの使っていた機材は、驚くほど地球連合軍のものに似ていたとオージェが言っていた。さらに驚いたのは、ジュピタリアンの捕虜がリーナを見て「ヒミカ様」と言ったという事実だ。
だが、カーターはそのとき、身の危険を感じた。理屈ではない。本能的な危機感を覚えたのだ。
カーターはこたえた。
「いいえ。聞いておりません」
「本当かね?」
「二人は、本艦に帰還した後、エリオット作戦司令に呼ばれ、命令違反の罪で自室謹慎を命じられました。その間、当然誰も彼らには接触できません」
「だがその後、ミズキ少尉やナザーロフ大尉と話す機会はいくらでもあっただろう」
「すでに、エリオット作戦司令が彼らから事情を聞いておられます。自分は、詳しい話を聞く必要を感じませんでした。自分の役割はあくまで作戦実行時の隊の指揮にありますので」
「他の者はどうだ? 君の小隊の隊員たちは……?」
「自分がミズキ少尉に、エイトケンのことは隊員にしゃべるなと命じました。命令違反の行動でしたので、本来ならば軍法会議ものですから……」
これは嘘だ。だが、おそらくリーナは何もしゃべっていないはずだ。
スミス少佐は、しばらくカーターを見据えていた。
その冷ややかな青い眼に、心の中を見透かされてしまうような気がして、ひどく落ち着かなかった。だが、カーターはそれを態度に出さないように気をつけていた。
やがて、スミス少佐は言った。
「時間を取らせてすまなかった」
スミス少佐は言った。
彼はガンルームを出る気がないらしい。ここで別の誰かを尋問《じんもん》するということだ。
カーターは床を蹴り、ガンルームを出た。そのまま、空間エアフォースのところに向かった。彼らの部屋はガンルームから、ゆるやかな円を描く廊下を四分の一周ほどしたところにあった。
重力ブロックといっても、回転していなければ無重量状態だ。カーターは、慣れた身のこなしで、床や天井、壁を蹴りながらオージェの部屋にやってきた。
ノックをするとすぐにオージェが顔を出した。
「海軍情報部のやつが乗艦している。エイトケン天文台でのことを嗅ぎ回っている。胡散臭いやつだ。俺はすでに尋問されたが、きっとあんたにもお呼びがかかる」
オージェは落ち着き払っている。
「それで……?」
「おそらく、やつは、例のことを知りたいんだ」
「例のこと……?」
「リーナとヒミカがよく似ているという話だ」
「なぜ、そう思う?」
海軍情報部が気にすることといえば、真っ先にリーナのことが頭に浮かぶ。だが、リーナが海軍情報部所属であることは機密事項だから話せない。カーターは、言葉を濁すしかなかった。
「それ以外に、俺たちが尋問される理由を思いつかないからな」
「それで、あんたは何とこたえたんだ?」
「しらばっくれたよ。あんたもそうしたほうがいい」
「どうしてだ?」
「エイトケン天文台に閉じこめていたジュピタリアンの捕虜が全員死亡した」
「反乱を起こしたと聞いている」
「そんなこと、信じられるか?」
オージェは肩をすくめた。
「軍が公式に発表したことだ。信じるとか信じないは問題じゃない」
「彼らは、リーナの顔を見た。そして、『ヒミカ様』と呼んだんだろう? 彼らが殺された理由はそれだと思わないか?」
「推測の域を出ない」
カーターはこのこたえに苛立った。オージェは、カーターの反論を遮《さえぎ》るように続けて言った。「だが、あんたの推察は、考慮する価値がある。わかった。私も知らんぷりをすることにしよう」
「それがいい」
「私の身の上を案じてくれるとはな……」
「近いうちに大きな戦《いくさ》になる。そうなれば、要撃部隊の力が必要だ」
「我々のことを認めてくれるということか?」
「まあ、そういうことにしておく」
カーターは、オージェのもとを離れ、海兵隊の仲間のもとに急いだ。彼らは、すっかり殺風景になった食堂に集まっていた。
「おい、コーラのベンディングマシンまでなくなっちまったんだぞ」
カーターを見て、チーム・イエローのロン・シルバー中尉が言った。彼は通称カウボーイと呼ばれている。
「水が飲めることさえ感謝するときが来るかもしれない」
カーターがこたえると、カウボーイは渋い顔をした。
「リーナ、ちょっと来てくれ」
カーターが声をかけると、リーナはすぐにふわふわと近づいてきた。
リーナを廊下に連れ出して、周りに人目がないことを確認してから、カーターは言った。
「ジョン・スミスという少佐を知っているか?」
「いいえ」
リーナは即座にこたえた。
「本当か? 情報部から来たと、そいつは言っていた」
「私だって、情報部のすべての人間を知っているわけではありません」
「情報部の特別調査班だそうだ。エイトケン天文台でのことを尋ねられた」
「エイトケン天文台でのこと……?」
「おそらく、おまえさんとヒミカがそっくりだという話を知っているかどうかを確かめに来たのだと思う。俺は何も知らないとこたえた。知らないふりをしていたほうが無難だと思ったのだ」
リーナは無言で何か考えていた。
カーターはさらに言った。
「オージェも呼ばれるだろう。俺は、オージェにもしらばっくれるように言っておいた。だから、おまえさんにも口裏を合わせてもらいたい」
「つまり、敵が私のことを『ヒミカ様』と呼んだことは、小隊長も、ナザーロフ大尉もご存じないということにしておけばよろしいのですね」
「そういうことだ。もし、俺たちがその事実を知っているということになれば、俺たちはどうなるかわからない」
「どういうことです?」
「口封じにあうということだ」
リーナの表情が厳しくなった。緑がかった茶色の眼が強い光を帯びる。
「わかりました」
リーナはこたえた。「おっしゃるとおりにします。ただ……」
「ただ、何だ?」
「情報部の人間がわざわざ訪ねて来たということは、すでに小隊長がご存じだということを知っているはずです」
カーターはリーナのその言葉について考えてみた。
たしかに、リーナの言うとおりだ。さすがに情報部がどういうところかよくわかっているようだ。
「だからといって、おいそれと認めるわけにはいかない」
「知らないふりをするということは、そのことを囗外するつもりはないという意志に解釈してくれるかもしれません」
「あるいは、情報部のことを警戒していると取られるかもしれない。まあ、吉と出るか凶と出るか、情報部次第だな……」
「海兵隊第一小隊と、ナザーロフ大尉の要撃部隊は、ジュピタリアンと戦うためになくてはならない戦力です。情報部といえども、うかつには手出しできないでしょう」
カーターは思わずほほえんだ。
「それは、海兵隊の一員としての考えか? それとも情報部将校としての判断か?」
リーナは厳しい表情のままこたえた。
「私は、あくまで海兵隊第一小隊の隊員です」
「その言葉、信じさせてもらうぞ」
カーターが去って間もなく、オージェはガンルームに呼び出された。
いかにも海軍情報部らしい人物がそこでオージェを待っていた。彼はスミスと名乗った。
「エイトケン天文台の件について質問する」
オージェは、艦内靴の磁石で床に直立していた。スミスのような男には慣れていた。ロシア軍の名残が色濃い空軍には、スミスのようなタイプの情報士官が少なからずいた。
秘密主義のロシア軍の伝統を受け継いだ者たちだ。
スミス少佐は言った。
「月の周回低軌道上で、敵と交戦になった。敵が月にランディングしたとき、君はそれを戦闘機で追った。その事実に間違いはないな?」
「おこたえする前に、一つうかがっておきたいことがあります」
「質問は許さない」
「では、こちらも質問にこたえるわけにはいきません」
スミス少佐は、まったく表情のないガラスのような眼でオージェを見返した。オージェはこういう眼にも慣れている。ロシアの情報機関のエリートたちはみなこんな眼をしている。
「質問というのは何だ?」
「なぜ、海軍情報部の方が空軍所属である自分に尋問なさるのですか?」
「説明の必要はない」
「アトランティスに配属されている今でも、自分は空軍のオデット・チトーワ大佐の指揮下にあるはずです。海軍の方から尋問を受けるためには、まずチトーワ大佐からの指示を仰ぎたいと思います」
スミスの態度は揺るぎなかった。苛立ちの様子も見せない。
彼は実にさりげない態度で、腰から拳銃を抜いた。銃口をぴたりとオージェに向けた。
「空軍のエースパイロットをこんなところで失うのはひじょうに残念だが……」
オージェはスミス少佐を黙って見返していた。
こいつなら、本当に撃つ。
オージェはそう思った。だが、ここで屈するわけにはいかない。いつかは戦場で死ぬのだ。
スミスの銃を握る手の親指が安全装置を外した。引き金に人差し指がかかる。
その瞬間にオージェは悟った。
エイトケン天文台で、捕虜を皆殺しにしたのは、この男に違いない、と。それは理屈ではない。ぴんときたのだ。
だとしたら、やはりこいつは本当に撃つだろう。オージェは撃たれる前に反撃を試《こころ》みようかと思った。黙って撃たれるのは我慢ならない。
一か八かで飛びかかろう。銃を向けられたときの対処法を新兵の時代に教わったことがある。拳銃を撃つときに、下に動くものには対処しづらい。だから、スライディングの要領で相手の下半身めがけて飛び込むのだ。
もちろん、危険だ。だが、助かる可能性はゼロではない。
新兵の頃は、宇宙時代になぜそんな格闘術を学ばねばならないのかと不満に思っていたが、思わぬところで役に立つかもしれない。
すると、スミスは、オージェの企《たくら》みを察知したかのように、銃を引っ込めた。
「さすがにオージェ・ナザーロフ大尉だ。脅《おど》しには屈しないか……」
ナザーロフは、どっと汗が吹き出すのを感じていた。それをスミスに気づかれるのが悔しかった。
「脅しとは思えませんでした」
「そう。私にはその権限があると思っている」
間違いない。
オージェは思った。
エイトケン天文台で捕虜を殺したのは、この男に違いない。カーターが言っていたことは正しかったようだ。
おそらくミズキ少尉とヒミカは何らかの関係があるのだ。この男はそれを知っている。そして、その関係は、知るものを抹殺しなければならないほどの機密事項なのだろう。
「質問にこたえる気になってくれればありがたいのだが……」
スミスは時計を見て言った。時間を無駄にしたと言いたいのだ。
「どうぞ」
「さっきの質問にこたえてくれ」
オージェはこたえた。
「たしかに、私は敵を追って月面に着陸しました」
「それまでに、戦闘機で月面着陸をしたことがあるのか?」
「いいえ。一度もありませんでした」
「空軍の戦闘機は、軌道上で運用するもので、惑星や衛星に着陸するようには設計されていない。そうだな?」
「はい」
「なのに、君は月面着陸をしようとした。なぜだ?」
「敵にエイトケン天文台を奪われるわけにはいきませんでした」
「そういうことではない。技術的な問題だ。どうしてやったこともない月面着陸をやる気になったのだ?」
「海兵隊のヒュームスが一機、先行していました。私はそれに続いたのです」
「ギガースだな?」
「そうです。ギガースのドライバーは、言いました。ギガースには月面着陸をやってのける機能が充分に備わっていると……」
「だが、新型ヒュームスと空軍の戦闘機は違う」
「自分が搭乗するツィクロンは、ヒュームスの技術を多く流用しています。また、推力ならギガースよりも勝っています。姿勢制御と逆噴射のタイミングさえ間違えなければ、ランディングは成功すると思いました」
「その姿勢制御と逆噴射のタイミングだが、具体的にはどうやったんだ?」
「ギガースに従いました」
「なるほど……。着陸後の行動について詳しく教えてくれ」
「自分はギガースの手に乗り、エイトケン天文台に到着しました。ギガースは表から敵の攻撃隊を攻め、自分は裏側のエアロックから侵入しようとする敵を制圧し、地上軍と合流しようとしました」
「エイトケン天文台に侵入したのだな?」
「はい。しかし、自分が地上軍と合流したときには、すでにギガースと地上軍が敵の本隊を制圧した後でした。自分は、すぐにアトランティスへの帰還の準備を始めねばなりませんでした」
「敵の捕虜とは接触したかね?」
「いいえ。敵の処遇については、地上軍の中隊長に任せました」
「敵とは言葉を交わしていないのだな?」
「交わしておりません」
「敵の姿は見たか?」
「地上軍に連行されるところを、ほんの一瞬だけ……」
「そのとき、ギガースのドライバーはどこにいた?」
「まだ、外におりました」
「敵とギガースのドライバーが顔を合わせたとき、君はどこにいた?」
核心に触れてきたな……。
オージェは思った。
「戦闘直後のことで、状況がよく把握できておりませんでした。おそらく、ミズキ少尉が敵と接触したのは、自分が地上軍本隊と合流する以前のことではないかと思います」
「つまり、君は、敵とギガースのドライバーが遭遇した場面には居合わせなかったということか?」
「質問の意図《いと》がわかりかねますが……」
「意図などどうでもいい。事実を尋ねている」
「事実は、今申し上げたとおりです」
スミス少佐は、無表情な青い眼でオージェを見つめていた。値踏みするような目つきだと、オージェは思った。
「わかった。質問は以上だ」
オージェは、肘《ひじ》を横に張る空軍式の敬礼をしてからガンルームを出た。
オージェは、自分の立場をよくわきまえているつもりだ。
だから、現在の戦局がどうとか、戦争の是非など考えない。戦果を上げることだけを考えればいいのだ。
戦局や先の判断は、参謀本部やさらにその上の国の意志決定機関に任せておけばいい。だが、戦う限りは大義が必要だ。
大義のない戦いに命を差し出すことはできない。
大義を信じるからこそ、士気も上がる。そもそも戦争に大義があるかという議論もあろうが、それは軍人が考えることではない。大義など幻でいい。幻でも信じるものがあればいい。
スミスのような男は、信じるべきものへの疑いを生じさせる。士気に水を注《さ》すのだ。
実にやっかいだな……。
オージェは、円を描く廊下を飛びながら、心の中でつぶやいていた。
タカメヒコの称号を持つオレグ・チェレンコは、日本から月へ出国しようと考えていた。地球にいるより、月自治区にいたほうがずっと安全だ。
もちろん、月にいても監視には充分に注意しなくてはならないが、少なくとも月自治区内では、UNBIの行動はかなり制限される。
ホッカイドウのユウバリ宇宙空港からシャトルに乗り込もうと思った。ユウバリ宇宙空港は、日本で唯一マスドライバーを備えた宇宙施設だ。
トウキョウからユウバリまでは、ジェット機で飛ぶ。こればかりは昔と変わらない。施設や交通手段というのは、需要とコストのバランスで決まる。
尾行に充分注意を払っていたチェレンコは、ハネダからユウバリ宇宙空港行きの便に乗ってほっと一息ついていた。
航空機の中ではUNBIも憲兵隊もどうすることもできない。しかも、これまで周囲に気になる動きは一つもなかった。
シートベルトを締めて、ジンナイとコニーについて考えていた。彼らは、どこまでやってくれるだろう。
ジンナイにもコニーにも危険が迫っている。それは明らかだ。UNBIは表だってジンナイを逮捕するようなことはしないかもしれない。だが、暗殺ならあり得る。
この戦争が始まって、戦場以外でも何人もの人間が殺されている。捕虜になったヒュウガヒコたちは皆殺しにされ、チェレンコを支持してくれた月のゲリラたちも、麻薬売買の疑いをかけられて殺された。
おそらく表沙汰にはなっていないが、地球でも軍のやり方に反対する政治家や、ジュピター・シンドロームなど軍の機密に関わった学者などが消されているのではないだろうか。
それが戦争というものだ。戦いは戦場だけで行われるのではない。
一時間三十分ほどで、飛行機はユウバリ宇宙空港に到着した。チェレンコは荷物を預けていなかったので、そのままゲートを出ようとした。そのとたんに、前をふさがれた。
しまった。
そう思ったときには、荷物を放り出して駆けだしていた。どうせ、バッグの中には着替えしか入っていない。大切なものはすべて身につけている。
背広を着た男たちが追いかけてきた。いずれも黒か紺色の背広だ。白人が二人にアフリカ系が一人。
ロビーは広いが、混雑していて全力疾走というわけにはいかなかった。だが、それは追ってくるやつらも同じだ。
チェレンコは人にぶつかり、人をかき分け、駆けた。
第四の男が行く手をふさごうとした。チェレンコは迷わなかった。思い切り体当たりした。
目の前に現れた男はラテン系だったが、チェレンコの肩口からの体当たりで吹っ飛んだ。出発便を待つシャトルの乗客たちは、何事かと立ち止まってチェレンコのほうを見たりする。
だが、追跡劇に関心を持つ人間は意外と少ない。せいぜい、ぶつかったときに、腹立たしげにチェレンコのほうを睨みつけるだけだ。
「フリーズ」
背後からそう叫ぶ声が聞こえる。チェレンコは振り向かなかった。おそらく、銃を構えているに違いない。だが、ロビー内の一般客は、伏せたり叫んだりという特別な行動を見せない。
群集というのは、ドラマや映画とは違って、いたって反応が鈍いものなのだ。
だが、ロビー内に銃声が響き渡って状況は一変した。人々はおろおろとその場から逃げようとした。
まさか、この人混みの中で本当に撃つとは思わなかった。相手がUNBIだということは、一目見たときにわかった。
UNBIは、戦争が続いて権限を拡大するにつれて、いっそう服装がステレオタイプ化していた。黒か紺のスーツに短く刈った髪。権限はシンボルを必要とするのだ。
追跡者たちはさらに一発撃った。
今度はチェレンコの前方に着弾した。さっきは威嚇《いかく》射撃で、今度は本当に狙ったのだ。
ようやく一般乗客たちが床に伏せはじめた。椅子に座っていた人々がまず伏せ、それから近くにいた者が伏せた。歩いていた一般客はその場から逃げ出そうとして揉み合っている。
チェレンコはエスカレーターを駆け下りた。とにかく出口に向かうことだ。このまま月に向かうのは不可能だ。とにかく、逃げることだ。
だが、相手は銃を持っている。そして、本気で撃ってきている。外に出ると逃亡は難しくなる。
人混みを利用するのが一番だが、空港の免税店やレストランは当然ながら裏口がない。
一瞬の迷いが命取りになった。
チェレンコは銃声を聞いたとたんに、激しいショックを受けた。衝撃が脳天まで駆け抜けた。
一瞬、意識を失いかけた。足がもつれた。
過去に経験した感覚だ。撃たれたのだ。
最初痛みは感じない。激しい衝撃で感覚が狂ってしまうのだ。激しい痛みは神経の働きが正常に戻ってからやってくる。
それでもチェレンコは走ろうとしていた。だが、体がいうことをきかなかった。玄関のドアが見えた。ガラスの大きなドアだ。その向こうは雪景色だった。
気がついたときには、チェレンコはベッドに寝せられていた。個室だった。白い天井が見える。ベッドの脇には、金属製の皿がありその上には、注射器が置かれていた。
右の肩がひどく痛んだ。次第に意識がはっきりしてきて、右の肩に包帯が巻かれているのがわかった。後ろから右の肩を撃たれたのだ。
そして、彼は革の拘束具で手足をベッドに固定されていた。
狭い部屋の中には誰もいなかった。だが、テレビカメラか何かで監視されているのは明らかだった。
チェレンコは淡い青色の診察着を着せられていた。頭がぼんやりしている。これもいつか経験した感覚だ。
薬を打たれたのだ。肩を撃たれたときに気を失ったとしても、すぐに意識は戻るはずだった。おそらく、そのときに薬を打たれたのだ。
眠らされてどこかに連れてこられたというわけだ。どのくらい眠っていたかはまったくわからない。つまり、今自分がどこにいるのかもわからないということだ。
UNBIと協力関係にある日本の司法機関か情報機関の施設かもしれないし、UNBIの本拠地であるアメリカかもしれない。
逃げ出す方法はないものか。
チェレンコは回らぬ頭で必死に考えようとした。だが、手足を固定されていてはどうすることもできない。身動きすると、肩が痛んだ。銃創はひどい痛みを残す。だが、それよりも耐え難かったのは、頭痛と吐き気だった。薬のせいだ。
それでもチェレンコは頭を巡らせ、自分の服がどこにあるか眼で探した。服も、身につけていた偽のパスポートや財布もない。
当然のことだ。ここはおそらくただの病院ではない。チェレンコはただ入院しているわけではなく、監禁されているのだ。
鍵の開く音がした。ドアがきしみながら開く。やはり普通の病院でないことがわかった。病院ならば院内の事故を防ぐためにスライドドアを使用するはずだ。
白衣を着た男と、背広姿の二人の男が入ってきた。やはり、監視されていた。チェレンコが意識を取り戻したので、彼らはやってきたのだ。
白衣の男は医者だろう。そして背広姿の二人はUNBIに違いない。
紺色の背広を着た男は、銀色の髪をしており青みがかった灰色の眼をしている。もう一人は黒い髪に茶色の眼だ。銀色の髪の男はアイルランド系、黒い髪の男はラテン系に見えた。
銀色の髪の男が言った。
「オレグ・チェレンコ。気分はどうだ?」
チェレンコは言った。
「ここはどこだ?」
銀色の髪の男は冷ややかにこたえた。
「おまえが知る必要はない。おまえのやることは、ただ私たちの質問にこたえることだけだ」
「おまえたちは何者だ? 誰とも知らない相手の質問にこたえることはできない」
「もうわかっているんだろう?」
「ちゃんと身分を明かさなければどんな質問にもこたえない」
「我々はUNBIだ。名前も聞きたいか?」
「当然だ。そちらはこっちの名前を知っているのだからな」
「私は、ハリー・マーティン。こちらは、相棒のボブ・サントス。以前、おまえの知り合いを逮捕したときに、ちゃんと名乗らなかったというので、裁判で不利になってな……」
「俺の知り合い?」
「コニー・チャンを知っているだろう」
「誰だっけな?」
「しらばっくれてもだめだ。おまえがコニー・チャンと接触したことはすでに明らかだ。彼女の自宅からおまえたちのプロパガンダ映像を収録したメモリスティックを押収した。そして、さらに、今回おまえは、コニー・チャンだけでなく、上院議員のケン・ジンナイとも接触をした」
「そんな事実はない」
「しらばっくれてもだめだと言ってるんだ、オレグ・チェレンコ」
「俺の名はタカメヒコだ」
マーティンは鼻で笑った。
「おまえは、オレグ・チェレンコだよ。モスクワ生まれで、かつては地球連合軍の空軍パイロットだったんだ。重大な命令違反で、軍法会議にかけられ、木星送りになった。エウロパ刑務所に収監されていたが、いつのまにかジュピタリアンに寝返った」
「寝返ったわけではない。ヤマタイ国に帰化《きか》したのだ」
「ヤマタイ国などという国は存在しない。したがって、おまえは、タカメヒコなどというふざけた名前ではない。おまえは、反逆者のオレグ・チェレンコだ」
「反逆などしていない。俺はヤマタイ国に忠誠を誓っている」
「いつまでそんな戯言を言ってられるかな? おまえを治療したのは、なぜかわかるか? われわれの尋問に耐えるだけの体力を回復してほしかったのだ。さて、こたえてもらおう。ケン・ジンナイとはどんな話をしたのだ?」
「そんなやつは知らない」
「素直になってもらうために、バルビツル酸を使う手もある。だが、我々は別の手が好きだ。特に、このボブは、そういうことがうまい。根っから好きなんだ」
バルビツル酸というのは鎮静剤で、いわゆる自白剤として使用される。
マーティンは、自白剤など使わずに拷問をすると言っているのだ。彼らは実際にやるだろう。
拷問というのは、世間で思われているよりずっと効果がある。何時間も拷問に耐えて口を割らない男が、映画やドラマに出てくるが、そういう人間は滅多にいない。
たいていは、すぐにしゃべる。拷問は実に効果的なのだ。
チェレンコは言った。
「やってみるがいい。タカメヒコの名は伊達《だて》ではない」
「いいだろう。ボブ、どこからいく? 爪の間に針を刺していくか? それとも、歯を削《けず》ってやろうか?」
ボブ・サントスがにやにやとした。
「俺としては、ペンチで足の指をつぶしていくところから始めたい」
彼らは明らかに楽しんでいる。戦時下体制になって、UNBIは隠していた牙《きば》をむき出しにしはじめた。
かつては、国境を超える犯罪を取り締まる唯一の警察組織で、人々の信頼を勝ち得ていた。UNBIの捜査員、あるいはエージェントは、子供たちの憧れの的だった。
今でも、他の国にある支局では法を遵守した活動を行っているのかもしれない。だが、アメリカの本部は変わってしまったようだ。
彼らは本来の姿を現しはじめた。法さえ無視しはじめている。チェレンコに対する扱いは不当なものだ。彼らはいまだに、チェレンコに対して逮捕状を提示していないし、容疑者の権利を読み上げてもいない。
そして、拷問をすると脅しているのだ。もちろん、容疑者に対する拷問など違法だ。だが、この二人は気にした様子などない。
おそらく、そのうちにUNBIの権限を大幅に拡張する法案が、連合議会を通過するのだろう。地球連合政府は、戦時下体制を口実に、ファシズムへの道を走ろうとしている。
そして、そうした動きの中心にいるのは、地球連合軍の実に六十パーセントにも及ぶ兵力と、七十パーセントにも及ぶ軍事費を提供しているアメリカ合衆国なのだ。
昔は世界一民主的といわれたアメリカ合衆国だが、大国の歩む道は古代ローマの運命をたどる。
富と権力をほしいままにした帝国は、腐敗し内部から崩壊していくのだ。
チェレンコはこの二人に激しい怒りを感じた。この二人は、愚《おろ》かな地球時代を象徴している。
「手始めにこういうのはどうだ?」
マーティンがいきなり手を伸ばしてきた。チェレンコの右肩を鷲づかみにする。撃たれたところだった。
包帯の上からマーティンの指が食い込んできた。チェレンコは、激しい痛みに息を呑《の》んだ。手足が動かせないので、あえぐしかなかった。
包帯にじわりと血が広がった。マーティンはさらに指に力を込めてきた。チェレンコは、痛みにのけぞった。
マーティンがようやく手を離した。チェレンコはがっくりと力を抜いた。
マーティンは薄笑いを浮かべていた。チェレンコは拘束具を引きちぎろうともがいた。
マーティンが言った。
「怪我人はおとなしく寝ていろ」
白衣の男が額に汗を浮かべている。彼はこういう場面にはあまり慣れていないようだ。
「さて、もう一度訊く。ジンナイと何を話した?」
チェレンコの中で激しい怒りが渦巻いていた。怒りがアドレナリンを分泌させ、傷の痛みを和らげてくれた。
「ジンナイなどには会っていない」
マーティンは、大げさに溜め息をついた。
「仕方がない。ボブの出番かな……」
サントスは、革の手袋をはめた。
「ハリー、俺、やり過ぎちまったらどうしよう?」
「気にするな。そのためにここに医者がいるんだ」
「待ってください」
医者は言った。「責任は持てませんよ」
それを聞いて、マーティンは薄笑いを浮かべたまま言った。
「まあ、死んだところでどうということはない。どうせ、こいつはスパイだ。反逆罪で死刑になるかもしれない」
地球連合政府の法律のどこに照らしても、スパイ行為で死刑になることはあり得ない。だが、マーティンは、本気で言っているようだ。
つまり、これまで何人もの人間を消してきたということを意味しているのだろう。地球連合政府の法体系は世界の最も民主的な法律をもとに作られているはずだ。その法が機能しなくなってきている。戦時下体制を口実に、UNBIは明らかに暴走を始めている。
サントスが近づいてきた。
いきなりバックハンドで、チェレンコの顔を殴った。
目の前がまばゆく光った。チェレンコは、歯を食いしばった。
「さて、いつまで黙っていられるかな……」
サントスはうれしそうに眼を輝かせながら、ポケットからペンチを取り出した。彼は本当にペンチを持っていたのだ。
本気で足の指をつぶしていくつもりだ。サントスは、まずペンチでチェレンコの右足の第五指をはさんだ。
「知ってるだろう」
サントスが言う。「タンスの角にぶつけただけでひどく痛いんだ」
力を込めた。
チェレンコは声にならない悲鳴を上げた。
歯を食いしばり、その信じがたいほどの痛みに耐えた。
マーティンが言う。
「今のうちにしゃべっちまったほうがいい。さもなきゃ、こいつは本当に足の指の骨を全部砕いてしまうぞ。そうなれば、一生歩くのにも不自由することになる」
これが、今の地球連合政府のやり方だ。理想に燃えて出発した地球連合政府は、今やすでに過去のものなのかもしれない。
チェレンコは必死に苦痛に耐えていた。ぎりぎりと自分が歯ぎしりする音を聞いていた。
「強情なやつだ」
マーティンの声がひどく遠くに感じた。「ボブ、かまわんから潰してしまえ」
「ああ、そのつもりだよ」
サントスがそう言ったとき、鉄のドアがきしむ音がした。
誰かが入ってきたようだが、チェレンコはそれどころではなかった。
戸口で誰かが言った。
「それは、あなたたちの役目ではないな」
足の指を挟んでいたペンチが緩《ゆる》んだ。それでも痛みはなかなか去らず、チェレンコはぜいぜいと息を切らしていた。
マーティンの声がした。
「軍の人間が何の用だ?」
その言葉に、チェレンコは戸口を見た。海軍士官の制服を着た男が立っていた。
「ベッドにいるのは、ジュピタリアンの軍人だ。タカメヒコという情報将校だ。捕虜の管理は、軍の仕事だ」
マーティンは、言った。
「いったい何者だ? どうしてここに入れた?」
「海軍情報部・特別調査班の者だ」
「海軍情報部? ここは、UNBIの施設だ。お門違《かどちが》いだろう」
「捕虜を引き渡してもらいたい」
「ふざけるな。捕虜だと? こいつはテロリストだ。軍人なんかじゃない」
「見解の相違だな」
「こいつが軍人だというのなら、軍はテロリストが主張している国を認めたことになる」
「ジュピタリアンは、単なるテロリストの規模を超えている。彼らは政府を持っている。軍隊も持っている。我々はその軍隊と戦っているのだ。UNBIがどう言おうが、これは戦争なのだ。……となれば、こちらの手に落ちた敵は捕虜ということになる」
「お引き取り願おう。軍の出る幕じゃない」
「いや、それはこちらの台詞《せりふ》だ」
海軍情報部……。
サントスの拷問が中断して一息つけたが、だからといって決して安心できる状況ではなかった。チェレンコは、むしろUNBIよりも面倒なやつが現れたと感じていた。
「いったい、どんな権限があって我々が逮捕したテロリストを連れ去ろうというのだ? 特別調査班といったな? それはいったい何だ?」
制服の男はこたえた。
「『惑星開発機構』のための調査をしている」
マーティンとサントスが沈黙した。
なんだ。何を驚いているのだ……。
チェレンコは、二人の反応を不思議に思った。そして、その後のマーティンの行動はさらに意外だった。
マーティンは言った。
「あんたには逆らえないことがわかった。しかし、こちらも情報がほしい。なんとしてもジンナイを逮捕したいんだ。ジンナイが反逆者だという確固とした証拠がほしい」
制服の男がこたえた。
「もちろん、情報は与える。UNBIと我々は協力関係にあるのだからな」
チェレンコは、診察着のまま移送された。ストレッチャーに縛りつけられ、車に乗せられ、さらに飛行機に乗せられた。
チェレンコを運んだのは軍人たちだ。海軍や海兵隊の制服を着ていた。制服だけでなく、その体格や統制の取れた動きで、間違いなく軍人であることがわかった。
運び出されるときに、一瞬だがそれまで監禁されていた建物が見えた。古いビルだが、造りがどこか日本のものとは違うように感じられた。
雪が積もっていたが、ホッカイドウのユウバリほど多くはなかった。なんとなく雰囲気で、ここはアメリカではないかと思った。
飛行機は軍用機で、チェレンコを乗せた車は直接滑走路に乗り入れた。だから、そこがどこの飛行場であるかまったくわからなかった。
ずっと見張りの兵士が付いていた。海兵隊員のようだ。
チェレンコは無駄だとわかっていながら、その兵士に語りかけた。
「いったい、俺はどこに連れて行かれるんだ?」
兵士は何も言わない。チェレンコのほうを見ようともしない。
「地球方面軍の海兵隊か? いずれは宇宙に出てヒュームスに乗りたいんじゃないのか?」
若い兵士は何も言わないが、ヒュームスという言葉に少しだけ反応した。海兵隊の憧れは、ヒュームス・ドライバーだ。この若者も例外ではないのだ。
だが、この若者は、宇宙で戦争をするということの意味を知らない。
チェレンコは言った。
「宇宙に出れば、戦争をやることの愚かさがよくわかるのだがな……」
若者は、相変わらず何もこたえなかった。
UNBIにどこかへ連行されたときは、眠らされていた。だから、撃たれてからどのくらい時間が経《た》っているかまったくわからなかった。
つまり、チェレンコが監禁されていた場所がユウバリからどれくらいの距離にあったのか、まったくわからなかったということだ。
今回は、意識があるので、それがずいぶん長い旅行であることがわかる。軍用の輸送機らしく居住性はおそろしく悪い。
加えて、チェレンコは、ストレッチャーに体を縛りつけられてほとんど身動きが取れないのだ。小便がしたいと言ったら、チューブを付けられた。
パイロットスーツやドライバースーツにつなぐような装置だ。
じっと寝せられていると、時間の感覚がまったくなくなる。自分の呼吸数を数えておおよその時間を割り出していたチェレンコだったが、そのうち睡魔に襲われた。
こんな状況で眠くなることに、自分でも驚いた。おそらく、傷のせいで体力が弱っているのだ。衰弱《すいじゃく》すると肉体は自然に睡眠を欲する。眠っている間に成長ホルモンを出し、怪我を早く治そうとするのだ。
やがて泥沼に引きずり込まれるような重たい眠りに落ちた。ひどく汗をかいたのは、傷のせいで発熱しているのかもしれない。
着陸の衝撃で眼が覚めた。飛行機からまた車に移される。着陸したのはやはり軍用の飛行場のようだ。民間機が一機も見当たらない。
次に下ろされたのは、どこか港のそばだった。臭いでそれがわかった。長い間木星の衛星カリストで暮らしていたが、地球時代の記憶、特に臭いの記憶は鮮明に残っている。
おそらく海軍の施設だろう。長い廊下をストレッチャーで運ばれ、ようやく拘束を解かれた。
そこはひどく殺風景な部屋だが、清潔ではあった。鉄パイプ製の粗末なベッドが置かれていた。消毒薬の臭いがするので、医療機関かもしれない。
ともあれ、ほかにすることがないので、チェレンコはベッドに横たわった。ストレッチャーに寝かされていたとはいえ、軍用機での長旅は、怪我人にはこたえた。
ほどなく、ドアが開いた。チェレンコはベッドの上で身を起こした。
海軍情報部の特別調査班だといっていた男が入ってきた。たしかに海軍の制服を着ている。
チェレンコは、その男を無言で見つめていた。生理的な嫌悪感を覚えた。相手が敵の情報部の人間だからという理由だけではない。その男にはなぜか憎しみを感じるのだった。
男が言った。
「UNBIは、捕虜の扱いに慣れていない。我々はあんなに手際は悪くない」
「そうだろうな」
チェレンコは言った。「ナチのようにうまくやるだろう」
「何を言う。ナチス・ドイツと戦い、勝利したのは、我がアメリカ合衆国を中心とする連合軍だ」
「地球の軍隊は、いつも同じ轍《てつ》を踏む」
「木星圏では違うというのか?」
「違う」
「なぜだ?」
「木星圏では人と人が戦うこと自体が無意味だとわかるからだ」
「そのおまえたちが、地球連合軍に戦いを挑んだ」
「戦わざるを得なかった」
「そう。この戦いは必要だった。あらゆる意味でな」
「ヤマタイ国は戦いを必要とはしない」
「では、なぜあれだけの戦力を持っている? ミラーシップの航行技術は、おそらく地球連合軍より優れている。あのトリフネという機動兵器も、地球連合軍のどの兵器よりも優れている。あれだけの兵器を携《たずさ》えているのはなぜだ?」
「我々の技術は、もともと戦いのためのものではなかった。生きるための技術だ」
「生きるための技術?」
「地球圏でぬくぬくと生きている人間にはわからない。木星圏というのは、生きていくこと自体が戦いなのだ」
そのとき、情報部の将校の背後から声が聞こえた。
「木星圏は、その男が言うとおり地獄だよ」
穏やかな声だ。穏やかすぎるほどだ。だが、情報部将校は、まるで怒鳴られたかのようにさっと場所をあけた。
戸口に姿を見せたのは白髪の老人だった。やはり海軍の軍服を身につけている。身長はそれほど高くない。見事な白髪と白い肌が特徴だった。若い頃は逞《たくま》しい体格だったことが想像できる。だが、今は何か大病の後のような疲れ果てた印象があった。
チェレンコに対して嘲《あざけ》るような態度をとっていた情報部将校は、たちまち態度を変えた。気をつけをしたまま正面を見ている。
たしかに、新たに姿を見せた男の制服には、将官の階級章があった。だが、情報部将校の態度は、単に階級のせいではなさそうだった。彼は明らかにこの老人を畏怖している。
チェレンコにはそう感じられた。
チェレンコは、その老人に見覚えがあるような気がした。
仕事柄、地球連合軍の上層部の人間については一応の知識がある。顔写真も何度も見ている。その中の一人かもしれないと、チェレンコは思った。
「オレグ・チェレンコ。またの名を、タカメヒコ……。間違いないな?」
老人は言った。
「そうだ。そちらは?」
チェレンコが尋ねると、情報部将校がとがめるような眼で睨んできた。言葉遣いに気をつけろと言わんばかりだ。
「私か? 私は……」
彼は静かな語り口で言った。「君たちに言わせれば、諸悪の根源だな」
「諸悪の根源……?」
「私の名は、エドガー・ホーリーランド。ヤマタイ国では、オオナムチと呼ばれている」
チェレンコは衝撃のため、声を出すことも身動きすることも忘れていた。
オオナムチ。
ヤマタイ国建国の祖。
今や、ヤマタイ国でも伝説でしかない。その人物が、今目の前にいる。
チェレンコは混乱した。
ヤマタイ国建国の祖が、地球連合軍の海軍情報部にいる。
ジンナイが言っていたことを思い出した。海軍情報部は、エドガー・ホーリーランド提督の存在をひた隠しにしている。そして、ホーリーランド提督は、木星圏でジュピター・シンドローム第二世代、第三世代を対象とした何らかの人体実験に関わっていた。
その情報が正しかったのかもしれない。だとしたら、どうして、ヤマタイ国では、ホーリーランド提督を建国の祖と仰《あお》いでいるのだろう。
「君には、しばらくおとなしくしていてもらうことにする」
ホーリーランド提督が言った。「今、戦争を終わらせるわけにはいかないのでね」
チェレンコは、混乱しながらも、なんとかまともに頭を働かせようとした。
「この戦いには意味がありません。すぐにでも終わらせるべきです」
「意味はある。おおいにある」
「なぜです?」
チェレンコは言った。「オオナムチと呼ばれたあなたが、どうして地球連合軍にいて、戦争に関わっているのです?」
「戦争に関わっている? その言い方は正確ではない」
「では、どう言えばよろしいのでしょう」
「戦争を起こしたのは、私だ」
チェレンコは、さらに衝撃を受けた。
「いったい、どうして……」
ホーリーランド提督は、かすかにほほえんだ。
「時間はたっぷりある。考えてみることだ。君には、しばらくここにいてもらうことになるからな。心配しなくていい。我々はUNBIのように君を拷問したりはしない。ただ、おとなしくしていてほしいだけだ」
ホーリーランド提督は、それだけ言うと、部屋を出て行こうとした。
「待ってください。どういうことなのか説明してください」
「考えてみれば君にもわかるはずだ。人は、説明されるよりも、自分でこたえを見つけたほうが納得できるものだ」
「私にわかるわけがありません」
「あせることはない。言っただろう。時間はたっぷりある。何か不自由なことがあったら、このファーマー少佐に言いなさい」
ホーリーランド提督は、姿を消した。
部屋には、ファーマーと呼ばれた情報部の少佐が残った。
「提督はああ言われたが」
ファーマーは言った。「私は、あくまでおまえの監視役だ。召使いではない」
チェレンコにはそんなことはどうでもよかった。
「あんたは知っているのか? オオナムチ様が戦争を起こしたというのはどういうことなんだ?」
「おまえにこたえる必要はないな。ホーリーランド提督が言われたとおり、おまえにはしばらくおとなしくしてもらわなければならない」
「今戦争を終わらせるわけにはいかないというのは、どういう意味だ?」
「おまえの質問にはこたえないと言ったはずだ」
ファーマーが部屋を出ようとした。チェレンコは言った。
「一つくらい質問にこたえてくれてもいいだろう」
「質問の内容にもよるな」
「ここはいったいどこなんだ? これくらいの質問にはこたえてもらいたいものだ」
ファーマーはしばらく考えてからこたえた。
「ヨコスカだ」
ファーマーは部屋を出て行き、施錠《せじょう》される音が聞こえた。ドアには古い機械式の錠前がついているようだった。
第一小隊の当番が終わり、カーターたちが上陸しようとしているところへ、緊急招集がかかった。
実は、昨夜から艦内は少しばかり騒がしかった。核融合炉、核分裂炉、両方の燃料が積み込まれていたし、推進剤の注入も始まっていた。
チーム・レッドの分隊長であるカズ・オオトリがカーターに言った。
「何かの理由で、出撃が早まったようですね」
カズは、「サムライ」というニックネームで呼ばれている。日系で、そのニックネームのとおり武士の雰囲気を持っている。
チーム・イエローの分隊長、カウボーイと呼ばれているロン・シルバーが言う。
「上陸しようとしていた矢先に出撃ですか? ちょっとへこみますね」
「泣き言を言うな」
カーターは言った。「海兵隊の名が泣くぞ。さあ、ブリーフィングルームへ急げ」
海兵隊の第一小隊だけでなく、第二小隊や艦載機部隊一小隊、空軍の要撃部隊も招集されていた。
カーターはオージェの隣の席に座り、ハーネスで体を固定した。
「何で呼ばれたか知っているか?」
カーターがオージェに尋ねた。
「あんたが知らないのに、私が知っているはずがない」
「ま、そりゃそうだな」
ほどなく、エリオット作戦司令が部屋にやってきた。無重力および無重量の状態では、上官が入室してきた際の起立を免除されている。
エリオットは、可動式のアームの上に乗った司令官用の椅子に体を固定した。
「探査機が、敵の動きを察知した」
エリオットはいつものように単刀直入に言った。彼は常に余計なことは一切言わない。
正面のスクリーンに太陽系の略図が現れる。太陽を中心として、木星の軌道までが表示されている。
画面上のすべての惑星とすべての衛星がリアルタイムの位置を示して動いている。そこに、地球とアストロイド・ベルトを結ぶ長楕円軌道が描き出された。
探査機の軌道だ。この軌道を常に三機の探査機が周回している。
「敵のミラーシップが地球圏に向かって近づいている。ワダツミ級の大型ミラーシップが二隻、ナミノホ級巡洋艦が二隻。レンジングによると、今のところ火星方面に向かっているが、火星でスイングバイして、地球圏に向かうことも充分に予想できる」
レンジングというのは、宇宙船が発する電波のドップラー効果を利用して軌道を算出することだ。どんな船でも必ず電磁波を発している。それを探査機がパッシブレーダーでキャッチするのだ。
必ず二隻ずつ同型艦を航行させるのは、惑星探査機を飛ばしていた時代からの伝統だ。長期の航行に際し、一隻に不備があった場合、あとの一隻がバックアップの役目を果たす。
正面のスクリーンで、予想される敵の軌道が描き出された。
一つはそのまま火星の周回軌道に入るパターン。もう一つは、火星でスイングバイして加速し、地球圏に向かう軌道だ。
エリオット作戦司令の説明が続いた。
「現在、ニューヨーク級強襲母艦のうち、ニューヨークは地球の衛星軌道上にいる。ダイセツは、本艦と同様に換装にかかっているが、準備が遅れている。したがって、本艦が急遽火星に向かい、周回軌道上で敵艦隊を待ち受け、敵の地球圏への侵入を阻止する。なお、巡洋艦アイダホ、シャンハイ、マドラス、キプロスが同行する。出航は、八時間後。何か質問は?」
カーターは挙手した。
「カーター大尉」
「本艦と同様にダイセツも換装しているとのことですが、我々はこの換装の理由を説明されておりません。見たところ、長期の航行の準備に思えるのですが……」
「そのとおりだ」
エリオットはこたえた。「いずれ正式に通達する予定だったが、ここで発表してもさしつかえないだろう。本艦ならびにダイセツは、木星圏を目指すことになっていた。今回同行するアイダホ、シャンハイ、マドラス、キプロスはいずれも、長期航行の準備を終えている」
もともと巡洋艦は脚が長い。普段からペイロードには余裕があるので、換装はニューヨーク級よりずっと簡単なはずだった。
カーターはさらに尋ねた。
「海兵隊と艦載機は、何小隊積んでいくのですか?」
「今回の出撃には、通常どおり海兵隊二小隊、それから、艦載機二小隊を搭載する。艦載機二小隊のうちの一小隊は、空軍の要撃部隊だが……。木星に遠征するときには、それぞれ一小隊ずつとなる」
思ったとおりだ。
カーターは思った。
一小隊だけの遠征。これはきつい戦いになる。
だが、目下のところ考えるべきは、後日の木星遠征ではなく、敵の侵入を阻止する火星周回軌道上の作戦だ。
第二小隊のフランク・キャラハン小隊長が手を挙げた。エリオット作戦司令が指名した。
「キャラハン大尉」
「木星へは、どっちの小隊が行くんですか?」
そのこたえはすでに出ていると、カーターは思った。キャラハンの悔しさがよくわかった。
だが、エリオット作戦司令のこたえはちょっと意外なものだった。
「両方行ってもらう」
キャラハンも怪訝そうな顔をした。
「両方ですか……?」
「そうだ。第一小隊と空軍要撃部隊は、本艦に乗ってもらう。そして、キャラハン大尉以下の第二小隊は、巡洋艦のいずれかに乗ってもらう」
キャラハンは、アイルランド人らしいちょっと皮肉めいた笑顔を見せた。エリオット作戦司令の説明に満足したようだ。
「ならば、今回の作戦でなんとしても生き残らないとなりませんね」
エリオット作戦司令は、にこりともせずに言った。
「ヒュームスは、最も高価な機動兵器であり、トリフネに対する有効な対抗手段だ。地球上の海戦の歴史は大艦巨砲主義から、航空機を搭載した空母の時代となり、やがてミサイルの時代へと移っていった。現在、ヒュームスの第三世代の配備により、宇宙の海戦もようやく太平洋戦争における空母の時代と同様の段階を迎えた。ヒュームスは貴重だ。そして、ドライバーはさらに貴重だ」
エリオット作戦司令なりの言い方で、「死ぬな」と言っているのだ。
エリオットは、正面のスクリーンを見てさらに説明した。
「敵艦隊の取り得る軌道は二通りあると説明したが、より可能性が大きいのは火星の周回軌道にはいるコースだ。地球圏は、まだ地球連合軍の勢力範囲内で、そこに突っ込んでくるというのは、どう考えても無謀だ。一方、前回の『火星上空の戦い』で、敵は火星のマスドライバーを破壊し、事実上海軍は、火星の周回軌道から撤退した。火星上空に橋頭堡《きょうとうほ》を築《きず》く。おそらくそれが敵の狙いだろう。つまり、軌道上の同航戦となる可能性が大きい」
「火星の衛星軌道上には、ベース・バースームがある……」
カーターは思わず発言してしまった。
マスドライバーが破壊されて以来、物資の補給が満足にできなくなり、海軍はベース・バースームから撤退した。
しかし、あの宇宙ステーションはまだ存在しており、細々と維持している人々がいるはずだ。
火星の衛星軌道上にあるベース・バースームは、放棄するには金がかかりすぎているのだ。マスドライバー再建の日まで、シャトルによる最低限の補給で維持しているのだ。
敵は、間違いなくベース・バースームを奪おうとするだろう。
エリオット作戦司令はうなずいた。
「ワダツミ級の大型ミラーシップは、それ自体が宇宙ステーションのようなものだ。ベース・バースームに接舷すれば、それだけで増築したような恰好になる。敵の基地として使用されることになるだろう。ミラーシップの輸送力は、なぜか地球連合軍の艦船を大きくしのいでいる。あれだけ遠くからやってくるのに、我々の概念をくつがえすほどのペイロードを持っていることがわかっている。それも謎の一つなのだが、要するに、敵はベース・バースームを基地として運用するだけの資源を運び込むことができると、参謀本部では考えている」
敵の狙いは、ベース・バースームと考えていいということだ。
冗談じゃない。
カーターは思った。
ベース・バースームは、俺たち海軍と海兵隊の母港だった。そこには、居心地のいいバーがあり、顔なじみのバーテンダーがいる。
敵に奪われてたまるか。
他の海兵隊員も同じことを感じているようだ。彼らの士気が一気に高まるのを、カーターは感じていた。
「出航までに、敵艦隊のレンジングを続けて、軌道を見守り続ける。変化がなければ、我々は、火星の衛星軌道上に向かう。ベース・バースームの守りを固めるのだ。以上だ」
エリオット作戦司令はハーネスを外して椅子から浮き上がった。
海兵隊の面々もハーネスを外した。彼らはやる気まんまんだ。リーナもそれに混じっていた。
空軍の連中だけが、椅子に体を固定したままだった。
出航準備で艦内は急に慌ただしくなった。
海兵隊の面々は、ヒュームス・デッキで、愛機の整備と作戦データの入力を始めなければならない。
カーターは、ヒュームス・デッキに向かう途中で、艦橋に向かう一団の科学士官たちに出会った。彼らは『軌道屋』だ。
軌道計算のスペシャリストたちで、宇宙の海を航行するときに、艦が太陽の周囲を長楕円軌道で永遠に回り続ける死の人工衛星になったりせずに済むのは、彼らのおかげだ。
軌道と軌道を結ぶ、複雑な軌道を計算して艦を目的地に最も効率よく到達できるようにするのだ。
作戦行動を取る艦の軌道というのは、複雑を極める。ニュートン力学の呪縛から逃れることができないからだ。さらに、実際には、どこを航行していても、あらゆる天体の引力が微妙に作用する。
それを計算するのが、彼らの仕事だ。彼らは、軌道の基本デザインをするときだけ図形を使う。それ以外は、すべて数式と数値の羅列だけで済ませてしまう。
数値を見ただけで、彼らの頭の中には複雑な軌道が描き出されるらしい。
ジェシカ・ローランドは、『軌道屋』の中でもずば抜けた能力を持っている。彼女はまさに天才だ。しかも、美人ときている。
年齢は不詳だが、豊かなブロンドに知的な青い眼をしている。
彼女は、工科大学の博士号を持っている。本来ならばカーターなどとは住む世界が違う。軌道のスペシャリストはどこでも引っ張りだこだ。民間の会社なら楽に働いて、たっぷりと稼《かせ》ぐことができる。だが、彼女は軍艦に乗ることを選択したのだ。
彼女は、カーターのお気に入りだ。
だが、同時にエリオット作戦司令やクリーゲル艦長のお気に入りでもある。
月の周回軌道から、火星の衛星軌道までは、アトランティスの強力な核融合エンジンが生む加速をもってすれば、短い旅だ。だが、天体は常に運行しており、その相対位置は複雑に変化する。
短い旅だからといって『軌道屋』の世話にならないわけではない。
「よお、ローランド博士。船が迷子にならないように、よろしく頼むぜ」
カーターは声をかけた。
ジェシカは、自信たっぷりの笑みを返してきた。
「あたしたちを守ってね、|海兵隊さん《ミスター・マリーン》」
「任せておけ」
ジェシカと言葉を交わしたことで、カーターは出航前の緊張感が少しだけほぐれた。
ヒュームス・デッキでは、すでに海兵隊の面々が作業を始めていた。出撃前の緊張をはらんだ慌ただしさ。
この先何が待ち受けているかわからない。だからこそ、準備の時間が大切だ。すべての装備に異状がないかどうかチェックする。それでも現場でのトラブルは防ぎきれない。
だが、自分のヒュームスのことを知り尽くしていれば、トラブルにも対処できる。宇宙の海ではパニックを起こした人間から死んでいく。冷静に問題に対処する人間が生き残るのだ。そして、決してあきらめないことが何より重要だ。
だが、宇宙の海では人間はあまりにちっぽけだ。人間にできることは限られている。だからこそ、ヒュームスに搭載されているOSであるムーサを信頼しろと、リーナは言う。
ムーサは、ドライバーを助けるために全力を尽くすのだという。
リーナの話を聞いていると、本当にムーサが慈愛《じあい》に満ちた聖母か何かのような気がしてくる。
カーターは、愛機であるクロノス改のコクピットに収まった。まだ新しい機体だ。クロノス改との付き合いはまだ短い。だが、それまで乗っていたクロノスと同じムーサが搭載されている。きわめて信頼性が高いOSだ。そして、かつてクロノスで使用していたデータベースを移植していた。おかげで、長年連れ合った愛機のような感覚で乗りこなすことができる。
大型スラスターを装備して、ギガースに準じる機動力を手に入れたクロノス改だ。
宇宙の戦いはどんどん高機動化していく。それにつれて、人間の能力も伸びていくのだろうか。
カーターはふとそんなことを考えていた。
アトランティス
ノブゴロド空軍基地を出航したアトランティスは、まず地球への楕円軌道に乗った。火星への軌道に乗るために、地球でパワー・スイングバイを行うのだ。
パワー・スイングバイというのは、スイングバイをする際に、エンジンの推力を加えることを言う。
地球の引力と運動エネルギーを借りてコースを変えると同時に勢いを付ける。それに、アトランティスの強力な核融合エンジンのパワーを加えるのだ。
「宇宙の航海というのは、いまだに不自由なものですね」
空軍要撃部隊六名の中で、いちばん若いセルゲイ少尉が言った。それにこたえたのは、鼻の下にふさふさとした髭をたくわえたベテランパイロットのアレキサンドルだった。
「ふん。船なんざ、いつだって不便なものさ」
常に冷静沈着なユーリ中尉がからかうように言った。
「おまえの家系は代々船酔いするんだったな」
空軍は、惑星の周回軌道上を縄張りとしている。だから、惑星間軌道に乗ることなどほとんどなかった。
長く複雑な軌道のことが、空軍のパイロットには煩《わずら》わしく思えるのだ。オージェは、彼らの気持ちをよく理解していた。
オージェも似たような気分だった。月や地球の周回軌道上のパトロール任務のなんと気楽だったことか。
「海軍なんて、まっぴらだと思っていた。なのに、今じゃ戦艦乗りだ。なあ、隊長、俺たちはいつまで船に乗ってなきゃならないんだ?」
アレキサンドル中尉が、うんざりした顔で言った。
オージェはこたえた。
「おそらく、この戦争が終わるまでだ」
その言葉に、要撃部隊の面々はちょっと意外そうな顔をした。
アレキサンドルは、目を丸くして言った。
「つまり、俺たちはノブゴロド基地にはもう戻れないということですかい?」
「おそらく、ノブゴロド基地は、当面アトランティスの母港として使用されることになるだろう」
「空軍基地が海軍の港として使われるということですか?」
セルゲイの次に若く、いつもやる気満々のワシリイ少尉が言った。
その問いに、オージェの代わりにユーリがこたえた。
「火星のマスドライバーが再建されて、海軍のベース・バースームが機能するようになれば、アトランティスだってベース・バースームに戻るだろう。だが、マスドライバー再建の目処は立っていない」
「俺たちは、そのベース・バースームを守りに行くわけでしょう?」
セルゲイが言った。「海軍の基地を守るために駆り出されるわけですか?」
「そういうことではない」
ユーリが言った。「ブリーフィングを聞いていなかったのか? 敵にベース・バースームを奪われたら、火星は敵の手に落ちたも同然だ。敵はベース・バースームに橋頭堡を築くのだ」
「そんなことはわかっています」
セルゲイが言った。「ですが、何だか割り切れないような気がします。空軍の俺たちが、戦争が終わるまで戦艦に乗って長旅をしなければならないというのは……」
「そうでなくては、ジュピタリアンに対抗できないのだ。ジュピタリアンの軍には海軍だの空軍だのといった区別はない」
ユーリはあくまでも理性的に説明した。「アメリカ式の海軍だの、ロシア式の空軍だのといった区別は、地球時代からの因習だ。ジュピタリアンの歴史はごく新しい。だから、合理的な軍隊を作った。ジュピタリアンに対抗するためには、空軍と海軍の垣根を取っ払う必要があったんだ」
「それって、戦略的に正しいんですかね?」
生真面目なミハイル中尉が言った。ミハイルは、オージェの僚機に乗っている。
「どういうことだ?」
ユーリが聞き返す。
「敵の戦い方に合わせているということでしょう? 地球連合軍には地球連合軍の戦い方があるはずです」
「そういうことではないだろう」
ユーリは考え込んだ。「どちらが合理的かという話なのだ」
「俺は、ミハイルの言うことに一票入れるね」
アレキサンドルが言った。「空軍には空軍の戦い方がある。それは、長年にわたって培《つちか》われたものだ」
ユーリは、少しばかり苛立った様子だった。
「宇宙ではその伝統が必ずしもいいほうには作用しないんだ。それを、今回の戦争は証明している。いいか? 物量も装備も兵員も圧倒的に優位にあるはずの地球連合軍が、劣勢に立っている。なぜだ? 理由は一つだ。ジュピタリアンの戦い方が宇宙に合っているんだ。残念だが、やつらのほうが俺たちより宇宙のことをよく知っているんだ」
アレキサンドルは忌々しげに唸《うな》った。彼が理屈でユーリに勝ったことは、まだ一度もない。
勢いで物事を解決しようとする傾向が強いワシリイが、珍しく思案顔で言った。
「空軍と海軍の垣根を取り払うということは、地球連合軍の再編が行われるわけですよね」
ユーリがうなずいた。
「そういうことになるだろうな」
「そうなると、誰が得をするでしょうね」
ユーリは、不意を衝《つ》かれたように、怪訝そうな顔でワシリイを見た。
「何だって……?」
「海軍と空軍……。規模でいうと海軍のほうがずっと大きい。予算の規模も違う。当然、海軍が空軍を傘下《さんか》に収める形で再編が進むんじゃないですか? 俺たちが戦艦に乗せられているのが、何よりの証拠です。おそらく、再編後の軍というのは、こういう形になるのでしょう」
アレキサンドルが驚いた顔で、ワシリイを見ていた。
「冗談じゃない。ロシアの伝統を継ぐ我が空軍が、アメリカ中心の海軍に組み込まれるなど……」
アレキサンドルにそう言われて、若いワシリイは口をつぐんでしまった。
ユーリが静かに言った。
「ワシリイの言うとおりかもしれない。軍の再編は海軍中心に進むことは充分に考えられる。地球連合軍といっても言ってしまえば寄せ集めだ。空軍というのは、もともとは地球の高高度の覇権《はけん》争いの産物でしかない。一方、海軍というのは、惑星探査や移住計画に深く関わってきた」
「それでいいじゃないか」
アレキサンドルは言った。「実際、海賊やテロ行為のほとんどは地球の周回軌道上で起きる。俺たちは、その戦いでノウハウを蓄《たくわ》えてきた」
「そう。敵が海賊や地球のテロリストなら……」
「何が言いたい?」
「地球連合軍は、地球外に敵を想定していなかった。空軍は、高高度の治安維持を担当していたのだし、海軍は他惑星など辺境のパトロール任務と調査活動を担っていた。それで事足りていた。ジュピタリアンが独立戦争を仕掛けてくるまでは……」
なるほど、そういう考えもあるな。
オージェは、彼らの話を聞きながら、そう考えていた。
この戦争は、人類が初めて体験する本格的な宇宙戦争だ。今後、さまざまな方面に大きな影響を残すことになるだろう。
軍の再編か……。考えたこともなかったが、ワシリイが言ったとおり、オージェの部隊がアトランティスに乗って、艦載機として戦うというのは、たしかに軍の今後のあり方を考えるためのテストケースなのかもしれない。
「誰が得をするでしょうね」というワシリイの言葉が気になった。
そう。世の中は我々のような軍人ばかりでできているわけではない。損得しか考えないような連中がたくさんいるし、面倒なことに権力や財力を持っている人間ほどその傾向が強い。
海軍を中心として地球連合軍を再編する。それは、権力好きのアメリカ人が考えそうなことだ。アメリカ人は、常に世界をリードしていないと気が済まないのだ。
もし、そういう形で再編が進めば、海軍の上層部は今まで以上に権力を手に入れるだろう。権力には金が集まる。海軍と関わりの深い軍需産業は潤《うるお》うことになるかもしれない。
ヒュームスを開発・生産している「カワシマ・アンド・ヒューズ社」などはその筆頭だろう。
なるほど、そう考えれば、おそろしく高価なプロトタイプ機のギガースを開発して海軍に提供した理由もうなずける。
だが、それだけではないな。
オージェは考えた。
海軍の母体であるアメリカの国を支えているのは、エネルギー産業だ。その資金力が、軍事力を支えており、それらがあいまって連合政府内のアメリカの発言力の元となっている。
アメリカのエネルギー・メジャーは、核融合の燃料である重水素とヘリウム3の利権を牛耳《ぎゅうじ》ろうと必死になっている。
そして、木星圏はその重水素とヘリウム3の最大の産地なのだ。
地球でのパワー・スイングバイも無事に終わり、アトランティスは、火星への長楕円軌道に乗った。
慣性による巡航に入ると、アトランティスは居住区を回転させて、人工重力を生み出した。
カーターは、椅子もテーブルも撤去された殺風景なガンルームで、人工重力発生を知らせるサイレンを聞いていた。
何もないので床に座るしかない。居住性が売り物だった巨大戦艦も、今は見る影もない。腰を下ろそうとしたカーターは、『軌道屋』のジェシカ・ローランドが艦内放送で呼び出されるのを聞いた。
艦内放送は、緊急を意味している。
巡航中に、『軌道屋』が緊急呼び出しを受けるというのはどういうことだろう。
カーターは、思わずガンルームから顔を出して外の様子をうかがった。そこにちょうどジェシカ・ローランドが駆けてきた。
「何事だ?」
カーターは尋ねた。ジェシカは、カーターの前を駆け抜けながらこたえた。
「知らないわ」
「ちょっと待て……」
カーターは、ジェシカのあとを追っていた。「軌道を逸《そ》れたのか?」
「そんなはずない。パワー・スイングバイは完璧だった」
いつしか艦橋まで来ていた。カーターは躊躇したが、思い切ってジェシカに続いて艦橋に足を踏み入れた。
エリオットがカーターを見て言った。
「呼んでないぞ」
カーターは、ハッチの手前で佇《たたず》んだ。呼ばれもしないのに、艦橋に上がるのは越権《えっけん》行為だ。
「まあいい」
クリーゲル艦長が言った。「カーターにも状況を見ておいてもらおう」
エリオットは、わずかに戸惑った様子だったが、やがて言った。
「入れ」
艦橋では、航海士と『軌道屋』たちがしきりに話し合っている。
エリオットがジェシカに言った。
「敵が軌道を変えた」
ジェシカは一瞬、ぽかんとした顔をした。
「どこでですか?」
エリオットは、無言でメインのモニタースクリーンを見上げた。そこには、敵の軌道が描き出されている。
カーターがブリーフィングルームで見たのと同じ映像だ。
敵が軌道を変えたのは、火星のはるか向こう側、アストロイド・ベルトの内辺のあたりだ。
ジェシカはそれを見てつぶやいた。
「あり得ない……」
エリオットもうなずいた。
「敵が軌道を変えたあたりには、引力を利用できるほど質量のある天体はない」
「そう。スイングバイでもしなければ、惑星間の軌道なんて変えられない。そんな推力を使ったら、どんな戦艦だってたちまち推進剤を使い果たしてしまう」
最新鋭の戦艦は、たいてい強力な核融合機関を積んでいる。だが、核融合は熱エネルギーを発生するだけだ。それを運動エネルギーに変えるには、高温を利用してガスやイオンを噴射しなければならない。そのためには推進剤が必要なのだ。そしてペイロードの中の推進剤は限られている。
エリオットが言った。
「そういうことだ。だが、実際に敵艦隊は軌道を変えた」
「いったい、あのミラーシップって、どんな機関を使っているの?」
ジェシカは、空いていたコンソールの前に座り、レンジングの結果をもとに計算を始めた。やはり彼女が使っているモニターには、数字の羅列しかない。
手を止めると、その数字の列を睨みながら、ジェシカは言った。
「彼らは地球にやってくる……」
エリオットは、思わずクリーゲル艦長の顔を見上げた。
クリーゲル艦長は、ジェシカに尋ねた。
「今から本艦の軌道を変更するのは可能か?」
ジェシカが振り返った。
「どのような軌道ですか?」
「敵と出会う軌道だ」
「それは不可能ですね」
「では、敵を追撃する軌道だ」
「敵艦隊がこのまま進むと、二十一日後には地球に到達します。一方、本艦は火星に向かって航行中ですので、地球への最短のコースは、火星でスイングバイを行って地球へ戻るコースです」
カーターにもジェシカの言うことはよく理解できた。火星への惑星間軌道に乗ってしまったからには、いまさら地球圏に引き返すことはできないのだ。
最もエネルギー効率がよく、しかも時間がかからないコースは、やはり火星と地球の引力圏を含む長楕円軌道を進むことなのだ。
エリオット作戦司令もクリーゲル艦長もよくわかっているはずだ。
クリーゲル艦長が尋ねた。
「その軌道で我々が地球圏に戻るのはいつになる?」
「火星で再びパワー・スイングバイをしたとして、四十五日後の予定です」
「敵の地球圏到達に二十四日も遅れるということか……」
エリオット作戦司令は、クリーゲル艦長に言った。
「地球圏にはニューヨークを中心とする艦隊も残っていますし、ダイセツの換装もじきに終わるでしょう。周回軌道上ならば、空軍もいます。彼らに任せるしかないでしょう」
「しかし……」
クリーゲル艦長は言った。「我々はおびき出されたも同然だ。敵は戦力を分断して地球圏を手薄にしたのだ」
カーターは不思議に思った。
地球連合軍の最新鋭の強襲母艦アトランティスでも、天体の助けを借りなければ容易に軌道を変えることなどできない。だが、敵のミラーシップはそれをやってのけたのだ。
どういうことなのだろう。どんな宇宙船だって、ニュートン力学から逸脱して航行することなどできないはずだ。無限の推進剤があれば別だ。だが、遠い木星圏からやってくるミラーシップは、我々以上に使用できる推進剤が限られているはずだ。
「何か方法があるはずだ。アトランティスと巡洋艦たちを地球に向ける方法が……」
クリーゲル艦長が言った。
ジェシカは唇を噛《か》んでしばらくクリーゲル艦長を見つめていたが、やがて意を決したようにメインスクリーンを見つめた。
艦橋内が沈黙した。誰もがジェシカに注目していた。
ジェシカはつぶやくように言った。
「月を使いましょう」
「月……?」
エリオット作戦司令が聞き返した。
「そう。幸い、地球でのスイングバイが終わったばかりで、艦隊はまだ月の軌道を抜けていない。月に艦を向けるだけなら、何とかなるでしょう。月でスイングバイを行い、地球への軌道に乗せます」
ジェシカは、すでに計算を始めていた。彼女の指が猛烈な勢いでキーを叩く。目の前のモニターにたちまち数字が並んだ。
「この場合のデルタVは……」
ジェシカは、独り言をつぶやく。仲間の『軌道屋』たちも、ジェシカの方針に従って計算を始めた。
デルタVというのは、宇宙でしか使われない単位だ。エンジンの噴射前と噴射後の速度の差を表すもので、毎秒何メートルという距離と時間で推進剤の量を表すのだ。
カーターは、宇宙に出たばかりのときにはこの習慣に戸惑ったものだが、今ではすっかり慣れている。
「月は、二十九・五三〇五九日で地球を一周している。艦隊と最接近するタイミングを狙えば……」
ジェシカはぶつぶつとつぶやきながら計算を続ける。他の『軌道屋』たちは、彼女のつぶやきに耳を傾けているようだ。
ジェシカは、数字の列を見つめている。そして、他の『軌道屋』の計算結果と照らし合わせた。
「これね……。十二時間後に、メインエンジンを吹かせばなんとかなる。最大出力で、二十八秒間。コースは、こうなる」
ジェシカはコンピュータのキーを叩いた。
メインスクリーンに新たな軌道が描き出された。艦隊は火星へ向かう軌道から逸れて、月へ向かう曲線をたどる。
「月で再び、パワー・スイングバイ。そうすれば、敵よりも早く地球にたどり着ける」
エリオット作戦司令が尋ねる。
「地球の周回軌道に入るのは、何日後になる?」
「十一日後」
「敵よりも十日も早く着くことになるな……。敵はこちらの動きを察知してまた軌道を変えるかもしれない」
「それはあり得ませんね」
ジェシカは言った。
「なぜそう思う? 事実、彼らは軌道を変えた」
ジェシカは、メインモニターを見上げて言った。
「おそらく、ミラーシップは自らの推進力で軌道を変えたのではなく、外的な力を受けたのです」
「だが、スイングバイを行うような天体はない」
「ミラーシップの形と関係があるかもしれません」
「形……?」
「あの丸い鏡のように見えるものです。あれは、太陽電池か何かかと思われていますが、実は帆なのかもしれません」
「帆……? 太陽風を受ける帆船だとでも言うのか? 太陽風の帆船ではあれほどの加速を得るのは不可能だ」
ジェシカは肩をすぼめた。
「でも、あのペイロードを無視したようなデルタV……。そして、あの帆のような形……。それ以外考えられないんですけどね……」
クリーゲル艦長が二人の会話に割って入った。
「月への軌道に乗るには、さきほど君が言ったタイミングしかないのだね?」
ジェシカはうなずいた。
「一回だけのチャンスです。それを逃したら、火星まで行って火星の力を借りなければ地球へは向かえません」
クリーゲル艦長は、エリオットに命じた。
「地球の司令部に連絡だ。今ごろ、司令部でも敵の動きを計算しているはずだ。ローランド博士が算出した軌道データを送ってやれ」
「了解しました」
クリーゲル艦長は、カーターに眼を転じた。
「司令部から正式な命令が下ったら、ブリーフィングを行う。それまでは、隊員たちには何も言わないほうがいい」
退出するタイミングだ。カーターは気をつけをした。
「はい。ブリーフィングを待ちます」
カーターは艦橋を出た。
ミラーシップについてジェシカが言ったことが気になっていた。
鏡のように見えるのは実は帆かもしれない。そして、軌道を変えるためにミラーシップは外的な力を受けたようだとジェシカは言った。
それはいったいどういうことなのだろう。
アトランティス
ブリーフィングルーム
再び、海兵隊二小隊と空間エアフォース要撃部隊および艦載機部隊に集合がかかった。
エリオット作戦司令は、いつものように前置きなしに簡潔に説明を始めた。
「本艦および同行の巡洋艦は、コースを変えて地球へ向かうことになった」
ブリーフィングルーム内に囁《ささや》き声が行き交った。それを打ち消すように、エリオット作戦司令は続けた。
「敵の艦隊が軌道を変えた。当初、火星に向かうと思われていたが、敵は現在地球に向かっている。我々は、敵艦隊よりも早く地球の周回軌道に入り、迎撃の準備をする」
宇宙の海を知る海兵隊員たちは、皆不思議そうな顔でエリオット作戦司令の顔を見つめている。
カーターには彼らの気持ちがよくわかった。まず、敵が軌道を変えたことが不思議なのだ。惑星間軌道というのは、そう簡単に変更できるものではない。
そして、火星への軌道に乗っていたアトランティス以下の艦隊が、どうやって地球へ戻るのか疑問に思っているのだ。
一方、空間エアフォースの連中は、地球圏に戻れるとあって機嫌がよさそうだ。もともと空間エアフォースは、地球の高高度や周回軌道上での戦いを得意とするのだ。
「我々は月でスイングバイして、地球への軌道に乗る。幸い我々はまだ月の公転軌道の内側にいる。敵の目的は、一挙に地球圏まで侵入して地球連合軍ならびに連合政府に圧力をかけることだ。地球圏での戦いに決して敗北してはならない」
この一言に、士気は高まり、海兵隊の連中の疑問も吹っ飛んだように見えた。敵がどういう方法で軌道を変えたかは問題ではない。敵をどうやって打ち負かすかが問題なのだ。
さらに、エリオットは言った。
「地球の周回軌道上の戦いでは、軌道を逸れないように充分に注意するように。引力に引かれたら、地球の大気でたちまち燃え尽きる。その点では、空間エアフォースのほうが経験豊富といえる。要撃部隊は、海兵隊をサポートしてやってくれ。以上だ」
ブリーフィングが終わると、カーターは、リーナにさりげなく尋ねた。
「敵の艦隊はどうやって軌道を変えたのだと思う?」
リーナはきょとんとした顔でカーターを見返した。
「私にわかるはずがありません」
「そうか……」
カーターは苦い顔になった。「なんとなく、おまえさんならわかるような気がしたんだがな……」
本当にそんな気がしたのだ。リーナは、単に海軍情報部に所属しているというだけではない。何か神秘的なものを感じるのだ。
サイバーテレパスだからなのかもしれない。だが、カーターはそれだけではないような気がしていた。
「通常のペイロードを考えると、とても不可能だということはわかります」
「『軌道屋』のジェシカは、何か外からの力を受けたのだろうと言っていた。ミラーシップの鏡のように見える部分は帆かもしれないんだ」
「帆……。つまり、太陽風のようなものを帆で受けて推進力にしていると……」
「太陽風じゃ軌道を変えるほどの加速は得られない」
「敵が軌道を変えたのはどの辺なのですか?」
「アストロイド・ベルトの内辺のあたりだ」
「では、アストロイド・ベルトに何かがあると考えるべきですね」
「何か?」
「そう。ミラーシップに推進力を与える何かです」
なるほど、とカーターは思った。もし、そうならば、リーナが言う「何か」を叩けば、ミラーシップが火星の公転軌道から内側にやってくるのは困難になるのではないか……。
「よお、海兵隊。地球の上空では俺たちがいるから、何も怖がることはないぞ」
カーターは後ろから肩を叩かれた。
空間エアフォースのアレキサンドル中尉だ。
「ああ、よろしく頼む」
カーターは言った。「その代わり、木星へ行くときには、俺たちが面倒を見てやるよ」
アレキサンドルは、とたんに鼻白《はなじろ》んだ表情になった。
「長い航海のことを思うとうんざりだ。しかも、椅子もテーブルも撤去されちまった。こんな状態で二年近くも旅をするのか?」
「ああ。片道で済むなら一年だがな」
「片道?」
「帰ってこられるという保証はないよ。俺たちは戦いに行くんだからな」
「くそっ。船の中で死ぬなんてまっぴらだ」
アレキサンドルは、そう言うと、廊下を歩き去った。
「きっとだいじょうぶです」
リーナが言った。カーターは思わずリーナの顔を見た。
「だいじょうぶ? 何がだ?」
「木星圏の戦いで死ぬようなことはないでしょう」
「どうしてそんなことが言えるんだ」
「そんな気がします」
カーターはリーナの、緑がかった茶色の眼を見つめた。その眼差しにも、やはり神秘的なものを感じる。
「おまえさんがそう言うと、俺もなんとなくそんな気がしてくるよ」
カーターが言うとリーナはほほえんだ。久しぶりにリーナの笑顔を見たと思った。
加速を告げる警報が艦内に鳴り響いた。ジェシカが言っていた、たった一度のチャンスだ。この軌道変更に失敗したら、月のスイングバイもできず、艦はどこに行くかわからない。
だが、心配しても仕方がない。ジェシカはプロだ。彼女の計算に間違いがないことを信じるしかなかった。
強力な核融合エンジンによるキックで、艦がコースを変えるのがわかった。
やがて、コース変更が成功したことが艦内放送で告げられた。つまり、敵との遭遇も近いということだ。
カーターは、次第に緊張が高まるのを感じた。
月でのスイングバイも成功した。あとは黙っていても地球に着く。地球の周回軌道に乗って、敵を待ち受けるのだ。
「みんな、マシンの整備は怠《おこた》るな。地球周回軌道用のデータを入力するのを忘れるな」
カーターは、海兵隊第一小隊の隊員に言った。地球が近づくにつれて、彼らの表情が引き締まってくるのがわかる。
地球の周回軌道上は最後の砦《とりで》だ。軌道上に重要な施設も少なからずある。ミラーシップは、そうした施設やさまざまな衛星を攻撃目標にするかもしれない。
施設や衛星を破壊されるのは、それ自体が甚大な被害だが、もっと恐ろしい面がある。周回軌道上に恐ろしいデブリを撒《ま》き散らすことになるのだ。
デブリはただのゴミではない。高速で地球の周回軌道上を回り、衛星やシャトルなどを破壊する。するとまたデブリが増えていき、地球の高高度はデブリに覆《おお》い尽くされ、やがて地球から出ることも、地球に進入することもできなくなってしまう。
だから、地球の周回軌道上では戦闘行為が厳しく制限されている。地球周回軌道上での戦いは、重要な条約違反となる。
だが、ジュピタリアンがこうした条約を批准《ひじゅん》しているわけではない。地球の周回軌道上で破壊行為をやってのける怖れは充分にあるのだ。
海兵隊は、できるかぎりそれを阻止しなければならない。もし、デブリが発生したら、それをできるだけ、地球に向けて落としてやらなければならない。そうすれば、大気圏で燃え尽きてくれるのだ。
艦内は、長期遠征用に換装されているとはいえ、将兵たちのベッドだけは確保されていた。艦隊勤務において一番重要なのは、寝食だ。
特に厳しい環境に長時間さらされる惑星間航行においてはなおさらだ。
地球へ向かう間、カーターは、とにかくよく眠ろうと努めた。もうじき、戦いのためのプレブリーズが始まる。ヒュームスのコクピットは、船外活動をする宇宙服と同様にほぼ〇・二七気圧に保たれている。
いきなりこの気圧に放り込まれると、減圧症を起こす。体内の窒素《ちっそ》が泡になって血管に詰まるのだ。関節が動かなくなり、呼吸もできなくなって死にいたることもある。
そのためにプレブリーズを行う。純粋の酸素を六十分吸って、〇・七気圧の中で十二時間過ごす。それから、ヒュームスに乗り込み、さらに純粋酸素を四十分ないし七十五分間吸い、コクピット内を〇・二七気圧まで下げる。これで出撃準備が整うわけだ。
プレブリーズはきつい。だが、宇宙の海に出る者は例外なくやらなければならない。
カーターと彼の部下たちは、静かにその時を待っていた。
舷窓から地球が見える。
青く輝く、温暖な恵の星。生命の故郷だ。
アトランティスは無事に地球の周回軌道に乗っていた。敵艦隊を待ち受ける。
戦いに来たとはいえ、地球に戻るとさすがにほっとする。オージェはそう感じていた。
要撃部隊の連中の表情もたしかに和らいでいる。地球の高高度は、空間エアフォースの縄張りと言っていい。エリオット作戦司令にいわれるまでもなく、オージェもそのことに誇りを持っていた。
すでに、エリオット作戦司令から待機命令が出ている。各自、プレブリーズを行い、出撃に備えることを意味している。
体質により個人差があるが、ベテランパイロットになると、通常の半分ほどの時間でプレブリーズをやってのける。無酸素でいきなり高山に登るようなものだが、長年の訓練で、それが可能になる。
アレキサンドルなどは、リラックスしきった様子でエアロック内に入っていった。彼のこうした振る舞いが若いパイロットたちに安心感を与える。
プレブリーズを終え、コクピットに収まる。さすがのオージェもこうして出撃を待つ時間は、緊張する。心臓の鼓動と呼吸は速くなる。それは、減圧のせいばかりではない。
やがて、艦内通信でコクピット内に管制官からの指令が入る。
「敵艦隊を捕捉。本艦は敵艦隊との同航戦の準備に入る。各員、出撃準備のまま待機」
この待機の時間が長い。軌道上の基地からの出撃ならば、すぐにも出られるのだが、強襲母艦からの出撃となれば、そうもいかない。敵との位置関係が問題になるからだ。
同航戦というのは、要するにランデブーと同じだ。相手に軌道と速度を合わせなければならない。その準備が整うまで出撃することはできない。艦載機の宿命だ。
じりじりとした時間が過ぎる。
まあいい。オージェは思った。
コクピットの中での待機が長ければ、それだけ減圧症になる危険が少なくなるということだ。
こうしてハンガーで待つ間は、外の状況はまったくわからない。管制官の指示に従うしかないのだ。
やがて、艦内係員の動きが慌《あわ》ただしくなった。管制官からの通信が入る。
「空間エアフォース、オージェ隊、出撃」
「ひゃっほう」
アレキサンドルの威勢のいい声が聞こえる。
オージェは管制官にこたえた。
「了解。オージェ隊、出る」
外側のエアロックが開き、カタパルトによってオージェの Su-107S ツィクロンがそっと押し出された。
続いて、オージェの僚機であるミハイルのツィクロンが宇宙の空に出る。そして、順次、ユーリ、セルゲイのツィクロン、アレキサンドルとワシリイの Mig-103bis ズヴェズダが出撃した。
地球が間近に見える。青い海、大陸、そしてそれを取り巻く雲までがはっきりと見えている。
オージェの要撃部隊は空に出ると、すぐに編隊を組んだ。
オージェは、パイロットの習慣で空に出るとすぐに周囲を見回した。
アトランティスを中心とする艦隊のはるか前方に敵のミラーシップが視認できた。丸い鏡のように見える。大型が二隻に、やや小型のものが二隻。アトランティスと同じ軌道上で等速度運動をしているので、互いに静止しているように見える。
よくここまで来たものだ。
オージェは思った。
だが、地球上空では好き勝手はさせない。
長い待機を強《し》いられていたのは、カーターたち海兵隊も同様だった。第二小隊のキャラハン隊長は、アイルランド人らしく、皮肉な口調で、文句を言いつづけていた。
やがて、管制官からの出撃命令が出る。
カーターは言った。
「行くぞ。トリフネに一泡吹かせてやれ」
エアロックが開き、星の海が見える。カタパルトによって、カーターのM2−A1・クロノス改がゆっくりと加速され、星の海に押し出される。
カーターはダイブした。手足を動かすモーメンタル・コントロールで姿勢を制御する。次に出たのがギガースだった。
リーナのギガースは、その白とブルーに塗り分けられた大型の翼のようなもののおかげで颯爽《さっそう》として見える。その翼状のものは、放熱板とモーメンタル・コントロール用の可動肢を兼ねている。大気圏内では、実際に翼の役割も果たすということだ。
チーム・イエローとチーム・レッドの突撃艇もダイブした。それぞれの突撃艇には、M2クロノス三機と、M1テュール三機が搭載されている。
アトランティスの前方に、四隻のミラーシップが見えた。ミラーシップたちは、沈黙していた。軌道上で何の動きも見せない。
何が狙いだ?
カーターは思った。海兵隊二小隊は、アトランティスの前面に展開して、相手の出方を待った。
そこにエリオット作戦司令からの通信が入った。
「敵は、さまざまな周波数で、メッセージを送り始めた。敵の情宣活動だ。実力で阻止しろ」
次の瞬間、通信が途絶えた。アトランティスがECMを開始したのだ。戦闘開始を意味している。これ以降、無線による通信やデータ送信は不可能になる。
カーターは、クロノス改の左腕を掲《かか》げ、それを前に振り出した。海兵隊は、電子戦の中でも意思の疎通《そつう》ができるように、ヒュームスによる身振りの合図が決められている。
カーターは突撃を指示したのだ。
チーム・グリーンのクロノス改、そしてギガースがいっせいにメインスラスターを噴かした。
強力なGがかかり、体がシートに押しつけられる。
敵のミラーシップの鏡のように太陽光を反射している部分に、無数の黒点が見えた。
「来やがった。トリフネだ……」
トリフネは編隊を組んだままどんどん近づいてくる。やがて、その形状がはっきりと見えるようになってきた。
数は、約三十機。こちらのヒュームス二小隊計十八機、空間エアフォース六機、艦載機八機とほぼ互角の数だ。
敵が撃ってきた。荷電粒子《ビーム》砲だ。
カーターは、クロノス改の機動性にものをいわせて目まぐるしく動きながら、前進した。リーナのギガースは、さらに激しく動いている。
まったく……。リーナの操縦にはかなわない……。
リーナのギガースとカーターのクロノス改の間を白いものがすり抜けていった。
空間エアフォースの戦闘機だ。新型なので、おそらくオージェの機体だろうと思った。
カーターは、まだ荷電粒子砲のライフルを撃っていなかった。敵機を破壊すれば大量のデブリを作り出すことになる。かといって、こちらがデブリになるわけにもいかない。
やっかいだな……。
カーターは思った。
ギガースも、強力な荷電粒子砲のライフルを持っている。一発でトリフネを仕留めることも可能だ。だが、ギガースも撃つのをためらっている。やはりデブリが気になるのだ。
カーターたちは戸惑っていたが、前に出た空間エアフォースの連中はかまわず撃ちはじめた。
最新鋭のツィクロンの機首には、ギガースと同様に荷電粒子砲が装備されている。ズヴェズダは二十ミリ無反動機関砲を装着していた。それをいっせいに撃ちはじめたのだ。
さらに、ツィクロンは、赤外線イメージ誘導ミサイルをズヴェズダの倍の八基搭載している。そのミサイルを撃ち込んだ。
こいつら、デブリのことを何も考えていないのか……。
カーターは一瞬思った。
だが、すぐにカーターは気づいた。空間エアフォースの連中は、必ず軌道の上方から地球に向かって撃っている。被弾した敵は、そのエネルギーで地球の側に押しやられる。つまり、破壊された破片には、地球に近づくベクトルが働いているので、いずれ地球の引力に引かれて大気圏に突入して燃え尽きるのだ。
なるほど……。
カーターは思った。さすがに、周回軌道上での戦いには慣れているな。
カーターは、再びクロノス改の左腕を上に掲げ、前方に振り出した。そして、自ら右腕に装着された荷電粒子砲を連射した。
この中に、サム・ボーン少尉が乗っているトリフネがあるかもしれない。
一瞬、その考えが頭の中をよぎった。だが、カーターはそれを打ち消した。戦いの最中だ。余計なことを考えていては、自分が死んでしまう。
「撃て、撃て、撃って撃ちまくれ。ゴミ掃除は後で考えればいい」
カーターは無線が通じないと知りつつ、コクピットの中でわめいていた。
チーム・グリーンの二機のクロノス改とギガースがいっせいに連射を始めた。ビームが宇宙空間を飛び交う。
トリフネたちは、一定の距離をおいて軌道上で等速度運動をしている。地球連合軍の艦隊と、ジュピタリアンの艦隊の間で静止しているように見える。
ジュピタリアンの目的は、地球の周回軌道上に居座って、連合政府に圧力をかけつつ、情宣活動をすることだ。
トリフネは、守りを固めているということだ。だからかもしれないが、いつもより動きが緩慢《かんまん》な気がする。
空間エアフォースのほうが優位に見える。カーターたち海兵隊は、空間エアフォースの戦闘機を掩護するような形になっていた。
ギガースが近づいてきた。手を伸ばしてカーター機の肩に触れる。接触することで、ECMの中でも通信が可能だ。
リーナの声がした。
「このトリフネたちは、いつもと違います」
「ああ、俺もそう思っていた。いつもより動きが鈍い」
「前回聞こえたコーラスのような声が聞こえません」
「サイバーテレパスによる管制を受けていないということか?」
「おそらくそうだと思います。船が違うのだと思います」
「船が違う?」
「同じ大きさのミラーシップですけど、いつも私たちが戦っている船ではありません」
「それがトリフネの動きと何か関係があるのか?」
「おそらく、今回の船には、サイバーテレパスが乗っていないのでしょう」
「そういうことか……」
「敵も、ここでデブリを撒き散らすことをためらっているようです」
「よし、トリフネの防御ラインを突破して敵の戦艦を包囲するぞ。イエロー・ラインの突撃艇も前に出す。リーナ、突撃艇のリトル・ジョーに伝えてくれ」
「了解」
ギガースはカーター機を離れ、飛び交う弾丸の中をトビウオのように移動した。たちまち、チーム・イエローの突撃艇にたどりついた。
海兵隊で一番のスペックを誇るギガースを伝令に使うとはな……。
カーターは思った。
ギガースは、チーム・イエローの突撃艇に伝言を伝えると、すぐに最前線に戻ってきた。
「よし、行くか……」
カーターは自分自身を鼓舞《こぶ》するために言った。「空軍のやつらだけにいい思いはさせない」
カーターは、クロノス改の左腕を前方に振り出すと、スラスターを噴かした。一気に加速する。ぐんぐんと敵が迫る。
クロノスとは段違いの機動性を活かして、螺旋《らせん》を描くように進んだ。チーム・グリーンのホセ機とリーナのギガースがぴたりと付いてくる。
オージェたちもカーターの意図を悟《さと》ったようだ。彼らも前に出て、やがて、トリフネとドッグファイトを始めた。
トリフネの動きはやはりいつもとは違う。いつもの不気味さを感じない。彼らは、腕と脚を展開して、ヒュームスのような運用を始めていたが、カーターたちのスピードについてこれないように見えた。
次第にトリフネの防御の陣形が崩れる。
ギガースが見ていてひやひやするような加速で、主力艦と思える巨大ミラーシップに向かった。
すると、ミラーシップは丸い鏡のようなものをゆっくりと畳《たた》み始めた。まるで、傘を畳むような形だ。おそらく、攻撃にそなえて収納したのだろう。
「リーナ、出過ぎだ。艦に戻れなくなるぞ」
通信できないことを承知で、思わずカーターは語りかけていた。
ギガースは突出していた。いつものことだがひやひやする。それを空間エアフォースのツィクロン二機が追った。オージェ機とその僚機だろう。
トリフネが彼らに攻撃を加えようとしている。
「くそっ」
カーターは、トリガーボタンを押した。荷電粒子砲がトリフネを捉える。被弾したトリフネは、きりもみを始めた。姿勢制御ができないのだ。
これも、今までのトリフネには見られなかった動きだ。すると、トリフネ二機が姿勢制御できなくなった仲間に近づいた。
「ばかな……。回転に巻き込まれて、共倒れになるぞ」
カーターは、一瞬攻撃も忘れて、その異様な光景を見つめていた。
二機のトリフネは、マニュピレーターとスラスターを巧《たく》みに使って、きりもみ状態だった仲間の姿勢を見事に回復させた。
被弾したトリフネは、鏡を畳んだミラーシップに戻っていった。
戦闘の最中に仲間を助けるという異常な行為に、カーターは戸惑っていた。誰でも戦闘中は自分のことで精一杯のはずだ。
モニター内にまばゆい光が膨《ふく》れあがり、カーターは、はっと我に返った。
ギガースと二機のツィクロンが荷電粒子砲で敵の主力艦を攻撃している。
やつらを守らなければ……。
カーターは、ギガースと二機のツィクロンに攻撃を加えようとするトリフネを牽制《けんせい》することに集中した。
第二小隊もカーターと同調してトリフネを攻撃していた。
突然、コクピットの照明が赤くなった。
行動限界時間が近づいている。クロノス改の作戦行動時間は、約三十分だが、余裕を見て二十分で警報が発せられる。
ギガースの作戦行動時間は、約五十分だ。そして空軍の戦闘機はさらに長い。
敵の主力艦の装甲に、炎の球がいくつも見て取れる。ギガースと二機のツィクロンが攻撃を加えているのだ。装甲を叩いているが、実際どの程度の被害を与えているかはわからない。
ツィクロンは、ミサイルを次々と発射した。ミサイルのいくつかは主力艦に届く前に炎の球となった。
高出力のレーザー砲だろう。レーザー砲は眼に見えない。
だが、迎撃を免《まぬが》れたミサイルが敵の主力艦に命中した。これも、装甲で炎の球を作ったが、どの程度の損傷を与えているかはわからない。
敵が発光信号を上げた。
トリフネがいっせいに後退する。帰還命令だろう。
カーターはほっとした。作戦行動時間の限界が近づいている。これ以上宇宙の海にとどまっているわけにはいかない。カーターたちも帰還しなければならないのだ。
まず、第二小隊が引き上げた。カーターはギガースの帰りを待った。ギガースは、驚くほどのスピードで戻ってきた。
よく推進剤がもつものだな……。
おそらく、常に効率のいい加速を行っているのだろう。天性のものだろうか。いや、おそらく最大限にムーサの助けを借りているのだろう。
クロノス改は、ギガースに準じる機動力を与えられた。だが、残念なことに、海兵隊の中で、リーナほど見事に新世代のヒュームスを操る者はいない。
アトランティス
地球周回軌道上
敵の艦隊は、丸い鏡のようなものを畳んだまま地球を周回していた。アトランティスおよび四隻の巡洋艦は、その後を追う形で同じ速度で同じ軌道を回っている。
カーターたちは、減圧されたヒュームス・デッキで待機となった。一度再与圧してしまうと、またプレブリーズに時間がかかる。〇・二七気圧の中で待機していたほうが、次の出撃のためには楽なのだ。
すぐに次の出撃があるはずだった。艦内作業員は、ヒュームスに推進剤を注入し、弾薬やエネルギーを補給した。
「ちくしょうめ」
チーム・グリーンのホセの声が通信装置を通じて聞こえてきた。「地球の軌道上で戦うなんて、やりにくくってしょうがない。へたをすると、デブリだらけになっちまうからな……」
やはり、誰もが攻撃を躊躇していたのだ。
カーターは言った。
「空軍のやつらは、軌道の上から地球の側に向かって攻撃していた。そうすれば、破損した機体は、地球の引力に引かれて大気圏で燃え尽きる確率が高い」
レッド・リーダーのカズ・オオトリが言った。
「とはいえ、爆損すれば必ずデブリが出る。すべてが大気圏で燃え尽きるわけではない。あれだけ巨大な戦艦を地球に落とすわけにもいかない。おそらく燃え残って地球上に甚大な被害を与える」
サムライらしい慎重な意見だ。
「それよりよ……」
イエロー・リーダーのロン・シルバーが言った。「俺たちの腕が上がったのか? それとも、トリフネのやつらが、弱くなっちまったのか? 全然手ごたえがなかったぜ」
やはり、カウボーイも気づいていたか。
カーターは思った。
「トリフネは、特別な管制システムを使っていると考えられている」
カーターは言った。「今回は、どうやらその管制システムが働いていないようだ」
「何故でしょうな?」
チーム・イエローのアラン・ド・ミリュウが言った。このフランス人は、おそろしく古風な英語をしゃべる。おそらくはフランス語しかしゃべりたくないのだ。「敵が優位に立てるのは、そのシステムを使うからではありませぬか」
「船が違うと、リーナが言っていた」
カーターが言うと、男どもが無言でリーナの発言を待つのがわかった。かつて、リーナは、邪魔者扱いだった。猛者《もさ》で売っている海兵隊に小娘が配属されてきたのだ。隊員の反感は当然のことだった。
だが、リーナは実力で彼らに存在を認めさせた。そして、今ではリーナは、第一小隊の大切な仲間であり、そしてアイドルでもある。
「リーナ」
カーターは呼びかけた。「おまえさんは、敵艦の一番近くまで行った。艦名を確認したか?」
「はい」
リーナの声が聞こえてきた。「艦名は『ウミサチ』」
「『ウミサチ』……? たしか、敵の旗艦の名は『ワダツミ』だったな?」
「同型艦ですが、大型艦は二隻とも『ワダツミ』ではありませんでした。もう一隻は『カナン』です」
「『ワダツミ』でないことが、トリフネの管制システムに関係しているということなのか……」
カズが尋ねた。
これ以上は、リーナも話しづらいだろう。カーターは言った。
「その辺のことは、上層部に考えてもらおう。俺たちは、次の出撃のことを考えていればいい。すぐに出ることになるぞ」
「わかってますって」
ロン・カウボーイ・シルバーが言った。「推進剤は満タン。生命維持装置もばっちり。いつでも出られますぜ」
海兵隊員たちの会話に、エリオット作戦司令の声が割って入った。
「やる気まんまんのところ、すまんが、戦闘配備は解除だ」
カーターは思わず尋ねた。
「どういうことです?」
「地球の裏側にいたニューヨークが、我々に追いついた。本艦と任務を交替する。本艦は艦隊を抜けて、いったんノブゴロド空軍基地に戻る」
「敵が目の前にいるのに、戦線を離脱するんですか?」
「ニューヨークに任せる。なにせ、本艦は急な出撃だったし、無茶な軌道変更もやってのけた。一度、基地に寄港する必要がある」
「了解」
カーターはそう言うしかなかった。
何かが変だ。
そう感じた。現在、アトランティスは、敵の艦隊と同じ軌道にいる。ここで持ち場を離れるというのは、どう考えても納得できない。
エリオット作戦司令やクリーゲル艦長だって同じことを思っているはずだ。だが、あとのことはニューヨークに任せてノブゴロドに戻るという。
艦隊司令部からの指示かもしれない。でなければクリーゲル艦長がこんな決断をするとは思えなかった。艦長は、筋金入りの海の男で、海軍魂が服を着ているような人物だ。敵艦を目の前にして、背を向けるような男ではない。
ともあれ、戦闘配備は解除された。海兵隊員たちは、与圧されるためにエアロックに向かった。
再び、エリオット作戦司令の声が聞こえた。
「カーター大尉、ミズキ少尉、与圧が済んだら、すみやかに艦長室に出頭しろ」
隊員たちが、カーターとリーナの顔を見た。
オダがカーターに言った。
「何事でしょう?」
「さあな……」
カーターは言った。「おそらく、敵艦が旗艦のワダツミではなかったという、リーナの話と関係あるんじゃないか」
カーターは、帰還後の作業を済ませるとリーナとともに、居住区の艦長室を訪れた。航行中なので、回転による人工重力がある。
クリーゲル艦長の部屋はいつ訪ねても居心地がよかった。いつもなら、地球の海を航行する船の伝統が再現されている。舵輪やロープ・ノットの飾り物がさりげなく配置されていた。だが、今は他の部屋同様に殺風景だった。
遠征用に、私物を陸揚げしており、なおかつ重厚なデスクも撤去されていた。軽量な椅子が一つあるだけで、その椅子には当然クリーゲル艦長が座っていた。
エリオット作戦司令は立ったままだ。
「くつろいでくれと言いたいが……」
クリーゲル艦長がほほえんだ。「部屋はこのありさまだ。だが、まあ楽にしてくれ」
カーターとリーナは休めの姿勢を取った。
「そうしゃちほこ張るな。ちょっと世間話がしたいだけだ」
カーターは言った。
「世間話でありますか?」
「そう。公式な話ではない。だから、世間話だ。ミズキ少尉は、敵艦隊の艦名を確認したと言っていたね?」
リーナはうなずいた。
「確認しました」
「ウミサチとカナン……。旗艦のワダツミではなかった……」
「ワダツミではありませんでした」
エリオット作戦司令がカーターに尋ねた。
「シルバー中尉が、トリフネの動きについて何か言っていたな」
「トリフネの動きがいつもより鈍いと言っていたのです。自分もそう感じました」
「敵艦がワダツミでないことが、トリフネの動きと何か関係があると思うか?」
カーターは戸惑った。どこまでしゃべっていいのか判断がつきかねた。
クリーゲル艦長が、言った。
「余計な心配は無用だ。思ったことを言ってくれ」
「はい」
そう言われても、べらべらとしゃべれるものではない。「トリフネの管制システムに関係していると思われます」
「なるほど……」
クリーゲル艦長はうなずいた。カーターは、続けて言った。
「これ以上のことは、自分にはわかりかねます。ミズキ少尉に質問されたほうがいいと思います」
クリーゲル艦長はリーナに尋ねた。
「つまり、ウミサチやカナンには、特別なトリフネの管制システムが搭載されていないということかね?」
「……というより。いないのだと思います」
リーナはこたえた。
クリーゲル艦長とエリオット作戦司令は眉をひそめて顔を見合った。
「いない……?」
エリオット作戦司令が尋ねた。「それはどういうことだ?」
リーナがこたえる前に、カーターは言った。
「自分は席を外しましょうか?」
「かまわんよ」
クリーゲル艦長が言った。「君は、ミズキ少尉が、本当は少佐であることを知っているのだし、ある程度は本人から話を聞いているのだろう?」
カーターは、余計なことは言わないことに決めた。黙って突っ立っていればいいのだ。
クリーゲル艦長は、リーナに言った。
「われわれの疑問にこたえてくれるかね? いないというのはどういう意味だ?」
「以前にも申しましたが、これは軍機扱いの機密事項なんです」
「だが、火星上空での戦いの後、君は話してくれた。戦場でコーラスのような声を聞いたのだと、あのとき君は言った。それがおそらくサイバーテレパスの思念だろうと……」
リーナはちょっとの間考えていたが、やがて、話しはじめた。
「トリフネの管制システムというのは、サイバーテレパスによる誘導であることはほぼ間違いありません。そして、今回の戦いで、すべての艦にサイバーテレパスが乗っているわけではないことがわかりました。つまり、トリフネの管制システムを使える者は限られているのです」
「なるほど……」
クリーゲル艦長は言った。「今のところ、そのサイバーテレパスによるトリフネの管制システムが確認できているのは、ワダツミだけということになる」
リーナはうなずいた。
「ウミサチとカナンは、ワダツミと同型艦ですが、トリフネは誘導を受けていませんでした」
「現在確認されているワダツミ級のミラーシップは三隻だけだ。つまり、ワダツミだけが特別ということだな……」
「はい」
「なぜだろうな……」
エリオット作戦司令が言った。「どうしてワダツミが来なかったのだ? 地球圏にやってくるということは、敵にとっては決死の覚悟のはずだ。何せこちらの本拠地なのだ。当然激しい抵抗を予想していたはずだ。だったら、主力艦を送り込んでくるはずだろう。艦隊の旗艦であるワダツミを……。どう思う、カーター」
突然質問されて、カーターは戸惑った。
「自分にはわかりかねます」
「考えてくれ。考えて意見を聞かせてくれ」
カーターは、必死に頭を回転させた。だが、それも限界があると彼は思った。それは幕僚や参謀が考えることだ。
「ジュピタリアンのやることは、自分らとはちょっとばかり違っているように思えます。我々の常識が通用しないようなところがあります」
「具体的にはどういう点だ?」
「例えば……」
カーターは、汗をかきはじめていた。「今回の戦いで、被弾したトリフネが制御を失いました。それを二機のトリフネが助けたのです」
「味方がやられれば、助けようとするのは当たり前だろう」
「時と場合によります。もちろん、白兵戦や地上戦の場合は傷ついた兵を即座に治療する態勢を取ります。しかし、ヒュームスや戦闘機での戦いは別です。特に、ドッグファイトの最中に、被弾した味方を助けようとするのは自殺行為です。でも、彼らはそれをやったのです」
エリオットは考え込んだ。
「サムが生きていたと言ったな」
「姿を見たわけではありません」
カーターは言った。「敵の心理攪乱作戦かもしれません」
「だが、もし本当に生きていたのだとしたら、我々が見捨てたサムを、敵が助けたということになる」
「そうですね……」
カーターは、エリオットが何を言おうとしているのか理解できないままこたえた。
エリオットは思案顔のまま言った。
「科学技術の差が最も端的に現れるのは軍事力だ。軍事力は科学力であるともいえる。地球連合政府が発足する以前の各国の軍拡競争は、科学技術の競争でもあった。だが、科学技術の差が明らかになる別の分野もある。例えば宇宙におけるレスキュー技術だ。我々が救えない状況にあるサムを彼らが救ったとすれば、それはそのまま我々と彼らの科学技術力の差ということになる」
カーターは、気づいた。
「『絶対人間主義』……」
「そうだ。軍拡は、仮想敵より優位に立つことが目的だ。つまり、前提に戦いがある。だが、もし『絶対人間主義』のような思想が前提となれば、科学は別の発展の仕方をする」
「しかし……。戦争を仕掛けてきたのはジュピタリアンですよ。彼らが戦いを望んだのです」
「物事は、すべて理屈通りに運ぶわけじゃないさ」
「あのトリフネという機動兵器はどう解釈すればいいのです? 一朝一夕に作れる代物じゃありません。つまり、彼らは兵器の研究をしていたということじゃないですか」
「あれを兵器ではないと考えればどうだ? 戦闘機並の機動力とヒュームスのような作業能力を合わせ持った乗り物……。レスキューのための道具としては理想的じゃないか」
「我々はジュピタリアンと戦っているのです。トリフネは間違いなく強力な兵器ですよ」
エリオットは、カーターと議論するつもりはなさそうだった。
「ミラーシップは、危険を承知で連合軍の本拠地である地球までやってきた。だが、攻撃はせずに情宣活動だけを行っている。これは、たしかに君が言うとおり、我々の常識では考えられない。せっかく周回軌道に乗ったのだから、軌道上から地上を攻撃してもよさそうなものじゃないか。我々なら当然そう考える」
「我々の艦隊が、ミラーシップの地上攻撃を阻止したのではありませんか?」
「我々が引き上げた現時点でも、攻撃はしていない。現時点で彼らの目的はアピールだと考えられる」
「アピール……?」
「そうだ。彼らはいつでも地球まで到達できることを証明した。つまり、いつでも本土攻撃ができることを証明したわけだ」
カーターは考えた。
「つまり、攻撃の意思がないから旗艦のワダツミを送り込んで来なかったと……」
「いや……」
エリオットは言った。「そうではないな……。地球連合軍の迎撃は当然予想していたはずだ。敵の本拠地に乗り込んでくるからには最大の戦力が必要だと考えるのが当然だろう」
「だから、彼らには我々の常識は通用しないんですよ」
「あまりに危険だからではないでしょうか」
リーナが言った。三人の男はいっせいにリーナに注目した。
「危険だから……?」
「はい。敵の本拠地に乗り込むわけですから、彼らは決死の覚悟だったはずです。だから、ワダツミは送り込めなかったのです」
「どういうことだ?」
「おそらく、ワダツミには決して死なせてはいけない重要な人物が乗船しているのでしょう」
エリオットとクリーゲル艦長は顔を見合わせた。
クリーゲル艦長がリーナに視線を戻して言った。
「つまり、ヒミカ……」
ヨコスカ
オレグ・チェレンコは、物事を前向きに考えようとしていた。
UNBIに逮捕されたのは、明らかに彼の落ち度だった。自分自身の命だけでなく、ジンナイたちをも危険にさらすところだった。
本性をむき出しにしたUNBIの二人の捜査官には怒りを感じた。戦争というのは、ああいう人間たちに権力を与える。
ともあれ、UNBIに拷問される危機は脱した。だが、問題は、さらに複雑になった。海軍情報部というのは、ある意味でUNBIよりも面倒だ。
しかも、チェレンコをUNBIから今いる海軍の施設に移送させたのは、ヤマタイ国建国の祖といわれるオオナムチだった。
オオナムチ、またの名をホーリーランド提督。彼は、言った。
「この戦争はおおいに意味がある」と……。
戦争を始めた張本人にしてみれば、意味があるのは当然だ。だが、木星圏にヤマタイ国を建国しておいて、地球に戻り戦争を始める意味というのは、いったい何だろう。
一方で、ジンナイたちは、ホーリーランド提督が、木星圏でジュピター・シンドローム第二世代、第三世代を使った人体実験に関わっていたと言っていた。
オオナムチがヤマタイ国の国民である木星圏の人間を使って人体実験をしていたというのだ。それは受け入れがたかった。
考えれば考えるほど混乱してきた。
これまで、チェレンコは、タカメヒコとしてヤマタイ国のために命をかけて活動を続けてきた。
月の自治区にシンパサイザーを増やし、次第にそれを組織化した。地球に潜入して反戦派の上院議員であるジンナイに接触もした。
すべては、ヤマタイ国のためだと思っていた。ヤマタイ国は、戦争を望んではいなかったはずだ。
ヒミカは戦いを否定している。一刻も早く戦争を終わらせることを望んでいるのだ。
だが、ヤマタイ国の建国の祖であるオオナムチが戦争を始め、さらに継続させようとしている。
利権を巡る思惑かとも思った。すべての戦争は、利権を求めて始められる。それは、領土であったり、優良な港であったり、植民地であったりした。
時代が進むにつれ、エネルギーの利権が戦争の原因となることもあった。アメリカが中東で行った一連の戦争は、間違いなく石油に関わる利権を求めてのことだった。
ヤマタイ国は、核融合エネルギーの技術と燃料の宝庫だ。それがオオナムチの目的かもしれない。
だが、もしそうだとしたら、彼がわざわざヤマタイ国を建国した理由がわからない。さらに、彼はジュピター・シンドローム第二世代、第三世代についての研究をしていたようだ。
その理由は想像がつく。彼は、海軍情報部に所属している。海軍情報部は以前からESPについての研究をしていた。そして、ジュピター・シンドローム第二世代、第三世代の中からかなり高い確率で、ESPを持った子供が生まれるのだ。
ホーリーランド提督が、その研究の責任者であってもおかしくはない。
そうだとしても、やはり、ヤマタイ国建国には結びつかないような気がする。
思考は堂々めぐりを始めた。どんなに考えてもオオナムチの目的がよくわからない。一方で、ここから抜け出す方策がないかどうか考えねばならなかった。
今のところ、状況は絶望的だ。だが、きっとチャンスはある。そのチャンスを逃さないことだ。
肩の傷を治す必要もある。待遇は決していいとは言えないが、幸い海軍の軍医が治療だけはちゃんとしてくれる。
ジンナイがホーリーランド提督の所在をつきとめようとしている様子だった。なんとか、ジンナイに連絡を取る方法はないものか。
チェレンコは考えた。部屋には窓もない。ドアは重厚なステンレス製で、常に鍵がかかっている。廊下には見張りがいるはずだし、室内もカメラで監視されていると考えたほうがいい。
当面、どうすることもできそうになかった。どういう形でチャンスが来るかはわからない。それまで、じっと待つしかない。そして、考えるのだ。
ホーリーランド提督、つまりオオナムチがヤマタイ国を建国しておいて、地球連合軍と戦争を始めた本当の理由について……。
「やはり、どこを探しても『惑星開発機構』などという組織は存在しませんね」
オオタが言った。
コニーとオオタは、ジンナイのオフィスにやってきていた。どうせ、監視がついているのだから、今さらこそこそする必要はない。
コニーが一度逮捕され、不起訴になったことは大きな意味があった。それなりに世間の注目を集めたので、UNBIもうかつに手を出せなくなったのだ。
外は、そうとうに冷え込んでいる。張り込みをしている連中はうんざりしていることだろうと、コニーは思った。
「それは、シマダも言っていたことだ」
ジンナイが言った。「とにかく、エドガー・ホーリーランドという人物の尻尾を捕まえることだ」
コニーは言った。
「ホーリーランドが、ヤマタイ国建国の祖、オオナムチだと、チェレンコが言っていました。いったいどういうことなのでしょう」
「辺境の地で司令官などやっていると、そこの支配者になったような気になることがある。戦争ではたまにあることだ。特に本国から遠く離れているような場合、そこが自分の王国のような気になることもある」
ジンナイは言った。
「でも、ホーリーランドは、その王国を放り出して地球に戻ったんですよ。その後、ヒミカと名乗る女性が、『絶対人間主義』を唱えて、ヤマタイ国に君臨したんです」
ジンナイはふと考え込んだ。
「ヒミカとホーリーランド、そしてギガースのドライバー……。この三者はおそろしく密接な関係にあるな……」
「リーナ・ショーン・ミズキ……」
コニーは言った。「ギガースのドライバーの名前です」
「ヒミカとうり二つだというのは、どういうことだろうな。ただの偶然とは思えない」
「肉親なのではないでしょうか」
オオタが言った。「それがもっとも自然な考え方でしょう」
「肉親である二人が、片や木星圏の統治者で、片や地球連合軍の軍人だというのか?」
ジンナイが納得できない様子で言った。オオタはこたえた。
「ギガースについては、どうも妙だと感じていたんです。たった一機だけ作られたプロトタイプ。そんな兵器の運用は考えられません。ギガースは、量産など不可能なくらいに高価な機体のようです。そして、ギガースは常に最前線に送られ戦果を上げている……。今や、地球連合軍の戦意高揚のために、その名前はおおいに利用されています。どうも不自然なものを感じていたのです」
「あたしもそう感じていました」
コニーは言った。「宇宙海兵隊というのは、勇猛な男たちの集団というイメージが強い。そこに、少女といってもいいリーナ・ショーン・ミズキ少尉が配属されたのです」
ジンナイが言った。
「つまり、それもホーリーランドの思惑だったと言いたいのかね?」
「あり得ないことではありません」
オオタが言った。「ホーリーランドが、ヒミカとミズキ少尉を故意に戦わせようとしているのだとすれば、不自然に見える事実も説明がつきます」
「なぜそんな必要が……」
ジンナイが腕を組む。コニーは言った。
「ESPなのかもしれません。もし、ヒミカという女性がジュピター・シンドローム第二世代か第三世代で、何らかのESPを持っているのだとしたら、木星圏を事実上支配していることも納得できます。そして、オオタが言うように、ヒミカとミズキ少尉が肉親なら、ともにESPを持っている可能性はあるでしょう」
「だからといってその二人を戦わせて何の益《えき》がある?」
「実験ですよ」
オオタが言った。「ホーリーランドは、いまだに実験を続けているのです」
ジンナイはしばらく黙って考えていた。やがて、彼はかぶりを振った。
「その説には乗れないな。実験で戦争なんか始められるものじゃない」
「どの戦争にも実験の要素はありますよ。ナチスは、戦争を利用して次々と新兵器の実験を繰り返していました。まあ、それが今日の宇宙技術に結びついた面もありますが……。アメリカの核兵器もそうです。日本に二発の原爆を投下したのは、どう考えても実験でしかありません」
「たしかにそうだが……」
ジンナイは明らかに納得していなかった。コニーも、単にホーリーランドの目的が実験だというオオタの考えには、百パーセント同意しかねた。
オオタはさらに言った。
「もちろん戦争には、いろいろな要素があります。一番大きな要素は利権です。木星圏にはエネルギーという巨大な利権が関係しています。そうした利権の争いと、ホーリーランドの実験の目論見がいっしょになったとしたら……」
ジンナイは、そのオオタの言葉を真剣に検討している様子だった。コニーは、それなりの説得力があるように感じていた。
だが、やはりジンナイは否定的だった。
「いや。エネルギー問題を考えるならば、地球連合政府が戦争を起こす必要などない。木星圏は、連合政府の統治下にあったはずだ」
「そうとも言い切れません」
オオタは食い下がった。「木星圏を統治すべき地球連合軍の木星方面隊は、消滅したのです」
「木星方面隊の消滅は、ホーリーランドのせいだとも言える。チェレンコが言ったとおり、ヤマタイ国を作ったのがホーリーランドだとしたらな……。そうなれば、ホーリーランドの行為は、地球連合政府にとって大きな不利益をもたらしたということになる。そのホーリーランドが、今でも海軍の情報部にいるというのは、妙な話だ」
「だから、第一線を追われて、実体のない『惑星開発機構』などという組織に追いやられているのではないでしょうか」
「たしかに、『惑星開発機構』というのは実体のない組織のように見える。だが、本当にそうなのか、私は疑問に思っているのだ。でなければ、地球連合軍や連合政府がホーリーランドの存在を秘匿する必要などないだろう」
この言葉に、今度はオオタが考え込んでしまった。
「手探りの議論をいくら続けていても仕方がない」
ジンナイが気分を変えるような口調で言った。「コニー、その後チェレンコからは何か連絡はないのか?」
「それなんですが……」
コニーは言った。「先日、日本のユウバリ宇宙空港で、ちょっとした騒ぎがあったのです。ほとんど報道されていませんでしたが、いくつかのインターネット上のニュースサイトに記事が掲載されていました」
「ユウバリ宇宙空港……?」
「何らかの逮捕劇があったらしいのです。日本の警察当局からは、何の発表もありませんでした。目撃者の証言によると、逃走していた人物も、それを追っていた複数の人たちも東洋系ではなかったということです。つまり、日本人ではなかったということです」
「UNBIがチェレンコを逮捕したということか……」
「時期的にもその恐れが強いと思います。その騒ぎは、あたしたちがチェレンコと会った翌日のことです。あたしは、すぐに調べてみました。しかし、何もわからなかったのです」
「箝口令《かんこうれい》が敷かれていたと考えるべきだろうな」
「そう思います」
「チェレンコがUNBIの手に落ちたとしたら、彼と私が接触したことをすでにUNBIが知っていると考えなければならないな……」
ジンナイは、言葉とは裏腹にそれほど不安そうには見えなかった。むしろ面白がっているようですらあった。
オオタはジンナイに比べれば、ずいぶんと慎重だったが、それでも決して恐れてはいなかった。彼は言った。
「何とか、UNBIに探りを入れてみましょう」
「そうだな。もし、逮捕されているとしたら、それはおそらく不当な逮捕でしかないはずだ」
オオタはうなずいた。
「まだ、法律は完全に死に絶えたわけではありません」
「それから、かつての木星方面隊の隊員リストを何とか手に入れたい。全員でなくてもいい。ホーリーランドについて、何か知っている人物がいるはずだ」
「やってみます」
ジンナイは、コニーに尋ねた。
「敵の艦隊が地球の周回軌道までやってきたということだったが、その後、何かニュースはないか?」
「アトランティスを中心とする艦隊と交戦になった模様ですが、詳しい報道はありません」
「戦時下の報道など、そんなものか……。いずれ、地球連合軍の戦果を過大に報道するに違いない」
「敵の艦隊が発信したメッセージを傍受したという書き込みがウェブ・サイトにあったのですが、すぐに削除されたようです」
「どんなメッセージだ?」
「ヤマタイ国の独立宣言を繰り返し流したということです」
「単なる情宣活動か……」
「敵艦隊が地球まで無傷でたどり着いたという事実は大きいと思います」
「地球連合軍は、おおいにプレッシャーをかけられているということだな……」
「戦局をどうご覧になります?」
「地球連合軍は追いつめられているのかもしれない。だからこそ、一日も早く戦争を終わらせる必要がある。追いつめられた軍隊というのは、無茶をやるものだ。へたをすると、取り返しのつかない惨劇《さんげき》が待っている」
10
ノブゴロド基地
アトランティス
「聞きましたか?」
ロン・カウボーイ・シルバーがカーターに言った。
「何だ?」
「敵艦隊が、地球の周回軌道を離れたそうです」
「ニューヨークが追っ払ったのか?」
「……というか、ほとんど戦闘らしい戦闘をせずに、軌道を離れて火星方向に去ったということです」
「本当の狙いはやはり火星だったということか?」
「それならば、本艦はこんなところにのんびり停泊していないんじゃないですか?」
「それもそうか……」
カーターたちは上陸の準備をしていた。艦隊勤務の者たちにとって、上陸ほど心弾むものはない。
カーターは、一度の滞在でノブゴロドが気に入っていた。地球にいる頃はあまり旅行もしたことがなかった。おそらく、ロシアの街というのは、こういうものなのだろう。
ミラーシップの艦隊が地球から去っていったというのはちょっと気になるが、カウボーイが言ったとおり、何か問題があれば、出撃か少なくとも待機を命じられるはずだ。
カーターは、ノブゴロド空軍基地でしばらく休みたい気分だった。空軍兵舎の個室で三日間を過ごした頃、カーターはようやく落ち着いた気分になれた。
そこに、急な呼び出しがあった。
第一小隊と空間エアフォースの要撃隊が艦に呼び戻された。アトランティスは明らかに出航の準備をしていた。それも、尋常の出航ではない。
すでに余分な質量となるものはすべて陸揚げされていたが、今回は増設された巨大なタンクが推進剤で満たされていた。
地球の周回軌道に出撃するときには空だった増量タンクが満タンの状態だった。食料や生命維持に必要な資材もしこたま積み込まれていた。
ついに、その時が来たか。カーターは思った。木星圏への遠征が決まったに違いない。
カーターたちは、乗艦するとすぐにブリーフィングルームに集められた。
集合がかかったのは、第一小隊とオージェの要撃部隊だけだった。
「空軍のやつら、えらく機嫌が悪そうですね」
リトル・ジョーがカーターに耳打ちした。
「そりゃそうだろう」
カーターは言った。「本拠地に戻って一息ついたと思ったら、すぐにまた呼び出しだ」
「地球を離れたミラーシップの艦隊のことですかね……」
「まさか……。時間が経ちすぎている。連中はとっくに俺たちの手の届かないところに行っちまったはずだ」
カーターたち第一小隊とオージェたち要撃部隊は、ハーネスで体を椅子に固定した。
やがて、エリオット作戦司令が入室してきた。『軌道屋』のジェシカ・ローランドがいっしょだったので、カーターはちょっと驚いた。
エリオット作戦司令は言った。
「知ってのとおり、先日遭遇した敵艦隊は、火星に向かうと思われていたが、地球へと軌道を変更した。これは通常では考えられないことだが、ローランド博士ら軌道計算のエキスパートたちが解析した結果、そのメカニズムが判明した」
エリオットは、ジェシカにうなずきかけた。空間エアフォースの連中が、ジェシカに注目した。普段、あまり会うことがないので、興味をそそられている様子だ。美人で頭脳明晰《ずのうめいせき》の軌道エキスパートだ。
もっとも、オージェだけはいつものように表情を変えない。
ジェシカが正面のモニターに映し出された軌道図で説明を始めた。メインベルトと火星、そして地球の公転軌道が描かれており、そこに敵艦隊がたどったコースが現れた。
「ミラーシップは、当初間違いなく火星へ向かう惑星間軌道に乗っていました。この海域で地球へと軌道を変えたのです。ご覧のとおり、この海域にはスイングバイに使用できるような引力を持った天体はありません。推力によって、これだけの軌道変更をするには、莫大な推進剤が必要です。おそらく、巨大なミラーシップのペイロードの大半を推進剤に費やしていたとしても底をつくはずです」
それはカーターもよく承知していた。海兵隊の連中は艦隊勤務なので、軌道とペイロードの関係をよく理解しているはずだ。だが、空軍は、惑星間軌道にはあまり馴染みがないので、ぴんとこない様子だ。
ジェシカの説明が続いた。
「ミラーシップはその名のとおり、遠くから見ると丸い鏡のように見えます。それが、太陽電池か何かかと考えられていましたが、先日地球の周回軌道上で、その鏡のようなものを畳むところを目撃しました。モニターの映像を解析したところ、それはごく薄い膜であることが判明しました。太陽風用の帆のようなものですが、もちろん太陽風を受けるだけの帆船ではあれだけの加速は得られませんし、軌道を変更したエネルギーの説明にもなりません」
ジェシカの説明はわかりやすい。だが、少々まどろっこしいとカーターは感じた。早く結論を言って欲しい。
まるで、そのカーターの気持ちを察したように、ジェシカは言った。
「間違いなくあの丸い薄い大きな膜は帆です。しかし、太陽風を受けるためのものではありません。どこかで発生した大きなエネルギーをキャッチして推進力に変えるための帆なのです。そして、その大きなエネルギーというのは、おそらく、プラズマ・ビームでしょう。ミラーシップは、我々の艦同様の強力な核融合エンジンと同時に、外からのプラズマ・ビームを帆で受けて推進力としているのです。これは、『磁気ビーム・プラズマ推進』、略して『マグ・ビーム』と呼ばれています。理論としては古典的なものですが、地球連合軍の戦艦には採用されませんでした。そして……」
ジェシカは、再びモニターを見上げた。「ミラーシップたちが軌道を変更するためには、このベクトルの力が必要でした。そして、その後方の延長線上には、当時小惑星のケレスがありました。ケレスにプラズマ・ビームを照射する基地があると考えられます。ケレスの基地から高エネルギーのプラズマ・ビームを照射します。ミラーシップはそれを帆で受けることで軌道を変更するだけの運動エネルギーを得たのです」
エリオット作戦司令が続いて説明した。
「以前、メインベルトで偵察任務についていた巡洋艦のロングビーチとホー・チ・ミンが消息を絶った。あのとき彼らはケレスのそばを通過していたと考えられている」
エリオットが何を言いたいかは明らかだった。つまり、敵がケレスに前線基地を築いており、ロングビーチとホー・チ・ミンはその基地から出撃した敵に攻撃を受けたということだ。
エリオットはさらに言った。
「ローランド博士によれば、木星圏から火星や地球圏に向けて『マグ・ビーム・システム』をうまく働かせるには、最低でもメインベルト内に三ヵ所の基地が必要だという。大きさと軌道の位置や周期から考えて、パレスとヴェスタがその候補と考えられるが、まだ検証されていない。現在、ケレスの詳しい観測が行われている。探査機も送り込んだ。そのデータが届いて、ケレスに基地があることが明らかになり次第、我々は出航する。『マグ・ビーム』の基地を叩けば、ジュピタリアンが火星や地球にやってくる道をある程度閉ざすことができる」
エリオットは、説明がよく理解されているかどうか確かめるように一同を見回した。それから、おもむろに言った。
「ここまでで、何か質問は?」
オージェが手を上げた。エリオットが指名すると、オージェは言った。
「艦に呼び戻されたのが、海兵隊の第一小隊と我々だけというのは、どういうことでしょう? 本来ならば、海兵隊二小隊と、我々、そして艦載機部隊が一小隊乗り込むはずですが……」
「これから、それを説明しようと思っていた。本艦およびダイセツを中心とする艦隊は、ケレス攻略の後に、木星圏へと向かう」
やはり、本陣への打ち込みか……。
考えてみれば、メインベルトのケレスまで行って、地球圏へ戻ってくるのはあまりに無駄が多い。そのまま木星へ向かうほうがずっと理に適《かな》っている。
だが、それは戦いを考えない場合だ。ケレスで戦った後に、そのまま敵の本拠地に向かう。将兵の消耗は相当なものになるはずだ。
しかも、木星圏まで行くには推進剤や生命維持の物資にペイロードを割かれるので、海兵隊や艦載機部隊を一小隊しか積んで行けない。
これはしんどい戦いになる。カーターはそう覚悟した。
空間エアフォースの連中は、少しばかり顔色を変えていた。彼らは、木星圏などという辺境の地には行ったことがないのだ。
エリオットは淡々と言った。
「かつて、木星圏のカリスト沖海戦では、本艦および撃沈されたザオウが、人類史上初の本格的な宇宙海戦を経験した。その経験を、今回、充分に活かしてもらいたい」
ブリーフィングルームは静まりかえった。呼吸の音を立てるのすら心苦しいほどだった。エリオット作戦司令も、続く言葉が見つからずにいるようだった。
その沈黙を破ったのは、ジェシカだった。
「行きに一年、帰りに一年。でも、理想的な軌道で行程を三ヵ月縮めてみせる。ちょっとしたピクニックね」
その言葉に、カーターがこたえた。
「そうだ。ちょっとだけ長い航海になるが、なに、それだけのことだ」
エリオット作戦司令がうなずいた。
「あくまでも、念のためだが、明日地球へのコンテナ船が出る。手紙や画像データが入ったメディアを家族や友人に届けたい者があったら、今夜中に用意しておけ」
カーターは、その言葉に緊張した。覚悟を決めろと言われたような気がした。
「だが……」
エリオットが言った。「間違っても遺書など書くな。私は、君たちの誰一人死なせるつもりはない」
ブリーフィングルーム内の雰囲気がようやく和らいだ。エリオット作戦司令の一言はそれくらいに重みがある。
実績があるからだ。戦争が始まってから、アトランティスの乗組員は、奇跡といっていいほど死んでいないのだ。
「ケレスの観測結果と探査機のデータを待つ間、艦内での待機となる」
エリオットが言った。「だが、緊張することはない。空軍が酒を差し入れてくれた。くつろいでくれ」
「空軍の酒ですか?」
ロン・カウボーイ・シルバーが言った。「ウォッカばかりじゃないでしょうね」
それにこたえたのが、空間エアフォースのアレキサンドル中尉だった。
「ウォッカのどこが悪い。最高の酒だぞ」
エリオットは、かすかにほほえんで、解散を告げた。
ブリーフィングルームを出ると、カーターはリーナに言った。
「酒でくつろげと言っても、おまえさんはなあ……。未成年だろう?」
「隊長が飲めとおっしゃれば、飲みますよ」
「飲めるのか?」
「ひょっとしたら、隊長に負けないかもしれませんよ」
リーナは、敬礼をすると、廊下を飛んで行った。
ケレスを詳細に観測した結果、異常なエネルギー反応をキャッチした。すでに、アトランティスは出航準備を完了していた。
探査機が次々とデータを送ってきた。やはり、通常では考えられないエネルギー反応があるという。映像データを送る直前に、探査機は音信を絶った。
ジュピタリアンに破壊されたものと推測された。敵の基地があることが確認されたと判断していい。
アトランティスは、出航した。
ノブゴロド空軍基地を出て月へ向かう。すでに、ノブゴロドがある月の公転軌道上には艦隊が集結していた。
今回、ケレスを経由して木星圏に赴《おもむ》くのは、ニューヨーク級強襲母艦のアトランティス、ダイセツ、そして、アイダホ、シャンハイ、マドラス、キプロスの四隻の巡洋艦から成《な》る艦隊だ。
艦隊は、月でパワー・スイングバイをした後、火星でもう一度パワー・スイングバイを行う。
出航するとすぐに艦内警報が鳴り、居住区に回転による人工重力が発生した。これから長い船旅が始まるのだ。
強力なキック・パワーを持つアトランティスといえども、火星を超えてメインベルトに至るには数ヵ月はかかる。さらにその先に、木星への旅が待っているのだ。
ジェシカが、理想的な軌道で旅の行程を三ヵ月短くしてみせると言っていた。彼女ならやってくれるだろう。カーターはそう信じていた。
居住区のガンルームでは、珍しく海兵隊第一小隊と空間エアフォースの連中がいっしょに時間をつぶしていた。
椅子もテーブルもない殺風景なガンルームで、彼らは思い思いの場所に腰を下ろしていた。
カードゲームをやっている者もいれば、私物制限を免れた小型のミュージックプレイヤーで音楽を聞いている者もいた。今のところ、地球圏をそれほど離れていないので、レーザー回線によるネットからのダウンロードも可能だ。
個人のネットワークへの接続は、厳しく禁じられているが、クリーゲル艦長は音楽のダウンロードを大目に見ている。
ほとんどの余分な重量を陸揚げしたが、例外は、ホログラフィックや映画などの一部の娯楽とトレーニング機材だった。特に、トレーニング機材は、乗組員の骨密度と筋力を保つためにも必要だった。
カーターは、出入り口付近の壁にもたれて彼らの様子を眺めていた。リーナはすっかり海兵隊に溶け込んでいるように見える。彼女は今や第一小隊のアイドルだ。
だが、ただの人形ではない。彼女は誰よりも見事にギガースを操れる。しかも、トリフネの管制システムを無力化できるのだ。
彼女自身が軍機だ。
カーターは、海軍情報部の連中が大嫌いだ。たいした理由はない。たいていの人が蛇《へび》を嫌うのと同じことだと思っていた。
一度尋問に来て以来、あのスミスという少佐は姿を見せない。尋問に対するカーターの返答に納得したとも思えない。
プレッシャーをかけておいて様子を見ているというところか……。
同じ海軍情報部所属でも、あのスミスとリーナが同類とはとても思えなかった。階級は同じ少佐だ。十代で少佐というのは、リーナがいかに特別かということの証しだ。
情報部の中でもESPを持つ者は特別で、その中でもサイバーテレパスというのはさらに特別な存在なのだ。
今、海兵隊の連中と無邪気に談笑している姿を見ると、とてもそうは見えない。
第一小隊に欠員ができた。そこにギガースとともにリーナがやってきた。それ以来、アトランティスの第一小隊は、常に最前線で戦わされているように思える。
リーナをトリフネと接触させる必要があるからだ。つまり、カーターたちは、リーナのせいで厳しい戦いを強いられているともいえる。
それがどうした、とカーターは思った。
海兵隊たるもの、常に最前線に立つのが誇りじゃないか。
リーナのおかげで、その栄光にあずかれるわけだ。上層部の思惑がどうあれ、海兵隊|冥利《みょうり》に尽きるというものだ。
「どんどん太陽が遠ざかっていく」
不意に声をかけられて、カーターは思わず声のほうを振り仰いだ。オージェだった。つい今し方、ガンルームに入ってきたようだ。
彼はトレーニングを終えたばかりに見えた。うっすらと汗ばんでおり、顔が上気していた。
「心細いか?」
カーターは笑った。
オージェは、カーターの横に腰を下ろした。
「そう。心細いな。私たち空軍の縄張りは地球の高高度や月の軌道だ。温室育ちなんだよ」
「俺たち海兵隊だって、木星圏のやつらに比べれば温室育ちだ。やつらは想像もできない生活に耐えている。だから手強《てごわ》い」
「手強いか……」
「そうだ。俺はいまだにカリスト沖海戦の悪夢を見るよ。初めての経験だった。木星の禍々しい光景をありありと思い出す。強烈な磁場と放射線の世界だ。木星は、月や火星や地球のように太陽の光を反射して光っているわけじゃない。でも、光っているんだ。ぼんやりと、不吉な色で光っている」
「木星圏で生まれた人間にとっては懐かしい光景なのかもしれない」
「知らないのか? 木星圏の居住区はほとんどがカリストやエウロパといった衛星の地下か、氷と水が混じったシャーベット状の海の中に作られているんだ。毎日木星を眺めて暮らしているわけじゃない」
「俺はどうも違う印象を持ちはじめている」
「何の話だ?」
「ジュピタリアンが手強いと言っただろう」
「ああ」
「たしかに手強い。しかし、決して獰猛《どうもう》でも野蛮《やばん》でもない。むしろ、戦いを避けているのではないかという気がする」
「ばかなことを言うな……。やつらは、火星のマスドライバーを破壊した。火星の周回軌道にある施設に壊滅的な打撃を与えたんだ」
「マスドライバーに突っ込んだ敵の巡洋艦クラスのミラーシップは、損害が大きくて永遠に火星を回り続けるか、引力に引かれて落ちるしかなかった。他に選択肢がなかったんだ」
「エイトケン天文台を強襲した」
「今回もそうだ……」
「何が言いたい?」
「彼らは、地球まではるばるやってきて、軌道上からメッセージを流していただけだ。やろうと思えばできるのに、爆撃もレーザー攻撃もしなかった。エイトケン天文台を奪おうとした目的も、メッセージを送るためだろう」
「情宣活動だ。常套手段じゃないか」
「情宣活動というのは、戦争においてはあくまでも脇役じゃないか。だが、ジュピタリアンはそれをメインに据えているように思える」
カーターは、エリオット作戦司令の「世間話」を思い出した。
もし、トリフネが本来兵器として開発されたものでないとしたら……。
軍事力と同じくらいに切実に科学力を必要とするものがあるとしたら……。
「敵に感情移入するのは考えものだな。命を落とすぞ」
「感情移入はしていないつもりだ。興味があるのだ。私は軍人だ。だから、軍人の眼でしか敵を見てこなかった。だが、この戦争にはもしかしたら、別の要素があるのかもしれない」
「何だ、その別の要素というのは……」
オージェが押し黙った。しきりに考えている。こたえが見つからない様子だ。そんなオージェを見るのは初めてだった。
この空軍のエースパイロットは、いつも自信たっぷりだと思っていた。
やがて、オージェは言った。
「これは、ここだけの話だがな……。実は、私は、ジュピタリアンを畏怖しているのかもしれない」
「畏怖……」
「いっておくが、怯えているわけではない。恐怖と畏怖とは違う」
「俺は怯えていた」
そう言うと、オージェは意外そうにカーターを見た。
「怯えていた……?」
「そう。カリスト沖海戦の後だ。宇宙の海にクロノスでダイブするのが恐ろしくて、コクピットで震えていた。それを救ってくれたのが、リーナだった」
「リーナ……」
オージェはつぶやくように言った。「ミズキ少尉は不思議な人物だ。たしかに彼女といっしょにいれば恐怖を忘れる」
「ああ、情けないが、このベテランドライバーがあの小娘に助けられたというわけだ」
「なぜだろうな……。私は、ミズキ少尉にジュピタリアンと同質のものを感じるのだ。つまり、畏怖だ」
さすがにエースパイロットだな。
カーターはそう思わずにはいられなかった。リーナがサイバーテレパスであることを、彼が知っているはずがない。だが、やはりオージェは何かを感じ取っているのだ。
彼の勘はあなどれない。
「俺たちにとっても、特別な存在さ」
カーターは言った。オージェはかすかにほほえんだだけで、それ以上は何も言わなかった。
11
ヨコスカ
ステンレスの重厚なドアが開いた。
チェレンコは、肩の傷もかなりよくなり、体調はほぼ回復していた。
今なら、何でもやってのけられそうな気がしていた。海軍の施設となれば、警備もそれなりだろうが、ここでくすぶっていても仕方がない。
もし、ファーマー少佐が少しでも隙《すき》を見せたら、一か八か勝負をかけるのもいい。
いつもファーマーは一人でやってくる。廊下には監視の兵士がついているのかもしれないが、チェレンコからは見えない。
だが、今日は違っていた。
ここに移送されてきた日以来、初めてホーリーランド提督がファーマーとともにやってきた。
今は敵の提督だとはわかっていても、チェレンコはつい緊張してしまう。思わずベッドから立ち上がっていた。建国の祖オオナムチなのだ。
ホーリーランド提督が言った。
「海軍の艦隊が木星圏に向けて出航した」
チェレンコは、一瞬ホーリーランド提督が何を言おうとしているのかわからなかった。
ホーリーランドは続けて言った。
「ヤマタイ国本拠地での戦争だ。これまでの戦いがまるで遊びのようだったと、誰もが思うに違いない」
「なぜです……」
チェレンコはうめくように言った。「ヒミカ様は、戦争を望んではおられない。あなたは、なぜヤマタイ国と地球連合軍を戦わせようとするのです?」
「考えろと言ったはずだ」
「考えてもわかるはずがありません」
「それは本当に考えようとしていないからだ。この戦いで、人類の歴史が変わるかもしれない」
チェレンコはその言葉に何か重要な意味があると感じた。だが、どんな意味があるかはわからない。
ホーリーランドがさらに言った。
「艦隊の旗艦はアトランティスだ。同型のダイセツ、そして四隻の巡洋艦が、月を経て火星へ向かい、まずはケレスを攻撃する。そう、ケレスにある、おまえたちが『イキ』と呼んでいる基地だ。『イキ』を破壊されたら、ヤマタイ国の艦船は、地球圏との行き来がかなり不自由になるはずだ。その後に艦隊は、木星圏へ向かうことになっている。この戦争の端緒となったカリスト沖で、再び戦闘になるかもしれない」
ホーリーランドの口調は淡々としていた。「そこで何が起きるか、人類はちゃんと見極めなければならない」
チェレンコはうめいた。
「アトランティス率いる艦隊……。地球連合軍最強の艦隊ですね……」
「そうだ。これは最終決戦であり、ヤマタイ国にとっては本土決戦に等しい。地球連合軍の艦隊は、それなりの覚悟で臨んでいる。ヤマタイ国も激しい戦いを覚悟しなくてはならない」
「木星圏での戦いなど無意味です。本来、宇宙で戦争などできるはずがない」
「これまで、何を見てきたんだ? 地球連合軍とヤマタイ国は、カリスト沖海戦に始まり、メインベルトでの軌道交差戦、火星上空の戦い、月のエイトケン強襲、そして地球上空での戦いを経験した。これが戦争でなくて何だというのだ。人類はいついかなる場所でも戦いをやめない。人類のいるところ、必ず戦いがある」
「宇宙の辺境では違います」
「どうかな? その検証がこれから始まろうとしている」
「木星圏での最終決戦など、やるべきではありません」
「阻止しようというのか? だが、誰がどうやって止める? すでに艦隊は出発した。おまえも、木星圏の人間ならば宇宙の船旅がどのようなものか知っているだろう。一度船が惑星間の潮、つまり惑星間軌道に乗ってしまえばそれに追いつく方法などない。どこから船を出しても、アトランティス艦隊には追いつかないのだ。彼らは、放たれた矢だ。もうどうすることもできない」
「彼らに追いつかなくても、戦争を止める方法はあります」
ホーリーランドは、チェレンコとの議論を楽しんでいるようでもあった。
「どうやって止める? ジンナイと手を組むか?」
「それも一つの手です」
「私がそんなことを計算に入れていないとでも思っているのかね? おまえをここに足止めしたのは、アトランティス艦隊が木星圏に向けて出発するまで、妙な動きをしてほしくなかったからだ。ジンナイたちは、確実に私に近づきつつあった。へたをすると、アトランティス艦隊がヤマタイ国に向けて出航する前に終戦などということになりかねなかった。万に一つだが、その恐れはあった。だから、おまえをここに足止めした」
「ならば、UNBIに預けておいてもよかったではないですか」
「やつらは、手際が悪い。コニーという女記者の件でへまをやった。不起訴となり、世間の注目を浴びて、結果的に反戦勢力が表面化するきっかけとなってしまった。おまえを拷問してジンナイとの関係を吐かせようとしたが、そんなことをすれば、またコニーの一件の二の舞になる。やつらは、戦局というものを見ない。私はただ待っていればよかったのだ。艦隊がヤマタイ国に向けて出航するのをね。思いの外、艦隊の行動は迅速《じんそく》だった。私の予想より、約一ヵ月も早く出航が決まった」
「たしかに、もうアトランティス艦隊に追いつける者はいない。でも、艦隊がヤマタイ国にたどり着くまで、一年ほどかかるはずです。ジンナイには一年間の時間がある」
「その一年の間に、上院議会の選挙がある。ジンナイは選挙活動に忙殺されるだろう。万が一、落選するようなことがあれば、ジンナイの発言力は地に落ちる。調査能力も一介の市民運動家並になるだろう」
チェレンコは、衝撃を受けた。
ホーリーランドにとっては、すべて計算の内ということか……。
ホーリーランドの言葉は続く。
「ジンナイが選挙に当選したとしても、その頃にはアトランティスは、木星圏に近づいている。いや、すでに到達して戦いが始まっているかもしれない」
「あなたの目的はわからない。だが、やろうとしていることはわかった。私は、ヤマタイ国に忠誠を誓っている。たとえ、あなたがヤマタイ国建国の祖であっても、私はあなたの計画を阻止するために全力を尽くさなければならない。それが、ヒミカ様のご意志なのだ」
「おまえにできることなど、もうない」
「やってみなければわからない」
「このファーマーは、おまえなど平気で殺すだろう」
「私をここで消すつもりですか?」
チェレンコは悔しかった。何もできずに殺されるのは耐え難い。せめて、ホーリーランドの所在をジンナイたちに知らせたかった。
勝負の時かもしれない。
相手はファーマー一人と考えていい。ホーリーランドは戦力外だ。
ファーマーが銃を抜こうとした瞬間を狙う。それしかない。
チェレンコがそう覚悟を決めたとき、不意にホーリーランドが笑った。
「物騒なことを考えているな? 眼を見ればわかる。心配するな。おまえをここで殺す必要などない。もはや、何もできないのだからな」
チェレンコは、ホーリーランドの真意を図りかねて見つめた。
ホーリーランドが言った。
「ヤマタイ国では、決して人を殺さない。そうだろう。『絶対人間主義』では、人間という存在が何よりも大切なのだ。私はヤマタイ国の建国の祖だ。その私が殺人を許すはずがないだろう」
「悪い冗談を聞いているような気がしますね。ヒュウガヒコたちは皆殺しにされたのです」
「あれは、ファーマーとその同僚のスミスが先走ってな……。私が命じたことではない」
「では、私もファーマー少佐の独断で消されるということもありうるわけです」
「もうその必要はない。先ほども言ったとおり、矢は放たれたのだ。さ、おまえも好きなところに行くがいい」
チェレンコは、ほっとするよりも信じられない気持ちだった。まさか放り出されるとは思っていなかった。
驚きが去ると、屈辱を感じた。ホーリーランドにとってすでにチェレンコなど取るに足らない存在なのだ。死のうが生きようが知ったことではないということだ。
ホーリーランドは、ファーマーに言った。
「彼の身の回りの品を返してやれ」
ホーリーランドは、すでにチェレンコになど関心がないという態度で部屋を出て行った。
チェレンコはファーマーに言った。
「ヒュウガヒコたちの仇は必ず討つ」
ファーマーは冷ややかな眼差しのままこたえた。
「無理だな。ヤマタイ国の人間には人殺しはできないのだろう」
ジンナイの個人事務所は、次回の選挙に向けての準備を開始していた。陣頭指揮は選挙参謀に任せているが、ジンナイ自身も各地の講演会やパーティーなどの交流会、マスコミの討論会などに引っ張り出される。
もともと多忙な議員だったが、その忙しさに拍車がかかっていた。
公示前からこの忙しさだ。本格的に選挙戦が始まったら、まともに寝る暇もなくなるだろう。
秘書たちも選挙の準備に追われていた。オオタも例外ではない。だが、オオタには別の仕事もあった。戦争を終結に導くための、ジンナイの工作だ。
本来は一議員にできる仕事ではない。政府や軍の中の終戦派を組織化して、実行力のある勢力にしていかなければならない。
口で言うのはたやすいが、これが楽な仕事ではない。世の中の声は主戦派に傾いている。加えて、戦時下体制色が日々濃くなり、常にUNBIが眼を光らせている。
ジンナイが選挙戦の準備に追われているので、事実上、オオタが一人で終戦工作の仕事を引き受けなければならなかった。それを助けたのがコニーだった。
オオタは、エドガー・ホーリーランドの消息を追っていた。海軍の中心はアメリカ合衆国だ。だが、アメリカ国内のいかなる海軍施設を調べても、その名前は出てこない。
ジンナイに言われて、かつての木星方面隊の名簿を手に入れようとしたが、それもあまりうまくいっていなかった。木星方面隊は、その存在が抹消されたことを物語るように、記録の上でも抹消されていたのだ。
公文書に記録がないとなれば、足を使って聞き込みをやらなければならないが、UNBIのことを考えれば、あまり表だった動きもできない。第一、人手がない。
今のところ、コニーが一人で頑張ってくれていた。
そのコニーが、選挙準備でごったがえすジンナイの事務所にやってきた。オオタに近づいてきて囁いた。
「どこか、内密の話ができる場所はある?」
コニーは少しばかり興奮している様子だった。
「議員の部屋が空いている」
「ジンナイ議員は?」
「女性団体の講演会だ。あと二時間で戻る」
二人は、誰もいないジンナイのオフィスに入りドアを閉めた。
コニーがいきなり言った。
「ホーリーランドの居場所がわかった。日本のヨコスカよ」
「ヨコスカ……」
オオタが言った。「そうか。日本もアメリカに次ぐ海軍の要地だ。盲点だったな……。だが、どうやってつきとめた?」
「チェレンコから知らせがあった。チェレンコはユウバリでUNBIに拉致され、その後ホーリーランドのもとに身柄を移されたと言っていた」
「直接話をしたのか?」
「電話をかけてきた」
「盗聴されていたかもしれない」
「チェレンコは、今さら何も恐れるものはないと言っていた」
「自棄《やけ》になっているんじゃないのか?」
「ホーリーランドは、言ったそうよ。矢は放たれたって……」
オオタは、溜め息をついた。
「わかっている。アトランティスを中心とする艦隊が木星圏へ向かった。途中でケレスにある敵の前線基地を攻撃するそうだ。つまり、敵の本土に乗り込むというわけだ」
「ホーリーランドは、それを最終決戦だと言っているらしい」
「ホーリーランドという人物は何を目的としているんだ?」
「わからない。チェレンコもそこまではつかめなかったらしい。ただ、この戦争を起こしたのはホーリーランドだと、チェレンコは言っていた。本人がそう言ったそうよ」
オオタは驚いた。
「戦争を起こしたのがホーリーランドだって……?」
コニーがうなずいた。
「ホーリーランドは、海軍情報部のESP研究の責任者だったと、ユカワは言っていた。ESPの責任者がなぜ戦争を起こさなければならなかったのか……。あたしは、オオタさんの、ホーリーランドが実験のために戦争を始めたという説に乗ってもいいような気がしてきた」
「ヨコスカに行ってみよう」
「きっと警備が厳重で、本人には会えないわよ」
「本人に会えないまでも、何かわかるかもしれない」
「選挙の準備で忙しいのでしょう? 日本に行く暇なんてあるの?」
「まずは、こちらが優先だ。議員もそう言うに違いない」
「とにかく、ジンナイ議員が戻るのを待って、話をしてみましょう」
ジンナイは、どっかと椅子に腰を下ろした。疲れ果てているようにみえるが、コニーの話を聞くうちに、眼にいきいきとした光が戻ってきた。
「本当なら、私が飛んで行きたいところだ」
ジンナイは言った。「だが、そうもいかないようだ。この時期、反戦派は旗色が悪い。選挙に勝つためにはあらゆる努力をしなければならない」
「もちろんです」
オオタが言う。「議員が落選されたら、私も失業です」
「オオタは、コニーといっしょにヨコスカに行ってくれ。選挙より終戦が優先だ。もし、選挙前に戦争が終われば、反戦派の私は、選挙戦でおおいに有利に立てる」
「すぐに出発の準備をします」
「私はこれから、反戦派の軍人に会ってくる。海軍の提督だ。かなりの影響力があるらしい」
「海軍の提督ですか……」
オオタが怪訝そうな顔をした。
コニーも同様の気持ちだった。軍人に反戦を訴えるというのがぴんと来ない。ジンナイは笑みを浮かべて言った。
「軍人の中にも反戦派は少なからずいるんだ。だが、そういう連中は今発言力を殺《そ》がれている。彼らを支持してやれば、状況が急変する可能性もある」
コニーは思わず言った。
「ごいっしょするわけにはまいりませんか?」ジャーナリストとして興味を引かれた。軍内部にいる反戦派というのが、どういう人物なのか、会ってみたかった。
ジンナイは、しばらく考えてから言った。
「いいだろう。先方にその旨《むね》を連絡しておく。十分後にでかける」
「わかりました」
オオタは、すぐに日本に出発する手配を始めた。
ジンナイと海軍の提督との会合場所は、およそ彼らのような社会的な立場の人間とは縁のなさそうな薄汚れたバーだった。カウンターの塗料はすり減ってはげていたし、壁は煙草のヤニで薄汚れている。
カウンターの中にはテレビがあり、明らかに裕福ではなさそうな連中がどんよりした眼でそのテレビを眺めている。ノブゴロド基地から艦隊が出撃するシーンが放映されていた。
すでにニュースで何度も流された映像だった。
コニーは、煙草の煙に眉をひそめた。だが、コニーに気を遣うような者は誰一人いなかった。
ここに来るために、ジンナイはジーパンにセーターというラフな恰好に着替えていた。客は誰も、彼が上院議員だとは思わないだろう。
ジンナイを待っていたのは、フィッシャーマンズセーターを着た大柄な男だった。年齢は五十歳くらいだろうか。赤毛だが、白いものが混じっていた。明るい青い眼をしている。
ジンナイは彼にコニーを紹介し、コニーに「ミスター・ウイリアム・コールマンだ」と言った。「提督」とは言わなかった。
コールマンはコニーにほほえみかけた。
「美人はいつでも歓迎だ。さ、飲み物を注文したら、あっちへ移ろう」
コニーとジンナイはビールを注文してコールマンとともに店の端にあるテーブル席に移った。誰も彼らのことを気にしていない様子だった。
「艦隊がついに木星圏に向けて出発した」
コールマンが苦々しい表情で言った。彼は表情豊かだ。コニーに向けた笑顔は温かく、今はひどく辛そうな表情だった。
ジンナイが言った。
「木星に着くまで、一年ほどあります。その間に事を進めないと……」
「連合政府の国務省、国防省、それに外務省も、主戦派が幅をきかせている。軍部内でも、反戦派の将校たちが予備役に追いやられはじめた。だがね、政府内にも軍部内にも反戦派はいる。決して少数ではない」
「エドガー・ホーリーランドがヨコスカにいるという情報をつかみました」
ジンナイはいきなり切り札を出した。
コールマンは、片方の眉を吊り上げて見せた。驚きの表情だ。
「こいつは驚いた。やつの所在をつかめるとはな……」
「情報の提供者は、ジュピタリアンの情報将校です」
「ホーリーランドが木星方面隊時代に何をやっていたか、また、地球に戻ってから何を画策《かくさく》していたのか……。それが明らかになれば、この戦争の無意味さも証明できるかもしれない」
「主戦派と反戦派の勢力図を塗り替えることができますか?」
「不可能ではない。だいたい、この戦争は主戦派が政府や軍を牛耳ったから始まったわけではない。逆なのだ。戦争が始まってしまったから、主戦派が力を持ちはじめたんだ」
コニーが質問した。
「戦争が始まってしまったから……? それはどういうことです?」
「カリスト沖海戦だ。戦争前は、宇宙海軍や宇宙海兵隊は、辺境の地のコーストガードのようなものだった。木星圏で反乱の兆候があるというので、火星のベース・バースームから鎮圧の準備をして出かけた。火星から木星。往復一年以上にも及ぶ大遠征だった。行ってみたら、いきなり戦争になっちまったわけだ。それをきっかけに、主戦派が発言力を増した。いざ、戦争になるとそういうことが起きる」
コニーは言った。
「戦争の前に、十全な議論がなされるものと思っていました」
「それは原則だ。そして、そうあるべきだと私も思っている。だが、今回の戦争はかなり突発的だったのだ」
ジンナイが言った。
「戦争を起こしたのは、ホーリーランドだと、本人が言ったそうです」
「事実だろうね」
「なぜです? ホーリーランドは何が目的だったのです?」
「わからん。だが、ホーリーランドは、きわめて優秀で戦略的な男だ。この戦争が起きてから、世の中がどうなったか、何がどう変わったかを厳密に検証することで、ホーリーランドの目論見がわかるかもしれない」
「世の中がどうなったか……」
「そう。戦時下体制になり、言論は制限されはじめているし、UNBIの権限が次第に拡大されている。だが、そういうマイナス面だけじゃないはずだ。戦争前には考えもしなかったことが起きている」
「例えば……?」
「戦争が起きなければ、誰も木星のことなど知ろうとしなかった。街の若者たちは、木星圏に人が住んでいることすら忘れていた。地球の豊かさに甘え、ただ遊ぶことだけを考えていた。多くの人々が政治には無関心で、連合政府で何が行われているのかに眼を向けようとしなかった」
「なるほど……」
「木星圏に住む人々の平均寿命が五十歳に満たないことすら、地球に住む一般人は知らなかったんだ。ましてや、ジュピター・シンドロームのことなど聞いたこともないという人々が大半だったろう」
「ホーリーランドは木星圏に人々の関心を向けさせるために戦争を始めたというのですか?」
コールマンは、かぶりを振った。
「いや、今私が言ったのは、ごく一部に過ぎない。戦争が起きて以来、軍の再編の話題が急浮上した。ジュピタリアンの軍隊には海軍や空軍といった区別はない。それが宇宙では合理的なのは明らかだ。そして、軍と結びついた産業の急成長。カワシマ・アンド・ヒューズ社などはいい例だ。そして、連合政府のスポンサーともいうべきエネルギー・メジャーだ。彼らにとって木星圏における利権はきわめて意味が大きい」
「戦争を機にそうした歯車が噛み合って大きな動きとなりはじめた……。そういうことですか?」
「そうだ。雪の斜面の上から雪玉を転がすようなものだ。最初は小さいが、だんだんと大きくなり勢いもついてくる」
「すでにアトランティスを中心とする艦隊は出航しました。手遅れではないのですか?」
「彼らが木星に行くことを止めることはできない。だが、戦争を止めることはできる。彼らが木星圏に到着する前に、戦争終結を知らせる電文を打てばいい」
「戦争終結に持ち込めますか?」
「やってみる。これでも、海軍内ではまだまだ人脈も豊富だ。だが、軍だけの問題ではない。原則的に連合政府ならびに連合軍はシビリアンコントロールだ。政府の反戦派の台頭が必要だ」
「そちらは、私が努力しています」
「ホーリーランドが鍵を握っている」
コールマンは言った。「だが、くれぐれも注意してくれ。主戦派は、ますます増長している」
「心得ています」
ジンナイはこたえた。
コールマンとの会見はごく短い時間だったが、実りあるものだったとコニーは思った。話し合いは内容ではない。コールマンとジンナイの間に固い信頼があることがはっきりと感じ取れた。
12
ヨコスカ・地球連合海軍ヨコスカ司令部
オオタは、まず正面から攻めようと言った。堂々と司令部の窓口に行ってホーリーランドに会いたいと言うのだ。
当然、そんな人物はいないと言われることをオオタは予想しているのだ。だが、その後身辺に何らかの動きがあるに違いないとオオタは言った。コニーは賛成した。それが一番手っ取り早い。
窓口で、受付の若い兵士にオオタは言った。
「エドガー・ホーリーランド提督にお会いしたい」
「失礼ですが……」
「オオタといいます。こちらは、コニー・チャン。プラネット・トリビューンの者です」
コニーは記者証を提示した。
若い兵士は、目の前の受話器を取り上げて内線電話をかけた。しばらくして電話を切ると兵士は言った。
「申し訳ありませんが、エドガー・ホーリーランド提督は、もうここにはおりません」
オオタは、尋ねた。
「ここにいらしたことは確かなのですね?」
「ええ。つい三日前まではこちらで、資料室の責任者をやっておりました」
この反応は、意外だった。コニーは当惑した。ホーリーランドなどという人物はいないと門前払いを食うものと思っていた。オオタも同じ思いだったようだ。一瞬、戸惑った様子だった。
オオタはすぐに気を取り直したように言った。
「それで、今はどちらに……?」
「自分にはわかりかねますが……」
「誰か事情がわかる人に会わせてもらえませんか?」
「お待ちください」
生真面目そうな若い兵士の応対は丁寧《ていねい》だった。やがて、少佐の階級章を付けた人物が現れた。
「司令部で人事を担当しているファーマー少佐です。ホーリーランド提督のことでいらしたとか……」
コニーは、その冷ややかな眼を見てぞっとした。とても人事担当とは思えない。
オオタが言った。
「もうこちらにはいらっしゃらないそうですね。どちらに行かれたのですか?」
「火星です」
「火星……?」
オオタは思わずつぶやいていた。コニーは打ちのめされる思いだった。もし、それが本当だとしたら、ホーリーランドには手が届かないかもしれない。
火星へは、民間船で三ヵ月ほどかかる。往復で六ヵ月だ。戻ってきたときには、すでにジンナイは選挙戦に突入しているだろう。
「本当ですか?」
オオタは言った。「ホーリーランド提督は、本当に火星へ行かれたのですか?」
「火星方面隊と民間企業が協力してマスドライバーの再建に着手することになりました。その陣頭指揮を取る役を参謀本部から命じられたのです」
「正式な記録があれば見せていただきたいのですが……」
ファーマーは、じっとオオタを見据えていたが、やがて、言った。
「しばらくお待ちください」
一度オフィスに引っ込み、しばらくして出てきた。
「本来ならば、こういう書類はお見せできないのですが、あなたがたは特別です」
ファーマーは命令書のコピーを見せてくれた。海軍の正式なスタンプが押してある。偽物には見えなかった。
「間違いなく本物です。そして、ホーリーランド提督が火星に向かったのは本当のことです」
ファーマーはオオタとコニーを交互に見つめて言った。「私が嘘をつく理由などないのです。すでに、あなたたちの目論見は間に合わない。あきらめることです。そう、ジンナイ上院議員にお伝えください」
コニーは打ちのめされた。
何もかもお見通しだったということだ。そして、ファーマー少佐はすでにジンナイの終戦への活動は手遅れだと言っているのだ。
オオタは、何も言い返せなかった。ファーマー少佐は、無言で海軍の基地を後にするオオタとコニーを見送っていた。
一度は敗北感に浸《ひた》ったコニーだったが、次第に怒りがこみ上げてきた。海軍のやり方には我慢できなかった。
力を落としているオオタに向かって、コニーは言った。
「あたしは、火星へ行く」
「往復で六ヵ月もかかるんだ。もしホーリーランドに会えて、最高に事がうまく運んで、何もかも明らかになったとしても、それから世論に訴え、反戦派が勢力を得るには時間がかかる。木星圏の本土決戦には間に合わない」
「往復を考える必要はない。火星からだって連絡は取れる。火星から地球圏に情報を流すことだってできるかもしれない」
「君一人じゃ無理だ」
「チェレンコとの連絡を試みる。チェレンコならやり方を心得ているはずよ」
「しかし……」
「ぐだぐだ言っている暇はない。そう、あたしたちの時間は限られている」
オオタはしばらく考えていた。やがて、彼は言った。
「わかった。じゃあ、私も火星へ行こう」
「あなたはだめ」
「なぜだ?」
「ジンナイ上院議員を一人にするわけにはいかない。あなたがサポートしなければ……。それに、こっちでやるべきこともたくさんある」
「一人では行かせられない。危険過ぎる」
「じゃあ、こういう条件はどう? チェレンコと連絡が取れて、彼がいっしょに行ってくれることになったら、行く」
オオタは、また考え込んだ。
「それしかないか……」
「そう。それしかない。まずチェレンコを探すわ。あなたはアメリカに戻ってジンナイ議員と今後のことについてよく相談してちょうだい」
「君は戻らないのか?」
「まず、月まで行かなくちゃ……。地球から火星への直行便はない。チェレンコも月にいると思う」
「火星か……。私は行ったことがない」
「あたしだってないわ」
「気をつけてくれ。くれぐれも……」
「朗報を待っていてと、ジンナイ上院議員に伝えて」
コニーは、すでにチェレンコを見つけ出す方策をあれこれと考えはじめていた。
13
アトランティス
メインベルト・ケレスへの軌道上
ジェシカの言ったことは本当で、ケレスまで通常より一ヵ月近く早く到着しそうだった。
すでに太陽は遠く、星の海の深さが実感できる。出航してから四ヵ月以上経っていた。ケレスが近づき、第二戦闘配備に入っていた。海兵隊第一小隊と、空間エアフォース要撃部隊は、プレブリーズを開始した。
プレブリーズ終了後、第一戦闘配備に移行する。カーターたちは、ヒュームス・デッキへ、要撃部隊は、戦闘機ハンガーで出撃を待つ。
すでにデッキ内は減圧され、いつでも出撃できる状態だった。
「艦隊は、ケレスの周回軌道に入る」
ヘルメットのヘッドセットからエリオット作戦司令の声が聞こえる。「すでに熱反応をキャッチしている。視認したらすぐに出撃だ」
カーターはこたえた。
「海兵隊第一小隊、了解。聞いたか野郎ども。空軍にいいところを持っていかれるなよ」
「イエロー・リーダー、了解」
カウボーイの声が聞こえる。
「レッド・リーダー、了解」
サムライ、カズ・オオトリが言う。
ケレスはメインベルトの中では最も大きく、質量も大きい。ほぼ球形で薄い大気がある。大きいとはいえ、直径は九百五十キロほどで、引力は弱い。だから、周回軌道はかなり地表に近くなる。軌道上から基地を視認することは容易なはずだ。
いきなり管制室があわただしくなったのを、カーターは通信装置から感じ取った。
エリオットの声が聞こえてきた。
「敵の戦艦を確認。巨大ミラーシップだ。空軍戦闘機に続いて、ヒュームスも出ろ」
エアロックが開く警告ランプが点滅する。正面にぽっかりと星の海がのぞいた。
カーターは、エアロックの脇にある出撃ランプを見つめていた。まだ赤だ。空軍が先に出るのだ。
やがて、ランプがグリーンに変わった。カタパルトがゆっくりとカーターのクロノス改を海へ押し出す。カーターは、ダイブした。
習慣でモニターに映し出された四方の様子を確認する。正面に輝点が見えた。たしかにミラーシップだ。帆を展開したままだ。
カーターの右手にギガースが、左手にホセのクロノス改がやってきた。カーターは、後方のモニターを見て、チーム・イエローとチーム・レッドの突撃艇が海に出たことを確認した。
すでに、二機ずつの編隊を組んだ空間エアフォースの戦闘機がカーターたちより前にいる。
「ホセ、リーナ。俺たちの機動力は空軍の戦闘機に負けていない。遅れを取るな」
「わかってますって」
ホセが言った。
「了解」
リーナは短くこたえた。
やがて、無線が使えなくなった。アトランティスがECMを開始したのだ。
「来るぞ……」
カーターはつぶやいた。
ミラーシップの帆は徐々に大きさを増してくる。上の軌道にいるので、相対速度が遅く、連合軍の艦隊と相対距離を縮めつつあるのだ。
そのミラーシップの帆の中に、小さな黒点がいくつも見えた。
トリフネだ。
カーターは、リーナ機のほうを見た。リーナは前へ出ようとするだろう。それに先んじるために、カーターはクロノス改の左腕を高々と掲げて、前方へ振り下ろした。そして、メインスラスターを噴かした。
おそろしいGがかかり、体がシートに押しつけられる。今やこのGが快感になりつつある。
クロノス改は一気に戦闘機の前に出た。ホセ機とリーナ機がぴたりとついてくる。
戦闘機隊も加速した。
トリフネの姿が辛《かろ》うじて確認できる距離まで接近した。
まだまだだ……。もっと引き付けてからだ。カーターはトリガーボタンにグローブをはめた指で触れながらその瞬間を待った。
ギガースがらせんを描きながら突進していく。その動きはさすがだと思った。
トリフネが近づいてくる。その姿がはっきりと視認できる。
カーターがトリガーボタンを押した。荷電粒子砲のビームが発射される。
ほぼ同時にギガースが、荷電粒子砲を撃ち始めた。
ホセ機も荷電粒子砲を撃ち始める。
やや遅れて空軍も撃ちはじめた。
トリフネも撃ち返してくる。
この距離ではそうそう当たるものではない。カーターは、ギガースの動きをまねて、らせんを描くように前進した。
トリフネは、実に統制の取れた動きを見せた。地球周回軌道上のときとは明らかに違っている。
ということは、あのミラーシップは、敵の旗艦ワダツミだということか……。
ワダツミが前線基地のケレスにいた。
めっけもんじゃないか。ここで、ワダツミを沈めれば、敵の戦意を殺ぐことができる。
だが、特別なシステムによる管制を受けているトリフネは手強い。まるで、こちらの動きを読んで先回りするような戦い方をするのだ。
リーナが気になった。
まさか、また戦場のど真ん中で静止したりはしていまいな……。
ギガースは動き回っていた。いつものとおり、軌道から逸脱することも気にしていないような激しい動きだ。
ギガースは月面着陸をやってのけた。それに比べれば、ケレスに着陸することは簡単だろう。ケレスくらいの引力なら、クロノス改でもやれるかもしれない。
だが同時に引力が弱いということは、ちょっとした加速でも軌道を逸脱してどこかへ飛び去ってしまう恐れもあるということだ。
やがて、トリフネとの距離はさらにつまり、次第にドッグファイトへと移行していった。
カーターはクロノス改のさまざまな部位にあるスラスターを操って、目まぐるしく動いた。動きながら、右腕に装着された荷電粒子砲を撃ちまくる。すぐにエネルギーが空になり、即座に左手で入れ替えた。こうした作業ができるのがヒュームスの強みだ。
トリフネはすでに手足を展開していた。戦闘機の機動力とヒュームスの作業能力を合わせ持つ機動兵器。しかも、管制システムによって一糸乱れぬ動きを見せる。
いつしかミラーシップは、軌道を下げて対地速度を上げ、アトランティスを中心とした艦隊とともに等速度運動をしていた。ワダツミは高出力のビーム砲を持っていたはずだ。砲撃をするつもりかもしれない。
艦隊とミラーシップの火線を避けなければ、レーザーで焼かれてしまう。
カーターは、みんながそれに気づいているかどうか、確認しようと周囲を見回した。
そのとき、ギガースの奇妙な動きに気づいた。
姿勢制御ができないみたいだった。体中のスラスターを絶え間なく噴射している。まるで、初めてヒュームスで海にダイブした新兵のようだった。
何をやってるんだ……。
まったくリーナらしくなかった。
そして、突然ギガースはメインスラスターを長々と噴射した。
危ない。
それは見ているだけでわかった。軌道離脱の危険のある加速だ。
案の定、ギガースはあらぬ方向に飛び出していった。
「くそっ」
カーターは、ギガースを追った。それは自分自身も危険な加速をすることを意味していた。
とたんに、コクピット内の照明が赤くなり警報が鳴った。軌道離脱防止プログラムが最優先で働きはじめたのだ。
カーターのクロノス改は逆噴射で減速を始め、軌道に押しもどされそうになった。
「なぜだ? なぜギガースのプログラムは働かないんだ?」
カーターは、禁断の非常ボタンを押そうとしていた。キーボードに特定の文字列を打ち込むことで、ムーサを一時的に無効にして操縦をすべてマニュアルにできる。
迷っている暇はなかった。カーターは、キーボードを叩き、ムーサを無効にした。コクピット内の警報が止み、照明が通常に戻った。カーターは、再びメインスラスターを噴かして、流されていくギガースに迫った。
すでに艦隊ははるか後方にあった。その向こうにケレスが見える。艦隊をはるかケレスの上空から見下ろしている形だ。
ようやくギガースに手が届いた。その足に両手でつかまる。接触することで、通信ができる。
「リーナ、どうした? 無事か?」
返事がない。カーターは再び大声で呼びかけた。
「リーナ、返事をしろ」
やがて弱々しいリーナの声が聞こえてきた。
「隊長……」
「いったいどうしたんだ?」
「わかりません。突然頭が真っ白になって、そうしたら、ムーサがおかしくなったんです」
「艦に戻るぞ」
ややあって、リーナの声が聞こえた。
「それは無理です。どうやら私たちは、すっかり軌道を逸れてしまったようです。このままどこかの天体の引力にひっかかるまで、永遠に漂い続けるのです……」
「どうした。いつものおまえさんらしくないぞ。いいか、余計なことは考えるな。推進剤が持つ限り、艦隊に向かってすべてのスラスターを噴かせ。ギガースとクロノス改ならばできる」
「ムーサが反応しません」
「俺だってムーサを切っている。いいか? 諦めるのはやるだけのことをやってからだ」
「わかりました」
リーナの声に力はなかった。
カーターにだってわかっている。今の状況は絶望的だ。いくらギガースとクロノス改のメインスラスターをもってしても、艦隊のいる軌道まで戻る加速は得られない。
宇宙の海の藻くずとなるのだ。カーターはスーツのポケットに入っている即効性の毒薬を強く意識した。人は徐々に死んでいく恐怖に耐えられない。そのために用意されている毒薬だ。
そのとき、信じられないことが起きた。
モニターに、トリフネの姿が映ったのだ。過去の映像がプレイバックされたのかと思った。だが、映像はライブだった。四機のトリフネが二人の近くまで近づいてきたのだ。
「まさか……」
カーターはつぶやいた。「俺たちと刺し違えて死ぬつもりか……」
カーターは、右腕の荷電粒子砲をトリフネに向けようとした。だが、トリフネは戦いの意思を見せなかった。
二機ずつのトリフネがギガースとカーターのクロノス改を捉えた。
「こいつら、何をやる気だ……」
すると、聞いたことのない声が聞こえた。
「軌道に戻る。気を楽に持て」
トリフネのパイロットだろう。
「何だと……。そんなことは物理的に不可能だ」
「おまえたちに不可能でも俺たちにはできる。おまえたちのスラスターの力も必要だ。火線を我々のスラスターに合わせろ。五秒後に全開だ。いいな?」
言うとおりにするしかなかった。
「リーナ、聞いたか?」
「はい」
「敵の指示に従え」
「了解です」
わずかだが、リーナの声に力が戻っていた。
敵が加速するのがわかった。すさまじい加速だ。体中から血液が噴き出すかと思った。ブラックアウトしそうになるのを必死に耐え、カーターは、敵が言ったとおり、火線を合わせてスラスターを全開にした。
たちまち推進剤が消費されていく。
やがて、推進剤が切れてクロノス改とギガースの噴射は止まった。それでも、トリフネの噴射は止まらない。やがて、充分に加速されたと判断したのだろう。
トリフネは、カーターたちのもとを離れた。カーターは、はっと我に返ってムーサを復活させる文字列をキーボードに打ち込んだ。
とたんに照明が赤になり、警報が鳴る。まだ危険域にいるのだ。
だが、ややあってその警報も止み、照明が再び通常に戻った。カーターたちは軌道に戻っていた。モニターを見ると、チーム・イエローの突撃艇が近づいて来つつあった。
カーターとリーナは突撃艇を待てばよかった。
ケレスで炎の球が幾つも膨らんだ。空軍のミサイル攻撃のようだ。
したたかな衝撃が来て、カーターは一瞬気を失いそうになった。突撃艇に激突したのだ。減速する推進剤が残っていなかったから、ぶつかるしかなかった。
突撃艇は脇のスラスターを噴かしてその衝撃によるトルクを打ち消した。リーナのギガースはカーターよりもいくぶんかましなぶつかり方をした。
突撃艇はギガースとカーターのクロノス改を乗せたままアトランティスに帰還した。
空軍のミサイルと艦隊のレーザー砲が敵の基地にある「マグ・ビーム」の照射施設を破壊したことを知った。これは、火星のマスドライバー破壊に匹敵する戦果に違いない。
本来ならば喜ぶべき戦果だが、カーターは浮かない気分だった。
戦場で起きたことをどう理解していいかわからなかった。敵は戦闘の最中に、リーナとカーターを助けた。しかも、地球連合軍の能力では誰も救助できない状況だったのだ。
カーターはまたしても、エリオットの「世間話」を思い出していた。
戦闘態勢が解除されて、カーターたちは与圧された。くたくたになって個室に戻った。私物をすべて陸揚げしたので、ベッドしかない殺風景な空間だ。
カーターは、ベッドに体を投げ出した。
ノックの音が聞こえて、カーターは無理やり起き上がった。リーナがドアの外に立っていた。
「戦場では申し訳ありませんでした」
リーナは言った。
「いいから、そんなところに突っ立ってないで入れ」
リーナは一瞬躊躇していたが、すぐにカーターの部屋に入った。二人は立ったまま話を始めた。
「いったい何があったんだ?」
「またコーラスのような声が聞こえました」
「トリフネの管制システムだな?」
「はい。私は再び管制システムを妨害しようと、その声にコンタクトしました。その瞬間に、何かがこちらに入り込んだように感じて、頭の中が真っ白になったのです。そのとたんに、ムーサがおかしくなりました」
カーターは当惑した。
「それはどういうことなんだ?」
「敵のサイバーテレパスが私の妨害を予測していたのでしょう。私がコンタクトするのを待って、逆に私を利用したのです。つまり、私をインターフェイスに使って、ムーサを狂わせたのです」
とても理解できる話ではない。だが、理屈はわからないでもない。
「つまり、おまえさんが敵とのチャンネルを開けた。敵はそのチャンネルを利用したと考えればいいのか?」
「そういうことです。さらにいえば、私と敵のサイバーテレパスは共振を起こしました」
「共振……?」
「そうとしか言いようがない現象でした」
「過去にそんな経験はあるのか?」
「いいえ。初めての経験です」
カーターはしばらく考えた。だが、結局何もわかりはしないという結論に達した。
「俺には何のことかさっぱりわからん。それも、作戦司令や艦長には報告せずに情報部に直接報告するのか?」
当然そうするものと思っていた。
だが、意外にもリーナは首を横に振った。
「艦長と作戦司令には話すつもりです。その必要があるように思います」
「必要がある? どういうことだ?」
「この艦でいっしょに戦っているからです」
カーターはうなずいた。
すでに、ミラーシップはケレスを離れた。木星圏に向かったものと思われる。アトランティスと艦隊は、予定通り木星圏に向かうことになっていた。ミラーシップの後を追う形になる。
「あのミラーシップは、ワダツミだったな?」
「はい」
「ワダツミと戦うと、またおまえさんに同じようなことが起きる恐れがあるということだ」
「そうかもしれません」
「心配するな」
カーターは言った。「何か起きても、仲間がいる」
リーナはようやくほほえんで、うなずいた。
「それよりも……」
カーターは言った。「敵は戦闘中に俺たちを助けてくれた。あれはいったいどういうことなんだ?」
「さあ……」
リーナは思案顔になった。「やはり、『絶対人間主義』が関係しているのでしょうか……」
その『絶対人間主義』というのは、俺たちが考えているよりずっと奥が深いのかもしれない。
地球を離れるに従い、地球の常識からも離れつつある。カーターはふとそんな気がした。
オージェが、ジュピタリアンに畏怖を感じると言っていたのを思い出した。
「俺たちは戦いに来た。だから、命令があれば戦う」
カーターは言った。
「はい」
「……だが、できるならあいつらとは戦いたくないような気がしてきた。助けられたから言うわけじゃないが、ケレス基地を破壊しても、ちっともうれしくなかった。なぜだろうな」
リーナは何も言わなかった。
だが、カーターはリーナも同じ気持ちだということを感じ取っていた。
[#地付き](第四巻 終わり)
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「海軍戦闘艦乗りたちの生活と意見」
海軍大型戦闘艦の乗組員については、英雄としてきらびやかに報道されている反面、その実態がどういうものであるかはあまり知られていない。そこで、彼ら彼女らがどのような日常生活を送っているか、ざっとではあるが紹介したい。
[#地付き]執筆:軍事アナリスト オオツカケンスケ
[#地付き]OHTSUKA,Kensuke
戦闘艦乗りの勤務
戦闘艦に限らず、宇宙船乗りの生活は24時間を8時間ずつの三つにわけた単純三交代制、三直勤務である。
この三直クルーが正規・準備・休息のいずれかの配置に就く。戦闘要員も、もちろん平時は何らかの航海業務に就く事になっている。
艦の指揮は、艦長・副長・作戦司令が交代で執る規定だが、艦長が連続14時間、作戦司令が10時間というのが常態である。
準備にある乗組員は、いつでも正規配置に就けるよう、直近の待機ゾーンにてスポーツや学習、娯楽で時間を過ごす。
戦闘艦乗りの衣
ひとたび戦闘艦に乗り込んだ者は、帰港して船を下りるまで、シャワーを浴びる時以外は24時間制服を着用していなければならない。
制服には作業服・戦闘服・待機服があり、待機服にはデザインにいくらかバリエーションもある。
制服は瞬間的な真空・宇宙線曝露時に一定の防御機能を持っているという建前だが、その効果に期待している船乗りは一人もいない(そんな状況ではほとんど助かる見込みはないのだから、当然である)。
作業服は兵科別に必要とする機能材料でつくられており、戦闘服は近接戦闘防御と迷彩機能を持っている。
宇宙服について言えば、標準的なものは事前に減圧時間が必要な1/3気圧型だが、緊急作業用にパワーアシスト機構つきの硬式1気圧型も装備されている。
また、宇宙服とは言えないが、緊急脱出用のバルーンも、乗組員定数の3割増が装備されている。
戦闘艦乗りの食
戦闘艦では、乗組員のストレス蓄積を防ぐため、糧食の質にはたいへん気が配られている。
調理器具は熱伝導を利用したもので加熱力には制限があるが、事前調理の段階でその点も考慮されており、船乗りはかなり贅沢な食生活を享受している。
食材のバリエーションが豊富なのはもちろんだが、当然、搭乗する乗組員それぞれの宗派にあわせたタブーについても考慮されている。
ただし、摂取量は厳密にコントロールされており、過食も拒食も許されない。
摂食スペースは限られているため、食事時間は少しずつずらされているが、食事相手を融通することは黙認されている。
士官以上の乗組員は、体質に合わせて一定量のアルコール飲料の持ち込みが認められている。戦闘前や離着岸前でなければ、下士官以下の乗組員も、士官の監督下で飲酒することが可能である。
煙草や大麻の喫煙については、エアコントロールの観点から認められていないが、実態はその限りではない。
戦闘艦乗りの住
下士官以下が睡眠をとるのは寝袋である。これを正規・準備・休息の交代クルー3人で共有する。
これではプライバシーも何もあったものではないため、9人にひとつの割合でプライバシーボックス(PB)というスペースが用意されている。
PBを共有する9人は、俗に「兄弟」(あるいは「姉妹」)と呼ばれる。
寝袋の脇やPBには端末が設置されており、ホロビジョンやムービー、音楽、読書などを楽しめる。
士官以上になると個室が与えられるが、尉官の住居はベッドと造りつけの机がはめ込まれた小さな通路があるだけで、PBと大差ない広さである。
艦長、副長、作戦司令の個室のみ、執務卓とソファを備えたしっかりした造りになっている。
戦闘艦乗りの衛生
宇宙船乗りは地球上の原子力潜水艦乗りと様々な点で似通っているが、見た目としてもっとも異なる点は、乗組員に短髪が推奨されていないところである。
これにはふたつの理由がある。
ひとつは、短髪は皮脂がまわりやすいため、衛生状態を保つのに頻繁な洗髪が必要であるという点。これはエネルギーと時間の浪費になる。
もうひとつは、細かすぎる頭髪が、精密機器に入り込んで故障の原因となるのを防ぐためである。
同様に、男性の髭剃りは原則7日に1回、就寝前に行うことになっている。
ぼさぼさの頭に無精髭は、宇宙船野郎の証である。
シャワールームは艦の中心付近に配置されている。これは少しでも外部への水分漏洩を少なくするための工夫であるようだ。
戦闘艦乗りの性
海軍では、士官と下士官・兵の間の関係、あるいは直接の指揮命令系統にある者の間の関係を除き、性交に関する禁止規定はない。
しかしながら艦長によっては禁欲を要求する場合もあるし、イスラーム艦艇の中にはすべての性的接触が原則として禁止されているものもある。
また、出港後の妊娠は原則として禁じられており、作戦任務終了後の計画妊娠であっても艦長と作戦司令双方の許可を得なければならず、今までそういう前例は知られていない。
避妊具は各自で用意しなければならない。
性的少数者の問題については未だに議論がまとまっていないが、現状では特定の大型艦艇に集中して配置される傾向がある。
海軍には伝統的に男性同性愛者が多いという説があるが、この点について海軍は公式な論評を拒否している。
性的嫌がらせについての調査では、女性の方が同性からの性的嫌がらせに遭っているという報告もある。
戦闘艦乗りの娯楽
戦闘配置や離発着配置にない時の乗組員は、寝室あるいはPB内で、ホログラフィックや音楽を鑑賞したり、読書を楽しむことができる。
各艦とも、搭載するタイトルには厖大な在庫があり、許可を受ければ惑星間ネットで作品をダウンロードすることも出来る。
特に人気があるのは、どの艦でもポルノグラフィ・ホロ(PH)である。
海軍情報部統計課の調査では、健全なPHの定期的な鑑賞は、性犯罪に対する抑止効果があると報告されている。
個々人のネットワークへの接続は、艦の機密を保持し、回線の圧迫を避けるため、厳しく禁じられている。
しかし不法に持ち込んだレーザー送受信機などを用いて接続を行う者は後を絶たず、軍も対策に頭を悩ませている。
戦闘艦乗りのスポーツ
宇宙船内の運動はサーキットトレーニングのみと思われがちだが、海軍では独自に発達した何種類かのスポーツがある。以下に紹介しよう。
●0G銃剣術
宇宙船内での発砲は気密破損の危険が伴うため、乗込み戦闘員の間で電気銃剣を用いた制圧術が発達した。自分の位置の把握と支点の適切な保持、相手の虚をつくタイミングが重要である。
●0G格闘術
宇宙船内の狭い空間では、銃剣が使えないことも多い。そうした状況を想定して合気柔術・古流空手・サンボなどから実戦的な関節技などを集大成した技術体系がこれである。海兵には喧嘩を売らない方が身のためだ。
●0Gダーツ
核分裂炉のメンテナンス用プローブとセンサーを応用して始められたゲームで、プローブの正確な投擲を競う。
数十ミクロン単位の勝負になることもしばしばであり、神経戦の様相を呈する。
なお、これらのスポーツに冠された「0G」という名称だが、大型宇宙船内の居住スペースには通常何らかの重力や慣性が働いており、厳密な意味では「ゼロ・グラビティ」というわけではない。
戦闘艦乗りからのメッセージ
出港した海軍艦艇からは、通話はもちろん、個人的なメールの送信も出来ない。古典的な手紙やホロ・レターを出す機会も、作戦行動中にはまず無い。
そこで彼ら、彼女らがよく用いるのが、条件分岐命令つきの時限送信メールシステムである。
いくつかの条件と情報収集方法を設定しておけば、アルゴリズムが適切な判断を下してくれるため、別れた恋人にラブレターを送るような危険も回避できる。
このソフトのビジネスモデル特許は21世紀初頭、出征中に離縁されたアメリカ陸軍の州兵が取得しており、彼は特許料で儲けたお金を元手に事業を成功させたそうである。
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底本
講談社 KODANSHA NOVELS
宇宙海兵隊《うちゅうかいへいたい》ギガース4
著 者――今野《こんの》 敏《びん》
二〇〇六年五月九日  第一刷発行
発行者――野間佐和子
発行所――株式会社 講談社
[#地付き]2008年7月1日作成 hj
[#改ページ]
底本のまま
・Mig-103bis ズヴェズダ (前巻までは Mig-105bis ズヴェズダ)
置き換え文字
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26