宇宙海兵隊ギガース2
今野 敏
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)悪寒《おかん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)操縦|桿《かん》
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〈帯〉
スペース・ロボット・オペラの決定版、ここにあり!
地球連合軍≠uS.木星圏の反乱者ジュピタリアン=I
[#改ページ]
〈カバー〉
GIGAS
In 22nd century, Jupiterrian goes into space-warfare at last.
The human race has not Hept a peace anytime, why not ?
木星圏の反乱者、ジュピタリアンが地球連合軍に挑んだ独立戦争はついにクライマックスへ!すべての謎を解く鍵、「ジュピター・シンドローム」の真実をめぐって、最新型|HuWMS《ヒュームス》(Human-Style Working Machine Standard)「ギガース」の美少女パイロット、リーナ・ショーン・ミズキ少佐をはじめとする軍人・政治家・ジャーナリスト・ロビーストらの想いが無窮の宇宙《うみ》を駆ける!著者の深いこだわりが炸裂する、スペース・ロボット・オペラの決定版!
FROM 今野 敏
全地球規模で見ると、戦争がなかった時代はない。世界史というのは、ある意味で戦争の歴史だ。これから先も、戦争は決してなくならないだろう。だからといって、あきらめるわけにはいかない。目の前に戦争があり、また、どこかで戦闘が行われているからこそ、不戦、反戦の努力は尊いのだ。
今野 敏 BIN KONNO
1955年北海道三笠市生まれ。
日本空手道常心門二段、棒術四段の実力を持ち、自ら「今野塾」を主宰する。
おもな著作に『蓬莢』『イコン』『ST 警視庁科学特捜班』(講談社)などがある。
[#改ページ]
“GIGAS”Regular Driver:LIINA SEAN MIZUKI
“SMACS”RESPONCE LEVEL:UNKNOWN
“SMACS”Official Adoption Demonstrator
HuWMS:XM3−G GIGAS
[#改ページ]
宇宙海兵隊ギガース2
[#地から1字上げ]今野 敏
[#地から1字上げ]講談社ノベルス
[#地から1字上げ]KODANSHA NOVELS
目次
第三章
第四章
[#地から1字上げ]世界解説=大塚健祐
[#地から1字上げ]前川智彦
[#改ページ]
第三章 アストロイド・ベルト偵察隊、沈黙
1
火星―惑星帯間・長楕円軌道上
アストロイド・ベルト暗礁海域
その日、ワッチ任務を統括していたコリンズ中尉は、嫌な予感におののいていた。
背中に悪寒《おかん》が走る。
最初はインフルエンザかもしれないと思った。
人々が地球を離れ、宇宙の海に出た今も、インフルエンザから逃れることはできない。
むしろ宇宙を航海している船の中のインフルエンザは、地球にいるときよりも危険だ。艦内は乾燥しており、居住区以外は超低温だ。インフルエンザのウイルスが蔓延《まんえん》しやすい状態にある。
しかも航海にたずさわる要員に余裕はない。人間もペイロードと考えなければならないからだ。インフルエンザが蔓延すると、交代要員が不足して、たちまち勤務に支障が生じる。
コリンズは、夜通しの勤務に就く前に医務室に行き、軍医から薬をもらっていた。インフルエンザの発症を抑える薬だ。この薬品は二十一世紀になって開発されたもので、たいていのインフルエンザに、劇的な効果を発揮する。
その薬も、背中を這《は》い上がる悪寒には効果がなかった。
この海域で、何かが起きようとしている。
コリンズ中尉はそう思った。彼は何度も衝動に駆られながらも我慢していたのだが、ついに制服のポケットから手帳を取り出し、その中にファイルしてある家族の写真を開いた。
家族は火星の自治区に住んでいた。
火星は決して住み心地のいい土地ではないが、コリンズが火星の衛星軌道を回るベース・バースームに転属になったときに、妻は地球から火星に移り住むことを強く希望した。
二人の子供たちを連れて、火星自治区に住むことにしたのだ。透明な天蓋《てんがい》に囲まれた火星自治区の居住区は湿気が多く、蒸し暑い。
大切な植物のためにそう設定されている。巨大な植物園のようなものだ。都市の回りは、亜熱帯のジャングルのようなありさまだ。火星入植時に、人類が最初に取り組んだのが、植物を育てることだった。植物は太陽光を吸収して地表の温度を上げる。さらに光合成で酸素を作り出す。
貴重な酸素のかなりの量がそのジャングルから供給される。
また、高湿度は水を循環させるシステムのせいでもある。
妻は、そんな火星自治区の住み心地に文句は言わなかった。若い頃に旅行したことがある東南アジアの気候のようだと言って笑った。
子供たちも、じきに火星自治区の生活に馴染《なじ》んだ。自治区は治安がよく、その点だけは安心だった。
妻と二人の男の子、エディーとマイケルが写真の中で眩しげに眼を細めてほほえんでいる。故郷のカリフォルニアで撮った写真だ。
エディーとマイケルは、まだ八歳と六歳だ。
写真を見ていると、てのひらに汗が滲《にじ》んだ。
この海域で、何かが起きようとしている。
コリンズは、手帳を閉じると、再び思った。この嫌な予感は尋常ではない。
今、艦は海軍風に言うと暗礁《あんしょう》海域を通る航路にいる。
無数に浮遊する岩石や氷が外装を叩く音が頻繁《ひんぱん》に聞こえる。
コリンズの乗る船の名は、ロングビーチ。後方三千メートルに、同型艦のホー・チ・ミンがいた。
地球連合軍の護衛巡洋艦ロングビーチとホー・チ・ミンは、火星の周回軌道を離れてすでに一ヵ月が過ぎていた。
アストロイド・ベルトにまで入り込む長い楕円軌道上にいる。火星の海域に戻るまでにあと二ヵ月の予定だった。
ロングビーチとホー・チ・ミンは、「ロングマーチ級」と呼ばれる巡洋艦で、航続時間の長さと運航要員の少なさに重点を置いて建造された。
今回は偵察任務についていた。
強襲母艦ダイセツが今コリンズたちが航行しているのと同じ軌道上で、ジュピタリアンたちの攻撃を受けたのは、すでに一ヵ月前のことだ。
あのときは、強襲母艦アトランティスが決死の軌道交差戦を試み、見事敵の巨大戦艦を追い払うことができた。
軌道交差戦は、人類初の経験だった。
この戦いは、今でも昨日のことのように海軍内で話題になっている。もし、アトランティスの軌道交差戦が失敗していたら、ダイセツを失い、さらに敵の巨大戦艦に火星の衛星軌道への侵入を許すことになっていただろう。
その後の木星側の動向を偵察するというのが、ロングビーチとホー・チ・ミンの任務だった。
ロングビーチには突撃艇二隻を搭載している。それぞれの突撃艇は、ヒュームスM1−S1テュールを三機搭載している。
一方、同型艦のホー・チ・ミンは、突撃艇の代わりに艦載機を六機搭載している。艦載機は、二十ミリ無反動機関砲と熱線追尾型ミサイル二基を搭載した戦闘ポッドのことだ。
ロングビーチとホー・チ・ミンは、それぞれに無人の偵察ポッドを飛ばして、周囲の状況を確認しつつ、長楕円軌道を進んでいた。
偵察ポッドが送ってくるさまざまなデータを二十四時間態勢で記録し、解析していた。映像、熱源、電磁波、磁場、放射線……。あらゆるデータが集められるが、今のところ、変わった様子はない。
だが、コリンズはそれが気になっていた。
静かすぎる。
すでに地球連合軍司令部は、木星側が小惑星帯のどこかに前線基地を築いていると読んでいた。
それがどこかは特定できない。木星圏の人間がカガミブネと呼び、最近、海軍がミラーシップと呼びはじめた敵の巨大戦艦は、比較的大きな小惑星の周回軌道に乗るだけで、宇宙ステーションとして運用できる。
それくらいに巨大で、装備も居住設備も整っているという話だ。
口の悪い連中は、木星圏の居住地となっているカリスト、エウロパ、ガニメデといった衛星よりも、この戦艦の中のほうが住みやすいだろうなどと言っている。
つまり、ミラーシップ一隻で簡単に前線基地を構築してしまえるということだ。ジュピタリアンたちは、トリフネという独特の戦術兵器を運用する。これは、地球連合空軍の戦闘機と海軍のヒュームスの両方の特徴を併《あわ》せ持ったような兵器だ。
ジュピタリアンたちには、海軍や空軍といった意識の区別はないようだ。
そのほうが宇宙では合理的だと、コリンズは考えている。地球連合軍は言ってみれば寄せ集めだ。
主に惑星や衛星の周回軌道をカバーする部隊には、ロシア空軍の影響が色濃く残っており、公式にも地球連合空軍、通称空間エアフォースと呼ばれている。また、巨大な宇宙船に艦載機やヒュームスを搭載して惑星間の軌道や衛星間の軌道をカバーする部隊には、アメリカ海軍の伝統が反映されて地球連合海軍あるいは宇宙海軍と呼ばれている。
それも、地球連合軍が寄せ集めだからだ。本来、空軍のファイターも海軍の戦艦も、同じスペースシップなのだ。規模と運用の仕方に差があるに過ぎない。
ジュピタリアンはその点、合理的だ。
だから、トリフネのような戦術兵器を考え出したのだろうし、宇宙ステーションを丸ごと飛ばすような戦艦を作り出す発想があったのだろう。
ミラーシップは巨大だが、宇宙の海はあまりに広い。その動きを捉えるのは一苦労だ。わずかな変化を捉えようと、ロングビーチとホー・チ・ミンは、センサーの固まりである偵察ポッドを飛ばし続けていた。
この一ヵ月は何事もなく過ぎた。
どちらかというと、退屈な任務だと、コリンズは感じていた。海軍が小惑星帯の軌道交差戦で勝利したという高揚感も手伝っていた。
だが、この二、三日、コリンズは落ち着かなかった。楕円軌道の深部に入ったということもあるだろう。敵地に近づいたことを意味している。
そして、今日は朝起きたときから、どうも胸騒ぎがした。
緊張感がつのる。部下たちが偵察ポッドから送られてくるデータをディスプレイで確認し、ディスクに記録している。
同時にそのデータはすぐさま別の班で解析されている。
「あれ……」
コンソールに向かっていた部下の一人が妙な声を出した。ワン少尉だ。
「どうした?」
ワンの声を合図に、ほかのコンソールでも動きがあわただしくなった。皆、しきりにキーボードで何かを打ち込みはじめた。
「何事だ?」
コリンズ中尉は再び尋ねた。身を乗り出したいが、無重力状態のためにからだをハーネスでシートに固定していた。
「一号ポッドからのデータが途絶えました」
ワン少尉がこたえた。
「データが途絶えた?」
コリンズ中尉は、再び背筋に悪寒が走るのを感じた。「システムの故障か?」
「いえ」
ワンはディスプレイを見つめ、キーボードを叩いている。「ポッド自体の異常です。隕石か何かにぶつかったのかもしれません」
「ポッドには、障害物を回避するシステムが組み込まれている」
「高速で軌道を回っている隕石もあります。避けられない場合もあります」
続いて別の部下が報告した。
「二号ポッドのデータ送信も消えました」
デ・パルマ少尉の声だ。
コリンズ中尉は迷わなかった。即座に艦内電話の受話器を取り、寝室にいる作戦司令のコーデイ大佐を呼び出した。
「当直のコリンズ中尉であります。偵察ポッドに異常が発生しました」
「異常? 状況を説明しろ」
「一号ポッド、二号ポッドからのデータが相次いで途絶えました」
「データが途絶えた?」
「システムの故障ではなく、ポッドそのものの異常です」
「了解した。すぐに艦橋に上がる」
電話が切れた。
コーデイ大佐と艦長のロバート提督が艦橋に現れたのは、それから一分後のことだった。
「ホー・チ・ミンとの通信回線を開け」
そう命じているコーデイ大佐の声が聞こえる。ワッチルームは、艦橋の中の一つのコーナーにある。
コリンズ中尉は、その通信に耳を澄ましていた。ホー・チ・ミンから飛ばした偵察ポッドにも異常が発生しているかどうか、気になったのだ。
通信士官がホー・チ・ミンを呼び出しているのが聞こえてきた。
やがて、ホー・チ・ミンから返答がある。
だが、通信はそこまでだった。
どちらの声も聞こえなくなる。受信機からはノイズが流れてくるだけだ。コリンズには何が起きたかすぐにわかった。
「ECM(電子戦)だ」
コリンズは思わず大きな声を出していた。「近くに敵がいるぞ。索敵班、何をしていた」
ワッチルームの中がさらにあわただしくなった。
「赤外線センサー、レーザーセンサー、ともにネガティブです。パッシブレーダーはすでに使用不能」
「では、この妨害電波はどこから来る?」
コリンズ中尉は苛立《いらだ》った。
「わかりません」
引きつった部下の声が聞こえる。「位置を特定できません」
「何だ?」
コリンズは、ハーネスを外してシートから浮き上がり、索敵班のコンソールまで飛んだ。
「いったい、どういうことだ?」
「ほうぼうから電波が来ているみたいです。まるで囲まれているようです」
「ばかな。こっちは軌道上を巡航しているんだ。囲まれるはずがあるか」
火星から小惑星帯まで及ぶ長楕円軌道に乗る船は、惑星間の軌道に準じる高速度だ。海軍が巡航するという言葉を使うのは、軌道を維持する速度で等速度運動していることを意味している。
艦内にサイレンが鳴り渡った。
戦闘配備だ。
「全員、衝撃に備えろ」
コーデイ大佐の声が聞こえる。
コリンズ中尉はシートに戻ってハーネスをしめた。
「突撃艇に火を入れろ。海兵隊、出撃準備だ」
コーデイ大佐がそう命じる声が聞こえた。
海兵隊が出撃準備……?
コリンズは自問した。
戦闘が始まるというのか?
本当に戦闘が……。
ECMが始まっているのだから、すでに戦闘状態と考えるべきだった。だが、コリンズはそれを否定したかった。
彼は実戦を経験したことがない。多くの海軍士官がそうだ。地球連合海軍で実戦を経験したのは、強襲母艦のザオウ、ダイセツ、そしてアトランティスだけだ。
そのうちザオウはカリスト沖で沈んだ。
悪い予感が的中してしまった。
くそっ。偵察が任務だったはずだ。
コリンズは思った。
なんで、戦闘になど……。
「全砲門開け。ミサイル発射準備」
コーデイ大佐が次々と命令を発する。
そのとき、索敵班の一人が言った。
「移動する輝点を視認」
コリンズは、はっとその声のほうを見た。
「輝点? どこだ?」
「惑星軌道面上、十一時の方向。映像モニターに出します」
コリンズは、モニターを見上げた。
ロバート艦長も、コーデイ大佐も同様にそれを見つめている。
「どれだ……」
コーデイ大佐がうめくようにつぶやいた。無数の星が光り、にわかには判別できない。
「あれか……」
ロバート艦長が指差した。
たしかに、光の点が移動している。そして、その光は徐々に大きさを増しているように見える。
「熱源察知」
索敵班の一人がさらに報告した。
「映像モニター、最大望遠だ」
コーデイ大佐が命じた。
モニターの映像が何段階か切り替わる。ノイズだらけの不鮮明な画像となった。だが、光の点にしか見えなかったものの輪郭が捉えられるようになった。
再びコリンズがうめいた。
「ミラーシップ……」
コリンズは、その光景を信じられない気分で見ていた。ノイズの中に、たしかに丸い鏡のようなものが浮かんでいる。
「敵はどういう軌道で航行している?」
コーデイ大佐が尋ねた。
索敵班と航海士のコンピュータが連動されて敵の軌道を割り出しはじめた。
しばらくして、航海士が告げた。
「おそらくカリストからの楕円軌道です。こちらの軌道と瞬間的に交差します」
「軌道が交差する?」
コーデイ大佐が目を剥《む》いた。「軌道交差戦か? アトランティスが人類史上初めて行った戦闘だ。それを敵が挑んでくるというのか」
コリンズも同様の驚きを感じていた。
なんてやつらだ。やられたらやりかえすというわけか。
「軌道交差戦のデータを呼び出せ。すぐに本艦の戦術プログラムにインプットしろ。ヒュームス隊にもデータをインプットさせるんだ」
そうだ。
コリンズの気分は一瞬明るくなった。
アトランティスの戦闘記録はすでに参謀本部で細かく分析されて、それが標準の戦術データとして配備されているはずだ。
何も恐れることはない。
軌道交差戦は、もともと地球連合海軍が挑んだ作戦なのだ。
艦橋のコンピュータは忙しく稼働を始めた。その間も、ミラーシップの船影はどんどん大きくなってくる。
互いに準惑星間軌道の巡航速度で等速度運動をしている。その相対速度のすさまじさをものがたっている。
「いいか」
コーデイ大佐が誰にともなく言った。「勝負は一瞬だ。すれ違いざまに全砲撃とミサイルをぶちこむ。向こうはトリフネを展開しているはずだ。こっちも艦載機と海兵隊を並べて撃ちまくる」
コリンズは、昔見たサムライ映画を思い出した。サムライが二人剣を構えてじっと見つめ合っている。
二人が同時に斬りかかる。二人はすれ違う。やがて、片方がばったりと倒れるのだ。
言ってみればあのような戦いか……。
だが、それは頭の中の連想に過ぎない。実際は、射程距離が届く範囲で撃ち合いが行われる。おそらく、激しい戦闘が数分は続くだろう。
まずは、射程の長いミサイルの撃ち合い。それから、主砲の撃ち合いとなる。大きな相対速度ですれ違うために紫外線レーザー砲の主砲はあまり役に立たないかもしれない。
光線を一点に集中し続けることができないからだ。
さらに近づくと、展開しているトリフネとヒュームスや艦載機の撃ち合いとなる。
アトランティスに所属している海兵隊は、トリフネとのドッグファイトも経験したという。
航法コンピュータが敵との接触までの時間をはじき出し、カウントダウンを始めた。あと一時間二十三分四十五秒後に最接近する。
艦橋のあらゆるコンピュータが稼働している。オペレーターは、あわただしくデータの出し入れをしていた。
コリンズは、任務に集中しようとした。ロングビーチの眼となり耳となるのだ。
じりじりとした時間が過ぎていく。
今はもう、背中の悪寒も感じない。漠然とした予感が今は、はっきりとした現実となって迫ってきている。
すでに、映像モニターは、望遠ではなく標準に切り替えられている。それでも、敵の巨大戦艦を視認できるようになっていた。
航法コンピュータのカウントダウンに従い、戦術コンピュータが戦闘シークエンスを伝える。
それを見てコーデイ大佐が命令を下す。
「ミサイル第一波、行くぞ」
担当官たちが、発射ボタンの上にある透明なプラスチックのカバーを次々と開けていく。
「ミサイル発射」
ついに、戦いの火蓋が切られた。
コリンズは、映像モニターを見上げた。
ミサイルが吐き出す固形燃料のガスだけが見える。ミサイル群は高速で飛び去っていく。
「赤外線モニターに反応。無数の熱源。ミサイルが来ます」
索敵班の声。
「うろたえるな。ミサイル迎撃システムがある」
コーデイ大佐が大声で言う。
次の瞬間、映像モニターに光の球が次々と浮かび上がった。
レーザー探知によるミサイル迎撃システムが、敵のミサイルを撃ち落としているのだ。
艦内に衝撃が走った。
固定されていなかった兵士の私物が艦橋内を漂う。ボールペンやメモの類《たぐい》だ。
「くそっ。一発食らった」
コーデイ大佐がうめいた。
そのとき、ロバート艦長が口を開いた。
「なんの、ミサイルの一発くらいで、この船が沈むものか」
その一言で気を取り直した様子のコーデイ大佐が言った。
「ミサイル第二波、発射。主砲、撃て」
再び、映像モニターに固形燃料のガスの筋がいくつも映し出される。ミサイル本体は見えない。
かすかな唸りが艦内に響く。重力ブロックの外壁にある円蓋型のアレイから紫外線レーザー光線の主砲が発射されているのだ。
レーザー光線の主砲は、可視光ではないので、モニターには映らない。
敵の第二波ミサイルも飛来する。迎撃システムと、レーザー主砲により、敵のミサイルも次々と火の球と化す。
再び艦内に衝撃が伝わった。
「Dブロック破損」
誰かが告げた。「エアロック閉鎖します」
「貨物をやられたか……」
ロバート艦長がつぶやいた。「まだまだ。生きて帰れるだけの備蓄はある」
続いてコーデイの声が響いた。
「突撃艇、発進だ。海兵隊、頼むぞ」
映像モニターの中に、突撃艇がゆっくりと進んでいく姿が映し出される。
突撃艇から、ヒュームスM1−S1テュール三機が展開した。
テュールは計六機でロングビーチの前方を固めている。敵のミラーシップはどんどん大きく見えてくる。
かすかな太陽光を反射するミラーシップを背景に黒い点が見えた。トリフネだ。
コリンズの眼は映像モニターに釘付けになっていた。
曳光弾《えいこうだん》が見える。
テュールとトリフネの撃ち合いが始まったのだ。
またどこかに被弾したらしく、艦に衝撃が伝わる。
この戦いはどうなるんだ。
コリンズは、神に祈った。
生きて帰りたい。もう一度、妻とエディーとマイケルに会いたい……。
2
火星衛星軌道上
ベース・バースーム
透明なショットグラスに、琥珀《こはく》色の液体が半分ほど満たされている。その表面がかすかに揺れている。
ショットグラスはカウンターに置かれている。ビールのジョッキを勢いよく下ろしたり、話の勢いで誰かがカウンターを叩くたびに、その震動が伝わって、ショットグラスの中のウイスキーが揺れるのだ。
ショットグラスの中の揺れるウイスキー。
それは、重力を物語っている。
エドワード・カーター大尉は、ショットグラスを見つめて思っていた。陸地というのはいいものだ。
それが、ここベース・バースームのような人工の島であっても。
明日はまた、訓練ミッションで船に乗り込む。
カーターが率いる第一小隊が所属している艦は、強襲母艦「ニューヨーク級」と呼ばれる地球連合軍最大の船だ。艦名はアトランティス。
史上最大のスペースシップであり、地球連合で初めて核融合パルスエンジンを搭載している。それは、地球連合軍の他のいかなる艦にも追随を許さない行動半径を物語っている。
作戦行動可能時間は、千二百時間にも及ぶ。非戦闘時の巡航であれば、三ヵ月の航行も可能だ。単独の船としては、これもスペースシップの歴史を塗り替えるものだ。
海兵隊二個小隊と艦載機四機を同時に積み込むことができる。
通常の海兵隊一個小隊は、突撃艇二隻、M1−S1テュール六機、M2クロノス三機で構成されている。
テュールは、突撃艇と命綱を兼ねるコードでつながれているが、M2クロノスは、その呪縛から解き放たれ、宇宙空間を単独で泳げるヒュームスだ。
カーターの率いるアトランティス所属海兵隊第一小隊も、通常の編成だったが、三ヵ月ほど前から事情が変わった。
カリスト沖海戦で失われたクロノスに代わり、最新鋭のプロトタイプ機であるXM3ギガース一機が配備されたのだ。
テュールからクロノスへの進歩も画期的だった。空軍の連中に操り人形と揶揄《やゆ》されていたヒュームスが、突撃艇なしで行動できるようになったのだ。
それは、海兵隊の存在を一気に大きなものにした。カーターはその瞬間の誇らしさを今でもはっきり覚えている。
突撃艇からのコードなしで、宇宙《うみ》にダイブし、自由に軌道内を泳いだときは感動に震えたものだ。
しかし、XM3ギガースの投入はさらに画期的だった。それは衝撃そのものだった。
カーターは思う。
クロノスの投入により、海兵隊は宇宙《うみ》でようやく泳ぐことができるようになった。
だが、ギガースは、軌道内を飛び回るのだ。
クロノスが水槽の中の熱帯魚だとしたら、ギガースはトビウオだった。
カーターは、ショットグラスの中身を一気に飲み干した。
ギガースのことを考えると、どうにも落ち着かない気分になる。その理由は自分でもよくわからない。
ギガースがカーターの第一小隊に配属されたのは、間違いなく幸運だ。たった一機のギガースにより、第一小隊の戦力は格段にアップしたのだ。
俺は悔しいのかもしれない。
これまでクロノスに乗ることが誇りだった。その誇りを失ってしまった気分だった。ギガースは間違いなく、クロノスを時代遅れにしてしまったのだ。
おそらく、俺は、小隊長という立場とヒュームスドライバーという立場の狭間にいるのだ。
カーターはそう思った。
どちらかに徹するべきだ。さらにいえば、小隊長に徹するべきなのだ。
それはわかっている。だが、ヒュームスドライバーのこだわりも捨てることはできない。
カーターは、バーテンダーを指で呼び、ウイスキーをもう一杯、ショットグラスに注いでもらった。
今夜の最後の一杯だ。
カーターは、それを勢いよく飲み干した。
明日の訓練ミッションは、第二小隊との模擬戦だ。
いいだろう。明日の模擬戦は、第一小隊がいただく。ギガースの機動力には及ぶべくもないが、俺だってクロノスのスペックを最大限に引き出してみせる。戦闘は機体の性能だけじゃない。
カーターは、カウンターを拳で二度叩き、馴染みのバーテンダーに別れを告げて、居住区に引き上げることにした。
火星衛星軌道上
小隊は三分隊で編成されている。
カーターが率いる分隊は、チーム・グリーンと呼ばれている。クロノス二機にギガースが一機だ。
チーム・イエローとチーム・レッドには、それぞれ突撃艇一隻とテュール三機がいる。
「ホセ機、いいか?」
カーターは、クロノスのコクピットからチーム・グリーンの一員であるホセ・オルティス少尉に呼びかけた。
「ウォーク・イン・ザ・パーク、でさあ」
陽気なホセの声が返ってくる。
「リーナ機?」
カーターは、チーム・グリーンのもう一人のメンバーであるリーナ・ショーン・ミズキ少尉に呼びかけた。ギガースのドライバーだ。
「レディー・サー」
若々しい女性の声が返ってくる。
殊勝な返答を……。
カーターは思う。
リーナ・ショーン・ミズキは海兵隊では少尉だ。だが、実は、彼女は海軍少佐の階級を持っている。それは軍機扱いになっている。
彼女は海軍情報部から来た特別な存在なのだ。
心臓が高鳴り、少し息苦しい。
カリスト沖海戦で仲間のサムを失ってから、宇宙《うみ》に出るのが恐ろしかった。今では、それを克服《こくふく》したと思っているが、まだ少しばかり恐怖症の影響が残っている。カーターは深呼吸してから言った。
「出るぞ。ダイブだ」
カーターは、カタパルトでヒュームスがゆっくりと押し出されるGを感じる。
正面のハッチからのぞく星の海がみるみる迫ってくる。次の瞬間、Gが消失してクロノスがふわりと宇宙《うみ》に浮かぶのを感じる。
腕と脚を動かして姿勢を制御する。
モーメンタル・コントロールと呼ばれる逆トルクを利用する姿勢制御法だ。腕と脚を持つヒュームスだからこそ可能な制御法だった。
すべての宇宙船は、姿勢制御に推進剤を使用しなければならない。だが、推進剤は貴重だ。推進剤が行動時間を規制するのだ。
そのために、ベテランのヒュームスドライバーは例外なくモーメンタル・コントロールを心得ている。
カーターは、コクピット内の前後左右と上方にある映像モニターを見回した。
背後からホセのクロノスとリーナのギガースがゆっくりと近づいてくる。
ギガースは、純白の洗練された機体の背に大きな羽根を持っている。その羽根が誇らしげに見える。
クロノスは腕と脚を使ってモーメンタル・コントロールをしなければならないが、ギガースは、その大きな羽根を使って易々とやってのける。
しかも、カーターはまだ見たことはないが、その羽根は、大気圏内では航空機の翼の働きもするという。
チーム・グリーンに続いてチーム・イエローの突撃艇が出てきた。
カーターは、チーム・イエローに呼びかける。
「リトル・ジョー」
「突撃艇、リトル・ジョー、異常なし」
マイク・リトル・ジョーは、アフリカ系アメリカ人の巨漢だ。
「カウボーイ」
分隊長のロン・シルバー中尉のあだ名だ。
「いつでも来いだ」
「アラン」
アラン・ド・ミリュウ少尉は、フランス系でおそろしく時代がかった英語をしゃべる。本当はフランス語しか話したくないに違いない。
「準備万端」
「リュウ」
リュウ・シャオロンは中国系で、孫子の兵法をモットーとしている。
「異常なし」
カーターは、チーム・レッドの突撃艇がダイブしたのを確認した。
「ケン、ゴールを守れよ」
突撃艇のパイロットであるケン・オダ中尉は日系だ。冷静沈着で小隊の最後尾を任せるに足る男だ。
「システム、すべてグリーンです」
「サムライ」
同じく日系のカズ・オオトリ中尉のあだ名だった。カズ・オオトリはチーム・レッドの分隊長だ。
「異常なし」
「チコ」
チコ・ドミンゲス少尉はラテンアメリカ系。陽気さでは、チーム・グリーンのホセと一二を争う。
「あいよ。問題なし」
「パット」
パット・ハミルトン少尉は、アメリカ人にしては生真面目な男だ。
「オール・グリーン」
カーターは、うなずいた。
「第二小隊のやつらは、アトランティスの向こう側に展開する。第一小隊の実力を見せてやれ」
それぞれの力強い返答がある。
じきにECMで無線による通信ができなくなる。全員がそれを心得ている。無線交信ができなくても意志の疎通《そつう》ができるようにヒュームスの身振りによる合図が決められている。
手足を持つヒュームスならではのコミュニケーションだ。
無線が沈黙した。アトランティスがECMを開始したのだ。それが戦闘開始の合図だった。
カーターは、一瞬だけメインスラスターを噴かした。
同時に、ホセのクロノスとリーナのギガースも移動する。チーム・グリーンが最前線に立って索敵する。
いきなり曳光弾が飛んできた。
第二小隊のクロノス隊が発砲してきたのだ。カーターは慌《あわ》てなかった。さきほどのメインスラスターのワンショットによる慣性移動に身を任せている。
第二小隊のクロノス隊が前方に見えた。
互いに距離を取って展開している。曳光弾を撃っているのはやつらだった。
カーターは、メインスラスターを再び一瞬だけ噴かして前方に出る。
脚の方向に赤い火星が、前方にアトランティスが見えている。第二小隊は、アトランティスの向こう側にいる。
現在、カーターたちは、アトランティスとともに軌道上を等速度運動している。こういう場合、感覚としては静止しているのと変わらない。互いの相対速度だけが問題になるのだ。
どちらかのチームが、最後尾にいるチーム・レッドを制圧したら、勝負が決まる。
チーム・レッドは、常に母艦を守る最終ラインだ。チーム・レッドが制圧されるということは、艦を守ることができなくなるということだ。
敵のクロノスは、さらに大きく展開していく。その後ろに、突撃艇が見えた。まだテュールを積み込んだままだ。
「ふん。連中の狙いはギガースか……」
カーターは、第二小隊の動きを見てつぶやいた。
誰もがギガースを気にしている。
海軍にたった一機しか存在しない怪物のようなスペックを持つ最新鋭機。気にならないほうがどうかしているというものだ。
ならば、ギガースには囮《おとり》になってもらおう。敵のチーム・レッドを制圧したほうが勝ちなのだ。
敵のクロノスが回り込んでくる。
「させるかよ」
カーターは、二十ミリ無反動機関砲から模擬弾を発射した。模擬弾には五発に一発の割合で曳光弾が混じっている。
敵のクロノスが撃ち返してくる。
カーターは腰にあるスラスターからガスを吹き出し、横に移動した。機体のすぐ脇を曳光弾が通り過ぎていく。
カーターは撃ち返した。当たった。
相手のクロノスの装甲に相当の被害を与えたはずだ。
ECMのない状態での訓練なら、母艦の戦術コンピュータが被害状況をモニターしており、被害率によって状況離脱を命じられる。
今回は、同様のシステムが各機体のコンピュータに組み込まれていた。おのおののコンピュータが被害状況をモニターし、自ら状況離脱を決定するのだ。
クロノスには、ムーサと呼ばれるオペレーティング・システムがインストールされている。これは、ヒュームス用の最新のOSだったが、ギガースには、ムーサの最新バージョンがインストールされているようだ。
敵のクロノスが引いた。
母艦に引き上げていく。カーターの模擬弾が命中し、戦闘不能の被害を受けたと向こうのムーサが判断したのだ。
敵の突撃艇が前進してきた。テュールを展開するタイミングを計ってやがる。
カーターは悟った。
突然、コクピット内に警戒音が鳴った。
「なに……?」
カーターは四方のモニターを見回した。ミサイル・ロックオンの警戒音だ。敵にロックオンされたのだ。
五秒以内に振り切るか、ロックオンしている敵を倒さなければ、状況離脱となる。
「ええい、くそっ」
カーターは、メインスラスターを目一杯噴かした。強力なGがかかる。血液がすべて背中のほうに押しやられたように感じられる。
危険な加速であることは承知の上だ。だが、カーターはムーサを信じることにしていた。以前、リーナに言われたことがある。
ムーサはドライバーを助けるためにありとあらゆる努力をしてくれるのだという。
急激な加速でも相手のロックオンを振り切れない。あと一秒でムーサは状況離脱を宣言するだろう。
カーターは、さらに肩と腰のスラスターを噴かした。それで横方向のベクトルを加える。カーターのクロノスは斜めに押し出された。
ふいに警戒音が止まった。
振り切ったか?
カーターは、周囲を見回した。
いきなり、視界を斜めに横切った白い影があった。その信じがたい機動性でわかる。ギガースだ。
リーナのギガースは、カーターの前に出ていた。突撃艇が後退する。
そうか。
カーターは悟った。
リーナは、カーターがミサイルの回避行動を取っているのを見て取り、ロックオンしていた敵の突撃艇に攻撃を加えたのだ。
おかげでロックオンを振り切れたのだ。
背後を見ると、チーム・イエローもチーム・レッドもテュールを展開している。
いったん後退した敵の突撃艇もテュールを展開した。本格的なドッグファイトが始まる。カリスト沖海戦とアストロイド・ベルト軌道交差戦を経験した海軍は、このところ特にヒュームスのドッグファイトの訓練に力を入れるようになってきた。
それまで、ヒュームスは、敵艦や敵の宇宙ステーション、コロニーといった施設に上陸、潜入するのが任務と考えられていた。
もともとヒュームスは、作業用のマシンとして開発されたのだ。
だが、二度の海戦でヒュームスがドッグファイトを演じたことが高く評価されたようだ。さらに、ギガースの投入も大きな要因だろう。たしかに、ギガースはこれまでのヒュームスの運用を根底から覆すほどの機動性を持っている。
これまで、宇宙空間での機動性は、空間エアフォースの戦闘機にはとうていかなわないと言われてきた。だが、ギガースは間違いなく、空間エアフォースの戦闘機をしのぐ機動性を持っている。
突然、さまざまな声が耳に飛び込んできて、カーターは驚いた。無線が回復したのだ。
アトランティスがECMを解除したらしい。
どういうことだ?
カーターは、訝《いぶか》った。
まだ、訓練の最中だぞ。
アトランティスの方向で、赤い光の球が膨らんだ。照明弾だ。帰投命令を意味する。
帰投だと?
アトランティスの作戦司令、エリオット大佐の声が聞こえてきた。
「本日の状況中止。繰り返す、本日の状況中止。全員、ただちに帰投せよ」
戦いはこれからというところだった。
だが、帰投命令とあればただちに従わなければならない。
コクピット内にまた警戒音が轟《とどろ》いた。ロックオンの警戒音とは違う。カーター機は、ミサイルからの回避行動を取ったときから、加速したままの速度で、ずっと等速度運動を続けていたのだ。
火星の周回軌道から外れようとしている。軌道離脱警戒を知らせるアラームだ。
「おっと。潮の流れから逸《そ》れたら、船に戻れなくなる」
カーターはつぶやいた。
ただちにムーサが、軌道離脱防止プログラムを開始する。このプログラムは最優先だ。カーターは操縦装置から手を離して、ムーサに任せることにした。
不安は感じていない。
いいぞ。
カーターは自分自身の心理状態に満足だった。一時期、軌道離脱が悪夢のように恐ろしかった。
俺はどうやら、ようやく元通りになれたようだ。
ムーサが自動的にクロノスの姿勢を制御して安全なコースを確保する。カーターは、軌道離脱の警戒音が止むと、操縦装置に手を戻し、メインスラスターを噴かしてアトランティスに向かった。
3
火星衛星軌道上
強襲空母アトランティス
アトランティスに戻ると、カーターはすぐに艦橋に呼ばれた。第二小隊の小隊長や艦載機の小隊長もいっしょだった。
「女の尻を狙っていたな?」
カーターは第二小隊の小隊長に、艦橋の出入り口でささやきかけた。第二小隊の小隊長は、フランク・キャラハンという名の、生粋のアイルランド人だ。
百七十センチそこそこしかないが、敵に回すとやっかいなやつだ。
キャラハン大尉は、アイルランド人にしかできない皮肉な笑いを浮かべて言った。
「女の尻に敷かれているよりはましだろう」
艦橋では、エリオット作戦司令とクリーゲル艦長が小隊長たちを待ち受けていた。
小隊長たちが出頭の申告を済ませると、エリオット大佐が言った。
「訓練を中止した理由を知らせようと思って、来てもらった」
カーターは、まっすぐ前を見て、エリオットの次の言葉を待った。
「偵察任務に出ていた、巡洋艦のロングビーチとホー・チ・ミンが消息を絶った」
ロングビーチとホー・チ・ミンといえば、アトランティスが軌道交差戦をやったときにダイセツが乗っていたのと同じ軌道を、今回航行していたはずだ。
エリオット大佐の説明はさらに続いた。
「最後のロングビーチ及び、ホー・チ・ミンからの連絡によると、敵のミラーシップと戦闘状態に入ったということだ。ミラーシップは軌道交差戦を挑んできたらしい」
カーターとキャラハンは思わず顔を見合わせていた。
「言いたいことはわかる」
エリオット大佐が言った。「我々が人類の戦史上初めて軌道交差戦を行った。今度は敵がそれを挑んできたというわけだ。軌道交差戦など、すでに我々の専売特許ではない。しかも、消息が途絶える前までの報告データを検証すると、ロングビーチとホー・チ・ミンは、軌道上において突然ECMを受けたという。それも、四方八方から妨害電波がやってきたようだったという。これがどういうことかわかるか、カーター大尉」
突然、指名されたが、カーターは慌てなかった。
「すでに、小惑星のいくつかにECMを行えるような無人の基地があると考えられます」
エリオット大佐はうなずいた。青い冷静な眼でカーターを見つめた。
「そういうことだ。参謀本部では、偵察隊が壊滅したものと見ている。その後のミラーシップの動きはまだ捉えられていない。もしかしたら、軌道交差戦の後にすぐに補給を終え、火星圏に向かっているかもしれない。木星のやつらの最終的な狙いは、地球圏を叩くことだろう。そのためには、おそらく火星の引力を利用して、減速のためのスイングバイをするはずだ。あるいは、火星圏そのものを叩こうとするかもしれない。やつらが、火星を手に入れれば、地球連合軍はおおいに窮地に立たされる」
エリオット大佐が説明していることは、兵士なら誰でも理解している。エリオット大佐は確認をしているに過ぎない。
「それに備えるために、アトランティスに待機命令が下った。訓練を中止した理由はそれだ。これから、アトランティスは、火星の周回軌道を回りながら戦いに備える。いまのうちに兵士を休ませておけ」
「了解しました」
カーターたちは声をそろえた。
エリオットは、クリーゲル艦長の顔を見た。何か一言あるかと無言で尋ねたのだ。クリーゲル艦長は、カーターに言った。
「話がある。私の部屋に来てくれ」
カーターはあまりいい気分ではなかった。前回、艦長の部屋に呼ばれたときには、ギガースの配属を告げられた。ギガースが配備されたことはありがたいが、問題はそのドライバーだった。
リーナは、第一小隊に波紋を投げかけた。今では、隊員たちはなんとかリーナを受け容れているが、それまでにカーターはずいぶんと苦労を味わった。
その記憶がまだ新しい。
ほかの小隊長たちは、敬礼をして艦橋を出ていった。
クリーゲル艦長が彼の船室に向かった。それにエリオット大佐が続いた。カーターは、黙ってそれについていくしかなかった。
*
艦長の船室は、兵士の居住区と同様に重力ブロックにある。巨大な戦艦であり、航続時間が長いニューヨーク級強襲母艦は、船体の一部を回転させることによって〇・三三Gの重力を作り出している。
無重量状態の艦橋から重力ブロックの船室にやってくると、カーターはほっとした気分になった。
やはり、人間にとって重力というのはありがたい。
しかも、クリーゲル艦長の部屋は居心地がよかった。昔の海の男の部屋を思わせる。舵輪や浮き輪の飾り物があり、さっぱりとしているが殺風景ではない。
温かい青い眼をしたクリーゲル提督は、間違いなく海の男だとカーターは思っていた。
部屋の居心地はいいが、緊張していた。
クリーゲル艦長は、デスクの向こうの椅子にゆったりと腰を下ろした。
「まあ、かけてくれ」
艦長は、エリオットとカーターに言った。
カーターはどうしていいかわからず、エリオットの顔を見た。エリオットは、かすかに肩をすくめ、脇にあった革張りのソファに浅く腰かけた。
カーターもそれに従うことにした。
二人が腰かけると、クリーゲル艦長はカーターの顔を見て言った。
「第一小隊には、ちょっと損な役回りを演じてもらわなければならない」
もったいぶった言い方だ。カーターは黙って艦長の顔を見つめていた。
「積極的に敵戦闘機と接触させろと、海軍司令部が言ってきた。理由はわかるな」
「ミズキ少佐ですね」
「そうだ。トリフネと呼ばれる敵の戦闘機の管制システムがまだ解明されていない。ミズキ少佐は、その切り札だそうだ。敵の戦闘機と出会う機会が多ければ多いほど、ミズキ少佐がその管制システムを解明するチャンスが増えるというわけだ。つまり、第一小隊は、常に危険にさらされるわけだ」
リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐は、サイバーテレパスだ。コンピュータなどの高度な電子機器にきわめて敏感に反応する能力を持っているといわれている。
もともとサイバーテレパスなどというのは、技術屋たちの間の伝説に過ぎないと思っていた。だが、たしかにリーナは、カーターのクロノスのムーサとインターフェイスなしでアクセスしたことがある。
いや、アクセスというより、心を通わせたと言ったほうがぴったりくるかもしれない。今や、リーナがサイバーテレパスであることを認めざるを得なかった。
リーナが十九歳という若さで、海軍情報部所属の少佐であるという事実が、その話にさらに現実味を与えている。
海軍情報部には、古くから超常能力を研究する部署があるらしい。リーナはそこでモルモットにされていたことがあると、カーターに語った。
「問題ありません」
カーターはこたえた。「それが海兵隊の任務です」
エリオットが溜め息をついてから言った。
「いや、本来は海兵隊の任務ではない。ドッグファイトは空間エアフォースの戦闘機の役割だ」
「しかし、戦況や兵器の開発により、役割も変わります。トリフネとの戦いはドッグファイトであり、白兵戦でもあります。白兵戦ならば、我々海兵隊の役割です」
「そう言ってくれると、頼もしい」
クリーゲル艦長が言った。「さて、今話題に出た空間エアフォースの戦闘機だが、じきに本艦にやってくる」
カーターは戸惑った。
「どういうことでありますか?」
「当初は、ダイセツの救援に向かう前に本艦に配属になるはずだった。だが、あの戦闘で時期がちょっと延びた。さらに、エアフォース側の事情もある。どうやら、新型が配備されるのは、海兵隊だけではないらしい」
ベース・バースームにロシア系らしい空軍のパイロットたちがいるという噂《うわさ》は耳にしていた。
だが、正式に説明を受けたのはこれが初めてだった。
「空軍の戦闘機が海軍の船に配備されるのですか?」
カーターはそれをどうとらえていいかわからなかった。
「そうだ。艦載機の代わりに空軍の戦闘機を積み込む。すでに、海軍の艦載機はあまり実戦的ではないという見方が優位を占めている。機動性に乏しいのだ。従来は安価で実用的と考えられていた艦載機だが、実戦でそうでないことが証明された。なにせ、人類は、あのカリスト沖海戦まで、宇宙での戦争を経験したことがなかったのだ。次々と新しい事実に直面しつつある。それが今の我々だ」
「しかし、指揮系統は……」
「船にいる限り、誰であろうと私の命令に従ってもらう」
カーターは、空軍のロシア野郎どもが、海軍の船の指揮下に入ると聞いて、ちょっとだけいい気分になった。
「オージェ・ナザーロフの名は知っているか?」
エリオット大佐がカーターに尋ねた。
「知っています。ノブゴロド空軍基地のエースパイロットですね」
「わがアトランティスにやってくるのは、彼の部隊だ」
いい気分がたちまち吹き飛んだ。エースパイロットの部隊ともなると、人一倍プライドが高いに違いない。しかも、彼らはロシア人だ。
アメリカ風の海軍には馴染まないだろう。海兵隊員ともめ事を起こすかもしれない。
クリーゲル艦長とエリオット大佐は、カーターになんとかしろと言っているのだ。
こっちは、あのギガース乗りのお嬢さん一人でももてあましているというのに……。
「ベース・バースームにオージェ・ナザーロフ用の最新鋭機が届くそうだ」
クリーゲル艦長が言った。「そのテスト飛行を終えるとすぐに、彼らはわが艦にやってくる。アトランティスは、海軍最強の船となる」
「喜ばしいことであります」
カーターは言った。
クリーゲル艦長は、口調を変えた。
「苦労をかけるな、エドワード」
親しみを込めた口調で、カーターのファーストネームを呼んだ。
カーターはかえって恐縮してしまった。
「空軍の配属はいつですか?」
「一週間後だ。隊員たちに、言い聞かせておいてくれ。空間エアフォースは敵ではない。敵は、木星にいる」
「了解しました」
そうこたえるしかなかった。
火星衛星軌道上
ベース・バースーム
「いつまでこんなところでくすぶっていりゃいいんだ」
気むずかしやのアレキサンドル中尉が言った。鼻の下にもじゃもじゃとした髭《ひげ》を蓄えている。
「休暇だと思えばいい」
低い冷静沈着な声で、苛立った様子のアレキサンドルをたしなめたのは、同じ中尉のユーリだった。
ユーリはいつも、思索しているように眉にかすかに皺を刻んでいる。ロシアの哲学者のようだ。
オージェは、無言でふたりのやりとりを聞いていた。
アレキサンドルは、昼間から酒を飲んでいた。ベース・バースームのバーには、本物のウォッカがないと、いつもこぼしている。
オージェの僚機に乗る生真面目なミハイルも、アレキサンドルの僚機に乗る若いワシリイも暇をもてあましている様子だ。
彼らは、滞在中にあてがわれたリクリエーションルームに集まっていた。
「隊長」
アレキサンドルがオージェに言った。「例のチトフ大佐からのプレゼントってのは、いつ届くんです?」
だだをこねたり、おもちゃが待ち遠しくたまらないと言ったり……。まるで、子供だな。
オージェはそう思って、ほほえんだ。
「もう届く頃だ。輸送船が海賊に襲われていなければな」
「海賊ならまた返り討ちにしてやるんだがな……」
若いセルゲイ少尉が言った。
「海賊といえば、あの海賊退治のときのヒュームス……。あれが、海兵隊の新兵器なんでしょう?」
アレキサンドルが不機嫌そうに言った。
「それがどうした?」
「すごい機動性でしたよ。あれがヒュームスなんて信じられない」
「ふん。所詮、人形は人形だ。船の回りでしか動けないんだ」
アレキサンドルが吐き捨てるように言うと、ユーリの静かな声がした。
「我々だって、基地からそう遠くへは行けない。あのヒュームスは、おそらく我々の戦闘機並みの機動力と行動半径があるように思う」
「ユーリ。おまえ、どっちの味方なんだ?」
「頭を冷やせよ。海軍は敵じゃない。敵は木星のテロリストだ」
「空軍の戦闘機が、人形ごときに後れをとるなんざ、聞き捨てならねえな」
「おまえの言う人形たちは、木星のトリフネという戦闘機と戦った経験がある。だが、我々はまだ実際にはトリフネを見たこともない」
「心配性だな。わがエースパイロットは、木星野郎どもの船を何隻も落としている」
「だが、それは密《ひそ》かに潜入を試みたスペースシップに過ぎない。トリフネとの戦闘は別だ」
「びびってんのか、ユーリ。トリフネのデータはすでに空軍にも届いている。シミュレーションは万全だ」
「シミュレーションと実戦は違う」
オージェは、ユーリの言うことに分があるように思えた。
新型戦闘機の配備は、もっとずっと先になる予定だった。それが繰り上がったのは、空軍上層部のあせりを物語っているように思える。
しかも、やってくるのは一機だけ。それは空軍のやり方ではない。あきらかに、ギガースと呼ばれる新型ヒュームスの投入を意識してのことだ。
本来戦闘機の配備というのは、同型機を何機か投入するものだ。編隊を組んで行動するからだ。
予算の都合だろう。あるいは、工程の問題かもしれない。この時期には一機を間に合わせるのがやっとだったのだ。
アレキサンドルとユーリの議論はまだ続きそうな気配だった。それに終止符を打ったのは、若い海兵隊員の伝令だった。
「失礼します」
リクリエーションルームの戸口で気をつけをした海兵隊員が声をかけた。
「何だ?」
オージェの代わりに、アレキサンドルが無愛想に言う。海兵隊員を睨《にら》みつけていた。
「オージェ・ナザーロフ大尉に、司令部からの伝言です。ただちに、港へ来ていただきたいとのことです」
「港へ……?」
「空軍司令部から荷物が届いているとのことです」
「わかった」
海兵隊員は、即座に戸口から消えた。まるで、空軍の兵士を恐れているようだとオージェは思った。
「ついに来ましたね」
アレキサンドルがうれしそうな顔で言った。「いっしょに行ってもよろしいですか、隊長」
オージェはほほえんだ。
「ここでおとなしくしていろと言っても、きくまい」
オージェの要撃隊員たちは、それを聞くと、すぐさま立ち上がった。
*
ベース・バースームの港と呼ばれる区画は、スペース・コロニーの回転軸の部分にある。そこは、無重量状態で、与圧されていない地域もあるので、立ち入るときには宇宙服の着用が義務づけられていた。
オージェたち、空軍要撃部隊は、パイロット・スーツを着て行った。戦闘機のパイロット・スーツは、れっきとした宇宙服だ。
ベース・バースームの港は海軍によって管理されている。オージェはゲートごとに係官のチェックを受けた。
「やつら、空軍のパイロット・スーツを目のかたきにしてるようですね」
アレキサンドルが言った。
「気にするな」
オージェはほほえみを浮かべていた。「よそ者は気になるものだ」
オージェが向かった区画は、空軍によって封鎖されていた。ノブゴロド空軍基地からやってきた士官たちだ。
技術士官の姿も見える。彼らは、海軍のやつらには、新型機に指一本触れさせまいと考えているようだった。
「オージェ・ナザーロフ」
ヘルメットの中で、聞き慣れた声がした。士官の一人がほほえみながら近づいてきた。無重量に慣れている。ふわふわと漂いながら、やってきて、オージェの前で着地した。靴の底に磁石がついており、それで直立したのだ。カザルスキー中佐だった。
オージェと、彼の要撃部隊の隊員たちは、同様に靴底の磁石を足方向にある壁面に押しつけ、気をつけをした。
オージェが敬礼をすると、隊員たちもそれにならった。カザルスキー中佐は、几帳面に返礼した。
「もっと早く来るつもりだったが、調整が遅れた」
カザルスキー中佐は、体を捻《ひね》って後方を振り返った。「待たせたな。あれだ」
カザルスキー中佐の背後には、まだ銀色のシートをかぶった機体があった。
オージェは、血が騒ぐのを感じた。
私もアレキサンドルのことは言えないな……。
カザルスキー中佐が手で合図すると、空軍のメカニックたちがふわふわと宙を漂いながら、銀色のシートを外していった。
中から、純白の真新しい機体が現れた。表面は、陶磁器のようにつやつやと光っている。一回り大きいが、形は、これまで乗っていた Mig-105bis ズヴェズダとあまり違わない。
だが、その新型機には、ズヴェズダには見られない顕著《けんちょ》な特徴があった。コクピットの円蓋《えんがい》がない。
ズヴェズダには、宇宙線をカットする偏光ガラスの円蓋がついていた。それにより、パイロットは、周囲を見回すことができる。
隊員たちもそれに気づいたようだ。こそこそと話し合っている声が、ヘルメットに内蔵された通信装置から聞こえてきた。
カザルスキー中佐は言った。
「この新型機には、海兵隊員が乗るヒュームスのモニター技術が流用されている。クロノスや、新型のギガースに使われている技術だ」
「ヒュームスの技術ですって……」
アレキサンドルの声がした。「昔からパイロットは、自分の眼で敵を発見するんです。操り人形の真似をする必要がどこにあります」
カザルスキー中佐は、言った。
「その声は、アレキサンドル中尉だな?」
「そうであります」
「それは、おそらく皆を代表した意見だと思う。しかしな、戦局を考えると、これは必要な措置だ。この新型機は、Su-107S という型番で呼ばれる。通称は、ツィクロン」
「Su……? つまりスホーイ……。ミグではないのですか?」
そう尋ねたのもアレキサンドルだった。
「そうだ。つまり、ズヴェズダとはちょっと違う運用を前提に作られている。まず、最大航続時間は、ズヴェズダより少し短くなり、十時間となった。ヒュームスの技術が流用されているのは、モニター装置だけではない。航法コンピュータに、ヒュームス並みの強力な軌道離脱防止プログラムがインストールされた」
「何でそんなものが……」
アレキサンドルが言った。「自分らは、この腕で戦闘機を操るのが誇りなんです。軌道離脱アラームなら、今までのもので充分ですよ。あとはこの腕でなんとかします。戦闘機にはそれだけの推力が保証されている」
ヘルメットの中のカザルスキー中佐の顔に、淋しげなほほえみが見て取れた。
「オージェ・ナザーロフ」
親しみを込めた言い方で、カザルスキー中佐が呼びかけた。「君も、アレキサンドルと同意見かね?」
「自分もパイロットの誇りは大切にしたいと思います」
オージェはこたえた。「しかし、軍の方針には従わなければなりません」
「このツィクロンをどう思うね?」
「航続時間が短くなり、ヒュームスのモニターと軌道離脱防止プログラムが組み込まれた……。このことから考えて、これは艦載機と考えてよいのではないかと思います」
「そのとおりだ。今まで空軍は、月や地球の周回軌道上で、基地から出発して基地に戻ることを前提としていた。だが、海軍の強襲母艦が、敵の戦闘機と接触したことから事態は変わった。現存するヒュームスだけでは、敵の戦闘機の機動力に対処できない。当面の打開策として、空軍機を強襲母艦に載せることにした。統合参謀本部の方針だ。君たちは、その最初のケースとなる」
「ツィクロンのモニターシステムは、パイロットを守るためなのですね」
オージェは質問した。
「そのとおりだ。木星圏のすさまじい放射能と磁場の影響からパイロットを守るために、コクピット全体を強固な防護壁で囲んだ。そのために視認性を犠牲にしなければならなかった。ヒュームスのモニターは、前後左右、そして上方にディスプレイがある。ターゲットスコープなどの戦闘データは、すべてそのディスプレイに映し出される。慣れれば、今までのヘッドアップディスプレイと変わらない感覚で使えるだろう」
アレキサンドルのうめき声が聞こえてきた。オージェもわずかながら戸惑っていた。
強襲母艦アトランティスに配属されるのは、ごく一時的な措置《そち》だと思っていた。すぐにノブゴロドに帰れるものと考えていたのだ。
しかし、カザルスキー中佐の説明によると、どうやらそうでもないらしい。かなり長いこと作戦行動をともにしなければならないのかもしれない。
「空軍は、チームで運用します」
オージェは言った。「最低でも二機一組で飛ばねばなりません。一機だけ性格が異なる機が配属になってもその性能を活かせるとは思えませんが……」
「ツィクロンは、ズヴェズダに比べて兵装が格段に充実した。主砲に最新型のビーム砲を装備した。これは、海軍の最新型ヒュームスのギガースにも配備された兵器だ」
オージェは思い出した。
最新型ヒュームスは、たった一発で海賊船の砲撃を沈黙させ、メインスラスターを破壊した。
「その他、今までどおり二十ミリ無反動機関砲を搭載している。赤外線イメージ誘導ミサイルをズヴェズダの倍の八基積むことができる。その分、質量が増えた。にもかかわらず、増強されたエンジンが、ズヴェズダと同等の加速力を保証している」
「ペイロードを兵装とエンジンの増強に回したために、航続時間が短くなったというわけですね」
「そうだ。艦載機という性格上、航続時間はそれほど問題にはならない。事実、短くなったとはいえ、ツィクロンの航続時間は、最新型ヒュームス、ギガースの五倍もあるのだ」
「戦闘機ですからね」
アレキサンドルが言った。「人形なんぞといっしょにしてもらっちゃ困ります」
「よすんだ」
オージェは、アレキサンドルをたしなめた。「その人形といっしょに戦わなければならなくなるんだ」
カザルスキー中佐がヘルメットの中でうなずくのが見えた。
「そうだ。君たちは、すでに最新型ヒュームスとともに戦った経験がある。君たちが強襲母艦に配備されたのは、その実績があるからだ。さ、とにかく、乗ってみたらどうだ? もうエンジンに火は入っている」
隊員たちが、かすかに「おう……」とつぶやいたのが聞こえた。
火星衛星軌道上
オージェは、ツィクロンのコクピットに収まったときに、独特の閉塞感を覚えた。ズヴェズダなら、コクピットを覆う円蓋から、宇宙の空が見渡せる。
ツィクロンのコクピットに収まると、まるで閉じこめられたような気がする。
ヒュームスの連中は、こんな閉塞感に耐えているというのか……。
オージェは驚いた。しかし、モニターのスイッチを入れた瞬間に、その印象が一変した。
前後左右、そして上方のモニターがオンになると、窓が開いたように感じた。
「ほう。これは、悪くない」
オージェはつぶやいた。その声は、ベース・バースームの港の一区画に臨時に設けられた管制室でモニターされていた。
カザルスキー中佐の声がツィクロンの通信装置につながれたオージェのヘルメットの中から聞こえてきた。
「慣れれば、ズヴェズダのコクピットから見た光景とそう変わらなくなるはずだ。実際に、海兵隊の連中は、そのモニターだけで不自由なく活動している」
「了解です」
「見てのとおり、操縦系統は、ズヴェズダと同じだ。問題はないな?」
「問題ありません」
「港のハッチを開ける。基地から飛び立つ要領で発進してくれ」
「オージェ・ナザーロフ機、ツィクロン、発進します」
正面のハッチがゆっくりと開いていくのが正面のモニターで見て取れる。その光景は、むしろ、ズヴェズダのコクピットから肉眼で視認するより見やすかった。
オージェは、スロットルを開けて、エンジンに少しずつ推進剤を流していった。力強い力を機体に感じる。
ツィクロンを固定していたハンガーのロックが外される。オージェは、いきなり強いGを感じた。機体はまっすぐに宇宙の空に向かって飛び出していく。
いきなり、周囲は星空となった。オージェは、四方と上方のモニターに眼を走らせる。パイロットの習性だ。
違和感はなかった。このモニターは、アレキサンドルがこだわるほどの問題はない。オージェはそれを実感した。
宇宙の空では、これはなかなか合理的なシステムかもしれない。
オージェはそう思った。
こだわりが技術の進歩を妨げることがある。空軍パイロットは、伝統にこだわりすぎるのかもしれないという気がした。
宇宙《そら》では、要撃部隊の仲間たちが待ち受けていた。ベース・バースームと同じ速度で軌道上を回っているので、彼らは宇宙空間に静止しているように感じられる。
オージェは、メインスラスターを噴かして彼らの前に出た。そこで、前部のスラスターを使って、周回軌道に乗った。
すぐに、僚機のミハイル機が左翼側についた。
「散歩だ」
オージェは、要撃部隊の仲間に呼びかけた。「編隊を組んでベース・バースームを一回りしてこよう」
オージェはスロットルを開いた。ツィクロンは、ぐいと前方に押し出される。ミハイル機が遅れずについてきたのが、左側のモニターで確認できる。
現在、ツィクロンは、ミサイル最大積載量と同等の重りを積んでいる。質量は、フル装備のときと同じだ。
ズヴェズダよりかなり質量が増しているはずだ。にもかかわらず、加速に遜色《そんしょく》はないと感じた。
「なかなか、強力なエンジンじゃないか」
オージェは、周回軌道内を移動しはじめた。ベース・バースームの周囲を大きく回るように飛行する。僚機のミハイル機は、ぴたりと左翼側についてくる。
後方のモニターで、あとの四機も確認できる。編隊にまったく乱れはない。
オージェは満足だった。
海軍基地でくすぶっていても、腕は落ちていないな。
「加速を終了して、周回軌道に乗る」
オージェが命じた。
機体は第一宇宙速度に固定される。機首は周回軌道の円との接線の方向を向いている。
その状態で、二機ずつがぴたりと並んで展開していた。等速度運動をはじめたズヴェズダは、それぞれ静止しているように見える。
オージェはくつろいだ気分で周囲のモニターを見回した。画面は充分に明るく、見やすかった。遠くの星までちゃんと見て取れる。
突然、警戒音が鳴った。
軌道離脱を告げる警戒音かと思った。だがそんなはずはない。今、オージェたちは、理想的な速度で火星を周回しているはずだ。
突然、右のモニターに何かのマークが浮かんだ。赤い円が点滅している。どうやら、ツィクロンのセンサーが何かを発見したようだ。
オージェは、モニターに望遠装置がついているのを思い出し、右のモニターを切り替えてみた。
赤い円が大きくなる。それに囲まれている何かが次第に大きくなった。
どうやら、隕石のようだ。彗星のかけらかもしれない。熱源反応はない。
アレキサンドルの声が聞こえた。
「右方、惑星軌道面上、二時の方向。何か来ますぜ」
「見えている」
オージェはこたえた。「隕石のようだ」
「見えている……? まさか……」
「ツィクロンのモニターは望遠に切り替えられる」
「ちっ。そんなものに頼っているから、軟弱になるんだ」
「これはなかなか便利だ。役に立つ」
そのとき、カザルスキー中佐の声が聞こえてきた。
「オージェ・ナザーロフ。こちら管制室だ。聞こえているか」
「聞こえています」
「君たちが発見した隕石は、岩と氷の固まりだ。五分後に約二千メートル先を通り過ぎる。ツィクロンの主砲を試すのには、恰好《かっこう》のターゲットだ」
「了解です」
オージェは、スラスターを扱って機首を隕石の方向に向けた。隕石は、大きな楕円軌道を描いて飛来しているようだ。操縦|桿《かん》に付いているトリガーボタンのカバーを開くと、自動的に、正面のモニターにターゲットスコープが現れた。
なるほど、ヘッドアップディスプレイと使い勝手は変わらんな……。
二つの円がディスプレイの中を動き回る。オージェは、さまざまな方向のスラスターを微妙に操り、機首の方向を調節した。
二つの円が重なる。
オージェは、トリガーボタンを押した。
ツィクロンの機首から、新型ヒュームスが発射したのと同じ一直線の光が走るのが見えた。
だが、隕石に変化はない。
届かなかったか……。
オージェは、さらに引きつけることにした。隕石を正面に捉え続けるために、スラスターを操っている。
突然、ターゲットスコープの円が黄色に点滅しはじめた。
射程距離に入ったことを教えてくれているようだ。
便利なものだ。
オージェは落ち着いて、再びトリガーボタンを押した。
主砲であるビーム砲が発射される。
モニターの中で、隕石が粉々に砕け散るのが見えた。
オージェは、口笛を吹いた。
「すげえ……」
アレキサンドルの声だ。「一撃で、あのでかい隕石が粉々じゃないですか」
ほかの隊員の賞賛と驚嘆の溜め息も聞こえてくる。
これは、なかなか楽しいおもちゃじゃないか。
オージェは、思った。
4
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
コニー・チャンは、連合政府上院議員のケン・ジンナイがジュピター・シンドロームについて調べていることを知って以来、なんとか、彼との接触を試みようとしていた。
そのチャンスがやってきた。
ジンナイが、ニューヨークのある財団が催す慈善事業のためのパーティーに出席するという情報を手に入れた。
地球連合政府が発足した後も、アメリカに住む政治家は、旧来の合衆国の習慣や伝統から逃れることはできない。
大企業の経営者や、市、州、国家、そして連合政府、あらゆるレベルの政治家が、慈善事業のための催しには参加しなければならない。
経営者は、節税対策と同時に事業収益の社会還元を世間にアピールできるし、政治家は、有権者に対する宣伝に利用できる。
ジンナイ上院議員といえども例外ではない。
コニー・チャンが契約しているプラネット・トリビューンにいくらか枠があるというので、その招待状を手に入れるべく手を尽くした。
結局、編集長に頼み込んで、推薦をもらうことにした。オージェ・ナザーロフの単独会見で点数を稼いでいる。このパーティーに出席できれば、もう一つスクープをものにできると言って掛け合ったのだ。
パーティーは、格式あるザ・ウォルドーフ・アストリアで開かれた。パーク・アベニューにあるこのホテルは、古風なヨーロッパ風の古びた建物だが、内装は豪華で、おそらくアメリカで一番知られているホテルだ。
このパーティーには、経営者や政治家だけでなく、映画スターや作家などの著名人もやってくる。
コニーは何を着ていくべきか迷った末に、貸衣装に頼ることにした。新しいカクテルドレスを買うのは、金の無駄遣いだと思った。
それでも、衣装を選ぶときには心が躍った。コニーは、胸元と背中が大きく開いた緑色のドレスを選び、それに合わせた靴とバッグもレンタルした。
メルセデスでコニーのアパートまで迎えに来た編集長は、戸口で立ち尽くし、しばし言葉を失った様子だった。
「何です?」
コニー・チャンは尋ねた。「この恰好《かっこう》、何か問題あります?」
「いや、問題があるとすれば、普段の恰好だな」
言いたいことはわかった。別人のように見えるということだろう。普段、コニーは、実用一点張りのパンツルックで飛び回っている。
コニーは、恰好などどうでもいいと考えていた。外見に惑わされるような人間は相手にはしたくない。
だが、この日、女性が着飾るということがどれほど得であるかを思い知ることになった。
ヨーロッパのアールデコ様式を思わせる優雅な飾り付けの広い会場には、いつもテレビや雑誌で見かける有名人たちが詰めかけて談笑していた。
アメリカには社交界はないが、間違いなくこうしたパーティーは、社交界の代わりをしている。コニーはそう感じた。
そして、取材をするときには、めったに気後れすることのないコニーが、思わず入り口で立ちすくんでいた。
ここは、自分がいるべき場所ではない。咄嗟《とっさ》にそう感じたのだ。選ばれた人々の集い。自分は、闖入者《ちんにゅうしゃ》に過ぎない。
誰の眼にもそう映るだろうと、コニーは思った。
だが、周囲の反応は違っていた。特に男性は、コニーに興味を示すようだった。話しながら、あるいはシャンペンを口に運びながら、コニーを眼で追った。コニーはそれをむき出しの背中や二の腕で感じ取っていた。
誰もがコニーと話をするチャンスを狙っているような気がした。
コニーに付き添っていた編集長が言った。
「君を連れてきてよかったよ。私は、著名人たちから羨望《せんぼう》の眼差しで見られているようだ。こんなに誇らしい気分は久しぶりだよ」
「久しぶり?」
「プラネット・トリビューンに入社したときは誇らしい気分だった。一流のジャーナリストの仲間入りをしたような気がしたんだ」
「入社したとき? それからは?」
「誇らしいことなんて一つもなかった。落ち込むことばかりだよ。さ、君を独り占めしていると、皆に怨《うら》まれそうだ。私が知っている限りの人々を紹介しよう」
編集長は言葉どおりのことをしてくれた。誰もがコニーを歓迎した。東洋人を差別する人はこのパーティー会場にはいないようだ。
コニーは、この会場に入った瞬間の戸惑いを忘れ去ることができた。優雅に会場の中を泳ぎ回り、次第にケン・ジンナイに近づいた。
五十歳になろうとしているが、その姿は若々しい。無駄な贅肉《ぜいにく》がほとんどついていないのが、服の上からでもわかる。髪はまだ黒々としており、顔に皺もほとんど見当たらない。
ジンナイ上院議員は、シンプルな黒のタキシードを着て、蝶《ちょう》ネクタイを締めていた。東洋系の男性でタキシードが似合うのは珍しい。
ジンナイは、製薬会社の社長と話をしてひかえめにほほえんでいた。
その話が一段落するのを待ち、コニーは思い切って話しかけた。
「失礼……。ジンナイ上院議員ですね?」
ジンナイは優雅に振り返った。
「私、プラネット・トリビューンのコニー・チャンといいます」
「コニー・チャン……」
ジンナイは、コニーを見つめた。「以前どこかでお会いしましたか?」
「いいえ。これが初めてだと思います」
「そうか。思い出した。オージェ・ナザーロフ大尉のインタビュー記事を書かれた方ですね。それで名前に聞き覚えがあったんだ」
「覚えていてくださって光栄です」
「もちろん、覚えている。管理の厳しい空間エアフォースで、エースパイロットの独占インタビューに成功するなんて、たいしたものだ。どんな記者かと思っていたら、こんなに美しい女性だったなんて……。いや、誤解しないでください。これは女性を差別した発言ではありません」
「わかっています。軍のことに関心をお持ちのようですね」
「この戦争に関心のない者などいませんよ。特に政治家はね」
「戦争に関して独自の立場を取られていることは、よく存じております」
「もっと、はっきり言ってくれていい。戦争に反対する弱腰の政治家だと……」
「戦争に反対する一般市民はたくさんいます」
「連合政府は、木星圏の連中をテロリストだと主張している。テロとの戦いは、正義の戦いだというのが、主流派の主張だ」
「これは独立戦争です。テロとは違うと私は考えています。問題は、なぜ木星圏の人々が戦争を仕掛けてきたかということです」
「ほう……」
ジンナイは、優雅なほほえみを絶やさずに言った。「それについて、何かお考えはあるのですか?」
「地球にいてはわからないことも、宇宙に出ればわかるのではないか。私はそう考えて月へ行きました」
「月へ……?」
「ノブゴロド空軍基地を出て、そのまま月に向かったのです。そこで気になる情報を手に入れました」
「気になる情報?」
「ジュピター・シンドロームです」
ジンナイの表情は変わらない。
「木星圏の風土病ですね。それが何か……?」
コニーは、少しばかりうろたえた。
ジュピター・シンドロームのことを持ち出せば、ジンナイはすぐに飛びついてくると思っていたのだ。
ジンナイが、ジュピター・シンドロームに興味を持ち、調査をしているという噂は嘘《うそ》だったのだろうか……。
「この独立戦争には、『絶対人間主義』の教義が強く影響していると言われています」
「多くの人々は、狂信的な教義だと言っている」
「私は、この戦争の原因に『絶対人間主義』と同様にジュピター・シンドロームも影響していると考えています」
ジンナイは、小さく肩をすくめた。
「風土病と戦争がどう関係しているのです?」
「ジュピター・シンドロームは、ただの風土病ではありません。遺伝子が影響を受けるのです。つまり、癌《がん》や白血病などの血液の障害だけでなく、生殖細胞にも影響を与えると専門家は言っています」
「だから……?」
「ジュピター・シンドロームの第二世代、第三世代には、ちょっと特殊な子供が生まれてくると指摘する専門家がいます」
「特殊な子供……?」
「マイナス面とプラスの面が考えられるそうです。つまり、何らかの障害を持って生まれてくる子供もいれば、特殊な能力を持って生まれてくる子供もいる、と……。そして、その特殊な能力に関しては、軍が特に関心を持っているらしいこともわかっています」
ジンナイは、コニーから眼をそらし、パーティー会場の中をゆっくりと見回した。
「失礼……。挨拶《あいさつ》をしなければならない人がたくさんいます。あなたとお話をしているのは楽しいのですが……」
ついに、ジンナイは、コニーの話に興味を示そうとはしなかった。
「お引き留めして申し訳ありません」
コニーはそう言うしかなかった。
ジンナイは、ほほえみを浮かべ「失礼」というと、コニーのもとを去っていった。
評判とは違う。
コニーは感じた。ジンナイは、もっとやり手の政治家だと思っていた。有力な情報にはどん欲に食らいついてくると踏んでいたのだ。
別な政治家にアプローチしたほうがいいかもしれない。コニーはそう思った。
ジンナイがあてにならないとなれば、もうパーティー会場にいる必要などない。コニーは、何人かの顔見知りと輪を作って談笑している編集長に近づいた。
「あたし、そろそろ引き上げます」
編集長は驚いた顔で言った。
「セレモニーはこれからだぞ」
「興味、ありませんから……」
「待ってくれ、俺はまだしばらく帰るわけにはいかん」
「ご心配なく。タクシーで帰りますから」
編集長は、溜め息をついた。
「君には付き合いきれんな……」
「いろいろ骨を折っていただいて、感謝してます。でも、あたし……」
編集長は、手を振った。
「いいよ。わかっている。ほかにすることがあるというんだろう」
「すみません」
コニーは、パーティー会場をあとにして、タクシーに乗り込んだ。
部屋でカクテルドレスを脱ぎ捨てると、裸のままシャワーを浴びにバスルームに向かった。
ジンナイに失望すると同時に、気恥ずかしさを覚えた。話す相手を間違えたと感じていた。
温かい湯を全身に浴びると、ようやく気分が落ち着いてきた。
電話が鳴った。
コニーは、湯を止め、バスローブを羽織ってバスルームを出た。
「はい」
受話器を取って返事をすると、聞いたことのない男の声が聞こえてきた。
「デビッド・オオタといいます。ジンナイ上院議員の指示でお電話させていただきました」
「ジンナイ上院議員の指示……?」
「詳しく話を聞きたいと言われまして……」
「何の話です?」
「電話ではちょっと……。今から会ってお話しできませんか?」
コニーは、迷った。だが、それは一瞬のことだった。
「どこで会います?」
「パーク・アベニューに私のオフィスがあります。住所を言っていただければ、迎えの車を出します」
「その必要はありません。そちらの住所を教えてください」
コニーは、住所をメモして電話を切ると、外出の支度《したく》を始めた。活動的なパンツスーツだった。
ジンナイの指示……?
本当だろうか。パーティー会場ではまったく興味をそそられた様子はなかった。なのに、すぐに電話をかけてくるというのは、どういうことだろう。
まあいい。行ってみればわかる。
コニーは、通りに出るとタクシーを探した。
*
デビッド・オオタのオフィスはすぐに見つかった。近代的なビルの一室で、部屋も片づいており、夜の九時近くだというのに、何人かの人間がパソコンに向かって働いていた。
コニーはすぐに奥の部屋に通された。
その部屋もオフィス同様に機能重視の造りだった。
正面に大きな机があり、その机の向こうで東洋系の男が立ち上がった。
「コニー・チャンさんですね。お電話したデビッド・オオタです」
コニーは、部屋に入って驚いた。右手に置かれたソファにタキシード姿のままのジンナイ上院議員がすわっていた。
ジンナイは立ち上がると言った。
「ご足労願って申し訳ない」
「これはどういうことですか?」
「パーティー会場には、いろいろな人がいます。微妙な問題には用心に用心を重ねないと……」
「微妙な問題というのは、ジュピター・シンドロームのことですか」
「もちろん。そして、ジュピター・シンドローム第二世代、第三世代のこと。そして、軍部が興味を持っているという話……。いずれも、デリケートな問題です」
コニーは、赤面する思いだった。
「すみません。あたし、気がつかなくって……」
「気になさらないように。おかげで有力な情報源を見つけることができました」
コニーは、有力な情報源と言われてちょっとうれしく思ったが、同時に警戒もした。ジヤーナリストとしての立場は堅持しなければならない。
ジンナイに対しても批判的な眼は持ちつづけなければならない。
「さて、戦争とジュピター・シンドロームの関係ですが……」
デビッド・オオタが言った。
どうやら、オオタは、ロビーイストらしい。政治家にいろいろな働きかけをする一方、情報収集を買って出る。
コニーは、思わずジンナイを見ていた。ジンナイは言った。
「だいじょうぶ。その男は信用できます。私のために情報をかき集めてくれるのです」
コニーはうなずき、デビッド・オオタを見た。すっきりとスーツを着こなしている。力強い眼が印象的だった。
オオタが言った。
「どういう経緯で、そういうお考えを持つようになったのです?」
「月である人物に接触しました。ジャーナリストです。その人物からの情報です」
「月で何をなさっていたのですか?」
「地球にいてはわからない戦場の様子をなんとか知ろうと思ったのです」
「オージェ・ナザーロフに取材をしましたね?」
「はい。彼が海賊船を破壊したというニュースに、疑問を持つ軍事アナリストが何人かいました。それで、何か秘密があるに違いないと考えたのです」
「ギガースですね」
「何です?」
「海兵隊の新兵器です。新型のヒュームスですよ。オージェはギガースを輸送する船の護衛任務についていました。その当時、ギガースは極秘扱いでした」
「小惑星帯の軌道交差戦で活躍したヒュームスですね」
「あなたの記事は、ギガースの存在を暗示していました。月で接触した人物というのは、何者です?」
「それはおこたえできません。ジャーナリストとしてニュースソースの秘密は守らねばなりません」
「その人は信用できますか?」
「そう感じました」
オオタが、ちらりとジンナイのほうを見た。ジンナイは、うなずいた。
「それで……」
オオタが質問を再開した。「その人は、具体的にはどのようなことを言ったのです?」
「ジュピター・シンドロームは、この戦争の鍵を握っていると……」
「それだけ?」
「ジュピター・シンドロームが、『絶対人間主義』と密接に結びついているだろうとも言っていました」
オオタは静かにうなずいた。何事か考えている様子だ。
「それからあなたは、地球で取材を始めたのですね?」
「はい」
「何がわかりました?」
コニーは、徐々に不愉快な気分になってきた。当初は、ジンナイが話を聞いてくれるということで緊張していた。
だが、これではまるで警察か何かの尋問だ。こちらが持っている情報を一方的にしゃべらされているだけだ。
それが表情に出たらしい。
ジンナイが言った。
「気を悪くしないでください。私たちは、こちらの得ている情報をあなたの情報と比べてみたいだけです」
「では、そちらの調査結果も教えていただけるということですね」
オオタが何かを言おうとした。ジンナイは、それを片手を挙げて制すると、言った。
「私は政治家です。政治家というのは、臆病なほど用心深い。もし、あなたが、私のスキャンダルを探そうとしているのだとしたら、私たちの情報の中に見つけだすことができるかもしれない」
コニーは、真剣に反論した。
「私は、議員の戦争反対の主張に賛同しています」
「特定の政策に加担するのは、ジャーナリストとしての姿勢に問題があるのではないですか?」
「ジャーナリズムには、報道だけでなく、社会に対する警鐘の役割もあるのです。社会が間違った方向に進もうとしているとき、それに対して警鐘を鳴らすのも、ジャーナリストの役割だと、私は信じています」
「今、社会は間違った方向に進みつつあるというのですか?」
「そう思います。木星圏の人々をテロリストと決めつけ、戦争を正当化する声が主流となっています。違った考え方があることを、社会に知らせるべきだと思っています」
「プラネット・トリビューンが、そうした記事を掲載するでしょうか」
痛いところをつかれた。
プラネット・トリビューンほどの有力紙になると、とかく守りの姿勢が強くなる。だが、ここで弱みを見せるわけにはいかなかった。
「私の力が及ぶかぎり、記事にするつもりです。もし、会社に握りつぶされたら、インターネット配信の新聞に投稿してもいいと考えています。月にはそのコネクションもあります」
ジンナイはほほえんだ。
「話の流れからすると、あなたにジュピター・シンドロームの話をしたのは、月面に住むジャーナリストのようですね」
「否定はしません」
コニーはこたえた。
「いいでしょう。私はあなたを信頼することにします。ジュピター・シンドロームに関心があると言った地球のジャーナリストは、私が知るかぎりあなたが初めてです」
「地球に住む人々は、単なる木星の風土病だと考えているに過ぎません。私も月に行くまではそうでした」
「調べていくうちに、考えが変わったということですか?」
「たしかに考えは変わりました。しかし、はっきりしたことがわかったわけではありません。むしろ、調べれば調べるほどわからないことが増えていきます。地球の医療専門家は驚くほどジュピター・シンドロームについて無知なのです」
「もしかしたら、無知なのではなく、何かを隠しているのかもしれない……」
「その両方だと思います。知っていて隠している人もいるかもしれません。しかし、医療専門家の多くは、ジュピター・シンドロームに無関心なのが事実です」
「それは、私の印象とも一致している」
オオタが言った。「地球には、ジュピター・シンドロームに関する資料がおそろしく少ない」
「どこかに封印されているのかもしれません」
コニーはオオタに言った。「資料がないはずはないのです。木星圏は、地球連合軍の領土でした。そこで発生した風土病に関する調査が行われなかったはずがありません」
「そう。事実、過去に二度、医療調査が行われています。しかし、そのレポートは実におざなりなもので、とても実態を把握しているとは思えませんでした」
「私もそのレポートのコピーは入手しました。図書館で閲覧できる限りの政府刊行物に眼を通したつもりです」
「なるほど……」
オオタはうなずいた。「では、時間の無駄をはぶいて、単刀直入にうかがいましょう。ジュピター・シンドロームが戦争とどう関わっているとお考えですか?」
「問題は二つあると思います。第一は、ジュピター・シンドロームによる木星圏の人々の平均寿命の短さです。それは、過酷な木星圏の生活環境を物語っています。それが、『絶対人間主義』をはぐくむ土壌になったのだと思います。第二は、ジュピター・シンドローム第二世代、第三世代の問題です」
ジンナイが言った。
「その話はパーティー会場でもうかがった」
「問題は、特殊な能力を持って生まれてきた子供です。別なルートから入手した情報ですが、軍にはそういう、ESPについて研究する部署があるらしいのです。もし、ジュピター・シンドロームの第二世代以降にESPを持つ子供が高い頻度で生まれるとしたら、その部署が眼を付けないはずはありません」
「ESPというのは、いわゆる超能力のことだね?」
「そうです」
「政治家というのは、現実主義でね……」
ジンナイが言う。「人が火星や木星で暮らす時代になっても、なかなかそういう物事を受け容れられない」
「私もそうです。しかし、警察など司法当局では、ずいぶん昔から非公式に透視能力者などを捜査に利用しているという事実があります。軍が利用しようとしないはずはありません」
オオタは言った。
「裏付けがほしいんだ」
彼の口調は切実だった。「私が調べだしたことも、だいたい君が言ったのと似たようなものだ。だが、憶測に過ぎない。軍がジュピター・シンドロームに関与したという裏付けの情報と、それが戦争に関係しているという決定的な事実が知りたい」
コニーは、ジンナイに言った。
「上院議員の権限で、私たちの手の届かない情報も手に入れられるのではないですか?」
「軍関係のガードは固い。それに、私は軍に睨《にら》まれているのでね……。そして、これが一番の問題なのだが、議員の権限で知り得た情報を特定のジャーナリストに洩らすわけにはいかない」
ジンナイの言うことはもっともだ。
だが、そこを何とかしてほしいとコニーは思う。
たてまえとしては、ジャーナリズムの役割を語ったりしたが、本音ではやはりスクープがほしいのだ。
「私はさらに取材を重ねるつもりです。今後も連絡を取り合いたいのですが……」
ジンナイがそれに承知してくれたら、政治家との有力なコネクションを確保したことを意味している。
慎重に考えている様子だったジンナイはやがて言った。
「いいでしょう。オオタの電話番号、メールアドレスをお教えしておきます。彼と連絡を取り合ってください」
「議員個人の連絡先は……?」
「オオタに連絡を取れば、すぐに私のところにつながります」
本当は、直接連絡を取る手段がほしかった。だが、これ以上は、望めないのかもしれない。
オオタは、名刺を取りだした。コニーも自分の名刺を渡す。
オオタはほほえんだ。
「すでにあなたの職場と自宅の連絡先は知っていますが、いちおう名刺はいただいておきましょう。それと、重要な情報には決して電話やeメールをお使いにならないように……」
「心得てます」
コニーは、結局しゃべらされるだけしゃべらされて、ジンナイが何を考えているのかを聞き損なったと思った。
不本意だがしかたがない。まずは、顔合わせだと思えばいい。コニーは自分にそう言い聞かせた。
部屋を出ようとしたコニーを、ジンナイが呼び止めた。
コニーは振り返った。ジンナイがまっすぐにコニーを見つめて言った。
「私は、この戦争を終わらせて見せます。手を貸してくれるのなら、あなたを味方と認めます」
コニーは、その眼差しの強さに驚いた。
だが、気を取り直すと言った。
「手を貸します」
ジンナイはかすかにほほえんで、うなずいた。
5
火星衛星軌道上
ベース・バースーム
オージェ・ナザーロフは、カザルスキー中佐から、強襲母艦アトランティス配属の正式な命令書を受け取った。オージェ指揮下の要撃部隊員全員への命令書だった。
アトランティスが、火星周回軌道のパトロール任務を終えて、ベース・バースームに寄港したことを伝えられたのは、その三日後だった。
すぐにツィクロン一機と、ズヴェズダ五機の積み込み作業が始まった。
海軍の艦載機を降ろして、オージェたちの戦闘機を積み込むのだ。ニューヨーク級の強襲母艦には、艦載機用のカタパルトがあったが、それを空軍の戦闘機に合わせるための工事に一週間かかるという。
海軍の艦載機は、単なる戦闘ポッドに過ぎない。空軍の戦闘機とは規格がまるで違うのだ。
オージェたちは、知らせを聞くとすぐに港に向かい、アトランティスに乗船した。艦橋に案内された。
艦橋では、艦長のクリーゲル准将と、作戦司令のエリオット大佐が彼らを待っていた。
オージェは、軍の規範に則《のっと》って、着任の申告をした。
「オージェ・ナザーロフ大尉以下六名。ただいまをもって、アトランティスに着任いたしました」
クリーゲル艦長は、返礼をした。
「よく来てくれた。これからしばらくこの艦が君たちのねぐらだ。住んでみれば、なかなか快適なものだ。早く慣れてくれ」
「はい」
「君たちの船室に案内させよう。現在は、無重量状態だが、船が宇宙《うみ》に出ると回転して人工重力を作るから、住み心地はずっとよくなる」
オージェは言った。
「その前に、機の積み込みに立ち会わせていただきたいのですが……」
「うちのクルーたちに任せておけばいい」
「いえ、空軍のパイロットは、いかなるときでも、自分の機に責任を持たなければなりません」
「わかった。案内させよう」
若い海軍兵が呼ばれた。彼がオージェたちを、艦載機のデッキに案内してくれるようだ。
彼は先に立って、床を蹴った。彼は、器用に四方の壁を蹴って前に進む。普段、重力のある基地で生活している空軍パイロットは、海軍の連中ほどには無重量に慣れていない。
後ろで毒づくアレキサンドルの声が聞こえた。
「ええい、くそっ。なんで、こんなでかい船なのに、通路が狭いんだ」
ワシリイ少尉の声が聞こえる。
「宇宙船ですからね。余分なスペースはありませんよ」
「これから、ここで暮らすと思うと、うんざりするな」
「旅行に来たわけじゃありません。戦いに来たんです」
「そんなことは、おまえに言われなくたってわかっている」
いくつかのエアハッチを過ぎて、突然広い空間に出た。
そこが艦載機デッキのようだ。
デッキ・クルーやエンジニアたちが、戦闘機の固定作業を行っていた。その脇では、カタパルトを空軍機に合わせるための工事が行われている。
艦内は与圧されているので、案内してきた水兵もオージェたちも、宇宙服は着ていなかったが、作業員たちは、みな宇宙服を着ていた。それが規則なのだろう。
「あーあ……。もっとやさしく扱えってんだ」
アレキサンドルが言った。海軍の連中にわからないようにロシア語を使っている。
彼らは、通路から出て鉄柵で囲われたテラス状のホールにいた。そこからはるか下の艦載機デッキを眺めていた。
オージェは、鉄柵をふわりと乗り越えると、ツィクロンのところまで一直線に飛んだ。
宇宙服を着た係員がヘルメット越しに言った。
「何だ? 離れていてくれ。ここは危険だぞ」
オージェは、英語でこたえた。
「空間エアフォースでは、必ずパイロットが機体整備の確認をすることになっている」
係員は、しげしげとオージェの制服を見つめた。
「なんだ、空軍さんか……。ここでは、宇宙服の着用が義務づけられている」
「港の中で、しかも艦内は与圧されている。必要ないだろう」
「そういう規則なんだ」
「チェックはすぐに済む」
係員は、ヘルメットの中で小さくかぶりを振った。
「悶着《もんちゃく》を起こす気はない。やるならさっさとやってくれ」
オージェは、鉄柵の向こうからこちらを見ている仲間たちを見上げた。そして、下りてくるように手で合図した。
アレキサンドルを先頭に、五人が宙を飛んで下りてきた。
「さあ、愛機の機嫌を見てやろう」
テラスでは、案内してきた海軍兵が、困った顔でオージェたちを眺めていた。
*
カーターは、第一小隊のメンバーを集めて艦内のブリーフィングルームにやってくるように言われた。
第一小隊十一名全員が、現在は無重量になっているブリーフィングルームに顔を出すと、そこには、すでに第二小隊の連中が陣取っていた。
無重量時の規則で、全員ハーネスで椅子に体を固定している。
第一小隊もそれにならった。
やがて、エリオット大佐が部屋に入ってきた。無重量時には、起立することを免除される。カーターは、ハーネスで体を固定したまま、敬礼をした。
エリオット大佐は、壁にあるハンドルを握り姿勢を保った。
「すでに知っていることと思うが、アトランティスからは、海軍艦載機が降ろされた。代わりに、空軍の戦闘機が配備された。そのパイロットたちを紹介する」
エリオットが部屋の入り口に向かって合図すると、空軍の制服を着た連中が部屋に入ってきた。
うまく姿勢を制御できない者もいる。空軍の連中は、無重量での泳ぎがうまくないというのは、以前から知っていた。
彼らは、靴の底の磁石を使って、なんとか床に立っていた。
「オージェ・ナザーロフの名は、諸君も知っていると思う。彼がそのオージェ・ナザーロフ大尉だ。彼の要撃部隊がアトランティスに配備された」
これが、ノブゴロドのエースパイロットか……。
カーターはオージェをしげしげと眺めた。金髪に近い明るい砂色の髪に青い眼。思ったよりずっと若い。そして、優男《やさおとこ》に見える。
それから要撃部隊のメンバーを順に見ていった。
髭を生やしたいかつい男が気になった。見るからに頑固そうな顔をしている。その男のほうがオージェよりはるかに年上に見える。
若いパイロットが三人。髭の男のほかにもう一人、いかにもベテランらしい男がいた。
エリオット大佐にうながされて、オージェ・ナザーロフが挨拶《あいさつ》をした。
「トリフネと戦った経験をお持ちのヒュームスドライバーたちには、心より敬意を表する。敵の機動力におおいに恐怖を味わったと聞いている。だが、安心していただきたい。我々空間エアフォースが来たからには、今度は向こうが恐怖を味わう番だ」
カーターは、面白くなかった。
たしかに、機動力ではヒュームスより空軍の戦闘機のほうがはるかに優れている。乗り物に徹した設計だからだ。
スペースシップの歴史は、ヒュームスの歴史よりはるかに長い。その分、機能が充実しているともいえる。
だが、ヒュームスには戦闘機にない利点もある。敵の基地に上陸したり、艦に侵入して戦闘や破壊作業を行うことができる。
さらに、こちらにはギガースがいる。
作戦行動時間は、戦闘機には及ばない。ペイロードが違う。だが、機動力においては遜色ないはずだ。
ギガースや、そのスペックを応用したクロノスの改造型が配備されれば、空軍のやつらにこんなでかい口を叩かせはしないのだが……。
だが、同時にそれは、クロノスの時代が終わりつつあることを、自ら認めたことになる。
クロノスドライバーの誇りはすでに過去のものになりつつある。
続いて、オージェは、要撃部隊員の紹介を行った。
カーターが気になった髭の男は、アレキサンドルという名だった。
要撃部隊員の紹介が終わると、エリオット大佐は、カーターに第一小隊のメンバーを紹介するように言った。
カーターは言われたとおりにした。十名の部下をすべて紹介し、最後に自己紹介をした。
第二小隊のキャラハン大尉も同様に、隊員を紹介した。
カーターは、部屋の中の緊張感を意識していた。海兵隊と空軍では、馬が合うはずがない。役割も違えば、考え方も違う。
そして、互いに自分たちの誇りを大切にする。海軍と海兵隊は、アメリカ軍の名残を色濃く残しているし、空軍は、いまだに圧倒的にロシア人が多く、ロシア軍の色が濃い。
隊員たちが、互いに反目しているのが手に取るようにわかる。
冗談じゃない。
カーターは思った。これで戦争をやれというのか。上層部は何を考えているのか。
現場の兵士のことなど、チェスの駒としか考えていないのだろう。駒が何かを考えたり、感じたりするとは思ってもいないのだ。
エリオットも部屋の中の雰囲気を感じ取ったに違いない。彼は言った。
「空軍の諸君は、環境が変わってたいへんだと思う。海軍は空軍とは習慣も違うかもしれない。だが、忘れないでほしい。宇宙海軍も空間エアフォースも同じ地球連合軍であることを……。敵は、木星にいる。いいな。では、解散だ」
カーターは、ハーネスを外し、ふわりと椅子から浮かび上がった。
とにかく、またベース・バースームへの上陸が許される。何でも、艦載機デッキのカタパルトを戦闘機用に改造するために、一週間かかるという。
その間は、交替で上陸が許可されている。
空軍さんのおかげで、何日かは陸《おか》で過ごせるというわけだ。それだけでも、ありがたいと思わなければ……。
*
オージェは、部屋にはいるとすぐに若い女性に気づいた。タフが売り物の海兵隊の中で、明らかに場違いだった。
彼女がギガースのドライバーだ。
月の周回軌道上でともに戦って以来だ。もちろん、顔を見るのは初めてだ。
一度聞いただけだが、名前は忘れない。
リーナ・ショーン・ミズキといった。
見かけは華奢《きゃしゃ》だった。だが、彼女は見事にギガースを操った。おそらく、あの目まぐるしいGの変化に耐えられるパイロットは、オージェの要撃部隊にもいないかもしれない。
そんなことを考えていた。
私だって自信がない。
ギガースは、プロトタイプだと聞いている。その戦闘データがクロノスに還元されるのかもしれない。
あるいは、新世代の量産型ヒュームスが開発されるのかもしれない。もし、そうなったとしても、あれだけ見事にその機体を操れる者が出てくるだろうか。
おそらく、絶えず方向が変化するプラスとマイナスの加速により、カクテルのシェイカーの中にいるような気分になるのではないか。
彼女は特別だ。
オージェはそう確信した。だからこそ、荒くれ男どもといっしょに海兵隊にいられるのだ。
何が特別なのかはわからない。だが、オージェは、リーナに対する興味が強まっていくのを自覚していた。パイロットとしての興味だ。
海兵隊の中に、空軍パイロットよりも機動性に富んだ乗り物を乗り回す者がいるのは許し難いと感じていた。
オージェは、彼女を見ていたが、リーナはオージェのことをまったく気にしていない様子だった。
まあ、いいさ。
オージェは思った。
これからチャンスはいくらでもある。空軍パイロットがどんなものか、存分に拝ませてやろう。
*
カーターは、ベース・バースームのバーでウイスキーを味わっていた。
カウンターの近くのテーブルには、第一小隊の主だったメンバーがいる。彼らはそれぞれに、お気に入りの酒を飲んでいた。
カウボーイは、バーボンしか飲もうとしない。アラン・ド・ミリュウは、ワインかブランデーだ。
あとの連中はたいていビールを飲んでいた。リーナは、仲間入りができずにいた。彼女は酒を飲まない。だが、コーラのグラスを片手に、酒場の仲間に加わろうとしていた。
こういう時間が意外と大切なのだ。
カーターは思う。
ここでばか話をし、大声で笑い合うことが、彼らの結束を強めることになるかもしれない。ただ、酒を飲んで騒いでいるだけではない。彼らは、ともに訓練をこなし、じきに命をかけた戦いに出る。
つかの間の休息に、ともに時間を過ごすことが大切なのだ。
いわば、家族のようなものだ。
出入り口に、オージェ・ナザーロフが現れた。
彼は、要撃部隊の隊員を従えていた。
カーターは、ちらりと彼らを見ただけで眼をそらした。空軍の連中がこのバーに飲みに来ることを拒否はできない。
だが、歓迎する義理もない。
彼らは、少し離れたテーブルに陣取った。オージェがカウンターのところにやってきてビールを注文した。
すぐ隣にやってきたので、カーターは声をかけないわけにはいかなくなった。
「ビールだって?」
オージェは、カーターを見た。
「いけないか?」
「ロシア人はウォッカを飲むものと思っていた」
オージェはほほえんだ。
「ロシアには、いいビールもあればワインもある。アメリカと違って王朝の文化を受け継いでいるのでね」
カーターは、ショットグラスに残っていたウイスキーをぐいと飲み干した。
俺は、万が一海兵隊員と空軍の連中が諍《いさか》いを起こしたときに、仲裁に入る立場だ。ここで、相手のリーダーと言い合っている場合じゃない。
そう思い、彼は言った。
「トリフネは手強《てごわ》い」
オージェは、ビールを一口飲むと、カーターを見つめた。
「戦闘機の機動性と、ヒュームスの利便性を兼ね備えていると聞いているが……」
「ECMのまっただ中で、彼らは自在に飛び回る。その動きは統制が取れているし、それでいて自由自在だ」
「われわれ空軍の戦闘機も、ECMの状況下で戦う訓練を受けている」
「海兵隊だって同じさ。だけど、何かが違う。特別な管制システムを持っているらしい」
「厳しい訓練のたまものなのではないのか? 無線が通じない状況でも、訓練次第では、ある程度、味方との意志の疎通はできるものだ」
「いや。一度、その眼で見れば実感できる。やつらは、ミラーシップから何らかの管制を受けている。だからこそ、軌道を外れる心配などしないで、自在に動き回れるんだ。その動きは、今までの俺たちの常識を超えている」
「常識を超えているといえば……」
オージェは、何か秘密めいたことを話すかのように、少しだけ近づいて声を落とした。
「ギガースの動きも、今までの常識を超えている」
カーターは空になったショットグラスを見つめていた。
「そう。あれは特別だ。新しい兵器だ。あいつの出現で、俺たちはあっという間に旧式になってしまった」
「気を落とすことはない」
オージェは言った。「クロノスにだって、まだまだ出番はある。そうだろう」
「そう信じているがね……」
「一杯おごろう」
オージェは、空のショットグラスを指差した。
カーターはほほえんだ。
「では、そのビールは、俺のおごりにするよ」
オージェはほほえみ、バーテンダーに向かってショットグラスを指差した。バーテンダーが、ウイスキーを注ごうとしたとき、テーブル席のほうで、がたんと椅子が鳴るのを聞いた。
カーターは振り返った。オージェも同時にそちらを見ていた。
髭のアレキサンドルとカウボーイが立ち上がっていた。
彼らは怒りの表情で睨み合っている。今にも殴り合いが始まりそうだ。
カーターは、オージェに言った。
「海兵隊員は、腕っぷしには自信があるぞ。どうする?」
オージェは、余裕の笑みを浮かべている。
「空軍のパイロットをなめているとひどい目にあう」
「ならば、止めなければならないな」
カーターはカウンターを離れた。
カウボーイは今にも噛みつきそうな表情だ。
「何事だ?」
カーターがカウボーイに言った。
カウボーイは、アレキサンドルを見据えたまま言った。
「こいつが、リーナにちょっかいを出そうとしたんだ」
「本当か?」
カーターは背中でオージェの声を聞いた。
アレキサンドルは、肩をすくめて言った。
「お人形ごっこは、お嬢さんにはお似合いだと言っただけだ」
オージェが一歩前に出た。カーターと並ぶ恰好になった。
「おまえが言う人形は、われわれの体験したことのない戦いをこなしてきたんだ。カリスト沖海戦、そして、人類史上初の軌道交差戦……。いずれも厳しい戦いだったという。少しは敬意を払ったらどうだ」
アレキサンドルは、驚いた顔でオージェを見た。
何か言い返そうとしていたが、後ろにいたやつに肩を押さえられた。
たしかユーリとかいうやつだ。ベテランパイロットらしく、沈着冷静といったタイプだ。
オージェが部下を叱った。
今度はカーターの番だった。
「カウボーイ。リーナがからかわれたことに腹を立てたのか? それとも人形と言われたことが悔しいのか? どっちだ?」
「両方です」
「リーナをかばったことは、ほめてやろう。だが、人形と言われて悔しいというのは、許し難いな。ヒュームスが操り人形でしかないことを認めたことになるからだ」
「小隊長、そうじゃありません」
「いや、そういうことになるんだ。悔しかったら、こんなところで言い合ってないで、ヒュームスが役に立つことを、戦場で証明して見せろ」
カウボーイは、不服そうな顔をしていたが、やがて、椅子を元の位置に直し、腰を下ろした。
「それでいい」
カーターがうなずくと、オージェがリーナに向かって言った。
「リーナ・ショーン・ミズキ少尉でしたね。部下の非礼をお詫びします」
リーナはまっすぐにオージェを見てこたえた。
「気にしておりません」
オージェがさらに言った。
「アキレス護衛任務以来ですね。海賊船を沈めた手柄を独り占めして申し訳なく思っています」
「それも気にしておりません。あのとき、自分がギガースを運用したことは、軍機扱いとなっておりましたから……」
カーターは、リーナが必要以上に他人行儀なので、ちょっとだけいい気分になっていた。
リーナの気を引こうとしたって、そうはいくものか。
そんなことを思っていた。
オージェは、リーナにうなずきかけると、仲間たちのテーブルのほうに去っていった。ロシア人たちは、ウォッカで乾杯を始めた。士気を高めているのだろう。
「野郎ども」
カーターは言った。「おっと、野郎どもとお嬢さん、こっちも負けずにやろうぜ。ビールで乾杯だ」
6
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
携帯電話が鳴り、通話ボタンを押して耳に当てたコニー・チャンは驚きの声を上げた。
「オレグ・チェレンコ……? 本当にあなた? 今、どこにいるの?」
「なけなしの金をはたいて、地球へやってきた。ニューヨークのホテルに泊まっている。安ホテルだ。会えるか?」
「ええ。こっちも話したいことがある。どこのホテル?」
「場所を指定してくれたら、こっちから出向く」
「えーと、そうね……。マジソン街にキャシーズというコーヒーショップがある。そこまで来られる?」
「マジソン街のキャシーズだな? わかった。一時間後に行く」
電話が切れた。
三十分後、コニーは、プラネット・トリビューン社のオフィスを出た。
*
ビルの谷の一画にあるガラス張りのコーヒーショップで、オレグ・チェレンコと向かい合ったコニーは、妙な胸騒ぎを覚えた。
理由は自分でもわからない。
だが、突然チェレンコが地球にやってきたことに特別な意味があるような気がした。
「地球に来ると、体が重たい」
チェレンコは、落ち着いてくつろいでいるように見えた。
「すぐに慣れるわ」
「慣れるほど長くいられないかもしれない」
「なぜ地球に来たの?」
「君の取材も進んだ頃だと思ってね。情報交換をするという約束だろう」
「情報交換の手段はいくらでもある」
「月と地球の間で安全な通信手段はない。すべての通信が連合政府や連合軍に傍受されていると考えたほうがいい。手紙のやりとりには時間がかかりすぎる。結局こうして直接会うのが、安全で確実だ」
「何か、有力な情報をつかんだの?」
「ヤマタイ国側のメッセージが月面都市群のインターネットに流れた」
「木星圏のメッセージが?」
「おそらく、アマチュア天文学者が傍受してネットに流したのだろう。月では、話題になっている」
「どんな内容なの?」
「『絶対人間主義』に基づいたプロパガンダだ。『地球の友人たちへ』というタイトルがついていた。ここにコピーを持ってきている」
チェレンコは、メモリスティックを取りだした。
コニーは、すぐにでもそれを見てみたかった。しかし、チェレンコをプラネット・トリビューン社に連れて行くのはまずいと思った。
「あたしのアパートへ行きましょう。ここで話をするより安全だわ」
「独身女性の部屋へ……?」
「変な気はつかわないで」
*
「人類の平和と尊厳を重んじるすべての人々に、ヤマタイの民を代表し、このメッセージを送る」
画面の中の人物は、そう語りはじめた。
軍服のようなものを着ている。いかつい顔をしているが、その眼はなぜか優しく感じられる。
これまでに、木星圏の軍人や政治家の写真やビデオ映像を何度か見たことがあるが、いずれもいかにもテロリスト然とした風貌だった。
今、パソコンの画面で話をしている人物は、まったく違っていた。コニーは、その人物に好感さえ抱きそうになった。
「われわれは、太陽の光も充分に届かぬ木星圏で、人類の英知の果てなきことを信じるに至った。この生命と知性の奇跡、人間の命をどこまでも守り通すため、われわれは立ったのである。地球連合はわれわれをテロリストと呼ぶ。しかし、恐怖によって太陽系を支配し、何より貴重な人命を危機にさらしつづけてきた地球連合とその軍隊に、屈するわけにはいかない。われわれは、人間を守り通す。地球連合は、政策を改めなければならない。われわれは、目的を達成するために、ありとあらゆる手段を用いることを、ここに宣言する。そして、われわれと志を同じくするすべての人々に、我らが戦列に加わることを求めるものである」
その演説が終わると、チェレンコが説明した。
「この人物は、アキツヒコと呼ばれている。地球連合でいえば、国務省長官のような立場の人間だ」
「アキツヒコ……」
コニーはつぶやいた。
木星圏の将校や閣僚は、独特の呼び名を持っていることを、コニーは知っていた。
地球ではあまり考えられない政治のシステムだが、軍人が閣僚を兼ねていることが多い。封建時代以前の政治システムだとコニーは思っていた。
高級将校や閣僚は、ヒコという呼び名を付けられるようだ。
ヒコの下には、タケル、ハヤトなどの称号があるらしい。
ヒコ、タケル、ハヤトは、いずれも称号であると同時に階級を表しているということだ。階級は地球連合軍のように細かく分かれているわけではなさそうだ。
「この映像は、アマチュア天文学者が傍受したと言ったわね」
「そうらしい」
「ならば、地球でも傍受できたはずよ。どうして地球のネットには流れなかったの?」
「敵国のプロパガンダだ。傍受しても無視されたのかもしれない。それに、地球は、連合軍の監視が厳しい。もし、これをネットにアップしようとする者がいたとしても、すぐに削除されてしまうだろう」
「たしかに、一般的なプロパガンダに過ぎない。でも、これが月のネットに流れたという事実が持つ意味は意外と大きいかもしれない」
チェレンコはうなずいた。
「地球圏や火星圏にも、『絶対人間主義』の信奉者はいる。そして、ヤマタイ国に共感する者も少なくない。それらが、海賊行為やテロを働いていると言われている。特に、月や火星は、地球から自治権を与えられているし、過酷な環境に住んでいるということもあり、木星圏の人々への共感を持つ人も多い」
「この放送を、ネットに流した人物も、木星圏のシンパサイザーかしら」
「その可能性はおおいにあるね。実際に行動に出ないにしても、心情的なシンパサイザーは少なくない」
「木星圏の連中はテロリスト集団よ。どうしてそんな人々に共感などするのかしら」
チェレンコは、かすかな笑いを浮かべた。どこか淋しげな笑いだった。
「君こそ、地球連合軍のプロパガンダに毒されているようだ」
「どういうこと?」
「ヤマタイ国は、地球連合からの独立を主張している。それをテロ行為だと言っているのは、地球連合が戦争を正当化したいためだ。そう考えたことはないのか?」
コニーは、地球連合軍のプロパガンダに毒されていると言われたことに腹が立った。何か言い返そうとしたが、言葉が見つからない。
あたしは、木星の側に立って物事を考えたことがあるだろうか。
ふと、そう思った。
ジャーナリストとしての資質が問われているような気がした。
たしかにコニーは、反戦の立場に立っている。しかし、それはあくまでも地球の側に立っての反戦論だ。
木星の人々が何を考えているかなど、あまり考えたことはない。戦争に反対する一方で、木星圏の人々がテロリストだという地球連合の言い分を漠然と受け容れていた。
今、地球では誰もがそうだ。
テロリストと戦うことは社会正義だというのが、一般的な論調で、人々はそれを信じている。
それが、地球連合軍のプロパガンダだと言われて、コニーは、返す言葉がなかった。
「あなたは月にいるから、地球のあたしよりも木星側の言い分に接する機会が多いかもしれない。木星の人々は何を考えているの? 聞かせてくれない?」
チェレンコは、ほほえみを消し去り、真剣な眼差しをコニーに向けた。
「木星圏に行ったことはあるか?」
「ないわ。あまりに遠すぎる。定期便もない。特別なコネがないと、木星圏へは行けない。あなたは、行ったことがあると言っていたわね。たしか、科学省の探査船に便乗したとか……」
「しばらくカリストに滞在していた」
「カリスト……。木星圏の中心地ね。話には聞いたことがある。極寒の地。放射能と磁場のせいで、人は地表で暮らすことができない……」
「そう。カリストには、どろどろに融けた氷の海がある。人々は、その中に巨大なカプセルを埋め込み、そこに街を作っている。街というより、村だな。木星からの豊富な資源をもとに、地球より核融合の技術が進んでいるから、エネルギーだけは豊富だ。そのエネルギーで人工の太陽灯をともし、人々は生活している」
「氷の海の中の街……。考えただけでもぞっとする……。でも、どうして、氷がどろどろの状態なの? 太陽からあんなに離れているのに……」
「カリストもガニメデもそうだが、放射性物質が内部から温めている。その熱は外には放出されない。結果的に氷を融かすことになるんだ」
「そこでは、人々はどんな生活をしているの?」
「生きるために戦っている」
「もともとは、流刑地《るけいち》だったのよね」
「労働力を確保するために、犯罪者が送り込まれていた時代もある。だが、カリストやガニメデには、科学者もたくさんやってきていた。核融合の技術開発と太陽系の辺境探査のためだ。そして、軍事施設だ」
「以前、木星方面隊の話をしたわね。何のための軍隊だったの?」
「木星圏を監視するための軍隊だ。木星は核融合関連の技術と資源の宝庫だ。地球連合政府としては、是が非でも直轄統治しておきたい場所だった」
「でも、木星方面隊は戦争前に撤退した。地球連合政府は、軍事費の削減により撤退したと発表していたけど、あなたは、木星方面隊が『絶対人間主義』に寝返ったのだと言ったわね」
「そうだ。木星方面隊の軍人たちも人間だ。過酷な木星圏で生きていくのはつらい。そこに、ヒミカを名乗る女性が現れて、『絶対人間主義』に基づく国家作りを唱えはじめた。人々は、それを信奉するようになった。木星圏に住んでいた軍人たちの中にもヒミカを信奉する者が増えはじめたんだ。そして、彼らは、ヤマタイ国軍の基礎を築いた。ヤマタイ国の科学技術と軍事力が非常に発達しているのは、もともとカリストが科学者と軍人の土地だったからだ」
「平均寿命が五十歳に満たないというのは事実なのね?」
「そう。しかし、みなが五十歳で死ぬわけじゃない。長生きをする者もいる。平均寿命が短いのは、新生児や幼児の死亡率が高いからだ。ジュピター・シンドロームが新生児にさまざまな障害をもたらす。人々は、我が子を失う悲しみの中で生きている」
コニーは、これまでジュピタリアンたちの悲しみのことなど考えたこともなかった。そんな自分を恥じていた。
アキツヒコと呼ばれる軍服を着た政治家の眼を思い出した。たしかにあの眼には悲しみが色濃く滲んでいるように感じられた。
「あなたは、ジュピタリアンのことをどう思っているの?」
チェレンコは肩をすくめた。
「俺はジャーナリストだ。事実をありのままに受け止める。ジュピタリアンに共感もしないし、地球連合に加担もしない。ただ、地球圏では、木星圏の情報が圧倒的に不足している。軍による情報管理だと、俺は思っている」
「たしかに、地球ではジュピター・シンドロームの資料もなかなか手に入らない。医療専門家も詳しいことは知らないと言う。あたしの印象では、ジュピター・シンドロームに触れることは、医学界のタブーといった感じよ」
「取材は思うように進んでいないということか?」
「ある政治家に近づくことができた。その政治家も、ジュピター・シンドロームに関心を持っている」
「誰だ?」
「ジンナイ上院議員」
「なるほど……」
チェレンコはうなずいた。「数少ない反戦派の一人だ」
「先日、本人に会って情報交換をしたわ。……といっても、一方的にしゃべらされた感じだったけど……」
「どんな情報を交換したんだ?」
「ジュピター・シンドローム第二世代以降の問題。ジュピター・シンドロームは遺伝子に影響を及ぼす。だから、障害を持った子が生まれてくるのだけれど、同時に通常の人間よりすぐれた能力を持った子も生まれてくる。いわゆるESPよ。非公式にそれを認めた専門家もいたわ。そして、軍には昔からESPについて研究している部署があるらしい。もし、本当にESPを持った子の出生率が高いとしたら、軍のその部署がほうっておくとは思えない」
「おそらく、その部署というのは、海軍情報部の中にある。その話を聞いたジンナイの反応は?」
「ジンナイに情報提供しているロビーイストとも話をしたんだけど、彼は、確固たる証拠がほしいと言っていた」
「確固たる証拠ね……。そいつはなかなか難しいな。そういう事実があったとしても、軍が握りつぶすだろう。海軍情報部が何かをやっていたとしても、その資料は厳重に封印されているはずだ」
「でも、事実を隠し続けることはできない。どんなに秘密にしようと、どこかから必ず漏れ出るはずよ」
「そう信じて取材を続けるしかないな」
チェレンコは、ソファから立ち上がった。「また、連絡する」
部屋から出ていこうとしているようだ。情報交換の時間は終わったということだ。「どこに泊まっているの? 連絡先を教えて」
チェレンコは、かすかな笑みを浮かべた。
「こちらから連絡する」
「ちょっと待ってよ」
チェレンコは部屋を出ていった。
コニーは、追いかけようとしたが思い直した。チェレンコは、とても用心深い。なぜかはわからないが、何かを警戒しているように感じられた。
どうせ、追いかけたとしても、宿泊先は教えてくれないだろう。
コニーは、パソコンに眼をやった。その中には、チェレンコがくれたメモリスティックが入ったままだった。
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第四章 火星上空の戦い
1
火星衛星軌道上
どいつもこいつも、気合いが入ってるじゃないか。
カーター大尉は、第一小隊の連中を眺めながら心の中でつぶやいていた。
強襲母艦アトランティスは、ようやくカタパルトの工事を終え、ベース・バースームを出航した。
火星衛星軌道上のパトロール任務に就きつつ、訓練ミッションをこなす予定だ。今回の訓練は、空軍との連携を目的としている。
だが、誰も空軍と協力することなど考えていない。連中に一泡ふかせてやろうと、やる気まんまんなのだ。
艦載機との訓練は日常的に行っていた。実際は、それとそれほど違わないだろうと、カーターは思った。
空軍の戦闘機は機動力がある。しかし、海兵隊にも、突撃艇が二隻あり、それを活用すればそれなりの機動力を発揮できる。
何より、第一小隊にはリーナのギガースがある。
空軍の要撃部隊が二チームに分かれ、それぞれ、海兵隊の第一小隊、第二小隊と組む。そして、模擬戦を行うのだ。
第二小隊のほうには、オージェ・ナザーロフ率いる三機が付くことになっている。オージェは、新型機に乗るらしい。
第一小隊のギガースに対抗するためだ。新型には新型というわけだ。
第一小隊に付く空軍要撃部隊三機のリーダーは、髭のアレキサンドルだ。
でかい面をしているアレキサンドルがどの程度の腕なのか見せてもらおう。
カーターも血が熱くなった。
第一小隊の指揮を執るのはカーターだ。アレキサンドルもカーターの指揮下に入る。要撃部隊は、空軍用の周波数ではなく海兵隊用の周波数に合わせることになる。
カーターは、空軍の連中に、クロノスで行う身振りの意味を教え込んだ。ECMで無線が通じない状況を想定して訓練が行われる。
クロノスの身振りによる合図は、かなり有効なのだ。その身振りは、地上で海兵隊員が伝統的に使っていたものだ。
拳を握って肩の上に掲げると、「その場で止まれ」の意味になる。手を開けば「散開」だ。この合図は、特に突撃艇に対しては、テュールを展開しろという意味になる。
左手を前に振り出せば「突撃」や「撃て」の意味になる。
カーターたちは、リクリエーションルームでブリーフィングを行っていた。ブリーフィングルームは第二小隊とオージェたちが使っている。
「いいか、野郎ども。そしてお嬢さん」
カーターは言った。「容赦するな。第二小隊をこてんぱんにやっつけてやれ」
「そう簡単にいくかな……」
アレキサンドルが言った。「向こうには、エースパイロットのオージェ・ナザーロフ大尉がいる」
カーターはアレキサンドルに言った。
「なんだ、弱気になっているじゃないか。エースパイロットに勝ってやろうとは思わないのか?」
「相手が悪すぎる」
「空軍てのは情けないな。戦う前から負け戦を決め込むのか?」
「戦ってみればわかる」
「やってやるさ。こっちにだって、ギガースがいるんだ」
カーターは、リーナをちらりと見た。
リーナはカーターをまっすぐに見返していた。彼女は、ほほえんだ。まったく緊張した様子はない。
不思議な少女だ。
カーターは思った。いくら訓練とはいえ、出陣の前は大の男でも緊張で震えが来たりする。
「リーナ」
カーターは言った。「この空軍さんは、オージェが怖いらしい。おまえさんが相手をしてやれ」
「了解です」
リーナは、平然と言った。
*
最初に空軍機が艦載機デッキから飛び立った。
カーターのチーム・グリーンは、ゆっくりと宇宙の海にダイブした。チーム・イエローの突撃艇がそれに続き、最後にチーム・レッドの突撃艇がダイブする。
カーターは腕と脚によるモーメンタル・コントロールでクロノスの姿勢を制御した。カタパルトによるダイブとモーメンタル・コントロールで、この間推進剤はほとんど使用していない。
今、第一小隊とアトランティスは、等速度で軌道を回っており、互いに静止しているように感じられる。
第二小隊は、アトランティスの向こう側に展開する予定だ。
カーターはすべての隊員を点呼しチェックした。いずれも力強い返事が返ってくる。それから、アレキサンドルに呼びかけた。
「空軍さん。調子はどうだ?」
「いらん心配だ」
カーターは、アトランティスのほうを向いて相手の出方をうかがった。
無線と電波を使ったレーダーがきかなくなった。アトランティスがECMを始めたのだ。戦闘開始の合図だ。
カーターはクロノスの左の拳を掲げた。止まれの合図だ。後方では、二隻の突撃艇と空軍機が等速度運動しており、静止して見える。
カーターの右手にはホセのクロノス、左手にはリーナのギガースがいる。ギガースの白く輝く洗練されたスタイルに巨大なメインスラスター。そしてそのスラスターの両脇にある大きな翼は、宇宙の海で見るたびに驚きを感じる。
ギガースに比べると、クロノスは、大きな宇宙服にしか見えない。
なんの……。
カーターは、自分で自分を励まし、クロノスの右手にあるライフルを強く意識した。
クロノスだってまだまだ現役でやれるところを見せてやる。
火星方向から何かが近づいてきた。空軍の戦闘機だ。下の軌道から加速しながら近づいてくる。
カーターは、クロノスのてのひらを広げた。「散れ」の合図だ。
二隻の突撃艇と、ホセ機、ギガースはそれぞれスラスターからガスを噴き出して離れていく。
後方からカーターの脇を通り過ぎていったものがあった。
アレキサンドルの戦闘機ズヴェズダだ。二機の戦闘機がぴたりとそれに従っている。
「ばかやろう」
カーターは、無線が通じないのを承知でわめいていた。「勝手に動くな」
カーターは、メインカメラがついた頭部をリーナ機に向けた。そして、左手を前方に差し出した。
「行け」の合図だ。
悔しいが、空軍の戦闘機の機動力にかなうのはリーナのギガースだけだ。クロノスやテュールは、母艦を背にライフルを撃ちまくるしかない。
空軍の戦闘機とは推進剤の搭載量が違う。さらに、メインスラスターの出力にも大きな差がある。
だが、ギガースは、戦闘機並みのスラスターを持っている。推進剤は戦闘機ほどは持っていないので作戦行動時間には限りがあるが、短時間ならば戦闘機と互角の機動力を発揮するだろう。
ギガースのメインスラスターからガスが噴き出した。力強い加速でアレキサンドルたちの戦闘機を追う。
援護だ。
カーターもスラスターを噴かして軌道内を泳ぎはじめた。それに、ホセ機がぴたりと付いてくる。
チーム・イエローの突撃艇がそれに続いた。チーム・レッドは最後尾だ。
第二小隊のクロノスが見えてきた。アトランティスの向こう側に展開している。カーターはそちらを目指した。
突然、アトランティスの陰から空軍の戦闘機が姿を見せた。機首をこちらに向けたまま垂直に浮かび上がってきた。
見たことのない機種だ。
これが新型か……。
オージェが乗る機体だ。
カーターは、模擬弾をフルロードした二十ミリ無反動機関砲のライフルを新型に向けてトリガーを絞った。
新型戦闘機の機体がすっと横に滑る。曳光弾がその翼の脇を通り過ぎていった。
「ちっ。こっちの動きを読んでいると言いたいのか……」
カーターは、ライフルを連射した。
後方からも曳光弾が飛んでくる。テュールが突撃艇を離れて射撃を開始したのだ。
第二小隊のテュールも展開して撃ち始めた。カーターは、被弾しないように絶えず全身のスラスターを使って移動し続けた。
空軍機がドッグファイトを展開している。宇宙空間独特の戦いだ。機首を進行方向と逆に向けて二十ミリ無反動機関砲を撃っている機もある。
「惜しげもなく推進剤を使いやがる……」
カーターは、空軍機の動きを見ながらつぶやいていた。
オージェ機の下から、突然ギガースが姿を見せた。
オージェ機が現れたときのように唐突な出現だった。オージェ機は、スラスターを使い、機首をギガースに向けようとする。だが、ギガースの動きはそれを上回っている。
オージェは不利を悟ったのか、いきなりメインスラスターを噴かして急加速した。新型機は、一直線に飛び出す。ギガースもメインスラスターから勢いよくガスを噴射してその後を追った。
オージェは高速度を維持したままくるりと機首を巡らせて後ろ向きになり二十ミリ無反動機関砲を撃ち始めた。
ギガースは目まぐるしく動いて曳光弾の筋をかわしながらオージェ機を追う。
「あの加速……。見ていてはらはらするな……」
カーターは、細かな移動を繰り返しながら戦場の状況を把握しようとしていた。空軍機がこちらを狙っているのに気づいた。
まっすぐにカーターのクロノスに向かって慣性移動している。
「ふん。俺を沈めようってのか」
カーターは、右手のライフルを構えた。トリガーを絞る。模擬弾と曳光弾が戦闘機に向かって伸びていく。
空軍機は胴体脇のスラスターを使って機を横滑りさせる。
「逃がすかよ」
すでにモニターの中のターゲットスコープに相手をロックしていた。そうすると、クロノスの右腕は自動的に相手を追っかける。
空軍機はなんとか弾をかわそうと、数ヵ所のスラスターを駆使して動き回ったが、ついにカーター機のライフル弾に捕まった。
相手は、悔しげにカーター機のすぐそばを通り過ぎていき、やがてアトランティスに引き上げていった。
機のコンピュータが被害率を計算して、状況離脱を命じたのだ。
空軍機を撃ち落としたのだ。
「ざまあみろ」
カーターは気分が高揚した。「機動性には劣るが、こっちは器用なんだよ。腕を自在に動かせるんだ。機首を相手に向けなきゃならんおまえさんらとは違うんだ」
戦況は一進一退といったところだ。
敵のクロノスが、突撃艇の足を止めようとしている。ホセがその応戦に加わっていた。
カーターは、この戦局のポイントが二つあると判断した。
一つは、敵クロノス隊とチーム・イエローの突撃艇の戦い。そこに、ヒュームスが集中している。
もう一つは、オージェとリーナの戦いだ。
カーターは、四方のモニターを見回してオージェ機とギガースを探した。
両機は、互いにさまざまな方向への加速を続けながら、ドッグファイトを演じている。
リーナ機の動きは、オージェの戦闘機に劣らない。さらに、腕を自由に使ってライフルで狙いを付けられるので、戦いでは優勢に立っているように見える。
他の空軍機の動きは見て取れない。おそらくアトランティスの向こう側でドッグファイトをやっているのだろう。
もしかしたら、ほとんどが状況離脱してしまったのかもしれない。
カーターは、弾に当たらぬように絶えず移動を続けながら、オージェ機とギガースの戦いを見つめていた。
危機が迫れば、必ずクロノスに搭載されたコンピュータのムーサが知らせてくれる。カーターはそれを信じていた。
以前、リーナに言われたことがあるのだ。ムーサは常に全力でドライバーを助けようとしているのだと。
リーナには、特別な力がある。
彼女はサイバーテレパスなのだ。高度なコンピュータシステムと心を通わせることができるらしい。
そんなことは不可能だと思っていたが、リーナはたしかに、カーター機のムーサとインターフェイスなしでコンタクトしたことがある。
リーナは、もっとムーサを信じるべきだとカーターに言った。そうなれば、もっと気分は楽になると……。
事実そのとおりだった。今は、戦闘訓練中にもかかわらず、こうして余裕を持っていられる。
オージェの戦いぶりもさすがに見事だった。メインスラスターで加速しておいて、すぐに慣性飛行に移行する。胴体のスラスターを駆使して機体を揺らして弾を避けると、機首を何とかギガースに向けようとしていた。
ギガースが突然、メインスラスターを全開にした。恐ろしいほどの加速だ。軌道の下のほうに向かっている。
「危ない」
思わずカーターは叫んでいた。
軌道を脱して、火星の引力に捕まってしまう。
だが、次の瞬間、ギガースのメインスラスターの方向が変わった。軌道との接線方向に向かっているように見える。
小規模なリブーストといえるだろう。
おそらく、ギガースの中では軌道離脱の警戒音が鳴り響いているだろう。ムーサが軌道離脱防止プログラムを開始する直前に手動でリブーストしたに違いない。
その動きには、さすがのオージェも虚をつかれたようだ。
あわてて機首を軌道の下のほうに向けようとした。しかし、ギガースの動きのほうが早かった。
オージェ機を下から、攻撃する形になった。戦闘機の弱点は下にある。それは、地球での戦闘時代からの伝統だ。
オージェ機は、他の戦闘機のような円蓋はないから、おそらくヒュームスのようなモニター装置を使っているのだろうが、下方は見えないに違いないとカーターは思った。
リーナのギガースがライフルを発射する。曳光弾が宇宙の海にラインを描き出す。その光の線がオージェ機に吸い込まれていった。
「やったぞ。直撃だ」
カーターは喚声を上げていた。
オージェ機は、目まぐるしい動きをやめた。機首をアトランティスに向けると、メインスラスターを一噴かしした。そのまま慣性飛行でアトランティスに向かう。状況離脱だ。
コクピット内に警戒音が鳴り響いた。
ミサイルにロックオンされたのだ。
「どこだ?」
カーターは、四方のモニターを見回した。
いた。空軍機だ。たしかズヴェズダはミサイルを四基持っているはずだ。
五秒以内に振り切るか、相手をやっつけないと、状況離脱を宣言される。
カーターは、ターゲットスコープに相手を捉えようとした。相手はこちらをロックオンしているので、動きは激しくない。
「三……」
カーターは、口に出して秒読みした。
「二……」
慎重に相手を狙う。
「一……」
トリガーを絞った。
クロノスのライフルから、模擬弾と曳光弾が発射される。それが相手の戦闘機に吸い込まれていく。
警戒音が止んだ。
相手を撃墜したのだ。
とたんに、無線が回復した。
ありとあらゆる声が耳に飛び込んでくる。戦っている仲間のつぶやきやわめき声だ。
アトランティスから信号弾が発射された。赤い光の球が見える。
それに続いてエリオット大佐の声が聞こえてきた。
「本日の状況終了。繰り返す。本日の状況終了。全機、本艦に帰投しろ」
火星衛星軌道上
強襲母艦アトランティス
ヒュームス・デッキでは、リーナのキャッチボールが行われていた。キャッチボールというより、バレーボールに近いかもしれない。
これは、アメリカのハイタッチや日本の胴上げに当たる。
空軍のエースを沈めたということで、全員がリーナを祝福しているのだ。カーターも満足だった。
今日の模擬戦は、第一小隊の勝ちだ。相手の被害率が限界を超えたところで、状況終了となったのだ。
「艦載機のデッキに行ってみたいな」
ホセが言った。「エースがどんな顔をしているか見てみたい」
すると、カウボーイが言った。
「俺は、あの髭のオヤジの顔を見てみたいよ」
みんな、がやがやと何かを話している。その声がぴたりと止んだ。
カーターは何事かと、隊員たちを見た。彼らは、ヒュームス・デッキにテラス状に張り出している廊下を見上げていた。そこは、出入り口に接している。
廊下の手すりから身を乗り出すように、空軍の要撃隊員が見下ろしていた。中央に、オージェ・ナザーロフがいる。
ヒュームスにエースが撃墜されたのだから、彼らは面白くないだろう。みな仏頂面だ。第一小隊の隊員たちも、反感を露わに見上げている。
一触即発といった雰囲気だ。
「何か用か?」
カーターは、空軍の連中に言った。
オージェがこたえた。
「ギガースのドライバーと話がしたい」
カーターは、海兵隊員たちが何か言う前に釘を刺した。
「おまえたち、余計な口出しはするなよ」
それからオージェに眼を戻した。「いったい何の話がしたいというのだ?」
「今日の訓練について、話し合いたい」
カーターは、リーナを見た。
「空軍のエースがご指名だ。どうする?」
リーナはうなずいた。
「お望みとあらば……」
カーターは、オージェに言った。
「ただし、俺も同席する。彼女の言動には上官である私が責任を持たねばならない」
オージェは、しばらく考えていたが、やがて言った。
「けっこう。ご同席願おう」
アフリカ系の巨漢、リトル・ジョーがぼそりと言った。
「リーナに何かあったら、俺が許さない……」
カーターはリトル・ジョーにほほえんだ。
「ほう……。彼女に対する態度がえらく変わったじゃないか」
リトル・ジョーは、大きな体をもてあますようにもじもじとした。
カーターは、床を蹴った。ふわりと体が浮き、テラス状の廊下に向かう。
「リーナ、ついて来い」
「はい」
リーナのきびきびした声が聞こえてきた。
*
空軍の連中も同席するかと思ったら、オージェは、彼らを追い出してしまった。リクリエーションルームには、オージェ、リーナそしてカーターの三人だけがいた。
現在、アトランティスは通常の航行をしているので、リクリエーションルームには回転による人工重力があった。
カーターとリーナはテーブルに向かって並んで腰かけ、オージェはその向かい側に座った。
「さて、今日の訓練について話し合いたいということだが……」
カーターはオージェに言った。
オージェは、優雅にうなずいた。
「正直に言って、ギガースの動きには驚かされた。私はあの動きにまったく対処できなかった」
同感だ。カーターは思っていた。軌道を外れそうな加速。そして、次の瞬間のリブースト。あの一瞬は、カーターも度肝《どぎも》を抜かれた。
オージェは続けていった。
「しかし、あれはきわめて危険な動きだった。軌道を外れる恐れがあった。われわれ空軍の訓練では、軌道をそれて惑星の引力に引かれる危険のあるような飛行は禁じられている」
「つまり、リーナがフェアじゃなかったと言いたいのか?」
オージェはかぶりを振った。
「そうではない。私が負けたのは、技術が未熟だったからなのだろう。それは認める。だが、どうしてあんな危険な真似ができるのか。それを知りたい」
カーターはリーナを見た。
リーナはこたえた。
「危険ではありません。ギガースのスペックを考えれば、まだ余裕はあります。あの時点で、推進剤はまだたっぷり残っていました」
「危険ではない? 私にはそうは思えなかったが……」
「私はギガースとムーサを信頼しています。ムーサは私の信頼にこたえてくれます」
「ムーサ?」
「ギガースのコンピュータにインストールされているOSです」
「ヒュームスは、戦闘機に比べるとコンピュータに対する依存度が高いと聞いている。私は機械に依存するのは、なんだか不安に思えるのだが……」
「依存するのではありません。力を借りるのです。宇宙で人間ができることには限りがあります。人間という種は、地球の重力と大気の中で生まれたのです。宇宙の海は人間には過酷過ぎます。何かに守ってもらわねばなりません」
「ヒュームスのシステムとコンピュータが守ってくれるというのか?」
「そうです」
「空軍のパイロットは自分自身の腕を何よりも信頼している。いざというときに、頼れるのは、自分の腕だけだと教えられる」
「外洋に出たら、その考えは通用しなくなります。宇宙の航行には厳密な軌道計算が必要です。それは、人間の能力を超えているのです。コンピュータの助けが必要なのです」
「それはわかる。だが、母艦を基地と同じと考えれば、今までの空軍の飛び方も充分に役に立つと思うが……」
「ヒュームスのサポートに徹してくれるというのなら……」
「われわれを、君たちが艦載機と呼ぶ、あの戦闘ポッドと同様に考えようというのか?」
オージェは、かすかに怒りを滲ませた。
空軍パイロットの誇りが傷ついたのだろう。
カーターは、リーナに拍手を送りたくなった。
だが、そんなカーターの思惑をよそに、リーナは言った。
「そうではありません。ヒュームスには、空軍機のサポートが必要なのです。あの機動力が……。でないと、敵のトリフネには勝てません」
「トリフネか……。私はまだ実際に戦ったことがない。手足を持った戦闘機だと聞いている」
「そうです。地球連合軍の空軍戦闘機の機動力と、ヒュームスの作業性を併せ持っています。空軍と海兵隊が協力をしなければ、対抗できないでしょう」
「そういう意味では、今日の訓練は重要な意味があったということか……」
「そう思います」
「ギガースならば、トリフネに対抗できるだろうな」
「時間が問題になってきます。おそらく、トリフネの作戦行動時間は、空軍の戦闘機並みでしょう。ギガースの数倍あるはずです」
「なるほど……。やっかいな敵だ」
「木星圏の人々は、地球の人々とどこかが根本的に違います」
「根本的に違う?」
「木星圏の人類は、青い空も温かい海も知らない。彼らは海の中のカプセルのような街で生まれて死んでいくと聞いています。おそろしく過酷な環境に耐え、それを克服するために、彼らはありとあらゆる知恵を必要としたのです。トリフネもそうした木星圏の知恵が生んだのでしょう。ジュピタリアンたちは、科学の力を信じています。そして、それは人間という宇宙で一番大切なものを守るためのものと考えているのです」
「『絶対人間主義』か……。トリフネのパイロットたちも、君同様に、機体のシステムやコンピュータを信頼しているということか?」
「当然そうだと思います。そして、トリフネのシステムも、ムーサのようにドライバーを守るために全力を尽くしているはずです」
「なんだか、君と話をしていると、コンピュータが人格を持っているような気がしてくる」
カーターは、これ以上突っ込んだ話は危険だと思った。
リーナがサイバーテレパスだということは、軍機扱いのはずだ。
「ジュピタリアンたちがどんな連中かという話なら、またにしてくれないか。リーナも私も、シャワーを浴びてくつろぐ権利があるんだ。ナザーロフ大尉、君もそうしたいだろう?」
「オージェでいい。カーター大尉の意見ももっともだ」
「エドワードでいい」
カーターはオージェの口調を真似て言った。
「最後にもう一つだけ訊かせてくれ」
オージェがリーナに言った。
「何でしょう?」
「私はどうすれば、ギガースに勝てるようになるんだ?」
カーターは、この言葉に驚いた。
オージェがこれほど謙虚な男とは思わなかった。
リーナはほほえんだ。
「いつだって勝てます。今日は私にツキがあっただけです」
「そうは思えない。教えてくれ。君ならどうすればいいか知っているような気がする。トリフネと戦うためにも、それを知ることが重要だ」
「私は、すでにこたえを申しました」
オージェはちょっと考えている様子だった。
「つまり、システムやコンピュータをもっと信頼しろと……?」
「そうです。大尉がお乗りになっている新型機には、ヒュームスと同様のコクピットシステムが導入されている様子です」
オージェはうなずいた。
「同様のモニターを採用している」
「ならば、もっとそれを信頼してみてはいかがでしょう」
オージェは、またしばらく考えていた。
やがて、彼は言った。
「わかった。そうしてみよう」
オージェは立ち上がった。
話は終わりだということだろう。
リーナも立ち上がった。カーターは、二人の様子を見てからおもむろに立ち上がる。
リーナが海軍式の脇をしめた敬礼をした。オージェは空軍式の敬礼を返した。
リクリエーションルームを出ると、そこには空軍の連中が顔をそろえていた。
彼らも、リーナとオージェがどんな話をしたのか興味津々の様子だった。
カーターは、彼らに言った。
「君らのエースは、実にすばらしい男だな」
それを聞いたアレキサンドルは、狐につままれたような顔をしていた。
彼らから離れると、カーターはリーナに言った。
「少々危険な話題だったように思えますが……」
「危険……?」
「少佐がサイバーテレパスであることをオージェに知られるわけにはいきません」
「みんな、もっとシステムを信頼していい。あたしは、本気でそう思っています」
カーターはうなずいた。
「自分は、その言葉を信じて救われました。ムーサを信頼することで、気分が楽になったのです」
「トリフネのドライバーたちは、機体のシステム以上のものを信頼している」
「機体のシステム以上のもの?」
「そう。だから、あたしたち以上に自由に軌道内を動き回れるのです」
「それは、いったい何ですか?」
「わからない」
リーナは言った。「それを突き止めなければ……」
「それが少佐の役割というわけですね」
「小隊長」
リーナが緑がかった茶色の眼をカーターに向けた。
「何でしょう?」
「あたしが少佐だということは忘れてください。今は、海兵隊の少尉です。二人きりのときでもそういうふうに接していただかないと……」
「わかりました」
「ほら、また……」
カーターは苦笑を浮かべた。
「そうだな。どこで誰が見ているかわからない。大尉の俺が、リーナにぺこぺこしているところを見られたら、変に思われる」
「それそれ。そのほうが、自分も気が楽です」
自分の小隊にリーナが配属になったとき、カーターは、心底うんざりした気分だった。怒りすら感じた。
小娘に海兵隊員がつとまるはずがない。そう思っていた。
だが、今は、第一小隊にはリーナはなくてはならない存在になるかもしれない、そんな予感すら感じていた。
2
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
土曜の朝、コニーは久しぶりに朝寝のけだるい快楽に身を任せていた。
ドアチャイムでそのまどろみを邪魔されて、コニーは枕に顔をうずめて毒づいた。
誰かがしつこくチャイムを鳴らしている。
「うるさいわね……」
コニーは、しかたなく起きあがり、Tシャツとショートパンツ姿のままドアを開けた。ドアの外には、背広を着た男が二人立っていた。
コニーは、たちまち不安になった。
男たちの眼差しは冷たい。その眼を見て、どういう連中がすぐに察しがついた。
「コニー・チャンさんですね」
言葉は丁寧《ていねい》だが、態度は威圧的だ。
「そうよ」
男たちの一人が革のケースを取り出し、開いて身分証を見せた。
「UNBIです」
連合保安局だ。思った通り司法関係者だが、ただの警察官ではない。
「この人物をご存じですね?」
銀色の髪に青味がかった灰色の眼をした男が、写真を差し出した。
もちろん知っていた。それは、オレグ・チェレンコの写真だった。
「知ってるわ」
「彼と接触しましたね?」
「接触……。それ、どういうこと?」
「彼と会いましたね」
「会ったわ」
「ご足労ですが、われわれとご同行願います」
拒否を許さない強い口調だった。
「なぜ?」
「彼が何者かご存じのはずです」
「知ってる。彼はアームストロング・タイムズの記者よ」
「けっこう。詳しいことは、後ほどうかがいましょう。さ、支度《したく》をしてください」
コニーは、腕組みをした。
「理由がわからずに、同行はできないわ」
コニーは、連合保安局の男たちに腹を立てはじめていた。彼らの秘密めいた物言いが面白くない。
灰色の眼の男が言った。
「できれば、手錠を使いたくないんです。そのままの恰好で連行されるのも不本意でしょう。私たちは気をつかっているのです。支度をしてください」
「連行……? あたしに何かの容疑がかかっているというの? だったら、それを聞かせて」
後ろに立っていたやや若い男が言った。こちらは黒い髪に茶色の眼をしている。ラテン系のようだ。
「早くしなさい。でなければ、本当に手錠をかけますよ。あなたには、スパイ容疑がかかっているんだ」
「スパイ容疑……」
コニーは、まったく現実味を感じなかった。「それ、どういうこと?」
灰色の眼の男が溜め息をついた。
「詳しい話は後ほど、と申し上げたはずです」
「今ここで、はっきりと言って。今よ」
コニーは腕組みをしたままで言った。
灰色の眼の男は、あくまで無表情にコニーを見つめていた。あまりに表情に乏しいので、その眼がガラス玉のように見える。
「この写真の男は、木星圏のテロリストのスパイです。木星圏では、タカメヒコと呼ばれています」
「タカメヒコ……」
コニーは、何かの間違いだろうと思った。でなければ、悪い冗談だ。だが、目の前の男たちは、明らかに冗談とは無縁の存在だった。
「ヒコというのは、ヤマタイ国の高官の称号よね……」
「そう。タカメヒコは大物です」
ひたひたと衝撃が押し寄せてきた。
コニーは、あまりのことに玄関に立ち尽くしていた。
灰色の眼の男はうながした。
「さあ、早く支度をしてください。本当にその恰好のまま、来ていただきますよ」
コニーは、混乱し何をしていいかわからなくなった。捜査官の言葉に従うしかなかった。へたに動いたら、事態をさらに悪くするような気がした。
編集長に連絡すべきだったと気づいたのは、コニーが黒塗りの公用車に乗せられた後のことだった。
*
コニーが連れて行かれたのは、連合政府の総合庁舎ビルの裏手にある、それほど大きくないビルだった。どこか古びていて、荒れた印象がある。
部屋は殺風景だった。正面に大きな鏡がある。粗末なテーブルと椅子が数脚置かれているだけだった。
正面の鏡はおそらくマジックミラーだろうと思った。その向こうで誰かが、コニーのことを見つめているに違いない。
灰色の眼の男がテーブルをはさんでコニーの正面に座り、黒い髪の若い捜査官が戸口の側の壁にもたれて立っていた。
「タカメヒコは、今どこにいる?」
灰色の眼の男の口調が、さらに高圧的になっていた。
「知らない」
コニーはこたえた。
「知らない……」
灰色の眼の男は、確認するような口調で繰り返した。
「本当よ」
「われわれは、あなたに協力を求めている。わかりますか? あなたが協力的ならば、われわれにも多少は、あなたのためになる措置を取ることができる」
「言っている意味がわからない」
戸口のそばに立っていた、若い捜査官が言った。
「タカメヒコの居所を吐けば、少しは罪を軽くしてやることもできると言ってるんだ」
「罪を軽くするですって?」
コニーは言った。「あたしは何の罪も犯してはいないわ」
灰色の眼の男が、大きく息をついてから言った。
「あなたは、先週の水曜日に、タカメヒコと接触した。マジソン街のキャシーズというコーヒーショップで落ち合い、そのあと、あなたのアパートに行った」
コニーは驚いた。
「尾行していたの?」
「UNBIは、無駄飯食らいだと思ったら大間違いだ」
「たしかに彼とは会った。でも、彼がスパイだなんて知らなかった。今でも信じていない」
灰色の眼の男は、冷たい笑いを浮かべた。
「われわれに、そんな言い逃れが通ると思っているのか?」
「言い逃れなんかじゃない」
突然、男はてのひらでテーブルを叩いた。部屋にその大きな音が響き、コニーは実際に飛び上がるほどびっくりした。
「なめるんじゃない。いいか? われわれが尾行していたのは、タカメヒコではない。彼の動向はキャッチしていなかった。タカメヒコほどのやつになると、きわめて用心深いのでね……。われわれがマークしていたのは、コニー、あんたなんだよ」
コニーは、信じられない気持ちで相手を見つめた。
「どうして……」
「あんたは、エジンバラ・トランスポートという輸送会社の知り合いに金を握らせ、ホープ号という船に乗り込んだ。そして、月に行く途中に、空間エアフォースの基地、ノブゴロドにまんまと潜入して、オージェ・ナザーロフにインタビューした。そこまではいい。だが、あんたの記事は、オージェ・ナザーロフの戦果に対する疑いに満ちていた。有り体に言えば、あの記事は危険な記事だった」
「待ってよ。危険な記事というのはどういうこと。そういう言い方こそ、言論に対する弾圧だわ」
「弾圧などしていない。事実、あの記事は検閲など受けずに、新聞に掲載された」
「でも、あなたたちはあたしをマークするようになった……」
コニーは、怒りを覚えた。
地球連合は、少しずつ、おかしくなってきている。表だった言論弾圧はしない。しかし、陰では当局に対する危険思想をチェックしているということだ。
表だった言論弾圧より、やり方が陰湿だ。
「さらに……」
灰色の眼の男は言った。「あんたは、ジュピター・シンドロームのことを嗅《か》ぎ回っていた。そこで、われわれはあんたの動向をチェックすることにしたわけだ。すると、大物があんたの前に現れた。あんたが、スパイであることに疑いの余地はないんだ」
灰色の眼の男の言葉を聞いて、コニーの頭の中にいろいろな考えが一気に浮かんだ。
ジュピター・シンドロームはやはり、地球連合にとっては危険な何かを含んでいる。この捜査官がどこまで、ジュピター・シンドロームのことを知っているかは疑問だ。だが、少なくとも、その内容を知られることが、地球連合当局にとって危険であることは知っている。
ジュピター・シンドロームのことを調べるようにと、コニーに示唆《しさ》したのは、間違いなくオレグ・チェレンコだ。
そう考えると、オレグ・チェレンコがタカメヒコという名のスパイだというのは本当かもしれない。
タカメヒコは、利用できる相手を探していたのかもしれない。どうやってコニーのことを知ったのかは、知る由もない。だが、今考えれば、チェレンコの接触の仕方は不自然だったかもしれない。
まるで、コニーが泊まっているホテルのバーで、彼女を待ち伏せしていたかのようだった。
しかし、不思議とチェレンコに利用されたことに腹は立たなかった。
腹立たしいのは、明らかに目の前にいる捜査官と、彼らが所属している地球連合政府だ。彼らは、なんとか今回の戦争を継続しようとしている。
チェレンコが絶えず身辺に気を配っていた理由がようやく納得できた。
彼がコニーにジュピター・シンドロームのことを調べるよう言ったのは、たしかに彼らの利益のためかもしれない。
その利益とは何か。
戦争を終わらせることではないか。
コニーはそんな気がした。
戦争を仕掛けたのは、木星側だということになっている。今回の戦争は、木星圏の独立戦争なのだ。
だが、それだって、地球連合政府が発表したことなのだ。木星圏からの情報は厳しく規制されている。地球にいるとそれがわからない。
地球は今のところ安全だ。戦場は、はるか宇宙の彼方だし、多くの人にとって、戦争はビデオゲームのようなものでしかない。
だから、人々は強い関心を抱かない。新聞やテレビを見て、戦果を喜ぶだけだ。ひいきの野球チームの勝ち負けを気にする程度のことだ。
それが、地球連合政府の計画だとしたら、今のところ、思惑通りに進んでいる。
チェレンコは、それを打ち壊そうとしたのだ。それは、ジュピタリアンのためかもしれない。しかし、本当は地球の人類のためでもあるのかもしれない。
コニーは、灰色の眼を見据えて言った。
「あたしはスパイじゃない。一切のスパイ行為もしていない。あたしはジャーナリストとしての取材をしていただけよ」
「では、なぜ、ジンナイに会った?」
「それも取材よ」
「取材ね……。あんたが、タカメヒコとのツナギ役なんじゃないのか?」
「言いがかりだわ」
「言いがかりなどではない。ジンナイがオオタというロビーイストを使って、やはりあんたと同じくジュピター・シンドロームのことを嗅ぎ回っていることは、調べがついている。われわれの眼は節穴ではない」
コニーは、ジンナイが慎重だった理由にも気づいた。
ジンナイは、数少ない反戦派だ。そして、現政府には、反戦派というのは危険分子なのだ。
彼も厳しい戦いを強いられているということだ。
うかつだった。
コニーは、悔いた。ジンナイと接触し、さらにチェレンコと会ったことで、ジンナイの立場が悪くなるかもしれない。
目の前にいる捜査官のような下司《げす》は、どんな些細《ささい》なことにでも言いがかりをつけようとするだろう。それを利用しようとする主流派の政治家はいくらでもいるはずだった。
もし、ジンナイに何かあったら、この戦争はさらに激化し、人類は泥沼に引きずり込まれることになるかもしれない。
良心を持った政治家は常に少数派なのだ。どんなことがあっても、ジンナイを守らなければならないと、コニーは思った。
「上院議員は関係ない。あたしは、ジュピター・シンドロームのことについて、何か聞こうと思っただけ。でも、彼は何もこたえてはくれなかった」
「まあいい。非国民のジンナイは、私の担当ではない。別の部局が担当する。問題はタカメヒコだ。やつはどこにいる?」
「言ったはずよ。あたしは知らない。嘘発見器でも何にでもかければいいわ。自白剤を使う?」
灰色の眼の男はゆっくりと体を後ろに引き、椅子の背もたれに寄りかかった。
そのとき、部屋のどこかでブザーが鳴った。戸口の側に立っていた若い捜査官が、ドアを開けた。
戸口で、誰かとしばらく話をしていた。それからドアを閉めると、彼はテーブルの捜査官に近寄って耳打ちした。
彼らのすべての行動が秘密めいていて、不愉快だった。故意にこちらの不安をかき立てようとしている。
たしかに不安だった。だが、コニーは意地でもそれを顔に出すまいとしていた。
若い捜査官がテーブルに何か置いた。コニーはそれを見て、しまったと思った。
メモリスティックだった。チェレンコが置いていったものに違いない。
灰色の眼の捜査官は、椅子の背もたれに体をあずけたまま言った。
「これは、あんたの部屋のコンピュータから取りだしたものだ。もちろん、令状を持って出かけた捜査官が押収してきたものだ。実に興味深いものが映っていたな……」
コニーは口を固く結んでいた。
どんな申し開きも、彼らは聞く耳を持たないだろう。
「これはテロリストの大物、アキツヒコの演説だ。こんなものを地球圏で手に入れられるはずはない。アキツヒコというのは、あんたが会ったタカメヒコの上司に当たる男だ。これをいったいどこから手に入れたんだね」
こいつは、こたえを知っていながら尋ねている。それが悔しかった。
灰色の眼の捜査官は、繰り返した。
「これをどうやって手に入れた?」
コニーはこたえた。
「オレグ・チェレンコが置いていったのよ。彼は、それを月面都市のインターネットから入手したと言っていた。アマチュアの天文学者が傍受して、それをネットに流したのだろうと言っていた。あたしは、その言葉を信じたわ」
「それを、われわれにも信じろと言うのか?」
「あたしは、信じた。そう言っているだけ」
「これが部屋のコンピュータから出てきたということは、あんたのスパイ容疑がさらに固まったということだ」
彼は一呼吸置いた。「あんたはもう助からん。誰もあんたを救えない。刑期は長くなるぞ」
コニーは、唇《くちびる》を噛むしかなかった。
*
ジンナイは、地元の陳情団体の代表と昼食をとる予定になっていた。土曜日といえども、政治家は休むわけにはいかない。
外出の用意をしているところに、オオタから電話がかかってきた。
「まずいことになりました」
「何事だ?」
ジンナイは、くつろいだ感じのスポーツジャケットを着ていこうか、それとも少々かしこまったスーツを着ていこうか迷っていたところだった。
「電話では話せません」
「急ぎなのか?」
「できるだけ、早く会ってお話ししたいのですが……」
「わかった。自宅に来てくれれば、出かける前に十分だけ話ができる」
「すぐにうかがいます」
オオタは本当に、五分後にやってきた。おそらく、こちらに向かう途中の車の中から電話してきたのだろうとジンナイは思った。
オオタの顔は青ざめていた。滅多《めった》にないことだ。
「どうしたというのだ」
ジンナイは、ネクタイを結びながら言った。結局、スーツを来てでかけることにしたのだ。
「今朝、コニー・チャンが逮捕されました」
ジンナイは、手を止めた。
「逮捕?」
「スパイ容疑です。どうやら、ジュピタリアンのスパイと接触していたようです」
ジンナイはぴんときた。
「月の情報源というのは、そのスパイのことだったのだろうか……」
「スパイと知って会っていたのかどうかはわかりません。おそらくは、本当にただの情報源だと思っていたのでしょう。しかし、そんなことは、問題じゃありません。問題は、彼女がジュピター・シンドロームについて嗅ぎ回っており、われわれと接触したということです」
「たしかにな……」
ジンナイはいろいろなことを瞬時に考えた。
「一刻も早く、手を打たなければ……」
「手を打つ……? 何の手を……」
「コニー・チャンを切り離すのです。彼女とわれわれは何の関係もない。そういう事実を作り上げなければ、捜査当局の手があなたに及ぶ恐れがあります」
ジンナイは、しげしげとオオタを見つめた。オオタもジンナイを見返していた。
「驚いたな……」
ジンナイは言った。「私はまったく別のことを考えていた」
オオタの顔色はまだ悪い。
「別のこと……?」
「コニー・チャンとは協力し合うことを約束した」
「だから、それをなかったことにしないと……。できれば、会った事実すら消し去りたいのです」
ジンナイは、再び手を動かしネクタイを結び終えると、鏡を見て歪みを直した。
「私は、どうやったらコニー・チャンを助け出せるかを考えていた」
「助ける……」
オオタはかぶりを振った。「冗談じゃありません。コニー・チャンはスパイ容疑でUNBIに逮捕されたのですよ。助けようがありません」
「やるだけのことはやるべきだ」
「危険です。あなたにもスパイ容疑がかかる恐れがあります。それでなくても、現在のあなたの立場は微妙だ。反主流派で、政府から睨まれている」
「そんなことは承知の上だ。反戦は私の政治家としての信条だ。いいか、これは戦いなんだ。そして、コニー・チャンは私とともに戦うと約束してくれた。見捨てることはできない」
「たかが、新聞記者です。スクープのためにわれわれに近づいたに過ぎません」
「彼女は真剣にジュピター・シンドロームのことを調べていた。そして、軍の暗部に近づこうとしたのだ。私は、彼女を助けるために努力をしたい」
「今、あなたを失うわけにはいかないのです。あなたが、もしスパイ容疑で逮捕されたら、反戦派のリーダーを失い、戦争はさらに拡大し泥沼化するでしょう」
「私はスパイ行為など行っていない。その事実の強みがある」
「その言い分が、捜査当局に通用しますか?」
ジンナイは珍しく腹を立てた。
オオタへの怒りというより、危険な方向に傾きつつある政府に対する義憤だった。
「戦争というのは、ただ戦場で人が死ぬことだけが問題なのではない。政府が戦時下体制を言い訳に言論弾圧を強め、人権侵害を行い、それを社会が認めてしまうことも問題なのだ。反戦の戦いというのは、そういう政府の方針とも戦うことを意味している。それくらいの覚悟が、私にないとでも思っていたのか」
オオタは、にわかにジンナイの口調が激しくなったので、驚いた様子だった。彼は口をつぐんだ。
ジンナイはさらに言った。
「私にスパイの汚名を着せようとする者がいたとしたら、それは、政府の弾圧を意味している。私は断固として戦わなければならない。幸いにして、まだ地球連合では、民主的な手法が通用する。裁判を開かずに罪を断ずることはできない。コニー・チャンのケースだってそうだ。いいか。腕利きの弁護士を集めろ。有能なだけでなく、反骨精神の持ち主ならなおいい。そして、スパイ容疑についてのあらゆる手を考えさせるんだ。そして、コニー・チャンの逮捕については、司法当局の捜査に違法性がなかったかどうか、徹底的に調べさせるんだ。私の上院議員の立場が必要なら、いくらでも利用してくれ。わかったか?」
オオタは、肩をすくめて言った。
「コニー・チャンとの関係をもみ消すほうがずっと手間が掛かりませんがね……」
「君は彼女がスパイだと思うか?」
オオタは、しばらくジンナイを見つめていた。どうこたえていいか考えている様子だ。ジンナイは嘘《うそ》やごまかしを許さぬつもりで見つめていた。
やがて、オオタは言った。
「いいえ。そうは思いません」
「だったら、やるべきことをやろうじゃないか。スパイじゃないジャーナリストにスパイの容疑をかけて取材活動を妨害するなんて……。そんなことを許したら、民主主義の敗北だぞ」
「わかりました」
「デビッド」
ジンナイは、あらたまった口調で言った。
「はい」
「君も腹をくくれないのなら、今のうちに私と縁を切っておいたほうがいい。尻尾を巻いて逃げ出すんだな」
オオタはとたんに緊張した面持ちになった。
「いえ。私の考えが甘かったようです。私も全力で戦います」
ジンナイは、ようやくほほえむ気分になった。
「逆の立場を考えるんだ、デビッド。コニー・チャンが今どんな気持ちでいるか」
オオタはうなずいた。
「大至急、弁護団を組織します」
ジンナイは時計を見た。
「おっと、陳情団の代表を待たせるわけにはいかん。私はそろそろ出かけなければ……」
オオタは、きびきびと部屋を出ていった。
ようやく彼は本当に政治の世界に足を突っ込んだな。
ジンナイはそんなことを思っていた。
3
火星衛星軌道上
強襲母艦アトランティス
オージェ・ナザーロフは、用意された船室で考えに沈んでいた。
当初、戦艦に配属になると聞いたとき、狭い部屋に二段ベッドか何かで数人が押し込められる生活を想像していた。
実際には、狭いながらも個室が用意されていた。着任したときに、クリーゲル艦長が、それほど居心地は悪くないと言っていたのは本当だと感じた。彼は、日記を書くのを習慣としていた。
しかもコンピュータの磁気データや光ディスクにではなく、昔ながらに紙の日記帳にペンで書いた。
磁気データや光ディスクの寿命は意外に短い。紙のデータのほうがずっと長持ちすることが知られている。
いつ死ぬかわからない軍人だからこそ、その個人的な記録だけでも末永く残したいものだと、オージェは思う。
日記には、主にその日の任務の内容を書き記す。読み返してみると、パトロール任務と訓練が圧倒的に多い。
戦争といっても、ジュピタリアンとの戦争は戦闘と戦闘の間隔がひどく長く、平時とそれほど変わらないような気がしていた。
だが、それは主に地球の衛星軌道や、月の周回軌道を任地としており、戦闘のほとんどを宇宙海軍に任せていたからだ。
戦時の緊張感は持っていたつもりだが、こうして火星圏まで出向き、戦艦に乗り込むとやはり、緊張の度合いが違う。
先日の訓練も今までにないものだったと、オージェは感じた。
ギガースとそのドライバーのおかげだ。
戦闘機同士のドッグファイトとはまるで違っていた。ギガースは、火星の引力に引かれて墜落することも恐れてはいないように見えた。
戦闘機のパイロットは、失速や墜落の恐怖に打ち勝つことはできない。衛星軌道や周回軌道から外れることを極端に警戒する。
リーナは、根本的に違うようだ。
マシンを信頼しろと、彼女は言う。宇宙の空では大気圏の中を飛行するのとはまったく理屈が違う。どんな宇宙船であれ、軌道の束縛から逃れることはできない。
惑星や衛星の引力と運行をすべて計算し、それを利用して飛行する。当然、通常の人間の計算力は及ばない。
コンピュータを利用することになる。
宇宙旅行の歴史はコンピュータが切り開いたと言ってもいい。当然、戦闘機だろうが、輸送船だろうが、戦艦だろうが、艦載機だろうが、宇宙を飛行するすべての乗り物にはコンピュータが積み込まれており、航行の多くの部分を任せている。
その割合は、遠くへ旅する乗り物のほうが当然多くなる。惑星や衛星の周回軌道だけを作戦エリアとする空間エアフォースの戦闘機は、かなり手動を優先することができる。
だが、宇宙海軍の船は、必然的にコンピュータに頼る部分が大きくなる。さらに、ヒュームスという乗り物の特殊性がある。
あれは、乗り物というよりも作業機械だ。腕を動かすにも、指を動かすにもコンピュータの助けを借りている。
コンピュータに支配された機械だと言っていい。だから、リーナのような考え方になるのかもしれない。
オージェは考えた。
ヒュームス乗りは、みんなリーナのような考え方をしているのだろうか。もし、リーナの言ったことが、ヒュームスの特殊性から来ているのだとしたら、当然そういうことになる。
しかし、どうも見ているとそうではなさそうだ。
海兵隊員も空軍のパイロットと同じで、自分の腕を自慢したいのだ。カーターたちを見ているとそんな気がする。
タフが売り物なのは、海兵隊の伝統だ。地球時代から、一番勇猛なのは海兵隊員だという自信を、彼らは持っている。
コンピュータに身を任せれば戦果が上がるなどとは、口が裂けても言わないだろう。だが、リーナは平然と言ってのけた。
やはり、彼女は特別なのだ。
彼女は、空軍、海兵隊を合わせたすべての兵士の中で、もっとも思い切った飛び方をした。それは、間違いない。
それは、彼女が特別だからだろうか。
オージェは、真剣に考えていた。
もし、本当にリーナが言うとおり、ツィクロンのコクピットシステムをもっと信頼したら、より自由に軌道内を飛び回ることができるのだろうか。
リーナが訓練のときに見せたような自由で恐れを知らぬ飛行ができるのだろうか……。
もし、そうならば、試してみる価値はある。
オージェは、日記帳を閉じた。
呼び出しを受けたのは、それから十分ほど後のことだった。艦橋へ来るようにと言われた。
オージェはすぐに向かった。
艦橋では、クリーゲル艦長とエリオット作戦司令が待っていた。海兵隊の二人の小隊長もじきに顔をそろえた。
何やら艦橋は慌ただしい。しきりに通信のやりとりをしているし、コンピュータにデータを打ち込んでいる。
始まったか。
オージェは思った。
偵察任務についていたロングビーチとホー・チ・ミンが消息を絶ってからずいぶんと時が過ぎている。
エリオット作戦司令が言った。
「無人の偵察衛星から最新の情報が入った。敵の巨大戦艦が火星圏に近づきつつあるのを察知した。最大級のミラーシップだ。おそらく『ワダツミ』と呼ばれる敵の主力艦だ」
海兵隊の二人の小隊長が顔を見合わせた。オージェは、その瞬間に二人の絆を見て取った。
エリオット作戦司令の説明が続いた。
「巨大戦艦は、一回り小さいミラーシップを二隻従えている。わが軍でいうと重巡洋艦クラスに当たるものと思われる。偵察衛星からのデータを計算すると、やつらは、約二十日後に火星の周回軌道に到達する」
「その前に叩く……」
カーター小隊長が言った。「また、軌道交差戦ですか?」
エリオット作戦司令はかぶりを振った。
「われわれは行かない。今回、軌道交差戦に出向くのはダイセツを中心とした艦隊だ。ダイセツに、重巡洋艦トラファルガーとミッドウエイが同行する。現在その三隻は、ベース・バースームのドックで出撃準備に入っている。われわれは、彼らが討ち洩らした敵を火星の周回軌道上で待ち受けて叩く」
エリオット作戦司令が言ったように、現在アトランティスは、火星の衛星軌道上を回っている。人工衛星と同じだ。
そこから出撃するということは、空軍の基地から飛び立つのと大差ない。ならば、存分に働こう。オージェはそう思った。
「やってくる敵は、おそらくロングビーチとホー・チ・ミンを沈めたやつらだ。これは弔い合戦だ」
エリオット作戦司令は、データが入ったディスクをオージェと二人の海兵隊小隊長に配った。
「今回の軌道データだ。それぞれの機体にインプットしておけ」
出撃の前にデータを受け取るというのは、オージェにとって初めての体験だった。ノブゴロドにいるときは、あまり軌道を気にしたことはなかった。
思えば、戦闘機は衛星間シャトルと同じようなものだ。だが、戦艦とともに軌道戦をやるとなると、当然条件は変わってくる。
おそらく、先日の模擬戦のときのデータとそれほど違わないのだろうが、あらためてデータをインプットするというのが、海軍流のやり方なのだろうと思った。
一種の確認作業なのだ。
「十日後にダイセツたちが敵と接触する。われわれの戦いは、正確に言うとその十一日と三時間後ということになる。戦闘機の要撃部隊、ヒュームス小隊、いずれもいつでも出撃できるようにしておけ」
「了解しました」
二人の海兵隊小隊長は、声をそろえて言った。オージェもやや遅れて、同様に言った。
エリオット作戦司令は、専用のシートにハーネスで体を固定しているクリーゲル艦長を仰ぎ見た。
クリーゲル艦長は言った。
「今、アトランティスは、地球連合の艦隊の中で最大の戦力を誇っている。最新鋭のヒュームスがおり、空軍のエースが駆る最新型の戦闘機を搭載している。だが、その戦力を活かすのは、団結の力だ。それを肝に銘じておいてほしい」
なんだか、試合に出る前のスポーツのコーチのようなことを言う。
オージェはそう感じていたが、もちろん態度には出さなかった。
*
カーターは、すべての隊員に軌道データをコピーして配った。
隊員たちは、ヒュームス・デッキで作業を始めた。データを入力して、各システムをチェックする。
弾薬の補給作業が始まると、ヒュームス・デッキは一気に慌ただしい雰囲気になった。クロノスとテュールが持つ、二十ミリ無反動機関砲のライフルに、次々と弾帯が呑み込まれていく。
カーターはその様子を、クロノスのコクピットからモニターで眺めていた。
ギガースが持つ、荷電粒子《ビーム》砲のライフルの実用性が高く評価されて、近いうちにクロノスにも配備されるという噂を聞いた。
だが、今回の戦いには間に合わなかった。荷電粒子砲は量産態勢がまだ整っておらず、高価な武器なのだ。
オージェの新型戦闘機にも配備されたという。
軍事費も無尽蔵ではない。
ビーム兵器は、まず地球圏に配備されるのだろう。何事もお膝元が先だ。
本来ならば、前線にまず投入してもらいたいとカーターは思う。それが理に適っている。だが、実際には、最前線にビーム兵器が本格的に配備されるのは、まだまだ先の話だろうと思った。
こうしてコクピットに入って、何か作業をしていないと落ち着かない。
ほかの隊員たちもそうなのだ。だから、彼らは、ここにいる。
敵との遭遇までの、このじりじりとした待ち時間が耐え難い。だが、宇宙の戦いは、船足を速めることも、緩めることもできない。一度、惑星間の軌道に乗ったらそれを変えることはできないのだ。
ふと、カーターは、思いついて通信装置のスイッチを入れた。
「野郎ども、聞いてるか?」
カーターは付け加えた。「それにお嬢さん一人だ」
それぞれに返事が返ってくる。コクピットでシステムを立ち上げると、自動的に通信装置もオンになるのだ。
「戦いを前に一つ、言っておきたいことがある」
隊員たちが、息をひそめて耳を澄ましているのが気配でわかる。
「みんな、リーナのように動きたいか?」
カーターがそう問いかけると、しばらく沈黙があった。
「そりゃ、あれだけのスペックがありゃあな……」
「その声は、シャオロンか?」
「そうです」
「孫子の兵法を重んじるおまえが、スペック頼みか?」
「ひも付きのテュールとギガースを比べたら、誰だってそう思いますよ」
「たしかに、ギガースは飛び抜けている。だが、リーナの機動力はそのスペックのおかげだけだと思うか?」
「いや」
ホセの声だった。「俺がギガースに乗っても、あれだけの動きはできないと思う」
「珍しく謙虚だな、ホセ」
「小隊長、何度もいっしょに訓練をやってるんだ。それに気づかないやつはばかですよ」
「俺は、リーナの秘密を一つ知っている」
「秘密……?」
カウボーイの声だ。「何です、それは……」
「リーナは、ムーサを百パーセント信頼している。自分の命をムーサに預けているんだ。だから、恐れずに宇宙の海を泳げる。それが秘密だ」
「ムーサを信じるって……」
戸惑ったような声を出したのは、レッド・リーダーのカズ・オオトリだ。「われわれだって、そのシステムに信頼を置いています」
「システムの信頼性の話じゃない。そういうことじゃないんだ。リーナ、みんなに説明してやれ」
再び、短い沈黙があった。
みながリーナの言葉を待っているのだ。
「ムーサは、どんなときでもドライバーの命を助けることを最優先にします」
リーナが話しはじめた。
「何が起こっても、ドライバーを助けようとするのです。それを信じて、コクピットにいるときは、ムーサに抱かれているように身をゆだねればいいんです」
誰も言葉を差し挟まなかった。
「ムーサは、危険が迫ったときに必ずそれを知らせ、危機に陥ったときには、必ずドライバーを救うために全力を尽くします。安心して身を、そして心をゆだねればいいんです」
リーナの話を聞いているうちに、カーターは不思議な気分になってきた。
まるで、教会にいるような気がしてきたのだ。出撃前の苛立ちを忘れた。不思議な気分だった。
リーナの声や語り口のせいかもしれない。あるいは、その内容のせいだろうか。リーナはムーサを擬人化して語っている。いや、まるで女神か何かの話をするような言い方をする。
リーナが語り終えて、しばらくして、誰かが言った。
「つまり……」
チーム・レッドの突撃艇パイロット、ケン・オダの声のようだ。「ダイブそのものの危険など忘れて、戦いに集中できるということですね。ダイブ自体を恐れないから、思い切った行動も取れる……」
冷静沈着なケン・オダらしい分析だとカーターは思った。
リーナの声が聞こえる。
「そう思っていただいてけっこうです」
「むずかしい話はわからんけど……」
チコの声だ。「要するに、余計なことは気にせず、思いっきり泳げってことでしょう?」
カーターは、言った。
「そういうことだ、野郎ども。ムーサが守ってくれる。暴れ回って、鳥野郎どもに一泡吹かせてやろうぜ」
「そいつはいいな」
クロノスに乗るホセが言った。「急に気が楽になってきた」
リーナの話を聞かせてよかった。カーターは満足だった。
4
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
コニーは、たった一人で留置されていた。独房にも等しい扱いだ。スパイ容疑の者は、通常の刑法犯と同じには扱われないと聞いたことがある。政治犯を、極力他者と接触させないようにするためだ。
これは精神的にダメージが大きかった。
一人でいると、不安と恐怖がつのる。コニーは、静かに忍び寄る絶望と必死で戦っていた。
連行される前に誰にも連絡をしなかったことを、今さらながらに悔いた。冷静さを欠いていたのだ。
弁護士の話もなければ、容疑者の権利についての説明もなかった。これは、明らかに違法な逮捕ではないかと思った。
だが、確信がなかった。たった一人でいると、それを確認するすべがない。個人の知識というのが、いかに曖昧《あいまい》なものかと、思い知らされた。
しかも、今、コニーは判断力を欠いている。その自覚があるが、どうしようもない。冷静になれというのは無理な相談だった。
かろうじてパニックを抑えている状態だった。
突然、廊下の向こうの鉄格子の扉が開く音がした。それが、冷たく廊下に響き渡り、コニーは、びくりと体を震わせた。
取り調べは、何時間も続く。
朝から夜まで、続くこともある。ようやく解放されたとほっとしていると、またすぐに呼び出されて、別の捜査官に取り調べを受ける。
コニーは、疲労|困憊《こんぱい》していた。これは拷問《ごうもん》にも等しい。今、コニーを支えているのは、怒りだけだった。
怒りが体の中に残ったわずかなエネルギーをかき集めている。
例の灰色の眼をした捜査官と黒い髪の捜査官のペアが姿を見せた。また、取り調べか……。コニーは体の中から力が抜けていくような気がした。
灰色の眼の捜査官は、なぜかひどく不機嫌そうだった。
「出ろ」
彼はそれだけ言った。
留置所の係官が鍵をあける。コニーは独房と変わらない留置所を出て、灰色の眼の男に付いていった。黒い髪の若い捜査官は、後ろに回る。
いつもの取調室に連れて行かれた。冷たいコンクリートの壁と床。その灰色の部屋は、今やコニーの恐怖の対象だった。
正面には大きな鏡。そして、机と椅子だけがある。
だが、いつもと違うのは、その椅子の一つにこれまで見たことがない男が腰かけていたことだ。
太った初老の男だ。ヘリンボーンのジャケットを着て、明るい茶のズボンをはいている。髪は白髪で、もじゃもじゃと乱れている。まるで、頭に雲が乗っかっているようだと、コニーは思った。
ネクタイの結び目は垢染《あかじ》みており、ワイシャツの襟はくしゃくしゃだ。
この冴えないじいさんは何者だろう。
コニーは思った。また、別の捜査官を用意したのだろうか。
「座れ」
灰色の眼の捜査官が言った。コニーはいつもの席に座った。
太った冴えない男がコニーにほほえみかけた。
ここに来てから、誰かがコニーにほほえみかけるなど初めてのことだ。コニーは驚いた。
「初めまして。弁護士のベン・ワトソンです」
「弁護士……?」
コニーは、相手を見つめた。
冴えない見かけの中で、その眼だけは違っていた。明るい青い眼は、子供のような好奇心と、知性の輝きを併せ持っている。
人を安心させる眼だ。
罠ではないのか。
コニーは、疑った。不安感のせいで猜疑心が強くなっている。弁護士と偽って捜査官が何かを聞き出そうとしているのかもしれない。
ばかばかしい考えだ。そんな捜査をしたら、裁判での証拠能力はゼロになる。それはわかっているのだが、今のコニーは誰も信用できない状態にあった。
「さて……」
ベン・ワトソンは言った。「ハリー・マーティン捜査官とボブ・サントス捜査官のあなたに対する扱いは丁重でしたか?」
コニーは、眉をひそめた。
「誰ですって?」
ベン・ワトソンは驚いたように、二人の捜査官を見た。
「まさか……。彼女に名前も教えていないんじゃないでしょうね」
灰色の眼の捜査官は、不機嫌そうにベン・ワトソンを睨んだだけだった。
「彼女に自己紹介をしたらどうです?」
ベン・ワトソンが言った。
灰色の眼の男が、コニーの顔を見ずに言った。
「私が、ハリー・マーティン。こっちがボブ・サントスだ」
初めて二人の名前を知った。人には名前があるのだ。コニーは、そのことを思い出したような気分だった。
名前がわかるだけで、少しは安心するものだと思った。
「では、二人きりで話をさせてもらえますか?」
ベン・ワトソン弁護士が、ハリー・マーティン捜査官に言った。
マーティン捜査官は、ついに堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒が切れたという様子で言った。
「いい気になるな。こうして会わせてやっただけでもありがたいと思うんだな」
それは、すさまじい目つきだった。
「おや……」
ベン・ワトソンは平然と言った。「弁護士が依頼人と二人きりで話をするのは、当然の権利なのですが……。だいたい、彼女が逮捕されてどれくらい経ったんです? 三日ですか? 四日ですか? その間、一度も弁護士に会っていないというのは、問題ですね」
「こいつは、ひったくりとはわけが違う。スパイなんだ。国家の存続に関わる大罪だぞ」
ベン・ワトソンはそれでも落ち着き払っていた。
「発言に気を付けるように。コニー・チャンは、容疑者に過ぎません。それも、おそらくは、あまり根拠のない容疑に違いないと私は考えています。つまり、この間のあなたがたのコニー・チャンに対する扱いは、名誉毀損等の訴えの対象になるので、お気をつけを……」
「非国民め……」
ワトソンの眼がとたんに厳しくなった。
「そんな言葉は、歴史の小説にしか出てこないと思っていましたよ。いったいいつから、UNBIは、民主主義を捨て去ったんです?」
マーティン捜査官の灰色の眼に、明らかに憎しみが見て取れた。
「議論の余地などない。今は戦争をしているんだ。しかもテロリストとの戦いだ。おまえも、テロリストの味方をするからには、覚悟をしておくんだな。どんな手を使っても、コニー・チャンとともに刑務所に送ってやる」
「二人きりにしてください」
ワトソンは厳しい口調で言った。「この部屋ではだめです。あそこの鏡の向こうから誰が見ているかわかりませんからね。それに、おそらく録画装置や録音装置もある」
マーティンは、動こうとしなかった。ワトソンの要求など呑めないということを、態度で示そうとしている。
そのとき、壁に付いている電話が鳴った。サントス捜査官が電話に出て、無言で受話器をマーティン捜査官に差し出した。
マーティンは立ち上がり、受話器を受け取り、耳に当てた。彼は一言も口をきかなかった。
怒りにまかせて、受話器を叩きつけるように戻すと、彼は、吐き捨てるようにサントスに言った。
「どこか、適当な部屋を見つけてやれ」
ワトソンが言った。
「誰かは知らないが、鏡の向こうからこちらを見ている人は、幾分かまだ分別をお持ちのようだ」
マーティンは、怒りに燃える眼でワトソンを睨みつけただけで何も言わなかった。
*
「どういうこと? 誰があなたを雇ったの?」
二人きりになると、コニーは尋ねた。
ワトソンは、しっと人差し指を唇に当てると、部屋の中を調べはじめた。熊のぬいぐるみが歩き回っているようだった。小さな部屋で、ロッカーが並んでおり、中央にテーブルがあり、その両脇に木製のベンチが置いてある。
更衣室か何かなのかもしれないとコニーは思った。汗のにおいがする。
もっとましな部屋がありそうなものだ。彼らがここに案内したのは、嫌がらせに違いない。
ワトソンは言った。
「どうやら、ここはだいじょうぶそうだな。なにせ、UNBIは油断も隙もない。どこにでも盗聴装置を取り付けたがる」
「ここに来るまでは、UNBIはもうちょっとましな組織だと思っていました」
「ましだったさ。すべては戦争のせいだ。戦争が始まるとマーティンのようなやつが勢いづく。おそらく、昔軍隊にいたに違いない」
「最初の質問を繰り返します。誰があなたを雇ったの?」
「あなたじゃないですか。私はあなたの依頼を受けて、ここに来たんです」
ワトソンはそう言いながら、手元のノートを開いて、ジンナイと綴って見せた。
彼はまだ用心を解いていないのだ。
「そう。忘れていたわ」
コニーは言った。「あたしに何かあったら、すぐに調査を始めるようにと、依頼してあったわね」
「そう。あなたが、無断で社を休みはじめてからもう四日経っている。さて、時間がもったいない。あなたが、ここに連れてこられるまでの経緯をすべて教えてもらえますか?」
コニーは、順を追って話しはじめた。
ノブゴロド空軍基地に、潜入したところから始めて、月でオレグ・チェレンコに出会ったこと、そして、彼から取材のヒントをもらったことなどを話した。
そこで一息つき、オレグ・チェレンコが突然ニューヨークに現れたことを告げた。そして、その翌週にUNBIがやってきたと言った。
ワトソンは、メモも取らずにじっとコニーを見つめて話を聞いていた。その眼を見ているうちに、コニーは徐々に心のしこりがほぐれていくような気がしていた。
「それで、UNBIは、そのオレグ・チェレンコが、ジュピタリアンのスパイ、タカメヒコだと君に告げたんだね?」
「そうよ」
「先にそのスパイの名前を言ったのはどっちだ? UNBIか? あんたか?」
「もちろん、UNBIの捜査官よ。あたしは、スパイの名前なんて知らなかった」
「それは重要な点だ」
ワトソンは初めてノートにメモを取った。
「オレグ・チェレンコは、何か明らかにジュピタリアンの利益になることを、君に要求したか?」
「いいえ。あたしは、取材をしていただけ。彼は、情報源の一つに過ぎない」
「月で会うまで、オレグ・チェレンコには一度も会ったことはないんだね?」
「ない」
「君は、ジュピター・シンドロームについて調べていたね? それはなぜだ?」
「オレグ・チェレンコが言ったのよ。ジュピター・シンドロームが、今回の戦争の原因に関わっているかもしれないって……」
「それを調査して、どうするつもりだった?」
「新しい事実がわかれば、記事にしたかもしれない。でも、まだ取材の途中だった。記事にできるかどうかもわからなかったわ。とにかく、記者は取材をするの。どんなことでも……」
「ジュピター・シンドロームについて調べることが、ジュピタリアンの利益になり、地球連合政府の不利益になると考えたことはあるか?」
「一度もない」
コニーはきっぱりと言った。「そればかりか、真実を伝えることが、地球連合に住む人々の利益につながると、固く信じている」
「オーケイ。それ以上は言わなくていい。では、次に、ここに連れてこられるまでの手順について詳しく聞こうか。捜査官たちが、君の自宅を訪ねてからの出来事をすべてだ」
コニーは、堰《せき》を切ったようにしゃべり出した。言いたくてたまらなかったのだ。
二人の捜査官のやり方は強引だった。合法的とは思えない。
「では、君は、被疑者の権利も聞かされず、弁護士に電話するチャンスも与えられなかったんだね」
「そのとおりよ」
「そして、ここでは独房に入れられ、シャワーも使わせてもらえず、朝から夜まで尋問されることもあったというわけだ」
「そうよ」
「いつから、このアメリカにゲシュタポができたんだろうな……」
ワトソンは、つぶやいて、しきりにメモを取っていた。
それから、細かいやりとりが続いて、コニーはようやく不安と心細さから解放された。誰かに相談できるというのが、これほど心強いものとは思わなかった。
だが、その安堵《あんど》は長くは続かなかった。ふと、コニーはまた、不安になった。
突然、マーティンがそこのドアから入ってきてワトソンと笑みを交わした後に、ワトソンがこう言うところを想像した。
「こいつは、たしかに月で木星のスパイと接触している。そして、スパイにそそのかされて、軍機に関わるジュピター・シンドロームについて取材をした。スパイと考えるに足る行いだな……」
コニーは、知らず知らずのうちにワトソンを見つめていた。
その眼の表情に気づいたらしく、ワトソンが言った。
「どうした?」
「あなたは、本当に味方なの?」
ワトソンは厳しい眼でコニーを見返した。
「味方ではない」
コニーは、ぎょっとした。
ワトソンは続けて言った。「ただ真実を明らかにするだけだ」
それから、ワトソンはほほえんだ。
「君が真実を語っているかぎり、私はどんなことをしてでもそれを証明してみせる。それも、すみやかに」
その瞬間、コニーはばかげた想像を捨て去った。
ワトソンを見ていると、視界がぼやけた。涙があふれてきたのだ。張りつめていたものが緩《ゆる》み、コニーは、涙を止めることができなくなった。
肩に優しいワトソンの手を感じた。
*
ジンナイは、身に危険が迫っているという実感を持っていた。これまで以上に用心をしなければならないと自分に言い聞かせていた。
その一方で、コニーが接触をしたというジュピタリアンのスパイに会ってみたいという誘惑に駆られていた。
オオタに言うと猛反対するに決まっている。ジンナイ自身もそれがきわめて危険であることを充分に承知していた。
もし、ジュピタリアンのスパイと接触したことが、公《おおやけ》になったら、おそらくジンナイの政治生命は終わる。
そればかりか、ジンナイもスパイ容疑で逮捕されるだろう。
今のところ、当局はジンナイには手を出せずにいる。しかし、政府はジンナイを煙たがっており、ジンナイを失脚させるチャンスをうかがっているはずだ。
急がねばならない。
ジュピター・シンドロームと軍の関わり。コニーはそこまで突き止めた。具体的な内容を知りたい。
軍はどういうふうにジュピター・シンドロームと関わっていたのか……。キーワードは、ESP研究だということは、なんとなくわかる。
しかし、それが今回の戦争とどう関わるのだろうか。
もしかしたら、木星圏の連中は知っているのかもしれない。
だからこそ地球連合政府は、木星圏からの情報を厳しく制限しているのかもしれない。地球連合政府の傍受システムは、あらゆる周波数帯の電波とインターネットを監視している。
随時コンピュータが検索をかけており、木星関連の単語がキャッチされると、それはすぐに巨大容量のディスクに保存され、チェックを受けることになる。事実上の検閲システムだ。
コニーに接触したスパイの目的は、ジュピタリアンのメッセージを地球圏に流布することだろう。
そのメッセージに、どれほどの真実が隠されているかはわからない。しかし、コニーにジュピター・シンドロームのことを示唆したということは、地球圏の人々が知らない事実を彼らが知っていることを物語っているように思える。
情報を得るためには、そのスパイと接触するのが一番だ。しかし、ジンナイ本人が会うのは危険過ぎる。かといって、オオタに頼むわけにもいかない。オオタが逮捕される危険がある。
世の中は、確実に戦時下体制に傾きつつある。軍人の発言力が増し、政府の統制は厳しくなりつつある。
一日も早く、この戦争を終わらせなければ……。
そのうち、社会全体が戦争に呑み込まれてしまう。今は、まだ、政府のシステムは健全さを残している。
今のうちに、戦争を終わらせなければ、戦時下体制の名のもとに、人々の人権は確実に奪われていく。
ジュピター・シンドロームと軍の関わり。それを暴くのだ。そのスキャンダルが、世論を反戦に導くきっかけになるかもしれない。
ジンナイは決意を新たにした。
5
火星衛星軌道上
強襲母艦アトランティス
「今回は、艦載機としての初めての出撃だ」
オージェは、ブリーフィングルームに要撃部隊のメンバーを集めて言った。
メンバーたちは、親しい者たちが持つ独特のくつろいだ雰囲気で、オージェの話を聞いていた。
「われわれの任務は、ヒュームスたちのサポートだ」
そのオージェの一言が、その場の雰囲気を変えた。メンバーたちは、一瞬身動きを止めてオージェを見つめた。彼らが簡単に納得しないだろうということはわかっていた。だが、言っておかなければならない。
「それが艦載機の任務だ。海軍の主力兵器はなんといってもヒュームスなのだ」
「操り人形を守るために出撃しろというんですかい?」
アレキサンドルが言った。「冗談じゃない。俺たちはトリフネと戦うために呼ばれたんだろう。トリフネに対抗できる機動力を持っているのは、俺たち空軍だ。ヒュームスこそ、俺たちのサポートに回るべきだ」
「もちろん、そうだ」
オージェは落ち着いてこたえた。「ヒュームスはわれわれのサポートをする。ライフルを自由に振り回せるヒュームスの作業能力は、われわれの戦闘機にはない利点だ。私が言いたいのは、互いにサポートし合わなければ、トリフネには勝てないということだ。トリフネは、戦闘機の機動力とヒュームスの作業能力を併せ持っている」
「操り人形なんて邪魔なだけだ」
アレキサンドルが言った。「俺たちだけで充分ですよ」
「そう言いたい気持ちはわかる。しかし、事実はそうではないのだ。現在、地球連合軍でトリフネにもっとも近い性能を持っているのは、おそらくギガースだ。私は、訓練でギガースに落とされた」
「あれは、向こうにツキがあっただけですよ」
「さらにだ、アトランティスのヒュームス部隊は、二度トリフネと戦ったことがある。われわれは、まだない」
アレキサンドルは押し黙った。
ほかのメンバーは沈黙している。
冷静沈着なユーリが、無表情なままで言った。
「つまり、われわれはヒュームスをサポートし、ヒュームスはわれわれをサポートする。互いに助け合えということですか?」
オージェはうなずいた。
「そういうことだ」
「こう考えればいいのですね。ヒュームスにはわれわれの助けが必要だと」
オージェは、笑みを浮かべた。
「ものは言いようだな。そのとおりだよ、ユーリ」
「ならば……」
ユーリは、あいかわらず無表情だった。「助けてやりましょう」
*
ダイセツを中心とした艦隊が、一時間後に敵艦と接触する。
カーターは、第二小隊のフランク・キャラハン、オージェとともに戦況を見るために艦橋に上がることを許されていた。
モニターには、ほぼリアルタイムでダイセツからの映像が送られてくる。惑星間航行の速度で十日の距離は、宇宙の海ではきわめて近く、電波もごくわずかなタイムラグで届く。
艦橋にいる全員が巨大なモニタースクリーンに注目していた。
「見えた」
誰かが言った。「ミラーシップだ」
カーターは、画面に注目した。たしかに光の点が移動している。その点はみるみる大きくなっていく。
ダイセツとミラーシップの相対速度の大きさを物語っている。
巨大なミラーシップが二隻の小さなミラーシップを従えている。
「敵船影確認」
通信係官が報告する。「ワダツミ、ユウナギ、サマリアの三隻です」
巨大な敵の主力艦がワダツミだ。ユウナギ、サマリアは、重巡洋艦クラスだ。
「始まるぞ……」
画面が乱れた。
双方の艦がECMを開始したのだ。やがて、映像がとぎれた。
カーターは、苛立ちを抑えながら、何も映っていないモニタースクリーンを見つめていた。
戦闘は十五分ほどで終わるはずだ。もし、ダイセツが無事ならば、十五分後には再び映像が送られてくるはずだ。
誰もが沈黙していた。しゃべることを恐れているかのようだ。
クリーゲル艦長もエリオット作戦司令も、キャラハンもオージェもスクリーンを見上げている。
やがて、十五分が過ぎた。映像は来ない。カーターは、唇を噛んだ。まさか、ダイセツが……。
「映像来ました」
係官が伝えた。
モニタースクリーンに、離れていくミラーシップが映った。
「被害状況はどうだ?」
クリーゲル艦長が尋ねた。
「船体に大きな被害は見られません」
コンピュータのキーを叩きながら、係官がこたえる。
スクリーンには、宇宙のゴミと化した機械の残骸が浮かんでいるのが見える。
それが、すべてトリフネの破片だとカーターは思いたかった。だが、決してそうではないことは明らかだった。
ヒュームスのコクピットは、ドライバーを守るために強固な防護壁で囲まれている。だが、ヒュームスが破壊されたとき、どの程度の生存率があるのかは、まだ明らかにされていない。
きっと多くの戦死者が出たに違いないと、カーターは思った。
「ダイセツと司令部の通信を傍受しました」
通信係官が報告した。
「スピーカーに出してくれ」
エリオット作戦司令が命じた。
スピーカーから通信の内容が流れてきた。
「……こちら、ダイセツ、司令部どうぞ」
「こちら、司令部、状況はどうか?」
「ダイセツ、トラファルガー、ミッドウエイ、ともに軌道を維持。テュール六機および突撃艇二隻、クロノス三機を失いました。トリフネ三機を撃破」
「敵戦艦の被害状況はどうか?」
「主力艦ワダツミに、ミサイル三基が命中。ユウナギにミサイル一基、サマリアにミサイル二基が命中。しかし、被害は軽微。繰り返す。敵の被害は軽微」
「敵のトリフネの数は?」
「残り、十数機と思われます」
「今後も現在の軌道を維持できるか?」
「ダイセツ、トラファルガー、ミッドウエイともに軌道維持可能。七日後に火星の周回軌道に乗ります」
「了解。航海の無事を祈る」
通信が切れた。
敵艦の被害は軽微か……。
カーターは考えていた。
敵のトリフネ三機を落とすために、テュール六機に突撃艇二隻、それにクロノス三機が失われた。
これでは合わない。
しかもトリフネはまだ十数機も残っているという。
敵は戦力を温存したままやってくる。戦いは約十日後だ。
こいつはしんどい戦いだな……。
カリスト沖海戦と同じ、軌道上の同航戦となるが、カリスト沖海戦よりも過酷な戦いになるに違いない。
敵は主力艦を送り込んできた。火星圏侵入を試みるのは、これで二度目だ。敵だって同じ過《あやま》ちは繰り返さないだろう。
前回は、史上初の軌道交差戦ということで、敵も慌てたはずだ。そのため、彼らは火星の周回軌道に乗ることをあきらめて、本国への帰還の道を選んだのだ。
今回はそうはいかないだろう。
「軌道計算の結果、敵の艦隊を迎え撃つのは、ニューヨークではなく、わがアトランティスであることがわかった」
エリオット作戦司令がカーターたち三人に告げた。「地球圏から駆けつけてベース・バースームにいるフジとシャンハイ、並びにホダカ、アイダホが出航してアトランティスと合流する。何が何でも敵を火星圏でくい止めて、撃破しなければならない。最悪の場合でも追っ払う」
フジとシャンハイは、トラファルガー級の重巡洋艦、ホダカとアイダホは、ロングマーチ級の巡洋艦だ。
カーターたち三人は、力強くうなずいた。
クリーゲル艦長が言った。
「アトランティスは、地球連合軍最強の船だ。諸君、誇りを持って戦おう」
*
十日は、あっという間に過ぎた。
カーターは、クロノスの中にいて出撃を待っていた。
カタパルトデッキにいると艦橋のやりとりが一切わからない。隔離されたような気分になる。
今はただ、出撃の命令を待つだけだ。ドライバー・スーツの中が汗ばむ。呼吸が早くなっているのが、自分でもわかる。手袋の中がぬるぬるしていた。
突然、エリオット作戦司令の声がヘルメットの中に響いた。
「要撃部隊、出撃準備はいいか?」
オージェの声がこたえた。
「いつでもオーケイです」
「三分後に出撃」
「了解です」
カーターは、モニターにストップウォッチを映し出し、三分を計った。
ちょうど三分経ったとき、エリオット作戦司令の声が響いた。
「空間エアフォース要撃部隊、出撃だ」
「要撃部隊、出ます」
オージェの声が聞こえる。
いよいよ始まったな。
カーターは腹をくくろうとした。
再び、エリオット作戦司令の声が聞こえてきた。
「海兵隊第一小隊、出撃準備はいいか?」
カーターはこたえた。
「アイ・サー」
「海兵隊第二小隊、出撃準備はいいか?」
キャラハンの声が聞こえる。
「アイ・サー」
「ダイブだ」
カーターは、小隊の隊員に呼びかけた。
「さあ、野郎どもとお嬢さん。行くぞ」
前方のハッチが開いた。
カタパルトにより、ゆっくりとクロノスの機体が押し出される。
星の海がどんどん近づいてくる。宇宙《うみ》にダイブしたとたんに、カタパルトのGを感じなくなった。
モーメンタル・コントロールをしながら、素早く四方と天井のモニターを見回して状況の確認をする。
敵はどこだ?
すでに、無線は通じなくなっている。双方のECMが開始されているのだ。
アトランティスの前方に重巡洋艦のフジ、シャンハイと巡洋艦のホダカ、アイダホが見えている。
それぞれの船からも艦載機とヒュームスが出撃している。
そのはるか前方にミラーシップ三隻が見える。
ミラーシップは、すでに火星の衛星軌道に乗っている。軌道に乗る瞬間を叩ければ戦いはおおいに有利だった。
だが、間に合わなかった。
軌道に乗ったミラーシップを追うために、アトランティスの艦隊は、軌道をぎりぎりまで下げて速度を上げなければならなかった。
カーターは、チーム・グリーンに続き、チーム・イエロー、チーム・レッドが次々とダイブしてくるのを確認した。
続いて第二小隊のクロノス三機と、テュール三機を搭載した突撃艇が二隻ダイブした。
オージェたち空間エアフォースの戦闘機は、二機ずつの編隊を組んで、前方にいる。
敵艦の砲撃が始まったようだ。
目に見えないレーザー砲とミサイルの攻撃だ。
アトランティス、フジ、シャンハイ、ホダカ、アイダホもそれぞれ砲撃を始めたようだ。巡洋艦の前方で、次々と炎の球が見えた。
敵のミサイルを迎撃しているのだ。
巡洋艦もミサイルを撃ち始めた。固形燃料の航跡が見えている。
ホセのクロノスも、リーナのギガースも動きを止めている。
オージェの隊が動いた。
トリフネを視認したのだろう。
来るか。
カーターは、心の中でつぶやいた。
さあ、ムーサ。命を預けるから、守ってくれよ。
カーターは、メインスラスターを一秒だけ噴かして、前進した。
右手のホセ機と左手のリーナ機もぴたりと付いてきた。
見えた。
トリフネだ。猛禽類が翼を広げて獲物に襲いかかってくるように見える。
はるか前方で、曳光弾の筋が見える。
すでに、重巡洋艦と巡洋艦から出撃した艦載機やヒュームスが、トリフネと戦っているのだ。
そのラインを突破したトリフネが近づいてきている。
オージェの隊が激しく動きはじめた。推進剤を惜しげもなく使っている。トリフネも縦横無尽に飛び回りはじめた。
くそっ。てめえらは、軌道から外れるのが怖くないのか。
カーターは、そのとき、リーナの言葉を思い出した。
トリフネのドライバーは、システムやコンピュータ以上のものを信頼している。だから、恐れを知らない。
リーナはそう言った。
なんの。
カーターは思った。
こっちにだって、ムーサがいてくれる。
いつしかカーターは、リーナのようにムーサを擬人化して考えるようになっていた。
カーターはクロノスの左腕を掲げ、前方に振り下ろした。
チーム・イエローの突撃艇に前進するように合図したのだ。リトル・ジョーは、それを素早く察知して、突撃艇をカーターたちのラインに並べてきた。
カーターは、クロノスの左手の指を広げた。次の瞬間、チーム・イエローとチーム・レッドの突撃艇からテュールが展開した。
カーターは、目まぐるしくオージェたちとドッグファイトを演じているトリフネに向けて二十ミリ無反動機関砲のライフルを撃ち始めた。
空間エアフォース、俺たちの弾に当たるなよ。
すでにトリフネは、腕と脚を出している。ドッグファイトをやりながら、腕を自由に振り回してライフルを撃つことができる。
カーターは、さらにメインスラスターを三秒噴かして、加速した。
オージェたちだけに任せておくわけにはいかない。
カーターは、クロノスの左手でリーナ機を指さし、続いて前方に腕を振り出した。
リーナ機の大きなメインスラスターから、勢いよくガスが吹き出した。ギガースが飛び出していく。
たちまち、リーナ機はドッグファイトに参加した。
ビームライフルが火を噴く。
トリフネをビームが追う。一機の翼のような部分を切り落とした。
「ひょう」
カーターは喚声を上げていた。
さらに、慣性飛行をしながらくるりと後ろ向きになったオージェ機の機首から、同様のビームが発射された。
さらに一機、トリフネがそれを避けて距離を取った。
「荷電粒子砲か……」
カーターは、二十ミリ無反動機関砲のライフルを連射しながら、つぶやいた。「たいした武器だ」
すでにカーターたちもドッグファイトに巻き込まれていた。
トリフネのライフルから発射される弾丸と、カーターたちが撃ちまくる弾丸が交差する。どちらの機銃にも曳光弾が含まれているので、宇宙の海に光の筋が飛び交っている。
前方ではさらに激しい戦いが続いているようだ。
敵味方双方に被害が出ているようだ。
不意にカーターの脇で、光の球が膨らんだ。
カーターははっとそちらを見た。
チーム・イエローのテュールが被弾していた。
「誰だ?」
カーターは思わず叫んでいた。「アランの機か?」
ECMの最中なので、無線は通じない。
アランのテュールは、肩のあたりからガスを噴出している。危険な状況だ。
カーターは、夢中で叫んだ。
「脱出しろ。ワイヤーづたいに突撃艇まで逃げるんだ。エンジンが誘爆するぞ」
その声がアランまで届くはずはない。無線は通じていない。
カーターは、機体にショックを感じた。
被弾したのだ。
すぐにモニターに被害状況が映し出される。装甲をやられただけだ。アラートはまだグリーンだ。安全圏内にいることを示している。
「やりやがったな……」
カーターは、飛び去ろうとしているトリフネめがけてライフルを連射した。
トリフネはやすやすと、曳光弾の筋をよけていく。
「ちくしょうめ。なんて機動力だ」
トリフネの動きは、やはり地球連合軍の兵器とはまるで違う。軌道を飛び出すことなどまったく気にしていないように見える。
しかも、やつらは、決して軌道を逸脱しないのだ。
さらにチーム・イエローのテュールが一機被弾した。装甲をやられている。そこからガスが噴き出している。
「カウボーイ」
カーターは叫んでいた。「死ぬなよ」
空間エアフォースの戦闘機も、トリフネの動きにはついていけないように見える。弾が当たらない。
カーターは、次第に絶望感を味わいはじめた。
このままだと、こっちは全滅だ。
アランとカウボーイも死んじまう……。
カーターは、再び恐怖に囚われようとしていた。
そのとき、リーナの声を聞いたように感じた。
だいじょうぶ。ムーサを信じて。
カーターは、思わず周囲を見回していた。
「リーナ……」
カーターは、つぶやいていた。
そうだ。どんなときでもムーサはドライバーを助けようとする。リーナはそう言っていた。
カーターは、チーム・イエローのほうをもう一度見た。
とたんに気分が明るくなった。
アランのテュールは、被弾して火を噴いていた肩の部分を切り離していた。ムーサが危険を察知して、肩の関節部分から強制排除したのだ。
カウボーイのテュールから噴出していたガスも止まっていた。
ムーサはここまで面倒を見てくれるんだな……。あらためて、そう思った。
カーターは、ライフルの残弾を確認した。まだ弾はたっぷりある。
撃ちまくってやる。
突然、目の前にトリフネが現れた。よける暇がなかった。トリフネは両腕を伸ばしてきて、カーターのクロノスを捕まえた。
カーターは敵のその行動に驚いた。
「このやろう」
カーターは、喚《わめ》いた。「宇宙《うみ》で格闘をやろうってのか」
機体が触れ合うことで、通信が可能になる。
敵の声がヘルメットの中に流れてきた。
「小隊長、カーター小隊長ですね?」
カーターは、何か言い返そうとして、次の瞬間絶句していた。
その声には聞き覚えがあった。
「まさか……」
「小隊長。兵を引かせてください。これは無駄な戦いだ」
カーターは、後頭部を殴られたような心理的衝撃を覚えた。
「おまえ、サムか……」
「そうです、小隊長」
「生きていたのか?」
「ヤマタイ国軍に救助されました」
「敵に寝返ったか……」
「たしかに今はヤマタイ国側で戦っています。しかし、この戦いは間違っている」
「ふざけるな。戦闘の最中だぞ」
カーターは激しく混乱していた。
敵のトリフネの中に、カリスト沖海戦で戦死したと思っていたサムが乗っている。
周囲では、曳光弾の筋が飛び交っている。ミサイルが噴き出す固形燃料のガスの航跡も見える。
「離れろ、サム。理由はどうあれ、今は敵だ」
「しかし、小隊長……」
「こんなところで、ぼんやりしていると、弾に当たるぞ。離れるんだ」
カーターは、サムのトリフネを左腕で突き飛ばした。サムのトリフネは離れていったが、その反作用でカーターも後方に流された。
「くそっ。サムが……」
カーターは、サムが生きていたことがうれしかった。しかし、敵に寝返ったことが悔しくてならない。
その両方の感情が入り交じって、どうしていいかわからなくなっていた。
*
オージェは、戦いの最前線にいた。
激しくトリフネとドッグファイトを演じている。絶えず方向が変わる強烈なGのせいで、気が遠くなりそうだった。
だが、トリフネはさらに激しく動き回っている。軌道を逸脱するのではないかと思うほどの激しい加速を見せる。
しかも、やつらの動きには一糸乱れぬ連携が見られる。どうやって、コントロールしているのか、まったくわからない。
考えている暇などない。
オージェは持てるテクニックをすべて使っていた。
慣性飛行をしながら、機首をぐるりと後方に巡らせたり、横向きにしたりして、ビーム砲を撃ちまくった。
だが、トリフネの動きを捉えることはできない。
こいつらの動きを止める方法はないのか?
オージェは苛立《いらだ》っていた。
戦闘機の一機が被弾した。
若いワシリイの機だ。
空軍機は、被弾したらすぐに基地に引き返すことになっている。ワシリイは、その規則に従い、アトランティスへ引き上げていく。
このままだと、俺たちは、一機残らず落とされてしまう……。
彼は、モニターを見回して、ギガースを探した。
トリフネに対抗できるのは、やはりギガースだけか……。
オージェは、モニタースクリーンの一点を見て驚いた。
ギガースが静止している。
激しい戦闘空域の中で、ひっそりと宙に浮かんでいるのだ。ライフルも構えていない。
「ええい、何をしている」
オージェは、援護に向かおうとした。
激しい衝撃を機体に感じた。
「くそっ。被弾したか……」
すぐにモニターに被害状況が表示された。
「なんだ? アラート・グリーン?」
信じられなかった。「ツィクロンの装甲は、ズヴェズダよりずっと頑丈になっているらしい」
にわかに自信がよみがえる。
「ならば、撃たれることなど気にすることはない」
オージェは、リーナ機に近づこうとしているトリフネをロックオンし、ミサイルを発射した。
固定燃料のガスを噴き出し、ミサイルはトリフネの熱源に向かってまっしぐらに進んでいく。
驚いたことにトリフネはそれをかわし、追尾しようと反転したミサイルをライフルの連射で撃ち落とした。
ミサイルを撃ち落とす敵など初めて見た。地球連合軍の空軍にもそんな真似ができる者は一人もいない。
ギガースはそれでも動かない。
「いったい何をしているのだ……」
オージェは、苛立った。
ワシリイの機が、完全にトリフネに捉えられているのが見えた。
「させるか……」
オージェは、機首をトリフネに向けて、ビーム砲を撃った。
トリフネは、それを避けたが、ワシリイを救うことができた。敵はオージェのビーム砲を警戒して距離を取ったのだ。
ジュピタリアンにとっても、ビーム砲は脅威のようだ。
オージェは、スラスターを使い、機首を巡らせた。索敵が目的だった。
ふと、奇妙なことに気づいた。
トリフネの機動力が一気に低下したように感じた。
「なんだ……?」
オージェはつぶやいた。「これは、敵の作戦なのか……」
だが、ドッグファイトの最中に、突然、緩慢な動きになる作戦などあり得るはずもない。
オージェは、敵の戦力低下に戸惑っていた。周囲をさらに見回す。
ギガースは、あいかわらず、動きを止めたままだ。
その周囲でトリフネが、まるで戸惑ったようにばらばらな動きをしている。持ち前の機動力も失っているように見える。
「どうしたというのだ?」
今なら、ビーム砲でもミサイルでも簡単にトリフネを捉えることができそうだった。だが、オージェは、何が起きたのかわからず、トリガーを引くのも忘れていた。
やがて、トリフネがいっせいにメインスラスターからガスを噴き出し、ミラーシップの方向に向かった。
「引き上げるのか……?」
戦場は静かになっていた。
安堵《あんど》するより、当惑していた。
オージェは、首を捻って、後方のモニターに映っているギガースを見ていた。
ギガースはまだ、宙に浮いたまま静止していた。
*
「引き上げる?」
カーターは、トリフネの動きを見て、我に返っていた。サムが突然敵として現れた衝撃から覚めていなかったのだ。
「なぜだ?」
四方と上方のモニターを見回して、戦場の状況を把握しようとした。
そのとき、ギガースの姿が眼に入った。リーナのギガースは、母艦のアトランティスと等速度運動をしている。つまり、宇宙の海に静止していた。
「リーナがやったのか……?」
カーターはつぶやいていた。
何をどうやったのかは、わからない。だが、リーナが何かをやったということが、直感的にわかった。
トリフネの管制システム。それは、まったく未知のものだ。それを、解明するのがリーナの本来の役割だということを、カーターは知っている。
この戦いで、リーナはそれをつかんだのかもしれない。
いずれにしろ、トリフネは引いた。好機だ。一気に敵の戦艦を叩くことができる。
カーターは、クロノスの左手を頭上に掲げ、それを前に振り出した。
テュールを収容したチーム・イエローの突撃艇と、ホセのクロノスが即座に反応する。彼らが前進する。
カーターもクロノスのメインスラスターを吹かして前に出た。
目の前にギガースがいる。カーターはギガースに触れるつもりで手を伸ばした。ギガースは、等速度で軌道に乗っていた。つまり、静止した状態だったので、接触したときに、思ったより衝撃があった。
「だいじょうぶか?」
機体が触れ合うことで、通信が可能になったので、カーターはリーナに声をかけた。
「小隊長?」
夢から覚めたような声が聞こえる。
「トリフネが引いた」
「はい」
「ギガースのビームライフルが必要だ。付いてこられるか」
「もちろん……」
リーナはこたえたが、どこか現実感を欠いた声だった。
「ビームライフルで敵の戦艦を叩く。ついてこい」
「はい」
カーターは、ギガースから離れ、メインスラスターを噴かした。
いつものフォーメーションに戻っていた。右手にホセのクロノス、左手にギガースがいた。
カーターは、巡洋艦の上方に出ると、クロノスの左腕を前方に振り出した。
ホセのクロノスが、ライフルを連射しはじめた。だが、二十ミリ無反動機関砲では、敵の戦艦には被害を与えられない。
カーターはギガースを見た。左手でギガースを指さし、敵の戦艦めがけてさっと振り出した。
ギガースは、ビームライフルを構え、撃った。
ライフルから光の束が発射され、敵巡洋艦の中央部を直撃した。
小さな火の球が見える。
「ミサイルだ」
カーターは、チーム・イエローの突撃艇を指さし、それから火を噴いた敵巡洋艦を指差した。
即座に、ミサイルが発射される。
ふいにカーターの脇を通って、前に出た機体があった。オージェの新型機だ。
オージェ機の機首からもギガースのライフルと同様のビームが発射された。
それは、敵主力艦のワダツミを捉えた。ワダツミは巨大だ。ビーム砲がどの程度の被害を与えたかはわからない。
これまでの二十ミリ無反動機関砲ではまったく歯が立たなかったに違いない。ビーム砲は明らかにそれよりはましなはずだった。
オージェ機は、ミサイルを次々と発射した。ここぞとばかりに残っていたミサイルをすべて撃ち込んだのだろう。
「さすがに、エースだ。戦い方を心得ているな……」
カーターはつぶやいた。
ギガースもミサイルを発射した。固形燃料のガスの航跡が次々と敵の三隻の戦艦に伸びていく。
いくつかは、敵のミサイル防衛システムに撃ち落とされたが、二発のミサイルが敵の主力艦に、一発が重巡洋艦の一隻に当たった。
その間、アトランティスを中心とする艦隊からのレーザー砲撃も続いている。
ここぞとばかりの猛攻だ。トリフネがいなくなった今、地球連合軍側が圧倒的に有利になっていた。
三隻のミラーシップの中心部が明るくなった。メインスラスターのノズルだろう。
ブーストするらしい。軌道を変えるということだ。
不意に無線が通じた。
さまざまなつぶやきや喚声がヘルメットの中を交差した。ECMが止んだのだ。
アトランティスをはじめとする戦艦から、赤い発光信号が上がる。
帰投命令だ。
カーターは、小隊に呼びかけた。
「全員、ねぐらへ帰るぞ」
カーターは、クロノスを反転させ、メインスラスターを噴かすと、一直線にアトランティスに向かった。
6
火星衛星軌道上
強襲空母アトランティス
ヒュームス・デッキは、独特の高揚感に満ちていた。
被弾したテュールから出てきたアランとカウボーイも無事だった。その姿を見て、カーターはほっとしていた。
ミラーシップがブーストしたということは、彼らを追っ払うことができたと考えていい。戦いに勝利し、無事に帰還できたことが、隊員たちを高揚《こうよう》させているのだ。
カーターは、彼らのようにはしゃぐ気にはなれない。いろいろな考えが頭の中を交差している。
まず、サムのことがある。
サムが生きていたことは喜ばしい。だが、敵に寝返ったことは許しがたかった。
みんなに話すべきだろうか。カーターは迷った末に、エリオット作戦司令に報告するにとどめることにした。みんなに知らせるかどうかは、エリオット作戦司令に任せるしかない。
そして、リーナの不思議な行動を思った。
戦闘のさなか、リーナ機は静止していた。いくらムーサに身を任せるといっても、無謀な行動だ。
しかし、その後、トリフネの機動力が一気に落ちて、結局やつらは引き上げた。
リーナが何かをしたのだ。それは、リーナ本人がエリオット作戦司令に報告するのだろうか。
それとも、エリオット作戦司令やクリーゲル艦長を素通りして、海軍情報部に報告するのだろうか。
リーナが何をやったのか知りたかった。トリフネの管制システムを解明したのかもしれない。
カーターは、艦橋に上がるように命じられた。すぐに向かった。
艦橋には、いつものとおり、オージェとキャラハンも顔をそろえた。
エリオット作戦司令が、三人に言った。
「敵艦隊は、軌道を変更した。計算の結果、木星圏へ帰還する軌道を選択した模様だ。おそらく、被害が甚大で、引き上げざるを得なかったのだろう。今回のミッションは成功と言っていい。ごくろうだった」
オージェが言った。
「トリフネの動きが急におかしくなり、引き上げました。敵が木星圏に引いたことと、何か関係があるのでしょうか?」
エリオット作戦司令は、ちらりとカーターのほうを見た。
カーターは、思った。
おそらく、エリオットもリーナの行動に気づいたのだろう。戦況をモニターしていたのだから当然それは考えられる。
エリオット作戦司令は、オージェを見ていった。
「それは、司令部で戦闘を分析して結論を出すだろう」
オージェは軍人らしく、素直にこたえた。
「了解しました」
そのとき、ワッチ係官が大声を上げた。
「敵、戦艦の一隻がコースを逸れます」
エリオット作戦司令とクリーゲル艦長が、同時にその声のほうを向いた。
「コースを逸れる?」
エリオットが尋ねる。「一隻だけか?」
「船影確認」
係官がこたえる。「重巡洋艦のサマリアと思われます」
「どういうことだ?」
「ワダツミとユウナギは、木星圏へ帰還する軌道に乗りました。しかし、サマリアは火星へ向かっているようです」
「火星へ……?」
エリオットが言った。「引力に引かれているのか?」
「わかりません。サマリアも他の二隻と同様にブーストしたことを確認していますが……」
カーターは、嫌な予感がした。
ミラーシップは、アトランティスと同様に宇宙船だ。宇宙の海を航行するためだけに建造された。
惑星に上陸することなどできない。引力に引かれて沈みつつあるのかもしれない。
そうでなければ……。
「その船を沈めてはいけない」
艦橋の入り口のほうから声が響いた。リーナの声だった。
その場にいた誰もがリーナに注目した。
リーナは、いつになく切羽詰まった表情をしている。
「何事か」
クリーゲル艦長がとがめるように言った。
「その船は……、その船は……」
リーナは、その先を言えずにいる。
こんなに取り乱した彼女を見るのは初めてだった。カーターは何かとんでもないことが起こりつつあるのを悟った。
エリオットも気づいたようだ。彼は、命じた。
「サマリアの軌道計算をしろ。最優先だ。急げ」
艦橋は沈黙した。
じりじりとした時間が過ぎる。
「計算結果出ました。スクリーンに出します」
カーターは、モニタースクリーンを見上げた。
火星とアトランティスがいる軌道が図で示される。サマリアも先刻までその軌道にいた。
木星へ向かうミラーシップ二隻の軌道も示されている。
そして、サマリアの軌道。
それは、曲線を描いて火星の地表に向かっていた。
「落ちているのか?」
エリオット作戦司令が、モニタースクリーンを見つめたまま尋ねた。
「いえ」
係官がこたえた。「ブーストして故意にこの軌道を選択したものと思われます」
「故意にこの軌道を選択?」
エリオット作戦司令は、はっと係官を見た。「サマリアが落ちる先には何がある」
「マスドライバーの施設です」
衝撃が艦橋内を駆け抜けた。
カーターも、思わずうめいていた。
マスドライバーは、火星の地上から資源や資材などを衛星軌道上まで打ち出すための重要な施設だ。同時にそれは、重要な軍事施設でもある。
マスドライバーが破壊されたら、ベース・バースームをはじめとする火星圏のコロニーへの補修材料や、建設用資材などの供給が絶えることになる。また、火星で掘りだした資源の供給も途絶えるのだ。
戦艦の建造もしばらくは滞ることになるだろう。
それは、地球連合軍ならびに地球圏の経済活動にとって壊滅的な打撃となる。施設で働く人々にも甚大な被害を与えることになるだろう。
クリーゲル艦長が、命じた。
「司令部への回線開け。せめて、マスドライバー周辺の作業員や職員を避難させなければ……」
リーナは、戸口に浮かんでいた。
カーターたち小隊長は艦橋から引き上げることにした。これから、司令部とのやり取りがある。
カーターは、戸口でリーナの肩に手を置いて、そっと押しやった。
リーナは、後ろ向きに戸口から廊下へ流れていった。
「あの船を止めなければ……」
リーナがうわごとのように言っていた。
「わかっているだろう」
カーターは、リーナに言った。「もう誰にも止められないんだ」
すでにサマリアという敵の重巡洋艦は、火星の引力によって加速している。火星の薄い大気は、巨大な宇宙船を燃やし尽くすことはできない。
「さあ、部屋に戻っているんだ」
カーターはリーナに言った。
トリフネに何をしたのか、尋ねたかった。だが、今は無理のようだ。
サムのことも言いそびれた。
リーナは何か言いたげにしていたが、結局、カーターの言葉に従って、自分の部屋に引き上げた。
「くそっ」
カーターはつぶやいた。「戦艦で地上に突っ込むだって……。なんてやつらだ……」
オージェがそれを聞き止めたらしく、言った。
「おそらく、被害が大きく、木星圏までたどりつけないと判断したんだろう」
「戦争なんだよ」
キャラハンが、言った。「やつらだって、必死なんだ」
カーターは、小隊の連中にサマリアのことを告げなければならないと思った。彼らは、人工重力ブロックのリクリエーションルームにいるはずだ。
気分が重かった。
後味の悪い戦いだ。
いや、戦いというのは、常に後味の悪さが残る。
カーターはそんなことを思っていた。
*
サマリアは、火星のマスドライバー施設を直撃した。
マスドライバーは破壊され、逃げ遅れた作業員数人が犠牲になった。多くの作業員や職員が緊急の連絡を受け、いち早く避難したために、無事だったことがせめてもの救いだった。
カーターは、その知らせをリクリエーションルームで聞いた。帰還したときは、浮かれていた隊員たちも、今は押し黙っていた。
カーターは立ち上がり、リーナを訪ねてみることにした。
リーナの部屋の脇にあるボタンを押す。
「はい」
きびきびとしたリーナの声が返ってくる。
「カーターだ。ちょっといいか?」
すぐにドアが開いた。
リーナはすでに落ち着きを取り戻している様子だった。
「さきほどは取り乱して、申し訳ありませんでした」
「話がしたい。入っていいか?」
若い女性の部屋だが、カーターは躊躇せずに尋ねた。リーナは海兵隊員なのだ。
リーナも即座にこたえた。
「どうぞ」
リーナは立ったままだった。上官に対する礼儀だ。
カーターは、小さな机の前に置いてある椅子に腰を下ろした。
「くつろいでくれ」
リーナは、休めの姿勢になった。
「そうじゃなく、ベッドにでも腰かけてくれ」
「はい」
リーナはカーターの言葉に従った。
「サマリアが落ちることを、どうして知ったんだ?」
「うまく説明できません。おそらく、レーザーセンサーか、パッシブレーダーのシステムに、無意識のうちに感応してしまったのだと思います」
カーターはうなずいた。
すでに、こういう話を聞いても驚かないし、疑いを感じなくなっていた。
「もう一つ聞きたい」
「はい」
「ドッグファイトの最中に何をしていた?」
「声を聞いていました」
「声?」
「はい。声のようなものです。幾重《いくえ》にも重なるコーラスのような感じでした。おそらく、トリフネの管制システムに関係したものだと思いました」
「敵のコンピュータか?」
「コンピュータではありません。それに働きかけている何かです」
カーターは、眉をひそめた。
「コンピュータに働きかける何か? 俺にはどういうことかわからない」
「あたしのような力を持っている者が、ヤマタイ国にいるとしたら、説明がつきます」
「サイバーテレパスのことか?」
リーナはうなずいた。
「それも、あたしなどよりずっと強い、けた外れな力を持った存在です」
カーターは、うなった。
「敵は、サイバーテレパスの力によってトリフネのコンピュータに働きかけ、それによって制御しているというのか? では、そのサイバーテレパスがすべてを操っていることになる」
「そうではありません。その誰かは、トリフネのコンピュータシステムと対話をしているのです」
「対話……?」
「そういう言葉でしか表現できません」
「俺には実感できない」
「当然だと思います。あたし自身、それを受け容れるまで、ずいぶんと時間が必要でした」
カーターは、想像するのをあきらめた。
コンピュータシステムとインターフェイスなしでアクセスできる存在。そんなものは、とっくにカーターの想像力を超えているのだ。
「急にトリフネの動きがおかしくなった。何かやったのか?」
「ヤマタイ国の誰かがやっているのなら、あたしにもできると考えたんです」
「つまり、トリフネのコンピュータシステムにアクセスしたのか?」
リーナはかぶりを振った。
「あたしにそこまでの力はありません。ヤマタイ国からの『声』を妨害しただけです」
「それでも充分に効果的だった」
カーターは言った。「だが、ドッグファイトの途中に静止して浮かんでいるなんて、危険だ。今後はもっと考えてくれ」
リーナはほほえんで、何か言おうとした。
カーターは、それを制して言った。
「わかっている。ムーサが守ってくれるというんだろう」
「はい」
カーターは考えてから言った。
「トリフネのドライバーたちは、コンピュータシステム以上のものを信頼していると、いつか言っていたな」
「はい。最初の接触のときにそれを感じました」
「その木星圏からの『声』が、それなのか?」
リーナはうなずいた。
「そうだと思います」
カーターは、しばらくリーナを見つめていた。リーナもカーターを見返していた。
「この話は、エリオット作戦司令に報告するのか?」
「いいえ。直接海軍情報部に報告することになっています」
「やはりな……。軍機か?」
「軍機です」
「なら、どうして俺に話した?」
「小隊長は、外に洩らしたりしないでしょう?」
カーターは肩をすくめた。
「聞かなかったことにするよ。その代わり、俺の秘密も聞いてくれ」
「何です?」
「カリスト沖海戦で、小隊のクロノスが一機沈んだ。それにはサムという隊員が乗っていた」
リーナはうなずいた。
「聞いています」
「今回の戦いで、俺はサムに会った」
リーナが眉を寄せてカーターを見つめた。
「どういうことです?」
「サムは生きていたんだ。ジュピタリアンに救助されたのだと言った。そして、彼は敵に寝返ったんだ」
カーターは言ってから、リーナがどんな反応を示すか見つめていた。リーナは何も言わなかった。
「これから、そのことをエリオット作戦司令に報告してこようと思う。隊員たちはまだ知らない」
リーナが言った。
「ヤマタイ国軍兵士の多くは、元地球連合軍の兵士だったと聞いたことがあります」
「そういう噂《うわさ》もあるな。だが、俺は信じなかった」
「ヤマタイ国の脅威は、単なる軍事力ではなく、地球連合軍の兵士が寝返ってしまうという事実にあるような気がします」
「どういうことだ? つまり、洗脳とか、そういったことか?」
「わかりません。しかし、洗脳といった技術的な問題ではないような気がします」
カーターはうなずいた。
これ以上考えることはない。そう判断した。それは、海軍情報部が考えるべきことだ。
カーターは立ち上がった。
「邪魔したな。ゆっくり休んでくれ」
リーナも即座に立ち上がって、カーターを送り出した。
カーターは廊下に出ると、艦橋に向かった。
地球連合・アメリカ合衆国
ニューヨーク市
ジンナイは、火星のマスドライバー壊滅のニュースを見ていた。
軍は、発表を渋っていたようだが、火星自治区からの報道が伝えられると、詳細を知らせざるを得なくなったのだ。
これが、地球連合の施設の初めての被害だった。そして、被害は甚大だった。
不幸な出来事だ。
ジンナイは思った。
だが、私はこの出来事を利用しなければならない。
地球の住民も、火星にまで被害が及んだことで、衝撃を受けているだろう。次は月かもしれない。そして、地球にまで敵が侵攻してくるかもしれない。
その前に戦争を終わらせたい。
そういう機運を高めようと考えた。
戦争は終わらせなくてはならない。
そのためには、何だって利用させていただく。
オフィスでテレビを見ていたジンナイは、私設秘書の一人が近づいてくるのを見た。
頼りになる男性秘書だ。彼は、テレビの画面をちらりと眺めると言った。
「火星ですね。たいへんなことになりましたね」
「最近は、いやなニュースばかりだ」
「では、いいニュースを一つお知らせしましょう」
ジンナイは、秘書の顔を見た。
「何だ?」
秘書は、机の上の電話を指差した。
「弁護士のベン・ワトソンから電話が入っています」
ジンナイは、受話器を取った。秘書はほほえみを残して歩き去った。
ワトソンの声が聞こえてきた。
「コニー・チャンを助け出した」
「本当か?」
「証拠不充分で、はなっから起訴なんてできゃしないんだ。やつら、コニーの口を割らせて、スパイの居所をつかみたかっただけなんだ。これから、不当逮捕と勾留《こうりゅう》中の人権侵害について訴えを起こすかどうか、コニーと相談する」
「そいつはいい」
ワトソンの声が急に低くなった。
「だが、注意したほうがいい。ハリー・マーティンとボブ・サントスはまだあきらめちゃいない。やつらは、決して魔女狩りをやめない」
「わかっている。ごくろうだった」
「どうってことないさ。あんたに何かあったときも、われわれに任せておけばいい」
「ああ、そのときはたのむよ」
ジンナイは電話を切った。
たしかに、久々にいいニュースを聞いた。
ジンナイの心は、少しだけ軽くなっていた。
[#地付き](第二巻 終わり)
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Gへの系譜
宇宙海兵隊のヒュームス「ギガース」の活躍については、宇宙戦争の暗い嵐の中に輝く一筋の希望の光というような、センセーショナルな報道がなされている。
ここでは、そうした情緒的見解に流されることなく、主に歴史的、技術的な観点から、ギガース出現に至る軍用ヒュームスの発展について見ていきたい。
取材内容に関しては、公刊資料のほか、取材対象の守秘義務に抵触しない範囲での独自取材を行った。当然のことながら、文責はあげて筆者にあることを明記しておく。
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執筆:技術コンサルタント
連合海軍退役少佐
マエカワ、トモヒコ
MAEKAWA,tomohiko
協力:軍事アナリスト
オオツカ、ケンスケ
OHTSUKA,Kensuke
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軍用ヒュームスの黎明期
もともとは建設・建艦用の機械であったヒュームスが、艦艇に標準装備として搭載されようになった理由は、発電用の核分裂炉やスラスターロケットの整備に用いるためである。
特に、盛大に放射線を出すオープンサイクル型の核分裂ロケットを現場で整備するためには、中性子遮蔽材を分厚くまとったヒュームスが必要不可欠である。
整備用のヒュームスは、核ロケットが一般的になった火星圏開発以降、標準的な大型艦用装備として官民問わず使用されている。規格は、月面核分裂炉建設計画で用いられた8m級である。
この目的のために設計されて現在でもひろく使用されている機種には、フィフティベル・マンマシーン社のU78「サムソン」などがある。
その後、地球−火星航路の不安定化に伴って設立された連合海軍は、ヒュームスを臨検業務の支援に使用することを決定する。
海軍艦艇を不用意に危険にさらすことなく、対象艦艇を制圧下に置くためである。
近距離の宇宙空間移動については、整備用のヒュームスでも問題なくこなせたので、改良点は武装を施し、防御力を向上させた程度である。
初の軍用ヒュームスと呼べるのは、この時に配備されたカワシマ&ヒューズ社のVX93「ラガー」である。
木星圏での治安悪化を受けて海兵隊が設立されると、軍用ヒュームスの歴史はまた新たな局面を迎えることになる。
ガニメデにおける、テロリストによる発電施設占拠事件に際し、当地に配備されていた宇宙海兵隊武装警察は、入港中の戦艦からラガーを借り受けて制圧作戦に投入したのである。
ヒュームスによって建設された施設には、法令によってアクセス回廊を残しておくことが定められていたために、この戦術は予想以上の功を奏した。
海兵隊上層部は作戦の成功にいたく感動し、このことは白兵戦用ヒュームスの研究を促す大きな原動力となった。
海兵宙陸両用戦隊の誕生
海兵隊は組織の拡大に伴い、海軍艦艇への配備をも希望するようになった。
これに対して海軍は、艦載用ヒュームス関連部隊を、装備の更新時期を迎えた順に海兵隊へと移管することに同意した。
かねてから白兵戦用ヒュームスの調達を希望していた海兵隊本部は、更新用のヒュームスに対して、原子機関整備と臨検活動に加えて接近戦闘の任務を担わせることを決定する。
ラガーの実績を買われてカワシマ&ヒューズ社が設計・製作した海兵隊用ヒュームスには、北欧神話の雷神にちなんで、「テュール」という名前が授けられた。
M1テュールの登場は、たんなる新型機の配備ということにとどまらず、海兵隊の任務自体に変革をもたらした。
テュールの登場により、宇宙空間から直接衛星施設などに強襲をかける「宙陸両用作戦」の可能性が開けたのである。
木星圏の情勢に危機感を覚えていた地球連合軍上層部は、この点にいち早く着目し、研究の終了を待たずに実戦部隊を編成して最前線の木星方面隊に投入した。
テュールによって編成された宙陸両用戦部隊の、戦艦への配備が進むと、「どんなものも無駄にしない」というモットーを持つ宇宙船乗りたちは、この部隊を宇宙空間戦闘にも利用することを思いついた。
ヒュームスは小型の宇宙船でもあるわけだから、防空用に配備されている艦載戦闘機と同様、空間戦闘に使えるはずだと考えたのである。
運用試験では、テュール3機ごとに分隊を編成し、艦艇と敵を結ぶ線分の上下に進出して防御フォーメーションを築く戦術が試された。
結果は良好であり、早速に運用規則の改定と機体の改良が上申された。
上申は認められたものの、宇宙戦闘の主役はあくまで艦艇であって、艦載戦闘機やヒュームスなどは補助的・防御的な戦力に過ぎないという海軍の大方針は揺るがなかった。
またこの時期、海兵隊員の多くも、パトロール任務や上陸作戦こそ海兵の本領と心得ていたようだ。
高まる不満
ヒュームスの空間戦闘運用がはじめられて以来、現場の海兵隊員たちからは、その使い勝手の悪さについて強い不満が寄せられ続けている。
そのうち最大のものは、移動能力のあまりの低さである。
第1世代の空間戦闘ヒュームスであるM1−S1テュールは、強襲揚陸戦用のM1を改造して製作された機体であった。
単独では非常に小さな移動力しか持たず、防御線までの移動は揚陸用として各分隊に1機配備されているA1突撃艇によって行う。
突撃艇とテュールのあいだには、指揮通信情報や緊急用電力を供給するため、また推進剤枯渇時の命綱として、特殊素材のケーブルが渡されている。
こうした複合システムではどうしても、一方が失われた場合にもう一方が巻き添えになる可能性が高くなってしまう。
連合空軍の戦闘機乗りの中には、テュールのこうした運用方法を見て、「海軍の操り人形」と陰口を叩くものもあった。
こうした不満を受けて開発された第2世代のマシーン、ギリシャ神話から時の神の名を採ったM2「クロノス」は、最初から空間戦闘を前提として開発されたはじめての機体である。宇宙機メーカーであるボーイング社により設計された。
脱出艇なみの移動力を持ち、単体で強襲作戦を遂行できるスペックを持つ。しかしそれでも、艦載戦闘機や空間空軍の戦闘機が持つ移動力とは比較にならない低いレベルである。
スラスターの出力が低いだけでなく、搭載できる噴射剤の量が少なすぎるのである。配備初期には、訓練中に「ガス欠」になって、突撃艇によって回収される機体が続出した。
外部ブースターの使用なども試みられたが、戦闘時に誘爆する危険性と、帰還不能になる可能性が問題となって、正式採用はされていない。
また、搭載能力が低いため、武装が20ミリの低反動機関砲のみで、対艦用には威力が低すぎるという指摘もなされている。
整備を担当する海軍兵士からは、別の種類の不満が出されていた。
宇宙艦の限りあるスペースの中で、戦闘機と空間ヒュームスという2種類の機動兵器を搭載・運用するのは負担が大きく、非効率であるというものである。
G計画の始動
そこでスタートしたのが、新型の空間戦闘用ヒュームスであるM3の開発と、新世代の接近戦闘兵器開発計画「G」の二つである。
ジェネレーションの頭文字を冠したG兵器は、単に空間ヒュームスの後継を意図したものではない。
ヒュームスの強襲戦闘能力を保ちながら、同時に艦載戦闘機の機動性を凌駕し、強力な打撃力を持つ機体というのが「G」に対する要求であった。
トライアルに参加するメーカーあてに提出された資料によると、この無茶な要求の背景には、「G」によって編成された特殊部隊の構想があった。
長距離進出用の新造艦艇に「G」を装備した部隊を搭載し、木星圏に対する単独攻撃任務に就かせるというものである。
関係者の話では、この時すでに、部隊の名を「ギガンティス」、個々の兵器を「ギガース」と名づけるということまで決定されていたという。
(余談になるが、予算は艦艇の建造を含めた一括処理がなされており、これに関係して造船メーカーからの贈賄を疑う報道があった。その直後に2名の若い海軍大佐が除隊しているが、報道との因果関係は不明である)。
G計画を受注した老舗のカワシマ&ヒューズ社は、G兵器に対する要求性能を達成するために、従来の動力源である燃料電池に代えて、核動力の採用を決断する。
K&H社からの要請に応え、プラット&ホイットニー・ルナ社は、新規に超小型のMHD型核分裂発電炉、FG−440を開発した。試作段階での価格は、1台で従来のヒュームスが1個小隊揃えられるような金額であったというが、それに見合うすばらしい性能を持つ。
この優れたパワープラントにより、機体制御に豊富な電力が利用できるようになり、従来は艦載砲や拠点防御用にしか使用できなかった粒子ビーム砲も装備できるようになった。
発電炉からの余熱を逃がす放熱板と上層大気制御翼を兼ねたモーメント作動肢は、外観上の大きなポイントにもなっている。
G兵器の開発によって得られた技術は、M2クロノスの後継機であるM3へとスピン・オフされる予定となっていた。
暴走する進化
便宜上、XM3とナンバリングされたG兵器は、しかし当初の構想をはるかに超えた化け物的な進化を遂げることになる。
その背景には、近年急速に力をのばしている木星系の武装集団「ヤマタイ」の開発した戦闘機「トリフネ」の存在があった。
海軍情報部はトリフネのコントロール・システムについて、地球連合軍もまだ配備していないような高度なものであると断定したのである。
XM3は連合海軍の方針によって、トリフネに対抗しうる新たなコントロール・システムのテストベッドとされ、この高価なシステムを守るため特別な保護機構が設けられた。
これら二つの新装備のうち、前者は「SMACS」(スマックス、エスマックスとも)という名前と共に概要が公開されている。(後者については今のところ未公表である)。
Sensuous Motion Auto Control System の頭文字を取ったこの装備は、一言でいってしまえば機体の制御装置である。
もっとも、概念設計に参加したある研究者は、「これは、単なる制御機構なんかじゃない。人間と機械を融合させるまったく新しいシステムなんだ」と誇らしげに語っている。
一般に、ヒュームスの操作時に最大のネックとなるのは、人体とヒュームスのサイズの相違と、情報伝達時間のギャップからくる、動作フィードバック時の違和感である。
素手で生卵を割る状況を想像してもらいたい。
我々は目で確認した卵に手を伸ばし、両手の指に触感を感じたのち圧力を加えはじめる。そして殻が圧壊する振動を感じた瞬間に握力を緩め、張力を掛けて殻を切断し、内容物を取り出す。
これら一連の動作をヒュームスで再現するのは至難の業であり、豊富な経験を積んだドライバーであっても、補助プログラムに頼らない限りは目玉焼一つつくることができない。
SMACSは、機体表面のセンサーとプロセッサ、情報の伝達系統、中央情報処理装置、ドライバーの脳に対する読み取り/書き込み装置から構成される。
塗布されたマイクロセンサーは、その部位にかかる加減速や振動周波数、加減圧、電位差、磁気分布、温度変化、周辺環境の化学物質濃度、機体の素材疲労などの情報を読み取る。
情報はその付近のプロセッサで一次処理されて、電子に圧縮された後、光の速度で機体構造を伝播する。
中央情報処理装置に常駐するヒュームスOSの「ムーサ」は、この情報を人間が解釈できるようなものに加工し、インターフェイスの電子銃がパイロットの脳に撃ち込む。
そして逆に、スキャンされた脳の電位差を受け取ったムーサは、ドライバーの命令を機械語に翻訳、逆のルートで機体各部に送信する。
これによってドライバーは、マシーンの表面が自分の皮膚と一体化したかのような感覚を与えられ、かつてないスムースな操作が可能になったという。
この性能を獲得するために、伝達系と駆動系の一部には、遺伝子改造を施したヒト細胞(国際医学倫理ガイドラインにより使用が規制されている)が使われているともいう。
だが、実際の設計試作段階では問題が多発したようだ。
ある技術者は「SMACSというのはサディズム・マキシマムの略だ」と評していたが、バトルダメージによる身体喪失感覚は、精神衛生学的に深刻なレベルであったという。
実戦機へのシステム搭載にあたって、これらの問題点が改善されたのかどうかは不明である。
この点はまさに、「実験」機であるといえよう。
XM3「ギガース」の出撃
予算内訳を見るとわかるのだが、これらのシステムの搭載後、XM3の単価は当初予定の5倍以上にハネあがった。
これは1個海兵強襲中隊(ヒュームス20〜30機)の装備費にも匹敵する莫大な金額であり、今後政治問題化するのは必至と思われる。
特殊部隊構想が中止され、新造艦艇の建造がキャンセルされたのは、あきらかにこの単価増大によるものであろう。
(スペースユナイテッド社など三つの造船関連メーカーの倒産は、このキャンセルに関連するのではないかと噂されている)。
次期量産型ヒュームスM3の設計と生産にも大幅な遅れが生じたため、急遽M2の改良型M2−A1「クロノス・プラス」の生産が決定している。
これは、クロノスの動力炉をFG−440の出力低下型に換装して、ビーム火器の使用を可能にしたものである。
完成したXM3(発表によってはXM3−G)は、これだけは当初の計画どおり「ギガース」と名づけられた。
テストパイロットのリナ・ショーン・ミズキ少尉によって一通りのテストを済ませると、異例なことにミズキ少尉がそのまま戦闘部隊に配属された。
ニューヨーク級強襲戦艦「アトランティス」に配備されたギガースが、戦艦「ダイセツ」救援作戦で華々しくデビューし、地球連合軍のシンボル的な存在となったのは、皆さんもご存知の通りである。
[#改ページ]
底本
講談社 KODANSHA NOVELS
宇宙海兵隊《うちゅうかいへいたい》ギガース2
著 者――今野《こんの》 敏《びん》
二〇〇二年六月五日 第一刷発行
発行者――野間佐和子
発行所――株式会社 講談社
[#地付き]2008年7月1日作成 hj
[#改ページ]
修正
功を奏した→ 功を奏した。
置き換え文字
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26