宇宙海兵隊ギガース
今野 敏
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)隣《となり》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)直接|網膜《もうまく》
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〈帯〉
|G《ガンダム》から20余年。……|G《ギガース》は新しいエンターテインメントのジャンルだ。
――作家・『GUNDAM OFFICIALS』編者 皆川ゆか
[#改ページ]
〈カバー〉
GIGAS
In 22nd century, Jupiterrian goes into space-warfare at last.
The human race has not Hept a peace anytime, why not ?
木星圏の反乱者、ジュピタリアンとの激しい抗争に疲弊する地球連合軍。劣勢を一挙に挽回すべく極秘開発された最新型|HuWMS《ヒュームス》(Human-Style Working Machine Standard)コードネーム「G」――「ギガース」がパイロットの美少女、リーナ・ショーン・ミズキ少佐とともに戦場を駆けるとき、宇宙《うみ》に無限の戦慄が走る! 著者の深いこだわりと想いが炸裂する、スペース・ロボット・オペラの決定版!
FROM 今野 敏
なつかしくも、新しい。そんな物語を書いてみたい。……という思いで、「宇宙海兵隊」という作品をリライトした。まったく新しい作品に生まれ変わってしまった。SF不遇の時代だが、押井守監督と酒を飲んでいるときに、「宇宙モノ、書かない?」と言われてその気になってしまった、全三部作の予定。
今野 敏 BIN KONNO
1955年北海道三笠市生まれ。
日本空手道常心門二段、棒術四段の実力を持ち、自ら「今野塾」を主宰する。
おもな著作に『蓬莢』『イコン』『ST 警視庁科学特捜班 黒いモスクワ』(講談社)などがある。
[#改ページ]
オージェ・ナザーロフ大尉
「操り人形などに、いい恰好をさせるわけにはいかない」
リーナ・ショーン・ミズキ少佐
「私はGを運用する権限を与えられています」
[#改ページ]
宇宙海兵隊ギガース
[#地から1字上げ]今野 敏
[#地から1字上げ]講談社ノベルス
[#地から1字上げ]KODANSHA NOVELS
目次
第一章 最新鋭機
第二章 小惑星帯の戦い
[#地から1字上げ]世界解説=大塚健祐
[#改ページ]
第一章 最新鋭機
月面都市・アームストロング・シティー
カワシマ・アンド・ヒューズ社
技術士官のトレイシー少佐は、ロールアウトを待つ最新鋭機に掛けられた濃緑色のカバーを見つめていた。
このデッキから見ると、作業場のフロアがはるか下に見える。作業員たちが軽々と大きな資材や機器を持ち上げているのは、月ならではの光景だ。
月面にあるカワシマ・アンド・ヒューズ社の工場は、事実上地球連合軍の兵器の開発工場と化していた。トレイシーは、今回の開発計画にたずさわった一人だった。
デッキの手すりにもたれていると、隣《となり》に誰かやってきた。同僚のアーロン少佐だった。アーロン少佐も技術士官だ。一流の工業大学をおそろしく優秀な成績で卒業した。
それだけに自信家だった。そして、彼はテクノロジーを崇拝していた。技術の可能性を追究するのが彼の生き甲斐《がい》なのだ。技術が何に利用されるかは気にしない。
「ついに、完成しましたね」
アーロン少佐が満足げに言った。
彼も濃緑色のカバーを見つめていた。
トレイシーは、アーロンの自信に満ちた笑いを見てなぜだか腹が立ち、のどの奥で曖昧《あいまい》な返事をしただけだった。
アーロンは、トレイシーの思惑《おもわく》などまったく関心ない様子だ。シートを被って横たわるコードネームGという最新鋭機のプロトタイプに目を輝かせている。子供が新しいおもちゃに夢中になっているようなものだとトレイシーは思った。
「まったくすごいマシンですよ、こいつは……。ヒュームス用OSの最新バージョンを搭載して、パイロットの行動様式を瞬《またた》く間に学習してしまう。アクチュエイターには、人工筋肉が使用されていて、よりデリケートな動きが可能になった……」
「金に飽かせてありとあらゆる最新技術をぶち込んだというわけだ」
「機嫌が悪いですね」
「ヒュームスというのは、もともと過酷な環境での作業用強化スーツのことだった」
ヒュームス(HuWMS)は、Human-Style Working Machine Standard の略称だった。作業用強化スーツの規格を指す言葉だったが、軍事転用されて以来、人間が乗って操縦する人型兵器を指す言葉になっていた。
アーロンが鼻で笑った。
「戦争でもなけりゃ、こんなマシンは作れませんでしたよ。土木作業や建設現場にはこんなスペックは必要ありませんからね。デリケートで速くて強い。考え得《う》る最高水準の科学技術の結集ですよ」
「しかし……」
トレイシーは、言った。「誰が、この機に乗るんだ? このスペックを活かせる人間などこの世にいるのか?」
アーロンは肩をすくめた。
「自動車だって、最大のスペックを引き出すドライバーがいるなんて考えて設計されているわけじゃない」
「それとは次元が違う」
「同じですよ。要するに私たちは、求められる最高のマシンを設計し、それを作る。運用する側の問題は、私たちの知ったことではない」
「おそろしく高価なマシンだ。これが量産されることはあり得ない。軍は何のためにこんなマシンを作った?」
「知りませんよ。木星のやつらに負けたくないからでしょう」
「シンプルで安価な武器を量産するというのが戦争の鉄則だ」
「このマシンの運用によってデータを収拾して、よりシンプルで効果的な量産型マシンを作ることはできます。そのためのプロトタイプですよ」
トレイシーは、アーロンの顔を真正面から見つめた。ひどく落ち着かない気分だった。
「それ以前に……」
トレイシーは、言った。「それ以前に、私たちはこんなものを作ってよかったのか?」
それは、切実な問いだった。
だが、アーロンは何もこたえなかった。
地球と月のラグランジュ点、L5
第一群島内コロニー ノブゴロド
オージェ・ナザーロフ大尉は、招集の知らせを受けて、空間| 空 軍 《エアフォース》司令部の廊下をオデット・チトフ大佐のオフィスに向かった。
司令部のビルは殺風景な近代的建物だが、窓の外には、針葉樹林に混じって白樺の木が見えている。その林の向こうには、ロマノフ王朝風の優雅で巨大な建物や、スターリン様式の尖塔《せんとう》を持つビルが見えていた。人は、宇宙《そら》に出てもなかなか習慣を変えられない。同じ民族が集まれば、そこに故郷の習慣や風俗を持ち込む。
遠くの景色が地平の向こうに隠れるのではなく逆にせり上がっている。それが、かすかに霞《かす》んで見え、濃密な大気があることを実感させている。巨大な円筒形のコロニー独特の光景だった。
このコロニーは、百四十四秒に一回転して人工の重力を作り出している。一G型と呼ばれるコロニーだ。地球と同じ一Gのコロニーはたいへんに高価なために、数が少ない。
コロニー群が置かれているラグランジュ点のことを習慣的に「群島」と呼んでいるが、群島内でも重要な施設は、この一G型にある。そのために、必ず地球連合軍の基地が置かれていた。
第一群島内にあるノブゴロドには、空間エアフォースの基地があった。伝統的に、空間エアフォースには、ロシア空軍の習慣が色濃く残っていた。
ノブゴロドという名が示すとおりに、コロニーの住民もロシア系が多い。
オデット・チトフ大佐は、空間エアフォース司令部の憧《あこが》れの的と言ってよかった。髪はスラブ系特有の明るい砂色をしている。その瞳《ひとみ》が特徴的《とくちょう》だ。美しいすみれ色をしていた。
人間関係には比較的冷淡なオージェ・ナザーロフ大尉も、オデット・チトフ大佐のオフィスに赴《おもむ》くのは悪くない気分だった。
チトフ大佐の部屋は、軍人らしくきちんと整頓《せいとん》されていた。机の後ろには北国を思わせるノブゴロドの森林とその向こうの建物が見渡せる窓があり、その脇には、地球連合軍と空間エアフォースの旗が立っていた。
オージェが入っていくと、チトフ大佐はすみれ色の眼を上げた。
「お呼びですか」
オージェは、机の前で気をつけをした。軍規というのはどこの隊でも厳しいものだが、特にロシア空軍の名残が色濃い空間エアフォースでは礼儀にうるさかった。
チトフ大佐がかすかにほほえんだ。それが絶大な効果をもたらす。オージェは無機質なオフィスが明るくなったような気がした。
「空間海軍が月から火星圏に荷物を届けるとのことです」
「荷物ですか?」
「内容は極秘。高価なおもちゃらしい」
噂は聞いていた。宇宙海兵隊のために新鋭機が開発されていたらしい。
「輸送の護衛というわけですか?」
「最近は、月・地球圏のあたりも、木星圏原理主義者の影響で、何かと騒がしい」
「海賊ですね」
「敵国のプロパガンダに踊らされる連中はいつの世にもいるものです」
「心得ております」
オージェはチトフ大佐が差し出したファイルを受け取った。いつの時代になっても、正式な命令書は紙に印刷された文書で手渡される。電子データの不安定さは、軍の微妙かつ重要な情報のやりとりには向かない。
「この場で拝見してよろしいですか?」
オージェが尋《たず》ねると、オデット・チトフ大佐は、上品にうなずいた。
書類には、空間海軍の輸送船が月の周回軌道を離れるまで、護衛をするという任務が詳しく記されていた。
戦闘機のコンピュータに軌道を入力すればそれで済む仕事だ。書類によれば、海軍の輸送船は、月の周回軌道を回って加速し、その後火星の衛星軌道上を回る海軍基地に向かう。
空間エアフォースの戦闘機は、輸送船が月の周回軌道にいる間だけ、同じ軌道を回り、警戒していればいい。火星圏への軌道に乗ってしまえば、海賊などに襲撃される心配はほとんどない。
誰かが月から追ったとしても、月から火星への軌道に乗った輸送船に追いつくことはできない。
逆に火星から月への軌道をたどっても、輸送船との軌道とは一致しない。月も火星も動いており、それを厳密に計算した上で軌道を決めているのだ。
それはコンピュータの画面では些細《ささい》な差に見えるかもしれないが、広大な宇宙では大きな距離となる。
しかも、惑星間の軌道に乗っている輸送船はすさまじいスピードだ。たとえ、軌道上ですれ違うとしても、それはごく一瞬の出来事に過ぎない。
できることは、有効射程距離内に入った瞬間にレーザー砲やプラズマ砲を発射するくらいのものだ。海賊ごときの砲撃が、惑星間軌道を飛んでいる輸送船に当たる確率はおそろしく低い。
つまり、月か火星の周回軌道にいるときが、最も襲撃される危険が大きいということだ。おそらく、火星圏に入ったら、向こうの空間エアフォースの戦闘機が護衛に付くのだろう。それは、オージェの任務とは関係のないことだ。
海軍と空軍が同じ空を飛ぶというのは、宇宙ならではのことだと、オージェは思った。もっとも、空間エアフォースが戦闘機と呼ぶ乗り物も、宇宙海軍が戦艦と呼ぶ乗り物も、基本的には同じ宇宙船に過ぎない。規模と装備、そしてペイロードが違うだけだ。
宇宙空間のことを、空間エアフォースでは空と呼び、海軍の連中は海と呼んでいる。惑星間軌道を飛ぶことを、海軍の連中は「潮に乗る」などと言っている。空間エアフォースにはそれに相当する特別な言い回しはない。
空間エアフォースの戦闘機が、惑星間軌道に乗ることなどあり得ないからだ。役割は、月や地球、火星などの周回軌道を守ることだけだ。だから、戦闘機は常にコロニーの基地から発進し、同じ場所に戻ってくる。
地球上のかつての空軍にあったような輸送機という概念はない。輸送機を考えると、それはそのまま海軍の輸送船のことになってしまう。したがって、空間エアフォースにあるのは、幾種類かの戦闘機とそれを運用するための基地だけだ。
オージェは、チトフ大佐の部屋を退出すると、さっそく部隊を呼び集めてブリーフィングを行った。
部隊のメンバーには、オージェより年上の兵士もいる。しかし、彼らがオージェをないがしろにすることは決してなかった。
ノブゴロド空間エアフォースの要撃部隊は二機ずつのチームが三組、合計六名だ。命令書に付属していた光ディスクに、作戦に必要なデータが入っている。それを、三次元モニターに呼び出しながら、オージェは詳しく説明をした。
ノブゴロド標準時の〇七〇〇時に、月面から輸送船が打ち上げられ、〇七一五には、月面の周回軌道に乗る。
オージェのノブゴロド要撃戦闘機部隊は、月の周回軌道上にいる宇宙ステーションであらかじめ待機し、それに合わせて事前に基地を出発。月の周回軌道上で、輸送船を待つ。輸送船が周回軌道をやってくるタイミングに合わせて、軌道を下げて相対速度を合わせる。
輸送船とのランデブーだ。同じ軌道を回り続け、輸送船が加速をして周回軌道を脱して火星圏への軌道に乗ったところでお役ご免だ。
隊員たちは、リラックスしきっている。互いに気の知れた者同士の連帯を感じ、オージェは悪い気分ではなかった。
出撃を命じられておじけづく新兵は一人もいない。空は危険に満ちている。だが、オージェの部隊はベテラン揃いだ。
オージェがブリーフィングの最後に、何か質問はないかと尋ねた。
アレキサンドルが手を挙げた。一番年輩の男で、ロシア人らしく鼻の下に髭《ひげ》を蓄《たくわ》えている。そろそろ実戦が辛《つら》くなる年齢なのだが、本人はまだまだ飛ぶつもりでいるようだ。三十五歳の中尉だ。
「ヤンキーたちは何を運ぶつもりですか?」
知っていて、訊いている。オージェはそう思った。ヤンキーたちというのは、海軍を意味する。空間エアフォースがロシア軍の名残を色濃く残しているように、空間海軍は、アメリカ海軍の伝統を受け継いでいる。
海軍が何かを作っているらしいことは、噂《うわさ》として流れてきていた。だが、内容はチトフ大佐が言ったとおり、軍機となっている。
「何だってかまわない」
オージェはこたえた。「海軍は私たちに助けを求めてきた。お嬢様《じょうさま》をエスコートするように守ってやればいいんだ」
隊員たちに笑いが広がった。オージェの言葉に士気を高めたのだ。オージェは満足してブリーフィングを終了した。
火星衛星軌道上 強襲母艦アトランティス
カタパルトデッキで、パトロール任務に出ようとしていたカーター大尉は、木星圏の悪夢のような戦いを思い出していた。
アトランティスは、巨大な宇宙船であり、海軍艦載機とヒュームスと呼ばれる戦術兵器を運用するニューヨーク級の強襲戦艦の一つだ。歴史上、最も高価な宇宙船であるニューヨーク級強襲母艦は、三隻しかない。
長い航海のために、回転して人工重力を作り出す居住区を持っている。惑星間の海はおそろしく広い。アトランティスのような強襲母艦は、補給なしで何ヵ月も作戦行動をとれる唯一の戦艦だった。
三ヵ月前までは、ニューヨーク級は四隻あった。ジュピタリアン、つまり木星圏で反乱を起こした勢力によって、地球連合軍はそのうちの一隻を失ったのだった。そのニューヨーク級ザオウという強襲母艦が沈められたことは地球連合軍にとって大きな痛手だった。
宇宙海兵隊の小隊長であるカーター大尉は、筋金入りの軍人で、しかも経験豊富だと自分では思っていた。
だが、カリスト沖海戦と呼ばれているあの戦いに臨《のぞ》んだとき、新兵のように膝《ひざ》が震《ふる》えた。恐ろしかったのだ。あの戦いのことは、今でもありありと思い出すことができる。
突然、閃光《せんこう》がモニターに映し出された。誰かがやられたのだ。
カーターは、前後左右、そして上方にあるモニター画面を見回した。
やられたのが、敵か味方かわからない。すでに敵と味方双方のECM(電子戦)によって電波系のセンサーや無線による通信が役に立たなくなっていた。生きているのはレーザーや可視光、赤外線などの光学系モニターだけだ。
まだ敵は遠いはずだ。どこから撃ってきたのかわからない。モニターには、巨大な木星が映し出されている。赤い不気味な渦がその表面に見て取れる。
アトランティスは、木星のガリレオ惑星と呼ばれる四つの大きな衛星のうち、一番外側にあるカリストの周回軌道にいた。
ザオウが同じ軌道を、数キロ遅れて回っている。敵の戦艦が軌道を下げることによりスピードを上げて、ザオウの後方から近づいているということだった。
アトランティスは地表との接線方向に加速して軌道を上げた。ザオウとの相対速度を狭め、支援態勢をとろうとした矢先だった。
アトランティスの海兵隊第一小隊はすでに戦闘態勢に入っており、アトランティスと等速度で同じ軌道を回っている。相対速度がゼロなので、アトランティスと海兵隊たちのヒュームスは、互いに静止しているように見えた。
チーム・レッドがアトランティスのすぐそばにいる。カーターはチーム・レッドの無骨《ぶこつ》なヒュームス三機を視界に捉えていた。チーム・レッドは第一世代の戦闘用ヒュームスM1三機からなる。M1は通称、テュールと呼ばれている。北欧神話の戦いの神の名だが、空間エアフォースの連中は、『操り人形』と呼んでばかにしている。
テュールは、突撃艇と呼ばれる船にコードで接続されているのだ。突撃艇からは、このコードによりさまざまなデータと補助エネルギーが供給される。空間の移動は、突撃艇に三機のテュールを搭載して行われる。接続コードは、宇宙空間での機動性に劣るテュールの命綱も兼ねている。
そこから、少し離れた場所に、もう一隻の突撃艇がおり、さらに三機のテュールが展開している。チーム・イエローだ。
カーターたちチーム・グリーンは、さらにアトランティスから離れた場所にいた。チーム・グリーンは、三機の第二世代戦闘用ヒュームスM2から成る。
M2は、クロノスと呼ばれる機種で、テュールに比べて宇宙空間での機動性が格段に進歩した。その結果、突撃艇の補助なしで宇宙空間を移動できる。
カーターはM2クロノスの操縦に自信を持っていた。もともと宇宙海兵隊は、コロニー内や惑星、衛星上に上陸して敵施設を急襲するのが任務だった。
テュールはその目的で開発されたため、宇宙空間では、突撃艇にコードでつながれねばならなかった。しかし、クロノスの開発で、宇宙海兵隊も、軌道上の戦いで運用されるようになった。
カーターたち第一小隊は、アトランティスと同じ速度で軌道上を飛んでおり、後ろから来るザオウを待ち受けていた。
ザオウも、艦載機とヒュームス隊を展開させているはずだ。カーターは、軌道上に浮かんで、ザオウのほうを向いていた。敵の姿はまだ見えない。
やがて、モニターがザオウの船影を捉えた。アトランティスとほぼ同じ形の船だ。
そのとき、閃光が見えた。
「くそっ」
カーターはうめいた。「やられたのはどっちだ?」
だが、こたえは返ってこない。
皮肉なものだ。
カーターは思った。ECMのさなかでは、旧式のテュールのほうが通信機能が使える。有線で通信ができるからだ。
カーターは、慎重《しんちょう》にバーニアを使って僚機に近づいた。ホセ少尉のクロノスだ。マシンの手を伸ばしてホセ機に触れる。これで、電子妨害の影響を受けずに通信ができる。
「ホセ。今の爆発を見たか?」
「見ました」
ラテン系らしくいつも陽気なホセの声にも緊張が滲《にじ》んでいる。
「やられたのが、どっちかわかるか?」
「ここからじゃわかりませんね」
チーム・グリーンのもう一機の僚機が近づいてきた。サムのクロノスだ。
サムのクロノスも、そっと手を伸ばしてきた。サムの声が聞こえてくる。
「どうなってるんです? 小隊長」
みんな舞い上がっている。
当然だ。カーター大尉は思った。
ヒュームスでの軌道戦は、誰も経験したことがないのだ。もちろん、宇宙空間でヒュームスが運用されるようになって、十分な訓練は受けているし、パトロール任務は定期的にある。だが、実戦は訓練やパトロール任務とは違う。
強襲母艦といっしょに軌道を回りながら、敵と戦う。それは、信じがたいほどのプレッシャーをヒュームスドライバーに与える。
しかも、ここは明るい太陽に照らされた月・地球圏や火星圏ではない。最果ての地、木星の衛星軌道上なのだ。
木星圏は地獄だと言われている。いや、地獄よりひどいかもしれない。地獄というのは、人間が考え出した世界に過ぎないとカーターは思う。
木星圏は、人間の想像などを遥《はる》かに超えたすさまじい場所だ。そこは強烈な磁場と放射線が支配する世界で、一番内側の衛星イオが磁場をかき分けながら公転するために生じる信じがたいほど強烈な電磁波は、地球でも容易に観測できるほどだ。
「小隊長、ザオウです」
ホセの声が聞こえてきた。「ヒュームスと艦載機を展開しています」
「ああ、俺にも見えている。注意しろ。アトランティスが軌道を下げて対地速度を上げるぞ。遅れをとったら、二度と拾ってもらえなくなるぞ」
ヒュームス小隊は、アトランティスにぴったりと付き従う形で徐々に軌道を下げた。クロノスに搭載されているコンピュータが、自動的にザオウとアトランティスのランデブーポイントまでの秒読みを始めた。ディスプレイにその数字が映し出される。
二隻の巨大戦艦は、カリストに後部を向けて次第に近づいている。艦首を上に向け、艦尾を下に向けて縦になって軌道上を回っているのだ。
そのとき、二度目の閃光を見た。
今度は近づいていたので、やられたのがどちらなのかはっきりとわかった。
ザオウに搭載されているテュールの一機がやられたのだ。音が聞こえないのがかえって不気味だった。テュールは何の前触れもなしにまばゆい光を発してばらばらになった。
同じ突撃艇につながれていた別のテュールがその爆発に巻き込まれた。爆発によって四方八方に散っていった破片や、推進剤のガスをもろに食らったのだ。
突撃艇は、軌道を外れた。命綱がぴんと張りつめる。それにより、テュールの姿勢も崩れた。
突撃艇は必死に姿勢を立て直そうとバーニアをふかしていたが、やがて推進剤を使い果たし、軌道に戻るのは不可能に見えた。
二機のテュールは命綱を切り離して、姿勢を立て直そうとした。しかし、その間を狙い撃ちされ、破壊された。突撃艇は、姿勢を立て直せぬまま、カリストの引力に引かれていった。沈んだのだ。
それは、ぞっとする光景だった。
宇宙《うみ》で戦う者にとって、最大の恐怖だ。潮の流れからそれたら生きては帰れない。
どんな船であれ、完全に軌道を外れてしまったら、そこから元の軌道に戻るほどの推進剤は搭載していない。それは物理的に不可能なのだ。強襲母艦といえども例外ではない。
また、閃光が見えた。
音のない爆発。やはり何の前触れもない。
遠くからスナイパーに撃たれているようなものだ。
カーターは、がたがたと震えはじめていた。
何もできない。
いったい、このヒュームスというのは何のためにあるんだ。宇宙空間で、いったいどういう役に立つというんだ……。
カリストの地表に船尾を向けたザオウとアトランティスが同じ軌道、同じ速度で安定した。
そのとき、カーターは、背後から接近する何かに気づいた。
それは最初、丸い皿のように見えた。遠くの太陽の光を反射して光っている。いや、皿というより、鏡のようだ。カーターはそう思った。
相対的に比較するものがないので、大きさが実感できない。その鏡の反射光の中にいくつかの点が見て取れた。
「敵だ」
カーターは、言った。
「敵……?」
ホセのぼんやりした声が聞こえてくる。ホセも、テュールが爆発し、それに巻き込まれた突撃艇が沈んでいく光景を見てショックを受けているらしい。
カーターは頭を振った。
これじゃ、初めて戦場に出た新兵じゃないか。
「しっかりしろ、てめえら。敵がやってくる。下の軌道だ。速いぞ」
アトランティスから、艦載機が出てきた。アトランティスも迎撃態勢に入ったのだ。艦載機と呼ばれているのは、ミサイルと無反動砲を携えた戦闘ポッドだ。機動性はあるが、作戦行動時間は、せいぜい十分と短い。
丸い鏡がどんどん近づいてくる。それにつれて、その反射光の中にいる点の姿がはっきりしてきた。
やはり戦闘機のようだ。地球連合軍の空間エアフォースで使っているものに似ている。
敵戦闘機はやはり、機首を上に向け、尻をカリストの地表に向けている。カーターは、敵戦闘機の運用をすぐに見て取った。二機ずつの編隊を組んでいる。空間エアフォースの運用に近い。
「来やがったぞ」
カーターは言った。「おそらく、こっちのテュールがやられたのは、あのでっかい鏡みたいな戦艦の砲撃だ。高出力レーザーだろう。目に見えないからな。艦を守れ。艦を失ったら二度と地球へは戻れないぞ」
敵の丸い鏡のような戦艦は、わずかに軌道を上げて対地速度を緩めた。こちらの速度に合わせたようだ。相対速度がゼロになり、アトランティスもザオウもその周辺に散開しているヒュームスや艦載機も静止しているように見える。
その中で、敵の戦闘機だけが移動していた。下の軌道からやってくる。
「離れろ」
カーターは言った。「固まっていると、的になるぞ」
ホセ機とサム機は断続的に肩のバーニアからガスを吹き出し、離れていった。モニターの中で二つのクロノスが小さくなっていく。
足の下には、冷たい氷の衛星カリスト。その向こう側には禍々《まがまが》しい木星の姿が見えている。
こんなところで死んでたまるか。
カーターは、安定した姿勢を保ちながら敵の出方を待った。戦闘シークエンスはクロノスのコンピュータに登録されている。敵味方双方の電子戦はすでに始まっている。
敵戦闘機が、後部のメインノズルをふかすのが見えた。カリストとの接線方向に向かって噴射している。リブーストして軌道を上げようとしているのだ。
来る。
カーターは、てのひらが汗で濡れるのを感じていた。分厚い手袋の中がぬるぬるする。それからの数分間は、何が起きたのかわからなかった。
衛星軌道離脱の危機を知らせるアラームが何度か鳴った。速度を失っている。へたをするとカリストにまっさかさまだ。
敵の戦闘機が縦になったまま近づいてくる。腹をこちらに向けている。
恰好の標的じゃねえか。
左手に持った二十ミリ無反動砲をぶっ放す。曳光弾《えいこうだん》が敵の戦闘機に向かって吸い込まれていく。
艦載機も敵に向かっていっせいに撃ち始めた。
敵戦闘機の一機が火を噴いた。ガスを放出して軌道を離れていく。
やった。
カーターは、気分が高揚した。
ちょろいもんだ。こっちのほうが数では勝っている。負けるはずがない。
だが、そのとき、敵戦闘機の動きに変化が生じた。機首をこちらに向けると、二機ずつの編隊を崩した。
次の瞬間、カーターはつぶやいていた。
「何だこいつらは……」
機首をこちらに向けた戦闘機の腹から腕と脚が生えた。カーターにはそのように見えた。機体下部に収納してあった手足を展開したのだろう。バーニアと火器を備えた腕と脚によって、敵戦闘機の機動性は一気に増した。その姿は、大型の鳥が地上に舞い降りる姿を連想させた。
その動きを見て、カーターは思った。
こいつら、戦闘機じゃねえ。ヒュームスと同じじゃねえか……。
いや、その動きはヒュームスをはるかに上回っていた。すべて計画的な動きに見える。常に合理的な進路を選択しているようだ。
数で勝るこちらの艦載機やヒュームスが攪乱《かくらん》されている。
味方の艦載機やヒュームスが次々と落とされていく。カーターはがたがたと震えていた。どうして、敵は衛星軌道上であんなに自由に動けるんだ?
どうして、こっちのマシンはこんなに不自由なんだ?
軌道離脱警戒音がまた響き渡る。クロノスは自動的に姿勢制御作業に入る。その瞬間はまったく無防備だった。
目の前に鳥野郎が突然姿を現した。
カーターは叫んでいた。
鳥野郎は、見たこともない火器をこちらに向けていた。炸薬《さくやく》を使った武器ではないようだ。小型のレーザーガンか、ビーム(荷電粒子)ガンかもしれない。
やられる。
カーターは、回避しようとした。しかし、軌道への帰還作業が最優先されるようにプログラムされている。でないと、軌道を離脱してしまい、二度と帰ることができなくなるからだ。
カーターは何もできなかった。ただ、正面のモニターに映し出されている不気味な鳥のような敵を見つめているだけだ。その背後に木星が見えた。
次の瞬間、その敵の姿が現れたときと同様に唐突に消え去った。
カーターは、茫然としていた。何が起きたかわからない。
はっと我に返ったカーターは、あわてて四方のモニターを見回した。すぐに事情が呑み込めた。そして、次の瞬間に絶望的な気分になった。
クロノスの一機が目の前の鳥野郎に体当たりを食らわせたのだ。バーニアを噴かしてすべての質量を叩きつけた。
サムの機体だった。
咄嗟の行動だったのだろう。それで、カーターは命を救われた。だが、体当たりなど自殺行為だった。
サムのクロノスは、敵の鳥野郎ともつれるように回転しながら、急速に離れていった。
「ばかやろう!」
思わずカーターは怒鳴った。
サムと鳥野郎は、回転しながら軌道を離れていく。
「姿勢を回復しろ。すぐに軌道に戻れ」
無線が通じていないのを承知で、カーターは叫んでいた。
だが、それが無理なことは誰の目にも明らかだった。
サムのクロノスはむなしく虚空にガスを撒き散らしながら、軌道を脱して、手の届かぬ宇宙空間に飛び去っていった。
体当たりのための加速がいけなかったのだ。その加速のために、軌道を脱してしまった。
「サム」
カーターは、叫んでいた。
サムのクロノスは、みるみる小さくなっていく。サムは、鳥野郎を道連れに宇宙の深海に沈んでいったのだ。
クロノスは、そのまま棺桶となった。サムは生きたまま棺桶に詰められたのだ。じわじわと死んでいく恐怖に耐えられる者はいない。そのため、ヒュームスドライバーや艦載機のパイロットには、自殺用の服用薬が支給されている。
「サム!」
カーターはもう一度叫んだ。
すぐ近くでまた閃光が見え、カーターは我に返った。味方の艦載機がやられた。
カーターは、また、頭を巡らせて四方のモニター画面を見た。
鳥野郎たちは、ヒュームス隊や艦載機の迎撃態勢を難なく突破していた。彼らの目的が何であるかは明らかだった。
鳥が舞い降りるように、彼らはザオウに取り付いていた。
ザオウのヒュームス隊はそれを排除しようとしていたが、機動力の差は歴然だった。
鳥野郎たちが、ザオウの周辺で何かの作業を始めた。
やがて、彼らは離脱する。カーターは、必死で二十ミリ無反動砲を撃ちまくった。たちまち、マガジンが空になった。
鳥野郎たちは、鏡のような戦艦に引き上げていく。戦艦は軌道を上げて、スピードを落とした。
みるみる鏡が小さくなっていく。
カーターは、無力感を感じていた。彼は軍人だ。鳥野郎たちが何をしたかすでに悟っている。
予想通り、ザオウの後部にいくつかの球形の炎が広がった。機関部に爆弾を仕掛けたのだ。
ザオウは、爆発のエネルギーでくるくると回転を始めた。軌道を逸れて、カリストに近づいていく。もはやどうすることもできない。やがて、カリストに向かって落下しはじめる。軌道を外れたザオウは、カリストの引力に引かれ、みるみるアトランティスから離れていき、やがて、まぶしい光の球となった。レーザー爆縮型・重水素・ヘリウム3核融合エンジンと発電用プルトニウム核分裂炉の双方が誘爆したのだ。
地球連合軍で最も高価な船の一つが消え去った瞬間だった。そして、この戦いがすべての始まりだった。
カーターは、事態の重要さに愕然《がくぜん》としていた。それまで、地球連合軍は戦争で船を失ったことはなかった。この被害は甚大《じんだい》だった。そして、歴史上初めて、軌道上でヒュームスが同様の機動兵器とドッグファイトを演じたのだ。
前方のライトが赤からグリーンに変わるのが、モニターを通して見えた。
カーターは、カリスト沖海戦の光景を頭から追い出した。カタパルトは、貴重なクロノスの推進剤を節約するために使われている。軌道上では勢いよく射出するのではなく、そっと押し出してやるという感覚だ。
パトロール任務は数え切れないほどこなしている。以前は、どうということはなかった。だが、カリスト沖海戦が心理的なトラウマになっている。サムを失ったことが大きかった。アフリカ系アメリカ人で、いつも音楽ディスクを手放さなかった。大きな体を、窮屈《きゅうくつ》なクロノスの操縦席に押し込む姿が今でも眼に浮かぶ。
カーターは、それを隠し通さねばならないと、自分を戒《いまし》めていた。最新の兵器であるヒュームスを駆る小隊を束ねるのが彼の任務だ。宇宙《うみ》に出ることを恐れている。そんなことを部下に知られるわけにはいかない。
クロノスが開かれたデッキのハッチに向かって移動を始めたとき、カーターは激しい鼓動と息苦しさを意識していた。
開いたハッチの向こうに広がる星の海が恐ろしい。
くそっ。俺はいったいどうしちまったんだ。恐怖のためにパニックに陥《おちい》りそうになる自分と必死に戦った。
カーターのクロノスが宇宙《うみ》に放たれる。シートに体が押しつけられ、加速を実感した直後、ふわりと無重量の世界に戻る。
ただのパトロールだ。ただ艦の外に出て一回りして、帰ってくるだけだ。
周囲の様子など眼に入らない。カーターは、ただ自分にそう言い聞かせているのが精一杯だった。
月周回軌道上
空間海軍の輸送船アキレスは、定時に打ち上げられる予定だった。
オージェ・ナザーロフ大尉は、その知らせを月の周回軌道上に浮かぶ宇宙ステーション・ミールUのブリーフィングルームで受けた。
「さあ、散歩に出かけるか」
オージェが静かに言うと、五人の部下たちが立ち上がった。いずれも優秀なパイロットたちだ。余裕に満ちた態度がそれを物語っている。
彼らは、エレベーターで無重力地帯にあるハンガーに向かう。ベテランのアレキサンドル中尉が、若いワシリイに話しかけている。
「宇宙《そら》でちゃんと面倒を見てやるから、ノブゴロドに戻ったらゲオルギーの店で一杯おごれよ」
「いいですよ。でも、面倒を見るのはどっちでしょうね」
「くちばしの黄色いガキが何を言うか」
オージェは隊員たちの軽口をとがめようとは思わなかった。出撃前は誰でも高揚《こうよう》する。それは緊張の裏返しなのだ。
無重力地帯でエレベーターを降りると、パイロットたちは、移動用のハンドルを使わず、壁を蹴ったり手で押しやったりして、空間を飛んでいく。
すでにフライトスーツに身を固め、ヘルメットを着用していた。彼らがフライトスーツと呼んでいるのは、実際には宇宙服のことだ。
オージェたちが乗り込む、Mig-105bis ズヴェズダ六機の核分裂エンジンにはすでに火が入っている。宇宙服に身を固めたミールUの地上係員が、パイロットの搭乗を待っている。
オージェたちがふわりとコクピットに収まると、宇宙線シールドが施された偏光キャノピーが自動的に閉じた。地上係員がその周辺をふわふわと漂い、確認作業を行っている。
地上係員が親指を立てて見せる。オージェは同様にそれに応じた。
正面にレッドランプが灯り、地上係員が待避場所へと引き上げる。無線で管制官からのコース・クリアの連絡が入る。
オージェはエンジンの出力を上げた。推進剤をわずかに流し込む。機体に力がこもるのが実感できる。
ランプがグリーンに変わり、機体を支持していた留め金が外される。シートに体が押しつけられる。全身の血が後ろに持っていかれるようだ。
ズヴェズダは、一気に宇宙ステーションの外の宇宙空間に飛び出していた。オージェは、無線でメンバーの状況確認をした。すべて問題ない。オージェの部隊は、計画通り月の周回軌道に乗るために加速した。推進剤にはたっぷりと余裕がある。
機体の下に月、後方には地球が見える。月の周回軌道に乗るまでの加速飛行の間は、大気圏内の戦闘機のように機首を進行方向に向けている。それが、空間エアフォースの伝統だ。
やがて、月の周回軌道に乗ると、機首を月の反対方向に向けた状態で編隊を組んだ。
二機ずつが立って並んでいるように見える。周回軌道を回るときは、空間エアフォースの戦闘機といえども、他の宇宙船と同様に縦になる。
その状態でも周囲が見渡せるように、キャノピーはかなり前方に突き出した恰好《かっこう》をしている。
オージェは、ズヴェズダの閉じた三角翼に太陽の光が反射するのを見た。偏光キャノピーとヘルメットのバイザー越しでもかなりまぶしい。
この可変三角翼が、ズヴェズダなど空間エアフォースの戦闘機を、戦闘機らしく見せていることを、オージェは強く意識していた。
宇宙空間で、なぜ可変翼がいるのかと、宇宙《そら》を知らないジャーナリストなどが尋ねることがある。そのたびに、オージェは辛抱強く説明しなければならない。
「もちろん、宇宙《そら》を飛ぶために必要なのではありません。これは、地球などの周回軌道上で進行方向の角度を変えたり、急速に速度を落としたいときに使用するのです。
周回軌道を回っているとき、その角度を変えるためには、おびただしい量の推進剤を必要とします。ベクトルの計算をしてみると、どのくらいのエネルギーを必要とするかわかるはずです。ただ、軌道の角度を変えるだけでペイロードを使い果たしてしまうほどなのです。それでは、戦闘機の機動性を確保できません。
それで、空間エアフォースの戦闘機は、大気圏を飛ぶ飛行機のような翼を持っています。大気圏まで軌道を下げて進行方向を空気の抵抗によって変えます。そこからリブーストしてまた軌道を上げるのです」
これまで、何度もその説明をしてきた。エースパイロットは、軍の宣伝用にも使われるのだ。
「レーダーが、月周回軌道上の物体を捕捉」
無線が入った。
若いワシリイの声だ。アレキサンドルに舐められないように入れ込んでいるらしい。オージェはほほえんだ。
「了解。こちらも捕捉している。コンピュータで照会。輸送船アキレスに間違いない」
「タリホー」
今度はアレキサンドルの声だ。「後方から接近。視認しましたぜ、隊長」
オージェは首を巡らせて進行方向の反対側を見た。キャノピーの真上を見る形になる。たしかに、白い輝点が見える。漆黒《しっこく》の宇宙《そら》を背景にその白く光る点はどんどん大きくなっていく。次第に、その形が見て取れるようになってきた。
ズヴェズダのコンピュータが自動的に、ランデブーポイントまでの秒読みを開始する。ヘッドアップディスプレイにその数字が映し出される。
空間エアフォースの戦闘機には、伝統的なヘッドアップディスプレイが採用されていた。もちろん、ディスプレイはヘルメットの内側に映し出すことも、直接|網膜《もうまく》に投影することも技術的には可能だ。しかし、パイロットたちは、今でも過去の戦闘機に使われていたヘッドアップディスプレイを好んでいる。
機が自動的に速度を上げ、同時に軌道をわずかに下げるのがわかった。
「さあ、お嬢様のエスコートだ」
オージェが言ったそのとき、機内に警戒信号が鳴り渡った。
「アクティブセンサーだ」
誰かの声が聞こえる。「誰だ? アキレスか?」
「まさか……」
アレキサンドルがこたえるのが聞こえた。「なんで輸送船がランデブー時にアクティブセンシングする必要がある?」
次の瞬間、無線が通じなくなった。パッシブレーダーも効かなくなる。明らかにジャミングだ。
オージェは、首を巡らせて索敵した。何が起きつつあるかは明白だ。敵のECMだ。電磁波によるジャミングで通信やセンサーを使い物にならなくされている。
オージェ機の左には僚機がぴたりと寄り添っている。ミハイルという生真面目なパイロットの機だ。
偏光キャノピーのせいでミハイルの姿は見えないが彼も同様に索敵をしているはずだった。
「ふん」
オージェはつぶやいた。「こうでなくてはな」
輸送船アキレスの後方にかすかに何かが光った。
あそこか……。
オージェは、わずかに軌道を上げた。機の対地速度が落ちてみるみるアキレスに近づいていく。
ミハイル機がオージェの意図を悟ってぴたりと付いてきた。
アキレスも、船尾を月の側に向けて軌道を移動している。オージェは、アキレスがわずかに下の軌道を通り過ぎていくのを見守った。それから、軌道を下げて速度を上げる。
ちょうど、正体不明の敵とアキレスの間に入った形になる。ミハイルと縦になって並んでいる恰好だ。
やがて、アレキサンドル機とワシリイ機が同様にやってきて、オージェの右翼側に並んだ。
あとの二機は、アキレスの向こう側を警戒している。無線での連絡が取れなくても、これだけの動きをしてくれる。オージェは、満足だった。
ズヴェズダの機体の数ヵ所についているスラスターを駆使して体勢を変えた。機首を正体不明の敵に向けたのだ。空間エアフォースの戦闘態勢だ。
輸送船アキレスを後ろにした形だ。そばにいた三機が即座にそれにならった。アキレスとオージェたちは、まったく同じ速度で軌道上を飛んでいるため、互いに静止しているように見える。
正体不明の敵は、船体を黒く塗っているようだ。通常の宇宙船は、決して黒くは塗らない。太陽からのありとあらゆる波長の電磁波や輻射《ふくしゃ》熱を吸収してたちまち劣化してしまうからだ。最も劣化が早い色は赤だが、黒もそれに次いで劣化が早い。
塗料を塗り直したり、外装を補修したりする手間を惜しむよりも、インビジブル(非視認性)を選ぶ理由は一つしかない。
非合法的な活動だ。おそらく海賊だろうとオージェは思った。
「面白い」
オージェはつぶやく。「海賊ごときが、正規軍の空間エアフォースと渡り合おうというのか?」
黒い船は次第に近づいてくる。念のためにコンピュータに照会してみた。地球連合軍の艦船ではない。
背後で光を感じた。
オージェは思わず振り返っていた。
輸送船アキレスの左舷に丸い火の球が見えた。
「敵の砲撃か……」
おそらく高出力レーザー砲だろう。レーザー砲撃は目に見えない。
オージェは、敵が射程に入るのを待った。機首にある二十ミリ無反動機関砲のセーフティーを解除し、操縦桿についているボタンにごつい手袋の人差し指を触れる。
敵は、アキレスやオージェたちと同じ周回軌道を近づいてくる。ガスが噴射されて太陽の光に反射するのが見えた。
軌道を上げようとしている。速度を緩《ゆる》めようというのだ。
宇宙空間では比較対照するものが乏《とぼ》しいので、距離や大きさの感覚がなかなかつかめない。機のレーザー測定器に頼るしかない。
現在、オージェ機と黒い敵との距離は、三万二千四百五十メートル。約三十キロだ。
相手の大きさは、全長が約百メートル。それほど大きな艦ではない。地球連合軍・宇宙海軍の巡洋艦程度だ。
「さあ、私たちの間合いだ」
オージェは言った。「さっさと尻尾を巻いて逃げるがいい」
操縦桿のボタンを押す。とたんに、機首から曳光弾が発射され、黒い敵に吸い込まれていった。
オージェが撃ちだすとほぼ同時に、アレキサンドル機、ワシリイ機、そしてミハイル機も撃ちはじめていた。
艦に不気味な震動が伝わり、輸送船アキレスの艦橋に警報が鳴り響いた。
艦長のジョーンズ大佐に報告を求められ、副長ハンコック中佐はできるだけすみやかにこたえた。
「左舷から出火」
ジョーンズ大佐は、すぐに熱くなる。優秀な船乗りでありながら、戦艦ではなく輸送船の艦長に甘んじているのは、その性格のせいだと、ハンコックは常々思っていた。
「被害の状況は?」
「外壁をやられました。消火装置が作動して間もなく火は消える模様。気密処理に移行します」
「外壁をやられただと?」
「後方約三万メートルに熱源。巡洋艦クラスの船がいると思われます」
「目と鼻の先じゃないか。ワッチは何をやっていた」
ハンコック副長は、ちらりと苛立つジョーンズ艦長の顔を見た。
「ランデブーに気を取られていたようです。空間エアフォースのズヴェズダ六機をレーダーで捕捉した直後、電子戦攻撃を受けました」
「左舷外壁D12ブロックの温度、急上昇しています」
誰かが叫んだ。
ジョーンズ艦長が何か言おうとしたとたん、また、艦に震動が伝わった。
「外壁D12ブロックから出火」
「レーザー砲撃だな?」
ジョーンズが言った。ハンコックはうなずいた。
「敵の砲撃が見えません」
「砲門開け」
ジョーンズが言った。「応戦するぞ」
ハンコック副長は艦長を刺激せぬよう、できるだけ穏便な口調で言った。
「敵と本艦の間に、空軍の戦闘機がいます。味方に当たる恐れがあります」
ジョーンズは怒鳴った。
「こっちはレーザー砲で狙われているんだ。反撃せずにいられるか。積んでいる荷物は、軍の最高機密だぞ。こいつが盗まれたら、この艦の乗組員は全員木星圏の最前線に飛ばされるぞ」
たしかに、あなたが最前線に送られるのは兵士にとって迷惑この上ない。ハンコックはそう思った。
判断ミスで、何人の部下を死なせるかわかったものではない。
艦橋内の乗務員たちは、そっとハンコックのほうをうかがっている。ハンコックは何か言わなければならないと思った。そのとき、艦橋の入り口で声がした。
「砲撃されているの?」
若い女性の声だ。
ジョーンズは、不機嫌そうにその声のほうを見た。何もこたえなかった。
ハンコックも出入り口を見ていた。少女と呼んでもいいほど若い女性が艦橋の出入り口に浮かんでいる。片手で姿勢を保持していた。無重量に慣れていることを物語っている。
「状況を教えてください」
ジョーンズ艦長は、ぶっきらぼうにこたえた。
「砲撃を受けている。相手は不明」
リーナ・ショーン・ミズキ。ハンコックは心の中でつぶやいた。
戸口にいる少女の名前だ。ただの少女ではない。れっきとした軍人で、海軍情報部に所属していると聞かされたときには、ハンコックは耳を疑った。
階級も何も聞かされぬまま、高価な荷物とともに彼女を火星圏まで送り届けることになった。まったく、情報部というところは何を考えているのかさっぱりわからない。
ハンコックでさえ、そう思うのだ。ジョーンズ大佐は、明らかに彼女のことを軽く見ていた。昔ながらの軍人は、女を信用しない。ましてや、リーナは若すぎる。
「荷物を狙っているのですね?」
「そんなことはわからない」
ジョーンズが面倒くさげにこたえた。
ハンコックは助け船を出さざるを得なかった。
「おそらく海賊でしょう。荷物のことは軍機となっていますが、情報はどこから洩れるかわからない」
「おしゃべりはいい」
ジョーンズ艦長が言った。「今、艦橋は戦闘態勢だ。部屋でおとなしくしていてくれ、お嬢さん」
リーナ・ショーン・ミズキは言った。
「Gを出します」
ジョーンズ艦長が言葉を失ってリーナを見つめた。
ハンコックも驚いていた。
「ばかなことを言うな」
ジョーンズ艦長が言った。「軍機だぞ。包み紙に包んだままそっと火星に届ける。それが俺たちの役目だ」
「私はGを運用する権限を与えられています」
ジョーンズ艦長は、リーナを無視しようとしていた。
ハンコックは言った。
「しかし、今ここで、Gを運用したら、今後の作戦に影響が出るのではないですか?」
リーナは、きっぱりと言った。
「この輸送船の武力で、あの敵をやっつけられますか?」
「空間エアフォースが、守ってくれています」
「ズヴェズダでは、巡洋艦を落とせません。相手は高出力レーザー砲を持っているのでしょう? 軍艦並に武装した海賊です」
「何が言いたいんだ、お嬢さん」
ジョーンズ艦長が皮肉に満ちた口調で言った。
リーナはこたえた。
「みすみすGを奪われたり破壊されたりするより、使ったほうがましだということよ」
ハンコックはうなずいた。ここで押し問答をやっている暇はない。
「わかった。ただし、Gの運用の責任はそっちで取ってもらいたい」
「当然よ」
リーナはまったくひるまなかった。「これから、核分裂炉に火を入れて、システムを起動させます。十分だけ待ってください」
「何分でも、お好きにどうぞ」
ジョーンズ艦長が言った。「砲門開けっての。ミサイルをぶち込んでやれ」
「艦長」
リーナが戸口から呼びかけた。
「何だ?」
「あんた、かっこ悪いよ」
リーナはさっとドアの枠を蹴って飛び去った。
ハンコックはリーナの言動にすっかり度肝を抜かれていた。そして、心の中で密かに喝采を送っていた。
輸送船アキレスに同行していたトレイシー少佐は、リーナの指示に戸惑った。
「待ってくれ。ここでGを起動させるというのか?」
「そうよ。急いで」
「無茶だ」
リーナがぐいと顔を近づけた。ブラウンの眼は、角度によっては緑色にも見える。東洋と西洋の融合。神の血のブレンド。そんな賛辞がふさわしい美貌だ。トレイシー少佐は思わずたじろいだ。
「このまま、黙ってやられるつもり?」
「護衛のために、空間エアフォースがいるんだろう?」
「あてにならないから出ると言ってるんでしょう?」
また、船全体に震動が走った。どこかで爆発したようだ。
「こんなところで、足止めを食らっているわけにはいかないの」
リーナは言った。
「しかし……」
トレイシーは言った。「うまく扱えるのか?」
リーナは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「何度同じことを訊くの?」
たしかに彼女の言うとおりだった。
宇宙海兵隊《スペースマリーン》のために開発された最新鋭のヒュームスXM3、コードネームG、通称ギガース。そのパイロットとしてリーナを紹介されたとき、トレイシーは何の冗談だろうと思った。
誰かが、笑い出すのを本気で待っていた。だが、その場にいた誰も笑わなかった。海軍情報部の連中は、おそらく軍の中で最も冗談と縁のない連中だ。
リーナは、その海軍情報部の連中とともにやってきた。いや、リーナ自身も情報部の所属だということだった。
たしかにリーナは、見事にギガースを乗りこなした。誰よりも見事に。
「わかった」
トレイシー少佐は言った。「だが、ここでギガースを運用したことで、私は君とともに軍法会議にかけられるかもしれん」
「このままじっとしていても、あたしと心中よ」
トレイシーはもはや迷ってはいなかった。即座にギガースの起動作業にかかった。エネルギーゲインは十二分にある。
最新式のギガースは起動にもそれほどの手間と時間がかからない。シミュレーターで延べ数十時間以上にわたり、リーナの運用データを取り、それをギガースのコンピュータ、ムーサに登録していた。
リーナはすでにドライバー・スーツに着替え、ギガースのコクピットに乗り込んでいた。今頃は、前後、左右、上下にあるディスプレイを見ながら、システムのチェックを行っているだろう。
「航法管制システム・グリーン」
リーナの声がヘルメット内のインターコムを通じて聞こえてくる。
「行動パターンのログ、読み込み完了。武器管制システム・グリーン……」
トレイシーの目の前で、ギガースの白い機が動き出す。まず、手首がくるくると回転した。メインモニターなどセンサーが詰まった頭部がゆっくりと左右を向く。
「この輸送船にはカタパルトデッキがない」
トレイシーはインターコムに向かって話しかけた。
「了解よ。メインスラスターを噴かすから、待避していてね」
トレイシーは、格納庫を出て気密ドアをしっかりと閉じた。遠隔操作で外部ハッチを開ける。
「ハッチ開放確認。行くわよ」
インターコムからリーナの声が聞こえた。音は聞こえないが、震動が伝わってきた。ギガースが、メインスラスターからガスを吹き出し、宇宙の海にダイブしたのだ。
トレイシーは、艦橋に向かった。ギガースの動きを一番良く見て取れるのは、艦橋に違いない。
トレイシーは無重量状態の艦内を移動した。普段は、月にいるため、無重量や無重力にあまり慣れていない。
通路の四方の壁に体を打ち付けながら、なんとか艦橋にやってきた。
そのとたんに、巨大なメインモニターにギガースの白い機体が映し出された。メインスラスターからガスを吹き出し、飛び去っていく。
「何事か?」
トレイシーは、そう声を掛けられてはっとした。ジョーンズ艦長がトレイシーを睨み付けている。
「戦闘態勢だ。艦橋は部外者立ち入り禁止だぞ」
「Gが発進しました。私は、Gの運用に対して責任の一端があります」
「ふん」
ジョーンズ艦長が言った。「戦いを知らない愚か者どもめが。こんなところで、切り札をさらすとはな……」
トレイシーは、ジョーンズ艦長の言い方に少々驚いた。まるで、軍の上層部のような言い方をする。ジョーンズは輸送船の艦長に過ぎないのだ。
ジョーンズは赤い濁った眼をしている。興奮しているのだろうと思った。顔も赤い。
「技術士官殿」
隣のコンソールにいるハンコック副長が声を掛けてきた。こちらのほうがずっと落ち着いて見える。「こちらへどうぞ。体をベルトで固定してください」
「ハンコック。勝手な真似はやめろ。私は、部外者の立ち入りを許可した覚えはない」
「申し訳ありません」
ハンコックは言った。「しかし、技術士官殿には、Gの行動を見守る権利と義務があると思います」
「権利と義務だと?」
「運用の責任は取ると、パイロットが言いました」
ジョーンズは、ハンコックが何を言いたいのかわからないらしい。だが、トレイシーにはすぐにわかった。
「私にも運用の責任があります」
トレイシー技術士官が言うと、ハンコック副長がうなずいた。
「そう。私たちは、ただの運び屋に過ぎません」
「勝手にしろ」
ジョーンズ艦長は言って、メインモニターに眼を転じた。その視線がそこに貼り付いたまま動かなくなった。
トレイシーは、すぐにその理由がわかった。コードネームG、最新鋭機ギガースの機動力に目を見張ったのだ。
これまでのどんな宇宙兵器よりも素早く、自由にそして長く宇宙空間を移動することができる。
バーニアスラスターからガスを噴射して、自由に軌道上を動き回り、作戦行動時間はクロノスをはるかに上回る。その代わり常にプラスとマイナスの加速を繰り返すことになるため、パイロットへの負担は急増した。
そして、ギガースは、強力だがデリケートなマシンだ。スペックが桁違いなので、それを活かすだけのパイロットがまだ育っていない。
リーナは例外中の例外だった。
誰もが、驚きの表情でその動きを見守っていた。
トレイシーは、誇らしく思いながら、なぜか不安を感じていた。
「何だ……?」
機体のすぐ脇を通り過ぎていった白いものを眼で追って、オージェは思わずつぶやいていた。
どうやら、ヒュームスらしい。強襲母艦のそばでしか動き回れず、旧式はひも付きの操り人形に過ぎない。だから、彼らは常に三体一組で行動しなければならない。
オージェはそう思っていた。それが、空間エアフォースでの常識だった。だが、今飛び去ったヒュームスは、明らかにその常識を超えていた。
「あれが、海軍の新型か……」
オージェは、推進剤の残量メーターを確認した。まだたっぷり推進剤は残っている。
「よし」
彼は左手を伸ばして後方メインノズルのスロットルを開いた。
オージェのズヴェズダは加速して、白いヒュームスを追った。
「操り人形などに、いい恰好《かっこう》をさせるわけにはいかない」
オージェが軌道上を移動しはじめると、すぐにミハイル機がそれに続いた。やや遅れて、アレキサンドル機とワシリイ機が続く。
オージェは高揚していた。空間エアフォースの機動性が、ヒュームスごときを大きく上回っていることをここで示さなければならない。
軍はヒュームスの開発に莫大《ばくだい》な予算を割いているようだ。だが、いざ戦いということになれば、あんなものは役に立たないとオージェは考えていた。それをあらゆる場面で証明してみせなければならない。
ヒュームスは土木工事や、危険な地帯での採掘・運搬作業などをやっていればいい。軌道上でものを言うのは、機動性であり、作戦行動時間だ。
黒い敵は、おそらくレーザー砲を撃ち続けているのだろう。だが、空間エアフォースのファイターには通用しない。
レーザー砲は、熱エネルギーだけを照射するので、熱の一点集中を注意すれば比較的対処しやすい。むしろ、戦闘機にとっては、昔ながらの運動エネルギーを叩きつける弾丸のほうが恐ろしいといえる。
オージェたちが近づくにつれ、黒い敵は曳光弾を撃ちはじめた。
「なんの。当たるものか……」
オージェは、操縦|桿《かん》を巧《たく》みに操る。操縦桿は、大気圏内を飛行する航空機のようにフラップやラダーに接続されているわけではない。宇宙空間でラダーに相当するのは、機体のあらゆる部分に埋め込まれているスラスターだ。それによって、機体の方向や姿勢を変えるのだ。
これまで、空間エアフォースの戦闘機は、ヒュームスよりはるかに機動力に勝っていた。乗り物としての歴史が違う。それだけ、パイロットの技術が成熟しているという面もある。
オージェは、その成熟した技術の代表だという誇りを持っていた。ズヴェズダを駆り、曳光弾をかいくぐり、敵に近づいた。
たしかに、ズヴェズダのような戦闘機は戦艦に対しては非力に思える。だが、戦い方はある。ズヴェズダは、二十ミリ無反動機関砲だけでなく、四発の熱線追尾型のミサイルを持っている。
ミサイルを対空砲火で撃ち落とされないほどに近づき、エンジンブロックに撃ち込んでやればいい。
オージェたちのズヴェズダは、加速してみるみる白い新型ヒュームスに近づいた。
ヒュームスごときが、たった一機で何をする気だ。
オージェは思った。
俺たちが軌道戦の手本を見せてやるから、そこで指をくわえて見ているがいい。
オージェは、新型ヒュームスを追い越した。敵戦艦の曳光弾が、機体をかすめていく。メインスラスターの推力を切り、慣性飛行に移ると、オージェはスラスターを操り、機体をゆすりながら敵に近づく。
ミサイルの安全装置を解除した。
「なに……」
オージェはそのとき、思わず声を上げていた。
機体の右手から左手に、瞬時に横切る白いものが見えた。新型のヒュームスだ。
ズヴェズダの編隊の間を縫い、たちまち前に出た。まるで、戦闘機を嘲笑《あざわら》うかのような動きだった。
「まさか……」
オージェは驚きを声に出していた。「何だ、この機動性は……」
新型は、敵の砲撃をまったく恐れていないように見える。そればかりか、曳光弾をかいくぐるのを楽しんでいるようだった。
軌道上を自由自在に飛び回っている。こんな動きをする兵器は、いまだかつて見たことがなかった。
軌道を外れることさえ恐れていないようだ。それは宇宙においては尋常なことではない。
「こいつ……。自殺する気か……」
オージェはうめいた。
新型のヒュームスは、右手に装着された何かの武器を敵の戦艦に向けた。巨大なライフルのように見える。それが火を噴いた。
オージェにはそう見えた。だが、実際には火ではなかった。おそらくビーム(荷電粒子)だ。その一撃で、敵の砲撃がたちまち弱まった。敵の砲台を直撃したようだ。
さらにもう一発撃つと、敵の曳光弾による砲撃は完全に沈黙した。敵は、レーザー砲を持っているが、これだけ動き回るヒュームスにはそれほど役に立たないだろう。熱エネルギーを一点に集中し続けることができないからだ。
新型ヒュームスは、さらにもう一発、ビーム兵器を撃った。敵のメインスラスターが破壊されるのが見えた。丸い火を噴く。
オージェはその火の球にロックオンして熱線追尾型ミサイルを四発とも撃ち込んだ。敵艦の船尾の火の球が大きくなる。
敵艦は姿勢の制御を失った。最初はゆっくりとそして、次第に早く回転しはじめた。やがて、エンジンが誘爆した。そのエネルギーによって加速され、軌道を外れた黒い敵艦は、はるか宇宙の虚空《こくう》に飛び去った。
オージェは、小さくなっていくその光をじっと見つめていた。
誰の手も届かない、はるかな虚空に飛び去る。宇宙を知る者、宇宙で戦う者にとって、これ以上の恐怖はない。
オージェは、考えないことにした。一歩間違えば、宇宙の空に消えるか、月の引力に引かれて小さなクレーターを作ることになったのは、自分のほうかもしれないのだ。
軌道に浮かび、やはり敵艦が消え去っていくほうをじっと見ているヒュームスに眼を転じた。
敵が沈んだことにより、電波の妨害がなくなり、通信が回復した。
オージェの耳に突然、アレキサンドル中尉のつぶやきが届いた。
「何だあいつは……。軌道上をツバメみたいに飛び回りやがった……」
続いて、ワシリイ中尉の声。
「あの武器はいったい何です? たった三発で船を仕留めちまった」
オージェは彼らの驚きが手に取るようにわかる。彼自身が同じ驚きを感じていたのだ。だが、それを簡単に受け容れるわけにはいかない。
「何を言っている」
オージェは言った。「とどめを刺したのは、我々空間エアフォースじゃないか」
ややあって、アレキサンドルの声が聞こえる。
「そうですね、隊長。たしかにあの船を沈めたのは、隊長のミサイルでした」
そのとき、ヒュームスが体の向きを変え、オージェのほうを見た。今では、等速度で軌道を移動しているため、互いに静止しているように見える。
ヒュームスの二つの眼がオージェのほうに向けられる。ただのセンサーでしかないと思っても、人型をしているので、見つめられているような落ち着かない気分になる。
「手柄を独り占めしようとは思わない」
知らない声が聞こえた。オージェは思わず、驚きの声を上げていた。
「女か?」
「でも、あたしが活路を開いたのは確かよね」
「ヒュームスのドライバーか? 空間エアフォースの周波数に割り込むな。何者だ?」
「宇宙海兵隊《スペースマリーン》、リーナ・ショーン・ミズキ。そちらは?」
「知らないのか?」
オージェがこたえるより早く、アレキサンドルが言った。「空間エアフォースのオージェ・ナザーロフ大尉だ。誰でも知っているエースパイロットだぞ」
「ごめんなさい。あたし、空軍のことには、うといの」
どうやら、ずいぶんと若い女のようだ。オージェはそう思った。
「活路を開いたのは、たしかに君の新型だ」
オージェは言った。「だが、一人では戦えなかったはずだ」
「認めるわ。これからこういう局面が増えるかもしれない」
「こういう局面?」
「つまり、空間エアフォースと宇宙海兵隊が協力して作戦を遂行する局面」
オージェはその言葉についてあれこれ考えていた。そのとき、また通信に割り込む声が聞こえた。
「何をお喋《しゃべ》りしている。こちら、アキレス艦長のジョーンズだ。ヒュームスのパイロット。さっさと帰投しろ。無駄な時間はない」
耳障りな声だった。オージェは何も言わずに新型ヒュームスの動きを見守った。
新型は、メインスラスターから、ガスを吹き出し、あっという間に飛び去った。アキレスに向かっている。その機動力に、いまさらながらオージェは驚かされる。
軌道上で自在に動けるのは、空間エアフォースの戦闘機だけだと思っていた。だが、あのヒュームスの機動力は、戦闘機を上回っているように見える。
「お嬢さんのエスコートってのは、冗談かと思ってましたが」
アレキサンドルの声が聞こえた。「どうやら、自分らは本当にお嬢さんのエスコートをしていたようですね」
オージェは、その言葉のおかげでほほえみを浮かべる余裕を取り戻した。
地球 アメリカ合衆国・ニューヨーク
ニューヨークのイースト川を見下ろす巨大で近代的なビルの一室で、ケン・ジンナイは、ロビイストのデビッド・オオタとすでに、二時間以上も真剣に話し合っていた。
三ヵ月前の、カリスト沖海戦は、地球連合全体にとって大きな衝撃だった。衝撃は恐怖をもたらし、恐怖は怒りを呼んだ。
今、地球連合政府は、ジュピタリアンたちとの全面戦争に向かおうとしていた。戦争推進派は、すでに多数を占めている。
独立を唱える木星圏の勢力は、テロリストである。彼らはそう主張していた。テロリストとは断固として戦うというのが、長い間の地球連合政府の方針だ。
この主張には説得力があり、多くの国から選出された議員たちが賛意を示していた。
上院議員のケン・ジンナイは、戦争終結を唱える少数派の中心人物だった。不利な戦いを強いられている。今のところ、戦争は地球連合政府にとってさまざまな好結果をもたらしていた。
地球連合政府の母体は、国際連合だ。かつて、国連が意志決定機関としての役割を担えなかったように、発足当初地球連合政府も、力を持たなかった。単なる国の寄せ集めでしかなかったのだ。
やがて、月と火星が自治権を獲得するに及んで、ようやく地球連合政府の役割が明確になってきた。さらに、木星圏の独立騒ぎが、連合政府の立場をよりいっそう強固なものにしつつあった。
外に敵がいて、はじめて国は一つになることができる。それは、常に歴史が物語っている。木星圏の反乱は、地球連合政府をまとめるのに一役買ったことになる。
さらに、戦争推進派が有利なのは、資源問題と密接に結びついている点だ。木星には地球・月圏や火星圏では手に入らない資源がある。それは、エネルギー政策に重要な意味を持つ。核融合の技術に深く関わっているからだ。
地球は、その意味でも木星圏を失うわけにはいかないのだ。その主張もまた説得力があった。
アメリカ合衆国系の議員やロシア系の議員を中心に、戦争推進派は力を持っている。中国系議員も戦争には積極的だ。
「ヒノカグツチです」
デビッド・オオタが言った。ケン・ジンナイは、細いフレームの眼鏡を人差し指で押し上げ、濃い茶色の眼でオオタを見つめた。
「何だって?」
「ジュピタリアンたちはそう呼んでいるようです。我が祖国の創世の書、古事記に出てくる言葉です。火を噴く筒のようなものですね」
「聞いたことがある。だが、それが何を意味するというんだ?」
「重水素・ヘリウム3・ペレットです。核融合になくてはならない資源です。ジュピタリアンは、それを戦略物資として利用しようとしているわけです」
「交渉材料としての切り札というわけか」
「木星圏が独立すれば、地球圏は輸入という形で、ヒノカグツチを買いつづけなければならない。それだけで、木星圏の経済は成り立つでしょう」
「経済というのは、それほど簡単なものではない」
ジンナイが言うと、オオタは、誰にものをいっているのだと言いたげに苦笑した。
「中核となる産業があるという意味で言ったのです。それも、有力なエネルギー産業です。それは、さまざまな周辺の産業を派生させますし、多くの科学技術を生み出します。そして、そうした科学技術がさらに莫大な金を稼ぎ出します」
ジンナイは渋い顔をした。
「科学技術というのは、軍事技術によって発展する」
「そう。地球連合軍は、まさか強襲母艦が沈められるとは思ってもいなかったのです。ジュピタリアンたちの軍事技術は、すでに地球連合軍のはるか上をいっていると考えたほうがいい」
「地球連合政府の連中は、それが許せないわけだな」
「本音のところは、そこだと思います。ジュピタリアンたちがテロリストだとする主張は、自分たちを正当化するための口実に過ぎないと思いますね。事実、月と火星の自治権は認めているのです」
「独立と自治権は違う」
「少なくとも、交渉の余地はあるはずです。独立は木星圏の一方的な主張でしかありません。外交で条件闘争に持ち込むことはできるはずです。戦争推進派はそれすらしようとしない」
ジンナイは、これまでの二時間の打ち合わせは何だったのだろうとふと思った。
オオタは優秀なロビイストだ。豊富な人脈を持っており、経済、軍事、政治のあらゆる面からの情報を仕入れることができる。だが問題は、それが単なる断片に過ぎないということだ。
ゴシップ記事のようなもので、それぞれの情報を組み合わせてその奥に潜む真実を読みとったり、そこから戦略を紡《つむ》ぎ出したりする能力は劣っている。
仕方がないとジンナイは思った。それはオオタの仕事ではない。本来、上院議員であるジンナイの仕事なのかもしれない。
「歴史上最も高価な宇宙船である強襲母艦が破壊された。失われたのは船だけではない。乗務員は、百人を超えていた。つまり、尊い人命が百人以上失われたということだ。これは、戦争推進派にとって大きな世論の追い風となる」
ジンナイが言うと、オオタは肩をすくめて見せた。
「先手を取られた軍部は、面子《メンツ》にかけてもやり返したいと考える。当然のことですね」
「おい」
ジンナイは、唐突に疲労を感じた。「私は軍人じゃない。政治家なんだ。武力以外の解決の道はないものかと、こうして必死で考えているんじゃないか」
「わかってますよ。でも、その政治的解決というやつが、今回は機能しそうにない。多くの国の代表が軍のやり方を支持しています。木星圏を失うわけにはいかない。そう考えているのです」
「先日、軍の輸送船を海賊船が襲撃したそうだな」
「はい。軍は、輸送船が撃退したと発表しました」
「単なる輸送船が武装した海賊船を撃退したというのが、なんだか解《げ》せないのだが……」
オオタは、また肩をすくめた。
「空間エアフォースの要撃隊が護衛に付いていたそうです」
「戦闘機が武装した船を沈めたというのか?」
「そういうことがあっても不思議はないでしょう」
「そうかな……」
「何でも要撃隊の隊長は、エースパイロットのオージェ・ナザーロフ大尉だそうです」
「まあいい」
軍のことに詳しくないジンナイは、顔をしかめて見せた。「問題は、なぜ海賊船が軍の輸送船などを襲ったかということだ」
「地球のテロリストの中には、ジュピタリアンたちに共感しているやつらがいます」
「『絶対人間主義』だな」
「そう。木星圏の劣悪な環境の中で育った思想です。人間が宇宙の中で唯一貴重なものであるという思想。それが木星圏を一つにし、地球内にシンパサイザーを作りつつあります」
ジンナイは指を鳴らした。
「それだよ。その『絶対人間主義』を最大限に利用すれば、地球連合内の反戦ムードを高めることができる」
「どうでしょう。所詮、テロリストの思想という見方が強い」
「それを何とかするのが政治だよ」
「木星圏を統一したヒミカと名乗る謎の人物は、独特の国家形態を作り出しました。『絶対人間主義』を掲げた軍事国家。まるで封建時代のようですが、木星圏の人々はほぼそれを無条件に受け容れている。それが不思議です」
「封建時代だって?」
ジンナイはかぶりを振った。「いや、ヒミカの作った国は、その名のとおり、封建国家よりずっと古い形態に似ている。ジュピタリアンたちは、『ヤマタイ国』を名乗っている。それは、木星の衛星カリスト、エウロパ、ガニメデの連合国家で、『絶対人間主義』という一種の宗教的なメッセージを信奉している。卑弥呼《ひみこ》の邪馬台国《やまたいこく》そのままじゃないか」
「しかし、その現代の邪馬台国は、核融合の技術では、我々をはるかに凌いでいるのです。なにせ、歴史上初めて核融合発電の実用化に成功したのは、木星圏なのです。核融合に必要な重水素やヘリウム3も豊富にある。そして、科学技術の差は、そのまま軍事力の差でもあります」
「ばかを言ってはいけない」
ジンナイは言った。「いくら科学技術が発達していようと、基本的な人口が違いすぎる。軍事力というのは軍人だけではなく、その背後の民衆の生産力を前提としているのだ」
「でも、先手を取ったのはジュピタリアン、つまりヤマタイ国を名乗る連中ですよ」
「パールハーバーのようなものだ。本格的な戦争に突入したら、おそらくジュピタリアンに勝ち目はない」
「ならば、どうして彼らは戦争を始めたのでしょう」
「そこだよ。君はなぜだと思う?」
「さあね。ジュピタリアンの考えることなどわかりませんよ」
「考えるんだ。それが君の仕事だ」
オオタは、気乗りしない様子でこたえた。
「まあ、木星はひどいところだ。もともとは流刑地《るけいち》だったのでしょう。軍の連中もあそこに赴任するのは嫌がる。軍規違反を犯した者や、軍法会議で有罪になった者があそこに送り込まれると聞いています。独立をアピールすることで、何らかの生活改善を地球連合政府に求める……。ま、そんなところしか、思いつきませんが……」
「強烈な放射能と磁場が支配する極寒の地。たしかに、生活改善を求めたくはなるな。だが、物事はそう単純ではない」
「どういうことです?」
「ジュピタリアンたちが、戦争を始めたのではなく、始めさせられたのだとしたら、どうだ?」
オオタは眉をひそめた。
「それはどういうことです?」
「ジュピター・シンドロームという言葉を聞いたことがあるか?」
「もちろん。木星圏で発生する一種の風土病でしょう? そのせいで、木星圏の人々の平均寿命は五十歳に満たない。地球圏の平均寿命が九十歳に近づこうとしているというのに……」
「今回の戦争は、ジュピター・シンドロームのせいで起きたという学者がいる」
オオタは、少々傷ついた顔をした。ロビイストの彼が知らないことを、議員のジンナイが知っている。オオタはプライドを傷つけられたのかもしれないとジンナイは思った。
「ジュピター・シンドロームというのは、放射能と磁気の影響で癌《がん》や白血病などが多発することを言うのでしょう? たしかに、そんな病気に冒されるようなところに生まれ育ったら、戦争の一つも始めたくなるでしょうが……」
「もし、これが火星圏や地球圏への侵略戦争ならばな。だが、ジュピタリアンたちが始めたのは独立戦争なのだ」
「物事には順序というものがありますからね。独立して国力を確固としたものにしてから、徐々に火星圏などへ侵攻していくのかもしれません」
ジンナイは眼鏡を取り、眼の間を指で揉《も》んだ。考えがまとまらない。
木星圏の人々が戦争を始めるというのは、どう考えても理屈に合わない。戦力は圧倒的に地球連合のほうが有利に思える。
戦争を始めなければならない事情があり、その事情というのが、地球連合軍や地球連合政府によってもたらされたものだとしたら、一応の説明が付く。
そう考えていたのだ。だが、根拠も確証もない。何かあるとしたら、ジュピター・シンドロームかもしれないと思いついたのだ。
常に生命の危機にさらされている生活というのはどのようなものだろう。その不安と苦痛が絶対人間主義という思想を生みだしたのかもしれない。
絶対人間主義というのは、現在の人類の経済状況を背景に生まれた。月や火星、小惑星帯《アストロイド・ベルト》、木星などに資源基地を持ち、多くの資源を得ることができる宇宙経済において、人的資源が最も重要だという考え方があった。
絶対人間主義は、その考えをさらに発展させ、深めたものと考えられている。ヒミカを名乗る謎の人物が唱えはじめ、瞬《またた》く間に木星圏を席巻《せっけん》した。今では、木星圏の人々の心の拠《よ》り所《どころ》となっている。
宇宙では、どんな資源よりも人間という資源が重要であり、人間の生命は何よりも尊いというのが基本的な教えだ。
だが、その絶対人間主義を信奉するジュピタリアンたちが、ザオウという巨大戦艦を沈め、百人以上の人命を奪った。
皮肉なものだと、ジンナイは思う。
だが、人間の歴史などそんなものだ。愛や平和を謳う宗教同士が血みどろの戦いを続けたことは誰もが知っている。
問題は、なぜ、ジュピタリアンたちが戦争を始めなければならなかったか、なのだが……。
ジンナイが黙っているので、オオタは不安になったようだ。
「軍は火星に勢力を集中させているようですが……」
火星か……。ジンナイは思った。もし、ジュピタリアンたちが火星まで攻め込んでくるようなことになれば、戦争は本格化する。多くの人命がまた失われることになる。
ジュピタリアンは、何を考えているのか。ヒミカを名乗る人物は何を求めているのか……。
ジンナイは言った。
「ジュピター・シンドロームに関する情報をできる限り集めてくれ。大至急だ」
「わかりました。ですが、一つうかがっていいですか?」
「何だ?」
「どうして戦争を止めようとするのです? 今の世論を見れば、それが決して政治家として得策でないことは明らかじゃないですか」
「私が絶対人間主義を信奉しているのだと言ったら、信じるかね?」
「信じませんね」
「我がジンナイ家は代々官僚の家柄でね。先祖は皆優秀な官僚だった」
「それは知ってますよ」
「私もその血を引いている。優秀な官僚というものは、軍に対して常に疑いを持つものだ。軍部の独走は許さない」
「でも、政治家として致命的な失敗となるかもしれませんよ」
「戦争は国の利害とは別の次元で、多くの悲劇を生む。どんな理由があろうと私は認めない。反戦はジンナイ家の家訓だ」
「政治的には不利な戦いです」
ジンナイはほほえんだ。
「心配するな。戦争を終結させた政治家として、私の評価はさらに高まるさ」
火星周回軌道上・強襲母艦アトランティス内
カーター大尉は、クリーゲル艦長に呼ばれ、人工重力ブロックにある艦長の居室に向かった。
艦長の部屋に呼ばれるのは珍しいことだ。任務はたいてい作戦司令のエリオット大佐を通じて艦橋で伝えられる。
カーター大尉は、不安だった。このところ宇宙《うみ》に出るのが恐ろしい。もしかしたら、それを誰かに知られ、そのことで呼ばれたのかもしれない。そう考えていた。
クリーゲル艦長の部屋は居心地がいい。かつて、地球の海を航行していた戦艦や空母では、船室を与えられた将校たちは、限られたスペースの中で精一杯自分らしい演出を施していた。
もちろん、宇宙を航行する船中では、制限は、はるかに多い。だが、クリーゲル艦長の部屋は、アメリカ海軍の伝統を感じさせてくれる。
その居心地のいい部屋で、カーター大尉は緊張していた。部屋には、クリーゲル艦長だけでなく、エリオット作戦司令もおり、カーターはますます悪い予感がした。
「カーター大尉、出頭しました」
クリーゲル艦長は、濃い青い眼でカーターを見つめた。温かな地球の海の色だと、カーターはいつも思う。ほほえみを浮かべると、その暖かさはいっそう効果的だ。燃えるような赤い髪もそれを際だたせている。
そのとなりのエリオットは対照的に、灰色がかったやや淡いブルーの眼をしている。淡い金髪はほとんど銀色に見える。軍人らしい厳格さを感じさせる。
「楽にしてくれ」
カーターは手を後ろに組み、休めの姿勢を取った。
「そうじゃない、カーター。もっとくつろげと言ってるんだ」
クリーゲル艦長は言った。軍人というより、生粋の海の男のクリーゲルは堅苦しさを好まない。互いの命を尊重し、助け合うのが海の男だというのが、彼の信条だ。
クリーゲル家は代々、船乗りの家系だという。
楽にしろと言われて、カーターはかえって緊張してしまった。
「サムのことは残念だった」
重々しい口調でクリーゲル艦長は言った。
「はい」
カーターはそうこたえるしかなかった。それ以上の言葉が思い浮かばない。
海兵隊は、タフが売り物だ。どんな場所にでも上陸する命知らず。それが海兵隊だ。だが、今カーターは宇宙《うみ》にダイブすることすら恐れている。
それを艦長や作戦司令に気づかれるわけにはいかない。そんなことになれば、俺の軍人としての人生は終わりだ……。
「新型が届くという話は知っているか?」
クリーゲル艦長が尋ねた。
カーターは慎重にこたえた。
「軍機であります」
艦長は笑った。
「つまりは知っているということだ」
「噂は知っています。しかし、新型がどんなものかは知りません」
「XM3。コードネームG、ギガースと名付けられた」
「XM……?」
「そうだ。この機体は、M2クロノスの後継機という位置づけではない。主力機となるほど生産はされないのだ。あくまでもプロトタイプだ。この機体により、新たな戦闘データを蓄積して、M3つまり、クロノスの後継機を設計するのが目的だ」
データ収集のために高価なプロトタイプを製造する。軍の開発予算はそんなに潤沢《じゅんたく》なのか?
カーターは疑問に思ったが、何も言わなかった。余計なことを言わないのが軍人だ。カーターはそう信じている。
「ジュピタリアンたちの動きが、また活発化している」
低くよく透る声で、エリオット作戦司令が言った。カーターは、エリオットのほうを見た。
厳格な軍人の面構えだ。カーターはエリオットを尊敬していた。その尊敬の念には少しばかりの恐れも混じっている。
「偵察隊の報告では、敵の巨大戦艦が、カリストの周回軌道に乗ったという。やや小規模の戦艦を引き連れているようだ」
「侵攻してくる可能性があるということですか?」
カーターは尋ねた。エリオットが落ち着いた口調でこたえる。
「そう考えて、準備をするべきだと思う。カリスト沖海戦では、地の利がなかった。情報も不足していた。敵が戦闘機とヒュームスの双方の特徴を併《あわ》せ持つ武器を実戦投入しているという情報はかつてから得ていた。だが、それと実際に戦ったのは、君たちが初めてだ」
カーターは、あの猛禽類《もうきんるい》のような不気味な敵の戦闘機を思い出して、首筋が冷たくなるような気がした。あの姿は忘れない。悪夢の中に何度も現れるのだ。
「ギガースは君の指揮下に入る」
クリーゲル艦長が言った。カーターは思わず、艦長の濃い青い眼を見つめていた。
「私の指揮下に、ですか?」
「当然だろう」
エリオット作戦司令が言った。「ヒュームスなのだ。海兵隊に配備される。いくら新型だからといって、単独で運用はできない」
言われてみれば、それはわかりきったことだ。だが、カーターは新型のヒュームスの配備など、どこか自分とは関係のないことと考えている節があった。
クリーゲル艦長の声が聞こえ、カーターはそちらを見た。
「君は、カリスト沖海戦で部下を一人失った。新型の配備は、君の部下の補充も兼ねている。新型機のテストドライバーを務めた者だ」
新型はドライバー込みで配備されるということだ。兵員の補充はありがたい。テストドライバーだったということは、腕のいいヒュームスドライバーに違いない。カーターは言った。
「海兵隊員が補充されるのは、願ってもないことです」
「ところが、君の小隊に配属になるのは、現在は海兵隊員ではない」
「どういうことです?」
「新型機のテストドライバーは、海軍情報部所属の人間だった」
情報部……。
エリオットは戸惑った。
クリーゲル艦長は言った。
「リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐だ」
艦長は右手の壁にあるディスプレイを指差した。そこに映し出されたのは、海軍の白い式典用の制服を来た若い女性だった。まだ、少女といっていいほど若く見える。
カーターはますます困惑した。
「どういうことなのか、理解できませんが……」
エリオット作戦司令が厳格な声で言った。
「リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐が、新型機の配備に伴い、君の小隊に配属される。それだけのことだ」
「しかし……」
カーターは、何か言わなければならないと思った。だが、何をどう言っていいのかわからない。
「リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐は、このアトランティスにいる間だけ、海兵隊所属となる。そして、海兵隊での階級は少尉ということになっている」
クリーゲル艦長が言った。「君も、少佐を部下に持つというのはやりにくかろうしな」
もちろん、俺がやりにくいかどうかなど関係ない。階級を偽《いつわ》ってまで、実戦に投入しなければならない理由があったのだ。カーターはそう思った。
「お聞かせいただけますか?」
カーターは言った。
「何だ?」
クリーゲル艦長が穏やかな声で言う。
「これは情報部の差し金ですか?」
クリーゲル艦長とエリオット作戦司令は顔を見合わせた。それから、クリーゲルはカーターに眼を戻して言った。
「まあ、そういうことだな」
「この娘っこは、最前線で何をやろうとしているんです?」
「言葉を慎《つつし》め」
エリオットが言った。「相手は少佐だぞ」
「言い直します。この少佐殿は、いったい何をしに来るんです?」
「戦いに来るんだ」
カーターはエリオットを見つめた。
「自分には海兵隊員としての誇りがあります。うちの小隊の連中も同様です。情報部の少佐殿がつとまるところじゃありません」
エリオット作戦司令がまたクリーゲル艦長を見た。カーターはその秘密めいた無言のやりとりが気に入らなかった。
クリーゲル艦長が、諭《さと》すような口調で言った。
「このミズキ少佐は、誰よりも新型機を見事に操縦したそうだ」
「戦いはテスト運用とは別ですよ」
クリーゲル艦長は溜め息をついた。
「トリフネというそうだ」
「何です?」
「海軍情報部からの情報だ。敵の戦闘機だよ。正確に言うとただの戦闘機ではない。ヒュームスのような運用も可能だ。そして、その行動パターンが実に巧妙だ。情報部は、地球連合軍にはない未知のコントロールシステムがあると考えている。トリフネは、機能の上でも主力機のクロノスを上回っている。そして、空間エアフォースの戦闘機をも上回っている。だが、最大の問題は機単体の機能ではない。その運用システムなのだ。ミズキ少佐と、新型のギガースは、そのトリフネのコントロールシステムをうち破る可能性を秘めているということだ」
カーターは自尊心が傷つけられる思いだった。たしかに、長い間戦争などなく実戦という意味では経験は乏《とぼ》しいかもしれない。しかし、訓練とパトロールの任務は数知れずこなしてきた。
クロノスの運用には自信があった。トリフネとかいう敵の戦闘機にはたしかに翻弄《ほんろう》された。だが、あれが初めての遭遇だった。
誰だって、初めての戦いには戸惑う。経験が必要なのだ。すでに、カーターの第一小隊は、あのときの実戦データを何度も解析している。
だが、艦長や作戦司令は、海軍情報部からやってきた新型とお嬢さんが、カーターたちの努力よりも頼りになると言っているらしい。
カーターは、怒りで宇宙《うみ》に出ることを怖がっている自分を忘れかけていた。
「テュールとクロノスで充分にやってごらんにいれます」
カーターは言った。
「気持ちはわかる」
クリーゲル艦長は言った。「だが、事情はそう単純ではない」
「どういうことでしょう」
「この若いお嬢さんが、なぜ少佐の階級を持っているのか、不思議には思わんかね?」
「不思議ですよ」
カーターは言った。「情報部のやることはわかりません」
「どうやら、ミズキ少佐は特別らしい」
「特別?」
「トリフネは、電子戦のさなかでも、一糸乱れぬ行動を取った。それは、実戦データの検証で明らかだ。特別な管制システムがあるに違いないと、海軍情報部では考えているようだ。それは、電子的な管制システムではない。もっと、次元の違うものだ」
「次元が違う、ですか?」
「そうだ。電磁波を使った通信手段を経ない管制システムだ」
「どのようなものか想像がつきませんが……。それが、ミズキ少佐と何か関係があるのでしょうか?」
「ミズキ少佐は、サイバーテレパスなんだそうだ」
カーターは絶句した。
サイバーテレパス。
それは、伝説に過ぎないと思っていた。
エンジニアやプログラマーなどの間で囁《ささや》かれている伝説だ。高度に発達したコンピュータシステムと心を通わせることができる超能力者。それがサイバーテレパスだ。
技術屋どもの戯言《ざれごと》だと思っていた。
カーターにとっては、コンピュータは機械に過ぎない。それがどんなに発達したシステムであろうと、機械は機械だ。機械と人間が心を通い合わせるなどということが、あるはずがない。
だが、サイバーテレパスの存在を信じている者は、ヒュームスドライバーの中にも少なくはない。ヒュームスは、複雑なマシンだ。そのマシンを扱うときに、まるで意志があるような気がしてくる。他人のマシンに乗ると思うように扱えない。
たしかにマシンと心が通じるように感じるときがある。だが、それは、ドライバーが単にマシンの癖《くせ》を体で覚えてしまうからだと、カーターは思っていた。
特にヒュームスは、ドライバーの操縦パターンをかなりの部分コンピュータに覚え込ませてしまう。他人のマシンが扱いにくいのはあたりまえなのだ。
だから、本物のサイバーテレパスがやってくると聞かされて、カーターはすっかり驚いてしまった。
クリーゲル艦長は、カーターの表情を見て鷹揚《おうよう》にうなずいた。
「驚くのはわかるよ。私だって、同じだった。まさか、サイバーテレパスなどというものが実在するとは思わなかった。だが、海軍情報部では、かなり以前から研究を進めていたらしい」
カーターは、再びディスプレイに映し出されたリーナ・ショーン・ミズキ少佐の姿を見た。
友達と週末に街に繰り出してきゃあきゃあ騒いだり、恋愛にうつつを抜かす年頃じゃないか。それが、何で宇宙海軍情報部の将校なんぞに……。
「私も情報部の言うことが、どこまで真実なのか判断に苦しんでいる」
エリオット作戦司令が言ったので、カーターはディスプレイから眼を移した。エリオット作戦司令は、相変わらず無表情だが、たしかに幾ばくかの迷いを眼差しに滲《にじ》ませている。
「だが、たしかにトリフネの行動パターンを分析してみると、何らかの管制システムが働いているとしか思えない。激しい電子戦の最中に有効な管制システムを、我が軍は持っていない。これは敵との決定的な差と言っていい。新型機とそのドライバーがその差を少しでも埋める可能性を持っているのなら、試してみる価値はある」
「いずれにしろ」
カーターは無力感を覚えた。「軍上層部の方針なのですね?」
エリオット作戦司令はうなずいた。
「そのとおりだ。我々は従わねばならない」
クリーゲル艦長が、肩をすくめた。
「猛者《もさ》ぞろいの海兵隊に、若い娘がやってくる。それだけで、たいへんなことはよくわかる。面倒事を押しつけるな。だが、君ならなんとかしてくれると信じている」
「配属はいつです?」
「二週間後だ。輸送船アキレスとランデブーする」
「わかりました」
「リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐の身分については、機密扱いだ。彼女はあくまでも、海兵隊少尉としてやってくる」
「了解しました」
カーターは気をつけをした。「第一小隊は、リーナ・ショーン・ミズキ少尉の転属を歓迎いたします」
クリーゲル艦長は満足げにうなずいた。
「以上だ」
カーターは、艦長の部屋を退出すると、疲れ果てた気分で廊下《ろうか》の壁に背をあずけた。
俺は、今自分のことで精一杯だ。
なんとか、カリスト沖海戦の心理的トラウマを克服しなくてはならない。誰にも気づかれないうちに。
海兵隊に、娘っこがやってくるだって?
いったい、隊員たちにどう説明すればいいんだ。
カーターは、壁から背を離すと、のろのろと廊下を歩きはじめた。
地球と月のラグランジュ点、L5
第一群島内コロニー ノブゴロド
オージェ・ナザーロフは、隊員たちに、海軍の新兵器について箝口令《かんこうれい》を敷いた。戦闘データはすでにオデット・チトフ大佐に提出してある。あの新兵器の情報について、どういう扱いにするかは、空軍全体の問題だ。軽はずみに他人に話せることではない。
隊員たちは、新型機の機動性に衝撃を受けたに違いない。軌道上をあれだけ自由に動き回れる兵器は、いまだかつて存在しなかった。
ドライバーは、絶えず変化するあらゆる方向のGに耐えなければならない。カクテルのシェイカーの中にいるようなものだ。
オージェですらそれに耐えられるかどうか自信がなかった。ドライバーは女だった。それがまた、オージェにはショックだった。
操縦システムはどうなっているのだろう。オージェは、考えた。
機動性に関しては、空間エアフォースの戦闘機がもっとも優れているはずだった。ひも付きの旧式ヒュームスは論外だ。ヒュームス主力機のクロノスにしても、でかい宇宙服という程度に過ぎない。まあ、自分の見方は多少|辛《から》いかもしれないが、機動性が戦闘機より劣るのは間違いない。ペイロードの問題なのだ。
だが、あのヒュームスは、空間エアフォースの主力戦闘機ズヴェズダをはるかに超える動きをしていたように見える。
オージェは新型機の白い機体を思い出していた。やつは、背中に巨大なスラスターを持っていた。まるで、戦闘機の尾部がくっついているようだった。
そして、肩から生える大きな羽根のようなもの。おそらく、反作用を利用して姿勢制御をするための作動肢《さどうし》なのだろう。もしかしたら、大気圏内では、翼の役目を果たすのかもしれない。
それにしても、あの新型のドライバーはどんなやつなのだろう。
オージェは思った。
声を聞く限りでは若い女だった。
あのヒュームスは、今後の戦局を左右するかもしれない。
それが、エースパイロット、オージェ・ナザーロフの正直な感想だった。
オージェの隊がスクランブル発進を命じられたのは、アキレスの護衛任務から二ヵ月ほど経ってからのことだった。
国籍不明の宇宙船が、第一群島の領空を航行しているとのことだった。月から打ち上げられた船ではない。
オージェ隊は、すぐにその船を発見した。オージェ隊は編隊を組んだまま、やや下の軌道から近づき、四方に展開して船を取り囲んだ。国籍不明船と、オージェ隊は縦になって並び、等速度で相対している。
オージェは注意深く船を観察した。普通の輸送船のように見える。船体は白く塗られており、船名とどこかの企業名が記されている。
船名はHOPE。ロシア文字だとすれば、ノーレと読める。だが、企業名が英語表記なので、これはホープと読むべきだろう。第一、ノーレなどというロシア語はない。
企業名は、エジンバラ・トランスポート。運送業らしい。オージェは、基地に船名と企業名を報告した後に、民間の公用周波数の幾つかで、同じメッセージを送った。
「ホープ号、あなたがたは、第一群島の領空を侵犯している。ただちに領空から退去しなさい」
四度周波数を変えたときに、返事があった。
「こちら、ホープ号。機関の故障で月への軌道をそれてしまった。ようやくこのラグランジュポイントまでたどり着いた。救助を要請する」
オージェは、無線を空間エアフォース用の周波数に切り替えた。
「全機、戦闘態勢だ」
オージェは、スラスターを使って機首をホープ号に向けた。ホープ号を取り囲んでいたズヴェズダすべてが同様にホープ号に機首を向けた。いつでも二十ミリ無反動機関砲かミサイルを撃ち込むことができる。
輸送船を装った海賊ということもあり得る。
「繰り返す」
受信機の周波数を民間用に戻したとき、ホープからの声が聞こえてきた。「機関の故障でブーストできないんだ。救助を要請する」
その声に緊張が滲《にじ》んでいる。
周囲の戦闘機に機首を向けられ慌てているのだ。オージェは、問いかけた。
「ホープ号、こちら空間エアフォース。機関が故障しているのに、救難信号は出していなかった。なぜだ?」
「空間エアフォース、こちらホープ号。自力で何とか修理できると思ったんだ。だが、どうやらだめらしい。救難信号を出そうと思っていた矢先に、あんたらが現れたんだ」
「国籍と航行の目的を言え」
「船籍は、地球連合アメリカ合衆国。航行の目的は輸送だ」
「積み荷は何だ?」
「地球から月に送る衣料品だ。ブランド物でね。中継ステーションに向かう途中でコースがそれた。中継ステーションの軌道に戻ろうとしたが、リブーストできなくなったというわけだ」
オージェは、無線をまた軍用に切り替え、基地にそのまま報告した。基地からの指示が戻ってきた。
「曳航船を出す。そのままの軌道を保持して待機せよ」
ホープ号をノブゴロドに連れて行くということだ。これは、救助ではなく、拿捕《だほ》だ。当然の措置だとオージェは思った。
オージェは、民間用の周波数でホープ号に呼びかけた。
「これから曳航の準備に入る。ホープ号をコロニー・ノブゴロドまで曳航する。そのままで待機するように」
「空間エアフォース、こちらホープ号。ありがたいが、こちらに銃口を向けたままというのはどういうわけだ?」
オージェは質問にはこたえなかった。
「そのまま待機しろ」
そう言うと、それきり送信しなかった。
コニー・チャンは、ホープ号のブリッジで成り行きをじっと見守っていた。心臓がどきどきしていた。
なにせ相手は、空間エアフォース。ロシア人どもだ。結局宇宙に出ても、ロシア人たちは秘密主義と官僚主義から抜け出すことができなかった。
コニーはそう考えていた。中国系アメリカ人を両親に持つコニーは、何よりも自由が大切だと教えられた。アメリカは自由の国だ。
コニーにとって、ロシア人は不気味な存在だった。何をするかわからない。彼らに人権の意識はないと思ったほうがいい。コニーはそう理解していた。
特に軍部はそうだ。これが、救助ではなく、拿捕であることをコニーは知っていた。拿捕されるために船長に一芝居打ってもらったのだ。機関長はわざとブースターを一基壊した。
コニー・チャンは、プラネット・トリビューン社の契約記者だった。今年三十歳を迎える彼女は、このあたりで大きな仕事をしなければならないと考えていた。
二ヵ月前、海軍の輸送船が海賊に襲われ、空間エアフォースのエースパイロット、オージェ・ナザーロフが海賊船を沈めた。このニュースに多くの人々は喝采《かっさい》を送ったが、一部には首を傾げる人々もいた。
海賊船が高出力レーザー砲で武装していたという情報がある。つまり、戦艦並の武装だ。大きさは全長が約百メートル。連合軍の巡洋艦級だ。
こういう情報は一般向けの記事には載っていないが、軍事専門家などは、軍にコネクションを持っており、調べ出すことも可能だ。そういう人々が、疑問視しているのだ。
空間エアフォースの戦闘機が、巡洋艦クラスの船を落としたというのが納得できないというのだ。
たしかに空間エアフォースの主力戦闘機ズヴェズダは、ミサイルを四発搭載している。だが、よほどの腕とそして運がない限り、ミサイルで巡洋艦を沈めることは難しいと、軍事専門家の何人かは考えていた。
不可能だと言う者さえいた。
人類はまだ、宇宙での戦闘に慣れていない。これまで、その必要がなかったからだ。もともと、宇宙の軍隊は、地球時代の沿岸警備隊のようなものだった。それが、地球連合軍発足とともに、宇宙軍に発展したのだ。
主力艦である、ニューヨーク級強襲母艦は、歴史上最も高価な乗り物で、口の悪い軍事アナリストは、宇宙軍のことを、この船を守るための軍隊と皮肉った。
名高い空間エアフォースのオージェ・ナザーロフといえども、それだけの戦術を駆使することはできない。パイロットたちに、まだそうした技術の蓄積はないし、戦闘機にはそれだけの能力はない。
軍事アナリストの多くはそう語った。コニー・チャンは、彼らをインタビューして歩くうちに、これは何かあるに違いないと思った。
海賊船が沈められたのは事実らしい。だが、オージェたちが何をしたのか、まったく明らかにされていない。
軍の秘密主義のせいだとコニーは思っていた。特に、ロシア軍の伝統が残っている空間エアフォースの……。
そこで、コニーはオージェ・ナザーロフの隊が駐屯しているコロニー・ノブゴロドに潜り込むことにしたのだ。何かをつかめるかもしれない。
危険は承知の上だ。だが、まさかロシア人だって、アメリカ国籍を持つ民間人に危害を加えたりはしないだろう。もしかしたら、オージェ・ナザーロフ本人に話を聞けるかもしれない。
やがて、曳航船とランデブーし、ドッキング作業が始まった。船体が揺れ、きしんだ。ロシア人たちの作業は乱暴だと聞いている。
船長のスコットは、金のためなら何でもやるような男だが、たしかに腕はいい。彼は、船のクルーとコニーに宇宙服を着るように命じた。空気|漏《も》れを恐れている。状況判断も的確だ。
コニー・チャンはGを感じた。曳航船がホープ号とドッキングしたままメインスラスターをふかしたのだ。
ホープ号は、コロニー・ノブゴロドに運ばれる。
「ちっ」
スコット船長が言った。「空軍のやつら、窓にシールドを貼りやがった」
たしかに、窓がふさがれている。カメラもふさがれたようで、メインモニターにも何も映っていない。
「軍事施設なんだから、しょうがありませんや」
副長のハロルドが言った。
「嫌な気分だな」
スコット船長は、宇宙服のヘルメット越しにコニーを見た。「ボーナスをもらわんと、とてもじゃないが、やってられんな」
コニーは肩をすくめた。
「プラネット・トリビューン社に掛け合ってよ」
「こんな冒険する価値、あるのか?」
「価値があるかですって?」
コニーはわざと驚いたように言った。「あたしたちジャーナリストにとっては、事実を知ることが何よりも価値があるのよ」
「スクープが、だろう? 要するに金になるかどうかだ」
「価値観の相違ね」
「そうでもないだろう」
スコット船長は、皮肉な笑いを浮かべた。悔しいが、スコット船長が言っていることは当たっている。コニーにはスクープが必要だ。でないと、プラネット・トリビューン社は、来期の契約をしてくれないだろう。
船内に衝撃が伝わった。港内に入り、固定されたようだ。しばらくすると、外壁のハッチを叩く音が聞こえてきた。ハッチを開けろと言っているらしい。
「乱暴なやつらだ。無線で話しかければいいものを……」
スコット船長は、外部ハッチを開けるスイッチに触れた。やがて、銃を持った兵士たちが船内に現れた。港内は無重量なので、兵士たちは、漂いながら操縦席の戸口にやってきた。
「与圧されている。宇宙服の必要はない」
ロシア訛の英語で、先頭に立った兵士が言った。
スコットは、操縦席のハーネスを外すと、器用に身をよじりながら宇宙服を脱いだ。ハロルドたちクルーがそれにならい、コニーも宇宙服を脱いだ。
「付いてこい」
兵士が言った。
「目隠しはしないのか?」
スコット船長が皮肉な口調で言うと、兵士は無言で睨み付けた。
シャトルが下っていく。コニーは重力を感じた。コロニーにやってきたのは初めてではないが、ノブゴロドは初めてだった。
やがて、シャトルが一Gに保たれている人工の大地に着くと、ホープの乗組員たちは、別々に取り調べを受けることになった。
コニーは殺風景な部屋に連れて行かれた。壁はコンクリートの打ちっ放し。机と椅子とライトがあるだけ。
士官服を着た空間エアフォースの軍人が、部下を伴って現れた。部下は記録係のようだ。記録用のコンピュータ・パッドと録音用のマイクを手にしている。
コニーはひどく座り心地の悪い安っぽい椅子に座らされた。士官服の男が机を挟んで正面に座った。ここに来る前に、パスポートや身分証、財布など所持品をすべて取り上げられていた。
コニーは、まず不安を覚え、次に怒りを感じた。
これは遭難した船の乗組員に対する仕打ちではない。完全に犯罪者か捕虜の扱いだ。
士官は、コニーのパスポートを仔細に眺めている。パスポートには地球の出国証と、月面自治区への入国カードが添付されている。
それから、士官はコニーの身分証を見た。ずっと無言だった。コニーは、不気味に感じていた。ロシア人は表情が乏しい。誰もが砂色の髪をしており、その眼はガラス玉のように感じられる。何を考えているかわからないのだ。
やがて、士官は顔を上げた。おそらく、四十歳前後だろう。
「コニー・チャン。おまえの本名に間違いないな?」
「間違いないわ。生まれたときから、コニー・チャンよ」
「プラネット・トリビューン社の記者?」
「契約ですけどね」
「新聞記者がなぜ運送屋の船に乗っていた?」
「木星圏との戦争が始まってから、月への定期便が乱れに乱れているのよ。チケットが取れやしない。仕方がなく、知り合いに頼んで月まで乗せてもらうことにしたのよ」
「月に行く目的は?」
「取材よ。地球にいたんじゃ、前線のことがさっぱりわからない」
「我々は、戦果を地球に送っている」
「軍の発表だけを信じるわけにはいかない。地球連合は軍事国家じゃないのよ。市民には知る権利がある。ロシア人にはぴんとこないかもしれないけどね」
「月に特定の情報源がいるということか?」
「そうじゃない。でも、地球にいるより何かわかるかもしれない。月と火星は自治権を持っていて、今のところ中立を保っているでしょう? 地球ではわからないことを月の市民から聞き出せるかもしれないと思ったのよ。ジャーナリストとしては、当然の発想よ」
「月での取材を許すわけにはいかない」
「そんな権限、あなたたちにはないわ」
「権限はある。今は戦時下体制だ」
「時代錯誤もはなはだしい。あなたたちは、まだソビエト連邦時代から脱却していないのね。あれから百年以上経っているのよ」
相手を挑発して得なことなど一つもない。わかってはいるが、皮肉の一つも言いたくなる。コニーは扱いに腹を立てていた。
「ブースターの修理が済むまで、ここに滞在してもらう」
「ノブゴロドの街を見て歩いてもいいかしら?」
「外出は禁止する。二十四時間の監視を付ける。外部との接触は一切禁止だ」
士官はぴしゃりと言った。
「それじゃ監禁じゃない」
「そうしていけない理由はない。ホープ号は、ノブゴロドの領空を侵犯した」
「船が故障して助けを求めたのよ。それが遭難船に対するあなたがたの扱いなの? 地球連合政府の領事館があるはずね。そこに連絡を取りたいわ。こんな扱い、不当だもの」
士官は、大きな音を立てて、コニーのパスポートを机に置いた。無表情な眼に怒りが見て取れた。
「アメリカのジャーナリストの商業主義にはうんざりだ。金のためなら何でもやる。あんたが本当のジャーナリズムを心得ているかどうか疑問だ。アメリカ人はセンセーショナリズムとジャーナリズムをはき違えている」
コニーは少しばかり驚いた。
ロシア人から、まっとうなジャーナリズム論を聞かされるとは思っていなかった。
「あなたたちこそ、ジャーナリズムとプロパガンダをはき違えているんじゃない?」
「それは、過去の話だ。我々の祖先は、社会主義を学び、そしてさらに自由主義を学んだ。君たちの社会より成熟しているという自負がある」
「成熟ですって?」
コニーはあきれた。「あなたの国では常に官僚と秘密警察が民衆を弾圧していた。その体質は今も変わっていない。この扱いがいい証拠だわ」
「我々は警戒しているのだ」
「何を警戒しているの?」
「ジュピタリアンたちのシンパがテロ活動をしている。一部は海賊として、地球の衛星軌道上や、月の軌道上、ラグランジュ点にあるコロニーの空域にまで出没する」
「ならば、あなたの敵はあたしじゃないはずよ」
「おまえが、ジュピタリアンのスパイでないという保証はない」
「冗談じゃないわ。地球連合政府の人権委員会に提訴してやるから」
「スパイの疑いがかけられたら、当分ノブゴロドから出られないと思え」
コニーは、恐怖を感じた。ロシア人は、本当にコニーを拘束するだろう。これまでの歴史がそれを物語っている。先進国と呼ばれる国の中で、中国とロシアは伝統的に人権の意識に乏しい。それが、コニーの認識だ。
自分の顔が青ざめるのがわかる。
士官が冷たい笑いを浮かべた。
そのとき、部屋のどこかにあるスピーカーから女性の声が聞こえてきた。
「カザルスキー中佐。そのへんでいいでしょう」
カザルスキーと呼ばれた正面の士官は、コニーを見つめたまま、その声にこたえた。
「はい、大佐」
「そのジャーナリストは、地球からやってきたのですね?」
「はい。その点は間違いないようです」
「話が聞きたい。私の部屋へ案内しなさい」
カザルスキーという名の士官は、コニーを見てほほえんだ。すると、とたんに冷淡なイメージが消え去った。人格が入れ替わったとさえ思える変化だった。
「どうぞ、お嬢さん。もうちょっと居心地のいい場所に案内しますよ」
憤然として、コニーは立ち上がった。
オデット・チトフ大佐は、すみれ色の眼に、ほとんど金髪といえるほどの明るい砂色の髪をしていた。スラブ人の美しさをすべて持ち合わせているような女性だと、コニーは思った。
年齢はわからない。美人には年齢がないという言葉を思い出した。
コニーの脇には、カザルスキー中佐が立っている。さきほどの冷徹なイメージは影を潜めている。どこか、人を食ったような笑いを浮かべていた。
「お客をあまり怖がらせるものではありません」
チトフ大佐が言った。
カザルスキー中佐は、いたずらっ子のような顔つきになった。
「ロシア系に対して、思い込みがおありのようだったので、そのように演じてみました」
コニーは、ただ立ち尽くしていた。ロシア人たちの真意がわからない。
チトフ大佐は神秘的なすみれ色の眼をコニーに向けて言った。
「カザルスキー中佐は、真面目な軍人ですが、少々いたずらが過ぎることがあります。非礼をお詫びします」
コニーは、カザルスキーの横顔を見た。彼は、それに気づきコニーのほうを見てにこりと笑った。無邪気な笑顔だ。
「私を監禁するというのは……?」
チトフ大佐は上品な眼差しで言った。
「監禁の必要はありません。ただ、軍事施設への立ち入りは遠慮していただきます。あなたが乗ってきた船の修理は、明日には完了します。それまで、ノブゴロド市内のホテルに滞在していただきます」
「監視付きで?」
「案内役と思ってください」
「行動の制限は、軍の施設への立ち入り禁止だけかしら?」
「ホテル内での行動は自由です。しかし、外へは出ないでください」
「わかりました」
コニーは、素直にうなずいた。「しかし、このせっかくのチャンスを無駄にはしたくないんですけど」
「何のチャンスでしょう?」
「ここには、かの有名なオージェ・ナザーロフがいるんでしょう。軍艦並の海賊船を沈めて以来、オージェはスターなんです。ぜひ、インタビューさせてほしいわ」
「あれから二ヵ月以上も経っているというのに?」
「宇宙からの情報が乏しいんです。あれは、久しぶりの快挙のニュースでしたから」
「軍の関係者との接触は遠慮してください」
「空間エアフォースのPRになるわよ。オージェのインタビューが取れれば、新聞の第一面を飾れるわ」
チトフ大佐は、ほほえんだ。
「あなたは、人の感情をくすぐるのがお好きのようですね。カザルスキーを怒らせようとしてみたり、あたしに取り入ろうとしたり」
「そんなつもりはないわ。地球の読者は、本当にオージェのインタビューを求めているのよ」
「いいでしょう」
チトフ大佐は言った。「一時間だけ、インタビューを認めます。ただし、場所はこちらで指定します」
「監視するということ?」
「軍機が洩れると地球連合軍の不利になるのですよ。今は戦争中なのです。その点をわきまえてください」
コニーは、再び取り調べを受けた部屋に戻された。カザルスキー中佐が同席している。所持品が返却されたが、カメラだけは返ってきていない。
「カメラがないと、インタビューにならないわ」
「こちらでカメラマンを用意します。その画像データを差し上げます」
カザルスキーが言った。
「用心深いのね」
「軍なんて、こんなものですよ。ヤンキーの海軍も変わりません」
カザルスキーは皮肉な笑いを浮かべた。
いけ好かないやつ。コニーは、心の中で舌を出していた。
やがて、オージェ・ナザーロフがやってきた。写真では何度も見ている。しかし、写真よりずっと魅力的だった。チトフ大佐と同じく、金髪に近い明るい砂色の髪をしている。眼が青い。その青さは、カリフォルニアの空のようだと、コニーは思った。
コニーは例の座り心地の悪い椅子に腰掛けている。オージェは立ったままだった。
「あなたも座ってくれない?」
オージェは、カザルスキーを見た。カザルスキーはうなずいた。
「失礼します」
オージェは、背をぴんと伸ばして椅子に腰掛けた。
コニーは、彼と九十度の角度になるように椅子を移動した。インタビューの相手を緊張させない位置だ。
「プラネット・トリビューン社のコニー・チャンです。よろしく」
コニーが手を差し出すと、オージェ・ナザーロフは、やさしく取り手の甲にキスをした。それが、ロシア風の女性に対する挨拶《あいさつ》であることは知っていたが、コニーは胸が高鳴るのを感じた。
「ジュピタリアンの影響を受けた海賊船を撃破したことが、二ヵ月以上経った今も、地球で話題になっています。ご活躍ですね」
「私は軍人です。任務を遂行するだけです」
「それにしても、たいしたものだわ。戦闘機で、巡洋艦クラスの海賊船を沈めたのですね?」
「運がよかったのです。私の撃った四発のミサイルが敵のエンジンブロックに命中しました。敵船のエンジンが誘爆を起こしたのです」
コニーは、うなずいてから言った。
「軍事専門家の中には、戦闘機……、ええと何ていいましたっけ? ズヴェ……」
「ズヴェズダ。ロシア語で星という意味です」
「そのズヴェズダに搭載されている熱線追尾型のミサイルでは、戦艦の外壁を破壊することはできないと言う人がいます」
オージェはほほえんだ。貴族的なほほえみだとコニーは感じた。
「だから、運がよかったのです。私が発射したミサイルは、メインノズルに向かって行ったのです」
「メインノズル……」
コニーは考えた。何人もの軍事専門家にインタビューして、繰り返し頭の中でシミュレーションをしていた。「そのとき、相手の船は、軌道上にいたのですね」
「そうです。月の周回軌道上にいました」
「軌道戦ですね」
「そうです」
「互いに、同じ周回軌道を回りながら、撃ち合う……」
「そのとおりです」
「ならば、海賊船は、加速していなかった。つまり、エンジンを噴かしていなかった。メインノズルから噴射はしていなかった。違いますか?」
「何がおっしゃりたいのかわかりません」
「発射したのは、熱線追尾型のミサイルでしょう。エンジンを噴かしていないならメインノズルは冷えている。熱源にはなり得ない。そこに、熱線追尾型のミサイルが命中したというのは不自然ではないかしら」
「運がよかったと申しております」
オージェは落ち着き払っていた。「敵の海賊船は、軌道を上げるためにリブーストしました」
「軌道を上げる……?」
「我々と距離を取りたかったのでしょう。軌道を上げれば、速度を落とすことができる。我々との相対速度がマイナスになる。つまり、離れていくということです。私が発射したミサイルはそのリブーストの熱に反応しました」
「二ヵ月以上も前のことなのに、よく覚えてらっしゃいますね」
「戦闘の記憶は鮮明に残ります。機のコンピュータに記録も残りますしね」
「なるほど……」
コニーは、無理やり笑顔を作った。
戸口に立っているカザルスキーの視線が気になった。「おかげで、海軍の輸送船は無事に火星に向けて旅立てたわけですね」
「無事、任務を遂行できてよかったと思っています」
「輸送船には重要な荷が積まれていたそうですね」
「火星に送られる物資はいずれも重要なものばかりです」
「何が積まれていたか、ご存じですか?」
「いいえ」
オージェは、あっさりと言った。「積み荷の内容は、我々の任務とは関係ありませんから」
「軍事の専門家は、ある戦略兵器が輸送されたのではないかと言っています」
オージェは何も言わない。コニーは、さらに追及した。
「木星圏のカリスト沖海戦では、地球連合軍は大きな痛手を負いました。敵の戦闘機は、海軍のヒュームスのように手足を持ち、自由に軌道上を飛び回ったといいます」
「もちろん、その情報は、我々も知っています」
「そのために、新たな兵器が火星上空にいる戦艦に配備されたという噂《うわさ》があります」
オージェの表情は変わらない。
「我々には関係のないことです。戦艦に配備されたとなれば、海軍の兵器なのでしょう」
そのとき、カザルスキーが会話に割って入った。
「失礼、写真を撮らせてもらいます」
下士官がカメラを構えた。ストロボが数回光った。
「さて、そろそろインタビューを切り上げてもらえませんか。オージェも忙しい身でしてね」
カザルスキーが言った。
「そうしていただけると助かります」
オージェがコニーに言った。「どうやら、インタビューの内容が、私には関係のない方向に向かいそうなので……」
コニーはオージェに言った。
「地球連合の市民に約束していただけますか? これからも戦果を上げ続けると」
オージェはほほえんだ。
「木星のテロリストは決して許しませんよ」
「ありがとう」
コニーは深追いするのをやめた。
手応えがあった。オージェは何かを隠している。そんな気がした。どうも、話の内容が釈然としない。筋は通っているが、何かが欠落しているような印象がある。それは、コニーのジャーナリストとしての勘《かん》だった。
そして、カザルスキーがインタビューを止めたタイミング。あれは、コニーの質問が危険な領域に差し掛かったことを意味しているのではないか。
オージェは、敬礼をして去っていき、コニーはホテルに案内された。車の窓から見たノブゴロドの町並みは美しかった。白樺やポプラの木々の葉が揺れて、反射鏡から差し込む陽光をきらきらと反射している。
建物は、たいていレンガと漆喰《しっくい》でできている。王朝時代のロシアの建物を模している。近代的なビルももちろんあるが、王朝時代やスターリン様式の建物が眼に付く。
ホテルもスターリン様式の優雅な作りだった。尖塔がコロニーの中心にある空に向かって伸びている。
ホテルのベッドが小さいのがちょっと気になるが、これはロシアの伝統らしい。とにかく、オージェのインタビューは編集長へのいい土産《みやげ》になる。
だが、コニーはまだ満足していなかった。ある感触は得た。スクープの一端に触れたような実感がある。
「待ってなさい、編集長」
コニーは、ベッドに身を投げ出し、独り言を言った。「コニー・チャンはこんなもんじゃ終わらないわよ」
ホープ号の修理が終わり、コニーはスコット船長やハロルド副長らクルーとともにコクピットにいた。規定通り、宇宙服を着てシートにハーネスで体を固定している。
「さて……」
スコット船長は言った。「予定通り、月に向かっていいんだな?」
「いいわ。月で降ろしてちょうだい」
「芝居を打ってノブゴロドに寄り道した甲斐はあったのか?」
「それは、社内秘よ」
スコット船長はどうでもいいというふうに肩をすくめた。
ハロルドが言った。
「ロシア人のサービスってのは最悪だな」
スコットがそれにこたえた。
「ただ酒を食らっていたのはどこのどいつだ?」
「ウォッカでも飲まなきゃやってられないロシア人たちの気持ちはよくわかるな」
「ガイドビーコンが出るぞ、出航だ」
「ちくしょう」
突然、ヘッドセットから声が流れてきて、コニーは驚いた。
「なんだ?」
スコットが尋ねた。「機関長か?」
再び機関長の声が聞こえてくる。
「ロシア人め。なんて修理だ。俺のエンジンをでこぼこにしやがった」
「それだよ」
ハロルドが言った。「それが、ロシア人のサービスってやつだ」
スコットが笑いながら、スロットルを開けた。
火星衛星軌道上
戦争はのんびりとしたペースで進んでいる。軍の動きも緩慢《かんまん》に思える。宇宙の海は広すぎるのだ。カーター大尉にはそれが幸いしていた。
火星圏と地球圏はリアルタイムの通信ができない。電子メールのやり取りとなる。地球上であれだけ発達していた情報網も、宇宙の海ではひどく疎《まばら》になる。
強襲母艦アトランティスでは、常に海兵隊と艦載機の訓練が行われていた。次の戦いの前に、どうしてもこの状態から抜け出さなければならない。
カーターは、そう思っていた。おそらくまだ時間はある。ジュピタリアンたちが出撃したという情報はまだない。
訓練で恐怖を乗り越えるしかない。カーターは、自分を奮い立たせていた。宇宙《うみ》にダイブする瞬間はいまだに恐怖を感じる。そして、宇宙《うみ》にいるうちに次第に恐怖は募るのだ。
訓練の作戦行動時間は、十五分ほどに過ぎない。しかし、その十五分が地獄のように長い。
クロノスは最大三十分の作戦行動が取れる。かつて、カーターはその三十分ぎりぎりまで宇宙《うみ》にいたものだ。生命維持装置と推進剤の限界まで宇宙《うみ》にいる。それが、カーターの自慢だった。だが、今はすぐにでも船に上がりたくなる。
息が苦しくて、ヘルメットを脱ぎ捨てたくなるのだ。
情けない。
カーターは思う。以前の俺に戻らなければならない。でなければ、船を降りることになる。カーターの人生は、軍とともにあった。今さら他の生き方を選ぶ気にはなれない。
アトランティスが、ベース・バースームに寄港するという知らせが艦内に流れた。港に入る。
そう聞くだけで、今のカーターには救いだった。
ベース・バースームは、火星の衛星であるフォボスやダイモスよりも上の公転軌道上を回るコロニーだ。回転によって、居住区には〇・六Gの人工重力がある。ここは、海軍基地であり、ドックには、数隻の艦船が係留できる。居住区には、船乗りたちのための飲食店街や娯楽施設がある。カーターのお気に入りの店もある。
輸送船アキレスの到着に合わせた寄港だった。荷物を受け取るためだ。カーターは思い出した。もう一つの悩みの種がやってくるということだ。
リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐。いや、ミズキ少尉だ。カーターの下に付く限りは、少佐であることは忘れよう。
海兵隊の仲間にはまだ何も言っていない。どう説明していいかわからないし、言っても仕方のないことだ。配属は決まったことなのだ。
寄港は船乗りにとってはうれしいものだ。特に今のカーターにはありがたい。だが、同時に新たな悩みの始まりだ。カーターは、船室のベッドに腰掛け、溜め息をついていた。
カーターは、二日酔いでアトランティスに呼び戻された。昨夜は、ベース・バースームにある馴染みの店で、仲間たちとしたたかに酔っぱらった。
若い女がいて、音楽がある。昔ながらの将校クラブだ。カウンターの裏側には、ネオン管の文字がのたくっている。ビールのメーカー名だ。
カーターは、久しぶりに憂さを忘れて、ビールを飲み、ウイスキーの飲み比べをした。
頭痛薬を水に溶かして一気に飲み干し、カーターは、艦橋に向かった。ドックに係留されている船の中はすべて無重力だ。
カーターは規定通り、制服を着て、底に磁石のついた軍靴をはいていた。艦橋には、クリーゲル艦長と作戦司令のエリオット大佐がいた。
「今、着任の申告を受けた」
クリーゲル艦長が言った。「紹介しよう。リーナ・ショーン・ミズキ海軍少佐、いやここでは少尉だったな。ミズキ少尉、君が配属される宇宙海兵隊第一小隊のカーター大尉だ」
リーナ・ショーン・ミズキが振り向いた。モニターで見たときも驚いた。だが、実物はさらに華奢で幼げに見える。
こんな娘が少佐だというのか。情報部というのは、どうかしている。
カーターがそう思ったとき、リーナが敬礼をした。
カーターは形ばかりの敬礼を返した。
そのとき、カーターは、リーナがサイバーテレパスだという話を思い出した。嘘か本当かは知らない。だが、情報部がそう言うのなら幾ばくかの信憑《しんぴょう》性はある。
テレパスか。まさか、人の心を読んだりはしないだろうな。
カーターは、訝《いぶか》った。
もしそうなら、さらに面倒なことになる。カーターが宇宙《うみ》に出るのを恐れていることを知られてしまう。
確かめてみなければならない。
カーターは、エリオット作戦司令の声ではっと我に返った。
「我々と交替して、現在火星の周回軌道上には、ニューヨークがいる。小惑星帯を巡回する楕円軌道上には、巡洋艦二隻を連れたダイセツがいる。一刻も早く新型を実戦配備して次の戦いに備えなければならない。ベース・バースームにいる間に、訓練ミッションを消化してくれ」
つまり、リーナをすぐさま使えるようにしろということだ。
任務は遂行しなければならない。カーターは、こたえた。
「了解しました」
「さ、あとは君に任せる」
エリオット作戦司令が言った。「小隊のみんなにミズキ少尉を紹介してやってくれ」
その何気ない言葉が、カーターには罪状の宣告のように聞こえた。
カーターは、ベース・バースームのブリーフィングルームに小隊のメンバーを集めた。腕に覚えのあるヒュームスドライバーたちだ。
総勢で十一名。サムを失い十名になったが、リーナの加入でまた十一名になった。第一小隊は、三つの分隊から成っている。第一分隊と第二分隊は、テュールを使い、それぞれチーム・レッド、チーム・イエローと呼ばれている。
カーターが率いる第三分隊は、チーム・グリーン。クロノスに乗り、最前線で戦う。そのクロノス隊に新たにギガースという新型が加わることになる。
十人の猛者たちは、カーターが引き連れている少女に注目していた。カーターは気が重かった。何と言って切り出そうか、この部屋に来るまでずっと考えていた。だが、結局事実をありのままに伝えるしかないという結論に達した。
「リーナ・ショーン・ミズキ少尉。新型ヒュームスのドライバーだ。サムの補充要員として、第一小隊に配属された」
ブリーフィングルームの中はしんと静まりかえった。皆、一瞬身動きを止めた。嵐の前の静けさというやつだ。カーターは思った。
「これから、みんなの仲間というわけだ。では、ミズキ少尉、挨拶を……」
リーナが、気後れした様子もなく言った。
「リーナ・ショーン・ミズキ少尉です。新型ギガースのドライバーとして赴任しました。よろしくお願いします」
「そういうわけだ」
カーターは言った。「よろしく頼む」
「小隊長……」
レッド・リーダーのカズ・オオトリが手を挙げた。常に最後尾におり、母艦を死守するのがレッド・チームの役割だ。カズは責任感が人一倍強い男だ。サムライという言葉がふさわしい。彼が皆を代表して口火を切ったというわけだ。
「なんだ?」
「新型のドライバーと言いましたか?」
「そうだ」
「我々は話し合っていたんです。誰が新型に乗るのかって……。当然、小隊長が乗るものと思っていましたが……」
「俺は、まだ新型を操縦したことがない。だが、このミズキ少尉は、経験豊富だ。単純なことだよ」
イエロー・リーダーのロン・シルバーが手を挙げた。先祖はアメリカ西部の開拓民だったという。カウボーイというあだ名がある。
「なんだ? カウボーイ」
「えーと、その娘っこが、サムの代わりということですか?」
「そうだ」
「そして、みんなが興味津々の新型に、その娘っこが乗ると……」
「口を慎め」
カーターは、ミズキの本当の階級を知っているので、ついそう言ってしまった。それが、隊員たちの反感の火に油を注ぐ結果となってしまった。
チーム・イエローのアラン・ド・ミリュウが、勝手に発言した。
「ここにいる全員が、新型に乗ることを密かに期待しておったのです」
アランは、フランスの軍人一家の出身だ。先祖は貴族だという。金髪に緑色の眼をしている。時代がかった古くさい英語をしゃべる。本当は、フランス語しかしゃべりたくないに違いない。「テュールから、いきなり新型というのは、いささか無理かも知れませぬが、小隊長や、クロノスに慣れたドライバーならば、新型の操縦も可能でございましょう」
「アラン、これは決定事項なのだ」
チーム・レッドのチコ・ドミンゲスが言った。
「俺たちゃ、いつまでひも付きに乗ればいいんです?」
チコは、ラテンアメリカの出身で、感情の起伏が激しい。「敵の鳥野郎どもと戦うには、明らかにスペック不足ですぜ」
「スペックだと?」
カーターは言った。「それを補うのが、海兵隊の腕と度胸だろう」
カーターは言ってからむなしくなった。あの鳥野郎どもに対する恐怖がまたよみがえる。回転しながら、カリストの地表や宇宙《うみ》の深淵へ沈んでいったザオウとその艦載テュールたち……。そして、サム。
そのとき、リーナが言った。
「ギガースの戦闘データが充分に集まり、有効性が確認されたら、そのスペックがクロノスに活かされるでしょう。さらに、ギガースの量産タイプが作られるかもしれません。そうなれば、テュールは第一線を退き、みなさんも、クロノス改や量産タイプのギガースに乗って戦うことになるでしょう」
はっきりとした物言いだ。
さすがは、海軍情報部の少佐だとカーターは思った。だが、この発言は、隊員たちの反感を強めただけだった。
チーム・イエローのリュウ・シャオロンがむっとした表情で言った。
「それは、テュールが役立たずだという意味か?」
「トリフネとその管制システムの前では無力かもしれません」
「トリフネ?」
「敵の可変型戦闘機です。ヤマタイ国側はそう呼んでいます」
「実戦も経験していないくせに、何を言う」
「実戦は一度経験しました」
「どこで?」
「輸送船アキレスが月の軌道を離れようとしているときに、海賊船に襲われた。そのときに出撃しました」
「その話は聞いている。空軍のオージェが船を落としたんじゃないのか?」
「ミサイルを撃ち込んだのはオージェ・ナザーロフ大尉でした。でも、あたしもギガースで出たのよ。そして、実戦ならこれからいやというほど経験することになります。あなたたちも、カリスト沖海戦が初めての実戦らしい実戦だったのでしょう?」
リュウ・シャオロンは、押し黙った。彼はテュールの操縦に自信を持っている。限られた運用スペックを最大限に引き出すことができる。おそらく、彼も新型に乗ることを夢見ていたに違いない。
海賊船を沈めたときに、新型が出たという話は、カーターにとっても初耳だった。本当だとしたら、無茶をしたものだと思った。機密に属する新型を、輸送の途中に運用したというのだ。だが、そんなことはカーターの知ったことではない。情報部の少佐が判断したことなのだ。
チーム・レッドのケン・オダが言った。冷静な突撃艇のパイロットだ。彼の判断力が、突撃艇につながれたテュールの運命を左右することもある。
「あんた、ジュピタリアンのことをヤマタイ国と呼んだな」
「はい」
「それは、許し難いな。それはジュピタリアンたちが独立を求めている国の名だ。地球連合は、その呼称を正式には認めていない」
「固有名詞で呼んだほうが、敵の特徴がはっきりします。対象が明確になるでしょう。そうじゃありません?」
「ジュピタリアンでたくさんだ」
カーターは、これ以上隊員たちとリーナの勝手な論争を許すわけにはいかなかった。
訓練ミッションのブリーフィング・ファイルを机に音を立てて置いた。
隊員たちは、口を閉じ、カーターに注目した。
「リーナはチームの一員だ。それは、受け容れなければならないんだ。そのための訓練を行う。幸い、ジュピタリアンたちと一戦交えるのはまだ先のことのようだ。その間に、新型の実戦運用訓練をやる」
カーターは、訓練の概要を説明しはじめた。火星圏と木星圏の距離の隔たりが、カーターにとっては何よりの救いになっている。
カリスト沖海戦後、再び両勢力がぶつかるには、かなりの時間を要するはずだ。火星と木星の間に横たわる広大な宇宙《うみ》。それが、戦いのペースをゆっくりしたものにしている。だが、それだけ戦争は長引くということだ。
それにしても……。
カーターは思った。
この少佐殿は、なんとも気の強いお嬢さんだな。
訓練ミッションのため、アトランティスは、ベース・バースームを出航し、火星の周回軌道上の最外縁にやってきた。今、同じ軌道上の反対側には、ニューヨーク級強襲母艦のニューヨークがいる。すぐ近くには、巡洋艦を中心とした艦隊がいるはずだった。
カーターは、胸の高鳴りを押さえきれなかった。何度深呼吸してみても、息が苦しく感じられる。てのひらや脇の下に嫌な汗をかいている。
ただの訓練だ。俺がリーナをリードしてやらなけりゃならんのだ。
正面のハッチが開き、宇宙《うみ》の底がのぞける。モニターの脇を見ると、真っ白な新型が見える。
新型のギガースがベールを脱いだとき、アトランティスのヒュームス・デッキはちょっとした騒ぎになった。一目新型を見たいと、非番の者が皆押し寄せたのだ。
新しいおもちゃを見たがる子供と同じだと、カーターは思った。そのカーターでさえ、しばし見入ってしまった。
白い機体は、クロノスよりずっとシャープな印象があった。そして、背部に突き出たメインスラスターは、まるで空軍の戦闘機のようだ。そのメインスラスターを両側から大きな翼のようなものが挟んでいる。
逆トルクを利用する姿勢制御装置だと、カーターにはすぐにわかった。そして、その形状から、大気圏まで軌道を下げたときに、実際に翼として作用するのではないかと思った。
正面のランプが赤から緑に変わる。
グリーン・リーダーであり、小隊長であるカーターが真っ先にダイブしなければならない。
カタパルトがゆっくりとカーターのクロノスを宇宙《うみ》に押し出した。
無重量の空間に浮かぶ。カーターは、スラスターを使わずに、腕や脚を振ることによって発生するトルクで姿勢を制御した。推進剤は大切だ。いざというときのために、できるだけ節約しなければならない。
ギガースも安定した姿勢で浮かんでいる。リーナがヒュームスの扱いに慣れているというのは嘘ではなさそうだ。だが、戦闘訓練となれば、ただ慣れているだけでは不足だ。
今回の訓練は模擬戦だ。
チーム・グリーンのギガース一機、クロノス二機で、チーム・レッドとチーム・イエローを相手にする。
手にしているのは口径二十ミリの巨大なペイント弾が装填された無反動砲だ。
「付いてこい」
カーターは、グリーン・チーム用の周波数で呼びかけた。
もう一機のクロノスに乗るホセ・オルティス少尉の機がすぐ右手に見える。
「リーナ機。遅れるな」
宇宙海兵隊では、ファーストネームで呼び合う習慣となっている。小隊長のエドワード・カーターだけが、敬意を込めてカーターと呼ばれているのだ。
一瞬、カーターはリーナ機を見失った。
策敵をするように、四方と上方のモニターを見回す。今、左後方にいたと思ったギガースは、右前方におり、すぐにまた左手に移動した。
その動きの速さに驚いた。
だが、指揮官としてはただ驚いてばかりはいられない。
「リーナ。推進剤は命綱だぞ。無駄遣いするな」
「すみません」
リーナの声が聞こえてくる。「乗るのが久しぶりだったので、ちょっとレバーの調子を確かめたんです」
「俺の左に付け。敵が出てくるぞ」
チーム・イエローとチーム・レッドが仮想敵だ。カーターは、軌道上に静止して百八十度体勢を入れ替え、アトランティスのほうを向いた。ホセのクロノスが右手、リーナのギガースが左手だ。
彼らも同様にアトランティスのほうを向いて静止している。この場合の静止というのは、アトランティスと相対速度がゼロだという意味だ。
チーム・イエローとチーム・レッドが出てきた。突撃艇に三体のテュールが搭載されている。まだ展開していない。
突撃艇も相対速度を消して、互いに静止して向き合う形になった。
背後のアトランティスが目安となり、突撃艇との距離が実感できる。比較対照するものがない場合、宇宙《うみ》では、距離感がつかめず、モニターに表示される数字が頼りだ。
カーターは、敵の出方をうかがっていた。チーム・イエローの突撃艇が細くガスを吹き出すのが見えた。スラスターを使ったのだ。やや遅れて、チーム・レッドの突撃艇が同様にスラスターからガスを噴いた。
二隻の突撃艇は、左右に離れていく。
「来るぞ」
カーターが言った直後、チーム・イエローの突撃艇がメインスラスターを噴かした。
「リーナ機は俺から離れるな」
言いながら、カーターは、緊張のために気分が悪くなりかけていた。宇宙《うみ》の中にいるだけで、不安なのだ。恐怖が背中を這い上がってくる。
息が苦しくなってくる。自分自身の鼓動と呼吸の音が聞こえる。宇宙《うみ》の深淵に沈んでいったサムのクロノスが脳裏に浮かぶ。
事故は訓練中にも起こり得る。カーター機の制御装置が故障しており、軌道離脱を制御できなかったらどうしよう。俺は誰の手も届かぬ宇宙《うみ》の深淵に沈んでいくしかない。
典型的なパニック障害だ。考えても仕方がないことを考えて自分を追い込んでいる。カーターにはその自覚があった。だが、自覚があってもどうしようもないのがパニックだ。
「小隊長……」
ホセの声が聞こえてきた。その声にはっとして、見るとチーム・イエローのテュールが突撃艇を離れて展開している。
くそっ。集中しろ。戦いに集中するんだ。
「ホセ、チーム・イエローの右側に回り込め。リーナは俺に付いてこい」
カーターは震える手で操縦レバーを操作して、スラスターを噴かし、ホセ機と反対側に進んだ。リーナ機はぴたりと付いてくる。
見たところ、操縦の腕はなかなかじゃないか。
カーターはリーナ機の動きを見てそう思った。他人のことを気にしている間は、自分自身のことを考えないで済む。そのほうが心理的に楽だった。
チーム・イエローの突撃艇が、テュールを展開したまま、近づいてくる。ホセ機が機動力を活かして右側から回り込むのが見える。
ホセ機が二十ミリのペイント弾を撃った。それを合図に、チーム・イエローが撃ちはじめる。
チーム・レッドが動いた。チーム・イエロー同様にテュールを展開して、下の軌道から近づいてくる。
「ちっ。挟み撃ちにするつもりか……」
カーターはつぶやいた。
戦いは、チェスのようなものだ。先手を取ったと思ったら、相手の思うつぼにはまっていることもある。
ホセのクロノスが動き回って、チーム・イエローのテュールを攪乱《かくらん》しようとしている。だが、チーム・イエローの連中もそれを読んでいるらしい。
なかなかホセの誘いには乗らない。カーターは二隻の突撃艇の向きが気になっていた。突撃艇は、ミサイルを持っている。それが、カーターたちのほうを向いている。
いや、彼らが狙っているのはリーナ機だ。カーターはそれに気づいた。やつらは、真っ先にリーナ機を血祭りに上げようと考えているのだ。
ばかどもが。娘っこにむきになりやがって……。
「リーナ、気をつけろ。やつら、おまえをロックオンしようとしているぞ」
訓練ではロックオンされて、五秒以内に振り切れなかったら、ミサイルを食らったものとされて、状況離脱を命じられる。
カーターは、何とかリーナを守ろうと考えた。その瞬間だけ、宇宙《うみ》にいる恐怖を忘れられた。
「彼らの狙いはわかってるわ」
リーナの声が返ってくる。その声に力がみなぎっている。
チーム・レッドが撃ちはじめた。カーターは、スラスターを噴かして移動をする。いつ、軌道離脱の警告音が鳴るか心配でたまらない。だが、そのために動きがぎこちなくなってはならない。カーターは、自分を戒《いまし》めていた。
誰にも、気づかれてはいけない。
俺が宇宙《うみ》を恐れていることを……。
「小隊長、左!」
リーナの声が聞こえた。
チーム・レッドのテュールが一機、前に出てカーターを狙っていた。チコの機体だ。
カーターは、右側に移動しつつペイント弾を連続して発射した。
リーナ機が一機で取り残された恰好になった。チコは、しつこくカーターに向かってペイント弾を撃ち込んでくる。
残り二機のテュールが、リーナ機を狙っている。
やつら、俺たちを分断して、リーナ機を孤立させるのが目的だったのか……。
カーターは、チコに向かって撃ち返し、なんとか、リーナ機に近づこうとした。だが、チコの攻撃のせいで、動けない。へたに動くと、リーナ機を助けるどころか、ペイント弾を食らって状況離脱を命じられる。
訓練をモニターしているアトランティスのコンピュータは、各機体のコンピュータと連動して被弾状況をつぶさにチェックしているのだ。
そのうち、チーム・イエローが同様の動きを取り始めた。ホセのクロノスを牽制《けんせい》しつつ、次第にチーム・レッドに近づきつつあった。
ホセが、メインスラスターを噴かして素早い移動を始めた。チーム・イエローは二機のテュールでホセ機を捕捉しようとしていた。ホセ機は、その二機のテュールの攻撃をかわすだけで精一杯だった。
カーターもチーム・レッドの二機のテュールから攻撃を受けていた。こちらも、その攻撃をかわすのがやっとだ。
チーム・イエローのロンと、チーム・レッドのカズがリーナ機を狙っていた。そして、二隻の突撃艇がミサイルのロックオンをしようとしているようだ。
リーナ機は落とされるな。
カーターは思った。
まあ、それも仕方がない。初めての訓練だ。それにしても、やつらえげつない戦法を取りやがる。きっと発案者は、リュウ・シャオロンに違いない。中国人の彼は孫子の兵法を重視している。
「やるじゃない」
リーナのつぶやきが聞こえた。「今度はこっちの番よ……」
なんだと?
カーターは驚いた。リーナは、今まで相手の出方を見ていたというのか。
突然、リーナ機が動いた。
メインスラスターから高温のガスが吹き出す。さらに、機体肩の部分や脛《すね》の部分についているスラスターを自在に操り、軌道上を高速で泳ぎはじめた。
その動きは、モニターで追いきれないほどだ。
右と思ったら、左、上と思ったら下。
リーナ機は、すさまじい動きでテュールたちを攪乱しはじめた。
カーターはペイント弾を撃ちながら、はらはらしていた。あんな加速をしたら、軌道から離脱してしまう。軌道離脱防止プログラムを切っているとしか思えない。
あいつ、死ぬのが怖くないのか。
宇宙《うみ》に沈むのが恐ろしくないのか。
「アラン・ド・ミリュウ機、被弾率七十パーセントにより、状況離脱」
コンピュータの声が告げる。
リーナ機の動きに茫然《ぼうぜん》としていて、ペイント弾を嫌というほど食らったのだ。
アランだけではなかった。その場にいたすべてのドライバーが、リーナ機の動きに驚き、圧倒されていた。
「リュウ・シャオロン機、ミサイル・ロックオンにより、状況離脱」
さらにコンピュータが告げる。
ギガースはミサイルまで持っているのか……。カーターは、ギガースのすべての装備を熟知しているわけではなかった。通り一遍の説明を受けただけだ。もちろん、模擬戦でミサイルを搭載しているはずはないが、ミサイル・ロックオンの機能があるということは、ミサイルを搭載できるということだ。
さらに、リーナ機はテュール隊の間を飛び回り続ける。惜しげもなく推進剤を使っている。
あんな飛び方をしていては、あっという間に推進剤切れで動けなくなっちまう。そうなったら、敵の標的だぞ……。
だが、リーナ機の動きはいっこうに衰えない。よく見ると、やたらにスラスターを使っているわけではない。効率よく噴かし、慣性を利用して移動しているのだ。その動きが躍動《やくどう》感にあふれている。
見とれている場合ではないか……。
カーターは、テュールの攻撃が手薄になったのを見て、前進した。リーナ機の動きを見ていたので、自分がひどくのろまになったような気がした。
ペイント弾のライフルを構え、狙いを付けて続けざまに撃つ。相手は、チーム・レッドのチコだ。
「チコ・ドミンゲス機、被弾率七十パーセントにより、状況離脱」
コンピュータが告げる。
やったぞ。
カーターは、高揚感を覚えた。そのときばかりは恐怖が吹っ飛んだ。
「ホセ、何をしている。チャンスだ。撃ちまくれ」
「了解」
ホセ機が猛然と撃ちはじめた。
カーターはじきに弾切れだ。切れるまで撃ちまくるつもりだった。勝機は今しかない。
「パット・ハミルトン機、被弾率七十パーセントにより、状況離脱」
これで、残るは、イエロー・リーダーのロンとレッド・リーダーのカズの機体、そして二隻の突撃艇だけだ。
「ロックオンされた」
リーナの声が聞こえた。カーターは言った。
「五秒以内に振り切れ、おまえの機体ならできる」
次の瞬間、カーターは我が眼を疑った。
チーム・イエローの突撃艇からミサイルが発射されたのだ。
ばかな!
どうして、模擬戦でミサイルを積んでいるんだ。
リーナ機にミサイルが向かっていく。固体燃料のガスの航跡だけが見える。
カーターは叫んでいた。
「リーナ、回避しろ! ミサイルだ!」
リーナ機は、ミサイルを回避するために肩のスラスターを噴かした。
ミサイルは爆発することなく、宇宙《うみ》の深みに消えていった。弾頭と追尾機能はカットされていたようだ。
だが、危機はさらに続いていた。
リーナ機が、回転を始めた。姿勢制御ができないのかもしれない。カーターは助けに行こうとした。
だが、激しく回転しているヒュームスをどうやって助ければいいのだ。接触すれば、回転に巻き込まれるだけだ。姿勢制御しようとして、スラスターを噴かしても、あっという間に推進剤を使い果たしてしまうだろう。
そうなればリーナ機とともに沈んでしまう。鳥野郎とともに回転しながら沈んでいったサムのクロノスを思い出した。冷や汗がどっと吹き出す。
「リーナ!」
カーターは必死で呼びかけた。「姿勢を制御できないのか? 軌道を離れるぞ!」
気を失っているのかもしれない。
カーターは思った。激しい回転で、血液が脳と四肢に押しやられる。脳がパンクしてしまうこともある。
「やっほう」
リーナの脳天気な声が聞こえてきた。「これって、絶叫マシンよりすごいよ」
カーターは言葉を失った。
リーナ機の大きな翼のようなものが、激しく動きはじめた。鳥が羽ばたいているようだ。逆のトルクを発生して、姿勢を制御しようとしているのだ。さらに、リーナ機はごく短く、スラスターを噴かした。
それだけで、回転はゆるやかになり、やがて止まった。メインスラスターを少しだけ噴かすと、軌道上の安全な位置を確保していた。
カーターは唖然《あぜん》としていた。熟練のヒュームスドライバーにもこれだけのコントロールは難しい。
他のヒュームスたちも、動きを止めてその動きを見つめていた。
カーターは、はっと我に返って怒鳴った。
「リトル・ジョー! どうしてミサイルを発射した?」
「事故です、小隊長」
「だいたい、なんでミサイルなんか積んでたんだ?」
「何かの手違いでして……」
そのとき、エリオット作戦司令の声がヘッドセットから流れてきた。
「本日の状況終了。全員、帰還しろ」
カーターは、チーム・イエローの突撃艇パイロット、リトル・ジョーとともに艦橋に呼ばれた。
リトル・ジョーは、表情を閉ざしている。アフリカ系アメリカ人のリトル・ジョーは、同じ黒人のサムを失ったことが、人一倍こたえているようだった。
そのサムの代わりとしてやってきたのが、あのリーナだ。今回のミサイル発射事件が、そのことと関係しているとは思いたくなかった。
カーターは、リトル・ジョーとともに、シートに体を固定しているクリーゲル艦長、エリオット作戦司令の前に立った。
靴底の磁石のおかげで、体が浮き上がるようなことはない。直立不動の姿勢を保つことができる。
リトル・ジョーは巨漢だ。並んで立つと、カーターは自分がずいぶん小さくなったように感じた。
エリオット作戦司令は、機嫌が悪い。あたりまえだ。最新鋭機を失いかねない出来事だった。
「マイク・リトル・ジョー中尉」
エリオット作戦司令が、低い囁くような声で呼びかけた。彼が怒りを抑えているときの口調だ。「どういうことなのか、詳しく説明してくれ」
「事故であります」
リトル・ジョーが言った。「自分は、ミサイルなど搭載されていないと思っておりました」
「訓練に出る前に、自分自身で確認しなかったのか? パイロットには出撃前に自分自身で火器の確認をすることが義務づけられている」
「確認はしました」
リトル・ジョーはエリオットやクリーゲルとは眼を合わせずに正面を見据えていた。
「自分が確認をしたときには、たしかにミサイルなど搭載されていませんでした」
「確認したのは、訓練のどのくらい前だ?」
「規定どおり、十五分前までに確認を済ませました」
エリオット作戦司令は、じっとリトル・ジョーを見据えている。
「おまえは、ギガースをロックオンしただけではなく、ミサイルの発射ボタンを押したな?」
「はい」
「なぜだ?」
「そうするように、訓練されております」
「模擬戦のときも、常にボタンを押すのか?」
「はい。通常、模擬戦ではミサイルを搭載しておりませんから」
「だが、今回は搭載されていた。これはどういうことだ?」
「自分には、わかりません」
「サムが、カリスト沖海戦で戦死した。おまえは、同じアフリカ系ということで、サムと仲がよかったな」
カーターも、ぜひその質問に対するこたえを聞きたいと思っていた。リトル・ジョーにとっては、不利な要因だ。
リトル・ジョーはこたえた。
「はい。懇意《こんい》にしておりました」
「その代わりにやってきたのが、東洋系の若い女性だった。その点に特別な感情を持っていなかったか?」
誰もが複雑な感情を持っていたはずだとカーターは思った。ノーといえば嘘になる。イエスとこたえれば、エリオット作戦司令は、その感情を問題にするだろう。
「はい」
リトル・ジョーはこたえた。カーターは、一瞬、目を閉じた。
「ミズキ少尉が第一小隊に赴任したことについては、驚きました。そして、新任のドライバーが最新鋭機に搭乗することについても驚きました」
「驚いた? ただそれだけか?」
「意外に思いました。サムの代わりには、もっと頼りになる海兵隊員がやってくるものと思っておりました」
リトル・ジョーは慎重に言葉を選んでいる。控えめな言い方だ。彼の真意をその言葉からくむと、こういうことになる。
「あんな小娘がサムの代わりだなんて、笑わせるな」
エリオット作戦司令が言った。
「おまえは、ミズキ少尉が第一小隊に配属されたことが気に入らなかった。さらに、彼女が新型のドライバーであることも気に入らなかった。だから、訓練の事故を装って、彼女を葬り去ろうとした。違うか?」
やや、間があった。
リトル・ジョーは、直立不動のままこたえた。
「断じてそのようなことはありません。あれは事故であります。自分は、突撃艇にミサイルが搭載されていたことを知りませんでした。ミズキ少尉が配属されたことについては驚き、戸惑いました。しかし、配属されたという事実は、受け容れました。つまり、ミズキ少尉は我が第一小隊の仲間であります。仲間に向けて故意にミサイルを発射することなど、あり得ません」
カーターは、その言い分について、心の中で検討していた。これが、リトル・ジョーの本音であるとは思えない。だが、たてまえであろうが、リトル・ジョーの口から出た言葉であることは間違いない。
エリオット作戦司令は、カーターのほうを向いた。
「今回の件は、単なる訓練上の事故では済まされない」
カーターはこたえた。
「はい。心得ております」
「軍法会議もやむを得ないと思う」
「いたしかたないと思います」
カーターも、ミサイルが発射されたことについては、腹を立てていた。これまで、第一小隊は、まとまりのあるチームだった。皆気心が知れているし、感情的なもつれもなかった。
リーナだ。
リーナがチームに波風を立てたのだ。リトル・ジョーは、そのせいで軍法会議にかけられることになる。
リトル・ジョーは、突撃艇にミサイルが搭載されていたことを、本当に知らなかったのかもしれない。カーターは、彼を信じたいと思った。
軍法会議にかけられたら、少なくとも、訓練前の兵器の点検を怠《おこた》った罪は免《まぬが》れ得ないだろう。十五分前に点検を行ったと彼は言ったが、事実、ミサイルは搭載されていたのだ。彼はいい加減な点検しかしなかったと判断されるだろう。
いずれにしろ、何らかの罪に問われることになる。
カーターが、何か言うべきか考えていると、艦橋の戸口で声がした。
「失礼します」
リーナが立っていた。靴底の磁石を使って直立している。
エリオット作戦司令がちらりとそちらを見て言った。
「なんだ? 呼んだ覚えはないぞ」
リーナは戸口でこたえた。
「ミサイルの件に関してのお話し合いだと思いまして……」
「だったら、何だと言うのだ?」
「当事者の一人として、私も同席すべきだと思います」
エリオット作戦司令は、苛立った口調で言った。
「君から話を聞く必要はない。出過ぎた真似はやめろ」
リーナはひるまなかった。
「訓練は、より効果的なものになりました」
「何だって?」
「ギガースの性能をいち早く理解していただく、いい機会だったと思います」
カーターは、眉《まゆ》をひそめていた。リーナは何をしにここへ来たのだろう。リトル・ジョーを弁護しに来たとでもいうのだろうか。
エリオット作戦司令は、厳しい口調で言った。
「君は運がよかったのだ。ミサイルを食らったら、いくらギガースでも助からなかっただろう」
「運ではありません。ギガースの性能を充分に発揮すれば、一発のミサイルをかわすことなど、難しいことではありません」
「そういう話ではないのだ」
エリオット作戦司令は、ちょっとばかり困った顔をした。「これは軍規に関わる問題だ」
「ミサイルの一発くらいで、海兵隊の結束を乱していただきたくありません」
リーナの口調は強かった。
「何だって?」
エリオット作戦司令は、思わず聞き返していた。
「突撃艇のパイロットは、故意にミサイルを発射したのですか?」
「君にそれを尋ねる権限はない」
「撃たれた本人なんですよ」
エリオット作戦司令は、低くうなってからこたえた。
「リトル・ジョー中尉は、ミサイルが搭載されているとは思っていなかったと言っている」
「でしたら……」
リーナが言った。「追及すべき点は他にあるんじゃないでしょうか」
「どういうことだね?」
「突撃艇にミサイルを積み込んだ者がいた。それは事実です。では、その人物はなぜそのようなことをしたのか……」
エリオット作戦司令は、難しい顔になった。彼の頭の回転は速い。そのへんの石頭とはできが違うのだ。彼はリーナの言い分に興味を覚えたに違いない。
「考えられることは、一つだ」
エリオット作戦司令は言った。「新兵器の破壊。ギガースは、ごく少数しか作られないプロトタイプで、おそろしく高価だ。スペックも並はずれている。その運用のデータは、今後のヒュームスの開発にとって、きわめて重要なものだ」
「可能性としては、もう一つ」
「もう一つ?」
「ギガースの性能とそのドライバーの腕をアピールするために、わざとミサイルを発射させた……」
カーターは驚き、思わずエリオット作戦司令の顔を見ていた。エリオットは、さらに思案顔になった。
「それは君がミサイルを積み込ませたという意味なのか?」
リーナが平然とこたえた。
「あくまでも、可能性の話です。ただ、リトル・ジョー中尉だけをお疑いになるのは、おかしいと申し上げているのです」
エリオット作戦司令は、それまで、無言で話を聞いていたクリーゲル艦長を仰ぎ見た。
クリーゲル艦長はおもむろに言った。
「本来ならば軍法会議で判断されるべきなのだろうが、艦内で起きたことはすべて私に責任がある。船の中の出来事は船の中で解決する。それが海の男の掟《おきて》だ。ときには、軍規より海の掟を優先すべきときがある。私はそう信じている」
エリオット作戦司令は、うなずいた。
「艦長の判断にお任せします」
クリーゲル艦長は続けた。
「リトル・ジョーは、事故だと主張している。彼はミサイルが搭載されていることを知らなかった。もちろん、彼自身が積み込んだのではない。私は、彼の言葉を信じようと思う。リトル・ジョーは搭乗十五分前に火器の確認をしたと言った。だが、それでは不充分だったということだ。今後は、出撃直前に再度チェックをする。それを徹底してくれ。なお、過失による事故と判断して、リトル・ジョーには上陸禁止と、三日間の艦内営倉入りを命じる」
カーターはほっとしていた。
軍法会議にかけられたら、第一小隊はリトル・ジョーを失う恐れがある。サムを失い、さらにリトル・ジョーを失うのは痛い。
上陸禁止と三日間の営倉入りは気の毒だが、過失の度合いを考えると軽い処分といえた。
「さて」
クリーゲル艦長はさらに言った。「問題は、なぜこのような事故が起きたかだ。ミズキ少尉の指摘にはうなずける点があると思う。考えたくないことだが、艦内に反乱分子がいる恐れもある。エリオットはその調査をしてくれ」
エリオット作戦司令は、思案顔のままこたえた。
「了解しました」
クリーゲル艦長は重々しい口調で言った。
「この件に関しては以上だ」
カーターは、艦橋から退出しようとした。だが、まだクリーゲル艦長の話は終わっていなかった。
「さて、カーター、ミズキ少尉の腕前だが、どう見る?」
「は……」
カーターは、テストされているような気分だった。訓練の様子は艦長も見ていたはずだ。
正直に言うしかなかった。
「予想以上です」
「リトル・ジョー、君はどうだ?」
クリーゲル艦長に尋ねられ、リトル・ジョーはこたえた。
「カーター小隊長と同意見であります」
「けっこう。解散だ」
クリーゲル艦長はにっこりとほほえんでいた。カーターは、なぜだか、自分がひどく間抜けになったような気がしていた。
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第二章 小惑星帯の戦い
月面都市・アームストロングシティー
月面にある地下都市、アームストロング市は、戦争中にもかかわらず平時と変わらぬ様子だった。
民間人の居住区は、いたって平穏だ。コニー・チャンは、安ホテルに滞在して精力的に取材活動を続けていた。
月自治区のアームストロング市は、治安がいいので、安ホテルでも安心していられる。ホテルの売店には、地球からの観光客用に、ウエイトベルトや重りの入った靴、高密度の金属で作られたブレスレットなどが売られている。
重力が地球より少ない月では、気を許しているとたちまち筋力が衰《おとろ》える。それを補うための道具だが、最近では月のファッションとしてもてはやされている。
重力が弱いために、月にやってきた当初は、のぼせに悩まされた。顔が火照《ほて》って、頭がぼうっとする。
だが、取材を続けているうちにそれにも慣れた。月にやってきた当初、コニー・チャンはマスコミ関係者と接触しようとした。何人かのジャーナリストに会い、たちまち失望した。
彼らはジャーナリストというのは名ばかりだ。コニーはそう思った。アームストロング市では、二つの新聞が独占的な発行部数を誇っている。自治区の政治は安定しているので、人々は新聞に、思想性や政治性よりも娯楽性を求めるようになっていた。
テレビにいたっては、さらにひどい。どのチャンネルもバラエティー番組の垂れ流しだ。
その日もコニーは一人のジャーナリストと会っていた。週刊誌の記者で、少しは骨のある記者だという評判だった。
だが、会ってみると、功名心がやたらと鼻につく男だった。気骨と無茶をはき違えており、権力者に噛みつくのが正義だと思い込んでいるだけの男だ。独善的で思い込みが激しい。
綿密な取材をするタイプではなく、適当な取材でセンセーショナルな記事をでっち上げるタイプだった。
その上、その中年に差し掛かった男は好色だった。四十歳を過ぎて独身だということだが、それは仕事が忙しいからでも、ジャーナリズムに生活を捧げているからでもないことはすぐにわかった。
女遊びが忙しいに違いないとコニーは思った。コニーを見る眼が、獲物を見つけた痩《や》せ犬のようだった。
適当に話を聞いて別れようと思った。
だが、その男はホテルまで送ると言いだした。腹を立てたコニーは、そいつを残したまま、カフェを出てきてしまった。
ホテルに戻ると、コニーは部屋へは戻らず、一階ロビーの端にあるバーに向かった。気分を変えたかったのだ。どうしても一杯必要だった。
まだ夕刻だ。地下都市のアームストロング市には、人工の昼と夜がある。鏡とグラスファイバーを利用して、巨大な採光システムを作っている。強烈な太陽光を、地球の大気圏で和らげられた程度に安全なものにして取り入れるのだ。季節によって日の長さも違う。
バーに人はまばらだった。カウンターには、コニーの他に一人の客がいるだけだ。
「ビールをちょうだい」
バーテンダーは銘柄を尋ねた。何でもいいと言うと、アームストロング市のメーカーのビールが出てきた。アルコール度の低い水のようなビールだ。月では何もかもが希薄な感じがする。
コニーはビールを一気に飲み干すと、今度はウイスキーをストレートで頼んだ。ショットグラスのウイスキーを一口で飲み干す。それでようやく落ち着いてきた。
彼女は焦っていた。
オージェ・ナザーロフのインタビュー記事は金になった。編集長は、その代金として、そこそこの金を送ってくれ、取材の延長を認めてくれた。
だが、その時間ももうじき尽きる。何かもう一つ大きなネタがほしい。だが、月のジャーナリストやマスコミ関係者はどいつもこいつも腑抜《ふぬ》けばかりだ。恰好を付けることだけ一人前で、戦争の話などしたがらない。
月の住民にとってみれば、木星の戦争など遠い世界の出来事なのかもしれない。市民が戦争に参加するわけではない。
「いい飲みっぷりだな……」
カウンターにいる客が声をかけてきた。コニーは無視しようと思った。だが、その男の眼を見た瞬間に、考え直した。じっとコニーを見つめる鳶《とび》色の眼は思慮深く、力強い光を宿していた。
うっすらと無精ひげが浮いている。だが、彫りの深い顔はハンサムといえた。年齢は三十代半ばだろうか。だが、月の住人は年齢がわかりにくい。
「地球の人かい?」
「そうよ」
「ジャーナリストかな?」
コニーは警戒した。
「なぜそう思うの?」
「同類はにおいでわかる」
「あら、あなたもジャーナリストというわけ?」
「アームストロング・タイムズのオレグ・チェレンコだ。隣へ行っていいか?」
アームストロング・タイムズの記者にはすでに会っている。権威主義の石頭だった。だが、オレグ・チェレンコと名乗るこの記者には、期待できそうな雰囲気があった。
コニーはうなずいた。
「プラネット・トリビューンのコニー・チャンよ」
チェレンコが自分のグラスを持って近づいてきた。煙草《たばこ》のにおいがする。今時、煙草を吸うのは珍しい。
「ロシア系なの?」
コニーは尋ねた。
「先祖がね……」
「ロシア系にはひどい目にあったわ。空間エアフォースの連中よ」
「エンジンの故障を装って、ノブゴロドに侵入したんだろう? まんまとオージェのインタビューをものにしたんだから、いいじゃないか」
「あたしのことを知ってるの?」
「空間エアフォースと聞いて思い出した。あんたのインタビュー記事、インターネットで読んだよ。なかなかいい着眼点だった。運送会社の船でノブゴロドの基地に乗り込むというやり方も気に入った」
「どうして故障を装ったなんて思うの?」
「俺ならそうするからさ」
コニーは、チェレンコのことが気に入りはじめていた。少しは骨のあるジャーナリストのようだ。
「あなたの会社の人には、先日会ったわ。でも、ためになる話は聞けなかった」
チェレンコは笑った。
「何がおかしいの?」
「あんたは、何のために月にやってきたんだ?」
「木星と地球の戦争の話が聞きたいからよ」
「ならば、会う人間を間違えている。いいか? あんたが何かネタを握っていたとする。よそからのこのこやってきた商売|敵《がたき》に、ぺらぺらしゃべるか?」
「地球の新聞と月の新聞は商売敵なんかじゃない」
「それは地球人の思い上がりだ。たしかに発行部数の桁《けた》は違うかもしれない。だが、ウェブサイトなどへのニュースの発信では対等の立場だ」
言われてみればそのとおりかもしれない。あたしは思い上がっていたのだろうか。月の新聞など、地球の新聞に比べればマイナーだという意識がどこかにあった。権威主義はこちらのほうだったのかもしれない。
コニーは溜め息をついた。そして、ウイスキーをもう一杯頼んだ。
「面目《めんぼく》ないわね。あたし、焦っていたのよ。つてもないし、ジャーナリストにアタリをつけるしか手がなかったのよ」
「オージェと会った印象はどうだった?」
「いい男だったわよ」
「困った記者だな。それ以外に感じたことはないのか?」
「あなた、ライバルなんでしょう?」
チェレンコは、肩をすくめた。
「そうだったな。じゃあ、バーターということでどうだ?」
「バーター?」
「あんたが知りたいことを、もしかしたら、俺が知っているかもしれない」
コニーは、すばやくいろいろなことを心の中で天秤にかけた。
「オージェの印象ね。そうね。冷静沈着、筋金入りの軍人。滅多《めった》なことでは動じない……」
「なるほど……」
「だけど、嘘はへた」
「何だって?」
「彼は何か隠していたわ。海賊船を沈めた話ね、追及したけど、あらかじめ用意したような話しか聞けなかった」
「軍人の話はそんなものだろう」
「女の勘はばかにならないのよ。男の嘘には敏感なの」
チェレンコは、コニーの軽口には付き合わず、何かを考えていた。
「あんたの記事を読むと、空間エアフォースの戦闘機だけで、海賊船を沈めたことが納得できないという印象を受けた」
「何人もの軍事アナリストや専門家にインタビューしたわ。その結果、あたしが得た結論よ。そう。あたしは納得していない。そして、オージェのこたえにも納得していない。彼の説明は筋が通っていた。でも、納得のいくものではなかった。それがあたしの印象」
「オージェが海賊船を沈めたのは、輸送船の護衛任務のときだった」
「そう。輸送船アキレス」
「そいつが何を運んでいたか知っているか?」
「いいえ。あなたは知っているの?」
「正確には知らない。だが、推理はできる」
「推理?」
「そうだ。輸送船アキレスは月から火星圏に向かっていた。火星は今や、対木星の前線基地の様相を呈している。海軍の主力艦をはじめとする兵力が続々と集結している。月には、軍需産業最大手のカワシマ・アンド・ヒューズ社がある」
「それで?」
「カワシマ・アンド・ヒューズ社は、ほぼ独占的にヒュームスを開発してきた」
コニーはうなずいた。
「宇宙海兵隊に配備される最新鋭機の噂は聞いたことがある。でも、あくまで噂で、誰も記事にしたことはない」
「軍から厳しい圧力がかかっている。新兵器のことが記事になったりしたら、投入作戦はおおいに不利になるだろうからな」
「あたしもさすがに、地球連合軍の不利になる記事は書こうとは思わないわ」
「ジャーナリズムは、国益を超えると信じてたがね……」
「月は戦争をしていない。地球は戦争をしている。その違いよ」
チェレンコはかすかに笑った。コニーは腹が立った。
「アキレスは、その最新鋭機を運んでいたに違いない」
「最新鋭機を……?」
「そうだ。カワシマ・アンド・ヒューズ社から、火星の前線に届けるために。そこに、海賊が現れた。おそらく、敵はどこからかその情報を察知していたのだろう。『絶対人間主義』の信者は、地球や月、火星にもかなりいるからな。そういう連中がスパイとなる」
コニーは、チェレンコが何を言いたいのかようやく悟《さと》り、驚いた。
「海賊船を落としたのは、その最新鋭機だというの?」
「戦闘機だけでは無理だというのが、軍事アナリストや専門家の意見なのだろう? ならば、別の何かがやったんだ。簡単な推論だろう」
「最新鋭機って、ヒュームスなんでしょう?」
「そうだと思う」
「巡洋艦クラスの船を落とすヒュームスっていったいどんな化け物よ」
チェレンコは肩をすくめた。
「さあね。見当も付かない」
コニーは、ウイスキーを飲み干し、チェレンコの推理について考えていた。もう一杯、飲みたくなった。ウイスキーを注文しようとしたとき、チェレンコが言った。
「ジュピター・シンドロームって、聞いたことあるか?」
コニーは唐突に話題が変わって一瞬戸惑った。
「ええ、もちろん。木星圏の風土病でしょう。癌や白血病なんかが多発する」
「それだけじゃない。遺伝子が影響を受けるらしい」
「放射能と磁力線のせいなんでしょう」
「地球ではその程度の認識なのか?」
「それ以上、何があるというの?」
「遺伝子が影響を受けるということは、単に癌や血液の病気だけの問題じゃない」
コニーは眉をひそめた。
「何が言いたいの?」
「木星と地球の戦争の原因は、ジュピター・シンドロームかもしれない」
コニーは笑った。
「そんなはずない」
「なぜだ?」
「だって、ジュピタリアンたちが始めたのは独立戦争なのよ。ジュピター・シンドロームは、木星圏の劣悪な環境によって引き起こされたわけでしょう? 木星圏から脱出しようとして戦争をしているというのならわかるわよ。でも、独立戦争なのよ」
「物事はそれほど単純じゃない。独立することによって、核融合の燃料の採掘・精製・輸送、そのすべてを押さえることができる。そうなれば、地球連合軍との条件闘争に持ち込める」
コニーはかぶりを振った。
「条件闘争のために戦争? 失うものが大きすぎるわ」
「じゃあ、あんたは、この戦争はどうして起きたのだと思う?」
「『絶対人間主義』よ。ヒミカという教祖がいて、その教えが木星圏を席巻《せっけん》した。原理主義者たちが、戦争を起こしたのよ」
「それは、地球連合軍のプロパガンダだ。ジュピタリアンをテロリストと思わせるためのな」
「『絶対人間主義』は関係ないというの?」
「いや、そうじゃない。関係はある。だが、『絶対人間主義』もジュピター・シンドロームと密接に結びついている」
意外な話だった。
「どういうふうに?」
チェレンコは、ふと押し黙った。それから、コニーのほうを見て笑みを浮かべた。
「俺のネタだ。これ以上はな……」
「なるほど、自分で調べろというわけね」
「俺も確証があるわけじゃない。しかし、ジュピター・シンドロームはこの戦争の鍵を握っているような気がするんだ。地球では、それほど話題になっていないという話を聞いて余計にそう思うようになったよ。地球では、軍によって情報が操作されているようだ」
コニーは、気づいた。
これが、チェレンコの言うバーターなのだ。意外と大きなネタなのかもしれない。テーマが絞り込めれば、取材の道はおのずから開ける。
「おもしろそうね」
コニーは言った。「調べてみるわ」
「木星圏に行ったことはあるか?」
コニーは目を丸くした。
「ないわ。この世の果ての地獄でしょう?」
「俺は行ったことがある。科学省の探査船に便乗したんだ」
チェレンコの表情が暗く沈んだ。「カリストに寄港したんだが、それはひどいところだった。人々は、氷の海の中に街を作っている。放射能と磁力線にさらされた極寒の地。滞在《たいざい》するだけで絶望的な気分になってくる」
「かつては、流刑地《るけいち》だったんでしょう? 重罪人を重水素やヘリウム3の採掘作業に使ったのね」
「かつて、地球連合軍の木星方面隊というものがあったそうだ。国境警備隊のようなものだな。そこに配属される軍人は、何かへまをやったり、上官に逆らったりした連中だったそうだ」
「木星方面隊の話は聞いたことがある。戦争になる前に、維持できなくなって撤退したんでしょう」
「『絶対人間主義』に目覚めたのだという」
「どういうこと?」
「木星圏に配属になった軍人たちが、ヒミカの教えに帰依《きえ》してしまったんだ。寝返ったんだな。それが、木星方面隊撤退の真相だ。ジュピタリアン軍の中には、もと地球連合軍の兵士がかなりいるそうだ」
「地球ではそんな話は聞いたことがない」
「言ったろう。軍部は情報をコントロールしている」
「それにしても……」
「ヒミカの『絶対人間主義』は、木星圏の人々にとって唯一の救いだったんだ。そこに配属された軍人にとってもな」
コニーは、血が熱くなってくるのを感じていた。酒のせいばかりではない。ジュピター・シンドロームに『絶対人間主義』。これは、金脈に通じているかもしれないという予感を感じた。
「取り引きしない?」
チェレンコは、ほほえんだ。
「それは取材協力ということか」
「あたしは地球で連合政府や軍部に切り込んでみる。あなたは、月で宇宙の情報を得る」
チェレンコは、コニーをまじまじと見つめた。値踏みされているように感じた。コニーの提案を心の中で検討しているのだ。
やがて、チェレンコは言った。
「危険な仕事になるかもしれない」
「危険? そんな言葉はとうに忘れたわ」
チェレンコは肩をすくめた。
「俺がけしかけたわけじゃないぜ」
「わかってるわ」
チェレンコがうなずいた。
「俺のeメールアドレスだ。ただし、eメールは、軍部にチェックされていると考えたほうがいい。重要な情報の交換には、別な方法を考えよう」
「わかった」
コニーもeメールアドレスを教えた。そのとき、ふとコニーは気になった。
「あなた、あたしのこと、あらかじめ知っていて、ここで網《あみ》を張っていたんじゃない?」
「そうかもしれない」
チェレンコが言った。「だが、それが問題か?」
コニーはかぶりを振った。
「どうってことないわ」
コニーは、さっそく地球までのシャトルを予約した。電話した翌日のチケットが取れた。このところの便の乱れを考えれば、まったく運がいい。ツキが回ってきたのかもしれないとコニーは思った。
荷物をまとめ、ホテルを出ようとしていると、ニュースで、戦況に動きがあることを告げていた。
ジュピタリアンたちが、小惑星帯《アストロイド・ベルト》に集結しているらしい。いくつかの小惑星はすでにジュピタリアンたちの前線基地となっているようだ。
現在、強襲母艦のダイセツが小惑星帯を通過する軌道にいるが、すでに火星圏に帰還する途中にあるとのことだ。
宇宙の戦争というのは、どうにも融通が利かないものだとコニーは思った。すべては軌道に左右される。宇宙旅行というのは、いまだに軌道計算の世界だ。巨大戦艦といえども、その呪縛を逃れることはできない。
火星圏には、さらに地球連合軍の勢力が集結しているという。火星圏を奪われたら、地球連合軍は圧倒的に不利になる。なんとしても、火星圏だけは死守しなければならないと、連合軍は考えているようだ。
木星から火星までの距離に比べ、火星から地球までの距離はずいぶんと近い。火星圏というのは、地球の喉元と言ってもいい。
戦況は緊張の度合いを高めている。それを肌で感じながら、コニーはホテルを出た。タクシーで空港までやってきて、搭乗手続きをしていると、ロビーで騒ぎが起きた。
ハイジャック防止用の検査ゲートのあたりだ。一人の男が警備員数名に取り押さえられている。男は暴れながら、叫んでいた。
「『絶対人間主義』を信奉せよ。ヒミカ様の教えに耳を傾けろ」
ジュピタリアンではなさそうだ。月自治区市民か、地球人だ。
きな臭くなってきたじゃない……。
コニーは、そう心の中でつぶやきながら、別のゲートに向かった。
月公転軌道上ラグランジュ点、L5
第一群島内コロニー ノブゴロド
「火星圏へ移動?」
オージェは、チトフ大佐に呼ばれ命令を受けた。だが、それは、今までとはまったく違った内容だった。
「そう」
オデット・チトフ大佐は無表情のままうなずいた。「強襲母艦のアトランティスに乗っていただきます」
「それはつまり……」
オージェも表情は変えない。「空間エアフォースの要撃部隊に、海軍の艦載機の真似をしろということですか?」
「母艦への発着には自信がありませんか?」
「そういうことではありません」
「母艦を宇宙ステーションだと思えばいいのです」
オージェが問題にしたいのは、指揮系統だ。強襲母艦に乗り込むということは、その艦の命令に従うということだ。
だが、ここで子供のようにだだをこねるわけにはいかない。敵は、すでに小惑星帯に勢力を集めつつある。
小惑星のいくつかが前線基地になっているらしいという情報が、海軍から入ってきていた。小惑星帯を通る軌道に強襲母艦ダイセツがいる。ダイセツが幾度か放った偵察ポッドから得た情報だ。
敵は、現在位置と火星が最も近づく時期を計算して、発進するだろう。地球連合軍の強襲母艦クラスの大型戦艦が二隻、巡洋艦クラスが四隻、それぞれには、戦闘機やトリフネと呼ばれる可変戦闘機が搭載されている。
ジュピタリアンたちは、二隻の巨大戦艦を、カガミブネと呼んでいるらしい。惑星間航行を前提としているので、細いドーナツ形の船体を回転させて人工重力を作りながら航行するようだ。非戦闘時には、そのドーナツの穴の部分に太陽電池や、太陽光セールを張り巡らせる。それが、太陽光を反射して鏡のように輝くのだそうだ。宇宙ステーションがそのまま航行するようなものだ。
オージェは、火星圏の重要性を充分に理解していた。
「了解しました」
そう言うしかなかった。
「海軍の輸送機がやってきます。それにズヴェズダとともに乗り込み、火星圏へ向かってもらいます。出発は、明後日の〇六〇〇時」
「明後日の〇六〇〇時に火星へ向かいます」
オージェは復唱した。
「よろしい。以上です」
「失礼します」
オージェは、敬礼をして退出しようとした。そのとき、チトフ大佐が呼び止めた。
振り返ったオージェにチトフはほほえんで言った。
「アトランティスには新型のヒュームスがいます」
オージェはうなずいた。
「近々、再会するだろうと思っていました」
「新型に遅れを取らぬように。海軍の連中に空間エアフォースの実力を見せつけてやってください」
「了解です」
オージェはチトフ大佐の執務室を出た。
兵士を乗せるのがうまい。オージェは思った。
それにしても、あの新型のドライバーが言ったことが、思ったより早く実現しそうだ。これからは、海軍と空軍が同じ作戦で協力し合うことになる。彼女はそう言った。
興味深いドライバーだ。リーナ・ショーン・ミズキといったか……。声から判断すると若そうだった。にもかかわらず、戦局を広範囲に俯瞰《ふかん》しているような言い方だった。
アトランティスでは、あの新型と再会し、ドライバーと初めて会うことになるだろう。それが、少しばかり楽しみでもあった。
火星衛星軌道上・強襲母艦アトランティス
リトル・ジョーは通常の任務に戻ったが、隊員内に感情的な問題が尾を引いている。カーターはそう感じていた。あれから何度か訓練を重ねた。リーナの実力は問題なかった。
荒くれ男でなくても、ヒュームスを立派に乗りこなせるという証明だ。だが、それが海兵隊員には面白くない。プライドを傷つけられたような気がするのだ。
カーターもそれを感じている。隊員たちの気持ちがよくわかる。リーナは、ただ操縦がうまいというだけではない。おそろしく勘がいい。度胸もある。サイバーテレパスであることが、操縦の腕に関係しているかどうかは、カーターにはわからない。だが、たいしたものであることは認めなければならない。
もし、リーナが男なら隊員たちは、歓迎しただろう。
さかんに、新型についての話を聞きたがったかもしれない。ベテランパイロットはもっともらしく、欠点を指摘してやったかもしれない。
海兵隊員たちは、互いに命を預け合う。隊員たちは、どうしてもリーナに命を預ける気になれないのだろう。カーター自身もそうなのだ。
どうしたものかとカーターは悩んだ。
敵の鳥野郎の管制システムを解明するのがリーナの役割だと上の連中が言った。ならば、情報部でやればいい。何も海兵隊にやってくることはないのだ。
よほど、エリオット作戦司令に相談しようかと思った。だが、何と言えばいいのだ。私の手には負えません。リーナを小隊から外してください。そう訴えるのか。
泣き言は言いたくない。だが、このままでは精神が蝕《むしば》まれていくような気がしていた。最近よく眠れない。
艦内には、緊張感が漂っている。戦闘が近いことが実感される。現在アトランティスは、火星の静止衛星軌道上を周回している。高度約一万七千キロだ。火星を挟んでちょうど反対側にはニューヨークがいる。
小惑星の偵察任務から帰ってくるダイセツは、火星の引力でスイングバイ減速をかけてそのまま月の周回軌道に向かうことになっていた。普通ならベース・バースームで要員の交替をするところだ。だが、敵の動きが活発になり、それすらも許されない状況なのだ。
敵は、火星の衛星軌道上に入ってくる。その瞬間を叩けば、勝機はある。周回軌道に乗るためには、減速・加速のデリケートな作業が必要だ。少しでもタイミングがずれれば、軌道に乗ることはできない。
そして、その瞬間は近いのだ。
以前なら、カーターはその緊張感をむしろ楽しんでいただろう。だが、宇宙《うみ》に出ることが恐ろしく、なおかつ、リーナの問題があり、カーターの神経は参っていたのだ。
ミサイルの件はあれ以来進展がない。誰がミサイルを装着したか、いまだにわかっていない。
カーターは、リトル・ジョーを疑いたくはなかった。冷静に考えてみれば、訓練中にミサイルなど発射しても、リトル・ジョーには何の得もない。
リーナを気に入らないというだけで、最新鋭機を宇宙《うみ》の底に沈めてしまうほど、リトル・ジョーはばかではない。突撃艇のパイロットであるリトル・ジョーは、小隊の皆から信頼されている。ばかは信頼などされない。
ではいったい……。
もしかしたら、リーナが装着を誰かに命じたのかもしれない。彼女は、技術士官を一人連れてきていた。その男なら技術的に可能だろう。
そして、ミサイルの件で得をした者といえば、やはりリーナなのだ。あの一件で、たしかに彼女の腕とギガースの機能はおおいにアピールできた。
小隊の隊員たちは、リーナの操縦に驚きながら、それを認めようとしない。ギガースの性能のおかげだと思いたがっている。だが、それは違うとカーターは思った。
リーナはたしかに、たいしたものだ。
そして、彼女が鳥野郎どもの管制システムを解明することは、地球連合軍にとって必要なことなのだ。
俺が骨を折るしかあるまい。隊員たちとリーナの間に立って、なんとかうまく折り合いを付けさせるしかない。カーターは、思わず溜め息をついていた。
ある日、カーターは、艦内の慌《あわ》ただしさで目を覚ました。メインエンジンの唸《うな》りがかすかに響いてくる。
何事かと思っていると、カーターは艦橋に呼ばれた。
艦橋内は、緊張感がみなぎっていた。航海士たちは、コンピュータでしきりと何かを計算している。クリーゲル艦長とエリオット作戦司令は、何事か真剣に話し合っていた。艦載機の小隊長たちも呼ばれている。
エリオット作戦司令がカーターら小隊長たちを見ると即座に言った。
「ダイセツが攻撃を受けている」
小隊長たちは、互いに顔を見合った。それから、エリオット作戦司令を見つめ、次の説明を待った。
「ダイセツは小惑星帯を通過する楕円《だえん》軌道上を離脱し、帰路についている。その同じ軌道上を敵の大型艦が追っており、砲撃を受けている。ニューヨーク級を二隻も失うわけにはいかない。本艦は、救援に向かう」
救援……。
カーターは、戸惑った。いったいどうやって……。
エリオットはその疑問にこたえた。
「現在、航海士が軌道計算をしている。ダイセツの帰路と交差する楕円軌道に入る。敵の戦艦と接触するのは、ほんの一瞬だ。その一瞬に勝負を決める。敵はトリフネを展開している。一機でも多くトリフネを落とせ」
「アイ・サー」
小隊長たちはこたえた。カーターも声をそろえていた。
「計算結果出ました。メインモニターに出します」
航海士がクリーゲル艦長に告げた。艦長はモニターに眼をやる。カーターたちもそちらを見た。
火星、現在アトランティスがいる周回軌道、ダイセツがいる帰還軌道、そして、ダイセツから少し遅れて同じ軌道上にいる敵の巨大戦艦の位置。まずそれらが映し出される。
ややあって、これからアトランティスが乗る楕円軌道が映し出された。
「ベース・バースームからの補給艦はいつ来る?」
艦長が尋ねる。誰かがこたえた。
「ランデブーまで三日かかります」
「待ってられんな」
艦長はつぶやくように言う。「推進剤は、どうか?」
「ぎりぎりですね」
別の誰かがこたえる。カーターは、それを上の空で聞いていた。どうして闘志が湧《わ》いてこないんだ?
どうして血が熱くならないんだ?
この感情はなんだ。この冷たくへばりつくような感情は……。
それが、恐怖であることに唐突に気づいて、カーターはうろたえた。
俺は恐れているのか。戦いを恐れているというのか。
「すぐに軌道に乗る作業にかかると、敵との接触はいつになる?」
クリーゲル艦長の問いに航海士が即座にこたえる。
「二十八日と十二時間三十五分後です」
艦長は、ほんのわずかしか迷っていなかった。
「すぐに作業にかかれ。通信士、司令部を呼び出せ」
「アイ・サー」
通信士がこたえる。
クリーゲル艦長は再びつぶやくように言った。
「一ヵ月近くもダイセツはたった一隻で戦い続けなければならない。見殺しにはできん」
エリオットが航海士からデータのディスクを受け取った。エリオットは言った。
「本艦の軌道データだ。これからコピーを配るから、各艦載機、ヒュームスの軌道離脱制御システムに登録しておけ。出撃までに、繰り返しチェックしておくのを忘れるな。ねぐらに帰れなくなるぞ」
ねぐらに帰れなくなる。
その言葉が、カーターに重くのしかかった。
オージェは、輸送船に積み込まれたズヴェズダのチェックをしているときに、ブリッジに来るように言われた。
輸送船の船長は、オージェに告げた。
「アトランティスが本船とのランデブーを中止し、火星周回軌道を離脱した」
「どういうことです?」
「小惑星帯の偵察任務についていたダイセツが戦闘状態に入った。その救援に向かった」
オージェは驚いた。惑星や月の周回軌道上での戦いには慣れている。だが、外洋での戦いというのは、聞いたことがない。
「どうやって救援するのです? 同一の軌道を行っても追いつけっこない」
「アトランティスは、ダイセツの軌道と交差する楕円軌道を選択した。厳密な計算で、ほんの一瞬だけ敵とすれ違う。その瞬間に敵を叩く。敵の戦力を分散して、ダイセツを逃がすというわけだ。うまくすれば、敵艦を沈められる」
すれ違いざまの戦闘。
有効射程距離に入った瞬間から砲撃を始め、射程が届く限り続ける。そういう戦法か。
「我々エアフォースの戦闘機はどこに運ばれるのですか?」
「予定を変更して、ベース・バースームに入港する」
「火星の衛星軌道上のコロニー基地ですね」
「そこで、アトランティスの帰りを待つ。おそらく、ダイセツを追っているのは、敵の第一波だ。火星の周回軌道に乗ることを狙っているはずだ。そして、それに続いてすぐに第二波が来る。じきに火星圏は戦争になるぞ」
オージェは落ち着いてこたえた。
「私たちはそのために呼ばれたのでしょう?」
「ああ、そうだ。新たな指示は、ベース・バースームで受けてくれ」
「了解です」
オージェは食堂にメンバーを集めて説明をした。
ベテランパイロットのアレキサンドル中尉はこの旅の間ずっと不機嫌だった。鼻の下の髭《ひげ》をしきりに触っている。彼が苛立っているときのサインだ。
「空軍たるものが、海軍の船に乗せられて戦いに出るのか?」
アレキサンドル中尉が言った。
「そう言うな」
オージェはなだめた。「宇宙は広い。ズヴェズダの足では、月から火星圏へ行くのはとうてい無理だ」
「火星の軌道上にも空軍の基地はある」
「だから、私たちが呼ばれたんだ。火星上空の基地が手薄にならないようにな」
生真面目《きまじめ》なワシリイ中尉が尋ねた。
「敵は火星の周回軌道に乗るつもりだと言いましたね?」
「ああ。そう聞いている」
「戦力は?」
「今のところ、ジュピタリアンがカガミブネと呼んでいる巨大戦艦が一隻だ。だが、こいつは、宇宙ステーションのようなものだ。どれだけの兵力を積んでいるか、予想はつかんな」
「第二波がすぐ来るだろうと言っていましたね?」
「当然来るだろうな」
「やはり、カガミブネが来るのでしょうか?」
「そうだろう」
ワシリイ中尉は思慮深い顔つきで言った。
「現在確認されているカガミブネは二隻だけです。その二隻を火星に投入するということは、自陣が手薄になるということですね」
「木星側の勢力はまだまだ未知数だ。確認されていないカガミブネをまだ保有しているかもしれない。だが……」
オージェは、すでにワシリイの指摘に気づいていた。「そう。もし、すべてのカガミブネを投入してくるのだとしたら、こいつはちょっと手強いな。捨て身の攻撃だ」
「ふん」
アレキサンドル中尉が鼻で笑った。「それくらいのことは、先刻承知ですよ、大尉。なにせ、俺たちを船に乗せようっていうんだから、連合軍司令部も尻に火がついているのだろう」
オージェは笑った。
「よほど船が嫌いらしいな」
アレキサンドルは顔をしかめた。
「うちの家系は代々、ひどい船酔いをするんですよ」
火星―小惑星帯間・楕円軌道上
強襲母艦アトランティス
第一小隊の連中は、すでに軌道データをおのおののヒュームスにインプットしていた。カーターは、クロノスのコクピットで、軌道離脱制御システムを立ち上げ、念入りにチェックをしていた。
こいつがうまく働いてくれないと、俺は宇宙《うみ》の藻屑となる。
嫌な汗がまた滲み出てくる。コクピットにいると落ち着かない。カーターは、軌道離脱制御システムを終了し、クロノスのコンピュータをシャットダウンした。
静かなクロノスのコクピットで溜め息をついた。モニターを活かしてあるので、外の様子がわかる。ふと、カーターは、ギガースのコクピットからリーナが出てくるのを眼に留めた。
カーターは、しばし迷った末に、コクピットを出た。リーナが気づいて振り向いた。
「カーター小隊長」
リーナは敬礼した。
「そういう堅苦しいのはいい。海兵隊員同士のときはな……」
「はい」
「ちょっと話せるか?」
「いいですよ」
カーターは、コクピットを出ると、ふわふわと宙を漂い、付いてこいと片手で合図した。リーナもギガースの機体を軽く蹴り、カーターと同じ方向に飛んできた。
その様子を、他のドライバーやメカニックたちが見ている。カーターはその視線を意識していた。
重力ブロックにやってくると、カーターはリクレーション室にリーナを連れて行った。部屋には誰もいない。丸いテーブルを囲んで椅子が置かれている。椅子もテーブルも床に固定されていた。船の伝統だ。カーターはその一つに座った。
「まあ座れ」
リーナはカーターの向かい側に座った。カーターは、どう切り出したものか考えていた。咳払いをしてから、カーターは言った。
「海兵隊の男どもはマッチョだ。あんたの眼から見ると、ばかばかしい意地を張っているように見えるだろうな」
「当然、予想していたことです。あたしは、人間の相手は苦手です。コンピュータを相手にしているほうが気が楽」
「サイバーテレパスなんだって?」
リーナは肩をすくめて見せた。それがいかにもつまらないことだと言いたげだった。カーターはそれ以上その話題に触れるつもりはなかった。サイバーテレパスが実在しようがしまいが関係ない。問題は、小隊の足並みがそろわないことだ。
「あと、二十五日ほどで戦闘だ。海兵隊員は、最前線に出て戦う。きつい戦いだ。それだけは肝に銘じておいてくれ」
「あたしは問題ありません」
「俺の仲間たちは、意地っ張りぞろいだが、ばかじゃない。いずれ、あんたを仲間として受け容れる。それまで、しばらく我慢してくれ」
「あたしは問題ないと言ってるんです。それより、小隊長のことが心配です」
カーターは、思わずリーナを見た。うろたえたがつとめてそれを表情に出すまいとしていた。
「どういうことだ?」
「何かを怖がっておいでのようです」
「俺が何を怖がっているというのだ?」
リーナはまた、肩をすくめた。
「ムーサが怯《おび》えに反応しています」
ムーサというのは、クロノスに搭載されているコンピュータのOSだ。ギガースにもムーサのバージョンアップ版が搭載されているという。
「コンピュータは人間の感情に反応したりはしない」
「それが常識ですよね。コンピュータは所詮《しょせん》機械でしかない。通常人はそう考えています。しかし、あたしにはわかるんです。小隊長の機のスペックは今、通常時の八十五パーセントしか発揮されていないはずです。判断を迷われるからだと思います。決断するまでにかつてより時間がかかる。行動パターンも控えめになっている。それをコンピュータが検出して、過去のデータと比べ合わせている。常にそういう演算作業を行うので、ムーサも機能を充分に発揮できずにいる。あたしが言ったのはそういう意味です」
こいつは、俺の恐怖症に気づいた。
だが、それは直接俺の心を読んだわけではなく、クロノスのコンピュータから読みとったと言っているのだ。
やはり、サイバーテレパスなのだ。サイバーテレパスは実在したのだ。
「俺のことなど、心配いらない」
「一瞬の判断ミスが命取りになる。戦いというのはそういうものでしょう」
カーターは追いつめられ、癇癪《かんしゃく》を起こしそうになった。
「俺にどうしろというのだ? クロノスを降りろというのか? 海兵隊をやめろというのか?」
リーナはにっこりと笑った。まるで猫の眼のようにくるくると表情が変わる。カーターはそう思い、戸惑っていた。
「ムーサに任せればいいのよ」
「ムーサに任せる?」
「これまではそうしていたはずでしょう? ムーサとクロノスを信頼して、宇宙《うみ》を泳いでいた。でも、今はムーサもクロノスも信頼していない。信頼されないムーサは戸惑っています」
指摘されて初めて気づいた。
たしかに、カーターは、クロノスとムーサを信頼していなかった。もし、軌道離脱制御システムに不備があったらどうしよう。いざというときに、クロノスのスラスターが故障したらどうしよう。そんなことばかり考えて自分を追い込んでいたのだ。
だが、気づいたとしても、そこから抜け出すのは簡単なことじゃない。
「みんな、あんたの操縦の腕に驚いている。それを認めちまうのが悔《くや》しいんだ。俺だってそうだ」
「あたしは、ムーサを信頼しきっている。だから、自由に振る舞える。それだけです」
「俺もかつては、宇宙《うみ》で不自由を感じなかった。ダイブするのが楽しかった。だが……。たしかに、あんたの言うとおりだ。俺は、宇宙《うみ》に出るのが恐ろしい」
「何が原因なんです?」
リーナが尋ねた。
「あんたには関係ない」
「小隊の仲間は互いに命を預け合うんじゃなかったんですか? 今の小隊長に、あたしの命を預けられると思います?」
「くそっ」
カーターは言った。「あんた、カウンセリングをやろうってのか。これじゃ、立場が逆だ」
「お互いの信頼関係」
リーナが言った。「それが大切なんでしょう?」
カーターは、かぶりを振った。このお嬢さんにかなわないのは、操縦の腕だけではなさそうだ。
「カリスト沖海戦だ」
ついにカーターは言った。「ザオウが沈められた。そして、仲間のサムは俺を助けようとして沈んだ。その光景が忘れられない」
「あたしも、かなり重症の閉所恐怖症だった」
「何だって? それなのに、ギガースのコクピットにいて平気なのか?」
「研究所でモルモットにされたのが原因だった。何日も狭い部屋に閉じこめられた」
「情報部のやりそうなことだ」
「ギガースに乗り込んだときは、逆に解放感を感じたわ。ギガースで自由自在に飛び回れる」
「だが、あの機動力は危険だ。軌道を飛び出しちまいかねない」
「だいじょうぶ。ムーサが守ってくれる」
「信じがたいことだが……」
カーターは言った。「サイバーテレパスってのは、コンピュータなんかと心を通じ合わせることができるんだってな」
「テレパシーというより、テレキネシスに近いと専門家は言っている。つまり感応するんじゃなくて、把握《はあく》するんだって。あたしにとってはどっちだって関係ないけど。なんとなくわかるのよ。システムがやりたがっていることが……」
「俺は普通の人間だ」
「違うわ」
「違う?」
「そう。軍人よ。それも海兵隊員じゃない。普通の人間じゃないわ」
カーターは、その一言で忘れていた誇りを取り戻しかけた。
「閉所恐怖症は克服したのか?」
「ええ」
「どうやって?」
「恐怖より楽しいことを見つけたの」
「何だそれは?」
「ギガースの操縦」
「今の俺は楽しみなど見つけられそうもない」
「じゃあ、こういうのはどう?」
「何だ?」
「サムの仇《かたき》を討つのよ。トリフネを憎むの。一機でも多くのトリフネを落とす」
カーターは、リーナの緑色の眼を見つめた。
「ああ」
彼は言った。「それなら、何とかなりそうだ」
「そして、あたしを一人前にする」
「そいつも悪くない」
「頼りにしてますよ、小隊長」
「わかった」
カーターは言った。「ムーサをもっと信じればいいんだな?」
リーナはまた、子供のような笑顔を見せた。
「ムーサもよろこぶわ」
カーターはうなずいた。
「戦いでは、俺のそばを離れるな。そうすれば、生きて帰ってこられる」
「わかりました」
カーターはかすかにだが、闘志が湧いてくるのを感じていた。
敵との接触までのカウントダウンが開始された。二時間前。
カーターたちは、ヒュームスのチェックを行っていた。
心臓が高鳴る。まだ不安感はぬぐい去れない。嫌な汗が脇の下や掌を濡らしている。冷たいタオルを首筋に押し当てられているような感じだ。
だが、その不安感と戦おうという気持ちがあった。
サムの仇を討ってやる。トリフネ野郎と落としてやる。
カーターは自分自身の闘志を駆り立てた。ムーサを信じろというリーナの言葉は、なかなか受け容れがたい。ならば、サムの魂を信じよう。カーターは思った。サムの英霊が俺を守ってくれる。
そちらのほうがカーターにはしっくりくる。
やがて、敵接触まで、一時間を切った。
低い唸りがかすかに響いてくる。
主砲の砲撃が始まったのだ。すでに、ダイセツは、アトランティスの前を通り過ぎているだろう。無事ならの話だが……。
カーターの小隊は、ヒュームスに乗り込んだ。自分自身の心臓の音が聞こえてくる。呼吸が荒くなる。汗が滲む。
カーターは、何度も深呼吸をした。
サムの敵討《かたきうち》だ。
「トリフネを視認」
ヘッドセットからエリオット作戦司令の声が聞こえる。「敵のECM圏内に入った。こちらもECMを開始する」
「野郎ども、聞いたか?」
カーターは言った。「外では無線は使えねえぞ」
「先刻承知だ」
レッド・リーダーのカズの声が聞こえてきた。
「戦闘中にお喋りする趣味はねえよ」
イエロー・リーダーのロンだ。
カーターは言った。
「超短期決戦だ。ダイブしたらすぐに撃ちまくれ。母艦との相対速度に気をつけろ。遅れたら、拾ってもらえねえぞ」
「それも、先刻承知だ」
カズの声がする。
隊員たちは落ち着いている。カーターは何かしゃべっていないと不安だった。だが、それを隊員たちに気取られる恐れがあるので、口を閉じていることにした。
じりじりと時間が過ぎていく。艦全体に衝撃が走った。敵の砲撃を受けている。不安と恐怖が募る。
すでにモニターはオンになっているので、脇にいるギガースが見えた。つやつやとした白い機体。誇らしげな翼にたくましいメインスラスター。
再びエリオット作戦司令の声がヘッドセットから流れてきた。
「艦載機、出撃だ」
いよいよ、艦載機が出た。次はヒュームスの番だ。
また、震動が伝わる。
艦は持つのだろうな。出たとたんに、帰るところがなくなったんじゃしゃれにならない。カーターがそう思ったとき、エリオットが言った。
「海兵隊、出撃だ」
カーターは言った。
「行くぞ、野郎ども」
「女も一人いるのよ」
リーナの声が聞こえた。
「野郎どもとお嬢さんだ」
正面のライトが赤から緑に変わる。
カタパルトが、カーターのクロノスをゆっくり前方へ押しはじめる。正面のハッチは開放されており、宇宙《うみ》の深みがどんどん迫ってくる。Gを感じる。次の瞬間、クロノスはダイブしていた。
ふわりと宇宙《うみ》に浮かぶ。クロノスは、アトランティスと相対速度ゼロで軌道上を等速度運動している。アトランティスを基準に見ると、止まっているように感じられる。
カーターはすぐに周囲の状況確認をした。今彼はアトランティスの前方にいる。さらにその前方には艦載機が展開している。
左手にはホセのクロノスが、右手にはリーナのギガースがいる。後方には、すでに二機の突撃艇が出ていた。
はるか前方に光るものが見えた。カガミブネだ。火星の方向にはダイセツがいる。ダイセツは、高出力レーザー砲を発射している。
カガミブネはみるみる大きくなってくる。
その光の中にいくつかの点が見えた。敵の艦載機、トリフネだ。
やつらが、ザオウを落としたときのことを思い出した。ザオウに取り付き、爆弾を仕掛けたのだ。だが、今回それは無理だ。
高速ですれ違う船に取り付くのは不可能だ。軌道を離れたとたんにそいつは艦に戻れなくなる。
すれ違いざまの撃ち合い。互いにそれしか手はないのだ。
すでに無線は通じない。だが、すべてのメンバーは自分のやるべきことを完全に把握しているはずだ。アトランティスを背にして撃ちまくる。それだけだ。
艦載機が撃ち始めた。曳光弾の光が見える。トリフネを撃ち始める。
光の球が見えた。音のない爆発。
カーターはぞっとした。カリスト沖海戦を思い出す。あの光の球が恐怖の始まりだった。
カーターは激しく頭を振った。
「くそったれ。鳥野郎ども……」
カーターは、二十ミリ無反動砲を連射した。わずかに、クロノスの機体が後方へ流される。無反動砲と言ってもわずかな反動はある。その反作用で機体が流される。
カーターは落ち着いてスラスターを噴射し、体勢を保った。
テュールが展開して撃ち始めた。
カガミブネはどんどん近づいてくる。
こちらが静止していて、相手だけが動いているような錯覚に陥る。それは相手も同様だろう。
トリフネの形がはっきりと見えはじめた。カーターは頭に血が上るのを感じた。
こいつらが、サムを殺したんだ。
こいつらが、サムを……。
無意識のうちに、メインスラスターを噴かしていた。カーターのクロノスは軌道内を泳ぎ、前へ出ていた。
沈めてやるぞ、撃ち落としてやる。
照準を合わせトリガーを絞る。曳光弾がトリフネの一機を捉えた。エンジン部だ。ややあって、その部分から光が瞬く。次の瞬間、そいつは、火の球に包まれた。
「やった」
カーターは叫んだ。「やったぞ、見たか、サム」
カーターはさらに次の獲物を求めて、さらに前に出た。
トリフネたちが、一瞬にして変化した。マニピュレーターと脚を展開したのだ。すると、やつらの機動力が増したように見えた。
なかなかターゲットスコープに捉えることができない。
やつらは軌道上を自由に動き回りはじめた。その後方には巨大なカガミブネの輝きがあった。
トリフネの動きに幻惑される。
「くそっ」
カーターは、モニター上を激しく動き回るトリフネを何とかターゲットスコープ内に捉えようとした。
艦載機がその動きに付いていけず、次々と撃ち落とされていく。
「引け」
カーターは無線が通じていないのを承知で怒鳴っていた。「戦闘ポッドが敵《かな》う相手じゃない」
トリフネとカガミブネは急速に近づきつつある。
「艦載機を引かせろ!」
カーターは再び叫んだ。
だが、艦載機の戦闘ポッドは戦いをやめようとしない。彼らにも意地がある。
前へ出るしかない。カーターはさらにメインスラスターを噴かした。まだ、推進剤はたっぷりとある。
艦載機の脇をすり抜けて、前へ出た。トリフネが迫ってくる。
「食らえ」
カーターは二十ミリ無反動機関砲を連射する。マガジンが空になり、すぐに予備のマガジンに交換した。
そのとき、鋭い警戒音が鳴った。
「ロックオンされたか……」
カーターは、肩のスラスターを噴かして、離脱しようと試みた。だが、警戒音は止まない。
「くそっ」
カーターは操縦レバーを操作しながらうめいた。「どいつだ? 撃ち落としてやる」
カーターは、敵の狙いを外そうと、左右のスラスターを噴かした。だが、逃れることができない。
そのとき、モニターを白い影が横切った。次の瞬間、はるか遠くで、光の球がふくれあがる。
トリフネが撃破されたのだ。警戒音が止んだ。
カーターは、はっきりと見た。ギガースはたった一発でトリフネを沈めた。
「何だ、あの銃は……」
ギガースがまた視界から消えた。すると、リーナの声がヘッドセットから聞こえてきた。
「前に出過ぎじゃない? 小隊長」
リーナは後ろに回ってカーターのクロノスに触れたのだ。機体に触れることによって通信が可能になる。
「付いてきたのか?」
「戦場では離れるな。小隊長がそう言ったのよ」
「その銃は使えるな」
「ビームライフルよ。海賊船をやっつけたのもこれ」
「そいつを、カガミブネ目がけてぶっぱなせ。トリフネは俺が何とかする」
「了解」
ギガースはさっと離れていった。一瞬にして、クロノスの右手から左手に移動していた。いつ見ても、こいつの機動性には舌を巻く……。
コンピュータのムーサが、アトランティスとカガミブネの最接近までのカウントダウンを始めた。
あと一分足らずだ。
艦載機もトリフネも、ヒュームスも一緒くたになって、すれ違うカガミブネとアトランティスの間に入ろうとしている。
トリフネのやつらは、自由に動き回っているようで、きわめて統率が取れているように見える。この激しい電子戦の中で、何か連絡を取り合う方法があるのだろうか。
カーターは被弾した。
クロノスの装甲にわずかな被害があった。ムーサは、まだ安全圏内であることを告げている。
「やりやがったな……」
再び頭に血が上る。
最接近まであと三十秒。
トリフネとほとんどドッグファイトの状態になった。艦載機が落とされる。
カーターは、機関砲を連射した。トリフネの装甲は頑丈そうだが、至近距離なら、弱点への命中も期待できる。
曳光弾が飛び交い、味方が被弾する。
カーターのすぐ近くをトリフネが通り過ぎる。カーターは、叫び声を上げながら、機関砲をぶっ放す。
あちらこちらで、炎の球が見える。直接の爆発音は聞こえないが、衝撃波がクロノスの機体にぶつかり、音に変換される。
飛び散った破片、あるいは、無数に飛び交う薬莢《やっきょう》がクロノスの機体に当たり、絶えず音が響く。
嵐に巻き込まれたようなものだ。カーターは無我夢中だった。
「ミサイルだ」
カーターは突撃艇に向けて怒鳴っていた。「ミサイルをぶっ放せ」
その声が届くはずはない。カーターはクロノスの右手を振り、今はのしかかるように巨大に見えるカガミブネに向かってその腕を差し出した。
「リーナ機は、例の銃をぶっ放せ」
カーターの身振りは、役に立った。
突撃艇が次々とミサイルを発射しはじめた。
リーナ機も、ビームライフルを構えている。一発撃つのが見えた。光の束がカガミブネの巨大な輪の中心部に伸びていく。その先で光の球が膨らむ。
「ひょう。すげえな……」
カーターは、それを視界の隅に捉えていた。
次の瞬間、体中におののきが走った。
モニター一杯にトリフネの姿が映っている。それはすぐ目の前に迫りつつあった。
カーターは、わけのわからない叫び声を上げ、レバーをぐいと引いた。両肩のスラスターが上向きにガスを発射した。
カーターは強力なGを感じた。パノラマのように目の前をトリフネや仲間の機体が通り過ぎていく。
トリフネとの激突は避けられた。
だが、今の加速が危険なものであることを悟った。
機内に警戒音が鳴り響き、軌道離脱制御システムが作動しはじめた。その瞬間、手動操作ができなくなる。ムーサが、軌道へ戻って姿勢を制御することを最優先にするのだ。
それでも警戒音は鳴りやまない。クロノスは、コントロールを失っていた。スラスターを噴かしても機体の流れは止まらない。
また恐怖感が襲ってきた。
頭がしびれる。
こんなところでパニックを起こしてたまるか。クロノスは軌道離脱制御プログラムの最中だ。すべての操縦系統が軌道離脱を回避するために使用される。だが、武器系統はまだ生きている。
今、狙い撃ちされたら終わりだ。
カーターは、索敵に神経を集中しようとした。だが、恐怖はぬぐい去れない。
回転しながら、宇宙《うみ》の深淵に沈んでいったサムのクロノスが脳裏に浮かぶ。
軌道離脱の危機を告げる警戒音はまだ止まない。推進剤を示すゲージがどんどんと減っていく。
目の前をカガミブネが通り過ぎていった。そして背後を、反対方向にアトランティスが通過していく。
カガミブネの船体に炎の球が幾つも見られた。激しい撃ち合いは続いている。
カーター機もさらに被弾していた。だが、今のところまだ装甲は保《も》っている。
まばゆい赤い光が見えた。
アトランティスが発光信号を上げたのだ。帰還命令だ。見ると、トリフネもカガミブネに引き上げていく。
艦載機がアトランティスに引揚げ、二隻の突撃艇も帰路についた。アトランティスがミサイルを発射した。ミサイルはカガミブネを追っていく。
いきなり、無線が回復した。双方の電子戦が止んだのだ。
「小隊長」
ホセの声が耳に飛び込んできた。「帰還命令です。聞こえてますか?」
「わかってる」
カーターは、叫び出したいのを必死にこらえ、震える声で言った。「今、軌道離脱制御プログラムの最中だ。動けねえ」
「待っててください。助けに行きます」
「ばかやろう。艦に戻れなくなるぞ」
「しかし……」
「俺のことはいい。艦に戻れ。命令だ」
「あたしが行く」
リーナの声が割り込んだ。
「リーナ、無茶はよせ」
カーターは悟っていた。軌道離脱を防ぐために、クロノスのムーサは推進剤で加速を続けた。その間にも、カーター機はどんどんアトランティスから遠ざかっているのだ。
「出しゃばりが……。すっこんでろ」
ホセが言った。
カーターは、寂寥《せきりょう》感が背中を這い昇ってくるのを感じていた。
俺は、アトランティスに置いて行かれるのだ。もう、誰も俺のマシンを捕まえることはできない。
俺は、このまま宇宙《うみ》の深みに沈んでいくんだ。
カーターは、携帯している自殺用の毒薬を強く意識した。心臓が高鳴る。息が苦しい。
聞いた話によると、この薬を飲めば楽に死ねるという。早くこの苦しみを終わらせようか……。
ようやく、警戒音が止んだ。カーターの機は姿勢を回復して、まだアトランティスと同じ軌道上にいた。しかし、アトランティスとの距離は大きく開いていた。
メインスラスターを噴射した。なんとかアトランティスに追いすがろうと必死だった。推進剤がどんどん減っていく。
やがて、推進剤切れの警告ランプが灯った。
「今度はガス欠か……」
まだアトランティスとの距離は大きい。
最後の推進剤を加速に使った。
やがて、推進剤が切れたが、まだアトランティスにはたどりつけそうになかった。
あと二十分もすれば、生命維持装置が切れる。
いよいよ、終わりか……。
俺は死ぬのか……。本格的なパニックが忍び寄る。
カーターは、ドライバー・スーツの肩のポケットにある毒薬のカプセルに手を伸ばした。
早くこの苦しみを終わらせたい。この恐怖を終わらせたい……。
いくら息を吸っても苦しさが癒えない。
アトランティスはまだはるかに遠い。
「みんな、待ってますよ」
そのとき、リーナの声が聞こえた。まるで、ピクニックの最中のような口調だ。
カーターは、はっとディスプレイを見た。猛烈なスピードでギガースが近づきつつあった。
「ばかな……」
カーターは言った。「俺と心中するつもりか」
「心中? 小隊長と? 冗談じゃない」
ギガースが、モニターディスプレイの中をさっと横切った。相変わらず、ものすごい機動性だ。どうやら、背後に回ったようだ。
「何をしようって言うんだ?」
「クロノスを押して行くのよ」
「ばかな。質量が大きすぎる。二機分の質量を加速なんぞできんぞ。ギガースだって、もう推進剤が持たんはずだ」
機体に衝撃が伝わってきた。ギガースがカーターのクロノスをがっしりと捉えたようだ。
リーナが言った。
「やってみなければわからない。最新型は伊達《だて》じゃない」
「推進剤があるうちにアトランティスに戻れ」
「待って、そっちのムーサとコンタクトしてるんだから……」
「な……、ムーサとコンタクト……」
何のことかわからなかった。
ギガースがメインスラスターを噴射するのが感触でわかった。ぐいっと押し出される頼もしいGを感じる。
「これ、使える……」
リーナが言った。
「何だ?」
「強制排除システムの爆薬がある。それを使うわ」
「強制排除システムが何だって……」
そこまで言って気がついた。損傷を受けた両腕両脚を切り離すシステムだ。うまく使えば死重量となった両腕両脚を反動質量として利用できる。だが、どの程度の効果があるかわからない。
リーナがインターフェースなしにどうやってこっちのコンピュータにアクセスしたかはわからない。だが、たしかにコンタクトしているらしい。
サイバーテレパスか……。
「わかった。手足を切り離せばいいんだな?」
「こっちのメインスラスターと火線を合わせて」
「了解だ」
だが、排除システムをこんなところで使ったことはない。ムーサがそれを認めるだろうか。カーターは訝りながら、スイッチを入れて、レバーを引いた。
ムーサは、円滑に反応した。両腕と両脚が順に火薬で吹き飛ばされていく。それだけではない。アトランティスに追いつくためのモーター出力の計算までを始めていた。
「たまげたな……」
カーターは言った。「ムーサにこんなプログラムが入っていたなんて」
「ムーサは、ドライバーを救うためならなんでもやってくれるわ」
排除システムの火薬のおかげで、加速するのがわかった。アトランティスとの相対速度のマイナスが大きくなった。つまり、アトランティスに近づきはじめたのだ。
「充分に加速したわ。もうだいじょうぶ」
もうだいじょうぶ?
本当か? 俺は助かったのか?
艦に上がるまでまだ安心はできない。だが、リーナがやってきたおかげで、恐怖感が嘘のように消えていた。
ムーサはドライバーを救うためならなんでもやってくれる。
そのリーナの言葉を信じてもいいような気になっていた。
やがて、アトランティスのカタパルトデッキが見えてきた。
カタパルトデッキから、幾本ものロープが撃ち出されている。
「牽引索よ」
ギガースは、腕を伸ばしてそのうちの一本をつかんだ。その綱をつかんだときの安堵《あんど》感は、生涯忘れないだろうとカーターは思った。
やがて、牽引索が巻き取られる。カーター機とリーナの機は徐々にだが、確実にカタパルトデッキに引き込まれていく。
着艦の瞬間、ギガースはさっとカーター機を離れた。まだ余裕があるとばかりに、デッキのハッチの周囲を一回りし、悠々と着艦した。
最終ハッチが閉じ、さらに、その内側のハッチが閉じる。室内が与圧されていく。与圧終了を告げるグリーンのランプが灯《とも》った。
その瞬間に奥のドアが開き、隊員たちが飛び出してきた。無重力状態なので、皆宙を飛んでいる。
カーターは、大きく吐息をつき、汗を拭った。それからモニターをオフにして、コクピットハッチを開いた。
とたんに、小隊の隊員たちに囲まれた。
彼らは口々に何かを言う。今のカーターには意味を成さない言葉だった。カーターは、パニックから解放されたばかりで、まだ虚脱状態だ。彼らの言葉にただうなずきながら、コクピットを出た。
そのとき、ギガースのコクピットハッチが開いた。
ふわりとリーナが出てきた。
「リーナ」
カーターは、何と言っていいかわからなかった。
命を助けられた。感謝している。だが、どういう言葉でそれを相手に伝えればいいのかわからない。
リトル・ジョーがじっとリーナを見ているのに、カーターは気づいた。
リーナもその視線に気づいたようだ。彼女はリトル・ジョーをまっすぐに見返した。
リトル・ジョーが言った。
「おまえは、小隊長を助けた」
リーナは肩をすくめた。
「ちょっと手を貸しただけよ」
リトル・ジョーはまるで怒っているような顔つきでリーナを見つめている。
「そして、いつかは、俺を助けてくれた」
「あたしが助けた?」
「軍法会議にかけられそうになった俺を助けたんだ」
「海兵隊員は、互いに命を預け合うんでしょう?」
「ちょっとは、やる。そいつだけは、認めてやることにしよう」
周囲の隊員は、何も言わないが、どうやらリトル・ジョーの意見に同意しているようだ。少なくとも、リトル・ジョーに逆らうやつはいなかった。
「さあ、キャビンへ行け。俺は艦橋に報告に行かねばならない」
カーターが言うと、隊員たちは、思い思いの恰好で宙を飛び、重力ブロックのキャビンへと向かった。
リーナが残っていた。
カーターは言った。
「命を助けられた。礼を言わなければならない」
「ギガースの性能をもってすれば、どうってことないわ」
「どうやら、作戦行動時間もクロノスよりずっと伸びているようだな」
「ギガースは単なるクロノスの発展型ではないわ。次世代機なのよ」
カーターはうなずいた。
「ところで……、ひとつ訊いておきたいんだが……」
「何かしら?」
「例のミサイル事件だ。あれは、君がこっそりと積み込ませたんだな?」
「あたしが……? どうして、あたしがそんなことを……」
「ごまかさなくていい。誰にも言わん。結果はすべていいほうに転んだ。つまりは、君の目論見《もくろみ》どおりだったというわけだ」
リーナはいたずらっ子のような笑顔を見せた。
「技術士官のトレイシー少佐を責めないでね。彼は気が弱いの」
やはり、彼女が技術士官にやらせたのだ。
やれやれという思いで、カーターはかぶりを振った。いち早く、隊員たちに自分を認めさせるための手段だったに違いない。
このお嬢さんには、今後も手を焼きそうだ。
カーターが艦橋に報告に行くと、艦橋内は、歓喜の声で満ちていた。カーターは何事かと立ち尽くしていた。
エリオット作戦司令が珍しく満面の笑みを浮かべてカーターを出迎えた。
「敵のカガミブネが進路を変更した」
カーターはまだぴんとこない。
エリオットがさらに言った。
「敵は、火星の周回軌道に乗る進路を取っていた。だが、進路を変更して、火星の引力を利用して、小惑星帯へ引き返す軌道に乗った。彼らは火星周回軌道への進入を諦めたんだ。おそらく、予想よりずっと損害と損傷が大きかったのだろう」
「ダイセツは……?」
「無事だ。断続的に戦闘を繰り返していたため、艦載機五機を失い、ヒュームスも二機を失っているし、多少のダメージもあるが、問題なく月まで行ける」
カーターは、任務を無事に果たしたのだという喜びが体の奥からわき上がってくるのを感じていた。ダイブの恐怖から解放されるかもしれない。そんな予感がした。
カーターは、エリオット作戦司令に報告した。
「第一小隊、十一名、全員無事帰還しました」
エリオット作戦司令はうなずいた。
「ごくろう」
それから、間を置いてエリオットは声を落とした。「また、ぎりぎりまで宇宙《うみ》から上がってこなかったな。あまり、はらはらさせるな」
こっちは、はらはらどころじゃなかったんだがな……。
だが、カーターは「はい」とこたえただけだった。
クリーゲル艦長が、一番高い位置にあるシートからちらりとカーターを見下ろした。かすかにほほえんだように見えた。
ひょっとしたら、クリーゲル艦長は、ミサイルの件も、カーターの恐怖症の件もすべてお見通しなのではないだろうか。カーターはふとそんなことを思っていた。
火星圏へ向かう輸送船の中で、オージェは、アトランティスとダイセツが敵の巨大なカガミブネを追い払ったという知らせを聞いた。アトランティスは、比較的円に近い小さな楕円軌道に乗っているため、一ヵ月足らずで火星の周回軌道に戻ってくるということだ。
オージェたちのほうが早く火星圏に着く。
「火星の空で待っていようじゃないか」
オージェはつぶやいた。「ようやく、あの新型のドライバーと会えそうだな……」
オージェは、最新型のヒュームスに興味を持っていた。空間エアフォースの戦闘機を上回る機動力を持つヒュームス。それは、戦いの局面すら変えるかもしれない。
オージェはそう考えていた。なにしろ、そんな兵器は、これまで地球連合軍には存在しなかったのだ。
そして、その新兵器を操るドライバーにも興味を持っていた。
長い船旅に退屈しているオージェの仲間たちは、輸送船のキャビンで飲んだくれている。アレキサンドル中尉に言わせれば、酒でも飲んでいないと、船酔いするのだそうだ。酒を飲んでいれば、酒に酔ったのか船に酔ったのかわからなくなるというのだ。
戦いは続く。人類は、宇宙という聖なる場所にまで戦争を拡大してしまった。その愚かさは悲しい現実だ。
だが、それを考えるのはよそう。
オージェは思った。
軍人は戦いのために存在する。人類の歴史上、戦争がなかった時代はない。戦争であるからには、勝つために戦わなくてはならない。それもまた、悲しい現実なのだ。
地球連合・アメリカ合衆国・ニューヨーク
コニー・チャンは、地球に戻るといっそう精力的に取材を始めた。
今回は、取材の相手を軍事専門家だけでなく、医療の専門家まで広げねばならず、さらに、政府関係者にコネクションを見つけなければならなかった。
ジュピター・シンドロームが、この戦争の鍵を握っているかもしれない。
アームストロング・タイムズの記者、オレグ・チェレンコの言葉には真実味があった。今のところ、五里霧中といった感じだ。
ジュピター・シンドロームは、木星圏の単なる風土病だというのが、地球での一般的な見方だ。だが、チェレンコの指摘は考えてみればもっともだった。強烈な放射能と磁場が原因だとしたら、問題は癌や血液の障害だけに留まらないはずだ。遺伝子レベルでの障害も考えられる。
コニーはその点について、医療関係者に質問したが、誰もはっきりしたことを話してはくれなかった。
取材の範囲を広げていくにつれて、コニーは耳寄りな情報を手にした。
地球連合議会の上院議員、ケン・ジンナイのスタッフがやはり、ジュピター・シンドロームについて調べているらしいという。
ケン・ジンナイといえば、数少ない反戦論者だ。理知的であり、理性的な政治家というのがもっぱらの評判だ。
その一方で、政治的な駆け引きに長《た》けているという噂もある。したたかな政治家なのだ。そのジンナイが、世相に真っ向から逆らって、反戦を唱えるのが不思議だった。
政治家として、得なことはない。市民運動家や宗教家なら理解できる。だが、ジンナイは、上院議員だ。選挙には不利な要因となるに違いない。
そのジンナイが、ジュピター・シンドロームについて調べている。彼の反戦論と何か関係があるのかもしれない。
世間は、小惑星帯の戦いで、連合軍が勝利したことに沸いていた。カリスト沖でザオウを失って以来、初めての明るいニュースだった。
また、この戦いで、新型のヒュームスが投入されたというニュースも、人々を喜ばせた。イエローペイパーや、軽薄なテレビ番組では、今回の戦果は新型のヒュームスによるものだとまで言いだす始末だった。
人々は、浮かれている。直接被害が及ばない遠くの戦争を、まるでビデオゲームのような感覚で眺めている。
だが、長引くにつれ、双方の被害は増え、死ぬ兵士の数も増えていく。コニーはジンナイの反戦論に興味を持っていた。
いつか、ジンナイにインタビューを申し込みたい。そして、ジュピター・シンドロームと今回の戦争について話を聞きたいと思った。
もしかしたら、あたしの書いた記事が、戦争を終わらせるきっかけになるかもしれない。ゲームを見るように戦争に浮かれている人々の目を覚まさせるのに役立つかもしれない。
コニーは街頭に立ち、交差点にある大きなスクリーンを見上げていた。ニュースショーをやっている。何度も流れた軍提供の、小惑星帯の戦いの映像が、また放映されている。
コニーは、星の海での戦いの様子を見つめ、つぶやいた。
「戦っているのはあなたたちだけじゃない。あたしも、ここで戦っているのよ」
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宇宙海兵隊 巻末資料集
現代宇宙戦闘の基礎知識
お断り
本稿を記述している現在において、人類の歴史上、全面的な宇宙戦争というものが行われたことはない。しかし、カリスト沖海戦以降、木星圏のテロリストによる不穏な動きは非常に活発化しており、それに対応して地球連合軍の動員も戦時体制となっている。近い未来において、何らかの形で宇宙戦争というものが現実のものになるであろうことは必至の情勢だ。
本稿は、以上のような状況を鑑み、読者諸氏の利便に供するべく、宇宙戦闘と軍用ヒュームスについての簡便なる解説を試みたものである。
内容については、地球連合軍空間空軍、及び宇宙海軍、宇宙海兵隊の公刊教則本等の記述をベースに、随所、執筆者が今までの取材経験で得た知見を織り交ぜて構成した。
従って、本稿における認識の誤りの責任は、あげて筆者にあることを明記しておく。
[#地から1字上げ]執筆:軍事アナリスト オオツカケンスケ
[#地から1字上げ]OHTSUKA,Kensuke
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宇宙戦闘とは
ここでは地球連合軍宇宙海軍の定義に従い、惑星の衛星軌道や、衛星の子衛星軌道以上にある地点、かつ速度の、真空環境で戦われる戦闘を、宇宙戦闘と呼ぶ。
つまり、惑星(や衛星)に墜落する速度しか持たない弾道弾との戦闘や、スペースコロニーの人工大気内での戦闘は、宇宙戦闘とは呼ばない。
宇宙戦闘の中では、惑星や衛星の周回軌道上で行われる周回軌道戦、つまり人工衛星同士が戦う「近宇宙戦」がもっともポピュラーなものになるであろうと考えられており、自ら人工惑星となった宇宙機同士が戦う「遠宇宙戦」は、演習を含めて古今例がない(編者注・本編における火星防衛戦が、その初めての例となった)。
いずれにせよ、人類が近未来に経験する宇宙戦闘は、すべてニュートン力学、ケプラーの3法則の範疇《はんちゅう》で戦われる。
近宇宙戦闘の基礎
近宇宙戦では、戦闘時に二つの速度に拘束される。
ロシア流の言い方をすると、第1宇宙速度と第2宇宙速度である。
第1宇宙速度を失えば、宇宙機は惑星に墜落する。第2宇宙速度を越えれば、宇宙機は惑星をまわる衛星軌道から離脱し、太陽をまわる人工惑星となってしまう。このことから、第2宇宙速度は脱出速度ともいう。
どちらにしても、加速能力に限りのある宇宙機にとって、これは戦線からの離脱、多くの場合は死を意味する。
地球を例に取れば、地表での第1宇宙速度は7.9q毎秒であり、同じく第2宇宙速度は11.2q毎秒である。毎秒3qという速度のスパンは、一見大きなものに見えるが、重力は重心からの距離の逆二乗に比例するため、高度が高くなればなるほどこれらの速度は低下してゆく。そのため展開した地点によっては、第2宇宙速度は意外なほど簡単に突破される。また、月の脱出速度は2.4q、火星は5.0kmほどで、地球よりもはるかに小さい。
従って、これらの速度を越して迷い出ないように、全ての宇宙機の処理装置には「軌道離脱防止プログラム」が高い優先度で書き込まれている。
万一衛星軌道から外れても、救難艇が駆けつけての救助は可能だが、戦闘用宇宙機は生命維持装置の安全係数が低く、また、制宙権の確保も必要条件となるため、衛星軌道からの離脱はきわめて深刻な問題である。カリスト沖海戦における連合軍強襲戦艦「ザオウ」の損失は、そのことを如実に物語っている。
また近宇宙戦では、対地高度を上下させることにより、速度を下げたり上げたりすることができる。地球重力に対する位置エネルギーが運動エネルギーに変換されるため、高度が下がれば公転周期も早くなるのである。距離の三乗と公転周期の二乗は比例するというケプラーの第3法則どおりである。
ただし、平均対地高度を落とすためには、速度そのものを一時殺す必要がある。これは前述の第1宇宙速度との関係で、どちらが先に墜落するかというチキンレース的な、大変危険な側面を持っている。
こうした機位の入れ替えは、宇宙戦におけるドッグファイトと言うべきもので、今後の研究が期待される。
遠宇宙戦闘の基礎
遠宇宙戦闘については、未だ実働演習が行われたことがないため、シミュレーション演習上の、いわば机上の空論にとどまっている(編者注・繰り返しになるが、本編における火星防衛戦が、演習を通り越して初の実戦となった)。
遠宇宙戦の可能性については、二つの例が考えられる。
すなわち、同航戦と遭遇戦である。
前千年期《ミレニアム》における海上戦闘の経験から考えても、敵味方速度を合わせての同航戦は、お互いの位置、速度差、艦隊運動の問題などから、なかなか実現は難しい。宇宙空間においては、速度差や加速能力の限界はもっとシビアな問題となるため、おそらく机上の空論の範疇を出まい(編者注・本編における、カガミブネによるニューヨーク級強襲戦艦ダイセツ追撃戦は同航戦であり、これは遠宇宙戦の初めての例となった。机上の空論という筆者の予想は外れたわけである)。
一方、遭遇戦の方だが、これはかなりの現実味がある。現代の大型宇宙艦が装備するレーザ爆縮型核融合ロケットの高い比推力をもってすれば、小惑星帯より内側の軌道程度ならば、相当に自由な選択が可能であるからだ。
もちろん、軌道の交差は一瞬の内に終わるものであるし、宇宙兵器といえども有効射程はさして延びていない事実から、同航戦で予想される戦果・被害に比べればまったく小さなものに過ぎないであろう(編者注・この件についても、筆者の予想は間違っていたと言わざるを得ない。ダイセツの被害は大きなものだったが、アトランティスが敵に与えた被害も、また、きわめて大きなものだったからだ)。
宇宙戦闘における情報戦
宇宙空間における通信と索敵には、主に高出力レーザが用いられる。これは、宇宙空間があまりに広大であるからである。
レーザは波長(バンド)の揃った光であるため、どうしても容量がタイトである。従って、宇宙空間での通信は大幅に制限され、地球上におけるような自由自在なやりとりは不可能となっている。具体的には、地球連合(UNE)の所轄にあるゲイトウェイ衛星を通しての通信のみが許可されており、その他の方法はノイズになるため違法となる。
(一部の市民運動家や政治家は、宇宙軍がこうした制限を悪用して情報統制を敷いているという批判を行っているが、レーザ通信の多くはアマチュア天文家にも受信が可能であり、こうした批判は的外れのように思われる)。
索敵におけるレーザの使用は、敵の予想位置にレーザ照射を行ってその反射を拾う方式だが、自分の位置を暴露するアクティブセンシングとなるため、マイクロ子機を経由した間接的な方法などが研究されている。
索敵に対抗するため、宇宙機外装に半導体レーザを埋め込んで敵を幻惑するとか、敵のレーザ受信器を攻撃するという手法も開発されているが、出力の関係などから、未だ有効な手段とはなっていない。
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底本
講談社 KODANSHA NOVELS
宇宙海兵隊《うちゅうかいへいたい》ギガース
著 者――今野《こんの》 敏《びん》
二〇〇一年十月五日  第一刷発行
発行者――野間佐和子
発行所――株式会社 講談社
[#地付き]2008年7月1日作成 hj
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修正
ナザロフ→ ナザーロフ
置き換え文字
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26
填《※》 ※[#「土へん+眞」、第3水準1-15-56]「土へん+眞」、第3水準1-15-56
唖《※》 ※[#「口+亞」、第3水準1-15-8]「口+亞」、第3水準1-15-8