五味康祐 オーディオ遍歴   五味康祐
目次
T
オーディオと人生
“楽器”としてのスピーカー
不運なタンノイ
タンノイについて
わがタンノイの歴史
トランジスター・アンプ
芥川賞の時計
U
ピアノ・ソナタ作品一〇九
シュワンのカタログ
名盤のコレクション
V
音と沈黙
美しい音とは
レコード音楽の矛盾
ステレオ感
米楽壇とオーディオ
ヨーロッパのオーディオ
音による自画像
オーディオ愛好家の五条件
オーディオの真髄
五味康祐 オーディオ遍歴
T
オーディオと人生
小生を音キチと呼ぶ人がある。こういう呼び方をするのは、オーディオがどういうものかを知らぬ縁なき衆生だとおもっている。小生はただ、少しでも音楽をいい音で聴きたいと願っているにすぎない。
オーディオを、その時々に優秀だとされている器械を揃《そろ》える趣味だと割切ってしまうなら話は簡単だろう。今の段階では、アンプはマランツ(もしくはマッキントッシュまたはアコーステック)、スピーカー・エンクロージァはジム・ランシング、カートリッジはシュアーV15、と揃えてくれば、ふつうの家庭で使う再生装置としては一応、最高の音質をたのしめる。金のある人なら、すぐこれを所有することはできる。しかしオーディオの真髄は、そんなものではあるまいと思う。
プログラム・ソースとしてのディスクが、そもそもマランツやジムランやシュアーで鳴らせば、常によくきこえるレコードばかりとは限らない。甚《はなはだ》しい場合は、五、六万円程度で売られている安物の器械で鳴らすほうが、音のまとまりのよいものがある。優秀な装置で鳴らせば鳴らすほど、演奏の欠陥を露呈してしまうレコードだってあるだろう。われわれは、常に音楽をたのしむためにいい音を求めているのに、かんじんの音が(または演奏が)よごれてきこえるのでは何のための高級装置かわかるまい。
だいたい、レコードというものに、つねに実は最良の音が録音されているとは限らない。むろん最終的に考えられているのはナマの音だが、冷静に判断すればすぐ分ることだ。百人もの人間が楽器を鳴らす交響曲を、それがナマそのままにレコーディングされたと仮定して、どんな大きなスピーカーだって、そのまま再現できるわけはない。
あのほそい針先で、そのフォルテを拾おうというのもどだい無理な話である。また、より高忠実度の再生音を念願するにせよ、音の発源体となるのがせいぜい十五インチ程度のスピーカーであってみれば、これまた多くを望むほうが無理だろう。
結局、どこかで処理された、あるいは取捨選択された音を、生らしく聴くことで我々は我慢しなければならない。しかもナマそのままに刻まれたレコードなどあるわけがないとなれば、つづまるところ、耳にこころよい適度の臨場感をともなった、いかにもナマを彷彿《ほうふつ》させる音をもってよしとするしかないだろう。言ってみれば、かつて感激して聴いた音、現実には求められないかもしれないが記憶の中で浄化された素晴しい音、そういう音の理想像に我が家の音を近づけようと悪戦苦闘する――ここにオーディオ・マニアの業《ごう》のようなものがあると私は思っている。
私は興行師の家に育った。歌舞伎役者や地方廻りの芸人が何人も居候していた。そんな中に、人形浄瑠璃《じようるり》で知られる初代団平氏などもいた。団平はんは太棹《ふとざお》の名人で、いい三味線を入手すると家にもって来て、祖父母にきかせる。私はその頃五つぐらいだったが二階にいて、下から聞こえる三味線の音をきいて、今度のはいいとかわるいとか判定をする。するとそれが意外に的中するらしく、祖父母は、「お前は耳がいい」と褒めてくれる。そこで自分もその気になって、ぼくの耳はよいのだと思い込むようになった。これが私の、そもそもゴウのはじまりかと今はおもう。人間の音への感性は多分に幼時の環境に培われるように思うが、西洋人とてこれは例外ではないだろう。ピアノやヴァイオリンやチェロを幼い頃から耳にして育った彼らの音感がどんなものかは、みずからを省みて想像に難くない。その彼らが識別して、良しとした音は、オッシログラフを頼りに日本の技術者がつくり出す音より、どこか芸術的にすぐれているのは、ピアノのスタインウェイやベーゼンドルファーが日本ではまだつくれないのを見ても瞭然だろう。何サイクルから再生出来て、ひずみが何%である、などといくら力んでみても測定だけではどうにもならぬのが音楽ではないのか。
私が音に関心を持って蓄音機を聞きはじめたのは、中学三年生頃であった。その頃は、今日とはちがって蓄音機を聴くというのはぜいたくなことで、相当ハイクラスの人にかぎられていた。いわゆるお坊ちゃんか、それに準ずる人たちだったようにおもう。しかしそういう人達もただ蓄音機を持っているというだけで、その音質をとやかくいう人は、ほとんどいなかった。しかしこちらは幼い時からの習性で、あそこの蓄音機よりはこの方がよい、などと一応、音質のよしあしを聞き分けた。今なら音のよしあしに関心を示すのは、オーディオ・マニアでなくとも普通のことだろうが、当時としては、これがすでにキ印に近い言動だったわけで、これも三味線や音曲の中で育った、環境のなせるゴウだろうと思っている。
うちが興行師だったので、映画館の経営をしていた。そこにウエスターンのトーキーのスピーカーがあった。これを私は鳴らそうと努力したが、オーディオに深入りすると、どうしても自分で器械をいじるようになる。カートリッジ(当時のピックアップ)のコイルを巻きかえてインピーダンスを下げてみたり、こいつをまた自家製のトランスであげたり、アマチュアーを支えるダンパー(ゴム)質をかえたり、2A3の真空管を四本(つまりダブル・プッシュ)にして、アンプを作ってくれるよう技術屋さんに依頼したり……もともと、専門的知識は皆無で、音質だけをよくしようと暗中模索をやった。どれ一つとして、音のよくなったためしはないのだが、従前の音質がかわると「良くなった」と思いたいものである。一喜一憂したこういう当時の苦労も今では楽しい想い出になっている。体験のある人なら分ってもらえると思うが、当時はベートーヴェンに私はきき耽《ふけ》った。おもに交響曲と、ピアノやヴァイオリン協奏曲、それにパデレフスキーやシュナーベルの弾くピアノ・ソナタ、カペエのクヮルテットなどだが、弦楽四重奏曲ばかりはトーキー用スピーカーでは醍醐味《だいごみ》が味わえない。ピアノ・ソナタも同様である。クレデンザで、竹針を切って鳴らすほうがしんみり、曲趣を味わえる。そこで今度はサウンドボックス用のラッパをこしらえようと、ラッパの開口部までの拡がり(断面積)を数式で割出そうと受験勉強ほったらかしで頭を痛めた。――そういう当時の《青春時代》といったものが、ベートーヴェンのレコードを聴くと四十過ぎの現在でも、彷彿と眼前に泛《うか》んでくる。《音楽は過去を甦えらせる》というのは本当だ。過去ばかりか、感動を甦《よみが》えらせるものだ。
終戦後、復員してみると、我が家の附近は焼野ヵ原で、蔵書もレコードも、ご自慢のウエスターンも、すべて灰燼《かいじん》に帰していた。本がなくなっているというのは、文学を捨てろということではないのか、なんとなく、そんな気持になった。自分が大切にしたものを失ったとき、再びそれを見たくないと思うのが人間の自然な感情だろう。私は再びそれを取り戻そうとは思わなかった。それどころかもう二度と見たくない、という感じになっていた。音楽に対しても同じで、二十一年に復員してから、二十六年の暮まで私は音楽的なものに全く関心を向けなかった。
小林秀雄氏が、当時来日したメニューヒンの演奏に感激して、朝日新聞に一文をしたためられたことがある。これを読んで、なんと阿呆なことを言われるのだろうと思った。メニューヒンが、それほどいいとは、私には考えられなかった。また、諏訪根自子《すわねじこ》のヴァイオリンに接して感激したという文化人の記事なども、新聞で見かけたが聴いてみたいとも思わなかった。
その私が、偶然、ある人の処《ところ》で長時間レコードを聴いた。それまでにも長時間レコードなるものの存在は薄々知ってはいたが、演奏時間が長いだけのことだろうと思っていたし、私の知識で言うと、回転の遅くなるのは音質が落ちてゆくことである。だから、実際に音を聴かされたときの驚きは筆舌につくしがたいものだった。ベートーヴェンの第七シンフォニーだったが、なんとまあいい音で音楽が聴ける世の中になったものか、長生きするのは恥多いことだと考えていたが、生きていた甲斐《かい》があったと、しみじみおもったのを忘れない。同時に、それまでの何か無目的な、自棄気味な――多分に敗戦のそれはショックによるものだったが――うつろな生活を、反省する気持になった。それまでの荒廃した私の生活は、この時から少しずつ改まっていったように思う。
私は考えたのである。こういういい音でベートーヴェンが聴けるのは、やはり世の中が良くなったからに違いない。私もレコードをもう一度きく生活にかえってみようと。
しかし、レコードを聴くためには、それを購《あがな》う金が必要である。それまでの私の考えは、金などなくても別に恥ではない。あるときにあるだけを使えばよい、というようなものであった。これでは、いくらレコードの音がよくなっても自分で装置を揃えて聴く生活は到底のぞめない。それまでの私の生活はルンペン同然の、放埒《ほうらつ》なものだったから、これはもう、小説家になるほかに生活をたて直す道はあるまい、と決心した。本気で、私は売れる小説を書くことに思い到った。
文学論を述べるのは本旨でないので省略するが、それまでの私の考え志向していた文学は、ジャーナリズムに迎えられる性質のものでなかったことだけは確かである。それがレコードをきける生活人に立戻りたいために、何とか、まっとうな、売れる作品を書く気になった。或る意味で、大へんこれは健全な、かつ善良な意志だったとおもう。私は小説に打込み、おかげで今、どうにか作家として世に出ることができた。
よく私は、レコードをききながら小説の構想を練るといわれるが、これは嘘だ。文学は音楽に影響されるものではない。逆もそうだろう。ただ、作家として世に出る機縁となった芥川賞受賞作『喪神』の結構を、ドビュッシーの“西風の見たもの”からヒントを得てまとめたのは事実なので、そのことにふれておきたい。
『喪神』のモチーフになったのは、西田幾多郎氏の哲学用語を借りれば、純粋経験ということになるだろうか。ピアニストが楽譜を見た瞬間にキイを叩く、この間の速度というのは非常に速いはずである。習練すればするほどこの速度は増してゆき、ついには楽譜を見るのとキイを叩くのが同時になってしまう。経験が積み重なってゆくと、こういう状態になる。それを純粋経験という。
ルビンスティンもグールドも純粋経験でピアノを叩いている。それでいて、あんなに演奏がちがうのはなぜか。そこに前々から疑問を抱いていた。純粋経験というのは、意思が働く以前のところで処理されているはずなのに、と。そのときふと思ったのは、これは戦場で考えつづけていたことだが、人を斬ったらどういう感じがするだろうか、ということだった。
一方、私はキリスト教神学を学んだときのことを思いあわせた。キリスト教が、我々人間に禁じている唯一のものは、自殺である。なぜそれがいけないか。誰にでもできるからにちがいない。私は、かつて貧乏のどん底にいて、俺にいますぐできることはなんだろうか、と考えたことがある。そのとき即座に頭に浮んだのが、自殺だった。名古屋へ行きたいと思っても旅費がない。徒歩で行くとしても、その間の食糧を考えなくてはならない。パチンコをはじいてみても、玉はこちらの思うとおりにころがってはくれない。つまり世の中で、貧乏のどん底にいる人の自由になるものは何もない。しかし死のうと思えば、いつでも、誰でも人は自殺することだけはできる。それでキリスト教は自殺を禁じたのだろうと考えていた。そこで、自殺のできない男というものを想いえがいた。
わが身を護るために、人を斬ってきた男が、やがて純粋経験で人を斬るようになる。これはもう、己の意思で斬るのではないから寝ている時に背後から襲われても、顔にとまった蠅《はえ》を無意識に払いのける調子で、迫った刃を防禦《ぼうぎよ》本能でかわし、反射的に相手を仆《たお》してしまう。しかも本人は仆したことさえ気がつかない。ここに私は目をつけた。どんな強敵が襲いかかってきても、相手を倒すことのできる男、そこまで習練を積んだ男が、もし、おのれに愛想をつかして、自殺を思い立ったら、どうしたらよいか。自分の腹に短刀を当てようとした瞬間、純粋経験が働いて、夢遊病者のように短刀を抛《ほう》り出してしまうだろう。そのことを自分で気がつかずにいるだろう。そんな男が死ぬには、どうすればよいか。自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせるよりほかない。このシュチュエーションを一人の剣豪に托《たく》して描いたのが『喪神』であった。チャンバラ小説のように大方には見られたようだが、作者の私としては、あくまで自殺をあつかったので、小説の結末の場面を“西風の見たもの”をきいていて、思いついたのである。念のために言っておくと、この時のスピーカーはグッドマンの十二吋《インチ》、6L6の真空管をつかったアンプに、カートリッジはGEのものだ。カサドジュの演奏だった。
つまり今おもうと、大した音で鳴っていたわけではない。それでも当時の私には、じつにこまやかな、ピアノのペダルを踏む残響のすみずみまでが聴きとれる素晴しい音におもえた。わたしはこの音から獲た感動で小説の起承転結をつかんだのである。
これはどういうことだろうか。みずからの当時をかえりみて、私は読者諸賢にいいたい。音楽をきくとは(レコードやテープをプログラム・ソースとするその鑑賞は)しょせんは自己のうちにある美意識や生活意欲に、一つの動機を与えることだろう。その動機を呈示するのは、何サイクルまでフラットなどという周波数レンジや再生装置の機能とは、何の関係もない。あくまで音楽だ。当時にくらべ、数段まさる装置で今の私は聴いている。しかしいい小説が書けるわけではない。あなたの装置がどうあろうと、あなたが生きる上で、充分すぎる意欲を音楽は――あなたの再生装置は――おしえてくれるはずだ。先《ま》ず音楽をきくことだ。一枚でも多く、いいレコードをきくことだ。装置をいじり出すのは、充分、レコードを聴き込んでからでもけっして遅くはない。むしろ、その後に装置を改良したほうが、曲の良否が分り一そう味わいが深まるだろう。
(一九六六)
“楽器”としてのスピーカー
原則としては、スピーカーが優秀なら音はよく鳴るはずである。機種の異なるA、Bふたつのスピーカー・エンクロージャーがあって、Aは世評も高く優秀なら――当然、値段も高いが――Bに比して、すぐれたトーン・クォリティをもつと思うのが常識だ。解像能力で、あるいは高域(もしくは低域)の伸びのよさで、またプレゼンスでAはBにまさるはずなのである。
でも実際は、そうは参らない。かけるレコードやテープによっては、優秀なはずのAよりむしろBが、音のまとまりよく、耳に快く響くことが現実にはある。レコードではなくアンプや、カートリッジを替えた場合も同様で、原則どおりにゆかぬ。そんな奇っ怪さ、物理特性を裏切る再生音というものの不思議さに呆然自失するところから、じつはオーディオの醍醐味《だいごみ》――泥沼――がはじまると、私は思っている。人が音キチになるこれが発端だろうとおもう。
私がスピーカーに血道をあげはじめたのは思えばずいぶん古いことだ。戦前、まだSP時代に、いわゆる電気蓄音機で音キチのスタートをきり、当時は最優秀といわれたウエスターン・エレクトリックや、ローラー、マグナボックスといった欧米のスピーカーを入手して、手製のキャビネットに納め、あるいは座敷いっぱいになる巨大なバッフル・ボードを自作して取り付けては、鳴らした。肝腎《かんじん》のソースが現在とは比較にならぬF特のわるい(ダイナミックレンジも狭い)レコードなのだから、よくなったところでタカは知れているようなものの、いささかでも改良して音がよくなるともう有頂天で、天下を取ったような気がしたものだ。2A3という当時はもっとも特性のいいと言われた真空管四本をつかった(ダブルプッシュ)のアンプで、ピックアップヘッド(カートリッジ)の磁石やゴムダンパーを替え、コイルを巻き替え、インピーダンスをあげるためのトランスなども特注した自家特製の装置で鳴らしていた。
戦後、復員して日本へ帰ってみると、わが家は戦災で焼け野原になっており装置は跡形《あとかた》もない。以来、レコードを聴く心のゆとりがあるわけもなく、ひたすら食うものを求めて街をさまよった。ルンペンにもなった。――それが、ふとしたことで或る人の知遇を得、その人の書斎でLPを聴かされた時は、こんなにもレコードの音はよくなっているのかと、息をのんで聴き入ったのを忘れない。昭和二十六年だった。なにひとつ私の身辺に心をなごませるものはなかった“戦後”――荒廃しきった私の内面にあった“焼跡”はこの時で終わった。私は人なみな生活を持ちたいと思い、自分もレコードを日常に聴ける人間になりたいと熱望した。定職にまずありつきたいとねがった。そういう意味で、私を立ち直らせてくれたのは思想でも、文学精神でもない。音である。いい音でレコードを聴きたいという願望だった。
その人の紹介で、私は職に就くことができた。生まれてはじめて定収入というものを入手した。月収約九千円だった。当時の貨幣価値でも、これで妻と二人の間借り生活は苦しい。それでも自分で得た収入で生活できることにわれわれ夫婦は充実感をおぼえていた。ただし、当時LPはまだ輸入盤しかなく、それも一枚三千円で収入の三分の一である。とても買えない。もっぱらラジオの音楽番組をたのしんでいたが、安物のラジオだから音キチの私には不満である。せめてダイナミックスピーカーだけでも別に組んでキャビネットに納めれば見ちがえるほど音がよくなるのを私はむかしの経験で知っていた。
たまたま、そのころパーマックスという六吋《インチ》のスピーカーがラジオ店に出ているのを見つけた。二千八百円だった。われわれ夫婦の生活に二千八百円は無理な支出である。ひそかに質屋に通って生計を補ってくれる妻に、無理は言えない。といって、スピーカーはほしい。――そんな時、文学雑誌から短篇《たんぺん》を書いてみないかと言われた。原稿料がもらえるのかとたずねたら出るという。ただし、掲載に価するできばえでなければならんぞ、と。
それまで、自分好みなストーリーも何もない、散文詩のような小説ばかりを私は書いていた。言うまでもなく、まったく無名の文学青年だった。売文したくはなかったのだ。でも原稿料ではなくスピーカーが、この時の私はほしかった。
私は書くことにした。掲載に価するもの――つまり「おもしろい小説」を生まれて初めて意図して、私は書きあげた。作品のプロットは、ドビュッシーの前奏曲第一集中の“西風の見たもの”からヒントを得たので、サブタイトルに“西風の見たものより”と書き添えたあたりに文学青年の私の名残がある。だがこれを見た編集長は、私が書く気になった理由を知っていたので、「“パーマックスがほしくて”と入れるのが本当じゃないか」と笑ったが、この短篇が、なんと芥川賞を受賞するという望外なことになり、おかげで私は文壇に出ることができた。かさねて言うが、この意味でも私を世に出してくれたのは、いい音で音楽を聴きたいという希《ねが》いである。
芥川賞を受けてからは、ようやく収入が多くなり、オーディオ部品にお金を注ぎこむことができるようになって、今日に至っているが、私の体験では、再生装置で最後にものを言うのはそのスピーカー・システムである。エンクロージャーである。
身分不相応なまでに、私はさまざまなスピーカーを購入してきた。原稿の売れはじめた最初はグッドマンの十二吋だった。それから、久しくあこがれていたタンノイ・モニター15を買った。買った当座はすばらしいと思うが、いろいろレコードをかけるうちに、不満が生じる。そこで他のものを購入し、聴きくらべる。あとのがいいと思ったり、或るレコードの或る楽器の音色は前のがいいと思ったり……。
泥沼に足を踏み入れたのだから心の安らぐことはないのが、この道の常なのはもう知りすぎているつもりでも、やっぱり、うまく鳴れば狂喜するし、ちょっとでもわるいと飯も喉《のど》に通らぬほど憂鬱になる。
どれくらい多くのスピーカーを私は買ったことだろう。思いつくままに名をあげても、ワーフデール、ステントゥリアン、J・B・ランシング、アルテック・ランシング、テレフンケン、フィリップス、サバ、後藤ユニット、YL音響、テクニクス、コロムビア、ヤマハ、パイオニア、ダイヤトーン、エレクトロボイス、ジョーダンワッツ、EMI、KEF、ブラウン、etc……これらの機種を単体もしくはエンクロージャー(オリジナル)で購入したのはむろんだが、同じ機種にも製品のばらつきというのがあることを知って、よりよい音をもとめグッドマンAxiom 80はつごう三個、タンノイ・モニター15を二個、テレフンケン・オッパスを二個余分にもとめた。わらってほしい、これでも私は満足できなかった男なのである。
また、カットオフ周波数などというもっともらしい理屈をきかされ、低域を十全に再生するには口径のひろいコンクリート・ホーンが必要だ、とある有名な先生のご高説を拝聴すると、これも試みねばなるまいと思い、先生ご設計になるコンクリート・ホーンをつくって先生製作のマルチアンプ・システムで鳴らしたこともある。(右の後藤ユニットはこの先生の推奨によるものだった。ちなみに、のちのテレフンケンS8型を入手して両者を聴きくらべ、立腹のあまりコンクリート・ホーンを私はハンマーで叩き毀《こわ》したノダ)
音というものは、いま私は断言できるのだが、たとえば一つのスピーカー・エンクロージャーの良否を識別するには、最低三年の歳月が必要である。ちょっと試聴したくらいで答は出るものではない。比較試聴してわかるのは、せいぜい二つのスピーカーの音色の差にすぎない。日ごろよく聴きこんだレコードを、それもまず十枚くらい(ピアノ曲、ヴァイオリン曲、それらの協奏曲およびコーラス、アリア、大編成のオーケストラ、チェンバー・オーケストラ、それに邦楽の三味線曲など)を、晴天、雨の日、深夜、朝、さまざまな湿度や寒暑の季節にわたって聴きくらべて、はじめて綜合《そうごう》的な良否は判別できるものだ。それぐらい、音色はさまざまな条件に左右される……物理的特性だけで音楽美はつくり出されるものではないことを、三十余年、この道に血道をあげて私はさとった。
つまり一機種の再生装置(とくにスピーカー・エンクロージャー)で、すべての曲の美しさやそのプレゼンス、生《なま》らしさを再現するのは無理であることを。マルチアンプのほうが単体で鳴らすよりアンプに無理がかからず、歪《ひずみ》の少ないのは自明の理である。2ウェイよりは4ウェイのほうが理論的にはいいにきまっているし、大口径のコンクリート・ホーンが出すのびやかな重低音は箱に納めたスピーカーからは絶対でてこない。そんなことはわかっている。
だが、である。
マルチアンプで4ウェイシステムをとったとき、トゥイーターとスコーカー、またウーファーの音色に微妙な差があって、どうかするとピアノ曲の低域はヤマハ、高域はスタインウェイのピアノを弾いているような違和感を、耳の敏感なリスナーなら感じるだろう。いかにピアノが生《なま》らしく響いても、ピアニストが右手、左手のピアノを弾いているがごときこの不自然さに平気でいられるためには、よほど鈍感な音楽への感受性が必要だ。そしてマルチアンプ・システムの場合――とくに自家製(トゥイーターはA社製、ウーファーはB社製といった)の場合、この違和感は不可避の現象となる。歪《ひずみ》なく鳴れば鳴るほど、現実に、すぐれたピアニストの生《なま》の演奏ではなくなっている。交響曲も同様で、NHK交響楽団とベルリン・フィルがごっちゃになって演奏するのだ。こんなバカなことがあろうか。どだい指揮者がいない。
同じことはコンクリート・ホーンによる再生音にもいえる。拙宅の場合にかぎらず、高名な先生宅の音もそうだったが、虫のすだく声や消防車のサイレンは、まことに迫真的生々しさで聞こえるし、大オーケストラの強烈なも歪がない。この点は見事である。しかし、音の発源体がイメージとしてあらわれてこない。音響《ソノリテイ》だけあって楽器がないのだ。虫の声なら、リーン、リーンとどこからともなく聞こえるのが本当だろうし、風情もあろう。しかし、音楽はちがう。シューベルトの歌曲を聴くとき、アルトやバリトンの声は歌っているが歌手はどこにもいないのだ。――ふつう、ステレオでぼくらが音楽を聴くとき、前方壁面――左右二基のスピーカーをすえた空間に、音源を彷彿《ほうふつ》する。ステージに立つ歌手の口もと、その表情や姿が美声とともにイメージとして浮き上がってくる。プレゼンスのいい再生音ほどそうなので、でもコンクリート・ホーンにはこのイメージがない。声はすれども姿は見えず……幽霊である。オペラを好んで私は聴くが、幽霊の歌うフィガロなど真っ平だ。コンクリート・ホーンを叩き毀した理由であった。
素人考えで言うことだが、このイメージの欠如は「指向性」に関係があるように思われる。無指向性をなにかオーディオで重要なことのように宣伝するスピーカー・メーカーがいるが、私は信用しない。指向性がつよいと、たしかに音のサービスエリアは限られ、極言すれば、立体感を十分にともなう音を聴ける位置はリスニング・ルームのただ一点にとどまるだろう。その一点から少しでも左右にずれると、右(もしくは左)の音が強くなり歌手は左右どちらかのステージへ寄ってしまう。コンクリート・ホーン(マルチウェイ)で再生すればそういうことはないし、部屋のどこで聴いても音のかたちは変わらない。
しかし、である。他人様《ひとさま》にいっしょに聴いてもらうために私はレコードを鳴らすのではない。つねに音楽を鑑賞するのは私ひとりであり、一点しかないサービスエリアの、最適の位置に坐れば十分なのである。わが家はコンサートホールではないのだ。(他人様にほめてもらいたくて音のグレードアップをするつもりは毛頭、私にはありません。)
かくて指向性の強さなどまったく私は意にしないで、スピーカーを選択することにしてきた。結果、いまわが家に残っているのはタンノイ・オートグラフと、テレフンケンS8型エンクロージャーである。他はことごとく知人に進呈したり、物置へほうりこんでしまっている。
タンノイ(Guy R. Fountain Autograph)については、ステレオ雑誌などに紹介記事がでているので説明は略すが、家庭でぼくらがレコード音楽、FM放送を聴くにまず過不足ない――むしろ十分すぎる音域の広さ、プレゼンスの見事さ、音色の気品ある美しさを聴かせてくれるエンクロージャーである。とくにクラシック音楽に向いているし、その弦のユニゾンの厚みと繊細さを響かせる点では右に出るものがない。不満は、折返しホーン型なので、どうかすると音に「ホーン鳴き」の伴うことだろうか。したがって、ピアノの音がふくらみすぎて聞こえる。タッチが模糊《もこ》とした感じになる。これだけは憾《うら》みだが、ほかは申し分がないし、とくに人声のリアルなフィーリングは特筆に価するだろう。たとえば『マタイ受難曲』や『メサイア』で合唱メンバーを背景にバス、テノール、アルト、ソプラノ、と独唱者が四人並んで歌うとき、拙宅ではオートグラフを約五メートル幅の壁の両側にすえてあるが、その壁面にハッキリ一人一人が並び立って、別々の位置で歌ってくれる。そんな独唱者の立像はあたかも眼前に居並んでくれるようで、どれほどボリュームを上げてもその身長は決して巨大にならないし、ステージにしっかり両足をふまえている感じが見える。この臨場感は実に快い。
S8型は、トゥイーターだけ(左右二個ずつ)別のキャビネットに納められて部屋の両端に立てるようになっており、スコーカー(これも左右二個ずつ)は棺桶《かんおけ》ほどの大きさの単体キャビネットの両側に、やや外向けに納められ、ウーファーはただ一個、同じキャビネットの内側で床へ下向けに取り付けてある。おもしろいことにそれも右寄りで、左は、黒田家の九曜《くよう》の紋さながらな穴を開けてあるだけだ。これで十分すぎるステレオ感をもつ低音が鳴るのである。言うまでもないだろうが、この棺桶キャビネットの重さは、大の男ふたりが辛うじて持ち上げられるもので、音響学的にどんな根拠で設計されたのか知らないが、小林秀雄先生が拙宅でこのS8型を聴かれ、コンサートホールの一番よい席で「これは聴ける音だ」と感心された。コンクリート・ホーンくそくらえの低音がこの棺桶から聞こえてくるのだから不思議である。
要するに、さまざまなスピーカーをいじって私の痛感したことは、音楽を響かせるのは単体スピーカーのコーン紙ではなく、トゥイーターやウーファーでもなく、エンクロージャー全体であり、さらに言えばリスニング・ルームそのものということだった。部屋の音響条件が変われば同じスピーカーが別ものに聞こえることだってある。
どこにスピーカーをすえるか、その位置をいろいろ移動させ、主に低音の鳴り方を考慮するのだが、ピタッとそれがツボにハマって、うまく低音の響いてくれた瞬間の快感は、これぞオーディオ狂の陶酔の最たるものだろうと思う。コンクリート・ホーンが低域に効果があることはわかりきっている。だが家屋をぶち抜き、あるいは新築してそんなものを誰もが建てるわけにはゆかんのだ。家庭の事情――経済事情?――のゆるす範囲内で、ぼくらは音楽を聴かねばならぬ。グレードアップをはからねばならぬ。その切なさ・無念さを誰だって胸に秘め、少しでも音をよくしようと苦心惨憺《さんたん》しているのが日本のオーディオ愛好家の姿ではないのか?
私は、経済的に多少めぐまれた条件下にあり、めぐまれた条件をフルに活用してオーディオ装置をいじり、グレードアップを心掛けてきた。その私が、いま言えることは、いかに莫大な費用を投じ物理的条件を満たしても、測定器がどんな数値を出していてもどこかに生《なま》にはかなわぬ不満な音は生じるということだ。いつも私は思うのだが、大編成のオーケストラが響かせる音のエネルギー――ベートーヴェンの交響曲にあっては、「現代のオーケストラの途方もない爆発力をもってしても色褪《いろあせ》るほど、強大でなければならぬ」とフルトヴェングラーに言わせた『運命』のあのフォルティッシモのエネルギーが、スピーカーのコーンやジュラルミン振動でだせるわけはないのである。開口部二メートル余のコンクリート・ホーンだってしょせんは五十歩百歩なのだ。
それなら、少々低音はこもりがちで、一万ヘルツあたりに粒子の荒さが感じられても、仕方のないことである。肝腎なのは唯物的な音ではなくて、音楽をぼくらは鑑賞することを忘れてはなるまい。現在のレコードに刻まれたトーン・クォリティは、また市販されるオーディオ部品の高級なものは、ほぼ、こうしたぼくらの要求を満たす程度には音質を保証してくれている。A機種が特別よくて、Bがわるいというようなことはまずない。したがって、あとは各人好みの音色で聴くこと、聴くための部品を選択することだ。
カートリッジ、テープデッキ、アンプにもこれは言えるが、とりわけスピーカー・エンクロージャーが音色を決定づける大きな働きをなすと思えるので、本稿はスピーカーを主にまとめてみたまでである。
四十年余の、わが音キチの人生をかえりみて、私は言う。再生装置で最も重要なのはスピーカーを選ぶことである。それをどんなシステムで鳴らすかである。それによって自ずとカートリッジやアンプ、チューナーは選択される。だが、どれほど装置に大金を投じようと、唯一絶対な装置というものはない。聴きこめばかならず不満はでてくるのである。
ならば、グレードアップに無理をすることはあるまい。コンクリート・ホーンなど、だまされても造ってはならぬ。そんな閑《ひま》があればいい音楽を、演奏を一度でも多く聴くことだ。自らを省みて、ラジオアンプに六吋のスピーカーをつなぎ、息をひそめて名曲を聴いた貧乏時代の私と、贅《ぜい》を尽したオーディオ装置をもついまと、どちらが真に純粋な音楽の聴き方をしているだろうかと思うのだ。装置を改良し、いい音で鳴ったときの喜びはたとえようもない。まさにオーディオ狂の醍醐味である。しかし、すぐれた音楽を聴くときの感動や悦びはそれにまさるものだ。音楽には神がいるが音には神はいない。
決定的なこの違いをまず知らぬようで音質を改良して何になろう。そして神を見いだすことは、いまのきみの装置――FM受信からだって可能なのである。
名曲を諸君、聴こうよ。
(一九七四)
不運なタンノイ
七歳になる私の娘は、近頃ようやくブルクミュラーの練習曲七番あたりを聴くにたえる程度に、弾けるようになっている。家内も娘のころピアノは習ったそうだが、とても聴くにたえるというわけにはゆかない。
ブルクミュラーは一八〇六年にドイツに生れ、六十何歳かで死んだ。フランスのバオーリューという所で死んだように覚えているが、間違っているかもしれない。一八〇六年生れといえばほぼショパンと同時代で、今日、ショパンの名は知っていてもブルクミュラーと聞いて咄嗟《とつさ》にあの情緒ゆたかな二十五の練習曲を思い浮べる人が何人いるか。有体《ありてい》に言えばこの私が、娘の弾く、やさしくて華麗な小品を耳にするまでブルクミュラーなる作曲家がいるとは知らなかった。早速、シュワンのカタログでレコードをしらべると、米国盤だがエチュードが一枚だけ出ている。演奏者はマルチン。ついでに演奏家大事典(音楽之友社版)を引いてみたら、David Martin――「イギリスのヴァイオリン奏者のようである」と出ていた。「ようである」とはかえって正直で、編纂《へんさん》者のずさんさを責める前に、つまり大「音楽之友社」をもってしてもヴァイオリン奏者と間違えるようなピアニストでしかなく、アメリカでもブルクミュラーのレコードは他に出ていないことに、むしろ意味がありそうである。
私の聴き方に間違いなければ、だがこれは実にいい音楽だ。人はショパンのエチュードを言うが、ブルクミュラーのものが格別ショパンに劣るとは私には思えない。弾奏のテクニックの上で、高度なものをショパンのそれが要求するしないは、われわれ素人にはどうでもよいことである。耳で聴いて好い音楽ならそれでいい。子供が弾いてももっとも気持よく聴けるのがモーツァルトなのは、多くの人が知っている。むしろしばしばひとかどのピアニストの弾くモーツァルトより、子供のそれは、純粋にモーツァルトを語りかけるが、純粋という、甚《はなは》だ曖昧《あいまい》なようで、しかし紛れもなくわれわれの周囲に存在しているもの、日常に失っていてもそれを感じ取ることをまだわれわれの見失っていないもの、言えば幼児の無心さでしか、あらわしようのないものがモーツァルトのソナチネには無数にちりばめられている。――というこういう言い方が、実は一番モーツァルトの顰蹙《ひんしゆく》をかうだろうことも分っているが、ともかく子供にも音楽として弾き得るのが、ブルクミュラーを軽んじていい理由にならないことだけは確かだろう。しかも大方はブルクミュラーを知らない。二十五のエチュードは、彼の百番目の作品になる。あとの九十九曲をわれわれは知りようがない。
しかし、一方では、この二十五曲の小品を聴けばブルクミュラーを知るに十分だという人がいるかもしれず、モーツァルトを弾くのに案外臆病なピアニストが多いように、この二十五の練習曲もモーツァルトの場合と同様こわくて弾けないのかも分らない。モーツァルトのたとえばロンド(K五一一)を、ランドフスカのように見事に弾けないなら、いっそ弾いてくれない方がましだと、われわれは思う。なまじな者が弾けばかえって真のロンドをよごされるとわれわれは思う。そういう作品の愛し方があっていいはずで、したがってなまじな演奏でブルクミュラーをディスクにするのはピアニストには、恥ずかしいのだろうか。もしそうなら、ほとんど無名のマルチンなるピアニストは、この一枚を出したことで全ピアニストの軽蔑《けいべつ》をかっているか、絶賛されるに値するかのどちらかだ。――こんなことを私が言い出したのは、個人的理由からにきまっているが、一つには、再生装置への疑問をあらためて考え出したことにもよる。
娘の弾いているピアノはベーゼンドルファーのセミ・グランドで、以前は防音装置をほどこした私のリスニング・ルーム(二十畳)に置いてあった。こんど私は新居に移転し、ピアノは娘の部屋(十畳)に移した。この部屋には防音装置はない。
ところで新しい部屋で弾く娘のピアノの響きと、その美しさは、大袈裟《おおげさ》に言えばとうてい同じピアノとは思えない。娘が一朝にして上達するわけはない。つまり部屋の反響のせいである。それでいて、低音部の和音のひびきは、どうかするとこれがベーゼンドルファーかと耳を疑いたくなるくらい、品さがった鳴り方をする。しょっちゅうペダルを踏んでいるように、しつこく余韻をのこすのである。ピアノは正直のところ娘の愛玩《あいがん》用で、《音楽》に彼女が自然になじんでくれるなら、それでよい。だがレコードを聴く私の場合は、ただではすまない。以前私はテレフンケンの今では製造停止になっている大型のステレオ装置で聴いていた。意に満たぬ音なので同じドイツのSABAというのを購《あがな》った。
「ドイツは堕落した」
と私を長大息させた音であった。そこで今度はクリプッシ・ホーン型キャビネットに納めた英国タンノイのスピーカーを取り寄せた。以前にも私はタンノイ二個を用いてモノーラルを聴いていた。これは、はじめは高城重躬《たかじようしげみ》氏の設計になる装置で鳴らし、次に日本製のキャビネットに納めて聴いた。ずいぶん好い音だと自惚《うぬぼ》れていて、テレフンケンと聴き比べて唖然《あぜん》としたものだ。高城氏を、この時ほど気の毒に思ったことはない。高城氏が悪いのではない。日本オーディオ界の水準の低さ、底の浅さを、高城氏のために嘆いたのだ。あたら高城氏ほどの有識をもってしても、末端のオーディオ技術が未熟ではこんな音でしか鳴らなかったのか、と思った。
さてテレフンケンの音の輝きに恍惚《こうこつ》とし、満足し、そのうちステレオが盛んとなるにつれ高音部に不満を見出《みいだ》すようになって、昨秋のヨーロッパ旅行でSABAを得た。
ミュンヘンに世界的に有名な博物館がある。エジソンの発明になる初期の蓄音機から最新のステレオ装置までが進歩の順次に展覧されている。その最新のステレオはテレフンケンではなくSABAであった。私は勇気と喜びをあらたにして日本へ着くであろうSABAへの期待に夢をふくらませた。
さて昨年暮にはるばる海を渡ってSABAはわが家に運び込まれた。それを聴いて、どんなに絶望したか。もう一つの新しいテレフンケンの装置は、工場のほうから、不備の点を発見して製造を中止した旨の連絡があった。私は怏々《おうおう》とたのしまなかった。いまひとつロンドンで聴いたデッカ《デコラ》は、テレフンケンがベンツならロールスロイスではあろう、しかし、これはS氏のもので、今さら同じものを取り寄せることは日本オーディオ界のパイオニアを自負する私の気持がゆるさない。人さまはいい音で満悦至極であるのに、私だけがなんでこうも不運なのか。私がどんな悪いことをしてきたというのか? 私は天を怨んだなあ。
たまたまチューリッヒでスイス人のオーディオ・マニアからHiFi year book(一九六三)なる冊子を贈られていた。オーディオ部分に関するものでおよそ私の知る限りでデータの載っていないものはなかった。何気なくこれを見ていたら、タンノイのホーン型キャビネットに同じ十五インチのタンノイのスピーカー(一個)を容《い》れて英貨百六十五ポンドと出ている。スピーカーのみの値段は三十八ポンドである。私の持っていたのも同じこの三十八ポンドのだが、それをキャビネットに納めて百六十五ポンド。邦貨で輸入して約四十万円だ。
ミスプリントではないかと私は思った。英国人がどんなにケチで頑固かは周知の通りである。ロールスロイスの《デコラ》さえ、セパレーツでならスピーカー・キャビネットともで約十万円。今もってSPのかからぬ電蓄は英国では売れないと言われる。そういう頑迷でケチな市民を相手に、ステレオを聴くためのスピーカー・システムだけで邦貨四十万円以上のものが、果して売れるのか?
ミスプリントに相違ないと思った。しかし念のために調べてみたら、ダブルチャネル・ホーンシステムの有名なクリプッシ・ホーンが百六十五ポンドしている。この二つだけがズバ抜けている。(コンデンサー型で日本でも人気のあるクワードが五十二ポンド。ワーフデールの最も良いもので六十五ポンド。)
半信半疑で私はこの話をS氏にした。S氏もかつてタンノイを和製のキャビネットで鳴らしていた人だ。日本で最初にタンノイを取り寄せたのはS氏だろう。
「英国でミスプリントとは考えられない。百六十五ポンドに間違いないと思う。そんなに高価なら、よほどいいものに違いない。取ってみたらどうだ。かんぺきなタンノイの音を日本ではまだ誰も聴いた者はないんじゃないか」
言われると、虫がおきた。金のなる木を私は持っているわけではないが怏々たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにいられなかった。念のために、貴社のタンノイで十全なステレオ効果を得るにはいかなるパーツを使用すべきやと問い合せた。カートリッジは『デッカ』、アンプは『クワード』、アームは『SME』を使用せよとの返事である。いずれもすでに日本に輸入され、店頭に出ている。私は早速指定どおりの部品を用意し、タンノイの到着を待った。
しばらくしてタンノイから塗装の色を指定せよと言ってきた。まかすと私は言った。ふた月ほどして、貴下注文の弊社製Guy R. Fountain Autographはすべての査定に合格し、近日発送の予定と知らせてきた。それから幾日、私は想像し得る限りの美しい音を思いえがき、胸をふるわせたことだろう。
一九六四年七月二十五日、はるばる海を越えてついにタンノイは私の家に届けられた。私は涙がこぼれた。キャビネットへ並んで立つとその高さは長身な私の口もとを越えた。予想以上の大きさである。カサドジュ夫妻と息子の弾くバッハの『三台のピアノのための協奏曲』を最初に掛けた。目の前が真っ暗になった。違うのだ。私の想像していたような音ではない。次にクリュイタンスの『逝《ゆ》ける王女のためのパヴァーヌ』を掛けてみた。全身から血がひいてゆくように思った。バーンステインのマーラー交響曲第五番をきいてみた。バックハウスの『皇帝』を鳴らしてみた。
もう涙も出なかった。私はあわて者だ、丹念さに欠ける人間だと自分で知っているつもりだから、各パーツの接続には十分注意した。少なくとも自分では、したつもりでいた。
なかば自棄《や け》になって、こんどはモノーラルをかけてみた。クワードのプリ・アンプは、モノーラルのボタンを押すとスピーカーの片側だけが鳴るようになっている。メイン・アンプの左右どちらかは自動的に消えるのである。なかば自棄だったもので、掛けたのは古いヘンデルのコンチェルト・グロッソ(エドリアン・ボールト指揮)のロンドン盤だったが、鳴り出してあっと叫んだ。夢中で私は家内を呼んだ。
なんといういい音だろう。なんとのびやかな低音だろう。高城氏設計のコンクリート・ホーンからワーフデールの砂箱型、タンノイの和製キャビネット型、テレフンケン、サバと、五指にあまる装置で私は聴いてきた。こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聞いたことがない。しかもなんという低音部のひろがりと、そのバランスの良さ。古いカサドジュの弾くドビュッシーの前奏曲を次に聴いたが、盤質のよごれているのがこんなにハッキリ(つまり煩わしく)耳を刺したことはない。それでいてピアノの美しさはたとえようもない。
私は勇気を新たにした。もう一度接続をしらべたら、ピック・アップ・コードを挿《さ》し違えているのを発見した。それからの、ステレオの、さまざまな試聴のたびに私の味わった狂喜はどんなだったか、これはもう察してもらうほかはない。
ステレオ効果の最も明らかなのは現在の録音では楽器の数のすくないラテン・ミュージックか打楽器を主とした現代音楽というのが私の持論である。フルオーケストラでは録音技術に未《いま》だ完璧《かんぺき》の臨場感はのぞみ得ない。私はコンガやボンゴを自分でたたくので、とりわけ打楽器の高忠実度性にこだわるのかもしれないが、とにかく私のもつ数枚のスタンダード・ナンバーは申し分ない演奏を聴かせてくれた。こんな俗曲を、タンノイよ、そう一生懸命鳴らしてくれんでもええ、と私は言いたかった。なにか伯爵夫人が私のために、安っぽいナイトクラブのステージでその高貴な衣を脱ぎ捨て、一心に、サービスにつとめてくれるような気がした。しかも彼女はなんと美しく、情熱的で、私を興奮させたことか。
こうなればもう占めたものである。私はブリッテンの『戦争レクィエム』を掛け、オルフの『アンチゴーネ』を掛け、『シェーンベルク集』を鳴らした。気がとおくなるほどうまく鳴った。安心して私は『ワルキューレ』に針をおろした……。
うまく鳴らないレコードがあれば、それは再生装置のせいではなくて録音が悪いという、こういう確信は容易に持てるものではない。ひっきょう、レコード鑑賞にはまず機械への全幅の信頼がなくてはかなわない。右のままで現在に至っていたら、だから私は、日本一の幸運児であったろう。
私は新築の家に移転した。ベーゼンドルファーが別物に聴える家である。娘の部屋は十畳余だが、私のレコードを聴く所は三十畳。うち十畳には一段高くして畳を敷いて客座敷にし、天井には薩摩葭簀《さつまよしず》を張った。この座敷の障子を開けると三十畳が見通せるようになっている。スピーカーを置いてあるのは絨氈《じゆうたん》を敷いて応接セットを据えた方である。天井は壁天井である。すべて新築の家は本建築の民芸造りにしたから、この壁のため聚楽土《じゆらくつち》を取り寄せ、これを塗る左官を京都から呼んだ。おかげで実にしっとりと深味のある東京では見られない好い壁色が出たが、壁に、いまさら防音テックスを張るわけにはゆかんではないか。
それに、ステレオの効果をあげるためには或る程度の反響を部屋にもたせることは必要であり、天井は高い方だから以前のリスニング・ルーム以上に素晴らしい音で鳴ってくれるだろうと、期待するのが当然だと思う。
これが、案に相違して、エコーのひどい、きくに耐えぬ音だった。キャビネットの位置をどう変えようともエコーは消えない。すっきりした、スピーカーから出る純粋な音だけを聴かせてくれた以前と違い、楽器の音それぞれにエコーの幅がついている。したがって低音はこもり、風のようにさわやかに抜けてくれない。もごもごしている。私の最も軽蔑する低音なのである。
二十から二万サイクルをほぼフラットに再生すると公表されているスピーカー・システムだ。カートリッジをデッカからオルトフォンに替え、シュアーV15にかえ、ADCも鳴らしてみた。アンプもマランツにかえた。私はオーディオの素人ではあるが、もう十年ちかくこの道では泣いてきている。あらかたの世界的著名な部分品は試聴している。そのたびにヌカ喜びし、失望している。またひとつ、そんなヌカ喜びから醒《さ》めたと言えばそれまでだ。しかしもうそういうことで片づく問題ではないように思う。タンノイが最高水準をゆくスピーカーであることに疑いはないし、事実それの置かれた前の部屋では、完璧に鳴ってくれていた。悪いのは装置ではなく今度の部屋だ。私はそう思う。ここに問題がありそうに思う。
試みに、タンノイとは聴き比べようもなく音質のキメの荒かったSABAを、こんどの新しい部屋で鳴らしてみた。実にふくらみのある、気持よく澄んだ音で鳴った。むろん、前のリスニング・ルームで聴いたタンノイの気品のある音質にはおよばぬが、このサバを初めから新築の家で聴いておれば、私はけっこう満足したろう。
それぐらい、部屋によってステレオの音は変る。音響効果ではなく、音自体が変る。読者諸賢にこのことを知ってほしいと思う。当然考えられることだが、防音装置など施して聴く毛唐はいないのだ。よほどのマニアでない限り、日本人だってそうだろう。住宅を音響効果のため、改築するだけの経済的余裕のある人は限られている。ふつうの家に住んで、ふつうの壁ぎわへ据えて聴くようにSABAは設計されていた。防音装置さえ施せば音がよくなると、素人考えで思い込んだ私の方があわて者なのである。ベーゼンドルファーの音のかがやきがこれを端的に表明しているように思う。念のためもう一度HiFi year bookをしらべたら、私の聴いているスピーカー・システムは、スタジオ・モニター用に放送局で使用するためのものだと、明記されている。放送局なら防音装置は完璧だろう。げに以前のリスニング・ルームの方が優れていたわけである。
こうなれば、私は、再び防音装置の試聴室を建てねばならない。こんどの家を新築するのに、二年かかっているがまだ塀《へい》もできていない。数寄屋大工が三人、二年越しに庭に建てた飯場で、今もコツコツまだ仕事をしている。私には借金こそあれ一文のたくわえもない。しかし建てねばなるまい。何年かかるか、タンノイをかんぺきに鳴らすために、高貴な婦人をいわば迎えるにふさわしい部屋を私は用意せねばならないだろう。それが愛情の責任というものだろう。
ついでだが、テレフンケンの工場から、私がボロクソに言った《ヒムナス》の製造は停止したが、これなれば十分な立体感により貴下の満足を得るであろうと、Opus 5430なる装置を紹介してきた。送ってみろと言っておいたら、この十月はじめ、横浜港に着いたそうである。移転の慌しさに紛れて家へは運ばせていない。そのうち来るだろうと思う。FMのステレオ放送を主に私は聴きたいので買ったが、値段は安かった。
どんな音がするだろう。テレフンケンのラジオの音質には定評があり、テキも私の悪口を承知で送るというのだから、自信はあるに違いない。SABAとの比較も楽しみである。タンノイが不運なことになっている現在、ようやく私はそうした期待でみずからを慰めている。
(一九六四)
タンノイについて
レコードで音楽を聴く場合、音楽を流しているのはスピーカーではなく、スピーカーは単に振動するコーン(紙)にすぎない、鳴っているのは実は部屋の空気そのものだ、ということにようやく私は気がついた。
ことわるまでもないが、こちらはHiFi技術には素人だから、一個のスピーカー――そのレスポンスがいかほどで、磁力がどれほど優秀であろうと、つづまるところこの耳で良し悪しを聴き分ける以外にない。よいものが良くきこえれば文句はない。しかし人には各自に耳くせというものがある。癖は一朝一夕に改まらず、ものの良し悪しをしばしばこれで判断する。
一昨年秋、西ベルリンを見物したときに、私の目に最も印象深かったのは多くの人が言うような東西ドイツの現状ではなく、荒廃した、戦災時そのままな廃墟《はいきよ》に残っている日本大使館ビルの、正面玄関に燦然《さんぜん》と輝く菊の御紋章だった。
ベルリンを旅行した人なら知っていようが、この建物(その残骸)の周囲には金網がめぐらされ、ヒットラーの官舎や、他のナチスの重要な建物同様、いまだ修復の手を加えず捨てられている。西ドイツの繁栄は、こういう恥部をさらしものにせねば齎《もたら》されなかったのか? ヨーロッパを旅行して、私はしばしば日本がいかに彼らにとって関心のない国であるか、ということを知った。日独伊三国同盟などと騒いでいたのは東洋の一小国のわれわれだけで、少なくともドイツ人は日本との同盟をあてにあの戦争をしたのではない。彼らは、ドイツだけが全世界を相手にするぐらいの心づもりで戦争をおっ始めた、ということを、痛切にドイツ人に接して私は知らされた。ドイツをかつての同盟国と思っているのはわれわれ日本人だけだ。おしなべて西洋を重視する(事大主義的とすら言える)われわれの欧米偏重の習性に、これは由来する感情だろうが、ともかく、ドイツ人とは「一緒に戦った」といった或る種の慣れ合いが、私ら戦中派の人間の内部になかったとは言えない。
見事すぎるくらい、そういう慣れ合いの感懐を私はドイツの市民に接して粉砕され、あらためて、目を日本の当時の軍部に向けた。ともに戦いともに敗れた戦後ですら、ドイツ人は日本に無関心なのである。イタリアへは「裏切られた」としばしば憤りの口吻《こうふん》を洩らしたが、日本についてドイツ市民一般が関心しているのは『ソニー』と『ホンダ』くらいのものだ。ひっきょうは、日本はまだその程度の国家でしかない。
戦前とて同様でなかったわけはあるまい。それでもわれわれはゲーテを読み、ベートーヴェンを聴くことで彼らになじんだつもりになり、無意識に、彼らドイツ人もまたそんなわれわれを知ってくれている、と思っていた。お人好しな話だが、この思い過し、認識の落差を当時訂正してくれた一人の政治家、ドイツ文学者、軍人がいたろうか? 「知らしむべからず」が封建以降、今に変らぬ政治家の感覚らしいから、日本がどの程度ナチス・ドイツに認識されているかを知らされなかったのはやむを得ないとしよう。しかし、同盟を結ぶとき、ドイツ人にいまだ認識されるに値せぬ日本であることを、政治感覚で、当時の外務大臣や大使や首相が知らなかったはずはない。それでもあたかも強大国のごとくナチス・ドイツに支持される日本だと、われわれに思い過させた外相や首相を、人間的良心の欠如の点で、私は悪《にく》む。日本人らしい羞恥心《しゆうちしん》はなかったのかと憎むのである。
荒涼たる日本大使館跡に立ったとき、私の胸に去来したのはこういう当時の政治家たち、政治を煽動《せんどう》した軍人の、良識の欠如に対するいきどおりであった。つまりは、日本人たるわれわれの思いあがりへの怒りだ。しかも菊の御紋章は、廃墟の中で燦然たる輝きを失っていなかった。かつての大日本帝国の栄光は今、世界中で、ここだけに残っている――そう思えたくらいである。ベルリン市民が東西に分離される状況を、悲惨より、むしろ滑稽と私は見たが、同様に燦然たる御紋章が、涙の出るほど滑稽に見えたことだった。何はさて置き、この御紋章を取り除く羞恥心さえ今の日本人にはないのであろうか。
西ベルリンを訪問して、こういう見方をする私は人間だ。東西ドイツの境で、西側の立哨《りつしよう》兵の望遠鏡をかり、東側の衛兵を拡大して私は覗《のぞ》いて見た。向うでも驚いて私の着流し姿を双眼鏡で覗いていた。向うはソ連の将校らしかった。彼我に三十メートルの距離しかないのにたがいに双眼鏡で覗き合う、これが滑稽でなくて何だろう……私には、そう思えるのである。いわばこれは私の目の癖である。
耳について言えば、弦のユニゾンを金属的にではなくて、風にそよぐ茫《すすき》のように、颯々《さつさつ》と爽やかに鳴らすスピーカーを私は好む。英国の音――たとえばGoodmansはロンドン盤のスイス・ロマンドの弦音に適応した鳴り方はするが、それはチリ、チリと高音域が鳴るので、風のごとく吹き抜けるというわけにはゆかない。Stentorianは高音域がより繊細ではあるがやはりチリ、チリである。Wharfedaleのトゥイーターの音には砂金が混っている。Lowtherは砂金の粒子がこまかくなり米国人の好みにちかいと言うべきか。ElacやFaneのモデル301型(受話器のダイヤルそのままに十二の孔から高音が鳴るようになっている)はしょせんはマニアに無縁だろう。さてそういう英国製スピーカーの中で、最初、もっともエクセントリックにチリ、チリした高音をきかせたのがTannoyであった。テレフンケンの超大型ステレオ装置(S8型)を入手するまで、私はこのタンノイをJ・B・ランシングのウーファー付きで鳴らしていた。アンプは高城氏の製作によるものだった。今から思うと、テレフンケンの高音域のレンジはあまりのびていない。総じてカタい音である。しかしそれがいかにもドイツ的な、かつ透き通った硬質ガラスを通して光明な風景を眺める感じで聴きとれたのは、こちらの耳がタンノイのエクセントリックな高音(ジュラルミン振動音)に慣れていたためだと、後になって気がついた。――話はここから始めねばならない。なんのことはない、テレフンケンの音もまたエクセントリックなものだったからである。耳に癖が残っていたのである。
テレフンケンの工場から、旧臘《きゆうろう》、「貴下の満足を得るであろう」とOpus 5430 MX型を送ってきた話は前に書いた。これはFMステレオの受信のために推称してきたもので、レコードプレイヤーの接続端子はついているが、申せばラジオだ。私の友人でレーダーの製作にたずさわる技術者――かつはHiFi仲間であるT君の言によると、なるほど最新の弱電技術を結集したレシーバーだそうである。また新しいだけに前のS8型よりは音は良いだろうと言ってくれた。
肝心のその音である。たしかに旨《うま》いこと鳴っている。国産のステレオ装置で最新盤のレコードをかけてもこうはゆくまい。音にひろがりがあり、かがやきがあり、楽器の分離がよく到底ラジオのステレオとは思えない。が、所詮《しよせん》はタンノイ・オートグラフで聴く音の比ではない。
だいたいタンノイのスピーカーほど、日本の愛好家に誤解されているものも珍しい。タンノイというスピーカーは、スピーカーだけ買ってもなんにもならないので、folded hornに収められてはじめて性能を十全に発揮する。十五インチのスピーカー一個が約七万円、それを収めたエンクロージアを日本で入手して約四十万円。箱だけでスピーカー四個分より高い。
こんなベラ棒な商法は日本では通るまい。したがって純正のfolded hornに収められたタンノイを、ほとんどの人は聴いていないと言っていい。高音部がエクセントリックだと私は前に書いた。和製のキャビネットに収めていたからだ。folded hornで聴くと、微風のように吹き抜けて鳴るのである。その音のひろがりと美しさには、声をのむ。実際に聴かねば信じられないほどだ。底知れぬ深淵《しんえん》に落下するのが見えるような、果てしなく延びのある低音。私は随喜し、こういうスピーカー・システムを黙って売っている英国人の腹芸、むしろ老獪《ろうかい》さといったものに改めて思い当った。こんなベラ棒に高価なシステムがイギリスでもそうそう売れるわけはないのだ。大方はわれわれ同様スピーカーだけを買い、ただのバスレフ型かコーナー・キャビネットに収めて聴いているに違いない。そのエクセントリックな高音に泣かされているに違いない。しかしそれは、金惜しみする方が悪いので、指定のホーンでさえ鳴らせば文句のつけようのない、現今のHiFi装置が再生し得るトップクラスの音質をきかせてくれるのである。
一度この音を聴いた人はタンノイへの賛嘆を惜しまぬだろう。そうして財布の底をはたいてタンノイにイカれ、スピーカーのみを買うだろう。結果は、せっかくのモーツァルトやバッハの名曲が、弦音のみキンキンとび抜けた異常さできこえる妙な音楽を聞かされる仕儀となる。中音部は不協和音かと耳を疑うし、低音部だってうーん、うーんと、どんごろすを棍棒《こんぼう》で叩いたような奇怪な唸《うな》りが間歇《かんけつ》的にきこえるばかりだ。そういうタンノイに失望して、私はもう十年を過してきた。
くり返すが、folded hornではその耳を刺す高音が真綿の弦を、絹で撫《な》でるように柔らかく聞える。同じスピーカーがである。スピーカーというのはそれ自体は単なる一機能にすぎず、函《はこ》全体が、さらに優秀なのは部屋の空気の隅々が音楽を満たすようにできているものだということを、こうして私は知ったわけだ。専門家なら、はじめから分りきったことというにきまっているが、しかし、実際に、空気全体が(キャビネットやましてスピーカーがではない)楽器を鳴らすのを私は未《いま》だかつて聴いたことがない。鳴っているのはスピーカーでありキャビネットであった。今、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。これこそは真にレコード音楽というものであろうと、私は思うのである。
むろんこうした室内の空気自体に楽器を奏さしめるためには、各部分品(カートリッジ、アーム、アンプ)に品質劣化が伴ってはならない。ほぼ、私はこの諸条件を、今は満たしていると思う。その上での話だが、右の、OpusのFMステレオ放送を聴いて痛感したのは、妙な言い方だが楽器がより広域のレンジで、鮮明にきこえるおもしろさと、音楽それ自体のもつ芸術性とは、レコードの世界ではまだ別だということだった。私はワグナーが好きで、たとえばフルトヴェングラーの『ワルキューレ』とラインスドルフのステレオ盤をもっている。フルトヴェングラーのはむろんモノーラルだが、現今、ワグナーを真正にきかせてくれる指揮者はフルトヴェングラー以外にはあるまいと当時思っていた。『ワルキューレ』第三幕だけは、LP初期にカラヤンの振ったのを幾度か聴いたことがある。ワグナー指揮者としてのクナッパーツブッシュを無視するわけにはゆかないが、しかし当時、フルトヴェングラーの『トリスタンとイゾルデ』全曲をきき、『ワルキューレ』をきいた時には、もうもう他のワグナーはいらぬとさえ思ったものだった。
最近になって、ワグナーのステレオ盤が相ついで欧米でも発売されている。ステレオは、ワグナーとマーラーを聴きたくて誰かが発明したのではあるまいか? と思いたくなるくらい、この二大作曲家のLPはステレオになっていよいよ曲趣の全貌《ぜんぼう》をあらわしてくれた。それでも、フルトヴェングラーとラインスドルフを聴き比べ(フルトヴェングラーのは米国では廃盤。ショルティやカラヤンのワルキューレ全曲盤は、この時はまだ出ていなかった)ステレオのもつ、音のひろがり、立体感が曲趣を倍加するおもしろみを尊重しても、なお私はフルトヴェングラーに軍配をあげる。音楽のスケールが違う。最もステレオ的な曲と思えるワグナーでさえ、最終的にその価値をとどめるのは指揮者の芸術性だ。曲の把握《はあく》と解釈のいかんであって、これまた、当然すぎることだが、しばしばそれがレコードでやってくる場合、装置の鳴り方いかんが指揮者の芸術を変えてしまう。
さてわれらのタンノイである。たとえば『ジークフリート』(ショルティ盤)を聴いてみる。この曲のステレオ全曲はショルティの指揮したものしかないが、「剣の動機」のトランペットで前奏曲が「ニーベルングの動機」を奏しつつおわると、森の洞窟《どうくつ》の『第一場』があらわれる。小人のミーメに扮《ふん》したストルツのテナーが小槌《こづち》で剣を鍛えている。鍛えながらブツクサ勝手なご託をならべている。そこへジークフリートがやってくる。舞台上手の洞窟の入口からだ。ジークフリートは粗末な山男の服をまとい、大きな熊をつれているが、どんな粗雑な装置で掛けても多分、ミーメとジークフリートのやりとりはきこえるだろう。ミーメを罵《ののし》り、彼の鍛えた剣を叩き折るのがヴィントガッセン扮するジークフリートの声だとも分るはずだ。しかし、洞窟の仄暗《ほのぐら》い雰囲気《ふんいき》や、舞台中央の溶鉱炉にもえている焔《ほのお》、そういったステージ全体に漂う雰囲気は再生してくれない。私は断言するが、優秀ならざる再生装置では、出演者の一人一人がマイクの前にあらわれて歌う。つまりスピーカー一杯に、出番になった男や女が現われ出ては消えるのである。彼らの足は舞台についていない。スピーカーという額縁に登場して、譜にある通りを歌い、次の出番の者と交替するだけだ。どうかすると(再生装置の音量によって)河馬のように大口を開けて歌うひどいのもある。
わがタンノイでは絶対さようなことがない。ステージの大きさに比例して、そこに登場した人間の口が歌うのだ。どれほど肺活量の大きい声でも彼女や彼の足はステージに立っている。広いステージに立つ人の声が歌う。つまらぬ再生装置だと、スピーカーが歌う。
器楽においてもこれは同様だろう。約五百枚のレコードを私はもっているが、繰り返し繰り返しタンノイで聴き、いわゆるレンジの広さ、そのバランスの良さはボリュームにはかかわりなく楽器そのものを、むしろ小さく感じさせる、ということを知った。私はタンノイ二基をdual concentric unitとして、約五メートル間隔で壁側においている。壁にはカーテンを垂らしている。ワルキューレやジークフリートはこの五メートル幅の空間をステージに登場するのである。部屋中に満ち溢《あふ》れる音量――なぞいう安物ステレオ会社の宣伝文句、あんなものは真赤な嘘だ。だまされてはならない。出力ワットやボリュームはdB(デシベル)で表現さるべきものであって、音域の充溢《じゆういつ》感とは無関係だ。安物のステレオ装置ほど、どうかすれば部屋中割れるような音を出す。あれは音量の洪水であって音楽ではない。音楽は、けっして洪水のように鳴るわけはない。銘記せねばならぬ。
新着のテレフンケンOpusは、この点、さすがにうまくはできていた。音質の固さはドイツ特有のものだろうが、その録音テープをタンノイで鳴らすと、サバより違和感のはげしいのは、つまりドイツ的個性と英国のそれとの差違によるものだろうとおもいたくなるくらい、サバは明らかにアメリカナイズされた音である。言い換えると、ドイツの技術では二流品の音である。目下のところ、弱電技術でまだナマの音はとうてい再生し得ない。しょせんはらしさを出すにとどまる。Aの楽器をそれらしく出すにとどめるか、全体のハーモニーをえらぶか、それを選択するのは教養だろう。同じピアノでもベヒシュタインとベーゼンドルファーでは違う。ピアノという楽器の音でも、この違いはそれを選択する者の生き方の違いにつながる場合だってある。単に音とは言え、こわい話だ。そういう生き方につながる意味でも、わたくしはタンノイをえらんだ。わたくしのくさぐさなレコード遍歴は、もう一度、このタンノイを聴くところから出発することになろう。
(一九六五)
わがタンノイの歴史
タンノイというスピーカーをはじめて聴いた当時から、今日までの、《わたくしにおけるタンノイの歴史》といったものを書きとめておきたい。オーディオ愛好家としてのわたくしが今、人さまに、はばかりなく言えることは、タンノイというスピーカーを日本人でわたくしほどムキになって聴いた人はないだろうということ、「骨までしゃぶる」という言葉がある、タンノイについてなら、スピーカーの機能の骨まで、わたくしはしゃぶったと思えることである。
はじめてタンノイを聴いたのはS氏のお宅で、昭和二十七年秋だった。当時S氏邸にはゼンセンの510と、グッドマンの十二インチがあった。昨今オーディオ・マニアに評判のいいグッドマンを、おそらく日本で最初にS氏は輸入した人ではないかとおもう。LPのようやく普及しはじめた当時、グッドマンの音にどれほど、わたくしは感動したか知れない。ことにロンドン盤の弦音の美しさには恍惚《こうこつ》とし、この上、どんなスピーカーが必要なのかと怪しんだ。しかしS氏は、英グラモフォン誌や、ハイ・フィデリティを月々購読し、タンノイの尋常ならぬ秀抜さをその記事で知って、購入されたのである。
それが届いたとき、わたくしはS氏邸の書斎で、梱包《こんぽう》を解くのを手伝った。フランチェスカッティの、ベートーヴェンの『ロマンス』を聴いた。おもえば、ト長調(作品四〇)の冒頭で独奏ヴァイオリンが主題を呈示する、その音を聴いたときから、わたくしのタンノイへの傾倒ははじまっている。ヴァイオリン独奏部の繊細な、澄みとおった高音域の美しさは無類だった。あれほど華麗におもえたグッドマンが、途端に、まるで色あせ、鈍重にきこえたのだから音というのは怖《おそ》ろしい。
といって、実はかならずしもすべてがうまくきこえたわけではない。タンノイ指定の箱というのが、日本では売り出されている。タンノイの音色を損うために作られたとしか言いようのない、でたらめなキャビネットだ。今ならそれをわたくしは言い切ることができるが、当時は、S氏邸のほかにタンノイはなく、どうかすれば耳を突き刺す金管の甲高い響きや、弦合奏で硝子《ガラス》窓をブリキで引っ掻《か》くに似た乱れた軋《きし》み音を出すのを聞くと、これがHi・Fi誌の絶賛したスピーカーかと狼狽《ろうばい》したのは、むろん当のS氏であろう。この時のタンノイはいわゆる、バスレフ型のコーナー・キャビネットにおさめてあった。
バスレフ型というのは、周知のように、箱の上辺にスピーカーを取付け、下辺に矩形《くけい》の開口部をあけてあるが、タンノイ社の指定では、キャビネット内部で、スピーカーを取付けた部分とこの開口部の中間に厚板で仕切りをもうけ、厚板には「十インチ平方より広からざる穴を空けよ」と指示してあった。十インチ平方より「広からざるというのがくせ者だ。音がわるいのはキャビネットのせいにちがいない」そうS氏は言って早速、家具屋に新しく指定どおりの注文をなさる。今なら笑い話だろうが、わたくしが知っているだけでも、タンノイのためにS氏の発注されたキャビネットは「十インチ平方より広からざる」から、グランドピアノの重さのある巨大なの(これは高城重躬氏の設計になった)まで、ゆうに七個をかぞえる。キャビネットばかりは下駄箱にもならず、残骸が次々と納屋を占領して夫人を嘆かせていた。笑い話といえば、当時S氏のアンプを製作していた技術者は、「タンノイは磁石が強力だから低音が出ない」といい、それならとワーフデールのウーファーをS氏はタンノイに組合せて鳴らされたものである。グランドピアノの重さのキャビネットがこれである。
涙ぐましいこういう努力で、少しずつ音質はよくなり、しかし疑念は晴れない。ワーフデールでこれ位よくなるならさらにタンノイをもう一個取付け、低音だけを鳴らせば一層、音の美しさはまさるだろうと、二個目のタンノイをS氏は芳賀檀《はがまゆみ》氏の渡欧の折に依頼された。当時神田のレコード社でタンノイ(十五インチ・モニター)は十七万円した。英本国でなら邦貨三万数千円で入手できる。芳賀さんはロンドンで購入したのはよいが、どんなにS氏がレコードを、その音質を、つまりスピーカーを大切にする人かを熟知していたので、リュックサックに重いタンノイを背負《しよい》込み、フランス、ドイツ、スイスと旅して回った。なんのことはない、国がかわる度に通関手続で英国製品の余分な税金をふんだくられねばならなかった。「これはぼくの友人のスピーカーだ。日本へ持って帰るのだ」何度説明しても、この真摯《しんし》なドイツ文学者にリュックサックでスピーカーを持ち回らせる、そんな音キチが東洋の君主国にいようとは、彼らには信じられなかったのである。ハイ・ファイなどのことばすら当時は一般に知られていない。「日本に持ち帰るなら、なぜロンドンから直送せんか」「大切なスピーカーだからだ。これは、有名なタンノイだ。少しでも早く友人に届けたいからだ」なんと説明しても、「税金を支払わないのなら貴下を入国させるわけにはいかん。そのリュックサックは没収する」
これまた、語るも涙であろう。涙のこぼれるこういう笑い話を、大なり小なり、体験しないオーディオ・マニアは当時いなかった。この道は泥沼だが、音質向上するにつれて泥沼はさらなる深みを用意し、濫費を要求する。みんな、その濫費に泣きながら、いい音が聴きたくて悪戦苦闘するのである。
タンノイにおける、S氏のこの悪戦苦闘ぶりをつぶさに傍《そば》で見たことが、その後のわたくしの苦闘につねに勇気を与えてくれた。この意味でもS氏は、かけがえのないわたくしには大先達であった。
S氏邸に初めてタンノイが届いたころ、わたくしたち夫婦は一週間に二日は塩昆布《しおこんぶ》だけで食事を済ます貧乏な生活をしていた。敷布を五十円で質屋に入れていた。それでもわたくしの魂は「昂然《こうぜん》たる」とも称すべき状態にあり、満ち足りていた。ほとんど隔日に、S氏邸でレコードを聴くことができたから。神保町《じんぼうちよう》に『エンプレス』という名曲喫茶があった。一杯五十円のコーヒーを飲んで何時間も音楽を聴き耽《ふけ》った。こういう体験は、昔のレコード愛好家なら誰しも持っていると思う。S氏邸には『エンプレス』とは比較にならぬ名盤が数多くある。しかもS氏は御不満でも、タンノイの音の美しさは、レコード喫茶では望むべくもないものだ。LHMV盤で、ヴィトーの弾くブラームスのヴァイオリン・ソナタをタンノイが初めて鳴らした時の感銘を昨日のことのように私は憶《おぼ》えている。ピアノ伴奏はフィッシャーだから当然だろうが、こんな堂々とした、しかも綺麗《きれい》なピアノの音があるのかと思った。LHMVの盤質と録音技術の秀逸さを肝に銘じて知った。アメリカ盤では、絶対きくことのできなかった気品が、わたくしの、《英国の音質》への傾倒を以後決定づけたと今にしておもう。カンポーリの弾いたヘンデルのソナタさえ、息をのむ美しさだったし、エネスコのシューマンのソナタにいたっては、こんなに無欲に枯れきった心境でヴァイオリンをひく芸術家が、まだこの世にいてくれるのかと目がしらが熱くなった。交響曲でフォルテの部分の歪《ひず》むのを我慢する限り、つまりタンノイはわたくしにとって、他に比肩するもののない優れたスピーカーに思えた。それが誰の所有であれ、喫茶店で聴くものであれ、感動とともに聴いた音楽とその音は、誰のでもない、もうぼく自身のものだ、ぼくのベートーヴェンでありブラームスだ、とその頃わたくしはおもっていた。S氏邸で連日レコードを聴けるのは、だから私自身の音楽体験を日々に培うことに他《ほか》ならない。精神の充足と、たましいの昂揚とを感じて当然のはずである。
昭和二十八年、わたくしは芥川賞をうけた。生活の貧しさは以前と変らなかった。小説はなかなかうまく書けなかったし受賞の時計は質屋に入れてしまった。レコードを聴かせてもらえる充足感がなかったら、わたくしは惨めな作家でおわっていたろうと思う。昭和三十年秋、剣豪ブームで、望外なお金がはいるようになった。翌年から週刊誌の連載が始まり、はじめて、わたくしにも自分のスピーカーとレコードが買える日が来た。
この時までのわたくしは、S氏が追放されたグッドマンを拝借し、同じく追放されたガラードのプレイヤーで、ひそかに一枚、二枚と買い溜《た》めたレコードを聴いていた。S氏邸のタンノイを聴かせてもらう度に、タンノイがほしいなあと次第に欲がわいた。当時わたくしたちは家賃二千七百円の都営住宅に住んでいたが、週刊の連載がはじまって間もなく、帰国する米人がタンノイを持っており、クリプッシ・ホーンのキャビネットに納めたまま七万円で譲るという話をきいた。天にも昇る心地がした。わたくしたちは夫婦で、くだんの外人宅を訪ね、オート三輪にタンノイを積み込んで、妻は助手席に、わたくしは荷台に突っ立ってキャビネットを揺れぬよう抑えて、目黒から大泉《おおいずみ》の家まで、寒風の身を刺す冬の東京の夕景の街を帰ったときの、感動とゾクゾクする歓喜を、忘れ得ようか。
今にして知る、わたくしの泥沼はここにはじまったのである。
はじめは、現金なものだ、クリプッシ・ホーンという、S氏邸でついぞ見ないキャビネットに納まっているから、うちの音のほうがいいのではあるまいか、とひそかに期待した。あとで分るが、このクリプッシ・ホーンがでたらめで、当今街で売っている和製の「タンノイ指定の箱」とずさんさにおいて異ならない。当然ひどい音で、S氏邸とは比較にならなかった。わたくしは思った。これはしかし部屋が狭いからではないか、S氏邸のリスニング・ルームは十五畳あり、わが家は四畳半である、あちらは洋間、こちらは和室である。何を言ってもあちらは別のウーファーで低音を出していらっしゃる。
そこで、翌年分譲住宅に入ることができたとき、思いきって庭にリスニング・ルームを建てた。併せて高城さんに音響効果上のくさぐさな指示を仰ぎ、ついに低音用にコンクリート・ホーンを造ることにした。部屋は二十畳、天井は防音材を張った二重張り、床は二重床、壁もすべて防音テックスを張り、低音のためにジム・ランシングの十五インチ・ウーファー二個を、高城さん設計の低音専用アンプで鳴らす。高音域はワーフデールのトゥイーター、あわれにもタンノイは中音域だけを鳴らすにとどまった。これが高城氏ご推称のシステムであった。
米人から譲りうけた直後に、最初にかけたのはイーヴ・ナットの弾くベートーヴェンの作品一一一のソナタで、ピアノ音をきけばほぼスピーカーの良否がわかる。むろん当時はモノーラルだが、ピアノの高い音は、録音さえよければ少々程度の悪いスピーカーでもうまくきこえるものだ。かんじんなのは低音である。これがよくなかった。次にヘンデルの、エドリアン・ボールト指揮のコンチェルト・グロッソを掛けてみた。いっそS氏から拝借したままのグッドマンの方が無難にきこえた。
さて、高城氏ご推称のコンクリート・ホーンで低音を増幅し、同じく高城氏製作の別のアンプで高・中音域を鳴らし、二十畳のリスニング・ルームにきこえて来たのは、タンノイとは似もつかぬ異様な、雑然と騒々しくボリュームばかり馬鹿でかい音である。
この時の失望感を、なんといったらいいか。コンクリート・ホーンの開口部は、高さ二メートル、幅二メートルあった。これだけの開口部を二十畳のリスニング・ルームの片隅に設けるために、その奥へ約五畳半の部屋をつくり、部屋全体が一種のキャビネットになるわけだ。高城さんは低音には指向性がないから、開口部はどちらの方向をむいていても音楽の鑑賞には全然さしつかえないとおっしゃった。素人の悲しさで、その通りしたわけだ。しかし聴き込んでみると、どうも、ホーンの真価を発揮する低音は、正面に位置して聴かねば分らない。当初、きく位置は部屋の中央のソファで、高・中音はこの位置へ真正面になるよう壁に嵌《は》め込み、低音ホーン開口部は横から音が出るようになっていた。その低音を満喫するため開口部の正面に位置するとなると、なんのことはない、リスニング・ルームの隅っこで聴くことになる。なんのための二十畳か。こんな馬鹿な道理があろうか。
わたくしは、高城先生に音のよくないことを訴えた。高城氏のご回答は明解そのものであった。「タンノイがいけないんですね。あれはね、ほかにも聴いてらっしゃる方がありましたけど、皆さん、よくないことがお分りになって、今ではほかのスピーカーになさってます。俳優の三橋達也さんもタンノイを売りとばしておしまいになりましたよ。岡鹿之助さんところでは、ワーフデールの三ウエイで作ってみたんですが、ずっといいです。タンノイとは、もう比較になりません」
三橋達也氏と同じに扱われては立つ瀬がないが、わるいものなら仕方がない。しかし、わが家で現実に鳴っているワーフデールのトゥイーターが、タンノイの高音よりいい音のようにはどうしても私には思えない。なんとか、今のままで、よくなる方法はないものかと泣きつかんばかりに訴えた。それなら、コンクリート・ホーンの裏側に本を積んで、空間を埋めてごらんになったらどうかと高城さんは言われた。五畳ぶんの部屋一杯に本を積む、そうすれば低音がしまって、今より良くなるだろうとおっしゃるのである。いいとなれば、やらざるを得ない。新潮社に頼んで月おくれの『小説新潮』をトラック一台分わけてもらい、仰せの通りこいつをホーンのうしろ側に積み重ねた。古雑誌というのは荒縄で二十冊ぐらいずつくくりつけてある。それを抱え、一家総出で、トラックから、玄関をすぎ二十畳のリスニング・ルームを横切って奥のコンクリート・ホーン室の裏口へ運び、順次、内へ積み上げてゆくのである。実にしんどい労働である。(たまたまこの時来あわせていて、この古雑誌運びを手伝わされたのが、山口瞳ちゃんだった。)さてこうしてホーンの裏側いっぱいに、ぎっしり『小説新潮』を積み、空間を埋めた。なるほど低音が幾分締って、聴きよいように思えた。マニアというものは、藁《わら》をも掴《つか》むおもいで、こういう場合、音のよくなるのを願う。われわれはほんのちょっとでも音質が変れば、すなわち良くなったと信じるのである。
いろいろレコードを鳴らして試した。やっぱり雑然と、ボリュームだけはやたらにでかいが、音色に統一のない、音楽美というもののまるで感じられぬ音である。タンノイがやはり悪いのかとおもい、いやそんなはずはないと思い、そこで思いついてタンノイを壁の嵌め込みから外し、中音用のバッフルを付けただけで、ホーンの奥の方へ立ててみた。すなわちタンノイの後方からジム・ランシング二個の低音が出てくるようにした。――こうすると、がぜんまた、音がよくなったように思えた。中音部が即製のホーン・システムになったわけである。フルトヴェングラーの『ワルキューレ』を鳴らすと、あの劈頭《へきとう》の凄《すご》い低弦音の合奏が二メートル平方の開口部から、風洞より風を送り出すように、すさまじい迫力で溢《あふ》れてくる。あほうな話だが、わたくしは嬉しくて涙が出た。フォルテで音のわれぬ抜けきる爽やかさを初めて聴いたからである。次にトスカニーニの、ヴェルディの『レクィエム』を鳴らした。「怒りの日」の爆発するごとき合唱。ついぞ、これも従前に聴いたことのない大迫力である。黛敏郎氏やら、吉川英治氏の依頼で次男英明クンにわが家の音をきかせ悦に入っていたのはこの頃である。
しかし、オケはいいが、ヴァイオリン・ソナタや弦楽四重奏曲はも一つよろしくない。カークパトリックのバッハのパルティータがS氏邸のタンノイの足もとにも及ばない。ランドフスカのピアノによるモーツァルトの『ロンド』――あの神品とも称すべき名演奏がよろしくない。わたくしはフランクのヴァイオリン・ソナタが好きで、『エンプレス』では古いフランチェスカッティとカサドジュのこの盤を、いつも必ず聴いた。同じ盤がわが家ではきくに耐えぬ鳴り方をする。このころも相変らずS氏邸でレコードを聴かせてもらっていたが、きく度に、わが家のシステムへの疑念ははれなかった。
またまたわたくしは高城氏に不満を訴えた。つねに高城氏の回答は快刀乱麻を断つ概《おもむき》あり、つねに高城氏はタンノイを冷評なさる。「中音部もね、国産ですけど磁力のつよい素晴らしいのができているんです。ジュラルミン振動の、本格式ホーン・システムのもので、タンノイとは比べものになりません、それに代えてみましょう」
なるほど、旬日を経て届けられたのは長さ二メートル近くもあろうという、長いラッパのついたホーン・スピーカーだった。発振部の口径はインク壜《びん》の口ぐらい、それが開口部で約一メートル平方ある。開口部は特製のキャビネットに繋《つな》がっているから、タツノオトシゴを塑像に仕立て、その尻尾《しつぽ》をガバと一メートル幅で開口させたようなものだ。ついにわが家のスピーカー・システムから、タンノイは完全に追放されたのである。この音を、詳述するに今はしのびない。高城先生を譏《そし》っては申訳ない。わたくしがまだ不満なのを口にすると、高城氏は、こんどは、ジム・ランシングのウーファーがよろしくない、「今では国産で特別につくらせたもっといいのがありますから、それに代えて――」もうたくさんだ。
たまたま、わたくしの連載小説が好評で、お礼に望みのものを差上げたいと出版社の申し出を受けた。わたくしはワーフデールの英国製(衝立《ついたて》式)砂函《すなばこ》のエンクロージアがほしい、と言った。これまでにも、すじの通った再生装置を持つ人があると聞けばわたくしは出掛けていって聴かせてもらった。ステントリアン、シーメンス、アコースティックのコーナー・リボン、アルテック・ランシング、エレクトロボイス……ずいぶん聴いている。その中で最も音の印象のよかったのは、キャビネットごと英国から取り寄せたワーフデールの製品だった。当時二十五万円ほどしたかと思う。これに、リークのポイント・ワンのアンプを添えて出版社は贈呈してくれた。大感激であった。ところが、輸入業者の手違いで、リークのメイン・アンプだけが届き、プリ・アンプは一便船おくれて着くという。待っていられるものではない。さっそく高城さんにプリだけを作ってもらって、これにメインを接続して鳴らした。当時のわたくしたちシロウトは、カートリッジやスピーカーは音質に影響するがアンプは国産でもなんら音に違いはない、と教えられてきた。高城氏製作のプリで聴いたワーフデールのエンクロージア(三ウエイ)は、さすがに音の調和がよく、ことに低音の延びていること驚くばかりである。高音域も鮮明で、同じトゥイーターであるのにわが家のとは別製品としか思えない。わたくしはシュタルケルのバッハの無伴奏ソナタを鳴らしたが、このレコードは大概の装置でも目の前でチェロが演奏されるような生ま生ましさできこえる。しかも断然、その迫真力が際立っている。こればかりはS氏邸の音以上とわたくしには思えたのである。
ところで、月余を経て、リークのプリ・アンプが届いた。高城氏製作のものとつけ変えて聴いて、驚嘆した。まるで音のかがやきが違う。アンプばかりは国産もあちら製も変りはないとは、よくもホザいたものである。音の輪郭、つや、張り。リークに比べたら高城さんのは音が鈍く、音立ちわるく、冴《さ》えなかった。神様のように思えていた高城氏へ、この時はじめてわたくしは疑念をいだいた。疑うべきはタンノイではなくて、高城氏ではなかったのか、と。
わたくしは、試しに、このエンクロージアをS氏邸に運んだ。当時S氏はタンノイ二個を鳴らしておられた。つくづくS氏は言った。「いい音だ……うちの音より、いい」わたくしにはそうばかりとも言いきれない。エネスコのシューマンのソナタが、やはりタンノイに軍配があがる。もともとわたくしは欲の深い男である。こうなれば、もう一つタンノイを買って、S氏邸と同じにして両者を鳴らし比べようと思った。S氏邸のキャビネットは、この頃、グランドピアノの重量のものから三越の洋家具部特製のに変っていたが、猿真似でわたくしも三越に頼んで造ってもらった。そうして暫《しばら》く高城さんのシステムと、ワーフデールの衝立式砂函と、三様に鳴らし、比べていた。安岡章太郎や遠藤周作が一日、うちの音をきいて、「五味はツンボだからこんなでかい音鳴らすのか」とタワごとを言ったのはこの時期である。縁なき衆生である。さて、こうしているうちに、世はステレオの時代となった。
今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら、《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
ステレオが一般化したのは、日本ではここ七、八年来のことだろう。わたくしがステレオを最初に聴いたテレフンケンS8型は、一九五七年にドイツのハノーバー工場で造られた。ほぼ十年前になる。つまりタンノイの――英国の――レコードによる音楽鑑賞で何を重視し、美しい音としているか、それを知るのにテレフンケンの当時最高のこの機械を聴くことが、私には必要だったわけである。前にも述べたように、ずいぶんいろいろな部分品の、再生装置の音色をわたくしは聴いてきた。わたくしがHiFiにとり憑《つ》かれたのは昨日や今日ではない。戦前――まだSP時代に、わたくしは2A3のプッシュでウエスターンのラッパを鳴らし、日本一いい音だろうと随喜した男である。ひと通り、スピーカーやアンプやカートリッジが鳴らし得る音色の限界みたいなものは、わきまえているつもりだった。高城重躬氏のお宅で、どんな音が鳴っていたかを私は知っていた。だからこそ高城さんをハイ・ファイの神様とおもい、指導を仰いできた。
そのわたくしの、再生音の体験の限界を破る音を、テレフンケンS8型は鳴らしたのである。もっとも高城氏は或る座談会で、このS8型は値段の半分の値打もない音だと評しておられた。S8型は日本楽器で百二十万円で買った。そのうち数十万円は装飾家具的なキャビネット代だと、高城さんは言われたわけだ。これも道理である。しかし実際に、数十万円は関税やら取次店の利益分であって、S8型の音質そのものとは無関係だろう。私が買ったのは、あくまで音質であった。そしてたとえ百五十万円しても私は高いとは思わなかったろう。美に値段はつけようがないからであり、高城さんの作って下すったアンプやスピーカー・システムでは絶対、出なかった音の美しさをこのS8型はきかせてくれたのだから仕方がない。ハノーバーのテレフンケン工場で、日本価格の話をしたら彼らは溜息《ためいき》をついていたが、ほんとうは、溜息をつかねばならぬのは日本のオーディオ・メーカーではないのか。わたしたちは音を買う。いい音なら大金を投じる、単純な話だ。値段のわりに、なぞということは、音そのものの美しさとは関係しない。話はかわるが、アンペックスのテープ・レコーダーを購《もと》めようとおもい、高城さんに相談したことがあった。高城氏はおっしゃった。たしかにアンペックスはいいでしょうが、一般の家庭できく1100シリーズ程度のものなら、和製のティアックでもほとんど変りはありません。むしろトラブルの起きたとき、アフターサービスの行き届いているティアックをお購めになっておく方が、今後も何かと便宜でしょうと。「音質は、変りはないですか」と私は念を押した。でも、アンペックスの値段でならヤマハのグランドピアノが買えますよ、と高城さんはおっしゃった。ナマの音がきけるぞという意味だったか。私は高城氏の指示にしたがいティアックのR6000を購めた。なるほどいい音である。それまでわたくしの持っていたテレフンケンの“マグネットホーン97”型よりもメカニズムの点で、操作するにも優れていた。しかし、もう一つ音色が気に入らなかった。そこで改めてアンペックス1100型を購め、ティアックと聴き較べたのである。このときの悲しみを、日本人であるわれわれ共通のかなしさと今は言うにとどめたい。ティアック社は将来性あるメーカーであり、譏るよりは育てるべきであろう。そうは思っても、現実に、両者を聴き較べ、日本のオーディオ技術の未《いま》だしなのを痛感せざるを得なかった。R6000が、我が家でまったき浪費となっているこの現実を。世界の、水準のもっとも高いところを相手に、今は業者も技術者も物を言うべきだろうと思う。
さてテレフンケンS8型で、おもにFM放送(モノーラル)の音の美しさに聴き惚《ほ》れていたが、ステレオ装置としては十分でなかった。ノイマンのカートリッジがついていたが、このノイマンというのがずいぶんカタい音で、歯切れはいいかも知れないが交響曲の高音域など耳を刺すように鳴る。そこで別個にプレイヤーをこしらえ、オルトフォンのカートリッジをつないでみた。音はやわらかくはなったが今度は低音が響きすぎた。FMの音の美しさにとうてい及ばない。しょせんテレフンケンS8型は、電波をきく装置かと思ったくらいである。
そこでリークのステレオ・アンプで今度はタンノイ二個を鳴らしてみた。たしかにステレオでは鳴ったが、これがS8型のFMテープ(モノーラル)の足もとにも及ばない。どちらが立体音かと言いたいくらいだった。リークのアンプは、昨今でこそあまり評判はよくないが、当時は英国を代表するメーカー品でありKT88の真空管をつかったその音質には定評があった。現にわたくしはワーフデールの衝立式砂函をこのアンプで鳴らして澄んだ音の美しさに驚嘆したのである。同じモノーラルで、そのワーフデールがテレフンケンS8型と聴き較べるとまるで冴えなかった。タンノイ二個をステレオ・アンプで鳴らして及ばなかった。
当時は、ステレオとは言っても欧米で発売されるレコードの大方は、『白鳥の湖』や『展覧会の絵』『コッペリア』『ウインナワルツ』などポピュラーなものが多く、せいぜいがメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』、ドヴォルザーク『チェロ協奏曲』、『四季』、『魔笛』、『メシア』(抜粋)などである。音が左右のスピーカーから出るといった程度の、子供だましのディスクがほとんどである。つまりステレオで聴く必要のあるレコードは皆無といってよかったから、テレフンケンS8型でモノーラルをきいていてなんら不満はなかった。
ところで一九五九年春に、英国デッカが“デコラ”を発売した。英グラモフォン誌でこの広告を見て、わたくしは買わねばなるまいと思った。わたくしは日本楽器に取寄せてくれるように頼んだ。HMVかデッカが、本格的なステレオ装置を売出すなら、音のわるいわけはない。無条件にそういう信頼感をHMVとデッカ(ロンドン・レコード)の音色は与えてくれていたからである。
日本楽器では、しかしなかなか取寄せてくれない。カートリッジやスピーカーだけなら別だが、完成品を輸入するのは当時はむずかしかったらしい。主として、日本に輸入されていたのはドイツ・グルンディッヒの製品だったようにおぼえている。これこそウィスキーグラスなどおさめるガラス戸棚の付いた、家具的ステレオ電蓄である。プレイヤーを見ただけで、あほらしくて聴く気にもなれない。米ジム・ランシングの装置も輸入されていたが、どうしてもアメリカのこの音は、わたくしは好きになれなかった。次第に、聴きたい新盤はステレオになっていたが、こういうわけでわたくしはモノーラル盤の方を求めていた。
三年余がむなしく過ぎた。一九六三年秋にわたくしは渡欧の機会に恵まれた。ヨーロッパの土をふんで、一番にかけつけたのは度々書いたようにテレフンケン工場である。しかしS8型はすでに発売を中止し、これに代る本格的装置は売出していなかった。それでドイツで一番評判のいいといわれたSABAを買った。テープ・レコーダーともで千百ドルだった。プレイヤーはDual、カートリッジはB & Oがついていた。(今はこのSABAの音について書くのも胸クソがわるい。SABAは伊賀上野の友人O君に進呈したが、トラブル続出でO君を嘆かせている。)ロンドンへは、ヨーロッパ旅行の日程の最後に渡った。まっすぐクイーンストン街のデッカ本社を訪ね、応接間に据えられたデコラを見た。ああ金がほしいと思った。この応接間で聴いたDecolaの、カーゾンの弾く『皇帝』のピアノの音の美しさを忘れないだろう。カーゾンごときはピアニストとしてしょせんは二流とわたくしは思っていたが、この音色できけるなら演奏なぞどうでもいいと思ったくらいである。東京のS氏に私は国際電話を掛けた。「ピアノの音がすばらしい、デコラをお購めなさい」と。
デコラは、いわゆるステレオ的な音のひろがりは出さない。むしろモノーラルにちかい鳴り方をする。レンジもけっしてよくのびた音ではない。それでいて、なんという気品のある、バランスのいいナイーヴなしかもエレガントな音だろう。レコードという、限られたプログラムソースからどういう音をひき出せば、もっとも自然に音楽を家庭で鑑賞できるか、それに英国の教養とオーディオ技術が、一つの答を出したのがデコラの音だという気がする。どれほど高忠実度を誇ってみたところでしょせん、ディスクから、カートリッジの針先から大オーケストラのボリュームをひき出せるわけはない。百人ちかい楽団員の演奏の全エネルギーが、二個や三個のスピーカーで出せる道理は初めからないのである。分りきったことだ。それなら、アメリカ的に、見てくれだけの大だんびらを振り回すに似た忠実度を誇示するより、小ぶりではあっても、音色の美しくまとまった、バランスのいい音をきかせるべきだと、英国人は考えたのだろう。英国製アンプにはアメリカ式な大出力ワットのものがない。出力の大きなアンプを小さなボリュームで鳴らすほど、歪《ひずみ》の少ないたっぷり余裕のある音がきけるのは分っているが、限度というものを英国人は考えたのではないか。一般家庭で、多分五ワットの音が鳴ったら人は住んでいられないだろう。耳をつんざく凄《すさ》まじさでせいぜいが三ワットである。どうして百ワットもの出力が必要なのか、英国人はそう思ったに違いない。
さてデッカ本社で、デコラのほかに小型のコンソール型ステレオ電蓄を試聴して、わたくしは日本に帰った。歳の暮にハンブルクを出航したSABAが到着した。SABAへの失望は前にも書いた。S氏のほうはご機嫌だったがわたくしは鬱々とたのしまなかった。一年を我慢したが、S氏にすすめられ、半信半疑でとったのがタンノイのGuy R. Fountain Autographである。このスピーカー・エンクロージアではじめて、英国的教養とアメリカ式レンジの広さの結婚――その調和のまったきステレオ音響というものをわたくしは聴いた。今まで耳にしたタンノイがいかにタンノイの特色を発揮していなかったか、むしろ発揮しないために音をわるくしていたかを痛感した。
何度も、これまで書いていることだがGuy R. Fountain Autographの鳴らす弦のユニゾンの軽やかな、風が吹き抜けるような耳に抵抗感のない緻密《ちみつ》な音を、わたくしは他に知らない。ジム・ランシングのパラゴンもアルテック・ランシングA7のエンクロージアも奈良のN氏宅で聴いている。Guy R. Fountain Autographの範を越えぬプレザンスにまさるものをしかし知らない。当初はデッカMUとオルトフォン、ノイマンで、ついでシュアーV15で、いまはEMTとエンパイア999Eのカートリッジを使っているが、アンプはクワードからマランツへ、目下はジムランのグラフィック・コントローラとマッキントッシュをつかいわけて聴いている。大事なことだが、何時間きいていても好い音というのは耳に疲労感がのこらない。音のかたちが崩れていない。わたくしは、音色の美しさだけでなら、これほどまでにGuy R. Fountain Autographを推賞しないだろう。アルテックやジムランのほうが、時にパンチのきいた冴えた音を出している。しかし、コンサートホールの雰囲気《ふんいき》、弦楽四重奏団の合奏者の位置を、奥行をともなってこれほど自然にきかせてくれるエンクロージアを他に知らないから、アメリカでベストセラーといわれるARや今売出しのハートレイより、タンノイは上位のスピーカーだというのである。
もっとも、わが家のスピーカーにも欠点はある。左右のエンクロージアがまったく同じ音質では鳴らない。やや右の音のほうが強い。つまり楽器が前に出て来て鳴る。それから、これも言っておきたいが過日東京都でのオーディオ・フェアで、タンノイのG. R. F. を貿易商社が出品しているのを聴いた。その音のわるいのに驚いた。アンプも拙宅と同じクワードであるのにまるで音にふくらみがなく、広がりも奥行もない、耳の疲れる音だった。会場が広く適度の反響音が伴わぬ為《ため》かとも思ったが、キャビネットの大きさの違うせいかとも思われる。仕様書によると、拙宅のはGuy R. Fountain Autograph折返し型ホーンで(Front and rear horn - loaded unit)となっている。大きさは58 〓×43×26 〓インチ、貿易商社の出していたのは単なるG. R. F. で、折返しホーン型ではあるが(Rear horn - loaded)であり、大きさも48×38×29インチ、すべてに幾らか小ぶりになる。しかし公表周波数特性はともに二〇―二万サイクルで、すべてに控え目な英国のことだからこのレンジにうそはあるまい。それがどうしてG. R. F. の音がわるかったのか不思議でならない。もう一つ、同じタンノイ社から、Rectangular G. R. F. というエンクロージアを出している。これは現在銀座の日本楽器にある。が(Single folded horn)で、大きさもかなり小さく17×23 〓×42インチ、つまり奥行だけは拙宅のやG. R. F. よりも深い。タンノイの同じホーン型エンクロージアでこれだけ違っている。わたくしの推賞するのは大きな方なのである。低音をたっぷり出すには、折返し型でもこれだけの容積が必要なのかとおもう。といって、一番小さなG. R. F. でもタンノイ社のランカスター級のエンクロージアや英国の他のメーカー品にくらべたら非常に高価だ。一番小さなG. R. F. でもステレオ用に二個で日本楽器で五十八万円だった。
もう一つ、G. R. F. の音のわるかったことに関連するかとも思うので言っておきたい。同じクワードのプリ・アンプをわたくしは三台買った。その一台一台の音がちがう、よかったり悪かったりで、これがクワードだけかとおもっていたら、マランツのソリッドステートのプリもまた、二台を聴き較べると音がちがう。マランツなら真空管のをえらびなさいとよくわたしは言うが、たしかに以前に聴いたアンプではそうだったが、こんど、同じソリッドステートのマランツを聴くと、むしろトランジスターのほうが明らかにレンジがのびており、一長一短で、即断を下せないのに気づいたのだ。アンペックスの1100型も同様である。我が家で聴き較べたティアックとの場合、悲しみをもってティアックR6000の及ばぬのを嘆いたものだ。ところが拙宅のアンペックスに故障が生じ、日本楽器に取替えてもらうと、新しい(といっても同じ1100シリーズだが)アンペックスの再生音は、低音がこもりすぎ、録音の場合の音質はむしろティアックに劣るように思える。わたくしは目下三台目のアンペックスを頼んでいる、まだ届かないので平均値は出せないでいるが、二台を比較した限りでは、いちがいにティアックを誹《そし》れない。それほど二台目のアンペックスの音質は劣るし、最初のはすぐれていた。
オーディオ部品には、カートリッジにせよ、チョーク、真空管にせよ、均一な性能のものを厳密には二つと揃《そろ》え得ないという。玄人は、これを製品のばらつきといっている。そういうばらつきが、たとえばアンプで再生周波数特性やセパレーションやSN比、プレザンスに微妙な差をもたらし、音質がちがうように聴えるのだろうと思う。ただ、どれほどのばらつきがあっても一流品なら平均値は保っているから信頼するに足るのだろうか。――理論としては、そう思う。しかし実際に、われわれが入手するのはただ一個のマランツでありアンペックスである。わたくしの二台目のアンペックスのように、マランツのソリッドステートよりはナショナル10Aに接続したほうが、ピアノの音が華麗にきこえるなら、この両者の比較の上で、マランツよりナショナルが歪がなくて音がいいと言わざるを得まい。もし一台目のアンペックスで比較したのなら、やっぱり、国産は音が散って駄目だ、マランツは素晴らしいと私は言うにきまっている。
わたくしが或るオーディオ部品がいいという場合は、こういうばらつきによる誤差を或る程度考慮の上で言うのである。タンノイのGuy R. Fountain Autographを、家庭できく最もすぐれたスピーカー・エンクロージアだと確信をもってだから言う。十年かかって、ようやくタンノイのほんとうの音を知ったともいう。この十年余の歳月で、わたくしのしてきた回り道は、大なり小なりこの国のハイ・ファイ・マニアが辿《たど》ってきた道だろう。S氏がそうだし奈良のN氏もご同様だ。みんな、ずいぶん無駄をしてきた、そしてオーディオ専門家や技術者は、ついぞ無駄になることを教えてはくれなかった。Aが悪いと言えばBになさい、それだけだ。Aを使いきれぬからだとは言ってくれなかった。高城氏にぼろくそに言われたタンノイは二個、スピーカーのままで我が家の納屋にころがっている。高城さんは何を一体知っていらっしゃったのかと思う。Guy R. F. Autographに八十数万円もかけるのは、要らぬことだとおっしゃりたいのか。わたくしは聞きたい。高城さんはコンデンサーマイクで自家でピアノを録音し、生まそのままに再生して聴いていると音楽雑誌に書かれていた。わたくしも家のピアノを録音してみたいと思い、マイクを購入しようとしらべてみた。なんとエレクトロボイスの643型マイク(ムービングコイル)は、英国で四百五十ポンドしている。日本に輸入すれば、タンノイ式に関税や業者のマージンを加算すれば九十万円ちかくなる。マイク一個で九十万円。気の遠くなる値段だ。ノイマンのSM2C(コンデンサーマイク)で二百三十八ポンド、SM23Cで同じく二百四十七ポンド、こんなのがごろごろしている。多分、これらのどれも高城家にはないだろうと思う。こういうものに馬鹿な金はつかわずともナマそのままに収録できるマイクが国産であるなら(高城家のソニーのマイクのように)どうしてソニーばかりを世界は使用しないのですか。しかもこれらのマイクのレスポンスは、エレクトロボイスで三〇から一万サイクル、ノイマンで四〇―一万五千サイクル(プラスマイナス二デシベル)。いったい、ナマそのままなピアノの音――その倍音が、四〇から一万五千サイクルどまりで収録できるものか。しかも高城家ではナマそのままに鳴るとおっしゃる。きいてみたいものだ。マイクばかりではない、かんじんのテープ・レコーダーにしてからが、スチューダーやスカーリー、EMIなどのプロ用を高城家で使われた話をきかない。昔のティアックである。
同じティアックの二トラック・プロ用で、品質の格段に向上したR313なら拙宅でも使っているが、このデッキでナマそのままに録音できるとは、私には思えないのだ。高城家のナマとやらをきいてみたいものである。
(一九六六)
トランジスター・アンプ
カラヤンがベルリン・フィルの何かのリハーサルのあとで、匆々《そうそう》と会場を抜け出そうとした。来日中のことではない、たぶん、ベルリンでの話である。あまりそのひきぎわが唐突なので知人が、どこへ行くのかと聞いたら、「ドイツ人というのはなんとリズム感のない民族だろう。我慢がならん。ジャズ喫茶にでも行ってリズムを味わってくる」そういったという話を、何かで読んだ覚えがある。ベルリン市内にわれわれの知るようなジャズ喫茶があるかどうか、そんなことはどうでもいい。ナイトクラブだってかまわない。要は、常任指揮者の彼自身がオケのリズム感の欠如に辟易《へきえき》していたはなしを思えばいいのである。
カラヤンは「フォン」の称号のつく生れだが、生粋のチュートン(ドイツ人)ではない。インドゲルマニアのラテン系――正確にはギリシャ人――だから、音楽家としての見識以前に、血で、ドイツ人一般のリズム感の欠如を感知したわけだろう。こう見れば、ちかごろ終始目をつぶってタクトを振るのは、ひとつの指揮者のポーズというよりは目をあいていては楽員のリズムへの鈍感さが、腹立たしく、やりきれなくなるせいかもわからない、という解釈も成り立つ。もっともカラヤンの暗譜で指揮をとるのは有名で、ある楽員が、あなたもどうして暗譜で振らないのですかとクナッパーツブッシュにきいたら、「俺はだれかと違って譜が読めるからね」とクナッパーツブッシュは皮肉をいった。これを聴いて以来、単に暗譜でなく、目をとじて指揮をするようになったというゴシップもあるそうだ。本当かどうかは知らない、目をつぶるのはドイツ人のリズムへの鈍感さと無縁ではないような気もする。リズム感の欠如とはそもそも正確にどういうことなのか、素人の私によくは分らないが。
――ただ、なるほど、そういわれればクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのあの、テンポののろい、悠揚迫らぬ大河の流れるごとき演奏は、どこかで、ドイツ人のリズム感の欠如につながっているかも分らないと、近ごろ思うようになった。カラヤンの今度のベルリン・フィルを聴いてもそう思った。カラヤンはレコードで聴いたのでは良さは分らない、彼は目で聴く指揮者だ、そんな評判のあるのも道理と思えるほど、何か、指揮台で《孤独な舞踊》をひめやかに踊って見せてくれる趣きがあるし、それはモダーンな《指揮者》の一つのタイプを創造しようと意図しているようにも受け取れたが、リズム感の欠如に由来すると見る方が私には納得がゆく。それに、彼がもし《指揮者》の新しいポーズを創り出そうと目をとじるのなら、それは、管弦楽団の演奏を聴かせるだけならレコードでこと足りる、それほどいまでは録音・再生の技術が進歩し、音楽そのものはレコードで十分、鑑賞できるのをだれよりも知っているからではないかと思う。いかにも手前味噌な素人考えだが、今ではわざわざ演奏会場へ出向いてくれる聴衆に(日本人は別だ)レコード以上のものを指揮者も与えねばならない、タクトを振る姿が、絵になっていなければならない。つまり絵になる姿としての指揮者像といったものをカラヤンは念頭においている、そう思えるのである。もともとカラヤンの指揮はその程度に演奏の本道から外れた所で音楽している、というのが悪ければ聴衆にアピールしているように、私には思えてならないのだからしかたがない。少なくとも、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのオーソドックスな指揮と比較した場合そう思わざるを得ない。どうかすると、クナッパーツブッシュのテンポののろさには今のわれわれはついて行けぬもどかしさを感じることはある。カラヤンのは、良かれ悪しかれ現代人の感覚にあった指揮だという気はするが、クナッパーツブッシュがのろいのか、われわれが必要以上に忙しがっているだけなのか、これは分るまい。音楽自体にテンポがのろいも早いもあるわけがないのなら、どうやら責はこちらにありそうだ、とそう説得する力はカラヤンよりやはりクナッパーツブッシュの方にありそうにも思う。
先日、わが家のクワードのプリ・アンプがおかしくなった。欧米のアンプは、これまでもよく日本の湿気にやられるのは経験しているので、この機会に、近ごろ評判のトランジスター・アンプに替えてみようかと思った。クワードでも、十全に鳴っている限りはなんら不満はないのだが、以前に米ハーマン・カードンのチューナー(オール・トランジスター)を接続してFMステレオ放送を聴いたことがあり、その臨場感の迫真的なのに圧倒された。クワードでレコードだけを聴いていても、わが家では二個のスピーカー・エンクロージア(約五メートル間隔)の間にフルメンバーのオーケストラがずらりと並ぶ。ティンパニーは左手上段のかなたから必ず聴える。つまり音に奥行があり、スピーカーは音楽を鳴らすのではなく、楽器の位置を呈示するにとどまる。音は、その呈示された空間から鳴るのである。これは驚くべきプレザンスであり、他に私はわが家のこのGuy R. F. Autographほど臨場感の見事な音は聴いたことがない。
そのプレザンスが、一まわりハーマン・カードンのチューナーで聴いたFM放送では、広がったのである。音量ではなくて奥行が大きくなった。FM放送だから、音質そのものはレコードを直接掛けたのには劣るから、購入するのはあきらめたが、その奥行と広がりの記憶が忘れ得ない。たぶん、トランジスターのいいアンプで聴けば、この奥行の大きさを常時わがものとできるのではないかと考えていた。
たまたまオーディオ部品の専門店のおやじさんから、現在、アメリカで市販されているトランジスター・アンプの最も優秀なのはアコースティックU型だと聞かされた。おやじさんのいうのでは、マランツと聴き比べても断然アコースティックの方がよいそうで、岡俊雄氏もアコースティックを購入したという、花森安治さんもアコースティック絶賛者だそうである。
そう聞いたので、一日、岡俊雄氏宅を尋ねアコースティックを聴かせてもらった。カートリッジはADC(10E)スピーカーはAR3とローザーである。岡さんには悪いが、がっかりした。なるほど、街のレコード屋の音などに比べたらよく鳴っている。しかし楽器が演奏されるのではなくスピーカーが、メロディをひびかせているにすぎない。オケの第一ヴァイオリンが左側から聴えるのは当然の話だ。こんなものは今ではステレオとはいえまい。左側のヴァイオリンの何十丁かが、一つ、一つ、音を出す、その合奏がユニゾンである。全体がごっちゃになって、第一ヴァイオリンという一つの楽器が鳴るのではない。私は、レコード雑誌で録音を批評している岡さんの文章を高く評価していた。村田武雄などという老獪《ろうかい》な知識人よりよほど正直に物をいう人だと思ってきた。アコースティックはプリ・メインで四十万円ちかくする。岡氏の貧富にかかわりなく、こういうアンプを購入する批評家の良心というものを私は信じる。ただ恨むらくは、スピーカーが悪すぎた。私は、音の質はいいのですが音のかたちが出ていませんね、といった。「いちど私の家でお聴きになればお分りになるでしょう」と。精一杯の同情をこめていったつもりだ。
高城重躬氏にいわせると、だいたいこのアコースティックは初期のトランジスター・アンプで、トランジスターというのは半年たてば驚くべく性能の向上開発されている現状だから、古いものはそのまま批評の対象にはならないということだった。「アコースティックはもともとあまりよくないアンプです。今ならソニーのトランジスター・アンプの方がいいかもしれませんよ」
その高城さんのお宅で、ソニーのアンプで鳴らされている音に私は落胆して久しい。私は以前、高城さんを神のごとく尊敬し、そのお説に従ってわが家に巨大なコンクリート・ホーンを造った。マルチアンプ・システムで低音用にはジム・ランシングの十五インチ・ウーファー二個を鳴らし、中音、高音にも高城さんのすすめられる「最高の部品」を使った。それがどんな音で鳴っていたか私は知っている。その後テレフンケンS8型を購入し、音質を聴き比べて、コンクリート・ホーンをハンマーで敲《たた》きこわした。それからSABAを買い、テレフンケン工場の推称したOpus 5430を取り寄せ、今のタンノイの折り返しホーン型に落ち着いた。以前にも同じタンノイを高城さんのアンプで私は鳴らした人間である。知っている。高城さんの推称されるソニーのトランジスター・アンプは岡俊雄さん宅にもあった。目の前で岡さんはソニーとアコースティックを比較して鳴らしている。それを私は聴いている。
おもしろい話がある。日本におけるマランツの代理店は一時ソニーになった。さてソニーは自社製トランジスター・アンプの販売を始めたが、これを購入した人の中に、聴き比べて真空管式のマランツを求めようとする人が多く、おかげでマランツがよく売れる。代理店ソニーとしては有難いがソニー本社としては痛し痒《かゆ》しだというのである。作り話としても皮肉のきいた話だ。おそらく事実ではあるまいと思うが、マランツのオーディオ界におけるなかば信仰めく信用をこの挿話《そうわ》は語っていよう。さきのおやじの言葉を信用すれば、そのマランツにも優《まさ》るのがアコースティックである。しかもアコースティックよりソニーがよいと高城先生はおっしゃる。誰を信用すればいいのか。自分の耳で聴き分ける以外にないではないか。
私はおやじのすすめに従ってアコースティックを家で鳴らしてみることにした。ハーマン・カードンのあの臨場感の鮮明さが期待された。おやじはいった。「クワードとアコースティックじゃパワーが違いますからね。周波数レンジも問題じゃないし。低音ののびが、凄《すご》いですよ。賭《か》けてもいい」
おやじ自身、まんざらHiFiは嫌いでもない。商売用を名目にビルの一室をかりきってリスニング・ルームをこしらえ、輸入される大方のスピーカー・キャビネットを揃《そろ》え、アンプを並べていた。客が望めばスイッチ一つでアンプとスピーカーの接続を自在に替える。つまり望むアンプで望むスピーカーを鳴らせる。アコースティックやサイテーション、ソニー、トリオまで揃っており、リチャード・アレン、ジョーダンワッツ、ローザー、グッドマン、和製キャビネットでならタンノイも揃っている。AR3も並べてある。
念のため、家へおやじを同行する前に私はこのリスニング・ルームで聴いてみた。AR3をアコースティックで鳴らしてもらった。岡さんのところより音がわるかった。部屋の反響のせいでやむを得ないとおやじはいった。次にタンノイを鳴らしてもらったが話にならない。キャビネットが違うのだから仕方がない。私は確信をもっていうが、スピーカーというものを別個に売るのは罪悪だ。スピーカーだけを売るから世間の人はスピーカーを替えれば音が変ると思ってしまう。スピーカーというのは単なる紙なので、キャビネットが音を鳴らすのである。スピーカー・エンクロージアとはそういうものだ。おやじの試聴室のタンノイがいかに貧弱な音でもだから驚かなかった。わが家の折り返しホーン型で鳴らしてみなければアコースティックの性能は分らない。
それはおやじも承知している。Guy R. F. A. は日本にはたぶん私の家にしかないだろうから、おやじとて、アコースティックで鳴らしたらどんなに素晴らしいかと、内心期待していたに違いなかった。
家に着いた。慣れた手つきで新品のアコースティックU型をおやじは包装から解き、私の家のスピーカーに接続した。カール・オルフの『五つの基調音U』(ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤)を私は試聴用に使った。音が鳴った。曲を詳述するのはここでは目的ではない。とにかくアコースティックが鳴ったのである。はじめは信じられなかった。それから、やっぱりそうかと合点がいった。
白状すると、あの交通事故以来、わたしの経済状態でアンプに四十万円の出費は苦しい。売るものは蔵書しかない。文学を売るにひとしい。それでも格段に音が良ければ買わざるを得ないのだ。そういう打ち込み方を、つまり、生き方を今日まで私はして来た人間だ。文学に音楽が必要ないなら、そういう文学は私に必要なかったまでのことだ。
私は買うつもりだった。音が良ければ。事実は違っていた。クワードの方がよかった。ボリュームの少しイカれたクワードに継ぎ直して聴いて、仰天したのはおやじさんである。「凄い。クワードがこんなによく鳴るのをわたしは聴いたことがない」ウソをつけ。よい音を鳴らすのはクワードではない、スピーカー・エンクロージアだ。
世間では、真空管とトランジスターの良否が喋々《ちようちよう》されている。専門家の見るところ、いずれはしかしトランジスターになるらしい。現在の時点では、私の聴いた限り、真空管の音のほうにふくらみがある。この「ふくらみ」というのが誤解されやすいのだが、クラリネットのソロでいえば人間の吐く息のしめりや暖か味が聞き取れるとでもいおうか。トランジスターの方は音そのものは抜けている。だから派手ないい音にはきこえる。ピッコロになると、一層、音の抜けの綺麗《きれい》さは際立つ。しかし人間の吹き鳴らす音ではなく何か、機械の鳴っている感じがするのである。音質が一見いかように綺麗にきこえても、人工感のあるこの感じは私は採らない。俗にトランジスターは音がカタイといわれるのは、ヴァイオリンの弦が、針金でできている、それを弾く感じをいうようで、高音域にトゥイーターを鳴らし始めのころに、よくトゥイーターなるものが、耳を刺すシャーという音で鳴った。今でも粗製のトゥイーターにこの傾向は残っている。だから安物のスピーカーならトランジスター・アンプはマッチするかも分らない、とも思える。さすがにアコースティック級になれば、高音域ののびは、スピーカーが良くなればなるほど、張りのあるパワー感を伴う響き方をした。しかし岡さん宅の場合でも、スピーカーの再生音の能力までは変え得なかった。
明確にしておくが、岡氏宅のと私の家でアコースティックを鳴らしたのとでは、スピーカーの能力の差は歴然たるもので、それは問題にならない。いよいよ岡さんへの同情を禁じ得ない。そのアコースティックとクワードを比較して、躊躇《ちゆうちよ》なくクワードを採ると私はいうのである。理由ははっきりしている。クワードのほうがたぶんわが家のスピーカー・エンクロージアにマッチするからだ。アンプ自体の性能を専門家が比較すれば、パワー出力、周波数特性などでクワードは劣る点があるかもしれない。オッシロスコープその他さまざまな測定器に数字であらわれた特性ではそうだろう。だからアコースティックを駄目だと私はいうつもりは毛頭ない。ただ、現今のスピーカー・システムでわれわれが音楽を聴く限りは、まだ、今のトランジスター・アンプよりは真空管の方がより現実的に、演奏の雰囲気《ふんいき》を鮮明に聴かせてくれる。何かまったく新しいスピーカーが発明されればその時はアコースティック級の能力を十全に発揮した音をきけるかも知れない。これは分らない。コーンの振動で音を出す今の方式では、まだ、石より球の方がいい。私の耳がそう聴き分けた。おやじも同意した。「あたしも道楽がしたい、同じタンノイGuy R. とやらを取り寄せますわ」そう呟《つぶや》いて帰っていった。何十という欧米のスピーカーを取り寄せ商売しているおやじが言ったのである。石とアンプとスピーカーの答がここに出ていはしないか。
ハーマン・カードンのあの一瞬の――それはまったく一瞬、眼前に展開された演奏ホールのスケール感だった。たぶんNHKの放送スタジオからだろうと思う――が、私の脳裏から消えたわけではない。聞くところによれば、クワードでもこの十一月、トランジスター・アンプを出すそうだ。ぜひともこれは聴いてみたい。今までに触れなかったがアコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
オーディオ部品に限らない、自動車でも、映画でもアメリカのものは味気ない、というこれは私の好みだ。しかしこの耳の審美眼を私は信じる。世界で、最も優秀なカートリッジの一つはシュアーのV15と大方のHiFiマニアはいう。同感である。シュアーはアメリカ製品だ。しかしシュアーの技術部長は日本人である。ミスター・ヤナギである。彼はブロンドの美人を娶《めと》って今アメリカに住んでいる。シュアーの性能を向上させた彼の耳が、日本人ばなれしているとは私は思わない。日本人は一般に耳がいい。高城さんだってシュアーに招聘《しようへい》されればミスター・ヤナギに比肩する存在だろう。高城家の音に失望したと私はいったが、誤解のないようことわっておく、高城家の装置は大きなボリュームで鳴る。ボリュームが大きくなれば歪《ひずみ》は当然大となる、その歪を是正し得る限界で、高城さんは鳴らしていらっしゃる。
私は、ボリュームの大きな音などはじめから求めていないから、でかい音の歪がなくとも驚かないだけの話だ。この点、私は無責任な素人であり高城さんは研究家である。それに、高城さんほどの人なら、どんな素晴らしい音かと、その期待に、裏切られた。落胆とはそういう意味だ。高城さんはHiFiの神様だからもっといい音で鳴らしていてほしいのである。これまた、無責任な素人の願望だろう。
重いアンプを、無駄運びさせたのが気の毒なので、途中まで手を貸しておやじさんを送った。道々、あのリスニング・ルームには、ずいぶんいろいろなアンプやスピーカーが揃っているから、さぞ客が押しかけ、よく売れるだろうといったら、「だれも買わない」という。聴いてゆくだけだそうだ。つまり自分の家の音と、ひそかに聴き比べているだけだという。なるほど、うまいことをいうと感心した。自家の再生装置はいってみれば女房のようなもので、ひそかに他人と見比べはするが、結局落ち着いてしまう。さしずめ、すると私のタンノイなど容色絶佳の良妻かと声を立てて笑った。
(一九六六)
芥川賞の時計
十五年前(昭和二十八、九年ごろ)の私の月収は一万円であった。今とは物価が違うにせよ生活は苦しかった。妻とふたりで、都営住宅に住んでいて、家賃二千七百円は大へん安いのだが、当時、LP(十二吋《インチ》の米盤)は三千円、月に一枚のレコードを買うと収入の半分は、吹っ飛んでしまう。爪に火を点《とも》すという譬《たと》えがあるが、ほんとうに出来る限りの倹約をして、レコードを買った。質屋の門は何度くぐったか知れない。配給米を買う金がなくて、終日、ラジオの音楽を聴いて空腹をこらえたこともある。好きな道だからいいが、妻はよくがまんしてくれたと思う。
その頃の、スピーカーはグッドマンの十二吋を、ガラードのオートチェンジャー式プレイヤーで鳴らしていた。芥川賞を受賞したのが昭和二十八年の春で、当時の賞品は懐中時計に、副賞五万円が附いていた。そのうちの三万円でHiFiマニアだったS氏から右の装置をわけてもらったのである。
今と違って、グッドマンは日本に幾らも輸入されていなかった。タンノイに至っては、恐らくS氏の書斎で鳴ったのが日本での最初ではないかとおもう。モニター15で、当時十七万円だった。一ドル当り千円がこうしたオーディオ部品を日本で購入する相場だった。グッドマンにガラードのプレイヤー、6L6のウィリアムソン・アンプこみで三万円は、だから破格で(多分に受賞を祝って)譲って下すったものである。それでも、五十円で毛布を質に入れていたような私達夫婦の生活には、三万円は大金だ。
じつは私は、芥川賞の時計を質入れして、この金を作ろうと思った。私達夫婦のそれまでは、筆舌につくせぬどん底の暮しである。せめて、五万円だけはそっくり妻に渡してやろうと思った。懐中時計(オメガ)には、裏面に、芥川賞記念として五味康祐に授与す、と彫ってある。そんなネーム入りの時計をまさか質屋は、利息が切れても流すまい、買うやつもあるまい。そもそも受賞が発表されたとき、一番に酒一升をさげて祝いに来てくれたのは質屋のオヤジだった。あのオヤジさんならこの時計で三万円貸してくれるだろう、と思った。
しかし、無名作家の妻として長い忍従を耐えて来た女房には、芥川賞の時計はかけがえのないものだったらしい。彼女は時計を匿《かく》してしまい、現金のほうを出した。
こうして、私は渇望久しかった再生装置を手に入れることが出来た。ほしいと思っていたスピーカーを(或《ある》いはアンプを)ついに買うことのできた喜びはオーディオ・マニアなら経験があるとおもう。しかし、機械だけでは音楽は鳴らんのである。
受賞しても、その頃のジャーナリズムが要求する剣豪小説を私は恥かしくて書く勇気がなかった。月収一万円のS社の校正を細々と私はつづけた。遂に妻を説得して、レコードを買うために時計を質屋に入れたりもした。そんな貧困の明け暮れの中で一枚、一枚、レコードはたまっていった。
忘れもしない、ブッシュの弾くバッハのヴァイオリン協奏曲第二番、エネスコの同じく無伴奏ヴァイオリン・ソナタ二番。ランドフスカの“クラブサンの宝庫”、ヘンデルのコンチェルト・グロッソ七、八番。リパッティでワルツ集。カサドジュのラヴェルのピアノ曲集と、ジャノーリの弾くドビュッシーの前奏曲第一集。フランチェスカッティとカサドジュによるフランクのヴァイオリン・ソナタ。同じくボベスコ・ジェンティのフォーレのソナタ。バイナム指揮マーラーの交響曲第四番。フルトヴェングラーでモーツァルトの交響曲ト短調、同じくクーゼヴィツキィの“リンツ”。ミュンヒンガーの嬉遊曲《きゆうきよく》K一三六とヴィヴァルディ“四季”。ほかにベートーヴェンの何枚かと、ラモーのスイート、メッサージュの二羽の鳩、シベリウスのカレリア組曲、レミンカイネンの帰国……かぞえればきりがないようだが、このうちの何枚かは安い十吋盤である。嬉遊曲やコンチェルト・グロッソが十吋で出ていたなど、今の若い人には信じられないだろうが、一枚につき、十吋盤は一ドル安かった。そんなものしか買えなかった。ラヴェルのピアノ曲集を除いては、値の張る組物は一つもない。しかも右のうち数枚はS氏のお古を貰ったのである。沢庵《たくあん》とつくだ煮だけの貧しい食膳に妻とふたり、小説は書けず、交通費節約のため出社には池袋から新宿矢来町までいつも歩いた……そんな二年間で、やっとこれだけのレコードを私は持つことが出来た。
白状すると、マージャンでレコード代を浮かそうかと迷ったことがある。牌《パイ》さえいじらせれば、私にはレコード代を稼《かせ》ぐくらいは困難ではなかったし、ある三国人がしきりに私に挑戦した。毛布を質に入れる状態で、マージャンの元手があるわけはないが、三国人は当時の金で十万円を先《ま》ず、黙って私に渡す。その上でゲームを挑む。ギャンブルならこんな馬鹿な話はない。つまり彼は私とマージャンが打ちたかったのだろう。いちど、とうとうお金ほしさに徹夜マージャンをした。数万円が私の儲《もう》けになった。これでカートリッジとレコードが買える、そう思ったとき、こんな金でレコードを買うくらいなら、今までぼくは何を耐えてきたのか……男泣きしたいほど自分が哀れで、居堪《いたたま》れなくなった。音楽は私の場合何らかの倫理感と結びつく芸術である。私は自分のいやらしいところを随分知っている。それを音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に坐り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた。――三国人の邸からの帰途、こんな金はドブへ捨てろと思った。その日一日、映画を観、夜になると新宿を飲み歩いて泥酔して、ボロ布《ぎれ》のような元の無一文になって私は家に帰った。編集者の要求する原稿を書こうという気になったのは、この晩である。
音楽は、誰にもおぼえがあるとおもうが、むかしそれを聴いた頃の心境や友人や出来事を甦《よみが》えらせる。何年ぶりかに聴く曲は、しらべとともに《過去》をはこんでくる。今の私は、ほしい曲は自由に買える立場にあり、再生装置を購入するにも不自由しない。収集したレコードは六百枚を越えるだろう。しかし、むかしの私には夢のような高級アンプで、それらのレコードを聴いている現在、果してあの貧困時代のように曲趣をなっとく出来ているだろうかとおもう。むかしは、むさぼるように聴きふけった。無辺際ともいえる豊饒《ほうじよう》な詩情と生活意欲と反省のかてを、それらの音楽や演奏から汲《く》み取った。しかしあの頃のほうが、音楽を聴いていたという気がする。今は音質を聴きすぎる。どちらが果して幸福なんだろう。
再生装置を改良するのは、音楽をよりよく理解するためだと当時は思っていたものだ。口をすっぱくして、妻をかき口説いた。たしかにカートリッジ一個を変えても、前には鳴らなかった楽器が、くっきり浮き上り、曲趣は増す。近代音楽では取り分けトーン・クォリティの優劣は音楽そのものを変えてしまう。そういう体験が、ぼくらをオーディオ・サウンドに無関心でいられなくしてきた。
しかし、今になって私は言えるのだが、末端の音色が変わったぐらいで曲趣の一変するような作品は、たかが知れているのである。ピアノ曲で、たしかにペダルを踏んだかどうかのハッキリ聴き分けられる装置は、演奏の理解に欠かせないだろう。何故《な ぜ》そのソリストが、その曲だけはスタインウェイでなくエラールを使用するか、そういうピアノの微妙な音色の違いまで判別できる装置でなければ、彼の芸術性は理解できないかも知れない。しかしピアノ・リサイタルを聴きに行って、ペダルを踏み分ける音まで聴き取れるのは余程いい席に限る。それでも(たとえば三階のてっぺんで)実演を聴いて、ぼくらはそのピアニストを理解できなかったとは、ついぞ思ったためしはないのだ。どうして、再生装置の場合だけ、ペダルや音色の差で演奏が、つまり音楽が左右されると思いたがるのか。
ピアノの場合、もう一つ、低域ののびという問題がある。多少わるい装置でもピアノの高い音は良くきこえる。玩具《おもちや》のピアノだって、和音でなく単音なら一応、澄んで耳にこころよい音がする。再生装置の良否が極端に出るのは、ピアノの場合、低弦のひびきに多い。わるい装置はごろつきや、もやつきがあり低音域が冴《さ》えない。ふつう、「冴えた音」「澄んだ音」という表現は高域に使われがちだが、本当は音の清澄感を左右するのは低音である。装置の良否の重大なポイントの一つは、低音域が澄んで鳴るかどうかにかかる。ピアノ演奏の場合、だからもやつく低音では演奏そのもの、曲そのものまでぼやけてしまう。
だが、重ねて私は言うが、たとえばテレビのピアノ・リサイタルを視聴して、演奏がわからなかったと諸君はいうだろうか? テレビが出す音域などたかが知れている。少なくとも本誌(「ステレオサウンド」)を購読する程の諸君なら、テレビの音響部品よりは高忠実度の装置で聴いているだろう。むろんテレビはスピーカーも小型だし、ステレオのようにボリュームをあげる必要もない。却《かえ》ってだから聴きやすい、という利点はある。しかし私の経験で言うが、テレビの音からでさえ弾かれているピアノが、スタインウェイかヤマハかはピアノが画面に映らなくったって分る。耳がいいからだと言ってくれた人がいるが、そうではない。ヤマハとスタインウェイでは低音のひびき方がまったく違う。音の深さが違う。馴れれば容易にきき分けられる。じつは、それほどヤマハの低音はまだまだだと言えるが、問題にしているのは再生音だ。つまりテレビ程度のスピーカーやアンプでさえ、ピアノの違いは出るのである。
オーディオ愛好家たる諸君の再生装置で、録音のまっとうなプログラム・ソースなら、音楽を鑑賞するに不足なわけはない。むしろ装置がよすぎることでテープやディスクの欠陥を出す場合もあろう、聴きぐるしくなるだろう。音楽を愛好する者に、どちらが真に有難いだろうか?
再生装置には(音楽を鑑賞するために)最低の限界というものはある。ある程度のトーン・クォリティは鳴らしてもらわねば困る。しかし今では、名の通ったメーカー製品なら、洋の東西を問わず、価格の上下を問わずシステムの如何《いかん》にかかわらず、一応の水準で音は鳴る。無理にいじることはないと私は言いたいのである。むろん、兼《か》ねてあこがれた部品に取替え、音が良くなったときの喜びは、格別だ。あの満ち足りたおもい――充実感は、いちど味を知ったらやめられるものではない。だからこそオーディオの泥沼にぼくらは溺《おぼ》れてきた。溺れるのも又言い知れぬしあわせであった。しかし、繰返し本誌で言ってきたことだが、若いうちは、余り装置はいじらずに一枚でも多くレコードを聴くこと、音楽そのものに時間をさくことを、私はすすめる。
(一九六八)
U
ピアノ・ソナタ作品一〇九
こんなのは大変つまらぬ質問だが、ベートーヴェンの全曲から、たった一枚、レコードは何をえらぶかと問われれば、わたくしはやはり作品一〇九のピアノ・ソナタを採るだろう。一〇九が最高のソナタというのではなく、“第九”であっても、人は一三一の弦楽四重奏曲だと言っても別に構わない。ただ、レコードだから、それはバックハウスの演奏したもの(英国デッカ盤)でなければ私の場合困るし、厳密には、いつ、どこで聴いた一〇九かということになる。人が一枚のレコードを愛蔵するのは、畢竟《ひつきよう》は、人生の一時機にかかわった感銘を愛蔵するのに他《ほか》なるまい。或る友人のために、たとえば詩人桜井のためにフランチェスカッティのヴァイオリン協奏曲を私は所蔵する。しかし所詮《しよせん》は、桜井より私自身のほうが大事である。ピアノ・ソナタ作品一〇九で私のつかんだつかのまの恋人は、男友達とは比較にならぬかなしいものを私の内面に残していったが、わるいのはあきらかに彼女ではなく、私の方だったろう。というこの自責と反省が、バックハウスの弾く一〇九とともに聴えてくるのは、つらいものだ。
作品一〇九がどういう由来で作られたかは私にはもうどうでもよい。ホ長調のソナタを、帰ったらあなたのために弾きます、と彼女は別れる時に言った。それだけで十分だ。夜の井ノ頭公園でその時私は、未練たらしくいつまでも彼女を離さなかった。未練ではなく、こういう花やぎを私は生涯に持たなかったからと告げたが、公園を一緒に散歩するだけでも精一杯、彼女は私のために尽していたのは分っている。ただしこんなことの分るのは一番つまらぬ精神である。下北沢へ帰る彼女を、吉祥寺駅に送って私は別れたが、それきり、彼女とは会えなかった。
『告別』や作品七八または一一一ではなく、一〇九をどうして彼女は私のために弾くと言ったのか、バックハウスのそれが、彼女が弾いてくれるようになぜきこえるのか? バックハウスの一〇九番が多分、私には一番気に入っていたからだろう。しかし恐らく、彼女はバックハウスのホ長調は聴いたことがあるまい。彼女はいわゆる良家の子女で、ふつうのお嬢さんだからそもそもホ長調を満足に弾けるかどうかも怪しいものだ。彼女が彼女の邸のサロンで、私をそばに憩わせ、静かに一〇九の第三楽章を弾いてくれるなら、そんな光景を空想するだけで気がとおくなる。彼女は薄地の白いドレスを着ているに違いないし、大型の電気スタンドが一基、傍らで彼女の横顔を照らしているだろう、多分アップライトだろう、黒塗りのそのピアノの上には白いレースが覆われ、青磁の花瓶《かびん》に一輪挿《いちりんざ》しか何ぞがある。彼女の細いしなやかな指はいき物のように鍵盤《けんばん》の上で動く、そうして私を見てわらう。この時のわらうという字は、咲《えま》うでなければならない。――陳腐な、時代遅れなこんな光景が生命を甦《よみがえ》らせるにはよほど大時代な空想力が現代では必要だが、音楽は、さしたる努力も必要とせず、私たちをそこへ運ぶ。
しかし独奏そのものは、彼女の弾く一〇九は、稚拙で、時にトチって、聴けたものではないのだ。そんなことは分っているのだ。第六変奏テンポ・プリモ・デル・テーマの一節でも彼女が鳴らしてくれれば、私の楽想は架空のバックハウスの名演をたどり、十八歳の娘マキシミリアーネに贈った五十男ベートーヴェンの思いをなぞることができる。いってみれば稚拙な演奏をバックハウスの音楽性で補ってやるのは私の内なる彼女への愛であり、そういう補足を最も容易ならしめるバックハウス盤だと言えば、ピアノ・ソナタ三十番(作品一〇九)について私の語りたいことは終る。
どういうものか、後期のこれらのピアノ・ソナタに比べてベートーヴェンのピアノ協奏曲には、気に入ったものがない。『皇帝』は、皇帝という傍題の大袈裟《おおげさ》さからして気にくわない。むろんベートーヴェン自身のあずかり知らぬことだからなおさらである。第一、第二協奏曲はしばしばモーツァルトを追っかけすぎているし、第四の第二楽章冒頭の、あの陰鬱な弦楽器群のユニゾンはHiFiマニアを喜ばせるためにあるとしか私には思えない。(少々程度の悪い再生装置もこの部分だけはゾクゾクするような合奏音で鳴るように出来ている。)人が名曲と呼ぶ第四番でこれなら、ピアノ協奏曲にはいっそ触れずにおくべきだろう。
もっとも、そもそもピアノ協奏曲で、バッハの二、三、モーツァルトの一、二のものを除いては才能の浪費としかわたくしには思えぬものが多く、大方の協奏曲にそれの創られねばならぬ内的必然が感じられない。もっともひどいのがショパンとシューマンである。ピアノで十分語りつくされたことを、なんのためにわざわざ協奏曲に組み合せるのかと思う。ショパンの場合は、交響曲を作らなかったのだから、たまにはオーケストレイションも手なずけてみたかったのかも分らない。髷物《まげもの》作家が現代小説を書きたくなるようなものか。しかしショパンの音楽性にとって実は、作らなかったのではなく作れなかった、もしくは作る必要がなかったので、その言わんとするところ、ことごとくを彼はピアノで語りつくしている。それでも協奏曲で或るダイナミズムを欲求したのは、本心は、ピアノでは出しようのない弦のユニゾンの快味に惹《ひ》かれたのではあるまいか、と素人のわたくしなどは思う。余談になるが、一人の作曲家がピアニストで出発したか、ヴァイオリンもしくはチェロでスタートしたかは、彼の作曲したものを聴けば不思議によく分る。ピアノから出た場合(近くはラフマニノフなど)必要以上に長く弦のユニゾンを聴かせる。シューマンもご同様である。さすがにベートーヴェンとなると交響曲の作られねばならぬ必然とピアノのそれとは分れているが、シューマンなどは単に双方のごっちゃ煮を食わされるにすぎない。しかもそのオーケストレイションたるや未熟で、ピアノの余技のそしりを免れまい。もっともひどいのが(内容空虚なのは)リストだろう。リストという男は、他のすぐれた音楽家を世に引き出す上には役立ってくれた。文壇でいえばさしずめ作家を世に出す名編集者であろうか。しかし彼自身の音楽は、世の中にこれぐらい才気走ったというだけの、気障《きざ》な音はあるまいと私には思えるような仕事ぶりである。才気煥発《かんぱつ》なのがそれ自身、芸術の上でどれほど意味のないものかをリストの作品はわれわれに教訓してくれる。やたらに高度の演奏技術をリストが要求したのは、そういうテクニックを駆使することで彼自身の非芸術性を補ったからだろう。
私の知り合いに、奈良市在住のN氏というHiFiマニアがいる。某レコード会社会長の直系であるのに、脚が不自由なのと謙虚な人柄のため、今は会社の表向きには出ずひっそりと東大寺境内で暮していらっしゃる。この人はランプの収集癖という妙なくせがあるが、アンプやカートリッジやスピーカー・システムで新製品が業者に輸入されたと聞くと矢も楯《たて》もたまらず、上京なさるご仁である。目下N邸の書斎には日本に入った欧米の機械のあらかたは揃《そろ》っている。ステレオ用のスピーカー・システムだけで五台はあるだろう。これに準じてアンプ、テープ・レコーダーが五基、日本では比較的めずらしいノイマンのカートリッジやアームが数個。
或る程度のメーカー品となれば、カートリッジひとつ替えてみたところでレコードの鑑賞にさほど違いがあるわけはない、などとウソブくやからは実はまるで音質のことは分らぬ手合いだと、ほぼきめつけて間違いはない。
レコード音楽を鑑賞するのはナマやさしいことではないので、N氏に限らず、およそ名曲を自宅でたっぷり鑑賞しようと再生装置をなんらかに心掛けて家庭に持ち込んだが最後、ハイ・フィデリティなる名のドロ沼に嵌《は》まり込むのを一応、覚悟せねばならぬ。一朝一夕にこのドロ沼から這《は》い出せるものでないし、ドロ沼に沈むのもまた奇妙に快感が伴うのだからまさに地獄である。スピーカーを替えアンプを替え、しかも一度良いものと替えた限り、旧来のは無用の長物と化し、他人に遣《や》るか物置にでもぶち込むより能がない。或る楽器の一つの音階がより良く聴えるというだけで、吾人は狂喜し、満悦し、有頂天となってきた。そういう体験を経ずにレコードを語れる者は幸いなる哉《かな》だ。
そもそも女房がおれば外に女を囲う必要はない、そういう不経済は性に合わぬと申せるご仁なら知らず、女房の有無にかかわりなく美女を見初《みそ》めれば食指の動くのが男心である。二〇から二万サイクル(ヘルツ)まで歪《ひずみ》なく鳴るカートリッジが発売されたと聞けば、少々、無理をしてでも、やっぱり一度は使ってみたい。オーディオの専門書で見ると、ピアノの最も高い音で四千サイクル、これに倍音が伴う。それで一万サイクルぐらいが鳴る。楽器で最も高音を出すのはピッコロやヴァイオリンではなく実はこのピアノなので、ピッコロやオーボエ、ヴァイオリンの場合ただ倍音が一万四千サイクルくらいまで延びる。一番高い鍵《けん》を敲《たた》かねばならぬピアノ曲が果して幾つあるだろう。そこばかり敲いている曲でも一万五千サイクルのレンジが出れば鑑賞するには十分なわけで、かつ人間の耳というのが精々一万四、五千サイクル程度の音しか聞きとれない。とすれば、二万サイクルまでフラットに鳴る部分品が、どうして必要かと、したり顔に反駁《はんばく》した男がいた。なにごとも理論的に割切れると思い込んだ手合いの一人である。
世の中には男と女しかいない。その男と女が寝室でやることはしょせんきまっているのだから、汝《なんじ》は相手が女でさえあれば誰でもよいのか? そう私は言ってやった。女もひっきょう楽器の一つという譬《たと》え通り、扱い方によってさまざまなネ色を出す。その微妙なネ色の違いを引き出したくて次々と別な女性を男は求める。同じことである。確かに四千サイクルのピアノの音がAのカートリッジとBでは違うのだから、どうしようもない。N氏の書斎のように、本妻をどれとは決めかね、二号三号も雑然と同居させる仕儀にもなる。いいものが一つあれば足りるのが本来のあり方だが、オーディオ界の現状では、同程度に二万ヘルツが鳴る機械でも、Aはピアノを聴くに適し、Bはヴァイオリン、Cは臨場感、Dはより十分な高音領域と微妙な違いが生じている。大ざっぱに言って、各種のレコードを満足にきくには、クヮルテットもしくはソナタ用と、交響曲用と、最低二台の装置は必要ではないかと思う。パイプオルガンさえ完璧《かんぺき》に鳴れば十分というものではないのであって、それほどオーディオというやつは、まだまだ未知で不可解な分野が多い。とりわけ厄介なのが低音である。
音(低音)がヌケると、よく言う。スピーカー・キャビネットに音がこもらず、風のように抜けるとでも言ったらよいか。「水の縁を切った水は甘い」とでもいうようなものだ。水を疲れさすという言葉があり、疲れた水は同じでも湧《わ》き出したばかりの山の水とは異なった味わいをもつ。即《すなわ》ち「水の縁を切った水」である。疲れて水の粗さを失った水は、滑らかで甘い。一丈の高さの滝と二丈の滝では、その滝壺に落ちた水の味は違うのである。風流士はそういう水の味の違いを味わうが、低音だって同じことだ。
私がまだ石神井《しやくじい》の都営住宅にいた頃、当時はグッドマンの十二インチで聴いていたが、白昼さほど大きな音でなしに掛けていたのに、道路をへだてた三軒向う隣りの妊婦は、私の家で鳴らすスピーカーの低音部の共振で急に産気づき、大騒ぎになったことがあった。大型トラックがゆっくり通れる道路幅をへだてていて、低音は地面をつたい彼女の住居の畳を振動させ産気づかせたらしいのである。
また、西大泉の家に移ってから、コンクリート・ホーンで低音の性能の万全を期したわがリスニング・ルーム(二十畳)で一夜聴いていたら、隣家から文句がきた。この時も大して大きな音ではなかったと思う。しかしこちらはツンボだからと、ややボリュームを絞って聴きつづけていたら、こんどはパト・カーが来た。これには驚いた。隣家から一一〇番へ電話したわけなのだが、事情をきくと、隣家の雨戸を閉ざしガラス戸を閉めカーテンを掛けてある室内で、その部屋の障子が怪しくガタガタふるえたという。
わが家の試聴室は一応防音をしてある。トランペットやヴァイオリンの音は隣家へは聴えない。つまりレコードを鳴らしている音が隣家へ洩れるわけではないのに、夜の静寂に、突如として無気味に障子だけがふるえるのである。隣人でなくてもスワ地震かとノイローゼにもなろう。これまた、低音の仕業とあとで分った。
つまり低音は地を這うものだ。床を這う。あげくの果てに再生装置の音まで変えてしまう。振動(低音の共振)は、中高音をつつみ込んで、スコーカーやトゥイーターから出ている音まで変化させてしまうのである。この妖怪《ようかい》な低音の働きを分ってもらうには、「疲れた水」が茶の味を変える例でも持ち出すほかはあるまい。
現在の私は、タンノイのエンクロージア(オートグラフ)をマッキントッシュ275のメイン・アンプで鳴らしている。プリは同じマッキンのC22と、J・B・ランシングのグラフィック・コントローラー(SG520)の併用である。タンノイについてはあらためて書くが、ほぼレコード音楽を家庭で鑑賞するには満足な再生音をきけるようになった。
自慢する気は毛頭ないし、むしろ不運の為《ため》だったと言いたいのだが、これまで、日本で入手できる著名な欧米の製品のほとんどを、私は聴いている。水は新鮮なほど味がよくなると思い込んでいたようなものだ。そう思い込ませたのは、例えば英グラモフォン誌や米“ハイ・フィデリティ誌”の紹介記事であり、これを孫びきして尤《もつと》もらしく解説した日本の専門誌の記事だった。
だが、身銭を切ってそれらの機種を購入し、くり返し繰り返し、同一のレコードをかけた経験から言うのだが、再生音は、アンプや単体のスピーカーではなくて人間の住んでいる部屋がつくる。たとえばあなたの部屋で、J・B・ランシングのトランジスター・アンプにかえて音がわるくなれば、ジムランが悪いのだ。逆にジムランにかえて良くなったら、部屋の(又は音質の)諸条件にマッチしたそのジムランはいいと言わねばならない。自分の暮している部屋で聴いて、よくない部品を客観的に(あるいは特性の上で)いいはずだとどれほど専門家が推称したところで、何の役にも立ちはしないのである。つまり再生音といったものは、生活がつくり出す。日常、生きている場で論じられるべきであり、メーカーが公表するアンプやカートリッジの特性がつくりあげるものではない。音色を左右するのは、あくまでその人の生活である。
このことに想いいたれば、家具調度も満足に揃わなくて、再生装置だけベラ棒に高価なものを置いているのがどんなにカタワな生活か分るだろう。断言してもよい、そんな生活人が、碌《ろく》な音で聴けたためしはないのである。その鳴らしている音は、やっぱり、カタワの音だ。
兼ねてあこがれていたアンプやスピーカーを入手し、取替えて、音が良くなった時の喜びは、たしかに喩《たと》えようもない。満ち足りたあの充足感は、いちど味を知ったらやめられるものではないだろう。私自身が、そういうカタワの充実感に随喜して、質屋通いをしながらも部分品をもとめてきた。番茶を煎茶《せんちや》にかえ、新鮮な水をもとめて沸かしたようなものだ。それを欠けた茶〓《ちやわん》に淹《い》れ、うまいと言って飲んだ。涙が出てくる。じつはそれほど、音楽そのものがかわったわけではないのである。
ふつう、周波数特性の平坦な、歪のまったくないスピーカーやカートリッジ、アンプなど、この世には存在しない。じつに大小さまざまなピークや谷間のある部品があるばかりだ。そういう部品を組合せてぼくらはレコード音楽を聴く。極言すれば同一メーカーの製品でも、すべて、音は違うのである。いわゆるバラツキだが、このことは同じ音で鳴る再生装置は世界に一台もないことを意味するだろう。
周波数特性の或る部分――たとえば二千三百ヘルツにピークがあれば、そのピーク個所の音はあたかも強く演奏されたようにきこえる。逆に劣下していればその音はぼやける。したがって、ピークや、或るヘルツで再生効力の劣る五百万台のステレオ装置でたとえば同じハイフェッツのレコードを鳴らしたとすると、厳密には、異なる五百万のハイフェッツの演奏を聴くことになるのである。そのどれを、真正のハイフェッツだと言えるのか?
ナマそのままの音で鳴るのが、本当のハイフェッツの演奏だという人がいるかも知れない。だがそれなら、演奏会場のいったい何処《ど こ》で聴いた音なのか? 一階正面か、三階のてっぺんか。実演を聴いた人なら容易に理解のゆくことだが、ナマの演奏自体が、会場の聴く位置でずいぶんと音はちがう。ピアノ・リサイタルで、ペダルを踏む音がわかるのは余程ステージに近い席である。
要するにナマの音だって千差万別だろう。それでいて、ナマの演奏を聴きにいって、そのアーティストが理解できなかったという人はいない。レコードの場合だけ、どうして、少々その装置がわるいからと、演奏を理解できぬなどと言えようか。
アンプやスピーカーを変えたぐらいでは実は何ほどのこともないのだ。装置がよくなれば、たしかに音はよくなる。よい音で聴く快感はだが、音楽の鑑賞そのものとは別個のものだ。別の喜びである。
今の私にはそれが言える。確かにマッキントッシュの真空管アンプはいい。その良さはジムランにもマランツにもクワードにも求められない。しかし同時に、その良さに比肩する別な美点をジムランはもっている。マランツはもっている。クワードが更にはナショナル・テクニクスやサンスイがもっている。別なハイフェッツがきけるのである。バックハウスが聴ける。サンスイをマッキントッシュに変えたところで、それで享受できる音質向上は、ベートーヴェンの音楽、バックハウスの演奏そのものの感銘に較べればわずかなものだ。ステレオ雑誌の紹介記事や広告にまぎらわされてはならない。重ねて言うが、たとえば拙宅で鳴っているタンノイ・オートグラフより、あなたの部屋の音楽がつまらないわけが、あるはずはないだろう。アンプやスピーカーが国産であろうとなかろうと、それであなたが音楽を聴き込んでいる限り、他人のどんな装置よりもあなたにとって、大切なはずだ。その大切さが、じつは本当の演奏を――つまり音楽を、あなたの内面にひびかせるのである。
(一九六四)
シュワンのカタログ
シュワン(Schwan)のカタログというのは大変よくできていて、音楽は、常にバッハにはじまることを私達に示す。ベートーヴェンがバッハに先んずることはけっしてなく、そのベートーヴェンをブラームスは越え得ない。シュワンのカタログを繙《ひもと》けば分るが、ベートーヴェンとヘンデル、ハイドンの間にショパンと、しいて言えばドビュッシー、フォーレがあり、しばらくして群小音楽に超越したモーツァルトにめぐり会う。ほぼこれが(モーツァルトが)カタログの中央に位置するピークであり、モーツァルトのあとは、シューベルト、チャイコフスキーからヴィヴァルディを経てワグナーでとどめを刺す。音楽史一巻はおわるのである。
こういう見方は大へん大雑把《おおざつぱ》で自分勝手なようだが、私にはそう思えてならぬ。今少し細部について言えば、ラフマニノフはプロコフィエフを越え得ないし、シューマンはひっきょうシューベルトの後塵《こうじん》を拝すべきだとシュワンはきめているように私には思える。
ことわるまでもないが、シュワンのカタログは単にアルファベット順に作曲家をならべてあるにすぎない。しかしバッハにはじまりワグナーで終るこの配列は、偶然にしてもできすぎだと私は思うのだ。いつもそうだ。月々、レコードの新譜で何が出たかをしらべるとき、まずバッハのそれを見ることをカタログは要求する。バッハに目を通してから、ベートーヴェンの欄へ入るのである。これは何者の知恵なのか。アイウエオ順で言えば、さしずめ、日本は天照大神《あまてらすおおみかみ》で始まるようなものなのか。高見順氏だったと思うが、人生でも常に辞書は「アイ」(愛)に始まり「ヲンナ」でおわると冗談を言われていたことがある。うまくできすぎているので、冗談にせざるをえないのが詩人のはにかみというものだろうが、そういう巧みを人生上の知恵と受け取れば、羞恥《しゆうち》の余地はあるまい。バッハではじまりワグナーでおわることを、音楽愛好家はカタログをひもとくたびに繰り返し教えられる。
素直に、このカタログのランクに従えば、ラヴェルはラモーを待たねばならない。アルバン・ベルクはシェーンベルクに先行し、そのベルクの前に君臨しているのはバルトークなのである。
誰でもそうだろうと思う、クラシックに主たる関心を寄せるレコード愛好家は、ヘンデル、ハイドンをほとんど同期の音楽家とみなすだろう、ハイドンからはすぐモーツァルトに心は移ってゆくだろうと思う。現代音楽に関心すれば、ベルクとバルトークは踵《きびす》を接して並んでいる。しかも芸格でハイドンはヘンデルに先んじえず、ベルクはバルトークを待たねばならぬこの序列を、かりそめごととは私には思えないのだ。
ヘンデルがハイドンより百年早く生れていることなど、この序列に対してなにほどの意味もない。バッハが巻頭に位するのも生れた年月とは関係あるまい。あくまでABC順である。それでいてJ. S. BACHはBARTKに後れることはあり得ない。カタログが不思議な叡知《えいち》でそれをわれわれに示している。
レコードを聴けないなら、日々、好きな茶を飲めなくなったよりも苦痛だろうと思えた時期が私にはあった。パンなくして人は生きる能《あた》わずというが、嗜好品《しこうひん》――たとえば煙草のないのと、めしの食えぬ空腹感と、予感の上でどちらが苦痛かといえば、煙草のないことなのを私は戦場で体験している。めしが食えない――つまり空腹感というのは苦痛には結びつかない。吸いたい煙草のない飢渇は、精神的にあきらかに苦痛を感じさせる。私は陸軍二等兵として中支、南支の第一線で苦力《クーリー》なみに酷使されたが、農民の逃げたあとの民家に踏み込んで、まず、必死に探したのは米ではなく煙草だった。自分ながらこの行為におどろきながら私は煙草を求めた。人は、パンをまず欲するというのは嘘だ。戦場だからいつ死ぬかも分らない、したがって米への欲求はそれほどの必然性をもたなかったから、というなら、煙草への欲求もそうあるべきはずである。ところが死物狂いで私は煙草を求めたのである。
この体験があるので、貧乏生活の中でも私はレコードを買うことに傲慢《ごうまん》さをつらぬいた。おもに女房に対する傲慢さでしかなかったが、夫婦生活で、家計に苦しむ妻へ傲慢になれるなら男として十分だろう。それでも、金というやつは使いたくともないとなれば鐚《びた》一文ないのが普通だから、常にレコードが買えるとは限らない。
そこで三日聴けないなら死んだ方がましだという大袈裟《おおげさ》な詠嘆になる。べつに死にもせず今もって生きているから大袈裟なと言っているまでで、当時は本気だった。妻はこの詠嘆の方が、どんな貧困よりも脅威だったと言っている。むろん私の立場で言えばああレコードが聴きたい、と怒鳴り散らせば気の済むものではなく、言い知れぬ寂寥《せきりよう》感があとに残る。
そこでシュワンのカタログを取り出し、侘《わび》しさを紛らせるため一ページ一ページ、丹念にながめることで自分を慰める習慣がついた。昭和二十七、八年にかけてだから、今ほど多量にLPは出ていない。好きな曲と演奏の盤は、そのレコード番号まで諳《そら》んじるようになった。どの社のどのレコード番号は何番だから、この程度の録音だと、ほぼそのレコードのもつ弦やピアノの音質の密度まで見当がついた。
私に、音楽学生としての時代を区切るなら、この時期だろうか。文学青年として、青春と呼べるものを剣豪小説を書く頃まで私は保っていたと思うが、無名の文学者としてみずからに満たしえぬものを、音楽は満たしてくれた。主としてS氏の書斎で聴かせてもらった一曲一曲が、沁《し》みとおるように私の内面で未《いま》だ形を成さぬものを潤し、啓発し、発芽させた。聴きたいものなら自由に購入でき、おそらくは再生装置が鳴らしうる最高の音質で、今はそれを聴くことができている。しかし、バスタオルがふるえるのに三十サイクルが鳴ったぞと随喜した当時に比べ、今は音楽的により良い鑑賞をしているとは限らない。むしろ当時の方がはるかにまっとうで、こういうのが許されるなら純粋な聴き方を知っていたように思う。
シュワンのカタログで、たとえばバッハのヴァイオリン協奏曲第二番のレコードは米国盤でたしか三枚あった。中でブッシュの弾いたのがアメリカ・コロムビアで発売されたLP最初の盤である。ステレオに馴染《なじ》んだ今日の耳では、缶詰《かんづめ》音楽としか言いようがないが、当時、他盤にぬきんでた名盤だった。ハイフェッツ、フランチェスカッティ、オイストラッフと次第に好録音でこのレコードは出されたが、バッハのホ長調のヴァイオリン協奏曲といわれて、私の胸内ですぐ鳴り出すのはブッシュの音である。押入に仕組んだプレイヤーで聴いたブッシュである。好きなところは特にボリュームを高くして鳴る。第一楽章から二楽章へ……と、これだけで二、三分はすぎてしまい結構私はたのしい。次はハープシコードの組曲。ああこの裏面はヴィヴァルディのだったな、と思う。次はミュンヒンガーの入れた遁走《とんそう》曲であり、その次がロ短調ミサ。次がエネスコの弾くパルティータ。これはひどいレコードだった。かんな屑《くず》でもプレスして吹込んだかと思いたくなるような、木目のあるレコードだ。しかも録音が極端に悪い。いかにLP初期とはいえ、またレミントンなる小会社の発売した盤のせいとはいえ、じつに哀れな音であった。それでもエネスコがついにパルティータをいれた――このニュースを聞かされたとき、ぼくはからだが震えたよ、とS氏は言う。S氏がLPの機械を備える気持にかられたのはエネスコのこのパルティータを聴きたいためだったと、この述懐はエネスコの名を口にするたびに繰り返し繰り返しS氏は私に話した。当然、だから《Partita No. 1 in b for Violin Unaccompanied》の欄を見れば、
「エネスコが君、パルティータをいれたというのにだよ、LPを聴かずにおられるかい」
S氏の述懐が聞えてくる。それにしては録音が悪すぎるなあ、と思う。パルティータはだから敬遠。次が同じ無伴奏でチェロ・ソナタ。これはシュタルケルのうなりたくなるような好録音の盤があった。いかなカザルスも(弾きながらの鼻息まで録音されているが)シュタルケルに比して老齢の憾《うら》みは覆うべくもない。すくなくともLPでどちらの一枚を買うかと聞かれれば、私なら、やっぱりシュタルケルにするなあ、と思う。
と言った具合に、一ページ一欄ごとに曲を甦《よみがえ》らせ、或《あるい》は逸話をよみがえらせ、私は音楽を堪能しながらレコードへの渇望を癒《い》やした。車中でシュワンのカタログをひもとき東京大阪間をけっこう退屈せずに楽しんだこともある。座右の書と呼ぶにふさわしい、当時それは私に唯一のものであり、しかも月々、新譜を載せてそれは喜びを倍加させてくれた。
いかにカタログが私を退屈させなかったといっても、そこに楽譜があるのではない。楽譜は、名演奏の場合もそうだが、むしろ私にはないにひとしい。楽譜はなく、演奏される音楽だけがある。一つの曲を導入部から終章まで味わうというわけにはゆかぬ。カタログで想起されるのは、しょせんは曲の断片である。前後の秩序なく突然にたとえばフィガロはスザンナと結婚している。何度も何度も。村の乙女達が二人の結ばれたのを祝して踊り出すあの類いまれな美しい旋律の場面は、そこを聴くためだけに『フィガロの結婚』を私も入手したいと思わせたものだ。カラヤンの指揮したコロムビア盤だった。大袈裟に言えばモーツァルトの全作品の中から、この、第一ヴァイオリンの旋律に乗って村の娘達が踊り出し、かたわらでもっともらしく伯爵が独唱するくだりと、『魔笛』での終幕でパパゲーノがパパゲーナをたずねて出会うあの前後の音楽さえ残るなら、あとは灰になってもモーツァルトをそれほどうしなったとは思わないだろう、そう言いたくなるほど、この二章をきいていて私は歓喜した。(コロムビア時代のカラヤンのモーツァルトは良かった。)
さて、スザンナとの結婚が合唱のうちに終れば、私の内部で鳴る『フィガロの結婚』は、第四幕、ケルビーノが「さがせど探せどどこにもないわ」と詠唱するところで幕になる。レコードの最後の一面の、たしか冒頭にこのアリアは始まっていた。ここで私の内なるプレイヤーは停止し、再び針がおりるとそれはもうK五一六のヴィオラ・クィンテットに変っている。
これはほんの一例だ。とにかくそんな順序で音楽は私の内に鳴りつづけ、私は次へとページを繰るのだが、別な演奏者の盤が新譜発売されているのを発見し、それが気に入りそうなものであればいつかは買える日のためにチェックしておく。赤鉛筆でチェックされた月々のシュワンのカタログが十数冊、いま私の手許《てもと》には残っている。約一年半ちかく、貧乏生活のどん底で私は最も華麗な音楽を聴いていたわけになる。これが青春でなくてなんだろう。
ところでこんな習慣は、別な習慣を私にもたらした。
分りやすくするためにフォーレのヴァイオリン・ソナタを例にとるが、フォーレのこのソナタ一番をボベスコ、ジェンティの英国デッカ盤ではじめて聞いたとき、夜の海浜で、貴婦人に抱擁される私自身をはっきり幻覚させてくれた。彼女は未亡人であることだけは確かだが、金髪で、むろん名前も知らぬし会ったこともない。彼女は優しく貧乏青年の私を愛撫《あいぶ》し、潮風に髪を乱して嫋々《じようじよう》たる彼女の過去の嘆きと過ちへの悔恨を訴え、どうかすると波濤《はとう》の飛沫《ひまつ》が私達の頬に降りかかったが、彼女はほそい指で私の頬を拭ってくれ、自身のは濡れるにまかせている。彼女の告白は、フランス語だから意味は一切私には分らない。一人の寂しく生きた婦人がここにいる、そう分るだけだ。
ことわっておくが、フォーレの音楽にのって浮び出した光景である。彼女と私に淫《みだ》らな関係や場面を、フォーレが許すわけはない。あくまでやさしく彼女は私を愛撫し、それは彼女の母性的な、男というものを容易に近づけぬ清純感と、清純さが必然的にもつ不幸とを、繰り返し私に語りかけてきた。私は陶然と彼女のなすままにゆだね、あなたの言うことは分る、と何度も答えていた。優雅な、ひじょうに繊細な、気品に満ちた、愁いのある、つまりフォーレのヴァイオリン・ソナタ(作品一三)そのものが、人体と衣装を身に着け、私と彼女の肉感を藉《か》りて、そこに有情の調べを展開させるのを、私は聴くと同時に視ていたのだ。フォーレのこういう聴き方もあるというだけでは、頬を撫《な》でてくれた感触の生ま生ましさは説明のしようがあるまい。
確実に、これは私にとっては体験である。某女を現実に抱いたことの思い出と等質な、むしろそれ以上な、まぎれもなく体験された事実である。
ある瞬間には甘美で、その甘美さに堪えがたくて我から彼女は浜辺に足跡を残し、風にひるがえる裾を抑えながら闇の向うへ去っていったが、たちまちにまた渚《なぎさ》に横ずわりして、私を抱いていた。どういうものか、二度とその後、フォーレを聴いても彼女はこの夜の海辺のようには現われてこなくなったが、さればこそ、なおさら私にとって貴重なこれは体験である。
実際にレコードを聴くと、きいている時々の周囲の状況や自分の置かれた精神的立場、肉体条件などによって、同じ曲が同じ幻覚をもたらすとは限らない。むしろ二度と同一場面は同一の感動では浮んでこない。私にできるのは、この楽章である光景が浮んだなあと、自家発電みたいに、しいてそれを再現させる努力をするぐらいである。レコード音楽は、それを鳴らしている時のボリュームや湿気の具合で、良くきこえたりつまらなかったりする。再生装置が変ればレコードまでが別物になると、極端には言っていい。おなじ感動を再現しえないものなら、だからいっそ、レコードをかけるよりは、思い出の中でその曲をなぞり光景を回想する方が自然にゆく場合すらあろう。
カタログを繙いて、そこで音楽に耽《ふけ》る私の情操操作にはこういう便宜があった。もう分ってもらえたと思うが、こうした習慣になれると、対人関係で、誰かに初めて会ったとき、彼(もしくは彼女)に似かよった音楽が不意に、彼の方から鳴り出してくることがある。私の人間評価は、その鳴ってきた音楽で決定的なものとなる。たとえば或る男に会った、彼はファリアの三角帽子を鳴らしてきた。こんな程度の男なのか、と思うようなものだ。
概して男性はまだいいが、女性となると、かりそめごとで済まない。直観はあやまたない、誤るのは判断だとゲーテは言ったが、当てにならない。一人の未知な女性が、目を見交わしたときフランクのヴァイオリン・ソナタを鳴らしてきたために、私はどれほど惨めなことになったか。ヴィヴァルディの『ヴィオラ・ダ・モーレ』が妻に幸いしたぐらいのもので、他はことごとく私をみじめな状態で失恋させている。それでも、フランクのあのソナタがきこえるならこの女性が悪い女であるはずはあるものかと思い、私は求め、しつようにもとめ、傷ついて置き去られる。そこでもはやその曲は私の聴きたくないものとなり、私は名曲を失ってゆくのだ。一枚、一枚、そうして私は失ってきた。
ごく最近も、一枚をうしなった。
(一九六四)
名盤のコレクション
先日、書庫を整理していたら、シュワンの古いカタログが出てきた。一九五二年八月から、五四年十一月への何冊かで、知っている人も多いとおもうが、シュワンのカタログは毎月アメリカで出される主たるレコードの総譜のようなもので、月々の新譜は星のマークがついている(後にはその月かぎりで廃盤になるレコードには黒マルが付けられるようになった)。
一九五二年といえば、もちろんLPはまだ邦盤は出ておらず、欧米でも十インチ盤が多く、作曲者別に曲名を列記した活字などまことに大きくて見易い。
そんな曲目の幾つかに朱線が引いてあるのは聴いたレコードというわけで、中には日付を記したものもある。二重丸を打ったのもある。当時はまだ貧乏でレコードが買えなかったから、いつかはこの盤を買おう、そんなおもいで二重丸をつけたのが筆跡の力づよさでわかる。カラヤンの『魔笛』に三重丸のあるのなど、今おもえば嘘みたいだが、今までも述べてきたように、当時のカラヤンは私のもっとも愛する指揮者の一人だったし、事実このときの『魔笛』や『フィガロの結婚』は今日でも鑑賞にたえるものだし、いまフルトヴェングラーの盤が聴きなおされている中でも演奏の良否は厳然たる差違を示しているように、後年、カラヤンのおびただしいレコードが再評価――かならずしもいい意味にではなく――されるときが来ても、この初期の『魔笛』と『フィガロ』は高い声価を保つにちがいない、と私は思っている。昨今のカラヤンは俗物の最たるものだけに、余計、偉大な、フルトヴェングラーやトスカニーニを意識した俊英時代のカラヤンの真率さがなつかしい。
ところで、私にかぎらず今百枚以上のレコードを持っている人は多いとおもうが、市販されたおびただしい同一曲の演奏や指揮の中から、ベストレコードを一組――それを百えらぶとなると容易ではない。再生装置によっては、微妙な音色のちがいでA盤よりB盤が――少々演奏に不満はあっても――捨て難い、といった例はしばしば見受けることであり、そのレコードを購入するにあたって(もしくは曲そのものをつよく印象づけられた意味で)レコードとわかち難くむすびついた思い出のようなものがある場合、愛聴盤として、その一枚は秘蔵されねばならないだろう。時には再生装置が変ることで選択の異なってしまうケースもあるだろう。何を――誰の演奏で――残すかは、何を捨てるかに他《ほか》ならないわけだが、こう玉石混淆《こんこう》でレコードの数が多くなると、コレクションに何枚所蔵しているかより、何枚しか持っていないかを糺《ただ》した方が、その人の音楽的教養・趣味性の高さを証《あか》すよすがとならないか。つまり碌《ろく》でもないレコードを何百枚も持つ手合いは、余程の暇人《ひまじん》かアホウということになる。再生装置でもこれは言えるので、カートリッジを使いわけるのは別として、グレード・アップ以前のアンプやスピーカーまで仰々しく部屋に並べている連中(鳴らしもしないのに)に先《ま》ず音のわかった人がいたためしはない。選択は、かくて教養そのものを語ってゆく――
私の知人のすぐれた音楽愛好家は、そこで、くり返しえらびぬかれたものを聴かれているが、いちど詳細に見せてもらったら、驚くほど枚数が少なかった。百曲に満たなかった。そのくせ、月々シュワンのカタログで新譜を取寄せられる数は私の比ではない。容赦なく凡庸なのは捨てられているわけである。
昨今では、もうあらかた、名曲は出つくしていて、ブルックナーあたりを最後にレコード会社の方もプレスする曲がなくて困っているらしい。そこで“幻想”や“新世界”がこれでもか、これでもかと指揮者、オケを変えて出る仕儀となるが、ベートーヴェンのも例外ではなくて、試みに“皇帝”を総目録でしらべたら、昨年一月現在で五十枚出ていた。“幻想”“新世界”“皇帝”あたりはポピュラーな割りにはつまらぬ曲で、むしろ洟垂《はなた》れ小僧向きだろうか。私自身がかつて、洟垂れ小僧時代これらの曲にうつつをぬかしたのだからわかるのだが、百曲のコレクションにこんなものは先ず入らない。それでも“皇帝”のカデンツァを、たとえばグレン・グールドならどんなふうに弾いているか、グールドに興味を寄せる私などはちょっと聴いてみたい気もして、新譜が出るとまあ一枚取ってみる。そして捨てる。バッハを弾いたグールドの素晴しさには及ぶべくもないし、モーツァルトのたとえば“トルコ行進曲”の目をみはる清新さに程とおいからだ。
こうして、新譜を取寄せては聴きくらべ、捨てていって、百曲のこれば大したものだろう。残る百曲の中には当然、“平均律クラヴィーア曲集”も“トリスタンとイゾルデ”も入るだろうから、実数は百枚を越えるが、かりに一日かならず一枚を聴くとしよう。ほぼ四カ月目に再びその盤にめぐり会う勘定で、多忙な日常を余儀なくされるわれわれの生活で毎日欠かさず一枚、ほぼ一時間を、レコード鑑賞についやすのは余程の人と思う。それが二百枚ともなれば、だから半年に一度出会うか出会わぬかで、つまり年に二度しか聴けぬ勘定である。
曲の中にはむろん、年に一度聴けば足りるものがある。反面、毎日聴いて倦《あ》きぬ曲もある。それらを含めて五百枚以上持っているのは、平均すれば二年に一度程度しか聴けぬわけで、誰のでもない、自分のレコードでありながら二年目にしか聴けぬような枚数を誇ったところで何になろう。コレクションを自慢する輩《やから》は、クラシックたるとジャズ、フォークたるとを問わず、阿呆だというゆえんである。
ステレオになった当座、電信柱や溝《みぞ》に放尿するのを自分で録音・再生して、おォ、小便から湯気が立ち昇るのが見える!……と、その音の高忠実度性に狂喜したマニアを私は知っている。しつこく誘いにくるので、一度、彼の部屋へ聴きに行き、なるほどモヤモヤと湯気の立ちのぼる放尿感が如実に出ているのには驚いた。モノーラルしか聴き馴れぬ耳には、ほんとうに、シャーと小便の落ちる其所《そ こ》に湯気が立っていたのである。
このあいだ何年ぶりかに彼と会って、あのテープはどうした? とたずねたら、何のことだと問い返す。放尿さ、と言ったら、ふーん、そんなこともあったっけなあ……まるで遠い出来事のような顔をした。彼は今でもオーディオ・マニアだが、別段とぼけてみせたわけではないだろう。
録音の斬新さなどというものは、この湯気の立つ放尿感と大同小異、録音された内容がつまらなければしょせんは、一時のもので、すぐ飽きる。喜んだこと自体がばからしくなる。オーディオ技術の進歩は、まことにめざましいものがあり、ちかごろ拙宅で鳴っている音を私自身が二十年前に聴いたら、恐らく失神したろう。これがレコードか?……わが耳を疑い茫然自失しただろう。
それくらい、ハードウェアで技術は進歩した。だが演奏家はちっとも進歩していない。むしろ芸格において、小味になり、こくが乏しくなった。放尿のテープは今では笑い咄《ばなし》にもならないが、クララ・ハスキルのモーツァルトは今でも彼の秘蔵盤になっている。ランドフスカのチェンバロによるバッハやスカルラッティやラモーを、クープランを、今の若手で聴けるだろうか? ヴァイオリンにいたっては猶更《なおさら》である。どんどんつまらなくなってゆく。こちらが歳をとり出したせいもあろうが、総じて、若手の演奏は達者にはなったが、滋味に乏しくつまらない。
そうなると、百曲の選出はいよいよむつかしくなる。独奏曲やソナタ程度ならモノーラル時代の録音でも鑑賞するには充分だが、オペラや交響曲となると、音の広がりや奥行きのないのがどうにも喰い足りない。私の経験だが、ステレオフォニックにプレゼンスを保って再生できる装置ほど、モノーラルも楽器の定位を判然と聴き分けさせてはくれるし、どうかすればこれがモノかと怪しみたいくらい立体的に鳴るのだが、それでも、真のステレオのスケール感には程遠いし、逆に、レコードによっては缶詰的な聴き苦しさが際立つものもあり、そうした不満にとらわれだすと、ちょっと、録音の古いのは、よほど名演でないかぎり聴く気はしなくなる。フルトヴェングラーの『トリスタンとイゾルデ』は、フラグスタートのイゾルデにズートハウスのトリスタン、これにフィッシャー〓ディスカウやグラインドルといった最高の顔ぶれが揃《そろ》い、まことに稀代《きたい》の名盤と人さまには推称するがさて、自分で聴くときは、ベームあたりが振ったバイロイト音楽祭の実況録音テープ――それも昨年のではなくて、一九六九年度のニルソンとヴィントガッセンの自家版ということになってしまう。なにも手前で採録したから悦に入って聴くわけではない。音がいいというこの魅力は、正直、フラグスタートとフルトヴェングラーの組合わせという当代ぼくらの望み得る最高のそれにさえまさるので、ここらが音キチの泣き所だろうか。
何にせよ、こうなればいよいよ何を残すかはむつかしい。
そこでS氏の方法を私も模倣したことがあった。S氏は戦前から、ずいぶんすぐれたレコードを聴きこんでこられた人で、その造詣《ぞうけい》の深さは到底私のおよぶところではない。LPの出はじめた頃は、月々、二十枚前後の新譜をアメリカから取寄せられ、昨今でも気に入りそうな新譜はあらかた手に入れて聴かれているらしいから、それら、購入されたレコードを総計すれば莫大な数になるだろう。
でも現在そう沢山なレコードは残っていない。どしどし放逐されるからで、こちらが貧乏なころ、放逐されたそんな何十枚かを狂喜して頂戴したものだった。さてS氏の方法だが、任意に、骰子《さいころ》をふった数字にしたがいケースにおさめたレコードを出して聴かれる。所蔵のすべてを順次そうして聴いているうちに、気に入らぬものはどしどし排除されるわけだが、新譜のとき、一応それらは鑑賞に耐えるものとして残されてきたものばかり、そうつまらぬ盤があるはずはないのだが、一クール(?)おわる頃には追放分がどっと出るそうだ。
レコードは、聴くこちらのコンディションで良し悪しは左右されやすいものである。私など、S氏のこの方法を模倣して排除した分も、そのまま残しておき、後日、聴きなおした。結局そうして未練ののこった盤は又のこしておいた。二年ほど経って、あらためてこの方法で聴いてゆくと、やっぱり前に追放しようとした分は保存に値しないのを思い知るのがほとんどだったから、演奏への鑑賞能力、また曲への好みといったものは、聴くこちらのコンディションでそう左右されはしないこと、いいものは結局いつ聴いてもいいのを更《あらた》めて痛感したしだいだが、いずれにせよ、こうしてS氏は厳選に厳選のすえ残ったものを愛聴されている。その数おどろくほど少ないのである。
私の場合、曲種はS氏ほど多彩ではないし、好き嫌いがはげしいから相当かたよっているとは思うが、それでも、こんど数えてみたら九十曲ないのには我ながら愕《おどろ》いた。レコードの場合、再生装置がグレード・アップされると、こんないい音で入っていたのか、又こんな面白い曲だったかと認識を新たにすることがしばしばある。現代音楽ほどこの傾向は顕著なようで、グレード・アップによって所蔵するレコードのすべてが、極言すれば新生命をふき込まれるわけで、このへんがオーディオ・マニアの醍醐味《だいごみ》――実にこたえられんところであるが、この頃ではもう私はアンプ、スピーカーに一応見切りをつけ、久しく新品と取り替えていないから、再生音の改良にともなう新発見もなく、それだけ飽きの来た盤が多い。追放分がふえる理由もこの辺にあるらしい。そもそも聴きたいような新譜はまるで出ないのだから、減る一方なのも当然とは思うがそれにしても、秘蔵しておきたい盤がこうも減ってゆくのは、年を喰ってこちらの感受性がにぶくなったせいではあるまいかと、ふと考え、狼狽《うろた》えている。
もちろん、S氏が二人いても同じレコードが残されるとはかぎらぬだろう。人にはそれぞれ異なる人生があり、生き方とわかち難く結びついた各人各様の忘れがたいレコードがあるべきだ。同じレコードでさえ、当然、ちがう鳴り方をするわけである。再生装置でもこれは言える。同じカートリッジやアンプ、時にはスピーカー・エンクロージァも同じでありながら、音が同じように鳴っていたためしは先ずない。部屋の残響、スピーカーを据えた位置の違いによって音は変る。どうかすれば別物にきこえるのは可聴空間の反響の差だと、専門家は言うが、何、人生そのものがちがう所為《せい》だと私は思っている。何を残し何を捨てるかはその意味では彼の生き方の答になるだろう。それでも、自らに省みて言えば、貧乏なころ街の技術屋さんに作ってもらったアンプでグッドマンの十二インチを鳴らした時分――現在わが家で鳴っているのとは比較にならぬそれは歪《ひずみ》を伴った音だったが――そういう装置で鳴らしていい演奏と判断したものは、今聴いても、すばらしい。人間の聴覚は、歪を超越して演奏の核心を案外的確に聴きわけるものなのにあらためて感心するくらいだ。
とすれば、少々、低音がこもりがちだからといって、他人の装置にケチをつけるのは僭越《せんえつ》だと思うようになった。当然、彼のコレクションを一概に軽視するのも。
だが一方、S氏の、きびしい上にもきびしいレコードの愛蔵ぶりを見ていると、何か、陶冶《とうや》されている感じがする。単にいいレコードだから残っているのではなくて、くり返し聴くことでその盤はいっそう名品になってゆく、えらび抜かれた名盤の真価をあらわしてゆくように思えるわけだ。
レコードは、いかに名演名録音だろうと、ケースにほうりこんでおくだけではただの(凡庸な)一枚にかわらない。くり返し聴きこんではじめて、光彩を放つ。たとえ枚数はわずかであろうと、それがレコード音楽鑑賞の精華というものだろう。S氏に較べれば、私などはまだ怠け者で、聴きこみが足りない。それでも九十曲に減ったのだ。諸君はどうだろうか。購入するだけではなく、聴きこむことで名盤にしたレコードを何枚持っているだろうか?
(一九七五)
V
音と沈黙
いつだったか、小林秀雄氏が「きょうは五味抜きでレコードを聴くさ」と、いそいそ鎌倉へ帰られたという話を、東京の出版社で聞いたことがある。多少表現は違うにせよ、音にうるさい五味康祐抜き、という意味であったらしい。この話を聞いて私は、すっかり考え込んでしまった。
たしかに小林先生宅のステレオ装置を二、三度、私はいじったことがある。その度に瞭《あきら》かに音質は良くなったと思うが、「でもこの程度では、まだまだです」と付け加えるのが常だった。多分、五味抜きとおっしゃったのは、たまたまその日は技術屋さんが先生宅の装置を改良に訪れる日で、小姑《こじゆうと》のように口うるさい私がいなくてヤレヤレという意味であったろうか。
むろん、考え込んだのは、先生にそんなに押し付けがましく私は振舞ったのか、という自省などではない。そんなものではない。大方のレコード愛好家が家庭で聴いている音には、こう言っていいなら無限に改良の余地がある。音楽での最もよい所は音符の中には発見されない、それは演奏をまたねばならぬと言ったのはマーラーだが、そのマーラーの『交響曲第四番』第二楽章で、独奏ヴァイオリンが真に悪魔的に響かぬなら「それは演奏ではない」とブルーノ・ワルターは言っている。この独奏ヴァイオリンのパートは、フィーデル(昔のヴァイオリンの一種)のようにと作曲者自身に指示され、全音上げて調律したものと普通の調律のものとで奏《ひ》かれるらしい。シニカルなホルンのひびきに木管が加わってから、ヴァイオリンが独奏でレントラー風の不気味な旋律をひびかせるのだが、でも、スピーカーの紙《コーン》から、およそ悪魔的な音を出させるというのは、考えれば大変なことである。調性のあいまいな、或《ある》いは単に不快な音が《悪魔的》であるわけがない。そういう音色をひき出すために私は装置をいじってきた。ずいぶん無駄遣いをし、原稿の締切をほったらかし(じつは放ったらかすのではなく、思うように書けなくて)編集者の催促に、「ぼくには才能がないんだ、イジメないでくれ」と泣きごとを言い、それならはじめから約束などしなければよいものを、依頼があると、ホイホイ二つ返事で承諾し「がんばりまっさ。」なんの、ちっとも頑張らず音ばかりいじっている。家内は、書いて頂かねばお金がありませんと言う。そう言われると私はつらいので、「来月書く。きっと書く」さてその来月があっという間に来てしまう。一行も書いていない。来月こそという約束は、編集者にもしているので、締切間近になると、音いじりから遠ざかるために都内のホテルに入るのだが、そこは銀座に近い。遊蕩《ゆうとう》心が頭をもたげ、つい飲みに出る。気に入ったホステスがいる。店がハネてから赤坂辺のナイトクラブや食事に誘う。ホテルへ戻ったころはハシゴ酒でもう使いものにならない。結局その月も締切に間に合わずすごすご家に帰る。帰ればレコードがある。ホステスとの淡いものが奏《しらべ》の向うからやって来る。そのうち、気がかりな音が出ているのに気づく。
トリスタンは、イゾルデとのあの媚薬《びやく》を飲む前はバリトンだが、飲んでからはテナーに変るとマーラーは指摘した。トリスタン歌手で第一人者のヴィントガッセンはむろんヘルデン・テノールだが、そう言われれば確かに第一幕第五場あたりではバリトンで歌っている。が声質はやはりテナーだ。テナーの歌うバリトンがどのようなものかを、克明にスピーカーはきかせてくれねばならない。そこで、まずドイツ・グラモフォンのオープン・リールテープで、一九六六年バイロイト音楽祭にニルソンと共演したのを聴く。市販されたこのテープ(米アンペックス・プリント)は、名録音だろうとは思うが、FMから録音した自家製(倍速2トラ)の音色には数等及ばない。そこで一九六八年暮に、バイエルン放送提供の録音テープをNHKがFM放送したものの2トラを鳴らしてみる(これはスコッチの標準テープで採ってある。チューナーはマランツ10B。プリ・アンプにはJ・B・ランシングのSG520を使用した)。次に六九年暮のを聴き比べる(これはバーディッシュのLGS52で録音したもの。チューナーはマッキントッシュMR71、プリ・アンプはマッキンのC22である)。それから七〇年暮のを(チューナーはマランツ、プリはマッキン)聴きなおすことになるが、こうなれば指揮は同じカール・ベーム、歌うのは同一のヴィントガッセンであっても、バリトンかテナーかといったことでは済まなくなる。チューナーが違い、アンプや録音テープが変れば音質の異なるのは自明のことで、果して自家製三本のうち、どれが一番よく採れているか、関心はその方に移ってゆく。せいぜいヴィントガッセンも三年でやっぱり声が老けたなあと思うくらいだ。何にせよこんな比較試聴をしていればあっという間に五時間はたっている。そこで、思いなおして歌いぶりを聴くのだが、そのうち、ショルティ盤のトリスタンはどうだろうか、と思う。ショルティのロンドン盤をかける。次にフルトヴェングラーのが気になってくる。これはモノーラルだが、ジョン・カルショーは「名ソプラノのキルステン・フラグスタートがいたから、EMIのこの企画は起り得たし全曲録音が可能だった」と言っていた。しかもいかなるフラグスタートも老齢のため、第二幕で恋人たちが初めて見かわす部分での輝かしい高いハ音を、もう歌えなくなって、その部分だけをエリザベート・シュワルツコップがうたっているのは、今では周知の事実だが、果して現在の私の再生装置で、完璧《かんぺき》なそのスリ替えが聴き分けられようか、といった興味がわいてくる。わたしは古いフルトヴェングラー盤を納戸から取出して来る。なんとレコード面に黴《かび》が生えている。そうか、二年ちかくもこの盤を聴かなかったのかと思うと、もう前奏曲から聴き直さずにはいられないから、ところどころ、さすがに録音の古いのを悲しみながらやっぱり第三幕まで聴いてしまう。これだけで約四時間である。その間さまざまなことを考える。小説のことも考えるがほかのことが多い。聴き了《おわ》れば私は疲れている。アンプに電気を入れて九時間を経過しているわけである。
――こうして、一日がおわる。
約束の原稿はまるで書けず、かくてまた、次の月の締切が迫る、そんな繰返しをこの十年、私は重ねた。悪いのはむしろ私自身であってレコードを聴くことではない。強いて言うなら聴き方がわるいんだろう。そもそも遅筆な作家なんてことは言い訳にすぎないと私は思う。要は、物を書く才能がないのだ。約束の原稿を渡せず、出版社を営業的に困らすのは私は平気だが、あいだに立つ編集者の立場をおもうと、これはつらい。とうとう締切に間に合わぬ時など、深夜、レコードを聴きながらぼくはどうしてこうなんだろうと頭を抱えている。家内は茶の間で紙と鉛筆を持ち、こっそり借金の利息の計算をしている。誰も知らぬ私たち一家の姿である。でも、私は思うのだ。こんな十年でも、確実に成果をあげたものがある、私の家で鳴っている音だ。間違いなしにそれは向上してきた。時には、なんという素晴らしい音だろうと自分で思い、こんな美しい音楽をわがものにして、何を憾《うら》むことがあろうとおもう。私ひとりに限らないだろう。世のレコード愛好家は、音を良くするのに同じような涙をどこかで流してきたに違いない。人はかん高い哄笑《こうしよう》で底知れぬ苦痛を表現することだってある。言ってみれば、そういう涙が、音楽愛好家の履歴になるだろう。良い音を聴き分けるのは聴覚ではない、各自が内部生活にもっている音《オーデイオ》の歴史だ。少なくともレコード音楽ではそうだ。いい音楽はそして、それ自身の倫理的法則をもち、その法則にのみ従うと言ったのは確かフルトヴェングラーだが、音楽の聴き方にも各人の法則があっておかしくはないだろう。
私は私の法則に従って聴いてきた。金にあかせて装置を替えれば音はよくなる。だが歴史をもたぬ人間はそれがどの程度いいかを知らない。またそういう男には一組の『トリスタンとイゾルデ』があれば足りよう。毎年、同じ指揮者と同じオーケストラで、同じニルソンとヴィントガッセンがタイトルロールを歌いながら、少しずつ音楽は変っている。変らないのはニルソンで、むしろいよいよ脂がのっている感じだが、なんとまあ女というのはしぶといんだろう、と私は思う。つまり三年の間に、ヴィントガッセンと共に衰えてゆくものが私の内にはある。私の内なるトリスタンは老いてゆく、これが歴史というものではないのか。これを自覚する十数時間がどうして無駄遣いなものか。自分にそう吩《い》いきかせ、ようやく締切に間に合わぬ原稿のことを私はあきらめる。そんな十年であった。
小林先生の冗談口にすっかり考えこんだのは、ここのところである。この十年私は何をしてきたか。無駄とは少しも思わないが、充足していたとはお世辞にも言えぬ。
私は考えた。これはもう、とことんやってみるしかないだろう。やるというのはもちろんオーディオのことである。近頃話題の4チャンネルを一丁やるか。――と言って、日本ビクターの4チャンネル・レコードは出ていない。サンスイのQSマトリックス方式は、クオードフォニック・シンセサイザーと称する擬似4チャンネルのための分割器を必要とする。これが三九、九〇〇円である。拙宅のプリとメインで五十万円を超した。音を良くするために買わざるを得なかったのだが、およそ再生装置に於《おい》ては、カートリッジからスピーカー・エンクロージアまでに一つでも品質の劣化したパーツを挿入《そうにゆう》すると、音は、劣化したその標準のところで鳴ってしまうことを経験で私は知っている。サンスイさんには悪いが、五十万円が四万円の部品の音に劣化しては困るのである。米ヴァンガードやソニーの4チャンネル・テープ、ビクターの開発したそのレコード、サンスイの擬似4チャンネルとも、これまでに私はメーカーやオーディオ店の試聴室でかなり聴きこんできた。中にはたしかに新しいメディアの到来を予測させるものがあった。しかしぜひ、これは言っておきたいが、たとえばモノがステレオになった時のあの驚くべき立体感の魅力は、4チャンネル・ステレオにはない。モノがステレオになる以前に、二つの放送局が“立体放送”と称して実験的に立体音楽を送ってくれた時、二つのラジオを用意して私はその音場のゆたかな広がりに恍惚《こうこつ》とした人間である。東京通信工業(ソニーの前身)で、ヘッド・ホーンによるテープのステレオ音を試聴し、これがぼくらの日常のものにいつなるのかと、期待に胸を躍らせた男である。当時としては恐らく最高の音質で私はモノーラルのレコードを聴くことができていた。その私が、ステレオのもつ臨場感に驚嘆したのである。
――今、4チャンネルは、モノがステレオになった時にも比すべき“音の革命”をもたらすと、メーカーは宣伝し、尻馬に乗った低級なオーディオ評論家と称するやからが「君の部屋がコンサート・ホールのひろがりをもつ」などと提灯《ちようちん》もちをしている。本当に部屋がコンサート・ホールの感じになるなら、女房を質においても私はその装置を自分のものにしていたろう。神もって、これだけは断言できる。私はそうしなかった。これは現在の4チャンネル・テープが、プログラム・ソースとしてまだ他愛のないものだということとは、別の話である。他愛がなくたって音がいいなら私は黙ってそうしている。間違いなしに、私はそういう音キチである。
――でも、今度は考えた。私の聴いて来た4チャンネルはすべて、わが家のエンクロージアによったものではない。わが家のエンクロージアでならという一縷《いちる》の望みは、だから持てるのである。幸い拙宅にはテレフンケンS8型のスピーカー・システムがあり、時折タンノイ・オートグラフと聴き比べているが、これがまんざらではない。どうかすればオートグラフよりピアノの音など艶《つや》っぽく響く。この二つを組んで、だから聴いてみることにした。
ただ、前にも書いたようにサンスイ式はいやである。プリ・レコーデッド・テープもいやである。となれば、ダイナコ方式(スピーカーの結合で位相差をひき出す)擬似4チャンネルによるほかはない。完璧な4チャンネルは望むべくもないことは分っているが、試しに鳴らしてみることにしたのである。
いろいろなレコードと、自家製テープと、市販のテープを私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。擬似でも予想以上に交響曲は音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルの時より一層グランド・ピアノの音色をひびかせたようには思えた。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失うようなので、こころみに、再びオートグラフだけに戻した。私はいきをのんだ。その音声の清澄さ、かがやき、音そのものが持つ気品。陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。私は一瞬、茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直し、私は悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇《や》んだ時の静寂《しじま》の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比と称するそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大だった。明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級なのである。私は知った。これまで音を良くするために金をかけたつもりでいたが、なんのことはない、音のやんだ沈黙をより大事にするために、音の出る機械をせっせと私は買っていたのである。一千万円をかけて私がもとめたのは結局はこの沈黙の方だった。お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。私は間違っていないだろう。終尾楽章《コ  ー  ダ》の顫音《トリル》で次第に音が消えた跡の、すぐれた装置のもつ沈黙の気高さよ、沈黙は余韻を曳《ひ》き、いつまでも私のまわりに残っている。レコードを鳴らさずとも生活のまわりに、残っている。そういう沈黙だけがヴァイオリンを悪魔的にひびかせるので、楽器から悪魔の音が出るのではない。きこえてくるのは楽器ではなく沈黙からだ。家庭における音楽鑑賞は、そして、ここから始まるだろう。
(一九七一)
美しい音とは
ウィーン・フィルを指揮して『指環《ゆびわ》』を入れたゲオルグ・ショルティが、レコードの販売をうながすため聴衆――レコードコンサートの――の質疑に応じる小旅行に出た話が、録音プロデューサーだったカルショーの"Ring Resounding"に載っている。こんなことは、むかしは考えられなかった。かりにもフルトヴェングラーやトスカニーニが、そのレコードの売行きを増すためにコンサートへ顔を出すなどというためしが、あったろうか。
ショルティは駆け出しで、フルトヴェングラーは“ザ・マエストロ”だから、というようなことでは無論ない。レコードの聴衆は(けっして音楽評論家やオペラ・ハウスに着飾って出向く社交界の人間ではないが)今や、演奏家にとって(指揮者にとっても)もっとも尖鋭《せんえい》なかつ的確な批判者であり、音楽享受層であることをこの挿話《そうわ》は物語っている。ナマを聴かねば音楽のわからぬ時代では、もうなくなった。かつては、演奏会に行けぬ人が、レコードで渇望を癒《い》やしたかも知れないが、これからは、まっとうな再生装置をもたぬ者だけが、演奏会に渇望を癒やしに行くことになるだろう。
冗談を言っているのではない。実はこれは、大へん厄介な話なのである。
ジョン・カルショーはこんなことも言っている。
「二十年前には、周波数を増減するきわめて原始的な方法で、プレイバックの特性を変えていた。(それ以前は音量さえ変えることはできなかった。)だが現今では新型の装置をもつ聴き手は、高音と低音を別個に調整することができ、もし彼がのぞむならそのレコードを録音したプロデューサーや指揮者の意図とは、まったく違う音を、つくり出すことができる。聴き手は、今や演奏(団体)を買った人間である。彼は彼自身の審美眼によって、のぞみ得る最高の音楽体験を抽《ひ》き出すための、そういう装置をもちはじめた。」
カルショーがこれを言ったとき、彼はまだデッカの人間だから、ずいぶん聴き手(レコード愛好家)に好意的な言いまわしをしている。なぜなら、自分の審美眼にかなうように聴くためには、まず、もっとも原音に忠実な、と言ってわるければ録音プロデューサーの意図に忠実な――再生音が持たれねばならない。その上で、各自の好みにハイやロウをいじるべきだろう、実際は、レコードの溝《みぞ》に録音された音そのままに鳴ってくれる装置なぞ、ぼくらの入手できる範囲には、一台もない。カートリッジか、スピーカー、またはアンプが固有の音クセ(ひずみ)をもっており、あえて言うならそういう歪《ひずみ》を調整するためにわれわれは高低音をいじる。わるいのは機械なのである。
――もちろん、だからと言って、音楽を聴けないというものではない。これは大事なことだ。音量の増減すら不可能だったサウンドボックスのあのチクオンキの時代から、再生音に不満があるからと、レコードで音楽を享受できなかった人間は恐らくいないはずである。ステレオの驚異的音質向上をみた今日でさえ、七十八回転のSPレコードを《クレデンザ》あたりで鳴らし、その音色の気品ある美しさに魅了される愛好家が、現にいる。もう一つ、われわれはキカイの欠点をハイやロウをいじることで補っているはずだが、さてそうして補正された音は、当然、或る程度原音に近寄るべきはずであるのに、実際に各家庭で鳴っているのは千差万別の音であり、同一レコードが、同じトーン・クォリティで鳴らされたためしがない。いつも言うのだがリリー・クラウスのモーツァルトが、五万枚売れたとすれば、五万様の異なる演奏をぼくらは彼女に聴かされる。ある家ではカワイとヤマハピアノをごっちゃにした、つまり右手でヤマハを、左手でカワイピアノを叩いて、そのソナタのアレグロを彼女は弾き、別のリスニング・ルームではコデッタを常に半音高く弾いているだろう。しかもレコードを買った五万人の大半はいい演奏だという。五万様のことなる演奏をひとしく名演と、各自が言う。どういうことか。レコードで、そもそも何をぼくらは聴いていることになるのか。
――最近、私は再生装置がもたらす音楽に、大へん懐疑的になった。これまでずいぶん装置を改良するのに無駄金をつかい、時にはベソをかきながらつかい、その度に良くなったと思ってきた。事実よくなっているらしい。人さまのどんな装置を聴かされても、うらやましいとはもう思わないし、第一、音がよかったためしがない。私ごとき音キチにこれは大へんなことで、要するに、わが家の再生音は家庭でぼくらが望み得る最も良質な音のひとつを響かせているからだろう。が、装置のグレードアップが、はたしてレコードの《音楽》そのものをグレードアップしているか。いい演奏、いい録音、いい再生装置――これらは家庭で音楽を鑑賞するわれわれに重要な三条件だが、そう単純に私は考えてきたが、どうやら違う。いい演奏者といい録音、これはまあレコード会社にまかせるしかないが、どういう装置を選択するかで、究極のところ、演奏と録音をもえらんでいる――その人の音楽的教養(カルショーの言う審美眼)は再生装置を見ればうかがえると、私は思ってきた。間違っていたようである。そのことを、書いてみたい。
まず録音について。
ソニーが最近“SX68サウンド”なる呼称で盛んに宣伝しているレコードがある。ノイマン社の最新型カッティング・ヘッドSX68とカッティング・マシンVMS66、およびこれらを駆動かつ制御するトランジスター・アンプのトータル・システムによるもので、これによって「カッティング時の“音作り”を不要とし、マスター・テープそのままの音をディスクに忠実に再現する」と言うのだが、私のところにもそんなレコードが宣伝用に送られてきたが、さて鳴らしてみると、さっぱり音が良くない。ソニーともあろうものがこんなアホウなレコードをなぜ宣伝につかうのか、ふしぎでならなかった。
そこで、同じノイマンのカッティング・マシンを購入している奈良のテイチク本社へ行って、直接、私自身がレコードを録音してみた。私はシロウトである。しかしシロウトでも技術者に介添えしてもらえば、カッティングはできるのである。ソニーの宣伝文句ではないが“音作り”は今や不要なのだから。そしてカッティングと同時に刻々その音を再生して、モニター・スピーカーで聴けるようにマシンはできているが、これで聴くと「マスター・テープそのままの音」では、断じてない。こんなものを「そのまま」とはよほどソニーの技術者の耳は鈍感なのか。まあそれはよいとしよう。さてそうしてカッティングしたレコード(私の場合はラッカー盤)をわが家へ持ち帰って聴いてみた。おどろいた。さっぱり良くないのだ。ソニーの宣伝用レコードと等質の、いやらしい音だった。念のためにN氏のジム・ランシング(パラゴン)で聴いてみたがよくない。大阪S氏のアルティック“A7”で鳴らしたが、よくない。
ことわるまでもなく、市販のレコードは、カッターで直接カットしたラッカー盤を原盤とし、これをメッキし、再度プレスしたものである。私のラッカー盤は、これらの二工程を経ていないから、理論的には、よりマスター・テープに忠実といえるだろう。それがどうして悪い音か。
ノイマンのカッティング・ヘッドは、ステレオ・プレザンスの良否を決定するクロス・トークが従来のものでは、一〇〇ヘルツ―一万ヘルツで二〇デシベルであったのに比べ、四〇―一万六千ヘルツ全域にわたって、三五dB以上と群を抜いているそうで、テイチク本社の技術者も、今までは高音域の音はコワくてゲインをあげてはカッティングできなかったが、SX68では、安心して出せると、その優秀性を強調していた。ソニーさんがSX68を絶賛するのは当然なのである。それでいて、音がわるいのには、私の場合は理由があるらしい。
実はそのマスター・テープをカッティングするときに、技術者は「ハイを落させてくれ」と言った。一万五千ヘルツ以上はカットし、低い方も四〇ヘルツ以下は、切捨てる。そのかわり七、八千ヘルツあたりを三dBあげる、その方が耳あたりがよくなる、と言うのである。
私は、SX68の機能を全幅に信頼するなら、そういう小細工は意味がないだろうし、ご免だと断わった。高低音域とも、マスター・テープのままにカッティングしたい、その方がさぞよかろうとシロウト考えで思ったわけだ。結果は、見事、裏切られた。専門家は職人気質で、どの音域をどの程度もち上げ、或いは落せば、どのようにレコードとして快く鳴るかを知っていたわけだ。最新式カッターを以《もつ》てしても、レコードの《いい音》は、まだ、現場で働く人の、長年の体験による“音づくり”を俟《ま》たねばならない。手前勝手な想像だがソニーさんには最新式なカッターはあってもそれを扱う現場人――体験者に、人を得ないからあんなシロウトの私に似た過信で、音のよくないレコードを作ったのではないか。念のために、同じマスター・テープを“スカーリー”のカッターでもカッティングしてもらった。ノイマンで、もう一度、現場の人の任意にカッティングされたのを聴き比べてみた。明らかにノイマンとスカーリーでは音が違う。同じマスター・テープで作られるレコードが、カッターによって、或《ある》いはカッティングする技術者の腕によって、かならずしも優れた周波数特性をきざんだから、いい音に鳴るとは限らず、またカッターがかわればマスター・テープそのものまで別物に思えるほど、音は違ってくることを、かくてこの耳で私は知ったわけだ。
ついでながら、国内盤と輸入盤では、同じレコードでも音色がちがう。ことに高音の弦の美しさといったもの、低音域の音の深みで明らかに国内盤は輸入盤に劣っているのを痛感した人は多いはずだが、同じその輸入盤でも、独グラモフォンと米グラモフォンではあきれるくらい音がちがう。EMIと米エンゼル盤はちがうし、モノーラル時代LHMVがもっていたヴァイオリンやピアノの高音の輝かしくしかも蕩然《とうぜん》たる美しさは、ついに米RCAビクターでは聴けなかった。こうした音色の品格のちがいは、知る人ぞ知るとしか、今では言いようがないが、むかしの、そうした美音を知っている人の耳には、近頃、オーディオ評論家のする録音評など、随分ずさんで、お座なりなものだろう。本当は、再生装置の性能を評価するとき、それがどういう美しさで聴かせるかで、物を言うべきだと私個人などは思っているが、美しさというのが抽象的すぎるので、今では「ナマそのまま」なぞという他愛もない錯覚で(ステレオとは要するに演奏を錯覚させるものだ――カルショー)レコード音は論じられる。知らぬというのは、強いものである。
なんにしても、国内盤は輸入盤に比して、総じて音がどぎつい。低音はもち上げすぎだしハイはシャリつきが目立つ、というのが私の感じだったが、かならずしもこれは日本のカッティング技術が未熟のせいではないことも、こんどノイマンやスカーリーを操作してみて、分った。マスター・テープなるものが、もともと、最初に録音したマザー・テープではなく、大方は、カッティング用マスター・テープとして、あちらで編集補正されたものの、プリントである。カッティング用マスター・テープは、当然、本国にも一本しかない。日本へ来るのは、厳密な品質管理によってその本国のと、同質にプリントされたものとは、かならずしも限らぬらしい。中にはずさんなプリントが送られてくるらしい。
大事なのは、この先である。つまりずさんに(と言いきるのは大袈裟《おおげさ》だが)プリントされたものでも、時には国内プレスの方があちら盤より(聴いて!)音のよい場合が、現実にある。そういうレコードがある。ということは、マスター・テープのもつ周波数特性の秀逸性などだけでは、ぼくらの再生装置は常にいい音を出すとは、まだ限らぬことを教えてくれる。重ねていう、いい録音が必ずぼくらの装置で、いい音に鳴るとは限らぬのである。
次に、その再生装置である。
現在、私はマッキントッシュのC22(プリ)MC275(メイン)をタンノイ・オートグラフにつないで聴いている。メインのMC275は、真空管アンプでは家庭で使用する限り、もっとも好もしいアンプと定評のあるもので、マランツ“7”のプリとメイン、ジムランのグラフィックコントローラーと同じく石のメイン、その他、入手できる限りプリやメインをそれぞれつなぎ替えて拙宅でも試してみて、結局世評どおり右のアンプが最もよいことが分った。
ところで、近頃そのマッキンから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メイン・アンプ“MC3500”が発売された。重さ六〇キロ(ステレオにして百二十キロ――優に私の体重の二倍ある)。値段が邦貨で百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(一〇ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二〇から二万ヘルツでマイナス〇・五dB。SN比がマイナス九五dBである。わが家で耳を聾《ろう》する大きさで鳴らしてもVUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪《むわい》のアンプといっていいように思う。
すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、わるいわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。百五十万円の失費は今の私には大へんな負担だが、よい音で鳴るなら考えねばならない。(近頃コスト・パーフォマンスを云々《うんぬん》する傾向があるが、コストが芸術で問われるとは不可解千万である。値段のわりに、良い、悪いなどと言う根性と由来、芸術は無縁のものだ)さて期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音が良くなるだろうと欲張った、その私の助平根性にである。理論的には、出力パワーの大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪《ひずみ》も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングした方が、音がのびのび鳴ると思い込んだあの欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
MC3500は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音をひびかせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生《そうせい》する花の、花弁の一つ一つを、くっきり描いている。もとのMC275は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな工合だ。どちらを好むかは、絵の筆法の差によることで、各人の好みにまつほかはあるまい。ただ私の家の広さ、スピーカー・エンクロージアには無用の長物としか言いようのない音だった。自動車にたとえるなら、MC3500はちょうどレーサーのマシンに似ている。時速三百キロぐらいは出る。だからと言ってしかし、制限速度はせいぜい百キロ前後の都市を、それで快適に走れるとは限らぬだろう。ハイウェイをとばすにしても、座席のゆったりした、クーラーでもほど良くきいた高級セダンのほうが乗心地はらくだ。そんなような感じがした。別のエンクロージアで、大邸宅にでも暮して聴くなら別である。タンノイ・オートグラフが手頃な私の書斎では、アメリカ人好みのいかにも物量に物を言わせた三五〇ワットは、ふさわしくなかったし、知人の二、三に試聴してもらっても、その誰もが音はMC275のほうがよい、と言った。
つまりメイン・アンプの性能を向上させるだけでは、家庭で聴く音はかならずしもよくはならない。これは世のオーディオ・マニアに銘記してもらいたい。
次に、かんじんの《いい音》である。こんな例がある。
“ステレオサウンド”誌の最近号で、FMチューナーの受信テストをやっている。FM東海から、特別にステレオサウンド社で希望した数枚のレコードを発信(鳴らして)もらい、これを内外十三機種のチューナーに受信して、いわばヒアリング・テストを行なったわけだが、パイオニア、サンスイ、ラックス、トリオ、ソニーなど国内メーカーの主要チューナーに混って、ダイナコ、クワード、マッキン、マランツの海外品も比較試聴された。このうち、マランツ10Bについて、評家三氏はこもごもこう言っている。「このチューナーは、値段が七五〇ドルと、FMチューナー中最高の部に入るが、音質は正直に言って、今回のテスト中一番のものであった。極めて分解能力が高く、底力のある音を聴かせてくれた」「チューナーにおいてすら、こういう品位の高い魅力的な音を生み出すというのは一体なにによるものか。まず言えることは聴覚上の歪の少なさである。少なくとも音楽を聴くならば、この音がもっとも美しいとして理屈抜きに評価されるにちがいない。もちろん、高域も低域も十分のびきっており、しまった中域のキャラクターは圧倒的であった」「やわらかなバランスのとれたひびきは、ヒステリックな感じがまったくなく、各種のソースが品位の高い音に再現されたし、特に弦のつやっぽい音色はずば抜けて見事である。放送後、手元にあった同じソースをレコードで再生してみたが、このチューナーは元の音より美しくなっているような印象さえ受けた。SN比その他の優秀性は言うまでもない。」
どうも大変なほめようである。実のところ、右のチューナーは拙宅にあったのを提供したもので、ことわるまでもなくアメリカ製を東京で使用する場合は、受信周波数を日本のバンドに直さねばならない。私のものは、ナショナルの音響研究室でコイルを巻きかえてもらい、調整を頼んだ。右の褒詞《ほうし》の半ばは、だからナショナルの音響技術陣にささげるべきかもしれぬ。――が、実を言うと、このマランツの音に私は不満なのである。優秀なFMチューナーが、確かに、「もとの音より美しく」聴かせてくれる例を、十年前、テレフンケンS8型で私は体験している。もう信じられぬくらい、たかが、ラジオが、美しい響きを聴かせるのである。LHMVのあの弦の艶《つや》っぽさで鳴るのである。私はマランツで受信した音を、ティアックR313の2トラックに録音して、友人にきかせてみた。「これがFMか?」友人は唖然《あぜん》とし、「なんと素晴らしい音だろう、一体、お前はこの音のどこが不満なのか」と言った。でも不満だからしようがない、と私は答え、「これはナショナルの音や」「馬鹿を言え。これがナショナルなら俺は、ナショナルを買うよ」
わかってもらえない。これまでFMチューナーは、ステレオになってから手に入るかぎり私は聴いてきた。ハーマンカードン1000、グルンディックRT50、サバ・オートマティック12、テレフンケン・オッパス、クワード、ダイナコ、国産で最高といわれたソニーST5000や以前のラックスWZ30など。それらに比べれば、たしかにマランツ10B――ナショナルに調整してもらった――は一頭地を抜いている。“ステレオサウンド”誌の評価の通りと思う。しかし、もっといいはずだという確信みたいなものが私にはあった。たとえば金粉の空に舞うような、張りつめてしかも嫋々《じようじよう》たるヴァイオリンのあの気品ある美しさがない、ユニゾンは一応こころよく響くが、安物のヴァイオリンの合奏である。
私は欲が深すぎるのであろうか? もっと良くならないかと、ナショナル音響研究室へ文句を言った。「無茶言われたら困る」研究室長は言うのである。マランツのこれが音なので、これ以上となるとディエンファシス特性を直す以外にない、と。なんのことやら私には分らない。そうすれば音は良くなるか、必ずよくなるのか? ひとつおぼえで問うばかりである。「ハイが二デシはあがるはずです」室長は言った。つまり高域で周波数特性が二デシぐらい良くなると言うのである。私は狂喜した。それこそ弦のかがやきと気品を取戻すに相違ない。ディエンファシス特性とやらを、ぜひなおしてほしいと私はたのんだ。(“ステレオサウンド”誌上でほめられたのは直す前である。)
私はシロウトだから、こんなふうにしか言えないのだが、さて直した音は、全体に明らかに清澄感を加えている。だが、いやに乾いた音で、うるおいというものがない。以前にくらべ、中域に、まったりしたコクがなくなった。勝手なことを言うようだが、以前の録音テープと聴き比べると、どうして高域で二デシあげる必要があったのか、我ながら理解に苦しむ。またもや理論に裏切られたとしか言いようがない。
FM放送は、送信時に高域を持ち上げた特性で発信される。これをプリエンファシスといい、受信する時はその高域を落さねばならぬ、これをディエンファシスというそうな。プリエンファシス特性は、日本とアメリカでは違うので、当然、アメリカ製チューナーを日本で使用するにはディエンファシス特性を日本向きに直さぬと、高域が劣下するという。理屈ではそうなのである。だが、それならどうして直す前の音は、他のいかなるFMチューナーよりも「魅力的な、高域も低域も十分のびきって、元の音より美しくなっている印象さえ」与えたのか。
皮肉を言っているのではない。要するに音は理屈通りにゆかぬことを、三たび、私は知ったまでである。音の世界にも、則《のり》というものがあった。欲張ってもナマの音は鳴らない。しょせんは演奏を錯覚するだけだ。家庭で聴く美しい音とは、その人の生活環境にふさわしい聴き方をしている時、自ずからにじみ出ている。そういう分をわきまえた人の良識が、家庭で聴くにふさわしい音を判別し、創り出す。
《いい音》とはそういうものである。ホーン・システムや強出力アンプや録音ヘッドが、つくってくれるものでは断じてない。いたずらに装置のグレードアップをはかっても音はよくなりはしない。
先頃来日したミュンヘン・バッハ合唱団の『マタイ受難曲』がFM放送されたとき、薄給の或る友人はテープに録音した。曲が長いからと半速(九・五センチ)で彼は採った。テレコはソニーTC355(定価四万九千八百円)チューナーもソニーIF500という携帯用の手軽なものである。この録音テープを、うちの装置で私は聴いてみた。なんとまとまりの良い好い音だろうと感心したのだ。カール・リヒターに率いられたあの合唱団の、真率のバッハは、余すところなく聴きとれたのである。私は恥ずかしくなった。実は私も同じ日にディエンファシス特性を直した直後のマランツで、2トラック倍速で録音していた。友人のは4トラックである。SN比、チャンネル・セパレーション、周波数特性、そういうことを言ったら無論あきらかに両者はちがいすぎる。ダイナミック・レンジ、プレザンスのスケールは違う。だがそんなものが『マタイ受難曲』を聴く感動の前で、いったいなんだというのか。ハーモニーのある、それなりに美しい音で、虔《つつま》しく纏《まと》められた友人のは『マタイ受難曲』であった。正にバッハであった。文化会館での演奏を私は聴いているが、あの敬虔《けいけん》なコラールは、ダイナミック・レンジやSN比でそこなわれる道理がない。薄給の中で音楽を愛する友人の、音楽的教養ともいうべきものが彼のテープを作っていた。ソニーの機械は、そういう生活者に音楽をもたらしてくれる意味で、じつに立派なものだと思う。
私には、鳴る音を、より美しくあらしめたい願望がある。音の理想像がある。記憶の中で神格化された、あり得ぬ美しさかも分らない。だが記憶にその音がきこえている限り、これからも試行錯誤を私はやめられないだろう。多分こういうのを自業自得と仏教では言うのだろう。致し方がない。しかし人さまには、私のしてきた試行錯誤は他山の石になるとおもう。
オーディオで、ナマを深追いしてはならない。それはけっして美しい音ではない。美しい音は、聴覚が持っている。機械が出すのではないのである。
(一九六九)
レコード音楽の矛盾
音を記憶するのは難かしい。それでいて、いい音を聴いたという記憶の方はめったなことで脳裏を去らない。どうかすれば、あの時の音(――演奏と言いかえても大して違いはない)は、たとえようもなく素晴らしかった、凄《すご》かった、一生そう言いつづけそうなのがオーディオ・マニアで、音楽愛好家も畢竟《ひつきよう》はこのたぐいだろうと私は思う。
わが国で、西洋音楽の普及発達にレコードの果した役割は想像以上のものがあり、われわれの年代に限って言うなら、レコードを抜きにして西洋音楽は存在しなかった。そのレコードというのが七十八回転のSP、周波数特性ということになれば(ダイナミック・レンジ、SN比はもちろんのこと)到底、いまのステレオレコードの比ではない。それでもちっとも音楽を享受する上で、そうした劣性は鑑賞のさまたげとはならなかった。だからこそ、あの当時、実演を聴いてその演奏の良否を判別する能力を、ぼくらは身につけていた。事実パハマンのショパンやシュナーベルのベートーヴェンに比して、日本人演奏者のそれはどれ程拙劣かを立所に聴き分けたのである。大事なことだが、一方は“缶詰《かんづめ》音楽”、一方はナマ演奏である。
さすがにシンフォニーとなると、SPでは針はとび、ひずみっぱなしで聴くに耐えぬものが多かった。こればかりは少々拙劣でも、まあ譜の通り演奏してもらえるならナマを聴くにしかずであった。――が、この場合すら、少年時代の実感で言うことだが、ローゼンシュトックの指揮する“新響”以外――たとえば朝比奈隆氏の“関西交響楽団”のベートーヴェンは、まことにチャチなもので私など二度と聴く気がしなかった。ひずみっぱなしでもワインガルトナーやフルトヴェングラーで聴いた方がよかったのである。
どうも人間の耳というのは、どんな雑音の中からでも、あるいは缶詰状態からでも、音の芸術性は鋭敏に識別し感知できるものらしい。この聴覚の摩訶《まか》不思議な能力に匹敵するどんな録音・再生装置、測定器も作られていない。
耳がそなえているこの機能が、つまりはレコード音楽を芸術鑑賞の一ジャンルにしたと思う。小林秀雄氏の言葉をかりれば「楽器も弄《いじ》らず、音楽会にも行かぬ、異様な音楽愛好家達の集団」をつくりあげた。「音楽はレコードを聞いていれば沢山」どころか、レコードの方が音がいいと言い切る熱烈な愛好家を生むに至った。そして実際、演奏会よりレコードの方がいい場合があるのである。ことわっておくがSP時代でそうである。
――とすると、再生装置に費用を惜しまず、音を良くするとどういうことになるのか。雑音の中から芸術性は聴きわける聴覚の、まあ負担を幾分軽くするまでのことか? たしかにいい装置で聴くほど、耳に疲れは残らないし、装置の良し悪しを分つこれは決定的な条件である。それでも、世の中には理屈通りゆかぬことはいくらもあって、食物でも栄養カロリー的に碌《ろく》なものは食ってなかった戦国時代の百姓が、今では信じられぬ脚力膂力《りよりよく》をそなえている。自分のことを言うのもなんだが、私は難聴で、とりわけ低音に弱い。いつぞや或るオーディオ・メーカーが新カートリッジを開発した時に、シュアーV15、オルトフォンSL15と、新カートリッジ、それに国産で最高のN社のものの四本を同時に鳴らし、どれが鳴っているのか私に分らぬようにして、音色の判別をもとめられたことがある。比較試聴するまでもなく、音が鳴り出した瞬間、それはシュアー、それはN社、オルトフォン、あっ気なく分ってしまった。アンプがかわり、スピーカーがかわれば音は変るのだが、私の装置とまったく別なアンプ、スピーカーで聴いて即答したことで、いい耳をしてられますねと、カートリッジを開発した当の技術者がほめてくれたが、こちらにすればカートリッジが変るんだから当然なことである。でも後で考えると、人の話も碌にきこえぬ耳で、よう分ったもんだと技術者の不審がるのも無理はないと、自分でも思いなおした。少々のハムが出ても私にはきこえない、微妙なそれが音色の差を聴きわける、たしかに理屈に合わぬ話である。
まあ利き酒と同じで、これも訓練だろうと簡単に考えることにしているが、こうした不合理は実はレコード音楽の鑑賞そのものでも言える。SP時代、さらにはモノフォニックなLP時代、今とは比較にならぬその劣性なクォリティから、ステレオ以上に音楽美を享受するレコードを現実に、われわれは何枚も持っている。そもそも、かんじんの音がよくなくて音楽美の生ずる道理がない、しかし実際には――冒頭で述べたように――リサイタルより美しい音が、レコードからきこえたのである。美しい音とは曰《いわ》く表現し難くて、加えるに美しかったという記憶は、頑固にわれわれの頭の中に居すわり、それ以後鼓膜に入ってくるどんな美音も受けつけぬ性向がある。それでも、なお、くどいようだがパハマンのショパンはいかなる最新録音のピアノよりも、絶妙に美しいのだ。これは事実だ。再生技術の進歩は音を良くはしたが演奏までは変えられぬという、ただそれだけではなさそうに思える。レコード音楽なるものが、じつは大へん矛盾した芸術だからである。
話をわかり易くしよう。むかし、レコードによる音楽鑑賞は可能であった。その音はナマではなかった。むしろナマではないところに、音楽鑑賞の独自なジャンルが成り立った。一方、再生技術は、つねにナマを志向し少しでもナマに近づこうとした。その努力が酬いられ、無限大に技術が進歩し、仮にナマそのままに鳴ったとしたら、どうなるか? 分りきった話だ。それはもうレコードではない。つねにナマが演奏されるので、いわゆるレコード芸術は消滅する。レコードによる独自な音楽鑑賞法を、つまり消滅さすために技術者は努力している。これが矛盾でなくてなんだろう。音響技術者は、ひっきょう、レコード音楽の鑑賞に寄与することで自らの繁栄を約束されるのである。音響技術者は(ということはつまり彼らの技術進歩の恩恵に浴するわれわれだが)この矛と楯《たて》の自己撞着《どうちやく》に今やおかされつつありはしないか。
無限大の進歩と言っても、むろん仮定の話であって、スピーカーからナマの音が出せるとは私は考えていない。しかし昨今のオーディオ技術の進歩(いわゆる4チャンネル)を見ていると、すでにレコード音楽を破滅さすために技術者、愛好家双方で躍起になっているような気がする。これは考え直す必要があると最近考えるようになった。
オーディオ部品で、私の一番欲しかったものはスチューダーC37のテープ・デッキと、EMTのプレイヤーだった。アンプ、チューナー、スピーカー・エンクロージア――家庭で音楽を鑑賞する限りにおいては一応わが家にあるもので私は満足している。だがスチューダーC37とEMTのプレイヤー(930ST)はほしかった。このうちEMTのカートリッジだけであれば、すでにノイマンのトランスにつないで聴いている。独逸《ドイツ》グラモフォンを鳴らして、これ以上のカートリッジを私は知らない。しかしイクォライザーアンプのビルトインされた930STでは、NAE、RIAAカーブとも偏差ゼロ、まったく特性はフラットとのことで、私のような素人の音キチにこのデーターは胸のふるえるものである。それですでに日本に輸入されているのは知っていたが、さきごろ渡欧のおり、注文しておいたのが、ようやく手許《てもと》に届いた。聴いて、憑《つ》きものがオチるように私の中で何かが醒《さ》めたのである。期待外れというのではない、それどころかEMTはこんな音を出したのかと目を瞠《みは》った。ノイマンのトランスに接続して、ずいぶん素敵だと喜んだのなぞ他愛のない話である。
私は、技術者が意図するフラットとはどういう音かを知ったのだ。その後ナショナル音響研究所を訪ねる機会があって、この研究所にはEMTの930STよりさらに大型な927DSTがあり、スチューダーC37がある。イッセルシュテットのベートーヴェンの“第九”を927DSTで鳴らしてもらい、C37で倍速の2トラ・テープを聴いた。別にアンペックスの1|2インチ幅によるマスター・テープで四次元の再生音(こればかりは実際に演奏を録音したレコード会社の提供にまたねばならないが)を聴いた。そして痛感したのである。レコード芸術は、ナマそのままを追求することで無辺際に音響空間を拡大はするが、いわゆるレコード音楽とぼくらの言い、愛好してきた何か精髄みたいなものは裏切られている。音響空間の広がりと、そのダイナミズムは、たとえようもなくぼくらオーディオ・マニアに魅力的であり、4トラ2チャンネルの市販のプリ・レコーデッド・テープで立体感があるなぞとは、たわごともいいところで、低音がどうのハイがどうのと血道をあげるのが馬鹿らしくなる。もうまったく別様の音楽である。
だが、断言するが、こうした音響空間の広がり、充実感は聴く部屋の広さと不可分なものだ。オーケストラの演奏がホールという会場なしに成り立たないのとまったく同様で、だが、ぼくらはせいぜい二、三十坪の家屋に住んでいる。リスニング・ルームに十畳の広さを保てるなら幸運といわねばなるまい。そういう環境でベートーヴェンの交響曲を聴いては十分感動できる。なぜか。それがレコード音楽だからだ。ナマを追求するとは、レコード音楽ではない別ものを追っかけることになる。音楽をよりよく鑑賞するために装置を改善してゆけばレコード音楽でなくなる、これを矛盾と言わずしてなんと言うか。
いい音で聴くために、ずいぶん私は苦労した。回り道をした。もうやめた。現在でもそれはスチューダーC37はほしい。ここまで来たのだから、いつかは手に入れてみたい。しかし一時のように出版社に借金してでもという、燃えるようなものは消えた。齢相応に分別がついたのか。まあ、AのアンプがいいBのスピーカーがいいと騒いだところで、ナマに比べればどんぐりの背比べで、市販されるあらゆる機種を聴いて私は言うのだが、しょせんは五十歩、百歩である。よほどたちの悪いメーカーのものでない限り、最低限のトーン・クォリティは今日では保証されている。SP時代には夢にも考えられなかった音質を保っている。家庭で名曲を楽しむのをレコード音楽本来の在り方とわきまえるなら、音キチになるほど愚かな行為はない。どうしてもグレード・アップとやらを楽しみたいなら、せいぜいスピーカーに品のいい音をもとめること、楽器の音像がくっきり浮びあがる程度で満足すること。アンプなら旧《ふる》い真空管式のクワード、カートリッジはオルトフォンSPUGT級を私はすすめるが、ブックシェルフ・タイプのスピーカーにならトランジスター・アンプの方がいいかも知れぬ。何にせよ、この程度で十分で、ここらがレコード音楽の矛盾に牴触《ていしよく》せぬ限度である。
余談になるが右のナショナル音響研究所には、“音質評価システム”というのが備えられていて、何人かのすぐれた個性が、さまざまな音の変化への良否を判じると、たちまちそれが統計的にコンピューターにはじき出され、どの場合もっとも多くの人に好まれたかが分る、同時にそれは、コンピューターに記憶され別な個性の試聴した結果との比較に役立つ、まことに便利なものができている。だが、私はおもうのだ。メーカーはそうして出た結果に基づき音作りをするだろうが、音響空間を拡大し正にスリリング・リアリズムで立体感を聴かせてくれるそういう試聴ホールでの好ましい音は、レコード音楽本来の在り方を逸脱し、むしろ益々《ますます》、それを裏切る方向に技術者を追いやりはしないかと。客観的データーは測定器にまつほかはない、人の耳ほど気まぐれでアテにならぬものはない、技術者はそういう。確かにその通りであろう。しかし測定器はデーターを示すだけでそれ自身、何物も創造はしない。人間の耳は他愛ないほど気紛《きまぐ》れだが、それは鼓膜にとどいた音を感知するにとどまらず、その音から同時に何かを創造している。その創造行為が、つまりは音ではなく音楽を各自の頭脳に届けるのである。明らかに音楽は、スピーカー(または楽器から)一度、音波となって耳に達し、そこで音楽に再創造される、それが音楽を聴くという行為だろうと思う。創造が伴うなら気紛れなのは当然である。
測定器は音楽を創りはしない、耳は不確かどころか最も精巧な測定器であって、音の取捨選択まで同時にやってしまうものだ。私は補聴器を使っているから知っているが、補聴器というやつはパーティでは用をなさない。テーブル・スピーチのほかに、他人の靴音、椅子を動かす音、フォーク、ナイフの触れ合う音までどんどんとび込んでくる。
人間の耳は、そういう余計な雑音はいっさい排除しスピーチの声だけを明確に聴き分ける。なんという精巧な自動制御装置だろう。試みに、聴覚のあらゆる機能を満たす機械を造ってみるといい、もし造れても――ローデシベルの測定器でたかだか四百万円だが――聴覚を代行するのは億単位の金をかけてもむつかしかろう。
余計なことを書いてきたが、つまり音楽は、聴覚によって成り立つ芸術である。むろん聴覚は、ナマの素晴らしさはどんな再生装置の出すそれよりも勝《すぐ》れていることを知っている。その上で、ぼくらは家庭で音楽を味わうことができている。一番大事なのは、いいレコードだ。いいレコーディングではない。耳が音楽を創造するそういう機能に、何を与えるかだ。一枚でも多く、いいレコードを聴くことはどんなすぐれた装置を有《も》つことよりも優先する。
どれほど規模を大にした装置でも、パハマンのショパンがパハマンらしくきこえないなら、家庭でレコード音楽を味わう意義はないではないか。コンクリート・ホーンでなくても、近頃は、良質のヘッド・ホーンで十分甘美な低音は聴けるのである。後頭部に音像をつくる不自然ささえ我慢すれば、そうしてヘッド・ホーンからでも十分、音域にひろがりをもつ分離の鮮明なオーケストラの音を今では楽しむことができるのだ。いいレコードを聴くことだ。
(一九七〇)
ステレオ感
この間、新聞の録音評を見ていたら「ステレオ感のいいレコード」というのがあった。今では誰もこんな評言をあやしまない。それどころか、「音にひろがりと奥行きがあり、ソロの部分は鮮明で、ことにリズムを刻む打楽器の響きに誇張がなく、弦楽合奏は青空を吹く風のようにさわやかに採られている」と読むと、一枚買って聴いてみたくなる。だが実際に、音楽を演奏してステレオ感がいい、なぞということのある道理がない。来日演奏家の批評をするのに、「その演奏はステレオ感があった」とは誰も書きはしない。
それが、レコードでは通用する。風のように爽やかな弦楽合奏は、現実に、レコード鑑賞の上ではあることだ。それはそしてたとえようもない魅力である。そういうレコードを買って帰って、最初に我が家で針をおろす時の期待と、期待にたがわぬさわやかなユニゾンが響いた瞬間の喜びは、格別だろう。何もユニゾンに限らない。ピアノ・ソロだっていいが、何がそんなに我々をワクワクさせるのか。要するにそこに演奏会場の音の生々しさを盗んで来ているからではないか。『実演の再現』といえば聞えはよいが、ステレオ感を満足するとは、つまりはナマを剽窃《ひようせつ》する喜びだろう。ちかごろ私は気づいたのだが、オーディオ・マニアは先天的に盗癖のある人種だろうと思う。むつかしい音を鳴らしてマニアが喜ぶのは余人には盗《と》れぬものを見事せしめた喜悦に似ている。自らを省みてそう思う。
音楽を愛好するのは、むろん、盗癖とは関係がない。しかしレコードを聴く行為――ことにそれを良い音でと望む手合いは、好むと否とに関《かか》わりなく旋律と同時に剽窃を楽しんでいる。音キチほど剽窃に比重がかかる。そしてもしこの見方が当っているなら、音楽機器メーカーも一つ穴の貉《むじな》ではないか。すぐれた製品をつくるメーカーほど、そうだということになりはしないか。
私たちは、よりよく音楽を鑑賞するために音のいい装置を求めた。見事なこれは大義名分だが、結果は、偸《ぬす》みの方を楽しむ仕儀となった。この音感上のレトリックともよぶべき事態に気づくなら、レコードの再生音はどうあらねばならぬかに――ナマそのままを追求するのはむしろ精神上悪徳行為であることに――気づくだろう。
音楽はわれわれをなぐさめ、時に精神を向上させ、他の何ものもなし得ない浄化作用を果してくれる。ベートーヴェン的に言うなら、いい音楽はそのままで啓示であり、神の声である。そういう神への志向に偸盗《ちゆうとう》の喜悦がまぎれ込んでくる。いい道理がない。ぼくらはどこかで罰を蒙《こうむ》らねばならない。
録音を、音をとるとは奇《く》しくも言ったものだと思うが、確かにステレオ感を出すために多元マイク・セッティングで、あらゆる楽器音を如実に収録する方法は、どれほどそれがステレオ効果をもたらすにせよ、本質的に、“神の声”を聴く方向からは逸脱すること、レコード音楽の本当の鑑賞の仕方ではないことを、たとえばシャルラン・レコードが教えていはしないだろうか。周知の通り、シャルラン氏はワンポイント・マイクセッティングで録音するが、マイクを多く使えば音が活々《いきいき》ととれるぐらいは、今なら子供だって知っている。だがシャルラン氏は頑固にワンポイントを固守する。何かそこに、真に音楽への敬虔《けいけん》な叡智《えいち》がひそんでいはしないか。シャルラン・レコードに俗曲はない。これに反して、たとえばアメリカのコマンド――イノック・ライト氏がおびただしいマイクを駆使して収録したレコードのあの、低俗さはどうだろう。音楽的教養の両極端がこの二つのラベルには出ている。ステレオ感を追求する限り、人はイノック・ライト氏の方向に走るのである。
ちか頃のオーディオ界で、批評がものを言っているのも多くはイノック・ライトの方向だ。アルティックや、ことにJ・B・ランシングのスピーカーが出す音を、この意味で私は嫌悪するのだが、むろん個人的感情を主張したいからではない。レコードを聴くのに、何が大事かを更《あらた》めて言いたいのである。音の分離のいいこと、解像力のあること、SN比やセパレーションのすぐれていること、これらは理論的にはレコードの再生・鑑賞に、悪影響をもたらす道理はない。技術者はそう言うだろうし私自身もそう思ってきたが、なんたることか、じつは剽窃と偸盗の愉悦を楽しんでいたわけになる。
――こんど、EMTのプレイヤーで再生する音を聴いて、こうしたことに私は気がついた。以前にも同じEMTのカートリッジをサテンのトランスや、オルトフォンや、ノイマンのトランスに接続してきいた。同じカートリッジが、その度に異なる音のひびかせ方をした。国産品の悪口を言いたくはないが、トランス一つでも国産の“音づくり”は未《いま》だしだった。ところが、こんどプレイヤーに内蔵されたイクォライザーによる音を聴いてアッと思った。わかり易く言うなら、昔の蓄音機の音がしたのである。最新のステレオ盤が。
いわゆるレンジののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイア1000の方がはるかに秀逸で、同じEMTのカートリッジをノイマンにつないだ方が、すぐれていた。内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、例えばコーラスのレコードを掛けると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。私の家のスピーカー・エンクロージアやアンプのせいもあろうと思うが、とにかくおなじアンプ、同じスピーカーで鳴らして人数が増す。フラットというのは、ディスクの溝《みぞ》に刻まれたどんな音も斉《ひとしな》みに再生するのを意味するだろうが、レンジはのびていないのだ。近頃オーディオ批評家の(むしろキカイ屋さんの)揚言する意味でハイ・ファイ的ではないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードを掛けたおもしろさはシュアーに劣る。そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。
私は、レコードというものが商品として売出されるのにどれほど綿密な音質管理を経ているかを、知っている。レコード会社は、われわれシロウトの音キチがいいとか悪いとか言っている程度とは比較にならぬ丹念さと検討ののちに、一枚のレコードを売出している。おそらく音響部品メーカーも同様だろう(それが一流のメーカーなら。)しかし、レコードは、しばしば言っていることだが音キチ的に聴く要はない。ないどころか、そういう聴き方はミューズの神を裏切るのである。(剽窃に愉悦した私が言うのである。)EMTのプレイヤーでレコードを何枚か聴きなおし、むしろ古い録音ほど、神を裏切らぬ畏《おそ》れと配慮で音は刻まれていることを知った。近頃の『録音・優秀』が、どんなにかたよった聴き方をぼくらに強いるかを。こうした傾向はオーディオの世界にとどまらず、今では作曲の分野にまで裏切りをおしすすめている。ステレオ的に作られた愚作品がやたらと目立つ。世界的なこれは傾向だろうが、自然が今では偽芸術を模倣するわけだ。阿呆な話だ。
何事であれ、完璧《かんぺき》に剽窃できるなら天《あ》っ晴《ぱ》れというほかはない。そういう快感を私は否定はしない。しかしオーディオの世界に限っては、ナマを再現するのはまだ不可能である。やっぱり偸盗のたぐいである。もっとも何かを盗もうとして出来上った音楽作品がないこともない。ワグナーの芸術がそうで、背徳の匂いに満ち、人を裏切り賭博に耽《ふけ》り、姦通を平気でやってのけた不逞《ふてい》なワグナーの作品は、剽窃のステレオ感を満足させるに今や打ってつけの音楽となった。ワグナーは神を偸もうとしたわけだ。ワグナーで思い出したが、その『指環《ゆびわ》』をこれこそ見事なステレオ感でレコード化したジョン・カルショーも、おそらく、天才的な盗人の素質をもった人だろうと思う。彼を盗人にせず、優れた録音ディレクターにしたのはむろん彼の教養であり、その経てきた音楽体験だろう。彼は幼少時代から、多分、すぐれた真に美しい、神の啓示に満ちたクラシック音楽をナマでふんだんに聴いてきたのだ。日本の技術屋さんはそうはいかない。剽窃された音の、その剽窃の巧みさを模倣するところからはじめねばならない。剽窃の道具――マイクロフォンや、テープレコーダーや、測定器はふんだんに持たされて、ワンポイント・マイクのあの敬虔さには無縁な音づくりしかできない道理である。先日ある音響機器メーカーの責任者に聞いたのだが、日本でもアンプだけは世界の一流に伍するものが今では造れる、しかしカートリッジとスピーカーは、どうにもかなわぬということだ。日本では一流メーカーの音質管理の責任者が言ったのである。これを聞いて、かえってそのメーカーを私は信用した。国産の《特製》スピーカーを作らせ、欧米品よりよっぽど音がいいとおっしゃるどこかの先生より、この責任者は音づくりのむつかしさを知っている。またこれも知人に聞いた話になるが、世界的テープレコーダーのメーカーたるスイス・スチューダーの技術者がこんなことを言っているそうだ。
「今日、家庭において、すぐれた――ハウリングへの十分な配慮のなされた――プレイヤーが鳴らすディスクの音は、すぐれたテープ・デッキが2トラ倍速で出す音に匹敵する。それほど今ではレコードの再生技術は進歩している。市販の4トラ・テープは、セパレーションにすぐれる点を除いては、音質上、むしろ優秀な装置によるレコードの再生音に及ばない。これはテープ・デッキに欠陥があるのではなく、(4トラの)プリント技術の未熟さのせいである。」
テープの方が音がいいという人に聞かせてあげたい言葉である。断言してもよいが、もしレコードより市販の4トラ・テープの音がいいなら、テープがそれはいいからではなく、君のレコード再生装置に欠陥があるからだ。それほど、レコードの溝には実に美しい音がきざまれている。
レコードでいい音がきけるなら、テープレコーダーを備える必要はない。それで録音を楽しむと言ったところで、せいぜいろくでもない原音の剽窃だろう。勉強のため録音するなら別であるが、すぐれたアーチストの演奏に門外漢の君が(録音機を携えて!)立会えるわけがあるまい。立会えたところで君の録音機より、はるかにすぐれた機器と音響効果への配慮でレコードはつくられている。それを聴けばいい。家庭で音楽を鑑賞するのに、ことさらテープの音がいいなどとは業者の提灯《ちようちん》もち批評家の言うことである。だまされてはならない。
右のスチューダーの技術者の話をしてくれた友人は、こんど、英ヴァイタ・ボックスのクリップシホーンのエンクロージアを買った。コーナー型だが、キャビネットの両脇はがらんどうである。壁の隅に置くのだからなるほど、これでいいわけか。なんという簡略さだろう。天井をぶち抜き、壁をぶちぬいてコンクリート・ホーンを造る狂気――さしずめ常々コンクリート・ホーンを自慢なさる某先生など大ぬすっとということになるが――その傲慢《ごうまん》さに反して、あたかもワンポイント・マイクの謙虚さをこのエンクロージアは感じさせる。「……いい音だ。ぼくははじめてレコードで《音楽》を聴いたという気がする」友人は目をうるませて語ったが、そうだろうそうだろうと私は言った。家庭で《音楽》を聴く一番それがまっとうな姿勢だろうと。
人には各自に好みがあって、コンクリート・ホーンを悪いとは私は言うつもりはない。それがいい音できこえるならむしろ祝福したい。しかし、コンクリート・ホーンでなければ、キャビネットが出す程度の音はピアノにしたっておもちゃだ、と言う言い方には、怒りを感じる。演奏会場の雰囲気《ふんいき》を剽窃するのは音楽鑑賞とは別のことだ。断じて、音マニアは鑑賞家ではない。およそマニアが真の鑑賞家であったためしはないのだ。気ちがいの真似をすることはない。
(一九七〇)
米楽壇とオーディオ
アメリカの現代作曲家にチャールス・E・アイヴスという人がいる。たしか一九五四年に亡くなっているが大変かわった音楽家で、夥《おびただ》しい作品を書きながら楽壇に認められようといった野心は毛頭なく、生涯を生命保険会社の経営で送った人である。初期の三十年間に作曲したものの中から、百四十曲の歌曲をえらんで自費出版した時も、これを出版するのは「部屋の大掃除をするためだ」と言い、「世の中にはいろいろな著者が様々な理由で本を出す。或る者は、金を儲《もう》ける為《ため》に書くが、私はそうでない。ある人は名声を得るために書くが、私のは違う。ある人は愛情から書く、ある人は煽動《せんどう》する為に書くが、私はちがう。私はこれらの理由のいずれからも、またこれらの理由を合わせたものからもこの本――作曲集――を上梓《じようし》するのではない。私は家の中を掃除しただけだ」と自序に言い、だから「頼まれもしないのに作曲した」これらの歌曲を、音楽仲間に届けるのは「装幀《そうてい》の綺麗《きれい》な本を一ぺん友人に贈ってみたいから」であり、「そんなわけだから何処《ど こ》に棄てられようと――恐らくは紙屑籠《かみくずかご》の中に捨てられようと、それは勝手である」と書いたそうだ。(服部竜太郎著『廿四人の現代音楽家』より)何より大事なのはアイヴスは、本気で紙屑籠に捨てられるものと観念していたらしいことで、この歌曲集には、年代順の配列もなければ、曲種の区別もなく、あらゆる種類の歌曲――叙情的なもの、バラード風のもの、ドイツ語のもの、フランス語のもの、イタリア語のもの、宗教的なもの、軍歌調のもの、流行歌風のもの、カウボーイの歌らしいもの――実に千差万別で、なるほどこれなら音楽的大衆を眼中におかぬばかりか、進呈する《少数の友人たち》すら顧慮しない、まったく《大掃除》のためとしか思えぬ出版だったという。
最近、このアイヴスの第四交響曲が米コロムビアで録音されたが、A・フランケンシュタインの紹介記事を見ると、この曲はレコーディングに際して、演奏家や録音技術者を当惑させたらしく、曲の構成そのものがバラバラで、ストコフスキーの他《ほか》にもう一人の補助指揮者(ホセ・セレブリエール)が必要だった。この二人が同時に(手前勝手に)棒を振って曲を進行させるので聴く方は鑑賞の焦点が合わず、混乱するうちにやがて紛れもない、音の立像と、音楽的感銘を享受させるものだったという。アイヴス自身で告白したそうだが、大体この交響曲の各楽章は、違った時期に独立に作ってあったのを組み合せたに過ぎず、交響曲的構成や統一など、はじめから無視していたというから、ひどいものだ。第四楽章に至っては、或る音は打楽器から、或る音は管楽器、弦楽部から、それぞれなんの関連もなしに同時に鳴り出すのに加えて、コーラスまでが合唱されるそうだ。およそアイヴスとはどういう作曲家か、これで想像がつくだろう。
私はまだこのレコードは聴いていないが、アイヴスの夥しい作品のうちでは最も有名な交響曲『休日』の中の、『ワシントン誕生日』『独立祭』をコンポーザー盤で聴いたことがある。予想外に巧みな不協和音の駆使ぶりに驚いたが、恥を言えば、もう一つ、ハリー・バートレットに『ワシントン誕生日』『独立祭』と、まったく同名の曲があって、これを先に聴いていたからアイヴスの方が若い作曲家なのかと錯覚していた。(アイヴスの『休日』は『ワシントン誕生日』『招魂祭』『独立祭』『感謝祭』の四楽章から成っているが、バートレットのも『四つの休日』と題され『ニューヨークのイヴ』『ワシントン誕生日』『独立祭』『キューバのクリスマス』の四楽章で成っている。これは一九五二年の作である。)
比較的わたくしはアメリカ在住の現代作曲家のものはよく聴いている方だろうと思う。ちょっと思い浮べただけでもJack Beeson, Marga Richter, Carlos Surinach, Robert Nagel, Irwin Fisher, John Lessard, Chou Wen-Chung, Josef Suk, Nicolai Peikoさらにファースト・エディション・レコードに入っている人たちのものを加えれば、四、五十人の有名無名の音楽家の作品を一応は聴いたことになる。右に挙げた人々のうちマルガ・リヒターは女性作曲家で(一九二六年生れ)、ヨセフ・スークはドヴォルザークの女婿《むすめむこ》、チョウ・ウェン・チュン(一九二三年生れ)は発音通り中国人だが、結論を言えばこれらの大方は、音楽としては大変つまらない。しかしここでは批判するのが主旨ではなく、これら私とほぼ同年輩の作曲家たちの作品に比べれば、なるほど、アイヴスはアメリカの生んだ最も偉大な音楽家の一人というのが頷《うなず》けたことを言いたいのである。
そのアイヴスの、父親というのが音響学に非常に関心を寄せていた人だそうで(彼は軍楽隊のバンドマスターであった)いくつかのバンドの位置の高さを変え、それが異った場所にいる聴衆に及ぼす音響効果をしらべたり、四分音の研究を楽器に則してしていたという。アイヴスは父の嗜好《しこう》を受け継いで、音響学に深い興味を寄せ、今ならさしずめオーディオ・マニアというべき人であったらしい。楽壇へはまったく無関心でいて、彼ほどレコーディングを熱望した作曲家はなかったといわれるのも、こうした生い立ちを知ればうなずけるが、彼の業績の真価は、録音技術の進歩に伴ってむしろ今後に発揮される性質のものとも思える。早い例が右の第四交響曲である。
テープ・レコーダーを扱った人なら経験があると思うが、むかしは二トラックのモノーラルだった。それが四トラックになったが、ステレオのレコーデッド・テープ(四トラック)の再生以外、家庭で、FM放送を録音するのは以前はモノーラルだったから、当時の古いテープを今ステレオ装置で掛けてみると、右チャンネルと左チャンネルのそれぞれ別個の演奏が同時に鳴り出す。それが奇妙な混乱のうちに時折りハッとするほど見事な音楽的ハーモニー、アンサンブルをきかせてくれることがある。これは取りも直さず、アイヴスの意図した第四交響曲の混乱と調和に類似のものではなかろうかと私は思う。つまりレコードがステレオになるにつれて、従来の音楽とは別個な発想で創り出されたアイヴスの作品を、鑑賞する機会にわれわれはめぐり会えた、そんな気がする。あくまで想像で言うのだが、ストラビンスキーやシェーンベルクの活躍した時期に、同じアメリカにいて、彼らの名声とは無関心にアイヴスが黙々と、しかも近代音楽で見られる革新的なすべての技法を駆使し、ひたすら楽壇の動静と関《かか》わりないところで仕事をしたのは、ほんとうはレコーディングの発達にともなう新しい音楽享受層――つまりレコード・ファンを対象に考えたからではあるまいか。
レコードが今のようにステレオになることを、五、六十年前のアイヴスが(彼は一九五四年に八十歳で死んだ)知っていたわけがないという見方は、当らない。池田圭太郎氏の『ステレオ電蓄の歴史』によると、レシーバーで聞くステレオ、バイノーラルの効果が発見されたのは遠く一八八一年だった。エジソンが錫箔《すずはく》蓄音機を発明する四年前である。ついで一九〇〇年には、パリ博覧会で、米コロムビアの開発した三チャンネル・ステレオ蝋管《ろうかん》器が展示され、これは吹き込みと同時に再生もできるマルチ・プレックスと名づけられたというが、この名は、今日ステレオ放送に用いられている。池田先生の解説を孫引きすると、第一次世界大戦で兵器としての電送技術は大いに研究開発され、その平和産業化は一九二〇年ラジオ放送、一九二五年レコード電気吹込み、翌年にはトーキーとして現われた。ついで一九三三年には、米国のベル研究所が豪華なステレオ音響の実験を行い、これには有名な音響技術者が総動員されたという。フィラデルフィアのホールで演奏される音楽を三個のマイクで受け、三つの中継線でワシントンのホールに伝送されたそうだが、この再生音のコントロールを行なったのはストコフスキーだった。この時の実験で、二チャンネル方式でも十分なステレオ効果の得られることが実証された。一方イギリスでは、一九二九年に英コロムビアのブラムラインは一本溝《みぞ》ステレオ盤の研究をはじめ、三一年に45/45とVL方式の特許を取り、三三年にはレコードとその再生器を作った。これが当時商品化されなかったのはSPレコードの音溝から発生するノイズが、両スピーカーから掛け合いで聞えてくる騒々しさのためだったという。
トーキーのステレオ化はストコフスキーにより「ファンタジア」で実現された。これは一九四〇年である。――以来、第二次大戦でビニール工業の急速の発達を見、LP盤から現今のステレオに至るのだが、これで見れば、音響学に深い関心を寄せたアイヴスがステレオディスクの普及にその音楽を賭《か》けていたと見るのもあながち荒唐無稽ではあるまい。むろん大事なのは、ステレオ技術ではなく、音楽家にとっては芸術である。アイヴスはしかしこの点でも合格といえる。管弦楽組曲『ニューイングランド風景』や『三ページのピアノ・ソナタ』を聴けば分るが、マーキュリー盤の組曲『ニューイングランド風景』を「アメリカのペトルーシュカだ」と評したのは他ならぬこの曲の指揮者(自身作曲者でもある)ハワード・ハンソンだったし、確かにここには服部竜太郎氏の著書にも指摘されている通り、ストラビンスキーに匹敵する韻律の斬新さがある。長い一拍を細分したり不平均に分けたり、またポリリズムによって不思議な効果をあげている。ピアノ・ソナタはローレンス・ギルマンがこう評したそうだ――「この奏鳴曲は、比類のないほど偉大な音楽であり、事実、アメリカ人によって作曲された最大の音楽である。そして衝動と寓意《ぐうい》において最も深く、最も本質的にアメリカ風である」
私はアイヴスの音楽解説をするつもりはない。解説なら服部氏の著書を読んでもらった方がいい。ギルマンの言うように確かにアイヴスの音楽はアメリカ的だが、最もアメリカ風な彼の作品に、ほかならぬオーディオ界の進展が根源で関与していたことを考察したいのである。つまり従前の音楽家は、良かれ悪しかれベートーヴェンやモーツァルト、バッハの亜流で音楽してきた。シェーンベルクさえそうだったと私は思う。アイヴスは違う。アイヴスは音の伝達――電波であれレコードであれ――が介在するそのおかしさに彼の独創性をかけたと思う。従来の、モーツァルト時代のサロンにせよ、以降の音楽会にせよ、ともかく、聴衆は会場に出向き奏者の前にすわることで音楽を享受した。この場合、奏者と聴衆の間に音の伝達物はない。だがそういうサロンやリサイタルに出向く機会を持てぬ貧しい人々にも、極言すれば、音楽を開放したいとアイヴスは考えた。ふつうわれわれがレコードの効用を思うのは、レコードを聴けば演奏会場の名演に接すると同等の感銘を得られることである。確かにこの意味でレコードは発達してきた。だがアイヴスはもう一つ先を考えた。音響学の知識があるだけに、いかに録音技術が進歩してもとうてい、ナマそのものの芸術性を得ることは永久に不可能なのを知っていたのである。それなら、音の媒体たるレコード(弱電技術)の介在性に発想される独自な、従来とは別個な音楽美を作り出せないか、アイヴスはそう考えたのではないか。たとえは異なるかも知れぬが、映画やテレビの普及で、劇場とは別個な演技が要求されるのに似ている。われわれはしばしば、いわゆる舞台俳優の発声や演技の臭味をブラウン管に見て、うんざりすることがある、あれと同じだ。ステージの観衆を前にした演技と、カメラの至近距離で映し出される所作や演出は当然ことなるべきだろう。同じことをアイヴスは考えたに違いない。劇場へ行けぬ貧しい人々に音楽を開放するとは、つまりはレコードを実演に隷属させるのでなく、レコードそのものが音楽の発源体となるそういう音楽美の創造に他ならぬと。言ってみれば、別に貧しくなくともよいのである。レコードを掛けることが、ナマの演奏を彷彿《ほうふつ》させるのとは本質的に異なる美の享受を人々にもたらせば。
アイヴスの音楽への、こういう見方を思いすごしと専門家は言うかも知れぬが、一概にそうばかりとは言えまいと思う。だいたいステレオの最も普及しているのはアメリカと、英国と、日本である。カートリッジで有名なデンマークのオルトフォンの社長が昨年来日した。アメリカについで、東洋の君主国で意外に自社製品のはけるのに驚いたかららしい。オルトフォン社は、当時ソニーと提携しているから別の目的で来日したのかも知れないが、そのカートリッジのよく売れること、米国についで日本が世界で第二位というのは本当だろう。多少HiFiに関心のあるレコード愛好家なら、オルトフォンの名は知っている。こんなことはヨーロッパでは稀有《けう》な話である。そもそもステレオ装置なるものに、ヨーロッパ人の大方はてんで関心がない。米ドル百ドルからせいぜい二百ドル程度の月収で、カートリッジに二十数ドルを投じ、レコードを聴くことなど彼らには信じられないだろう。日本人はよほど、調度の整った贅沢《ぜいたく》な建物に住んでいるのかと思うか知れない。英国のグラモフォン誌など見れば分るが、英国人のレコード愛好家の大半は、オルトフォン級のカートリッジは月賦で買っている。アンプやスピーカーも大方は月賦である。これをキャッシュで買い取るのは日本人くらいだ。超満員の電車にすし詰めになって通勤して、うどんやラーメン一杯を昼食がわりにし、建てつけの悪い絨毯《じゆうたん》も満足に敷けぬ家屋に住んで、ステレオ装置の部分品だけは世界一級品を買う。まったく涙ぐましい音楽への愛好ぶりだが、自他ともに、笑うにわらえぬこの身の入れようを由来させたものは本当は何なのか。音楽が好きなのは、ヨーロッパ人も日本人とかわらない。むしろその造詣《ぞうけい》の深さにおいて、教養の水準において彼らはわれわれの比ではない。分りきっていることだが、それがステレオに無関心なのはつまりは立体音楽でなく、ナマそのものを聴けるからだろう。音の《媒体》はヨーロッパ人には必要ないのである。
ところでアメリカは、今やヨーロッパの第一流音楽家のほとんどをドルで吸収し、これらの人々に自由な活動の場を与えている。演奏団体として、年額十万ドル以上の予算をもつ交響管弦楽団だけでも二十数余におよび、楽譜出版でもヨーロッパの権威ある版元は相次いでアメリカに移った。ありあまる奨学資金で、有能な学生には勉学の機会を与え、作曲家に大作へ没頭させるための経済的援助が、これほど徹底した社会と時代は他に類を見ない。がこういう奨励と援助の根底にあるのは、いまだヨーロッパに比して自国に大音楽家や芸術をもたぬ劣等意識と、焦燥だろう。
一方、英国は、ヴィクトリア時代およそ一世紀半にわたって世界に君臨し、その富を誇ったが、ついにひとりの偉大な音楽家も出なかった。奇蹟《きせき》に近いが、これは事実である。
今、オーディオ(ステレオ技術)の最も開発の著しいのは米国と英国が世界の双璧《そうへき》だろう。カートリッジ、アーム、アンプ、スピーカー・エンクロージア、そのいずれも両国の製品を凌駕《りようが》するものはまだ世界にない。マイクロフォンやラジオで、一時ドイツが君臨したがステレオディスクの再生では今では一歩を譲っているように思う。オルトフォンや、B&Oのプレイヤー、トーレンスのモーターのごとくデンマークも部分品で第一級には伍しているが、再生装置の総合性で両国に及ばない。このことと、英米両国についに一人の偉大な音楽家も出なかったことが無縁とは、私には思えないのである。もし日本が、オーディオ技術で英米の水準に近づきつつあるなら、やっぱり、日本に一人のまだ世界的な音楽家が現われていないことと無関係ではあるまい。
アイヴスのユニークさが、ここで物を言ってくる。いかにオーディオ技術が普及しようと、バッハやモーツァルトやベートーヴェンや、プロコフィエフ、ワグナー、ドビュッシーらと同じところで《音楽》を思考する限り、しょせん二流の作品しかもう生れないことを、夥しいアメリカ在住の作曲家の仕事ぶりが物語っている。私は三十人を越える彼らの作品を聴いてそう思った。何もアメリカ在住の作曲家に限らない、ヨーロッパの音楽家だってベートーヴェンやモーツァルトを永久に凌駕できぬことに変りはあるまいが、シェーンベルクとアイヴスを比較するとこの感を深くするのである。
シェーンベルクはむろん本来アメリカ人ではない。ウィーンに生れ、注目すべき作品のほとんどをヨーロッパで成しとげた。しかし、彼の得ている名声と、作曲家として果してきたその仕事の内容は少し検討してみる必要がある。
シェーンベルクはユダヤ人の商人の倅《せがれ》で、八歳のとき父が死に、少年時代は大へん貧しかった。二十歳まで、そのため独学で彼はヴァイオリン、チェロを稽古し、室内楽を作曲しているが、豊饒《ほうじよう》な音感とでも呼ぶべきものがあるなら、彼の作品に見られる豊饒感の欠如、何かひがんだ、独断にすぎる解釈はこの貧窮の生い立ちに無縁ではないだろう。彼の育ったウィーンには、モーツァルトやベートーヴェンなど偉大な音楽家の住んだ家、演奏した楽堂がそのまま遺っており、散歩道、料亭も昔のままであって、服部氏の表現をかりれば「ウィーンを包むこれら古典音楽の伝統は、鉄の鎖で後進者をしばりつけていた」し、ことにベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は「若い作曲家に、手も足も出ないおもいを抱かせた」にっちもさっちもいかなかったのはシェーンベルク一人に限らないわけだ。ただ、そういう環境から何を生みだすかは、音楽的才能よりは人間のありようにもとづくものと私には思える。
シェーンベルクは二十五歳で最初の野心作『浄夜』を書いた。「霊感的な三週間で」この弦楽六重奏曲を書いたそうだが、当時の若いドイツの作曲家たちは、ワグナーの音楽に圧倒され劇作品に対しては手も足も出なかったので、交響詩曲に転ずる者が多く、その交響詩的内容をシェーンベルクは大管弦楽でなく室内楽の形式で現わしている。私はここに何か、貧困者の節約の精神を見るのである。その証拠に後年(つまり有名になってから)ロンドンで彼自身がこの曲を指揮した時は百人の弦合奏に編曲した。なぜ百人にふやす必要があったのか? なりあがり者の成金趣味の臭いがしないか。
彼が結婚したのは二十七歳の時で、対位法と作曲理論を最初に学んだ人の妹である。この結婚の年、彼はベルリンに出て芸術的キャバレーの一種であるユーバーブレットルの楽長となり、オペレッタの編曲や指揮をして生活した。かたわら交響詩『ペレアスとメリザンド』を作っているが、当時ドイツではまだ用いられていないホール・トーン・スケールがすでに採用され、旋律は多声的におそろしく複雑をきわめて、弱音トロンボーンのグリッサンドのごとき新奇な楽器用法がとり入れられている。しかしベルリンでは思うように仕事は酬われなかったので、二年後(一九〇三年)ウィーンに戻って彼は妻の兄であるツェムリンスキーの家に同居しながら、理論の教師として身を立てることにした。これは大切なので強調しておかねばならない。もし順調に、シェーンベルクが当時の楽壇に迎えられていれば、いわゆる彼の無調主義は成り立っていたろうか。たしかに、理論家として、義兄ツェムリンスキーの推挙でウィーン大学で作曲の講義をしたこの時期に、彼の教室からはアルバン・ベルクやウェーベルンが巣立っている。申せば不遇の時代にあって、これら後進者に革新的な芸術見解を注入した彼のエネルギーは賛《たた》えられていいだろう。だが彼自身は、十二音技法や無調による音楽をこの時期にはまだ作ってもいないのである。理論だけが先走っている。弦楽四重奏曲第一番(作品七)はニ短調だし、一九〇七年から八年(ウィーン大学で講義の四年後)に作った弦楽四重奏曲第二番(作品一〇)も嬰《えい》ヘ短調の調号をもっている。調性の放棄は一九〇九年――作品一六あたりからである。
理論だけが先走って無論わるいわけはない。しかし、世に認められぬ憤懣《ふんまん》から、窮鼠《きゆうそ》かえって猫を噛《か》むに似た熱弁を若い学生たちにふるう気負い立つ精神、その傲慢《ごうまん》さは、シェーンベルクの人間を語る上でゆるがせにはできないだろう。傲慢さがもし、劣等意識に由来するならその情熱が口走った理論が生み出す音楽など、しょせん、人を救えはすまいと私は思う。ベートーヴェンも貧しかったし、シューベルトとて不遇だったが、本質的に音楽が違う。いま流行の岡潔先生ふうに言えば、シェーンベルクのは《無明》が作る音楽である。
何にせよ、こう見ればもうシェーンベルクとアイヴスの差は明らかだろう。シェーンベルクの無調主義について服部氏は書いている。「バッハ以後、われわれが親しんできた楽曲は、或るひとつの音調の上に組立てられたものである。それを具体的にいって、ハ長調の曲ならば、ハ音を主音として、その半音階的に配列された一個の音を運用して出来ている。ところがシェーンベルクの新しい理論によると、主軸となるべき主音の左右を無視して、十二個のそれぞれの音がいずれも同じ重要性を与えられることになる。これは彼が無調主義の音楽を書いていた結果として、作りあげた純粋理論であり、特殊な研究家にとっては穿鑿《せんさく》の対象となるものであろうが、多くの音楽的大衆にとっては親しみの乏しいものである。無調性の音楽によって、民謡や子守歌が書かれることは決してないであろう。シェーンベルクらの音楽は耳で楽しむものでなく、楽譜の上で見るべきものという所から《目の音楽》Augenmusikとさえ言われている。これは爛熟した音楽文化の絶頂で破滅したオーストリア人が、頭脳の中で生みだした理論としてはふさわしいかも知れぬが、これからの社会――アメリカのようなデモクラティックな社会にあって、音楽文化を拡大するためには役立たないものであろう」
シェーンベルクは『月に憑《つ》かれたピエロ』でようやく名声をあげ、現実と官能を離れた霊的な声――いわゆる『語る旋律』の効果をわれわれに示した。《二人の男女が枯れてひえびえとした林の中を歩いている。月がともに動き、二人はそれを見上げている。女の声が話す――私はみごもっていますが、その子はあなたのではない、私は罪を抱いてあなたの傍《そば》にいます……》こんなデーメルの詩で『浄夜』を作曲するシェーンベルクの才能は、確かに無視できない。彼はリルケの詩によってまたきわめて異色ある管弦配置の伴奏をもつ歌曲を書いた。門下生を養成し純粋芸術のための演奏協会を作ったりもした。彼がアメリカに渡り、ハリウッドに在住して市民権を得たのは、オーストリアに内乱が起ったためで、芸術に無知なヤンキー気質がその名声を鵜呑《うの》みにして迎合したわけではない。これは言っておかねばならない。しかし、シェーンベルクの生誕七十年祭や七十五年祭を、盛大に催したそのアメリカ楽界は、バルトークを餓死せしめているのもまた厳然たる事実である。バルトークとシェーンベルクと、どちらが偉大な音楽家かは日を経るにつれ明らかになるだろう。昨日、バルトークを無名のゆえに餓死せしめたアメリカは、同じ軽佻《けいちよう》さで、とみに名声のおとろえるシェーンベルクを明日は忘れてしまうだろう。そういうアメリカ人一般の芸術的底の浅さを、《無明》によらず音楽したのがアイヴスだと私は思うのである。暴言を少々吐くなら、ミュージカルなぞという、衣装と身振りと照明で、つまり目で見なければおもしろさのないものならともかく、音楽自体は、これからも永遠にアメリカに育つことはないだろう。かつて同じく不毛だった英国にはヴォーン・ウィリアムズとベンジャミン・ブリッテンが出ているが、アメリカに彼らは育つまい。いわゆる英国調の音と、アメリカのスピーカーが鳴らす音を聴き比べればこれはた易く予知できる。同じステレオ技術の双璧でも、英国のは芸術を知っている。
ことわっておくが、だからアメリカが永遠に駄目だと言っているのではない。従前の、バッハやベートーヴェンの業績の延長上に音楽を考えるなら、アメリカの土壌は今後も不毛だろうが、演奏――つまり音の美を伝達する《媒体》の介在が今後必然視される限り、従前とは別個な、音の美が考え出されて不思議はない。たとえれば、バッハやモーツァルトはナマの演奏である。いかに周波数特性がよくなり録音技術が進歩しても、蓄音機がナマの音の臨場感にかなうわけはない。これはもう永久にかなわない。だからといって、かなわぬ劣等意識やひがみから、《無明》で音楽するのでなく、蓄音機自体を聴者にとっての楽器とするそういう新しいジャンルが、今後、創造されぬわけはあるまい。アイヴスの独創性は、ここに目をつけていたと私は思う。蓄音機自体がつまり楽器なら、ジャズ的になろうと一向かまうまい。ティンパニーもまた楽器であるように、それはそれで音の美をつくり出せる。英国調とは別種の当然音楽がうまれるわけだ。
こう見てくれば、アイヴスの作品は蓄音機(ステレオ装置)にかけて鳴り出さねば意味をなさぬので、従来の音楽解釈で楽譜などいくら積んであっても無意味である。それこそ大掃除した方がさっぱりするだろう。「装幀の綺麗な譜面」を贈ったアイヴスの遣《や》り口は、この点で最も諷刺《ふうし》のきいた楽界への批判であったか知れない。
今後、米楽壇にかぎらない、再生装置で音楽をたのしむすべての世界の人々のあいだに、アイヴスの作品は真価を発揮し、なじまれてゆくだろう。が、この事はまた、ステレオの普及に伴って、従来モノーラル時代にありがちだった作曲家や演奏家のレコード観(レコードによる鑑賞を実演に比して何か軽視する安易さ)への警鐘となるだろう。
(一九六六)
ヨーロッパのオーディオ
ハンブルク、ハノーバー経由で今、パリに着いた。ハンブルクへ寄ったのはSABAのスピーカーを買うため、ハノーバーはテレフンケン工場で新しいステレオ装置をオーダーできるものなら(ふところ工合の都合もあるが)それを注文するためである。
一九六三年の秋にも、私は、同じ道順でステレオ装置を購《もと》めてきた。当時はまだ日本でステレオは、一般化していなかったし、良い音質をもとめるには海外メーカーの製品に俟《ま》たねばならなかった。そうして購《あがな》ったSABAとテレフンケンのどちらにも大いに私は失望し、ドイツは堕落したと、その憾《うら》みを以前述べたことがある。
それが、性懲りもなくまたまたいい音を得られはせぬかと、多少の助平根性は承知でこちらへ来たのには理由があって、テレフンケンで昔(一九六二年頃)ノイマンのカッティング・マシンに使用するためのF2 a11, EF804s, EZ12という、素人の私にはわけのわからぬ真空管を使ったアンプを出していた。たまたま奈良のN氏宅でこのアンプの音を聴いて驚嘆した。
ふつう、ぼくらの知る限り、家庭で聴くメイン・アンプで最高の音質の得られるのはマッキントッシュMC275である。ずいぶんいろいろなアンプを私は聴き比べてみたが、従来のスピーカー・エンクロージアを鳴らす限りに於《おい》ては、どんな球やトランジスター・アンプよりもこのマッキンMC275に、まろやかで深みのある音色、ズバ抜けた低域の自然な豊かさ、ダイナミック・レンジ、高音の繊細さを味わい得た。私だけがそう思うのではなくて、これはオーディオ界の今では通説だろう。
ところがである。N氏宅にも、マッキン275はあるが、メインを右のわけのわからぬ球のアンプに替えると(プリはマランツ7)ちょうどラックス級のアンプをマッキンに替えた程の、素晴らしい音色を得られる。たとえばJ・B・ランシング520sのもつ音の解像力を従来のマッキンにプラスしたものと言えばいいだろうか。
とにかく、信じがたいほどの音立ち、分離の良さ、プレザンスを味わわせてくれたアンプで、いまさらながら音質にメイン・アンプがどれほど大きな役割を果すかを痛感した次第だった。
私はこのテレフンケン“V69a”と名づけられたアンプがむしょうに欲しくなり、やはりドイツは、凄《すご》いなあとテレフンケンへの信仰めいたものを取戻したわけで、マッキンMC275も、たしかにオーディオ・マニアにその性能は絶賛されてきたが、聴き比べた限りでは、一方はアマチュア、一方はまぎれもなくプロだという気がした。音キチは、こんな音を一度でも聴けばもうお手あげである。N氏から略奪するか、直接テレフンケンに注文して入手する以外に狂気の鎮めようはないのだ。
もう一つ、近頃カッティング・マシンとしての優秀性を各社がきそって宣伝している“ノイマンSX68”には、テレフンケンのテープ・デッキが付いている。このデッキでマスター・テープを鳴らした音を音盤に刻むのである。録音はアンペックスやスチューダーC37で採っているかも知れないが、ノイマンの正規のカッターへ送り出される音はテレフンケンが再生したものだ。このマスター・テープ再生デッキが約百五十万円でドイツでなら買えそうだという話をN氏に聞いたので、それほどの音響技術をもつテレフンケンなら、こちらが頼めば素晴らしいステレオ装置をつくってくれるかも知れない、代価のことはともかくとして、直接、工場で交渉してみよう――そう思って、出掛けて来たわけである。装置全部のオーダーが無理なら、せめて“V69a”のアンプだけでもと考えていた。
SABAのほうは三年ほど前、経営不振でシーメンスに身売りしようとしたとか、シーメンスが断わったのでテレフンケンに買収されたとか、噂《うわさ》を耳にしていたから、オーディオ技術そのものへはさして期待は持っていないが、昨年、取寄せたカタログによると、“V”と名付けられたスピーカー・エンクロージアが満更ではないらしいデーターを示していた。四〇センチ・ウーファーに中音域のスピーカー一個、中高音域二個、高音一個、超高域二個をホーンシステムでおさめてある。周波数特性は二〇―二万ヘルツ。値段も現地で九九五マルク(邦貨にして十万円余)はドイツでは高いほうである。わが家のタンノイ・オートグラフに毛頭不満はないが、五ウェイというのが興味をそそるし、友人に手頃なスピーカーを求めている人がいるので、よければ注文しようと思ったわけだ。
ちか頃のハンブルクはまだ寒い。毎日、曇天で雪が降る。音のためには雪なぞ物のかずではないから、朝の七時すぎにハンブルク空港に着いてさっそく、その日の午後、SABAの本社へ行った。あっ気にとられて二の句のつげぬ落胆が、この時からはじまった。
SABA本社へは七年前にも訪ねたが、なるほど身売りするだけあって社屋のたたずまいはすっかりさびれ、日本の大手メーカーの足もとにも及ばない。それはよいのである。アンプ、ホームユースのテレコ、カセット・テープレコーダー、プレイヤー、FMレシーバーなどがほんの申し訳に飾ってあり、社屋のドアを入った正面フロアわきの壁にSABA-Hi-Fidelityと看板よろしく書かれた下に、大小さまざまなスピーカーが置かれてある。そのどれもがチャチな、到底いい音で鳴りそうもない代物で、聴く気にもならない。まあそれはいいとしよう。かんじんの“V”が見当らぬので、“V”を試聴させてほしいと申し出たら、セールスマンの曰《いわ》く、
「まだ一台も売れていないから、作っていない」と。
しかし、データーを発表しているではないか、一台ぐらいないのか、と念をおしたら、
「ここにはない」
「どこにあるのか」
「まだ造ってない」
「何だと?」私はあっ気にとられ、「造りもせずにデーターを公表したのか?」と言ったら、
「工場では造った。つまり試作品である。一台もオーダーが来ないからそのままである。汝《なんじ》がオーダーするなら、造ってみる」
イケしゃあしゃあと彼は言うのである。念のため言っておくが彼はSABAの正社員である。私はドイツ語は分らない。しかし通訳してくれたのはドイツ婦人を奥さんに持ち、二十年ちかくドイツに暮らしている人で、誤訳のある道理がない。いかに身売りをしたメーカーとはいえ、SABAといえばドイツでは老舗《しにせ》であろう、もう怒る気力もなかった。
次にテレフンケンへ行った。なんとテレフンケンもAEG《アー・エー・ゲー》に買収されていることを、知った。買収というよりAEG(ALLGEMEINE ELEKTRICITATS―GESELLSCHAFT)傘下《さんか》におかれたというべきだろうが、かつてあの王者のようなラジオの音をきかせてくれたテレフンケンでなくなっていることだけは確かである。こころみに、W250HiFiなるプレイヤーについているカートリッジを見て唖然《あぜん》としたのだが、なんとシュアーM75―6だった。別のプレイヤーにはピッカリングV15/AC―2と、シュアーのM44―7がついていた。
この時の私の落胆というよりは、悲しみを、察してもらえようか? 私がテレフンケンS8型を購入した十二年前には、プレイヤーにはノイマンのカートリッジDST25がついていた。昨今、一部オーディオ・マニアに垂涎《すいぜん》のまとであるEMTのカートリッジと、我が家で聴き比べて、十二年前これだけの音をテレフンケンは鳴らしていたのかと感嘆したものである。私の知る、それがドイツ・テレフンケンだった。しかるに、今はピッカリングのヘッドをつけるメーカーになっている。安いからだろうし、コストを安くあげるには今さら開発費と時間をかけて努力するより、他社の製品を使った方が手っ取り早いのだろう、あるいは、シュアーやピッカリングは、現在、その価格でカートリッジに望み得る最高の水準に達していると、見抜いた上のことかも知れない。それにしても大テレフンケンがピッカリングを自社のプレイヤーにつけるとは、わびしい世の中になったものである。ゲルマンのあの矜恃《きようじ》はどこへいったのかとおもう。せめてシュアーのV15U型ぐらいを使うなら別である。M44―7とは。
AEGの、これが営業方針なのは分りきっているが、音の芸術までが金で左右され、つまり算盤《そろばん》で音が、はじき出されるとは、味気ない世の中になった。こんなふうに思うのは感傷にきまっているが、もう私は今日かぎり音キチとはおさらばしようと思ってハノーバーからハンブルクへ戻ったのである。私のもとめた“V69a”なぞ応対に出てくれた工場のオッさんも知らないと言うし、こちらがカッティング・マシンのアンプであったこと、チューブはこれこれだったと説明すると、この時ばかりはゲルマン民族の自恃を表情に見せて、そういうものをいまさらもとめるのは無意味である、チューブよりトランジスター、ダイオードはあらゆる点でまさっている、前時代の遺物を汝はなぜそうも懐かしがるか、音の良否は、多分に習慣の判別に負う。だが確かなことが一つある。球のトーン・クォリティは感覚的にもはや古い。音の良否ではなくセンスの良否を、今は重視すべきである、そんなことを言った。そして以前のS8型のようなものを、どうしても欲しいと言うなら、EMTのプレイヤーに汝の所有するマッキンのメインを直結し、テープ・デッキはテレフンケンのマグネットホーン28をつければよい、と言う。そのデッキは幾らかと尋ねたら一万マルク(約百万円)という。EMTのプレイヤーが五十数万円だという。おそれ入ったことにEMTプレイヤーも実はAEGテレフンケンで販売していることを、この時私は知ったのである。
ピッカリングからEMTまで一括我が社でということらしい。そこで、ならばEMTのプレイヤーを購入したいと言うと、「モノかステレオか?」と問い返す。「モノ?……」私はおうむ返しに五十数万円のそれは、モノーラルか、と聞いたら、そうだ、ステレオなら六十万円を越すだろうという。さらに、オーダーを受けても最低四カ月は製作に要する。したがって日本へ着くのは約半年後になるだろうという返事だった。
EMTのこのプレイヤーは、九十何万円かで日本ですでに売られている。値段のひらきは業者を介するのだから当然として、とにかく、今日では日本にいてもオーディオ部品のあらゆるもの、高級品が自由に入手できる時代になっている。旅費をかけて、わざわざそれを確認しに私はドイツへやって来た結果になった。
これは、われわれ日本の、オーディオ・マニアとしては、むろん喜ぶべきことであろう。しかしオーディオ芸術から、個性をもった音色が次第になくなってゆくのは、原音再生を追求する場合、当然の帰趨《きすう》ながら、なんとなく侘《わび》しいおもいを私は禁じ得なかった。トランジスターがどうあろうと、私という個性の耳が聴き惚《ほ》れるのは“V69a”の音なのである。惚れ込める音色でレコードを聴きたいのである。
そういう私個人の心情を別にすれば、こんどヨーロッパに来て痛感したことは、これもいまさらめくようだが、オーディオ界にもはや国境はない。国籍はなくなったということである。音楽作品や演奏には儼然《げんぜん》として国籍がある。しかしオーディオの世界にはもはや、国籍はない。日本にいて大方の欧米の自動車を乗り廻せるように、もうドイツに来てベンツのタクシーに乗ってもなんてことはないように、ステレオ装置もまた、日本にいて各自が好みの部品を楽しめる。ただし、どいつもこいつもベンツか、ということになる。
装置をもとめる期待をなくしたので、せめてこちらのレコードを購おうと私は雪の街を歩いた。日本商社が共同で進出したあるビルのショーウィンドには、ナショナル、トリオ、サンスイ、ソニーなどぼくら馴染《なじ》みの製品がちょいとしたデモンストレーションをやっていて、時々若いドイツ人が見入っていた。別なショーウィンドには、B&O、エラック、ブラウン、グルンディックなどこれまたなじみのレシーバーやアンプ、プレイヤーが飾ってあった。スタインウェイ・ピアノの、ちょうど日本でいえば日本楽器店に似た店の地階で、私はレコードを買ったが、試聴室にあったのはブラウンのアンプにブックシェルフ・タイプのスピーカーだった。パリのシャンゼリゼ通りのレコード店では、ガラードのプレイヤーに名前を知らぬ小型スピーカーをつないでいた。アンプはエラックだった。
さすがに、アメリカの製品は見受けなかったが、音そのものは、私なら進呈すると言われてもことわる程度のものだ。
実のところ、ヨーロッパ人にはステレオはその程度でいいのだろう。むきになって蓄音機の音質に血道をあげているのはわれわれ日本人と、アメリカ人ぐらいだろう。値段に見合う音質では、国産品で聴いていてぼくらはもうなんら遜色《そんしよく》はない。日本の製品はリッパな音だ。
ただし、カメラを持歩くのが嫌いなので写真に撮れないのが残念だが、ヨーロッパのアンプやレシーバーのデザインだけは、思わず見惚《みと》れるほど素晴らしい。こればかりは国産品はずいぶん垢《あか》抜けて来ているようでも、相当まだ見劣りがする。B&Oの総合アンプなど店頭で息をのんで私は眺め、見ているだけでも楽しかった。アメリカのアンプで、こんなデザインにはお目にかかったことがない。
オーディオ装置は、やっぱり、聴くだけではなくて部屋に置いて、ごく自然に美観を鑑賞できるものでなくてはならない、ヨーロッパ人はそう思っているのだろう。こうしたデザインだけは、日本やアメリカは逆立ちしてもかなわないようである。本当はこういう美観も、レコード音楽では音をつくり出すことに、日本のオーディオ・メーカーはもっと気づくべきなのだが。
もう一つ。
ヨーロッパの都市を旅行して歩いて、日本におけるようなオーディオ専門店をさがすのは至難のわざである。理由はかんたんだ。
ヨーロッパには、日本のような音キチがいない。カートリッジやアーム一本を取替え、音がよくなったと狂喜する手合いはいないのだから、そういう人種を相手の商売が成立つわけがない。ベルリンでも最大といわれる音響器材店で、こちらは、ベルリンは元ドイツの首都という印象があるから、西独の誇る“ノイマン”のカートリッジがあれば買いたいと言ったら、店員は、日本の私が知っているその商品名を知らず、「そんなものはドイツにはない」と、ニベもなく突っぱねた。馬鹿を言っては困る、私はカタログを鞄《かばん》から出して見せた。疑わしそうに、少々誇りを傷つけられたように暫《しばら》く彼はカタログをにらんでいて、黙って奥へ消えた。間もなく出てくると「汝の言う通りである。購めるなら二週間で取寄せるから、二週間したら、来い」
冗談ではない。ベルリンに二週間もいたら滞在費だけでカートリッジ代は吹っ飛んでしまう。でもこれはヨーロッパでは普通のことで、かくべつ店員が怠慢なわけではない。ハンブルクのAEG・テレフンケン社屋に、テレフンケンの家庭電器製品を展示した場所があるが、そこで、ステレオ関係を担当するセールスマンにEMTプレイヤーのことを聞いたら、そんなものは我が社では売っとらん、と言った。ハノーバーの本社のセールスマンは知っていて、ハンブルクの社員は知らない。そういうものなのである。プロ用の高級機だから知らなくともセールスに支障はきたさないし、家庭でステレオを聴くのに、プロ級のちょっとでもいい音を、なぞと血道をあげているのは日本人くらいだろう。ナマの音が、レコードやテープから出るわけがない、家庭で音楽を鑑賞するより軽便かつコンパクトなホームユースの器機で、十分ではないか、彼らはそう想っているのだろう。ぼくらは少しでもいい音で(歪《ひずみ》のない音で)レコードを聴きたい。プロ級のパーツを使用すれば明らかに音は良くなる。すでにそういう美しい音を聴き分ける聴覚を、われわれは持ってしまっている――日本の音キチは極り文句にそう言うが、彼らに言わせれば「レコードやテープからナマそのままな音が出る、と信じる聴覚そのものがすでに鈍感ではないか」と言うだろう。
つまり彼らは、レコード音楽にナマの美しさは求めていない。家庭においてレコード(もしくはテープ)を再生し鑑賞するぼくらの行為に対して、はじめから、ナマ演奏とは別な、独自な音楽芸術を提供する目的で、彼らはレコードを作り、その再生装置を考えている。
これはぜひ日本の業者、オーディオ・マニアに再認識してほしいことだ。レコードによる音楽鑑賞は、録音再生技術に驚異的進歩を見た今日でも、なお、ナマとは別個な、独自なジャンル――芸術鑑賞の一分野である。そこで大事なのはナマそのものではなくて、再生される美しさである。この「再生される美しさ」という点が、日本の業者にまだ分っていないらしい。業者に限らない、Wなる録音プロデューサー、近頃群出しているオーディオ批評家、音響専門技術者のほとんどが、そもそも美しい音というものを知らないのではないかとおもう。
むかし、クレデンザや“一の九〇”でレコードを鑑賞した人たちは、日本プレスのレコードは聴かなかった。英国HMVやあちらのコロムビア盤を愛聴した。同じ演奏者のレコードが、まるで音は違うからである。今でもこれは変らない。心をこめてレコードを聴いている人なら、あちら盤と日本プレスに、高音域のつや、かがやき、気品、低音部の自然なやわらかさなどで、歴然たる差異があるのを知っているだろう。断言してもよいが、録音家W氏にはそういう美しい音を聴き込んだ耳の教養がない。彼は電気屋さんであって音楽録音家ではない。ずいぶん、放送やテープでこの人の録音したものを聴いて、私はそう思った。
コニサー・レコーディングで、その録音の優秀性を絶賛されたモラヴェッツのドビュッシーのレコードがある。このレコードで鳴っているピアノの音を、素晴らしいと褒めるのはよほど耳の鈍感な連中である。ナマの音がきけると思うあの鈍感さである。たしかにピアニッシモはよく採れているし、ダイナミック・レンジも広い。だが、ピアノの音そのものは実に低級であり、品がない。モラヴェッツの演奏も褒めようがない。こういうレコードを推薦する批評家が日本にもいるのである。御念のいったことに、モラヴェッツのこの『ドビュッシー』を、さるレコード店がローノイズ・テープにプリントして発売したら、これまた絶賛するヒモ付き批評家がいるのだから、なさけない。このレコード店は、他《ほか》にもマスタープリントと称してモーツァルトの『アイネクライネ』を出しているが、これまた録音評で絶賛されたが、録音レベルは高すぎ、低域は持上げ過ぎ、音はこもり過ぎで、こういうテープがよく聴こえるならまずロクな再生装置ではないと思える。あまり評判にならずとも、モラヴェッツやこの『アイネクライネ』以上に美しいピアノの音、弦音を聴かせるレコードは、メイジャー・ラベルに無数にある。モラヴェッツのこれではじめてピアノが美しいと聴こえたら、まず、あなたの装置に欠陥があると見ていい。欠陥を改良なさい、モラヴェッツ以上に見事な演奏とピアノの音を聴かせてくれる何枚かを、かならずあなたは自分のコレクションに見出《みいだ》すだろう。それほどこのレコードは、録音・演奏とも低級な、所詮《しよせん》は二流のものである。
ではどうしてこんなことになるのか。再生される美しい音というものを、批評家も業者も知らないからだ。どう按配《あんばい》すれば、美しくきこえるかを知らないから、測定器に頼り、ナマに近づけるほかに目安がない。むろん、ナマの音は美しい。ナマの魅力はマニアなら痛切に知っている。しかし所詮ナマには鳴らぬという前提に立てば、再生される音の芸術――レコード音楽には、独自な美学が探求されねばならないし、そういう美学は成立つという方向に努力は払われるべきだろう。そういう努力の成果に、ぼくらはいい音というものを見出すだろう。
いわゆるクセのある音を、これは意味するのとは違う。スタインウェイとヤマハはどちらもピアノだ、だが音はちがう、ことに低いところが違う。同じように弦を張り、フェルトのハンマーで敲《たた》いてもまるで響きは違うのである。ナマでそうなら、再生される音、アンプやスピーカーがつくり出す音で、私はスタインウェイの響きを聴きたい。これがハイ・ファイで言ういい音だ。ナマはヤマハでも、レコードではスタインウェイにきこえるそういう装置を、私はのぞむ。ヤマハとてナマそのままには蓄音機は鳴らないからだ。
ところが測定器だけに頼っていれば、再生される独自な美しさを知らぬからナマの音を追求したつもりで、スタインウェイをヤマハの音にしているのが、電気屋さんであり、大方の国産オーディオ・メーカーである。演奏会場へ行けば分ることだ、ステージで演奏される音は客席の聴く位置で、ずいぶんと違う。ギスギスしていたり、やわらかく反響をともなった豊かな音にきこえたりする。同じナマの演奏を、同じホールで聴いてさえこうなら、そして音とはそういうものなら、ホールのどの位置で聴いた感じをつくり出すか、これこそは音づくりだろう、耳が峻別《しゆんべつ》するだろう。断じて「音クセ」ではない、そういう音(造られた美しさでもいい)を私は聴きたい。
音をきき分けるのは、嗅覚《きゆうかく》や味覚と似ている。あのとき食った松茸《まつたけ》はうまかった、あれが本当の松茸の味だ――当人がどれ程言っても第三者には分らない。ではどんな味かと訊《き》かれて、当人とて説明のしようはない。とにかくうまかった、としか言えまい。しかし、そのうまさは当人には肝に銘じてわかっていることで、そういう旨《うま》さを作り出すのが腕のいい板前である。同じ鮮魚を扱ってもベテランと駆出しの調理士では、まるで味がちがう。板前は松茸には絶対包丁を入れない。指で裂く。豆はトロ火で気長に煮る。これは知恵だ。魚の鮮度、火熱度を測定して味は作れるものではない。
ヨーロッパの(英国をふくめて)音響技術者は、こんなベテランの板前だとおもう。腕のいい本当の板前は、料亭の宴会に出す料理と家庭料理は同じ材料を使っても、味をかえる。家庭で一家団欒《だんらん》して食べる味に作るのである。それがプロだ。ぼくらが家でレコードを聴くのは、いわば家庭料理を味わうのである。アンプはマルチでなければならぬ、スピーカーは何ウェイで、コンクリート・ホーンに……なぞとしきりにおっしゃる某先生など、言うなら宴会料理を家庭で食えと言われるわけか。
見事な宴席料理をこしらえる板前ほど、重ねて言うが、小人数の家庭では味をどう加減すべきかを知っている。プロ用高級機をやたらに家庭に持込む音キチは、私も含めて、宴会料理だけがうまいと思いたがる所詮は田舎者であると、こんどヨーロッパを旅行して、しみじみさとった。
むろんヨーロッパにも、われわれに輪をかけた音キチはいる。オーディオ部品専門店をさがすのは至難の業だと言ったが、なんのことはない、音キチを見つけ出せばそういう店はすぐわかることをジュネーブで私は体験した。その音キチはスイス人で、アンプ、スピーカー、カートリッジの品目をやたらに挙げては、どう思うかと感想をきく。片っ端からこちらは酷評した。彼の眼は急に燃え、いきなり私の腕をつかむと自動車に乗せた。連れて行かれたのはジュネーブ駅に近いオーディオ部品店である。驚いた。ショーウィンドに、マッキントッシュのアンプがある。ルヴォックスのテレコがある。ルヴォックスはともかく、ヨーロッパで米国製アンプを見ることなど遂にないことだった。スイス人は、親父《おやじ》に私を紹介し何やら、興奮してまくし立て、また私を車に乗せた。ドイツ人と結婚している日本女性が彼を紹介してくれたのだが、車の中で彼女は、よっぽど五味さんは見込まれたようね、と笑った。
車は郊外の住宅街で停り、前庭の広い、煉瓦造りの家に案内された。彼の自宅であることは迎え出た奥さんの態度でわかった。
私はここで、テレフンケン“マグネットホーン28”の音を初めて聴いたのである。ハノーバー工場であの親父がすすめたテレコである。
なんといったらいいだろう、百万円という価格で想像したよりは小さな器械であった。ちょうどティアックの“7030”に大きさが似ている。矢張り十インチのリールがかかる。三八センチ/一九センチの両スピードで、二トラックなのもティアックと同じ、違うのは“28”にはミクサーが付属していることぐらいだ。
私はうな垂れて音をきいた。アンプはフィリップスの私の知らぬ(おそらく十万円以下の)トランジスター・アンプ(プリ・メイン)。スピーカーは円柱型で、あのシャルラン・レコードのシャルラン氏のものと同じだといっていた。価格という点でなら、これも安いものであろう。それがまあなんとふくよかに鳴ったろう。馥郁《ふくいく》たる音色とでも名づけたい音があるのを、私は知った。うちのG・R・Fオートグラフより切れ込みはずいぶん甘い。解像力の点ではとうていパラゴンにかなわない。でもそんなことは、初めっから問題にしていないのだ。部屋は十五畳ぐらい、天井の高いのを別にすればわれわれの家と変らぬ大きさだ。けっしてデカイ音は出さない。でも音像は鮮明で、なんとも甘く品のいい音である。フィリップスのアンプの持ち味か? スピーカーのせいなのか。ともかくもおいしい家庭料理が、そこにはあった。マグネットホーン28は、いうなら材料の鮮度なのであろう。それをアンプとスピーカーで極くあっさり味つけしたのだろう。
あとで、彼は28の裏板をはがして中を見せてくれた。やたらに興奮して喋《しやべ》っていた。裏板をはがすところは音キチである。しかしその内部を見て、メカニックな堅牢《けんろう》さ、整然たる配線ぶりに美観をすら私は感じることができた。
レコードもかけてもらった。カートリッジはエラックとデッカを併用し、FMチューナーは、アームストロングという、あまり語感のいい名のものではなかったが、英国人アームストロング氏が初めてFM受信法を発明したのだと彼は言っていた。
重ねて言う。私はうな垂れて聴いたのである。アーゴやエラート、英国デッカ盤の室内楽の音を聴いたとき、私自身もふくめて、日本人の音響《ソノリテイ》全般に対する考え方の至らなさを痛感したわけだ。でも仕方がない。器楽の伝統というものを耳にもたぬわれわれには、再生音はまず原音に近づける努力から始めるしかないのだろう。
十万円台のテレコは作れても、日本で、マグネットホーン28は絶対つくれないだろう。アンペックスのあのヘッドが持つ独特の甘さは、逆立ちしても日本のメーカーには作れぬ音なのを私は知っている。スチューダーC37のメカの優秀さは、まだまだ日本で望めぬことを知っている。彼らは、そういう技能をマスターした上で家庭料理を作っている。板前でもないのに宴席料理をつくりたがるわれわれとは根本的に違う。実に音づくりこそは、ナマの音に近づける技術を伴ってはじめて、可能であるが、日本の技術者は、録音するにもあちらのマイク、あちらのテレコ、あちらのミクサー、さらにかんじんの測定器までがあちら製で、カッティング・マシンも向う製――そういう借り物ばかりで音をこしらえ、日本の録音技術は(もしくは再生装置は)優秀だなどと一部にオダてられると、本気で、優秀と思いこんでいる傾きがある。
聴きわける耳がないのは、悲しいことだが、オダてにのっているうちに安っぽい音ばかり氾濫《はんらん》するようなことだけは、お互い、いましめ合おうではないか。むこうの技術的水準を、もっと謙虚に知ってもいいのではないのか?
(一九七〇)
音による自画像
はじめに言っておかねばならないが、再生装置のスピーカーは沈黙したがっている、音を出すより黙りたがっている。これを悟るのに私は三十年かかったように思う。
むろん、音を出さぬ時の(レコードを聴かぬ日の)スピーカー・エンクロージアは、部屋の壁ぎわに置かれた不様な箱であり、私の家の場合でいえば非常に嵩張《かさば》った物体である。お世辞にも家具とは呼べぬ。或る人のは、多少、コンソールに纏《まと》められてあるかも知れないが、そんな外観のことではなく、それを鳴らすために電気をいれるとしよう、プレイヤーのターンテーブルがまず、回り出す。それへレコードをのせる以前のたまゆらの静謐《せいひつ》の中に、すでにスピーカーの意志的沈黙ははじまる。すぐれた再生装置におけるほど、どんな華麗な音を鳴らすよりも沈黙こそはスピーカーのもてる機能を発揮した状態だ。装置が優れているほど、そしてこの沈黙は美しい。どう説明したらいいか。レコードに針をおろすのが間延びすれば、もうそれは沈黙ではない。ただの不様な置物(木箱)の無音にとどまる。光をプリズムに通せば、赤や黄や青色に分れることは誰でも知っているが、円盤にそういう色の縞を描き分け、これを早く回転させれば円盤は白色に見えることも知られている。つまり白こそあらゆる色彩を含むために無色である。この原理を応用して、無音こそ、すべての音色をふくんだ無音であると仮定し、従来とはまったく異なる録音機を発明しようとした学者がいたそうだ。従来のテープレコーダーは、磁気テープにマイクの捉《とら》えた音を電気信号としてプラスする、その学者の考えは、磁気テープの無音は、すでにあらゆる音を内蔵したものゆえ、マイクより伝達される音をマイナスすれば、テープには、非常に鮮明な音がきざまれるだろう。簡単にいえばそういうことらしい。私はその方面には素人でテープヘッドにそういうマイナス音の伝達が可能かどうか、また単純に考えて無音(零《ゼロ》)からマイクの捉えた音(正数)をマイナスするのは、数式で言えば結局《イコール》プラスとなり、従来のものとどう違うのか、その辺は分らない。しかし感じとしては、この学者の考えるところは実によくわかった。
ネガティブな録音法とも称すべきこれを、考案した学者の話はだいぶ以前に、『科学朝日』のY君から聞いたのだが、その後、いっこうに新案の録音機が発表されぬところをみると、工程のどこぞに無理があるのだろう。あるいはまったく空想に過ぎた録音法なのかも知れぬが、そんなことはどうでもよい。おそらくこの学者も私と同じレコードの聴き方をしてきた人に相違ないと思う。非常に密度の濃い沈黙――スピーカーの無音は、あらゆる華麗な音を内蔵するのを知った人だ、そういう沈黙の聴える耳を、もっている人だろう。
レコードを鑑賞するのに、針をおろす以前のこうした沈黙を知らぬ人の鑑賞法など、私は信用する気になれない。音楽が鳴り出すまでにどれほど多彩な、楽想や、期待にみちびかれた演奏が聴えているか。そもそも期待を前置せぬどんな鑑賞があり得るのか。音楽は、自然音ではない。悲しみの余り人間は絶叫することはある。しかし絶叫した声でメロディを唄ったりはすまい。オペラにおける“悲しみのアリア”は、この意味で不自然だと私は思う。メロディをくちずさむ悲しみはあるが、甲高いソプラノの歌など悲しみの中で人は口にするものではない。歌劇における嘆きのアリアはかくて矛盾している。ぼくらがたとえば“ドン・ジョバンニ”のエルヴィーラの嘆きのアリア「私を裏切った……」(Mi tradi……)に感動するのは、またトリスタンの死後にうたうイゾルデに昂奮《こうふん》するのは言うまでもなく、それがすぐれた音楽だからで、嘆くのが自然だからではない。厳密には理不尽な矛盾した嘆き方ゆえ感動するとも言えるだろう。そういうものだろう。スピーカーは沈黙を意志するから美しい。こういう沈黙の美しさが聴える耳の所有者なら、だからステレオで双《ふたつ》もスピーカーが沈黙を鳴らすのは余計だというだろう。4チャンネルなど、そもそも何を聴くに必要か、と。四つもの沈黙を君は聴くに耐えるほど無神経な耳で、音楽を聴く気か、と。
以前にも、いわば沈黙の、静寂の深さといったこの事を考えたことがあった。たしか再生装置をグレードアップすればする程、鳴る音よりは音の歇《や》んだ沈黙が美しい、そんな意味の感想を述べた。その時も、擬似4チャンネルでワグナーを聴いていてこのことに気づいたのだが、4チャンネルといえば、最近、英国デッカでショルティの振った『タンホイザー』がいよいよ発売されるらしい。試聴盤がすでに日本にも送られているそうだ。あちらのデッカ本社でこの4チャンネル盤を聴いた知人の便りでは、まことに素晴らしい劇場感で、とくに巡礼たちの合唱と、タンホイザーが歌の殿堂で官能賛歌をうたった時の人々の驚きの叫び声は迫力満点だったという。頑固者の汝《なんじ》もこれを聴けば4チャンネルへの認識を改めるだろうとも手紙には書いてあった。私は信用しない。それは、はじめてジョン・カルショーの『ラインの黄金』を聴いた日の驚きと昂奮はまだ記憶に新しいし、英デッカが作った4チャンネルならさぞいい音だろうと思う。おもって昂奮はする。しかし日本ビクターのディスクリート方式を、RCAが採用した話は聞いているが欧州でそれが普及する段階とはまだ思えぬし、CBSソニーのSQ方式を英デッカで採用するわけもあるまい。(SQ方式は、セパレーションの点で駄目という結論が一部では出たようにも聞いている。)英デッカが作ったのは、同じ擬似でもサンスイ方式だろうか。この点は知人の手紙に何も書かれていない、日本に送られたという試聴盤を見たわけでもないので確かなことは言えないが、もともとパリ在住の知人というのがオーディオには、まったくの素人で、レコードをそう聴いている人ではないから「素晴らしい劇場感」などと言われても信用はできないのである。それに、この便りをうけたころ、私の方は連日クライスラーやブッシュ、フィッシャー、ランドフスカの復刻盤を聴き、古壺に残った芳醇《ほうじゆん》な美酒に陶然たる心地だった。4チャンネルが期待するに足るメディアであることはわかるが、こちらの欲しいのは新しいメディアではない、古い自分だ。昔の私自身だ、4チャンネルで君は自分の人生を取戻せるか? そんな意味もない返信を書き送り、日本のキングレコードに送られているという『タンホイザー』をいまだに聴く気にもなれずにいる。実は少々、ワグナーには食傷もしていたのである。
毎年、周知のように、バイロイト音楽祭の録音テープが年末にNHKからFMステレオで放送される。これをわが家で収録するのが年来の習慣になっている。毎年、チューナーか、テープ・デッキかアンプかが変っているし、テープスピードも曲によって違う。むろん出演者の顔ぶれも違う。しかし例えば『ワルキューレ』を例にとれば、一九六九年にはマゼールの指揮でウォータンがトマス・スチュワート、ジークリンデはギネス・ジョーンズ、ジークムントがヘルゲ・ブリリオット。一九七〇年度は指揮ホルスト・シュタインながらウォータンがトマス・スチュワート(ジークリンデ、ジークムントはともに別人が演じているが)それが昨年度(一九七一年)になると、指揮はホルスト・シュタインが二年連続で、ジークリンデはギネス・ジョーンズ、ジークムントはヘルゲ・ブリリオットで一九六九年度と同じである。つまり指揮者が変れば同一歌手はどんなふうに変るものか、それを知るのも私の録音するもっともらしい口実になっている。が心底は、『ワルキューレ』自家版をより良い音で収録したい一心からしたことであって、これはもう音キチの貪欲《どんよく》さとしか言いようのないものだ。ぼくらユーザーが入手し得る最高のチューナーを使用し、七素子の特製アンテナを指向性をおもんぱかってモーター動力で回転させてその感度の最もいい位置を捉え、三十八センチ倍速の2トラックにプロ用テレコで収録する。うまく採れた時の音質は、自画自賛するわけではないが到底、市販の4トラ・テープではのぞめぬ迫力とダイナミックなスケール、奥行きをそなえ、バイロイト祝祭劇場にあたかも臨んだ憶《おも》いがする。一度この味を占めたらやめられるものではなく、又この愉悦は音キチにしかわかるまい。白状するが、私は毎年、こうした喜悦に歳末のあわただしい数日をつぶしてきた。出費もかさんだ。三十八センチ倍速では、十インチのリールで約四十分。『神々の黄昏《たそがれ》』を収録するだけで十インチ・リールのテープ十一本が必要である。『指環《ゆびわ》』全曲でほぼ三十本。他に昨年度は『さまよえるオランダ人』や『ローエングリン』が、一昨年は『トリスタンとイゾルデ』の放送が加わった。言いたくはないが、これらすべてを収録するには年に五十本からのテープが必要である。一昨年はバーディッシュLGS52を、昨年はアグファのPER525をテレフンケン・マグネットホーン28のテレコに合わせて使用した。この使用テープの費用だけで二十万円。
いかな気ちがいもそうそう、年の暮に二十万円のテープ代は家計にひびく、昨年あたりから冗長な場面は十九センチで採ることにしたが、それでも家内は文句を言った。テープ代そのものより時間が惜しい、と言うのである。レコードがあるではありませんか、ともいう。たしかに『ワルキューレ』なら、フルトヴェングラー、ラインスドルフ、ショルティ、カラヤン指揮と四組のアルバムがわが家にはある。それよりも『たそがれ』の場合でいえば、放送時間が(解説抜きで)約五時間半。収録したものは当然、編集しなければならぬし、どの程度うまく採れたか聴き直さねばならない。聴けば前年度のとチューナーや、アンプ、テレコを変えているから音色を聴き比べたくなるのがマニアの心情だろう。さらにソリストの出来ばえを比較する。そうなればレコードのそれとも比べたくなる。午後一時に放送が開始されて、こちらがアンプのスイッチを切るのは、真夜中の二時、三時ということになる。くたくたである。歳末には、新春用の原稿の約束を果さねばならないが何も手につかない。翌日は、正午頃には起きてその日放送される分のエア・チェックの準備にかからねばならず、結局、仕事に手のつかぬ歳暮を私は過すことになった。原稿を放ったらかすのが一番、妻の気がかりなのは分っているだけに、時には私も一体なんのためにテープをこうして切ったり継いだりするのかと省みることはある。どれほどいい音で収録しようと、演奏そのものはフルトヴェングラーの域をとうてい出ないことをよく私は知っている。音だけを楽しむならすでに前年分があるではないか。放送で今それを聴いてしまっているではないか、何を改めて録音するか。そんな声が耳もとで幾度もきこえた。よく分る、お前の言う通りさと私は自分に言うが、やっぱりテープをつなぎ合せ、《今年のバイロイトの音》を聴き直して、いろいろなことを考えた。こうして私家版の、つまりはスピーカーの番をするのは並大抵のことじゃない、と思い、ワグナーは神々の音楽を創ったのではない、そこから強引にそれを奪い取ったのだ、奪われたものはいずれは神話の中へ還って行くのをワグナーは知っていたろう、してみれば、今、私の聴いているのはワグナーという個性から出て、神々のもとへ戻ってゆく音ではないか。他人から出て神に帰るものをどうしてテープに記録できるか、そんなことも考えるのだ。
そのくせ、次の日『神々の黄昏』を採っていて、ストーリーの支離滅裂なのに腹を立てながらも、やっぱり、これは蛇足ではない、収録に値する音楽である、去年のは第二幕(約二時間)でテープが足りず尻切れとんぼになったが、こんどはうまく採ってやるぞ、などとリールを睨《にら》んでいたりする。二時間ぶっ通しでは、途中でテープを交換しなければならない、交換すればその操作のあいだの音楽は抜けてしまう。抜かさぬために二台のテレコが必要なので、従前の、ティアックのコンソール型R313にテレフンケンを加えた。したがって、テレフンケンとティアックと、まったく同じ条件下で収録した音色をさらに聴き比べるという、余計な(多分にマニアックな)時間が後で加わる。とにかくこうして、またまたその夜も深夜までこれにかかりきり、さてやりおえてふと気づいたことは、一体このテープはなんだという疑問である。少なくとも、普通に愛好家が録音するのはワグナーのそれが優れた音楽だからだろう。レコードを所持しないので録音する人もいるだろう。だが私の場合、すでにそれは録音してある。二年前はロリン・マゼールの指揮で、マゼールを好きになれなんだから翌年のホルスト・シュタインに私は期待した。そうしてこの新進の指揮に大へん満足した。その同じ指揮者で、同じワグナーが演奏されるのである。心なしか、それは昨年より精彩がないように思え、ウォータンもテオ・アダムより前年のトマス・スチュワートの方がよかった。それだけに、ではなぜそんなものを録音するかと私は自問したわけだ。そして気がついた。
ぼくらが一本のテープに心をこめて録音したものは、バイロイト音楽祭の演奏である、ワグナーの芸術である。しかし同じ『指環』を、逐年、録音していればもはや音楽とは言えない。単なる、年度別の《記録》にすぎない。私は記録マニアではないし、バイロイト音楽祭の年度別ライブラリイを作るつもりは毛頭ない。私のほしいのはただ一巻の、市販のレコードやテープでは入手の望めぬ音色と演奏による『指環』なのである。元来それが目的で録音を思い立った。なら、気に食わぬマゼールを残しておく必要があるか、なぜ消さないのか。レコード音楽を鑑賞するにはいい演奏が一つあれば十分のはずで、残すのはお前の未練か? 私はそう自問した。
答えはすぐ返ってきた。大へん明確な返答だった。間違いなしに私はオーディオ・マニアだが、テープを残すのは、恐らく来年も同じ『指環』を録音するのは、バイロイト音楽祭だからではない、音楽祭に託して実は私自身を録音している、こう言っていいなら、オーディオ愛好家たる私の自画像がテープに記録されている、と。我ながら意外なほど、この答えは自問を撥《は》ね返すように即座に胸内に興った。自画像、うまい言葉だが、音による自画像とは私の何なのか。
マーラーは、天才であるには違いないが、その風貌《ふうぼう》・態度は鬼神のようで、性格は激しく言葉づかいはきびきびとして、常に周囲の者へは圧倒的に振舞う人だったと、ブルーノ・ワルターが回想している。たしかにマーラーが指揮台に立った時は情け容赦がなくて、不完全な歌唱しかせぬ人気歌手を舞台から追い出し、管弦楽員の面前で罵倒《ばとう》した咄《はなし》は有名だ。一時的衝動にかられて感情を爆発させるのを一度でも目撃しない者はハンブルクにはいないとまで言われ、後にウィーンに移ってからも、誰彼の容赦なく浴びせるその鋭い批評、歌手への無愛想な扱い方は喫茶店のゴシップ種になったという。もちろん、オケの練習中、音が気に食わないとトランペットや、トロンボーンの方へ向って土間の隅まで走ったそうだ。「まるで荒鷲《あらわし》のように私のそばを離れていった」とワルターは述懐している。
マーラーのこうした誰彼の見境ない激しい振舞いを、ワルターは、しかほど左様にマーラーは純粋な音楽家だったので、どこか修道僧に似ていたとも言っているが、修道僧が指揮台で突然「さあ勘定書を持って来い」などと叫びはすまいが。つまりマーラーの指揮にその人間マーラーの自画像は描かれてはいないと私は思う。どこにも。セザンヌは無論のこと、ゴッホも、ゴーガンも、あのピカソさえ信じ難いほどの写実性で自画像を描いた。どんな名手が撮った写真よりそれはピカソその人であり、ゴッホの顔と私には見える。音楽作品にはしかし、そういう自画像は一人として思い当らない。バルトークの師だったというヤーノシュ・ケスラーという作曲家は、すぐれたアダージョを書けるには音楽家は実際の経験を経なければならぬと教えたそうで、(ただし何を? おそらく恋愛、もしくはそれにともなう失望や恍惚《こうこつ》、悲哀だろうか? それならもうぼくはずいぶん経験ずみだし、よいアダージョが書けねばならないのに)、とバルトークは二十歳頃母への手紙に書いている。バルトークの作品にその苦悩の生涯を彷彿《ほうふつ》するのはた易いことだが、どれを取上げても彼の肖像は浮んでこないだろう。ケスラーの説が当っているなら、ベートーヴェンは体験でたしかに比類ないアダージョを作っているが、いかなる他の音楽家も到達しなかったとケンプの称《たた》えるそのアダージョの幽玄の趣、崇高でけざやかな美しさに最も不似合いなのがベートーヴェン自身のあの(醜い)マスクの印象になる。
モーツァルトはどうか。いまさら言うまでもないが、音楽は聴くもので見るものではない、肖像画が、声を出すか? といった反論は分りきっているので、音楽に自画像を求めるのが元来無理なら、自画像と呼ぶにふさわしい作品をたずねてみるまでである。さきのブルーノ・ワルターは、『交響曲第一番』をマーラーのウェルテルと呼びたいと言っている。音楽家は、自分の体験を音で描写はしないものだとも言う。ワルターがこれを言った事由はわからないが、体験を描写しないで自画像を描ける道理がない。しかしたとえば『ドン・ジョバンニ』は、フロイトが『ハムレット』をそう理解したように作者の無意識の自伝と見ることはできるだろう。スタンダールも『ドン・ジョバンニ』の石像が動くあたりの伴奏は耳にとってのシェークスピアだと言っている。歌劇『ドン・ジョバンニ』がいかに詩劇『ハムレット』の影響を受けているかを、克明に論じた人に英国の女流作家ブリジット・ブローフィもいる。モーツァルトにドン・ファンの下地がなかったとは言えないだろう。ベートーヴェンがモーツァルトを熱愛しながら、その『ドン・ジョバンニ』だけは許せなかったのはこの下地を勘考すると一そうよく分るのだ。モーツァルトは幼い頃トランペットの音に我慢がならなくて――トランペットに限らず、なんらかの和音によって和らげられない単音をきつい音で鳴らすのは、すべて彼にとって耐えられぬ苦痛だったとスタンダールは書いているが――そんなトランペットを父親が幼いモーツァルトに示しただけで彼は、ピストルをつきつけられたようなショックをみせたという。そして、そういう責苦を自分に与えないでほしいと父親に頼んだ、父親レオポルドは息子の将来のために、その恐怖心を払拭《ふつしよく》しようとトランペットを吹いた、最初の一音を耳にしただけで息子は蒼《あお》ざめ、床に倒れてしまったという。十歳頃だそうだが、そんなモーツァルトだから、何か滑稽な意味をあらわすときには金管に一発やらせる、『フィガロの結婚』でそういう金管を聴くことができるし、『ドン・ジョバンニ』にでも、地獄の門の近いことを現わすのに、強迫的意味でトロンボーンを使っている事実は、金管嫌いの少年モーツァルトと無縁ではないように思う。つまりはそこに、なまの人間モーツァルトが出て来はしないか、と考える。
音楽は、言うまでもなくメタフィジカルなジャンルに包括されるべき芸術であって、時には倫理学書を繙《ひもと》くに似た感銘を与えられねばならない。そういうものに作者の肖像を要求するのは、無理にきまっている。でもトランペットの嫌いな作曲家が、どんなところでこの音を吹かせるかを知ることは、地顔を知る手がかりになるだろう。音譜が描き分けるそういう自画像を、私はたずねてみようと思う。ほかでもない私自身の顔を知りたいからである。
(一九七二)
オーディオ愛好家の五条件
オーディオ愛好家――たとえば本誌(「ステレオサウンド」)を購読する人たち――をそうでない人より私は信用する。“信じる”というのが誇大に過ぎるなら、好きである。しかし究極のところ、そうした不特定多数の音楽愛好家が喋々《ちようちよう》する“音”というものを私はいっさい信用しない。音について私が隔意なく語れる相手は、いま二人しかいない。その人とは、例えばハルモニア・ムンディ盤で聴くヘンデルの、こんどの“コンチェルト・グロッソ”(作品三)のオーボーの音はちょっと気にくわぬ、と言われれば、それがバロック当時の古楽器を使っている所為《せい》であるとか、コレギウム・アウレウムの演奏にしては弦の録音にいやな誇張が感じられるとか(コレギウム・アウレウム合奏団の弦楽器は、すべてガット弦を、古い調弦法で調弦して使っている)、そんな説明は何ひとつ聞かずとも私は納得するし、多分百人の批評家がコレギウム・アウレウム合奏団のこのレコードは素晴しい、と激賞しても「ちょっと気にくわぬ」その人の耳のほうを私は信じるだろう。
もちろん、彼と私とは音楽の聴き方もちがうし、感性もちがう。それが彼の印象を有無なく信じられるのは、つづめて言えば人間を信じるからだ。彼がレコード音楽に、オーディオに注いだ苦渋に満ちた愛と歳月の歴史を私は知っている。
オーディオ愛好家は、次の五条件を満たしていなければならない。そうでない人のオーディオに関《かか》わる発言を、参考にはしても信じようとは私は思わない。五条件とはこうである――
@メーカー・ブランドを信用しないこと。
Aヒゲのこわさを知ること。
Bヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。
C真空管を愛すること。
D金のない口惜《く や》しさを痛感していること。
右の条項に就いて、今回は語ってみよう――
@メーカー・ブランドを信用しないこと
あれは、昭和三十一年だったから今から十七年前になるが、当時、ハイファイに関しては何事にもあれ、高城重躬氏を私は神様のように信奉し、高城先生のおっしゃることなら無条件に信じていた。理由はかんたんである。高城邸で鳴っていたでかいコンクリート・ホーンのそれにまさる音を、私は聴いたことがなかったからだ。経済的に余裕が有《も》てるようになって、これまでにも述べたように、私も高城邸のような音で聴きたいとおもい(出来るなら高城邸以上のをと、欲ばり)同じようなコンクリート・ホーンを造った。設計は高城先生にお願いした(リスニング・ルームの防音装置に関しても)。ところで当時の高城先生はワーフデールを好まれていた。画家の岡鹿之助氏のお宅の3ウェイもすべてワーフデールの高・中・低音スピーカーで構成され、その音の素晴しさも岡邸で聴かせてもらって私は知っている。高城先生は当然のように、だから拙宅のスピーカーもワーフデールでと申された。だがこれだけは我意を通させてもらって、ウーファーにはJ・B・ランシングを使用し、中音域はタンノイ、高域のみワーフデールの“スーパー3”なるトゥイーターを使用するという怪体《けつたい》なことにした。
そのせいだろうが音は良くなかったが、問題はトゥイーターである。岡邸のと同じものなのだ。でも鳴ってくる音が全くちがう。今なら音というのは(とりわけ中・高域は)いかに低音の鳴り方で変るものかを私は知っているし、“スーパー3”の高音が味気ないのはJ・B・ランシング、タンノイという奇体な混成旅団の故であるとも指摘できたろう。だが同時に、混成旅団にはそれなりな、別個な美点も必ずあることを今なら言いきることが出来る。
――それはともかく、この“スーパー3”の音に不満な私は、高城氏の推称される後藤ユニットに中・高域を取り替えたが、結果は前より一そう気にくわぬ悪い音だった。一時、私は絶望的になっていた。
ちょうどその頃、或る人の好意でワーフデールのエンクロージァ"Omni - directional"を入手することができた。Sandfild reflex enclosureと称するもので、いわゆるバッフル板に砂を詰めたコーナーシステムのスピーカー・エンクロージァである。ワーフデール製ではもっとも高価な(同社の“エアーデール”のオリジナルより英価で十ポンド高かった)もので、これには“スーパー3”が一個、上向けに取付けられている。さてこの“オムニ・ディレクショナル”から鳴る引きしまった低音の豊満さと、その高域の清澄な美しさに私はびっくりした。とても同じ“スーパー3”の音とは思えないし、岡邸で聴かせてもらった高域とも比較しようもないくらい、良い音なのである。
人間の耳は、常に自宅のものは良かれと念じて聴くもので、この念願に幾分なりとかなった場合はもう有頂天になり、それだけで「素晴しい」と思いこむ。誰だってそうだろう。したがって岡先生宅の高音とどう比較して、良いというのか実のところあいまいな話になるわけだがしかし、私と同様に岡氏邸の音を聴いている友人二人ながらが、砂バッフルのエンクロージァの方を絶賛しているのだから、少なくとも「悪くは絶対ない」とは言いきれるだろう。
要するに、私の言いたいことは一つである。同じ“スーパー3”のトゥイーターが極言すれば別物と思えるほどに、清澄感、冴えにちがいがあり、つまり同じトゥイーターを使用していても、それだけでは意味がない、ということだ。トゥイーターにこれは限らない。アンプ然《しか》りカートリッジ又しかりである。
ことわっておくが、右の場合“オムニ・ディレクショナル”がオリジナルだからというのは理由にならない。アンプも同様だからである。人は嗤《わら》うかも知れないがクワードのアンプを使用していたころ、その22のコントロール・ユニットを私は四個所有し、プログラム・ソースによって四通りに接続し替えて聴いた。メイン・アンプ(モノーラル)は六個購入した(これらプリ・メインはそれぞれステレオ用の一対《いつつい》として一組は小林秀雄氏邸に、一組は今日出海氏邸に、いま一組は安岡章太郎宅のクワード・エレクトロスタティックのスピーカーに接続され、今も鳴っているはずだ)。誰だって無駄遣いはしたくない。しかしクワードのアンプに愛着をおぼえても――いやそれだけに猶更《なおさら》、たとえばピアノ曲でペダルを踏んだ時の或る音程の余韻、あるいは弦合奏でヴィオラの鳴り方に好ましいのとそうでないのがあれば、それぞれを好ましく鳴らしたいと思うのが音キチだろうと私は思う。これはもう狂気の沙汰と承知で私は言うのである。したがって、好きなレコードを掛ける時、好きなレコードが四曲あれば極言すれば四つのコントロール・ユニットが要るわけである。
クワードからマランツに変えたときは、さすがにこんな馬鹿なことは(経済的にも不可能で)しなかったが、そのかわり日本楽器銀座店から同じマランツ7Tのプリを三個はこんでもらい、拙宅のスピーカーに接続して、もっとも無難とおもえるものに決めた。これには約十日間を要した。一度聴き較べたくらいで良否はわかるものではない。幾度も幾度も、聴き馴れたレコードを掛けなおし、こちらの精神的、肉体的コンディションも勘考してほぼ満足のゆくものを採決するには、最低十日間のヒアリング・テストは必要だと今も私は思っている。
もちろんこうして十日間の試聴の結果、一つをえらんだからといって、アンプ単体でそれが優れているわけではあるまい。拙宅のスピーカー・エンクロージァと、そのとき使用しているカートリッジとの総合的ソノリティで優《まさ》る(あるいは私にこころよく聴こえる)までのことである。でもどうかすれば、これが同じマランツ7Tかと怪しみたいほど、或る楽器の響きに気に入らぬものがあり、そういうマランツ7Tなら只でやると言われても私は御免だ。マッキンC22でも似た経験を私はしてきた。そういう経験から、単にメーカー名を挙げられるだけでは、何程の信頼も私はもたぬというのである。いつも言うことながら、百人の愛好家が同じマランツ7のプリを使用していても、百の異なる音色でそれらは鳴っている。百人の教養が、あるいは趣味性が、好む音楽をひびかせている。つまりは百のそれぞれ異なる人生が鳴る。音楽を各自が鑑賞するとはそういうことなので、どうして製品名だけで音が判じられるものか。
音を出すのは器械ではなくその人のキャラクターだ。してみれば、メーカー・ブランドなど当てにはならない。各自のオーディオ愛好ぶりを推量する一資料にそれはすぎぬ、ということを痛切に経験したことのない人と私はオーディオを語ろうとは思わない。
Aヒゲのこわさを知ること
ちかごろは以前にもまして、ひめやかなSPブームだそうで、往年の名ソリストたちによる78回転盤のレコードが一枚何万円かで買い取られ、収集されているという。そんな一枚を、或る人に見せてもらい私は暗然とした。
話にならぬヒゲだらけの盤だったからだ。レコードのセンターの孔《あな》を、ターンテーブルに嵌《は》めるとき、漫然とレコードをあてがい、彼方此方《あちこち》、盤をずらせてターンテーブルへおさめる人がある。このときセンター孔の周辺にターンテーブルの中心の尖《さき》が当たった跡がのこる。光にあててみればすぐわかる。これをヒゲと称する。
戦前の愛好家は、日本盤は盤質が悪いのでもっぱら海外盤を取寄せたが、演奏が気にいらぬと、また経済的急場をしのぐのに、こうした海外盤を売った。中古レコード店にこれらが《出物》として出ているのを買うとき、いちばんに検べたのがこのヒゲである。
ヒゲがあるようならそれだけで盤面がどれほど無疵《むきず》でも、値段は安くなった。レコード溝《みぞ》に疵がないのだから鳴る音に変りはないようなものの、ヒゲをとどめて平然たるようなレコードの扱い方――もしくは聴き方――をする人間が真に愛好家であるわけがないという厳然たる不文律を彼等は守ったのだ。このことはステレオの今日も生きている、と私はおもう。他人にぜったい大切なレコードを私は貸さない。一度はいったヒゲは永遠に消えない。三百枚余の大事なレコードを私は所持するが、今、その一枚だってヒゲはないのをここに断言できる。レコードを、つまりは音楽をいかに大切に扱い、考えるかを端的に示すこれは一条項だろう。
したがって、一枚に何万円を投じてレコードを買おうとその人の勝手だが、ヒゲだらけの盤でパハマンやシュナーベルやカペーがいいとほざく手合いを、私は信用しないのだ。
Bヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること
原子核物理学者で、音響学の権威でもあるアーサー・H・ベナードが、波動と聴覚の基礎知識をわかりやすくぼくらに説いて"Horns, Strings, and Harmony"という本を著わしている。小暮陽三氏の訳で『音と楽器』と題して河出書房新社から出ているから、心ある人は一読されることをすすめるが、その著書の中で、ベナードはこんなことを言っている。
われわれの耳は三〇ないし四〇ヘルツ以下の低振動数の音を、明瞭なシグナルとして頭脳につたえることはできないし、本来、振動数が大きいほど音を高くわれわれは感じるが、しかし音の振動数を等間隔ずつ増加しても(たとえば二〇ヘルツごとに増加しても)耳には同じ割合で音が高くなったとは感じないものである。
また、振動体が激しく運動すると(大きな振幅で振動すると)空気中に大量のエネルギーを放出し、それぞれ耳に到達して「大きな音」と聞こえるのは誰でも知っているが、心理的に音の大きいことと、物理的性質での音の大きさはかならずしも一致しない。このために世界中のオーケストラで常にいさかいが起っていることを知っておく必要がある。というのは、非常に大きな音は小さい音に比べて、振動数は同じでも低く聞える傾向があることで、このため血の気の多いトランペット奏者は自分の音が大きいときは、他人の楽器の音が高すぎる気がし、おとなしい同僚をヘキエキさせ指揮者を困らせていることである。
これを更にわかりやすくすると、ピアノをひける人なら誰でもたやすく確かめられるが、ピアノの半音は、隣り同士の振動数が一・〇五九四三の比率になるよう細心の注意をはらって調節されている。つまり或る音はそれより半音低い音に比べて、およそ六パーセントほど振動数が高い。でもピアノの左端の鍵《けん》を叩き次々に隣りの鍵を叩いていくと、鍵盤の中間くらいまでは音の高さはほとんど同じ割合で高くなるが、鍵盤の右端に移るにつれてこの関係はくずれ、ついにはハッキリしなくなる。また、たとえば振動数一三〇ヘルツくらい(ピアノの中央ドより一オクターブ低い)の音をそっと叩いて約二一〇〇ヘルツの高振動数(中央ドより三オクターブ高いド)の音と大きさが同じと感じとるには、およそ一〇〇倍のエネルギーが必要だ。しかし反面、両方の音を強く叩くと、同じ大きさに聞えるエネルギーの比はほとんど一に近づいていく。この音の大きさがわれわれの耳の「振動数に応答」して変わる傾向がオーディオ愛好家を困惑させるはずである。彼等はそのために、レコードを鑑賞する際、ボリュームを変えるときには、音色をも再調整しなければならないから。でも実際に、オーディオ愛好家はそうしていないが、これはどんなに音量が増していっても演奏中にイングリッシュ・ホルンかオーボーの音かを聴き分け得ることに、自己満足できるからで、ハーモニィの美を賞味しているわけではないのである、と。
――以上かんたんな引用にとどめたが、こうしたベナードの研究から実に多くのものをわれわれは教えられる。先《ま》ずボリュームをあげ、大きな音でレコードを聴くのは鑑賞上いかに間違いをおかしやすいかをベナードは教えてくれる。可及的ひめやかな音量で、レコード音楽は鑑賞されるべきものなのである。でもこんなことは、メーカーの羅列する測定結果や、その数字には一行も記されていないし、音の大きさ一つに対しても、いかに聴覚は錯覚をともないやすいものかという、この一事を考えても、うかつにヒアリング・テストで音の良否への判断など下せぬことを知るべきだろう。
テストで比較できるのは、音の差なのである。和ではない。だが和を抜きにしてぼくらの耳は音の美を享受はできない。何にせよ、測定結果やヒアリング・テストを盲信する手合いとオーディオを語ろうとは私は思わないものだ。
音の味わい方は、食道楽の人が言う“味覚”とたいへん似たところがあると私は思っている。
佳《い》い味つけというのがある、お吸物(澄まし)の場合なら、ほとんどが具《ぐ》の味をだしに生かしてあり、一流の腕のいい板前ほど、塩加減でしか味つけをしない。したがって大変淡白な味だが、その淡白さの中に得も言えぬ滋味がある。でもこれを、辛《から》くて粗雑な味の味噌汁を飲んだあとで口にすると、もう滋味は消え、何かとても水っぽい味加減に感じるものだ。腕のいい板前はだから、他の料理が何であるかも加味して、吸物の味をつけるという。
いわゆるヒアリング・テストを私が信じない理由がここにある。淡白で、しかも大変上品な味加減のその素晴しさは、粗悪な味のあとでは賞味できないものである。人間の舌はそれほど曖昧《あいまい》――というより他の味つけの影響をとどめやすくできているものなので、利き酒を咽喉《の ど》に通さず、一口ふくんでは吐き出す理由がここにある。
ヒアリング・テストでは、余程、耳の熟練した人でもAのスピーカーからBのスピーカーに変った瞬間に、聴きわけているのは実は音質の差(もしくは音クセ)にすぎない。そのスピーカー・エンクロージァがもつ独自な音色の優秀性(または劣悪性)は、BからAに再び戻されたときにはもう聴き分け難いものとなるのがしばしばなのは、多くのスピーカーを切替えスイッチ一つで、次々ヒアリング・テストした人なら経験しているだろう。極悪品と優秀なスピーカーのちがいなら歴然である。何もヒアリング・テストなどせずともわかる。歪《ひずみ》の有無も比較的聴きとりやすい。しかし、スピーカー・エンクロージァにおよそ歪の皆無な製品などあるわけがない。いずれも何ヘルツあたりかは歪んでいるもので、歪がしばしば耳にこころよく聴こえる場合も無しとしないのである。
あるプロのエレキ・ギター奏者は、あの電気ギターが発する狂躁音《きようそうおん》に似た唸《うな》るような凄《すご》い低音の歪を、どうして平気で耳にしていられるのか、それでもミュージシャンか。せめて、何故《な ぜ》スピーカーやアンプを歪の少ない優秀なものに替えようとしないのかと私が訝《いぶか》ったら、五味さん、それはちがう、ぼくらはそういう意味でなら、歪ない音に美を感じなくなっている世代だ、ぼくらが感動するのは、あなたが歪んでいるという、そういう性質の音に対してだ、と答えてくれたことがある。彼等の耳は、歪んだ低音にこそ音楽を感じるわけで、そう言われるとあのゴーゴー喫茶の騒音もなっとくがゆく。大なり小なり、そしてぼくらがレコード音楽の鑑賞で耳に沁《し》みこませてきた音質にも、このエレキ奏者のそれに似た歪の美学がありはしないのかとおもう。
むろん、一方で、つねにナマの音の素晴しさをわれわれは充分に知っているが、ナマに近づけたい懇望は片時も忘れさるものではないが、日常、レコードを鑑賞するうちにこちらの耳は(個人差はあるにせよ)自家の装置が響かせる何ヘルツかの音色の歪を格別な美のように感じとっていないとは断言できまい。
そういう聴覚が、数個のスピーカーを同時切り替えで鳴らし、どれほど的確に各スピーカーの音色の美点を聴き分けられようか、と私は怪しむ。品のいい、したがってあくどくない音ほどあのお吸物のように、どぎつい音の直後ではボケた印象で受取られやすい。おもしろいことに――私の経験で言うことだが――アンプなどで強調されすぎた低域は(コントラバスのユニゾン等)音量が増すにつれてホール感の拡がりを錯覚させることがある。ピアノ曲で、低域の鳴るときにかぎり、それが超々大型グランド・ピアノの響きのように幻覚されるのと似ている。ヴィオラがチェロに聴こえるのもそうで、すべては低域の歪のいたずらだ。そしてピアノの場合なら、歪んでいるナと簡単にわかるそういう錯覚が、フル・メンバーのオーケストラの場合、スケールの大きさ――もしくはコンサート・ホールの広がりを幻覚させるから厄介だ。断言してもよい、たいへん低域に歪の少ないスピーカーを鳴らした直後に、やや歪の多い(中高音域で音色に大差ない)スピーカーに切り替えると後者のほうが「臨場感がゆたか」にきこえる。前者があきらかにスピーカーとしては優ってもヒアリング・テストでは、「臨場感ゆたか」な後者を人は選ぶだろう。誰がわるいのでもない、耳がそのようにできているのだ。
同時切り替えによるヒアリング・テストなるものを、したがって私はいっさい信用しない。その信用できぬことを肝に銘じて知っている人とでなくばオーディオを語ろうとも思わない。測定結果に大差ない二個のスピーカー、アンプ、あるいはカートリッジの良否を真に聴きわけるには最低、十日は必要と私の言う所以《ゆえん》である。
むろん、そういう経験の豊富な人には瞬時にして判別の可能なことも否定はしないが、瞬時に決められる場合、一方がよほど劣っているケースだろう。さもなくば試聴者側に、一つの“音の理想像”ともいうべきものがあり――ナマそのものとは微妙に違う点を注意しておきたい。何故ならそれは試聴者のレコード鑑賞による全体験の凝集したものだからだ――そういう理想像に、どれだけちかいかが彼の識別の基準になるだろう。
いずれにしても、部品がグレード・アップされるほど識別は困難となる。十数個のスピーカーやアンプを並べ、短時の切り替えで良否を聴き分けられる道理がないと、一応私は思う。わかるのは両者の音の差にすぎない。甘いか辛いかだけである。でも味わいは、甘さと辛さの微妙にまざり合ったものだ。
C真空管を愛すること
トランジスター・アンプに数多《あまた》の長所があることは今更言うまでもない。今どきホヤ――真空管を通《つう》はこう呼んだ。火屋《ほや》とは、ランプなどの火をおおうガラス製の筒のことだと辞書にある――を持ち出すなど懐古趣味とヤングはとるかも知れないが、オーディオ愛好家で真空管の良さを無視できる人はいないだろう。
好い例が“マランツ7”である。周知の通り、マランツ社もトランジスター・アンプ“マランツ7T”を出した。だが今以《もつ》て、“幻の名器”と称され、きわめて声価の高いのは真空管の方であり誰も“7T”を絶讃《ぜつさん》はしない。
トランジスター・アンプは、技術的にもずいぶん改善され、性能の測定結果を見ても真空管にまさる点は沢山ある。にもかかわらず、“7”を“幻の名器”と人が呼ぶのはどういうわけだ。私は“7T”をずいぶん長いあいだ鳴らした。それからジムランのグラフィック・コントローラーSG520に替え、“7T”を追放した。メインはともに初めがマランツ8B、あとでマッキンMC275に聴きかえてである。むろんジムランのメイン(SE400S)やテクニクス20A、上杉佳郎君の特製になるアンプでも比較しての結果である。私見を述べれば、“マランツ7T”よりはるかにSG520がまさっている。それでもMC275をメインとして拙宅のスピーカーを鳴らしたかぎりに於《おい》て、真空管のマッキンC22に、SG520はかなわない。
分解能や、音の細部の鮮明度ではあきらかに520がまさるにしても、音が無機物のようにきこえ、こう言っていいなら倍音が人工的である。したがって、倍音の美しさや余韻というものがSG520――というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ男だから、石のアンプは結局は、使いものにならないのを痛感したわけだ。これにはむろん、拙宅のスピーカー・エンクロージァが石には不向きなことも原因していよう(私は私の佳《よし》とするスピーカーを、つねにより良く鳴らすことしか念頭にない人間だ)。ブックシェルフ・タイプは、きわめて能率のわるいものだから、しばしばアンプに大出力を要し、大きな出力W《ワツト》を得るにはトランジスターが適しているのも否定はしない。しかしブックシェルフ・タイプのスピーカーで、“アルテックA7”や“ヴァイタボックス”にまさる音の鳴ったためしを私は知らない。どんな大出力のアンプを使った場合でもである。
もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなぞその筆頭だろうと思う。更に悪いことに、一度《ひとたび》、真空管を挿《さ》し替えればかならず音は変るものだ。出力管の場合とくにこの憾《うら》みは深い。
どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC275にしたって、茄子《なすび》と私らが呼んでいるあの真空管――KT88を新品と挿し替えると、もう元のようには鳴ってくれない。極言すれば新品のKT88を挿し替えるたびに音は変っている。したがって、より満足な音を取戻すため――あるいは新しい魅力をひき出すために――スペアの茄子を十六本、次々挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードを掛けなおし、試聴することになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆《あき》れ果てて笑っているが、笑わばわらえだ。
音の美は、こういう手間と夥《おびただ》しい時間をぼくらから奪う。ついでに無駄も要求する。挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本のナスビは新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
おもえば、馬鹿にならぬ無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはあるまい。挿し替えても別に音は変らないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変らないのを誰よりも願っていたのは当の私だ。だが違う。倍音の音のふくらみ方が違う。どうかすれば低音がまるでちがう。少々神経過敏とは自分でもおもいながら、そういう茄子を次々と挿し替えて耳を澄まして、オーディオの醍醐味《だいごみ》とはついにこうした倍音の微妙な差異を聴きわける瞬間にあるのではなかろうかと、想い到った。二年前であった。
――以来、そのとき替えた茄子はそのままで鳴っている。真空管の寿命がおよそどれぐらいか、正確には知らないし、現在使用中のテープデッキやカートリッジが変れば、当然、納屋で埃《ほこり》をかぶっている真空管が必要になるかも知れない。これはわからない。が、いずれにせよ、真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わない。
D金のない口惜しさを痛感していること
むかしとちがい、今なら、出費さえ厭《いと》わねば最高級のパーツを取り揃《そろ》えるのは容易である。金に糸目をつけず、そうした一流品を取り揃えて応接間に飾りつけ、悦に入っている男を現に私は知っている。だが何と、その豪奢《ごうしや》な応接間に鳴っている音の空々しさよ。彼のレコード・コレクションの貧弱さよ。
枚数だけは千枚ちかく揃えているが、これはという名盤がない。第一、どんな演奏をよしとするかを彼自身は聴き分けることが出来ない。レコード評で「名演」とあればヤミクモに買い揃えているだけである。ハイドンのクヮルテット全八十二曲を彼は持っている。交響曲百四曲のうち、当時録音されていた七十余曲を揃えて彼は得意だった。私が“受難《パツシヨン》”をきかせてくれと言うと、「熱情《パツシヨン》? ベートーヴェンのか? ハイドンにそんな曲があるのか?」と反問する。そういう人である。ハイドンとモーツァルトの関係が第四十九番のこのシンフォニーで解明されるかも知れないなどとは、夢、彼は考えもしないらしい。今日のような情報過多の時代には、情報を集めるより容赦なくそいつを捨てる方向にこそ教養というものがある、彼はそれを気づかない。少なくともレコード音楽の鑑賞にあって、凡曲を知るより知らぬ人の方が教養人であることを彼は知らない。どういう曲をコレクションに持っているかは、どんな曲を持たないかと同等の意義がある。まして演奏となれば、それは彼が鳴らす再生装置の音色に等しなみな意味や関わりをもつものだと私は思う。いつも言うことだが、鳴っているのはその人の人生の結集している音だ。金がないために、より優秀なスピーカーやアンプを購入できぬ憾みが、ここに生じる。金さえあれば……いくらそう思ったって無駄だ。キミがいま鳴らしている音の貧しさはキミの今の生活の答にほかならない。むろん誰にだって、未来はある。私にもあった。私はその未来に希望を見出《みいだ》し働いて来た。五十の齢《よわい》を過ぎて今、私の家で鳴っている音に或る不満を見出すとき、五十年の生涯をかけて私にはこれだけの音しか自分のものに出来なかったのかと天を仰いで私は哭《な》くのだ。この淋しさは、筆舌に尽し難い。
でも高望みしたってどうなるものでもないと、自らを慰め、慰藉《いしや》をもとめてレコードを掛ける。バッハやモーツァルトやベートーヴェンを聴く。時にはマーラーを聴き、フォーレを聴き、シューベルトを聴き、少しでもせめて、音を良くしようと丹念にレコードを拭きカートリッジの埃を払う。深夜のこうした私の姿を、家人すら知らない。だが、まぎれもなく拙宅で今鳴っているのはこんな私の人生の哀歓をこめた音だ。
ハイドンの四十九番ヘ短調交響曲を初めて聴いたのは、例によってS氏邸であった。私は貧乏で、三度の食事も満足に摂《と》れぬころで、栄養失調にならぬようS氏邸でご馳走にありついては、売れぬ小説を書いていた。四十九番を解説するのが主旨ではないので詳しくは触れないが、それまでハイドンの交響曲といえば、九十五番や“軍隊”や“時計”“驚愕《きようがく》”くらいしか知らなかったから、はじめて“受難”を聴いて私は茫然となったのを忘れない。パパ・ハイドンにこんな沈痛なソノリティがあったのかと耳を疑ったのである。
レコードは、当時のことゆえ無論モノーラルで、ロンドン・モーツァルト・プレーヤーなる人たちの演奏だった。裏面にモーツァルトの“喜遊曲ニ長調”K一三一が入っていた。だから言うわけではないが、この沈痛な情熱はモーツァルトだ、これはモーツァルトの剽窃《ひようせつ》にちがいないと思ったことを告白する。演奏も実によかった。――白状すれば、ハイドンのはそれまでもっぱらシェルヘンの振るもの(ウィーン国立歌劇場のオケ)で聴いていて、そのためでもあるまいがハイドンの交響曲は朝聴く音楽だと、私はきめていた。それで一そう四十九番の悲痛さに息をのんだ。
まだ聴いていない人は、是非いちど試聴してほしい。ハイドンの中でも白眉《はくび》の名曲と私は信じる。私は贅美《ぜいび》なものにこそ悲しみのあるのをこの曲で痛切に知ったのである。私は貧乏だ、しかし、だから悲しいなどとは思いあがりも甚《はなは》だしいと己れにこの時言いきかせた。貧乏は単なる貧しさにすぎない。それは悲しむべきことではない、悲しみは贅美の中にこそ宿る、そう“受難”は教えてくれたのである。その意味でもこれは《モーツァルトの声》と私にはきこえた。
S氏邸から帰ると、私はハイドンの伝記を調べた。ハイドンが車大工の息子で、当然貧乏で、ついに一度も正式に作曲法を習ったことさえなく、パンのために働き、夜は町の流しのセレナード楽団に加わり、あるいは下僕をつとめ屋根裏に住みながら独学で勉強したことを知った。私はもう一度“受難”の調べを、想い泛《うか》べようとした。でもどうしても想い出せなかった。
この時ほど、金がほしいと思ったことはない。金さえあれば四十九番のレコードが買える、それをいい音で聴ける……そんな意味からではない。どう言えばいいか、ハイドンの味わった貧しさが無性にこの時、私には応えたのだ。ハイドンの立場で金が欲しいと思った。矛盾しているようだが、彼が教えてくれた贅美のうちにある悲しみは、つまりは過去の彼の貧しさにつながっている。だからこそ美しく響くのだろうと私はおもう。
少々、説明が舌たらずだが、音もまたそのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?
(一九七四)
オーディオの真髄
さきごろ来日したカラヤンが、記者会見で、NHKホールのように宏大な(三千人収容の)ホールでは、音が散漫になって、本当に演奏の良さを味わえるのは二百人くらいだろうと言ったそうである。
カラヤンにかぎらない、フルトヴェングラーがやはり、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール――円形劇場のように丸い建物で、一万二千人を収容する――では、オーケストラの音は何か袋の中で演奏しているようにしか響かない、真によくできた演奏会場は、いかに大きく造られていても、まるで客間《サロン》で聴くように感じられるものだ、と言っている。ナマの演奏においてさえ、音そのものではなく音楽を鑑賞するには、実にこれくらい聴く位置の制約をリスナーは受けるのである。ナマらしいいわゆるHiFi音が鳴るだけでは、音楽の鑑賞に何程の寄与も果していないことを、この二大指揮者の言葉は教えてくれるだろう。
コンポーネントはどうあるべきかの要諦《ようてい》もまた、右の二人の言葉に尽きる。ぼくらは家庭で音楽を聴く。はじめからそこは狭い客間なのである。フルトヴェングラーは、アルバート・ホールでは管弦楽は袋の中のように響くのに、クライスラーのヴァイオリンの弱音《ピアノ》はみごとな効果をあげていた、と言っているが、真にすぐれたクライスラーは演奏家だから、そのように弱音《ピアノ》をひびかせたまでだろう。つまり真にピアノであるより、ピアノらしくきこえることが大事なのである。
コンポーネントを、よく、高価な部品を揃《そろ》えることで足れりとする人がいる。
本誌(「ステレオサウンド」)の別の号でも述べたことだが、最高級の部品を飾り立てて悦に入っている男を私は知っているが、碌《ろく》なレコードの鳴っていたためしがない。われわれは、日常に経済上のくさぐさな制約をうけている。家庭の事情もあって、金のないのは時にせつないものである。そんな中から、何とか音をよくしようと腐心しているのがオーディオ愛好家だろうとおもうし、オーディオ愛好家の、これは業《ごう》のようなものだが、実はそういう腐心の中にオーディオの――つまりはコンポーネントの尽きざる楽しみがあることもこの歳になって私はさとった。
コンポーネントの真髄は、コンサート・ホールのもっともいい位置で聴く音に近づけること――そのような感じを出すことだと私は思っている。ナマそのままに響かすのでは断じてない。要はハーモニィの美しさをひき出しているかどうかだ。だいたい、レコードに――冷静に考えれば容易にわかることだが――百人の人間が楽器を鳴らす交響曲が、ナマそのままに録音されたと仮定して、家庭でつかうどんな大きなスピーカー・エンクロージァだってその音のエネルギーを再現できるわけがない。エネルギーが再現できずにナマのオーケストラが響くわけはあるまい。この意味から、口径何メートルやらのコンクリート・ホーンでなくば(カット・オフ周波数何ヘルツでなければ)などとホザく輩《やから》は片手落ちをおかしていると私はおもう。あのほそい針先で、そもそもを拾おうというのも無理な話である。
してみれば、どこかで処理された――あるいはレコーディングの際すでに取捨選択された音を、ソースとしてわれわれは音楽を聴くことになる。せいぜい適度の臨場感をともなった、バランスのいい、細部の鮮明にきこえる音ならそれで満足しなければならない。そしてそういう程度のものなら、今日では、いわゆる市販のコンポーネント・ステレオで充分だと私はおもう。要は何に何を組み合わせるかである。
むしろ大切なのは、どういう音楽を主として聴いているかであろう。経済的制約をぼくらは受ける。前に書いたがそんな制約より更に大きいものは、或る意味で恐しいのは、聴く人の音楽的教養である。早い話が演歌をきくミーちゃんハーちゃんにJ・B・ランシングのアンプやスピーカーなど、存在することすら関心あるまい。彼女らは先《ま》ず鳴ればいいのである。再生装置の音質などは、彼女が享受する《聴くメロディの快感》にほとんど関与しないだろう。したがって彼女らが“パラゴン”を家庭に持ったためしは先ずない。極端なこれは例だが、大なり小なり、ぼくらは彼女と似た音楽の聴きようをしているわけで、何を組み合わせるかは、どんな音楽を聴いているかに深くかかわっている。
一台の再生装置が、あらゆる種類の音色を――クラシックもジャズもロックも――あるいは打楽器や弦や管、人声をも――斉《ひと》しく完璧《かんぺき》に鳴らしてくれるなら言うことはない。しかし現今の技術ではまだ、たとえばグランド・ピアノを迫真的にひびかせてくれる装置は、しばしば、弦楽曲の鑑賞には音が硬質にすぎて聞き苦しい例を見受ける。ジャズを聴くにふさわしい装置はクラシックには、不向きとまでは言わないが妙味のうすれる場合がある。そういうとき、カートリッジを替えることで、あるいはトーン・コントロールを操作して、音をよりふさわしくして聴いているが、ジャズを聴く興味のない人なら、最初からクラシックをよりよく聴ける装置を志向すべきであり、事実多くの愛好家はそうしている。
したがって、音楽の何を聴くかで、どんなコンポーネントを選択すべきかが問われる。逆に言えば、その人の鳴らしている音でその人の好む音楽はわかるのである。そういう意味では、鳴っているのは全人格の音でもあり、音はコワいものだ。
演歌を聴く手合いは“パラゴン”を持つことは先ずないと私は言ったが、金がなくては高価な“パラゴン”を購入することはかなわない。同じ一人のひとの家に“パラゴン”が無くても、まるで関心が無くて買わないのか、欲しくても買えないのかでは雲泥のちがいである。しかし、私は断言する、欲しくても買えない人はかならず他のコンポーネントでそれらしい音を鳴らしている。こればかりは不思議に、聴けばわかるのである。そしてそれらしい音を家庭で創り出すところにコンポーネントの言いつくせぬ妙味があるとも言えるだろう。
要は、どんな音を、鳴らし方を好むかだ。
私のように“パラゴン”なら遣《や》ると言われてもご免だというヘソ曲りが無論いたって構わないので、私は私なりに、女房を質に置いてもほしいと思った音はあった。いま拙宅で鳴っているのは幾分、その憧《あこが》れた音に似ているが、勿論《もちろん》、満足というわけには参らない。およそ自家の再生音に、心底、満足していられるのは、きわめて限られた少数者だろうし、こう言っていいならそれは真のオーディオ愛好家ではあるまいとおもう。音の魅力は無辺際である。一基のスピーカー・エンクロージァやアンプできわめ尽くせるものではないのだ。
オーディオに血道をあげて三十年余、今にしてようやくそれが私にはわかって来た。そして、しょせん、きわめつくせるものでないなら、せめて入手できる範囲内での部品で、そのコンポーネントで、好きな、また偉大な作曲家たちのすぐれた作品を一つでも多く鑑賞することだと、今はおもっている。何故《な ぜ》なら音の魅力は無辺際だが、それ以上にかぎりなく尽くせぬ魅力と美と思索力と、叡知《えいち》と、宗教的荘厳感を蔵しているのは音楽そのものだから。
大編成のオーケストラのエネルギーを再現できぬのなら、しょせんは五十歩百歩である。わが家の客間で交響曲が鳴ってくれるなら充分ではないか。何百万円ものデカい装置をそれはさ程必要としないことを、むしろ知るべきである。それこそが英知である。
ひどい歪《ひずみ》があるのでは、音楽そのものが歪むのだから論外だが、名の通ったメーカーの製品なら、一応、いまでは鑑賞をさまたげるものではない。あまり再生音に神経質にならず、いい音楽を先ず聴くことだ。とりわけ若い人に私はこのことをすすめる。経済的に余裕ができれば将来、装置はいくらでもグレード・アップできる。だが青春は二度とかえらない。感性のもっとも鋭敏で、繊細な若いうちにいい音楽を聴くことがどれほど大切かを、自らに省みて言うのである。
若いころ、私どもが聴いた再生音の物理特性など高が知れていた、むしろひどいものだった。それでも汲《く》みつくせぬ音楽の恩恵をぼくらはそんなレコードから享《う》けてきた。今の人は、そういう意味では恵まれている。その恩恵にためらうことなく浴することである。一枚でも多く、先ずいいレコードを聴くことだ。装置をいじるのは、レコードを聴きこんでからでも遅くはない。むしろその後に装置を改良した方が、曲の良さが一そうわかり、味わいが深まるだろう。そのときには、コンポーネントにどんな部品をえらぶかは、本誌などの助言をまたずともあなた自身が決めることになるだろう。その時こそ、あなたの教養が、全人生が、あなたの部屋で鳴るだろう。
(一九七四)
本文品中、今日の観点から見ると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。(編集部)
この作品は昭和五十七年十二月新潮文庫版が刊行された。
尚、電子本およびオンデマンドブックでは、口絵写真を割愛した。
Shincho Online Books for T-Time
五味康祐 オーディオ遍歴
発行  2003年3月7日
著者  五味康祐
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: old-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.shinchosha.co.jp
ISBN4-10-861259-0 C0895
(C)Yufuko Gomi 1982, Coded in Japan