DVD「乃木坂春香の秘密」第6巻 初回限定版パンフレット
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)乃木坂春香《のぎざかはるか》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)完全|無欠《むけつ》
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(例)[#「みなさん」に傍点]
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は る か の ひ み つ ○[#白抜きのハートマーク]      著:五十嵐雄策
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それは辺りを吹く風も少しずつ冷たさを増し、秋の終わりとともに街の様子も次第に冬の訪れを感じさせるものに変わりつつある十月も終わりのある日のことだった。
赤道直下のハッピースプリング島で春香《はるか》の十七歳の誕生日パーティーが盛大に行われたおよそ十日後の日曜日。
俺は……アキハバラの駅前にいた。
目的はもちろんあの日――ハッピースプリング島での最後の夜に春香とした約束を果たすためである。
『帰ったら……またアキハバラに行こう、二人で』
『はいっ♪』
夜の砂浜で二人でした約束。
それはメモリアルで本来この上なく喜ばしいものであるはずなんだが……
「……」
「ん、どしたのおに〜さん。そんなカジキマグロが突きん棒を喰らったみたいな顔して」
「具合でも悪いのでしょうか? お薬を使いますか〜?」
「……鞠愛《まりあ》さん特製の座薬なら用意してあります」
「…………」
予想外というかイレギュラーな状況が目の前にあった。
少しだけ困ったように「え、えと……」とこっちを見上げている春香の周りでそんなことを言っているツインテール娘、にっこりメイドさん、無ロメイド長さん。
言わずと知れた乃木坂家のお嬢様(妹)と二大メイドさんである。
「……。……いや、何でいるんだ」
イレギュラー三名に話しかける。今日は春香と二人で出かける予定だったはずなんだが……
すると美夏はちょこんと首をかたむけて、
「ん〜、何でってお姉ちゃんとおに〜さんがお出かけするってゆうからさ〜。どうせだったらわたしたちもいっしょにそのらぶらぶっぷりを観察――じゃない、こほん、生暖かく見守ろうと思って。保護者同伴って感じ? てへ♪」
「……」
いや「てへ♪」じゃないだろ……
思わず渋面になる俺に、
「ま、それは六割くらい冗談として〜。これにはちゃ〜んと浜名湖の湖底よりも深い理由があるんだよ」
「理由?」
「うん、そ。ま、それについてはおいおい説明するからさ、今はとりあえずこ〜んなかわゆい美夏《みか》ちゃんたちとお出かけできるのを楽しも〜ってことで。――あ、それともな〜に? わたしたちがいたらジャマ? やっぱおに〜さんはいつでもどこでもお姉ちゃんと二人っきりでらぶらぶいちゃいちゃするのがい〜のかな〜?」
「あ、なっ……」
「み、美夏」
にんまりとした笑みを浮かべる美夏に春香が「めっ」とするも当のツインテール娘はそんなものはどこ吹く風で、
「とにかくそうゆうことだよ。それじゃ、れっつご〜♪」
総勢五人を引き連れて歩き出したのだった。
「わ〜、これがアキハバラか〜」
休日ということで人で混み合う街並みを見回しながら美夏が楽しげにそう声を上げる。
「なんか全体的に賑やかで楽しい雰囲気だな〜。そういえば落ち着いてここに来るのって初めてかも。へ〜、こんなだったんだ〜」
「あー、あんまりきょろきょろしてると迷子になるぞ」
「だいじょぶだよ〜。わたしだってもう子供じゃないんだし〜。――あ、でもさ、だったら迷子にならないよ〜に、おに〜さん、手を繋いでくれる?」
「え?」
「だから手だよ。英語で言うとシェイクハンズウイズ? もちろんおに〜さんだけじゃなくて、お姉ちゃんもいっしょに繋ぐんだよ?」
「あ、はい。私は構いませんが……」
「だったら決まり〜。えい♪」
そんなかけ声とともに春香と俺の間に入ってくるちんまいツインテール娘。
それぞれ右手と左手で俺たちの手をきゅっと握ると、
「えへへ〜、おに〜さんの手〜♪」
何がそこまで嬉しいのかにぎにぎと何度も感触を確かめるようにしながら頬をすり寄せてくる。むう、まあ懐いてくれるのは何だかんだで悪い気はせんのだが……
「ふふ、美夏ったらすっかり裕人《ゆうと》さんと仲良しさんですね」
それを見た春香も目を細めながら微笑んでいて、
そんなやり取りをしながら歩道を歩いていると、
「おに〜さん、お姉ちゃん、あれって何かな?」
「ん?」
「え?」
少し離れた場所にある何かを指さして美夏がそう言った。
美夏が指し示していた先。そこには何やら人だかりができていた。
「何だろうな。イベントかなんかか?」
「えと、ストリートライブが行われているみたいですね。『Chocolate Rockers』と書いてあるのが見えます」
「『Chocolate Rockers』? へえ、こんなところでやるのか……」
『Chocolate Rockers』は姫宮《ひめみや》みらんがボーカルを務めているバンドで、ここ最近人気上昇中なグループである。個人的にも結構好きなバンドだったりもするんだよな。
「ふ〜ん、そなんだ。ちょっと見てってもいい?」
「ん、俺は構わんが」
「私もだいじょうぶです」
春香と二人でうなずいて、
皆で人だかりへと近づいていく。
「わ〜、なんかすごいね〜。ノリがいいってゆうか、こうゆう楽しい感じって好きだな〜♪」
中の様子が目に入ってくるなりかぶりつきできゃっきゃっ♪ とはしゃぎ出す美夏。
目の前で行われているライブなイベントにすっかり夢中のようである。
むう、普段は色々と耳年増なことばかり言っているがこういうところはやっぱり十四歳なんだな……と心の中で苦笑しつつ思っていると、
「……裕人様、そのままの姿勢で聞いてください」
「?」
と、葉月《はづき》さんが耳元でささやくようにそう言ってきた。
「……視線は動かさずにそのまま。――左後方の建物の陰に、黒服が三人ほど潜んでおります」
「え?」
黒服……?
「……他にもビルの上に二人、私たちを取り囲むようにして四人ほど。玄冬《げんとう》様直属の『|地獄の番犬《ヘルハウンド》』だと思われます」
「それって……」
もしかして前に夏コミの翌日にウチを襲撃してきたあの……
「……はい。おそらくは玄冬様の命で春香様と裕人様が二人きりになられるのを阻止しようとしているのかと。今から私たちが援護しますので、その隙に春香様とお二人でお逃げください」
「私たちはそのためにいっしょに来させてもらったのですよ〜。玄冬様がお二人のことを妨害しようとなされていることは水面《みなも》ちゃんからの情報で筒抜けでしたから〜」
那波《ななみ》さんも反対側の耳元でそう言ってくる。
「え、そうだったんですか……」
てっきり野次馬目的一三五%かと思ってたんだが。
「はい〜。元々は美夏様の発案なのですけどね〜。『うん、お父さんの気持ちも分からないでもないけど、やっぱりこうゆう日くらいはお姉ちゃんとおに〜さんを二人っきりにしてあげなきゃね〜』と言われて〜」
「美夏が……」
そんなことを考えてくれてたのか……
「……とにかくこの場はお任せください。春香様の幸せな笑顔をお護りするのが私たちメイド隊の使命――」
「それに個人的に私たちとしても裕人様をお助けしたいのですよ〜。私たちはみんな、裕人様のことも大好きですから〜♪」
二人揃ってそんなことを言ってきてくれる。
その気持ちは嬉しいが、しかし相手は少なくとも九人以上である。このメイドさん二人のスペックの高さは百も承知だが、この人数差は少しばかりキツイんじゃ……
「……それならば問題ありません。今日はサポートとしてアリスちゃんも来ていますし」
「アリスちゃん?」
「はい〜。メイド隊序列第八位、要人警護や拠点破壊のエキスパートですね〜。いずれ裕人様にも紹介いたします〜」
「……」
そんなほとんど傭兵みたいなメイドがいるのかって突っ込みはさておき。
「それじゃあ、お願いしても……」
「……はい。オールオッケーです」
「私たちのことは気にせずにさくっと行っちゃってください〜」
力強くうなずくメイドさんたち。
それを確認して、
「――行こう、春香」
「え? え、えと、どこヘ――あ、ゆ、裕人さん」
目をぱちぱちとさせる春香の手を取って一目散に指示された方向へと走り出す。
後ろからはなんか物騒というかチェーンソーの回転音やハンマーの打撃音、斬撃音みたいなものが聞こえてきたが……とりあえず聞かなかったことにしよう。
「ハ、ハアハア……こっちだ、春香」
「は、はい。あ、あの、ですがどうして走るのですか? 美夏たちは……」
「その説明は後だ。今はとにかくこの場から離れて――うわっ!?」
ドンッ!
と、そこで何かにぶつかってバランスを崩した。
どうも慌てていて前があまり見えていなかったらしい。
「あ、わ、悪い、ちょっと急いでて――」
なので慌てて謝ろうとして、「――って、椎菜《しいな》?」
「え、裕人?」
目の前で倒れ込んでいる相手が見慣れた顔だってことに気付いた。
そこにいたのは……隣の席のフレンドリー娘。よく見てみれば後ろには「あ、あれ? 乃木坂さん……ですか?」
「ん、綾瀬っち?」と口にする朝比奈《あさひな》さんと澤村《さわむら》さんの姿もある。いや何で椎菜たちがここに……?
怪訝に思って訊いてみると椎菜は少しだけ首を傾けて、
「え、うん、あたしたちは『Chocolate Rockers』を見に来たんだよ。ちょうどここでストリートライブをやってるって話を聞いてたから……」
「あ、そうなのか……」
そういえば椎菜も『Chocolate Rockers』が好きだって言ってた気がしたな。
「それより裕人たちこそどうしたの? 『Chocolate Rockers』を見に来たわけじゃないみたいだし……」
「あ、あー、それはな……」
「え、えと……」
言葉に詰まる。
俺たちがここ(アキハバラ)にいる理由を説明するためには色々と細かい事情を話さないとならんわけだが、それはすなわち春香の秘密がバレてしまうことに直結していて……
「あー、その、今日はあれだ。近くの大手家電量販店で電動肩もみマッサージ器が五十個限定販売のセールがあってな。それで春香に付き合ってもらってたんだ」
「あ、そうなんだ?」
「あ、ああ。そ、そういうわけだから急いでるんで、それじゃあ俺たちはこれで。また学校でな」
「え、えと、失礼しますです」
「え? あ、うん、またね」
そう誤魔化して、俺たちは何とかその場を立ち去ったのだった。
だが俺たちがいなくなった後、
「裕人、いっしょにお買い物って……。やっぱり、乃木坂さんとそういう関係なの、かな……」
椎菜が一人ぽつりとそうつぷやいていたのは……俺の耳には聞こえてはこなかった。
「ふう、ここまで来れば大丈夫か……」
ライブ会場から十分ほど走った場所。
そこまで来てようやく俺は走るのを止めた。
「あ、あの、裕人さん……?」
隣には何が何だか分かりませんって顔の春香。
その反応は至極当然であるため、ひとまずはここに至ったまでの大まかな事情を説明する。
「――というわけでだな、だからその、今日は二人でゆっくりと、あー、アキハバラを見て回れればと思って……」
「二人、で……」
「ああ。あ、いや、もちろん春香がそれでよければなんだが……」
その言葉に春香は少しの間だけ考えるような素振りを見せていたが、
すぐにぴょこんと顔を上げて、
「は、はいっ、喜んで♪」
嬉しそうにそううなずいてくれたのだった。
それは真冬にダイヤモンドダストが輝くようなまばゆいばかりの笑顔だった。
「そ、そうか。それじゃあ行くか。――っと、はぐれないようにな」
「え……?」
「あー、その、手をだな、繋いだ方がいいと思って……」
「あ……は、はいです」
少しだけ頬を赤くして手を差し出してくる春香。
そこからは二人だけの世界だった。
春香と二人きりでの、およそ半年ぶりのアキハバラで過ごす時間。
それが楽しくないわけがなく――
「わあ裕人さん、このふぃぎゅあ、すごくかわいいです♪」
「おお、ホントだ」
ウインドウの前で俺の袖を掴んで嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる春香を見たり、
「あ、こちらにはガチャポンがあります! ドジっ娘アキちゃんのデイトレード勝利のポーズです!」
「ま、またハマりすぎないように気を付けてな」
ガチャポンの筐体《きょうたい》の前で煮込んだ牛スジ肉を前にした仔犬みたいになる春香を微笑ましくたしなめたり、
「あそこのお店、前にイノセントスマイルに載っていました! その、素敵な喫茶店で……で、できれば裕人さんと、い、いっしょに入りたいと思っていたところで……」
「え? あ、ああ、そうだな。じゃ、じゃあ入るか」
「はいっ♪」
甘えるような表情でそんなことを言ってきてくれる春香
に思わず胸がドクリと動いたりして、
そんな二人だけのひと時。
それはこの上なく心地が良く本当に楽しい時間だった。
まあ気になるものを発見すると春香が少々周りが見えなくなったりして大変だったり、なんか行く先々でどこかで見たことのある幼馴染みのアキバ系マスター(♂)の姿を見かけてその度に隠れたりもするハメになったりもしたんだが、それもそれで楽しかったというかいいアクセントだった。
「裕人さん、私とっても幸せです♪」
「ああ、俺もだ!」
二人顔を見合わせて笑いながらそううなずき合う。
そして夢のような時間はあっという間に過ぎ去っていき――
最後に俺たちが辿り着いたのは……公園だった。
夕暮れ時の公園は、夕焼けに照らされてオレンジ色に染まっていた。
街の喧騒からは徴妙に外れていてあまり人の姿の見当たらない静かな立地。
少しだけ冷たさを感じる風を受けて、街灯の横に並ぷ木々がゆっくりと揺れている。
「あ、ここの公園って……」
春香が周囲を見渡しながら何かに気付いたかのように口元に手を当てる。
「もしかして、あの時の……」
「ああ」
うなずき返す。
俺たちが今いるのは、半年前にアキハバラに行った時に春香を介抱した公園だった。
「あの時は本当にありがとうございました。裕人さんには色々とご迷惑をかけてしまって……」
「あ、いや」
「裕人さんがいなければきっと私、どうしたらいいか分からなくて……。――ううん、あの時だけじゃないです。初めて出会った時から、裕人さんにはずっとお世話になりっぱなしです。いっしょに夜の図書室へ行っていただいたり、夏こみを初体験させていただいたり、お父様をいっしょに説得していただいたり……」
胸に手を当てながらじっとこっちを見上げてくる。
うーむ、そう言われてみればそうなのかもしれんが、九割以上は俺が好きでやってることなんだからそこまで感謝されると照れるというか何というか……
微妙に面映ゆい気分になる俺に、だけど春香はふるふると首を振って、
「そんなことないです。裕人さんがいてくれたから……私はこうやって笑っていられるんです。笑って、幸せな気持ちでいられて……。これからも……ずっといっしょにいてくださいますか? それが今の私の……たった一つの望みです」
「春香……」
そんなもの、言われなくてもこっちからジャンピング土下座してお願いしたいくらいだ。
才色兼備で学園のアイドルなお嬢様。
でもその中身はドジでちょっと天然でアキバ系な、どこにでもいる普通の女の子で……
俺はそんな春香と、そんな春香だからこそ、いつまでもいっしょにいたいと思うんだよ。
答えの代わりに、俺は身を寄せてきた春香の身体をぎゅっと抱きしめた。
柔らかい感触と甘い香りがふわりと感覚を刺激する。
「ゆ、裕人さん……?」
「は、春香、俺……」
「あ……」
俺のその言葉に春香は小さく吐息をもらして、
ゆっくりと――その目を閉じる。
そしてお互いにどちらともなくその顔が近づいていき――
と、その時だった。
〜〜〜♪
「!?」「!!」
俺のポケットからヴヴヴヴヴヴ!という豚の鳴き声のような振動とともにそんな地獄の黙示録が鳴り響いた。
見てみるとそこにあったのは――
『今どこにいる!? 腹が減った、すぐに帰ってこい! PS:今夜はアンコウ鍋がいい」
『裕く〜ん、おねいさんもう裕くん(のご飯)がほしくてほしくて待ちきれな〜い♪』
の二つのメールだった。
「……」「……」
……いや相変わらず空気を読まないな、あのアホ姉とその親友のセクハラ音楽教師は。
「……あー、ス、スマン。そろそろ戻らんとマズイみたいだ」
「あ、は、はい。そ、そうですね。そ、そろそろ暗くなってもきましたし……」
二人とも何となく気恥ずかしい気分でそそくさと身を離す。
まあどこか悔いが残る感じだが……今日のところは二人で楽しい時間を過ごせただけでもよしとしよう。
帰路に着くべく公園から出ようとしたところで、
「あ、ゆ、裕人さん!」
ふいに呼び止められた。
何かと思って振り返ると、春香が公園の入り口のところで立ち止まっていた。
そしてスカートの両端を指でちょんとつまむと、 少しだけ照れたようにはにかんだように、
でも今日見た中の最高の笑顔で、
「これからもよろしくお願いしますね――裕人さん○[#白抜きのハートマーク]」
ぺこりと頭を下げつつ、そう言ったのだった。
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ディレクション:中山信宏 コーディネート:加藤美奈子
デザイン:村瀬貴(stream inc.) ライター:菱田 格 (ぽろり春草)
小説:五十嵐雄策 協力:電撃文庫編集部
C[#○にCopyright]五十嵐雄策/アスキー・メディアワークス/『乃木坂春香の秘密』製作委員会
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