DVD「乃木坂春香の秘密」第4巻 初回限定版パンフレット
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《》:ルビ
(例)乃木坂春香《のぎざかはるか》
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(例)完全|無欠《むけつ》
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(例)[#「みなさん」に傍点]
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は づ き の ひ み つ ○[#白抜きのハートマーク]      著:五十嵐雄策
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それは夏にしては比較的気温が低く風もさわやかで、連日の猛暑でとろけたアイスクリームのように疲弊していた動物園のシロクマくんたちも少しは明日への活力を取り戻したと思われる、八月も終わりのある日のことでした。
「……すみません、春香《はるか》様、裕人《ゆうと》様。せっかくのお休みの日にこのような雑事に付き合わせてしまって……」
「いえ、そんなことないです」
「どうせ俺たちも特にやることはなかったんで、気にしないでください」
隣をお歩きになられる春香様と裕人様に声をかけると、返ってきたのはそのようなお言葉でした。
「お買い物だったら人手が多い方がいいです。それにこうして葉月《はづき》さんといっしょにお出かけをするのは久しぶりですから、何だかわくわくです♪」
「そうですね、俺もそう思います」
にこやかに笑いながらそう言ってくださいます。
「……ありがとうございます。そう言っていただけますと……」
そのお気持ちだけでもったいない思いでいっぱいといいますか……
現在私たちが歩いているのは、お屋敷の近くにあるスーパーマーケットヘと続く道です。
つい三十分ほど前に週に一度の買い出しに行こうとしたところ、そのことを聞かれていた春香様と裕人様が同行すると言ってくださったのです。
「でも春香の家の近くにもスーパーマーケットなんてあるんだな。なんかそういう庶民的なものとは無縁なイメージなんだが……」
「そうでしょうか? いっぱいありますよ。知っているだけで三つありますし……」
「へえ、意外だな……」
お互いの顔を見合いながらお笑いになるお二人。
その様子は傍から見ていても和やかなもので、とても仲がよろしそうに見受けられます。
思えば春香様がこのように屈託なく笑うようになられたのは四ヶ月ほど前から。
裕人様とお知り合いになられて、その秘密を共有するようになった時からです。
あの日から本当に笑顔をお見せになることが多くなったというか……
「……」
発端は偶然と事故によるものと聞いておりますが、それだけ良き出会いだったということなのでしょう。春香様にお仕えする者としては本当に嬉しい限りです。
そんなことを考えていると、
「? どうされましたか、葉月さん」
春香様が不思議そうな顔でお尋ねになってきました。
「……いえ、何でもありません。少々考え事をしていただけで」
「そうなのですか?」
「……はい」
春香様の笑顔。
それは私にとって何よりの宝物です。
その輝きを守るためならば、たとえ迫り来るイージス艦だってチェーンソーで一刀両断にしてみせましょう。
そう思いつつスーパーマーケットヘと向かったのでした。
「えと、まずは何を買えばいいのでしょう?」
スーパーマーケットに到着して、
春香様がちょこんと首を傾けつつそう尋ねてきました。
「……そうですね。本日は間もなく金目鯛の干物のタイムセールが始まる予定です。なのでそれに合わせてまずはそちらを入手してしまいたいと思います」
「たいむせーる、ですか?」
「……はい」
週に一度午後四時に行われる時間制の安売りイベント。
その価格設定は非常にリーズナブルなものであり、それが今日を買い出しに選んだ理由の一つでもあります。
「……このシステムをうまく利用すれば月の経費を五パーセントほど節約することができます。ただタイムセール中の売り場は戦場です。大変混み合いますので十分にお気を付けて――」
そう言いかけたところで、
『それではこれよりタイムセールを始めます! 今から十五分間、産地直送の金目鯛の干物が全て三割引です!」
そんな店員さんの声と共にタイムセールが始まりました。
それに呼応して、周囲にいた他のお客さん(主に主婦の方でしょうか)が血走った目で一斉に群がってきます。
「キンメダイ! キンメダイぃ! キンメダイぃいいい!!」
「あたしの前に立ったら殺すわよ!」
「口から手え突っ込んで十二指腸をガタガタ言わせたろうかいぃいいい!」
瞬く間に騒然となる売り場。
その様相はさながら狂乱の地獄絵図で……
「え、えと……きゃっ」
と、そこで押し合う人波にぶつかって春香様がバランスを崩されました。
「……春香様!」
ふらつく春香様。
慌ててそのお身体を支えるべく手を伸ばそうとして、
「――春香!」
「……!」
「大丈夫か、春香!」
「あ、ゆ、裕人さん」
「……」
それよりも早く、裕人様が全身でかばうようにして春香様の身体をお支えになりました。
「平気か! ケガとかしてないか?」
「あ、は、はいです。その、裕人さんが支えてくださったおかげで……」
「そっか、ならよかった……。ったく、いくら必死だからって少しは周りのことも見ろって感じだよな……」
いまだ狂騒の声が上がる周囲を見ながら裕人様が非難の声を上げられます。
「あ、い、いえ、私もぼーっとしてましたし……。そ、それに、おかげで裕人さんに、その、近づけて……」
「え?」
「あ、な、何でもないです。え、えへへ……」
そんな裕人様の腕の中で安心したような笑みを浮かべる春香様。
その表情はこの上なく嬉しそうで幸せそうで……
「……」
……どうしたのでしょう。
伸ばした手が、何となく所在のない感じでした。
「えと、先ほどは心配かけてしまいすみませんでした。あの、次は何を買うのですか?」
「……はい。次はテイッシュペーパーです」
尋ねてくる春香様にそう答えます。
タイムサービスの次の目的は数量限定のティッシュペーパー詰め合わせです。
お一人様三パックまで限定販売ですが、他では買えないお得な値段で入手することが可能なのです。
「あ、葉月さん。そういうことでしたら、よろしければ私たちもお手伝いいたします」
「……え?」
「あの、限定商品なのですよね? 一人三パックということでしたら、私たちも協力した方がたくさん買えると思います」
「……それはその通りですが……」
春香様たちにそのようなお手数をおかけする訳には……
「だいじょうぶです。というか私たちにもそのくらいのお手伝いをさせてください」
「どうせいるんですし、ついでって感じで。それにいつもやってることですし」
裕人様もそう仰います。
「……分かりました。ではお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい♪」
「任せてください」
大きくうなずかれるお二人。
というわけで、春香様たちにも手伝っていただけることとなり、
三人でティッシュペーパーのパックを抱えてレジヘと向かおうとしたのですが……
「よ、よいしょ、よいしょ……」
「……」
春香様が若干危なっかしい感じでした。
胸元で一生懸命に抱えたティッシュのパック(×三)が壁となって前がよく見えていないのか、ふらふらと足下をふらつかせながら店舗内の冷凍庫(食肉用)の方へと向かっていこうとしていて――
「……春香様、そちらは違いま――」
そう声をかけようとしたところで、
「春香、そっちじゃない」
「え?」
「そっちは冷凍庫だ。そのまま行くとフリーズドライだぞ」
「あ、は、はい。すみませんです」
慌てて方向転換するものの、その足はまたあらぬ方向(魚の調理室)に向いてしまわれます。
それを見た裕人様は小さく息を吐いて、
「――あー、何だ、ほら」
少しだけためらうような素振りを見せながら空いていた左手を差し出されました。
「え、えと……?」
「あー、なんつーか、そのままじゃまた前が見えなくてヘンなところに迷いこみかねないだろ。だから、その、ちゃんとレジまで辿り着くためにな」
「あ……」
その言葉に春香様は一瞬だけ驚いたような表情をされていましたが、
やがて、
「は、はいっ。よ、よろしくお願いしますです♪」
この上なく嬉しそうなお顔でそううなずかれました。
「……」
なぜでしょう。
どことなく胸に何かが引っかかった感じというか、切ない気分です。
ティッシュペーパーを無事に買い終わり、本日の主要な目的は達成いたしました。
後はその他の日用品をいくつか購入するだけです。
買う品目は決まっていますし、量もそれほど多くないので、さほど時間はかからないでしょう。
「……」
目の前では、春香様が裕人様と並んでお歩きになられています。
楽しそうに無邪気な笑みを浮かべる春香様。
その春香様のお姿を見ながら……ふと、少し昔のことを思い返してしまいます。
私が春香様と初めて出会った時のこと。
今からおよそ十年ほど前の――こと。
初めてお会いした時はまだ本当に小さい子供でした。
まだ小学校に上がられたぱかりの頃で、お忙しい玄冬様や秋穂様とあまりお会いできないことを寂しがって夜に一人でお泣きになられていたのをよく覚えています。
あの時はヌイグルミ四体といっしょに(ちなみに名前をスティーヴ、マッケン、ジャンポール、ヴィクトリカといいます)春香様のお部屋にまでお邪魔して、お眠りになられるまでベッドの傍らでその小さな手を握らせていただいたのですが……
「……」
それが今ではこのように明るい笑顔を見せてくださっていて――
もう春香様は私がいなくとも一人でやっていけるということでしょうか。
その小さな手を握っていなくとも、安心してお笑いになれるということなのでしょうか。
それは喜ばしいことであるはずなのに、その一方でどこか寂しいというか一通りではない感情が胸の奥で渦巻いていて……
ガツン。
「……っ」
そんなことを考えていると注意が散漫になっていたのか、近くにあった棚に軽くぶつかってしまいました。
……いけません。
普段ならばこんな些細なミスをすることなんてないはずなのに……
少しばかり自己嫌悪を覚える私の頭上で、
ガタン!
「……?」
続けて何かが崩れるような音が聞こえてきました。
それとともに棚の上からダンボール(北海道名産新巻鮭チップス入り)が落下してくるのが目に入ってきます。
「……」
おそらくは今の衝撃で崩れてしまったのでしょう。
ただこの角度と落下の仕方から見て、この場から動かなければ当たらないはず――
そう判断して動かずにいたところ、
「葉月さん、危ない!」
「……!」
そんな声が響き渡りました。
裕人様です。
持っていた荷物を投げ捨てるとそのまま真っ直ぐにこちらに向かって走ってこられて、
ドサリ、バタバタ!
私の上に覆い被さるようにぶつかってこられました。
「い、いつつ……」
「……」
「だ、大丈夫ですか、葉月さん?」
「……はい、問題ありません」
「そうですか、それならよかった……」
本当に安心されたような顔で息を吐かれます。
私を庇ったせいでご自分は背中にダンボール(北海道名産新巻鮭チップス入り)の直撃を受けたというのに……
「……」
……そうですね。
この方は――裕人様はこういう方でした。
いつも周囲の人のことを気にしていてだれに対しても誠実。外見は不器用だけれどその内にある心根は真っ直ぐで……
そんな好ましい心の持ち主だからこそ、春香様もああして安心した表情を見せられるのでしょう。私個人としても、この四ヶ月間裕人様という方の人柄に触れさせていただいて、そのお気持ちはよく分かります。
「……」
「……葉月さん?」
「……いえ。ありがとうございました」
――きっと、この方になら春香様をお任せすることができます。
あの小さな手を安心して委ねることを……
「……?」
不思議そうな表情を浮かべる裕人様の手を取りお立ちになるのをお助けして、
何かを悟ったような気持ちで私も立ち上がったのでした。
「――それでですね、こことかいいと思うんです」
「そうなのか?」
「はいです。少し前に雑誌で見付けたんです。その時からきっとぴったりだなって……」
スーパーマーケットからの帰り道。
少しだけ日が傾き始める中、前方では春香様と裕人様が来た時と同じように仲睦まじく並んで歩かれていて、この近くに最近できたという喫茶店のお話をされています。
本当に楽しそうなお二人の雰囲気。
その様子を見守っているとふいに春香様がこちらをくるりと振り返られて、
「あの、葉月さん。よろしかったからこれからちょっと喫茶店に寄っていきませんか?」
「……喫茶店、ですか?」
「はい、どうでしょう?」
にっこりと笑いながらそう言ってきてくださいました。
その提案は普段であれば喜んでお受けするものなのですが……
「……いえ。私のことは気にせずに、どうぞお二人で楽しんできてください」
「え?」
「葉月さん?」
「……今日は買い物にお付き合いいただいてとても助かりました。これ以上お二人のお時間を取らせるわけにはいきません。荷物の方は私が持っていきますので、春香様たちはお二人でゆっくりと楽しんできてください」
ここは気を利かせるべきでしょう。
裕人様なら立派に春香様をエスコートしてくださると思いますし……
なのでそのように申し上げたところ、
「え、葉月さん、来られないのですか……」
「……え?」
春香様がこの上なくしょんぼりとしたような顔でそう声を落とされました。
「あの、何かご用事でもあるんでしょうか? まだ途中のお仕事が残っているとか……」
「……いえ、そういうわけではありませんが」
「でしたらごいっしょに行きましょうです。きっと葉月さんも気に入ってくださると思います」
一生懸命なご様子で腕を引っ張ってこられてきます。
「……。……ですが」
私がいなくとも裕人様がごいっしょなら十分に楽しめるのでは……? というかむしろ私がいては邪魔になるのではないでしょうか……?
だけどその言葉に、
「そ、そんなことないです!」
「……え……」
春香様は思いも寄らない強い調子でそう言われました。
「は、葉月さんが邪魔だなんて、そんなことあるはずないです! それどころか私にとってはかけがえのない存在で……。さっき裕人さんともお話しをしていたんです。葉月さんにはいつもお世話になってますから、葉月さんが好きそうなお店を探していっしょに行きましょうって……」
そう言って春香様が差し出してきたチラシには、『ネコ喫茶・キャットファイト』と書かれていました。
「……これは」
「こ、これから行こうと思っていた喫茶店です。葉月さん、ネコが大好きですよね? だから……」
ということは、わざわざ私のためにこのお店を探してくださったということで……
「ど、どんなところでも、葉月さんがいっしょにいるから楽しいんです。葉月さんが傍で笑っていてくださっているから楽しいんです。どんなにわくわくして華やかな場所でも……葉月さんがいらっしゃらないと、つまらない、です」
そう言うと春香様はその細い手で……ぎゅっと私の手を握ってきてくださいました。「だから邪魔だなんて……そんなこと、言わないでください……」
「……あ……」
柔らかく温かな感触。
それは大きさこそ違ったのだけれど、あの時の小さな手と本質的には変わっていなくて。
私は……胸の奥から温かい何かが溢れ出るのを止めることができませんでした。
「……春香様……」
「は、葉月さん……」
嬉しさのあまり思わず道の中央で見つめ合ってしまって、
「あー、なんかすげぇ俺が入り辛い雰囲気なんですが……」
裕人様が苦笑混じりにそう言ってこられました。
「あ、そ、そういうわけではなくて……」
その言葉にあたふたとされる春香様に、
私は心の中で小さな笑みを浮かべて、
「……分かりました。それでは皆で手を繋いで行きましょう」
「え?」「お?」
「……皆で仲良く、にゃんこ喫茶へごーです」
春香様と裕人様の手にそれぞれ触れ、ぎゅっと握りしめました。
お二人も初めは少しだけ戸惑ったようなご様子でしたが、すぐに受け入れてくださって、
「……」
両手に温かい感触を覚える中、
これからも春香様のメイドとして、全身全霊をもってお仕えしていこうと心に誓ったのでした。
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ディレクション:中山信宏 コーディネート:加藤美奈子
デザイン:村瀬貴(stream inc.) ライター:菱田 格 (ぽろり春草)
小説:五十嵐雄策 協力:電撃文庫編集部
C[#○にCopyright]五十嵐雄策/アスキー・メディアワークス/『乃木坂春香の秘密』製作委員会
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