DVD「乃木坂春香の秘密」第3巻 初回限定版パンフレット
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《》:ルビ
(例)乃木坂春香《のぎざかはるか》
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(例)完全|無欠《むけつ》
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(例)[#「みなさん」に傍点]
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し い な の ひ み つ ○[#白抜きのハートマーク]      著:五十嵐雄策
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八月十七日。
その日、あたしたちは学園から五駅離れた遊園地の中にあるプールに遊びに来ていた。
「よーし、突撃だー! 行っくぞー!」
「りょ、良子《りょうこ》ちゃん、ちゃんと準備運動しないと危ないよ……」
「だいじょうぶだいじょうぶー! さっきちょっとだけピラティスしたからー。ほらほら、椎菜《しいな》も行こー!」
「あ、うん」
流れるプールや波のあるプールなどのいくつものプールが入った複合施設。
いっしょに来ているのは良子と麻衣《まい》の二人である。
こっちに転校してきてから特に仲良くなった二人で、夏休みになってからも何回か色々なところに遊びに行ったりもしてる。今日は良子が「やっぱり夏といえばプール、プールといえば夏だよー! うん、みんなでプール行こうプールー! 行けなきゃ近くの川で鮎といっしょに遡上してやるからー!」と言い出したことから、こうしてプールにやって来ることとなったのだった。
「あー、やっぱりプールはいいよねー。人類の生み出した夏を楽しく乗り切るための英知の結晶っていうかー。ほら見て見て、シンクロナイズドー♪」
「そ、それだと犬神家みたいだよ、良子ちゃん……」
交わされるのはそんな楽しげ(……だよね?)な会話。
良子も麻衣もいつも通りで、ノリは学校にいる時と全然変わらない。
ただ本当なら今日はあと二人来るかもしれないはずだったんだけど……
「――んー、でも乃木坂《のぎざか》さんと綾瀬《あやせ》っちは残念だったよねー」
と、そこで良子が自称シンクロナイズドを止めてそう言った。
「どうせだったら人数が多い方が楽しかったのに、二人ともちょうど来られないなんてさー。夏とプールに対する気合いと情熱が足りないなー。麻衣もそう思わないー?」
「そ、それはそうかもだけど……。だけど用事があるんだったら、仕方ないと思うよ」
その麻衣の言葉に、
「むー、正論をー。でもよりによって二人揃って今日に限って空いてないなんてー。……んー、あ、そっか、これはもしかしてあれかー? 二人してどっかにデートにでも行ってるから来られないとかかー♪」
にやりと楽しそうな笑みを浮かべてそんなことを口にする。
「ふっふっふー、ひと夏のメモリーに似合いそうなそこはかとないラブの匂いが……。椎菜ー、何か訊いてないー?」
こっちを見ながらそう言ってくる。
「え? うん、あたしも特には……」
首を振ってそう答える。
あたしが電話をしたのは裕人の方だけど、特に理由とかは何も言ってはいなかった。
ただ何か用事があるってだけで……
それはちょうど昨日の夜――
「――はい、もしもし綾瀬だけど」
携帯の向こうから聞こえてきたのは、そんなちょっとぶっきらぼうな声だった。
「あ、裕人、今だいじょうぶ?」
「お、椎菜か? ああ、平気だ」
すぐに肯定の返事が戻ってくる。
それを確認してあたしは続けた。
「あのさ、明日って空いてるかな?」
「え、明日?」
「うん、麻衣たちとプール行くんだけど、裕人もどう?」
「……」
ついちょっと前に良子から電話で聞かされた内容。
その言葉に少しの間だけ考え込むような沈黙が流れていたが、
やがて、
「あー、明日はちょっと……。悪い、先約があるんだ」
「先約?」
「ん、ああ、夏コ――」
「?」
「――!! あ、い、いや、そうじゃなくてだな」
少しだけ慌てたような反応が返ってくる。
「??」
「あー、や、本当に何でもないんだ。それよりスマン、そういうわけで明日はちょっとマズくて……」
受話口から聞こえてくるすまなそうな声。
詳しい事情は分からないけど、どうも明日はダメみたいだった。
んー、残念だけど、先約があるならしょうがないよね。
「あー、そっかー。じゃあ仕方ないね。また今度誘うよ」
そう言うと裕人は少しだけ声のトーンを落として、
「スマン、この埋め合わせはいつかするから」
「あ、いいっていいって。それじゃあね」
「ああ、またな」
そう言い合って電話は終わった。
交わした会話はだいたいそんな感じだった。
時間にしてだいたい五分くらい。
途中で言いかけてた「なつこ……」っていう言葉はちょっとだけ気にはなったけど、それ以外には特に変わった様子とかはなかったと思う。
ちなみに乃木坂さんの方には良子が誘いの電話をしたみたいだった。
乃木坂さん、携帯を持ってないってことだったから直接家に電話したって話だけど、いきなりメイドさんが出て驚いたって言ってた。何だかやたらと硬い感じの口調だったって言ってたから、たぶんあの水泳特訓の時の無口な方のメイドさん――葉月《はづき》さんなんじゃないかと思う。
それで誘ってみた結果だけど……乃木坂さんもやっぱり何か用事があるという理由で今回は来られないみたいだった。
でも乃木坂さんはたくさん習い事をしているって話だし、夏にはピアノのコンクールとかもいくつかあるから、この時期忙しいのは当然だとも思う。それだけですぐに二人揃ってどっかに……って結びつけて考えるのもどうなんだろ?
心の中で少しだけ首をひねっていると、
「んー、そっかー。椎菜が分かんないんなら別にほんとに何でもないのかなー」
と、良子がそんなことを言った。
「? それってどういうこと、良子?」
「えー、だってさー。椎菜って私たちの中で一番綾瀬っちと仲いいよねー? ていうかクラスの中でもトップクラスに綾瀬っちマスターじゃないー? だからその椎菜が知らないってことはそうなのかなーって」
「え?」
仲いいって、あたしと裕人が?
「そだよー。だって隣の席だってことを割引いてもよく話してるしさー。それに転校初日から知ってたみたいじゃーん。もしかして昔に転校とかで別れた運命の幼馴染みとかー?」
「あ、それは……」
運命。
そう言われて頭に浮かぶのは……転校前の裕人との何回かのエンカウント。秋葉原に新居用の電化製品を買いに行った時とか美味しいって評判の銀果堂《ぎんかどう》のケーキを見に行った時とか、どっちもちょーっとばっかり思い出すのは恥ずかしい出会いだったけど、あれもあれで、その、運命みたいなものなの、かな……?
ほんの少し前のことを思い返しながらそんなことを考えていると、
「んー、なーんか怪しいなー♪」
「え? な、なに?」
「何かを物思うようなその顔……ははーん、さては現在進行形で恋する乙女とかー? ほらほら、吐いちゃえー!」
「あ、ちょ、ちょっと良子!?」
水しぶきとともに後ろから抱きつきながらわきわきと手を動かしてくる。
「口で言えないなら直接身体に訊いてやるー♪ 口ではどう言ってても身体は正直……むー?」
「え、え?」
と、そこで良子の動きが止まった。
「ていうか椎菜ー、制服の上からだと分からなかったけど……おっきいー!」
「え?」
「しかもただおっきいだけじゃなくて張りはちょうど手頃だし弾力も抜群だし……何だこのけしからん身体はー! 弄《もてあそ》んでやるー、それそれー♪」
そう言うと良子はさらに活発に手を動かしてきた。
「な、や、やめてって、りょ、良子!」
「ふっふっふー、だめー、やめなーい♪」
水着の中にまで手を入れて動かしてくる。ちょ、ちょっとこれはいくら何でもやりすぎ……っ……
何とか逃れようとするものの絡み付いてくる良子の手はその動きを休めることを知らずに――
「おおー、トレビアーン♪」
「そ、そこはだめだって! ひ、ヒモが取れちゃうし!」
「えー、いいじゃーん。イヤよイヤよも好きのうちっていうしねー♪」
「だ、だから……」
その傍らでは麻衣が、
「し、椎菜ちゃん、大丈夫!? りょ、良子ちゃんの目が餓えたホオジロザメみたいだよ……」
そう声を上げながらおろおろと顔を動かすばかりだった。
「ふう……」
自動販売機に硬貨を入れながら、あたしは小さく息を吐いていた。
何だかものすごく疲れた気分だった。
あれから十五分。喉が渇いたから飲み物を買ってくるって言って、やっと良子のセクハラ(?)攻撃から解放されたのだった。
「恋する乙女とか、別にそんなんじゃないのに……」
取り出し口からジュースを手に取りながらそんなことを考える。
それは裕人は他の男子の友達とは違う感じがするっていうか、話しやすい相手なのは間違いないと思う。水泳大会の時もあんなに親身になってくれたし、いいやつ……だとは思う。
「……」
で、でもさ、それですぐにその、好きとか恋だとかって言うのは違うんじゃないかな……
よくは分からないけど、それだけでそういった判断を下しちゃうのは何だかすごく早計な気がする。早とちりっていうか……
それにあたし自身……正直好きっていう感情は、まだはっきりとは分からないんだよね。
今まであんまりそういうことを意識したことはないし、本当の意味でのそういった想いを持ったことはまだないわけだし……
「……」
……うん。
だったら今はまだそんなことを考えてもしょうがないか。
はっきりと分からないことをくよくよ悩んでるなんていうのは、どう考えてもあたしのキャラじゃないよね。良子もたぶん半分以上は冗談で言ったことだと思うし。
「戻る、かな」
そう結論付けて、麻衣たちのところへ戻ろうとして、
「?」
ふと、途中のプールサイドで女の子が泣いているのが目に入った。
小学校低学年くらいの、三つ編みのかわいらしい女の子。
両手を顔に当てて小さく声を上げながら顔をうつむかせている。
「? どうしたの?」
気になって声をかけてみると女の子は顔を上げて、
「お、落とし……ちゃった、の……」
「え?」
「……に……もらった……お、落としちゃ……って……うっ……ぐすっ……」
しゃくりあげながらそう言ってくる。
涙声ではっきりとは聞き取れないけど、どうも何か大事なものをプールの中に落としてしまったみたいだった。
「そうなの? 落としちゃったのは、どこら辺かな?」
訊いてみる。
すると女の子は真横を指さして、
「……あ、そ……こ……」
今にも消え入りそうな声でそう言ってきた。
その小さな指の先にあったのは波のあるプール。
確かにあそこに何かを落としてしまったのなら、この子じゃ取ってくるのは大変だと思う。
深さも割と深いところだし、流れも少し急になってる。大人だって少し大変かもしれない。
「そっか、あそこに落としちゃったんだ」
女の子の頭に手をやりながら安心させるようにそう笑いかける。
小さく震える身体。
きっと一人きりでどうしようもなくて、途方に暮れてたんだろうな……
「……」
それにしても……って思う。
この子、けっこう前から困っていたみたいなのに、周りの人たちはだれも声をかけてあげなかったのかな。手の空いてそうな男の子とかはたくさんいるのに……。ていうかあそこの大学生くらいの男の子たちなんてこっちを見ながら笑ってるだけだし。
「……」
何だかちょっとだけもやもやした気持ちになった。
裕人だったら……きっとこんな風に困ってる子供を放っておくことなんてしないのに。
不器用だけど真剣な顔で声をかけて、話を聞いてあげたに違いない。
見た目は少しだけぶっきらぼうだけど、裕人はそういう男の子だと思う。そうじゃなきゃ初めて会った時もあんなに一生懸命に乃木坂さんのことを探していなかっただろうし、水泳大会の時だって困っていたあたしのことを助けてくれなかったはずだ。
「……」
……って、あたし、何で裕人のことばっかり考えてるんだろう?
自分でもよく分からない。
でも気付いたらそうだった。
心の中に浮かんでいたのが隣の席の朴訥な男の子の顔で……
「……」
とにかく今はこの子の落とし物を何とかしないと。
あたしはふるふると頭を振って、
「ちょっと待っててね。今取ってきてあげる」
「え……」
「だいじょうぶ! すぐに見付かるから!」
不安そうな女の子にそう笑いかけると、
手に持っていたジュースの缶を脇に置いて、プールの中に飛び込んだのだった。
「お、お姉ちゃん、ありがとう……」
握り締められた両手を見つめながら、女の子が嬉しそうにこっちを見上げてきた。
女の子が落としたのは小さな指輪だった。
お祭りの屋台とかで売っていそうなかわいらしいビーズで作られたミニリング。
話を聞いたところ、誕生日プレゼントに同級生の男の子から買ってもらったものであるらしい。
「よかったね、見付かって。もう落とさないように気を付けないとだめだよ?」
「うんっ」
その声に女の子が手元を見つめながら嬉しそうにうなずく。
本当にその指輪を大事にしている様子だった。
「ありがとう、お姉ちゃん! それじゃ、わたし行くね!」
「うん、ばいばい」
「ばいば〜い!」
そう言って何度も何度もこっちに向かって手を振りながら、女の子は立ち去っていった。
「良かった、無事に見付かって……」
その後ろ姿を見ながらほっと息を吐く。
正直なところ、こういった波のあるプールに入るのはまだ少しだけ苦手だったりもした。
学校以外のプールに入ったのは初めてのことだしそもそも泳げるようになったのがほんの一ヶ月くらい前のことだし……。この前の水泳大会で脚をつっちゃったのも少し心のどこかに引っかかっているのかもしれない。
「……」
それでもできたのは……やっぱり裕人との特訓があったからなのかな。
乃木坂さんやその妹さん、メイドさんたちといっしょに一生懸命に教えてくれたあの一日。あれがあったから、あそこでの確かな時間があったから、少しだけ自信というか安心感をもってできたんじゃないかって思う。
「……」
……ってあたし、気付けばまた裕人のこと、考えてる?
や、もちろん裕人のことだけを考えてたってわけじゃないんだけど、でも考えていることの中に含まれていたことだけは間違いなくて……
あー、も、もう何なんだろう?
そんなつもりはなかったっていうか、最初は全然違うことを考えてたはずなのに……
「…………」
……うう、きっとこれも良子が変なことを言い出したからだ。
運命とか恋する乙女とか。
そのせいで何だか調子が狂っちゃったんだよ。
う、うん、きっと、そうに違いない。
自分に言い聞かせるようにしてそう心の中でうなずいていると、
「あ、椎菜ー、いたー」
と、その当の良子の声が聞こえてきた。
「そんなところで一人で何してるのー。あー、もしかして波のプールで川を遡上するシャケごっこしてたとかー? いいないいなー、私もやるー」
「そ、そんなこと考えるのは良子ちゃんだけだよ……」
「良子、麻衣? どうしたの?」
向こうのプールで待ってるはずだったんだけど……
「どうしたのって、なかなか椎菜が戻って来ないから様子を見に来たんだよー」
「な、何かあったんじゃないかって……」
心配そうな顔でそう言ってくる。
「あ、ごめん。そういうわけじゃなくて……」
そっか、指輪を探すのにけっこう時間がかかっちゃったから……
かいつまんで事情を説明すると、
「そ、そうなんだ?― 大変だったんだね……」
「へー、そんなことがあったんだー。でもよかったじゃーん。女の子を助けてあげられてー。うんうん、これも綾瀬っちのおかげかなー」
「! な、何でそこで裕人が出て来るの!?」
突然の不意打ち的な言葉。
ところが良子はさらっとした顔で、
「えー? だって椎菜、綾瀬っちたちに水泳を教えてもらったんでしょー? それがあったから潜って指輪を探せたんだし、だから綾瀬っちと乃木坂さんのおかげかなーって」
「……」
どうしてこういうとこだけ急に正論を言うんだろう……
それもすごく自然な感じで。ちょっとずるいっていうか……
――でもまあ、それもそっか。
言ってること自体はその通りだし、裕人のおかげだって思ったのはあたしも同じ。
きっとさっきの一連の思考もその流れで出て来ただけで、他に意味なんてないに違いない。
だから変に意識することなんてない……んだと思う、うん。
「んー、どうしたの椎菜ー?」
「な、何だかすっきりした顔してるけど……」
「ううん、何でもない」
不思議そうな顔をしてくる良子と麻衣に笑顔でそう答えて、
「……」
今頃裕人、何してるのかな……?
どこまでも晴れ渡る夏空を見上げながら、何となくそんなことを思ったりもしたのだった。
END
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ディレクション:中山信宏 コーディネート:加藤美奈子
デザイン:村瀬貴(stream inc.) ライター:菱田 格 (ぽろり春草)
小説:五十嵐雄策 協力:電撃文庫編集部
C[#○にCopyright]五十嵐雄策/アスキー・メディアワークス/『乃木坂春香の秘密』製作委員会
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