DVD「乃木坂春香の秘密」第1巻 初回限定版パンフレット
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)乃木坂春香《のぎざかはるか》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)完全|無欠《むけつ》
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(例)[#「みなさん」に傍点]
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は る か の ひ み つ ○[#白抜きのハートマーク]      著:五十嵐雄策
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――それは、私にとって小さな冒険でした。
他の人にとっては取るに足らない些細なことかもしれないけれど、私にとっては冒険と呼べるほどの出来事……
夜に一人でお屋敷を抜け出して、真っ暗になった街を駆け抜ける。
知り合ったばかりの男の人のお家にお電話をして、だれもいない学園に入って図書室でこっそりと本の返却作業をする。
この十六年間生きてきて、あんな体験は初めてでした。
一度にあんな色々な感情を自覚する経験をしたのは……本当に初めてでした。
「……」
真っ暗になった部屋で、ベッドから天蓋を見上げながら思い返します。
つい何時間か前の出来事。
その時のことを頭に思い浮かべると……不謹慎かもしれませんが、今でも少しだけわくわくしてきてしまいます。
それは一人でなかったからかもしれません。
思いも寄らなかった事態に混乱する私といっしょに、図書室にまで行ってくれた人。
私の秘密を知ってもそれまで変わらずに接してくれて、そして名前で呼んでもらうことを約束して、名前で呼ぶことを約束した男の人……
あの方がいてくれたからこそ、今こんな風に心穏やかにいられるわけで……
――どくん。
「…………」
どうしてしまったのでしょう。
何だかあの人のことを思い出すと今でも胸がどきどきしてしまいます。まるで心臓が自分から切り離されて勝手に動いているみたいというか……今までこんなことはなかったのに……
「……」
何とか胸の動きを抑えようとします。
でも全然収まりません。
それどころかむしろ段々と高嗚りは大きくなっていくようで……
ほ、本当にどうしてしまったのでしょう……?
考えれば考えるほど胸の奥が熱くなってきて、目が冴えてきてしまいます。
自分でもどうしようもない感じで……
だけど早く寝ないと、明日の学校に障ってしまいます。
ただでさえ少しだけ寝る時間が遅くなってしまったので、これ以上夜更かしをするわけにはいかないです。
「……」
何とか眠りに就《つ》こうと、枕元にあったテディベアのキンググリズリーくんを抱きしめたのでした。
「……春香《はるか》様、起きてくださいませ」
「う……ん……」
カーテンの向こうから射してくる柔らかな光と、耳元に響く同じくらいに柔らかく温かな声でゆっくりと意識が覚醒していくのを感じました。
「……そろそろ起床いたしませんと学園に遅れてしまいます。朝食の支度もすでに整っておりますので……」
「あ……はい……です……」
まだ少し眠たい目をこすりながら身体を起こすと、そこにはいつも通りの優しげな面持ちで葉月《はづき》さんがいらっしゃいました。
「おはようございます……葉月さん」
「……はい、おはようございます春香様」
深々と頭を下げて挨拶をしてきてくれます。
葉月さんはおうちでメイド長さんをやってくださっている方です。
私が子供の頃からお屋敷でいっしょに暮らしていて、ずっと傍で色々とお世話をしてくださっていました。私にとってはほとんど家族のような大事な人の一人です。
「……春香様、大丈夫でしょうか?」
「え?」
と、葉月さんがそう尋ねてきました。
「……今朝は珍しくずいぷんと眠そうに見えますが。何かあったのでしょうか?」
「あ、はい。昨晩はちょっと――あっ」
言いかけて慌てて言葉を止めます。
昨夜の冒険のことは葉月さんにも内緒なのです。そもそも夜八時以降の一人での外出は禁止ですし、黙って出かけてしまったことが知られてしまっては余計な心配をかけてしまいます。
それに……何だか、昨日あったことは他の方には秘密にしておきたい感じなのです……
「……? どうかされましたか?」
「い、いえ、何でもないです。だ、だいじょうぶですから」
不思議そうな顔をされる葉月さんに、慌てて首を振って答えます。
葉月さんは少しの間目をぱちぱちとされていましたが、
「……そうですか。ならよろしいのですが」
「は、はい」
すぐにそううなずいてくださいました。
よ、よかったです。うまくお話を逸らすことができたみたいです……
「……ですが昨晩は無事にミッションを成功させられたご様子で何よりです。良き出会いもされたようで、私としても喜ばしく思っております」
「え? 何か言いましたか、葉月さん?」
「……いえ、何でも」
「?」
「……それよりもご準備ができましたら『大朱雀《おおすざく》の間』へどうぞ。朝食ができております」
「あ、はい。そうですね」
うなずき返して、
葉月さんといっしょにダイニングヘと向かったのでした。
「あ、お姉ちゃん、おっはよ〜♪」
ダイニングには、すでに美夏《みか》が来ていました。
イスに座ってホットミルクを飲みながら、こちらに向かって楽しそうにぶんぶんと手を振ってきます。
「今日はいつもよりちょっと遅かったね〜。どうかしたの?」
「あ、えと、ちょっと昨晩は寝付きが悪くて……」
「ふ〜ん、そっか〜。お姉ちゃんでも寝坊しちゃうことなんてあるんだ〜。へ〜」
こくりとマイカップを傾けながらそう言って、
「ま、それより早くご飯食べよ〜よ。今日は料理長の小鮎《こあゆ》さん特製のホットケーキがあるんだって。ね、那波《ななみ》さん」
「はい〜。それに加えてデザートにはアップルマンゴープリンがありますよ〜」
傍らに立っていた那波さん――葉月さんと同じように昔から私たちの身の回りのお世話をしてくださっている方です――がにこにことそう楽しげに言われました。
「……春香様、紅茶をお飲みになられますか?」
「あ、はい」
「……本日はダージリンの二番摘みの良いものが入っております。マスカットフレーバーがとてもよく出ておりますので、ストレートでお飲みになるのがよろしいかと」
「そうなんですか? わあ、でしたらそれでお願いします」
「……ではすぐに淹《い》れてまいります」
うなずいて葉月さんが厨房スペースヘ向かっていきます。
それはいつもと変わらない朝食の風景。
普段と同じ和やかで穏やかな朝の時間です。
でもどうしてか、私の心は普段よりも弾んでいるような気がします。
どこかうきうきしているというか、何か胸の奥が浮き立つような……
「あれ〜、お姉ちゃん、なんかいいことでもあった?」
「えっ」
「な〜んか楽しそうってゆうか、どことなくテンション高めな感じがする」
「そ、そうでしょうか?」
「うん、すっごく。……はは〜ん、さては」
「な、何でしょう?」
そこで美夏はにんまりとした顔になって、
「わたしにはぜ〜んぶお見通しなんだから。このヒンデンブルグ号(飛行船)みたいな浮かれ具合――ずばり、オトコでしょ!」
ぴっ! と指を差しながらそう言ってきました。
「え、お、おとこ……?」
「そだよ! オトコってゆうかいい入ってゆうかすい〜とはに〜ってゆうか〜。う〜ん、お姉ちゃんにもようやく春が来たってことかな〜」
「え、えと……?」
それはどういった意味なのでしょうか……?
確かにあの方は男の人でとってもいい方ですけれど、何だかそういうことを言っているのではないような気がしますし……
言葉の意味がよく分からずに首をひねっていると美夏は
「は〜」とため息を吐いて、
「……。……違うみたいだね。てゆうか相変わらずだな〜、お姉ちゃんは。そんなじゃオトコどころか男の子の友達ができるのにも三十年くらいかかるんじゃない?」
「?」
「ですがそれが春香様のいいところですよ〜」
「……ピュアピュアです」
「ま、そうなんだけどさ〜。でもこのまま免疫がない状態じゃそのうちヘンな天然男にでもだまされたりしないかって、わたし心配で心配で……」
「……それは大丈夫かと思われます。春香様の人を見る目は確かですから」
「え?」
と、葉月さんがそう言われました。
「……あの方ならば、きっと春香様の力になってくださると思います」
「? 葉月さん、それってどゆこと?」
美夏が首をかしげたところで、
「あ、デザートのアップルマンゴープリンが来たようですよ〜」
那波さんがそう声を上げられました。
「え、ほんと? わ、マンゴ〜マンゴ〜♪ みやざきみやざき〜♪」
「あらあら〜、そんなに慌てなくてもプリンは逃げないですよ〜」
「……プリンだけに、その場でストップリンです(真顔)」
嬉しそうにそう顔を見合わせる美夏たち。
そうして、いつものように楽しく朝食の時間は過ぎていきました。
「それじゃお姉ちゃん、また学校が終わったらね〜」
「はい。美夏も気を付けて登校してくださいね」
「だいじょぶだって、わたしももう子供じゃないんだから〜。じゃまたね〜」
ぶんぶんと手を振って美夏が走っていきました。
美夏が通っているのは私立|双葉《ふたば》女学院。白城《はくじょう》学園とは違って、ここから電車で二十分ほど行ったところにある女子校です。途中までは道が同じなので、毎朝この分かれ道まではいっしょに通っているのです。
美夏と別れて、ここから学園までは一人で歩いて行くことになります。
お父様は何かあったら危ないから車で通学しろというのですが、距離的にも近いですし、歩く方が健康にいいので徒歩通学をすることにしているのです。
分かれ道から五分ほど歩くと、周りには少しずつ白城学園の生徒の姿が見えてくるようになりました。
「おはようございます、春香様」
「いい天気ですねー」
「今日も朝からとっても素敵ですぅ」
「あ、おはようございますです」
声をかけてくださるみなさんに挨拶を返します。
「あ、の、乃木坂さんもこっちだったんですね。おはようございます」
「おっはよー、乃木坂さーん。朝にいっしょになるなんて珍しいねー。寝坊でもしたのー?」
「あ、はい、今朝はちょっと起きるのが遅くなってしまって……」
日直で通り過ぎていくクラスメイトの朝比奈さんや澤村さんともそのような会話を交わしながら、
学園へと続く道を歩いていきます。
そんな中、
「あ……」
あの方が……前の方を歩いているのが見えました。
学園指定のブレザーに身を包んだ昨晩お世話になった殿方。
手元のけいたいでんわ≠ノ目を落としながら学園の方へと向かわれているようです。
「あ、裕人さ――」
その背中に声をかけようとして、
ふと思いとどまってしまいました。
……私から声をかけてもいいのでしょうか?
何だか急に不安になってきてしまいました。
あの方は……迷惑に思わないでしょうか。
私の秘密を、趣味を知ってしまって、なおかつ昨日はあんなご迷惑をかけてしまって、それでもお友達として私と
接してくださるでしょうか……
もちろん、あの方の言葉を疑うわけではないです。
『そういう趣味があったって乃木坂さんは乃木坂さんだろ。それが変わるわけじゃない』
『うまく言えないけど、乃木坂さんにもそういう意外な一面があるって分かって、何か嬉しかったっていうか……』
『じゃあ俺のことも……裕人でいい。仲のいいやつは、皆そう呼んでるし』
あの方が言ってくださった言葉。
それは本当に心からの言葉で、そこに作り事などないに違いありません。
でも一歩を踏み出そうとするとどうしても昔のことが、中学校の頃のことが頭に浮かんできてしまって……
昨日のあれは全部夢か何かで、現実は何も変わっていないのでは……などと思えてきてしまうのです。
「……」
ふるふる。
頭を振って暗い考えを振り払います。
あの方に限ってそんなことがあるはずがないです。
これが夢だなんてことは……あるはずがありません。
私は思い切ってお腹にきゅっと力を入れて、
あの方の――名前を呼びました。
「ゆ、裕人さ〜ん!」
「?」
声が届いたのか、あの方――裕人さんは顔を上げてこちらを振り返ってくださいました。
「お、おはようございます、裕人さん」
名前を呼びながら駆け寄っていくとあの方はその場で立ち止まり、
「お、おはよう、乃木坂さ――」
「……」
「あ、あー」
そこで何かに気付かれたかのように軽く咳払いをして、
「――じゃなかった。あー、ええと、そ、そのだ、春香……でいいんだよな?」
「あ……」
そう言われました。
「あ、や、やっぱりまずかったか!? そ、そうだよな、いくらあんなことがあったとはいってもいきなり昨日の今日で名前で呼ぶなんてのはやっぱり――」
「い、いいえっ!」
「え?」
「そ、そんなこと、ないですっ! ぜ、全然、まずいなんてことは……っ! それどころかむしろ……っ」
思わず大声でそう叫んでしまいました。
だって……嬉しかったんです。
昨日までと同じ笑顔で、変わらずに接してくださったことが嬉しくて幸せで……
「あ、あー」
私のその反応に裕人さんは少しの間戸惑ってしまっているようでした。
でもすぐにはにかんだような笑みを浮かべられて、
「そ、そっか。だったら……」
「……」
「お言葉に甘えて、名前で呼ばせてもらうな。おはよう――春香」
「あ……」
そう言ってくださいました。
私が聞きたかった、一番の言葉。
その声はとっても優しげで温かで、胸の奥がどきどきとしてくる不思議な響きが含まれていて……
「春香……?」
こみ上げてくる嬉しさとともに顔を上げて、
私はもう一度、その名前を□にしたのでした。
「――はい。おはようございます、裕人さん♪」
うららかな日差しに照らされた通学路を、裕人さんと二人並んで歩いていきます。
裕人さんは『ドジっ娘アキちゃん』のことを調べていてくれたらしく、けいたいでんわ≠ノ映った画面を見せてくれます。
「あー、何だ。俺も春香が好きなアニメを少し勉強しとこうかなって……」
「わあ、そうなんですか? 嬉しいです……」
思わず覗き込んでしまいました。
「あ、この子はダメっ娘メグちゃんといって、アキちゃんのライバルっていうか……」
「おお、そうなのか?」
「はい♪ それでですね……」
「ふむふむ」
優しい眼差しでうなずいてくださる裕人さん。
その隣にいられることが、今はとっても嬉しくて幸せで。
「……」
温かい気持ちに包まれて歩きながら思います。
願うのなら、こんな幸せな時間がこれからもたくさんやって来ますように――
END
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ディレクション:中山信宏 コーディネート:加藤美奈子
デザイン:村瀬貴(stream inc.) ライター:菱田 格 (ぽろり春草)
小説:五十嵐雄策 協力:電撃文庫編集部
C[#○にCopyright]五十嵐雄策/アスキー・メディアワークス/『乃木坂春香の秘密』製作委員会
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