駒田信二
一条さゆりの性
[#表紙(表紙.jpg、横100×縦145)]
目 次
一条さゆりの性の深淵
一条さゆりの性の秘密
一条さゆりの性の虚実
一条さゆりの性の宿命
一条さゆりの性の波瀾
一条さゆりの性の休日
一条さゆりの性の迷路
一条さゆりの性の終宴
一条さゆりの性の受難
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一条さゆりの性の深淵
『ヌード・インテリジェンス』という雑誌がある。
その最新号に「東西ヌードスター名鑑」という特集があって、二十数人のストリッパーの名があげられているが、そのなかに、一条さゆりの名もある。
彼女の写真の下には、つぎのように書かれている。
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一条さゆり 本名吉田律子 新潟生れ 芸者出身の変りだねヌード。初舞台は銀座のショーボート。うれしかったという。芸者時代、みっちり仕込まれた日舞は定評がある。はじめ日劇ミュージックを受けたが、身長がすこし足らず不採用になった。舞台のアイディアは常に斬新で、ローソクベッドは迫真の演技である。B90、W65、H93のプロポーション。お人好しで涙もろいが、気も強い。芸一筋に生きている。将来は小料理屋を開業したいそうな。
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私がはじめて彼女の舞台を見たのは、浜松のKという劇場でだった。去年の秋である。
そのころ私は、ある雑誌に「すとりっぷある記」という雑文を連載していて、編集者の斎木《さいき》と二人で、毎月定期的にストリップを見歩いていた。浜松へいったのは、その「すとりっぷある記」の何回目かの取材のためだった。
その劇場の看板には、
〈炎にむせぶローソクベッドのナンバーワン 一条さゆり〉
と大きく横に書いてあって、その下に、
〈黒人ヌード〉〈金髪ヌード〉〈中国ヌード〉
と小さく書き並べてあった。
「一条さゆり。たしか、ヌード雑誌に写真が出ていたのを見たおぼえがあります」
と斎木がいった。
私たちは開演時刻表を見て、最終回(四回目)が夜の七時半からであることをたしかめた上で、車で浜名湖の弁天島へいった。そこに宿がとってあったので、一風呂浴びて、夕食をすませてから出なおすことにしたのである。
私と斎木とは、年はだいぶんちがうが、背恰好も顔の輪郭も似ており、ともに言葉つきも軽快ではなく、重たい方である。もっとも、斎木は大きな鋭い眼とギリシャ型の立派な鼻を持っているが、私はいわゆる垂れ目で、鼻も彼のように高くはない。だが、一見似ていると見えて、「ストリップある記」をしているあいだに、踊子から、ご兄弟ですかとたずねられたことが何度かある。
弁天島の宿の女中も、はじめはそう思ったようであった。夕食の給仕をしながら、
「あなたがた、ご兄弟?」
ときいた。私はほとんど酒が飲めないし、斎木も二、三杯ですぐ赤くなるたちである。それでそう思ったのかもしれないが、とにかく、為体《えたい》のしれない客だと思ったらしく、こんどは、
「ご商売はなに?」
ときいた。ストリップを見にきたのだというと、
「スカウト?」
とききかえした。やがて、ほんとうにストリップを見にきただけなのだとわかると、いかにもあきれたという顔をして、ステッキ・ガールと遊ぶのならわかるが、わざわざ東京から泊りがけでストリップを見にくるなんて解《げ》せない、といった。
夕食後、劇場へむかう車のなかで、私は、Sという女流作家がある週刊誌のためにストリップを見て、なぜ男どもがあのようなものを見るのかわからぬ、くだらないことだ、と書いていたことを思いだした。
私はそのことを斎木にいって、
「もし、|見る《ヽヽ》ことではなくて|行なう《ヽヽヽ》ことについてなら、Sさんもああは書かなかったろうな。たとえば、ストリップを見るのじゃなくてステッキ・ガールを買うことであれば、なぜそんなことをするのかわからぬとも、くだらないことだとも、いわなかったんじゃないか。あの女中と同じようにね。つまり、女というものは男よりも現実的なんだよ」
といった。すると運転手が、ステッキ・ガールという言葉を引きとって、
「このごろはだいぶん減りましたよ、ステッキ・ガールも」
といい、いわば観光ガイドふうに、「浜松名物ステッキ・ガール」のあらましを話してくれた。
ステッキ・ガールは、何年か前、不況であちこちの小さな織物工場がつぶれたとき、職場を失った女工たちが町に立って客を引きだしたのがはじまりで、田舎出の純情な娘が多くて評判がよかったことから、見る見るふえて一時は千人を越え、クラブという名の、いわば置屋のようなものも数十軒できたが、そのうちに週刊誌が争って書きたてたので、当局の取締りがきびしくなり、いまではかなり数が減っているという。
「女工さんでストリッパーになったのはいないかしら」
「ストリッパーよりもステッキ・ガールの方が、てっとりばやいからね。誰でも、すぐなれるもの。それに、たぶん、かせぎもステッキ・ガールの方が多いでしょう。たとえ、ストリッパーになったのがいたとしても、この土地ではやりませんよ」
運転手はそういい、もし遊ぶのならクラブへ電話をかけて呼んだ方がよい。町に立っているのもいるが、そういうのにはヒモがついていたりして、ひどい目にあうこともあるようだから、と忠告してくれた。
私たちが劇場へはいったとき、舞台は三回目のおわりのところだった。
エプロン・ステージのさきの、前から三列目に空席があったので、私たちはそこへ掛けた。最終回のときあらためて見るつもりだったから、私は眼を踊子だけには集中せず、舞台の装置や、天井のミラー・ボールや、照明室の具合などを見まわしたりしていた。舞台にむかって右側の壁には鏡がはめこんであって、踊子がエプロン・ステージへ出てくるとその全身が映るようになっている。
ひととおり見てから、眼を踊子にもどしたとき、私は異様な感にうたれた。
「ずいぶん勃起させていますね」
と斎木がいったのだ。その勃起という言葉は、まさにあたっていた。
「全くねえ」
と私はいった。仰向きになって、弓なりに反らせている胸の、ゆたかな乳房の先端に乳首がピンと突っ立っているのが、遠くからでもはっきりと見えるのである。
踊っているうちに、いつのまにか乳首がふくらんでくる踊子は、これまでにも見たことはあった。しかし、この踊子のように著しいのは、はじめてだった。
「あれが、一条さゆり?」
と私は斎木にきいた。
「そうだと思います。仰向いているのでよくわからないが、たしかにあれです」
やがて彼女はベッドを離れ、腰巻をして、舞台に立った。憂いをふくんだような顔に、かすかに優しい笑みをたたえている。プロポーションも美しい。背の高い人だと思った。
彼女は舞台のあちらこちらの縁にしゃがんで、前にあてた腰巻をゆるゆるとすり上げるように上げて、見せた。
踊子のなかには、しゃがんで覆いを取っても、かたく腿を閉じあわせて全く見せないのもおれば、また、「ええいっ、さあ、見やがれ」といわんばかりに大きく開けて見せる、ふてくされたようなのもいる。だが、彼女のは全くちがった。きわめて優美に、そうするのである。
彼女がエプロン・ステージの先端にきて、しゃがんだとき、不意に怒濤に襲われたような中で、私と斎木は観客たちにとり残されてしまった。私たちの右から、左から、うしろから、どっと観客が飛び出してエプロン・ステージの先端へなだれこんでいったのである。
私たちは、もういちど見られるという余裕で、ただ、ざわめき動く観客たちの黒い頭だけを見ていた。
「この席ではだめだな。終ったら横の方へいこう」
というと、
「人口四十万の町に、ここ一軒だけじゃ無理もありませんよ」
と斎木はいった。
その回がおわると、私たちは鏡がある側の、エプロン・ステージの中ほどのステージ際《ぎわ》に空席を見つけて、そこへ移り、最終回をはじめから見た。
「黒人ヌード」は、黒人ではなかった。黒人らしく顔やからだを黒く塗ってもいなかった。肌の色がいくらか他の踊子よりも黒ずんで見えるのがいたが、ほかには「黒人」らしいのはいなかったから、それが多分「黒人ヌード」だったのだろう。
「中国ヌード」は、はじめに京劇ふうの衣裳をつけて踊っただけで、中国人とは見えなかった。若い美人だった。彼女は下着だけになってから、私の前にきてしゃがんで、黙って腰紐を指さした。私が結び目を引っぱってその紐をほどくと、はだけた下着の下に、また紐があった。それもほどくと、
「ありがとう」
といって私の手を軽く握ってから、立ちあがって、あとは自分でぬいだ。
二人とも、ていねいに見せた。
「金髪ヌード」は、髪の毛だけではなく、下の毛も同じ金色に染めていた。その毛はかなり長く、波をうってその下をほとんど覆いかくしていた。人工の毛をつけていたのかもしれない。全部で九人の踊子のうち、彼女のだけは見えなかった。
この「金髪ヌード」以外はみなあからさまに見せたから、いつもならその一つ一つの形をおぼえているはずだった。ところが、一人だけ、大きく左右に開けて中の襞をピクピク動かして見せたのがいたことをおぼえているだけで、ほかのはみな、どんなふうだったか忘れてしまった。
あとで斎木にきいてみても、
「一条さゆりの印象が強烈で、あれを見たとたん、それまでに見たのは、みんな忘れてしまいましたよ」
といった。私も、そうだったのである。
浜松にくる二、三ヵ月前、私たちは鶴見へいった。そこのBという劇場でのことである。やはりベッド・ショーをやる踊子だったが、彼女がそれをおわってエプロン・ステージの方へ出てきたとき、私はハッとして、斎木にいった。
「あの人、知ってるよ」
私の住居は東京の郊外だが、隣町の立川にも劇場がある。私はその劇場の社長と親しくしていて、彼にすすめられて半日ほど踊子たちと楽屋でしゃべっていたことがある。そのときに知りあった一人だと思ったのであった。
ところが、彼女が私たちの傍にきてしゃがんだとき、私はすぐ別人だったことに気づいた。顔はよく似ていたが、下の形が全くちがっていたのである。内側の二枚の扉が大きくはみ出し、殊に一枚のそれは垂れさがるような具合になっていた。
「ああ、ちがった」
というと、斎木は笑って、
「あれ、ちょっと変ってますね」
といった。
そういう明らかなものはともかく、その位置の上下、内外の扉の肥痩、長短、色の濃淡、その他一つとして同じものはない。
だから、いつもの場合は、もしみんなが見せれば、十人前後の踊子のそれぞれの形は大体おぼえているのだった。
だが、ここではちがった。それは私にも斎木にも、はじめての経験だった。
彼女ははじめ、大奥の女の衣裳で踊った。踊りは群を抜いてうまかった。踊っているだけで客席のなかに拍手がわいた。その踊りが、大奥の女の空閨のもだえを、うまく表現していたからである。
ところが、しばらくすると、彼女はよろよろとよろけた。それは明らかに演技ではなかった。足を踏みちがえたように見えた。踊りがうまいだけに、その崩れははっきりとわかった。
彼女はそのまま、舞台の袖へよろけこんでいった。客席に波が立つようなどよめきがおこり、舞台の裏にもさわがしい声やあわただしい足音がおこった。
しかし、彼女はすぐまた出てきて、はじめから踊りなおした。ところが、前と同じ場面でまた足を踏みはずし、前のように舞台の袖へよろけこんでいったのである。舞台の裏のさわぎが前よりも大きくきこえ、
「早く!」
というような鋭い声もきこえてきた。これは大変な場面にめぐりあわせたぞ、と私は思った。
幕がするすると閉じられた。
「倒れたのでしょうか」
と斎木がいった。ほかの客も大きな声をあげる者はなく、不安げにささやきあっているだけだった。
〈あるストリッパーの死〉
私はそういうタイトルを思いうかべた。しかし、口には出さなかった。
そのとき、閉じられていた幕が、またするすると開けられ、彼女が出てきて、二口三口、なにやらいいながら目礼をして、また踊りはじめた。白い額に汗のつぶが浮き出していた。
こんどは彼女は無事に踊りおわった。割れるような喝采がおこる。彼女は笑顔でそれにこたえ、長襦袢一つになって、舞台の奥の蒲団の上に横たわった。踊りのつづきを、ベッド・ショーとしてやるのである。
身もだえをしながら仰臥した彼女の枕もとには、三本の太い蝋燭が束ねられてあかあかと火が燃えている。彼女は仰臥したまま右手をのばしてその蝋燭の束を取り、胸の上にたかだかと掲げた。蝋燭の束からこぼれ落ちる蝋が、見る見る彼女のゆたかな両の乳房を、石膏でかためるようにとじこめていく。
客席にはしわぶき一つおこらない。熱くないはずはない、あるいはマゾヒズム的な快感でも感じているのだろうか、と私もかたずを呑みながら見つめていた。
やがて、彼女は蝋燭の火を吹き消した。と、明るい照明が、円形に彼女の全身を照らし出した。いつのまにか長襦袢はぬがれていて、彼女は全裸だった。照明の輪の中で、全裸の彼女は右手を下におしあて、中指をその中に没して(と私には見えた)、録音テープからきこえてくるもだえ声にあわせて、あるいは激しく身を反らせ、あるいは左右に身をくねらせ、あるいは一転して俯臥しながら、右手をうごかしつづける。
それは迫真の演技であった。いや、演技ではなく、行為そのもののように見えた。
終ろうとするとき、彼女は仰臥したまま一段と高く腰を上げてむきをかえ、その正面を客席の方にむけた。手をはなしたとき、照明にきらりと光って、そこのぬれているのが見えた。そのあと、彼女はぐったりと蒲団の上に身を沈めた。テープの声がそこでやんだ。
しばらくして彼女が起きあがったとき、客席にはまた割れるような喝采がおこった。それからは三回目に見たときと同じだった。
ほかの踊子とはちがって、彼女はほとんど化粧をしていない。それでいて美しかった。正面の顔は、いくらかさびしげな、したしみやすい感じだったが、横顔には人を拒絶するような気品があった。私はその横顔の方を美しいと思った。
彼女は舞台のあちらこちらでしゃがんで見せていたが、しばらくすると私と斎木の席の前にきて、静かにしゃがんだ。そして、片手でゆるゆると腰巻をすり上げながら、片手では、小百合《さゆり》の花弁のような二枚の扉を左右にあけ、薄桃色に光る花筒の中を窺かせた。
しばらくして彼女は指をはなした。すると花弁はゆるゆるとひとりでに閉じられていったが、その閉じられていく花弁のあいだから、花筒の奥深くから、一条《ひとすじ》の流れがするすると流れ出してきたのである。
私は息がつまった。激しい感動にうたれたというよりほかない。流れは糸を引くように内股へつたわり、しばらくのあいだは、つづいて溢れ出す泉が、その小川を流れつづけていくのが見えた。照明の光がそれに映えて、それはきらきらと光りながら流れつづけていた。
彼女が立ちあがったとき、私の周辺からはいっせいに、
「ほーっ」
という吐息のような嘆声があがった。息をつめていたのは私だけではなかったのである。
私はそれを、おそらくは再び見ることのできない光景だろうと思った。
だが、そうではなかったのである。その後も私は何度かそれを見た。そして見るたびに感動にうたれた。
私は以前、中国の風流小説『肉蒲団』『如意君伝』『痴婆子伝』などを、週刊誌や読物雑誌にきわどく語りなおして連載していたことがあった。それらの小説にはみな、女主人公たちの滂流横溢《ぼうりゆうおういつ》してやまないことが語られている。滂流横溢とは、あふれ流れることである。
私はそれを書きながら、そういうことが果してあるのか、あるいは絵そらごとの誇張にすぎないのか、もしあるとすれば、それはどこから出るのかと疑問に思い、あれこれと調べてみたり、人にきいてみたりしたが、なかなか釈然としなかった。ところがそのうちに、友人の医者が『東京医師会雑誌』(第二十巻第四号)を貸してくれた。
それには、長沢米蔵博士の「スケネ(skene)腺」というエッセイが載っていた。それによると、女性の外性器分泌は、従来バルトリン腺からのものと考えられていたが、ほかに、尿道開口部の両側に、対称的にスケネ腺という腺の開口部があって、そこからの分泌もあるという。その分泌液は無色透明で、粘着性はなく、ほとんど無臭で、「どんなに多量の分泌液が溢れ流れても、忽ち乾燥して殆んどあとを残さないのが特徴」であると記されていた。
このスケネ腺の開口部は、人によって、尿道口の両側に対称的に二つずつあることもあり、また、一つずつだけのこともある。一つずつの場合は、開口部が大きく、分泌もさかんで、その流量あるいは流域は、二つずつの場合よりも大であるとして、つぎのような実例があげられている。
A氏の愛人のある中堅舞踊家は、その分泌液が特別の芳香をもち、しかも、激しい興奮状態を持続するという。A氏の話によると、彼女の分泌はまことにすさまじく、雪解けのときの谷川の流れのようで、その液体だけでシーツの広範囲をべとべとに濡らしてしまうが、すこし時がたつと、粘液性ではないので乾いてしまってほとんどわからなくなる、ということである。
長沢博士はまた、つぎのような実例もあげている。
「われわれの友人で、いまは故人になったが、その道の達人を以て自他ともに許しておったT君は、ある若き女性を納得せしめ、明視し得べき状態において、クリトリスに刺戟を加えたところ、その女性が興奮状態になってくると、あの尿道口外側の開口部から、実際にトロッ、トロッと流出して、忽ちにして性器全体に溢れてきたのをハッキリと実験しておるのである。
また、彼《か》の性学者|押鐘《おしがね》博士は、ある人妻から相談を受けた。それは、『あたしはあのときどうも分泌が多くて困ってしまいますの。一回行なうのに何回も始末しなければどうにもならないんです。何か病気ではないでしょうか』ということであった。そこで博士は日を約束して、彼女の自宅に赴き、彼女を仰臥させ、彼女自身に自由にクリトリスを刺戟させ、顔を近づけて観察しておると、彼女興奮したとたんに、シュッ、シュッと音をたてて分泌液を噴出し、その液が直接博士の顔面に奔《はし》って、博士はビックリして顔を引っこめたということであった。
私も一、二度、興奮時、音をたてて噴射した実例を知っている。こんなことは相当にあるのではなかろうか」
長沢博士のこのエッセイによって、私は、滂流横溢ということがかならずしも風流本作者の誇張ではないことを知った。
まことに事実は小説よりも奇で、トロッ、トロッと流れ出ることはともかく、シュッ、シュッと音をたてて噴出することを書いた風流小説は、私はまだ読んだことがない。
ところで、私と斎木は、その劇場がはねてからも、興奮なおさめやらぬ思いで、しばらく夜の町を歩いてみた。ステッキ・ガールらしい女にも幾人か出会ったが、私たちは行為するためではなく見るためにきたことを思いかえしたからというわけではないが、また、見るためにきたからといってもついでに行為したところでさしつかえはないのだが、彼女から受けた感動のあまりの大きさに、行為することがかえって空しく思われてきて、そのまま、車を拾って宿へ帰った。あるいは、これは私だけの感慨で、若い斎木にはまた別な思いがあったのかもしれないが。
宿へ帰ってから、私はさきの長沢博士のエッセイの話を斎木にした。斎木は興ありげにきいていたが、私の話が終ると、
「しかし、一条さゆりのは、そのスケネ腺とかバルトリン腺からではなく、扉をおしわけて奥の方から流れ出てきましたよ」
といった。
たしかに、そうだったのである。それは私もはっきりと見た。そこで私はもう一つ、別の話をした。
これも中国の風流小説のことだが、感きわまると花心がぐいぐいと戸口の方へせり出してきて、花心の先端の口から精を漏洩するということが書かれている。これについても私は疑問に思い、その道に実践的にくわしい友人にきいてみたことがある。女も射精するのかと。するとその友人は即座にいった。
「するやつもいるよ」
「ほんとうか。錯覚じゃないのか。あれを花心へおしあてていると、そんな気がするだけのことじゃないのか。だいいち、いくというのは、女の場合は射精することじゃないだろう?」
「それはそうだ。しかし、最後に出すやつもいるよ」
実践家のいうことだから私も屈服しないわけにはいかなかったが、しかし、なお釈然としないものがあった。
ところがその後、私は、ある婦人雑誌の付録の「夫と妻の医学」という本で、著名な医学者のF氏がつぎのように書いているのを見た。
「女性にも男性の精の射出に相当するものがあるかどうかということは、なかなかむずかしい問題ですが、オルガスムスのとき、全身の痙攣に呼応して、バギナやウテルス筋の収縮がおこり、殊にウテルスは下垂して、その頸管から精を排出することが、人によって著明にみとめられることがあります」
頸管というのは、花心《ウテルス》の先端の口のことである。
私がこの話をすると、斎木は、
「彼女の場合は、前のスケネ腺とかからでなくて、その方かもしれませんね。それにしても、一日に四回でしょう。四回もあんなことをしていたら、からだがもたないでしょう。今夜舞台で倒れそうになったのも、そのためかもしれませんね」
「うん、とにかく、あした会って、きけたらきいてみることにしよう。ところで、彼女いくつぐらいかしら」
「二十五、六というところでしょう」
「そんなところだろうな」
「美人ですねえ。踊りもうまいし」
「そう、ぼくたちがこれまでに見てきたストリッパーのなかに、あんなのはいなかったな。あの人をみたら、もうほかのは見られなくなるのじゃないかな」
事実そうだった。私の「すとりっぷある記」は浜松のあと、二回つづいたが、私も斎木もストリップ歩きにだんだん興が乗らなくなってきて、その二回きりで、もうよそうということになってしまったのである。どうやら私たちは、一条さゆりに、いわば|いかれて《ヽヽヽヽ》しまったようであった。
翌日の昼ごろ私たちは、劇場へ電話をして彼女を呼び出してみることにした。ストリップを見歩いてそのことを雑誌に書いている小説家とその雑誌の編集者との二人組、ということをあかして、食事でもいっしょにしながら話しをききたいと申しこむことにしたのである。電話をかけている斎木に私はいった。
「マネージャーというのがいるだろうから、その人に話したほうがいいよ。その方が彼女も安心して出られるだろうし、こっちも、へんにかんぐられたりするのはいやだから」
「マネージャーもいっしょに呼びましょうか」
と斎木はいった。
斎木はもそもそと、かなり長いあいだ話していたが、やがて電話をおいて、ほっとしたように、
「待っているから劇場まできてくれということです。出かけましょうか」
といった。そして、
「劇場の人にかわって、はじめ彼女が出てきたので、わけを話して、マネージャーというところをうっかりご主人といってしまったのです。そしたら、あら、わたしに主人がいるのかしら、なんて笑って、それから、ちょっとお待ちくださいといって男にかわりましたよ。まずかったかな」
と笑った。
「いや、上出来だよ。会ってくれるのなら」
と私も笑った。
彼女はマネージャーと並んで、劇場の前で待っていた。プリント模様のミニのワンピースを着た彼女は、清楚で美しく、ストリップ劇場の前に立っているのが場ちがいのようにさえ見えた。舞台のときもそうだったが、ほとんど化粧らしい化粧はしていない。舞台では背が高く見えたが、一メートル七十の私や斎木の傍によると、肩までしかなく、小柄だった。着やせするタイプらしく、ほっそりとして見えた。
もうそろそろ第一回のショーのはじまる時間だったが、彼女は、看板(しんがりの出演者のことを彼女はそういった)だから出演までにはまだ二時間ばかりまがあるといった。
マネージャーは中田といったが、私たちはその後まもなく自然に彼を「三郎さん」とその名で呼ぶようになったところを見ると、この青年に親しみを感じたからであろう。言葉は関西弁であったが、気っぷは江戸っ子ふうだった。彼はいつも彼女についているわけではなく、こんども荷物を持って送ってきただけで、仕事があるので明日は大阪へ帰るといっていた。彼は板前で、組合から派遣されて旅館や料亭で働いているのだった。
彼の案内で、私たちは繁華街のレストランへいき、簡単な食事をしながら話した。
昨夜、舞台で倒れそうになったことを、彼女は、風邪気味ですこし熱があったので、舞台へ出てライトが眼にはいったとたんに、めまいがして立っていられなくなったのだといった。
「ああいうこと、ときどきあるのですか」
ときくと、彼女は中田をふりかえって、
「ときたま、ね」
といい
「もう、年だから」
と笑った。
「年だなんて、いくつです?」
「いくつに見えます?」
「ゆうべ、宿へ帰ってから二人で話したんですよ、二十五、六かなって」
「まあ! ありがとう、十以上も若く見てくださって」
と彼女はかくさずに年をいい、
「この商売も、もう、あと二、三年ってとこね」
と、これも中田にむかっていった。すると中田が、
「そういいながら、二、三年たったらまたあと二、三年というにきまっとるんや。いくらやめよというても、やめやへんやないか。おれの収入で暮らしていけんことはないのやけどなあ」
といった。中田は、はやく独立して小料理屋か、すし屋を開きたいのだといった。彼女もそれまでは働くつもりでいるらしかった。
「それにこれは、踊りが好きで好きでしようがないのですよ。ゆうべだって、いや、けさやな、ここの劇場ではじめて会うた踊子にたのまれて、三時ごろまで振付けをしてやっていたんですよ。舞台であんなことがあったあとやというのに」
と中田は私たちにいった。
「前からたのまれていたので、仕方がなかったんよ」
と彼女は、中田をなだめるようにいった。
踊りのことをきくと、彼女は、
「芸者をしていたとき、たたきこまれたのです」
といった。
「芸者だったのですか。道理で、ほかの踊子たちとは身のこなしがちがうと思った。どういうきっかけで、芸者からストリッパーになったのです?」
「借金がだんだんかさんで、身うごきができないようになって。もう、それでもやっとみんな返しましたけど」
「その前は洋舞をやってましたんや」
と中田がいった。
「ストリップをやる前?」
「いいえ、芸者になる前」
「やはりストリップ?」
「いいえ、キャバレーなんかをまわるダンシング・チームです。つらいことがいっぱいあったわ」
くわしくききたかったが、会ったばかりでそう根ほり葉ほりきくわけにもいかなかった。最後に、ききにくかったけれども、泉のことをいい出すと、
「あらっ! わたし、また出してしまったのかしら」
といって、中田の方を見た、
「この人によく叱られるのです。あまり気を入れると、からだがもたないぞって」
中田が引きとっていった。
「投光室(照明室のことを彼はそういった)から見ていると、ようわかるのです。踊っているうちに、だんだん気がはいってしまうらしいのです。そうせんことには踊れんらしいのです。ベッド・ショーのときは、たいていほんとうに出してしまうので、ぼくがついているときは、枕もとに紙をおいといてやるのですが、拭いたことがないのです。いつでも忘れてしまうらしい。だからお客さんにぬれたのを見せることになるんですよ。いかんというのやけど」
「いや、感動しましたよ」
と私はいった。中田がいっているのは、ぬれて光ることで、泉のことではないように思われたが、私も斎木も、そのときは、それ以上はきけなかった。
私たちは彼女と中田を劇場へ送ってから、その足で、さらに豊橋までいった。豊橋にも駅の近くに劇場が一つあったが、見せる踊子は一人もいなかった。私たちはそういうのをPTA推薦とか文部省推薦とかいっていた。当然、客の入りもすくなかったが、そのわずかな客が、踊子が引っこむごとに、拍手のかわりに、「フマジメ!」「ケチ!」などという声を投げつけているのが、おかしかった。
「すとりっぷある記」をやめてしまってから、私は斎木といっしょに大阪へいった。彼女からはいつも連絡があって、いまは野田のY劇場に出ていることがわかっていた。
そこでの彼女の演《だ》しものは、大奥の女ではなくて、壺ふりの女だった。身ぶりと録音テープとで、彼女はたくみに賭場の雰囲気を出していた。
ベッド・ショーは、やはりローソク・ベッドだった。それはいつもと同じように、迫真の演技だったが、それがすんだあとは、私たちのいわゆるPTA推薦ふうで、見せるふりをするだけで見せなかった。
「あれでは、客よりも彼女自身の方が欲求不満になるのじゃないかな。客はベッド・ショーで満足しているから、まあいいだろうけど」
「万博自粛というやつでしょう。彼女だけではなく、ほかの踊子も、みんなPTA推薦だったから」
「大奥の女のときは大奥まで見せたけど、壺ふりの女のときは、ただ壺をふって見せさえすればいいというのかな」
私たちはそんなことをいいあいながら、彼女が呼びにくるのを待っていた。
この劇場にはいったとき、彼女の出番をきいたところ、やがてもう二回目の終りになるから、彼女の出番はすぐだということだったので、
「それでは、二回目がすんだら、児玉と斎木がきていると伝えてください」
とたのんでおいたのである。
かなりたってから劇場の人が、
「すんだようですから、楽屋へどうぞ」
といいにきた。すんだというのは入浴のことである。乳房にはりついた蝋燭を落すために、彼女は一回すむごとに入浴しなければならないのだった。
あとで知ったことだが、『Oh!』という雑誌の六月号に、「万博大阪ストリップ特集」という記事があって、そのなかに彼女のことが書かれている。その筆者も、私たちと前後してこの劇場へいったようである。
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一条さゆりさん、?歳。(推定26歳)
身長156、B92、W60、H90。日舞ヌード。
大変な美人。オッパイの形もいい。
客席で見ていたとき、隣りのカメラマンが「抱かれてみたいなア」と、うなるような声を出した。楽屋で会ったとき、体全体からいい匂いがした。
(中略)
太いローソクを五、六本束ねて火をつける。豊かなオッパイに蝋がしたたり落ちる。もだえ、苦悩の表情。おお、おお。客席はシーンとして声ひとつなし。
――あれ、熱くない?
「そりゃ熱いわよ。はじめのうちは、ヤケドしたもの。ピンク映画の女優さんに教えてもらったの。牛乳をよくすりこんでおいてね、終ったあと、また牛乳で洗うの。これがコツね」
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この筆者も彼女の年齢を、私たちと同じように「十以上も若く」見ている。
私たち二人がはいると、いっぱいになってしまうようなせまい個室の楽屋だった。
「先生と斎木さんが見えていること、全然気がつかなかったわ。ごらんになってたんでしょう?」
と彼女はいった。
「見ましたよ。万博自粛?」
というと、
「それもあるけど、斎木さん、あなた、左のうしろの方の、暗いところにいたでしょう?」
「そう、舞台にむかって左の……」
「わたし、ふっと刑事かもしれんと思ったんよ。すこし近視なもんだから。あとで支配人さんにいわれたわ、一条さん、あんたラスト(看板)なのにちょっと自粛しすぎたんとちがいますかって」
「いかんなあ」
と斎木はしきりに恐縮した、
「目つきがわるいからかな、刑事だと思われることがよくあるんですよ」
「ごめんなさい。このつぎは、ちゃんとやるわ」
「いま、きびしいんでしょう。ほんものの刑事がきているかもしれませんよ。ところで、三郎さんは?」
「今朝はきてたんですけど、仕事で南のホテルへいってるんです。先生がたの見えたこと電話しておきます。出られたらくるようにって」
「ここがはねたら、旅館へきてもらおうかと思って。部屋はとってあるんです。三郎さんはそのホテルに泊りこみなんですか」
「いいえ、ここがはねるころには迎えにくるはずです。でも、電話しておけばいいんですよ、先生がたなら、あの人、安心してますから」
「まさか、彼をほっといて、男二人であなたを旅館へつれこむわけにはいきませんよ。待っていて、いっしょにいきましょう」
三度目の舞台では、彼女はいつものように見せた。花弁を左右に開けて花筒の中を窺かせる、するとそこから泉が流れ出てくるのである。私はそれを、彼女が、
「先生にも、どうぞ……」
といって、私の真正面にむけてそうしたときに見た。彼女が私を呼んだ声は小さい声だったが、私の周囲の客にはきこえたはずである。私は彼らがいっせいに怪訝な眼を私にむけているような気がして、座席が次第に窮屈になってくるのをおぼえた。
斎木と私とはすこし離れた席にいたが、彼女はもちろん、斎木にも、彼女の言葉でいえば「ちゃんと」と見せた。
「いつでも出る、いくらでも出る。不思議ですねえ。はじめて会ったときには、無意識的にそうなるようなことをいっていたでしょう? しかし、いまのは明らかに意識的ですねえ。わからんなあ」
と斎木はいった。
あとで私は彼女にきいた。
「知っている人には見せないとか、見せたくないとかいう踊子もいるでしょう? ぼくは見る方だが、きょうはちょっとはずかしかったな。あなたは平気?」
「先生ははずかしかったなんておっしゃるけど、ちゃんとごらんになったくせに。わたしも、先生と同じよ。はずかしいけれど、見ていただいたのよ。わたしって、とても感じやすいのですね。はずかしいと思うだけで、それでもう感じてしまうようなんです。先生だって、はずかしいとお思いになるのは、きらいではないからでしょう? 色恋とかなんとかいうようなことではなくて」
はずかしいけれども見せようと思う、そう思うことによって興奮し、さらに、はずかしさをおしのけて見せるということにいよいよ興奮する。そのなかにはやはりはずかしさがある、そのはずかしさがまた興奮をかりたてる、ということなのだろうか、と私は思った。
その夜、私と斎木は、その劇場の近くの喫茶店で彼女が中田といっしょにくるのを待ちあわせてから、車を拾ってみんなで旅館へいったが、その車のなかでも、彼女は同じようなことをいった。
「こうして車に乗っていて、腕が触れあうでしょう? 好きな人だったら、わたし、それだけでもう感じてしまうのです」
[相手がぼくだと、なにも感じない?」
「いいえ、先生は好きな人だから。あの人とだったら感じない」
と彼女は助手席に座っている中田をさしていった。
「なにをいうとる。楽屋で誰かに飲まされてきたんとちがうか」
と中田がいったが、彼女はかまわずに、私にいった。
「あの人なら、なにもはずかしいことないから、なんとも感じないのです。先生だとはずかしいから、感じるのです。これ、わかるでしょう?」
「わかるような気もするけど」
と私はいった。つまりこういうことなのだろう、――夫である中田に対しては、見せることにはずかしさを感じないから、見せても興奮を感じない。他人である客に対しては、見せることにはずかしさを感じるから、それをおかして敢て見せることに興奮を感じる。私に対しては、私を知っているという点で、ほかの客に対してよりも、見せることに|より《ヽヽ》はずかしさを感じるから、それをおかして敢て見せることに|より《ヽヽ》興奮を感じる。
やがて旅館の一室で、私と斎木とを前にして彼女がその数奇な半生を語りだしたのも、はずかしさをおかして敢て話すということに、開いて見せることによって興奮を感じるのと同じような、一種の快感を感じてのことだったかもしれない。
新潟生れですが、育ったのは埼玉です、と彼女は話しだした。十二人きょうだいの末っ子で、家が貧しかったからでしょう、まだ物ごころのつかないうちに、どういう縁故からか、埼玉の田舎の種商人の家へもらわれていきました。
養母はやさしい人だったが、小学校一年のときに死んだ。翌年、養父は後妻をもらったが、その母は彼女と同い年の女の子を連子《つれこ》してきた。学校のクラスは同じなのに、弁当のなかみは、全く別だった。四年生のとき、養父が死んだ。まもなく継母は実子だけをつれて再婚していった。彼女は孤児院へ入れられたが、六年のとき、実の兄が引きとりにきてくれて、新潟へいった。嫂《あによめ》の実家へあずけられたが、それまでの環境から、偏窟で反抗的な、気性の激しい小娘になっていたので、嫂の実家でももてあましていた。
戦後まもなく、嫂の母が五十円くれた。それを持って宇都宮へゆき、パチンコ屋の店員になった。住込みで、女中兼子守のようなものであった。そこに二年ほどいたが、店員仲間の姉で東京のデパートにつとめている人がいて、その人の紹介で、ちょうど募集していたエレベーター・ガールの試験を受けたところ、採用された。十九歳だった。生れてはじめてうれしい思いをした。
ネクタイ売場へまわされて、二年つとめたが、客の一人の芸能会社の男と結婚して、やめた。池田というその男は、踊子になれとすすめ、自分も関係している小さなプロダクションに入れて踊りを習わせた。踊りは好きだったので、すぐ上達して、ダンシング・チームの一員に加えられ、銀座のショー・ボートに出た。そのときは、デパートの試験に受かったときよりもうれしかった。二十一歳だった。池田は芸能ゴロのような男で、女好きだった。彼女の給料を巻きあげて、女ぐるいをしだした。やがて、子供が生れた。働けなくなると池田は彼女を虐待しだした。二年後、彼女は知りあいの踊子をたよって、子供をつれて名古屋へ逃げた。
名古屋でもダンシング・チームに加わっていたが、また二年後、東京を食いつめてきた池田に見つけられて、彼の生母のいる四国の松山へつれていかれた。
池田の母親は芸者置屋をしていた。母親はきびしい人で、彼女を女中のようにこきつかった。寸暇もないような中で、奥道後の踊りの師匠のところへも通わされた。からだはつらかったが、踊りを習いにいくのはたのしかった。こわい母親がそばにいないだけでも息ぬきになった。師匠はよい人で、彼女をいたわってくれた。彼女の苦労を見るに見かねて、子供をつれて逃げた方がよいともいった。ゆくところがなければ、わたしがかくまってあげてもよいとまでいってくれた。池田は外に女をかこっていて、めったに家には帰ってこなかった。たまにくれば、彼女に金をつくれといった。できないというと、殴る蹴るの乱暴をはたらいた。
四年間、辛抱をしたが、もうどうにもたえられなくなって、師匠から金を借り、子供をつれて、埼玉の田舎にいる姉をたよっていった。しかし、田舎では働くところもなかった。下の姉が川崎にいて、横浜の外人クラブに出ていたので、子供は子のない埼玉の姉にあずけて、川崎へいった。
下の姉の家へいってから二、三日した夜、姉が外人クラブへ出かけたあとで、姉の夫が彼女にいどんできた。彼女は男をおしのけて逃げだし、車を拾って姉のいる店へいった。姉はなにを勘ちがいしたのか、ひどく怒って、彼女に早く帰れといった。
彼女はタクシーで川崎駅までいったが、帰るところがなかった。あてもなく名古屋までの切符を買った。名古屋のダンシング・チームを思いだしたのかもしれない。ホームで汽車を待っていたが、通過列車が通ったとき、彼女は死のうと思った。気がついたときには、病院で寝ていた。線路の間に落ちて、彼女は軽い傷を負っただけだった。通過列車は急停車したため、彼女よりも重い傷を負った乗客が何人かいて、同じ病院にはいっていた。彼女は切符を持っていたためと、姉夫婦が弁護してくれたために自殺未遂ということにはならずにすんだ。貧血をおこして通過列車に巻きこまれたということになった。
病院を出ると、彼女は、迎えにきていた池田につれられて松山へもどった。芸者に出たのはそれからである。彼女の籍は池田の家にはいっていた。池田は彼女が帰ってから一年後に、交通事故で死んだ。莫大な借金が残っていた。家も他人の名義になっていた。母親もその翌年に死んだ。
母親が死んでから二年たったとき、彼女は名古屋の芸能社をたよっていって、ストリッパーになった。もう、ダンシング・チームにはいれる年ではなかった。川崎の駅で死にそこなった身だ、死んだつもりになればなんだってやれないことはない、と思ったのだった。子供は埼玉の姉の家へ養子にやった。
中田と知りあったのは、ストリッパーになってからである。彼女は内職にキャバレーでも踊っていたが、大阪で彼女のよく出るキャバレーの階上に日本料理の店があって、中田がそこで働いていたときに知りあった。二年あまりつきあってから、同棲した。この人はわたしを助けてくれるかもしれぬと思ったからだった。
おびただしい人生を生きてきたものだ、と私は思った。私は浜松ではじめて彼女の泉を見たときと同じような、一種厳粛な感動にうたれて、しばらくは言葉も出なかった。
斎木も同じだったようである。しばらくして彼はいった。
「ずいぶん、苦労なさったんですね。いや、なんといっていいか。いやなことをしゃべらせてしまって、すみません」
すると中田がいった。
「これくらいの過去のある者やないと、ストリッパーにはなりませんよ。つい、ふらふらとなってしもうたり、ならされたりした者もおるにはおっても、そんなのはストリッパーにはなりきれませんやろ。女にはほかに、らくな生きかたがいっくらでもあるさかいにね」
「ベッド・ショーはいつからやりだしたんです?」
と私はきいた。
「あれはどこやったやろ? 静岡やったやろか?」
と彼女は中田にいった。中田にいうときは彼女は関西弁になる。
「ベッドをやる人が急に休んで、わたしのときに、いきなり蒲団を出されたんです。踊りながら袖へいって、やったことないといってことわったんだけど、どうしてもやってくれというし、蒲団が出されてしまったのに、使わないわけにはいかんでしょう。こまったわ。ベッドだってやっぱり、はじめは誰かに振付けてもらうんですよ。わたしは全然わからないので、自分たちがやるように、なんとかからだを動かしてみたんだけど、はずかしかったわ、あれはもう。すんでも、誰も拍手一つしてくれなかったし……」
「それから、やるようになったわけ?」
「ええ。演技ではできないものだから、ほんとうにやることにしたんです。この人はおこるけど」
「あれ、中指を入れるように見えるけど、それじゃ、ほんとうに入れてるんですね」
「こう、折ってるんです」
と彼女はその形をして見せて、
「そして、ここの関節のところで、ほら、あの、いちばん感度の強いところをおさえるんです」
「迫真の演技じゃなくて、ほんとうにやるわけか」
「そして、出してしまうのです」
出す? するとやっぱり、バルトリン腺やスケネ腺ではなく、花心のさきの口から噴射するのか。
だが、中田がいるので、そこまではききにくかった。
「舞台で出すもんだから、疲れて、家へ帰ると、横になってテレビ見ながら、すぐ眠《ね》てしまうんですわ」
と中田がいった。彼も「出す」といったが、それはどういう状態なのか、やはりきけなかった。
翌日、二人に、
「ゆうべはおそくまで引きとめてすみませんでした。よく眠れました?」
というと、中田は、
「おかげで、ぐっすり眠らしてもらいましたわ。うちやと、アパートでせまいもんやから、蒲団は一つですやろ。ゆうべは二つ敷いてもろたから、ゆったりと、ええ気持で眠らしてもらいましたわ」
「わたしも……」
といって、彼女は笑った。
それから一週間後、私はまた大阪へいった。別な雑誌社の招待で、万博見物に五人のグループでいったのである。
そのついでに、私はまた彼女に会いにいった。彼女は野田の方は終って、いまは布施の劇場に出ているはずだった。
私が布施のK劇場へいったのは昼すぎだったが、彼女はここでも「看板」だったので、もうショーははじまっていたけれども、まだ彼女はきていなかった。
きたら声をかけてくれるように劇場の人にたのんでおいて、私はショーを見ていた。彼女は、あと二、三人の踊りがすむと出番だというころにやってきて、客席のドアを開けて手招きをした。
廊下へ出ていって見ると、一人の恰幅のよい紳士がいた。彼女はその人を私に、中谷陽さん、と紹介した。冒頭にあげた「東西ヌードスター名鑑」の筆者で、その雑誌の編集長である。
しばらく中谷と話しているうちに、彼女は、もうじき出番だからといって楽屋へはいっていった。中谷もまもなく帰って、私はまた客席へもどった。
ここの劇場は、一般のストリップ劇場とはおもむきがちがっていて、高い舞台もエプロン・ステージもない。半円形の低い舞台にむかって、椅子が扇形に並べてあるだけで、キャバレーふうだった。
舞台の袖の前の椅子が一つあいていたので、私はそこへ腰をかけた。ちょうど彼女の出番だった。
彼女は一曲踊ってから、舞台に坐って挨拶をした。
「わたくし、当劇場にははじめての出演にて、おなじみもございませんので、ひとことご挨拶をさせていただきます。わたくし、姓は一条、名はさゆりと申します。至って未熟者でございますが、一所懸命に演じさせていただきますゆえ、当劇場ともども、今後ともなにとぞよろしくお願い申しあげます」
彼女はここでも、ちゃんと見せた。私に対してもである。野田では、
「先生にも、どうぞ……」
といったが、ここでは、
「商売だから……」
といった。さらにここでは、花弁を開けて泉を流しながら、別の手でクリトリスをむきだしにして、くるくるとなでた。
これは、あとでわかったことだが、私の前が最後だったからである。
彼女が終ると、フィナーレだった。彼女はみんなのいちばんあとで袖口へ引っこむとき、私の前でちょっと腰を落して、
「化粧を落したら、呼びにきます」
といった。
しばらくたって、外へ出てから、
「なににする」
ときくと、
「わたし、ちょっとご飯をいただきたいわ」
といった。近くの小料理屋へはいって、ふぐちりを註文した。それは彼女がいいだしたのだが、鍋が出ると、ふぐはだいたい私の皿へ入れた。
「ぼくはいいから」
というと、
「わたしも、いただいています」
といった。
私は一つだけききたいことがあったのである。それは「出す」ということだった。
「ベッド・ショーで、この前、出すといったでしょう。その出すというの、どういうことかききたいんだけど」
と私はいった。
「そういう気持だから、どういうことかといわれても……。そう、さっき舞台でお見せしたじゃないの」
「いや、ベッド・ショーのときだよ」
「ああ、そう。ベッド・ショーのとき、出してしまうのです。気をやってしまうの。そして、こぼれ出ないように、こう、どういえばいいのかしら、子宮をぐうっとちぢめて、奥の方で締めるの。そうすると、外へこぼれないでしょう。あとで舞台をまわって、みなさんに見せるとき、それをすこしずつ出すようにするんです。さっきは、先生がいちばんおしまいだったから、残ってるのをみんな出してしまった……」
「そうか、そういってもらうと、わかるような気もするんだけど。最初に浜松で会ったときにきいたときは、気がつかないようなことをいってたでしょう」
「そういうときもあるのよ。どうしたのか自分でもよくわからないときが」
「そういうものかなあ」
「口でいうと、うまくいおうと思えば思うほど、どこかちがってくるでしょう? そういうものじゃないかしら」
「東西ヌードスター名鑑」が出ている号の『ヌード・インテリジェンス』に、竹中労さんが「巷談|裸舞《らぶ》哀歌《そでい》」という文章を書いているが、そのなかに、沖縄の猥歌がいくつか紹介されている。その一つにいう、
何時《いちゆ》の世《ゆ》にないば
ホーのもの言《ゆ》がや
くりまでイの哀《あわ》り
語《かた》れすしが
いったい、いつになったら女陰《ほと》がものをいうようになるのだろうか。もしそういうときがきたら、女陰よ、これまでの苦労を語りつくすがよい。――この歌はそういう意味だそうである。
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一条さゆりの性の秘密
大須《おおす》観音で、私は絵馬を買った。
絵馬は本来、信者が奉納するものなのだが、このごろは開運|厄除《やくよけ》のお守としてその模型を売っている神社仏閣が多い。たいていは現代ふうに形や絵模様を変えていて趣きにとぼしいが、この寺のは、古い絵馬がそのまま模《かたど》ってあって、絵柄も色も杉の板の地肌によく合っていた。
「そういうもの、お好き?」
と彼女がきいた。
「うん、おもしろいだろう?」
といって見せると、彼女は手に取って見てうなずいていたが、
「もう一つ、買おうか?」
というと、顔を上げて頬笑みながら、黙って首を横にふった。舞台化粧(といっても、彼女は舞台でも濃い化粧はしないが)を落した素顔の彼女は、気のせいか、少しやつれて見えた。そうか、楽屋の化粧前(鏡台)の横に掛けておくには絵馬はふさわしくないな、と私は思った。
朱塗りの本堂の色と階段のコンクリートの白色とが夏の昼さがりの光にぎらぎら浮き上っていて、外は蒸暑かったが、堂の中は暗く|くすん《ヽヽヽ》でいて、ときおり涼しい風が吹きぬけていった。彼女は腰までとどく長い髪を、洗い髪ふうに肩に流していた。
「おみくじを引こう」
と私はいった。十円玉を二つ入れるとくじが出てくる自動販売機のおみくじ箱だった。一つ入れて、二つ目を入れようとすると、カチャンと音がして、くじが出てきた。
「もうかった!」
といって十円玉を見せると、彼女は屈託のない笑顔をして、
「前の人が一つ入れすぎたんよ」
といった。笑うと目後《めじり》が少しさがって、涼しい目許になる。
くじにはこう書いてあった。
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人がしたら腹を立てることを自分は知らずにやっている
第三十五番 小吉
運 勢
表面に出てはいけません。自分から進んですることは止める事です。無理をしてことをおこなうと大変なことになりますから慎んでおく事です。
○|願 望《ねがいごと》 他人にさまたげられることがあります。
○待《まち》 人《びと》 来るのはむずかしいでしょう。
○|失 物《なくしもの》 出ますがおそくなります。
○旅 行 止めた方がよいでしょう。
○商 売 急に下ることがあります。
○|争 事《あらそいごと》 理由はあっても負ける様です。
○|転 居《やうつり》 よくないです。止める事です。
○病 気 重い様です。気をつける事です。
[#ここで字下げ終わり]
そこまで読んで、彼女は、
「ええことはなんにも書いてないやないの。先生、これはあかんわ、十円しか入れんかったからよ」
といった。私が気にすると思って、わざとおどけた口調でいっているようだった。彼女は以前は、私と話すときにはつとめて標準語をつかったが、このごろは関西弁がまじることが多かった。しかし今でも、あらたまったときは標準語になる。
「あそこへ結んでおきましょう」
そういって彼女は私の手から、そのくじを取りあげた。お堂の傍に、枝いちめんに古いくじの結びつけてある木があった。
「いいんだよ」
といって、私は彼女の手からくじを取り返した。
「新幹線はひっくりかえらずに無事に名古屋についたし、願いごとはかなって、こうして待ち人と会っているんだから」
「待ち人って、わたし?」
彼女はそういって、声をたてて笑った。名古屋の劇場に出ている彼女のところへ私が会いにきたのだから、私が彼女を待ち人というのはおかしかった。しかし、そのとき私は別なことを考えていた。「無理をしてことをおこなうと大変なことになりますから慎んでおく事です」というくじの文句から、つい最近ある文学賞をもらったYという若い女流作家の友人のことを――Yがいったことを、思い返していたのだった。私は三ヵ月前の雑誌に「一条さゆりの性の深淵」という随筆ふうな小説を書いた。彼女のことを書いたのだった。そのときYはつぎのような手紙をよこした。
「一条さゆりの性の深淵」を拝見しました。そして感じたことは、自分はなんてしつっこい人間なんだろう、ということでした。へんな読後感でしょう? 要するに私は、何を見たって読んだって自分のことしか考えやしないんです。
私は、おそらく知合いの人には物たりないほどアッサリした人間だと思われているにちがいありませんけど、それは惨澹たる努力でそう見せかけているだけなのです。白状すれば実に二十年、私は自分の度をこしたしつっこさに悩まされつづけてきたのです。大体、こういう手紙の書きかたでおわかりでしょう、私がどんなに悪くしつっこい人間であるか。限度ということがないんです。どこまでもどこまでもいってしまう。年中それをおさえてなきゃならないんです。
それでも始終、そう感じています、マタヤッテイルと思う。しつっこすぎて全くどうにもなりません。
本当のことをいうと一条さゆりの話は最初、しつっこいと思ったのですが、もう一度読むと、少しもしつっこくないんですね。なぜそう思ったか、それは自分がしつっこいからである、という結論になったのです。
私は一回ぐらい自分のしつっこさをおさえないでいたいのです。
先日、酔っぱらって噛みつくくせがあるが人に噛みつきはしない、と申しましたけど、噛みつくこともあるらしいのです。歯型がつくまで噛みつかれて何日もその跡が消えなかったという人がいて(私の記憶にはないのです)、にわかには信用し難いのでありますけれども、そういうこともあるかも知れませんので、御用心くださるよう、あらかじめ申し上げておきます。今度は飲ませてくださるそうですから。
この間、シー・ジャックとかで男が、船の上で射殺された事件があったでしょう。眼のさめる思いでした。日本でも、こういう死にかたができるのか、と。当分爽快でした。でも相手が女じゃ射殺してくれてがないでしょうか?
「一条さゆり」には良識的な好奇心だけがある、と思いました。誰も汚れないし、どこも痛まず痒くもならず、何も変らない。そうかといって冷酷無慚な眼があるわけでもなし。私はそれを非とします。外野席のお道楽であると判定し、あなたがT・K氏の視点に感心なさるのをむべなりとします。それは御自分が雲の高みにいらっしゃって階段がないからでしょう。あなたは彼女をさげすまぬことでさげすんでいらっしゃるのです。自分は天使のように無垢なままで性など持たぬ顔して、寝たいそぶりも見せずに(その「理由」を科学的に知りたいというためだけで遠いところまで彼女を追いかけていったのだとしたら、それ以上非人間的な行為が他にあるでしょうか。まだ半分は麻痺せずに残っている「恥」と「水の出る機械」を、ドッグ・ショー気違いのように面白がって、しかし、身分があるから慇懃丁寧に温情満ち溢れる恬淡さで)食事をおごり旅館に泊めておいて身上話を聞くワケ知り顔の、顎とがり背高き、学者くずれの小説家あるいは評論家あるいは雑文家を、もしも私が一条さゆりだったならば、どんなに劇しく嫌悪したでしょう! もしも一条さゆりだったら。
私がT・K氏に感激しないのは、私の視点は、もうひとつ女という要素が加わって彼より更にまた一段と低いからです。
剥いても剥いても皮ラッキョ、骨の髄まで削って拡大鏡で一所懸命調べても「先生」の化物の申し分なく優雅な微笑しかあらわれぬ、なんてことマサカない、と信じてこうやって手紙書いてる。
だいぶたくさん齧りましたから、もう大丈夫。お会いしても噛みつきません。このつぎはもっとゆっくり、徹夜でお目にかからせてください。でもお忙しくていらっしゃるからはかない望みか。例によってオワリ脱兎か、阿修羅か夜叉かという手紙。暴言悪口は本性ですからあえてあやまらず。しかし、あんまり怒らないでください。
Yの手紙は、いつでもこういう調子だった。会って話しているときでもそうである。
「痛烈にやっつけられて、かえって愉快でした。あなたはやることがお好きなようですが、私もきらいではないけれども、どちらかといえば見ることの方が好きなようです。視覚型と触覚型です。一条さゆりは何型か、こんど会ったとききいてみます。ただ、私がもし一条さゆりならば、やらない、ワケ知り顔のやさしいおじさんよりも、あれを水の出る機械などと呼ぶあなたの方を嫌悪するでしょう」――私はそういう意味の返事を書いた。
Yは一条さゆりとほぼ同年だった。正確にいうとYの方が二つ若い。Yは浜松に住んでいた。私が一条さゆりの舞台をはじめて見たのも浜松の劇場でだった。そのころ私はある雑誌に「すとりっぷある記」という雑文を連載していたのだが、Yは浜松のことを書いたそれを見て、ほかの用事の手紙のついでに、せっかく浜松まできながらなぜ声をかけてくれなかったのか、という意味のことを例の調子で書いてきた。
浜松で私は、一条さゆりが、ベッド・ショーのあとステージの端にしゃがんで花弁を開けて見せたとき、花筒の奥深くから一条《ひとすじ》の泉が流れ出すのを見て、息のつまるほどの感動をおぼえた。その流れが作った小川をつたって流れつづける泉の水が、照明の光に映えてきらきらと光るのを、私は限りなく美しいと思った。
しかし今、私は名古屋まで彼女のその泉を見にやってきたわけではなかった。ただ会いにきただけだった。今日、私が彼女に会いにきていることは、Yも知っていた。「無理をしてことをおこなうと大変なことになりますから慎んでおく事です」というくじの文句からYのことを、――Yがいったことを思い出したのは、そんなことからだった。大須観音さまのおみくじに戒められるまでもなく、私は彼女と|こと《ヽヽ》をおこなおうと思ってやってきたわけではなかった。
「ご期待にそえなくて、すみませんね」
と私は口の中でYに言った。また痛烈にやっつけられるかな、と思うと、急におかしさがこみ上げてきた。
「おかしな先生やわ」
と彼女がいった。ええことはなんにも書いてないというそのおみくじを、私が彼女の手から取りあげてポケットへ入れてしまったからだった。
「いいおみくじだよ。記念に持って帰る」
と私はいった。
大須は東京でいえば浅草にあたる町のようだった。外の光の中でも、やはり、彼女の顔色は冴えなかった。
「ビールを一本だけ飲まして」
と彼女がいった。
「いいの? 三郎さんに叱られるよ」
というと、
「一本くらいはいいのよ。ねえ、一本くらいええやないか」
と、あとは三郎にいうようなねだりかたをして、からだをすりよせてきた。
マネージャーの三郎は板前職人で、大阪で働いていたが、今夜名古屋にくるはずだった。彼女は九月から一ヵ月間、東京周辺の劇場をまわることになっていた。私は立川の劇場の社長と親しくしていたので、はじめは私が口をきいたのだった。十日ほど前、三郎は名古屋からそのスケジュールのことで私のところへ電話をかけてきたが、そのとき、
「このごろ、毎日病院へ通って注射してますねん」
と彼女のことをいった。
「どこがわるいの?」
ときくと、
「名古屋はきびしいところで、オープンしたらあかんのやけど、それでもえらい重労働やさかいにねえ、暑いから疲れるのですわ。医者は肝臓が少しわるいようなこと、いうてましたけど」
「それじゃ、いっぺん見舞いにいかないとね」
「ちょっと、代りますわ」
そして、彼女を呼ぶ声がきこえた。
「おい、先生が見舞いにいってやるいうてなさるよ」
「先生、お元気ですかあ?」
と語尾に特徴のある声がきこえてきた。
「からだの具合がわるいんだって?」
ときくと、
「別にたいしたことないんですけど、病院へいけいけというもんだから、毎日注射を打ってもらいにいってます。……それで、先生、いつきてくれやはります?」
と急に関西弁になった。三郎が傍から「いつきてくれやはるか、きいてみんか」といったらしかった。
そのとき、今日の日を約束したのだった。
電話がまた三郎にかわって、
「わたしは明日、仕事で大阪へ帰りますけど、そならまた、その日にこっちへくることにしますわ」
といった。
彼女の出ている劇場は、鶴舞公園の近くにあった。昼すぎその劇場へついて名前をいうと、支配人らしい人が出てきて、
「ああ、児玉先生ですか。一条さん、朝からずっと、えらいお待ちかねで、しょっちゅうまだかまだかてききにみえますわ」
といった。売店の人が、冷えたジュースを一本くれて、
「ここで待っていておくなさい。すぐ呼んできますで」
といって、裏の方へ出ていった。しばらくすると彼女が、長い髪を背中に垂らしたまま出てきて、ちょっと立ちどまってから、
「まーあ、先生!」
といって、駆けてきた。
「いまちょうど、一回目がすんだとこです。こんな恰好で……。楽屋は日がさしこんで、うだるように暑いの。つぎの出番まで、外へ出ません? このままでええわねえ?」
「三郎さんは?」
「今夜、仕事が終ってからくるというてました。はねるころになると思うわ」
「からだはどうなの?」
ときくと、腕を出して見せて、
「もう注射するところもないくらい」
といったが、目立つような注射のあとは見えなかった。
「なんの注射?」
「疲労回復の注射らしいのだけど。それでも疲れるわ、夏は。楽屋は昼間のほとぼりで、夜もなかなか眠れないし……」
それから、大須へいったのだった。
彼女はビールを、たのしそうに飲んだ。コップ二、三杯で、もう多弁になってくる。いつもそうだった。
三郎といっしょになるまでは、彼女は浴びるように飲んだという。
「強かったわけじゃないのよ。正気をなくするために飲んだのよ」
と彼女はいった。
ああ、なんでわたしはこんなことをしなければならないのか、と思うと、かなしくてどうしようもないほどだった。男がついていて、稼ぐ金を片っぱしから巻きあげていった。不服な顔をすると、それだけで男は殴ったり蹴ったりした。オープンがはやりだしたころで、男はそれを強いた。酒の酔いにまぎらわさないことには、どうしても、それができなかった。男は酒代だけはくれた。酒を飲んでも、どうしても開けられないときがあった。男は舞台の袖から見ていて、彼女が終って袖に引きこむのを待ちかまえて、いきなり蹴りつけたことがあった。彼女は舞台の上に倒れ、客席までころがり落ちていった。
「そのときの傷が、いまでもあるわ。ほら、もうだいぶん消えてしまったけど、ここに傷があるでしょう?」
と彼女は目後《めじり》に指をあてた。
「あの男にくらべると、三郎はまるで神さまみたいだわ」
ともいった。
彼女は楽屋の片隅で、いつも飲んでいた。あるとき、かなり酔って舞台に出た。刑事が変装して何人かはいりこんできた。知らせがあって、ほかの踊子たちはみな開けなかったが、酔っていた彼女は知らされても気づかずに、大胆に開けて見せた。ふらふらと楽屋へもどってきて、またウイスキーの角瓶を抱きこんでいると、男が二人はいってきて、
「お前見せたな」
といったので、
「ああ、見せたよ。お客さんが見にきてるのに、見せんかったら、商売にならへんやないか」
といい返した。
「きさま、酔っているな」
「飲んだら酔うにきまってるやないか。酔うたらあきまへんか」
「現行犯だ。いっしょにこい」
「どこへつれていくつもりやね」
「警察にきまっている」
「兄さんはおまわりさんでっか」
「そうだ」
「そんなら、出して見せい」
「なにをいう」
「おちんちんやないわい。おまわりさんやという証拠のものや」
「警官を侮辱すると、罪が重くなるぞ」
「兄さんがおまわりさんかどうか、わからんやないか。ストリッパーやからというて、ばかにするとゆるさんぞ」
警官は笑いだして、警察手帳を見せた。
「眼がかすんで、見えんわ。えらいすんませんが、読んできかせてもらえませんやろか」
「立て!」
と警官がいった。このあたりから彼女は、意識して酔っぱらったふりをしだした。立とうとするが立てないような恰好をした。警官は彼女を抱いて立たせようとした。
「酒がこぼれるやないか」
と彼女はいった。
「なにか知らんけど、こいというのならいくけど、これをみんな飲んでしもうてからにしてもらえんやろか」
彼女は瓶をふっていった。ウイスキーはもう、底の方に少ししか残っていなかった。
「しようのない酔っぱらいだな」
といいながら、警官は二人で彼女をかつぎ上げようとした。
「待って! 待って!」
と彼女は叫んで足をばたばたさせ、股を開いた。警官はびっくりして彼女をおろし、
「パンティをはけ」
といった。
「この瓶を持っていってもええというてくれたら、おとなしゅうついていってやる」
「ええから、パンティをはけ」
「どこへやってしもたんやろなあ、すんませんけど、おまわりさん、パンティさがしてもらえませんやろか」
警官は、隣りの楽屋から顔を集めてのぞきこんでいる踊子たちを手招きして、
「さがして、はかしてやってくれ」
といった。彼女は自分でパンティをはき、
「もうええよ」
と警官を呼んで、ウイスキーの瓶をかかえ、左右から警官に支えさせて外へ出た。
警察へいってからも、彼女は泥酔したふりをしつづけた。留置場で一夜をあかして、翌日になると、彼女はこんどは何も知らぬふりをした。
「酒を飲むと、なんにもわからなくなってしまって、すぐ裸になってしまうくせがあるらしいのですけど……。もう、これからは絶対に飲みません」
と彼女はいった。さいわい逮捕歴がなかったので、始末書のようなものを書かされただけで釈放された。引きとりにきてくれた劇場主が、
「あんなに飲んだらあかん。あんたも可哀そうな女やけど……」
といった。そのとき彼女は堰《せき》を切ったように涙が出てきて、なかなかとまらなかったという。
「そのころは、一条さゆりも、ええいっ、見やがれ! の組だったんだね」
と私がいうと、
「そのころはほかの名前をつかってたけど……。むかしの流行歌にこんなのがあったでしょう? たとえ火の酒あおろうと、すねたわたしがなぜわるい――。わたし、あの歌が好きだったわ。そこだけしか知らないんだけど。酔ってそこばかりくりかえして歌っていて、男に蹴りとばされたことがなんどもあった。それでも酔うとまたその歌が出てくるの」
「ずいぶん古い歌だね。ぼくもその歌、好きだよ。ところで、まだ時間はいいの?」
「もう、そろそろね。ご馳走さまでした」
と彼女はいった。わずか一本のビールで、彼女はいきいきとして見えた。しゃべって気が晴れたのかも知れなかった。
私は、彼女のローソク・ベッドとその男とはつながりがあるのかも知れぬと思った。したたり落ちる熱い蝋で乳房をとじこめてしまうことに、もし彼女がマゾヒズム的な快感を感じているとすれば、いつも殴られたり蹴られたりしながらその男につきまとわれていたことと、それは無関係ではないように思われるのだった。
「ここでも、ローソクやっているの?」
とたずねると、
「今はやってないわ。一と月も居坐ってるので、演《だ》しものをいろいろ変えなければならんでしょう? はじめはローソクもやってたんだけど、三郎がからだにわるいからよせというので、いまはやめてるの」
「炎にむせぶローソク・ベッドというのが売りものなのに……」
「また、やるわ。劇場の方からやってくれといわれたら、いやだとはいえないものね。あれ、慣れるとたいして熱くはないのよ」
と彼女は私の気持を見すかしたように、いった。
私は彼女の三回目の出演の時間をきいて、それまでにいくからといい、車を拾って彼女を一人で劇場へ帰らせた。
夕方、私は劇場へいった。
彼女の楽屋は、せまい急な梯子《はしご》段をのぼっていったところにある、六畳くらいの広さの個室だったが、彼女のいったとおり、昼間の熱気がそのまま部屋じゅうに垂れこめているような暑さだった。一方にかなり広い窓があったが、風の通る隙間もないほどに目かくしのビニール板でふさがれていて、それは窓というよりも、昼間のための明り取りといった方がよいようだった。扇風機が首を振るごとに、生温い風を送ってきた。こんな部屋に一と月近くもいたら、からだをこわさない方がむしろ不思議だと思った。
「東山公園の近くの山の上に、宿が取ってあるんだけど、はねたらいこう」
と私はいった。私はこんども、彼女に対して、Yがもし彼女だったら嫌悪するといったことをするつもりだった。
「わーあ、うれしいわ」
と彼女はいった、
「三郎がきてくれるといいんだけど」
「くるんだろう」
「昨日も電話をかけてきたから、くるはずですけど。万博で人手が足りないものだから、あの人もいそがしいのです」
「かえって、わるかったかな」
「そんなことないわ。もしこなかったら、先生もここで夜あかししていかない? はねてからも、みんな暑くて寝られないものだから、明けがたまでわあわあさわいでるから」
「外で泊るとうるさい?」
「それはもうたいへんよ。よその人と外で泊って楽屋をあけたりなんかしたら、すぐ噂にのぼるわ。踊子は旅から旅で、日本じゅうあっちこっちまわるでしょう? だからすぐ日本じゅうに知れてしまうんよ。名の知れない、すぐやめてしまうような踊子なら、別になんにもいわれないし、いわれたってたいしたことはないけど、看板の踊子だったら、そんな噂が立ったら、どこへいっても爪はじきにされてしまって、ひどい目にあうのよ。わあわあさわいでいるときは、みんな仲よくやっているみたいだけど、少し上の方の踊子になると、内心はみんな、相手を蹴とばしてやろうと思って、てぐすねひいて待ちかまえているようなもんだから」
そして彼女はこんな話をした。
例の殴る蹴るのひどい男とやっと別れることができて、少し人気の出かかってきたころのこと、彼女の出番は看板の一つ前だったが、彼女の舞台の方が客の拍手が多いといって、意地わるをされたことがあった。その看板の踊子は、彼女の履物を片方だけ窓から外へ捨ててしまったり、ちょっと外へ出ているあいだに舞台衣裳の袖を切ったり、彼女が舞台から引っこむときに脚を抄《すく》って倒したりした。
「そのとき、わたし、考えたのよ。ようし、お客をみんな帰らせてやろうって」
と彼女はいった。私はすぐには彼女のいう意味がわからなかった。それは、彼女の舞台がすんだら客がみんな帰ってしまって、あとの看板の舞台を見ないようにしてやろう、ということだった。
三郎はよく彼女のことを気性がはげしいというが、なるほど、こういうところをいうのだな、と私は思った。
「それで、それから出すようになったわけ?」
「出すって、あれのこと? ――そうそう、先生にお見せするものがあったわ」
彼女はそういって、衣裳箱から一通の封書を取り出して私に手渡した。ファン・レターで、それにはこう書いてあった。
昨日、スポーツ新聞の案内欄を何の気もなしに見ていましたら、一条さゆりとありましたので、あっ、この人だなと思って、すぐに伊丹へかけつけました。児玉先生が書いておられたとおり、踊りはどの踊り子さんよりもグーでした。しかし、あまり見せてはくれませんでしたね。勿論、出してもくれませんでしたね。万博自粛でしょうか。つぎは吉野だということがわかりました。二、三日中に必ず吉野へ行きますから、そのときには小生にだけ、出して見せてください。小生はメガネをかけていて、アゴヒゲをたくわえております。
「その人、ちゃんと吉野にきていたわ。アゴヒゲでわかったので、眼で合図してみたら、お辞儀をするのよ。学生さんらしかったわ」
「出して見せた?」
「きびしくて駄目なのよ。見せるだけは少しゆっくり見せてあげたけど」
私はその手紙を返して、話をもとへもどした。
「お客を帰してしまおうとした話だけど……」
「出すことね。あれはベッドのときに出しておいて、あとでステージをまわって見せるときに、少しずつこぼすんだけど、そのときはまだ、ベッドはやっていなかったから。あれは、ベッドでないと出せないのよ。でも、わたしは、すぐ濡れるから……」
「同じようなものかしら?」
「要領はベッドをやるときと同じ」
彼女は右手で、影絵の狐に似た形をつくって、その耳にあたる小指と人差指とを動かしながら、
「これとこれで開けておいて、この折った指の関節のところで、上の方のいちばん感じの強いところをこするのよ。そうすると濡れてくるでしょう?」
こういう話のときは、彼女は標準語をつかった。慣れた関西弁では、口に出しにくいのかもしれなかった。こういう話のときはまた、三郎のいる前でよりも、いないときの方が率直で口数も多かった。
「それで、お客を帰らせてしまうことができたの?」
「ええ、わたしがすんで、その看板さんの舞台になると、帰っていくお客さんがだんだんふえていくようになったわ。そしたら、その人、キャバレーの|しょくない《ヽヽヽヽヽ》(内職)に出るから早く帰りたいといいだして、支配人にたのんで|こうばん《ヽヽヽヽ》を変えてもらって、まんなかくらいにしてしまったわ」
こうばんというのは出番のことらしかった。どんな字を書くのかとたずねると、線香の香かしら、と彼女はいった。そのとおりで、あとで調べてみたところ「香盤」と書くのだった。
「よけいに意地わるされなかった?」
「それが、そうやないんよ。その人も何もしなくなったし、ほかの踊子たちも、これまではその人についてわたしを白い眼で見ていたのが、わたしが看板になってからは、逆にわたしの方についてその人のわる口をいうようになったわ」
梯子段の下で、
「おねえさん、上っていい?」
と呼ぶ声がした。彼女は、
「着換えを手伝いにきてくれたんだわ」
と私にいってから、
「ご苦労さん、どうぞ」
と大声で応えた。
若い踊子が上ってきて、黙って衣裳をそろえだした。私は入れかわりに、客席へ下りていった。
客席はほとんど満員だった。舞台では、年とった肥った外人が踊っていた。子供の頭ほどもある大きな乳房を、特種なバンドで釣り上げていた。踊りながら、しきりに自分で手をたたくまねをして客に拍手を促している。それを見て笑いながら拍手をする者もいた。
そのあとが、彼女の出番だった。
「一条さゆり昭和風雲録」
録音テープの声がきこえてきて、照明の円の中に彼女は看護婦姿であらわれた。はじめて見る演《だ》しものだった。それは彼女の得手の踊りではなくて、いわば一人劇のようなものだった。夫を戦場へ奪われた妻が、看護婦をして夫の帰りを待っているうちに、やがて敗戦になるが、夫は帰ってこず、戦後の混乱の中を一人で生きていくうちに次第に淪落の淵へ沈んでいくというストーリーで、その場面場面を録音テープの音や声で背景をあらわしながら、独白もまじえて演じていくという仕組みのものだった。
そして最後はベッド・ショーだったが、それがはじまると同時に、観客たちは一斉にどっと舞台へかけ上って、彼女をとりかこんでしまった。客席に残っている者は三、四人にすぎなかった。こんな光景を見るのは、はじめてだった。
楽屋へもどってみると、スリップ一枚の彼女が放心したように化粧前に腰をかけていた。傍では例の若い踊子が、やはり黙って衣裳を片付けている。彼女はいま水の中からはい出してきたばかりのように、全身汗でずぶ濡れだった。スリップは肌に貼りついていて、阜《おか》の草のあたりが黒ずんで見えた。
私が外へ出ようとすると、彼女は、
「いいのよ、先生」
といって、
「こうして、しばらく休んでいないと、倒れてしまいそうなの」
衣裳を片付け終った若い踊子が、バケツの中の氷塊の上からタオルを取って絞り、彼女のからだを拭きだした。
「ひどいなあ、ここのお客は」
と私はいった。
「みんな舞台の上へかけあがってしまうのなんて、はじめて見た」
「しようがないのよ、ここはちょっとでも見せたらいかんことになってるもんだから、よけい見たがるのよ」
「舞台の人垣の中で見せるの?」
「ベッドやもん、手をあてているから。手をはなさなければ、見えやしないわ」
「はなすの?」
「ここでは、はなさない。見せたらいけないことになってるもん」
「それじゃ、舞台へあがったってしようがないのにね」
「あら、そうかしら。先生だってほんとうはあがりたかったんでしょう?」
「うん、そうだな」
というと、彼女は笑って、
「ごめんね」
といった。そして、
「見せなくても、わたしはちゃんとやってるわ。だから、見えなくても見にくるのでしょう?」
「それじゃ、ぼくも舞台へかけあがればよかった。出してるの?」
「先生ったら!」
といって、彼女は答えなかったが、やがて若い踊子が後片付けを終って出ていってしまうと、
「さっきのことだけどね、出ないときだってあるわ。出さないように手加減をするわけではないけど」
やはり不思議な人だ、と私は思った。
「三郎さんがこないうちに、きいてしまおう。ローソクだけどね、昼間大須で、そんなに熱くないといったけど、あれ、ほんとう?」
「ほんとうよ。腕を一杯にのばしてローソクを高く上げるでしょう? だから蝋は、落ちてきたときは少し冷えてるのよ。でも、全然熱くないわけではないのよ。熱いには熱いけど」
「それが、いい気持なんじゃない?」
「ローソクをしてから、ベッドをはじめるのだから、ローソクで気持をベッドへ持っていくのよ。感じを高めていくわけね。いい気持というわけでもないけど、そのときどきねえ」
「もっときいても、いいだろ」
「あかんいうたらどうする?」
彼女は急に関西弁になって、そういった。顔を見返すと、口をきゅっと結んで、睨んでいるつもりらしかったが、目許が微かに笑っていた。すぐ彼女は咽《のど》を鳴らすような声で笑いだした。
「いいわ。どうせわたしのわからないことばかりきくんだから」
「あなたを殴ったり蹴ったりした男ね、あの男とローソクとは関係ないかしら?」
「ベッドは、あの男と別れてから、だいぶんたってからはじめたのよ」
「その男、あのときも、そんなことをしたんじゃない?」
「どんなこと?」
「殴ったり蹴ったり」
「あのときは全然そんなことしないわ」
「そうかなあ」
「わかった。わたしのこと、マゾじゃないかってききたいんでしょう? わたしそんな気《け》は全然ありません。なんならうちの人にきいてみるといいわ。一つ、先生のききたそうなこといってあげましょうか。こんなこと誰にもいうたことないんよ」
「あれのときのことだね」
「そう。ああ、大サービスやなあ。いうわ。きらいできらいでたまらないのに、その男、あれはとってもいいのよ。顔を見ると、首を絞め殺してやりたいくらいいやなやつなのに、下の方はとってもいいのよ。それがだんだん上の方までのぼってきて、首を絞めてやるつもりの手で抱きついたりしてしまって、それがいやなのに、いいのよ。はい。これでもう、こんな話はやめましょう。もう、ほんとうになにをきかれても、答えないわよ。こんどは、わたしが先生にきく番だから。さっきのわたしの演《だ》しもののこと」
「なんでも一所懸命だからねえ、あなたは。ずいぶん練習したの?」
「させられたのよ。それに、暑くてどうせ寝つかれないものだから。あの本、今ここでコメディやっている人が書いたんですの。その人がまた熱心なものだから……」
「やっぱり、踊りでいった方がいいのじゃない? あれ、ちょっと新劇みたいだよ」
「そうなの。新劇にいたことがあるようなこと、いってたわ。ああ、やっぱり先生もそう思うんね、わたしも、あれ、あんまり好きでないのよ。踊りでなければねえ、やっぱり。それに、戦争のことなんかもう知らないお客さんが多いでしょう? 戦後の闇市とか、パンパンのことなんかだって、もう知らないお客さんがいるからねえ。わたし、そういったら、いや、いま戦争ものブームだから、きっとうけるっていうんだけど。録音テープとるのにも、あれ、だいぶんお金かかったんだけど……そう、先生もやっぱりねえ。はい。もう、いいわ」
八時ごろ、三郎がきた。
「先生、ようきてくれやはりました。先生もおいそがしいでっしゃろに、すみませんなあ。わたしも万博でいそがしゅうて、なかなか暇がもらえませんのや」
「ねえ、あの風雲録、やっぱり先生もあかんいうてなさるよ。わたしと同じ考えなんよ、先生も」
と、彼女はさっそく三郎にいいだした。
「そやろ、そやからおれも、はじめにやめとけいうたやないか。そやけど、ええわ、これも付合いやからなあ。ねえ、先生、あれ、ストリップ劇場にはむかんのとちがいますか」
と三郎は、あとは私にいった。
「そうねえ、温泉劇場とかなんとか、そういうところの演《だ》しものにはいいかも知れないけど。せっかくの踊りをやめさせて、芝居をやらせることはないと思うな。ずいぶん練習したんだってね、せっかくあそこまでやったのに、やめてしまうのも惜しいと思うけど」
「そうや、温泉劇場むきのレパートリーとしてとっておいたらええわな。なあ、そうしよう」
と三郎は彼女にいった。
話しているところへ、梯子段の上に大きな頭だけがあらわれて、
「中田さん、ちょっと」
と三郎を呼び、すぐ引っこんだ。三郎が立っていくと、彼女は私の耳に口を寄せてきて、
「あれが風雲録を書いた人なの。噂をすれば影やわ。うちの人が帰ってきたのを見て、麻雀を誘いにきたんよ、きっと」
といった。しばらくすると三郎がジュースやコーラを入れた箱を抱えてもどってきた。ビールの小瓶が二本まじっていた。
「わあ、親切やわ」
と彼女はいって、
「麻雀とちがうの? そうやろ?」
「ちがうよ」
「ビール買うてきてくれたんで、そう思《おも》た」
「先生に会わせてくれいいよるんや」
「そんなら、上ってきたらええのに。ねえ、先生?」
「もう出番なんや。すんだらくるやろ。――先生、これがもういうたやろと思いますけど、関さんいうてね、風雲録書いた人ですわ。新劇をやっているうちに、劇団がつぶれたかなにかして、こういうところのコメディアンになったらしいのですわ。ここでは若い男二人つれてきて、三人でコメディやってますわ。先生のこと知ってるようなこというてましたけど。なんやらようわからんけど、雑誌をやっとるとかいうてました」
「奥さんがストリップやっていて、奥さんについてまわっているうちに、コメディやるようになったって、いうとったでしょう」
「そうやったかなあ。なにしろこの世界の人間の経歴はややこしいからねえ。幾通りもあったりして」
「そや、関さんがくる前にあんたにいうとかんと……」
と彼女は三郎にいった。
「先生が今夜また、旅館へ泊めてくださるって。そやから、あんた、うっかり麻雀の約束せんといてよ。やるんなら、ここがはねるまでよ」
ビールの小瓶二本で彼女は陽気になっていた。
「お前、先生にねだったんとちがうやろな」
と三郎がいうと、彼女はええええ……と咽喉を鳴らすように笑って、
「先生にきいてみたらええわ」
「かえって迷惑かもしれないけど」
と私がいうと、
「そうですかあ、すみませんなあ、それではお言葉にあまえて、一晩長生きさせてもらいますわ。すみませんなあ」
と、三郎はそれが癖の、頭をかくしぐさをした。
しばらくすると関がきた。
前と同じように梯子段の上に大きな頭だけを出して、
「中田さん、いいですか」
と声をかけ、三郎が、
「ああ、関さん、どうぞ」
というと、すぐはいってきて、彼女があけた席に坐るなり、私に会釈して、
「ここでコメディをやっております、関という者です」
といった。髪は短く刈っていた。角張った大きな顔が肥りめのがっしりした体躯の上に乗っていて、私はどこかで見た顔だなと思ったが、しばらく話しているうちに、よく似た顔かたちの著名なコメディアンがいたことに思いついた。
関は一冊の薄い雑誌を持っていた。それを見せて、
「こういう雑誌に、ときどき芝居を書いております」
といった。
「拝見したことがあります」
と私はいった。それはちょっと名の知れた雑誌だった。
「これは古い号で、私は書いておりません。いま手もとに新しいのがなくて」
そして、目次を指さして、
「これが私の友人で、いっしょに小さな劇団をやっていたのですが、つぶれてしまいまして」
といった。関はまた、故人になった著名な劇作家の名をあげて、ご存じですかといい、その人に原稿を見てもらっていたともいった。
そんな形の自己紹介をしたあとで、関は話をかえて、こんどは、しきりに彼女をほめだした。踊りがうまいとか、芸熱心だとか。そのたびに彼女は、
「ちがうわ、ちがうわ」
といった。ほめかたが的を射ていないのだった。そこから関は、話を昭和風雲録へ持っていって、
「もう、ごらんになりましたか」
ときいた。
「あなたの台本だそうで。演出も」
というと、
「いや、おはずかしいものです。あれがお客にうけているのは、一条さんがうまいからです」
といった。
彼女の着換えを手伝っている例の若い踊子が、また梯子段の下から声をかけて、上ってきた。
関が帰っていくと、彼女は化粧前にむかいながら、
「こんどは先生もご存じの、女賭博師なの。これがすめば、今日はおしまい。あしたはあしたの風が吹くか」
「なんや、酔うとるんとちがうか」
と三郎がいうと、彼女は、
「へえっ、小瓶二本で?」
といって、鏡をのぞきこんだままぺろっと舌を出した。
彼女が出ていってから、私は三郎にいった。
「昼間いっしょに大須へいったんだけど、病院へ通ってると聞いていたせいか、疲れているように見えたな」
「もう年やからねえ、若い踊子とはちごうて、この暑さはこたえますわ。ベッド・ショーが毎日四回ですやろ、そのたんびに本気でやらんと気がすまんのやから。あれではからだが持ちませんわ。いうてもきかせんし、いっぺん先生からいうてやってください」
「ぼくがいうのはおかしいよ。三郎さんにはわるいけど、そこがあの人のいいとこなんだから」
「ここがすんだら十日間、休むことにしてあるんです。根は丈夫なたちやから、すぐ元気になりますわ」
と三郎はいった。
彼女はまた、水からあがったような姿で、汗まみれになって帰ってきた。
「お疲れさん」
と三郎がいった。演《だ》しもののせいか、これでもう解放されたという安堵のせいか、彼女には前のような疲れた様子はなかった。
私はさきに下へおりていった。はねたあとの、明りを一つつけただけの薄暗い舞台で、男と女が稽古をしていた。男は関だった。関は台本片手に熱心に稽古をつけている。根っからの芝居好きなんだな、と私は思った。見ているうちに私は次第に心を打たれていった。
私たちは車で東山公園の近くの山の上の旅館へいった。
「せいせいするわあ」
彼女は部屋へ落ちつくと、何度もそういった。暑苦しい楽屋から抜け出してきた実感でもあったろうが、同時にそれはまた彼女の、私に対する心づかいのようでもあった。
いっしょに、おそい食事をした。彼女はビールを一本飲んで、陽気になっていた。
しばらく雑談をしてから、私は自分の部屋へ引きとることにした。
「ゆっくりお休みなさい」
というと、彼女は、
「もう少しお話ししましょうよ。まだ、寝てしまうのは勿体ないわ」
といって、しきりに私を引きとめた。
私は書きかけの原稿を持ってきていた。今夜それを書きあげ、明日は帰途、浜松で下りてYに会い、夕方帰京するつもりだった。原稿はその夜、渡す約束になっていた。
Yの小説が文学賞の候補に上げられていたとき、別の出版社の編集者のKが私のところへ原稿を取りにきて、
「誰が受賞すると思いますか」
ときいた。そのとき私はYの名をあげた。しかし私はYが受賞するとは思っていなかった。受賞すればよいと思ってそういったのだった。その候補作品よりもはるかにすぐれた小説をYは何篇か書いていた。
それから数日たって、Yの受賞が決ったとき、Kはさっそく電話をかけてきて、
「ご炯眼《けいがん》、おそれ入りました」
といった。
それからまた数日たって、Kは私のところへ、Yに会いたいから紹介してほしいといいにきた。
「紹介なんかいりませんよ。いけば会ってくれますよ」
というと、彼は、
「それでは、二、三日中に浜松へいってきます」
といった。私の名古屋へいく日は、そのときはもう決っていたので、私は彼にたのんだ。
「Yさんに会ったら、二十八日に名古屋へいくから、帰りに寄るかもしれないといっておいてくれませんか」
「名古屋へは、どんなご用です?」
「ストリップを見にいくのですよ」
ストリップといえば、Yにはわかるはずだと思った。
私は一度浮かした腰をまた下して、彼女にいった。
「妙なことをたずねますよ。ここに三郎さんはいないものとして、もしぼくがいま、あなたに、あれをしようといったら、どうする?」
「あれって、あれのこと?」
「うん」
「そんなこと、先生がいうはずはないもの」
「いや、それはわからんよ。もし、いったとしたらだよ」
「それじゃ、もしわたしの方から先生に、しましょうっていったら、先生はどうする?」
「そうか。据膳食わぬは男の恥というから、させてもらおうかな」
「ほら、困ってるくせに。しようという下心で近づいてくる人と、そうでない人とは、わかるのよ。そうでない人でも、かわってくることもあるけど、かわってくればかわってきたで、またわかるわ。先生はかわってこないもの」
「かわってきたとして、そして、しようといったらどうする?」
「ことわるでしょうね」
「あなたが、だんだんぼくを好きになってきたとしたら? 好きになっても、やっぱりことわる?」
「わたし、先生好きよ」
「好きにも二つあるわけだ、したくなる方の好きと、したくならない方の好きと」
「先生も、わたし好きでしょう? したくならない方の好きね?」
三郎が口を出した。
「ストリッパーは、普通の女よりもかたいのですわ。かとうないのも、おらんことはないが、そういうのはストリッパーという看板を掛けた淫売ですねん。ストリッパーには男はいつでも一人ですわ。よその男とくっついたときには、もとの男とは別れます」
「こんなことをいいだしたのは、さゆりさんをモデルにした例のぼくの小説ね、あれを読んだ友達が、その人は女の人だけどね、こんなことをいってきたからなんだ、――女を遠いところまで追いかけていって、親切ごかしにご馳走をしたり旅館に泊めたりしながら、全然手を出そうともしないのは女を侮蔑することだって。それで、さゆりさんはそういうぼくのことをどう思っているかきこうと思ってね」
「きかなくたって、わかってるでしょう? わたし、いったでしょう? 先生を好きだって。親切にしていただくのも、うれしいわ。ご馳走していただくのも、うれしいわ。こうして旅館に泊めていただくのも、うれしいわ。しかし、いちばんうれしいのは、そんなことじゃないのよ、先生がわたしたちをばかにしないからなのよ。だから好きなのよ。三郎だって、だから先生が好きなんだわ」
「ついでに、もう一つ妙なことをきくよ。ぼくのように、泉を見て感動しているやつは視覚型、その友達のように、なぜ手を出さんというやつは触覚型。そうすると、あなたのようなのは何型?」
すると三郎がいった。
「だいたい、男は視覚型、女は触覚型ですわ。しかし、こいつは、どっちの型ともちがいますよ。自分が見るのとちごうて、人に見せるんやから。いうならば、見せ型ですわ」
「見せ型ねえ。そうそう、そういえば、これまでずっとぼくといっしょにきている編集者の斎木さんね、あの人も見せ型なんだ。――酔っぱらうと、出して見せる癖があってね」
「へえ? そうなの? 知らなかったわ。それじゃ、こんど見せてもらおうかしら」
「おい、もうやめとけ!」
と三郎がいった。彼女は冷蔵庫から四本目のビール瓶を出してきて、その栓を抜こうとしていた。
翌朝、私はおそく眼をさました。二人の部屋へいくと、彼女だけがいて、
「うちの人、今朝はやく大阪へ帰っていきました。仕事が、やすめないんだって。先生によろしくいうといてくれと、いうてました」
といった。
むかいあって朝食を食べながら、私は、
「何時までに劇場へいけばいいの?」
ときいた。
「十二時半まででいいの」
という。
「まだ三時間くらいあるね。このすぐ近くに動物園があるんだけど、いってみない? ここでゆっくり休んでいってもいいし、ほかにいきたいところがあれば、いってもいいし……」
「動物園へつれてってほしいわ。わたし、動物園って、いったことがないんよ。子供のときから、いきたくてもいく暇がなかったんよ、お金もなかったし……。子供のときからの念願が、いまごろになってやっとかなえられるなんて」
動物園は午前中のせいか、あまり混んではいなかった。私たちは番号順に、ゆっくり見て歩いた。
「わたしたち、なにに見えるかしら」
と彼女がいった。
「お父ちゃんと娘」
「ひねた娘ねえ。お父ちゃんではちょっと可哀そうだわ、先生が」
「見る方の眼次第で、なににでも見えるよ。夫婦にだって、兄妹にだって、バアのマダムとパトロンにだって……」
「仲よしには見えるわね」
「そうか、それがいちばん素直な眼だな」
ゴリラを見た。二匹のゴリラが、ジュースやミルクを貰っているところだった。二匹は互いに行儀よく自分の番を待っていた。行儀よく待っていながら、早く自分の番がこないかと、いらいらしているその気持が、身ぶり手ぶりにあらわれていて、あわれであった。
「動物っていいわねえ」
と彼女がいった。
「檻に入れられているんだよ」
「人間だって、檻が眼に見えないだけだわ」
「こうしている今でも?」
「今はないみたいね。でも、すぐまた檻の中へ入れられるわ。わたしがなぜ動物っていいと思ったか、先生、わかる」
「わかると思うよ。暑いねえ、氷でも飲まない?」
私たちは売店へはいって、氷レモンを註文した。
「先生、今日帰るんでしょう?」
「うん、あなたを劇場へ送ったら、すぐに帰る」
動物園を出た。出たところの売店で、ぬいぐるみのゴリラを売っていた。
「可愛いわね」
と彼女はいった。
タクシーで劇場へむかった。彼女は劇場の横で降り、ぬいぐるみのゴリラを下げて劇場へはいっていった。私はそのままタクシーを名古屋駅へ走らせた。
[#ここから1字下げ]
私もあれから多少は考えたこともありますが、あれは女のアサハカなる論理でした。でも撤回はしません。女がアサハカなものなら、私はもっとアサハカになるつもりですから。
Kさんから名古屋の帰りにお寄りになるかも知れないと伺ったので、二十九、三十日とテレビも座談会も(このごろそんな話ばかりきます)断って待っておりました。多分寄って下さるまいとわかっていましたけれど。
いま思っていること。
@ さゆりさんを毒殺してやろうか、絞殺のほうがよいか、それとも刺殺、銃殺……。
A わたし花電車になろうかしら。
授賞式は七日です。したがって長篇は七日まで、いや、六日までに仕上げてください。六日にKさんと御一緒に夕食を食べる約束ですから。その夕食はあなたにおごっていただきます。いいでしょ? お忙しいだろうなんて遠慮していたら損だとわかりました。
私は暇なので昼寝ばかりしていて、ついに四キロ半も体重がふえてしまいました。どうも、いつまでたっても忙しくなりそうにもありません。それでKさんに紹介して下さったのかと思いました。
[#ここで字下げ終わり]
Yの手紙だが、彼女は私をからかっているのだった。しかし私は、六日、長篇はまだ仕上っていなかったが、編集者のKに連絡してYに会いにいった。
翌日、ある週刊雑誌から電話があった。Yの小説について語ってくれということだった。
私のその談話は、発売されたその週刊雑誌にはつぎのように書かれていた。
「前に書いた『静かな夏』なんていうのは世界文学のなかでも特異なものだと思うし、日本では類例のない作家ですよ。セックス描写なんかでも、男根を中に入れたまま、中から見てるような感じですね」
[#改ページ]
一条さゆりの性の虚実
「本日は、ようこそおはこびくださいまして、厚く御礼《おんれい》、申し上げます。一条、さゆり、です」
円形の照明の中に正座し、両手をついて客席を見まわしながら、彼女はゆっくりと、おきまりの口上を述べる。
いつもは、「一条、さゆり、です」といって深く頭を下げ、それから、立ちあがって所作《しよさ》に移るのだが、そのときは、どうしたことか、両手をついたままなかなか顔を上げなかった。肩のあたりが小刻みにふるえている。
照明係もテープ係も、あわてた。
「おい、どうした!」
客席からの声にうながされて、彼女はやっと顔を上げたが、その顔はこわばっていて、眼に涙が光っていた。
「申しわけ、ございません」
彼女は両手をついたまま、とぎれとぎれにいった。
「いま、楽屋で、出番のすぐ前に、この劇場の売店のおじさんが、病気で亡くなられたということを聞いたのです。そのまま出てまいりまして、口上を述べながら、そちらの右隅の方を見ますと、いつもはうす暗くあかりのついている売店が、締っていて、ごらんのように、まっくらでございます。わたし、急にかなしくなってきて……」
そこまでいって、絶句した。また涙があふれ出そうになるのを、俯向いてじっとこらえているようだった。しばらくして、また顔を上げてつづけた。
「もう、大丈夫でございます。気をとりなおして、いっしょうけんめい、つとめさせていただきますゆえ、どうぞ、おゆるしくださいませ」
「よっしゃ、わかった!」
「一条さゆり、ええとこあるぞお」
そんな声援といっしょに、盛んな拍手が客席に湧きおこった。拍手はしばらくのあいだ鳴りやまなかった。
阪神野田駅の近くのYという劇場でのことである。
私はこの話を、その劇場の社長の島田から聞いて、いかにも彼女らしいと思った。そのとき、島田の右隣りには『ヌード・インテリジェンス』の編集長の中谷がいた。
「ほう、それは初耳だねえ」
と中谷はいった。私は彼がその雑誌の「東西ヌードスター名鑑」の一条さゆりの項に、「お人好しで涙もろいが、気も強い」と書いていたことを思いだした。
中谷の右隣りには、本人の一条さゆりがいた。
「大しくじりやった。もうそんな話、せんといて」
と彼女は首をすくめた。
彼女の右隣りには私。そして私の右、つまり島田の左隣りには、私の相棒をつとめてくれている編集者の斎木がいた。
「いい話ですねえ」
と斎木はいった。五人は、劇場の近くの小料理屋の二階で河豚《ふぐ》鍋をかこみながら話しあっていたのである。
「そういう人なのですわ、この人は」
島田が話を結んだ。
「先生も知ってるでしょう、あのおじさん。ほら、ジュースを飲んだ……」
と彼女は私にいった。
半年ほど前、まだ大阪で万博が開かれていたころ、私はY劇場へ彼女を訪ねていったことがあった。そのとき売店でジュースを飲んだことを、彼女はいっているのだった。彼女は私にジュースをすすめ、立ち飲みをしている私の横で、自分は飲まずに、なにやらしきりに売店の老人に話しかけていた。老人はほとんど口をきかず、ただ、うんうんとうなずいているだけだったように思う。
「うん。どんな人だったかよくおぼえていないけどね」
と私はいった。大がらで骨組みの太そうな、しかし精気のない、中風にでもかかっているような老人だったような気がする。
Y劇場は、もとは剣戟専門の芝居小屋だった。そのころ老人は小屋つきの殺陣《たて》師で、剣戟役者たちのあいだでは、かなり名の知られていた人だった。そのころは遠くからわざわざ彼に殺陣を習いにくる者もあって、なかなか羽振りがよかったが、やがて剣戟がさびれてきて劇場は軽演劇の小屋にかわり、さらにストリップの小屋になって、その間《かん》、経営者は何人もかわったが、彼だけはずっとどこへもいかず、この劇場に住みついて雑役をやりながら売店を出させてもらっていたという。
彼女がこの売店のおじさんを知ったのは、もう十何年も前で、そのころ劇場は軽演劇をやっていた。彼女はショーダンスのチームに加わっていて、しばらくこの劇場へ出ていたのだった。どういうきっかけで親しくなったのかはおぼえていないが、親身になって話をきいてくれて、適切な助言もしてくれる、親切なやさしいおじさんだったと彼女はいう。しかし、あるいは、親切だったのはむしろ彼女の方だったかもしれない。一年に二度か三度、彼女がこの劇場へまわってくるごとに、むかしは羽振りのよかったという人が、さびしく老いさらばえていく姿を見て、彼女の方からいたわっていたのかもしれないと私は思った。
「さゆりちゃんは、水気が多いからね」
と中谷がひやかした。舞台で涙をながしたということにかこつけて、いわゆるオープンのときに彼女の出す泉のことをいっているのだった。
「あれはスポンジを入れているのじゃないかと、×××がいうとったぞ」
×××というのは、そのとき私には聞きとれなかったが、彼女のライバルの踊子の名のようだった。彼女は一瞬きびしい顔をしたが、すぐ笑って、
「どうするのってきかれたけど、わたしがいわなかったからよ。だって、そんなこと、いえないじゃない?」
「そんなことって、なんやね?」
「いややわ。どうやって出すかってことやないの」
彼女はベッド・ショーを終って舞台をまわるとき、舞台の縁にしゃがんで花弁を開けて見せるのだが、そのたびに、彼女の花筒の奥からは泉が流れ出てくるのである。
前に私がきいたとき、彼女は、ベッド・ショーのときにひとりで気をやって出してしまうのだといった。それをこぼれ出ないように、彼女の言葉でいえば「子宮をぐうっとちぢめて」花筒の奥にためこんでおき、舞台をまわってしゃがむたびに、少しずつ出すのだ。
「スポンジなんか使ってないわ」
「そうだろう。スポンジならああ何度も出るわけはないよね。二、三度で水がきれてしまうだろうから。だから不思議なんだ」
と中谷がいうと、彼女は、
「指を入れるんよ」
といった。
「えっ?」
と斎木がききかえした、
「この前きいたときには、中指を曲げて関節のところでクリトリスをこすって、ほかの指で外をなでるっていったでしょう?」
彼女は笑って、なにもいわなかった。わからないのかなあ、というよりは、困ったという顔だった。
「入れるって、しゃがんで見せるとき?」
と私はきいた。やはり彼女はふふふと笑っただけで、なにもいわない。
私たちは彼女の最初の出番がすんでから、ここへきているのだった。私は彼女がその最初の出番のときに指を入れたのを見た。
しゃがんで、ただ花弁を開くだけで泉が流れ出てくることもあった。開くときにクリトリスをこすることもあった。そして今日見たように、花筒の中へ指を入れてかき出すようにすることもあるようだった。ベッド・ショーのときも、そのときどきによって、曲げてすることも、伸ばして入れることもあるのだろう。
やがて彼女は、つぎの出番が近づいて一人で帰っていったが、そのあとで中谷がいった。
「とにかく不思議な人ですねえ。この前、週刊誌で、ぼくと二人で小沢昭一さんと鼎談したんですけど、そのときも彼女は、真剣にやれば濡れてくるのはあたりまえでしょう、といって小沢さんをうならせていたが、わざとそんなことをいうのではなくて、誰でもそれがあたりまえだと思っているんですね。指を入れたら、それだけで誰でも出ると思っているんですよ。ああいうのはどうだろう、実用品としては。芸術品は実用に使うものじゃなくて、鑑賞するものでしょうかね。どうですかね、社長。一般に踊子というものは。実用品として試みてみた場合――」
「わたしは、商品には手を出さんから、わからんけど、ある人の話では、よくないということですよ。いや、そういったのは、中谷さん、あんたじゃなかったかな」
私は斎木といっしょに、前の日に、大阪へきたのだった。
『ヌード・インテリジェンス』に私は「貝の研究」という随筆を連載していたが、その原稿のことで中谷から電話があったとき、
「ところで、三郎君が仕出し屋をはじめたのをご存じですか」
と彼はいった。
「いや、知りませんでした。そうですか。彼もやっと念願を達したわけですね。すると、さゆりさんも足を洗うのですか」
「いや、まだまだ。仕出し屋といっても、マーケットの中の小さな店でしてね、三郎君はほんとうは独立してすし屋をはじめたいのですよ。たとえ、すし屋をはじめたとしても、彼女はなかなか足を洗えんでしょう。なにしろ、踊りが好きで好きでしようがないんだから。まあ、ストリップはやめても、キャバレーのダンサーになるかして、踊れなくなるまでは踊りつづけるのじゃないでしょうかね」
三ヵ月前、彼女は一と月ぶっとおしで名古屋の劇場に出ていた。板前職人の三郎は、組合から派遣されて大阪の料亭や旅館をわたりあるいていて、週に一度くらい彼女の衣裳の換えを持って名古屋にくるだけだった。私が名古屋へいくと知らせると、彼も日をあわせて大阪から出てきたが、そのとき彼は、
「マネージャーやろがヒモやろが、わたしには、踊子についてまわるなんて、そんな商売は、とてもつとまりませんわ。一日の長いこと、長いこと。競輪か競馬でもやっておればそこへ出かけるか、それとも楽屋でばくちでも打つか、そんなことよりほかにすることがないんやからねえ」
といった。
名古屋から彼女は東京の立川へきた。三郎は電話をかけてきて、
「いま新幹線でたたせましたから、よろしゅうお願いしますわ」
といった。私は立川の隣りの町に住んでいる。立川の劇場の社長は山中といって、私の親しい友人だった。彼女を乗せる(出演させる)ように山中にすすめたのは私だった。
立川の劇場の楽屋へ、私は何度かいったが、なじみのない劇場のせいか彼女はさびしそうだった。六畳の個室はいつもきちんと整頓されていた。
「きれいにしているね」
というと、彼女はとりちがえて、
「そうねえ」
といった、
「建物は古いけど、廊下なんかつるつるしているし、はじめてこの部屋へきたときも、ちり一つなかったわ。社長さんの人柄のせいね。小屋がはねると、従業員といっしょになって客席の掃除をなさるんだから」
一つには、山中が私の友人だということの配慮で、彼女はそういっているのかもしれぬと私は思った。積んである衣裳箱も、掛けてある衣裳も、化粧前に並べてあるさまざまな化粧品も、みんな動かしようのないほどきちんとしていたが、それがかえって、彼女のさびしい心をあらわしているように私には見えた。
立川をすませると彼女は相模原の劇場へ移ることになっていたが、その前日、斎木といっしょに楽屋へいって見ると、三郎がきていた。
「いつきたの。さゆりさんさびしそうだったよ」
というと、
「昨日きたのやけど、なんにもすることがないので、後楽園へいって野球を見てきましたわ」
と三郎はいった。劇場の近くには競輪場があって、毎日、開始を知らせる花火の音がきこえていたが、彼は競輪は好きではないようだった。
「ゆうべは、久しぶりでおたのしみだったわけですね」
と斎木がいった。
「なにいうてなさる。大阪で毎日へとへとで、それどころやありませんわ。ゆうべはぐうすかねてしもた。ほんまでっせ」
「つかれまらっていうのがあるよ」
と私がいうと、三郎は、
「それ、なんですねん?」
とききかえした。
「徹夜の仕事がつづくと、そうなってくる。ぼくなんかもう年だから、つかれまらしか役にたたないね」
「ほら、どうや」
と三郎は彼女をふりかえっていった、
「な、そういうのがあるんやぜ」
「さゆりさんだって、舞台で満足してしまうってわけじゃないでしょう」
と斎木がいった。
「あっ、そうそう。わたしたちマンションに移ったの。名ばかりのマンションやけど、前のアパートよりは少しはましなの」
「なんや、まだいうてなかったんか」
三郎はそういって、ノートの端にマンションの所番地と電話番号を書き、
「ここですねん。これからは大阪へおこしのときは、泊ってください。ほんまにでっせ」
といった。彼女が急にマンションのことをいいだしたのは、前に住んでいた六畳一間のアパートが、木造で、隣りの声がつつぬけにきこえてくるので、こっちの声もそうだろうと思うと、歯をくいしばって声のもれないようにしてしなければならない、といったことのあることを、斎木の言葉で思い出したからにちがいない。
「もう、歯をくいしばらなくてもいいわけですね」
斎木がそういったので、私もそれを思いだしたのだった。
「意地わるねえ、斎木さんは」
と彼女がいったのも、図星だったからであろう。
「意地わるついでに、話をもどしましましょう。舞台で満足してしまうわけじゃないでしょう?」
と斎木はいった。
「あれとこれとはちがうやないの。でも、してくれんかて、わたしは、いっしょにいてくれたらそれでええんよ」
「この前は、いつですか」
と斎木は追求した。
「どや、名古屋でいっぺんしたかな」
三郎が彼女にいった。
「忘れてしもたわ。……斎木さんはよっぽどはげしいようね」
「そういえば、ぼくも一と月くらい忘れていて、催促をされることがあるな」
「もうよしましょう」
「逃げなくてもいいでしょう」
「だって、もう出番だもの」
「なんの出番?」
そして大笑いになった。三郎のそばで彼女は生きかえったように見えた。
中谷から三郎が仕出し屋の店を持ったということをきいて、私は斎木に電話をした。
「それはよかったですね。それじゃ、黙ってその店へいって、おどろかしてみるのもおもしろいじゃありませんか」
そんなことから、私たちは大阪へきたのだった。
三郎の店は、近鉄奈良線の瓢箪《ひようたん》山というところにあるとだけしか、私は聞いていなかった。瓢箪山の駅を下りてから、あちらをたずね、こちらをたずねして、ようやくさがしあてたマーケットは、しかし、休みだった。
「定休日というのがあることを忘れていたのは、うかつでした」
と斎木はいった、
「マンションの方へいってみますか、それとも、まっすぐに野田へいきますか」
彼女が野田のY劇場に出ているということは、わかっていた。
「野田へいって、かわりに彼女をおどろかしてやろう。PTA推薦じゃつまらないけどね」
と私はいった。前に野田へいったときは、踊子たちはみな「万博自粛」をしていて、なんのおもしろみもなかった。私たちはそういうのを、つまり、せいぜいちらっと見せるだけなのを、「ストリップある記」を連載していたころから、文部省推薦とかPTA推薦とか呼んでいた。
Y劇場の入場料は前にきたときの倍額にはねあがっていたが、それだけの価値は十分にあった。
「万博のときとは雲泥の差ですね。さすがに大阪だ」
「万博自粛の反動かな」
私たちは離れて席をとった。私はエプロン・ステージの先端に近いかぶりつきに、斎木は私の斜めうしろの、照明が陰をつくる暗いところに。
夜光塗料を使って暗がりの中でマジックをやる、セーラー服姿の少女がいた。そのとき斎木が、うしろから私の肩をつついて、
「舞台の左の袖に、ときおり彼女の姿が見えますよ」
と教えた。
少女はマジックを終ると、セーラー服をぬいでエプロン・ステージに出てきた。若いせいか身のこなしが多少ぎごちなかったが、大胆に見せて盛んな拍手を浴びていた。
そのあとが一条さゆりの出番だった。
舞台が暗くなり、「一条さゆり花の賭博師」というアナウンスがひびくと、円形の照明の中に彼女が正座していた。彼女は両手をついたまま、顔を上げ、拍手のおさまるのを待って、「本日は、ようこそ……」と口上を述べだし、「一条、さゆり、です」と結ぶ。と、舞台が明るくなり、テープの音声がきこえてきて、賭場の場面になる。「一条、さゆり、です」という口上が、女賭博師の科白《せりふ》に重なるのである。
彼女はテープの音声と身ぶりとで、たくみに賭場の雰囲気を出していく。
「どっちもどっちも、あとさきないか!」
「あとできました。さきできました」
やがて勝負が終る。
「どなたさんも失礼でした」
彼女は立ちあがって歩きだす。
「今から、ねえさん、どちらへ?」
「なに、あてなんかありませんよ。人のそしりを背中に受けて、女ひとり賭場から賭場へ、流れ歩いていくばかり。出た目が勝負のあしたのいのち、これがわたしの生きる道なんです」
「ああ関東流れ者」がきこえてくる。「義理に生きてもいのちは一つ、恋に生きてもいのちは一つ。二つあるならお前に一つ、わけてあげたい……」
それをかき消すように、ばたばたと足音がおこる。彼女の帰りを待ち伏せていたやつらが飛びだしてくる様子。
「待ちな!」
「何を何を、女と思って、わるふざけはよした方が身のためだよ。それとも、わたしに何か……」
「やかましいや。つべこべぬかすな。三年前の薬研堀《やげんぼり》の兄貴が殺されたときのおとしまえ、今つけさせてもらうぜ」
「運否天賦《うんぷてんぷ》のあとさき勝負、わたしのせいとでもいうのかい。男らしくもないね。負けるのがいやなら、初手《しよて》からやらなきゃいいのさ」
「このあまあ!」
「やろう!」
彼女はさっと刀を抜く。幾人もの男を相手に彼女は立廻りをやる。勿論、一人でやるのである。しばらく乱闘がつづく。一人斬り、二人斬り、やがて彼女は最後の男を刺し殺す。女だてらの激しい立廻りを彼女は悔いているようである。彼女は放心したように歩きだしながら、せつなげにいう。
「男まさりのこんなわたしを、あなた、お墓の下で笑ってるんでしょうね。あなた、何もしてあげられなかったことを、今このわたしがさせていただきます」
そして、ベッド・ショーに移るのである。
照明が暗くなる。彼女は長襦袢姿になり、蒲団の上に横たわって、身もだえする。
「わるい人、でも好きなあなた!」
枕もとに蝋燭の火が燃えている。彼女は仰臥したまま、腕をのばして太い蝋燭の束を取り上げ、たかだかと胸の上にかかげる。蝋がぽたぽたと垂れ落ちて、両の乳房が忽ちのうちに塗りかためられていく。
やがて彼女がその蝋燭の火を吹き消すと、一瞬舞台はまっくらになり、代って円形の照明が、前にもましてあかあかと彼女の全身を浮きあがらせる。その照明の中で、彼女はテープから流れてくるもだえ声、うめき声、ときおりおこる鋭い叫び声にあわせて、身を反らせたり、くねらせたりしながら、前にまわした右手をはげしく動かしつづける。その中指は花筒の中に没しているのか、曲げてクリトリスをおさえているのか。あとの四本の指が花弁をはげしくこするのが見えるだけだった。既に長襦袢もぬげ、腰巻もほどけて、彼女は全裸だった。動きはますますはげしくなる。
客席は静まりかえっていた。みな、声を呑み息を詰めて見つめていた。やがて最後の見せ場がくる。仰臥して折り曲げた両脚を客席の正面に向けて開き、両足を踏んばって腰を高く上げる。右手が覆っている濡れた花弁が、照明を浴びて、指の隙間にきらきらと光った。その右手が花弁を引きずり上げるかのように、腰がいよいよ高く上って、彼女はついに絶頂までのぼりつめる。テープの声がかすかになり、手の動きがとまると、弓なりに反っていた彼女のからだが、徐々に、風船のしぼんでいくように蒲団の上へ落ちていく。
だが、客席はまだ静まりかえっていた。彼女もそのまま動かない。既にテープの声はなく、舞台も客席も、一瞬、深い静寂につつまれる。その中で彼女は立ちあがる。円形の照明が消え、舞台全体があかるく照らし出されると、客席はようやく息をふきかえして、どっと拍手がおこり、喝采の声が彼女をつつむ。
ベッド・ショーは終った。
彼女は腰巻をまといつけてエプロン・ステージへ出てきたが、私と斎木がきていることには気づかない。拍手に招き寄せられて、ステージの端にしゃがみ、左手で腰巻をすり上げながら右手で花弁を開けると、花筒の奥から泉が流れてくることは、いつものとおりである。なんどもそれをくりかえして、ひととおりステージをまわってから、再びエプロン・ステージへ出てきたとき、その先端のところで腰をかがめて、彼女は、
「あらっ!」
と声をあげた。斎木に気づいたようだった。斎木がちょっと手をあげて合図をすると、彼女は顔をほころばせて、
「やっぱり、斎木さんやったの」
といい、斎木の席のまわりを見まわしながら、
「先生もいっしょでしょう? どこやの?」
ときいた。斎木が私の方を指さした。私も手をあげて合図をした。彼女は私の前にきてからだを折り、
「待ってて」
といって、正面の舞台の方へもどっていきながら、ところどころでしゃがみ、またところどころでしゃがみながら私の前にもどってきて、ほかの客にするのと同じように花弁を開けて見せた。そのとき私は、彼女が指を花筒へ入れるのをはじめて見たのだった。指をぬくと、それを追うようにして泉が流れ出てくる。彼女は私の顔は見ずに、
「いつ、いらっしゃったの?」
ときいた。
「きょう」
泉の水は流れつづけていた。
「びっくりしたわ」
「…………」
彼女が指をはなすと、花弁は自然にゆるやかに閉じられていった。
「はねたら、入口で待っていて。ごいっしょするわ」
彼女はそういって、立ちあがった。
駅前のビルの地下に「愛」というバーがあった。私たちはそこへはいった。セーラー服を着てマジックをやっていた少女と、そのマネージャーもいっしょだった。
一条さゆりが二人を紹介した。
「サリーちゃんといって、まあ、わたしのお弟子さんだわね。そちらはサリーのマネージャーでダンナサン。きょうは舞台には出なかったけど、二人でいっしょに出ることもあるのよ。天栄さんといって奇術をやってるの」
「この人がマジックをやってるとき、舞台の袖にときどきあなたが見えましたよ」
と斎木がいった。
「あら、そう。この人まだ表情がかたいでしょう? 顔もこわばってくるし、身振りもぎごちなくなってくるので、舞台の袖から笑わしたり、からかったりして、ほぐしていたのよ」
「踊りを習えばいいのに」
と私はサリーにいった。
「はい」
とサリーは素直にうなずいた。
「ひとのいうことはきくのね。でも、口さきだけじゃない? この子、踊りはやりたくないらしいのよ」
「舞台で踊るためにではなくてもいや? 踊りを習えば、からだの動かしかたがちがってくると思うがなあ」
サリーは飲まなかったが、ほかの者はアルコールがまわってくるにつれて、だんだん陽気になってきた。
居心地のよいバーだった。若いマダムも、ホステスたちも素人ぽいところがよかった。ピアノがあって、若い男が、客のリクエストする曲をひいていた。歌えるようにマイクも立ててあり、せまい場所ながら踊れるところも空けてあった。
天栄はマイクの前へいって、古い流行歌をいくつか歌い、一曲が終るごとに、
「J・S・K・B、こちらは日本SU・KE・BE放送局でございます」
といって、みなを笑わせた。彼は浪曲もうまかった。斎木が、
「ぼくも一つ歌うかな」
といって天栄にかわって「船頭小唄」を歌った。
「ここへくる道で斎木さんにきいたんだけど、瓢箪山へいらっしゃったんだってね」
と彼女がいった。
「うん、いきなりいって三郎さんをおどろかしてやろうと思ったんだけど」
「定休日でおあいにくさまだったわね。今夜はうちに泊ってくださるでしょう?」
「宿は取ってあるんだけど」
「いいじゃないの。泊ってよ。三郎もよろこぶわ。電話をかけて知らせておこうと思ったんだけど、すぐおつれして帰ってこいというにきまってるから、やめたわ」
斎木の歌が終ると、天栄が拍手をしながらマイクのところへ出ていった。ホステスたちがそれを見て笑いながら、
「きっとまたJ・S・K・Bよ」
というのと同時に、天栄が気取った声で「J・S・K・B……」とやりだしたので、大笑いになった。
斎木が席にもどってくると、彼女は、
「これからどうなさる? いま先生にもいったんだけど、今夜はうちに泊ってくださいよ」
といった。
「泊る泊らんはともかく、マンションまではちゃんとお送りしますよ。でも、まだ帰るのは早いでしょう? 踊りましょうよ」
斎木はそういって、手を引っぱって彼女を立たせた。
天栄は疲れたと見えて、席にもどってサリーと並んで腰をおろしていたが、二人が踊っているのを見ると、前にいるホステスに、
「踊ろうか」
といった。
「わたし、踊れんの」
ホステスが手を振ってことわると、
「じつは、ぼくも踊れんのだ」
といい、
「あなた、名前なんていうの?」
「せつこ」
「それ、本名?」
「ええ」
「そうか。名前まで同じだ。これはまたどういうわけだろう」
「どうしたの」
「あなたが、ぼくの前の恋人にそっくりなんだ。それに名前まで同じなんだ」
天栄はそういって、サリーに、
「ねえ、似てるだろう」
「うん」
「似てるだろう」
「知らん」
サリーはそういって、椅子の下で天栄の脚を踏みつけたようだった。
「痛い! なんだ、似てるといったくらいで」
天栄は声をひそめてそういい、サリーを睨んだ。サリーのからだがぶるぶるとふるえている。
「サリーちゃん、どうしたのよ、またもめてるの?」
一条さゆりが席にもどってきてそういったが、サリーはふりむきもしなかった。
「仲がよいから喧嘩もおこる。まあ、ほっときましょう」
彼女はそういってから、私のほうに顔を寄せてきて小さい声でいった。
「カンが強いのよ。わたしも若いときはああだった。でも、それで今までなんとか持ってきたみたい」
そうか、それでサリーを可愛がっているのか、と私は思った。
「わたし、新しい演《だ》しものを考えているの。先生のこの前の小説から思いついたんだけど」
と彼女はいいだした。
「先生のこの前の小説のはじめのところ、先生とわたしが大須観音へいって、帰りに先生がビールを飲ましてくださるでしょう。そしていろいろ話をして、それから先生はわたしを車に乗せて劇場へ帰して、ひとりでどこかへいってしまうでしょう。あそこは、先生がわたしを誘ったけど、わたしがことわったということじゃない?」
「観音さんの帰りに、ぼく、誘ったかな?」
「小説のはなしよ。誘うつもりだったんじゃない?」
「小説のはなしか。そんなことないだろう」
「まあ、誘っても誘わなくても、ことわってもことわらなくても、どうでもいいのだけど、――いいえ、これ小説のはなしよ。あそこのところは、そうじゃないかという人があるのよ」
「そうじゃないかって、どういうこと?」
「先生がわたしを誘って、ことわられたということ」
「誰がそんなことをいうの」
「そんなふうに読む人もいるということなのよ」
「まあ、いい。それで?」
「それで、わたし、こういうストーリーを考えたの。わたしが芸者のとき、ある宴会で先生を見染めるのよ。そして逢引の約束をして、観音さんの境内かどこかで会って、それからわたしが先生を待合へつれていくのよ。ところが先生はわたしをはねつけて、ひとりで帰ってしまう。それでもわたしは先生をあきらめることができなくて、昼はひねもす夜は夜もすがらね、先生のことばかり思いつめている。それからベッド・ショーにはいる、というのはどうかしら」
「それを花の賭博師みたいに、一人でやるわけ?」
「一人でなくてもいいわ」
「それはおもしろいじゃありませんか。是非やりなさいよ」
と斎木が横から口をはさんだ。
「児玉先生を恋いこがれる一条さゆり。いいじゃありませんか」
「本気でやるつもり?」
「やるつもりよ。きっとやるわ」
「そんなの受けないよ。斎木さんに受けるくらいのもんだ」
「これ、まじめな話なのよ」
彼女は笑いもせずにそういった。
私たちは、一時ごろそのバーを出た。
外では、三人の警官が、喧嘩をしたらしい酔っぱらい二人と、なにやらいいあっていた。酔っぱらいは、酔っぱらい同士でいいあいをする一方、ときにはいっしょになって警官につっかかっていく。警官たちはもてあまして、きき役、なだめ役にまわっているようだった。
そこは、タクシーの乗場になっていた。
天栄はバーを出ると、一人でふらふらと歩いていった。一条さゆりはそれを見て、
「サリーちゃん、黙って天栄さんにわからないようについていきなさい。声をかけたらだめよ、意地になっていってしまうから」
といった。サリーはうなずいて、少しはなれて天栄のあとをつけていった。
私たち三人は、酔っぱらいと警官のそばで、タクシーのくるのを待っていたが、なかなかこなかった。
「先生は泊ってくださるわね」
と彼女はいった。
「うん、そうさせてもらうかな」
「斎木さんも泊ってよ」
「とにかく、児玉先生と一条さゆりさんとのお二人を、一条さゆりさんのマンションまでお送りさせていただきます。あとはどうするかわかりません」
斎木は少し酔っているようだった。
いつのまにか、天栄とサリーがもどってきていた。
「ついていったら、路地へはいって小便してたわ」
とサリーはいった。
「それ、男のよくつかう手なのよ。小便してあんたを待ってたんだわ。路地へ小便をしにきたように見せかけて、いっしょにもどってくればメンツが立つのよ」
と一条さゆりはいった。
その天栄は、警官と酔っぱらいのあいだを縫い歩くようにくるくるまわりながら、もしもしベンチでささやくお二人さん、という歌を歌っていた。
「てれくさいもんだから、わざと酔っぱらったふりをしてるんよ。もう、さめているのに。サリーちゃん、こっちへつれていらっしゃいよ」
と彼女はいい、サリーが天栄をつれてくると、
「もう、帰った方がいいわ」
といった。二人は楽屋に泊っているのだった。
「いいえ、お見送りしてから帰ります」
天栄はそういって、また、もしもしベンチでささやくと歌いだした。
ようやくタクシーが一台きた。私たちが乗って、車が走りだすと、天栄とサリーは並んで手を振った。
彼女が住んでいるところは、野田からはかなり遠かった。
「ここ柳通りね。もう少しいくと右側に銀行があるから、そこでとめて」
と彼女は運転手にいった。しばらく走って車がとまると、彼女は、
「ちょっと待ってね」
といって窓から外をのぞき、
「あっ、ちごた。もうちょっとさきの銀行や。すみません」
といった。またしばらくいって車がとまると、「ここ、ここ」といって彼女は私たちを下したが、車を下りてからまた運転手に、
「あれ、××銀行やわねえ」
ときいた。
「そうですよ」
「そんなら、ここでええんやわ。ありがとう」
「すしでも買っていきましょう」
と斎木がいった。ちょうど車を下りたところに、すし屋があった。
「わたし、さきにいって三郎に知らせてくるわ。また迎えにくるから、このお店で待ってて」
彼女は小走りに道を横切っていったが、しばらくすると、すし屋の主人が、
「さっきの女の人、もどってみえましたぜ」
といった。彼女はもどってきて、そのまますし屋の前を通りすぎていった。
「家がわからんのとちがいますか。どこへいらっしゃるんです」
と主人がきいた。
「あの人の家ですよ。マンションだけど」
「なんというマンションです?」
名をいうと、主人は、
「ふうん、聞いたことあるな」
といった。そこへ彼女がはいってきて、
「わたし、まちがえたらしいのよ」
といった。
「番地は?」
と主人がきいた。
「柳通り三丁目なんですけど」
「ああ、それなら、もうちょっとさきですよ。××興業銀行の横をはいったところに新しいマンションがあるけど、そこやないかなあ」
「ああ、そうや。興業銀行やった。遠いのですか、ここから」
「すぐですよ。電車|一《ひと》停留所やから」
そこから彼女のマンションまでは、十分とはかからなかった。
「わたし、酔うてるんやろか。もともと方向オンチな上に、夜で町の様子がちごて見えるもんやから、わからなくなって」
「それにしても、自分のうちがわからんなんて、ひどいな」
と斎木が笑った。
「ぼくも方向オンチだけど、さゆりさんほどじゃないな」
私がいうと、斎木は、
「もし先生と二人だけで帰してしまったら、いまごろは、とんでもないところをうろつきまわってるかもしれない。ぼくがついてきてよかった」
といった。
「なにも、斎木さんに道をおそわったわけやなし。ねえ、ここまできたからには、もう泊っていくでしょう」
「三郎さんは朝早いのでしょう。それが気になって先生を牽制してみたんだけど、先生は泊りたがっておられるようだし。ここまできた以上、やっぱりぼくも泊めてもらいましょうか」
マンションの彼女の部屋の前までいくと、彼女は、
「部屋はまちごとらんやろね」
と大笑いをした。
「なんや、やかましい。また酔っぱらってきたんか」
という三郎の声がきこえて、むこうからドアがあいたが、三郎は私と斎木を見るとびっくりして、
「なんや、こりゃどうしたわけや」
といった。
「すみません。こんなにおそく。そのびっくりした顔を瓢箪山で見たかったんだが」
「瓢箪山へいきなさったんよ」
と彼女がいった。
「いつ?」
「きょう、夕方」
「定休日ですねん。マーケット全部締ってましたやろ」
「朝、はやいのでしょう」
と斎木がいった。
「五時起きですわ。きょうは一日じゅう寝とったから、もう寝んでもええんですわ。ほんとに、ようきておくなさった」
三郎はすしをつまみながら、
「ほんとうは、わたしもすし屋をやりたかったんやけど、これ(金)の都合がつかなかったもんでね。天満市場の向庄《むかしよう》という店の社長さんのお世話で、瓢箪山のマーケットに仕出し屋を出させてもろたんですわ。宮本さんというお人で、前からいろいろお世話になっとるんですわ。南寺方で宮本という仕出し屋もしておられるし、ホテル・ナイヤガラというのも経営しておられるお人でね……」
三郎はひとしきり店の話をした。
「ところで、マンションへ移ってからどうです?」
「なにがですねん?」
「歯をくいしばらなくてもいいでしょう? ここなら」
「ああ、そのことか。斎木さんはいつでもそのことや。斎木さんや先生みたいな身分とはちがいまっせ。五時に起きて、市場へいって、店へ出て、一日じゅう走りどおし、立ちどおしで、帰ってきたら、どたんとひっくり返って寝てしまうだけやから」
「つかれまらというのがあると、この前、先生からきいたけど」
「おい、なにしとるんや。こっちへこんか。斎木さんがまたおかしなこときいてやはるぜ」
「お風呂わかしとるんよ。あれでしょう? 朝昼晩々やいうとけばええんよ」
翌日、私が起きたときには、勿論、もう三郎はいなかった。斎木も起きていて、食卓には朝食の用意がととのっていた。
「ゆうべから見ていると、さゆりさんはなかなかいい奥さんだな」
と斎木がいった。
「なにいうてるの。泊っていただいたんで、ええとこ見てもらおうと思って無理してるんよ」
「いや、いい奥さんですよ。こういういい奥さんをほったらかしにしておくなんて、三郎さんはいかんな」
「また、あれ?」
「ちょっと、しつこすぎるかな」
「わたし、しつこいのいやなのよ」
「ぼくみたいのはいやだということ? これは、さゆりさん、おっしゃいましたね」
「ちがうわ。いま、あのことのはなしでしょう?」
「そういえば、いつだったか三郎さんが、好きだけどあっさりしているといってたな」
「わたしのことでしょう? そうよ、すぐ感じてしまうから」
「そうか。だから指を入れただけで、いくらでも出るんだな」
「それは、ちょっとちがうわ。入れたら出るというものじゃないのよ。真剣にやろうと思うから出るのよ。そうでなければ出ないわ。出やすいたちだろうとは思うけど」
「そういうものかなあ。わからんねえ。先生はどう思います?」
と斎木は私にいった。
「ぼくもわからん。ただ、さゆりさんには、念力、岩をもとおす、というところがあることだけは確かだな」
と私はいった。
私たちはその日の昼近く、車で中谷の自宅へ寄って、膃肭臍《おつとせい》のホーデンを漬けたウイスキーなどをご馳走になり、彼女の出番に間にあうように、こんどは中谷の車で野田へいった。
舞台にはサリーが出ていた。マジックはすんで、セーラー服をぬいでエプロン・ステージへ出てくるところだった。彼女は目ざとく私と斎木を見つけて、笑顔で挨拶をした。きのうは舞台でも笑ったことがなかったし、バーでも一度も笑顔を見せなかったのに、きょうはなにか心のむすぼれの解けることでもあったのだろうか、と私は思った。その笑顔は可愛かった。
サリーのつぎが、一条さゆりだった。口上がすんで舞台があかるくなると、彼女も、踊りながらエプロン・ステージの中ほどで私を見つけて、なにやらいった。
「ああ、そこにいるのね」
私は彼女がそういったのだと思って、ちょっと手をあげてうなずいた。彼女は正面舞台へもどっていって、そこのかぶりつきの客たちに、つぎつぎになにやら話しかけた。するとその客たちがみな拍手をした。
あとで彼女にたずねたところ、彼女はそのとき、
「わたしのことを書いた小説、読んだことがある?」
ときいたのだそうである。
「ああ、読んだよ」
といった者が何人かいた。そこで、
「作者の児玉先生がみえてるんだけど、挨拶してもらいましょうか」
といった。すると拍手がおこったのだという。
彼女はまたエプロン・ステージへ出てきて私に、
「それでは、お願いします」
といった。そしてまた正面へもどり、舞台の袖の方へ合図をしてから、私を手招きした。
「ああ、そこにいるのね」
彼女はそういったのではなく、
「挨拶してくださる?」
ときいたのだった。そして私がうなずいたのを見て、承知したと思ったのだという。
私は仕方なく出てゆき、舞台へとびあがった。
盛んな拍手がおこった。彼女は私にマイクを渡した。照明が顔にあてられると、客席はまっくろにしか見えなくなった。
「わたしは、一条さゆりの性の深淵という小説と、一条さゆりの性の、ええっと……」
「……秘密」
と彼女が小声でいった。
「そういう小説を書きました、児玉、新吉、です」
ええい、くそっ、「一条、さゆり、です」を真似してやれ、と思っていったのだったが、まるで冴えなかった。そして、それでもうなにもいうことがなくなってしまった。そこで、
「よろしく」
といって頭を下げた。
悄然として舞台を下りる私に、不思議なことに、また盛んな拍手がおこった。
あとで中谷がいった。
「たいした度胸ですねえ、先生は。ぼくにはとてもあんなまねはできん」
「度胸なんてものじゃありませんよ。お互いに聞きちがえをして、あんなことになってしまったんですよ。はじめから覚悟をしてたら、もう少し、なんとかましなことがいえたかもしれないんですがねえ」
私はそういいながら、中谷が楽屋で踊子をからかっていた言葉を思いだしていた。
「おい、××ちゃん。ほら、そこにゆうべの紙がくっついてるやないか」
おれには、ああいうふうにはとてもいえぬ、と私は思った。
「ごめんね、先生」
と彼女がいった、
「でも、ええやないの。あれでええんよ。演説なんかしだしたら、かえっておかしいやないの。お客さんが手をたたいてくれたでしょう。あれで、よかったんよ」
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一条さゆりの性の宿命
劇場がはねるとすぐ、車を走らせてきたのだが、途中、買物をするために寄道をしたので、ホテルに着いたときはもう十一時をすぎていた。
フロントには、制服を着たガードマンが二人いて、そこだけが一際明るかった。
「五一四と一五」
というと、ガードマンは部屋のキイを二つ取って、黙って私の手に握らせた。彼女は私から離れて、フロントの明りのとどかないところに立っていた。ガードマン二人は、殊更に彼女の方を見ないようにしているようだった。彼女は舞台化粧のままの顔だった。
自動エレベーターを五階で下りると、そこの廊下にも、制服のガードマンが一人いて、私たちの姿を見るとくるりと背を向け、足音もなく立ち去っていった。
「留置場みたい」
彼女は声をひそめて、そういった。低いが、鋭い語気だった。
半月あまり前、彼女は伊丹《いたみ》の劇場に出ていて、警察にあげられたのだった。名古屋から蟹江《かにえ》温泉のこのホテルに着くまで、彼女はずっと、そのことばかり話していた。二日間、豚箱に泊められて、「もういやだ、もういやだ」と思いつづけていたという。
「なにをいやだと思ったの? ストリップをやること?」
そういってしまってから、私は、ばかなことをきいたものだと、内心、恥じた。
「ちがうわ。なにがということはなしに、なのよ。自分のまわりの、なにもかもに対して、そう思うのよ、ああ、もういやだ、もういやだって。うまくいえないし、わかってもらえやしないわねえ、こんなこと」
「わかるよ。誰だってそういう気持になることはあるもの」
「先生も、ある?」
「それは、あるさ」
「先生に、あるはずはないわ」
「どうして」
「だって、先生は人から虫けらみたいに見下げられたことはないでしょう?」
「それはどういうこと?」
「だから先生には、わからないというのよ。ごめんね、えらそうなこといって。だって、くやしいんだもの」
「豚箱で思ったそういうようなこと、いまでも思っている?」
「いつでも、ときどきはね」
彼女はそういって、微かに笑った。車の中でのことである。
五階の廊下で、フロントにいたのと同じ制服の男がそこにもいるのを見て、「留置場みたい」と彼女がいったとき、私はそれを車の中で聞いた彼女の言葉に重ねてみて、ああ、そうだったのかとはじめて気がついた。彼女は豚箱へ入れられて、罰せられたのではなく、侮《さげす》まれてきたのだということを。車の中で彼女が私に訴えようとしていたことは、そのことだということを。ガードマンの制服が、――制服を着たガードマンしかいないことが彼女の気持を沈めていったのも、そのためであるということを。そういえば、このホテルにはいってから彼女が口を開いたのはいまがはじめてで、それまではフロントの前でもエレベーターの中ででも、私が話しかけても彼女はただうなずくだけで、ずっと黙っていたということにも、私はそのときはじめて気づいたのだった。
「わるかったね」
と私はいった、
「このホテルは、十時になると従業員はみんないなくなってしまって、ガードマンだけになってしまうんだ。それは知っていたんだけど……」
「そんなに気《きい》つかわんといて。わたし、ちょっとぼんやりしとっただけなんや。……おなかすいてきたわ。これ食べましょ」
彼女は急に関西弁をつかい、途中で買ってきたすしの折詰の紐を持ち上げて、振って見せた。
部屋の机の上には、昼間たのんでおいたオードブルふうの小料理が、二皿、置いてあった。彼女は、おなかがすいてきたといったのに、すしもオードブルもほとんど食べなかった。そして、ビールを飲んでいるうちに次第に陽気になってきて、
「わたしって、男の人を見る眼がまるでないのねえ」
といいだしたのである。なにをいうのかと思っていると、
「その人が刑事だってこと、全然気がつかなかったんだもの」
といった。やはり豚箱のことだった。
「その男にパクられたの?」
「そうなの。まんまとだまされてしまったんよ」
その男は、|でべそ《ヽヽヽ》(エプロン・ステージ)の先のかぶりつきで、友達らしいもう一人の男といっしょに、しきりに手をたたいていた。二人とも|りゅう《ヽヽヽ》とした背広を着て、きちんとネクタイを締め、銀行員か何かのように見えた、と彼女はいう。
踊りをおわって、ベッド・ショーにはいる前に、その男の前へいってしゃがみ、長襦袢の紐を指さして、
「ほどいて……」
というと、男はちょっと戸惑ったようなふりをしたが、すぐ、笑いながら手をのばしてきて紐の先を引っぱった。
「ありがとう」
といって長襦袢の前をあけ、さらに腰巻の紐を指さして目顔でうながすと、男は、こんどは手を左右にふってことわった。
ことわられたけれども、彼女はその男を感じのいい人だと思った。
「あんた、はじめて?」
というと、男はかたい顔をしてうなずいた。ベッド・ショーのとき、彼女はちょっとその男の顔を思いうかべた。ベッドをおわって、オープンをするとき、二度もその男の前へいってしゃがんだのは、そんないきさつからだった。
伊丹の劇場で、楽《らく》の日の夜だった。フィナーレもすみ、楽屋へもどって、やれやれという思いで化粧前にむかっていると、隣りの楽屋の踊子が、大きな紙箱をかかえてはいってきて、
「おねえさん、ビール飲もうや」
といった。紙箱の中にはビール瓶が三、四本ころがっていて、ピーナツや裂《さき》烏賊《いか》などのつまみものもはいっていた。
楽の日の夜は、なんとなく人恋しいような気持になる、と彼女はいう。ストリップの踊子には休日というものはない。劇場は年中無休で、五日替りあるいは十日替りだから、踊子は、一日だけ休むとか、二、三日休みをとるとかいうことはほとんどできない。休みがとりたいときには、五日間あるいは十日間休むよりほかないのである。つまり、一つの劇場での五日あるいは十日間の出演がすむと、自分で休みをとる場合のほかは、ひきつづいて翌日からまた別の劇場へ五日あるいは十日間出なければならない。だから楽の日の夜といっても、これで休めるというわけではないのだが、それでもやはり、終ったという気持から、束の間ながらも解放された気分になるのである。彼女のいう人恋しいような気持というのも、その中にふくまれるものであろう。
その夜、隣りの楽屋の踊子が彼女のところへビールを持ってきたのも、それを彼女がいっしょに飲んだのも、そういう解放された気分の中での人恋しい気持からであった。酔いがまわり、心がはずんでくると、彼女は多弁になる。
「|でべそ《ヽヽヽ》の先っぽのとこに、背広着た若いのが二人おったの、あんた、気《きい》ついた?」
彼女はその男のことを喋りだした。
「うん、おった、おった。あのうちの一人、おねえさんの好きそうなタイプの人やったね。どういう人なの?」
と相手も乗ってくる。
「知らん人やけど」
といって、彼女は腰巻の紐の一件を話し、
「それで、オープンのときに、二回、まわっていってやった」
すると隣りの踊子は大笑いをして、
「やっぱり、おねえさんはああいうタイプにいかれるんやね。うちもそうや。それで気があうんやろか。うちも、うんとサービスしてやったわ」
といった。
なおもばかばなしをして打ち興じていると、誰かがはいってきて、彼女の肩を軽くとんとんとたたいた。ちょうどコップにビールを注いでいたときだったので、彼女はふりむかずに、ただ、「え? なに?」
と、相手に声をうながした。
彼女は入口に背をむけて坐っていた。ビールを注ぎおわって、ふりむこうとして顔をあげたとき、彼女は、むかいあって坐っている隣りの踊子が、コップを胸のあたりまで持ちあげたまま、
「あっ!」
と大きく口をあけ、そしてそのまま、茫然と彼女の頭の上のあたりを瞶《みつ》めているのを見た。
その視線をたどるようにして、そろそろと顔をうしろへまわして見ると、そこにはついさきほどまで二人で噂しあっていたあの男が立っていたのである。そしてそのうしろには、その男といっしょに|でべそ《ヽヽヽ》の先のかぶりつきにいた、もう一人の男もいた。
そのときつかまったのは、彼女ら二人だけではなかった。その夜その劇場に出ていた踊子たちの全員がつかまったのである。
刑事もその二人だけではなかった。あるいは会社員ふうに、あるいは労働者ふうに、あるいは商人ふうに、あるいは学生ふうに、その他さまざまな姿に扮装して、十数人の刑事がはいりこんでいたのだった。
十数人もの刑事にもぐりこまれながら、劇場側の人たちも、誰一人、その刑事たちのうちの一人をさえ見破れなかったということは、楽の日の最終回なので誰もがみな気をゆるめていたからであろうか。
「わたしって、男の人を見る眼がまるでないのねえ」
と彼女はいったが、それが、その男を刑事だと見破れなかったということだけであるならば、「見る眼がまるでない」のは彼女だけではなくて劇場側の人たちも他の踊子たちもみなそうだったのだから、そういういいかたをするはずはない。彼女がそういったのは、|でべそ《ヽヽヽ》のかぶりつきにいたその男を刑事だと見破れなかったことではなくて、その男を「感じのいい人」だと思い、オープンのときその男の前へいって二度もしゃがんで見せたこと、つまり、そのようなだまされかたをしたことであろうか。――私は彼女の話を聞きながら、そう思った。
「警察でもその男が係りだったの?」
と私はきいた。
「取調べはちがう人だったけど、豚箱に二晩泊められて帰されるときに、その男に呼ばれたわ」
「やっぱり、感じのいい人だった?」
「意地わる!」
「どうして?」
「わかっているくせに!」
「呼んで、なんていったの? その男」
「ひどいことをいったわ」
「なんて?」
「……おい、ここでもういっぺん、於曾々を出して見せんかって。……みんなそんなふうなのよ、わたしたちに対しては」
彼女はそういって顔を伏せた。
「くやしかった?」
と私はきいた、
「ずっと前にもいっぺん豚箱へいれられたことがあるって、聞いたことがあるね。わるい男に食いつかれていて、飲んだくれていたというころだよ。あのときもやっぱり、くやしかった?」
「くやしいというより、あのときは、かなしかったわ」
「こんどは、かなしいというより、くやしかったんだね?」
「年をとってきたからかもしれないわね」
「さっき、豚箱の中でもういやだもういやだと思いつづけていたといったね。その気持はぼくなんかにわからないって――。そのときね、豚箱の中で、今のことのほかに、これまでに体験してきたいろいろなこと、苦しかったことや、つらかったことや、いろいろなことがあるね、そういうことを思い出して、もういやだもういやだと思いつづけていたのじゃない?」
彼女は答えなかった。オードブルの上にのばしかけていた手を、そっとひっこめて、彼女は小指の腹で瞼《まぶた》の下をぬぐった。眼いっぱいに涙がふくれあがり、片方の附睫《つけまつげ》が傾いて、いまにも落ちそうになっている。
「ごめん、ごめん。まずいことをいったようだ」
私はあわててそういった。
彼女は両手を膝に置いて俯向いたまま、身じろぎもしない。机の端に、ぽとり、ぽとりと涙が落ちた。
しばらくすると、そのままの姿勢で、
「顔、洗ってくる」
といった。
「そこだよ」
カーテンで仕切ってある洗面所の方を指さすと、彼女ははじめて姿勢をくずして立ちあがった。
「十二時すぎだね。疲れているんじゃない? 風呂へはいって、もう寝たら?」
というと、意外に明るい声がカーテンのむこうからかえってきた。
「眠いの? 先生。お休みになるのなら、どうぞ」
私の部屋は隣りにとってあった。
「ぼくはまだ眠くないけど」
「わたしも。名古屋はオープンなしだから、そう疲れないわ。あしたは、一時半までに楽屋へはいればいいんだし。もう少しお話ししたいわ」
顔を洗ってもどってきた彼女は、年相応に老《ふ》けて見えた。黛《まゆずみ》を落した眉はうすく、附睫を取った眼は細くしょぼしょぼとして、顔全体がひとまわり小さくなったように見えた。少し疲れているようだった。
「そんなに見ないで」
と彼女はいった。
「いつまでストリップがやれるだろうかと思って、見ていたんだ」
「いつまでやれる?」
「まだ十年はやれるだろう」
「わあっ、うれしい」
「いくら叱られても、ストリップはやめられないんだね」
「ストリップはいいのよ。オープンがいかんというの。自分たちだって見たいくせにねえ」
「オープンがないと、客が減るだろうね」
「名古屋はオープンなしよ。お客さんは少ないわね」
「オープンなしだと、欲求不満みたいにならない?」
「お客さんが?」
「あなたがだよ」
彼女は、うふふと笑った。
「そういうところがあるものね、あなたには」
「そうかしら」
「そうだと思う」
「思うのは先生の勝手だわ」
「そうじゃない?」
「わからないわ」
彼女は否定はしなかった。そして、
「もう一本飲んでから、お話しするわ。さっき先生が、豚箱の中で過去のことをいろいろ思い出したのじゃないかっておっしゃったことを」
といいながら、冷蔵庫からビールを一本取り出した。
「……デパートにつとめていたときに結婚した池田という男のこと、前にお話ししたことがあるわね。豚箱の中で思い出して、これまでにいちばんいやだったこと、つらかったこと、苦しかったこと、みんな池田とのことなの。……これも豚箱の中へ入れられてから気がついたのだけど、いい感じの人だと思った刑事ね、あの刑事と池田とがよく似てるのよ、顔もからだつきも。いい感じの人だと思ったところがひどい男だったということも」
「そうか、ぼくなんかにわかるはずはないといったのは、その池田という人とのことなんだね」
「洗いざらいお話しするわ。そしたら、さっぱりするような気がする。先生とお話ししたあとは、いつもそうなの。かなしくもなるけどね……」
彼女がデパートをやめて池田と結婚したのは、二十一歳のときだった。デパートの宿舎から、彼女は、大森の裏町の三畳一間だけの小さなアパートへ移っていった。
池田の父親は、大井で鉄工場をやっていた。職工が二十人ちかくいて、かなり大きな町工場だったが、池田は手をよごす仕事をきらって、ほとんど大井の家へは寄りつかなかった。大井のその家には池田の父親の妻もいたが、その人は戸籍上は妻ではなく、池田の生母でもなかった。池田の生母は、どういう事情でか、ひとりで四国の松山にいて、そこで芸者置屋をしているということだった。
池田は、銀座のビルの何階かに事務所のある芸能社につとめているといっていた。宇都宮から出てきてデパートの店員になった彼女には、いつもからだにぴったりと合った新しい背広を恰好よく着こなしている池田が、いかにも都会人らしく見えた。芸能社というのはどういうところなのか彼女には見当がつかなかったが、銀座にある芸能社ときくだけでいかにも池田にふさわしい華やかな世界が感じられて、自分などには到底近寄れる人ではないと思いながら、手のとどかないものに対してあこがれを持つ少女のようなあこがれを、池田に対していだいていた。
彼女の職場はネクタイ売場で、はじめは、そこへネクタイを買いにくる客として池田を知ったのだったが、やがて、思いがけずお茶にさそわれ、それをきっかけにして食事をおごられたり、映画につれていかれたりしているうちに、池田に対して手のとどかないものとしていだいていたあこがれが、身近な思慕へとかわっていったのだった。あこがれが空想的なものだとすれば、その身近な思慕は肉体的なもののようであった。ホテルへさそわれて、彼女がさほどのためらいもなくついていったのは、池田に対する彼女の思慕の中に、既にそういう準備ができていたからであった。
池田は彼女にとって、はじめての男だった。彼女は池田をやさしい人だと思った。彼女が慣れてくるにつれて、池田は彼女にさまざまな姿態を強《し》いた。池田はもう、やさしい人ではなかった。魚は食うために釣るのだ、釣りあげた魚に餌をやる馬鹿がいるか、といった。池田は彼女のわずかな貯金さえ、まきあげていった。
それから一年たって、二人は結婚した。池田はちゃんと彼女を籍に入れた。逃がさないための杭《くい》だった。彼女が結婚したのは、池田の子を孕《みごも》っていたからだった。妊娠三ヵ月目で、つわりのひどいときだった。デパートの宿舎では気づいている者もいて、陰でなにかと噂をしているようだった。このままつとめるとしても、せいぜいあと二、三ヵ月であろう。腹がふくらんでくれば、かくしとおすことはできない。やめるのには、よいときだった。彼女は蒲団一包みと柳行李一つを運送屋にたのみ、風呂敷包み一つかかえて、大森の三畳一間のアパートへ移ったのだった。
池田が芸能社につとめているといったのは勿論うそだったが、しかし、まるで根も葉もないうそではなかった。彼は或る暴力団につながりのある芸能ゴロの下っ端だったのである。
彼女のデパートの退職金は、池田が自分で取りにいった。金が手にはいると、二、三日は帰ってこないことがしばしばあった。たいていは博打《ばくち》をやりにいくのだった。負けて帰ってくると、それが朝であろうと昼であろうと、いつでもすぐ挑んできた。勝って帰ってきたときは、そうではなかった。よそで堪能してくるようだった。拒むと池田は、
「だからおれは、素人なんて大嫌いだ」
といった。
「素人ってなに」
ときくと、
「おまえみたいなやつのことさ」
彼女はやがて、真昼間でも、池田のいうままの姿になり、いうままの体位をとるように慣らされていった。それがたのしさにかわっていくと、幾日も留守をして帰ってきた池田が挑んでこないようなときには、自分の方から求めることもあるようになった。
彼女がアパートに移ってから一と月ほどたったとき、外から帰ってきた池田が、
「おい、おまえ、踊子にならんか」
といいだした。今すぐここで裸になって踊れというのか、と思いながら、
「踊子って、どうするの?」
というと、
「習えば、できるよ」
といった。
「だって、赤ちゃんが生れるのに」
「もう四ヵ月だろう。つわりもおさまったし、今からすぐ習って、四ヵ月、五ヵ月、と二た月は踊れるじゃないか。六ヵ月になると腹がふくらんできてみっともないから、子供が生れるまで休んで、それからまた踊ればいい。おまえなら、いい踊子になれるぞ。からだもいいし顔もまずくないし。なっ」
否も応もなかった。池田はその日すぐ、自分の知りあいがやっている品川の小さなプロダクションへ彼女をつれていった。既に話がついていたのだった。
翌日から彼女はそのプロダクションへ通った。せまいアパートで、毎日なにもすることがなく、三日に一度くらいしか帰ってこない池田を待っている日々から、結婚以来はじめて解放されたような思いだった。踊りはたのしかった。すぐ一人前に踊れるようになってダンシング・チームの一員に加えられ、十日目から銀座のショー・ボートに出た。
うれしかった。夜おそくアパートに帰ってきても、池田のいないことの方が多かったが、苦にもならなかった。心地よい疲れで、ぐっすり眠れた。
彼女を踊子にした池田は、ほかの女のところへ入りびたっていたが、給料日だけは忘れずに、かならず金を取りにきた。
ある夜、いつものように彼女が一人で寝ていると、真夜中になって池田が帰ってきた。
彼女は夢うつつの中で、
「あんた? お帰りなさい」
と声をかけ、からだをずらして池田がはいれるぶんだけ蒲団をあけた。だが、池田ははいってこず、いきなり電燈をつけて、
「おい、起きんか!」
と、どなった、
「お客さんだぞ!」
彼女はびっくりして起きあがり、咄嗟にどうしたらよいか判断もつかぬまま、寝間着の前をかきあわせて蒲団の上に坐った。顔をあげて見ると、池田のそばに女が立っていて、
「ごめんなさいね、こんな時刻に」
といった。
こんな時刻にと思うのなら、こなければよいではないか。彼女は口には出さずにそういい返しながら、これが池田の女なのだなと思った。堅気の女には見えないが水商売の女にも見えないといったふうの、無造作に着ている普段着のワンピースがかえって粋《いき》に見える女だった。なんでこんな真夜中にこの女をつれてきたのだろう。なんでこの女はついてきたのだろう。なにをしにきたのだろう――。
彼女が黙っていると、女は、
「あなたがこの人のお嫁さん?」
といった。
「あなたは誰よ!」
彼女は蒲団の上に坐ったまま、気色ばんでいい返した。
「わたし、礼子」
と、女はいい、
「この人が、ついてこいといってきかないもんだから……」
そのとき池田が、
「おい、お茶ぐらい出さんか」
といった。
彼女がしぶしぶ立ちあがって、蒲団を片付けようとすると、池田は、
「蒲団はそのままでいいよ」
と、とめた。
部屋には炊事場がついていなかった。彼女は薬罐をさげて階下の共同炊事場へ下りていき、湯の沸くのを待ちながら、池田と女とのことを考えた。
二人はいったい、なにをしにきたのだろう。やくざ仲間でなにかまずいことがおこり、女もそれにかかわりがあって、女の家にいては危いので、いっしょに逃げてきたのだろうか……。
湯を沸かしてもどっていくと、池田と女が蒲団の中で抱きあって寝ていた。薬罐をさげたまま突っ立っていると、池田が、
「こいつ、嫉《や》いてやがる」
といって笑った。
「わたしがするわ」
といいながら女が起き出してきて、お茶をいれるのを手伝い、勝手に茶箪笥の中を窺き込んで、漬物と佃煮をお茶請に出した。女はスリップ一枚だった。茶の用意ができると池田も起きてきた。池田は寝間着に着かえていた。
お茶がすむと池田は、
「さて、どうやって寝るか」
といい、三人が寝られるように工夫して蒲団を敷きかえた。片隅にはいくらか家具が置いてあるので、蒲団の敷ける部分は二畳ぶんくらいしかない。池田は薄い敷蒲団を折ったり重ねたりして隙間なく敷きつめ、どうにか三人が寝られるようにした。
池田を真中に、女二人はその左右にわかれて、窮屈に寝た。彼女は、早く眠ってしまった方がよいと考えて、眠ろうと努めたが、そのためにかえってなかなか眠れなかった。眠れないまま、池田に背をむけてじっと眠ったふりをしつづけていたが、それは、池田と女とのあいだになにごとかのおこるのを、息をひそめて待ちかまえていることと変わらなかった。
しばらくすると池田は、女の方にではなく、彼女の方へからだをすり寄せてきた。彼女は腿をすぼめて拒んだが、池田は強い力で手を割り込ませてきて、おし開けようとする。彼女がその池田の手の下へ自分の手をこじ入れて覆うと、池田ははねのけられたその手を逆に彼女の手の下へこじ入れてきた。彼女は腰を引いてその手を避けながら、
「いや! きょうはいや!」
と、おし殺した声で叫んだ。
すると池田は、突然、大きな声で、
「男に恥をかかせる気か!」
とどなった。
「恥をかかせるのは、あんたじゃないの。どならないで。その人が眼をさますわ」
彼女はやはりおし殺した声でそういいながら、起きあがって女の方を見た。女は見動きもしなかった。眠っているように見えたが、そんなはずはないと彼女は思った。たとえ、さっきまでは眠っていたとしても、いまの池田のどなり声で眼をさまさぬはずはない――。
「ねえ、きょうはいや。……いいでしょう……」
池田にそういいながら、彼女はそのときふっと、拒まなくてもよかったのに、とも思った。
「ふん、好きなくせに! いいからもう寝ろ」
池田はそういって、自分からさきにごろりと横になった。
やはり、なかなか眠れなかった。いまもし、また池田が身をすり寄せてきたら……、と彼女は思った。もう拒まないだろう――。眠れない、眠れない、と思っているうちに、浅い眠りに落ちていったらしかった。女のよがり泣く声に眼をさまされたとき、激しい息づかいは、もっと前から夢うつつの中で聞いていたように思った。
女の声は、いつまでもつづいた。次第に高くなり、次第に激しくなり、次第に急になって、もう終ったのかと思うと、しばらくしてまたそれのくりかえしがはじまるのだった。
彼女は二人に背をむけて側臥したまま、ほとんどその女の声にあわせて手を動かしていた。声さえももらしていた。その女に対する嫉妬はほとんどなかった。あってもそれは、自分の快感への刺戟になって消えていくのだった。彼女はひとりで果てて、やがて、女の声がまだつづいているうちに眠りに落ちていった。
妊娠六ヵ月目になったとき、彼女はダンシング・チームをやめた。腹のふくらみが目立ってきたからである。
彼女の収入がなくなってからは、池田はめったに帰ってくることはなかったが、それでも、月に二度くらいは様子を見にきた。
くれば例によって、朝であろうと昼であろうと挑んだ。腹が大きいので這わせて、うしろからの具合が格別によいといった。
ある日、どこからか金がはいったらしく、そんなことをしたあとで、めずらしく五千円くれて、
「これで、当分暮らせるだろう」
といい、泊らずにそのまままたどこかへいってしまったが、それから二、三日たったある日のこと、朝早くやってくるなり、例のこともせず、いきなり、
「おい、おまえ、金あるか」
といった。
「なにをいうの。この前もらったばかりだから、まだ少しは残っているけど、それを持っていかれたら、あしたから食べていけないわ」
彼女がそういうと、池田は、
「よし、それじゃ、おまえに十万円やる。ただし、大井の家へいって、親父から三十万円もらってきてくれたらだ」
と真顔でいった。
「おどかさないでよ。そんな大金がもらえるわけはないでしょう?」
「じつは、おれ、博打の借金がつもりつもって、いつのまにか二十万になってしまったんだ。それを二、三日中に返さないことには、おれはもう身の置きどころがなくなってしまうのだ。ほんとうだ。それで、親父のところへいってたのんでほしいのだ。おれが組の金を三十万、いいか、三十万というんだぞ、三十万使いこんだのがばれて、えらいことになりそうだというんだ。それをおまえの口でうまいこといってもらいたいのだ。大きな腹をかかえて、あわれっぽくやれば、きいてくれる。すぐにいってくれ。おれはここでおまえの帰ってくるのを待っていて、親父がくれたらよし、もしくれなかったら、松山のおふくろのところへいってたのんでみる。そのままの恰好でいい。その方があわれっぽく見えるから、そのままでいってくれ」
彼女は池田のいうことを信じたわけではなかった。二十万という金は、あるいは女のために使う金かもしれぬとも思ったが、そして、おそらく無駄足だろうと思ったが、大恥をかきにいく覚悟で、池田にうながされてアパートを出た。
大井の父親は彼女を見ると、まず、
「どなたさんでしたかね」
といった。
「女がしっかりしていないから、男はわるくなるのだ」
ともいった。彼女は、そんな池田の父親を、こわい人だと思った。
「あんたは、わしをだましにきたのだ。自分ではそういうつもりではなかろうが、あんたがあいつのいうなりになってわしのところへやってきたということは、世間から見ればそういうことになるのだ。だいいち、あんたがあいつのいうなりになっていることがいかんのだ。考えてみなさい、これまであいつのいうなりになってきて、なにか一つでもよかったことがあったかどうか。おそらくなにもあるまい。帰って、あいつにいうてやりなさい。親父が、あんなやつとは早く別れてしまった方が身のためだといっていたと。女房を使って泣きおとしたら親父をだませるなどと、いまだにそんなあまっちょろいことを考えているあいつもあいつだが、のめのめとその使いにくるあんたも、わしから見ればばかとしか見えん」
父親はさんざんそんなことをいったあげく、意外にも、十万円という大金をくれた。
「これは、あいつには隠しておいて、自分で使いなさい。子供を生んで育てていくためにな。あんたも可哀そうな人だ。あんなやつに食いつかれて」
彼女はわっと泣きだした。
帰途、彼女はその十万円をどうしようかと考えつづけた。隠しておけといったのは、父親の本意だったろうか。あの父親の気性では、息子にやるとはいえないのでそういったのではなかろうか――。アパートへ帰るまで決心はつかなかったが、帰って池田の顔を見ると、彼女はなんのためらいもなくその十万円を出した。
「これは、隠しておいて子供のために使えといって、くださったの」
「そうか、うまくいったな」
と池田はいった、
「しかし、十万か。十万では足らんのだ。|けち《ヽヽ》な親父だ。もしかしたら三十万くれるかと思ったんだが……」
「そんなこと、いうもんじゃないわ」
と彼女がいうと、池田は急に険《けわ》しい顔をして、
「なにッ、おまえ、このおれに意見しようというのか!」
といった、
「十万円くれたら、そこでもっと泣きついて、もうひとねばりすりゃいいんだ、そうすりゃ二十万はくれたんだ」
「そんなら、自分でいってそうすればいいじゃないの」
彼女がそういったとたん、池田はぱっと立ちあがり、彼女の襟首をつかんで宙吊りにするようにして、力まかせに平手打ちをくらわせた。
「もういっぺん、いってみろ!」
「いくらでもいってやる。自分でもらいにいけばいいんだ、自分でもらいにいけばいいんだ」
彼女は涙をぽろぽろとこぼしながらいいつづけた。
その夜、池田は、うしろから彼女にたわむれながら、
「おれが憎いか」
といった。黙っていると、「いえ、いえ」と強いた。
「打たれたりしたら、憎いと思う」
というと、
「憎いのにどうしてこんなに濡らす」
といい、うめけばうめいたで、叫べば叫んだで、いちいち「憎いのにどうしてそんなに……」といいながら、ほとんど一晩中彼女を放さなかった。
翌朝、池田は十万円のなかから一万円だけを彼女にわたして、
「どうしても二十万円いるから、松山へいってみる。腹が大きくさえなければ、つれていってやるのだが」
といった。
松山で金の都合がついても、つかなくても、わけがあって三ヵ月は帰ってくることができない。金がなくなったら、親父のところへいってありのままを話せば、くれるにちがいない。――池田はそういって出ていった。三ヵ月あとというと、彼女に子供の生れる月だった。彼女はそのとき、池田は自分を捨てたのかもしれないと思った。そして、捨てたのなら捨てたでいい、ひとりで生きていくまでだ、と心を決めた。
近所に住んでいるアパートの家主のところへ家賃をはらいにいったついでに、彼女は子供が生れるまで内職をしたいのだが、こんなからだででもできる仕事はないだろうかとたずねた。
「あったら知らせてあげるよ」
と、家主の女房は無愛想にいっただけだったが、二、三日すると自分から彼女の部屋へやってきて、
「電気の球に細工する仕事があるけど、やってみないかね」
といった。
彼女はさっそく、家主の親戚だというその五反田の電気屋へいってみた。電球の中の捲線をつける仕事で、やってみたところ、むずかしい仕事ではなかった。通いで、月四千円というところだが、しばらく仕事ぶりを見て、よかったら五千円出そう、と主人はいった。
彼女はその日から三ヵ月間、子供が生れるぎりぎりの日まで、その電気屋につとめた。
家主の女房は、出産のときの世話もしてくれた。
「うちのぼろアパートの中で、あんたがいちばん貧乏だからね」
そういって面倒をみてくれたのだった。
池田は、三ヵ月たっても、やはり帰ってこなかった。
彼女は一と月もたたぬうちに、乳が出なくなった。家主の女房は、
「出ないといって飲ませないから、よけい出なくなるんだよ」
といって、毎日乳をもみにきてくれたが、効き目がないとわかると、
「貧すりゃ鈍するで、乳まで出んか。女は男次第だね。やくざな亭主を持ったら苦労するよ。苦労もいいがそれが仕甲斐のない苦労だからね」
と、ずけずけいい、
「働けるようになるまで、家賃は待ってあげるよ。そのぶんで少しは滋養になるものを食べるがいいよ。そうすれば乳も出るようになるかもしれないからね」
「ありがとう……」
といって声をつまらせると、
「めそめそしてては生きていけんよ」
といった。
子供が生れてから二ヵ月たったとき、ひょっこり、池田が帰ってきた。夜中だった。新しい背広を着て、ネクタイはしていなかった。赤ん坊の顔を窺きこんで、黙っていた。
彼女は池田を見たとたん、はっとした。五ヵ月間どこへいっていたのか見当がついたのである。
「あんた、松山へいったんじゃないでしょう」
というと、果して池田は、
「そうさ。わかったんか。組の幹部の身代りになって、はいっていたんだ」
といった。
「三月のつもりが、五ヵ月にもなった。あのとき親父が二十万出してくれたら、こんなことにはならなかったかもしれんのだ」
「あんた、まっすぐここへきたんじゃないでしょう」
「それは、どういうことだ。そうか、礼子のやつのことか。あいつはどっかへ雲隠れしてしまったよ。……五ヵ月だぞ、恋しかったなあ、これが――」
と手を入れてくる。
彼女は一瞬、拒みたいような気がしたが、触れられるともう、どうすることもできなくなっていった。
三晩泊って、池田はまた出ていった。組長について関西へいくのだという。出しなに池田は、
「いま、いくらある?」
と金のことをきいた。
「三千円くらいあるけど、持っていかれたら赤ん坊といっしょに餓え死してしまうわ。お乳が出ないものだからお金がいるのよ」
というと、池田は、
「大きいおっぱい、してるのになあ」
といい、またたわむれて、一万円、置いていった。
そのまま池田は帰ってこなかった。一と月たち、二た月たっても帰ってこない。
金がなかった。腹をすかした赤ん坊が、夜中にはげしく泣いた。抱きあげてゆすぶってやると一時は泣きやむが、しばらくするとまたはげしく泣きだす。アパートの人々に気兼ねをして、彼女は、赤ん坊を背負って表へ出た。歩きまわっていると赤ん坊は泣かなかった。
夜が白んできて、牛乳配達が家々に牛乳を配っていった。あれが一本あったら……、と彼女は思った。牛乳箱がなく、門の石塀の上に五、六本の瓶が置いてある大きな家があった。彼女は歩み寄っていって、その一本を懐へ入れた。歩き出してから、あ、えらいことをした、と思った。返しにいこうかと思ったが、あの大きな家にとって牛乳の一本くらいなんでもなかろうと、そのままアパートへ帰った。その牛乳をあたためて飲ませてやると、満腹した赤ん坊はすぐすやすやと眠った。その赤ん坊の顔を眺めながら彼女は、神さま、この赤ん坊にはなんの罪もございません、と胸の中でつぶやいた。
それからは、明けがたに赤ん坊が泣きだすたびに、彼女は同じ罪をかさねた。もうしない、これを最後にもうしない、と自分にいいきかせながら。
しかし、金がなかった。秋も末に近くなって赤ん坊の衣類も買わなければならないのに、金がなかった。アパートの近くに、バタ屋の元締のような家があった。赤ん坊を背負ってその前を通りかかったとき、彼女は、表で主人がつぶした紙箱を束ねているのを見てたずねた。
「一日で、どのくらいになりますか?」
「そうだな、五百円から、千円くらいかせぐ者もいるよ」
と主人はいった。彼女は店さきにある大きな竹籠を指さして、
「それにいっぱい、そんなボール紙を集めてきたら、いくらになりますか?」
「ぎゅうぎゅうに詰めて、三百円くらいだ。……なんだね、おまえさん」
「やらせてほしいのです」
「おまえさんがか。赤ん坊をつれていては、できんよ」
「赤ん坊は置いてきます。わたし、そこのアパートにいるのです」
「おまえさんみたいな若い女は、はずかしがるもんだがね」
「お願いします」
「やれるかどうか、まあ、やってみるのもよかろう」
彼女には|あて《ヽヽ》があった。そこへいけば紙箱がたくさん拾えるはずだった。
翌日から彼女は、毎朝四時に起き、乳を飲ませて赤ん坊を寝かせつけ、部屋の戸に外から鍵をかけ、バタ屋へいって竹籠を借り、それを背負って一番の電車に乗って、もとつとめていたデパートへいった。
そのデパートの店員の出入口の傍に、空箱の捨て場があった。まだ人通りはない。彼女は空箱を拾っては、一つずつつぶして平らにし、竹籠に詰めた。いっぱい詰めると背負うには背負っても、なかなか立ちあがれないときもあった。よろけながら、ようやくの思いで駅にたどりつき、しばらく休んでから電車に乗る。降りるとまたよろけながら、まだみんなが眠っているアパートの前を通って、バタ屋にたどりつく。ボール紙は一籠、重いときには四百円になることもあった。
その金で、牛乳を買い、米を買い、赤ん坊の衣類を買うのである。三日に一度くらいは、よその家の牛乳を盗むよりほかないときもあった。
ある日、家主の女房が部屋にはいってきて、いつになくいいにくそうにいった。
「これからいうことが、もしまちがっていたら、わたしをぶんなぐっておくれ。わる気でいうのじゃないから、まちがっていても、怨まんでおくれ。このあいだ、牛乳配達がいってるのを聞いたんだよ、半年くらい前からこのあたりの牛乳瓶がしょっちゅう盗まれるって……」
「おばさん、それ、わたしです。ごめんなさい……」
ああ、もう駄目だ、と彼女は思った。眼の前がまっくらになり、頭がくらくらとゆれた。
「見つかってしまってからではおそいからね。見つかる前にと思っていったんだよ。もう盗らないね。そうすりゃ誰も知らずにすむからね。なに、あんたがわるいわけじゃないよ、あんたの運がわるかったんだよ。だけど世間の人は、そうは見てくれないからね」
彼女は家主の女房を拝みたい気持だった。そして、帰ってしまったあと、その見えないうしろ姿を、ほんとうに拝んだ。
バタ屋だけでは、やはり暮していけなかった。赤ん坊のための出費がだんだんかさんでいくので、よけいにそうだった。バタ屋になってから一年ちかくたったとき、彼女は、品川のプロダクションへいってみた。
「どこか働き口はないでしょうか」
ときくと、社長は、
「ヌードはいやかね」
といった。
「ヌードでもなんでもやります」
というと、社長は横浜のヌード酒場へ紹介してくれた。
ヌード酒場へ出るようになっても、彼女はバタ屋をつづけた。朝は竹籠を背負ってバタ屋をやり、夜は子供を背負ってヌード酒場へ通ったのである。
「ずいぶんお喋りしたわね」
と彼女はいった、
「泥棒をしたことまで喋ってしまって、これでせいせいしたわ。あきれた?」
私はいう言葉もなかった。彼女の話をきいていつも思うことは、おびただしき哉、人生――という言葉である。そのおびただしい人生を生きてきた彼女、数かぎりない苦しみ、数かぎりない悲しみ、そして数かぎりない侮《さげす》みに堪えて生きている彼女に対して私は畏敬の念をさえおぼえるのである。
「せっかく温泉にきたんだから、風呂にはいってから寝よう」
と私はいった。部屋のバスは夜中は湯がとめてあって使えなかった。私たちは一階の浴場へ下りていった。途中でガードマンに会ったが、彼女はもう気にしていないようであった。
女湯から彼女のはしゃいだ声がきこえてきた。
「綺麗な石がいっぱい敷いてあるわ。そっちにもある?」
「あるよ。誰もいないから、こっちへこないか」
「ばか! いやよ!」
笑い声が音叉の音のように振動してきこえてきた。
ホテルは三階が娯楽センターにつづいていた。翌日、私たちはその中のゲーム場へいって光線銃で飛行機を射ったり、小銃で怪獣を咆哮させたり、小型のボーリングをしたり、グラッド・ボールというパチンコをしたり、あれをやり、これをやりして時をすごしたが、彼女はただ嬉々としていて、おびただしい人生のかげりはどこにも見えなかった。
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一条さゆりの性の波瀾
また、名古屋へいった。
その朝、東京はなにごともなかったが、名古屋地方ではかなり大きな地震があったとかで、新幹線の上りはそのためダイヤが乱れていたが、下りは定刻に出た。
昼前、名古屋に着いた。朝、地震があったという気配はどこにも見えなかった。駅の地下の食堂で食事をしながら、私は食堂の少女にきいた。
「地震があったんだって?」
そのとき、少女の顔がぱっと耀《かがや》いたようだった。忙しい、しかし張合いのない給仕という仕事の中で、もうすっかり忘れてしまっていた何時間か前の地震、そのときの一瞬の恐怖や狼狽を私が呼びおこしたからであろうか。少女は大きく頷いてから、
「お客さんはどこです?」
ときき返した。
「束京。いま新幹線で着いたんだ」
私はそういってから、――そうだ、朝の地震の気配がどこにも見えないということは、二時間前には自分が東京にいたということがひとにわからないばかりか、自分自身でも格別にそれを意識していないのと同じなのだ、と思った。刻々に過ぎていく時間の中で、絶えず何かがおこっているのである。そして、刻々に過ぎていくその時間が、そのすべてを遠くへおし流していくのだ。私は一条さゆりのことを考えていたようである。彼女の上におこり、そして過ぎていったさまざまな苦しみや悲しみを考えていたようである。
少女は私の傍を離れ、カウンターの近くで同輩の少女と朝の地震のときのことを話しあっていた。少女の声は相手の少女の声よりも高かった。私にきかせようとして、わざとそうしているようにも見えた。そのときの少女は、こころなしか、いきいきとして見えたが、しばらくして、一組の客が帰るのを「ありがとうございます」と送り出したのを|しお《ヽヽ》に、彼女はまた、もとの張合いのない日常の中へもどっていった。この少女の上に、これから何がおこるかはわからないのだ、と私は思った。私はやはり一条さゆりのことを考えていたのである。彼女の上におこり、そして過ぎていったさまざまな悲しみや苦しみを考えていたのだった。
十二時半だった。からだの具合がわるいといっていたから、彼女はまだ楽屋で寝ているかもしれない、と私は思った。あそこの劇場の開演時間は、何時だったろうか。十二時だとすれば、トリの彼女の一回目の出演がすむのは、二時すぎだろう――。
駅のまわりで時間をつぶし、彼女の一回目の出演のすんだころを見計らって、私は劇場へいった。鶴舞公園の近くのその劇場へ彼女を訪ねていくのは、これが三度目だった。
舞台では、ちょうど彼女が踊っているところだった。予期せずに客席へはいっていったので、いきなり彼女がきらきらと眼の中へ飛びこんできたような思いがして、一瞬、私はどぎまぎした。彼女の舞台を見るのは二ヵ月ぶりだった。相変らず綺麗だ、と思った。
私は彼女を、もっと窶《やつ》れているだろうと思っていたのである。
二ヵ月前、彼女がこの劇場に出ていたときにも、私は名古屋にきた。そのとき私は彼女のスケジュールをきいて、彼女が姫路の劇場へ出るときに逢いにいく約束をした。
ところが、そのときになると、彼女は電話をかけてきて、いきなり、
「先生、こんどはこないで」
といった。
「どうしたの?」
ときくと、
「からだの具合がわるくて、舞台も休ませてもらっているの。楽屋で寝てるのよ。いま逢いたくないわ」
ときどき咳をするのがきこえた。
「風邪をひいてるようだね」
「風邪もだけど、肝臓もわるいらしい。だるくてしようがないのよ。ガタがきてしまったのかしら」
「医者にはみてもらっているの?」
「はい」
「三郎さんは?」
ときくと、
「店の方が忙しくて、なかなか手があけられないらしいの。二、三日中にきてくれるらしいから、ことによったらそのときいっしょに大阪へ帰るかもしれない」
「見舞いにいこうか」
「いやよ。こないでって電話をかけているのに。ここのつぎはまた名古屋へ乗るから、そのときにきて」
翌日の夜おそく、こんどは三郎から電話がかかってきた。
「姫路へいって、いま帰ってきたところですのや」
と三郎はいった。
「きのう、さゆりさんから電話がありましたよ。どう? 具合は。いっしょに大阪へ帰ったんじゃなかったの?」
「それが、帰ろうというたら、いややといいますのや。舞台、休めいうたら、出よりやがるし。全共闘というのですかいな、あれとおんなじで、なんでも反対や。そやけどまあ、反対しとるうちは、まだ、ええのですわ」
「ぼくも、姫路へいくといったんで、くるなといってきたんかな」
「何をいいなさる。先生にはええとこ見てほしいからですやろ。ことわったんで、先生、気わるうしやはったんとちがうやろかいうて、心配しとりましたわ。名古屋へは、きっと、いってやっておくなさい。そういうてくれて、たのまれてきましたんや」
「ところで、こんどの店はうまくいってるの?」
「おおきに。おかげさんで。いまのところは、ようはやってますわ」
三郎はこれまで、近鉄奈良線の瓢箪山という駅の近くのマーケットの中で仕出し屋をやっていたのだが、このごろそこをやめて、近くの大きな団地の一郭ですし屋をはじめていた。すし屋の店を持つことは三郎の長いあいだの念願だったのである。
「それでは、名古屋へはきっと、いってやっておくなさいよ。たのみます」
三郎は念をおして、電話を切った。
舞台の上の彼女は、踊りながらときどき激しい空咳をしていて、痛ましかった。
やがて踊りがすんで、ベッド・ショーに移ろうとすると、観客はいっせいに席を立って舞台めがけて殺到し、忽ち彼女をとりかこんでしまった。客席に残っている者は一人もいない。この劇場では、いつでもそうなのだった。初めてこの光景を見たとき私は、これでは彼女もやりにくいだろうと思い、あとで彼女に、
「ここの客はひどいなあ。みんな舞台へかけあがってしまうんだから」
といったことがある。すると彼女は、
「ここは、見せたらいかんことになってるもんだから、みんな、よけい見たがるのよ」
といった。客をかばって、むしろ私の方を咎めているようだった。
「とりまかれているときに、見せるの?」
「ベッドやもん、手をはなさなければ、見えやしないわ」
「はなすの?」
「ここでは、はなさないわ。見せたらいかんことになってるんだもの」
「それじゃ、舞台へかけあがったってしようがないのにね」
といったときだった。彼女は、
「あら、そうかしら」
といい、
「先生だって、ほんとうは、あがって見たかったんでしょう?」
といったのだった。
私はそのときの彼女の言葉を思い出して、みんなのあとから一人のこのこと舞台へ歩み寄ってみたが、すでに彼女は二重、三重の人垣に隙間なくとりかこまれていて、なにも見えなかった。
ベッド・ショーが終ると、みんなはばらばらと客席にもどる。彼女は腰巻をつけて立ちあがり、エプロン・ステージに出てきて、あちらこちらにしゃがみ、腰巻をあけて、見せるふりをする。しかし、膝は開いていても腿は閉じられていてなにも見えるわけはないのだった。ときには阜《おか》の草が見えるか、からだを動かしたはずみに戸の外側の扉の一端がわずかに見えるくらいのものである。観客は笑ったり冗談をいったりしながら、眼だけは鋭く光らして腿の奥を覗き込んでいる。あちらこちらで手をたたいて彼女を自分の前に呼び寄せ、彼女がしゃがむと、隙あらばと見守る。
これでいいのだろうか、彼女自身にとって――。私はふとそう思った。
頃合いを見計らって楽屋へいくと、彼女は、
「すみません、勝手いって」
といった。姫路のことをいっているのだった。
「もう、からだはいいの?」
「ええ、だいたい」
「まだ、咳がでるね」
「癖になってしまったんかしら」
そういいながら、彼女は思い出したように、化粧前の罐の中から薬を取り出して口にふくんだ。咳どめの薬らしかった。
「よく名古屋へくるんだね」
というと、
「ギャラはよそより安いんだけど……」
と彼女はいった。
「オープンがないから?」
すると彼女は、ちがう、という顔をした。安いのはそのためかもしれないが、ここへくることは、オープンともギャラとも関係はない。
「オープンがあって、その上ギャラが安くても、呼ばれたらくるわ。わたし、ここが好きなんだもん」
と彼女はいった。
オープンをすることは、彼女はきらいではないのだ、と私は思っている。オープンのないところでも、踊りをし、そしてベッド・ショーをすることは、同じである。彼女は、いつでも、どこででも、真剣に踊る。そして、真剣にベッド・ショーをやる。いわば真似ごとの踊り、真似ごとのベッド・ショーは、彼女にはできないのだった。
はじめてベッド・ショーをやらされたとき、彼女は形だけを真似てやってみた。だがそれは、我ながら無様《ぶざま》で、はずかしくてならなかった。ショーと呼べるものにならないことが、はずかしいのだった。つぎのとき、彼女は、中指を折り曲げてその関節のところで核をこすりながら、ほかの四本の指で花弁を刺戟し、ときには中指を伸して花筒の中へ入れたりしながらやってみた。
「頭の中で相手を考えながらやるのよ」
と彼女はいった。
「相手って誰? 三郎さん?」
「誰だっていいのよ。先生だっていいわ」
「ぼくじゃダメだろう」
「いいのよ」
「どうして?」
「先生でもいいの。わけがあるのよ。ききたいでしょう? そのうちに話してあげるわ」
彼女はまた、こういったこともある。
「わたし、ほんとうにやるものだから、そこは手のかげになっていて見えなくても、みんな見にくるのじゃないかしら」
ベッド・ショーがはじまると、舞台にかけあがって彼女をとりかこんでしまう観客たちのことを、いったのだった。
彼女はほんとうにやり、そして、ほんとうに濡らしてしまう。彼女が尋常の人とちがうところは、そのときおびただしい量の泉が湧き出ることだった。ベッド・ショーを終ってオープンをするとき、彼女は舞台の縁のあちらこちらにしゃがんで、そのときに湧き出た泉を、少しずつ花筒の奥から流して見せるのだった。そのようにして、ベッドで出した泉を流しつくしてしまったとき、彼女のショーは、はじめて完結するのである。
だから、オープンをしないということは、彼女にとってはむしろ物足りないことではないのか。ショーをショーとして完結させることができないという意味でも。
「さあ、どうかしら。わたし、そんなこと別に考えてみたことないけど」
と彼女はいった、
「ここの支配人さんも、ほかの人たちも、みんな親切ないい人だし、それに、名古屋というところは、いろいろ思い出のあるところだから……。わたし、故郷がないでしょう? 新潟はただ生れたというだけのところだし、埼玉は育ったところだけど、いやな思い出ばかりだし。名古屋にしたって、いい思い出ばかりではないけど。それでもなんだか、ここへくると気持が休まるような気がするもんだから……」
「名古屋にはいい人がいるんじゃない?」
「いたら、先生なんか呼ばないわよ。ああ、そうそう、名古屋がいいのは、やっぱり、オープンがないからじゃないかしら。先生はわたしのことを、オープンをしないと欲求不満になるっていいたいようだけど」
「え? そうじゃないの?」
「ばか!」
彼女は私を打つ真似をして、笑いだした。
十何年も前のことである。池田という|やくざ《ヽヽヽ》にだまされて、大森の裏町の三畳一間のぼろアパートに住みついてから二年、彼女は毎日、朝は大きな竹籠を背負ってバタ屋をやり、夜は赤ん坊を背負って横浜のヌード酒場へ通っていたが、ある日、いつものように、もと勤めていたデパートの裏口から拾い集めてきた空箱を親方に買ってもらい、三百円を握ってアパートへ帰ってみると、かけておいた錠が外されている。あわてて扉をあけて見ると、赤ん坊の傍に男が寝ていた。男は顔をあげて、
「なんだ、おまえか」
と、姉様|冠《かぶり》にモンペの彼女を、怪訝な眼で見まわしながら、
「久しぶりだな」
といった。男は池田だった。組長について関西へいくといって出ていってから、半年以上もたっていた。
「あんただったの? 泥棒かと思ったわ。何しにきたの? 錠、どうしてあけたの?」
と彼女はつづけざまにいった。またひどい目にあわされるのだ、と思った。泥棒だった方がよっぽどよかった――。
「あんな錠なんか、そこいらに落ちてる針金でわけなくあくさ。それにしても、何しにきたかとはご挨拶だな。仕方がない。あやまるよ。長いことほったらかしにしておいて、わるかったよ」
そして、腕をのばして彼女のモンペの紐を引っぱり、
「何しにきたかというなら、これをしにきたんだ」
といった。彼女がその手を押しのけると、
「なに、いやだというのか。おれがいなくても、結構堪能していたというわけか」
「ちがう。わたし、疲れてるのよ」
「男じゃあるまいし。疲れていようが何だろうが、いつでもできるのが女の重宝なところじゃないか」
池田は彼女をおしたおし、木の皮を剥ぐように彼女のモンペを引きおろした。彼女は観念して池田のするままになりながら、この男はいつもこうだったと、それを遠い昔のことのように思い出していた。博打《ばくち》に負けて帰ってきたときは必ずそうで、朝であろうと昼であろうと帰ってくるなりいきなり襲いかかってくるのだった。
池田はあっけなく終り、彼女はついに何も感じなかった。どうしたのだろうと思い、
「わたし、疲れてるのよ」
と、彼女は池田にともなく自分自身にともなく呟いた。
池田は、そのすぐあとで、
「金、持っているか」
ときいた。彼女の思ったとおりだった。
「あるもんですか」
というと、池田は、小箪笥の抽出から蠅帳の隅まで調べた。さきほどバタ屋の親方からもらってきた三百円が卓袱台《ちやぶだい》がわりの林檎《りんご》箱の上に置いてある。
「それは持っていかないで! 子供の牛乳を買うんだから」
というと、池田は、
「こんな端金《はしたがね》しかないのか」
と吐き捨てるようにいった。そして、なにもいわずに出ていったきり、夜になってももどってこなかった。これでまた当分はこないだろうと、彼女はほっとした思いだったが、翌日の昼すぎ、またやってきた。昨日とはちがって小ざっぱりした身なりをしており、昨日のように挑みかかってもこず、しばらくは黙ってタバコをふかしていた。
そんな池田の、なにやら考えこんでいるらしい様子が無気味になってきて、彼女は、
「どうしたの?」
と声をかけた。すると池田は背広の内ポケットから千円札を三枚抜き出して林檎箱の上へ置き、
「これをやるよ」
といった。
「そんな大金、どうしたの?」
「おまえにやるといってるんだ。その代りに、今夜十一時、ここに書いてあるアパートへいくんだ」
池田はそういって、一枚の名刺を彼女につきつけた。太い活字で大きく××組と印刷してあるだけの名刺だったが、その裏に、略図と部屋の番号が鉛筆で書いてあった。
「そこに誰がいるの? 夜中に、なぜわたしをそこへいかせるの?」
「とぼけるな。小娘じゃあるまいし、金をやって、そこへいけといえばわかるだろう。ただで金をくれるやつがいると思うのか」
「わたしがことわったら、どうするつもり?」
「そうさなあ、そのときはまた、そのときの思案だ。だが、なにも、ことわることはあるまい。別に、減るってわけのもんじゃなし……」
「…………」
「それに、亭主のおれがいけといってるんだ。誰にも遠慮することはなかろう。それとも、ほかに操だてをしたいやつでもいるというのか」
「たった三千円で……」
「ほう! もっと高ければいくというのだな。そうだな、めかしこんでいけば、これくらいの値打ちはあるかもしれん」
池田はそういって、内ポケットからさらに千円札を二枚抜き出し、林檎箱の上へ置いた。
彼女はそのとき、心をきめたのだった。そして、こういった。
「そのお金を、ほんとうにわたしにくれるのなら、いってもいいわ。あんたが取り返したりしないなら」
「ほんとうにやる。取り返したりしない」
「それなら、いくわ」
「よし、これできまった。おまえも、そんなに金がほしいのか。だが、おまえがいくときまると、惜しい気がしてくる。おまえのそいつをひとが使いやがるのかと思うと」
しばらくすると、池田はまた出ていった。彼女を承知させたことを、相手に知らせにいったようだった。
夕方、彼女はいつものように、横浜のヌード酒場へいくふりをしてアパートを出、五千円を持って、そのまま名古屋へいったのだった。
名古屋には、子供が生れる前、ショー・ボートで踊っていたときのダンシング・チームの一人がいるはずだった。そのことを彼女は、横浜のヌード酒場で、名古屋からきた踊子に聞いたことがあった。といっても、それはただ、栄町あたりのキャバレーで踊っているというだけのことで、くわしいことはわからなかった。こんなことになるのなら、せめてキャバレーの名だけでも聞いておけばよかったと思ったが、また、わからなければわからなかったときのことで、なんとかなるだろうとも思った。今はただ、池田の手のとどかないところへいってしまいさえすればそれでよいのだった。
そのときのことを、彼女は、
「汽車よ、早く走れ早く走れと、掛声をかけたいような気持だった」
といった。
「夜行列車なのよ。それも急行ではなくて、鈍行だったかもしれないわ。なかなか名古屋へ着かないのよ。池田が追っかけてくるような気がして、名古屋へ着くまでは気が気でなかったわ」
それから二年間、彼女は名古屋で暮した。その二年間は彼女のこれまでの生涯の中で、最も平穏無事な二年間だった。彼女はダンシング・チームに加わってキャバレーをまわり歩いていたのだが、平穏無事だったということのほかには、格別の思い出もない。それほど平穏無事だったのだ、と彼女はいう。その平穏無事だった二年間への郷愁のような思いが、彼女に名古屋を故郷のように感じさせるのかもしれない。
私は、二ヵ月前に名古屋にきたときと同じく、蟹江温泉のホテルに部屋を二つとっておいた。そのホテルは、夜はガードマンがフロントにいて、いくらおそくいっても部屋のキイを出してくれるので、時間を気にする必要がなかったからである。
そのホテルへいくことを、彼女は、
「わるいけど、こんどは、よすわ」
といった。
「どうして? |へん《ヽヽ》な噂をたてられるから?」
「姫路からタレントを一人あずかってきたのよ。わたしだけ外へ泊りにいくのはまずいわ」
「その人もつれていったら?」
「そうね、いいの? それじゃきいてみる」
彼女はそういって、襖一つへだてた隣りの楽屋へ、
「ゆかりちゃん、いる?」
と呼び、返事がきこえてくると、
「まだ出番じゃないわね。ちょっとこっちへこない?」
といった。しばらくすると、襖をあけて大柄な踊子がはいってきた。
「こちら児玉先生」
と彼女は私をゆかりに引きあわせて、
「あのね、先生が蟹江温泉のホテルへつれていってあげようっておっしゃるのよ。あなた、いく?」
ゆかりは怪訝な顔をして、黙っていた。
「それはおかしいよ」
と私はいった、
「ぼくがさゆりさんに頼んで、この人をなんとかしようとしているようにきこえるじゃないか」
「ああ、そう。おねえさんもいくのね」
ゆかりはそういって、はじめて顔を綻ばせた。
「そうよ、お部屋は二つとってあるのよ。先生のぶんと、わたしたちのぶんと」
「あらそう。わたしは寝てしまったら朝までなんにもわからないから、大丈夫よ、おねえさん」
「そう、それはよかったわ」
二人はそのとき、そんなことをいいあってふざけていたので、私は二人とも蟹江へいくことにきめたものと思っていた。ところが劇場がはねると、彼女は、
「わるいけど、やっぱり蟹江はやめるわ」
といいだした。
「あの子が、いやだっていうの?」
「そうじゃないけど、やっぱり、少し|へん《ヽヽ》に思ってるようだから」
「そうか。ぼくがあなたにたのんであの子をなんとかしようとしているのじゃないかとか、あなたがぼくと二人でいくのは具合がわるいので、あの子をつれていこうとしているのじゃないかとか……」
「その二つしかないわね。二つともありそうなことだから。ちょうど先生くらいの年配の人が、よくそういうことをやるのよ」
「二つしかないことはないよ。鶯の谷渡りというのもある」
「口ばっかり!」
「ふられて帰る果報者か。仕方がない、ホテルへ帰ってひとりでさびしく寝るか」
「あら、ついていってもいかなくても、いつでも寝るときはひとりのくせに。ひとりで寝に帰るには、まだ早いでしょう?」
「なにか食べにいこうか」
「そうね、わたしも少しおなかがすいてきたわ。ねえ、あの子もつれていってもいいでしょう? ひとりでおいておくと、まずいのよ」
「ずいぶん気をつかうんだな」
「あずかっているんだもの。先生、ちょっと眼をつぶっていてね」
彼女はそういって、
「ゆかりちゃん、いらっしゃい」
と呼んだ。そして、ゆかりがはいってくると、
「ホテルへいくのはやめようって、先生がおっしゃるのよ」
といった。
「誤解されて|へん《ヽヽ》な噂をたてられたりすると、わたしもこまるし、あなたにも迷惑がかかるものね。その代りに、これからサパークラブへつれていってあげようって」
ゆかりは子供っぽくうなずいてから、私にいった。
「先生、ゴーゴー・クラブはいやですか」
「ぼくは踊らないけど、それでもよかったらいってもいいよ。蟹江へつれていくといっておいて、とりけしにしたおわびだ」
「それでは、ゴーゴー・クラブへつれていってください。おねえさん、いいでしょう?」
「ええ、いいわよ」
と彼女はゆかりにいい、それから私に、
「すみません、先生」
といった。
車を拾って、ゆかりが一度いったことがあるという「二十世紀」というゴーゴー・クラブへいった。
エレキ・ギターの拡大された音と絶叫する歌声が耳を聾し、ドラムの音がずしん、ずしんと腹にひびいた。彼女が私の耳に口を寄せてきてなにかいったが、ひとことも聞きとれなかった。私は手を振って、
「なんにも、聞こえんよ」
といった。勿論、その声も誰にも聞こえるはずはない。しばらくすると、彼女はまた私の耳に口を寄せてきた。私はまた手を振った。
ゆかりは夢遊病者のように踊っていた。見ていると、背の高い男が踊りながらゆかりに近づいていく。男は少しずつ、ゆかりをフロアの隅へ追いこんでいった。やがて私たちの席からは、太い柱のかげになって、ゆかりの姿が見えなくなった。
彼女がまた私の耳に口を寄せてきた。私はまた手を振る。しばらくすると、彼女は立ちあがってフロアへ下りていった。その姿は柱のかげにかくれた。またしばらくすると、柱のかげから彼女が出てきた。彼女はそのまま席にもどってきた。彼女が席にもどると、ゆかりの姿が柱のかげから出てきた。相変らず夢遊病者のように踊っている。
彼女はまた私の耳に口を近づけてきたが、途中でやめて、左手をひろげ、その手で腹をおさえた。こんどはわかった。ドラムの音が腹にひびくという意味だろう。
音楽がやんだ。彼女はやれやれというように、両手を左右に開いて見せて、
「先生、あんな音楽が好きなの?」
といった。
「なるべくなら御免こうむりたい」
というと、彼女は声をあげて笑った。そして、
「わたし、早く出ましょうって、いったのよ。そしたら先生が手を振るものだから、あんな音楽が好きなのかと思った」
ゆかりがもどってくると、彼女は、
「もう出ない?」
といった。
「わたしおなかがすいたわ。サパークラブへいかない?」
ゆかりはうなずいて、
「うん。わたし、お手洗いにいってくる」
といった。ゆかりが立っていってしまうと、彼女は、
「あの子、フロアの隅におしつけられて、抱かれていたのよ、男に。ふらふらっとついていきかねないから、さっき、引き離してきたのよ。男はこそこそとどっかへ逃げてったわ」
といった。
「老婆心じゃないの?」
とからかうと、彼女は、
「老婆で、すみません」
といった。
ゴーゴー・クラブを出たところの辻の片隅に、屋台が一軒出ていた。
「ラーメン屋さんかしら、おでん屋さんかしら」
と彼女はいった。
「寄ってみる?」
というと、
「そうねえ……」
といって、しばらくためらったすえ、
「よしましょう。サパークラブへいくんだから」
といった。
もう十二時をすぎていた。ところどころに明りの洩れている薄暗い通りを歩きながら、彼女は、
「先生、裏町人生って歌、知ってるわね」
といった。
「知ってるよ。ぼくの学生のころはやった歌だもの」
「ゆかりちゃんは?」
「節《ふし》だけなら知ってる。おねえさんその曲でよく踊るじゃない?」
「ああ、そうか。蓄音機って知ってる?」
「ポータブルのことでしょう」
とゆかりがいうと、
「そうそう、ポータブルね。蓄音機というのは大正時代かしら。あはは……、先生の時代だわね。先生、学生のころ、裏町人生を蓄音機できいた?」
「ぼくの学生のころだって、もうポータブルだったよ」
ゴーゴー・クラブから歩いて、十分もかからないところに、「青い城」というサパークラブがあった。深夜営業の店で、彼女はときどきここへくるようだった。ビールがはいると、彼女は口が軽くなってきて、
「話してあげるわ、先生。ベッド・ショーのときの|あれ《ヽヽ》、先生だっていいといったわけを」
といいだした。
「裏町人生も、屋台も、先生も、みんな一つなのよ」
「わからないねえ。酔っぱらってきたんじゃない?」
「そうよ、一升壜を持って屋台を飲みまわっていたのよ。その屋台に裏町人生のレコードがあって、わたしがいくと、いつもそのレコードをかけてくれるのよ。あれは、ポータブルだったかな、蓄音機だったかな。ラッパがついてたように思うのだけど、そんなはずはないわね、十年くらい前のことだから。そこへ先生があらわれるのよ。わたしをさがしにくるのよ。よしよし、もう帰ろうといって、やさしく肩を抱いて、つれていってくれるのよ」
四国の松山で芸者に出ていたときのことである。いつも酒ばかり飲んでいた。酒が切れると悲しくなって死にたくなった。だからまた酒を飲むのだった。お座敷がかかっても、泥酔していていけないこともあった。座敷へ出ても、誰が客なのかわからないこともあった。酔っては誰彼となくつっかかっていくので、朋輩にも客にもきらわれていた。きらわれているということがわかると、それがわからなくなるまで飲んだ。
そんな彼女を座敷へ呼んでくれる客が、一人だけいた。その町のかなり大きな洋品店の若主人だった。朋輩の芸者が彼女と同席することをきらうと、その人は彼女一人を呼んでくれた。せっかく呼んでくれても、脚腰が立たなくていけないこともあったし、いってもろくにお酌もできないことがあった。それでも、その人はまた彼女を呼んだ。やさしい、親切な人だった。
「その人が、先生にそっくりなんよ。わたし、浜松ではじめて先生に会ったとき、びっくりしたわ、あんまり似てるので。こんなこと先生にきいてもいいかしら? いいわね。先生は婿養子じゃない?」
「残念でした」
と私はいった、
「その人は婿養子だったんだね」
彼女はその人といっしょにいるときは、心の休まるのをおぼえた。酒を飲まなくても堪えられた。一年ちかくたったとき、その人は彼女に、養家を出るから正式に結婚してくれといった。彼女はほとんどその気になった。おそらくその人は養家の父母におさえつけられて窮屈な思いをしているのだろうと思ったからである。家つき娘の奥さんもおそらく傲慢で我儘な、そして不器量な人にちがいないと思っていた。
彼女が酒を飲まなくても堪えられるのは、その人といっしょにいるときだけだった。ほかの人の前では酔わずにいるのは苦痛だった。一人きりでいるときもそうだった。
ある朝、彼女はおぼえのない離れ座敷で眼をさました。そういうことはよくあったので、待合か料亭の離れ座敷だろうと思っていた。だがそこは、その人の養家の奥庭の中の離れだったのである。そのとき彼女はその人の奥さんに会った。彼女が考えていたような傲慢な人でも不器量な人でもなかった。普通の奥さんだった。彼女は昨夜、泥酔して車を乗りつけてきたらしい。そういわれるとおぼろげにそんな記憶のはしばしが蘇ってきた。奥さんは彼女に、夫は近在の得意先を集金にまわっていて、四、五日たたなければ帰ってこないといった。そして、お疑いになるかもしれませんけれど、ほんとうですよ、といった。夫が帰ってきたらあなたのところへいくでしょうから、そのときおききになればわかりますわ――。
その人と結婚しようという気持を、彼女はそのとき捨てた。彼女が夜な夜な一升壜を持って屋台を飲み歩くようになったのは、それからである。たいていの屋台では彼女をきらった。ほかの客の迷惑になるというのだった。きらわれないまでもさげすまれた。さげすまれないまでも、ばかにされた。彼女はそれでも飲み歩いた。きらわれていることが、さげすまれていることが、ばかにされていることが、自分にわからなくなるまで飲んだ。醒めてきて、ふっとそれがわかると、また飲んだ。
そんな屋台の中に、ただ一軒だけ彼女にやさしくしてくれる店があった。赤提灯という屋台のその主人は、無口なじいさんだったが、彼女がいつも裏町人生をハミングしているのを知ると、わざわざ家からポータブルを持ってきてその歌をかけてくれた。音量をしぼった裏町人生の歌は、人がすすり泣いているようにきこえて、ひときわかなしかった。彼女は赤提灯でその歌をきき、ふらふらとほかの屋台をまわり歩き、そしてまた赤提灯へまいもどっていった。
「どうしてそんなに飲んだの?」
とゆかりがきいた。
「正気をなくしてしまうためによ」
「なぜ正気をなくしてしまわなければならないの」
「それじゃ話してあげるわ。先生には前にちょっと話したことがあるけど」
名古屋での平穏無事な暮しは、二年しかつづかなかった。ある夜、キャバレーで、踊りがすんでみんなといっしょに更衣室の方へもどっていくと、通路に池田がつっ立っていたのである。はっとして逃げようとしたとき、彼女は池田に髪の毛を掴まれていた。池田は毛を掴みなおし、彼女をふりまわすようにして通路の板壁へたたきつけた。頭が裂けて血が飛んだ。彼女はもう逃げようとする気力もなくなり、黙って池田についていった。
池田につれられていったさきは、松山だった。松山には池田の生母がいて、芸者置屋をしていた。そこで彼女は女中代りにこきつかわれた。池田は外に女をかこっていて、ほとんど家には帰らなかった。ときどき博打に負けて母親に金をせびりにくることがあったが、母親が思うように金を出さないと、些細なことをいい立てて彼女を殴ったり蹴ったりした。彼女は四年間、その家で辛抱した。
彼女が東京から名古屋へ逃げたのは、池田が彼女に売春をさせようとしたからだった。松山でも池田は、四年目に、同じことを彼女に強いた。
「すまん。博打で大負けをして、最後におまえを賭けたんだ。おれが賭けたんじゃない。相手がおまえを賭けさせたんだ。相手はこのあたりのやくざの親分だ。子分が外でおまえを見張っている。おまえが外へ出たら、その子分どもがおまえを親分のいる料亭へ案内していくことになっているんだ。おまえが出ていかなければ、子分どもが踏みこんできて攫《さら》っていくだろう。どうせ逃《の》がれられないのだ。こんなことはもう二度とせん。今度だけは、頼むから眼をつぶっておれのいうことをきいてくれ。男が畳に頭をすりつけて頼むのだ」
池田はそういって、ほんとうに畳に頭をすりつけた。
彼女は黙って立ちあがって、着物を着かえ、黙って外へ出た。池田は追いかけてきて、
「逃げようと思っても、逃げられやせんぞ。観念してくれ」
といった。どこからか若い男が二人出てきて、
「ねえさん、どうぞ」
といい、彼女を前後に挟んで歩きだした。路地を出ると、そこに車が待っていた。
彼女が子供をつれて、埼玉の田舎にいる姉のところへ逃げていったのは、それから数日後のことである。池田も母親も、彼女が金を持っていないことを知っていたのでまさか逃げるとは思わず、油断していたのだった。金は、奥道後の踊りの師匠から借りた。
埼玉の姉の家をたよっていったものの、田舎では働くところもなかった。姉は、子供はあずかってあげるから川崎へいってみたらどうか、といった。川崎には下の姉がいて、外人相手のクラブで働いているから、そういう仕事なら見つけてくれるだろうという。彼女は子供をあずけて、川崎へいった。
川崎へいってから二、三日たった夜、姉が働きに出かけたあとで台所を片付けていると、不意に姉の夫がうしろから彼女を抱いた。びっくりして、力まかせにその腕をふりほどくと、姉の夫は、ひきつった笑いを顔にうかべて、
「いいじゃないか」
といった。彼女は、ちょっとしたいたずらだろうと思った。さわぎたててはかえってまずいと思い、そのまま隣りの部屋へいくと、姉の夫は追ってきてそこへ彼女をおしたおし、おおいかぶさって、
「ねえ、いいだろう」
といいながら、スカートの下から手を忍び込ませてきた。
彼女はようやくのことで男の下からぬけだし、そのまま外へとび出したが、どこへもいくところがなかった。金も持っていない。そこで、姉の働いているクラブへいっていっしょに帰るよりほかないと思い、車を拾って姉のいるクラブへいった。わけを話すと、姉はひどく怒って、
「あんたがわるいのよ。あんたが挑発するような真似をしたからにちがいないわ。あの人は石部金吉のような人なのに、こわい女ね、あんたは」
といった。
「ひどいわ、姉さん。もしそうなら、私がここへくるわけがないでしょう?」
彼女がそういっても、姉は耳をかそうとはしなかった。
「ひどいのはどっちよ。家にあるあんたの荷物は、あとでどこへでも送ってあげるから、このまま埼玉へでもどこへでも帰りなさい。――さあ」
姉は紙幣を二、三枚、彼女につきつけ、クラブの裏口のある細い路へ走っていった。
彼女は、どこもいくところがなかった。タクシーがとまったので、乗った。行先をきかれたので、横浜の若葉町といった。六年前、赤ん坊を背負って毎晩通ったヌード酒場が、そこにあった。
「若葉町のどのへんです?」
と運転手がきいた。外を見ると、そこはヌード酒場のある通りだった。
「いいえ、駅へいってください」
と彼女はいった。
「横浜駅ですね」
「いいえ、川崎」
彼女はそういってから、――ああそうだ、川崎へは帰れないのだった、と思った。いくところがない! ああどうしよう! 「とめてください」と叫ぼうとしたとき、
「お客さん、困るなあ」
と運転手がいった。
「はっきりしてくださいよ。川崎ですね。川崎でいいのですね」
運転手はしきりにバック・ミラーを見上げた。
「すみません。川崎でいいのです。川崎の駅へやってください」
埼玉の姉のところへもどろう、と思った。とにかく行先をきめて心を落ちつけなければ、と思った。しかし、埼玉の姉のところへいくのだぞと自分にいいきかせたとき、急に肉親というものがおそろしくなってきた。誰もいないところ、何もないところへいきたいと思った。
駅のベンチに長いあいだ腰をかけていた。それから、売店で小瓶のウイスキーを買って、飲んだ。どこかへいかなければならないのだ、と思った。出札口の上の運賃表を見上げると、名古屋という文字が眼についた。池田の手から逃れていったのは、あそこだ。そして、その池田の手に髪の毛を掴まれ、ふりまわされて板壁にたたきつけられたのも、あそこだ。眼の中に血が飛び散った。
「名古屋」
と彼女は出札口でいった。
ホームで列車を待っていると、急行列車が轟音を巻きおこしながら通り過ぎていった。一瞬、引き込まれそうになった。そのとき彼女は、――そうだ、自分はここへ死ににきたのだった、と思った。あの下へはいれば楽になれる、誰もいないところ、何もないところへいける。そこへいけば、もうどこへもいかなくてよいのだ。逃げることも、追われることもないのだ――。また轟音が近づいてきた。もうすぐ楽になれる、もうすぐ誰もいないところ、何もないところへいける、と彼女は思った。
気がついたとき、彼女は病院に寝ていた。枕もとに、川崎の姉夫婦がいた。そして池田もいた。彼女を死の方へ追い込んだ三人がいるとは! 三人はいったい何をしにきているのだろう、いやそれよりも、自分はどうして死ぬことができなかったのだろう。そう思うと彼女は悲しくてならなかった。
彼女はホームと線路とのあいだに落ちて、軽い傷を負っただけだった。急行列車が急停車したため、彼女よりも重い傷を負った乗客が幾人かいて、同じ病院にはいっていた。彼女は名古屋までの切符を持っていたためと、姉夫婦がうまくいいつくろったためとで、投身自殺未遂ということにはならずにすんだ。貧血をおこして急行列車に巻きこまれたということになったのだった。
病院を出ると、彼女は、池田につれられてまた松山へいった。二度逃げて、二度とも捉まってしまったのである。
芸者に出たのはそれからだった。
池田はその翌年、あっけなく交通事故で死んだ。
彼女が死にそこなってから池田が死ぬまでの一年間に、彼女は三度、池田に強いられて知らない男のところへいかせられた。男は三人とも暴力団員で、池田は彼女を博打の賭けに使ったのだった。彼女が拒むことも逃れることもできなかったことは、前の親分との場合がそうだったのと同じだった。
「正気がなくなるまで飲まずにはいられない気持、これでわかるでしょう?」
と彼女はゆかりにいった。
「醒めると、いろんないやなことが、うじょうじょと、いっぱい、生きかえってくるのよ。そいつらを追っぱらってしまうために、正気がなくなってしまうまで飲むのよ。こころ空虚《うつろ》な鬼あざみよ。たとえ火の酒あおろうと、夜の花なら狂い咲きってねえ」
「洋品店の若主人とは、そのあと、どうなったの?」
と私はきいた。
「別れようと心をきめてからでも、わたしが屋台を飲み歩いていると、その人、さがしにきて、つれて帰ってくれるのよ。そんなふうだから、なかなか別れられなくて……」
「よっぽどあなたが好きだったんだね、その人は」
「わたしもその人が好きだったのよ。しまいに、いっしょになれないのなら死のうとまでいいだされて……、松山にいる限りは結局そんなことになってしまいそうだったので、それでわたし、松山を出てしまったんよ」
池田が交通事故で死んだ翌年、池田の母親も死んだ。それから二年たって、彼女は名古屋へ出、ダンシング・チームにいたときの芸能社をたよっていって、ストリッパーになったのだった。ストリッパーになったのは、金のためだった。池田が残していった借金もあり、彼女自身の芸者時代の借金もあった。彼女が名古屋へ出ることによって洋品店の若主人と縁を切ったということは、それらの借金をその人が肩代りしようとするのをやめさせるためでもあった。
「つまり、あなたはその人の破滅を救ったんだ。よほど好きだったんだ。ベッド・ショーのときにその人を思ってやるわけだ」
「そして、その人に似ている先生も、代役ぐらいには使えるということ」
「それは駄目だよ。顔は似ていても、あれまで似ているとは限らんからね」
「いえ、大体は似てるはずよ、わたしの経験では。先生のが実際はその人のに似てなくても、似てると思ってやれば代役くらいには使えるのよ」
「おっしゃいましたね。ついでにきくけど、池田に博打の|かた《ヽヽ》にされて、何人かの男の相手をさせられたとき、中には、いやだいやだと思いながらも、よくなってきたというのもあるんじゃない?」
「男の人は、女はみんなそうだというようなことをよくいうけど、わたしの場合はそういうことは一度もなかった。そのやくざたちじゃなくて、ストリッパーになってから一時、わるいやつにとりつかれていたことがあるけど、その男とのときはそんなこともあったけどね」
彼女は私の顔を覗きこんで笑った。
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一条さゆりの性の休日
筍《たけのこ》の出はじめたころだった。三郎が電話をかけてきて、いきなり、
「先生とこの番地、何番でしたやろ」
といった。その関西弁につい釣りこまれて、
「なんやね」
と問い返すと、
「いま、京都の嵯峨野へ、筍掘りにきてますのや。ここから筍送らしてもらいますわ」
いつもながらの威勢のよい声が、受話器の中でおどっていた。
「それはどうもありがとう。……さゆりさんも、いっしょ?」
ときくと、
「へい、代りますわ」
といい、しばらくすると彼女の声がきこえてきた。
「先生、お元気ですかあ」
と語尾をやさしくふくらませる、特徴のある声だった。
「きょうは玉寿司の人たちの、慰労の会なの」
玉寿司というのは、大阪郊外の瓢箪山の近くの大きな団地の一郭で三郎がやっているすし屋の名である。開店してから三ヵ月くらいになり、私はまだ一度もいってみたことはないが、なかなか繁昌しているらしい。
「慰労会だなんて、豪勢だね。……この前、名古屋ではだいぶん咳をしていたけど、もういいの?」
「ええ、大阪へ帰ったらなおってしもた。……豪勢やなんて、そんな――。定休日やからみんなで筍掘りにきただけなんよ」
話しているうちに彼女はだんだん関西弁になってくる。
「いま、休み取ってるの?」
「いいえ。まだ築港のD劇場に乗ってるんよ。そやから、店の人たちとは別に、わたしはお昼がすんだらすぐ帰らなならんの。Dのつぎは、十一日から布施の、ほら、先生前にわたしが乗ってたとき一遍いらっしゃったわね、K劇場、あそこへ乗って、そのあと十日間、休みを取ることになってるの。二十一日からやから、先生、その休みのあいだに一遍きて! 斎木さんもいっしょにね」
「休みのときは、なにするの?」
「なにって、なに? いややわ。なんにもしやせん。そやから、きてっていうてるんやないの」
「そうだな、休みのときに会ったこと、まだないね。いつもあわただしいものね。二十一日からか。いくよ。斎木さんと相談して、日がきまったら知らせるからね」
「きっと、きてね」
「うん、必ずいく。三郎さんによろしくね。電話料たかいやろから、ほな、さいなら」
私がそういうと彼女は声をたてて笑った。笑いながら三郎にいっている声が受話器にはいってきた。
「電話料たかいやろから、早う切れいうてなさるわ。ほなさいならやって」
そして、こんどは三郎の声で、
「先生、ほなさいなら。お待ちしとりますわ」
といって、電話は切れた。
二、三日して、玉寿司の名で、見事な筍が送られてきた。
それから二週間ほどたって、私は斎木といっしょに大阪へ出かけた。
新大阪駅に着いたのは昼すぎだった。
「昼食、どうしましょう」
と斎木がいった。
「すこし腹もすいてきたけど、まっすぐに瓢箪山へいって、玉寿司で御馳走になろうじゃないの」
と私はいった。
瓢箪山の駅に降りるのは、二度目だった。
半年あまり前、私たちは、三郎がこの駅の近くのマーケットの中で仕出し屋をはじめたということを人づてに聞き、黙って出かけていって三郎をおどろかしてやろうではないかと相談して、連絡をせずにいってみたことがあった。三郎はそれまでは板前職人で、組合から派遣されて方々の旅館や料理屋を渡り歩いていて、店を持つことは彼の長いあいだの念願だったのである。私たちは、不意にたずねていって、おどろかして彼の念願達成の第一歩を祝福してやろうと思ったのだった。ところが、駅の周辺にはマーケットが何軒もあったが、彼が店を出しているマーケットはなかなか見つからなかった。あちらこちら歩きまわった末、ようやくたずねあてたものの、そのマーケットは締っていてがっかりしたことがあった。あいにく、定休日だったのである。
三郎はそのマーケットから団地へ移って玉寿司を開いたのだが、団地は駅からかなりはなれたところにあった。私たちは駅前のタクシー乗場でタクシーを待ったが、十分か二十分おきくらいにしかタクシーはこず、五、六組の先客があって、長いあいだ待たされた。私はいらいらしてきて、
「おそいなあ。ストでもやってるんだろうか。バスにしようか」
といい、そして、
「玉寿司、定休日じゃなかろうな」
といった。こんなに待たされた上、玉寿司へいってみたら休みだったでは、この前と同様、がっかりだと思ったのである。
「そうですね。はじめからバスにしたらよかったですね。あと一組です。せっかくいままで待ったんだから、待ちましょう。……玉寿司は大丈夫です。こんどはちゃんと三郎さんに連絡しておきましたから」
と斎木はいった。
「こんなに待たされるのなら、なにか食べてくればよかった」
「腹が減ると怒りっぽくなる人がいますね」
「それ、ぼくのこと?」
「先生もそうらしいです」
斎木は笑いながらそういったが、彼もやはり、いらいらしている様子だった。
しばらくすると、二台つづいてタクシーがきた。
団地の中の玉寿司は、間口の広い、かなり大きな店だった。
表に面したガラス張りの棚に、巻ずしや稲荷《いなり》ずし、穴子巻やバッテラが整然と並べてあり、そのむこうの調理台では、若い衆が三人、同じ間隔で横に並んで、巻ずしを巻いたりバッテラを切ったりしていた。三郎は調理場の奥のガスレンジの前で、煮物の加減でも見ているらしく、表に背をむけている。
店の右端は調理場への入口。左端は、奥までつづく一間幅くらいの細長いカウンターふうの客席になっていた。私たちがそこへはいっていくと、
「へい、いらっしゃい!」
と若い衆が声をそろえて叫んだ。三郎がガスレンジの前からふりむいて、
「先生たちでっか。えらいおそうおましたな」
といった。
「タクシーがなかなかこなくてね。瓢箪山の駅で一時間ちかくも待たされたものだから」
と斎木がいうと、三郎は、
「|まん《ヽヽ》のわるいときは、そういうこともありますのや。……すんまへんけど、ちょっと待っておくなはれや」
といいながら、大鍋の中から乾瓢を二、三本つまみ出し、ちぎって味見をしていたが、しばらくすると、
「おい、秋やん」
と若い衆の一人を呼び、乾瓢をわたして、
「味、どうや」
ときいた。秋やんと呼ばれた若い衆は、三郎がしたのと同じように、ちぎって味見をしてから、おどけて、
「うん、合格!」
といった。
「こいつ、生意気な! よし、そんならもう火《ひい》消しといてくれ」
三郎はそういってから、私たちの前へきて、
「さあ、なに握りましょ?」
といった、
「なんでもありまっせ。竜宮城やないけど、たい、しび、ひらめ、かつお、さば。まぐろに、はまち。さよりに、こはだ。あなごに、しゃこに、えび、いか、たこ。あかがい、とりがい、たいらがい……」
そして、こちらのいうものを握りながら、
「自分で店を持つと、気が弱《よお》うなりますなあ。よその店で働いとったときには、ほかの者が味見なんかすると、おれの味つけに文句があるのかいうてどなりつけたもんやけど、自分の店やと恐《こお》うなって。ほかの者にも見てもらわんことには安心でけんのですわ」
といった。
すしは、まぐろならまぐろ、穴子なら穴子を、細長い小皿に二つずつ載せて客の前に出し、|たれ《ヽヽ》は客が自分で、壺の中にいれてあるのを刷毛でぬって、箸で食べるのだった。
「大阪では、どこでもこうするの?」
ときくと、
「そうとはかぎらんけど、うちはこうしてますのや。このほうが見た目にも綺麗ですやろ」
と三郎はいった。
「皿は値によって変えますのや。そうすると、こっちも勘定をまちがえることはないし、お客さんの方でも、そこの定価表を見たら自分でわかるさかい、安心ですやろ」
店はよくはやった。私たちがいたあいだには、握りを食べにきた客はいなかったが、団地の奥さんや娘さんらしいのが、バッテラ二本とか巻ずし一本とかいって、通りがけに買っていく。中には、バッテラと穴子巻に巻ずしと稲荷を少しまぜて十人前、などという奥さんもいた。なにかの会合でも開いているのだろう。
「はい、奥さん、まいどおおきに。何棟の何号ですやろ。すぐおとどけします」
若い衆がきびきびと受けこたえをして、こまめに動きまわっている。
すしはうまかった。そういうと三郎が、
「種と腕がええからね」
といって笑った。
「腹が減ってるからかもしれんよ」
と私がいうと、三郎は、
「殺生な。先生が見えるというので、特別にええ種を仕入れておいたのに。なあ秋やん、ほんまやなあ」
「いや、それはすまんことをした」
「いや、いまのはうそや。ちょろいな、先生は。先生をだますことなんかわけないなあ」
三郎はそういって笑ったが、種を吟味して仕入れたというのはおそらくはほんとうだろうと私は思った。
満腹すると、私は機嫌がよくなってきた。あるいは、飲めもしない酒を、調子に乗って何杯か飲んだので、酔っぱらっていたのかもしれない。
「そうそう、お礼をいうのを忘れるところだった。三郎さん、この前は筍を送ってもらって、どうもありがとう。筍で思いだしたんだけど、こういう話があるんだ。むかし、あるところに綺麗なお姫さんがいた。隣りの家の若者がそのお姫さんに惚れていたが、あるときお姫さんが腰元を一人つれて庭を散歩しているのを塀の穴から覗いているうちに、妙な気になってきた。そこでなんとかして自分の思いをお姫さんにわからせたいと思って、その塀の穴へおえきったやつを突っこんだんだ。するとお姫さんがそれを見つけて、あれはなにじゃと腰元にたずねた。腰元は返事に困って、こういった。竹の根からはえるのは竹の子と申しますし、木の根元にはえるのは木の子と申しますが、あれは塀にはえておりますから、おそらく塀の子とでも申すものでございましょう。――へのこという言葉はここからおこったというのだけどねえ」
「その話、知っとりますよ。この前先生が週刊誌に書いてなさったのを読んだもん。うちの若い衆もみんな読んどりますよ。なあ、おまえら」
そして大笑いになった。
「コーヒーでも飲みにいきませんか」
と三郎がいって、私たちは近くの喫茶店へいった。しばらくすると、三郎は、
「先生たちここで待っとってもらえまへんか。若い衆にあしたのことをいいつけておいて、すぐ戻ってきますで。夕方までに先生たちを家へつれていくというてあるんですわ。おくれるとぐずぐずいいよるからね」
といった。
「店へくればよかったのに」
「いくというたんですけど、こさせなんだんですわ。あいつは、きたら、こちょこちょ動きまわらんことには気がすまんたちで、ようじっとはしとりませんのや。うちの店は、調理場には一つも椅子が置いてあらしません。すし屋が腰を掛けとっては、お客さんがここのすしは腐っとると思うからね。一日じゅう立ちづめやから、慣れん者にはこたえますわ。せっかく休みを取ってやったのに、それではなんにもならんもんね」
二十分ほどたつと、三郎は仕事着を背広に着かえて戻ってきて、
「お待ちどおさん。ほな、ぼちぼち出かけましょか」
といったが、斎木が、
「わるいなあ、商売の邪魔をして」
というと、店の少女に、
「ねえちゃん、水おくれんか」
といって、私たちの前の席に腰をおちつけ、
「邪魔やなんて、そんな――。三人とも陰日向のないええ若い衆でね、安心してまかせとけますんや。秋やんというのがおりましたやろ、あれは嵯峨野の方のええ家の伜で、親父さんは学校の先生をしとった人や。その人にたのまれて仕込んどりますのやが、こういう商売に向いたやつで、手さきが器用やし、頭も切れるし、もう一年もしたら、ここの店を秋やんにまかせて、いまのマンションの近いところでええ出ものでもあったら買うか借りるかして、小料理屋でもやろうかと思てますのや。……この前先生たちに送った筍も、じつは秋やんの家のもので、遊びがてらにみんなで秋やんの家へ掘りにいって、安うわけてもろたんですわ」
「小料理屋というのはいいでしょうね。さゆりさんと二人でやったら、はやると思うなあ」
斎木はもともとそういう意見で、いつも私にそのことをいっていた。
「あれも、もう一年もしたら足を洗わせようと思てますのや。人にあそこを見せて銭もうけするなんて、因果な商売やもんね。前にも先生たちにいうたことがあると思うけど、これまでにも何遍か、貧乏覚悟でならおれの働きで暮らしていけんことはないんやからやめんかていうてみたんやけど、あと一年、あと一年ていうて、やめやしませんのや。踊りが好きなんやね。舞台が好きなんやね。舞台でお客さんにわあっと手《てえ》たたいてもらいとうてしようがないんやね。そやからもう一所懸命や。踊りやろが何やろが、一所懸命や。オープンするのやかて、そうなんやから。……先生たちにこうしてつけおうてもらえるようになったのも、そのためやけどね」
「三郎さん、ほんとうにやめさせる気?」
「そう思《おも》とりますのや。……先生はどうです?」
「ぼくは三郎さんとはちがうから、まだやめてほしくない」
「斎木さんは?」
「ぼくも、まあ、そうだな」
「ファンはみんなそうやろか」
「ファンにも、やめてほしいと思う人もいるよ」
私は内ポケットから一通の手紙を取り出して、三郎に見せた。それは読者から私あてにきた手紙で、雑誌社にとどいていたのを斎木が持ってきて新幹線の中で私にわたしてくれたのだった。
それには、こう書いてあった。
[#ここから1字下げ]
唐突にお便りする失礼をお許し下さい。私は社員五十名足らずの小さな食品会社を経営している者ですが、先生の一条さゆりものをいつも愛読させて頂いております。哀愁があって、いつも胸をうたれます。先日、一条さゆりさんが当地の劇場に出演されましたので、見に行きました。一度見たらまた見たくなって、三度も行きました。先生が描いておられるとおり、確かに強烈で、芸熱心で、他のタレントとは大いに趣向が違っております。あまりくどくどしく申し上げる必要はないので省きますが、私が感じましたことは、さゆりさんは正直なよい人だということがありありと覗えたということです。それは一挙一動の所作にあらわれております。踊っている最中に刀身が鞘から抜けて、客席に落ちて危いことがありましたが、そのときさゆりさんは丁寧に謝って客から刀を受けとりました。身体に手を触れたり、きたない野次を飛ばしたりする客にも、大抵のタレントはゾッとするような憎まれ口でやりかえすものですが、さゆりさんは静かに払いのけたり、笑顔で受け流したりして、その態度はなかなか立派でした。こんな人にあまり苦労をさせたくないという気持でいっぱいになります。こんな商売から早く身を引いてもらいたい気持がいたします。先生から左様に伝えてあげて下さい。さゆりさんがエプロンに出てきて私の前でしゃがんだとき、「児玉先生のを読ませて頂いてますよ」と声をかけますと、「あっ、そうですか、ありがとうございます」という返事でした。その言葉つきもまことに誠意に満ちていて私は好感を感じ、可哀相な気がして彼女の局所を見るに忍びない思いでした。
(中略)
私は普通、ヌード劇場へは月二回くらい行きますが、タレントの手口はマンネリで、ワイセツ化するばかりで、エロがありません。お色気のない機械化したショーになっております。具体的に申し上げると、仰向いて見せるだけで、俯伏して見せる者がありません。前からばかりで、後ろからの工夫がありません。それにオープンそのものは結構ですが、それよりもそこに至る過程の所作、風情を工夫したいものと思います。局所そのものも開放するばかりではなく、その界隈の曲線の美、複雑さ、ムードを美学的に披露して欲しいと思うのです。さゆりさんが腰巻を片手で払いのけてちらりと後ろから見せた風情、それには私の望むムード美が溢れていました。お色気とはそういうものなのです。これは他のタレントに欠けているさゆりさんの長所であったと思います。あのムード、あのスタイルで、もう一工夫あれば申しぶんないと思います。さゆりさんの谷間の露は勿論、他のタレントには見られぬ貴重なものですが、何か先生の考案によって更にこれが美化されることを熱望いたします。それともヌードとは所詮見せるだけのものでしょうか。さゆりさんなればこそできる高級なヌードはないものでしょうか。失礼いたしました。
[#ここで字下げ終わり]
「なにいうとるのか、わからへんわ」
と三郎はいった。ほんとうにそうだ、と私も思った。前半では、こんな商売から早く身を引いてもらいたい気持がするといい、彼女の局所を見るに忍びない思いがしたといいながら、後半では、もっと工夫をして見せろといっているのである。
だが、私にしても、彼女に対して抱く思いにはこの会社社長の矛盾と同じようなものがあるのではないか。「なにいうとるのか、わからへんわ」といった三郎の言葉が、そう思うと、私の胸に針になって突き刺ってきた。
「この読者、先生をさゆりさんの演出家だと思っているようですね」
と斎木がいった。
「そうだな。さゆりさんが俯伏して見せたら、この社長さん、児玉がおれのいうことをきいたと思ってよろこぶかもしれんから、たのんでみるかな、さゆりさんに」
「さゆりさんは俯向くのは駄目でしたね、ねえ、三郎さん」
斎木がそういうと、三郎は、
「なにいうてなさる。あほなこといわんと、さあ、もういきましょ」
と立ちあがった。
三郎がブザーを鳴らしたが、ドアはあかなかった。
「寝とるのかな。出かけたのかもしれん」
三郎がぶつぶついいながら合鍵でドアをあけると同時に、わっと襲いかかるように彼女の声がきこえてきた。
「いくら強気のあたしでも、ふうっとたまらなく淋しくなることがあるのさ」
三郎が大声で、
「おい、おい、テープをとめんか。大《おつ》きな音出しやがって」
とどなった。
テープの声が消え、スラックス姿の彼女が出てきて、気まずそうに会釈した。
「あら、先生、斎木さん、いらっしゃい。お待ちしてましたわ」
「なにが、お待ちしてましたわや。ブザー鳴らしたのに、きこえなんだんか」
と三郎がいった。
「稽古しとったんよ。なんやらブザーが鳴ったようにも思たんやけど……」
「三味線を使《つこ》て立廻りするとこの稽古か。あそこは、三味線で相手の刀を受けとめたり、払うたりして、そのうちにサッと刀を抜いて斬りつけたらええんやないか」
彼女はお茶の用意をしながら、
「そんなら、あんた、やって見せて」
と三郎にいった。
「おれに、そんなことができるかい。庖丁ならいくらでも使《つこ》て見せたるけど」
「そんなら、そんなに簡単にいわんといて。どうやったら刀を受けとめたように見えるか、どうやったら払うたように見えるか、そこを稽古しとったんよ」
「稽古してるところを、見たいなあ」
と斎木がいった。
「きょうはもういや。あしたまたやるから、見たかったら見てもいいわ。でも、テープに所作を合わせる稽古をするだけやから、つまらないと思うけど。本番は鳥追姿でやるの。編笠をかぶって、三味線を持って」
「棹に刀を仕込んだ三味線ですわ。いま、京都の小道具屋さんにたのんで、造ってもろてますのや。二、三日中にでけるはずやけど」
と三郎がいった。
「休みを取っていても、ゆっくり休めないのですね」
「こんどは、休み明けから新しい演《だ》しものをやるからなの。〈花笠お竜ひとり旅〉っていうのよ」
「鳥追姿か。似合いそうだな。最後はやっぱりぬぐんでしょう?」
「そうよ。ストリッパーやもん」
「ベッド・ショーもあるんでしょう?」
「あるわ」
「そこのところも、テープに合わせる稽古をするわけ?」
「わかった。そう思って稽古を見たいといったんでしょう」
「見破られたか」
「そんなら、ほかならぬ斎木さんのためや、大サービスをして、あしたはその稽古もしましょうか」
「こら、阿呆なこというとらんと、そろそろ飯の仕度でもせんか」
と三郎がいった。
「三郎さんは、家では庖丁は使わないの?」
「家へ帰ってまで、そんなことはでけますかいな。これかて(と彼女を指さして)家では見せてくれやしませんわ。それと同じですわ」
「それじゃ、外へ食べにいきましょう。ここからいちばん近くていちばん賑やかなとこは?」
「宗右衛門町ですわ」
「それなら、わたし、着物に着かえていくわ」
彼女はそういって、隣りの部屋へはいっていった。
マンションのある横丁は、道の片側にずらりと夜店が並んでいて、賑わっていた。
「月に三回、二の日になると夜店が出ますのや」
と三郎がいった。玩具、駄菓子、コリント・ゲーム、花、装身具、パチンコ、雑貨、綿菓子、盆栽、漫画雑誌、輪投げ……。彼女は輪投げ屋の前で足をとめて、子供が二人、かわるがわる輪を投げているのを見ていた。
「やってみる?」
ときくと、首を振り、歩きだしながら、
「兄さんと妹ね、あの二人」
といった。
大通りへ出て車を拾い、私たちは宗右衛門町へいった。宗右衛門町は大きな夜店のようだった。「高級焼肉レストラン」というのは、夜店でいえば屋台の鉄板焼屋であろう。私たちはそこへはいった。そこで満腹してから、こんどは「レストラン・シアター」というのへはいった。
席へ着くと、そのまま、彼女は舞台のショーから眼をはなさなかった。ホステスが四人きて、私たち四人のそれぞれの横へ坐ったが、彼女はそれも気がつかないようだった。
「この方、どなた?」
と、私の横のホステスがきいた。
「ぼくの奥さんだよ」
というと、
「綺麗な方ね。なにをなさっている方?」
と、またきいた。
「日本舞踊をやってるんだ」
「そうだと思ったわ」
彼女はまだ舞台を見つめていた。
「先生、何にします?」
と斎木がいった。ホステスがそれをきいて、
「ああ、あなたが先生なのね。あの人は?」
と斎木を見ていった。
「マネージャーだよ」
「あの人は?」
と三郎を見ていった。
「ぼくの奥さんの弟だ」
そのホステスは私の冗談をほとんど信じたようだった。ショーが終ったとき、
「奥さんとお踊りになりません?」
と、そのホステスがいった。私が手を振ると、
「それじゃ、私、お願いしていいかしら」
という。
「この人が踊ってくれっていってるよ」
と私がいうと、彼女は笑って、そのホステスといっしょにフロアの方へ出ていった。
一曲が終って二人は戻ってきたが、ホステスは、
「やっぱりお上手だわ。すごくお上手」
と、いかにも感激したようにいった。
さゆりは私の傍へ坐ると、
「いま、戻ってくるときに、男の人に呼びとめられたんよ。失礼ですが、一条さゆりさんではありませんかって。びっくりしたけど、いいえ、ちがいますけどっていったら、つれの男の人が、どうも失礼しました。この男、ちょっと酔ってるもんですから、いや、どうも失礼しましたって、しきりに恐縮してたわ」
「そうですっていえばいいのに」
「そんなこといったら、とたんに、ばかにしてくるわ」
「そうかなあ」
「そうでなくても、自分の席へ引っぱっていって、酒のお相手をさせるわよ。その気で呼びとめたんよ」
その「レストラン・シアター」を出るとき、一人のホステスが伝票を私にわたそうとすると、私の冗談を信じたホステスが、
「あちらがマネージャーの人よ」
といって、それを斎木にわたさせた。
宗右衛門町から私たちは法善寺横丁へいき、法善寺で私と彼女はおみくじを引いた。
「おみくじ引きましょうか」
といいだしたのは彼女だったが、彼女は引いたくじをちょっと見ただけで、すぐ木の枝へ結びつけてしまった。
「わるいくじだったの?」
ときくと、彼女は、
「いいえ、大吉だっだわ」
といった。彼女は大吉という字を見ただけで、ほかのところは見なかったのである。あるいは、全くなにも見なかったのかもしれない、と私は思った。
くじなどというものがなんのあてにもなるものではないということを、最もよく知っているのは彼女だろう。彼女はそれを、せめてくじにでもすがって希望を持つよりほかには生きていく道のないような苦境の中で知ったのにちがいない。それなのに「おみくじを引きましょう」といったのは、そして自分も引いたのは、私がくじを引くことを好きなことを知っていて、私をたのしませるためだったのだろう。
「どうしたの、先生」
と彼女がいった。
「おみくじどうだった?」
私はポケットからくじを出して彼女に見せた。やはり大吉で、「このみくじは太陽が東の海に出て昇るが如く何をしても望事叶いて成就するという大吉のみくじなり」として、あとは、あたりさわりのないことばかりが書いてあった。
「ちょっと疲れたようだ。そこの喫茶店でコーヒーでも飲んで、そしてもう帰ろう」
と私はいった。
斎木といっしょにさきへいっていた三郎が引きかえしてきて、
「善男善女、いつまでお寺まいりしとるんや」
といった。
その夜、私と斎木は予約してあった東区のホテルに泊り、翌日、また彼女のマンションへいった。十時に例の新しい演《だ》しものの稽古を見にいくという約束だったのである。
ドアがあいたとき、テープの声がぷつりと切れたような気配がした。彼女は空色のポロシャツに紺のスラックスをはいて、すがすがしい感じだった。
「ゆうべは御馳走さまでした」
と彼女がいうと、居間から、
「ほんまに、えろう散財させましたな」
という三郎の声がきこえた。
「なんや、三郎さんいたんか」
と私が関西弁でいうと、三郎は、
「邪魔なら、消えてしもてもよろしまっせ」
といった。居間を覗いてみると、三郎はテープレコーダーをいじっていた。
「店の方はいいの?」
「夕方までにいったらええようにしてありますんや。……ほな、はじめましょか」
「待って、お茶ぐらい出さして」
と彼女がいった。
私と斎木はダイニングルームから見ることにした。
彼女は仕込三味線のかわりに蛇の目の傘を持ち、部屋の隅に立って、
「ええわ」
と合図した。
三郎がテープレコーダーのスイッチを入れた。
「一条さゆり花笠お竜ひとり旅」
ナレーターの声を追って、烏の啼き声。
彼女は蛇の目の傘をかかえ、足を踏み出して、部屋の中をゆっくりと歩く。舞台へ登場するところである。照明が丸く彼女の鳥追姿を浮き出させるはずである。
「烏だって帰る塒《ねぐら》があるっていうのに、浮世はなれて丁半かけて、女だてらにひとり旅。いとしい人の面影を、知っているのはこの三味線だけなのかねえ」
テープの声に合わせて彼女も声を出している。ほとんどくるいはない。
バック・ミュージックの中に、馬の蹄の音がおこってきて、次第に高くなってくる。
「おーい」
と呼ぶ男の声が遠くからきこえてくる。蹄の音はますます高まり、
「待てえっ!」
という声とともに、その音は消える。
彼女は身構える。男と向きあっている形である。
「逃げ足の早いあまだ。花笠お竜! 貴様のために拙者はお役御免になったぞ!」
「これはこれは、誰かと思ったら三州岡崎で……」
「そうだ。貴様のために賭場はお上に没収された。よくも武士の顔に泥を塗ってくれたな!」
「お侍さん、そりゃあ話の筋道がちょいとちがうんじゃござんせんか」
「なんだと?」
「そうじゃありませんか。お上の御用をつとめるお方が、御法度《ごはつと》のイカサマ博奕《ばくち》の胴元じゃあ、堅気の衆が浮かばれませんね」
「うるせえ! どうでも貴様を叩っ斬らねば、武士の意地が立たんのだ」
「やい、三ぴん。黙ってきいてりゃ、やれ武士だの意地だの、勝手なご託を並べやがって。このあたしを斬るっていうのかい。金じゃ買えないこの世の宝、曲ったことが大嫌いな花笠お竜だい、斬れるものなら斬ってもらいましょうか」
彼女は男の声を相手に演技する。男の声がきこえているとき、それを受けていいかえすとき、彼女は絶えず自分の身体によって相手の動きをも表現する。
「とめて!」
彼女は三郎にいった。
「ここのやりとりのところ、むずかしいわ。もっと動いた方がええかしら、どう? 斎木さん」
「テープの声に重ねてさゆりさんも声を出しているでしょう。その声といっしょに自然にからだの表情も出ていますよ。それでいいでしょう。あまりわざとらしく動かない方がいいと思うな」
と斎木がいった。
「そうね。ありがとう。そうするわ。……これからが三味線を使う立廻りになるの。……ええわ、つづけて」
三郎がスイッチを入れる。
「このあまっ!」
男が斬りかかってくる音。
「たあっ!」
同時に彼女は、蛇の目の傘の両端を握って斜め上方に突き出し、脚を前後に開いて腰を低く構える。斬りこんできた刀を三味線で受けとめた形である。傘がしりじりと下ってきて、彼女の顔の近くまでくる。彼女は両腕をぶるぶるとふるわせて、少しずつまた傘を上げていく。と、勢いよく傘を突き上げ、ぱっとうしろへさがる。刀をはねのけたようである。彼女は傘を構えなおし、足ずりをしながら少しずつ右の方へ動いていき、また左の方へ動いていく。突然、十字を書くように傘をふるって、突っこんでいく。そしてまたぱっと跳び退く。
そのときテープの声がきこえる。
「わたしが黙っていても、人を泣かせる奴らにはこの三味線が黙っていないのさ」
彼女は三味線から刀を抜き放ったようである。三味線の早い爪弾きがきこえる中で、テンポの速い立廻りがおこなわれる。彼女は相手を追いつめ、傘を振りおろす。
「うううっ……」
という男のうめき声がきこえる。
彼女は傘を下段に構えていて、動かない。
逃げてゆく馬の蹄の音がきこえ、次第に遠ざかっていって、消える。
「とめて!」
と、また彼女はいった。
「うまくいかないわねえ。どうしたらええのかしら」
「動きが大きすぎるような気がするけど。傘だからかもしれませんけどねえ。どたばたしすぎるんじゃないですか」
「舞台だとそれほどどたばたにはならないと思うけど。もっと広く使えるし、足さばきも軽くなるから」
「うん、そうだな。そうかもしれませんね」
「このあとは回想になるの。……つづけて」
「わたしって、どうしてこう男|勝《まさ》りなんだろうねえ」
彼女はすすり泣く。
せせらぎの音がきこえる。鳥の声もきこえる。山道のようである。
「二度と抜くまいとあの人と指切りしたのに。今度逢ったらどういおうかしら。どこの宿場で、どこの宿場で逢えるのかねえ。いくら強気のあたしでも、ふうっとたまらなく淋しくなるときがあるのさ、お前さんっ」
水音がひときわ高くなる。
「そりゃあおれだって、お前のことを一日も忘れたことはねえよ。だってお竜。お前のお父っつぁんを叩き斬ったのは、この俺だぜ。いくら許婚《いいなずけ》とはいえ、どの面下げて亭主面ができるんだい。お竜、おぼえているかい、ほら、川開きの夏祭りの晩を……」
打上げ花火の音がする。
「……みんなが花火に浮かれているのをいいことに、おれたちはあの船宿の奥まった部屋で、二人だけの時をすごしたなあ……」
バック・ミュージックに、三味の音《ね》と琴の調べが流れる。三味は「梅にも春」、琴は「六段」。
「もうええわ」
と彼女はいった。
「このあとは、ベッドなの」
「ベッド・ショーの稽古はしないの? きのう、大サービスをしてベッドも見せてやるっていったくせに」
と私はいった。
「やってごらんよ、スラックスのまま。そこでどうしろとか、ああしろとかいってあげるから」
そして私は、昨日三郎に見せた食品会社の社長の手紙のことを話した。
「それ見せて」
と彼女はいった。私はポケットから手紙を出して彼女に渡しながら、三郎に、
「テープのつづき、たのむ」
といった。
三味の音と琴の調べの中に、急に、女の昂まった声がきこえる。
「お前さん、ああ、お前さん、だめ……」
「お竜!」
「お前さん、だめ……」
あとは女のもだえ声とうめき声が、ときおり男の太い吐息をまじえて、延々とつづく。
「これ、ほんものじゃない?」
と私はきいた。
「名古屋のスタジオで録音したんですよ」
と三郎は、あらたまった口調でいった。
「そうだな、こんなにすごいのはほんものじゃないんだ。ほんものを盗み取りしたテープをきいたことがあるが、はじめからしまいまで、かぼそい声でいいいいっていってるだけで、鼻息が妙な音で鳴ったり、ときどき車のクラクションが入ってきたりして、うらさびしい感じのするものだったな。しかし、これはすごい。……男はT劇場にいた関さんだね。うまいもんだ。嫉《や》けてくるな、これは。これほど感情をこもらせるためには、おっぱいにさわるとかなんとか、そんなことするんじゃないかな」
「ばかやねえ、先生」
と彼女がいった。
「録音室はガラス張りよ。機械を調節する人もいるんよ。嫉くことはないわよ」
やがて昼になった。
「先生、てっちり好きやったね」
と彼女がいった。
「新世界に、安くておいしいてっちり屋があるんよ。新世界は、きのういった宗右衛門町なんかとちごて、わたしらみたいな者のいくとこなんよ。そこへいかない? わたし、おごったげる」
「なんでも安うおまっせ。ほら、このシャツも、このズボンも、このバンドも、みんな新世界で買いましたんや」
と三郎もいった。
新世界の大きなてっちり屋で「てっちりセット」というのを食べながら、彼女は、
「わたし、人からあわれまれるのは、いや」
といった、
「さっきの食品会社の社長さんの手紙、わたしをあわれんでるみたいなところがあるでしょう。それでいて、うしろから見せよなんていうてるんやから。先生もうしろから見たかったら、レスビアン・ショーを見にいけばいいわ。あの人たち、レスビアンがすんでからオープンするときでも、うしろから見せる人が多いから」
「いや、ぼくの見たいのは……」
「いやや!」
「なんや、レスビアンの話か。あんなことをしたら、承知しやせんぞ」
と三郎がいった、
「先生、まさかうちのやつにレスビアンせいいうてすすめてるのとはちがいますやろな。そんなこというたら、絶交だっせ」
「わたしはせんけど、そやけど、その気持はわかる。男は女の人の壺がなかなかわからんけど、女同士やと、すぐわかるのよ。わからんでも、ここやというたら、そうやってくれるでしょう? 男の人にはそういうことはいいにくいし、いうても、なかなかいうたとおりにはしてくれんもんね」
「さゆりさんの壺はどこ?」
と斎木がきいた。
「そうね。斜めうしろから肩の方へ、ふわあっと近づいてこられると、ぞくぞくとしてくるわね。それから、指をこう力を抜いてゆるくまるめている上を、包みこむように握られると、やっぱりぞくぞくとなってくるわね」
「それもそうだろうけど、さゆりさんは、やっぱりおっぱいだと思うなあ」
「どうしてわかる?」
「見ればわかる」
と斎木がいうと、三郎が、
「斎木さんは、これはよっぽど遊んだ人やわ」
といった。
「ローソク・ベッドで蝋をおっぱいへ垂らすでしょう。そうすると乳首がピンと立ってくるでしょう。だからいったんですよ」
斎木がそういうと、三郎は、
「うん、よう見とりなさるわ」
といった。
レスビアンの話から、京都にガラス張りの箱の中でレスビアンをやる「東西南北移動空中レスビアン」というのがある、と彼女がいった。
「それじゃ、それを見て帰ろうか」
と斎木にいうと、彼女が、
「京都へいくのなら、つれてって。その空中レスビアンをやってる劇場の近くに、仕込三味線をたのんである小道具屋さんがあるんよ。まだできてなくても、ちょっと見てきたいの。鳥追のかぶる編笠もさがしたいし――。ねえ、つれていってもろてもええでしょう」
と、あとは三郎にいった。
「先生たちは、京都から東京へ帰りなさるんやぜ」
「そやから、時間をきめてどこかで待ちあわせて、京都駅でお見送りして帰るから」
「まっすぐ帰ってくるんやぜ。おれはいまから店へいくから」
てっちり屋の前で三郎に別れて、私たちは車で京都へむかった。車の中で、
「あなたも空中レスビアンを見る?」
ときくと、
「とんでもない」
と彼女はいった。
「踊りだけ見るのなら別やけど、オープンは見ないのがわたしたちの仁義なんよ。そんなこと絶対にできないわよ」
劇場の前で彼女に別れ、その近くの喫茶店で待ちあわせることにきめて、私と斎木は空中レスビアンを見た。
客席の上をガラス張りの箱が、どの席からも見えるように、またいろんな角度から見えるように、前後左右に移動するのである。前後左右を「東西南北」といっているところが、いかにも京都らしかった。
空中レスビアンがおこなわれているときには、ステージでも別の一組がレスビアンをするのだった。エプロン・ステージの先端の、客の顔のすぐ傍でである。
踊りもなければ、ストリップもない。十組を越える女たちが、いれかわり、たちかわり、ただひたすらにレスビアンをおこない、それが終るとエプロン・ステージの端のあちらこちらで、無造作にオープンして見せるのである。彼女がいったとおり、うしろから見せる者も幾人かいた。ステージの端に客に尻を向けて立ち、田舎の老婆が田の畦で立小便をするように、足を開き上体を折って見せるのだった。
劇場を出て喫茶店へいくと、彼女が待っていて、
「どうだった?」
ときいた。
「なんにも感じなかった。いや、花電車に似ている、とふっと思ったな。なんにも感じないといっても、やっぱり、見てよかったよ」
「うしろから見せるの、あったでしょう」
「あったけど、立って見せるんだよ。あれじゃ、食品会社の社長さんも満足しないだろうな」
「頭を剃った尼さん同士のが出てきたでしょう。尼さんというのは京都的だと思ったが、オープンのときには還俗《げんぞく》して、カツラをかぶって出てきましたね」
と斎木がいった。
京都駅で彼女は、「これ、おみやげ」といって、私と斎木とに菓子の箱らしいのを一つずつくれた。見ると、「一条餅」と書いてあった。
「へえ、こんなお菓子があったの」
というと、彼女は首をすくめて笑って、
「わたしも知らなかったの。さっき売店で見て、はじめて知ったのよ。おいしいお菓子だといいんだけど」
といった。
[#改ページ]
一条さゆりの性の迷路
『面白半分』という洒落《しやれ》た月刊雑誌がある。吉行淳之介さんが編集をしていて、毎号ゲストをかえて「面白半分対談」という対談をやっている。
その「面白半分対談」で私はゲストになったことがある。「ストリップ今昔」という題で、「今昔」の「昔」のことは吉行さんの方がくわしいのだが、対談はおもに一条さゆりについて彼が私にきくという形でおこなわれた。
[#ここから1字下げ]
――いろいろストリッパーをごらんになって、特に一条さゆりが気に入ったという、そこのところをちょっと話してください。
――まず、きれいなことです。それから、これはぼくがきびしいしつけの家で育ったせいだろうと思うが、反対の、「くずれた女」が好きなんです。それは世間でいう「くずれた女」でね、その女自身はくずれていてもいなくてもいい。とにかくそういう人に魅力を感じるんです。ストリッパーの中には、ほんとうにくずれた人もおります。たとえばオープンをするにしても、
「さあ、見やがれ」って感じの、ふてくされたようなのがね。そういうのは好きじゃないんです。やっぱり、くずれた中にも何かひたむきなところのある人が好きなんです。彼女のそういう面に惹かれたわけです。しかし、第一にはきれいだということでしょうね。
――一見、二十七、八に見えるそうですね。からだつきなんかもそうですか。
――ええ。それは商売ですからね。たとえば牛乳風呂にはいったり、レモンで磨いたり、からだはくずれないように非常に気をつかっていますね。
――それはしかし、ずいぶん金がかかるでしょうね。牛乳風呂やなんかだと。
――そうですね。化粧代ってのが随分かかるようです。
――でも、ほんとうはもう四十近いのだそうですね。
――四十……越えてます。
――越えてんですか。それがとにかく舞台では二十七、八に見えてきれいだというのだから、大変なもんですね。
――別にね、年齢をかくさないんですよ。彼女にはじめて会ったのは、ある雑誌に「すとりっぷある記」というのを連載していたときで、編集者といっしょに毎月ストリップ劇場めぐりをしていたんだけど、そのとき舞台の彼女を見て、ぼくも編集者も二十五、六ぐらいだろうと思った。それで翌日会ったときそういったら、彼女、ほんとうの年をいうんですよ。そんなに若く見てくださって、ありがとうってね。
――そういう人がいるんだね、四十過ぎてもそんなにきれいな人が。それからもう一つ、あなたの気に入った点は、その、「特出し」のときの状況でしょう? あれはね、なんといったかな。ベッド・ショー。つまりオナニーのショーですね、それをやったあとで、客席の前へいってオープンして見せる。すると、こう、ツツーと液体が出てくる。それがまことにエレガントに出てくるということなんですね。
――それを見て感動したわけです。息がつまるような思いだった。
――感動したわけですね。よっぽどエレガントな出方をしたんでしょうなあ。
――照明をちゃんとやってくれると、すばらしいのです。
――キラキラっていうやつね。
――そう、キラキラっと光りながら流れる。見たことのない人は、だれも信用しないんですがね、無限に、客席の前でしゃがむたびに流れるんですよ。
[#ここで字下げ終わり]
これは「対談」のはじめの部分だが、あとの方につぎのようなところがある。
[#ここから1字下げ]
――一条さんは、今でも現役でやってるんですか。
――やってます。
――でも、もう生活の心配はなくなってるわけでしょう。
――ないようですね。だから、ご主人の三郎君はやめさせたいらしいんです。本人も、踊りの名取りですから、そろそろやめて踊りの教室でも開こうかなんていってみたりするんですが、ぼくの感じじゃ、おそらく本人はやめたくないんだと思う。とにかく、演技して喝采してもらいたいんだから。それに生きがいを感じてるようなところがあるから。
――それから、長いあいだの習慣で、人に見てもらわないと……という傾向が出てきてないんですか。
――その点はダンナにも本人にも、しょっちゅうしつこく追及したんですよ。どうも、彼らはほとんどやらないようなんです。
――やらないって、何を?
――あれを。
――ああ、あれをしないわけか。
――ええ、つまり一条さゆりは舞台で満足しちゃっているらしいんです。一日四ステージだから、四回射精、まあ、射精ですよね、するわけだから、あと、する必要がないんですね。いつも会うと、何回したかって聞くんですけどね。
――ああ、その三郎君に。
――ええ、たとえば一と月ぶりに会ったとすれば、その一ヵ月間に何回やったかってね。するとたいてい、やらなかったっていうんです。
――ほう。奥さんは舞台で満足するからいいとして、ダンナさんの方は、まだ若いのに、どういうふうに処理してるんだろう。
――彼は今、すし屋をやってるんだけど、大阪のすし屋ってのは、造りが土間になっていて店の者の休むところがないのが多いでしょう? 一日じゅう立ちどおしで、すごく疲れるらしく、仕事が終るとクタクタになっていて、そういう欲望どころじゃないっていうんですよ。彼女の方は、ちゃんとした亭主がいるってことだけで、満足している。
[#ここで字下げ終わり]
その「対談」の載った雑誌が出てから間もなく、彼女から電話がかかってきた。深夜だった。大阪の、彼女のマンションからで、いま劇場から帰ってきたところだという。
「面白半分って雑誌、読んだわ。ここにある」
と彼女はいった。
「へえっ、どうしてわかった?」
「ファンの人が持ってきてくれたんよ。お客さんの中には、対談の出ているページをあけて、ここへサインしてくれという人もいるわ」
「怒ってるんじゃない? いろいろ喋ったんで」
返事はなく、しばらくして「うふふ」という含み笑いがきこえてきた。すぐ傍できいているような、なまなましい声だった。
「吉行さんにうまいこと誘導訊問されてね、ついぺらぺらと喋っちゃって……」
「ええんよ。それより先生、あの中でわたしのことを、やめないだろうっていってたでしょう? でも、わたしねえ、やっぱり、やめようと思うの。ううん、もう決心してしまったんよ。先生、どう思う?」
あるいは、とめてほしい気持もあるのではないか、と私は思った。舞台好きの彼女である。そう簡単に思い切ることができるのだろうか――。
「どうして急に……」
「急にじゃないわ。前々から考えていたんだけど……」
「三郎さんは?」
「もう寝てる。おこしましょうか」
「そうじゃないんだ。あなたがやめることを……」
「ああ、それは先生もよく知ってるでしょう? あの人は前からわたしに、やめてもらいたくてならなかったんだから……。わたし、先生はどう思うかってきいてるんよ」
「そうだな、やめるのは惜しいと思うけど、決心したのなら……。いまが潮時《しおどき》かもしれないね」
するとまた「うふふ」という含み笑いがきこえてきて、彼女は、
「そういってもらいたかったんよ」
といった、
「来週、月はじめから横浜のS座に乗るから、一遍きてほしいわ。そのとき、くわしいことお話しします。……斎木さんにお会いになる?」
「二、三日中に会うことになってる」
「よろしくいっておいてね。横浜へいっしょにきて」
数日後、私は斎木といっしょに横浜のS座へいった。
ちょうど、舞台には彼女が出ていた。踊りがすんでベッド・ショーに移るところだったが、斎木は私をふりかえって、
「見ますか」
といった。そういえば私たちは、このごろ彼女のオープンを見ることを自然に遠慮するようになっていた。
「久しぶりに見るか」
と私はいった。私たちは満員の客席のうしろに立って見た。ベッド・ショーが終ると、静まりかえっていた客席に拍手がわきおこった。彼女は起きあがり、腰巻だけをまとってエプロン・ステージへ出てくる。観客の拍手に招き寄せられて彼女はステージの端のあちこちにしゃがみ、しゃがむたびに、片手で腰巻をすり上げながら、片手では二枚の花弁を左右に分けて薄桃色に光る花筒の奥を窺《のぞ》かせるのである。そのとき、花筒の奥からひとすじの泉が流れ出し、その最初のひとすじが作った小川の跡を、花筒の奥からつづいて流れ出す泉が照明を浴びてきらきらと輝きながら流れつづけていくはずであった。ところが、私が観客の頭と頭のあいだから見た光景は、いつものそれとはちがっていた。べっとりと濡れ光って、それは氾濫しているという感じだった。
「斎木さん、見た? すごい量だ」
というと、斎木はうなずいて、
「あれもなかなか見物《みもの》だけど、なにか乱れてるって感じですね」
といった。
彼女のショーが終ると、フィナーレだった。私たちは頃合いを見て彼女の楽屋へいった。ベッド・ショーのとき彼女は燃えている蝋燭の蝋を胸いっぱいに滴《た》らすので、ショーが終るごとに湯にはいってそれを洗い落す。それのすむ頃を見計らっていったのである。
彼女の楽屋には三郎がいた。
「なんだ、三郎さんきてたのか」
というと、三郎は、
「それは先生、ご挨拶ですな。なに、こいつがテープを間違えて持ってきたと電話してきたんで、あわててとどけにきたんですわ。最終の新幹線で帰りますわ」
「消したテープ持ってきたんよ」
彼女は俎《まないた》代りの板切れの上で、人参《にんじん》や胡瓜《きゆうり》を刻みながら、そういい、
「どうかしてるわ」
と自嘲した。
「なにをしてるんです」
と斎木がきくと、彼女は部屋の隅から大きな鉢を持ってきて、
「これを作ってるのよ。おいしいわよ、食べてみる?」
といい、斎木に箸を渡した。
「なんですか、これ」
「大根、人参、胡瓜、にんにく、するめ。それを胡麻《ごま》油に漬けた一夜漬ね。踊子さんたち、おいしいおいしいって、この一鉢、一日で食べてしまうんよ」
斎木はつまんでみて、
「うん、これはうまい。これがさゆりさんのスタミナのもとか。うん、これはいい。店をはじめたら、これ、さゆり漬という名で出したら、きっと評判になりますよ」
斎木にほめられると彼女はうれしそうに、
「するめから味が出るんよ」
といって、私にもすすめた。
斎木が店といったのは、私たちが以前から三郎に、彼女がストリッパーをやめたら開くようにすすめていた架空の小料理屋のことで、勿論いま三郎がやっている玉寿司という店のことではない。玉寿司は大阪ずしを主にした団地の中の店で、巻ずしや稲荷ずし、バッテラや穴子巻などを買っていく客が大半だった。間口の広い店の左端を切り取るようにして、細長いカウンターふうの客席が作ってはあったが、そこで飲み食いをする客はほとんどなく、この店には彼女の働く余地はなさそうであった。そこで、別に小料理屋でも出して彼女に働ける場を与えないことには、おそらく彼女は身をもてあますのではなかろうかと思って、そういったのだった。バーでもスナックでもよいのだが、小料理屋といったのは、三郎の板前職人としての腕を生かすためにもそれがよかろうと思ったからである。
「いよいよ、やめるんだってね」
と私は三郎にいった。
「へえ。……やめても、これまでどおり付合うてくださいよ。斎木さんもだっせ」
「こっちこそ。……それで、いつやめるの?」
「野田のY劇場、知ってなさるやろう? 島田社長さんの――。あそこで、五月に引退興行させてもろて、それでやめますわ」
「もう、そこまで話がきまってるの」
「先生は引退、あんまり賛成やなさそうやて、こいつがいうとりましたけど……」
「いや、そうやないんやけど……」
三郎と話していると、知らず知らず関西弁がまじってくる。
「いや、それはちがうよ、三郎さん」
と斎木が口をはさんだ、
「さゆりさんのファンとしては、さゆりさんがやめてしまうことはさびしいですよ。さゆりさんにしても、やっとやめられるという気持の半面、舞台に別れてしまうということは、やはりさびしいんじゃないかしら。賛成とか反対とかいうのじゃなくて、そういう気持ですよ」
「わかってます」
と、ぽつりと彼女がいった。眼がうるんでいた。彼女は涙もろい。
「引退までのスケジュールも、もうきまってるんですか」
と斎木がきいた。
「ここが終ったら、同じチェーンの朝霞《あさか》へ乗ることになっとるんやけど、朝霞の初日が、京都地裁でこいつの判決のある日でね。とんぼ返りして、二日目から朝霞へいって、そのあとは、ずっと大阪ですわ。来月の一日からは島田さんとこで特別興行してもらうことになっとりますんや」
三ヵ月ほど前、彼女は京都の劇場に出ていて警察にあげられ、十日あまりも留置されていたことがあった。三郎がいった京都地裁の判決というのは、そのときの裁きだった。一年ほど前にも彼女は伊丹の劇場であげられたことがあった。そのときは二日間泊められただけだったが、そのあとで会ったとき彼女は、警察ではただ「もういやだ、もういやだ」と思いつづけていたといった。なにをいやだと思ったのかときくと、自分と自分のまわりのこと、すべてを「もういやだ」と思ったといい、私はどうにもなぐさめるすべがなかったことをおぼえている。
「島田さんのY劇場は一日からですね」
斎木が手帖を見ながら三郎に念をおし、そして私に、
「二日、三日、四日、このあたりあいてませんか」
ときいた。私たちはそのとき、二日に大阪へいくことをきめた。
「あんた、まだ時間ええの」
と彼女が三郎にいった。
「ぼちぼち出た方がええかな」
「泊らずに帰るんですか」
と斎木がからかった、
「薄情だな三郎さんは、せっかくきたんだから、一晩泊って、あしたの朝早く帰ればいいのに」
「また、はじまった。斎木さんのいうこと、きまっとるんや。また於曽々せいていいたいんですやろ。そやけど、朝帰ったんでは店のまにあいませんのや」
「そうか。わるかったかな、ぼくらがおしかけてきて。ぼくらがこなかったら、ドアに鍵かけてやれたのに」
「三郎さんがあんまりかまわんもんだから、さゆりさん、舞台で大べそをかいてたよ」
と私もいった。氾濫のことをいったのだが、三郎には勿論、本人の彼女にも通じなかったにちがいない。
「いじめられるから、もう帰りますわ」
三郎はそういって立ちあがりかけ、中腰になったままで、
「ストリッパーやからあの方も猛烈やろと思うやろが、こいつはあっさりしてますのやぜ。あのことかて、なんにも知らんで、へたくそで、みんなわたしが教えてやったんでっせ。なあ、ほんまやな」
と、あとは彼女にいった。彼女はただ笑っている。
「そんなら、二日、待っとりますわ。そやけど、こんなわるい男二人置いといて大丈夫やろか」
三郎が帰ってから私は彼女にいった。
「あれ、ほんとう? 三郎さん逆のこといってるんじゃない?」
彼女は笑いながら、
「強がりいうてるのかもしれんわねえ。男の人って、みんなそうじゃない?」
といいながら、外へ出ていった。浴室へからだを拭きにいったのだった。帰ってくると、そろそろ出番だからといって、ガウンをぬいで衣裳をかえはじめた。
「出ようか」
というと、彼女は、
「いまさら、遠慮せんかてええやないの」
といった。裸になったとき、彼女の斜め横に坐っていた私の眼に、阜《おか》の薄い繁みが映って、私はかすかにからだのふるえるのをおぼえた。それだけである。斎木は俯向いて、さゆり漬をつついていた。
大阪へたつ数日前、三郎から電話があって、いま住んでいるマンションのすぐ近くに手頃な空店《あきみせ》が見つかったので借りることにした、と知らせてきた。いわゆる下駄ばきで、五階建てのマンションの一階がみな店になっており、飲食店ばかりが数軒並んでいるその一番右端の店だという。二階の2DKの部屋も借りて、いまのマンションは引きはらうつもりだともいった。
「えらいねえ、おめでとう」
というと、
「なあに、やっとこさ、銀行から借金してまにあわせたんですわ。その店を借《か》るときおもしろいことがありましたんや。二日に見えますやろ、そのときにお話ししますわ」
三郎はそういって電話を切った。
二日。私と斎木は、大阪へ着くとまっすぐに玉寿司へいった。玉寿司へいくのは半年ぶりだった。前のときもそうだったが、私たちはこの店で三郎のすしを食べるために昼食をとらずにきた。
店の左端の細長いカウンターふうの客席へ腰をかけると、三郎が、
「おそうおましたな。東京何時の新幹線ですのや」
といった。
「ちょうど十一時」
「さよか。そんならまあこんな時間ですな。……きょうは、ええ種ありまっせ」
三郎はそういいながら、すしを握ってくれた。この前のときも彼は同じようなことをいった、と私は思い出した。それが彼の歓迎の言葉なのだった。すしは、うまかった。
二階に店の若い衆二人が寝泊りしている部屋があった。三郎はそこへ私たちをつれていって、こんど借りる下駄ばきマンションのことをくわしく話した。電話で「おもしろいこと」といったのは、こんな話だった。
三郎がさゆりといっしょに、下駄ばきマンションの経営者のところへ賃貸借の契約をしにいったときのことである。経営者は三郎と話をしながら、ときおり妙な目つきでさゆりを見て、話が上《うわ》の空《そら》になることがあった。三郎は気が短い。しかし、「いやなおやじだ」と思いながらも、こらえていると、突然相手が、
「あっ、そうや」
といった、
「あんたさん、一条さゆりさんとちがいますか」
「そうですけど……」
というと、相手は相好《そうごう》をくずして、
「わたし、あんたさんの大ファンですがな」
といい、あれこれと彼女の演《だ》し物の話をしたあげく、契約を彼らのために有利にしてくれ、敷金もまけてくれたというのである。
「いやなおやじだと思ってたのが、親切ないいおやじさんでね。かんしゃくを立てんでよかったと思いましたわ」
と三郎はいった。
三郎はまた、さゆりと同棲するまでの自分の、波瀾の多かった過去の生活についても、かなりくわしく話した。そして、
「先生たちが、わたしのことはあまりたずねんもので、かえって気味がわるうてね。いうてしもて、せいせいしましたわ」
といった。
「きかなくても大体わかってたんだ。それに、いまの話の半分以上は、三郎さん、これまでに、問わず語りにぼくたちに話してるよ」
と私がいうと、三郎は、
「そやから、気味がわるいんや」
といった。
「三郎さんのことでわからんのは、あれだけですよ」
斎木がそういうと、
「ほら、またあれや、斎木さんは」
と三郎はいった。
私たちは三郎に別れて、梅田駅のそばのホテルへ鞄を置きにいき、そこから阪神野田駅の近くのY劇場へいった。三郎も店が終ってからくることになっていた。
Y劇場の前には「一条さゆり賛江《さんえ》」と書いた花輪がびっしりと、道路にまではみ出して並べられていて、華やかな雰囲気がただよっていた。
その花輪を見まわしていると、劇場の入口から島田が出てきて、
「お待ちしとりました。わたしの部屋へいきましょう」
といい、さきに立って歩きだした。島田の部屋は劇場の裏手に、ちょうど二階建てのアパートのようなこしらえで、鉄の階段を上っていったところにあった。劇場の右脇を通っていくわけだが、途中に、劇場の建物にぽっかりと穴をあけたような形で、売店があった。勿論、そこは売店の人の出入口である。その前を通ったとき、
「わあ、先生やわ」
という声がきこえた。一条さゆりだった。売店でファンのおつきあいをしているらしい。
「ねえ、先生、はいってきて」
と彼女はいった、
「この方、先生のもの読んでる人よ。いま、先生のこと話してたとこなの。はいってきて」
そこへいくには、劇場の正面へもどっていかなければならない。島田に案内されて彼の部屋へいくところなのに、そんな勝手なことができるわけはない。多分、彼女には島田の姿が見えなかったのであろう。
「島田さんの部屋へいくところなんだ」
と私はいったが、彼女にはきこえなかったらしく、
「はいってきて、はいってきて」
と、だだっ子のようにいっている。少し酔ってるのかな、と私は思いながら、島田のあとについていった。
島田の部屋は広い間取《まど》りの2DKで、部屋の中をポメラニアンが走りまわっていた。手を出して呼ぶと、すぐ寄ってくる。人なつっこい、可愛い犬だった。
「前に飼っていた犬が死んで、わたしが二日間も泣いてたものだから、かわりに主人が買ってくれたのです」
と奥さんがいった。気立のいい、若い美しい人であった。部屋は社長室をかねていたので、ひっきりなしに電話がかかってくる。奥さんは私たちのもてなしをしながらも、電話の方もてきぱきと処理して、島田の秘書としても有能な人のようであった。
「おかげさんで、一条さんはえらい人気ですわ」
と島田がいった。
「十一時半の開演ですが、十時ごろにはもう、かぶりつきはふさがってしまいます。束京からくるお客さんもいるし、四国、九州からくる人もおります」
「だいぶん、広告もなさったようですね」
と私はいった。そのことは三郎からきいていた。「うちの店の一年分の収入ぐらいつかいなさったようや」と三郎はいった。新聞にも大きな広告が出ていたのを、三郎の店で見て知っていた。
「広告は、東は名古屋まで、西は広島までしました。しかし広告費ぐらいはすぐとりかえせますわ」
「主人も、こんどの興行にはたいへんな気の入れようで……」
と奥さんが笑いながらいった、
「派手なネクタイしてるでしょう? そのネクタイも、こんどの興行のためにわざわざ自分で買ってきたんですよ。初日には、朝からそわそわして、劇場のまわりを歩きまわったりして……」
しばらくすると、『ヌード・インテリジェンス』の編集長の中谷がきた。
「だいぶんはいっているようですな」
「おかげさんで、まあまあというとこですわ」
と島田がいった。
「五月に引退するというので、よけい人気が高まったようだな」
「いまのうちに見ておこうという人もあるんでしょうな」
「踊りもうまいにはうまいが、なんといっても、彼女には誰にも真似できんものがあるからね。ほら、あの×××ね」
と中谷は島田に踊子の名をいって、
「あれが、あんなことぐらい誰にだってできるといって、オープンの前に、脱脂綿をまるめて牛乳をふくませたやつを入れて、舞台へ出たんですわ。はじめの一、二回はツツーとうまい具合に流れ出したが、三回目か四回目かに、もう出なくなってしまった。そこでしぼり出そうとして、うんと力《りき》んだところ、脱脂綿の玉がスポンと飛び出した……」
島田の奥さんがくっくっと笑った。
「お客がその玉を拾って、ぱっと口の中へ入れた、――というのは嘘だが、スポンと飛び出したまではほんとうの話ですわ」
中谷がみなを笑わせているところへ、三郎がはいってきた。すると島田は、壁に貼ってある香盤《こうばん》表を見ながら、
「一条さんはまだ出番じゃないな」
といった。奥さんはそれをきくと、すぐ電話をかけた。
「一条さんに、社長室へくるようにいって」
それからしばらくすると、さゆりがはいってきた。ちょうど私のそばの席があいていて、彼女はそこへ坐ったが、あの、売店でのことはなにもいわずに、
「ねえ先生、わたしの出番のとき、挨拶してくださる?」
といった。
「いや、ぼくなんか出しゃばらん方がいいんだよ。お客さんはヘンなやつが出てきたと思うだけだよ」
私はそういったが、彼女はきかなかった。
「先生の本を持ってきてる人もいるんよ。ねえ、出て! この前のときは出てくれたやないの」
じつは私は、前にこの劇場へきたとき舞台へ上ったことがあった。私はそのときエプロン・ステージの近くの客席にいたのだが、彼女は私を見つけると踊りながら近よってきて、(――それはあとできいてわかったのだが――)「挨拶してくださる?」といったのを、私は「あら、そこにいたの?」とでもいったのかと思って、うなずいて見せた。彼女は私が承知したものと思い、踊り終ると、マイクを持ってきて、私のことをいい、「ひとこと挨拶をしてくださるそうです」といった。私はびっくりしたが、まさか逃げ出すわけにもいかない。仕方なく舞台へ上り、マイクを握らされたものの、なにもいうことなどなかった。
そのときの彼女の演《だ》し物は「女賭博師」だった。それは、円形の照明の中に正座して手をついたまま、
「本日は、ようこそおはこびくださいまして、厚く御礼《おんれい》、申し上げます。一条、さゆり、です」
と挨拶をするところからはじまる。それがなかなか印象的だったので、私は二《ふた》こと三こと口の中でいってから、やけくそ半分に、
「……児玉、新吉、です」
といい、一礼して舞台を下りた。
そのときのことを彼女はいっているのだった。私は島田に、
「どうでしょうね」
とたずねた、
「お客さんは不愉快に思うんじゃないでしょうか」
「いや、そんなことはないでしょう。一条さんが出てほしいというのなら……」
と島田はいった。
「それじゃ、挨拶するよ」
と私は彼女にいった。そのとき私は、――そうだ、あのことをいっておこう、と思った。二、三週間前のある週刊誌が彼女のことを大きくとりあげていたが、その記事は、私が小説として書いた彼女の暗い過去の話の一部分を、週刊誌の記者が彼女自身の談話として書きなおしたものであった。三郎はそれを読んでひどく怒っていたが、三郎と同じように彼女のファンの中には腹をたてている人が少なくないようであった。その記事では、彼女がきたならしく見えるからである。彼女がファンに好かれるのは、汚涜《おとく》の中にありながらもきたならしくないという点にあるのに。彼女のことを書いた私の一連の小説は、大体、いわば随筆ふうな小説なのだが、その週刊誌に取られている部分はそうではなく、極めて小説的な部分だった。それはわざとそうしたのだった。その部分を彼女自身の談話として書けば、きたならしくなるのは当然であった。
――私が挨拶に出ることを承諾すると、彼女は見る見る機嫌がよくなった。
「一条さんはファンを大事にするからな」
と島田がいった。すると彼女は、
「ファンの人に、なぜやめるのかときかれるのが、いちばんつらいわ」
といい、そんなことから、ある雑誌の記者にインタビューされたとき、「芸人なら舞台でたおれるまでやるべきではないか」といわれて、答えに窮したというようなことを話した。
私はきいていて、それは彼女自身にも同じような考えがあって、自分でははっきりそれと意識しなくても迷っているものがあるからかもしれぬと思った。そのとき斎木が、
「それは、そんなことをいう記者の方がおかしいのですよ」
といった。
「そうですよ」
と島田も彼女をはげますようにいった、
「芸にもいろいろあり、芸人にもいろいろあるものね。しわくちゃのおばあちゃんのストリップは、ストリップじゃない。しわくちゃのおばあちゃんのストリッパーは、ストリッパーじゃない、とわたしは思うね」
彼女はうなずいて、
「そうですね、そういえばよかった」
といい、
「それから、これは仲間の人のかげ口に多いのだけど、引退引退なんてさわいでやめていっても、半年か一年したらまた舞いもどってくるんじゃないかって……」
「これまでに、そういうのが多かったことは確かだな」
と島田がいった、
「しかし一条さんは大丈夫だ。そう見込んだからこそ、引退興行も引受けたんだから」
「ありがとうございます」
彼女はそういって頭を下げた。もう、涙ぐんでいる。感情の起伏がはげしい。
「それは大丈夫ですわ」
と三郎がいった、
「こいつは負けん気が強いから、たとえまた食えなくなって、わたしが、もう一遍ストリッパーせいいうたかて、絶対にしやしませんわ。そんな女やあらしません。……やめて、店を開いて、これからうまくいくとは限りません。それは覚悟しとります。しかし、わたしも男一匹、これ一人ぐらい、なにしたってちゃんと食わしていきます」
三郎も気性がはげしい。
やがて彼女は、そろそろ出番だからといって出ていった。しばらくすると、事務所の人が私を呼びにきた。
一条さゆりが観客に挨拶しているのを、私は舞台の袖できいていた。近く引退するということを、観客への感謝の気持をこめていっているのだが、それをききながら私は、なるほど彼女の人気というものはこういうところにあるのだな、と思った。
彼女の場合、観客への感謝の気持は、それが口をついて出たとたんに、いわば、言葉ではなくて心になってしまうのだった。それが観客の心に通じるところに、彼女の人気があるのだった。彼女の踊りも、所作ごとも、ベッド・ショーも、そしてあの流れる泉も、すべてそれと同じであるところに、彼女の人気があるのだった。
挨拶の終りに彼女は私のことに触れ、そして私を招いた。
――みなさんの知っている一条さゆりがほんとうの一条さゆりであって、私の書いたものや週刊誌の記事の中の一条さゆりはほんとうの一条さゆりではない。
私はそういう意味のことをいって引きさがった。あとあじのわるい思いだった。そしてすぐ客席へまわり、うしろの方に斎木と三郎がいるのを見つけて、そのそばで彼女の舞台を見た。演《だ》し物は私も斎木も、なんども見たことのあるものだった。夫を戦場へ奪われた女が、看護婦をして夫の帰りを待ちわびているうちに敗戦になる。夫は帰ってこず、戦後の混乱の中で女は生きるためにアメリカ兵相手のパンパンになり、さらに街娼になって淪落していく。――そういう女を、彼女は悲しみと怒りをこめて、ほとんど泣かんばかりにして演じていた。熱演であった。
ベッド・ショーに移ったとき、ふりかえって見ると三郎がいなくなっていた。斎木にきくと、
「やっぱり、いやなんでしょう」
といった。オープンのとき、私は気をつけて見た。横浜で見たときと同じく、それは、氾濫だった。
彼女の舞台が終ってから、私と斎木は三郎をさがしたが、通路にも事務室にもいなかった。私たちは、島田夫妻と三郎夫妻を夕食に誘うつもりだったのである。
「楽屋へいったんでしょう。島田さんの部屋へいって、呼んでもらって、いっしょに出かけましょう」
と斎木がいった。
島田の部屋へいくと、食卓の上にご馳走が並べてあった。私たちが躊躇していると、奥さんが席をすすめて、
「なにもありませんけど、どうぞ」
といった。斎木がわけを話すと、
「外へ出なくても、ここでいいじゃありませんか。そのつもりで用意したんです」
と島田がいった。奥さんは事務室へ電話をかけて、
「一条さんとマネージャーに、社長室へくるようにいってください」
といった。しばらくすると、三郎だけがきた。
「さゆりさんは?」
ときくと、三郎は、
「ファンにつかまっていましたわ。早うこいていうときましたけど……」
といった。またしばらくして、奥さんは事務室へ電話をかけ、返事をきいて、
「ファンの人と外へ出られたそうですよ」
といった。
「また、飲みにいったんやろ。そんなん、乞食酒やてわたしはいうんやけど」
と三郎がいうと、奥さんがとりなして、
「お付合いだからしようのないこともあるのよ。わたし見ているけど、一条さん、そんなにお飲みになりゃしないわ。舞台のあるうちはちゃんと気をつけていらっしゃるから」
といった。
私たちは話しこみながら、食事をした。彼女のぶんの料理だけが残った。
最終回のときも同じだった。劇場がはねたのは十時半ごろだったが、彼女はそのままファンに誘われて、近くのスナック・バーへいったようだった。事務所の人が呼びにいき、三郎も呼びにいったが、そのつど彼女は、もうすぐ帰りますというだけで、十二時になり、一時になっても帰ってこなかった。三郎はぶりぶりして、
「なにをさらしてけつかるのや。先生たちが待っておられるのに、社長さんとこかてご迷惑やのに、なに思《おも》てけつかるのや」
とつぶやいている。
二時近くになって、ようやく彼女は帰ってきた。三郎が階段をかけ下りていって、いきなりその彼女を殴りつけた。彼女はわっと泣いた。
「機嫌をなおすために、どこかへ出かけましょう。まだやっている店もあるでしょう」
と斎木がいった。島田夫妻も付合ってくれて、深夜の街へ私たちは出かけた。可愛いポメラニアンだけを、独り部屋に残して。
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一条さゆりの性の終宴
「先生、困ったことになりましたんや」
と、いかにも困ったような声がきこえてきた。三郎の電話での話は、いつでも、唐突なのである。
「なんや。どうしたのや」
ときくと、
「滝川のぼるさんが、倒れなさったんですわ」
という。
阪神野田駅の近くのY劇場で、五月一日から、一条さゆりの引退興行が開かれる。滝川のぼるは、そのとき司会をすることになっていたのである。
滝川という人には、私は二ヵ月ほど前、横浜のS座で会ったことがある。六十年配の、小柄な人であった。そのときも彼は一条さゆりの司会をしていた。ほかに自分の番組も一つ持っていて、舞台に大きなキャンバスを立てて漫談をやりながら絵をかいたり、客の姓と生年月日をきいて運勢判断をしたりするのである。
キャンバスに彼が最初にかいたのは、隆々と硬起した男根だった。客を笑わせながら、彼はその横に女陰らしいものをかき添え、おもしろおかしい話をしながら、あちこちに筆を加えて、客のいうままに、脚を蹴りあげているキック・ボクサーの絵にしたり、花束を持っている少女の絵にしたり、どんな絵にでも変えてしまうのだった。かきおえると彼は署名をして、画題を出した客にその絵をわたした。
運勢判断の方は、客から姓と生年月日をきいて、たとえば山崎という姓だとすれば、キャンバスの上端に「やまざき」と横にかき、一気呵成にそれぞれの文字を頭にした都々逸《どどいつ》ふうの歌を書きあげるのである。そして、それを読みながら、漫談ふうな解説をして客を笑わせるのだった。
私は彼の舞台を見ながら、――滝川のぼるという名はどこかで聞いたか見たかしたおぼえがあるな、と思った。しかし、どこでだったかは思い出せなかった。あとで、一条さゆりの楽屋で彼に会ったときそのことをいうと、彼は、
「年配の方で、ときたまおぼえていてくださる方があるのですよ。ずっと前のことですが、一時、漫画雑誌に漫画や漫文をかいていたことがありますので」
といった。
「そうでしたか。ああ、それでかもしれません」
私はそういいながら、そのときふと、――そうだ、滝川という名は一条さゆりからきいたことがあっておぼえていたのだ、と思った。彼女はときどき「××さんがねえ……」と、私の知らない人の名をいいだすことがある。「××さんって誰?」とききかえすと、「あ、先生は知らなかったわね」といい、そこではじめて、それがどういう人なのか話すのである。滝川という名も、そんなふうにして彼女からきいたことがあると思ったのだった。
彼女は私たちに横顔を見せて、化粧前にむかって髪をなおしていた。彼女の横顔は美しい。横顔には正面の顔にはない気品があった。汚辱の中を生きてきた人とは思われない、かげりのない美しさと厳しさとがあった。私はその横顔に呼びかけた。
「さゆりさん。滝川さんのこと、あなたからも聞いたことがあったんじゃない?」
「あるかもしれんわね。わたし、ずっと前から滝川さんを知っているから。ずいぶんお世話になったことがあるんよ」
彼女は鏡を覗きこんだままいった。
「あのころ一条さんは、早変りショーをやっていたな。よくおぼえてますよ」
滝川がそういうと、彼女は私がききたがっているのを察していった。
「蹴破りショーともいったわ。はじめは太鼓をたたきながら踊るの。無法松の姿で、ハッピを着てね。障子が立ててあって、それがぐるりとまわるあいだに早変りして、こんどは角兵衛獅子になって踊って、逆立ちをした足で障子を蹴破って消えるんよ。舞台に綱が張られるあいだに八百屋お七になって、こんどは綱渡りをして、最後は綱から落ちて狂い踊りをするというわけ」
「ストリップはしないの?」
「狂い踊りをしながら、だんだんぬいでいくんよ」
「それはいい趣向だな。オープンは?」
「そのころはまだ、オープンはなかったわ」
「オープンがはじまってからは、ああいう手のこんだ踊りはもうなくなってしまいました」
と滝川がいった。
「逆立ちはともかく、綱渡りができるとは知らなかったな」
「あれそんなにむつかしいことないんよ。日傘でバランスがとれるから」
「いや、芸熱心だからですよ」
と滝川が口をいれた、
「芸熱心だから、なんでもこなせるんです。私はよく見ましたよ、小屋がはねてから暗い舞台で一人、おそくまで稽古しているんです。いじらしくてね、見ていて涙が出てきたのをおぼえてます。そのころは、ダニみたいな男に食いつかれていたし、子供もつれていたし……。いや、これはわるいこといったかな」
「いいえ、いいのよ。先生にはみんな話してあるから」
「あれはどこの劇場だったかな。あの男に突きとばされて二階からころがり落ちたのは」
と滝川がいうと、彼女は、
「おぼえとらんわ。どこへいってもそんなことは二遍か三遍はあったもの」
といった。
――男は彼女を突き落すと、そのまま外へ飛び出していった。彼女は腰を打って、起きあがれなかった。滝川たちがかつぎあげて楽屋に寝かせ、内出血しているところを氷でひやした。そうこうしているうちに、滝川の出番がきた。滝川のつぎは彼女である。滝川は劇場の支配人に、漫談のあとで手品をやって穴を埋めるからといって、彼女を休ませるようにたのんでから、舞台へ出た。漫談をおわって舞台の袖へ手品の道具を取りにいくと、彼女が待っていて、「わたし、出られますから、出ます」といった。すでに無法松の姿をしていた。滝川は、とめてもきかないだろうと思い、一つだけ手品をやって引きさがった。
「歩くときはびっこを引いているのに、舞台へ出るとしゃんとして、蹴破りも綱渡りもやってのけたのにはおどろきました」
滝川がそういうと、彼女は、
「わたし、意地っ張りなんやねえ」
といった。
滝川はいま、朝霞の劇場の専属になっていた。彼女が横浜のS座に乗るときいて、同じ系列の劇場だったので無理に都合をつけてこちらの方へきて、司会をやっているのだった。
「できることなら、引退までずっとついてまわって司会をしたいのですけど」
と彼はいった。
その滝川が、病気で倒れたというのである。三郎が電話をかけてきたのは、引退興行の五日前の夜だった。
「あっちこっちたずねてみましたけど、ええ人がおらしませんのや。すんませんけど、立川の社長さんに先生から、誰かおらんかきいてみてくれはりゃしませんか」
というのである。立川の社長は私の友人だった。一条さゆりもいちど立川に乗ったことがあって、三郎も社長を知っていたが、私からたのんでほしいというのだった。
「きいてはみるけど、急にそんな人、見つかるかどうか。どうしても司会がいるの?」
というと、三郎は、
「それが、いりますのや」
という。私は三郎の電話を切って、すぐ立川へ電話した。社長は夜は出ていないということだった。彼も二ヵ月ほど前、病気で倒れ、ようやくなおったものの、劇場へは昼間しか出ていなかったのである。支配人にわけを話すと、「さがしてみましょう」といってくれた。
一時間ほどすると電話があって、いま鶴見の劇場へ出ているコメディアンで、引受けてもいいという人がいる、これこれこういう人で、ギャラはこれくらいでよかろうと思うが、それでよいかどうか先方にきいてみてほしい、ということだった。
さっそく三郎に知らせると、
「えらいすんません、先生。こっちで、もうきまってしまいましたんや。たったいま、Yの社長さんから知らせがあって、ええ人に出てもらえることになったそうですわ。立川さんの方、あんじょうことわってもらえますやろか」
という。人さわがせな、と私は思ったが、いつもあれこれと先走りして気をもみ、ひとりでいそがしがっている三郎を思うと、今夜の電話などいかにも三郎らしいことだと、おかしくもなってきた。
「さゆりさんはどうしてる? からだはもういいの?」
と私はきいた。
「へい、いま二階で踊りの稽古しとりますわ。先生、知ってなさるやろ、香取優子さん。浜松で先生たちにはじめて会うたとき、いっしょやった人ですわ。引退興行でいっしょに踊るもんやから、二人で稽古しとりますのや」
「タフだねえ」
と私はいった。
――十日ほど前、彼女は東京のテレビ局の昼の番組に出た。私は用事があってその番組を見ることができなかったが、その日の夕方、三郎から電話がかかってきた。例によっていきなり、
「えらい目にあいましたわ」
というのである。
「どこから電話かけてるの?」
「いま、大阪へ帰ったとこですのや。うちのやつ、今朝、流産しましてな、テレビの約束があるので、そのまま新幹線で東京へいって、テレビに出て、あれ戸川昌子さんだすな、対談して、やっぱりよごしましてな、東京駅のトイレで下着かえて、そして帰ってきたとこですのや」
三郎は一気にそういった。
「へえー、それで、からだ大丈夫なの?」
[いま寝さしたところですのや」
――そんなことがあって、タフといったのだった。だが、タフというよりは意地っ張りなのだろう。
しばらくすると、野田のY劇場の社長の島田から電話がかかってきた。
「一条さんのマネージャーが、ご面倒かけたそうで」
と島田はいった、
「滝川のぼるさんですけどね、入院しているけど一日からの一条さんの引退興行には必ず出さしてもらうというてきたんですわ。それで安心していたんですけど、ちょっと気になって、念のために病院へ問いあわせてみたら、いま旅行なんかしたら死んでしまうというんですわ。それであわててこっちの方で司会してくれる人をさがしたのですが、なかなかなくてね、やっと鶴野さんという人を口説きおとして、引受けてもらったというわけです。長いこと漫才のAさんのマネージャーしていた人で、伴淳さんの兵隊ものの映画に相棒になって出たこともあって、芝居もすれば司会もするという、関西の芸能界では名の知れた人なんです。一条さんのマネージャーと話がいきちがって、先生にご迷惑かけてすみませんでした」
島田がわざわざ電話をかけてきたのは、おそらく三郎がそうするようにたのんだからだろうと私は思った。
三郎には、なんでも決着をつけておかなければ気がすまないという、一種の義理堅さがあった。
五月一日、私は斎木といっしょに、昼前、東京をたった。今回は、編集長の大室《おおむろ》も、大阪にほかにも幾つか用があって、いっしょだった。
私は二人に、近ごろ三郎からかかってきた二つの電話のことを話した。
「それ、二人の性格がよくあらわれている話ですね。使えますよ」
と大室はいった。戸川昌子さんと対談したというテレビは、昼間の放映なので、大室も斎木も見ていなかった。
「流産した直後だったということ、戸川さん知っていたかな」
と私はひとりごとをいった。彼女のことだから、あるいはリハーサルのときにでも、ふっと口に出したかもしれぬ、とも思った。
大阪へ着き、ホテルでしばらく休んでから、私たちは車で野田へむかった。「特別記念大興行/一条さゆり引退記念公演」と書いた立看板が、等間隔に、歩道に並べられているのが車の窓から見えた。それはかなり長くつづいていた。斎木が指さして、
「たいへんな数ですね」
といった。
Y劇場の入口は万国旗や花輪で、遊園地の中のなにかの催し場のように、飾られていた。中はほとんど満員で、椅子席のうしろの土間が少し空いているだけだった。のびあがって舞台を見ると、正面に一条さゆりが、右端に司会者が立っていた。二人ともマイクを手にしている。
「ヌード・ダンサーになってから、何年になるかというご質問ですか。はい、一条さん、そういうおたずねですが、お答え願えますか」
司会者は客席にあがる声を拾い集めて、彼女に伝えているようだった。
「お答えします前に……」
と彼女はいった。
「ヌード・ダンサーとおっしゃいましたけれど、わたしはヌード・ダンサーではなくて、ストリッパーでございます。ストリッパーとして、引退させていただきたいと思います」
「ええぞ、姐御!」
という声が客席にあがり、つづいて、どっと拍手が巻きおこった。
彼女は客席を見まわしてから、エプロン・ステージの中ほどまで出てきて、そこにしゃがみ、そのあたりの客の一人々々に何やらたずねている様子だったが、やがて立ちあがって舞台の中央にもどると、マイクを口に寄せて、いった。
「ストリッパーになってから何年になるかというおたずねですが、いま、そのあたりのお客さまの中で若そうな方にお年をきいてみましたところ、二十三歳とおっしゃった方がございました。わたしがストリッパーになりましたのは、ちょうどその方がこの世にお生れになったときでございます」
「つまり、二十三年になるということのようでございます」
と司会者がいった。
「それでは、一条さん、あなたは現在いくつですかという質問が出ておりますが……」
「二十三でございます」
彼女は笑いながら、間髪をいれず、そういった。
「それはあなたがストリッパーになられてからの年で……」
「はい。二十年前は二十三でございました」
司会者は客席にむかって、
「やはり、二十三歳だといっておられます。一条さんは若いという評判ですが、お若いのも道理、二十三歳ですから。……まだ少し時間がございますが、ほかに一条さんにおききしたいということはございませんか」
といい、声のあがった客席の方へいっては舞台の端からマイクをさし出して、
「はい、わかりました」
と、何ヵ所かまわってから、舞台の右端へもどっていった。
「いろいろな質問がございましたが、だいたい、酒のことと引退してからのこと、この二つにしぼれると思います。それでは、まず、酒のことからおたずねいたしましょう。一条さん、あなたは酒豪だという噂がありますが、どれくらいお飲みになるのですか」
「以前は、一升くらい飲みました」
「ほう、それはたいした酒豪で。以前はとおっしゃいましたが、現在はどうなのです?」
「いまはそんなに飲みません。二、三合もいただけば十分でございます」
「以前というと、いつごろですか。いま二十三歳として、いくつごろのことでしょうか、一升もお飲みになったというのは」
「そうですね、十五、六歳のころでしょうか。そのころは、めちゃくちゃに飲みましたが、おいしいと思ったことは一度もありません。生きているのがつらかったのです。つらさを忘れるために飲んだのです。鉄道自殺をしそこなったこともあります。生きていることを忘れるために飲んだのです。おいしいはずがありません」
声がだんだん鼻声になった。ライトを受けた眼がきらきらと光った。ざわめいていた客席が、しーんと静まってくる。彼女は上体だけをうしろへまわして、ハンカチで眼をおさえた。――附睫《つけまつげ》を落さなければよいが……、と私は思った。附睫を取ってしまうと、彼女の顔は急にふけて醜くなるのである。
彼女は気をとりなおして、|ばつ《ヽヽ》のわるそうな笑顔を見せた。私はほっとした。
「むかしのことを思うと、かなしくなってきて……。どうも、失礼いたしました。いまはそんなに飲みませんけれど、一杯の酒が、とてもおいしゅうございます」
そういって彼女は丁寧に一礼した。客席に拍手がおこって、しばらくは鳴りやまなかった。
「ありがとうございます」
司会者もそういって、一礼した。
「みなさんの暖い拍手を聞かせていただきまして、ありがとうございます。じつはわたくしは、四、五日前、急にこの劇場の社長さんからおはなしがございまして、一条さんの司会をさせてもらうことになった者で、ストリップ劇場の舞台にあがったのは、これが、はじめてでございます。一条さんについても、噂はかねがねきいておりましたが、お目にかかったのはやはりはじめてでして、ストリップ界のことはなにも知らないのでございますが、いまのみなさんの拍手を聞いておりまして、深い感動にうたれました。わたくしは長いあいだ芸能界をわたり歩いてきましたが、いまのみなさんの拍手のような暖い拍手をきいたことは、一度もございません。お客さんからあのような暖い拍手を浴びた芸能人を見たことは、一度もございません。ありがとうございました。……ところで、わたくしの不手際で、だいぶん時間が迫ってきましたので、あと一つの質問については、手短かに答えていただくことにしたいと思います。引退してからのことでございます。では、おたずねいたしましょう。一条さん、引退なさってからは、後進を養成しようとか、一条さゆりの名を誰かにつがせようとか、そういうお考えはございませんか」
「そういうことは、考えておりません」
「なぜですか」
「教えるとか、名前をゆずるとか、そんな|たいそう《ヽヽヽヽ》なものではございませんから」
「謙遜なさっておられます。それでは、引退してからは何をなさるのですか」
「先月から、小さい割烹店を開いております。きっぱり引退して、その店の方を一所懸命にやっていきたいと思っております」
「それでは、その店へいけば、引退なさってからでも一条さんに会えるわけですね。ファンの方に、店の紹介をなさったらいかがでしょう」
――うまいこと店の宣伝をしよる、と思った人もあるかもしれない。私はあとで彼女と司会者に会ったとき、それとなくきいてみたのだが、司会者は彼女とうちあわせてそういったのではなく、好意からだったようである。
彼女の演《だ》し物の一つに「女賭博師」というのがある。それは、舞台の正面に正座して手をついたまま、
「本日は、ようこそおはこびくださいまして、厚く御礼、申し上げます。一条、さゆり、です」
と挨拶するところからはじまる。司会者に「店の紹介をなさったら」といわれたとき、彼女はちょうどそれと同じ形に正座して手をつき、
「店は西成区の松通りにございます。一条という店です。よろしくお引きたてくださいますよう、お願い、いたします」
といった。客席にはまた拍手が湧きおこった。
「一条さん、どうかお立ちになってください」
と司会者がいった。そして、彼女が立ちあがるのを待って、
「一条さんのお店をよろしくお引きたてくださいますよう、わたくしからもお願いいたします。不手際な司会でございましたが、これで、一条さんに対するインタビューをおわらせていただきます。はじめにおまわしいただきました〈あゆみの箱〉は、どこにございましょうか。ああ、そこでしたか。ありがとうございます。だいぶん重たくなっているようですが、箱は大きくしてありますので、まだまだはいるはずでございます。もう一度おまわしいただいて、手送りに一条さんのお手におとどけくださいますよう。一度しか入れてはならぬというような規則はございませんので、一度お入れになった方でも、箱がまわってきたついでにもう一度お入れくださっても、もちろん、結構でございます」
満員の客の頭と頭の隙間から舞台の方ばかり見ていた私は、司会者がそういったときはじめて、客席のあいだに四角い箱がまわされているのに気づいた。貯金箱を大きくしたような箱で、〈あゆみの箱/一条さゆり引退記念〉と書いてあった。箱が手送りされていくあいだに、司会者のいったように二度目の人かどうかはわからないが、金を入れる人も何人かいた。
彼女は舞台の端に出て、その箱を両手で受け取ると、――マイクを放しているのでその声はうしろまではきこえてこなかったが――なにかいってから、フィナーレのとき踊子たちがいっせいにそうするように、正面、右、左と、三度礼をした。
〈あゆみの箱〉を持って彼女が舞台のまんなかにもどると、司会者はあらためて、
「ありがとうございます」
といった。その声にあわせて彼女はまた丁寧に一礼し、笑顔を残して舞台の袖へ消えていった。
拍手が鳴りやむと、テープの大きな声がひびいてきた。
「一条さゆり花笠お竜ひとり旅」
|あれ《ヽヽ》だな、と私は思い、左右を見まわした。斎木はどこにいるのかな、と思ったのである。うしろの壁際に、斎木は社長の島田と肩を並べていた。私は島田に挨拶して、
「ずいぶんはいりましたね」
といった。
「おかげさんで」
と島田はいった。
「演《だ》し物はずっとあれですか」
「いいえ、変えていくそうです。自分のレパートリーを全部やるつもりなんでしょうな。……お疲れでしょう、これがすんだらわたしの部屋でお休みください。お待ちしとります」
島田はそういって、出ていった。
「去年、彼女の家で稽古を見たやつですね」
と斎木がいった。私が斎木をさがしたのは、それをいおうと思ってだったのである。
「うん、舞台で見るよりも、ポロシャツにスラックス姿で稽古しているのを見たときの方が、よかったような気がするな」
舞台を見ながら私はそういった。
「そうですね。前にきいたテープとはちがうようですよ。バック・ミュージックもなんだか冴えないし、烏の鳴き声や馬の蹄の音なんか、擬音もまずいですね」
「科白《せりふ》も多少ちがうようだ」
斎木のいったことは、終りに近づくにつれてますますはっきりしてきた。
〈二度と抜くまいとあの人と指切りしたのに。今度逢ったらどういおうかしら。どこの宿場で逢えるのかねえ。いくら強気のあたしでも、ふうっとたまらなく淋しくなることがあるのさ。お前さんっ!〉
その独白の前には、せせらぎの音、烏の声の擬音が、もっとうまくはいっていたはずである。私と斎木は顔を見あわせた。口に出さなくても、通じたのである。
川の流れの音が高くなってきて、男の科白がきこえ、そして、打上げ花火の音がして、
〈みんなが花火に浮かれているのをいいことに、おれたちはあの船宿の奥まった部屋で、二人だけの時をすごしたなあ……〉
そして、ベッド・ショーに移るのだが、彼女の家できいたときには、そのときバック・ミュージックに「梅にも春」の三味の音《ね》と「六段」の琴の調べが流れていたはずである。
ベッド・ショーがはじまると、うしろの方の席の者はみな椅子の背に腰をかけ、さらにうしろの者は椅子の上に立ちあがり、そのうしろの者は、前の者の肩に手をかけたり柱を支えにしたりして、椅子の背や椅子席のうしろの枠の上に立ちあがった。
べッド・ショーは、彼女独特の「ローソク・ベッド」である。枕もとの、火のついた蝋燭の束《たば》を手にとり、仰臥してその胸や腹に蝋を落しながら身もだえしているうちに、豊かな乳房がさらにふくらみ、そのさきの乳首が見る見る硬起してくる。
「直立してますね」
と斎木がいった。
「いつもより大きいようだ。ずっと見たことがなかったから、そう思うのかな。大室さんは?」
と私はいった。
「横の方へいって見ているようです」
斎木が眼をむけた方をさがしてみたが、大室の姿は見つけられなかった。
「大室さん、見てるだろうな」
「ええ、見てますよ。これを見てから、ほかへまわって、夜、また〈一条〉で落ちあうことにしてあります」
蝋燭の火を消してからのベッド・ショーは、かなり激しいものだった。ベッド・ショーが終ると、静まり返っていた客席がどっと揺れた。椅子の上にあがっていた人たちがいっせいにとびおりたからだった。
「オープンだからだな」
と私は斎木にいった。
「みんなよく知ってますね。オープンは、近くで、低い位置から見上げるようにした方がいいですからね」
「前へいくか」
「前へはもういけませんよ。ぎっしりつまっているもの。横の方ならまだ割りこめるでしょう」
「大室さん、いるんだろうな」
「いますよ。先生、大室に彼女の泉を見てもらいたいんでしょう」
「そうだよ。これが最後だものね。空前絶後の人だろうからな」
「空前絶後か」
と斎木は笑った、
「そうでしょうね」
「ぼくも見ておくよ、最後だから」
「私も見ておきます」
横の方も、割りこめそうにはなかった。私はいったん通路へ出て、舞台に近いドアをあけ、立ちふさがっている人々のあいだへ無理におし入った。
彼女は舞台の端のあちらこちらでしゃがんでオープンしていたが、なかなかその正面が私の視線にはいるところへはこなかった。やがて、エプロン・ステージの、ちょうどよい位置にきてしゃがんだ。腰にまといつけた布を片手でゆるゆるとすり上げながら、片手で花弁を左右にあけて、薄桃色にぬれ光っている花筒をのぞかせた。その手をはなすと、花筒の奥から一条《ひとすじ》の流れになって泉が湧き出てきた。
その流れが、糸を引くように内股へつたわり、しばらくのあいだ、つづいて流れ出す泉が照明の光にきらきら光りながら、その小川を流れつづける。四年前、私と斎木は、浜松の劇場ではじめてそれを見て、息のつまるような感動をおぼえたのだった。一条さゆりとは、それ以来の付合いである。
彼女のオープンが終ると、フィナーレだった。私はまた、うしろの土間へもどった。斎木は私とは反対の側へいっていたが、やはりもどってきた。大室もきた。
「どこにいたのです」
ときくと、彼はかなり前の方を指さした。
「見ましたか」
というと、大室は、
「見ました」
といった。
「どうしましょう?」
と斎木がいった、
「三郎さんもきているようですから、ちょっとさゆりさんの楽屋へいって、それから社長室へいきましょうか。島田さんも待っておられるかもしれないから」
「わたしは、これからほかへまわりますから」
と大室は私にいった。
「ええ、どうぞ。ご苦労さんでした」
と私は笑った。さっき大室が「見ました」といったことに対して、そういったのである。
「それでは、十一時半に〈一条〉で。場所はわかりますね」
と斎木は念をおした。
彼女の楽屋の扉には「一条さゆり/香取優子」と書いた紙が貼ってあった。
二人はなにやらがやがやいいながら、いそがしそうに衣裳をかえていた。
「あら、先生。ごめんね、すぐ出番なんで、てんてこ舞いしてんのよ。そこへ坐っていて。香盤《こうばん》かえてもらわんことには、まにあわせんわ。腰紐どこへいったんやろ。ほれ、その獅子の紐、赤い方をもっと垂らすんよ。もっと、ずっと下げて」
「こうかいな」
といって紐をなおしているのは、香取のマネージャーである。
「出てましょうか」
と斎木が私にいった。
「いいんよ。いて。この部屋、広いから邪魔にはならんわ。香取さんが獅子|頭《がしら》を持って、二人で踊るんよ。香盤がトップになってるもんだから、一回目はいいんだけど、二回目はまにあわんのよ。わたし、蝋を落さんならんでしょう、だから暇がかかるんよ。三回目からはかえてもらいましょう」
そこへ三郎があわただしくかけこんできて、
「なんや、なんや」
という。三郎の、いつもいそがしげなのには、私たちは慣れている。私と斎木は顔を見あわせて笑った。
「香盤、かえてもらわんことにはまにあわん、いうてるんよ」
と彼女がいうと、三郎は口をとがらせて、
「そんなん、かえてもらえばええやないか。わしがなんやいうとるのは、そんなこととはちがうわい。引退興行の初日やいうのに、楽屋へ赤飯もくばってないやないか。何してけつかるんや。いったい」
三郎の口のわるいのにも、私たちは慣れていた。
「誰のこというてるねん」
彼女は鏡をのぞきこみながらいった。香取にてつだってもらって着つけがすんだため、彼女はだいぶん落ちついてきたようだった。
「おまえのことやあらせんわい」
「あんた、気《きい》ついたら、自分でしてくれたらええやないの。いまから二回目がはじまるとこやもん、そうあわてんかてええでしょう」
「あわてんならんこともあるわいな。なんぞ|あら《ヽヽ》をさがしたろ思《おも》て、眼《めえ》光らせとる人もおるからな。一条さんは|けち《ヽヽ》や、引退興行やいうのに、赤飯と酒ぐらい、くばらんかいな。そんなこというとる人もあるかもしれんやないか。入口に、|でん《ヽヽ》と一斗樽ぐらい据えて、お客さんに飲んでもろて、景気つけるくらいのことしてくれてもええのやけどな。そんならおれ、いってくるわ」
「どこへいくん」
「赤飯と酒、註文してくるんやないか」
三郎はそういって、またあわただしく飛び出していった。
そのあとすぐ、二回目のはじまることを劇場の人が知らせにきた。
「先生たち、ごゆっくり。お疲れやったらここで横になっていてください」
彼女はそういって、香取といっしょに出ていった。
「いや、ぼくたちも、お二人の踊りを見せてもらいます」
と斎木がいい、二人のあとについて私たちも楽屋を出た。舞台裏へ下りる階段は、せまく急で、まだ昼間なのにうすぐらかった。私はふと、横浜のS座で滝川のぼるからきいた話を思いだした。そして、彼女がつき落されたというどこかの劇場の階段も、こんな階段だったのだろうかと思った。
舞台裏で二人に別れて、私たちは客席の方へまわった。すぐ幕があいて二人の踊りがはじまったが、二人の動きにはうまく噛みあわないところがあって、彼女は窮屈そうだった。一人で踊るときの、のびやかな流れがなかった。
「初日というのは、なにもかもうまくいかないものらしいですね」
と斎木がいった。二人の踊りは、踊りだけで終った。それは全体の番組のいわば前奏曲のようなものらしかったが、ストリップ劇場の番組としては、踊りだけを見せるというのは、めずらしいと思った。引退興行だから、一つは踊りだけを見てもらおうという彼女の気構えから出た番組かもしれないが、それにしてはちょっとお粗末で、可哀そうだったな、と私は思った。
二人の踊りを見てから、私と斎木は島田の部屋へいった。前にきたときには部屋の中を走りまわっていたポメラニアンが、きょうはおとなしくしていた。前には、手を出して呼ぶとすぐ寄ってきたのに、呼んでも、こない。
「元気がないようですね」
というと、島田の奥さんが、
「病気なんですの」
といった。
「可哀そうに」
すると、奥さんは笑って、
「いいえ、メンスですの」
といい、ポメラニアンの背をなでてやりながら、
「ねえ――」
と、その顔をのぞきこんだ。
「一条さんのマネージャーが樽酒を飾りたいようなこと、いってたでしょう」
と島田がいった。
「ええ、いってました」
というと、島田はゆっくりした口調で、
「わたしは前に、それをやって失敗したことがあるんです。それで、やらなかったんですわ。さっきごらんになったような、お客さんです。レスビアンが四組ありますが、そのときはもっと大騒ぎです。酒を飲ましたら、収拾つかんようになるにきまってます。大劇場での、大女優の引退記念の芝居とはちがいますからね」
「三郎さんが、華やかにやりたいと思う気持はわかるけど、そうですねえ」
と私はいった。大きなやどかりと、小さなやどかりと、値段は大きなやどかりの方が高いかもしれない。しかし、どちらが美しいとか、どちらがすぐれているとかは、決められないことである。それはそれとして、小さなやどかりを大きなやどかりの殻にいれるのは、ふさわしくない。小さなやどかりは、小さなやどかりとして美しいのである。それを大きなやどかりと思いちがえてはおかしい。――私はそんなことを考えていた。
島田の奥さんが夕食の用意をしそうになった。斎木がそれを察し、私にめくばせをして、
「食事は外でしますから。そろそろ出かけましょうか」
といった。奥さんがしきりに引きとめるのをふり切って、私たちは島田の部屋を出た。
いっしょに食事をしにいくつもりで三郎をさがしたが、どこにもいなかった。あきらめて外へ出ようとすると、入口の脇の事務所から三郎の声がきこえてきた。
「樽酒のことで、支配人ともめているんじゃないでしょうか」
と斎木がいった。手招きをすると出てきたが、案外おだやかな顔をしていて、
「なんですんや」
といった。
「赤飯と酒の小瓶は、くばりましたわ。樽酒は、このあたりの酒屋という酒屋に片っぱしから電話をかけてきいてみたんやけど、どこでもみな、急にいわれたかてない、いいますんや。もう、樽はあきらめましたわ」
私はほっとしていった。
「そう。樽酒は大げさだよ。飯を食べにいかない?」
「どこへいくんです」
「すぐそこに、この前いっしょにいった〈信ちゃん〉という割烹があったでしょう? あそこへいこうと思ってるんだけど」
「ああ、あそこですか。すぐいきますから、先生たちさきにいっとってください」
――ところが、三郎はなかなかこなかった。私たちが食事をすましても、まだこない。
「おそいなあ、どうしたんだろう」
と話しあっていると、板前が、
「一条さんですか」
ときいた。
「どうしてわかるの」
「この前、いっしょに見えたでしょう?」
「よくおぼえているもんだなあ」
「一度お見えになったお客さんは、たいていおぼえとります」
「一条さんの舞台、見たことあるんですか」
「いいえ、ないんです。劇場があんまり近すぎるので、かえって、いきにくいんですわ。しかし、こんどは引退興行ということですから、ぜひ見にいこうと思とります。ああ、見えましたわ。あの方、一条さんの旦那さんですか」
板前は表の方に眼をやって、そういった。
「ええ。あの人も板前さんですよ。お宅と同じような店をやってるんです」
そのとき三郎がガラス戸をあけて、中へははいらずに大声でいった。
「店からすぐ帰ってくれいうてきたんで、帰りますわ。はねたら、あいつといっしょにきてくださいよ。お待ちしとりますわ」
三郎はいいたいことだけいうと、もう一度「待ってまっせ」といって、いそがしそうに帰っていった。
「気っぷのいい人ですね」
と板前がいった。
「板前気質というのがあるんでしょう?」
「そうですね、板前はああでないと、生きている魚まで死んだように見えますからね。話は別ですが、一条さんが劇場へ出ていると、看板を見なくてもわかるんですよ。時間々々の表の人通りがちがうんです。きょうは多いなと思うと、一条さんが出ているんです」
はねるころを見はからって私たちは劇場へもどった。事務所の人に、社長室で待っているからと彼女につたえてくれるようにたのんでおいて、島田のところへいった。
しばらくすると彼女が迎えにきて、
「ごめんね、ほったらかしにしておいて」
といった。
「きょうはいそがしかったわ。なんやらちぐはぐなことばかりで、気がせいて。先生のことかて、そうなんよ、三回目のインタビューのとき、先生が見えてるこというたら、お客さんが、挨拶してもらってくれいうの。それで、マイクで先生を呼んでもらったんだけど、いくら呼んでも、見えないでしょう」
「三郎さんはいなかったの」
「まだいたんよ。あの人が舞台の方へ合図してくれたんやけど、なかなか気がつかなかったの。気がついたら、あの人、外を指さして、ごはん食べるまねしてたんよ。おかしかったわ」
私たちはタクシーの乗り場のある阪神野田駅の前まで歩いていった。
「花笠お竜のテープ……」
歩きながら私がいうと、彼女はすぐ、
「わかったのね。前のテープ、三郎がかんしゃくおこして消してしもたんよ。それであれ、やりなおしたの」
といった。私が斎木のからだをつつくと、斎木は黙ってうなずいてみせた。
駅前の小公園の中に、いくつも、露店が出ていた。食べもの屋ではなく、射的、輪投げ、金魚すくい、鰻釣りなどの遊戯屋ばかりだった。
「ねえ、やってみませんか」
と斎木がさゆりをさそった。私たちはまず、射的をやってみた。棚の上に並んでいる小さな人形をいくつか倒すと、別のそれよりも大きい人形をくれるのだった。彼女は、
「わたし、こんなことへたなんよ」
といったが、最初に人形を倒したのは彼女だった。雀踊《こおど》りしてよろこぶ彼女は、天真爛漫な少女だった。そういう彼女を見ていると、抱きしめてやりたいような、いじらしさを感じた。射的では、結局、三人で拳くらいの大きさの人形を一つ取っただけだった。
輪投げをした。輪投げは射的とはちがって、輪を投げいれた品はみなくれることになっていたが、倒れやすかったり、ひっかかりやすかったり、輪がようやくはいるくらいの台がついていたりして、なかなかうまくいかなかった。それでも、三人で小さな人形を七つ取った。斎木が三つ、私と彼女が二つずつだった。
「斎木さん、上手そうやけど、たいしてちがわないのね」
といって彼女はよろこんだ。
射的で取ったのをあわせて、八つの小さな人形をいれた袋を持ちあげて、彼女は、
「両方でいくら使《つこ》うた?」
と斎木にきいた。
「二千円くらい」
と斎木がいうと、彼女は、
「わあ、高い人形! つまらんことしたわねえ」
という。私も斎木も、そんな無邪気な彼女を見るのがうれしかったのである。射的も輪投げも、だから、彼女のためにしたのではなく、私たち二人のためにしたのだというべきだったろう。
〈一条〉へついてしばらくすると、彼女を映したテレビ番組がはじまった。小沢昭一さんが好意的に彼女を紹介している。場面が進むと、過去のことをたずねられて彼女が泣きながら答えているところが、かなりながく映された。
「なんであんなとこ映させたんや」
と三郎がいった。
「気がつかなかったんやもん」
と彼女はいった。私も斎木といっしょに、これまでに何度も彼女を泣かせたことがあった。過去のことを問いつめられると彼女は、どっと屈辱がよみがえってきて、それが涙になってあふれ出るのだった。わるいことをきいたな、と思いながらも、数かぎりない屈辱に耐えて生きてきた彼女に対してわたしたちは畏敬の念をさえおぼえるのだったが、三郎にはそんなふうに見ることができないのは当然といえた。番組の最後に司会者が、自分のうしろに並んでいるカバー・ガールらしい女たちをふりかえって、ストリッパーをどう思うか、というようなことをきいた。
「あんなことするなんて、いやだわ」
とその女たちはいった。そんな答が返ってくるのは当然だった。なぜそんなことをきいたのだろう、と私は思った。彼女たちに一条さゆりの苦しみがわかるはずはないのである。自分は清潔だと思っているだけなのである。あるいは一条さゆりよりもはるかに不潔かもしれないのに。
約束をした時間に大室がきた。しばらくみんなで話してから、私たち三人はホテルへ帰った。
翌日の昼すぎ、大室と別れて私は斎木といっしょにまたY劇場へいった。島田に挨拶してから彼女の楽屋へいくと、彼女は、香取優子との踊りがきょうはぴったり合ったといって、しきりによろこんでいた。
「きのうはよくなかったな。素人のぼくが見てもわかるほどだったもの」
といっても彼女は気にせずに、
「それが、きょうはうまくいったんよ。ああ、ええ気持やわ」
と、よろこんでいる。もし、きのう私が「わるかった」といったら彼女は怒ったかもしれない。
しばらくすると、ほかの劇場へ出ているという若い踊子が二人、大きな人形の箱をかかえてお祝いにきた。
「洋舞? 日舞?」
ときくと、一人が、
「わたしたち、レズ組んでるの」
といった。
第一回のラストの彼女の出演のとき、私は舞台へ出て簡単な挨拶をし、そして斎木といっしょに東京へ帰った。
帰ってから五日目、五月七日の夕方、三郎から電話がかかってきた。
「先生、えらいことになりましたわ」
と三郎はいった。いつもそんな調子なので、
「なんや」
というと、きょう二時、一回目の公演がすんだあと、全員が大阪府警にあげられたという。――壮絶な終宴だったな、と私は思ったが、それは三郎をなぐさめる言葉ではなかった。だが彼女はある程度、覚悟していたのではなかろうか。
翌日、島田に電話をかけて私はくわしいことをきいた。そのとき島田は、
「引退興行の前に、こんどはオープンをしなくてよい、踊りだけを十分に見せてほしいという手紙をよこしたファンも何人かあったんですわ。一条さんに、こういうファンもいるというと、いいえ、わたしはこれまでやってきたとおりにやる、わたしの全部を見せて引退したい、というんですわ」
といった。
「えらいですね。ぼくは彼女のそういうところが好きです」
と私はいった。
彼女が逮捕されてから二、三日のあいだ、私は電話攻めにあった。週刊誌の記者や、見知らぬファンからだった。私を咎める声も少なくはなかった。三郎からも何度も電話があった。ある週刊誌の記者がいったことが癪《しやく》にさわって、思い出すと夜も眠れないというのである。
「殴り込みにいきたいくらいですわ」
という。私はくどくどとなだめた。かっとなると、三郎はそんなこともしかねないと思ったからだった。
ようやく電話もとぎれた十一日の夜、また三郎から電話がかかってきた。
「いま、警察から帰されてきましたわ。おおきに」
という。おおきに――というその言葉をきいて、私は涙が出てきた。電話は彼女にかわった。案外、元気な明るい声だった。やはり覚悟の上だったというところもあったのかもしれぬ、と私は思った。彼女とかわった島田の奥さんの声も、明るかった。
その夜はじめて私は、ぐっすり眠った。
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一条さゆりの性の受難
列車が浜松を過ぎて、浜名湖のほとりを通っているときであった。
「もう、何年になるかな」
というと、すぐ斎木が、
「ぼくも今、そのことを考えていたのです」
といった。
「〈谷間の小百合《さゆり》〉は、あれは、三年前の新年号でしたから、その前の年の秋ですね、浜松へ取材にいったのは――」
そのとき泊った浜名湖畔のホテルが、列車の窓から見えたのである。
「四年前の秋か。もう五、六年もたったような気がするけど」
と私はいった。そのころ私は毎月、斎木と二人でストリップを見てまわって、斎木が編集者をしている雑誌に「すとりっぷある記」という雑文を連載していた。〈谷間の小百合〉というのは、その第四回の標題である。そのとき私たちは浜松へいき、Kという劇場ではじめて一条さゆりの舞台を見たのだった。
〈……やがて彼女は、私とSの前にきてしゃがみ、谷間に咲いている小百合の花弁のようなその二枚の扉を指で左右にあけて、薄桃色に光る花筒の中を窺かせた。しばらくして彼女は指をはなした。すると花弁はひとりでに閉じられていったが、そのとき、閉じようとする花弁のあいだから、一条《ひとすじ》の流れがするすると流れ出したのである。
私は息がつまった。感動にうたれたというよりほかない。流れは糸を引くように後庭《こうてい》につづき、しばらくのあいだは、つづいて溢れ出る泉が、その小川を流れつづけていくのが見えた。赤い照明が映えて、それはきらきらと美しく光りながら流れていった。
彼女が立ち上ったとき、私の周辺からはいっせいに、
「ほーっ」
という吐息《といき》のような嘆声があがった。息をつめていたのは私だけではなかったのである。おそらく、再びは見ることのかなわない光景ではなかろうか、と私は思った。……〉
その〈谷間の小百合〉に私はそう書いている。
舞台を見た翌日、私たちは彼女に会った。そのときのことを簡単に書いて、私は〈谷間の小百合〉をつぎのように結んだ。
〈……私たちは彼女から、身の上ばなしや、日常の生活のことや、踊子たちの世界のことや、その他いろいろなことをきいた。それらのことを書く余白はもうない。「すとりっぷある記」をつづけていくうちには、いつかまたどこかで彼女に出会うこともあろうから、あらためてそのとき書くことにしよう。
私たちは彼女とマネージャーを劇場へ送ってから、その足で、東海道線で豊橋へいった。豊橋にも駅の近くに劇場が一つあったが、そこはいわゆる文部省あるいはPTA推薦ふうで、従って客の入りも少なかった。そのまばらな客が、踊子が引っこむとき、拍手のかわりに「フマジメ!」「ケチ!」という声を投げつけているのが、おかしかった。〉
その一と月前、私たちは甲府と松本へいったが、そのときの「すとりっぷある記」で私は、浅間温泉のストリップ劇場の模様をつぎのように書いた。
〈……踊りがはじまった。旅館のゆかたを着た十人くらいの一団がどやどやとはいってきて、さかんにひやかした。踊子はぬぐにはぬぐが、絶対に、といってよいほど見せない。しゃがんで「さっ!」と叫んで一瞬開くふりをするのだが、一秒の何分の一かが肉眼が捕えられるはずはない。
「なんだ、テレビのベッド体操の方がマシじゃないか」
「おい、ネエちゃん、こっちへきてチャント見せてくれよ」
などと団体客はさかんにひやかす。踊子はムッとして、その客たちの方へはいかない。
四、五人の踊子が、どれもこれも「さっ! さっ!」という叫びをくり返して引っこんでいってしまったころには、客席はほとんどいっぱいになっていた。みんな旅館のゆかたを着ている。ふと、うしろを見ると、四十年配の女の客が幾人かいた。
踊子は、あとになるほど踊りもうまく、プロポーションもいいのが出てきた。しかし、みな、「さっ! さっ!」である。
はじめにヌード・フィルムを映していたスクリーンに、風景やヌードを映して踊りの背景にしたり、さまざまなシマ模様のライトを踊子の裸体に映したりして、あれこれと工夫がこらされているようだったが、「さっ! さっ!」では、欲求不満がつのるばかりである。これじゃ精神衛生上よろしくない。
「文部省推薦だね」
とSにいうと、
「PTA推薦かもしれません。ほら、うしろの方におおぜいPTAふうの女の客がきてますよ」
とSがいった。……〉
豊橋のストリップを「文部省あるいはPTA推薦ふうで」と書いたのは、これを指していったのであった。
「豊橋は?」
と窓の外を眺めながらいうと、
「さっき、通り過ぎたようです」
と斎木がいった。
「いまだったら、裁判所推薦と書くんだが――」
斎木にはそれだけで通じた。彼は笑ってうなずいた。
〈谷間の小百合〉には、「すとりっぷある記」をつづけていくうちには、いつかまたどこかで彼女に出会うこともあろうから……、と書いたが、その連載は〈谷間の小百合〉のあと二回つづけて、六回でうち切りになった。斎木はちょうど|きり《ヽヽ》がよいからといったが、じつは、どこへいっても格別の見ごたえがなく、私も斎木もストリップ歩きに倦きてきて、私の雑文にも|はり《ヽヽ》がなくなってきたからであったろう。一条さゆりの舞台を見てから急にそうなってきたのである。
そのあと、私はまた斎木といっしょに、こんどは一条さゆりだけを追い、彼女をモデルにした小説を書きだした。
以来三年間、彼女が阪神野田駅の近くのY劇場で引退興行中に逮捕されるまで、私は、連作という形で彼女をモデルにした小説をとびとびに八篇書いた。
浜松ではじめて彼女の舞台を見たとき、すでに彼女はトリをつとめていたから、ストリップ・ファンの中には彼女の名を知っている人も少なくはなかったであろう。しかし一般の人々にとっては、彼女はまだ無名の存在にすぎなかった。
ところが、私が書きつづけていくうちに次第に彼女は有名になり、週刊誌の対談やテレビ番組にゲストとして出るようにもなり、そのため無名のストリッパーならばおそらく記事にもならなかったであろうその逮捕がジャーナリズムににぎやかに書きたてられ、その裁判がさわぎたてられ、逮捕された日からかぞえて六ヵ月目の昨年十二月六日、大阪地裁は途中で異例の審理のやりなおしをした上、おそらくは見せしめという形であろう、実刑の判決をくだした。――ということはまた、私が彼女を有名にし、私が彼女を週刊誌の対談やテレビに出させ、そして私が彼女を逮捕させ、私が彼女に実刑の判決を受けさせた、といえなくもないのである。
「そうでしょう? そうは思いませんか」
という週刊誌の記者からの電話があった。彼女が実刑の判決を受けたときから、二、三日のあいだ、ほとんど鳴りやむことのなかった私の書斎の電話の声の一つである。
「そのとおりです」
と私は答えた。
「彼女のことを、あることないこと争って書きたてているあなたがた週刊誌の記者もふくめて」
「なにっ!」
と相手は声をとがらせた。手がとどけば私は殴られていたかもしれない。
鳴りやまぬ電話は、大半、新聞や週刊誌の記者からだったが、中には彼女のファンらしい人の、判決に対する憤懣の声も幾つかまじっていた。ほかに一つ、脅迫めいたドスのきいた声があった。
「児玉さんかね。わたしはシバタだが、一条さゆりが実刑になったそうだが、当然だよ。アンタは一条さゆりを弁護したそうだが、そんな売名的行為はみっともないぞ」
私が法廷で彼女を弁護したことを売名的行為と見るその人の方こそ、私は逆にあさましいと思ったけれども、しかし、そういう見方をする人も少なくないにちがいないということは承知しておかなければならないことだ、と私は思いなおした。あるいは、そういう人は私を猥褻漢《わいせつかん》と見る人と同じくらいにいるのかもしれない。
斎木にそんなことを話しながら、これから大阪へ、彼女に会いにいく私の気持はおもたかった。
列車は名古屋でとまった。ここへも、彼女に会うために、これまで斎木といっしょに何度かきたことがある。
新幹線に乗るとき、私が東京駅で買った週刊誌の一つに、『ヒモ』という単行本の著者で、その雑誌の筆者紹介によれば「現在はいろいろ書いて三分、ヒモ七分の生活である」というHさんという人の「トクダシ大劇場」という連載があった。『ヒモ』が雑誌に連載されていたとき、私はそれを愛読したおぼえがある。その号の「トクダシ大劇場」には、
「一条さゆりの裁判/彼女は平凡なトクダシだった」
という小見出しがついていた。
十数年来ストリッパーのヒモをつづけているHさんが、ストリッパーの世界をよく知っていることはいうまでもない。「すとりっぷある記」をはじめる以前はめったにストリップを見たこともなかった私など、Hさんの足もとにも寄れないのである。そういうHさんの一条さゆり観である。その文章は私におもたくこたえた。
〈児玉先生は検事求刑の前から、「必ず無罪になると思う。最悪のときでも罰金だろう」といわれていたと聞くが、ずいぶん甘く考えられていたものだ。
僕は検事求刑の六ヵ月が、判決で一ヵ月になったのを喜んだくらいで、もっと重い刑を想像していた。……〉
一条さゆりではない別のストリッパーのヒモから、私は見事シッぺ返しを喰った思いがした。私を一条さゆりに対して「甘い」というのなら、それに対しては一言もない。しかし私は裁判を「甘く考えて」など、いない。検事求刑の前から「必ず無罪になると思う」などということは、いったこともないし、どこの新聞にも週刊誌にもそんなことは私の発言としては書かれなかったはずである。Hさんの何かの聞きちがいか、考えちがいかであろう。
私が法廷で彼女を弁護したのは、八月九日の第二回公判のときであった。そのとき私が強調したのは、彼女の行為は無罪だということであった。検事がいう陰部陰毛を露出したという行為を、彼女は道端でやったわけでもなく、テレビに出てやったわけでもない。特定の劇場の中で、それをやっていることを承知で入場料を払って見にきた客の前でやったのである。客はそれを見てみな満足しているのであって、被害者は一人もいない。被害者のいない行為を犯罪とみなすことはおかしいではないか――。
私はほかにも、彼女の舞台が私の知っている限りの他のストリッパーたちとはちがって、芸であるということ、また、彼女の今日までの生き方は、ごまかしのない精一杯の生き方であったということを述べた。従って彼女と話していると、私はむしろごまかしに満ちた自分の生き方を恥かしく思う、と私はいった。裁判官よ、あなただってそうではないのか、と私はいいたかったのである。
判事はただ聞き、検事も一言の反論もしなかった。最後に検事が私にきいた。
「彼女のストリップを、芸術だと思いますか」
「芸術とは何かということは人それぞれによってさまざまな考え方があるでしょうが、私の考えでは彼女の舞台は、芸術とはいえないまでも、立派な芸だと思います」
私はそう答えた。
その公判は最終公判(のはず)であった。検事は最後に、「猥褻という考え方は時代とともにかわっていくとはいえ、彼女の行為はその限度を越えている」といって、最高刑の六ヵ月の懲役を求刑し、判事は九月十八日に判決をおこなう旨を告げて、公判は終ったのである。
ところが大阪地裁はその日、判決をおこなわなかった。検事をかえて、異例の審理やりなおしをやったのである。彼女が判決待ちの身でありながら、不謹慎にも(?)、検察側にとっては悪名高い日活ロマンポルノ・シリーズの映画に出演したから、という理由からだったようである。
「一条さゆり・濡れた欲情」というその映画を私は見なかったが、新聞や雑誌の映画評ではかなり高く評価されていた。その映画は日活ロマンポルノはじまって以来の観客を動員しつつあるという記事も読んだ。しかし、斎木はその映画を見て、
「つまらん映画でしたよ。あんなの、見ない方がいいですよ」
と私にいった。
「彼女の人気を利用したキワモノで、ストーリーと関係なくやたらに男と女のからみあっているところを映したりしていて、きたならしい映画です。あれを見たら彼女の舞台のイメージはこわれてしまいます。検察側があの映画を見たとすると、まずいですね」
大阪地裁の、検事をかえてのやりなおし公判の第一回は、その映画の一般上映を待って、十月四日におこなわれた。そのときは日活のプロデューサーが被告側の証人に立ったという。
そのことを私は、公判後ひっきりなしにかかってきた新聞や週刊誌の記者からの電話で知った。いつも何かあれば必ず電話をかけてきた三郎からは、その前後には、何の連絡もなかった。
そのころ私は別な用事で斎木と会った。二人が会えば、自然、話は彼女のことになる。
「三郎さんと別れるとか、週刊誌に書いてありましたが、どうなんでしょうねえ」
と斎木がいった。
「このごろはすっかり聾桟敷《つんぼさじき》におかれていてね。二、三度電話をかけてみたんだが、誰も出ないんですよ」
「もし別れたのなら、三郎さんなり彼女なり、どっちかから何とかいってくると思うのですがね」
「いや、二人とも、ぼくたちを怨んでいるのかもしれない」
週刊誌にはこう書いてあった。
〈一条は、身の上ばなしをするとき、必ずといっていいほど涙声になる。いま大阪市西成区のマンションで愛人と住み、すし屋もことしオープンした。だが、第三回公判(やりなおし第一回公判)で、検事から「愛人には奥さんも子供もいるが、いつまでも一緒に生活するつもりなのか」とさとされると、声をあげて泣き出した。そして、とぎれとぎれに「裁判の決着がついたら別れます」と言ったとき、もらい泣きする傍聴人もいたほどだった。〉
列車は京都駅にとまった。
「一条餅というのがありましたね」
と斎木がいった。――彼女は引退興行で使う仕込三味線をここの小道具屋で作らせていた。その出来具合が気になるので見にいきたいという彼女をつれて、私と斎木は大阪からここまできたことがある。そのとき、その足で東京へ帰る私たちを彼女はこの駅まで見送りにきて、売店で何か買い、
「これ、おみやげ」
といって、小さい包みを二つ差し出した。それが一条餅だったのである。斎木にいわれて私はそのときのことを思い出した。私たちを見送っていた彼女の姿は、小さく、さびしそうだったなと。舞台では大きく華やかに見える彼女の姿が――。
列車が動きだした。
私はHさんの「トクダシ大劇場」が載っている週刊誌を開き、その一ヵ所を指で示しながら斎木に渡した。そこにはこう書かれているのである。
〈一条さゆりは、確かに一つの芸を持ったスターではあった。しかし、その何割かは児玉先生が創《つく》り出されたことも事実である。
児玉先生は、ご自分で一条さゆりを取り上げ、その結果、彼女がマスコミに乗れば乗るほど、ほかのトクダシさん達が彼女から離れていったことを知っておられただろうか。
児玉先生が最初に一条さゆりを見られた時、彼女は平凡なトクダシに過ぎなかった。
何かが気にいられて、先生は彼女をヒイキにされた。そして実名で彼女の小説を書かれた。
もし先生が、若い頃からトクダシさんの楽屋の中で、彼女達やヒモさん達と同じ生活をされていたなら、実名小説は書けなかったのではないだろうか。
すくなくとも三十を過ぎたトクダシさんは、一条さゆりと似たりよったりの過去を持っている。楽屋で、姐御《あねご》ぶって強がりをいっている人ほど苦労が多く、涙もろい人なのだ。現実にその人達がオープン≠ニいう性器そのものを見せる行為を続けているのに、仲間であればその人達のことを実名で書けるはずがない。いくら一条さゆりがいいと言ったとはいえ、名前だけは、オブラートで包んでほしかったと思うのは、僕一人ではないはずである。
スターになったから、一条さゆりに甘えが出てきた。
私には有名人のファンが多い、映画にも出演した、今度こそ引退して寿司屋をやるといっているこんな私に、まさか実刑はないだろうと思っていたに違いない。〉
「手きびしく弾劾《だんがい》されている」
と私はいった。
「しかし、これは納得できませんねえ。第一、この人は一条さゆりの舞台を見ていないですよ。見ずに、先生が最初に一条さゆりを見たときは〈彼女は平凡なトクダシに過ぎなかった〉と断定している」
と斎木は、やや憤然としていった。
「その、平凡なトクダシにすぎなかった彼女が、ぼくが実名で小説を書いたために有名になり、テングになり、そのあげくが実刑を科せられる始末になったんだ、というわけだろう? そうではないか! と迫られたら、そうだと答えるよりほかないよ」
「世間一般の眼ですね。いや、PTAの眼だ。この人は十何年間もずっと、いわゆる〈トクダシさん〉の〈ヒモさん〉をやっているというのに――」
「〈トクダシさん〉とか〈ヒモさん〉とか、実にいやないいかただな。この〈ヒモさん〉の眼は、PTAの眼じゃなくて、検事の眼に近いんじゃないかね。この人はストリッパーに〈芸〉なんてものは認めていないのじゃないかな。金がほしいからオープンするのだ、オープンは公然猥褻罪だが、とっつかまっても実刑になることはない。ところが一条さゆりの場合は、ぼくが実名で小説を書いたために、マスコミに乗ってスターあつかいされ、スターになったので甘えが出てきて、タカをくくった、それで実刑の判決を受けたのだ、というのがこの人のいいぶんのようだ」
「ぼくが世間の眼だといったのは、この人の眼が、いわば仲間うちのことなのに、つめたいということですよ」
「仲間うちだけに、かえってつめたいのじゃないかな。この人は、彼女がスターになったために〈ほかのトクダシさん達が彼女から離れていった〉ということを、ぼくが知っていただろうか、と書いているけど、そんなことはとっくに知っていたよね。この人のいうこととはちがって、ぼくたちの知っているこの世界の人たちは、もともと離ればなれなんだ。離ればなれで互いにいがみあっているのだ。彼女が有名になればなるほど、ほかの人たちが一層離れていくのはあたりまえのことじゃないか」
「とにかく、この人に、いちど彼女の〈芸〉を見てほしかったですね。そうすれば、もともと彼女は平凡なトクダシだったなんてことは、いわなかったでしょう」
その「平凡なトクダシ」と彼女の「芸」とのちがいについては、やりなおし第一回の公判のあとで出た「サンデー毎日」に、つぎのように記されている。
〈八月九日の第二回公判(やりなおし前の公判)で、児玉先生は「彼女の舞台は芸術ではないが芸≠ナある。わいせつ性はない」と、まずポルノ論争に火をつけた。
ここで、特出しストリップは見たことがあるが、一条さゆりを見たことがなかった読者のために、児玉先生が芸≠ニ呼ぶ根拠について付言しなくてはならないだろう。
大阪市内に十一軒、京都に四軒、関東でも千葉県船橋市の五軒をはじめ京葉地区だけで十指に余るストリップ劇場では、露出以外のなにものもない。出演する女優≠ヘ、ゴーゴークラブで踊っているOLよりもヘタくそなゴーゴーを、まず一曲か二曲踊る。踊りながらぬぐという芸当もできないていどの芸だから、舞台のそでに引っ込んで素っ裸になり、バスタオル一枚を手にして、あとは野球のキャッチャーのスタイルで観客にサービスするのが、並みのストリッパーである。
それではあまり芸がないというので登場したのが、ベッド・ショーと呼ばれるもの、ちょっと趣向をこらした残酷SMショー、そして二年ほど前からのレスビアン・ショー。舞台装置もだんだんデラックスになってきて、出ベソといわれる突出し舞台、その先端がゆっくりとまわる回転舞台、さらに京都のデラックス東寺、大阪の伊丹ミュージックなどの有名劇場≠ノは、天井からガラスのゴンドラを下げて移動もする空中舞台。壁面の総ガラスばりなども登場している。
ただ、そこに登場する踊子たちは、セリフをしゃべったり、日本舞踊の素養があったりというケースはきわめてマレで、少しでも芸心があれば目立つし、一条さゆりがナンバーワンの人気を占めたのも当然なのである。彼女、稽古熱心で、音楽にもこっているし、自宅でテープレコーダーを回して練習するのだから、プロダクションの力で売出してもらったテレビ・タレントなどはハダシで逃げだす芸熱心、そして芸達者である。
そのうえ、一条さゆりには、もう一つの秘芸がある。
日舞を踊ったあとのロウソク・ショーだ。自分の手で、熱いロウのしずくを胸に垂らすマゾ演技。恍惚の境にさまよいながら自分を慰め、そのあといわゆる特出し≠ノ移るわけだ。言葉では表現できない場所から、谷間の清水のように、彼女の恍惚のあかしをしたたらせるのである。
日舞の練達者やショーダンサーの転向組の特出し嬢もいる中で、一条さゆりがとくに人気を得た点は、ひとえにこの秘芸にある。……〉
「それはぼくも読みましたよ」
と斎木がいった。
「彼女が三郎さんと別れるといったという記事も、それで読んだのです」
「事実、一時別れていたようなんだ」
と私がいうと、斎木は信じられないような顔つきで、
「そうですか……、あの二人がねえ」
といった。
「もともと二人とも気性のはげしいところがあって、ぼくたちの前でも、これまで、大喧嘩をしていたことはあったけど、喧嘩は喧嘩で、別れるとは思いませんでしたね。内縁の夫に妻子がいた、とか何とか、週刊誌がわいわい書きたてたでしょう? 取材がうるさくて姿をくらましてしまったのか、それとも、検事が二人の関係のことをいったので、少しでも裁判を有利にしようと思ってそうしたのか……。それにしても、法廷で彼女が裁かれているのは彼女の舞台での行為でしょう? 私生活のことじゃないはずですよ。これはぼくの素人考えだけど、検事が彼女の私生活のことを持出したとき、弁護士は裁判長に対して、それは問題がちがうといってやめさせることはできなかったのでしょうかね」
「できると思うんだけどね。しかし、彼女は法廷でははじめから自分の行為を罪と認めているのだし、弁護士もそう認めた上で、今はもうストリッパーをやめて健全な市民として生活しようとしているのだから、情状酌量してほしいとたのんでいる形なのだな。そこで、検事の方では、それが健全な市民生活か、というわけで二人の関係を持出したというわけじゃないかな」
やりなおし公判の第二回は、十一月二十二日におこなわれた。そのときもやはり私は聾桟敷にいたが、新聞や週刊誌の記者からの電話で、いろいろなことが耳にはいってきた。やりなおしの第一回公判以来、「一条さんを守る会」という女子大学生らしいグループが、「ナンセンス!」とか「ワイセツ裁判!」とか叫んで気勢をあげたり、「一条さんを無罪放免せよ」というビラを撒いたりしているということや、また、検事が彼女に「中国にストリップがあると思うか」と、きいたということなど。
その「中国にストリップがあると思うか」ということについてだけコメントを求めてきた新聞があって、私はあきれて答えた。
「もし、ほんとうにそうきいたのなら、その検事は少しおかしいんじゃありませんか。中国は社会主義国家だし、日本は資本主義の国でしょう。まったく次元がちがうじゃありませんか。いまの中国では、もしオープンをするストリッパーがいたらその人を救おうとするでしょうね、日本では罰しようとするけど」
そして、十二月六日に彼女は懲役一ヵ月の判決を受けたのである。以前にも二回実刑の判決を受けており、その執行猶予が取り消されて、彼女が服役しなければならない期間は合計十ヵ月になる。
列車はやがて新大阪駅に着いた。
私と斎木は、予約してあった梅田のホテルに荷物を置いてから、Y劇場のある野田へいった。八ヵ月ぶりに見る駅前広場の、場末めいた風景がなつかしかった。
一条さゆりがY劇場で引退興行中、大阪府警の手に逮捕されたのは去年の五月七日の日曜日、その日の第一回公演が終った直後であった。引退興行は五月一日が初日だった。その日、私と斎木は、ほかに大阪に用のあった編集長の大室をさそって、初日の彼女の舞台を見た。二日目の第一回公演のラストの彼女の出番のとき、私は彼女にたのまれて舞台へ出、簡単な挨拶をして、そして東京へ帰ったが、帰ってから五日目の夕方、三郎からの電話で彼女が逮捕されたことを知ったのであった。引退興行のときには東北や九州からきたというファンもいて、彼女の人気は絶頂に達していた。しかし、それはまだストリップ・ファンのあいだだけのことであった。彼女の名がストリップとはかかわりのない一般の人たちにまで広く知られるようになったのは、むしろ、逮捕されてからである。その意味では検察側も、彼女を有名にすることに手をかしたといえよう――。
「ひっそりした感じですね」
Y劇場へいく裏通りを歩きながら、斎木がそういった。季節のせいだけではなく、さむざむとした道だった。
彼女の引退興行のときには、花輪や万国旗をめぐらして、遊園地の中の何かの催し場のように飾りたてられていたY劇場のまわりは、花輪こそないものの、きょうもやはりきらびやかに装おわれていた。しかし、当然ながらあのときとはちがって、劇場の内部からあふれ出てくるような熱気はなく、きらびやかなままで、さむざむと静まり返っていた。
〈新春特別大興行〉
〈新装回転浮世風呂 泡踊り透明入浴レスビアン〉
などという看板が眼につく。
客席はそれでも、半分はうずまっていた。しかし、客の数はさほど多くはない。というのは、左手の、もとは客席だったところを高くして舞台につづけ、そこに透明の浴槽と洗い場がつくられており、その外側にさらに透明のかこいをめぐらして、全体が回転するように仕組まれているほか、|でべそ《ヽヽヽ》の先端もレスビアン・ショーを見やすくするために広げられていて、そのために客席が以前よりもかなりせまくなっていたからである。
「島田さんの工夫でしょうかね」
と斎木がいった。
しかし、島田のせっかくの工夫にもかかわらず、その回転透明風呂をつかう踊子たちの演技はまずしかった。ただ、浴槽にはいったり、洗い場で湯をからだにかけたりしているだけである。あとはからだをふいて|でべそ《ヽヽヽ》に出てきて、ただオープンをするだけであった。
私も斎木も、一条さゆりの引退興行の舞台を見て以来、ストリップを見るのは、これがはじめてであった。大阪に着いてから、西成区の割烹〈一条〉へいく約束の時間にはまがあったので、それでは久しぶりにストリップを見ることにしようというわけで、ここへきたのだった。
「しばらく見なかったせいか、なんか、しらじらしい感じだな」
というと、斎木はうなずいて、
「そう、踊子たちが身《み》をいれていない感じですね」
といった。
「踊子は踊子で勝手にオープンをし、客は客でまた勝手にそれを窺いているというありさまだから。つまり舞台と客席とのあいだがつながりあわないのですよ」
「しかし、踊子のヒモにいわせれば、オープンをしなければ金にならないからするだけのことで、なにも、芸を見せたり客と一つになったりするために踊ったりオープンしたりするんじゃないというかもしれないね。一条さゆりのようなのはむしろ邪道で、ただ見せるだけなのが正統なのだと」
「ご機嫌がわるいですね。まだこだわっているんですか」
と斎木がひやかした。
トリに出てレスビアン・ショーをしたカップルが、二人とも容貌もととのっていて、姿態も美しかった。私にはそれがせめてもの救いだった。
「ちょっと島田さんと奥さんに挨拶をして、帰りましょう」
と斎木がいい、私たちは別棟にある島田の部屋にいった。唐突だったので奥さんはおどろいたふうだったが、
「まあ、よくきてくださいました。いつ、いらっしゃったの」
と、こころよく迎えてくれた。奥さんが可愛がっているポメラニアンも、ちょこちょこと走りだしてきた。私はその犬を抱きあげて膝に乗せながら、
「昼過ぎに着いて、まっすぐこちらへきたのです。舞台、もう拝見してきました」
といった。
「回転風呂、どうですか。なにか、よそにないものをと考えてね、あれでも随分苦心して設計したんですよ」
と島田がいうと、奥さんが傍から笑いながら、
「琵琶湖のトルコ風呂へ毎日かよってね」
とつけ足した。
「なかなかうまくいかないもんです。きょうは初日ということもあるけど、あれをつかいこなせる踊子がいなくてね」
「そうですね、みんな戸惑っているようでした」
と斎木がいった。
「トリに出たレスビアンの二人は、なんという人です」
と私はきいた。
「さあ、あれはなんというのだったかな」
と島田がいうと、奥さんが香盤《こうばん》を見て、
「アニー・ロールさんと、二階堂エリカさん。先生、ご存じ?」
「いや、ちょっときれいだと思って。勿論、奥さんにはかなうはずはないけど」
と私はキザなことをいった。斎木が「おや?」という顔をしたようだった。
「もう、名前で客を引ける踊子はいないのでね。一条さゆりだけでしたよ、そういう人は。あとは、レスビアンだけど、桐かおるぐらいですかね」
斎木が島田に、一条さゆりの逮捕されたときの様子をきいた。
「日曜で、朝から大入満員のときでしたわ。刑事たちははじめからもぐりこんで見ていたんだね。そして、第一回の公演が終ったとたんに、全員逮捕ですわ。踊子たちみんなに、つぎつぎにオープンをさせておいてね。あれじゃ、人殺しをするところをゆっくり見物していて、完全に殺しおわるのを見とどけてから、さあお前は殺人現行犯だといってつかまえるようなもんじゃないですかね。犯罪行為がおこなわれているというのなら、なぜ、やめさせようとしないのかと、ぼくはいいたいのですよ」
島田は話しながら、だんだん激《げき》してくるようであった。
「オープンをしないストリップなんて、いまどき、ないということは刑事も承知しているわけでしょう? つかまえようと思えば、いつだって濡手に粟ですよね。現に、いまぼくたちが見てきた舞台だってそうなんだから。一方では一条さゆりはオープンしたというので実刑の判決がくだされているし、一方では大っぴらにオープンしていると思うと、妙な気になってくる」
と斎木も少し激してきた様子だった。島田は気分をかえるように、
「〈信ちゃん〉へ電話して、座敷あいてるかきいてくれ」
と奥さんにいった。
〈信ちゃん〉というのは劇場の近くの小綺麗な割烹店で、一条さゆりがこの劇場に出ていたとき、私と斎木も二、三度、彼女といっしょに食事をしにいったことがあった。板前は私たちの顔をおぼえていた。
私たちはその店で、奥さんもいっしょに、島田に|てっちり《ヽヽヽヽ》をご馳走になってから、車をひろって西成へむかった。約束の時間をかなり過ぎていた。
「三郎さん、ぶりぶり怒ってるかもしれませんね」
と斎木がいった。
三郎から久しぶりで電話がかかってきたのは、一条さゆりに実刑の判決があった日の夜、新聞や週刊誌の記者からのひっきりなしの電話がようやくとだえて、ほっとして机にむかっていたときであった。
「先生でっか。わたしです」
という声は、いつもの三郎の声だった。
「実刑だったんだね。困ったねえ。なんども電話したんだけど――」
と私がいうと、三郎は、
「つめたいもんですわ」
といった。
「いま、保釈金つんで拘置所からつれもどしてきたとこですけど、島田社長さんくらいはきてくれるかと思《おも》てたのに、つめたいものですなあ、先生、誰もきてくれませんでしたわ」
私は自分が責められているような気がして、つらかった。
「なんにもできなくて、申しわけないと思っているんだ。これまでにも何度か、電話だけはしてみたんだけど……」
「そうですやろ。週刊誌がうるそうてかなわんので、電話が鳴っても出んことにしとりますのや。店におるときは二階へ切りかえて、二階におるときは店の方へ切りかえてね」
「さゆりさんと別れたと書いていた週刊誌もあったけど――」
「なに、ちょっとごたごたがあっただけですわ。そやけど、いま、あいつの落目のときに別れられますかいな。きょうかて、わたしがおらなんだらどうにもならなかったんやから」
「控訴するの?」
「へい、しますわ」
「さゆりさん、どうしている」
「寝てますわ。おこしましょか。ああ、いま起きてきましたわ」
雷話の声がかわって、彼女のすこしハスキーな声がきこえてきた。
「先生、しばらく。ご心配かけまして――」
「いや、なんにもできなくて」
私はそうしかいえなかった。
――そのとき、きょうの日を約束したのだった。きょうは店を休んでいるはずだった。
のれんは出ていなかったが、店の中には明りがついていた。戸をあけると、調理場の隅から彼女がふりむいて、
「あら、いらっしゃい。おそかったわねえ、待ってたんよ」
といった。私は五ヵ月ぶり、斎木は八ヵ月ぶりだったが、彼女はきのうも会った人にいうようないいかたで、そういった。店には彼女しかいなかった。菜っ葉を洗っている。その手を休めずに、
「もうすぐすみますから」
といった。
「あした、常連のお客さんが二十人くらい、うちで新年会をしてくださるんよ。これだけ洗っとかんとね」
「三郎さんは?」
「二階にいるわ。さきにいってて。ああ、先生たち、二階はじめてやったね」
二階の部屋は、いちど表へ出て別な入口から階段をのぼっていったところにあった。2DKの部屋だった。三郎は入口に近い部屋で横になって、マッサージをしてもらっているところだった。
「すんませんなあ、こんな恰好で。腰が痛うて痛うてしようがないんで、もんでもろとりますのや」
まもなくマッサージ師が帰っていくと、三郎はあらためて挨拶をしてから、
「それにしても、おそかったなあ。どこへいってなさったんや」
ときいた。私がいいよどんでいると、斎木がかわっていった。
「Y劇場へ寄ってきたもので、おそくなってしまって」
「そうでっか。島田さん、わたしたちのこと何かいうてましたやろ」
「別に何も。一条さんがやめてしまって、もう名前だけでお客を引くことのできる人はいなくなったといってたけど」
「そうでっか」
と、三郎はいい、
「もし、罰金ですんだら、二人で誰にもわからんところへいって、誰にもわからんようにひっそり暮らしていこと思《おも》てましたんや」
といった。そのとき、さゆりがあがってきた。三郎も彼女も、裁判の話にはもう、あまり触れたくないようであった。
「店はうまくいってるの」
ときくと、三郎が、
「店はいま、これ一人でやってますのや。わたしは朝、料理の用意だけしといて、よその店へ働きにいっとるんですわ」
「どこへ?」
「それが――、この人、どこか知らしてくれないんよ」
と彼女がいった。
「それは、いかんな」
と斎木がいうと、
「知らして、もしこれが電話でもかけてきたら、くびになりますがな。これのなにやということがわかったら、どこも使うてくれやしませんからね。そうそう、同じ店で働いているやつで、これのファンだというのがおって、なんやかやとこれのことを話すんですわ。わたしは|こそばい《ヽヽヽヽ》気持をこらえて聞いてるのやけど、いつやったか休みの日にこれと出かけたとき、ばったりそいつに出会うたんですわ。しもた! と思《おも》たけど、度胸きめて、これが一条さゆりやぜ、というてやったら、そいつ、なにいうとる、ちがうわい! ていいますんや」
私は大笑いをしたけれども、ほんとうだろうか、とも思った。彼女にも三郎にも、以前とはちがって、私たちに対して殻をとじているところがあるように思われてならないのだった。
彼女はしきりに咳《せき》をしていた。いちどせきだすと、喘息《ぜんそく》のようになかなかとまらない。
「風邪なの。なかなかなおらないんよ」
と彼女はいった。
「夕食、まだでしょう。どこかへ食べにいきましょう。風邪にわるいかな」
と斎木がいうと、彼女は、
「いいの。つれていって! 南にこのごろよくいくサパークラブがあるの。店がすんでから、よく踊りにいくのよ。踊っていると、すうっとしてきて、いやなことみんな忘れてしまうんよ。そこへいきましょう」
と、急に元気づいていった。
「おい、あの新聞出して先生たちに見てもらえ」
と三郎が彼女にいった。
それは昨年の十一月二十三日付の「大阪日日新聞」で、〈一条さゆり、55万円拾う/落とし主5万円謝礼/「懲役6月」求刑の前日〉と四段抜き三行の見出しのあとに、つぎのように記されていた。
〈昨二十二日大阪地裁で公然わいせつ罪に問われ「懲役六月」の求刑を受けた元ストリッパー、一条さゆり本名=池田和子さん(四四)=はその前日、五十五万円の大金を拾い謝礼をもらったことがわかった。人間万事|塞翁《さいおう》が馬というが、一条さゆりはわずか二日のうちに明暗%つの事件を体験し「ウチかなわんわ」とちょっぴり複雑な表情――
一条さゆりは、二十一日午前一時半ごろ、大阪南区笠屋町三六、サパークラブ「笠」で食事中、足元に落ちているワニ革二つ折り財布に気づき、岡村支配人を通じて南署道頓堀派出所に届け出た。
財布のなかには現金五十五万千五百円がはいっていたが、間もなく同店にいた北海道の赤平市平岸一三〇、会社重役・斎藤昭吉さんが血相を変えて同派出所にかけこみ、財布がストリッパーの一条さゆりに拾われたと知ると「私の方がすんでのところで丸裸になるところでした」と大喜び。早速、謝礼五万円を渡したが、一条さゆりは岡村支配人と二万五千円ずつ分けた。
思わぬ出演料≠ノニンマリだったが、翌二十二日には裁判所で検事から「これまで同じ罪で何度も判決を受け、しかも今回の公判中に日活ポルノ映画に出演するなど反省の色が全く見られない」とポロンチョンに叱られて懲役六月の重罪≠求刑され、こんどはションボリだった。……〉
四人で、その〈笠〉というサパークラブへいった。
食事もそこそこに彼女はフロアへ踊りにいく。バンドの演奏がやむと席へもどってきたが、はじまるとまたすぐ出ていく。その踊っている姿は、いかにもたのしそうであった。なんの屈託もない少女のように、うきうきとはしゃいでいる。
そんな姿を眺めているうちに、それが彼女にとっては束《つか》の間のものだという思いがこみあがってきて、私はふっと心の沈んでいくのをおぼえた。斎木はそんな彼女の束の間のよろこびを少しでも長びかせてやろうとしているようであった。あまり踊りたがらない三郎にかわって、つとめて彼女のお相手をして踊っていた。
翌日、私たちは偶然、「一条さんを守る会」の二人の女の人に会った。
三郎は店の方で、今夜の新年会の準備をしていた。私と斎木は二階の部屋で、三郎の前ではいえない彼女の愚痴をきいていたのだが、そのとき、ドアのブザーが鳴った。私たちのいる奥の方の部屋からは姿は見えなかったけれども、出ていった彼女と話している声で、それは女の人、二、三人だということがわかった。しばらくすると、
「それでは、お大事になさってくださいね」
というはっきりした声がきこえた。そして、その人たちは帰っていった。
彼女が紙包みを持って私たちのところへもどってきて、
「風邪によくきくからといって、漢方薬を持ってきてくださったの」
といった。
「〈守る会〉の人たちじゃないの?」
私はなんとなくそんな気がして、そうきいた。
「そうなの」
「それじゃ、ちょっと会いたいな」
というと、彼女はすぐ立ちあがって、その人たちを追いかけていった。かなりたってから彼女はもどってきて、
「そこの辻を右へまがると、すぐ左側にスナックがあるわ。そこで待っているって」
といった。
斎木と二人でそのスナックへいってみると、四人席のボックスに並んで腰をかけていた二人づれが、声をかけてきた。
「児玉先生ですか」
〈みんなサン・グラスとショールで顔をかくし、黄色い声で「ナンセンス! ワイセツ裁判官!」と叫ぶ「一条さんを守る会」のウーマンリブたち〉
週刊誌にはそう書かれていたが、二人は物静かに落ちついて話す、知的な、女子大学生といったタイプの若い人だった。
「わたしたち、かえって一条さんに迷惑をかけているように思うこともあるのですけど、なにをしたらいちばんよろこんでもらえるのでしょうか」
二人は私たちにまずそうきいた。彼女たちはときおり割烹〈一条〉へ手伝いにきているともいった。
「すると、お金をくださろうとなさるので、困ってしまうのです」
「ときにはもらってやった方が、よろこぶこともあるのじゃないですか。あなた方の足代と食事代くらいだったら」
と私はいった。話しあっているうちに、同じ一つのことについて一条さゆりが彼女たちにいったということと、私たちにいったこととが、全くちがうことがしばしばあった。それがわかるつど彼女たちは戸惑った表情をしたが、
「そういうあの人を、どう思いますか」
ときくと、彼女たちは、
「それは一条さんが背負っていらっしゃる現実の重たさのせいかもしれません」
といった。
そのとき私が彼女たちからもらったガリバン刷りのビラは、彼女たちが一条さゆりの公判のとき配ったものだったが、それにはこう書かれていた。
〈本日、又してもワイセツな裁判が行なわれようとしている。そもそも私達にとってワイセツとは何かをまず明らかにしておこう。それはお互いに人間としてのやさしさが通い合わない関係の中で営まれる一切の行為をさすのである。〉
〈内縁関係である事、ヌードダンサーである事だけで、あたかも彼女の人間性が卑しいものであるかの様に決めつけ、終始彼女を蔑み続けるこの裁判、彼女の悲痛な訴えに耳をかそうともせず、それよりも面白半分に書きたてた小説、週刊誌、新聞の記事を猟奇的興味で証拠にとあさるその眼、これ以上にワイセツなものがあろうか! 中国にはヌードダンサーなどいないというのなら、まさに中国にはこれ程ワイセツな裁判はないとお答えしよう。……〉
帰りの新幹線の中でそのビラをひろげながら、私が、
「この、面白半分に書きたてた小説、というのは……」
というと、斎木が鋭い眼をむけて、
「また、こだわるんですか」
といった。
本電子文庫版は、単行本『一条さゆりの性』(一九七一年一〇月小社刊)に、その後の作品三篇加えて刊行した同名の講談社文庫(一九八三年二月刊)を電子化したものです。
≪初出一覧≫
一条さゆりの性の深淵
「小説現代」昭和45年7月号
一条さゆりの性の秘密
「小説現代」昭和45年11月号
一条さゆりの性の虚実
「小説現代」昭和46年2月号
一条さゆりの性の宿命
「小説現代」昭和46年4月号
一条さゆりの性の波瀾
「小説現代」昭和46年6月号
一条さゆりの性の休日
「小説現代」昭和46年8月号
一条さゆりの性の迷路
「小説現代」昭和47年5月号
一条さゆりの性の終宴
「小説現代」昭和47年7月号
一条さゆりの性の受難
「小説現代」昭和48年3月号