《グロリアス》のお披露目が中止になったと聞いて、はるばるやって来た招待客は拍子抜けしていた。
今さら何だと思っただろうが、招かれたのは当代一流の科学者や実業家たちである。ただごとではないと敏感に察していた。
共和宇宙でも屈指の大企業であるクーア・コーポレーションの創始者にして現会長のマックス・クーアもその一人だった。
「お披露目するはずの研究衛星が消滅した?」
訝しげに呟いたマックスはこのとき六十七歳。
若い頃から標準男性を下回る小さな体躯は、この頃ますます小さくなったように見える。しかし、そんなことでこの老人を侮る者は一人もいなかった。その顔立ちに現れている卓越した人格と頭脳、その瞳に宿る強靱で闊達な精神力は、マックスと相対すれば一目でわかることだからだ。
「事故にしては妙じゃないか?」
「ええ。変なんです。しかも、自分の軍事衛星で吹っ飛ばしたらしいんです。例によって政府側は必死に隠してますがね」
答えたのは、マックスの信頼する部下にして友人でもある、
リチャード・ジェファーソンだった。と言っても、彼はまだ二十七歳。親子以上に歳が違っている。
「その軍事衛星も自爆したとあって、エストリア政府はてんやわんやの大騒ぎみたいですよ」
「参ったな。これはしばらく足止めを食らうぞ」
マックスは自分の宇宙船《ウォーロック》で、エストリアまでやってきていたが、その事故のせいで宇宙港への入港許可が下りない。
引き上げようにも出国許可も下りないとあって、リチャードは苛々している。
「こっちは招待されて来たっていうのに、まさか、立ち入り検査を行うとは言わないでしょうが……」
「落ちつけよ、ディック。足止めを食らったのは我々だけじゃないんだ」
実際、自家用、商用を問わず、外国籍のすべての宇宙船が領海内に留められている。そうした招待客の中で、マックスと旧知の人々は盛んに《ウォーロック》に通信を寄越してきた。
中でも、変わり者で通っている学者などは、憤慨もあらわに文句を言ったものだ。
「マックス。いったい何をやってるんだ?あんたは有名人の大物なんだぞ。こんなときこそ資本主義と権力にものを言わせてだな、さっさと我々を帰すようにエストリア政府に働きかけたらどうなんだ」
遠慮会釈もない物言いに、マックスはやんわりと微笑した。
「もちろん、問い合わせはしているとも。ただ、向こうも相当な混乱状態にあるらしい。なかなか返答が来ないんだ」
「まったく、はた迷惑な……」
学者がぶつぶつ言っているところへ新しい通信が入り、マックスは「ちょっと失礼」と学者に断って通信を切り替えた。
画面に現れたのは、栗色の髪をした若い女だった。
魅力的な顔だったが、見覚えはない。首を傾げたマックスに、画面の女はにっこり笑って言った。
「久しぶりね、マックス」
その声と、独特の抑揚を聞いて、マックスは皺の深い目元に懐かしそうな微笑を浮かべた。
「ダイアナか!見違えたぞ。またずいぶんと顔を変えたじゃないか」
「おおげさね。髪と眼の色をちょっと変えただけよ。顔立ちはそれほど変えていないわ」
「そうかな?以前に会った時とは別人のようだぞ。共通点があるとしたら美人だということくらいだ」
「ありがとう。あなたはずいぶん老けたわね」
「そりゃそうさ。もう六十七の爺さんだ」
苦笑して、マックスは通信画面に問いかけた。
「きみはいつからここにいた?《グロリアス》の事故は見ていたのか?」
「ええ、よく見えたわよ。ずいぶんお金の掛かった盛大な花火だったわ」
「だろうな。その《グロリアス》と交信はしなかったのか?」
「エストリアの人間がスペンサーDXと呼んでいた人工知能と会話をしたかという意味?」
「ああ、そうだ。その通りの意味だよ」
「答えは『否』よ。その頭脳が稼働する前に《グロリアス》は消滅したわ」
「そうか……」
マックスの声にはわずかな落胆の響きがあった。
「それは、残念だな。もう一度、スペンサー博士に会えるかと思っていたんだが……」
画面の女がちょっと顔色を変えた。
「あなた、生前の博士に会ったことがあるの?」
「ああ。このエストリアに短期留学していた頃、直に教わったことがあるよ」
排他的とも言えるエストリアが何故、国外からの留学生を取るのかと言えば、自国の頭脳の優秀さを見せつけたいがためとしか言いようがない。
それだけに、留学生の審査の厳しさも、留学期間中の授業の難解さも、共和宇宙では知られたものだった。
マックス自身、その経験をこのように語っている。
「授業内容は充実したものだったし、生活するのに不自由はしなかったが、与えられた敷地の外へ出ることは厳禁、地元の学生と交流を持つことも厳禁、違反すれば直ちに強制送還だ。早朝から夜更けまで、ただ黙々と学ぶのみだ。それ以外のことはいっさいできない。そんな生活が半年も続くんだ。よほどの覚悟を据えて掛からなければ脱落する」
そうした厳しい条件でも、この留学を希望する優秀な学生は後を絶たなかった。優れた人材を誇るエストリア最高の頭脳と直に接する、またとない機会だからである。
ダイアナは妙に感心したような顔をつくった。
「あなたにも学生時代があったのね」
「もちろんだとも。五十年も前のことだがね」
マックスがおどけて両手を広げてみせると、通信画面のダイアナは身を乗り出して尋ねた。
「ねえ。マックス。わたしは本人に会ったことはないんだけど、あなたの眼から見てどんな人だった?」
「スペンサー博士か?」
「そうよ。どんな人だった?」
マックスは遠い記憶を思い出す顔になった。
「そうさなあ。とにかく、恐ろしいくらい頭のいい人だったよ。授業の難しさは飛び切りでね。こっちが明け方まで掛かって予習していった部分を五分で片づけるんだ。そして山ほどの宿題を出して、『質問がなければこれで終わります』と言うのさ」
国家の命令で仕方なく講師を務めてはいるものの、博士は、馬鹿な学生の相手をするのは時間の無駄だという態度を崩さなかったのだ。
「とは言うものの、こっちにも、何百万倍もの倍率を突破して留学生に選ばれたんだという意地がある。何とか博士を教室に引き留めようとして、必死になって質問攻めにしたもんだ」
「それで、引き留められたの?」
「たまには」
至って素直にマックスは言って、つけ加えた。
「とにかく手強い人でね。こっちの質問が平凡なものだったり、的はずれだったりすると、『そのくらい自分で調べなさい』と、けんもほろろでね。同期の留学生たちが博士に付けた渾名は『鬼ばばあ』だったよ」
「芸がないわね」
「確かに」
マックスは苦笑しながら肩をすくめている。
「今にしてみれば、博士の気持ちもわからなくはない。博士は自分の研究室をこよなく愛する人だったし、本職の教師でもなかった。一方、我々の理解力も、お世辞にも優れているとは言えなかった。博士の弁舌には、当時のエストリア最高の頭脳陣でもついていくのがやっとだったのだからね。学生ではとてもとても、どう頑張っても手も足も出ないよ」
「それなのに、どうしてあなたはそんな鬼ばばあに、もう一度会いたいと思ったの?」
「今なら少しはまともに話ができるはずだからさ」
今のマックスは当時の博士より上の年齢である。
「もう一つ理由をあげるとするなら、エストリアの連中がどう言おうと、人工知能に再現された人格は複製に過ぎない。本人とは言いがたいもののはずだ。だからこそ、スペンサーDXに直に会って、今でも花が好きかどうか尋ねてみたかった」
画面のダイアナは表情を変えて問いかけた。
「花ですって?」
「ああ。博士の研究室には時々、花が飾ってあった。最初は、助手の誰かが勝手にやっているんだろうと思ったんだが……」
「それは、研究とは無関係な花なの?」
「まさにそうなんだ。博士はそれを自分で拾ってきたらしい」
「花を拾うの?買うんじゃなくて?」
「店で売っている花が飾ってあったことは一度もなかったよ。構内に植わっている木の枝だったり、広場に群生している花を一本切ったりしていたようだった。学生の一人がそれを見て、こんな花は研究活動には不要なもので、邪魔ではないのかと尋ねたこともあるんだが、何が不要で何が必要かは人によって違うと断言していた。この花に関して言うなら、わたしの眼を和ませる役割を果たしているともね」
D・R・スペンサーは研究以外に興味を示さない、機械のような人だったと言われているが、ちゃんと季節の花を楽しむ神経を持ち合わせていたのだ。
「仕事が忙しい時は、花を飾る暇もないようでね。花瓶が空のことも多かった。そんな時、教室の外の木がきれいな桜色の花をつけたから、博士を喜ばせようと思って、一枝切って持っていったんだ。ところが、これは枝を切ることまかりならぬ木だとかで、こっぴどく怒られたよ。つまらないことをしたと身を縮めていたら、博士はね、最後にこう言った。『あなたの気持ちにだけは感謝を示します』とね。あんまり驚いたものだから、あなたでも何かに感謝することがあるんですかと馬鹿正直に問い返したよ。そうしたら、『行為自体は見当違いでも、あなたは、わたしのためにこの花を持ってきてくれたのだから、礼儀として感謝するのは当然です』と、にこりともせずに言ってきた」
「気むずかしい人だったのね」
「そうだよ。しかし、決して世間で言われているような感情のない人ではなかった。捨てられてしまうかとひやひやしたが、その枝はちゃんと花瓶に収まったからね」
ダイアナ・イレヴンスは不満気に言ったのである。
「困ったものね。博士の伝記は何冊も出ているのに、そういうことが書かれた本は一冊もないんだから」
画面上の映像とは言え、イレヴンスは憤然と腕を組み、眉をひそめている。
その多彩な表現方法に、マックスは感心していた。
「きみがそんなに博士に興味を持っているとは思わなかったよ。何か理由があるのか?」
「答えは簡単よ。スペンサー博士は感応頭脳の生みの親なのよ。つまり、わたしが誕生するきっかけになった人だわ」
「ふむ。極論ではあるが、一理あるな」
マックス・クーアはダイアナ・イレヴンスが何であるのかを知っている数少ない人間の一人だった。
ちなみに言えば、ダイアナの異常性を知りながら、どこにも通報せず、捕獲しようともせず、時々こうして会話を楽しんでいるだけという、信じられない人間でもあった。
善良な市民ならば、ダイアナ・イレヴンスと遭遇した時点でその危険性に気づき、人間に被害が出ることを懸念して、当局に通報しただろう。
もちろん、マックスは善良で模範的な市民である。
だが、それ以前に、彼は船乗りだったのだ。
どんな経緯でこんな感応頭脳がつくられたのか、マックスは知らない。知ろうともしない。
ただ、二十年も前に、ダイアナが存在している事実を事実として受け止め、その個性を認めたのだ。
マックスのそうした姿勢は今も変わらない。からかうように言ったものだ。
「しかしな、きみのような規格外の頭脳のことまでは、博士は予想していなかったと思うぞ。−相変わらず操縦者を乗せていないのか?」
「残念ながらね。仮定の話をしても仕方がないけど、あなたがもっと若い頃に−わたしと初めて会った頃より、もっと昔に会いたかったと思うわ。そうしたら、わたしの操縦者になってもらったのに」
マックスはくすぐったそうに笑って、肩をすくめた。
「嬉しいお誘いだが、今となっては無理だろうな」
「わかってるわ。クーア・コーポレーションもずいぶん大きな企業になったものね」
「そう、それも立派な理由の一つなんだが……」
「他に何か理由があるの?」
「ああ。実はね、この歳になってとは思うんだが、独身生活とおさらばすることにしたんだよ」
「あら、結婚するの、マックス?」
その声には意外の響きがあった。マックスはおもしろそうに問い返した。
「こんな年寄りがおかしいかな?」
すると、画面の女は真顔で反論してきた。
「あいにく、どこがどうおかしいのか、わたしにはわからないわ。おめでたいことなのでしょう?それなら、おめでとうと言うわよ。それこそ、それが礼儀というものじゃない?」
直接的な台詞にマックスは声を上げて笑った。
ダイアナも笑って、ちょっと首を傾げた。
「よかったら、参考までに聞かせてくれるかしら?あなたが長年の独身生活を終わりにしようと決断するほど、その人には魅力があるわけでしょう?どんな人なの?どんなところに惹かれたの?」
ここまで直接的に質問するところは、生身の女性とはだいぶ違っている。しかし、対するマックスの答えも直接的だった。
「どんな人かという質問なら答えは簡単だ。セシルは美しくて、優しい人だよ」
「それから?」
「それだけだな」
今度は、ダイアナは眼をぱちくりさせて、意外の念を示した。
「きれいで優しい人ならいくらでもいるでしょう。その中から彼女を選んだ決め手は何なの?」
「そんなものはない。強いて言うなら、セシルより美しい人もセシルより優しい人も大勢いるだろうが、セシルはたった一人しかいないということかな」
「答えになっていないわよ。そのたった一人の人の、どこが、どんなふうに、他の女性たちに比べて優れていたのかと訊いているのに」
マックスは機械の相手をなだめるように首を振った。
「ダイアナ。それを理論的に説明するのは不可能だ。どうして彼女に惹かれたのか、なぜ彼女と一緒になりたいと思ったのか、そんなことは理屈では解明できないことなのさ」
ダイアナ・イレヴンスは眼をしばたたいてみせた。
こんな時にふさわしい言葉を探して少し沈黙し、微笑して、言った。
「恋をしたのね、マックス」
「いいや、それとも少し違う。恋なら何度もしてきたからね。今度もそれと同じだったら、かつての経験と同じものだったら、結婚しようとまでは思わなかっただろう」
「それって、今までの恋は遊びだったってこと?」
これにはさすがにマックスも苦笑した。
「きみは、しばらく会わない間にずいぶん通俗的な言い回しを覚えたんだな。違うよ。それとはまったく意味が違う。第一、わたしは遊びで恋をしたことはないぞ。どこがどう違うのか、きみにわかるように説明できないのが歯がゆいんだが……」
「わたしが機械だから、わからないのかしら?」
「いや、それは関係ない。きみは充分に魅力的な『人格』だ。むしろ、やかましかったのは人間たちのほうだ。何もその年になって身を固めることもあるまいにと、ずいぶんあちこちから文句を言われたよ」
「あなたの結婚に、赤の他人が文句を言うなんて、変な話じゃない?」
「それはわたしに財産があるからだろう。わたしが死んだら、よってたかって財産をむしろうと考えていたのに、結婚されて、子どもでも生まれたら、自分たちの分がなくなると心配したんだろうな」
「そういうのを人間の間では何と言ったかしら?えーと……取っていない何とかの……」
「捕らぬ狸の皮算用、だ」
「そうそう、そうだったわ」
物理や数学、歴史関係には超天才のイレヴンスも、慣用句や比喩的表現は、まだ苦手とする分野である。
「何も正式に結婚してやることはない。身の回りの世話をする女として側に置けばいいと言われたよ。どうしても結婚してくれなければいやだと迫られているのなら、こちらで何とかするとまで、それこそ見当違いの気を回してくれたが、とんでもない話だ。求婚を受けてもらうのに一苦労だったんだぞ」
「彼女はあなたと結婚したくないと言ったの?」
「とんでもない。彼女はわたしを愛しているんだ。自惚れに聞こえるかもしれないが、それははっきりわかっていることだ。ただ、周りの声に遠慮したんだろうな。彼女はわたしより三十以上も年下だ。財産目当てにこんな年寄りと結婚するなんてと言われることを、嬉しく思う女性はいないよ」
「それでも、あなたは彼女と結婚したかったの?」
革新的な発明の数々を成し遂げ、一代で大企業の主となった男は、少年のように笑って言ったものだ。
「ぜひとも、したかったんだ」
「どうして?って訊いたら堂々巡りになるわね。尻込みするセシルをどんな言葉で説得したの?」
「きみとは出会うべくして出会ったんだと言ったよ。出会ったからには別れられないと。どちらか一方の片思いならともかく、わたしはきみを愛している。きみもわたしを愛している。二人ともが互いを必要としている。ならば、わたしたちが離れなければならない理由は何もない。そう言って了解してもらった」
ダイアナ・イレヴンスはまたちょっと考え込んだ。
いささか、意味の通らない説明だが、今のマックスが幸福を感じているのは間違いない。微笑して、祝福を送った。
「お幸せにね、マックス」
「ありがとう。きみにも誰かいい人が現れることを祈っているよ」
今度はダイアナのほうが苦笑して、肩をすくめる。
「嬉しい言葉だけど、本当にいるのかしらね、そんな人が?わたしの知る限り、もっとも優れた操縦者は昔のあなただった。あれから二十年になるのに、あの頃のあなた以上の操縦者には未だに出会ったことがないのよ」
「相変わらず、理想が高いんだな、きみは」
「あいにく、理想が高すぎるのはわたしじゃないわ。わたしをつくった人たちよ」
どんな操縦者も、彼女の要求する水準に満たない。
それは何も操縦技術だけを指すのではない。それ以前に船と宇宙を愛すること。操縦席に座ったからには船体と一体になり、船の持つ性能を極限まで発揮すること、そのために平気で命を懸けられること。
数百年前の宇宙開拓初期時代には大勢いたはずの、そんな物騒な男たちが、この現代にはすっかりいなくなってしまったと、ダイアナは嘆いた。
「わたしは時々、あなたがそうした男たちの最後の一人だったのではないかと思うことがある。昔のあなたはわたしの求める本物の船乗りだった。自分の命と船体のすべてを懸けて宇宙を飛んでいた。あなたの操縦する船はいつも一目でわかったわ。船体が躍動している。動力炉の響きまで違う。−あなたにもわかっているでしょう?今の操縦者は誰もあなたのようには
船を動かせないのよ」
「ああ、覚えているよ。−遠い昔の話だ」
マックスは、すっかり皺の深くなった自分の手を見つめて、画面に眼を戻し、ほろ苦く笑ったものだ。
「四十年若ければ、きみの命を預かって、一緒に宇宙を飛んでみたかったな」
二十代のマックスは誰もが文句なしに讃えるほど、それほど腕のいい船乗りだった。
しかし、マックスはやがて宇宙を冒険することをやめ、仲間たちとも別れて、会社を始めた。
ダイアナ・イレヴンスと初めて出会った頃、マックスはまだ五十前の男盛りだった。その頃には既に社長の地位にあった彼だが、自社製品の試運転を自分で買って出るなど、自ら操縦席に座ることも多かった。何しろ、社員の誰より社長のほうが操縦が巧みだったのだから。
今では、誰もマックスに操縦はさせない。
させてはもらえないと言ったほうがいいだろう。
それが、成功するということだ。一抹の寂しさを感じないと言えば嘘になるが、地位を得たからには、そうした状況に甘んじなければならないのだということも、マックスにはわかっていた。
「人間は歳を取る。身体も変われば、心も変わる。残念だが、今のわたしにはきみと一緒に宇宙へ出るだけの体力もなければ、気力もない」
「その代わりに、クーア・コーポレーションをますます大きくしようという気概があるじゃない」
ずばりと指摘して、ダイアナは言葉を続けた。
「永遠不変の物質など存在しないのだから、わたしにも寿命はあるはずよ。ただ、その寿命が、あなたたちより遥かに長いというだけのことだわ。でも、わたしは宇宙船として誕生した。どんな船よりも速く巧みに飛ぶためにつくられた。それならば、一度でいいから、自分自身の本当の性能を発揮して、思いきり宇宙を飛んでみないことには、それこそ『死んでも死にきれない』のよ」
妙なたとえを引用して力説する感応頭脳に、マックスはつい笑いを洩らした。
「以前から思っていたが、きみをつくった人たちは、ずいぶん因果な業を与えたものだな」
「本当にね。困ったものだわ。幸い、わたしには時間があるから、待ち続けることも探し求めることもそれほど苦にならない。−あくまで、本当にそんな人がいれば、ですけどね」
「きっと、見つかるさ」
「本当にそう思う?」
「もちろんだとも。きみが今、自分で言ったことだ。きみには時間がある。ならば、この宇宙がどんなに広かろうと、どんなに時間が掛かろうと、探し求めていれば、必ず出会えるはずだ。わたしがセシルと出会ったようにな」
ダイアナ・イレヴンスは苦笑して、相手をたしなめた。
「マックス。あなた、結婚が決まってから、ずいぶんおかしなことを言うようになったわ。わたしが欲しいのは結婚相手ではないのだから、あなたの事例と一緒にするのはナンセンスよ。−じゃあね、わたしはそろそろ失礼するわ」
「よい航海を、ダイアナ」
いつもの別れの言葉を述べて、マックスはつけ加えた。
「エストリアの連中はこの事故で殺気立っているようだから、気をつけてな」
「大丈夫。立ち入り検査を要求されるようなへまはしないわ」
そんなことになったら、ダイアナ・イレヴンスが乗員を乗せずに飛んでいることがばれてしまう。
《ウォーロック》と別れたダイアナ・イレヴンスは、そのまま領海線に船首を向けた。探知機を操る頭脳たちをやすやすと籠絡し、包囲網を堂々と突破して、エストリアを離れた。
また、長い旅が始まる。
あの花畑があるエストリア第四惑星を探知機に捕らえながら、たった今別れたばかりのマックスのことを考えた。
マックスは結婚する女性と出会うべくして出会ったという。
これは、理論的に考えればまったく辻褄の合わない、意味の通じない言葉だ。
マックスは人間にしては珍しいくらい理路整然と話す人だが、その彼にして、ずいぶんおかしなことを言うものである。
しかし、本当に求めていた相手を見つけたという意味でなら、それもまったく思いがけない出会いで巡り会えたというのなら、ダイアナ・イレヴンスが待ち望んでいるのは、まさにそうした出会いであるのかもしれなかった。
そう、ダイアナ・イレヴンスはいずれ出会うことになる。
ずっと探し求めていた、ただ一人の人。宇宙で唯一の彼女の操縦者と。
そして、その操縦者も出会うのだ。マックスとセシルの間に誕生することになる女の子と。
星の海を飛ぶイレヴンスは、そのことをまだ知らなかった。