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勉強ができなくても恥ずかしくない(1)
どうしよう…の巻
橋本 治
目 次
まえがき
ケンタくんのこと
はじめて小学校に行ったケンタくん
ケンタくんが小学校で感じたこと
問題児になってしまったケンタくん
お母さんに怒られるケンタくん
オモチャをなくしてしまったケンタくん
自分のやることを探すケンタくん
家の仕事の手伝いをするケンタくん
お父さんと一緒に配達をするケンタくん
お店番をしながら本を読むケンタくん
ついに学校でうれしいことに出合ったケンタくん
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まえがき
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この本は、「どうして勉強ができなくても|恥《は》ずかしくないのか」ということを説明する本ではありません。今から何十年も前に生まれた「ケンタくん」という昔の男の子を主人公にする、小説です。
ケンタくんは、「勉強ができる」と言われるような子どもではありませんでした。でも、べつに勉強が|嫌《きら》いではありませんでした。学校へ行くことになじめなくて、友だちができなくて、いつもぼんやりしているような子どもでした。だから、お母さんにいつも「勉強しろ」と言われていて、そんなふうに|怒《おこ》られるのがいやな子どもでした。
そのうちにケンタくんは、学校が嫌いではなくなります。学校は好きになって、でも、「どうして勉強ばっかりしなくちゃいけないんだ?」と思うようになります。それは、まだ先の話ですが、ケンタくんにとって困るのは、「勉強ができるか、できないか」ということではないのです。
学校に行く目的は、勉強をすることです。でも、すべての子どもが「勉強のできる子」だとはかぎりません。いつの間にか「勉強が苦手」と思ってしまう子どもは、とても多いのです。だから、「勉強ができない」と思うと、とても恥ずかしいと思ってしまいます。でも、べつにそんなことはないのです。学校に行くのは、勉強をしに行くためだけではなくて、ほかにももっと、しなければいけないことがいっぱいあります。いくらそっちができても、勉強ができなければ「恥ずかしい」と思ってしまいますが、でも、そうではないのです。勉強ができても、それだけでは困るんです。学校では勉強以外に、もっと大切なことがいっぱいあるのです。そういうことをわかってもらいたくて、私は、「ケンタくん」という昔の男の子に、少しがんばってもらいました。
『勉強ができなくても恥ずかしくない』というタイトルの本は全部で三冊あって、この本は、その一冊目です。一冊目のケンタくんは、かなりつらい思いをしますが、そのうちになんとかなります。ケンタくんのその後の|活躍《かつやく》にも期待をしてください――。
[#地付き]著者
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ケンタくんのこと
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ケンタくんは昔の子どもです。家はお|菓子屋《かしや》さんをやっていました。家族はおじいさんとおばあさん、お父さんとお母さんと妹、それから、お母さんの妹の|叔母《おば》さんがいました。
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はじめて小学校に行ったケンタくん
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ケンタくんがはじめて自分の通う小学校へ行ったのは、入学式の少し前の日のことでした。学校は家の近くで、ケンタくんのことをかわいがってくれていた叔母さんが、「行ってみようよ」と言ったのです。
ケンタくんの叔母さんは、洋服を作るデザイナーになるために、洋裁学校に通っていましたが、その日は学校がお休みだったので、入学前のケンタくんに小学校を見せようとして、連れて来たのです。
それまでケンタくんは、|幼稚園《ようちえん》に行っていました。幼稚園へ通う道は小学校の前を通っていて、ケンタくんはどこに小学校があるのかを知っていましたが、中へ入るのは、その時がはじめてでした。
中に入って見る小学校の校庭はとても広くて、|端《はし》から端まで走って行くのが大変なようにも思えました。
ケンタくんが「大きいなァ」と思っていると、叔母さんが、「こんどからここに通うのよ」と言いました。ケンタくんは「うん」と言いましたが、ちょっとだけ不安になりました。というのは、小学校の校庭には、幼稚園の庭にあったブランコやすべり台やジャングルジムがないからです。砂場もなくて、そのかわり、門を入ったすぐのところに鉄棒だけがありました。
小学校というのは幼稚園とちがって、遊ぶところではなくて、勉強をするところだと言われていました。「それで遊び道具がないんだな」とケンタくんは思いました。頭ではそのことがわかりました。でも、遊び道具がないのはちょっと|寂《さび》しくて、それで少しだけ不安になったのです。
ケンタくんは、広すぎる校庭を前にして、ぼんやりとしていました。これから通うようになる小学校がどういうところなのか、まったくわからなかったからです。
でも、叔母さんは元気でした。門のわきにある鉄棒につかまると、スカートをはいたままで、ぐるりと一回転をして見せてくれました。ケンタくんは「すごい!」と思って、「わー、もう一回やって」と言いました。叔母さんは得意になって、もう一回前回りをすると、こんどは逆上がりまでしてしまいました。ケンタくんは、叔母さんにそんなことができるなんて思ってもいなかったので、本当にびっくりしてしまいました。
それまでケンタくんは、鉄棒にさわったことがありませんでした。遠くの公園に鉄棒があるのを見たことはありますが、|誰《だれ》かがそれをやっているのは見たことがなくて、鉄棒というものがどういうものなのか、よくわからなかったのです。
ケンタくんは、鉄棒がどういうことをするものなのかわかりました。でも自分に鉄棒ができるとは、とても思えませんでした。「叔母さんは大人で、自分はまだ小学校に入っていないんだから、できなくてもいいんだ」と思っていました。すると叔母さんが、「ケンちゃん、やってみなよ」と言いました。
ケンタくんは、「えー、できないよォ」と言いました。
ケンタくんの叔母さんはやさしい人で、できないことをむりやりやらせるような人ではありません。でもその時は、「ちょっとやってみな」と言って、ケンタくんの体を後ろから|抱《だ》き|上《あ》げました。
鉄棒はケンタくんのおでこくらいの高さにあります。小さいケンタくんには、その鉄棒を|腰《こし》に当てて一回転をすることなどできません。叔母さんは、それができるようにと、ケンタくんの体を持ち上げて、後ろから支えてくれたのです。
ケンタくんは、鉄棒につかまりました。鉄棒が腰にあたって、ケンタくんの足は宙に|浮《う》いていました。叔母さんに抱かれて宙に浮いているのはうれしいのですが、でも、叔母さんみたいな一回転をするのは、とてもむりだと思いました。
叔母さんは、「いい? 手を|離《はな》すよ」と言って、ケンタくんの体を離しました。
ケンタくんの体は完全に宙に浮いていて、自分の体重がかかっている鉄棒を|握《にぎ》っていることさえたいへんだと思いました。そのまま体を前に|倒《たお》すなんてことは、とてもできません。それでケンタくんは、「できないよ」と言って、鉄棒から飛び下りてしまいました。
叔母さんは、少し残念そうな顔をしていました。ケンタくんの横の、もう少し高い鉄棒につかまると、「かんたんなのに」と言ってから、また一回転をしました。ケンタくんは、「うまいなァ」と思って見ているだけでした。
一回転をした叔母さんは、スカートのすそを気にしながらまた逆上がりをして、鉄棒の上からケンタくんに、「できないの?」と言いました。
ケンタくんは「うん」とうなずいて、叔母さんは、「しかたがないなァ」と言って鉄棒から下りました。そして、ケンタくんに向かってこう言いました。
「小学校に入ったら、みんなするんだよ」
ケンタくんは、少し困りました。「ほんとに、みんなできるんだろうか?」と思いました。そして、「自分だけできなかったらいやだな」と思いました。
叔母さんには「うん」とだけ返事をしましたが、なんとなく不安になりました。「学校ってどんなところなんだろう?」とケンタくんが考えたのは、その時が最初でした。
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ケンタくんが小学校で感じたこと
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小学校に入学して、ケンタくんがまず感じたことは、教室の中が幼稚園の時より暗いということです。
どうしてそう感じたのかというと、小学校の教室が幼稚園の時より広くて、|壁《かべ》が大きかったからですが、もしかしたら理由は、それだけではなかったかもしれません。
小学校の教室は、中がシーンとしていました。それは授業の時、先生が一人でしゃべるからです。勉強の時は、先生のお話を|黙《だま》って聞きます。授業中にぺちゃくちゃおしゃべりをしてはいけないのです。自分の席から立って、よその席へ行ってもいけません。みんなは自分の席に|座《すわ》って、おとなしく先生のお話を聞いているのです。それが、幼稚園の時とはぜんぜん|違《ちが》っていました。
幼稚園の時には、自分の机なんかありませんでした。大きなテーブルのどこにでも、好きなように座ればいいのです。先生も何人もいました。でも、学校の教室には、先生が一人しかいません。幼稚園の時のように、教室の中でお|遊戯《ゆうぎ》をすることもありません。決められた自分の席に座ったまま、遠くにいる先生のお話を聞くのです。ケンタくんには、そんなことができそうにありませんでした。そんな経験は、はじめてのことでした。
ケンタくんは、大きな教室の中でみんなと|一緒《いつしよ》になって、じっとして座っているのが好きではありませんでした。なんだか落ち着かなくて、時々どうしたらいいかわからなくなるのです。「教室の中が暗いな」と思ったのは、そのためだったのです。
でも、担任の女の先生は、とてもやさしいいい先生でした。先生のお話を聞いているのは、いやなことではありませんでした。だからケンタくんは、そのうち学校へ行くのが好きになるだろうと思っていました。
でも、なんだか違います。いつの間にかケンタくんは、学校に行くのが好きではなくなっていました。どうしてかというと、学校には友だちがいないからです。
ケンタくんは、人見知りをしたり、引っこみ思案だったりする子どもではありませんでした。幼稚園の時には友だちが何人もいて、みんなで仲よく帰りました。近所の人の家にも、平気で一人で遊びに行っていました。でも、小学校では違うのです。
休み時間になると、みんな教室の外へ出て行きます。ケンタくんも教室から出て、みんなのいる校庭へ行きました。校庭では同じ学年の子どもたちがいっぱいいて、みんな楽しそうに遊んでいます。ケンタくんも遊びたいと思って、「誰か知ってる子はいないかな?」と思いました。でも、知ってる子がどこにもいないのです。
幼稚園の時に一緒に遊んだ子がいるのを見つけて、そっちの方に走って行こうとしましたが、その子は別の友だちと一緒でした。そしてその子は、ケンタくんと同じクラスの子ではないのです。その子は、自分と同じクラスの子と遊んでいたのです。
学校というのは、それぞれのクラスが教室で分かれていて、子どもたちは同じクラスの友だちと遊びます。でも、ケンタくんのクラスには、知ってる子が一人もいないのです。
同じクラスの子が校庭の端っこにいるのを見つけて、そばに行ったこともあります。でも、その子とは一度も口をきいたことがなくて、どんな子なのか、ぜんぜん知りません。「遊ぼう」と言っていいのかどうかも、よくわかりません。学校の休み時間は短くて、しかも学校というのは、幼稚園みたいな「遊びに行くところ」ではないのです。だから、なんと言っていいのかわかりません。同じクラスの子のそばに行っても、ただ黙っているだけになってしまいます。同じクラスの子と一緒にただ黙って立っているだけでは、友だちになんかなれません。なんだか嫌われているみたいで、ケンタくんは、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。
授業の時にじっと座っているのには慣れてきましたが、みんなが楽しそうにしている休み時間になってもじっとしているのは、とてもつらいのです。教室の中は暗いので、あまり教室の中にいたくはありません。だから、休み時間になると、教室から出ます。そして、一人校庭の|隅《すみ》でぼんやりしているのです。それだったら、自分の席に座って先生のお話を聞いているだけの、授業中の方がまだましです。それでケンタくんは、学校がちっともおもしろくなくなってしまったのです。
行く時も帰る時も、いつも一人ぼっちです。「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と考えても、ちっともわかりません。でも、そうなったのには、ちゃんと理由がありました。幼稚園の時の友だちが、何人も別の学校へ行ってしまったからです。
ケンタくんの家の|隣《となり》のタカシくんは、お父さんが私立大学の先生だったので、そこの|附属《ふぞく》の小学校に行きました。タカシくんの家の前のマユミちゃんも、私立の小学校に行きました。少し離れたところに住んでいたトオルくんは、小学校の入学前に|引《ひ》っ|越《こ》して、別の小学校に行ってしまいました。
電車に乗って学校に通うタカシくんやマユミちゃんは、ケンタくんよりも早く学校に行きます。ケンタくんの行く学校とは反対側にある駅の方向へ行くタカシくんやマユミちゃんとは、朝会うこともありますが、会ったら「おはよう」と言って、それだけです。ケンタくんは、一人で学校へ行くしかありません。
ケンタくんの家の裏に住んでいるユキオくんとは仲よしで、学校も同じですが、ユキオくんはケンタくんより一年上です。ケンタくんが幼稚園に行ってる時には、そんなことは感じませんでしたが、学校で学年が一年離れているということは、ぜんぜん別のことだったのです。
学校から帰って来ると、ケンタくんは前とおんなじように、近所の友だちと遊びます。でも、同じクラスの友だちは一人もいません。学校へ行かなければべつに寂しくはないのですが、学校でいつもと同じようにしていようと思っても、うまくいかないのです。いつの間にかケンタくんは、学校でぜんぜん口をきかない子どもになってしまいました。
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問題児になってしまったケンタくん
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学校で、ケンタくんはまったく口をききません。しゃべりたくないのではなくて、どう口をきいたらいいのかがわからないのです。担任の先生はこわい先生ではありません。やさしいいい先生ですから、先生とはちゃんとしゃべりたいのです。でも、授業中に先生に指されたりすると、わかっていても、ちゃんと答えられないのです。先生は心配して、ケンタくんには内緒で、ケンタくんのお母さんに相談しました。
ケンタくんのお母さんは、びっくりしました。どうしたらいいのかと思って、先生に|尋《たず》ねました。
先生は、「ケンタくんはやさしい子でいい子なのだけど、どうも学校では|萎縮《いしゆく》してしまっているみたいです。だから怒らないで、見守ってあげてください」と言いました。
お母さんは「わかりました」と言いましたけれども、どうしていいかわかりません。お母さんは、「自分の子どもが学校ではできの悪い問題児になってしまった」と思ったのです。
ケンタくんは、家では|普通《ふつう》にしています。それが学校に行ったら、人とは口のきけない困った子になってしまうのです。休み時間になっても、友だちとは遊ばずに一人でじっとしているというのです。「そんなに困ったことになったのには、どんな原因があったのだろう?」と思いましたが、わかりません。お母さんにとって、学校というのは「勉強をしに行くところ」だったので、そこで「問題があります」と言われたら、理由は一つしかないと思ったのです。つまり、「勉強ができない」です。そう思ったお母さんは、家でケンタくんに勉強を教えることにしました。
その|頃《ころ》、幼稚園では字を教えませんでした。算数も教えませんでした。幼稚園を卒業する時に、自分の名前が書けるようになっていれば、それでよかったのです。勉強は、小学校へ入ってから習うことだったのです。
ケンタくんは、勉強が好きでも嫌いでもありませんでした。ただ、友だちがいなくて寂しかったので、授業中自分の席に座ってじっとしていると、なんとなくつらくなってしまうのです。
学校に慣れてきたクラスの友だちは、授業中でも隣の子とおしゃべりをしたり、いたずらをしたりします。ケンタくんも「そういうことをしたいな」と思うのですが、できません。友だちがいないからという理由だけではなくて、教室で|騒《さわ》ぐと、先生が「はい、静かにしましょう」と言うからです。
ケンタくんは、とても聞き分けのいい子でした。先生が「いけない」と言うのだから、それはいけないことなんだと思いました。だから、先生の言う通り、授業中はじっと一人でおとなしくしていなければならないと思いました。そうすれば、いつか先生にほめられる子になるんだと思っていました。
でも、一人でじっとしているのはおもしろくありません。授業中に前の席の子がひそひそおしゃべりをしているのを見ると、「いいなア」と思って、勉強がつまらなくなってしまうのです。
テストの時でも、全部できるというわけではありません。いつも、一つか二つ間違ってしまいます。小学校一年生のテストなのですから、そんなに難しい問題ではありません。ちょっと考えればすぐにわかったり、間違いに気がついたりすることができるのですが、ケンタくんには、その「ちょっと考える」ができないのです。
なんでそんなことができないのかというと、学校がおもしろくないからです。学校にはいたくなくて、できれば早く家に帰りたいからです。いつもそういうふうに思っていたので、集中力がなくなっていたのです。好きなことなら|一生懸命《いつしようけんめい》にやれるけど、好きじゃなくて、どう考えていいのかよくわからないことだと、ぜんぜんわからなくなってやる気がしなくなってしまいます。ケンタくんの集中力のなさは、それとおんなじだったのです。
でも、お母さんの目からは違います。誰にでもできるような問題を平気で間違えるケンタくんは、ぐずでのろまでどうしようもない子だったのです。
テストでケンタくんが百点を取れないと、お母さんはすごく怒りました。「なんでこんなことができない!」とか、「なんでこんなことを間違える!」とか怒って、間違えたところをやり直しさせるのです。
小学校に入ってしばらくしたケンタくんは、「ひらがななら全部わかる」と思うようになっていました。もちろん、そう思っているのはケンタくんだけで、いざ書こうとすると別です。ケンタくんには、「ぬ」と「ね」や、「る」と「ろ」の区別がつかないのです。でもケンタくんは、「それでもいいや」と思っていました。「ぬ」とか「ね」とか、「る」とか「ろ」は、あまり教科書に出てこないからです。出てきても読むことだけはできると、ケンタくんは勝手に思っていました。
幼稚園に通っていた頃のケンタくんは、おばあさんの|膝《ひざ》に座って、お話の絵本を読んでもらうのが大好きでした。その頃はまだケンタくんの家にはテレビがなくて、お話の絵本を読んでもらうのが、ケンタくんにとっては一番の幸福だったのです。でも、お菓子屋をやっていたケンタくんの家では、おばあさんも|忙《いそが》しくて、そうそういつでも絵本を読んでもらうことができません。そんな時のケンタくんは、一人で絵本を広げて、おばあさんの読んでくれたことを思い出しながら、「この字はなんだったっけ?」とか考えながら、自分なりに読んだつもりになっていました。
そんなケンタくんですから、学校へ行って習うと、ひらがなを読むことだけなら、わりとすぐにできるようになりました。人間というのは、それが自分の好きなことだと、「なんとかしてできるようになりたい」と思うものです。そしてまた、そう思っていると、できるようになるのも早いのです。ケンタくんも同じでした。
ひらがなが読めるようになったケンタくんは、「読めるんだから、もう|大丈夫《だいじようぶ》だ」と思うようになっていました。だから、「ひらがななら全部わかる」と思ったのです。でも、「読める」と「書ける」は別です。ひらがなが全部読めるケンタくんは、ひらがなを間違わずに書けるわけではなかったのです。
人間というのは不思議なもので、好きなことなら「できるようになりたい」と思いますし、また、わりとさっさとできるようになりますが、その一方で、へんなかん違いもします。好きなことならさっさとやりたがる人間は、時々、それ以外のことが目に入らなくなってしまうのです。
ひらがなを読めるのなら、それを書けなければいけません。だから、学校ではその両方を教えるのです。でも、「自分で字が読めるようになりたい」と思っていたケンタくんは、「字を書くことなんかどうでもいい」と思っていたのです。自分の名前だけは書けるようになっていたケンタくんは、「だからもう大丈夫だ」と勝手に思いこんでいたのです。
ケンタくんはそう思っていました。でも、お母さんは違います。自分の子どもは、「ぬ」と「ね」の区別もつかないのです。それでお母さんは、「まず、ひらがなを教えなければだめだ」と思ったのです。
ケンタくんのお母さんは、もともと怒りっぽい人だったのですが、学校の先生からケンタくんの|抱《かか》える「問題」を注意されて、その|傾向《けいこう》がますます強くなりました。学校の先生とは違って、ケンタくんのお母さんは、けっして勉強をやさしく教えてはくれないのです。
テストで百点を取れなかったケンタくんは、お母さんに呼ばれました。テーブルのところに座っていたお母さんは、白い紙を出して、「ここにひらがなを全部書いてごらん!」と、こわい顔をして言いました。
「ひらがななら全部書ける」と思っていたケンタくんは、言われた時に書き始めて、ところどころで間違えてしまいました。
「ほら、違う!」と言われて、間違えたところを書き直しさせられました。
「書き直し!」と言われても、ケンタくんには、どこがどう間違っているのかよくわかりません。「どこが違うの?」と聞くと、お母さんは間違っているところを指でさして、「ここが違うだろ!」と怒ります。
言われてみると、なるほど違うような気がするので、ケンタくんは書き直しをしますが、でも、「ぬ」と「ね」ではどこが違っているのかがやっぱりよくわからなくて、また同じような間違いをしてしまいます。
するとお母さんは、「また違った!」と言って怒ります。やっと言われたように書けても、お母さんは決して「よろしい」とは言ってくれません。「もう一度」と言います。「もう書けたんだからいいじゃないか」と思っても、「もう一度!」です。
やっと書けた字は、やっと書けるようになっただけですから、「もう一度書け」と言われても、前とおんなじようにちゃんと書けるかどうかはわかりません。それでおんなじ字を、おずおずと書きます。書けた字を見て、お母さんは「いい」とも「悪い」とも言ってくれません。自信がなさそうに書くケンタくんの様子を見ていて、また「もう一回!」と言うのです。
ケンタくんはいやになって、またおんなじ字を書きます。「二回も続けて書けたんだから、もう大丈夫だろう」と思って、三回目の字を書きます。「書けた」と思ってお母さんを見ると、お母さんは黙ったままでなんにもいいません。いいのか悪いのかを言ってくれればいいのに、黙ってケンタくんの書いた字を見ていたお母さんは、ケンタくんのことをほめてもくれずに、「あと五回」と言うのです。
「ちゃんと書ける字を、なんでこんなに何回も書かなくちゃいけないのか」と、ケンタくんは思います。でも、ケンタくんのお母さんは、理由なんか説明せずに、「あと五回書くんだよ!」と怒ります。
ケンタくんのお母さんにしてみれば、字というのは、自信をもって書けるようになるまで、何回も練習をしなければいけないものなのです。だから、「あと五回!」とか言います。そのうち、一回でも間違ったら、平気で「あと十回!」と言います。「書け!」と言うだけで、ケンタくんには、その理由を説明してくれないのです。
「あと五回書け」とか「あと十回書け」と言うのなら、ケンタくんだって書きます。でもケンタくんは、どうして自分がそれをしなくちゃいけないのかを知りたいのです。
「お前はぜんぜんバカだから、何回も練習しろ」と言うのなら、ケンタくんは、「そうかな?」と思います。時々は間違えるけど、全部を間違えているわけでもないのだから、自分はまったくのバカではないと思うのです。でもお母さんは、そんなことを言ってくれません。ただ「あと五回!」です。ひどい時には、「あと三十回!」とか言われたこともあります。
ケンタくんは、できた時には、「できたね、えらいね」と言ってもらいたいのです。でも、ケンタくんのお母さんは、絶対にそんなことを言ってくれません。先生からケンタくんの「問題」を|指摘《してき》されたお母さんは、ケンタくんに「問題」があることを恥ずかしいと思って、ケンタくんが間違えたりすると、本気になって、「やっぱりこの子は、どうしようもないだめな子なんだ」と思ってしまうからです。
いつの間にかケンタくんは、お母さんに怒られてばっかりいる子になってしまいました。
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お母さんに怒られるケンタくん
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それでケンタくんは、勉強が好きにはなりませんでした。でもべつに、勉強が嫌いにもなりませんでした。勉強が好きでも嫌いでもないことは、ずーっと変わりませんでした。ただ、お母さんのそばでむりやり勉強をさせられるのだけは、いやでした。お母さんは、そのうち|怒鳴《どな》るだけではなくて、ケンタくんをぶつようになったからです。
ケンタくんにひらがなが書けるようになると、今度はお母さんは、カタカナの練習をさせました。「まだ学校でちゃんと習ってない」と言っても、お母さんは聞いてくれませんでした。その後で漢字を習うようになると、もっと大変でした。集中力のないケンタくんは、すぐに漢字を間違えて、しかも自分の書き間違いに気がつかないからです。
テストが返されて、バツがついていると、お母さんは何度も何度も書き直しをさせました。書いている|途中《とちゆう》でケンタくんが間違えると、平気で頭をぶつのです。長い定規で、ケンタくんの背中をビシバシぶちました。算数の計算も、お母さんの見ている前でやらされました。計算のこつがのみこめなくて、ケンタくんが「うーん……」と考えていると、「お前はこんなのがわからないのかい!」と言って怒るのです。
ケンタくんのお母さんは、一つだけ誤解をしていました。ケンタくんは、まだ勉強を習い始めたばかりの小さな子どもなのです。でも、お母さんはそれを、時々忘れてしまうのです。
ケンタくんが間違える字や、ケンタくんが考えこんでしまう計算は、大人のお母さんにとって、ずーっと昔に習ったすごく簡単なことなのです。だからお母さんは、「こんなことは、すぐにできて当然だ」と思ってしまうのです。
ところがケンタくんは、それをこれから覚えていくのです。まだ知らないことを覚えるのには、時間がかかります。「どうしてそうなるんだろう?」と、考えなければなりません。考えてわからないと、「なんでこんなこと覚えなきゃいけないの?」と、やけくそになります。やけくそになっても、「覚えなきゃいけない」と言われたことは、やっぱりどこかで、「覚えなきゃいけないんだろうなァ……」という気になります。そういういろんなことを、感じたり考えたりしながら、人間は、自分の知らないことを少しずつ覚えてゆくのです。それに時間がかかるのは、当たり前のことなのです。
ケンタくんは、ぐずでもバカでもありません。ケンタくんはただの子どもで、誰もが当たり前にするように、自分の頭で考えていただけなのです。
ところがお母さんは、それに|辛抱《しんぼう》できません。「この子は問題を抱えた困った子だ。さっさとなんとかしなくちゃならない」と思ったお母さんは|焦《あせ》って、ケンタくんが小さな子どもであることを、時々忘れてしまうのです。大人の基準を使って、「こんな誰でもできることが、どうしてこの子にはできないんだ」と考えてしまうのです。
ケンタくんは、普通の子どもです。学校になじめないだけで、頭の悪い子ではありません。あんまりうるさいことを言われないで、自分の頭で|納得《なつとく》がいくまで考えるだけの時間をもらえば、普通のことならだいたいわかるはずの子どもでした。その|証拠《しようこ》に、学校でのケンタくんは、先生の教えてくれることを、|素直《すなお》によく聞いていました。「ふーん、そうなのか」と考えながら、いろんなことを覚えていきました。
授業中に先生の言うことは、ケンタくんにはだいたいわかりました。テストでも、だいたいのことはわかりました。なにしろ、小学一年生のテストなのです。普通に先生の言うことを聞いていれば、だいたいのことはわかります。だからケンタくんだって、百点を取ることはできたのです。時々は百点にならないこともありましたが、ケンタくんはべつに気にしませんでした。お母さんに怒られることはわかっていましたが、だからといって、「絶対に百点を取らなくちゃ」とも思いませんでした。ケンタくんには、それよりももっと重要なことがありました。友だちのことです。
お母さんに怒られるのはいやです。だから、「いつも百点だったらいいなァ」と思います。でも、勉強ができてもできなくても、ケンタくん自身にはあまり関係がありません。そんなことよりも、友だちがいないことの方が、もっと|切実《せつじつ》で重要です。友だちのいない学校に行っても、ちっともおもしろくありません。「つまんない」ということが、はっきりとわかるのです。ケンタくんにとっては、そっちの方がずっと重要でした。
でも、そう思うケンタくんには、ぜんぜん友だちができません。なにしろ、学校でのケンタくんは萎縮してしまって、人と話をすることができないからです。そして、そうなってしまったケンタくんには、もう一つ別の問題が発生してしまいました。萎縮してしまったケンタくんは、学校に行くと動きがぎこちなくなって、自然に動けなくなってしまっていたのです。
はじめのうちは、そうでもありませんでした。でも、一人でじっとしているうちに、「学校へ行ったらじっとしていなくちゃいけないんだ」と、思いこむようになってしまったのです。勉強はともかく、ケンタくんの体育の成績はビリの方になってしまいました。幼稚園のお遊戯は大好きだったのに、体育の時間に校庭に出ると、それだけで|緊張《きんちよう》してしまって、体が自由に動かなくなるのです。
先生の教えてくれたことができないと、できるまでやり直しです。できない子のグループに入って、できたみんなの前でやり直しをさせられると、自分が本当にだめな子になってしまったような気がします。そういうことが|繰《く》り|返《かえ》されていくうちに、ケンタくんは、先生に教えてもらって自分でやってみるその前から、「できなかったらどうしよう、できる自信がない」と思うようになってしまったのです。
そういう状態は、一学期がすぎて二学期になっても直りませんでした。直るどころか、もっとひどくなっていきました。当然、お母さんもそのことを知っています。普通の勉強は教室の中でやりますが、体育の授業は、外からでも見える校庭でやるからです。「ケンタくんはおとなしすぎて、体育の時間もみんなについてこれません」と先生に教えられたお母さんは、心配になって、体育の時間になると学校へやって来て、外からケンタくんの様子を見るようになったのです。
ケンタくんは、とっても傷つきました。お母さんが見守っていてくれるのはうれしいのですが、授業中にそんなことをされているのは自分一人で、しかも、お母さんの見ている前で「できない子」になってしまっているのが、とても悲しいのです。さすがにお母さんは、家に帰ってきたケンタくんを怒りませんでした。「怒られるともっと萎縮してしまうから、家では|叱《しか》らないでください」と、先生に言われたからです。お母さんは怒らないで、体育の時間になると、黙って校庭の外で見ているだけでした。そして、それもまたケンタくんにとってよくないことだと思った先生は、ある日お母さんに言いました。
「ご心配はわかりますが、いつもお母さんに見られているとケンタくんは緊張してしまいますから、私にまかせてください」
そうして、ケンタくんのお母さんは学校に来なくなりましたが、ケンタくんの様子は、ちっとも変わりませんでした。
二学期がすぎて、三学期になっても変わらずにいることを、学校からの|連絡《れんらく》で知って、お母さんは、ついに黙っていられなくなりました。学校から帰ったケンタくんが家にいるのを見ると、「そうだから積極性が身につかないのだ」と思うようになって、「外に行って友だちと遊んでこい!」と怒るようになったのです。
それでケンタくんは外に行きます。近所の友だちの家に行って、「遊ぼう!」と声をかけます。友だちが家にいてくれればいいのですが、そんなにいつも友だちが家にいてくれるとは限りません。外で誰かが遊んでいるのを見たら仲間に入れてもらうのですが、小学校の一年生ぐらいの友だちは、あんまり外で遊んでいないのです。
タカシくんの家に行ってタカシくんがいないと、今度はマユミちゃんの家に行きます。二人とも学校が違うので、まだ帰っていないことがよくありました。裏のユキオくんも、一年上なので、帰って来る時間が違います。近所でいちばん仲がいい一年生の子は、ツネオくんです。でも、元気なツネオくんはすぐにどこかに行ってしまって、あまり家にいません。あっちこっちの友だちの家に行って、誰もいないと、家に帰って来るしかありません。でも、そうやって家に帰ってきたのがお母さんに見つかると、また怒られてしまうのです。
「外で遊んでこいって言っただろう。お前には友だちがいないのかい!」と言われると、ケンタくんはなんにも言えなくなってしまいます。「お前には友だちがいないのかい!」と言われるのが一番いやで、ついにケンタくんは、自分の家にいることさえもが、つらくなってしまったのです。
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オモチャをなくしてしまったケンタくん
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ケンタくんは、家にいても落ち着きません。いつお母さんに、「外に行け!」と言われるかわからないのです。天気のいい日は、絶対にそう言われます。だからケンタくんは、「雨が降ればいいのに」と思うようになりました。ケンタくんの学校には体育館がありません。雨が降れば体育の授業もなくなります。お母さんから、「外に行け!」とも言われなくなります。でも、だからといって、ケンタくんは雨の日が好きだというわけでもありません。
雨が降ってお母さんに見つかると、「勉強だ」と言われて、漢字の書き取りをさせられます。それも好きではありません。勉強が終わっても、べつにすることはないので、「雨の日なら誰かいるかな」と思って、|傘《かさ》をさして友だちの家に行くようになってしまいました。友だちの家へ行って、友だちのオモチャで遊んでいる時が、一番楽しかったのです。
ケンタくんの家は、べつに|貧乏《びんぼう》ではありませんでした。小学校に入るとすぐ、お父さんが自転車を買ってくれました。小学校に入るとすぐ自転車を買ってもらえたのは、ケンタくんだけでした。でも、ケンタくんにはそれ以外のオモチャがありませんでした。どうしてかというと、幼稚園を卒業した次の日に、ケンタくんの持っていたオモチャが、全部捨てられてしまったからです。
それまでケンタくんは、両手を広げて持てるくらいの木箱いっぱいに入ったオモチャを持っていました。幼稚園を卒業した次の日、お母さんがその木箱を持って、「もう、これはいらないね?」とケンタくんに聞きました。幼稚園を卒業したケンタくんは、「もう自分は子どもじゃない」と思ったので、「うん」と言ってしまいました。
それは、幼稚園に行っているような子が使う子どものオモチャで、小学生になった自分がいつまでもそういうものを持っていては、カッコ悪いと思ったからです。オモチャの箱を持ったお母さんに「もういらないね?」と言われた時は、少しだけ未練もあったのですが、「もう大人なんだから、|甘《あま》ったれちゃいけない」と思って、「うん」と言いました。お母さんが「いらないね?」と言うのだから、きっとそれは、いらないものだと思ったのです。
お父さんが自転車を買ってくれたのは、それからしばらくしてのことです。ケンタくんは、幼稚園時代に大好きだった三輪車とはさよならをして、補助輪のついた子ども用の自転車に乗るようになりました。ケンタくんは得意でしたが、でもなんだか寂しい感じがしました。それは、幼稚園時代のオモチャを全部なくしてしまったからです。
ピストルも小さな刀も、積み木も汽車も、|熊《くま》のぬいぐるみも、幼稚園に通う時に使っていた小さなバスケットや三輪車と一緒に、みんななくなってしまいました。家にあるオモチャは、小さな妹のものだけです。
ケンタくんは、もうオモチャでは遊べません。でも、「小学校に入ったらもうオモチャはいらない」という考え方は、昔はそう|珍《めずら》しい考え方ではありませんでした。「学校というのは勉強をしに行くところなんだから、学校に入ったらもうオモチャはいらない」と、誰もが信じていました。ケンタくんも、そうだと思っていたのです。
ケンタくんのオモチャがなくなった次の日、おばあさんが、学習セットの|詰《つ》め|合《あ》わせを、入学祝いに買ってくれました。きれいな大きな箱に、|鉛筆《えんぴつ》や筆箱や色鉛筆やノートブックや、その他のいろんなものがきちんと詰められていて、まるで新しいオモチャみたいでした。ケンタくんはうれしくてうれしくて、「早く学校へ行って、これを使えるようになりたい」と思いました。
でも、実際の学校は、ケンタくんの思っていたところとは違いました。いろんなことが、ケンタくんの思うようにはなりませんでした。学校ではじっとしていて、家に帰ると、お母さんに怒られないようにびくびくしていて、雨の日に家の中で遊ぶオモチャは、なんにもないのです。以前はおばあさんに読んでもらっていた絵本も、みんななくなってしまいました。「もう小学生なんだから、小さな子どもみたいに絵本を読んでもらっているのはおかしい」という理由からです。
ケンタくんの家には、ケンタくんが読めるような本が、一冊もなくなっていました。ケンタくんの家は大人ばかりで、お兄さんもお姉さんもいません。ひらがなが全部読めて、少しだけ漢字が読めるようになっても、字だけの本はまだケンタくんにはむりです。本屋さんには、おもしろそうな子ども向けのお話の本も売っていましたが、それは小学校の三年か四年かそれ以上の子ども向けで、一年生のケンタくんにはむりでした。
ケンタくんは、家にいてもなんにもすることがありません。小さい妹だけが相手では、遊びようもなくて、ちっともおもしろくありません。せっかく自転車を買ってもらって、それに乗れるようになっても、あまり意味がありません。なぜかというと、近所の友だちが、誰も自転車を持っていないからです。
ケンタくんが自転車に乗っているのを見ると、近所の友だちは、「ちょっと乗せて」と言います。ケンタくんは「いいよ」と言って、その友だちが乗るのを、後ろから|押《お》さえてあげます。でもそれだけです。そこに誰か他の子が来ると、自転車から降りて、ケンタくんを残して遊びに行ってしまいます。みんなと一緒に遊ぶのなら、ケンタくんには自転車が|邪魔《じやま》なのです。
近所の友だちで一番仲のよかったツネオくんは、ケンタくんと同じ学年ですが、クラスは違いました。ケンタくんは、ツネオくんのことを「ツンちゃん」と言って、幼稚園の頃はよく一緒に三輪車の競走をしていました。そのツンちゃんも、もう三輪車には乗りません。自転車も持ってはいません。でもそのかわりに、お父さんに買ってもらったオモチャをいっぱい持っています。ケンタくんは、そのオモチャで遊びたいと思います。でもツンちゃんは、ケンタくんの自転車に乗りたいのです。乗せてあげるとツンちゃんは、それに乗って一人でどっかに行ってしまいます。ケンタくんは、いつの間にか自転車にも乗らなくなって、「こんなことなら、自転車に乗れるようにならなければよかった」と思うようになってしまいました。
買ってもらった時、ケンタくんの自転車には補助輪がついていました。だから転びませんでした。ところが、買ってもらって一週間くらいした頃、「早くちゃんと乗れなければいけない」とお母さんが言って、その補助輪がはずされてしまいました。そして、自分でバランスを取って一人で自転車に乗れるように、道で練習をさせられました。もちろん、ケンタくんのことですから、すぐに転びました。転んで痛いから、「もう一回、補助輪をつけて」と言いました。でもお母さんは許してくれません。「せっかく買ってもらったんだから、ちゃんと乗れるように練習をしろ」と言うのです。
お父さんやお母さんや、それから叔母さんや、いろいろな人に後ろを押さえてもらって、何度も転びながら、やっとケンタくんは、一人で自転車に乗れるようになりました。うれしくて一人で乗って、なんにも知らないまま、下りの坂道に行ってしまいました。ケンタくんの乗っていた自転車は急にスピードを出して、どうしていいかわからないケンタくんは、あわててハンドルを切りそこねて、道のわきのドブに落ちてしまいました。
子ども一人がすっぽりと入るくらいの|溝《みぞ》の中に転がりこんで、ケンタくんはワーワー泣きました。|膝《ひざ》からは、こわいくらいに血が出ていました。自転車のハンドルも曲がってしまって、ドブに落ちた自転車を、ケンタくんは一人で引っぱり出すこともできませんでした。
自転車を置いたまま、ワーワー泣きながら家に帰って、自転車はすぐに直してもらえましたが、膝をけがしたケンタくんは、次の日学校を休みました。痛くて歩けなかったからです。
ケンタくんの膝の傷は治るまでずいぶんかかって、アザになって残ってしまいました。ケンタくんは、その後も自転車に乗るのをやめませんでしたが、自分の膝のアザを見ると思うのです。
「あんなにうるさく乗れ、乗れ≠チて言わなくても、ほっといてくれればいつか乗れるようになったのに、うるさく言うから、こんなひどいケガをしたんだ」と。
なぜケンタくんがそんなことを思うのかというと、同じ年頃の男の子が乗っている自転車には、みんな普通に補助輪がついていたからです。後ろの車輪の横から小さな補助輪が二つ出ている自転車は、転ぶ心配をする必要がありません。時々はどこかの知らない子が補助輪のついた自転車に乗っていて、それを見るとケンタくんは、痛かったケガのことを思い出して、「いいなァ」と思ってしまうのです。
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自分のやることを探すケンタくん
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自分で自転車に乗れるようになっていたのですから、ケンタくんの運動神経はゼロというわけではありません。でも、いろいろなことが重なって、ケンタくんは、学校では「なんにもできない子」になっていました。もしも学校の校庭で自転車を乗り回してもいいのだったら、ケンタくんにだって「自分にはなにか|取《と》り|柄《え》がある」というアピールもできたでしょう。でも、ケンタくんの学校では、校庭で自転車に乗るのは禁止されていました。いいことは、あいかわらずなしです。家では、お母さんに叱られてばかりいました。そして、二年生の終わりにはもっと悲しいことがやって来ました。一番仲のよかったツンちゃんが、お父さんの仕事のつごうで遠くに引っ越してしまったからです。
三年生になったらクラス|替《が》えがあるんだと、ケンタくんは聞きました。二年生のお別れ会の時になっても友だちが一人もできなかったケンタくんは、「三年になって、クラス替えでツンちゃんと同じクラスになったら、きっと友だちだってできる」と思っていたのですが、そのツンちゃんがいなくなってしまいます。ケンタくんは悲しくて泣きました。ツンちゃんの家の荷物を|載《の》せたトラックが出て行く時には、荷台に乗っているツンちゃんに手を|振《ふ》って走りました。ツンちゃんも「さよなら!」と手を振ってくれました。でも、トラックが出て行ったら、もうツンちゃんはいないのです。ケンタくんは一人で、「どうしよう……」と思いました。
三年生で新しいクラスになっても、友だちは一人もできません。違う学校に行っている隣のタカシくんや、タカシくんの家の前のマユミちゃんとは、もうほとんど遊ばなくなってしまいました。「自分の学校で友だちができないのに、よその学校に行っている子とばっかり遊んでいちゃいけないんじゃないか」と思うようになっていたからです。もちろん、そう思う前に、タカシくんやマユミちゃんの感じが変わってしまったということもあります。
私立の学校に行っているタカシくんやマユミちゃんにとっては、勉強がとても大事らしいのです。タカシくんやマユミちゃんは、いつでも家にいるのですが、「遊ぼう」と言っても、あんまりいい返事をしてくれなくなりました。なんだか、遊ぶことをいやがっているみたいです。ケンタくんは、「つまんないな」と思いました。でも、ケンタくんは知りません。一人で電車に乗って遠い学校へ行くタカシくんやマユミちゃんだって、ケンタくんとは違う意味で寂しいのです。
タカシくんやマユミちゃんには、家のそばの友だちが、ケンタくん以外には一人もいません。ケンタくんは、タカシくんともマユミちゃんとも遊びますが、タカシくんは、マユミちゃんとは遊びません。マユミちゃんも同じです。タカシくんやマユミちゃんの家には、時々|親戚《しんせき》の子が来て遊んでいますが、それ以外には、タカシくんもマユミちゃんも、家の外には出てきません。友だちは、家から離れたところに住んでいる、遠い学校の友だちだけなのです。学校から帰って来ると、友だちはいません。学校に友だちのいないケンタくんは、家に帰って来れば、まだ友だちがいます。でも、タカシくんにもマユミちゃんにも、そういう友だちは、ケンタくんしかいないのです。
タカシくんもマユミちゃんも、家の中にいてお母さんに叱られることはありません。ケンタくんは、それをうらやましいと思うのですが、家の中から出ることのないタカシくんやマユミちゃんは、「家に帰って友達と遊ぶ」ということを忘れかけていたのです。
タカシくんは、家にりっぱな電車のオモチャを持っています。部屋いっぱいにレールを|敷《し》いて、電気のスイッチで電車を動かすのです。ケンタくんは、その電車のオモチャがうらやましくてしかたがありません。タカシくんの家に行くと、それで電車ごっこをしようと言います。でも、いつの間にかタカシくんは、それにあきていました。高いオモチャは持っていても、遊び道具はそれしかないからです。
タカシくんの家には、マンガの世界名作全集もありました。字だけの本を読むのがめんどくさいケンタくんは、それが読みたいのです。でも、それをみんな読んでしまったタカシくんは、一人でマンガを読んでいるケンタくんが、時々目ざわりになります。ケンタくんが帰ったら、「タカシ、勉強しなさい!」とお母さんに言われるのに決まっているから、早くケンタくんに帰ってもらって、学校の宿題をやってしまいたいのです。
遊びたくないわけじゃないけど、遊んでいるとお母さんに怒られるし、遊びたいと思っても、私立の小学校に行ってしまったタカシくんには、他に近所の友だちがいません。だったら、家でおとなしく勉強をしている方がましだと、タカシくんは思ってしまうのです。
タカシくんのお父さんは大学の先生で、タカシくんは長男です。タカシくんにはお姉さんと妹がいますが、男の子はタカシくん一人なので、昔の子どもだったタカシくんは、「勉強をして、お父さんみたいな先生にならなければいけない」と思っていたのです。
タカシくんの家の前のマユミちゃんは、ピアノを習っていました。マユミちゃんの家は、近所でも一番大きな家で、お父さんは大きな会社の重役でした。マユミちゃんはいい家のお|嬢《じよう》さんなので、小さいうちからいい学校に通っていたのです。マユミちゃんの家からピアノが聞こえてくると、ケンタくんは遊びに行けません。マユミちゃんはピアノのお|稽古《けいこ》に忙しくて、ケンタくんと遊んでいる|暇《ひま》はないのです。
マユミちゃんには、近くに女の子の友だちが一人もいません。それで、学校から帰って来ると、いつも一人でおとなしくしていました。マユミちゃんも、昔はケンタくんと一緒になってキャーキャーふざけていたのですが、もうそういうこともしなくなりました。本当におとなしい「いいとこのお嬢さん」のようになってしまったので、なんだかケンタくんは遊びに行きにくくなったのです。
タカシくんもマユミちゃんも、家にいる時は、学校にいる時のケンタくんと同じみたいでした。でも、ケンタくんはそう思いませんでした。「二人とも家の中でやることがあって、家にいてもお母さんに怒られないからいいなァ」と思っていました。
ケンタくんはあいかわらず、勉強が好きでも嫌いでもありません。学校から帰って来ると、かならずお母さんから「宿題は!」と言われて、それだけはやりますが、でもすぐにあきてしまいます。小学三年生の宿題ですから、そんなに量があるわけではありません。それでもケンタくんは、すぐ|面倒《めんどう》になってしまうのです。
そんなケンタくんを、お母さんはものたりなく思っていました。自分の子どもなら、もっと勉強ができて、もっと勉強が好きになっていなければならないと思ったお母さんは、宿題の少ないケンタくんのために、学習ドリルを買ってきました。教科は、国語と算数と理科と社会です。
それを見たケンタくんは、はじめ「うれしい」と思いました。クリスマスでもないのに、お母さんがプレゼントをくれたからです。表紙もカラーできれいでした。開けて、一ページ目と二ページ目を見たら、「できる」と思いました。お母さんは、「毎日一ページずつやるんだよ」と言って、ケンタくんは「うん」と言いました。でも、すぐ面倒になってしまいました。
国語は、漢字の書き取りが面倒なので、算数のドリルを開きました。一ページ目の問題はわりと簡単にとけて、答合わせをしたら、一つだけ間違っていました。それで続けて、二ページ目を開けました。お母さんは、「一日一ページずつ」と言いましたが、一日に二ページをやってしまえば、次の日には遊んでいられるからです。
二ページ目の算数の問題は、なんと、全部とけて、答合わせも全部合っていました。それで、三ページ目を開きましたが、いきなりよくわからない問題にぶつかりました。それは、学校で先生が教えてくれたのとは違う問題で、ケンタくんは「こんなの知らない」と思いました。それは飛ばして、次の問題を見ると、そっちはなんとかできそうでしたが、そのまた次の問題は、ケンタくんの知らない問題でした。「こんなの学校で習ってない」と思うと面倒になって、ケンタくんは算数のドリルを閉じてしまいました。
「算数なら、もう二日分やったからいいや」と思うケンタくんは、「次になにをやろうかな?」と思って、社会のドリルと理科のドリルと、国語のドリルを見ました。そして、「自分は毎日四ページもドリルをやらなければいけない」ということに気がつきました。なんだか、とても面倒です。
ドリルを見ると、学校で習ったことばかりがのっています。そして、時々は学校で習ったことがないことものっています。学校で習ったことは、「もう知っている」と思いました。「知っていることは、勉強しなくてもいい」と思いました。学校で習わなかったことは、「習わなかったから、知らなくてもいいんだ」と思いました。ケンタくんにとって、勉強というのは「学校でやること」で、学校の先生が教えてくれたことが理解できたら、もうそれ以上のことはやらなくてもよかったのです。
学校でおとなしいケンタくんは、先生の教えてくれることを黙ってよく聞いています。もちろん、時々つまらなくなります。「休み時間になったらどうしよう?」と思うからです。またひとりぼっちで、教室や校庭の隅にぼんやり立っているのはいやなのです。
ケンタくんにとって重要なことは、勉強の時間ではなくて、休み時間のすごし方でした。勉強は、学校の授業の時間だけで十分だと思いました。「学校で習ったことのない問題を、どうしてとかなきゃいけないんだろう?」と、ケンタくんは思ったのです。
ケンタくんは、問題をじっくりと考えることができません。ケンタくんが考えるのは、「この問題は知っていることなのか? それとも、知らないことなのか?」という、それだけです。知っているならとけますが、知らない問題ならとけません。「知らないように見える問題でも、よく考えたらとける」というふうに、ケンタくんは考えられません。知らない問題は、ただ「知らない」なのです。
だからケンタくんは、「問題をよく読んで、じっくり考える」ということができません。「そんなことをしたら、自分が勉強のできないだめな子だということがバレてしまいそうな気がする」と思っていました。ケンタくんがそんなふうに考える理由は簡単です。ケンタくんがべつに勉強が好きではなくて、「なんでこんなことしなくちゃいけないんだろう?」と、心の底で考えていたからです。
お母さんは、「勉強をしろ」と言います。そう言って怒るので勉強をしますが、宿題のない日には、なにもすることがありません。だからそんな時には、「今日は宿題ないもん」と言うのですが、そうするとまたお母さんは、「宿題がなくても勉強しろ!」と言います。「宿題がないのに、なんの勉強をすればいいんだろう?」と、ケンタくんは|悩《なや》んでしまいました。
だから、お母さんが勉強のドリルを買ってきてくれた時には、「そうか、これを勉強すればいいのか」と思いました。でも、やっぱりケンタくんはわからなくなるのです。
三年生になって代わった新しい担任の先生も、「できないことはできるまでやりましょう」と言います。それはケンタくんにもわかります。できないことは、ちゃんと勉強をしなければいけません。でも、ケンタくんには、「できること」と「できないこと」の差がわかりません。ケンタくんにわかるのは、「知ってること」と「知らないこと」の違いだけなのです。
「知ってること」は、もう知っているんだから、勉強をしなくてもいいと思います。「知らないこと」は、学校で教えてくれないことなのだから、勉強をしなくてもいいと思います。じゃ、なにをすればいいのかということになると、よくわかりません。
「できないこと」というのは、不得意な科目のことなのですから、不得意な科目の勉強をすればいいはずですが、ケンタくんには、なにが自分の不得意な科目なのかが、よくわからないのです。
一番不得意な科目がなんなのかは、はっきりしています。体育です。でも、それだけではありません。成績表を見ればわかります。成績の評価は五段階で、一番いいと「5」、だめな科目には「1」がつきます。ケンタくんの成績表には、5もありますが、4も3も2もあります。5が得意科目で2が不得意科目のはずですが、ケンタくんの成績表は、それが一定していないのです。体育の2はいつも変わりませんが、それ以外の評価はいつでもコロコロ変わります。5は、よくても一つか二つで、あとはグチャグチャです。「不得意科目をなくす」ということになったら、ケンタくんは、オール5にならなければなりません。そんなことは、むりです。
「オール5の子」というのは、明るくて元気がよくて、みんなに好かれて勉強もよくできる子です。もちろん、運動だってよくできます。隣のクラスの大山くんは「オール5」だといいますが、ケンタくんは大山くんがどんな子かを知りません。学校で人と口をきかないケンタくんには、誰が「大山くん」なのかさえもわからないからです。
「オール5」というのは、それくらいのスターみたいな人なのです。ケンタくんは、とても自分が「オール5」になれるとは思いませんでした。「オール5」になったらお母さんにも怒られないし、学校の先生やみんなにも好かれるはずなのですから、「なれたらいいなァ」とは思います。でも、「なれたらいいなァ」と思ったってなれるはずもないのですから、「なろう」とか、「なるために努力をしよう」などという気には、とてもなれないのです。算数のドリルを二ページやっただけであきてしまったケンタくんは、「絶対にオール5なんてむりだ」と思いました。
でも、ドリルをやらないと、お母さんに怒られます。勉強をしたくないケンタくんは、「こんな時に誰か、ケンタくん、遊ぼう!≠ニ言って来てくれないかな」と思いました。
ケンタくんのお母さんは、ケンタくんが家にいると怒ります。ケンタくんが勉強をしなくても怒ります。もちろん、ケンタくんが勉強をしている時でも怒ります。でも、たった一つだけ怒らない時があります。ケンタくんが外で遊んでいて家にいないと、怒らないのです。外で遊んでいれば、当然勉強はしません。それなのに、外で遊んでいたケンタくんが家に帰って来ても、「どうして勉強もしないで遊んでばかりいる!」という怒り方をしないのです。
ケンタくんのお母さんは昔のお母さんですから、家の中ですることがいっぱいありました。ケンタくんの家には、まだ|掃除機《そうじき》もありませんし、|洗濯機《せんたくき》も冷蔵庫もありませんでした。掃除や洗濯は毎日手でして、食事の材料も毎日買いに行きました。|炊飯器《すいはんき》もなくて、ご飯はマキを割って、毎日外で|炊《た》きます。お母さんは、小さな妹の世話をしなければなりませんし、もちろん、お菓子屋のお店の仕事もしなければなりません。お母さんは忙しくて、家の中にケンタくんがいると、そこに「母親の義務」というような余分な仕事が増えた気がして、ついイライラしてしまうのです。もちろん、ケンタくんはそんなお母さんの心理なんか知りません。でも、お母さんと長くつきあっているうちに、お母さんにも怒らない時があることがわかってきたのです。
お母さんが怒るのは、ケンタくんが邪魔になる時です。ケンタくんが家でボーッとしていると、お母さんは怒ります。勉強ができなくても怒ります。でも、ケンタくんがお母さんの邪魔にならない時は怒りません。ケンタくんが外に遊びに行っても怒られないのはそのためです。そして、ケンタくんにはもう一つ、怒られない時がありました。家の仕事のお手伝いをしている時は、ほとんど怒られないのです。
ケンタくんが家でぼんやりしていても、「お使いに行ってくれ」とか、「お店番をしててくれ」とか言われる時は、絶対に怒られないのです。だから、そんなにいつでも近所の友だちと遊んでいられないケンタくんは、「そのかわりに、家の仕事の手伝いをすればいいのだ」と思うようになったのです。
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家の仕事の手伝いをするケンタくん
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もともとケンタくんは、自分の家の仕事の手伝いをするのが、嫌いではありませんでした。
ケンタくんの家の庭の隅っこには|鶏《とり》小屋があって、そこではニワトリを何羽も飼っていました。以前は、その庭も畑になっていたのですが、それはもうやめて、鶏小屋だけが残っていました。ニワトリの世話をするのはおじいさんの仕事でしたが、時々おじいさんは朝ご飯の席で、「ケン、鶏小屋を見てこい」と言いました。ニワトリが卵を生んでいるかもしれないからです。
ニワトリの生んだ卵は、朝ごはんのおかずになります。もし、ニワトリが卵を一つしか生んでいなかったら、その卵は、取りに行ったケンタくんのものになります。だから、ケンタくんは「鶏小屋を見てこい」と言われると、よろこんで「うん!」と言いました。
はじめは、ケンタくんも鶏小屋の中に入るのがこわかったのです。地面はニワトリの|糞《ふん》だらけですし、近よるとニワトリは、騒いで|突《つ》っつきそうになります。でも、おじいさんと一緒に鶏小屋の中に入って、おじいさんのしているのを見ているうちに、こわくなくなりました。そっと中に入って、戸を閉めて、巣箱の中に座っているニワトリの下に手を入れると、普通に卵は取れるからです。
ニワトリは、毎朝卵を生んでくれるわけではありません。鶏小屋に行っても、卵がない時があります。でもおじいさんには、卵がある時とない時がわかるらしいのです。朝ご飯の前に、「おじいちゃん、鶏小屋に行ってもいい?」とケンタくんが聞くと、「今日はないかもしれんぞ」と言う時があります。そういう時はほんとにないのです。「ないかもしれんが、行ってみろ」と言う時は、だいたい一つだけあります。そういうおじいさんを見て、ケンタくんは、「ぼくもニワトリを飼う名人になりたい」と思いました。
だから、学校に行くのがいやな時は、おじいさんの後をついて、ニワトリを見に行ったりしていました。学校から帰って来た時、おじいさんが菜っぱを|刻《きざ》んでニワトリの|餌《えさ》を作っているのを見た時には、「それくらいならできる」と思って、「やらせて」と言いました。菜っぱを刻んで大きなカンに入れて、そこにお米のヌカと水を入れて混ぜるのです。包丁を使ってご飯のおかずを切ることはできませんが、ニワトリの食べる菜っぱを刻むのならできると思ったのです。最初は、おじいさんに見てもらっていて、でも、その餌を作って鶏小屋まで持って行って、ニワトリに食べさせるのは、すぐにケンタくんの仕事になりました。それをやっていると、「ぼくだって不器用じゃないんだ」と思えるから、ケンタくんはうれしいのです。
家の庭でマキを割ってご飯を炊くのも、おじいさんの役目でした。
大きなブリキの空きカンにお|釜《かま》をのせて、ご飯を炊きます。カンの横の下の方を切って、そこに丸めた新聞紙と、細く切ったマキを入れて火をつけます。火の中に少しずつ大きなマキを入れて、火の力を強くするのです。ナタという|頑丈《がんじよう》な包丁のような|刃物《はもの》で、板を割ったり折ったりして、マキを作るのです。
おじいさんがご飯を炊く時、ケンタくんはそばでよく見ていました。ナタで木を割るのがおもしろそうなので、|薄《うす》い板がある時は、「やってもいい?」と聞きました。おじいさんは、「危ないぞ、手を切るなよ」と言いながら、ケンタくんにナタを貸してくれました。ナタは鉄の|塊《かたまり》ですから、かなりの重さがあります。ケンタくんはそれを持って、割りやすそうな薄い板を取りました。
おじいさんのやっていることは、いつも見ていることなので、すぐにできそうでした。でも、実際にやってみると、ただ見ている時とは違って、いろいろなことを考えるのが必要でした。
板を細いマキにするためには、板を立てなければなりません。だから、ナタを右手に持って、左手で板を支えなければなりません。それをしないと、割ろうとした板が倒れてしまいます。おじいさんが「手を切るなよ」と言ったのは、注意しないと、右手に持ったナタで、板を支えている左手を切ってしまうことがあるからです。はじめてのケンタくんは、ナタを持った右手にばかり注意がいって、板を持つ左手の方が注意不足になってしまいました。それを見たおじいさんは、「板をちゃんと持たんと」と言って、ケンタくんの左手に手をそえて、ギュッと持つことを教えてくれました。
それから、木には|木目《もくめ》というものがあって、板を割る時には、木目が地面に垂直になるように立てて、木目にそってナタを入れないとうまく割れないということも。ケンタくんはすぐにマキ割りを覚えて、その次には、火のつけ方も教えてもらいました。
ケンタくんのおじいさんは、ケンタくんをやさしくかわいがるという人ではありませんでした。どちらかというと、小さな子につきまとわれるのを面倒くさがる人でした。でも、ケンタくんが知りたがったりやりたがったりすることを、いつも怒らずにちゃんと教えてくれました。それでケンタくんは、「おじいさんのしていることなら、みんなできるようになりたい」と思って、「きっとできるようになる」と思っていたのです。
もちろんケンタくんは、それ以外にもいろいろと家のことをしていました。
ご飯の前には台所へ行って、おハシや|茶碗《ちやわん》や、お|椀《わん》やお皿を、きちんとテーブルの上に並べます。
家族の多いケンタくんの家では、食事のしたくも大変です。おばあさんとお母さんと叔母さんの三人が、台所で忙しくしていて、したくができるとケンタくんを呼ぶのです。小学校に入った時から、テーブルに食器を並べるのは、ケンタくんの仕事になっていました。ケンタくんは、そういうことをいやがりません。ケンタくんの家では、みんながそれぞれに自分の役割を持って働いていたので、ケンタくんも、その仲間入りがしたいと思っていたのです。
幼稚園を卒業した時、ケンタくんのオモチャ箱が捨てられたことを、覚えている人もいると思います。お母さんに、「もう、これはいらないね?」と聞かれて、ケンタくんが「うん」と言ってしまったのは、ケンタくんが大人の仲間入りをしたかったからです。
ケンタくんの家の人はみんな働いていて、オモチャで遊んでいるのは、まだ小さい妹をのぞいたら、ケンタくん一人でした。「もう小学生になるのに、いつまでも小さな子みたいに、オモチャで遊んでいたら恥ずかしいな」と思って、ケンタくんはお母さんの言うことに、「うん」と答えてしまったのです。
もちろん、人間はそんなに簡単に、大人にはなれません。子どもの時から長い時間をかけて、少しずつ大人になっていくのです。でも、小さいケンタくんには、そんなことがわかりませんでした。
ケンタくんの家は大人ばかりで、まだ小さい妹は、ろくにおしゃべりもしません。ずっと前に子どもだった大人は、子どもの頃のことを忘れて、「もう少しゆっくり子どものままでいなさい」とは言いません。子どもの相手をするのが面倒くさくなって、「さっさと大人みたいになりなさい」と言います。だからケンタくんも、「早く大人の仲間入りをして、みんなと一緒にいろんなことができるようになりたい」と思ったのです。
でも、思うことと、できるようになることとは別です。だから、「オール5になれたらいいなァ」と思っても、それだけでは「オール5」になれないのです。大人になったつもりでも、小学生になったばかりのケンタくんには、できないことだらけでした。だから、学校へ行っても萎縮してしまって、口をきけないでいたのです。
ケンタくんには、やっぱりそのことがつらくて、「オモチャを買ってもらいたいなァ」と思いました。
隣のタカシくんは、立派な電車のオモチャを持っています。引っ越してしまったツンちゃんも、いろんなオモチャを持っていました。駅前のオモチャ屋さんには、いろんなオモチャを売っていて、カッコいいピストルや自動車のオモチャがいっぱいありました。お母さんと一緒にデパートへ行っても、オモチャ売り場の前を通ると、「ここから動きたくないなァ」と思ってしまいます。小さな妹がだだをこねて、オモチャ売り場の前で動かなくなってしまうと、「もう少しこのままでいてくれないかなァ」と思ってしまいます。でも、そう思っているくせに、ケンタくんには、「オモチャがほしい」とは言えないのです。
幼稚園を卒業する時、お母さんに「もう、いらないね?」と言われて、自分から「うん」と言ったために、ケンタくんのオモチャはなくなったのです。しかも、ちゃんとした小学生になるつもりだったのに、そんなふうには全然なれません。ちゃんとした小学生にもなれないくせに、自分から納得して言ったことを、自分から裏切ってはいけないと思ったのです。
お母さんと一緒にデパートへ行っても、「オモチャがほしい」とか「オモチャ買って」とかは言えません。「そんなことを言ったらきっと怒られる」としか思えないのです。
叔母さんやおばあさんはやさしいので、一緒に出かけると、「なんかほしい? なんか買ってあげようか?」と、ケンタくんに言います。でもケンタくんは、素直に「あれがほしい」とは言えないのです。「クリスマスになったらオモチャが買ってもらえるから、それまで|我慢《がまん》しよう」と思います。
一度、|誘惑《ゆうわく》に負けて、「これがほしい」と高いオモチャを指さしてしまったことがあります。でも家に帰ったら、お母さんに、「こんな|贅沢《ぜいたく》なもん買ってもらって!」と怒られました。それからこわい顔で、「ちゃんとこれで遊ぶんだね?」と、念を押されました。ケンタくんは「うん」と答えましたが、「やっぱり、自分はしてはいけないことをしてしまったのだ」と思いました。
高いオモチャは自分のものになって、それで「遊ぶ」という約束をお母さんとしましたが、学校から帰ってそれで遊ぼうとすると、お母さんがジロッとにらみます。ケンタくんは、それでオドオドしてしまいます。まるで、してはいけないことをしているみたいになりました。なんだかお母さんに、「さっさと外へ行って遊べ!」と怒られているような気がして、ケンタくんはオモチャを置いたまま、外へ行ってしまいました。それで結局、ケンタくんは、「わがままだからオモチャをねだって、それにすぐあきて遊ばなくなってしまうどうしようもない子」になってしまうのです。
ケンタくんは、それがいやでした。人からほめられたくないわけではないのですが、そんなことよりも、お母さんから怒られないように、家の中でする「自分の役目」をふやしたいと思ったのです。
ケンタくんは「なにをすればいいんだろう?」と思いましたが、思いつきません。そのことを気づかせてくれたのが、ケンタくんのお父さんです。
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お父さんと一緒に配達をするケンタくん
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ケンタくんの家では、家の人のする役割が、だいたい決まっていました。お菓子屋の店で、お店に出てお客さんの相手をするのは、おばあさんの役目でした。お母さんは、家の中のことをしていました。
ご飯を炊いたりニワトリの世話をしていたおじいさんは、|奥《おく》にいて|帳簿《ちようぼ》をつけたり、お菓子の仕入れをするために|問屋《とんや》さんへ行ったりしていましたが、もう一つ仕事がありました。電車で四つ先の駅の前には、ケンタくんの家の「支店」があって、おじいさんはそこに行ってお菓子を売っていたのです。
洋裁学校に行っていた叔母さんは卒業をして、近所のお店と|契約《けいやく》をして洋服のデザインをしていましたが、時間が空いている時はおじいさんと交代して、「支店」でお店番をするのです。ケンタくんの家では、みんなが忙しく働いていました。
でもケンタくんのお父さんはまた別で、オートバイに乗って、アイスクリームの配達をしていました。ケンタくんのおじいさんとおばあさんのやっていたお店は、問屋さんからお菓子を仕入れて来て売る「小売店」ですが、ケンタくんのお父さんの仕事は、それとは違って、よそのお菓子屋さんにアイスクリームを届けて売る、小さな問屋さんだったのです。
よそのお父さんなら、朝会社に行って、夕方に家へ帰って来ます。だから、お|土産《みやげ》も買って来てくれます。でも、ケンタくんのお父さんは、会社へは行きません。自分の家が「会社」で、オートバイに乗ってよそのお店へアイスクリームを届けに行くだけです。「もしも、うちのお父さんが会社に勤めていたら、きっとよその家みたいに、オモチャをお土産で買って来てくれるのに」と、ケンタくんは思いましたが、そういうことにはなりませんでした。でもそのかわり、お父さんは暇な時、ケンタくんをオートバイの後ろに乗せてくれました。もちろん、ケンタくんは、それが大好きでした。
仕事がない時は乗せてくれますが、仕事の時には、大きな保冷ケースを後ろに載せるので、ケンタくんは乗せてもらえません。お父さんの仕事が忙しくなれば、ケンタくんはほとんどオートバイに乗せてもらえないのですが、仕事が増えてお得意さんも多くなったお父さんは、オートバイのかわりに、小さなトラックを買いました。「軽三輪」という小さなトラックですが、それには、運転席の横に小さな助手席がついていました。だから、配達に行く時でも、ケンタくんは助手席に乗ることができたのです。
ケンタくんが学校から帰って来た時、たまたま配達に行くお父さんが家にいると、お父さんはケンタくんに、「行くか?」と言います。よろこんで「うん!」と言うと、ケンタくんはランドセルを放り投げて、軽三輪の助手席に乗ります。そして、お父さんと一緒に配達に行くのです。
はじめのうちはドライブとおんなじで、助手席に座って外の景色を見ているだけでした。車を止めたお父さんが、「待ってろよ」と言って、車を降ります。後ろの荷台に置いてある保冷ケースの中から、アイスクリームが何十個もつまっている箱を取り出して、お店の人に|渡《わた》すのです。それだけのことなのに時々時間がかかるのは、アイスクリームを渡すのと一緒に伝票を渡したり、お店に置いてあるショーケースの中に、箱から取り出したアイスクリームを入れたりしているからです。
「待ってろよ」と言われたケンタくんは、全然知らない場所の全然知らないお店の前に止まった軽三輪の助手席で、おとなしくしていました。でも、配達というのは一か所だけではありません。|何軒《なんげん》ものお店を回って、家に帰って行くのです。車が出発して、また止まって、それからまた出発して、ということを繰り返しているうちに、ケンタくんは、あきてきました。「待ってろよ」と言われたにもかかわらず、自分で車のドアを開けて、助手席から外に出て、車の横に立っていました。たまたまそこにお店の人がいて、お父さんと話をしていたのですが、立って見ているケンタくんに気がついて、「お子さん?」とお父さんに聞きました。
お父さんは笑いながら「はい」と言って、それからケンタくんに、「ほら、あいさつしろ」と言いました。そういう時、お母さんだと、「ぼやぼやしてないであいさつしろ!」と怒るのですが、お父さんは怒りません。お母さんは、ケンタくんがなにかをできないと怒りますが、お父さんは、まだ小さいケンタくんならなにもしなくてもいいと思っているので、怒ったりはしないのです。怒られないで、ただ「あいさつしろ」とだけ言われたので、ケンタくんもうれしくなって、「こんにちは」と、笑いながら言いました。
ケンタくんの様子を見たお店のおばさんが「えらいわね」と言ってくれたので、ケンタくんは、「今度からお父さんと一緒に降りて、お店の人にあいさつしよう」と決めました。
もちろん、どのお店の人もケンタくんにやさしいというわけではありません。ケンタくんが「こんにちは」と言っても、知らん顔をしている、|不機嫌《ふきげん》そうなおじさんやおばさんもいます。でも、ケンタくんは気にしませんでした。お店の人は、ケンタくんのお父さんのお得意さんでお客さんなのですから、どんなに相手が不機嫌でも、ケンタくんの方から愛想をよくしないといけないのです。
家でお店番をしているケンタくんのおばあさんは、自分の店にお客さんが来ると、いつも愛想よく笑って頭を下げながら、「いらっしゃいませ」と言います。こわい顔をしてケンタくんのことを怒っていたお母さんだって、その時お店にお客さんがやって来たりすると、急にやさしい声になって、「はーい、いらっしゃいませ」と言います。そのうそみたいなお母さんの態度に、ケンタくんは「ずるい」と思いましたが、お店でお客さんの相手をする以上は、しかたがないのです。「お客さんには、愛想をよくして頭を下げる」ということを、ケンタくんはよく知っていました。
だからケンタくんは、配達に行ったお店の人が不機嫌でも、気にしませんでした。「こっちにはすることがあるんだ」と思って、お父さんのいる車の荷台の方に行きました。そして、車の荷台に上がって保冷ケースの中からアイスクリームの箱を取り出しているお父さんの姿を見ていました。自分にもなんかすることがあるような気がしましたが、よくわかりませんでした。
そんなケンタくんが自分のすることに気がついたのは、別のお店に行ってあいさつをした時です。そこのおばさんはやさしい人で、ケンタくんが「こんにちは」と言うと、いつも笑って、「こんにちは、えらいわねェ」と言ってくれます。その日も、ケンタくんが「こんにちは」と言うと、「こんにちは、いつもえらいわねェ」と言ってくれました。ケンタくんはうれしくなって、「このおばさんのために働いてあげよう」という気になりました。そして、車の荷台に上がってアイスクリームの箱を取り出そうとしているお父さんのところまで行って、「持ってく!」と言いました。アイスクリームが何十個も入っている箱は、ケンタくんが|両腕《りよううで》で抱えなければならないくらいの大きさがありましたが、ケンタくんは、「一つくらいなら持てる」と思ったのです。
お父さんは、「大丈夫か?」とも言わずに、「ほれ」と、ケンタくんにアイスクリームの箱を持たせました。ケンタくんはそれを両腕で抱えて、落とさないように、おばさんのいるお店の中に持って行きました。お店の中にまで入ったのは、その時がはじめてだったので、いつもお父さんがしているように、「毎度ありがとうございます!」と言いながら入りました。
そうするとおばさんは、にこにこ笑いながら、「はい、ごくろうさん」と言ってくれました。
ケンタくんが、「どこに置きますか?」と言うと、おばさんは、「そこに置いてちょうだい」と、お店のアイスクリームのショーケースを指しました。ケンタくんは、そこにアイスクリームの箱を置いて、「これでもうやることは終わったのかな?」と考えました。外にいるお父さんのところへ行って、なにをするのか聞こうと思ったところで、別のアイスクリームの箱を持ったお父さんが、お店に入って来ました。そして、ケンタくんの置いた箱と自分の持って来た箱の二つを開けて、ショーケースの中にきちんと入れ始めました。
ケンタくんは、「そうか、それをするのか」と思いましたが、自分にはまだお父さんみたいに、たくさんのアイスクリームをきちんと並べられる自信がありませんでした。
お父さんのすることを立って見ているケンタくんの様子を見ていたおばさんが、ケンタくんに、「いつもお手伝いするの?」と言いました。
ケンタくんは、こくんとうなずきましたが、でも考えたら、お手伝いはその日がはじめてだったので、「ちょっとうそをついた」と思って、恥ずかしくなってしまいました。
その日からケンタくんは、アイスクリームの箱をお店に運ぶのを「自分の仕事だ」と思うようになりました。そして、機嫌が悪かったり感じが悪かったりするおじさんやおばさんを好きにはなれませんでしたが、そういうことは顔に出さないようにして、どのお店でも同じようにして手伝いました。そして、感じの悪いおじさんやおばさんが、時々は「いい人」にも見えたりするのだということも、発見しました。
小さなケンタくんがちょこちょこと動き回って働きたがるのを見たお父さんも、アイスクリームの箱を持って行くだけではなくて、それと一緒に渡す伝票をケンタくんに見せて、「これを渡して、ハンコを押してもらえ」と、新しい仕事もくれるようになりました。
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お店番をしながら本を読むケンタくん
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自分のすることが見つかったケンタくんは、それまで以上に、お父さんと一緒の配達を楽しみにするようになりました。でも、ケンタくんには学校があります。お父さんのしていることは「お仕事」なのですから、必要な時には一人で配達に行ってしまいます。いつでも、学校から帰って来るケンタくんを待っているわけにはいかないのです。
ケンタくんが学校から帰って来ると、もうお父さんは配達に行ってしまっていることが、いくらでもあります。家の前に止めてあるはずの軽三輪がなかったら、お父さんはいないのです。もう出かけてしまったのかもしれませんし、まだ帰って来ていないのかもしれません。まだ帰って来ていないのだったら、夕方の配達に連れて行ってもらえるかもしれません。それで、学校から帰って来ると、「お父さんは?」と聞くようになりました。
「まだ帰って来てないよ」と言われるのだったらいいのですが、「もう行っちゃったよ」と言われたら、その日の配達には行けません。ケンタくんはつまらなくなって、お店番をしているおばあさんに、「おばあちゃん、なんか手伝うことってなーい?」と聞くようになりました。
ケンタくんのおばあさんは、ケンタくんをかわいがることが好きなので、特別に「なにかをしておくれ」と言うことはありません。それで、ケンタくんのお母さんは、おばあさんがケンタくんを甘やかすと思っていたりもします。でもケンタくんは、いつもお店にいて働いているおばあさんのために、なにかをしてあげたいのです。
ケンタくんが、「おばあちゃん、なんか手伝うことってなーい?」と言うと、おばあさんは、たいていにこにこ笑って、「いいよ」と言います。「べつに、なんにもしなくていいよ」という意味です。でも、ケンタくんはなにかをしたいので、「じゃ、水まいてあげる」とか、「掃除してあげる」と言うようになりました。
ケンタくんのおばあさんは、いつもお店の前の道を掃除していて、掃除をした後は、道に水をまきます。ケンタくんの家の前の道は、まだ|舗装《ほそう》されていない土の道なので、そのままにしておくと、|埃《ほこり》が立ちます。だから、掃除の後には、バケツの水をヒシャクでくんで、道にまくのです。そういう作業を「打ち水」というのですが、ケンタくんは、それがやりたいのです。掃除だとちょっと面倒ですが、水まきは、水遊びの延長のような気がするのです。
ケンタくんのおばあさんは、ヒシャクを使って水をまきますが、おじいさんは道具を使わず、直接バケツの中に手を入れて、チョッチョッチョッと、上手に水をまくのです。「打ち水」というのは、道を|湿《しめ》らせて埃を立たせないようにする作業なので、水たまりを作らないように、均一に水をまかなければいけません。おじいさんは、それが上手なのです。いつかケンタくんはそれができるようになりたいと思いますが、まだできません。だから、「その練習をしよう」と思ったのです。
ケンタくんのおばあさんは働き者なので、自分の仕事をあんまり人にさせようとは思いません。でも、ケンタくんが水まきや掃除をしたがるので、そのうち、「ちょっとお店を見ててくれるかい?」と言うようになりました。どっかへ行くのではなくて、お店番以外にもすることがあるので、ケンタくんがお店を見ててくれるなら、その間に別の仕事をしようと思ったのです。
「別の仕事」というのは、たとえば、ケンタくんの夏の|浴衣《ゆかた》を|縫《ぬ》うことです。昔のお母さんやおばあさんにとって、自分の家の服や着物を自分で縫うのは当たり前でしたから、少しでも時間があったら、そういうことをしようと思ったのです。
もちろんおばあさんは、ケンタくんにお店の仕事ができるとは思いません。昔のお菓子屋さんは、パック詰めになっているお菓子を売るのではなくて、お客さんが来るたびに、いちいち計って売っていたのです。
たとえば、「四百グラムで百円」というおせんべいをお客さんが買いに来た時、お客さんは、「そのおせんべいを五十円ください」とか、「そのおせんべいを百グラムください」という買い方をします。「四百グラムで百円」のおせんべいなら、五十円だと「二百グラム」です。「百グラム」を買うのなら、値段は二十五円です。お店の人は、お客さんの言う通りに、おせんべいをハカリで量って、それでいくらになるかを計算しなければいけないのです。つまり、お店番をするということは、そういう複雑な算数の計算がちゃんとできなければいけないのです。
ケンタくんの家の人達は、みんなその計算ができます。でも、三年生になったばかりのケンタくんには、その自信がありません。だから、「お店番をする」と言っても、ちゃんとしたお店番ができないのです。
ケンタくんのおばあさんには、そのことがよくわかっていました。だから、ケンタくんにお店番を頼むのは、お客さんがあんまり来ない時間帯に限ってのことです。そして、「奥にいるから、お客さんが来たら呼んでおくれ」と言って、ケンタくんにお店をまかせます。「お店を見ている[#「見ている」に傍点]」というのはその通りのことで、ケンタくんは、お店にお客さんが来るのを見ているだけ≠ネのです。
「くださいな」と言ってお客さんがやって来ると、ケンタくんは「いらっしゃい」と言って、それからお店の奥にいるおばあさんを呼びます。できるのは、「おばあちゃーん!」と呼ぶだけの、とても楽な仕事です。お客さんが来るまでの間、ケンタくんはぼんやりとお店に座っていればいいのです。それでもケンタくんは、「自分はお店番ができる」と思っていました。
ところで、ケンタくんの家の「支店」のことです。電車で四つ離れた駅の前にある小さなお店には、おじいさんと叔母さんが交代で行っていました。そして、時々その「支店」の方から、「本店」の方に|依頼《いらい》が来るのです。「お|釣《つ》り|銭《せん》がたりなくなったから持って来て」とか、「必要なお菓子がたりなくなったから、ちょっと持って来て」とか、そういう依頼です。お父さんがいる時なら、バイクや軽三輪でさっと行けますが、お父さんがいない時には、お使いに行く人がいません。それで、ケンタくんが一人で行かされるのです。
隣のタカシくんやマユミちゃんにとって、一人で電車に乗って学校に通うのは普通のことですが、ケンタくんにとって、一人で電車に乗るのは、特別なことです。だから、少し緊張もしますが、ワクワクもします。「支店」にお金を持って行く時などは、落としたり|盗《ぬす》まれたりしないように、大きなお|財布《さいふ》を、ケンタくんのお|腹《なか》に布で巻くのです。その上に服を着て、大事なものはなにも持っていないような顔をして、一人で電車に乗ります。だから、よけいにケンタくんは、ワクワクしてしまうのです。
「支店」に行くのは大好きです。おじいさんがいる時ももちろんですが、叔母さんがいる時は、特にです。普段からやさしい叔母さんは、まるでケンタくんが一人で危険な大旅行をして来たみたいに思って、特別にやさしくしてくれるからです。それだけでもうれしいのですが、「支店」にはもう一つの楽しみが、ケンタくんを待っていました。それは、本です。「支店」には、ケンタくんが読めるようなお話の本が、いっぱい|揃《そろ》っていたからです。
ケンタくんは、絵本を読むのが大好きでした。まだ字が読めない頃には、おばあさんに読んでもらいました。自分で読めるようになると、自分で読んでいました。でもその絵本も、「もう小さな子どもじゃないんだから、絵本はおかしい」という理由でなくなっていました。
ケンタくんの家の近くには年上のお兄さんも住んでいて、お兄さんの部屋の|本棚《ほんだな》には、「読んでみたいなァ」と思えるような、おもしろそうな本が何冊もありました。家には子ども向けの本がないケンタくんが、お兄さんのところへ遊びに行って、「見てもいい?」と聞くと、お兄さんは「いいよ」と言ってくれます。お兄さんは勉強をしているので、ケンタくんがおとなしくしていてくれるなら、それでいいからです。
ケンタくんは、題名だけは聞いたことのある、子ども向けの|冒険《ぼうけん》小説を本棚から取り出します。見ると、表紙の絵は、なんだかとてもワクワクします。でも、「どんなことが書いてあるんだろう?」と思って中を開けて見ると、中身は字ばっかりで、ところどころに色のついていない|挿絵《さしえ》があるだけです。漢字にはふりがなが振ってあるので、読むことだけはできますが、文章の意味は理解できません。
でも、「読めるかもしれない」と思って、ケンタくんは、勉強をしているお兄さんの横で、その文章を一字一字、声を出して読みました。もちろん、お兄さんは、「うるさいなァ」と怒りました。ケンタくんは、「ごめん」と言って本を閉じました。お兄さんにあやまらなければいけない理由も理解できました。声を出して読むことはできても、ケンタくんには、なにが本に書いてあるのかが、さっぱりわからないのです。
でも、ケンタくんはあきらめませんでした。お兄さんの家に遊びに行くと、いつも「見ていい?」と言って、お兄さんの本を見ていました。読んでもわからないのは変わらないのですが、ケンタくんは、「もしかしたら今日なら読めるようになっているかもしれない」と思って、お兄さんの持っている本を見ていたのです。
字だけの本は、ケンタくんにはわかりません。でも、絵本をなくしたケンタくんは、かわりのものがほしいと思いました。それで、マンガののっている少年雑誌を買ってもらうことにしました。ほんとは、マンガのセリフの文字も時々はわからなかったのですが、絵のあるマンガだと、なんとなくわかったように思えたからです。
でも、その頃の少年雑誌はマンガが少なくて、発行日も一か月に一回です。小さいケンタくんは待ちきれなくて、やっぱり「ご本が読みたいなァ」と思います。
本なら勉強の役に立つし、お母さんにも怒られないだろうと思います。駅前のオモチャ屋さんの隣には本屋さんがあって、そこには子ども向けの本もいっぱい並んでいます。叔母さんと一緒にお使いに行って、本屋さんに入った叔母さんの横で子ども向けの本を見ていると、叔母さんは、「ほしいの? 買ってあげようか?」と言ってくれます。でも、ケンタくんには、「あれ買って」とは言えないのです。
やさしい叔母さんは、本屋さんの棚から子ども向けの本を取り出して、「これはどう?」と、一冊ずつ中身をケンタくんに見せてくれるのですが、ケンタくんには、その本をちゃんと読み通す自信がないのです。
買ってもらっても、ちゃんと読まないとお母さんに怒られます。お母さんは、「ほんとに、お前はすぐにあきるんだから!」と言って怒りますし、ケンタくんも、「もしかしたらそうなのかもしれない」と思っていました。せっかく本を買ってもらって、それを全部読めなくて、お母さんに「すぐあきる!」と言って怒られたら、もう永遠に本は買ってもらえなくなるんじゃないかと思ったのです。
「どれがいいの?」と言ってくれている叔母さんの横で、ケンタくんはもじもじして、「うん……」としか言えません。ケンタくんがはっきりしないので、叔母さんは、「どれ?」と言います。「いるの? いらないの?」と聞きます。
ほんとはほしいのですが、でもケンタくんは、「いる」とは言えません。「いらない」とも言えません。あまりにもはっきりしないケンタくんに、さすがのやさしい叔母さんも、「どっちなの? はっきりしなさい」と、ちょっとこわい声になります。ケンタくんは、「また自分ははっきりしないぐずぐずした子になっちゃった」と思いながら、「やっぱりいらない」と言うのです。
ケンタくんが本気で「いらない」と言っているとは、叔母さんには思えません。だから、「いらないの? ほんとにいらないの?」と、何度も念を押します。でもケンタくんには、やっぱり、買ってもらった本を読み通す自信がないのです。それで、「うん……」と言ったまま、本屋さんを出てしまうのです。
ケンタくんは、こっそり思います。
「もしも、自分の家にはじめっから本があって、読めなくても、ただ見ているだけでよかったら、きっとそのうち、全部読めるようになるのになァ」と。
そんなケンタくんにとっての「宝物」みたいなものが、電車の駅で四つ先の「支店」にはありました。
ケンタくんは、それをなんの気なしに発見しました。「支店」の隅には、お菓子を入れておく大きなブリキのカンがいくつもあって、「支店」に行ったケンタくんは、その中の一つを開けてみたのです。
問屋さんから仕入れて来て、お店に並べきれないお菓子は、カンに入れたままお店の隅に置いておきます。だから、当然そのカンの中にも、おせんべいやビスケットが入っていると思ったのです。ところがそのカンの中には、子ども向けの本がいっぱい入っていたのです。
ケンタくんはびっくりして、「支店」にいたおじいさんに聞きました。
「おじいちゃん、これなァに?」
おじいさんはカンの中を見て、「ああ、それか」と言いました。そして、|驚《おどろ》くべきことを言いました。おじいさんは、「お前にやるよ」と言ったのです。
それは、お菓子会社の景品で、その会社のキャラメルやチョコレートの中に入っているクーポン券を集めて、合計がある点数以上になると、一冊の本と|引《ひ》き|換《か》えてもらえるのです。そういう仕組みになっていたのですが、でもおじいさんは、「誰も取りにこねエから、お前にやる」と言ったのです。
ケンタくんはほんとにびっくりして、「ほんと? ほんと?」と、何回も聞きました。
ケンタくんは、ずいぶん長い間、自分で自分に言い聞かせていました。「家がお菓子屋なんだから、本やオモチャは買ってもらえなくてもしかたがないんだ」と。
よその子から見れば、いつもお菓子を食べられるお菓子屋の子がうらやましいのは当然です。マンガの中でも、「お菓子屋の子はうらやましい」と書かれていました。でもケンタくんは、自分の家の自慢をしたことがありません。生まれた時からお菓子屋のケンタくんにとって、お菓子があるのは当たり前で、よその子ほどお菓子は食べたくないのです。それよりも、オモチャや本の方がほしいのです。でも、ケンタくんには、それが「ほしい」と言えません。言えないのがつらくて、ケンタくんは、「家はお菓子屋なんだからしようがないんだ。ぼくは|恵《めぐ》まれてるんだから、いいんだ」と思おうとしていました。でも正直な話、ケンタくんにとって、お菓子屋というのは、そんなに|魅力的《みりよくてき》ではなかったのです。
ところが、そのお店の隅に置いてあったカンの中から、とんでもない「宝物」が出てきたのです。そこには、『母をたずねて三千里』とか、『|巌窟王《がんくつおう》』とか、『フランダースの犬』とか『|三銃士《さんじゆうし》』とか『秘密の|花園《はなぞの》』とか、有名なお話の本が、全部揃っているのです。まるで、『舌切り|雀《すずめ》』の正直じいさんがもらったツヅラのようです。それを、「誰ももらいに来ないから」という理由で、全部もらえるのです。まるで、夢のようでした。
カンの中にいっぱいの本を見て、ケンタくんは、「これが全部自分のものなら、これを全部家に持って帰ってもいいんだ」と思いました。そう思って、ちょっとだけ迷いました。おじいさんの言った、「誰も取りに来ない」という言葉が、気にかかったのです。
もしかしたら、キャラメルの箱やチョコレートの中に入っているクーポン券を集めている子は、どこかにいるのかもしれません。まだ本がもらえるだけの点数がたまらなくて、それで、ほしいんだけどもらいに来れない子だって、いっぱいいるのかもしれないと思いました。
もしもケンタくんが、景品になっている本をひとりじめして、どこかの子が本をもらいに来たら、どうなるのでしょう。その子は、せっかくの景品がもらえないのです。そして、もらえない本当の理由を知ったら、その子は絶対に怒るでしょう。
ケンタくんは、「お菓子屋の子だから、ずるをしてみんな持ってった」と思われるのがいやでした。それで、全部もらえるはずの本を、元通りカンの中に入れて、そのまま「支店」においておくことにしました。
「一冊だけ借りて帰って、残りのご本は、ここで読むようにしよう」と思いました。そして、「もしも、誰かが点数をためて取りに来たら、その時にはちゃんと、好きな本をその子にあげよう」と思いました。
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ついに学校でうれしいことに出合ったケンタくん
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「支店」に行って、お店番をしながら本を読んでいるケンタくんは、まるで一人で児童文庫の管理をしている図書委員のようでした。
はじめは一冊の本がなかなか読み通せなかったのですが、「これは自分の本なんだ」と思うと、途中でやめてしまうことはできませんでした。ずいぶん長い時間をかけて読み通した最初の一冊は、『母をたずねて三千里』でした。読みながらケンタくんは、何度も泣きました。
「支店」に行って、ケンタくんがお店番をしている間に、誰かが本をもらいに来ることはありませんでした。一冊を読み終えて、次の本を読む時、「支店」にいたおじいさんに、「誰かこのご本取りに来た子、いる?」と聞きました。
おじいさんは、「誰も取りに来ねエんだから、好きなのはみんな持ってけ」と、またおんなじことを言いましたが、ケンタくんはやっぱり、一冊しか持って行きませんでした。次の本は『西遊記』でした。
お菓子の景品の本を、一冊ずつ時間をかけて読んで、ケンタくんの中には、少しずつ小さな変化が生まれていました。
「支店」のカンの中に入っていた本は、実は、小学校低学年向きの本だけではありませんでした。同じような|装丁《そうてい》の本なのに、そこには、小学校高学年向きのものも、中学生向きのものも入っていました。図書館に置いてある本の一番最後には、よく「小学校高学年向」とかの文字が印刷してありますが、カンの中の本もおんなじでした。でも、ケンタくんにはそんなことがわかりませんでした。本の文章には全部ふりがながついていたので、ひらがなが読めれば、ともかく読むことだけはできたのです。
小学校三年生のケンタくんは、知らない間に、小学校高学年向きや、中学生向きの本を読んでいました。よくわからないところは飛ばして、でも、お話がおもしろかったので、平気で読んでいたのです。「支店」にはお母さんが来ませんから、「読んだことがわかったかどうかテストする」とかいうような、|恐《おそ》ろしいこともありません。ケンタくんは、一人で気楽に本を読んでいればよかったのです。その結果は、四年生になってから現れました。
国語の時間です。新しい章に進むたびに、先生はそこに新しく出てくる漢字を黒板に書きました。授業ではまだ習っていないのですが、先生は試しに、「この字が読める人」と、クラスのみんなに聞くのです。
クラスの中には、予習をして来る子もいっぱいいるので、「はい!」「はい!」と手を|挙《あ》げる子が大勢いました。ケンタくんも読めたので、小さな声で、「はい」と、小さく手を挙げました。
先生は、元気よく手を挙げた子を指して、その子がわかると、「それじゃ、これは」と、そのまた次の章に出てくるような、まだ習っていない漢字を書くのです。そういうことが、読める子が一人もいなくなるまで続きました。
はじめのうちは、みんな元気よく手を挙げているのですが、そのうち、先生の書く漢字がむずかしくなるので、手を挙げる子が少なくなってきます。そして気がつくと、一番最後まで手を挙げていられる子は、ケンタくんなのです。
最初の時は、ケンタくんも「まぐれだ」と思いました。でも、そういう授業が何回か続くと、いつも最後まで手を挙げて、難しい漢字をよく読めるのは、ケンタくんになってしまうのです。もちろん、ケンタくんは恥ずかしくて、手を挙げるのもそっとで、「はい」と言うのも、とても小さな声です。「みんながわからないのに、自分一人だけが手を挙げているのはへんかな……」と思って手を挙げると、手の挙げ方も小さくなるし、声も小さくなるのです。ケンタくんがそう思うのも、しかたがありません。学校に来てケンタくんが声を出すのは、出席を取る時以外は、その時だけなのです。
でも、そういうことが何回か続くと、むずかしい漢字を書く先生は、ケンタくんの方を見て書くようになります。「じゃ、これはわかる、ケンタくん?」と、ケンタくんに向いて質問をします。学校に来て、自分の名前をそんなふうにして呼んでもらえるのは、はじめてのことなのです。
ケンタくんは、自分になにが起こっているのか、よくわかりませんでした。一度だけ先生に、「どうしてそんなに漢字が読めるの?」と、みんなのいる前で聞かれたことがあります。でも、ケンタくんは、なにも答えられませんでした。ケンタくんが読んでいるのは、マンガののっている少年雑誌と、お菓子の景品の本だけで、ほかに勉強に役に立つような本は、なにも読んでいません。お菓子の景品の本を読んで、「自分は本が好きなんだ」と思って、学校の図書室へ行ったこともありますが、そこにある本は、どういうわけか、ちゃんと読めないのです。
ケンタくんは、まさか、ふりがなつきのマンガとお菓子の景品の本を読んでいると、いつの間にか漢字もたくさん読めるようになるとは思わなかったので、「わかりません」としか言えなかったのです。
家に帰ったケンタくんは、お母さんに言いました。
「今日、先生にどうしてそんなに漢字が読めるのって、ほめられたよ」
すると、お母さんは言いました。
「読めるだけで、書けなかったらどうしようもないだろう」
ケンタくんは、「うん」と言うしかありません。そして、ケンタくんが「うん」と言うと、お母さんはすぐに白い紙を取り出して、「じゃ、書き取りだ。今日、学校で習った字を書いてごらん」と言うのです。
お母さんは、ケンタくんのランドセルから国語の教科書を取り出して、新しい漢字を読みます。でもケンタくんの欠点は、漢字を読めても、書くのが苦手なことで、すぐにお母さんから、「だめじゃないか!」と言われて、それっきりなのです。
そんなケンタくんが、四年生の二学期を|迎《むか》えました。その日は学級委員の選挙があって、ケンタくんはおとなしく、勉強のできる子の名前を投票用紙に書いていました。
学級委員が決まった後で、いろんな委員の選挙があって、図書委員の選挙もありました。選挙の時にケンタくんが苦手だと思うのは、クラスの友だちの名前や性格をよく知らないから、誰を何委員にすればいいのかわからなくなってしまうことです。運動の得意な「松原くん」を図書委員に選んでもしかたがないはずですが、クラスにあいかわらず一人の友だちもいないケンタくんは、誰の名前を書けばいいのかが、時々わからなくなるのです。
投票を終えたケンタくんは、黙って黒板を見ていました。人気のある子の名前がそこに書かれると、みんなの中から|喚声《かんせい》が上がります。「あんなふうに人気のある子になれたらいいなァ」と、ケンタくんが思っていた時です。黒板を見ていたケンタくんの顔が、真っ赤になりました。そこには、自分の名前が書かれているのです。
そういう選挙の時に、自分の名前が黒板に書かれたことなど、ケンタくんは一度もありません。そんなことが起こるとも思ったことはありません。でも、二学期の図書委員の候補に、ケンタくんの名前が一票だけ入ったのです。ケンタくんは真っ赤になったまま、黒板の方を見られなくなりました。
もちろん、誰もそんなケンタくんのことを気にしません。一票しか入らなかったケンタくんが、図書委員になれるはずもありません。ケンタくんは、「うれしい」とも思えずに、ドキドキしたまま、学校から帰りました。
家に帰ると、お母さんはレース編みをしていました。ケンタくんは、お母さんに言いました。
「お母さん、今日ね、学校で図書委員の選挙があってね、それでね、ぼくにも一票だけ入ったんだよ」
言うだけで、ケンタくんはドキドキです。
お母さんは、レース編みの針を動かしながら言いました。
「それで、図書委員になれたのかい?」
ケンタくんは答えました。
「ううん」
お母さんはレース編みに一生懸命で、ケンタくんのことはどうでもいいみたいでしたが、針を動かしながら言いました。
「なれなかったら、どうしようもないじゃないか」
ケンタくんは、「うん」と言って、また真っ赤になりそうでした。「お母さんに怒られそうだ」と思ったからではなくて、黒板に自分の名前が書かれたことを思い出したからです。
お母さんは、また言いました。
「なれるように、頑張らなきゃだめだろう」
お母さんの目はレース編みの方を見ていて、ケンタくんの方を見ていません。ケンタくんもまた、お母さんの方を見ていませんでした。
ケンタくんは「うん」と言って、お母さんのそばを離れました。もう、お母さんの言う通りにしようとは思いませんでした。ケンタくんはべつに、図書委員になりたかったのではないのです。お母さんにそのことを報告したのは、「学校にも、ぼくのことを認めてくれる人がいるんだよ」ということを、言いたかっただけなのです。
ケンタくんは、自分のクラスに、自分の名前を知っていてくれる友だちが一人でもいるんだとは思いませんでした。でも、自分の名前を知っていてくれる友だちが、一人はいるんだと思いました。そのことだけがうれしくて、図書委員になることなんか、どうでもよかったのです。
でも、お母さんは、そういうことをわかってくれません。だからケンタくんは、「うん」とだけ言って、お母さんのそばを離れたのです。
お母さんのそばを離れて、一人になって、ケンタくんはまた、うれしくてドキドキして、真っ赤になりました。「学校に行っててよかった」とケンタくんが思ったのは、その四年生の二学期の最初が、はじめてのことでした。
学校へ行っても口のきけなかったケンタくんは、そうして少しずつ変わり始めるのです。
[#地付き]つづく
橋本治(はしもと・おさむ)
一九四八年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。在学中の一九六八年に駒場祭ポスター「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへいく」でイラストレーターとして注目される。『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説、戯曲、舞台演出、評論、エッセイ、古典の現代語訳など、その仕事はひとつのジャンルに収まらない。一九九六年『宗教なんかこわくない!』で「新潮学芸賞」、二〇〇二年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で「小林秀雄賞」を受賞。小説に『桃尻娘シリーズ』『つばめの来る日』『蝶のゆくえ』他、エッセイに『これも男の生きる道』『戦争のある世界――ああでもなくこうでもなく4』他、評論に『いま私たちが考えるべきこと』『上司は思いつきでものを言う』『ひらがな日本美術史』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』他、古典の現代語訳に『桃尻語訳 枕草子』『絵本徒然草』『窯変 源氏物語』『双調平家物語』他、著書多数。
本作品は二〇〇五年三月、ちくまプリマ―新書の一冊として刊行された。