その後の仁義なき桃尻娘
橋本 治
目 次
その後《ご》の仁義《じんぎ》なき桃尻娘《ももじりむすめ》
三年A組三十八番 榊原玲奈
大学番外地《だいがくばんがいち》 唐獅子《からじし》南瓜《かぼちや》
法政大学第一教養部 滝上圭介
温州《お》蜜柑姫《みかんひめ》 鉄火場勝負《てつかばしようぶ》
上智大学文学部英文学科 醒井凉子
瓜売《うりうり》小僧《ぼうや》 仁義通《じんぎとお》します
無職 木川田源一
無花果《いちぢく》少年《ボーイ》 戦後最大《せんごさいだい》の花会《はなかい》
中央大学法学部法律学科 磯村 薫
桃尻娘《ももじりむすめ》 東京代理戦争《とうきようだいりせんそう》
代々木ゼミナール早慶上智文系BL 榊原玲奈
その後《ご》の仁義《じんぎ》なき桃尻娘《ももじりむすめ》
―――――三年A組三十八番 榊原玲奈
1
あたしは浪人です。予備校はまだ始まってません。だもんだから、あたしは今ンところ、まだなんにもすることがありません。ただボーッとしてるだけの浪人です。でも、あたしはまだ、驚くべきことに! 高校三年生です!! なんたってまだ卒業式は終ってないんだからッ!
高校生で浪人で、なんだか訳が分りません。ウーッ、畜生。あんなに勉強したのに試験に落ちて。だもんだから頭きて、あたしはもう高校生活≠フ最後の最後だっていうのに、最後の悪あがきで、学校制度のアラさがしを一生懸命やってんです。
ウ―――――――――――――――――――――――ッ、ち・く・し・ょ・お―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!
2
あたしは椅子に坐ってました。外じゃ子供が遊んでました。浪人のあたしはなすすべもなく、閉めきった窓ガラスの向う睨《にら》んでました。透視能力でもつけばいいのにと思って。
春は三月桃の花でした。卒業式は終って、それでもあたしは、まだ今月一杯は高校生で――何故かっつうと学生証の期限は三月三十一日だから(いい加減しつこい)――下手に動くと未練がましさが、この高校生だった時のまんまのお勉強部屋に(しっかりお≠ェついてる)充満するような気がして、あたしはしっかり坐ってました。白い鉛筆口に咥《くわ》えてヒコヒコさせていたのは、アレは、もしも煙草が吸えたならァ≠ニいう願望ででもあったのでしょうか?
あーあー、もうしっかりと、頬杖は突きっ放しです。
「玲奈《れな》ちゃん、お茶飲む?」
母親の伸江さんが言いました。のどかな春の一日です。
「ウゥン」
あたしはお返事をいたしました。二コ続きのウ≠フ片一方が心持ち小さめだったりするのは、積極的に逆らったりする気は毛頭ないけど、でもあんまり素直にうなずいたりなんかしたくないという、ささやかな乙女心の表われだったりいたしました。
「だったらこっちいらっしゃいよ」
伸江さんが言いました。襖《ふすま》は閉めたまんまで声だけです。これで、入試前だったりすると、声がかかるのと同時に襖がホンの少し開けられたりしたのですけれども、今やまったく一向に全然、襖は開けられる気配を見せようとも板死間千《いたしません》。
あたしの目には、伸江さんがDK《ダイニング・キツチン》の椅子にしっかりと腰を下して、後向きのまんまあたしをお茶に誘ってくれている光景がありありと浮んで来ます。ああどっこいしょ。
あたしは長年住み慣れたお部屋を後にして、DKという所へお茶を飲みに出かけました。要するに、流しの前にテーブルが置いてある、公団住宅という四角い箱の中にある我が家という小さな箱の中の一角です。
「どこォ?」
あたしは言いました。見たところ、テーブルの上には湯気を立てたお茶碗の類《たぐい》が一ケもなかったからです。
「どこって、自分で淹《い》れなさいよ」
伸江さんはスーパーの紙袋と相席をしたまんま、年寄り臭く肩などを揉んでいられます。
「ア、そう」
私は申し上げました。おやかんさえもレンジにはかかっていないのです。アーア。
「桜餅があるわよ」
伸江さんが言いました。
「ア、そう」
私はおやかんにお水を入れながらお答えをいたしました。
「あなた、今日どこへも行かないんでしょ?」
伸江さんがおっしゃいました。
「行かないわよ」
時刻は夕方の四時三十二分でした。ウチのおかあさまは御自分の娘の夜遊びを期待でもしてらっしゃるのでしょうか? 何考えてるのか分りません。
「今日、ミートローフでも作ろうかと思って」
伸江さんが言いました。
「手伝おうかァ?」
私が言いました。
「ウーン、そうねェ」
伸江さんは相変らず肩を揉みながら『太陽にほえろ!』の再放送をぼんやりと眺めています。眺めているだけで、見てはいません。
「肩|凝《こ》るの?」
「ウーン、そうねェ」
「揉んだげようかァ?」
「いいわよォ」
「フーン」と言って私も、お湯が沸くまで伸江さんの前に腰を下します。うっかり私≠ェ出て来ちゃうとこなんか、とってもテレビのホームドラマです。でも、テレビのホームドラマじゃ、こんな時絶対にテレビなんか点《つ》けてないけど。
「ア、桜餅そこ」と言って、伸江さんはテーブルの上の紙袋を指さします。桜餅がそこにあります。製造元は第一パンです。紙袋から桜餅と草餅入りのポリエチレンのパックが半分だけ顔を出してるとこなんかは、春は名のみの餅の寒さやです。あたしはホッチキスで止めてあるパックの蓋《ふた》を、それでも丁寧に開けようとして、結局はバリバリと乱暴に引っちゃぶきます。「エイヤッ」と力が余った拍子に、ピンクの桜餅が赤いチェックのテーブルクロスの上にベチャッとひっつきます。ひっつくのは、テーブルクロスがビニールだからです。ああ文明国。
「もう少し丁寧にしなさいよォ」と伸江さんが言います。
「してるよォ」とあたしが言います。パッコンと口をおっ広げたまんまにしてるポリエチレンの容器は、もう輪ゴムででも止めておかない限りはしょうがないやと言って口を閉じようとはしません。十八の女の子のテェネェな動作に関しては、こういうヘンな容器を発明した人に文句を言ってもらいたいと思います。
「あーあー、また肥っちゃうなァ」
そう言いながら平然と、あたしは、デンプンとトオブンとデンプンで出来上った食物のカタマリを口の中にほうりこみます。いっそデブにでもなればお腹の底から不愉快の気分がノッシノッシと湧き上って来てくれるかもしれないけども――というようなことは勿論、アトからくっついた理屈です。
アー、だるい。
「あんた、そうやってなんにもしないでいると体に毒よ」
伸江さんが言います。
「そうねェ」
なんだか毒は、もうここら辺一帯に蔓延《まんえん》しきっちゃってるなァとか思いながら、あたしは伸江さんにお答えいたします。結局サァ、どうだって、すべて世はこともなしだったりすんだわァ――とかも思います。
「他の方はどうしてらっしゃるの?」
伸江さんがおっしゃいます。
「他の方ねェ……。他の方は他の方で、それぞれになんかやってらっしゃるんじゃないの?」
「それならそれでいいけども、あなたもそろそろその気になってちょうだいよ」
「なってるわよ、その気ぐらい。もうズーッと約四ヵ月前ぐらいからその気よォ」
「あなた分ってるのォ?」
「分ってるわよ。結局問題は、あたしがあと一年間相変らずその気のまんまでいなきゃなんないってことでしょ?」
「あなたの話は、何言ってんだか全然分んないわ」
「あ、そ」
妙にピントのずれた午後四時四十二分のブラウン管の中では、一際《ひときわ》盛り上りを増した井上堯之バンドの音を背景にして露口茂さんが必死の形相ものすごく誘拐犯人を追っかけて行きます。話の内容なんか知らないけど、どうせまた子供が誘拐されたんだと思うわ。
レンジの上ではお湯がシュンシュン音を立てて、プロの主婦である伸江さんが、ヨッコラショと音も立てずにおやかんの火を止めに行きます。
「…エ、……子……んがねェ」
「なァにィ?」
井上堯之バンドとおやかんと伸江さんと、更《さら》にはあたしまで一緒に声を出したので、伸江さんが何を言いたかったのかは分りません。
象印ジャーお酢??だけにお湯を入れながら伸江さんがお話をします。
「祐子《ゆうこ》ちゃんがねェ、スキーに行ってるんですって」
「ヘーェ、なうなきゃんぱすぎゃるはいいわねェ」
「なに言ってるのよ、あなただって、スキーぐらい行けばいいじゃないの。行ったら?≠チて言ったら、あなたはなんだかんだ言って行くのはやだ≠チて言ってただけでしょ」
「別にそういうことじゃないの」
「どういうことよ?」
「なんでもないの」
「あーあ、そうなの、はいお茶」
「はい」
私が受験に失敗して以来、伸江さんはあたしにあんまし絡《から》むようなことは言いません。言いませんけど、でもそれは年頃の∞難かしい∞デリケートな*コの精神状態をおもんばかってのことではありません。要するに、今絡んでもあんまり緊張感がないからつまんないという理由だけです。来年の冬の修羅場に備えて、体力を養っているだけです――多分。
「ズズッ」
伸江さんがお茶を啜《すす》りました。
「ズズッ」
娘のあたしもお茶を啜りました。
「ああ、おいしい」
デンプンとトオブンとデンプンのカタマリを口にして伸江さんがそう言うと、一体どうすれば毎日がああも新鮮でいられるのだろうかと、あたしは考えます。
あたしは、現実に対しては大旨《おおむね》無反応です。
「短大の方も仕度金は大変らしいわねェ――祐子ちゃんのおかあさんもそう言ってらしたわ」
「そうォ」
いつから大学の入学金のことを仕度金≠ト言うようになったのかしらねェ、などとね。こわいわねェ、その内入学金のこと結納金て言うようになるんだわァ――とかも思ったりはします。結局、今のあたしって、何考えてるかよく分んないんです。
別に、大学落っこったことってそんなに大きいかなァ、とかも思うんです。高校生活が終ったことって、そんなに感傷的になることかなァ、とかも思うんです。なんだかよく分んないんだけど、結局よく分んないの。
あたしは、日がな一ン日《ち》家の中にいて、大学に行くお友達は勝手に行くし、大学に行けないお友達はお友達で、あたしとおんなじようにしてるか、あたしと全然同じようにしてないか、それはどっちか知らないけど、なんだかんだいいながらも数は結構いるんだわァ、とか思ってます。
団地の一角にある狭いあたしの家の中じゃ、よく考えたらもうすぐ二十になっちまいそうな、成熟してるのを何故か知らん必死になって隠してる娘と、そんなことに気がついてるのか気がついてないのか全然分んないその母親っていうのが二人してお茶啜り合って、話は全然噛み合わなくって、よく考えたらうっとうしいのの極《きわ》みだっていうような状況だったりすんだけど、あたしとしては、「そんなことどうでもいいやァ」とか思ってたりするような状況だったりする訳です。
ウチのおかあさんは、同じ団地の中に住んでる、あたしと同じ高校に通ってたってこと以外になんの共通点もない、今年大学に入った田口祐子の話をします。
娘同士が仲いい訳でもないのに、どうして母親同士が仲いいのかなァ、とかも思うけど、ともかく母親としての情報交換をするっていう大前提におかあさん同士は立っちゃったから、娘同士が仲が良かったら便利なのになァ≠ニいう願望がそういう事実≠ノ間違って変っちゃったとしか考えられないっていうヘンなライバル≠フ近況を聞かされても、別に、今のあたしは「どうってことなァい」ってことしか思いつけなかったりする訳です。
桜餅の中にはまあるいアンコの塊りが入ってて、草餅はギューッて押すと、中からツブツブのアンコがグニューッて出て来て、「いたずらするんなら食べるのよしなさいよ」って母親は言うけども、こういうのって、なんとなく今のあたしだなァ、とか思ったりする訳です――よく考えたら。
アンコのツブツブは高校生なのよね。緑色のお餅の中にプチュンて入ってるの。入って、中でアンコ同士グチュグチュにくっついてるの。そんで、知らない内に外からグチュッて押されると、中からアンコがグニュグニューって出て来んの。アー、卒業式って、こういう粒アンが草餅の中から出て来るだけなんだなァって、そんな風に思ったの。
そんで、出て来たヌベヌベのアンコは、もう一回丸められて、今度はガランドォのピンクの筒ン中に入れられんの。桜餅に桜の葉っぱが巻いてあんのは、アレは、「お前、これをこのまんまにしておいて喰おうなんてのはフトイ考えだぞ」っていう、脅《おどか》しというか忠告だったりすんのよね。
皮は薄いけど、でも桜餅って皮が薄いからヘタにグチャッて押し潰《つぶ》す訳にもいかなくって、トンネルの真ン中で立ち往生してるみたいに、アンコは薄いピンクの筒の中で静かに丸まってんの。ガランドォで立ち往生してるけど、でもピンクだってところが微妙ね。つまんないところで抽象的なんだ、あたしは。
「玲奈ちゃん、あなた食べないんだったら、桜餅いじりまわすの止めなさいよ」
「ウン。アンコっておもしろいなって思ってね」
「受験ノイローゼなんてやァよォ」
「そんなの関係ないわよ。ちょっとばかりアンコに於ける形而上学的考察ってのしてただけなんだから」
「アーア、早いとこ予備校でも始まってくれないかしらねェ」
晩御飯の仕度に取りかからなくちゃいけない時間が来るまでの暇をもて余した伸江さんは、人のことにかこつけてそんなことを言います。
なんだか全部がメンドクサクなって、今更意味もない、分りきった桜餅の中を惰性で覗《のぞ》きこんでいるそのお嬢ちゃんは、いい加減な調子で生返事をします。
「そうねェ……」
その内、始まる時になったらなんだって始まっちゃうんだし、結局、春の一日というのは、だるさにじっとりとひたりながら終って行ってしまったりするのではないのでしょうか?
3
その内予備校っていうのは始まりました。晴れて浪人になりきった私は、結局よく分んなかっただけだったんだなって、予備校に通い始めてから気がつきました。
高校生が終っちゃったんだってことがよく分んなくて、それでしばらくの間ボーッとしてて、そしてそれと一緒に、この先何が始まるのかよく分らない状態っていうのがやって来て、それであたしはよく分らないまんま二重のボーッってのに包まれて、為《な》す術《すべ》もなくだるがってたんだなァってことに気がついたんです。
予備校ってサ、行ったって行かなくたって、別に誰からも怒られないでしょ? 予備校の授業なんて、さぼったって別に罪の意識なんてのも感じないし、さぼったからって、別にサバサバするような種類のもんでもないでしょ?
大教室にビシッと詰められてる人間達の中にいたらそんな気がしたの。だって、予備校の先生なんて、あたしの顔知らないんだもん。ここにあたしがいたっていなくたって、別に全然なんの関係もないんだもん。そんなこと思ったら、急になんでも楽になったの――あたしは一人なんだって。あたしって、生まれてこの方、ズッと一人でいたことなんてないんですもん。
あたしのいたとこは、いつもあたしのことを知ってる誰かがいて、自分はそこの一員だと思ってて、でも、自分はなんか知らないけど、あんまりそんなとこにいたくないとか思ってて、なんだかズーッと長い間ズーッと何かに頭押さえつけられてるような気がしてたんだって気がついたの。あたし、孤独になると自由になれるタイプだったのね。向うは商売で講義してて、こっちは金払ってそれ聞いてて、ただそれだけのことなんだなって、予備校の授業聞いてて思ったの。悪口言う相手がいなきゃ悪口なんて言ったってしょうがないしね。そんなもんかなとか思ってりゃ、別になんでもそんなもん≠セしね。アーアー、世の中って簡単なんだなァって、その時初めて気がついたの。
よく考えたらあたし、大学の入試問題が難かしかったのか簡単だったのかもよく分んなかったんだもん。アレで受かる筈《はず》なんかなかったなァ、とか。マァ、結局落ちたんだからいいけどサ――要するにそういうことに気がついたの。
気がつきゃ簡単ね。マァサ、あたし一人を取り残して、他の人間達は知らん顔して大学生やってんのかと思うと、癪《しやく》はマァ癪だったりはすんだけど、どうせあの人達生まれてこの方ズーッとバカのまんまだったっていうだけのことなんだろうとか思って、マァ、それもどうでもいいかってことになってくんの。結局あたしはこの一年、なんにも始まんない一年になるんだろうとか思ってたけど、でも、それでも、人のこと気にしなくたっていいんだってことが分っただけでも収穫だと思った。あたし、今まで人のこと気にしすぎてたのよね。孤独って、淋しいだけじゃなくって、サバサバするっていうことでもあるのよね、多分。
あたし頑張りまァす まァ、頑張るったってこの際何をぐわんばるんだって話もあるけど、頑張るって受験生の常套句《じようとうく》だったりする訳でしょ? あたしも常套句ってのに、たまには乗ってみたいもん。普通の人は平気でそれに乗っかってんだから。あたしだってオーディナリイ・ピープルだから、それに乗っかっちゃってもいいんだもん。だもんだから、「ぐわんばりまァす」ぬあんだもん。あんまり正気で頑張りたいと思ってるとも思えないけど。
マァねェ、結局ねェ、なんにも始まらないっていうことはねェ、初めっから始まらないっていうことが分ってるっていうことなのよねェ。なにかっつうと、初めっから終っちゃってるっていう話があるからなんだけど。それが何かっつうと、マァ、月並な話、それは短かい恋でしたってことだったりはすんだけど――マァ、はかないというかはずかしいというか、どっちがどっちで、どっちかがどっちかってことなんだろうけど、マァ、早い話が、ああ! それは短かい恋でした ウヅキウヅキ(卯月《うづき》半ばに胸が疼《うず》いている音)。
何かっつうとねェ、それは松村クンのことだったりはすんのよねェ。松村クンが誰かっていえば、知ってる人は知ってたりすんだけど(知らない人はタンコォ本を買うべきだと思ふ、文庫でもいいけど――こういうセリフを誰が言うの?)マァ、あたしのナニであったりはした訳ね。
ナニ≠ネんつうと、マァ、なんとなくノォコォにナニがあったりとかっていうのがあんだけど、マァ、実際の話はねェ、そういうことってなくて、もう、ホントに淡い初恋だったりはいたしますの――表現がいささか美しすぎるような気もいたしますけども、マァ、これはやっぱり照れでしょうかァ? ――でしょうねェ――やっぱりィ…………………。
4
あたしと松村クンが初めて会ったのはいつのことだったか、もう忘れちゃったけど、去年の暮に――暮に≠ニいうか、マァ、アレは暮≠ネんだろうなァ、感覚としては――まだ十一月ぐらいだったけど、文化祭が終った後で、学校としてはほとんど開店休業みたいな感覚で(そんな感覚してるのはあたし一人で、他はみんな一生懸命営業してたって話もあるけども)妙にシーンとしてて、そして、あたしと彼はイロイロあったのでした。別にイロイロはなかったって話もあるんだけど、マァねェ、お付き合い≠ニいうのはあったんだわよねェ……。どうもここら辺、妙に言い訳が多いなァ……………(やっぱりねェ……)。
あたしとしてはサ、イロイロがあったってよかったんだ、ホントの話は。でもサ、別に向うがそういう風にもしてくんなかったから、イロイロっていうのはなかったんだ、ホントの話が。淋しい恋の物語よ。
十一月の終りにね、あたしと醒井《さめがい》さんが一緒にいるとこにあの人が来て――アレ? 違うか? ア、そうだ、あたしと松村クンが会うことになってる時に、醒井さんが一緒になってついて来たんだ。前の日にあの人から「大学やめる」とかっていう電話がかかって来て、あたしは「フーン」とか思って、どうでもいいけどあんまり面倒な話してもらいたくないなァって思ってて、それで案の定話があるからって言うからどうせ面倒な話だろうと思って、それで醒井さんに「来ない?」って言って、それで一緒に行ったんだ。
そうだァ……懐かしいなァ、凉子《りようこ》姫どうしてるかなァ? こないだあの人から電話あったけど、あの人もまた人見知りする人だから――マ、いいや、それやってると話が横道にそれるから。
あたしとしてはサ、どうしても勉強したくないっていう気があったのよね、その頃。どうせ今から勉強なんかしたって大学受かりっこないし、そうかと言って、それまで「フンだッ!」って言って来たのを急にソワソワセコセコなんてやりたくないしとかって、それで、なんか大っぴらに受験勉強しないですむ方法ってないかなァって、姑息《こそく》にもジタバタと陰険にさぼりまくっていた訳なのよねェ。甘えたいってば甘えたいのにサァ、誰も甘えさしてくんないから、それで一人で生きてったんだわ、あの頃の私っつうのは。
醒井さんと二人で喫茶店行って、そしたら松村クンがいて、案の定メンドクサイ話して、あたしはもうそんな話やめてくれたらいいのにィとか思ってたら、意外や意外、醒井さんは「フンフン」とかそんな話を聞いてたりして――もっともあの人が人の話をホントに聞いてるかどうかってのはかなりに疑問なんだけど――ともかく顔だけは、これ以上立派に人の話を聞きようがないって顔してるから、あたしもしょうがなくてフンフンとかやってたけど、心ン中じゃァ、「ああ、やばいなァ、なんかここもダメだし、だんだんあたしの生きてく場所がなくなっちゃうなァ」とか思ってたんだ。
そしたら松村クン、いきなり「きみも大学やめないか?」なんてヘンなこと言い出して、あたしは「エーッ?!」とか言って驚いて誤魔化《ごまか》したけど、ホントは心の中でヤバイなァって思ってたんだァ。
今なんかだとさァ、「どうしてあたしが受験勉強しなきゃいけないのよォ?!」なんて思いもしないけどサァ、そん時だとねェ、みんなみたいに黙って従順におとなしく、気のきいた文句の一つも言いながら受験勉強するってこと自体が耐えらんなかったのよねェ。
あたしはサァ、誰も文句なんか言わないから一人で文句言ってて、なんか、気分としては「あたし、受験体制とは関係ないのよ」とかってのがあったんだけど、じゃァねェ、それやめたらどうすんのかってことになったら、他はなんにもない訳よねェ。適当に文句言ってサァ、適当に体制にミッチャクしててサァ、ホントにズルやってたんだけど、それをねェ、突然「やめろ」なんて言われたってねェ、「アワワワワワ」ってなるだけよねェ……。
あたしが黙って「アワワワ」やってたら、松村クンは、どうした訳かそれ以上はその件に関してはやんなくて、何故か知らん急に、「君もミニコミやんない?」なんて言い出して、挙句《あげく》の果ては「やっぱり君が好きなんだ」なんて言っちゃって、あたしは「エーッ?!」とか言ったっきり口がきけなかったりして――。
ねェ? だってサァ、やっぱりやばいじゃない? そういうサァ、打算て、あるじゃない?
だってサァ、あたしが「君が好きだ」って言われて、「エエ」とか言ったら、即、「あたしもあなたが好きよ」ってことになっちゃうでしょ? マァ、それは置いとくとしたってサァ、「君が好きだ」って言われて、それで「ハイ、どうぞ」ってあたしがあの人の隣に坐ったらさァ、ねェ? 「どうして君はそんないい加減な生き方してるんだ」ってことにすぐなっちゃうでしょ? 知らない人は分んないかもしれないけどサ、あの人の性格だったら、すぐそういうことになっちゃうのよ。なっちゃう筈《はず》だったのよ。多分そうなっちゃうんじゃないかと思ったの、あたしは。あたしとしてはそう思ってたの。思ってただけで結果としてはそうならなかったけど――でも、ならなかったのがいけないんじゃないかっていう話もあるけども、でもそれはまだその時じゃ分りっこもない話なのね。(なんのことだかさっぱり分んないッ!)マァ、いいんだ、その内分るから。
あたしはサ、「好きだ」って言われてサ、「エーッ……」とか言ってサ、あの人は「まァ……」とか言ってサ、そんでそのまま、マァ、なんというのか、改めてお付き合い≠ニか、そういう感じになったりはしたのね。
あたしサァ、やっぱり照れてたんだなって思うのね、自分の感情っていうか、そういうの素直に出すことについて。だってサァ、あたしそれまで、一人でつっぱるというかブータレるというか、ワリとそういう感じで生きて来たりしてたからサ、いきなり、あの人の胸に抱かれてうっとり≠ニか、そういうのって出来ないのよね。出来ないというか、多分出来たんだと思うわ。出来たんだけど――違うな、多分そんなことしたら、もう一生ダメになるとか、そんな風な感じの危険性っつうのが一生懸命あったんだと思うな。
だって、そうしたらラクチンなんだもん。とってもとってもラクチンなんだもん。だもんだから、そうしたらいいってことになったら、もう絶対、そういう風なとこにのめりこんでっちゃうってこと、目に見えてたんだもん。絶対そうゆう風なこと感じてたんだもん――そん時はあんまりよく分んなかったけど。
あたしはサァ、もう自分の周りのもんがもう全部メンドクサクなっててサ、かといって、その代りにやることなんてもうなんにもないからサ――あたしの相棒の醒井さんなんか、文化祭終って「もうやることやったからとってもスッキリしました」って顔してたけど、あたしはそれ見てて、それは正解だけども、物事そう簡単に割り切れないのよねっていうわだかまりがあったのよね。
初めはサ、文化祭でお化け屋敷やろうなんていうのは醒井さんの発案だったりしたんだけどサ、「アー、いい幸いだからこれに便乗しちゃおう」なんてこともあったんだ。それ終ると、いつの間にかあたしの方が「ねェ、もうちょっと遊んで?」って感じになっちゃってたのよね。だから醒井さんいい人だし素直な人だからサ「エエ」とかって言っちゃうけど、でもあの人ヘエキで分裂してるおかしな人だから、そういうのとは全然関係なくウチで勉強出来ちゃう訳。あの人はウチ帰って勉強してる、あたしはウチ帰って、相変らず「つまんないなァ」とか思って勉強にも身ィ入れずブータレてる。なんかそういう風にしてると、彼女の方が絶対に正解なんだけど、その正解がムザムザ自分の前にあったりするのなんか耐えられないっていうのがあるのよね。あたしは別に、彼女を悪の道に引きずりこもうっていう気はなかったんだけどサ、このまンまじゃ、なんかヘンな風に彼女に対してカリカリしちゃうみたいになりそうだなァ、とか思ってたのねェ……。そしたらサァ、別の方からサァ、出て来てサァ、「好きだ」とかっていうのがあったからサァ、あたしはサァ、「あァ、そういうのってアリだったなァ」って思ってサァ……。ねェ? あたしの存在理由ってこれにしようかとか思って、なんとなくほんわりするような気分になっちゃったの。いけないってばいけないけど……。
醒井さんはほんわりと分裂してるから、アレで平気でウチ帰って勉強できちゃうけど、あたしはそういうのがないから、「ズルイーッ!!」とか思ってたのが、「いいんだ、あたしは松村クンがいるから」とか思って、それでおウチに帰れるようになったの。
あたし、醒井さんのやり方っていうか、アレは自然にそうなってるんだからやり方≠ニは言わないのかもしれないけど、でもそういうのが正解だっていう気が、いつもどっかにあったのね。だってあの人って、美人なんですもん。素直でとっても可愛いんですもん。ああいう人が幸福そうな顔して「わたし、もう家に帰らなくっちゃ」って言えるんだったら、絶対それは正解なんだって思ってたの。だからあたし、文化祭からはズーッと醒井さんにくっついてて、それが終ったら、今度は「俺、受験やめるんだ」って人にくっついてて、なんかとってもズルいことしてたの。
松村クンはあたしのこと、「イヤ、冗談じゃなくてホントの話、やっぱり君が好きなんだ」なんて言っといて、そんで、「じゃァまた電話するよ」なんて言っといて、それでなんにもしなくって――電話かかって来たの二週間ぐらい経ってからだもんね――「やァ、いろいろ忙がしくってね」とか言って、自分の話ばっかりしててサ、あたしに関する話≠チてのは全然しなくって。マァ、彼は彼でいろいろ照れというのもあったりしたんだろうけどサ……。まァ、あたしもひどい人で、「エーッ?!」って言ったっきり、「あたしもよ」とか「好きよ」とかっての全然言わなかったってこともあるんだけど……、マァ、なんとなく≠チてことにはなってしまったのよねェ………………………………。
それが恋≠ナす――あたしの。
あたしと松村クンはクラスが違ってたけど――松村クンはあたしと同じクラスの磯村クンと仲が良かったの――それまでもなんだかんだ言って来て、結構あたしとは、気が合うというか、仲は良かった人な訳。もっともあたしとしてはサ、一般的な評価に於《お》いては「変ったことばっかり言う人だなァ」ってのがあったんだけど、あたしのヘンな教養≠チてのを刺激してくれる人でもあったから、マァ、そうヤな人間だとは思ってなかった訳よね――好きだ≠チて気持がそれまであったかっていうと、あたしとしてはサ、全然なかったりはした訳なんだけども、はっきり言って。それでもねェ、「好きだ」って言ってくれたでしょう? ある日突然。やっぱりそれはサァ、突然だったりするからサ、あたしとしてはサ、ちょっと信じられなかったりはする訳よね、ときめく心とは裏腹に。
「好きだ」って言ってくれたのは分るけど、でも、本当かしらって気があるのよね。「好きだ」って言ってくれたのは分るけど、でもひょっとしたらあれは一時の気の迷いかもしれないとか、「好きだ」っていう言葉には、なんかもう一つ別の意味があって、ひょっとしたら彼はそういう意味≠ナ言ったのをあたしが聞き間違えたんじゃないだろうかっていう気もあったのよ、ウブねェ。
そりゃァサ、「好きだ」にもう一つ別の意味なんかある訳ないんだけどサ、あの人はなんか、いつも訳の分らないことばっかり言ってるヘンな人だっていう気があたしにはあったしサ、松村クンがそんなこと言った時って、あたしの隣には醒井さんがいた訳でしょう? なんか、ひょっとしたら、あの人は違うこと言ったんじゃないだろうか、とかっていうヘンな考えがあたしの中に浮かんじゃってサァ、多分間違いはないんだろうけど、でも、ひょっとしたら間違いっていうことはあるかもしれないし、やっぱりあたしとしては時期的にヘンなとこにいたりするから、そういうとこから逃避したがって、なんか恋愛≠ニかいうようなものの方に、(ねェ?)にじり寄ってくみたいな風にとられるのもいやだなァ、とか思って(ああ素直じゃない)、「もう一遍言ってくんないかなァ、そうすりゃ事態ははっきりすんだけどなァ、もう一遍好きだ≠チて言ってくれりゃァ、あたしとしてもなんか言いようがあるんだけどなァ……」とかって思ってたの。
でも、言ってくれないのよねェ。そういうことってあったのかなァ≠チて顔して――もっとも電話だと顔なんか見えないけど――いつもとおんなし調子でいつもとおんなじようなことを話す訳でしょう? その時は話の内容ってのが、自分が手伝うことになった『クロロック・ワールド』っていうミニコミの話だったりしたことが違ってたってだけなんだけどサァ、あたしとしてはねェ、気になるのよォ!
あたしが黙っててサ、あたしが彼の話だけをフンフン聞いててサ、そんで唐突《とうとつ》に「ア、それからサァ」って彼が言い出して、「こないだ僕が言ったことねェ、アレ、悪いけどなしにしてくんない?」なんてこと言われたらどうしよう?! って、そんなヘンな不安に襲われて――。
ア、笑いごとじゃないのよねェ、あたしワリと本気で心配してたのよねェ。だってサァ、「好きだ」って言った時が冗談じゃなくて本当の話≠チて感じで出て来ちゃう訳でしょう? だったらサァ、「それからなンなんだけどサァ」って感じで、「俺別に君のこと好きだなんて言ったつもりはないよ」なんてのが出て来たって、ゼェーンゼン、不思議はない訳じゃない? ねェ? (悲しい話)。
あたしは黙って受話器握ってて、いつ出るかいつ出るかって思ってて、生返事フンフンてしてるだけ。なんかサァ、ホンのちょっとでも沈黙なんて出来ると、こわいのね。ビクッとしちゃうのね――「ア、なんか言いにくそうなこと言い出そうとしてんだ」とか思っちゃって。
ビクビクしたワリにはなんにも出て来なかったの。ホントになんにも出て来なかったの。「こないだのことサァ」って言い出しかけたんだけど、なんか、すンごい普通の調子で「エ?」とか言われると、なんかそんなこととても言い出せなくって、「ウゥン、別になんでもないの」って誤魔化《ごまか》しちゃって。あたしとしては別に要求する≠チていう気持はなかったんだけど、でも、なんかそんなこと言い出すと、ヘンに、権利≠ニかって、そういうの要求するような気がして、なんかとっても図々しいような気がして言えなかったの。だからそのまま。
結局、松村クンも今まで通りに付き合ってこう≠チて言ってるんじゃないかなって気がして、あたしはそれでそのまんま≠ノしてたの。あたしだって別に、今ここで男と問題起して何もかもすっぽかして、とか、受験で荒《すさ》んだ心を愛で温めてとかっていうのはなかったから、それはそれでよかったんだと思うんだ。ともかく、後はもうおとなしく受験勉強するだけだっていう気があったし、なんだか、あたしのことをやっぱりどこかで好きだ≠ニ思ってくれてる人がいるのかと思うと、「こっちのことは心配しないで、君は君のやることやりなよ」って言ってもらってるような気がしたから……。
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でもねェ、でもよォ……やっぱりねェ……そうは言ってもねェ……、やっぱりねェ、違うことってのも、あったみたい。その時はあんまりよく分んなかったんだけど。
5
二月にね、早稲田の試験があってね――マァ、そこがあたしの本命だったりもしたんだけどサ。前の日に松村クンから電話があったのね、「頑張ンなよ」とか。それまではサ、あたしはあたしでお勉強≠ェあったし、あの人はあの人で、もう高校生やめて自分はいっぱしミニコミ雑誌の編集者って気があったから、お仕事≠してて、それが終ればなんと、ゴールデン街でお酒盛りって日々だったりした訳よね(なんといっぱし!)。だからあんまし会わなくて、たまに電話とかって感じだったんだけど、いよいよ最終本命も終りだから、「じゃァそうしたら明日会おうかァ」ってことになってたのね。ホントはその前に久美から電話があって――久美っていうのは、あたしの親友で、松村クンとはまた別のクラスにいる子なのね、正式名称は牧村久美≠チていうんだけど――その子から電話があって、やっぱり「じゃァ明日会おうかァ」ってことになってたのね。マァ、久美っていうのは唯一あたしの話の分る親友≠セから――ついでに唯一話の分らない親友≠チていうのが醒井さんね――ちょっと会って、適当に話を切り上げればいいかァ、とか思ってたのよね。そしたら松村クンは、折悪しく、ちょうどその日は夕方までエライ先生<唐ニこに話を聞きに行くだか原稿を取りに行くだかの約束が入ってるから夕方まではダメだと言って、だったらじゃァ、五時ぐらいに松村クンのいる編集室≠チてとこに行けばいいねってことになったの。
あたしはサァ、それまであの人が何やってたって関係ないやァって、ワリとずるい感じで知らん顔してたんだけど「そういやもう試験も終るしなァ、ミニコミでもなんでも編集室≠ネんて所にちょっと行ってみたいなァ」とか思って、ワリと「ランラン明日楽勝だわァ」とか勝手に思ってたの。
マァねェ、結果っていうのを見ればサァ、全然楽勝なんていうもんじゃなかったんだけどねェ、そん時ァもう、「これで最後だァ!」っていう気もあったし、その前に受けてた他ンとこも――マァ結果というのはその時まだ出てなかったからアレなんだけど――自分じゃなんとなく出来てたって気もあったからね、ああ、最後だ、最後だ≠チてのにできた、できた≠チてルビ振って喜んでたりはしたのよね。
よく考えりゃ、英語はなんとなくクサかったような気もしたし、世界史は「なんだこれェ?」っていうようなとこもあったんだけどサ、あたしとしては、「ともかく書けるだけは書きました(適当なことも含めて)」っていう感じで、勿論( )の中はあんまり意識の表面に出さないようにしてて、それで最後の科目が国語だったりした訳よねェ。
国語なんてサ――古文は別にして――いざとなりゃ主観の問題だァ、とか思って、全然勉強なんかしてなかった訳よねェ(えらい受験生!)。マァ、勉強はしてたけど。現国の問題集だって、ワリとやったりはしてたのよねェ。してたけどサァ、してるとバカバカしくなって来るのよねェ。問二 傍線部(ロ)を別の表現を使って十七字以内で置きかえなさい。≠ネんてのがあるとサ、もう、アテモノとしか思えないのよね。
「若菜集」は近代詩の代表的な詩集だが、この詩では、「近代的」なものは、啄木の早急な思想とだいぶちがったところであらわれている。旧《〈ハ〉》道徳のカテゴリイのなかで身もだえする思想、または身《〈ニ〉》もだえすること自体が、いわば「近代的」なものとしてあらわれてきている。啄木の「性急な思想」と|『《〈ホ〉》若菜集』のあいだに十年のひらきがあるとかんがえ、藤村詩における「近代的」なものと啄木の設定とのひらきを、この十年の「性急」な進歩に帰するのも、藤村と啄木との思想のちがいに帰するのもよいわけであるが、「近代的」なもののすがたは、日本の近代詩のなかで、啄木の設定では手におえないようなきわめて複雑な筋《〈ヘ〉》たがえをしてあらわれていることがわかる。(吉本隆明「近代精神の詩的展開」)
問三 傍線部(ハ)旧道徳のカテゴリイのなかで身もだえする思想≠ニはどんな思想か、三十字以内で述べなさい。
問四 傍線部(ニ)を漢字に直しなさい。
問五 作者が例文の中で傍線部(ホ)だけを『 』で表わした理由を次の中から選び記号で答えなさい。
こうなって来るとサァ、あたしなんかもう、分んなくなって来ちゃうのよねェ。だってサァ、そこだけ『 』になってるのなんて、吉本隆明がうっかり間違えたとしか思えないんだもん。旧道徳のカテゴリイのなかで身もだえする思想≠ェどんなンか? って言われたら、そりゃァ旧道徳のカテゴリイにおさまんない思想≠ナしょ、とか思っちゃって、ねェ? どういうこと言いたいんだろこの人は? なんて考えてサ、うっかり解答見ちゃうのね。解答なんて見たりすると、自然に背く制約を脱し人間における真の自由と平等をめざす思想≠ネんて書いてある訳。もうサ、うなっちゃうのよネ。ヘェー、うまいこと言うなァって。あたしなんか問題解いてる受験生じゃなきゃいけないのにサ、『クイズ100人に聞きました』っつう感じでサァ、なんかもう、しばし呆然《ぼうぜん》として、こういう主観てのもあったんだなァ、つまんないこと問題にしてる人ってのもいるんだなァとか思って、もうそこで受験勉強じゃなくなってるのね。
だからサァ、あたしはサァ、現国っていうのは、やればやるほど熱中しちゃって、熱中すればするほど受験勉強から遠ざかってくような気がして、ついつい後めたくなってやらなかったりした訳ね(ア、ついでだから問六ってのも教えてあげるけど、問六ってのは傍線部(ヘ)「筋たがえ」ってのは何か?≠チつうのよね。「筋たがえ」ったら、筋ちがい≠フことじゃないの? こんなのウソよねェ、とか思って答見たりすると、筋ちがい≠チて書いてあったりすんのよね。ウッソオーッ!! って叫んでサ、もう、正気の沙汰《さた》とも思えないわよね。お疲れさまでした。アーおもしろかった。あたしはいまだにこういうことやってるのよ、浪人の淫靡《いんび》な楽しみでした)。
それだから、試験の最終科目は国語で、古文の方はなんとか精一杯格闘したし――あたし、格闘するとそれだけで満足しちゃうのよねェ、どういう訳か――現国は現国でまた、精一杯このおじさん何考えてんだろう?≠ニか格闘して、こういう顔も出来れば、こういう顔だって出来るのよ、あたし≠ニか、一般常識という名のおじさん相手に余裕すら持っちゃってね――今考えればこの余裕が仇《あだ》だったんだけどサ――アー終った、もう二度と答案用紙の顔なんか見たくないや、もう見ることもないだろうとか勝手に思って――だって周り見回せば、どう考えたってあたしの方が一般常識じゃ勝ってるっていうような顔ばっかりだったから(何度も繰り返しますが、この余裕≠ェ仇だったのです)――ああ、もう二度と来るもんかとか思って、大学を出て来たのねェ。二度と来るもんかと思ってる人間を、どうして大学が入れてくれるのかって話もあるんだけどねェ、なぜか知らない、あたしはその時、「これでどうやら大学入れるな」とか勝手に思ってたりしたのでしたのよォ!
大学の校門出て――早稲田には門がないっていう伝説があるらしいけど、あたしは確かに門通ったような気がする、あれは垣根≠ネのかもしれないけど――スクールバスに乗って、人間がやたら一杯いたけど、みんな関係のない人だと思って、高田馬場の駅ついてもやたら人間が一杯いて、これも当然あたしとは全然関係ない人で、早稲田はあたし一人の為に入試をやったのかってゆう話もあんだけど、マァいいんだ――でもって、あたしは久美の待ってる新宿の喫茶店へ行ったのでした。
何故かしんないけど、やっぱし友達に会うとホッとするのよね。あの、入学試験受けに来てた人間は、もうゼェーンイン、地方の人間で、あたしはたった一人地元の東京都の人間で、だもんだから、入試だっておウチからサンダルつっかけて行けちゃうようなとっても日常的な出来事で、だもんだから、そんなのが終るとすぐにルンルンお友達と遊びに行けちゃうの。特権階級なのよ、あたしって――そんな感じね。
久美は、やっぱり発表はまだだったんだけど、美大受けて――結果としてあの子は入ってあたしは落ちたんだけどね、その時点ではまだそんなことが分んなくて、何故かあの子が一方的にオロオロしてたの(人間て分んないわね!)。
「ねェ、玲奈ァ、どうだった?」
久美が言ったの。
「分んないわよそんなの」
あたしは、不貞腐《ふてくさ》れてたのか自信に満ちてたのか分んなかったんだけど、見慣れた久美のマァルイ顔が、赤のタータンチェックのモコモコマントの中にあるのを見たりすると、もうヘエジョオシンに返っちゃって、ふてぶてしくも自信あり気に現代を生き抜く、いつもの榊原玲奈さんに戻ってしまっていたりしたのでした。
「あたしダメよォ」
久美が言うの。
「どうしてよォ」
あたしなんか、もう自信だったりするの。
「ダメなのよォ」
「どうしてよォ」
「ダメだったらだめよォ」
「そうなの?」
「そうよォ、あんたとこみたいに普通の学校じゃないんだから、ウチはァ」
「マァ、異常な学校だと思うけど、あんたが行くんなら」
「あ、あ、あ――やめるわ」
珍らしくもなんか言いかけて久美はやめるの。
「ねェ、ホントにそんなにひどかったの、あんた?」
オノがメエヨの為に一言もコオベンなさらない久美ちゃんなんてのを見ると、さすがにあたしも心配になってそういう風に聞くの。
「マァねェ、そんなにひどくはないと思うんだけどォ……」
「ウン」
「実技がねェ……。なんか、あんまり、よく出来なかったんだァ」
「あんた、石膏デッサンなんてきらいだって言ってたもんねェ」
「ウーン。きらいだってもねェ、あァたサァ、教室で試験官にきらいでェす≠ニも言えないでしょォ。大体あたしは画家になる訳じゃないのよォ」
「倍率ってどのくらいだったっけ?」
「知らない、忘れた。どうしてよォ、ネェ? あたしがサァ、マンガやりたいから、四年間ちょっとばかりいさせて下さいってカルーイ気持で行こうとするとこにサァ、なんだってみんな、あんな真面目な顔して受けに来んのよォー!」
「そういうあんただって、結構真面目な顔して受けてたんでしょう、試験はァ」
「あたし元から真面目だもん」
「そうねェ」
シーン。
ああこりゃいかん、あたしこの子が落ちたらどうやって慰めたらいいんだろ? まァいいや、いざとなったら二人揃って浪人しよう? とか、マァ、そういうようなことを考えたり言ったりはしたんですが、なに言ってんのよねェ、冗談じゃないわ、まったくゥ! もう、あの子の考え方って決ってんのよねェ、自分一人だけ、ホントにもう、たった一人自分だけ特殊だから、絶対に自分の行くとこ難かしいって決めちゃってサァ(人のこと言えないけど)。あの子が受かってからサァ、あたし、あの子の部屋で、あの子が入試の準備で描いたっていう石膏デッサン見せてもらったのよねェ。「本番はこれよりモノは簡単だったけど、やっぱりちょっとあがってミスった」なんて言ってたけど、なに言ってんのよォって感じよねェ。あたし、「よくこれで受かったわねェ」って言っちゃったァ。別に、悪口じゃないのよ。だって本人だって言ったんだもん――「あたしもそう思う」って。
それでまァねェ、それから約二週間後って日に、あたしは久美の為に考えといた慰めの言葉≠チていうのを、久美の口から聞かされることになるんだけどね――身にしみないって言えば、それほど身にしみない言葉ってのもなかったけど、マァいいんだ、その件は。
あたしと久美は、そんなこんなで、五時過ぎまで新宿の喫茶店で喋り続けて、「アッ、いけないッ!」って感じで、あたしは「じゃァねェ」って言って、あわてて松村クンのいるとこに飛んでったの。
6
松村クンのいる『クロロック・ワールド』の編集室っていうのは新宿の大ガードの向う側、『ロフト』のもうちょっと先のビルの二階にあるの。表通りからちょっと入ったとこなんだけど結構きれいなビルで、編集部にいる友達のお父さんが貸ビル屋をやってて、そこが空いてるから使ってもいいって言われて、家賃はただなんだって。
『クロロック・ワールド』っていうのは、クロロックっていう、要するにドラキュラ伯爵の親戚《しんせき》だか別人だか同一人物だかに当る吸血鬼の人の名前からとったやつで、クロロックと時計のクロック≠ひっかけて、要するに、時間に閉じ込められた僕等の世界≠チてことになるらしいのね――やってる人はインテリです。マァ、ミニコミじゃァワリと大手の方で売れるんだか売れないんだか知らないけど、広告収入とかなんだかかんだかで結構やってけるらしいの。勿論、給料はなしです。だから、松村クンもホントはバイトしながらってことになるんだけど、「仲々いいバイトが見つからないから、もうちょっとしたら探す」ってことになってたの。
ミニコミっつったら、今はキャンパス雑誌とタウン誌と、それからいわゆる同人誌の三つがあんだけど、『クロロック・ワールド』はそのタイトルからでも明らかなように、一番最後ね。ロックとSFとマンガと世紀末と退廃と冗談とシネマと死の匂いに彩られた我らが王国≠セったりする訳だから、マァ、はっきり言って古いのよねェ。
久美なんかマンガ描いてるから、たまァにコミケ(コミック・マーケット)なんてとこに行って同人誌買って来て見せてもらったりなんかするんだけど、時々、ホントに時々、バカみたいにおかしいのが一ケだけあったりするだけで――それも勿論、よくもこんなの人前に出すよォ! っていうようなメチャクチャなの――後は、もう、青春の暗い絶望と愛と涙が冗談色の『ぬかよろこび』の中でエグク爛《ただ》れて漬《つか》ってるみたいのばっかで、久美に言わせれば「暗い≠ニ書いてくさい≠ニルビを振る」だったりするんだわ。
マァ、松村クンていう人は、「人生が球体のように完全だってことはありうるのかな」とかってことを言う人だから、よく分んないそういう世紀末≠ェ好きだったりするのね。
あたしなんかだったりすると、人生が球体≠セっていうのはどういうことなんだろう? とか、なんだってワザワザ、人生の話に球体≠ェ出て来なくっちゃいけないんだろうとか、要するに自閉症になりたいだけなのかなァとか思っちゃったりするから、マァ、「好きにやって」ってだけなのよねェ。前に、その『クロロック・ワールド』っての二三冊貸してもらって――貸してもらったっていうより、正確には「読む?」って言われて、別になんにも言わない内に押しつけられたってのが正解なんだけど――それ見て、パラパラって見たけど読めなくって、松村クンの書いた『バタイユ「眼球譚」とヒカシュー的ヒカリゴケの関係について』ってのがあったから、それを読もうとして、漢字と平がなと片カナが並んでるからって、それだけで日本語だと思うのはあたしの考えが甘かった……とか、ただそれだけを思い知らされて、ただなんとなく、球≠ニ血≠ニエロチシズム≠チてのがあったから、「ああ、ひょっとしたら人生が球体のように完全だ≠チてことは、なんかよく分んないけど、血みどろでエロチックってことなのかもしれないなァ。あたしはアホかもしれないけど、こういうこと書いてる人ってのも、あんまりまともじゃないなァ」とか思っただけね。もっともあたしはサァ、こういうの読まされて、そんで返す時に、「どうだった?」って聞かれて、「ウーン、球っていうのはサァ――ア、あなたの書いた文章のことなんだけど、なんていうのかなァ、あたしのイメージだと、もっとなんていうか、スベスベした感じなのよねェ」なんて言っちゃうからいけないんだけどサァ……。
こういう話になるとねェ、俄然《がぜん》のるのよ、彼は。
「勿論、球体っていうのはスベスベしてる訳サ」
「あ、そうなの?」
「モチロン。だってサ、球ってのは完璧な訳だろ」
「ウン」
「だったらその完璧な球体の表面が円滑であるってのは当り前じゃないか。だからサ、完全であるべき球は神聖なんじゃないか。そうだろ?」
何がだからサ≠ネのかは全然分んないけど、あたしとしてはサ、こういう風に詰め寄られると、頭ン中じゃ「ヘェー」とか言いながらも首だけはコクンなんて動いたりしちゃってサ、ホントにちょっとヤバイんだ。
あんまり誤解ってのもされたくないから、「あのサァ、あたしが言うスベスベって、ホラサァ、ゴムマリなんかが、買った時って、スベスベしてて気持ちいいでしょう――」って言ったりすると、「ウン、それは言えてるな、ゴムマリっていうのはサ、本来的には少年の持つイメージなんだよな。だからつまり僕の言う完璧≠チてことはサ――」って始まるの。なんにも言えないのよね、あたしとしてはサ。おまけに、「きみはワリと頭がいい方だから」なんて釘刺されてたりすると、「分んない」とは言えても――もっとも、それもあんまり言えないけど――「つまんなァい」とは言えなかったりするから、悲劇だったりはする訳よねェ。
マァ、もっともそれは、あたしが受験の穴ぐらの中に入りこむ前の話で、さすがあたしが受験勉強始めて松村クンが「好きだ」ってのをやっちゃった後ではなくなっちゃって、あたしが「全然自信ないよォ」とか、生まれて初めて語尾が鼻にひっかかるような声出すようになると、意外や意外「大丈夫だよ、そんなに心配することないじゃないか」「そうかなァ」「そうだよ」「ウン……」とか、ねェ? ア、意外とこの人も普通の人なんだなァとか思って、それであたしは試験が終った後、単身ひとりで、彼を訪ねて新宿のはずれにある、ビルの階段を上って行ったのでした。
ドアのガラス窓には"office fantagica"って、アレは多分印刷に使う写植の紙だと思うんだけど、貼《は》ってあって、「ここだな」と思って、あたしはドアを開けたのでした。
そりゃァあたしだって、なうなシティギャルの一人だから、マスコミに興味ってのはあるわよね。マスコミとミニコミは違うけどサ、一応プロ≠フ独立した編集室≠ナしょ。どうなってるんだろ? って興味、とってもあったの。
ドア開けて、「あのォ、松村さん、いますか?」って、声かけたの。
返事が返って来る前に、あたしは「ああ、いないんだな」ってことが分って――だってそこには人間が二人しかいなかったから、そして一人の人は机に向って一生懸命原稿書いてて、もう一人の人は机に足乗っけてマンガ見てて、あたしが声かけても二人とも全然返事してくれなくて、あたしはその部屋ン中見回して、そのマンガ読んでる人も一緒に見回して、結局あたしとその人が二人揃って一緒に「いないよ」「あ、そうですか」ってやったの。
あたしはドアから体半分乗り出して、乗り出したまんま「あ、そうですか」って言ったまま、ズッとそうやってたの。ズッとそうやってて、「ズッとこうやってんのかなァ?」とか思ってたら、そのマンガ読んでた人が、「松村に用事?」って聞くの。あたしが「ええ、そうです」って言ったら、やっと、「入んなよ」って言われて、あたしは中に入って、ドアの前に立ってたの。
そこの第一印象としては、「ア、壁があるな」なのね。なぜかっつうと、狭くて、ドア開けたら目の前にすぐ壁があるみたいだったから。
本棚があって、本がゴチャゴチャあって、ポスターが貼ってあって、本と紙と机の間に埋もれるようにして椅子があって、何故か毛布があったの。ビルそのものは新しくって、窓にブラ下ってるブラインドも新しいんだけど、何故か部屋全体は大人のおもちゃ箱のようにちらかってるの(汚れてる≠チていう方が正解なんだろうけど、なんかちょっと、汚れてるっていう感じでもないのね、多分ビルが新しいからだと思う。なんか、あたしのイメージとしては、マスコミ関係っていうのは、やたらきれいかやたら汚いかのどっちかじゃないかっていう印象があったんだけど、その『クロロック・ワールド』編集室であるところの"office fantagica"は、その両方が一緒になってやたら≠ェつかないようなところでした)。
あたしは部屋ン中見回して、「フーン、こんなとこかァ……」とか思って、それにしてもどうして、あの"office fantagica"のロゴは小文字なんだろう? やっぱりカッコつけてんのかな? とか思ってたら、そのマンガ読んでた人が――多分大学生ぐらい、長髪で眼鏡かけてる男の人(多分がつくのは、あたしと同じ年ぐらいにも見えるし、大学一年生ぽい恰好《かつこう》もしてるし、見ようによっては大学五年生ぐらいにも見える人だったから)――「坐んなよ」って言って、あたしは「いいです」って言って、それでその人と七秒ぐらいしっかりと目が合っちゃったもんだから、スイマセン≠ニいう音を立てて、黙って椅子に坐ったの。
ホント言うと、立ってる方がよかったのよね。時間は五時って約束してあったんだし、松村クンは「少し遅れるかもしれない」って言ってたけど、あたしの方が大分遅れちゃったから、待つっていったってそんなに大したことないだろう、立って待ってる方が部外者って感じがしてスッキリするだろうとか思って、そんで、坐ったらやっぱり、なんかしらん、居心地が悪いのよね。なんか、うずくまって坐るのもやだし、狭いから、あんまりキョロキョロするような余裕もないし、って。
あたしが腰下したら、その眼鏡かけたマンガ読んでた人、奥に向って――奥≠チて言うか、横の方の奥なんだけど――声かけて――気がつかなかったんだけど、壁かと思ってた本棚の後に部屋があったの――「唯史《ただし》どこ行ったの?」って――ア、松村クン松村唯史≠チていうのね――言って、そしたらその奥から、やっぱり、大学生ぐらいなんだろうなァ、色が白くて、目だけがやったら可愛いくせに、肩の辺が妙に疲れたみたいな人が出て来て「エーッ、知らないよ」って、妙に間延《まの》びした、そのくせカン高くってあどけないヘンな声出したの。
あたしは「ア、知ってます」とか言おうとしたんだけど、そしたらその肩だけ中年の美少年≠ェ「一遍帰って来たけどどっか行っちゃったァ」って言うから、「ア、そうですかァ」って、お辞儀しちゃったの。
やっぱり遅れて来たのがいけないかなァとか思ってたんだけど、それっきりみんな黙っちゃったから――その肩だけ中年の美少年≠ヘすぐ奥の部屋に入っちゃったんだけど――なんか、本の整理かなんかしてたみたい、軍手はめてたから――しようがないからあたしも、やっぱり黙って坐ってたの。
時計見ながら、三十分ぐらい坐ってたかなァ、坐ってて思ったんだけど、ヘンなとこなの。人間が三人、あたしもまぜれば四人だけど、それだけいるのに誰も口きかないの。原稿書いてる人は――この人はパーマかけてサングラスかけて髭はやしてるから、どんな顔だか全然分んないの――黙って原稿書いてるし、マンガ読んでる人は黙ってマンガ読んでるし、原稿書いてる人は全然原稿が進んでるとも思えないし、マンガ読んでる人は、ページのめくり方が異様に遅いから、まともに読んでるとも思えないの。会話っていえば、「唯史どこ行ったの?」っていうのともう一つ、そのサングラスかけた人が唐突《とうとつ》に、「クックックッ、トシちゃんかァわいい」って言って、マンガ読んでる人に「バァカ」って言われたのがあっただけ。別に、人に危害加えるような感じってのもなかったけど、ヘンなとこォって感じしかしなかったわ。
あたしは、ともかく知ってる人に会いたいから、「松村クン、早く来ないかなァ」とか思って、部屋は暖房がきいててあたしはコート着てたから別に寒いってことはない筈だったんだけど、なんか、猫背になって坐ってたからかしら、背中の方だけはあったかいんだけど、妙に、脚とか肩の辺が寒いの。「アー、試験が終って緊張がとれたから、それで体の方も寒がってんのかなァ」とか思ってたら、そしたら松村クンがやって来たの。
米軍のカーキ色のアーミーパーカーひっかけて、Gパン穿《は》いてる脚だけは長いの。マァ、顔の方はあんまり特別に言わない方がいいんだけど、その人がスポスポ歩いて来て――どうしてもあたしは、あの人が一人で歩いてる時の擬音はスポスポ≠セとしか思えないの――ドア開けて、「ヤァ」っつったの。「アァ」だったのかも分んない。ともかく息切らせてたからそんな感じだったんだけど、あたしはともかく、生きてるものの叫びを聞いたって感じがして、ホッとしたの。
「どこ行ってたの?」
あたしが言ったの、ワリと小さな声で。
「ウン、ちょっとね」
松村クンは普通の声で言ったんだけど、その時あたしは「ああ、この人って普通の声でもワリと小さく聞こえるんだな」って思ったの。「ワリと待った?」って松村クンが言って、「ウン、ちょっとね」って言って、それで松村クンは部屋の中に入って来たの。部屋の中に入って来て、松村クンは立ってたの。
マンガ読んでた人は顔上げて、松村クンの方ちょっと見て、見たまんまズッと見てて、原稿書いてた人は、ドア開けた時にチラッと松村クンの方見てそのまんますぐ原稿の方に戻って、松村クンはなんにもしないで立ってんの。
部屋の奥の方見て、黙って立ってて、それをマンガ読んでた人が黙って見てて、そのまんま約一分が経過して、唐突に松村クンがあたしの方に来て「じゃ行こうか」って言ったの。
立って何してたのかは分んない。なんにも考えてないとしか思えなかったけど。あたし一瞬、松村クンて、ここで何やってんのかなァって思っちゃった。松村クンが「やる」って言ってんだから、多分何かやってんだろうけどね、あたしがやる訳じゃないから、おもしろいかおもしろくないかは知らないけどね、なんか、あんまり面白そうなことやってるとは思えなかった。
あたし達、二人揃って部屋出て、ドアの外であたし聞いたの。
「ねェ、あの人が編集長?」
「だァれ?」
「あのマンガ読んでた人」
「違うよ。アレは村越さん」
「フーン」
村越さんがどういう人かは知らない。どういう人か教えてもらっても「フーン」だろうし、松村クンも話そうとはしなかったから、なおさら「フーン」。
「遅れてごめんね」
あたしが遅れて来たから松村クンがどっか行っちゃったんだと思ってたから、あたしは言ったの。
「いや、別に」
「久美と喋りすぎちゃって」
「フーン。どんくらい待ったの?」
「三十分ぐらいかな、あたし来たの半♂゚ぎてたから」
「そっかァ、俺、来たら待っててくれって言っといて≠チて伝言残して来たんだけどなァ」
「誰もそんなこと言わなかったよ」
「そう?」
「ウン。ねェ、どこ行ってたの、今?」
「エ? ちょっとね、金借りに行ってたんだ」
あたし達はビルを出て、もう外は六時過ぎてて暗くなりかかってたの。
「どこ行く?」って松村クンは言って、あたしは「ウン」て言って、「今日はどうだった?」って松村クンが言うから、「うーん!」て、忘れかけてた試験のことワーッと思い出して来ちゃったから「あのねェ!」って言おうとした途端、松村クンがあたしの肩に手ェ回して来て、「ホテル行こうか?」って言ったの。
7
あたしはよく分んなかった。「いいけど」って言おうとして、黄昏の街の向う側に紫色のネオンが目に入って、なんだか分らなくなって、そのまんまそう言ってしまった。
「いいけど……」
松村クンはあたしの顔覗きこんでて、あたしはなんかまだ言わなくちゃいけないような気がして、でもなんにも言えないから「でも……」って言ったの。
「でも……」って言ったら、松村クンは、あたしの肩をギュッと抱いた。ギュッと抱かれてあたしは、そういうんじゃないの、そういうんじゃないの、あたしが今されたいのはそういうんじゃないのって、それだけははっきりと言えそうな気がした。
あたし達はそのまんま歩き続けて、「いいじゃない、別に心配することなんてないじゃない」って、松村クンは言ったの。
「ウン、そうじゃないの」
「なァに?」
あたしは、なぜか知らないけど、口だけ勝手にスラスラ動いた。
「別に、いいんだけど、あたし今日ちょっと疲れてるの」
あたしと松村クンはジッとお互いに目を見てて、でも目の中にはなんにも説明が書いてなくて、それで何かが終ったの。
「いいんだけど、また……」
あたしはそう言ったの。
「なんかあたし、今日疲れちゃった。ちょっと、寒けがするの」――そう言ったの。
「大丈夫?」
そう言って覗きこもうとする松村クンの目がこわかったから、あたしは見ないようにして、うつむきながら「ウン」て言ったの。
あたしは、倒れるぐらいに松村クンの方に抱き寄せられて、あたしは、その時はっきり、「他人てこわいな」って思ったの。
あたしと松村クンは、それからしばらくして別れて、あたしは一人で家に帰って来たの。「送ろうか?」って言ったんだけど、「いい」って言って断って。
あたしはよく分んなかった。いいけど……=\―その後はなんなんだろう?
いいけど……ウン≠ネんだろうか? いいけど……でも、やっぱりいや≠ネんだろうか?
あたしは、どうして自分がいや≠ネのか、よく分んなかった。微妙なとこで、そういうことなのかもしれないけど、でもあたしは、そういうことをされるのはいや≠チて感じてた。何故感じてるのか分らなかった――感じてることだけは分ってたけど。
そんなこと説明出来なかった。説明したらもっと訳が分んなくなるような気がして。だからあたしはなんにも言わないで帰って来た。
帰って来て、疲れてたのかもしれないけどよく眠れないで、なんだかズーッと目がさえてて、いつになって眠ったのかよく覚えてない。ジーッとしてると、だんだんやっぱりそういうことはしたくない∞何故だか知らないけどしたくない≠チて、そういう気持ばっかり浮び上って来て、ひょっとして、試験終ったばっかだから疲れてんのかなァとか思って、その内なんだか訳が分らなくなって来た。
8
四日経って、久美の発表があって、その次の日に醒井さんから電話がかかって来て「受かってよかったねェ」「ホントに榊原さんのおかげよォ」とかっていう会話があって、その次の日に――明日が早稲田の発表だっていう前の日に、松村クンから電話がかかって来た。
「今日出れる?」
「ウン、いいよ」
「今君ン家《ち》のそばにいるんだ」
「ア、ホントォ、どこ?」
そう言って、あたしは松村クンのいる公衆電話のとこまで歩いて行った。昼間の三時で、ポカポカとあったかかった。
「あした発表だね」とか、「見に行くんだったら一緒に行こうよ」とか言って、「俺今日暇なんだ、よかったら映画でも見に行かないか? おごるよ。今日みたいな日に家でウロウロしててもしょうがないだろう?」とか言って、あたしは、「そのお金もどっかから借りたのかな?」とか思ったけど、ともかくその日は、誰か人と一緒にいたかったから、松村クンとおとなしく映画を見に行った。
映画は、ジャック・ニコルスンの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』だったけど、全然内容は覚えてない。帰りに松村クンに送って来てもらって、団地の前の公園でズーッと抱き締められてて、幸福だった。何故か知らないけど、あたしはとっても寂しいんだと、思っていた。
9
次の日、松村クンと一緒に発表を見に行って、落ちてた。落ちてるのが分った瞬間、当り前だと思った。落ちてるのが分った瞬間、松村クンが又あたしの肩を抱こうとした。それが、新宿の街の中で肩を抱かれた瞬間に感じたのと同じような抱かれ方だった。あたしはヤだった。ただもう、ひたすらヤだった。こんな鈍感な男に抱かれるのは、ただもう、ひたすらヤだった!
10
あたしは、自分のことメチャクチャな女だと思う。仁義なんか知らないし、とっても我ままで勝手だと思う。でも、なんと言われたって、あたしはやっぱり、ヤなもんはヤなのッ!
あたし、松村クンに「悪いけどもう付き合えない」って言いました。理由なんて一杯あったような気がしたけど、でも、あたしがそう言った時「どういうことなのか説明してくれないかなァ」って言ったあの人の顔を見たら、理由は一つだって分りました。そんなこと聞くからヤなの! そんなこと聞くくせに、絶対分ろうとしないからヤなのッ!!
あたし、ズーッと分ってたの。もう、あたし自分のこと勝手だって分ってるから平気で言っちゃう。あたしズーッと待ってたの。「そんなのやめちゃいなよ」って言ってくれるのズーッと待ってたの。冬休みの時だって、一月になってからだって、あたし、ズーッと一人で受験勉強しながら、そんなこと一言だって言わなかったけど、でも、受話器の向うから声が聞こえて来るのズーッと待ってたの。「そんなつまんないことすんのやめて、こっち来いよ。僕がいるんだから。絶対本気なんだから、そんなつまんないことやめてこっちに来いよ」って言ってくれるの。
あたし、受験勉強なんかしたくなかった。全然したくなかった。女だから大学なんて行かなくていい≠チていうメチャクチャな声だって、聞こえて来たらあたしは絶対にそっちの方へ飛んでった。だってヤなんだもんッ!!
高校だってヤだったし、大学だってヤに決ってるし、そっから先なんかもっとヤに決ってるから、そんなこと分ってるのに全然なんの意味もないことすんのヤだったんだもん。だから、「そんなもんやめちゃえばいい」って、あたしは誰かに言ってもらいたかったんだもん!
あたしは受験勉強してて、松村クンから電話がかかって来て、「自信ないよォ」って言うたびに、どうして今ここにあの人がいないんだろうって思ったんだもん。「今から行くから待ってろ」って、どうしてそういうこと言ってくれないのかと思って、黙って電話の受話器握って待ってたんだもん。あの頃だったらあたし、お金なんか借りてこなくたって、どこへでもついてったんだもん。「いいな?」って言われたら、どこまででも、落ちるとこまで落ちたっていいと思ってたんだもん。
寒い夜にカーテン閉めて一人で勉強してて、時々カーテン開けて、一人で暗い窓の外見てたわ。ストーブの上でおやかんがシュンシュン言って、黒い窓ガラスには水蒸気のしずくが一杯ついてたの。
しずくが重くなってタラタラと垂れて来て、それを黙ってジッと見てて、その向うの夜の中に誰かがやって来るんじゃないかと思ってジッと待ってた。口笛が聞こえて、窓を開けると一番懐かしい顔をした人が立ってて、黙って、「降りておいでよ」って手招きをするの。あたしは黙って、毎晩毎晩それだけを待ってた。それだけ――ただそれだけを待ってたの。でもなんにも起こんなかった。これからもなんにも起こんない。何かが起こったって、黙っておとなしく起こる機会が来るのを待ってるような、つまんないことは絶対いやッ!! そんなもんが来るぐらいだったら、なんにも起こんない方がいい!! いやだ、そんなの、絶対いやだ! そんなこと分んない人なんか、死んじゃえばいい。あたしは何があっても、絶対にいやッ! なんでもかんでも、絶対にいやだ!!
11
だもんだから、あたしは浪人です。毎日予備校に行ってますけど、別に誰のことも恨《うら》んでません。そんなもんだと思ってます。松村クンは、なんだか知らないけど、元気にやってるらしいです。こないだ久美のところに松村クンから電話がかかって来て、久美に「マンガを描かないか?」と言ったそうです。「ねェ、どうしてェ? どうしてあたしがあんなとこにマンガ描かなきゃいけないのォ?! あたしってもっと健全よォッ!!」って久美が言ってました。「一体何考えてんのかしらねッ!」とも言ってました。あたしは、「サァー……」としか言えませんでした(または、言いませんでした)。あたしの所には松村クンからの電話は全然かかって来ません。時々受話器を見ながら、あたしは「そうだろうな……」という訳の分らない一人言を言います。
久美は元気に美大に行っています。醒井さんも、多分元気に四谷の大学に行っています。あたしは一人で、元気に代々木の予備校へ行っています。大きな教室で、でも知っている顔はワリとすぐ見っかったりはするんですけれども、最近はそうめったに知っている顔を見なくなりました。木川田源一少年などは、あたしと同じ予備校に在籍している筈なのに、最近はとんと顔を見ることもありません。どこでどうしているのやら。
人のことは知ったことじゃありません。あたしは一人で予備校へ通っています。プロの受験生になることも、サバサバしていてかなりに気持のいいことだということが分りました。来年は晴れて、あたしも大学生になっていることでしょう――ならずにはいるもんですかァ! クッソォ――――――――――――ッ!!
でも、どうしてこんなに哀しいんだろう? よく分んない。
大学番外地《だいがくばんがいち》 唐獅子《からじし》南瓜《かぼちや》
―――――法政大学第一教養部 滝上圭介
1
僕、滝上圭介と言います。H大学経済学部の一回生です。経済学部ですけど、まだ一回生ですから、今は教養部です。去年高校を卒業して今年大学に入りましたから、来年が成人式です。
…………………………。
僕はH大学に行ってますが、本当は青学志望だったんです。やっぱり将来は商社方面を志望していたものですから、商社だと語学だなと思って、青学を志望していました。結果的にはH大学生になってしまいましたが、H大も自由な校風のある大学なので、今はわりと気に入っています。
…………………。
結局、浪人をしてしまったものですから、安全第一を取って、H大学にした訳です。
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え、と。
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あ。
…………。
去年は青学一本でしたが、今年は慎重になって、五校受験しました。
やはり浪人をした訳ですから青学本命の線は崩したくなかった訳ですが、やはり安全ということも考えなければならないので独協大学も受けました。
ドイツ(西)経済ということもありますし、英語一辺倒ということの将来性なども少しは考えてみたので独協の経済も受けたのですが、やはり歴史の浅さなどが気になって、第二志望はH大にしたのです。
入試スケジュールからいきますと、青学の試験日は最後の方なんです。だからそういう訳で、H大や独協は度胸試しのつもりで、比較的楽な気持でトライすることが出来ました。
僕の本命は青学の経営だったんですけれども、第二志望をH大に決定する時点で青学は経済も受けることにしました。
というのは、H大まで下げるんだったら経済ではなくて法学部の方を狙ってみようかとも思ったのですが、そのつもりになって相談してみると、意外や意外、H大の法は青学の経済と同じかやや上だったりするんですね。ですから僕は、ランクを一つ下げてH大にする訳ですからそこの難易度が本命よりも上だったりするようなことは少し納得出来ないなと思ってやめた訳です。そして、H大もやっぱり経済にして、それで、青学は経営ともう一つ、ダメで元々と思って、経済も受けることにしたんです。現役の時は経営だけでしたから(あまりいろいろな方面に挑戦して自分の力を分散させるのは不利だということも聞いていたので)今度経営と経済を両方狙うことになって、一方がダメでももう一方があるというような、ゆとりのような感じのようなものを持てたものですから、今度はひょっとしたら大丈夫じゃないかなと思ったんですけれども、やっぱり上ってしまったんだと思います。
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父にH大に決ったということを話したら、「マァいいじゃないか」というようなことを言っていましたが、結局は、どこへ行ってもそこで自分なりの努力をすればいいのじゃないかと思っています。
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父なんかだと、H大よりも青学の方がランク的に上だというような話を聞いたりすると、驚くというのはオーバーなんですけども、やっぱり驚いたりしてしまうんです。いわゆる六大学の神話というようなことなんですが、でも結局、魅力とか新しさというようなことを加味して考えてみると、僕なんかでは青学本命のセンは崩せないと思ったのです。
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H大の試験は、独協の試験の前の日にありました。二月の十二日がH大で十三日が独協でした。その前に実は上智の試験があったんですが(マァ、別に僕としては上智を受けるというような気は初めからなかったんです。受けたのは法学部の国際関係法ですけれども、これぐらいの所だったら初めから落ちても当然だと思って――なにしろ競争率は五十一倍ですから――受けてみたんです。安全第一ということはあったんですけれども、浪人のミエっていうのかなァ、背伸びしてみて挑戦したんだけれども、やはりだめでした。いい腕だめしにはなったんじゃないかなとは思ったんですが、やはりとても、難かしくって歯が立ちませんでした。英語なんか四割いけばいい方じゃなかったかな? これでも一年間英語だけはみっちりやったつもりだったんですけれども、さすがに上智だなァというような気がしました。マークシートなんですけど、問題の数がやたらに多いんですよね。第一、問題が長文だし。全文を読み終える前に時間がアップしちゃいそうで、なんだか知らないけど、とっても焦りました。高嶺《たかね》の花というか、さすがに上智の国際だなと思いました。別に期待はしてなかったんだけども)。
なんの話だったかな。
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あ、そうです。だから、実質的にはH大の試験が最初だったんですけれども、試験場は川崎校舎で、遠かったので早起きして行きました。朝なんかはとっても寒いもんで、わりと厚着をして行ったんですけれども、試験場が木月総合会館という体育館みたいなところで、だから、わりと厚着をして行って正解だったと思いました。
試験が終った時はわりと楽勝というような気にはならなかったのですが、でも結果的には通った訳ですから、
それでよかったんだと思います。
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実は、H大の発表というのは青学の経済の方の発表の次の日だったものですから、青学もだめだったらひょっとしてH大もだめかなァというような暗い気持で発表を見に行ったんですけれども、受かっていたのでよかったと思いました。
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H大の試験の時は厚着をして行ったからよかったのですが、次の独協の試験の時はちょうど席がヒーターのそばだったので、のぼせてしまってよくありませんでした。
独協だと僕の成績では十分に安全圏だったんですけれども、あそこの試験科目は特殊で小論文があるんです。それで父は「さすがに天野さんの作った学校だ」というように感心していたんですが、僕だと天野さん≠ニいう人がどれくらい偉い人なのかはよく分らないもので――大隈重信と福沢諭吉ぐらいは知ってますけれども、後は天野貞祐≠チて人がどういう人なのかっていうことは知りません。なんか、特別な人らしいです。
小論文というのは、結局当り外れのあるようなもので、問題によって大きく左右される訳ですから、僕としては自分なりに一生懸命にはやったつもりですけれども、やっぱり、作文能力っていうのは別なんだなというような気がします。水≠ニいうことに関する文章だったんですけれども、山崎正和という人の文章は少し分りにくくって、そういえば予備校の国語の授業で「山崎正和や会田雄次の文章はマークしておくように」って言われたなァっていうようなことを試験場で思い出しましたけども、後の祭りというか、元々試験科目が小論文だから運が良ければという感じで独協は受けた訳ですから、落ちて元々というような気もしました。「二日続けて試験というのは疲れが残るから良くないわよ」というようなことも母に言われましたが。
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それで、青学の試験の時はもう試験馴れもしていましたし、友達も一緒だったもので、気分的には、少し緊張しながらも、楽勝という感じはあったんですけれども、かえってゆとりが仇になったのかもしれません。
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自分としてはベストを尽したつもりなんですけれども。しょうがないですね。
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試験場は勿論去年とは違いますが(教室がです)「去年もここで受けたし」とか思って、それに今年は僕のクラブの後輩のヤツも青学を受けたので、楽しいというのとは少し違いますが、それでもなんとなく、リラックス出来て、大丈夫というような気もしたんだけど、でも、ひょっとしたらそういう気のゆるみがよくなかったのかもしれないと思いました。
僕のクラブの後輩は木川田っていうんですけども(木川田は三年になってから「俺も青学受ける」とか言い出して、ライバルっていうのは後輩≠セからヘンなんだけれども、わりと二人で一緒になって青学対策をきっちりやったつもりなんですけども)そいつと、席が前後になって試験場に並んだんですけれども、「分んない所があったら見せろよな」っていうようなジョークも出て、緊張した試験場の雰囲気からは浮き上ってたとまでは思わないんですけど、やっぱり真剣さが足りなかったのかもしれません。
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木川田は現役でしたからまァともかくとして、僕なんかは浪人して、ですから、少しショックでした。
青学の経済の発表があって、次の日H大の発表があって、それから青学の経営の発表まで四日ぐらいあったんですけど、なんか、その間はおちつかなくて、なんとなくヘンな気分でした。
経済の方で青学の発表があった時はなんとなく暗い気持になって、前の日にそういうことがあったもんですからH大の発表を見に行ってもあんまり明るくなれないで。それから、こういうことは別に僕としてはこだわってるつもりはなかったんですけれども、マァ、僕は一応浪人をしている訳で、今年だめだったらやばいなァというような感想があって、それで、別にこっそりという訳ではないんですが、H大の発表を見に行く時は一人で行く訳ですよね。青学の時は木川田と一緒に見に行ったりしたんですけども、そうではなくって一人でH大に発表を見に行ったりすると、ひょっとしたらもうここしか自分の行き場所はないんだぞというような気になって、木川田だとまだ来年があるけれども、自分はここかな、とか、少し寂しかったような気がしたということもあったようには思うんですけれども。
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一年違って、自分はH大で後輩は青学というようなことになるっていうのもなんだか、寂しいっていうんじゃないんですけれども。
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飯田橋の駅から歩いて行くと、なんとなく暗いんですよね…………………。
冬だからっていうせいもあったのかもしれませんけれども、青学の辺に比べて、なんとなく、暗いっていうのかなァ、古臭いっていうのかなァ。そういう雰囲気っていうのは自分だけが感じているだけなのかもしれませんけど、校舎がすごいんですよね。キャンパスっていうより、なんていうのかなァ、もっとすごくって。誰かが「エンタープライズみたいだ」って言ってたみたいですけど、なんとなくそういうような気がして。多分その時は自分がこの大学に行くんだというような一体感に欠けていたからだと思うんですけど、妙に冷静で、物事を客観的に(っていうのはオーバーかもしれないけど)見てしまって、合格したというのも、なんだか当り前のことのような気がして、少しヘンな気がしました。
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青学の経営の時もこれが最後の発表だと思うと、妙に期待というような感じもあったんですけれども。木川田なんかも「畜生!」って言って(木川田もやっぱりダメだったんですけども)僕の分まで残念がってくれたんですけども、でも別に青学というのはそう特殊な大学ではないと思うし、どこへ行っても大学というのはそれなりに特色はあると思うから、僕自身としては、別にもうそれほど青学にこだわってはいないんですけれども、なんていうのか、結局、この一年間の努力っていうのが(自分ではけっこうしたつもりなんですけれども)無駄になってしまったような気がして、少しガッカリしました。
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2
大学っていうのは、結局、どこへ行っても同じなんじゃないんですか。
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H大に入ってから一ヵ月ぐらい経ちますけども、別に、なんていうのか。
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自分の中で、大学に対する気負いとか幻想のようなものが(ないとは思っていたんですけれども)それでも結構あったのかもしれないなァと、今ではわりとそんな風に思っています。
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結局、なんていうのか。
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よく分りませんね。
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時々――
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3
「お前知ってっか? お前、めちゃくちゃだぞォ」
僕の友達で西窪ってヤツが面白いことを言ったんです。
西窪っていうのは、大学に入ってから知り合った友達なんですけども、不思議っていうか偶然ていうのか、語学のクラスで一緒になった時にそばに寄って来て、僕は知らなかったんだけど、彼は、前に話した木川田っていう僕のクラブの後輩のヤツと高校の時に同級生だったって言うんですね。それで僕は「偶然だなァ」と思って、友達になったんです。わりと口のきき方なんかズケズケしてるんだけど、面白くっていいヤツなんです。
「お前知ってっか? お前、めちゃくちゃだぞォ」って言ったんですけど――ア、めちゃくちゃっていうのは僕のことじゃないんです。
学校の帰りなんて、わりと講義終ってからみんなでブラブラ歩きながら帰るんですけど、結局みんな大学には幻滅してるんですよね。だから、そういう時はわりとみんなでバカなこと言いながら歩いてるんですけど、その時西窪ってヤツが言ったんです。
あの、大学別の入試問題集ってあるんですね、オレンジ色の表紙で。オレンジ色の憎いヤツかな、ハハ。いろんな大学のヤツが本屋に行くと並んでるんですけど、それで、西窪が川合ってヤツの(こいつも同じ語学のクラスです)下宿に行ってそいつの本棚に本学の(H大学です)ヤツがあったんでパラパラっと見てて気がついたって言うんですけど、そこに大学案内≠チていうのがあって、そこに本学の学生生活≠ネんていうのが載ってたりするんです。それ見てて西窪が気がついたんですけど、本学の学生は「他大学の学生と比べて地味である」というようなことが書いてあるんです。
「お前サ、俺らの大学はよォ、要するに個性がないっつう訳」
西窪がそう言った時、(僕らは四人ぐらいで歩いてたかな)みんな笑いましたね、「あったり前だよなァ」って言って。結局やっぱり、僕らって個性がないんですよね。そういうのが個性なのかな…………。
………………………………。
で、西窪が言うんですけども、
「本学の学生は、一般的に言って、開明でェ、じゆう、セイシンな、学風に影響されて――≠ィい、それからなんつったっけよォ、おい、川合よォ」
川合っていうヤツがまたおかしくって、普段はおとなしいんだけど、ヘンに記憶力だけよくって、ヘンな時にボソッとおかしいこと言うんですね。
それで、
「エ? 自由かったつしんしゅのきしょお=v
って川合が言って。また、言い方がぬけてておかしいんですけど、そうすると西窪が、
「だってよォ、お前よォ、自由闊達《じゆうかつたつ》・進取の気性の学生が多いって言ってよォ、そんでよォ、あとがもうメッチャクチャ。そんでな、一歩学内に足踏み入れるとよ、そこではほとんどの者がそうであるために、自分の自由闊達も目立たないし気づかないのが普通である≠ネんて書いてあんのよ。お前よォ、そんな話ってあるかよなァ?」
ホントそうですよね。
「そんでよ、どうして目立たないかって言うとよォ、みんなそうだから≠チて言うのな」
これには笑いましたね、みんな。
「そんでな、でも、一歩社会に足を踏み出すと、H大生の中に息づいている進取闊達の気風は光り出すのであーる≠ネんつうことが書いてある訳。そんなのお前、大学と関係ないだろ? な?」
ホントにそうなんですよね。大学って、どこの大学でも進取の気性≠ニか自由闊達≠チて言うんですけどね、マァホント、ウチの大学なんてダサイから、そこら辺正直に言っちゃったんだと思いますけどね、もう、みんなで大笑いしましたね。
……………。
大笑いして、で、一緒にいた須山っていうのが(こいつもまたひょうきんなヤツなんですけど)「なァなァ、その本どこにあんの?」って言って、川合が「本屋ならどこでもあるよ」って言って、「じゃァちょっと見にこうぜ」って須山が言って、それでみんなで市ケ谷の駅の方まで歩いて本屋に行ったんですけどね。
たまに散歩するのも悪くはないですね。飯田橋って、なんにもないとこでしょう? そりゃ、神楽坂の方行けば店なんかも結構あったりはするんですけど、なんかね。
市ケ谷だと日テレもあるし、山脇とか女の子も多いから、なんとなく華やかっていうような雰囲気もあるんですけど。なんかね、明るいんですよね。
それで、みんなで駅ビルの本屋行って、笑ったんですけどね。僕はわりと、結構友達には恵まれてると思ってます。結局大学っていうのは、友達とか仲間とかを沢山作ることに意義のある所なんじゃないんですか……。
そう思います。別にそんなことを真面目になって言ったりはしませんけども。
………………………。
4
西窪っていうのは、ちょっと変ってるんです。わりと、皮肉っていうか、そういうような目で物事を見たりして。
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初めはね、……。わりと、……。とっつきにくいかな、とかも思ったんですけど、向うから話しかけて来たし、愛想もよかったし。
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その、これはあくまでも、噂なんですけども。西窪が僕に言ったんで、ホントかなァ、とかも思ったんですけども。多分僕は違うと思うんですけども、木川田が(木川田っていうのは、高校時代の後輩です。後輩って、あの、僕は高校時代ズーッとバスケのキャプテンやってたもんで、木川田はそこのクラブの後輩なんです)、その木川田が(ア、そいつは受験の時、僕と一緒に青学受けて、試験場で僕の後に坐ってたヤツなんですがね)、なんていうのか、ホモだ、って言うんですよね。ホモって言われても、あいつはマァ変ってるから、別にそういう冗談だと思ったんですけど(あいつ、クラブの中じゃ仇名がオカマ≠チて言ったんですけどね)、なんか西窪に言わせると、そういうんじゃなくて、「本物だよ、お前、知らないの?」って言うことになるんですけど、それはマァ、喫茶店でたまたま西窪と一緒になって暇つぶししてる時に出た話なんですけど、僕はちょっと信じられないなァ。
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「お前、知らないの?」
って西窪は言うんです。
「だって冗談だろう?」
って僕は言ったんですけど、
「冗談じゃねェよォ。お前、ホントに知らねェの?」
なんて言うもんですから、僕は思わず「ウン」なんてうなずいちゃったんです。
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「有名だったんだぜェ」
って、西窪はそう言うんです。そう言ってから、ちょっと、笑うんです。笑うけど、それがちょっと、なにか、気のせいかもしれないけど、なんかちょっと、気になる笑い方なんです。
……………。
わりと西窪ってヤツはそういうような笑い方するけど、なんかちょっと、その時は気になって、「ヤなヤツだなァ」とか、思わず思っちゃったんですけど。
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「有名だったんだぜェ」
西窪が言いました。
………………………………。
「俺なんか、初めっからお前のこと知ってたもんなァ――マァ、今だから言うけどよ」
そう言って西窪が笑うんですよね。
「なんだよ?」
って僕は言っちゃったんですけど、西窪は言うんです。
「俺よォ、てっきりお前達出来てんのかって思ってたんだぜ」
「出来てるってなんだよ?」
「ナニよ」
僕は一瞬、なんのことだかよく分んなかったんですよね。分んなかったんだけど。
……………。
マァ、ですよね。
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ウーン、困ったなァ。
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別に僕は、そういうことに、偏見ていうのは持ってる訳じゃないんですけど。
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まさか、ね。
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あ。
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僕は。
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あ、西窪っていうのは。
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つまり。
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西窪っていうのは、感じでいうと、わりと普通にシティーっぽい人間なんですけども。
ちょっとやせてて。僕はわりと背が高いんで、僕と比べると少し背は低いですけども、まァ普通です。家のことはよく知らないけど、姉さんがいるって言うんですね。
姉さんはいるって言うんだけど、なんて言うのかな。
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まァ、普通なんです。
そいつが言うんだから、「そうかなァ」とか思って。あ、そうかなァっていうのは、結局、あの、僕のことじゃなくって木川田のことなんですけど、そうかなァって思うんです。
…………………。
そうかなァ……?
合宿の時でも普通だったし。
あ、合宿っていうのは、高校の時の合宿です。クラブの。予備校でもわりと一緒に行ってたってことはありましたけど、でもそんな風に。ヘンて言うのかなァ。ヘンて言ったら木川田に失礼かもしれないけど、そういうことってなかったと思いますけどねェ。
僕ってわりと、そういうことには気がつかないんですよね。
当り前だと思うけど。
…………。
僕は大学来ちゃったし、あいつは浪人してるから、今はもうあんまり会ったりしないんですけど、それでもこないだは映画のタダ券が二枚あるからって電話かかって来たりしたんですけど。僕はその時ちょっと他の用事があって行けなかったんですけど。僕って分らないからアレなのかもしれないけど、でも別に、普通だと思いますよ。わりとちょっと変ってるけど。あいつは。
「俺がサァ、なんでお前の名前知ってたか分る?」
西窪が言うんです。
「俺?」
「そう」
「………………」
「そりゃサァ、お前、有名だったからよ」
「…………………………………」
「隠れた有名人つうかサァ」
「そうかなァ」
「マァ、知らなきゃいいけどよォ」
「知らないよォ、俺」
「意外と、な」
「またァ」
「ま、いいってよ。そんだから俺、面白がってよォ、オ、木川田のナニがいる≠ニかサァ、な?」
「よせよォ」
「へヘヘヘヘ。アーア、なんかいいことねェかな――」
「ウン」
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ちょっと、なんていうのか、つまんないこだわりがありまして。
つまんないことなんですけども。
僕は、浪人してる訳なんですよね。だから、ホントだったら西窪とは一つ学年が違う訳なんですよね。西窪は木川田と同じクラスだったんだから。
…………………。
だから。
すごくつまんないことなんですけども、木川田は僕のこと、いつも「先輩」って呼ぶんですよね。別に運動部だからっていうんじゃなくて(そりゃやっぱり一応礼儀みたいなことはあるけど)、単純に僕のこと「先輩」って呼ぶんですよね。後輩だから、そりゃ「可愛いな」って思う時もあるけども。
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木川田と西窪は同じクラスだったから、西窪にいきなり「お前」って呼ばれると。
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別にどうってことはないんですけどね。西窪が木川田と同じクラスにいたってこと聞かされると。
西窪は最初、語学の教室で「お前、滝上って言うんだろ」って言って声かけて来たんですよね。「ヘンなヤツだなァ」とか僕は思ったんですけど。なんていうのかなァ、今まで「先輩」っていって呼ばれてた人間に、急に「おい!」って呼ばれるみたいな。勿論、そういう風に言うのは別の人間なんですけどね。なんか僕はヘンにつまらないことにこだわってるみたいなんですけども。多分まだ高校時代の感覚っていうのが抜けてないのかもしれません。予備校行ってる時も木川田と一緒になることが多かったから。
…………………………。
つまんないこだわりなんだと思うんですけどね、なんか、西窪に「お前」って呼ばれると、ワリとドキッとしちゃうことって、つまんないことなんだけどあるんですよね、「お前は後輩なんじゃないか」っていうような。
…………………。
で、僕は、高校時代バスケットやってたから(浪人の時も暇みて高校の練習見に行ったりはしてたんですけど。OBとして)大学入ってもやろうかなとかは思ったんですけど、やっぱりレベルが違うでしょう。
H大って、日大や中大とか筑波大なんかに比べると、存在は地味なんですけど、去年の東京学生リーグで得点王になった鈴木さんなんかがいるんですよね。マァ、ちょっとのぞいてみようかなァ、とかは思ったんですけど、やっぱり体育会に所属してるとこって、ちょっと厳しさが違う訳だし、僕、そういうことは知ってますから。ウチなんかだと、高校の時、都の地区予選で二回戦に出られればよかったみたいなところもありますから(昔は――二十年ぐらい昔の話なんですけど、ウチの高校、都の準々決勝まで行ったとかっていう伝説≠ヘあったんですけど、やっぱりそういうのは伝説≠ナすからねェ)ちょっとついてけないなと思って、それで食ってく訳でもないし。スター選手にでもなれば就職の時有利かもしれないけど、でも、中途半端なスター選手っていうのはあんまりつぶしがきかないからっていうことも言ってたし。OBの人なんかとたまに話してても(ア、勿論高校の時のOBです)、大学行ってまでやってるっていうのは、なんかちょっと、あんまりよくないっていうか、パッとしないし、みたいなことを思って、やめたんです。
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H大にはバスケの同好会もあるから、ちょっと暇もてあましてたし、体動かしたいからって思って入ってはいたんですけど、そっちの方、母は「あなたもいい加減バスケットなんていうの卒業するかと思ってたけど、まだまだなんだから、よっぽどバスケットボールが好きなのねェ」って言って、別にそう嫌いだっていう訳じゃないんですけど、なんか、情熱っていうのかなァ、あんまりやる気っていうの、なくなって来たような気がしたりはするんですけど。
やっぱり、練習って言っても、自分とこの体育館使えないっていうのは最悪ですよねェ。体育館は正規の体育会優先ですから、僕ら、同好会の連中が練習するとしたら区の体育館とかそういうとこ借りてやる訳ですけど、なんかあんまり、パッとしなくって、それでここんとこ、練習もあんまり行ってないんですよねェ。
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なんか、あんまりパッとしないなァ。
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結局、みんなそうなんだけど。
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5
大学って、マァ、四年間、一般的な教養っていうか、社会人になる為の教養マスターしてってとこだけど、遊んでるヤツは遊んでるけど、一般にウチの大学って地味は地味ですよね。地方から来てるヤツが多いせいかもしれないけど。
……………。
バイトして、とか、僕はそう金に不自由してる方じゃないけど。別に家は金持じゃないからそう贅沢《ぜいたく》はしてないけど、別にバイトしてまでってことはないんですね。「バカだなお前、バイトって女ひっかけんだぜ」っていう話もあるけど。
6
この間友達と大学とは何かというような話をしてたら、いろいろ名言というヤツが出て来まして(迷言かもしれないな)、結局、大学っていうのは何かっていうと、「大学は女だ」っていうんです。ウーン、ていう感じですけど、結局一番足りないものを求める訳なんですよね。
ただ、僕はちょっとオクテみたいなところがあって、別に過保護っていう訳じゃないんだけど、「女」って言われてもあんまりピンと来ないんですよね。なんか、切実って言えば切実だけど、もう一つ何かなァ。「そういうこと言ってるからお前はオカマに追っかけられるんだ」なんて西窪のヤツは笑って言うんですけどね。
ハハ………………………………………………………………………………………………。
まァ、そういえばそうかもしれないな。
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「お前、意外と潜在的にホモッ気があるんじゃないの」なんて言われるけど。いやァ、僕にはそういうの、ホント全然ないんですけど。
……………。
そう言えば僕、女の子と付き合ったことって、ないな、とか。
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苦手なんですよね。
女の子って。よく分らないし。
……………………。
あの、なんていうのかな。よく。
まァ、僕なんかでも高校の時とか、同級生っていますよね、女の子で。それでまァ、付き合いっていうようなもんじゃなくって、まァ、付き合いなんですけど。その、同級生というか、ア、そう、その、友達として、友達としてするんだけど、そのね、そこから先のね、いわゆる、なんていうのかなァ、男と女っていうのかなァ、そういう男と女の関係とかっていう風になれないんですよね。なれないっていうのかなァ……。そういうことやってるヤツっているし。結構いるんですけど、照れるっていうんじゃなくて、なんていうのかなァ、やっぱり、ムツカシイっていうのかなァ。こっちで一人で思っててもダメな訳でしょう? だめっていうか、別に一人で思ってるような女の子ってあんまり僕の場合はいないんだけども。なんていうのか、同級生だと同級生っていう感じで。その、なんていうか、やっぱり女なんだけど、いわゆる女とかっていうんじゃなくて。ムツカシイなァ…………。
あの、自分で言うのもおかしいんですけど。おかしいっていうか、別にこれは自慢で言う訳じゃないんですけど、でも、僕ってこれで、ワリと女の子にはもてた方なんですよね。もてたっていう言い方はよくないのかもしれないけど、人気って、あったんですよね。多分――やっぱりあったんだと思います。高校の時、バスケのキャプテンやってたから。
練習の時なんか、結構女の子が見てたりしたんですよ。試合なんかでも応援に来てくれてたし。付き合ってたっていうか、マァ、そういう子もいたんですよ。映画見に行って公園歩いたり。ファンの子で、試合の時見に来てたり。なんか、手紙もらって、「付き合って下さい」っていうのなんかあったんだけど、なんていうのかなァ、どうやって付き合っていいのかって、よく分んないんですよね。全然、僕、相手のこと知らないし。Cのちょっと前までぐらい行ったコっていうのもいるんですけど、なんかやっぱり、ちょっといけないなァ、とか思ったり。なんか、いざとなったら、ちょっと、今の僕じゃ責任はとれないし。男だったら、責任≠トありますからね。それと、その子はちょっと可愛い子だったんで。可愛い子なんだけど、そういう子をなんか、いきなり、そういう風にしちゃってもいいのかなって。同級生とか、普段知ってる子だったらいいんだけど、向うから付き合って下さいって言って来た子でしょう。だからちょっと。
なんか、二人で会ってても、その子は急に黙っちゃうんですよねェ。一年下の子だったんだけど。そういうのって、ちょっと苦手なんですよねェ。普段クラブなんかだと、男同士でワイワイやってるだけですんだんだけど、僕はワリと、そう騒いだりっていうことが得意な方じゃないんだけど、陽気なヤツっているでしょう? だからそっちの方が気楽で面白いんですよね。ホントに、よく分らないし。
女の子って、苦手だなァ。
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今日、授業ないし。
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7
この間、家でブラブラしてたら(暇だから、車の免許でも取ろうかなァとか思って、車のカタログ見てたんですよね――別にそれで女の子ひっかけようって訳でもないんですけど、パルサーか、ホンダのシティーかどっちがいいかなァ、とか考えて、免許取るんだったらバイトでもした方がいいかなァとか思ってたんですけど、よく考えたらローンていうテもあるし、やっぱり取ろうかなァ、とか、思ってたんです)そしたら電話がかかって来て、夕方だったんですけど、西窪からで、「出て来いよ」って言うんです。
「どこにいるんだよ、お前」
「俺? 広尾」
「広尾?」
「アア。六本木」
「六本木かァ、誰かいんの?」
「ああ。紹介してやるよ」
「知ってるヤツ?」
「女」
「女かァ」
「女学館のヤツが二人いてよォ。一人は俺の知り合いなんだけどよォ。だからお前、出て来いよ」
「今から?」
「ああ」
「いいけどよ。一時間以上かかるぜ」
「しょうがねェだろ」
「じゃァ行くよ」
西窪っていうのは、わりと遊んでるんです。遊んでるんですよね。あいつは、わりと口がうまいから。
「金持って来いよ」
西窪が言ったんです。
「金?」
だから僕もそう言ったんですけどね。
「ああ。要するによ、俺がお前ンとこに電話してるっていうのはよ、男が足んないからっていう訳」
「ああ」
「俺、紹介するって言ったしよ、他に電話したんだけど誰もいねェからよ。いいだろ、お前?」
「ああ」
「お前、金持ってる?」
「あると思うよ」
「OK。じゃァサ、お前、『FRIDAY』って知ってる?」
「『フライデー』?」
「ああ。俺達そこ行って待ってるからよ」
「そう言われても知らないよ、俺、そんなとこ」
「チッ。六本木の交差点があんだろう?」
「ああ」
「そこ、乃木坂と反対の方な」
「乃木坂?」
「ほら、防衛庁の方あんだろ?」
「防衛庁って市谷だろ?」
「バカ。あれは自衛隊。お前、東京に何年住んでんだよ」
「しょうがないだろ、俺、六本木なんか知らないから」
「じゃ、お前、六本木ならどこ知ってんだよ?」
「六本木? そうだなァ、『アマンド』だっけ、あそこにあるの」
「よせよォ、お前ェ。ツービートの世界じゃねェかァ」
「しょうがねェだろォ、知らねェんだから」
「ンとにもォ、しょうがねェなァ、じゃァよォ、俺達よォ、そっち行っててやるよ、お前が来る頃。だから『アマンド』来い」
「ああ」
「一時間ぐらい経ったら来れんだろ?」
「もうちょっとかかるかも分らん」
「いいよいいよ。じゃ、一時間半な」
「ああ」
「六時には来れんだろ?」
「ああ」
「じゃァな」
「ウン」
それで僕は、六本木行ったんです。暇だったし。それだけです。
8
僕、七千円持ってたんですけど、多分マァこれで足りるだろうなァとは思ってたんですけど、「金持って来いよ」って言ってたし、ひょっとしていざっていう場合もあるし。ア、別にいざ≠チて言っても、そう別にヘンな期待してた訳じゃないんです、その時は。女の子もいるし、あんまりヘンなことで恥かいたらいやだなとかも思って、それで多いかもしれないけど、あと五千円あったんで、それ持って行きました。(多くなかったかな?)洋服っていったって、六本木行く時にどんな恰好してったらいいかよく分んなかったし、それで一応ブレザー着て、『アマンド』に行ったんです。
広かったし、それに混んでてよく分んなかったんですけど、一人で坐って待ってたら(それにしても六本木って多いですねェ、人が。ちょうど金曜日だったんですけど、さすがっていう感じでしたね)店内放送で呼び出されて、西窪達、中に入んないで待ってたんですよね。西窪は普通にGパン穿いてて、「オゥ」って言ってレジのとこで待ってましたけど。それで僕らはその『FRIDAY』ってとこに行ったんです。要するに喫茶店なんですけど、クリスタル族のたまり場なのかもしれないなァ。わりと女子大生みたいな子が多くて。知ってたら入るのに抵抗感感じたかもしれないけど、別に僕はそこがクリスタル族のたまり場っていう気がなくって入っちゃったから、どうってことない普通の店っていう感じしかしませんでした。そういえばちょっと派手だったかなァ。上井草の方にある喫茶店に比べたら、やっぱりちょっとはナウかったかもしれませんね。僕、あんまり知らないからなァ……。一通りのことは知ってても。
…………。
女の子は二人いて、ユキとミクっていうんですけども、同じ大学行ってるんだって。ピンクと赤のパンタロン穿いてるんですけど、初めはどっちがどっちかよく分らなくて、一応は紹介されたんですけど、僕あんまり、そういう正式の紹介みたいのを女の子からされたことがなかったから、それでちょっと、ゴッチャになったのかもしれません。
「こいつ」って言って西窪が紹介して、僕が「滝上です」って言ったんです。その時西窪がなんかちょっとヘンな目くばせみたいのしたらしくって、僕がそう言うと、女の子達がキャーキャー騒ぐんです。ちょっとまいったけど。「ヤッダァーッ!!」「ウッソォオッ」って。
「ヤッダァーッ!!」
「ウッソォオッ!!」
「なんだよ?」
僕が言ったんです、西窪に。
「エ?」
って言って、西窪は笑ってんです。女の子の一人は「ヤッダァッ」って言って口開けて僕の方見てるし、いきなりだったから、ちょっとまいったな。
「ねェねェ(僕の方に言うんです)、オカマに追っかけられてるってほんとお」
「エーッ?!」
「ほんとお?」
女の子はそう言ってるんです。
「なんだよ、お前。そんなこと言ったの?」
「ヘッヘェ」
西窪は頭かいて笑ってるんです。
まいったなァ。
「まいったなァ」
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「ン」
…………。
…………………。
「あ」
………。
「あ、滝上くんて、なんて言うの?」
「名前?」
「そ」
「圭介っていうんだ」
「圭介くん?」
「そう」
「なんかスポオツやってんの?」
「ああ、バスケ。一応」
「そう」
「お前、何頼む?」
「あ、コーヒー」
…………………。
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「さァて」
「ン?」
「ン」
「ン?」
「なによ?」
「いや、別に」
「やっだァーン」
「ウゥン」
「ン」
「わりとよく、ここに来るんですか?」
「あんまり来ないね」
「ウン」
……………。
……。
…………………。
…………………………。
「同じ大学行ってんだって?」
「そ。ね?」
「ウン」
…………。
……。
………………。
……………。
「やっだあ」
「うそォ」
「なんだよ、ばかあ」
「なァに?」
「えーっ?!」
「やだあ。バカァ」
「フフフフフフフフ」
笑ってばっかしいるんですよね。
「あ、すいません――。すいませェん」
「はい」
「コーヒー一つ下さい」
「はい」
「あ」
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…………。
……。
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「わりとおとなしいんだね」
「えーッ!!」
「やっだァーッ!!」
「ウッソォーッ!!」
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「ハハハハハハ、ヤダァッ!! バカアッ!!」
「ハハハハハハハハ」
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まァいいや。
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そういうもんなのかもしれませんけどね。
9
マァ、大体僕は、初めっから気に入られるような自信てなかったんですけど。ア、女の子に。それでもマァ、なんかうまくいったみたいです。ホントいうと、わりと僕はおとなしめの女の子の方が好きなんですけど、マァ、相手は女の子だから、別にどうとかっていう訳もなくって。僕は、なんていうのかな。いわゆる、『JJ』ガールみたいな女の子にいい印象って持ってなかったんです。なんか、みんな流行で有名なブランド追いかけてるとか。それでも、結構普通の女の子なんですよね。付き合ってみて分りましたけど。僕なんかはわりと、他のヤツらみたいに、ロリコンとか、まだそこまではいけないんですけど、女の子って、結構いいもんだな、とか、思いました。
六本木に『KISS・RADIO』っていうディスコがあるんですけど(ディスコばっかり入ってる通称ディスコ・ビル≠チていうとこの九階にあるんですけど)、そこ行って、学生専用だから、わりと女の子も多いんですけど(ミクちゃんなんかは「ここは女が少ないからいい」って言ってましたけど、そこら辺はよく分らないです)、西窪はそこで高校時代の同級生に会ったって言ってましたけど、なんか、同じ高校でも一年違うとムチャクチャ進んでんですよね。もっとも僕、あんまりディスコなんて行かないからな。
十一時ぐらいまでそこにいたんですけど、ユキちゃんは学生マンションに入ってんですよね。女子専用で、門限が十一時なんですけど、その前に電話しとけば十一時半まで開けといてくれるとか言って、それで「帰る」とか言って、西窪が送ってったんです。僕も帰ろうかと思ったんですけど、西窪が送ってってやれよって言って、「あ、そうか」って思って、それで僕はミクちゃんの方送ってったんです。ユキちゃんは恵比寿で、ミクちゃんの方は高井戸にマンション借りて住んでるって言うから、まァ、帰り道だなと思って、送ってったんです。
ディスコ出て、西窪が「タクシー代貸せよ」って言うから、ディスコの金僕が払ったんで、もうあんまりなかったんですけど、向うも門限あるだろうしと思って。マァ、向うが困ってる時に、こっちだけ一人、彼女送ってった後でタクシーで帰るとかっていうのも悪いから、僕、二千円残して三千円貸したんですよね。「二千円で帰れるかなァ」とかも思ったんだけど、マァ、急げば終電間に合うし、とかも思って。結局その二千円は使わなかったんですけどね。
彼女――本名は美香子っていうんですけど、それがつまってミック≠ネんですけども――高井戸の二DKのマンションに住んでて、一人で大変だなァとか思ったんですけど、そんなことないって言って、ちょっと上に上って、マァ、結局朝帰りみたいなことになっちゃった訳ですけどね。わりと、遊んでるみたいだったですよ、彼女。僕は、初めてだったんですけど、「違うでしょォ?」って彼女に言われちゃいました。落着いてるって。
自分でも意外だったけど、あんまり、上らなかったですね。途中で抜くんだって言われて、その時だけはちょっと焦ったけど。ただ、ベッドが狭くて、それだけちょっと困りました。
テクニックって、よく分らないけど、そういうもんかなァと思って。初めてだったからちょっと分んなかったけど。彼女は途中、口でやってくれたんですけど、僕はちょっとね。まだ抵抗あるな、やっぱり。
よかったですけどね。それでも、彼女とはもうあんまりちょっと、付き合いたいとは思えないですけどね。なんていうのかな、別に、思い出を大事にしときたいってとこもあるんだけど、やっぱり、ちょっとあんまり軽々しく男と寝るっていうのもね、あんまり好きじゃないんですよ、僕は。
今の女《ひと》は煙草も吸うし、化粧もしてるけど。そりゃァきれいな女《ひと》の方がいいですけど、やっぱり、あんまり派手な女《ひと》っていうのは、どうかな、遊んでるヤツにはいいのかもしれないけど、僕はそう、あんまり好きにはなれないですよね。男の身勝手かもしれないけど。
10
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この頃、あんまり物考えなくなりましたねェ。なんとなく、このまんまでいいんだって思ってるせいかもしれないけど。
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夏休みになったら、海行ってバイトしようかなんて、高校時代の友達と話してるんですけど………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………でも …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… …………………………………………………………………… なんか ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………時々思うんですけど、女の部屋って、匂いがあるんですよね。甘いみたいな。時々思い出すと、なんか猛烈に感じるなァ。今度一遍、彼女に電話してみようかなァって思ってんですけどね。
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まァ、それだけなんですけど。
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11
こないだテレビ見てたら、不思議なんだけど、『テレビ予備校』なんてのやってんですよね、夜中に(一時からですけど)。別に興味なんかなかったけど暇だから見ちゃいましたけど、なんとなく、ヘンな風に懐かしいみたいな気がしてねェ、わりとおかしかったですねェ。現国だったんですけど、「ああ、山崎正和かァ」とか思って。
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僕、こないだ山崎正和って人の『おんりい・いえすたでえい'60S』っていうのが生協にあったから買って来てたんですけど、あんまり面白くはなかったですねェ……。途中までしか読んでないけど………。結局、大学って四年間でしょう。四年間て、まァねェ、長いけど、短いみたいなもんだからなァ………………。今から就職みたいなこと考えたってしょうがないから、まァ 、適当にやってこうとか思ってますけど 、それにしてもやっぱり 面白いことがないと つまんないですね 。当り前だけど。
多分、みんなそんな風に思ってんですよね。なんていうのか、感動ってあんまりないし、僕らの、世代なのかなァ……………………………………………………………………………………。あんまり難しいこと考えたくないけど。
結局、…………………マ、…………すべては社会に出てからですよね……。
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四年ていうのは…………………、やっぱり長いなァ。
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温州《お》蜜柑姫《みかんひめ》 鉄火場勝負《てつかばしようぶ》
―――――上智大学文学部英文学科 醒井凉子
1
私が初めて滝上さんにお会いしたのは伊豆の海岸でした――
あ、下田です。あの、夏休みに。でも本当を言うとそうではなくって、あの、私《わたくし》、その前にもお会いしてるんです。あの、六本木のディスコテックだったんですけれども。でもその時は私《わたくし》、あの、お友達と一緒だったし、その時私《わたくし》、滝上さんだとは気がつけなくって。それに滝上さんだってお友達と一緒でいらしたし。混んでたし。それであの、私――
いやだわ私、何を書いているのか全然分らない。だめな凉子《りようこ》。だって無理なんだわ。だって私、一度だって自分のことなんか文章で書いたことないんですもの。出来っこないんだわ、私なんかに。だって、文章を書くということは自分を客観的に見つめるということでしょう? 私に、そんなこと出来る訳ないんだわ。
そうよ。それは思い出……。もう、はかなく消えて行ってしまうんだわ。
消えて行ってしまうのよ。いいの? 私にはもう二度と青春はないのよ。
私、私、涙が出て来てしまう。
いつまでだめなのかしら。弱い凉子……。
さっきから何遍《なんべん》、原稿用紙の上を消しゴムで消したのかしら。何遍も何遍も、そう、まるで砂浜に打ち寄せる波のように……。
そうよ、私は歩いたんだわ、あの夜露に濡れる夏の海辺を。
滝上さん!
私、私……、圭介さんと呼んでもいいのかしら……………? いやだわ、私……。
いやッ!
ああ……、もう出来ないわ。どうしよう……だめね……、だめな凉子……。
みんな、自分のことは自分ではっきり書いているんだわ。書いているの。恥かしがっていてはだめ。たとえ立派な文学にはならなくても、これが私の、私の本当の自分の真実の姿なんだから。そうね。私は書きます、自分のことをはっきりと。滝上さん、見ていて下さいね。(それから滝上さん、私《わたくし》、あなたのことを……圭介さん、とお呼びしてはいけないかしら? いけないわ。いけないんだわ、きっと。だって私達、まだお互いに好き≠ニさえも言ってはいないんですもの……。あれはたわむれなのかもしれないし……。私…………、あなたに……、だめよ、だめだわ……。愛されてると思ってはいけないでしょうか? いやだわ……、つらくって……、私《わたくし》、もしあなたが私のことを××でもなかったら……、私……)もう考えない。考えたくはないの。あなたがどう思おうと、私は恋をしているんですもの。
……恋。恋だなんて……。誰にだって、恋をする権利はあるんだわ――あると思います。あの、黄金の夏の光の中であの方と出会って、あの方を知って、私は生まれて初めて恋というものを知ったのだから……(文法的には合っていると思います)。
恋は――恋は人を強くするのでしょうか? 私、とっても大胆《だいたん》になっています。だって、恋をしているんですもの。
寒い。クーラーが強過ぎるんじゃないのかしら。
強過ぎる――
そうね、もうそんな季節になってしまったんだわ。
もう……秋……。
二学期の講義が始まってしまって、夏は終ってしまって……。あの夏の青い広がりが私の心に思い出を残して、鴎《かもめ》が私の青春を連れて来てくれたのかもしれない。よく分らないけれど。夏は暑かったから。でもそういうものだから。きっとそういうものだと思うから――そうだと思います。
そうなんだわ、きっと!
そうなのよ、ええ。
ええと、一体なんだったのかしら?
あ――
あの、私が滝上さんと初めてお会いしたのは、伊豆の海の海岸でした。そうなんですけれども――
そうなんだけど、どうしよう? だって、このままでは、誰が書いている文章なのか分らないわ……。
あの、私、醒井《さめがい》凉子と言います。あの、私、今年上智大学に入りました。英文科なんですけれども……。あの、知ってらっしゃる方は多分知ってらっしゃると思うと思うんですけれども、あの、私、榊原《さかきばら》さんとお知り合いなんです。高校の時同級生でしたから。あの、素晴しい方なんです、ちゃんとした主張をお持ちになっていて。ですから私、あの、それで小説を書いているんです。私も主張を持ちたいと思って。あの、木川田さんも皆さんも、書いてらっしゃるから――多分そうだと思うんですけれども――だから私も書こうと思って。書かなくちゃいけないと思って。
あの、私、今年の夏に恋をしたんです。だから、書けると思って――
あの、私、滝上さんという方とお知り合いになったんです。それで、あの、それが今年の夏で、伊豆の海だったんですけれども、あの、お分りになります? 私、小説書いてるんです……。
2
私が滝上さんとお会いしたのは伊豆の海だったんです。あの、勿論その前にも私、滝上さんとお会いしてるんですけれども、そのことが気がつけなくって――あの、説明のしかたがよく分らないので少しはお分りにくいかもしれませんけれども、もう少ししたら説明しますから、すみません、分っていただけると思います。
私《わたくし》、父の友人が下田にホテルを持ってらっしゃるので、今年の夏はそちらの方にお邪魔をさせていただきにまいりました。普段ですと高崎の方にある祖父の実家の方にまいっておりますんですけれども、今年は私、大学に入りましたので、とっても海に行きたいと思ったんです。母は大体病弱で、長時間紫外線に当るとシミが出来るからあまり行きたくはないと言うんですけれども、でも帽子をかぶっていれば平気だと思いましたから、私、行きたいと思ったんです。
私が海に行きたいと言ったら、父はあまりいい顔をしないのです。海へ行かなくても泳ぎならプールで出来るし、それに海へ行くと大変だというようなことがあるからです。大変≠ニいうのは、勿論風紀≠ニいうようなことがあるからなんですけれども。
父は私が女子大に行くことを望んでいたのです。女子大に行って教養を身につけることをとっても望んでいたんですけれども、父は古い人なので自主的に学問に取り組もうとするようなことがあまり理解出来ないのです――多分そうだと思いました。
私は勉強をするのだったら男の人がいるところの方がいい、その方が積極的になれるからと思っていたのでした。だから私は女子大を受けるのをやめて、共学の大学を受けることにしたいのだと父に言ったのですが分ってはくれません。父は古い人なのです。ですから私《わたくし》は、上智大学と日本女子大学の両方を試しに受けてみることにしたのです。父はとても聖心にこだわったのですが――すみません、このことを書いていると話がとても長くなりますので省略させていただきます。それで、そういうこともありましたので、父は私が海へ行くことにあまりよい顔をしてはくれないのでした。
父の弟という方がおりまして、私にとっては叔父にあたるのですけれども、その方に海に行きたいという相談をいたしましたら「津川さんのところだったらいいじゃないか」というようなことをおっしゃって――私《わたくし》、敬語の使い方がよく分らないので間違っていたら申し訳ありませんが――津川さんだったら川奈のカウントリィ・クラブのメムバーでいらっしゃるし伊豆へ行っても海ばかりではなくゴルフもある訳ですからそうそう心配をすることはない安心して行ってくればいいじゃないかというようなアドヴァイスをいただいたものですから、それに、母もあまりひきこもってばかりいるのもよくないしということで、私《わたくし》は母と二人で下田にある津川さんのホテルにお邪魔をすることになったのでした。
あの、読み返してみて気がついたんですけれども、叔父がおっしゃった「津川さん」という方がその下田にあるホテルのオウナーでらっしゃるんですけれども、お分りになりましたでしょうか? それだったらよろしいんですけれども、私《わたくし》、人に読んでいただくような文章を書くのは初めてなものですから、とても上ってしまって。乱筆乱文をお許しいただきたいと思います。大丈夫だと思いますけれども――。私《わたくし》伊豆に行きました。
とても海が青いんです。とても青いので、私驚いてしまいました。夏っていいなァと思いました。大体私、夏っていいますと高崎の実家の方に行っておりましたし、東京にいる時も母の代理で父の帳簿に目を通したり家事を手伝ったりで、あまり海というところには行ったことがないのです。大学に入りまして、五月の終り頃にお友達と葉山などに行ったことはありますが、海で泳いだ記憶というのはないんです。田舎にいました時に――私《わたくし》、中学二年の時に東京へまいりまして、それでその田舎の中学校の時に臨海学校というものが茨城県の大洗《おおあらい》であったのですがその時は私《わたくし》まだ泳げませんでしたから参加というようなことは許されなかったのです。それで、夏になるととっても憂鬱《ゆううつ》でした。泳げないのでいつも見学でしたけれども、私《わたくし》生理はキチンとありましたからそんなにいつも見学ばかりだと自分がとても生理不順のように思えてしまって、夏になると生理不順になってしまうのです。ですから私スゥイミングスクールに通って泳ぎを覚えました。少しは泳げるようになったのですが、私《わたくし》、大胆に体を動かすことが苦手なのです。バタフライやクロールですと、いつも体の動かし方が途中で分らなくなってしまって沈んでしまうのです。ですから私《わたくし》下手で、そんな自分がいやになってしまって、平泳ぎで千メートルぐらい泳げるようになった時にやめてしまいました。私《わたくし》その頃まだ、結局なんでも自分でやらなくちゃいけないんだということがよく分らなかったのです。ですから私、初めて海に来まして、とってもうれしかったんです。
海は広いんです。広くて大きくって、大変でした。支配人の中里さんに御案内いただいたのですが熱くって――あの、海岸の砂がです。
あの、伊豆は白浜というところで、その名のように浜辺が白いのです。私がまいりましたのは八月の初めで、正確には二日の金曜日からまいりました。二日から十日間の予定で――と申しますのはお盆になりますと高崎の方にまいらなければなりませんので、少し強行軍のような予定ではあったのですけれども一週間という予定を津川さんに申し上げたら「そんなケチなことをおっしゃらずにせめて十日間」というようなことをおっしゃったものですから。……あの、今私《わたくし》うっかり自分に対して敬語を使ってしまいましたが、それは津川さんがおっしゃったことをそのまま書いたからで決して誤解をなさらないで下さい。
それで私《わたくし》、海岸を歩いておりました。私《わたくし》と母と中里さんと、それとお手伝いの敷島さんです。敷島さんは以前看護婦をやってられたこともある方なので是非《ぜひ》にということでお願いをしました。
母はもともと虚弱体質でしたのですけれども私《わたくし》が小学校の二年生の時に循環器《じゆんかんき》系統の病気にかかりまして、その後薬の副作用で内分泌《ないぶんぴ》器官の代謝《たいしや》異常の気が少し出まして、それで東京に出てからは喘息《ぜんそく》を患らうようになっていましたので新鮮な空気はよかったのだと思いますが、やはり夏の海の太陽の空気は少し刺激が強過ぎたのかもしれません、「なんだか疲れてしまいそうだわ」というようなことを申していました。
私《わたくし》は海岸に若い人が一杯なので、なんて若い人が一杯いるのだろうと思いました。高校時代も、夏休みになると大体一人で読書をしていたのですけれども、でもそれが時々落ち着かなくなって、本に集中出来なくなってしまうことがあったのですけれども、やっぱり私も若い皆さんと一緒に青春をエンジョイしたかったのだなァと思いました。水着もセパレーツにしたかったと思いました。セパレーツの水着は泳ぐ為のものではないという風に思っていたからなのですけれども、やはりプールで泳ぐ時と海で泳ぐ時は同じ泳ぐことでも少し違うことだから、海の場合はセパレーツだってもおかしくないし、海はセパレーツの方がふさわしいと思えるのです。だって、海は熱いんですもの。
それから、サーファーの方が一杯いらっしゃいました。皆さん一杯いらっしゃって、サーフボゥドを持って歩いていらっしゃるんです。勿論サーフィンをやってらっしゃる方も沢山いらっしゃいます。私《わたくし》五月の海に参りました時、その時は折悪しく小雨模様だったんですけれども、その霧雨に煙ってらっしゃる中でウェットスーツをお着になってサーフィンをやってらっしゃる方を見てとっても特別な方達のなさるようなことだとばかり思ってしまったのですけれども、あまりそういうことではなかったのだと思いました。
大学の中でも、サーフィンを認める方と認めない方と二通りありまして、「やァよ、ダサァイ」という意見もあるのですけれども、私はそういう、サーフィンをなさる方達とは直接お付き合いがないものですからよく分りませんでした。ダサイのかどうかは私、サーファーの方とお知り合いになってからではないとよく分らないし、サーファーの方が一緒にいらっしゃる方は大概健康的な方で、私のような引っ込み思案のタイプはサーファーの方々にはあまり好かれないと思っていたのでよく分らなかったのでしたけれども、私もサーファーの方を見て一緒にやってみたいなァと思いました。
その時です。中里さんと一緒になって歩いていた母が「もう疲れてしまって」と言い出しましたので、私達はそのままホテルの部屋に戻りました。夏の海はなんと青いことでしょう。
3
私が滝上さんとお会いしたのは、それから三日経った月曜日の午後でした。午後というよりは夕方でした。四時半ぐらいだったと思います。お日様が砂浜の後の方を照らしていました。私達が伊豆に着いたのは金曜日の週末で、それから土日とかけて大変な人出でしたので今日はまだ泳がない方がいいと言われて、私達はずっとホテルのテラスで海を眺《なが》めていました。私としては別に人出もそう気にはならなかったのですが母は「およしなさいなァ」と言うものですし、中里さんが「土日を越したら人出もそうはなくなりますから」とおっしゃるものですから「じゃァそうした方がいいのかしら」と思って私はサリンジャーの『The Catcher in the Rye』を読んでいました。サリンジャーの文体はきびきびしていて私は好きなんですけれども、二十八ページの十一行目まで読むと私は、「中里さんは月曜日になったら人がいなくなるというようなことをおっしゃっていたけれどももし若い人がみんないなくなってしまったらどうしよう」というような気になりました。大学のお友達でも、吉井さんはヨーロッパにいらっしゃるし、常木さんは小笠原の方にいらっしゃるし、大学のお友達は大体皆さん海外にお出かけになるみたいだし、それから、私、伊豆に来るということになりました時、「よかったら」と思って榊原さんをお誘いしようかなとも思ったんですけれども、あの方は今予備校で、多分夏期講習の真っ最中でらっしゃるんだからと思って、そうなった時にヘンなお誘いの電話をおかけして、私一人が遊んでいるというように思われてお邪魔をしてはいけないと思って遠慮をしていたのですから、皆さんあまり伊豆の方にはお越しではないのかもしれないと思って、ウィークデーになってしまって海岸が寂しくなってしまったらつまらないなァ、というような気持になって来たのです。私、お祭りってとっても好きなんですけれども、あまりそういう機会に恵まれるというようなこともなくって。ですから私、少しだけ外に出てみようと思って、外に出たのです。浜辺は午前中にくらべると大変な人出で、本当に歩くのも大変だったのですけれども、別に何事もなくてホテルに帰りました。
部屋に戻りますとお手伝いの敷島さんが「マァ、心配しましたのよ、今そこで暴走族の喧嘩があって!」というようなことを言うのです。私が「え?」と申しますと「御存知じゃなかったんですか、凉子さん?」て言うんです。私は別に気がつかなくって「そうだったんですか……」という風にいいました。母と敷島さんは本当に心配したようにして驚いていましたけれども、私はちょっと、「見てみたかった」というような気もしました。後で中里さんに伺《うかが》ってみると、ここ何年か、夏になると週末には暴走族がやって来るというお話でした。「困ってしまいますよ、危なくてうるさいしねェ」ということでした。あまり暴走族がやって来ても日帰りはお金にならないからなのですけれども。
それで私は、なんということなくその日を過しました。
4
それで私が滝上さんにお会いしたのはその次の日だったのです。
その日は――月曜日だったのですけれども、朝から曇っていて、少し涼しいくらいの静かな日でした。とっても静かでしたので、私はもう、観光客の方や若い方はもうみんな帰ってしまったのかと思いました。でも、午後になると陽も照って来て、人出も前の日と同じぐらいに賑《にぎわ》って来ました。
私達は海岸にデッキチェアを持って来て日光浴をしていたのですけれども、昼過ぎになりますと、母が「もう疲れたわ」と言って引き上げようとするのです。「サンスクリーンばかり塗っていると、却《かえ》って肌が疲れてしまう」と言うのです。敷島さんも、「日陰におりましてもこういうところの紫外線は大変な量になりますからねェ」と言うのです。「そうねェ……」と母はうなずきまして、「私はもう疲れるから東京に帰りたいわ」と言うのです。敷島さんは、「あら、やはりお体の調子はよくありません?」と言います。「なんだかとっても疲れてしまって」と母。「明日もう一日様子を見て、ズッとこういう様子だったら、私、悪いけど失礼するわ」と言うのです。母がです。母が「失礼する」ということは私も自動的に失礼をしてしまうということになるので、せっかく寄せていただいた津川さんにも失礼になるのにと思ったのですけれども、そうかといって私一人でここに残るということにもいささかのためらいがあって……。というのは、母は病弱なのですけれども、とっても我儘《わがまま》なのです。こういうことを言ってはいけないのかもしれませんけれども、私《わたくし》、時々母があんまり我儘で病気に甘えているのではないかと思ってしまうこともあるのです。折角海に来る予定になっていたのにスケデュールの半分も過ごさないで帰ってしまうというのはいささか勝手すぎるとは思いませんか? 勝手すぎると思ってしまってはいけないでしょうか。私は、もう少し海にいたいと思っていたので、その母と敷島さんのやりとりを聞かないようなふりをしていました。そうすると、「ねェ凉子さん?」と母は言うのです。「はい?」と私は答えました。「やはりもう少しいましょう」と母が言ってくれるのではないかと思っていたからです。すると母は、やはり「ねェ、私、あしたで失礼しようと思うんだけれど、あなたどうする?」と言うのです――「とっても疲れてしまって」と付け加えて。「ホントに人が多いですものねェ」と敷島さんも付け加えるのです。母は、「あなた一人残りたかったら、お残りになってもよろしいのよ」と言うのです。それから、「私はとっても疲れてしまって」と言うのです。敷島さんはコーラの栓《せん》を抜いています。私は、「あなた一人残りたかったら」と言われても困ってしまうのです。だって、私、そんなに淫《みだ》らじゃありません。裸の男の方も一杯いるし、私困ってしまいます。ですから私達、急に火曜日に帰ることになってしまったのです。私《わたくし》はあんまりだと思いましたけれども、母を傷つけるのがいやだったので、帰ることにしました。三時ぐらいになりますと海は凪《な》いで、若い方達がみんな、カップルで浜辺に寝そべっています。私だけ一人なのです。私だって若いのに、母と敷島さんと三人連れです。敷島さんには、今年高校に入ったお嬢さんがいるのです。私、いやです。とってもいやでした。そして、そういうことをいやだと言い出せない自分が、なんだかとっても情けなくて、やっぱり私みたいな人間がこういう青春の光輝やく海辺へ来てはいけなかったのかもしれないと思いました。私の水着は白のワンピースです。一生懸命サンスクリーンを塗りましたが、どうしても海で泳いだりするとそれがはげてしまいます。自分の胸のフチがポッと赤くなっていたりするのを見ると情けなくなってしまいます。
「あなた、もう暫《しばら》くいるの?」立ち上った母が私に言いました。「いるの?」というのは、「浜辺にいるの?」ということです。母はラベンダーのサンドレスを着て大きなサングラスをかけています。母はかなり太っています。敷島さんはプリントのワンピースです。日傘をさした母が立ち上って私にそう言いました。私は「ええ」と言いました。「そう、だったら後でホテルの方にパラソルを片付けに来ていただきましょう」と母は言いました。「本当に暑いわねェ」と付け加えました。私は、「夕方になってから戻ります」と付け加えました。それだけです。私は、静かになった海を見ていました。
静かでした。ピンクのフリルのついたセパレーツの水着を着た若い女の人が、海の中でボーイフレンドとキャッチボールをしていました。私はサラサラと乾いた砂を手に取って、意味もなくサラサラとこぼしていました。ふと顔を上げると、そばを若い男性の三人連れが通りました。とっても――(水着の中まで)脚が毛深いので、こんなことを考えていてはとっても恥かしいことになってしまうと思って素知らぬ素振りをしようとしたのですが――あ、やっぱり、そこのところをもう少し詳《くわ》しく書きますと、私はあまり器用な方ではないので、素知らぬふりというようなことはあまりうまく出来ないのです、ということです。出来ないから多分、私は「興味ありません」というような顔をしていたと思うのです。私が横を向いていると、その三人の男性が通り過ぎて行きました。私は別に聞こうと思って聞いていた訳ではないのですが、あの、私の横を通る時、その三人の内の誰かが――あの、顔を見ていた訳ではないのでどんな人だということは少し申し上げられないのですが、でも多分、ひょっとしたら私の空耳かもしれないのですが「彼女」というようなことを言ったのです。ひょっとしたら私の空耳かもしれないのですが、ひょっとしたら、あの人達は私の噂をしていたようなのです。あ、噂というよりは、何かきっと、私に道を訊《たず》ねてらしたのかもしれなかったのですけれども――あの、「彼女に聞いてみようぜ」というようなことを言っているようにも聞こえたのです、私の耳には。もしも、あの、「すみません?」というような感じで話しかけられていたら、多分私はその時上手にお答えが出来ていたのかもしれないのですけれども、ひょっとしたら空耳かもしれませんので、私はそのまま何も言えませんでした。きっと、こんなに引っ込み思案の人間はこの世の中に私しかいないと思います。私はたった一人です。孤独という言葉が似合う女は夏の浜辺にふさわしくはないのです。そっと、そんな風に思います。悲しくなってしまいました。
私は少し悲しくなってしまったのでジッと坐っているよりも少し散歩でもした方がいいかもしれないと思って、白いパイル地の前開きのついたカーディガン風のリゾートウェアを手に持って一人で海岸を歩き始めました。裸で太陽の下を歩くのは本当に気持がいい気分です。私は、やっと自由になれたのだと思いました。
私は一人になって、海に向って左手の方にある岬《みさき》の方へ歩いて行こうと思いました。そこだと景色がきれいだと思ったのです。そこだと――あの、私やっぱり、少しは寂しかったのです。ですから、一人になって少し風に吹かれてみたいと思ったのです。きっとどこかで、いつか私のことを愛してくれる人がいるかもしれないと思って、寂しかったので一人になりたいと思いました。それで、その岬の方へ歩いて行くことになりますと、その岬の手前の方にあるサーフィン・エイリアの前を通って行くのです。サーフィン・エイリアというのは、そこでサーフィンをする方の為の専用エイリアです。そして、大体サーフィンというのはあまり一人でするものではなくて、大概どの方もお友達やカップルでやってらっしゃるので私は少し近づきにくいと思って、あまりそちらを通らないようにして、あの、つらいから惨《みじ》めになりたくないんです。ですから、私、少し遠回りかもしれないけれど、堤防の向うを通って行こうと思ったのです。
あの、伊豆の海だと大概、海があって砂浜があって、それから海の家があって、それから堤防があって、その向うに道路があるのです。道路から砂浜の間までがかなり低くなっていて、そこを下りて海岸へ入って行くのですが、私はそこを逆に上って、道路の方へ回りました。そこは、勿論ホテルもあるのですけれども、私達のいるホテルとは少し離れて、サーフボゥドやTシャーツを売っているお店があって、それから中里さんのお話だと、民宿に泊っている若い方達が住んでいるようなところだそうなのです。ええ。本当は、若い方達のいる所の方がいいんです。私だって、民宿というような所に泊れたらとっても嬉しいんですけれども、多分きっと、父は許してくれないと思います。
私も、やっぱりそういう所に行きたい。それで、私、歩いていたんです。海岸沿いの道路を。楽しそうなカップルが車に乗って通って行ったりします。きっと私の姿はとっても暗くて悲しかったと思いますけれども、私はそういうことがよく分らなかったのです。太陽はもうずい分と西の方に回ってしまって、ちょうど私の立っていたお店の看板の裏側のところにありました。コカコーラの看板がキラキラと光に縁取《ふちど》られてとってもまぶしくって、私思わず、喉《のど》が渇いてしまいました。喉が渇いてしまったので、ジュースでも飲もうと思って、そのお店の中へ入りました。そのお店は半分が食堂のような造りで、若い方達が色々と休んでいます。私は一人だったので、ちょうど空いていた四人掛けのテーブルの席に腰を下したのですけれども、もしもお店が混んで来て他の方が入ってらしたら私はお店のお邪魔になってしまうかもしれないなというようなことも考えたのですが、空いている所はそこだけだったので私はそこに腰を下しました。
「あのゥ、すみません」と、私は店員の方《かた》だと思う方に声をかけました。どうして店員の方だと思うのかというと、店員の方もお客の方も区別がつかずに、多分アルバイトの方が私服で店員をやっていらっしゃったからだと思うのですけれども、中に一人、お盆を持ってエプロンをしめた男の方がいたからです。
「すみません」と言って、その方は振り向きました。そして、その時です、私は、私は、自分がお金を持っていないことにきづついたのです。
5
私、母と別れた時に、既にお金を持っていなかったのです。細かいお金はみんな、敷島さんに預けていたからです。考えてみれば海で泳ぎをする時にお金はいらない訳ですけれども、かといって、一人で歩いている時にそんなことにも気づかないでいられるなんて、私は自分の自立心の足りなさに情けがなくなってしまいました。「すみません」と言いかけた私は、慌《あわ》てて「すみません」と言いました。「お金を持っていないのに注文するなんて、なんて恥かしいんだろう」そう思って、私は真っ赤になって店員さんとばったり視線があってしまいました。私は、席を立たなければと思ったのですが、私は席を立てませんでした。気のせいかもしれないと思ったのですが、気のせいではなかったのです。その店員さんは、私の知っている方だと、私ははっきりその時にきづついたのです。
「木川田さん!」私はうっかりと声を出してしまいました。
「はっ」と思って、声を出してから「いけない!」と思いました。だって、私の方では知っていても、木川田さんの方では私のことを御存知ないかもしれないからです。御存知だったとしてももう忘れてしまっているかもしれないし――だってもう卒業してから何ヵ月も経っている訳ですから。そうだとすると、私は恥かしいことの上に恥かしいことを二重に重ねてしまったことになって、二重に恥かしいことになってしまうからです。
木川田さんは困ったような顔をしていました。私は、ホントに、その一瞬が永遠の一瞬かもしれないというような気持にさえなってしまったのでした。
すみません、私また読み返してみて気がついたのですけれども、あの、きづついた≠ニあるのは、きづついた≠ナはなくって、気づいた≠フ間違いです。とってもうっかり間違えてしまって、本当にいけないと思います。訂正させていただきます。
あの、それから、木川田さんという方の説明をしていなかったので、途中ですが少しさせていただきます。あの、木川田さんという方は、私の高校時代の同級生の方で、あの、私や榊原さんと、高校の二年と三年と同じクラスだった方です。榊原さんとは木川田さんは仲がおよろしかったのですけれども、私はほとんど口をきいたことがないのです。一度だけ、高校二年生の時に木川田さんと一緒の掃除当番のことがあったものですから、その時「もう終りました?」というようなことを言ったというような記憶があるだけなのです、私は。ですけれども、私の方は木川田さんを存じていて、知ってはいたりはしていたのですけれども、私は高校生の時はズーッと内向的な性格だったもので、全然目立たなかったし、私のことなんか忘れてらっしゃるんじゃないかと、私はその時そう思っていたのです。
それで私は、「木川田さん」とうっかり言ってしまったのです。
それで木川田さんは少し考えてらしたのですけれども、私が「木川田さん」と言うと少し分ったような顔をされて、「アレェ」という風におっしゃったのです。それで、あの、木川田さんのことをもう少し説明させていただくと、あの、木川田さんという方は、私とは少し違って、とても現代的な方なのです。とっても現代的な方ですから、とっても、私とは違って、なんと言ったらよいのかよく分りませんけれども、少し変った話し方をなさるのです。私はあまり、自分で言うのも悲しくなってしまうのですが、あまり頭がよい方ではないので――と思ってしまうのですけれども……申し訳ありません、よく分りません。それで、あの――ですけれども、私《わたくし》、自分で自分のことを文章に書くのが精一杯で。あの――つまりこれから、私《わたくし》と木川田さんの会話があるのですけれども、私《わたくし》、木川田さんのテムポの早い会話に少しついていけなかったところもあるので、それでその点、会話を少し省略させていただくかもしれないと思うところもあるかもしれないので、そういうところはしょうがないと思いますので許していただけたらと思うのです。
それであの、木川田さんは「アレェ」っておっしゃって、「醒井さんじゃないの?」という風におっしゃるんです。私、ホントに、「ええ」と言ってしまいました。
6
木川田さんは黄色いジョギングパンツにレインボウカラーのゴム草履《ぞうり》を履《は》いてらして、それで、「アレェ」と言って、それで、私、何を話していいか分らなくなってしまったんです。だって私、木川田さんとそれまでにお話したことないから。それで私、「母と一緒に来ているんです」と言って、それで「ヘエーッ」と木川田さんはおっしゃって、それから私、何を話していいか分らなくなって黙ってしまったんです。それで、何を話したらいいのか分らなくなって黙ってしまいましたら、私《わたくし》大変なことを思い出して、それで、慌ててそのお話をしたのです。
「あの、私、お金を持ってなくて」
そう言うと、木川田さんは「ヘッ?」というようにおっしゃいました。
「あの私、うっかりここのお店へ入ってしまったのですけれども、よく考えたらお金を持って来るのを忘れてしまったのです」そう言うと、「なんでェ」という風におっしゃるのです。私はとっても状況を説明するというのが下手なものですから、そういう風に簡単に「なんでェ」という風に言われてしまうと困ってしまうのです。いかにも私が説明下手のように思われて。だって、「なんでェ」ということだけでは、私、すませてしまうことが出来ないんですもの。それで、私が困ってしまって、緊張してしまっていると、木川田さんは「おごってやるよ」とおっしゃるんです。私、本当に嬉しかったんですけれども、そんなに図々しくしてしまっていいのかしらと思って、「あの、お金は後で持って来ますから」というようなことを言ってしまったのです。
「そんなのいいよォ」「ええ」
私、とっても恥かしくって。「そんなのいいよォ」と言われると、私、とっても自分が現代の皆さんと同じようにフランクにやって行くことが出来ない時代遅れの人間のような気がして、とても自己嫌悪に苛《さいな》まれてしまうのです。私、自分が人に嫌われる理由というのがよく分るのです。もっとフランクに人と付き合えられたらという風にも思うのですけれども、私、やっぱり、ホントウにとってもかまえてしまうんです。現代の方だと、やっぱりそういうことは、とっても時代遅れでしょう……。
私が「ええ」と言うと、木川田さんはウィンクをなさって「どうせ俺の店だから」というようなことをおっしゃるのです。ですから私、つい、「こちらにお住いだったんですの?」ということを聞いてしまったんです。ホントに、ユーモアの感覚というものがなくって、恥かしい。
「またそうゆうこと言う」って木川田さんはおっしゃって、私としては、そういう風に言っていただくと、とっても気が安まるのです。
それで、木川田さんが「なににする?」っておっしゃるんで、それで私も甘えさせていただこうと思って、「シェリー酒はあります?」って言ってしまったんです。なんだか私、その時とってもリラックスしてしまって急にアルコールが飲みたくなってしまったものですから、そういう風に言ったんですけれども、「そういうのはないの」って木川田さんに怒られてしまって、「氷イチゴにしなよ」っておっしゃるもんですから、私、それをいただくことにしました。お店のどこにも「シェリー酒」というようなメニューが書いてなかったから当り前なんですけれども、でも本当言うと、こういう時の冷たいシェリー酒は本当においしいんですのよ。私、好きなんです。ビールはなんだか、お腹にもたれてしまって。
私が氷イチゴをいただくことにした時、ちょうど奥の席にいらした三人の(四人だったかもしれません)お客様が立ち上って、それで、私《わたくし》の坐っていた所は出口に近かったものですから、テーブルの横に立っていた木川田さんがそのお客様に道を空ける為に私の前に空いていた席に腰を下して、それで出て行くお客様に向って「また来てねェ」というようなことをおっしゃったんです。そうだったんだなァと私は思いました。私もああいう風に素直に人に声をかけることが出来たらどんな風に素晴しいだろうなァ……というように思いました。「ありがとうございました」というように第三者的になって言うよりも「また来てねェ」と言う方がずっと人間的な感じがするからなのです。木川田さんはそういうことに対して、格別になにか取り立てて意味を見つけ出すようなことはしてらっしゃらないようだったのですが、私はその自然さがとっても羨《うらや》ましいように思えたのです。私、実を言いますと、木川田さんというのはとってもこわい方だと思っていたのです。現代的というよりも、なにか、前衛的というようなものを志向なされてらっしゃる方のような気がして。何故か、とっても頭がいいのにその頭のよさを隠してらっしゃるようなところがあるように思えて、それで私《わたくし》、何故か、とってもこわいように思えていたのでした。ですから、それであんな風にしてらっしゃるけれども大学の入試なんかでも意外と難しいところに合格なさるんじゃないかというようなことを思っていたのですけれども、それが今年不合格になったということを聞いてしまった時、「なァんだ」というような、軽蔑《けいべつ》というようなことではないのですけれどもそういう風に思ってしまって、ですから私《わたくし》、このお店に入ってそれで木川田さんだということが分ってしまった時、そういう人だと困ってしまうなァというようにも思ってしまったのでしたけれども、でも、本当はとってもやさしい方で、私がとっても偏差値重点主義のような考え方をしていたのが間違っていたのだというようなことをとってもよく反省させられました。
「センパァーイ、氷イチゴねェ」というように木川田さんはおっしゃるのです。「俺のおごりだからねェ」という風におっしゃって、私、「すみません」と言うようになればとても自分がかまえてしまうことになるということが分っていたので何も申し上げませんでしたけれども、とっても嬉しかったのです。「俺のおごりだからねェ」ということをおっしゃって、それで私の方を振り向いてニッコリと笑われた時に、私は「ああ、こういう風に笑顔というのは、こういう風にとってもコミュヌケーションになるのだなァ」と思われて、本当にとっても幸福でした。私が、こんな風に人に笑いを返すことが出来たのは、多分生まれて初めてのことだと思います。
それで木川田さんは立って行って、奥のテーブルに後片付けに行ったのですけれども、その時に「今水持って来てやるねェ」とおっしゃって、私、生まれて初めて木川田さんとお友達になっていて、本当によかったという風に思いました。私、男の方に本当に親切にされたことって、本当に生まれて初めてだったのです。それで私《わたくし》、急に煙草が吸いたくなったのですけれども、今お金は持っていないしこの上甘えてしまうことは出来ないと思ったのですけれども、何故かとっても私は煙草が吸いたくなってしまって、木川田さんにお願いしてしまおうと思ってしまったのです。
それで私、「木川田さん」という風に声をかけたのですけれども、その時同時に奥の方で「木川田」という声がしたので、私、そちらの方を見たのです。
あの、カキ氷を作る機械があって、それであの、私《わたくし》、そこであの、あの方が立ってらっしゃるのを見たのです。氷イチゴを持って。私、あんなにイチゴのシロップの色がせつないものだということは、それまで、生まれてから一度も、本当に考えついたことがありませんでした。私、私。私……私は………、私、私、本当にどうしたらいいのか分りませんでした。本当にどうしたらいいのか。どうしたらいいのでしょうか、私は……。
7
私、ずっと長い間思っていたことがあるんです、それは……、もう書けません。書けないこと分っています。私、長いこと思っていたんです。ホントにずっと……。どうしてそう思っていたのかは分りません、でも、私は何故だか分りませんけれども、ホントにずうっと、長い間そういう風に思っていたのです。
あの……私……、長い間思っていました。やっぱり言ってしまいます。私、いつか私のことを愛してくれる人に出会えると思っていました。私、その人のことを考えると、長い間何も考えられなくなってしまっていたのでした。私、その人に抱き締められることを考えるだけで――考えてしまうと、もう、ホントになんにも出来なくなってしまうのです。
とっても好きでした。会ったこともないのに、私、その方のことが好きで、そんな空想の中の世界だけに酔ってしまうことはいけないと思っていたのですけれども、でも、私にとってはその方しか考えられないというような方が、やはり実際にはいたのです。
私、「あの人かな……?」という風に思っていました。「あの人だったらいいけれども……」という風にも思っていました。道を歩いている時とか、学校のキャンパスの中を歩いている時とか、とっても、「あの人だったらいいな……」というようなことを考えて歩いていました。私、そういう人に会いたいということばかり考えていました。ですから私、人とお話しするということが出来ないのです。だって、私の思いの中にいらっしゃる方はいつも現実の中にいらっしゃる方とは違っていて、私の方であの方が私を愛して下さったらとは思っても現実の方は決してそうではないからです。私だっていろんな方とお話ししたいと思います。あの方とお話し出来たらなァという方は沢山いらっしゃいます。ですけれども現実にいらっしゃるそういう方は、私と別にお話ししたいと思ってらっしゃる方ばかりではありません。私《わたくし》、とっても好きになってしまうのです。好きになってしまって、とっても頓珍漢《とんちんかん》なことを言い出してしまいそうな気がしてとっても苦しいんです。ですから私、いつだって、自分が素敵だなと思う方に向っては何一つ言えないで終ってしまうのです。
六本木のディスコで滝上さんとお会いした時もそうでした。その時は私《わたくし》、お名前を御存知あげなくって、後で滝上圭介さんというお名前だということを知ったのですけれども、その時は私《わたくし》、大学のお友達と一緒にいました。あの、大学の帰りにお友達とお話をしていて、それでなにかの拍子《ひようし》に「私まだディスコというのには行ったことがないわ」ということを私が言ってしまったのです。それを聞いてお友達が驚いて、だったらじゃァ行きましょうということになったのです。六本木の、名前はなんというところか忘れてしまいましたけれども、「まず一番最初に一番ひどいところに行きましょうよ」ということで連れていっていただいた所でお会いしたのでした。
そこは、私は内装はそれほどひどいところだとは思わなかったのですけれども、何がひどいのかというと、そこに来る男の程度≠セということでした。私があんまりウブ≠セというので、ひどい男にひっかからないように一番ひどい所に連れて行くのだということをおっしゃっておられました。そこは、私のお友達というのはフリーパスなのです。何故かというと、私のお友達のような方がいつもいると、そこのお店が賑《にぎ》わうということなのでした。「考えてみてもごらんなさいよ、私みたいのひっかけに来る男にロクなのいると思う?」というようなことを、そのお友達の色田さんという方がおっしゃってられましたけれども、なるほどなァ……というような気持にもなりました。
ですからそこにはあまり長い間はいなかったのです。すぐに帰ろうとすると、その入り口のところで、私は高校の時の同級生の方に会ったのです。西窪さんとおっしゃるんですけれども、私、はっきり言って――あまりこういうことは言わない方がいいのだとは思うのですけれども、あまり、好きな方ではありません。好きでないというのは、私、以前お付き合いをしたことがあるから分るのです。とってもプレイボウイタイプの方で、現代的というところはあるのかもしれませんけれども、なにかとっても自分をひけらかすというようなところがある方で、なにか私は軽薄な感じがして好きになれませんでした。あの、これは私がお付き合いをして、お付き合いのし方が下手だからすぐお付き合い出来なくなってしまったということに対して恨みに思っているというようなことではないのです。榊原さんも私も西窪さんとは同級生ですから、榊原さんも西窪さんのことを御存知で、「あのバカ男」という風におっしゃってられましたから、多分私の感想は間違ってはいないのだと思います。
私、西窪さんとお会いして、「あっ」という風にお話しして、こういうところでお会いしてしまったからどうしようという風にも思っていたのですけれども、幸いそこはビルの九階にありまして、入り口のところがすぐにエレベーターホゥルになっていて、ちょうどエレベーターが来ていたところだったので、私はそれだけ御挨拶をして、それで失礼をしたのです。それで、行こうとしたら、そこに滝上さんがいらして、私、また「あっ」と言おうとしてしまったんです。西窪さんは知っていたし、そして西窪さんと御一緒だったから当然なんとなく知っているというような気がしてしまってうっかりとそう言いかけてしまったのですが、でも、私、知っている訳がないんです。
滝上さんというのは、私と同じ学校の方なんです――あ、あの高校の時の。だから私《わたくし》、知っていると思ったんです。私《わたくし》、学校で滝上さんにお会いしたの知ってました。
勿論、名前なんか知りません。なんにも全然知りません。ただ、一学年上の方だということだけは知っていました。お顔だけは知っていたのですけれども、他は何も知らなかったのです。背が高くって、男らしい顔をなすっていて、クラブもなにかそちらの関係の方をなすっていたというらしいのですけれども、私《わたくし》、放課後ほとんど学校に残っていたことがなかったものですから、私《わたくし》、なにも知らなかったんです。そして、そういう私が素敵だと思っている私《わたくし》の憧《あこが》れの方がそういう私の前に立ってらっしゃったので、それで私《わたくし》、「あっ」という風に思ってしまったのです。なにかとっても危なっかしいことだったかのように思いますけれど、私はそれで、その時はそのまま失礼したのです。
私、私の身近にあんな方が突然現われたりするんだと、その晩ズーッと考えていました。考えて、ドキドキして、私はとってもよく眠れませんでした。高校という狭い社会の中ではなくって、大学という一般社会の中に入ってしまうと、それはもう、ただ憧れているだけではすまないのだ、ということも考えてみました。だって、黙っていればそのまんまなのですから。
偶然にすれ違って、でも世の中では偶然にすれ違う方は何千人といるはずですけれど、あんな風に偶然にすれ違うというのは、それはやはり偶然ではなくて特別な機会だったと思うのです。私は、そんな風にして、今までどれだけその特別の機会を知らないままで通りすぎてしまったのだろうという風に思いました。もう、自分は高校生ではないのです。大学生という、立派な一人前の社会人です。高校の最後の時に自分でアタックしてみるということは自分でやってみて、それは、分っているはずなのに、でもやっぱり私は人生を見過して行ってしまうという風に思って、私は自分のいくじのなさが、もう本当にとっても悲しくって、その時はせつなくてせつなくてたまりませんでした。今度会ったら――そう思いました。あんな風にして偶然にお会いしたのだから、もう一度会える――そんな風に思っていました。あんな風に会えたのだから、もう一度お会い出来たら、それは絶対私の運命は変るはずだと思っていました。だから、もう一度お会い出来たら、その時はどう思われてもいいから、絶対にお会い出来たら、もう一度お会い出来たら絶対に私の思いをお伝えするのだという風に思っていました。だからやはり、運命だったのです。私、こうやってお会いしてしまったのですもの!
私、ずーっと昔から知っていると思いました。あの方の顔を、私、本当にズーッと昔から知っていると思いました。だからこんなに懐《なつ》かしいのです。懐かしくって、本当にドキドキしてしまいます。ふっと、あちらを向いていた顔がこちらを向いて、「凉子さん」という風に私を呼ぶ声さえも聞こえてしまったような気がしました。その暗いお店の中で、私は一番美しい太陽を見てしまったのです。
「木川田さん」
私はそういう風に言いました。もう煙草を吸いたいというような気持はどこかへ消えて行ってしまいました。
「木川田さん達はずっとこちらにいらっしゃるんですの?」
私はそう言いました。
「ウン」と木川田さんはおっしゃいました。私は、胸が一杯で氷イチゴに手がつけられないのです。私は、自分がその時、何かに向って飛びこんで行こうとするのだという風に思っていました。
「醒井さんは?」
木川田さんがおっしゃいました。
「私は先週の金曜日に来て」というお話をしました。母と一緒だということも、泊っているホテルの名前も。そして、木川田さんは、滝上さんや他の方と四人で、この伊豆の民宿に来てアルバイトをしているのだということを話して下さいました。
「そう」と私は言いました。
「ウン」と木川田さんも言いました。私は、滝上さんがこちらの方を見ているのだということを、少しだけ知っていました。私は、木川田さんと仲がいいのです。ですから私、その時私は、明日母と一緒に帰らないでいることに決めてしまったのです。だって、私の前には今、恐ろしいような青春の海が広がっているのですもの! その時私は、そう思ったのです。
8
次の日は雨でした。東京からの迎えの車は午後にならないと着かないということでした。母と私は、部屋の中で雨の海を見ていました。母は、「これくらい静かだったらねェ」と敷島さんに言いました。敷島さんは「ええ」と言って、母は、「これくらい静かだったら、もう二三日こちらにいてもいいのにねェ」と言いました。私は、この時くらい母が身勝手だということを思ったことはありませんでした。なんということでしょう、そんなに次から次へとスケデュールを変えられてしまったら、周りにいる人間がどれほどの迷惑を蒙《こうむ》るのかということを、本当に一度はキチンと考えた方がいいのですッ!
9
その日はずっと雨でした。母と敷島さんが車に乗り込んでしまった後でもずっと雨が降っていて、私はずっと部屋の中にいました。だって、雨が降っているのにわざわざ傘をさして、散歩に出て行くなんてこと、出来ません! 私、ですからずっと、一人で部屋の中にいたのです。
私、ずっと考えていました。明日も雨だったらどうしよう? と。
明日も雨だったら、明後日も雨かもしれない。そうしたらどうしよう。私はどうしたらいいのだろう? そう考えていたら、私は絶望に襲われてしまいました。どうしたらいいのだろうと。そして私は考えたのです――そうだ、私は木川田さんにお金を借りたままになっている、と。
そのことを考えついた時、私は本当に真っ赤になってしまいました。そうだ、私はお金を返さなければいけない。なんという失礼なことをしてしまったのだろう、あんなに親切にしていただいたのにお礼をすることもなくって、私は一人で考えていました。明日になって、雨が降っていて、私は一人で傘をさして、あの方のいるお店へ行くのです。「あの、木川田さんはいらっしゃいますか?」と言って。
あの方は私に言うのです。あの方は――。
なんと言ってお答えしたらいいのだろう? あの方は私に「愛している」とおっしゃってくれるだろうか? 私は、しのつく雨の中でただ一人、自分一人だけの想念が霧に濡れて行くのを眺めていました。
10
夜になって、私考えていました。たった一人床に入って。母が帰る時に、「お友達が民宿に泊ってらっしゃるんだったらこちらにお呼びしたら? こちらの方が設備もよろしいんだし」というようなことを言ったのです。私にそんなことが出来る訳もありません。だって……。母は何も知らないのです。私《わたくし》、ドキドキしてしまって、もしもお友達≠ェこちらの方に移ってこられたらというようなことばかりをずっと考えてしまって……。こちらにお呼びする≠ネんて……、こちらにお呼びする≠ネんて………………、私、母の言葉がずっと耳について、その日は眠ろうとすることも出来ませんでした。母は何一つ知らないのです。何一つ知らないで、私のお友達といえば女性の方だとばかり思っているのです。でも私、お友達≠ニ言っただけなのです。男の方≠ニ言った訳ではないのです。だって、嘘をついた訳ではなくって、だって、木川田さんは私のお友達なんですもの。お友達だから、私、「お友達に会ってもう少しいたい」ということを言っただけなのですもの。嘘をついてしまった訳ではないのに、どうして私の心はこんな風に重いのでしょう? 私は、一人で寝ることがこんなに恐ろしいことだとは思ってもみませんでした。夜がこわいと、私はその時思ったのです。
11
次の朝、私は目を覚して、それから朝食をすませてから海岸の方へ行きました。雨はもうやんでいて、しばらく前までは霧が出ていたのがぼんやりと晴れて来ていました。きのう考えていたことは、もうみんな無意味になってしまったような気がしました。時間は九時少し過ぎだったので、まだ海岸にはあまり人がいませんでした。私は一人で、雨に濡れた後の海岸をゆっくりと歩きながら、自分はなんてバカなことを考えていたのだろうと思いました。だって、私がいくら一人でいろんなことを考えていたって、それは全部私の中だけのことでしかないんですもの。私が何を思ったって、それは私の一人芝居――ぼんやりと霞《かす》んだ緑の島影が(その時は島影≠セと思ったのですが実際は岬の影でした)薄い霧の中でゆっくりと晴れて行くのを一人で見ていると、私はすべてが無意味のように思えて来ました。やはり、母と一緒に帰ればよかったのだろうか?
よかったのかもしれないと、私がそういう風に思いかけていた時です。でも、それはやっぱり違ったのです。私は、神様というものを生まれて初めて信じるようになりました。道路の方から海岸に向って、男の人達が走って来るのが見えたのです。男の人が追いかけごっこをしていて――直感ですが、私はひょっとして、あれは木川田さんではないかと思ったのです。まだ遠かったので、あまりそうはっきりは見えませんでした。私はもう少し近くに来るまでと思って、一生懸命神様にお祈りを捧げようと思ったのですが、中学時代にあれほど一生懸命お祈りを捧げていたのにもかかわらず――私が東京へ出て来て通っていた中学校には毎週礼拝の時間がありました――何一つお祈りの文句が頭に浮んでこないのです。私はやっぱり、今まで神様というものを全然信じていなかったのだなということを思い知らされました。でも、それでもやっぱり、それはあの、木川田さんだったのです。あの黄色いジョギングパンツには、私《わたくし》、はっきりと見覚えがあったのですもの。私、直感ではっきりとそう分りました!
12
やはりそうだったのです。海岸の上に四人の男の方が走ってらっしゃる姿が見えました。私、とても恥かしくなってしまって、私、一生懸命滝上さんの姿を目で追ってしまいました。
やはりいらっしゃったのです。海へ、泳ぎに行かれるところだったのです。私、思わず神様に感謝をしてしまいました。
滝上さんと、木川田さんと。それから他のお友達が二人いらっしゃいました。海の中へ、皆さんは泳いで行かれました。私は、ゆっくりと、水のある水際の方まで歩いて行きました。どうしてかというと、陸のところには木川田さんが一人で立ってらしたからです。
私はゆっくりと木川田さんに近寄ると、「おはようございます」と言いました。木川田さんがそこにそうしてらしたのは泳げなかったからなのですけれども。私《わたくし》はそこに立って、そしてそれからそこに坐って、木川田さんと二人で色々とお話をしました。
私はとっても不器用で、海岸の砂浜の上はきのう降った雨のせいでまだ濡れていて、ですから、私が坐ると腰のところが真っ黒になってしまうのです。私、水着ではなくてワンピースだったものですから、上手に坐ることが出来なくて、それでそのまま、仕方がないものですから、じっと坐っていれば汚れないだろうと思って、木川田さんと並んでじっと坐っていたのでした。
木川田さんは、木川田さんのいる民宿のこと――喫茶店とは別に同じ名前の『白浜亭』という民宿があって、朝は七時に起きてそこで朝食の準備をして、それから朝御飯の後片付けが終ったらそれから十一時まで休憩で、それが終ってお昼からは民宿と喫茶店とで二人ずつの組に分れて一日ずつ交代で両方のお仕事をするとかというようなことを話して下さいました。私は、「ああ、そうなんですか」と思って、黙って聞いていました。朝の空気は、ホントにとっても気持がいいのです。
私が木川田さんとお話をしていると、いつの間にか、目の前に男の人が立っていました。私は本当は男の人達が目の前にやって来るのは知っていたのですけれども、木川田さんがお話をしていたので、そういうことはずっと知らないでいたのです。
13
男の方の一人が、笑いながら、「なんだよォお前、木川田、お前、いつ女ひっかけたんだよォ」というようにおっしゃいました。もう一人の方が「ついにお前も目覚めたか」と、冗談のようにおっしゃるのです。初めに言った方が狭山《さやま》さんで、後からおっしゃった方が結城《ゆうき》さんで、どちらも滝上さんの高校時代の友達の方々だったのです。私は、そういう風におっしゃられてもまだ正式な御紹介はいただいていないのでなんともお返事のしようがなかったのですが、そんな風にしている私《わたくし》達の方を見て、結城さんと狭山さんの後からいらしたあの方が、あの、私に向って、あの、にっこりと私に向って、あの、会釈をなさって下さったのです。私《わたくし》、私《わたくし》、あの、もうよく分らなくなってしまって、あの、私《わたくし》、私《わたくし》、その時初めて、私《わたくし》、あの方のお名前が滝上圭介さんだとおっしゃるのだということを、本当に生まれて初めて知ったのです。
14
私、それから部屋に戻りました。なんだかとってもボーッとしてしまって。あの方が「滝上です」とおっしゃると、狭山さんと結城さんが「ケェスケェ!」というようにコーラスをおつけになるのです。私《わたくし》が「は?」という風に申し上げると、あの方はにっこりと笑いかけられて、私《わたくし》に、「滝上圭介と言います」という風におっしゃるのです。私《わたくし》、生まれてから今まで、一度も一人前の女性として扱われたことがないものですから、私《わたくし》もう、本当に感動してしまって……。もう、本当に感動してしまって、どうしたらいいのか全然分らなくなってしまって、なんにもお話しすることが出来なくなってしまったのです。
私、なんにもお話しすることが出来なくなってしまって、それから、「お暇な時はどんな風にしてすごしてらっしゃいますの?」というようなことをお聞きしてしまったのです。あまり意味がないのですけれども。意味がないのですけれども、皆さん「大体ボケーッとして寝てるよな」とか「疲れちゃって」とかおっしゃって、それで「そうじゃなかったら麻雀だよなァ、ガッチャガッチャ」とかおっしゃるものですから、私、ついうっかりして、「マァ、麻雀ですか」という風に言ってしまったんです。私、麻雀がとっても大好きなんです。
15
私、麻雀がとっても大好きで、家にいる時は大抵いつも麻雀なんです。母が病気ですからあまり大抵は出来ないのですけれども、母も麻雀は大好きなのです。ですから、私《わたくし》麻雀が大好きで、つい「マァ、麻雀をなさるのですか?」と言ってしまったのです。前の章の終りとは少し言葉遣いが違いますが、正確には私、こういう風に申し上げたのです。そうしますと、「麻雀やるの?」とおっしゃったんです。誰がそういう風におっしゃったのかは忘れてしまいましたけれどもそういう風におっしゃられて、そうしたらその私の返事を聞いて、今度は結城さんが「やりに来ない?」という風におっしゃるんです。私、もう、とても信じられなくって。私、「よろしいんですか?」という風に申し上げてしまったんです。「よろしいよ、なァ?」と結城さんがおっしゃって――私、時々言葉遣いが丁寧《ていねい》になりすぎて人に笑われたりするのですけれども、そうおっしゃって、「こんな美人が来るなんて、大歓迎だよなァ」という風にまでおっしゃって下さったのです。私《わたくし》もう、本当に信じられなくって。本当に、なにからなにまで信じられなくって、男の方にそんな風に言っていただけるなんて、たとえお付き合いの上での表現だったりしましても、でも私、そんな風に男の方からおっしゃっていただけたことって、生まれて初めて一度もなかったりしたことなんですから、私《わたくし》もう、ホントに感激してしまって――私《わたくし》それで、お伺《うかが》いすることにしたのです。
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私それで、お伺いしました。夕方の七時ということで。私、男の方のお部屋にお誘いをうけたことなんて、生まれて初めてで、それも一度に四人もの! 私、本当になにがなんだか分らなくなってしまって、落ち着かなければ、落ち着かなければ、という風に自分に言いきかせていました。
御招待は夕方の七時ですから、それまでとっても時間があって、美容院に行こうかとかも思ったのですが、それだと下田まで車で出なければならなくなって、第一そういうことをするのは少しおかしいというような気がして、私、どうしていいのか訳が分らなくなって、ただむやみやたらと海岸のあちこちを歩き回って、おかげで少し、私《わたくし》体が少し疲れてしまいました。私《わたくし》、本当はお店の方にも伺いたいと思ったのです。ですけれども、夕方になればお会い出来るのに、それなのに昼間から伺ってしまっては、なんだか、とってもあまりにもあれなのですものですから、私《わたくし》、わざと我慢してそちらの方にはお伺いしませんでした。私、一人で海岸を歩いておりまして、知らない男の方に声をかけられたのです。一人でしたものですから二度も! 私《わたくし》、とっても元気でしたの、今日。ですから私、当然のことなんですけれども、はっきりとお断りしました。私《わたくし》、教養のない方と一緒に泳いでも、面白くはないと、はっきりと思うのです。
17
夕方になってホテルに戻って参りますと、フロントで中里さんに声をかけられました。家から電話がかかって来たというのです。それも二回も。「お出かけだったものですから」と、中里さんが、なにか、申し訳のないような表情をなすっておっしゃるものですから、私《わたくし》、別に疚《や》ましいところは何もございませんから、「子供扱いはしないでほしい」と、はっきりと思いました。どうせ私が家に連絡を入れないことで、それを心配して様子を窺って来た電話なのだという風に思っておりましたから。私はもう子供ではないのだから、あまり不必要な心配はしてほしくないと思ったのでした。
18
部屋に戻って、家に電話を入れてみると、父でした。母が東京に帰った時は父は出張中で留守をしていたものですから、私が一人でこちらに残っているということを父は今まで知らなかったというのです。「本当に何事だ!」と父は言うのです。「若い娘がたった一人でそんな所にいるというのは、既に常識以前の問題だ」というのです。「津川くんも津川くんだ」とおっしゃるし、そんな、津川さんに責任があるはずはないのにそんな風にまで言われてしまって――それで、私は次の日に帰らなければならなくなってしまったのです。
19
帰らなければならないと思って、私はしばらく呆然《ぼうぜん》としていました。呆然としてズーッと坐っていました。坐っていても、でもやはり行きたいのです。行きたいのは、もう本当にどうしようもありません。時計を見るともう七時を指していました。「おとうさまごめんなさい、凉子の我儘を許して下さい」とそう言って、私は一人でホテルを出ました。
20
私、幸福でした。私勝ってしまいましたし。南の二局で私が親だった時、私、一発で親バイをやってしまったのです。その時はとっても手がよくって、既に四巡目でリーチがかかってしまったのです。メンタンピン一発ツモ、それに裏ドラがのって、ドラドラドラだからバンバンで、倍満なんです。私とってもついていました。ついたついでに私、ついでにトップ賞も取ってしまいました。滝上さんは三位でした。私《わたくし》、滝上さんからは当りたくなかったんです。ラス前で滝上さんとリーチを争った時も、滝上さんの方が先にリーチをかけてらしたから、私が追っかけだったんです。「ええい! 通ればリーチ!」と思ったんですけれども、自分が好きな人がリーチをかけているのに、それを追っかけでやるなんて、もう、嫌われてしまうかもしれないと思ったんですけれども、私、やっぱり乗ってたんです。乗ってたから譲《ゆず》れません。私、滝上さんに嫌われてもいいからこのリーチだけははずせないと思って、それでバン! とつっぱってしまったのです。そばで見ていた木川田さんが「強ェなァ」とおっしゃいました。
結城さんは私《わたくし》のことを女賭博師≠ニいう風におっしゃいます。ですから私《わたくし》は「心配なさらないで、私はあなたからいただこうとは思っておりませんのよ」という風に言ってしまいました。そして、そしてです。その言葉の通りに、滝上さんが私のシャボ待ちをしていたパイパンを、お振りになってしまったのです。高目なのにィ! そのパイパンをお捨てになる時、滝上さんはとっても残念そうだったのです。何故かというと、滝上さんは小三元くずしの手だったものですから、それで、うっかり「アーア」とおっしゃって、私、いただいてしまったんです。リーチ白ドラ三でした。私、ですからはずせないと申し上げたのです! その結果、滝上さんは三位に沈没でした。二位になったのは狭山さんでしたんですけれども、私《わたくし》、本当は狭山さんから当りたいと思ってたんですわ!
何度やっても、麻雀というものはよく分りません。それは本当だと思いました。
21
半チャンが終って、十一時頃になっていました。私《わたくし》、考えこむくせがあるものですから。それに、私《わたくし》、ビールをいただきながらゲームをしていたものですから、私《わたくし》、少し酔ってしまって、少しテムポを乱してしまったような気がしました。
十一時を過ぎまして、皆さん「さァーて」とおっしゃるんですけれども、私《わたくし》帰らなければなりませんから、そう申し上げたんです。
「すみません、私《わたくし》、もう帰らなければなりませんから、あと、木川田さん代ってやって下さい」そう申し上げたんです。
木川田さんは「いいけどォ」とおっしゃって、狭山さんと結城さんは「えーっ、もう帰っちゃうのォ?!」という風におっしゃるんです。しょうがありません。だって父がそう言うんですもの。
「私、明日東京に帰らなければならないんです」
「えーっ!!」
皆さんがそうおっしゃいました。それで――それで……その後にこうおっしゃって下さったのです。「せっかく仲良くなれたのにもう帰っちゃうのォ」って。
私《わたくし》、本当に、……感謝いたします。それで私《わたくし》、「今度は東京でお会いしましょう」と申し上げたんです。結城さんは、「またカモられんのかよォ!」という風におっしゃってられましたが、滝上さんは、ただにこやかに笑っていられるだけでした。私《わたくし》――帰らなければならないのに! 私《わたくし》!
みんなで黙って坐っていて、それで、男の方達の目がアチコチと動いて、そして滝上さんが、「木川田、お前送ってってやれよ」という風におっしゃるんです。木川田さんは「えーっ……」という風におっしゃって、私は「あの、大丈夫ですから」という風に申し上げたのですけれども、そうしたら滝上さんが木川田さんに向って、「お前のガールフレンドだろ」という風におっしゃったんです。
私、驚いてしまって。そんな風に考えたことは一度もなくって。私と木川田さんはただのクラスメートで、ただそれだけだったのですけれども、私、そういう風に思われていたのかと思うとなんにも考えられなくなってしまって。そんなの当り前のことだったのかもしれませんけれども。
私が黙ってしまうと、部屋の中はシーンとなってしまいました。狭山さんが滝上さんに向って「お前はスグに白けること言う」という風におっしゃったのです。私はなんだか耐えられなくなってしまって、それで立ち上ろうとした時です。「じゃァ、俺が送ってってやるよ」と言って、滝上さんが私の腕をスッと取られたのです。私……、私、自分がどうなってしまったのか、本当によく分りませんでした。
22
滝上さんと外に出て、知らない間に、私は滝上さんと一緒に夜の道を歩いていました。私達が外に出た時、木川田さんが何故かとっても奇妙な顔をしていたのだけが印象に残りました。私、何故か木川田さんに悪いことをしたような気がして、麻雀も木川田さんの代りにやらせていただいた訳だし……。
私達、夜の道を歩いてました。滝上さんが「麻雀強いんですね」とおっしゃいました。私はそれほどでもないと思っていたので「それほどでもありません」という風にお答えしました。また黙って歩いて行くと、道には若い恋人同士が沢山いて……。私、その時、言わなければならないと思ったんです。
滝上さんが「明日、帰られるんですか?」と言ったんです。ですから私、「ええ」と申し上げて、それから思い切って、「東京へ帰ってからもよろしくお願いします」と申し上げたのです。滝上さんはピョコンとお辞儀をなすって、「こちらこそ」とおっしゃったんです。そして、「上智と法政だったら近いですからね」とおっしゃったんです。私もそう思っていました。麻雀の間に滝上さんの行ってらっしゃる大学が法政だということをお聞きした時から、私はそういう風に思っていたのです。他の方は中大と成蹊大学ですから、関係がないのです。それもやはり運命だと思いました。私、私と滝上さんが、四谷のお濠《ほり》の上でバッタリと出会う時のことを想像しました。私、やっぱり言ってしまわなければいけないと思って、それで私、いつか六本木のディスコでお目にかかったことがあるのだけれども、というお話をしました。「あの時?」っていう風に滝上さんはおっしゃって、「なんだァ、西窪が会ったって言ってたの、きみだったの?」という風におっしゃったのです。
「ええ」「そうかァ、木川田とおんなじなら、西窪も君とおんなじクラスだったんだァ、ヘエー、奇遇だなァ」という風におっしゃいました。滝上さんは一浪をなすって、法政では西窪さんと同じクラスだというのです。私は、もうとっても、本当に運命のいたずらだとしか思えませんでした。私、生まれて初めてなのに、こんな風になってしまって……。奇蹟というのを信じていいのだと思いました。
暗い海の方から、波の音が響いて来ます。海岸の方に出て、ホテルはもう、目と鼻の先なのです。堤防の所には若い恋人同士が、何組も何組も、もう、愛し合ったり手を取り合ったりしています。このまま私は東京へ帰ってしまうのでしょうか……。
「ちょっと……、歩かない?」滝上さんがそれだけをおっしゃいました。それだけを。私は、ただそれだけを待っていたのです。
23
暗い海の音を思い出します。音だけがして、波が見えないのです。私は、愛するということがどういうことなのか、全然分ってはいなかったのだということを、その晩はっきりと知らされました。私は、なんにも分ってはいなかったのです。なんにも。
私はここまで書いて来て、それでもう一度読み直してみました。読み直して来て、とっても虚《むな》しくなってしまいました。だって、私は一生懸命思い出を作ろうとしているだけなんですもの。
私、次の日帰って来る時に、東京の連絡先、滝上さんにお教えしたんです。前の日、暗かったから、何も書くものがなくて、それで次の日にメモを持ってお渡しするって約束をしたのに、ちょっと折悪くって、お店の方には木川田さんしかいらっしゃらなくって、私の方には運転手がついていたものですから、あまり長い間お待ちする訳にもいかなくって、それで、私、連絡先を書いたメモを、木川田さんにお預けして来たんですよ。東京へ帰ったら連絡するって、そうあの方はおっしゃったのに……。
私、八月は二十日まで高崎の方に行っておりました。もっと早く東京に戻っていたかったんですけれども、高崎には祖母もおりますからそういう我儘も言うことが出来ず、滝上さんも東京に戻ってらっしゃるのはそれぐらいだということをお聞きしていたものですから、私《わたくし》、ホントにずうっと、お待ちしていたんです。ですけれども、私のところにはなんの御連絡もないのです。もしも私が留守の間にお電話でもあったらどうしようと思って、私、外にも出ないで、ホントにずうっとお待ち申し上げていたのに、でも、どんな電話もあの方は下さらないのです。
私《わたくし》分りません。私《わたくし》、どうしたらいいのか少しも分りません。あんなに、あんなに、私、あんなにあの人に愛されたのに……。私、男の人の気持って分りません。あの方、あの方……。
私、愛されるということがあんなことだとは思ってもみなかったのです。あんな風に。あんな風に……。私、少しぐらいの痛みには耐えられると思っていたんです。ですけれども、でもそんなことなくって、私、人間の情熱があんなにも激しく燃え上るのだということを知らなくって。情熱≠ニか愛≠ニかという言葉の、本当の表面的な意味しか知らなかったのだということを私あの時知ってしまって……。
私……、今までの自分が恥かしい。
私……。
私…………。滝上さん……ああ、覚えています。あなたの唇が私の胸で……。ああ……。
滝上さん、私、本当に、世界で一番、あなたが好きです。本当です。あなたのことを思うと私、また、生理が不順になって来ました……。私、ここのところ、本当に少しおかしいのです…………。どうしたのでしょう、私は。
瓜売《うりうり》小僧《ぼうや》 仁義通《じんぎとお》します
―――――無職 木川田源一
1
最低……。
こないだ、醒井《さめがい》から電話かかって来たんだ。妊娠したって――
先輩≠フ電話番号教えてくれって電話かかって来たんだ。
だから俺、教えたよ。そんで、先輩″。いないよって言ったんだ。先輩″。北海道に行ってるって。
そしたらあいつ、黙っちゃったんだ。
どうでもいいかァ、とか思ってたら、そしたらあいつ言ったんだ、妊娠したって。
妊娠したって――
妊娠。
分《わが》んね。
妊娠したって!
そんなの全然分んねェッ!
妊娠したってッ!
そんなの俺に、全然関係ねェッ!
バカヤロオッ! 死んじまえッ!!
2
俺、今年の夏先輩≠ニ海行ったんだ。
先輩≠セって。
先輩=\―ホントはもう先輩≠カゃないんだ。でも先輩=Aやっぱり俺の先輩だから。
バッカみてェ、もう関係ねェのに。
先輩≠セってよォ!
バッカみてェ。
もう関係ねェもん。
先輩=A俺のこと嫌ってるもん。
分ってんだ。俺、オカマだから。
だから、俺海なんか行きたくなかったんだ。先輩≠ネんかと一緒に。そんなことしたってどってことないのなんか、もう分ってたんだもん。
俺、だからホントは海なんか行きたくなかったんだ、全然。
ホント、俺初めっから行く気なんかなかったよ。第一俺、先輩£Bが海行くなんて全然知らんかったもん。
全然。
ホントだよ。
七月の真ン中辺にサ、結城《ゆうき》さんて、俺の高校ン時のクラブの先輩から電話かかって来たんだ。海行かねェかって。
「お前、木川田よォ、お前、滝上と喧嘩《けんか》したの?」なんて結城さん言うんだ。
別に全然なんでもないからよォ、俺、「どうしてェ?」って言ったんだ、知らん顔して。そしたら結城さん「いや別に」とか言って、そんで、「お前暇なら海行かねェか?」って言ったの。ア、その前に「お前暇か?」って言ったんだけど。
俺別になんもねェから、「暇だけどォ」って言ったんだ。そんで、「どうして?」って聞いたの。
そしたら結城さん、先輩≠ニ結城さんと狭山《さやま》さんと桜間《さくらま》さんで、伊豆行ってバイトやるんだって言ったの。ホントは四人でやる筈《はず》だったんだけど、でも桜間さんバイクの事故で脚折っちゃったって。だから人間一人足りなくなっちゃったからお前行かねェかって。
そう言われて俺、どうしようかなァとか思ってたんだけど、そしたら結城さん、「お前別に滝上とどってことないんだったらいいじゃねェか、来いよ」っつって、そんで俺「どうしてェ?」とか聞こうと思ったけど面倒臭《くさ》いから、別に、先輩≠ゥら電話かかって来た訳じゃないし、別に結城さん、関係ない人だから、なんだかんだ言うの悪いとか思って、そんで俺、そん時結城さんに「行く」って言っちゃったんだ。別に俺行きたい訳じゃなかったけど、又ヘンなこと言ってなんか言われんのヤだから、そんで俺、行くって言っちゃったの。あれでサ、もし先輩≠ゥら電話かかって来たかなんかだったら、俺絶対に適当なこと言って断わってたと思うけど、でも結城さん関係のない人だから――
そんで俺、そん時思ったんだ。そうかァ、先輩♀C行くことになってたのかァ、って。
俺と関係ないんだってこと、俺そん時初めて分ったんだ。もう先輩*Yれてっかもしんないけど、俺、前に約束したんだよ――
去年、夏休みに、来年大学入ったら海行こうねって、俺、先輩≠ニ一緒に約束したんだよ。もう忘れてっと思うけど。
俺、もう先輩≠チて関係ない人なんだなァって、そん時初めて思ったの。そうかもしんないなァ、とか思ってたけど。だから俺、先輩£Bと一緒に海行くことにしたんだ。
だって、もう、俺と先輩=A全然関係なんかないんだから。だから――
そんで、海行ったの。
バッカみてェ。
全然関係ねェの。
行って損しちゃった。つまんねェ。
あーあ、行くんじゃなかった。ホォーント。バッカみてェえ! あーあ!!
結城さんと狭山さん、全然関係ねェから、クラブの合宿ン時みてェにバカばっかやんの。俺って全然お茶目さん。
そんだけ。
そんだけ!
全然関係ねェの。
なんにもねェの。
バッカみてェ。
俺、一人で芝居してやんの。
バッカみてェ!
バカみてェ!!
あーあ! バカみてェッ!!
行くんじゃなかった、あんなとこ。
バカ、みてェ……
3
先輩=A滝上圭介っつうんだ。……あァ(つまんねェ)。
俺のクラブの先輩。一浪してて、そんで今年、俺と一緒に大学受けたの。ホント。
俺達、去年ずっと一緒に勉強してたんだァ……。ホントだよ。先輩§Q人してたから、俺、先輩≠ニ一緒にずっと受験勉強してたの。おんなじとこ行くんだって思って。
俺、先輩≠ニ一緒に大学行けりゃいいなァって思ってたんだァ……(バッカみてェ)。でも、先輩≠セって「一緒に行こうぜ」って言ったんだよ、俺に。もう忘れてっと思うけど。だって、もう去年の話だから。俺、ホントに一杯約束したんだよ。昔――
昔の話だから関係ないけどサ、俺、先輩≠ニおんなじ大学行くって約束してたんだよ。そしたらサァ、先輩¢S然違うとこ行っちゃうんだもん。
俺達、青学行くことになってたんだよ。そんで、先輩$ツ学ダメだったんだ、勿論俺もだけどサ。
先輩=A去年も青学ダメだったから、今年一杯受けたんだ。上智とか独協とか。みんなダメで、先輩′給ヌ法政行ったんだ。法政――
俺、先輩≠ェ法政受けるなんて知らなかったんだ。
青学の願書出しちゃった後で、先輩*@政受けるって言ったんだ。俺、なんかヤな気がしたんだけど、でも、なんでもかんでも先輩≠ニ同じってのあんまりカッコよくないから、「フーン」とか思ってたんだ。「そうかァ……」とか思ってたら、そしたら、先輩=A自分だけ法政行っちゃうんだァ……。
先輩≠フが一年上だから、俺、先輩≠謔闊齡N遅れたっていいけどサ、でも、だからって俺、来年法政受けらんないじゃない? 俺、ズーッと青学行くって言ってたから――
親父が言いやがんだ。青学は派手だからって。そんなの全然関係ねェのに。
ウチの親父中大行けっつうんだ。ヤだ、俺、あんなとこ。テメェなんか簿記の免状しか持ってねェくせに、俺に公務員試験受けろっつうんだ。バッカみてェ。
あんまり親父がうるさく言うから、俺今年中大も受けたんだ。カッコ悪いからついでに。そんで俺、先輩≠ノ言ったんだ。ついでに中大も受けるからって。どうせ落ちるから関係ないって。そしたら先輩≠燗ニ協受けるって言って、法政受けるなんて全然言わなかったんだよね。俺、もう大学なんか行きたかねェやッ!!
来年、法政なんか受けたってしょうがねェもん! バッカらしい。俺もうヤだよ。大学なんか行きたくねェ! 予備校なんて行ったってしょうがねェもん。
もう大学行ったってしょうがねェよ。先輩=A先行っちゃったし、俺なんか全然関係ねェもん。
ホント、俺達一杯約束したんだぜ、一緒に大学行こうねって――
ホント、俺達一杯勉強したんだよ。一緒になってサァ。ホント、毎ン日《ち》勉強してたんだァ、俺達――
俺、先輩<唐ニこ行ったんだよ。学校終ってから。俺、先輩≠フ予備校行ったんだよ。そんで、先輩&ラ強してて、俺の授業終ったら、俺達一緒に帰ったんだよ。
俺、毎ン日先輩<唐ニこ行ったんだよ。
図書館だって行ったし、先輩<悼ニ《ち》だって行ったもん。俺達、いつも一緒にしてたもん。
俺が寝てっとサ、先輩=A俺の横で俺の顔見てんだ。
「お前一体なにしに来てんだ?」って言うんだ、図書館で。
そんで俺、「エーッ?」とか言って、そんで笑うの。
ホントに、いつだって一緒だったんだよ、俺達。
先輩<Tァ、先輩=Aなんでもないのに、すぐ俺の体さわんの。ホントすぐさわんだよ。
道ン中でプロレスごっこすんの。先輩≠キぐさわんだからァ……。俺、先輩″Dき。いい匂《にお》いすっから。
俺、先輩≠フこと好き。いつも一緒にいてくれたから。
先輩=Aあんまり頭よくないんだ。英語なんかすぐ分んないもん。俺なんかすぐ飽きちゃうけど、先輩≠ネんかいつも一生懸命やってて、そんでいつもすぐ間違えちゃうの。先輩=Aホントはあんまし頭よくないんだ……。
でも、俺先輩≠フこと好き。先輩%ェいいんだもん。いつも俺よか成績よかったから。
だから俺、先輩≠フこと好き。
俺達、一緒に予備校行ってたの。朝行くと、先輩=A先に行ってて席取っててくれたんだ、冬休み。
俺、現役だからいつもは授業あったけど、冬休みになったらもうないから、俺、先輩≠ニ一緒に冬休みの冬期講習行ってたの、予備校に。一緒に行って、一緒に帰ったんだ。俺、いつだって先輩≠フ隣りに坐ってたんだよ。
俺、先輩≠フこと好き。
だって先輩$^面目なんだもん。いつも先輩<mート取ってて、いつも先輩♂エに見せてくれたよ。だから先輩=A俺のこと好き。
冬休みになって、そんで、俺と先輩=A一緒に予備校行ってたんだ。そしたら先輩=A四日目に風邪引いて倒れちゃったんだ。「かったるいなァ」って言ってて、そんで「なんかかったるいんだよなァ」って言って、熱っぽいっつうから、俺、先輩≠フおでこさわったんだ。先輩*ルってたけど、分んない。だって、俺の手の方が熱いみたいだもん。
俺、よく分んないから、熱いのかなァ……とか思って、先輩≠フおでこズーッとさわってたんだ。
先輩♂コ向いて目ェ閉じてて、先輩=A睫《まつげ》長いの。俺、先輩≠ノ「キスしてもいィい?」って聞こうと思ったんだけど、でもなんにも言えなかった。
「よく分んないけどあるみたい」って、俺、先輩≠ノ言ったんだ。熱が。そしたら「ウン」て言ったんだけど、あん時俺にキスしてくれそうだったの。だから、抱きついちゃえばよかった。俺、先輩≠ノ。
そしたら先輩=A次の日休んじゃった。
俺行ったら、先輩≠「なくて、だから俺、後の方に席取って、先輩@るの待ってた。待ってたんだけど先輩@なくって、後から来たヤツが坐ろうとすんだけど、俺ズッと先輩≠フ席取ってた。
先輩<Yッと来なくって、どうしたのかなと思って、俺昼休みに先輩≠フ家に電話したんだ。そしたら先輩≠フおっかさんが出て来て、「圭介は九度も熱出しちゃったんですよ」って言うんだ。急性肺炎だって。「ホントに大切な時期だから大事にしなくちゃいけないっていうのに」ってオバサン言うから、だから俺、先輩<悼ニ《ち》見舞いに行ったの。ホントは花なんか持ってった方がいいかなァとかも思ったんだけど、やっぱ恥かしいからやめて、そのまんますぐ飛んでったの。
先輩∴齔lで寝てて、なんか寝呆《ねぼ》けたみたいな顔してて、俺の方見て笑うんだよ。そんで、笑うだけですぐ目ェつぶっちゃうんだ。壁に伊藤つかさの写真なんて貼《は》ってて、ホント、先輩♂ツ愛いの。
そんで、先輩≠んまり調子よさそうじゃないから、俺ワリとすぐ帰ったんだけど、帰る時オバサンがワリとしつこく言うんだ、「こんな大切な時に体こじらせちゃって」なんて。だから俺、「そんな心配しなくても大丈夫ですよ」って言ったんだ。ちゃんと予備校の方だって俺が頑張るからって。そんで、「又明日も来ます」って言ったらオバサン、「ホントに、あの人もあなたみたいにしっかりしててくれたらいいのにねェ」って言うんだ。俺のことだよ、しっかりしてるって。俺、ホントにしっかりしてるもん。だから、次の日も行ったの、俺。
予備校に行ってる時はスッゴク寂しかったんだけど、でも、これが終ったら先輩≠ニ会えるって思ってたら、全然平気だった。だって、俺、先輩≠ニ二人っきりなんだよォ。先輩≠ニ二人っきりで、俺、先輩≠フベッドの横にいるんだよォ。先輩=Aもし、……。
先輩=Bああ、だめだ。風邪引いちゃう。でもいい、俺、先輩≠ニ一緒だったら……。俺、先輩≠ニ一緒に寝んの。
センパァーイ……!!
バカ。なにやってんだよお前はァ!!
バカッ!
バカでもいいもん。俺先輩″Dきだから。ねェ先輩=B
バカ。もう関係ねェのッ! あんな野郎ォ。死んじまえ、バカヤロー。
俺サァ、次の日行ったんだよな、あいつン家《ち》。予備校終ってからすぐな。そしたらよォ、やっぱあいつ寝てんだよな。ベッドン中にな――じゃァベッドじゃなかったらどこ寝んだよ? バァロォ。マァいいんだけどよ。そんで俺、あいつ先輩≠ォのうよか調子よさそうだとか思ったんだけどよ、でも俺、ホント言うとギョッとしたの。だって先輩=A髭《ひげ》生やしてんだもん。二日も寝てたからサァ、先輩*ウ精髭《ぶしようひげ》生やしてんの。
俺ヤだよォ! だって先輩=A髭生やしてっとオッチャンみたいなんだもォん!
俺にとって先輩≠チて大切な人なんだよ。そういう人がサァ、髭生やしてんのなんかやだァ。だって汚いんだもん。
やっぱり俺、そういう顔しちゃったんだと思う。だって、先輩<純鰍ニ照れたみたいな顔したもん。「ズッと髭剃《そ》ってないんだよな」って、先輩′セったもん。
やっぱり先輩=A俺のこと好きなんだなって思ったんだ。だって、そん次の日行ったら、先輩≠ソゃんと髭剃ってたもん。髭剃って、「オウッ!」て笑ったもん、ベッドン中で。俺、先輩≠フ横に腰かけたもん。そんで言っちゃったもん。「俺、そっちの方が好き」って。先輩≠フ頬《ほ》っぺたにさわっちゃったもん。そしたら先輩¥ホったもん。そんで俺達、一緒に寝たんだもん。先輩<xッドン中で、俺、ベッドの上だけど。
でも俺、先輩≠フこと世界で一番好き。俺の頭撫でてくれたから。
なんにもしなかったけど、でもズッとそのまんまでいたの。ズッとあのまんまでいたかったァ……ズッと。だって俺、先輩≠フこと好き、なんだもん!
年賀状だってくれたんだよ。「今年も一緒に頑張ろうネ」って書いてあったんだよォ。
頑張ろうネ≠セって、カッワイイ! 俺、先輩≠フ年賀状ズッと取ってある。だって、先輩=A生まれて初めて僕に年賀状くれたんだもん。ズッと、「俺、筆無精だからなァ」って返事くれなかったんだよ、俺に。でもそん時初めてくれたの。「一緒に頑張ろうネ」って。俺、だから一生懸命頑張ったのに……。
先輩*@政行っちゃった……。
俺、別に、そん時いいと思ったんだ。先輩*@政行って、俺浪人したって。だって先輩=A俺よか一年先輩だから。一年先輩だから、だから俺浪人してもしょうがないんだって思ったんだ。でもサァ、そうだけどサァ、先輩=A大学行ったらもう全然関係ないんだもん。大学行ったら、大学生みたいな顔してて、全然|構《かま》ってくんないんだもん。先輩=A大学行ったら、全然暇だって言うんだ。
俺、先輩≠ェ大学入ってから一緒に歌舞伎町行ったんだ。先輩♂ノだって言うから。
一緒に喫茶店で話してて、そんで、先輩<rニ本買いに行こうっつうんだ。そんなの俺に関係ないのに。
先輩<Tッサと先行って、店ン中入ってくんだ。だって、俺、関係ないんだもん。そんでも先輩%ってくんだよ。
キッタねェの、ベチョベチョしてて。そんでも先輩=A一生懸命探すんだよ。真面目な顔して。俺、そんなのヤだ。だって先輩=Aそんな人じゃないんだもん。先輩=Aそんな人じゃないんだよ。
先輩=A「どっちがいい?」って俺に聞くんだ。そんなの俺に関係ないのに。「この娘《こ》可愛いなァ」って先輩′セうんだ。ちっとも可愛くなんかないのに。
俺、先輩≠ェ女好きになったって構わない。でも、俺、先輩≠ェ好きな人って、きれェじゃなくっちゃヤだ。あんな豚みたいな顔した女なんかヤだ。「可愛いなァ」って言ったって、あんな女、股開いてんだぜェ。そんなの先輩¢S然分んないんだ。可愛くなんかないや。だってあんな女、先輩≠フことなんか全然愛してないんだもん。愛してないからあんなことするんだもん。そんなのに先輩=A「可愛いなァ」なんて言うんだもん。先輩=A女ならなんだっていいんだもん。俺、そんな先輩′凾「だ。だって、ちっともカッコよくなんかないんだもん。
先輩=A二冊買って、レジンとこで五千円出すんだもん。財布ン中に五千円札が小さくしまってあって、そんなの先輩¥oして、金払って買うんだもん。俺そんなの絶対ヤだ。だって、先輩¢S然カッコよくなんかないんだもん!
先輩=A茶色の袋に入ったビニ本、しっかり抱えて歩いてた。俺、そんなの絶対ヤだ。先輩=A袋ン中|覗《のぞ》いて、中見るんだもん。道ン中で。俺そんなの絶対ヤだッ! 絶対。
先輩∴齔lで帰るんだ。一人でビニ本持って。
俺、女じゃないもん。
俺、女じゃ、ないもんッ!
俺、そんな先輩$竭ホ嫌いだァッ!!
でも、そんなの関係ないんだよねェ。だってェ、俺ェ、女なんかじゃないんだもん。だから、俺……、そんなことと、全然関係ないんだよね…………。
センパァイ……、俺……、つまん、な……い…………。
俺、女じゃないもん…………
4
先輩=A大学入って西窪《にしくぼ》ってヤツと一緒になったんだ。西窪って、俺が高校ン時おんなじクラスだったヤツ。
ヤなヤツ。
先輩=Aそいつとおんなじクラスになったんだ。
五月になる前だったかなァ、俺、又先輩≠ノ電話して、二人で新宿で会うことになってたんだァ。そしたらそん時、西窪のバカが一緒ンなってついて来たの。ヤな野郎。
そんで又、先輩≠ェ「ビニ本見に行こうぜ」って言うんだ。西窪のバカが「オウ、オウ、行こうぜ」って言うんだ。あのバカ、一人でセンズリかいてりゃいいじゃねェかよ、バカヤロオ! 気持|悪《わり》い顔しやがってェッ!! 俺、関係ないからサァ、黙ってたんだァ。そしたら西窪のバカがよォ、「お前どうすんだ、木川田?」って言うんだ。
俺関係ねェからよォ、バカヤロとか思って、西窪の顔見てたんだ。そしたらあいつ、人の顔ジッと見てんだ。バカヤロ。そんで、そん時先輩≠ヌうしてたかっつうと、先輩=A黙って、全然関係ねェとこ見てんだ、「俺知らね」って顔して。俺、先輩£mってるって思ったんだ、そん時。俺のこと、先輩≠烽、知ってんだと思ったんだ。だから先輩=Aもう俺のこと知らん顔してるって思ったんだ。西窪のヤロオは「お前関係ねェよな」って言うしサ。
俺、関係ないもん。
いいんだ。
もういいんだって、俺そん時思ったんだ。「悪いけど俺用事あるから」って、俺そん時そう言って、帰って来ちゃったんだ。
汚ったねェ歌舞伎町の喫茶店。ダッセェのッ。あんなとこいたくねェもん。先輩≠ニ西窪、肩組んで行きやんの。
俺、関係ないもん。
新宿の交差点て、なかなか青に変んないんだ。俺、新宿なんて嫌い。歌舞伎町歩いてんのなんかロクな男いねェもん。みんなパープーばっかで。俺、別に泣いたりなんかしないよ。だって俺、そんなの関係ないんだもん。一から十まで、なんにも関係ないんだもん! この世ン中なんてッ俺に全然関係ないんだもんッ!
だから俺、なんにも、関係ないからいいんだ。別に。俺別に、泣いたりなんか、しないから。俺、自分がなんて言われてっか知ってっから。だからもう、全然いいんだ。別に、俺と先輩♀ヨ係ないし。
それから俺、先輩<唐ニこに全然電話してない。だから、俺ンとこに結城さん電話して来た時、「木川田お前、滝上と喧嘩したの?」って言ったんだと思うんだ。俺、別に先輩≠ニ喧嘩なんかしてないよ。だって俺、先輩≠フこと好きだもん。だから俺、先輩£Bと一緒に海行くことにしたんだ。だって別に、俺と先輩=A別になんでもないんだもん。なんでもないのに、ゴチャゴチャ言ったらおかしいでしょう? だから、俺、先輩≠ニ一緒に海行ったんだ。てーんでバカ。
バカみたい。俺なんかホントに関係ないんだもん。関係ないのに関係ない≠チて思ってんだ、バカだから。アーア、やんなっちゃう。ホントに、俺ってなんにも関係ないんだァ。いっつも俺、たった一人で芝居してんの。やんなっちゃう。バッカみてェ。
アーア、ア・ホ。
ホント、惨《みじ》めだった、海行って。
俺、ホント言うと、別にどってことないと思ってたんだ。別に。相手にしてもらえなくてもいいと思ってたんだ。そんでもサ、ホント言うと、俺、前の日眠れなかったの。だって、先輩≠ニズーッと会ってないでしょ。先輩≠ノ明日会えるんだと思ったら、俺、ズーッと寝らんなかった。ひょっとしたら先輩=A又俺のこと好きになってくれるかもしんないと思って。ズーッと昔だったけどサ、俺、先輩≠ノ聞いたことあんだよ、「俺の事好き?」って。ホントにズーッと昔だけどサ。そしたら先輩=A俺のこと「好きだ」って言ってくれたんだよ。「なんでそんなこと聞くんだ?」って言ったけど、別に俺、なんでだなんて言わなかったけど。でも俺、先輩≠ェ昔俺のこと好きだって言ってくれたの覚えてたから、だから、ひょっとしたら全部俺の一人芝居かもしんないと思ってたの。ひょっとしたら先輩=Aズーッと俺の事心配してたかもしんないとか思って、そんで俺、前の日ズーッと寝らんなかったの。ひょっとして、俺が勝手に勘違《かんちが》いしてたのかもしんないと思って。そしたら俺、明日先輩≠ノ会ったらゴメンて言おうと思って。そんで、もしも先輩≠ェ俺のこと別になんとも思ってなかったら、そしたら俺、先輩≠ノヤなこと言ってやろうと思ってたの。だって俺、先輩≠ノ全然電話してないのに、先輩♂エンとこに「どうしたんだ?」って電話かけて来てもくんないんだもん。だから俺、先輩≠ノよっぽどひどいこと言ってやろうと思ってたんだ。だって、頭に来るじゃん。いっつも先輩<唐ニこに電話すんの俺だったんだよォ。先輩≠ネんか全然俺ンとこに電話して来てくんないんだもん。だから俺、絶対文句言ってやろうと思ってたんだ、前の日。
でも、次の日会ったら違ってた。俺、先輩≠フことこわくなった。だって、東京駅で会った時、先輩≠アう言ったんだもん。「なんだ、木川田、久し振りだな」って。そんだけ。そんだけなんだ、「久し振りだな」って。
俺、そん時ぐらい自分がバカだなって思ったことなかった。だって、そんだけなんだもん。「久し振りだな」って。俺ってホントに先輩≠ノ全然関係ない人間なんだなって、その時思った。ホント、それまでそんなこと全然考えたことなかったけど、俺、ホントに全然関係なかったんだ。全然。
関係ないの。
バッカみたい。
俺、いたっていなくたって関係ないんだ。そんなこと全然知らなかった。俺、全然バカだから。そんだから俺、全然関係なくいようって思ってたの。結城さんも狭山さんも一年先輩だし、先輩≠セってそうだし。結城さんや狭山さん現役で大学入ったから、今年二年だし、先輩≠セって大学行ってっから、俺だけ関係ないんだと思って、そんで俺一緒に海行ったんだ。俺が行かないと人数足りなくなるから。ホント、そんだけ。
俺、海行ってバカやってたの。一人でバカやってっと関係ないから、俺、ズーッと一人でバカやってたの。結城さんも狭山さんも女引っかけるのばっかだから、俺、一緒になってお茶目さんやってたの。みんなひょうきんやれないから、俺一人でひょうきんやってたの。そんだけだよ。
俺達、民宿でバイトやってたんだけど、そこにダッセェすなっく≠ェついてんの。ホント、ダッセェの、海の家みてェ。
民宿だと、大体飯の仕度して掃除するだけだから大体暇なの。そんで、だから大体はすなっく≠ノいる訳、俺達は。昼なんかだと交替で海行っててもいいんだけどサ、大体スナックとかやってる方がナンパしやすいじゃん。そんでいんの。
俺なんかどうでもいいけどサ、先輩達なんかそればっかだから、ズーッとそこにいんの。
そんでサァ、やり方がダセェんだよな、まったくゥ。ンなもん、もう誰だって女の二人連れがくっとよォ、「ねェ、君達どこ泊ってんの?」――そんだけ。別荘にいんのも民宿にいんのも全然変わんねェの。
「ねェ、君達どこ泊ってんの?」――バッカみてェ、新島じゃねェんだぜェ。大体サァ、女だけで民宿泊ってんのなんかロクなのいねェのによォ。
「ねェ、君達どこ泊ってんの?」なんて言われっとよォ、「エエーッ?!」とか言ってよォ。デブが、ビニ本のモデルやってろっつうの。ブスほどなかなか言わねェのな、自分どこ泊ってっか。
大体サァ、少しましなのが店に坐ってっと、「おい、やれよォ」とか言ってて、全然声なんかかけらんなくてよォ、そんで少しブスイのが来っと声かけんの。
奥の方でワリとマシなのが二人で坐ってたりすっと、先輩達なんか、そっちの方気にしながら、大体店の前の方に坐ってるブスイのに声かけんの。
「ねェ、君達どこ泊ってんのォ?」とかやって、そんで、「エーッ」とか「キャーッ」とか豚女が声出すと、そのたんびに奥の方見んの。奥の女なんて、バァカ≠ニかって顔して見てんのに分んねェでよ、そんで奥の女の気ィ引いてるつもりなのな。アッホみてェ。
大体仕事は俺と先輩≠ェ組んで、そんでもう一コ狭山さんと結城さんが組んで交替すんの。俺らが店やってっ時、狭山さんと結城さんが来て、そんで店先で女ひっかけてんの。そんでなんかっつうと俺の方向かって、「オーイ、木川田、ちょっと来いよ」なんて呼ぶの。俺が「なァにィ」とかって行くと、すぐ、「なァ、こいつオカマなんだぜェ」っつうの。「エーッ、ウッソー」とか豚女は言って、「やッだァーッ」っつって人の顔見んの。もうそういう時、はっきりババアな、あいつら。
「ウッソォーッ」とかって言うと狭山さん、「ホントだよォ」っつって、「エーッ」とか「ホント」とか、そんなのばっかやってんの。ネタがなくなっと俺呼ばれんの。アッホみてェ。そんでも俺、ルンルンやってたんだ。だってェ、そんなとこで一人で暗がってたらみっともねェもんな。そんなンだったら、そしたら俺、初めっから来なきゃいいんだもんな、関係ねェんだから。行く方がバカなんだよッ!
店の方、初めは店のアンちゃんがいたんだ。なんか、浜のシチーボーイみたいなアンちゃんがよ。民宿の息子なんだって。角刈りでな。マァいいけどよ。そんでサ、そいつが初め店やってたんだ。コーヒー淹《い》れたりな。そんでよ。俺等が慣れたら、そいつ浜の方行ってな、大体俺等が店任されてたの。俺、別にどうでもいいけど、なんか先輩=A店の仕事気に入ったみたい。結構黙ってカウンターン中入って仕事やってたから。真面目なんだよね、先輩=Bそんで、ひょっとしたら先輩=Aワリとムッツリスケベなンかもしんない。カウンターン中入って、ワリと黙って仕事してて、ワリと黙って女の方ばっか見てっから。先輩=Aワリと、狭山さんとか結城さんみたく、簡単に女に話しかけないの。ワリと黙って、女の方ジーッと見てんの。俺、大体先輩≠フ女の趣味って分るんだ。
ニュートラ。ニュートラ風で、あんまりスレてないの。跡見《あとみ》とかっていうんじゃなくて、ワリと津田とかそういう感じ。ワリとサーファーっぽいのも好きみたい。サーファーでも、ワリと自分でやるみたいなの。痩《や》せてて、髪の長いの。ワリとカッコつけてる女。大体そういうのって男と一緒に来っけど、ワリと先輩=Aそういう女ジーッと見てる。ジーッと見ててどうすんのかしんないけど。
夜なんかワリと、仕事終ったらみんな出てくんだ。仕事って八時ぐらいに終るけど。そしたら大体、女と約束出来てっから外行くんだ。俺も、ワリと初めの頃は一緒に行ったけど。
なんか、一生懸命女子大ぶってるOLがいたけど、そいつらと話出来て、初めの日かなァ、次の日ぐらいだったかなァ、仕事終って俺等と会ったんだ。向う三人でこっち四人だったけど。暗くなってサ、浜の方行ってな、タラタラ歩くの。女勝手にキャーキャー言ってな。ビール飲んで十時頃までいたけどな。十時過ぎたら「帰るゥ」とか言って帰っちまいやんの。別にどうでもいいんだけどよ。俺だけサ、一人部屋に残ってても、なんか白けて悪いじゃん。ンだからサァ、そんで俺も一緒に行ったんだ。そんな感じで初めの内やってたんだよな、男女交際=B
別にどうでもいいかァ、とか思ってたんだけど、その内に俺、だんだんかったるくなってきてサ。だって、別に面白くもねェ女と一緒にいてサ、チンタラ歩いてるだけだろ。俺関係ねェしサ。そんだから俺、その内そういうの行かなくなった。
仕事終ってサ、「浜行こうぜ」とか言ってサ、別に、女がいてもいなくても、先輩達外行ったりすんだけど、ワリと俺、そういう時ふけたりすんの。「仕事ある」とか言って。つうよか、ワリと「もうちょっとで終りだなァ」とか思うと、俺、先輩達に「もう後、俺がやっからいいよ」とか言って、先輩達追ン出しちゃったりしたんだ。その方が面倒臭くなくていいから。先輩達勝手に遊んでて、俺勝手に民宿の方でブラブラしてんの。だって、俺、一緒にいんのヤなんだもん。
結城さんとか狭山さんだけ帰って来て、先輩≠セけ帰って来ない時ってあったんだ。夜、もう十二時ぐらい過ぎてたけど。俺別になんてことなく「あれ、先輩≠ヌうしたの?」とか言ったら、結城さんと狭山さん、「へへへへへへ」「あいつ、なァーッ!!」「なっはっは」って笑うんだ。俺、なーんも分んなかったけど。
だから俺、ワリと早く寝るようにしちゃった。風呂だってワリと、俺達みんな遅く入ってたりしてたんだけど、でも、俺なんか、先輩達が外行ってる間に、俺だけ先に入るみたいにしたんだ。
別に、態《わざ》とやったんじゃないんだけど、一遍俺風呂で先輩≠ニ一緒になっちゃったことあるから。
初めの内、俺もみんなと一緒になって外行ってたんだけど、俺あんまりつまんないから一人で勝手に先帰って来ちゃったんだ。そんで部屋でゴロゴロしてて、「そうかァ、風呂でも入るかァ」とか思って行ってたら、そしたら先輩≠「つの間にか帰って来て、俺が入ってんの知らないで入って来たんだ。別に俺、先輩≠フ裸なんか見たくないけど……でもしょうがないから、黙って俺達、二人で一緒に風呂入ってた。風呂入ってて、全然口なんかきかないの。だから俺、ヤだから、そういう風になんないように、俺、先に勝手に風呂入るようにしてたの。醒井に会ったのって、そういう時だったんだ。
5
なんか、俺はよく知んないんだけども、そんでも初めの内は、ワリとよく女ひっかけてたらしいんだ、先輩達。そんでも、三週間ぐらい経《た》ったらワリと飽《あ》きて来たらしいのな。俺も、適当に勝手に近所のアンちゃんと口きいて、適当に勝手に一人で遊んでたんだけど――ア、一遍ワリとヘンなのに会って、そいつ、俺のこと見て「一人で来てんの?」とか言うんだァ、俺暇で一人で勝手に歩いてた時。そいつ勿論男だけどよ。「一人だよ」とか言ったら、「そう」とか言って寄って来んだ。別にどってことねェ普通の男だけど。俺よかちょっと年上だったみたいだけど。そいつが、「ねェ、付き合わない?」とか言ってよォ! ――付き合ったけどよォ。ダッセェ男。人のチンコ咥《くわ》えといてよォ、終った後で「僕、あんまりセックス好きじゃないんだ」なァーン、つうの! バァーッカじゃなかっぺか。どうでもいいけどよ。「ああそうかいやならやめろよ」って言ったけどよ、俺は。グチャグチャ言うなっつうんだ、バァロォ。ンなもん、やっといてよォ。なァ?
どうでもいいけどよ。
なんの話だっけか?
あ、醒井か。
醒井っつうのは、俺の高校ン時のヤツなんだけど――勿論女だよ――そいつが店に来たんだ。なんか、どっかで見たことあるなァ、とか思ってたら、そいつ、突然「木川田さん!」とか俺のこと呼んで、よく見たら醒井だったんだ。俺、別にそいつと仲良かった訳じゃねェけど、なんか、あいつ三年の時なんか、ワリと榊原と一緒によくいたりしたから、そんでワリと覚えてたんだ。
そんでよォ、その醒井っつうのが又、これがトッポイ女でよォ、「母と一緒に来てるんです」とか言ってよォ、金持ってねェの。
あいつン家《ち》ホントは金持ちなんだって。俺はよく知らねェけど榊原がそう言ってたから。そんでそいつがよォ、金持ってねェで茶店《サテン》入んだぜェ、金貯る訳よなァ、マァいいけどよ。
そんであいつ、醒井、金持ってないってグチャグチャ言って、そんなン俺が奢《おご》ってやっからいいっつうのによォ、なァ? マァサ、ワリと俺も懐かしくなったんじゃないの、ワリと、そんなンで奢ってカッコいいとこ見せようなんてよ。
そんでもワリと、俺、得意だったんかなァ……。だってサァ、醒井って、ワリと美人なんだよね。おとなしいし。マァはっきり言って、店に来るヤツン中じゃ上等ね。松・竹・梅っつうと、松みたい。
そういうのがサ、ワリと「木川田さん!」とかっつうと、俺、カッコいいじゃん。ワリと。そんだけね。そんだけだけど、ワリと先輩=Aなんかしんないけど、あいつのことジーッと見てたな。「アレ誰だよ?」って俺に聞いたもん。「俺の友達」とか言ったら、「フーン」とかっつってたもん。別に俺、そん時は先輩≠ェ何考えてんのか知らなかったんだけど。知らないっつうか、なんか、あんま考えたくないみたいとか思ってたから、多分。よぐ分《わが》んね。
そんで、なんかよく分んねェけど、そん時俺達麻雀やってたんだ。夜。
あんま天気よくなかったし、あんまロクな女いないとか言ってて。俺、別に麻雀なんか好きじゃないけど、そんでも四人いないと困るし、俺、ホント言うと、その頃ワリと、先輩≠ニ一緒にいるのこわかったんだ。なんかしんないけど、こわかったの。何言われっか分んないみたいな気ィして。先輩=Aなんにも言わなかったけど。別に、俺先輩≠ノなんかした訳でもないんだけど、そんでも俺、なんか先輩≠ノ言われんじゃないかって気がして、こわかったの。だから、ホント言えば、あんましいい気持しなくて、先輩≠ニ麻雀やるよか、先輩=Aどっか……、ワリと……、好きなっていうか、ワリとそういうことしててもらってた方が、ワリと俺としては安心だったんだけど。マァネ(つまんねェ心配してやんの)。でも麻雀て四人いないと出来ないでしょ? だから俺やってたんだけど、そん時先輩≠ェ言ったんだ、「今日なァ、木川田のガールフレンドが来たんだぞ」って。
そしたらワリとすごかったよ。狭山さんなんか、「なんだ、お前? オカマはどうしたんだよ」とか言って、結城さんなんか「どんなんだよ? どんなんだよ?」なんて言うんだ。
どんなんだって言われたってもサァ、別になァ、どうしようかなァ、とかって思ってたら先輩≠ェ、ニッ≠チて笑って、「美・人」て言うんだ。
美人て言われたってもサァ、別に関係ないし、「ただの友達≠セよォ」とかって言ったら、狭山さん、「友達ィ?! おお、と・も・だ・ちィ!!」なんてヘンな声出して「お前、もう出来上ってんじゃないの」とかサァ。俺「別にそんなんじゃない」って言ったら、結城さん「照れてやんのォ?!」なんて言うんだァ……。別に俺、照れてなんかいないけどサァ……。なんかよく分んない。
そりゃサァ、カッコいい女連れて歩いてて、それでカッコいいんだったらサァ、俺、それでもいいけど、なんかよく分んないんだ。別に俺、照れてなんかいないと思ったけど……。ただ……、なんていうのかなァ、先輩≠ノ普通の顔して笑ってもらうのって嬉しいけど。多分、初めてだと思うんだ、先輩≠ェ伊豆来てから俺に普通に笑ってくれたのなんか……。俺、別に先輩≠フこと好きじゃないけど、やっぱり先輩≠ノそういう風にして貰ったら、やっぱ嬉しい。よく分んないけど。そんで、次の日だったかなァ、あ、多分そん次の日だ、雨降ってたから。
醒井が来た日があって、そん次の日が雨降ってて、そんでそん次の日、朝飯の仕事が終ってからみんなで海岸行ったんだ。前の日雨で、ワリと俺達みんな、内でウダウダしてたから。
浜行って、そんで海入って、みんな泳いでたけど、大体午前中って水が冷たいだろう。それに、俺泳げないしサァ。あんましよく。そんだから俺、海に入んないで浜に坐ってたんだ。そしたら、あいつ、醒井がタラタラってやって来たの。
「ヘェーッ、よく会うなァ」とか思ったんだけど、あいつ散歩してたんだって。
俺、それまであいつと全然話したことないから、あいつのこと全然知らなかったんだけど、俺達暇だったから、浜に坐って、ワリといろんなこと話してた。
「大学はどこ行ってんの?」とか、「予備校なんてあんまおもろくないよ」とか、ワリとそういうこと。なんか霧が出てて、あんまり周り人がいなかったけど、なんか俺達だけ、二人坐ってボソボソ話してたんだ。ワリといろんなことっていうよか、どっちかっつうとあんましどうでもいいようなことばっかだけど。なんか、そんな風に話してたの。ワリと俺なんか、海に石ぶつけたりして。オッケシィの。マァいいけどよ。そしたら、なんか、先輩達、海から上って、「ウーッ寒《さぶ》ィ、ウー寒ィ」とか言って、俺達の方に来たんだ。
「なんだ木川田、どうしたんだよォ」「オッ、オッ、オッ、ついに引っかけました。ついにお前も目覚めたかァ」とか、ワリとどうでもいいこと言って、そんで、なんかしんないけど、「俺達麻雀やってっけど来ない?」とかってことになっちゃったんだ。
醒井が「麻雀好き!」とか言ったんかなァ? よく分んねェや。
俺はサァ、ワリと、そん時なんか、あんまりいい気持しなかったんだァ……。なんか、あまりいい気持しなくて、なんか、ヤな感じした。なんかよく分んないけど。
「又やんのかァ……」とか思って。何を又やんのかよく分んないけど。又、女囲んでみんなでワイワイやんのかァ、とか思って。なんか、俺の友達≠ネんだから放っときゃいいのにィ、とか思ったんだけどサ、やっぱり、なんか女がいた方がいいんだよなァ、きっと。みんなで麻雀してっ時でも――俺そう思った。
みんなでキャーキャーやってて、俺一人黙ってんのって、やっぱヤじゃない? だからサ、なんかヤだなって思ったの。又、仲間|外《はず》れにされっかなァ、とか思って。よく考えたら別に、俺と醒井なんて、ホントになんでもないんだけどサ、なんかなァ……。
別に、関係ないけどよ。
そんで、夜になって醒井来たんだ。別に、先輩&£ハにしてたけど。なんか俺もう、よく分んない。
なんかもう、ホントみんなヤな気がする。俺って、なんかもう、全然みんなと関係ねェんだもん。どうしてそうなんのか、……よく、分んねェ、……………。
6
先輩≠ニ、狭山さんと、結城さんと、醒井と、四人でやったの、麻雀。二抜けにしようって言ったから、俺見てたんだ。醒井の横坐って。先輩=A醒井の前に坐ってんの。
俺、見てたんだけど飽きちゃって、そんで、部屋の隅に坐ってラジオ聴いてたんだァ。
半チャン終って、醒井がトップだったんだァ。なんかしんねェけど、ダラダラダラダラ半チャンやってて、八時からやってて、半チャン終ったの十一時だもんなァ、俺、いい加減早ェとこ終んねェかなァ、とか思ってたんだァ。なんか、いつまで経っても醒井いるし。この女いつ迄いんのかなァ、とか、俺思ってたんだ。半チャン十一時だから、これ終って次やるんだとしたら、次終る時、もう一時過ぎてんだろう――まだいんのかなァ、とか思ってたんだ、醒井のこと。なんか、俺女のことなんかよく分んないし、やるんかなァ……、とか思ってたんだ。やるって、アレだけど。
一人で泊ってるっていうし、ワリと平気で男ンとこ一人で来ちゃうし、いいのかなァ、とか思ってたんだ。
いいんだろうけどなァ……。分んねェ――そういうもんかもしんないし。別に、こいつ、やられても平気なのかもしんないなァとかって思って。
四人でやんのかなァ、とか思って。そしたら俺ヤだなァって思ってたんだ。そういう時、部屋ン中で、一人で「俺やんない」とか言ってたら白けるでしょう? だからサ、俺ヤだなァって思ってたんだ。どうしよう、とか思ってて。そんで俺、ヤだなァとか言ったら、多分醒井にバカにされっだろうしなァ、とかサァ……。そんで俺、もう寝たふりしちゃおうかなァ、とか思ってたんだァ、半チャンがもうちょっとで終るぐらいの時。そしたら、半チャン終ったら、醒井が「もう帰る」って言い出したんだよなァ。帰るから俺に麻雀代ってくれって。俺、「いいけどォ」とか思ったけど、ホントにいいのかなァって思ったんだ。だってサァ、俺なんかがいるより、みんなは醒井がいた方がいい訳だろう? だから――。
したら、醒井が「明日東京に帰らなくちゃなんない」とか言うから、「エーッ!!」とか言って。別に、俺はどうでもいいんだけど。
醒井、そんで、「帰る」って言って、なかなか帰らねェんだ。「帰ります」とか言って、ワリとしっかり坐ってんだ。そんでなんか、みんな「どうすんだ?」って顔して眺《なが》めてて、そんなこと言われたって、別に俺なんか分んないしサ、なんか、先輩=Aなんか黙ってて、醒井なんかどっち向いてんだか、真っ直ぐ前向いて坐っててよォ。そしたら先輩≠ェ俺の方見て、「送ってってやれよ」って言うんだ。俺、先輩≠ェ何怒ってんのかと思っちゃった。だって、なんか、すんごいこわい顔して見てんだもん、俺の方。
だってサァ、そりゃァ醒井は俺の高校ン時の友達だよォ。だけどよォ、俺が「麻雀来い」って言った訳じゃねェじゃねェかァ。俺達が話してたら、先輩£Bが勝手にやって来て、「麻雀やんない?」とかって、勝手にあいつのこと誘っただけだろう? あいつだって勝手に来たんだしィ、そんなの俺に関係ねェじゃねェかァ、とか思ってたんだよなァ。そんなサァ、都合のいい時だけ人に押しつけてサァ、自分達だけ麻雀やってんだろう? そんで、帰る時だけなんだって俺が一生懸命そんなの送ってかなきゃなんないんだよ? そんなの俺、ヤだと思ったんだよね。
醒井、俺の方見てて――俺もう、あいつが何考えてんのか分んねェ。
先輩=A気ィ狂ったみたいに、突然、「木川田、お前のガールフレンドだろ」とか、訳の分んねェこと言い出して。何考えてんのか全然分んなかったよ、俺。
なんか、すんげェ白けること言うなァ、とか思ってたんだ、俺。先輩≠フこと。結城さんだか狭山さんだかも、なんか、すんげェうっとうしそうな顔して、「なんかお前、白けること言うなよォ」、とか言ったんだけど。
俺、送ってかなきゃいけないのかなァ、とか思ったんだ。そんで、醒井の方見たら、なんか醒井、ワリとヘンな顔してたんだ。なんか、もう遅いみたいな感じして、今更「送ってく」って俺が言ったって多分もう醒井、あんまりいい気持しないだろうけどなァ、とか思ってたんだけど、そしたらすぐ――俺の横に先輩≠「たんだ、俺初め醒井の横にいたんだけどラジカセ部屋の奥の方にあったから、俺、部屋の奥にいた方が邪魔にならなくていいかな、とか思って、そんで俺、ラジオの横で、先輩≠フいるとこのそばに行ってたんだ、醒井、入口ンとこに坐ってて、先輩∴齡ヤ奥に坐ってたの――俺が「どうしようかなァ……?」とか思ってたら、そしたら先輩≠ェスッと立ち上って、「俺が送ってってやるよ」って言うんだ。
醒井、俺の方見てたんだけど、なんか俺、あいつに悪いことしちゃったなァ……、とか思って……。だって、ワリと先輩≠フ言い方っておっかないんだもん。なんか、「お前がグズグズしてっからみんなが白けんだ」とかって感じで――だって俺が、あいつに「来いよ」って言った訳じゃないのにィ!
そんで、先輩≠ェ出てって、俺達、結城さんと狭山さんと三人になって、そんですることないから、先輩≠ェ帰って来んの待ってたんだ。麻雀の牌そのまんまにして。
結城さん一人で麻雀の牌ガラガラさせてんの。
俺、なんか分んなくて――。俺、別に悪いことしてた訳じゃないのに。
なんかしんないけど、俺達そうやって待ってたんだ。そしたら先輩≠ネかなか帰って来なくて。三十分か四十分ぐらい待ってたかなァ……。そんで、なかなか帰って来ないから、「アーア」とかって結城さん言って、狭山さんと風呂入りに行っちゃって、俺、どうせもう先輩°Aって来たって麻雀やんないだろうと思って、一人で牌やなんか片付けてたんだ。ひょっとしたら先輩=Aなんか、どっかで喧嘩《けんか》とか、そういうのに巻き込まれたのかなァ、とか思ったけど、別に、そういう風に心配してもなんかカッコ悪いから、そんで、俺、布団ひいて寝ちゃった。
寝ちゃったとかって、別にホントに寝ちゃった訳じゃないけど、なんかあんまりもの考えたくなかったから、俺、一人で横になったんだ。なんかしんないけど、そしたら俺、なんかしんないけど、涙かなんか出て来て、なんか――あんましバカみたい。
俺寝てたら、狭山さん帰って来て――声聞いたら分った。おんなじ時先輩°Aって来て、「なんだお前、何やってたんだよ」って狭山さん言って、先輩=A「いやァ、ちょっと歩いてただけだけどな」って言って。そんで、俺、「そうかァ」とか思って、「よかった」って安心したんだ。
俺そのまんま寝てて、結城さん風呂から出て来て、先輩≠ノ「おウ」とかって言って、先輩&利C入りに行って、そんで結城さんと狭山さん、二人でビール飲んでた。
俺、なんにも考えないでボーッとしてて、誰か迎えに来てくれたらいいなァって思ってた。…………。なんかよく分んないけど、そんなこと思ってた。
知らない間に寝ちゃってて、俺、気がついたらもう二時過ぎてた。電気消えてて、みんな寝てて、俺目ェ覚して、どうしようかなァ、とか思ってた。風呂入ろうかなァとか思ってたんだけど、もう遅いし、なんかかったるいからやめようとか思って、そんで、布団の上に坐ってボーッとしてた。
窓ンとこ網戸《あみど》があって、外に蛍光灯が点《つ》いてんの。俺、窓ンとこで寝てたから、ボーッと起きてっと窓の外が見えんの。なんか、蛾《が》とか虫とか一杯飛んでて、もう外に誰もいねェの。俺達の部屋六畳で、窓ンとこに俺が寝てて、そんで、結城さんと狭山さんが並んで寝てて、その向うに先輩≠ェ寝てんの。俺、窓ンとこに坐って、入口ンとこ見てた。
ちっこい豆電球が部屋ン中に点いてて、先輩≠フ肩が見えた。
先輩≠すこに寝てんだなァって俺思った。先輩=ATシャツ着てて、そんで、白い背中だけ見えた。先輩=Aあすこにいるんだなァとか思うと、なんだか涙ばっかしボロボロ出て来て、すんげェバカみてェだった。
ヒューって風吹いて来て、すんごく気持良かったから、このまんま寝ちゃおうとか思って、俺小便しに便所行った。
狭山さんが寝てて結城さんが寝てて、その間歩いてくの。ちょっと離れたとこに先輩≠ェ寝てて、目ェつむると先輩≠フ匂《にお》いがするみたいだった。
戸ォ閉めて廊下出て、便所行く迄の間、俺、先輩∞先輩≠チて、口ン中で小さく言ってた。先輩∞先輩≠チて。
便所ン中、電球点いてんの。掃除すんの明日俺の仕事なんだけど、小便しようと思ってジョギパンの中、手ェ突っ込んだ。ちっこくって出て来ねェの。俺のチンポコ、ちっこくって、なかなか外に出て来ねェの。やんなっちゃった。
なかなか小便出来ねェし、出たらなかなか止まんねェの。
やんなっちゃったァ……。
先輩*ルって寝てるんだって。なんか知んない、俺、そんなことばっか考えてた。小便してる間中。
7
もう帰りたいなァ――そう思った……。
そんでも俺、ズーッといたんだ、八月の二十日過ぎ迄。俺、なにも知らなかったから。先輩=Aただ外歩いてただけ≠チて言ったから、そう思ってた。バカみてェ。
俺、全然知らんかった。やったなんて思わんかった。アッホみてェ。
次の日、帰るからって、醒井が店来たんだ。先輩≠ソょうどいなくって、醒井が先輩≠「るか? って聞くから、俺「いないよ」って言って、そんで醒井がなんか、渡してくれって、メモみたいの渡して、醒井の住所書いてあったから、俺先輩≠ノ渡したよ。なァーんも分んねェのな、俺。アッホみてェ。なんも分んねェで、「あの、これ、渡していただけます?」って醒井が言うの見て、「ア、別に俺のこと怒ってなんかいなかったんだァ」とか、バカみてェなこと考えてて、ホント、俺ってなァーんも分ってねェのなッ! ホーント、バッカみてェ!!
完全、バカ丸出しよォ(いいけどな)。俺に、関係ねェんだもんな、しょうがねェよ、そんなこと。そんなとこでウロチョロしてる、俺が一番|悪《わり》ィんだもんな。
そう。
そう、そう、……。
醒井、妊娠したんだって。
そう。
先輩=Aやったんだって。
そう。
そう、そう、……。
そうッ!!
最低。俺に、関係ねェもん……、なァ……(バカ)。
8
それから――醒井が電話かけて来て、それから、五日ぐらいたったら、今度は先輩≠ゥら電話かかって来た。「どうして電話番号教えたんだ」って。
そんなの俺知らない。「どうして」って言われたって、俺、「教えて」って言われたから教えただけだもん。
「お前、醒井が妊娠したの知ってるか?」って先輩≠ェ言った。
「知ってる」って言ったら、「なんで知ってるんだ」って先輩≠ェ言った。
「醒井がそう言ったから」って言ったら、先輩=uそうか」って言った。
「悪いけど今、用事あるんですよ」って俺言った。「そうか」って、先輩♂エに言った。そんで、「一体俺に何しろって言うのかなァ」って俺に言った。
そんなこと俺知らない。
「じゃ、先輩、悪いけど」って俺言った。
「ウン、そうか」って言ってた。俺、「ザマァミロ」って思った。
俺に関係ないもん!
俺、泣いてたら、醒井から電話がかかって来た。俺、怒鳴ってやろうとか思った。そうしたら、醒井、おかしいんだ。「どうしたの?」って聞いたら、あいつ泣いてるんだ。「私、どうしたらいいか分らなくて」って、あいつ言った。「あたし、あの方を怒らせてしまったみたい」だって。
そんなの俺知らない。
でも、あいつ言うんだ、「こんなこと御相談出来るのはあなたしかいなくって」って。
そんなこと俺知らないけど、でも、あいつ、泣いてるんだ。だから俺、可哀想で。
だから俺、「どうしたの?」って聞いたんだ。
9
それから俺、醒井に会ったんだ。夜の九時ぐらいだったけど、あいつ電話じゃ話せないって言うから、俺、あいつン家《ち》のそば迄行って、近所の喫茶店で話したんだ。ここなら人に聞かれないって。
「もうすぐ三ヵ月になるんです」ってあいつ言った。だから堕《おろ》さなくちゃいけないって。それで先輩≠ノ連絡したんだって。そしたら先輩=A「だから?」って言ったんだって。なんか、その言い方がすっごくこわかったんだって。なんか、あいつの知ってる先輩≠フイメージじゃないんだって。俺、なんにも言わなかったけど、なんかそういうの分るような気がした。なんか先輩=Aすっごくこわい時があるんだ。
醒井、医者行って診て貰ったんだって。「二ヵ月ですね」って言われたんだって。そんで、医者が黙ってて、「どうします?」って聞いたんだって。「どうします? って言われても、私、その時全然分らなくって」って醒井言ってた。もしかしてそうかもしれないと思ったから、醒井、普段行ってる医者とは全然違うとこに行ったんだって。全然知らない医者ンとこで「どうします?」って言われても、「私全然分らない」って。
「生みますか?」って言われて、そういうこともあったのかって思って、なんかこわくなったんだって。生む≠チてどういうことなのか全然分らないって。「じゃ、堕すしかありませんね」って医者に言われて、そんで醒井、ホントに、自分でそんなことしていいのかって思ったんだって。そんで、だから「相談してみないと分りません」て言って、先輩<唐ニこに電話したんだって。
電話してもいないから、先輩≠ェ北海道から帰って来る迄待ってたんだって。
待ってて、その間ズッと、なんか自分が大切なもの預けられてるみたいな気がして、なんかすっごくこわかったんだって。堕す≠チて、そんな勝手なことしたら先輩≠ノ怒られるんじゃないかって。だから先輩≠ノ電話したんだって。そしたら先輩=A「だから?」って言ったんだって。
どうして「だから?」って言われたのか全然分んないって。そんなんじゃなくって、なんか全然別のこと言ってもらえるかもしんないって、醒井ズーッと思ってたからって。なんとなくそれ、俺分るような気がする。
「だから?」って言われて、それで醒井、「あの、堕してもよろしいでしょうか?」って言ったんだって。そしたら先輩=A「そうしてくれたらありがたいな」って言ったんだって、「申し訳ないけど、今の僕にはどうして上げることも出来ないから」って。
なんか、そう言われて、なんか、自分がスッゴクいけないこと言ったみたいな気がしたんだって、醒井は。「そんなこと分ってるんだったら、サッサと自分で後始末すればいいじゃないか」って、そんな風に言われてるみたいな気がして、こういうことって、人に相談しちゃいけないみたいな気がしたんだって。別に、自分で作ろうと思って作った訳じゃないんだけど、でも、結果として妊娠しちゃったのは自分の方に間違いがあったからじゃないのかって。それなのに態々《わざわざ》そんなことで電話かけて来てって、なんかそんな風に言われてるみたいな気がして、醒井、とっても耐えらんなかったって。
それで、「お金の方はなんとか都合するから、それまで少し待ってくれないか」って、先輩′セったんだって。だから、「お金の方ならなんとかします」って、醒井そん時言ったんだって。そしたら先輩=Aズッと黙っちゃったんだって。なんかいけないこと言ったのかなと思って、それで醒井、「もしもし」って言ったんだって。そしたら先輩=A黙ってて、「だったらどうして――」とか言ったんだって。なんか、すっごく迷惑みたいな感じで。そんな、自分で分ってることどうして一々電話して来るんだ、みたいな感じで、なんかもう、ホントにしちゃいけないみたいなことしちゃったみたいな気ィして、醒井全然だめだったって。なんかそういうの、耐えらんないって。
「私、怒られてるような気がして、それで――」って、醒井言うんだ。
「それでどうしたの?」って俺が聞いたら、「だから私、すみません≠ト……」――醒井そう言ったんだァ……。すみません≠ト、なんかスッゴクよく分る。なんか、すっごく、俺いつも、先輩≠ノそう言ってたみたいな気ィするから。
別に、なんも悪いことしてないけど。
「私、だからもういいんです」って醒井言うんだ。
「いい≠チて何を?」って、俺言ったんだ。
「滝上さんのことです。私、滝上さんにもう御迷惑おかけすること出来ないので」って。そんで、「でも私、滝上さんに、後一つだけお願いしなければならないことがあるんです」って。
「お願いって、なァに?」――俺そう言ったの。そしたら醒井、「同意書に――あの、同意書にサインしていただかないと、私……」――そういう風に言うんだ。
「同意書ってなァに?」
俺言ったけど、醒井黙ってた。「あの……」って言って。そんで俺、そん時初めて思ったんだ。先輩=Aやったんだって――。先輩=Aケツ丸出しにしてやったんだって。ケツ丸出しにして、先輩=\―。
俺、醒井の顔見てたけど、なんにも分んなかった。
醒井、嘘ついてるみたいな顔だった。なんも知らないって顔してた。
よかったのかなって思った。やっぱり、よかったみたいな顔してたのかなァ? 先輩≠セってやっぱり、よかったみたいな顔してて、あんなことしてたのかなァ? 先輩≠セって、よかったのかなァ? 先輩≠セって――。
だって先輩=Aしたんでしょう?
先輩=Aどんな顔して、したのかなァ……。僕だって、先輩≠フこと、幸福にして上げるぐらい、出来るのにィ……。僕……………。
先輩=A醒井の上に乗ってたんだァって、俺、そん時初めて分った……。
俺言ったんだ、「同意書って今持ってる?」って。そしたら醒井、持ってないって。「そのことで会っていただこうと思って、私滝上さんにお電話差し上げたんですけど」って。だから俺、「サイン貰えばいいの?」って、そう言ったんだ。
醒井、「ええ」って言った。元気なさそうだった。
だから俺、「貰って来てやるよ」って、そう言った。
俺言ったんだ、「俺、あん時、あのメモ、ちゃんと先輩≠ノ渡したよ」って。「渡したけど多分、先輩*Zがしかったんだと思う」――そう言ったんだ。
「あれから先輩=Aクラブの合宿にも行ったし、それから北海道行ってたでしょ。だからスッゴク忙がしかったんだと思うよ。そんで、やっぱそれから、先輩≠セってサァ、驚いたんだと思うよ。それから――だから先輩=Aそれでびっくりしたから、そんな風に言ったんじゃないの? だってやっぱしサ、初めてだから驚くじゃない? ア、やだァ、初めて≠セって、ヤッらしいィ。ヘッ? あ、今の冗談ね。あ、ンだからサァ、多分アレ、先輩=A別にきっと、怒ってなんかいないと思うよ。きっと。ホント、平気だよ。絶対大丈夫だって。ね? 俺、先輩≠フことよく知ってんもん。ホントだよ。だからサァ、俺、貰って来てやる。サインぐらい。だから全然、平気だって、ね? 大丈夫だよ」
醒井、ウンウンて言ってた。
それから俺、醒井と一緒に、醒井の家まで同意書の紙取りに行った。二人で歩いてて、そんで、途中で歩きながら、醒井言ったんだ――
「私、ホントは、木川田さんのこと、ズッと悪く思ってたんです――」
「 、どうして?」
「私、ホントは、木川田さん、連絡なさってくれなかったのかと思ってたんです。あのメモ――」
「そう――」
「私、ズッと、滝上さんから連絡があると思ってたんです」
「どうして……?」
「だって私、滝上さんがそう言って下さったから――」
「…………」
「私、それで、ひょっとしたら木川田さんが――。私、あの、木川田さんと滝上さん、……あの、仲がよろしいって……」
「…………」
「聞いてたから……。あの、そう、伺《うかが》ってたものですから……」
「でも俺、アレ、ちゃんと渡したよ」
「ええ。ですから私、……、申し訳なくって……」
俺、やっぱりこいつだって、俺のことなんて好きじゃないんだって、そん時はっきりそう思った。いいんだ、そんなこと。俺、なんにも関係ないんだもんッ!
10
次の日、俺、先輩<悼ニ《ち》行った。先輩<悼ニ行って、先輩′トび出して、そんで同意書の紙にサイン貰った。先輩=A俺のこと見てヘンな顔してたけど、でも俺、もう絶対そんなこと関係ないんだと思ってた。俺が行ったから先輩=Aそんな風にヘンな顔してたんだろうと思うけど、でも俺、もう絶対、そんな、俺みたいなバカな人間俺一人にしとけばいいと思ってたから、そんなこと絶対、先輩≠ノ何言われたって関係ないと思ってた。
なんにもしたくねェんだろ、先輩=H 汚ねェよ。
11
サイン貰って、俺、そん次の日、それ醒井に渡した。前とおんなじ喫茶店で、俺、それ渡したらすぐ帰ろうと思って、醒井に渡した。醒井、「すみません」て言って、それっきり黙ってた。ずっと黙ってたから俺、そんで、なんか言わなくちゃいけないかと思って、「いつ行くの?」って言っちゃった。言わない方がいいかなァとか思ったけど、でもあんまり醒井が黙ってばっかいたもんだから、俺、そんなつまんないこと言っちゃったんだ。
「いつ行くの?」
「きのう、私、お電話いただいて、それで、今日行くことにしました」
「そう……」
そしたら又黙ってるから、俺、そんで又つまんないこと言っちゃった。
「ひとりで行くの?」
「ええ」
醒井そう言った。そう言って、ズーッと黙ってた。同意書の紙、二つに折って、テーブルの上でそれズッと撫《な》でてた。「ひとりで行くのか」って俺思った。
ひとりで行くのか……。
行っちゃいけないって……。可哀想だもんて、そう思った。なんか、すンごく、いやだった。
「病院どこ?」って、俺言ったんだ。「え?」って、醒井言った。
「どこ?」って俺言った。
「篠原クリニック」
「え?」
醒井、すんごく小さい声で言うんだ。
「篠原クリニック」
「どこにあんの?」
「虎ノ門」
「虎ノ門のどこ?」
醒井、診察券出して俺に見せた。
「分んないよ、これじゃァ」
「霞ケ関ビルのそばなんです」
「じゃァすぐ分る?」
「分ると思いますけど」
「何時から?」
「何時って……」
「何時に行くの?」
「一応四時に、アポイントは取ってありますけど」
「四時ね?」
「ええ」
「今何時?」
「二時半ですけど」
「すぐ終る?」
「すぐって?」
「そういうのって、時間かかる?」
「サァ……、そんなには……」
「だったらサ」
「ええ」
「だったらサ」
「ええ」
目が坐ってる。
「だったら、待っててよ」
「待ってる?」
「ウン。俺、今から先輩=A連れて来っから」
俺、そのまんま出て来ちゃった。だから、醒井がどんな顔してたか分んない。分んないけど、でも、俺、やっぱり、連れて来なくちゃいけないと思った。何言われっか分んないけど、俺、とにかく絶対に、先輩≠フこと連れて来なくちゃいけないと思った。
俺、先輩≠フ家に行った。絶対に先輩=Aいると思った。いなかったら、どこに行ってでも、絶対に先輩≠フこと連れて来ようと思った。そんで俺、後で一人で泣けばいいんだもん。だから――。そう思った。
先輩≠フ家行ったらオフクロがいた。「アラ」とか呑気《のんき》なこと言うから、「テメェの息子はやったんだぞ!」って言ってやろうとか思った。
「先輩≠「ます?」って聞いたら、のたのた家ン中入ってった。「なァンも知らねェの、バカヤロー」とか思った。
先輩¥oて来て、口にスルメ咥えてた。「おゥ」とかって言うから、「悪いけど来て」って言った。「なんだよ?」って言わないで「どこへ?」って言ったから、ひょっとして先輩=A分ってたのかもしんない。
「決ってるでしょ、病院だよ」って俺言った。
「なんでだよ」って言うから、「なんでって、決ってるでしょ」って俺言った。
「悪いけど、俺用事があるんだ」って、先輩′セった。
「用事って何?」って俺言った。「先輩=A醒井さん嫌い?」って俺言った。
そしたら先輩=Aバカみたいなこと言った――
「嫌いじゃないけどなァ。嫌いじゃないけど、ちょっとなァ」
「ちょっと何?」
「お前に関係ねェだろう」
俺黙ってた。
「悪いけどなァ、俺、ちょっとこれから、人と会う用事があるんだよなァ。悪いけどなァ、ちょっと、しょうがないだろう」
「しょうがないってなァに?」
俺頭来た。
「人と会うって、女? 女の人? 先輩¥翌ニ会うの?」
「お前に関係ねェだろォ!」
「そう」
そう!
先輩=A俺のことジーッと見てた。俺だって先輩≠フことジーッと見てた。
チェックのシャツ着てる。俺が見たことないシャツ。バイトで買ったんだ。知らねェ、誰かに買って貰ったのかもしんねェ。今迄見た中で、先輩=A今一番いいカッコしてる。
いいシャツ着てる。ペグトップの、黄色いBALLのパンツ穿《は》いてる。先輩=Aカッコいい。俺の一番好きな人だってこと、俺が一番よく知ってる。そんで、俺のことどう思ってるかも――
「センパイ、俺、先輩が俺のことどう思ってるか知ってるよ」
「なんだよ?」
「俺のこと、オカマだと思ってんでしょ?」
「だからどうしたっていうんだよ」
「俺が先輩のこと好きだって言ったら?」
「お前何しに家に来たんだよ?」
「分んない。そんなこと全然分んない。分んないけどいいんだ。俺先輩のこと好きだから」
「俺も好きだぜ」
「あ、そう。じゃ先輩、醒井さんのこと好き?」
「嫌いじゃないって言ってんだろ」
「あ、そう。好きじゃないんだ?」
「そんなこと言ってねェだろォ!」
「好きじゃないんだッ!」
「そんなことお前に関係ねェって言ってんだろッ!」
「センパァイ、醒井さん、先輩のこと好きだって。世界で一番好きだって。でも、でも、ホントに迷惑かけてごめんなさいってッ! 俺、先輩のこと好きだって、だから、醒井さん先輩のこと好きだって言って、でも先輩、そんなこと全然分ってなんかくんないでしょう? 俺いいんだけどサァ、でもサァ、あいつ、可哀想じゃない? ねェッ? こないだ電話した時だって、すっごくこわがってたよ。俺だって、先輩こわいんだもん。もういいんだけどサ。俺、関係ないから。俺、一体何しに来たのかな?」
バカだね。俺。先輩って、もう少しやさしい人だと思ってた……。ただそんだけ。
俺、なんにも考えなかったなァ……。ホントに。
なんにも全然考えなかった。
なんにも考えなかったから、……俺、平気で虎ノ門まで行ったんだァ。
俺はもうダメだけど、先輩、別に醒井のこと嫌いだって言ってる訳じゃないんだからって。そう言おう、とか思って、そんで俺、チンタラチンタラ、虎ノ門まで行ったんだァ。
醒井のいる病院、ビルの六階にあって、美容院みたいにキレェなの。「先輩用事で来れなかったよォ」って言えばいいんだなって――そう思って、ズーッと練習してた。
「先輩用事で来れなかったよ」「先輩用事で来れなかったよォ」「先輩用事で来れないんだァ」――その方がいいかなァ? ――「先輩用事で来れないんだァ」
「あのねェ――」――醒井が寝てる部屋入って言いかけた。
「あのねェ、先輩用事で来れないんだァ……」そうしたら醒井、ニッコリ笑った。
「先輩用事で――」
俺、ドア閉めて、ボロボロボロボロ、いつまでたっても、ボロボロボロボロ、涙ばっかり流してた。
バカ、丸出しだぜェ――
無花果《いちぢく》少年《ボーイ》 戦後最大《せんごさいだい》の花会《はなかい》
―――――中央大学法学部法律学科 磯村 薫
1
こんにちは、僕、磯村薫です。
覚えててくれました?
忘れちゃったでしょ、どうせ?
マ、いいんだけどね。これでも僕、高校ン時は主役£」ったことだってあるんですよ。どうせもう忘れちゃってるだろうけどサ。
マ、いいんだけどね。なァんてね。なんとなくアレは、偶然の結果というか、産物というか、なんかそんな気がするから。
ンでも、今度は主役≠ネんですよ。主役≠チていいなァ、僕ずっと暇だったから、主役≠ネんていうと呆然としてしまう。
ウーン、エライ。エライ。僕ってやっぱりエライのかもしれない。
しかしマァ、久し振りに主役≠竄驍チつうのに、こういう口のきき方してていいのかねェ?
いいんだよね。だって僕、こういう口のきき方しか出来ないもんね。
出来ないっていうのかな?
ウーン、そうかな?
なんとなく違うような気がする。
なんていうのかなァ、僕だって別に、こういう口のきき方しか出来ない訳じゃないんだ(と思うんだけど)――あーあ、カッコつけて、ハハ。
出来ないっていうより、僕、なんとなく、今こういう口のきき方しかしたくないんだ。
なんていうのかなァ……、大人になりきれないっていうの、あるでしょう? よくそういう風にいうんだけど、大人になりたくないっていうか、マァ、どうせその内なっちゃうんだっていうか、マァネェ、どうせなっちゃうんだったら、別に今そうなんなくたっていいじゃないかとかね、そんな風に思っちゃってるんだ、僕。よく分んないけど。
僕って今、大学行ってるんですよね。今年入ったんだけども、でも、なんかそこで、僕ってあんまり、賢い少年だとは思われてないみたいなんですよね。
僕ってなんか、あんまり賢くないのね。いつもニコニコ笑ってっから。
ワリとそうなのね。自分でもそうかなァとか思ってたら、人もそう思うんだって。当り前だけど。だって僕、笑ってんだから。なんか知らないけど、僕って最近、ワリとズーッとアッパさんなんだって。大学行ってっと言われるよ、「お前なんにも考えてないだろ?」って。ホントなんだからしょうがないけどね。
ホント、自分でもこわくなんだけど、ホント僕って、はっきりなんにも考えてないのね。いいのかな? って思うけども、だってそうなんだからしょうがないなって思って、ホント、なんにも考えてないんだ、最近。
なんにも考えてないから最近、ワリといつも、エヘラエヘラって笑ってんの。自分じゃニコニコさんだとか思ってっけど、どうも人はあんまりそう思ってないらしいから、マァ、どうでもいいや、とか思って、エヘラエヘラ笑ってんだ。
はっきりバカだなァ、僕って。
ホント、なんにも考えてないや。
いいのかなァ、こういうんで? とか思う訳。
マァしようがないや、いいよね?
いいことにしよう。
だってサァ、僕なんかサァ、高校の時なんか、はっきり言って、もっとなんにももの考えてなかったもんね。
ホント。ホントになんにも考えてなかったんだ、高校ン時。
考えらんないのね、頭ン中ボーッとして来て。
なんかサァ、もの考えようとすんのよ。そうすっとサァ、なァーんも考えらんなくなっちゃうの。なんていうのかな、これから自分どうすんのかなァとか、こんなことやっててなんになるんかなァとか考えてると、もう、考えるより先にムラムラーッって来ちゃうのね。なんかしんないけど、ホント、怒り狂ってるというかサ、バカヤロォッ!! というかサ、なんかそういうことばっかりなのね。頭ン中で棒棒鶏《ボーボードリ》が鳴いてんだから。アー、ホント、思い出すだけで頭に来る。
なんか知んないけどサ、僕、ホント怒ってばっかいたんだ、高校ン時。人からはどう見えてたかは知んないけど。
みんなバカだって思ってたしね。だからどうだっていう訳じゃないけど。
なんかしんないけどウックツしててサ、自分は勉強ばっかりしてんなって思って、よく考えると自分のしてることって勉強じゃないな、とか思って。だったらじゃァお前は今何やってんだよォ、とか思って、もうホント、自分がいやなのね。なんか、そういうことばっかり――ホント、くだんないことばっか考えてる自分がね。
こういうことなんて、世間の人間は考えないんだろうなァ、とか思って。ホントもう、一人でそういうこと考えてる自分が、なんか追いつめられてるみたいな気ィすんのね。
じゃァなんで追いつめられてんだよォ、とか考え出すとサ、別になんにもない訳ね、原因なんて。なんか一人でいじけて、勝手に追いつめられてるみたいなこと考えさせられてるゥ、とか思うとサ、もう、たまんない訳。
だってサァ、世の中、暗い人間なんて一杯いる訳じゃない? 程度低くてサ、勝手に暗がってる人間なんて一杯いるじゃない? 多分サ、そういうヤツって、僕とどっか似てんだろう、とか、ワリとそんなことは思うのね。思うけどサ、なんか、そういうことって絶対やなのね。僕ってサァ、いつでもサァ、颯爽としててサ、すごくカッコよくなくちゃいやなの。そういう自分がサ、なんかヘンに追いつめられてて、勝手に暗がってる人間とおんなじ所に置かれてるな、とか思うと、もう、ホントに頭来て、なんにももの考えらんなくなんのね。
あ、うっとうしい、あ、うじうじしてる、とかって、自分でもの考えたりすると、自分がそんな風になっちゃってるのが分る訳。ホント、だからそんな風に考え出しちゃうと、もう頭ン中が、身も心もジクジクするような、いやーなにおいのする布団綿の国になっちゃったみたいな気がすんのね。今なら少年A≠ナすむ、とかね。なんか放っとくと、今なら人殺ししてもバレないような気がするなァ、とかね、そういうこと考えちゃうんだ。
あ、そっち行くと病気≠セなァ、とかってのは分ってたからいいけどサ、なんか知らない、ホントもう、最悪だった。
そんでもサァ、不思議なんだけど、それでも僕、別に自分大学落ちるかもしんないなァ、とか、そういうことは考えなかったのね。
なんでかな? とか思うけど、別に僕、自分の成績にそんな自信があった訳じゃないんだけどね。そんでも多分――ウーン、なんていうのかなァ……、なんかしんないけど、世の中あんなにウジャウジャ、ゴキブリみたいに大学一杯あるんだから、あんだけあって自分がどこにも入らないなんておかしいって思ってたんだよね。そうだと思う――
いや、そうじゃないかもしんない。この上(多分)大学落ちるなんてこと考えついたら、あれでもう、怒り狂って家の一軒や二軒ブチ壊してたかもしんないからだ――多分そうだと思うよ。僕ってワリと、そういうところでバランス感覚って働くみたいだから。
だから、それでマァサ、つまんないとこで良識的になっちゃってるってとこあるかもしれないけどね、僕の場合。でもマァいいんだ、どっちにしろ、僕の場合もう大学入っちゃってるんだから。なんか、昔のことあんまりしつこく言う人間て僕嫌いだからサ。
僕ね、大学行ってるでしょ。そうするとね、ワリといるんだよね。なんかしんないけど、別にそう暗そうな顔してる訳でもないんだけどサ、なんかボーッとしてる人間て。
ボーッとしててね、そんで待ってるんだよね、なんか、人から話しかけられるのね。
話しかけられるの待ってるったって、別に廊下の隅でジーッと落ちこんで暗がってるって訳じゃないんだけどね。普通に明るいんだけどね。そんでも待ってるんだよね。例えば、高校ン時にこういうことあった、とかサ、入試ン時こんなだった、とかサ、要するに、受験に関する苦労話よ。
初めはワリと気がつかなかったんだけどね。なんかサ、普通に話してたんだよね、どんな音楽好き?≠ニかサ。そんで、なんかのはずみで受験の話なんか出ちゃうんだよね、そうすると、なんか知らない、ヘンな風に盛り上っちゃうのね。
そりゃサ、誰だって共通の話題みたいのがあってサ、それで盛り上れたらいいとは思うよ。でもサ、それがワンパターンだったらいやじゃない? 受験の話がノスタルジーになっちゃうなんて、やっぱヤじゃない?
マァ、よく考えてみたら、僕らの世代って、受験ぐらいしか共通して盛り上れるものないからね。こういうこと言うのって、世代論ぽくってヤなんだけどサ。あー、世代論ぽくってヤなんだけどサって言うの、世代論ぽくてすっごくヤなんだけどサ。あー、世代論世代論て言って、なんにも肝腎なものが見つかんないのが僕らの世代なんだけどサっていうのが、僕らの世代の特徴なんだけどサ。冗談とひょうきんは、みんな僕らの上の世代に盗られちゃったからサ。(あー、世代論やってるなァ)。冗談とひょうきん盗まれて、暗さだけ押しつけられちゃったのが僕らの世代なんだけどサ。あー、ヤなんだけどサ。マァ、そんなことどうでもいいや。僕としてはサ、あの、受験に関する、異常なまでのノスタルジーの盛り上り方が気に入らないっていうんだよね。
大体それまでボーッとしてたのが、受験の話になると急に盛り上っちゃうんだからサ、どう考えたって、あれは受験の話が出て来るの待ってたとしか思えないじゃない?
ヤなんだよねェ! ホント! あんな風に不幸を楽しんでたりすんのサァ! 不幸なんてもっと一杯あるじゃなァい!
でしょォ?
あんなことやってっから、「お前ら暗いなァ」なんて人に言われんだよォ。
ウチの兄貴なんてサァ、一橋行ってんだよね。来年就職で大変なんだけどサ、大体、ラコステのポロ、三年遅れで買って来て、それで流行だと思ってる人間なんだよね。大体、一橋なんて、あのクリスタルが出た大学だぜェ!! どォーんなに暗いか分るじゃない? それがサァ、どっかで暗い≠チていうの覚えて来たんだよねェ、今年の春ぐらい。それっからもう、人のこと捕まえては、もう、なにかっつうと「お前、暗いなァ」って、そればっかり言ってんの。どっちが暗いかっていうんだよねェ。ラコステのポロ着てゴルフズボン穿いて、日曜日に上野の文化会館行ってオペラ聞いてるのがデートだっていう人間とサァ! (ウチの兄貴そうなんだよ)マァ、どうでもいいんだけどサ、僕、エライ奴としか付き合いたくないから。
だからサァ、いやな訳、ああいう風に不幸と楽しく付き合ってたりするのって。
昔サァ、どうして僕が頭来てたかっていうとサァ、自分がサァ、いくら頭来てたって、どうしてそういう風に頭来てんのかって、全然説明出来なかったからでしょ? ――そうなんだよね。
自分がサァ、頭来てるんだからサァ、どうして頭来てんのか自分で分る筈じゃない? でもサ、そんなこと全然分んないんだよね。自分じゃサ。
なんか頭来てるってことだけは確かなんだけどサ、どうして自分がそういう風になってるのかってのが全然分んない訳ね。分んないからサ、分りたい訳ね。だからサァ、友達なんかに話したりする訳。
学校とかサ、外歩いてる時とかサ、そういう時にサ、ちょっと頭来ることなんてあるじゃない? だからサ、そういうことをサ、友達なんかに話す訳よね。話してサ、なんか、共感とかサ、そういうのを求めてたりはした訳よね。そうすっとサ、この苛立ちは友との会話によって一般的共感に迄高められたとかサ、ワリとそんなことを求めてた訳ですよ、僕は。大体僕は真摯《しんし》な少年だからサ。
そんだからサ、言う訳よね。例えば、今日の教師の態度はあまり気持よくなかった、とかね。「頭来んなァ」とか言うのよね。そうすっとサ、大体、返って来る答っていうのは「まァな」なのよね。
「まァな」って言われると、もう「まァな」なんだよね。そっから先全然進まないんだよね、その発言はOKだけど、でもその先には行くもんじゃないねっていうのが「まァな」なんだよね。
結局サ、全部「まァな」なんだよね。分ってんだったら言うのやァめよ、とか思っちゃうのよね。
自分でサァ、頭来ンなァ、とか思ってて、そんで、自分一人で「まァな」って言ってんのよね。
言ってる内はいいんだよね。「まァな」って、十回位言ってみなァ! ダンダン気が狂って来るからァ。「まァな」「まァな」「まァな」「まァな」――だからなんなんだよォ!! って感じね。そういう感じで僕、怒り狂ってたのよね。
そんでサ、入試が終ってサ、発表があってサ、大学受かってたりはした訳よね。そうすんとサ、なんかもう、自分の中じゃイライラするネタはなくなったなっていう気がしたのね。大体もう、その頃は自分がなんでイライラしてたのかっていう原因、分ってたみたいな気がしてたからね。
マァ、つまんないけども、自分をイライラさせてた原因がなんとなく素通りしてっちゃった――つまんないけども≠チていうのは勿論、そのイライラの原因に対して一発お見舞出来なかったのがつまんないってことなんだけどサ――素通りしてっちゃったのに対して今更イライラしても始まらねェや、とか思ったのね。なんか、今更そんなのにムカッ腹立てたって、向うに御大層な思いさせるだけなんじゃないかとか思ったからサ。マァいいんだけどね。(何がいいんだかよく分んない!)だからサァ、僕サァ、露骨に「つまんない!」って顔してたのね。なんか、今更ニコニコ出来るかっていうイキガリ方もあったんだけどサ。
そんでサ、「つまんない!」って顔してると、不思議なことに、あんまりイライラしないのよね。
世の中なめてかかれるしサ。自分もう大学生だと思ってたから、「つまァんない!」って顔大っぴらにしてたのね。そしたら分ったよ。「つまァんない!」って顔大っぴらにしてたら受験勉強なんて出来なくなるからだってよ。「つまんない」なんて思ったら、もう受験勉強なんて全然やる気なくなっちゃうじゃない? だからサ、「つまんない」って思えないの。「つまんない」って思えないからイライラすんのね。だって、落っこったらカッコ悪いもん。僕、カッコ悪いのヤなんだもん。だから、「つまんない!」なんて言ったりしちゃいけないんだもん。だからズーッとイライラしてたんだよね。
なァーんだ、そんなんでイライラしてたのか、とか思ったらサ、ホーントバカらしくってサ、それこそもう、ホントに露骨につまんないのね。だからもう、僕もうホント、それからズーッと、平気で露骨に「つまァンない!」って顔してた。
ホントにみんなバカに見えたね。
つまんないこと一生懸命にやってやんのォ、とか思ったね。つまんないこと、全然一生懸命にやってないんでやんのォ、とかも思ったね。あんな程度の低いことチンタラやってェ、とか、ワリとやる気のない人間なんて、一発で分っちゃうのね。
やる気のないヤツがつまんないことチンタラやって、それで「つまんない」って言ってるぜェ、とか、そういう構図って見えちゃうんだよね。「おッ、笑ってゴマかしてる」とか「あッ、笑ってゴマかせない」とか、そういうの全部見えちゃうのね。僕暇だから、テレビばっかり見てた。そしたら全部分っちゃった。この世の中って、ロクなヤツっていないんだよね。なァーンだ、とか思って、拍子抜けしちゃった。
そんでサ、僕ズーッと「つまんない」って顔してたんだ。多分ズッとしてたんだよ、兄貴が僕のこと「暗いなァ、お前」って言ってたのがその時期だから。「あーあー、そうだろうよ、バァカ」とか思ってたけどね、僕は。健全に悪いことばっかり考えてたんだ。その頃僕は。そんでね、大学行ってサ、ワリと、講義始まるまで「どうしようかなァ?」とか思ってたんだ。
僕の学校かなり遠いんだよね、山ン中だから。そんで、中央線に乗ってて、「どうしようかなァ」とか思ってたんだ、講義の始まる日。「つまんないなァ」って顔しててもいいなァ、とか思ってたんだ。どうせ大学なんてつまんないとこだろう、とか思ってたから。
そんでもサ、つまんないとこ行って「つまんないなァ」って顔してるのもバカみたいだと思ったの、なんとなく敵の罠《わな》にはまるようで。
つまんないとこ行って「つまんない」って顔してるのもいいけど、なんとなく見えすいてるなァ、とか思ったんだ。電車サァ、逆の方だから、ワリと空《す》いてんだけど、そんでもダンダン混んで来んのね。みんな学生だけどサ。そんでサ、見るとサ、ワリと大体「つまんないなァ」って顔してんのよ。なんかサ、みんなサ、誰かが「つまんないね」って言い出してくれんの待ってるみたいな顔しててサ。
「つまんないから一緒に遊ばない?」って誰かに声掛けて貰うの待ってるみたいな顔してると思ったんだ、電車に乗ってる男のヤツは。なんかそういうのヤだなァ、とか思ったんだ。つまんないのにつまんない顔しててサ、そんでなんか、知ってるヤツが現われると急に「つまんなくないね」ってニッコリ笑っちゃったりするのって、なんか、あんまり単純すぎると思ったのね。そんで、そんなこと考えてたら、知ってるヤツに会ったのね。高校ン時の友達でサ、一緒ンとこ入ったのがサ、ちょうど電車に乗って来たんだよね。だからサ、「ああいい幸いだ」とか思ってェ、僕そんで、ニッコリさんに変っちゃったの。どうせ関係ないんだもん、笑っちゃったら楽かなァ、とか思って。
僕、それ以来なんにも考えてないの。ホント、全然全く、なに一つもの考えてないの。完全に、お祭り大好き少年になっちゃった。
僕なんか別になんにもしないんだけどサ、周りのヤツなんか、バカやるの好きなヤツ一杯いるじゃない? バカやれないと人間じゃない、とかサ、そういう常識って、今広がってるじゃん? だからサァ、面白いよ、放っとくと色んなバカやってくれるから。僕一人でニコニコしてんの。そうすっともう、みイーんな、バタバタバタバタ、ヘンなことばっかりやるよ。全然退屈しないから、僕、今そうやって生きてんだ。
なんかホント、全然おかしいの。僕なんかもうホント、外国人になったみたい。
友達なんか言うよ、「お前、おかしいなァ、何考えてんのか全然分んない」って。アッタリ前じゃん、だって僕、なんにも考えてないもん。
なんにも考えてないとトクだよねェ、なんか、自分がすんごく悪いこと考えてるみたいな気になって来るもん。
アー、ぞくぞくする。僕ってそういう人間なんです。おわり。
あ、つづく―→
なにやってんだろ?
2
そんでね――なんか話が唐突だなァ、マァいいや。
そんでね、僕高校ン時のクラス会の幹事やることになったんです、今度。前から決ってたんだよね、ホントは。
ホントは僕じゃなかったの。ホントは前川ってヤツと犬飼ってヤツが二人でやることになってたの。もう一人大崎って女のヤツとね。そんでその、前川っていうのが、例の、電車ン中で会った、おんなじ大学行ってるヤツなのね。そいつがサァ、二学期になって、「クラス会の幹事なんてやんのメンドクサイ」とか言ったんだよね。ンだからサァ、「メンドクサイんなら僕代ってやるよ」とか言って、僕が幹事になっちゃったの。そういう訳。
九月になってサ、大学行ったのね。田舎帰ってるヤツ多いからサ、大学始ったって、「来てるかな?」って感じはあったんだけど。それで大学ン中ウロウロしてたら前川に会って「なにしてんのォ?」とかって話になったの。なんか、夏休みはいいけども、九月になると、もう、暇でね。だからサ、なんか暇潰しないかな、とか思って、「ねェサ、クラス会やろうよ」って言ったんだ。僕前川が幹事だって知ってたからサ。
「やってもいいけど面倒臭ェよォ」とか前川言って――要するに一人でやるんじゃなくて、みんなで連絡取り合ったりしなくちゃなんないからサ、あ、みんな≠チていうのは幹事の三人てことね、だから面倒臭がって、「だったら僕、代ったげようか?」とか言って、それでそうなっちゃった訳。大体幹事っていうのがおかしいんだ。卒業式の前ぐらいに決めたんだけど、決めてた時には別になんとも思わなかったんだけどサァ、なんかあんまり、こういうことが好きそうな人間だった訳でもないみたい。
大体、お祭りの好きそうなタイプの人間なんて、クラス会の幹事なんてダセェの誰がやるかって感じで逃げちゃうから、真面目で実行力のありそうな人間タイプに行っちゃうんだよね。そんでサ、真面目で実行力のありそうなタイプって大体決ってるしサ、そういうの見るとね、「アー、ウチのクラスって、永遠にこいつらに牛耳られてくのかなァ」って感じがしちゃうからって訳でもないんだろうけどサ、前川みたいなのが幹事になったのね。
前川っておとなしいんだ。なんとなく、「これからお前に人生を経験させてやるからな」っていうクラスの叡知が前川の上に集っちゃったみたいね。犬飼っていうのが真面目で実行力のありそうなタイプで、前川っていうのが、これから着実にサラリーマンになってくタイプだったんだけど、その二人が決ったら、大崎って女が「私もやります」って立候補して決っちゃったの。大崎ってのも、普段何考えてんのかよく分んない、おとなしい女だったんだけど、それが何狂ったか「私もやります」なんてことになっちゃうとサ、「ヘェーッ、高校終ってから高校生になりたがるヘンな女っているんだなァ」とか思っちゃった。僕って、あんまりいいこと考えてないみたいね。ハハ。
そんで僕、電話したんだ、「クラス会やろうよ」って、犬飼ン家《チ》に。マァ、こいつがクラス会のボスだなって感じしたから。
「ああ、いいよ」とかって言って、犬飼は僕の「やろうよォ」って言ったのにOK出したんだけどサ、なんかね、実社会に出ると真面目で実行力があるタイプって燻《くす》んじゃうのかねェって、そんな感じだった。野鳥研究会に入ってんだって、いいんだけどサ。僕と大崎と犬飼と三人で会った時そう言ったんだ、犬飼は。いいんだけどね。
大崎ってのが又ヘンな女でサ、犬飼が野鳥研究会に入ってるったら、どういう関係があんだか知らないけど、多摩川に鮭が帰って来る≠フとかってのに、とってもロマン≠感じるんだって――そう言ってた。いいんだけどね。今ジャズダンスやってんだって。マ、大学ってなんでもあるからね。失なわれた青春やっきになって取り戻したっていいけどサ、そういうことやってると、なんか老けこむような気がするような気もするんだけどね。マァ、中学生が花嫁修業やったって、別に悪くはないからサ。僕何考えてんのかな? マ、大学出ると――あ違う、大学行くと、(要するに)高校出ると、みんな色々変んのよ。いいんだけどサ。「ヘェーッ、そういう素姓隠してみんな高校生やってたのかァ」とか思うけどね。結局そうなっちゃうんだから、そういうことでしょ?
日付けとかなんとかっていうのは、みんなの都合聞いてからにしようとかってことになったんだ。十月とか十一月だったら学祭とかってあるでしょ? 十二月になっちゃうと、受験とかってのもあるしサ――浪人組ってのも結構いるから。だから、大体十月の終りかあと十一月の真ン中辺かなってことになったんだ。ホントは十月の初めぐらいの方がいいかなって思ったんだけど、時期的に間に合わないしね。
そんで、僕が大体みんなに電話かけて都合聞く役ね。僕こういうのって好き。ワーッ、今みんな何してるかなァ?! って、あるじゃない? だからそん時、まだ電話かける前なのにね、懐かしいなって思っちゃった。
それでね、場所はね、どうしようかってことになったんだよね。「外でやんない?」とかっていうのもあったの。僕はサ、「あ、それも悪くないな」って思ったんだけどね。でも、「外≠チてどこかな?」とかも思ったんだ。「外でやんない?」って言い出したのが犬飼だからサ。陣馬高原とかサ、高尾山とかサ、そういうセンてのも濃厚かな、とか思ったの。そうすっとヤだな、って思ったの。高校出て最初のクラス会で『おおブレネリ』歌うのヤだからサ。マァいいんだけど。
多摩川で空カン拾うセンも出そうだったんだよね。だってまだ多摩川に鮭帰って来ないでしょ? だんだん僕、性格がイヤミっぽくなって来たのかもしれないけどね、マァいいんだ。場所は大崎に任すことにした。あいつが「私に任せて」って言ったから。
五反田の方に、スッゴクいいイタリア・レストラン≠ェあるんだって。
マァ、女の子ってそういうの好きだからね。でもサ、五反田ってことになるとサ、少しローカル過ぎない? 五反田でもいいけどサ、いいけど、自分の大学のあるとこでクラス会やろうっつうのはサ、少しローカル過ぎると思うんだよね。そりゃサ、大崎幸子のバースデーパーティーやるんだったら五反田でも全然いいけどね。あ、ひょっとしたら違うかな。自分の誕生パーティーだったら、青山かどっかでやるだろうなァ――何言ってんかな、僕は?
マ、ともかくそんなこと言ったんだ、僕は。五反田でもいいけどサ、ってね。そしたら、「あ、渋谷にもいいお店あるわ」って。「でも、やらしてくれるかしら、クラス会なんて」って。やらしてくれそうなとこを探さなきゃいけないんだよね、クラス会の会場だったら。マ、いいんだけどサ。
でも女って不思議ね。どうしてああ簡単に馴れ馴れしくなれちゃうのかね? まァいいけどサ。大体そうだから、今の女の子は。
どうしてかな?
大体そうなんだけどね。マァいいけどサ。
五反田から渋谷になって、渋谷がダメで、恵比寿に戻りそうになったんだけど、最後結局、高田馬場にいいイタリアン・レストランがある≠チてことになって、どうやらそこに決ったみたい。
マァ、どこでもいいんだけどサ、でもどうして、みんなイタリア・レストラン≠ゥイタリアン・レストラン≠ネのかね? マァ、どうでもいいんだけどサ。そんでマァ、場所は決ったみたいね。なんか、大崎が決めたっていうより、僕が決めたみたいだけど。
だってサァ、放っとくとドンドンドンドンうっとりしてっちゃうんだよねェ、あいつは。なんかみんな、あいつのパーティーのゲストみたいになっちゃうみたいな気がしてサ、僕はずっと「いいけど」って言いっ放しだった。
どこでもいいんだ、ホントの話が場所なんか。いいんだけど、あんまり当事者が勝手にうっとりしないような場所の方が望ましいと思ったからサ。だからね、僕はズーッと、「いいけど」って言い続けて、あいつが冷静になるの待ってたのね。
女子大の子って、どうしてああ簡単にうっとりしちゃうんだろうね? 僕ホントに困っちゃうよ。もう少し冷静な子じゃないと、僕全然好きになれないもん。
僕っていやみかなァ?
マァいいけどサ。犬飼クンなんて、ホントにどこでもよかったみたいだから。
アーア、あの二人が結婚したら、多分ひどいことになるだろうなァ――。別にする訳でもないだろうけどサ。
でも、どうして今のカップルって、大崎か犬飼みたいなヤツの組み合わせが多いんだろうね?
面白いのかねェ? マァいいんだけどサ、そんなこと。
という訳で、大体、クラス会の輪郭というヤツは決ったみたい。
決ったんだと思うよ。犬飼は、なんでも「ウン」て言ってたし、大崎はなんでも、「私に任せて」って言いたがってたから。
マァ、僕はなんでもいいんだ、クラス会ってのがやれれば。そんで。
という訳で、僕はみんなに電話をした訳。
3
でもヘンだねェ。なんか、みんなあんまり元気ないみたい。電話しててサ、なんか、そんな風に思っちゃったよ、僕は。
初めは懐かしいなァって思ってたんだよね。高校ン時の名簿見ててサ。
神《かみ》って女の子がいたんだよね。神≠チて苗字なんだ。神直子っていってサ、高校ン時ね、付き合ってたんだ。少しね。ホンの少しなんだけど。なんか、あんまりはっきりしない子で、そんですぐ、まァ、なんつうか、別れちゃったんだけど。そんな子の名前見ててね、どうしてっかなァ、とか思っちゃって。
なんかねェ、変っちゃっただろうなァ、とか思って。電話してもいいけど、魂胆見えすいてるなァ、というか、なんか今更ヤらしいなァというか、まァそんな感じで。
根岸っていう子もいたんだよね。ワリと明るくって、ちょっといいな、とか思ってたんだけど、なんかサァ、女の子の名簿見てるとサァ、大体こういう子達ってもう決っちゃってるんだろうなァ、とかね、ワリと勝手なこと思えちゃってね。別に全部が全部そうだって訳でもないだろうけどサ、なんか、魂胆見えすいてるのもヤだな、とか思って、やめたんだ、女の子に電話すんの。会ってのお楽しみってのもあったけどね。
でも、色々面白かったけどね。
木島、小池、榊原、醒井、なんて並んでるとね、色々思っちゃう。こいつら今何やってんのかなァ、なんてね。
松村って、僕の友達がいたんだ。クラス別だったけどね。そいつ、榊原に振られたんだって。
高校の終りぐらいから付き合ってたんだけどね、その松村と榊原って。松村ってのも変ったヤツだったけどサ、それがね、振られちゃったんだって。三ヵ月ぐらいしかもたなかったんじゃないのかな。なんとなく分る気もするけど。
発表の後で言われたんだって、もう付き合えない≠チて。大学落ちてサ――榊原がね――そんで荒れてたんだと思うんだ。松村、ぼやいてたもん。「なにがなんだか全然分んねェよォ。落ちた途端にサァ、悪いけど、わたし、もう付き合えないわ!≠セぜェッ!!」って。なんとなく分る気ィするけどね。あいつ、なんか、気ィ強そうだもん。自立してんだろうなァ、とか思っちゃった。
「どうしてるゥ?」とかやってもいいけどサ、なんか言われそうだもん。「何がよ?」とかサ。「クラス会」なんつうと、「暇ね」なんて言われそうな気ィしてね。やめたよ。自立した女、相手にするのって。ちょっとこわいもん。別に、人間一人で自立してる訳じゃないのにね。マァ、いいんだけどね。
榊原がいてサ、醒井なんて続いてたりするとね、ああ、ここら辺、ウチのクラスのブラックホールだなァ、とか思っちゃうね、ホント。
醒井に関してはね、全く分んない。何考えてんのかも全然分んない。ひょっとしたら大人の恋愛≠ネんてのやってんのかな? なんか、昔から高校生じゃないみたいな感じってあったからな、あいつは――とか考えてたら、決定的に女のヤツに電話するのよそうって気になって来た。
だってサァ、やばいじゃん。醒井ンとこ電話してサァ、「どちら?」なんて、家ン中でイブニングドレス着てるみたいな感じで出て来られたらサァ。
だから止めたんだ。別にサ、みんなの都合聞くなんてサ、出て来ないヤツは出て来ないんだしサ、出て来れないヤツは出て来れないしね、とか思ったから、適当なとこ電話してすましちゃおと思ったんだ。
でもサァ、前にも言ったんだけど、ホントにみんな、元気ってないねェ。
僕なんかサァ、ホントに、精一杯元気出してサァ、「どうしてるゥ」とかやったんだよ。そしたらサァ、みんな「まァな」だもん。これじゃ高校ン時と同じじゃない。全然進歩してないじゃない? とか思ったんだけどサ、ひょっとしたら、アレって、見栄ってのあったのかもしんないね。うっかり、「なつかしいなァ!」なんて言って、まだまだ高校生活に未練持ってると思われちゃいけない、とかね。
でもサ、それでもやっぱり違ったと思ったね。なんか、そんな風に高級な芸出来る人間じゃないもん、みんな。
話してるとだんだん分るんだ、「ああ、普通なんだな」って感じが。
別に、高校出たって大したことないしサ、大学行ったって大したことないしサ、大したことないから全然変ってないんだよね。変ってないから、「どうしてる?」って言ったって、「別に」なんだ。あんまし面白くないよねェ、こういうのって。別に、一年も経ってない訳だけどサ――精々半年ぐらいだけどサ、高校卒業してから――。それでもサァ、みんな、そんなに仲のいい友達がいる訳でもないじゃない? 大体、いつも話ししてる人間なんてサ、いたって精々一人か二人なんだからサ。だったらサ、ねェ、昔同級生だったんだからサ、別にどってことなくったってサァ、「元気ィ?」とか「懐かしいなァ」とか、芝居でもいいからすればいいと思うんだよね。
思わない?
大体、みんな大学入るじゃない? 入るとサァ、大体、仲間みたいのって何人か出来るじゃない?
出来てサァ、そんで後、マニアになりたいヤツは、マニア同士で暗闇ン中に落ちてったりする訳だけどさァ、精々、そんなとこじゃない?
大学にいる時はサァ、明るそうな顔しててサ、大体みんな、なんにも考えてないんだけどサ、それでもみんな、なんかテキトーに、高級なことやってるとかトーカイしてるとか、そんな顔してるけどサ、ホント言やァ、みんななんにも考えてない訳だよね。だったら、僕みたいに、はっきりなんにも考えてないって言えばいいのにサ、カッコつけるじゃない? だからヤなんだよね。
電話かけてサ――クラスのヤツだけど、そんで、だんだん分ったんだ。僕なんか高校の同級生だからサ、多分、普段付き合ってるヤツよりワン・ランク低いんだよね。「元気ィ?」って言って、「まァな」なんて言ってるヤツだって、大学行きゃァ、「オウ!」とかやってる訳だろ? 元気よく。だったらサァ、そうすりゃいいじゃないか、なんて思う訳。
僕なんか過去知ってるからサ――みんなの。だから、それで敬遠されてんだと思っちゃった。だって、僕だって、高校ン時の友達から、いきなり電話なんてかかって来たりしたら、「なんだろ?」と思って警戒しちゃうからね、一応は。
つまりサ、僕分ったんだ。結局、みんな、なんだかんだいいながら、明るくブリッ子で嘘ついてんだってことが。大学の友達なんて受験≠ョらいしか盛り上れるノスタルジーがないけどサ、それだって、態々暗ぶってお茶目さんやってるだけだろ? 暗ぶってお茶目さんやってるから、みんな冗談大好き少年ぶりっ子≠ノなっちゃってるだけで、ホントはサァ、みィーんな、ドローンて、暗いんだよね。
暗い、暗い、まっ暗なんだ。僕もう、それ分っちゃったもん。電話かける前にサ、名簿見ててサ、「ワァーッ、懐かしいなァ……」なんて一人で勝手に盛り上ってたのだって、こいつ、大学行ってどんなブリっ子やってんのかなっていう、クラーイ、好奇心のせいだったんだよね、僕の場合。
僕なんかサ、一人で暗がってたってなんの意味もないと思って、それで勝手に明るくやってたんだけどサ、そういうの見てみんな笑うんだよね――「なんにも考えてなァい」って。じゃアサァ、そういう自分は何考えてんだよォ? なんて、僕思っちゃった。相変らずバカなまんまじゃないか、ってサ。
「ヘェーッ」とか思って、次電話かけて、僕の声、だんだん意地悪くなって来んのね、「元気ィ?」って言うのがサ。だって、ホントに、みんな元気なんてかけらもないもん。一人ぐらい元気なのいると、野鳥の会≠フ友達だったりしてサ、「なァるほど」とか思ってやめちゃった。こりゃァ、クラス会が楽しみだなァ、とかはしっかり思ったけど。日取りなんてこっちで適当に決めちゃえ、とか思って、そんで、もうつまんないから、悪いこと考えようとか思って、残る切り札、木川田源一少年のところに電話しちゃったっていう訳。
ホント言えばサ、僕、クラス会の話が決った時、一番最初に木川田クンとこに電話しようと思ったんだよ。もう一年以上まとまった話なんてしてないし、卒業式ン時も、「じゃァ又な」で、それきり全然だからサ。懐かしいったら一番懐かしかったりする訳だからね。でもサ、木川田といえば、我クラスで唯一のというか、一番の異端児だからサ、なにも真ッ先に異端児の都合伺うってこともないだろうとか思ってサ、それで一番最後にしてた訳ね。僕としてはサ、あいつが、最後の希望だったりはした訳ね。まさかあいつが元気じゃないなんてことがあったりする訳がない、とかね、そんな風に思ってたんだ。ホントだよ。だからサ、まさかサ、あんな風になるとは、全然全く思ってもみなかった訳。
全然知らなかった。ホント。つくづく僕って、ハッピーさんなんだなって思っちゃった。マ、それは後の話なんだけどね。
で、その話――
4
電話したのは土曜日だったんだ。ホントは金曜の晩電話しようと思ったんだけどサ、それまでみんなに電話してて、あんまりだらしないんでうんざりしてたしサ、金曜の晩だろ、別にサラリーマンじゃないけどサ、こんな時家にいないんじゃないかな、とか思ってサ、電話すんのやめたんだ。
話変わるけどサ、この頃学生だって、土曜よか金曜の晩のが遊び歩いてるの多いね。土曜日なんてサ、中高生の社交タイムみたいだもんね、新宿なんか。それはどうでもいいけどサ。
土曜日の昼間に電話したんだ。小説風に書けばサ、それは九月も終りに近いある土曜日の昼下りであったってとこね。ついでに文学的にしちゃうとサ、ぶり返したような夏の陽射しがまぶしい秋の一日であったんだけどね。でもどうして、小説ってみんなであった≠ネのかな? どうでもいいけど。
ホントいうと、いるかなァ? って気もあったんだ。いつも「いるかな?」「いるかな?」って心配してるけどサ、僕は。やっぱり偏見持ってんのよね、木川田クンの遊び人ぶりに。それから、見栄っていうのもあるじゃない? 「なんだお前、こんな時に暇なの?」って言われるのカッコ悪いってサ。マァ、男同士って面倒臭いのよ、色々と。
「もしもし、木川田さんのお宅ですか?」って、僕言ったんだ。そしたら男の声で、「はい」って言ったんだ。「そうかな?」とかも思ったんだけど、でももし違うとヤバイから、「あの、源一くんいらっしゃいますか?」って言ったんだ、僕は。
「俺だけど」って向うは言ったんだ。
「もしもし、分るゥ?」
僕が言ったの。
「誰ェ?」
「磯村だけど」って言ったんだけど、忘れてるかなァ、あいつ友達多いからァ、とか、思った。
「磯村?」
「ウン、高校ン時の……」
忘れてるなァ……とか思った。カッコ悪いなァ、とかサ、ちょっとね。
「磯村?」
「うん」
「なんだお前かァ」
「なんだ≠チてなんだよォ、覚えてたァ?」
「覚えてた≠チてなんだよォ。なんだ今頃、お前」
「忙がしい?」
「別に忙がしかねェけどよォ」
「どうしてる?」
「別に」
「なんか元気ないじゃん。元気ィ?」
「元気ないってば元気ねェけどよ」
「元気ないの?」
「まァな。別に元気なくもねェけどよ」
元気ないような気もするけど、よく考えたら、「元気あるぜ」って言うタマでもないかとか思ってサ、別にそん時は、僕はあんまり気にしなかったんだ。
「あのサ、今度サ、クラス会やんだけどサ」
「ふーん」
「来る?」
「分《わが》んね」
「来ない?」
「分《わが》んね。どうでもいいよ、そんなン」
「どうでもいい≠ゥ、そんなの」
「なんだよ、なんか用かよ?」
「ウン、別に用って訳でもないんだけどサ、日日《ひにち》決めるから、大体いつぐらいが暇かな、とか思ってサ」
「なァに、お前幹事になったの?」
「ウン」
「暇だな」
「そうかな?」
「別にいいけどよ」
「大体いつぐらい暇?」
「いつでも」
「いつでも暇?」
「まァな?」
「どうしてよ?」
「どうして≠チて、別に、俺、いつだって暇だもん」
「そうなの?」
「そうだよ」
「予備校行ってないの?」
「行かねェなァ」
「どうして?」
「どうして≠チて、別に行きたかねェもん」
「ふーん」
なんか、ここら辺でヘンかな?≠チて気もあったんだけどね、でも、シュールな人間てそうかな、とか思ってたから、別にヘンだとは思わなかったんだ、僕は。
「大体今何してんの?」
僕、言ったの。
「別に」
「暇なの?」
「暇だって言ってるじゃん」
「フーン……。なんか、元気ないじゃん?」
「だから、ないって言ってるじゃん」
「そッかァ……」
「お前何やってんだよ?」
「電話してるよ」
「アホ。マァいいけどよ」
ひょっとしたら僕、マァいいけどよ≠チて口癖、木川田からうつったのかもしんない。しんない≠チつうのもそうかもしんない。偉大なる本家だなァ、どうでもいいけど。
「お前何してんだよ?」
これ木川田。
「別になんにも」
これ僕。
「そッか」
「ねェサ、暇だったら会わない? 久し振りだしサ。暇なんでしょ?」
「いいけど」
「いいけど≠ネァに?」
「いいけど、別にィ……、なんか俺、今あんまり、人と会いたぐねェ」
「どうしたんだよ、一体」
「別にィ」
さすがにここら辺になると別に≠ェひっかかって来んのね。
「別に≠チてどうしたの?」
「別にどうもしねェよ」
「どうもしないんだったらいいけど――(コミュニケーションがうまくいかない)――いや?」
「なにが?」
「会うの」
「いいよ。いいけどよ」
「いいけど何よ?」
「別に」
どうなってんだろな、ホントに、こればっかり。
「別に≠チて、なんかあったの?」
「お前に関係ねェことッ」
「失恋でもしたんだァ?!」
うっかり僕って、こういうこと言っちゃうんだよね。
「そうだよ。そォお、だよッ! ○○」
○○って、口の中でボソボソ言ったんだ。ひょっとしてバカヤロ≠チて聞こえたけど、それに気がついたのは、もう僕が次のこと言ってからなんだけどね。
「失恋て、やっぱり男=H」
妙に黙ってるから、「やっぱり?」って僕続けちゃった。冷やかしってのあったかもしれないけど、でも、僕、これでも慰めてるつもりだったんだよね。慰めるって言ったってサ、あんまりベタベタ真面目臭いのっていやじゃない? そんだから。
そしたら、「別になんでもねェよ」って木川田が言ったんだ。そんで、「俺別に暇だから、会ってもいいよ」って言ったんだ。ワリと言い方が妙に真面目でね、「あ、僕ひょっとして、昔の調子で話してたけど、木川田って真面目になっちゃったのかもしれないな」って、ちょっとぐらいガッカリして、そんで又ちょっとつまんなくて、ガッカリした。なんか、木川田の場合、あんまり勝手にガッカリしちゃいけないんじゃないかって気が、僕ン中にちょっとあったからなんだけどね。マァいいや、そこら辺は。
そんでサ、なんかしんないけど、久し振りで僕達、一緒になって会うことにした。(心なしか、少し気分が落っこちてる)これホント――あ、ホントだった≠ゥ。
なんか、あんまり面白くないのかもしんないなァっていう気が、その時、ホンのちょっぴり、少しばかりした。
5
会ったのは、サンプラザの前だった。天気良かったし、ちょっとぐらいだったら自転車で行った方が気分いいかな、とか思って、それでサンプラザの前にしたんだ。家から自転車で、二十分位かな、サンプラまで。
木川田が来たのは十分位経ってからだった。僕、時計嫌いだから、時計してなかったから、正確なとこよく分んないけど。
僕は、半ズボン穿いてたんだよね。脚線美に自信あったし、チャリンコには短パンのがいいから。九月ってもまだ暑いでしょ、昼間は。今年は秋が早いとかって言ってたけど、でも結構夏だったしね、まだ。
白の短パンでサ、上は白のポロだったんだ。胸に紺のストライプが入ってて、僕としてはこれ、ワリとあっさり目で決ってるなと思ったんだけどね。
まァ、少しおとなしいかな、とか思ったんだけど、僕はやっぱりノーマル少年だし、それと足は、ナイキのスニーカーに、ちょっと靴下だけ凝ったんだよね。ウスーイ茶色なんだけどサ、そこにちょっと、オレンジっていうのかな? ちょっとばっかしピンクのかかったオレンジの線が二本入ってんのね。
「ウーン、可愛い」とか思った。僕ってあんまり、脚、毛深くないから、脚のセンには自信あるんだ。なァンてね。
木川田は、決めて来ました。
なんつうの? よく分んない。
茶色のズボンなんだけどね。ズボンていうよかパンツだな、アレは。
茶色でね。紺と白と――白じゃないか? 鼠《ねずみ》色か? ――鼠色と、それと薄い茶色の細かい縞になってるズボンね。あと、靴下、真ッ赤。黒の、エスパドなんとかってズック履いて、上トレーナーだった。BIGIって書いてあったけど、そういうのって流行ってんのかな? 僕よく分んない。
しかし、渋かったですね。僕って好きよ、アンバランスなの。全然僕と違うんだもん。そういう人間と一緒にいた方が面白いしね。そう思ったんだ、その時。
「なんだよォ、お前、チャリンコかよォ」って木川田が言ったんだ。
「そうだよ。気持いいよ」って僕が言ったんだ。「久し振りだなァ」とか「懐かしいなァ」とかってのは、「どっかそこら辺ブラついてみっか」って言って、自転車押しながら、二人でタラタラ歩いてた時になってのセリフね。
「随分久し振りだね」って僕言ったんだ。そしたら「まァな」って木川田が言ったんだ。「又まァな≠ゥ」って、僕は思った。
「どうしたの? 元気なさそうじゃない?」
ホントに元気なさそうだから僕は言ったの。なんだか、無理して平気そうにやってるみたいに見えたから。そしたら「別に」って言って、木川田プーッって煙草の煙、上に吐いた。
なんかヘンだなァ、と思って、そして、ひょっとしたら、こいつ昔からこうだったのかもしれないなァ、とか思った。人間て、変わるのかもしれない。
「最近、高校のヤツと会う?」って、木川田が言った。
「別に、会わないよ」って、僕が言った。
「クラス会やるんでサ、犬飼と、大崎って――ホラ、いたじゃない女のヤツで」
「ワリと顔が檀ふみみたいなヤツ?」
「ウン。ワリと、アレよか目が細いの」
「したら鼻しかねェじゃねェか」
「マァそうだけどね。そいつと、三人で会ったよ」
「ふーん」
「あと、都合聞くんで、七人ぐらい、男のヤツに電話したけど」
「どうだった?」
「別に」
「変ったっていえば変ったけど、変ってないっていえば全然変ってないし」
「イモばっかだもんな、俺らのクラス」
昔だと、僕はやっぱり違ったと思う。昔だったら、こういう言い方する時って、木川田元気だったもん。こういう言い方する時って、なんだかすごく嬉しそうだったけど今違う。どうでもいいような感じで言ってるみたいだった。そういつまでもはしゃいでいられるもんでもないのかな、とか、そんなこと思った。
「滝上クンなんてどうしてんの?」
なんとなく、僕言った。別にどうって訳じゃなくって、俺、木川田と彼が仲良かったの知ってたから。三年になってから、ワリと木川田、彼とばっかり一緒にいたし。嫉妬《しつと》でもないんだけど、学校行ってて、なんだか学校と全然関係ないとこに親しい人がいて、平気で学校なんてポンとほっぽり出せるのなんていいなって思ってたから。
ひょっとしたら、嫉妬ってのもあったかもしれないな。自分の付き合ってる人間に、別に男とか女とか関係なくて、スッゴク親しい人間がいて、いつもその人がbPで、自分はいつも一番になれないっていうのは、やっぱし、ちょっとひっかかる所ってあるみたいな気がするから。
それと僕、彼以外に木川田の親しい人って知らなかったから。それで、別に探りを入れるって訳じゃないんだけど、なんとなくそんなこと聞いてみた。
「滝上クンなんてどうしてんの?」って言ったら、木川田、「別に」とか言った。「別に」、とか言って、煙草プーッって吹いてた。僕別に自分が煙草好きじゃないからって言う訳じゃないけど、そん時の木川田の感じ、なんとなく、もう決定的に煙草好きじゃないっての分ってるクセに、それでも煙草吸ってる――なんていうんだろ、ヘンな言い方だけど、女≠ンたいな気がした。
「別に≠チて、ワリと、仲良かったじゃない?」
「マァな」
そう言って木川田、ポーンて煙草投げた。
そん時は僕分んなかったんだけど――あ、分んなかったから≠ネんだけど、「あ、そうか、そういうのって、あんまし大っぴらに言えない関係なのか」って思った。
ワリと呑気そうにしてるけど、木川田やっぱしホモだし、そういうとこって、隠してるからルンルンに見えるのかもしれないなって思った。僕だってやっぱり、木川田が男と寝てるとこなんて、あんまり想像したくないから。「どっか喫茶店でも行く?」って僕言った。僕達、駅とは反対の、空地のある辺、チンタラ歩いてたから。
「ウン」とか言って、木川田向き変えて、僕も「よっこらしょ」って言って、自転車の向き変えて、そんでまた、歩き出した。
歩きながら、木川田がポツンと言った。「俺、失恋したんだ」って。
黙って見てたら、木川田、又煙草咥えて、フーッって吹いてた。よくあるけど、ひきつった笑い≠チていうのか、そういうの浮べて。煙草吸ってたからそういうのに見えたのかもしれないけど、よく分らない。
「そうだって、言ってたね、電話で。失恋したって」
「ウン」
それから又少ししてから言った――「別にいいけどよ」って。
別に僕、今迄の話が、なんか脈絡持ってるんだとは、全然思わなかった。思わなかったから、「別にいいけどよ」って言った後、木川田、その後の続き話すんだと思ってた。興味ないこともないけど、でも、やっぱりちょっとヤだなって感じもあって、マァ、それこそホントに、どうでもいいんだけどね。
木川田、一人で煙草咥えて歩いててね、そんで、全然関係なく、友達の話始めたんだ。そんで、それだから僕、「あ、また例によって飛び飛びの話になんだな」って思ってた。木川田なんてその典型だけど、やっぱり、なんていうの、あんまり、突っ込んだ話全部しない方がいい、とかってあるでしょう? 自分のことダラダラ話すのダサイ、とかってサ。だから、それで僕、「あ、又話飛んだな」って思ったの。
木川田言ったんだ、「俺醒井に会ったよ」って。
「ヘェーッ、どこで会ったの?」って僕言った。随分変った人間に会ったなァって思ったから、又ヘンな話になるんだろうって思ってたから。
「俺な、今年の夏、海でバイトしてたんだ」
木川田が言った。
「ヘェーッ。ずっと?」
「ウン」
「いいなァ、浪人のクセに」
「いいじゃねェか、そんなの」
「いいけどサ」
「お前、どっか行かなかったの?」
「行ったよ」
「じゃ、いいじゃねェか」
「別に悪いなんて言ってないじゃない」
「悪くねェよ、別に。だからなんだよ?」
「別に――。そんで醒井どうしたんだよ?」
「ああ。あいつ、バイトしてたら一人で来たんだ」
「なァにィ、君ンとこ訪ねて?」
「ち・が・う。勝手にフラーッて来たの。一人で来てたんだって、伊豆に」
「伊豆行ってたの?」
「ああ」
「ヘェーッ、醒井って、そんなとこに一人で行ってるんだァ」
「まァな」
「で、どうだった?」
「何が?」
「何が≠チて、醒井」
「別に。別に、どってことねェよ」
「ふーん」
どってことねェよ≠チて言われると、それから先聞けないけどね。なんか、そっから先は現場に居合わせたものの特権て感じで。「どってことねェんだから、そんなこと知りたかったら、お前だって今から伊豆行ってこい」って言われてるみたいでサ、そうなるとなんにも言えない訳よね。
それにしてもサ、「別に≠ェ多いなァ」とかはサ、さすがに僕も思った。思ったけど、じゃァだから、それがどういう意味なのかっていうことになると、僕はよく分らなかった。別に≠チて、要するに、そっから先は話せないんだけど、でもそっから先、なんとなく人に話したいなァっていう、そういう、グチャグチャした、人間のポーズだったりはするから――そういうことって、後で分ったりはすんだけどもサ、要するに、そういうこと。
で、僕と木川田どうしてたかっていうと、木川田の言うことがあんまり取りとめもないんで、僕も一緒になって、ポワーンと、取りとめもなくなってた。そういう時にそうしてないのって、ダサイから。だからね――
6
中野の、ブロードウェイの方まで来て、サンプラザンとこ迄戻って来たら、木川田が言うんだ、「新宿でも行かねェか」って。「こんなとこでチンタラしててもしようがねェよ」って。
僕も、「いいけど」って言ったけど、でも今日なんか新宿、人ばっか多そうじゃないかとか思ってた。だから、サンプランとこで会ったりはしてたんだけどサ。でもなんか、木川田が退屈してたりはするみたいな気がしないでもなかったから、それでうっかり「いいよ」って言っちゃったんだ。よく考えたら別に、僕だっていつまでも自転車引っ張って歩いてる理由もないんだから。
それで僕、サンプラザの横ンとこに自転車置いて――そんなに長いこと遊んでるつもりでもなかったから、鍵かけて置いといたんだけどね――で、そしてそのまんま新宿行った。
新宿行ったって別になんとか、することってのもないからサ、木川田と二人でサブナードなんかタラタラ歩いてて、「ああ、典型的な若い者《もん》の暇つぶしやってるなァ」とか思った。一体何が面白いのかもよく分んなくってね。こういうのが大人の生活態度かなァって、思わず、煙草咥える木川田の顔を見てしまった。
「なんだよ?」って木川田が言った。
別に悪いこと考えてた訳じゃないけどね、「エッ?」って、僕は適当にごまかした。したら、別に木川田はそんなこと関係なくて、そばにあった喫茶店の中にスタスタ入ってっちゃった、「いいだろ?」って言って。
「ウン」――そう言ったよ。別に、いやがる理由ないから。
ボーイが注文取りに来て、あんまりうまそうな所じゃないなァ、とかは思ったんだけど、僕あんまりコーヒー好きじゃないから、「紅茶」って言って紅茶頼んだ。ホントに、紅茶頼んで、喫茶店でおいしい紅茶が出て来たことってないんだけどサ、みんなヘンに気取ってるだけで、それでも僕、「紅茶」って言っちゃうんだよね。惰性かもしれないけどサ。でも、ホントは僕思っちゃう。喫茶店行って紅茶頼むってことは、喫茶店ていうのが好きじゃないからなんだ、って。
ホントによく、みんな喫茶店て行くけど、でも、僕どうしても好きになれないんだ。喫茶店で話するより、喫茶店じゃないとこで話した方が、話ししたみたいな気分になるもん。
喫茶店以外のとこってどこだ? って聞かれたら、それはそれで困るんだけどサ――。だって、話するとこなんて喫茶店しかないから。ないけど、でも、僕ってあんまり、喫茶店て、話するとこだとは思わない。話するんだったら、自分ン家《ち》の方がいいから。
マァ、そんなことどうでもいいんだけどサ。僕は喫茶店にいたんだから。はたして、紅茶ってのはすごかったけど。『ガラスの仮面』の世界だなって思った。もういっそのこと小指でも立てて飲んじゃおかなって思うぐらいの、目一杯気取ったカップでね。「男がこういうので紅茶飲むかなァ」って思ったけどね、ホントの話。
赤とピンクなんだァ。把手が金ね。そんで、なんていうの? 普通のカップみたいのじゃなくて、底が、パフェのグラスみたいに高いのね。又、ティーポットがベル薔薇《ばら》みたいのでついて来て、それでティーバッグの紐が外に出てんだよねェ……。アーア、貧乏たらしくって嫌い。オカマになったみたい。
目の前にそういう人がいるけど、別にね。
木川田は、アッチコッチ見ながら、コーヒー飲んでた。だから僕も、アッチコッチ見ながら、「ホントすげェ美意識だなァ」とか思いかけてたら、木川田が言った――「お前、醒井が妊娠したの知ってた?」って。
そんなこと、僕が知る訳がない。
「ホント?」
僕が言った。
「ああ」
木川田、別に煙草吸う訳でもなくって、コーヒー飲む訳でもなくって、ボーッとしてそっぽ向いてそう言ってた。
「誰にも言うなよ」って言って、そしてコーヒー飲んだ。
「言う訳ないじゃない」って僕言った。言って、それからその後を木川田が言うの待ってた。当然言うだろうと思ってたから。
思ってたけど、でもなんにも言わないんだ。「誰にも言うなよ」って言ったきり、又木川田、そっぽ向いて黙ってた。
「誰《だアれ》?」って僕訊いたんだ。
「なァに?」木川田が言った。自分が言ったことなんて、もう全然忘れてるみたい。
「誰? 知ってる人?」
「何が?」
「相手」
「あー、あ、――」
「あ」って、言ったきり。「あ、知ってる人だよ」それとも、「あ、そういう話か……」どっちなのか全然分らない。「あー、あ」、ただそれだけ。それだけ言って黙ってる。ホントに僕、どうしちゃったのかと思ったよ。
「磯村、映画見に行かねェか?」って木川田が言った。
全然関係ないんだよね。
「映画?」
「ウン。おごるよ」
「いいけどォ」
「行こうぜ」
そう言うとコーヒー飲んで立っちゃった。
「いいけど、俺、金なら持ってるよ」
そう言ったら、木川田伝票持って、「いいよ、俺金持ってるから」って、そのままサッサと行っちゃった。俺ホント、一体こいつ、どういう生活してんだろう、とか思っちゃった。
7
「何見る?」ってタラタラ歩いてて、『トロン』やってたからそれ見に入っちゃった。ホントに木川田金払った。「払うよ」って言うのに、「いいよ!」って言うんだ。いいんだったらいいけどサ、金、助かっちゃうから。でもね。
なんだろね?
入ったらもう、途中までやってたんだよね。そんなつまんないって訳でもなかったけど、終ったら木川田、「つまんねェ」って言い出して、「出ようぜ」って言った。そりゃ木川田が金払ったんだからいいけどね。でも僕、なんとなくその時、木川田がすさんでるなァって思った。
映画館出たら夜なんだ。六時過ぎてたから、もう帰るのかな、とか思ってた。それにしちゃァすっきりしない日だなァ、とか思って。そしたら木川田が言ったんだ、「ディスコ行こうぜ」って。
「ディスコォ?!」
「ウン。いや?」
「いいけどォ」
「だったら行こうぜ、俺、いいとこ知ってんだ」
「どこォ?」
「六本木」
「六本木行くのォ?」
「いや?」
「別にィ、ヤじゃないけど」
ヤじゃないけど気が進まないのは何故かっていうと、単純な話で、その時僕の頭ン中に、中野のサンプラザの横に止めてある黄色い自転車の姿が浮んだだけだからなんだけどね。
今日は確か自転車の日だったのに、とか思ったけど。
「この恰好で平気?」
僕言った。
「この恰好って?」
木川田が言った。
「ホラ」
僕、短パン穿いてたから。
「どこが悪いんだよ?」
「だったらいいけど」
僕ってなんてウブなんだろ。
「行こうぜ」って言って、木川田はタクシー探して歩いてった。なんて金持なんだろう。
8
僕、そこ行った時、空《す》いてるなァって思った。土曜日だっていうのに、ワリとスッキリした感じの中だったから。「ひょっとして、外人の来るとこだからなのかなァ」って思った。場所はディスコ・ビル≠フ中なんだけどサ、エレベーター乗らないで歩いてくんだよね。書いてあることみんな英語だしサ、"Shape Up" って名前だから――多分そうだったと思うよ、なにしろ、全部英語で、これが店の名前だ≠チて書いてあった訳じゃないから断言は出来ないけど――ああ、外人専用のスポーツディスコか、ぐらいに思ってたの、僕は。だってなんにも知らないんだもん!
別に外人いないんだよね。いたけどサ、別に、それで外人専用って感じでもなかった。店ン中トロピカルでサ、「あ、だったら短パンでもよかった」とか思ってたんだ、「土曜日なのに空いてるなァ」とか、「やっぱ木川田の言う知ってるとこ≠チて、ちょっと違うんだなァ」とか思ってた。
違うんだよ! ホントにちょっと違うんだよ!! 木川田の知ってるとこで、ちょっと違う≠だったら、もう決りなのにサ、僕って、ホント、ウブなんだよ!
(でもサ、思うよ、普通の人だったら、あんまりそう簡単には思わないって)
だって、男しかいないんだもん。
空いてるなァって思ったの、別に空いてたからじゃないんだ。早い話が、女がいないからそう見えただけなんだ。ホント、女がいないって、不思議ね。初め、どうなってんのかよく分んなかった。
木川田入ると、スイスイ、カウンターの方行っちゃって、僕やっぱり慌てたよ。離れてるとヤバイとか思って。だってさ、僕、短パン穿いてたんだよォ!! ホント、僕ってハッピイだよ。もう全然、ホントにテンでバカみたい。
木川田、なんか知らない、トロピカルドリンク頼んで、僕ジンジャエール。カウンターに坐ってフロアのとこ眺めてたら、男同士で踊ってんだ。ホントに、男同士で踊ってんの。
「男同士で踊ってんだ……」とか思ったけど、それ以上のことって考えらんないの。
男同士で踊ってんだから、男同士で踊ってるようにしか見えないんだけど、だからどうだっていうと、全然分んない。ただ、男同士で踊ってるだけなんだ。「これ、みんなそうなのかな」とか思ったけど、「そうなんだなァ」しか答が返って来ないの。そうなんだけどなァ……、だからどうだっていうのか、僕には全然分んない。別に、女っぽい訳でもないし。
別にみんな女言葉喋ってる訳でもないけど――どっちかっていうと、みんなあんまり喋んない。音楽だってそんなうるさくないから、なんか、ヘンなとこでシーンとしてんの――それで、僕、「普通なんだなァ」とか思って、「普通だからこわいなァ」とか思った。だって、フロアの向う側にいる普通の恰好してる人――ちょうど僕の真ン前の方にいたんだ、普通のジョギング・ウェアみたいなカッコの人――その人が僕の方来たら、とか考えたら、ホントこわいんだよね。よく分んないけど、普通の人が普通に髭生やして、普通の感じで声かけて来たら、僕こわいよ。
そう思ってたら、フロアで踊ってた二人連れが――多分大学生同士だと思う――カウンターの方に来て、僕思わず、肩すぼめちゃった。
「ねェ」って、僕、木川田の方に話しかけようとしたんだ、そしたらその途端、僕の隣りに来たその大学生、「ねェ、ちょっと、やだわ」って、女言葉で叫んだの! ホントに僕もう、びっくりしちゃった。
ウーッ……、とか思って、後ろ見たら、そしたら、目が合っちゃったんだよね、そいつの連れのヤツと。「ワッ!!」とか思ってびっくりしたら、そいつ、ニッコリ笑うんだよねェ。
笑うんだよォ……。僕、こわくなって、うっかり、お辞儀しちゃった……。ここって全部そうなんだよね。なんか、ヤだなって、そう思った。
なんか、うっかりお辞儀しちゃったから、話かけられでもしたら大変だと思って、それで僕、木川田に話しかけた。
「ねェ――」
そしたら木川田も、こっちに話しかけようとするとこだった。
「いいよ、なァに?」って僕言った。「ねェ――」ってだけ僕言ったから。「ねェ、帰ろうよ」って言おうとしたのか「ねェ、こんなとこよく来んの?」って言おうとしてたのか、どっちだったかよく分んなくなってた。多分、「ねェ――」って言ってから、木川田の顔見て、どっちにするか決めるつもりだったんだと思う。「ねェ――」って言ったけど、なんか言おうとした木川田の感じが、そのどっちでもなかったから、だから僕、「いいよ」って言ったんだ。
「なァに?」って僕言った。
そしたら木川田、「俺、失恋したんだ」って言ったんだ。
「うん」て、僕言った。「誰《だアれ》? 僕の知ってる人?」って、僕言った。グラスの中味、木川田の、もう半分以上なくなってた。なんにも知らない(分らない≠ゥ)僕は、決定的にバカなんだけどね。
「知ってるよ」って、木川田言った。
「誰《だアれ》? 醒井さん?」
僕言った。
「バァカ」
木川田言った。言ってそっぽ向いた。
「そうだね」
僕言った。そうなんだよ、決ってるけど、そんなこと――。
「お前サァ」
「ウン?」
僕木川田に言った。
「さっき」
木川田が言った。
「さっきお前、滝上さん元気?≠チて言っただろ?」
「ウン」
「言ったよ」って言いかけて、「アレ?」って僕、思ったんだ。僕、「滝上さん元気?」って言ったんじゃないもの。僕、「滝上クン元気?」って言ったんだもん。「そうかァ、木川田って、滝上クン≠カゃなくって、滝上さん≠ネんだな」って、僕、その時はそう思った。
「滝上さん、て、サァ……。今、誰と付き合ってるか、知ってる?」
「知ってる?」って言われて、「知らない」って言ったけど、でも僕、「ひょっとして」ってことは考えてた。
「ひょっとして、醒井?」
僕言った。
「よく知ってたな」
木川田そう言った。イヤミにしちゃァ、元気なかった。
「なんとなくね」
そう答えたの僕。
「先輩=A今醒井と付き合ってるんだ。どうなっか、分んねェけどな」
木川田そう言った。どうなっか分んねェ≠チてどういうことなのかなって、僕思った。
「どうなっか分んねェ≠チて、どういうこと?」
「ウン?」
「うまくいってないの?」
「うん……」
木川田、ウン≠ホっかりなんだ。
「どうしたんだよ、一体?」
木川田、ヘンな顔して見てた。その時はよく分んなかったけど、木川田、あん時泣きそうにしてたんだ、多分。
「さっきからヘンだぜ」って僕言ったら、木川田、「ウン」て言って、話し始めた。
海行ったら醒井が来て、そして、木川田と彼≠ニが一緒に行ってて、そんで、醒井と彼が出来ちゃったって。「それじゃ三角関係じゃない?」って言おうとしたけど、そういうことって、言ってもいいのかどうかと思ったから、ちょっとだけど、僕迷っちゃった。
「そういうのって、三角関係じゃないの?」
でもやっぱり僕言ったけど――。だって、他に僕、言うことなんてないんだもん。
「三角関係だろォ」って、木川田、他人事みたいな顔して、そんで、それっきりなんにも言わないんだもん、僕だって困るよね。
隣りにいた大学生はいつの間にかいなくなっちゃうし、代りに四十位の――ひょっとしたら三十位かも知れない、頭禿げてたけど、カッコだとか感じだけは若かったから――髭生やした人が一人でいて(ホントに髭が多いなァ)別に、こっち見てる訳じゃないけど、ああいう風に全然見てないってのも気になるって感じで立ってて、木川田は黙ってて、「水割りちょうだい」って言って、黙って飲んで、「踊ろうぜ」って、一人で勝手に行っちゃった。僕、困るんだよねェ。
なんか、冷房がやたら脚に来るみたいで、「一体僕、なんだと思われてるかなァ」とか思っちゃうし、(自意識過剰でもいいよ)「違うんですけどね」って言ったってしようがないし、なんか、一人でカウンターンとこにいるのもいやだし、かと言って、あんなとこで踊るのなんて、もっとヤだァ、とか思っちゃって。
だってそうだよ。だって、みんな見るんだもん。フロアで踊るってことは、みんなに見られてるってことだもん! でしょ?
だって、見られたらどうする訳? 声かけられたら、僕、もうホントに、なんて言ったらいいのか分んないじゃない!
木川田の行った後は二人連れが来て。マァ、二人連れだからいいけどサ、でも、そいつが来たから、僕ちょっと詰めて、そんで、隣りにいた禿のオッチャン(て言ったら悪いから、オニイサン)、なんか、ちょっと、僕の方に寄って来たんだよね。
「落ち着かなくちゃ、落ち着かなくちゃ」って思って。(ヤだよォ、僕、そんなの全然興味ないよォ! やるんだったら好き同士でやればいいんだよォ!!)ともかく僕、なんかに集中しなくちゃと思って、それで、全然知らん顔して、木川田の言ったことばっかり、ズーッと考えてた。そうでもしないと、なんか、気絶しそうだったから。
それでも、トイレ行きたいなァ、とか思って、ワーッ、どうしようっとかって、もうガタガタして来て、しょうがないからトイレ行った。「一体木川田ってどうしたんだろ?」って、そんな、全然関係ないこと一生懸命ブツブツ考えながらトイレ行くのって、ホントヤだよォ!
トイレの廊下ンとこで、男が二人、キスしてんだよねッ!
もう。もうッ! もう関係ないッ! 僕もう全然関係ないからね。「そうかァ、醒井さんて、滝上クンみたいな人が好きだったのか」って、もうホント、南無妙法蓮華経《なむみようほうれんげきよう》みたいな感じだった。耳無し芳一だね。
トイレン中誰もいないからホッとしたけど、ともかく早く終んなくちゃって、もう、ブルブルッて感じでしたんだけど――ア、トイレでブルブルッてなるのは当り前か――でも、そのブルブルがズーッと続いてんだよォ! だって、なかなか止んないんだもん。
「もう終り、もう終り、もう終り」とかって思ったって、全然止まんないんだもん。体が言うこと聞かないのね(ヤラシイ)。おまけにこぼしちゃうしサ。こぼしちゃう上に、手ェ洗おうとしたら、ジャーッて水出しちゃって、短パンの前ビショビショ。紙タオル取って拭こうとしたんだけど、そうしたら人が入って来て、うっかり鏡見ちゃったから、目が合っちゃって、でも知らん顔してズボン拭いてた。だってもう、ジタバタ出来ないもん!
それでも、トイレ行って、出すもの出しちゃったら、なんとなく落着いたみたい。
別にお化け屋敷にいる訳じゃないしとか思って。それから、「あ、そうだお化け屋敷にいる訳じゃなくてじゃなくて、僕、お化け屋敷にいるんだ」って思った。
こわがりたい人間はお化け屋敷に行くんだし、別にそんなことに興味ない人間は別にこわがる必要ないんだし、お化け屋敷にいる人間は、みんなお化けじゃない人間なんだからって。別に取って喰われるでもないか、とか思ったら、少し落着いた。
「僕関係ないや」と思って、それで知らん顔して、又元のカウンターンとこに戻った。前に坐ってたとこ、もう誰かが坐ってたから、それで今度ははじの方に坐って、カウンターに肘ついて、フロアの方眺めてた。
「ホントに関係ないんだなァ」とか思った。よくもマァ、これだけ関係ない人間が関係ないことしてるなァと思った。ひょっと見たら、ただ男が踊ってるだけだから、そんなこと僕だってやれることだから、こんなとこで見てないで、フロアに立って踊ったって全然いい筈なのに、でも、よく考えたら関係ないんだ。ホントに全然関係ないんだ。関係ない≠チてすごいなァって思った。ひょっとしたら、僕っていつもそうかもしれないなァって、何故だかその時、僕は思った。
関係ない≠チて、見えちゃうんだよね。正体見えちゃったことやったって、しょうがないしね。それから、そんなことないなってごまかしたって――例えばその時もし僕が、その中に入ってったら、男が踊ってるんだってことだけ見て、それでその中に入ってったとしても、僕には多分、すぐ分っちゃうだろうと思った。だって関係ないんだもん。
みんなが明るそうにしてて、そこに入ってって――明るいんだから、多分そこに入ってくのが正解だと思ってて、でもそこ行くと決定的に関係なくて、「あ、違ったァ」とか、明るく笑ってしくじって、しくじり方だけうまくなって、明るく笑って帰って来るんだ。
「何しに行ったの?」――「なんか」
「なんかあったの?」――「なんも」
「で、どうなったの?」――「別に」
なんにもないんだ、いつだって。うまくなるのは、明るく笑って帰って来る時の自然さだけ。そんなの全然つまんない。
なんだ、だったら僕は、いつだってゲイ・ディスコの隅っこで、立って笑って見てるだけじゃないか――そう思った。「つまんないの」って思ったら、別にそこがどこだって関係なくなって来た。
「水割り下さい」って言って、バーに凭れて、僕、水割り飲んでた。
「ああ、やってんなァ」とか思って、中見てた。段々時間は混んで来たみたいで、木川田どこ行ったかな? と思って見たら、木川田一人で踊ってた。前に、外人のオッサンぽいのがいたから、それと一緒にやってたのかもしれない。「なんだァ、あいつ、踊りそんなにうまくないじゃァん」とか思っちゃった。
なんか、あいつが可哀想になって来た。
たかが失恋したことぐらいで、人のことあっちこっち引っ張り回して、自分の失恋した相手が男だからって、態々こんなとこまで連れて来て、そんで、なんか仄めかしみたいなことだけほんのちょっと言って、そんで、ふてくされたみたいに人のこと放っぽり出して一人で踊ってるなんて、あんまり気持ちのいいことじゃないな――なんて思った。僕ってワリと冷静なんだ。
で、そう思って、ボーッとしてて、一人で呟いてた言葉がポカッて自分の中に浮んで来て、そして、そんでその言葉にドキッとしてた。男に失恋した≠チて、じゃァその相手誰だろう? 僕そのこと考えたら、なんかヘンに、不安になって来た。
失恋したって、相手誰なんだろ? 木川田の言ってた感じだったら、多分、ひょっとして滝上クン≠ネんだろうけど、でも、中野から新宿来て六本木まで来なくちゃ話の輪郭が分んないっていうスケールの大きさだと、ひょっとしてもう一人別の人間が出て来てそれで話が完結するのかもしれないけど、三角関係だろォ≠チて、いかにも他人事風の言い方はしたけど、別に三角関係≠チてのは否定しなかったんだから、だから、三角関係の――相手じゃなかった――木川田の失恋した相手は滝上クンていうことになるんだろう、と思った。僕ってヘンに論理的だから――もしくは違ってトロいから、こういう風に延々と論理的になっちゃうけど、それは間違いないと思った。
滝上クンに失恋したってことは、当然、滝上クンに――(ヘンな感じだなァ、こういうこと言うのって)――恋愛してた、とかそういうことになるんだろうけどって。そこまで思って僕、男が男に恋愛するって、どういうことなんだろうって、そう思ってドキッとしてしまった。
だって僕知ってるもん。どう見たって、アレ、恋愛じゃなかったよ。滝上クンと木川田クン――この際面倒臭いから両方共クン≠ツけちゃうけど――一緒になって歩いてるとこ見たし、「これから会いに行くんだ」とかっていうような話も聞いてたけど、なんか僕、あれが恋愛≠セとかっていう風には全然思えなかったもん。
そりゃ当人が恋愛だ≠チて言うんなら恋愛≠セってもいいけどサ、でも、アレが全然恋愛に見えなかったっていうのも事実なんだもん。人のこと勝手に事実だ≠ネんて決めつけちゃいけないのかもしれないけどサ、そういう声は、この際全部勝手に無視する。
だって、恋愛≠チてああなの? あんなのただ、遊んでるだけじゃないかァ! 小学生が手ェつないで、「一緒に帰ろう」っていうのとどこが違うんだって、僕思ったもん!
一緒にいればいい訳? って、そんな風に思っちゃった。そんなの恋愛じゃないでしょ? 何考えてんだか全然分んない。この際だから全部言っちゃえって思って、僕一人で勝手に考えてた。
だってヘンなんだよ。僕ズーッとそう思ってた。木川田どうしてあんな人が好きなんだろうって。
そう、好き≠チていうとスッキリする。それなら僕分る。好き≠ニ恋愛≠ェどう違うかって言われたらよく分んないけど、今の僕なら、男が男に恋愛するなんていうのは全然分んないけど、男が男を好きになるなら分るって思ってた。
その時僕気がついたんだ、木川田、ズーッと嘘ついてたんじゃないかって。
僕ズーッとヘンだと思ってたんだ。なんか、木川田ズーッと、ワザと≠竄チてたんじゃないかって、僕そんな風に思った。あいつ頭いいのに、なんだってワザとバカやってんだろうって、そんな気がした。気がついたら、僕ズーッとそう思ってたんだって分った。ホント、あいつ頭いいのに、ワザとセンパァーイ≠ネんてやってる、なんて思ってた。俺、木川田のこと、ズーッと不思議な人間だと思ってたけど、どうしてあいつのこと不思議だと思ってたのかっていったら、それはあいつがワザとバカやってたからだったんだっていうことに気づいた。
あいつと二人で話してる時なんて――高校ン時ね――そういう時は彼=\―勿論滝上クンだけど――その彼≠フことは訊いちゃいけないんじゃないかって気がしてたから、僕はなんか、聞きたい気はしてたんだけどなんにも聞かなかった。僕は、木川田と付き合い出す前から、彼にはそういう人がいるんだって話聞いてたから勝手にそうなんだろうなァとかは思ってたけど、でもよく考えたら、僕は、木川田の口から滝上クンとどうこうなんて話は聞いたことがなかったんだ。あいつ、センパイとどこ行く≠ニかセンパイとどうする≠ニか、僕が木川田となんかしようとか思ってあいつの都合を聞いた時に、そういう風に彼に関する用事がある≠チて言ってただけなんだって。
僕は気がついた。僕が一人でいたりする時に、たまたま木川田が滝上クンなんかと一緒にいるとこに出会っちゃったりすると、「ああやってるな」とか、僕が勝手に思ってただけなんだって。確かにその時は、センパァーイ≠チていう感じで、木川田が滝上クンの腕にぶら下ってても不思議はないっていう気はしたけど、そう、僕はやっぱり、そういうの見てて、「なんであんなことしてるんだろう?」って思ってたんだ。今考えてみれば、それがワザと≠セってことになるんだけど――なんとなく、木川田が太宰治になって来たみたいだ。マァいいけど。
木川田がどうとかしてる、とか思った訳じゃないんだな。初めは僕、一体この人何考えてんだろ? って思ったんだな、滝上クンという人を見て。
昼休みに生徒ホールでパン買ってる時だったんだけど。僕が木川田と、その滝上クンが一緒にいるとこを見たのは。勿論それは、僕が木川田と話したりするようになってから初めてってことだけど。
パンの順番待ってて、フッと見ると木川田がいて、声かけようと思ったら、木川田、パン持ってサッて走って行っちゃった。行く先見たら滝上クンがいた。
「ヘェーッ、あの人かァ」とか思った。よく考えたら、僕、その時まだ彼が滝上クンだなんてこと全然知らなかったんだけど、何故か知らないけど、ピーンと来た。
ワリと男らしい顔した人で、ああいう人なのかって思って、僕と全然関係ない人だなって思った。勿論、別に関係持ちたいなんて全然思わなかったけどサ。よく考えたら、マァ、初めっから僕は、「つまんない人だな」って思ってたんだな、彼のことを。彼ってのは勿論、滝上ナニガシって人だけど。
全然ヘンなんだ。全然、嬉しそうな顔しない人なんだもん、あの人は。何遍か見たけど――木川田と一緒にいるとこ――そのたんびに木川田は、放っとけばゴロニャンて感じだったけど、あの人は、なんにも考えてないみたいな顔してた。
なんか知らないけど、僕ってそういうことってよく分るんだけど、滝上クンて人は、いつでも一生懸命、自分はなんかもの考えてんだぞって顔をしたがる人なのよ。いつも自分は、なんかしらん、一生懸命もの考えてるみたいな顔しようとしていつも失敗してるから、いつも「ああ、なんにも考えてないな」ってことがバレちゃう人なのね。正直言って、なんで木川田、あんな人と一緒にいるのか、僕はさっぱり分らなかった。
マァ、好きだったら一緒にいればいいとか思ってたけどサ、正直言って。でも、それならあんなバカみたいな真似しない方がいいのに、とか思ってた。
ホント、木川田ってああいう人間じゃないんだもん。じゃアどういう人間かって言われたら説明に困るけども、ともかく、木川田ってあんなにバカな人間じゃないんだ。僕ってそれだけは分るんだ。
相手がバカだから、バカに合わしてああしてるのかな、とか思ってた。それだったら、バカはバカなりに、もう少し嬉しそうな顔すればいいのに、とかは思ってたりはしたけどね。あの人って、全然嬉しそうな顔しないのね。つまァんない人間だとか思った(思ってた)――。今この際はっきり言っちゃうとって、その時思った。
だから僕、あの二人出来てんだと思ってた。それこそ僕、木川田が男と寝てるとこなんて想像したくないけど、でも、あんな風に、相手の方が全然つまんなそうな顔してて、それでも木川田が一緒にいたりすんのいやがんないんだったら、そうとしか考えらんないじゃない? だから僕、あの二人が出来てんだと思ってた。だから僕――。
だから――かなり危険なこと言いそうになってるな僕は――だから、僕は、あんまり木川田に近付かない方がいいと、思ってた。
遠慮してたんだと思うよ。あの人と一緒にいるから、だから僕は、木川田に近付いちゃいけないんじゃないかって、思ってたんだもん。
なんかヘンだな、男の三角関係みたい。
なんか僕、木川田が好きだとかっていうんじゃなくて――コレ違うな、だって僕、木川田好きだもん。面倒臭い。要するに、そういう意味で好きではなくって、木川田のこと好きだったんだ。
そう。よく考えてみたら、僕、木川田との間に一線引いてたのって、彼が異端の世界の住人だからじゃなくって、彼にはもう、別に大事な人がいるからだって、そういう風に思ってたからなんだ。
そうだね、大事な人≠チていう感じだったね、僕が木川田クンと滝上クン見て出来てる≠チて思った感じは。
だから僕、今更木川田が失恋する理由なんてないと思ってた。だってあんなの恋愛じゃないんだもん。恋愛してないのに失恋なんか出来る訳ない。あれで失恋するんだったら、木川田、初めっから失恋してるよ。だって、滝上クンて、そういう意味じゃ、木川田のことなんて、全然好きそうなんかじゃなかったもん。
僕、なんか分んないのね。どうして木川田があんな人にくっついてんのかって。
ホント、分んないなァ。どうしてあんな人がいいんだろうなんか、僕なんか勝手に思っちゃうなァ。分んないっていえば醒井さんなんてのも全然分んないし、見たことないからどんな風に変っちゃったのかなんて全然分んないけど、でも、なんか僕なんか――これ僕の直感なんだけど、醒井さんて、滝上クンよか木川田のがタイプだと思うけどなァ。僕ホント、醒井さんて、滝上クンのこと好きになるようなタイプじゃないと思う。
なんか知らないけど、みんな嘘ついてるなァって思っちゃった、結論として。なんか、恋愛って、ワザとらしいんだもん、僕ヤだよ。
僕知ってるんだ。女って、面倒臭くなると恋愛するんだよ。僕知ってるんだ、昔女と付き合ってたことあるから。
ちょっとヘンなことあってサ、僕、昔女子大生と付き合ってたんだ、高校生の頃(ひょっとしたら知ってると思うけど)。それがね、これまた兄貴の女だったんだけどサ、ヘンなことに――マァ、これはどうでもいいけど――僕、別にそいつのこと好きじゃなくて、頭来てたから付き合ってたんだ、ヘンなことに。
ホント、頭来てたのね。頭来てたから、俺、やさしくとかサ、そういうこと全然してやんなかったのね。別に、全然どうでもいいやと思ってたからサ。そしたら、そいつ、おかしくなっちゃったの。突然気が狂って電話かけて来て、僕のこと好きだ≠チて言うんだ、バカじゃないかと思った。
僕の方から勝手に近づいてったんだぜェ。そいつなんか、全然関係ないのに。
それまで兄貴と付き合ってたのが、突然、ねェ薫ちゃん≠ニか言い出して、気持悪いったらないの。僕ヤだって言ったんだよね。気持悪いから。それでも電話かけて来んだよね。かけて来るたんびに名前変える訳。そりゃサ、一応は兄貴の女とかってなってるからアレなんだけどサ、僕ンとこに電話かけてんのに、どうして名前変えなきゃいけない訳? なんかもう、ホントにうっとうしい女だと思った。
だから僕ヤなの。人のこと全然考えないでしょ? 恋愛って、ワガママだから嫌いよ、とか。
何つまんないこと考えてんだって思った。自分が関係ないとこにいるからって、なんか、そんな風に自分のこと態々関係なくしてもの考える必要もないのになって "Shape Up" で僕思った。僕と関係なく男が踊ってて、「ああ、自分とは全然関係ない世界があるんだなァ」って思ってた。ホントに関係ないんだァッ!!
9
そこにいたの、二時間ぐらいかなァ、もう少しいたのかなァ。木川田勝手に踊ってるし――そう踊ってもいなかったのかなァ……なんか、普通のこと話そうとか思ってて、それで少しうるさいから、「ねェ出ない?」って、僕が言ったんだな。
正直言って、僕だんだん飽きて来たんだよね。そんな、自分と関係のないとこにいたってしょうがないから。だから、木川田がまだいるんだったら僕先に帰ろうとか思って、今度あいつが戻って来たらそう言おうと思って待ってたんだけど、そう言ったらあいつ「ウン行こうぜ」って、簡単に出て来ちゃったんだ。正直言って驚いたけど。
僕サァ、「じゃァな」って、言われるかと思ってたんだ。だって僕なんて関係ないじゃない? 何考えて、僕をこんなとこに連れて来たのかは知らないけど、関係ないヤツに対するイヤガラセっとかってのはあったと思うよ、多分。だから僕、木川田が、「先帰るよ僕」って、僕が言い出すの待ってたような気がしたの。だから、「ヘェーッ、男≠謔阮lの方とるのかァ」とか思っちゃった。ワリとなんか僕、みんなと関係ないとか思ってたから。
そこ出て、「どうする?」とかタラタラ歩いてて。「どうしようかァ?」なんて言ってると、大概ヘンな方行っちゃうんだよね。土曜日で、あんまり人がウジャウジャいたからなのかしれないけども。「やだなァ」とか言いながら、横町の方入ったんだよね。「ああ、あんまり人がいなくていい」とか思ったら、そこに公園があんだよね。「ヘェーッ、六本木に公園があんのかァ」とか言ったら、「あったっていいじゃねェか」って木川田が言って。公園の横がお墓なんだよね。金網に囲まれてっからなんだと思ったら、お墓があってサ、ビルの裏がポカッて空いてんの。ヘェーッとか思った。
「なんか映画みたい」って言ったら、「なにが?」って木川田が言った。
「ホラ、日本映画名作劇場かなんかで、よくあるじゃない。都会の青春でサァ、こういうとこで石ぶつけたりしてるじゃない?」
「知らね、そんなの」
ひょっとして、僕も映画やりたかったのかもしれない。ブランコなんかさわってたら、ブラジルでも行こうかなァって気になったから。マ、いいんだけどね。
でも不思議だね、なんかそういう気になるから。
こっちが空地でサ、向うにビルがあんの。ビルの向うはネオンがついてて、まるでB29の空襲みたいに、みんなでキャーキャー喚いてて、ビルの裏じゃァ墓場があって、若い二人が青春映画《ニユーシネマ》やってんの。木川田はどうかしんないけど、僕は、盛り場歩いてるより、こういうとこでお上りさんゴッコやってる方が面白いんだけどなって思ってた。
「七〇年代の青春かァ」って、ちょっと村上春樹っぽく、金網越しに墓場覗いて、木川田は、別に面白くなさそうな顔してタラタラしてる。僕、唐突に聞いたんだ、「滝上クンのこと、ホントに好きなの?」って。
別に、日本映画やりたかった訳じゃないけど、こういうとこにいると自然そういうことも出来そうな気がして、僕、思い切ってそう言ったんだ。思い切って、自然にね。
「滝上クンのこと、ホントに好きなの?」
そう言ったら、木川田ホントにこわかった。僕ひょっとして、僕の横にもう一人、誰か別の人間が立ってるのかと思った。
木川田、睨《にら》むんだ。睨んでフッて、僕の横見るんだ。視線が空を切るってああいう感じかな。僕の方睨むんじゃなくて、スッと来て、僕の横睨むんだ。だから僕、僕の後に誰か来て、後つけてたのかと思った。
だから僕、横見たら誰もいなくて、「なんだ」と思って木川田の方見たら、木川田もう後向いて歩き出してた。だから僕も歩こうとしたら、その時木川田が「関係ねェよッ!」って怒鳴った。
「エ?」って言おうとしたけど、そんなのお構いなしで、そのまんまドンドンドンドン、木川田勝手に、一人で表通りの方へ歩いてっちゃった。
「木川田!」って言ったけど、木川田なんにも答えてくんない。黙って歩いてって、大通りで車見つけて、タクシーのドア開けたまんま「磯村!」って怒鳴ってた。
「今日、何軒目かなァ」って、僕は思った。
10
僕、大体覚悟はついてたんだ。車ン中で木川田「新宿」って言ったから、「ああ、帰るのかな」って思ってたら、木川田、僕に向って「飲みに行こうぜ」って言ったから。それで「いいよ」って言った時から、大体僕、どんなとこに連れてかれるかは見当がついてた。
新宿の手前で降りて、ちょっと道入って、ビルン中入ってった。
店ン中入ってったら、店ン中にいた人みんなこっち見たけど、「関係ないや」って僕思ってた。怒ってんならついてかなきゃいいのにサ、僕もヘンなとこで意地張るんだよね。
11
「いらっしゃい」っていうより、ザワザワって声が聞こえた。入口の近くのカウンターの席がちょうど空いてたから二人で坐ったら、「どうしたのよォ」って、男の人がやって来た。
別に偏見持とうって訳じゃないけど、でも馴れるまで大変ね。初め、誰が喋ってるのか分んなかったもん。どっかにスピーカーがあって、そっから別の声が聞こえて来んのかと思った。
マスターなんだろうけどサ、不思議なんだ。メンクラから出て来たみたいに完全トラッドなんだ。顔だって悪くないしサ、あの人モデルだって言えばそれで通るみたいな人よ、男っぽくて。それが、なんか、身悶えでもするみたいに女言葉喋んのね。不思議だった。よく考えたら、メンクラのモデルが口きくのなんて見たことないんだけどサ。ひょっとしたらみんな、あんな風に喋んのかもしんないね。だって、目の前にいる人の不思議さを不思議だと思わないんだとしたら――だって、当人はそれが一番自然だっていう風にしてるんだから――礼儀としては、そういうの自然だって思うしかないでしょ? だから、僕そういうの不思議だと思わないようにしようとしたよ――そしたら、そういうもんだと思いこむしかないでしょ? 僕それまでに完トラの人なんて会ったことないから、「なるほど」って思うと、こういうカッコの人はこういう話し方になんだなって、思うようになんのよ。でも、結局、なんか嘘っぽいんだけどね。
マスター、木川田になんか言ってて、そんで木川田出てこうとした。「磯村、お前、ちょっとここで待ってて」って。
「なんでェ?」って僕言った。木川田、マスターの方ちょっと見て、完トラは「すいませんねェ」って言った。嘘臭いけど、この人、いい人なんだなって僕は思った。
「ママ」――木川田が言った。
「そうかァ、ママ≠ネんだな」って僕は思った。ママだから嘘臭いのかって。だって、そういうママってないもんね、ヨソには。ママ≠チて普通、女だし。
「ママ、こいつノン気《ケ》だからね」って木川田が言った。
「アラ」って、そのママが目ェ丸くした。僕は言われてドキッてした。ここじゃ僕は、関係ない人≠カゃなくって、ノン気っていうハンチュウに属する人≠ネんだって思って、ドキッてした。まるでキャバレーで、「この子処女なのよ」って言われてる女の子みたいじゃない。
要するに、ここじゃなんらかの形でみんな関係持たされちゃうんだってことらしい。
「悪いけど、俺ちょっと行って来る」って、木川田出てった。
「すぐ帰ってらっしゃいよ」って、その人は言った。
「ウン」て言って、「頼んだよ」って僕のこと言って、木川田出てった。そしたら、「アラ、ノン気なの、勿体ないわね」ってその人言った。「勿体ないわね」って言われると、なんとなく不思議な気になる。どう不思議かは分んないけど。
「アラ、ごめんなさい」って言って、その人、割箸と突き出しを、出した。一人前。なんか、ネチョネチョしてる松前漬。
後向いて「ジュンちゃん!」て店の子に言うと、その人――マスター僕の前に立ってニコニコ笑ってる。
「お友達?」って言った。
「エエ」って言ったら、「珍らしいわねェ」って言われた。何が珍らしいのかはよく分んないけど。
「エエ」だけっていうのもあれかなァ、とかは思ったんだけど、水商売のお店で自分のこと喋んのもあれでしょ、ダサイとかってあるでしょ? だから僕黙ってた。そんで、その人まだ僕の前に立ってたから、それで僕、もう少し相手してた。
「木川田って、よく来るんですか?」
僕言った。大体、初めての店連れてかれた時って、こういう話するでしょ?
相手のマスター、「ここ?」って言った。しかも、口じゃなくって指で。だから僕、「エエ」って言った。そしたら相手の人、「フンフン」て、煙草|咥《くわ》えたままうなずいてた。唇が動くまでにはもう少し時間がかかる。
「あー」とかって僕が思ってたら、マスターの横からジュンちゃん≠フ手が出て来て、マスター、その手をかわしながら、シュボッていってライターの火ィつけた。なんとなく、日本舞踊みたい。
ジュンちゃん≠ト子、僕の前にグラス置いた。
その子、僕と同じ年ぐらいなんだけどね、全然愛想のない子でサ――別に僕、彼に好かれようって気はないんだけどね――黙ったまんまグラス置くだけなんだよね。「なんだ」とか思って、そんなことぐらい僕だって出来るや、とか思っちゃった。なんとなく、「アラ、ノン気なの、勿体ないわね」が後を引いてるみたい。
勿体ない≠チて、どういうことなのかね? しかし、僕もこだわるなァ、ヘンなことに。マァいいけどね。
それで、僕、水割りのグラス持って――マァ、一応は文学的にね――見るともなしに、店ン中見てたの。
ママさん、相変らず僕の前に立ってた。店ン中見てやっぱり、この人マスター≠カゃなくて、ママさん≠ネんだなって思った。そういうのが礼儀なんだろうなって思ったからなんだけど。
カウンターだけでね――店ン中は。そんで、男だけなのね。マァ世の中、何事も普通≠ネんてことだけじゃ通らないのかなって思った。だって、みんな、普通の人≠ホっかりなんだもん。
ディスコン時は派手目の人が多かったけど、ここは、地味目ね。渋目って言った方がいいのかな? サラリーマンの人の方が多かった。学生みたいのも何人かいたけど、そっちは派手ね。派手ねって言うより、それこそ普通≠ゥ。マァいいけど。
サラリーマンの人って渋いし、それから、普通思うよか――普通思うよかっていうのは、普通サラリーマンて言ったら、ムサイ汚いダラシないって感じだけどっていうことだけど――ワリと、金かかったというか、キマってる人みたいのが多かった。それはあくまでも、やっぱりみたい≠セけど。あんまりジロジロとは見れないけどサ。失礼≠チていうのと、うっかりその気があるなんて思われちゃヤバイなっていうのと両方でサ。
相変らずマスター(あ、ママさん≠ゥ)僕の前に立ってた。立って僕のこと見てるなってことは、分ってた。そんだから、うっかり黙ってると、又「ノン気なの、勿体ないわね」って言われて、「ホントに損するわよ」って迫られるような気がして――自意識過剰風に言えばね――それだから僕、なんとなく話してみようと思って、「いいのかな、こういうこと聞いても」とか思ったけど、他に話のネタがないからこう聞いた――「どうしたんですか、木川田?」って。
「ウン?」とか目で言って、それから、「アラ、ごめんなさい」とか言って、ママさん、僕の前に灰皿出した。
だから僕、「吸わないんです」って言った。「真面目なのね」ってママさん言って、それから「ウーン、ちょっとね、しつこい人がいて」って言った。
「木川田どうしたんですか?」
「ウーン、ちょっとね、しつこい人がいて」
そんだけ。
「あの、木川田ってもてるんですか?」
僕、思いきって聞いちゃった。
「いいのかしらねェ」って、その人、目の端で笑ってた。
「あの、僕、木川田の、高校ン時の友達なんです」
「あらそう? やァね。なんか混乱しちゃうわ」――その人言った。
「混乱しちゃうって?」
僕聞いたけど、その人――ママさん、「エ? マ、いいのよ、別に気にしなくっても」ってしか言わない。ひょっとしたら、それは僕がホモじゃないってことに関連してるんだろうかって、僕は思った。
「マァね、もてるわよ」って、その人言った。
「そう」って僕言った。
そしたらその人「凄腕《すごうで》よォーッ」って付け加えた。だもんだから僕、ついうっかり「ヘェーッ」って喚声を上げてしまった。
「スゴいわよ」
「そうなの?」
「ウチは売専《ウリセン》じゃないからアレだけどね」
「売専てなァに?」――僕聞いた。
「いいのかしらねェ」って言ってた。
いいんじゃないんだとするとよくないんかなァ、とか思ったけど、でも、それっきりなんにも言ってくれないんだからしょうがないよね。なんとなく僕、たった一人の未成年≠ト気がした。
「ただあの子、ちょっと変わってるわね」ってママさん言った。
「変わってるって?」
「変わってるの。なんか妙に、変に気《き》ッ風《ぷ》がいいの」
「キップ?」
「ウン、あれで妙に、つっぱってるからねェ」
「つっぱってるの?」
「そう」
「ふーん」
「可愛いわよ」
「そう」
マァね、僕としてはね、ここまで来ちゃえばね、木川田が、僕とおんなじ世界の人間じゃないなんてこと、もう、分りすぎちゃってるけどね、でもね、それでもね、やっぱり、木川田って、僕の友達だって思うからサ、だからサ、やっぱり、自分の友達がほめられたりすんの聞いてたりすんのは、やっぱり、悪いことじゃないなって、そう思った。
僕、訊いたんだ、「頭いい?」って。
「頭? あの子?」
そう言った。
「ウン」
だから僕そう言った。
「いいわよォ。いいんでしょォ。いいと思うわァ、じゃなきゃアレだけのことねェ――」
「アレだけ?」――僕訊いた。
「ウン。あの子、ちょっとねェ、純情すぎるとこって、あるのよねェ……」
それ聞いて「うん、そうだ」って、僕思った。純情すぎるんだって、ホントにそうなんだって。でも、そう思って、なんか、スンゴク、ドキーッとする言い方だなって思った。
「あなた、全然経験ないの?」
その人言った。
僕、あんまり突然だから、ドキッとしちゃって「僕? あ、僕磯村です」なんちゃって、勿論、僕相手が何言ってんだか分ってたんだけどね。
「だめ? こっち?」って、その人、顔の横に手ェくっつけて言うんだけど、なんか、「はい」なんてはちょっと言えなくてサ、困っちゃった。「あら、ごめんなさい。今の内緒よ」なんて向うの人は言うけどサァ、一体何考えてんのか、よく分んない――いや、分りすぎて困んだけど。
僕、ちょっと困ったなァ、とか思ってたら、そしたらその時奥の方で、「ママァ、ママァ!」とか、すんごい下品な声で呼ぶから、やっぱサァ、ヤなとこ来ちゃったなァ、とか思った訳。それまではサ、僕、別にヘンなとこだとは思わなかったんだけど、なんかサァ、「あなた、全然だめ?」とか訊かれた後に、ちょっと、男とも思えないような酔ッ払いの皺枯れ声なんて聞くとゾッとしちゃうでしょ? だから。
でもねェ、マァ、その声が男とも思えないっていうのは当り前でね、実はそれ、女だったんだ。僕ねェ、ゲイバーに女が来てるとは思わなかったから、それ気がついた時驚いちゃったよ。
「ママァ」ってサ、言われてサ、そのマスターの人、呼ばれた方行ったんだよね。僕見てたらサ、なんか、派手な人来てるなァとか前に思ってた人の方行って、それが、よく見たら女なんだ。女装してるんじゃなくて、なうなきゃりあがーるが、ファッショナブルやってるんだ。鏡餅が狸になったみたいな顔しててね、どう見ても男じゃないんだ。男じゃなかったと思う――それだけは分った。なんかスゴクベタベタした感じだってその時思って、それ、当りだってことが後になって分ったんだけど、でも、なんか、そういうの見るのって、ヤだね。すごくすさんでて。
「なによォ、またヘンな子にちょっかい出してェ」なんて言ってんの、聞こえんだよね、こっちの方に。
ワリとそこじゃ、みんな、そんな大きな声出さないで喋ってんだけど、その人の声だけははっきり聞こえんの。
「ねェママッ! ママと私は友達でしょォ!!」とかって、言ってんの見るとサ、なんかもう、必死になって一生懸命自己主張してんの丸見えなんだよね。なんか孤独ってヤだなァって思ったよ、その時。
その、オバサン――酔ッ払いだけどね――こっちの方チラチラ見てサ、ニッなんて笑ったりすんだけどね、すんごい不気味。なんか、男に見られるのもヤだけど、そんなのにニッて笑われると、マトモな分だけまだ男のがマシかなって、思っちゃった。
ワリと、シーンとしててね、郷ひろみが『哀愁のカサブランカ』歌っててね、そんで、完全トラッドのお兄さんがママ≠ナね、店ン中は、なんていうのかな? 普通の、別に派手でもなきゃ地味でもないっていうか、それともブリティッシュ・トラッドっていう造りなのかな、そんな内装で。でも、バーの棚の奥には「藤娘」の日本人形が飾ってあって――初め何かな? とか思ってたんだけど――そんで、来てる客が全部男で、その男が全部、全く僕には分んないようなこと考えてて、そんで、全然関係ないにもかかわらずそんなことなんにも考えてみたこともないような女も坐ってて、ヘンなとこだった。
全部が全部みんな喰い違ってて、喰い違ってるまんまで、ホントだったらバラバラになっちゃうみたいなとこに、僕がたった一人で坐ってて、それでヘンな風にバランスが取れてんのかなァ、とか、そんな風に思った。
僕が、黙ってれば黙ってるほど、なんか、誰かが僕のことジッと見てる、なんて、そんな気がドンドンして来て、僕としては「木川田どうしてるのかな?」とか考えるのもなんかワザとらしい気がして、それで一人で、黙って水割りなんか、スイスイ飲んでた。僕って酒強いんだ。
黙ってたら、そしたら又マスターがやって来た。
「これ、あちらのオゴリ」って言って、僕の前に水割り置いた。あちら≠チていうのは、狸のオバサン。オバサンじゃないのかな、ひょっとしたら結構若かったのかもしれない。「女の人だったらいいでしょ」って、マスター言うんだ。
「女の人だったら」って言うのは、さっき木川田が出てった時「こいつノン気だからね」ってセリフのせいだと思うんだけど、でも僕、そんなんだったら、いやなんだよね――そう思った。だって、そのバアさん、こっち向いて手ェ振ってんだもん。ホモじゃないとそれだけなんだよ。なんかサァ、多数決原理の隠された悪意なんちゅうのを教えられたみたいな気がするじゃん。僕も又、気が弱いから、そういう時って、コクンてお辞儀していただきまァすなんてやってんだけどサ。マァ、それはそれでよかったみたいね。僕が挨拶したら、おばさん、それっきりそっぽ向いて煙草ふかしてるから。
酔ッ払いって、あんまり、刺激しない方がいいんだ。どっちにしろ、そこは酒飲むとこだったしね。だったら別に、女の人がいたっても、悪いことにはならないしね。現に僕だっていたんだし。
僕、チビチビと水割り舐めてた。なんとなく、木川田があんまりスグ帰って来ないみたいな気がしたから。こういうとこであんまりウブだと思われるのもいやだから。だからチビチビ。
酒飲んでると、だんだん見えて来るんだよね。だんだん落ち着いて来たってことなんだけど。僕、ここのママさんに聞いてみようかなァ、とか思った。だって、僕の知らない世界の話かもしれないけど、それはそのママさんの知ってる世界の話かもしれないから。僕、あんまりそういう風に考えるのヤだったけど、でも、ひょっとしたらこの人だったら教えてくれるかもしれないと思ったから。少なくともこの人は、木川田のこと純情だ≠チて言ってくれたから。ひょっとしたら、純情≠チて、あのことに関することかもしれないって、僕思ったから。
「ねェ、ママさん」――僕言ったんだ――「木川田のことで、何か知ってる?」って。
「何かって何よ?」ってその人言うんだ。
「うん? 何かって、サ――あのね、さっきね、木川田がね」
「ウン」
「妊娠したって――あ、間違い」
バカだね、僕って。ワリと、真面目な顔してそんなこと言って。ホントは失恋したって≠チて言おうとしたのに。
「誰が妊娠したって?」ってママさん言った。
「あのね――あ、間違いなの」
「そうだろね。そんなこと出来りゃ幸福だけどね」
「誰が?」って僕、そん時思った。まさか、木川田が妊娠出来たら幸福だと思ってるのかなって、ヘンな気がしちゃって――もう、ここら辺、日本語メチャクチャ。
「誰が?」って僕言ったの。
「何が?」って向うが言ったの。
だから僕「木川田が?」って言ったの――ここら辺までまだ日本語メチャクチャ。
「あの子が何?」ってママさん言った。だから僕、こう言った――
「ウン、木川田がサ、あのォ、やっぱりあいつも、妊娠出来たら幸福だなって、そう思ってるの?」
「どうして?」
「だって今そう言ったじゃない」
「いつ?」
「今そう言ったよ、妊娠出来たら幸福だけどね≠チて」
「それはあんたが間違えたからよ。やァねェ」
「あ、そう」――なんだバカみたい。
「なんで、あの子が妊娠したら、なんて思うのよ?」
「エ? だって、僕、さっき木川田が失恋したっていうの聞かされたから」
「あーあ、その話ィ」
「知ってる?」
フンフン――マスター黙ってうなずいてた。
「学校の子でしょ?」
「そう」
「クラブの先輩とかっていうんでしょ?」
「そう」
「あんた知ってんの?」
「何回か見たことはあんだけど」
「そう」
そっからママさんの話が始ったんだ。
「あたしはサァ、初めっからやめろって言ったのよ。そんなこと、ヤケドするだけだからって」
「ヤケド?」
「そうよォ、ノン気相手に入れ上げたって、そんなあんた、ロクなことある訳ないんだから。あんた相手にこんなこと言うのも悪いけどサ」
「エ?」
「だって別に、全然関心ないんでしょ?」
「そうだけど」
「マァいいけどね」
そしたらいつの間にか、例のオババが僕の隣りにやって来た。「よっこらしょ」って坐って、いきなり僕の脚撫でた。
「ギャッ!!」
僕叫んだ。
「マァ、きれいな脚」
そいつ言った。
「よしなさいよォ」
ママが言った。
「何話してんのよ?」
オババが言った。
「あんたに関係のない話」
ママが言った。
「あらそうォ」
そいつが言った。
「どうなるんだろ?」って僕は思った。
「マァね――」
ママが続けた。
「あの子の気持も分るけどサ」
「ウン」
僕が言った。
「誰よあの子≠チて」
オバケが言った、あ、オババだ。
「あんたに関係ないの」
男の方のオバサンが言って、「そうお」って、女の方のオバサンも言った。
「ジュンちゃーん、お代り頂戴!」
オババはどうやら居坐るつもりのようだった――女の方ね。
「あんたは酒呑ましときゃ静かなんだからね」
「そうよ」
ママに答えてそいつは言った。
「あたし、カズミっていうの、よろしくね」
隣りの女はそう言った。オバサンて言うには、まだ若そうだった。そして僕は、木川田の話はどこ行っちゃうのかなって、ついでに思った。
「あたしだって分るけどね」
男の方はそう言った。
「ノン気に入れ上げるってのは誰でもあるからサ」
「ヘーッ、ママの男話なんだァ。あんた気をつけなさいよ」
カズミっつうのがそう言った。
「ちょっとうるさいよォ、あんた黙ってなよ」
ママがそう言って、女はちょうど来た水割りのグラス、一人でペロペロ舐め回してた。
「いいんだいいんだ、どうせあたしなんか、だああれも構ってくれないんだからあ」
女の酔ッ払いって、僕嫌いだ。
「あたしはサ、初めてサ、あの子に相談された時にこう言ったんだ――」
ママが言った。
「相談?」
これは僕。
「ウン」
どうやら、カズミっていう女はもう黙ったみたい。
「あの子がサ、ここ来て言ったのよ」
「それいつの話」
僕訊いた。
「もう何年も前の話よ」
「あ、そう」
何年も≠ヒ。
「あの子が来てサ、好きになっちゃった≠チて言う訳」
「ウン」
「クラブの先輩だ≠チて言ってね、ノン気らしいんだ≠チて言うの」
「ふーん」
「だったらしょうがないから、あたしやめなって言ったのよ」
「どうして?」
「そんなのザラにある話だしサ、ザラにあるワリにゃものになんない話だからサ」
「そうなの?」
「そうよ。一遍こっきりだったら話は別だけど、まともに惚れて、男がこっちなんか相手してくれる訳ないもん」
「そうよ」
カズミのオババが又出て来た。
「ねェーッ」
マスターがオババに向って相槌打った。
「男なんて薄情だもんねェ」
「あたし達友達だもんねェーッ」
そう言ったのが女の方で、僕はただ、うるさいだけだ。
「そりゃね――」
マスターが言った。
「あの子の気持だって分るよ」
「ウン」
これは僕。
「三年間サ、別に何もなくたっていいからって、それで一緒にいたいってのはサ。マァ、それでやれるってんならそれでいいじゃないかって思うからサ」
「あら、プラトニックなの?」
ブスが言う。
「そうよォ、きれェなもんなんだから。あたしだってそういうのはよく分んのよ」
「ヘーェ、なにをよ」
「なにをって、決ってるでしょ」
「プラトニックが?」
「そうよォ」
「ヘーェ、男漁りが三日と止んないのがよく言うよォ」
「だから分んだよ、バカ」
もう僕、漫才聞いてるつもりで諦めてたけどね。
「あたしはサ、だから、学校やめた機会がいいチャンスだから、それでキッパリあきらめちゃいなって、だからあの子に言ったのよ」
それでも話はつながってんの。
「それで」――これ僕ね。
「それでサ、あの子も――源ちゃんだってもウン≠ト言ったのよ」
「フーン」
「知らなかった?」
「知らない。僕、あいつと会ったの久し振りだから」
「そうなの?」
「ねェ、あんた、なんでこんなとこ来たの?」
そう言ったのが隣りの女。
「なんでって、あいつが連れて来るから」
「ヘーェ、仲がいいんだ」
「悪かったなァ」って、僕言いそうになった。
「やめなよ、ホントに。あんたはもう、男なら誰でもいいんだからァ」
「誰でもいいってなァによォ」
「だってこの子はノン気なんだからァ」
「だったらなにも文句ないじゃないよォ! だってあたしは女なのよォ!」
冗談じゃないよォ。
「それでどうしたの?」
この際この女無視。
「それでってサ、あの子、もうあきらめた≠チて言ってたの。いつ頃かなァ? 春頃だったかな? もうちょっと後だったかしら? あたしんとこ来て、もう関係ないんだ≠チて泣いてたけども」
「泣いてたの?」
「別に、泣きはしなかったけどサ、あたし達って意外と強いから」
「――――」
「だってサァ、泣いたらおしまいよォ? 元々、どうなるって訳でもないんだからサァ。明るく楽しくやってるわよ。あの子だってサ、そこら辺分ってるし、あの子、それに人一倍我慢強いからね。泣くなんてことしなかったけど、やたら飲みまくってるから、ああ本気だなって分ったのよ」
「ふーん」
「なんでもふーん≠ヒ」
そう言ったのマスター。きつい御指摘。じゃァどうするって言われても、僕困るけどサ。
「だって――」
「マァいいけどサ。それから、少し経ってからかな、あの子が来てサ、一緒に海行くんだって言うのよォ」
「それ、今年の話?」
「そうよ勿論。一緒に海行ってバイトすんだって」
「ヘェーッ」
「うん。なんかね、それ聞いて、あたしはあんまり、いい気がしなかったの」
「どうして?」
「どうしてって、ねェ? なんとなく、カンよ。そんな気がしたの」
「そりゃね、それだけ年喰ってりゃね」
これがヤジ馬。
「おだまり」
これマスター。
「なんていうのかしら、もうサ、あきらめたっていうのをサ、それが又、未練がましくついてくってのがどうもサ、あんまりよくないねェ、とか思ってたのよ」
「そう」
「そう。別にね、あの子がここ来て言う時もサ、なんだか知らん、別に嬉しそうに言う訳でもないのよ。なんか、ついでみたいにね、あたしに向ってサ、ママ、今度俺、先輩と一緒に海行くんだ≠ネんてことを言う訳。あたしはサ、あ、そう≠ニか言ったけどサ、だったら行かなきゃいいじゃないかって思ったのよ」
「どうして?」
「だって、あァた、考えてもごらんよ。そんなサ、ついでみたいに言うのなんてサ、ああ、よかったね≠チて言ってもらいたいってことでしょが?」
「かもしんないね」
「そうなの。嬉しきゃ素直に言やいいものを、そんなもって回った言い方するなんてのはサ、自分に自信がない証拠」
「そうかな?」
「そうなの。マァ、行ったってロクなことないだろ。ないけど、行けばひょっとしたらいいことあるかもしれないって、考えることがさもしいのよ」
「そんな言うことないじゃない」
「そうよ。あたしだって別に何もなかったらなんだかんだ言わないよ。そんなとこ行ったってロクなことないのにノコノコついてくからサ、だから言うのよ」
「何があったの?」
「あの子の傍惚《おかぼ》れ、なんてったっけ?」
「彼?」
「そう」
「滝上クン?」
「ア、そうだ。そうだ。それがまたひどい男でサァ、女孕ましたっていうじゃない」
「そうだってね」
「ああ、知ってたの?」
「さっきちょっと言ってたから」
「そう。なんだか言ってた女と会ったんだってか?」
「醒井だ」
「ああ。それが、なんだ、高校ン時の同級生だって? 三文小説みたいな話だよ」
「そうかな」
「そうだよ。それが又ロクでもない女で、男が四人もいるとこ平気で上りこんじゃうタマだっつうんだから、この頃の娘も大したもんだよ」
「四人?」
「そうだよ。四人で海行ってバイトしてたら、その娘が夜になってやって来たっていうんだから」
「ヘェーッ」
又オバサン口出して来た。
「いいわねェ、あたしなんか想像出来ない」
「どこがよォ。あんたなら、男が十人いようと二十人いようと、平気で素ッ裸で入ってくタマだろ?」
「ひどいなァ、ママァ、あたしもう少し純情よォ」
可哀想な女っているんだなァ。いいけども。
「あらそうおォ。マァいいけどサ、そんなねェ、若い男が四人も仕事がなくてブラブラしてんなら、伊豆なんか行かなくたって、ウチくりゃいいのに。いくらだって仕事ぐらいくれてやるのに」
「アーアー、アーアー」
カズミのオバサンは、なんか訳の分んないことをゴチャゴチャ言った。四人で行ったとかっていうんなら、バスケの連中かなとか、僕は思った。
「マァ、そのナントカってのがひどい男だってのは」
「滝上クン?」
「そうよ、そうそう、その靴屋みたいの」
「どうして滝上クンが靴屋なの?」
「ウチのそばに靴屋があったのよ、タキガミ靴店て」
「そんなメチャクチャじゃん」
「いいのよォ、そうなんだから。それが、そのナントカっつってた娘――」
「醒井」
「そう。それに目ェつけてサ」
「ホント?」
「ホントよ。それが源ちゃんのクラスメートだっつうから、前から目ェつけてたんだろうよ。手ェ出して。それが又グチャグチャとメンドクサイこと言ってね。だってあんた、みんなの前で仁義切ってさらってったっていうのよ」
「なァにそれ?」
「エ? あんたサァ、そいつが、源ちゃんオカマだってこと知ってるクセにサ、お前の女だろ≠ネんて言ってサ」
「まさかァ」
「ホントよ」
「だって、そんなこと言う理由なんてないじゃない?」
「ないよ。ないけど言うのよ、今の男なんてグジャグジャしてんだから」
「ホント」
男の話になると、必ず出て来る、このオバサン。
「自分欲しいのに、手ェ出すきっかけないもんだからサ、お前のガールフレンドだろ≠ニかなんとか言って、それで無理矢理押しつけといて、それでいらなかったら俺貰うぞ≠チて、そういう汚いやり方するから」
「それいくつよ」
これカズミ。
「エ? まだ十八だか、十九だか、そこら辺だろォ。大したタマだよ、その年でェ」
「この頃の子スゴイからねェ、だってサァ、あたしサァ、こないだサァ、そこでそんくらいの子に会ったのよォ――」
以下、年増二人の男の話。この頃の若い男はひどいからねェって。どうでもいいけど。そんなこと僕に関係ないから。でも、醒井ってそういう人かな? 僕、滝上クンのことになると全然分んないけど。
「それがサァ、一発やったら出来ちまったんだと」
ママさんの話はまだ続く。
「誰が?」
「その娘よ。それがサァ、あんたサァ、その娘があの子のとこに電話かけて来たってェ」
「なんてェ」
「出来たって」
「木川田の子なのォ?」
「バァカァ、なに言ってんのよォ。その靴屋の息子が――」
とうとう滝上クンのこと靴屋の息子≠ノしちまいやんの。
「――煮えきんないから、どうしたもんだろかって、源一ンとこに電話かけて来んだよ。あんた」
僕、磯村です。
「あんたもトロイね」
「そうなの」
「そうだよォ。それが又、源一はバカだから。ホントにもう、あんなにバカな子いないねッ!」
「どしたのよ」
「掛け合いに行ったっつうんだから」
「どこへ?」
これ僕。
「男ンとこよ。男ンとこ! バカなんだからホントにィ。自分の惚れた男ンとこに、手前ェにゃ関係ない女がその男に孕まされたから、可哀想だからって、掛け合いに行ったっつうのよォ、そんな残酷な話ってあるゥ?」
「ヘェ」
なんかもう、僕よか聞き手はカズミねェさんね。
「まるで新派大悲劇だよ。あたしは芸者だから若旦那と一緒ンなることは出来ません、ですから若旦那、どうぞ、あの堅気のお嬢さんと一緒になってやって下さいって、バカ丸出しなんだから。そんなことやって、な――、あらいらっしゃい」
ドアが開いて木川田帰って来た。
「もう終ったの?」
「ああ」
ベロンベロンに木川田酔ってる。
「ホラ、カズちゃん、あんた、向うお行きよ」
「やァよォ、あたし、この子と一緒にいるんだから」
僕は化物にとっつかまった。
12
その後はもう、グッチョグチョというかなんというか、ヘンな感じ。
女の酔ッ払いが僕に抱きついて、「この子オカマじゃないんでしょォ!」って喚《わめ》くしサ。
喚いたっていいけどサ。そこどこだって言うんだよね。オカマバーの真ン中だぜェ。そこで、「この子オカマじゃないんでしょォ!」なんて言い方あるかよなァ。なんか、みんなドッチラケになっちゃってサァ、木川田なんか、「どけよォ!」ってオバサンのこと突き飛ばすし。「なにすんだよォ」って酔ッ払い同士喧嘩になるし。僕等入り口ンとこに坐ってたんだけど、カズミはどかないから僕等二人で一つの椅子に坐って――僕ホントはこういうの好きなんだけどね――そしたら奥にいた客が出てって、二人連れなんだけど、勘定払う時僕等の後に立ってて、奢られてる方――一人はサラリーマンで一人は僕とおんなじぐらいの学生風――地味な恰好してんだけどね、そいつが、勘定払ってる男の肩に凭れてて、一緒に坐ってる僕等の方ジーッと見てんの。僕なんか一瞬、「オッ、張り合う気?」とか思っちゃったけど、なんか、グロテスクな全貌ってだんだん明らかになって来んのね、僕なんかいい加減|麻痺《まひ》しちゃってたけどサ。席空いて、僕等奥に移って、よく見たら、奥にいたオッチャン風、カウンターの中にいたジュンちゃん≠フ手ェ握ってるし、隣りの背広着たカップルはカウンターの下でお互いに脚撫でっこしてるし――脚っていうか、もっと奥だっていう説もあるけど。静かな筈よ。だんだん、僕も口のきき方悪くなって来たな。マァいいけど。
木川田おとなしくなっちゃって、コクンと寝ちゃって、「マァ、こいつ何やってんだろ」とか「何やってたんだろ」とか思って、結局こいつ、今まで僕のこと引きずり回してたのは、なんだかんだいってても寂しかったからだろうなァって思ってた。
しようがないから僕一人で飲んでたんだけど、気がついたら、もうとうの昔に一時過ぎてんだよね。「やばい」と思ったけど木川田寝てるし、「放っとくかなァ」とかも思ったんだけど、起したら「帰る帰る」って言うから、だから俺達一緒に帰った。
バカなんだけどサ、バーの勘定払ったら、もう金ないんだよね。いりもしない時にタクシー乗ってサ、もう電車ないのに、そういう時タクシー代ないんだから、マァ、結構な生活だよねって思っちゃった。さんざっぱら奢ってもらったしサ、マァいいやと思って、僕、木川田ン家《ち》まで行ったんだ。家行けば金あるだろうし、それでなかったら泊めてもらえばいいやとか、かなり適当なこと考えてて、でも、やっぱりテキトーじゃダメなんだなってこと、木川田ン家着いてよく分った。
木川田ン家って、駅からちょっと離れてて、ウチからだったら一時間ぐらいかな、歩いて。自転車だったらもう少し早いと思うけど、回り道したから、正確なとこはあんましよく分んない。木川田、酔ってたっていうけど、キチンとしてるとこはワリとキチンとしてて、ともかく、車に乗って自分ン家行くとこまではちゃんと教えたんだから(後は寝てたけどね)。マァ、新宿で車拾うのも大変だったけど、その件は無視する。ともかく、木川田ン家の前まではタクシーが着いたんだ。
降りて、木川田が「お前泊ってけよ」って言って、「いいけどォ」って僕言って、不思議なんだけど、僕、木川田ン家に泊るってことと木川田と一緒に寝るってことと、木川田がどういう人間かっていうことがみんな別々になってて、だから、木川田ン家に泊る≠チてことが、具体的にどういうことかなんてこと、全然考えてもみなかった。ただ、僕が思ったのは、こんなに遅くなって泊めて貰うのって、なんか悪いなってことだけ。そんだけだった。だから僕「いいけどォ」って言ったんだ。
「いいけどサァ、やっぱ、金貸してくんない? 俺帰るよ」って言ったんだ。金ないから。マァ、家帰ってみんな叩き起してってこともあるなァ、とか思ったけど。そしたら木川田が、「そんな、面倒臭いことやめちゃえよォ」とか言って、「泊ってけ、泊ってけ」って言うからサァ、タクシー行っちゃったしなァ、とか思って、それで、僕、ここまでタクシー代払ったんだしなァ、とか思って、面倒臭いから泊めて貰おうと思ったんだ。単純に、修学旅行みたいで楽しくっていいからって、そんだけ。「よーし決った」って言って、そんで、いきなり、木川田、自分ン家の呼び鈴、ピンポーンて鳴らすんだ。僕、ヘンだなァって思ったんだよね。「鍵持ってないの?」って聞いたら「持ってない」って言うからサ、この遊び人が何やってんだろうって思った訳。忘れたのかなァって思ったんだけどサ、夜中の一時にサ、玄関しか電気ついてなくて、あとみんな真ッ暗なのに、そんでピンポーンてやられたら、家の人もたまんないなァって思った訳。
インターホンで「どなた?」って眠そうな声が聞こえて来て、「俺ェ」って木川田怒鳴ってて、「鍵忘れちゃったァ」っていうの。俺でさえ鍵持ってるのになァってその時思ったけどね――マァいいや。
玄関開けて、小母さん顔出した。寝巻き着てて。「入いれよォ」っつって、木川田僕のこと引っ張って、玄関ンとこで、「こいつ泊ってくからね」って、僕に抱きついて言った、酔ってんのかなとか思ったけど、それにしちゃ口のきき方がしっかりしてるなとか思って、マァどうでもいいや、とか思って、木川田に抱きつかれたまんま、僕、「よろしくお願いします」って言ったんだ。
「よろしくお願いしまァーす、だってよォ、バッカじゃねェの、お前」とかって、木川田大きな声出して。「すいません」て、僕、戸を閉めて上ろうとしたんだ。「お邪魔します」って。
小母さん全然口きかなくてサ、「ア、やばい、夜遅いからって頭来てんだな」とか思って、「夜遅くってすいません」て、僕言ったんだ。言ったから、「いいえ」とかって、お世辞でも言ってもらえるかと思ったんだけどサ、全然違うの。ニコリともしないの。すンごくヤな顔して人のこと見てんの。もっとはっきり言やァ、人のこと全然見てないってフリして、人のこと、思いっきりジロジロ見てんの。なんだろうと思った。そりゃ、夜中過ぎて「こんばんはァー!」とかってやって来んのは迷惑かもしれないけどサァ、玄関に立ってサァ、まるで「上るな」って言ってるみたいに、人の前邪魔して立ってるってないなって思った訳。目一杯不機嫌なツラしてサ。
もう一回「すいません」て、僕言ったんだよ、寝巻き着てる小母さんに向って。木川田、「いいよォ、そんなの放っとけェ」っつって、ドンドン僕の手ェ引っ張るの。「すいません」て言って、「静かにしろよ」って言って、誰の家だか分んなくなっちゃった。
木川田の部屋二階なんだけどサ、そこを又、ドンドン! ドンドン! て、音立てて上るの。いい加減にしろォ、とか思ったけどね。こんなことやってたら家中起きちゃうじゃないかァ、とかって。
部屋入って、電気点けて、階段の下で小母さんジーッと見てたの気になったけど、「アー、ほっとした」とか思ってたんだ。
木川田横になって――ベッドの上に――そんで僕、「あー、こういう部屋に住んでんのかァ」って、そう思って部屋ン中眺めてた。
オモチャ一杯あって――オモチャって、みんなブリキだけど――そんで部屋の中にヤシの木があって(これはビニールね)、そんで、榊原郁恵のペーパードールがあるんだ――薬屋の前に飾ってあるヤツ。「ヘェーっ、こういう趣味かァ」とか思ったけど、「まさか、榊原郁恵が好きなの?」って訊く訳にもいかないしサ――どうせ、榊原郁恵が好きだからって榊原郁恵のペーパードールを飾っとくような人間でもないだろうしサ、と思って、木川田は。そんで僕、「これどうしたの?」って訊いたんだ、榊原郁恵≠。
「どうしたの?」
「かっぱらって来たんだよ」
「あ、そう」
「可愛いだろ」
「まァね――エ? ひょっとしてキミ、榊原郁恵が好きなの?」
「好きだよ」
「どうして?」
「いいじゃん、そんなの」
「いいけどサ、飾るんだったら、他に好きなの一杯いるじゃん?」
「いるじゃん、てお前、俺の部屋になに飾れって言うの?」
「別にそうじゃないけど」
「お前、俺の部屋に男の写真でも飾ってると思ってたんだろ」
「別にそうじゃないけどサァ」
「男のヌードとかよォ」
「そうじゃないってばァ」
「いいじゃねェかなァ、なァ、郁恵ちゃん可愛いもんなァ」
そう言って木川田、榊原郁恵のペーパードールに頬ずりしてんだよね。どういう趣味だろと思って、今度は僕、ベッドに坐ってそれ見てた。
階段で――多分、トントントンて、階段上って来る足音がした。「あ、布団でも持って来てくれたのかな」って、僕、又悪いことしたなと思ってた。そしたら木川田、榊原郁恵の人形抱えたまんま、僕の方向いて言ったんだ。
「家のヤツ、俺のこと知ってるぜ」って。
「エッ?」って僕言ったんだ。「なァに?」って。そしたら木川田、「家のヤツ――」って言いかけて、そしたらその時ドア開いた。俺、オバサンだと思って、ドアに向って「すいません」て言ったら、小父さん立ってた。木川田の親爺さんだった。
「あ」と思って、「お邪魔してます」って、チャンと言おうと思って立ち上ったんだけど、その人、俺の方なんか全然見ないんだ。ヨレヨレの、タオルの浴衣《ゆかた》着てて、ドアのとこに突っ立ったまんま、木川田の方に向いて、怒鳴るんだ。僕、驚いてなんにも言えなかった。正直言って、こわかった。だって僕、人間があんなになって、ムキになって怒鳴るの見たのなんて初めてなんだもん。友達の前でだよ。息子の友達の前でだよ、すごいこと言って怒鳴るんだもん。僕、木川田が可哀想になっちゃった。親父さん、こう言ったんだ――
「俺はなァ、お前が何やってもいいと思ってる。いいかッ。おい、聞いてんのかッ! 分ってんのかッ。おいッ。俺はな、お前が何やったって構わねェと思ってる。いいかッ。ただしなァ、おいッ、ここは俺の家だ。いいかッ、俺の家だ。俺の家に手前ェがいるかぎり、俺の家に手前ェが住んでるかぎり、俺の気に入らねェことするな! 分ったなッ! おい、分ったな。出てってもらえ。出てってもらえッ! 俺の家で手前ェに好き勝手なことさせるかッ! 分ったなッ!!」
ギローッって、ホントにこわい顔して、僕の方睨んで出てった。
「どうしたんだろ?」って僕思った。一体僕、なんかやばいことやったかなって。なんで出てってもらえ≠ネんだろって。
出てってもらえ≠チて、出てってもらえ≠チて、出てけ!≠チてことなんだ。なんで僕そんなこと言われんだろうと思って、そして、パッと思い出した――「俺のこと知ってるぜ」って。木川田さっき言った。「家のヤツ、俺のこと知ってるぜ」って。
俺のこと……=\―俺のこと ≠ネんだって、僕気がついてアッと思った。僕――そう、僕、やっぱりアレだと思われたんだ。そう思ってハッとしたら、ドアの向うで、「源一、源一」って、小母さんの声がした。
「いけない」と思って、僕立ち上って、そしたらドア開いて、小母さん顔出して、僕もう、なんにも見なかった。「すいません!」って言って、開いたドア、小母さんの横すり抜けて、ダダダダダッて階段下りた。「ゴメン」て木川田に心の中で言って。何がゴメン≠ネのかはよく分んなかったけど。
僕が横スリ抜けた時、小母さん、僕の方見てたような気がした。木川田、ズッと下向いて黙ってたみたいだった。下降りたらシーンとしてて、小父さんどこ行ったのか、分んなかった。どっか、部屋の中でシーンとして、僕の帰るのを待ってんだと思った。玄関で靴履いて、見たら、木川田の履いてた靴の横に、ビニールのサンダルと履き古した男物の黒い靴があって。ああ、親子ってこういうんだって、僕そん時、何故か知らないけどそう思った。父親の靴って、いつも一つだけピントがずれてて、でもその靴が玄関に置いてあるのは、それがその人の玄関だからなんだって。何故かしんないけど、僕はそんなこと考えてた。下ばっかり見てたからだな。
もう、この家に来ることないんだって、ドア閉めた時にそう思った。
13
ドア閉めて、走って、それから、少し経ってゆっくり歩き出して、一体僕、何してたのかって思った。
結局なんにもしなかったんだけど、僕、今日一日、木川田の後くっついてただけで、なんにもしてなかったんだってことだけは分った。
「バカみたいだなァ」って思った。何故かしんないけど、寂しくって寂しくって、やりきれなくなっちゃった。又一つ、関係ないもんが増えちゃったなって、そう思った。ズッと遠くに純情なヤツがいて、そいつが、ドンドンドンドン、遠くの方にいなくなっちゃうんだって、暗い道走っててそう思った。可哀想にな、って思って、でもだからどうなんだって思って、でもなんにも言えなかった。
結局僕は生きてるんだし、結局僕は、関係ないものとは関係持てないんだし、どうなるんだろうって思った。
一つずつ、ドンドンドンドン、見えるものは見えてって、見えるだけで、関係ないんだ。僕とはなんにも、関係ないんだ!
夜の町があって、そこを歩いてるのは僕一人で、僕が歩いてたってその町と僕とは関係ないし、そして、その関係ない町と僕とは、僕がここから帰ったら、それこそホントに、もう一生、なんの関係もなくなるんだ。だって僕はもう、この町に来ることがないんだもん。この世にはあるんだけど関係ないし、関係ないけど知ってる町で、知ってるだけで、なんとも思えない。
僕っていつもそうなんだ。ただ、そうなんだ。
住宅街抜けて、表通り出て――表通りって言ったってそんなに広い通りじゃない、ただ車がビュンビュン走ってるけど、そこに出て、どうしようかなって、ガードレールに坐って考えてた。
何故か知らないけど、煙草吸いたくなって、吸いたいな、吸いたいなって思ったけど、僕はライター持ってないし、煙草の自動販売機はあったけど、マッチがないから、しようがないなと思ってあきらめた。
どうしようかなァと思って、そんで初めて、僕は今日、自分が自転車に乗って外に出て来たんだってことに気がついた。「そうだ、自転車乗って来たんだ」って。なんかもう、ヘンにズーッと昔のことみたいな気がした。
自転車乗って出て来た時、こんな風になるとは思ってなかったし、木川田もつらいんだろうなァって、何故か知らないけどそう思った。「つらいんだろうなァ……」そう思ったら、何故か知らないけど、歩いて帰ろうかなァって気になった。タクシーで帰るの、なんかいやだったし、なんか、そんな風に大人になるのって、なんかいやだったし、一人でタクシー乗って帰るのって、大人のすることなんだなァって、僕そん時、何故か知らないけどそう思った。
ガードレールに坐って、何故か知らないけど歩いて帰ろうと思った時、やっぱり僕、煙草が吸いたいなァって思った。半ズボンじゃもう寒かったし、別に、煙草で火ィつけてあったまろうと思ってた訳じゃないけど、「そうだ、木川田ならライター持ってたなァ」って、そう思った。
どうしてだろうね?
あいつならライター持ってるし、あいつなら煙草吸ってるけど、あいつとはやっぱり、前とおんなじみたいに付き合ってくけど、でも、なんかもう、やっぱり、決定的にもう、付き合ってなんかいけないんだなァって思った。僕は卒業してサラリーマンになって、それから人並に出世して人並に結婚して、そしてそれから、それだけが人生だって、もうズーッと前に気がついてたってことにやっぱり改めて気がついて、気がついてそのまんま年取って、それだけだってこと、僕だけじゃないみんなが知ってるってこと、やっぱりその時気がついて、多分、そん時、大事なもんなんかみィーんななくしてるんだ。それでもいいんだ。だって、人生てそういうもんなんだもん、て。なんでそんなこと思ってたんだろう? でも僕、一人になってからそんなことズーッと思ってた。大事なもん、なくしちゃうんだ。純情なヤツ、もういないんだもん。
一人で日本映画やっててもしょうがないかなァって思って。そういえば六本木で、金網につかまって日本映画やってたんだなァとかも思った。なんかもう、ズーッと昔のことみたいな気がしたけど。
「ホントに滝上クン好き?」って訊いたんだ。僕滝上クンじゃないから関係ないけど。人のこと好きになるって、どういうことなのかよく分んない。そういうこともあるんだろうなァ、世の中って広いからって、僕、夜の空見上げながら思ってた。ビルの向うじゃネオンが点いてて、人だって一杯いるんだから、誰かを愛する人間だって、きっといるんだろうしなァって。一体僕って何やってんだろうとか思ってた。
ポン、ポンて、なんか聞こえたような気がした。やっぱり僕だって待ってるってことだってあるし、でもやっぱり、期待すると後で寂しくなるってことだってあるし。だから僕、知らない人だって思ってたんだ。
どっかで見たことあるかなァって、期待は人に幻覚見せるし、どっか、この辺の人だろうって思ってたんだ。だってサンダル履いてたから。ペタペタ音して、こっちの方にやって来たから。
ペタペタ歩いてたのが走って来て、木川田だって、やっと分った。
「ごめんね」って言おうとしたんだけど、先に言われちゃって、「ごめんね」って木川田言った。「俺、ワザとやったんだよね」って。ワザと、家の人起したんだって。なんだかしんないけど、頭来てたんだって。
僕、「いいんだよ」って言って、そんで、木川田、抱きついて来て言った――「俺、寂しいのヤだよ」って。
僕、涙が出るほど嬉しかった。
14
マァね、それで終ればいいんだけどね。それで終れば、マァ、僕らも日本映画の青春なんだけどね。マァ、いいんだけどね。マァ、しかし、いいんだけどねが多いんだけどね。マァ……、いいんだけどね、どうでもサァ。マァ、色々あるからね。色々サ。
ホントにどうでもいいんだけどね――なんかホント、やんなって来たな、ここまで来ると。マァいいや、先行こう。
「なんでサンダル履いて来たの?」って僕訊いたんだ。なんでラブシーンの後にこういうセリフが出て来んのかよく分んないけど、なんか僕は、木川田がサンダル履いて来たの不思議だなァ、とか思ってたから。だから「どうして?」って訊いたんだ。
「なんでサンダル履いて来たの?」
「え? お前がもう帰っちゃったかもしんないからとか思ってたから」
「ああ……。でも僕金ないもん」
「そんでここにいたの?」
「別に、そういう訳でもないけどサ。ねェ――木川田ァ、煙草持ってる?」
「ああ。アレ? あ、ねェや。お前金持ってる?」
「ウン。百円玉なら」
「俺、万札しか持ってねェや」
「なんでそんなの持ってんの?」
「いいじゃねェか、そんなの」
「いいけどサ」
「早く、金ェ」
「はいよ」
木川田、金持って自動販売機に煙草買いに行った。そんで、僕達、二人揃って、ガードレールに腰下して、煙草吸ってた。ちょっと寒かったんだけど――なにしろ僕、短パンだったから、ひょっとしたらこういうの穿いてっとホモに見られんのかな? マァいいや、とにかく、煙草の煙は白かったんだ。
いいけどサ、こういう時には文学的になったっていいと思うんだ。
「どうすんの?」って、僕言った。
「どうすんの?」って、木川田答えた。
「どうするってェ、家帰るの?」って僕言った。木川田、サンダル履いてたから。
「お前、家帰るの?」
木川田が言った。
「帰るよ」って僕が言った、そんで、「来る?」って僕が言った。
「ウン」て木川田答えたんだけど、当然なるべくしてなることまで、僕らって結構、時間かかったりすんのね。
そんで、行こうとして、タクシー止めようと思って、そん時僕気がついた。
「僕、サンプラ行かなくちゃ」
「どうして?」
「僕、サンプランとこに自転車|駐《と》めっぱなしだもん」
「あ、ホント。だったら行こうぜ」
珍らしく木川田素直だけど、でも、夜中の二時に素直に行く所かね? サンプラザっていうのは。マァいいけども。
それで僕ら、サンプラザまで行った。なんか、すごい大旅行してたみたい、その日。
きれェなんだ。白いビルが夜ン中にポッカリ浮かんでて、真ン丸な月が出てんの。誰もいないんだよ、サンプラザの前。タクシーの運転手、別にヘンな顔しなかったけど、なんか僕らは、ダンスパーティーやりに来たみたいで、ヘンな感じだった。
ヘンな感じだからって、踊らない訳じゃないけどね。「磯村ァ!」って言って、木川田踊ってたから。僕も踊ってたけど、男二人で何やってんだろうね?
自転車は――置きっ放しだった。周りになんか一杯あったんだろうって感じで、僕の自転車からちょっと離れたとこで、二、三台ぶっ倒れてたけど、別に僕のはどってことなくて、そのまんまちゃんと立ってた。何回も言うみたいだけど、僕の黄色い自転車――ブリヂストンだけど――そこに何年も前から立ってたみたいで、それ見た時、なんかジーンとしちゃった。
「これお前の?」って、木川田なんか、僕が自転車乗って来たのなんか忘れてんだよね。マァいいんだけど。それから僕ら、歩いて帰った。
別に自転車取りに来る必要なんてなかったんだけどサ、なんか僕、真っ直ぐ家に帰りたくなかったんだ。木川田もそうだったと思う。「これから歩いてってもいい?」って言ったら、「ウン」て言ったから。
僕自転車押して、タラタラ歩いてって、木川田後からついて来た。もう日曜日の朝なんだけどね、夜中のデートさ。
十分位歩いて、木川田がちょっと歩いて来て、僕の横来て言ったんだ。「磯村、俺のこと好き?」って。
「ウン」て僕言ったよ。そしたら僕に木川田抱きついて来て、僕、「ああ、人を好きになるってこういうことだな」って思った。だって、木川田の抱きついて来るやり方って、ふざけるっていうんじゃなくて、まるで女の子そのもんなんだもん。
僕、片手に自転車持って、片手に木川田抱えて、それでちょっと自転車ひっくり返りそうだから、「ちょっと待って」って言ったんだ。
木川田「ウン」て言って、僕止って、自転車直そうとしたら、木川田、僕に抱きついて来て、キスした。
誰も見てなかったからいいけど――見てても構わないけど……。別に、僕達のことだから……。
僕少し驚いたけど、ホントいうと、そんなに驚いてなかった。ワリと、当り前みたいに思ってた。何が当り前≠ネのかって聞かれると困るけど、でも当り前なんだからしょうがない。木川田とっても、可愛いかったよ。
僕、自転車押して、木川田僕にくっついて、「ゆっくり行こうね」って僕言った。「ウン」て木川田言って、それで、ポツリポツリと、木川田自分のこと話しだした。「俺サァ、先輩のこと、好きだったんだよな、ホントに」って。
好きだったんだなと思って、僕、「ウン」て言った。誰も通らないんだ、車だけで。俺達歩いてたの住宅街だから。
「俺、先輩のこと、好きだったんだ」――木川田が言った。
「――でも、先輩、俺のこと好きじゃなかったもん。分ってたんだ」
木川田そう言った。
「俺、ズーッと好きだったんだ。別に先輩、俺のこと好きになってくれなくてもいいと思ってたけど、でも、ひょっとしたら先輩、その内俺のこと好きになってくれるかもしんないとかって、思ってたんだ」
「ウン」
「でも、ダメなんだよなァ」
「やっぱり、まだ好き?」
「もう、関係ねェ……。あの人、俺のこと好きじゃねえもん――別に」
「そう……」
「うん。いいんだァ、俺……、先輩のこと、好きだから……。俺、今年、先輩と海行ったんだよな」
「うん」
「そしたらそこに醒井が来てて」
「うん」
「醒井、先輩のこと好きだったらしいんだ」
「ホント?」
「うん。ズッと前からだって、俺、そんなこと全然知らなかった」
「だったら恋敵じゃないかァ」
「そうだよォ」
木川田体当り喰わせんだよね。
「危ねェなァ」
「お前ェがつまんねェこと言うからだよォ」
「そうかよォ、悪かったなァ」
「悪かったよォ」
何やってんだか。
「先輩なァ、醒井好きだったらしいんだ」
「ずっと前から?」
「ウウン。違うと思う。醒井と会ってからだろう、海で」
「ふーん」
「俺サァ、醒井と会って懐かしかったんだ」
「ホントォ?」
「うん。俺、あんまり海行って、おもしろくなかったからなァ」
「四人で行ったんだって?」
「うん。なんで知ってんの、お前?」
「えー? さっきサァ、バーのママっていうの? あの人がそう言ってたから」
「あー。あいつなんか言った?」
「別にィ」
「ならいいけど」
「滝上クンと、その、醒井さん、出来ちゃったんだろ?」
「ウン、俺、よく分んなかったんだけどな」
「どうして?」
「どうしてって言われても困るけどなァ」
「うん。いいよ、別に、どうしてって言っただけだから」
「ウン」
こんな調子だったら永遠に終んないけどなァ。いいけど。
「俺知らなかったんだァ」
「うん」
「したら醒井から電話かかって来たんだァ」
「それ聞いたよ」
「ア、ホントォ」
「木川田サァ」
「なァにィ?」
「もうちょっとそっち歩かない? 落っこっちゃうから」
「ああ、ごめん。そんでサァ」
そう言ってギュッと握んだよね、僕の腕を。
「俺どこも行かないよ」
「うん」
こういうのって、ありなのかな?
「醒井サァ、妊娠したって言って、そんで俺、そんなの関係ねェじゃねェかって思ったんだ」
「うん」
「そんでもさァ、醒井可哀想で」
「なんか、滝上クンが冷たいんだって」
「うん。まァなァ。冷たかったけど――」
「冷たかったけど、どうしたの?」
「冷たかったけど、別にサァ、いいんじゃないの」
「どうして?」
「うん。俺なァ、先輩がサァ、いやがってたからサァ」
「何を?」
「うん? 何をってェ、堕《おろ》さなきゃなんねェだろォ」
「ああ」
なんとなく僕、こういうシビアーな話すんのってヤなんだよねェ。だって、ワリと堕すって簡単に言うけどサァ、女の人にしてみたら、スゴクヤなことだって思うんだ。そりゃ、堕さなきゃしょうがないだろうし、女の人が堕すからって、別に僕が何か出来るって訳じゃないけどサァ。だから僕、そういうのってヤなんだよね。どうしてみんな、そういうことすんのかなァって思っちゃうんだ。
「先輩サァ、妊娠した時って、ショックだったと思うんだァ」
「そりゃショックだろうなァ、誰だって」
「だからサァ、なんか――、いやがってたんだァ、醒井に会うの」
「だってそんなこと言ったってしょうがないだろう。そんなこと自分でしたんだからァ」
「そりゃそうだけどよォ」
「そんなんだったら、初めっからしなきゃいいと思うけどね」
「そんなこと言ったって、お前、男はそうは行くかよォ」
「自分男じゃないくせにィ」
「ああ! お前ェ、そうかよォ」
「じょおおだん」
「ならいいけどよォ、お前まだ童貞だろォ」
「違うもん」
「違うもん? あれだろ? 昔女にやられたヤツだろ? お前、あんなもん、童貞とおんなじだぜェ」
「そうかなァ」
「そうだよォ」
「お前、女とやったことねェんだろ?」
「そう言うんならねェ」
「ホラ見ろォ」
「でも俺、女と付き合ってたぜェ」
「なんでだよォ」
「なんでだよォって、俺、付き合ってちゃいけないのォ?」
「いけないよ。いいけどよォ」
「すぐすねる」
「なんでだよォ」
「別に」
「だったらいいじゃねェかァ。お前まだそいつと付き合ってんの?」
「だァれ?」
「お前の言う、その女だよ」
「別に。だって、あんまり面白くないんだもん」
「ホラ見ろ」
「何が?」
「別に」
なんの話してんだか全然分んない。
「だからサ、俺はサ」
木川田はなんか口ごもってた。
「先輩がサ」
「なァに?」
「え? マ、いいよ」
「何をォ?」
「だからサ、先輩が逃げたんだよ」
「どこへ?」
「どこへって、そうじゃないの。醒井が出来ちゃったからサァ、それで」
「ああ……」
「だから俺、可哀想でサァ、先輩にサァ、醒井が先輩のこと好きなんだって」
「言ったの?」
「うん。言わなきゃ、分んないだろう」
「だけどサァ、ずいぶんひどいんじゃないの?」
「なにが?」
「だって、先輩――滝上クンだけど、きみのこと知ってんだろォ?」
「分《わが》んねェ。俺、関係ねェもん」
お前の方がよっぽど可哀想じゃねェかァ。
「それで、言ったの?」
「言ったよォ」
甘えるって、ああかなァ? 手がねェ――木川田の手が僕の肩ンとこぶら下って。ちょっと僕よろけそうになったんだけど、僕、男とこんなんなって歩いたことないからなァ。
「俺、先輩ン家に行ったんだァ……。そしたら」
「もうちょっとそっち行きなよ。脚、タイヤにひっかかっちゃう」
「うん」
「いいよ」
「そしたら、先輩出かける支度してて、女と、会うとこだったんだ」
「女?」
「ウン。先輩、まだ他にいてサァ」
「エーッ?! それホントォ?」
「ウン」
「ああいう人、もてんの?」
「分《わが》んねェ。俺に関係ねェもん」
「ウン」
「俺、先輩って全然もてないと思ってたんだけどサ」
「どうして?」
「だってェ、不器用そうじゃん」
「そうだねェ」
「だからサァ……、俺、ズッと昔ィ……、俺みたいの……、先輩に、ついててやんなきゃなんないんじゃないかとかって思ってて」
「うん」
「でもサァ、関係ないじゃん、そんなの」
「うん。――うんて言うのは、つらいなァ……」
「なんでェ?」
「え? ……別に」
「うん……………。俺サァ、……わりとそんで、俺、怒ったんだよね。いいけどサァ、醒井なんて泣いてんのにサァ」
「泣いてる?」
「ウン、先輩こわいって」
「こわい?」
「うん。マァいいよ、それは。片ッ方で女泣いててサァ、自分別の女と遊んでてサァ、俺、そういうのやってていいのかよォって、俺……」
「泣くなよ」
「うん。…………、だって俺、つらかったんだぜ」
「うん。分るよ。僕、木川田のこと好きだもん」
「うん……。俺サァ、醒井のこと可哀想だったから」
「可哀想って何が?」
「だってェ、お前、一人で病院行くんだぜェ」
「ああ……」
「そんなの、可哀想じゃん」
「でもサァ……」
「だから俺、先輩来ないんだったら、俺、代りでもいいから、醒井のヤツと付き合ってやろうと思ってたんだ」
「付き合う?」
「あ、付き添う」
「ああ、付き添う、ね」
「なんだよ?」
「なにが?」
「今、お前ヘンなこと言うからサ」
「言った? 言わないよ」
「いいけどよォ」
「僕はサァ、木川田が付き合うって言うからサァ」
「付き合うじゃなァい」
「あ、そ。でもサ、バカに親切だと思うからね」
「関係ないのォ。お前まだガキだから分んねェんだよォ」
「あっそ」
「そうだよォ。バァロォ」
「バァロォってなんだよォ?」
「いいのォ、もう、そういうのって」
これじゃまるで、僕が嫉妬してるみたいだ。
「なんかしんないけど、先輩、醒井ンとこ電話したって」
「そうなの?」
「ウン。ごめん≠トサァ……」
「ヘーェ」
「だからサ、あの二人今付き合ってんだ。だから……俺もう、関係ねェの」
「ふーん」
「マァサァ、あの先どうなるかしんねェけどよォ」
「どしてェ?」
「だってェ、お前ェ、先輩、女蕩《たら》しだもん」
「そうなのォ?」
「そうみたい。ワリと今なんか純情ぶってっけどよォ、どうなるか分んねェ。なんかすんげェ……、好きそうだもん。言いたかねェけど」
「ヤだね、なんか」
「知らね。俺に関係ねェもん」
「僕が、いるから、いいじゃない?」
「お前ェ?」
「なんだよォ?」
「いいけどよォ」
木川田笑った。
「なにがァ?」
「なんでもねェよォ」
「なんでもなかったらいいじゃないかァ」
「いいって言ってるじゃねェかァ……」
木川田僕に、抱きついた。
「いいけどよォ……。でも……俺、やっぱ先輩が……好きなんだ」
そうだろうねェ……。
15
結局、タラタラタラタラ歩いてて、一時間――もっとかな、歩いてて、腹減って来ちゃったから、スーパー開いてたのがあって、パン食って、家帰ったらもう四時なんだよね。なんかもう眠くって、そのまんま寝ちゃった。勿論、別に寝る理由なんてないから、一緒に。というより、「どうしようかなァ」って思ってたんだよね、僕は。一緒に寝るのっていいのかなァって思って。
「パジャマいる?」って僕訊いたんだ。そしたら「いらない」って木川田言って、サッサとズボン脱いじゃうんだ。ピンクのトランクス穿いてて、あいつ、僕より毛深いんだよね。「どうしようかな」って思ってたら、あいつサッサと上も脱いじゃって、Tシャツ一枚になっちゃって、「寝ようぜ」って言って、僕のベッドン中に入っちゃうんだ。「ウン」て言って、僕も服脱いで電気消したけど、おんなじことでも、道ン中でやるのと、ベッドン中でやるんじゃ、少し訳違うんだよね。
毛布一枚だけだから、ちょっと寒いかなァって思ってたんだけど、僕ベッド入ったら、冷たい脚ヒャーッってくっつけられて――木川田が脚絡まして来たんだけど――。
ゴツゴツしてるというか、モシャモシャしてるというか、ああいうのって、よく、分んないんだよね。感じないようにしてる訳じゃないんだけど、なんか。
僕達Tシャツ一枚で寝てたんだけど――あ、勿論下穿いてるよ、誤解しないでほしいんだけど。木川田、ピタッと体寄せて来て、僕の耳許で囁くんだよね、「好き?」って。分ってんだけどサ、僕もう眠いから「ウン」て言ったんだ。そしたら木川田――ちょっと……、いいのかなァ――やめよう、ちょっと。まァ、いろいろと。あの、何か硬いものが。マァ、眠いから、途中で眠っちゃったんだけど、体がボーッとして来て――あ、それは勿論、眠たかったからなんだけど、やめよ。
なんかしんないけど、そんなことあって、だから僕、すぐ、目ェ覚めちゃって、雀がチュンチュン鳴いてて、まだ外、ボーッと明るいだけなんだけど。ハッ! とか思って目ェ覚めたら、木川田、僕の胸に凭れて、寝言言ってんだよね、「先輩、……、先輩……」って。
なんていうのかなァ、別に、嫉妬する筋合いもないし、嫉妬なんかしてなかったんだけど、ホントに、子供みたいなのね。「先輩、先輩」って、子供が、プチプチって、そうやって、呟いてるみたいなのね。なんか、ホント、抱き締めたいぐらいに可愛いくって、そん時僕思ったんだ――「ああ、僕らはただ、セックスのこと知ってる子供なんだ」って。別に、したい訳じゃないし、したくない訳じゃなくて、ただ僕ら、セックスすることだけ知っちゃった、子供じゃないかって。
僕だって別に、好きでもないのに女から、無理矢理やられちゃって、そん時はいやだったけど、でも、気がつくと僕、そのことをこっそり楽しんでるんだよね。暇ンなると、あの時ああいう風にされて≠ニか、あの時ああいう風にしてたら≠ニか、ワリと淫靡に思い出してて。とってもヤだなァとか思う時もあるんだけど、でも男ってそういうもんなんだって、それこそ、心が体に負けるっていうか、そういう感じで、なんか、そういうとこでこっそりバランス取ってるのって、ズッとやだったんだよね。なんか、男ってやらしいものって常識もあったけど、別にそれでもいいけど、とかってのもあったけど、でも僕、やっぱりカッコよくなりたいし、そういう風にして、やらしいこと考えて、それで、そういうとこでセックスみたいのが成立すんのがなんかすごく、ヤだったんだァ。そういうのが男なんだっていうのもあったんだけど、でもやっぱり、それ違うんじゃないかと思ってた。
違うんじゃないかって思いたかったってのがホントなんだけど、でも、それまでちょっとそう思えなくて、だから、木川田の寝顔見てて、ひょっとしたら僕達、まだ子供でいてもいいんじゃないかって思ったんだ。
子供なのにそんなこと思っちゃって、なんか、そんなことうまくやろうとかって思っちゃって、背伸びして見せても結局はまだあどけないんだから、だからまだ、僕達子供でいていいんじゃないかってそう思ったんだ。
子供だから、別にセックスのことなんかよく分らないんだけど、でも、子供のくせにそんなこと知っちゃったから、なんとかしてそれ、自分の中で一生懸命自然にしようとして、なんか、ビクビクしたり、自然だと思ってみたり、アンバランスなまんまに大人ぶって――何故かその時、僕、木川田のお父さんのこと考えてた。あんなになるのヤだなァって。なんであんなに怒んなきゃなんないのかって。すごくバカらしい。僕、あんな人になりたくないし、だから僕、まだ当分、子供のまんまでいていいんだって、何故かしんないけどそう思ってた。
木川田スースー寝てて、寝てるんだから、僕、やっぱり好きだと思って、だから僕、いけないのかもしれないけど、木川田の口に、キスした。
僕がドキドキしてるわりにはなんともなくて、木川田黙って、スースー寝てた。朝が来るんだなァってその時思った。
Tシャツ一枚で寝てて、肩ンとこが冷えてて、僕のこと好きかなァって聞きたいと思った。木川田寝てて、どうせこいつ、なんにも言ってくれないだろうなァって思ったけど、でもいいんだ、こいつは肉体《フイジカル・ラブ》、僕は精神《スピリチユアル・ラブ》だから――何言ってんだい。
人が「おやすみ」って言ってんのに知らん顔してサ。時計見たら、六時三分だった。そのまんま寝ちゃった。幸福って、ドキドキするんだ。
16
マァ、静かだけどサ、チリ紙交換通ったって、別に朝は静かだけどサ、日曜の朝だから。
朝起きたら十時なんだ。木川田起きてて、目ェ覚したら、パッチリ視線が合ったんだ。僕としては、爽やかに「おはよう」って感じだったんだけど、木川田一人でニタニタ笑ってんだ。僕としては、ワリと精神《スピリチユアル・ラブ》≠セから、にっこり笑って「なァに?」って言ったんだ。そしたら、マァ、なんつったかっつうと、あいつ、ニマーッて笑って、「お前、でっけェなァ」って言うのォ!
現実って、こわい。
17
マァねェ、僕としてもねェ、大変なの引きずり込んじゃったかなァ、とか、思ったりはすんだけどね。面白いは面白いけども。
起きてサァ、イチャイチャはやってたんだァ、ベッドの中で。アレはイチャイチャ≠セと思うよ、僕もう、道徳なんてないから。
デカイはいいけどサ、デカイもへったくれもなくてサ、あいつ、面白半分にやたらキスするから、僕、「やめてくれ」って言ったんだよね。しかしまァ、よく考えたら、男同士が昼間っからするようなことでもないけどサ(夜でもどうかと思うけど)。マァいいんだけど。したら、兄貴が呼ぶんだよね、「薫! 薫ッ!」って。
日曜日だからサ、僕も寝てると思ったんだろ。兄貴の部屋隣りだからサ、それで、いつもそうやってるみたいに、外から僕のこと呼ぶんだ。片っ方じゃ木川田がキスしてんだけどね、僕ついうっかりして、「なァにィ?!」って言っちゃったんだァ。片ッ方で「やめろよォ」で、片ッ方で「なァにィ?!」なんだよね。一瞬、「あ、やばい!」とか思ったんだけど、時や既に遅しで、「おい薫、お前、俺の――」って、兄貴が顔出しちゃったのね。
そん時の顔、見物だったけど、一遍に四十も歳とっちゃったみたいな顔してね、ハハ。「あ!」とかって言ってる訳。
そしたら木川田、すかさず、「こんにちはァ」なんて言ってサ、兄貴バカだから「あ」とか言って、「どうも」なんて言ってんのね。
言って気がついたらしくって、「お前ら何してんだ?」って言うのね。「寝てんだよ」って言ったら「あ」って。バカみたい。「あ」しか言えないの。だから「何してると思ったんだよ?」って言ってやったんだけど、もう、木川田なんてうまいのね、さっき迄人の体撫で回してたのが、全然真面目な顔して、「おにいさん?」なんて言う訳。何してたんだろうなァ、僕ら? あれだったらちょっと分んないと思うよ。あれ見て分る人間、ちょっと異常だと思うから。
兄貴なんかあっけにとられて、「お前、俺のラケットどこやった?」なんて言うのね、さり気なく。ウチの兄貴、テニスやってんだけどサ、ハハ。三年前から始めたってのが哀しいんだけどサ。マァいいんだけど、「僕知らないよ」って言ったら「あ、そう」とかって出てっちゃった。
結局ああなんだろうとは思うけどね。マァ、驚いたとは思うけどサ。弟以外誰もいないと思ってたベッドの上に弟以外の人間がいてサ、それが男でサ、どう見ても、二人で普通の男がやってるみたいなことやってたとは思えないような恰好しててサ。マァ、よく考えたら、普通の男はベッドン中じゃ普通もへったくれも関係なくって、複数ってことないんだけどね、普通の場合は。いいんだけどね。
兄貴、あんまし家に友達連れて来るタイプじゃないしサ。あ、そうでもないか? どっちかっつうと、それは僕だな。僕はあんまし友達家に連れて来ないもんね。連れて来るけど、大概、僕の場合は一対一なんだ。兄貴っていうのは、開けっぴろげっていうのをやりたい人だからサ、ワリと一杯連れて来る。「うるせェなァ」って思うけど――大体、兄貴の連れて来る友達って、あんまり頭よさそうな人いないから。
僕と兄貴三つ離れてて、よくあるでしょう? 弟が高校生で、兄貴が大学生で、兄貴が友達と高級な議論してて、それに弟が感化されてくとかサ――昔の話かな? 庄司薫の小説にあったけど、そういうのって、僕全然ないのね。国立なんだから、兄貴なんて頭がいい筈だと思うんだ、兄貴の友達もね。でも、そんなの全然思えない。友達何人も連れて来てワッハッハとか、ワザとバンカラごっこやってて、あんまり頭良くないんだ。ウチのお袋さんはサ、男の子はバカであるのが常識だって思ってる人だからサ、なんか、そういうもんだと思って、兄貴の友達が来ると、「やァねェ」とか言って一緒になってはしゃいでて、親父っていう人は、どっちかっていうと、自分が父親になってるのは間違いで、「自分はホントはお兄さんなんだ」って、自分ン家の中で親戚の叔父さんみたいな顔して生きてる人だから――しかし僕も、こういうこと言ってていいのかな? いいんだけどサ――僕なんて人間不信がつのっちゃうのね。だって、男なんて、バカになってワッハッハって、つまんない我儘勝手にやってれば、周りで勝手に目ェ細めてくれるっていう構図が、あまりにもはっきりしてるんだから。マァいいんだけどね。だからサ、僕なんかサ、家ン中じゃ、「グズグズしててはっきりしない人ねェ」ってことになってんの。家ン中じゃ、知性は母親が握ってるしサ、彼女がそう言えばそうなる訳だからね。マァいいけどサ。だから、僕なんてワリとザマァミロって感じはあったのね、その日曜日の朝はね。
下降りてったら――僕の部屋って二階なんだけど――母親が出て来て、「あら、お友達だったの?」なんて言うんだ。
「あ、兄貴が言ったな」とか思ってサ、「兄貴は?」って言ったら、「出掛けたわよ」って。「あんた昨日何時に帰って来たのよ?」ってお袋さん言って、「四時だよ」って言ったら、「やァねェ」って言って――なんでも「やァねェ」なんだけどサ――「どうやって帰って来たのよ?」って言うの。
「歩いてだよ」って言ったら「ホントにやァねェ」って言って、「お金ないの?」って言うの。ないから「ないよ」って言ってサ、それは僕の責任じゃないからね。そしたら向うは、「どこ行ってたのよ?」って言う訳。
「え? 新宿行ってサ、六本木行ってサ、そんで又新宿行ったら金なくなっちゃったから歩いて来た」って、一点非の打ち所のない理路整然とした答え方したらサ、黙っちゃった。「早くご飯食べちゃいなさい」って。
斯《か》くして何かは生まれて、彼女は関係のない所へ行ってしまった。母親がなんでも知ってる必要なんて、ないと思うもん、僕は。
僕らはね、もうしっかり小学生やってたんだ。「いただきまァーす」って。なんか、二人揃って朝の四時まで塾行ってたみたいで。僕なんか、家ン中でお客さん≠竄チてんだもんね。
親父が出て来て、木川田の顔見て、「あ」、とか言ってすぐ引っ込んじゃって、ひょっとしたら、ウチの兄貴って親父に似てんのかもしんない。
お袋さんは、木川田のこと見て驚いてた――みたい。
僕の友達って、松村みたいのが多いから、変ったこと言う人間てのは多いんだけどサ。だから、変ったこと言う人間には馴れてんだ。だけど、木川田っていうのは、変ったこと言う人間じゃなくて、見るからに変ってる人間だから、ちょっと、普通の扱いじゃ困るんだよね。家って、普通のことしか知らない人間ばっかりだから――そのクセ、自分のこと変ってると思いたい人間ばっかりだから――木川田みたいに、見るからに普通じゃなくて、そのクセ全然普通にしてる人間見ると、扱いに困っちゃうみたい。
どうせそうだろうなって思ってたから、だから僕、知らん顔しておとなしく小学生やってたんだけどね。マァ、見るからに変ってるけど、おとなしく御飯食ってるからそれでもいいんじゃないかとか思ったと思うんだ、彼女は。よく考えたら、下の子はかなりに変ってる子だったからね――下の子≠チて僕だけどサ。マァ、彼女としては、家ン中に変った子≠ェやって来たことで、我が家もかなりに、やっと現代的な家になったとかって安心してんのかもしれないね。知らないけど。
マァ、ウチの人間のことはウチの人間のことでどうでもいいんだ。マァ、あんまし初めっから僕とは関係ないから。いいんだけど、でもちょっと困ったのは木川田のことなんだ。別に困るっていうんでもないんだけど――ひょっとしたら困ってるのかもしれないんだけど、でもやっぱりちょっと違うような気もして、マァ、何かっていうと、要するにこういうことなんだけど――
あいつ、サンダル履いてタラタラ帰ってってサ。でも、あいつがタラタラ歩いてくとすごいね、もう、「みィーんな嘘だ」って体が言ってんのね。あいつそれやりに、ウチ迄サンダル履いて来たんじゃないかって思っちゃったんだけどサ、あいつの後姿、「どこのバカが朝の四時まで、サンダル履いて六本木うろついてっかよォ」って感じなのよね。ウチの母親なんて、ああいうの見て、キチンと人生の真実を見抜く練習をしなきゃいけないんじゃないかな、とか、僕は思ったんだけどサ、マァいいや。それはそれでね。
それからサ、又少し経ってから木川田と会ったんだ。用じゃなくて、ただデートしてただけなんだけど。そん時にあいつサ、「磯村ァ、お前、いいもんやろうかァ」って言うんだァ。新宿の喫茶店で、例の、美意識が『ガラスの仮面』のとこなんだけどサ――結局あすこの喫茶店、僕、『ガラスの仮面』てことにしちゃったけど――サブナードン中にあんの。そこでね、木川田がそう言った訳。
「なァに?」って、僕言ったんだよね。
「いいもんだよォ」っつって、木川田笑うんだ。
「なんだよォ」っつったら、「ホラ」っつって、写真渡すの。「なんだ、写真かァ」とか思って、僕、クルッと引っくり返したんだ。「いいもん」とか言って写真渡すから、ひょっとしたらポルノか、とか思ったんだけど、木川田がポルノなんか面白がるかなァとか思ってたから、多分違うとか思ってたんだよね。
だから引っくり返したんだけど、なんだと思う?
それが、ヌードなんだ。しかも男の。
僕サァ、そういうのって興味ないから、だから、「なんだよォ」って言って、返そうとしたんだよね。そしたら、「よく見ろよ」って木川田が言うんだ。僕なんかあんましよく見たくないから、「何を?」って言ったのよね。そしたらサ、なんてったと思う? あん時はさすがに僕もたまげたよね。だって、木川田、「よく見ろよ、俺ンだよ」って言うんだもん!
どこの世界にサァ、自分の友達に自分のヌード写真くれてやる男がいるよォ?! ねエ?
「やる」って言うんだよね。「高いんだぞ」って、言うんだよね。「二千円」だって。僕、金払うのかなって思ったんだよね、二千円≠トなんのことだか分んなかったから。そしたらサァ、言うんだァ、「それ、売り物だ」って!
あいつ、モデルになったんだって。あいつの写真、二千円で売ってんだって。モデル代五万で、あいつの写真、ポルノショップで売ってんだってェッ!! あいつ一体何考えてんだろ?
僕もバカだからサ、「ウチの人知ってんの?」なんて言っちゃったんだけどサ、知ったからって、どうにもなるもんじゃないな。「バカ」って言われたけど。あのお父さん、もう怒りようないしな。
でもホント、何考えてんだろ?
十枚一組で、スケスケのパンティー穿いてて(ホントなの)、穿いてないのもあるけど(何書いてんだ?)、丸見えなんだよね。(何書いてんだ?)
見えてんだ。見えててサ、――ついでだけど、それ全部≠チてことだよ――本気で悶えてんだ。本気って、ああいうことだよ。「バカな男がこれ見てセンズリかく」って言ってたけど、そうだろうけど、そうなのかもしれないけど、でも、あいつ、本気で裸やってんだよ。マァ、あいつのことだから、裸になったって、「バァカ」と思って舌出してんだろうけど、でも、写真になってんの、本気なんだよ。それ、僕にくれるって言うんだよ。
捨てる訳にいかないからサァ、持ってるけども。どうしてこういうの僕持ってるんだろ? 友達が裸になって、ポルノのモデルになって、その写真机の抽き出しに入れてる男なんて、多分、この世の中に僕一人しかいないと思うよ。どうすりゃいいの?
僕サァ、写真ほしい訳じゃないんだよね。はっきり言って、写真なんか全然ほしくないんだよね。僕はサァ、木川田っていう友達がほしいんだよね。どっちかっていえば、写真なんて、全然ほしくない訳。どっちかっていえば≠ヌころの騒ぎじゃないな、全然ほしくない。でもサァ、僕の机ン中にはあいつの写真があるの。写真だけあって、他はなんにもないのッ! そういうのあり?
僕はサ、木川田源一っていう、男のカッコウしたガールフレンド≠チてのは、ほしくなんかないの。
二人でサ、手ェつないでサ、なんにもすることないから、「どうするゥ?」って、ただそれだけかったるく言いながら、意味もなくタラタラ歩いてんのなんか、やなのッ!!
だってそうなんだもん、僕らのやってることって。
そういうのありィ? 僕やっぱりヤだよォ。だって、女相手でさえヤなんだよォ。女だったらそういうことだけで満足してる女はバカだっての分るけどサァ、男だもんなァ、あいつ。バカだかりこうだか、全然分んない。
僕思うんだァ、男とか女とかって区別関係なくてサァ、ホントの話が、付き合いっていうのが、ただ「どうするゥ?」っていうだけなのって、やっぱりヤじゃない。
ヤじゃない?
僕はヤなのね。だって、僕っていろんなこと喋りたいんだよね。もうサァ、「別に」とか「いいけど」とかっていうの、そういうのヤなのね。でも木川田って、「別に」と「まァな」と「いいけどな」っていうのの、ホントにすごい塊りなんだよ。森羅万象、それだけで切っちゃうんだもォん! そんなのやっぱりつまんないよォ。
机開けたらサ、あいつの写真が笑ってんだよね。丸出しで。一体僕に何しろっていうんだよォ! なんだか全然分んない。
だってあいつ、本気なんだよォ。本気で脱いでんだもん。僕サァ、あの写真見てるとサァ、ヘンな気になっちゃうんだよねェ。
だってサァ、あいつサァ、ヘンな気にさせる為に裸になってるんだからサァ。
僕知らない。
もう、どうしたらいいのかよく分んない。いいやつだってことは分るし、大したやつだってことも分るけど、でもあいつ、それだけで、他になんにも言ってくんないんだもん。そんなのやっぱりつまんないじゃん。寝るだけなんて、ヤなんだよね。そうなんだよ! 寝るだけなんてヤなんだよォ! あーあー、なんてこと言ってんだろ僕はァ。あいつ女じゃないんだぜェ。あいつ男で、俺だって女じゃないんだぜェ。こんなのって、ありかよなァ……。あーあ、もう、どうしたらいいのか、よく分んない。
あいつ、一体何考えてんだろ? なんにも考えてないのかな?
僕、ホント、困っちゃうんだよねェ……。マァ、ああいうヤツがいたっていいんだけども……、ちょっと、よく分んない。どうしたらいいのか、ホント、もう、よく分んない。分んないよ。 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あ、まだなんか言うことあると思ってたら、クラス会があったんだ。
なんか、僕としては、もうあんまりはっきりと興味ないんだ。やることはやるけどサ、でもサァ、あいつ、一体、何考えてんだろ? ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………なんだか全然分んない。どうなるんだろ? 僕達。
桃尻娘《ももじりむすめ》 東京代理戦争《とうきようだいりせんそう》
―――――代々木ゼミナール早慶上智文系BL 榊原玲奈
唐突で悪いんだけど、磯村クンて、ヘンな人ねェ。あたしこないだクラス会行ったのね、高校ン時の。通知貰った時なんかサ、「あ、あたしに隠れてこんなことやってェ」とか思ったんだけど、暇だから行ったの。折しも、その日は代々木ゼミナール恒例の秋季大運動会の日だったんだけど、あたしだって、東京体育館の中で貫一・お宮≠フ札持って走りたい訳じゃないから、クラス会行ったのよね。高田馬場の『マリエル』っていうイタリアレストランなんだけどサ、きったないとこなのよォ、あたしより先に大学入った人達がどんな青春送ってるかすぐ分っちゃうわ。マァ、いいけども。そういうこと言うとあたしの性格が悪くなるから。
まァ、みんな老けたっていうか、みんな昔からとっちゃんボーヤだったっていうか、何着てもサマになんない年頃ってあんのねェ。人のこと言えないけど。
大体アレね、昔パッとしなかった子ほど、なんとかサマになるわね。昔いっぱしだった子ってダメね。ダメっていうか、あすこが限界だったっていうか、もうあの先ってなかったのねェって、はっきり思っちゃった。
なんかやってんのよね。みんな、一生懸命青春をエンジョイしてんのよね。あ、今思いついたけど、エンジョイ≠チて演じよい≠カゃない? なんかみんな、精一杯演じてるもん。『広告批評』なんて持っちゃってサァ。あははははは。あたし、過去知ってんのよ。ションベンライターが今更何言ってんだって言うのよねェえ、ルン! だ。どうでもいいんだけど。みんな、暗がってんのよねェ、男は。女なんて興味ないから知らないけど、なんか、みんな奥歯に物がはさまったみたいな顔してんのねェ、女は。自分じゃどう思ってんのか知らないけど、男がみんなフラフラしてるから、自分どっち行ったらいいのか分んなくて、口だけで笑ってんのね。アーア、みんな、短大の英文科行けばいいんだわァ。あたしなんか関係ないもん。一人で、清く正しく生きてんだから。
男なんかなによ、っていうのよねえ、っと。
松村クンが来てたの。ここゴシックね。
どうして? 教えてもらいたいわ。
あの人、ウチのクラスじゃなかったのよ。なんであの人、あたしンとこのクラス会に来るの? 典型だと思っちゃったわ。
なァーにがロリコンよねェ。なァにがビョーキよねェ。なァーにがヘンタイよくない子だっていうのよォ。みんな知ってんだからァ。あたしに振られただけじゃないよォ! みんな知ってんだからァッ!!
一人だけカッコつけちゃってサ、なァにが「大学やめた」よ。ミニコミがなんだっつうのよ。あんな汚いとこで、冴えない男相手に落語長屋やってェ! ガキが背伸びしたいだけじゃないのォ! 顔が老けてるから、背伸びしたってバレないだろって、そう思ってるだけじゃないよォ! あたしもう、はっきり分ったわ、あたしの今までの生涯毒してたのってああいう男なんだってッ!!
あたしもうクサイ男キライ! 猫背なんかやだッ! シブがき隊のがまだバカだから可愛い! よく考えたらブキだから、あんまりそこら辺よく考えない! シブがき隊のがまだ可愛い! 田原俊彦はブキだから可愛くない。似たようなもんだけど、ホントは。ここら辺よく考えるのやめる。
あたしはっきり分ったのね。あたしズーッと忘れてたんだけど、あたしって、今の今まで、幼い時からズーッと物心ついて以来、こと男に関しては、はっきり面喰いだったの!
面喰いだったのよォ、あたし。はっきり分ったわ。男は顔よ。顔じゃなかったら嘘だもん。女をうっとりさせてくれる以外に、一体なんの役があるっていうの、男に? 男が頭いいなんて当り前でしょ? 当り前よね。当り前だと思うわ。この際はっきり、当り前ってことにしといてもらいたいと思うわ。
でも女って強いわねェ。失恋した当時は死ぬかと思ったけど、でも、失恋てするものねェ、そうじゃないとなんにも分んないわ。
大体あたし、なんで松村クンのことヤだったかよく分んなかったのね。なんか知らないけど、よく、ヤだったのね(日本語になってないけど)。もう、今なんかはっきり思うわね、あんなのと寝なくてよかったって。もう、あたしって、自分の体つくづく大事だもん。だァーれがあんなバカと寝るもんかっていうのよ。だんだん興奮して来ちゃうわ、どうでもいいんだけど。だからあたしね、松村クンがやって来た時に分っちゃったの。
あの人、磯村クンと仲いいのよね。磯村クンて人も人がいいからサ、ワリと、松村クンになんか言われるとハイハイってなっちゃうところがあるのよね。それがあるもんだから、あの人、人のクラス会に図々しくやって来たのよねェ。なァにが「ハァイ!」よ。そんなことやれば自然になるとでも思ってんの? あたしもうはっきり、なめられてんだと思ったわ。
なんか知らないけど、自然風な顔して人のクラス会出て来て、それでサァ、今まで別になんともなかったみたいな顔して、あたしとの仲元通りにしようとか、そういう魂胆見え見えなのよねェえ。あたし、今まであたしはあの人の鈍感さが嫌いだと思ってたのね。でも違ったわね。今度はっきり分ったわね。あたしは、何が嫌いかっていうと、あの人の、鈍感さを装った図々しさが嫌いだったのよねッ!
ああいう図々しさってあるゥ? ねェ! あるゥ? (ああ、どうして日本語にはこういう時につけるマークってないのかしら? クエスチョン・マークじゃなくってサ、怒鳴りながら、しかもイヤミったらしく疑問になるような文章の終りにつけるマーク。だって?!≠セったら、いくらなんでも露骨にカマトトくさいでしょう? 誰か考えてほしいわ、余談だけど)
エーと、どこまで行ったんだっけ? あ、そうか。あたしってのも、かなりなとこまでしつこいわね。ああいう図々しさってあるかっちゅうのよ! あたしもう、言っちゃうわッ!
図々しいと思わない? あたしは別に自分の高校ン時のクラスなんて愛してないけどサ、要するに、みんなが集ってるからああそうですか、な訳。あんましうまく言えないけど。あ、そうだ、例えば、女の子だけでサ、三人位で集まろうかって時にサ、そこに男がついて来たらどうだっていうのよ。
女だけで集まろうかっていうんだからサ、男なんて関係ないのよ。そうなのよ! そういうことがあったのよ。話どんどん飛んで悪いんだけど、夏休みぐらいにそういうのがあったのよ。女だけで集ってっとこに男がやって来てっての。
久美がね――久美ってのは牧村久美ちゃんよ、今年美大入ったのよ。その子がサ、大学で友達になった子っていたのよ、ワリと素直で可愛い子でサ、直美ちゃんていうんだけどサ、夏休みになる前にね、その子が元気ないからっていうんで、慰めてやろうかっていって、三人で会ったのね。会うことになってたのよ。なんかサ、直美ちゃんて子はサ、彼とあんまりうまく行ってないとかってのがあって、だから可哀想だねっていって、それで、女三人でキャーキャーやろうとかってことになったのよ。なったのにサ、そこに男が来たのよ。演劇やってんだかなんだかってのがカッコつけて。だァれが深水三章だっていうのよ、ダサクサイ。ヘンにカッコだけがよさそうげなのが、僕は三年間フランス行ってましたみたいな顔してサ。「ああ、僕、女の子のことみんな分ってるよ」「僕頭いいよ」って顔してサ。なに言ってんの、直美ちゃんに振られそうだから、あわてて御機嫌取りにやって来たんじゃないよ。そいつがサ、勝手に直美ちゃんと一緒にやって来てサ、あたしと久美が話してるとすぐ、「あ、その話、僕にも分る」って割り込んでくんのね。直美ちゃんなんてサ、前会った時なんかもっと可愛いかったのにサ、男が一緒に来ちゃったもんだから、「フフゥ、ベタベタベターッ」って感じでサ、一遍に十も二十も年取っちゃったみたいでサ、ホォーント、可愛くないの。
そんなサァ、男とうまく行かないからってグジュグジュしててサァ、そんでサァ、可哀想だから慰めてやろうかって時にサァ、男なんか連れて来んなって言うのよォ! 男とうまく行ってんなら、そんな、こんなとこに出て来なくたっていいじゃないかっていうのよォ。前の日にサァ、久美の家に電話かけて来たっていうのよねェ。「あのォ、彼も行きたいっていうんだけど、いいかしらァ」って。
「来たけりゃどうぞ」って言っといたけどサ、そのサ、二人がうまく行かないってのはサ、男ってのが気の多い男で、そんで、直美ちゃんてのも、顔に似合わず凄腕だっていうか、もう一人高校時から付き合ってた子がいて、その子と彼と――演劇≠フ彼がユキ≠チていうんだけどサ、行生《ゆきお》っていうの。その彼とユキ≠ヌっち取るかっていって、「ユキのが素敵だけど、あの人女にもてるから私自信ない」とかって、よく考えりゃかなりにアホらしい話だったんだけどサ、マァいいわ。その男が来た訳よ。
一体、どういう心理で来るかっていうのよ? 「直美ちゃんがどういう人達と付き合っているのかなァ」なんて、「知りたいなァ」なんてこと言って、放っといたら、又別の女に手ェ出そうって魂胆見え見えで来るんじゃないよォ。
あたしのこと、「個性的だ」って言うのよ、そのユキ≠ヘ。なァにが「個性的だ」っていうのよ。あたしもうそんなこと言われたくない。個性的≠ナ話が分って=Aあーッ、いやだッ!!
いい加減にしろっていうのよ。あたし、そん時、「あ、この人松村クンに似てる」って思ったの。松村クンは別にそうだったって訳じゃないけど――でも放っといたら多分そうなったと思う、だってあたしの前で、よく女の子の話≠オたもん。あ、なんの話かっていうと、あたしのこと個性的だ≠チていう男はサ、あたしの他に、もう一人女ってのがいるのよね、それこそ直美ちゃんみたいに。
もう一人女がいてサ、それが可愛くってサ(正確にいえばブリでサ)、おとなしくってサ――、はっきりいえばグズでサ――そういうのと付き合っててサ、日常的なフルコースは間に合わせてサ、そんでちょっと刺激が欲しくなると、話が分って個性的な女≠チてのひっかけんのよね。あたしは妾かっていうのよッ!
なァめたらいかんぜよォ!! あ、夏目雅子って素敵だった。あたしもうレズになりそう。
ユキオって男がそうなのよね。直美ちゃんおとなしそうだからつかまえといて、それでその子にヌカミソつけさしといて、そんで、その子がいないとやばくなるから御機嫌とって、アワよくばもう一人個性的なの捕まえようとか思って、女ばっか集ってるからいい機会だから捕まえようとか思ってやって来て――なめてると思わない? 別に、あたし達は、男に飢えてる訳じゃないんだから。まともな男がいなくて困ってるだけなんだからッ!
アーッ、それをあの男は、バカクサイ!! ノシノシ〓〓〓〓、人のクラス会やって来て、あたしはあんたの女房かっていうのよッ!!
なにが「やァ」よ、なにが「ハァイ!」よ。そういえば、別れた歳月が帳消しになるとでも思ってんの?! ああ、歳月≠セなんて、ウーッ平岩弓枝ドラマ劇場だわ。
とにかく、あたしはあんたがバカだから別れたんだからねッ! 一本も電話もよこさないでサァ、なァにが「ハァイ!」だッ! バカヤロォッ!!
ああ、すっきりした。
すっきりしたら、なんかこの話する気がなくなって来たわ。なんか、面倒臭いからこの話又にするわ。あたし、そんなことより勉強があるから。じゃァね。
あ、その松村クンのことはおいとくけどサ、クラス会も結構なもんだったわよ。源ちゃんが西窪クンに水ひっかけてサ、醒井さんが気絶しちゃってサァ、まァ、なにやってんだか。あたしも、早いとこみなさんのお仲間入りがしたいわ。じゃァねッ! パピ
(第二部・完)