さらば銀河1
栗本 薫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)躯《ボディ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)地区|界隈《かいわい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)彼の心[#「彼の心」に丸傍点]
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〈カバー〉
書下しSFファンタジー
鋼鉄の躯《ボディ》。鈍色《にびいろ》の貌《マスク》。哀しき超戦士《スーパーソルジャー》・ブルー。果てなき旅路《ストーリー》は、銀河に愛を奏《かな》で幕を開ける。
煌《きら》めきの書き下ろし・SFファンタジー
身長二メートル六〇。体重は五〇〇キロに及ぶ。鋼鉄と合金によって造《つく》りあげられた超戦士《スーパーソルジャー》、その名はブルー。銀河政府が生んだ最強の戦闘用マシン。辺境星区での苛烈《かれつ》な激戦のすえ部下全員を喪《な》くし、彼《ブルー》は僅《わず》かな安息を求めクロノポリスへ降《お》りたつ。「ブルー、あなたを探してた」忽然《こつぜん》と現れたひとりの女。オリヴィア。天使の如《ごと》く、王女の如く、七色を映《うつ》す彼女の瞳に、ブルーは揺《ゆ》れた。曾《かつ》て人間だった彼の心[#「彼の心」に丸傍点]は何かを求めた。旅の始まりだった。恋。焦燥《しょうそう》。喘《あえ》ぎ。そして鋼鉄の接吻《キス》。永《なが》く遠い、常闇《とこやみ》の孤独への旅。物語はいま、愛に彩《いろど》られて宇宙《そら》へと向かう――。人気絶頂の著者が放つ書下しSFファンタジー、感動は数万光年の彼方へ。
●作者のことば
これは〈愛〉の物語です。また〈恋〉の物語でもあります。私はこれまでたくさんの小説を書き、その大半は恋と愛どちらかの物語でした。しかしいま、私は、私にとって一番大切なこの二つのテーマを究極まで追いつめる、そんな物語を書いてみたくなりました。これは、「銀河系でいちばん強い戦士」と、「銀河系でいちばん美しい女」との、銀河系さえ破壊してしまうほどの、「この世でいちばん激しい恋」の物語になるはずです。
略歴=一九五三年東京生。早大卒。第24回江戸川乱歩賞受賞後、推理・SF他多方面で活躍。
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KADOKAWA NOVELS
さらば銀河1
栗本 薫
[#地から1字上げ]イラストレーション/いのまたむつみ
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第一章
プロローグ
たぶん、私の目をとらえたのはその女の何ともいえないふしぎな目の色――それだったのだ。
たしかに美しい女だった。それはたしかなことだ。その女が入ってくるなり、酒場じゅうがどっとどよめいたような感じさえあったのだから。ひどく人目をひく、美しい女、一目で何とも高価そうな女だ、という印象を必ず与えずにはおかない。私はしかし、美しい女をけっこう見なれていた。この女よりもっと美しい女の名でも、よく考えると数人はあげることができた。といってもそれは彼女をおとしめることにはならぬだろう。なぜなら、私がたしかにこの女よりもっと美しい、と名ざすことのできる数人の女というのは、おそらく全銀河系で五指に入る絶世の美女として名を知られる女だけだったのだ。
これは途方もないほめことばでもある。しかし、たしかにその女はきれいだったのだ。が、それが、酒場の他の客たちのようには、私の胸を打たなかったのも、たしかなことであった。
どうしてだろう――私は濃いサングラスにかくされた光電子アイで彼女を見守りながら分析した。私はいつも自分の心理や反応を分析し、的確につかんでおくよう習慣づけていたからだ。まず、どうして、この女が、私に、そのかなりすごい容姿のわりにつよい感動をひきおこさぬのか、ということ。私はいつも美しいものが、男女も生あるものかどうかもかかわりなく異様に好きでならない。どうしてかはよくわかっている。自分に完全に欠落しているファクターであるからだ。私が醜いというのでは必ずしもない――そういう基準をあてはめるには私は人間という概念からかけはなれすぎた存在だ。しかし、だからこそ、自分から奪われ、あるいは拒《こば》まれてあるいろいろなものがすべて私の心を、異様に魅了してやまないのだった。
そう――このレベルの美しさならば本当なら、私にもっと美術品を鑑賞するつよいよろこびを与えてくれているはずなのだ。それが、なぜ、そうでないのか。――設問。
解答はいつもすんなりと出てきた。答――彼女は、何というか――そう、何かが違っている[#「何かが違っている」に傍点]。
こんな云い方が私以外の人間に伝わるのかどうか――しかしともかく、彼女は嘘をついていた。とても美しく、セクシーで、印象的で、あでやかだったが、どこかに嘘があった。
そういうことで私を偽《いつわ》ることはできはしない。なぜなら、私は、外見にごまかされず、真実を見破ることによってだけ、こうして生きのびているのだからだ。匂い、音、視覚、ありとあらゆるごまかしやいつわりはつねに私を本能的な警戒体勢にとびこませる。それが長年第二の天性となった結果、私は他の何ものにもましてつよく、〈真実〉を私の守り神とするようになってしまっていた。
彼女には嘘がある――どんな嘘で、どうしてそうせねばならぬかは、むろんわかりようもないが、そのことだけは私には一目ではっきりとわかった。彼女はすらりとして、かなりの長身で、そしてきゃしゃだった。といっても弱々しい感じはせず、優雅でたおやかな、ムーン・ボートみたいな細身だった。そのスタイルにはおのずからなる威厳があり、そしてどこにいても、何をしていても、ひと目で人をひきつける、つよい輝きのようなものを具えていた。ただ美しいというだけなら何の価値もない。私がいかに美を愛するからといって、その奥の魂も美しくなければ、造作の美しさや調和だけでは何の意味もない。
彼女は、そういう、人形みたいな美人ではなかった。彼女の美しさが印象的なのはたぶん、その奥にひそむ魂のゆえだった。何か、高貴で、清冽《せいれつ》で、その上激しい感じがした。それはとてもみごとだった。しかも彼女は嘘をついていたのだ。
これはだから私の直感で、何一つ証拠があったわけではない。あるわけはない。私ははじめて彼女を見ただけなのだから。しかししいて理づめにするならば、とにかくまず、彼女のような美しい高価そうな女は、こんな盛り場の酒場を一人でうろつきまわったりするものではないはずだ。
もっとも、そちらの方は、まだ説明がつかなくもない。もし、彼女がだれかこのあたりの有力者の持ちものであるというのなら、彼女にはどんな暗い路地をでも、一人で歩くことを恐れるいわれはまったくないわけだ。あるいはまた、じっさいには外にボディガードがいるとか、たいへん強力な武器をもっているとかということもありうる。こんな酒場では、どんなことだっておこりうるのだ。たとえば彼女がとても有名な|殺し屋《ヒットマン》だ、というようなことでさえ。
そう、だから証拠としては、もっと直感的なほうのものがつよかった。たとえば彼女の身にまとっているもの。
彼女はメタルクロスのとてもぴったりしたジャンプスーツをつけ、髪を同色のターバンでぐるぐる巻きにしてアップにしていた。ターバンのふくらみからみてけっこう髪が長そうだ。細い長い首にうすいスカーフをまきつけ、肩から袖を通さずに大きめの男もののジャンパーをひっかけている。ジャンプスーツは、両肩のところが三角にくってあって、ひんやりと冷たそうな白い肌が見える。細いウエストには幅の広いサッシュベルト。
それはべつだん、とても珍しいかっこうというわけではない。このクロノポリスの市民《シチズン》の女なら、どの階級《クラス》でもしておかしくないかっこうだった。それに、このへんでいかがわしい商売をしている女でも、仕事のときはむろんもっと色気たっぷりのなりになるにせよ、ふだんはこのていどのかっこうもするだろう。ターバンが、比較的あやしいといえばあやしい――ターバンはふつう水商売の女がわりあい愛用するものだ。上級市民はあまりしない。が、絶対にすることはない、ともいいきれない。
つまりはどちらにしてもこれといった特色のあるわけでない恰好《かっこう》なのだが――にもかかわらず――訂正。そうではない。それがそもそも異和感なのだ。こんなに目立つ、印象的な女が身につけているには、このなりは、あまりにふつう[#「ふつう」に傍点]すぎた。だからといってそういうなりをしてはいけないというのか、とでも云われれば、そんなことはないというしかないのだが。
しかしとにかくこれが彼女のいつも身に馴染《なじ》んでいる服装でないことは賭けてもいい。もしそうなら、もっと何というかパーソナリティそのものがこの服にあっていなくてはおかしいのだ。あるいは服が彼女にあっているか――こんな平凡ななりをしていて、彼女はどうしていかにも借り着をしているように見えるのだろう。もしそう[#「そう」に傍点]だからなのだとすれば、彼女には、わざわざ一番目立たなさそうな服を手に入れて、それをまとってこんな酒場へやって来なくてはならぬ理由が何かあるのだ。
むろんそのとおりのことばで考えたというのではなく、むしろ、直感的に感じたことをあとで解析してこうなったというのが正しいのだが、これはそれだけでも、私がこの美しい女に対してとりあえず警戒心をもっておく、立派な根拠だった。
たぶん、それゆえに、私は彼女の美しさに他の酒場の客たちと一緒になってどよめくかわりに、何となく一歩ひいて身構える心持になったのだ。彼女は酒場の入口に立って腰に手をあて、誰か知りあいでも探すように、じっと中を見まわした。その卵なりの小さな顔はいくぶん派手めにメイクされて、唇ははやっているらしい玉虫色に輝いていた。
ふつうならたちまち、男たちがのみものをおごり、話しかけるきっかけをとらえようと、われがちに寄ってゆくだろう。しかし、彼女には、みなじっとくいいるように見とれているくせに、ちっとも寄ってゆこうとしないのだ。それは、おそらく、彼女が少しそうして誘いの水を向けるには美しすぎ、堂々としていすぎたからだった。みなも結局、この女に手を出して、とびこんできた用心棒に、殴られるくらいならまだしも、そのままシベール運河に浮かぶことになる光景をありありと想像したにちがいない。
彼女の方はいっこうにそんなことを気にするようすもなかった。じっと、求めるものを見出そうとするように、何十人かいた客の一人一人の上に視線を走らせる。すっと一瞬でたいていは次の一人へと目をそらすのだが、中にはもう少し長く見ているものもある。そのつよい凝視をあてられると、見られた方は思わずどぎまぎして目をぱちつかせたり、目をそらしたり伏せたりした。彼女の目は、まったくその自分のひきおこした反応には心をうごかされる余地はないかのようにうごき、この店(たしか「ケンタウロス」とかいう名の酒場だった)の中にたまたま居あわせた、二十人あまりの客――ほとんどみな男型《メイル》だった――をすべて走査《スキャン》し――そして、さいごに――私の上でぴたりと止まった。
私は目を伏せもそらしもしなかった。というより、できなかったのだ。私には、まぶたというものが与えられてなかったので。といってもする気もなかったのだが。
彼女の表情はまったくかわらなかった。彼女は私を眺《なが》め――上から下までもう一回よく眺めた。そしてもう一回。
それから彼女は、猫族を思わせる優美なすべるような動きでうす暗いフロアを横切って、まっすぐ私のところへ歩みよってきた。私は身じろぎもせず、ただ座っていた。漠然としたトラブルの予感。
もっとも、恐れたわけではない。私にはそういう情緒はセットされてないのだ。それにどんなトラブルでも、私はちゃんと対処することができる。
彼女が私の前にくる。入口に立っているとき、ずいぶん長身に見えたのだが、前に近づくとさすがに私の胸までもない。頭のてっぺんが、私のみぞおちくらいなものだ。店じゅうの人間が、客も店のものも、じっと私と彼女を見つめているのがわかる。
「あなただわ」
彼女はゆっくりと口をひらいた。私は黙って彼女を見ていた。
「あなただわ。――探したわ」
彼女はくりかえす。その声は耳に深みをおびてひびく、細めのアルトだった。
「俺じゃない」
私も云う。私の声は電気を通した、耳ざわりな騒音だ。
「あんたを知らない」
「私も知らないわ。名前は?」
「云う理由は?」
「知りたいから」
「ブルー」
「ブルー」
うたうように、彼女はくりかえした。
「ブルー。あなたを探してた」
「俺には探される理由がない」
私はそっけなく答える。すると、彼女は目をあげて、そして、私は、彼女のその目を見たのだった。
生まれてはじめて見るような、何色といったらいいのかよくわからない、あやしくたえず色を変える七色の瞳。
金も、銀も、青も、茶も、緑も、赤もある、あまりにもふしぎなオパールのような瞳。ただ、夜の黒だけが、そこにはなくて……
そのまとっている平凡な服とも、その服が包んでいる非凡な容姿、そのあでやかなくせにどこか涼しげで、淋しげな顔とも、まるで無関係に、そこだけちがう生き物のようにみえる――瞳。
その目、そのものに、あやしい生命と力と魂があった。こんなふしぎなものを見たのははじめてだった。
私はゆっくりと目をそらした。
「ブルー」
女が呼んだ。私はスツールからおりた。
「幾らだ」
「五十クレジット」
「釣《つり》はいらん」
百Cのカードを切って、そのまま女のわきをすりぬけ、フロアを横切る。人々が見つめているのがわかる。ダンスフロアでは、頭を昔くさいシャンデリアにぶつけないよう、少し身をかがめなくてはならない。
「待って。ブルー」
うしろから、アルトの声がきこえた。私は自動ドアから踊り場に出、コントローラーで地上におりて、外に出た。
外は、クロノポリスの夜闇。
人工の夜空が頭上にひろがる。まだ、メタルクロスのスーツややわらかいトーガをつけた上級市民や、制服のワーク・クラス、ミドル・クラスの市民《シチズン》たちがそれぞれの楽しみをもとめてシベール運河の周辺を行き来している。
何条もの光線が、ドームの天井をてらし出し、ひきさいた。私は、大股に歩き出した。例によって、群らがっている善良な市民たちは、うたれたようにあわてて道をよけてくれる。子供《キッズ》たちはときにはあこがれの目で見つめる――が、この時刻には、起きている子供はいない。
奇妙な異和感とないまぜになったあの声とあの目が、まだ去っていない。
かまわずに私は歩きつづけた。発着するスペース・ボートの光線が私の異形をそめあげては、消える。光電子眼にとっては何の眩《まぶ》しさも感じられない。
トラブルの予感がすっかり消えたわけではなかったが、他に何か、予感があったわけでもなかった。ごく古くさいはじまり――そう、私は、知らなかったのにちがいない。ものごとが、この時代でさえまだ、こんなにも陳腐《ちんぷ》でありきたりなはじまりかたをすることがあるものだ、ということを。
1
クロノポリスでは、夜は長い。
ことにこの、シベール地区|界隈《かいわい》では、ほとんど時間などあってなきにひとしい。ここに住む人々は、クロノポリスの繁栄とは無関係に、いつ、どんな時代にでも存在するあの人種――はみ出し者たちだった。
執政官《アウグスタニ》たちはあまりにも賢い。かれらは、何億というスケールにふくれあがり、ひとつの星すべてにさえひろがるほどのスケールをもつようになった超巨大都市をなめらかにスムーズに運営するために、闇や、酒場や、汚らしいすみっこの効用すら、きわめて理論的に研究しつくしていた。ひと昔まえの都市学のようにそれらを放逐し、ご清潔な都市計画を実現するかわりに、かれらは闇と汚れとアウトロウにも存在を認めることで、強固で安定した多重構造をつくりあげたのだ。
私に関して云えば、クロノポリスに限らず、どこへいっても決ったようにこういう汚らしい穴ぐら、泥まみれの隅っこにひきつけられる、その理由はきわめてはっきりとしていた。私は自分の前身や遺伝子については何も知らないのだが、ともかく私はうすぐらい闇とうしろめたさ、けだるさといかがわしさが好きなのだ。その中でしかくらせない、というか安心して呼吸ができない。まかりまちがっても、運河のずっと北のアイル地区の、ぴかぴか光る超高級ホテルや官公庁街へなど、あらわれたくもない。私がそのへんをこの図体で歩きまわったら、人々はどんな目つきで見るだろう?
私にはうす闇がふさわしい。もっとふさわしいのは宇宙空間のあの暗黒だ。あの中では、ゆっくりと呼吸ができる。何物にもとがめられたり、怯《おび》やかされていると感じることなく、この異形の存在すべてをあるがままに存在させることが許されるような気がする。
闇は好きだ。それはいつも私に親切だった。私の味方だ――戦うときも、つかのま憩うときも。もっとも苦手なのは白くまぶしい朝の光だ。別に光電子眼には、それが耐えられぬ、というわけでもありはしないのだが。
またいつも、どんなところでも、はみ出し者たちの方がずっとやさしく、寛容なものだった。私のような怪物を白い目で見ることもないし、特別扱いもしない。ただそっと身のまわりを闇で包ませておいてくれる。
たとえクロノポリスがどんなに清らかで明るくても、私のゆくのはいつも裏通りのシベール地区なのだった。
その雑踏を歩いていっても、みんな道をあわててよけはするけれども、別にイヤな顔や物珍しげな顔はしない。「ケンタウロス」を出て、何百メートルか歩いてから、また名も知らないクラブへ入る。今夜は私の何ケ月ぶりの休暇なのだ。誰にも、邪魔されたくない。次にいつ、休暇と呼んでいいものがとれるのか、まったく知れたものではないのだから。
さっきより、店はだいぶせまく、私がかけると鉄のスツールはぶきみにきしんだ。どうせ、少しでも酔うというわけでもないのだが、合成酒を注文し、それからおもむろにふりむく。仏頂面《ぶっちょうづら》で、というわけではない。私の顔は、表情をかえることができない。
「いつまで、あとをくっついてくる気なんだ」
「あなたが、話をきいてくれるまでだわ」
即座に、耳に快いアルトの声がかえってきた。私はあのえもいわれぬふしぎな目を見るまえに目をそらし、きゅうくつなスツールの上で身じろぎした。ジューク・ボックスは「シリウス行きのスペースボート」をやっていた。
「何の話をきけというんだ」
「そこへいっていいかしら――ブルー」
私は肩をすくめた。
「俺の買った椅子じゃない」
「何を飲むの?」
私は答えず、青っ白い細く小さいバーテンダーのおいた合成酒を一息にあおった。酒はあまり私に影響を与えるというわけでもないが、しかし飲まないよりはいくらか高揚するのもたしかだ。それに、そうでもしていないと、私には、時間のつぶしようがない。
「同じものを。二つ」
彼女はバーテンダーにむかって云った。
「よした方がいいんじゃないのか。この酒は強い」
「私、強いのよ」
「そうは見えない」
そこまで云って、口をきいたことに後悔して私は黙った。口をきく気はなかった。トラブルを恐れはしないが、ない方がしずかでいい。そしてこの女くらい、トラブルの予感をかきたてる存在は珍しい。
「あなたをさがしてたわ、ブルー」
女はゆっくりと云った。私は肩をすくめた。
「なぜ。俺はあんたを知らん」
「私、一目でわかったわ」
女は私の腕にそっと指さきをふれた。私はすっとよけた。
「あなた、超戦士ね。いまごろのクロノポリスに、珍しい。ちょっと前までは、シベール地区にゆけば必ずいたものだけど。そのあと、外宇宙紛争で出兵したってきいたわ」
「…………」
「あなた、行かなかったの?」
私は答えなかった。女は小首をかしげて私をのぞきこんだ。何となくそのしぐさが、堂々たる長身や威厳ある雰囲気にそぐわぬ、小鳥のようにみえた。
女は私の沈黙を扱いかねたように頭をおこした。そして、水でものむように、つよい合成酒を飲んだ。
さっきの酒場より、だいぶすいている店だ。客はカウンターのすみの方に三人ばかりしかいない。その客たちも、さっきの店の客のようにじっと女と私とを見つめていた。どんなにか、目をひく異様なとりあわせであるのにちがいない。そうでなくても、私でもこの女でも、どちらか一方でも恐しく目立つ存在なのだ。
「何か、しゃべって」
困惑したひびきを声にもたせながら、女が云った。それも嘘だ、と私の中の分析マシーンが告げた。この女は困惑することなどない、決してない。
「何の用だ」
「云っても、信じてもらえそうもないわ」
「では云うな」
「また、そんな……」
女はカウンターに肘をつき、私をのぞきこむ。またあの魔法めいた色あいと光を放つふしぎな瞳が私をのみこもうとした。この女は、少くとも、戦士だった。この目や自分の美しさや人に与える印象といった、自分の手兵について、ちゃんとわきまえ、知りつくした上で、力として使っている。それもかなりの老巧な兵士だ。
「信じてくれる?」
「…………」
「何といったら、信じてくれる?」
「…………」
「喋《しゃべ》らない人ね」
瞳がきらめき、ブルーの色あいをおびた。
「私が男を買いに――漁《あさ》りに来たアリストクラートの女だ、と思っている?」
「だとしたら、おかど違いだ。よそを探せ」
「そう思っているか、ときいたのよ」
うるさくて、酒もゆっくりのめない。
私はそう吐きすてると、カードをカウンターにすべらせて、また店を出た。
女はついて来た。
アリストクラートか――はからずも女のもらしたひとことが、苦々しい思い出に私を誘う。
いつの時代でもそうなのだろうけれども、上流階級、支配階級の人間というのは時として、なぜああも残酷になれるのだろう。アリストクラートたちについては、つねにひどく苦い、いやな、思い出すたびに唾を吐きたくなるような記憶しかなかった。
(君の今回の使命はいま云った通りだ、ブルー少佐。何か質問はないかね――では行ってよろしい。|幸運を祈る《ラッキー・スペース》)
(――ん? どうした?)
(あえて伺いたいのですがなぜそうおっしゃるのですか。ラッキー・スペース――今回のオペレーションは、ほぼ95%の確率で、超戦士部隊の全滅の可能性をはらんでいると思うのですが、エラウ長官)
(それで――?)
ゆっくりと、テレスクリーンの向うで、くみあわされる白い指。私の、指さきにもさまざまな機能をくみこまれた、武骨な手とはまるで別のもののようだ。それが、ひそかな、目のくらむようなにくしみに私を誘う。
(それで、この命令は、承服できない、ということかね、ブルー少佐。そういうことなら、むろん――)
(そうは申しあげておりません。我々、スーパーソルジャーは、銀河連邦を外敵から守るべく作りあげられた存在であります。いつ何どきでも、どのようなたたかいの中でも、銀河政府のため、生命を捧げるだけの覚悟はしております。ただ――)
(ただ? ただ、何だね、ブルー少佐)
(我々は、おそらく戻ることはないでしょう。その我々を送るにさいして、せめて、そのような決まり文句を口にするのはやめて頂けませんか、長官)
(気にさわったかね。これは失礼。しかし、それは私のいつわらざる気持なのだよ。それは信じてもらいたいものだ。君たちをあえて死地におもむかせるにひとしい、こうしたオペレーションを採択するにあたって、どんなに私としても胸のいたみを感じたか、それは知っておいてほしいような気がするね)
(胸のいたみ、ですか)
私は笑わなかった。笑えないからだ。私の表情はほとんど変化しない。目のまえにエラウ長官がいるのだったら、思わず殴りかかっていたかもしれない。胸のいたみだと――我々は明日死ににゆくのだ。胸のいたみ!
私は辛《かろ》うじて心をおちつけた。そういうこともあろうかと思うから、アリストクラートたちは、ほとんど実際にスーパーソルジャーと対面しようとせず、スクリーンでしか接して来ないのにちがいない。我々がいったん本気で激怒したら、A級戦士なら、一つの惑星をぶちこわしてしまうほどの力があるのだ。
長官は神妙そうに目を伏せてみせた。狸めが、と私は考えた――もっとも狸《ラクーン》というものは、ミュージアムでしか見たことはない。
(一人でも多く生還してほしいと希望するよ、ブルー少佐。諸君スーパーソルジャー部隊は、どの一人をとってもかけがえのない、銀河政府の財産なのだ)
(財産……)
ぐっとこみあげてくるものを、私はまたのみこんだ。何を云ったところでしかたがないのだ。アリストクラートの鋼鉄三枚張りの面《つら》の皮には、どんな皮肉も抗議も怒りも通じない。ただ、こんな男のために、われわれの死を汚されるのか、と思うと、それだけがたまらなかった。
たしかにこいつらにとっては、スーパーソルジャーはただの「財産」でしかないだろう。一体一体、科学技術の粋をこらし、研究をかさねてつくりあげた、史上最強の戦闘用ロボット。――それがこわれ、失われるのは、一体につき何十億、何百億クレジットの損害なのだから、それはむろん、かれらが一人でも多く生還を――というのも、かけがえがない、というのも本当にはきまっている。ただ、かれらにとって、我々は、人間[#「人間」に傍点]ではない、というだけのこと――それだけのことだ。
人間でなく、戦う機械だ、と思っているから、かれらの「胸のいたみ」は私を傷つけるのだった。私は人間だ。たとえそうは見えなくとも――身長二メートル六〇、体重は五百キロ近い、鋼鉄と合金のかたまり、顔は無表情なマスクと光電子アイ、髪の一本もない頭にレーダーと通信器をはめこみ、生身の部分というのはただ小さな脳髄ひとつにすぎない、メカと戦闘機能の化物だとしても、それでも私は人間なのだ。その証拠に私はこの脳にあれこれと感じ、考え、感情をもつし、友情もにくしみもちゃんと知っているではないか。
しかしそれはアリストクラートにはわからない。かれらはいつも、安全で清潔なキャピタル・プラネット――〈アテネ〉にいて、まっ白でどこからどこまでぴかぴかのそのメトロポリスの中からスクリーンを通じて私たちに司令を下してくる。かれらには、外宇宙|境界《ボーダー》のあのめまいのするような孤独も望郷も外宇宙生物のぞっとするほど異質な恐怖も、すべてまったくの概念にしかすぎない。かれらの内の一人でもボーダーエリアにやってくることは、十年にいっぺんもありはしない。
そして、そうしたアリストクラートに命じられるままに我々はさらに深くボーダーに近づいてゆき――そしてかれらのコンピュータの算出した確率どおり、| S S 《スーパーソルジャー》第二十八部隊は全滅したのだった。私は思いうかべた。レッド――ファイア――パイ――クレージー・フライ――オメガ――ブラウニー――ラッキー――シェパード――レックス――パープル・アイ――フライディ。みんな、いいやつだった。私の仲間、真の同胞だった。みんな冷たいボーダーエリアで爆発していった。そして――私はここに一人でのこっている。
(なぜ自分だけが、と思ってはいけないわ、ブルー少佐)
あの女。あれもアリストクラートだ。白衣をつけ、強化ガラスのむこうから母親じみたほほえみをむやみとおしつけて、甘たるい声を出したあのセラピスト。女医だ。
(いまは何も考えないことね。自分のグッド・ラックを喜ぶ心持が、仲間達へのうしろめたさをしのぐようになるまでは――何をするの?)
私は治療用のイスの腕をひょいともぎとり、強化ガラスののぞき窓に叩きつけたのだ。アイラ女医がびくっととびのいたので、私はいい気分だった。むろん本気じゃない。本気で私が投げたら、厚さ三センチの強化ガラスだって割れ――少くともひびが入っている。このうるさい女をおどかしてやりたかっただけだ。
(ブルー!)
(二度と仲間たちのことをいうな、ドクター。云ったら、殺す。俺の戦闘能力は知ってるだろう――何をしたって防げないぞ。あの――ボーダーS3区の激戦から、ただ一人生還したスーパーソルジャーなんだ)
(と、とにかく話はおちついてからということにしましょう、ブルー……そ、それから――あの、あなたは、昇進したそうよ、ブルー中佐。あとで、お祝のシャンパンを届けましょうね)
おどおどとした声。私は胸のなかだけで声もなく笑った。アリストクラートのど肝《ぎも》をぬいてやったと思うと、とてつもなくいい気分だった。
そう、あれもアリストクラートだ。そのまえにはあんなこともあった。あれはテクノポリスのリゾート・ビーチだ。
(何か用か)
(あんた――セクシーね)
ささやきかけるかすれ声。ぴっちりと、すごいボディにはりついたメタルクロスの水着、結いあげた塔のような赤毛。
(スーパーソルジャーね――はじめて、真物を近くで見たわ……昂奮《こうふん》するわね)
雌《めす》の匂《にお》い。発情した雌の匂い。
(おかど違いだ)
(あら、どうして?――スーパー・ソルジャーは、ちゃんとできる[#「できる」に傍点]、ってきいたわ……ためしてみた[#「ためしてみた」に傍点]友達から。凄《すご》いって……ちゃんと、A級以上には、その機能がつけてあるんですってね。それが――攻撃本能やストレスと関係あるから)
人目もはばからずメタルのボディを這いまわる手。
(何というか凄く興奮した、って――マリナは云ってたわ。……セクソイドに犯されてるみたいだった、って……その上セクソイドのあの機械くささがなくて最高よ、って。――ねえ、ソルジャー、私、それをきいてから、ずっと一度、試してみたかったのよ)
アリストクラートには、羞恥心《しゅうちしん》はない。というより、他のクラスと異っている。大体が、歴史で習ったビクトリア朝時代はすでに千年もの昔だが、アリストクラートにはことに、道徳もない。貞節も、純潔も、そもそも愛や情熱というものがあまり重んじられていない。私とてこの時代の人間だ。わからぬこともない――あえてアリストクラートのために少しは申しひらきをしてやるならば、きわめてハードな知的な任務――社会、文化、経済、すべてのコントロールと調整、運営、という神経のつかれるパートをになっているかれらにとっては、すべてストレスを解消したり、リラックスできる効能をもつものは善である。セックスも、ドラッグも、すべてがかれらの任務のまえには二義的なものだ。それはわかる――しかしやはりアリストクラートとは、心を通わせはできない。前にこれはパープルアイの云っていたうわさ、ゴシップだけれども、きいたことがある。つまり、| 銀 河 《ギャラクティック》エリート――正真正銘の最高級エリート、特A以上のアリストクラートに関する限り、かれらの仕事のあまりの厳しさゆえに、その緊張を少しでもやわらげうるものはどんなことでも許されている――そう、殺人でも、生体解剖でも――そのための場所や犠牲者はすべて政府が提供するのだ、と。
むろん、ほんとかうそかは知らない。しかしたしかにありそうな、あってもふしぎはない話だ。私たちは高価な、しかし使いすてのマシンだけれども、銀河エリートは、何兆人に一人の割で、しかもまったくかけがえがない。そしてこのエリートたちの優秀さに、銀河政府の存続がかかっているのだから。
そう――やっぱり、どうしたって、アリストクラートは好きになれない。私はソルジャーだ。しかも、五十人の仲間をすべて失った、傷ついた帰還兵だった。ロンリー・ソルジャー。私も死んでいたら、どんなによかっただろう。
「ねえ……」
やわらかい声音に、私はふっと我にかえり現実に――クロノポリスの盛り場の明け方にひきもどされた。
「どこへゆくの?」
「あんたには関係ない」
「あるわ」
「なぜ」
「あなたと話がしたいのよ、ブルー」
気づかぬ間に私はどんどん、北シベール地区の中でも柄のわるい方のエリアへ、深入りしていたらしい。
ふりむいてみると、道はかなりせまくなり、店々は小さく、低く、汚くなり、そのへんに同じようにたむろしたり、出入する連中のようすも、何となくいかがわしく、貧しげになって来はじめていた。青いライトにてらされたせいなのかどうか、女の顔色が、さっきよりだいぶわるい。
もしこの女がアリストクラートの女であるとしたら――その確率は八〇%以上であったが――まずこんなエリアに足をふみ入れることはないはずだ。いまは、けっこうびくびくしているにちがいない。別に、気にしてやることもなかったが、美しい女だし、私にどこまでもついてくる。私は、少し、責任を感じた。
「この辺はあまり柄がよくない。車でもひろって、帰るんだな」
「どこへ?」
「俺が知るわけはないだろう。あんたの家へ――エリアへ――テリトリーへ」
「そんなもの――ないわ」
何がおかしかったのか、女はかるい、低い笑い声をひびかせた。そうして笑うと、突然、どことなく少女めいた感じが漂《ただよ》った。
私はかまわずに歩いていった。このへんは、シベール地区でも場末に近い。どこへゆこうと私には怖れるいわれがまったくない。どんなむこうみずな悪党でも、あまりにもはっきり、歴然と一目でそれと知れるスーパーソルジャーに手出しするやつなど、いるわけがないのだ。しかしこの女は――
女がこれまで無事だったのは、たぶん私についてきて、私の連れだ、と思われていたからだろう。しかし、一つまちがえば、パッと路地にひっぱりこまれ、売られるか犯されるか殺されるか食われるか、いずれにせよスペースボートで上映される3Dストーリーか、いかがわしいリーディング・フィルムみたいな話になっているはずだ。別にそうなったからといって責任を感じることはないのだが、少しは寝覚めがわるいかもしれない。
「送る」
むっつりと私は云った。
[#挿絵(img/01_025.png)入る]
「何となく、あんたの手にひっかかったような気がするが、ともかく安全なエリアまで送る。車を拾ってくれ――大型でないと入れない」
「どうして?」
女は目を大きくして云った。私は苛々《いらいら》した。
「見りゃわかるだろう。俺はこんなに大きい。本当は、カーゴでなけりゃ、乗れないくらいだ」
「そ、そうじゃなくて――どうしてとつぜん、送ってくれる、なんて……」
「そうしたいわけじゃない。そうしないと、危険かもしれない、と思うからそれだけだ」
「私なら大丈夫」
女は云い張った。生意気な女だ、と私は思った。大丈夫なわけがないのだ。私の嗅覚《きゅうかく》は犬のそれに近い。女がひどく緊張していることも、私にはかくしょうがないのだ。つよいアドレナリンの匂い。
「大丈夫だというんなら、ついて来ないでさっさと帰れ」
「だって私、あなたに話が――」
「それをどうしても俺にきかせるまで、くっついてくるつもりか?」
私はついにさじを投げた。この女は、たしかにかなりしぶといところがある。
「そう」
「わかった。じゃ話せ」
「そんな、こんなところじゃ話せないわ」
まったく、何だかんだ、いろいろとうるさい女だ。
しかし、まあ、これだけ目立つ、美しい育ちのよさそうな女だと、そういうこともしかたないのかもしれなかった。たしかに、小さい、汚い店の軒下や横町や、家の二階の窓から、そっと暗い凝視が彼女にあてられている。めったにこのへんに入っては来ないような女なのだ。
「――わかった」
私は云い、きびすを返した。
「ついて来い」
女がぐずぐずしているので、手をのばしてひったてた。女は私の手が肩にふれた瞬間、びくっと身をすくませた。
私は手をひっこめた。つい触れてしまったが、私の手は人間のやわらかい手ではなく、武器を内蔵したロボットの手だ。その固く冷たい感触にさわられて鼻白んだのか、それともつい力が知らぬ間に入ってしまっていたかったのか、それとももっと他に理由があるのか。私は黙って歩き出した。女は何か云いたそうにしたが、黙ってついてきた。まだ、いくぶん顔が青い。
だんだんスペースボートの発着もおわって、ドームの丸天井は青白いほのかな光を放ちながらしずまりかえっている。そこにときたまサーチライトが走る。もう、かなり時刻はおそいのだ。私はシベール地区のまん中くらいまで戻って、そう柄のわるくなさそうな飲み屋に入った。もう、他に客はいなかった。
また合成酒を注文する。女はムーン・ワインを注文した。飲み物がくるまでどちらも口をきかない。
それから、テーブルにおかれた酒をひと口すすり、突然、女は云った。
「私、あなたのこと知ってたわ。ソルジャーブルー――たしか、プロメテウス号事件のときも、ボーダー| 5 《ファイブ》Eベースの奇襲のときもニューズになった、超スーパー・ソルジャーね……銀河勇士の表彰を五回もうけてる」
「昔のことはききたくない」
「だから、あなたをさがしてた、というわけじゃないの」
女は酒をすすった。たおやかな見かけのわりになかなか強い。
「こんなことをきいて――イヤだったら答えないでおいてね……たしかクロノポリス駐留の超戦士部隊って――二、三ケ月前に、ボーダー・エリアのあのアメーバ退治のために、出発していったのじゃなかったかしら――それ以来、シベールで全然ソルジャーを見かけないわ」
「その通りだ」
私はゆっくりと云った。どうせ、調べればわかることだ。
「ボーダー・エリア、ポイント3で、超戦士部隊は全滅した。俺は第28部隊のたった一人の生き残りというわけだ」
女が私のとなりの椅子で、するどく息をのむのがきこえた。
「ちっとも、知らなかったわ」
やや黙っていてから女はささやくように云った。
「だって銀河政府の発表では、そんなこと、ちっとも――」
「政府発表のニューズでは、そもそも問題の外宇宙人Xがボーダー・エリアに侵入したこと自体、ちゃんと流してない」
私は、女の無知をあわれむ気持になっていた。知らぬということは幸せなことだ。知らなければ、そうして平和にくらしてゆかれる――あの暗くつめたいボーダーエリアで、あのえたいの知れぬ生命ある霧の恐怖を味わってしまったら、もう二度と、心安らかに眠ることなど夢のまた夢になってしまうのだ。
「| B P 《ボーダーポイント》―5から11までは、すでにかなりあちらのものとなってる。28部隊の全滅――一人を除いて――のあと、つづけて五つのSS部隊が投入されたが、何を云うにもあいてのひろがっている範囲は広すぎる。とても、カバーできない。銀河政府はおそらく新しい防衛網を開発するしかないだろう」
「…………」
女はまた、するどく息を吸いこんだ。
それからまた、やや時間をおいて、ごく低く云った。
「そんなことまで、私のようなゆきずりの女にしゃべってしまっていいの? 銀河政府の公安ににらまれて、消されるのじゃないの?」
「GISAか」
私は肩をすくめた。
「どうせちょっと目はしのきく人間なら誰でも知ってることだ。それに、どっちみちボーダーエリアの小ぜりあいなど、ここから何百万光年も向うのことだ。市民たちは、誰も、自分に何の関係があるとも思ってはいないだろう」
「でも――」
「GISAににらまれて、それで消されるというのなら、俺も仲間のあとが追えるということになる。――地上にいるかぎりスーパー・ソルジャーはめったに死なない。たとえ、死にたくても、な」
「死にたい――ど、どうして?」
「俺は第28部隊のリーダーだった」
俺は言った。
「部下五十人をすべて死なせてただ一人生きのこったリーダーの気持があんたにわかるか」
「…………」
「俺は死んでいるべきだった。俺こそまっ先に。だのにこうして生きのこった。俺は手ひどい罰をうけたように感じているのに、銀河政府は俺がよく生きのこったとほめてくれる。このクロノポリスの一ケ月の休暇は俺が生きのこった――部下を死なせたことのほうび[#「ほうび」に傍点]なんだ。どうでもいい。俺は、死ねれば満足だ」
私は口をつぐんだ。云ってもしかたないことくらい、わかっている。しかし、考えてみると、この女は、私が三日まえにクロノポリスのスペースポートについて以来プライヴェートに口をきいたはじめてのあいてだった。
もちろん、ホテルのフロントとか、酒をたのんだり、そういう口はきいている。しかし昼はホテルでねているし、酒場にいても、この怪物じみたすがたにあえて声をかけてこようという酔狂な人間はめったにいない。いるわけがないのだ。私はもともと、声そのものがそういうわけなのだから必要以外で、よもやま話をしたい欲求などほとんど感じないのだが、あまりにも苛烈《かれつ》な二ケ月の辺境星区での激戦と、そのはてにすべての部下を失う、という痛烈な思いは、さすがに私の中で、やり場のない激情となっていたらしかった。
だからといってこのゆきずりの女に、そのような思いをあびせかけたところでどうなるというものでもないのだ。
女は、目を大きく見開いて、まじまじと私を見つめていた。私はまた、あの何ともいいようのないふしぎな瞳に、この自分の巨大で不細工なからだごと吸いこまれてゆくような気がした。まるで、星か、鹿か、鳥か、何かそんなとてもふしぎなはかないものに近々とよりそったようだ。
「どうした?」
私はきいた。女は首をふった。ふいに、その目から、涙がもりあがって、なめらかな頬をつたいおちたので、私はひどくおどろいた。
「どうしたんだ――?」
「――ごめんなさい。ソルジャー」
彼女はささやくように云い、その威厳ある外見とまったく似つかわしくない、とても子供っぽいしぐさで、手の甲で目をこすった。
「いやなつらいことを思い出させてしまって。――私、用はもういいわ。今日はやめるわ……とても、大したことではないと思われてきたの。あなたのその――苦しみにくらべて」
「苦しんじゃいない」
私は首をふった。
「俺たちは苦しんだりする機能は、与えられてないんだ。苦しんでるようにみえたとしたら、それはきっと錯覚《さっかく》だろう。俺たちは人間じゃない、ただのファイティング・マシンだ。コンピュータ内蔵の」
「…………」
女が首をふった。
「つまらん話をした」
私は云った。
「あんたが話すのをやめたのなら、俺はゆく。このへんからなら、ぶじに帰れるだろう」
「ブルー」
女が言った。
「ああ」
「もう何日か――このへんにいる? さっき、休暇は一ケ月だといったわ。ずっと、クロノポリスにいるの?」
「そのつもりだ。動くのは、面倒臭《めんどうくさ》い」
「また、会いにきて――いいかしら」
「そんなことは、俺の決めることじゃない。現に今だって、あんたはそこにいて、そうして俺に話しかけてる。好きにすればいい」
「でも」
女は頭に手をやった。
「私、あなたがいやな思いになるようだったら、それはイヤなのよ」
「どうして」
「あなたがイヤな気分になるのが辛いから」
「あんたは変ってる」
女は何も云わず、ゆっくりと、ターバンをとめたピンをひきぬき、布をぐるぐるとほどいていた。私は黙って見つめた。
「ああ」
女はまた、いたずらな小鳩か、少女のように笑った。
「せいせいしたわ」
メタルクロスのターバンがはらりとおちた。
ふいに、流れおちる白く輝く光の滝が、私の目をくらませた。
何という髪!
それは、白銀の滝だった。うずまき、輝き、うねり、流れおち、ゆたかに彼女の腰の下までも包みこむ――髪。
すばらしい――とか、みごと、などといっては、あまりにありきたりすぎた。その髪そのものが一つの生命ある生きものとしか見えなかった。
それにふちどられた彼女の顔は、ふいに一変していた。少女のように、女神のように、星のように、春のように、花のように見えた。
「あしたもさっきの、さいしょの店にいってみるわ」
彼女は両手を首のうしろに入れて、ふわっとそのすごい髪をもちあげた。光の滝がきらきらとうずまく。あのふしぎな猫の瞳が私を見る。
私は間違っていた。私の前にいるのは、銀河系で一番美しい女だった。いや――この世でいちばん。
「名前をきいていいか――?」
私は自分がきき苦しいしゃがれ声で云っているのをきいた。
彼女はくすくす笑った。
「もちろんよ」
彼女は云った。
「オリヴィア。――明日会えるといいわね、ブルー」
2
一夜が明ければ、すべてがただの夢だった。
私はまた夢を見ていた。辺境星区の夢を。あれはたしか、いちばんの激戦地だった、ポイント|α《アルファ》―K―3のあたりだ。ボーダーエリアもこのへんにもなると、世にも淋しいこの世の荒野だ。大きな都市はほとんどない。いちばん近い補給|基地《ベース》まで、ワープ5のレベルで四十分もかかるようなところだ。
だが、その荒涼たる孤独を辛《つら》いと思ったことはなかった。そのようなデリケートな感受性はつけられてない、ということもある。しかしそれ以上に、私には仲間がいた。
「ボス、パイのやつが云ってますよ」
指先から頭の中に直接流れこんでくる仲間の声。あれはシェパードだ、陽気な、すごくしぶといスナイパー。
「何だ?」
「このニューイヤーはどこで迎えることになるんですかね。こんなど田舎にぷかぷか浮かんでたんじゃ、ニューイヤーズ・イブにエデン| 14 《フォーティーン》でキスする女の子を探すこともできやしない、って」
「ばかを云うな」
私は大声の笑いをひびかせる。
「俺たちにキスしたがる女なんか、いると思ってんのか」
「ボスは知らないんだよ」
陽気で野卑《やひ》な笑い、あちこちのポイントから、波動となってつたわってくる。
「われわれはエデン星区じゃものすごくもてるんだから。一度行ってみたらどうです。一分と一人じゃいられない」
「俺が行ってどうするんだ」
「遊ぶんですよ!」
パイの大声がわりこんでくる。冗談ばかり云ったりやったりしているが、28部隊でいちばん古株のコマンドの一人だ。――一人だった。
「エデンじゃみんな云ってまさ――SSってのは何の略かってね。知ってますか、ボス――」
「セックス・サルベーションだ」
やにわにぬけめのない声がわりこんで、せっかくのパイの落ち[#「落ち」に傍点]をかっさらってしまった。ラッキーだ。こいつはいつもそうやってひとをこけにしては喜んでいる。パイが呆然として、それからやっと云い返した。
「違うね。セックス・サヴェジだよ」
「どっちにしたって大したかわりはねえな」
私はけりをつけるように云ってやった。
「エデン・エリアをうろついてる、いかれたセックス・アニマルの偉いさんたちにゃ、どっちも同じように見えるだろうよ」
「違いねえや」
「だからさ、ねえ、ボス、このニュー・イヤーにわが隊全員でエデンにくりこみでもしようもんならさ……」
突然、ツーッ、ツーッとするどい警告音が、つかのまのむだ話を切り裂いた。空にさっと赤い尖光《せんこう》が走る。α―5、A―18の方向から我々のたむろしているα―75ポイントめがけて、ふしぎなオーロラのようにおしよせてくる。
「敵襲――!」
「ポイント5。ポイント6。ポイント7。南35度移行、ポイントクロス38。カウントよし」
「レベルS―01、010、011」
「散開」
「ラジャー!」
「しつっけえな」
パイが舌打するのが耳に入った。
「まったく、あいつら、何考えて生きてやがるんだろうな」
「パイ、レベル02だ」
「レベル02、了解」
「このニューイヤーは――センター・エリアに帰れるぜ」
「そいつあ――ありがてェ!」
夜空、明けることも、星の無数のまたたきもないブルー・ブラックの夜空を荒々しく切りさく尖光。宙が、ひたひたと、生命あるオーロラに涜《けが》されてゆく。まっ白な、虚無《ヌル》。
「ボスッ!」
「どうした、ナーダ」
「いったん後退します。ポイントクロス3―13―XXまで戻ります」
「どうした。何か、ヘンか」
「右第三翼が出ません」
「大したことは、ないだろう」
「ともかくピットインします」
「オーケー、任せた。お前の役目だ」
「了解、ボス」
オーロラ。
何ひとつ色彩のない辺境星区を、あやしくいろどってゆく悪魔のオーロラ。はじめて目のあたりにしたときには、その妖しく、ぞっとするような美しさに思わず見とれたものだ。すでに散開した仲間の攻撃がはじまっている。七色のオーロラに、白熱したジグザグの光が四方から吸いこまれてゆく。
「――ボス――」
ふっと、風のようにひびいた。
「何だ、レッド」
「ずいぶん長いこと……」
このあたりを泳ぎまわっちゃ、この光のバケモノ退治をやってるものだ、と、そうつづけようとしたのか?
ふわっ、とオーロラの触手が、なめらかな楕円の巨大なボディを侵し……
音もなく爆発。やにわにアイ・プロテクターが自動的におりてくる。それをつらぬくように白い花火がひろがる。
(レッド――!)
(レッド)
(レッドーッ!)
レッド――あいつは、28部隊の副官で、もう十年来寝起きを共にしたと同じ仲だった。
名のとおり、いつも沈鬱《ブルー》になりがちな、沈んだ気質の私は、レッドのおちついた平静な気質にどれだけ救われたか知れない。
「ボスっ! 危い、ポイント6―6―S―8――攻撃して来ます!」
「気をつけろ、パイ! 飛べ!」
正月は、センター星区で――歓楽惑星エデン18で――14だっていいが……
(みんな死んだ)
みんな、いってしまった。私一人を、この世にのこして。
なんと、遠いのだろう。辺境星区は――ボーダーはこのクロノポリスから、何万光年の彼方にある。
たとえ私のハイパー・ワープ機関で、ものの数日かかって着けるとしたところで――あのときのあの戦場は……あのとき、となりにいた仲間たちは……
(おい、さっきから、いったい何を気味のわるい声でうなってんだ、ルーキー。気味がわるいじゃないか)
(ひどいことをいう。おれあ歌をうたってるんじゃありませんかい、ボス)
(歌だとぉ?)
(そうですよ。『雨のマーズポート』――すてきな歌だ。いま、とってもセンターではやってるんだって――知りませんか。ヒロ・グレイス。きれいな女だ)
(こいつ、ヒロのポートレイトをもって歩いてるんですよ)
(まるでガキだぜ)
(放っとけよ、何だってんだ)
(ヒロ・グレイスはともかくだ)
私は笑いをかみころしながら四角ばって云う。
(とにかくお前のその歌はよしてくれ。まるでヴェガ第五惑星のチチウシが唸《うな》ってるとしか思えん)
(ひでえなあ。歌にきこえませんか)
(きこえるか、そんなもの。それに――もういいかげん覚えたらどうだ、ルーキー。俺たちには、歌なんか、バラの花と同じくらい用がねえのさ。宇宙兵に歌なんか似合わねえんだ)
あのときはケルベルスα―3のベースにいた。
あのときのルーキーの顔。いまも目にうかぶ。表情を与えられてないはずのサイボーグの顔が、何ともいえぬ、ひっそりと泣いている仮面のように見えた。
ヴェガ第五星のチチウシの鳴声みたいだからって、歌ぐらい、いくらでもがならせてやればよかったのだ。それから、半銀河標準年もたたずに死んでゆくと知っていたのだったら。
感傷だ、感傷。何もかも、感傷。感傷は判断をくもらせ、冷たく正確な悟性《ごせい》をさまたげる。休暇の間であってもそれはあまりよいこととは云えぬだろう。それはこれだけはとっ替えのきかぬ備品、私の魂をその甘たるい毒で腐《くさ》らせる。
こんどこそはっきりと目をさましたとき、だから、私はまったく、自分が泣いていた、とは思いはしなかった。私にはそんな機能はついていないはずだし、第一、枕が涙でぬれていた、なんてわけでもない。
覚醒《かくせい》につきもののあのにぶい悲哀と漠然たる絶望感。
白い小ぎれいなホテルの一室が私のまわりにある。ゆっくりと起き出してコーヒーをたのむ。コーヒー、酒、眠ること。必要ない、と云い出したら、すべてまったく必要なくなってしまうそれらのこと。それは狂わないでいるための儀式みたいなものだ。自分がそれでもなお、やはり人間なのだ、とたしかめるためのうっとおしい手続き。
どっちみち、目を開いた一瞬にからだは目ざめて、スタンバイしていた。私のからだは私の脳味噌《のうみそ》よりずっと出来がいい。それは、たぶん、それをうごかすためにどうしてこのばかげた感傷的なひとかたまりの脳が必要なのか、わからないだろう。
しかしそれが何らかの理由で必要であるために、私――〈私〉――はこうして生存を認められている。私のからだは基本的に私以外の誰であることもできたのだ。私のボディ、二メートル六〇、体重四百八十キロ、――馬力の内燃機関をもつ、たたかうためにつくられたこのからだ。
ほんとうにそれは〈私〉がいなくともいっこうに痛痒《つうよう》を感じもせずに動きまわることができるのだった。それは本来ならば消化器官のあるはずの部分に、コンピュータを内蔵している。からだをうごかすためだけなら、そのサブ・コンピュータ一つで十分すぎる。
昔、どこかの馬鹿な、それとも冷酷非道な学者の先生が、戦闘生理科学、などというものを、開発しなければ――
そうしたら私はここにいない。そのかわりとっくに死んでいる。化物と呼ばれもせぬかわり、存在してもいない。
どっちをよしとすべきだろう、こうして怪物として生きながらえている、ということと、人間として死んで忘れられていることと。
だが待てよ――そのように考えるのも、しょせん私が存在しているということなのだ。死者は考えない。何も考えない。どっちがいいかもへちまもないのだ。私はラッキーやルーキーやパイやシェパードたちを、ふっとうらやむ気持になった。かれら自身は、どんなことがあってもどんなすがたになっても、とにかく生きてさえいればいい、と望んでいたのかもしれない。ほんとうにこんな私の脳味噌などというものが、この完璧《かんぺき》なボディにくっついていることが、少しでも何かの役に立っているのだろうか? こんな感傷的な――こんなもろく弱いそれでも?
私は夕方まで、室にじっととじこもっていた。やることはまったくなかったが、私だって、少々の礼儀はわきまえている。私のようなものが、夜のシベール地区ならまだしも、まっ昼間の河向こうをうろつきまわっては、あまりに目ざわりというものだろう。それに外へ出ても、やることのないのは同じことだ。ばかな観光客みたいに、クローン工場だのクロノポリスの市庁、クロノポリス・ミュージアムやら初代市長の銅像などを見てまわったところで何になるだろう。
(お客様もクローン登録をなさってはいかがでしょうか? たった百クレジットの登録料だけで、永遠の生命がお客様のものになるのですわ)
(お嬢さん、その申し出は、とても魅力的だが、俺はあいにく、本物の細胞ってやつは脳味噌の脳細胞しかないんだが、それでもいいかな!)
それもいいかもしれない。脳細胞も細胞は細胞だ。そこからクローン再生をしてもらえば、私はたぶん、サイボーグ手術をうけるまえの、本来の顔とからだと人格とをよみがえらせることができる。もういっぺん、人間[#「人間」に傍点]として、この世を生き直すことができるのだ。
しかし自分が決してそうしないであろうことは、はっきりとわかっている。どうしてか、かんたんなことだ。サイボーグ手術をうけて、スーパー・ソルジャー・アーミーに加わるものは二種類しかいない。凶悪犯罪か政治犯の重犯によって、死刑か終身刑となり、その刑に服するのを拒んだ犯罪者と、志願兵の二種類だ。私にはこの志願というのがよくわからぬのだが(しかし自分もそうだったかもしれない)たぶんそれはあの若いときや絶望しているときにつきものの、とりかえしがつかなくなってからはじめてそうとわかる恐しいカンちがい、それとも私のようなろくでなしにはよくわからない忠誠心とか愛国心なぞというものが、まぎれもなく、ほんとうに存在していなくもないということであったのかもしれない。
自分が感傷的な馬鹿だったのか、それとも百クレジット貨のために人の頭をパイプで叩《たた》き割る人間だったのか、いまさら知ってどうしようというのだ。どっちみち、ろくな人間でなかったのはたしかなことだ。このみごとにととのった、いろいろな選択肢をそなえた理想社会のはみ出しもの――たとえどういう美名を冠してごまかそうと、しょせん適応できずにひとかたまりに外へ追いやられた半端者《はんぱもの》。
ちゃんと何もかもわきまえている銀河政府の中央執政官たちが、我々スーパー・ソルジャーにその過去を知らしむべからず、という法律をつくり、そしてサイボーグ手術のさいに私たちの過去と個人的な記憶いっさいがブロックされ、除去されるよう決めているというのは、実に賢明なことといわなければならなかったろう。
ともあれ私はばかな宇宙クジラのようにのたっとベッドにころがっていてそれからやおら外に出る気になったのはもう二十銀河時だった。何もせずにごろごろするのは実はお手のものだ。ソルジャーのくらしは、戦いとその間の長い待機とたまの休みのばかさわぎの三つしかない。
夜になったところでそう、やることがあったわけでもなかったが、――いや。つまらぬ弁解がましい云い方はよしにしよう。訂正――昨夜の、オリヴィアと名のる女のことばがたしかに私の心にひっかかっていた。また同じ時間に同じ店にきている、という。それに、あの女の用件というのは、まだ私は、きいていなかった。
どうせろくなことではないだろう。そしてたぶん私は自分から好んでトラブルの中に首をつっこんでゆくことになるのだ。わかっていてどうして、早速にクロノポリスを立ち去ってエデン13なり、テクノポリスなり、もっと私をくつろがせてくれる場所へ移動するかわりに、私はこうしてぐずぐずとクロノポリスに居すわっているばかりか、あの女と会った店へいってみようなどと考えたりするのだろう。あの、光り輝く星の滝のようなすごい髪――それともあの、オパールのようなふしぎな瞳のせいか?
いや、そんなものに、うごかされる心などすでに死にたえてひさしいはずだった。しかし、ほかにこうしている云いわけは見当らなかった。しいて云うならば、もとから私はクロノポリスというこの都市惑星に奇妙なくらいにひかれていたと思う。わりと、快楽のすべてを提供し、どのような人間にも安らぎと満足を与えることが自慢の快楽|惑星《わくせい》、エデン星区の23の星々に、休みというとまっしぐらに突進してゆくソルジャーが多い。我々のこの外見のせいで、通常のリゾートビーチ、リゾートタウンでは、いやがられたり、反対にそれこそパイのいうようにセクソイド視されていやらしい目で見られたり、しがちだったが、エデン星区ではそんなことはない、というか少くとも他の星区よりもずっと少ないからだ。
しかし、私はエデンへはさっぱり行かなかった。そのせいで、仲間たちにずいぶん、ご清潔だとか、ついて[#「ついて」に傍点]ないのだろうとか、からかわれたものだ。たぶん私たちは自分たちを実際よりもずいぶんと豪放磊落《ごうほうらいらく》に――いわゆる昔の外人部隊の、荒くれて酒と女と博奕《ばくち》のことしか考えてない毛むくじゃらの傭兵《ようへい》であるかのようによそおい、ふるまいたがる傾向があったのはたしかだった。じっさいにはもう、コンピュータを内蔵し、存在論の境界に立つたたかいをくりかえしながらそんなふうに単純でありうるわけはなかったのだ。
私はからかわれてもあまり気にとめないで、やはり休暇というとまっすぐにクロノポリスへ来た。ごくたまにテクノポリスやサイコポリスへいってみることもあったが、そうすると、ひどく異和感を感じて、いずれは早々にひきあげてクロノポリスへ行ってしまうのがつねだった。べつだんどこがどうというわけでもない。それにクロノポリスは、例の実験惑星の五大都市のひとつではあったけれども、他の三つにくらべればむしろ平凡な社会形態を採用している、といってよかったと思う。だのになぜ、こうもクロノポリスにひかれるのか。――たぶん、私自身の人間であったときの前生が、クロノポリスの住人であったのか、そうしたことしか考えられなかった。が、もちろん、その点を追及する気はなかったし、してもムダだとわかっていた。
そのクロノポリスで、何回もどうということもなくすごした休暇のあとで、こんな重苦しくつらい休暇のさなかに、こんな奇妙な出来事に出会うというのも――
しかし私は何も考えぬよう、気をつけることにした。サイコ・ブロック――サイボーグ医の手によってでなく、私自らほどこすサイコ・ブロック。それによって一切の余分な考えを遮断《しゃだん》し自らをクリアーに保つ。それも私たちの身につける技術のひとつだ。
だから――
そう、だから――
だから、私は――それからものの三十分とはたたないうちに、〈ケンタウロス〉のドアを押している自分を見つけることになったのだった。
そう、別にあの女のせいじゃない。これは、ごく自然な、好奇心と、そしてひまつぶしと――
彼女はいた[#「彼女はいた」に傍点]。
ドアを入ってすぐ、彼女[#「彼女」に傍点]が見えた。見えるにきまっている。そこだけ、光り輝いて見えた。
今日は、彼女は、白いやわらかな地のワンピースを着ていた。何のかざりけもないひどくシンプルなかたちのやつだ。そこに、メタリックブルーのふわっとしたストールをまとい、同色のターバンをしてまたあの光の髪はすっかりつつみかくしてしまっている。シンプルで、衿《えり》も袖《そで》も大きくくれて、からだにぴったりとそっているワンピースは、彼女の体の線をあざやかにうき出させ、きわだたせていた。大体――私にもこのような男性形めいた云いぐさがゆるされるものならばだが――私は棒のようなのも樽《たる》のようなのもごめんだった。どちらも美しくないという点で等しい。彼女はごくすらりとして細身だが、胸や腰は美しくはりつめており、そのせいでいっそうすらりと見えた。胸はみごとな、半円錐《はんえんすい》を伏せたようなかたちだったし、むきだしの腕にも長い脚にも、ちゃんとほどよい筋肉のついた太さがあって、それでいて手首や足首はぎゅっとしまっていた。そうなくてはいけない――その凸凹がなくては、美術品として鑑賞するにふさわしくない。つまり、動物としての優雅さや気品や能力のひいでていることを、ちゃんとそなえていなくてはいけない。なぜならば、すぐれた能力をもつものはみな美しい、というのが、私の考えだからだ。メカでも、人間でも。
きょうは昨日より化粧が淡い。目の上を、エメラルドを砕いてつけたようなアイシャドウがいろどり、のどもとに、ごく細かいプラチナの鎖がまつわって、細く形のよい首をひと巻きしてから、胸元の谷間へ消えていた。足もとはプラチナ・ホワイトのぴったりとしたGブーツ。全体に、きのうはなりそこないの娼婦《しょうふ》のオフのように見えたのに、きょうは、高名な歌手のくつろいだお忍びとでもいったようにみえた。しかしどうして彼女はそのみごとな髪をかくしてしまうのだろう。あれほどすばらしい髪を?
私は、彼女がいたことに、かえって鼻白む気持で、どうしようかと迷いながらそこに立ちつくしていた。別れてからまだ丸一日とたっていないのに、記憶の中にあったより、ずっと彼女が美しく見えて、気おくれしてしまったのだ。私のこのメタル・ブルーのボディは、宇宙空間――ことにボーダーエリアでは、この上なく美しく見えたにせよ、この店の中ではとうていそうは見えなかったであろうから。私は迷いながら立っていた。自分が恐しくばかなことをしているような気がして、今夜ここへ来た自分にも彼女にも、腹が立った。あと〇・五秒フラットで私はくるりと向きをかえ立ち去って二度とこの店へは足をふみ入れぬところだった――そのとき、彼女がふりむいた。
まるで、コンパクトかなにかでタイミングをはかっていたような完全な変貌《へんぼう》――ぱっとあの少女めいた微笑が彼女の顔を輝かせた。
「ブルー」
彼女は云い、そしてしなやかにスツールをすべりおりてこっちに来た。
「来てくれたのね。嬉《うれ》しいわ。ずっと、待っていたのよ」
彼女は囁《ささや》き、またしても客たちの衆人環視の中を、堂々と私の腕に手をからませて、奥のボックスの方へとひっぱった。
3
「ね――何を飲む? 合成酒でいい?」
どうも、この女は、よくわからぬところがある――早速、私はボックスの奥におしやられるようにすわりながら考えていた。
彼女は、まるで多面体の合成宝石のようだ。見るたびごとに、その色あいも、光も、違ってみえる。ひどく威厳があって女王のようにみえるかと思うと、妙にものおじをしたり、物馴れぬ少女のようにみえたりする。かと思うと、率直で勇ましい女ソルジャーのようでもあれば、ふっとひどくはかなげな、気弱そうなかげりもみせる。
まるで、そういってのぞきこんだ彼女は私が気をわるくしたり、きげんがわるいのではないかと、はらはらしているかのようにみえた。
「合成酒はからだにわるいというけれど――ここには、何でもあるのだし、好きなものを云ってくれれば……」
「別に何でもいい、合成酒で十分だ」
また、私は、彼女のそうした、うかがうような瞳にのぞきこまれると、どうして自分が何となく冷やかな、身構えた――あえていうなら底意地のわるいような気分になってゆくのか、それもよく理解できない。あまり、私のよくするたぐいの反応ではない。私は通常、女性形《フィメール・タイプ》には、種族別によらず、基本的にやさしいはずなのだから。たぶんおそらくは、あの最初の感じ――あの〈この女は嘘をついている〉という感じが、まだ、私を捉《とら》えているのかもしれなかった。いまもずっとそう感じている、というわけでは必ずしもなかったのだが。
「俺には年代もののワインでも最低の合成酒――いや、ただの薬用アルコールでも同じことだからな。俺にいい酒をのませたところで、金のムダというものだ」
私は云いすてて、バーテンダーに合成酒を注文した。彼女は、きょうは、何かすきとおる赤の酒を飲んでいた。
「それは、何だ?」
「これ?――〈軍神《マーズ》〉カクテルよ」
「俺にあわせたつもりか? お世辞を云われてる気もせんが」
「そ、そんな気じゃないわ。私好きなのよ、これ――色が、きれいだから」
「たしかに、あんたには、ふさわしいかもしれないな。俺には向かない。美しすぎる」
「…………」
オリヴィア――たしかそれが、彼女の名前だったはずだ――は、何も答えなかった。
いくぶん気になって目をやると、うつむき加減に、じっと細い指で、カクテルの細長いグラスを弄《もてあそ》んでいた。鼻白んだらしい表情に翳《かげ》りがあった。
彼女が黙っているのをよいことに、私はそっと彼女に見とれていた。口をききはじめると、どういうものかことごとくつけつけと彼女をやりこめたり、ひどいことをいったり、したくなるのだが、じっと黙っている彼女を見ているとなかなか心が楽しい。美しい女だし、その美しさもかなり私の好ましいと思う方向の美しさだ。やはり外見だけでも、美しいというのは立派な価値だろう。
「ブルー」
いくぶん、おずおずと、彼女は云った。
「…………」
「何を、考えているの?」
「――あんたを見ていただけだ」
「どうして?」
女の頬が濃いバラ色に染まった。もしこれが演技なら、彼女はやはり銀河劇場の主演級の女優だったにちがいない。
「そんなふうに美しいというのは、どんな気持のするものか、と思っていただけだ。自分を見たり、人に見られたりするとき、どういう感じがするのだろう、とな」
「あら、だって――」
ごくわずかな躊躇《ちゅうちょ》。
彼女は一瞬、何となくハッとしたように口をつぐんでからつづけた。
「あら――だって、あなただって、とても美しい――と私思うわ。あなたはとても美しいと思う」
「よしてくれ。この怪物《モンスター》のボディが見えないのか」
「あら、そんなもの――高い能力をもち、もっともその力を発揮できるようにたえずバランスのされている――機能的なものというのは、とても美しいと思うわ。あなたには一かけらだって、ムダなものも、いらぬところもないわ」
「つまりあんたは原子炉をみても、ムーンボートをみても、スペース・コロニーをみても美しいと思う、というわけだ」
私はそっけなく云った。
「女にしてはかわった趣味というものだろうな。ふつう女はアクセサリーだスカーフだと、まるっきりいらん機能的でないようなものばかり美しいと思うようだが。ふつうの女はな」
「…………」
女は何も云わなかった。また黙って酒を見つめている。
私は自分がどうしてこんなに皮肉っぽい、とげとげしい気分になっているのかさすがによくわからなかった。ちょっと後悔して、こんどは私の方から云った。
「きいてもいいか。――なんだって、いつもそうターバンをまいて、せっかくの髪をすっぽりかくしちまってるんだ。勿体《もったい》ないし、第一暑苦しいだろう。流行だからか――すごい髪なのに」
云っている途中から、自分がまるきり、よけいなことを云っているではないか、という気がしてきた。さいごは、そのせいで投げやりな云い方になった。
女は、黙ってターバンに手をやっている。
「すまない」
私がいうと、とてもびっくりした目つきで私を見た。予想もしてなかったことばだったらしいことは、たしかだった。
「なんで、あやまるの、ブルー――ソルジャー・ブルー」
「余計なことを云った。髪をどうしていようと、俺には関係のないことだった」
「そんなことを云われたら――悲しくなるわ」
女は呟《つぶや》くように云った。こんどは、私がおどろいた。
「なんでだ?」
「だって……」
女は、そっとグラスをとって、白いのど[#「のど」に傍点]をみせて、一気に半分ほどものんだ。軍神というくらいなのだから、この酒はきっとつよいのかもしれない。しかしそれだって、私の心配してやることでもあるまい。お互い、アダルトなのだ。
「私、この髪、嫌いよ」
ひっそりと、女が云った。私はまたおどろいた。
「どうして。すごい髪じゃないか」
「とても嫌いだわ。何万匹の蛇を頭に飼っているという気がする」
「それで、いつも、ターバンでまいてるのか?」
「そういうわけでもないけど」
「この間は、ターバンをとって、せいせいしたと云ってたぞ」
「たしかに、とるとさっぱりするし、とっているときの方が多いのだけれど――でも、私は嫌い。できれば、短く切ってしまいたいとよく思うわ」
「そんな、とんでもないことだ」
思わず、私は云って、云った自分にまたびっくりした。マスク・フェースでなければ、赤面しているところだ。
「そんなきれいな髪を切るなんて、とんでもない」
彼女はちょっと黙っていた。また、うつむいているのかな、と気になって私が見やると、私をじっと奇妙な目つきで見つめていた。それから、ごくごく小さな声で有難う、と云った。
ひどく少女っぽいようすだった。ふっとまた、私の中の意地のわるいものが首をもたげた。
(これだけの美人なら、さぞ、お世辞も追従《ついしょう》も云われつけているんだろうに、やはりロボットに云わせるのは、気持が良いということか)
さすがにそれは私は口に出さなかった。しかし、やや狷介《けんかい》な気分になって、合成酒をがぶりと飲んだ。
沈黙がおちる。ふいにジュークボックス――かラジオか何か知らないが、すきとおってけだるい声がうたいはじめる。
(Far, far from Garacsy
Once upon a time……)
私は何となく首をもたげた。はるか銀河の彼方で、遠い昔、私とあなたは出会った……たしか少しまえにずいぶんはやっていた歌だ。何というのかは知らない。
「これは、何という歌だ」
私はきいた。
「知らない?」
女は、いくぶんおどろいたように目をみはる。
「『渦状星雲の彼方に』」
「はやってるのか」
「はやって――たの。去年のいまごろかしら」
「誰がうたってた?」
「アウラ・プリメイア。テクノポリスの〈歌うセクソイド〉」
「ロボットか」
「サイボーグ。知らなかった? いま、いちばん有名な歌手の一人よ。三オクターブ半、出るんですって」
「知らんな」
歌手の名など、せいぜいヒロ・グレイスしか知らなかった。それも、きいたことがあるというていどだ。しかし、この歌手の声は好きだった。何か、心をふるわせる、琴線《きんせん》にひびいてくるものがあった。はるか銀河の彼方で――遠い昔、私とあなたは出会った……
「俺は、何も知らん」
私は云った。
「戦うことと、命令をきくことと――他の何も知らん」
「…………」
「流行り歌の歌手を好いて、ポートレートをもちあるいてた奴もいたがね。そいつも死んじまった。別にそのせいだ、などというつもりはないが――俺はしょせん、あんたらとはまるきりちがう次元に生きてる、ちがう生物なんだ。それが気になるなら、話しかけないでくれ。俺が頼んで、相手をしてくれといってるわけじゃない」
云いつのりながら、あ、と思う。また、口の方が、心よりも、先にゆく。――ほんとうは、そういう思いがないわけではないが、そこまで過激な気分でだけいるわけでもないのに。どうしてだろう――この女は、何かしら、私を、必要以上に過酷に、残酷にするものがある。たしかに私は心が広くもなければ、おだやかなやさしい人間なわけでもない、当然のことだ――私は、ファイティング・マシンなのだ。が、それにしてもいつもは、もう少しおだやかで、礼儀正しいと思うのだが――
女は何も云わなかった。やがて、かなりたってから、ごく低い声で云った。
「――ブルー、あなたって……」
「…………」
「まるで、私のことを――憎いのかと思うほど……厳しいのね。超戦士というほどだから、ふつうの人間とは、まるで感覚がちがうとは、思っていたけれど――こんなに……嫌われるとは、思っていなかったわ。せっかくの――休暇のじゃまをしてるのですもの、むりもないと――思わなくてはいけないのかもしれない」
「…………」
「私、あなたのことを、とてもうるさがらせているのかしら。だったら、ほんとに申しわけないと思うの。本当よ――私、こうしてここにいて――あなたに話しかけたり、しない方がいいのかしら……」
私は何も云わなかった。彼女はそっと私を見て、低い吐息をもらし、またつづけた。
「私だって――そんなに無感覚ながさつな人間だ、とは思わないでほしい。歓迎もされてないのに、こうしてあなたに近づき、信頼を得ようとするのは――あつかましくて身がちぢむ気がするわ。あなたの氷のような拒絶に気がつきもしないふりをして、こうしてとなりにかけて、あなたの歓心をかおうとしていると、舌もすくみあがってうまくいつものようにしゃべることもできない気分になるわ。本当をいうと、私は、とてもあなたのことが怖いのよ。恐しくて、身が縮むような気がする。あなたは怖いわ。とても、怖い」
「――ふん、そうかもしれないな」
私はますます冷たい気分になって云いすてた。
「あんたのように美しくて、おそらくはかなりハイ・クラスの市民だろうし、こうして話してただけでも、とても頭がいいとわかる。あんたのような女なら、いつもまわりはあんたの歓心をかいたくて犬のように尻尾をふる、お取巻き連中で一杯だろうからな。いつも、ちやほやされるばかりで、およそ不愛想《ぶあいそう》なことばや冷やかな反応など、考えたこともないだろう。結構なことだな」
「おお――ブルー」
彼女は、まるで、息が苦しい、とでもいうように、のどに手をもっていった。
「どうして? どうしてそんなに私をにくむの? 私があなたに一体何をしたというの?」
「何もしちゃいない。俺はあんたをにくんでなどいない。そんな理由はまったくないだろう。ただ、そうだな――俺は、あまり好きになれんのでね」
「私を――?」
「いや。あんたのとっている、そのやりかたを。――あんたがどういう理由で、俺に何をさせようともくろんで、俺に近づいてきたのだか知らんけれども、そのためにとる方策としては、あんたのやってるのはあまりかしこいやり方とは言えんな。俺はいつも、率直と真実、その二つだけが好きなんだ。あんたのやってるような、くねくねとまわりくどいやりかたで、真綿で首をしめられるようにワナにおちるくらいなら、何もかもぶちこわしてやる方が好きだね」
「――率直と真実」
女は呟くように云った。どうもおかしな女だ、と私は思っていた。どうも調子が狂う。こんどこそ、怒って立ち去るかと思ったのに、まだ怒ったり気をわるくしたようすさえもなく、そこにかけて考えこむように小首をかしげている。私が、この女に、近づきになられる理由がないように、この女だって、ゆきずりの私にここまで云いたい放題を云われて大人しくしている理由など、まるでないのだ。第一この女がふだん、そんなふうに大人しい女かどうかは、その玉虫色の瞳のあやしいきつい猫のようなきらめきをみただけで、すぐわかる。
それでもなお、こうしてここにしがみついている、ということは、ただひとつ、この女が私に近づきたがる理由がおそらくは、任務[#「任務」に傍点]によるもの――誰かに命じられ、私を籠絡《ろうらく》しようという、そういう任務をおびている、ということなのだということだった。
誰だか知らないがその命じたやつは私という人間を、あまり知らなかったにちがいない。私はへそ曲りで、狷介《けんかい》で、その上恐しく疑いぶかい根っからのソルジャーなのだ。人をうたがってかかり、一切信用せぬことしか知らない。
「率直と真実。――そうね」
が――
そのとき、女がもういちど云ったので、私はちょっとびっくりした。
「ブルー」
彼女は急に上体をおこし、これまでとは全然異った口調で言った。
「たしかに、あなたのいうとおりだわ。率直と真実――私も、それは二つともとても好きだわ。いつもならきっと、私の方から先に同じことを云ってると思う。もう、あれこれ、つまらぬ策を弄《ろう》するのはやめにするわ――でも本当は策を弄したつもりはないのだけど――たしかに、私は、あなたに近づこうとしたわ。つまらぬ手間をかけて、あなたを苛々《いらいら》させて、ごめんなさいね。そしてあらためておねがいするわ。私、あなたにたのみがあるのだけど、きいてくれる? もちろん、ただでとは云わない」
「それは、俺――ブルー個人に近づこうとした、ということか。それともサイボーグ戦士のスーパーソルジャーに、ということか」
やっと話があたりまえらしくなってきた、と考えながら私は不愛想に云った。宇宙きってのファイティング・マシンに、こっそりと裏取引でいろいろなたのみごとをもちかけてくる人間などは決して珍しくない。その多くが、むろん、このファイティング・マシンとしての特性を使ってくれ、という依頼である。決して、他のものではできそうもない暗殺や救出や何かを手に入れることや護衛。
私たちはたいへん貴重な存在なので、政府のSS管理局も、休暇中のそのような小づかいかせぎのアルバイトは、あるていど黙認してくれている。それで中には、むしろ本職よりそちらの方で名を売ってしまうやつもいた。第8部隊の〈バーバリアン〉ゲイン|θ《シータ》とか遊撃隊の〈ビッグ・ソルジャー〉タンタルスとか。そうなるとむろんブラック・リストの要注意人物だ。しかし、そういう連中はうまく立ちまわって、このあいだの28部隊の全滅――一人をのこして――したボーダーポイントα―5の戦いのようなのには決して加わらぬだけの悪知恵も身につけていた。その気になれば、たやすいことだ。つまり、何回かつてをたどってお偉方の用事をひきうけてさえやればいい。かれらをうしろだてにつけられなかったとしても、かれらの秘密を握って脅迫することができる。私も、何回もそういう声をかけられ、何もわからなかったふりをしてごまかしてやりすごしたものだ。優秀なソルジャーほど、この手の罠《わな》におちいりやすいのだった。
「そうね」
女は考えている。
「たぶん、命令は――スーパー・ソルジャーなら誰でも、ということだったと思うけれど――私は、あなたしか知らないわ、スーパー・ソルジャーは。まして、いまクロノポリスで休暇中のスーパー・ソルジャーは」
「誰だ、その命じた奴というのは」
「それは、云えないわ」
「このシティの執政官《アウグスタニ》の一人か」
「さあ、云えないわ」
「だろうな。――で、その依頼というのは」
「それは……」
再びためらい。
それから女は、思い切ったように云った。
「あなたの子供を――」
「何だって?」
「あなたの遺伝子が欲しいの。ブルー」
「…………」
私の口はあんぐりあいたままだった。たとえマスク・フェースでも、そのくらいの表情はできる。
私のおどろきをみて、女の頬は、さっきよりもさらに濃いバラ色に染まった。小さなあわいバラ色の耳朶《みみたぶ》も、長い白鳥のような首も、何もかもが夕焼けのあかね色に色づいてきた。
「――と、命じられただけよ……私、あなたの云ったアリストクラートのふしだら女じゃないわ。リゾートビーチであなたのその体に好奇心をうごめかすあの女たちとは違うわ」
「そりゃ、一目見ればわかる。わざわざことわるまでもない」
私は云った。
「第一そんなたぐいの女なら、今夜俺はここへは――来てない」
女はまた少し黙っていた。それからそっと、ありがとう、と云った。こんどはあまり皮肉な気分にはならなかった。
「じゃ、何故だ?」
「だから――クロノポリスが、ソルジャーの遺伝子を必要としてるのでしょう。私は――そこまでは知らないわ。私はただ――私の役目は――」
「俺と寝ろ、と命じられたのか?」
私は声を出さずに笑った。
「それはおかど違いだ。ポリスの執政官《アウグスタニ》グループが何をかんちがいしてるか知らないが――たとえ、そういう機能が具えてあったところで、俺の体はあくまでサイボーグだ。遺伝子もへちまもない――この体は工場から出てきたものなんだ。そいつは不可能だな。あんたと寝ることは、論理的には可能かもしれないが、俺の子供なんてものは存在しえないんだ」
云いながら横目でみると、女はうつむいて両手を頬にあて、その細い指の間からのぞく肌はさらに濃く染まっていた。思いのほかに、初心《うぶ》なのかもしれぬ、と思わせるに十分な感じだった。
「そ、それは――それは知ってるわブルー」
女は云った。私の方を見ないようにしていた。
「それくらいは、私でも」
「それに、もし――あんたのいうのが俺の本当[#「本当」に傍点]の細胞から、クローン再生をする、という意味なら――」
さっき一人で思いうかべていたばかげたジョークを私は思い出す。(たった百クレジットの登録料で、永遠の生命がお客さまのものに――)
「そいつは、俺本人にきくこっちゃない。中央銀河政府のSS管理局がわれわれのすべてを管理している。われわれの再生の自由も生死もどういう運命をたどるかも、な。たてまえとして、というか公的には、スーパーソルジャーのクローン再生利用は厳禁されているんだ。が、むろん、正規の手つづきをふんで申しこみ、その申しこみが会議にかけられて許可がおりれば――」
「それができるならどうして私などが、こんなことを――まるでラック鳥がルーア鳥のまねをしてるみたいに? クロノポリス自治委員会は、このごろ、中央銀河政府とは、ことごとくうまくいってないのよ」
「そりゃ、あんたらのことだ。われわれソルジャーの知ったことじゃない」
「それは――そうだけれど……」
「それにもう一つやめた方がいい理由がある」
私は言った。
「あんただって知ってるだろう。サイボーグ兵士は、前歴はたいてい凶悪犯か、志願兵役者だ。凶暴な連続殺人犯か、重大な反逆犯か、いずれにせよそんなものの血をクロノポリスに混ぜ入れてどうしようというんだ? その点でまったく管理局の決定は正しいと俺は思う。――それともあんたは――あるいはクロノポリス施政部は知ってるのか? 俺の前身を――?」
「いえ知らないわ。知るわけがない。それは、銀河政府のトップ・シークレットだもの」
女はあわてたように首をふった。
「ただ、私のきいたところでは――クロノポリスの自治体としての生命力は、現在、とても弱まっていて――ほとんど、その自治都市としての存続にかかわるくらいに――そして中央政府に知られぬうちに、それを回復する方法をもとめて、ひそかにさまざまなこころみがおこなわれている。その中の一つとして――市民の遺伝子組成の中に、新しい因子を組みこんで、沈滞したバランスをうちやぶろうとするこころみもある、と――私は、そのために、ソルジャーの――」
低いアルトでささやくように熱心に私の耳のはたでつづいていた声がふっとやんだ。
私が顔をあげると、女は、おどろいたように、じっと正面を見つめていた。
正面の、カウンターの奥にこのボックスからも店の全体が見える大鏡がはりまわされている。
女のキャッツ・アイはまっすぐ、そこに注がれていた。ドアがあいたところだ。鏡の中に、あいたドアと、そこから店の中に入ってきて、足をとめた一人の人間のすがたがうつっている。
そうか、と私はおろかしくもやっと思いあたった。さっき女はこのミラーで、私の入ってくるのを見守っていたのか。だから、おどろかずにちょうどよくふりかえったのだ。
新しく入ってきた客は鏡の中の私とオリヴィアとを見つめていた。その口もとがごくわずかにうごいた――目はまったく、ぴくりともうごかなかった。私はそいつが虫の好かぬやつだ、ともう決めていた。理由などない――直感と、匂い[#「匂い」に傍点]。それだけだ。
その男の手が上った。ゆっくりとこのボックスに進みより、そして云う。
「レイディ。――ここにいたのですか」
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第二章
1
私はもともとそれほど感情に走るタイプではない、と人からも部下たちからも思われていたと思う。ブルー、というコードネームとあいまって、私は、よく、〈青い炎〉と云われたものだった。青白い、氷の炎――めったなことで、感情を激発させたりはせぬかわり、いったんしずかに燃えあがったら、まためったなことでは消せはしない。――このマスク・フェースの下で、私の心にうずまいている、自分でも始末におえぬほどに激しく生々しい、過剰なまでに人間的な激情を知るものは、たぶん私のほかにはまだ誰もいないはずだ。むしろ私は、超戦士の中でも格別に静かで、人間性の乏しい、理性の勝った存在、と考えられている――と思う。
しかし、ほんとうは決してそうではないといったところで、こんなふうに、一目みただけで、そのあいてにつよい、何というのか――生まれついての仇敵《きゅうてき》どうし、とさえいったにくしみと苛立ち、反発と魅惑にも似た敵意を覚える、というのも、珍しいことだった。私はその男をひと目見たとたんにわきおこった異様に激しいもてあますようなそれらの感情の沸騰に我ながらおどろきながら、まじまじと、サングラスにかくした光電子眼であいてを観察した。
それは、きわめて美しい、まだ若い男だった。そう、きわめて美しい――この、私の隣にかけている女が女として美しいのと同じくらい、男として美しい。全体に、醜いのを価値とするような社会はありえないのだから、遺伝子の人為的な操作が自由自在に近くなったこの世界では、平均的な容貌の標準そのものがどんどん上昇する傾向にある――五大都市では、美しい男女はもうまったく珍しい存在ではないし、上級市民ほど、美しいのが当然の条件のようになっている。むしろ醜さで人目をひくくらいのものをさがす方が困難だろう――辺境星区では、まだまったくそんなことはないが。
しかしそのクロノポリスでも、この男なら十分人目をひくにちがいない。が、私の感じた敵意と反発がそのためだとは、思えなかった。
左側でわけて、ふわりと顔にもつれかかる、長いブルー・ブラックの髪――広い聡明そうな額のまん中、眉間に、するどく光る〈サード・アイ〉が埋めこまれている――支配階級のシンボルだ。ゆったりとやわらかいキュニックと細身のズボン、幅広のベルトにはたぶんさまざまなメカニズムがくっついているのだろう、厚みがばかにある。肩幅は広く、腰のしまった、美しい彫像のようなしなやかなからだつき――いかにも、きっちりと組みあげたスケジュールでトータル・トレーニングをして、身心の完璧なシェープアップに生きがいを感じていそうなタイプ。そのほっそりとした顔は、すばらしい美術品ほども端正だったが、冷たく、非人間的だった。じっさい私のマスク・フェースの方が、よほどあたたかみがある、と断言してもいい。完璧、といっていい美貌であるだけに、なおのこと近づきがたくみえた。切れあがった瞳は濃いプルシャン・ブルー――細くたかい鼻梁《びりょう》、うすいくちびるにはほとんど色がなく、青ざめたなめらかすぎるほほには、私よりもよっぽど氷の無表情が似つかわしい。同じ美しいといっても、オリヴィアの、ふしぎなキラキラとたえず色をかえる光のようなそれとは、まるで異っていた。
その、美しい、冷たいガラスの義眼のような双眸《そうぼう》と、きらめく透明な、十文字のまん中のサード・アイとが、まるでそのへんの椅子か、テーブルをでも見るかのように、私を見、すいとそらされてオリヴィアにあてられた。
「レイディ」
彼は云った。声もぴったりとその外見につりあっていた。理知的で、しずかで、冷たくて、非人間的だった。ロボットの方がましだ――私がもし女で、こんな男にこんな声で、ものを云いかけられたとしたら、その場でスペースポートのタワーのてっぺんからとびおりてしまいたくなるにちがいない。屈辱のあまりだ――その声は、彼が価値と認めるごくごくわずかのもののほかのすべての生存を許さぬ――それとも無視する、というほどの傲岸《ごうがん》さをたたえていた。が、女――オリヴィアに対してだけは、いくぶんうやうやしいようだった。
「レイディ、すっかり時間をむだにしてしまった。外にフライアーが待っていますから、行きましょう。こんな場所は、貴女には似合わない」
「…………」
オリヴィアは長いまつ毛をあげた――私は唐突に、そう、まったく唐突に気づいていた。オリヴィアの睫毛《まつげ》がふしぎな濃いブルーで、びっくりするほど長く濃く、そのせいで彼女のあのふしぎな目は、いくぶん哀しそうな青いかげりをおびるのだ、ということに。
「どうして、そんな――」
ゆっくりと、オリヴィアは抗議するように云った。
「オペレーションRは中止です」
美青年は早口に云った。かたわらにいる私など、さいしょの一瞥以来、完全に無視している。
「中止? きいてないわ」
「では帰って、委員会の誰かからきけばよろしい。さあ早く――レイディ」
「待って。私、まだ話をすんでいないわ――それどころか。まだはじめたばかりだわ」
「誰と」
「ブルーと」
「ブルー?」
「彼よ」
「ああ」
彼の声は、云いようもない微妙なデリケートなニュアンスを帯びていた。本当なら、その場で合成酒をぶっかけてひとさわぎおこしてもいいくらい侮蔑的で、差別にみちたニュアンスだったが、あまりにもそれがデリケートだったので、私ですら、感心が先に立ってしまって、怒る気にはなれなかった。ただひとこと「ああ」といっただけで、これほどたくさんのものをあいてに伝えられるというのは、たしかに一つの才能としかいいようがない。
「また機会があるでしょう――あると思いますね。さあ」
「私、彼と話したいのよ」
「そのうちチャンスを作れますよ。さあ、レイディ」
「トニ、私、もう少しここにいるわ」
「ここは、あなたのいるにふさわしいようなところじゃありませんよ、マイ・レイディ」
「私――あなたのマイ・レイディじゃないわ」
オリヴィアはスツールをすべりおりてすっくと立った。
男は長身だった。ひどく長身、といってよいくらい――が、オリヴィアも、私と並べば子供のように小さく見えはしたけれども、そうして男と向かいあうと、決して小さくも、かぼそくもなかった。あの、さいしょにドアを入ってきた瞬間のみごとな威厳にみちた気品――それがみるみるかえってきて、そのすらりとした若木のようなからだ全体をつつみ、燃えたたせた。オリヴィアが、この男を必ずしも好きでないらしいことが私にはわかり、そしてそれがとても嬉《うれ》しかった。私はたぶん誰によらず、この男の味方、友、あるいはただ肩をもったというだけでも、そのあいてをも好きになれなかっただろうからだ。
「私はここにいるわ」
彼女は云った。大きくもならず、つよいひびきでもない、しずかなおちついた声だったが、それでいて、この世の誰一人としてこの考えをかえることは不可能にちがいないとはっきり悟らせるような声だった。
「一人で帰りたいときに帰ります。先にお帰りなさいな、トニ・アロウ。――あなたに迎えにくるよう、頼んだりしていないのを忘れないでほしいわ」
「では僕もここにいますよ、レイディ。それは、かまわないでしょうね――べつだん、あなたと僕が偶然[#「偶然」に傍点]同じ店で飲んでいたからといって、僕に退去を命じる法律もないでしょうからね。――バーテンダー、ワインをくれ」
「そういう法律をつくりたい気分になってきたわ」
オリヴィアは云い、そして私のかたわらへ戻ってきた。
「出ましょう、ブルー、ここは喧《やかま》しいから」
「オリヴィア」
トニ・アロウのするどい低い声。
いまでは店の中の、すべての人間がかたずをのんで成行きを見守っていた。私はそれが恐しく不愉快だった。私の望むのは、一人で、しずかに、そっとしておいてもらうことだけ――他のことはすべてかかわりなどもちたくない。この女の用が何でも、この男が何者でもどうでもいい。注目をあびたくないし、どんなことにもまきこまれたくないのだ。私は下らぬ好奇心にとらわれてこの店へ来たことをひどく後悔したい気分だった。
私は立ちあがった。とたんに、店の中の空気がさっと緊張する。
「勘定してくれ」
私は云った。そしてクレジット・カードをテーブルにおいた。
「ブルー、どうするの?」
答えない。そのまま支払いをすませ、出口にむかって歩き出す。と、すーっと店内のテンションが下ってゆくのがわかった。同時に微かな失望の気配――なんと、うんざりさせる市民どもだ。彼らは、私――サイボーグ超戦士と、一目で上級アリストクラートとわかるこの美青年とが、この女をめぐって店内で殺しあいでもはじめると――そんな、まるでCクラスのギャラクシー・ロマンスみたいなシーンを期待していたのだろうか。
「ブルー」
「――レイディ!」
声が背中で追っかけっこをした。かまわずに外に出、車をさがす。そこへ、女がとりすがるように早足で追いついてくる。
「ブルー、まだ、話がすんでないわ」
「レイディ、オペレーションは中止です。もう話す必要はない」
「トニ、関係ないわ」
「あると思いますね。あなたを守るのは、僕の役目だ」
「私、あなたに守られる義務はないわ。自分自身を守っていれば? 私もそうします」
「むろん自分は守る。その上であなたもね――あなたが自分の能力をあまりに過大評価しているようなのでね」
「失礼だわ」
「生まれつきです。レイディ、来なさい」
うしろのさわぎを無視して空いた車をさがす――が、あいにく、この通りまで入ってくるのはほとんどない。
大通りまで出た方が早いか、と考えていたとき、ピシャッとするどい音。
さすがにふりむいた。トニが頬にかるく手をあて、その下の青白い頬が赤くなっていた。私はいい気味だった――どうやらよほどこの男を好きになれぬらしい。
「私に命令するつもり?」
「あまりもののわからぬあいてにはそうするしかない」
「――――!」
ききとれなかった。何か恐しく特殊な、そしてきわめて侮辱的な専門用語ででもあったらしい。
頬を打たれても、眉ひとすじうごかさなかったトニ・アロウの表情が、さっと変った。
いきなりその細い手があがる。はっとオリヴィアを身をすくませた。が、手は、オリヴィアの頬には当たらなかった。
「放せ」
トニ・アロウは低く云った。が、その冷たい目は私への憎悪に狂っていた。
「放せ」
「女を叩くもんじゃない、どんなことがあろうとだ」
私は低く云った。私が手の力をゆるめぬ限り彼にはどうすることもできない。私はまだ本当には力を入れたとさえ云えぬのだが。私の手の中で、彼のきゃしゃな手首は指二本でへし折れそうに細い。
「放せ」
彼はもがこうとはせず、命令した。私は黙っていた。彼の自由なほうの手がさっとうごき、腰のベルトへむかう。
「それ以上、手をうごかさぬ方がいい」
私は警告してやった。
「私はソルジャーだ。一般市民に決して危害を加えぬよう、ブロックされている。しかし、お前がそのベルトにしこんだビームをつかうなら、ブロックが解除され、防御体制に入ってしまう。私はこの休暇中に殺人をおかして、強制労働キャンプ送りになど、なりたくないんだ」
「ソルジャー」
トニ・アロウはベルトから手をはなし、きっぱりと云った。
「命令だ。放せ」
命令されるすじあいはなかったが、私は手を放してやった。見ると、その細い白い手首はまっ赤に腫れあがっていた。
トニ・アロウはしかし、眉ひとつ、そのいたみを感じているしるしにうごかそうともしなかった。誰でもせずにいられぬであろうように、手首をさすりもしなかった。恐しいくらいな意志の力だ。
「スーパー・ソルジャー第28連隊ブルー中佐、忠告しておこう」
彼は云った。やはり声ひとつ大きくしようともせぬのが、何となくいかにもこの男はこの男なりにただ者でないのだと思わせる。もっともそれもすべて計算づくにちがいない。どうも、好きになれそうもない男だ。
「できれば早急に、可及的すみやかに、と云いかえようか。このクロノポリスを退去することだ。クロノポリスはスーパー・ソルジャーを歓迎していない。超戦士は、中央銀河政府の飼犬と見なされている。その能力や戦績に最大の敬意は払うが、しかしクロノポリス市民と私的な交流をもつことは好ましくない。中佐がプライヴェートな時間をすごすにはもっとふさわしい――たとえばエデン星区《エリア》がある。これ以上、市民の生活を擾乱《じょうらん》せぬうちにエデンへでも、その他のどこへでも行きたまえ。――別にこの忠告を受け入れる義務は君にはないが、君が評判どおり賢ければそうするのではないかな」
そして微笑。
かすかな、蛇のような――ひどく苛立《いらだ》たせられるイヤな匂いのひそむ微笑。目は、これっぽっちも、笑っていなかった。どころか、言外のはっきりした意味を語っていた。
出ていけ、今すぐ出てゆき、二度と戻ってくるな。でないとここが、きさまの墓場になるぞ。でくのぼうのうど[#「うど」に傍点]の大木、ファイティング・ロボットのスーパーソルジャー。
「あんたは誰だ?」
私はきいた。答えるとは思っていなかった。しかし、あいては、手を衿のうしろに入れて、認識バッジをちらりとみせた。ホログラムで輝くクロノポリスのシンボルマーク。
「クロノポリス二等執政官トニ・アロウ・ケンジズ三世」
「執政官《アウグスタニ》か!」
どうせ、上級アリストクラートだろうとは思っていたが、予想以上の大物だった。私は肩をすくめた。その執政官が出てゆけというのならしかたない。あいてはその気になれば、強制退去処分でも執行できる身分なのだ。
「わかった。本意ではないが、クロノポリスは退去しよう」
私は云った。
「それがいい。やっと、少しは、話がわかってきたようだな」
「そのかわり」
私は云ってやる。
「よけいな口を叩くな。これ以上、人の休暇の邪魔をして人を怒らせるな。それが退去の条件だ。もういいかげん、人のことは、放っておいてもらいたい」
「よかろう――いいとも」
トニ・アロウはまたあのイヤな笑いをうかべた。まったく、この笑いだけでも何百回殺されてもしかたのなさそうなやつだった。
「クロノポリスさえ出てゆけば、あとは何千万年でも放っておくさ。そうでない理由などひとつもなかろう――人[#「人」に傍点]、か[#「か」に傍点]」
その、一語にこめられたひびき。
(人[#「人」に傍点]、か[#「か」に傍点])
私以外の超戦士――シェパードか、ラッキーか、オメガか――誰であれ、その場で執政官殺しの重罪に問われるはめになっていたかもしれない。
それほど、残酷な――もっとも的確に私たちの心のもっともいたい、裸の部分を鞭打ってくる云いぐさだった。
選んで――好き好んで人でなくなり、怪物になった、と思うのか。
しかし、私はふみこらえた――殺す値打もないやつだ、そう思いつづけることで、煮えるように身内にたぎってくるものを何とかのみ下した。
もう、一言もこれ以上口をきく気にはなれなかった。まっぴらだ――クロノポリスも、アリストクラートどもも。
「待って!」
うしろから、するどい叫び。あんたも、まっ平だ、きれいな貴族女、あんたも。
私はふりむかず、大股に、シベール大通りへむかって歩き出した。
「待って、ブルー、お願い――話をきいて!」
「レイディ、もう、話はおわったんだ。何もないはずです――さあ」
二つの声がうしろで交錯する――オーケイ、俺には関係ない。好きにしろ。
私は大通りで、私をでものせてくれる、親切なフライアー・カーをひろい、まっすぐにホテルに帰った。もう、何もかも沢山だ、という気分だった――クロノポリスも、アリストクラートも。あの荒涼たるボーダーエリア――なぜ、あのたたかいで、皆と一緒に死んでいなかったのだろう。そうしたら、いまごろ、あの世とやらで皆と一緒に楽しくやっていられたのに。
なんて、ばかげた云いぐさだったろう。私はもう、わざわざ肩をすくめる気もしなかった。サイボーグにあの世なんてありゃしない、およそばかげている。エラー、訂正――なぜあのたたかいで、一緒に死んでいなかったのだろう。そうしたらいまごろ、存在しないでいられたのだ。
灰色の朝の光は、クロノポリスでもやっぱり灰色だった。
2
ひとしきりの通勤ラッシュがすんで、やや私がうろついても人目をひかないだろうと思える時間まで、何とか私は待ちつづけた。
それから、チェックアウトして、ホテルを出る――どうせ、ろくな荷物もありはしない。
モノレールで、スペースポートへむかっているとき、私はふっと、おや、と思った。誰か、私を見張っているやつがいる――商売柄、そういうことには異常にカンが働く。
きのうの執政官どのの手下か。そうかもしれない。私の一晩考えて得た結論は、このクロノポリスには何やら不明朗な因子がひそんでおり、私をまきこもうとするはたらきと私の介入を拒もうとするはたらきがある、という、まるでじっさいに起ったことを云いかえただけにすぎないものだったが、しかしたとえどんなにあの美男におわすトニ・アロウ二等執政官殿下を気にくわなかったにせよ、困ったことに、すべての理性とコンピュータは告げていた――私個人の利害の方は、あのトニ・アロウ殿下の方[#「殿下の方」に傍点]と一致するのだ、ということを。彼は私に首をつっこまれたくなかったし、私はつっこみたくなかった。あの美しいレイディ・オリヴィアがあの百倍、美しかったとしても、私をその点では、ぴくりともうごかすことはできなかったにちがいない。
この利害がトニ・アロウと一致してしまうというのは、私にしてみれば、まことに残念なことだった。私にしてみれば、彼と利害が一致せず、彼を怒らせる方が、ずっとずっと楽しかったのだから。彼がどのくらいまでで怒るかどうかわからないが、あの冷たくとりすました氷の仮面をつき破り、あのうすいくちびるから、汚らしい本音の奔流が、次々とあふれ出てくるのをきいたら、どんなにか愉快にちがいない。ただ単に彼が自制心を失ったところが見られるというだけでも。
彼は昨夜、オリヴィアに対しては、一度うなりかけはしたが、あのときオリヴィアが何を口走ったのかは私にはわからなかったし、それで、それがどのていどひどいことなのかも、私にはわかりようがないわけだ。とにかく私にたしかに云えるのはたった一言、あの男は気にくわない[#「あの男は気にくわない」に傍点]、という、それだけだった。
生まれついての仇敵どうし、ということはたしかにこの世にあるものらしい。向うが私を一目みて憎んだことも私には、まるで恋人どうしの胸に伝わる愛の波動のようにはっきりと伝わってきた。だからこそ、あのゆうべの見えすいた挑発にのらずにすんだのだ。私は、彼のまえに、少しでもその挑発で傷ついた、ということをすら見せたくない、それほどに、彼に対してつよい反感をもったのだった。
二等執政官トニ・アロウか――せっかく、私のなぜか知らず好きだと思い、少しずつ自分の第二の故郷のようにさえ見做しはじめていた、この実験都市クロノポリスだが、あんな男が少しでも市政をとりしきっているのかと思うと、まるでクロノポリスそのものがちがった存在にすらみえてくる。
私はしつこくまつわりついてくる視線など気にとめぬことにして、モノレールの窓からじっとクロノポリス――もう訪れることのないかもしれぬ――を見おろした。
それはやはり美しいと私には思える。それは、銀河|中心星域《センターエリア》の他の多くの星々と同じく、人工的で、清潔で美しくてよく計算されていたが、それでいてどこかに妙なユーモラスな、自然な感じをものこしてはいた。シベール地区の存在もそうだし、建物や人々の感じもそうだ。
長くどこまでも網の目のようにドームの内側をおおいつくしているエクスプレス・ウェイ――そのあいまをぬうように走りぬける通勤用モノレール。
銀色の高層建築がその下にかさなりあう銀の木々のように生えている。その向う、はるか向うにひろがる住宅群は、まるで青い海――私はそれをどの星区で見たのだったか――の波のかさなりあっているかのようだ。
その住宅群のまた向うに、かすみながら、ぼうっと銀色の森がみえる――その向うにまた青い波。
それはたしかに、とても美しい光景だった。そのあいまにちらちらと運河が光り、木々の緑が映えた。銀と緑とブルーと白――その上にきらめくモノレールとエクスプレス・ウェイの銀色。その中にひしめいている何十億の人々。
かるいめまい――そんな云いぐさが、この鋼鉄製のボディに許されるものならば。
(この光景は、たしかに見たことがある)
見たことがあってあたりまえなのだ。私は何回も、このクロノポリスに休暇をすごしにきているのだから。
私は自分をわらった。ノイローゼのロボット! もう誰一人口にするのに飽きないものはいないくらい、古い、古いジョーク。
やがて、住宅がとぎれとぎれになり、かわって緑がひろがりはじめ、その彼方にまっ白と銀色に光り輝く海のようなものがみえはじめる。クロノポリス宇宙港――私のたどりついたつかのまの港。
同じモノレールにのりあわせた、そう多くない人々は、その八割方が、スペースポートまでゆかぬうちにあちこちで下車していった。さいごまで車内にのこっていたのはすでに数人だった。それもたぶん、スペースボートで星を出てゆくものはいないだろう。この時代、宇宙へゆく、というのは、すでにロマンチックなことでもなければ、冒険でもない。大半のビジネスマンにとっては単なる出張にしかすぎないし、ごく一部の、それに従ってつくりかえられた人間――つまり我々のような――にとっては自分の家に戻るようなものだった。スペースポートでおりた数人の中のだれが、私を尾行するようにトニ・アロウ二等執政官に命じられたものだったか、それも大体見当はついたが、私は放っておくことにした。どうせ出てゆく人間にとって、そんなことはどうでもいい。宇宙空間までは、誰一人追っかけて来はすまい。晴朗な宇宙空間を! だ。
モノレールをおりて、かんたんに出市手続をすませ、そのまま私はメイン・ゲートを通りすぎて、プライヴァシー・ゲートの方へ向かった。荷物は小さな半透明のザックにぶちこんだもの一つだ。もう、あの二等執政官の腹立たしさもあらかた消えていた。これからこえるはずの何万光年の距離が、私の心をすでにクロノポリスからひきはなしはじめている。私は116番ゲートから出て、二人乗のポートカーで〈ナディア〉に向かった。
〈ナディア〉はいい娘《こ》に、じっと、私のランディングさせたところにとまっていた。私のかわいい娘《こ》――私の文字どおりの意味での半身でもある。美しいほっそりした戦闘航宙機、SS―ZE300改良型。こいつがいないと、私は死んだも同然だ。さっさとそのメタリック・ブルーシルバーのボディの真下へゆき、かるく指を鳴らす。さっとタラップがおりてくる。ほっそりして、まん中でくびれ、先端がこころもち前傾したそのすがた全体が私に再び会えたよろこびにふるえている――これは比喩でも何でもないのだ。タラップごとひきあげられながら私はかるく、私の半身の胴を叩いてやる。
「元気にしてたか?」
〈ナディア〉はかすかな胴震いで、それにこたえた。
きりきりとレンズのしぼられるようにあいてゆくエントランスが、タラップごと私をのみこみ、またしまる。エアロックに入ると、反射的に異常を点検する目を周囲に走らせてしまう――赤外線センサー異常なし。ロックホールド異常なし。内圧、コンソール計器――異常なし。〈ナディア〉はきょうもご機嫌うるわしい。
せまい通路を上昇し、センターのコクピットに入る。荷物を放り出し、古馴染の壁の傷に敬礼し、するりと中央のシートにすべりこむ。
「お帰りなさい、ボス!」
華やいだキンキラ声がした。
「帰ったぞ、ナーダ」
「早かった|※[#小書き片仮名ス、1-6-80]《ス》ね。もっと――予定どおり、一銀河月はいるとばかし思ってたのに」
「ちっと、イヤなことがあって、早めに切りあげることにしたのさ。出市手続はもうとってある。行先は――」
「アイアイサー」
「――まだ、決めてない」
「なーんだッ!」
「そういうな。行く方定めぬ旅ってやつも、またイカすじゃないか」
「そんなぁ――データ早く下さいよぉ」
「忙しい奴だな。焦るな。ゆっくり決めようじゃないか」
ナーダは大きな目をくりくりさせて、不平そうに頬をふくらせながらも、サブコントロールシートにすべりこむ。
ナーダ――NADA335―5は、SSスーパーソルジャーなら誰もが一名ずつキープしている、補助《サブ》パーソナリティだ。といっても、ナーダの方には、人間の脳は入っていない。実をいえば、ナーダこそ正真正銘、この〈ナディア〉そのものの人格化なのだ。
私たち――スーパーソルジャーが、スーパーソルジャーであるのは、地上だけのことではない――宇宙空間で、完璧な戦士《ソルジャー》でありうるために、発進と同時にいったん私たちの人格は、各々に一機ずつ与えられている戦闘用S―ボートと連動させられる。つまり私たちは、いちばんかんたんにいうとこのコントロール・シートに入りこんで端子を接続したとたん、このS―ボートそれ自体に〈変身〉するのだ。S―ボートはふだんは、サブ・ルーティンしか機能していない。私たち、スーパー・ソルジャーがこのS―ボートのメイン・コンピュータそのものなのだ。だから、私たちは、地上の戦士から宇宙間の理性ある戦闘用スペースボートとして、どんなところでも自由自在にたたかうことができる。何一つ、操作したり、セットしたりする必要はない。ただ思考[#「思考」に傍点]するだけでいい。それが回路に流れ、その命令によってFSBは動く。その動きは、人間がコンピュータに打ちこむ数十倍の速度と確実さをもっているのだ。
しかしどちらにせよ、フィード・バックは必要になる。そこで、サブ・ルーティンが、メイン・コンピュータに私が接続すると同時にフィード・バックの機能をもつこととなり、全機能の点検と整備判断の再検討データの補充など、他のあらゆるサブ・セクションをうけもつのだが、かたちだけはこのサブ・コンピュータにも人格が付与してある。むろん、本物のではなく、本人のすべての心理特性から割り出した、ベスト・カップリングの人格である――たとえば、かっとしやすいルーキーの船には、冷静ななだめ役の〈マイキー〉が乗りくんでいる、というように。私の〈ナディア〉の擬人化である〈ナーダ〉は、ひょうきんで明るい、小さなおてんばな女の子のすがたをとっていた。それはつまり、私が陰気で重苦しい、憂鬱《ゆううつ》で悲観主義のボスだ、という心理学上の判断が下った、ということだ。ナーダは私を明るく励まし、力づけ、からかうために存在している――そして、どんなサイボーグでも、キーボードや画面にあらわれる絵や音声だけではそのあいてを人間と認めて感情移入することなどできはしないので、それで賢い中央管理局はそれらのキャラクターに、各々のキャラにふさわしい小さなからだを与えかたちとしては――人間が外からみれば、ということだ――各々のソルジャーの〈アシスタント・ナヴィゲーター〉として、のりくませているのだった。本当は、一見すれば人のすがたはしているけれども、要するになかみは正真正銘のコンピュータそれ自体でしかない。
しかし、それは、はてしない宇宙の孤独の中で、私たち、本当の人間の脳味噌を不幸にももちあわせているものを、心をいやし、なぐさめてくれるのもくやしいことにたしかだった。まったく、管制局のお偉方のやることに、さからうことはできない――かれらはあまりに聡明だ。かれらが何千年分の人知の結晶としてやることに、たとえどんな怒りを覚え、抵抗があったにしても、決して、かれらのやることに反対できないのだ。いつだってそれがベスト・ウェイに決っているのだから。
というわけで、私の〈ナーダ〉は、年のころなら十二、三歳くらいの、少年だか少女だかまるきりわからない。はねかえりで口のわるい両側でポニーテールにしたそばかすの小娘、というキャラクターを与えられていた。もう、ナーダと〈ナディア〉と組んで十年にもなる。こちらだって、ナーダのことをロボットだの、サブ・コンピュータの端末だのと考えていられるわけはないのだ。
ナーダはかいがいしく、とびまわって私の荷物をかたづけ、私の接続を手つだってから、自分のシートにするりとすべりこんだ。そしてヘッドホンをつけようともちあげながら大きな目で私を見て、小首をかしげた。
「ブルー――ボス」
「何だ、ちびすけ」
「何か、ヘンだね」
「何が」
私はぎくりとする。ボスの精神と肉体(といってよければ)の管理、というのは、この連中――私たちは、各々のナゼ≠ニ呼んでいたが――のきわめて重要な役割の一つなのだ。
「どこがヘンだって?」
「何か、あったん|※[#小書き片仮名ス、1-6-80]《ス》か。――いつものボスとちがうな」
「こいつ。――どう、違う」
「さあ、そこまでは、――もうちっと、合体[#「合体」に傍点]してみないと、さあ」
「してみろよ」
「ラジャー。ONします」
「ラジャー」
ナーダがぐっと端子接続スイッチを押し入れる。ふいに、自分の体が自分のものでなくなってゆく感じ。――体じゅうがとけて〈ナディア〉に流れこんでゆく感じ。
「――O・K?」
「O・K」
「異常ありませんか」
「なし。テイク・オフ用意に入る」
ほのかなうなり、〈ナディア〉に振動がつたわる。
「ボスっ!」
「何だ、ナーダ」
「何だじゃないってば――行き先のデータくれなきゃ……検算ができないよウ」
「そんなもの、いらんさ」
「えーっ――どうもボスはこのごろ、自殺志向があるんじゃないかなーッ」
私は、しばらく黙っていてから、そうか、といった。ナーダは、はっとしたようだ。
「いや――すみません。ヘンなこといっちゃって……けどね。とにかくデータだけ、データ・データ」
「うるさい奴だ。――とりあえず……」
私は考えた。クロノポリスを出たところで、新しいゆくあてがあるわけではない。〈快楽の都〉エデン星区はまっ平だ。
「――よし、ボーダーK―30でもゆくか」
「えーッ」
ナーダがさわいだ。
「そんな、遠いとこへ。何しに」
「何も用はない。考えつく、一番とおいところを云っただけだ、現在交戦エリア以外で」
「そんな―ッ」
「じゃ、どこがいい」
「そうですねえ」
考えるところがけっこうおかしい。
「エデン―38でも」
「あの、淫らなところかね?」
「かどうか知りませんよっ、ナーダは! ただ、ほらボスが、前にいってたからさ、エデン・エリアで少しでもおちつけるのは、38星だけだ、って」
「そんなこと云ったかな」
「云いましたよ。――ボス、コントロール・タワーから発進タイムを問いあわせてきてますが」
「わかってる。五分後だ」
「やれやれ、五分後ね――ブラインド・ワープなんて、いやだからね、ナーダは。まだ、生命がおしいもん」
「ロボットのくせに、いっぱしの口をききやがって」
とりあえずあわただしくスキャンニングして、行先を決める。どうしても、どこかへゆかなくてはならぬ、と云うのなら、しかたない。一応われわれの宿舎がある、ということになっているセンター・エリアをめざしておこう――――まちがいない。そこにはつねに〈ナディア〉のスペースが確保してある。そこでゆっくり、休暇ののこり二十日ばかりをすごすさきを考えるしかない。
「ナーダ」
「はい、ボス」
私は、直通で、テイク・オフに必要なデーターを、ナーダに送りこみはじめた。それをナーダが検証して、手落ちがあればカヴァーしてくれる。
「O・K?」
「O・K、ボス――十秒下さい」
「ラジャー」
コントロール・タワーに発進のデータを送り、〈ナディア〉の中にエネルギーをふきこみ、三たび――か何十たびか何千回かわからないが、地上をけってとびたつ準備をする。目のまえのスクリーンに、次々とたってゆく別のゲートのボートがうつし出されている。
(一〇・〇八〈アマリア8〉発進)
(一〇・一六〈ランド―35〉発進)
(一〇・二〇〈ウィンデリア〉待機、発進)
(十一・一〇〈ナディア3〉発進)
(十一・一〇〈ナディア〉発進準備ヨシ)
(カウントダウン開始。十、九、八、七)
(六、五、四、三、二、一、〇)
(ファイア)
(十一・一〇コンマ八〈ナディア8〉発進完了)
(脱出速度一〇〇八パーセント。角度――)
(〈ナディア〉、CT2ヨリ。〈ナディア〉コントロールタワー2ヨリ〉)
(こちら〈ナディア〉、コントロール・タワー2、タワー2)
(〈ナディア〉万事良好。宇宙嵐データ通信ズミ。晴朗ナ宇宙空間ヲ祈ル)
(サンキュー・グッド・ラック、クロノポリス)
わけもないこと――体がはじめから、そのようにつくられているものにとっては。
よし――異常なし。
たちまち、心地よい、馴れしたしんだ急激な加速がくる――生身の人間には耐えることができぬ加速――ぐんぐんGの目盛が私の体の中をつっ走ってかけあがってゆく。私の体は苦もなくG―ショックを吸収してゆく。当然だ。私はそのためにつくられているのだ。
「ボス、大気圏脱出します」
「ラジャー」
いとしいナーダ。
[#挿絵(img/01_077.png)入る]
このちび――むろんじっさいには、私などよりずっと大きいわけだが――は、もうほんとうに長いこと私と共に、私の分身として、宇宙をこえ、たたかいつづけてきた。もう私にとって、ナーダは冷たいコンピュータの端末を身内におさめた擬人化されたロボットなどではない。大切な、自分の一部だ。ちゃんとナーダ本人の人格もある。まったくの、生命ある存在と同じなのだ。
にしても――ナーダが私の場合、ナーダであるのは、どうしてだろう。私には、少女姦の傾向はまったくない。むしろ、私には、では、満たされぬ父性の傾向でもあるわけだろうか。この〈ナビ〉の外見、性格づけは、ことこまかな心理的な調査の揚句になされる。だから人によってはそれは口をきく猫だったり、色っぽい女だったり、当人の母親の姿をしていたり、相棒のスペースマンであったりする。いちばんひどいのは、巨大な宇宙サボテンがナビだったソルジャーを私は知っている。何しろ、何年にもわたる宇宙航行の絶対的な孤独とストレスをやわらげ、救ってくれる唯一の大切なパートナーなのだ。その任務はとても大きい。
心理学のテストはたぶん、私が求めてえられぬもの――かわいい自分の子どもへの渇望を発見したのだろうか? にしてもまあ宇宙サボテンが惑星ケルベルスの三つ首の宇宙犬(そういうナビをもっているやつもいた)よりはずっとマシというものだ。私はスクリーンの中でぐんぐん小さくなるクロノポリスに別れの目をやる。
「あれ、どうしました、ボス」
「何だ」
「何考えてるんです?」
「お前がな――」
私は苦笑した。ナーダといるとき、私はとてもよく苦笑する――といったところでむろん、べつだん表情がそうするというわけではないが。
「お前さんは、なかなかかわいいちびすけだ、ってことをさ、ナーダっ娘《こ》」
「やだなあ、ボス」
一応、もとの脳だけは人間のはずの私よりも、ロボットのナーダのほうが、はるかにゆたかな表情のストックと反応をゆるされている。その大きな目がヘッドレストのあいだでキラキラ輝く。
「ねえ、ボス」
「何だ」
「そのう――きいてもいいかな――?」
「クロノポリスを、追ん出たわけか?」
「図星」
「いいさ、お前には、むろんいうつもりでいた。――何やらわけのわからんトラブルにまきこまれそうになってな。向うさんからも出てけといわれたが、でなくても、こっちもたくさんだった」
「向うさん」
「クロノポリスの支配系統のデータは?」
「一般登録データにあるくらいは」
「トニ・アロウ・ケンジス三世。二等執政官だ」
「待って下さいよ。入力します」
「急がんでいい。どうせエデンへまで、べつにあてのあるって旅じゃない」
「じゃ、ハイパー空間に入ってからでもいいかな」
「いいさ」
「助かりィ。やっときます」
「ああ」
「トニ・アロウ三世――えらそうな名前しちゃって。そいつがボスとナーダに出てけって云ったの? 感じわるーい」
「感じのわるさにかけちゃ、アルファ・ケンタウリのウニトカゲにも敗けないくらいトゲだらけなやつだぞ。しかし見かけはやけにべっぴんだったな」
「べっぴんね」
「氷のアポロってとこだよ。ナーダなんか見たらぐらっと来るかもな」
「じょーだん……ナーダはボスしか目に入らないよう、ブロックされてます」
「あいにくと、俺の方にはロリ・コンの気《け》はないんだ。くやしかったらあと十歳、年をとって来てみろ」
「いいもん。そのうち、管理局に申請してアダルト・タイプにうつしかえてもらうんだもんね」
「ああ、そうしろ、そうしろ。そのまえにこっちは|おじい《オールマン》だ」
私は低くわらった。そうしながらまた、あの美しい男の、口のはただけをねじまげ、目だけはまったく笑ってもいない、ぞっとするような笑いかたを思いうかべていた。
その連想がそのまま、それにからむもう一人の笑顔におもむいた。
まるで、そう――こんなことをいうのは柄でもないが――花か、太陽そのもののような笑顔だった。少女のような……美しい、美しすぎるのでむしろ堂々と女神のようにみえてしまう顔に、ふいに、ひとをおどろかせるほどのあざやかな子供っぽい輝き、生のよろこびと光をそのまま胸の奥までとどけてくれるようなあどけなさと清らかさがうかびあがり、そしてあのすばらしい、光の滝のような髪とあいまって、まるで彼女全体がキラキラと輝きわたったとでもいうかのように――
「どうしたんです、ボス」
「何だ、いちいち、うるさいやつだな」
「だってさ――何かヘンだな、ボス、いつもとちがうもん」
「そ、そうか?」
「ボスのおつむの管理はナーダの任務だからね、気になるよ」
「気にすることはないさ。どうってことはない」
「でも、ボス――」
「気にするなというのに。どうせばからしいブリキ頭だ」
「そんなあ――え?」
「どうした、ナーダ」
「ボス、スクリーン」
あわてて、スクリーンに注意をもどす。もとより私の全機能はすでにこの船そのものと合体している。ナーダが注意を払っているかぎり、いよいよハイパー・スペースへワープで入るとき、出るときと、離着陸の前後の他は、通常宇宙空間で、わざわざエマージェンシー体制をとる必要などないので、私はスクリーンなど気にしていない。
「ね」
いま、そのスクリーンに、いつのまにか、一機の中型のスペース・ボートが近づきつつあった。
エマージェンシー・ブロックが入らなかったということは、向うには、敵意はないのだ。それにここはまだ、クロノポリスの制宙域内だ。
「コールは?」
「来ました。――認識|番号《コード》を云います。AZZ|α《アルファ》311867―CR05636―D。照会します」
ナーダはたちまち元気よくうごき出している。スクリーンにうつっているスペースボートは、〈ナディア〉を侮辱するような、最新型だ。
「ボス、呼んでますよ」
「ああ」
私は通話をONにした。
「コードSS―28―1262、NAD―666、〈ナディア〉。コードSS―28―1262、NAD666、〈ナディア〉」
「こちら〈ナディア〉。きこえた」
私はいくぶん、不機嫌な声になっている――と思う。それとも、動揺しているのか。もう、私には、あいてが誰だかわかったからだ。
「ブルー――?」
「ああ」
私はせいいっぱいの仏頂面《ぶっちょうづら》――声にも仏頂面というのがあるのだとしたら――で云った。
「俺だ。何だ、まだ、何か用があるのか。もう、俺にはクロノポリスは用はないはずだぞ。クロノポリスに、俺ももう用はない――何しろ、そっちから、さっさと出てゆけという宣告をうけたんだ。そのことは、忘れちゃいまい。レイディ[#「レイディ」に傍点]、オリヴィア」
「覚えていてくれたのね、ブルー」
いくぶん意外そうなひびき。この女は、自分を一回でもみたり、会ったりして、それで覚えない人間がいるとでも、本気で思っているのだろうか?
「でも、あれは――トニの無礼は私からもあやまるけど、でも、あれはトニ・アロウの勝手に云ったことだわ。私は――私は、あなたと、まだ話がすんでいない。だから、こうして追いかけてきたのよ。――ブルー、私を怒っている? 迷惑かけて」
「いや……そ、そんなことはないが」
「本当にごめんなさいね」
オリヴィアは云った――くそ。何という女だ、これは。
「よかったら、そちらにうつりたいのだけど。私、しつこいのよ。どうしても話をきいてほしいのよ、ブルー」
3
どうすることもできなかった。この、天真らんまんさに逆らうことができたら――比喩的な意味でしかないにせよ――人間とはいえなかったにちがいない。
私は大人しく命じられるままに〈ナディア〉を静止させて待った。やがて向うのボートから、ドッキングのためのデータが次々と送りこまれてきた。ナーダがいそいで計算をはじめ、こちらのデータを送りかえす。その間、オリヴィアはまったくコンタクトをとって来ないまま、とてもしずかに待っていた。
やがて、二つのボートの間にスルスルとエアー・チューブがのびてゆき、ぴたりとくっついた。向うから、こちらへ来るか、向うへゆくかと問い合せが来たので、私は自分からゆくと返事をしておいた。別にふかいわけはなかったが、ただ、〈ナディア〉に、別の女を見せたくなかったのだ。
それに、私の方が身軽そうだ。
「ボスう」
「何だ」
「何ですよう、あの女《ひと》」
「何でもない。戻って来たら説明してやる――いい子に待ってろ」
ナーダをかるくあしらって、エア・ロックから出、エア・チューブをぬけて、オリヴィアのボートへうつった。どうせそんなことだとはわかっていたけれども、目のちかちかするような豪華船だった。ごくごく小さい、近距離航行用のスペース・ボートのくせに、中の設備はすべて超大型豪華客船顔敗けだ。床にはふかふかのじゅうたんがしきつめてあるし、執事ロボットのいないのがふしぎなくらいだった。呆れたことに、美しい年代もののバー・セットまで小さいながら完備している。じっさい、アリストどものやることは――見ているだけで笑えてくる。
「よかった」
その中で、オリヴィアはいかにも自然にみえる――そう、やっと、本来のいるべき場所に戻った、というように。
彼女はゆったりとした白いトーガを身につけ、それがとてもよく似合っていた。ターバンはつけておらず、髪もほどいていたので、そのすばらしい光り輝く髪は信じられないくらいゆたかに美しく腰のあたりまでも流れおちていた。こんな髪を見たのは生まれてはじめてだとまた私は思った。
彼女はくつろいで、おちついており、とても美しかった。長い白いやわらかい生地のトーガは彼女をどことなく、大昔の絵の美しい王女のようにみせた。こうしていると、彼女にはいかにも、少女のおもかげがあった。ほとんどあの女王然とした威厳は感じられない。それはほとんど私を圧迫しなかった。
「やっと会えて、これでゆっくり話ができるわ。つまらないじゃまが入って――私、ほんとうに苛々していたの。きのうはあのあと、トニ・アロウと大げんかしたわ」
「あの二等執政官どのか」
私が、無表情な声にこめた痛切な皮肉は、どのくらい、オリヴィアに伝わったことだろう。
「たいそう偉い人らしいな。あの若さで、大したものだ」
「家柄もとびきりだし、たしかにとても有能な人物よ。でもどうも――| 蛇 《サーペント》のようなところがあって、私、好きになれない。わるいとは思うのだけれど」
「向うは、そうじゃないようだったな」
云ってから私は後悔した。ひどくよけいなことを云ったものだ――私に、何のかかわりがあるというのか。訂正、削除。
「すまん、よけいなことを云ったな」
「あら、どうして?」
大きく目をみはって、おどろいた口調で云う。――まるで、私がそういうのは、当然で――私が、彼女の周辺に関心をもったり、くちばしをつっこむのは、正しいことだといわぬばかりだ。
「あんたも執政官なのか?」
何とはない具合のわるさをまぎらそうと、私は云った。
「だとしたら、同僚のわる口を云ってすまなかったな」
「とんでもない。私、執政官じゃないわ。そんなふうにみえて?――〈サード・アイ〉はどこにあって?」
たしかに、オリヴィアのひたいは、白く、ロウのようになめらかだった。あれはたしか手術で埋めこまれるのだ。
「しかしアリストクラートだ。そいつは一目見りゃわかる」
「そのとおりよ。私、SA級シチズンよ。まだ正式に自己紹介してなかったわ――私の名は、オリヴィア・ファンズワース・ハート。クロノポリスの――先代の市長の娘で、いまは、まあ、云ってみれば学術顧問のようなことをしてるわ。こう見えても、汎銀河博士号をもっているの――政治学と宇宙史と生態物理学と管理心理学と総合情報学よ。昔、〈天才《ジーニアス》〉と仇名されてたわ」
「なるほどね」
先代市長の娘――つまりは、クロノポリスにとっての、王女様というわけだ。いよいよ、私からは、何万光年も遠い存在だった。
「何かのむ、ブルー? 何でもあるわ。操船は自動になっているし、このへんは航路からもはずれるし、おちつけてよ」
「何もいらん。話をきこう」
「私、一人でいただいてるわ」
ふわりとうごいて、彼女はワインの入った吸呑《すいのみ》をもってきた。
「まず、おわびから――ごめんなさいね、ブルー――ひどく唐突で考えなしなやり方で、あなたに近づこうとしたことを、おわびしたかったの。あれは、私の本意じゃなかった。でも、あなたと会ってからの言動は、すべて――うそは一つもないわ」
「その判断はこっちでする。話は?」
「そうね――何からしたらいいのかしら……」
オリヴィアは私にかけるように云い、ためらいがちに指の爪をかじった。こんな洗練された優雅な女性にも、そのご大層な肩書きにも、あまり似つかわしいとは云えぬしぐさ。いたずらっ子のようだ。
「いまとなってはトニの懸念もわからなくはないの。あなたがた、超戦士はいつだって、中央銀河政府の防衛構想のかなめだったわ。トニは、あなたに何か云うことで、中央政府に洩《も》れてしまうのではないかと思っている。それは、たしかに、考えうることだわ――ふつうならね。あまりに危険すぎる賭《か》けだとトニ・アロウはいうの。――彼ははじめからこの計画に反対だった」
「中央政府へのクーデター――か?」
ゆっくりと私はきいた。オリヴィアはおもてをひきしめた。
「そうじゃないわ。そんなこと、云っていないわ――そんなものじゃない」
まるで一人言のように云う。
「そんなこと、可能だと思って? そんなこと、こんな厳重な管理体制の下で無理に決ってるわ。私たちは不可能な夢などみてはいないのよ」
「私たち――か」
私はゆっくりと立ち上った。
「邪魔したな。帰る」
「え――?」
オリヴィアもやにわに立ち上った。わずかに、美しい顔が蒼白《そうはく》になっていた。
「どうして――? 何のこと?」
「嘘でぬり固めた話をきいたところで、時間の無駄だ。どけ、俺は自分のボートに戻る。早くこの星域《エリア》から出ないと、またあんたの執政官殿に人間じゃないと云われる」
「トニのいったことは、あやまるわ!」
オリヴィアは、すたすたとエアロックの方へ歩き出す私の前にまわりこんだ。ふわりと、銀の炎のような髪がなびいた。
「嘘なんかついてない。信じて! 話をきいて、ブルー」
「必要ない。そこをどいてくれ。帰る」
「せめて話だけさせて、ブルー! おねがいよ!」
「きかなかった方が、互いにあとくされがなくていい。お互い、かかわりのないところに、無理にかかわっても、ろくなことにならん。通してくれ」
「きくだけでさえ、断わるというの? どうして?」
「大体見当はつくからだ。それをあんたがどんな云い訳と嘘でとりつくろおうと、それを眺めて楽しむ趣味はない。もう二度と云わん、そこをどけ」
「ブルー」
オリヴィアも必死の表情になった。切羽つまっていることが、そのようすから察せられた。
「嘘などつかないと誓うわ。すべてありのままに話すわ――だからきいて! おねがい!」
「ありのままに話されたらなお迷惑だ。それをきいても、俺に力になれることがあるとも限らん。どうせ引受けられぬことなら、きかん方がいい。――トニ・アロウ殿下[#「殿下」に傍点]の云う通りだ。俺は中央政府の犬、番犬だ。あんた達――がどういうグループかは知らんが――が中央政府の方針に反抗しようとしてるなら敵味方なんだ。はじめから、アプローチなどせんことだ――我々、超戦士は、決して何かいったん信じたものや約束は裏切らん――裏切ることができぬようにつくられてるんだ。その中には、忠義とか、忠誠とかいうばかげたものも入ってる。いまどきいかにはやらんといわれてもな」
私はそっとオリヴィアをおしのけた。むろんつよくではない――この私の力で、つよくおしのけようものなら、このきゃしゃなからだはそれこそ全身の骨が折れて吹っとんでしまいかねない。ずいぶんとセーヴしたつもりだった。しかし、それでもオリヴィアは悲鳴をあげてよろめき、ソファに倒れこんだ。
私はふりむかずにエアロックへむかった。ドアを操作しようとしたが、あかなかった。私はやむなくふりかえった。
「ドアをあけてくれ」
「イヤよ」
はっきりとした声。
「なぜだ。自分のボートへかえりたい。あけてくれ」
「イヤだといったわ」
「ドアをあけてくれ[#「ドアをあけてくれ」に傍点]」
「これは音声センサーよ。私の声で命じなくちゃあかないわ」
「このボートに来るんじゃなかった。あけてくれ」
「あけないわ」
「いつもちやほやされつけてるので、誰でも思いどおりにうごかせると思ってるようだな。超戦士にはムダなことだ。あけろ」
「凄めばあくドアじゃないわ。話をきくぐらい、何だというの。嘘なんてつく気はないわ」
「どっちでも同じだ。力にはなれん」
「中央政府を裏切らせる気などないと誓っても?」
「ああ。それでも」
「どうして? ブルー。どうしてなの?」
「まだ、云わなかったか?」
私は毒々しく云った。
「あんたが嫌いだからだ、銀の髪のお姫様――オリヴィア。さあ、あけてくれ」
沈黙。
それから、ごくしずかに、オリヴィアの小さなすがたが私のかたわらを、ひっそりととおりぬけて、エア・ロックに通じるドアのまえに立った。細い指がドアにふれると、ドアが音もなくひらく。
「あけたわ」
ささやくような声だった。すすり泣きのような声。くるりとふりむいたとき、その美しい小さな顔は涙でぬれていた。
私は不覚にもうろたえた。
「ど、どうしたんだ。なぜ泣く」
「私の勝手でしょ。――ごめんなさい、ブルー。そんなにイヤなのを、むりにひきとめたわ」
「何を、泣くようなことがあるんだ――そいつも何かの手管《てくだ》なのか?」
「そう思いたければ、思っていればいい。私は――私は……勝手に泣いているだけよ。さよなら」
「俺の――云ったことが、気にさわったのか――?」
「気になんてさわらないわ――悲しかっただけ」
「悲しい?」
「どうして私を嫌いだなんて云えるの?」
ほとんどききとれぬくらいの涙声だった。涙があとからあとからあふれ出て、なめらかなほほをぬらすのを、私は呆然として見つめた。
「どうして、そんなひどいことが――云えるの? 私、あなたに何をした? 私の何が気にくわないの? 私を傷つけるのが、快いの――?」
「そういうわけじゃない」
私はますますうろたえた。云われてみるとたしかにそのとおりだ。私にひどいことをいったり、無礼なしうちをし、クロノポリスから追い出そうとしたのは、すべてトニ・アロウだった。オリヴィアは何も私にわるいことはしていない。ただ、トニ・アロウのことを私たち[#「私たち」に傍点]――と云った、というだけのことで。
「――オーケー」
不承不承私は云い、そして、まん中のソファへ戻ってこしかけた。
「俺が、どうやらわるかったらしい。たしかにあんたのいうとおりだ。あんたは何も、わるいことはしてない。あやまる――だから、泣かんでくれ。女に泣かれるなんてはじめてだ。困っちまう」
「私だって、泣いたりしたこと、生まれてから何回というくらいだわ」
オリヴィアは、鼻をかみ、まだ頬をぬらしたまま、恥ずかしそうに笑った。美しい女というのは得なものだ。どんなしぐさをしても、かわいらしく見える。
「だろうな――あんたは、そうかんたんにぴいぴい泣く女には、見えない」
というより、およそ、泣き出すような女には見えなかった。だから、びっくり仰天してしまったのだ。すぐめそめそするような感じならおどろく理由もない。
「私、わからないわ。――ひどい顔になっちゃったんじゃなくて?」
オリヴィアはまた、恥かしそうに目の下をこすり、あわただしく――宇宙紀元十三世紀といえど女はつまり女だ――化粧直しの道具をひっぱり出しながら云った。
「いや。十分美しいと思うが」
「何だか、急に、どうしようもないくらい悲しくなって、どうしていいかわからなくなってしまって。……ふしぎね。私、ずっといつでも、自分はむしろフィメール形としてはとても理性的だし、冷静で、感情に流されるようなところの少ない人間だ、と思ってきたわ。ことに困難にぶつかるほど、つよくなる、とね。ずっとたしかにそのとおりだったし――こんなふうに、感情に走ることが、私にもあったなんて、とても意外だわ」
「それほど、ひどいことを云ったかな、俺は」
「いえ、そうじゃないの。――たぶん、あなたがとても――とてもクロノポリスの人たちと異っているからだと思うわ。あなたの感情はとても力がある。私、少し、テレパスの素質があるの。人の感情というのが、いつも私には生《なま》の、むき出しのかたまりとして感じとれるの。あなたの感情は、まるで青白い超新星の爆発のようだわ、ブルー――ものすごいパワーで人を圧倒する。はじめてだわ――スーパー・ソルジャーって、みんなこんなんなの――? とても……何というのかしら、とても、圧倒的で、とても恐しくて、そのくせ――ひかれるわ」
「さあ――俺はあまり感情に走る方じゃない……スーパー・ソルジャーの中でもことにクールな方だと、自他共に認めていたがな。たぶん少し云いすぎたり、過激だったかもしれないが、それはあの二等執政官どのにかっかさせられたせいだ。たぶん、それだけだろう」
「そうじゃないわ」
オリヴィアは、ふたから吸口のつき出しているカップに、合成酒を注ぎ入れ、戻ってきてふわりと私にさし出した。
「私、テレパスだと――云ったでしょう、べつに、実用になるようなものじゃないのだけれど。私には、わかるのよ……あなたの感情というのは、そう、何というのか――かりそめでないわ。だからこそあなたはそうしていつもクールにふるまってみせているのだわ。あなたの感情がうごくときは、あなたは魂の底の底までうごく。――だから、あなたの情念は私には巨大なエネルギーの波にのみこまれるように感じられるの。ふしぎだわ――あなたは、なんて、クロノポリスのアリストクラートたちとも、中央銀河政府のあの人間マシーンたちともちがっているのかしら。私、超戦士――サイボーグというものを、もっとずっと、ちがうように考えていたわ。こういうものだとは、まったく思ったこともなかった」
「俺も、そんなふうに云われたのは、はじめてだ」
私はどう答えていいか、よくわからなかった。
もう、目のまえにすわっている月光の女神のような女への敵意も怒りもまったく消えていた。それどころか、何だかまるで催眠術にでもかけられたかというように、ひきこまれるようにオリヴィアの声に心が抱きとられてゆく感じがあった。生まれてはじめて、正しい理解とあたたかい関心と正当で人間らしいとり扱いに包みこまれるような――そんな感じ。まさしく、彼女はテレパスで、催眠術者だったのかもしれない。危険だ――というかすかな警告が、心の底にあった。
「俺を――俺たちをどんなふうに思っていた?」
「あまり――云いたくないのだけど。……人の心などもたないファイティング・マシン、中央政府の改造人間、科学がつくり出したおそるべきモンスター――と……」
オリヴィアは怯えたように私を見つめた。
「ごめんなさい、ブルー。――いまは、まったくそんなふうに思っていないの。私も少し危惧してたわ。あるいは、トニ・アロウが正しくて――私は、まちがったことを、私たち全員を危地に追いこむようなことをしてるのじゃないか――って。でも、いまは、はっきりとそうじゃないことがわかったの。あなたは、人間だわ。あまりにも人間性ゆたかな、本当の人間だわ。私のテレパシーにそれがはっきり感じられる。たとえ――」
「たとえ、生身の部分は正真正銘、この脳みそしかなくっても――か」
私は云った。オリヴィアは目を大きく見ひらいた。
「でもそれはあなたのせいじゃない」
のろのろと云う。
「知ってるわ。きいたことがあるわ。サイボーグ戦士は、生身から脳を摘出されて、新しい体に移植される、って……そしてサイボーグになるために有害なあちこちの脳のパートはブロックされて、政府の都合のいいようにとざされ、そしてファイティング・マシンになってしまう――って。でも、そのブロックというのは、毎年あらためて施しておかないと、自然に効力を失ってしまうのですってね」
「ブロックは一つじゃない。どのくらいで失効するかのタームは、そのブロックの重要度による。しかしそれを放っておいて、ブロックを解除するまでいってしまうとどうなるか、知っているかね」
「いいえ……」
「脳だけがどんどん人間に戻ってしまう。どうしたって、脳と体って奴は連動しているんだ。一方だけをとり出すことは、そいつの自我のありかたをこわすことだ。だから、たとえどんなに精巧につくられていたってこの体には、脳はアイデンティティをもつことができない。だから、脳が暴走しはじめ、ブロックを失って、本来のすがたに戻ろうとしはじめると、この体と脳が分裂しちまう――体には体だけをうごかすコンピュータもついてるからね。そうなった奴を、俺はずいぶん何回もみたよ」
「そうなると――どうなるの……?」
ささやくような声だった。私は肩をすくめた。
「二つしかない。一つは、脳が体に適応しなくなってうずくまったきりうごかなくなっちまうこと。もう一つは、過剰適応して、暴走《スタンピード》し――殺人サイボーグと化して誰彼なしに攻撃しはじめ、管理官か仲間のソルジャーから射殺されることさ。どっちになるかはどのブロックがきかなくなったかによるな――それにしてももともと、生身の人間というやつは、ずっと宇宙空間にいつづけたり、たった一人で何年も辺境星区をパトロールしたり、たてつづけに強度のテンションにさらされたり、何年もぶっつづけに戦いつづけ、異星人とはいえ殺しつづけたりするようにはできてない。不可能なんだ。本来の習性に相反しているからな。そこで、人為的な操作を加えたわれわれのような存在が必要とされた。われわれは、性格づけそのものが、すでにノーマルでなくなっている。人間の本質よりゆがんだ――というか、ある部分の本質を――主として攻撃性とか自己抑制とか忠誠心とか――拡大し、ある部分をブロックしておさえられているんだ。俺が、クロノポリスの市民と似ても似つかない、なんていうのは、いってみれば、あたりまえのことだ」
「中央政府はいつだって人間を、どんなふうにでもコントロールし、実験の材料にできるモルモットのようにしか考えていないのよ」
オリヴィアは云った。なにげない口調だったが、私の耳をごまかすことはできない。どこかしら、深く奥にひそんだするどく重いにくしみをはらんでいるのが私にはわかった。
「それが中央政府のやりかただわ。いつだって」
オリヴィアはゆっくりとくりかえした。
「だから?」
「だから――って? それが、中央政府のやりかたなのよ。私たちのことなど、モルモットとしか考えてない」
「私たち、私たちか」
「そうよ」
オリヴィアは、腰に手をあて、いどむように私を見つめた。その目があのふしぎな輝きを帯びて、何もかもを吸いこんでしまおうとするかのように、大きくなった。
「私たちは、私たち。――クロノポリス独立運動のメンバーよ。私たちは、中央政府の管理下からぬけ出したい。そのために、あなたが欲しいのだわ。ブルー――超戦士ブルー」
4
私は少しの間、じっと黙ってつづきを待っていた。それから云った。
「さっきも云った。俺にとって忠誠というのは、思考回路にインプットされた絶対のものだ。俺には何も手をかしてやることはできん」
「手をかせと――あなたにその戦闘能力や、中央政府の秘密や、そんなものを欲しいといってるわけではないの。誤解しないで。――この間も云ったと思う。私は……その――」
オリヴィアは口ごもり頬をうすピンクにそめた。
「あ――あなたの子供が……ほしいのよ……」
「た、たしかに、それはこの間もきいたが」
私はうろたえたと思われぬよう、なるべくゆっくりと答えた。
「俺にはどうも、何のことだかよくわからん」
「わかるように説明するわ」
オリヴィアは云った。正直云って、とてもききたい、というわけでもなかった。が、彼女は構わなかった。彼女は、もう、すっかり率直になってしまう決心ができたのだ。それは、そのようすをみていればわかった。私は一瞬、真実をいうなどと、よけいなことをいうのではなかったと後悔した。
「むろん、そのう――あなたの子どもがほしい、というのも……ある意味では比喩ね、たしかに、だって、むろん――あなたも私も知っているとおり――現在は、そういう時代じゃないし、それにここはクロノポリスだわ。ポリス・オ・クローン」
オリヴィアはこの上もない苦々しさをこめてそれを発音した。
「このシティは、クローンとバイオ・テクノロジーの自由化実験都市として中央政府によってつくられたわ。いつも、政府はいうわね。あなたも知ってるでしょう。真の理想社会へのステップとして――」
「知っている。中央統制《センター》委員会のスローガンだ」
私はいやというほど頭に叩きこまれているフレーズを口にのぼせた。
「真の理想社会へのステップとしての実験的採択。現行社会体制は最終的支配体制の前段階にすぎない。〈銀河は管理する。個人は選択する。センターは前進する〉」
「このクロノポリスは、バイオ・テクノロジーの実験室」
オリヴィアはひきとってつづけた。
「第六惑星――テクノポリスはマザー・コンピュータによる徹底管理の。メカニポリスはオートメーションシステムの。そしてサイコポリスはサイコロジストによる管理の実験だわ。他の実験都市で、人々がどのように感じ、思ってるのか、幸せなのか、不幸せなのか、それは知らないわ――でも少くとも、クロノポリスの私たちは、幸せじゃない。ここは地獄だわ。バラ色の地獄」
「名セリフだな、そいつは」私は云った。
「俺は辺境星区で、まっ黒い地獄をのぞきつづけてきたよ。同じ地獄なら、バラ色の方がたしかにマシかもしれん」
「誰だって自分たちの生を実験室のフラスコの中でなど送りたいと思うものがいると思うの?」
かまわず、オリヴィアはつづけた。
「いかに幸せの幻影を与えられたところで同じよ。私たちは、政府によって管理される生命であること、それ自体にもう耐えられないと決めたの」
「実に尤《もっと》もだな」
「茶化さないで。――私たちは、むろんはじめからクーデターなどたくらんでいたわけじゃないわ。何回も、何千回も、私たちは、中央政府に私たちの心持と感じることを理解してもらうために、センター・エリアまで足をはこび、センター・エリートや、統制委のメンバーに会い、訴え、陳情したわ。しかしすべてムダだった。かれら、センターマンには、私たち、実験都市の市民など、ほんとにモルモット以外のものではなかったのよ。いくらだって替えはある――それがかれらの基本の考え方だった。それをついに最終的に理解したとき、私は――私たちは、決意しなくてはならなかった。このまま豪華な檻の中の奴隷として生きつづけるのか、それとも、あえてそれを拒否して自分自身にかえろうと、至難のこころみにのり出さざるをえないのか、ね――私たちは、後者をえらんだわ。生きる――ことばの真の意味において、生きる[#「生きる」に傍点]ためにね」
「ちょっと待った」
私は手をあげて、さえぎった。
「あんたは、アジテーターとしても一流らしいが……しかし、自分たちが、何に立ちむかおうとしてるのか、何をしようとしてるのか、少しはわかって云ってるのか? 大体、クロノポリス独立――とか云ってたようだが、そんなことが可能だとでも? センターは指一本動かすこともなく、クロノポリスを孤立させ、流通機構から切りはなすことができるだろう――」
「むろん、わかってるわ」
むろん、というのは、オリヴィアの口癖であるらしかった。彼女は何となくかわいらしいようすで、そのバラ色の唇をとがらせた。
「そんなこと――私たちほどよく知ってる人間が、他にいると思って? センターの管理は長い年月、人類最高の知性がよりあつまってつくりあげた、ひとつの芸術の体系だわ。〈そこでは個人はどのような選択をもつことができる。むろん選択せぬことでさえ〉」
「知ってる」
私は云った。
「センター十戒の二だ。〈選択について〉」
「そう。――しかし、そうやって、選択せぬこと[#「選択せぬこと」に傍点]までも決定づけられてしまって、私たちには何の逃げ場があると思う? 私たちにできるのは、ただ踊らされ、センターの指さきにあやつられ、その人形と化することだけでしかない。それでも、辺境や、エデン・エリアには、まだ自由のかけらのようなものがあるわ。私たちにはない。清潔なガラス張りの実験室にとじこめられ、生きることも死ぬことも、そむくことも、何もかも中央政府の思いどおりにプログラミングされて――それでも、私たちは、本当に生きていると云えて? 生きてやしないわ――私たちは亡霊よ。サイコポリスの眠りつづける〈スリーピー〉たちみたいに、あたしたちだってやっぱり亡霊にすぎないわ」
「それは、いい。もう、アジはわかった」
私はいくぶんそっけなく云った。
「そいつは俺とは、関係ない話だ。クロノポリスのアリストの一部が何を考えようと、それはそれでいいとしよう、俺とは関係がないからな。しかし、そこに、どうして、俺がまきこまれなくてはならないんだ? それだけがどうも、納得がいかないね」
「いま、話そうと思ってたところだわ」
オリヴィアは云った。
「でも、ブルー――私、あなたにかくしごとなどしても無意味だとわかって――それで、こうしてすべてを率直に云っているわ。でも、私にとってだって、これはひとつの賭け――たぶんあまりにも危険な――なのよ。まして、ここからさきは――」
「じゃあ、よすんだな。こっちはどうしても、無理にききたいなんぞと云った覚えはまったくないんだ」
「…………」
オリヴィアは小さい、しかし雄弁な吐息をついた。そして胸に手をそっとくみあわせた。
「なんて、ハードなことを」
低く、嘆息のように云う。
「ほんとに、他の――ふつうの人々とはどこからどこまで、なんて違っているのかしら。――まるで、私は、巨大な暴れまわる| 星 竜 《スター・ドラゴン》を、やっとのことでつなぎとめているような気がするわ。ほんとに、あなたの心の中には、攻撃とにくしみと苛烈さしかないのかしらね」
「そんなことはないと思うが。そう希望したいね、むしろ」
そっけなく私は云った。またオリヴィアはほっと小さなため息をついた。
「云うわ」
ひとこと云って、またためいきをつく。
「この二、三日で、私、これまでの一生分よりたくさん、ためいきをついたような気がするわ」
そう云って、彼女はうすく笑った。
「きいて、ブルー。私たちだって――独立、といったところで、かんたんにセンターがクロノポリスに、たてまえのじゃない、ほんとうの自治権を与えてくれる、などとは思っていないの。他の実験都市にそれの波及効果が出たらたいへんだし、それに、そうやって、センターに認められて与えられる自治権など、真の自治だと思って? とんでもないわ――それこそ、私たちがいちばん避けたいことだわ。センターは、私たちが本気だと知ると、なごやかに笑いながら、私たちに自治を認める、というでしょう――そうして結局私たちはいずれ、何ひとつかわってなどいない、ただもうひとつ、たてまえのヴェールがふえたのだということを知るだけだわ。――私たちの望んでるのはそんなことじゃない。私たちの望んでるのは真の自由、真の精神の自治、管理されぬ存在であることなの。でも、ブルー、私たち――少くとも今の私たちには、中央政府に逆らうことはできない。許されてないというだけじゃなく、できない。どうしてかわかる?」
「…………」
「私たちは、クロノポリスの人間だわ。私たちはみな、フラスコの中から生まれてくるの。市の支配者たちと、そして中央政府から派遣されている管理官は毎年、会議をひらいてクロノポリスの新しいメンバーを決定するわ。政治家を何十人、芸術家を何百人、工場労働者を何千人、アリストクラートを何十人、B級市民は何人でA級市民は何%――その割合は、前年比や必要からわりだされ、バランスが決定され、そしてその結論に応じて、さまざまな遺伝子の情報操作がされて、そうして私たちは生まれてくる。はじめから、どういう存在であり、どういう職業につき、どういう一生を送るかまで、すべて決められてね。私たちには、どのような存在であるかをえらぶ自由さえ、与えられていないのよ。そして、そうしたクロノポリスの市民たちが、いつまでもそのありかたに満足し、支配者たちにさからうことなど考えつきもしないでくらしてゆくために支配者たちはこれまた遺伝子の操作に頼っている。B級――C級――D級とクラスが下ってゆくにしたがって、市民たちはいくつかの基本的な性格づけがされ、闘争本能をセーブされ、被支配型性格――と私たち呼んでいるけれど、つねにリーダーによって命じられてそれをはたすことを最大のよろこびとするような条件づけがされてゆくわ。そしてオリジナリティへの欲求はおさえつけられ、逸脱は忌避《きひ》され、おとなしいヒツジの群れにしたてあげられてゆく。現代の遺伝子工学は、もはやどんなモンスターでもどんな芸術家でも遺伝子への〈書きこみ〉によってつくり出すことができるのよ。
といって、それはそうした下級市民だけのことではないの。むろん条件づけの方は、比較にならないくらい複雑になるけれどね――しなくてはならない判断や、必要とされる能力がケタはずれにこみいってくるからね――でも、基本的に闘争本能をセーブされ、反逆心をおさえこまれる、ということはかわりはないわ。私たちはヒツジの群れよ。でもそれはそうした条件づけを与えなくては、こういう徹底した管理体制が成立しない、ということを意味しているのだと思う。それはつまり、センターの理念に根本的なまちがいがある、ということじゃない? 多かれ少なかれ、センターの管理官の入っているエリアは、それぞれちがうやりかたではあるけれども、いろいろな方法でこの種の人為的なコントロールが必ず行われているのよ。そのこと自体が、センターの存在、そのものが正しくない、不自然なものであるという証明じゃない。――あなたがたスーパー・ソルジャーの存在だってそうだわ」
私は黙っていた。
オリヴィアはつづけた。
「私たちには幸いにして、そうした現状をおかしいと感じたり、判断したりするための知性はのこされていたわ。アリストクラートの上級者だけにはね。いくらセンターでも、これだけある自治星区のすべてをセンターの直轄管理下におくだけの人員や力はもってない。そのかわりに、センターは、ごくわずかな管理官に監督させて、じっさいの管理は各エリアの支配層にまかせなくてはならない。だから、私たちには、センターマンに匹敵するだけの能力や知性が与えられている。でもそのことが、どんなに危険かセンターはよく知っているわ。だから、私たちは、知性の代償として、力を奪われているの。私たちにはじっさいの反逆行動は、何一つできないのよ。たとえば、ね、ブルー」
「…………」
「私たち、クロノポリスの市民には、人を殺す、ということができない。基本的には人に暴力をふるうことも、人に対して攻撃を――いかなる攻撃も、しかけることもできない。許されてない、とか好きでないというのじゃなく、できない[#「できない」に傍点]の。クロノポリスでは過去五世紀にわたり、人口十億のこの星で、ただの一回も殺人事件はおこってないわ」
「そのわりに、この間はあんたはあのきれいな旦那を叩いたし、あの旦那もあんたを叩こうとしていたようだったがね」
「そう」
オリヴィアはいくぶん悪がしこそうに、にやっと笑ってみせた。
「あれが、私たちのグループの、これまでのところの最大の成果」
「ほう」
「私たちは、センターの支配から脱するために、クロノポリス市民の基本性格に、まったく異る条件を書きこんでゆこう、としていたの。すでに遺伝子の中に組みこまれている枷《かせ》をはずし、おとなしいヒツジとして飼われていることから逃れるためにね。これはもう、私の父の代からの悲願だったわ。そして私やトニ――父たちのさいしょのこころみの結果は、ごらんのとおりよ。たしかに私やトニは、攻撃的になることもできるの。人を叩くことも、人をにくむことも。それだけでも、他の人々にくらべたらずいぶん大きな自由を手に入れたようなものだったわ。でも、惜しむらく――私やトニもやっぱりヒツジだわ。せいぜいが、角のある羊――黒い羊にしかすぎない。これだけでも市民たちからみればずいぶんと荒々しいとか、たけだけしいとかと云われて、特別視されたり、こわがられたり、敬遠されたりするわ。でも、こんなもの、結局何の役にも立ちやしないの。人を殺すことも、傷つけることも本当は私にはできない。だってもう何百年にもわたって、私たちの遺伝子はそのように条件づけられてきたのよ。そのクロノポリスの遺伝子のストックから、どんなに過激そうな、どんなに戦闘的にみえるパーソナリティをえらび出してみたって、ベースとなるストックそのものが、つよい条件づけをうけているのだから」
「――なるほどな。どうやら、大体わかってきた」
私はゆっくりと云った。
「それで、俺の子供がほしい、という云い方になったわけだな。攻撃的で闘争心のつよい人間の遺伝子をまぜこんでゆくことで、クロノポリスの住民全体の基本性格を少しずつ改造し、センターに背けるようなキャラクターにつくりかえてゆこうというわけか。なるほど――しかしまたずいぶんと遠大な計画を立てたものだ」
「どうせ、これほどしっかりと全銀河にゆきわたっているセンターの支配体制を、一朝一夕にくつがえせるなんて思っていやしない。それに――少くとも私たちには時間だけはたっぷりあるわ[#「少くとも私たちには時間だけはたっぷりあるわ」に傍点]。ありすぎるほど[#「ありすぎるほど」に傍点]」
私は思わずオリヴィアをみた――何だか、奇妙な云い方と声の調子だったからだ。
しかし、オリヴィアは、それについては何も説明しようとせず、そのかわりに別のことを云った。
「あなたはヒツジじゃない。あなたは狼だわ――ほんとの狼の魂。それを少しずつまぜこんでゆくことで、何百年か先にはクロノポリスこそがセンターのリーダーシップをとれるかもしれない。それとも、そうはならぬまでも、少くともクロノポリスはかわってゆくわ。私はね――ブルー」
「ああ」
「私は――私も――狼に生まれたかった。戦うディアナのような、自由で孤独で、冷酷でつよい、そんな存在にずっとあこがれていた。いつも戦士――恐れを知らぬ勇士として生きたかったのよ。事実少しは、他の連中にくらべれば、少しはそうであるといってもよかったかもしれない。でも、やはり、私はクロノポリスの女だわ。羊は羊――狼のふりをしてみてもやっぱり羊。ブルー、私、あなたがうらやましくて――さいしょにあの店で一目みたとたんからあなたがわかったわ。その体のせいだけでなく、あなたはほんとに羊の群れの中の一匹だけの野生の狼だった。何もかも――立ちこめる危険さの感じも声も目も雰囲気も、まわりの空気さえもあなたのまわりでだけ凍りついてしまっているようで――ほんとに羨《うらや》ましく、ねたましかった。私は、あなたのようでありたかった。クロノポリスのぬるま湯のような平和の中にいて、いつも、ずっと、私、とてもとても孤独で居心地がわるかったわ。でも私は何もできない。――私は宇宙をこえてゆけない。私は温室の中でだけアマゾネスでいられる、ペテンみたいなものだわ。あなたのそばにいるといつも思うの。本物のファイター、ソルジャー、勇士というものは、なんてすごいものだろうと。――そこにいるだけで、あなたはまわりに波動を及ぼしているわ。私もあなたのようであったら――私も何もかもをふりすててたたかいにおもむくことができたら。私はずっとずっと、自分の血の中にある首枷手枷《くびかせてかせ》がにくかった。いちばん情けないのは私――いちばんの私の敵は私自身だといつも思っていたわ。――ああ、ブルー、私、あなたでありたかった」
「そんなこと思うのは、あんたぐらいなものだろうさ、レイディ」
私は肩をすくめた。
「そう思うのは、あんたが正真正銘の姫君だからだろう。戦士であるなんて、きれいごとじゃない。戦って、殺したり殺されたりするのも、戦うしか能のないファイティング・マシーンをつくり、管理しあやつってる連中も、およそ汚い仕事だ。戦いや戦士を美化して考えるのはやめた方がいい」
云いながら、ふっと、つよい徒労感が私をとらえていた。どうして、私は、こんなムダなことを云っているのだろう。どうして、こんなアリストクラートの女に、わかってもらえるとでも思うかのようにくどくどと喋ったりしているのだろう。辺境星区から帰ってからの私ときたら、まるでただのでくのぼうだ。なんで、私は、こんなに甘くなってしまったのだろう。
たしかに、オリヴィアのいうとおりなのかもしれない。クロノポリスだ。この平和でとろりとした、ご清潔な都市が私の調子を狂わせるのだ。およそこのくらい私から遠いものもない――そう、たしかにここはヒツジたちの街。
「ブルー」
低くやさしいアルトがささやくように云った。
「私、あなたのことも、あなたの云うことも――よくわかっているつもりよ」
私は黙って首をふった。
この、平和な白い惑星の銀色の髪の姫に何がわかるだろう。たたかうために改造され、そのために人間であることも捨てたサイボーグ戦士たち――荒涼たるボーダー・エリア、宇宙空間を一閃するレーザー・ビーム。粉々に吹きとんだソルジャーのちぎれた片腕が、いつまでもいつまでも漂っていた戦場。狂おしいまでの緊張と、反動的な弛緩のくりかえし。だましうち、生きのびるための策略、理屈もことばも何ひとつないにくしみ、私の、〈ナディア〉に接続されたカメラ・アイが見た、エーリアンのあのぞっとするような青の〈目〉の中に、一瞬たしかにうかびあがった死の恐怖――そしてその一瞬後に〈ナディア〉にピシャリとはねとんでへばりついたえたいのしれない青緑のどろどろ。
ボーダー・エリアでは、ろくろく星の光も見えなかった。
どこまでも、いつまでもつづいていたおわりのない夜。私は――サイボーグの超戦士ブルーはそこで生まれたのだ。その証拠に、私の光電子アイはきっと夜の――宇宙空間の、ボーダーエリアの黒の色にそめあげられているはずだ。
狼に――戦士に生まれたかった、とオリヴィアは云った。
幸福な姫君。私はどんなにか、私の身にしみついたこの永遠の夜を憎んでいることだろう。
(幸福な――幸福なレイディ――美しいオリヴィア)
「――そうじゃないわ」
ささやきが答えた。
私は目をあげ――そして、私の顔のすぐ目の前に、オリヴィアの顔があった。
近くで見れば見るほど、花のようだ。これほど、ボーダー・エリアとエーリアンの死骸と夜からほどとおいものはまたとないだろう。
「何が――?」
「信じて、ブルー」
「何をだ」
「私――わかるの。わかるのよ[#「わかるのよ」に傍点]」
「何を?」
「あなたを[#「あなたを」に傍点]。――本当なのよ、私、テレパスだ、といったのは。――しっ、何も云わないで。――もういいの。私の心の中に、あなたの哀しみが流れこんでくる。……はじめに会ったときから、ずっと感じていたわ。あまりに大きな悲哀――私まで、すてられた子どものように泣きたかった。私には――わかる。あなたの目の中の――辺境星区の暗黒の宇宙が見えるのよ。あなたがそれで自分のからだも心も染めあげられたと感じていることが――私には――わかる……のよ」
「何故――?」
ふるえる声が、私の唇からとび出していた。
「どうして……」
オリヴィアはそっと目をとじた。濃藍色の長い睫毛が、涙でもこらえるかのようにふるえた。
「わからないわ」
咽喉声で、彼女はささやいた。
「ただ、私に、わかるのは、私の心が、あなたの悲しみと――あなたの強さと――あなたの高潔さと――あなたの激しさを、丸ごとのかたまりのまま感じる、ということだけ。――たしかに私、テレパスだけれど、センターで登録されるほどじゃない。こんなことは――はじめてだわ……」
私は何をどう考えていいのかわからぬまま、目を伏せた。こんな至近距離で彼女[#「彼女」に傍点]に存在されることが怖かった――かつて何一つ怖いなどと思ったことはなかったが。
そのとき、ふわり、と銀色の霞がなびいた。
何だろう――オーロラだろうか……そうぼんやりと遠く思ったとき――
やわらかい、そしてしっとりとしたものが、私の唇をおおった。
私は目をあげ、そして、目をとざしたままのオリヴィア・ハートの白い顔が私の醜い合成金属の顔にぴったりとおしつけられ、そのあたたかなバラ色のくちびるが、私のかたい口におしあてられているのを、茫然《ぼうぜん》と見つめていた。
これは、幻影だろうか。――幻覚だろうか? それとも……。
「ブルー」
唇がはなれ、含み声でオリヴィアが云った。
「キスして。――さあ」
私はためらった。すると再び、やわらかなくちびるが私に近づき、そして――
そして、私は、恋におちた――宿命の恋に。
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第三章
1
私は、恋におちたのだった。
しかし、私は、しばらくの間、自分に何がおこったのか、まったく理解しなかった。当然だ――機械じかけのサイボーグ人形に、そんなことがありうるなど、誰が思うだろう? 誰も思いはしない。私自身、いちばん思いはしない。もちろん、かつてそれに類した感情を味わったこともない。私はたたかうためにつくられ、そのためにだけ存在していた。愛ではなく憎しみ、調和でなく破壊のために。
そしてオリヴィアは――
オリヴィアは、そっと、その白いきゃしゃな手をのばし、私のごつい手をとらえた。私はびくっとした――その冷たい合成樹脂の感触が、彼女をいやがらせはせぬか、という怯《おび》えがつきあげたのだ。
彼女は私をつきぬけた身ぶるいなど、気にもとめず、そのまま私の手をひきよせて自分の胴の両側においた。細い、しかししっかりとした、よくくびれた胴だった。
「どうするつもりだ?」
私は云った――つもりだった。しかし出た声は何だかかすれていた。それでもオリヴィアには、十分に意味は通じたらしい。
「抱いて。きつく、抱きしめるのよ」
彼女は命じた。命じるときの彼女は女王のようだった。さっきは少女か、小鳥のようだったのに。とうてい、逆えぬほどの何かがそなわっていた。
私はためらいがちに手に力を入れた。といっても、私はとても困っていた――私の両腕は、必要とあれば、鋼鉄をでもひきちぎってしまうのだ。星竜をひきさいたり、素手でつかみつぶすことは知っているが、こんなきゃしゃな、こんなこわれやすそうなものをもって力を入れたりして、どのへんで相手が痛みを感じるのか、それさえわからない。
「ブルー」
オリヴィアはもう一回云った。声に、じれったそうなひびきがこもっていた。
私はしかたなく、あとうかぎりそっと、まるでうすいうすいガラスのつぼでもしっかりともつときのように、手に少し力を入れてみた。
「抱きしめて。ブルー」
オリヴィアが云った。
「しかし――」
「壊れやしないわ、バカね。――それとも、私が嫌い――?」
私は手をはなした。そして、少しはなれたところへいってすわった。
「もうやめた」
私は云った。
「こんなことは、俺には向いてない」
「どうして?」
いくぶんたよりないふるえをおびた声。
私はオリヴィアを見た。彼女は小鳥みたいに小首をかしげ、不安そうに、じっと私をのぞきこんでいた。じっさい、何という女だろう、これは――かすかに私は考えた。彼女といた、ごくまだ短い時間のあいだに、すでに彼女はいったいいくつのまったく異る貌をみせたことだろう。傲慢《ごうまん》な貌、威厳にみちたそれ、たよりない赤ん坊、あでやかな女、荒々しいアマゾネス、理知的なアリストクラート、かよわい無邪気な少女、堂々たる女王、清らかな王女、神秘な巫女《みこ》――すべてが彼女であり、どれも彼女のすべてではないのだ。まるで彼女はその目や髪と同じように刻一刻、その色をかえるオーロラそのものだ。
「私が、嫌いなの――?」
「そんな問題じゃない」
「あら」
こんどはいたずらなやんちゃ娘の顔。
「そんな[#「そんな」に傍点]問題よ」
「冗談はよしてくれ」
「私、冗談は云わないの」
「どっちでもいい。構うあいてがほしいのなら、別のソルジャーを探してくれ。俺にも冗談はわからん」
「ブルー」
とがめるような声だった。
「ブルー[#「ブルー」に傍点]」
「そんな[#「そんな」に傍点]目で見るな」
私は唸《うな》った。
「何だってそんな目つきで見るんだ。――ソルジャーの遺伝子を扱ってみてもムダだ。もともとソルジャーはべつだん、あんたら普通市民とちがう人間だってわけじゃあない。市民あがりの犯罪者か志願者だ。それを、サイコロジカルな操作によって、戦闘用の人格に改造しているだけだ。だから我々といえど遺伝子そのものは――何の変りもない――」
私は云いやめた。まるで、小鳥がとんできてぴょんと肩にとまりでもしたかのように、オリヴィアが近よってきて、私の顔を両手ではさみ、その唇をまた私の唇におしつけたのだ。
私は彼女の両手をとらえておしのけた。
「何だって、そんなことをする」
ぶっきらぼうに私は云った。
「いけない――?」
「ああ。いけない」
「どうして?」
「俺は――」
私は考えた。
「俺は、人間じゃない」
「あなたは、人間よ、ブルー」
「そうじゃないことぐらい自分でよく知ってるさ。俺は機械だ。ファイティング・マシンだ。ただの戦闘用ロボットだ」
「なら、あなたは、感情は、ないの?」
やわらかい咽喉声――どうも、このやわらかな声がいけないらしい。
「なら、ブルー――どうして、私は、あなたの心をこんなにはっきりと感じるのかしら?」
「きっと、頭がおかしいんだろう。ともかく、俺にちょっかいを出すのはよしてくれ。セクサロイドがほしければエデン・エリアへ行けばいくらもいる」
怒るか――平手打ちでもくらうか、となかば身構えたが、彼女は怒らなかった。かわりに、くくくと鳩のように含み笑った。
「バカね、あなた」
「ああ。バカだ」
「怒ったの?」
「…………」
「私、ねえ、ブルー、あなたに愛の告白をしているのよ」
「信じない」
「どうして? 三日前に、会ったばかりだから? そんなこと、関係ないでしょう?」
「ああ、関係ない。いまはそういう時代だからな。ことにアリストなんてやつらはそうだ」
「そうじゃないわ。私がいったのは、そういう意味じゃない」
「…………」
「どういう意味だか、きかないの?」
「…………」
「会ったのは、三日まえだけれど、私、何年知りあっているよりずっとよく、この三日だけで、あなたを知っているわ。――いえ、さいしょのひと目ですべてわかった。あなたの魂のかたちが、丸ごと私の心の中に伝わってきたのよ。――はじめから、さいしょの一瞬から――私、あなたに夢中だったわ、ブルー――ソルジャー・ブルー」
「たまたまはじめてあったスーパー・ソルジャーが俺だったというだけの話だ。スーパー・ソルジャーなぞ、何万人といるんだ」
「私、はじめてじゃないわ。前から何回も、超戦士と会っているわ。一回も、こんなふうな感じをもったことは、なかったわ」
「…………」
「私、狼の話をしたでしょう?――あなたは、別に、ただ戦士だから狼だというだけじゃない。あなたが――第28部隊は全滅した、といったときの、あのしずかな悲しみ――それでいてほんとうに力のある――それは、狼の悲しみだと思ったわ。他にソルジャーが近くにいないからじゃない。あなた[#「あなた」に傍点]なの、ブルー。あなたの魂のかたち、あなたの悲しみ、あなた自身。私はそれが好きなの」
「俺にはわからん。そんな話が自分に似つかわしいとも思えん」
「似つかわしいかどうかなんて、どうでもいいじゃないの? ブルー、もういちどキスしていい?」
「なぜだ。なぜ、そんなことをする」
「したいからよ――バカね」
そして、彼女はまた私にキスした。
それから、彼女は、ゆっくりと身をおこし、歩いていって、私から少しはなれたイスにこしかけた。
「私、あなたのきらいな、リゾートエリアであなたたちに声をかけたりするアリスト女とはちがうのよ」
これまでのいたずらっぽさとは、うってかわったしずかな、おちついた声音だった。
「あなたの感情もどんなに重く、どんなにたやすくうごかないかわりにうごいたら激しいか、私にはだいたい見当がつくけれども――でもそれは、私にしても同じことよ。私はずっと、クロノポリスのために生きてきたわ。たぶん死ぬときも、クロノポリスのために死ぬでしょう。私はクロノポリスの王女で、しかもいま、中央政府への反逆というきわめて大それた野望をもやしているわ。管理官の目をくらまし、あれやこれやと陰謀をめぐらし、クロノポリスのこれから生まれてくる子供たちにわずかばかりの未来をわけてやるために。――私、めったに心をうごかさないわ。トニ・アロウはよく私のことを、氷の炎のようだ、とか、センターマンのようにうごかしにくい、とか、死のようにがんこだ、とののしったものよ。私、そのとおりだと思うわ」
「…………」
「あなたは特別だったの」
またあのやわらかな声。
「どうしてなのかしらね。――あなたのパーソナリティそのものが、異様に私をひきつける。といったところで、まだ会って間はないし、それほどあなたはよく喋るというわけでもないのだけれど。でも、ひかれるわ――私の中の何か深いところにある本当の私が――本当は、遺伝子もどうでもいいくらいなの。もちろん、野望はすてちゃいないけど――それより、もう一度あなたに会いたかった。会って、たしかめたかった。私の中のこの思いが何なのかどうか。だから私、あなたを追ってきたのよ、ブルー――だから、あなたを、追ってきたの……」
「…………」
するどい呼出音が、ふしぎな時間を断ち切った。
オリヴィアは舌打をして、通路スクリーンに歩みよると、ボタンをおして、スクリーンだけOFFにしてしまった。
「レイディ――?」
けわしい声。すでに、トニ・アロウの声を私は覚えてしまっていた。
「なあに、トニ・アロウ二等執政官。プライヴエートよ」
「どうして、スクリーンを切っているんです。――ずいぶん探した。なぜ、そんなところに?」
「どこにいったって、いいでしょう? 私の自由よ」
「あなたには自由なんかありゃしませんよ、レイディ。あるとでも思ってるのですか? だとしたら即刻、その考えはすてた方がいいな」
「失礼な云いぐさね」
オリヴィアは云った。
「何か、ご用? 私、通話を切るわ。いいでしょうね」
「待ちなさい。あのサイボーグと一緒ですか――そこにいるんですね。そうでしょう」
「…………」
「何も云わないのですか。認めたようなものだな」
「だったら何だというの。それが、あなたに、何の関係があって、トニ」
「あると思いますね。あなたと僕は――」
「フラスコ・フレンド? もう、そんなの、昔のことよ」
「だからといってかわるわけでもない。オリヴィア、彼に近づくのはもうやめなさい。他にもスーパー・ソルジャーはいくらもいる。金でうごくやつもいくらでもいる。――僕はいささか独自に調べてみたのですがね。親愛なるブルー中佐どののうわさでは、あまりいいのをききませんよ」
「あら、そうお」
「連隊きっての殺人マシーンだそうだ」
「殺されないように気をつけることね、トニ・アロウ」
「何回もボーダーへ出ているんだが、いつも彼だけ生還する」
「切るわよ、トニ」
「それについて、いろいろと汚いうわさもありますよ。まあ、うわさですがね」
「それ以上きくことはないと思うわ」
「あなたらしくもないな。オリヴィア、レイディ」
「私らしくないって、何が私らしいのか、ご存じだとでも、トニ・アロウ?」
「一応そのつもりですよ」
「それじゃ、それは誤解よ。訂正した方がいいわ」
「こいつは手きびしいな。同志《カマラード》に向かって」
「同志だというなら、同志らしくふるまってほしいわ」
「とにかく、その男にかまうのはやめることだ。彼は、28連隊の死神――悪運のシンボルといわれてた。これまでは、他に向いてたが、ついにこんどは28部隊そのものを滅してしまったわけだ」
「切るわよ、トニ」
「お待ちなさい。彼のことを知りたくないんですか?」
「データより自分のテレパシーを信じるわ。じゃあ、失礼するわよ、トニ」
「晴朗な宇宙空間を、どうぞ[#「どうぞ」に傍点]」
「どうも[#「どうも」に傍点]有難う」
通話は切れた。しばらく、オリヴィアは何もうつっていないスクリーンにむかって、そのまますわっていた。それからゆっくりとふりむいた。
「不愉快だったでしょう? ごめんなさい――ブルー」
「別に」
私は答えた。
「別に奴さんは何一つ、まちがったことは云ってない。むっとする理由はないな――仇名や評判についても正確なもんだ。奴の情報網は確かだな。それに、そんなことでいちいち傷ついたり動じるようなデリケートさはもちあわせてない。何しろこっちは機械なんだ」
オリヴィアはふりかえり、じっと何か云いたげな、あのふしぎな目で私を見つめた。同情するような、あわれむような――といったところで、腹立たしい感じをおこさせるものではなかったが――目つきで。それからつと戻ってきて、身をかがめた。
私は彼女をそっとおしのけた。
「なぜそんなことをする」
私はとがめた。
「いけない?」
「そういう問題じゃない。なぜ、そんなことをするんだ、ときいている」
「あら」
心外だ、といいたげな声。
「ほんとに、わからないの?」
「ああ、わからない」
「どうしても、云わせたい?」
「どちらでも、好きなように」
「あなたにひかれているからよ。そのほかに、何があるというの」
「遺伝子目当てか」
「ばかなことを。それとこれは、関係ないわ」
「だが、その計画を打明けたぞ」
「ええ」
「俺を味方につけるためか」
「ちがうわ」
「…………」
「あなたの――」
オリヴィアは私のまえにひざをつき、私の頸《くび》に腕をまきつけた。
「心が欲しかったの。あなたの魂が――あなたの――信頼が」
「高くつくぞ」
「知ってるわ」
「なぜそんなものが欲しい。誰にでも、こういうことをするのか」
「叩くわよ、ブルー中佐」
「どうぞ。俺は、女は叩かん」
「憎らしい人ね」
オリヴィアは云った。
「しかも、あなたときたら、わかってて云ってるのだわ。私が誰にでもそういうふうにふるまうと思う?」
「さあ。俺はあんたのことを何も知らん」
「でも、見れば、わかるはずだわ。私が、一目見れば、あなたの魂のかたちがわかるように」
「…………」
「あなたの心が欲しい」
もう一度、オリヴィアは繰り返した。
「どうしても、云わせたいのなら――云うわ。ブルー、あなたを愛してるわ。一目惚れ、なんて古いことば、信じてなかったけど――そんな嵐にさらってゆかれるようなものじゃなかった。私の想像してたような、ね。――そうでなく、もっとずっと、ふしぎな――とても長いこと見失っていたものを、ようやくまた長い別離ののちに見出した、とでもいうような――ようやくふるさとにかえってきたような――やっと、とても孤独だった私がもう一つの相似た魂にめぐりあったというような――長い長い放浪の果てに、ついに本来のあるべき居場所へたどりついた、というような。――恋をしたのは、はじめてだわ、ブルー、これがそうだとするならばね。一度も、人を愛したことはなかった。ふしぎだわ。はじめて生まれた感情なのに、こうしてると、生まれたときからずっと知ってたもののように思われるの。この思いがなかったあいだどうして生きていたのかなんて、もう想像もつかないような――どうしたの、ブルー」
私は唸ったのだ。私は首をふった。
「口の、達者な女だ」
「ひどい云い方」
「賞めたんだ。俺は武骨で無細工な機械人間だ。うまい口のききかたなど知らん。自分に心だの、魂だのってものがあるのかどうかも、知らん」
「あるわ」
やわらかい、あの咽喉にからむ声――ふつうの男ならこういうのを、セクシーだというのかもしれない。
「すばらしい黄金の心が。私には見えるわ」
「よしてくれ。あっちこっち、かゆくなる」
「困ったひとね。――では、あなたにもわかる云いかたでいうわ。私を信じて、ブルー。遺伝子工作もクーデターも関係ない。それでどうしようというのでもない。ただ、私は、あなたに信じてほしい、といっているのよ。私が、あなたを、愛していることを、うけいれ、信じてほしい――と。愛してくれ、応えてくれといっているわけじゃないわ」
「とんでもないことをいう女だ。――そいつがいちばん高くつくぞと云ってるのが、わからんのか」
「わかるわ。よくわかってるわ――何億クレジットくらいなのかしら」
「何で払える。どのくらい」
「私の魂で」
オリヴィアは首をかしげた。あの小鳥のようなしぐさで私をのぞきこんだ。
「それでは足りないのかしら?」
「俺以外のほとんどの奴なら、俺を何十人かあがなって釣りがくると思うだろうな。俺は、あんたのことは、何も知らん」
「そうね」
オリヴィアは私のまえに立ちあがり、腰に手をあて、胸をそらせるようにした。
「名まえはオリヴィア・ハート。一七三センチ、五十キロ。年は一応二十五歳でギャラクシアン・ユニヴァーシティを首席で出たわ。汎銀河博士号が五つ。それはもう云ったわね。IQは二百四十、等級はSA級、趣味は無重力競技とスノー・ボート、それにコンピュータ・グラフィックのプログラミングね。これまでにしたいちばん遠い旅行は大学留学以外ではクロノポリス星区の第三衛星へスペース・バスで視察に行ったこと。結婚歴はなし、現在ステディ・パースンはなし、博士号をとった論文のタイトルは『銀河連邦における新自治体制確立への問題点』だったわ。管理心理学のだけど。友達は――いないわ。あまり人づきあいは好きでないの。好きな花はコスモローズ、好きな色は――青《ブルー》。そんなところでよくて、それとももっと?」
「そんなことは、意味がない。俺にだっていくらも云える。特技は殺戮――得意の武器はレーザービーム、これまでに殺した人間が何百人、エーリアンが――か」
「ブルー」
とがめる声音。
「はぐらかさないで。私、本気なのよ」
「はぐらかしちゃいない。いきなり、そんなふうに信じろといわれて、あれこれ並べたてられても、どうしていいかわからない」
「うそよ。あなたに、どうしていいかわからないなんてこと、あるわけがないもの」
「あるさ。哀れなデク人形だ」
「信じてくれる?――私が、あなたを愛しているということを」
「考えておこう」
「ひどいことを」
「とにかく他に云いようがない。こんなのは苦手なんだ。俺らしくもない。ボーダーエリアで、エーリアンをぶっとばしている方がずっといい」
「ブルー」
不安になった小さな子どものような声だった。
「どうしたの。なぜ、立ちあがるの――?」
「〈ナディア〉へ帰る」
「どうして?」
「もう、話はすんだだろう」
「でも」
「返事もしたはずだ」
「なんて?」
「考えておく、とな。その遺伝子の話については、それはたぶんムリだ。さっきも云ったとおり、俺の遺伝子の情報そのものに、そういう――何というか特殊性が組みこまれてるわけではなく、むろんあるていどの適性はあったにせよいまの俺の人格はサイコロジカル・コントロールによる後天的なものだし、たとえそうでなかったとしても、サイボーグ技術は中央政府のトップ・シークレットの一つだ。政府への公然たる反逆になる。場合によっては人のことどころじゃない、あんたらの方が、サイボーグ手術を施される羽目にだってなりかねない。よけいなさしで口かもしれないし、こんなことをいうのは柄じゃないかもしれんが――よした方がいい、と思う」
「もう――一つの――ことについては――?」
ささやくような声だった。
私はゆっくりとオリヴィアの前に歩みより、その肩に手をのせて見おろした。このボートの中ではほとんど頭が天井についてしまいそうだ。私の胸よりもっと下にオリヴィアの顔がある。白く、美しく、何となく怯えと緊張をはらんで血のない顔だ。どこか、ふしぎな精緻《せいち》な彫像のようにもみえる。
「考えておく、といったろう」
「…………」
「それと――」
私は彼女の肩を一回、かるく叩いてから手をはなした。
「え――?」
「できれば、俺になど、もう二度と近づかぬ方がいい。俺とあんたは、しょせん世界も種族もまるっきりちがう。はじめはもの珍しくて、いろいろ思うこともあるかもしれないが――俺はあんたの知ってる市民やセンターマンとは似もつかぬソルジャーなんだ」
「知ってるわ――」
「知っちゃいない。――あんたは俺の信頼が欲しいというが、それがどういうものかはわかるまい。俺はソルジャーだ。戦場では、信頼を裏切る、守るが即、生死につながる。自分のだけでなく、仲間すべてのな。だから俺にとってはそいつもブロックの中に入ってる。下手に手出しすれば、――とりかえしのつかぬことにもなるかもしれん」
「…………」
「俺はクロノポリスを出てゆく。もう戻ってこない。それでいいことにしよう」
「行かないで」
「行け、と云われた」
「トニはクロノポリスの市長でも何でもないわ。まだいて、ブルー。せめて、あなたの休暇のおわるまで」
「…………」
「ね、ブルー。あした、私の家でも見に来ない? それとも、第二衛星のフリー・エリアへでも」
「…………」
「何か、用があって。行く先は?」
「いや、特にないが――」
「じゃ、せめてこのへんにいて。明日また、連絡するから」
「考えておく。じゃあな」
私はドアに向った。こんどはオリヴィアはとめなかった。ドアがあいた。
「ブルー」
何か――必死なひびきのある声。
つい、ふりかえらせるだけの切迫した声だった。
オリヴィアは、そのコンソール・ルームの中央に立っていた。両手を組みあわせ、何だかひどく、小さく、かぼそく、たよりなく見えた。
「ブルー」
彼女は云った。ささやくように。
「おねがい[#「おねがい」に傍点]、急いで[#「急いで」に傍点]。私たち[#「私たち」に傍点]――あまり時間がのこされてないの[#「あまり時間がのこされてないの」に傍点]――私には[#「私には」に傍点]。おねがい[#「おねがい」に傍点]――ブルー[#「ブルー」に傍点]」
「何のことだ?」
私はするどくきいた。
答えはなかった。自動ドアが私をつかまえてエアロックへの通路へおし出し、そして私のうしろでドアがスルスルとしまった。オリヴィア一人を室の中にとりのこして。
私はキューブをぬけて〈ナディア〉へ戻った。
2
その夜、私は、〈ナディア〉の中で、ひと晩中物思いに沈んでいた。
ナーダはきわめて敏感なので戻ってきた私をみて何ひとつ云おうとしなかった。こういうところは、なかなか、ほとんどの人間などがかなうものではない。私が沈みこんでいると、おかしなことを云ったり、おどけてみせたりして、笑わせようと一生懸命になるのだが、それとも少しちがうようだ、と思ったらしい。たしかにその直感はとてもするどかった。
私はクロノポリスの宇宙港管制タワーに連絡をとり、大気圏のすぐ外側を一晩航行している予定であること、その座標と、明日の予定は未定であることを伝えた。タワーはむろんコンピュータなので、何ひとつ問いかえしたりせず、ごく事務的に処理して来たが、私はまるで自分の心の内や事情をすっかり見すかされているようなおちつかなさと居心地のわるさをたっぷりと味わった。ナーダは何もきこえぬふりをしていた。
私はナーダに操船をまかせてメイン・コンピュータとのコンタクトを切りはなすと、一応コンソール・ルームの隣に用意してある自室へひきとった。フェインライトの皮膚を洗浄し、呼吸させてやるために、金属部分をとりはずし、特殊配合の薬液を浴槽にみたし、三分待ってからその中に死体のようにごろりとよこたわる。緑色の薬液の中で、緑色に染ってみえる体じゅうから細かな気泡が立ちのぼりはじめる。
その間も、オリヴィアのことしか考えていなかったし、その休養をおえて、体を送風器の中に入ってかわかし、元どおり金属部をつけて、かたいベッドの上に身をよこたえてからも、やはりオリヴィアのことしか、私は考えなかった。いくぶんフェラインをつよめにした栄養液を左手首の内側のインプット・バルブにつないで体内に送りこむ。それは老廃物をとりのぞき、新しい栄養分を体じゅうに循環させ、動きをなめらかにしてくれるのだ。そうしながらも、私はオリヴィアとさっきおこったことのことを考えていたし、サイボーグ体を休ませるために出力をおとして、ゆっくりとうごかしながら、つまり私にとっていちばん眠りに近い状態になったときもやはり考えていた。もっともこれは体の話で、脳はむろん人間のそれだから、ほんとうの眠りを必要としている。しかし、当分はもつだろう。
とにかく一晩じゅう私はオリヴィアと彼女にまつわる謎のことを考えつづけて、体は休んだが、脳の方はまんじりともしなかった。そのおかげで、ひさしぶりに、私はボーダーエリアの夢も、全滅した部下たちやエーリアンの奇襲の夢もみなかった。
考えることは、いくらでもあったが、答の方はさっぱりだった。何もかもがあやしげで、うさんくさく、信じがたく、謎をはらんでいたが、わけてもいちばん信じがたいのはむろんオリヴィア・ハートSA級市民、汎銀河心理学博士――のことだった。
といったところで――私はすでに恋におちていたし、信じがたかったのは彼女自身や、彼女が私を愛している――一目で恋におちた、といったことではない。
それはふしぎなことではあったが、しかしまた、べつだんありうべからざることというようには思わなかった。死んだ部下が云っていたように、エデン・エリアではスーパー・ソルジャーは一種まちがいなくスターだった――いつの世もアリスト・クラスの淫乱女などというものは、いちばん自分からとおい、たくましい荒くれ男、レイ・ガンを片手の外人部隊の兵士とか、無法者のやくざ、そういうのをお好みのものなのだ。しかも私たちにはそういうようなわけですべての機能は一応そなわっていたし――そうわざわざ断るのは、同じサイボーグでも、たとえば惑星開拓用のスペースパイオニア――SP部隊の連中には一切そうした余分≠ネものはついていなかったからだ――その上にセクサロイドとは異って、一応でもたしかに人間[#「人間」に傍点]だった。
もっともだからといって、それらの好色なアリスト女とオリヴィアとを、同一視していたわけではない。それくらいの洞察力は私にだってある。オリヴィアがそういう[#「そういう」に傍点]女でないことは(たとえひまをもてあますタイプのアリスト女でなく、ばりばりと自分の仕事をやって、その上セックスにもつよい――ひと昔前によく『超女性《ウルトラウーマン》』といわれていたようなタイプのを考えに入れても)ひと目でわかる。
何というか、オリヴィアは、もっと精神的な――あえていうならば格の高い感じがつきまとっていた。単にクラスの問題でない、正真正銘の貴族、選ばれたものだけのもつ清潔で高潔な感じがある。しかしべつだん、そうしたセックス・ハンターのような意味でなくとも、ソルジャーにひかれる種類の女がたしかにいることを、私は知っていた。
オリヴィア自身も云っていたけれども、狼にひかれ、あこがれるタイプの女だ。べつに女に限らないが――気質的に孤独と自由とつよさとに、大きな価値をおいてしまうような。オリヴィアにとっては明らかに、戦いそのものでないまでも、戦士であるということが、大きな意味をもっているのだった。それは彼女をみていればはっきりとわかる。また、たしかに、彼女のもともとの性向として、アマゾネスでなくもないだろう。少くともこのクロノポリスの平和の中で、あのようでありつづけられるというだけでもそうなのだ。
だから、オリヴィアが、私と出会って、わずか三日で、そのようにつよい恋におちた、というそのことばを、必ずしもまったく信じなかったわけではない。おそらくは昔からそのようにさだめられていた、というようなことは、やはり本当にあるのかもしれない――なぜか、オリヴィアには云わなかったけれども、私にも、彼女がわかる[#「わかる」に傍点]のだ。彼女が感じられる――その心がほんとうであることや、その思いがたしかに伝わってくる。しかも彼女とちがって、私にはテレパスの素質はないはずなのにだ。
しかし――
そう、しかし……
しかし、信じることができない。どうしてかわからない――彼女はおそらく本当に私を愛しており、少くともたしかにひかれており、そして私は、――私の彼女を愛していた。自分をいつわったところでしかたがない――どうして、愛さずにいられただろう。長い殺伐たるボーダー・エリアでのたたかいと、汚らしいエーリアン、次々と死んでゆく部下と荒涼たる辺境星区――彼女はそうした日々のはてに、突然私の前にあらわれた、限りなく美しく、まぶしいものだった。彼女は正しい。たとえどんなに機械のふりをしてみせたところで、私は機械ではない。機械でもなく、といって人間ともいえない――そのどうしようもなくどっちつかずなところが、私にとっては宿命だった。それでも、たとえ半分――いや脳みそだけだとしても、私には心があった。むしろ、人にかくれてもてあますほどの激しく人恋しい心が。だからこそ、それを知っているからこそ、私はことさらに、青白い氷の中に自分自身をとざし、封じこめて戦いつづけてきたのだ。
どうして、彼女をひとめ見て、恋におちずにいられただろう。しかも、彼女は、かりそめにも、私を愛している、といったのだ。どうして、本当に、彼女を愛さずになどいられるだろう――そんなことは、罪悪だ。
そして、しかも――私は彼女に夢中で――しかも彼女をみじんも信じることができないのだ。
どうしてかはわからない。彼女はたしかに真実を話したのにちがいない。彼女のデータも調べればたちまちわかってしまうことなのだし、例の遺伝子の話などは、いつわって口に出すには危険すぎた。まさしく私がひとこと通報すればたちまちセンターに、政治犯としてつかまってしまうような話。しかも私はまぎれもないセンター方の人間で、その私に対して、そのように具体的なところまで打明けるからには、彼女の肚も据っているし、私の信頼をえたい、という気持もかりそめのものではない、ということだ。
たしかに、彼女は、真実を語っていたと思う――少くとも何十%かは。そして彼女の心持については、もっと多く真実だろう。
だが――
あの、はじめて彼女に会ったときの、どうしようもない異和感、(この女は嘘をついている)という、あまりにもはっきりとしたイメージ。
これは、うすれるどころか、いよいよ私の中にくっきりとしはじめていた。
しかし――なぜ。
何がうそなのだ。うそをついてまで、私に接近する、どういう理由が、彼女にあるというのだ。クロノポリスの、センターへのクーデター?
センターについてよく知っている私にとっては、それはほとんど、冗談か笑い話としか、うけとれなかった。強大な汎銀河支配体系を確立し、いまのところその支配は小ゆるぎもせぬかにみえる、センターにむかって、たかだか一星区が本気で自治独立を宣言する、と――?
そんな時代は大銀河抗争時代にとっくにおわっていた。いまや、センターの目はひたすら、外宇宙からのエーリアンの侵略に向いている。それも、当然のことだ。とても一介のエリア自治階級が立ちむかえるような、生やさしい組織でなど、ありはしないのだ。
しかし――
考えれば、考えるほどの堂々めぐり。
彼女を信じる、と思う理由も、信じない、と思う理由も、同じくらい、稀薄なものでしかなかった。
ただひとつこれだけは真実、たしかなものは、私がオリヴィアに恋している、ということ。
だからといって、どうなるというものでもない。私はソルジャーだ。いずれ休暇はおわり、私は辺境へかえってゆく。
でなかったところで――たとえば私が、フリー・ソルジャーになったとしたところで、どうなるというのだ。私には、クロノポリスに住むことなどできるわけもないし、オリヴィアに、宇宙へついてくることもできはしない。
そして、私は、この手にしっかりと恋する女を抱きしめることさえできぬモンスターだった。
彼女はなぜ、さいごにあんな謎めかしたことを云ったのだろう?
一晩、私の頭は、同じ迷路《メイズ》の中を行きつ、戻りつした。ようやく、朝――といっても、時計の上だけの――がきたとき、やっと少しだけ私の心は決っていた。
ここから――クロノポリス星区《エリア》から出るのだ。ブルー中佐、全力噴射だ。ワープ・オン、ハイパー・スペースに入れ。もう二度とこのエリアへは来ないことだ。きても、何にもなりはしない。
そう――ここから、去りさえすれば、すべては……オリヴィアも、彼女のキスも、そのふしぎないつわりの匂いも、何もかも、美しい3Dフォトのように私の中にのこる。
さあ、早く、ブルー中佐。
さあ――立ちあがって、コクピットへゆくのだ。ナーダが――いつもおしゃまで、明るいナーダが私を忠実に待っている。ナーダの軽口をかまって気をまぎらせながら、操縦席に入り、メイン・コンピュータに私自身を接続し、〈ナディア〉とひとつになる。ナーダの読みあげるデータをインプットし、行先をどこでもよいから決め、そこへ座標を設定して――ハイパー・スペースへ入るのだ。たちまち見なれた亜空間のオーロラが〈ナディア〉となった私を包みこみ、そして、クロノポリス星区《エリア》が遠ざかる。もう、たぶん、二度と戻ってくることはない――そして私はボーダー・エリアへ、どこかで休暇ののこりの日々を漫然と消化してから、新しい任務について戻ってゆくのだ。世にも淋しい辺境、荒涼たるアステロイド・レーザー・ビームが星もない宙を切りさくボーダー・エリアへ。そこにこそこの金属とフェインライトの怪物はふさわしい。そこが私のいるべきところで、唯一、闇が私に味方をして私のおぞましい姿をかくしてくれるところ。そこでは誰一人、謎めいた小鳥のような目で私を見つめたり、かがみこんで、唇にキスしたりしはしない。私の心がどんなにざわめき、波立っていようと、気づくものはない。
突然、つよいノスタルジア、望郷の思いが私をとらえた。そうだ、辺境へ――辺境へ帰りたい。こんな白い美しい都市で私は一体何をしているのだろう。
似合いもせぬまねを、まるで、ほんとうに脳みそだけでない、すべて人間であるとでもいうかのように――
さあ――
立って、コクピットへ――
そして、行先を管制タワーに告げて……
ふしぎだった。どうして、この、私のいるのが似つかわしくもなく、そもそもいるべき場所とてもない、クロノポリスをはなれる、と思っただけで、こんなにも胸をしめつけられるのだろう。
何を考えてるのだろう、私は。はじめからあの美しい銀色の髪のアリストクラートの王女と、孤独なソルジャーとの間に、何のかかわりあいもありうるわけなどないのに。
たとえ、彼女が私を好きだのどうのというたわごとをまきちらしたところで――たとえいかに、私が彼女の髪と目と、小鳥のような小首のかしげかたを美しいと思ったところで。
だから、早く――ハイパー・スペースへ……
だのに、私は、そう思いつづけながら、ベッドにねころがって、ばかのようにオリヴィアの唇の感触などを思い出したりしつづけているのだった。
ばかのように、というより、私はたしかに正真正銘のばかであったのにちがいない。そうしさえすれば何一つ、これまでとかわりばえもせぬ馴染んだ日々がつづいてゆくのだと、はっきり知りながら私はそうしなかった。
私がやっと室から出て、コンソール・ルームへゆく気になったのは、さらにそれから小一時間も、ぐずたらとしていてからだった。
コクピットはひっそりとしており、はじめはまるで誰もいないかのように見えた。それから、椅子のかげから、ナーダがぴょこりと首をのぞかせた。
「やあ親分」
軽口を叩いているときは、ナーダが私のことをとても心配している証拠だ。
「お飲物はいかがですか。合成コーヒーにフェラインをおとしたやつ、古式ゆたかにカフェ・オーレでも――パイをそえてね。ナーディア名物、ナーダの特製ブルーベリー・パイを」
「お前、その妙な口のききようは、一体どこで覚えてきたんだ」
かるくいなしておいて、位置につく。ナーダの大きなくりくりとした黒目が、そっと私をうかがっているのがわかる。
ナーダは、何も、予定とか、行先とか、きこうとしなかった。むろん、きのう、オリヴィアのボートへいっていた空白の時間のこともおくびにも出さない。
しかし、云ってやらなくては、データの算出をするナーダは困るのだ。いよいよ、腹を決めなくてはならなかった。私は、あわただしく、このエリアから近いいくつかの自由宙港のリストを頭の中で繰った。ナーダはじっと待っている。
「えーと……」
私が口をひらきかけたとき、ナーダが云った。
「ボス、通話が入ってますよ」
「ああ」
とっさに、妙な――しかしきわめてはっきりとした予感があった。
(ああ――)
(もう、帰れない)
(もう――戻れない……)
破滅と破局、何かは知らぬ不吉なカタストロフへの、遠い予感。
戦いと血なまぐさい殺戮《さつりく》と荒涼たる辺境の日々への、胸のいたむようなかすかなノスタルジア。
私は、タワーからかもしれぬ、と自らに云いきかせながらスイッチを入れた。
「ブルー?」
やさしい声。のどにからむ、云っていることばそのものよりもずっとたくさんのことを語っているかのような声。
「――ああ」
「よく、休めた?」
「多分ね」
「そう。ねえ、私、きょう、フリー・エリアへゆくといって出てきたわ」
「行ったらどうだ」
「また、そんなことを――それとも、今日一日を私に下さいと、お願いしなくてはいけないのかしら?」
私はしばらく黙っていた。自分がはじめから敗けていることはよくわかっていた。というのも、そもそも、少しでも彼女のそばにいたく、少しでも長くその声をきいていたいと思っているのは、私の方だったのだから。
私は低く狼のように唸り、それからうなずいた。
「しようもないな」
未練がましく、不承不承云う。
「一日くらいなら、まだ、予定をのばしてもさしつかえないだろう。――身勝手なやつだな」
「ごめんなさい、ブルー。でも私、うまく自分の気持を伝えたかどうか、自信がなかったから……」
それ以上うまく云えることは、銀河ロマンスの名優にも不可能だろうに――しかも云いたくないことは、何一つ云わずに。私はひそかにそう思ったが、口には出さなかった。
「ボス――?」
ナーダが私の方を見やる。
「フリー・エリアには、ポートはあるんだな」
「ええ。小さいのがあちこちにね。この二隻くらいは、十分とまれるわ」
「データをたのむ」
「いいわ」
すぐにナーダのコンピュータが、かしゃかしゃとうなりはじめた。私のマザーブレインが連動し、それを軌道計算プログラムにひきついでゆく。
あいかわらず、ナーダは何一つ云わなかった。ただ忠実に黙々として、働いている。
「ここから、十分ほどですね」
ややあってナーダが云った。
「オーケイ。――オリヴィア?」
「ええ、ブルー」
「そのフリー・エリアでの目印は」
「そのポートをおりたところでカートをかりて待っているわ」
「わかった。では、あとで」
「十五分後にね、ブルー」
コンタクトは切れた。
私は首をふり、あまりナーダの方を見ないようにしながらうごきはじめる準備をした。何となく、ナーダに対して妙にうしろめたくてしかたがなかったのだ。ナーダは要するにコンピュータなのだから、私が何をしようと、ナーダがとがめたり、責めたりする、ということは、じっさいにはありえないはずだったのだが。たぶん、私がうしろめたかったのは私自身と、そしてクロノポリスでの休暇なんぞとは無縁に辺境で死んでいった、私の忠実な部下たちに対してだった。
もしかしたら、いま[#「いま」に傍点]ならまだ間にあうのかもしれない――いまが[#「いまが」に傍点]ひきかえす、ほんとうにさいごのチャンスかもしれない。
その、心の底の、かすかなささやきを、私はぐいと首をふって払いのけ、ナーダをみた。
「始動スタンバイ」
「始動スタンバイOK」
「オン」
「オン」
忠実な復唱のこだまが消えもやらぬうちに、〈ナディア〉はゆっくりと、小さな宇宙の魚のように漂っていた状態をやめ、クロノポリス・エリア第二衛星のフリー・エリア、クロノポリス市民にとっての一大リゾートランドを目ざしてうごきだした。ナーダがスペースポートのコントロール・タワーに連絡しているかろやかなキーボードの音がとおくひびく。
「まもなく、降ります、ボス」
「ランディング用意」
「ランディング用意よし」
第二衛星まではあっという間だ。
これだけは絶対にまちがいない。私はただのばかものだった。はじめも、そして今もだ。
3
「こっちよ――ブルー、こっち」
オリヴィアが手をふっていた。とおくからでもすぐにわかる。銀色のすばらしい髪をなびかせ、その髪とほとんど同じ色あいのメタリック・シルバーのスペース・スーツに身をつつんで、同色のブーツをはいて、手をふっている。おそろしく目立つ姿だった。
私は大股に、小さなスペース・ポートのコンクリートの大地をよこぎり、そちらへ近づいていった。
ほとんど、人のいないところだ。たぶんいまじぶんに休暇をとるようなものは、クロノポリスにはあまりいないのかもしれない。
ポートの周辺には、濃い緑の木々が美しく、空は濃い青紫の色あいをおびていた。フリー・エリアはクロノポリス市民のリゾート地として、ごく小さい第二衛星上に人工的につくりあげられた公園都市だ。その空は巨大なドームでおおいつくされ、私たちの見あげる青紫の空はドームの内天井でしかない。ゆたかに生いしげる木々もこのへんのはきれいにかりこんでととのえたものだった。もっとまん中のフリーゾーンでは、えたいのしれぬジャングルのように緑がはびこり、超現実的な空間をつくりあげている。その中で人々は怪奇であやしげな冒険を楽しみ、またフライング・シューターや低重力トランポリン、フリーテニスなど、さまざまなスポーツに興じるのだ。のったりと水をたたえた湖(むろん人工のものだ)の周囲には、リゾート・ホテルが立ち並び、空を、羽根をはやし、鳥のかっこうをしたリゾート・カートがとびかっている。
それはまったくふつうの市民たちのための平和なお楽しみの場所だった。むろん私は来たのははじめてだったし、たぶんこんなことでもなければ一生足をふみ入れることはなかったはずだ。これは、健全で正常で幸福な市民たちのための場所だった。
シーズン・オフで誰もいないのでなかったら、私はもう、とっくにこんなところから逃げ出したいと思っただろう。私はのろのろとオリヴィアについてカートに向かって歩きながら、自分は一体何をしているのか、我ながら愛想のつきる思いだった。
「どこへゆくんだ?」
おそらく、そうきいた私の声は、我ながら力なく、弱々しかったにちがいない。
オリヴィアは笑った。
「心配しないで、ブルー。あなたを、とんでもない目にあわせようなんて、思ってもいないから。――フライング・ゲームをさせたり、湖のほとりのベンチにかけて、ランチをしようなんて云やしないわ。私だって、そんなこと、とんでもないのよ」
頭のいい女だ――まったく、頭のいい。私は、目のまえに、軽快な馴れたしぐさでかるがるととぶように歩いてゆく彼女のうしろ姿を見ながら考えていた。
オリヴィアはカートに私をのりこませた。妙な白鳥型のカートだの、色あざやかなかざりのついたのでない、ごくまっとうな乗物だったので、私はほっとした。カートは音もなく宙に舞いあがった。
「どこへゆきましょうか、ブルー」
「御意のまま――だ。俺は、何でもかまやしない」
「やけになってるようね」
「そんなことはないさ」
「きょう一日は、本当云って、話もあれこれもどうでもいいのよ。ただ私はブルーに会いたかったのだし、一緒にすごしたかった。ただそれだけのことなの」
「殺し文句か」
「そう思う?」
「ああ」
「そうじゃないわ」
オリヴィアの手がやわらかく私の腕にかかる。どうして、まったく、この女は、こんなに怖れげなく誰もが怖れたり白い目でみるこの私に近づいてくることができるのだろう。
「きょうはウィーク・デイだから、市民たちは少ないけど」
彼女が云った。
「どちらにしても、そんなにぎやかな方へはゆかないわ。私は、あなたと、二人でひっそりと話していたいの。それが楽しいの」
「せっかくそう云ってもらったがね」
私は目の下にひろがる美しい森に目を奪われながら云った。
「それは買いかぶりというか、迷惑というものだな。俺には、大した話などできん。俺はただの――」
「ただのソルジャーだ、って?」
「ああ」
「よく思うことがあるわ」
オリヴィアは云った。
「あなたって、わからないふりをしているのか、それともほんとうに知らないのか、どっちなのだろうと。――きっと、もともとの出がきわめて高いクラスだったのだと思う。あなたはソルジャーにしては、信じがたいくらい知性的な人だわ」
「そうかね」
「そうよ。そんなたくさんのソルジャーを知ってるはずもないけれど、いろいろ話にきいて、作っていたサイボーグ・ソルジャーのイメージとは、あなたは百%ちがってたわ。もともとの素性を知ることは、条例で禁じられているのでしょう?」
「厳重に禁止されている。それに万一、思い出したところで、もとの家族にだって迷惑がられるだけだ。こんな怪物になってはいるし、その上、たいていは、捕われて刑のかわりにサイボーグ手術をえらんだ犯罪者だからな」
「そうでないケースもけっこうある、ときいているけれど」
「それは志願のケースだろう。それだって同じだ。サイボーグ志願する奴は、重病で死にかけていたり、あるいは社会不適応が多い」
「あと、失恋したりして、市民でいるのがイヤになったりした人もいるのですってね。それと、もともとの、性向として極度に好戦的なタイプ」
「あんたたちのまさに必要としてるような、だな。――俺がいろいろな評判からそのタイプだと思ったのだろうが、あいにく、少しちがうようだ。俺はもうずっと戦ってきたが、それを好ましいと思ったことはこれまで一回もない。戦うのは嫌いだ。人やエーリアンを殺すと、気が重くなる」
「――なのに、戦うの?」
「しかたない。俺は、そのためにつくられ、調整されてるんだ」
しばらく、オリヴィアは黙っていた。それからゆっくりとカートを降下させにかかった。
「そうきいて、嬉しいわ」
低く、ジャングルの上をかすめてとびながら、彼女は云った。
「何を、つまらぬことをと――思うかもしれないけれど、でも、一般市民などというものは、つまらぬものなの。どうしてもソルジャーというと――」
「殺人マシーンかと思う、か? いいさ、気にすることはない。たしかにそのとおりなんだ」
「あなたは、殺人マシーンじゃない。――それをきいて、嬉しかったのよ」
「だが数えきれぬほど殺したさ。人間も、エーリアンも」
「人間[#「人間」に傍点]も――?」
「ああ。どこかの星区で反乱や革命がおきれば、それを鎮圧に出動するのも、ソルジャーの大きな任務のうちだ」
「そう――」
オリヴィアの声は、ふるえをおびていた。それとも、単に、私がそう思っただけなのかもしれない。
「クーデターを――?」
「ああ。いくつも、クーデターを鎮圧した。それは人間の方が、エーリアンを殺《や》るより楽だ」
「…………」
「人間は、簡単に死ぬ。もろいものだ。エーリアンは――なかなかくたばらない」
「…………」
「こんな話をきくと、俺についての考えもだいぶん変ってくるのじゃないかね」
「――あなたも、人を――殺しているのね……ブルー」
「何百人もね。下手したら何千人かもしれん」
「それで――それで、あなたは……」
「うなされることはないの、手を汚した死者の魂が、枕もとに立つことはないの、といいたいのか」
「…………」
「だから云ったはずだ。俺たちはそうしたものを感じないよう作られている。俺たちには心がないんだ」
「うそ!」
「うそじゃない」
「云ったはずだわ。あなたにはとてもゆたかな心がある、と」
「誤解だ。さもなけりゃ、見当はずれというものだ。俺たちはサイコ・ブロックによって後悔や罪の意識から守られている。あんたが心だと思ったものは、おそらく、ただのマシーンの反応だろう」
「私、やっぱり――そうは思わないわ」
ためらいがちにオリヴィアは云った。カートは、森の中の空地にふわりとおりた。
「このへんで下りてみない、ブルー」
「どうでも」
「ひとつ、きいてもいいかしら――?」
「どうぞ」
「それじゃあなたは――それじゃ、あなたにとっては、何が一番大切なの? 心がない、というけれど、生きているからには、いろいろと感じたり思うことはあるはずだわ。あなたには、何が大切なの、一番?――何が一番許せないの。エーリアン? 反逆者たち?」
「そう――」
私は考えた。
そして云った。
「一番大切なのは、真実――だな」
「真実……」
「ああ。心は裏切るけれど、真実は裏切らないからな。真実は俺にとって唯一確かな、信じるに足るものだ。当然、一番許せないのは、偽り――ということになるか、な」
私はゆっくりと、光電子眼でオリヴィアをのぞきこんだ。
オリヴィアは、まばたきひとつしなかった。
「それは私にも大切なものだわ」
低く、彼女は云った。
「他にも大切なものはあるけれど。自由。未来。正義。愛」
「自由も未来も俺には縁がない。正義は――正義についてはよくわからん。それはところによってまるきり正反対のものになってしまうからな。真実は、つねにひとつしかない。こっちが、どのようにうけとるか、ということはあってもだ」
「愛――は――?」
「それもわからん」
私は少しばかり、あまりにも早く答えすぎた、という気がした。
「それについては、あまりよく知らないんだ」
「…………」
「これまで、そんなものと、縁のない生活を送ってきたからな。俺にとってはもっと大切なものがある。正確な状況認識、的確な判断、機敏で正しい反応――つまりは正確さとか、つよさとか、勇敢さ、廉潔、捨て身になれること、勝つこと」
「きけばきくほど、あなたはソルジャーだ、と思うわ」
「そのとおり。俺は、ソルジャーだ」
「ねえ――」
「ああ」
「反逆は――あなたからみると、許せないこと――なのかしら?」
「そんなことはない。俺は何回も、反乱を鎮圧したが、内心の気持としては、向うの気持もわかる、とずっと思っていた。正義には、あまり重きをおかない、といったろう。こちら側からの正義が向うからみれば悪だ、なんていうのはありふれたことだ。それもわからぬほど愚かじゃない。別に、正義の名においてクーデターをしずめてきたわけじゃない。中央銀河政府の名においてだ。それはそれだけのことだ。それより――」
「…………」
「それよりずっとゆるせぬものがある。俺にはな」
「何――?」
「裏切――だ」
私は云った。
「裏切は、俺にとっては、最低最悪の罪だ。裏切はその部隊全員――ときにはその体制そのものをすらあやうくさせる。それは許しておくわけにはいかん。俺は、裏切に対しては、我ながらまったく恐しい人間になる。――真実と信義に対しては、まったく異った人間にもなるが。俺にとっては反逆より裏切の方が、ずっと罪が重いんだ」
「…………」
「どうした。黙ってしまったな」
「考えていたのよ……」
オリヴィアは云った。
「何をだ」
「あなたは――怖いのね。一分の容赦も妥協もないのね」
「ああ。そんなものをする理由が、俺にはない」
「裏切った人間を――あなたは、どうしてきたの?」
「時によって、いろいろだが、基本的には――抹殺した」
「抹殺」
「ああ」
「殺して?」
「ああ」
「反乱というのは、中央政府への裏切りだと思わない?」
「あまり――思わぬようだ。困ったことにな。これは政府にとって困ったこと、という意味だがね。むろん俺は政府に忠誠を誓わされているので、政府が命じればそのとおりに反乱をしずめにゆく。そのとき殺すのは、これは任務と生きのびるためだ。恨みもない、にくしみもない」
「うらみもにくしみもなく殺すことができるのね。あなたは」
「できる。園芸師が木を刈りこむように、それだけのことだ。しかし、俺個人が信義をかけて、裏切られたら、俺には許せん。許すことができん。反乱軍には反乱軍の論理があるように、裏切者にも裏切者の理屈があるだろう。同じように俺の理屈もある。俺は、信義にそむくことは許さん」
「信義と真実はあなたにとって同じものなの、ブルー?」
私は少し考えた。そしてうなずいた。
「たぶん。というか、そうありたいと望んでいる」
「…………」
私たちは肩を並べ、カートから出て、ゆっくりと森の中の遊歩道を歩いていた。まわりには人影も何かの気配ひとつなく、しーんと深い静寂がこの緑色の小世界をおおいつくしていた。木々は、この小衛星の重力がごく弱いので、てんでに奇怪な方向へのび、あやしいオブジェをかたちづくって、あたりにふしぎな自然の芸術のような光景をくりひろげていた。
「もう少し先にゆくとね、ブルー」
静寂を乱すことを恐れるかのように、オリヴィアがささやいた。
「私がよく来る、小さなかくれが――というか、好きな場所があるの。そこは、このフリーエリアにくるほとんどの人々が知らないわ。私、偶然、そこを見つけたの。美しいところよ」
「誰と来るんだ、あの男か」
「トニ? とんでもない。一人でくるのよ」
「一人で、こんな淋しいところへ?」
「ええ。とても、気がやすまるわ」
「危険だろうに」
「そんな目には一回もあったことがないわ。一人になれる場所と時間は私にとってほんとに貴重なものなの。クロノポリスではしょっちゅう、トニやいろいろな人間たちが私のまわりにいるわ。そのことに疲れると、私、ここにきて、一人でそっと歩きまわったり、神に祈ったり、いろんなことを考えたりするの。――自分とひっそりと話をしたり。思いもよらぬことと出会ったり、見つけたりするわ。自分の中にあるものをね」
「神に祈る?」
私はききとがめた。
「そんなものを信じているのか。科学者なのに」
「神――といっても例のゴダラ教とか、ああいうたぐいのものではないのよ。宇宙統一教会とか、ギャラクシアン・ユニとか。私はもっと何というのかしら――おおいなる、しかも実体のないものとして神を考えているわ。むしろ――そうね、摂理[#「摂理」に傍点]、というのが近いのではないでしょうか」
「摂理――か」
「この銀河、ひいては外宇宙全体、存在するものすべてについての最終的な法則性といったようなものね。私たちが存在し、そしてこのようなものとして在ることの、究極的な解答」
「そんな難しいことは、俺にはわからん」
「私にだってそれ以上はっきりとわかっていたり、論証できる、というわけでもないのよ。ただ、私、自分がときどき――感じる[#「感じる」に傍点]ことを信じるの。ごくたまでしかないけれども、私、たしかに摂理は存在しているのだ、と感じるわ。そういうとき、とても幸せなみたされた心持になる。ふしぎな、神秘的な、敬虔な。――そう、たとえば、見て、ブルー――こういう景色にふれるようなときに」
「あ……」
私は、息をのんだ。
ふしぎな緑いろの、オブジェの森が、ふいに目のまえで途切れ、はっとさせられるようなものがひろがっていた。小さなるり色の湖だった。のったりとたたえられた水は緑青色で、ポリスの湖や海よりもずっと、それ自体の生命をもった生きもののようにふしぎななまなましさをたたえ、鏡のように沈んでいる。向う岸には再びオブジェの森がつづいてゆき、もう地平に消えていた。何ひとつ生の気配、息吹というものを感じさせぬ、それでいて妙に、生きている、という感じを与えるとてもふしぎな風景。
「私、ここが、とても好き」
やわらかく、オリヴィアがささやき、そしてそっと私の腕にその手をからめてきた。
「ここにいると、摂理はたしかに存在する、と、なぜかは知らないけれど信じることができるわ。――とてもその近くにいる気がするの。小っぽけな時の砂粒でしかない私の存在だけども、たしかに[#「たしかに」に傍点]私のようなものでも大宇宙の黄金律の一部なのだと、感じることができるの。予定調和――というのかしら。どうしてかわからないのだけれど、ときたま、私は私にそう感じさせてくれるものに出会う。この湖もそうだし――あなたもそう。あなたもこの湖と似ているわ。どこがどう――とは云えないし、自分でもよくわからないのだけど、たしかに感じる。――死すべき時のさだめにつながれた存在[#「存在」に傍点]ではあるのだけれども、あわれな無力な人間どもに比してはるかに長い時間につながれて、それゆえにはるかに――そうね、存在だ、といったらいいのか――」
「よく、わからん」
私は首をふった。
「あんたは、詩人だな。俺にはあんたのいうことは半分もわからない」
「いいのよ――わからなくても。それがわかったところで、何にもならないわ。私のように――ブルー」
声が咽喉にからみ、訴えるひびきをまじえた。
「え――?」
「おお――ブルー」
ふいにオリヴィアのからだが私にもたれかかってきた。やわらかく、熱く。
「お願い、信じて。私たちは時の奴隷にすぎないけど――心は自由だわ。はじめから、私は、あなたと出会い、結びあう宿命だった、と思うの。――宿世の縁、とか運命などというものを、あなたは信じる?」
「さあ、わからん――」
「私は感じるわ。これは運命だ――これが運命だって。私はそれに身をまかせるわ。私があなたと出会うのはたぶんこの宇宙の黄金律にかきこまれていた宇宙の運命なんだわ……ブルー。私のように、あなたは感じる? それとも、何も、感じないの?」
「さあ――必ずしも、感じてないこともないのではないか、という気もしなくはない」
歯切れわるく、私は答えた。
「ただ――わからん。俺は、大宇宙の黄金律なんていうことばをきくのだって、これがはじめてだ。それをもってあんたが何をイメージし、何を感じてるのか、それだってわかりようはない」
「いいのよ」
オリヴィアは云った。
「いいの。――わかろうと、わかるまいと。ただ――そう、感じ[#「感じ」に傍点]ればいい。心を開いて、ブルー……そのあなたの心の中に私を入れて。私の存在を感じて。――私にあなたの存在を感じさせて。それだけでいいの……大切なのは、ただ、そのことだけ。私がここにいる、こうして存在するかたちがある。あなたがここにいる――そのあいだに、通うものがあるのなら、それが――」
「それが……?」
「それが、すべてのキーを……」
オリヴィアの唇が私の唇をふさぎ、その腕がしなやかに私の太い首にからみつき、その舌がやわらかく、私の口の中を這い探してきた。まるで岩にからみつく夢のようにしなやかに、たおやかに、彼女は私にからみつき、ひとつにとけ入ってしまいたいかのように私を抱きしめ、身をすりよせる……
「キー――だと……」
私は唇をふさがれたまま、はっきりしない声で云った。
「それは、何のことだ――あんたは一体、何を……」
「ブルー――愛している……」
「オリヴィア」
私は呼んだ。
「云ってくれ。あんたは――」
ふいに私は云いやめた。
ぐいとオリヴィアの肩をつかみ、その唇と腕と私の胴からもぎはなす。
オリヴィアが、仰天したように、とじていた目を見開いた。
「しっ」
するどく私は云った。
「口をきくな。――大きな声を出すな、ささやくか、首をふって答えろ。誰かに狙われる覚えがあるか」
「狙われる――って?」
「まだわからん。殺すか、誘拐するか、それとも――女だからな、強姦するか。気配を感じる」
「気配、ですって?」
「一――二――三……十匹はいそうだな。うしろに三。前に三。左右に二づつ」
「何ですって、ブルー。私は何も――」
「感じないか、むりもないが、それについてガタガタいうな。こっちはソルジャーだ、これが仕事なんだ。心配するな、俺の見たとこでは、あいてはプロのアサシンかもしれんがソルジャーじゃない。フリー・ソルジャーの特Aランク以上のやつでない限り、十人ていどで俺を倒せはせん。何も気にせず、ただとにかく、俺の指示には必ず従え。わかったか。でないと知らんぞ」
「まさか――」
オリヴィアは何か云いかけた。それから息をのんだ。
「わ――わかったわ」
「指一本ふれさせん。安心してろ」
さやさやさや――
ふいに、思いもかけぬ風が、あやしいオブジェの森をざわめかせた。
4
一瞬にして――
私は、自分が、のんびりと休暇をクロノポリスのフリー・エリアですごすオフ・タイムのソルジャーから、辺境星区の激戦のまっただ中の、すべての能力が目ざめきって、びりびりと神経のはりつめた、イン・ファイトのスーパー・ソルジャー、ブルー中佐にレベルチェンジしたことを、自ら、確認した。
すでに光電子アイは赤外線スキャンを開始し、ボディに内蔵された連絡装置が母船を呼び、待機の体勢に入らせている。すべてのパワーはONになり、スタンバイOK――いつでも、もてるすべての能力を全開できるだろう。
(敵《エネミー》A―1右後方三十度接近中)
(敵《エネミー》A―2右後方四十三度ヨリ四十五度方向へ移動中)
カシャ、カシャ、カシャ――スキャンしたデータが送りこまれる。体に力がみなぎり、きわめて力づよく、確実に、整備された存在である、という、この力の意識、実感――それがいつも私は好きだ。それは快く私を満たし、あるべき正しい位置にいて、そのために大きな能力を与えられ、それをきちんとつかいこなし、どんな事態にも対応できる、という、激しい満足と自信を私に与えてくれる。
それもサイボーグ化したときのサイコ・ブロックのためなのだろうか。私にはわからない――ただ、それは私に、やはり私はこのために――たたかうために生まれた存在なのだ、というはっきりした自覚を与えてくれるのだ。
私の目のスクリーンに、赤い画面の中を、もやもやと移動してゆくいくつかの黒い点がうつっていた。私の手首がジャキーンと低いするどい音をたてて折れ、スルスルと内蔵されていたレーザー・ビームと、レーザー・ソードとがマジック・ハンドでのびて来る。コンピュータがすごい速度でスキャンして、対多人数包囲プログラムをセットする。首のうしろに仕込まれたレーダーが、たえず、インパルスを送りこみ、後方の敵の現在点をコンピュータに中継する。だいぶ、ゆっくりとしたうごき――あいてはまだこちらに気づかれたことを知らない。ということは、あるいは私がスーパー・ソルジャーであることを知らぬ可能性もある。少しでもSSについて知っていたら、はじめから、気づかれずに接近することなど考えもせぬだろう。超音波測定器のデータ解析の結果が入る。あいては生身[#「生身」に傍点]だ。少くともメカを内蔵した――ロボット、サイボーグではない。
(やはり、オリヴィアを)
うしろの三人がしだいに散開して左右に二、一の割で合流した。たしかにかなりベテランの襲撃者だ。下はかなりポキポキと折れやすい木と下生えだが、ほとんど音をたてずに移動しつづけている。ゲリラ・タイプの行動パターンに訓練されたあいて。
(武器)
たぶん前のグループが、小型レーザー・ビーム。両サイドは、出力が小さいので、おそらくは超音波ビーム。これは、たぶんオリヴィアを傷つけずに気を失わせるため。とすると、やはり誘拐か。やっかいなのは前の三人だ。赤外線のスクリーンを、黒い影がもわーっとひろがり、よこぎってゆく。
「オリヴィア」
私はささやいた。
「俺が動き出すと同時に地面へふせろ。そのまま少し動くな。いいな」
レーザー・ビームが二人ならいいが三人いる。三人めがオリヴィアを狙う可能性を封じるには、一瞬の速度を頼るしかない。コンピュータがうなる。
(スタンバイ)
(スタンバイOK)
(カウント開始。スリーカウント。スリー、ツー――ワン、ゼロ。アクション!)
レーザー・ビームの白い一閃。
ぎゃーッ、という悲鳴がおこり、スクリーンの中で前方斜め三十度と七十度見当から黒い影が一瞬、火に包まれたようにみえた。
間髪を入れず身を沈め、背後からのビームをやりすごし、そのままかいくぐって前センターへとびこむ。ビームは間にあわない。ソードをくり出す。
もう、何百回、何千回となくくりかえしつづけてきた、スタンダードの戦闘パターン。何一つ考えも迷いもする必要なく、コンピュータが勝手に判断し、司令を出し、体をあやつる。レーザーがシュッとオブジェの木々に穴をあけ、ソードが切り倒し、バサッという音があいつぐ。ちらりと目をやると、オリヴィアはきちんと云われたとおりに地面に伏せ、頭を腕で庇い、背中を丸めてうごかずにいる。私は要心ぶかく襲撃者たちをそこからはなれるよう誘導した。
カウント――あと四人。
死体がたかだかと、小さい重力のせいではねあがり、どさりと、木々の上へおち、もろい木の枝をへし折りながらスローモーションで地面へおちる。中には、池にころげこむのもいる。のったりと何十メートルも、青緑のアメーバのような水しぶきがあがり、そのまま実にのろのろとまたとけくずれるように水面に戻ってゆく。
あと三人[#「あと三人」に傍点]。
コンピュータが体をファイト・プログラムで操作しながら、私の判断を仰いできた。一人ないし二人、生かしてとらえて、何者のさしがねか、何が目あてか、尋問するか、ときいてきたのだ。私は考え、ノーという判断を送りこんだ。ここで自白剤をセットしているより、データ解析の方が早い。その解答を出している間に、あの一人[#「あの一人」に傍点]――になった。
あっけないファイトだった。ゲリラ・ファイトの訓練はよくつんであったが、もとよりソルジャーの敵ではない。生身の人間に、サイボーグとたたかうことなどムリなのだ。神経の情報伝達の速度から、移動の速度、判断、出力、何から何まであまりにもちがいすぎる。さいごの一人がパラライザーを放り出して声もあげずにのめり、木々の間へころげおちた。
(フィニッシュ)
(ラジャー)
母船に打信しておき、ひらりと木々の梢からとびおりて、地べたにくずおれているアサシンのところにゆく。レーザー・ビームは額のまん中に小さな黒こげの穴をあけ、貫通していた。カシャ、カシャ、カシャ、カシャ、カシャ――すばやくデータの採集モードがうごきはじめる。解析と結論はもう少しあとでいい。
次々と、手近に見あたる分だけの死体のデータをあつめおわると、立って、オリヴィアをさがした。オリヴィアはゆっくりと立ちあがるところだった。
「もう――いいの?」
私は少しだけ感心する――空元気としたところで、そう空元気が出せる気力があるというのが大したものだ。これまで、ほとんど、目のまえで人間が死ぬところなど、見たことのないきっすいのインテリ・クラスの市民だろうに、気丈というか、敗けぎらいというか、何一つかわったことなどおこっていないかのようなようすをしている。もっともよくみると、その手はかすかに震え、あせばんでいた。
「ああ。もう、いい」
「きゃ――」
「どうした。どこか、怪我してるか」
「いえ。ただ――死体にさわってしまったの」
「無事か」
「私は何とも――何してるの[#「何してるの」に傍点]」
するどい、ギョッとしたような声。私が、死人の目をひらかせてのぞきこんだり、口をあけさせたり、胸もとのジッパーをおろしてのぞいたりしていたせいだろう。
「データ採集」
「データ採集――ですって?」
「ああ」
おっくうなので、それだけの返事ですませてしまった。その間にも、データは膨大な情報を――出先機関ではなくて、母船のメイン・コンピュータに刻々仕込みつつあった。死体の年かっこう、目の色、肌、髪の色、人種、性別、持っていた武器、先にファイト中に採集した戦闘能力や戦闘パターン、服装、もっと細かな特徴も。さらにカメラ・アイがいろいろな角度から写真をとって、それをデータバンクに送る。ものすごい早さで、データがおさめられるのと同時にメイン・コンピュータがそのデータを解析してゆく。はたからみたら、ただ呆然と立ちつくしているように見えよう。
「ブルー――?」
「…………」
「どうしたの。あなた――変よ……?」
「――いや」
母船――〈ナディア〉からのさいしょの解析結果を送ってもらってから、私はやっとふりかえった。
「どうしたの?」
「話しても、わからんだろう。何一つかわったことはおこってない、気にするな。ただ、俺の脳みその本体が、ここにない、というだけの話なんだ」
「え?」
オリヴィアにはわからなかったらしい。当然だ。サイボーグ・ソルジャーは、むろん単体でもこのとおりごく有能なファイターだが、母船にくみこまれたときはじめて完成体になる。このシステムは生身の人間には実感しにくいだろう。
「ほんとに――あなたって、他の人とはちがうのね」
「SSだ、というだけだ。こいつらは、どうやらクロノポリスの下級シチズンのようだが、狙われる心あたりは、姫君? あんたを誘拐すると、何か得をするグループがあるか」
「誘拐? 私を、まさか」
「だがかれらはたぶん殺すつもりじゃなかった。装備がない」
「狙われたのは、あなたではないの、ブルー?」
「正気の人間なら、サイボーグ・ソルジャーに生身のアサシンをしかもわずか十人ばかりさしむけようなど、夢にも考えつきはせんさ。ちょっと失礼」
もういっぺん、目のレベルを赤外線スクリーンにかえてオリヴィアをスキャンする。
「どうしたの?」
「チェイサー、トレーサーがつけられてないか見た。大丈夫のようだ。ここにくる、と云ってきたあいては?」
「プライヴェート・セクレタリと、トニ・アロウと――一応、私のへやのコンピュータ・フォンには云いおいてきたわ」
「誰に知られそうだ」
「その気さえあればクロノポリスの全市民に、コンピュータ・フォンはシールドされてないもの」
「不用心な話だ」
「だって、オフなのよ、今日は。――クロノポリスでは過去何世紀にわたって、ごく数少ない例外を除き、重大犯罪は発生してないのよ」
「おかしな星だ。そんなことが、ありうるものかね。俺には、信じられん。その方がよほど不自然な気がする」
「犯罪因子がずっときわめて注意ぶかくとりのぞかれてきたからよ。――おお、ブルー」
「どうした」
「ごめん――なさい。ちょっと支えていて。……急に気がついたの。その――血ひとつ出てないから、実感もなかったけれど……こ、この人たち――死んでいる――のね……?」
「ああ。俺が殺したんだ」
「なんてこと」
オリヴィアの顔がすきとおるように白くなった。そして、のどをつかみ、私の腕に、力を失って倒れかかった。
「ボートに戻るか?」
「ここから――つれてって。でも、ボートでなく」
かすかな声。はじめ、私は、オリヴィアがばかにおちついている、と思い、ほとんどあやしんでさえいたのだが、うかつにもいまになってやっと気づいた。それほど、クロノポリスのましてアリストたちにとっては、こんなことは生活に無縁なことだったのだ。たぶんオリヴィアには、すべてがただの3Dのギャラクシアン・ドラマの中のシーンのようにしか思えていなかったのにちがいない。それがはじめて、すべてが現実で、この男たちは死んで物体になったのだ、と気がついたので、貧血をおこしたのだ。私のさっきの感心は相当、的外れだったようだ。むりもなかった。
「大丈夫か」
「ええ……」
私はオリヴィアをかかえあげ、大股に、少し来た道を戻った。途中から横にそれ、そこにあった地図の表示に従ってゆくと、小さなあずまやがあった。その中に入り、ベンチにオリヴィアをよこたえてやった。
「どうだ、気分は」
「私――私」
オリヴィアはひたいに手をあてた。
「こんな、自分が臆病者だとは、思ってなかったわ。……ふるえがとまらないの。3Dドラマで見て考えているのと現実とは、なんてちがうのかしら――こわいわ。とてもこわい。いまになって。――さっきは何ともなかったのに。ブルーがいれば大丈夫だ――ブルーがいれば何ひとつこわくない、そう思えて、ちっともこわくなかったの。おかしいわ――すべて、すんでしまってから、こんなにふるえるなんて」
「それで当然だ。あんたは、このクロノポリスのアリストだ。こんな場面に慣れてないのはあたりまえだ。俺はこういうことが商売のソルジャーだからな」
「でも私――はずかしいわ。もっと自分がつよいと思っていたのよ。とんだ思いあがりね」
「そんなことはないさ」
「あの死体――」
オリヴィアは両目をおさえた。
「さっきまで、生きて、うごいていて――次の一瞬、もう死んでたわ。……あんなにもかんたんに人って死ぬもの――なの? あんなに一瞬で物体に、ただの物体にかえってしまうもの? 信じられない。むなしいわ――こわいわ。私、はじめてみたわ。目のまえで人の死ぬところ。――ひたいにぽつりと黒こげの丸い穴があいて――ただそれだけ。それでもう、すべてはおわり。……なんてもろいんでしょう、人間って。はかなくて、もろくて――ああ」
「何も考えるな。どのみち殺したのは俺だし、ああしなけりゃ、あんたがどうなってたか、そいつはわからなかった。自分が殺されるよりはマシなんじゃないのか」
オリヴィアは首をふった。
そのまま激しく首をふる。
「俺は、そう思わなけりゃ、生きのびてこられなかった」
「……ブルー」
ふいに、オリヴィアは半身をねじっておこした。そして、上体を、激しく私にあずけてきた。
「抱いて。つよく、その腕で、抱きしめて、お願い。怖い、私、とても怖い」
「何も怖くない」
やにわにつきあげるようないとおしさが私をもおそった。
オリヴィアの体のふるえが私につたわってくる。オリヴィアが怯え、おののき、動揺しているのがわかる。
「何も怖くない。すべてすんだ。お前は安全だ、オリヴィア――俺がここにいる。俺がお前を守っている」
「ああ――ブルー、しっかり抱きしめて……ふるえがとまらないの。私――私、なんて何も――何も知らなかったのかしら……」
ふるえる声、ふるえるくちびる。
かぼそくたよりないからだ。私のたくましく力づよい手には、つよく抱きしめれば砕けて、つぶしてしまいそうにはかなくきゃしゃな小さなからだ。
私の手の中にいるのは、小さな可憐な小鳥だった――いまは、傲岸な女王でもアリスト女でもない、たよりなくかよわい、ふるえている怯えた小鳥だった。それは私の肩にとまり、私の庇護をもとめてふるえていた。
「オリヴィア!」
私は――
自分のかすれた声をきいた。
「オリヴィア!」
「ブルー――ああ、ブルー、ブルー……」
唇と唇が、吸いよせられるように近づき、かさなり――
私からも、はじめて激しくむさぼった。壊してしまうのではないかという不安なおののきにとらえられながら、それでもできるかぎりそっと力をこめ、オリヴィアのきゃしゃなからだをひきよせ、抱きしめた。その細い胴のふるえがいとおしく、そのたよりない動悸が熱い。
(ああ――!)
わななくような吐息。
私はそれが、オリヴィアのものか、と思い、それから、自分のであることに気がついてびっくりした。こんな人間くさい声を私も出すのだとは、思いもしなかったのだ。
「ブルー、ブルー――抱いて。はなさないで。抱きしめていて――」
「オリヴィア……」
「ブルー……あなたが好きよ。愛してる……愛しているわ。ほんとに好き――他の人と全然ちがってたの……ブルー……好き――」
「何も云うな、オリヴィア――」
うわごとのような、熱にうなされたささやき。
いくたび唇がかさなりあい、いくたび求めあい――
嵐が私たちをつかんだ。おし流し、荒々しい激流が私たちをとらえ、そして、私たちをひとつにした。
(オリヴィア――オリヴィア――オリヴィア……)
(ブルー――ああ、ブルー……)
決して、結びあうはずのない二人だと――
心のどこかにつきあげてくる叫びを、私はのみこんだ。いまはまだ――いまこのときだけでも、私は愛に――サイボーグ戦士として生まれ出てから、はじめての愛に、酔っていたかった。
「俺から――はなれるな」
私はささやく――熱い吐息。あえぐような息づかい。
「はなれない――はなれないわ、ブルー――はなすといったって、はなれない……」
「オリヴィア――」
「ずっと、孤独だった。この白い都市の中で――ほんとに孤独だったのよ。少しでも……似た魂があればどんなに幸せかと、ずっと待って――あなたを待っていた、ブルー……」
「俺の――魂がほしいとお前は云ったな。俺の――ソルジャーの魂が――まだ欲しいか――?」
「欲しいわ。生命にかえて――欲しいわ!」
「お前にやる」
私はそっと彼女を抱きしめた。突然、彼女は世界で――いや、銀河じゅうでいちばんいとしい、大切なものと変じていた。
「お前にやる。――貰ってくれ。ねうちもない、人殺しのサイボーグの魂でよければ」
「私のだわ」
勝ち誇ったひびき、愛にふるえる声。
「あなたの魂は、私のだわ――私の魂は、あなたのものよ、ブルー――貰ってくれる――?」
「貰う」
「嬉しい」
「オリヴィア」
私は、彼女のほほを両手にはさんだ。そっとしめつけたつもりだったが、彼女はうめき声をあげた。あわててはなすと、ひきもどして、ぎゅっと手をしめつけた。
「いいか――俺を裏切るな」
「裏切らないわ。決して」
「俺を偽るな。――どうしてかは、もうさっき云った。偽るな――俺は、それに耐えられない。お前に、俺の魂をやった。人に魂をやったなどといったのは、これがはじめてだ。――その意味がわかるか、お前に」
「わかるわ、ブルー――ほんとうに、わかるのよ。信じて」
「信じる。だから、裏切るな。お前に魂をやるといったのは――かりそめじゃない。わかるか」
「わかるわ。嬉しい。私、あなたを、決して裏切らない」
「何をしてもいい。俺を偽るな。たばかるな――どんなにつらくてもいい、真実を云ってくれ。でないと、俺は――」
「でないと――?」
「たぶん、俺は――」
私は呻《うめ》くように云った。
「でないと俺はきっと――お前を、殺してしまう」
「いいわ」
オリヴィアは叩きつけるようにいった。
「ブルーになら――殺されていい。決して恨まないわ……もし私が、あなたを万一にも裏切り、いつわり、たばかることがあったら――どうかあなたの手で私を殺して。――誓うわ。私は、あなたのものだわ――あなたが望んでくれるかぎり、いつまでも、あなたのものだわ」
「オリヴィア――」
「ブルー――わたしを愛している……?」
「愛している。この世の誰よりも」
「この世の誰よりも?」
「この銀河すべてよりももっと」
「私は――私はこの時間すべてよりも――愛しているわ。ブルー――ブルー……ブルー――」
[#挿絵(img/01_155.png)入る]
愛している――
そのことばに、どれほどの意味があるのか、重さがあるものか……
人の世のさだめは知らなかった。しょせん私にせよ語の正しい意味での人[#「人」に傍点]ではない。
ただ、私にわかるのは、オリヴィアを愛していること――ただそれだけだった。この世におわりがあるならばそのときまで、この世に果てがあるのなら、その果てまで。
私には、こうしかできない。こんなふうに人を愛することしか、できないのだ。
「オリヴィア――俺を裏切るな。決して――決して裏切るな」
「裏切らないわ、ブルー。――生命にかえて。愛している――愛している――愛している……」
「愛している……」
愛の嵐――私たちをおそったのは唐突な愛の嵐だった。フリー・エリアの緑の中で、私たちは時もとまれと抱きあい、ささやき、語らいつづけていた。
[#改ページ]
第四章
1
天にものぼる心地でいた――などと云ったらおそらく嘘になるだろう。夢のように幸せだった、などと云っても。
そんなことばは、私の中には存在していなかった。もともと元来が重い気質の人間である上に、私は恋だの、愛だのとは縁もゆかりもない存在だった。
まるで、ふいに、ぶこつなロボットの手でごくごくこわれやすいガラス細工か、ぎゅっと握りしめたらそれだけでつぶれてしまう小鳥をそっともっていろ、と命じられて、預けられてしまったようなものだ。いちばん、正しい云い方をするならば、たぶん、私はとても当惑していた――というのがもっとも正確だったのではないかと思う。
私たちは丸一日、フリー・エリアをうろつきまわり、夜おそくなってからボートに帰った。何ももう二人をさまたげることはおこらなかった。それは黄金の一日だった――あとになるほどにたぶん、ありうべからざる奇蹟のようにことこまかなすみずみまで思い出されていつまでも私をさいなむであろう、神の恩寵《おんちょう》――それとも悪魔のたくらみによって与えられた一日。
あとになって別れてから、オリヴィアが自分のスペースボートでクロノポリスの自分の家へ戻ってゆき、私が〈ナディア〉の自室でまた休養槽につかって体をのばしてから、すべてはいよいよ鮮明にくっきりとよみがえってきた。オリヴィアの表情のひとつひとつ。そのことばのひとつひとつ。一回一回のくちづけの一回づつ――あんなに数えきれぬほど接吻したというのに。彼女のいたすべての瞬間の、ひとつひとつ。
それはなんという鮮烈な印象、記憶であったことだろう。私たちはどこまでもどこまでもフリー・エリアの遊歩道を歩いていった。彼女が疲れると私は抱きあげて運んでやった。私の腕は疲れなど知らない。私の手には、彼女など、羽根か一本の花くらいに、ほとんど何の重みすらないように感じられる。それからあずまやで休み、少し気をかえて、まん中の方へ出て、売店で合成コーヒーを買ってきて飲んだり、オリヴィアはホットドッグをたべたりした。ホットドッグなどという食物がまだあることなど、私ははじめて知った。
私たちはまったく、ウォーター・シューターだのフライングシューター、トランポリン、そんなもので時間をつぶそうなど、考えもしなかった。それどころではなかった――丸一日二人きりでただ歩きまわったり、座ったりして、一体何をしていたのか、ともしもいぶかしむ人間がいるとすれば、その人は、恋というものをしたことのない不幸な人間にちがいない。私たちは、まるで、別々に生きてきた長い時間を、この一日ですべてとりかえさなくてはとあせってでもいるかのように、必死だった――何だか、どこかに、追いつめられ、切羽詰った感じがあった。主としてそれはオリヴィアの方からきたのだとは思う。喋っていたのはほとんど彼女の方だったから。むろん私もきかれれば喋ったが、私には話したいようなこともあんまりあるわけではなかった。私の過去など、殺戮《さつりく》、訓練、戦い、休息、その単純なくりかえしでしかない。
それでも私も、辺境星区の淋しい星のこととか、その淋しい星の上で、中天をおおいつくす天の川を見ていたこと、その他にはまったく星のない空を切りさくレーザービームが、時にオーロラのように美しくすらみえること、などをぽつぽつと話した。すべて失ってしまった部下たちのこととか、エーリアンが破裂するときまきちらす青黒い漿液《しょうえき》のこと、エーリアンの襲来を示すあのぶきみな透明な緑のもやもやが宇宙空間にひろがってくるときのぞっとする感じ、どうやって人間を殺すか、そんなことについては、何も喋らなかった。彼女のするどくデリケートな感受性を悪夢で汚す気にはなれなかったのだ。
それにとにかく、大体において話していたのはオリヴィアの方だった。オリヴィアはまるで私と別々に生きてきた間に彼女の味わってきた印象、そのすべてを、私の中に注ぎうつしたいかのようにさえみえた。
「――私、とても他の人と違っていたわ」
つきることのない泉のようにことばは生まれる。何も考えなくても、ことばがほとばしってくる――あいてに向かってゆく気持におし流されるように。言葉につまるようになったら恋は終わり――なのだろう、私は知らない。
「とても孤独だとずっと感じていた。どこへいっても、どこにいても。何だかまわりと異和感があって――何だか、私がにせものなのか、まわりの世界がつくりものの3Dドラマなのか、一体どっちだろうとずっと思っていたわ。クロノポリスにいるときも、センター・エリアへ留学して、ギャラクシアン大学の大学惑星にいるときも。どこが違っているのか、わからないし、うまく云えなかった、ただ違ってることだけがわかるの。私、いつも、無口な女、必要以外のことをほとんど喋らぬ人間だと思われていた。私、どうやって自分のこんなふうな異和感を伝えていいか、誰に伝えていいか、わからなかったんだわ」
「ああ」
早く、早く、早く――愛よ、急げ。まるで、彼女の目は、そう叫んでいるかのようだ。
「いまでもうまく云えない。ただ、何だか、どこかにまちがいがある、この世界そのものが、どこか違ってる、と思われてならないの。そう――ただの直感にしかすぎないといえばそうなのだけれど。それはもともとはそうでなかったものがどこかでまちがって変ってしまったのか、それとも、もともとはじめから、ごまかしやからくりがあったのか、それは私にはわからない。それをあるいはセンターの管理思想に原因があるかもしれないと考えたこともあったので、私はこのグループに投じてみたの。でも、ブルー、いまになって少し後悔しているわ。クロノポリス自体のためにはこれはすべて正しいと思うので、それはいいのだけど、ずっと私の感じてきたものというのは、それほど単純で――何というのかしら、そうね、形而下レベルのものではないような気がするわ。――ねえ、ブルー、あなたは、こんなふうに感じたことはなくて?」
「――?」
「この世界は……」
オリヴィアはことばを切り、まわりを見まわし、手をさしのべた。
「ほんとうに――そうね、うまく云えない――正しい世界[#「正しい世界」に傍点]なのかしら、と。うまく云えないわ――直感にすぎないし」
「いいさ。思ったとおり云うといい。大切なのはいつでもつまりその直感だ」
「そう――だから、ずっと私の思っていたのは――何となく――」
オリヴィアはひどくもどかしそうに白い手をひらひらさせた。そして、うまいことばをさがすように黙っていた。目のまえに、ひろがっている奔放なオブジェのような木々がいざなうように揺れた。きっと葉の中に何か小さい獣でもいたのかもしれない。その向うには、さっきの湖の水面が小さく光って枝の間にすけてみえる。
「――美しいわ」
オリヴィアは小さな吐息をもらして云った。
「何が」
「この星。クロノポリスも――センター・エリアも。どこもかしこも、美しいわ。この世界は。そう思わない」
「ああ。だから、俺のいる場所はないさ」
「美しすぎるのよ」
じれったそうにオリヴィアは云った。
「たとえばこの星だわ。もともとは小さな何もない岩のかたまりにしかすぎなかったところに、ドームをつくり、空気をみたし、木を植え、池をつくり、遊歩道や売店やレストラン、レジャーエリア――とてもきれいで快適。でも本物じゃない。この美しい空はドームの内天井の照明がつくり出しているものよ。その外には、暗い宇宙がひろがっている。この空気ももとからあったわけじゃない。でもそれはクロノポリスも他の都市もセンターもすべて同じなの。すべて、そうね、自然[#「自然」に傍点]じゃないわ。つくりあげられ、淘汰され、管理され、整備されている世界。その中で、一体、何を真実と信じられる? この空、この吸っている空気、この木々、この眺め――何もかも、偽りなのよ。あなたは――そうだわ、ブルー、あなたはそうじゃない」
「俺こそ一番の偽者だ。俺は人間でもロボットでもない。まがい[#「まがい」に傍点]の人間だ」
「そうじゃないわ」
つよくオリヴィアは云い、ついでに私にキスした。
「あなたは真実を感じる[#「感じる」に傍点]ことができるのよ、ブルー。あなたは辺境星区の話をしてくれたわ――きっとそこでは世界はまだ世界のままだし、存在は真実であろうと思えばそうあれるのだわ。やっといまわかるわ、ブルー――あれほど急激に私をあなたにひきつけたのは、あなたのその確かさ[#「確かさ」に傍点]だわ。実在のたしかさ。――あなたには、クロノポリスの人たちやセンターマンに私のずっと感じてきたあの嘘がない。あなたはあなたで、あなたはだから真実を感じとる。だからきっとあなたにとってはこのいつわりの、幻影の世界の中で、真実がもっとも大切で、虚偽がもっとも憎むべきものだと云い切れるのだと思うわ。私は、ブルー、あなたのそばにいると、何もかもが本当の、正しい、あるべき姿にやっとかえってゆく気がするの。あなたを通じて私は世界を感じることができる、というような。私――私いまはもう孤独だと感じてないわ」
「…………」
「私ね」
オリヴィアは瞑想的に云った。
「ずっとまえ、まだセンター・エリアの、ギャラクシアン大学のキャンパスにいたころのことだけど」
「ああ」
「ちょうど講義が休講になって、外に出たの。あそこにいったことがあって、大学惑星に。あれも、美しいところよ。――広いキャンパス。ゆたかな緑、みごとにととのった設備――清潔でちりひとつおちてない、他の学生たちは休講なので喜んでね。いくつかのグループにわかれて、3Dドラマを見に出かけたり、スポーツ・ゾーンに出かけたり、むろん図書館へゆくものも。私、なぜだか――というかそれはべつに珍しいことじゃなかったのだけれど、何だかそのどれもする気にならなくてね。といってへやに帰るには惜しいような上天気だったので、庭園にいって、一人で、芝生にねころんでいろいろと瞑想にふけっていたの。そうするうちにとてもふしぎな考えが頭にうかんできてね」
「ああ」
「それは、つきつめていうと、〈私はここにいる〉〈私はどこから来て、どこへゆくのだろう〉というような考えだった。――このエリアよりもっときれいな手入れのゆきとどいた庭園で、風がさやさやと吹きつけ、木々に花が咲いて甘い香りがして来、小鳥はうたい、光がさんさんとふりそそいでくる、そんなところ――理想郷がもしあるとすれば、まさしくここにちがいない、と誰もが感じるようなところ。そこで、美しい芝生にごろりとよこたわって、体中に快い光と風をあびて、酔ったような心持になっていたとき、ふっと思ったわ――〈いのち〉というものは何で、どこからやってきたのだろう、とね。……私は〈いのち〉だ。それだけはまちがいない。だってこうして生きていて、感じて、考えて、この日ざし、この風を肌に感じうけとめることができるのだから。でも、この明るい星の少し外側には、永劫の闇がひろがっている――この明るさも光も風も花の甘い香りも、みんな空の上からみたらただのかりそめのものでしかなくて、いってみればあまりに小さな日だまりのようなもの――そして、〈いのち〉は、その小さい小さい日だまりにぴったりしがみついて、存在している」
「哲学者だな」
「そんなものじゃないのよ。昔、大開拓時代よりはるかに昔、まだ人がその母星をはなれることができなかったプレ宇宙紀元の時代には、たぶん人は、もっとずっとシンプルに、たしかに、自分の存在と自分自身との間に何の齟齬《そご》もなく生きていたにちがいない。そのときには光も、風も、大地もつまりはそれだけ[#「それだけ」に傍点]の、見たとおりのものであったはずで、そのころには人はきっとそんなことで悩むこともなかったにちがいない。何というか、真実と存在というのはいまよりもっとずっと、ひとつのものだったはずだわ。でも、いまははるかに宇宙紀元をへだたって、早い話がいまここにいる私自身だってこの星に生まれ出たものじゃない。いまこうしてこの日をあび、風に吹かれている私は、遠い実験都市星区から宇宙をわたってやってきた、よその星の人間で、でもその私のふるさとであるクロノポリスだって、つまりは作られた人工の世界だわ。その中で、光も風も大地も――私がいま現にこうして感じる[#「感じる」に傍点]ことのできるものすべてを真実だ、と信じることができないのだったら――私自身というものは、一体、何[#「何」に傍点]なのかしら? 目のまえにあってこれほどたしかなものでさえ偽りだとしたら……一体、信じられるものは何なのか。世界とは本当は何で、どこにあるのか。そして私たちは一体どこからきて、何であるのか……」
「インテリなんてものは、面倒くさいことを考えるものだな。俺にはそんなことはみな、深く考えるからこそちんぷんかんになってゆくので、むしろ考えたりしなければ、それですっとんでしまうという気もするんだが」
「そうよ。それで――まだ、つづきがあるの。それで、私は芝生にあおむけになり、これは何もかもいつわりだ、人間の手と頭がつくり出した幻影であって、どんなにたしかにみえたとしても真実じゃない。私自身だって幻影なんだ、というようなことをしきりととりとめなく考えていたのね。光をあびながらこの光も結局実在してはいない、なんて考えているなんて、なんと不幸な――あえて云うなら悲しいことなんだろう、と思いながら。
そうしたら、そのとき――」
「…………」
「たまたま寝返りをうったとき、私の目の前に、小さな草があって、それが緑色の小さな小さな花をつけていたのよ。ちょっと見ると、葉っぱのようにみえるのだけれど、それは花だった。私は思わずじっと見つめてしまった――ふいに何かに頭を殴られた気がしたわ。これは生命だ。これが生命だ、この草の花、これが、存在のすがたなんだ、というような気がしたの。大宇宙も人類の叡知《えいち》も何もかも――たったひとつのこの草の花があってそれの前にみるみるうつろな幻と化して消えていった。あらゆる思いは消え、気がついたとき、私は、自分が一人で顔じゅうをくしゃくしゃにして泣いていたことを知ったの。どうしてだかわからない――私ってきっと少し、頭がおかしいのかもしれないわね」
「ああ」
私は云った。
「おかしいな」
「あらひどい」
「アリストの博士なんてものは、みんな気がふれてる。妙なことで悩んだり泣いたり、俺などのことを好きだといったり」
「あらどうして。――ね、ブルー、私ときどき妙な気がするのよ。あなたって私には、あのキャンパスの小さな草の花みたいに思えるの。そしてあなたを見てるとときどき何だか泣きたくなるわ。おかしいわね――あなたはこんなに大きくて、つよくて、たくましいのに、なぜあの小さい草の花と同じなのかしら」
「さあ、わからない」
「私、大学を出てからは、クロノポリス星区《エリア》の外に出たことはないの。辺境に、一回行ってみたいとずっと思っていたわ。あなたの目にうつる辺境を、私もこの目で見てみたい」
「さびしいところだ。日付もない、朝もない、街の灯もない」
「でもさっきのオーロラの話、どんな感じか、とてもよく伝わってきたわ。ね、ブルー、もしゆるされるのならば、私いつかあなたと一緒に辺境へ旅してみたいわ。――約束してくれる、もしできたら行こうって」
「できるものならばね」
「一緒に?」
「ああ、一緒に。しかしどのみち通常人にはムリだ」
「私がサイボーグ化手術をうければ?」
「そんな思ってもいないことをいうものじゃない」
「あら、あなたと一緒にいられるなら、してもいいわ。ずっときのうから考えていたのよ」
「君の思ってるようなものじゃない。それに、サイボーグになんか、なってほしくない」
「どうして――?」
「なってほしくないんだ。サイボーグになったら、こんな外見になってしまうんだぞ」
「わかっているわ。かまわないじゃない、私は私よ」
「ならないでほしい」
「どうして?」
「君のその髪や肌や手足をこんなふうにしてしまうのはイヤだからだ」
「おお、ブルー」
「その髪も、手も――」
私はそっと、白いなめらかな、美術品みたいな手を手にとった。私の手は、ベージュがかったグレイをしていた。
「そのままでいてほしい。俺には――かつてこんなに美しかったという意味じゃなく――二度と手に入らない、とりもどすことはできないんだ」
「あなたは、美しいわ、ブルー。私、何回もそう云ったでしょう?」
私は黙って首をふった。
「私、つまらぬレトリックでいってるのじゃないわ。存在していることの美しさ――たしかさの美しさ。私、大輪の、美しいのだけをかけあわせてつくりあげられたみごとなバラよりも、あの小さい、花とも葉ともつかぬ草の花の方が美しい、と思ったわ」
「…………」
「私のいうことを信じてくれないの?」
「いや。――そんなことは、云われたことがない。どう答えていいものか、めんくらっているんだ」
「あら……」
午後の金色の輝きはゆっくりとうすれていった。
もちろん、それだってオリヴィアのいうとおり、まがいものといってしまえばそれまでなのだ。空気もない衛星の上に本当は美しい夕映や星をちりばめてまたたく夜や、あでやかな虹やさわやかな朝の空のあるわけはなく、それはすべて、ドームの内天井に照明がつくり出してみせた魔法の幻にすぎなかった。ゆっくりと空は茜色にかわり、やがて星がまたたきはじめ、その夜空の何分の一かを占めて、母星、クロノポリスが見えている。しかしそれも、うつし出される映像なのだ。ドームの外に出れば、ちゃんとそのとおりに本物のクロノポリスが見えるのに、人間とは、ふしぎなことを考えるものだった。
「夜になると、湖畔で火をたいてバーベキューをするのよ、みんな。星と森と湖と火とバーベキュ――それは永遠にかわりそうもない休暇のイメージね。どこへ、どんなところへいっても、それをしないとみんな休みをとってたっぷりと遊んだ気にならないんだわ」
まるで私の胸の内を見すかしたようにオリヴィアは云う。私たちは、暗くなってから、スペースポートへ戻った。遊歩道にはロマンティックな小さな灯が何十メートルかおきにつき、湖にそのかげがうつって美しく、ドームの空は一面の星だった。とおくかすかな音楽のさんざめきがきこえてくる。オリヴィアは私の腕にぶらさがるようにしてぴったりと身をよせて歩いていた。しだいにポートが近づくにつれて、あんなに饒舌に何もかもを喋りつくそうとしていたようだった彼女は、口数少なくなり、ひっそりとして、ほとんどふさいでいるようにさえ見えてきた。
「どうした?――寒いのか」
「いいえ、そんなことないわ」
「疲れたのか」
「ええ。少しね」
私は彼女の声が好きだった。暗がりで彼女のおだやかな低い声をいつまでもきいているのは、とてもよい気持だ。私はもうちょっと、彼女に喋らせたかった。
「オリヴィア?」
「え?」
「何を――考えてる?」
「え……」
闇の中にも、夜目にもあざやかに、彼女の銀色の月のしずくのような髪がふわりとうかびあがっている。彼女は猫のように目を光らせて私を見上げた。そしてまたふっとまつげをふせた。
「もしも選ぶことができるのなら、私は愛を選ぶだろう。愛に時間を与えてほしい。愛にもう一度、チャンスを与えてほしい」
低く、彼女は口ずさんだ。歌のようにきこえた。
「何だ、それは?」
「『愛に時間を』――いまクロノポリスではやっている歌だわ。私、好きなの」
「ヒロ・何とやらか?」
「ヒロ・グレイス? 違うわ。これは、グレイ・マリアの歌。クロノポリス生まれの歌手」
「知らんな」
「クロノポリスで生まれたものは、みんな生まれながらに悲しみを背負っているわ。クロノポリスは悲しみの都市なのよ――白く清らかで美しく、みんな幸福で満足している――悲しみの都」
「――――?」
「何でもないの」
「オリヴィア」
私は足をとめた。びっくりしたようでもなく、オリヴィアが見上げる。
「ええ?」
「少し前に、云ったな、俺は。――俺をいつわるな。どんなつらくてもいい、真実をきかせてくれ。でないと許せない、と」
「ええ、云ったわ」
「覚えているか。お前はわかったと云った。誓う、と」
「ええ。そうよ」
「云ってくれ。お前は俺に、何かかくしているのか。何か俺に、正直でないことがあるのか」
「ないわ、何も。私、これだけのものだわ」
闇の中で、びっくりしたように、オリヴィアの目が大きく見張られた。
「どうして、そんなことを――?」
「いま、何だかよくわからないことを云っていたからだ。悲しみとは何のことだ」
「それは、クロノポリスの秘密よ、ブルー」
オリヴィアは云った。
「部外者にあかすことは許されてないわ。あなたにだってそういうことはあるでしょう、ブルー?」
「それは、ある。しかし――」
「しかし、なに?」
「それだけか、本当に」
「他に何があると思う? クロノポリスの市民でなくてはわからぬ悲しみ。幸福で美しくみちたりていることの悲しみ。それだって、悲しみであることには、何のちがいもないのよ」
「何だか、よくわからんことをいう女だ」
「そうかしら」
「まあ、いい。いまのをもう一度うたってみてくれるか」
「『愛に時間を』――?」
「ああ」
「歌、好き?」
「きくのは嫌いじゃない。俺には――歌うことができん。歌えるものを見るとふしぎな気がする。小鳥を見てるような気が」
「…………」
オリヴィアは低くうたった。それはゆるやかに闇に流れていった。ポートにつくまで、彼女はそれをうたってくれた。グレイ・マリアの『愛に時間を』――
「ついたわ」
ポートについたとき、オリヴィアはうたいやめ、そして云った。明るいところに戻ってきたのに、さっきより、彼女は何だかずっと闇につつまれて見えた。
「帰るわ」
「ああ」
「まだ、いてね。クロノポリスに」
「ああ」
「また、会ってくれる?」
「もちろん」
「キスして、ブルー」
私は彼女をひきよせてキスした。誰か、ポートの職員にでも見られたら、まずいことでもありはせぬか、と私の方が気にしたが、オリヴィアの方はまったく何も心にかけておらぬようだった。
「あしたの朝、何時におきている?」
「俺には別に起きるも寝るも関係ないからな」
「じゃ、一〇・AMくらいに、連絡していい?」
「ああ」
「明日はオフじゃないけど――夜できれば、食事くらいしたいわ」
「いいように」
「ブルー、楽しかった、今日一日」
「…………」
「思いがけないこともあったけれど、すてきだった。――ブルー」
まるで、何か小さい子どもがまばたきをして涙のこぼれおちるのを我慢しているとでもいった、妙にがんぜない表情で、オリヴィアは少し私を見た。それから、淡々とした声で云った。
「私たちの幸せな休日は終ってしまったわね」
「また、つくればいい。お前がそう望むのなら」
オリヴィアはすきとおるようにほほえんだ。そしてもう一回私にキスをせがむと、かるく手をふって自分のボートに戻るためにチューブ・ターミナルの方へ戻っていった。何だか急にがっくりと疲れて、年さえもとったように見えた。
2
夢に時を――愛に、チャンスを……
オリヴィアの低い、けだるい歌声が、一晩中、私の夢――薬のもたらす、かりそめの眠りの――の中で鳴っていたような気がする。
目ざめたのは、灰色の夜明けだった。珍しい雨がふっていた。クロノポリスの雨だ。
私は出発申請をキャンセルし、ナーダによこ目で見られながらクロノポリス空港へ戻り、またホテルにチェックインしたのだった。スペースポート・ホテルだ。しかしむろん、〈ナディア〉にデータをのこし、彼女が連絡をとれるようにしておいた。
「ナーダ」
泊りに〈ナディア〉を出るまえにきいてみたものだ。
「グレイ・マリアってのを知ってるか。歌手だ」
「さあ――だとするとわりと最近じゃないかしら。よく、わかりません、ボス」
「お前も、ずっとこのところ外まわりだったからな。――ひまなとき、データバンクで調べといてくれ。グレイ・マリア、歌手。『愛に時間を』という歌がはやってるそうだ」
「その歌も入手しときましょうか?」
「いや――いや、そうだな。頼む」
ナーダはこの二、三日ばかりの私の気狂い沙汰について、どう思っているのだろう。私はどうにも、きく勇気が生まれてこなかった。
ひと晩中、私の耳の中で鳴っていた声は――歌は……
一〇・AM時に、ホテルの管制フロントが、ヴィジフォーンが入っているとコールしてきた。〈ナディア〉からの転送だろう。
「ブルー?」
「お早う」
「よく、眠れた?」
「――ああ」
いろいろ説明してみたところでしかたがない。私はそういうにとどめておいた。どのみち、本質的な問題ではない。
「そっちは?」
「あまりよく眠れなかったわ。一晩中目の前にいろんなものが踊っているの。死体だの」
云って、あわててふり払うように首をふる、そのしぐさがかわいらしい。
「あなたの目とか――云ったこととか」
背景は朝のさわやかなクロノポリスの、清潔そうな一室だった。眠れなかったにせよ、どこにもその痕跡はなかった。きょうはオリヴィアはさわやかなトルコ・ブルーのふわりとしたチュニックを着て、髪をかるくまとめていて、それがとてもすがすがしく見えた。私はもともと、女が何を着ていようと、どういう髪かたちをしていようと、まるきり気にしたことなどないのだが、オリヴィアに関しては妙に目についてしまう。どうしてだろう、と考えていたが、どうやらこれは、彼女がとてもたくさんの顔[#「顔」に傍点]をもっていることとかかわりがあるようだった。髪をおろすか、ターバンにしまっているか、結っているかで彼女はほとんど別人かと思うくらいに印象がかわったし、身につける服によってもまるきりかわってくる。女王のように、少女のように、知的に、コケットリイに、幼げに――あらゆる女に彼女は見えた。あらゆる女の要素をもっているように思えた。
けさはほんとうにさわやかで、賢い少女のようで、すてきだった。こんなことをいうのは柄でもなかったが、やはりそう思った。
彼女は何となくはにかんでいるようだ。それがかわいらしい。私の方を、あまりまっすぐに見ずに、何となくしおらしく伏目がちにしている。
「ねえ――」
「え?」
「あの……」
少しためらってからいきなり彼女は小首をかしげ、思いきったように云った。
「まだ、私のことを、好き――?」
「何を云っている」
「だって……」
「一晩たったくらいで変わるようないいかげんな気持はないさ」
「だって、ブルーは――」
「何だ」
「甘いことをいってくれるっていうタイプではないし――心配になるのよ」
「ばかな。心配することなどないさ」
「まだ、クロノポリスにいる?」
「いてくれという間は。休暇のおわるまでは」
「きのう、退屈したんじゃない?」
「いや、全然」
「休暇がおわったら――?」
「センターへ出頭して、新たな任務をうけて出てゆくことになるだろうな」
「辺境へ――?」
「たぶん、辺境へ。いま、戦争をやっているのはボーダーエリアだけだから」
「その任務が、たとえば――たとえばよ、クロノポリスの反乱を鎮圧することだったとしたら――どうするの、あなた?」
「する。任務だ」
「私が――私が反乱軍だったら」
「さあ。わからない」
「反乱軍は――殺すのでしょ?」
「リーダーがいて、それがいるかぎりおさまらぬようならね」
「それが――私だったら?」
「そのとき考えるさ」
「ずるいわ」
「悪いか?」
「だって」
「仮定の話で人を試すなんてよくないことだ。そう思わないか。起ってみるまではどうなるかなどわからん。それに――」
「え」
「こんな話をこんなオープンの回線でしていていいのか。不用心だな」
「平気よ。クロノポリスでは、云うだけなら、どんなすごいことでもゆるされるんですもの」
「誰かが信じて、密告したら?」
「そのとき考えるわ」
「真似したな」
私は苦笑した。オリヴィアはじっと私を見つめた。
「今夜、どこで、会える?」
「どこでも」
「また、あの店にゆきましょうか」
「ケンタウロスか。べつだんどこでもいい。あそこでわるい理由もあるわけもない。別に特に面白くもないが。他に知らんし」
「私のへやへ来る?」
「どちらでも」
「どちらでも、なの?」
「俺にとっては。君にとってはそうじゃないだろう。SSと自室で会っていた、などとうわさがたって、困るようだったら、どこでも君の指定したところでいい」
「うわさなんて、たってもちっとも困らないし、そんなもの立たないわ。きょうは、じゃ、私のへやをみせてあげるわね」
「…………」
「いや? 迷惑?」
「別にそんなことは云ってない」
「私って、強引で、我儘で、しつこくて、イヤな女だと思う?」
「いや、別に」
「でもそうなのよ。その全部なの」
くすくすとオリヴィアは笑った。
「あなたの休暇が一年なくてよかった。一年、私につきまとわれていたら、きっとあなたは音を上げるわよ」
「音など上げんさ」
「上げたこと、ないの」
「たいていはね」
「何か、食べるものを用意しておくのなんて、無意味?」
「ソルジャーは何をたべるのか、という意味なら、まあ、無意味かもしれん。俺は、脳とボディと別に栄養液で補給するんだ。――といって、レストランへつれてゆかれたりすりゃ、礼儀上、たべたり飲んだりすることはできるが」
「意味ないの」
「ほとんどね。食う方はことに。飲む方は、脳に作用するから、まるきりムダというわけでもない」
「ふしぎね、あなたの体って」
「たしかに。まだ、これほど進んではいても、サイバネティックス工学も、完成というわけじゃないからな」
「やはり、どうしても、必要だったのでしょうね。サイボーグが。宇宙開拓時代には」
「ああ」
「今日は、何をしているの?」
「別にすることもない」
「もっと早く会いたいけど――一八・PMでないとダメなの」
「いいさ」
「スペースポート・ホテルにいるのでしょう? 迎えにゆくわね」
「どっちでもいいが」
「待っていてね」
「ああ」
「じゃ、私、行ってくるわ」
「ああ」
コンタクトが切れた。
何となく、彼女らしい、と私は思っていた。さあっとコンタクトしてきて、云いたいことだけいって、さっと切ってしまう。――風のようにつかみどころがなく、小鳥のようにふわりとしている。
彼女は、どういう人間なのだろう。私は、そこにすわったまま、しばらく、彼女のことを考えていた。
今日はどうして――何をして一日のたつのを見送っていたらいいのだろう。とても長い、何もすることも予定もない一日。もっとも、夜、そうして予定ができただけでもいい。本来は、休暇の間じゅう、ずっとそうだったはずだ。それに正直のところ、それほどデリケートなタイプなわけでもなかった。
私はもう一回ベッドに身をよこたえ、何をするでも、何を考えるでもなくじっとしていた。そうやって待機して時を見送るのは、ソルジャーの得意技のひとつかもしれない。戦いのときというのは、そうした時間がとても多いからだ。
一体、どのくらいたったのだろう。無念無想の中でさまよっていた私はまた、はっと我にかえった。
ヴィジフォーンのコールが鳴っている。
私は通話スイッチをオンにした。フロントからだった。私あてに通話が入っているという。
クロノポリスにオリヴィアの他に知人の心あたりはなかった。せいぜいあのトニ・アロウ殿下くらいだが、彼に、何か、私に用があるとは考えられない。
が――
ともかく受ける、と答えて、私はヴィジフォーンのスクリーンが明るくなるのを見守った。その上にあらわれてきたのはまさしく、トニ・アロウの、美しい、しかし私には蛇のように虫が好かなく見える顔だった。
「彼女は?」
いきなり、何の前おきもなく彼はどなった。いくぶん焦っているらしい。
「彼女とは、誰のことだ?」
「つまらん手間をとらせるな、ソルジャー。わかっているんだろうっ」
「オリヴィアか?」
「他にいるか。どこにいる、彼女は」
「知らない」
「そこにいるんだろう!」
「何をばかな」
「ばかなだと」
トニ・アロウの彫像のようにととのった顔にさっと青筋が走る。よほど怒りっぽいか、それともよほど私を嫌いな男だ。両方か。
「口に気をつけろ、サイボーグ。それに、私の命令にさからったな。早く、出てゆけ、クロノポリスから立ち去れ、と云っておいたはずだ。何故またここへ舞い戻ってきた」
「…………」
「返事をしろ」
そう云われても答えようがない。私はしかし、そうどなっているトニ・アロウの顔をつくづくと眺めながら、一種の感心にとらわれていた。
一般にオリヴィアのいうとおり、クロノポリスに限らず管理された市民階級というものは、基本的にバランスのとれた人格をもつようになっている。互いにあまりにぶつかりあう要素が多いと、市民社会から排除されてしまうし、そのように不適応な人間はたいていソルジャーやパイオニアに志願したり、何か規格はずれのことをしでかしてサイボーグ手術に処せられてそうなったりして自ら結果的に一般社会からはずれてゆく。それで、結局どんどん淘汰がすすんで、市民たちには不適応因子がどんどん少なくなってゆく。おだやかで礼儀正しくて、オリヴィアたちがあのような反乱計画をたてるほどにも攻撃性や自主性、積極性というものを欠いた人々――それが銀河市民の典型なのだ。
よかれあしかれ、オリヴィアにせよこのトニ・アロウにせよそういう意味では、管理委員会のいう「逸脱者」であることはたしかであった。そうした資質が先祖帰りのように偶々《たまたま》よみがえったから、クーデター計画のリーダーになるくらい特別なキャラクターになったのか、ごくごく選ばれたエリートであるので、キャラクターの中にそうした因子が混入されることが許されたのか、そのへんは私には、まったくわからない。しかし、オリヴィアもトニも、たぶんクロノポリスでごくまれなタイプであるのはたしかだった。
しかし、もとに、本題に戻らねばならない――トニ・アロウの怒りは、市民たちにとってはたいへん恐しかったろうが、むろんソルジャーの私にとってはまったくどうということもなかった。が、私は、いくつか気になることがあった――いちばん気にかかったのはむろんオリヴィアのことだった。きのう、あんなことのあったばかりだけに、襲撃のこころみが、再々くりかえされる、ということは予期してもよかったのだ。
「オリヴィアはいないのか?」
私は反問した。
「連絡がとれないのか? いつから、居場所が知れない? 心あたりは?」
「僕の云ったことに答えないつもりか?」
「それよりオリヴィアが心配ではないのか、執政官」
いたいところをつかれたらしく、トニ・アロウはむっとおし黙った。それからいかにも少しの妥協にも狎《な》れておらぬ人間らしく、くやしげに云った。
「けさからずっといないんだ。いや、ゆうべから、戻ってないのかもしれない。きのうはオフで、フリー・エリアにゆく、といって出たっきり、そのままだ。何回もコールを入れてみたが、伝言もない。彼女のゆきそうな心あたりはすべてさがしたし、プライヴェート・セクレタリも何も知らないといってパニックにおちいっている」
「きのうは、フリー・エリアで俺と一緒にいて、夜、ポリスへ帰った。けさも、一〇・AMにコールが入り、まったくかわったようすがなかった。一八・PMに会うという約束をしている。コールのときの背景は、一見して自分のへやのようにみえたが、これはわからない。一八・PMにあらわれなければ――」
そうしたら、いよいよ、オリヴィアの身に変事がおこったのだ。
私はかなりつよい胸さわぎを感じた。ゆうべの襲撃のことを考えれば、断わられてもちゃんと一晩ガードしてやるべきだったかもしれない。オリヴィアには、いかにキャラクターには市民から遠い果敢さがあるといっても、肉体的に戦いの資質はまるでないのだ。どうして、ついていてやらなかったのだろう。私は悔いた。
「お前とフリー・エリアにいたことは、あるていど予期してた」
トニ・アロウは、懸命に怒りをおさえているようなようすだった。
「むろんとても不愉快だが、あったことはしかたない。僕は自分の感情のために、理性的な判断をくもらされたりはせん。ということは、けさ一〇・AMまでの無事は確認されてるというわけだな。しかしそれは自室からじゃない。僕が一〇・AMにコールを入れたときは、応答がなかったんだ」
「では、自室に戻ってないというわけか」
「ああ。しかし妙だ」
「ホテルでも、とったのかな」
「しかしそんなことをする理由などないのに――あと、きのうは何もかわったことはなかったんだな」
私は、きのうの襲撃のてんまつについて、かいつまんでトニ・アロウに説明し、必要とあればデータをすべて執政部のコンピュータに送ると云った。
「フリー・エリアで、何か異変が発見された、などという報告は一切うけてない。それに、市民本部でも、そんな多人数の人間が行方不明だ、なんてことは、まったくきいてない」
トニ・アロウは考えこむ表情になった。それからきびきびと云った。私は少しだけ、この美男の執政官どのを見直してやる気になった――少くともたしかに、ただのばかものではない。やはりポリスきってのやりての執政官なのだ。
「オーケイ、そのデータをこっちのブレインに送ってくれ、リストのスキャンニングをしてみる。しかしムダだろうとは思うがね――クロノポリスの管理体制は二重構造をとっているからな。お前も知っている例のいかがわしい地区では、いわばクロノポリスの柔構造の部分として、けっこういろいろなことが大っぴらにおこなわれているからな」
「たとえば?」
「いろいろとね」
トニは口をにごした。
「誘拐や暗殺のうけおい組織もか」
「可能性としてなくはない」
「オリヴィアは、この都市では過去何世紀にもわたって、重大犯罪はまったくおこってない、といっていたが」
「そりゃ、たてまえとしてはな。しかし、人間が何億もあつまって生きているんだ。いかにきびしく管理をゆきとどかせたって、そりゃあすべて素通しガラスのようにはゆきっこないさ」
トニはふいにことばを切り、神経質そうに眉をふるわせた。自分としたことが、ついうっかりと気をゆるして、いやしいサイボーグ・ソルジャーふぜいと親しげな口をきいてしまった、とむっとしたらしいことが、手にとるようにわかった。
「よし、わかった、もういい。そこに絶対オリヴィアはいないし、行方も知らぬ、しかし一八・PMには会うはずだ、というんだな。そこへくるのか」
「一応そういう約束になっている」
「ということは、あと少し待てば消息が知れるわけだ。よーし、もういい、ブルー中佐。用はすんだ――どのみちうそかどうかなど、調べればすぐわかるからな。では、もう行っていい」
「何だと」
「これ以上クロノポリスに滞在する必要はあるまい。至急、退去してもらおう。このまえちゃんと通達してあるはずだ。オフィシャルにな」
「あれが、オフィシャルな退去命令だというのか。理由は」
[#挿絵(img/01_181.png)入る]
「退去命令、とはいってない。退去勧告、だな。理由――そんなものは、どうとでもつけられる。必要とあればあとで正式な書式をととのえて、お前の棺桶あてに送ってやる」
「退去する理由がない。クロノポリスでの一ケ月の休暇は、サイボーグ管理局からポリスへ申請して許可をもらってある」
「その許可はとりけすさ。これ以上クロノポリスにいてもらうと迷惑なんだ。オリヴィアのためにもならない。正式の書類がどうしても必要か? ならすぐに作るぞ」
「退去はしない。する理由がない。サイボーグ・ソルジャーといえども銀河市民だ」
私は云った。トニ・アロウと私は、スクリーンをへだててまっこうからにらみあった。
「立ち去れ、ソルジャー。もう一回は云わん。すぐ退去しろ」
「いやだ」
「何故」
「なぜ退去しろという?」
「お前にいてほしくないからだ」
「あいにくだが――」
怒りがつきあげた。私は云った。
「トニ・アロウ執政官は別にクロノポリス市長というわけじゃない、彼の命令をきく必要はない――そう、オリヴィアが云っていた」
「オリヴィアがそういったのか[#「オリヴィアがそういったのか」に傍点]?」
トニ・アロウはきいた。
そしていきなり彼は顔をのけぞらせて、スクリーンの向こうでかなりわざとらしく笑いはじめたのだった。
3
「何がおかしい」
私はきいた。トニ・アロウは答えなかった。いっそうわざとらしくのどをのけぞらせて、耳ざわりな笑い声をたてた。
「何がおかしい?」
もう一回私はきいた。その中にはらんだ怒りを、ようやく感じとったかのように、やっとトニ・アロウは笑うのをやめた。
「何がおかしい、だと」
ばかにしたようにいう。再び、私を苛々《いらいら》させるためにだけ、笑いはじめそうだったので私はするどくさえぎった。
「もういいかげんにしてくれ。オリヴィアが行方不明で、心配して時間がないのは、そっちの方じゃなかったのか」
「たしかにね」
トニは笑おうとつりあげていたくちびるをゆがめ、ふんという顔になった。
「まあいい。お前もばかなやつだということがわかったし、これでいいことにしておくさ。お前がクロノポリスから出てゆきさえすれば、すべては水に流してやる。もう二度と会うこともないだろうし――お前の方も望まないだろうしな。今夜半まで、猶予をやろう。そのあとは好きなところへいって、好きなことをしているがいいさ。我々には、関係ない」
「あんたの云うことは、さっぱりわからない。そのばかなやつ呼ばわりはどういう意味だ。なぜ、俺が、すべてを水に流してもらわねばならんのだ。わけがわからん。あんたたちはもとより何のかかわりもなく休暇にやってきていた俺を、一方的に巻きこんだ――何にかは知らんが、それで水に流すだのというその云いぐさは一体何なんだ」
「知らずにおいた方が幸せということも、あるんじゃないのか、ソルジャー?」
何ともいえぬいやな云い方だった。そして、私をねばっこく見つめたその目つきも。
「知らぬことは、そんな判断だって下しようがない」
「その通りだ。ブリキのかたまりではあるが、お前には知性らしきものが、まったくない、とは僕は云わん。そいつを大切にすることだな。では、早いところ、ポリスから出てゆけよ。グッド・ラック」
グッド・ラック――本来は、ひとに向ける共感と親愛のことばであるはずのことばを、この男は、なんとすさまじくいやみったらしく憎々しく、毒々しくつかうことができるのだろう。
「云っておかんと、フェアでないと思うので云うが、トニ・アロウ執政官」
私はしずかに云った。
「せっかくグッド・ラックで送ってもらったが、俺は予定どおり休暇の間、このクロノポリスにとどまるつもりなのだ。それは云っておこう。むろんあんたには二度と会うことはないから心配はいらない。それはこっちとしてもご免こうむりたい。では、グッド[#「グッド」に傍点]・ラック[#「ラック」に傍点]」
私はヴィジフォーンのコール・ボタンに手をのばした。
「待て」
するどくトニ・アロウが言った。
「これだけ忠告しても逆らうつもりか? どうしてだ。一体、オリヴィアに――」
のどにその名がひっかかったようなせきばらい。
「オリヴィアに何を吹きこまれた。そそのかされた――?」
「…………」
「オリヴィアはきさまに何を、どこまで云ったんだ?」
私は黙っていた。トニ・アロウは私の沈黙に、私の皮肉よりもいっそう苛立ちと怒りをあおりたてられたらしく、ぎりぎりと歯をかみ鳴らした。市民がこんな荒っぽい感情表現をするところを、私ははじめて見た。
「はじめから、僕はきさまが気にくわなかった。たった一目、見たときからな」
彼は荒々しく云った。
「それはこちらもご同様だ、執政官どの」
「よく云われるが――そんなことが現実にあるなど、信じていなかった。きさまに会うまではな。生まれながらに仇敵どうしで、そいつの何もかも、顔つき、しゃべりかた、息づかいまでも気にくわず、どんなことがあろうとどんな理由があろうと死んでも手を組んだりなどできない、という、それほど憎む人間が存在する、などということは。僕は、きさまが嫌いだ、死ぬほど嫌いだ。その存在そのものが我慢できんくらい嫌いだ。この世からあとかたもなく抹殺してやりたい。こんなあいてにめぐりあったのは、生まれてはじめてだ。早く出てゆけ。そうしてきさまがクロノポリスから何万光年もはなれたところへ去り、どうせおそかれ早かれどこかでくたばる、そう思っていることによってだけ、少しは僕の気もおさまる。だがこれ以上目の前にいるのなら、僕は――僕はすべてを投げうち、自分の生命とひきかえにしてでも、きさまを抹殺したい、そうせぬうちは、僕は安んじて生きてゆくことができない、そう思ってしまいそうだ」
彼の顔は青ざめ、スクリーンをとおしてさえわかるほど、優雅な白い執政官のトーガにつつんだほっそりときゃしゃなからだは激しくふるえていた。私はひそかに驚嘆の念にうたれていた。たしかにこれはなみの人間ではない――私が市民たちにとって殺人鬼の怪物であるのと同じぐらい、たしかに、彼も一種傑出した存在であることは、まちがいない。これほどにひとをにくいと思い、激烈に嫌悪し、否定することができるものか――むしろもう、腹が立ったりする段階は通りこして、ある種の小気味よささえあった。オリヴィアの、あのようにストレートにためらわず私の信頼をもとめてきた愛と、この青年のにくしみとは、むしろ、精神的には双生児といってよかった――その激しさと性急さと、そしてほとばしるすさまじさにおいて。私はついぞこんなふうに愛もにくしみも、ひとにむかってあからさまにほとばしらせ、注ぎかけたことはなかった。それはむしろ、ある種|羨望《せんぼう》に似たものをも私にひきおこした。羨望と――乱舞する炎の感嘆を。この青年の憎しみは、たしかに美しくさえあった。それはたぶん、それが私のもっとも価値とするもの――真実の感情であったからだろう。私の方もトニ・アロウを嫌いで、どうにも気にくわないのは事実だったが、それと、その感嘆とはまた別の問題だった。
といって、それほどまでに憎まれたところで、私にどうするすべがあったろう。
私は黙っていた。トニ・アロウは目をとじ数回深く息を吸いこんだ。そうやって、少し気をしずめることに成功したらしい。ゆっくりと目をあげたとき、彼の目には、いくらかのおちつきと、いつもの冷やかな皮肉なさげすみとが戻っていた。
「オリヴィアが、何をどこまで話したかは知らないが、それで僕たちに対していのちとりになることを握った、などと思わぬことだな」
トニ・アロウはまた、もとの底意地のわるい口調に戻ってつけつけと云った。
「われわれはそこまで馬鹿じゃない。何ひとつ、物的な証拠はのこしてないし、可能性としてよりよいシステムを求めることは、中央政府がつねにスローガンとして云っていることだ。お前は何も知りやしない。お前がこうと申し出たところで、そんなものは何の役にも立たない。つまらぬ気をおこすな」
「こっちの云ってもいないことを、いろいろせんさくされるのは好きじゃない。それに俺は、べつだん政府のイヌじゃない。スパイのためにクロノポリスへ来たんでもない。俺は休暇中で、原則的にはいまは政府と関係ないわけだし、それに俺は、ソルジャーだ、何回もあんたのいうとおり。戦うのが仕事だ。あんたらが敵だ、とセンターから命じられるまでは、何を見ききしても関係はもたない」
「ばかに、ものわかりがいいじゃないか、ブルー中佐。そのでん[#「でん」に傍点]で、早く出ていけよ。それですべて一件落着だ。あとを追ってフリーソルジャーの刺客を口封じにさしむけるとまでは云わん」
「それについては同じことを何回もくりかえす気はない、とだけ云っておく」
「出ていかない、というのか?」
「ああ」
「なぜだ[#「なぜだ」に傍点]?」
悲鳴に近いひびき。
トニ・アロウの目は、異様に見ひらかれ、白目がぐるりとあらわれ、凄まじい形相になっていた。ただごとならぬその顔つきが私をおどろかせた。
「なぜだ[#「なぜだ」に傍点]――?」
こんどは、ほとんど、哀願に近いひびき。
「云え。なぜ、出ていかないんだ。なんで、クロノポリスにとどまる、一体ここに、何の用がある。オリヴィアはお前に、何を云ったんだ」
「何も」
私は口重く云った。
「嘘つけ!」
「あんたたちの計画とかについては、たしかに、云って問題になるようなことは何も云ってない、心配するな」
「そうじゃない[#「そうじゃない」に傍点]」
また悲鳴に近い声。
「そうじゃない[#「そうじゃない」に傍点]。――オリヴィアは……」
「彼女を、愛しているのか」
私はふっと、あわれみに似たものにつきあげられてきいた。きゃしゃな両手をもみしぼっているトニ・アロウが何となく、必死になっている幼いがんぜない子どものようにみえたのだ。
「愛だって」
トニ・アロウは、気ちがいじみた目つきで私を見、くりかえした。
「愛だって。ソルジャーの口から、そんなことばをきくと思わなかった」
「我々はマシンだから、そんなものは知らないだろうと?――たしかに、外見は、ひととあまりにかけはなれているし、脳以外のところはつくりものだ。知らぬあいてから、そう思われても、やむをえないかもしれないが――しかしわれわれサイボーグ・ソルジャーだって人間の心をもっている。愛も、にくしみも、感じるし、理解できる」
「人間の心だって。ソルジャーに、人間の心だって」
「まるきり、ないと思うか?」
「あるものか」
ふいに、トニ・アロウは、すさまじいにくしみをこめて私をにらみすえた。
「僕の――僕のもっとも尊敬していたある人は、ソルジャーに惨殺された。まるで、機械のスイッチでも切るように――僕の目の前で。殺すことはなかったのに。ソルジャーに人の心があるなど、信じない」
「信じてくれ、とは云わん」
私は深い徒労感にとらわれた。任務やサイコ・ブロックについて、この憎しみとうらみとたぶん嫉妬にこりかたまった若者に説明する気にもならなかった。
「それに、心配するな。俺は、もうすぐ出てゆく。どのみち、どう云われたところで、はじめから、そうする以外あるわけはなかった。オリヴィアと俺とでは、まるきり生きている世界が違うのだ。たとえ、愛している、といわれたところで、その思いが真実であったところで、だからといって何かが生まれるわけじゃない。一瞬、二つの軌道が交叉してまた無限にとおざかってゆくように、一瞬ふれあっただけ――それだけのことだ。どうせ近々出てゆく、もうクロノポリスへくることもない。心配しないでくれ、トニ・アロウ」
「オリヴィアが――」
トニ・アロウはきいていなかった。息でも苦しいかのようにのどをおさえた。
「オリヴィアが、お前を――愛している[#「愛している」に傍点]と云ったのか……?」
「…………」
「嘘だ」
「物珍しいだけだ。すぐ忘れる」
「オリヴィアが――お前を?」
「…………」
「ブルー」
はじめて――
トニ・アロウは、ばかにしたようにソルジャー、とでもブルー中佐、とでもなく、ちゃんと私の名を呼んだ。
「それを、信じてるのか」
「信じてくれ、とオリヴィアは云った。自分には何一つ嘘はない。私の心が欲しい、と」
「信じているのか?」
「ああ」
ゆっくりと――
きわめてゆっくりと、トニ・アロウの顔つきはかわって来つつあった。
それまでの切羽つまった、追いつめられた狂おしい表情が消え、かわって、蛇のような、何かぞっとするほどイヤなものが忍びこんで来ていた。いつもの彼のそういうところを、さらにグロテスクに誇張したような、残忍で、酷薄で、サディスティックな表情。
「哀れなやつだな、お前は――ソルジャー」
彼は、舌なめずりするかのように云った。私は黙っていた。
「やっとわかったよ――それを信じていたのか。それで[#「それで」に傍点]、クロノポリスから出てゆけといくら云っても、いやだとがんばっているというわけだ――すっかり、カンちがいしていたな。……秘密だの、陰謀だの、まったく関係なく――なんと、女[#「女」に傍点]のためだった、ってわけだ。愛してるから、行かないでくれ、そうあの女にせがまれて、鼻の下をのばしてるってわけだな。もう――」
トニ・アロウはちょっとためらった。それから、何となく、むりに下卑た笑いをうかべたような感じで云った。
「もう、抱いたのか?」
「答える必要はあるまい」
「ソルジャーのうわさは僕もきいてるからな。――ふん」
かなり腹を立ててはいたが、しかし私には、彼が無理していることはわかった。嫌な男ではあるが、本来|陋劣《ろうれつ》な人間とは見えなかった。
「哀れな奴だ、お前も」
ゆっくりと彼はくりかえした。私がなぜだと反間するのを待っているように。私が黙っていると、苛立ったように手を振った。
「信じてるのか。本気にしてるのか、そんなことばを。――ちょっと、ソルジャーがうわさどおりのものなのかと、興味をもっただけだ、とは思わないのか、淫乱なアリスト女が?」
「…………」
「急に、何も喋らなくなったな。少しは、そう疑っていたんだろう」
「そうじゃない。それは、俺にとって、問題じゃないというだけだ。どこまで信じるかは、俺自身の問題だ。さっきも云ったように俺はまもなくクロノポリスを去る。たぶんオリヴィアとも、二度と会わぬだろう。それでいい」
「…………」
トニ・アロウは、奇妙な目つきで私を見た。
実に奇妙な目つきだった。そして、しばらく、彼は黙りこんでいた。私も黙っていた。それでいてどちらも、フォーンを切る気はなかった。
奇妙な不安な数十秒――まるで、とおいボーダー・エリアで、岩のかたまりみたいな星の上で、じっとすべての気配をとぎすまして、エーリアンの襲撃を待ちうけているかのようだ。うしろから来るか、前からか、どのようにおそいかかってくるか――ありもしないうなじの毛がちりちりとさかだって、全身の皮膚がうすくなってゆくような気がする。生か死か、二つに一つを待って、人工心臓がバイオ・マッスルの中で、どくん、どくん、とふるえ、高鳴りはじめる。それが激しくふるえては循環液を体中に送り出すさまがありありと目にうかぶ。
「オリヴィアが――」
しずかな声――ひとを、本当に傷つけようと、それとも殺そうとねがうとき、人は、どうして、むしろ静かになるのだろう。
「オリヴィアは何といったんだ、お前に?――自分の何を信じてくれと?」
「何もかくしてはいない、これだけのものだ――愛している、と」
「オリヴィアは何といった? 自分は、何だ、と云った?」
「…………」
「お前はオリヴィアの何を知ってるんだ?」
私は黙っていた。私が何を知っていただろう。クロノポリスへやってきて、まだ、会ったのだって三、四回にしかすぎない。私の知っているのはただ、彼女の云ったこと、自分について並べたてたことば、彼女が月光色の髪と星のような目をもっていること、彼女がグレイ・マリアの歌を好きだといったこと、そして彼女が私を愛している――信じてほしい、と云ったこと――
だから、私は信じた。何を、ではなく、信じてくれといわれたこと、自分にはいつわりはないと云ったことを、それを、信じたのだ。
「彼女が[#「彼女が」に傍点]、クロノポリスの[#「クロノポリスの」に傍点]最高執政官《アウグスタ》だ[#「だ」に傍点]、ということを知ってたろうね[#「ということを知ってたろうね」に傍点]?」
トニ・アロウの猫なで声が、大気圏の向うからとおくひびいてくる。
「彼女がクロノポリス市長そのひとだ[#「彼女がクロノポリス市長そのひとだ」に傍点]、ということも[#「ということも」に傍点]? 彼女が僕の妻だ[#「彼女が僕の妻だ」に傍点]、ということも[#「ということも」に傍点]――?」
オリヴィア・ファーンズワース・ハート――年令は一応二十五歳、前市長の娘で、五つの汎銀河博士号をもち、結婚歴はなし、ステディ・パースンは……
彼女が本当は何者か[#「彼女が本当は何者か」に傍点]、そんなことはどうでもよかった[#「そんなことはどうでもよかった」に傍点]。本当に[#「本当に」に傍点]、どうでもよかったのだ[#「どうでもよかったのだ」に傍点]。
(前に云ったな。俺は――俺をいつわるな、どんなつらくてもいい、真実をきかせてくれ、でないと許せない、と)
(覚えているか。お前はわかったと云った。誓う、と)
(云ってくれ。お前は俺に、何かかくしているのか。何か俺に、正直でないことがあるのか)
(ないわ。何も。ないわ、ないわ、ないわ、ないわ、ないわ)
私の肩にとんできて、ひょいととまった小鳥、銀色の髪と輝く瞳、女王のようで、少女のようで、あどけなく、威厳にみち、たよりなく、堂々として、きゃしゃで、あでやかで、無邪気で――
(お願い、急いでね、ブルー――時間がもう、あまりのこされてないのだから)
(愛に時を――愛にチャンスを)
(もし選ぶことができるなら、私は愛を選ぶだろう)
(ブルー)
(ブルー)
(ブルー――?)
私はしずかに、ヴィジフォーンのスイッチを切った。
何か云いかけたトニ・アロウの顔が、そのまま無の中にのまれた。すぐに、おりかえしのコール・サインが来たが、受信拒否のボタンをおして、ことわった。
(ブルー)
(まだ私のことを――好き?)
かるい足音がした。
私はふりかえった。
オリヴィアが、そこにひっそりと立っていた。
4
「ブルー」
大きな目が、じっと私を見つめている。私は黙ってベッドにこしかけた。
「どうしたか――どこから入ってきたか、きかないの?」
どうでもいい――と、私はかるく肩をすくめてみせた。オリヴィアは両手を胸のところでにぎりしめた。
「私、このホテルにとまったの。あなたのそばにいたくて――わるいと思ったけれどいまのも、みんな傍受していたの」
「…………」
「ブルー、もう、私に、口をきいてはくれないことに決めたの?」
「いや。別に」
「いや、別に――ですって。ブルー……怒ってるの?」
「別に怒っちゃいない」
「うそ!」
オリヴィアは私のまえに来た。私を正面から、のぞきこんだ。
「あなたは怒ってる」
「別に怒ることはない。怒ってはいない」
「私の話を――きいてくれる?」
「…………」
好きにしろ――とかるく肩をうごかす。オリヴィアはゆっくりと、ひざをつき、祈るように、両手をくみあわせた。
「私がクロノポリスの市長で――トニ・アロウの妻で――最高執政官だ、そうはじめに云ったら、ブルーは、私をそばによせつけてくれた?」
「それは、たぶん、よせつけはしなかったろうな。そんな偉い人と近づきになるのは、向いてない」
「他のことはすべてうそはついてないわ。何もかも。前市長の娘なのも経歴も、すべて本当よ。ステディがないといったのももうすぐ本当になるわ――トニとは、別居して二年になるの。もうじき契約期限が切れるし、更新はしない、ってことでは、私たち、意見が一致しているの。このあとは同志としてやってゆこうと。クーデター計画のことも本当よ。ただ現職市長がそれをたくらんでる、ということのほかは」
「…………」
「もう、私と口をきくのもイヤなの?」
悲しげな、わななくような声だった。
「私の顔など見たくもない?――いや、別に、っていわないで。私、死にたいほど、悲しくなるわ」
「…………」
「うそをついたことは、あやまるわ。でもしかたなかったの。それに、云いわけととられるかもしれないけど――私は自分として、私人のつもりだった。気持としては、うそのつもりじゃなかったのよ。私にとってはあなたといるとき、自分がクロノポリスの女市長だ、なんていう意識はまったくなかったのですもの」
「…………」
「ブルー。――私を、許してくれる……?」
私は目をあげ、オリヴィアを見た。美しいほっそりした顔、青ざめて、必死で、目をらんらんともやして。私はしずかに首を横にふった。
「許してくれないの?」
「ああ」
「どうして?」
オリヴィアはうたれたようにからだをふるわせた。
「それがどんなに重大なことなの? 私があなたをだました、といわれるほどに? いま云ったわ、あなたは、私がそうだときいたら、それだけで、私の近づくのを、ゆるしてはくれなかっただろう――と。私は、あなたに近づきたかった。どうしても、あなたの心を求めたかった。私があなたを愛してることには、一分の嘘もいつわりもないわ」
「そうかもしれない。いや、きっと、そうだろう」
私は云った。我ながらしわがれた、疲れた声にきこえた。
「それを疑ってるとは――云ってない」
「じゃあ、なぜ――私があなたに云わなかったこと――ほんとに重大じゃないことだわ、それにくらべて。私が何であろうと、あなたを愛してるのはほんとうだし、私が、結婚しているのはもうほんとうに形式上だけのもので、シティのものは誰も、私を既婚者とは考えてないのよ――誰にきいてもらってもいいわ。トニ・アロウと私とは、ずっと昔に結婚して、もう三年まえに事実上終ったの。ずっと一緒にくらしていないし、私にもトニにも、カップルだ、などという意識はないわ――むろん接触もないわ」
「そういう問題じゃない」
私は云った。
「そういった問題じゃないんだ。――わからないか」
「…………」
「いまさら、こんなことを、口にする気はないが」
のろのろと私は云った。どうにも舌に鉛でもつめこまれたかのように、舌がしびれて重かった。
「俺はあなたに話したと思う。俺にとって何が最も大切で、何が最も許せないか――どうしてそうであるのか、も。……何回か、云ったはずだ」
「いや、ブルー。どうしてあなた[#「あなた」に傍点]なんていうの。きのうのように、お前――といって。……やっぱり、怒ってるのね」
「怒るかどうかの問題じゃない。俺の、きのう云ったことは、みんな、素通りしてしまったのか?」
「覚えてるわ。忘れると思うの?」
「俺は、何と云った?」
「あなたにとって、一番大切なものは、真実だ――と。一番許せぬものは、偽りだ、と」
「なぜか、も云ったな」
「ええ。戦場で、それがいのちとりになることがあるからと」
「覚えてはいる、というわけだな」
「あなたのいうことを、忘れるわけはないわ。でも、ブルー、本当に、私はあなたをだましたわけじゃない。少しも、偽ったり、たばかったりしてないと思う。――ただ、云うに云えなかったことがある、という、それだけのことだわ。このちがいは、わかるはずだわ、あなたには」
「アリストクラートなら、そのように考えるかもしれない、ということはわかる。しかし俺はソルジャーだ。それも、何回も云ったはずだ」
「ええ――」
「あなたがわからぬふりをしてるのかどうかはわからん。しかし市長かどうか、アウグスタか、トニ・アロウと結婚してるか――そんなことは、俺には、どうでもいいのだ。ただ、ひとつだ。ただひとつ」
「…………」
「俺はあなたに、何かかくしてるか、ときいた。正直にいってくれ、嘘をつかないでくれ、と。あなたははっきりと明瞭に云った。何もかくしてない、と。あなたは云うべきだった。私には、俺に告げることのできぬことがいくつかある。それは、明かすことができないことだから、きかないでくれ――と」
「…………」
「俺にとってはクロノポリスはゆきずりの星にすぎん。だから、気が進む進まないは別として、市長であれ、神そのひとであったにせよ、俺には関係のないことだ。また、センターから命令が下されるまでは、クーデターも陰謀も俺の感知するところじゃない。トニ・アロウのことは、ましてあなたがプライヴェートに処理すべき問題だ。俺には気にかける理由がない。ただ、俺がはっきりときき、ダメをおし、それに対してあなたが、そう答えたという――それは、俺にとっては、明らかな背信行為なんだ。俺に信じてくれとあなたは云った。自分が信じることの意味も、俺は説明した。それをあなたはわかったと云った。それ以上、くどくど説明したくない。なぜ、信じろと云った? 云わなければ、俺にとっては、あなたがそういう人間だというだけの話だったはずだ。なぜ、俺の魂を要求した? 俺を、裏切るためか?」
「おお――ブルー」
オリヴィアはよろめいて身をおこし、片手をテーブルについて身を支え、もう一方の手で顔をおおった。
「おお――ブルー」
「誤解するな。責めているわけじゃない。ただ、なぜそんなことをした、ときいている。取り返しがつかない」
「取り返しは――つかないの?」
「つくと思うのか?」
「許してはくれないというの――?」
「許す、許さんという段階の問題じゃないんだ、俺にとっては、あまりにはっきりしすぎていて。どうして、そんなことをした、としか云えない」
「おお、ブルー――おお、ブルー」
「それに――」
私は力なく云った。
「なぜ、こんなところに来た。俺をそうして偽ったなら……そのまま、一八・PMに俺をすっぽかし、一生俺の前にあらわれなければ、それはそれでよかった。俺は、このままポートへ戻り、他の星区へ出発してゆくところだった――いや。やはり……そうしよう」
私は立ち上った。
「何といわれてもかまわん。俺はお前を――俺はお前を愛している。自分自身をあえて裏切ってもいい。俺は行く。もう二度と会わない。さよなら」
「どこへ――どこへゆくつもりなの?」
「どこかへ。空の向うへ」
「私を――おいて? 私のことはどうでもいいの?」
「いつも、思い出すさ」
やさしく私は云い、彼女の頬にそっと手をふれ、すぐはなした。
「俺の愛した女――そして俺のさげすんでいる女を。どいてくれ。俺はもう行く」
「ブルー!」
悲鳴に近い声とともに、オリヴィアは身を投げ出し、私の足もとにひざまづいて、私の足にすがりついた。
「私、本当に、あなたを愛してるのよ! それは、どうでもいいの?」
「どうでもよくはない。俺もお前を愛している。だから行くんだ。わからないのか」
「行かないで」
「ここにいても、何の用もない。ここにいて、お前の近くにいて、お前のことを何も感じずにいるのでは、いくらソルジャーでも可哀想だと、お前は思わないのか」
「何でもするわ、ブルー。だから一回だけ一回だけ許して。二度とこんなふうにはしない。この一回だけ」
「オリヴィア、ボーダー・エリアで爆弾やレーザー・ビームにあたるときには、この一回だけやり直すなんて、まるきり意味がないのだよ。そんなことはできないんだ。一回、何かあれば、すべておわり――二度なんてものはない。ただ一度かぎり」
「何でもする。あなたの気のすむように」
「そういうことじゃない。選ぶ自由はないんだ。俺にも、お前にも。気がすむ、すまないの話じゃない。起ったことは、起ったことだ。とりけすことは誰にもできない」
「でも愛は? 私の愛は?」
それは絶叫に近かった。
「だから――」
私はいくぶん、おもてを伏せた。自分自身に対して、自分の気弱さを、恥じていたのかもしれない。
「だから俺は、このまま行く、といってるんだ。わからないのか」
「わからないわ」
いきなり、オリヴィアのからだは、私にぶつかってきた。その腕が私の頭をひきよせ、その唇が私の唇にかさなった。私は、なされるがままになっていた。それからそっと、彼女をおしやった。
「どうして?」
オリヴィアは床にくずおれ、呻《うめ》くように云った。
「どうして行くなんていうの? どうして、自分の――自分の云ったとおりにしないの……そんなふうにさげすまれているくらいなら、あなたの云ったとおりにされた方が、どれだけかましだわ」
「俺が何故、このまま行くといっているか、俺がお前に何と云ったか、覚えてないのか」
「むろん覚えてるわ。だから云ってるんだわ。――俺を裏切ったら、殺す、とあなたは云ったじゃないの。私はあなたを裏切ったわ。はじめは、うかつにもそう思っていなかったけれど、あなたに云われてわかったわ。たしかにそれは裏切りだったんだわ。だから――だから、私を殺せばいい、ブルー。私を殺して。そして、私を許して。私はもう、あなたを二度と裏切らないから」
「自分が何を云ってるのかわかっているのか」
呆《あき》れて私は云った。彼女の目が燃え上った。
「もちろんだわ。死者は裏切らない、そうじゃないの? 殺して、ブルー、それがあなたに許してもらうための唯一の方法なら。それとも、手を汚すほどの値打も私に認めなくなってしまったというなら、ここで私が自分で死ねばいい? そうすれば、あなたは、私を許してくれる?」
「落着け、オリヴィア、そして、めったなことを云わんことだ。俺は市民じゃないんだぞ、そのことを、忘れてないか。俺はソルジャーだ。ソルジャーの倫理と感覚で生きている。そんなことを云われても、心をうごかしたりしない。しかも、俺にとって人一人殺すのがどんなにたやすいか、あなたはきのうちゃんと見たはずだ」
「じゃ、殺して。私、自殺するには市民だから勇気が足りないわ。なるべく早くおわるようにして、お願い。きのうみたいにあっけなく、夢のつづきに入るように。あまり、みにくい死体にならぬようにしてくれるわね。それに一つだけたのみがあるわ、ブルー。どうか、私が死んだらすぐ、クロノポリスを立ち去って。ずっと生きて。悪かったのは私なのだから、あなたがこの上辛いのはイヤなの。どうか生きていてね、ずっと。そして私のことを考えてもさげすまないで。ばかだったけれども、ちゃんと身をもってそのおろかしさの罪をあがなったと、そう――覚えていて」
「オリヴィア、どいてくれ」
「ブルー」
彼女はいきなり突っ立った。その全身から青白い、おもても向けられぬ炎がこっちへごうごうと吹きつけてくるような錯覚が、一瞬私をたじろがせた。
「私を愛していないの?」
「何度云わせる。愛している。だから殺さない。ソルジャーがこんなふうにふるまうのが、どれほどのことか、わからんのか!」
「私が口先やかりそめで生命を冗談のたねにしているとでも思うの!」
オリヴィアも叫び返してきた。こんなときではあったけれども、強い、抗《あらが》いがたい感嘆が私をつきぬけた――そうせざるをえなかった。何と激しい女だろう――なんと熾烈《しれつ》なのだろう――どうして恋せずにいられただろう? 彼女は本気だ――本気だった。私のすべての感覚がそれを告げていた。
「ブルー!」
いきなり――
オリヴィアは私の胸に身を投げこんできた。こんどは私はしっかりと抱きとめた。そしてつよく抱きしめた。オリヴィアはうめきもせずに、ソルジャーの抱擁をうけとめた。
「ブルー、愛している。だから、私を、殺して、そして、愛してくれるままでいて。私を生かしてくれて愛を殺すことなどしないで。それとも私は自分で罪を雪《そそ》ぐべきなの? そうしろというなら、恐いけど、するわ。でもあなたの手に抱かれて死ねればどんなに幸せか――ブルー……私わかるのよ。あなたがどんなに失望したか。私――とり戻したいの。何でもするわ。私の生命など――私の愛に比べれば何でもないわ――ブルー、いつか、きっと、あなたはクーデターの首領として私を殺すことになると思う、の。そのとき苦い思い出と共に殺すよりは、いますべてを終らせて。私、ずっと、いつ死んでもいいと思っていた。決して長く生きぬだろうと知っていた。――すべてはどうでもいい、大切なのは愛だけだわ。私は愛をとりかえすために死ぬわ。そしてあなたが生きのびてくれれば、あなたの中で私は永遠に生きる。そうでしょう?」
「本気なのか、オリヴィア? お前はクロノポリスの――」
「何であろうと何の関係があるの。イヤならそこの窓からとびおりるわ。私を、そんな汚らしいぐちゃぐちゃの死体にしたいの?」
「いや。――いやだ」
「私が生きてる限り――許してはくれないのでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、これしかないんだわ。抱いていて、ブルー、私が冷たくなるまで。そして私を許して。霊魂もよみがえりも信じない。私には現世の愛の方がたしかだわ。だから、私は――愛をとり戻したいの。ブルー……さよなら」
オリヴィアは目をとじて、私の腕に身をあずけてきた。私はためらった。
「どうしたの――?」
あどけない――そう云いたいくらいの声。
「早くして。長びくと怖いから――私のソルジャーさん……ソルジャー・ブルー。早く――一回だけ、キスしてね? さいごに一回だけ……」
私はじっと、彼女の顔を見つめていた。
もっとずっとささいなことで、何回私は人を殺しただろう。エーリアンにいたっては、文字どおり、うらみつらみなど何一つありはしなかった。ただ、しろと命じられていたから、殺した。いつも、私たちにとっては、人の生命などというのは、コンピュータのパワー・スイッチをOFFにするくらいの意味しかなかったのだ。いつでも、信義とか、真実は、私には、生命の何十倍も重大で、のっぴきならぬものだった。
だが――
「臆病者!」
彼女は、目を開いた。そして云ったと思うと、やにわに私をひきよせ、私の唇を激しくむさぼった。そして叩きつけるように言った。
「知りたければ何もかも云ってやるわ。トニ・アロウのばかだって、何もかも知ってやしないのよ。私が何のために、あんたに近づいたと思うの? あんたは、自分のことを、おめでたくもただのソルジャーだと思っているのでしょうけれどね。とんでもないわ。あんたは自分の秘密さえ知っちゃいない。このあとどこへゆこうと、宇宙じゅう逃げて歩いたって、ソルジャー・ブルーを手に入れようとねがわない自治都市は一つもない、ということに気づくだけよ。ほんとに、おめでたいのね――私があんたならとっくにセンターへのりこんで自分の正体を教えろとさわいでいるのにね。ほんとに、何も知らないのね。裏切るもなにもないわ……何もかも、それだけよ。本当に信じていたの、クロノポリスの市長がソルジャーに恋するなんてことを? 私はクロノポリスが大切なのよ。私にとっては自分の子供みたいなものだわ。私は、他の――テクノポリスやサイコポリスより先に、あんたを手に入れ、籠絡《ろうらく》し、自分のものにしなくてはならなかった。そのためには、体くらい張るわ――ばかね、あんたも」
私はオリヴィアの体をつきはなし、黙って右腕に仕込んだレーザービームのセットを腕の上に起こした。左手をそえ、まっすぐに、オリヴィアの胸にねらいをつけて、にらみすえる。
「そんなつまらん手にのると思うのか」
「本当に手だと思ってるの。私だってこんなことでいちいち死んでいたら、生命がいくつあったって足りないわ。私が本当に死ぬと思うの。――ちゃんと手配してあるわ。あと三〇Minしたら、合鍵をかりて入ってきて、そしてブルーを連行しろって。罪名は現職市長への殺人未遂と監禁暴行の現行犯よ。いかなセンターでも、かばうことはできないわ。あなたを留置してゆっくりと調べるのよ。そのためのスタッフももうすっかりそろえてあるわ。私はあなたが欲しいのよ。あなたの魂じゃなく、あなたのボディと、あなたの遺伝子をね――どうしても、手に入れてやるわ。テクノポリスを出しぬかずにおくものですか。さいしょにセンターへの切札をにぎるのは私がおさめているかぎりのこのクロノポリスだわ。さあ、ブルー、そのレーザーをしまいなさい。どうせ私を殺したところでムダよ、そのわけはいまにわかるわ。私、不死身よ。死なない体なのよ。だから引受けたんだわ。疑うの? ほら――トニ・アロウが来たわ……」
そして、笑い。
甲高い、耳ざわりな、およそオリヴィアらしくもない笑い。
それをつらぬくように――
ドア・チャイム。
私は、ビームを発射した。
オリヴィアは、まだ口辺に漂う笑いを消しもせぬまま、まっすぐうしろに倒れた。眉間に黒く小さな穴があいて、目は開いたまま。
私はそれを見届けぬままよこっとびにドアの横にへばりつき、ぐいとドアをひきあけた。
白い制服姿のベル・ボーイが立っていた。まだ十四か五か、そのくらいだ。手に盆をもっていた。
「合成酒をおもちしました。おっしゃったお時間の――」
云いかけて、その目が、まん丸く見開かれた。オリヴィアの死体を見たのだ。が、叫びは、永遠にほとばしることがなかった。そのひたいに小さい黒こげの穴があき、その手からはなれて床に激突する寸前、私の手が、盆をのせたものごとひろいとめていた。合成酒とワイン。
すばやくそれをおいて、ボーイの死体をひっぱりこみドアをしめ、カギをかける。盆の上に、メッセージ・カードが乗っていた。ひらくとオリヴィアの声が流れ出した――奇妙な感じだった。オリヴィア自身は、そこの床に、よこたわり、もう二度と口をききはせぬというのに。
「ブルー、ごめんなさい。だましたくはなかった。本当に愛していました。あなたが超戦士ブルーでなければどんなによかったか――でも、あなたがブルーでなければ愛しはしなかったわ。これをあなたがきくときには、私はもう、死んでいると思うわ。他に、私には、どうしていいかわからなかったの。愛しています、ブルー――銀河系のさいごの日まで。黄金の一日をほんとうにありがとう。生まれてきてよかったと思ったのは、きのう一日だけだった。――ブルー、早く、クロノポリスを出て。どうか、テクノポリスには近づかないで。それと、どうして、ボーダーエリアの激戦で一人だけ生きのこったのか、考えてみてほしいわ。あなたは自分の思ってるような存在ではないのよ。もし、その気があるなら――ドクター・イプシロン・ジェームズをたずねてみて。でもこのまま生きてゆきたければゆかないで下さい、おねがいだわ。それと、不幸な出会いだったと思わないで。私はずっと夢みていたわ。自分でおわらせることもできぬのなら、愛する人の手にかかって――せめて一度だけでも。ブルー――愛しているわ――ブルー。どうしてこんなにと思うほど……ソルジャー・ブルー。逃げのびて――無事で。それとどうか忘れないで――トニは何も知らないのよ[#「トニは何も知らないのよ」に傍点]。ブルー――I LOVE YOU」
声がおわると同時に、低い音をたてて、メッセージ・カードの消去機能がうごきはじめた。もう、何ものこってはいなかった。
私はしばらく、そこに立ちつくしていた。何一つ――そう、何一つ、どう考え、どう反応すべきなのか、正しい答えは出て来なかった。ただ、何もかもがこわれてゆくような気持だった。
(あなたは自分の思っているような存在ではないのよ[#「あなたは自分の思っているような存在ではないのよ」に傍点])
オリヴィアの声だけが、耳の底で鳴っている。
それから、ややあって、やっと私は少しだけ気をとりなおして、のろのろとうごきだした。
オリヴィアの死体に近づき、そっと抱きおこす。
開いたままの目が、私をうつろに見上げている。そっと目をとじさせた。ひたいのまん中をうちぬいた、黒こげの小さい、指さきほどの穴にそっとふれてみた。炭化して、血も出ていない。
唇のはたに、少しだけ血のようなものがついていた。指先でそっとふきとってやった。髪をかきあげ、頬をかこい、その唇に、唇をおしあててみる。オリヴィアの首は抵抗なくがくりとうしろに折れる。
なんと小さく、なんと無力そうで、なんとつくりものめいて見えるのだろう。
なぜ、こんなにも、たやすく、もろく、抗いさえせずに死んでしまうことができるのか――怒りも、うらみもせずに。
世界の廃墟――さっきまで、たしかに世界であると信じていたものの上に、私は立っていた。愛も、世界も、自分自身ですら、すべてもうどこにもありはしなかった。
「オリヴィア――」
そっと呼んでみる。むろん、いらえのあろうはずもない。
「オリヴィア。オリヴィア。オリヴィア…………」
彼女は、何を知っていたのだろう。
何をたくらんでいたのだろう――私がどうだというのだろう――私が一体、何者だ[#「何者だ」に傍点]と?
すべての答は、虚無の海の中へ消え去っていた。メッセージ・カードもすでに、何一つ語らなかった。
愛とは一体何で真実とは、一体どこにあるのかも。
(オリヴィア)
私は、そっと彼女の体を抱きしめた。冷えてしまうまで、抱いていてくれと、いう願いのことを思い出した。――死ぬときに抱いていてくれということばをきいてやらなかったのだ。もう、わからぬにせよ、せめて…………
(ボス――ボスですか?)
甲高く脳につきささる、エマージェンシー・コール。
(ナーダか)
(ボス? あ、よかった。――すぐ、ナディアへ戻れませんか。タワーが、正式の退去命令を出してきてます。いくら反間しても、全然理由を云ってくれないんだ。いったい、こいつは――)
(わかった、いい。すぐ戻る。用意をしておけ。ここをはなれる)
(どこへ――ゆくんです……?)
(どこだっていい。――ここでなけりゃあな)
私は答える。はるかにひろがる、永遠の夜、星々の海が、限りないやるせないなつかしさでもって目にうかぶ。
(クロノポリスはもうたくさんだ。もう、二度と来ないさ……もう、二度と……)
たとえ私の生が、何千年の長きにわたるとしても――
私は、もういちど、そっとオリヴィアのからだをすくいあげ、抱きしめた。そのくちびるに、何回も接吻し、その口を吸った。しだいに冷えてゆくそのくちびるは、もう私に応えてくることもない。その目はもう二度と輝かず、その首は二度と小鳥のようにかしげられることもない。
輝かしい星の炎を私はこの手で消したのだった。その口辺には、さいごにうかべかけていたほほえみの名残がまだ、もやのようにあわくただよっていた。何もかもが、うつつのこととは思えなかった――その愛も――すばらしすぎて――その死も――むなしすぎて。
私は、別れの一瞥《いちべつ》一つくれず、ベッドの上にかつてオリヴィア・ハートであった物体をよこたえ、荷物をまとめて室の外に出た。誰も私をネメシスのように追ってさえ来ず、外にはまた珍しい雨がふっていた。このようにして、私は、クロノポリス市長殺しの犯人の、殺人鬼サイボーグになったのだった。
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底本
角川書店 カドカワ ノベルズ
さらば銀河《ぎんが》 1
著 者――栗本薫《くりもとかおる》
昭和六十二年十一月十五日 初版発行
発行者――角川春樹
発行所――株式会社 角川書店
[#地付き]2008年10月1日作成 hj
[#改ページ]
底本のまま
・ 「こっちよ――ブルー、こっち」
・ そうしたら、そのとき――」
・ボデイ
・ボディ
・ボーダー・エリア
・ボーダーエリア
・向う
・向こう
・コントロール・タワー
・コントロールタワー
修正
《》→ 〈〉
置き換え文字
躯《※》 ※[#「身+區」、第3水準1-92-42]「身+區」、第3水準1-92-42
涜《※》 ※[#「さんずい+續のつくり」、第3水準1-87-29]「さんずい+續のつくり」、第3水準1-87-29
頬《※》 ※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]「夾+頁」、第3水準1-93-90
|※《ス》 ※[#小書き片仮名ス、1-6-80]小書き片仮名ス、1-6-80