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ヴェニスの商人の資本論
岩井克人
目 次[#「目 次」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
*資本主義*[#「*資本主義*」はゴシック体]
ヴェニスの商人の資本論
キャベツ人形の資本主義
遅れてきたマルクス
*貨幣と媒介*[#「*貨幣と媒介*」はゴシック体]
媒介が媒介について媒介しはじめる話
広告の形而上学
ホンモノのおカネの作り方
はじめの贈与と市場交換
パンダの親指と経済人類学
*不均衡動学*[#「*不均衡動学*」はゴシック体]
不均衡動学とは
個人「合理性」と社会「合理性」
マクロ経済学の「蚊柱」理論
「経済学的思考」について
知識と経済不均衡
*書物*[#「*書物*」はゴシック体]
柄谷行人『隠喩としての建築』(T)
柄谷行人『隠喩としての建築』(U)
森敦『意味の変容』
吉沢英成『貨幣と象徴』
十冊の本
[#ここから2字下げ]
あとがき
文庫版へのあとがき
初出一覧
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
*資本主義*[#「*資本主義*」はゴシック体]
[#改ページ]
ヴェニスの商人の資本論(1)
1 アントーニオの憂鬱[#「アントーニオの憂鬱」はゴシック体]
[#1字下げ]まったく、どういうわけか、おれは憂鬱なのだ。厭になる。おかげできみたちだって厭だろう。
理由の知れない自分の憂鬱について告白するヴェニスの貿易商人アントーニオの登場とともに、シェイクスピアの喜劇『ヴェニスの商人』は始まる。
[#1字下げ]だがどうしてこんなものにとりつかれ、背負いこんでしまったのか、こいつが何でできており、どこから生まれてきたのか、見当もつかない。とにかくおれはこの憂鬱のために白痴同然となり、自分がなにものであるかさえわかりかねる始末だ。
[#地付き](1・1(2))
アントーニオのこの告白を聞くやいなや、サリーリオとサレーニオというふたりの友人は、早速この憂鬱の「原因」の詮索にとりかかる。サレーニオ曰く、「おれだってそれだけの財産を船に賭けていれば、心の七、八分は希望といっしょに海の上をさまよっているだろう。……もし、少しでも船荷に気がかりなことがあれば、それがどんなに些細なことでも、おれはきっと憂鬱になっているだろう」。サリーリオ曰く、「おれだってスープを冷ます息一つにも悪寒でふるえだすだろう、その息が海の上ならどんな嵐になるかと思うからな。……おれにはわかっている、アントーニオは船荷が気がかりで憂鬱なのだ」。だが、アントーニオはかれらの解釈を否定する。「さいわい自分は、ただ一艘の船にすべてを投資したのでもなく、ただ一か所だけと取引しているのでもなく、また全財産が今年一年の運不運にかかっているのでもない」。だから自分は「船荷が気がかりで憂鬱になっているのではないのだ」と。そう聞くと、今度はサレーニオがアントーニオの憂鬱に内面における「原因」を見いだそうとする。「とすればきみは、恋をしているんだ」と。
[#1字下げ]アントーニオ:馬鹿な!
サレーニオとサリーリオ、あるいはサリーリオとサレーニオ――おたがいに取り替え可能な名前を持ち、おたがいに取り替え可能な台詞しかのべることのないこのふたりの友人は、まさにその取り替え可能なことゆえに、アントーニオの友人のなかでもっとも取るに足りない人物であることを象徴している。そして、実は、この取るに足りないふたりの男たちの取るに足りない台詞によって、『ヴェニスの商人』のテキストはそれ自身をめぐってその後なされた数限りない批評の取るに足りなさを先取りしているのである。すなわち、たとえば、アントーニオの憂鬱とは一体どのような内面における原因にもとづくものであるかを詮索したり、かれと対立するユダヤ人シャイロックの性格が滑稽な悪役として描かれているのかそれとも悲劇の主人公として描かれているのかを決定しようとしたり、『ヴェニスの商人』という劇において作者シェイクスピアは一体何を言わんとしたのかを吟味するといった類の批評を(3)。
だが、『ヴェニスの商人』という劇は、単にこれらの取るに足らない批評を先取りしているだけではない。実際、それはみずからのテキストのなかに、みずからがどのように読まれなければならないかをも示唆しているのである。事実、サレーニオやサリーリオと同様自分の憂鬱の原因を詮索したがるもうひとりの友人グラシアーノにたいして、アントーニオは次のような台詞をのべている。
[#1字下げ]世界は世界、ただそれだけのものだ、グラシアーノ。つまり舞台だ、人は誰でもそこで一役演じなければならない舞台なのだ、そしておれが演ずるのは悲しき役廻りさ。
[#地付き](1・1)
「世界はすべて、これ舞台。あらゆる男女がその役者。出番が来れば登場し、役目が終われば退場し、生きてるあいだにいくつもの役廻りを演じていくのさ」。(『お気に召すまま』2・7)だが、この世界という舞台のなかでヴェニスの商人アントーニオが演じなければならない「悲しき役廻り」とは一体どのような役廻りなのであろうか? この質問に答えるためには、ともかく『ヴェニスの商人』の舞台の中に入りこまなくては話にならない。
2 登場人物紹介[#「登場人物紹介」はゴシック体]
『ヴェニスの商人』の主だった登場人物を紹介してみよう。
[#ここから1字下げ]
アントーニオ ヴェニスの商人
バッサーニオ その親友でポーシャの求婚者
ロレンゾー  アントーニオの友人でジェシカの恋人
グラシアーノ アントーニオの友人でネリッサの求婚者
シャイロック ヴェニスのユダヤ人
ポーシャ   ベルモントの貴婦人
ネリッサ   その侍女
ジェシカ   シャイロックの娘
[#ここで字下げ終わり]
われわれは、まず、これらの登場人物を三つのグループに分ける作業から始めてみよう。第一のグループとは、おたがいが「兄弟的」な連帯によって結びあわされているアントーニオ、バッサーニオ、グラシアーノ、ロレンゾー等ヴェニスのキリスト教徒たちが形成している一種の共同体のことである。(サレーニオとサリーリオはこのグループのいわば外郭として一種の狂言廻しの役割を演じることとなる。)次に、第二のグループを形成するのは、シャイロックによって代表されているユダヤ人である。ユダヤ人とはまさにキリスト教世界の中における異邦人として、ヴェニスという共同体の空間的な内部における外部を構成しているのである。そして最後に、ポーシャ、ネリッサおよびジェシカの三人の女性が第三のグループを形づくっている。もちろん、ポーシャは莫大な遺産を残された貴族の娘として、ネリッサはその召使いとして、ヴェニスから遠く離れた「美しき丘」ベルモントに住まう存在であるのに対して、ジェシカのほうはシャイロックの娘としてヴェニスのユダヤ人居住地に生まれ育っているという違いが両者のあいだにはある。しかしながら、彼女らはいずれも「女」――しかもヴェニスの市民たちにとっての「異邦の女」――として、必然的に両義性にみちた媒介者的な存在であり、そのことゆえにこの喜劇の中において演じなければならない役割を共有しているのである。
実は、登場人物をこのように三つのグループに腑分けしたとたんに、『ヴェニスの商人』という劇が、多元的で、それゆえまさに動態的とでもいうべき構造をもっていることが直ちに見てとれる。良く知られているように、『ヴェニスの商人』という劇は、相前後して展開される四つの物語によって構成されている。すなわち、有名な人肉裁判において頂点に達するアントーニオとシャイロックとの間の対立抗争の物語、三つの小箱によるポーシャの婿選びとバッサーニオの求婚の成功譚、ジェシカとロレンゾーとの駆け落ちという脇筋、そしてふたたびポーシャとバッサーニオとの間の指輪をめぐる茶番劇の四つである。この四つの物語は、実はいずれも、右にあげた三つのグループ――すなわち、兄弟的連帯で結ばれているヴェニスのキリスト教徒たち、ヴェニスという共同体の内部における外部としてのユダヤ人たち、そして異邦の女たちという三つのグループ――のあいだの、なんらかの意味における交換によって生みだされたものなのである。しかも、これらの物語によって構成されている『ヴェニスの商人』という劇全体は、まさにおたがいの間の交換を通じて、ヴェニスのキリスト教徒たちも、ユダヤ人たちも、そして女たちも、それぞれ不可逆的にその存在形態そのものを変質させてしまうという、言葉の真の意味での「歴史的」な物語になっているのである。
それでは、これから、『ヴェニスの商人』を組み立てている四つの物語をひとつひとつ順を追って解析していってみよう。
3 アントーニオとその兄弟[#「アントーニオとその兄弟」はゴシック体]
最初にわれわれが考察するのは、アントーニオとシャイロックとの対立抗争の物語についてである。
ところで、この対立関係の一方の極をなしているアントーニオとは一体何ものなのであろうか。
[#1字下げ]バッサーニオ:わたしにとって一番の親友だ、この世にあれほど親切な男はいまい、あれほど立派な心とあれほど人のために尽してやまぬ精神の持ち主は。イタリア広しといえども、古代ローマ人の名誉心をあの男以上に身に備えているものはいないだろう。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](3・2)
バッサーニオの言葉を借りれば、アントーニオはまさに「古代ローマ人の名誉心」を一身に備えている人間、いわば十六世紀のイタリアにおける古代ローマの生き残りなのである。だが、この「古代ローマ人である」とは一体どういう意味なのであろうか。
[#1字下げ]バッサーニオ:アントーニオ、きみにはいちばん世話になっている、金のことでも、友情でも。そして、いままたきみの友情にすがって、借金をどうやって清算するかについて、おれが考えている計画と目的をいっさいうちあけてしまいたいのだ。
[#地付き](1・1)
第一幕で、バッサーニオにポーシャへの求愛の計画と新たな借金の申し込みをこのようにしてほのめかされた時、アントーニオは次のような返事をする。
[#1字下げ]アントーニオ:ぜひ話してくれ、バッサーニオ、そしてその話が、きみの常として、天地に恥じないものであれば、安心するが良い、おれの財布も、からだも、おれにできることならなんでも、きみの必要のために喜んで提供しよう。
[#地付き](1・1)
マックス・ウェーバーによれば、いわゆる「共同体(ゲマインシャフト)的」な社会は、貨幣を媒介とした商品交換によって成立している貨幣経済と異なり、何よりもまず人々のあいだに結ばれる「身分契約」、そのなかでも特に「兄弟盟約」とよばれる関係によって成立していると言う(4)。ここで、兄弟盟約とは、「人々の法的な全資格を、すなわち彼らの総体的な地位と社会的な行動様式とを変更することをその内容とする」契約の形態のことであり、具体的には、それによって人々がおたがいの「仲間」あるいは「兄弟」に「なる」ことを意味している。「このようにしておたがいに〈兄弟になる〉ということは、具体的な諸目的のために有用な一定の諸給付を相互に与えるとか、あるいはこのような諸給付を期待しあうということではない」とウェーバーは言う。「そうではなくて、〈兄弟になる〉ということは、ひとが従来とは質的に別のものに〈なる〉ということなのである。……当事者は、別の〈霊魂〉を自分の中に引きいれなければならないのである。血や唾が混ぜられ、飲まれなければならない。……あるいは、別のこれと同等の呪術的手段によって、新たな霊魂の創造というアニミズム的手続がおこなわれなければならない」のである。
アントーニオとバッサーニオ、さらにはアントーニオとかれを取り巻くヴェニスの友人たちの間を支配している関係は、それが意識されているかどうかは別として、おたがいがおたがいの「兄弟になる」というまさにこの兄弟盟約的な連帯関係を表現していると考えられる。そして、このようないわゆる「古代」的な人間関係を、それとは本来最も縁遠いはずの交易都市ヴェニスにおいて最も忠実に守り通しているアントーニオこそ、「古代ローマ人」とよばれる資格をもつのである。事実、人肉裁判においてあわやシャイロックに肉一ポンドを切りとられそうになった時に、アントーニオがバッサーニオに与える、
[#1字下げ]きみが友人を失うのを悲しんでくれさえすれば、その友人はきみの負債を支払うのを悲しみはしない。あのユダヤ人の刃が少しでも深くこの胸に突き刺されば、その分だけ喜んで胸の底から支払うことができるのだ。
[#地付き](4・1)
という台詞は、まさにみずからの「血」によって自分とバッサーニオとの間に成立していたはずの兄弟盟約を再確認しようという言葉として理解しうるのである(5)。
だが、アントーニオは、共同体的な原理の体現者であると同時に、貿易都市ヴェニスにおける遠隔地交易商人でもある。
[#1字下げ]かれの船は、一艘はトリポリスに、もう一艘は西インドに向かっている。そして、取引場で聞いた話では、三艘目はメキシコにあり、四艘目はイギリスに向かい、なにしろ、ありとあらゆる海外でやたら投資をしまわっているようだ。
[#地付き](1・3)
たとえば、中国とペルシャから絹、インドとスマトラからコショウ、セイロンからシナモン、西インド諸島から砂糖とタバコとコーヒー、ブラジルの内陸から金、新大陸から銀を輸入し、それらをヨーロッパにおいて高価に売りさばいていたアントーニオやその仲間の十六世紀ヴェニスの貿易商人たちは、これらの品物の遠隔地における価格とヨーロッパにおける価格との間にある差異を仲介して、危険はともなうが成功すればそれによって莫大な利潤を得ていた(6)。
では、アントーニオのこのような貿易商人としての活動は、兄弟盟約的人間関係を絶対視するかれの古代ローマ人としての行動様式と一体全体どのようにして両立しうるのであろうか。なぜならば、共同体の内部における人間関係が、相手からの見返りを期待して人にモノやサーヴィスを与えるような行為を拒否する兄弟盟約によって成立しているならば、それは、まさに相手からなんらかの見返りを受け取ることを前提として人にモノやサーヴィスを与える行為にほかならない商品交換を成立させる余地はなく、ましてや商品交換から利潤を獲得することを目的にする商人的な活動とはまったく無縁であるように見えるからである。
「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する地点で始まる」と、マルクスは述べている(7)。たとえば、ヘロドトスの『歴史』のなかに、古代カルタゴ人と「ヘラクレスの柱」――すなわちジブラルタル海峡――以遠に住むリビア人との間の交換についての次のような記述が見られる。「カルタゴ人はこの国に着いて積荷をおろすと、これを波打際に並べて船に帰り、狼煙をあげる。土地の住民は煙を見ると海岸へきて、商品の代金として黄金を置き、それから商品の並べてある場所から遠くへさがる。するとカルタゴ人は下船してそれを調べ、黄金の額が商品の価値に釣合うと見れば、黄金を取って立ち去る。釣合わぬ時には、再び乗船して待機していると、住民が寄ってきて黄金を追加し、カルタゴ人が納得するまでこういうことを続ける(8)」。一般に「沈黙交易」という名でよばれているこのような交換方式は、いわゆる原始社会に広く見られるものであるが、それはその名の示す通り、交換相手との直接的な接触を徹底的に避け、おたがいにまったく言葉をやりとりせずに品物の交換のみをおこなっている。それは、ここでの交換が、おたがいに人格としては接触したくない「異邦人」どうしでおこなわれていることを意味しているのである。
ここでは、商品交換が、マルクスのいうように、孤立した共同体と共同体とのあいだの接触から実際に発生したかどうかという問題は問うまい。歴史的「起源」の問題はつねに両義的であり、共同体と共同体とのあいだの関係から商品交換が始まったのではなく、逆に商品交換という関係がその両極に共同体的な社会を作りだしたのだという見方も当然できるからである。ただ、ここで有名な沈黙交易の例をもちだしたのは、それが、商品交換とはその本質において共同体と共同体とのあいだの関係であり、一方の共同体にとっては「兄弟」ではないもの、すなわち「外部者」あるいは「異邦人」との関係の仕方にほかならないことを示しているからである。多くの場合貨幣という抽象的な価値物を媒介にしておこなわれる商品交換は、モノとモノあるいはモノと貨幣とのあいだの等価関係のみによって支配されており、おたがいが新たに「兄弟になる」ことを必要としないまったく非人格的な人間どうしの関係の仕方、いや非関係の仕方なのである(9)。すなわち、商品交換とは共同体とその外部との関係にほかならず、それゆえ、共同体の構成員も、相手が共同体の外部の異邦人であるかぎり、この反共同体的な商品交換を行うことが可能なのである。それゆえ、わがアントーニオも、遠隔地に住む異邦人が相手であるかぎり、ヴェニスにおける友人たちとの兄弟盟約的関係とまったく矛盾することなく、貿易をし利潤を得ることができる。その点で、十六世紀ヴェニスにおけるこの「古代ローマ人」は、その二千年以上も前に「ヘラクレスの柱」よりもさらに遠隔の地に住むアフリカ人と沈黙交易をしていたあの古代カルタゴ人となんら異なるところはないのである。
実は、海の彼方に共同体の外部を捜し求めていたアントーニオは、まさに自分の足元において共同体のもうひとつの外部に行き当たる。ヴェニスの町に住むユダヤ人シャイロックである。
4 シャイロックとその敵[#「シャイロックとその敵」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
シャイロック:三千ダカットか――ふむ。
バッサーニオ:そうだ、期間は三か月。
シャイロック:三か月か――ふむ。
バッサーニオ:その保証人は、さっき言ったように、アントーニオだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](1・3)
シャイロックとは一体何者なのか? その答は簡単だ。シャイロックとは、ユダヤ人の高利貸しである。
しかし、古今東西の『ヴェニスの商人』をめぐる議論の多くは、この簡単な解答には満足せずに、その背後にシャイロックという人間についてのヨリ深い真実を見出そうとしてきた。たとえば、『ヴェニスの商人』の上演の歴史を振り返ってみると、喜劇役者トマス・ドギットが演じた滑稽な道化としてのシャイロック(1701)から、チャールス・マックリンが演じてみせた「重々しい表情をし……、恐るべき悪意をもち……、激しい感情の起伏をもつ……」真の悪役としてのシャイロック(1741)へと、さらにまた、エドマンド・キーンが演じた、怒りにかられ、皮肉と冷笑を交えながら、偽善者であるキリスト教徒たちと最後まで闘いつづける「生半可なキリスト教徒以上にキリスト教的なユダヤ人」としてのシャイロック(1814)から、ヘンリイ・アーヴィングによる「迫害された民族の典型であり、劇のなかでほとんど唯一人の紳士的な人間であることゆえにもっとも虐待されること」になってしまった「悲劇の主人公」としてのシャイロック(1879)へと、それは、吝嗇なユダヤ人の高利貸しという通俗的なシャイロック像から、シャイロックという人物のなかにいわば主体的な人間としての「深み」を見出していく歴史であった(10)。そしてまた、『ヴェニスの商人』をめぐる批評の歴史も、その上演の歴史とほぼ平行した経過をたどってきた。だが、シャイロックという役柄の背後に主体性をもった人間としての真実を発見しようとするこのような試みも、それがどれほど「迫真」的なシャイロック像を生み出したとしても、いや、まさにそれが「迫真」的になればなるほど、アントーニオの心のなかにかれの憂鬱の原因を見つけだそうとして躍起になっていたあのサリーリオとサレーニオによる詮索に似てきてしまう。世界とは、シャイロックにとっても舞台なのだ。そして、そのなかで、かれもアントーニオと同様、ひとつの悲しい役廻りを演じているにすぎない。では、シャイロックの演じている悲しい役廻りとは一体どのような役廻りなのであろうか。
[#ここから1字下げ]
シャイロック:アントーニオさん、いったい何度になりますかね、あなたが取引場でこのおれに毒づいたのは、おれの金がどうとか、利子をとるのがどうとかと。それでも、おれはいつも肩をすぼめてじっと我慢してきた、忍耐というやつは、おれたちユダヤ人の勲章みたいなものですからね。おれのことを、あなたは邪教の徒だとか、人喰い犬だとかいって、このユダヤ人の着物に唾をはきかけなさる、それも、おれがおれの金を好きに使うのがお気に召さぬというだけでね。……
アントーニオ:自分は、これからもおまえを犬よばわりするだろう、唾をはきかけ、足蹴にするだろう。だから、金を貸してくれるのならば、友だちに貸すとは思うな。友情が、友だちのもっている|石女《うまずめ》の金に利子を生ませたなどという話を聞いたことがあるか?
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](1・3)
高利貸し――それは、共同体的社会にとってもっとも危険な経済行為である。すでに見たように、兄弟盟約という人と人とのあいだの連帯によって成立している共同体にたいして、それと対立する商品交換とはその本質において共同体の外部の異邦人との非人格的で抽象的な関係のもち方であった。そして、このような商品交換を媒介しているのが、一般的な価値尺度としてありとあらゆるモノと等価関係を結びうるということによって価値をもつ、貨幣という抽象的な存在にほかならない。貨幣とは、その意味で、共同体にとってはつねにその外部を代表するものであり、不可解な力をもったまさに「異物」そのものなのである。それゆえ、貨幣それ自体を商売の対象にし、利子というこれまた貨幣のかたちで利益を獲得する存在である高利貸しにたいして、共同体はみずからの存立基盤を崩すものとして常に激しい敵意を示してきた。
「憎んで最も当然なのは高利貸しである」と、古代ギリシャにおけるポリス共同体の倫理の代弁者であったアリストテレスは言っている。「なぜならば、その利益は貨幣の本来の目的(すなわち交換の過程)から得られるのではなく、貨幣そのものから得られるからである。貨幣は単に交換の手段として作られたのに、利子は貨幣そのものを増大させるからである。利子が〈利子〔ギリシャ語では子を意味する tokos〕〉とよばれているのはまさにこの理由による(11)」。また、ユダヤ=キリスト教文明においても、旧約聖書の『申命記』のなかに次のような戒律が見出される(12)。
[#1字下げ]汝の兄弟より利息を取るべからず、即ち金の利息食物の利息など凡て利息を生ずべき物の利息を取るべからず。
「汝の兄弟」すなわち同じ共同体の仲間からは利子をとるべからず――これは、共同体が共同体であるための至上命令なのである。そして、兄弟盟約のもっとも忠実な体現者としての「古代ローマ人」アントーニオは、このことにかんしても例外ではありえない。アントーニオは言う、
[#1字下げ]わたしは金の貸し借りに、利子のやりとりはしない流儀なのだ。
[#地付き](1・3)
なぜならば、「友情が、友だちのもっている石女の金に利子を生ませたなどという話を聞いたことがあるか?」
しかしながら、同時に、どのような共同体においても利子をともなった貸し借りが必要な事態が発生しうる。たとえば農民は、刈入れどきに返す約束で種蒔きどきに種を借りなければならないこともあるし、凶作のときには豊作のときがくるまでの食扶持を借りなければならないこともある。たとえば貴族は、いま欲しい贅沢品の支払いを領地からの年貢が入るまで延ばしたいとおもうこともあるし、航海や戦争による交易品や掠奪品の将来の分け前に与かるためにその費用をなんとかいま捻出したいとおもうかもしれない。いや、ひとびとが現在使える貨幣のほうを将来手にはいるはずの同額の貨幣よりも高く評価するかぎり、そこには利子を払っても貨幣を借りる誘因が存在する。貨幣の貸し借りとは、現在の貨幣と将来の貨幣とを交換する行為であり、借り手が貸し手に支払いを約束する利子とは、現在の貨幣の価値と将来の貨幣の価値とのあいだに存在する差異の別名なのである。その意味で、利子とは、現在と将来というふたつの時間のあいだの差異から生みだされる価値にほかならず、いわば時間そのものの価値であるということができるのである。実際、わがアントーニオも、莫大な遺産をもつ「黄金の毛皮」ポーシャを我がものにしようというバッサーニオの遠大な計画を援助するために、利子を払ってでも三千ダカットのお金を借りなければならなくなってしまうのだ。
[#1字下げ]アントーニオ:わたしは金の貸し借りに、利子のやりとりはしない流儀なのだ。しかし、友だちがさし迫って金が必要だというのでやむをえまい、その流儀を破ることにしよう。
[#地付き](1・3)
すなわち、共同体のなかでは利子をともなった貨幣の貸し借りは許されないが、同時に、そこでも利子をともなった貨幣の貸し借りが必要である。借りるべきか、借りざるべきか、それが問題である。一体この二律背反はどのように解決されるのであろうか。
実は、先ほど引用した『申命記』のなかの利子にかんする戒律には、次のような但し書きがついている。
[#1字下げ]他国の人よりは汝利息を取るも宜し。
もちろん、「他国の人」とは共同体の外部の人間のことを意味している。つまり、ここでも、あの共同体の内部と外部とのあいだの倫理の使い分けがおこなわれている。共同体の内部の兄弟からは利子をとってはいけないが、共同体の外部の人間からは利子をとってもかまわない。それゆえ、すでにその一部を二度ほど引用した台詞において、アントーニオはシャイロックにむかって次のように述べることになる。
[#1字下げ]だから、金を貸してくれるのならば、友だちに貸すとは思うなよ。友情が、友だちのもっている石女の金に利子を生ませたなどという話を聞いたことがあるか? それよりも、おまえの敵に貸すのだと思え。敵となれば、契約が破られたとき大威張りで違約金を取りたてることができるからな。
[#地付き](1・3)
ここで、「敵」とはもちろん兄弟ならざる異邦人のことであり、「違約金」とはもちろん隠されたかたちでの利子のことである。アントーニオは、自分自身をシャイロックの敵として規定することによって、自分からシャイロックが利子をとることを正当化しようとしているのだ。そうすることによって、かれは、自分自身の兄弟盟約的な行動様式と矛盾することなくシャイロックから利子を支払う約束でお金を借りることができるのである。
「古代ローマ人」アントーニオが「古代ローマ人」でありつづけるためには、結局自分を「敵」とみなす「邪教徒」シャイロックの存在が必要なのである。そして、同様に、共同体がみずからを支える兄弟盟約の原理と矛盾することなく利子をともなう金銭の貸借をおこなうためには、かならず他国の民、すなわちもうひとつの共同体の存在を必要とする。すなわち、それにたいしてみずからが異邦の徒として規定されるようなもうひとつの共同体の存在を、である。
もうひとつの共同体――まさにそれは、キリスト教的西欧社会においてユダヤ人が演じ続けてきた役割である。
[#1字下げ]なるほどおれは、あなたがたと売り買いもしよう、話もしよう、歩きもしよう、そのほかのこともしよう。だが、あなたがたと一緒に飲み食いするのも、お祈りするのも御免なのだ。
[#地付き](1・3)
と、シャイロックがバッサーニオに言う言葉は、異教徒とは単に礼拝だけではなく一緒に食事することすら禁じた古くからのユダヤ教の戒律にしたがった言葉である(13)。
ユダヤ人――それは、「世界の隙間に住むエピクロスの神々」のように「社会の気孔のなか」で生きてきた民族にほかならない。それは、空間的には世界のあらゆる場所に散らばっていながら、唯一神エホバに選ばれた民族として、ひとつの緊密な宗教的共同体としてみずからをまわりのキリスト教社会から遮断する。それゆえ、ユダヤ人は、まわりのキリスト教徒たちをみずからの共同体の外部の人間としてかれらに利子付きで貨幣を貸すことができるし、キリスト教徒たちは、ユダヤ人をみずからの共同体の外部の人間として、かれらから利子を支払って貨幣を借りることができるのである。(もちろん、キリスト教徒がユダヤ人に貨幣を貸すということも原理的には可能であるが、前者が後者にくらべて数のうえで圧倒的に優勢なことによって、それはあくまでも原理上の可能性にとどまっている。)
広大なキリスト教社会とその空間的な内部にあってその外部として機能するユダヤ人社会――このふたつの共同体は、おたがいがおたがいの「敵」であることを利用する一種の相互依存関係を成立させている。いや、これらの共同体がそれぞれの内部において兄弟盟約的な連帯を維持していくためには、それぞれその外部としておたがいの存在を必要としているのである。もしこの世にユダヤ人が存在していなければ、キリスト教社会はユダヤ人を創造しなければならない。もしこの世にキリスト教社会が存在していなければ、ユダヤ人は別の寄生先を見つけださなければならないのである。
5 人肉裁判[#「人肉裁判」はゴシック体]
しかしながら、シャイロックはアントーニオから利子をとらないことにする。
[#1字下げ]シャイロック:おれはあんたの友人になって、その友情のお世話になろう。あんたからうけた数々の恥も忘れて、あんたが必要とする金を一文の利子もつけずに用立てしてみせよう。
[#地付き](1・3)
ユダヤ人がユダヤ人の本領である高利貸しをせずに、キリスト教徒に「友人」として金を融通するというこの言葉――それは、実は、おたがいがおたがいを「敵」として規定しあうことによって共同体としての自己完結性をそれぞれ維持してきたユダヤ人社会とキリスト教社会とのあいだの関係に一種の不均衡をもたらし、後に起こる両者の没落を予兆する不吉な言葉なのである。
ところで、言うまでもなく、シャイロックのこの言葉の背後には悪意が隠されており、かれはアントーニオから利子をとらないかわりに、ひとつの証文を書かせる。
[#1字下げ]シャイロック:これから公証人のところへいって、証文を書いてくれればいい。それにこれは単なる冗談だが、証文に記されたとおりの日時と場所で指定の金額を返済できぬときは、その違約金のかわりとしてあんたの肉をきっかり一ポンド、おれの好きなところから切りとって良いということにしていただきたい。
[#地付き](1・3)
そして三か月後、当然のことながら、アントーニオの船はすべて行方不明になり、かれはシャイロックとの証文の期限を守ることができなくなる。
[#ここから1字下げ]
サリーリオ:だが、まさか契約を破ったといって、あの人の肉をとるなどとは言いださんだろうな――そんなものは何の役にもたちはしないからな。
シャイロック:魚釣の餌ぐらいにはなるさ。いや、ほかに何の役にもたたなくとも、おれの復讐心を満足させてくれるにちがいない。あいつは、おれに恥をかかせた、五十万は儲けを減らし、損をすりゃ笑い、得をしたといって嘲り、おれの民族をさげすみ、商売の邪魔をし、友だちには水をかけ、敵方は焚きつける――それも何のためだ。おれがユダヤ人だからなのだ。ユダヤ人には目がないのか、手がないのか? 臓腑が、五体が、感覚が、感情が、情熱がないのか?……ユダヤ人がキリスト教徒を酷い目にあわせたら、キリスト教徒の謙譲の精神は何と答えるかな? 復讐だ! キリスト教徒がユダヤ人を酷い目にあわせたときに、ユダヤ人の忍従の道はキリスト教の手本にしたがえば何なのか? 復讐だ!
[#地付き](3・1)
かつて多くの批評家が、この雄弁な台詞のなかにシャイロックの「人間宣言」なるものを読みとろうと努力してきた。だが、どのように読んでみても、そこからは「復讐だ!」という叫びしか聞こえてこない。この台詞は、シャイロックのアントーニオにたいする「目には目を、歯には歯を」式の復讐宣言にほかならないのだ。いや、それは、つねにキリスト教社会の「敵」としてしかみずからを規定しえなかったユダヤ人社会の、キリスト教社会にたいする復讐宣言と言いかえても良いであろう。
だが、このようなユダヤ人とキリスト教徒との共同体どうしの対決は、表面的にはそれとは異なった次元の対決として表現されることになる。
[#ここから1字下げ]
アントーニオ:話を聞いてくれ、シャイロック。
シャイロック:証文どおりだ。おれの証文にけちをつけるな。おれは誓ったんだ、証文どおりにさせるとな。……
アントーニオ:頼む、話を聞いてくれないか。
シャイロック:証文どおりだ。お前の話など聞きたくないね。証文どおりだ、だから、もう何を話したって無駄だ。……
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](3・3)
一方は慈悲(mercy) の精神に訴え、他方は司法(justice) の原理を主張する(14)。一方はおたがいどうしの「話し合い」による和解をもとめ、他方は返済されなかった三千ダカットの金と一ポンドの人肉とのあいだの「証文どおり」の交換を主張する。もちろん、一方における「話し合い」とは、人と人とが敵としてではなくすくなくとも潜在的な兄弟としておたがいに言葉をやりとりすることであり、他方における「証文どおり」とは、証文に書かれている貨幣とモノとのあいだの等価関係を人間関係とは独立にまさに等価関係そのものとして取り扱うことを意味している。すなわち、アントーニオとシャイロックとの対決は、ここではその本来の内容であるはずの共同体と共同体との対決としてではなく、兄弟盟約的な人間関係によって支配されている共同体内部の精神と、貨幣とモノとの等価関係にのみ支配されている共同体の外部における論理との対決として表現されているのである。
したがって、アントーニオがいくらヴェニス公をはじめとするヴェニスの友人たちの支援をうけようとも、法廷におけるシャイロックとの対決においてはまったく勝目はない。なぜならば、ここは交易都市ヴェニスであり、アントーニオ自身が述べるように、
[#1字下げ]公爵といえども法を曲げることはできないのだ。たとえ異邦人でもこのヴェニスではわれわれと同じ権利を与えられている。もしそれが否定されたら、国家の司法が疑われよう。この町の貿易も利潤も、世界中の国民からなっているものだから。
[#地付き](3・3)
すなわち、ヴェニスの町では、その内部でどれだけ兄弟盟約的な理念が重視されていても、それがあらゆる国の人々が集まる遠隔地交易の基地として存続するためには、共同体の内部の慈悲の精神ではなく、共同体の外部においても成立しうる抽象的な司法の論理によってすべての人が裁かれなければならないのである。
共同体の内部の精神を体現しているアントーニオは、それゆえシャイロックの論理のまえに敗れ去り、シャイロックの刃による死を覚悟してバッサーニオに別れの言葉を送る。これは、アントーニオとバッサーニオとのあいだの兄弟盟約的関係のひとつの頂点をなす場面である。
[#1字下げ]アントーニオ:おれは群れのなかの病める羊さ。殺されるにはもっともふさわしい。いちばん腐った果実がいちばん早く地に落ちる。おれにもそうさせてくれ。きみにふさわしい仕事は、バッサーニオ、長生きをしておれのために墓碑銘を書いてくれることだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](4・1)
だが、まさにそのとき、ポーシャとネリッサが法廷に登場する――ポーシャは法学博士の変装をし、ネリッサはその書記の変装をして。
6 ポーシャの媒介[#「ポーシャの媒介」はゴシック体]
法学博士とその書記を騙る男装の女性(しかもシェイクスピアの当時の劇では女性の役はすべて声変わりまえの少年が演じていた)――この両義性に満ち満ちた姿で登場するポーシャとその影の存在ネリッサは、多くの神話において「媒介者」の役割を演じるいわゆるトリックスターやその同族の特徴をすべて兼ねそなえている。このトリックスターに代表される「媒介者」的存在にかんしては、たとえばレヴィ=ストロースは次のように解説している。「……トリックスターは媒介者である。それは、その媒介者的な機能によってふたつの極のあいだの中間に位置を占めることになるので、ある種の二元性のようなもの――すなわち両義的であいまいさに満ちた性格を保持しなければならない。しかし、トリックスターだけが媒介者として考えうる唯一の形態であるというわけではない。二という数と一という数のあいだのギャップを埋めよ、という問いにたいする解答を洗いざらい挙げてみるという宿題に取り組んだのではないかとおもわれるような神話がいくつかある。たとえば、ズニ族の始祖神話のすべてのヴァリエイションを比べてみると、対立性と相関性の連鎖過程によって次々と生み出されていく一連の媒介の方式を見いだすことができる。救世主=双生児=トリックスター=両性具有=兄弟姉妹=夫婦=祖母と孫=四分された集団=第三者(15)」。
ポーシャとその影ネリッサ――両性具有的で、姉妹のようで、第三者的存在で、救世主のごときで、しかも即興性に満ちたニセ物であるこのトリックスターは、まさにその媒介者としての機能によってアントーニオとシャイロックとのあいだに介入し、その両義的な論理作用によって両者の対立にひとつの解決を与えてしまうのである。だが、このあまりにも有名なポーシャによる人肉裁判の「解決」についての詳しい解説は無用であろう。したがって、ここでは、その要点だけをかいつまんで論じてみよう。
すでに見たように、シャイロックが法廷で叫ぶ「証文どおりだ」という言葉は二重性をはらんだ言葉であった。それは、ユダヤ人のキリスト教徒にたいする復讐というまさに共同体の内部の論理によって発せられた言葉であるにもかかわらず、表面的には共同体の外部を支配する共同体を超えた等価交換の原則の貫徹を主張する言葉として表現されていた。しかし、法廷でシャイロックが、
[#ここから1字下げ]
証文どおりの抵当を頂戴したい。
証文どおりを要求する。
わたしの要求する肉一ポンドは高い金で買ったわたしのものだ、だから頂戴する。それが許されぬならば、法とは一体何なのか?
わたしは法に組するものだ。
わたしは、法を、証文どおりの抵当を請求する。
わたしはあくまでも証文どおりを要求する。
[#ここで字下げ終わり]
と、言葉を重ねていくうちに、この言葉自体がそれを発している当のシャイロックの意図とは独立に、次第次第にそれ独自の存在感をもって法廷内に浮遊しはじめる。「証文どおり」という言葉が、シャイロックの復讐のための単なる手段から、それ自身で独立した価値をもつ言葉として作用しはじめるのである。そして、まさにこのように独り歩きをはじめた「証文どおり」という言葉を、ポーシャは掠めとり、逆にシャイロックに投げ返す。
[#1字下げ]ポーシャ:待て、まだ申しわたすことがある。この証文はお前には一滴の血もあたえていない。ここに明記されているのは「肉一ポンド」だけだ。それゆえ、証文どおりにするがよい。お前のものである肉をとれ。だが、その際、キリスト教徒の血を一滴でも流したら、お前の土地も財産も、ヴェニスの法によって国庫に没収する。
[#地付き](4・1)
すなわち、ポーシャは、「証文どおり」という言葉によって武装されているシャイロックの復讐心にたいしては慈悲心の訴えが無力であることを見てとるや、今度は逆に、「証文どおり」という言葉をみずからのものにし、それが意味するお金と人肉のあいだの等価関係をまさに言葉どおりに解釈することによって、その言葉の本来の目的であったはずのシャイロックの復讐の企てを打ち破る。言葉を単なる手段としてではなく純粋に言葉として作用させることによって、それを発した当人の意図そのものを裏切らせてしまうのである。
[#1字下げ]シャイロック:これが法というものですか?
[#ここで字下げ終わり]
これがまさに言葉というものを支配している法にほかならない。
シャイロックは裁判に敗れ、賠償として財産の半分をアントーニオに、残りの半分をヴェニスの国庫に支払うことを命ぜられ、さらにその命は公爵の裁量にゆだねられる。だが、幸か不幸か、かれは、キリスト教徒の「心の違いを見せつけてやる」という公爵によって死刑は免じられ、アントーニオのキリスト教的「慈悲」心によって、アントーニオへの支払いも免じられることになった。ただし、そのかわりに、シャイロックは、自分の死後全財産を娘ジェシカと駆け落ちしたキリスト教徒ロレンゾーに与えること、およびかれ自身もキリスト教徒に改宗することを明記した証文をつくることを約束させられてしまう。すなわち、シャイロックとかれが代表しているユダヤ人社会は、このようなキリスト教徒の「慈悲」心によって、その共同体としての自己完結性を奪われてしまうことになる。シャイロックの敗北は、共同体としてのユダヤ人社会の解体を告げる出来事であるのである。
だが、このことは一体シャイロックの敵であったアントーニオの全面的な勝利を意味しているのであろうか? 答えは――否である。もちろんアントーニオは裁判には勝った。しかし、この裁判の全経過をつうじて、アントーニオが体現しているはずの兄弟盟約的な共同体原理は一度として力を発揮したことはなかった。いや、アントーニオが裁判に勝ったのは、けっしてかれの懇願していた「話し合い」によるのではなく、逆に、シャイロックの発する「証文どおり」という言葉をわがものにしたポーシャがその論理を極限まで追求することによってなのであった。アントーニオは、等価交換の原則という共同体の外部の論理、すなわちかれがもっとも軽蔑していたユダヤ人の論理をみずからの味方にすることによって窮地から脱出しえたのである。アントーニオの勝利によって、逆に、かれが代表していたキリスト教社会は、兄弟盟約によって支えられていた精神的基盤を失い、ユダヤ人社会と同様にその共同体としての自己完結性を解体しはじめることになってしまう。だが、この問題については、これ以上話を先走らせないほうが賢明であろう。
いずれにせよ、ここに、「二という数と一という数のあいだのギャップを埋め」ることをその生業とするトリックスター=ポーシャの媒介によって、ユダヤ人社会とキリスト教社会のあいだにひとつの奇妙な交換が成立したことになる。一方のユダヤ人社会からは、「証文どおり」という言葉にこめられた等価交換の原則あるいは司法の論理がキリスト教社会に贈られ、他方のキリスト教社会からは、「慈悲」の心なるものがユダヤ人社会に贈られた。だが、この交換によって、媒介されたふたつの社会はそれぞれの差異を奪われ、ともにそれまでもっていた共同体としての自己完結性を解体させられてしまうことになる。キリスト教社会とユダヤ人社会というふたつの共同体は、結局、ポーシャというトリックスターの媒介によって、いずれも「腐った果実」のように「いち早く地に落ち」てしまう運命だったのである。
だが、話はここでは終わらない。われわれは、この奇妙な交換を媒介した当のポーシャの素性についてはまだ何の調べもつけてない。そして、そのためには、ここでしばらくジェシカとロレンゾーの駆け落ちという、従来あまり人にかえりみられることのなかった脇筋について語らなければならないのである。
7 ジェシカとロレンゾー[#「ジェシカとロレンゾー」はゴシック体]
シャイロックの娘ジェシカとアントーニオの友人ロレンゾーとの駆け落ち――それは、『ヴェニスの商人』という劇の本筋と平行して細々と流れる脇筋でしかなく、多くの批評家によって完全に無視されるか、あるいは無視されずともまったく見当はずれな批評をくわえられてきた。だが、それはその実、『ヴェニスの商人』という劇のなかにあってこの劇全体の構図を縮図的に反映しているひとつの劇中劇とでもいうべき役割をはたしているのである。
[#ここから1字下げ]
ジェシカ:お呼びになって? 何かご用?
シャイロック:おれは、夕食に呼ばれているのだ、ジェシカ。さあ、これが鍵だ――だが、何で行かねばならないのだ? もちろん好意から呼ばれたのではない、単なる機嫌とりだ。だから、おれも憎ければこそ、あの放蕩者のキリスト教徒を食いつぶしてやるために行ってやるのだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](2・5)
シャイロックは、お金を貸してくれたことのお礼にとバッサーニオから食事に招待され、それを受け入れる。だが、「あなたがたと一緒に飲み食いするのも、お祈りするのも御免だ」とバッサーニオに言っていたはずのシャイロックがこの招待を受け入れてしまうことは、それがどのような悪意に動機づけられていたとしても、ユダヤ人社会とキリスト教社会とのあいだに厳密に引かれていた境界線をかれ自身が踏みはずしてしまうことを意味することになる。そして、このことは再びシャイロックにとってはつまずきの石となる。なぜならば、かれの不在のあいだにジェシカがロレンゾーと駆け落ちする手筈がいつの間にやらととのえられていたからである。
[#1字下げ]ジェシカ:夜でよかった、あなたに見られずにすむから。こんな変装が恥しくってしょうがないの。けれど、愛は盲目、恋人たちには見えないのね、自分たちの愚かな振る舞いが。だって、キュウピッドだって顔を赤らめるわ、こんな男の子みたいな格好をしたわたしを見たら。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](2・6)
それは仮装舞踏会の夜であり、ジェシカは松明持ちの男の子に変装してシャイロックの家から抜け出し、恋人ロレンゾーと闇にまぎれてヴェニスの町から離れさってしまうのである。
男の子に変装したジェシカ――この両義性にみちた扮装をしたユダヤ人の娘も、あの法律学者に変装した男装の女性ポーシャに負けず劣らぬ変幻自在のトリックスターである。このもうひとりのトリックスター=ジェシカは、この仮装舞踏会の夜、一方で父親シャイロックがキリスト教徒たちからの饗応を受けているあいだに、他方で自分自身をシャイロックの娘からキリスト教徒ロレンゾーの妻へと変えてしまう。それは、人肉裁判においてポーシャが成立させたユダヤ人社会とキリスト教社会のあいだの交換を反復するもうひとつのユダヤ人社会とキリスト教社会のあいだの交換にほかならない。すなわち、男の子に変装したジェシカと法律学者に変装したポーシャ――一方はユダヤ人の娘であり、他方は遠方の町の貴族の娘であるという違いにもかかわらず、ふたりはともに、あの媒介者トリックスターのふたつの現れである。そして、このヴェニスの町の仮装舞踏会を背景にしたジェシカとロレンゾーの駆け落ちと、あのヴェニスの法廷における人肉裁判というふたつの物語は、一見どんなに無関係に見えようとも、その実、ともにユダヤ人社会とキリスト教社会というふたつの共同体のあいだの錬金術的な交換のふたつのヴァリエイションにほかならないのだ。
だが、このようにしてジェシカとポーシャのあいだに等号を引くことができたからといって、直ちに本筋のポーシャに話を戻すにはまだ早すぎる。実は、ジェシカについては、もう少し論ずべきことがのこっている。
[#ここから1字下げ]
ジェシカ:〔ロレンゾーに〕さあ、この箱を受取って、それだけの値打ちはあるわよ。……
ジェシカ:〔ロレンゾーに〕急いで戸締りをすませて、もう少しお金を身につけてくるわ。……
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](2・6)
ジェシカがシャイロックの家を出てロレンゾーのもとへと走るとき、ユダヤ人のところからキリスト教徒のところへ移動するのは実はジェシカ本人だけではない。ジェシカは、それと同時に、シャイロックのお金や宝石を大量に運びだしてしまうのである。もちろん、
このことを知ってシャイロックは半狂乱になる。サレーニオとサリーリオの報告によれば、
[#ここから1字下げ]
サレーニオ:あんなに混乱した、あんなに奇妙で途方もなく、あんなに支離滅裂な怒りようっていうのははじめてだな。あのユダヤの犬め、町中を吠えまくるんだ、「おれの娘が! おれの金が! おれの娘が! キリスト野郎と駆け落ちだ! おれのキリスト野郎の金だ! 裁判だ、法律だ、おれの金だ、おれの娘だ!……娘を見つけるんだ、あいつが持っているんだ、宝石を、金を!」ってな。
サリーリオ:すると、ヴェニス中の餓鬼どもが後を追って、宝石だ、娘だ、金だって言って、はやしたてるんだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](2・8)
「おれの娘が! おれの金が! おれの娘が!……おれの金だ、おれの娘だ!……娘を……金を!」、「娘だ、金だ」、娘と金、金と娘、娘=金、金=娘――シャイロックの叫びと子供たちのはやし声によって、このふたつの存在は完全に同一化されることになる。すなわち、貨幣はジェシカであり、ジェシカとは貨幣そのものなのである。いや、ジェシカがトリックスターであるならば、ここにわれわれは、『ヴェニスの商人』の劇のなかで神出し鬼没するトリックスターの窮極的な存在形態を見いだしたことになる。トリックスターとは結局流通し交換を媒介する存在としての「貨幣」にほかならないのである。
それゆえ、ロレンゾーとジェシカとの駆け落ちは、単に父親シャイロックのもとに閉じこめられていた箱入り娘をキリスト教社会のなかに解放したことを意味するだけではない。それは、同時に、吝嗇な高利貸しのもとに死蔵されていた貨幣を広い市場のなかに解放することによって、まさにそれを「流通」する形態へと転換する行為でもあったのである。実際、いったん解放された貨幣=ジェシカは、もはや止どまるところを知らないようにありとあらゆる場所で流通し、ありとあらゆる交換を媒介する。
[#ここから1字下げ]
シャイロック:おおテューバルか、ジェノアで何か聞きこんだか? おれの娘は見つかったか?
テューバル:行く先々で噂は耳にするのだが、どうしても見つからない。
テューバル:噂では、お前の娘さんは一晩に八十ダカットも使っているそうだ。
テューバル:アントーニオの債権者のひとりから、お前の娘さんが猿一匹の代金としてくれたという指輪を見せてもらったよ。
シャイロック:何ていうことだ――その一言はおれを殺すぞ。テューバル――あれは、おれがまだ独りものだったとき死んだ女房リアからもらったトルコ石なんだ。山中全部の猿とだって交換できるか。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](3・1)
だが、貨幣は、ひとたび流通のなかに投じられたならば、もはや共同体の外部において成立している交換価値の担い手としての意味しかもつことはなくなるのだ。そして、このことは、もちろん貨幣の商人シャイロックが一番良く知っているはずのことでもある。
ところで、このロレンゾーとジェシカの駆け落ちという物語は、第一に、ジェシカがユダヤ人社会とキリスト教社会のあいだの交換の媒介者であるという意味においてはポーシャによる人肉裁判の解決の物語のヴァリエイションであった。だが、それは同時に、ジェシカが貨幣であり、ロレンゾーはこのジェシカ=貨幣をその死蔵されていた場所から流通のために解放させた物語として読むこともできた。そして、この第二の読解の立場からは、それは実は『ヴェニスの商人』の本筋をなすもうひとつの物語のひとつのヴァリエイションにもなっていることが理解できる。ここで、もうひとつの物語とは、もちろんバッサーニオによるポーシャへの求婚譚のことである。
8 バッサーニオとポーシャ[#「バッサーニオとポーシャ」はゴシック体]
[#1字下げ]バッサーニオ:ベルモントの町に大きな遺産を受け継いだひとがいる。美しいひとだ。そして、その美しさ以上に美しい徳を備えている。おれはあるときそのひとから美しい無言のことばを受けとったのだ。その名はポーシャ、ケイトーの娘でブルータスの妻となったあのポーシャにもひけをとらぬひとだが、もちろん、その値打ちは世界中に知れわたっている。なにしろ、東西南北を問わず、四方からの風に乗ってあらゆる岸辺から名高い求婚者がやってくる。あのひとの額に輝く髪の毛がまるで黄金の羊毛であるかのように、まるでコルコスの岸辺さながら、ジェイソン気取りの人々が次から次へとベルモントの邸に乗り込んでくるのだ。ああ、アントーニオ、かれらと張り合うだけのものを持ってさえいたら、おれには成功の確かな予感があるのだ、きっと幸運を掴んでみせるという。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](1・1)
財産と美貌と美徳とをかねそなえたポーシャを手に入れるべく、ヴェニスの町からはるか彼方のベルモントへと船出するバッサーニオ――「黄金の毛皮」をもとめてコルコスの国へと向かうアルゴー船の英雄ジェイソン(16)にみずからを擬すバッサーニオとは、まさに遠方の富を求めて地中海中を航海してまわったあの冒険心にみちた古代の交易民族たちをそっくりそのまま十六世紀のイタリアにおいて体現している人間である。その意味で、かれは、絹やコショウ、シナモンやコーヒーといった商品を直接取り扱わずとも、兄弟分アントーニオと同様の遠隔地交易商人としての役割を、みずから意識せずにはたしているのである。いや、実は、『ヴェニスの商人』というアントーニオを指し示す題名をもつ劇のなかにあって、遠隔地交易商人であることが何も本質的な意味をもたず、終始共同体の内部における兄弟盟約的原理の体現者としての役割のみを演じ続けることになるアントーニオに代わって、バッサーニオこそこの劇における冒険心にみちた真の「ヴェニスの商人」の役割を演じることになる存在なのである。
ところで、バッサーニオによって「黄金の羊毛」と擬せられたポーシャそのひとは、次の言葉とともに『ヴェニスの商人』に登場する。
[#1字下げ]ほんとうよ、わたしの小さなからだはこの大きな世界に倦怠しきっているの。
[#地付き](1・2)
ポーシャがそれをひきずって劇に登場するこの「倦怠」――それはまさに、アントーニオがそれをひきずって登場したあの「憂鬱」に対応する。それゆえ、ポーシャのこの倦怠も、アントーニオのあの憂鬱と同様その原因をそのひとの内面に求めようとしても無駄である。それらはいずれも、「大きな世界」、いや世界という大きな「舞台」のなかでかれらがそれぞれ演じなければならない役廻りが生み出している倦怠であり憂鬱なのである。では、ポーシャに倦怠をもたらしているかの女の役廻りとは、一体どのような役廻りなのであろうか?
[#ここから1字下げ]
ポーシャ:ああ、「選ぶ」――とは、何て悲しい言葉なの! わたしには好きな人を選ぶことも、嫌いな人を拒むこともできない。生きている娘の意志が死んでしまった父親の遺志で縛られているのだから。酷いとは思わない、ネリッサ、選ぶことも拒むこともできないなんて。
ネリッサ:お父様はほんとうに立派なかたでした。そして死の床にある人には素晴らしい考えが浮かぶもの。だから、金、銀、鉛の三つの小箱に秘められた意味を選びあてたかたがあなたさまを選ぶべし、という|籤《くじ》を考えつかれたのです。箱を正しく選びあてるおかたなら、あなたさまもきっと本当の愛をもてるにちがいありません。……
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](1・2)
ポーシャは父親から莫大な遺産を受け継ぎながら、父親の遺志の束縛のもとに、正しい小箱を選びあてる求婚者をただ受身に待っている。かの女は、いわば「小箱」に閉じこめられた「黄金の羊毛」なのである。すなわち、ポーシャとは、吝嗇なユダヤ人の父親のもとに閉じこめられていたあのジェシカと同様、まさに流通しないかたちで死蔵されている黄金あるいは貨幣という役廻りを演じている存在にほかならない。あの貨幣=ジェシカという等式は、ここでは貨幣=ポーシャという等式に置き換えられている。
そして、この貨幣=ポーシャをその死蔵されている場所から解放する役割こそ、真の「ヴェニスの商人」バッサーニオに課された役割なのだ。それは、あの貨幣=ジェシカをシャイロックの手から解放することに成功した友人ロレンゾーの役割を、より拡大されたかたちで繰り返すことにほかならない。だが、バッサーニオの場合は、ポーシャを解放するためには、ひとつの試練が待ちうけている。死んだかの女の父親が金、銀、鉛の三つの小箱に秘めておいた謎の意味を解読しなければならないという試練である。
では、この三つの小箱とはいったいどのような意味を秘めているのであろうか?
9 三つの小箱選び[#「三つの小箱選び」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
ポーシャ:……さあ、お選びください。
モロッコ大公:最初のは金の箱、銘が刻んであるな、「われを選びしものは、衆人の望みしものを得べし」。次は銀、これが約言か、「われを選びしものは、おのれにふさわしきものを得べし」。三番目は鈍い鉛だ、その警告もぶっきら棒だ、「われを選びしものは、おのれが持つものすべてを投げだすべし」。正しい箱を選びあてたとは、どのようにして解りますかな?
ポーシャ:箱のひとつにわたしの絵姿が入っております。その箱をお選びになれば、わたしはあなたさまのもの。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](2・7)
モロッコ大公は金の小箱を選んで失敗する。次にアラゴン大公が登場し、銀の小箱を選んで失敗する。そして、三番目に登場するのが、わがバッサーニオである。だが、バッサーニオの小箱選びの結果を報告する前に、ここで少し寄り道してみよう。
「貨幣形態をその完成した姿とする価値形態は、はなはだ無内容かつ単純である」と、『資本論』の序文にマルクスは書いている、「それにもかかわらず、人間精神は二千年以上もまえから空しくその解明に努めてきたのである」。そして、この人間精神がそんなにも昔から解明に努めてきたという価値形態の秘密とは、すべて、
[#1字下げ]二十ヤールのリネン=一着の上着、または二十ヤールのリネンは一着の上着に値する
という単純な価値形態のうちに潜んでいるとマルクスは言う(17)。
この単純な価値形態は、一応、等式のかたちで表現されている。しかし、その両辺をなすふたつの商品――リネンと上着――はおたがいに全く対照的な役割を演じている。すなわち、リネンは自分の価値を上着によって表わしているのにたいして、上着はリネンの価値の表現材料としてのみ用いられている。そして、もしこの単純な価値形態のなかに何らかの謎が潜んでいるならば、それは、このふたつの商品のあいだの関係のうち、リネンの価値が上着によって表わされていることにではなく、上着がリネンの価値の表現手段としての役割をはたしていることにあるはずである。なぜならば、リネンの価値とは、自分自身とは中身も性質もまったく異なった上着という商品とのあいだの相対関係として表現されており、当然その根底には何らかの社会的関係が横たわっていることが容易に見てとれるからである。だが、逆に、上着にかんしては、上着という商品そのものが価値の表現手段としての役割をはたしており、そのことによって、上着そのものが生まれながらに価値をもっているかのように見えてしまう可能性を作りだすのである。もちろん、このような可能性は、上着がリネンにたいして等価交換関係をもっていることに全面的に依存している。しかし、モノの性質とはモノそのものに備わっているものであるというわれわれの日常的な先入観によって、上着もまたリネンと直接に交換できるというその社会的性質を、その質量や色合いといった物理的性質と同じように、あたかも生まれながらに備えているかのように見えてくるのである。すなわち、「ある人が王様であるのは、ほかの人々がかれにたいして臣下として対するからである。だが、逆に、人々はかれが王様であるから自分たちは臣下なのだと思うのである(18)」。
そして、このような「とりちがえ(quid pro quo)」は、価値の一般的表現手段としての貨幣の成立によって完成する。すなわち、「ひとつの商品が貨幣になるのは、ほかのすべての商品が全面的に自分の価値をこの商品によって表わすからであるのに、逆に、この商品が貨幣であるからほかのすべての商品が自分たちの価値をこの商品で表わしているように見えている」。「ここに」と、マルクスは結論する、「貨幣の謎がある」と(19)。
[#ここから1字下げ]
バッサーニオ:なるほど、外観は中身を裏切るものだ、――世間はつねに虚飾に惑わされる――……それゆえ、光り輝く金よ、その硬さでマイダス王の食物にもならなかったお前には用はない。それからお前、生白い顔をした人から人への走り使い、お前にも用はない。だが、お前、何かを約束する言葉よりも脅し文句を彫りつけた見すぼらしい鉛よ、お前の飾らぬ姿はどのような雄弁よりもおれの心を揺り動かす。おれはお前を選ぶ、――好い結果であるように!
バッサーニオ:なかに何があるのか? (鉛の小箱を開ける。)美しきポーシャの絵姿ではないか!……
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](3・2)
ポーシャの絵姿を秘めている小箱――それは、まさにポーシャの絵姿を秘めているからこそ価値があるのであり、それ自身が価値をもっているからではない。鉛の小箱を選んで成功したバッサーニオが解き明かした謎とは、まさにこのことなのである。
金の小箱を選んだモロッコ大公は、ポーシャの絵姿の単なる容れ物にすぎない小箱の価値とポーシャ自身の価値を混同したことによって失敗した。銀の小箱を選んだアラゴン大公は、小箱の価値と自分自身の価値とを同一化したことによって失敗した。単なる価値の容れ物にすぎない小箱そのものに価値を見いだしてしまったこのふたりは、貨幣が貨幣であるからほかのすべての商品が貨幣によってその価値を表わしているのだと考えるあの「とりちがえ(quid pro quo)」と同じ誤りをおかしてしまったのである。
それに対して、バッサーニオが解き明かした鉛の小箱の謎とは、貨幣が貨幣であるのはほかのすべての商品が全面的に自分の価値を貨幣によって表わすからにすぎないのだというあの「貨幣の謎」に対比しうるものである。いや、すでに見たように、もし鉛の小箱のなかにその絵姿が秘められていたポーシャが、貨幣の象徴としての役割をこの『ヴェニスの商人』という劇においてはたしているのならば、バッサーニオは、まさに貨幣の謎を解き明かすことによって、貨幣=ポーシャを小箱の謎の呪縛から解き放ったということになるのである。
ここに、貨弊=ポーシャは、死んだ父親の手から真の「ヴェニスの商人」であるバッサーニオの手に移る。それと同時に、ポーシャの侍女ネリッサも、同行したバッサーニオの友人グラシアーノの求婚を受け入れる。
[#1字下げ]グラシアーノ:われわれふたりはジェイソンだ、黄金の羊毛を手にいれたのだ!
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](3・2)
だが、実は、バッサーニオもグラシアーノも、「黄金の羊毛」を手に入れたとたんに、またそれを手放さなければならない運命にある。
モロッコ大公やアラゴン大公のように、貨幣が貨幣であるのは貨幣自身に本来的な価値がそなわっているからだと考えるならば、貨幣とはそのまま価値として蓄蔵し続けておくべきものである。このふたりが小箱のなかに死蔵されていた貨幣=ポーシャを解放できなかったのは、それゆえ、まさに理の当然であった。しかしながら、バッサーニオが解き明かしたように、貨幣とはほかの商品との等価関係のなかでしか貨幣でありえないのならば、貨幣が貨幣であり続けるためには、それは流通して、ほかの商品との等価関係をたえず更新していかなければならない。ひとたび、死蔵された状態から解放されるやいなや、貨幣とは、けっして一処にはとどまらずに、ありとあらゆる場所において流通し、ありとあらゆる交換を媒介することになるのである。そして、実は、蓄蔵される形態から流通する形態へと脱皮した瞬間に、貨幣は更なる変身をとげることになる。
事実、バッサーニオとポーシャ、グラシアーノとネリッサがおたがいに愛の誓いを交わす間もあたえずに、ヴェニスからアントーニオの危機を告げる知らせが舞い込んでくる。バッサーニオとグラシアーノは、アントーニオを助けるために早速ヴェニスに戻り、ポーシャとネリッサも、かれらとは別に同じくヴェニスに向かうことになる。
10 ポーシャの資本主義[#「ポーシャの資本主義」はゴシック体]
ところで、バッサーニオが鉛の小箱のなかにポーシャの絵姿を見いだし、自分の成功をいまだに信じられない面持ちでいるとき、ポーシャはかれに次のような言葉をあたえていた。
[#1字下げ]バッサーニオさま、その目に映るわたしこそあるがままのわたしです。わたしひとりのためならば、これ以上の自分をと、望みを高めはいたしません。でも、あなたのためなら、このままのわたしよりも百倍も良くありたい、一千倍も美しく、一万倍も金持ちでありたい。
[#地付き](3・2)
貨幣とは、蓄蔵されているかぎり、何も産まぬ石女である。それは、「これ以上の自分をと、望みを高め」ぬ静態的な存在にすぎない。だが、ひとたび死蔵された状態から解き放たれて流通しはじめると、貨幣とは、貨幣であると同時に貨幣以上のものに転化しようとする。なぜならば、それは、本来的な価値をそれ自身もたないモノとモノとの交換の単なる媒介であるにもかかわらず、いやまさにそれだからこそ、今度は逆に特定のモノに縛りつけられない抽象的で一般的な交換価値の担い手としての役割をはたすことになるからである。そして、このような一般的交換価値の担い手としての貨幣は、世にあるどのようなモノでも手に入れられる可能性を与えてくれるものとして(それ自身があたかもひとつの商品であるかのように)人々に需要され、それによって人々の欲望を必ず限りある個々のモノにたいする欲求から解き放つのである。すなわち、それは、人々の無限なる欲望の対象となることによって、「百倍」にも、「一千倍」にも、「一万倍」にも、いや無限倍にも自己を増殖しようとする存在になるのである。無限に自己増殖しようとする貨幣――すなわち、貨幣は「資本」になろうとする。
だが、実際に貨幣が自己増殖するためには、それはつねに利潤を生みだしていかなければならない。では、利潤とは一体どこから生み出されてくるものなのであろうか。
もちろん、利潤は無からは生まれない。それは、かならず貨幣とモノとの交換、すなわち売りと買いを通して生み出されてくるものである。いや、安く買って高く売ること――それが、利潤を生み出すための基本原理にほかならない。しかしながら、モノの売り買いとは、原則的にはおたがいに価値の等しいモノと貨幣とのあいだの交換のことである。それゆえ、詐欺、ペテン、泥棒、掠奪等の不等価交換に訴えぬかぎり、だれも安く買って高く売るなどという芸当はできないように見える。モノと貨幣、貨幣とモノとの等価交換をいくら繰り返しても、そこから価値の剰余、すなわち利潤を生み出すことなど不可能であるかのように見える。
もちろん、生産活動を考慮に入れても話は変わらない。たしかに、生産過程に投入された原材料の価値よりもそこから産出された生産物の価値のほうが大きい。しかし、それは一般には生産活動にたずさわっている労働力の付加価値を反映するものであり、剰余価値、すなわち利潤の創出をかならずしも意味するものではない。
それでは、利潤とは、詐欺、ペテン、泥棒、掠奪といったまさに不等価交換がおこなわれている場所でしか生み出されえないものなのであろうか? 利潤とは、等価交換からはけっして生み出されないものなのであろうか? この問いにたいする答は、しかし、否である。実は、あくまでも等価交換の原則にもとづきながらも利潤を生み出すことのできる場所が、いわば場所ならぬ場所において存在するのである。
ふたつの異なった価値体系の狭間――それが、そのような場所、いや非場所である。すなわち、おたがいに異なったふたつの価値体系のあいだを媒介して、一方で相対的に安いものを買い、他方で相対的に高いものを売る――それが、等価交換のもとで利潤を生み出す唯一の方法である。利潤とは、価値体系と価値体系とのあいだにある差異から生み出される。利潤とは、すなわち、差異から生まれる。
たとえば、遠隔地交易に代表される「ノアの洪水以前から」の商業資本主義とは、地域的に離れたふたつの共同体のあいだの価値体系の差異を媒介して利潤を生み出す方法であり、いわゆる産業革命以降に確立した産業資本主義とは、生産手段を独占している資本家が、労働力の価値と労働の生産物の価値とのあいだの差異を媒介して利潤を生み出す経済機構であり、いわゆるポスト産業資本主義的な形態の資本主義においては、新技術や新製品のたえざる開発によって未来の価格体系を先取りすることのできた革新的企業が、それと現在の市場で成立している価格体系との差異を媒介して利潤を生み出し続けている。実際、貨幣の無限の自己増殖をその目的とし、利潤の獲得をその動機としている資本主義にとって、差異さえあれば、それはどのような差異であってもかまわない(20)。
「百倍」にも、「一千倍」にも、「一万倍」にも自分を高めたいと望むポーシャ――かの女が貨幣なるものを象徴しているのならば、それは単に想像のなかでのみ資本になりたいと望んでいる貨幣ではない。それは、流通のなかで実際に資本に転化しうる貨幣なのである。なぜならば、この貨幣=ポーシャは、真の「ヴェニスの商人」バッサーニオと結びつくことによって、遠隔地交易というふたつの共同体のあいだの差異を媒介する「ノアの洪水以前から」の利潤の創出方法をわがものにしたからである。
[#1字下げ]ポーシャ:さあ、ネリッサ、これから一仕事しなくては。まだ、それがどのような仕事だか、おまえには知らせていないけど。……
[#地付き](3・4)
実際、小箱の呪縛から解放されて、自由に流通する形態となった貨幣=ポーシャの最初の「一仕事」とは、秘かにベルモントからヴェニスへと旅をして、トリックスターとして人肉裁判に介入することであった。そこで貨幣=ポーシャが、キリスト教社会とユダヤ人社会というふたつの共同体のあいだの差異を媒介して、両者のあいだに一種の交換を成立させてしまう物語については、もう繰り返す必要はないであろう。
ところで、ポーシャの媒介によって成立したこの交換において、ポーシャ自身は(自分がバッサーニオにあげた指輪以外)何も獲得しはしなかった。しかしながら、その代わりに、まさにポーシャの代理的な存在であるジェシカとその夫ロレンゾーが、それまで父親シャイロックのもとに蓄蔵されていた貨幣のうち、ヴェニスの国庫に没収されなかった分をすべて譲り受けることになった。すなわち、この交換の結果として、ジェシカは、駆け落ちをしたときに一緒に持ち出した貨幣を、さらに「百倍」にも、「一千倍」にも、「一万倍」にも増殖させることに成功したことになる。ここに、貨幣は資本に転化したのである。
そして、再び最初の人肉裁判の物語まで話が一巡したことによって、この『ヴェニスの商人』の話もいよいよ終わりに近づいた。
だが、この『ヴェニスの商人』という劇を本当に終わらせるためには、われわれはもう少しだけ話を続けなければならないようだ。実は、「指輪」をめぐる物語について、まだ話し残しているのである。
11 指輪をめぐる物語[#「指輪をめぐる物語」はゴシック体]
指輪――それは、バッサーニオが三つの小箱選びに成功した後、ポーシャが次のような言葉とともにバッサーニオに贈ったものである。
[#1字下げ]この家も、召し使いたちも、このわたし自身も、皆あなたのもの! この指輪とともに、すべてを差しあげます。もしこれをお捨てになったり、なくされたり、人におやりになったりしたら、それはあなたの愛の滅びた証拠、きっとわたしは怨むにちがいありません。
[#地付き](3・2)
すなわち、指輪とはまさにポーシャそのものを象徴している。そして、すでに見たように、ポーシャ自身が貨幣なるものと同一視されうるのならば、ここに指輪=貨幣というもうひとつの等式が成立する。
ところで、ポーシャのこの言葉に答えて、バッサーニオは次のような大見得をきる。
[#1字下げ]この指輪がわたしの指から消えるときは、わたしの命も消えるとき――そのときは叫んでいただこう、バッサーニオは死んだのだと!
[#地付き](3・2)
バッサーニオのこの言葉は、指輪と自分の命とのあいだの等価交換を約束した言葉として読むことができる。指輪と命とのあいだの等価交換の約束――それは、結局、三千ダカットのお金と自分の肉一ポンドとのあいだの等価交換の約束を書きつけたあのアントーニオの証文の、いささかかたちを変えた反復にほかならない。そして、当然のことながら、このように大見得をきったバッサーニオも、アントーニオと同様この約束を守ることができなくなる。法律学者に扮したポーシャの悪戯によって、人肉裁判を解決してくれた返礼に、ポーシャと知らずにポーシャに指輪を贈る羽目になってしまうのである。それゆえ、舞台が最終的にベルモントに移り、そこに集まったすべての人々がおたがいを祝福しあっている前で、指輪をめぐってバッサーニオとポーシャが言い争いをはじめる。(そして、それと二重写しになって、やはりネリッサから受取った指輪をネリッサとは知らずにネリッサにあげてしまったグラシアーノがネリッサと言い争いをはじめる。)この言い争いは、もちろん、シャイロックにたいしてアントーニオが守れなかった契約をめぐるあの人肉裁判の反復にほかならない。
だが、悲劇の二番煎じはかならず茶番劇である。
バッサーニオとポーシャの争いは、ふたつの背反する共同体のあいだの悲劇的な対決ではなく、もはやすでに結婚の誓約を交わしあった男と女のあいだの単なる痴話喧嘩にすぎない。実際、指輪は本当は一度も失われたことはなかった。それは、バッサーニオからポーシャへと、単にその贈り主のもとへ戻っていっただけである。なぜならば、もはやここでは、指輪=貨幣はかつてのような死蔵されている存在ではなく、みずから流通して、ありとあらゆる交換を媒介する神出鬼没の存在に転化しているのである。そして、もちろん、この争いもポーシャによって解決されることになるが、それは結局、バッサーニオから取り戻した指輪をもう一度バッサーニオに贈り直して、自分自身がもはや死蔵される形態ではなくまさに流通する存在になってしまっていることを種明かししてしまうという、いわば茶番的な解決の仕方によってなのである。
ここでは、何も失われず、だれも没落することもない。いや、ふたつの価値体系のあいだを貨幣が行き来することによって利潤が生み出されていくように、ポーシャとバッサーニオのあいだをこのように指輪(ring) が行き来することは、やはりそこから将来多くの利潤が生み出されていくであろうことを予期させる。だが、それがこの場合どのようなかたちの利潤(いや利〈子〉)であるかは、ここではグラシアーノの言葉を借りて示唆しておけば良いであろう(21)。
[#1字下げ]ひとつ賭をしてみようじゃないか、先に男の子を生んだほうが一千ダカットだ。
[#地付き](3・2)
かくして、指輪の物語が、悲劇をすべて茶番としてひっくりかえしながら、劇全体の粗筋をもう一巡繰り返していくうちに、『ヴェニスの商人』はめでたく大団円を迎えることになる。
12 大団円[#「大団円」はゴシック体]
大団円の舞台はベルモント――そこに登場する主な人物は、ポーシャとバッサーニオ、ネリッサとグラシアーノ、ジェシカとロレンゾー、そしてアントーニオの七人である。
もちろん、ここにはシャイロックは見当たらない。キリスト教徒に改宗させられ、ユダヤ人としての自己完結性を失ってしまったシャイロックは、もはやこの舞台、いや舞台としての世界から退場するよりほかはない。
しかしながら、シャイロックはこの舞台から本当に退場してしまったのであろうか? もちろん、シャイロックという人物はもう跡方も残っていない。だが、シャイロックの秘蔵の娘ジェシカ、かれが高利貸しによって蓄えこんでいた貨幣、そしてかれが発した「証文どおり」という言葉に表現されている等価交換原理、すなわち女と貨幣と言葉は、いずれもシャイロックから独立して、この最後の舞台にも残り続けている。いや、単にそこに残り続けているだけではない。それらは、おたがいに手を携えて、シャイロックが敵対していたキリスト教社会のなかに入りこみ、もはやそれを後戻りできないようなかたちに変質させてしまう働きをするのである。
ここで、もう一度第一幕を想い起こしてみよう。
[#ここから1字下げ]
サリーリオ:やあ、こんにちは、バッサーニオ。
バッサーニオ:やあ、今度はいつかい、例のどんちゃん騒ぎは?
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](1・1)
確かに、あれは良い日々であった。アントーニオとバッサーニオ、グラシアーノとロレンゾー――ヴェニスのこの四人の友人のあいだにはあの兄弟盟約的な連帯関係があり、おたがいに「どんちゃん騒ぎ」にあけくれていた日々であった。だが、共同体が共同体であるためにはつねにその外部との交易を必要とするように、バッサーニオとグラシアーノは海の彼方の共同体の外部に「黄金の羊毛」を求めて旅立ち、ロレンゾーは共同体の内部における外部に同じく「黄金の羊毛」を求めて画策する。みずからは知らずに遠隔地交易の方法を実践しているこれらの商人ならぬ商人たちは、それぞれその投機に成功し、バッサーニオはポーシャと、グラシアーノはネリッサと、そしてロレンゾーはジェシカと結婚する。
だが、それは個々の人間にとっては至福のときであっても、共同体にとってはまさにその解体を告げる出来事なのである。
[#ここから1字下げ]
グラシアーノ:さて、これからの人生のなかでは、ネリッサの指輪をなくすことだけが心配の種だ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](5・1)
貨幣の象徴である異邦の女との結婚――それは、バッサーニオ、グラシアーノ、そしてロレンゾーを、それぞれ自分と等価交換原理の担い手である貨幣との関係にのみ気をつけるだけの存在にさせてしまう。すなわち、かれらは「個人化」され、ここに、兄弟盟約的な人間関係に支えられていた共同体は、貨幣を通じて間接的に結ばれる単なる個人と個人の集まりとしての社会に変質をとげてしまうのである。いや、かれらは単に個人化されただけではない。みずからは知らずに遠隔地交易の方法を実践していたバッサーニオ、グラシアーノ、ロレンゾーは、差異を媒介することによってみずからを増殖させようとする貨幣=女と合体することによって、利潤=子供を生み出すことを自己目的とした言葉の真の意味での「資本主義的」な個人となるのである。かくして、ヴェニスの町のキリスト教社会は、ユダヤ人シャイロックから奪いとった女と貨幣と言葉によって、逆にその共同体的な自己完結性を失い、資本主義的な個人の集まりとしての資本主義社会へと変質をとげてしまうことになる。
[#1字下げ]十五世紀から十八世紀にかけて起こりつつあった経済機構は自分に名前が欲しいと泣きさけんでいる。仔細に吟味してみるならば、それを通常の市場経済という言葉の枠組の中に押しこめることがほとんど馬鹿げていることがわかるであろう。ひとつの言葉が直ちに頭に浮かんでくる――〈資本主義〉という言葉だ。苛だって、玄関先から追い払ってみても、それはすぐまた窓から這い登ってくる。この言葉に代わる適切な言葉が存在しないのだ。
[#地付き](フェルナン・ブロウデル(22))
資本主義――それは、伝統的には産業革命以降の生産様式のみに限定されて用いられている言葉である。だが、われわれは、ブロウデルにならって、資本主義という言葉をそれよりもはるかに広い意味で使ってきた。実際、「好むと好まざるとにかかわらず、産業革命以前においても、ほかのどのような言葉よりもこの言葉のみを想い起こしてしまうひとつの経済活動の形態が存在していた」からである。
資本主義――それは、資本の無限の増殖をその目的とし、利潤のたえざる獲得を追求していく経済機構の別名である。利潤は差異から生まれる。利潤とは、ふたつの価値体系のあいだにある差異を資本が媒介することによって生み出されるものである。それは、すでに見たように、商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義と、具体的なメカニズムには差異があっても、差異を媒介するというその基本原理にかんしては何の差異も存在しない。
しかし、利潤が差異から生まれるのならば、差異は利潤によって死んでいく。すなわち、利潤の存在は、遠隔地交易の規模を拡大し、商業資本主義の利潤の源泉である地域間の価格の差異を縮めてしまう。それは、産業資本の蓄積をうながして、その利潤の源泉である労働力と労働の生産物との価値の差異を縮めてしまう。それは、新技術の模倣をまねいて、革新的企業の利潤の源泉である現在の価格と未来の価格との差異を縮めてしまう。差異を媒介するとは、すなわち差異そのものを解消することなのである。資本主義とは、それゆえ、つねに新たな差異、新たな利潤の源泉としての差異を探し求めていかなければならない。それは、いわば永久運動的に運動せざるをえない。言葉の真の意味での「動態的」な経済機構にほかならない。
資本主義の前には、したがって、どのような価値体系も孤立し、閉鎖されたままではいられない。なぜならば、孤立が意味する独自性、閉鎖が意味する異質性は、すべて資本主義にとっては差異の一形態にしかすぎないからである。そして、差異とは、それがどのような形態をとろうとも、資本によって媒介すべき利潤の源泉にほかならず、そして、ひとたび資本によって媒介された差異は、そのことによってその存在そのものを抹消されてしまう運命にある。すなわち、資本主義とは、かつてはそれぞれ孤立し、閉鎖されていた価値体系と価値体系とを相互に対立させ、相互に連関させ、それらを新たな価値体系の中へと再編制してしまう社会的な力にほかならない。そして、このような過程のなかで、それ自身で完結していたかに見えていた古い価値体系はその差異性を失い、「腐った果実のようにいち早く地に落ちてしまう」のである。
ところで、七という数は不均衡な数だ。アントーニオ、バッサーニオ、グラシアーノ、ロレンゾーの四人の男と、ポーシャ、ネリッサ、ジェシカの三人の女とのあいだには、けっして一対一対応の関係を結ぶことはできない。それゆえ、バッサーニオとポーシャ、グラシアーノとネリッサ、ロレンゾーとジェシカが結婚し、それぞれ資本主義的な個人へと転身することに成功したなかで、アントーニオただひとりが孤立した存在として取り残される。最後まで兄弟盟約的な共同体原理に固執し続けていたこの「古代ローマ人」、真の意味での「ヴェニスの商人」になれなかったこのヴェニスの商人アントーニオは、結局、みずからが帰属すべき共同体そのもの、いや、自分そのものを失ってしまい、世界という舞台から没落するよりほかはない。アントーニオとは、シャイロックと同様、資本主義という社会的な力の働きによって「腐った果実のようにいち早く地に落ちてしまう」古い価値体系の象徴にほかならなかったのである。
[#1字下げ]まったく、どういうわけか、おれは憂鬱なのだ。厭になる。おかげできみたちだって厭だろう。だが、どうしてこんなものにとりつかれ、背負いこんでしまったのか、こいつが何でできており、どこから生まれてきたのか、見当もつかない。ともかくおれはこの憂鬱のために白痴同然となり、自分がなにものであるかさえわかりかねる始末だ。
[#地付き](1・1)
劇の冒頭からアントーニオがかかえこんでいた憂鬱――それは、これから自分が演じなければならないこの「悲しい役廻り」を、どこかで予感していた憂鬱であったのにちがいない。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
(1)このエッセイの基本的アイデアは水村美苗に負っている。また、その執筆中に、関曠野氏の『ハムレットの方へ』(北斗出版)と題された卓抜なハムレット論を目にする機会を得、それに大いに刺激されたことを記しておく。
[#ここから1字下げ]
[#1字下げ] なお、このエッセイの骨子は、一九八四年五月に東京外国語大学AA研の「アジア・アフリカにおける象徴と世界観」にかんするセミナーにおいて報告された。セミナー参加者のコメントに感謝の意を表しておきたい。
[#ここから1字下げ]
(2)このエッセイにおける『ヴェニスの商人』の翻訳は、John Russell Brown ed., The Merchant of Venice, (The Arden Shakespeare, 1959) を底本にした。なお、翻訳にあたっては、福田恆存氏と小田島雄志氏の訳を参照したことを付記しておく。
[#ここから1字下げ]
[#1字下げ] また、引用の後の(1・1)という番号は、第一幕第一場を意味している。以下、同様である。
[#ここから1字下げ]
(3)『ヴェニスの商人』にかんする代表的な評論を見るには、John Wilders ed., Shakespeare, 'The Merchant of Venice' : A Casebook, (Macmillan, 1969) が便利である。
(4)マックス・ウェーバー『法社会学』世良晃志郎訳、一二二ページ。
(5)グラハム・ミッジェリイのような批評家は、以上のような台詞のなかに、バッサーニオにたいするアントーニオの同性愛的な愛情の表現を「発見」している。最初の場面におけるアントーニオの憂鬱の「原因」を同性愛の対象であったバッサーニオの離別にもとめ、かれを取りまく友人たちのなかでアントーニオという人物が占めているいささか孤立した役割の「根源」にかれの隠された同性愛的傾向を見いだし、アントーニオがその台詞のなかでバッサーニオにたいしてしばしば用いる "love" という言葉(日本語では、それに「心からの友情」というような訳があてられることが多い)をその「証拠」として提出するのである。 (Graham Midgeley, "'The Merchant of Venice' : A Reconsideration," John Wilders ed., op. cit.) 実は、この「発見」は、純粋に比喩的な意味に解するかぎりは全くの見当外れというわけではなく、『ヴェニスの商人』を中世的な勧善懲悪劇の典型と見なしたり、シャイロックに贖罪の山羊の役割を振り分けた祝祭形式の喜劇として理解しようとしたりする批評よりは、まだしもこの劇の動態的な構図を正確に反映していると言える。だが、後に明らかにするように、『ヴェニスの商人』という劇の動態的な構図の結果にすぎないアントーニオの孤立性というものを、同性愛という個人の「内面」の問題に還元してしまおうというこのような批評は、結局、あの詮索好きなサリーリオとサレーニオのおしゃべり――「とすれば、きみは恋をしているんだ」――と何ら変わることがない。
(6)十五世紀から十八世紀にかけてのヨーロッパにおける遠隔地交易やそのほかの商業活動については、Fernand Braudel, Civilization and Capitalism : 15th-18th Century, vol. II : The Wheels of Commerce, (English translation from the French, Harper & Row, 1982) を参照のこと。
(7)カール・マルクス『資本論』第一巻第一篇第二章。
(8)ヘロドトス『歴史』四巻、一九六節、岩波文庫版、松平千秋訳。
(9)マックス・ウェーバーは、貨幣を媒介にしておこなわれる商品交換に典型的にみられる契約の形態を「目的契約」と名付け、共同体の内部における「身分契約」あるいは「兄弟盟約」と対比させている。ウェーバー、前掲書参照。
(10)『ヴェニスの商人』の上演史については、たとえば、前掲の Arden 版の The Merchant of Venice の "introduction" を参照のこと。
(11)アリストテレス『政治学』第一巻第十章。
(12)『申命記』第二三章第一九節。なお、ユダヤ=キリスト教文明のなかでの高利貸しについては、Benjamin Nelson, The Idea of Usury from Tribal Brotherhood to Universal Otherhood, Princeton University Press, 1949 を参照のこと。
(13)ユダヤ民族の選民=賎民性については、たとえば、マックス・ウェーバーの『古代ユダヤ教』みすず書房、内田芳明訳、を参照のこと。
(14)ここでは、justice を「司法」と訳しておいた。通常用いられる「正義」という訳では、この言葉が『ヴェニスの商人』のなかで使われている意味とは矛盾した意味合いをもってしまうのである。
(15)レヴィ=ストロース『構造人類学』第十一章「神話の構造」。
(16)「黄金の羊毛」を求めて地中海を冒険するアルゴー船の英雄ジェイソン、あるいはイアーソン、については、たとえば、高津春繁『ギリシャ・ローマ神話辞典』岩波書店、を参照のこと。
(17)マルクス『資本論』第一巻第一篇第一章。
(18)同上。
(19)同上、第一巻第一篇第二章。
(20)以上の議論は、本書所収「遅れてきたマルクス」でより詳しく展開されている。
(21)ring という言葉が性的な比喩でもあることは、とりたてて説明しなくても良いであろう。
(22)Fernand Braudel, Afterthoughts on Material Civilization and Capitalism, The Johns Hop-kins University Press, 1977, pp. 45-46.
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
キャベツ人形の資本主義
昨年、米国で爆発的に売れ、けが人まで出る騒ぎとなった「キャベツ人形」が、来月から日本国内で発売される。ところが、本物の上陸を前に、模造品が出回り始め、日本での独占販売権を獲得している発売元では、「本物がヒットする前に、偽物が先行するなんて聞いたことない」と対策に大わらわ。米国志向が強い風潮をあて込んだ現象といえそうだが、「赤ちゃんはキャベツ畑から生まれる」という向こうのおとぎ話が由来のこの人形、日本でも爆発的なブームとなるかどうか。 キャベツ人形の商品名は、「キャベッジ パッチ キッズ(キャベツ畑の子供たち)」。昨年春、米国のコレコ工業が売り出したところ、爆発的な人気を呼び、年末までに三百万体を売り尽した。
従来の人形と違い、コンピューターによって顔、目の色、髪の毛、ドレスなどが、どれ一つとして同じように作られていない。一体、一体に、生年月日と名前が書かれた「誕生証明書」がついているうえ、客が自分で名前をつけて「養子縁組書」を送ると、一年後に「バースデーカード」が送られてくる、などのユニークさが、大ヒットの原因となっている。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](『朝日新聞』一九八四年一月十一日夕刊)
大きな丸い顔の中に、寄り気味の丸い目とつぶれた豆のような鼻、突き出た頬と物欲しげな口元、無防備にひろげた短くふくよかな二本の手に二本の足。それは幼児の特徴をすべて備えて、しかも醜い。
ある人は、その幼児的な特徴に人々がキャベツ人形を求める秘密を見出す。例えば、コンラート・ローレンツによれば、人間は、幼児や幼児の特徴をもつものを見ると、それを自動的に保護し可愛がる本能的衝動(より「学問的」には、「先天的|解発装置《リリーサー》」)をもっているという。それは、子供の数が少なく、種の保存のためには子供一人一人が高い価値をもつ人類(および多くの哺乳動物)にとって、重要な役割を果してきた本能であるというのである。この赤ん坊を保護し可愛がりたくなる衝動が、はたしてローレンツの言うように本能的なものか、それとも生得的なものかは別にして、とにかくこの内なる衝動に導かれて、人々はおもちゃ売り場に殺到するのだというのである。
もちろん、ここには何の新しさもない。キューピー人形からミルク飲み人形、テディ|熊《ベア》からダッコちゃんまで、過去に人気のあった人形や動物のおもちゃはすべてこの衝動を利用している。いや、ミッキーマウスやドナルドダックを想い浮べれば、あのディズニーがこの衝動に訴えることを企業としての基本戦略にしてきたことがただちに認識されるはずである。だが、キャベツ人形には、その幼児性に加えて、顕著な醜さがある。ここで醜いといっても、大人の醜さと幼児の醜さとは根本的に違う。大人の醜さは醜さそのものであるが、幼児の醜さは将来美しく変身する可能性を秘めた醜さである。それはいわば未完成の状態であることの象徴であり、幼児性の特徴をさらに強める働きをするのである。醜い赤ん坊としてのキャベツ人形、それはあの醜いあひるの子の物語のひとつの現代版というわけだ(1)。
またある人は、子供が人形を養子としてもらいうけるところに、子供たちがキャベツ人形を欲しがる秘密を見出している。子供にはいわゆるもらい子コンプレックスなるものがあるという。それは、自分がどのようにしてこの世に生を受けたかということに対する疑問とそれに伴う無意識の存在不安が、自分はもらい子なのではないかという具体的なかたちの不安に転化されたものである。まさにこのもらい子コンプレックスが、子供がキャベツ人形を自分の養子としてもらうことによって昇華されるのだというのである。すなわち、何でも知っているパパやママと何も知らないボクやワタシとの関係が、自分と人形との間の関係に置き換えられ、それによって自分の抱く無意識的な存在不安を構造的に人形に肩代りしてもらうというわけだ。実際、あらゆる神話が「矛盾の解決を可能とする論理的モデル」(レヴィ=ストロース)であるように、キャベツ人形の名が由来するキャベツ畑のおとぎ話は、子供が疑問とする存在の矛盾の解決を可能とする、ひとつの論理的モデルの役割をかつて果して来たにちがいない。キャベツ人形はまさに現代においてこのおとぎ話の役割を果してくれるというわけだ。
さらにある人は、養子縁組契約、出生証明書、誕生カードといった工夫によるその擬人化に、人々がキャベツ人形に執着する秘密を見出している。アメリカ社会における伝統的な家庭の崩壊の潮流のなかで、キャベツ人形が家族の新たな一員として家庭の活性化の手段として求められるのだとも、もはやとり返しのつかないほど失われてしまった親子の人間関係の代用品としてあてがわれるのだともいう。
さらにまたある人は、その手作りを思わせる素朴さに、キャベツ人形を求める人々の心のふるさとを見出している。
またさらにある人は……。
だが、もうこのへんで、動物行動学的、精神分析的、新聞評論的、NHK的……なおしゃべりは切り上げなければならない。これらの説明は、それぞれいかに興味深いものであったとしても、いずれも人間(あるいは子供)の欲望を満たす対象としてしかキャベツ人形を見ていない。その意味で、それはモノに対する人間の欲望をモノと欲求との間の直接的な関係に見出す、十九世紀的な効用主義的思考(およびそれを支えている伝統的な形而上学的思考)の枠組を一歩も出ていない発想にすぎない。たとえ、キャベツ人形に対する人々の欲望が、単なる有用性の追求という古典的な範疇にはおさまりきらない、動物本能的、幼児無意識的、家庭心理的、心のふるさと的な拡がりをもつものであったとしてもだ。
では、人間のモノに対する欲望とは一体どこから生まれてくるのか。そのキャベツ畑は一体どこにあるのか。
動物の欲望とは、直接モノを対象とする欲望であろう。(ただし、動物行動学的にはこれも確実ではないが。)だが、人間とは「社会の中でしか個人になれない動物である」。この社会的動物としての人間がモノに対してもつ欲望とは、コージェフの言葉を借りれば、「モノをモノとして所有するためではなく、それに対する自分の権利を他者に認めさせることであり、それの所有者として他者に自分を認めさせること」である。まさに「他者に認められることへの欲望、そしてこのような欲望によってひきおこされる行為のみが、生物的ではない人間としての自己を創造し、実現し、顕現する」のである(2)。実際、他者が欲しているモノ、他者が認めているモノを所有し、消費し、さらにはそれについて語ることによってしか、他者に認められたいというこの人間に固有の社会的欲望を満たすことはできないのである。その意味で、モノとはメディア(媒介)であり、したがって、モノとはメッセージである。
もし、キャベツ人形をめぐる大騒ぎの中に、何か知的に興味をそそるものがあるとすれば、それはまさにそれが、人間の社会的欲望の媒介としてのモノのひとつの極限形態となっているところにあるのである。だが、これがどういう意味であるかを明らかにするためには、これからしばらく寄り道をしなくてはならない。
「蓄積せよ、蓄積せよ! これがモーゼで、預言者なのだ」。資本の絶えざる自己増殖、それが資本主義の絶対的な目的にほかならない。蓄積のためにはもちろん利潤が必要だ。だが、この利潤は一体どこから生まれてくるのか。利潤のキャベツ畑とは一体どこにあるのか。
遠隔地、と重商主義者は答えたであろうし、労働者階級と、古典派経済学者やマルクスは答えたであろう。(新古典派経済学には利子の理論はあるが利潤の理論は存在しない。)二つの地域の間の価格体系の差異を搾取し、一方で安いものを他方で高く売ること、それが重商主義者が明らかにした商業資本にとっての利潤創出の秘密である。また、労働力の価値と労働の生産物の価値の差異を搾取すること(すなわち、万人に開かれている市場における労働力と生活必需品との交換比率と、生産手段を所有している資本家のみに開かれている生産過程における労働力とその生産物との変換比率との差異を搾取すること)、それがリカードやマルクスの明らかにした産業資本にとっての利潤創出の秘密である。いずれの場合も、利潤は資本が二つの価値体系の間の差異を仲介することから創り出される。利潤はすなわち差異から生まれる。
しかしながら、遠隔地貿易の拡大発展は地域間の価格体系の差異を縮め、商業資本そのものの存立基盤を切り崩す。産業資本の規模拡大と、それに伴う過剰労働人口の相対的な減少は、労働力の価値と労働生産物の価値との差異を縮め、産業資本そのものの存立基盤を切り崩す。差異を搾取するとは、すなわち差異そのものを解消することなのである。
それゆえ、もはや搾取すべき遠隔地も労働者階級も失いつつある資本主義にとって、残された道はただひとつ――内在的に差異を創造するよりほかはない。もちろん、資本は全体としてみずからを差異化することはできない。それは、したがって、個別企業の間の相対的差異を通して創造されるよりほかはない。革新(イノヴェイション)――それがこの内在的な差異の創造の別名にほかならない。革新とは、他の企業とは異なったモノを売ること、他の企業より安くモノを作ること、他の企業より早くモノを運ぶこと……であり、革新に成功した企業はこのような他の企業に対する相対的な優位性(プラスの差異)を搾取することによって利潤を獲得することになる。(すなわち、革新とは未来の価格体系の先取りであり、革新企業はこの未来の価格体系と現実の価格体系との差異から利潤を獲得するのである。)実際、この利潤の可能性こそ馬の鼻の先のニンジンであり、それを求めて企業はおのおの革新の機会をうかがっているのである。
だが、ひとつの企業による革新の独占は永久には続かない。差異の搾取はここでも差異を解消する。勝者があれば必ず敗者がある。革新企業にとってのプラスの差異は、他の企業にとってはマイナスの差異である。革新企業の利潤再投資による市場シェアの増大は、他の企業の利潤を損失に転化させていく。その結果、従来の商品や技術や交通手段に頼っていた他の企業は、市場からの敗退の脅威にさらされて、新商品、新技術、新交通手段の積極的な模倣(イミテイション)を余儀なくされる。模倣は革新よりも必然的に容易である。(革新と同程度に困難な模倣はもはや模倣ではない。)そして、ひとつの企業が模倣に成功すると、次の模倣は一層容易になる。模倣は模倣を呼び、模倣は群をなして現れる。このような模倣の波及過程の中で、差異は次第に失われ、革新はもはや革新的ではなくなり、利潤は霧散する。それゆえ、企業は新たな利潤の機会を求め、新たな差異の創造、新たな革新への競争を絶えず続けていかなければならない。このような革新への競争の中で勝者が現れるたびに新たに利潤が創出され、それに続く模倣の群の中で利潤は再び消えていく。そしてまた革新が現れ、また模倣の群が続く。結局、このような革新と模倣、模倣と革新との間の繰り返しの過程を通じて、資本主義社会は、部分的かつ一時的なかたちにせよ、利潤を再生産させ続け、それによって自己を増殖させていくのである(3)。
すなわち、資本主義の「発展」とは、相対的な差異の存在によってしかその絶対的要請である利潤を創出しえないという資本主義に根源的なパラドクスの産物であり、その部分的で一時的でしかありえない解決の、シシフォスの神話にも似た反復の過程にほかならない。
実は、形式的に同一の反復過程が、資本主義の中における人々の社会的欲望をめぐっても展開されているのである。
人間の人間としての欲望は他者への欲望であり、他者に認められることへの欲望であることはすでに述べた。実際、このような人間の社会的欲望については、ヴェブレン以来実に多くの言及がなされている。だが、ここではそれらの文献を並べたててみるよりも(4)(そして、それによって学問の社会で認められることを欲望するよりも)、少々古ぼけてはいるが次のようなヘーゲルの言葉を引用しておけば十分であろう。『法哲学』の中でヘーゲルは、人間のモノに対する欲求が、他者によって認められたいという社会的な欲望になり、それが逆にモノそのものあるいはモノの獲得の目的となってしまうことを論じた後、次のように述べている。
[#ここから1字下げ]
〔欲望の社会化という〕この契機は、さらに直接に、他者との平等への要求をそのうちに含む。一方で、この平等化への欲望および自己を他者と同一化したいという模倣への欲望が、他方で、それと同時に存在している、自己を他者と区別させることによって自己を主張したいという独自性への欲望が、それ自身欲望を多様化しかつそれを増殖していく事実上の源泉となるのである(5)。
[#ここで字下げ終わり]
すなわち、人間の社会的欲望には、他人を模倣して他人と同一の存在であると認めてもらいたい模倣への欲望と、他人との差異を際立たせて自己の独自性を認めてもらいたい差異化への欲望との二つの形態があるのである。いずれも、一体どのような他人によってどのように認めてもらうかという点では大いに異なるが、他人に認めてもらいたいという社会的な欲望である点では変りがない。しかも、それらは往々にして同一の個人の中に共存している。
当然、このような社会的欲望の二つの形態のちがいに応じて、モノに対する人々の欲求の形態も異なってくる。模倣への欲望は、人々に、他人が既に所有しているモノを求めさせ、他人と同じように消費させるであろう。また、差異化への欲望は、人々に、他の多くの人が所有できないモノや他の多くの人が未だ所有していないモノを求めさせ、また他人と異なった仕方で消費させるであろう。実際、すべての人間社会は、それぞれ独自の方法で、この二つの形態の社会的欲望の存在、とくにそのうちの第二の形態である差異化への欲望に対処してきたはずである。たとえば、多くの共同体的社会においては、共同体の内部では差異化への欲望は抑圧され、外部と接触する機会である祭やポトラッチや戦争においてのみ一時的にそれを満していたであろう。また、階級社会においては、この差異化への欲望は支配者階級のみが全面的に満しうるものであったろう。実は、社会的欲望の対処の仕方として今あげた二つの例は、それぞれ大雑把に言って、商業資本的な利潤の創出方法と産業資本的な利潤の創出方法とに形式的に対応しているのである。そして、外部も階級差も失いつつある現代の資本主義においても、利潤の創出方法と社会的欲望への対処の仕方にやはり形式的な対応関係が見出しうることは、今までの議論から当然察しがつくにちがいない。
現代の資本主義においては、だれもが差異化への欲望をもち、それを満したがっている。一体どのようにすればよいのか。もちろん、差異性という価値をもっている商品を買えばよい。だが、そのためには単に他人と異なった商品を買っても意味がない。他人が買っていなくて、しかも他人が価値あると認める商品を見つけ出さなければならないのである。もちろん市場には商品の種類は無数にあり、犬も歩けば棒にあたる。(いや、広告を通じて、棒の方が犬に向ってあたってくる。)そこで、だれかがどこかでそのような商品に行き当り、差異化への欲望を満足したとしよう。これは、購買における一種の革新である。しかし、この購買における革新の効果も決して永続するものではない。なぜならば、ある人がある商品を所有することによって差異化への社会的な欲望を満足しているということは、同時に、まだその商品を買っていない他の人々がそれに価値を認めたことでもあるからだ。それは当然これらの人々の心の中に模倣への社会的欲望をひきおこすであろう。それゆえ、購買力が許すならば、かれらもその商品を買い始めるにちがいない。その結果、その商品の社会的な価値はますます高まり、さらに多くの人の中に模倣への欲望をひきおこし、模倣の群によって商品のブームが生れる。だが、このようなブームの中で、次第に差異性としての商品の価値は失われ、差異性への人々の欲望は再び不満足の状態に引きもどされる。それゆえ、また人々は差異性という価値をもつ新たな商品を探し求めていくことになる。そのような商品が再び見出されると、模倣によるブームがおこり、このブームの中でその商品も差異性という価値を失っていく。そしてまた……。
ここでも、差異性の発見と模倣による差異性の喪失という、シシフォスの神話に似た反復の過程が支配しているのである。それは結局、他人に認められたいという人間にとっては絶対的である社会的欲望が、モノのもつ差異性という相対的な価値を媒介としてしか満されないという、人間の欲望のはらむ根源的なパラドクスの産物であり、その部分的で一時的でしかありえない解決の終わることなき反復なのである。
すなわち、資本主義においては、企業どうしの競争と消費者どうしの競合は、お互いがお互いを映し合っている二枚の鏡のように、ともに形式的に同形な差異化(革新)と模倣の反復過程に支配されているのである。実際、二枚の鏡の相互の反射があの目眩めく無限級数的な像の連鎖を織りなしていくように、企業の側の新商品導入による利潤創出の要請と、消費者の側の新商品購入による差異化への欲望とは、お互いがお互いを必要とする相乗作用によって、差異化と模倣の反復の速度を加速度的に上昇させていく。そして、この反復の速度が光の速度に接近する漸近線上に、われわれは再びあのキャベツ人形を見出すのである。
キャベツ人形――それはまさに差異性そのものの商品化である。コンピュータ技術によって、顔の表情、エクボやソバカス、目の色、髪の毛、洋服に靴といったパラメターを組み合わせ、二つと同じものが存在しないというこの人形は、従来差異性を生み出すためにはそのたびごとに新たな商品を考え出していかなければならなかった資本主義にとって、いわば極限的な差異創造の方法を示している。いささか大袈裟に言えば、キャベツ人形とは、そのひとつひとつがミニアチュアの革新であり、それがひとつひとつ生産されるたびごとに、市場における差異性のネットワークが拡げられていくことになる。そしてさらに大袈裟に言うと、このようにキャベツ人形が連続的に拡げていく差異性のネットワークは、消費者の差異化への社会的欲望を無限に包みこんでしまう可能性をも持つのである。お互いがお互いの複製となっている従来の商品の場合、それがもつ差異性という価値は多くの人が所有してしまえば消えてしまい、一度この価値を失ってしまえばそれは二度と再び差異化への欲望の媒介とはなりえない。だが、キャベツ人形はちがう。キャベツ人形をどれほど多くの人々が所有しても、そのひとつひとつが持つ差異性という価値は必ずしも全部は消えてしまわない。そしてさらに、もし人がひとつのキャベツ人形にもはや差異性という価値を見出せなくなっても、その人はそれとは異なった人形としてもうひとつのキャベツ人形を買うことになるかもしれないのである。
「だれもミルク飲み人形を十二も買おうとは思わない(6)」。しかし、キャベツ人形なら人はそれを無限に買い続ける可能性をもっている。事実、外電は、アメリカのある女性が二千四百二十五ドルをかけて九十七個もキャベツ人形を買いこんだことを報道している。
人類がかつて貨幣というものを発見したとき、それは同時に無限の発見でもあった。世にあるどのような商品でも買える可能性をその所有者に与えることによって、貨幣は人々の欲望を必ず限りある個々の商品に対する欲求から解き放ったのである。それは、いわば可能性としての差異性を与えることによって、人々から無限の欲望をひきだしたと言っても良いであろう。このような貨幣に対する無限の欲望が、貨幣の永遠の自己増殖を目的とする資本主義の最初の出発点であったことは言うまでもない。時代はまわりまわって、この資本主義が、可能性としての差異性ではなく、差異性そのものを与えるキャベツ人形をつくり出すようになった。今度は、商品に対する欲求自身がみずからの限定性から解き放され、無限の欲望へと転化する可能性をもつことになったのである。それはいわば第二の無限の発見である。
だが、これが果して資本主義がみずからの限界に到達したことを意味するのか、それとも資本主義には限界がありえないことを意味するのか、もはやキャベツ人形は何も語ってくれない。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
(1)この意味でのキャベツ人形の先駆けはゴジラであるかもしれない。中沢新一「ゴジラの来迎」(「中央公論」一九八三年十二月号)参照。
(2)A・コージェフ『ヘーゲル読解への序説』。
(3)以上の議論の詳細は、本書所収「遅れてきたマルクス」、および岩井克人「シュムペーター経済動学T、U、V」(「季刊現代経済」一九八一年冬、一九八二年春、一九八二年夏)参照。
(4)ただし、上野千鶴子「商品――差別化の悪夢」(「現代思想」一九八二年五月号)だけはその名をあげておこう。
(5)W・ヘーゲル『法哲学』第一九三節。
(6)「ニューズウィーク」一九八三年十二月十二日号のキャベツ人形に関する特集記事に引用されているコレコ工業副社長ハンデルの言葉。
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遅れてきたマルクス
[#1字下げ]人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、与えられた、過去から受け継いだ状況のもとでつくるのである(1)。
この文章を書いたカール・マルクスは一八八三年に死に、その同じ年にジョゼフ・A・シュムペーターは生まれた。
またこの文章が書かれている書物の冒頭で、マルクスはこう述べている。
[#1字下げ]ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度は茶番として、と付け加えるのを忘れていた……
シュムペーターは、その意味でマルクスの「茶番」であった。しかしながら、「現代」とはもはや「悲劇」を失った時代であり、すべてが「茶番」としかならない時代である。その生誕からマルクスの「茶番」となるように運命づけられていたこと、そのことがまさしくシュムペーターの理論を「現代」資本主義の分析に適わしい経済理論に仕立てあげてくれたのであった。
シュムペーターの理論とは、現代資本主義社会における「経済発展」の理論である。それは、「時間を通じての経済変化の過程の理論的モデル構築の試み」であり、「より明確に言うならば、経済体系が自ら絶え間なく変貌させていく力をどのように生み出していくかという問いに答える試み」であると、『経済発展の理論』と題された彼の著書の日本語版の序文でシュムペーターは規定している。同じ序文の中で、彼はさらにこう述べる。
[#1字下げ]この考え方と目的とがカール・マルクスの経済教義の底にある考え方と目的に全く相等しいということは、読者にはおそらく直ちに明白なところであろうが、私みずからには最初ははっきりしていなかった。実際マルクスを彼の時代の経済学者や彼に先行した経済学者と区別するものは、まさに経済体系そのものによってひきおこされる独自の過程としての経済発展のヴィジョンそのものであった。……経済学者たちがマルクスについて批判すべきものを充分に見出しながらも、時代を重ねて彼に帰ってくるのも恐らくこの事実に基くものであろう。
シュムペーターが彼自身の「経済発展」の理論を築き上げようとしていた時、彼の手元にはマルクスの概念と命題しかなかった。彼は、「直接にありあわせる、与えられた」これらの概念と命題の新たなる組み合わせをつくり出すよりほかなかったのである。そして「新たなる組み合わせ」あるいは「新結合」を遂行することこそ、シュムペーターが『経済発展の理論』の中において、「発展」という基軸的概念に与えた定義でもあった。
しかしながら、シュムペーター自身がマルクスに帰ってくる経路は決して直線的ではなかった。
シュムペーターは、経済学者の最高峰として、マルクスと並べて、いやマルクスよりも先に新古典派経済学の創始者の一人であるレオン・ワルラスの名を挙げるのを常としていた。ワルラス生誕百年記念式に際してシュムペーターは次のような言葉を残している。
[#1字下げ]他のすべての学問と同じように、経済学もまた無数の問題と様相を呈示し、それらはいずれも異なった才能と異なった資質とに訴えている。しかし様相または進路が何であろうとも、レオン・ワルラスの名は残余一切の学者の上に聳立する。ヴィジョンにおいても業績においても、彼は疑いもなく最大の経済理論家であった(2)。
実際、シュムペーターは『経済発展の理論』において全体のほぼ五分の一にあたる第一章を、ワルラスがうちたてた経済均衡体系を叙述することに費している。しかしながら、この「一定条件に制約された経済の循環」と題された章におけるシュムペーターの叙述は耐えられないほど退屈であり、『経済発展の理論』をひもといた読者の多くは、本論が始まる第二章に到達する前に本を閉じる運命にある。そして、シュムペーターがその最晩年に出版を計画し、彼の死後夫人の手によって編集された経済学者評伝集『十大経済学者』の中でも、ワルラスはマルクスに次いで第二番目に登場してくるが、そこで読者は、シュムペーターがワルラスに関してほとんど何も言うことを持っていないことを発見する。
決して駄文家ではないシュムペーターが、なぜワルラスに関してはかくも退屈な文章しか書かないのであろうか。
実はこの素朴な疑問が、カール・マルクスの概念や命題からシュムペーターがどのような「新たな組み合わせ」をつくり出すことができたのかを理解するためのひとつの鍵となる。そもそも、ワルラスとマルクスとはいかにも不似合いなカップルではあるまいか。
再びマルクスに戻ろう。
マルクスによれば、商品交換の場である市場(マルクスはこれを「流通」と呼ぶ)は、「真の天賦人権の楽園」である。なぜならば、
[#1字下げ]ここにおいてのみ、自由と平等と所有とベンサムが支配しているのだ。自由――なぜならば、商品……の買い手と売り手も共に自らの自由意志にのみ制限されているからである……。平等――なぜならば、彼らは……等価物どうしを交換するからである。所有――なぜならば、彼らはそれぞれ自分のものだけを自由に処分するからである。そしてベンサム――なぜならば、彼らはそれぞれ自分のことのみを気にかけていればよいからである(3)。
この「自由と平等と所有とベンサム」の支配する市場――流通の場――において、いかに剰余価値あるいは利潤が発生するのであろうかと、マルクスは自らに問いかける。
もちろん、使用価値に関しては商品交換によって買い手と売り手は双方ともに得をしているはずである。さもなければ、取引を強要されていない限り商品交換は成立しない。しかし、交換価値に関しては話はまったく別である。商品交換は、その純粋形態においては、等価物の交換にほかならない。そして「等しい交換価値を持つ商品どうし、あるいは商品と貨幣、すなわち等価物が交換されているならば、明らかにだれにも流通の中に投じた価値以上のものを流通から引き出すことはできない。剰余価値の創造はありえないのである」。
もちろん、現実においては不等価交換は存在する。しかし、その場合でも、売り手が同時に買い手であり、買い手が同時に売り手であるような商品交換の境界内に留まっている限り、不等価交換は盗みによる富の再分配と同様に、単に流通する価値の再分配をもたらすにすぎない。商品交換全体としては決して自分自身を搾取することはできないのである。
それでは、剰余価値は生産過程から生じてくるのであろうか。答えは、再び否である。人は自ら所有する原材料としての商品に自らの労働を加えることによってそれに新たな価値を与えることができる。しかし、この価値の増大分は単なる付加価値であって剰余価値ではない。商品生産者が流通すなわち市場の外部において他の商品生産者と接触することなく剰余価値を創造することは不可能なのである。
したがって、剰余価値の創造は「流通からは不可能である。それと同時に、流通から離れても不可能である。それは起源を流通にもつとともに、流通にはもたない」。だが、この一見したところの二律背反の中から利潤あるいは剰余価値創造の秘密が明らかにされなければならない。これが、マルクスの「問題」である。
「ここがロードス島だ。ここで跳べ」。
マルクスの「問題」に対する解答は、実は「ノアの洪水以前」から知られていた。すなわち、マルクス自身が「ノアの洪水以前からの資本の形態」であると規定した「商業資本」による利潤の創出方法がそれである。
「古代の交易国家は、世界の空隙に住むエピクロスの神々のように、いやむしろポーランド社会の気孔に住むユダヤ人のように生存していた」し、「最初に栄えた自立的商人都市や交易国家による交易は、純粋の仲介交易として」二つの生産的国家の間を仲介していた。いずれの場合にも商業利潤が創出される原理は単純である。それは遠く隔たった二つの地域の間に存在する価値体系の差異を搾取するのである。一方の価値体系の場において相対的に安い商品を購入し、それを相対的に高いもう一つの価値体系の場に運搬して売却する。それによって得られる相対価値の差額が、仲介する商業資本の利潤を形成する。
「高く売るために安く買う――それが交易の規則である。したがって、等価物どうしの交換ではない」、そうマルクスは言う。遠隔地間の実際の仲介貿易がほとんど例外なく、暴力的掠奪、海賊、奴隷盗奪、あるいは圧制的植民地経営と結びついていたことは言うまでもない。しかしながら、商業資本が純粋の仲介交易に携わっているかぎり、言葉の真の意味での不等価交換は存在しないと言うべきであろう。一方の地域で商品が購入されるとき、それはそこで成立している価値体系の範囲内では純然たる等価物どうしの交換がなされているはずであるし、また他方の地域で同じ商品が売却されているときにも、それはそこで成立している価値体系の範囲内では純然たる等価物どうしの交換になっている。
すなわち、閉じられた市場(流通の場)においては原則的に不可能であった剰余価値の創造は、二つの閉じられた市場(流通の場)において成立している異なった価値体系どうしが仲介されることによって可能となる。(いや、歴史的には、商業資本によって仲介された共同体がそれぞれの内部において古い社会関係を崩壊させ、市場の範囲を拡大してきたのである。)商業利潤創造の仕組みは、いともたやすくマルクスの「問題」を解いていたのである。「剰余価値の創造は〔閉じた〕流通からは不可能であり、それと同時に、流通から離れて不可能である」。それはまさしく、流通と流通の狭間――「世界の空隙」あるいは「社会の気孔」――から創造されるのである(4)。
商業利潤創出の秘密は、理論的には二つの価値体系間の「差異」にあり、具体的には商業資本によって仲介される二つの地域の間の「距離」である。いわゆる「遠隔地交易」によるヴェニス、ポルトガル、オランダ、あるいは古代のカルタゴやローマといった商人都市や交易国家の繁栄が、その歴史的な典型を与えてくれる。
しかしながら、遠隔地交易が連続的になり、その規模が拡大すればするほど、それによって仲介された地域の間の経済的な「距離」は縮まる。それとともに、両地域で成立している価値体系もその「差異」を失っていく。結局、商業資本とは、二つの地域を一つの価値体系が支配する一つの市場経済の中に統合していく媒介運動にほかならず、それは自らの存立基盤を切り崩していく仕組みを内に備えていることになる。差異を仲介するとは、すなわち差異を解消することなのである。
したがって、マルクスは、ノアの洪水以前からの資本の形態である商業資本による利潤の創出方法は、彼自身の「問題」に対して解答を与えているとは考えなかった。発達した市場経済においては、ひとつの価値体系がすべての商品交換の場を(原則として)支配しており、異なった価値体系の間の差異から商業利潤という形で剰余価値を創出するという方法はもはや不可能であると考えたからである。
マルクス自身の「剰余価値説」についての詳しい説明は必要あるまい。(それは、巷にあふれている『資本論』の解説書の最初から五〇ページ目あたりを参照すればよい。)一言で言えば、それは、剰余価値とは、貨幣の蓄積を目標とする産業資本家と、自らの労働力を商品として自由に処分でき、同時に自らの労働力を生産物の形で実現するための生産手段からは切り離されているという「二重の意味で自由な」労働者が、市場で接触することによって生ずるというものである。
具体的には、それは、産業資本主義経済における資本家は、労働市場で商品として購入した労働力を生産過程で使用することによって、労働力の再生産に必要な生活手段の価値(すなわち労賃の形で支払われる労働力の価値)と生産過程で消費あるいは滅耗したさまざまな原材料および生産手段の価値との和以上の総価値をもつ生産物を生産することができる、と主張する。そして、産業資本家自身のものとなるこの価値の剰余部分が「剰余価値」と呼ばれるのである。
さらに詳しく言えば、産業資本主義社会において剰余価値は二通りの仕方で生み出すことができる。一つは、労働者の労働時間の延長あるいは労働の強化であり、それによって発生した剰余価値は「絶対的剰余価値」と呼ばれる。もう一つは、労働時間あるいは労働の強度が固定されている中で、労働の生産性を一般的に高めることによって労働力の再生産に必要な生活手段の価値を相対的に低下させることであり、それによって発生した剰余価値は「相対的剰余価値」と呼ばれる。
いずれにせよ、産業資本家は、労働市場において労働力をその価値どおり購入し、生産物市場においても生産物をその価値どおりに売っているにもかかわらず、剰余価値を得ることになる。すなわち、産業資本主義経済は、詐欺、略奪、強制等による不等価交換を行なうことなく剰余価値を発生させる仕組みを内に備えていることになる。
マルクスは跳んだ。
しかしながら、マルクスは結局跳びそこなった。いや、より正確には、ロードス島の流儀では跳べなかったと言うべきであろう。
実際、シュムペーターは、産業資本による剰余価値創出に関するマルクスの理論を、少なくともマルクス自身が主張した形においては棄却する。そのために彼が援用するのが、レオン・ワルラスのいわゆる「一般均衡理論」にほかならない。ワルラスの一般均衡理論とは、市場で取り引きされるさまざまな商品の価格および需給量の間の相互依存関係を明示的に定式化し、完全競争の仮定の下では、すべての商品の需給を同時に均衡させる均衡価格の体系が存在しうることを示した最初の経済理論である(5)。それは結局、経済がひとつの完結した「体系」と見なしうることの最初の数学的「証明」にほかならない。このワルラスの体系を、シュムペーターは「経済理論の大憲章(マグナ・カルタ)」とまで呼んでいる。
けれども、われわれにとって(そしてシュムペーターにとっても)重要なのは、この「大憲章」そのものではなく、その中で「利潤」という現象がどのような取り扱いを受けているかなのである。
ワルラスの一般均衡理論において、マルクス(あるいは古典派経済学者)の体系の中での産業資本家という範疇は、その役割の差に応じて、資本家と企業家に分割される。ワルラスの意味での資本家とは、単に生産手段の所有権を保持しているという受身的な役割しか与えられていない。他方、ワルラスの言う企業家とは、資本家から生産手段を借り(企業家が同時に資本家をも兼ねているマルクス的資本家の場合には、この生産手段の借り入れはあくまでも擬制的なものである)、地主から土地を借り、労働者から労働力を買い、他の企業家から原材料を買い、これらを技術的に結合させて製造した生産物を市場で売るという、積極的な役割を担わされた経済主体である。もし、生産物の売り上げ価格が、生産手段の賃貸料、地代、労賃および原材料費の総和である生産費用を上回ったならば、それは、「利潤」として企業家に帰属する。企業家は、この利潤の機会を求めて市場で行動するのである。
しかしながら、完全競争の想定のもとでは、もしある市場の中のいくつかの企業家が利潤を得ているならば、利潤の増加を求めて彼らは自らの生産量を拡大するであろうし、新たな利潤の機会に誘われて他の企業家がその市場に参入するであろう。その結果、その市場での生産物の供給が増加することによって価格が下落するとともに、生産要素市場での需要の増加により生産要素価格が上昇し、窮極的には利潤は拭い去られてしまうはずである。また、いくつかの企業家が損失を被っているならば、逆のプロセスがひきおこされ、窮極的にはそれも解消されてしまうはずである。ワルラスの体系の均衡においては、少くとも長期的には「企業家は利潤も得なければ損失も被らない」という結論が導かれる。
すなわち、ワルラスの利潤論とは、完全競争体制の下での均衡においては利潤は存在しえないことを主張する、いわば「無利潤論」にほかならない。もちろん、現実にはさまざまな市場において利潤あるいは損失が存在している。しかしながら、ワルラスの「無利潤論」の立場から言えば、それは、市場がいまだ均衡に至っていないこと、あるいはさまざまな摩擦的要因や社会制度によって完全競争の条件が成立していないことを意味するにすぎない。
マルクスの「剰余価値論」を棄却するためには、シュムペーターはワルラスの「無利潤論」の論理をそっくりそのまま繰り返すだけでよかった。彼はこう述べる。
[#1字下げ]すべての資本主義的雇用者が搾取利潤(剰余価値)を得るような状態では、完全競争的均衡は存在し得ないということが示される。この場合には、彼らはおのおの生産を拡大せんと試みるであろうから、これが大量に行われる結果は、不可避的に賃金率を上昇させ、この種の利潤をゼロにまで引き下げる傾向があるからである(6)。
もちろん、「不完全競争の理論に助力を求め、競争作用の摩擦や制度的抑制を導入し、貨幣、信用その他の分野での障碍のあらゆる可能性を強調することによって、その場合を若干修正することが可能なことは疑いない」。しかし、とシュムペーターは言う。そのような方法では、「一つの中途半端な場合が描かれ得るにすぎない。しかもそれはマルクスが心から軽蔑したはずのものである」と。
産業資本による剰余価値創出の仕組みは、結局、ノアの洪水以前の資本の形態である商業資本の利潤創出の仕組みと論理的に同型なのである。すなわち、産業資本家は、資本主義経済の「内部」に一つの「遠隔地」を見出したにすぎない。この「内なる遠隔地」とは、もちろん「二重の意味で自由なる」労働者階級であり、この内なる遠隔地と交易することによって産業資本家が獲得する(商業)利潤とは、マルクスの意味での剰余価値にほかならない。
すなわち、産業資本主義経済の中には、二つの異なった「価値体系」が共存していることになる。一つは、内なる遠隔地で成立している価値体系であり、具体的には、市場における労働力と必需品との交換比率である。それは、労働者、資本家ともどもに共通に開かれているものである。もう一つは、生産過程における、労働力、原材料および生産手段とそれらの結合によって生産される必需品および生産手段との間の変換比率である。(マルクスは生産過程を「人間と自然との間の質料変換」としてとらえている。)この二つ目の価値体系は、生産手段を所有している産業資本家にのみ開かれたものであり、自らの労働力のほかに売るべき商品を持たず、したがって生産手段から切り離されている労働者に対してはまったく閉ざされたものなのである。それゆえ、生産手段を所有しているがゆえに、二つの価値体系に同時に接触できる産業資本家は、それらの間に存在する差異を利潤という形で搾取することができる。ここに剰余価値が発生するのである。
しかしながら、古代あるいは中世における言葉の真の意味での遠隔地交易が自らの運動によって自らの存在基盤を切り崩していく仕組みを宿していたのと同様に、資本主義経済における産業資本家の内なる遠隔地との交易も、自らの運動によって剰余価値発生の基盤そのものを切り崩していく仕組みを内に秘めている。シュムペーターが、ワルラスの「無利潤論」を援用して示そうとしたのはまさしくこの点なのである。商業資本による剰余価値発生の仕組みを永続的でないと棄却したマルクスの論理が、産業資本による剰余価値発生の仕組みに関するマルクス自身の理論に差し向けられたことになる。
残ったのは、ワルラスの一般均衡体系である。
そして、ワルラスの一般均衡体系においては、何も起こらない。もはや利潤は存在せず、したがって、彼の体系の中で唯一に積極的な役割を担わされている企業家の新たな行動を引き起こす何ものも存在しない。過去から現在に至るまで、そして現在から未来にかけて、経済は同一の状態を繰り返し繰り返し再生産しつづける。もちろん、変化はありうる。だが、変化が起こるとするならば、それは、地理的あるいは社会的な環境の変化、人々の嗜好の自立的変化および技術の自発的変化等々、経済体系にとってはまったく外生的な出来事の影響によるものなのである。ワルラスの一般均衡体系は、それらの外生的要因の変化に自らを受動的に適応させていくよりほかはない。それは、実に「退屈なる」体系であるのだ。そして、その「退屈さ」をシュムペーターは退屈な文体で表現しようとしたのだ。彼自身がもはやそれに耐えられなくなるように……。
10
幸いにも、シュムペーターはマルクスの概念と命題をすべては使いきっていなかった。
実は、剰余価値の創出について、マルクスは一つの「特別」な理論を持っていた。俗に「特別剰余価値」の理論と呼ばれているものである。それは、市場における個々の企業どうし(個別資本どうし、とマルクスなら言うであろう)の新技術導入をめぐる熾烈な競争関係にその発生基盤を持つ。いま、ある企業家が新たな技術の採用すなわち「技術革新」によって他の企業家に先がけて労働の生産性を高めることに成功したとしよう。この企業家が生産物を旧来の技術の下で成立していた市場価格で売るならば、彼は労働生産性の上昇分だけ他の企業家以上の利潤を獲得するはずである。マルクスの言う「特別剰余価値」とは、このようにして革新に成功した企業家の手元に残る超過利潤のことである。
もちろん、この特別剰余価値そのものは永続しえない。技術革新に成功した企業家は、利潤の一層の増大を求めて自らの生産量の拡大に努めるであろう。それは、市場での供給過剰をもたらし、市場価格を低落させはじめるに違いない。その結果、古い生産方法に頼っていた他の企業家は、市場から脱落の危険にさらされ、新技術を自らも導入しうるように積極的に「模倣活動」を行なう。模倣は革新よりも容易である。それゆえ、他の企業家による模倣が成功するにつれ、市場価格はますます下落し、利潤幅が薄くなる。そして、新技術が完全に普及しもはや革新性を失った暁には、利潤は市場から消滅してしまうはずである。
したがって、マルクスにとっては、技術革新によって発生する利潤はあくまでも「特別なる」剰余価値の形態にしかすぎなかった。それは結局、市場全体いや経済全体の平均的労働生産性を上昇させ、彼の言う相対的剰余価値を創出するための単なる媒介としての役割しか果たしていない。絶対的であれ相対的であれ、マルクスにとっての「一般的」な剰余価値は、産業資本家全体と労働者全体との間の社会平均的な搾取=被搾取の関係にのみ帰属させられなければならなかった。
シュムペーターの「革新」とは、マルクスにとっての「特別なる」この剰余価値の形態を、資本主義社会における剰余価値のいわば「一般的」形態にまで引き上げたことにある。実際、ワルラスの一般均衡体系の「退屈さ」によってマルクスの「一般的」なる剰余価値論を眠らせることに成功したシュムペーターにとって、それは、今度は自分自身がワルラスの「退屈さ」から脱出するために残された唯一の手立てであったのだ。
[#1字下げ]事実上資本主義経済は静態的ではないし、また静態的でもありえない。それはまたただ単に着実な歩みで拡大しているものでもない。それは、新しい企業により、すなわち、新商品や新生産方法や新商業機会をその時々に存在する産業構造へ導入することにより、内部から[#「内部から」に傍点]たえず革新されている。すべての現存の産業構造や実業取り引きを行なういっさいの条件は、つねに変化の過程にある。あらゆる事態は自己を成就しつくすのに十分な時をまたずしてくつがえされる。かくして資本主義社会での経済進歩は動乱を意味する。この動乱の中では、競争というものは、たとえそれが完全に行なわれたとしても、なお静態的過程で作用すると思われる仕方とはまったく異なった仕方で作用する。新しい物をつくることや古い物をいっそう安くつくることにより得られるべき利潤の可能性は、たえず実体化して新投資を要求している。この新生産物や新方法は旧生産物や旧方法と競争するのであるが、この競争たるや、同等の条件で行なわれるのではなくて、古いものには死をもたらすがごとき決定的に有利な条件のもとで行なわれるのである。これこそが、資本主義社会における〈進歩〉の実現方式である(7)。
それゆえ、「すべての個々の工場の利潤は、早晩それ自身をも損失に転化せしめると思われるような新商品や新生産方法にもとづく具体的、潜在的競争によって絶えず脅かされている」。したがって、あらゆる企業は、他の企業よりも一歩先んじるために、いや一歩も遅れをとらぬために、絶えず技術革新への競争に駆りたてられる。そして、このような技術革新競争の過程において勝者が出現するたびに、新たな利潤が創出されるのである。もちろん、すでに述べたように、革新によって創造される利潤は、他の企業による模倣によって徐々に減少し、他の企業の革新の成功によって一挙に霧散してしまう。だが、まさに利潤がいつ何時消滅してしまうかもしれないというこの恐れこそ、それぞれの企業を革新への競争へと駆りたてているのである。
それゆえ、シュムペーターは次のように結論することができたのである。「剰余価値は……常に消滅する傾向をもつものではあろうが、しかもなお不断に再創造されるがゆえに常に存在しうるものといえる」と。いや、特別剰余価値の一時性そのものが、自らを不断に再創造させる仕組みを生み出している(8)。すなわち、マルクスの言う特別剰余価値の「特別さ」そのものが、それを剰余価値の「一般的」形態に転化させているのである。
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シュムペーターの企業家たちは、お互いどうしの技術革新競争を通じて絶えず一時的な「遠隔地」を創り続けている――いわば「未来」という遠隔地を。この「未来という遠隔地」で成立している価値体系と直接接触できるのは、未来の技術的条件を先取りできた、すなわちいち早く技術革新に成功した企業家だけである。そして、この未来の価値体系と現存の価値体系との間の差異が、企業家の利潤あるいはマルクスの言う特別剰余価値にほかならない。
しかしながら、地理空間上に実在する遠隔地とも、市場という空間の内部に隠されている遠隔地とも本質的に異なるのは、この未来という遠隔地が、模倣によって常にその距離を縮められながらも、同時に常に再生産が可能であり、実際革新によって不断に再生産されつづけていることである。閉じられた空間の中に価値体系の差異を探し求めていた商業資本主義経済や産業資本主義経済が、自らの拡大運動によってその差異を解消してしまい、窮極的にはワルラス均衡体系の退屈さの中に飲み込まれてしまう運命にあるのと対照的に、シュムペーターの描く現代資本主義は、「時間」という一方向に開かれた一次元空間の上のまさにその開かれた方向に遠隔地を位置させることによって、差異の解消が新たな差異を生み出す一種の永久運動を可能にしているのである。閉じられた空間から開かれた時間への転換――それは何か決定的なことであったのだ。
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「発展なければ利潤なく、利潤なければ発展なし」。われわれはやっとシュムペーターの『経済発展の理論』の出発点に立ったのである。だが、彼がマルクスの特別剰余価値の概念と蓄積、階級、信用、恐慌といったマルクスの他の概念との「新たな結合」によって、経済発展の理論にどのような革新をもたらしたかを検討する余裕はもはやない。ただ、それが、企業どうしが技術革新をめぐってお互いに搾取し搾取されあう「茶番劇」の累積的な結果として経済発展をとらえるもので、一方的な搾取=被搾取の関係にもとづくマルクスの理論の「悲劇性」をもはや失っていることだけは明らかであるが。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
(1)K・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』。
(2)J・シュムペーター『十大経済学者』。
(3)K・マルクス『資本論』第一巻。以下マルクスの引用はすべて同じ。
(4)柄谷行人『マルクスその可能性の中心』講談社、一九七八年。
(5)L・ワルラス『純粋経済学要論』。
(6)J・シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』。
(7)同右。
(8)岩井克人「シュムペーター経済動学T、U、V」(「季刊現代経済」一九八一年冬、一九八二年春、一九八二年夏)。または、K. Iwai, "Schumpeterian Dynamics," Part I, Journal of Economic Behavior and Organization, June 1984 ; Part II, ditto, December 1984.
[#ここで字下げ終わり]
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*貨幣と媒介*[#「*貨幣と媒介*」はゴシック体]
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媒介が媒介について媒介しはじめる話
「街行く人百人に〈日本で一番長い川は何という川でしょう〉と、聞きました。果してどんな答が返ってきたのでしょうか」と、司会の関口宏が質問すると、解答者たちが順々に「利根川!」、「石狩川かな?」、「ええと、信濃川」と叫び、その度に三五点、二点、二〇点とその川の名をあげた百人中の人数が得点として示される。「クイズ百人に聞きました」というテレビ番組である。
そういえば、昔私が熱心に見ていたアップダウンクイズのような古典的クイズ番組では、「日本で一番長い川は?」という司会者の質問が終るか終らないうちに、「信濃川!」という「正解」が解答者から返ってきた。それはいわば一つしかない「真理」を誰が一番早く答えることができるかを競うものであった。いや、クイズ番組のみならず、物真似のど自慢からニュースにいたるまで、かつてのテレビ番組はみずからの背後に控えている「真理」、「本物」、「現実」といった何らかの「客観的実体」を視聴者に伝達する単なる「媒介(メディア)」としてみずからを規定していた。だが、「クイズ百人に聞きました」においては、何川が実際に日本最長であるかに関係なく、人々が日本最長の川だといかにも考えそうな川の名をあげることが高得点に結びつく。すなわち、真理はカッコに入れられ、最長の川らしさという観点から様々な川の相対的な価値づけが行われることになるのである。実体とその媒介という古典的な二分法を、このテレビ番組はいとも気楽に解体しているのだ。
ここで私は最近のテレビ番組の変質による真理の喪失、本物の堕落、現実の歪曲を嘆こうというのではない。(逆に、喪失、堕落、歪曲こそ真理や本物や現実を残余項として生み出すのだ。)私はむしろ、そもそもみずからの存在そのものが実体とその媒介という二分法の無効なことを証明していたテレビが、みずからの番組の中にその事実を最近ようやく反映しはじめたことにおどろいているのだ。媒介が媒介について媒介しはじめる。これではじめてテレビはパラドキシカルな存在になる。
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広告の形而上学
マルクスはどこかで、商品世界のなかにおける貨幣の存在は、動物世界のなかでライオンやトラやウサギやその他すべての現実の動物たちと相並んで「動物」なるものが闊歩しているように奇妙なものだと書いている。貨幣とは、それによってすべての商品の価値が表現される一般的な価値の尺度でありながら、同時にそれらの商品とともにそれ自身人々の需要の対象にもなるという二重の存在なのである。
「広告の時代」とまで言われている現代において、広告とは一見自明で平凡なものに見える。だが、その実、広告というものも、貨幣と同様、いわば形而上学的な奇妙さに満ち満ちた逆説的な存在なのである。
英語のどの受験参考書にも例文としてのっているように、"The proof of the pudding is in the eating." すなわち、プディングであることの証明はそれを食べてみることである。だが、分業によって作る人と食べる人とが分離してしまっている資本主義社会においては、プディングは普通お金で買わなければ食べられない。(買わずに食べてしまったら、それは食い逃げか万引きである。)プディングがプディングであることの証明、いや、プディングがおいしいプディングであることの証明は、お金と交換にしか得られない。
たとえば、洋菓子屋の店先でどのプディングを買おうかと考えているとき、あるいは喫茶店でプディングを注文しようかどうか考えているとき、人はプディングそのものを比較しているのではない。人が実際に比較しているのは、ウィンドウの中のプディングの外見であり、メニューの中のプディングの写真であり、さらには新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等におけるプディングのコマーシャルである。これらはいずれも広い意味でプディングの「広告」にほかならない。
すなわち、資本主義社会においては、人は消費者として商品そのものを比較することはできない。人は広告という媒介を通じてはじめて商品を比較することができるのである。
資本主義社会とは、マルクスによれば「商品の巨大なる集合」である。しかし、広告を媒介にしてしか商品を知りえない消費者にとって、それはまずなによりも「広告の巨大なる集合」として立ち現れるはずである。そして、この広告の巨大なる集合の中において、あらゆる広告は広告としていやおうなしに同じ平面上で比較されおたがいに競合する。
もちろん、広告とはつねに商品についての広告であり、その特徴や他の商品との差異について広告しているように見える。だが、人がたとえばある洋菓子店のウィンドウのプディングの並べ方は他の店に比べてセンスが良いと感じるとき、あるいはある製菓会社のプディングのコマーシャルは別の会社のよりも迫力に乏しいと思うとき、それは広告されているプディング同士の差異を問題にしているのではない。それは、プディングとは独立に、「広告の巨大なる集合」のなかにおける広告それ自体のあいだの差異を問題にしているのである。
広告と広告とのあいだの差異――それは、広告が本来媒介すべき商品と商品とのあいだの差異に還元しえない、いわば「過剰な」差異である。それゆえそれは、たとえばセンスの良し悪しとか迫力の有る無しとかいうような、違うから違うとしか言いようのない差異、すなわち客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異としてあらわれる。
だが、広告が広告であることから生まれるこの過剰であるがゆえに純粋な差異こそ、まさに企業の広告活動の拠って立つ基盤なのである。
言語についてソシュールは、「すべては対立として用いられた差異にすぎず、対立が価値を生み出す」と述べているが、それはそのまま広告についてもあてはまる。差異のないところに価値は存在せず、差異こそ価値を生み出す。もし広告が単に商品の媒介にすぎず、広告のあいだの差異がすべて商品のあいだの差異に還元できるなら、企業にとってわざわざ広告活動をする理由はない。企業が広告にお金を出すのは、ひとえに広告の生み出す過剰なる差異性のためなのである。すなわち、広告とは、それが商品という実体の裏付けをもつからではなく、逆にそれがそのような客観的対応物を欠いた差異そのものとしての差異を作り出してしまうからこそ、商品の価値に帰着しえないそれ自身の価値をもつのである。
ところで、資本主義社会においては、いかなる価値もお金で売り買いできる商品となる。それゆえ、当然広告も商品となる。いや、実際、広告に関連する企業支出はGNPの一パーセント近くも占めている。これは、現代ではあまりにも身近な事実であり、人をことさら驚かせはしない。だが、それはその実、本来商品について語る媒介としての広告が、同時にそれ自身商品となって他の商品とともに売り買いされてしまうという、まさにライオンやトラやウサギとともに動物なるものが生息している光景とその奇妙さにおいてなんら変わるところのない形而上学的な逆説なのである。
貨幣についての真の考察は、それが形而上学的な奇妙さに満ち満ちた存在であることへの驚きから始まった。広告が形而上学的な奇妙さに満ち満ちた存在であることへの驚き――それは、広告についての真の考察の第一歩である。いや、少なくともそれは、広告という現象の浅薄さをただ糾弾したり、広告という現象の華やかさとただ戯れたりする言説に溢れている現代において、いささかなりとも差異性をもった言説を作り出すはずのものである。
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ホンモノのおカネの作り方
ホンモノのおカネの作り方を教えよう。その極意は至極簡単である。ニセガネを作らないようにすれば良いのである。では、ニセガネを作らないようにするためにはどうしたら良いのだろうか。その極意も簡単だ。ホンモノのおカネに似せようとしなければ良いのである。だが、これがどういう意味であるかを明らかにするためには、時代を遡って、まだあの金銀小判がホンモノのおカネとして燦然と輝いていた江戸時代について語ることが早道である。
幕末のころ、勤王派の佐土原藩は討幕の資金のためにニセの二分判金を作ったが、その作り方は次のようなものであった。まず、幕府が発行した丁銀あるいは一分銀といった銀貨を下金とし、それに実際の金貨を少しばかり加えて作った合金を二分判金の鋳型に入れて打ちだし、極印を押す。つぎにこれを大きな平たい器のなかに入れて、硼砂と硝酸カリと硫酸銅と硫酸鉄を混ぜあわせた粉末を加え、長く火で煎ってからザルに移し、煮たった硝酸液にいれて何度も洗う。最後にそれを坩堝に入れてもう一度火をあてると、ホンモノの二分判金そっくりの山吹色に変化する。
おそらく、この佐土原藩の二分判金はニセの金貨としては最も精巧に作られたものであり(佐土原藩はこのニセ二分判金を約二百万両も製造し、幕末から維新にかけての通貨制度を大きく混乱させた)、そのほかにも、銀や銅や鉛を金箔でつつんだり金メッキをしたものから、色が似ている銅やその合金をそのまま使ったものまで、金貨を偽造するにはありとあらゆる方法が知られていた。(銀貨の偽造についても同様である。)
だが、どのようにして実際に金貨や銀貨が偽造されるかをこれ以上詮索してもしようがあるまい。ともかくここでは、ニセガネとはホンモノの金銀ではないものがあたかもホンモノの金銀に見えるように細工されたものであるという、ごく当たり前のことさえ確認しておけば十分だ。ニセガネを作るとは、ホンモノの金銀でないものをできるかぎりホンモノに似せようとする作業であり、まさにその意味でニセガネとは「似せ」ガネなのである。
ここで、同じ江戸時代に大阪で両替屋をいとなんでいた天王寺屋や鴻池屋に登場してもらおう。両替屋とは、当時商取引に併用されていた金貨、銀貨および小口の銭貨をその時その時の相場にもとづいて交換をおこなうのが本来の商売であるが、同時に、その資力による信用と厳重に守られたその金蔵の安全性をもとに、ひとびとの財産の保管もおこなっていた。そこで、預金者にたいしてかれらが発行したのが「預り手形」といわれているものである。それは、たとえば表に「銀拾匁なり」と書かれ、その横に「右の通りたしかに請け取り申し候、この手形をもって相渡すべく申し候」という金貨銀貨との引き換えを保証する文章が添えられている短冊形の紙きれのことである。実は、ホンモノのおカネとしての金貨銀貨とは似ても似つかないこの紙きれこそ、ニセガネならぬホンモノのおカネに変貌していくものなのである。
実際、この預り手形を両替屋にもっていけばだれでもその表に書かれている額の金貨や銀貨を受取ることができるから、ひとはいちいち本来の支払い手段であるべき金貨銀貨を直接渡さず、代わりにこの預り手形を渡して自分の借金の支払いに代えることができる。そして、この預り手形を貸出の返済の代わりとして受取ったひとも、今度はそれを使って自分の借金相手への支払いに代えることができる。その意味で、この預り手形は、それといつでも引換えられる金貨銀貨の「代わり」として、あたかもそれ自身が借金の支払い手段であるかのように用いられることになる。いや、実際の金貨や銀貨を用いるよりも、この持ち運びも保管も容易な預り手形を用いて取引したほうが日々の商売にとってはるかに便利である。事実、幕末のころの大阪における商取引の九十九パーセントが、実際の金貨銀貨ではなく、預り手形をはじめとした様々な種類の手形を通しておこなわれていたといわれている。
ここにひとつの逆説が作用している。はじめは本来の支払い手段である金貨銀貨の単なる代わりであった預り手形が、現実の商取引においてあたかも支払い手段であるかのように使われ、窮極的にそれ自身が金貨銀貨に代わって実際の支払い手段として流通するようになるのである。すなわち、ホンモノのおカネの単なる「代わり」が、本来のホンモノのおカネに「代わって」それ自身がホンモノのおカネになってしまうという逆説である。
太古において金銀が、いつでも装身具や祭礼器具に換えられるものであるがゆえに、その本来の用途に使われる代わりに交易のための支払い手段として用いられはじめたとき、この世におカネというものが誕生した。そして次に、本来は刻印で内容量を表示した単なる金銀の塊であった金貨銀貨が、表示された価値そのものの担い手として実際の金銀内容量とは独立に流通しはじめ、さらに次は、本来は金貨銀貨の引換え証書にすぎなかった両替屋の預り手形やその末裔としての銀行券が、金貨銀貨そのものに代わって流通しはじめ、そして現在では小切手やクレディットカードが、実際の銀行券の代わりとして流通しはじめている。ホンモノのおカネとは、その時々の「代わり」のおカネにたいするその時々のホンモノでしかなく、それ自身もかつてはホンモノのおカネにたいする単なる「代わり」にすぎなかったのである。すなわち、ホンモノの「代わり」がそれに「代わって」それ自身ホンモノになってしまうというこの逆説の作用こそ、太古から現在までホンモノのおカネというものを作り続けてきたのである。
だが、あのニセガネ作りたちを支配していたのは、この逆説とは逆の、ホンモノのおカネがホンモノであるのはそれがホンモノの金銀から出来ているからであるという「ホンモノの形而上学」であった。すなわちかれらは、ホンモノのおカネをホンモノたらしめているはずの金銀に「似せ」たものを作ることによって、ホンモノのおカネと同一の価値を得ようとしていたのである。それゆえ、ニセガネとは、いかにホンモノに似ていてもあくまでもホンモノの金銀にたいするニセモノでしかなく、それはけっしてホンモノになることはできない。しかも、ひとたびニセガネが発覚してしまえば、ニセガネ作りたちは、ホンモノの金貨や銀貨の権威を乱したかどでハリツケ獄門の刑に処せられた。いわばかれらはホンモノの形而上学の哀れな犠牲者なのであった。
これにたいして天王寺屋や鴻池屋は、ただホンモノのおカネの代わりとして預り手形を発行しただけである。だが、かれらの意図がどうであれ、この単なる紙きれが、ホンモノのおカネとは似ても似つかないにもかかわらず、いやそれとは似ても似つかないことゆえに、あのホンモノの「代わり」がホンモノに「代わって」それ自身ホンモノになってしまうという逆説の作用を受け、それ自身ホンモノのおカネになってしまったのである。
ホンモノのおカネに似せるのではなく、ホンモノのおカネに代わってしまうこと――それがホンモノのおカネを作る極意なのである。
もちろん、だれもがホンモノのおカネを作ることができるわけではない。実際、天王寺屋や鴻池屋ほどの大きな資力も厳重な金蔵もないところには、ホンモノのおカネを作りだすあの逆説は見向きもしてくれない。それゆえ、われわれには、ホンモノの形而上学に身をまかせてニセガネを作ることか、あるいはホンモノのおカネの作り方について陰鬱に科学することよりほかに道はない。
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はじめの贈与と市場交換
「年々の労働こそ、いずれの国においても、年々の生活のために消費されるあらゆる必需品と有用な物資を本源的に供給する基金である」と書かれた『国富論』の冒頭の文章は、まさしくそれが「貨幣」について全く触れていないという事実によって、かえって重商主義あるいは重金主義思想に対する挑戦状であるというその性格を際立たせている。『国富論』の著者アダム・スミスは、一国に蓄積された貨幣の量こそ一国の富の表象、いや富そのものであると考える重商主義や重金主義は、貨幣の価値尺度ならびに交換手段としての機能を貨幣そのものの価値と取り違えた誤謬であると断罪しているのである。それに代って、スミスは「土地と労働からの年々の生産物」こそ一国の富に他ならないと宣言する。近代の経済学はまさにこの宣言とともに始まった。
しかしながら、ここでわれわれは、この経済学の父の「貨幣を数えるな」という禁止の言葉に逆らって、一国の富というものをもう一度数え直してみよう。
アダム・スミスにとっての富の概念は「年々の生産物」に他ならず、それは現代の経済学の用語では「国民総生産」の概念におおよそ合致する。しかし、国民総生産[#「生産」に傍点]という言葉そのものが示しているように、いまだにアダム・スミスの末裔が支配している経済学の用語法に含まれている予断の影響から逃れるために、われわれは一国の富というものを各時点各時点で一国が保有している資産の総額によって数え直すことにしよう。アダム・スミスの言葉を借りれば、それは一国の年々の経済生活の手段を供給する「本源的」な「基金」に他ならない。
もちろん、アダム・スミス自身が示唆しているように、年々の生産物を生み出す「土地と労働」はわれわれの意味でも一国の富に数えあげられるべきである。さらに当然、生産活動に用いられるさまざまな資本財(マルクスならば、死んだ労働の堆積としての生産手段とでも言うであろう)もその中に数えあげられる。これらの「実物資産」については(人間資本としての労働については数多くの概念上の問題が実際はあるのだが、それらについては本論の主題と関連がないのでここでは目をつむっておくと)問題はない。一国に存在する労働と土地と資本財は明らかに一国の富である。だが問題は、株式、債券、貨幣等のいわゆる「金融資産」といわれるものについてである。
ある人がある企業の株を保有しているとしよう。その時、その株はその人個人にとっては資産である。しかしながら同時に、その株式を発行している企業にとっては、それは自分の保有する実物資産である土地や資本財を裏付けとした負債に他ならず、したがって経済全体にとっては、既に一度実物資産が資産として数え上げられているかぎり、株式保有者のプラスは株式発行者のマイナスと打ち消し合ってしまう。同じように、ある人がある企業の社債あるいは誰か他人の借金証文を保有している場合も、それはその人にとっては資産であるが、経済全体としては、その債券を発行している企業あるいは借金証文を書いた他の人の負債勘定と打ち消し合って差し引きゼロとなる。すなわち個人あるいは企業が発行し、個人あるいは企業が保有している株式や債券や借金証文は、一国の富の中には勘定されないことになる(1)。
それでは「貨幣」についてはどうであろうか。「ヒトの解剖は猿の解剖の鍵である」。それゆえ、われわれは貨幣の最も現代的な形態のひとつとして、不換紙幣である現代の中央銀行券あるいは略して銀行券(つまりはお|札《さつ》)から考察してみよう。モノではモノが買えないけれど、銀行券はモノが買える。したがって銀行券はそれを保有している人にとって資産である。(これ以上当り前のことは世の中に少い。)他方、銀行券は、形式的には他の債券と同様に発行者である中央銀行の負債である。だが、個人や私企業の場合(返済期限あるいは償還期限が過ぎているならば)、自分の発行した借金証文や債券を持って来た人に対して、自分の他の資産を取り崩して指定の金額を支払わなければならないのにひきかえ、中央銀行の場合は銀行券を持って来た人に対しては全く同額の銀行券を手渡せばよい。その人が持ってきた同じ銀行券を手渡したって一向にかまわない。中央銀行にとって、支払いのために他の資産を取り崩す必要など全くないのである。すなわち、銀行券の発行額が記載されている中央銀行の負債勘定は、中央銀行にとって決して返済する必要のない負債[#「決して返済する必要のない負債」に傍点]を表わしていることになる。結局、それは形式的には負債に他ならないが、実質的には負債として機能しない。それゆえ、経済全体にとって、銀行券の全発行額はまるまる純資産として勘定されることになる。アダム・スミスの言に反して、貨幣は、少くとも銀行券の形態をとっているときには、労働、土地、資本財等の実物資産と並んで[#「並んで」に傍点]一国の富の一部を形成する。
ところで、父アダム・スミスに逆らってわれわれが今し方得た結論――貨幣は富である――は、貨幣についての更に反スミス的な考察にわれわれを導いていく。
さて、銀行券が中央銀行にとって返済する必要のない負債であるという事実を、今度は反対にその銀行券の所有者である国民の側から見直してみよう。それは一体何を意味しているのだろうか。もちろん銀行券は形式的には中央銀行の発行した債券である。しかし、発行した当の中央銀行が決してその保有者に負債額を支払うつもりはないのだから、その保有者にとっては、それは結局、決して返済を期待し得ない貸付け[#「決して返済を期待し得ない貸付け」に傍点]に等しいはずである。では、決して返済を期待し得ない貸付けとは何であろうか。それは明らかに、当の本人の意識がどうであれ、一方的な贈与[#「一方的な贈与」に傍点]というべきものである。すなわち、われわれは、銀行券が貨幣として国民の間に流通している背景には、国民から中央銀行へ(そして国家へ)の「一方的贈与[#「一方的贈与」に傍点]」が隠されている事実を発見したことになる。(もちろんこのようなことを中央銀行や国家が告白することなどあり得ない。だが事実は事実である。)つまり、等価交換原理が全面的に支配している市場経済において、その等価交換を媒介している貨幣そのものは、実は、隠された「一方的贈与」という一種の「不等価交換[#「不等価交換」に傍点]」の痕跡に他ならないというわけである。等価交換の前提条件としての不等価交換=一方的贈与――この「逆説」的な結論は、全面的な等価交換原理にもとづく従来のすべての経済学的言説を疑問符の中に包み込む。だが、その点の検討は後日にまわして、ここではもう一度解剖作業に戻ってみよう。
ヒトの解剖の次は類人猿の番である。さて、現在の中央銀行券のような不換紙幣ではなく、要求に応じて指定額の金あるいは銀との交換を約束するかつての兌換紙幣についてはどうであろうか。明らかにその場合でも、中央銀行が兌換準備として用意している金や銀の総額以上に流通している紙幣に関しては、不換紙幣の場合と全く同様に、国民が中央銀行に対して一方的に与えている贈与とみなしうる。取り付け騒ぎが起こらないかぎり、発行された兌換紙幣のうち銀行の外で貨幣として流通している部分は、当然、金や銀も含めた実物資産と並んで一国の富の一部を形成する(2)。
それでは、兌換紙幣ではなく金貨や銀貨そのものが貨幣として流通している場合はどうであろうか。歴史の「原初」(それは紀元前八世紀のリディア王国であるかもしれないが)において君主が金貨あるいは銀貨を鋳造した瞬間から、鋳貨の額面とその実質価値との乖離が始まった。君主が商人が持ってくる金片や銀塊に自らの印章と共に純度と重量を保証する刻印を押す際に受け取る手数料という隠微な形態から、素材の金銀に混ぜ物をして鋳貨の実質的価値を下げるというより大胆な形態まで、鋳貨制度の全歴史はまさしく悪鋳と改鋳の歴史でもある。しかし、どのように鋳貨の質が低下していても、それが王国内を流通しているかぎり、鋳造の度ごとに君主が君主利権(seigniorage) として自らのものとする鋳貨の額面と実質的価値の差額は、鋳貨を貨幣として受容している臣民から君主への一方的な贈与に他ならない。実際、君主(seigniorage) とは君主利権(seigniorage) を得るものであり、君主利権(seigniorage) とは君主を君主(seigniorage) たらしめているものである(3)。そして、この鋳貨の額面の実質価値からの超過分は、そのまま、素材としての金銀および他の実物資産と並んで[#「並んで」に傍点]一国の富を形成していることは言うまでもない。(すなわち、流通している鋳貨の額面価値はすべて一国の富として勘定される。)
最後に猿の解剖。つまり、金あるいは銀が金片あるいは銀塊といったかたちでそのまま流通している場合についてである。(もちろん、このような純粋状態が歴史上実在したかどうかはこの際問わないでおこう。)ところで、不換紙幣、兌換紙幣、金銀鋳貨とは異り、この場合はもはや金銀を貨幣として流通させている人々からの一方的贈与は存在しないようにみえる。なぜならば、もはや、堅固な城塞の中央に鎮座する君主や、シティやウォール街あるいは日本橋に居を構える中央銀行といった、いかにもそれらしき贈与の受け取り手がどこにも見出せないようにみえる。だが、もう少し仔細に検討してみよう。
金銀が媒介している商品交換の場は、等価交換の原理が支配しているところである。それゆえ、そこには一方的贈与という不等価交換が介入できる余地は原則的にはない。われわれは、したがって、金銀が媒介する商品交換の場以外の場所を探さなければならない。そのような場所はあるのか。ある。まさしく中央ならぬ辺境に、そして、金銀の媒介を許さず、商品交換の場でもない場所――すなわち、金銀そのものを地下から掘り起す金山あるいは銀山にである。あらゆる生産活動がそうであるように、金銀の採掘はひとつの隠れた不等価交換を前提とする。なぜならば、金山主・銀山主たちは利潤(あるいはヨリ一般的な範疇としての剰余価値)なしには絶対に金銀の採掘はしないからである。実際、金銀山主が利潤を創出する仕方は、マルクスによる古典的な剰余価値創出の理論のパラダイムである。すなわち、金銀山主は自らの生産物である金銀を支払って鉱夫を雇い道具機械を買い、支払った以上の金銀を採掘させる。そして、金山主・銀山主が自らの生産物である金銀でモノを買うとき、それが貨幣として売り手に受け入れられた瞬間に、この超過分が金銀山主の利潤として実現する。それはまさしく、金銀を貨幣として使っている人々から金山主・銀山主への隠されたかたちの一方的贈与に他ならない。(ちなみに、君主利権(seigniorage) という言葉には、鉱山主が君主に貢納しなくてはならない貴金属産出高の一定割合という意味もあり、またそれは単に利潤という意味で使われたこともあると言われている(4)。金銀の鋳造を始める前には、君主はおそらく金山銀山から直接収奪する形態で臣民からの一方的贈与を受けていたに違いない。)市場で流通しているいずれの金片もいずれの銀塊も、それぞれ地下の暗黒から明るい市場へと投げ出された瞬間においてこの一方的贈与の仲立ちをした、という過去をもっているのである。もちろん、ひとたび市場で貨幣として流通し始めると、暗い過去はなかったかのごとく、それはひたすら等価交換の媒介に専念するのではあるが。
不換紙幣から兌換紙幣へ、兌換紙幣から金銀鋳貨へ、金銀鋳貨から金片銀塊へと、どこまでも貨幣の形態を(歴史的に、あるいは概念的に)さかのぼってみても、事情は変わらない。貨幣が貨幣として機能している背後に、必ず一方的贈与という不等価交換の|契機《モメント》が介入している。それは、中央銀行における決して返済する必要のない負債勘定というかたちをとることもあれば、当分は返済を予定しなくても良い負債勘定というかたちをとることもあり、また、君主の金貨銀貨鋳造の際の君主利権というかたちをとることもあれば、金山銀山の持主たちの利潤というかたちをとることもある。しかし、それがどのような形態をとるにせよ、この一方的贈与という不等価交換の痕跡を消し去ることはできない。したがって、こう言っておこう。――はじめに贈与ありき、と。
しかし、この「はじめの贈与」とは、市場交換の「起源」を、歴史上のある贈与の行為、ある事件に措定したものではない。それは、論理的にも歴史的にも、市場交換原理のみではけっして内在的に説明しえない、市場交換そのものの存立条件を指している。人はそれを過去においても現在においても、いや未来においても見出すであろう。
以下は、この起源ならざる「起源」の措定、この結論ならぬ「結論」をめぐる若干の補足的考察である。
すべての受験生が知っているように、ホッブスにとっての「人間の自然状態」は、「各人の各人にたいする戦争状態」である。そこでは「絶えざる恐怖と、暴力による死の危険」があり、「人間の生活は孤独で貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い(5)」。死を恐怖して平和を志向する人間は、戦争状態から脱却し、相互譲渡の契約にもとづく市民社会の設立を希う。しかし、それが恒常的・永続的になるためには、「人々を恐れさせ、また、人々を共通の利益を求めるように導きもする公共的な権力」が必要なのである。そして、「この権力を確立する唯一の道」は、第三者である「一個人あるいは合議体に、かれらの持つあらゆる力と強さを譲り渡してしまうことである(6)」という。これによって「国家」という「大怪物(リヴァイアサン)」が誕生する。
すなわち、ホッブスの社会契約においては、市民社会における相互譲渡の原理による交換行為が可能となるためには、各人は第三者に対して契約ならざる契約、「いかなる交換によっても償われ得ない……全面的な譲渡」が必要とされる。「あらゆる可能的交換のア・プリオリな条件」としての「最初の全面的贈与(7)」。まさしくここでも、「はじめに贈与ありき」である。一方で等価交換の前提条件としての不等価交換、他方で相互契約(交換)の前提条件としての全面的譲渡(非交換)――貨幣創造の|契機《モメント》と社会契約成立の|契機《モメント》は、その「逆説的」な構造において相同なのである。
しかしながら、市場交換とは、この「逆説」が、「はじめ」に一回きり出現するのではなく、それが市場で交換活動を行っている人によって日々実践されているという二重の意味で「逆説的」な構造をもっている。
市場で流通している貨幣はすべて、過去になされた一方的贈与の痕跡である。この現在に人々が市場で貨幣を用いて行っている交換は、したがって、すべて過去の何らかの時に起った一方的贈与の「効果」に他ならない。いや、市場経済そのものが、あの初源ならざる初源の一方的贈与が生み出した諸効果の累積に他ならない、といえるだろう。
人々が、紙幣を札入れにはさんでいる時、それは中央銀行の帳簿の中の負債勘定をその間だけ引き受けているのであり、金貨銀貨をポケットにしのばせている時、それは鋳貨の額面と実質価値との差を不問に付しているのであり、金片銀塊を交易のために持ち歩いている時、それはその市場での価値と採掘費との差を考えないでいるのである。したがって、人々が、市場において商品と交換に他人から貨幣を受けとる時(つまり、モノを売る時)、それはまさしく過去にすでに起ってしまった、国民から中央銀行へ、臣民から君主へ、商人から金山主・銀山主への一方的贈与の行為を、現時点で反復しているのであり、逆に、貨幣と交換に他人から商品を受けとる時(つまり、モノを買う時)、それはまさしくみずからを中央銀行、君主、金銀山主の立場に置いて、過去における一方的贈与の行為を交換相手に反復させることなのである。市場における最も散文的な売りと買い、それはすべて、あの「はじめの贈与」の反復行為に他ならない。もちろん、二番目からはすべて茶番。この反復行為において、人は貨幣をもっている間だけ、中央銀行家、君主、金銀山主にみずからを擬することができる。貨幣を手放した瞬間に、モノを手にしたタダの人である自分自身を再発見する。
「はじめの贈与」の反復によって、貨幣は流通し、商品は交換され、国は富む。だが、物語は常にハッピイ・エンドでは終らない。
周知のように、ホッブスの提示する「社会契約」には本質的な困難がある。市民全員から権利を全面的に譲渡された第三者が、期待通り市民の共通の利益を護るように行動してくれる保障をどこに求めたらよいのか。もし、この第三者が暴君に変じ、市民との間に紛争が生じた時、一体誰がそれを調停してくれるのか。そもそも、社会契約において、公共権力を行使するよう委託された第三者は、市民から全面的に権利を譲渡されているのだから、市民からの要求に全く縛られることはない。両者のあいだの紛争の調停者を導入することは、権力の全面的譲渡の定義そのものに反してしまう。
ホッブス自身は、この困難の存在を無視した。いや、市民社会が恐怖政治に陥ってしまう可能性を可能性として認めること、それがホッブス自身の困難の「解決」であった。
日々ホッブス的社会契約の逆説を実践している市場経済も、ホッブス的困難をその内に抱えている。貨幣の保有者は、貨幣を保有している間は、中央銀行、君主、金銀山主の立場にみずからを擬することができる。彼はいわば「ポケットの中に、自分の社会的力とともに社会との絆を持ち歩いている」(マルクス)のである。しかし、貨幣所有者が一体いつそしてどのくらい「はじめの贈与」の反復を実行するか、つまり貨幣を手放しタダの人に降下する意志決定をするかは、全く彼の自由にまかされている。いくら他方でモノを売りたがっている人、つまりみずからを中央銀行に対する国民、君主に対する臣民、金銀山主に対する商人の立場に置かざるをえない人がいても、誰も両者の利害の調整を計ってくれる人はいない。交換が実際に成立するかどうかは、貨幣をもつことで超越的な立場に立っている側のみが最終的決定権をもっている。それは、まさしく「はじめの贈与」が行われた時の力関係の反復にほかならない(8)。
恐慌とは、市場経済全体で貨幣の流通が滞って交換が行われなくなっている状態、すなわち、多くの擬似君主が王座を降り渋って、あの「はじめの贈与」の反復が滞っている状態なのである。それは、ホッブスの社会契約が恐怖政治の可能性を排除できないのと同様、それと同型の市場交換の「逆説」そのものに帰因する。恐慌の可能性、それはすでに「はじめの贈与」の中に含まれていたものなのである。(もっとも、こう言っても「恐慌」について何も理解をすることにはならないが。)
はじめに贈与ありき、とは、同時に、はじめに不等価交換、いや搾取による剰余価値があったということでもある。実際、金銀を採掘する鉱山主、金銀を鋳造する君主、兌換紙幣あるいは不換紙幣を発行する中央銀行、いずれもみずからの採掘、鋳造、発行した貨幣が、商品と交換に市場に投ぜられた瞬間に、隠された一方向的贈与、すなわち「剰余価値」を獲得する。いや、金山銀山は一国の辺境にあるだけでなく、一国の国境にも存在する。すなわち、「ノアの洪水以前からの資本の形態」である商業資本の遠隔地貿易による金銀の輸入、さらには、重商主義国家の貿易差額を通じての金銀の獲得、それらはいずれも、形式的には、金山銀山における金銀の採掘と同一の活動である。これら商業資本家、東インド会社、そして金銀山主、君主、中央銀行は、マルクスが唯一に「価値創造」的であると言う労働力という特殊商品を市場で発見する以前に、実はすでに剰余価値を創出しはじめていたのだ。
マルクスは言う。「流通または商品交換の部面は、じっさい、天賦の人権のほんとうの楽園だった。ここで支配しているのは、ただ、自由、平等、所有、そしてベンサム(9)」。しかしながら、商品交換の場は、それが貨幣を流通させているかぎり、その「はじめ」から、剰余価値創出という原罪を内に宿していたのである。したがって、不平等あるいは階級分化は、市場経済の「誕生」とともにあり、それがまさに市場経済を生まれながらの「熱い社会」(レヴィ=ストロース)にしているのである。だが、それが、一体どのような「熱い社会」であるかを詳しく語るのは、もはやこの論文の課題を超えてしまっている。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
(1)国が国債を発行している場合、話はもうすこし面倒になる。果して国債が本当に一国の富を形成するかどうかは、経済学の中で常に論争され続けている問題である。われわれは、後の議論を簡単にするために、ここでは(アカデミアでの立場を離れて)「戦略的」にもっとも極端な立場をとっておく。それは、リカードの立場であり、国債は一国の富を形成しないというものである。理由は次のとおりである。国債を保有している人は、将来政府から利子をうけとるから、当然それを資産とみなす。しかし、利子を支払う立場の政府は、そのための財源をどこからか調達しなければならない。どこからか? 通常は税収入である。税はもちろん国民から徴収する。したがって、国債保有者に支払われる利子分だけ、国民全体は将来税負担額が増加することを覚悟しなければならない。これは、皆が将来に対して正しい予想をもっているならば、国民全体の資産の減少とみなしうる。したがって、国債保有者のプラスと税負担者のマイナスが打ち消し合って、全体として国債は資産として勘定しえないことになる。
(2)実は、民間銀行の預金口座も、形式的には民間銀行の発行する債券であるが、機能的には貨幣である。この場合、詳細は省くが、預金利率が債券利子率より低ければ、兌換紙幣と同様に取り扱える。ただし、以下の議論では銀行の預金口座の存在は無視する。
(3)Oxford English Dictionary より。
(4)同右。
(5)ホッブス『リヴァイアサン』(永井・宗片訳、中央公論社)一五七ページ。
(6)同右、一九五、一九六ページ。
(7)アルチュセール「ルソーの『社会契約』について」、『政治と歴史』(西川・阪上訳、紀伊国屋書店)一七六ページ。
(8)モノを手放して貨幣をもちたい人と貨幣を手放してモノを得たいと思っている人とのあいだに不均衡が存在しうるということは、経済学の用語で言えば、供給がみずからの需要を創り出すと主張する「セイの法則」が成立していないということにほかならない。
(9)マルクス『資本論』(岡崎次郎訳、国民文庫)(一)の三〇九ページ。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
パンダの親指と経済人類学
パンダについて調べるために近所の本屋に行って店員にたずねたら、「一年前までは特別のコーナーまであったのですが、いまはもうだれも買う人がなくなってしまい、パンダ関係の本はいっさい版元に返してしまいました」という返事。わたしが落胆した顔をしたら、店員がすかさず「お客さん、コアラの本ではいかがでしょうか。最近コアラ関係の本が売れはじめておりますが」。
だが、この論文を書くためにはぜひともパンダでなければならないのだ。
まず、次に掲げた新聞記事の切り抜きのなかのパンダの足形の写真を眺めてみよう。二つの写真のうちの上のほうのフェイフェイの足形についてはとりたてて変わったことはない。だが、もうひとつのホアンホアンの足形のほうに注意してみよう。もしわたしの勘定が間違えていなければ、ホアンホアンの右足には、横に大きくつきでた丸い親指、ほぼ一文字に並んだ人指し指、中指、薬指と小指……そして、そしてさらにもう一本の小指……なんとホアンホアンは六本も指をもっているのである。
[#挿絵(img/fig1.jpg、横263×縦324)]
だが、ホアンホアンだけが六本指なのではない。ホアンホアンの場合、この新聞記事には前足の足形いやその手形の写真がのせられており、もしフェイフェイのほうも後ろ足の足形ではなく前足の手形の写真をのせられていたならば、それにもやはり六本の指がついていたはずである。パンダとは、大きな親指とそれと向き合ってついている残りの五本の指を実に上手に、いや合理的に使って笹の枝をつかまえ、唯一の食料である笹の葉を食べる動物なのである。
ここでわたしは、パンダが奇形だと喧伝して、パンダの人気の落ち目にさらに拍車をかけようと思っているのではない。パンダが六本目の指を持っているという事実の進化論的な意味は、これからの貨幣および経済に関するわれわれの考察に一つの導きの糸をあたえてくれるはずなのである。そのために、ここで少しの間パンダから離れて、経済について語らなければならない。
「異なる用途をもつ稀少な資源と目的とのあいだの関係として人間の行動を研究する科学」というライオネル・ロビンズによる定義を引合いにだすまでもなく、伝統的な経済学はもっぱら個々の経済的人間(ホモ・エコノミクス)の目的合理的な行動と、価格による需給の調整を通じて稀少な資源を多数の経済的人間のあいだに効率的に配分する市場経済にかかわってきた。それはまさに〈合理性の科学〉、〈効率性の科学〉としてみずからを規定してきたのである。
そして、このような経済的人間の合理的な行動と市場経済の効率的な運営を可能にしている手段として、伝統的な経済学は〈貨幣〉というものを考察してきた。
貨幣とは、まず第一に〈交換手段〉である。だれもそれを受けとることを拒否しない貨幣は、いわゆる間接交換を可能にすることによって、物々交換においては慣習的あるいは偶然的でしかなかった交換の場を飛躍的に拡大し、それを同質的で客観的で普遍的ないわば合理性の支配する空間にしたのである。
第二に、貨幣は〈価値尺度〉である。それは異質なさまざまの財やサーヴィスの価値を数量的に比較可能にし、人々が経済活動を算術的な計算にもとづいて行なうことを可能にしたのである。それゆえ、貨幣は「経済計算のもっとも〈効率的〉な手段」あるいは「経済活動をみちびいていくためには形式的にもっとも合理的な手段」(マックス・ウェーバー)と見なされることになる。
第三に、貨幣は〈価値の貯蔵手段〉である。人は貨幣をいつでもだれでも受取ってくれるものとして保有することによって瞬間瞬間の欲求に左右されずに交換を行なうことができ、さらにそれによって異なった時点での経済活動の間にも合理的な計算にもとづく比較が可能になり、交換の場を単に空間的だけではなく時間的にも飛躍的に拡大させることになったのである。
すなわち、伝統的な経済学においては、貨幣とはまさに経済に〈合理性〉や〈効率性〉をもたらす技術的な手段以外の何ものでもない。いや、経済学が合理性の科学として規定できるならば、人類にとっての数量的、抽象的、客観的な計算や思考のおそらく最初の手段として、貨幣とは科学的思考そのものを可能にするものであったと言うことすらできるであろう。
ところで、ここで、このような合理性の技術的手段として規定される貨幣の〈起源〉について、伝統的経済学の父であるアダム・スミスによる説明を聞いてみよう。かれは次のように言う。
[#1字下げ]分業が発生しはじめた当初は、こうした交換の力はしばしばその作用を大いに妨害され阻止されたにちがいない……肉屋はその店に自分が消費する以上に多く肉をもっており、酒屋とパン屋はその肉の一部をそれぞれ購買したいと思っている。ところが、かれらはそれぞれの職業の生産物のほかには交換に提供するものをもっていないし、また肉屋にはすでに、かれがさしあたり必要とするパンとビールはすべて手持ちがあるとしよう。この場合には、かれらのあいだにはどんな交換も行われない。肉屋は、かれらの商人になることができないし、またかれらも肉屋の顧客となることができない。こういうわけで、この人たちは、すべておたがいに相互の役に立つことが少ないのである。このような事態に対する不便を避けるために社会のあらゆる時代の世事にたけた人たちは、分業がはじめて確立されたあと、おのずから事態を次のようなやり方で処理しようとつとめたにちがいない。すなわち、世事にたけた人は、自分自身の勤労の特定の生産物のほかに、ほとんどの人がかれらの勤労の生産物と交換するのを拒否しないだろうと考えられるような、なんらか特定の商品の一定量を、いつも手元にもっているというやり方である(1)。
この交換の便宜のために媒介として人々に保有される特定の商品、それがすなわち貨幣であるというわけだ。そして、ひとたび貨幣が交換の媒介手段として用いられはじめると、今度は経済計算の合理化のためにそれが価値の尺度としても用いられ、さらにはそれが持ちはこびが便利なことのため価値の貯蔵手段としても用いられるようになり、窮極的に現在の貨幣の形に進化したというわけである。
交換から貨幣が発生した、より詳しくいえば、物々交換の不便さを取り除き、交換をより効率的にするための技術的な手段として貨幣が社会のなかに導入され、その便利さゆえに広く用いられるようになった――これが貨幣の起源にかんするもっとも伝統的な説明にほかならず、同様の説明は今日でも貨幣にかんする標準的な教科書に見いだすことができる。それは、まさに現代の市場社会において貨幣が果たしている機能をそっくりそのまま貨幣の歴史的発生の説明にもあてはめて、貨幣の歴史を貨幣のもつ本質的機能が徐々に完全なものになっていく過程として捉えるものなのである。
貨幣とは、しかし、パンダの親指なのである。
実は、この論文の始めのほうで、パンダは六本の指を持っていると言ったのは、解剖学的にも発生学的にも正しい言い方ではなかった。パンダの六本の指のうち丸い大きな親指は、解剖学の立場からは指とはまったく関係なく、それは実は、他の哺乳類においては手首の一部をなしている種子状|橈骨《とうこつ》(radial sesamoid) というゴマの実に似た車軸状の骨の一部が極端に長くなったものなのである。一般に、パンダと同属である熊の仲間はこの種子状橈骨が長い。この解剖学的にはまったくの偶然の事実が、中国の山林に生息していたパンダの祖先が手首を用いて笹をつかむのを容易にさせ、それが逆に進化の過程のなかでこの骨の発達をうながし、最終的に種子状橈骨をあたかも人間の親指のように使って笹の葉を食べるパンダという種をつくりあげたのである。生物の進化(evolution) とは、けっして単一の方向性をもつ進歩(progress) ではない。それは、そのときそのときの偶然的な状況に応じて、その場その場の出来合いの器官を転用していくいわばブリコラージュ(修繕)の過程にほかならない。自然とは修繕屋であって、建築家ではなかったのである(2)。
では、パンダの親指は親指ではないのか。いや、もし何かをつかまえるために発達した骨を機能的な意味で親指とよぶならば、パンダの種子状橈骨は親指である。だが、その現在果たしている機能から、かつて手首であったその〈起源〉を類推することはできない。発生の論理と機能の論理とはけっして混同してはならないものなのだ。
伝統的な経済学の貨幣の起源に関する説明に対していわゆる〈経済人類学〉の立場からなされている批判は、まさに発生の論理の立場からの機能の論理の批判として理解することができよう。
たとえば、経済人類学の祖とでもいうべきカール・ポランニーは、交換から貨幣が発生するというアダム・スミスに代表される考え方は「貨幣の論理的な起源とその歴史的な進化とを同一視」しており、市場経済を普遍的と見なす近代主義的な誤謬にすぎないと言う。反対に、かれは「貨幣は、市場とは別個のまたは独立の起源をもつ」、あるいは「原始社会あるいは古代社会のデータが明らかにすることは、貨幣の交換手段としての用法が、他の貨幣用法を生じたとは言い切れず」、「逆に、支払い、蓄蔵、計算手段としての用法は、それぞれ独自の起源をもち、相互に独立して制度化されたのであった」と主張するのである(3)。
実際、貨幣の起源にかんする最近の考古学的あるいは古銭学的研究は、ほぼ全面的にポランニーの主張を裏書しているようである。
たとえば、紀元前六世紀あるいは五世紀頃のギリシャの貨幣についての研究は、多くの都市において交換に便利なはずの少額の貨幣をまったく発掘することができなかったことに注目する。なぜならば、それは明らかに貨幣の鋳造が各都市内における局地的な交換の便宜のために導入されたものではないことを意味しているからである。そしてまた、高額単位の貨幣の場合も、多くは退蔵されたまま発掘されており、仮りに使用されたとしてもそれは発行地のまわりのごく限られた範囲でしかなく、遠隔地との交易に用いられたのでもないことを示唆している。古典ギリシャにおける貨幣の鋳造は、都市政府の税徴収や外人傭兵への支払い、そしてとりわけ都市の統一の象徴物として使うためといった、経済交換とは独立な目的のために始められたのである(4)。
あるいはまた、古代ゲルマン民族の部族法において、部族内での殺人や傷害に際して加害者が被害者あるいはその家族に支払わなければならない貨幣の額が、たとえば、大人の男子の殺人の場合いくら、腕一本失わさせた時いくら、手一本の時いくら、爪一枚の時いくら、脳味噌の見えるほど深い頭の傷の場合いくらといったふうに、実に詳細に決められていることはよく知られている。このヴェルゲルト(Wergeld) とよばれている制度では、貨幣は、被害者の肉体の損傷を経済的に償うためではなく、その呪術的あるいは宗教的な力によって、被害者の魂やその家族の怒りを鎮め、部族の統一を破壊してしまうおそれのある、目には目を歯には歯を式の報復を避けるために支払われたのである。貨幣の payment(支払)とは部族内の人間の pacification(鎮魂)にほかならず、実際、payment と pacification という言葉はともにラテン語で鎮魂あるいは平和を意味する pacis をその語源に持っているのである。すなわち、ここでも貨幣とは、部族的な価値の担い手あるいはその尺度として、経済的な交換とは独立に用いられていたのである(5)。
これ以上例を積み重ねても仕方ない。重要なことは、貨幣においても、それが現在果たしている機能からその歴史上の〈起源〉を類推することはできないということなのである。貨幣とは、多くの場合、太古から呪術的、宗教的、装飾的、威信的、政治的等々、経済とは独立のさまざまな価値の象徴あるいは尺度として社会に存在しており、ともかくそれが何らかの価値の象徴あるいは尺度であるという機能的には偶然的な理由によって経済的交換の際の価値の尺度として使われ、さらにその媒介手段へと転用されていったのである。
歴史も、自然と同様修繕屋であって建築家ではない。ちょうど、現在笹をつかむために用いられているパンダの親指がかつてはそれとはなんの関係もない単なる手首であったように、現在市場において人々の目的合理的な行動を媒介している貨幣はかつては経済的な意味での合理性とはまったく関係ない機能を果たしていたのである。合理性の技術的手段としての貨幣の非合理的出自――歴史とはこのような逆説に満ち満ちている。いずれにせよ、貨幣の発生の論理と機能の論理との間には何ら必然的な関係は存在せず、その意味で、まさに貨幣はかつては手首でしかなかったパンダの親指なのである。
ところで、ポランニーが貨幣の〈起源〉にその非経済交換的な機能を見いだしたのは、単に歴史的な興味からではない。かれは、それによって伝統的な経済学のもつ「時代遅れの市場主義メンタリティ」の批判を試みようとしたのである。原始社会や古代社会における貨幣が、市場で交換手段(およびそれから派生する価値尺度や価値貯蔵手段)として機能している現代貨幣の単なる未発達な形態ではなく、それぞれの社会のなかで経済的交換とは独立のさまざまな機能を果たしていたことは、逆に、それらの原始貨幣や古代貨幣を支えていた原始社会や古代社会における人間の経済活動も、市場経済の単なる未発達な形態であるのではなく、それぞれ独自の目的や機能や存立構造をもっていたことを意味するはずである。
事実、ポランニーは、市場経済を特徴づけている目的合理的な経済活動(それをポランニー自身は「形式的(formal)」な意味での経済活動とよんでいる)と対比させて、「実体的(substantive)」な意味での経済活動という概念を導入する。実体的な意味での経済活動とは、みずからの物質的欲求を満たす手段を獲得するために、人間が自分の労働を通して自然や他の人間に働きかける、人間と自然あるいは人間と人間との間の交換過程のことであるとポランニーは規定する。それは「人間は他のあらゆる生き物と同様、自分を維持する自然環境なしには瞬時たりとも存続できないという基本的事実をさし示すもの」であり、その意味で「実体的」な概念であるとされるのである(6)。
ポランニーは、自分が原始貨幣や古代貨幣を用いている社会で見いだしたのは、まさにこの実体的な意味でしか把握しえない経済活動なのであったと言う。そこでは、人々の物質的欲求を満たすために必要な財やサーヴィスは、貨幣を媒介にした市場交換を通してではなく、あるいは互酬性(reciprocity) の原理にもとづく贈与の交換によって、あるいは専制的な権力による再分配(redistribution) の機構によって人々のあいだに配分されている。そして、人々のこのようないわゆる「実体的」な経済活動を支えているのは、利潤や効用を追求する個々人の目的合理的な行動ではなく、互酬性の原理や再分配の機構を呪術的、宗教的、儀式的、威信的、政治的に動機づけているさまざまな形態の社会的な制度なのである。その意味で、価格の変動がもたらす需給法則の作用によって「ただ市場のみによって統御され、調整され、支配される経済システムである」市場経済とは逆に、これらの原始社会や古代社会においては、経済はいわば「社会のなかに埋めこまれている」とポランニーは言う(7)。
それゆえ、ポランニーは、市場経済を普遍的な経済の形態と見なしている伝統的経済学を、このような社会に埋め込まれた経済が広く存在していたという歴史的事実の認識から取り残されたという意味で「時代遅れの市場主義メンタリティ」の持ち主として批判することができたのである。
[#1字下げ]誤りは、人間経済一般をその市場形態と同等視することにあった……本来、人間と欲求の物理的局面は人間の条件の一部分をなしており、いかなる社会もなんらかの種類の実体=実在的経済を持たずには存在することができない。他方において、供給・需要・価格システム(一般にわれわれは市場と呼んでいる)は、特定の構造をもった比較的現代的な制度であって、それは確立することも維持することも容易ではない。〈経済的〉という類概念の領域をとくに市場現象に限定するのは、人間の歴史における最大部分を史実から排除することである。その一方、あらゆる経済現象を包摂するにいたるまで市場概念を拡張するのは、経済的なものすべてにたいし、市場の現象に伴う特殊の性格を人為的に与えることである(8)。
だが、話はここで終わらない。
経済人類学の到達点は同時にその限界点でもある。
ポランニーは、十九世紀の西欧においてはじめて社会に埋めこまれた経済から市場経済への転換いや「大転換」が起きたのだという。かれによれば、市場経済とは、労働や土地までが商品化され、ありとあらゆるものが価格の自由な変動による需給法則を通じて配分される「自己調整的システム」であり、そこでは、経済というものが経済外的な制度の規制から独立した完全なる自己完結性をもっていると言う。しかしながら、「労働と土地を商品として扱うことはまったくの虚構にすぎない」と、ポランニーは言う。
なぜならば、「労働は生活そのものに付随する人間活動の別名であり、販売のために生産されたものではないからであり、土地は単に自然の別名であり、人間が生産することのできないものであるからだ」というのだ。そして、労働と土地のこのような虚構としての商品化は、「文化的な諸制度という保護装置を奪いとられた人類を社会的な露出過剰によって滅ぼし」、さらには「自然の統一を解体し、環境や景観を乱し、河川を汚し、安全保障を危うくし、食料や原材料の生産力を破壊してしまうにちがいない」。「しかしながら」、と最終的にはポランニーは結論する、「どのような社会であろうとも、その人間的自然的な実体……がこの悪魔的なひき臼による荒廃から護られなければ、一時たりともこのような粗暴な虚構の体系の影響に耐えることはできないであろう(9)」と。
ここにあるのは、人間の疎外にたいする青年ヘーゲル派的な怒りであり、自然の破壊にたいするエコロジスト的な嘆きである。このようなあまりにも陳腐でナイーヴな怒りや嘆きの背後にひかえている社会観は、結局のところ、伝統的経済学の社会観が単に転倒されたものにすぎないのである。すなわち、ポランニーは、市場経済こそ普遍的な形態の経済であり、原始社会や古代社会における人々の経済活動をその未発達な特殊形態であるとする伝統的経済学の〈帝国主義〉にたいして、今度は逆に、社会に埋めこまれた形態に経済の真実の実体を見いだし、市場経済をその誤謬に満ちた虚構の形態と見なすいわば〈逆帝国主義〉を対置させているにすぎない。市場経済は、それが人間の経済の実体であり普遍である「社会に埋めこまれた」形態から完全に遊離してしまった非人間的な不自然な形態であることゆえに非難されるのである。だが、言うまでもないことだが、パンダのかつての手首を未発達の親指と見なすべきではないように、パンダの現在の親指をできそこないの手首と見なすべきでもない。
ひとは確かに自分の敵にいちばん似る。皮肉なことに、経済人類学のこの逆帝国主義を支えているのは、市場経済の「自己調整機能」にたいする伝統的経済学と同様の「信奉」なのである。そして、さらにその背後には、市場でもちいられている現代の貨幣は、交換手段、価値尺度、価値貯蔵手段等々の機能をすべて果たすいわゆる「全目的」貨幣として、人間の目的合理的な経済活動の完全なる媒介手段となっているという、これまた伝統的経済学と同様の「信奉」があるのである。もちろん経済人類学の場合、市場経済が自己調整的だと主張し、現代の市場でもちいられている貨幣は全目的的であると主張するのは、それらが普遍性をもっていると言うためではなく、逆にそれらの特殊性いや虚構性を強調するためであるのだが。
〈不均衡動学〉という名でわたしがよんでいる新たな理論的アプローチは、伝統的経済学と経済人類学がともに「信奉」している「自己調整的システムとしての市場経済」および「合理性の手段としての市場貨幣」という虚構に挑戦する試みである。それは、市場経済とは、まさに交換手段として貨幣をもちいることゆえに供給はみずからの需要を創るというセイの法則を失い、その結果ある本源的なパラドクスをはらまざるをえないことを論証するものである。
すなわち、それは、ありとあらゆるものが商品化され、すべての価格が自由にかつ分権的に決定されるような経済とは、人々の貨幣の保有が可能にする総需要と総供給とのあいだの不均衡のほんのわずかの実現にたいしても、ハイパー・インフレーションや恐慌といった累積的不均衡過程を発生させてしまうひどく不安定的いや非合理的な性質をもっていることを示している。伝統的な経済学および経済人類学の主張とは逆に、市場経済とはけっして完全には自己調節的ではありえないのである。
いや、不均衡動学は、市場経済がなんらかの意味で安定性をたもっているとすれば、それは価格が全面的には伸縮的ではなく、逆にさまざまな経済外的な制度の存在によって、すくなくとも一部の市場において人々が目的合理的な行動をとることができず、価格の円滑な変動が阻害されているからなのだと主張する。それゆえ、すべてのものが完全に商品化された自己完結的な経済などというものはそもそも存立しえない。市場経済といえども、それはなんらかの意味で社会のなかに埋めこまれざるをえず、歴史によってあたえられたさまざまな制度的遺物を過去からひきずり、将来もひきずっていかなければならないものなのである。
すなわち、不均衡動学は、自己調整的であるべき市場経済のなかに自己破壊性を見いだし、合理性の媒介手段であるべき現代の貨幣の働きのなかに非合理性を見いだすことによって、社会に埋めこまれた経済〈対〉自己調整的な経済、あるいは合理性の手段としての貨幣〈対〉非合理的な貨幣という、伝統的経済学と経済人類学に共通な二項対立的な思考様式(それをわたしは〈経済学的思考〉と名づけている)からの脱却を試みるのである。だが、もはやここでは、これ以上不均衡動学について語る余裕はない(10)。
もちろん、ここで市場社会と原始社会や古代社会との間になんの差もないと主張しているのではない。確かにパンダの親指はかつては手首であった。しかし、同時に、パンダの親指は現在は手首ではなく、将来においても手首にもどることはない。それと同様に、市場経済と原始社会や古代社会とのあいだにもある超えがたい不連続性が存在しているはずである。いや、単に不連続性があるだけではない。貨幣の無限の自己増殖を目的とするようになった市場経済、すなわちその資本主義とよばれる形態は、まさにこの自己増殖性によって不可逆的な歴史的時間というものを生みだし、それ以前の経済からみずからを無限に遠ざけていくことになる。
だが、このような資本主義の(特殊性ならぬ)特異性にかんしては、もはやパンダの親指はいかなる導きの糸も提供してくれない。コアラの爪にいたってはなおさらである。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
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(1)アダム・スミス『国富論』(中公文庫、大河内一男監訳)第一篇第四章。
(2)Stephen J. Gould, The Panda's Thumb (Norton, 1980), Chap. 1.
(3)カール・ポランニー『人間の経済』(岩波書店、玉野井芳郎他訳)第九章。
(4)たとえば、M. M. Austin and P. Vidal-Naquet, Economic and Social History of Ancient Greece : an Introduction (Univ. of California Press, 1977) を参照。
(5)たとえば、P. Grierson, Numismatics (Oxford Univ. Press, 1975) を参照。
(6)ポランニー、同上、第二章。
(7)ポランニー、同上、第三章。
(8)ポランニー、同上、第一章。
(9)ポランニー『大転換』(東洋経済新報社、吉沢英成他訳)第六章。
(10)Katsuhito Iwai, Disequilibrium Dynamics (Yale Univ. Press, 1981)
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*不均衡動学*[#「*不均衡動学*」はゴシック体]
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不均衡動学とは
街を行く人々に、「あなたにとって最も重要な経済問題とは何ですか」と質問したならば、インフレに対する怒りであったり、老後の生活問題であったり、あるいは日米貿易摩擦についての意見であったりと、人々の経済生活に直接間接にかかわってくるあらゆる問題が答えとしてあがってくるであろう。
もちろん、専門の経済学者にとっても、これらは広い意味ですべて経済問題であることには変わりがない。しかしながら、専門の経済学者が経済学者として経済問題を考察するときには、この言葉はより限定された、しかも日常的な用法とは必ずしも両立しない意味を帯びてくる。経済学者にとって、経済問題を語るとは、理論的には、市場機構の働きに関して考察することであるが、実際的には、現実の経済において市場機構が理論通りに働いていないことから生じてくる様々なる問題について考察することである。すなわち、「市場経済原理の失敗」、それが狭い意味での経済「問題」をつくりだすと考えられているのである。
『国富論』の中でアダム・スミスはこう述べている。
[#1字下げ]実際、〔個々人は〕一般的にいって公共の利益を促進させようという意図ももたないし、自分がどのくらいそれを促進しているかも知らない。……彼は単に自分の利益のみを意図していながら、見えざる手に導かれることによって、彼の意図とは関係ない〔公共の〕目的の促進をはかっていることになるのである。
ここでスミスのいう「見えざる手」とは、市場における価格の需給調整作用のことであるのは言うまでもない。このスミスの文章をより現代的に言いかえるならば、市場に参加している売り手も買い手も、市場で成立している価格を与件としながら、自分の利益のみを考慮して商品の供給量あるいは需要量を決定しているかぎり、価格の需給調整作用によって市場は自動的に需給を等しくする均衡状態に到達し、しかもその均衡状態においては経済全体の資源の効率的配分が達成されているというのである。
実際、「見えざる手」の働きの発見こそ、経済学を経済学として成立させたのであり、その後の経済学の「発展」と言われているものの多くの部分は、この「見えざる手」の働きに関する分析を、あるいは一般化し、あるいは精緻化することにあったといっても言いすぎではなかろう。
したがって、経済学者にとって、狭い意味での経済「問題」は、価格の需給調整作用さえうまく働いてくれれば存在しえないことになる。(ここでは、市場機構が所得分配に与える「問題」は一応棚上げしておこう。)もし経済「問題」なるものが存在しているならば、それは結局、本来円滑に働くべき価格の調整機能が何らかの理由によって阻害されていることに起因するはずである。専門の経済学者にとっての経済「問題」とは市場経済原理の失敗であると先に述べたのは、まさしくこの意味でなのである。「経済」問題の根源を探っていくと、なんと「経済外[#「外」に傍点]的」要因がとぐろを巻いているのに出くわすということになる。
たとえば、失業という経済問題を考えてみよう。労働市場において失業を発生させる直接的な撹乱要因が何であれ、労働力の超過供給としての失業が瞬時のうちに解消せずに経済「問題」として立ち現れるのは、労働力の価格である貨幣賃金が速やかに下落してその需給の調整作用を発揮しえないからであるということになる。そして、貨幣賃金が労働の超過供給がありながら速やかに下落しない理由は、労働組合の圧力や失業保険の存在や最低賃金制度といった「制度的」要因であったり、労働者あるいは雇用者の「非合理的」行動様式であったり、または労働者あるいは雇用者の市場環境変化に関する「予想の誤り」による適応の遅れであったり、一般的に言って「経済外的」要因の存在に帰せられることになる。
このように考えていくと、一九七〇年代から現在までアメリカの経済学界を二分し、最近は日本の学界にまでその余波が及んでいる、いわゆるケインズ主義者とマネタリストや合理的期待理論学派やサプライサイド経済学派といった古典派経済学復活論者との間の論争は、実は同じ根をもつもの同士の争いにすぎないということが理解される。
アメリカのケインズ主義者も古典派復活論者も、「見えざる手」の働きに関する原則的な信頼をもっていることにおいては変わらない。両者はともに、もし労働市場において貨幣賃金が下方にも伸縮的であるならばその需給調整作用によって失業は「解決」されるはずであると信じている。したがって、両者を分けるのは、「見えざる手」が実際の経済においてどれだけその動きを拘束されているかについての事実認識の差であり、さらに「見えざる手」の働きを縛る「制度的」要因が、それによってひき起こされる経済的損失と比べてそれ自身でどれだけ正当化されうる経済外的役割を果たしているかに関する評価の差である。
現実に「見えざる手」の働きは強く拘束されていると認識し、しかもその拘束をもたらす様々な制度的要因それ自身の存在理由を重要視するのがアメリカ・ケインズ主義者であり、その逆が古典派復活論者ということになる。したがって、前者が、経済外的要因を少なくとも短期的には与件とし、その制約条件のもとでの次善(セカンド・ベスト)策として総需要管理策の運用を主張するのに対して、後者は、あくまでも最善(ファースト・ベスト)策として「見えざる手」の自発的な発動を待つことを主張することになる。このように、両者の間には政策的に大きな対立が存在しているが、それは結局、共通の思考の枠組みの中の二つのヴァリエーションにしかすぎないのである。
「経済学的思考」とでも名づけるべき、包括的かつ強力なる思考様式が経済学を支配している。それは、「見えざる手」が純粋に働いた時に達成される状態を経済の「真実」の姿として規定し、われわれが日々経験している現実の経済の動きをそれの「不完全」なる現れとみなすものである。これによれば、あらゆる経済現象は、その真実の姿たる均衡状態からの乖離の度合い、すなわちその不完全さの程度に応じて位階づけられることになり、「見えざる手」の働きを束縛する社会制度等の「経済外的」要因は、まさしくその不完全さの程度を決定する「負」の作用素としての役割しか与えられていない。
『不均衡動学』(Disequilibrium Dynamics, Yale University Press, 1981) とは、このような「経済学的思考」に対してのひとつの挑戦の試みであり、それは同時に、アメリカでのケインズ主義者対古典派復活論者の論争を超えた地平で、新たなケインズ的経済学を展開する試みでもある。
『不均衡動学』の試みは、「見えざる手」を「見る」ことから出発する。「見えざる手」という比喩によって描かれているのは市場における価格の需給調整機構である。しかし一体価格そのものはどのように形成されるのであろうか。いわゆる需給の法則は、超過需要があれば価格が上昇し、超過供給があれば価格が下落すると主張している。しかし、こういう価格の動きは一体だれの行動の結果なのであろうか。実際完全競争といわれる伝統的な仮定の下では、売り手も買い手も価格を与件として行動しているから、結局市場には価格を上下させる人間はだれもいないという逆説が生じる。すなわち、「見えざる手」の働きを中心として構成されている伝統的な経済学の枠組みの中には、「見えざる手」の働きそのものを説明しうる理論が欠如している。だれも「見えざる手」を見ようとしない。
しかし、市場で価格が実際に上下するならば、それは市場において実際に取引にたずさわっているだれかが上下させているのである。(専門的なせり売人がいる株式市場はもちろん例外である。)市場はしたがって完全競争的ではありえず、不完全競争的な様相を帯びざるをえない。そして、ひとたび不完全競争の世界に入ると、経済の中で市場行動を行っている人々の間の相互連関は、より密接にそしてより複雑になる。
たとえば、価格も賃金もともに独占競争的な企業によって設定されるような経済を考えてみよう。おのおのの企業は、市場の条件に関する予想にもとづいて自分の価格、賃金、生産、雇用等を決定する。しかしこのような各企業の意思決定の様々なからみあいの結果が、それが予想すべき市場条件の中に早晩組み込まれることになる。ここに、各企業の独立な、しかし同時の意思決定がお互いに干渉しあい、それの複雑な影響によって市場条件そのものが予想とは逆の方向に変転してしまう可能性が生まれてくる。経済はその内部にみずからを撹乱してしまうようなメカニズムを持っているかもしれないのである。
事実、企業が価格や賃金を伸縮的に変更しうる経済においては、何らかの理由で財全体に対する総需要と総供給が乖離すると、企業間の意思決定の相互干渉が必然的に各企業の市場状況についての予想を誤らせ、価格および賃金が累積的に均衡から離反していく動態的プロセスを発動させることを示すことができる。このような累積的インフレあるいはデフレ過程は、みずからのうちにそれを止める機構を備えてはいない。
言うまでもなく、われわれの生きている貨幣経済では、供給はみずからの需要をつくり出すというセイの法則は成立しえず、総需要と総供給は常に乖離する可能性をもっている。いや、市場経済の発展そのものが、貨幣が可能とする売りと買いの時間的、空間的ずれによって可能となったのである。したがって、もはや「見えざる手」は働いていない。いや、そもそもはじめから「見えざる手」など存在していなかったのだ。逆に、伸縮的な価格および賃金の下では、貨幣経済はたえず累積的デフレあるいはインフレの危機にさらされた不安定な性格をもっているのである。
ところで、もしケインズの経済学に伝統的な「経済学的思考」を超えるものがあるとすれば、それは以上のような貨幣経済の本質的不安定性に関する認識(それはヴィクセルの『利子と価格』によって明るみに出されたものである)をその背景にもっていることであると『不均衡動学』は読む。それは、われわれの生きている経済が、ハイパー・インフレ期や大恐慌時代をのぞいてそれほど不安定的な様相を帯びていないのは、労働市場で貨幣賃金が硬直的であるがゆえに累積的デフレやインフレの発動がさまたげられているからであるという逆説的な主張につながる。
まさしく経済外的要因によって、貨幣経済はみずからの不安定性から救われているのである。そして、このようなケインズ的世界においては、もはや、経済の「真」の姿について語ることはできず、また経済外的要因を経済の不完全性を決定する「負」の作用素とみなすこともできない。経済とは、結局市場経済的な力と経済外的な要因との相互の複雑なるからみあいの結果でしかないのである。われわれは「経済学的思考」から随分遠くまで来てしまった。
どうやら『不均衡動学』の考え方をまともに展開する前に紙幅が尽きてしまったようだ。しかし、『不均衡動学』が何でないかを若干でも伝えられたならばこの小論の目的は達せられたとすべきであろう。
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個人「合理性」と社会「合理性」
経済学の歴史の中で、もっとも頻繁に引用され、私自身も何度となく引用したことのある、すっかり手あかにまみれた文章をもう一度引用することからはじめよう。『国富論』の中のアダム・スミスの文章である。
[#1字下げ]実際、〔個々人は〕一般的にいって公共の利益を促進させようという意図ももたないし、自分がどのくらいそれを促進しているかも知らない。……彼は単に自分の利益のみを意図していながら、見えざる手に導かれることによって、彼の意図とは関係ない〔公共の〕目的の促進をはかっていることになるのである。
アダム・スミスのいう「見えざる手」とは、もちろん市場での価格の需給調整機能を意味しており、この文章は、市場経済における個々人の一見ばらばらな自己利益の追求は社会全体を無政府状態にではなく、逆にひとつの秩序立った状態へとむかわせるという主張にほかならない。
個人個人が自らの利益の向上をはかって、それぞれ目的合理的に行動することが、社会全体にとっても合理的な結果をもたらすというこの命題、すなわち、個人「合理性」こそ社会「合理性」の前提条件であるというこの命題は、アダム・スミス以来の伝統的な経済学における基本原理をなしている。一方で、完全競争の仮定のもとではすべての財の需給を等しくする価格体系が存在し、しかもそれはある条件の下では安定的であることを証明しようとしてきた一般均衡理論、他方で、経済の一般均衡状態は、ある制約条件のもとではパレートの意味で最適な状態になっていることをその出発点として経済政策の処方箋を書いてきた厚生経済学は、それぞれアダム・スミスの基本原理のもつポジティブ(実証的)な側面とノーマティブ(規範的)な側面とを、ヨリ精密に理論化したものにほかならない。実際、近年の「合理的期待形成学派」は、この基本原理をもっとも純粋に、したがってもっとも極端に表現したものであるといえよう。
私の『不均衡動学』という本のひとつの目的は、アダム・スミスから合理的期待形成学派までの伝統的経済学を支配してきた、個人「合理性」即社会「合理性」というこの基本原理が、実はすべての価格調整が市場のせり人によって中央集権的になされているという暗黙の仮定、いや虚構に全面的に依存していることを示すことにあった。代わりに、市場せり人を追放して、価格が現実に市場に参加している企業によって分権的に決定されているという理論的枠組みを組み立てると、その中では、個人「合理性」の全面的な展開は逆に社会「非合理性」に多くの場合帰結すること、さらには、社会「合理性」を一定程度確保するためには個人「合理性」が全面的には展開しないような何らかの経済「外」的要因の存在が必要となることが明らかになった。
このエッセイでは、この「合理性の逆説」とでもいうべき問題に対して、それとは違った角度から、もう一度光を当ててみるつもりである。そのために格好の材料を提供してくれるのが、ゲームの理論において「囚人のジレンマ」とよばれている社会的状況である。
ある事件の共犯者として逮捕され、それぞれ別室で刑事にきつく尋問されている二人の囚人(法的には容疑者というべきであるが)について考えてみよう。もし二人とも黙秘し続けることに成功したならば、それぞれ別件のみで裁判にかけられ懲役一年という軽い刑で済むことを知っている。しかし、いずれか一方が弱気になって先に自白をしてしまった場合、自白者の方は放免されるが、黙秘した方は八年という重い懲役刑をうけることになり、また両方とも同時に自白した場合は、ともに五年の刑を言い渡されることも二人の囚人は知っているとしよう。この状況をまとめたのが次の二つの表である。上の方の表のそれぞれの数字は、第一番目の囚人(Aとよぼう)の懲役年数であり、下の表の数字は二番目の囚人(B)の懲役年数である。
[#挿絵(img/fig2.jpg、横184×縦240)]
さて検事の立場から見てもっとも望ましい状態は、おそらく両方の囚人に同時に自白させることである。だが、われわれはここでは「権力側」の立場は問題にしていない。われわれが今問題にしたいのは、このあわれな二人の囚人のみで構成される「社会」についてである。明らかに、この囚人たちの社会全体にとって最も「合理的」な状態は、ともに黙秘を続け、ともに懲役一年という軽い刑を受けることにほかならない。もし公平無私な(もちろん、囚人たちにとってという意味で……)第三者がいて、囚人二人のために調停の労をとってくれるならば、その人は両方の囚人に黙秘することを強制するに違いないであろう。(ただし、どちらか一方が自白し、他方が黙秘するという状態も、二人の囚人に対して「公平」ではないが、一応パレート最適な状態であることに注意。)
ところで、個々の囚人がそれぞれ自己の刑期を短くすることのみを目的として「合理的」に行動した場合、果たして囚人社会全体にとって「合理的」な状態を達成することはできるのであろうか。これが「問題」である。
この問題に対する答えは、(「権力側」にとって喜ばしいことに)「否」である。
囚人Aの立場に立ってみよう。もし相棒の囚人Bが黙秘し続けているならば、自分は黙秘を続けて一年の刑を受けるより、抜け駆けに自白してしまって無罪放免になった方が当然「合理的」である。またもし囚人Bが自白するのならば、自分が黙秘を続けていると八年の重刑をくらってしまうのにひきかえ、自白してしまえば五年の刑で済む。いずれの場合を想定しても、囚人Aにとっての「合理的」な選択は自白することしかない。ところで、状況は囚人Bの立場においても全く同様である。したがって二人の囚人がそれぞれ独立に「合理的」な行動をとるならば、その社会的帰結は、二人とも告白をし、その結果ともに五年の懲役刑をくらうという囚人社会全体にとっては「非合理的」な状態となるわけである。これが「囚人のジレンマ」といわれているものにほかならない。
アダム・スミスの「見えざる手」の比喩によって巧みに表現されている個人「合理性」の追求が社会「合理性」を生み出すという伝統的経済学の基本原理とは全く対照的に、「囚人のジレンマ」は、個人「合理性」の追求が社会「非合理性」をもたらしてしまう可能性を印象的なかたちで示してくれた。
この囚人のジレンマに関しては、無数の理論的研究のほかに数多くの実験が行われている。これらの実験がほぼ一貫して示しているのは、囚人のジレンマ的状況が何度も何度も繰り返して行われると、二人の囚人はお互いに隔離され続けているにもかかわらず、それぞれの個人「合理性」から逸脱した行動をとりはじめ、その結果、囚人二人の「社会」にとって「合理的」な状態に近い状態が達成される可能性が生まれてくるというのである。これはまさしく私たちの常識あるいは直観と合致する結果である。そもそも囚人のジレンマが生じるのは、その状況が一回きりで、相手が抜け駆けで自白しても、こちらがそれに報復する機会が全くなく、こちらが抜け駆けで自白しても、相手に報復される可能性が全くないところから生じるのである。したがって、もし同じ状況が将来にわたって続くのならば、相手に対して、もし黙秘を続けて協調的態度を示すのならばこちらも協調する、しかしもし抜け駆けに自白するならば、こちらも報復して次から自白をする、というような「アメとムチ的」行動様式をとることができ、それによって二人にとって「合理的」な状態を、他からの強制なくして達成できるのではないだろうか。
それでは、実験結果の「説明」としてなされたこの直観的推理を厳密に理論づけることができるだろうか。答えは残念ながら「否」である。ただし、次のような付帯条件が必要である――囚人が各々「合理的」に行動しているかぎりは。
前節で検討した囚人のジレンマ的状況がN回繰り返されるとしよう。簡単化のために、どちらの囚人も、一回目からN回目の間に科せられる自分の懲役年数の合計を最小にするように行動すると仮定しよう。囚人たちにとって、一回でも懲りごりな状況が何回も繰り返されるなどとはまるで地獄だが、「科学」のため我慢してもらおう。さて、この繰り返しの囚人のジレンマにおいては、いつか必ず最終回(第N回)がやってくる。ところで、このN回目の時点に身を置いて考えてみると、それまでの二人の囚人のすべての行動は、覆水盆に返らずで、もはや動かし難い過去の事実となってしまっている。したがって、この最終回において囚人たちが面している状況は、一回しか囚人のジレンマ的状況がない場合と全く同一なのである。もはや後がない。それゆえ当然二人の囚人は、「合理的」であるかぎり、ともに自白することになる。
最終回における二人の行動がこのように完全に確定してしまうことから、最終回のひとつ手前において、二人の囚人が面する状況も、実質的には最終回と同一になってしまうことも明らかであろう。それゆえ、そこでも二人の囚人は自白してしまうであろう。そして同様に、Nマイナス二回目も、最後に本来の出発点である一回目も……結局すべての回で「合理的」な囚人は二人とも自白をしてしまうことになる。ところで、この議論は繰り返しの回数Nとは全く独立だから、われわれは囚人のジレンマ的状況を何回繰り返しても、囚人がそれぞれ独自に「合理的」に行動しているかぎり、囚人社会全体にとっては「非合理的」な状態を再生産し続けるだけであるという結論を得たことになる。
実は、何回も繰り返される囚人のジレンマ的状況の中に、個人「非合理性」を一粒放りこむと、事態はがらりと変わってしまう。
このことを示すために、囚人Aは以前と同様「合理的」に行動し続けているが、囚人Bは必ずしも「合理的」な行動をとらないとしよう。もちろん、どんな「非合理的」な行動でも良いというわけではない。例えば、囚人Bが「右の頬を打たれれば左の頬」式に、何が起ころうとも常に黙秘を続けるような場合、「合理的」な囚人Aは毎回自白をして自分は無罪放免だがBには八年の重刑を担わし続けることになる。もちろんAも「改心」して黙秘を続けるようになったら、囚人の社会は地上の楽園(検事にとっては地獄)になるはずであるが……。ところで、前節では「アメとムチ的」行動様式なるものを考えてみた。それは、相手が黙秘を続けるかぎり、こちらも黙秘を続ける、しかし相手が抜け駆け的に自白したならば、次の回はこちらも自白するという行動様式であった。このいささか「目には目を」式の行動様式は、結局個人の立場からは「合理的」ではないことが示されたわけだが、ここではそれを逆用して、囚人Bはまさにこの「非合理的」行動様式をとると仮定してみよう。
議論を短くするために、唐突ながら、かりにNマイナス二回目まで囚人Aが(したがって囚人Bも)黙秘を続けてきたと想定して、Nマイナス一回目の状況を考えてみよう。「アメとムチ」を用いるBは、この回も必ず黙秘する。Aは抜け駆けに自白すると今回は無罪放免である。しかし、その場合、次の第N回にはBは報復として必ず自白するから、その時にはAも自白をせざるを得ず、結局最後に五年の刑をくらうことになる。他方Aは、Nマイナス一回目にも黙秘するならば、その時は一年の刑を受けるが、次の第N回にはBは必ず黙秘してくれるから自分は自白をして無罪放免になることができる。したがって、五年対一年で、Aにとって、もしNマイナス二回まで黙秘を続けていたならば、次のNマイナス一回目も黙秘した方が有利になることになる。(もちろん、その場合N回目は自白する。)同様の議論を前方に向けて何度も繰り返し、一回目はBは必ず黙秘してくれることを考慮にいれると、Aにとって一回目からNマイナス一回目まで黙秘を続け最終回で自白するのが最も「合理的」な行動であることを容易に示すことができる。その場合、もちろんBは終始黙秘で通すはずである。したがって、一方の囚人が「アメとムチ的」な「非合理的」行動様式をとっているならば、囚人の社会全体にとって「合理的」な状態が(最終回をのぞいて)実現されることになったわけである。
「アメとムチ的」行動様式は明らかに「非合理的」すぎるであろう。しかし、一方の囚人がほとんどの時間「合理的」だがごくたまに「非合理的」になるというヨリ一般的な場合にも、Nが十分大きければ同様の結論が成立することが最近証明されている。また囚人二人がともに若干「非合理的」な場合も同様である。すなわち、個々人の「合理的」な行動によっては達成し得ない社会の「合理性」が、若干の「非合理性」の導入によって(不完全ながらも)達成可能になったのである。
囚人のジレンマとは、決して例外的な状況ではない。寡占企業(あるいはOPEC諸国)間の価格調整の問題、悪貨が良貨を駆逐する話、公共財の供給量決定の際のただ乗り問題など、人々の行動とその帰結が相互に連関し合っているような社会的状況においては、人は常に囚人のジレンマに陥る可能性がある。いや、ホッブスのいう「万人の万人に対する戦争状態」としての人間の「自然状態」も、まさに囚人のジレンマ的状況にほかならない。実際、近代の「社会科学」は、この囚人のジレンマ的状況をホッブスが分析したところから始まったのである。
「囚人のジレンマ」の「解決法」は、従来数限りなく提唱されてきた。例えば、「自然状態」の悲惨さ(「そこでは、人間の生活は孤独で貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い」)を強調することによって、人々の間の「社会契約」の必然性を説くホッブスの社会契約論(そして類似の理論構造をもつルソー、ロックあるいは最近のロールズ等の社会契約論)もそのひとつとして解釈しうる。それは、結局、第一原理としての社会「合理性」の立場から個人「合理性」を一時的に放棄させる、一種の「超越的」な解決法にほかならない。事実、「囚人のジレンマ」に対する従来のほとんどの解決法は、何らかの「超越的」な契機を必要としていた。
ここでは、このような「超越的」契機を必要としない「囚人のジレンマ」の解決法を紹介してみた。それは、個人「合理性」の追求によって阻止されている社会「合理性」の達成が、若干の個人的「非合理性」が導入されることによって(不完全なかたちではあるが)、何の超越的介入もなしに可能になることを示すことであった。それは、いわばひとつの「合理性の逆説」をもうひとつの「合理性の逆説」によって「解決」するという仕組みになっていた。
ここで、われわれはもう一度アダム・スミスの「見えざる手」の話を思い起こそう。本当に市場では、個々人の自己利益の「合理的」追求がそのまま「合理的」な経済秩序を形成するのであろうか。いや、市場で「合理的」に需給を決定している個人たちに混じって、ひとり「非合理的」に行動している人間がいるのではないか。それは、公平無私に市場全体の需給の乖離に応じて価格を調節している市場せり人のことである。すなわち、「見えざる手」の比喩が主張する個人「合理性」即社会「合理性」という基本原理は、その実、市場せり人という自己の利益に無頓着な「非合理的」個人の存在を暗黙のうちに仮定しているから可能であったのだ。そして、ひとたびこの市場せり人という虚構を追放すると、われわれは個人「合理性」と社会「合理性」とが対立しあう一種の「囚人のジレンマ」的な状況に入りこんでしまう。それはまさしく「不均衡動学」の世界にほかならない。
本当は話はまだ半分しか終わっていない。一体、何が個人に「合理的」でない行動をとらせるのであろうか。人間はそもそも合理的でないなどと気楽なことを言う前に、その背後に、慣習・習俗・制度・その他もろもろの文化的・社会的な要因を見いだすべきであろう。そもそも人間とは「社会の中でしか個体化しえない動物」ではなかったのか。だが、もう紙面が尽きてしまった。
〈参考文献〉[#「〈参考文献〉」はゴシック体]
[#1字下げ]Journal of Economic Theory, August 1982 の Reputation in Finitely Repeated Games に関する特集。
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マクロ経済学の「蚊柱」理論
「長期においては」とケインズは言う、「われわれは皆死んでしまっているはずだ」。しかし、それだからといって、われわれは長期の経済問題を無視してしまって良いということにはならない。このエッセイの目的は、われわれの生きている経済とは、どのように長く期間をのばそうとも、決してケインズ的様相を失うことはないということを示すことにある。皮肉なことに、ケインズ自身は、これとは逆の意見をもっていたようである。彼は『一般理論』のなかで次のように言っている。
[#1字下げ]古典派の経済理論に対するわれわれの批判は、その分析のなかに論理的欠陥を見いだすことにあったのではなく、それが暗黙に依拠している仮定はほとんど、いや全く満たされることなぞなく、その結果、それは現実の世界の経済問題に何の解答も与えられないということを指摘することにあったのである。だが、もし中央政府当局が総産出量を実践上可能な範囲で最大限完全雇用水準に近づけることに成功するならば、その時点から再び古典派の世界となるであろう。
[#挿絵(img/fig3.jpg、横224×縦222)]
ここで、標準的なマクロ経済学の教科書におけるケインズ的非自発的失業の説明を思い起こしてみよう。横軸に労働の雇用量、縦軸に貨幣賃金を示している図の中には、右下がりの労働全体の需要曲線と右上がりの労働全体の供給曲線が描かれている。二つの曲線の交わる点が新古典派的な均衡状態であり、そこには定義上いわゆる非自発的失業は存在しない。しかし、もしなんらかの制度的あるいは歴史的な理由によって、現実の貨幣賃金水準(図では(1))が均衡水準(図では(2))より高くなってしまっているとしよう。そうすると、当然この貨幣賃金水準では労働の供給は需要を上回り、その分だけ一部の労働者は非自発的に失業してしまうことになる。
だが、図で説明されている非自発的失業という現象は、あくまでも短期的な現象にしかすぎない。もし政府当局なり中央銀行なりが拡張的な財政金融政策を発動することによって有効需要水準を高め、その結果として労働への需要を刺激したとしよう。そうすると図においては労働の需要曲線が右上方向にシフトしていくことになる。右下がりの点線で示されているように、労働需要曲線が十分に右上にシフトしてくれると、最終的には需要が一致し非自発的失業は完全に解消されてしまう。
はたしてケインズ自身がこのように考えていたかどうかは別として、ともかくそれは冒頭に引用したケインズの文章を正当化するものである。――すなわち、ケインズ的非自発的失業は短期的現象であり、長期において有効需要政策が成功したあかつきには、市場の均衡状態の分析をその専門とする古典派あるいは新古典派経済理論が全面的に有効性を取り戻す、と。
だが、いくらわれわれは長期において死んでしまうとはいえ、ケインズはあまりにも早く長期についてあきらめてしまったのではないだろうか。実は、これからわれわれは、ケインズに逆らって、長期における失業の理論を考えていこうと思うのである。
「マクロ経済学の神話とは」と、ジェイムズ・トービンは述べている、「集計された変数のあいだの関係は、それらに対応する個々の家計や企業や産業や市場にとっての変数のあいだの関係が単に相似的に拡大されたものにすぎないと考えることである。この神話は多くの場合無害であるが、ときによって経済現象の本質を見失わせることになる」。実は、まさにこのマクロ経済学の神話が、長期の経済現象としての失業を理論的に理解するうえでの障害になっている。そして、この神話の背後には、新古典派経済理論の均衡概念そのものがひかえている。このことを示すために、ここで話を少し飛躍させよう。(飛躍するのは単に話だけでなく、話の対象自体なのである。)
ひどく時期はずれの感がするが、蚊柱について話さなくてはならない。都会では最近めったに見かけなくなったが、今でも夏に地方や山に行けば見ることのできるあの「蚊柱」のことである。といっても、ここで蚊の生態について語ろうというのではない。それについてわたしが持っている知識といったら、せいぜいボウフラが幼虫であるとか、刺されるとかゆい……とかいった程度のものでしかない。ここで興味を持つのは、一種の「社会」現象としての蚊柱、すなわち無数の蚊によって構成されている蚊の社会のひとつの様態としての蚊柱なのである。
さて、蚊柱を遠くの方から眺めてみよう。そうすると、蚊柱とは地上数メートルのところに浮かんでいる雲のような白っぽい塊である。それは地表の温度の変化につれて徐々に位置を移動したり、時によってスッと舞い上がったりする。しかし、ここで重要なのは、そのような移動や飛翔にもかかわらず、蚊柱のかたちそのものはそれほど顕著な変化をみせないことである。蚊柱のかたちは全体としてある種の「規則性」とでもいうべきものを持っている。
しかし、うっかり刺されないように注意しながら蚊柱にうんと近づいて観察してみよう。そうすると様相は一変する。蚊柱とは言うまでもなく無数の蚊によって構成されているが、そのなかの一匹一匹の蚊の動きを目で追うと、規則性などというものとはおよそ無縁なしろものであることがわかる。それは、前後左右、上下左右にと、狂ったようにお互いのまわりを飛びまわり、一瞬たりとも休むことをしない。乱舞する一匹一匹の蚊の動きは、まさに「不規則性」以外のなにものでもない。
蚊柱全体の規則性と一匹一匹の蚊の動きの不規則性――この対照が、蚊柱という社会現象を特徴づけている。蚊柱が全体として持つ規則性とは、一匹一匹の蚊の絶えざる動きの不規則性がお互いの効果を打ち消し合い平均化された結果として生まれた、統計的な意味での規則性でしかない。すなわち、蚊柱の「マクロ的な均衡」とは、無数の蚊の「ミクロ的な不均衡」の統計的な均衡として成立していると言いかえてもよいであろう。ミクロ的な不均衡の統計的な均衡としてのマクロ的な均衡――実は、蚊柱という生物現象からいささか強引にひっぱりだしてきたこの「均衡」ならぬ「均衡」概念こそ、われわれにマクロ経済学の神話の呪縛から逃れるための糸口を与えてくれるはずのものである。
第一節で紹介したケインズ的非自発的失業の標準的説明で用いていた労働雇用全体の需給分析は、基本的に新古典派的なものであった。それは、もし制度的歴史的理由による貨幣賃金の硬直性さえなかったならば、労働市場はあたかもワルラスのせり市場のように振る舞うことを暗黙のうちに想定していた。そこでは一物一価の原理が支配し、しかもどのような需給の不均衡も、市場せり人による迅速で中央集権的な価格の調節によって速やかに解消されてしまうという想定である。
だが、労働市場ほどあらゆる意味でワルラスのせり市場と似ていない市場もない。(もっともワルラスのせり市場と似ている市場を探し出すこと自体が困難なのだが。)それは一物一価が成立する同質的な完全競争市場とは全く対照的に、産業ごと、地域ごと、職種ごと、そして究極的には企業ごとに分断された、多種多様で異質な市場の寄り集まりとして理解すべきである。一般にそこで売り買いされる労働力の価格である賃金を実際に決定しているのは、中央集権的なせり人ではなく、立地条件や労働環境などの違いによってそれぞれ差別化されている雇用者としての個々の企業にほかならない。(ここでは話を単純にするために労働組合の賃金決定に際しての影響力は無視しておこう。)労働市場とは典型的な買い手独占的競争市場なのである。
経済はたえず変転している。景気の変動に加えて、技術構造の変遷、資本蓄積の緩急、原材料市況の騰落、消費者の嗜好の変化などは決してすべての企業に一様に影響するわけではない。たとえ経済が全体として好況であっても、労働雇用を縮小しようとする企業が存在するし、不況であっても労働雇用を拡大しようとする企業が存在する。労働市場では、このような企業のあいだでの労働の配置転換はせり市場のように中央集権的ではなく、個々の企業の分権的な賃金調整の結果として引き起こされるよりほかはない。雇用を縮小しようとする企業は、求人の際の賃金を他の企業より相対的に低めに設定しようとするであろうし、雇用を拡大しようとする企業は、賃金を他の企業より高めに設定しようとするであろう。
だが個々の企業が分権的に決定しなければならない賃金は、それが信頼しうる情報として労働者へ伝達されるためには、少なくとも一定期間は固定されていなければならない。(もちろん、このほかにもありとあらゆる理由で賃金は硬直性をもっている。)それゆえ個々の企業が行う相対賃金の調整は必然的に経済の動態変化のペースに遅れてしまい、個々の企業にとっての労働の需要(求人)と供給(求職)とは例外的にしか一致しない。それは、ある時は超過供給に面し、求職者の一部を失業の憂き目にあわせることもあれば、別のある時には超過需要となり、いわゆる求人未充足に悩むことになる。すなわち、個々の企業は労働市場を襲うさまざまな撹乱要因によって絶えず不均衡の状態に投げ出され、失業者を出したり求人未充足に悩んだりしながら経済活動に従事しているのである。それは、まさに労働市場における「ミクロ的不均衡」にほかならない。
労働市場とは、さまざまな撹乱的要因によってたえず不均衡状態に投げ出されている無数の企業によって構成されている。それゆえ、その分析のためには、単に市場全体で集計された需要と供給との大小関係を調べるだけでは不十分である。そのような集計的な関係の背後で無数のミクロ的不均衡が市場の中でどのように分布しているかをぜひ調べてみる必要がある。
すでに述べたように、経済全体が不況であっても、ある企業は求人未充足に悩んでいるだろうし、また好況であっても求職者の一部を失業の憂き目にあわせなければならない企業もあるだろう。仮りにある企業が求人を満たすことができるようになっても、別の企業がそれと同じ時に求人難に陥るかもしれないし、また仮りにある企業がやっと求職者を全員受け入れられるようになったとしても、同時に別の企業が求職者の一部を断りはじめるかもしれない。図は労働市場におけるミクロ的不均衡の分布状態を例示したものであるが、それに示されているように、好況とはすべての企業が同時に労働の超過需要(求人未充足)に困っている状態ではなく、超過需要にある企業の方が超過供給にある企業よりも「相対的」に多い状態であり、また同様に不況とはすべての企業が同時に労働の超過供給(失業)に面している状態ではなく、超過供給にある企業の方が「相対的」に多い状態である。
[#挿絵(img/fig4.jpg、横228×縦222)]
ケインズ的な有効需要政策が労働市場において短期的に影響を及ぼすことができるのは、実はこのような超過需要と超過供給とのあいだの相対的な大小関係でしかない。仮りに、政策当局が有効需要水準の安定的なコントロールに成功したとしても、それによって長期的に労働市場が到達できるのは、せいぜい図の点線の分布であらわされているような個々の企業の超過需要あるいは超過供給のあいだの統計的な均衡でしかない。実は、それはまさに蚊柱の話のときに導入したあの「マクロ的均衡」状態にほかならない。それは、労働市場を襲うさまざまな撹乱によって絶えず不均衡状態に投げ出されている無数の企業の不規則的な動きが互いに打ち消し合い平均化しあった結果、市場でのミクロ的不均衡の分布が示すようになるある種の統計的な規則性なのである。
労働者がケインズの意味で非自発的に失業しているとは、その人が与えられた賃金水準のもとで職を求めているのに職が得られない状態であり、それはまさしく労働の需給の不均衡によって発生する現象である。それゆえ、非自発的失業とは、すべての財やサーヴィスの需給の一致を要求する新古典派的均衡には存在しえないものなのである。しかし、労働市場が長期的に近づいていくのが新古典派的均衡ではなくマクロ的均衡でしかないならば、非自発的失業とは単に短期の経済問題としてではなく、長期の経済問題としても意味をもちつづけることになる。なぜならば、マクロ的均衡とは、無数のミクロ的不均衡によって構成された統計上の均衡にすぎず、まさにそれは不均衡だらけの状態であるからだ。
すでに述べたように、労働市場で超過供給に面している企業は、自分の賃金を相対的に下げることによって不均衡を解消しようとし、超過需要をかかえている企業は、自分の賃金を相対的に上げることによって不均衡を解消しようとする。もちろん、このような調整が賃金の硬直性によって困難になればなるほど、個々の企業はより大幅なミクロ的不均衡に投げだされ、そして個々の企業のミクロ的不均衡の振幅がより大規模になればなるほど、労働市場全体のマクロ的均衡における失業率(および求人未充足率)の水準は高まってしまう。
周知のように、現代の市場経済では貨幣賃金を切り下げることはそれを引き上げるよりははるかに困難である。(その原因についてはここでは問わない。)実は、このような貨幣賃金の下方硬直性のもとでは、もし仮りに均衡破壊的な累積過程をひきおこさずに貨幣賃金の上昇率を平均的に引き上げることができるならば、労働市場を襲う撹乱要因によって絶えず必然化される企業間の相対賃金の調整をより円滑にし、市場全体の失業率を長期のマクロ的均衡においても引き下げることができる。その理由は簡単だ。もし他の企業が全体として貨幣賃金を上昇させているならば、労働の超過供給を解消しようとしている企業は、さまざまな抵抗にさからって貨幣賃金を切り下げなくとも、ただじっとしていれば自動的に自分の「相対」賃金を切り下げることができるからである。すなわち、貨幣賃金の下方硬直性のもとでは、ある一定範囲での賃金インフレは、相対賃金体系の調整のための潤滑油の働きをする。そのため、賃金インフレ率の上昇は長期においても失業率を減少させる効果をもち、いわゆるフィリップス曲線は図に示されているように長期においても右下がりの形状をもつことになる。
[#挿絵(img/fig5.jpg、横198×縦198)]
ところで、新古典派的均衡が持つもっとも重要な特徴のひとつはその「貨幣中立性」である。それは、財や生産要素の市場での均衡条件によって決定される財や生産要素の生産量や雇用量およびそれらの相対価格といった「実物変数」と、貨幣数量式あるいはその現代的な再定式化によって貨幣量と比例的な水準に決定される一般物価水準や平均賃金率といった「名目変数」との間には、なんの相関関係もみられないというものである。フリードマンやフェルプスによって提唱され、その後、合理的期待形成学派によって精緻化された「自然失業率理論」とは、実は新古典派経済理論の貨幣中立性に関する命題の言い換えにしかすぎない。フィリップス曲線が長期において垂直であるというその主張は、実物変数である失業率と名目変数の変化率であるインフレ率とのあいだの長期的な相関関係の否定にほかならない。
だが労働市場が長期においても決して新古典派的均衡には到達しえないのであるならば、このような新古典派的命題はその有効性を長期においても失ってしまう。事実、われわれは前節において非自発的失業が長期においても経済問題であり続けることを論じ、ここではそれが長期においてもインフレ率とマイナスの相関関係をもつ可能性を示した。労働市場は長期においても決してケインズ的様相を失うことはないのである。実際、ケインズは、もう少し長生きして、蚊柱を良く観察しておくべきだったのである。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
[#1字下げ] このエッセイは私の『不均衡動学』の第三部で展開した長期的不均衡動学理論の解説であり、その第一部・第二部で論じられた不均衡累積過程や有効需要原理等の短期的な問題はすべて捨象している。
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「経済学的思考」について(a)
近代経済学とマルクス経済学、あるいはマルクス経済学と近代経済学。日本の戦後の経済学の研究と教育を二分してきたこの二つの経済学の間に、ひとつの生産的な意見の交換の場をもうけること、それがこのコンファレンスの中心課題となるはずである。もし商品の生産とその交換こそいわゆる経済現象とよばれているものを規定するのであるならば、これは「経済」の名を冠するこの二つの「学」の双方にとって有益な機会であるにちがいない。言うまでもなく、交換とは、当事者の間に存在する(消費の構造あるいは生産の条件に関する)差異を出発点として、それぞれ自分にとって相対的に過剰なものを相手に渡し、相対的に不足しているものを相手から受け取り、それによって双方とも自己の(消費の構造および生産の条件に関する)主体性をより一層生産的に確立する行為にほかならない。
だが、これはあまりにも調和論的な図式である。そもそも、このコンファレンスが前提しているように近代経済学とマルクス経済学をそれぞれに独立した主体として扱うことは、それほど自明なことなのであろうか。もちろん、ある意味ではこれほど自明なものはない。この二つの「学」は、各々独自の学会をもち、独自の専門雑誌を舞台に研究活動を行い、大学内でも各々独自の人事をし、独自の講義および演習をうけもっており……、研究と教育の場において、この二つの「学」の存在は完全に「制度」化されている。だが、永久不変に見える制度の「物神性」をあばくことこそ社会科学の目的(少なくともそのひとつの目的)であると、われわれは教えられかつ教えてきたのではないだろうか。事実、学会、専門誌、大学内の人事や講座等既成の制度的枠組を、思考実験的に取りはずして考えてみるならば、近代経済学およびマルクス経済学それぞれを、均質で統一性をもった主体として取り扱い続けることが当然問題視されるにちがいない。
ここで私は、近代経済学とマルクス経済学との間の相違が時間とともに縮小していく傾向にあるという、かつての資本主義と社会主義の収束理論のような予測をしようというのではない。(そのような予測は無邪気な未来学者にまかせておけばよい。)近代経済学とマルクス経済学、あるいはそれらと近似した区分は現在でも意味をもっているし、将来においてもそれなりの意味をもちつづけるであろう。ここで私が主張したいのは、この伝統的区分は経済学において可能な様々な区分のうちのひとつにすぎず、しかも現在における最も生産的な区分ではないという可能性である。今まさに必要とされているのは、近代経済学・マルクス経済学それぞれの内部の非均質性に注目し、それをさらに明るみに出すことであり、さらにこの非均質性を手懸りにして、経済学といわれている言説の集合の中に新たな境界線を引くこと(あるいは、引く可能性を探ること)にあるのではないか。それは、このコンファレンスを近代経済学とマルクス経済学との間の調和のとれた交換の場とするのではなく(そして、それによって二つの学それぞれの制度的な均質性をますます強めることに貢献するのではなく)、逆にそのような調和のとれた交換が困難となるような場にすることでもある。いや、実際「この現象について私ども近代経済学ではこう考えます」、「その問題について私どもマルクス経済学はこう思います」式の対話にはもう皆アキアキしているはずなのに。
この論文の目的は、まさに新たな境界線を経済学の中に引く可能性を探ることにある。そのためには、経済学の歴史をいささか遡ってみなければならないであろう。
「経済科学の創造」をフランソワ・ケネーによる『経済表』の発見に見出すのが通説であるならば(1)、彼の言葉を引用することから出発するのもそれなりに意義があろう。
[#1字下げ]それぞれの人間が自分のためにのみ働いていると信じていながら、実際は他人のために働く結果になるというのが、秩序正しい社会のもつ魔術にほかならない。この魔術は……最高至上者が……父としてわれわれに経済調和の原理を与え給うたことを示すものである(2)。
フランソワ・ケネーが「経済科学」の父としてわれわれに与えてくれたこの経済調和の原理は、それが果して最高至上者の手になる魔術の仕業が、「見えざる手」の働きによるものか、価値法則の鉄の貫徹によるものか、あるいはより散文的な市場の需給法則の働きによるものとするかは別として、今日までの正統的な経済学の思考を支配してきたもっとも基本的な原理にほかならないことは言うまでもない。ところで、ルイ十五世の宮廷においてポンパドール夫人の主治医であったケネーにとって、この経済調和の原理は、人間同士の経済的な営みが、自然現象と同様に「不変で、確実で、可能なかぎり最高」な「自然法」に従っていることを意味していた。この自然法こそ「最も完全なる政治の基礎であり、あらゆる実際的な法律の根本規程(3)」となるべきものである。しかしながらすべての事物は相互に関連しあい、すべての現象は相互に依存しあっている。この複雑な経済循環の中に貫徹しているはずの自然法秩序を神ならぬ人間が見失ってしまわないためには、その仕組全体を単純化されたかたちで「表現」する必要がある。そこで、ハーヴェイの血液循環図をひとつの参考にしてケネーが考案したのが、いわゆる『経済表』にほかならない。「経済科学」は、まさにこの瞬間に「創造」されたのである。
以上の話はもちろん高校生の常識にすぎない。そのあまりにも常識的な話をここで長々と繰り返したのは、それが「科学」としての経済学の誕生が一体何によって可能になったかを明らかにしてくれるからである。すなわち、人間の営む経済活動がひとつの自己完結的な自然法秩序に従っているという先験的な了解が、一見して複雑混沌とした現実の経済現象の背後に隠れているこの法則性を探究する科学として、経済学の成立を可能にしたということである。科学としての経済学は、その誕生から自己完結的な経済秩序の存在に関する言説であり、みずからをこの経済秩序の単なる「表現」手段として規定したのである。経済秩序の科学としての経済学、それは同時に、この経済秩序の自己完結性そのものを問題視するような思考が、いかに困難であるかを意味している。経済秩序の自己完結性を必ずしも前提としない経済学とは、ほとんど定義矛盾のように耳に響く。だが、この定義矛盾的経済学について語りはじめる前に、定義無矛盾的経済学についてもう少し詳しく語らなければならない。
ケネーにとって、彼の『経済表』に表現されている自然法秩序は決して安定的なものではなかった。「この世にあるすべての物事にとって」とケネーは言う、「乱用は秩序のすぐ隣りあわせにある。……社会の諧調の中にひとつでも間違った音調が挿入されても、政治機構全体はその効果を感じとり崩壊してしまう。調和が再びよみがえるのは、エピキュロスの原子が偶然に堆積した結果として世界が生成するのと同じくらい困難である(4)」。実際、ケネーが『経済表』を組み立てた一つの目的は、自然法秩序の脆さを明らかにし、国家が短期的な政治的便宜のためにその微妙な調和を人為的にくつがえしてしまう危険性に対して、ひとつの警鐘を鳴らすことにあったことはよく知られている。アダム・スミスの著した『国富論』の課題のひとつは、まさにこの脆弱なケネーの自然法秩序を「見えざる手」の働きによって安定的な構造に組み立て直すことにあった。すなわち、自然法秩序は、それが何らかの原因で撹乱されても、市場における自由競争がもたらす価格調整によって、あたかも神の見えざる手に導かれるかのようにみずからを回復する力をもっていると、スミスは説いたのである。
周知のように、スミスは、商品の価格に関して一組の対立概念を導入した。「自然価格」と「市場価格」である。一方において、ある商品の自然価格とは、その生産のために使用された労働・資本および土地が、それぞれ自然賃金率、自然利潤率および自然地代率を支払われているときに成立する価格である。ここで自然率とは、「一方で、社会の一般的状況、その豊かさあるいは貧しさ、その発展・定常あるいは衰退の条件、他方で、個々の雇用の特殊性」等々によって「自然に[#「自然に」に傍点]規制される」賃金、利潤および地代の「正常な、あるいは平均的」な報酬率のことである(5)。すなわち、自然価格とは、市場が自然法秩序にしたがっているときに成立している商品価格であるということができよう。他方、商品の市場価格とは、市場での需要と供給の相対的な大きさによって、日々現実に決定されている価格のことである。もちろん、その時々の需給の条件によって、市場価格は自然価格を上回ったり下回ったりする。しかしながら、アダム・スミスが市場価格と自然価格とを概念的に区別したのは、両者を対等に扱うためではない。逆にそれは市場価格は自然価格から乖離することはあっても、それは単に一時的なものにすぎないことを示し、両者の間に概念的な主従関係を確立するためなのである。
実際、もしある商品の市場価格が何らかの理由で自然価格を下回ったとしよう。労働者や資本家や地主は、それぞれヨリ有利な賃金率、利潤率、地代を求めて他の市場に移動しはじめるであろう。それによって、この市場における商品の供給が減少し、市場価格は自然価格の水準まで上昇するであろう。また、市場価格が自然価格を上回った場合も同様である。「したがって」と、アダム・スミスは結論する。
[#1字下げ]自然価格とは、すべての商品の価格がその重力によって引きつけられる価格の重心[#「すべての商品の価格がその重力によって引きつけられる価格の重心」に傍点]のようなものである。その時その時で異なる偶発事が、ある時は市場価格を自然価格よりも大幅に高い水準に保ったり、ある時はそれよりも幾分か低い水準にさえ押えこむかもしれない。だが、何によってこの静止と永続の中心に落ち着くことが阻止されようとも、市場価格は常にそれに向う傾向をもつ(6)。
アダム・スミスによって確立された自然価格と市場価格との概念区分は、様々に変形をうけながらもその後の経済学の展開の中で、経済現象を思考する際の基本座標の役割を果してきたことを指摘するのは容易である。(いや、アダム・スミス以前においても、ペティによる価格の恒常的な要因と偶発的な要因との区別、カンティヨンによる商品の真正価値と市場価格との区分等々、同種の概念区分は広く用いられていたはずである。)たとえば、リカードにおいては、自然価格と市場価格というアダム・スミスの区分がそのまま踏襲される。もちろん、リカードにとっての自然価格とは、スミスのような自然賃金率、自然利潤率、自然地代率の単なる総和ではなく、窮極的には、商品の生産に直接的間接的に必要な労働量によってのみ決定されるものである。しかしながら、ひとたびこのように自然価格を労働価値によって規定してしまえば、市場価格の自然価格からの乖離は、「偶発的要因」によってひきおこされる「一時的効果」であり、それは資本その他の自由な競争によって常に解消される傾向をもつというアダム・スミスの結論もそのまま踏襲されることになる(7)。また、カール・マルクスも、自然価格対市場価格というスミスの概念的区分を、生産価格対市場価格というかたちで譲りうける。生産価格とは、商品の費用価格に一般的あるいは平均的利潤を加えあわせて計算されるもので、「それは、アダム・スミスが自然価格と呼び、リカードが生産価格または生産費と呼……んでいるものと……事実上同じものである」と、マルクスは言う。そしてそれは、スミスやリカードと同様、「日々の市場価格がそれをめぐって運動し、一定の期間にそれに不均化される重心」として、「盲目的に作用」するいわゆる「価格法則」の働きによって確立するものである(8)。ただし、産業間で資本の有機的構成に差がある発達した資本主義経済においては、この平均価格すら「商品価値のすでにまったく外面化された明白に無概念的な形態」にすぎず、この「現象的な運動の下に隠れている秘密」としての労働価値を「科学的」に認識するためには、平均価格のもつ偏差をさらに訂正する操作がマルクスの場合必要となる(9)。
ワルラス、メンガー、ジェヴォンズによって、一八七〇年代にほぼ同時に創始された新古典派経済学は、市場における供給の条件だけでなく需要の条件も重要視するが、依然、スミスによる自然価格と市場価格との対立を、均衡価格と不均衡価格との対立という形で継承する(10)。もちろん、ある商品の市場における需要と供給を一致させる価格がその商品の均衡価格であり、とくに経済内のすべての市場の需給を同時に一致させる均衡価格どうしの関係のことを一般均衡価格体系とよぶ。また、不均衡価格とは、市場における需給に不一致をもたらす価格のことにほかならない。ちょうどアダム・スミスの自然価格が経済の実体としての自然法秩序を反映し、リカードとマルクスの自然価格あるいは生産価格が窮極的には価値の実体としての必要労働量によって規制されるのと同様、新古典派経済学における一般均衡価格体系は、経済の実体的な構成要素としての、生産の技術的条件と消費者の主観的選好によって「限界的」に決定されている。(すなわち、一般均衡状態における二つの商品の間の相対価格は、それらの生産に要する限界費用の比率に等しく、同時にそれは、それらの消費に際しての消費者の限界効用の比率にも等しい。)
ところで、新古典派経済学の最大の理論的努力は、このように規定された一般均衡価格体系が、非常に一般的な条件の下で存在することを保証することにあったが、同時に、ほぼそれに匹敵する理論的努力を、この一般均衡価格体系の安定性の条件を見出すことに費やしてきた。すなわち、それは商品の価格は需要が供給を上回るときに上昇し、下回るときに下落するといういわゆる「市場の需給法則」によって、何らかの原因で不均衡に陥った経済が、一体どのような条件の下で一般均衡価格体系を自動的に回復させる傾向をもつかを、理論的に検証することである。このような一般均衡価格体系の安定性の理論は、その存在証明ほどの理論的成功をなし遂げることはできなかったが、すくなくともその最終目標に関しては、新古典派経済学者の間には安定的なコンセンサスが存在していた。すなわちそれは、不均衡価格とは偶発的要因によってひきおこされる一時的効果であり、常に均衡価格に近づいていく傾向をもっていることを示すことにあったのである(11)。
スミス、リカード、マルクス、あるいはワルラス、メンガー、ジェヴォンズと、それぞれが独自に展開した経済学の一見した多様性にもかかわらず、その中にひとつの共通した思考様式が(あたかも価値法則のように!)強力に貫徹しているのをわれわれは見てきた。それは、自然価格と市場価格、労働価値と市場価格、さらには均衡価格と不均衡価格といった対立概念を軸として経済現象に関する理論的言説を構成する思考様式である。しかも、このように二つの概念を互いに対立させることは、決して両者を対等に扱うためではない。逆にそれは、この対立概念のうちの自然価格、労働価値あるいは均衡価格といった第一項を経済の「純粋」的・「実体」的・「本質」的・「自然」的な……すなわちその「真実」の姿を表現するものとして規定する一方、市場価格あるいは不均衡価格といった第二項を経済の「不純」的・「仮象」的・「偶然」的・「人為」的……すなわちその「誤謬」の形態とみなすのである。「科学」としての経済学の使命は、したがって、「誤れる」市場価格あるいは不均衡価格の現象的運動に惑わされることなく、その背後にある「真実」としての自然価格や労働価値や均衡価格を発見することにあるとされる。
いや、「誤れる」価格の変動の下に「真実」の価値の存在を見出すのは、単に経済学者の「科学」的認識の力だけではない。まさに、「見えざる手」とか「価値法則」とか「需要法則」とか、それぞれ異なった名称でよばれている市場経済固有の自己調整作用が、日々市場価格あるいは不均衡価格を「訂正」し、自然価格や労働価値、あるいは均衡価格がみずからを正しく「確立」するよう導いてくれるのである。したがって、この市場経済原理さえ完全に作用しているならば、経済の「現実」の姿はほぼ近似的にその「真実」の姿を体現していることになる。(ただし、マルクスにとっては、この場合においてもさらにもう一度「転形」手続きをとらなければ、「現実」は「真実」とは近似的にも一致しない。)これは逆にいえば、もし現実の経済の運行がその「真実」の姿から乖離しているならば、それは市場経済固有の自己調整作用が何らかの理由で阻害されているからであると結論されることになる。市場経済原理の自由な作用を阻害する様々な要因、すなわち経済「外」的とでもよぶべき要因が、経済の「現実」と「真実」の間に楔を打ちこみ、経済法則の「純粋」的・「実体」的・「本質」的・「自然」的……な確立を困難にしているというわけである。そして、このような経済外的要因の力が強ければ強いほど、「現実」の経済はますますその「真実」の姿から遠ざかり、その「不純」性・「仮象」性・「偶然」性・「人為」性……の程度を強めていくことになる。
経済外的要因が経済法則の貫徹を阻害する――こう述べると、それはほとんどトートロジカルな響きをもっている。しかし、このほとんどトートロジカルに響く言説の中に秘められている思考様式を、私はとくに「経済学的思考」と名付けることにしよう。それは、繰り返して言うならば、市場経済の自己調整作用が純粋に働いているときに平均的に達成される状態を経済の「真実」の姿として規定し、現実の経済状態をこの「真実」の姿からの乖離の度合によってすべて一次元的に位階づけることである。それは同時に、市場経済の自己調整機能の働きを束縛する経済外的要因を、経済をその「真実」の姿から乖離させる「負」の作用素としてのみ理解することでもある(12)。
ところで、一口に経済外的要因といっても、市場経済の自己調整作用は実に多様な仕方で阻害されている。たとえば、アダム・スミスは、情報の伝播の遅れや企業秘密あるいは土地の特殊性に起因する自然的な独占とともに、同業組合への排他的な特権や徒弟条例等、市場での自由競争を制限する行政的規制や法規の存在による人為的な独占をその例としてあげている(13)。もちろん、この他にも色々な例を考えることができるであろう。しかしながら、伝統的な「経済学的思考」の中で、経済外的要因として常に特権的な位置を与えられているのは、労働市場の働きを規制する様々な制度的要因である。なぜならば、労働市場で売買されている労働力は、それが人間の労働力であるという特殊性ゆえに、本来その市場化・商品化に困難があり、その価格形成に際しては、他の商品の場合とは異なる歴史的・道徳的な制約を強くうけざるをえないと考えられているからである。そして、まさに労働市場を(ほぼ)必然的に束縛するこのような経済外的要因の存在に、現実の経済の「誤れる」運動形態――とりわけ不況や恐慌といった現象――の根本原因が見出されることになる。
たとえば、不況を特徴づける大量の失業の存在について、新古典派経済学は次のように「説明」する。労働市場において労働需要が突然減少して、労働者の(非自発的)失業が発生したとしよう。もし労働市場が他の商品の市場のように円滑な自己調整機能をもっているならば、労働力の価格にほかならない貨幣賃金が直ちに下落して、労働需要を刺激するとともに労働供給を抑制し、その結果、失業は速やかに解消されることになるはずである。失業が単に一時的な現象ではなく、したがって経済に不況なる状態が存続するのは、結局、労働力の超過供給である失業の発生にもかかわらず、貨幣賃金が容易に下落しないからである。そして貨幣賃金のこのような下方硬直性の原因として、労働組合の賃金切り下げに対する抵抗や、失業保険や最低賃金制による賃金の下支えといった人為的制度、あるいは労働者および雇用者の経済的利益以外の目的を追求する非合理的行動様式等々の経済外的要因があげられることとなる(14)。
また、マルクス経済学においても、その宇野学派的解釈にしたがえば、恐慌の必然性は労働力という商品の特殊性、その「商品化の無理」に帰せられていることは周知の通りである(15)。(この論点については、あまり深追いしない方が私の身のためではあるが……。)それは、まず「資本の生産物の間の過不足で恐慌現象を解明しようとする」理論を、「商品経済の価値法則自身を否定する」ものとして棄却する(16)。なぜならば、資本によって「無政府的に生産される生産物の過不足は、常に価格の運動によって規制されつつ、補整せられる」ことによって、「一般に商品の矛盾とせられるものは、恐慌をまたないで解決される」からである。ところが、労働力という商品は、資本によって直接生産されえないために、「その価値を決定する、生活資料の生産に要する労働時間にしても、生活資料の質と量とが、生理的最低限はあるにしても、必ずしも一定していない」。それゆえ、その過不足は、単なる価格の変動によってでは調節することができない。そして「その過不足が一定の程度にまで達すると」、もはやそれは経済全体の再生産過程を「暴力的」にまきこむ「恐慌」という形態によってのみしか「解決」されえないという(17)。すなわち、ここでは、恐慌は労働力の純粋なる商品化を必然的に阻害する経済外的な制約の存在によって必然的に発生せざるをえない現象として規定されているのである。
もちろん、例として上にあげた二つの理論の間の相違を数限りなく指摘することができよう。(ちなみに、一方は失業の理論であるのに対し、他方は恐慌の理論であり……。)しかしながら、同時に、両者が、先に私が「経済学的思考」と名づけた思考様式を、その根源において共有していることも明らかである。事実、経済学が自己完結的な経済秩序に関する科学として誕生したのであるならば、この「経済学的思考」とは、その名の通りほとんど経済学そのものであるかのように聞こえよう。だが、新古典派経済学にせよマルクス経済学にせよ(そして古典派経済学にせよ)、それぞれの経済学を構成する言説の集合は、決して均質ではない。いや、それぞれの経済学の内部に、まさにこの経済学そのものを可能とした「経済学的思考」自体を変質あるいは解体させる可能性を秘めた、ある「異質」な思考が共存しているのを認めることができる。それは、貨幣をめぐる思考であり、さらには貨幣経済に本源的な不均衡についての思考なのである。
「貨幣は、それ自体が欲されるのではなく、それによって購買できるもののために欲される(18)」というアダム・スミスの命題は、彼の他の多くの命題と同様、その後の経済学的思考において、貨幣に関する基本命題として機能してきた。この命題に関して、スミス自身は、今引用した文章のすぐ前で、次のような議論を展開している。
[#1字下げ]財は貨幣を購入する以外にも多くの目的を果すが、貨幣は財を購入する以外何の目的も果さない。したがって、貨幣は必ず財を追いまわすが、財は必ずしも常に貨幣を追いまわすとはかぎらない。人が財を買うのは、必ずしもそれを再び売るためではなく、しばしば使用したり消費したりするためである。だが、人が財を売るのは、つねに再び何かを買うためである。
このスミスの文章から、次のようなリカードの文章までの距離はほんの僅かしかない。
[#1字下げ]生産物はつねに生産物によって、あるいはサーヴィスによって買われる。貨幣は交換を行うための単なる媒介物である。特定のある商品が多く生産されすぎて、それに支出された資本を償いえないほど市場が供給過剰になることはありうる。だが、それはすべての商品については不可能である(19)。
すなわち、これは「供給はみずからの需要を創り出す」という有名なセイの法則の主張であり、それは結局、貨幣を除くすべての商品が同時に供給過剰(あるいは供給不足)になる可能性を否定することを意味する。
ひとたびセイの法則が確立してしまえば、あとは「見えざる手」や「価値法則」や「需給法則」の独擅場である。なぜならば、セイの法則のもとでは、ひとつの市場における供給過剰の存在は、算術の問題として、他の市場における供給不足の存在を意味する。(セイ自身、この算術的事実を、「ある財が売れ残っているならば、それは他の財が生産されていないからだ(20)」というように表現している。)したがって、そこで可能な不均衡は、市場間あるいは産業間の相対的な不均衡でしかなく、それは価格の相対的変動によって円滑に調節されるはずのものである。
「どの売りも買いであり、またその逆でもあるのだから、商品流通は、売りと買いとの必然的な均衡を生じさせる、という説ほどばかげたものはありえない(21)」という有名な文章ではじまる『資本論』の中のマルクスのセイ法則批判は、貨幣経済における商品の流通は、貨幣を単なる媒介とする生産物同士の間の交換には単純に還元できないという認識にもとづいていた。たしかに、物々交換においては、ある生産物を売ることは他の生産物を同時に買うことであり、ある生産物を買うことは他の生産物を同時に売ることであり、したがって、そこではセイの法則が成立する。だが、貨幣経済では、商品は貨幣によって買われ、貨幣と引きかえに売られる。もちろん「別のだれかが買わなければ、だれも売ることはできない。しかし、だれも、自分が売ったからといって、すぐに買わなければならないということではない」。なぜならば、貨幣とは「再び市場に現れるのが早かろうと遅かろうと流通可能な形態を保持している一商品」なのである。したがって、供給は必ずしもみずからの需要を創り出さず、セイの法則は成立しえない。それゆえ、貨幣経済では、市場間・産業間の相対的過不足だけでなく、貨幣以外のすべての商品の市場において同時に供給過剰(あるいは供給不足)が発生してしまうことを妨げるものは何もない。マルクスは、まさにこの事実に「恐慌の可能性」を見いだしたのである(22)。
しかもなお、貨幣によるこのような売りと買いの分解こそ、物々交換の「時間的、場所的、個人的制限を破る」ものであることをマルクスは指摘する。すなわち、恐慌の可能性とは、同時に貨幣経済そのものの全般的展開の可能性にほかならない。貨幣経済とは、その生誕から、恐慌の可能性を内に宿していたというわけである。
ところでマルクスは、貨幣によるセイの法則の破壊は、「恐慌の可能性を、しかしただ可能性だけを、含んでいる」と強調した。「この可能性の現実性への発展は、単純な商品流通の立場からはまだまったく存在しない諸関係の一大範囲を必要とする(23)」というのである。だが周知のように、マルクス自身は恐慌理論をまとまった形で完成することはできなかった。もちろん、『経済学批判要綱』の中にある彼の著述計画では「恐慌」という項目は一番最後にあげられており、生存中に計画を実行する時間的余裕を彼はもつことができなかったという有力なる解釈もある。だが、それにはおそらくヨリ内在的な必然性があったにちがいない。なぜならば、貨幣経済においてセイ法則が破壊されていることの意味は、単なる恐慌の可能性だけにはとどまりえない。それはさらに、「見えざる手」、「価値法則」あるいは「需給法則」に表現されている市場経済の自己調整作用あるいはその自己完結性への信頼そのものを突き崩す意味すらもっていた。同時にそのことは、マルクスの「価値法則」を支えている「労働価値説」をも当然巻き添えにせざるをえないものだったのである。
貨幣経済におけるセイ法則破壊のもつ意味について、そのもっとも急進的かつ根源的な思考は、実は、マルクスからは遠い、ある意外な場所から生まれることになった。すなわち、スウェーデンの、しかも新古典派経済学の集大成者の一人であったヴィクセルのペン先からであった。
貨幣は商品と商品との交換の単なる媒介にしかすぎない、というアダム・スミスの命題は、その後新古典派経済学においては「貨幣の中立性」として表現されることとなった。それは少なくとも均衡状態においては、名目貨幣量の変化は単に名目的物価水準を変化させるだけで、市場における商品の需給量およびそれらの間の相対価格(交換比率)にはなんの影響も及ぼさない、という主張である。貨幣はヴェイルであるというよく知られた比喩は、まさにこのことを意味している。ところで、この貨幣の中立性を最も極端なかたちで定式化したのが、価値理論と貨幣数量説との「二分法」である。それは、需給法則の働きによって近似的に保証される需給の均衡条件を調べる価値理論において体系の「実物」変数である生産量、消費量および相対価格を決定し、体系内の「名目」変数を代表する物価水準は、いわゆる貨幣数量式によってメカニカルに決定する考え方である。ヴィクセルの出発点は、この二分法の考え方に対する不満にほかならなかった。
ワルラスの一般均衡理論とベーム=バヴェルクの利子論とを結合して、新古典派的資本理論を確立することに成功したヴィクセルは、あまりにもよき新古典派経済学者であった。資本理論から貨幣理論に研究テーマを移したとき、彼は、物価水準の決定がメカニカルな貨幣数量式にゆだねられ、個々の市場での価格の形成過程と何ら関係づけられていないという「欠陥」をヨリ新古典派的に「修正」する必要があると考えた。そのために、ヴィクセルが援用するのが、他でもない新古典派の「需給法則」であった。彼は言う、「特定のある商品の価格の増減は、……その商品の需給の均衡が撹乱されたことによるはずだ(24)」。そしてヴィクセルは、個々の価格形成に関するこの法則を、価格全体の変動の説明、すなわち物価水準変動の説明にも適用させることを考える。「この点について[#「この点について」に傍点]、個々の商品それぞれについて正しいことは、すべての商品全体にとっても疑いなく正しい。それゆえ」とヴィクセルは結論する。「価格一般の上昇」があるとすれば、それは「何らかの理由で需要一般が供給を上回るか、または上回ると予想されている状況を想定してはじめて理解しうる」。同様に、価格一般の下落は、需要一般が供給一般を下回っていることによるはずである。ここまで議論を運んできて、ヴィクセルは、自分がいつの間にやら新古典派経済学の立場からは異端の地に足を据えているのに気がついた。「これは逆説的に耳に響くかもしれない。なぜならば、われわれは、J・B・セイに従って、諸々の財〔の供給〕それ自体がお互いの需要を形成し制限するという風に考え慣れているからだ」。すなわち、ここでヴィクセルは、貨幣経済におけるセイ法則の否定というマルクスと同じ立場に立ったわけである。「そして、実際、窮極的には[#「窮極的には」に傍点]その通りである」と、新古典派経済学者としての本能的な譲歩をヴィクセルは若干おこなうが、すぐ次のように主張する。
[#1字下げ]われわれが関心をもっているのは、まずはじめに[#「まずはじめに」に傍点]、貨幣による財の需要と貨幣に対する財の供給とで構成される財同士の窮極的な交換の中間の連鎖において何が起るかなのである。貨幣理論がその名にふさわしいものであるならば、それは、与えられた条件の下で、財に対する貨幣的あるいは金銭的需要が、なぜそしてどのように財の供給を上回ったり下回ったりするかを明らかにしなければならない(25)。
ベーム=バヴェルクの強い影響下にあったヴィクセルが、財に対する貨幣的需要全体と財の供給全体との間の相対関係を説明する変数として選んだのは、当然、利子率であった。
常によき新古典派経済学者であろうとしたヴィクセルは、アダム・スミスにならって、利子率に関してひと組の対立概念を導入した。自然利子率と市場利子率である。自然利子率とは、投資と貯蓄を事前的な意味で均衡させる利子率の水準で、新しく生産された資本財の予想収益率にほぼ対応するものである。ヴィクセルによれば、自然利子率のもとでは財・サーヴィス全体の需給も均衡し、したがって価格・賃金はともに変化しないことになる。一方、市場利子率とは、日々の貸付け資金市場で成立する利子率のことであるのはいうまでもない。ところで、このような自然利子率と市場利子率という一見スミス的な対立概念の導入は、決してヴィクセルにスミス的な結論をもたらしはしなかった。
市場利子率が自然利子率を上回っている状況を考えよう。それは、銀行の信用創造の緊縮化やその他の形態での金融引締めによる市場利子率の上昇によるものか、サプライショックや企業家の単なる悲観による自然利子率の下落によるものかはこの際問わない。重要なのは、貨幣経済においては、二つの利子率は常に乖離する可能性をもっていることである。さて、市場利子率が自然利子率より相対的に高くなると、当然、企業の投資意欲は削減され、資本財市場に供給過剰が生じ、資本財の価格が下落をはじめる。これは、まず資本財産業における労働その他の生産要素の需要を減少させ、産業間の波及効果を通じて、生産要素市場全般に供給過剰を生み出すことによって、貨幣賃金をはじめとする生産要素価格をも下落させる。このような生産要素価格の下落は、人々の名目所得の下落を意味し、それは消費財に対する貨幣的需要を削減する。消費財の市場にも供給過剰が発生し、その価格も下落をはじめる。このような、資本財、生産要素、消費財の市場すべてに供給過剰をもたらし、それらの価格を順繰りに下落させる過程は、一回限りではなく「累積的」だとヴィクセルは言う。なぜならば、市場利子率が自然利子率を上回っているかぎり、この過程が一巡すると、経済は価格の名目水準の全般的下落以外は出発点とほぼ同じ状況に置かれていることになり、再び資本財、生産要素、消費財と、価格をさらに下落させることになる。そして……。すなわち「もし〔市場〕利子率が、どれだけ僅かであっても、現状の自然利子率より高く維持されているならば、価格は断え間なく、そして果てしなく下落するであろう」と、ヴィクセルは結論する(26)。
この議論をさらに展開するためには、このような累積的価格下落が市場利子率および自然利子率にどのような影響を与えるかを調べなければならない。そして、それは経済の金融構造に大きく依存する。実際、思考実験的にヴィクセルが想定した、小切手によってすべての支払いがなされるような純粋信用経済では、価格の累積的下落は市場利子率に何らの影響も及ぼさない。いや、企業が将来も価格下落が続くと予想しはじめると、自然利子率がその分だけさらに下落し、累積的価格下落はますます激化してしまう。もちろん、現実の経済では、現金通貨が支払いに使われており、価格の累積的下落によるその実質額の急速な膨脹は、銀行の信用創造を刺激し、金融緩和によって市場利子率を引き下げる効果をもつ。しかし、その場合でも、この安定化効果が価格下落予想のもつ不安定化効果よりも強力かどうかは先験的には決められない。全く同様の議論は、市場利子率が自然利子率を下回り、すべての市場が供給不足になる場合にも適用できる。その場合には、すべての価格は累積的に、そして果てしなく上昇し続けることになる。
自然利子率と市場利子率というスミス的対立概念の導入によってヴィクセルが明らかにしたのは、貨幣経済においては「見えざる手」は働いていない、という反スミス的結論なのであった。市場間の需給の相対的過不足がもたらす相対価格変化の自己調節機能とは反対に、二つの利子率の乖離と、それによって発生するすべての市場における全般的供給過剰あるいは供給不足は、それがどんなに僅かなものであろうと、自己調節機能を欠いた価格一般の累積的下落あるいは上昇を引きおこす。もはや、二つの利子率が一致する均衡は「重力の中心」でも何でもない単なる偶然的な状態であり、価格が累積的に変動する不均衡こそ、経済にとっての常態であることになる。セイ法則の成立しない貨幣経済とは、本質的に不均衡的な構造、いや非構造をもっているのだ(27)。
ところで、ヴィクセルの描いた貨幣経済の図は自己破壊的なそれであった。市場利子率と自然利子率とがいささかでも乖離すると、価格全体が累積的に下落あるいは上昇する。その行きつく先は、大恐慌あるいはハイパー・インフレーションという、貨幣経済の存立基盤そのものの崩壊の可能性である。だが、現実の経済は失業や緩やかな物価上昇は常に経験しているが、大恐慌やハイパー・インフレーションにみまわれるのは全くの例外的状況にすぎない。それでは、一体何が貨幣経済をその自己破壊性から救っているのだろうか。
この逆説的な問いに対する解答は、逆説的であるが、それほど難しくない。なぜならば、ヴィクセルの理論はある暗黙の仮定に依存しているからだ。よき新古典派経済学者としてのヴィクセルは、当然のことのようにすべての[#「すべての」に傍点]市場の価格は伸縮的に需給の過不足に応じて変動するという仮定を設けていた。だが、もしこの仮定が正しくなく、少なくとも一部の市場において価格の変動が束縛されているならば、これらの価格の粘着性にひきずられて、価格の全般的な累積的下落や上昇は起らないにちがいない。
もしケインズの経済学が、新古典派経済学の単なる修正にとどまらない革新性をもっているとしたら、それは彼がまさにこの点を認識していたからである。彼は言う。
[#1字下げ]もし、雇用が完全雇用水準以下に低下する傾向があるたびに、貨幣賃金が際限なく下落するとしたら、……これ以下に利子率が低下しえないようになるか、賃金がゼロになるかまで、完全雇用水準以下にはどこにも静止点はなくなる。実際、貨幣的体系において何らかの安定性を価値がもつためには、その貨幣的価値が、固定はしていなくとも、少なくとも粘着的であるような何らかの[#「何らかの」に傍点]生産要素がなければならない(28)。
ケインズ自身が、現実の貨幣経済の錨(あるいは下支え)として見出したのは、労働市場における貨幣賃金の(下方への)粘着性にほかならない。労働者は、物価の上昇にはいちいち反応しないが(実質賃金に関しては同じ効果をもつ)貨幣賃金の切り下げには常に抵抗する。様々な経済外的要因にもとづく労働者のこのような一見非合理的行動様式が、その実、貨幣経済にある程度の安定性を与えているという、一種の逆説的な状況がここに現われているのである(29)。
もはや大幅に予定枚数を超えてしまっているこの論文において、貨幣賃金の粘着性によって貨幣経済にどのようにある種の安定性がもたらされるか、そして、このように安定化された貨幣経済がどのような変動パターンをもつかを、論じる余裕はない。ただし、銘記しておくべきことは、粘着的な貨幣賃金によって安定化されたケインズ的な経済は、どのような意味でも、自己完結性をもつ「純粋」的で、「実体」的で、「本質」的で、「自然」的なものではないということだ。それは、常に失業あるいはインフレーションを抱えこみ、断えず景気変動を繰り返す、まさに「不均衡的」世界なのである。貨幣経済のもつ本源的不均衡は決して消え去ることはない。それは、単にその形態を変化させるだけなのである(30)。
いずれにせよ、もはや現実の経済の現象的な動きの背後に隠れている経済の「真実」の姿など、どこにも存在していない。あらゆる「経済外的」要因を抜き去った、すべてが完全に商品化・市場化しているような経済とは、それが貨幣経済であるかぎり、そもそも自己完結的になりえないのである。まさしく貨幣賃金の粘着性に代表される経済外的要因(あるいは「労働力の商品化の無理」)こそ、貨幣経済をその不安定性から救っているのであり、それは、現実の経済の「誤謬」の程度を規定する単なる「負」の作用素ではありえないのである。
これでどうやら、近代経済学・マルクス経済学を問わず、伝統的経済学を支配してきた「経済学的思考」から脱却しうる手懸りをつかんだことになる。新たな境界線づくりは、もちろん将来の作業にまかせよう。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
[#ここから1字下げ]
(a)この論文は、一九八三年十一月に開催された東京大学経済学部産業研究所主催の「マルクス経済学と近代経済学」というコンファレンスにおいて発表された。
(1)平田清明『経済科学の創造』岩波書店、一九七一年。
(2)フランソワ・ケネー『農業哲学』、in R. L. Meek, The Economics of Physiocracy, Allen and Unwin, 1962, p. 70.
(3)ケネー『農業王国統治の一般準則』、in Meek, op. cit., p. 231.
(4)ケネー『自然法則』、in Meek, op. cit., p. 5f.
(5)アダム・スミス『国富論』第一篇第七章(以下では古典については書名のみを記載)。
(6)スミス、前掲書。
(7)リカード『経済学および課税の原理』第四章。
(8)マルクス『資本論』第三巻第十章。
(9)マルクス、前掲書。
(10)ワルラス『純粋経済学要論』、メンガー『一般経済学原理』、ジェヴォンズ『経済学原理』。もちろん、新古典派経済学の教科書は無数にある。
(11)例えば、アロウおよびハーン『一般均衡分析』岩波書店、一九七六年、参照。
(12)実は、この「経済学的思考」とは、プラトン以来の西洋の形而上学的思考のもっとも典型的な表現なのである。
(13)スミス、前掲書。
(14)この考え方は、まさに新古典派的ケインズ解釈でもある。
(15)宇野弘蔵『恐慌論』岩波書店、一九五三年。
(16)宇野弘蔵『資本論の経済学』岩波書店、一九六九年。
(17)宇野弘蔵『経済学方法論』岩波書店、一九六二年、第四章第三節。
(18)スミス、前掲書、第四篇第一章。
(19)リカード、前掲書、第二十一章。
(20)セイ『マルサス氏への手紙』。
(21)マルクス、前掲書、第一巻第三章第二節。『経済学批判』第二章第二節、および『剰余価値学説史』第二巻第二篇にも同様のセイ法則批判が展開されている。
(22)マルクス、前掲書。
(23)マルクス、前掲書。
(24)ヴィクセル『国民経済学講義』第二巻第四章第六節。(彼の『利子と価格』も参照のこと。)
(25)ヴィクセル、前掲書。
(26)ヴィクセル『利子と価格』第八章。
(27)ヴィクセルの累積過程の理論の批判とその再構築に関しては、私の『不均衡動学』の第一部、および本書所収「知識と経済不均衡」を参照。
(28)ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』第二十一章。
(29)ケインズ、前掲書、第十九章参照。
(30)ここに示唆されているような(非正統的な)ケインズ解釈については、私の『不均衡動学』の第二部を参照。
[#ここで字下げ終わり]
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知識と経済不均衡(a)
1 序論[#「序論」はゴシック体]
あらゆる社会現象は、不確かな未来に向けて、この現在に意思決定しなければならない人間の営みの産物である。したがって、未来に関する「予想」がいかに形成されるかという問題は、社会現象の分析にとって本質的である。そして、予想がいかに形成されるかという問題は、けっきょく、外界に関する「知識」をわれわれ人間はいかにして得るかという問題に帰着する。それは、人間にとって知識とは、未来に起こりうる様々な状況の中での柔軟なる対応を可能とするための、現在時点における備えにほかならないからである。過去になされた意思決定の遺産にすぎぬ慣習や規則のみを墨守すれば事の足りる静態的な世界では、人間は予想の形成に、したがって知識の獲得に頭を悩ませる必要はない。
知識が現在と不確かな未来を結ぶ目に見えない鎖であるならば、資本主義経済における「貨幣」は、現在と不確かな未来を繋ぐ目に見える鎖であろう。資本主義社会の中で、貨幣あるいは他の金融資産を保有することは、現在時点での商品の購買を諦めることを意味する。しかし、それは、将来手に入りうる特定の商品にたいするあらかじめの注文ではない。逆にそれは、定かでない未来のどこかで発揮されるはずの、特定の商品の購入にいまだ縛りつけられていない一般的な購買価値の保有なのである。貨幣とは、商品の購入に関する意思決定に猶予を与える経済的工夫であり、不確かな未来に備えるための時間の買収という役割を果たしてくれるものである。したがって、将来にたいしてなんの不安もない静態的経済では、一般的購買価値の保有手段としての貨幣の機能は消滅する。
一方において人間の知識の獲得、他方において、人間の貨幣保有という一見もっとも異質な行為が、ともに、何が起こるかわからない未来にたいする人間の基本的な適応であることは、十分強調に値する。われわれは、この二つの異なった行為を、ともに「流動性の確保」という言葉で統一的に表現することすらできる。ところで、この二つの行為が類似の機能を果たすということは、その間に経済的な代替関係が存在するということを意味する。すなわち、貨幣の保有は将来に意思決定を延ばすことであり、それは当然、現在における知識獲得の必要性を減らす。一方、現在時点での自分の経済環境に関する知識を増やす行為は、将来の不確かを減らすことに通じ、当然現在における貨幣保有の必要性を少なくさせる。不確かで動態的な経済に生きているわれわれは、貨幣という流動性を保有するか、それとも、知識という流動性を獲得するかという選択に常に迫られているのである。
しかしながら、この論文の主なる目的は、この、知識の獲得か貨幣の保有かというかたちで提出された、不確実性にまつわる微視的(microscopic) な経済問題を論ずることにあるのではない。われわれは、むしろ、この微視的な経済問題の背景をなしている、ヨリ巨視的(macroscopic) な問題に考察を集中したい。この巨視的問題とは、一口にいえば、人間の知識獲得のための精神活動と貨幣経済全体の動態的構造とのかかわりあいに関するものであり、微視的な不確実性に対処するための貨幣の存在が、それによって人々の経済活動の範囲を飛躍的に拡大させた代償として、いささか逆説的に、人々の知識獲得および予想形成の過程に注ぎ込むことになった、いわば巨視的な「不均衡」の可能性に関するものである。貨幣経済の動態的変動の説明という貨幣理論の中心課題は、実は、この貨幣経済における巨視的な不均衡の問題の分析なしには不可能である。
現代経済学の主流をなしている新古典派経済学は、その理論の応用範囲を、せいぜい、知識の獲得か貨幣の保有かという微視的な選択問題に止めておき、その背後に控えている貨幣経済にとって本質的な巨視的不均衡の問題を、その理論的枠組の埒外に葬りさることによって成立している。したがって、この巨視的不均衡の問題を考察の中心とする本論は、同時に、新古典派経済学の批判の試みともなっている。しかしながら、それは単なる超越的な批判を目指すものではなく、貨幣経済の動態的理論の構築のための土台と支柱を組み上げる基礎作業である。この建設的な批判の目論見がどれだけ成功しているかは、むろん読者の判断に委ねるほかはない。
2 予想形成の理論[#「予想形成の理論」はゴシック体]
帝国主義者とは、自分の価値観の相対性に盲目な人種の別名である。残念ながら、経済学はいわゆる「経済学帝国主義」の征服下にある。われわれは、人間がいかに知識を獲得するかという問題を考察するために、まずこの経済学帝国主義の支配から脱け出さなければならない。それは、いわゆる「合理的経済人(homo economicus)」という神話からの解放を必要とする(1)。
人間の「知識」を外界の単なる模写と考える素朴な経験主義ほど、真実から遠いものはない。そして、この素朴な経験主義ほど、従来の経済学の中で信奉され続けてきた考え方も少ない。人間の知的活動は、そのまま外部の世界を写し撮る写真機ではない。それは、人間自身と外界との間で意識的、無意識的に続けられる「対話」である。したがって、そこには主体の活動が本質的に介在するはずである。
人間が己れの外界を知るためには、まず、意識されるにせよされないにせよ、その外界の「モデル(model)」が自分の内部に備わっていなければならない。この外界に関する主観的なモデルを、「知識獲得の場(Gestalt)」とか、「認識構造(cognitive structure)」とか、「知識の先験的体系(prior scheme of knowledge)」とか言い換えてもかまわない。主体内部の無意識下になかば埋められているこのモデルは、けっして、外界の近似でも単純化でも一般化でもない。それはいちおう外部の世界とは別の存在であり、内的整合性のある構造をもつ独立の主観的世界である。したがってそれは、ごく稀れには現実と照合する構造をもつが、多くの場合、外界の実際の構造とは似ても似つかない代物であろう。しかし、それがどんなに現実と食い違っていようとも、われわれ人間は、自らの内部にあるこの主観的モデルを外界に投影することによってしか、外界を知ることはできない。神ならぬ人間は、世界を内側から見ることを運命づけられている存在だからである。
人間の知識獲得活動は、一般に、干渉しあう二つの歯車の相互作用から成り立っている。その第一の歯車は、外界を主観的モデルに同化(assimilate) する過程であり、知識獲得活動の短期的様相をかたちづくる。短期においては、人間は自分の内部に備わっている外界の主観的モデルの枠組を確固不変のものとみなす性向をもつ。じっさい、ふだんの生活において、自分が主観的モデルをもっていることすら気づかずに人間は外界と接している。したがって、短期における人間の知識獲得活動は、過去から蓄えられた外界に関する情報を、可能なかぎりこの主観的枠組の中で消化するとともに、不確かな将来に起こりうる出来事を、また可能なかぎりこの枠組を用いて予想しようとする活動である。これは、外界からの情報の単純なるふるい分けではなく、過去・現在・未来にわたって、主体の内部に備わった主観的モデルを、その外界にたいして投影する積極的な活動なのである。人間は、写生によって現実を知るのではない。知っている現実を写生するのにすぎない。われわれがしばしば経験する錯覚が、実は、われわれ人間が既成の枠組を通してしか現実を見ることのできない存在であるという、人間の本性に根差した現象であることは案外知られていない(2)。
錯覚は、何度も繰り返し経験するうちに、突如として消えてしまう。そして、一度消えてしまった錯覚を再び甦らせることは難しい。すなわち、人間は、予想が現実に繰り返し裏切られると、自分の内部にある外界の主観的モデルを改訂する。一度モデルが改訂されると、それ以後の短期における知識獲得活動は、その新しいモデルを確固不変のものとみなして以前と同様に行なわれる。この外界に関する主観的モデルの改訂こそ、内的世界の現実に対する適応(accommodation) であり、人間が長期的にいかに外界を知るかを定める第二の歯車にほかならない。ここで、このような主観的モデルの改訂が現実に即して滑らかに行なわれるのはむしろ稀れで、多くの場合、唐突な変化として現われることを注意しておこう。しばしばそれは、小規模なコペルニクス的転換でさえありうる(3)。
「驚き」は知識の源泉である。人間は、自分の主観的モデルに基づいた予想が現実に裏切られ続けているかぎり、現実から新しく学ぶ可能性をもつ。すなわち、人間は、自分の主観的モデルに失望し続けているかぎり、それを改訂しようという動機をもち続けうる。したがって、予想が繰り返し繰り返し現実によって確認される仮想の状態に到達したとき、はじめてひとは現実から新たに学ぶものを失う。この仮想の状態が、人間の知識獲得活動の「均衡(equilibrium)」である。それは同時に、人間の予想形成活動の均衡状態でもある。人間の知識の獲得と予想の形成は同じ盾の両面にすぎないからである。この知識獲得および予想形成の均衡においては、外界がもたらしうる様々な状況はすべて予期されつくし、外界の主観的モデル改訂の動機は霧散する。それは、人間の内側に存在している主観の世界と、その外側に存在している客観の世界との間の葛藤が終わった状態である。このとき、外界は主観モデルに同化され、同時に、主観モデルは外界に適応している。ただし、このことは、主観的モデルが現実の忠実な「模写」になっているという意味では必ずしもない。それは単に、人間の情報収集の能力、論理的な思考力、そして総合的な判断力の限界の範囲内で[#「限界の範囲内で」に傍点]、主観的モデルが現実世界の構造と斉合性を保っている状態という程のことである。
ここで、いま定義した、人間の知識獲得および予想形成活動の均衡が、本質的に動態的な概念であることを強調しておかねばならぬ。それは、力と力のバランスによって維持される静態的な力学的均衡の概念と異なり、未来に向けての予想をその行動の前提としている人間の、外界にたいする絶えざる働きかけによってのみ維持されうる均衡である。
ひとたび、均衡の概念が定義されると、人間の知識獲得および予想形成活動一般を、この均衡に向かっての絶えざる運動として理解しなおすことができる。この運動は、外界を主観的モデルに同化しようとする短期の過程と、主観的モデルを外界に適応させようとする長期の過程の相互作用とみなすこともできるし、また、人間の内面の世界とその外部にある現実世界との葛藤としてみることもできる。この内面と外面の二つの世界が葛藤を続けているかぎり、知識獲得と予想形成の活動は「不均衡(disequilibrium)」であり、均衡に向かっての運動を繰り返す。葛藤すなわち不均衡は、均衡に向かう運動の動力源にほかならない。この動力源が涸れた状態、それが均衡である。
しかしながら、不均衡が均衡に近づく動力源を常に自らの中に生み出すという観察から、ただちに、均衡が「安定的」であるという結論を導くことは許されない。人間の知識獲得と予想形成の活動が、内的世界と外的世界との絶えざる葛藤であることはとりもなおさず、この安定性の問題が、単に主体の側の認識の能力だけでなく、それを取り巻く外界の動態的構造に本質的に依存していることを意味する。まず第一に、われわれはいままで、あたかも均衡が常に存在するかのように話を進めてきたが、これはけっして自明のことではない。というよりも、逆に均衡が存在しえない[#「均衡が存在しえない」に傍点]場合は意外なほど多い。じっさいわれわれがこの論文で考察する貨幣経済では、ある特殊の状況(「貨幣的均衡状態」)を除いては、その中で価格を決定している様々な企業が同時に知識獲得と予想形成の均衡に到達することが不可能であるという性質をもっている。この点については第四節以後から詳しい議論を展開することになろう。つぎに、たとえ均衡が存在しても、それが不安定である可能性を考えなければならぬ。個人を取り囲む外界そのものが不安定な構造をもっていたり、あるいは非常に撹乱的な構造をもっていたりする場合には、その中で活動している人間の知識獲得と予想形成の活動は、絶えざる撹乱にかき乱されて、均衡に到達することが著しく困難になるであろう。この不安定的あるいは撹乱的な知識獲得および予想形成活動の可能性は、人間の合理性の限界について、非常に興味深い思考材料を提供してくれるはずであるが、紙幅の都合上この論文では取り上げることができない(4)。
3 「合理的」予想形成仮説について[#「「合理的」予想形成仮説について」はゴシック体]
近年、新古典派経済学の一部、とくにその亜流であるシカゴ学派の経済学において、「合理的予想形成(rational expectation-formation)」という仮説がしばしば用いられている(5)。これは合理的な経済人が自分に利用可能なあらゆる情報を駆使して計算した未来の経済現象に関する主観的確率(subjective probability) は、まったく同じ情報の下で原理上計算しうる客観的確率(objective probability) と、少なくとも長期的には一致する、という行動仮説である。この合理的予想形成の仮説は、従来の新古典派理論が動学的問題を論ずるときに依拠する、いわゆる「完全予見(perfect foresight)」の仮説に統計的意思決定論の装いをまとわせたものにすぎず、新古典派経済学の基本構造になんらの変更を与えるものではない。しかし、この完全予見の概念の統計的一般化が、「合理的」という名を冠して登場してきた事実は、新古典派経済学の背景をなしている知識論的基盤を浮彫りにするものとして意義深い。
合理的予想形成仮説の導入者であるジョン・ムース(Muth, J.) は、合理的な経済主体の「予想は、未来の出来事の情報を駆使した予測であるから、適切な経済理論に基づく予測と本質的に一致する」という表現を用いてこの仮説を提唱した(6)。この表現はひどく曖昧で、とくにその中の「適切な経済理論」という言葉が、はたして、経済主体の内部に備わっている外界に関する主観的モデルを意味するのか、それとも、全知全能の新古典派経済学者によって組み立てられた、現実の経済の正確な模写であるべき(新古典派の)経済理論を意味するのか、それのみからは判断しかねる。もし仮りに、適切な経済理論という言葉が前者の意味で用いられていたならば、この仮説はわれわれがさきに展開した知識獲得と予想形成の理論と両立しうる。それは、いささかトートロジカルに、経済主体は、自分の主観的モデルを基礎に、与えられた情報を無駄なく用いて将来の経済事象を予測するというほどの意味しかもたない。だが、ムースが上の文章の後に、同一の情報の条件のもとで計算された主観的確率が客観的確率に一致することが合理的予想形成のヨリ正確な定義であるという趣旨のことを述べているところから、彼のいう適切な経済理論という言葉が、じつは後者を指していることがわかる。したがって、形式的な見地からは、この合理的予想形成の概念は、われわれが上で定義を与えた人間の知識獲得と予想形成活動の「均衡」と同一化できるであろう。しかし、この同一の概念が、われわれの理論の中では安定性の問題とは独立に単なる均衡概念[#「単なる均衡概念」に傍点]として提出されたのにひきかえ、新古典派経済学の中では「合理的」な経済人に関する先験的な「行動仮説(behavioral hypothesis)」として提出されている。この差は、一見微妙なようだがじつは本質的である。
それは、じっさい、新古典派経済学が人間の知識活動を外界の虚心なる写生として捉える素朴な経験主義に根差していることの証拠である。そこでは、外部にある現実と主体の獲得した知識の間に介在するべき主体自体の虚心ならざる活動に関する視点が失われ、内的世界と外的世界との緊張関係がもたらす動態的運動が無視されている。もし仮りに、人間の外界の知り方が単なる外界の写生にすぎないのならば、人間が現実のみごとな模写に成功するのは、単に[#「単に」に傍点]時間の問題である。したがってこの場合、合理的予想形成あるいはその原型である完全予見の概念を経済的人間の行動に関する基本仮説として提出するのに、それほどの思考の飛躍を必要としない。新古典派経済学がなんの躊躇もなくこの行動仮説に飛びついたのは、いわば理の当然であろう。
ひとたび経験主義的世界観から卒業するやいなや、われわれは、合理的予想形成あるいは完全予見の概念を、人間の知識獲得と予想形成の活動の単なる「定義条件」としてしか考えることができなくなる。新古典派経済学のように人間の合理性の特質の中にこの合理的予想形成あるいは完全予見の概念を含めるのならば、人間の合理性とは理論的あるいは実証的な証明を要する命題である。すなわち、そのためには、人間の知識獲得および予想形成の均衡が存在し、しかも安定的であるかどうかを検討しなければならない。さきに強調しておいたように、この命題は人間がどのような環境の中で活動を行なっているかに本質的に依存する。これからはこの問題について論を進めよう。
4 社会現象に関する「知識」の意味[#「社会現象に関する「知識」の意味」はゴシック体]
経済活動の一例として新古典派経済学の教科書にしばしば登場するロビンソン・クルーソーの物語ほど、資本主義社会の中の経済現象の理解の妨げになるものはない。ロビンソン・クルーソーにとっての「外界」とは、彼を取り巻く自然と彼自身を形作っている肉体であり、彼が孤島の中で生き延びるために必要な知識は、この物理的生物的生理的環境の性質に関するもののみである。もちろん、ロビンソンは畑を耕したり狩をしたりさらには自分の肉体および精神力を鍛練したりして、彼の周囲および内部の環境を変更しうる。しかしながら重要なのは、このような活動は彼の外界たる物理的生物的生理的環境の本質的構造に影響を与えるものではないということである。それらを支配する法則はロビンソンの知識と行動からは独立の存在なのである。それゆえ、ロビンソンは自分の環境に働きかければ働きかけるほどその背後にある法則に関する知識を増やすことができ、いわば直線的に彼自身の知識獲得と予想形成の均衡に近づいていくことになるであろう。すなわち、ロビンソン・クルーソーの世界は、知識獲得と予想形成活動の安定性に依拠している新古典派経済学にとってもっとも都合のよい構造をもっているのである。しかし、それは、我々が現実に生きている経済の特質からもっとも遠い経済構造をもった世界でもある。
ロビンソン・クルーソーがフライディに出会った瞬間から、離れ小島が「社会」となる。社会とは、自由意志をもった、おたがいになんらかの影響を及ぼし合う複数[#「複数」に傍点]の人間の存在を前提とする。この離れ小島の社会の構成員のひとりであるロビンソンの意思決定は、単に彼を取り巻く自然環境や彼自身の肉体的条件に関する予想のみならず、同じ社会のもうひとりの構成員フライディの行動の予想にも基づかなければならない。しかし一方、フライディの意思決定は、ロビンソンの行動に関する予想に基づかなくてはならない。ここに、ロビンソンの予想するフライディの行動はフライディの予想するロビンソンの行動に基づき、フライディの予想するロビンソンの行動はロビンソンの予想するフライディの行動に基づくという、社会の構成員どうしの予想と行動の「相互依存関係」が生まれる。したがって、社会となった離れ小島の中で意思決定を行なうロビンソンにとっての外界は、物理的生物的生理的環境のみならず、自分と同様に予想し行動するフライディという「他人」が含まれることになる。そして、このフライディの行動は社会の相互依存関係を通してロビンソンのもっている外界に関する知識に影響される。それは畢竟、ロビンソンを取り巻く外界の構造自体が、ロビンソンの保有している知識から独立ではない[#「知識から独立ではない」に傍点]ことを意味する。孤立した個人としてのロビンソンにとっての外界と、社会の一員となったロビンソンにとっての外界との根本的な意味の違いがここに存在する。
5 貨幣的不均衡[#「貨幣的不均衡」はゴシック体]
フライディとロビンソンの生活している離れ小島は、社会としての最小の条件を満たしてはいるが、それは貨幣を用いない二人の間の物々交換と、直接自然に働きかける生産活動によって運営されている単純な経済構造しかもっていない。そこでは、今年収穫された穀物の大部分は食べられ、残りは来年に播く種として保存される。貯蓄はそのまま投資であり、供給は必ずそれと等しい現在での需要(=消費)か将来の穀物にたいする需要(=投資)を創りだす。すなわち、この物々交換経済においては、総需要と総供給の一致を主張する「セイの法則(Say's law)」が成立する。このセイの法則の成り立つ経済は、じつは新古典派経済学が有効でありうる経済である。しかし、その理由を論ずるのは後回しにしておいて、ここでは一足跳びにロビンソンを本国に凱旋させてしまおう。彼の本国は、もちろん貨幣を用いる「貨幣経済」である。
貨幣経済の最大の特徴は、セイの法則の破綻である。ロビンソンがその中で、財やサーヴィスの販売から得た所得の一部を一般的購買価値の保蔵手段としての貨幣あるいは他の金融資産の保有に向ける行為、すなわち貯蓄は、将来の財やサーヴィスへの有効なる需要、すなわち投資と必ずしも直接には結びつかない。それは単に、現在の時点での需要の減少を意味するだけのものである。したがって、供給は必ずしもそれに等しい需要を創りださず、経済全体の総需要(有効需要)は必ずしも総供給と一致しない。貨幣経済の中では、総需要と総供給は常に乖離する危険にさらされている。
さきに進む前に、ここで貨幣経済の中での分権的な価格決定の機構を簡単に説明してみよう。まず「総需要」とはロビンソンをはじめとした消費者や企業家が財やサーヴィスに向けて現在支出しようと意図している貨幣の総額である。その決定の機構についてはここでは説明を省いてもよかろう(7)。この総需要が様々の企業が提供している様々な財やサーヴィスの間にどのように割り振られるかは、消費者や企業家の必要や好みに加えて、それらの価格の相対関係に依存する。すなわち、与えられた総需要の各財・サーヴィスにたいする配分比率は、いわゆる「相対価格体系」によって決められることになる。ところで、例外的に整備された完全競争的市場の中で価格が決定されるごく少数の財を除いて、大部分の財やサーヴィスの価格はその供給者である企業自身によって決定される。(ここでは労働市場の問題を無視しておこう。)企業は無論、利潤を求めておたがいに競争している。ここで、企業間の競争の手段は価格だけであり、しかも企業間の価格決定に関する協調はないものとしよう。そうすると、ある企業、たとえば赤い靴を作っている靴屋が、総需要の中での自分の分け前を伸ばそうと望むとき、取りうる手段はただひとつである。それは、赤い靴の価格を白い靴、下駄、自転車、タクシー等々の直接的あるいは間接的な競争相手の価格にくらべて[#「くらべて」に傍点]切り下げることである。逆に、総需要の中の自分の分け前を押えようと望んでいるときには、赤い靴の価格をその競争相手の価格にくらべて[#「くらべて」に傍点]切り上げなければならない。すなわち、与えられた総需要の中での財・サーヴィスの配分比率の調整は、それらのあいだの相対価格体系の調整によってなされなければならない。しかし、分権的に意思決定が行なわれている競争的経済では、おのおのの企業は自分の競争相手の価格政策をあらかじめ知ることはできない。したがって、赤い靴の価格は、赤い靴の供給量を考慮しつつ、白い靴の靴屋、下駄屋、自転車屋、タクシー会社等々の競争相手がどんな価格政策をとるかという予想に基づいて決められなければならない。同様に、白い靴の価格も、その供給量とともに、赤い靴、下駄、自転車、タクシー等々の価格の予想に基づいて決められる。そして、下駄の価格も、自転車の価格も、タクシーのサーヴィス料金もまったく同様に決められる。ここに、社会現象に本質的な、社会を構成する多数の意思決定者の間での予想およびそれに基づく行動の相互依存関係が現われる。
さて、経済全体の総需要が総供給を上回っている状況を考えよう。セイの法則の成立しない貨幣経済では、これはありうる状況である。それは、消費者の消費性向の上昇、企業家の投資意欲の増大、金融当局による貨幣供給の増加、政府の財政支出の拡大、その他いろいろの原因によって引き起こされうる。しかし、その原因のいかんにかかわらず、総需要が総供給を上回っていることはとりもなおさず、経済の中の大多数の[#「大多数の」に傍点]財やサーヴィスが超過需要の状態にあることを意味する。これは単なる足し算の問題であり、自明の理である。当然、超過需要を経験している企業は、それを取り除くために、自分の価格を自分が予想する競争相手の価格にくらべて高くしようとするであろう(8)。もし、赤い靴を作っている靴屋ひとりがその価格を吊り上げようとしているのならなんの問題も起こらない。しかし、全体は個の単純なる総計ではない。赤い靴の靴屋のみならず、白い靴の靴屋、下駄屋、自転車屋、タクシー会社等々経済の中の大多数[#「大多数」に傍点]の企業が同時に[#「同時に」に傍点]自分の価格を他の企業の価格(の予想)にくらべて[#「くらべて」に傍点]吊り上げようとすることは、言葉の真の意味での矛盾[#「矛盾」に傍点]である。これらの企業は、それぞれ自分の予期に反して[#「予期に反して」に傍点]競争相手の価格が同時に上昇するのを発見するだけに終わる。赤い靴の価格と、白い靴、下駄等々の価格との相対関係はほとんど影響を受けず、それにたいする超過需要は依然として消えずに残るであろう。すなわち、総需要が総供給を上回っている状況では、おのおのの企業の相対価格調整の試みは必然的におたがいを打ち消し合い[#「必然的におたがいを打ち消し合い」に傍点]、単に経済全体の「平均価格」を予期以上に[#「予期以上に」に傍点]上昇させる結果に終わるだけである。これは、おのおのの企業が競争相手も価格を吊り上げることをあらかじめ勘定に入れている場合でも同様である。そのときには、経済の平均価格は皆の予想以上にさらに上昇するにすぎない。いずれにせよ、予想は必然的に裏切られてしまうのである。
われわれが上で説明しようとしたことはあまりにも自明すぎてしばしば人々の思考から滑り落ちてしまう。総需要と総供給が乖離しているかぎり、すべての財・サーヴィスの需要と供給を同時に等しくさせる相対価格体系は論理上存在しえない。このとき、われわれは、経済の中に「貨幣的不均衡(monetary disequilibrium)(8a)」が存在しているという。すべての企業の意図(すなわち、需給の均衡を図る相対価格の設定)を同時に満たす相対価格体系が存在しえないのだから、企業の予想は必然的に[#「必然的に」に傍点]裏切られる。すなわち、貨幣的不均衡の存在している経済では、その中の大部分の企業家にとって知識獲得と予想形成の均衡状態は存在しない[#「存在しない」に傍点]。これは蓋然性の問題ではなく、必然性の問題である。
すなわち、セイの法則の成立していない貨幣経済においては、すべての企業家が同時に合理的予想形成あるいは完全予見をもつという新古典派的な行動仮説をうちたてることは論理的に不可能[#「論理的に不可能」に傍点]となる。逆にいえば、新古典派のように合理的予想形成あるいは完全予見を先験的な行動仮説とすることは、総需要と総供給がけっして乖離しないという仮定――セイの法則――を暗黙のうちに導入しているのに等しい。そして、セイの法則を仮定することは、貨幣経済に特有の性質を葬り去ることに等しい。すなわち、人間の「合理性」のひとつの表現として新古典派経済学の中に導入された合理的予想形成あるいは完全予見の仮説は、不確かな未来と意思決定をせまられている現在とを結ぶ流動的な鎖としての貨幣の機能にたいする考察を、経済分析の対象から締め出す役割を担うのである。この意味で、新古典派経済学の中軸である素朴なる「合理性」信仰と、それを支える安易な経験主義は、健全な貨幣経済理論の発達の重大な障害となってきた。合理的予想形成あるいは完全予見の概念を人間の知識獲得と予想形成活動の単なる[#「単なる」に傍点]均衡条件とみなすことによってはじめて、有効なる貨幣経済理論の展開が可能となる。それは、すなわち、経済学の合理性信仰からの覚醒にほかならない。
6 不均衡累積過程[#「不均衡累積過程」はゴシック体]
さて、われわれは、総需要が総供給を上回っている貨幣的不均衡状態では、大多数の企業の予想が必然的に裏切られるからくりを説明してきた。このように予想を誤たされた企業は、早晩、予想の改訂を試みるであろう。まず、手初めに、企業は外界に関する既成の主観モデルの枠組の中で、その予想の調整を企てるであろう。これは、予想形成活動の短期の側面である。しかし、その予想が何度も何度も繰り返し裏切られている場合には、企業はその主観モデル自体の変更を試みるかもしれない。これは、予想形成活動の長期的側面である。いずれの場合でも、競争相手の価格の思いがけない上昇に気がついた赤い靴作りは、つぎの時点において、自分の競争相手の価格に関する予想を、従来の趨勢から割り出される水準より高目に設定しなおすにちがいない。もちろん、白い靴作りも、下駄屋も、自転車屋も、タクシー会社も、それぞれの競争相手の価格が思いがけず上昇したのにたいして、同じように競争相手の価格の予想をヨリ高く設定しなおすであろう。それと同時に、相変わらず減らずにいる超過需要を除くため、それぞれの企業は、自分の価格をその競争相手の価格に関する予想にくらべてヨリ高く吊り上げようとふたたび試みるはずである。しかし、総需要が総供給を上回っているかぎり、各企業の意図はふたたび裏切られる運命にある。赤い靴の靴屋、白い靴の靴屋、下駄屋、自転車屋、タクシー会社はそれぞれ、じっさいに競争相手のつけた価格が自分の価格と同時に思いがけずに上昇したのにふたたび気づくであろう。相対価格体系調整の意図はまた水泡に帰し、経済全体の平均価格がその予想以上にふたたび上昇する結果に終わる。
予想された平均価格が実現された平均価格を追いかけ、実現される平均価格は予想された平均価格によって押し上げられるこの不均衡過程は、総需要が総供給を上回っているかぎり[#「総需要が総供給を上回っているかぎり」に傍点]、それがいかに僅かであろうとも、止まらずに進行する。この価格と価格の上方に向かっての鼬ごっこを「累積的インフレ過程(cumulative inflation process)」とよぼう。それは、総需要が総供給を超過するという貨幣的不均衡が存在しているかぎり、累積的に進行するインフレ過程だからである(9)。
総需要が総供給を下回っているときに引き起こされる「累積的デフレ過程(cumulative deflation process)」も、まったく同じ原理を用いて説明することができる。
この累積的インフレ・デフレ過程は、貨幣経済における根源的な不均衡であるセイの法則の破綻によって必然的に生み出される動態的不均衡過程であり、総需要と総供給が乖離し続けているかぎり累積的に進行する。したがって、この動態的不均衡過程の進行がいつの日にか止まるかどうかという問いに対する答えは、この不均衡過程の展開自体の中に貨幣的不均衡そのものを消滅させる力が備わっているかどうかに依存する。すなわち、累積的インフレまたは累積的デフレ自体が、自らの生みの親である総需要と総供給の食い違いを埋め合わせる力をもっているかという問題に依存する。
その分析はけっして簡単ではない。われわれは、たとえば、インフレーションが貨幣および他の名目資産の実質価値を減らすことによって、消費者の購買意欲を直接的に減退させる傾向があることをピグー(Pigou, A. C.) やその他の新古典派経済学者によって教えられた(10)。また、ケインズ(Keynes, J. M.) は、流動性の罠(liquidity trap) に陥っておらず、投資の利子弾力性が無視できない経済では、インフレーションによる貨幣の実質価値の目減りが、人々の流動性選好の働きによって金融市場での利子率の上昇を招き、ひいては企業家の投資意欲の減退をもたらすというからくりを明らかにした(11)。この価格上昇の「ピグー効果」と「ケインズ効果」は、ともに総需要を総供給にくらべて引き下げる方向に働き、累積的インフレ過程にたいして安定的である。もっとも、純粋なる内部貨幣(inside money) 経済の場合や、金融機関がインフレーションに比例する信用膨脹を許しているときには、この二つの安定化効果は消滅してしまう。さらにまた、累積的なインフレーションが続いている状況では、消費者は将来のいっそうの物価高を恐れ、財の購買時期をなるべく繰り上げようとするであろうし、企業家は将来のいっそうの高値に期待を寄せて、在庫の積上げや投資の拡大を図るであろう。このような「価格予想効果」は総需要を構成している消費と投資をともに増大させる傾向をもち、累積的インフレ過程を悪化させる方向に働く(12)。それゆえ、セイの法則の破綻によって引き起こされた累積的インフレ・デフレ過程が自らの進行を中断させる安定的な傾向をもつかどうかは、ピグー効果、ケインズ効果に代表される安定化の要因と、価格予想効果(および負債インフレ過程)によって代表される不安定化要因との相対的な力関係によって決められる。そして、どちらの力が強いかは、先験的には決めることはできない。それは、経済の構造を決める様々な要因に依存しているであろう。これに加えて、累積的インフレ・デフレ過程の安定性は、金融機関とくに中央銀行の信用膨脹政策のありかたからも重大なる影響を受けることを銘記しておかねばならぬ。
もちろん、上に展開された累積インフレ・デフレ過程の理論は、現実の極端な図式化であり、じっさいのインフレーションやデフレーションを分析するさいに不可欠となる様々の重要なる要因が省略されている。そこでは、労働市場や他の生産要素市場そして資本財市場でインフレーションやデフレーションの分析が省かれており、したがって、総供給がどのように変動するかという問題も不問に付されている。さらに重大なことに、そこでは、インフレーションあるいはデフレーションの過程と絡み合って進行するはずの乗数効果および加速度原理、そしてそれを通じて動態的に変動する所得と雇用に関する考察が省略されている。価格や賃金がなんらかの理由で伸縮性を欠いている経済では、所得や雇用の変動の振幅は価格の変動よりも激しくなり、その分析の重要性も当然増すはずである。とくに、価格と賃金の下方硬直性をその特色のひとつとする現代の資本主義経済においては、総需要の不足がもたらす累積的デフレ過程は、価格(および賃金)の下落(あるいは長期趨勢からの下方乖離)とはほとんど結びつかず、もっぱら、所得と雇用の縮小を招くだけに終わるであろう(13)。残念ながら、これらの問題に関するヨリ厳密でヨリ包括的な議論の展開は、この論文の守備範囲を越えてしまう。それは、他の機会に延ばすことにして、さきに進もう(13a)。
7 派生的不均衡と「見えざる手」の神話[#「派生的不均衡と「見えざる手」の神話」はゴシック体]
新古典派経済学は、セイの法則を土台に据えることによって、その理論から貨幣的不均衡の可能性、したがってそれが引き起こす累積的インフレ・デフレ過程の可能性を抹殺した。じっさい新古典派数理経済学者の最大の努力が、セイの法則(新古典派経済学の用語によればワルラスの法則)の成立する経済においては、非常に一般的な条件のもとで、すべての財・サーヴィスの需給を同時に等しくさせる相対価格体系――「ワルラスの一般均衡価格体系」――が存在するという命題の証明に費されてきたことはよく知られている(14)。すなわち、セイの法則は、おたがいに依存しあいながら価格を決定している企業のすべての予想を同時に満足させる相対価格体系の存在をほぼ確実に保証する条件である。
しかし、このように貨幣的不均衡が消し去られたとしても、経済から不均衡がことごとく消失したことにはならない。当然、神ならぬ人間は過ちをおかす。赤い靴を作っている靴屋は、白い靴とタクシーの価格に関して間違った予想をもっているかもしれないし、自転車屋は白い靴と下駄の価格に関して間違った予想をしているかもしれない。このように、貨幣的不均衡が存在しないのにかかわらず、社会の構成員のうちの誰かがなんらかの理由で予想形成の均衡に達していない状態を「派生的不均衡(secondary disequilibrium)」とよぼう。貨幣的不均衡状態においては、企業の予想の誤りはセイの法則の破綻の必然的な結果[#「必然的な結果」に傍点]であるのにたいし、この派生的不均衡状態においては、企業の予想の失策は不均衡の原因そのもの[#「原因そのもの」に傍点]である。ここでは、赤い靴の靴屋が予想を誤る必然性はなく、その予想形成の不均衡は単に蓋然性の問題である。
セイの法則を仮定した新古典派経済学の理論的枠組の中で生じうる不均衡は、この派生的不均衡のみである。それは企業(あるいは完全競争市場における中立的な市場せり人)がなんらかの理由で予想を誤ったことに帰因する、ワルラス一般均衡価格体系からの相対価格比率の逸脱という形態をとる。均衡の存在証明に向けたのとほぼ等しい努力を、新古典派数理経済学者が、ワルラス一般均衡の安定性の条件の探究に向けたことも、またよく知られている(15)。おおざっぱにいって、セイの法則が成り立つ経済においては、財やサーヴィスどうしの経済的代替関係が広範であればあるほど、ワルラス一般均衡が安定的になるということがそこでは主張されている。ヨリ具体的には、相対価格体系は、つぎのような直接的間接的経路を通じて、自己の派生的不均衡を調整していくと考えられている。まず、この派生的不均衡は、赤い靴作りが白い靴の価格を高く予想しすぎたことが原因となって生じたものと想定しよう。それは、赤い靴の価格が、均衡よりも相対的に[#「相対的に」に傍点]高くつけられていることを意味する。それは同時に、他の企業のつける価格は、均衡よりも相対的に[#「相対的に」に傍点]低くならざるをえないことをも意味する。そうすると、相対価格の高すぎる赤い靴には超過供給が生じるであろう。セイの法則が仮定されているから、経済全体の超過供給はゼロにならなければならない。したがって、赤い靴と経済的代替関係にある白い靴、下駄、自転車、タクシー等々は赤い靴の超過供給にたいする埋め合わせとして[#「埋め合わせとして」に傍点]超過需要を経験するであろう。(ただし、赤いハンドバッグやナイロンストッキング等の補完財には超過供給が生じるかもしれない。)これにたいする反応として、まず最初に、派生的不均衡のそもそもの原因となった赤い靴作りは、この超過供給に面して、あるいはまた、白い靴のじっさいの価格を観察して、自分の誤った予想を改訂しようとするであろう。赤い靴の価格は、それに従って引き下げられるはずである。これが、派生的不均衡の直接的な自己調整の経路にほかならない。一方これと同時に、白い靴作り、下駄屋、タクシー会社等々赤い靴作りの競争相手は、思いがけない超過需要に面して、あるいはまた、赤い靴の思いがけない値上りに気づいて、それぞれ自分の売っている財・サーヴィスの価格を吊り上げようとするであろう。(経済的補完関係にあるナイロンストッキングや赤いハンドバッグの価格は逆に、赤い靴と同様引き下げられるかもしれない。)これが、派生的不均衡の間接的な自己調整の経路である。しかもそれは、経済的補完関係の強くない経済では、不均衡の原因となった赤い靴作り自身の相対価格調整の努力を補強する方向に働く。すなわち、セイの法則が保たれている経済では、企業どうしの競争的な相互依存関係は、個々の企業が試みる予想形成の均衡へ向かう動きを、さらにいっそう強化する傾向をもっている。ここに、新古典派経済学が見えざる手(invisible hand) としての価格の自動調整機能に絶大の信頼をおくゆえんである。セイの法則が成立している経済は、その中の個人個人の合理性を単に足し合わせたよりもさらに合理的[#「合理的」に傍点]でありうるのである! むろんこれは、自らの理論の応用範囲を貨幣経済の派生的均衡状態あるいは単なる物々交換経済に限定したことによってはじめて獲得された、いわば人為的な「社会的合理性」にほかならない。すでにみたように、ひとたびセイの法則が撹乱されるや否や、この「社会的合理性」はたちまち貨幣経済から消え去ってしまうであろう。
ここで、セイの法則が成立している状況と成立していない状況のおのおのにおける、財・サーヴィスどうしの経済的代替関係(または経済的競争関係)が果たす役割について簡単に触れておこう。まずセイの法則の成立する新古典派的経済では、この代替関係は相対価格体系の調整を手助けし、均衡を安定にする作用をもつ。派生的不均衡状態は相対価格体系の不均衡にしかすぎないからである。しかし一方、セイの法則が掻き乱された貨幣経済においては、財・サーヴィスどうしの代替関係は、けっして満たされるはずのない相対価格の無駄な調整を促し、累積的インフレーションを激化させる不安定化作用をもつ。貨幣的不均衡は総需要と総供給の乖離に帰因し、相対価格体系、したがってそれを支配する財・サーヴィスどうしの経済的代替関係からは直接的な影響をうけるものではない。このように、セイの法則を前提とした新古典派経済学の中で経済の安定化要因と目されている代替関係が、じつは、セイの法則の撹乱された貨幣経済においては不安定化要因として働くことは、われわれが現実の貨幣経済の分析を試みるさいに強く注意しなければならない事実である。それは、セイの法則に基づいた新古典派経済学が、現実の貨幣経済における価格変動の分析にとって、いかに無効であるかということの一つの証拠である。
8 貨幣経済の長期均衡[#「貨幣経済の長期均衡」はゴシック体]
貨幣経済の根源的な不均衡が総需要と総供給の乖離に帰因し、その派生的不均衡が企業の予想の誤りに帰因するのであるならば、総需要と総供給が一致し、しかもすべての企業が同時に予想形成の均衡に達している状態を、貨幣経済の「長期均衡(long-run equilib-rium)」と名づけることができよう(16)(16a)。ここで注意が必要なのは、この長期均衡の定義の中で、第二の条件は第一の条件(すなわち貨幣的均衡条件)から独立ではないことである。総需要と総供給がバランスしていない状況では、大部分の企業の予想は必然的に覆えされるはずである。
この長期均衡の概念は、新古典派経済学におけるワルラス一般均衡の概念とまったく性格を異にする。新古典派にとっての均衡とは、経済が常にそれに向かって近づく傾向をもつという意味で、「現実の近似」という役割を与えられる。それはちょうど、海の表面の静態的均衡である水平状態は、風や船によってたえず波立っている現実の海面が常にそれに近づいていくという意味で、現実の近似あるいは「理想の現実」とみなされているのと同じである。じっさい、均衡という概念は、古典物理学に最初に導入され、そのもっとも強力でもっとも美しい分析概念となった。この古典物理学における均衡概念の成功は、その後展開された様々な実証科学の性格に多大なる影響を与えた。十九世紀中葉に、古典物理学をひとつの模範として登場した新古典派経済学が、その基本概念に古典物理学的な静態的均衡の概念を用い、同時にその世界観をも借用したのは、いわば理の当然であったろう。
しかしながら、われわれの長期均衡という概念は、この現実の近似という性格を決定的に捨て去っている。貨幣経済がひとたびその長期均衡から離れると、インフレーションあるいはデフレーションが累積的に進行する。そこでは、不均衡が常態であり、均衡は可能な現実の一状態にしかすぎない。むろん、それは特別な一状態にはちがいない。しかしそれは、現実の混沌の背後に常に存在する理想の現実という意味での客観的な特別さではなく、われわれが貨幣経済の変動を分析するときに現実を測る「物差し」となるという意味での特別さなのである。現実をこの仮想的な均衡状態と比較することによって、われわれは現実経済の運動の動力源をつきとめる手がかりを得る。たとえば、長期趨勢よりも早い速度で進行しているインフレーションが、はたして単なる企業家の予想の誤りから生じた派生的なものか、それともそれが総需要の過剰から必然的に引き起こされたヨリ根源的なものであるかは、現実とそれに対応する仮想的な長期均衡とをくらべることによってはじめて可能となる。もし、インフレーションが派生的であれば、それは企業の予想改訂とそれに伴う自己調節的な相対価格の調整によって早晩静まるであろう。この場合問題となるのは、この自動調節機構の効き目がどれだけ早いかということである。一方、インフレーションの原因が根源的であれば、総需要と総供給をなんらかの意識的な手段でバランスさせないかぎり、それはおそらく累積的に進行を続けていくにちがいない。「見えざる手」は貨幣的不均衡にたいしては手を拱いていることが多く、その除去には財政金融当局の「見える手」が必要とされるであろう。
長期均衡の概念を現実分析のための単なる「思考の物差し」とみなすことは、「見えざる手」という神話からの解放を意味する。この神話からの解放によってはじめて、われわれは現実の貨幣経済の病理(不均衡)にたいして有効な処方箋を書きうるであろう。それはちょうど、魔術から解放された近代医学の中の病理学の発達が、適切な臨床処置のために不可欠であったのと同じである。
9 結び[#「結び」はゴシック体]
あらゆる理論分析は、対象を「相対化」する作業にほかならない。それゆえ、資本主義か社会主義か? 分権か中央集権か? という経済体制そのものに対する問いかけは、われわれが経済分析を試みるときに、常に無意識のうちに発せられているはずである。この根本的な問いかけを意識的に発しているのが「比較経済体制論」にほかならない。しかしながら、従来の比較体制論研究の中で、しばしばワルラスの一般均衡モデルが、あたかも一方の分権的資本主義体制の雛型であるかのように取り扱われているのは皮肉である。そこには、一般的価値保有手段としての貨幣も、その存在によって生み出された巨視的な貨幣的不均衡も、入り込む隙がない。そこでは、中立的な市場せり人の管理するむしろ中央集権的な完全競争市場が仮定され、現実の資本主義の中で日々価格を決定している企業どうしの競争的な相互依存関係は無視されている。ワルラスの一般均衡モデルは、けっきょく、新古典派経済学者がそうであれと願っている資本主義の理想図でしかない。逆説的にいえば、それはむしろ、価格機構の長所を取り入れた新しい社会主義として提唱されているランゲ(Lange, O.) =ラーナー(Lerner, A.) 流の「市場社会主義(market socialism)」のモデルとみなすべきものである(17)。それはわれわれの生きている資本主義経済とあまりにも似ていない。
理想郷どうしの比較は、無為な知的遊戯にひとを陥れやすい。有効なる比較経済体制論の発展のためには、現実的な社会主義経済のモデルとともに、資本主義体制の本質を捉えた経済理論の構築が必要である。この論文は、そのためのひとつの小さな礎となることを目指すものである。
〈注〉[#「〈注〉」はゴシック体]
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(a)この論文は、私が『不均衡動学』を執筆している最中に書かれたもので、主にその第一部の内容を要約したものである。したがって、それは、貨幣賃金が伸縮的な仮定のもとでの貨幣経済の本質的な不安定性という問題のみが取り扱われ、その後第二部・第三部で展開された「ケインズの問題」についての理論は全く反映していない。
(1)本節の議論の展開にあたっては、ジャン・ピアジェ (Piaget, J.) の段階発達心理学の考え方が参考になった。数多い彼の著作の中で、われわれ門外漢にとって便利なのは、Piaget〔19〕、〔20〕、〔21〕である。経済学の文献の中で、われわれと比較的近い考え方を述べているものとして、ハーバート・サイモン (Simon, H. A.)〔23〕がある。もっとも、サイモン自身は経済学者を廃業して、いまや心理学者・コンピューター科学者・科学哲学者として活躍しているが。また、ゴムブリック (Gombrich, T. S.)〔4〕は、芸術の分野に同様の考え方を適用したもので、たいへんに面白い読み物である。
(2)Gombrich〔4〕参照。
(3)唐突な主観モデルの切替え(すなわち、Gestalt change)が行なわれる前は、いくつかの主観的モデルが競争し、そのいずれとも決めかねる、一種の心理的危機状態 (crisis) に陥っていることが多い。
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[#1字下げ] ところで、今まで述べてきた人間の知識活動の描写が、トーマス・クーン (Kuhn, T. S.)〔9〕による科学諸学説の歴史的興亡の理論と多くの共通点をもっていることに、読者は気がつかれたかもしれない。これはけっして偶然ではない。クーンの科学史の理論は、実は、われわれが今まで展開してきた人間の知識活動の理論を、科学者集団の心理にたいして応用したものとみなすことができるのである。
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(4)経済学の公理である「効用および利潤の最大化原理 (maximizing principle)」にたいする批判として提唱された、サイモンの「満足化原理 (satisficing principle)」は、撹乱的な環境の中での予想形成活動を、心理学の中で用いられている「希望水準 (aspiration level)」という概念を導入して分析しようとする試みである。満足化原理については、上掲の Simon〔23〕のほか、Simon〔24〕を参照のこと。
(5)Muth〔15〕のほか、たとえば、Lucas〔14〕を参照。
(6)ムースの上掲論文からの引用。
(7)とりあえず簡単に、総需要は、IS曲線とLM曲線の交点で決定されると考えておいてさしつかえない。
(8)ここに論じられているような企業の価格政策を正当化するモデルとしては、Iwai〔6〕を参照のこと。
(8a)この「貨幣的不均衡」という概念は、『不均衡動学』では「ヴィクセル不均衡」と名づけられている。
(9)ここで言及しているインフレ過程は、単なる価格の連続的上昇ではなく、価格の長期趨勢以上[#「長期趨勢以上」に傍点]の上昇を指す。貨幣および他の流動性資産が財の総供給の上昇以上に増発されている経済では、(貨幣の流通速度が長期平均的には一定だと仮定すると)価格は長期趨勢として連続的に上昇する傾向をもつ。
(10)Pigou〔22〕、または Patinkin〔18〕を参照。
(11)Keynes〔7〕。
(12)予想外のインフレーションは金融市場において一般に債務者(すなわち、債券発行者)の実質的な負担を軽くする傾向をもつ。もし、この思いがけぬ実質負担軽減に直面し、債務者が負債の返済の期日を早めたり、それまで予定していた新しい負債(債券)発行をみあわせたりすると、金融市場の中の流動性が逆に増加し、さきにのべた「ケインズ効果」を消し去る可能性がある。このメカニズムは、アービング・フィッシャー (Fisher, I.) によって「負債インフレ過程 (debt-inflation process)」と名づけられており、もちろん経済の不安定化要因である。
(13)ケインズの「不完全雇用均衡 (under-employment equilibrium)」がこの状況に対応するはずである。近年、この不完全雇用均衡を長びいた不均衡状態とみる見方が有力である。これについては、アクセル・レイヨンフーブッド (Leijonhufvud, A.)〔11〕の分析が優れている。しかし、ジェイムズ・トービン (Tobin, J.)〔25〕は、「統計的な巨視的均衡 (statistical macroscopic equilibrium)」という概念を導入して、不完全雇用均衡が長期的に維持される可能性を示唆している。
(13a)『不均衡動学』の第二部と第三部は、まさにこの問題を扱っている。
(14)Debreu〔3〕、およびArrow & Hahn〔2〕。
(15)Arrow & Hahn〔2〕。
(16)われわれの長期均衡の概念は、その本質において、市場利子率 (market rate of interest) と自然利子率 (natural rate of interest) の一致を条件とする、クヌート・ヴィクセル (Wicksell, K.) の貨幣的均衡の概念と同一のものである。Wicksell〔26〕、〔27〕を参照のこと。新古典派の資本理論の完成者のひとりでもあったヴィクセルは、当然、その貨幣的均衡の条件を資本市場の利子率の構造に求めた。しかし、彼の理論をわれわれの理論に翻訳するのは、さほど困難ではない。
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[#1字下げ] ヴィクセルの貨幣的均衡と累積過程の理論はその後、スウェーデンのエリック・リンダール (Lindahl, E.)〔13〕、グンナー・ミュルダール (Myrdal, G.)〔16〕、バーティル・オリーン (Ohlin, B.)〔17〕、オーストリアのフリードリッヒ・ハイエク (Hayek, F. A.)〔5〕、そして「一般理論」執筆以前のケインズ〔8〕等によって、さらにくわしく展開された。しかし、一九三〇年代後半からのケインズ革命の興奮と、その後徐々に行なわれた新古典派の反革命の成功の中で、それは学界の主流からいつのまにか置きざりにされてしまう憂き目をみた。新古典派経済学のもっとも本質的でしかももっとも有効なる批判であった彼らの「不均衡の経済学」が、それほど深刻な打撃を新古典派にたいして与ええなかったのは、経済思想史上、興味深い事実である。その失敗のひとつの原因は、彼らが主に巨視的経済変数にのみ分析を集中させ、新古典派のワルラス一般均衡モデルに対抗しうるだけの精緻な微視的理論を構築しえなかったところにあると思われる。
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(16a)『不均衡動学』では、この「長期均衡」という概念は、単に経済全体の「予想均衡」という名で呼ばれている。
(17)Lange & Taylor〔10〕、および、Lerner〔12〕参照。
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〈参考文献〉[#「〈参考文献〉」はゴシック体]
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〔1〕Arrow, K.J., Essays in the Theory of Risk-Bearing, Chicago, Markham, 1972.
〔2〕――, and Hahn, F. H., General Competitive Analysis, San Francisco, Holden Day, 1971.
〔3〕Debreu, G., Theory of Value, New York, Wiley, 1959.
〔4〕Gombrich, E. H., Arts and Illusion, New York, Pantheon Books, 1960.
〔5〕Hayek, F. A., Monetary Theory and Trade Cycle, 1933. (Reprint by A. M. Kelly, New York, 1966.)
〔6〕Iwai, K., "The Firm in Uncertain Markets and Its Price, Wage and Employment adjustments," Review of Economic Studies, vol. 41, April 1974.
〔7〕Keynes, J. M., The General Theory of Money, Interest and Employment, London, Macmillan, 1936.
〔8〕――, Treatise on Money, London, Macmillan, 1932.
〔9〕Kuhn, T. S., The Structure of Scientific Revolutions, Chicago, University of Chicago Press, 1962.
〔10〕Lange, O., and Taylor, F., On the Economic Theory of Socialism, 1938. (Reprint by McGraw-Hill, New York, 1964.)
〔11〕Leijonhufvud, A., On Keynesian Economics and the Economics of Keynes, London, Oxford University Press, 1968.
〔12〕Lerner, A., Economics of Control, 1944. (Reprint by A. M. Kelly, New York, 1970.)
〔13〕Lindahl, E., Studies in the Theory of Money and Capital, London, George Allen and Unwin, 1939. (Swedish Original was published in 1929-1930.)
〔14〕Lucas, R. E. Jr., "Expectations and the Neutrality of Money," Journal of Economic Theory, vol. 4, April 1972.
〔15〕Muth, J. F., "Rational Expectations and the Theory of Price Movement," Econometrica, vol. 29, July 1961.
〔16〕Myrdal, G., Monetary Equilibrium, 1936. (Reprint by A. M. Kelly, New York, 1965 ; SwedishOriginal was published in 1931.)
〔17〕Ohlin, B., "Some Notes on the Stockholm Theory of Saving and Investment : I and II," Economic Journal, vol. 46 ; Part I : March 1937, and Part II : June 1937.
〔18〕Patinkin, D., Money, Interest and Prices, New York, Harper and Row, 2nd. ed., 1965.
〔19〕Piaget, J., Six Psychological Studies, New York, Random House, 1967. (English Translation of Six Etudes de Psychologie, 1964.)
〔20〕――, and Inhelder, B., Psychology of the Child, New York, Harper and Row, 1972.
〔21〕――, Main Trends in Psychology, New York, Harper and Row, 1973.
〔22〕Pigou, A. C., "Classical Stationary State," Economic Journal, vol. 53, 1943.
〔23〕Simon, H. A., "Theories of Decision-Making in Economics and Behavioral Science," American Economic Review, vol. 49, June 1959.
〔24〕――, Models of Man, New York, Wiley, 1957 ; Part IV.
〔25〕Tobin, J., "Inflation and Unemployment," American Economic Review, vol. 62, March 1972.
〔26〕Wicksell, K., Interest and Prices, London, A. M. Kelly, 1936. (English Translation of Geldzins und GŸterpreise, 1898.)
〔27〕――, Lectures on Political Economy, vol. II, London, Routledge & Kegan Paul, 1934. (English Translation of Vorlesungen Ÿber Nationalškonomie, 1922.)
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*書物*[#「*書物*」はゴシック体]
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柄谷行人『隠喩としての建築』(T)
本書『隠喩としての建築』(講談社)の中に「サイバネティックスと文学」という短いエッセイが収められている。その中で、著者柄谷行人は、初期印象派絵画はテレビの画像を先取りするものだというマクルーハンを引用して、近代絵画や文学はテクノロジーと関係しているどころか、それ自体テクノロジーなのだと言っている。実際、アメリカでは、ロシアの文学理論家プロップの民話の「構造主義」理論が、もう二十年近く前からコンピューターにプログラムされ大衆小説作りに使われている。これは別に文学がコンピューター化されたのではなく、文学そのものが、コンピューターと同様に |on《オン》 と |off《オフ》 の「二項対立」にもとづくサイバネティックス機械であることを意味するにすぎない。そして、現代の知において特権的な地位を占めている「構造主義」も、基本的にこのサイバネティックス的テクノロジーなのであると、柄谷行人は述べる。この「現実」を前にして、テクノロジーに対立する根源的な「何か」として、「自然」や「身体」や「混沌」あるいは「感性」とか「体験」とかに文学の特権的な根拠を見いだそうとしている人々は、(本書の中の他のエッセイの言葉を借りれば)「凡庸ですらない」。もちろん、例えば井上ひさしのように、このことを完全に意識して人間に残された最後の自由としての「笑い」を方法的に追求している作家もいる。だが一方で、コンピューター科学者も、べつの表現をとるにせよ同じことを追求しているのだと、柄谷行人は言う。そして、このように文学とコンピューターの知が交換可能であることの恐しさ=A井上ひさしにはこの「恐しさ≠フ意識が欠けていると私は思う」といういささか恐しい言葉で、この小エッセイは結ばれている。
では、何が恐しい≠フだろうか。本書は、その全体がこの恐しさ≠ノついての考察であると言っても良いだろう。もちろん、人間あるいは文化が機械であるという認識が恐しい≠フではない。そんな認識は、人類の歴史とともに古い。逆にそれは、人間や文化がサイバネティックス機械であるという認識を、その極限まで押し進めたときにはじめて現われてくるパラドクスの恐しさ≠ネのである。実際、柄谷行人は、数学基礎論やコンピューター科学における「ゲーデルの不完全性定理」とよばれているものを援用して、このパラドクスについて語る。形式化された数学の必然的な不完全性を証明したこの定理を、柄谷行人は、単に数学固有の問題としてではなく、言語が言語について[#「ついて」に傍点]の言語でもあるという言語の本源的な「自己言及性」のもつパラドクスが数学化されたものだと考える。
人が言語の意味を確定するために言語に対して超越的・外在的な立場をとろうとしても、そのこと自体が言語によってのみ可能であり、その瞬間に再び言語の「内部」に閉じ込められてしまう。いや、言語だけでなく、文化においても経済においても政治においても、内と外、地と図、内在と超越という二項対立は、それを維持しようとするかぎり必ず反転してメビウスの輪のごとき決定不能的状況を生み出してしまう。人は決して言語や文化や社会を、いや人間存在そのものを「根拠」づけることも「意味」づけることもできないのである。これは止揚されるべき矛盾などではなく、不可避のパラドクスなのであると、柄谷行人は言う。
人間の「笑い」とは、人間の自由の最後の証しなどではない。人間は、この不可避のパラドクスゆえに「笑う」のだと、柄谷行人は述べる。いや、人間とは「無根拠」ゆえに「笑う」機械なのだと言いかえても良いだろう。恐しい§bである。
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柄谷行人『隠喩としての建築』(U)
ある対談の中で、柄谷行人は次のように発言している。
[#1字下げ]マルクスについて考えてみると、初期マルクスというのも、実は後期マルクスの産物である、結果である、という逆の視点が取れる。従って、初期マルクスから後期マルクスへの発展というのは、歴史主義的には確かにそうであるけれども、実際には、むしろ『資本論』を読むことによって見出されていく、そういう構造にあるのではないかと思うわけです。初期マルクスは、いつもあとから見出されていくものだと思います。
[#地付き](柄谷行人=廣松渉「共同主観性をめぐって」)
われわれは、柄谷行人の最新の著書である『隠喩としての建築』について考察すべきこの評論において、まず著者がすでに十年も前に発表した「マクベス論」(『意味という病』河出書房新社、所収)から出発しようと思うのは、それによって、著者の思想の「発展」を歴史的に跡づけていこうとするのではない。それは『隠喩という建築』を読んだ結果可能となった「マクベス論」のひとつの読み方を示すことによって、逆に『隠喩としての建築』という書物に、ある光をあててみようというのである。
「マクベス論」で、柄谷行人は次のように述べている。
[#1字下げ]〈四大悲劇〉の中では、『マクベス』だけがきわだっているようにみえる。というのは、この作品に対しては、他の作品に対しては保ちうる遠近法をほとんど感じさせないからである。それは「現代的」というようないい方では不充分である。……『マクベス』が他の〈悲劇〉と異質なのは、ここでは〈悲劇〉という枠組さえ突き破られてしまっているからである。のちに述べるが、たとえばマクベスと他の〈悲劇〉の主人公の最期を比べてみればよい。マクベスだけが自分を〈悲劇〉の主人公とみなすことを拒む、すなわち最終的な和解≠拒むのである。
柄谷行人によれば、『オセロー』の中のイアーゴーや、シェイクスピアの史劇や喜劇に登場する様々なマッキャヴェリアンたちの行動を支配しているのは「強烈な自己意識」であるという。彼らは、「真の自己」と「見かけの自己」とを徹底的に分離し、「自己」を自己の操作しうる対象とみなすことによって世界に立ち向かっていく。彼らが、歴史をつくり、世界を意味づけうるのに成功するのは、彼らが、他の誰よりも自己自身を距離をおいて見ることができたからだといえるのである。
一方、これに対して、ハムレットやオセローは、「真の自己」を失った人間たちである。ハムレットの心は分裂し、オセローは嫉妬に自分を見失う。だが重要な点は、「真の自己」を見失いながらも、いぜん彼らは失った自己の「意味」を問いつづけ、世界の「意味」を問いつづけざるをえない「意味という病」にとりつかれた人間たちであることだと、柄谷行人は言う。そこに彼らの存在の「悲劇」性があり、それが、彼らを「悲劇」の主人公にしたてあげてしまうことになる。幕切れにおいてハムレットは中途半端に死に、オセローは自殺する。しかし、これらの「主人公は不幸にして自滅しても、〈ありのままの私〉を知ってくれる他者の実在を疑っていない」。結局、この「〈ありのままの私〉が他者に伝えられるというところに和解があり、公的秩序の回復がある」というわけだ。
しかしながら、『マクベス』は決定的に異質だと、柄谷行人は主張する。それは、『マクベス』が、「明快な自己分離、あるいはコギト以外の全てのものを操作対象とみなすデカルト的意志そのものが、その根底に空虚を見い出さざるをえなくなった事態」を描いているからである。すなわちそれは、「意味という病」にとりつかれた「不幸なる自己意識」の物語であることをやめた物語であると、言いかえることもできる。主人公のマクベスとは、「一切の〈意味〉を拒絶した男、どんな形であれ自己を意味づけることをやめた男」なのである。彼は、死に際しても、ハムレットやオセローのように、自己存在の「無意味」さ、世界の「不条理」さを確認することすらない。なぜならば、「不条理とは見せかけ」であり、「それは世界を総体的に意味あるものとするオプティミズムの産物であり、しかもたえずオプティミズムへと、最終的な和解へと自動的に導く」ものである。マクベスは、幕切れにおいて、単に[#「単に」に傍点]魔女と闘うのをやめる。そうすることによって、彼は最終的に、「いわば〈悲劇〉というわな、自己と世界との間に見せかけの距離を設定した上で和解へと導くそのからくり」を抜け出してしまうのである。
「マクベス論」の最後に、柄谷行人はあたかも「マクベス」のようにつぶやく。
[#1字下げ]彼〔マクベス〕は〈悲劇〉を拒絶する。だが、〈悲劇〉を拒絶することさえも、われわれは〈悲劇〉的と呼ぶべきだろうか。あるいはそうかもしれない。しかし、そうだとしたら、われわれに〈悲劇〉を脱却する道がないということは確かなように思われる。
それから十年後に書かれた『隠喩としての建築』の背後には、この「〈悲劇〉を拒絶した」マクベスの亡霊がうごめいている。しかしながらそこでは、マクベスはあくまでも見えざる亡霊として、決して舞台の上に登場してくることはない。いや、『隠喩としての建築』とは、もはやマクベスとか悲劇とかシェイクスピアとかいった、すでにそれ自身「意味」を担っている言葉に仮託せずに、「意味という病」の根底にある「空虚」について語ろうとする試みなのである。
だが、『隠喩としての建築』について語る前に、(唐突ながら)ここでひとつ、嘘のような本当の話を紹介してみよう。
[#1字下げ]ある精神病院で、一人の誇大妄想狂の患者を退院させるべきかどうかを決定するために、彼を嘘発見器にかけてテストすることにした。医者が患者に発した質問のひとつは、「あなたはナポレオンですか」というものであった。この質問に対して、患者はきっぱり「いいえ」と返事した。しかしそのとき、嘘発見器は激しい反応を示していた。
遅れた時計を信じて電車に乗り遅れたとしても、だれも時計の「嘘」にだまされたとは言わない。時計は単に間違っていただけだ。同様に、右の逸話の中の誇大妄想狂が、医者に「はい」と答えていたならば、それは単に誤謬であって嘘ではない。しかし、彼が「いいえ」と返事をするとき、それは客観的な(すなわち医者の目から見た)現実に照らしあわせるとまぎれもない真理なのだが(彼はナポレオンではない)、「私はナポレオンだ」という彼自身にとっての現実に対しては明らかに真理ではない。それゆえ、嘘発見器は激しく反応する。すなわち、「嘘」が成立するのは、誇大妄想狂の「いいえ」という返事が客観的に虚偽であるかには関係なく、それが彼自身にとっての「現実」に対して虚偽であるからである。
この誇大妄想狂は、イアーゴーにもリチャード三世にも劣らないマッキャヴェリアンである。彼は、「自己」を自己の操作しうる対象とみなし、ナポレオンとしての「真の自己」と精神病院患者としての「見かけの自己」とを徹底的に分離しているのである。その意味で彼は「強烈な自己意識」の持主である。それゆえ、彼は「喜劇」の主人公ではあっても、ハムレットやオセローのような「悲劇」の主人公にはなりえない。もしこの誇大妄想狂が不幸だとしたら(彼は精神病院から出してもらえない)、それは、彼が「真の自己」を見失った「不幸なる自己意識」であるからではなく、彼の「真の自己」に対応している彼にとっての「現実」が、彼以外の人間にとっての「現実」と異なってしまっているからである。そこにあるのは「社会」と「個人」、あるいは「共同主観」と「個体主観」の乖離という古い|問題《プロブレマテイツク》でしかない。
しかしながら、「真の自己」と「見せかけの自己」との間の分離とは確実なものだろうか。もし、先に見たように、このような「自己」の二重性が「嘘」を可能にするのならば、こう問い直しても良い。果たして人間はつねに「嘘」をつける動物であるのか、と。
古代ギリシアの時代から知られている逆説のひとつに「エピメニデスの逆説」といわれているものがある。それは、「〈すべてのクレタ人は嘘つきだ〉と(すべての)クレタ人が言った」、あるいは単純に「私は嘘をついている」という言明である。はたして、これは嘘なのか本当なのか。もし仮りにこの言明自体が嘘だとすると、結局私は嘘をついていないことになり、「私は嘘をついている」と言っていることと矛盾する。仮りに本当だとしても、同様に矛盾が生じる。「その嘘ホント?」一体、私は嘘をついているのかいないのか、それは当の私にもわからない。いや、こう言いかえた方が良い。嘘をついている「私」と嘘をついていない「私」と、一体どちらが「真の私」で、どちらが「見かけの私」なのか、それは「決定不可能」なのである。
ここに、「マクベス論」の中で用いられた意味においての「悲劇」の誕生がある。
明らかに、エピメニデスの逆説が生じるのは、「私は嘘をついている」という言明が「自己言及的」であるからだ。そこで、ラッセルやタルスキは、エピメニデスの逆説をロジカル・タイピング(階型論理化)や階型言語の設定によって「解決」しようとした。それらはともに、論理あるいは言語を「階型化」し、上位レベルと下位レベルの錯綜を「禁止」することによって、「自己言及的」言明を不可能にする試みであった。このような「自己言及性」の「禁止」は、まさに、「真の自己」と「見せかけの自己」とを階型化し、「嘘」をつける「自己意識」を確立する試みであると、解釈することもできよう。それは、「自己意識」の崩壊の中においても、最後まで「真の自己」の回復を求めていた、ハムレットやオセローの心の軌跡と同型である。
しかし、マクベスは未だ登場していない。
だが、一九三一年に発表されたゲーデルの「不完全性定理」によって、すべてが変わってしまった。(いや、現在の視点から見てすべてが変わる可能性が生まれたと言うべきだ。)
ゲーデルの定理とは、数学をどのように形式化しても、その形式体系内では真とも偽とも決定不可能な、(だがそれ自身は形式化しえない数学的論理によって内容的には真であることが示しうる)数学命題が必ず存在することを証明したものである。これによって、数学の形式体系をどのように構築しても、それは決して数学の世界を完全に秩序づけることはできないことが示されてしまったのである。数学は、その根底において「無根拠」なのだ。皮肉なことに、ゲーデルの証明の核心は、「形式化」された数学体系、具体的にはほかならぬラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』の体系の中に例のエピメニデスの逆説を出現させたところにある。ロジカル・タイピングによって「禁止」された「自己言及性」が、「形式化」された数学体系自身の「自己言及的」構造を通して、決定不可能な数学命題としてよみがえったというわけである。
ところで、ゲーデルの定理が誕生する背景には、体系内のすべての公理・定理および証明過程を一定の規則にしたがって並べられたそれ自身は無意味な記号の配列として記述し、それらの純粋な「形式」のみを扱う学問として数学を確立しようとした、彼の師ヒルベルトの「形式主義」があった。このヒルベルトの「形式主義」は、結局、ラッセル等の逆説回避の試みとともに、ゲーデルの定理によって「内在的」に批判、いや解体されてしまったが、それは同時に、ゲーデルの定理の中に示されている基本的な思考様式が、「自己言及性」を可能にするだけの複雑さをもった数学以外の分野における「形式」体系にも応用しうるのではないかという示唆を与えてくれるものだ。
『隠喩としての建築』の中に跡づけられた柄谷行人の最近の思索の出発点は、まさにここに見出しうるにちがいない。いや、彼はそれをさらに転倒して、次のように述べている。
[#1字下げ]逆にゲーデルの定理こそ、本来数学と無縁な問題、すなわち「言語は言語について[#「ついて」に傍点]の言語である」という自己言及性の問題が数学のレベルであらわれたのである。ゲーデルの定理が形式体系一般にあてはまるとすれば、それは「形式化」が数学そのものとはべつのところからきているからだ。そして、一九世紀後半にはじまる数学基礎論(カントール)は、経済学(マルクス)、心理学(フロイト)、言語学(ソシュール)などの領域における基礎論的問いと通底するのである。
この「形式化」をもたらしたもの、それを柄谷行人は「建築への意志」とよぶ。もちろんここでの「建築」とは「隠喩」として用いられた言葉であり、それは、プラトンやアリストテレスが哲学者の隠喩として建築家を用いたことに対応して、「混沌・多様・過剰な〈生成〉に対して、もはや一切自然≠ノ負うことのない秩序や構造を確立」いや「建築」し、世界を隈なく意味づけようという、西洋に固有の形而上学を指している。すなわち、それは「意味という病」の別名にほかならない。
「形式化」の企てを生み出したこの「建築への意志」とは、それ自体ひとつの巨大なパラドクスである。なぜならば、ゲーデルの定理は、「形式化」の試みが窮極的には自己破綻におちいることを証明し、「建築への意志」が合理的秩序を確立しようというそれ自身は根拠をもたない非合理的な決断であることを明らかにしてしまったが、
[#1字下げ]逆に、「形式化」の徹底こそが……その自己破綻を露呈しうるのである。そして、その破綻は、形而上学がいわばエピメニデスのパラドックスが示すような、言語がつねに言語について[#「について」に傍点]の言語であるという事実をおおいかくす装置としてあるということにもとづいている。ゲーデル的問題をもたらしたのは、数学自体ではなく、言語そのものの自己言及性をおおいかくすことによって「確実性」や「決定可能性」を確保してきた哲学であるが、しかしそれは「形式化」のなかではじめて露呈するのである。
この巨大なるパラドクスの前で、世界の「無根拠性」や「無意味性」に「絶望」するとき、それは人々を再びあの形而上学の舞台の上にひきずり上げ、「意味という病」を患う人間としての「悲劇」を再演させることになる。逆に、このパラドクスをパラドクスとしてひきうけ、「根拠」なるもの、「意味」なるものが存在しないことから出発すること、それは、マクベスがあの「悲劇」であることをやめた「悲劇」の結末で得た認識から出発することである。『隠喩としての建築』は、まさにここから出発して、マルクスやフロイトやソシュールの仕事を読み直していく。だが、この刺激的な読み直し作業を解説するのは、もはやこの評論の任務ではない。
『隠喩としての建築』の中の最後のエッセイは次のような文章で終る。
[#1字下げ]もし私に関して、「漱石試論」のころはいわば実存主義的だったがその後構造主義的になったと考える人々がいるとしたら、そして実存主義はのりこえられた古い思想傾向だというとしたら、私はむしろこういいたい。私は実存主義者であり、ただ構造的なもの・形式的なものをその厳密さの極限で自壊させようとしているだけだ、と。かつて引用した漱石の『道草』の言葉をもじっていえば、何一つ片づけられたような問題はない。
そして、この文章に「何一つ片づけられるような問題もない」と付け加えても良いであろう。この評論は、実はこの末尾から出発したものである。
[#改ページ]
森敦『意味の変容』
寺のじさま[#「じさま」に傍点]のすすめるままに、さわ(沢)まで出てきた「わたし」は、はるか下のほうからさわ道を登って自分の木小屋に行こうとしているもくえんのじさま[#「じさま」に傍点]に誘われて、一緒に雪のさわ道を登りはじめる。さわを登っているかと思っているうちに道はいつのまにやらさわをはずれ、さわをはずれて歩いているかと思っているうちにいつのまにか道はまたさわに戻っている。いつしかじっとり汗ばんで、じさま[#「じさま」に傍点]のあえぎに合わせてあえぎはじめるうちに、また雪の斜面になり、ふと遠くを見ると十王峠と西山のあいだにも山があることに気づく。じさま[#「じさま」に傍点]はそれが天沼山だと教えてくれる。
[#ここから1字下げ]
「なるほどね。あの上にそんな沼でもあるんですか、天沼山というのは」
「沼はねえんども、登れば向こうさ、また山があるもんだ。天沼というなださけ、どっちゃも山で天がそげだに見えるというんでねえか」
「そんなら、ここも天沼じゃありませんか」
「まンず、そげだもんだ。おらほう[#「おらほう」に傍点]だばどの山さ登っても、どっちゃもたンだ山だでの」
そう言われれば、頭上を掠める重く渦巻く冬雲がほんとうに天沼のように思えて来ただけではありません。……
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](「天沼」、森敦『月山』河出書房新社、所収)
『意味の変容』(筑摩書房)のなかで、森敦は次のような命題を提示している。
〈任意の一点を中心とし、任意の半径を以て円周を描く。そうすると、円周を境界として、全体概念は二つの領域に分かたれる。境界はこの二つの領域のいずれかに属さねばならぬ。このとき、境界がそれに属せざるところの領域を内部〔あるいは近傍〕といい、境界がそれに属するところの領域を外部〔あるいは域外〕という〉。そして、さらに、〈……円内の任意の点には、必ずこれに対応する円外の点がある〉。
すなわち、内部と外部でいわゆる全体概念が成立し、しかもそのなかの内部と外部とはおたがいに対応すると言うのである。それゆえ、内部とは全体概念の一部でありながら、同時にそれ自身全体概念をなすものでもあると考えられる。そして、「天沼」――「天沼」とは、まさに内部において実現している外部、すなわちここではない世界でありながら、同時に今「わたし」が歩いている地点の近傍において実現している世界のことなのである。それは、まさにそれ自身が「天」である「壷中の天」、いや近傍の天にほかならない。
[#ここから1字下げ]
……かつて考えもしなかったこの別天地に来ながら、なんだかここにこうして来たことがあるような気すらしたのですが、わたしが思わずそう言うとじさま[#「じさま」に傍点]は頷いて、
「ンでろうの。十王峠を越えて来た客も、よく前世を思いだしたみてえなこと言うたもんだけ」
「前世を……」
「ンだ。過ぎた[#「過ぎた」に傍点]世をの。どうせおらた[#「おらた」に傍点]は出たとこさ、戻るよりねえなだし、それで月山を過ぎた[#「過ぎた」に傍点]者(死者)の来る山というんでねえか。だども、冬ででもねえばとてもこうは見えねえもんだ。よう見るんだちゃ。これがおらほう[#「おらほう」に傍点]のけえしき[#「けえしき」に傍点](景色)というもんださけ」
「…………」
そう言われるとわたしにも、なんだかここに来たような気がしたのは、気だけではない。われともなく忘れてしまっていたところに、戻って来ていたように思えるのです。
[#ここで字下げ終わり]
だが、カントールやゲーデルをもちだすまでもなく、全体概念とはそれ自身矛盾をふくむものである。なぜならば、全体概念である内部を内部たらしめている境界とはそれ自身けっして内部に属することはできず、それゆえ内部とはけっして全体概念として自己完結しえないものなのだからである。この矛盾をはらむ外部の境界なるものと、内部において対応している点が内部の中心あるいは近傍の原点にほかならない。中心あるいは近傍とは、全体概念としての内部なるものがもっている矛盾をすべて集中した点である。そして、われわれ人間とは、〈われわれの近傍[#「近傍」に傍点]の原点に、矛盾として実存〉しているものなのであると森敦は言う。
だが、同時に、〈矛盾はつねに無矛盾であろうとする方向を持つ〉。
[#ここから1字下げ]
「来ましたね、やっと。あれでしょう、木小屋は……」
とわたしが言うとじさま[#「じさま」に傍点]は、
「ンでね。あれも木小屋だども、いまはもう廃れてしもうた木小屋だの」
……
「じゃア、じさま[#「じさま」に傍点]の木小屋は、もっと上にあるんですか」
「ンだ。もくえん[#「もくえん」に傍点](杢右ヱ門)の木小屋は山の上ださけ、まだ余ッ程あるの」
[#ここで字下げ終わり]
ところで、〈任意の一点を原点として、境界がそれに属せざるところの近傍[#「近傍」に傍点]と、境界がそれに属するところの域外に分かたれる構造をもつものを空間という〉ならば、〈時間もまた空間と見做すことができる〉。しかも、〈現瞬間を原点としてなすところの近傍[#「近傍」に傍点]には、いくらそれを小さくしても、その中に過去と未来が含まれる〉が、〈過去と未来はあきらかに対立矛盾するものだ〉という。しかしながら、〈矛盾はつねに無矛盾であろうとする方向を持つ〉。そしてこのような〈矛盾〉が〈無矛盾〉であろうとする方向によってつくられる道こそまさに〈時間〉の流れにほかならない。そこでは〈その行く先が未来であるのではなく〉それをわれわれが〈未来と呼んでいる〉のにすぎないのである。時間とはいわば〈矛盾が無矛盾になろうとするもっとも自然な道〉いやもっとも自然な「さわ道」なのである。
[#ここから1字下げ]
「……ほれ、さわ[#「さわ」に傍点]の下さ廃れてしもうた木小屋があったんでろ」
「廃れた木小屋……」
「ンだ。あれだばにんぜん[#「にんぜん」に傍点](仁左ヱ門)の木小屋いうて、いまのにんぜん[#「にんぜん」に傍点]のじさま[#「じさま」に傍点]がのう」
「縊れたんですか、あそこで」
わたしにはなんだかあの廃れた木小屋に、すでに不吉めいたものがあったように思いだされて来るのですが、
「それを見つけておろしたよそえん[#「よそえん」に傍点]のじさま[#「じさま」に傍点]も、よそえん[#「よそえん」に傍点]の木小屋での」
……
「げんぞうぼう[#「げんぞうぼう」に傍点](玄蔵坊)のじさま[#「じさま」に傍点]も、げんぞうぼう[#「げんぞうぼう」に傍点]の木小屋での」
「…………」
[#ここで字下げ終わり]
すなわち、まさに時間という一次元空間によって、〈いかなる空間の矛盾も遅速の矛盾に置き換えられて直進[#「直進」に傍点]し、この直進によってあらゆるものが整列[#「整列」に傍点]され、整列されたことによって時間を感じさせて行くように現れては消え、消えては現れて来る〉のである。
だが、時間もまた空間であり道であると言っても、〈道路と時間には、ただひとつ違ったところがある〉。われわれは、つねにわれわれの近傍のなかの矛盾としての原点にいるが、近傍とは定義上境界がそれに属せざる領域である。それゆえ、いかなる道路もその境界に達することはけっしてできないはずである。しかし、〈境界に達することのできる道路が一つある〉と、森敦は言う。
[#ここから1字下げ]
「あの月山から、どこに水を引こうというのですかね」
「十王峠の頂さ引いて来て、峠の向こうの山裾さ、水をやろうというんだや」
「十王峠の頂に……。じゃァ、天保堰もこのあたりまで来てるんじゃありませんか」
……
「ンだ。それをおらほう[#「おらほう」に傍点]さも分けてもろうて、あのさわ[#「さわ」に傍点]さ入れとるんだて」
「あのさわ[#「さわ」に傍点]に? じゃァ、あのさわ[#「さわ」に傍点]を辿っても、いつかは月山に行くわけですね」
天沼は近く、しかも依然として遠いが、わたしにはこれがやがてはそこに行く道のような気がするのです。
……
「ンだ。おらたはみな過ぎて月山さ行くというのも、やがては天沼さ行こうというもんだし、どこまで登っても墓原はつきねえもんだ。……」
[#ここで字下げ終わり]
すなわち、〈境界に達することのできる〉唯一の道路――それは、まさに〈われわれを幽明境にも導く、時間という道路〉のことなのである。
ところで、この〈幽明境に達しうる、したがって通過しうる唯一の道をなす〉時間が、もし幽明境と直交していると仮定するならば、それは唯一の大円を描いて円環するにちがいない。しかし、もしそれがかならずしも幽明境と直交しないと仮定すれば、無数の円環を想定することが可能になるであろう。そこで、〈ある宗教は時間と呼ばれる一次元空間が唯一の大円を描いて円環するところのものをもって世界とし、ある宗教はその無数の円環するところのものをそれぞれ世界として包含する〉。もちろん前者はユダヤ=キリスト教であり、後者は仏教を指している。だが、森敦自身は次のように結論する。〈しかし、それがいかなる世界であったにしても、わたしがそこにいるというとき、すでに世界は内部なるものに変換し、境界がそれに属せざるものとして無限なるものとなるから、そこに大小なく対等とされねばならぬ〉と。
すなわち、これが、〈いかなるものからもその意味を取り去ることによって構造し、構造することによって意味を見いだす〉ことによって達せられた森敦の〈死生観〉にほかならない。すなわち、ここに〈意味は変容して宗教となる〉のである。
[#ここから1字下げ]
あえぎあえぎじさま[#「じさま」に傍点]のあえぎを聞きながら、一歩も歩けぬその一歩を踏んでいると、またかすかな木霊がし、それが次第にハッキリして来るのです。
「さわ[#「さわ」に傍点]ですかね、ここも。なんだか、またおなじところに来たような気がしますね」
「ンだ。このさわ[#「さわ」に傍点]を降りれば、すぐげんぞうぼう[#「げんぞうぼう」に傍点]の木小屋ださけの」
「げんぞうぼう[#「げんぞうぼう」に傍点]の……」
「ンだ。お前さまもおらほう[#「おらほう」に傍点]の月山も見たもんだ。おらの杖を貸してくれっさけ、ここらでさわ[#「さわ」に傍点]道を戻るんだて。……」
……
「下りは下りで楽ではねえだかし、お前さまもわァ[#「わァ」に傍点]の目で見たものをガッチリ背負うて戻るんだ。……」
[#ここで字下げ終わり]
はたして私自身、自分の目で見たものをガッチリ背負って戻れるかどうかはなはだ心もとありません。いや、自分が見たものが一体何であったかも、本当は定かではないのです。だが、『意味の変容』から聞こえて来る森敦の声は、「ふたたび会わずに終わりながらふとその言葉を思いださせる人」の声のような、不思議な響きをもって私には聞こえて来ることだけは確かな事実にほかありません。
[#改ページ]
吉沢英成『貨幣と象徴』
経済人類学の創設者であるカール・ポランニーの遺作『人間の経済』の書評(「季刊現代経済」一九八一年春季号)の中で、本書の著者吉沢英成氏は次のように述べている。
[#1字下げ]だが、ポラニーは……結局、市場メカニズムだけはその起源を突きとめえないで終っている。それは、市場の起源を実在の次元で見い出そうとしたためである。近代の市場について特徴的なのは、市場は自動調整メカニズムを有しているとする観念なのである。こうした観念に支えられて経済的利得の動機が解放され促進された。……ともかく、市場の起源は観念にあるのであり、これを物的な実在に求めても無理であり、断念せざるを得ないのは当然であった。
続いて、氏は、次のような問題提起をする。
[#1字下げ]もし経済における観念性という論点にそれ相当の地位を与えるなら、……経済における交換を、市場交換もひとつの系として扱いうるような、ヨリ広い観点から考察する契機をうることになるのではないだろうか。
本書『貨幣と象徴』(日本経済新聞社)は、吉沢氏がこの市場の起源、ヨリ広くは交換の起源を、「象徴」としての「貨幣」という視点から考察し続けて来たその成果を一冊の書物のかたちでまとめたものである。この「象徴としての貨幣」という視点によって著者が明らかにしようとしたことは、本書の「はしがき」によれば、次の三つの点である。第一に「貨幣は、人々が貨幣だと思うから貨幣である」と同時に、「人々に貨幣だと思わせるなにものかが貨幣の側に蔵されている」から貨幣である。そして「この思い思わせる関係の根底には象徴の型式がある」という点。第二に「貨幣は経済の手段ではなく、むしろ、経済の方が貨幣を前提にして、貨幣のもとでなされる物質代謝の営みである。それが象徴を操る動物である人間にとっての基本的なすがたである」こと。第三に「貨幣は人間社会とともにあったし、またありつづける。貨幣はどこからも生まれなかったし、どこへも消えて無くなりはしない」ものであるという点である。いうまでもなく、この三つの基本点は、論理的な推論で証明すべき命題ではありえない。本書は、まさしく、ことばの力によって、そして貨幣と言語の間のアナロジーを駆使することによって、著者がこれらのことを読者に(そして著者自身に)説得していく過程の記録にほかならない。本論評は、著者のこの刺激的な試みを跡づけていきながら、それに触発された評者自身の反応を書き記していこうといういささか中途半端な企てである。
市場交換にその形成の母胎をもつ経済学が、本来複数の人間同士の営みの場である市場交換そのものを分析する際に、効用最大化、利潤極大化、あるいはマルクスのいう交換比率の実体をなす価値など、孤立した近代人としてのロビンソン・クルーソー模型から得られる諸概念に依拠し、結局、交換の営みを合理的に編成された生産の単なる反映に還元してしまったのは一体何故か、という問いかけから本書は出発する。このような経済学に典型的な還元主義的思考の淵源を探る手懸りとして、著者はまず、「交換の端緒」についての二つの代表的見解を考察することから始める。ひとつは、交換は人間の本性であるというアダム・スミスの見解であり、それは、市場経済におけるいわゆる「経済人(ホモ・エコノミクス)」を、この生得の「交換性向」とそれとは独立の心的要因である「経済的利己心」との組み合わせとして理解しようとするものである。もうひとつは、マルクスやウェーバーに代表される見解で、交換は共同体と共同体の狭間から生まれた人間にとって外生的・後天的な社会関係様式であり、経済的利己心といわれるものはこのような非人格的な交換関係を動機づけるものとして形成された歴史的産物にすぎないとするものである。この見解によれば、交換とは人間にとって二次的な社会現象にすぎず、それは自らの利己心に照らしあわせて自由に選びとりうる行為としてしか提示されないと著者は考える。実際、マルクスやウェーバーにとっての近代社会の根本問題は、まさしくこの対外的関係様式が共同体内部に浸透し、それを形式的に包摂することに存するとされるのである。
しかしながら(と、著者は主張する)、マルクス以後、ウェーバーの活躍した時期に重なって、多くの研究成果を生みだした人類学は、交換を共同体の内外にきわめて広範に存在する人間の社会生活の基本形態であるという、いや、交換こそ社会現象全体を構成するものという認識に到達している。こうした共同体の内外にわたる交換は、経済的利己心のみならず、異った社会制度にそれぞれ対応する多種多様な動機づけのもとに展開される、いわば動機を超えた社会事象とみなされることになる。それゆえ、交換に利己心の動機づけを求めるマルクスやウェーバーよりも、交換の端緒を利己心とは区別された生得的な交換性向に求めたスミス的議論の方に、著者はヨリ大きな真実を認めうると考える。ただ、それは、アダム・スミスが個人個人の心性の中に「性向」として交換の起源を見出した点にあるのではない。逆に、スミスのいう交換性向は、「人間にとって言語がそうであるように、絶対的に植えこまれた社会的因子」(p・33)として、人間が本来的に「社会的存在」であることを示唆してくれる点で、著者にとって意義深い概念なのである。本書の課題は、この「言語がそうであるように」というアナロジーを導きの糸として、人間が社会的存在であることの意味を思索し、スミスの交換性向に代るものとして「貨幣の観念」を人間の中に見出そうとするものである。
カール・ポランニーは、市場経済が歴史上きわめて特殊な制度であり、その行動原理をなす経済的利己心以外のものを人間の経済行動の中に認めようとしない伝統的経済学の相対性を明らかにすることに学問的な情熱を注いだ。彼は、人間の物質代謝の過程が必ず「制度化」されているという視野から、非市場的社会、市場社会をともども含めた様々なる経済社会体制を比較し位置づけることのできる一般的な理論的枠組を築こうとした。彼のいう「制度化」とは、人間の物質代謝の過程に、生命維持以外の動機を与え、その動機の下に物質代謝過程を一定の姿で継続させる仕組みなのである。
著者は、このようなポランニーの試みに高い評価を与える。しかし、同時に、それがポランニー自身の反市場メンタリティーに強く色どられることによって、利己心に対して利他心、交換に対して互酬、社会から自立する経済に対して社会に埋め込まれた経済というように、非市場的社会を市場社会の単なる「鏡像」としてとらえてしまう見方を許し、伝統的な経済学の思考方法の中に再び繰り込まれてしまう可能性を指摘する。それは、結局、ポランニーが、利己心・利他心といった個々人における意識化された表面的動機を提供するものとして「制度化」という概念を規定していたからである。ポランニーを超えて、「制度化」を、個々人の行動が無意識のうちにそれにつながっていくような規範あるいは価値の体系の全体としてとらえなおさなければならないと著者は考える。
著者は、このような作業を押し進めていくために、まず「交換は動機に先行する形式」(p・44)であり、現実の交換行為に必ずつきまとう種々の動機と切り離して論ずる必要があるという視点をうちたてる。ところで、言葉あるいはメッセージの交換(言語)であれ、未開社会における女性の交換(婚姻)であれ、財貨の交換(経済交換)であれ、交換は人と人との間に関係を築き上げる「人間行為の一形式で、いわば社会そのもの」(p・44)である。それは、結局、「人間が〈社会的動物〉であることの表現形態」として規定されうる。そして、人間が他の人間と関係をつけられるのは、人間が「シンボルを操る動物」(カッシーラー)として、他者と何らかの意味でシンボル体系を共有しているからである。(著者が、本書の後半で「人間生存の根源は物神崇拝そのものといえよう」(p・143)と言う時、人間同士の関係がシンボル体系の共有というかたちで、必ずや何らかの媒介項を必要とすることを意味しているのは明らかであろう。)この意味で、「社会というのは、シンボル作用そのものである」(p・50)と定義づけることができる。
人間のこのシンボル的思考とは、各々のシンボルが指し示す外的な事物の意識の次元における反映ではない。それは、シンボル同士の間に構造的な関係を築き上げる人間の無意識で働く全体化作用なのであり、本来混沌とした事物の世界を自らの体系によって秩序だて意味づける意味の構成力である。事物は、この体系から外れると意味を失ってしまう。したがって「諸シンボルは、それらが象徴するものよりも実在的なのであり、意味作用部(signifiant) は、意味内容部(signifiŽ) に先立ちつつそれを規定する」(レヴィ=ストロース)ことになる。ここで、以下の議論への便宜も兼ねて、レヴィ=ストロースの「マルセル・モースの業績解題」(マルセル・モース『社会学と人類学』序文)という論文に則して、この論点をもう少し敷衍してみよう。
人間のシンボル的思考は、その契機や状況がどうであったにせよ、一挙にしか生れえなかった、とレヴィ=ストロースは言う。事物が徐々に意味するようになったことなどありえない。ある時、ある突然変異に引き続いて、何ものも意味をもたなかった段階からすべてのものが意味を所有した段階への移行が成立したというわけだ。(ここで、「人間」が誕生した。)しかしながら、レヴィ=ストロースは、〈全宇宙〉が「意味作用」をなすようになったことと、それがヨリ良く「認識」されるということとは全く別であることを指摘する。意味作用とは、意味作用部と意味内容部を結びつけてひとつの記号あるいはシンボルを生み出す行為であり(実は、この言い方は若干不正確である……)、人間の認識とは、意味作用部と意味内容部とのそれぞれの総体の中で、もっとも満足のゆく適合的な関係を呈示する部分部分を選び出すことである。認識を可能にする知的過程は、ごくゆっくりとしか進まない。〈宇宙〉は、それが何を意味するか人間が知るはるか前から、すでに意味作用をしており、人間が認識できるとあてにしてよい物事の全体を意味していたのだ、ということになる。それゆえ、人間はその起源以来、意味作用部の全体を自由に使用できるのだが、それを、既に与えられているにもかかわらず認識はされていない意味内容物に割り当てることができず、ひどく困惑していると、レヴィ=ストロースは言う。したがって、世界を理解しようと努力する時、人間は常に意味作用の過剰部分を、事物の間に配分し、意味作用部と意味内容部の相補性を保っていかなければならない。この「浮動的意味作用部(signifiant flottant)」を表わすシンボルを、レヴィ=ストロースは「純粋シンボル」あるいは「シンボル的ゼロ値」と呼ぶ。それは、それ自身は意味を欠き、したがってどのような意味内容でも担いうるシンボルなのである。
人間社会において、この「純粋シンボル」に類比しうる概念は、広く一般に存在する。レヴィ=ストロースは、未開人が宇宙に遍在し人や物に宿る超自然的な「力」を指し示すのに使う「ハウ」とか「マナ」という言葉は、まさに、この「純粋シンボル」の一例であり、現代フランス語で、未知の物を指すのに使う machin という語(その背後には、machine の力という観念が控えている)もそれにあたると主張する。
著者は、前節で要約したレヴィ=ストロースの思考を(いささか断片的に)追った後に、「だが、シンボル体系にみられる……〈純粋シンボル〉という、レヴィ=ストロースがシンボル世界に見い出した核的要素を、うえと同様に経済関係に対応させることができるであろうか」(p・51)という(実は奇妙な)問いを発する。この問いに答えるために、一般的シンボル体系から経済的交換体系へと思索を重ね合わせていく過程で著者が依拠するのが、マルセル・モースの『贈与論』である。モースは、伝統的経済学において市場交換の始源形態とみなされている物々交換など現実には存在せず、交換の原型は贈り物の提供・受容・返礼の制度であると言う。この財貨の贈与は、理論の上では各人の恣意にまかせられてはいるが、実際上は全くの義務として行われている。そこで、モースは、「未開あるいは原始的な型の社会において、受けとった贈り物の返礼を義務づける原理は一体何であるのか」、そして、「与えられた物の中にあるどのような力が、受けとった人間に返礼させるようにするのか」と問うた。このような贈り物交換の原理としてモースが見出したものは、既に触れた原住民によって「ハウ」とか「マナ」とか呼ばれる「霊」のごとき超自然的力を指す観念であった。それは、贈り物の中に宿り、贈り物を与えない人間、受けとらない人間、返礼しない人間に危害を加え、時によっては殺害しかねない力をもっていると信じられている。すなわち、モースは、「交換される物の中に……贈り物を流通させる力、贈られ・返礼させることを強いる力」が存在していることを認め、この「ハウ」なり「マナ」なりの観念を共有することに、交換関係の構成原理を見出した。
著者は、このモースの『贈与論』を『貨幣論』として読解する(p・72)。それは、まず、貨幣の定義についてのモースのためらいを打ち崩すことからはじまる。モースが「貨幣」という語を意識的に避けて叙述したサモアやマオリの贈与制度も、贈り物の一部に貨幣が含まれていることを認めたメラネシアやアメリカ・インディアンの贈与制度においても、「贈与されるのは貨幣ではないか」(p・74)と著者は問いかけ、更に進んで、贈られる物の中に宿り、贈与を義務づける力である「ハウ」や「マナ」は、実は原住民における「貨幣の観念」なのであると言い切る。「交換の原型は」それゆえ「貨幣の贈与にあり」、「貨幣観念共有の確認行為こそが交換なのである」(p・82)という結論に到達する。
ここに、経済関係の中においても、レヴィ=ストロースがシンボル体系一般の中に見出した「純粋シンボル」に対応するものとしての「シンボル(象徴)としての貨幣」(第五章の題目)が見出されたことになる。すなわち、「意味作用(部)と意味内容(部)の懸隔」の象徴・「余分$ォの象徴」(p・66)としての「貨幣」が見出された。
著者の粘り強い思索の跡を(評者自身の補足もまじえながら)たどっているうちに、われわれは随分と高い標高までつれてこられてしまったようだ。ここは、一望の下に伝統的経済学の拠って立つところを鳥瞰できる地点であり、実り多き更なる思索を約束してくれる土地であるようだ。
実際、「象徴としての貨幣」という観点から、著者は、マルクスやメンガーの商品貨幣説や、それに対抗するクナップ等の名目貨幣説をともども批判し、さらに、このような伝統的な貨幣論を超えるものとして提示されたポランニーの原始貨幣論の限界も詳らかにする。
しかし、ここで、われわれは足を休める必要を感じる。われわれの立っている地点の土壌が意外に軟弱であるのに気がついているからだ。それは、実は、シンボル的思考一般に関するレヴィ=ストロースの考察を経済関係の次元に対応させていく過程で、著者が、レヴィ=ストロースをいつの間にか失ってしまったのではないかという疑問が沸きおこっているからである。
既にその一端を紹介した「マルセル・モースの業績解題」の中で、モースの『贈与論』を読むものは、「未だはっきりとは言い及べないながらもやむにやまれぬ確信――科学的発展にとって決定的な出来事に立ち会っているのだという確信に領されるのだ」とまで言い切ったレヴィ=ストロースは、しかし同時に、モースは「ある決定的海峡」をついに押し渡らなかったと主張する。「あたかもモーゼが約束の地まで彼の民を導きながら、遂にその壮麗さをとっくりと見ることもなかったように」と。
モースがついに押し渡らなかった決定的海峡とは何であろう。それは、レヴィ=ストロースによれば、「交換こそが……未開の現象を構成するのであって、社会生活の中で交換が分解されて行われている個々の行為などではないことに気づくこと」に他ならない。『贈与論』の中で、モースが交換の原理を、贈り物の中に宿っている「ハウ」や「マナ」に求めたことに対して、レヴィ=ストロースは、「ハウ〔やマナ〕が交換の終局的理由ではない」と断ずる。「交換」とは人間が生きている社会そのものであり、「シンボル的思考に対して、またそれによって、直接的に与えられる綜合」なのである。もう既に与えられた綜合としての交換を、贈与、受容、返礼といった部分に分解して更に「ハウ」や「マナ」によって再び綜合を試みる必要はない。結局、「ハウ」や「マナ」は、シンボル作用による無意識的必然性に衝き動かされて財貨の交換をしている原住民たちが、その無意識的必然性を、財貨に宿る何かいわくいいがたきものとして、意識の次元で反映しているものに他ならない。それは、交換にとって単なる二次的な観念である。したがって、レヴィ=ストロースにおいては、「ハウ」や「マナ」が表現している(意味内容部に対する)意味作用部の過剰性は、人間の認識が進むにつれて、徐々にではあるが取り除くことのできるもの、いいかえれば、「神的な理解力であれば解消しうるような不適合」でしかないのである。まさしく、実際に交換活動を行っている原住民の意識の下に埋められている交換を司どる「無意識の構造」を見出し、この「神的な理解力」に近づくことこそ、レヴィ=ストロースにとっての科学的探究の任務に他ならない。モースのように「マナ」とか「ハウ」といった原住民の意識上の観念に交換の原理を求めることは「原住民の幻想」と同じ水準に止まってしまうことにすぎず、科学的探究の中途放棄に等しいことになる。モースは「決定的海峡を渡らなかった」のである。
われわれは、このレヴィ=ストロースによるモース批判を、本書の著者の議論に対して、そっくりそのまま繰り返せるのではないか。「ハウ」や「マナ」を「貨幣の観念」と読みかえても、結局は、「原住民の幻想」いや「モースの幻想」を再生しているのにすぎないのではないか。
レヴィ=ストロースは、『親族の基本構造』の中で、「交換という関係は、交換される物に先立って与えられており、しかも、それらの物品とは無関係」であり、「そして、もし別個に考察された物品が同一であったとしても、互酬性の構造の内で占めるべき位置に置いてみれば、それらの物品は同一でなくなる」と述べている。したがって、著者の言うように贈与されるものが貨幣であるならば、交換体系そのものは貨幣に先立って与えられ、貨幣とは無関係なはずである。はじめに関係ありき――与えられた交換関係が著者の謂う「貨幣」、一般には財貨を交換させているのであって、財貨に宿る「貨幣の観念」などではない。
問題は、著者が、レヴィ=ストロースの「純粋シンボル」あるいは「シンボル的ゼロ値」という概念を、「シンボル世界の上位に立つ」(p・51)「体系の核の中心項」(p・65)として、一種の「超越性」を体現するシンボルとしてとらえていることに存する。これは、レヴィ=ストロースの誤読であろう。著者の反論(p・82)にもかかわらず、レヴィ=ストロースの交換体系は、あくまでも「中心なき体系」である。ローマン・ヤコブソンやニコライ・トルベッコイ等構造主義言語学者が、「どんな特定言語の、どんな音素の、どんな差異も、単純で分解不可能な二元対立に完全に解離される」とし、音韻の体系を、それ自身特有の意味を全く欠いた「論理学が示すような真の二元的対立」(ヤコブソン『音と意味についての六章』)の組み合わせからなる普遍的構造として提示することに成功した顰みにならい、「シンボル的諸関係の世界」としての人間社会を二元的対立の組み合わせからなる普遍的構造として提示しようというのが、レヴィ=ストロースの構造主義人類学のもくろみであった。彼が、実際、『親族の基本構造』において、原住民の意識下に見出したのは、中心項なぞ全く必要としない代数論的な構造であった。いや、中心項なぞ必要としない構造、「本質的に内的相互依存関係の自立的実体としての構造」(イエルムスレウ)を探り出すことこそ、レヴィ=ストロースが自らに課した目標なのであった。
しかしながら、われわれが本当に問題にしなければならないのは、レヴィ=ストロースが誤読されたことではなく、誤読されたレヴィ=ストロースの思想の方なのである。本書での貨幣観念に関する考察が、レヴィ=ストロースによるモース批判の論理の網の目から逃がれるためには、レヴィ=ストロースの思想そのものを超えていかなければならない。事実、そのための手懸りは、例えば本書の中の次の様な文章の中に見出されるはずである。
[#1字下げ]精神作用は、つねに未知なる領域や不確定なる推移、混沌に囲繞されている。われわれのまわりは変幻極らず、無限の様相を秘めているともいえよう。だが、精神作用は余剰の余白を秘めた中心項をもつことによって、型としての閉鎖性をもちながらも、開放性を保持し、囲繞する混沌に安全的に対処することを可能としている。体系は限定され(閉鎖性)ながら、余剰をもつ中心項の意味づけの働きによって、われわれにかかわってくる混沌の一部を部分として意味づけていく(系の開放性)。(pp・115―116)
この文章は、内における「秩序」と外における「混沌」という対立概念の間の弁証法的相互規定の過程の中に、人間社会の「秩序」確立の基本原理を見出そうとする、ケネス・バーク、ルネ・ジラールあるいは山口昌男といった人達の思考と通底しうるものであろう。それは、「意味作用」による社会の「秩序」形成は、それ自身の積極的特性によって成されるのではなく、自らの対立概念である「混沌」(=「意味づけえないもの」)を排除する(すなわち、スケープゴートにする)ことによってのみ可能であることを強調するとともに、断えず増大するエントロピーに対抗して文化の「秩序」を保持するため、このように排除された「混沌」部分に働きかけ意味づけていかざるを得ないと考えるものである。それゆえ、「混沌」は、「秩序」から排除されたものであると同時に、「秩序」形成のために必要なる宇宙力とでもいうべきものが宿る場所でもあるという両義性をもつ。この「混沌」に対立して「秩序」を徴づけるもの(あるいは徴づけられた「混沌」の不在というかたちで徴づけるもの)こそ、モースのいう「ハウ」や「マナ」にあたるはずである。そして、このような秩序と混沌の弁証法の中では、「ハウ」や「マナ」の観念は、もはやレヴィ=ストロースのように「神的な理解力」であれば解消しうる単なる純粋シンボルではない。それは、シンボルを操る動物としての人間の社会秩序形成の営みが展開する弁証法の必要不可欠な契機であることになる。「マナ」や「ハウ」を「貨幣の観念」と重ね合わせることによって成立する著者の『貨幣論』は、秩序と混沌の弁証法によるレヴィ=ストロースの乗り超えによって、それが依拠したマルセル・モースの『贈与論』をも超えることができるにちがいない。さらに言えば、本書のところどころで指摘されている「聖浄なるもの」としての貨幣と「不浄なるもの」としての貨幣という、貨幣の人々に与える両義的な感情も、まさしく、秩序と混沌の弁証法的関係から帰因する秩序および混沌のもつ両義性の反映として把握できるであろう。それは、著者の『貨幣論』を、文化人類学や宗教社会学といったヨリ広い知の地平の中に位置づけることを可能にするにちがいない。
われわれは、第一節で、「だが、ポラニーは……結局、市場メカニズムだけはその起源を突きとめえないで終っている」という著者のポランニーの遺著に対する批評を引用した。本書の第九章では、著者は「ポラニーは原始貨幣を貨幣論の対象に含めることによって、支払用法などの貨幣が交換用法とは独立に生成したことに目をむけ、そこから経済領域に出自をもつものではなく、宗教、政治領域と深くつながっているとの認識をえ、貨幣素材の多様性にかかわって貨幣のシンボル性を把握するにいたった」(p・202)と述べた後、このポランニーの把握した原始貨幣のシンボル性は、ポランニーのように現代貨幣の特殊性を示唆するものとしてではなく、逆に、原始貨幣、現代貨幣をともに含むヨリ深い貨幣一般を構成するものとして捉え直さなければならないと主張する。こういう問題意識の下に、最終章(第十章)において、著者は自らの現代貨幣論を展開する。しかしながら、それによって著者が「市場メカニズムの起源を突きとめえたか」大いに疑問とせざるを得ない。
著者は、最終章において、「現代貨幣」を「法体系、政治・行政体制、銀行制度の運用慣行を背景にした中央銀行券あるいは紙幣」すなわち「第二次大戦後、今日にいたる各国の国内貨幣」(p・203)と定義し直し、素材そのものが価値を有すると考えられている(と著者が考えている)金貨幣と対比させる。しかしながら、著者は、「金が貨幣であるのは、金そのものの素材性にあるのではなく、その素材にまといついた至上性の観念表象、個人的なものではなくて集合的な表象にある」とし、この「集合表象という制度」は「人類の無数に近い営みと想念がこの中でくり広げられた歴史の重みで、実体化されるまでに至った慣習」であると言う。他方、「国家紙幣にせよ金との交換性を欠く中央銀行券にせよ、紙幣が貨幣でありうるのは」、「紙幣に標された政治・行政上の最高の権力の徴しに誘発されて」おり、「さまざまな制度を包含する国家主権に対する集合表象に支えられていることになる」(p・229)。それゆえ、金貨幣も現代貨幣もともに集合表象という制度に支えられて貨幣となっていることには変りない。違いは、結局、金を貨幣にする制度が、「いまできあがったということも確定しがたい」伝統あるいは慣習であり、「変化への期待は発芽すらしないように抑止される」「不変性、固定性」を生命とするのに対して、紙幣は「政治権力のもつ地上的な至上性によって支えられ」、「変化そのものも正当化」するものとなっているところにある。したがって、著者にとっての現代経済の問題は、「現代貨幣に価値を付与する政治権力が、大幅の変異を内に含み変化を甘受する社会と連なって浮動する」ことによって「現代貨幣も浮動する」(p・231)ことに帰するのである。果して、この文章を書いていた時、著者が「この世の産物ではなく、この世のものならぬ、宗教体系における天上の神によって創造された地上での神である」(p・230)金に基づく金本位制の時代をなつかしんでいたかは、評者は知る由もない。
しかしながら、実は、著者が対比させた金貨幣も紙幣も、ともに市場経済における貨幣であるという事実が忘れ去られている。それらはともに[#「ともに」に傍点]、ポランニーの謂う原始貨幣あるいは本書の第一章から第九章が主に扱ってきた未開社会に遍在する「貨幣の観念」と対比されるべきものなのである。まさしく、このような対比の視点の混乱が、本書における「現代貨幣」への展望を蒙くしている。
現代への展望を啓く糸口として、ここで、レヴィ=ストロースにならって、歴史のない「冷たい」未開社会と、歴史をもつ「熱い」市場経済とを区別してみよう。一方の未開社会の冷たさは、そこでは「構造」が存在を規定していること、すなわち、社会内のすべての成員、すべての事物の存在形態そのものが「構造」の中でそれらが占める位置によって規定されていることに他ならない。(例えば、未開社会の構造の中では、個人そのものは存在せず、「個人」は父・母・息子・娘・兄弟・姉妹・父の姉妹・父の姉妹の娘等々、親族諸範疇の中身に過ぎない。)既に述べたように、「構造」は自らの積極的特性によって自らを規定することはできず、常に自らの中に取りこみえなかったものを排除し自らに対立させることによってしか自らを確立することはできない。したがって、「構造」の中のすべての事項は、構造内におけるお互いの関係に加えて、「構造」全体が「混沌」の世界に対立して自らを際立たせる何らかの徴(あるいは、混沌部分を徴づけることによって自らを際立たせる徴の不在としての徴)を分有しているはずである。未開社会において贈与されるすべての財貨に宿っていると著者が考えている「貨幣の観念」とは、交換構造のもつ秩序を際立たせる徴(あるいは無徴)を表現していると、われわれは前節で主張しておいた。
他方、市場経済を司どる「一般貨幣」は、それ以外のすべての財貨からこの「貨幣観念」を奪い去ることによって、あるいは、それ以外のすべての財貨からこの「貨幣観念」を賦与されることによって成立している。このような一般貨幣による「貨幣観念」の独占は、秩序性の徴を自らの中に封じこめ、それ以外のすべての財貨を構造の支配から解放する。すなわち、貨幣を除くすべての財貨は、商品として、自らを直接に貨幣と関係づけるだけで交換の場に参加できるようになる。構造は解体し、貨幣を媒介としてのみ連繋している諸商品の関係の総体としての市場交換の世界が成立する。あたかも熱で氷が融けるように、一般貨幣出自の場である未開の交換構造は、市場の成立とともに消し去られ、あとに何らの痕跡も残さない。経済体系の秩序維持は(少くとも表面的には)いわゆる市場メカニズムの自由な発動にまかされることになるのである。「熱い」社会の誕生である。
宗教的な比喩を用いるならば、本書で主に取り扱われた未開社会の交換体系とそれに支えられた貨幣の観念は、汎神論あるいは多神教の世界であろう。言うまでもなく、一般貨幣を奉じている市場経済は、一神教の世界に他ならない。「市場メカニズムの起源を突きとめる」ことは、まさに、いかにして汎神論・多神教の世界が一神教の世界にとって代られたか(あるいは、冷たい社会が熱い社会にとって代られたか)を突きとめることであろう。二つの世界の間には、ある断絶があり、しかも、ひとたび前者から後者への移行が成ったならば、もとの世界には戻れない。実は、本書において「いわば貨幣を仕込んでおいて、それが生成するというかたちにした」(p・89)として批判されたマルクスの価値形態論やメンガーの貨幣生成論は、まさしくこの一神教成立の論理を探る試みであったのである。もちろん、彼ら自身が議論の出発点とした「商品」の世界とは、貨幣の媒介によって形づくられた財同士の関係の総体にしかすぎず、それは自らの「起源」である貨幣を消し去ることによって成立したひとつの「転倒」であることは言うまでもないことであるが。
ところで、話は、「貨幣観念」を一般貨幣が独占して、他の商品に対して超越的な存在となるところでは終ってくれない。市場経済と現代貨幣をめぐる問題は、単に紙幣を支える制度が金を支える制度に比べて固定性を欠いているというところにあるのではない。いや、それは、唯一神となった一般貨幣が同時に俗なる姿に身をやつしてそれ自身ひとつの商品として商品世界の中で振る舞わざるをえないという、貨幣についてのヨリ本質的なパラドクスに帰するのである。そして、このパラドクスの考察のためには、もはや未開社会の貨幣概念を理解する際に用いた秩序と混沌の弁証法に依拠することはできない。われわれは新たな問題に対する新たな論理を鍛えなければならない。だが、それについて語ることは本論評の守備範囲を遠く超えてしまう。
アリストテレスは「哲学は驚きから始まる」と書いた。しかし、この「驚き」と言う言葉は決して青天の霹靂といったことを指すのではなく、われわれが日常あたりまえとして何気なく見過してしまうことが、突然訳のわからない奇妙なものに見えてくることを指している。本書の「序」で、著者は「貨幣について経済学のなしうるところは、常識にとっては意外にも、貨幣を哲学することにあるといえよう」(p・12)と述べる。貨幣を哲学するとは、まさしく、一見したところでは、自明で平凡なもののように見える貨幣が、実は、形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さとにみちた、きわめて奇怪なものであることを示すことである。それは同時に、価値尺度としての貨幣とか交換手段としての貨幣とかいった従来のすっかり手垢のついた貨幣論のよってたつ基盤を揺り動かす作業でもある。評者は、著者のこの貨幣を哲学する試みが必ずしも全面的に成功しているとは思わない。しかし、それは新たな学問の試みが必然的にみまわれる運命のようなものであろう。猪木武徳氏は、本書の書評(「季刊現代経済」一九八一年夏季号)の中でこう述べている。「一枚の木板をとり出して最も薄い部分をさがし出し、ドリルの容易なところに沢山の穴をあけるような人に私は我慢ができない――。吉沢氏はあえてドリルの困難な部分に、キリモミで穴を一つあけたわけである」。その労働に対して、猪木氏同様、評者も敬意も表したい。それと同時に、「今後〔著者〕自身が本書をどのように読んで」(p・2)いき、どのように読み超えていくか、注目していきたいと思う。
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十冊の本
あれは本当に良い時代だった。読書するのにはっきりとした目標が定まっていたのだから。なにしろ、百冊読めば正真正銘の「知識人」になることができたのだから。もちろん、この場合「知識人」という肩書の前に「岩波」という形容詞が付くのだけれど、それはその権威を高めはすれ低めることはなかったものだった。
だから、ひとは岩波の文庫本のどの一冊でも良いからその最後のページを引きちぎり、そこに印刷されていた「岩波百冊の本」という目録の中から読みおわった本の名前をひとつひとつ消していくのを秘かな楽しみにしていたものだ。当然、百分の三よりは百分の十のほうが絶対的に良く、百分の十よりは百分の三十五のほうが絶対的に良く、百分の三十五よりは百分の六十二のほうが絶対的に良かった。そこには、この分数のように一次元的な尺度で測ることのできる知識の位階性があり、その値が百分の百に近づいていけばいくほど、ひとは言葉の真の意味での「知識人」というものに近づくことができたのである。「自分が法王になる前は法王とは無謬であると信じていたが、今こうして自分が法王になってみると、自分は法王の無謬性を実感することができる」と断言したあのローマ法王ピオ・ノノのように、ひとは岩波百冊の本をすべて読破して、自分の「知識人性」を実感することのできる日を夢見ていたものだった。
だが、もはやすべてが変わってしまった。今では誰も「知識人」になろうなどとは思っていない。ましてや、それに「岩波」(および、その同義語である「朝日」)という形容詞が付いている場合はなおさらである。いや、「知識」などという冗長な言葉はもうすっかり死語になっている。今ではその代わりに、短く―「知」―と言わなければならないのである。仏教において絶対で不滅な人生の根源のことを意味している「識」という言葉の重みを取り払われた「知」は、軽妙で、微細で、多元的で、非中心的で、ズレに満ち、そしてなによりも胡散臭いものとして規定されるようになったのである。ひとは、かつてのようにみずからの中に知識を貯えて「知識人」になるのではなく、この「識」を失った「知」なるものにたいして、その冒険的な狩人になったり、それを祝祭的に蕩尽したり、そのねじれの構造を批評したり、それを玉手箱のように脱構築したり、それと軽やかに戯れたりしなければならなくなってしまったようだ。それゆえ今では、本とはどうやら知識を貯えるために読むのではなく、「知」を狩猟し、蕩尽し、批評し、脱構築し、戯れるために読むものになってしまったようなのである。いやはや、実に複雑な事態になってしまったものである。
このような時代において、一体全体どのような読書案内がありえるのだろうか。もはやそれは、ひとが知識人への階梯を登っていくのを専門的な立場から導くというようなものではありえない。いや、それは逆に、ひとを知識人への階梯から足を踏みはずさせるような、まさに胡散臭い性質のものにならざるをえないということなのだ。それは、例えば、山口昌男の対談集『二十世紀の知的冒険』およびその続編である『知の狩人』を冒険的に狩猟し、次に、栗本慎一郎の『幻想としての経済』を蕩尽し、そしてさらに三浦雅士の『幻のもうひとり』を批評し、中沢新一の『チベットのモーツァルト』を脱構築して、最後に浅田彰の『逃走論』と戯れたりすることである。
しかしながら、これらの本は、今では「朝日ジャーナル」(そしてその類義語であった「世界」)の読者ですらすでに読んでしまっている本である。したがって、それらの代わりとして、ここに十冊やはり胡散臭い本の名前を挙げておこう。
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プラトン『国家』
アリストテレス『政治学』
ホッブス『リヴァイアサン』
ルソー『人間不平等起原論』
ヒューム『市民の国について』
スミス『諸国民の富』
マルクス『ドイツ・イデオロギー』
マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』
マルクス『資本論』
ニーチェ『道徳の系譜』
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ちなみに、これら十冊の本が先に挙げた五冊の本より胡散臭くないと思われるひとがいたら、それは「知」というものの胡散臭さの意味を理解していないからにほかならない。「知識」に到達しようとしているにもかかわらず、いや「知識」に到達しようとしているからこそ「知」になってしまうこと――それが真の意味での胡散臭さというものかもしれないのである。
ところで、右に挙げた十冊の本がすべて岩波文庫で手に入るとしたら、それは単なる偶然にすぎない。
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あとがき
本書には、主に一九八一年の秋から一九八四年の秋にかけて書かれた文章のうち、専門的な学術論文の範疇に収まりきれないものが収められている。その大部分はすでに新聞や雑誌や本に発表されたものであるが、巻頭の「ヴェニスの商人の資本論」という長文のエッセイだけは本書のために書き下ろされた。
本書に集められた文章は、それぞれの性格に応じて、「資本主義」についての論考、「貨幣と媒介」についての考察、わたし自身の『不均衡動学』という本についての解説、他人の「書物」についての論評、という四つの分類が与えられている。しかしながら、この分類はあくまでも便宜的なものでしかなく、これらの文章は、どれも一応それ自身で完結していると同時に、どれもおたがいに何らかの意味で関係しあっている。実際、長いあいだわたしは、資本主義という逆説的な社会機構の根底にある貨幣という逆説そのものについて語りたいと思ってきた。だが、結局、わたしに出来たことといえば、そのような大問題について語ることではなく、それをめぐるさまざまな小問題について手を変え品を変え語り続けることでしかなかった。その結果が本書にほかならない。
だが、翻ってみれば、ひとが何かについて語るのは、語る言葉とその何かとのあいだに正確な対応関係があるからではなく、語る言葉がけっしてその何かと対応関係をもつことができないからなのである。(言葉というもののもつこのような逆説は、貨幣というものの逆説と実は同じものなのである。)その意味で、わたしは、これからもさまざまな小問題について語り続けることになるであろう。
本書が出来上がるまでに、実に多くのひとびとからの助力を受けた。とくに、筑摩書房の間宮幹彦氏の名前は、感謝とともにここに記させていただきたい。本書のなかに何か取柄があるならば、それはすべて氏の忍耐強い編集作業によるものだからである。
一九八四年十一月四日
[#地付き]岩井克人
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文庫版へのあとがき
七年半前に筑摩書房から単行本として出版された本書を「学芸文庫」のなかに収録したいという申し出をうけたとき、わたしがいちばん危惧したのは、それにいわゆる「解説」というものが付けられてしまうのではないかということであった。もちろん、古典の復刊や外国の出版物の翻訳に「解説」が付けられることについては、なんの反対もない。時代や文化を隔てたところで書かれた作品の時代的背景や文化的環境にかんして適切な解説をあたえられることは、その作品の理解にとうぜん役にたつはずであるからである。古典といわずとも、それが対象としている社会状況が大きく変化したときの「解説」も意味があるだろう。だが、近年の文庫ブームによって単行本の出版から数年もたたずに文庫化された文庫本の末尾に付けられている「解説」ほど不可解なものはない。そもそもひとりの人間が時代も文化も共有しているもうひとりの人間の作品にかんする「解説」を書くということ自体が、「解説」という言葉の定義矛盾なのである。そしてじっさいに「解説」という名目のもとに文庫本の最後に付いている多くの文章は、著者への追従か、著者と解説者のあいだの仲間意識の再確認か、さらには解説者自身の小さな自我の発揚かのいずれかである。たとえ収録されている作品がどれほどすぐれていたとしても、それによってその書物は人間関係という現世的な世界にひきずりこまれ、書物が書物としてもっているべき自律性を失ってしまうことになる。
好運にも、この文庫本にはほかのひとの手による「解説」をつけないでよいことになった。そのかわりとして、わたし自身が比較的長い「解説」を書くことを約束したからである。だが、ここ一週間ほどその原稿を書いては消し書いては消しというむなしい作業をくりかえしてみて、わたしはじぶんがひどく愚かな約束をしてしまったことに気がついた。時代も文化も共有している他人がわたしの作品を解説することが不可能であるとしたら、わたし自身がじぶんの作品を解説することも不可能である。わたしが本書の単行本を出版してからの七年半、社会状況は基本的にはなにも変わってはいない。あの東ヨーロッパにおける社会主義体制の崩壊やソヴィエト連邦の消滅といった事件も、すでに自明であったことを現実が追認しただけである。わたしは約束の不履行という犯罪をおかすことを決心した。
だが、わたしがこの文庫本においてじぶん自身にたいする「解説」を書くべきではないという結論にたっしたのには、もうひとつ理由がある。それは、もとの単行本がいまだに版を重ねて出版されているということである。たとえ「解説」という短い文章であるにせよ、なにか付加価値をもったもののほうが同じ市場で安い価格で売られるという事態は、いやしくも資本主義なるものについて論じている書物にかんしてあってはならないとわたしは思っている。
一九九二年四月
[#地付き]岩井克人
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初出一覧
ヴェニスの商人の資本論
[#地付き]書き下ろし
キャベツ人形の資本主義
[#地付き]「中央公論」一九八四年三月
*[#「*」はゴシック体]遅れてきたマルクス
[#地付き]「経済セミナー」一九八三年二月
媒介が媒介について媒介しはじめる話
[#地付き]「現代思想」一九八三年六月
広告の形而上学
[#地付き]「毎日新聞」一九八四年八月一二日夕刊
ホンモノのおカネの作り方
[#地付き]「GS」vol・1 一九八四年五月
はじめの贈与と市場交換
[#地付き]「現代思想」一九八三年四月
パンダの親指と経済人類学
[#地付き]「経済セミナー」一九八四年四月
*[#「*」はゴシック体]不均衡動学とは
[#地付き]「日本経済新聞」一九八二年一一月一五日朝刊
個人「合理性」と社会「合理性」
[#地付き]「日本経済新聞」一九八三年四月四〜八日朝刊
マクロ経済学の「蚊柱」理論
[#地付き]「日本経済新聞」一九八四年三月五〜九日朝刊
「経済学的思考」について
[#地付き]根岸隆・山口重克編『二つの経済学』一九八四年九月刊
知識と経済不均衡
[#地付き]青木昌彦編『経済体制論T』一九七七年一〇月刊
*[#「*」はゴシック体]柄谷行人『隠喩としての建築』(T)
[#地付き]「週刊ポスト」一九八三年八月五日
*[#「*」はゴシック体]柄谷行人『隠喩としての建築』(U)
[#地付き]「月刊ペン」一九八三年七月
*[#「*」はゴシック体]森敦『意味の変容』
[#地付き]森敦『意味の変容』一九八四年九月刊付録
*[#「*」はゴシック体]吉沢英成『貨幣と象徴』
[#地付き]「経済学論集」第四七巻第四号一九八二年一月
*[#「*」はゴシック体]十冊の本
[#地付き]「朝日ジャーナル」一九八四年四月一三日
[#地付き]*[#「*」はゴシック体]印は収録にあたって改題
岩井克人(いわい・かつひと)
一九四七年二月、東京に生まれる。一九六九年東京大学経済学部経済学科卒業、一九七二年マサチューセッツ工科大学経済学部大学院修了。東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。資本主義の本質を、差異と不均衡から利潤が生まれるという「差異の原理」に求める論理によって注目される。現代思想についての発言も多い。著書に、『不均衡動学』(一九八二年度日経経済図書文化賞特賞)、『貨幣論』(一九九三年度サントリー学芸賞)、『二十一世紀の資本主義論』、『資本主義を語る』などがある。
この作品は一九八五年一月、筑摩書房より刊行され、一九九二年六月、ちくま学芸文庫に収録された。