カイザー日記   第1章 「後継者」 虫が、僕の中で生き続ける。
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Chapter:1 「ハッキング」
6/22 晴れ
カイザー・ソゼ、ロロ・トマシ、処刑人・・・・その他色々騙ってきた。でもやっぱりお気に入りは「カイザー・ソゼ」。
「俺の日記」はかなり気合いを入れて書いてたけど結局誰も見てくれないから辞めた。文才無いのかな・・・。
また日記を書き始めたものの、毎日書く気力はもうない。僕はそんなにマジメな人間じゃないし。
ネットでは何でもアリだと思ってた。NSCは人気があったけどちょっとした事件以来消してしまった。
それからはどんなアングラサイトに行っても見てるだけにした。ナイフを突きつけられるのはもうこりごりだ。
・・・・と思ってたけど、最近どうも普通にネットを徘徊するのが退屈になってきた。NSCやってた頃は熱かった。
何時ばれるかとドキドキしながらも、やめるにやめれないネットストーキング。スリリングな毎日だった。
また、やるか?思いついた瞬間、身体が震えた。トラブルに巻き込まれる様なことがまた有るかもしれない。
そしたらまた逃げればいいだけだ。どうせ僕の本名とかはわかりっこないんだから。
以前はストーキングしてる身でありながら串を知らないなんて恥ずかしい事してたけど、今は違う。
少しは知識も仕入れたしナマIPを隠す串の設定もバッチリだ。これからする事を考えると楽しくなってきた。
なんだかんだ言ってもネットはアングラが一番面白い。犯罪スレスレ。いや、最早これは犯罪行為かな?
でもアングラにそんな事関係ない。皆が好き勝手にやりたいことをやる。だから面白いんだよ。
僕は僕のやりたいことをやる。復活を望んでる人だっているはずだ。NSC仲間ともまた会えるかもしれない。
・・・・・・・どうせやるなら、ターゲットは「希望の世界」が面白いかも。僕に屈辱を与えた因縁のページ。
雪辱戦といくか!この前はうまく逃げられたけど、そう簡単にページを消すはずがない。
別に僕の様に正体がバレた、ってわけでもないし。それらしき事はあったけどバレた後も健気に頑張ってたな。
ただ単にNSCから逃げただけならどこかに引っ越してるはず。必ず見つけだしてやる。
燃えてきたぞ。
6/24 曇り
インターネットを始めたら変なページを作ってやろう、と決めていた。嫌らしいと自分でも思う。
別段普段の生活に不満があるわけじゃない。両親も健在だし学校でイジメにあってるわけでもない。
逆に平和ボケしてしまった為に刺激が欲しかったのかもしれない。ネットストーキングも特に悪いとは思わない。
旧NSCでは結構酷い目には会った。あの時はさすがに少し罪悪感を感じた。ナイフまで持ってこられちゃね。
ただ、今考えるとアレは怪しい。掲示板で殺人依頼したら本当に死んでしまった?あるわけないよそんなの。
sakkyさんがあそこまでした理由はわからない。NSCも知らなかったみたいだし。考えたってわかる訳ないけど。
で、さすがの僕も悪いことしたなって思って、NSCを教えてあげた。これで僕の謝罪は終わったはずなのに。
あの人は深入りしてきた。挙げ句の果てロロ・トマシが僕だって事まで嗅ぎつけてNSCは潰れるハメになった。
でも、この出来事でで僕が学んだのは、「ネットは怖い」じゃなく「うまくやれば逃げ切れる」だった。
もう1度やったって平気だろう。現にsakkyさんは僕が教えるまでストーキングされてるのを知らなかったんだから。
さて、まずは何処から手をつけようか。引っ越し先を見つけるにはどうすればいいか。
引っ越し先には二種類考えられる。プロバイダごと変えたか。無料ホームページのアカウントを取ったか。
他にも方法は有るかもしれないけど、恐らくこの二つのどっちかだろう。というか、それ以外思いつかない。
とりあえず幾つかのメジャーな検索サイトで検索してみた。キーワードは「希望の世界」。
ヒットした!と思ったら旧「希望の世界」で、今は何もないのが何個か。他のキーワードではどうかな?
「希望」「世界」「日記」「sakky」「出会い」「トオル」「タケシ」「渚」「三木」「TOMO」「えんどうまめ」・・・・・・・
どれも見当違いな結果ばかりだった。引っ越した後は何処にも登録してないのかな。これは意外と難しそうだ。
やっぱ諦めようかな・・・・なんて思わない。逆に、何としても見つけてやる、と僕の中に黒い情熱が。
やめられない。
6/25 雨
何かヒントは無いか。色々考えていたら、絶好のヒントがある事を思い出した。
sakkyさんからのメール。ただのメールじゃない。sakkyさんが騙った「王蟲」と「紅天女」のメールだ。
僕にとって騙されたて事は恥ずかしい思い出でしかなく悔しいけど、今は逆に感謝してる。
このメールをみれば有る程度の予測をたてる事ができる。道しるべを見つけた気分だ。
二つとも同じ企業のアカウント。無料ホームページが持てるやつで日本のサイトだから簡単に申し込める。
恐らく最初は「王蟲」と「紅天女」の騙り用メールのアカウントを取るためだけに、和ジオに申し込んだんだと思う。
ここで、ある事に気が付いた。そう言えばsakkyさんはNSCSなんてページを作ってたな・・・・・。
あのページって「お気に入り」に追加してたかな?履歴はもう残ってないと思う。1ヶ月以上前のことだし。
確認してみると、有った。NSC関係のはどうも削除するのが忍びなくて残しておいたんだった。
過去の栄光にすがってるだけだと言えばそれまでなんだけど、とにかくNSCSは残ってる。行ってみよう。
しかし、何もなかった。何か意味の分からない英単語とかがちらほら。何だ?どうなってるんだ?
しばらく考えると答えが出た。なんだ、簡単な事じゃないか。NSCSは強制削除されてしまったんだ。
あの内容では削除されても文句は言えないな。堂々とネットストーキングなんてされては黙ってられないだろう。
僕はちゃんとNSCは外国のサイト、「滅望の世界」は和ジオと使い分けてたから特にトラブルはなかったけど。
アドレスを見てみるとやっぱり和ジオだった。となると、このアカウントは「王蟲」か「紅天女」のどっちかだ。
二つのアカウントは有効に使われている。こうなると「希望の世界」が和ジオに有る可能性が高くなってくる。
片方にはNSCSがあってもう片方に「希望の世界」が。だいぶ絞れてきたぞ。「希望の世界」は近い。
黒い情熱がさらに燃え上がる。
6/26 曇り
和ジオに有ることは間違いないと思う。では、この中からどうやって探し出す?
URLにユーザー名を表示させるタイプであったら少しは楽かもしれないけど、残念ながら違った。
とりあず和ジオのホームページを開いてみる。色々あってよくわからないけど、適当なコミュニティを訪問する。
・・・数が多すぎる。確かに紹介文を見れば「紅天女」のページかは判断できるけど。こんなに多いと無理だ。
全てのリストに目を通せば確かに見つかる。でもさすがの僕でもこれはお断りだな。他の方法にしよう。
何かいい方法がないか、と和ジオのトップページを見てたら素晴らしいものを見つけた。
何て親切なんだここは。検索システムがあるじゃないか。各コミュニティごとの検索だけど、十分だ。
全てのリストを見るよりはるかに早い。片っ端から検索してやろう。キーワードは勿論「希望の世界」。
コミュニティごと、といってもさらにそこから分かれてたりしてるのもあるので意外と時間はかかる。
そうやって何回目の検索をした時、見つかった。「希望の世界」の場所を突き止めた!
行ってみると、懐かしい壁紙とタイトル文字が目に入る。自分の凄さに震えた。見つけた。とうとう見つけたぞ!
僕にはハッカーの素質があるかもしれない。NSCで一世を風靡した記憶が蘇り、至福の喜びをかみしめた。
僕はこのアングラでの狂った栄光を求めてたんだ。さあNSCの復活だ!!復活・・・・・復活・・・・・・・・・・
・・・・・・オナジコトヲスルノカ?僕は自問自答した。そうだ。これはただ過去の栄光を取り戻そうとしてるだけだ。
NSCは確かにアングラで人気があり、その復活は僕も望んでた。しかしそれは逆に言うと「そこまで」って事に。
僕の才能はそこが限界って事にならないか?NSCに固執するあまり自分の可能性を潰してしまってるのでは?
さらに上を。上を目指せ。もっとでかいことができるはずだ。僕にはハッカーの素質があるんだから。
ハッカー。僕が最も憧れる称号だ。僕はそれになれるかもしれない。大丈夫、僕にはできる。僕なら、やれる。
・・・・「希望の世界」を乗っ取ってやる。
6/29 曇り
場所も分かってるしユーザーIDも分かってる。しかし乗っ取るためにはパスワードを見つける必要がある。
そのパスワードが問題だ。そう簡単にわかるものじゃない。解析できるソフトとかあれば話は別だけど。
残念ながら僕はそんなソフト持ってない。やっぱり推測していくしかないのか。心理戦だな。
sakkyさんの心理を読んで、パスワードを暴く。ここからが僕の腕の見せ所だ。ハッカーへの第一歩ってトコかな。
和ジオのホームページへ行ってファイルマネージャを開く。基本的には思いつくまま入力していけばいい。
なんの関連性もないパスワードでは無いと思う。何かしらの意味のあるものでないと本人も覚えられないだろう。
そもそもここは王蟲のアカウントのページなのか紅天女の方なのかもわからない。片方ずつ当たってみるか。
「王蟲」関係からやってみよう。「王蟲」は確か「風の谷のナウシカ」に出てきたやつだ。となると・・・・・
パスワードにもナウシカ関係のものを使ってると考えられる。とにかく思いつく限り打ち込めばいつか当たる。
あの漫画は読んだことあるから打つネタには尽きない。・・・・・・・・・・・これで、どのくらい時間を費やしたかな。
全然駄目だった。登録時のパスワードのままなのか?それだと僕には手に負えない。
いや、実際HPを作り始めるとなると、やっぱり覚えやすいパスワードに変えるはず。誰だってそうだ。
かと言ってこのやり方では時間がかかりすぎる。いくら僕でもいい加減嫌になってくる。
「王蟲」の次は「紅天女」もあるんだ。もし「希望の世界」が「紅天女」側にあったら・・・・・ウンザリしてきた。
「紅天女」って確か「ガラスの仮面」に出てきたやつだ。まいったな。アレにはかじった程度の知識しかない。
「王蟲」側のアカウントに無かったら絶望的だ。打ち込むも何も元のネタがわからないんじゃどうしようもないな。
真剣に考えるのが馬鹿らしくなってきた。適当に打って当たればラッキーってことでいいよ。ほら、これでどうだ。
「sakky」
震えた。そして、笑いが止まらなかった。そうさ、こんなモンだよ。パスワードなんてのは。
かえって何も考えないで打ったのが当たったりするんだよ!画面の中ででファイルマネージャが開いていく。
・・・・・・あれ?ファイルが少ないな。喜んだのも束の間、力が抜けた。そこはNSCS跡だった。
しかし、これでパスワードの傾向が少し見えてきた。パスワードはsakkyさん自身に関係したものだ。
この調子で「紅天女」の方を試せば「希望の世界」に辿り着く。一歩、「希望の世界」を追いつめた。
愉しい・・・・。
6/30 雨
一番怖いのは生年月日とか「数字」を使われること。これをやられると僕はお手上げだ。
でもそれは無いと思う。「王蟲」側は「sakky」と単語だった。「紅天女」側もなんらかの意味を持った単語だと思う。
片方が「sakky」なら、もう片方は・・・・?こっちも「sakky」かもしれないと思ったけどさすがにそれは無かった。
名前に関係してるかもしれない。sakkyさんの本名とかが分かれば楽なのにな・・・・・。
貰ったメールは全て「王蟲」か「紅天女」のどちらかだった。NSCへの攻撃を命令してきた時も「王蟲」だったし。
「希望の世界」にも本名は公開してない。本名を明かしそうな場所なんてあるか?考えろ。自分ならどうするか。
僕はネット上で本名を公開したりはしない。でも本名を公開せざるを得ない状況も有った気がした。何時だ?
・・・・・・そうだ。最初だ。ネットを始める時。プロバイダとの契約時にはさすがに本名を明かした。
そして、似たような事がもう1度。和ジオのアカウントを取るときだった。職業やら趣味やら色々書かされた。
勿論僕はでたらめばかり書いた。僕はアングラっぽいページを作るのが目的だったから警戒してた。
・・・・・sakkyさんはどうだろう?あの人はアングラに入り浸ってるわけでもなさそうだし。これは期待できるかも。
和ジオのページへ行きプロフィールエディタを開く。そして「王蟲」のアカウントで入る。出てきた・・・・・・。
予想通り!sakkyさんは本名を書いてた!岩本早紀さん。貴女結構マジメなんですね。
さて、再びファイルマネージャの入り口へ。パスワード解読を再開する。今度こそうまく行く気がする。
パスワードを入力。「saki」・・・・違う。じゃあ次は・・・・・・・・・
「iwamoto」
おおおおおおおおおおおおおお!!!いいのかこんな簡単で!?ファイルマネージャ開いちゃってるよ!!
ファイルも間違いなく「希望の世界」のモノだ。やった。僕はハッカーになれたんだ!やっぱり素質あるんだよ!
それにしてもsakkyさんは不用心だな。こんな分かりやすいパスワード、他の人にだってバレる可能性が・・・・
いや、これは決して簡単ではないぞ。匿名性の高いネットの中では本名ほど暴き難いパスワードは無い。
現に僕だって本名にたどり着くまでに結構苦戦してたじゃないか。普通は分からないんだよ。
sakkyさんが少しでも「情報が漏れるかも」と考えてたらアウトだった。あの人はそこまで頭が回らなかったらしい。
しかし、何と言っても1番重要なのは、sakkyさんより僕の方が1枚上手だったって事。sakkyさんにミスは無いよ。
やっぱり僕は凄いかもしれない。他人の個人情報まで覗いてしまった。これってやっぱり・・・・ハッキング?
素晴らしい。「希望の世界」は僕が乗っ取った。「私の日記」も今後は僕が更新してやろう。
いきなり「このページは俺が乗っ取ったぜ!」と全くの別物にしてしまうのは勿体ない。徐々に侵入するんだ。
勝手に「私の日記」が更新されてるのを見たら不気味に思うだろうな。ふふ。その反応を見たいんだよ。
sakkyさん、どんな反応してくれるかな。楽しみだ。まさか1度消えた僕が犯人だとは思わないだろう。
パスワードはしばらくそのままにしておいていいな。是非「私の日記」の僕が書く部分を消して欲しい。
そしたらもう1度書いてあげる。何度消しても僕がすぐに書き直す。警戒し始めた頃にパスワードを変えよう。
人のデータをいじるのはハッカーじゃなくてクラッカーだったかな?どっちだったか忘れてしまった。
どうでもいいやそんな事。今は成功の喜びを噛み締めよう。雪辱を果たし、さらにそこの新しい主となった・・・!
「希望の世界」は僕のモノ。
Chapter:2 「騙り」
7/10 雨
つまらない。「希望の世界」を乗っ取ってから一週間とちょっと、何の反応も見られない。
sakkyさんは自分のサイトをちゃんと見てないのだろうか?さすがにこれだけ反応が無いと心配になってくる。
「私の日記」をいくら更新しても見てくれないのなら意味がない。折角乗っ取ったのに気付いてくれないなんて。
こうなったら掲示板で騙りでもやろうか。sakkyさんって串を通してたっけ?忘れちゃったな。まあいい。
どうせバレる騙りなんだから違う串を使っても関係ない。別段何の用意も必要ないし思いつくまま書いてみるか。
できれば「私の日記」の偽更新だけで突っ切りたかった。その方が面白い展開になるかと思ったんだけど。
掲示板にニセモノを登場させるとsakkyさんに「ニセモノが居る」とはっきり分かってしまう事になる。
それよりは誰かはわからないけど勝手に更新されていく方が不気味に感じてくれて追い詰めがいがある。
でもこのままだと本当に何も起きないままになってしまう。ターゲットをsakkyさん以外にも広げないと。
sakkyさんになりすまして他の人と会話するのも面白いかもしれない。ただ、一つだけ気になる事が。
最近誰も「希望の世界」に書き込んでない。sakkyさんだけじゃなく他の人も見にきてないのか?
もしかしてsakkyさんは「希望の世界」を引っ越しさせてからは何処にも宣伝してないのかもしれない。
新しい人が入ってこないにしても、今まで居た「えんどうまめ」「三木」「TOMO」「渚」は何で来ないんだろう。
結局こっちから動かなきゃ何も分からない。自作自演は何回もしたけど他人の名を使うのははじめてだったな。
sakkyの名で書き込む。「みんな〜元気〜?最近誰もカキコしてくれないから寂しいよ〜!誰か書いて〜!」
最初はこんなもんでいいかな。これで反応が無いとなると本当に誰も見てないって事になるな。
そんな事態になっても楽しめるように「希望の世界」を色々な所に宣伝しておこう。勿論アングラにも。
ただアングラに宣伝した所で見た目は普通のページだから面白い反応は期待できないかもしれない。
何も知らない普通の人が来ればしめたもの。からかって遊んでやろう。ハッキングに成功した僕だけの特権だ。
愉しむとするか。
7/11 雨
反応があった!でも何か様子がおかしい。反応してくれたのも一人だけだし、その内容も意味が分からない。
「三木」が1行だけ「今更よくそんなこと言えますね。」と書いている。やっぱり何かあったらしい。
他の人達はどうしたんだ?「希望の世界」を見るのをやめってしまったのか?sakkyさん、何をやらかしたんだよ。
みんなsakkyさんに愛想を尽かして去ってしまった後、「三木」だけが引き続きROMしてたって感じなのかな。
ただ、「三木」はsakkyさんに対して明らかに敵対心を抱いてる。彼の口振りからの推測に過ぎないけど。
sakkyさんが皆に対して何か不愉快になる様な事をしでかしたのか?何らかのトラブルがあったのは確かだ。
でなきゃ「三木」があんな発言をするわけがない。では、sakkyさんは一体何をやったんだ?
暴言でも吐いたのか?それともオフ会すっぽかしたとか。まさかsakkyさん自身も別の人の騙り?それは無いか。
僕はsakkyさん本人に会ってるわけだし。自分のことを「僕」って呼ぶから少し変わった女の人だとは思ったけど、
見た感じ本物っぽかった。ナイフは怖かったけど脅す動機も納得できる。アレは僕の方に非があったんだから。
・・・・今考えてみると結構かわいい人だったな。あの人を騙る事が出来るなんて結構名誉なことかもしれない。
そのsakkyさんがしでかしたこと。色々考えられるけどどれも断定はできない。じゃあどうすればいい?
よく分からないけどとりあえず謝っておこうかな。相手が怒ったままの状態だとまともな話は期待できない。
話もできないなんてせっかくの騙りも興を失ってしまう。元の関係に戻す為に謝っておくのは得策だ。
どうせ大したことで怒ってるんじゃないんだろ?ネット上だと小さな事でヘソ曲げたりする人が多いからな。
「ごめんなさい。まだ怒ってて当然だよね。でもやっぱり一人じゃ寂しいことがわかったの。私も反省してるから、
だから、ね。戻ってきて。一生のお願い!もうsakkyは不愉快な思いをさせるようなことはしません!」
うわぁ。自分で書いてて恥ずかしくなってきちゃったよ。でもまあこんだけ平謝りておけば大丈夫だろう。
余裕だよ。
7/13 雨
どうも「三木」の反応が良くない。
「いつまでもそんな態度が通用すると思わないで下さい。ICQも切ったままじゃないですか。」
ICQ?しまった。sakkyさんはICQ使ってたんだった。ナンバーも公開してたっけ。
乗っ取った時にICQナンバーは消してしまったし、僕はICQ持ってないから騙る事ができない。
そもそも僕はICQってのがどんなのかイマイチ分かってない。よし。ここは一つ、調べてみるかな。
・・・・・・・・・・って意気込んで調べたものの、結局理解できなかった。基本的には英語のソフトらしい。
日本語版もあるとか。インストールしようか迷ったけど使いこなせなさそうだったので止めておいた。
どこのICQ解説のページを見ても「簡単!」とか「超便利!」とか書いてあるけど、はっきり言って面倒くさい。
適当な事を言ってICQは消してしまった事にしておこう。その方が後々都合がよさそうだ。
なんでもICQが有るとオンラインで会話ができるとか。となると「三木」と会話した時、色々突っ込まれると困る。
やっぱり無い事にしてしまおう。
「ICQはね、なんだか壊れちゃったみたいだから消しちゃったの。ごめんね。言い忘れてて。
反省してるのは本当だよ。またみんなで楽しくお喋りしようよぉ。このままじゃ私、寂しすぎて死んじゃう・・・。」
sakkyさんってのキャラってこれで良かったっけ?確か間違いないと思う。あの人今何やってるんだろう。
ここまでくると「sakkyさんはもう『希望の世界』を見てない」と断定してもいいんじゃないかな。見てる気配ないし。
ICQの扱いはあれで良かったかな。まあソフトウェアなんだから「壊れた」って表現で問題は無いだろう。
それにしても「三木」をあそこまで怒らせるなんて、sakkyさんは相当酷いことをしたんだな。何やったんだろう。
まさか「三木」に聞く事なんてできないし、調べようもないんだから謝り続けるしか道はなさそうだ。
・・・・・・・・・・・・・ふと、妙な感覚に襲われた。「三木」の反応。あれってまさか・・・・いや、そんなわけないか。
あるわけない。うん。わかるわけないさ。駄目だな。人を騙してばかりだと他人の発言まで疑いを持ってしまう。
大丈夫大丈夫。
7/14 雨
何故こんな事に。
「騙るのもいい加減にして下さい!そんな事してて楽しいですか!?」
思わず画面から目を背けてしまった。「三木」、お前はなんで僕が騙りだとわかったんだ。
改めて考えてみると、あの反応はsakkyさんに対する言葉ではなく僕自身に対するメッセージだったんだ。
そしてさらに、ヤツは僕が「カイザー・ソゼ」である事を知ってる!あらゆる要素がそう示している。
最初の「今更よくそんなこと言えますね。」という言い方、この「今更」がかつての僕の悪行を知ってる証拠だ。
次の「ICQも切ったままじゃないですか。」も皮肉以外何者でもない。ICQの存在を忘れてた僕への嫌み。
畜生。昨日の嫌な予感が当たった。ヤツめ、僕をどうする気だ?告発してヤツになんの得がある?
それに「三木」は何処まで知ってるんだ?騙りをやってる事はバレてる。じゃあ「希望の世界」の乗っ取りは?
それともハッタリか?「希望の世界」はアングラにも宣伝した。どっかからハッタリ野郎がやって来たのか?
いやそれにしては発言が的を射すぎてる。カイザー・ソゼを知ってるんだからこの場限りの奴でもない。
何なんだ。何なんだよぅ。「三木」、誰なんだよ。どうやって見破ったんだよ。僕を知ってるのか?
サーバーの記録とか全部調べたのか?僕の行った掲示板のソーズ全部とっといてるのか?
お前もNSCみたいなの作ってるのか?「滅望の世界」の頃から知ってるのか?ロロ・ロマシの事は?
処刑人の事は?sakkyさんと会った事は?知ってるのか?全部知ってるのか?調べたのか?見てたのか?
何故?何処で?何時?どうやって?僕を?僕は?僕が?ボク?ぼく?ん?え?何?あははははははハハハ
僕ををを誰だだと思っててる???kkカイザー・sソゼだぞ。「希望の世界」の乗っ取りに成功した英雄だぞ!
そんな簡単に僕を追い詰めることができると思うなよ。裏の読み合いなら僕の得意分野だ。
お前の正体をさらけ出してやる。
「三木君、あなたなんでそんな事言うの?何を望んでるの?」
どうだ。一見sakkyが普通に答えてるようだけどこの発言の意図は分かるよな?お前の目的を聞いてるんだよ。
答えな。そしてどんどん情報を漏らしていけ。僕はどんな情報も見逃さない。けけけけけけけけけけけけけけ
・・・・・何かが、狂い始めた。
7/15 晴れ
何か言ってる。
「僕はあなたの目的を知りたいだけですよ。今度あなたの家にお邪魔するつもりです。その前にチャットでも
しますか?明日僕はチャット室に居ますんで良かったら話でもしましょう。勇気があればの話ですが。」
これは僕に対する挑戦状だ。「勇気があれば」だって?そうやって煽ってチャットに誘い込もうとしてるんだろう。
チャットでの会話でこっちの情報を引きずり出そうって腹なんだろ?いいだろう。その挑戦受けて立ってやる。
最も、情報を引きずり出すのは僕の方だけどな。「三木」、お前のボロは見逃さないぞ。覚悟してろ。
それにしても「三木」も案外知能犯だ。「今度あなたの家にお邪魔するつもり」ってのは勿論ハッタリだろう。
まずそうやって相手の居場所を知ってるフリをしといてから、チャットとかで改めて相手に言わせる作戦だ。
考えてやがるな。僕は引っかからないぞ。ハッタリだって事は分かってるんだ。絶対自分からは言わない。
昨日した僕の「何を望んでるの?」の質問のはぐらかし方もうまい。「あなたの目的を知りたいだけ」だって?
そう言われたら僕はこっちから目的を喋るしかないじゃないか。まぁ僕の目的は「愉しいから」だけど。
答えても問題は無いけどあえて答えるのは止めよう。その方が「三木」も不気味がってくれるかもしれない。
「わかりました。明日チャット室に行きます。そこで三木君のお話を聞かせて貰うね。」
ふふふふふ。本当に、色々な話を聞かせてもらうよ。最終的には「三木」の居場所まで突き止めてやりたいな。
僕を相手にしたのが間違いなんだよ、ハッタリ君。ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
・・・・・・・・・・僕は無理してるのか?なんだろうこの不安感。ああそうか。そういう事か。
僕はまだ心の底では「三木」の言ってる事を信じてしまってるんだ。本当に僕の居場所を知ってるんだと。
大丈夫。奴はハッタリだ。何故騙りを見破られたのかは分からないけど、そんなこと気にする必要ないさ。
「三木」の正体もわからないけど、何故sakkyさんが居ないのかもわからないけど、他の人が居ない理由も、
分からないことだらけだ。
7/16 晴れ
怖い。チャットで奴は待ってた。
「家にお邪魔するのはまだ控えておきますよ。そちらも来られるのは嫌なんじゃないですか?」
家はこれから探すんだろ?残念ながら僕は自分から居場所を漏らしたりはしないけどね。
「私の家の場所も知らないのにそんな事言わないで下さい。」
「知ってますよ。家の前は何度も通りましたが今度は実際に伺います。『訪問する』と言った方がいいかな?」
ハッタリもいい加減にしろ!しつこいよ!それとも本当に知ってるとでも言うのか?
「家に来られるのは確かに迷惑です。だからその前に一度会いましょう。場所は三木君が決めていいよ。」
どうだ。僕の家の場所も知らないのに僕が行ける場所を指定する事はできないだろう。できるわけないんだ。
そんなことできちゃいけないんだ。なのに、なのに奴は指定してきた。僕が行ける場所を!近くの駅を!
何故だ。ネットをやってる人間は日本中にいる。都道府県を限定させるだけでも困難なはずなのに。
それを奴はあっさりとクリアしやがった。もう間違いない。三木は僕の家を知ってる。あああああああ何て事だ。
僕の家の前を何度も通ってるだって?いつ?いつ来たんだ。僕は見られてる。僕は三木に見られてる!
窓を開けて外を見る。真っ黒が闇が広がってるだけだ。三木、お前はこの闇の中に居るんだな。
そこで僕を見てるのか?闇の中から僕を監視してるのか?答えろ。答えろ三木!答えてクレヨ!
パソコンの画面に視線を戻す。三木と話をする手段は今のところこれしかない。奴の姿を見ることはできない。
「何故僕の家が分かったんですか?」
もうsakkyのフリをする必要はない。バレてるんだから悪あがきはよそう。
「虫の家なんでしょ?。それはすぐにわかるから。」
虫?何のことだ?
「何の話をしてるんですか?」
「いい加減にして。まずは私の質問に答えて頂戴。」
三木の一人称が「私」に変わってる。奴の正体がますますわからなくなってきた。それに質問って?
「今、あなたの周りには何が見える?」
何だその質問は。まさか、僕の周りにあるものを言い当てるとでも言うのか?そんなことできるわけない!
もしそれができたら三木は・・・・・・考えるだけで恐ろしい。僕に奴の監視から逃れる術はない事になる。
僕の周り、何がある?パソコン。ラック。プリンター。勉強机もあるし本棚もある。壁にポスターが貼ってある。
開いたクローゼットには中学の制服が掛かってる。CDラジカセも置いてある。部屋の隅にはゴミ箱だってある。
後は・・・・ああ、虫が飛んでる。蚊か何かかな。他にも色々あるけど特に変わったモノは無いはず。
僕が報告するより三木のその発言の方が早かった。
「そこに虫は居た?」
僕は悲鳴をあげた。
Chapter:3 「チャット」
7/26 晴れ
結局誰にも相談できないまま、学校は夏休みに入ってしまった。
僕はパソコンに触れることができなくなっていた。パソコンの前に座るたびに背後に視線を感じてしまう。
三木の視線だ。怖くて日記を書くどころじゃなかった。ネットに繋ぐなんてもってのほかだ。
でも、それはなんの解決にもならなかった。最近では自分の部屋にいなくても三木の視線を感じる。
奴の視線を振り払うには、直接交渉するしかないのかもしれない。それには、パソコンを使わなければ。
三木は何らかの方法で僕を監視してる。その姿を確認する事はできない。チャットか何かで話すしかないんだ。
どの道逃れられないのなら、受け入れるしかないじゃないか。僕は奴と話す決意した。
それでもやはり怖いものは怖い。監視されてる事を知らされて平然としてる方が無理だよ。
日記を書いてる今でも時々後ろを振り返ってしまう。背後に感じる三木の視線は決して消えない。
ネットに繋ぎ、久々に「希望の世界」に行った。ここまでは何も変わらない。できればその先には行きたくない。
和ジオのページに行って「希望の世界」のパスワードを変えた。「iwamoto」とは何の縁もないものに変更した。
何の意味もない事に思える。けど、何かせずにはいられない。少しでも三木に抵抗がしたかった。
もしかしたら三木も「希望の世界」を乗っ取れる状況だったのかもしれない。だからパスワードを変えてやった。
効果があるとは思えないけど、今の僕にはこれが精一杯。他に抵抗する手段は思いつかなかった。
ほんの少しだけ気持ちが楽になったので、この勢いでチャット室まで行った。いや、行こうとした。
・・・・・行けなかった。画面に浮かぶ「チャット」の文字。これをクリックすればチャット室に入れる。
マウスをそこにあわせようとした瞬間、背後の視線が強くなった様な気がした。今から来るんだね?と聞こえた。
幻聴だ。そんなことは分かってる。分かってるけど、聞こえるんだよ。視線だって幻覚に過ぎない。でも、でも、
消えないんだ。聞こえてしまうんだ。感じてしまうんだ。幻だって分かってるのに、分かってるのに・・・・・・・!!
消えないんだよぉ。
7/28 晴れ
遠くで花火の音が聞こえる。ドン、と鳴るたびに僕は頭を抱えてうめき声をあげてる。
地獄の様な時間だった。花火の光が僕の部屋まで届くわけないのに、音と共に光が窓を照らす。
そして、その光の中には人影が見える。三木だ。あはははは。僕は馬鹿だ。見えるはずのないものが見える。
「希望の世界」に行ってチャット室に入ると、窓に見えた人影はパソコンの中に入った。背筋が冷たくなった。
三木の発言が溜まってる。「私は少し勘違いしてたみたい」「でももう完全に把握した」「覚悟してね」
「学校は夏休みなんでしょ?」「ずっと家に居るんでしょ?」「外出てないみたいね」「ネット繋ぎなさいよ」
「ハイジャックの犯人知ってる?」「パソコンゲームやってたんだって。」「そんな風にはならないようにね」
「あなたは正気?」「狂ってる?」「正気?」「どっちなの?」「返事して」「返事して」「返事して」「返事して」
うるせぇ、と呟いて画面を叩いた。僕は何をやってるんだろう。なんでこんな事になったんだろう。
「私に構わないで下さい」と発言を打ち込んだ。本物のsakkyさんは何処にいってしまたんだ。
三木が本物のsakkyさんじゃないか、と思う時もある。けどそれにしては不自然だ。三木の名を使う理由は?
二人は親友同士でそれで・・・・止めた。もしそうだとしても僕を監視してる事を説明することができない。
sakkyさん自身なら自分が本物だ、と主張すればそれで済むんだから。わざわざ話をややこしくする事はない。
僕は何時になったら解放されるんだろう。このままじゃ僕はおかしくなってしまういやもういまもすこしおかしいかも
違う。僕はおかしくなんかない。僕は正気だ。狂ってなんかいない。
さっき窓を開けてたせいで部屋に蚊が入ってきた。虫を見ると異常に腹が立つ。この前の事を思い出すから。
監視されてる事を知った瞬間のあの嫌な間、思い出したくない。僕は蚊を叩きつぶしてやった。
その死体を何重もの紙に包んでテープでぐるぐる巻きにして思いっきり固めてゴミ箱に放り投げた。
また、背筋が冷たくなった。憑かれたようにチャットの更新ボタンを押すと、三木の発言が表示された。
「死んだ虫なんかにこだわってなんの意味があるの?」
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
僕は笑いながら泣いた。
7/30 晴れ
チャット室にまた三木の発言が増えてた。「いつまでsakkyでいるつもり?ロロ・トマシ君」
黙れ。「希望の世界」を乗っ取ったのは僕の実力だ。それを誇示して何が悪い。僕の勝手だろ。
こうなったら意地でもsakkyの名前を使ってやる。僕はsakkyだ。僕はsakkyだ。僕はsakkyだ。僕はsakkyだ。
「そんな事は重要じゃないんです。それより三木君は何をしたいんですか?」
また「僕はあなたの目的を知りたいだけですよ。」なんて言うんじゃないだろうな。知ってどうするんだ。
しばらくして更新してみると、奴は答えてた。「ソレを言ったらつまらないじゃないですか」
畜生!畜生畜生畜生畜畜生ちくしょうちうklさy@おう馬鹿に馬鹿にバカにバカニばかにばかにしやがって。
比較的はやくレスがつけれたってことは、繋いでる最中って事だよな?「そんな事言わずに教えて下さい!」
案の定すぐにレスがついた。「だから、つまんなくなるから教えない」・・・・・・・・・・・・・・・何て奴だ。酷い。
悔しくて涙が出てきた。こうやって悔しがる僕の姿を見たいのか?それとも怒る姿を見たいのか?怯える姿か?
「三木君の思い通りにはならないよ」今も何処かで見てるんだろ?視線でわかるぞ。汚ない奴め。
「ウフフ」と返す三木。僕はふざけるな、と怒鳴った。何処かで聞いてる三木には届いてるはず。
「ちゃんと聞こえた?」と入れると「ウフフフフフフフフ」と返してきた。とことんバカにしやがって。
「あなたは最低です。」言ってやったぞ。最低野郎。豚め。お前は豚だよ。豚豚豚豚豚豚ブタブタブタブタぶた
「いいの?そんな事言って。ウフフフフ」「どっちもどっちでしょ。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブタめ黙れ。
「その変な笑い方止めて下さい。不愉快です。」僕のこの発言の後、チャット室は三木の発言で埋まった。
「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」「ウフフ」・・・・・・・・・・・・・
僕は画面を揺さぶり、何度も何度も「豚野郎」と叫んだ。
畜生。畜生。
8/1 晴れ
今日も一日中家にこもってた。外に出る気になれない。そんな気分にさらに追い打ちをかけられた。
夕方、ゴロゴロしながらテレビを見てると電話が鳴った。無視すれば良かったのに僕は受話器を取ってしまった。
もしもし、といつも通りの応対をすると、受話器の向こうで変な笑い声が聞こえてきた。
その時点では変な人だな、としか思わなかったので、もう1度もしもし、と言ってみた。笑い声が続いてた。
嫌な予感がした。僕の気配を察知したかのようなタイミングで、奴は口を開いた。
「君が、カイザー・ソゼ君?」
思わず受話器を手放してしまった。その声は男とも女ともわからない不気味な声だった。
知らない声だったけど、僕は電話に出てるのが誰なのか知ってる。三木だ。奴め、家に電話してきやがった!
震える手でもう1度受話器を持つ。恐ろしくて逃げ出したい気持ちはあったけど、三木と直に話す唯一の機会。
話さなきゃ、と思った。「誰ですか?」と上擦った声で聞いた。誰なのか分かってたけど、僕からは言えない。
少し間が空いた後、奴は答えた。「君は豚野郎と呼んでくれたね」
受話器を落としそうになるくらい震える手を、もう片方の手でなんとか抑えた。凍るように背筋が冷たい。
「だから、誰なんです?」とぼけてみたつもりだったけど、言ってみてから意味の無い事に気がついた。
またあの変な笑い声が続き、僕は痺れを切らして「誰なんですか」と絞るように言った。
「みき」と奴が答えたとき、僕は逃げられない、と思った。僕は三木から逃げられない。逃げられない。
「いい加減にしないと警察に訴えますよ」と小さく叫んでから、僕は受話器を置いた。
再びテレビの前に座って何もなかったようにしようとしたけど、内容は全然頭に入ってなかった。
誰を。警察に訴えるって?誰を訴えるんだ。三木を?どうやって?僕は奴の何も知らないんだぞ?
警察にはネット犯罪を専門に扱ってる人も居るって聞いた事がある。全てを話せば三木の正体を・・・・・・・
全てを話す?そしたら僕の事もバレるじゃないか。「希望の世界」を乗っ取ったことが。
「希望の世界」は僕が作ったことにすれば何とかなるかもしれない。・・・・いや、そもそもこれは事件にならない。
直接危害は加えてきてない。ネットでもメール爆弾とかしてきてるわけでもない。どうしようもないじゃないか。
今日はネットに繋がなかった。このままネットから消えてしまいたい。駄目だ。奴は現実にも侵入してきた。
もう涙も出てこない。
8/4 晴れ
今考えると、電話がかかってきた時近くに親が居なくて良かった。こんな事で親を巻き込みたくない。
でも、そうは言ってられなくなってきた。今度は本当にヤバイかもしれない。
今日のチャットで奴は「1度会ってお話した方がいいようですね」と言ってやがった。家に来るつもりか。
電話で「警察に言う」と言ったのがマズかった。昨日と一昨日、2日間を置いてからネットに繋いだ。
そこでも僕は「警察に言いますよ」と書き込んでしまった。それが三木を刺激してしまったんだと思う。
三木はまた「ウフフ」と書き込んだり、たまにまともに喋ったりと、行動が理解しがたい。何がしたいんだよ。
まともに喋る、と言ってもその内容は意味不明。「もう一人の私が変なことしてますね」だとさ。
狂ってる。間違いなく奴は既知外だ。そんな奴に睨まれた僕はどうすればいいんだ。
僕は全てを見られ、私生活にまで侵入されかけてる。怖いのはネットの中だけじゃなくなった。
ネットと現実の区別がつかなくなってきた。僕自身も壊れ始めてるのだろうか。違う。僕は正気だ。マトモだ。
チャット中書き込むセリフを自分で喋りなが打っているのに気がついたとき、僕は泣きそうになった。
何やってるんだ僕は。ネットはネット。現実は現実。ネットをしてる僕は現実。ネットは現実は僕は境は僕は
僕はカイザー・ソゼ。僕はロロ・トマシ。僕はsakky。僕は、僕の本名は?ネットの中ではそんなものいらない。
僕はカイザー・ソゼだ。カイザー・ソゼはネットの中だけで存在する。現実にその名を口にすることはない。
口にされることもない。誰も僕を「カイザー・ソゼ」と呼ぶことはない。ないんだ。あってはいけないんだ。
三木。奴は僕をカイザー・ソゼと呼んだ。ネットを超えて奴はやって来た。奴の前では僕はカイザー・ソゼだ。
僕は現実でもカイザー・ソゼになった。
ずっと前、誰かが言ってた気がする。「ネットはお互い顔が見えないから仲良くできる」
sakkyさんと会った時、僕はあの人を紅天女さんと呼ぼうとした。sakkyさんは僕を処刑人と呼んだ。
カイザー・ソゼとロロ・トマシは同一人物だけど、ネットの中では二人共個人として存在してる。
「希望の世界」の中の「私の日記」はsakkyの日記。僕がsakkyの名を騙って書いた嘘日記。
現実の中の僕は受験を控えた中学3年生。現実の中で電話をかけてきた三木。
三木に監視されてる僕は、カイザー・ソゼ。
8/6 ハレ
夜。晩ご飯を食べ終わってテレビを見てるとき、電話が鳴った。親が受話器を取った。
何か話した後、すぐに電話は切られた。受話器を置いた母さんは文句を言ってた。イタズラ電話だったそうだ。
「カイザー・ソゼを出せとか言って来るんだけど」
僕はふぅん、と何も知らない振りをして相づちを打ったけど、心臓が止まりそうなほど緊張した。
喉が異常に乾いてきた。お茶を飲もうとしてグラスを持つと、カタカタと手が震えてるのに気がついた。
落ち着け、と何度も自分に言い聞かせた。落ち着け。落ち着け。落ち着け。震えは止まらなかった。
再び電話が鳴ったとき、僕は思わず「ひぃ」声を出してしまい、緊張に耐えられなくなってグラスを落とした。
どうしたの?と聞く親を無視し、僕が出るから、と言って受話器を取った。
「カイザー・ソゼ君?」とあの変な声が聞こえてた次の瞬間には、受話器をたたきつけるように置いていた。
すぐに電話が鳴ったけど、どうせまたイタズラだよ、と言って受話器は取らなかった。
母さんが僕の顔が青ざめてると言ってたけど、その理由を言うわけにはいかない。僕はそうかな、とだけ答えた。
三木はこのやりとりを見てるんだろうか?見てるだろうな。そして笑ってやがるんだ。あの変な声で。
僕は散歩に行ってくると言い残し、外に出た。母さんが何か言ったけど無視した。外は異様に暗く感じた。
「1度会ってお話した方がいいようですね」という三木の言葉が頭に浮かんだ。
三木、そこに居るんだろ?この闇の中に居るんだろ?僕を見てるんだろ?出てこい。出て来いよ!
僕は出てこい、と叫ぼうとしたけど、その言葉は頭に文字として浮かんだだけだった。
パソコンの画面が思い浮かぶ。キーボードを叩くまねをしてみた。mikidetekoi sugatawomisero
「三木出てこい姿を見せろ」と変換されて僕の頭の中の画面に映し出される。更新ボタンを押す。
「ウフフ」という文字が画面に現れた。「その笑い方は止めろ」と打ち込む。また「ウフフ」と打ち込まれる。
僕は何をやってる?チャット。そうだよ。チャットだよ。電話は三木から一方的にかかってくるだけ。
チャットなら僕は自分から話しかけることが出来る。闇の中を彷徨いながら、僕はチャットをした。
通行人が変な目で僕を見る。わかってるよ。お前ら全員三木の差し金なんだろ?
その通り、と三木の発言が画面に現れた。畜生。みんなグルかよ。僕を狂わそうとしてるんだろ!
僕は落ちてた木の枝を拾い、闇に向かって振り回した。三木、そこに居るんだろ?闇に隠れてるんだろ?
何度振っても三木には当たらなかった。畜生。畜生。畜生。僕は無我夢中になって枝を振り回した。
三木の部下に当たりそうになったり、壁に当たったりしたけど、三木には当たらなかった。
家に帰ってもネットに繋ぐ必要はなかった。チャットはちゃんと僕の頭の中でできるから。さっきも出来たし。
hehehe
Chapter:4 「精神病院」
8/11 晴れ
数日間の調査の結果、三木は相当な権力者であることが判明した。
アナウンサーまで買収するなんて普通の人間に出来る事じゃない。
ニュースを見るたびにアナウンサーは僕の目を見て喋る。三木に僕を見るように命令されてるんだ。
喋る内容も僕に関することばかりだ。ハイジャックの犯人が実名報道に切り替わった。
奴等はそのニュースを読むたびに「次はお前だ」って目で訴えてくる。
僕が甲子園を見ようとしたら三木に中止にされてしまったのには驚いた。
テレビ局に電話して「三木の言いなりになるのは止めて下さい」と言ってやったけど相手にされなかった。
みんなおかしいよ。みんな三木に洗脳されてるのに気付かないのか?マトモな人間は僕だけじゃないか。
いつの間にかテレビに水がかかってた。僕もびしょぬれになってた。なんで?
雨が降ってるんだと思って傘をさした。電球に当たって割れてしまった。ガラスの破片が傘に刺さった。
傘をさしたまま、僕は途方に暮れた。何も考えたくなくなった。このまま今日が終わってしまえばいいのに。
よくわからないまま日記を書いてる僕。「今日も平凡な一日だった」と書いてから消して今の日記を書いてる。
書いてるってのは正しい表現じゃないな。キーボードで打ってるんだから何て言えばいいのかな?
やっぱり「書く」でいいのかな?日記なんだから。そんなことはどうでもいい。どうでもよくない。知らない。
今日も平凡な一日だった。
8/14 雨
今日は珍しく雨が降ってた。どっかの川が溢れて行方不明者が出たってニュース速報でやってた。
夕刊にもその記事が載ってた。僕は自分の名前が行方不明者のリストの中に載ってないか心配になった。
救助隊員が見てる目の前で次々と人が川に流されたらしい。僕も流された。家にいたけど流された。
助けてよ。救助隊員の人は見てるだけで何もしてくれなかった。助けてってば。僕、溺れてるんだよ。
三木は溺れてる僕を助けてはくれなかった。見てるくせに僕の知らない何処かで見てるくせに。
電話は鳴るけど絶対受話器を取らない。親もイタズラだと思ってるらしく受話器を取らない。
今年の夏は受験勉強をしなくちゃいけないんだ。良い高校に入って良い大学に入って良い会社に就職して
三木より偉くなって三木を潰して三木から解放されて三木を酷い目に会わせて三木の髪の毛全部抜いて
三木の腕を引きちぎって足を砕いて鼻を削いで耳を切り落として目をくり抜かなければならない。
その姿を想像したら気持ち悪くなって吐いてしまった。気持ち悪い三木。僕の想像にまで入ってくる。
電源入れてないパソコンの画面を見ると僕の顔が映ってる。こんにちわ、と挨拶したら一緒になって喋ってた。
画面に映る僕は僕と同じ表情をする。あああああああああああああああああああああああああああああああああ
叫んでみても画面の中にいる僕は声は出さなかった。そうか。こいつがカイザー・ソゼか。今気付いた。
日記を書くために電源を入れるとウィンドウズの画面が出てきてカイザー・ソゼの姿は消えた。
消えたんじゃない。映らなくなっただけだ。カイザー・ソゼは僕として存在してる。
「今日も平凡な一日だった」と書いてから消してこの日記を書いてる。この儀式は続ける必要があるのだろうか。
今日も平凡な一日だった。
8/17 晴れ
日記をサーバーにアップするの億劫になってきた。もともとサーバーには保存目的でしかアップしてない。
つーかさ、お前なに人の日記勝手見てるんだよ。お前だよお前。マウスいじってるお前だよ。
最近じゃドリキャスでもネットできるからな。そっち使ってるのか?でもほとんどの人がパソコンだろ?
三木が勝手にアドレス公開してるのか知らないけどさ。人の日記を覗き見るのは誉められる行為じゃないな。
お前ら、僕の書いた日記なんか見て楽しいか?勝手に見るなよな。見ないで。恥ずかしい。頼むから。ミルナ
あ、今「見られたくなかったらサーバーにアップしなきゃいいじゃん」なんて思っただろ?うん。その通りだ。
一理あるよ。うん。そうだよな。アップしなきゃ見られる事もないんだよな。僕もそう思います。
でも駄目なんです。アップするの義務なんです。一度決めたことは変更しちゃいけないんです。
あなたも画面に向かって叫んで下さい。ああああああああああああああああああああああああああああああああ
そして何かを壊して下さい。僕はCDラジカセを床にたたきつけました。派手な音をたてて壊れました。
ね?わかるでしょ?これと同じなんです。今の行為と同じ理由で僕は日記をアップしなきゃいけないんだ。
違います。同じ理由じゃありません。あなたは叫ぶ必要もないし物を壊す必要はありません。
なぜなら、あなた達はみんな三木の手下だから。僕はあなた達を信用しません。ただ見てるだけの人達は。
見てないで僕を助けて下さい。僕に励ましの言葉をかけて下さい。電話でもいいですよ。僕が出ますから。
電話番号はこちらです。
***-***-****
ちょっと仕掛けをしといたので普通の人の目には「*」としか映らないかもしれません。じゃ、待ってますね。
今日も平凡な1日だった。
8/18 晴れ
今日は親と一緒に出かけました。母さんがちょっと一緒に来て欲しいって言うから。
電車に乗ってると黒い肌のお姉さん達が下品な笑い声を立てていた。大きな板を袋に詰めて持ってた。
僕は彼女たちに向かって語りかけた。でもその声はあまりに小さく、恐らく誰にも聞き取れなかったと思う。
昨日の仕掛け、分かった?あれはね、米印の中に自分の好きな数字を当てはめるんだよ。それだけだよ。
これから湘南の海で泳ごうとしてる人たちには重要じゃない事かもしれない。けど僕は誰かに言いたかった。
駅で降りてバスに乗り、母さんは僕を目的の場所まで連れてきた。僕は最初そこが何なのか分からなかった。
流されるままに中に入り、母さんが受け付けで何かを言った。それから僕たちは少し待たされた。
順番が来て案内されると、そこには白衣を着た人が座ってて、どうぞおかけ下さいと言った。お医者さんだ。
何故僕はお医者さんの前で座ってるんだろう?その理由を考えてる間にも周りの世界は勝手に進んでいた。
母さんとお医者さんの会話には、受験勉強のストレス、インターネットのやり過ぎ、等の言葉が出てきた。
一通りの話が終わるとお医者さんは僕の目を見て喋ってきた。
「ここには外部とのコミュニケーションを計る為にパソコンの利用を許可されてる人も居るんですよ。だから・・・」
だから夏休みの間だけでも、ここに居たら?母さんがそう付け加えた。ここに?ここは何なんだ?
何故僕はここに居なくちゃいけないんだ僕は身体の調子は悪くないし怪我もしてない。何故お医者さんが?
何故?なぜ?ナゼ?僕は混乱して立ち上がった。お医者さんは慣れた様に大丈夫、落ち着いて、と言った。
看護婦か看護士かわからないけど誰か知らない人が「さぁ座って」と言って背後から僕の肩に触れた。
その瞬間、僕は発狂した。
叫び声をあげてものすごい勢いで部屋を出た。後ろで何か叫び声が聞こえた。僕は逃げた。
建物の中を走り回ってると中に入っては行けないような場所を見つけた。丁度誰かが出てくるところだった。
僕はその横を走り抜け、中に入った。すぐ後ろで「待ちなさい」という声が聞こえたけど無視した。
行けるところまで行こう、と思った。廊下を走ってると水飲み場でお兄さんとお姉さんが会話してた。
何故だか分からないけど僕はそれに釘付けになって立ち止まった。何かを思い出しそうになった。
突然数人の白衣を着た医者達が僕の横を走り抜けた。アレ?この人達は僕を捕まえに来たんじゃないの?
階段を上がっていくので僕も後を追ってみた。びしょ濡れになって泣いてる男が医者に抱えられて降りてきた。
その男は誰かに謝ってるみたいだった。ごめんなさい。もうしません。だから殺さないで。ごめんなさい。許して。
僕はふらふらと階段を下りて中庭に出た。穴を掘っては埋め掘っては埋めるおじさん。突然叫び出す人。
人形を殴る女の人。そして、僕。ああそうか。ここは・・・・・・・・・・・・・ここは、精神病院だ。
今度は明らかに僕を捕まえようとしてるお医者さん達が遠くから走ってくるのが見えた。
僕は芝生の上をはいずり回る名前も分からない虫を捕まえ、口に含んだ。かみ砕くと苦い味がした。
吐き気を押し戻すように僕はその虫を飲み込んだ。認めよう。僕はもう正気じゃない。狂った。僕は狂ったんだ。
狂わされた。
8/19 晴れ
結局僕は精神病院に通うことにした。さすがに入院はしたくなかった。
今日もカウンセリングを受けにいった。何か特別な事をするのかと思ったけど別段そういった事はなかった。
心理テストとかそんな感じのことだったと思う。そこでしてきた事の意味は僕にはわからない。
やることが済んだら僕は病院の中を見学させて貰う事にした。昨日より落ち着いてたのですぐに許可は下りた。
昨日のように逃げ回るつもりは全然なかった。中を見学する行為が僕に今必要な事だと思っただけだった。
歩き回ってると、そこが病院である事が改めて認識させられた。患者達は何らかの問題を抱えてここに来てる。
その表情は決して明るくはなかった。笑ってる人もいたけど、寂しさは消えてない。僕も・・・・同じ顔なんだろう。
ふと女の人が歩いてるのに目が止まった。僕はその人をじっと見てた。その人も僕を見てた。
何かが。何かが僕の中で熱くなっていった。僕はその女の人を知ってるのか?
狂う前の僕ならすぐにわかったかもしれない。しかし今の僕にはその人が僕の知ってる人なのか判断できない。
しばらくすると医者に連れて行かれてしまった。僕はその後ろ姿が消えるまでずっと眺めてた。
そして突然、僕の中で叫び声が聞こえた。「戻れ」
三木の声じゃない。誰の声か分からなかったけど、それは確かに僕の頭に直接響いた。「早く」
僕は急いで家に帰った。帰る途中、身体の奥に別の生き物がいるような気がした。なにかがうごめいてる。
昨日の虫だ。昨日の虫が僕のお腹の中で生き続けてるんだ。「早く部屋に戻れ」
それが幻覚であることは分かってる。しかし僕にはその虫の存在を受け入れる事ができた。幻でも構わない。
家に着くとすぐに自分の部屋に入った。午後3時。いつもならリビングルームでテレビを見てる時間だ。
何も変わらない部屋だ。「すぐに始まる」僕は何が始まるのか分からなかった。
そして、始まった。僕のパソコンが突然起動した。僕は何も触れてない。勝手に電源が入った。
僕が見守る中、パソコンは生きてるようにCDドライブをオープンしたりした。画面ではポインタが動いてる。
ポインタは迷うことなくまっすぐマイコンピュータに移動した。クリック。マイコンピュータが開いた。
僕は何もしてない。次々にフォルダが開かれていく。目的のものが最初から分かっているようだった。
まるでそこにもう一人の僕がいて操作してるみたいだった。しかしパソコンに触れている者は誰もいない。
透明人間がいるみたいだ。それが正直な感想だった。フォルダは僕がいつも書いてる日記まで辿り着いた。
透明人間。その言葉をもう一度頭に浮かべた。そうだ。透明人間だ。三木も、透明人間だ。
日記のファイルが開かれる寸前、僕はコンセントを抜いた。モジュラージャックも抜いた。
・・・・・・・・本物の、ハッキングだ。三木は僕のパソコンに侵入して日記を読んでいたんだ。
だから僕の行動は筒抜けだったんだ。でも虫は?虫は見えてたんじゃないのか?
ハッタリだ。見える訳ない。三木はハッキングして得た情報とハッタリを巧妙に駆使して、僕を追い詰めたんだ。
ハッキングの事実が分かったからと言って、三木の正体が分かったわけじゃない。それに・・・・・・・・
監視の手段が分かって少しは楽になったものの・・・・・・・・僕は、相変わらず狂ったままだ。
一度壊れたものはそう簡単には戻らない。
「逃げろ」・・・・その指示に従い、僕はプロバイダを解約した。必要なデータはフロッピーに移してから
Windowsの再インストールもした。「舞い戻れ」・・・僕は新しいプロバイダと契約して日記のアップは続けてる。
今日は、決して平凡な一日ではなかった。
8/20 晴れ
昨日の処置でハッキングを回避できるようになったのかはわからない。でももう電話はかかって来なかった。
モデムの設定をしてるときに気がついたけど、しっかり自宅の電話番号を記入する欄がある。
三木はそれで僕の家の電話番号を知ることができたのだと思う。昨日の日記は読まれたのだろうか?
本物のハッキングについて僕は全然知識が無い。だからコンセントを抜いた時点で開かれてなかったファイルも
三木のパソコンの方にダウンロードされてれば見られてる事になる。「平気だよ」
虫の声が聞こえるということは、僕はまだ正気に戻ってない、ということだな。でも虫の言うとおりだ。平気だよ。
狂ってると自覚することで僕は驚くほど落ち着いていられた。ただ狂っておかしな事ばかりしてては駄目だ。
三木は僕はハッキングに気付いた事を知ってるかもしれないし知らないかもしれない。どっちでもいいな。
自宅の電話番号を知られてるんだ。住所までバレる事も考えられる。もう奴からは逃げられない。
親に言って電話番号を変えて貰う?警察に言う?「違うな」うん。違う。これは僕自身が解決しなきゃいけない。
自分の手で、この問題を解決しなければならない。そんな義務感を感じる。
僕は「希望の世界」を新しくした。具体的には過去の「私の日記」を消して、全く新しい「私の日記」を始めた。
精神病院での出来事をもとに書いていこうかと思う。sakkyさんの名を使って僕自身の事を書くつもりだ。
見ているか?三木。新しくなった「希望の世界」だ。岩本早紀さん。本当にもう見ていないのですか?
このままでは「希望の世界」は主を失ったままです。僕が・・・・・僕がその役を引き受けてもいいでしょうか?
「希望の世界」をお借りします。以前のように単なる遊びとして「希望の世界」を乗っ取ったんじゃない。
三木と正面から向き合う為のパイプとして「希望の世界」を借りるんだ。三木、僕はもう逃げないぞ。
外には相変わらず闇が広がってる。この闇をたどれば何処かに三木という人間が存在してる。
早紀さんもだ。同じ夜空の下に、僕と同じように早紀さんは存在してるはずなんだ。
見てますか?早紀さん。僕の「希望の世界」です。あなたの作った「希望の世界」は僕が受け継ぎました。
見てますか?
- 第1章 後継者 -  完
サキの日記   第1章 「後継者」 新しい私がここに。
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第一節 「転生」
7/1 晴れ
目が覚めたとき、私は病院のベットの中にいました。お腹の傷が痛みました。なんで怪我してるんでしょう。
私には記憶がありません。お母さんと名乗る人から「サキ」と呼ばれてるので名前はサキだと思います。
よく分からないけどお医者さんに検査をして貰いました。結果は教えてくれませんでした。
お母さんが「暇つぶしに」とノートパソコンを持ってきてくれたので、1日中ゲームをして遊んでました。
何故か日記を書かなきゃいけない気分になったので書いてます。少しお腹の痛みが和らぎました。
私は今素敵な気分です。
7/2 雨
お医者さんに幾つかの質問をされました。記憶が無いのでよくわからないと答えたら変な顔されました。
そのあとお医者さんとお母さんがもめてました。私の事を話してたみたいです。詳しくは聞き取てませんでした。
話が終わるとお医者さんが私の所に来て説明をしてくれました。
「きみのきおくしょうがいはせいしんてきなものだ。からだにはいじょうがみられなかったから。だからきみには」
内容がうまく理解できませんでした。話も途中までしか覚えてません。淡々と喋ってたのは覚えてます。
お母さんが「すぐ戻れるから」と言ってました。私はすぐには戻れないと思いました。
少し悲しいです。
7/3 曇り
今日から私は違う病院に入院する事になりました。昨日お母さんが話してたのはこの事だったらしいです。
こっちの病院には色々な人が居ます。一日中水飲み場で流れる水を眺めてるお兄さんとかが居ました。
中庭で地面を掘っては埋めて掘っては埋めてを繰り返してるおじさんもいました。叫んでる人もいました。
親に殴られて謝ってる女の子も居ました。親が居なくなったら今度は他の人に殴られてました。
私は女の子を殴った人になんでそんな事するのか聞いてみました。私もぶたれました。
頬が痛いです。
7/4 雨
昨日の女の子が声をかけてきてくれました。アザミとお友達になりました。私より少し年上らしいです。
私とアザミを殴った男について話しました。アザミはその男の名前を知らないそうです。
私はそいつをオクダと名付けました。なんでその名前が浮かんできたのか自分でもわかりません。
オクダはいつもアザミの事を殴るそうです。でも先生に言うともっと殴られるので言えないと言ってました。
いつも誰もいない時に殴るので先生は気付いてくれないそうです。とても酷いヤツだと思いました。
憎いです。
7/6 曇り
アザミと一緒にオクダから逃げ回ってました。しつこくて困ってます。なんとかならないのでしょうか。
私はまだお腹の傷が治りきってないので逃げるのが結構辛いです。オクダの事を先生に話そうとしました。
アザミに止められました。先生には言っちゃ駄目だそうです。遠くから先生がこっちを見てました。
夜、先生が私の所にやってきてアザミと友達になっちゃいけないと言われました。
何故でしょう。
7/8 曇り
オクダが何かを投げつけてきました。私の身体に当たった後、それは変な汁を飛ばしながら地面に落ちました。
アザミは怖がって目をふさいでます。私はそれを拾い上げてみました。潰れた虫でした。
虫の残骸を見てるととても不思議な気分になりました。アザミは何処かへ行ってしまいました。
私は一人、中庭に行って虫の死体を埋めてあげました。小枝を一本立ててお墓の完成です。
「虫君、さようなら」と別れを告げると、涙が溢れてきました。お墓に涙の滴が落ちていきます。
虫君はもう居ないんです。
7/9 晴れ
夜、窓を開けると空いっぱいに星が光ってました。とても綺麗です。
昨日の虫君はあの星の所へ行ってしまいました。光に包まれて生まれ変わることでしょう。
オクダ。あの名前が浮かんできた理由は未だに分かりません。懐かしいような、憎らしいような。
目が覚めた時から、自覚してる事が一つだけあります。それは私の心が叫んでいるのだと思います。
目をつぶり両手をいっぱいに広げると星の光を全身に浴びることが出来ました。気持ちいい。
星降る夜空を見上げ、私はその叫びを口にしました。体中が震えてその言葉に呼応します。
私は、生まれ変わった。
第二節 「約束」
7/17 晴れ
アザミと遊んでると、アザミの親がやって来てアザミを殴りました。殴り終わるとすぐに帰ってしまいました。
私はただ見てる事しかできませんでした。大丈夫?と聞くとアザミは無理に笑顔を作って大丈夫、と答えました。
アザミはいつも親に殴られてるそうです。笑顔を絶やさないアザミが無性にかわいそうになってきました。
私が守ってあげるね。アザミは黙って私の申し出を拒否しました。自分は殴られるために存在してるからって。
私は何も言えませんでした。
7/18 曇り
一週間くらい何処かに行っていたオクダが戻ってきました。私とアザミの事をじろじろ見ています。
気持ち悪いので私達は中庭へ遊びに行きました。おじさんの掘る穴を眺めてました。
突然誰かに背中を押され、私達は穴に落ちてしまいました。オクダの仕業です。
そんな大きくないので私はすぐに穴から出ましたが、アザミは少し遅れ気味です。オクダが土をかけてます。
私はアザミの手を取り、おろおろするおじさんの横を通って逃げました。振り返るとオクダは笑ってました。
土で汚れても笑顔を崩さないアザミはとてもいじらしく、そして愛おしく見えました。なんて強い子なんだろう。
私も強くなりたいです。
7/20 曇り
アザミの親がきてまたアザミを殴って帰っていきました。その時のアザミの親の顔はとても晴れやかでした。
アザミを殴っておいてなんでそんな顔をできるのか不思議に思いました。アザミはその理由を知ってました。
あの人は私を殴ると気分が良くなるみたいなの。アザミはそれでいいの?私はその為に生まれたから。
殴られるための存在。以前聞いたアザミの言葉を思い出しました。私だったら耐えられません。
アザミは強いから平気なんだね。アザミは否定しました。強くなんかないって。じゃあ、なんで平気なの?
アザミは答えませんでした。
7/21 雨
殴られた反動で頭を垂れるアザミは謝ってるように見えます。本人はそんなつもりはないらしいのですが。
今日はアザミの親が行った後オクダにも殴られました。私がアザミをかばうとオクダは怒りました。
アザミを奪おうとします。僕にも貸してよって。アザミはおもちゃなんかじゃない!
私達はまた逃げました。いつまでオクダの嫌がらせは続くんでしょうか。逃げ続けるしかないのでしょうか。
先生に言うべきなのかもしれません。でもアザミは拒否します。サキに迷惑かけたくない。私は平気だよ。
強くないけど頑張るよ。ありがとう。アザミは笑顔で答えてくれました。それでも、言っちゃ駄目。
返す言葉が有りません。
7/22 雨
外で遊んでいたら突然夕立が降ってきました。梅雨はまだ明けないのでしょうか。
雷が鳴りました。空に光の筋が見えてものすごい音がしました。激しい雨が地面を打ちます。
アザミの親が狂ったようにアザミを殴ります。雷が鳴るたびに叫び声をあげてアザミに襲いかかってきます。
私はアザミから引き離され、助けようとしても突き飛ばされました。アザミの髪が数本地面に抜け落ちてました。
アザミは解放された頃にはボロボロになっていました。オクダが見てました。不気味な顔して笑ってます。
不愉快です。
7/23 晴れ
今日はお母さんが面会に来てくれる予定だったのですが延期してもらいました。
本当はアザミを紹介しようと思ったんだですが、この腫れた顔を見たらお母さんは心配してしまいます。
今日こそアザミを守ろうと思い、アザミをかばったら代わりに私が殴られました。アザミも殴られました。
どうやら梅雨は明けたらしく、とても暑かったです。暑いのも私のせいにされました。セミが鳴くのも私のせいに。
もう嫌。腫れた頬がズキズキして涙が出てきました。痛い。アサミはこんなのに毎日耐えているの?
オクダは今日も笑ってます。アザミの親に殴られて傷だらけになった私達を見て、笑ってる。
悔しいです。
7/24 晴れ
アザミの親から解放されて休んでいると、オクダがやって来ました。相変わらず変な顔して笑ってます。
両手を水をすくったような形にして寄ってきました。その手には何かの液体が乗ってました。
私達の前に来ると、それを投げるようにしてかけてきました。白く、ネバネバした液体が髪に絡みます。
とても嫌な臭いがして思わず吐きそうになりました。ふと横を見ると、オクダがアザミの口に、その液体を、
汚れた手を突っ込み、塗り込むようにして、嫌がってるのに、アサミは無理矢理・・・・・・・・口に含まされました。
私はオクダを突き飛ばし、アザミを抱えて逃げました。お腹の傷が痛むのをこらえて、全力で走りました。
洗面所で洗っても、ネバネバが取れません。アザミの口を何度も洗っても、臭いがとれません。
私はアザミを抱き締め、泣きました。涙は枯れることなく流れ続けました。アザミ、私達はずっと一緒だよね。
どんなに辛い事でも、二人で分ければきっと耐えられるから。だから、ずっと一緒に居ようね。約束だよ。
ずっと一緒に。この約束を私は何度もしてきたように思えます。そして、何度も破られ、私も破った。
今度こそ破らない。失った記憶の中で幾度も破ってきた約束。アザミとなら守り通せる気がします。
私はもう、昔の私じゃないんだから。
第三節 「消失」
7/29 晴れ
私もとうとう「作業」に加わる事になりました。園芸をする事にしました。お花を育ててます。
アザミは暑いのが嫌らしく、部屋に籠もりっぱなしです。外は暑いけど、「作業」中はオクダも居なくて気楽です。
アザミの親は屋内で「作業」をしてるらしく、夜の自由時間まで会いませんでした。さっき会ったら殴られました。
この前、手で頭を覆った状態で殴られたので指を痛めてしまい、4日ほど日記が書けませんでした。
指の痛みはとれましたが、殴られる痛みには慣れる事ができません。オクダは相変わらずふらふらしてます。
あれ以来オクダはまた大人しくなりましたが、私達を見る目は何処かおかしいと思いました。何かするつもり?
安心できません。
7/31 晴れ
暑い日が続きます。外での作業は暑くて結構疲れるけど、園芸は楽しいのでそんな苦にはなりません。
問題は室内の戻ったらアザミの親に殴られる事です。オクダの笑う顔にも嫌気が差してきました。
私はとうとう我慢できなくなり先生に言いに行きました。これ以上殴られるのは嫌。痛いのはもう嫌。
先生はきちんと話を聞いてくれました。「なんとかする」と言ってくれたので大丈夫だと思います。
アザミは何を心配してたんでしょうか?聞いてみたら、それは今だから平気なの、としか答えてくれません。
アザミの親は先生がなんとかしてくれるけど、オクダは相変わらずニヤニヤして私達を見てます。
少しその視線が気になりました。私の方は見てない気がします。視線の先は、アザミ?アザミを見てるの?
不気味です。
8/2 晴れ
先生はアザミの親に人形を与えました。アザミの親はその人形を殴るようになりました。
殴る対象は何でも良かったんでしょう。驚くほどあっけなく私達は解放されました。でもまだ落ち着けません。
解放された事を喜ぶのは私とアザミだけのはずです。なんでオクダまで喜ぶんでしょうか。
アザミの親が私達を殴らずに人形を殴ってる所を遠巻きに見て、今までとは違う笑い声をあげてました。
私達はすぐに部屋に引っ込みました。殴られる事からは解放されたのに、私達はあまり喜びませんでした。
お腹の傷がまた痛み始めました。
8/5 晴れ
アザミが消えました。私が「作業」を終えて部屋に戻ると、既にその姿はありませんでした。
オクダも居なくなりました。アザミとオクダが同時に消えました。オクダがアザミを連れていってしまったんです。
私は二人を捜しました。私の行ける場所は限られてます。それを超えて逃げられたら、私には何も出来ません。
オクダにとって、アザミの親はアザミを奪うのに邪魔な存在だったのでしょう。それが今はいなくなったから。
私は自分の愚かさを呪いました。オクダがアザミを狙ってる事は知ってたのに。私がもっと注意してれば・・・・・!
アザミ、何処に居るの?
8/7 晴れ
今日はお母さんが面会に来てくれました。アザミを紹介したかったのにまだ見つからないので出来ませんでした。
近況報告はしたけど結局アザミの事は言えませんでした。お母さんも近況報告をしてくれました。
私の事を訪ねに来てくれた人がいたようです。ワタベという女の人らしいのですが私はその人を知りません。
お母さんも知らないらしいです。ワタベさんは私が家にいないこと知ったら帰ってしまったそうです。
お母さんが帰った後、私はまたアザミを捜しました。その時も何故かワタベという名前が頭から離れませんでした。
何者なんでしょうか。
8/8 晴れ
ワタベという人も気になりますが、私は今それ以上にアザミの行方が気にかかります。
オクダが私が行けない場所から出てきました。一人でした。私は「作業」を中断してオクダに詰め寄りました。
アザミを何処へやったの?と聞いてもオクダはいつもと同じ嫌な笑い声をあげて答えてくれません。
何度も問い詰めるとオクダは笑いながら「捨てちゃった」と答えました。私はこの時既に泣いてました。
泣きながらオクダにアザミの行方を聞きましたが、もう一度だけ「捨てちゃった」と答えて後はずっと笑ってました。
私はアザミの無事の願いながら捜しました。行ける所全てを捜しました。必死になって捜しました。
一緒に居ようって約束してから、数えるほどしか日はたってません。約束したのに。ずっと一緒って言ったのに。
・・・・アザミは見つかりませんでした。
8/9 晴れ
中庭に座り込んでここ数日の事を考えました。アザミ。アザミの親。オクダ。ワタベさん。
何であいつをオクダって名付けちゃったんだろう?ワタベさんって誰?そして、アザミは何処へ行っちゃったの?
そんな事が頭の中をぐるぐる回りました。何て事なく中庭に居る人達を身ながら考えてました。
ふと、地面を掘ってるおじさんが目に留まりました。妙な違和感を感じました。なんだろう、と思って近づきました。
寄ってみて気がつきました。おじさん、いつもと掘ってる場所が違う。気になって理由を聞いてみました。
いつも掘ってる場所を取られちゃったって。その場所は確かに不自然に掘り返した跡がありました。
私は憑かれたように掘りました。手が泥だらけになりながら掘りました。そこで見つけたんです。アザミを。
泥まみれになったアザミが、バラバラになったアザミが、そこに居ました。
何処かへ消えてしまった心はもう戻らないかもしれない。アザミはもう話しかけても何も答えてくれません。
私はアザミの頭を持ち帰り、抱きしめました。こんな姿になっちゃって。ごめんね。何もしてあげられなくて。
ごめんね。約束は守るから。アザミ、私がいつも一緒にいてあげる。約束だもんね。ずっと一緒だよ。
アザミが笑ってくれた気がしました。
第四節 「再臨」
8/10 雨
アザミにこんな姿にをしたのはオクダ。オクダの笑う姿が目に浮かびます。嫌な笑い方。
私は屋上に行き、立入禁止の柵を乗り越えて給水塔に上りました。少しでも空に近づきたかったんです。
先生達が駆けつけてくるまでの数分間、私はずっと空を眺めてました。アザミは空に居るの?それとも・・・・・
ベットの下に隠してあるアザミの頭は何も語ってくれません。身体を失ったアザミ。親友を失った私。
オクダ。許せない。
8/12 晴れ
アザミと遊べない暇な時間、私はなんでこの病院に居るんだろう?なんて事を考えてました。
こうやってたまにボーっとしてしまうからでしょうか。お腹がなんで傷ついてるわからないからでしょうか。
前の病院で目が覚める以前の記憶が無いから?あの時お医者さんにされた質問、なんだっけな・・・・・。
「なんでお腹が傷ついてるのか分かるよね?」記憶が無いのでよくわかりません。
「自分のしたこと、覚えてる?」記憶が無いのでよくわかりません。
「君の名前は?」記憶が無いのでよくわかりません。
「他人を傷つけたことはある?」記憶が無いのでよくわかりません。
「人殺しは悪いことだと思う?」記憶が無いのでよくわかりません。
他にも色々聞かれたようなきがするけど、どれも答えられなかったっけ。でもそれは今も同じ。
今でもよくわかりません。
8/15 曇り
すっと雲を見てました。何故かオクダの顔が頭に浮かんできました。
アザミがあんな姿になってから、オクダの事が頭から離れません。とても不愉快です。
このモヤモヤした気持ちは何でしょうか。オクダの存在が憎くてたまりません。
消えて欲しいな・・・・。
8/16 晴れ
何故私は壊れた給水塔の南京錠を持ってるんでしょう?
オクダ、早く私の前から消えて!
じゃないと私は・・・・・・・!
8/18 晴れ
私の中に何かが降りてきた。ふらふらと廊下を歩いてるとき、私はそう思いました。
先生達が屋上に走っていきます。水飲み場でいつも水を眺めてるお兄さんが話しかけてきました。
「ねぇ、なんか水の出が悪いんだけど・・・」私はその理由を知ってました。そしてそれがすぐに治る事も。
少し待ってればすぐモトの状態に戻りますよ、と言って私は部屋に戻りました。
ベッドの下のアザミの横に壊れた南京錠が置いてあります。アザミ、オクダの事はもう決着がついたよ。
私が何か呟いてる。無意識に言葉が出てきました。私は虫じゃない。私は虫じゃない。私は、虫じゃ、ない。
虫にはもう戻らない。
8/19 晴れ
私は「作業」の途中、花を咲かせたくなりました。それは一つの区切りとし必要な事だと思いました。
薊。薊の花がいい。今は季節はずれだけど、私はその花を咲かせなければならない。生まれ変わった証に。
アザミと同じ名の花、薊。種は・・・あるのかな?私は薊の種を捜して彷徨いました。
気がつくと私は知らない所に居ました。「外」に出てしまった事に気がつくのに数分かかりました。
知らない少年がじっと私の事を見てました。私もその少年を見てました。何かを思い出しそうになりました。
先生が私を連れ戻しに来ました。何をやってるの?薊の花を咲かしたいんです。種を捜してるんです。
そんな野草春になれば放って置いても咲いてくれるよ。私はその言葉を胸に刻み込みました。
野草のように。私は春に薊の花が咲くように、自然に生まれ変わった。私自身がすることはもう何もないんだね。
新しい私が、ここにいる。
8/20 晴れ
お母さんから電話が有りました。少ない時間だったけど新しい私の話をお母さんはじっくり聞いてくれました。
話が終わるとお母さんは言いました。ワタベさんからの伝言がある、と。そしてそれはお母さんの意見でもあると。
「ネットに繋いで」私は電話が終わった後もその言葉を噛み締めてました。ネットに繋ぐ。
私は日記を付け初めてから惰性的に日記をサーバーにアップしてました。何故そんな事をしてるのか、
また何故自分がそんな事をできるのかはわかりません。恐らく記憶を失う前、私は同じ事をしてたんでしょう。
でもそれはインターネットをできる状態でもあったんです。「ネットに繋いで」という言葉でそれを思い出しました。
私は「お気に入り」にポインタをあわせました。パッと右にファイルが開きます。一番上にあったそこは、
「希望の世界」。懐かしいような、悲しいような、そんな感情が私を襲いました。
その文字をクリックしました。画面に「希望の世界」が広がります。戻ってきた。私は新しくなって、戻ってきた。
一筋の涙が頬を伝いました。
- 第1章 後継者 -  完
カイザー日記   第2章 「再始動」 僕の知らない僕が居る。
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Chapter:5 「希望の世界」
8/22 晴れ
リニューアルした「希望の世界」。昔の仲間が戻ってきたらしい。「渚」さんが「こんにちわ」と挨拶してる。
三木と渚さん。二人は連絡を取り合ってるのか?今のところ彼女は敵か味方かわからないな。
いや、彼女なんて呼び方も正しくないかもしれない。男である可能性も充分考えられる。
まだ三木は来てないけど恐らく見てるだろう。「希望の世界」はハッキングとは関係なくアクセスできるんだから。
僕はsakkyとして渚さんに返事をしておいた。「お久しぶり」この返事で問題は無いな。
渚さんは何故今まで黙ってたのだろう?見てはいたのか、見てもいなかったのか。
「こんにちわ」と言われるとまるで初めて来た感じがする。慣れた常連なら今まで見てなかった理由、もしくは
見られなかった理由等を書くはずだ。久々の登場なんだから何か気の利いた事を言うのが礼儀だ。
それに「TOMO」さんと「えんどうまめ」さんは相変わらず登場してこない。
変わった。僕が乗っ取って以来、「希望の世界」は明らかに違うモノになっている。「それは違うぞ」
また声が聞こえた。違う?何が違うんだ?「順序が逆だ」・・・・・・・・・・・順序?ああ、なるほど、そう言うことか。
乗っ取ってから変わったんじゃない。僕は変わってしまった「希望の世界」を乗っ取ったんだ。
変わってしまった故に乗っ取ることができたのだ、とも言えるかもしれない。
ならば・・・とことん変えてやろうじゃないか。どんな理由で「希望の世界」が変わってしまったのかはわからない。
ただ、一度変わったモノはそう簡単には戻らない。・・・・・・・・僕が壊れてしまったのと同じように。
戻れないのなら進むしかないじゃないか。「希望の世界」を再び動かして、僕は進む。
再始動だ。
8/23 晴れ
麻生で捕まったサルがアザミと名付けられたそうだ。そして、「希望の世界」にも「K.アザミ」が登場した。
三木、渚さん、「K.アザミ」、sakky。「希望の世界」は確実に動き始めている。
今日も病院に行ってカウンセリングを受けてきた。これで僕の狂気は治るのかは疑問だけど続けるしかないな。
1回や2回カウンセリングを受けたところでその効果は簡単には現れないと思う。地道に通うとするか。
僕を病院に通う原因を作った三木は今のところ大人しくしてるみたいだ。電話もないしネットの書き込みもない。
でも奴は「希望の世界」を見てるはずだ。ハッキングがバレた事を知って様子を伺ってるのかもしれない。
悔しいことにハッキングの詳しいメカニズムは僕にはわからないけど、奴が僕のパソコンに侵入してる最中に
コンセントを抜いてやったんだから、三木にも何か異変があった事がわかるはずだ。それは間違いないと思う。
ただ、奴の次の行動が予想つかない。三木、次はどのようにして僕に近づいてくる?ネットか?現実か?
それとももう僕に手を出すのを止めたのか?「その可能性は薄い」・・・・・・・・・・・確かに。虫の言う通りだ。
僕は三木に対して何か有効な反撃したか?してない。僕はただハッキングの事実を突き止めただけだ。
三木は、全く傷を負っちゃいない。無傷のままでただ身を引くだけなんて考えられない。
三木は、そんな生やさしい相手じゃない。僕の窮地は相変わらず続いていると言ってもいいだろう。
この窮地から脱する事が出来ない限り、僕は正気には戻れない。そんな予感がする。この予感、恐らく・・・・・・
間違ってはいない。
8/24 曇り
三木が再びやって来た。「やっと来てくれましたね」とほざいてやがる。
少し前、僕は確かにネットに繋いでなかった。三木の奴その間もずっとネットで僕を待ちかまえていたのか。
だけどこうしてまた向かい合う事になったわけだ。今度は監視されてない僕と。
今はもう奴は日記を読んでいない。僕はパソコンを使わない時、コンセントとモジュラージャックを抜くようにした。
ハッキングなんかさせるものか。いつまでも見られてるわけにはいかないんだ。
監視されてない、と考えることで頭が少しスッキリした。監視の恐怖に怯えて狂気に包まれる事が少なくなった。
病院のカウンセリングの効果なのかもしれないけど、とにかく以前のような奇行はしなくなった・・・・と思う。
僕がとってる行動が正気のものなのか狂ってるのか自分じゃ判断することはできない。
テレビに向かって話しかけたり新聞を短冊状に切り裂いたり机の上に立って天井を眺めたり指を舐め回したり
誰もいない所で笑ってみたり電話が鳴るたびにビクっとしてみたり貧乏揺すりがやめられなかったり
ゴミ箱をひっくり返して紙屑の数を数えてみたり突然惚けてみたりするのは異常な行動だと言い切れるのか?
何処までが正気でどこからが狂気なのかその境目はあるのだろうか?そもそも境界線なんか引けるのか?
ただ、はっきりしてるのは僕は完全に正気の方には居ない、ということ。
僕は「希望の世界」で渚さんに無難な返事を返して置いた。オーケー。ここでは僕が狂ってる事はバレてない。
「希望の世界」での僕は正気の部分の象徴みたいなものだ。これを失うと僕はもうモトに戻ることはできない。
三木は来た。もう逃げるつもりはない。「希望の世界」に託したおいた「正気の僕」は守らなければいけない。
覚悟はできてる。
8/26 晴れ
「渚」さんが痛い発言をしている。「本音で話しあえるのっていいよね。」だって。
本音で話し合えたら、確かに素晴らしい事だよ。でもここは・・・・・「希望の世界」は偽りだらけの世界だ。
少なくとも僕と三木は偽ってる。僕と三木の関係は「希望の世界」のそれとははるかにかけ離れてる。
ネット上でも三木はたまに本性を垣間見せてたけど、現実での奴はそんなのとは比べモノにならない。
ハッキングの技術を持った悪魔だ。これまで出会ってきた人間の中で最低の部類に入る奴に違いない。
あんなの人間ですらないかもしれない。人の姿をしてないんじゃないのか?豚だ。豚野郎だ。豚豚豚豚豚豚豚
三木は豚だ三木は偽善者だ三木は最低の豚野郎だ三木は人間じゃない三木は豚三木は豚三木は豚
僕は?僕も、偽善者だ。ネットじゃマトモぶってるけど本当はこんな狂った人間なんだ。正気じゃないんだ。
病院がよいの精神異常者がネットで女性を演じてる。僕も三木と同じ様なものかもしれない。
「希望の世界」。改めてこの名前を見てみると悲しくなってくる。希望?ここにはそんなものがあるのか?
あんなマジメな事を言う渚さんにとっては「希望の世界」と言えなくもないだろう。だけど、僕には無い。
僕の希望はここには無い。あるのは三木によってもたらされた絶望だけだ。
「希望の世界」の管理人に「希望」が無いなんて・・・・・・・・なんて愚かな話なんだろう。
僕だってネットでも正直になりたい。でももう遅い。僕は既にネットの世界を信じることができなくなってしまった。
NSCを作った時から僕の運命は決まってたんだろうな。ネットストーキングはあまりに罰当たりな行為だった。
その結果がこれだ。精神が破綻して挙げ句の果てハッカーに追い詰められてる。
僕に希望はないのか?
8/28 晴れ
三木は前の書き込み以降なんのアプローチもしてこない。僕の知らないところで何か進めてるな。
もうすぐ学校が始まってしまう。そうしたら多くの人に出会うことになる。三木の手が学校まで回っていたら・・・・
嫌だ。考えたくない。学校が僕の知らない世界になっていたらどうしよう。僕の存在が消えてたらどうしよう。
みんなして僕を追い詰めてきたらどうしよう。僕の味方はいない。学校に、行きたくない。コワイコワイコワイコワイ
今日も病院に行った。落ち着く。お母さんの言った通り入院すれば良かったかもしれない。
パソコンの使用を許可されてる患者さんもいるんだったっけ?いいな。ノートパソコンなのかな。
精神病院からネットに繋いでこっち側との交流か。その人、1度会ってみたいな。
僕の苦しみを分かってくれるかもしれない。三木と対峙する覚悟は出来てる。でもこのままじゃあまりに不利だ。
味方になってくれなくてもいい。せめて、せめて僕の悩みだけでも聞いて欲しい。聞いてくれる人が欲しい。
大人は駄目だ。僕を変人扱いして終わりだ。看護婦さんやカウンセリングの先生に話しても無駄だな。
あの人たちは僕を「患者」としてしか見てない。何を言っても「精神異常者の戯言」で終わらされてしまうだろう。
僕は本当にハッキングされたんだ。三木は僕を何故だか知らないけど追い詰めてくる。誰か聞いてくれよ!
僕自身の問題。悲しいくらい僕自身で解決しなくちゃいけない問題だ。そして、あまりに重すぎる。
誰だ分からない人に理由も分からず監視されたりするんだぞ。この怖さ、分かってくれる人はいないのか?
「希望の世界」には三木がいる。現実でも三木は近づいてきてる。奴は僕が中学校に通ってる事を知ってる。
病院は・・・僕が精神病院に通ってる事は知ってるのか?「知らないはずだ」
そうだ。僕が精神病院に通うことになった事を書いた日の日記はギリギリ読まれなかったはずだ。
味方を作るならあそこしかない。三木、お前は僕の知らないところで何かを進めてる。
なら僕は、お前の知らないところでお前の知らない「何か」を進めてやろうじゃないか。
少しだけ、光が射してきたかもしれない。
8/30 晴れ
病院に行った時、僕は先生にパソコンの使用を許可されてる患者に会いたい、と言った。
先生は変な顔をして何でそんな事がしたいのか聞いてきた。僕ははっきり言ってやった。
「僕はパソコンのやりすぎでここに通う事になりました。その人もパソコンを使う人なら話が合うと思うんです。」
確かに会話する事は回復の為の良い手段だけど・・・と言ったものの先生はあまり乗り気じゃないようだった。
僕は食い下がった。僕は話し相手が欲しいんです。同じパソコンを趣味とする人と悩みを語り合いたいんです。
先生は観念したらしく、なんとか話をつけてみるみたいな事を言ってました。これで一歩前進した。
今日もまた「希望の世界」へ。「K.アザミ」が「大丈夫。怖いものなんてないよ。」との書き込み。
そう。三木を怖がる必要なんて無い。僕には今味方ができようとしてるんだから。
精神病院からネットを繋ぐまだ見ぬ「味方」の姿を想像してみた。やっぱり年上の人かな?それとも・・・・
僕は以前病院で見た女の人の姿を思い浮かべていた。何処かで見たような、見た事ないような顔。
あの人にももう1度会いたいな。漠然とそんな事も考えてみた。あの人は一体何者なんだろう?
三木はまだ「希望の世界」に来てない。じきに学校は始まる。夏休みはもう終わりだ。
夏休みが始まる前と、今。僕を取り巻く環境と、僕自身とはあまりに変わってしまった。
ああ、もう考えるのはよそう。希望は少しだけ見えてきたんだから。なるようになるしかない。
僕は僕が今出来ることを可能な限り進める。三木が次に何をしてくるかなんて僕にはわからないんだから。
「希望の世界」の未来だって、見えない。
Chapter:6 「学校と病院」
9/1 晴れ
久々に学校に行った。防災の日だかなんだか知らないけど防災訓練なんてものをやらされた。
廊下に煙がたかれて(害のないニセモノなんだろうけど)僕たちはそれを避けてグラウンドまで逃げた。
みんなはヘラヘラ笑ったりおしゃべりをしながら歩いてる。煙は僕のすく後ろまで迫ってきてた。
灰色の煙が僕を襲う。その煙が僕の体中にまとわりついて身動きがとれなくなる姿が頭に浮かんだ。
僕は煙が怖くなった。前を歩く人たちをかき分けて僕は先へ先へと進んだ。煙はまだ追ってくる。
みんなは相変わらず平然としてる。なぁ、煙が来てるんだぞ。早く逃げなきゃ。早く、もっと早く!
なんで笑っていられるんだ?歩いてたら追いつかれるぞ。はやくしろ。逃げないのか?怖くないのか?
僕は一人で先に進んでいった。誰かがせっかちな奴だなぁ、と言った。それでも僕は先に進んだ。
誰も僕が先に進むことなんか気にとめちゃいなかった。後ろの方で煙の中に入った人がいた。
ケムたがって前に走ってきた。先生が叫んだ。「チンタラしてるからだ!本物だったら大変な事になるぞ!」
みんながしぶしぶ歩くペースを早めた。お喋りをする人も少なくなってきた。煙から随分距離が離れた。
そうだ。それでいい。みんなは煙の魔の手から逃げ切れることができるだろう。でも、でもね。
僕だけは既に大変な事になってしまってるんだ。煙は僕に向かってまだ追ってくる。外に出ても。家に帰っても。
全校生徒が集合して消防署の人が批評みたいなことを話していた。僕にはそんなこと関係なかった。
「希望の世界」につなぐ。「K.アザミ」が「一人じゃ何もできないでしょ?」と言う。
味方が欲しい。仲間さえいれば三木に対抗する手段があるのに、ってわけじゃない。
煙の中で、一人で居るのはあまりに寂しすぎるから。だから。
一緒にしてくれる人が欲しいんだ。
9/2 晴れ
学校ではもう授業が始まった。今年は受験の年だとかここで頑張らないと駄目だとかそんな話が耳に入った。
普通に行けば僕は来年高校生になる。普通にいけばの話だけど。僕はこのままで高校に上がれるのだろうか?
僕は今普通の状況に立っていない。虫の幻聴が聞こえ、精神病院に通い、まだ見ぬ三木に怯えてる。
闘う意志とは裏腹に僕は心の底では三木に怯えてる。虫は話かけてくるだけで僕を救ってはくれない。
学校では普通のフリをしてる。みんなと同じように受験勉強の愚痴を言い、同じようにテキストの問題を解く。
僕が変わってしまった事はなるべく悟られないようにしたい。あるいは既に知ってる奴はいるかもしれない。
三木の手先が潜り込んでる可能性だってある。しかし僕には他人の正体を見極める事なんかできない。
ただひたすらに疑いの目を向けるだけだ。他人を疑うことは信用するよりずっと楽なことだった。
その代わりに僕は孤独を感じるようになった。誰も信用することができないと、人って簡単に孤立しちゃうんだな。
いじめとかそんな類のものじゃない。表面上では当たり障りのない会話をしている。嫌われてるわけでもない。
それは、本当にただ孤立してるだけなんだ。僕と僕の周りにいる人たちをつなぐ何かが壊れてしまったんだ。
溝ができたのでも壁ができたのでもない。何もない。妨げるモノは何もないはずなんだ。
少し動けばみんなに触れることができる。だけど僕は動かない。動けない。みんなは決して遠くにはいかない。
僕の方から歩み寄れば「普通」に戻れる。ちゃんとみんなは目の前にいるんだから。
僕は、後ろを向いた。そして、みんなが見てない方向に歩いていく。そんなイメージが頭の中に現れた。
「その先にあるのは希望の世界か?」そうかもしれない。僕は学校より「希望の世界」を取ったのだろう。
普通の世界にはしばらく戻れそうにない。
9/3 曇り
僕は学校の人たちと心の中で別れを告げた。昨日から感じていたことだけど、孤独感はますます強まっていた。
みんなの話し声は遙か遠くで話してるように聞こえ、その内容は僕の頭を通り抜けて何処かへ行ってしまう。
うまく会話することができない。誰がどんなことを話してたのか今ではカケラも頭の中に残ってない。
話しかけられて適切な言葉で答えられなくても、決して異常と思われることはなかった。
うまく会話できないことは僕にとってとても寂しいことだけど、他の人にとってはどうでもいいことなんだろうな。
おそらく僕が狂ってる事も、みんなには関心のない事だ。僕は一人で狂い、一人で悩んでいる。
学校の帰りに病院に寄った事もみんなは知らないだろう。知る必要がないし、知って欲しくもない。
病院では会話ができた。ベンチに座ってると向こうから話しかけてきた。
「ねぇ君。何処か悪いの?こんな所で何やってるの?ベンチに座ってどんなこと考えてるの?」
確かこんなセリフだったと思う。学校での会話は覚えてないのに病院で話しかけられた内容は覚えてる。
僕は「僕は心が病気でカウンセリングを受けに来て学校のみんなに告げる別れの言葉を考えてた。」と答えた。
何処かで見たことのあるその男はうんうん、と何度も頷いてからしゃべり始めた。
「僕はね、ここには少しの間入院してたんだけど、3ヶ月くらいかな。ごめん。正確な数字は思い出せないや。
でも君には関係ないことだよね。ごめん。関係ないことばっかり喋っちゃって。でね、その入院してた時の事
なんだけどさ、もちろん入院すると『中』にはいることになるんだけど、そこに入るとなかなか出られないんだよ。
自分から出たいって言っても許可がおりるか『外』の信用できる誰かが連れだしてくれないと出れないんだ。僕の
場合たまにお父さんが来てくれて『外』にでる事ができたけど、基本的には出られないんだよ。完全に出るため
には先生達に『こいつはもう外に出しても大丈夫だな』って思わせなきゃいけないんだ。僕はそう思わせることに
成功したけど外に出たら出たらで不安になってこうして『通い』にしてもらってここにきてるんだ。君も『通い』?」
自分でも驚くほど彼の言葉を鮮明に覚えてる。こうして文章にしてみてわかったけど意外と長い言葉だったな。
その後確か「僕も、『通い』」と答えたんだ。そして彼はしゃべり続けた。
「そっかそっか。じゃ、今の僕らは同じ境遇なんだね。ごめん。僕と同じなんかにされたくない?でもね、君には
何故か話しかけなきゃいけない気がしたんだ。なんでだろう?また明日も来る?君とはゆっくり話をしたいんだ。
今日と同じ時間、このベンチに座っててくれないかな?僕も来るから。君には是非話を聞いて欲しいんだ。」
そこまで話してしまうと彼は「じゃ、また明日」と僕の返事も聞かずに帰ってしまった。
なんで今日全部喋ってしまわなかったんだ?それに、僕に聞いて欲しい話って?
またわけのわからない気持ちになってしまった。ただ、これだけは言える。「奴は味方にはなり得ない」
「希望の世界」に繋ぐ気分にはなれなかった。とにかく彼の話を最後まできかなきゃ、と思った。
明日、また病院に行こう。
9/4 晴れ
病院で昨日のベンチに座ってると、奴がやって来た。やっぱり何処かで見た顔だと思った。
とにかく喋る奴だった。それにやたら「ごめん」と謝ることが多かった。意味もなく謝る姿はとても哀れに見えた。
「僕が中に居たときにね、面白いおもちゃを見つけたんだよ。最初はそのおもちゃ怖い人が持ってたんだけどね
変な女が勝手に持ってっちゃったんだ。でもその怖い人は気にしてなかったみたいだよ。その女が持ってる時
でも構わずそのおもちゃで遊んでたし。ごめん。そのおもちゃが何か言ってなかったね、お人形さんなんだよ。
殴りたくなるくらいカワイイお人形さんだよ。それがね。その女が持ってるときは二人でお喋りなんかしてたくせに
僕が持つと全然喋らないんだ。むかつくよね、そうゆうのって。バラバラにしたくなるくらいムカツクよね。ね?」
僕が「別に」と答えると奴は何度も何度も謝ってきた。土下座までしてきた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいだって僕はムカツイたんだもんムカツクのが当たり前だと
思ったんだモンバラバラにしたくなるのは僕だけじゃないはずだっておもったんだもんごめんなさいごめんなさい
ごめんなさいもうしませんもうしませんもうしません許して下さいお願いですバラバラにはもうしませんバラバラァぁ」
その後はもう聞き取れなかった。壊れたように泣きじゃくってそのまま何処かに消えてしまった。
奴が居なくってからもベンチになんとなく座ってたら、突然あいつが誰だったのか思い出した。
僕が「中」に入った時、すれ違った奴だ。先生に抱えられて今日みたいに泣きじゃくってた。
間違ってもあいつだけは味方にはしたくない。話もうまく飲み込めなかったし。変な女?人形?バラバラ?
あいつが「変な女」と言うくらいなんだからその女の人はマトモなんだろうな。変なのは奴の方だ。
それが僕の感想だった。奴の話のせいかわからないけど、何故か今日も「希望の世界」に繋ぐ気がしない。
変な気分。
9/6 晴れ
なんて事だ。味方はできない。
先生から面会が断られたことが伝えられた。学校でも一人だし病院でも一人だ。
今日も「希望の世界」へ。sakkyさんの名で書き込んだ。学校が始まって忙しくなったとか適当なことを書いた。
しばらくして更新ボタンを押すと渚さんが書き込んでいた。「学校も大変だよね。頑張ってね。」
大変なのは学校だけじゃないんだよ渚さん。病院でも、私生活でも、「希望の世界」ても。
三木の音沙汰は無い。このまま消えてくれればいいのに。消えてくれ。お願いだから。消えてよ。
結局僕に残ったのは「希望の世界」だけなのか。病院では変な奴に会っただけで仲間は得られなかった。
仲間になって欲しかった病院の人。なんで会ってくれないんだよ。ねぇ。なんで?僕の何がいけないの?
会うだけならいいなじゃないか。僕の話を聞いてくれるくらいいいでしょ?なんでだよ。何で断るんだよぅ。
三木?三木の仲間なのか?ここでも三木か。あの病院にも三木の手が回ってたのか。消えろって言ったのに。
たぶん学校にも既に奴の手は回ってる。別れを告げて正解だったかもしれない。
「希望の世界」には来てないくせに僕の現実世界を囲んできてるよどうにかしてくれよ誰に言ってるんだ僕は。
泣きたい。
9/7 雨
三木がとんでもないことを言ってやがる。
ゲリラオフ会開催! 投稿者:三木  投稿日:09月07日(火)
僕は以前までオフ会を否定してきましたが最近考えを改めました。
ネットを超えてこそ見えてくるものがあるんじゃないかなって。
「希望の世界」もいいけどやっぱり僕らが生きてるのは現実世界なワケですから。
そこで企画したのがこの「ゲリラオフ会」です。
厳密に言うと「ゲリラ」って言葉の使い方は間違ってるんですが
このオフ会のイメージからそう名付けてみました。
今からオフ会を開くぞって言ってもみんな来れるとは限らないと思います。
それぞれ都合の良い日悪い日を言ってたらきりがないですよね。
そこで、今回はすでに日程を場所を決めてしまいました。
出欠は敢えて問いません。というより、来るか来ないかなるべく言わないようにしましょうよ。
その日、その場所で待ってはいるものの、誰が来るかわからない。そこが面白いんですよ。
「希望の世界」は実際書き込まずにROMってる人も多いみたいですから
待つ側にとってはかなりドキドキでしょう。いきなり知らない人が来て
「実はずっと見てました」ってこともあり得るわけです。
勿論それもオッケーですよ。見てる皆さんも是非来て下さいね!
さて、詳細はこちらです。
日時 9月15日(水) 午後1時
場所 横浜駅西口東横線改札前
待つ時間は1時間。午後2時になった時点で来てない人は欠席とみなします。
人が多いですから何か目印を考えなきゃいけませんね。
関東地方に住んでない人は「残念!」って事で。
基本的には「地元民トーク限定チャット」で知り合った仲だから大丈夫だとは思うんですが。
細かいことは追って書き込みます。
でわでわ、参加お待ちしてます!
何考えてるんだ。これは、僕に対する挑戦状か?「来れるものなら来てみろ」とでも言いたいのか?
行けば間違いなく何か起きる。今回は遠巻きに見て帰るってわけにはいかない。
三木の姿を知らないんだから。そこに来てるのが三木であるのかもわからないんだから。
どうする?僕はどうすればいい?いや、答えはもう決まってるじゃないか。
行くしかないだろ。これで全てを終わらせることができるかもしれないんだ。
味方は、いない。けど、けど僕は・・・・・・・
行くしかないんだ。
Chapter:7 「オフ会」
9/9 晴れ
奴の要望通り、僕は「行く」とは書かず、参加をほのめかす書き込みをしておいた。
とうとう、直接会うことになるのか・・・・。それとも、ここまで煽っておいて奴自身は参加せずか?
いや、それは無いな。奴も僕の姿を確認したいはずだ。ハッキングだけでは僕の姿は見れないから。
なんとなくの想像はついてると思う。中三の男。これだけで有る程度の姿は見当がつく。
僕は自分でも思ってるんだけど中学生らしい体格をしている。そんなに育ち過ぎもせず、幼すぎもせず。
鏡を見るたびにまだ子供っぽさが残ってるのがわかる。年相応、といった所かな。
日頃から「誰がどう見ても僕は中学生に見えるんだろうな」と思っているけど、それがはずれた試しは無い。
つまり、平凡なんだ僕は。15には見えないくらい大人びていれば、騙しようもあったかもしれないのに。
池袋で事件があったらしい。通り魔殺人。二人死亡。酷い話だ。
僕は狂っているけど人殺しはできない。する勇気が無い。勇気があればできるってわけでもない。
そう思っている。僕は、人殺しは、しない。何度も確認するように呟いてみた。
だけどそれは、言えば言うほど非現実的な響きを持っているように感じてくる。人殺しするほど狂ってないよ。
駄目だ。何度言っても虚しく響き渡るだけだ。僕は、人殺しはしないと言ってる自分が信じられない。
信じてやれよ。他心を信じられないのはわかる。だけど自分くらいは信じてやれよ。
そう言うお前が僕を信じてやれよ。自分に対して言ってるんだろ?僕は僕にとって他人じゃないだろ?
お前誰に向かって話してるんだ?僕だろ?僕が僕に向かって話しかけてるんだろ?自分が自分に?
おい待てよ。僕は僕だ。お前は誰だ?なるほど、お前も僕か。ちょっと待て僕が二人いるじゃないか?
二人だけじゃないって?何言ってるんだ。僕の身体は一つだぞ。僕の身体だ。お前の身体だ。もう一人の奴の
ぁぁぁぁぁぁ
9/10 晴れ
オフ会の為に用意しなくちゃいけないものは何だろう。ナイフ。何故?
僕自身ナイフを突きつけられた事があるからだ。sakkyさんに。今度は僕が突きつける番だ。
三木に僕の決意を見せてやれ。何も殺すことはない。僕の時の様に殺すだけで良いんだ。違う。
脅すだけでいいんだ。脅すだけだ。僕は逃げたけど三木は逃がさない。逃がさないで誓わせる。
二度と僕につきまとわないと。
ナイフを持っていくのはそれだけじゃない。護身用でもある。三木は何をしてくるかわからないんだから。
力ずくで何かしようとするのなら、抵抗するには何か武器が必要だ。何も持たないのは無防備すぎる。
逆に、何かしてくるようなら遠慮なくナイフを使え。殺したって構わない。だから違うって。脅すだけだって。
僕は別に世間のみんなをアホだと思ってない。アホは殺すべきだとも思わない。永井美奈子も素敵だと思う。
三木は殺すべきだとは思うけど。奴が死んだところで悲しむ奴はいないだろ。でも殺せない。
殺せば僕は殺人容疑で逮捕されてしまう。一生罪を背負って生きなければならない。そんなのイヤだ。
この年で人生終わらせるなんて、僕は嫌だ。だからナイフは脅すだけ。少しくらいなら傷つけたっていいかも。
それは傷害罪だ。同じように罪になる。でもそれくらいなら奴が訴えなければなんとかなるかもしれないな。
僕が今考えてるのは危険な事なのかな?「希望の世界」に行ってみる。書き込んでみる。
ほら、マトモなこと書いてるじゃないか。これで安心できたね。安心して危険な事を考えられるね。
よくわからないね。
9/11 晴れ
ナイフを光にかざしてみた。刃の部分がキラリと光ってる。丁度僕の胸の辺りに影ができた。
手の平に押しつけてみる。痛くなったので皮膚が切れる前にやめた。切れ味はあまり鋭くないのかもしれない。
パソコンの画面の縁に突き立てた。カリっと音がして塗装が少し剥げ落ちた。使うなら突き刺した方がいい。
紙を切り裂く時音が出た。画面に突き立てた時も音が出た。人を刺しても音は出るのだろうか。
きっとおぞましい音が出るんだろう。刺された人は悲鳴をあげる。ナイフが皮膚を突き破る音と悲鳴。
僕には想像もできない。4日後、僕はその音を聞いてるのだろうか。どんな気分で聞いてるんだろう。
ナイフは使わないかもしれない。何も起きなければ使う必要はない。ナイフはずっと僕のポケットの中に。
三木に会えなければ何も起こらない。会えてしまったら確実に何かは起こる。僕がナイフを突きつける。
少し前バタフライナイフを使った少年犯罪が起きて問題になった。僕のナイフはそんなにいいものじゃない。
池袋の事件は無差別だった。僕の相手は三木だけだ。無意味に人を傷つけたりはしない。
こうして他人と比較して何になるんだろう。何を言った所で僕は三木にナイフを突きつけるつもりでいる。
決定は変わらない。変えるつもりもない。できることなら三木を刺してしまいたいとも思ってる。
僕は三木に会いたいと思うと同時に会いたくないとも思ってる。会えば、刺してしまいそうだから。
刺してしまうと僕の人生は終わる。それは嫌だ。だけど三木は消して欲しい。僕の手で消したい。
僕を狂わせた張本人を僕の手で葬れば僕は解放される。ただがハッキングされたくらいで殺すのか?
ハッキングは問題じゃない。問題は、僕を狂わせた、という事。
そうだろ?
9/12 晴れ
藤沢の病院からの帰り道、僕は足を延ばして横浜まで出てみた。
横浜駅西口東横線改札前。日曜だけあって人はごった返していた。
駅ビルに通じるエスカレーターの前では肌の黒いお兄さんやお姉さんが座り込んでる。
3日後、また僕はそこに行くことになる。人混みの中、僕はポケットの中のナイフを握りしめた。
ポケットから手を出すと少し切れてた。血がにじみ出る。昨日は切れなかったのに。
舌先で舐めてみると鉄っぽい味がした。子供の頃は傷ができるといつも舐めていた。血はいつも同じ味だった。
昔よく家族で高島屋に来てた。一人で行ったのは今日が始めてかもしれない。何もかもが変わってる気がする。
冷房が効きすぎてるせいで寒くなってきた。下に降りるエレベーターの中で僕は一人震えてた。
以前友達とビブレに買い物に行ったことがある。ベイスターズの優勝記念セールをやってた時だ。
親が買ってきた服ばかり着てた僕にはちょっとした冒険気分だった。その時初めて自分の金で服を買った。
今日、僕はその服を着てる。僕が正常だった時に選んだ服。友達にもセンスがいいと誉められた。
親には変なデザインだって言われたのを覚えてる。しばらく親が嫌いになった。
その頃親に「インターネットでどんな事をしてるのか」と聞かれて、うるさいなぁ僕の勝手だろって答えた。
親は僕のパソコンに干渉しなくなった。
僕がカイザー・ソゼである事を親は知らない。三木に狂わされた事も。「希望の世界」にもう一人の僕が居る事も。
ポケットの中のナイフは冷房のせいですっかり冷たくなっていた。高島屋から出た後も、僕はしばらく震えていた。
震えは家に帰っても止まらなかった。
9/13 晴れ
もう虫の声は聞こえなくなっていた。何時から聞こえなくなってたのかは覚えてない。
病院でまた例の男が話しかけてきた。ニヤニヤしたその笑い方がとても不愉快だった。
ねぇ知ってる?僕ね、オクダって呼ばれてるんだよ。本当は違う名前なのに変な女が僕をそう呼んでたんだよ。
僕はカイザー・ソゼ。格好いい名前だね。誰に付けて貰ったの?自分で考えたの?
僕はsakky。え?何?もう一回言ってよ。さっきと名前は違うじゃないか。それにその名前なんか嫌な感じ。
僕は     。オクダはまた泣きじゃくって何処かへ消えた。
僕は考えるのを止めることにした。オフ会まであと2日。三木の事も学校の事も病院の事も考えるのを止めた。
外は暑くて僕の着たシャツは汗でびしょびしょになった。何度もハンカチで拭っても汗は流れ続けた。
シャツが身体にぴったりとくっついて気持ち悪いかったのでシャツを脱いだ。電車の中だった。
周りの人が変な目で見る。僕はあわてて服を着た。汗まみれの服はさらに気持ち悪く感じた。
ナイフは机の引き出しの中に入れっぱなしだったからそこで振り回すことは出来なかった。
夜になってテレホーダイの時間になったらネットに繋いだ。
三木が新しい発言をしていた。
ゲリラオフ会追伸 投稿者:三木  投稿日:09月13日(月)
当日は何か目印があった方がいいですね。
来たはいいけどお互い誰か誰だかわかんないってなるのは困りますから(笑)。
何か無いかと考えた結果・・・・・
昔、僕の友達が聞いてたラジオの話なんですけど(聞くように誘われたけど私は聞かなかった)
ラジオを聴いてる証としてベルを付けるって言ってました。
そこで、私たちもベルを付けるってのはどうでしょう?
ハンズとかのアクセサリーコーナーで売ってると思います。
そのラジオが今どうなってるのか知りませんが
ベルつけて歩いてる人なんてみなさん見たことないでしょ?
結構良い案だと思うんですが。
他にもっと良い案があれば書き込みお願いします。
無いようならベルでいきましょう。時間も無い事ですし。
でわ。明後日をお楽しみに〜
明日東急ハンズでベルを買ってこよう。
9/14 曇り
ベルを振るとチリチリと貧相な音がした。鞄に付けて歩いてみるとまたチリチリ鳴った。
もうオフ会は明日に迫ってる。ナイフはここにある。今日は手に押しつけても切れなかった。
服装はどうしようかと悩んだ。明日も暑いだろうからTシャツを着ることにした。
黄色いTシャツと紺のジーンズ。灰色の帽子。あまり人に顔を見られたくないから帽子をかぶる。
午後1時。横浜駅西口東横線改札前。ベルを持った人を待つ。それ以上の事は考えない。
もういい。そこで何が起こるのか僕は知らない。知った後、どうなるのかもわからない。
明日はネットの中にいる僕と現実の僕とが一つになる。もう戻れない。
鈍い光を放っているナイフはキーボードの横に置いてある。刃は相変わらず冷たい。
手首に添えてみた。切れるわけがなかった。死んでどうなる。死にたくない。
明日の夜も僕はこうしてパソコンの前に座ってるんだろうか。明日の日記はちゃんと書けるのだろうか。
知らない。もう何も知らない。知ることが、できない。全ては明日わかることだ。
今は何も見えない。
Chapter:8 「夢」
9/26 灰色
今日やっと退院できた。
やっぱり頭の怪我ってのは大したことなさそうでも精密検査やらで時間がかかる。
病院のベッドで目が覚めるまで、とても長い夢を見た。恐ろしいほどリアルな夢だった。
日記。日記を書かないと。あれからもう10日経ってる。あの日に起きた事、書かないと。
9月15日のオフ会。あんな夢を見たのもオフ会に行ったからだ。
そこであんな目にあったからだ。
あの日、僕は予定通り黄色いTシャツと紺のジーンズ、灰色の帽子をかぶって出かけた。ベルも持って。
ポケットにはナイフを入れて置いた。JRを使って横浜へ。休日の電車はガキが多くて嫌だった。
オフ会n集合時間は午後1時。僕は12時半には横浜に着いていた。
鞄に付けたベルがチリチリなってうるさかった。駅の構内は人が多くて暑かった。汗が出ていた。
JRの改札を出て東横線の改札へ向かった。とりあえず行ってみて、誰もいなければブラブラしてるつもりだった。
東横線の改札に行くには階段を上らなきゃいけない。時間は早いけど誰かいるかもしれない。
ポケットのナイフを握ってみた。ぬるかった。ネルは相変わらずうるさい。階段に向かった。
階段を上ろうとしたとき、知らない男に話しかけられた。ベルをつけてた。
「ねぇ君、そのベルさ。もしかして『希望の世界』の人?」
20代後半くらいの男だった。30過ぎてると言われても違和感無い。太り気味で眼鏡をかけてた。
そうですけど、と答えた。こんなに早く出会う事になるとは思わなかったので少しとまどった。
「良かった!僕もね、そうなんだよ。オフ会に来たんだよ。まだ時間早いけど。」
ぼくはまたそうですね、と答えた。誰なんだろう。この男はネットでは何と名乗ってるんだろう。
「あの・・・名前は・・・?」僕はそいつに向かって聞いてみた。
「ああごめんごめん。自己紹介してなかったね。僕はね、昔よく書き込んでた『えんどうまめ』だよ。」
いきなりその名前が出てきて驚いた。何故今頃「えんどうまめ」さんが?今まで何やってたんだ?
「あ、ここで喋ってると邪魔だからちょっと端に行こうよ。」
確かに階段のは人通りが激しく、僕たちは結構邪魔になってた。だから端に寄った。逆側の、端に。
えんどうまめさんは「『希望の世界』ご一行行きマース」と叫んでベルを振りかざしながら歩いていった。
わざわざエスカレーターの下を横切って東横線改札のすぐ下から逆側の端に寄っていった。
ベルをかざすえんどうまめさんの姿を何人かはチラリと見たけどほとんどの人が無視してた。
僕は恥ずかしかったけどなんとかえんどうまめさんの後ろについていった。
「それでさ、君は?」
僕は拍子抜けした声で「は?」と答えた。
「だから、君のハンドルネームだよ。あそこじゃ何て名乗ってるの?」
僕はここで初めて自分が何と名乗るか考えてなかった事に気がついた。三木が直接来ると思ったから。
まさかえんどうまめさんが来るとは思わなかったから。僕には、堂々と名乗れる名前が無かった。
だからと言って答えないわけには行かなかった。仕方なく僕は答えた。
「K.アザミ」
えんどうまめさんは驚いた顔をして僕を見た。「えー!女の子だと思ってたよぉ!」
すいません、と僕は下を向いた。えんどうまめさんは歩き出していた。
「びっくりだよーびっくりだよー僕もずっとROMってた身だからそんなに人の事言えないけどさぁ」
僕は何も言わなかった。えんどうまめさんは階段を上ってる。僕も横に並んで歩いた。
駅の西口を歩いてた。東横線改札口は前を通ることなく過ぎてた。
「でもねぇその気持ちわかるよ。うん。男ってさぁやっぱ女に憧れるワケじゃん?ねぇ?」
僕はこれで3回目となる「そうですね」のセリフを言った。
西口の地下街へ抜ける階段を横に見ながらモアーズの方に歩いてた。
僕はえんどうまめさんについていってるだけだった。東横線の改札は人混みに邪魔されて見えなかった。
「女のキャラを演じるのってさぁなんかね。イイんだよね。あ、君ってさ、中学生?」
はい。中学3年生です。素直に答えてた。
モアーズの横まで来てる。この人は何処に行くんだろう。そんな事を考えてるとモアーズの横を通り過ぎた。
「ところでさぁ他の人たちってどんな人なんだろうね。どう思う?ねぇ。ねぇ」
居酒屋等がある雑居ビルが並んでる裏路地っぽい所を歩いてた。
「他の人?」と僕はおうむ返しに聞いた。
「そうそうそうそうそうそう他の人他の人他の人。特にさささsakkyさんについてはどう思いますか?」
工事中のフェンスに囲まれる狭い道に入った。僕たち以外誰もいない。えんどうまめさんは立ち止まった。
「どう思いますか?ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇぇぇ」
「sakkyさんは・・・別に・・・・僕は」僕は突き飛ばされた。固いフェンスに頭をぶつけた。一瞬クラっとした。
「何が別にだよぉぉぉぉぉぉぉお前がぁぁぁぁお前がぁぁぁぁsサキの名前を使うなよぉおおお」
僕はポケットのナイフを握りしめていた。固く、固く握った。
「お前中学生なんだろ?わかってんだようお前がカイザー・ソゼだろ違うのか違うのか?」
一瞬ヤツの顔が曇った。違ったらどうしよう、と思ってるんだな。でも、正解だ。
僕もその時わかった。えんどうまめが三木だ。目の前に居るヤツが、三木だ。
僕はまた突き飛ばされた。鞄のベルがとれてチリチリと鳴りながら落っこちた。
「お前が変な事するからサキちゃんいなくなっちゃったじゃないかよぉお前が悪いんだぞお前がお前が」
「ちょっと!何してるのよ!」
女の人が路地に入ってきた。三木はぅぅぅと唸って、逃げた。女の人は倒れた僕に走り寄った。
「悪いけどそこで立ち聞きしてたわ。確認するけど、あなたはカイザー・ソゼで、sakkyの名を騙ってたのね?」
はい。そうです。あなたは誰です?どうしてここが?
「私は本当の三木。あいつは、たぶん悪さをしてる方のニセモノの三木。あいつ、何か言ってた?」
えんどうまめって名乗ってました。どうしてここが?
「本当?確かにえんどうまめって言ったのね?」
本当です。どうしてここが?
「なんであいつが・・・」
どうしてここが?
「あれだけ大声で叫ばれちゃわかるわよ。私も改札前に行く途中だったから。」
どうしてここが?
「それで、あなた達をつけたの。話は聞こえなかったけど、この工事中の路地に入ってからは静かだったから。
そこの門にいたら話が聞こえるようになったよ。あいつがカイザー・ソゼって叫んでるあたりから聞いてた。」
「あ!あいつあっちで私達見てる!」
僕、今ナイフ持ってるんですけど
「また逃げた!私、あいつを今から追ってくる!」
僕まだナイフ握ったままなんです
「何言ってるの?まぁいいわ。あなたはこれ見て自分のしてきた事の重さを知りなさい!」
フロッピー・ディスクですね
「私の本名はワタベミキ。あなたは?」
K.アザミ
「やば!あいつ見えなくなっちゃった。じゃ、私行くね!その中身、ちゃんと読むのよ!」
もう走り始めてますね
「それ読んで、自分のやるべき事を考えなさい!」
ワタベさん行っちゃった。
ナイフ、握ったままなんですけど。ねぇ、ナイフ。ポケットの中で、僕ナイフ握ってます。握ってました。
僕は立ち上がり、来た道を戻った。頭が痛かった。
午後1時5分。僕は東横線改札前を通った。僕にはベルは無かった。他につけてる人も見あたらなかった。
切符を買って改札をくぐり、階段を上ってホームに着いた。電車が来てたので乗った。僕は家に帰った。
家につくと僕は自分の部屋に戻った。ナイフは握りっぱなしだった。机にしまった。フロッピーもしまった。
ここで、僕の記憶はとぎれた。
たぶんフェンスに頭をぶつけたときの打ち所が悪かったんだと思う。それから3日以上、僕は眠り続けた。
妙な夢を見た。いや、夢と呼ぶにはあまりにリアルすぎる。
そこは妙にあかるい場所だった。僕は黒いコートに黒い帽子をかぶり、金の腕時計をしてた。
映画で見たカイザー・ソゼの格好そのままだった。僕は自分がカイザー・ソゼである事を認めた
色んな人が歩いてた。でも、老人はいなかった。みんな若い人たちばかりだ。
中には小学生っぽい女の子もいた。カッコイイお兄さんと一緒に会話しながら歩いていた。
しばらく見てると、二人は別れた。小学生の女の子が帰るそうだ。手を振りながら帰っていった。
カッコイイお兄さんは何処かにいってしまった。小学生の女の子を見ると、そこにはもう居なかった。
男の人が立ってるだけだった。その男の人は人混みの中に入っていって何か喋ってた。
とても楽しい話をしてるらしく、人だかりができた。離れていく人も居た。その人達は違う場所でかたまってた。
僕は別の場所へ歩いていった。誰かに会った。顔がよく見えないので誰だか分からなかった。
僕は女になってた。自分の顔は見えないのでどんな風になってるのかよく分からない。
顔がよく見えないその人も女の人っぽかった。僕に話しかけてる。何て言ってるのか聞こえた。「sakkyさん」
僕は自分がsakkyさんになってる事に気付いた。自分の顔がはやっぱり見えなかった。
僕たちは一緒になって話してた。僕と、顔の見えない人と、ワタベさんとで。
ワタベさんは話をするたびに顔がえんどうまめになったりした。何も喋らないと特徴のない男の顔になってた。
その顔がどんなものなのか思い出した。僕がイメージしてた三木の顔だ。
三木は顔のよく見えない女の人に近づこうとしてる。辿り着けなかった。何処にいるのかわかってない。
ワタベさんの顔になると簡単に近付くことができてる。えんどうまめになるとまた近づけなくなる。
いつのまにえんどうまめは離れた位置に座ってた。そこでずっと僕たちを見てた。
僕と顔の見えない女の人とワタベさんはずっとお話をしてた。
僕はベットで目が覚めた。それから数日間、精密検査やらで入院が長引いた。
僕は駅の階段で転んで頭をぶつけたと言った。親は僕の精神状態まで心配してた。
発作的に自分から転んだんじゃないかとまで疑ってた。さすがに僕もそこまではしない。
事故ということでみんな納得した。
久々に家に戻り、日記をつけてる。日記?これは日記だよ。僕が、僕の物語を綴ってる。
三木の事、ワタベさんの事、もらったフロッピー。今は何かを考えるような事はしたくない。
まだ夢見心地のままの僕。何がどうなってるのか、まだ把握しきれてない。
オフ会の時に吹いていた強い風ももうとっくに収まってる。
僕は頭を抱えて画面の前に座ってる。時々思い出しようにこの日記を書く。
この文章を書き終えたらまた僕は頭を抱える。痛い。頭が、痛い。
痛い・・・・。
- 第2章 再始動 -  完
サキの日記   第2章 「再始動」 みんな死んじゃう。
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第五節 「接触」
8/22 晴れ
「希望の世界」にアクセスすると管理人のsakkyさんが向かえてくれました。
sakkyさん。私と名前が似ててなんだか嬉しいです。最近リニューアルしたらしいことが書いてありました。
何故「希望の世界」に懐かしさを感じてしまうのか私にはわかりません。そして何故、悲しくなるのでしょうか。
掲示板に行くと名前の欄に「渚」と既に書いてありました。「希望の世界」では私は「渚」になるのでしょう。
挨拶をして今日の所はおしまいにしました。sakkyさん、何か返事をしてくれるかな。
なんだかドキドキします。
8/23 晴れ
「希望の世界」に「K.アザミ」が書き込んでました。「初めまして」だって。アザミ!来てくれたんだね!
身体はバラバラになってしまったけど、アザミの意志はまだ生きてる!嬉しい。アザミがいてくると心強いよ。
でも「K」って何なんでしょう?何かの英語の略かな?Keep?Kind?なんか違うな。K・・・・・K・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・「Killed」。殺されたアザミ。そっか。こっちのアザミはオクダに殺されちゃったんだよね。
だけどあっち側・・・・・・「希望の世界」の方では意志が生きてる。少し寂しいけど私は全然平気だから。
また一緒に遊ぼうよ。
8/24 曇り
sakkyさんが返事をしてくれました。三木という人も書き込んでました。色んな人がいて楽しいです。
三木さんは「やっと来てくれましたね」とだけ発言してます。誰に向かって言ってるんだろう?ひょっとして、私?
私が感じた懐かしさ、三木さんの発言、やっぱり私は「希望の世界」に来たことがあるのかな?思い出せない。
病院で目覚める前の記憶は相変わらずポッカリと抜け落ちたままです。このまま一生戻らないかもしれない。
・・・・・・戻らなくったって構わない。私は今新しい世界で生きてる。それで充分だよ。
辛い思いはもう、嫌。
8/25 晴れ
K.アザミが私に話しかけてくれました。「ここでは自分に正直になるべきですよね。渚さんもそう思いません?」
律儀に「さん」付けしてくれてます。アザミ、私もそう思うよ。「本音で話しあえるのっていいよね。」
私もちゃんとレスしておきました。本音で話し合う・・・・・・。書き込んだ後、私は少し不安になりました。
本当に?本当にみんな本音で話してくれてるのかな?私とアザミはちゃんと自分の姿をさらけ出してる。
sakkyさんは?三木さんは?信用しても大丈夫なんでしょうか。私の中の何かが訴えてきます。
シンヨウスルナって。
8/27 晴れ
今日はお母さんから電話がありました。今度ワタベさんという人が面会に行くので会って欲しいとの事です。
別に会うのは構わないけど・・・・なんでその名前を懐かしく感じてしまうんでしょうか?
「希望の世界」と同じ響きを持ってるように思えます。またあの感じ。私はワタベさんに会ったことあるのかな?
目を閉じて体中の神経を研ぎ澄ましてみました。身体に染み込んだ記憶の中にワタベさんは・・・・・・
居ない。少なくともこの身体はワタベさんという人との接触は体験していません。断言してもいいと思います。
私は、ワタベさんに会ったことがない。
8/29 晴れ
ワタベさんが面会に来ました。思った通り見た事のない顔でした。彼女も私の顔を知らなかったらしいです。
お互い「初めまして」と挨拶した後、ワタベさんは話し始めました。
「あなたがサキさんね。あなたが記憶を失う前の日記、見せてもらったよ。はっきり言って、凄くショックだった。」
「正確にはあなたと、あなたのお兄さんの日記・・・・ごめん、嫌なこと思い出させちゃったかな。」
「でもね、一番ショックを受けてるのは『渚』さん・・・あなたのお母さんだから。」
「今はあなたが『渚』さんだけど、それはクッキーのせいで・・・説明すると長くなる事なんだけどね。」
「私はあなたを『サキ』さん、あなたのお母さんを『渚』さんって呼ばせてもらってるの。」
「私が会いに来たのはね、今『希望の世界』を管理してる『sakky』が誰なのかを知りたいから。」
「自己紹介が遅れたね。私は『希望の世界』では『三木』って名前を使ってます。」
「でも最近『三木』って名前を他の誰かが勝手に使ったりしてるの。私はそれが誰なのかも知りたいのよ。」
「今のあなたにはわけがわからないかもしれないわね。今日はとりあえず私の存在を知って欲しかったの。」
「夏休みが終わるまでにもう1度来るね。いいでしょ?」
私はいいですよ、と答えました。私もこれだけでワタベさんとの関係を終わらせるのは嫌でした。
今日のワタベさんの話は私にはほとんど理解できないものでした。けど、とても重要な事であると感じました。
他にも私にはわからない話を一方的に話した後、ワタベさんは帰っていきました。
私はベットの下からアザミを取り出し、そっと語りかけました。私の周りで色んなことが動き始めてる。
なんだか怖いよ。
8/31 晴れ
またワタベさんが来ました。今日も私にはわからない事を話して帰っていきました。
今のsakkyが誰なのか。最近現れたもう一人の三木。K.アザミ。ワタベさんはアザミを知らないみたいです。
ワタベさんの話によると、ワタベさんは私のお母さんの代わりに色々動いてるそうです。
「渚さんはそっとしといてあげたくて。」と言ってました。私は何故そんな事をするのか聞いてみました。
日記のせいだと答えてました。「あの日記を読むとね、ほっとけないのよ。あたなと、あなたの『希望の世界』を。」
私はその言葉の意味を理解することはできませんでした。けど、私は確実に何かに巻き込まれてる。
それだけはわかります。
第六節 「信用」
9/1 晴れ
今頃「外」では学校が始まってることでしょう。そういえば毎年この日には防災訓練なんてしてたっけ?
そんな事実があった事はなんとなく覚えてる。けど、具体的にそれを行ってるイメージは沸いてきませんでした。
ワタベさんが電話で「今度こっちから仕掛けるから。サキさんは私以外の人を信用しないでね」と言ってました。
私はワタベさんをあまり信用してませんでした。だからそう言われた後私はどうしたらいいかわかりませんでした。
でもK.アザミが掲示板に「一人じゃ何もできないでしょ?」と書き込んでたので考え直しました。
確かに一人じゃ何もできないもんね。わかった。私、決めたよ。ワタベさんとアザミだけを信用する。
それでいいよね。
9/2 晴れ
ワタベさんが何をするつもりなのか私には想像がつきません。仕掛けるって言ってたけど・・・・。
「希望の世界」には今日は誰も書き込んでませんでした。sakkyさんも最初だけだったな。何やってるんだろう。
sakkyさん。どんな人なのかな。私はsakkyさんの姿を想像してみました。うまくいきませんでした。
何も浮かんでこない。こんなの初めてです。思い出せないとかイメージが沸かないとかじゃありません。
頭の中に何も現れてこないんです。影の中に埋もれたまま、光のある方へ出てこようとしないみたい。
不思議な感覚です。
9/3 曇り
今日も「希望の世界」には誰も来てません。みんなどうしちゃったんだろう?アザミまで来ないなんて。
妙にしん、としてる気がします。こんな時ふさわしい言葉があった気がするな。なんだっけ?
それはすぐに浮かんできました。「嵐の前の静けさ」。この言葉が本当にふさわしいのかわかりません。
ただ思いついてしまっただけです。それ以外特に日記に書くことが思い当たらなかったから。
なんだか寂しい1日でした。
9/4 晴れ
今日も何も無し。「希望の世界」には誰もいません。ワタベさんからの連絡もありません。
夕方頃、くしゃみが出ました。別に風邪をひいてるわけでもないけど勝手に出ました。
誰かが私の噂でもしてたのかな?私の話をする人って誰だろう。お母さんかな。ワタベさんかな。
オクダだったらヤだな。暇だったのであんな奴の名前まで思い出してしまいました。
こんな事しか日記に書くことはありません。暇だよアザミ。「希望の世界」に来てよ。
今日も寂しい1日でした。
9/5 曇り
先生からお話がありました。「今度君に面会したいって人がいるんだけど、どうかな。」
その人がどんな人なのか説明してくれましたが、どんな人にもかかわらず私は会うつもりありませんでした。
ワタベさんとアザミしか信用しないって決めたから。この病院に通ってる中学生なんて私には関係有りません。
パソコンを趣味にしてるから話があうかもしれないって話は納得できるけど、その人信用できるかは別問題です。
私は断りました。先生は少し残念そうな顔をしたけどまぁ仕方ないなっ言ってました。
先生が行って部屋で一人になった時、とても嫌な気分になりました。断ってはいけなかったのかもしれないって。
だって仕方ないよ。信用できないんだから。決めたんだから。わかってるのに。なんで後悔してるんだろう。
「希望の世界」で「K.アザミ」が書き込んでくれました。昨日のお願いが効いたみたい。
「大丈夫。落ち着けば気分も良くなるよ。」・・・・そうだよね。考えたってどうしようもないもんね。ありがとうアザミ。
少し楽になったよ。
9/6 晴れ
ワタベさんから連絡がありました。「明日は絶対『希望の世界』につないでね」と言ってました。
いよいよ何かを始めるつもりらしいです。今日はsakkyさんも書き込んでました。私も書き込みました。
誰かが私を呼んだ気がしました。この前私の話をしてた人かな?なんでそんな気がしたんだろう。
近頃理由もなく色々な感情が私の中に流れてきます。そして、「そんな気がする」って感じることが多い。
自分がよくわかりません。
9/7 雨
ワタベさんに言われた通り「「希望の世界」に繋ぎました。そこにはゲリラオフ会のお知らせが書かれてました。
9月15日、午後1時、横浜駅東横線改札前に集合らしいです。私は病院から出られないので行けません。
でもその事を書いては駄目なんだそうです。誰が来るのか分からないようにしたいからって。
来れる人だけが勝手に来るオフ会って言えばいいのかな?行けない私はどうすればいいんでしょうか?
ワタベさん、私に何をして欲しいの?これから何が起ころうとしてるの?わからない。わからないよ。
私の頭の中はワケの分からない事だらけ。ワタベさんに対する信用するだけが私の心をつなぎ止めます。
私は
第七節 「序曲」
9/9 晴れ
今日もワタベさんと電話でお話しました。私はどうすればいいのか聞いてみました。
「サキさんは何もしなくていいです。適当に話を合わせて下さい。」
「あと、当日は『渚』さんの名前を貸して貰います。構わない?」ええ、構いません。
いつも用件だけで電話が終わってしまいます。考えてみると私はワタベさんのことを何も知りません。
電話を切る前に私はワタベさんにお願いをしました。「オフ会の前に一度会えませんか?」
いいですよ、と返事が返ってきました。私達、もっと話をしなくちゃいけないと思うんです。
ワタベさんをもっと知りたい。
9/10 晴れ
まだまだ暑い日が続きます。「作業」に出るたびに汗がびっしょりになってしまいます。
そんな中、ワタベさんについて思いを張り巡らしてみました。あの人、どんな人なんだろう?
いつも私には分からない話か用件だけを話しておしまい。どんな事を考えてるのか想像つきません。
おそらく私には決して想像し得ないものがワタベさんを動かしてるんだと思います。
「希望の世界」ではK.アザミが「オフ会参加は・・・っと。言っちゃいけないんでしたね。でも楽しみですよね」
との書き込み。アザミもワタベさんに会いたいの?でもこっち側での身体がないからあなたには無理だよ。
会えないよ。
9/11 晴れ
sakkyさんも書き込んでくれたから私も書き込んでおきました。「行きたいけど行くかは秘密ね」
これで行くことをほのめかすことはできたと思います。実際に行くのはワタベさんだけど。
ワタベさんはオフ会なんか開いて何をするつもりなんでしょう?sakkyさんの姿を見たいだけ?
それだけでも十分理由にはなるかな。私もsakkyさんの姿を見たい。でももっと何か有るような気がします。
もう一人の三木さんの事も知りたがってっけ。アザミは私のベットの下に居るけど・・・あの姿じゃ見せられないよ。
ワタベさん、何考えてるの?
9/12 晴れ
ワタベさんに抱きしめられたとき、私は何が起こったのかうまく理解できませんでした。
約束通りワタベさんはオフ会の前に私に会いに来てくれました。オフ会で何をするつもりなのか聞いてみました。
そこで、突然抱きしめられました。「もう、何もしなくていいのよ。」って言ってくれました。
「あなたは、もう十分酷い目にあったから。嫌なことは忘れなきゃね。あとは私にまかせて。」
とても哀しい顔でした。「何も知らないくせにsakkyの名前を使う奴に、事の重さを思い知らせてやるの。」
思い出せない私の過去が、ワタベさんを動かす原因だって言ってた。私は一体・・・・?
部屋の隅で虫が這ってる。
9/13 晴れ
「希望の世界」ではゲリラオフ会について追記がありました。みんなベルをつけて来るんだって。
ラジオがどうのと書いてありましたが私はそんなラジオ知りません。ベルをつけると聴いてる証?変なの。
それにワタベさん。最初は1人称が「僕」だったのに途中から「私」に変わっちゃってるよ。うっかりしてたのかな。
私は「ベルはイイ考えだと思う!」と書いておきました。これでワタベさんも行きやすくなったと思います。
もうオフ会は明後日。何が起こるのか想像つかないよ。
心配・・・・。
9/14 曇り
とうとうオフ会は明日になりました。私は何もできないけど、ここで祈ってるよ。何も起きませんようにって。
ワタベさん、頑張って。きっとうまくいくよ。だってそんな予感がするから。でも嫌な予感もするの。
もう私にはわけがわかりません。明日のことは明日にならないと知ることはできないんだから。
「希望の世界」に繋ぎました。ここに書き込んでる人だけじゃない。これを見てる人だって来るかもしれない。
画面に向かって小さく叫びました。「あなた達、一体何者なの?」
誰か答えてよ。
9/15 風が強かった
今日はオフ会です。午後1時過ぎ、ワタベさんから電話がありました。
ワタベさんが言った事を正確に書き留めます。
「今携帯からかけ・・・けど、時間無い・・・・かに話す・・・。誰が、何なのか分かった・・・・・・!
今・・・・を追ってるトコなの・・・。あと・・・にも会った・・・。・・・・・・に!あ、ごめん!今から地下入る・・・切るね!
じゃ!・・・・・連絡する・・・・・!」
私が聞き取れたのはこれだけでした。携帯の電波の調子が悪かったらしいです。それとも風のせいでしょうか。
ワタベさんはとても急いでるようでした。走りながら電話してたみたいです。
その後、ワタベさんからの連絡はありません。
「希望の世界」には誰も書き込んでません。誰もいません。何なの?みんな何処にいっちゃったの?
ワタベさん、今どこ?教えて下さい。あなたは今どこにいるんですか?何が起きたんですか?答えて下さい!
ねぇ、ワタベさん!
第八節 「無音」
9/16 曇り
オフ会から1日たちました。ワタベさんからの連絡は未だにありません。
ワタベさんはオフ会で誰かに会った。これは間違いないと思います。でも、会ったのは一人だけじゃない。
誰かを追ってた。「あと・・・にも会った・・・。」とも言ってた。確かに「にも」って言った。と言うことは・・・二人?
誰がなんなのか分かったって・・・・・ワタベさんはsakkyさんともう一人の三木を知りたがってたんだから・・・・
その二人に会えたって事かな?じゃぁその二人は今どこに?ワタベさんから連絡無いのと何か関係が?
どうなってるの・・・・・
9/17 小雨
2日目。今日もワタベさんからの連絡はなし。何の音沙汰もありません。
今日はかなり涼しかったです。半袖では寒いくらい。ワタベさん、おとといはちょっと暑かったから半袖のまま?
ちゃんと長袖着てるかな?風邪ひいてない?大丈夫?気になって仕方ないよ。早く連絡下さい。
お願いです。
9/18 晴れ
今日で3日目。まだ連絡がありません。
お母さんから電話が有りました。「そっちにワタベさん来てない?」って。
ワタベさんはお母さんにも後日連絡すると言ってたらしいのですが、やっぱり未だ連絡が無いそうです。
何処に行ってしまったの?ワタベさん。もう3日目だよ。おかしいよ。連絡するって言ったじゃない!
「希望の世界」には誰も来てない。みんな、消えた。消えてしまった・・・・・・。
ワタベさん・・・・。
9/19 ・・・・
ワタベさんが死にました。
9/20 雨が少し
昨日ワタベさんから来たメール
こんにちわ。サキさん。
このメールをあなたが読む頃には私はこの世に居ません。
私にはもう耐えられないの。関わっちゃいけないことに関わっちゃったみたい。
サキさん。あなたもこれ以上「希望の世界」に関わっちゃダメ。
相手は、私が思っていた以上に・・・・はるかに・・・・手強かった。
狂ってる。そう。あいつは狂ってる。そして私も、狂わされたわ。
あいつのせいで私は狂ってしまった。その結果がこれ。
でもね、私はあいつに狂わされたから死ぬわけじゃないの。
あいつを狂わしてやるの。
怨恨、憎悪、あらゆる負の感情を抱えて死んでやるわ。
そこまでしないとあいつを呪えないでしょ?
私はね、サキさん。あのオフ会に行かなければ良かった、なんて思ってないのよ。
後の事を彼に託す事ができたから。彼はきっと、あなたを救ってくれるから。
カイザー・ソゼ。この名前を覚えておいて。あいつに対抗できるのは彼しかいないわ。
最期にもう1度言うけど、「希望の世界」にこれ以上関わっちゃダメ。
あいつにつけ回される事になる。・・・・そう言えばサキさんは以前にもあいつに・・・・昔の話は止めるね。
どうしてあいつが今自由にしてるのかはわからないけど、とにかく危険だから。関わってはダメよ。
家まで来るから・・・・ストーキングって・・・・されて初めて分かったけど・・・想像以上に怖いのね・・・・・。
ちょっと長くなっちゃったけど、私そろそろ逝くね。
人って簡単にノイローゼになっちゃうんだね。
そして、簡単に死を選んでしまうんだね・・・・。
サキさん。私は死ぬけど悲しむ必要は無いよ。
あと渚さんには秘密にしておいてね。これ以上ショックを与えたくないから。
私は今からお風呂場に行って手首を切ります。
じゃあね。風邪引かないように気を付けてね。
さようなら。
9/23 寒い
ワタベさんからのメールを読んだ後、私はしばらく泣いてました。
もう日記を書くのを止めようと思いました。何をする気にもなれなかったから。3日前の日記が最後のつもりだった。
今日「希望の世界」を覗いたらワタベさんの忠告通り二度と行かないようにしようと思ってました。
この書き込みさえなければ。
kekeke自殺してやんの 投稿者:真・処刑人 投稿日:09月23日(木)
ワタベミキ。死に追いやってやったゼ。
案外脆かったな。ウフフ。
許せない。ワタベさんの死を侮辱するなんて・・・・・!
ワタベさん、こいつのせいで自殺を選んでしまったの?こいつが全部いけないのね?
悔しい。悔しいよ。病院から出れない事をこんなに悔しく思ったのは初めて。ワタベさんを助けてあげたかった。
私も・・・・こいつ狙われてるのかな?「希望の世界」に関わるなって言ったのはこいつに狙われるから?
ごめんねワタベさん。あなたの忠告を無駄にしちゃって。私、まだ「希望の世界」に残るよ。
あなたの敵を討ちたいの。それに・・・カイザー・ソゼ。この名前覚えたから。私、一人じゃないんでしょ?
まだ終われないよ。
9/24 雨
台風はここまで来ることなくそれていきました。明日はきっと晴れると思います。
お母さんから改めてワタベさんの死を聞かされたとき、私は泣きませんでした。
その後ベット下からアザミを取り出してずっと抱きしめてました。
ワタベさんは結局アザミとは会わなかった。会えなかった。
色々動いてくれたワタベさん。今度は私が動く番だね。
外の雨はもう止んだみたい。雨の音が聞こえなくなった。やっぱり明日は晴れるよね?
しんとした静けさが辺りを包んでます。
- 第2章 再始動 -  完
カイザー日記   第3章 「鎮魂歌」 僕に何が言える。
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Chapter:9 「僕の日記」
9/29 雨
また頭痛が。退院してからもまだ僕の頭は痛み続ける。怪我のせいじゃない。
パソコンの画面の前で頭を抱える僕。マウスがラックにぶら下がったまま。
僕は、なんて愚かなことをしてたんだろう。全部自業自得だ。ノイローゼになるくらいじゃ償いきれない。
謝りたい。反省してることを伝えたい。でも、どうすればいい?
あの人の壮絶な人生を僕は踏みにじった。岩本早紀さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ワタベさんからフロッピーを開いたのが二時間前。
そこに入ってた「僕の日記」。全てを読み終えたとき、僕は涙を流していた。
ワタベさんが言ってた。「これ見て自分のしてきた事の重さを知りなさい」って。
「希望の世界」は僕のモノなんて。バカだよ。僕は馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
バカ
9/30 晴
久々に「希望の世界」に繋いでみた。ワタベさんが殺されてた。
僕はまた画面のの前でうずくまった。頭が痛んだ。痛みは今でも続いてる。
殺ったのはえんどうまめ、遠藤智久だ。そして、僕を狂わせたのも。僕もヘタしたら自殺してたかもしれない。
自殺するまで追い詰めたのなら、それは殺したのと同じだ。ワタベさん・・・・無念だっただろうな・・・。
けど、ヤツは何でこんなに動き回れるんだ?日記には警察に捕まったって書いてあるのに。
保釈金を積めば出れるとか聞いたことあるけど、それなのか?
いずれにしよ、このままヤツをのさばらせておくのは危険だ。
早紀さんに異常なほど愛情を注いでた。sakkyの名を騙っただけでも僕はターゲットにされてる。
sakky。早紀さん。あれからどうなったんだろう。生きてる?生きてるはず。死なないって感じてたんだから。
ワタベさん。そうだ、ワタベさんがあんなに動き回ったのは、早紀さんが生きてる証拠じゃないのか?
死んだ人の為に動くより、今生きてる・・・恐らくあまりマトモでは無い状態の早紀さん・・・・の為に・・・
動いてた、と考える方が納得できる。ああ、でも死んじゃった故に動き回ってるって可能性も・・・。
待て。ワタベさんはなんで「僕の日記」、早紀さんと早紀さんのお兄さんの日記を知ってるんだ?
そんな描写なかったぞ?何でだ。どうやって知ったんだ。どうやって?自力で探したのか?それとも誰かが?
誰かって・・・・渚さん。早紀さんのお母さんじゃないか。今も、「希望の世界」にいるじゃないか。
ワタベさんは早紀さんのお兄さんと深く関わってた。早紀さんのお母さんと知り合える事も可能だった!?
落ち着いて事態を把握しろ。ゆっくりでいいから、考えるんだ。
何が、どうなってるのか。
10/1 曇り
1日中考えてた。でも答えはでなかった。
僕がsakkyの名を騙ってる間、渚さんは特にその事には触れてこなかった。
ワザと何も知らないフリをしてたのか。それとも他に何か考えがあって・・・・考えって何だよ。
偽sakkyの正体を見極める為の罠でも張ってたのか?それはワタベさんがしてたじゃないか。
渚さんの行動の意味が僕にはわからない。僕が乗っ取った「希望の世界」は、明らかに以前のものとは違ってる。
三木も遠藤智久とワタベさんの二人が演じてた。となると、渚さんも他の誰かが?他の誰かって、誰?
なんだよ。意味ワカンナイよ。どうなってるんだよ。頭がこんがらがってきたよ。また痛むよ。畜生。
病院行っちゃったよ。藤沢の精神病院の方に。頭の痛みを取ってくれよ。
入院してた病院の方じゃ痛みが取れなかったんだよ。こっちなら痛み取ってくれると思ったからさ。
だから痛いんだって。痛いと思いこんでるだけだって?ふざけるなぁ
ねぇ先生。僕は頭が痛いんです。先生は医者でしょ?だからね。治して欲しいんです。
今日中には無理だって。また時間がかかるって。僕には時間が無いんだよ。僕はしなきゃいけないことが。
だってワタベさんが。自分のやるべき事考えろって。何かを。何か。何を。、mんぶあえほvにゅおふぁ
早紀さん。生きてるんですか?「希望の世界」は見てるんですか?
答えてよぅ
10/2 晴れ
今日も先生に相談した。自分が何をすればいいのかわからないんです。
たくさん考えなくちゃいけない事があるんです。先生も一緒に考えて下さいよ。ねぇ先生。先生。先生。
なんで怒るんですか。いい加減にしろなんて患者に言っちゃいけないですよ。先生、医者じゃないんですか?
パソコン使ってる患者さんの紹介もしてくれなかったじゃないですか。お前なんかに会わせられない?
酷いですよ。僕は患者ですよ。医者は患者にごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
もう変な事言いませんだからもう怒らないで下さい怖い怖い怖いコワイコワイ
オクダお前になんで謝る癖がついたのかわかったよ僕もそうなりそうだ
早紀さん希望の世界を取っちゃってごめんなさいワタベさん見殺しにしてごめんなさい
岩本亮平さんあなたの日記を読んでごめんなさい遠藤智久さんちくしょうお前には謝らないぞ
ワタベさん何故僕に早紀さんの日記を読ませたんですか僕にどうしろと言うんですか
遠藤智久も逃げやがったまたハッキングしてくるかなもしかしてワタベさんもハッキングされました?
僕と同じ方法で、狂わされた。自殺まで、追い詰められた。そうですね?
遠藤智久。全てヤツがいけないんだ。僕は・・・・僕がしなきゃいけない事って・・・
ワタベさん?
10/4 晴れ
ワタベさんからメールが来てた。あのアカウントのメールチェックをするのは久々だったから。気付かなかった。
それは、自殺直前に書かれたものらしかった。
こんにちわ。カイザー君。あなたがこのメールを読む頃、私はもうこの世にはいません。
なんでこんな事になっちゃったか・・・・それは私にもわかりません。
あの時、遠藤智久を追いかけなければ?オフ会に行かなければ?オフ会を企画しなければ?
言い始めたらキリがありません。結局、「希望の世界」に関わったのが全ての始まりだったのかもね。
それは、あなたも同じでしょ?何でこんな事に・・・・とか、考えた事あるでしょ?
お互いもう諦めましょうよ。もう戻れないのよ。私も。カイザー君も。
私は居なくなるけど、カイザー君にはやって欲しい事があるの。
もう「僕の日記」は読んだ?あのフロッピーに入ってたでしょ?
sakkyの名の重さ、わかったわよね。あの娘の壮絶な人生が詰まってるのよ。あの名前には。
あなたは遊び半分だったのかもしれないけどね。遊びで扱えるようなものだった?
罪の意識があるのなら・・・・その罪、償って。
sakkyを救って。あの娘はまだ生きてるよ。以前の記憶を失ってね。
遠藤智久の最終目標は彼女よ。
あなたにちょっかい出した(出されたんでしょ?)のは、sakkyの名を勝手に使ったから。
sakky宛にメールを送ればカイザー君に届くようにしちゃったから。そうでしょ?
間違ってもこのメールを奴に見られないでね。ハッキングにはくれぐれも気を付けて。
ハッキング、されてたんでしょ?私がされてカイザー君がされてないっ事は無いからね。
念のためにこのメールはすぐに消してくれる?
これから書く事メモしておいて。メモしたら、すぐメールを消すのよ。
早紀さんの居場所は
居場所は・・・・・居場所は・・・・・僕の・・・・・通ってる・・・・病院だった。
メールの最後は「最後にあなたの本名、知りたかったな。」と締めくくられてる。
早紀さんが、生きてる・・・。
10/6 晴れ
授業中、僕は震えていた。それは突然僕の心に沸いてきた。
オクダ。僕のが知ってる限り、オクダという名の人物は二人しかいない。
病院で知り合ったオクダと。「僕の日記」に出てきた早紀さんの元恋人、奥田徹。
以前病院のオクダは言ってた。
「ねぇ知ってる?僕ね、オクダって呼ばれてるんだよ。本当は違う名前なのに変な女が僕をそう呼んでたんだよ。」
変な女が奴をオクダと呼んだ。早紀さんは記憶を失ってあの病院にいる。恐らく、「中」の方だ。
オクダは以前「中」に居た。早紀さんも「中」に。他人をオクダと呼ぶ女の人。記憶を失ってる早紀さん。オクダ。
僕は頭が真っ白になるんじゃないかと思うくらい震えた。心配した先生が「大丈夫か?」と聞いてきた。
ちょっと気分が悪いんです。先生は僕を保健室に連れていってくれた。みんなも心配そうに僕を見てた。
保健室で熱を計ると37度6分だった。ほっとくとどんどん上がっていきそうな勢いだった。
風邪引いてるみたいだから家に帰った方がいいよと言われた。季節の変わり目には多いから、と付け加えて。
帰りの電車で、僕は身体が異様に熱を持ってきたのを感じながら一つの結論に達していた。
オクダは早紀さんと会ってる。
奴をオクダと呼んでいた女の人は早紀さんに違いない。記憶を無くしたからそんな風になってしまったんだ。
確固たる根拠は、無い。でも虫の声が聞こえてきそうだった。「その通りだ」って。
虫の声は聞こえない。けど僕にはどうしてもそれが間違えてるとは思えなかった。
何故早紀さんは奴をオクダと呼んだか?恋人の記憶にすがりついていたのか?
いや、「僕に日記」は虫の日記でもある。早紀さんに生まれたもう一人の人格。虫は、奥田徹を嫌ってた。
と言うより、早紀さんの兄である亮平さんが嫌ってた。イジメられてた。虫はその記憶を引き継いでるから・・・・・
どちらにしろ「オクダ」という名前に深い関わりを持ってる事には変わりない。
熱はまだ下がらない。日記を書くために起きてきたものの、体のだるさがとれない。
ああ、寝る前にもう一つ書くことがあった。僕がオクダと早紀さんが会ってるという直感が正しいと思う根拠。
根拠と言う程じゃないけど・・・・。虫。僕は以前虫の声を聞いた。そして「僕の日記」は、虫の記録。それだけだ。
僕の中の虫はもう消えたのかな。
Chapter:10 「オクダ」
10/9 曇り
風邪のせいで数日学校を休む羽目になった。今日はもう熱は引いてる。
病院に行ってオクダに会おうと思った。オクダの話が聞きたい。ベンチに座ってれば奴から話しかけてくるはず。
ずっと待ってた。ずっとベンチに座ってた。
オクダは来なかった。病院中探し回ってみたけど見つからなかった。
中へ入る為のドアの前に立った。前にこのドアを通れたのは偶然だった。誰かが出入りした時に横を駆け抜ける。
チャンスを待った。オクダに会えないのなら、直接早紀さんの所へ行くしかない。僕が中に入るんだ。
ドアが開く。僕は走り出した。入り口を通ってるのは僕の担当の先生とおばさんだった。
僕は構わず横を走り抜けようとした。でもダメだった。先生に肩を掴まれた。「何処に行くんだ」
行かせて下さい。中に入れて下さい。僕は必死になって頼んだ。涙も流していた。
先生から出てきた言葉は冷たかった。「どいつもこいつもわがまま言うな」
おばさんが哀れな目で僕を見てた。目が合った。おばさんは目を反らしたけど僕はずっと睨んでやった。
「さっさと帰れ」と先生に言われた。今日のカウンセリングも終わったしオクダにも会えない。中にも入れない。
もう病院に居る意味は無かった。
「希望の世界」に繋ぐと不思議な気分になる。三木の発言はない。
居るのは「K.アザミ」と渚さん。sakkyの名はもう使えない。使えるわけがない。
渚さんは早紀さんのお母さん、なのか?本当に?三木だって入れ替わってたんだぞ?sakkyだってそうだぞ?
今日も僕は進めなかった。
10/10 晴れ
オクダに会いに行きたかったけど病院は休みだった。今日は日曜日か。
今日はオクダに会うのを諦めた。他の方法で早紀さんへのアプローチを。
思い浮かんだのは「希望の世界」だった。僕にはもうこれしか残ってない。
渚さん。あなたが早紀さんのお母さんなのかはわからないけど、ここで頼れる人はあなたしかいないんです。
sakkyの名を勝手に使っても何も言わない渚さん。あなたか何者かわからないけど、これで最後にしますから。
sakkyの名前を使うのはこれで最後にしますから、答えて下さい。
僕は渚さんに直接メールを送った。掲示板に書くと遠藤智久に見られるから。
文章はとても単純。「早紀さんは今どうしてるんですか?」
送ってから自分が馬鹿げた文を書いてる事に気が付いた。もっと聞きたい事がたくさんあるのに僕は。
カイザー・ソゼの名前を使うべきだったかもしれない。そうせもうニセモノだとバレてるんだから。
何をやっても早紀さんは遠ざかっていくばかりだ。
しばらくしてからメールチェックをするともう返事が返ってきた。
「私は元気です。」
僕はここ数日で色んな情報を詰め込んできたので頭がうまくまわらない。
「僕の日記」を読んでからも僕の精神状態はかなりヤバくなってると思う。
渚さんからのメールは、僕の許容量を超えた。
他のあらゆる思考が何処かに飛んでいってしまった。唯一残った結論も疑いようがいくらでもある。
でも、僕には疑う為の思考が飛んでしまってる。だからそれを事実だと受け入れた。
渚さんが、早紀さんだ。
10/11 晴れ
一夜明けて、僕は思わず「希望の世界」に書き込んでしまった。カイザー・ソゼの名前を使って。
一言、「早紀さん、会いに行きます。」と。
絶対会ってやる。遠藤智久、見てるか?。見てようが構わない。僕の方が早紀さんに近い。
渚さんが早紀さんだというのは間違ってる推測かもしれないのは十分わかってる。
でもそんな事言ってたら進めないじゃないか。少しでも可能性を追え。僕にはそれしか道はない。
早紀さんは病院にいる。オクダが会ってる。僕はオクダを知ってる。あらゆる情報を駆使しろ。
もう戻れない。早紀さんに会ってその後どうなるのかなんて考えない。
どうやって遠藤智久を撃退するか?早紀さんを守りきれるか?そんなの、早紀さんに会ってから考えるんだ。
僕は自分を奮い立たせた。前へ進むための道は見えてる。ゴールだって見えてる。
行け。
10/12 晴れ
オクダはすぐに捕まった。ベンチに座って空を見つめていた。
僕と目が合うと奴は怯えて逃げだそうとした。僕は肩をつかんで引き留めた。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。オクダは今日も謝ってる。僕は言った。
「怖がるなって。僕もあの先生には怖い目にあったから。一緒に話そうよ。」
オクダはまだ僕を疑っていた。先生?先生はいい人だよ。優しいよ。素敵だよ。大好きだよ。
かわいそうに。僕がチクるとでも思ったんだろう。嘘ばっか言ってる。
「じゃあなんで僕の事を怖がるんだよ」
君の、名前が、嫌なんだ。無茶苦茶な言い訳だ。これ以上聞いてもマトモな返事は聞けない。
あまり多くの事を聞くとオクダは混乱してしまいそうだった。できるだけ簡単に、手短に、知りたい事を聞いてみた。
「君をオクダを呼ぶ変な女は中にいるの?」
うん。はい。そうです。中にいます。オクダはまた泣いていた。何度も何度も頷きながら泣きじゃくっていた。
オーケー。それでいい。早紀さんが中に居ることは確認できた。次は中に入るための手段を考えるんだ。
オクダは走って逃げていった。
中に入るか、あるいは中の早紀さんとリアルなコンタクトをとるためにオクダを利用しようと思ってたけど
あれじゃ使い物にならないな。後は強行突破か、スマートに面会を申し込むか。面会は・・・許可が必要か。
今日のところは引き上げよう。あまり強引にやるとこの前みたく失敗するに決まってる。
夕方、「希望の世界」に繋いで僕は自分の愚かさを呪った。今日のうちに早紀さんに会っておくべきだった。
早紀さんは病院の場所を掲示板に、よりによって掲示板に書き込んでいた。
思わず叫んだ。早紀さん。そんな事しなくてもいいんですよ。僕はもう知ってるんですから。そんな事したら・・・・
遠藤智久にお居場所がバレてしまうじゃないですか。
早紀さんは好意で書き込んだんだろう。でも、いや、僕が軽率な発言をしたせいだ。僕のせいだ。
もう悠長な事言ってられない。明日にでも会わなきゃ。奴から守ってあげなきゃ。
遠藤智久。頼むからこの発言は見ないでいてくれ。畜生。掲示板も乗っ取るべきだった。発言が消せない。くそ。
ああああああああ
10/13 晴れ
中への扉はいつもに増して重く見えた。思い切って入ろうとした矢先、先生に見つかった。
「そっちは行っちゃダメだぞ」といつもの優しい声で注意してきた。普段は優しいんだ。普段は。
僕は中に入りたいと言った。先生はちょっと顔をしまめて「なんで?」と言った。また口調は穏やかだ。
例の、パソコンを趣味にしてる患者さんに会いたいんです。
言った後で僕は自分の言葉に驚いていた。そうだ。その人が早紀さんだよ。パソコン。インターネット。渚さん。
何故気付かなかったんだ。僕は、ずっと前から早紀さんに会いたがってたんだ。
頭の霧が晴れていく気分だった。知らない内に笑ってた。僕は笑ってる。顔だけ、笑ってる。
先生の顔は明らかに強ばった。僕が笑ってるからじゃない。突然笑う人なんてここにはたくさん居る。
問題は、僕が早紀さんに会いたがっている、ということだった。
「なんで?」
声色が変わった。怖い。これだよ。僕が怯えたのは。この声が僕に恐怖心を植え付けた。
けど、もう怖がってはいられなかった。なんとしても早紀さんに会わなければならない。
とにかく会いたいんです。会わせて下さい。お願いです。
理由は説明できない。遠藤智久に狙われてる早紀さんを守るようワタベさんに頼まれた。マトモに聞くワケないよ。
会いたいんです。
先生は僕の肩を掴んだ。中の人とそんな簡単に面会させるわけにはいかない。諦めろ。いいな。諦めるんだ。
何故です。僕は食い下がった。前頼んだときは大丈夫そうだったじゃないですか。なんで今だとダメなんですか。
先生は少し黙ったあと、低い声でこう答えた。「君の態度だ。」
前はそんなにしつこくなかったよな。今は何だ?ワケもなく会いたいなんて言って。
あの子はな、見せ物じゃないんだ。軽く考えるな。好きで中にいるわけじゃないんだぞ。わかったか?
一通り言い終えてから、ようやく僕の肩が解放された。先生は少し反省してるみたいだった。
取り乱してすまなかった。けどな。君を中に入れる事はできない。これは決まりでもあるんだ。
僕はわかりました、と言ってその場を諦めた。
今日は駄目だった。でも僕にはもう次の手段が考えてあった。早紀さんが、僕に会いたいと言えばいいんだ。
早紀さんの方から頼まれれば先生も納得するはず。
僕は「希望の世界」に繋いで早紀さんに頼もうとした。先生を説得するように。頼もうと、した。
誰だ。これは誰だ。答えが分かってるにもかかわらず僕は叫んでしまった。誰なんだ。このカイザー・ソゼは!
僕じゃないカイザー・ソゼが早紀さんに会いに行くと言ってる。
遠藤智久。お前か。やっぱり見てたのか。見てたんだな。早紀さんの居場所がバレた。病院がバレた。
見つかった。
10/14 雨
先生はどうしても中に入れてくれなかった。
早紀さんがどう言ったのか聞いたけど答えてくれなかった。昨日、早紀さんに頼んでおいたのに・・・・。
早紀さんはちゃんと言ってくれたんだろうか。それすらもわからない。
僕が何を言っても聞いてくれない。先生が中に入れさせてくれない。
病院のロビー。突然笑う人や泣き出す人、沈痛な表情を浮かべてる人、普通っぽい人。
色々な人に囲まれて、僕はただ呆然と立ちすくんでいた。
オクダがやって来た。今日も怯えた顔で僕を見る。
突然紙袋を押しつけてきた。返したから。ちゃんと返したからね。ちょっと無いのは僕のせいじゃないよ。
誰かが持ってっちゃったんだ。僕悪くないよ。僕は返したからね。ちゃんと返したよ。
言うだけ言ったら逃げてしまった。残ったのは紙袋だけ。
中を見ると、泥だらけの人形が、バラバラになって入ってた。僕は思わず叫んだ。「何だよこれ」
頭は無い。
胴体がバラバラにされた人形。泥まみれ。なんで僕に。
それ以上考えても答えは見つかりそうになかったので帰った。バラバラ人形も連れて。
「希望の世界」に繋ぐ。早紀さんはちゃんと今日先生に頼んでおくと言ってた。
やっぱり先生が邪魔をしたんだ。頼まれてたのに無視しやがったんだ。
でも僕はそれほど落胆してなかった。僕がこんなに手間取ってるんだ。それは遠藤智久だって同じはず。
奴だってそんな簡単に早紀さんには会えないさ。先生に邪魔されるに決まってる。大丈夫。
まだ、大丈夫。
Chapter:11 「BATTLE」
10/15 雨
病院のロビー。
それは十分予想できた事だった。
でも僕は・・・・・背筋が冷たくなった。震えた。
遠藤智久が、とうとう病院に姿を現した。
入り口で奴の姿が見えた。僕は飛び上がるようにしてベンチを離れ、奥に隠れた。
奴はキョロキョロと中を見渡した後、受付に向かった。
そこでしばらく話をしてた。終わらない会話。口論になってた。
バカだ。普通に面会を申し込んで中に入れると思ってたのか。バカ過ぎる。どうしようもないバカだ。
口論が続く。いいぞ。もっと怒鳴れ。そして追い返されてしまえ。立ち入り禁止になってしまえ。
僕の願いとは裏腹に奴は大人しく諦めてしまった。その後しばらく病院内をウロウロしたけど、結局帰っていった。
けけけ。そんな簡単に早紀さんに会えれば僕だって苦労しないんだよ!
甘いんだよ!
10/16 曇り
また病院に。早紀さんに会えなくても僕には病院に行く正当な理由がある。
先生は嫌な奴だけどカウンセリングはきちんとこなす。と言っても僕は何も考えず答えてるけど。
アリガタイお話を聞いておしまい。どうせ早紀さんには会わせてくれないんだろ?
ただ、今日に限って言えば先生のその姿勢が僕を救ってくれた。
帰り際にロビーを見渡した。遠藤は来てないのかが気になった。
まさかそんな簡単に諦めるとは思えない。今日も来てる可能性も十分あり得る。そんな事を考えてた。
そして、奴は居た。
僕の背後に。
「カイザーくぅん」と気色悪いほど甘い声が僕の背中に突き刺さった。
僕は振り向けなかった。足がガクガク震えて身体を動かすことさえ出来なかった。
「早紀ちゃんにはどうやって会えばいいのかなぁ」
後ろに、居る。僕に話しかけてる。早紀さんに会う方法を聞いてる。
「ねぇ、カイザー・ソゼくぅぅん」
耳元で囁く。吐く息が、僕の首筋に・・・・コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
「なんでここに居るんですか」
かろうじて出たセリフがこれだった。答えは分かりきってるのに。
肩を掴まれた。ぐい、と引き寄せられて、僕の身体は反転した。強制的に後ろを向かされた。対面。
・・・・・・奴は笑ってた。
「なんでって?そりゃ早紀ちゃんに会うためだよ。僕らはね。愛し合ってるんだ。会うのが当然なんだよ。
なのに会えないんだ。おかしいよね。おかしいんだよ。僕は早紀ちゃんと一緒にならなきゃ」
「警察に捕まってたんじゃないんですか。人を、刺したんじゃないんですか」
言ってしまった。話を遮られた奴は口を開けたまま僕をじっと見た。異常なほど晴れやかな笑顔になった。
「良く知ってるねそんな事!でも僕は刺してないよよけやがったんだあのニセモノ。
それにね。あそこはね、そうゆう店なんだよ。ちょっとやりすぎて問題になっただけ。そうゆう事になってるんだよ。
早紀ちゃん、冗談のつもりだったらしいけど、ちょこっとカゲキだったかな。お仕置きも必要だったりしてウフウフ」
僕は逃げ出した。
後ろで大きな叫び声が聞こえた。逃げろ。今はとにかく逃げるんだ。今後は違う叫び声が聞こえた。
振り返ると、先生が遠藤を引き留めていた。怒られてやがる。そうか。バカだ。大声がしたから説教されてんだ。
融通のきかない先生。こんな時に役に立ってくれるなんて。
とにかく僕は逃げ切った。
10/17 晴れ
さすがに今日は病院に行けなかった。それに今日は日曜日だし。家で大人しくしてた。昨日の事を思い出した。
遠藤智久の言ってた事。「あそこはね。そうゆう店なんだよ。」
なんとなくだけど奴が警察から解放された理由がわかった。早紀さんが見つけた風俗店。
そうゆう店なんだよ、か。ナイフはちょっとやりすぎ。ナイフは。・・・・・SMクラブか・・・・。
僕はバラバラ人形を取り出して眺めてみた。これが人間だったら、なんて考えてみた。SMどころじゃないな。
人形、というよりヌイグルミか。これは。千切れた部分から綿が出放題になってる。
綿には砂が混じってて汚らしい。左手。右手。左足。右足。胴体。・・・・頭だけが無い。
オクダはなんで僕にこんなものを渡したんだろう。「返したから」って。わけがわからない。
オクダは何故か僕に怯えてた。それが何か関係が?僕の名前が怖いって?カッコイイ名前じゃないか。
わからないことが多すぎる。だから今はもう考えない。今は、早紀さんに会う事だけを考えろ。
早紀さんの事だけを。
10/18 曇り
今日は病院で、遠藤智久のかわりに変な女の人に会った。
その人はベンチに座ってた。普段なら気付かない。気付くわけないんだ。でも、思わず見てしまった。
ベルが・・・・・・ベルの音が聞こえたから。
あのオフ会でつけてくる約束だったベル。音が鳴った方を見ると、その女の人が座ってた。
僕が買ったのと似たようなタイプだ。右手に持ってチリチリ鳴らしてる。
僕はふらふらと近づいた。もう何も考えてなかった。何かを考えるなんて無理だ。
女の人と目があった。他の人は誰もベルの音なんて気にしてない。当たり前だ。ベルの音なんて誰が気にする?
お互い目を反らさなかった。女の人はベルをかざしてまたチリチリ鳴らした。僕はじっとベルを見た。
女の人が立ち上がった。僕に近づく。そして、言った。
「カイザー・ソゼ君?」
僕は黙って頷いた。僕に何が言える。この人は間違いなく、ベルの持つ意味を知ってる。
女の人も黙って頷き、僕の肩をぽん、と叩いた。
「がんばってね」
それだけ言うと行ってしまった。
昨日と同じだ。わからない事が多すぎる。だから今は考えるな。考えたって無駄だ。どうせわかりゃしない。
早紀さん。あなたに会おうとすると、何故こんなにわけのわからない事ばかり・・・・巻き込まれるんでしょう?
早く会いたい。会って、それからゆっくり考えたい。
早紀さん・・・。
10/19 雨
昨日いた謎の女の人はもう姿を見せなかった。全く知らない女の人。誰だったんだろう・・・・。
僕は彼女が座ってたベンチに座ってみた。何も起きない。座ってるだけでは早紀さんに会えない。
それからどれだけの時間そこに座ってたんだろう。気付いた時には・・・・・目の前に・・・・奴が立ってた。
遠藤智久。笑ってる。僕の隣に座ってきた。
「ねぇ、早紀ちゃんに会う方法を思いついたよ。」
僕だって考えてある。
「中に入ればいいんだ。簡単な事だよね。」
バカか?それができないから、困ってるんじゃないか。
耳元で奴が囁くたびに、体中が震えた。息が耳にかかる。おぞましい吐息が耳を這う。
「カンタンなんだよ」
耳の中に湿っぽい空気が入り込んだ。悪寒が。
僕は立ち上がった。出口へ向かって走り出した。
奴は追ってこなかった。その代わりに、僕の背中に向かって叫び声を上げていた。
「ねぇ、明日も来なよ。実践してあげるよ!」
うるさい。僕はそう思った。
明日か。遠藤、お前が中に入るようなら、僕は全力で阻止する。
机の中のナイフを取り出した。刃を蛍光灯にかざすと相変わらずの輝きを見せた。
今度こそ、使うことになるかも。
10/20 雨
病院のベンチ。いつもの場所で僕は待ってた。オフ会の時のように、ポケットの中でナイフを握って。
1時間も待たないうちに、奴が来た。相変わらずニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
「やあ。来たね来たね。昨日僕が言った事覚えてる?ねぇ覚えてる?」
覚えてる。カンタンに中に入る方法があるんだって?
「そうそうそうそうそうそう。それを今から実践しようと思ってるんだ。早紀ちゃんに会えるんだよいいでしょ。」
で、どうやるんだよ。
奴はウフウフ言いながら僕の顔をじっと見た。どうやるんだよ。僕はまた聞いた。奴は答えなかった。
ずっとウフウフウフウフ言って僕の顔を見つめる。ニヤニヤした顔がとてつもなく気持ち悪い。
それから数分が経った。うふふふふふふふふふふふと笑い声が大きくなった。
そして、僕を殴った。
僕は床に倒れ込んだ。また殴った。笑ってる。笑ったまま殴ってる。ウフウフという息づかいが耳に響く。
立ち上がろうとすると蹴ってきた。足を蹴られた。バランスを崩してまた床に倒れ込む。
何発も殴られながら、僕はポケットに手を入れた。ナイフだ。今が、使う時だ。
殺せ。
先生達が駆け寄ってくる。誰かが叫んだ。それに呼応してみんなが次々と叫び声を上げた。
遠藤はまだ僕を殴ろうとしてる。うふうふと笑いながら、拳を振り上げた。
僕はナイフをを取り出した。コロセ
刃が光った。
あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁあ゛あ゛あ゛ぁぁぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
奴の悲鳴がこだまする。
床に倒れ、足をバタバタさせていた。腕を床に何度も叩きつけた。悲鳴は続く。
ごろごろと転がりながら奇声を発した。意味不明の言葉を喋りだした。
先生たちが取り押さえようとしたけど奴は暴れて抵抗した。
・・・・・・何が起きたんだ。僕は状況を把握できていなかった。
僕は、刺さなかった。刺そうとした瞬間、奴が勝手に悲鳴をあげたんだ。
僕はあわててナイフをしまい、事の成り行きを眺めた。誰かが僕に大丈夫ですかと聞いた。大丈夫ですと答えた。
数人がかりでようやく取り押さえる事ができた。奴はおとなしくなり、何かブツブツと独り言を言ってた。
そして・・・・・・・・そして、中へ連れて行かれた。
僕はここで初めて、奴の行動を理解することが出来た。本当だ。本当にカンタンだった。
中に入るには・・・・・そう、狂ってしまえばいいんだ。奴のように。
周りが落ち着きを取り戻したあとも、僕はしばらくベンチでうなだれていた。
僕の頭の中はこの事で頭がいっぱいだった。
先を越された。
Chapter:12 「中へ」
10/23 晴れ
一昨日、病院に行っても何も出来ず。日記を書くのに値しない日。
昨日、病院に行っても何も出来ず。日記を書くのに値しない日。
今日、病院に行って何も出来ず。でも、進展はあった。
悪い方に。
先生に言われた。「君はもうカウンセリング受ける必要ないんじゃないかな。」
それはつまり、僕はもう狂ってないという事ですか?
「表現はあまり良くないけど・・・・まぁそうゆう事だね。」
もう来るなって事ですか?
「来るなとは言わないよ。来る必要がない、というだけなんだ。」
狂ったフリして中に入ろうとしても無駄だよって事ですね
「ん?何?」
中に入れてたまるかって思ってるんですね
「やけに中にこだわるな。君は中に入る必要もないし、勝手に入れるわけにもいかない。前にも言っただろ。」
僕を野放しにしておくのは危険ですよ
「自分で言えるなら平気だ。中はそんなもんじゃない。」
危険ですよ
「もう中にこだわるのは止めなさい。」
・・・・
僕は狂ったフリをして中に入るのを諦めた。けど、中に入る事自体諦めたわけじゃない。
遠藤智久。奴はもう早紀さんを見つけたのか?中の事は外じゃわからない。
そして僕は、焦れば焦るほど悪い方へ進んでいく。
駄目だ・・・
10/24 晴れ
今日も病院にベルの女の人が。声をかけられました。
「カイザー君、遠藤智久ってどうなったの?」
いきなり聞いてきたのでびっくりしました。色々質問したいのは僕の方なのに。
僕は奴が中に入った事、入った方法を説明しました。
「ふぅん。」と拍子抜けした声で返事をしてます。こんな重大な事態でよくそんな。
この人は、誰だか知らないけど「希望の世界」の関係者のはずだ。早紀さんの事も知ってるんだろ?
「じゃあカイザー君も急がなきゃね。」
全然緊迫感の無い声。本当に、この人は誰なんだ?
あなた何者なんですか?僕は聞いた。
「そのうち、ね。」とはぐらかされてた。そしてそのまま帰ってしまった。
わけがわからない。遠藤が中で何をやってるのかもわからないし、中に入る事も止められてる。
僕の作戦も破れたっぽいし、他に名案もナシ。早紀さんへの道が、無い。
僕は何処へ進めばいいんだ。
10/25 曇り
遠藤智久のように、本当に狂ってしまうしか道はないのか。
虫が僕の中に居たころ、僕は間違いなく狂ってた。もう1度あの状態に。いや、それ以上になれば・・・
虫。何処へ行ってしまったんだ。いつの間にか消えてしまった。
もう1度、戻ってきてくれ。そして、僕を中へ導いてくれ!
時間がないんだ。奴が早紀さんに会う前に。いや、もう会ってるかもしれない。
とにかく、早く中に入りたいんだ。力を貸してくれよ。
助けてくれよ。誰でもいいから。頼むから。
早紀さんに会わせてくれ・・・
10/26 晴れ
虫はもう、僕の中に舞い降りてはこなかった。
これは運命なのかもしれない。僕に早紀さんを守る事なんかできないと、あらかじめ決まってたのかもしれない。
あるいは「お前に早紀を守る力はない」と神様が教えてくれてるのかも。力のない者は中には入れないと・・・
そんな僕のあきらめが光を呼んだんだろうか。道が、開けた。
ずっと、ずっと待ち望んでいた状態が僕の目の前に。
中への扉が開き、人が通る。先生たちがすれ違う。僕の担当の・・・・名前は知らないけど、あの先生はいない。
僕はベンチから立ち上がった。ゆっくりと扉に向かう。ロビーからは離れた所にあるこの通路では人気が少ない。
だから無理矢理中に入ろうとすると目立ってすぐにバレる。ただでさえここのベンチに座ってると気まずいんだ。
僕は目立つのを嫌っていつもはロビーのベンチに居る。でも、今日に限って僕はこっちにいた。
中に入ることを諦めていた僕は、もうなりふり構わずこっちのベンチに座ってた。そしたら、道が開けたんだ。
偶然じゃない。僕は導かれてる。そう思った。
何人かが扉が開いたまますれ違う。中に入る先生の後ろをゆっくりとついていく。
先生が中に入る。僕はまだ入らない。外から出てくる先生が。ここだ。この瞬間を待ってたんだ。
僕は中へ入った。外から出てくる先生は僕がずっとベンチに座ってた不審人物だとは知らない。
親切に扉を押さえててくれてる。僕は軽く会釈をして、当たり前の様な顔をして、中を進んだ。
僕は扉を監視してる警備員の人が気付いてない事を祈った。
僕は不思議と迷う気がしなかった。僕は導かれてるんだから、早紀さんの所へ辿り着けるはず。
虫が、飛んでいた。僕はその後を追った。そうか。お前が僕を導いてくれたのか。
ふと遠藤智久の事を思い出した。奴に会うかもしれない。でも、平気だ。僕には虫がついてるから。
虫の導きに従い、僕はひたすら進んだ。目の前の虫が本当に存在してるのか、ふと疑問に思った。
そんなことはどうでもいいじゃないか。虫がそう言った気がした。確かに。そんなことはどうでもよかった。
どれだけ進んだのか良く覚えてない。気がつくと、僕はある部屋の前に居た。
虫はもう消えていた。役目を終えたんだな。ありがとう。僕は消えた虫に向かって呟いた。
その瞬間だった。
僕の視界に遠藤智久が入ってきた。奴は僕に気付いてない。何かブツブツ言いながら歩いてる。
見られるわけにはいかない。僕はノックもせず、その部屋に入った。本当に早紀さんの部屋なのか確認せずに。
奴の声が近づく。ドアに耳を当てて、外の気配を伺った。声はどんどん近づいてくる。来る。
声が止んだ。そして、代わりに激しい息づかいが聞こえた。耳に響く。奴は、この部屋の目の前に立ってる!
ドア越しに視線を感じる。奴は今、この部屋に入ろうか迷ってる。やめろ。来るな。来るな!心の中で叫んだ。
息づかいは止まらない。むしろ激しくなってる。僕も息が荒くなってきた。汗が垂れてきてる。
来るな。来るな。来るな。来るな来るな来るな来るなクルナクルナクルナクルナクルナクルナ
あ゛ー
その叫び声はなんとも弱々しく、辺りに響いた。奴の叫び声だ。
しばらくの沈黙。その後再びブツブツ言う声が聞こえてきた。遠ざかっていく。去ったんだ。
僕は安堵の息をもらした。
改めて部屋の中を見渡してみる。誰もいない。ベッドがあるだけだ。
ベッドの上に何か置いてある。何だろう、と思って近づいてみた。
僕は叫んだ。
頭だ。人の頭だ!頭だけがベッドの上に転がってる!
なんでこんな所に。なんでこんなモノが。なんで僕が。なんだこれは。なんでこんなことに・・・・
僕は混乱していた。冷静になるまで数分かかった。
落ち着きを取り戻し、もう1度それを見てみると、それが人の頭ではないことに気がついた。
人形の頭だ。
僕はオクダのくれたバラバラ人形を思い出した。あれは頭だけが無かった。ここには、頭だけがある。
どう考えても、この頭はあの人形のものだ。僕は手にとって眺めてみた。
そして、突然ドア開いた。びっくりしてドアを見る。そこに立ってたのは・・・・・・僕の担当の先生だった。
先生も驚いてた。でも、すぐに平静さを取り戻した。「お前、こんな所で何やってるんだ!」と叫んだ。
僕が外に連れ出されるのに、それから10分もかからなかった。
家に帰った僕は、人形の頭を持ってきてしまった事に気がついた。
全部揃った。だから何だと言うんだ。早紀さんには会えなかったじゃないか。
人形の頭を眺めながら僕はそう思っていた。
せっかく中に入れたのに。
10/27 雷雨
昨日入った部屋は本当に早紀さんの部屋だったのか?そしてあの人形は?
もはやそんなことはどうでも良かった。僕は今、混乱してる。
病院のロビー。雨に濡れた身体で中に入る。
ベンチに座ってた人が僕を見て、近づいてきた。・・・・・・・・・・遠藤智久だった。
疲れ切った顔。いつものニヤけた顔は面影もない。
今日はナイフを持ってきてなかったので焦った。ここで闘ったら負けると思った。緊張が走った
けど、そんな不安はすぐに消えた。奴から殺気が全く感じられなかったから。
遠藤智久は本当に疲れてるみたいだった。声にも力が感じられない。狂気でさえも、感じない。
「追い出されちゃった」と呟いた。
僕は聞き返した。追い出されたって?寂しそうな顔をして奴は答えた。
「狂ったフリしてるだけだろ、だって。」
この男は・・・遠藤智久は「中」で扱わなければならない程危険じゃないって事か?
僕から見ればこいつも十分狂ってる。それでも、プロから見ればマトモな方なのか?
僕が色々考えてると、奴は急に顔を曇らせた。
「ねぇ」と声を上げる。涙声だ。
僕の目を見て語りかけてくる。奴の目は、とても・・・何というか・・・悲しい目をしてた。
そんな目をしたまま、奴は言った。
「早紀ちゃん、居なかったよ」
顔がだんだん崩れていく。奴の目から、涙が、こぼれた。
中の、何処にもいないんだ。早紀ちゃん、自分でここに居るっていってたのに、居ないんだ。
僕、早紀ちゃんがここにいるって信じてたのに。また騙されちゃったよ。裏切られちゃったよ。
カイザー君。早紀ちゃんここにはいないんだよ。隠れてるのかと思った。でも違うんだ。本当に居ないんだ。
見つけられないんだ。どの部屋にも、中庭にも、どの先生に聞いても、居ないんだ。居ないんだよ。
ねぇ。もしかして早紀ちゃん、僕の事キライなのかな?だから嘘の居場所教えたのかな?
でもさ、そしたら君も嫌われてることになるんだよ。へへへ。おあいこだね。へへへへへへへへへへへへ
その後はもう、泣きながら笑ってるだけだった。その姿はとても・・・・・哀れに見えた。
へへへ、という笑い声はロビーのざわめき声にかき消され、決して周りには響かない。
奴は再びベンチに腰を下ろし、泣き続けた。
その泣き声は何処にも届かない。広めのロビーの中で、奴一人ぽつんと取り残されてるみたいだった。
誰にも相手にされず、ただひたすら泣いてた。
ずっと。ずっと泣いていた。
僕はひどく混乱した。病院にいるともっと混乱してしまいそうだった。家に帰ることにした。
一度、落ち着いて情報を整理しなきゃいけない。いや、整理も何もない。奴の言った事をどう考えるかだ。
あの中に、早紀さんは居ない。
本当なのか?奴が嘘言ってるだけなんじゃないのか?でも、嘘つく理由がない。
それとも、中の人たちがグルになって早紀さんの存在を隠してるのか。
あるいはただ単に患者である遠藤智久に他の患者の情報を教えなかっただけなのか。
・・・・・・・・・・わからない。なら、自分の目で確かめるしかない。
いつもそうだ。自分の目で確かめなきゃ現実は見えてこない。僕は覚悟を決めた。
それがどんな現実でも構わない。どんな結果になろうと構わない。僕は真実を知りたいんだ。だから、
もう1度、中へ。
10/28 晴天
絶対中に入ってやる。この決意を胸にした僕を迎えてくれたのは、ベルの女の人だった。
病院に入った途端、「待ってたわよ。カイザー君。」と声をかけられた。
僕が何か言うよりはやく、その人は喋り始めた。
「本当はね。私、表舞台に出るつもりなかったの。けど、そうも言ってられなくなっちゃって。」
何を言ってるんだ?あなたは、誰なんですか?
僕が話そうとすると、彼女は人差し指を自分の口に当てて、しいっと言った。
「今は何も言わないで。いずれ全てがわかるから。」
僕があっけにとられて何も言えないでいると、勝手に歩き出していった。少し行くと振り返り、こう言ってきた。
「さあいらっしゃい。私が、中へ連れていってあげる」
僕はただついていくだけだった。中への扉に着くまで、彼女は喋りっぱなしだった。
もう中に入るための話はつけてあるから。でも先生には見つからないようにね。そうだ。先生の名前、知ってる?
知りません。先生ってたぶん僕の担当の先生の事だろうけど、名前は本当に知らない。
色々話を聞いてるから間違いないと思うけど・・・・・・その先生ね、岩本っていう名前なんだよ。
岩本先生。僕は一瞬背筋が凍ってしまった。それって、それってまさか・・・・・。
「着いたよ」
中への扉の前まで来た。彼女が警備の人と何か話して、戻ってきた。
「オッケー。中に入れるわよ。でも、ここからは一人で行ってね。」
え?と思わず聞き返す。早紀さんの所まで連れていってくれるんじゃないんですか?
ゆっくりと首を横に振る。一人で、とまた言った。
「なんかの映画のキャッチコピーでさ、『自分の目で確かめな』ってあったよね。私の言いたいことわかる?」
わかります、と僕は頷いた。そうだ。僕はここに現実を見るために来たんだ。僕自身の目で、現実を見るために。
なら迷うな。一人でも、行け。進め。
僕は一人で中に入るのに同意した。扉を開き、中へ。背後で彼女が叫んでるのが聞こえた。
「見るのよ。現実を。目をそらしちゃダメよ!」
僕は振り返らずに頷いた。そして、人形を手に入れたあの部屋に向かった。
・・・・早紀さんの元へ。
今日は迷わずに進めた。道は分かってる。ゆっくりと、確実に一歩一歩を踏み出す。
もはや傷害は何も無い。長かった。ここまで来るのに、本当に長い時間がかかった。
こんなに近くに居ながら、辿り着くことができすにくすぶってた毎日。でも、全ては今日、報われる。
階段を上がる。部屋が近づくにつれ、僕の緊張は高まっていった。気がつくと僕は早足になってた。
落ち着け。ゆっくりでいいから。僕の意志に反して歩くスピードは速まる。
落ち着いてなんかいられるか。待ちこがれていたこの時を、一分でも早く体験したい。
なぁ、正直になろうぜ。僕は自分に向かって呟いた。自分の本音をぶちまけろ。
早紀さん!僕は叫んでいた。そうだよ。これが僕の本音だ。
ワタベさんに頼まれたからとか。遠藤智久から守るためとか。そんな理由はどうだっていい。
早紀さんに会いたい。想いはこれだけで十分だ。ああそうか。僕は、そうだったんだ。この時初めて気がついた。
僕は、早紀さんの事を好きになってたんだ・・・・・。
もう僕は走ってた。階段はかけ上り、廊下を疾走する。早紀さん。もうすぐです。今行きますから。
息を切らせて駆けていく。早紀さん。早紀さん。早紀さん。早紀さん・・・・!
そして、部屋に着いた。
部屋の前に着いた僕は、数秒間息を整えた。ドアの向こうで気配を感じる。鼓動は収まらない。
心臓がバクバクいってる。ついに来た。僕は辿り着いた。もう止まるな。ここまで来たら、行くしかない。
呼吸を整える時間さえ惜しかった。すぐにでも中に入りたかった。でも、その前に言うことがあるんだろ?
この時の為に用意した言葉。前に見た映画に似たセリフ。お気に入りのセリフを、僕が言うんだ。
手を握り、拳を作る。そしてゆっくりと振りかざし、ドンドンと、ノックした。
落ち着いて息を吸って・・・・・僕は言った。
「早紀さん、迎えに来たよ!」
しん、と数秒静まった。僕はもう一度叫んだ。「早紀さん!僕です。カイザー・ソゼです!」
カタン、と中で音がする。ペタペタと、スリッパの音が。早紀さんだ。僕は胸が高鳴った。
ドアのすぐそこまで音が来た。カチャ、と音がしてノブが回った。ギィィと音を立ててドアが開く。
そこには、早紀さんが立っていた。
ずっと前早紀さんに会った時を思い出す。正確な顔は思い出せない。けど、目の前の顔と、明らかに似てる。
間違いない。この人が早紀さんだ。僕は震えた。感動のあまり涙が出そうになった。
今すぐここで抱きしめたかった。ありとあらゆる喜びが僕を包み込む。やっと会えたね、早紀さん・・・・。
早紀さんは僕の顔を見て、ぱっと表情が明るくなった。喜んでる。早紀さんも僕に会えて喜んでくれてる。
早紀さんは、そんな明るい表情のまま、口を開いた。
「カイザー・ソゼさん、来てくれたのね!」
カイザー・ソゼサン、キテクレタノネ
早紀さんの言葉が僕の脳に突き刺さる。突き刺さって、取れない。
さっきまで僕を包んでた喜びが、吹き飛んだ。遠藤智久は言った。「早紀ちゃん、居なかったよ」
ベルの女の人は言った。「見るのよ。現実を。目をそらしちゃダメよ!」
僕は目をそらしていた。目の前にいる人を見ずに、廊下の窓を見ていた。
目をそらしちゃダメよ。この言葉が体中に響いた。目を、そらすな。現実を見ろ。
僕はそのためにここに来たんだろ?昨日決意したじゃないか。どんな結果になっても構わないって。
僕は視線を戻そうとした。けど、出来なかった。見たら全てが崩れてしまいそうだった。
僕の信じてきた全てが、ガラガラと音を立てて、崩れる。いや、最初からそんなの存在しなかった。
足下に視線を移す。スリッパに素足。視線を上げろ。ゆっくりでいい。確認するんだ。ピンクの寝間着。
認めろ。細い足。もう誰なのか分かってるはずだ。細めの腰。痩せた身体。嫌だ。肩にかかった髪の毛。
認めたくない。白い肌。綺麗な顔立ち。笑顔のままだ。認めたら僕は。二重の瞼。きりっとした鼻。
無理だ。少し潤んだ目。これが現実だ。薄紫の唇。認めるしかない。顎にはうっすらと、
部屋の奥に人の気配がした。近づいてくる。僕の顔を見て驚いてた。先生だ。岩本先生。
目の前の人はまだ僕を見てる。何も言わない僕に、怪訝な顔して聞いてきた。
「どうしたんですか?」
ドウシタンデスカ。また僕の脳に、いや、体中にその言葉が突き刺さった。
その声が。その声の響きが全てを壊した。僕の、信じてきた全てを。
低く、鋭く鋭く突き刺さる。変声期を過ぎた、低い声が。
岩本先生がため息をついた。全てを諦めたような、そんなため息。
目をつぶり、首を何度も横に振った。ゆっくりと目を開ける。なぁ、と僕に向かって言った。
「これ以上、俺の息子に関わらないでくれ」
深い沈黙が辺りを包む。状況を把握できてない亮平さんだけが、ひとりオロオロしていた。
沈黙に耐えられなくなった亮平さんは、やがてクスンクスンと泣き始めた。
岩本先生が彼の腕をとり、部屋の中に戻っていった。
再び沈黙が訪れた。窓から差し込んだ太陽の光が廊下を照らし出す。
泣くことも、叫ぶことも、動くこともできないまま僕は、廊下に立ち尽くしていた。
僕の目にはもう、何も写っていなかった。
- 第3章 鎮魂歌 -  完
サキの日記   第3章 「鎮魂歌」 誰も私を救ってくれない。
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第九節 「決意」
9/29 雨
外に出たい。外に出ないとカイザー・ソゼさんに会えない。
ワタベさんを追い詰めた人は、たぶん私の所にも来る。私も「希望の世界」の人間だから。そうでしょ?
ベッドの下のアザミも狙われる。アザミは私が守るよ。心配しないで。
アザミ、二人でここから逃げようよ。私の事はカイザー・ソゼさんが守ってくれるって言ってたから。
一緒に行こ。
9/30 晴れ
ここから出るにはどうすればいい?私が、もうここに居なくても大丈夫って事をわからせればいい。
私の場合、記憶障害でここにいるんだから、記憶が戻れば出られるって事だよね。
ああ。でもだめ。昔の記憶、思い出せない。適当な事言ってもバレちゃうよ。
他に方法なんて・・・・。強行突破とか、こっそり逃げるとか・・・・私にできる?どうしよう。
とにかく、考えないと。
10/1 曇り
アザミ。やっぱりこっそり逃げるしかないよ。強行突破したってすぐに戻されるだけだよ。
それに、昔の記憶。もう戻らないみたいだから。わかるの。自分の事だから。
以前迷って外出ちゃった時、すぐには誰も気付かなかったじゃない。静かに行けばなんとかなると思うよ。
ほら、カイザー・ソゼさんが呼んでるよ。早く外に出なくちゃ。
失敗するとここに居る時間がまた長引きそうだから、慎重に計画立てないとね。
頑張ろうねアザミ。
10/3 少し雨
お母さんには何て言おうか迷ってます。「ここから出たい」って言えばなんとかしてくれるかもしれない。
そうすれば逃げなくても外に出れるけど・・・・何て言えばいい?黙って私の言うこと聞いてくれる?
記憶、戻ってないのに。でも、お母さんなら・・・。1度相談してみるねアザミ。
アザミも一緒に出れるように頼んでおくよ。そう言えばまだお母さんに紹介してなかったよね。
頭だけになっちゃったけど、明日紹介してあげる。お母さんもきっと気に入ってくれるよ思うよ。
楽しみ。
10/5 曇り
昨日お母さんに面会の約束をして、今日、来てもらいました。
早速アザミを紹介しました。二人でここから出たいって言いました。
お母さんは笑顔でした。でも、出たいって言ったときちょっと困った顔をしました。
「お父さんがイイって言うかわからない」って。当たり前のような事だったけど、私には新鮮に聞こえました。
私にお父さんって居たんだ。
帰り際お母さんは頭だけのアザミを撫でてくれました。良かったねアザミ。でもお母さんは泣いてました。
笑顔のまま、泣いてました。
10/7 曇り
お父さんは私がここから出るのを許してくれなかったそうです。お母さんが昨日聞いてくれたそうです。
「もう少しここにいてね。サキちゃんの為でもあるのよ」って言ってました。
私はここから逃げる決意をしました。「もう少し」じゃダメ。いますぐにでもここから出たいの。
そして、カイザー・ソゼさんに会わなければいけない。ごめんねお母さん。私は悪い子になってしまいました。
勝手に病院を抜けるなんて悪い子だよね。ごめんね。カイザー・ソゼさんに会ったら、ちゃんと戻ってくるから。
今日もお母さんは笑顔。私も笑顔。
とても哀しくなりました。
10/8 曇り
外への出口を確認しました。人が出入りしてる時に便乗すればうまくいくかもしれません。
アザミは服の中に隠しておけばいいかな。頭だけだからなんとかなると思います。
このパソコンはどうしよう?携帯電話と充電器も。電話は外に持っていってもかける所ないな。
私は自宅の電話番号さえ忘れてしまってる。こんなの持ってても意味ないかも・・・。
・・・・・外へ出れたら、何処へいけばいいんだろう。家?帰り方がわからない。他には?行く宛は?
カイザー・ソゼさんの居る所。それは・・・・何処・・・?わからない。けど、私は行かなくちゃいけない。
ここから、逃げます。
第十節 「鉄壁」
10/9 曇り
お母さんが着替えの服を持ってきてくれました。
「他に何か欲しいモノある?」と聞かれたので「外に出たい」と答えました。
黙って首を振ってました。やっぱりダメなんだね。でも、仕方ないんだよね。
お母さんが帰った後も私はあまり良い気分ではなれませんでした。逃げる準備をしなきゃ。
パソコンと携帯電話は持っていく事にしました。手ぶらじゃ病院の玄関から出る時怪しまれる。
それにパソコンのケースは鞄がわりにもなるから持ってた方がいいよね。明日にでも出ていこう。早い方がいい。
アザミ。いよいよだよ。
10/10 晴れ
逃げられませんでした。先生はずっと私を監視してました。
外へでようとすると「そっちへ行っちゃダメだよ」と怒られました。
私の意図を見透かしたように出口に立ちはだかります。今日逃げるのは諦めました。
そんな簡単にいくとは思ってない。私はまだ諦めない。今日がダメでも、きっとうまくいく日はあるよ。
「希望の世界」へ行きました。今のところ、これだけが外の空気に触れる唯一の手段。
メールチェックすると、sakkyさんから一通来てました。オフ会前以来です。もう居なくなっちゃったかと思ったよ。
「早紀さんは今どうしてるんですか?」と1行書いてあるだけでしたがsakkyさんは久々だからとても嬉しいです。
「私は元気です」と返しました。送った後で、私は少し疑問に思いました。なんで私の名前知ってたんだろう。
どうでもいい事かな。
10/11 晴れ
カイザー・ソゼさんが来てくれる!
「希望の世界」で発言してました。私に会いに行くって。でも、ここの場所がわかるかな。心配。
私はこの病院の名前を書いておきました。これなら間違いなく来てくれます。
外に出なくても大丈夫かもしれない。気持ちが高まってく。カイザー・ソゼさんが来る。来てくれる・・・。
早く。早く会いたい。ねぇアザミ。カイザー・ソゼさんが来てくれるんだって。
どきどき。
10/12 晴れ
カイサー・ソゼさんはまだ来ません。「希望の世界」でも何も返事してくれません。
どうしたんだろう。見てないのかな。それとも来るのに手間取ってるのかな。ここ、中に入るの面倒臭いから。
夜になっても待ってました。一日中待ってました。でも来ません。
私は不安になってまた書きました。「カイザー・ソゼさん。私の居場所分かってますか?」
1時間もしないうちにカイザー・ソゼさんは返事をしてくれました。「ちゃんと見てますよ。待ってて下さいね。」
良かった。
10/13 晴れ
カイザー・ソゼさん。今日も来なかった。本当にどうしちゃったんだろう。
「希望の世界」に繋いで来ない理由が分かりました。
「会いに行こうとしたけど先生に止められました。早紀さん。先生に僕が会ってもいいように頼んでくれませんか?」
なんだ。そんな事だったのか。私はようやく納得しました。確かにここは色々面倒くさいよね。
「わかりました。明日先生に頼んでおくね。」と書いておきました。明日先生に頼む。カイザー・ソゼさんが来る。
やっと会える。
10/14 雨
先生に頼みました。「カイザー・ソゼさんが来たら会わせて下さい」って。
ああ、わかったよ。とそっけない返事。先生、ちゃんと聞いてるんですか?
先生は私を哀しそうな目で私を見ました。黙って首を横に振り、深いため息をつきました。
そして、何も言わずに行っちゃいました。何よ。私、変なこと言ってないでしょ。ただ頼んだだけなのに。
カイザー・ソゼさんに会いたいだけなのに・・・・!みんな邪魔する。なんで?邪魔しないでよ。
会わせてよ!
10/15 雨
お母さんに言ってやりました。あの先生ね、私のお願い聞いてくれないんだよ。嫌な奴だよね。
そうね、とそっけない返事。お母さん、ちゃんと聞いてるの?あの先生ヤな奴だよね。死んじゃえばいいのにね。
お母さんは私を哀しそうな目で見ました。黙って首を横に振り、深いため息をつきました。
そして、何も言わずに行っていました。やめてよお母さん。同じじゃない。それじゃ先生と同じじゃない!
お母さんだけは私を信じてくれると思ってたのに。なんで?なんでみんなして私を変な目で見るの?
カイザー・ソゼさんにはまだ会えない。みんなが邪魔する。お母さんまで・・・・。
酷いよ・・・。
第十一節 「絶句」
10/16 曇り
現実の人にはもう頼れません。でも「希望の世界」になら、まだ味方はいます。
K.アザミ。やっぱりあなたは素敵。「記憶が戻れば出られるんでしょ?私が思い出させてあげる」と書いてる。
私も「お願い!私の記憶を戻して!」と書き込みました。私に記憶が戻れば、先生に邪魔されず外へ出られる。
あるいは記憶が戻らなくても、戻ったフリさえできれば問題ないよね。カイザー・ソゼさんが来られないのなら・・・
私から、行く。
10/17 晴れ
K.アザミからメールが来ました。
「あなたの名前は岩本早紀。今は高校1年生のはずだけど、事情があって学校には行ってない。
兄が一人。岩本亮平。お正月、あなたは兄に襲われ意識不明に。約2ヶ月後、意識が回復するが
その矢先、再び兄に襲われる。・・・・・・・・・・・・・・・・思い出した?それともこれだけでは不十分?」
私の名前は岩本早紀。本当なら高校1年生の年・・・・・・なんだ。へぇ。
頭が痛い。何かを、思い出しそうになってる。もっと、もっと教えて!
掲示板に書きました。「メールありがとう!でもまだ足りないよ。もっと知りたい!」
私の中で何かが・・・!
10/18 曇り
過去を思い出そうとすると嫌な気分になります。でも構わない。カイザー・ソゼさんに会えるなら我慢するよ。
今日のK.アザミからのメールです。
「早紀さん。あなたの過去はとても・・・・・何て言えばいいかな・・・・・そう。重い。重いのよ。
それでも、知りたい?私はね、できれば教えたくないの。そこから出られるだけの記憶さえ取り戻せば十分。
そこに居るのは、記憶を失ったからなんでしょ?他の理由はないんでしょ?なら、必要なだけ、思い出すのよ。」
アザミ、気を使ってくれてる。でもね。もう決めたの。カイザー・ソゼさんに会うためなら、私我慢する。
「私は記憶を取り戻せばここから出られるの。だから教えて。どんな過去でも構わないから。外に、出たいの。」
掲示板に書いた後、私は少し考えました。本当に、過去を知っても構わない?思い出しちゃいけないような、
そんな気も、する。
10/19 雨
今日はK.アザミからのメールはありませんでした。
昼、お母さんに聞いてみました。「私、記憶が戻ったら外に出られるんだよね?」
少し考えたあと、答えてくれました。「全てを思い出すことができれば、可能性はあるわよ。」
お母さんの顔はとても複雑でした。何て言うか・・・私の記憶が戻るのを嫌がってるような・・・そんな表情。
お父さんの許可も何も、記憶が戻れば外へ出られるはず。先生の邪魔もない。
お母さんは続けて言いました。「でも、あなたはここに居た方が幸せなのかもしれない」
何で?外よりここの方が幸せ?嘘。私そんなの信じないよ。外にはカイザー・ソゼさんだっているんだから。
絶対外の方がいいに決まってる。酷いよお母さん。私を騙してここにずっと居させようとしてる。
お母さんの嘘つき!
10/20 雨
K.アザミからの来たメール。私には最初、何を言ってるのかさっぱりわかりませんでした。
メールによると、私は以前お兄ちゃんに襲われた時、ショックのあまりもう一つの人格が生まれたそうです。
その人格のまま私は「希望の世界」で色んな人に会って、カイザー・ソゼさんにもそこで会って、色んな事が。
色んな事。これ以外いい表現が思いつかない。メールに書いてあったこと全部日記に書いたら朝になっちゃう。
私はメールを読んだとき、すぐには信じる事ができませんでした。どんなに思い出そうとしても、出てこない。
けど、「虫」とか「早紀」とか「希望の世界」とかの文字を見るたびに、頭が痛くなってきます。
何度も読み返すうちに、私はそれが本当のことなのだと思うようになりました。
私の名前。岩本早紀。
10/21 晴れ
私は先生に記憶が戻った事を伝えました。私の名前、私の過去、私の今。
自分で言ってても、それが自分じゃないみたいでした。まだ完全に信じ切れてないみたい。
「記憶戻ったから、外に出てもいいですか?」と先生に聞いてみました。
先生は私の顔をじっと見たあと、何も言わずに首を振りました。
どうしてですか?記憶が戻ればここに居なくてもいいじゃないですか。出して下さいよ!私は叫びました。
先生が私の両肩を掴みました。そして、私の目を見て言いました。
「俺はな、親のわがままで言ってるんじゃないだ。医者として言ってるんだ。お前は、外に出るな!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・親?何を言ってるんだろう?私は聞きました。「先生の名前、何て言うんですか?」
先生は泣きそうな顔になりました。何度も首を振り、深いため息をつき、無理矢理笑顔を作って答えてました。
「私の名前は岩本ですよ。」
それだけ言うと、先生の目から一滴の涙がこぼれ落ちました。
そのあとすぐに部屋を出ていってしまいました。去り際に壁を叩き、「くそっ」と吐き捨てたのが聞こえました。
部屋の残された私は、ベッドの下のアザミに話しかけました。
聞いてよアザミ。あの先生ね、私のお父さんかもしれないよ。
それ以上何も言えませんでした。
10/22 雨
お母さんに聞きました。「あの先生、私のお父さんなの?」
そうよ、と小さな声で答えてました。私には特に感動はありませんでした。そうなんだ、って思ったくらいでした。
そのあとしばらく、お母さんは私を見てました。ずっと見てるので照れくさくなってしまいました。
私は思わず「何?」と聞いてしまいました。まだ見てます。
私ね、記憶が戻ったんだよ。お母さんに昨日先生(やっぱりお父さんって言えない)に話したことを言いました。
聞いたわ、と答えてした。またしばらく私のことをじっと見てました。私もお母さんも黙ったままです。
それから何分くらいたったかな?突然お母さんが言いました。
「・・・・・もう限界。」
立ち上がり、私を哀しそうな目で見て、ため息をついて、首を振って、先生みたいに何度も首を横に振って、
最後には泣いてしまって、とっても哀しい顔をして・・・・・・お母さんは部屋を出ていきました。
私は声をかけることができませんでした。何を言っていいのか分かりません。
何て言えば、お母さんが戻ってきてくれるのか分かりません。思い浮かんでは消えていく言葉たち。
誰か教えて下さい。私は何て言えばいいんですか?何て言えば良かったんですか?
教えて下さい・・・・。
第十二節 「祈誓」
10/23 晴れ
お母さんも、先生も、私の部屋には来ませんでした。
カイザー・ソゼさんはいつになったら来てくれるんだろう。私はもう外には出られません。
来てもらうしか会う方法は無いんです。早く来て下さい。
今私と一緒にいてくれるのはアザミだけです。二人っきり。
一人ぼっちよりはマシだよね。でも、
やっぱり寂しいね。
10/24 晴れ
「希望の世界」にも誰もいません。K.アザミすら何処かへ行ってしまいました。
私の過去を教えてくれて・・・・・それっきり。やっぱり、自力でここから出なきゃいけなかったのかな?
でも無理だよ。先生にあんな強く止められちゃ。それに、お母さんの協力も無いし。
お母さん、今日も来てくれなかったな。もう二度と来てくれないのかな。
やだよ。そんなのヤダよ。戻ってきてよお母さん。先生も、お父さんでいてくれていいから私の味方になってよ。
カイザー・ソゼさんも早く来てよ!早く、私を救ってよ!
お願いだから。
10/25 曇り
私の横でお母さんと先生が何かもめてます。
医者のくせに自分の子供を救えないなんて。お前があんな事するからいけないんだろ。
隠そうって言ったのはあなたじゃない。じゃあお前はあのままでよかったのかよ。
他に方法を考えるべきだったのよ。止めをさしときゃよかったのか。そんな言い方ないでしょ。もう戻れないんだぞ。
ふふ。こうして日記に書いてみると他人事みたい。二人の声が遠く聞こえるよ。
まだ言い争ってる。いつまで続くのかな。私、眠くなってきちゃったよ。もう寝よっと。
おやすみアザミ。
10/26 晴れ
また今日も二人は言い争い。とてもうるさく感じます。
私は「静かにして!」と叫びました。先生が私を見ます。お母さんも私を見ます。二人ともしばらく私を見てました。
そして、お母さんが泣き出しました。顔を覆ったまま部屋を飛び出していきました。先生が後を追います。
私はとても嫌な気分になりました。ベッドの下からアザミを取り出し、抱きしめてみました。
それでも嫌な気分はとれません。とても、とても嫌な気分。お母さん・・・・・・。
私もお母さんの後を追うことにしました。私が謝ればお母さんも泣くのを止めてくれる。そう思いました。
部屋から出た私はお母さんを探しました。見つかりません。先生も、お母さんも見失ってしまいました。
途中、何かブツブツ言ってる男の人がいました。私の名を呼んだ気がしました。
でも、気持ち悪いので近づきませんでした。
しばらく探し回ったけど、結局見つかりませんでした。仕方ないので部屋に戻りました。
部屋に戻ると先生の書き置きが有りました。「余計な事を言うな」だって。酷いよ。みんな私のせいにして。
酷いと思わない?アザミ。あれ?アザミ?何処?どこ行っちゃったの?アザミ。返事してよ。ねぇアザミ!
いない。アザミが消えちゃった。どうしよう。私、本当にひとりぼっちだよ。アザミ隠れてるんなら出てきてよ。
悪い冗談だよ。隠れんぼは止めて出てきてよ。私を一人にしないでよ。約束したじゃない。ずっと一緒だって。
ヤダ。一人はヤダよ。アザミだけはずっと一緒にいてくれるんじゃなかったの?約束・・・約束したのに・・・・
アザミは消えてしまいました。
10/27 土砂降り
アザミは消えたまま。けど、お母さんは戻ってきてくれました。私を殺すために。
最初お母さんはベッドの横に座ってるだけでした。今日はお母さん一人だけ。先生はいません。
またこの前みたく私の事をじっと見てました。そんなに見られると照れてしまいます。
なんだか恥ずかしくなってきたので話しかけました。「何?」って。これもこの前と同じ。
お母さんは返事してくれませんでした。じっと私の事を見続けてます。
私はどうも沈黙というのに耐えられません。涙が出てきそうになります。だから私から話を始めました。
私、まだ外にはでれないのかな。外に出て色んな人と遊びたいな。
お母さんは「無理よ」と答えました。私は「なんで無理なの?」と聞きました。
「外じゃマトモに生きていけないわ。」
私はもう1度「なんで?」と聞きました。お母さんは答えてくれました。
「あなた、外じゃ死んだことになってるのよ。」
私はびっくりしてお母さんの顔を見ました。真剣な顔。嘘じゃ、ないの?
ねぇ、とお母さんが私に近づく。どうせなら、本当に死ぬ?
私は布団をかぶりました。怖い。お母さんが怖い!まだお母さんは何か言ってる。その方が楽よって。
本気だ。お母さん、私を殺そうとしてる。私の事を死んじゃえばいいと思ってる。私、殺される!
お母さんに殺される。
私は毛布の中で震えながらうずくまってました。耳も塞ぎました。目をがっちりとつぶってました。
震えながら、カイザー・ソゼさんの名前を呼びました。助けて、カイザー・ソゼさん。助けて。助けて。
お母さんが私を殺そうとするの。殺される。嫌。怖い。怖いよ。誰か助けて。カイザー・ソゼさん。助けて・・・・。
それから1時間以上、私は毛布にうずくまったままでした。
耳を塞ぐのを止め、人の気配が消えてるのを確認してから、おそるおそる毛布から顔を出しました。
お母さんはいませんでした。
私はこれからどうなるんでしょう。お母さんに殺されてしまうんでしょうか。
カイザー・ソゼさん。ワタベさんが言ってたよ。あなたが私を救ってくれるって。早く。早く来て。
このままじゃ私、本当に殺されちゃう。アザミもいない。もう頼りはあなただけなんです。お願いです。
私を、救って下さい!
10/28 快晴
先生が言いました。「お前が死んでりゃ苦労はねぇのにな・・・」
先生は私の横に座り込んで、一人ブツブツ言ってました。私に聞こえるように。
私を殺すの?聞いてやりました。先生は顔を上げて私を見ます。
「昨日のことか?あんな浮気女の事ほっとけ。お前ら顔だけはあいつに似やがって。」
先生が言いたい放題言ってます。この人、私に言っても関係ない、と思ってる。
おい、と声をかけてきました。お前、マジで死ぬか?あの女ならまたやるかもしれねえぞ。
やめて!私は叫びました。昨日のお母さんは怖かった。でも、お母さんを悪く言わないで!
先生は私の胸ぐらを掴みました。お前も、あいつの味方かよ。2回も殺されそうになったくせに!
私は泣きそうになりました。止めて!私はお母さん嫌いじゃないよ!あなたなんかより、ずっと好きだよ!
このマザコン野郎。そう叫んで先生は私をベッドに突き飛ばしました。
それからしばらく、先生は椅子に座ってブツブツ言ってました。私は突き飛ばされた格好のままです。
私は何も言えませんでした。もう嫌。誰か助けて。そう思ってました。
その時です。ドアをドンドン、とノックする音が。
先生はめんどくさそうにドアを見ます。私もドアを見ました。
「早紀さん、迎えに来たよ!」
突然部屋に響き渡る声。私はベッドから飛び起きました。スリッパを急いで履きました。まさか、まさか・・・・
「早紀さん!僕です。カイザー・ソゼです!」
ああやっぱり!カイザー・ソゼさん。本当に、来てくれたんだ!
先生はあっけにとられたような顔をして動きません。ふふ。カイザー・ソゼなんて名前、知らないでしょ。
ペタペタと音を立ててドアに向かいます。ドアの向こうにカイザー・ソゼさんが!
ドアを、開けました。そこには私より少し年下っぽい、男の子がいました。この人が、カイザー・ソゼさん。
「カイザー・ソゼさん、来てくれたのね!」私は嬉しさのあまり叫んでしまいました。
やっと現れた救世主。さあ、私を救って!
でも、なんだか様子が変です。何も喋ってくれません。それに、私が声を出した途端、顔を背けた。
何だろう。私は心配になって「どうしたんですか?」と聞きました。
カイザー・ソゼさんは答えてくれません。ねぇどうしたの?私を救ってくれるんじゃないの?
何で何も言わないの?逃げようよ。一緒にここから逃げようよ!
後ろで先生が何か言ってます。カイザー・ソゼさんは何も喋らない。その目はもうどこを見てるのかもわからない。
深い沈黙。誰も、何も、言わない。
わけがわかりません。助けに来てくれたと思ったのに、何もしてくれない。それどころか、私を見てくれない。
私は何がなんだかわからずに、泣いてしまいました。それでも、カイザーさんは動かない。
余計に悲しくなりました。先生は私の腕をとり、部屋の中に連れ戻しました。
先生がドアを閉める。カイザーさんが、カイザーさんが・・・・・
「あきらめろ」先生が言いました。「お前の姿を見て、マトモでいられる奴なんかいねぇさ」
私の姿・・・・?何・・・・?私の何処に問題があるの?私は早紀。岩本早紀。K.アザミが教えてくれたんだから!
先生は私の言葉を無視し、椅子に座ってうなだれてました。
私は、泣きました。頼みのカイザー・ソゼさんでさえ、私を救ってくれなかった。どうしよう。
もう頼れる人がいないよ。なんでだろう。なんでみんな消えちゃったんだろう。なんで、みんな私を避けるんだろう。
窓から差し込む光が私の身体を照らします。普通だよ。私の身体、全然普通なのに・・・。
無駄な光が目にしみます。
10/29 今日も晴れ
私は部屋で、ひとりぼっちです。息を吸って、吐く。これの繰り返しで一日が終わる。
何故みんな私から離れていってしまうのでしょう。私が何をしたんですか。
お母さんも、先生も、アザミも、カイザー・ソゼさんまでもが私を避けます。
天国のお兄ちゃん。私を襲ったお兄ちゃん。これは、あなたの呪いですか?
私はあなたの事を、いや私自身の事でさえ、K.アザミから教えてもらった知識でしか知りません。
でも、でもね。私はあなたを恨んでません。記憶にないんだから恨みようが無いじゃないですか。
だから、お願い。みんなを返して。私を一人でしないで。お兄ちゃん。私本当に恨んでないんだよ。
お願いだから、これ以上私を苦しめないで下さい。あなたの呪いを解いて下さい。
私は祈りました。光あふれる窓の外に向かって。
光の彼方にいるお兄ちゃん、私を救って下さい。
手を合わせ、何度も何度も祈りました。よく晴れた青空に、私の祈りが響きます。
そして、光に包まれ溶けていく。
祈りは、届きませんでした。
- 第3章 鎮魂歌 -  完
カイザー日記   第4章 「終着地」 僕の希望はここにある。
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Chapter:13 「さようなら」
11/1 横殴りの雨
雨の中、病院に。正式に通院をやめる手続きをしてきた。
と言っても、先生に「もう来ません」って言っただけだけど。岩本先生に。
先生は「そうか」と答えただけで、亮平さんの事には触れてこなかった。僕も触れたくなかった。
もうこの病院には来ない。用は済んだ。あっけなく、静かに、終わった。
オクダを見かけた。最後にあいつに会うことができて幸運だったかもしれない。聞きたい事があったから。
声をかけると、相変わらずビクビクしながら僕を見た。「何?」とかすれた声を出した。
僕は気になってたあの事を聞いてみた。
「なぁ、お前の言ってた『変な女』って、どこが変だったんだ?」
オクダはちょっと間を置いてから、答えた。
「あのね、変なんだよ。あいつね、男なのに、女なんだ。変だよね。変だよね。」
・・・・・こいつの話を鵜呑みにしてた僕がバカだった。オクダもまた、「中」にいた奴だったんだ。
病院に通ってるような奴が、マトモな話をするわけ・・・・もうやめよう。今更関係ないか。
結局僕は、「中」に入るほど狂っちゃいなかった。先生が言った通りだ。自分で言えるだけ、マシだった。
横殴りの雨が吹く「外」へ出た。雨が止むまで待とうかと思ったけど、雨は収まりそうになかった。
振り返って病院を見る。色々なことが頭をよぎった。僕は一言こう呟いた。
さようなら、亮平さん。
11/2 曇り
学校では相変わらずつまらない授業ばかり。学校は僕にとって早紀さんの事を考える場でしかなかった。
今日もちょっと考えてた。早紀さんの顔。亮平さんの顔は確かに早紀さんに似てた・・・・と思う。
けど、本当にそうだった?最早そんなことはどうでも良かったのだけど、何となく考えてしまった。
僕は、以前会ったときの早紀さんの顔なんか、すっかり忘れてる。
と言うより、一回会ったくらいじゃ僕は、人の顔なんて覚えられないんだ。
早紀さんだと思って見るから早紀さんに見えるだけだ。それが亮平さんだったとしても。
早紀さんだと思って見たから、ぱっと見だけじゃそれが男だとは気付かなかったんだ。
・・・・でも、確かに綺麗な顔立ちだったな。綺麗な顔してた。だから、いじめられたのかな。
もういい。余計なことは考えたくない。僕は普通の受験生に戻るんだ。
精神病院も関係ない。岩本亮平なんて関係ない。「希望の世界」なんか関係ない。戻るんだ。僕は。
普通の中学3年生に。
11/3 晴れ
休日。と言ってもやることナシ。以前は色々考えることがあって暇なんてなかったけどな。
久々の休養。うん。映画でも見よう。
お気に入りの「ユージュアル・サスペクツ」をレンタルしてきた。見た。やっぱり面白い。
かっこいいなカイザー・ソゼは。僕のハンドルネーム。
ストーリーもいいな。狂言に踊らされる警察。僕も初めてみたときはすっかり騙された。
ホント狂言だとは気付かなかったなぁ。狂言。狂言・・・・・・・・・・・
・・・・・狂言・・・・・・・か。自分の目で見るまで真実はわからない。この映画が教えてくれた。
早紀さんだと思ってた人が亮平さんだった事も、実際目にするまでわからなかった。
自分の目で確認しなきゃ、それが本当の事かはわからない。
何か、引っかかる。
いや止めよう。僕はもう普通の中学生だ。「希望の世界」の事は忘れよう。
ネットで知り合った人たちと手を切るのなんてカンタンだ。何もしなきゃいいんだよ。
そこに行くのを止めればいいんだ。それだけで、赤の他人になれる。
思えば奇妙な縁だったけど、ほんの数ヶ月だったけど、もうお別れだ。
少しだけ、寂しいけど。
11/4 曇り
今日は少し肌寒かった。・・・・日記に書くことはこれくらい。
あとは普通の、ごく普通の日。電車に乗って学校に行って帰ってきて・・・・書くのもつまらない。
普通の生活になってから、書くことが無くなった。これが普通なんだな、と思った。
いつも何かあるワケじゃないんだ。普通はそうだ。でも、この前までは何かしら書くことがあった。
僕の思ってる事とか、色々・・・・今日僕が考えてた事ってなんだろう。
昨日何かが頭の中で引っかかった事、かな。狂言。自分の目で確かめないと、真実なんてわからない。
ずっと気になってる。1日中。それを確かめるのはカンタンだけど、
ああ僕はまた戻ろうとしてる。あの狂気の世界に。手を切ったはずなのに、頭から離れない。
カイザー・ソゼ。この名前はもういいんだ。僕にはちゃんと立派な名前があるじゃないか。カッコイイ名前が。
だからもう・・・・忘れよう。忘れるんだ。
ネットの事なんか。
11/5 晴れ
どうしても頭から離れない。わかった。やるだけやってみよう。
それで反応が無かったらスッパリ諦める。もし、僕の予想通りだったら・・・・・
もう1度、戻る。僕の中で溜まってる色々な疑問。それが一気に解決するかもしれないんだから。
決まった。狂言か否か、メールを送って確認してみる。
確かに僕は、自分の目でその事を確認してない。メールで知っただけだ。
あの人への連絡手段はメールしかない。だからもう1度だけ・・・・戻ろう。
渡部さん。あなた本当は生きてるんじゃ?
11/6 曇り
・・・・・・・昨日のメールの返事。
こんにちわカイザー君。
案外気付くの遅かったね。すぐにわかると思ってたけど。
1度ゆっくり話をしようよ。色々聞きたい事もあるんじゃない?
明日は日曜日だし、暇でしょ?決定。
そうして渡部さんの携帯の電話番号と、明日の待ち合わせ場所が書いてあった。
横浜駅西口東横線改札前に1時。
都合が悪ければ電話してねだって。そんなわけないじゃないですか。
やっぱりそう簡単には手を切らせてくれない。いや、手を切るなんてとんでもない。
こうなったら、全てを知るまで戻らない。最後まで。最後まで僕は・・・・・・ゴールなんて、あるのか?
いいさ。構わない。見てた夢を全てを否定された今、僕は現実を直視しなきゃいけないんだ。
普通の生活には、まだ遠いかもしれない。僕はもう1度戻るから。カイザー・ソゼに。だから今は、
さようなら。普通の中学3年生。
Chapter:14 「ワタベさん」
11/7 曇り
ワタベさんと会った。とてもとても長い時間、話をした。
その話の全てが重要で、まとめようがない。かといって全部日記に書くと、長くなりすぎる。
でも、日記に書かないままにしておくことはできない。僕自身、あの話の全てを記録に残しておきたいと思ってる。
さてどうしようかと考えてるうちに、いいことを思いついた。
今日のことを何日かにわけて書く。どうせしばらく日記に書くような事なんて起きそうにないんだから。
渡部さんは今日、別れる前に言ってた。
「また会いましょうね。あなたにはここまで来れた『ご褒美』をあげなきゃいけないし。
でも、しばらく待っててね。1週間くらいかな。こっちにも色々整理しなきゃいけない事もあるから。
それまでは、普通の中学生しててよ。都合が良くなったらこっちから連絡するから。」
普通の中学生でいる間は、特に日記に書くことなんて無い。一昨日まででそれは証明されてる。
渡部さんの話全部を間違いなく覚えてるのか自身は無い。けど、その内容は忘れようがない。
ちょっとくらい表現が違ったところで問題は無いか。
そうだ。小説を書くみたいにすればいいんだ。その方がやりやすいかな。
じゃあさっそく今日の分を。さて、何処から書き始めようか・・・・
渡部さんの話@
今日の午後1時、時間ぴったりになるように東横線の改札前に向かった。
階段を上ろうとした矢先に声をかけられた。「カイザー君」って。渡部さんだった。
とりあえず落ち着いた所で話をしよう、って事になって西口を歩いた。
ちょっと行った所にジョナサンがある、と言うのでそこに行くことに決まった。
ジョナサンに行く最中も少し話を。先に口を開いたのは渡部さんだった。
「どうだった?」といきなり聞いてきた。僕はその一言で、なんとなく把握できた。
渡部さんは、病院にいるのが亮平さんであることを知ってたんだ・・・・。
「僕も死にたくなりましたよ」と答えた。
「簡単よ。これから自殺しますって書いてメールで送る。後は掲示板に何も書かなきゃいいんだから。」
実にその通り。たったそれだけで、渡部さんは死んだ事になった。
僕はふと思ったことを聞いてみた。「ここがゴールですか?」
「まだ。ゴールもう少し先よ。」と渡部さん。そして、続けてこう言った。
「でも、ここまでちゃんと来てくれたんだから、何かお礼をしないとね。」
それが、渡部さんは顔を近づけてそう言ってきたから・・・・・・・なんだか・・・・少しドキドキした。
ああ、何を期待してるんだ僕は。
しばらく僕は顔を赤くして黙ってしまった。渡部さんはそんな僕を見て笑ってた。
そうして歩いてると、ジョナサンに着いた。そこで腰を据えて・・・・色々なことを聞いた。
亮平さんの事も。
11/8 雨
今日は特に何も起きなかった。だから昨日の続きを。
11月7日の渡部さんの話A
ジョナサンで適当にお昼ご飯を頼んだ。
「さて、何処から話そうか。何が聞きたい?」と渡部さん。
そうやって改めて言われると、何から聞いていいのかわからない。僕は少しとまどってた。
とりあえず渡部さん自身の事を聞いてみる事にした。
「なんで死んだフリなんかしたんですか?」
後々考えてみると、これは愚問だった。聞くまでもないことだった。
「それはね。死にたくなるほどショックを受けたから。スッパリ手を切りたくなったって言えばいいかな。」
実にその通り。僕も手を切りたくなった。実際、少し離れていたし。
よくよく考えれば分かることだ。それに渡部さんは・・・亮平さんとの関係を考えると・・・・・
僕以上に、「死にたく」なるはず。いじめっ子といじめられッ子。いやそれ以上の・・・
渡部さんは僕が黙ってるのを見ると、喋り始めた。
「彼女、見たでしょ?」
彼女?と思わず聞き返した。「そう、彼女。それとも『彼』と言った方がいい?」
彼女でいいです、と答えた。『彼』と呼ぶにはあまりに痛々しい。人格は女なんだから『彼女』と呼んだ方がいい。
ショックでした。そう言うと渡部さんはくすっと笑った。
そう言えば僕は聞きたいことがあったんだ。亮平さんの事以上に。もっと根本的な問題として。
「何で僕を亮平さんと会わせようとしたんですか?」
渡部さんは僕に「早紀さんを救って」と言った。それは、亮平さんの所に行け、という意味でもあった。
渡部さんは少し寂しそうな顔をして答えた。「私の立場を察して」。とても痛々しい響きだった。
「ねぇ、私の立場になって考えてみて。もしあなたが私だったら、彼女のあんな姿を見て、正気でいられる?」
僕は答えられなかった。「私はね、耐えられなかった。死んだ事にして手を切ろうとしても・・・忘れられない。」
「あっちは私のことなんか忘れてて『初めまして』なんて挨拶するのよ。私はね、平静を取り繕ってはいたけどね、
心の中ではね、とても・・・・・とても動揺してたのよ。それでね、もうその時には決めてたわ。身を引こうって。」
ふうっと一息ついてから、また喋り始めた。僕が割り込む隙なんか無い。
「けどね、消えないのよ。あの人、笑顔だったのよ。目をつぶると見えるのよ。男なのに。女っぽい笑顔が。
それがね。辛いのよ。ねぇわかる?辛いのよ。どんなけ振り払っても、消えないのよ。私に微笑みかけてるのよ。
逃げ出したい。でも逃げても決して頭から離れない。分かってた。だから。だから。だから・・・・・・。」
渡部さんは僕の目をじっとのぞき込んだ。
「この気持ちを、分かち合える人が欲しかったの。」
目には涙を浮かべてる。「メール、見たでしょ。早紀さんを救って欲しいって。」
僕はゆっくり頷いた。渡部さんの目に溜まった涙はあふれそうだった。消え入りそうな声で、次の言葉が出た。
私を救って欲しかったのよ・・・・・・
僕の目を見る。そして、寂しげな顔から、ゆっくり笑顔に戻して、一言。
カイザー君。来てくれてありがとう。
両目をこすって涙を拭う渡部さん。僕は渡部さんに何も・・・・・・・・言えなかった。
何も・・・・。
11/9 晴れ
今日も特記する事なし。話の続きを書こう。
11月7日の渡部さんの話B
しばらく僕は何も言えなかったけど、そのままでいるわけにはいかなかった。
「渡部さん」と僕は思い切って言ってみた。
何?とまだ目に溜まってた涙を拭いながら渡部さんは答えた。
「亮平さんは、死んだんじゃなかったんですか?」
言ってしまった。でも、これだけは聞いておかないと。日記を見た限りでは、あの人は死んでたはずだ。
渡部さんがふっと笑った。ああその事ね、と言わんばかりに。
「死んだことにされてたのよ。親の二人が共謀してね。・・・・2月の話よ。」
なんでそんな事を。僕は反射的にそう言ってしまった。これも愚問だった。
「妹を犯して、そのせいで妹は植物状態になって、さらには無理心中まで計って、・・・・・・それでも死ななくて。」
渡部さんはそこで一旦言葉を区切った。
「自分の息子がそんな事したら、あなたならどうする?」
僕なら・・・殺してしまうかもしれません。そう答えた。愛する娘を汚されたら、息子が相手でも、殺すかもしれない。
「そう。たぶんあの二人もそう考えたはずよ。都合のいい事に、薬のせいで目覚めないままだし。
けどね、状況を考えてみて。妹は少し変になってたけど、生きてる。兄は、目が覚めないまま。
妹が・・・早紀さんが死んでたら、恐らく兄は本当に殺されてたと思うわ。けど妹は生きてる。
最悪の状態ではなかったってワケ。だからと言って、息子の愚行は許せない。そしてなにより・・・・・
世間体ってのがあるでしょ。そんな狂った息子を抱えてるなんて知られたら、たまったもんじゃない。そう考えて」
だから、世間では「死んだ」ことにしたんですね。僕は口を挟んだ。言わずにはいられなかった。
渡部さんはまた寂しそうな笑顔になった。
「その通りよ。薬を飲みすぎて、死んでしまった。そうゆう事にして、等の本人は目が覚めないまま、病院へ。」
岩本先生が根回ししたんですね。渡部さんはこくん、と頷いた。
「このシナリオは、親が医者だったからこそできた芸当ね。精神病院に勤めていると言っても医者は医者。
ベッド一つくらい難なく用意できたはずよ。こうして岩本亮平は目が覚めないまま、外では死んだ事にされた。」
さて、と言って渡部さんは一息入れた。「ここからが、最もあなたに聞いて欲しい所よ」
僕はごくん、と唾を飲み込んだ。
11/10 曇り
11月7日の渡部さんの話C
「岩本亮平が、何故今のような状態になったか?そこが肝心。」
そうだ。何故、あの人は自分を早紀さんだと思うようになったんだ?
「それはね、私が『死にたく』なった原因でもあるのよ。」
少し俯き加減になった。
「あまりに、重くて、生々しくて、・・・・・・・狂ってて。私まで死にたくなるほど。」
渡部さんが僕の目をのぞき込む。「ねぇ、この狂ったお話を聞く勇気、ある?」
・・・・・ゆっくりとだけど、僕は頷いた。渡部さんと会うって決めた時に、その覚悟はできている。
あまりに強烈な現実よ。構いません。覚悟は出来てます。
渡部さんはこれ以上ないくらい真剣な顔になった。わかった。じゃあ、聞いて。
「6月20日。あの日記が終わった日。何が起こったのかはカイザー君も知ってるわね?
でも、その後は知らないでしょ。岩本早紀が自分のお腹を刺して、日記を書き終えて、気を失った。その後よ。
渚さんが部屋に入った。そこで、血塗れの早紀を見つけて、そして・・・・横のパソコンの画面を見た。
想像してみて。そこには、あの日記が写ってたのよ。愛する娘が、お腹を刺した理由が、そこにあったのよ。
渚さんはそれを見て・・・・こう思ったはず。早紀がこんな事になったのは亮平のせい。あいつのせいで早紀が。
日記を見てても分かったでしょ?渚さんは早紀をとても愛してた。けど、亮平に対しては全く反対。
早紀がおかしくなったのは亮平のせい。それは常々感じてたでしょうね。日記を見るまでもなく。
けど、そこで改めてその事を知らされて・・・娘が自分のお腹まで刺して・・・限界を超えちゃったんでしょうね。」
渡部さんはそこまで一気に話した。声が段々と涙声になっていくのがわかった。
「そこで、渚さんが取った行動。それは・・・・・・それは・・・・・・それはね・・・・・・・・・・・・。」
言うのが辛そうだった。僕は「それは?」と言ってその先を促した。
「それはね。諸悪の根元に、同じ目をあわせた。
つまり、寝たっきりの亮平のお腹を刺したのよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
絞るように喋ってた。痛い。この話はあまりに痛々しすぎる。
その話には、さらに痛い続きがあった。
11/11 曇り
11月7日の渡部さんの話D
「岩本亮平は寝たきりのまま、刺された。・・・・・・・・・・・それでも、やっぱり死ななかった。
それどころか、それどころかよ。渚さんにとって、さらに悪い方向に。」
渡部さんは少し震えてた。僕も何故か寒気がしてきた。
「・・・・・・・・・お腹を刺された刺激で、彼は目覚めてしまったのよ!」
背筋に悪寒が走った。僕はすっかり渡部さんの話に聞き入っていた。
「薬の後遺症なのかはわからないけど、彼は目覚めたとき、自分が誰なのかも分からない状態だった。
そこでね・・・・・・ねぇ。渚さんの事を軽蔑しないでね。あの人は娘を愛しすぎていただけ。
その事をようく胸に刻み付けておいて。すべては、愛する娘の為の行動よ。それだけは、覚えておいて。」
わかってます。だから続けて下さい。渡部さんは深いため息をついて、首を何度も何度も横に振って、言った。
「放心状態の彼に向かって・・・・・・渚さんは・・・・・・・・・・・・渚さんは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・ずっと、恨み言を言ってたのよ。早紀があんな事になったのは、アナタのせいだって。」
渡部さんは喋るのも辛そうだった。歯をキリっと食いしばって、目には涙をためて・・・・
「それで、それでね、彼は何度も『早紀』という名前を聞かされて、そのせいで、そのせいで彼は」
渡部さんの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
それが自分の事だと思ってしまって・・・・・・自分の名をサキだと思いこんでしまったのよ・・・・・・・・・・・。
「彼」が「彼女」になった瞬間だった。
なんて、なんて皮肉な結果なんだろう。妹は自分を兄だと思いこんでて、その次は兄が自分を妹だと・・・
呪われてる。これが呪いじゃなくて何だって言うんだ。虫だ。虫の呪いだ。
虫と呼ばれた亮平さんの呪い。今のあの人は虫じゃない。サキさんだ。「虫」は死んだ。その呪いだ。
「そのあとは、流れるままよ。渚さんはもう抜け殻同然。全てを諦めて、『彼女』に話をあわせるようにしたの。
当の本人は色々理由を付けて父親の病院に移された。こうして父親の監視のもとで、生き続けてるってワケ。」
呪われてる。僕はそう呟いた。
渡部さんも聞こえたのか、すっと顔を上げて僕を見た。
「そう、呪われてる。この呪いからは誰も逃げられない。もし、解放されてるとしたら・・・・それは、死ぬ時・・・ね。」
僕は目をつぶってしばらく頭の中で渡部さんの話を整理した。
ああ、どう考えても呪われてる。「呪い」は便宜的な表現でしかないけど、これ以上良い言い方は思いつけない。
僕も、この呪いの中にいるんだろうか。渡部さんは、呪いの中で一人きりになるのが耐えられず、僕を呼んだ。
そして僕は・・・・・ああ、こうして渡部さんの話を聞いてる時点で、十分巻き込まれてるんだろうな。
僕は知らない間に泣いていた。気付いたら涙があふれてて視界がぼやけてた。
渡部さんも僕が泣いてる事に気付いたらしい。目を拭って彼女を見ると、またあの寂しそうな顔になってた。
少しだけ、笑って。
11/12 雨
11月7日の渡部さんの話E
ジョナサンから出る頃にはすっかり夕方になってた。
渡部さんと一緒に少し横浜をブラブラした。横に歩いてみると、渡部さんはそんなに背が高くない事に気付いた。
横顔を見た。少し化粧をして大人っぽく装ってはいるけど、幼さが抜けきってないかな、なんて思った。
渡部さんもまた、普通の女の子なんだ・・・・・・そんなことを考えてた。
「今日はありがとう」と言って渡部さんが僕を見た。
「話したらスッキリした。」そうは言っても、渡部さんの表情は相変わらず寂しげだった。
僕は何と言っていいかわからずおどおどしてしまった。渡部さんはクスっと笑った。
「また会いましょうね。あなたにはここまで来れた『ご褒美』をあげなきゃいけないし。
でも、しばらく待っててね。1週間くらいかな。こっちにも色々整理しなきゃいけない事もあるから。
それまでは、普通の中学生しててよ。都合が良くなったらこっちから連絡するから。」
渡部さんがまた僕の目をのぞき込んで『ご褒美』なんて言うもんだから・・・・・
僕は顔が赤くなった。何を期待してるんだ僕は。くだらない妄想が頭から離れない。
僕のそんな姿を楽しんでるのか、いや、あの人がその時何を考えていたのかわからない。
渡部さんは、そんな僕を見て・・・・・またくすっと笑って・・・・・・僕の頬に・・・・そっと・・・唇を・・・・・・
ああもう書いてて恥ずかしい。とにかく渡部さんは僕の頬にキスをした。
それで「続きはまた今度ね」とか言ってた。
その後は「じゃあね」と言って別れた。僕も「じゃあ、また」とか言って手を振った。
僕の顔は真っ赤だった。
本当に何を考えてるんだろう渡部さんは。あれが「ご褒美」のつもりだったのか?
でも「続き」って・・・・・もうわけがわかんないよ。とにかく先週の日曜日にはそんな事があった。
で、渡部さんからの連絡はまだない。
あれからずっと、僕の中ではくだらない妄想ばかり膨らんでた。
くだらないそんなのあるわけないとは思いつつも、想像せずにはいられない。
あんな事言われて期待しない男はいないよ。しかも僕は中学3年で、1番ああいうことに興味ある時期で・・・・
とにかく今は渡部さんからの連絡待ちだ。余計な事は考えるな。
亮平さんが何故「サキ」さんになったのか。その話を聞いた時のショックは何処に行ったんだ。
渚さんの、あまりに痛すぎる行動。真剣に受け止めるべきだ。その上で僕が今何をすればいいのか考えろ。
ああ、でも・・・。
Chapter:15 「終着地」
11/14 晴れ
渡部さんと会ってから丁度一週間。渡部さんからの連絡は無い。
一週間くらいって言ってたから、まだ連絡無くても焦ることないか。
今日は時間の流れるのがとても遅かった気がする。
すっと家で渡部さんからの連絡を待ってたから。一日中ドキドキしてた。
早く連絡が来て欲しい。
11/16 曇り
渡部さんからメールが来た!そこには2行だけ文が書かれていた。
たったの2行。でも、内容はとても重い。「いつでもいいから」って言葉と、携帯の電話番号。
いてもたってもいられなくなり、夜にも関わらず僕は電話をした。
渡部さんはすぐに出てくれた。
「こんばんわ」と僕。「こんばんわ」と渡部さん。少し沈黙。
「そういえば」と渡部さん。「カイザー君の本名、まだ聞いてなかったよね。」
ああそうでしたね。教えてくれる?いいですよ。
僕は本名を言った。僕は名前に関してはちょっと自信がある。自分でもカッコイイと思う。
渡部さんも「なんだか芸能人みたいね」と言ってくれた。僕は電話越しに照れてた。
僕、自分でもこの名前気に入ってるんです・・・・そう言おと思った矢先だった。
「ちょっと待って」と渡部さんが言った。「ねぇ、その名前ってもしかして」
直感的に渡部さんが何を言おうとしてるのかわかった。
そして、その直感は見事に当たっていた。僕が事の経緯を話すと渡部さんは何故か笑ってた。
「カイザー君、その名前の持つ意味分かってる?」
何を言ってるのかわからなかった。でも、渡部さんから話を聞いて・・・愕然とした。
「呪われてる」と僕。「呪われてるわね」と渡部さん。
渡部さんはさらに続けた。「でもたぶん、それは呪いじゃないわ。何て言うか・・・運命よ。」
そうなんだろうか。僕は自分がした事の重さに潰されそうになっていた。これも運命なのか。
「間違いなく運命よ。偶然で済ますにはあまりに運命的すぎる。けど・・・・やっぱり呪いかもね。」
僕にはもうどっちでも良かった。僕は逃げられないんだから。うまく逃げ切れても・・・・・
ああ、渡部さんと同じ事になりそうだ。頭から離れない。亮平さんのあの笑顔が。あの泣き顔も。あの声も。
「なんだか、ショックうけてるみたいね。また電話してよ。今日はもう充分お話したよね。」
そうして会話は終了した。今日は混乱してるけど、またすぐに電話をかける事になりそうだ。
渡部さんは言ってた。「この気持ちを、分かち合える人が欲しかったの。」
その通り、だ。
11/17 寒い
僕は何をすればいいんだろう。バラバラの人形の破片を見ながらそう思った。
目をつぶると亮平さんの笑顔が見える。男なのに、女っぽい笑い方。
僕は普段人の顔なんてすぐ忘れるのに・・・頭から離れない。離れてくれない。
アザミ。この人形の名前はアザミで、亮平さんの「友達」。
オクダがなんでこれを持ってたのかはわからないけど、どうせロクな理由じゃなさそうだ。
バラバラだし。なんでバラバラに?そんな事はどうでもいいか。
問題は、アザミ人形を僕が持ってるという事。
渡部さんの言った通りこれは運命、違う。呪いなのかもしれない。
このまま縁を切ろうと思ったって無理だ。
人形は?捨てるのか?亮平さんは?ほったらかしに?渡部さんとは?連絡とりあう?
学校に行ったって、今日みたいにボケっとしてるだけだ。
第一、受験勉強に身が入らない。普通の中学3年生に戻るには、全てが解決してくれなきゃダメだ。
受験。もうそんな時期だ。学校の知り合いに「お前は余裕だな」って言われた。
余裕じゃない。学校じゃ僕は普通に装ってるけど・・・・・立たされてる状況は普通じゃない。
もう戻れない。志望校を下げれば受験には失敗しないかもしれない。だけど、高校生になっても僕は
このままじゃ 普通じゃない 僕は どうすれば 戻れるんだ 渡部さん 亮平さん 岩本先生 渚さん
どうすればいいんですか
11/18 今日も寒い
学校で変な噂を聞いた。何処の高校を受験するのかみんなで話してた時だった。
呪われた高校の噂。
ある男子生徒がいじめられていた。彼に対するイジメはとても酷いモノだった。
その男子生徒はいじめっ子への恨みを連ねていった。その恨みはどんどん膨れていった。
やがてその恨みは弾けた。恨みは呪いとなり、いじめっ子を襲った。
彼はまず何の罪もない女子生徒に呪いをかけた。そして彼女にいじめっ子を殺させた。
いじめっ子を電車のホームに突き落とすように呪った。彼女はそれを実行した。いじめっ子は電車に轢かれた。
ドカングシャグシャバリバリベチョリ
いじめっ子の身体はバラバラに砕け散った。
女子生徒は警察に逮捕された。男子生徒は何の罪もかぶらずに済んだ。
けど、今度はいじめっ子の呪いが男子生徒を襲った。
彼が目をつぶる度にグシャグシャになったいじめっ子の顔が浮かんでくる。
そのうち目をつぶらなくても見えるようになった。物陰、日陰、自分の影。暗いところには必ず潰れた顔がある。
耐えられなくなった彼は発狂した。学校にも来なくなった。
彼は薬を飲んで自殺した。
そこで話は終わらなかった。死んだ男子生徒の「呪い」は身体が滅びたあとも生き続けた。
生活指導の先生が何者かに殺された。それは自分を救ってくれなかった「彼」の呪いだった。
それ以来、暗黙のうちに学校でイジメは無くなった。
誰かをいじめると、「彼」の呪いで殺される。そんな噂が流れた。
そしてその噂は・・・・僕の中学校にまで流れてきた。
あの高校受験する奴いる?とかそんな噂嘘でしょとかでも実際何人か死んだヤツがいるらしいとか
なんか怖いよねとか今時呪いなんて流行らないとかみんな勝手なことばかり言ってた。
僕の受験しようと思ってた高校だった。
「呪われてる」と僕は呟いた。友達が「やっぱそう思う?」とか言ってた。僕は無視した。
呪われてる。
11/19 晴れ
僕は渡部さんに電話をした。とにかく話をしたかった。
昨日聞いた呪われた高校の話をした。僕がその高校を受験しようとしてた事も。
渡部さんはうん、うん、と優しく相づちを打ってくれた。
渡部さんの高校。そして、亮平さんがいた高校でもある。
僕は話してるうちに怖くなってきた。本当に呪われてるんじゃないだろうか。
受話器を持つ手が震え、歯がガチガチと音をたてた。何度も何度も瞬きをした。息づかいも荒くなった。
怖いんです怖いんです怖いんです怖いんです怖いんです。渡部さんは答えてくれた。
「大丈夫。怖がらないで。」
その一言だけで僕は随分と落ち着いた。渡部さんの声はとても不思議な響きを持っていた。
本当に大丈夫な気がしてきた。平気ですよね。大丈夫ですよね。
「明日会える?」と渡部さん。
「学校あるんですけど・・・」と僕は答えた。
「サボっちゃえ」
僕は学校をサボることにした。罪悪感は少しもなかった。
明日の待ち合わせなどを決めて会話は終わった。電話を切ったあと、僕はふと考え込んだ。
これからもこんな関係が続くのかな。
ネット上での知り合いはすぐに手が切れる。でも、渡部さんとは現実に会った。電話番号も知ってる。
亮平さんにも会った。亮平さんの父親にも会った。早紀さんは・・・・やっぱり死んでしまったのかな。
会ってないのは渚さんだけか。これから会うことはあるのかな。そんな状況考えられないか。
そこまで考えると、また怖くなってきた。岩本家との不思議な縁。早紀さんと、亮平さんと、先生と、渚さんと・・・
僕はガタガタと震えた。また歯がガチガチなった。キーボードを叩くこの手が冷たい。
寒いさみむいいさみいさむういいm寒い手がかじかんでる。
渡部さんの言葉あをおおおおっっっもういs思い化ええい返した。・、。
「だいいじょうぶぶ」」だ大丈夫ううう大丈夫大丈夫大丈夫
怖がらないで。
11/20 晴れ
僕は今日という日を一生忘れない。
「渡部さん」の「ご褒美」は僕のくだらない妄想が現実となったものだった。
待ち合わせして、彼女の家へ。部屋に案内された。
部屋に着くと彼女はこう言った。「ここが、私の終着地。」
その後に詳しい説明は一切無かった。ただ一言、「ご褒美」と言って彼女は部屋の電気を消した。
真っ暗になった。服を脱ぐ音がした。何が起ころうとしてるのか・・・・そんなの分かり切った事だった。
僕の顔は真っ赤なってたと思う。心臓の音が部屋に響きそうになるくらいに音を立てた。
真っ暗な空間に彼女の身体の輪郭が浮かび上がった。顔の表情はうまく見えなかった。
でも、笑ってたと思う。
僕も服を脱ぐべきだと思った。ボタンを外すてが震えてた。死ぬほど緊張してた。
頭の中は真っ白になってた。いつものくだらない妄想なんかどっかいってしまった。
手が冷たくなってた。冷たいままじゃダメだ、と思った。暗闇の中で手をこすりあわせた。
まだ服も全部脱いでなかった。脱いだ服はどこに置いとけばいいんだろう。そんな事を考えてた。
彼女が僕の手を握った。僕の手はまだ冷たいままだった。彼女の手はとても温かかった。
裸の女性が目の前にいる。そう考えただけで僕はどうしていいのかわからなくなった。
男としてどうするべきか?立ったままじゃダメだ。押し倒す?僕が?どうやって?いつ?今?
彼女の唇が僕の唇に重なった。
次は?腕は?抱きしめるべきか?唇を離すタイミングは?何か言うべきか?いい匂い?変態だ!
トランクスは?まだ履いたままだ!いいのか?ここで脱ぐ?恥ずかしい!彼女は?下着は?
真っ暗で見えない!触れてみる?身体に?彼女の身体に?冷たい手で?大丈夫なのか?
ああ!渡部さんが唇を離した!どうしよう。これからどうしよう!嫌われた?これで終わり?
腕が!渡部さんの手が僕の背中に!これって、これってもしかして、抱きしめられてる?
いいのかそれで!男だろ!こっちから抱きしめなきゃいけなかったんだ!でも相手は年上だし。
渡部さんいい匂い。そんな事考えてる場合じゃない!僕がやるべきことは?イイ香り。
もういい。もうどうにとなれ。いい匂い。渡部さん。渡部さん・・・・・!
それからの事はうまく覚えてない。とにかく必死だった。恥をかきませんように、と祈ってた。
もちろん僕は初めてだった。
終わったあと、僕は寝転がったままボォっとしてた。部屋の電気は消えたままだった。
大人になった実感は沸いてこなかった。夢中だったから。長かったような、短かったような。
まだ信じられなかった。僕がなんでこんな経験をできるのか。ちょっと前まで、普通の中学生でしかなかったのに。
横で寝てる彼女は寝てなかった。何か考え事をしてるみたいだった。真っ暗でもそれだけはわかった。
僕はまた自分の事を考えた。ネットの事。カイザー・ソゼ。ロロ・トマシ。処刑人。sakky。ああ、あとアレか。
それに、岩本家との不思議な縁。亮平さん。そうだ、亮平さんはまだあんな状態で病院に・・・・
僕だけこんなイイ思いしてていいんだろうか。急にそんな考えが沸いてきた。
今もなお狂ったままの亮平さん。死んでしまった早紀さん。岩本先生と渚さんだって苦しんでるに違いない。
僕だけが幸せ。そんな事許されない・・・・・。
「渡部さん」と彼女に話しかけた。彼女の顔がこっちに向いたのが分かった。
「何?」と答えてくれた。僕と顔が向かい合った。
あの・・・・僕だけその・・・こんな・・・・・・・なんて言うか・・・・イイ思いをしていいのかなって思って・・・。
渡部さんは優しく微笑んでくれた。
「いいのよ。『ご褒美』なんだから。」
でも・・・・亮平さんは今もあのままで・・・・・早紀さんも死んじゃって・・・・・・
「待って」と言って彼女は僕に顔を少し近づけてきた。
「誰が『早紀さんは死んだ』って言った?」
え?と僕は拍子抜けした声を上げた。生きてるんですか?
彼女はクスクスと笑った。
「メールには『早紀さんは生きてる』って書いたはずだけど。」
え?あ、そう言えば・・・・そうでした・・・・。
僕の中ではすっかり死んだことになってた。そうだ。確かに誰も『早紀さんは死んだ』とは言ってない。
生きてる・・・・・早紀さんは生きてる・・・・・・・・・・・・え?じゃぁ、じゃぁ・・・・・
僕の中で疑問が膨らみ始めた。生きてる。なら、
何処に?生きてるんなら、早紀さんは今どこにいるんですか?
またクスクスという笑い声。
「バカね。」と言って彼女は僕の口に指を当ててきた。
「私を救って欲しかったって言ったでしょ?」
さっきより長くクスクスと笑い、「バカね」ともう一度呟いた。
そして彼女は言った。
私が早紀よ
早紀さんのお腹に手を当てると、傷跡の感触があった。
Chapter:16 「光の世界」
11/21 晴れ
昨日の事がまだ忘れられない。早紀さん。
びっくりし過ぎて逆に落ち着いてたほどだ。でもこうして1日経ってみると、あまりの事に震えてくる。
それにしても僕は・・・・・・何故気付かなかったんだろう。
早紀さんは「髪型変えて化粧するだけで女は化けるのよ」とか言ってたけど、そんなの・・・そうなのかな。
一度病院で早紀さんらしき人を見たのを思い出した。今考えるとあれは亮平さんだった。
でも亮平さんは見た事なかったから、僕はあの人に早紀さんの面影を見たってことになる。
あの時の僕の精神状態は確かにマトモじゃなかった。そんなの理由になるのか?
ああ違う。テレビか何かで言ってたな。多重人格の人の話。人格が変わると、顔つきまで変わる。
「虫」だった早紀さんと今の早紀さん。顔自体は同じだけど顔つきが違う。それに髪型。化粧。僕の精神状態。
全部だ。その全てが絡み合って、僕はワタベさんが早紀さんであることを見抜けなかった。
入れ替わりは早紀さんからの提案だったらしい。
渡部さんは本当に「sakky」が誰であるかを探ってた。そして岩本家まで辿り着いた。
そこで会ったのが、目覚めた早紀さん。その時すでに人格はモトの早紀さんに戻ってた。
早紀さんが目を覚ました時、渚さんは泣くほど喜んだらしい。そこで、泣きながら亮平さんの事を話した。
早紀さんが僕に語ってくれた話だ。
早紀さんは渡部さんにそれを伝えた。渡部さんもびっくりたらしい。それこそ「死ぬほど」。
その頃「希望の世界」ではsakkyやら偽三木やらが出てきてた。
渡部さん本来の目的はsakkyの正体を見極める事。早紀さんもそれに乗った。興味があったからだって言ってた。
ここで早紀さんの提案で入れ替わりがあった。
表だった事は全て早紀さんが担当して、渡部さんは裏工作みたいのをしてた。
渚さんとの連絡は渡部さん。実際オフ会に行ったり、亮平さんに会ったりしてたのは早紀さん。
渡部さんは亮平さんと会うのを嫌がってたそうだ。
それから色々あって・・・・・今に至る。
ここまで書いたらまた手が震えだした。生きてた早紀さん。ワタベさんだった早紀さん。
兄に犯され一時は狂ってた早紀さん。「希望の世界」を作ったホンモノのsakkyさん。
そのsakkyさんと、僕は・・・・・・・・・
ああぁぁぁああぁああ
11/22 晴れ
早紀さんからメールが来てた。明日また会いたい、という事だった。
明日は休日だし、早紀さんからの要望であれば断るわけにはいかない。
早速返信しておいた。もちろん大丈夫ですよって。
待ち合わせの場所や時間は既にメールに書いてあった。
一昨日の記憶が蘇る。明日もまた、素敵な経験ができるかもしれない。
僕は胸が踊った。こんなに幸せでいいのか。いや、いんだ。これまで僕はさんざん苦しんできたんだから。
精神病院に通院してまで、狂ってまで、そこまでして辿り着いたんだから。
僕にだって幸せになる権利はある。はず。
考えてみれば、僕はずっと早紀さんの影を追いかけてた。
それこそNSCを立ち上げた時から。ネットストーキングをしてた頃から。
リアルな早紀さん追いかけ始めたのはいつからだったかな。
ああ、もういい。もう追いかける必要はないんだ。早紀さんに会いたければ何時でもあえる。
これからもずっと。早紀さんとはすっと一緒だ。離れない。
離れたくない。
11/23 あぁぁ
約束の時間、そこに早紀さんは現れなかった。横浜駅西口東横線改札前。
来たのは・・・・・あのベルの女の人だった。
「あれ?カイザー君じゃない。」と声をかけてきた。
僕にはこの人が誰なのかもう分かってた。
「渡部さん。」
渡部さんは正体がバレてる事なんかとっくに承知してるようだった。
「あら、もうバレてた?早紀ちゃんもう言っちゃったんだ。」
僕は頷いた。
「ところで、早紀ちゃんは?一緒じゃないの?」
え?と僕は声をあげた。なんで早紀さんさんと会う事知ってるんですか?
「だって私、今日早紀ちゃんと会う約束してたのよ。昨日メールが来てさ。」
僕も来ましたよ。この時間、この場所にって。
「私の待ち合わせも同じよ。」
僕たちは顔を合わせた。何で?どうゆう事?いくら話して見当がつかなかった。
早紀さんは何故こんな事を?僕と渡部さんを会わせる為?今更そんな必要が?
「本人に聞いてみましょう。」
渡部さんは携帯電話を取り出した。えーと早紀ちゃんはっと・・・・・そんな事を言いながら電話をかけた。
出ない。家に今誰もいないのかなぁ。渡部さんは呟いた。電話は諦めた。
「そうそう。この携帯ね、一度早紀ちゃんに貸してあげたのよ。まぁカイザー君には関係なかったけどね。」
そんな事より。早紀さんは来るのか?この時点で既に30分は待ち合わせ時間を過ぎてる。
もう少しだけ待ってみる事にした。
1時間。
早紀さんは来なかった。
渡部さんが言った。「ねぇ、こうなったら早紀ちゃんに直接会いにいかない?家、そんな遠くないし。」
行くことにした。
電車に乗ってる最中、渡部さんはこんな話をした。
「実はね、私どうしても今日早紀ちゃんに会いたいの。昨日のメールの内容がちょっと引っかかってて。
『今まで協力してくれて本当に感謝してます。おかげでようやく終われます。』だって。なんか変よね。」
僕は急激にこの前の早紀さんの言葉を思い出した。
「ここが、私の終着地。」
駅から岩本家まで、心なしか二人とも早歩きだった。着いた。インターホンを。押せ。鳴らせ。
ピンポーン。出ない。ピンポーン。出ない。ピンポーン。出ない。ピンポーン。出ない。
ドアをノック。トントン。返事ナシ。トントントン。返事ナシ。ドンドン。返事ナシ。ドンドンドン。返事ナシ。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。
返事ナシ。
渡部さんがドアを引いた。開いた。カギがかかってない。入れる。すいません、誰かいませんか?
返事ナシ。早紀ちゃん、いるの?返事ナシ。早紀さん、居るなら返事して下さい。返事ナシ。
靴はある。たぶん早紀さんの。渡部さんと顔を見合わせる。頷いた。入りますよ。入った。岩本家へ。
叫んだ。早紀さん!誰もいない。早紀ちゃん!誰もいない。1階は静まり返ってる。誰も、いない。
早紀さんの部屋は2階だ。早紀さん。また叫んだ。早紀ちゃん。渡部さんも叫んだ。
早紀さん。2階へ。階段を駆け上がった。叫びながら。早紀さん。渡部さんも後ろに続いた。早紀ちゃん。
ドアが二つある。ドンドン。返事ナシ。ドアを引いた。ガチャガチャ。カギがかかってる。ガチャガチャガチャガチャ
開かない。なら、隣だ。早紀さん。叫んだ。早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん
早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん
早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん早紀さん
ドアを、開けろ。開いた。早紀さん!居た。早紀さんが。
目の前に。
黙って。
宙に浮いて。
天井から。
ぶら下がって。
縄で。
首から。
目を閉じて。
だらんと。
浮いたまま。
動かず。
床に椅子が。
転がってて。
静かで。
早紀さん。
返事ナシ
渡部さんが何か叫びながら早紀さんを下ろした。僕も手伝った。
早紀さんは冷たかった。渡部さんは泣いてた。僕は泣かなかった。こんな時は落ち着くべきなんだ。
僕は保健体育で習った事を思い出した。そうそう、こんな時はああすればいいんだった。
うろたえるだけの渡部さん。ダメだよ。こんな時こそきちんとしなきゃ。
僕はうろたえないできちんとやるべき事をする。
心臓マッサージと、人工呼吸。マジメに授業受けといて良かった。これで早紀さんも大丈夫だから。
早紀さんを横たえて、と。ええとまずは確か・・・・気道確保。顎を上に上げるんだったな。
オッケー。次は人工呼吸だ。鼻を指で押さえて、鼻が冷たいなぁ。口を覆うようにして息吹き込む。
ふー。唇も冷たいぞ。仕方ないか。今日は寒いから。ふー。胸がふくらむ。うまいぞ僕。
よし、心臓マッサージだ。早紀さんの胸に手を当てる。いい感触。違う。肋骨の下あたりに両手を重ねて。
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15。
確か15回押すんだったな。で、その後に人工呼吸2回。ふー。ふー。
いいぞ。あとはこの繰り返しだ。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
渡部さんが後ろで何か言ってる。「無理よ」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
渡部さんが後ろで何か言ってる。「死んでる」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
渡部さんが後ろで何か言ってる。「この娘はね」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
「虫の記憶と早紀ちゃんの記憶。両方持ってたのよ」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
「耐えきれるわけなかったのよ・・・・・」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
「ねぇもうやめて」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
「お願いだから」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
「ねぇ・・・」
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ15回。人工呼吸2回。
心臓マッサージ4回
僕は突き飛ばされた。
顔を上げると、渡部さんじゃなかった。おばさんだった。この人が「渚」さんなんだな、と思った。
渚さんは大声を張り上げた。「私の早紀ちゃんに触らないで!」
僕はまた突き飛ばされた。渚さんが早紀さんを抱え込んだ。これ以上ないくらい泣いてた。
誰かに手を引かれた。渡部さんだった。涙目になりながら言った。「行きましょう。」
僕たちは岩本家を出た。外は真っ暗になってた。
僕は何か叫んだ。
何て叫んだのかは覚えてない。
11/24 雨雨雨
早紀さんから来てたメール
こんにちわ。カイザー君。あなたがこのメールを読む頃、私はもうこの世にはいません。
なんでこんな事になっちゃったか・・・・それは私にもわかりません。
なんてね。覚えてる?この文面。
「ワタべさん」が自殺した時送ったメールよ。
あの時と違うのは、そうね。
私が本当に自殺するってコトかな。
そんな必要ないのに、とか思ってる?
ダメよ。それを言ったら、私とあなたが身体を交えた事にも意味が無くなってしまうから。
一つ教えてあげる。お兄ちゃんは今家にいるのよ。自分の部屋に。
隣の部屋にいるの。
私達がしてたことも、知ってるのよ。私が見せたの。
けど、お兄ちゃんはサキちゃんのままだった。戻らなかった。
戻って欲しくないのに。なんで私はあんなことしたんだろうね。
復讐?自暴自棄になってたから?虫の記憶が重荷?適当に色々並べてみて。
たぶん、その全てだから。
そしてそれが、私を自殺に導いた。そう思っておいて。
悲しまないで、って言っても無理かな。
本当に私のために泣く必要なんてないよ。
あ、でもね。最後に一つだけお願い。
私の事を忘れないで。
それだけでいいから。
土曜の夜のことは、その為にあったんだと思って。
さて、私はそろそろ終わります。
縄の準備は既にしてあるから、あとは覚悟を決めるだけ。
ちょっと気になるのが、あなたが私の死体を見つけてくれるかって事。
大丈夫だよね。今までずっと私を探してくれたんだから。最後もきっと。
そうそう、私最初はK.アザミってお母さんだと思ったの。だって・・・・・
あなたにこんな話しても仕方ないか。終わったことだし。
私ももう、終わってしまうから。
じゃあね。風見君。あなたの名前、私もカッコイイと思ったよ。
渡部さんにもよろしく言っておいてね。
それからお兄ちゃんにも・・・・。
バイバイ
11/25 クモリ
早紀さんの家の住所を調べること自体そんな苦労はなかった。
けどその後の作業がかなり手間取った。それだけで1日中費やした。
慣れないことをしたからだ。指も痛い。去年授業でやって以来だ。
明日これを送れば終わり。早紀さん、誉めてくれるかな?
これが今の僕に出来る精一杯の事。
いや、今やらなければならない唯一の事だ。
K.アザミとしての最後の責任。それを果たす。
「希望の世界」でのもう一人の僕。sakkyでもない、カイザー・ソゼでもない僕自身を投影したキャラのつもりだった。
ネーミングだって本当は「KAZAMI」ってそのままの名前を付けるつもりだった。
ただ、初めて書き込んだあの日、世間で話題になってた猿の名前が「アザミ」って名付けられたから。
その名を聞いてピンときた。Kの後にピリオドを付けると「K.アザミ」になる。
ハンドルネームそしては上出来。そんな風に思った。猿の名前にKをつけると僕になる。
猿芝居。そんな意味も込めてたと思う。
できあがりはなかなかのものだった。僕にしては良くやった方だ。
改めて眺めてみた。所々に雑な部分がある。けど、これくらい勘弁して下さい。
あんなに汚れてたのをここまで綺麗にしたんだから。
早紀さん。これでいいですよね?
あとは渡部さんの方だ。メールでいいかな。
渡部さんには・・・そうだ。「希望の世界」を託そう。後を任せられるのは渡部さんしかいない。
最後の挨拶と、「希望の世界」のパスワードを送った。
こうして「希望の世界」は僕の手から離れていった。
僕はもう希望を見つけたから。だから必要ないんだ。
僕の希望は・・・・・・早紀さん。あなたそのものです。
初めて「希望の世界」を見つけた時からそうだった。今でも。そしてこれからも。
絶望なんかしてたまるか。僕はいつでも希望を追い続ける。
早紀さんの事は決して忘れない。
虫の記憶を抱えたまま生き続けた早紀さん。
狂った兄の存在に耐え抜いた早紀さん。
僕に幸せな記憶を刻んでくれた早紀さん。
僕の希望、早紀さん。
早紀さん。
あなたは素敵です。
僕の希望は、決して消えない。誰も消せやしない。
消させない。
11/26 曇ってるけど、晴れ
今日、全ての事をやり終えた。
昨日のも送り終えたし、渡部さんへのメールは既に送ってある。
もう僕に出来る事は何もない。
外はそんなに晴れてなかった。もっと、眩しいくらいに晴れて欲しかったな。白く輝くくらいに。
不安材料はそれだけ。あとは問題ない。
だから行こう。早紀さんの元へ。
部屋のドアはきちっと閉めておいた。カギがないのは仕方ないけど、そう簡単にはわからないだろう。
倒れた時に大きな音がするかもしれないけど、その時にはもう、僕は早紀さんの所へ行ってるはず。
僕は机からナイフを取り出した。
そして、自分のお腹に刺した。
ズズ、と肉をかき分ける音を立ててナイフが沈んでいった。
激痛が走った。こらえろ。早紀さんに会う為だろ。
早紀さんは光の世界へ行ってしまった。だから僕もそこに行く。
そこへの行き方は「僕の日記」に書いてあった。早紀さんの前の人格、「虫」も同じ事をしてた。
血がどんどん流れていった。とても痛いけど、なんとか我慢できる。
本当に。僕は今こう思ってる。本当に、お腹にナイフを刺しても日記を書く力くらいは残ってるんだな。
「虫」もそうだった。
僕も。僕も「カイザー・ソゼ」の最後の記録をココに残しておく。「虫」の記録のように。
キーボードを叩くのも億劫になってきた。けどまだ大丈夫。すぐには、力尽きない。
僕はふと本棚を眺めてみた。
学校の教科書が並んでる。突然涙が出てきた。痛さでじゃない。胸が熱くなる。・・・悲しいから?
なんてことない友達との会話を思い出した。受験の話。学校の愚痴。芸能人の話。いろいろだ。
ああ、記憶が走馬燈の様に蘇るって、この状態の事を言うんだ。
友達の中で女の子とした事が有る奴はいなかった。卑猥な話は何度もしたけれど。
結局僕が抜け駆けしたことは誰にも言えずじまいだった。
それでいいのかもしれない。
両親は悲しむだろうか。友達も悲しんでくれるかな。
親は嫌いだったけど、今考えるととても良くしてくれてた。普通だ。そう、普通の家庭だった。
友達もそんなに変わった奴はいなかった。普通の友達に、普通の学校。普通の、中学3年生。
また涙が流れてきた。血の中にピチャっと音を立てて落ちた。
教科書に手を伸ばそうとしたけれど、もう腕は動かなかった。かろうじて手先が動くだけ。
こうしてキーボードを叩く事以外、もう何もできない。
戻れない。
もう戻れない。
最後に教科書を触っておきたくなった。普通の受験生だった頃、必要だった教科書に。
腕は、ピクリと動いた。動け。肩が震えてる。キーボードを叩くのは一時中止だ。
教科書を。手に。
膝の上に教科書が置いてある。血塗れになってしまって何も読めない。
でも僕は満足してる。ちゃんと、自分の手でお別れを言いたかった。
さようなら。
教科書を血溜まりの中に落とした。ビチャリと音を立てて教科書はさらに赤く染まった。
その上に僕の涙がこぼれ落ちた。
光が、光がだんだんと広がってきた。
来た。これだ。これが僕の希望へ繋がる道だ。
スーっと力が抜けていくのがわかる。日記はあと何行書ける?構うな。そんなの決まってるだろ?
力尽きるまでだ。
サーバーにアップする体力も残しとかないと。ふふ。誰か見つけるかな。
光はますます強まってる。下に落ちてるはずの血だらけの教科書も見えない。
足も見えない。周りは、何も見えない。パソコンの画面とキーボードだけが、光の中に浮いている。
あ、早紀さんだ。なんだ。迎えに来てくれたんですね。
良かった。あっちで迷子になったらどうしようかと思ってたんです。
手、ですか?照れるな。手を繋いで行くなんて。
あれ。届かない。早紀さん笑わないで下さいよ。もうあとちょっとですから。
よいしょ。ああもう。まだ届かない。早紀さん。だから笑わないで下さいよ。
それにしても早紀さん、その羽素敵ですね。真っ白で。とても似合ってます。
え?何ですか?僕?
ああ凄い!僕にも羽が生えてる!早紀さんとお揃いだ!
これで、何処へでも行けますね!
早紀さんと一緒なら、何処にだってついて行きますよ。
ええ、わかってます。もう行き場所は決まってるんですよね。
よし。時間だ。羽ばたくぞ。
さぁ行きましょう。
僕の・・・・僕たちの、終着地へ。
飛べ!
カイザー日記 −完−
サキの日記   第4章 「終着地」 助けてくれなくていいです。
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第一三節 「慟哭」
10/31 晴れ
今日も無駄に空は晴れてます。雨でも降っちゃえばいいのに。
なんとなく病院をウロウロしてみました。天気がいいから、屋上にでも行ってみようかな。
階段を上っていくと、看板が出てました。「この先立入禁止」だって。無視。
屋上に出る扉には鍵がかかってました。もう、屋上にすら出られなくなってる・・・。
私はオクダを給水塔に突き落とした時の事を思い出しました。
アザミをバラバラにされて怒ってそれで・・・でも、殺さなかった。殺しちゃダメだと思った。
だから、助けを求めるオクダの手をとって、引き上げた。そうだよ。私、殺さなかったんだから。
人を殺してしまうほど私は狂ってなんかない。ただ、記憶が無いだけ。それ以外は、マトモだよね?ね?
・・・・答えてくれる人がいません。
11/1 大雨
昨日のお願いが通じたのか、外は大雨になりました。もっと降っちゃえ。
ベッドのシーツがベトベトして気持ち悪いです。湿気ってる。、今日は来てくれません。
こんな時、いつもはお母さんがシーツを新しいを持ってきてくれるんだけど、たぶんもう来てくれない。
シーツはこのまま汚れっぱなし。パジャマもこのまま。下着も、このまま。
雨のわりには気温が高く、汗もかいてしまいました。ベトベト。着替えはナシ。
ちょこっとだけ、雨を憎んでしまいました。
自分から呼んだのにね。
11/2 曇り
久々にアザミのお母さんを見かけました。相変わらず先生の与えた人形を殴ってる。
あんな人でさえ構ってくれる相手がいるのに。私には、いない。誰もいない。
食事を持ってきてくれる人も、会話はしてくれない。話しかけてもにっこり笑って、それだけ。
私にはなんとなくその理由がわかるよ。私が、先生の子供だからでしょ?
大人ってそんな事ばっか気にする。くだらないよ。人間関係なんて。
ほら、私、人間関係なんて難しいコト考えてる。「中」にいるどの人よりもマトモなコト考えてると思わない?
ふふ。誰に向かって言ってるんだろ。
11/3 晴れ
先生が来ました。お母さんが来て欲しかったのに。
「一昨日な、この前の奴が通院やめるって言ってたぞ。」それだけ言って帰ろうとしました。
私は聞き返して少し引き留めました。この前の人って、誰?
先生は名前を・・・・ちょっと不思議な響きの名前・・・・を言いました。その名前に心当たりはないけど。
私は最初それが誰なのかわかりませんでした。でも、「この前の奴」って言ったら・・・・それって、もしかして。
カイザーソゼさん?私は思わず叫んでしまいました。先生は変な顔して言いました。
「カイザー・ソゼ?ああ、お前はそう呼んでたな。そいつだ。」
そして先生は部屋を出ました。私は少し、いや、かなり悲しくなりました。カイザー・ソゼさん・・・・・
やっぱり、もう来ないんだね。
11/4 曇り
ベッドの横の机にお腹をぶつけてしまいました。お腹の傷がまたうずきました。
痛いです。とっても痛かったです。しばらくじっとしてたら痛みはなんとか引きました。
そこで、私はふと疑問に思いました。この傷は、どうしてできたんだろうって。
昔の記憶が無いのでよくわかりません。K.アザミは何て言ってたっけ?
ああそうだ。私が自分で刺したって・・・・本当かなぁ。自分で自分のお腹を刺すなんて、ちょっと信じられない。
今度お母さんに聞いてみよ。
11/5 晴れ
また先生が来ました。お母さんは来ません。
仕方ないから昨日の疑問は先生に聞いてみることにしました。
先生は私の様子だけ見て帰ろうとしたけど引き留めました。「私のお腹の傷、なんでできたの?」と聞きました。
先生は私をなんだか哀れそうな目で見ました。「知らない方がいいぞ」だって。
何それ。余計気になる。私は「いいから教えて」と言いました。先生は深いため息をつきました。
そして、何を思ったか急にけけけと笑いました。いいだろう。教えてやるよ。そのかわり後悔するなよ。
後悔しないから教えて、と私。それから先生はまたけけけと笑って・・・・・・・言いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あんな事日記に書きたくない。
11/6 曇り
昨日まで、お母さん来て欲しいなってずっと思ってたけど、もうそんな風に思わない。思えない。
一日中、お母さんが来ないように祈ってました。もうマトモにお母さんの顔見られない。
先生も酷いよ。私がショック受けるの知ってて言ったんだから。
今でもドアが何時開くのかビクビクしてます。お母さん来たらどうしよう。先生も嫌。
怖いよ。涙が出てくるよ。震えが止まらないよ。聞かなきゃ良かった。知らなきゃ良かった。
外に出たい。ここにいると逃げられない。外に出たい。外に出たい。外に出たい。外に出たい。
ここから、出して。
第一四節 「脱出」
11/7 曇り
怖い。怖い。怖い。怖い。私、このままだと殺されるかもしれない。ここに居ると、私、殺される。
先生にその事を言った。先生は私と二人きりじゃない時には丁寧な言葉を使う。
病院の中、先生を探し回って見つけて話しかけたときは「なんですか?岩本さん」とよそよそしく話してた。
私ここにいると殺されるかもしれないって言ったらそっと耳元に囁いてきた。今更何言ってるんだお前。
それだけ言ってまた何処かへ行っちゃった。他の人の前では愛想良く笑顔を振りまいてた。
こんな時、こんな時誰かそばにいてくれたらどんなけ落ち着くんだろうって思った。アザミ。
いつもはアザミがいてくれたのに。アザミ戻ってきてよアザミアザミアザミアザミアザミアザミ
11/8 雨
私は、あまりの事にびっくりしました。なんで?なんで?なんで?
突然やって来たワタベさん。死んだんじゃなかったの?自殺するって言ってたのに。お母さんも言ってたのに。
私は「なんで?」としか言えませんでした。ワタベさんはくすっと笑って言いました。「ごめん。あれ嘘なの。」
お母さんは・・・・「渚さんにも言って置いたから、うまく言っておいて下さいって」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・嘘・・・・・・・・・だったんだ・・・・・・・・・・・・・・・
しばらく何を考えていいのかわからずぼぉっとしてました。でも、段々と嬉しさがこみ上げてきました。
アザミもいない。お母さんも先生もいない。でも、ワタベさんが生きてた。戻ってきてくれた!
ワタベさんは私に聞きました。「ここから、出たい?」。私は何度も何度も頷きました。
わかった。近いうちになんとかする。そう言って、ワタベさんは帰ってしまいました。
すぐに帰ってしまってちょっと寂しかったけど、構わない。ワタベさんが戻ってきた。それに、外に出られるって?
嬉しい事が、二つも!
11/9 曇り
今日はワタベさんは来てくれなかったけど、全然寂しくなかった。
嬉しい気持ちでいっぱいだった。これでアザミがいてくれたらもっと嬉しいのにな。
アザミも早く戻ってきなよ。一緒に外に出られるよ。本当に何処に行っちゃったんだろう。
かくれんぼでもしてるのかと思ってベッドの下とかカーテンの裏とか部屋中探してみました。やっぱりいない。
見つからなかった。そう思った途端に、急に寂しくなりました。私一人外に出ちゃったら、アザミはどうなるの?
一緒にいようって約束したのに、私の方から裏切る事になる?でもいなくなったのはアザミが先だから・・・
どうしよう。
11/10 曇り
ワタベさんが来てくれました。少しお話をしました。
「サキさんは、外に出れたら何をしたい?」と聞いてきました。
アザミを探したい。そう答えました。アザミはここにはいないから外にいるのかも。そう思ったから。
ワタベさんは「ああ、あのに・・・・・」言いかけて止めてしまいました。「あなたの、お友達ね。」
そうです。あれ?ワタベさん、アザミ見たことあったっけ?
見たこと無いけど、知ってる。でも私もアザミが何処に行ったのかは知らないの。
ワタベさんも知らない。やっぱり外にいるのかな。早く戻っておいでよアザミ。外にでるなら一緒の方がいいから。
約束したのにな。
11/11 曇り
お母さんが来た!私は先生の話を思い出して毛布にくるまって震えてました。
お母さん・・・また私を殺そうとするんじゃ・・・お腹の傷がズキズキする。先生言ってた。お母さんが刺したって。
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ殺される殺される殺される殺される殺される殺される
毛布越しにお母さんの手が私の身体に触れて叫ぶのをこらえて毛布を固く握ってもう一回背中に手が触れて
殺されると思って我慢できなくなって絶叫して毛布を投げ飛ばしてベッドから転げ落ちてドアまで走って
途中で転んで膝をぶつけて痛くてでも外に出なきゃいけないくてドアまで這ってると肩を掴まれてまた叫んで
ボロボロ涙を流してたところでお母さんが言いました。
「もう、何もしないから・・・・。」
お母さんも泣いてました。
11/12 雨
今日は先生が来ました。そして、こんな事を言いました。
「お前、自分の名前を言ってみろ。」
何言ってるんだろう?自分の子供の名前もわからないの?私は「イワモトサキ」と言ってやりました。
先生は顔をしかめました。私の顔をのぞき込んで言いました。「外に出たいか?」
もちろんよ。私は頷きました。ワタベさん、もうここまで話を進めてくれてたのね。でもたぶん先生は許可しない・・
そう思った矢先でした。先生が突然けけけと笑いました。いいだろう。出してやる。明日だ。準備しろ。
私は思わず「なんで?」と聞いてしまいました。まさか先生が許可してくれるとは思ってなかったから。
先生は答えました。俺は説得されただけだ。俺はもう疲れた。後はあの小娘が全部背負ってけばイイさ。
またけけけと笑ってました。何度も「どうなっても知らねぇぞぉ」と笑いながら言ってました。
先生の笑い声が部屋に響きました。私も笑ってみました。けけけ。先生はそんな私を見てもっと笑いました。
けけけけけけけ。私ももっと笑いました。私と先生の笑い声が重なって変な響きになってました。
ケケケケけけケケケケケケェえェェ
11/13 晴れ
ワタベさんが迎えに来てくれました。ドアを開けて、私に手を差し伸べて、言いました。
「さぁ行きましょう。あなたが望んだ『外』の世界へ。」
私は外に出ました。
久々に太陽を身体いっぱいに浴びた気がしました。私は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
子供の頃に戻ったようにはしゃぎました。見てワタベさん。すごく外は晴れてるよ。眩しいよね。素敵だよね・・・・。
ワタベさんは微笑んでくれました。待ち望んだ「外」。アザミごめんね。一足先に出て来ちゃった。
私は今、自分の家にいます。ワタベさんが連れてきてくれました。夜に先生が帰ってきたらしいです。
顔は会わせませんでした。お母さんが私を部屋から出してくれないから。外から鍵がかかってる。
私は部屋から出れません。
第一五節 「迷走」
11/14 晴れ
今日から私の新しい生活が始まりました。病院じゃない、家での生活。
私の部屋にあるパソコンは壊れてます。倒れて、破片が飛び散ってる。キーボードには血が付いてました。
棚の中に壊れたオルゴールがあるのを見つけました。音は出ません。無性に悲しくなりました。
部屋の中をふらふらしてるとトイレに行きたくなりました。でもドアには外から鍵がかかってるので出れません。
我慢しようと思いました。
我慢できませんでした。
11/15 雨
隣の部屋から何かゴソゴソ音が聞こえます。幻聴です。私はおかしくなってるのでしょうか。
これからトイレはお母さんが食事を持ってきてくれる時に済ますことになりました。
昨日の汚れた服は捨てられてしまいました。洗ったらまだ使えるのにと思いました。
お母さんは口をきいてくれません。先生は家に帰ってきてません。幻聴はまだ聞こえます。
部屋には私一人です。アザミを呼んでも返事はありません。今日もノートパソコンに日記を書きます。
楽しいことは何もなかったけど。
11/16 曇り
カチャッと鍵の開く音が。ドアが開きました。先生が立ってました。
「岩本さん、調子はどうですか?」
先生はとても爽やかな笑顔でそう言いました。私も微笑みました。大丈夫です。私は平気・・・・・
「なんて言うと思ったか?ここは病院じゃねぇんだバカ」
そして、例のけけけって笑い声。私は唖然としてました。先生は笑うだけ笑って部屋を出ました。
カチャン、と鍵をかける音。私は何が起きたのかしばらく理解できませんでした。
理解できた時には泣いてました。
11/17 曇り
久々に、本当に久々に「希望の世界」へ繋いでみました。
誰もいませんでした。
最近誰かが掲示板に書き込んだ気配すらありませんでした。
「アザミに会いたい」私はそう書き込みました。でも、それだけです。誰も見てくれない。
部屋の中にはアザミはいません。部屋から出られないからアザミを探しにいけません。
お母さんは話し相手になってくれません。いつも泣きそうな顔をしながらご飯を運んできます。
ご飯はとってもおいしいのに。食器を下げる時「おいしかったよ」と言ったらお母さんは少し笑顔になりました。
けど、すぐに泣きそうな顔に戻ってしまいました。
11/18 とても寒い日
私は「外」にいるはず。でも、部屋からは出られない。私以外誰もいない。
「外」に出たら色んなお友達と遊べるかと思ってた。色んな場所にも行けるのかと思ってた。
そんな事できると思ってた私がいけなかったのかもしれません。
倒れたパソコンはモニターが壊れてます。何となく電源を入れてみました。
電源が入りました。
思わぬ発見でした。全部壊れてると思ったのに。破片まで飛び散ってるのに。キーボードに血まで付いてるのに。
ケースがいくら壊れても、中身は無事だったんだ。
モニタの中の映像は歪んでます。何がどうなってるのかよくわかりません。
不思議な事に、手が自然に動きました。マイコンピュータらしきアイコンをクリック。
凄い。私、このパソコンを自分のモノみたいに扱ってる。
何かのファイルを開きました。モニタの写りが悪いので何のファイルなのか分かりません。
かろうじて読めたのは・・・・「日記」って文字だけ。
誰の?私はモニタに目を凝らしました。読めません。モニタを叩きました。画面は変わりません。
モニタを揺さぶりました。読めません。叫びました。読めません。泣きました。読めません。
読めないんです。
11/19 曇り
またパソコンをいじってました。どうやってもモニタの写りは良くなりません。
はっと気付きました。倒れたラックの近くに散らばってる色んなモノを拾ってみました。
有りました。フロッピーディスク。差し込みました。入りました。うまく保存できるか不安でした。できました。
ノートパソコンの方でファイルを開いてみました。僕の日記。誰の日記?お兄ちゃんのでした。
読みふけりました。止まりませんでした。悲しくなりました。とても悲しくなりました。とても、とても・・・。
K・アザミに教えてもらった事がすべて書いてありました。それだけじゃない気がしました。
お腹の傷。この傷は・・・・お母さんが刺した傷。私は全てを理解しました。そして、泣きました。
この日記を書いてた時の私は、お母さんをかばってたんだ。だから自分が刺したって書いたんだ。
そうに決まってる。お母さんが刺したなんて書けなかったから、私は自分のせいにして。絶対そうだ。
お母さん。私は叫びました。ドアを何度も叩きました。お母さん。
何て言っていいのかわからなかった。でも、とにかくお母さんを呼ばなきゃって思いました。私は叫び続けました。
ドアが開きました。お母さんが立ってました。私はボロボロ涙を流しながら、何かを言おうとしました。
何も言えませんでした。ただ泣くことしかできませんでした。
泣いてる私を見てお母さんは言いました。
「静かにしててね」
いつもの寂しそうな笑顔でした。バタンとドアを閉めて行ってしまいました。
ドアの向こうで叫び声が聞こえました。
11/20 怖い
お母さんが昨日、部屋の鍵をかけ忘れた事に気付いたのはお昼ごろでした。
お昼ご飯がまだだったのでお母さんを呼ぼうとしたら、ドアが開いてしまいました。
おそるおそる部屋から出ました。「お母さん」と叫んでみたけど反応は有りません。
家には誰もいませんでした。
このまま外に出れるんじゃないかと思いました。でも思い留まりました。
私は家から出るべきじゃないと思ったから。
夕方ごろ、外が暗くなりかけた感じの時に誰かが家に来ました。
私は慌てて自分の部屋に戻りました。会話が聞こえます。二人組でした。
その二人組は一旦私の部屋の前に止まりました。この部屋の様子を伺ってるみたいです。
男の人が「何やってるんですか?」と言いました。女の人が「別に。気にしないで」と答えてました。
二人は隣の部屋に入っていきました。
私は怖かったのでしばらく寝たふりをしてました。隣の部屋の音はうまく聞き取れませんでした。
二人が何をしてるのか気になりました。私の部屋にカギはかかってません。
私は部屋から出てしまいました。隣の部屋の前まで行きました。
ドアに耳を当ててみても中で何をやってるのかよく分かりません。鍵穴を覗いてみました。
真っ暗でした。何も見えません。とても気になりました。でも覗いちゃいけないと思いました。
手が勝手に動いてしまいました。ゆっくりとドアのノブを回す。音を立てないように。
ダメ。そう思いました。覗いてはダメ。分かってても身体がうまく動いてくれません。
とうとうノブが最後まで回ってしまいました。大丈夫。きっとカギがかかってる。引いてもドアは開かないよ。
カギはかかってませんでした。ドアがほんの少し開いてしまいました。
隙間から中を覗いてしまいました。真っ暗です。二人がもぞもぞ何かしてるのだけはわかりました。
二人は見られてる事に気付かずに何かをしてました。うっすらと身体の輪郭が見えてきました。
二人とも寝転がって動いてます。ちょうど重なりあうように・・・・・・
私は二人が何をしてるのかわかってしまいました。体中が緊張しました。
ゆっくりと、音をたてないように、ドアを閉めました。閉めると慌てて自分の部屋に戻りました。
見ちゃいけないものを見たのかも。実際にその通りなのでしょう。
それにしても、何故隣の部屋で?そもそもあの二人は誰なの?そう思った矢先、何かが引っかかりました。
さっきの声、何処かで聞いた事あったような・・・・・・しばらく布団にくるまって考えてました。
隣ではまだしてるのに。だからと言って私にはどうする事もできません。声の主に心当たりがないか考えるだけ。
突然、閃きました。思わず叫びそうになってしまうのを手で口を押さえてこらえました。
男の人の声はカイザー・ソゼさん。そして、女の人の声はワタベさんだ。
何故?何故?何故あの二人が私の部屋に?なんであの二人があんな関係に?
私は怖くなりました。よくわからないけど悲しくもなりました。寂しくもなりました。震えてきました。
泣いてしまいました。声を立てないように泣きました。そのかわり涙がボロボロ落ちました。
泣いてばっかり。私はいつもすぐに泣いてしまう。そう思っても涙は止まりませんでした。
自分がなんで泣いてるのかもわかりません。勝手に涙が出てきます。
私は泣き虫です。
第一六節 「奇跡」
11/21 曇り
私の部屋にワタベさんが来ました。とても驚きました。話しかけてきました。
「昨日の、見てた?」
私はさらに驚きました。
「私がね、カギ、開けといたの。」
私は驚きすぎて声もでませんでした。
ワタベさんがなんで私の家にいるのかもわからないし昨日なんでカギを開けたのかもわかりません。
「最後のレジスタンス」
確かにそう言いました。意味はわかりません。それからすぐに部屋を出ていってしまいました。カギをかけて。
しばらく部屋でぼぉっとしてしまいました。
先生が入ってきました。「よう。どうだ?調子は。」
ワタベさん。「何?ワタベ?誰だよそれ。どっかで聞いたっけなぁ。」
さっきワタベさんが部屋に来た。「さっき?さっきこの部屋来たのは早紀だろ?」
え? 「え?じゃないだろ。お前の妹だろ。ああ、もう忘れちまってるか。」
違うよ。さっきのはワタベさんだよ。「ああそう。そうですか。」
ワタベさんだってば。初めて会った時そう言ってたもん。「はぁ?何言ってんのお前。」
ワタベさんが自分の名前はワタベですって言ってたもん。「何?あいつが自分でそう言ってたのか?」
うん。
少しの間先生はきょとん、としてました。そしてそれから、例の笑い声。けけけ。
「ウチの家族、みんな狂ってやがる。」
けけけけけけ。笑いながら部屋を出ていきました。カギをかけて。
私は笑えませんでした。
11/22 晴れ
今日ご飯を持ってきてくれたのは、何故かワタベさんでした。なんで私の家にいるんでしょう。
そしてなんで私にご飯を持ってきてくれるんでしょう。不思議です。とても不思議です。
ワタベさんはクスクス笑ってました。何か聞こうとしたらワタベさんは指を私の唇に当ててきました。
目をつぶり首を何度も横に振った後、言いました。
「もう何も言わないでいいから。」
私は何も言いませんでした。ワタベさんは部屋から出るとき手を振りました。バイバイって。
最後まで笑顔でした。
11/23 曇り
お昼頃、突然隣の部屋でガタンと音がしました。私は怖くなって毛布にくるまってました。
ブルブル震えました。しばらくすると電話が鳴りました。誰も出ません。お母さん、出かけてる。
電話は切れました。ちょっと外に出てみようかと思いました。さっきの隣の音も気になるし。ドアを開けようとしました。
無理でした。カギがかかってました。
夕方前に、突然家のチャイムが鳴りました。お母さんがったら鳴らさない。誰だろう。また怖くなりました。
今度はノックの音が聞こえました。音はだんだん激しくなります。
キィ、とドアが開く音がしました。何か叫んでる。家に入ってきた!
耳をすましてみました。何て叫んでるんだろう。それがわかった時、私は耳を押さえてうずくまりました。
男の人と女の人。こう叫んでました。「サキさん!」「サキちゃん!」
私を呼んでる。怖い。コワイコワイコワイコワイ!
女の人の声は聞いたことありませんでした。男の人の声は・・・・この前の事があったからすぐに思い出しました。カイザー・ソゼさん!
女の人はワタベさんの声じゃない。あの人達は何しに来たんだろう。私に何の用なんだろう。
ドアがガチャガチャを音を立てました。私はベッド跳ね上がりました。そして、ベッドの下に隠れました。
この部屋に入ろうとしてる・・・・・。叫びそうになるのを必死でこらえ、ずっと毛布の中で丸まってました。
ドアのガチャガチャが終わると、今度は隣で音がし始めました。叫び声も聞こえます。
私が覚えてるのはここまでです。
この後私は恐怖のあまり失神してしまいました。失禁もしてました。
今はもう夜。家の中も静まってます。こうして日記を書けるくらい回復しました。
でも・・・・・隣の部屋から、誰かがすすり泣きするるるr声エエえがききいきききこえますううすす
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ怖いいいいいいいいいいいいいいい
ももうダメまた
11/24 あめ
今日ご飯を持ってきてくれたのは先生でした。いつものけけけはありませんでした。
それどころか真剣な顔してます。しばらく私の顔を見てました。そして言いました。
「ついてこい」
ドアを開けてくれました。私は部屋から出ました。先生は隣の部屋に行きました。
隣の部屋にも外からカギがかかってます。先生がカギをあけました。ドアが開きました。
先生が中に入りました。私も入りました。
お母さんが壊れてました。
何がブツブツ言いながら大きなお人形を抱えてます。お人形の髪もボサボサになっちゃってます。
お母さんはそれを抱きかかえて笑ったり泣いたりしてました。人形はぐにゃぐにゃしてます。
人形の表情は髪がかかってよく分かりませんでした。
先生がお母さんに近づきました。「もうやめろ。」人形を離そうとしました。
お母さんは悲鳴をあげました。人形を離そうとしません。「死体だぜ。」
人形じゃなくて死体でした。
私はその場に座り込みました。足が震えて立てませんでした。
「こうなる運命だったんだ。」先生はお母さんを説得してるみたいでした。
お母さんは叫びながら何度も首を振りました。「亮平がいるだろ。」
お母さんは自分の髪をむしって私に何か投げつけました。
先生は私の手を引きました。そして、深くため息をつき、首を何度も何度も横に振りました。
「行こうぜ」
私は自分の部屋に戻されました。
この時初めて私は先生の・・・・・お父さんの涙を見ました。
部屋から出る時、泣きながらけけけと笑ってました。
「畜生。」
一人になった途端、涙が流れてきました。今までになかったくらい、たくさん。
声をあげて泣きました。できるだけ大声で。そうしないと隣からお母さんの声が聞こえてしまうから。
いつの間にか涙は枯れてました。それでも声をあげるのだけはやめませんでした。
やがて声はかすれました。そうすると、お母さんのすすり泣きの声がまた聞こえ始めました。
私は耳を塞ぎました。そして、喉にありったけの力を込めて叫びました。
お母さん。もうやめて!
声にならず、ただ喉からヒューと音が出ただけでした。
何度も繰り返しても同じでした。涙も出ず。声も出ず。
今でも隣からお母さんの声が聞こえます。大声だったり、小声だったり。
それは言葉ですらありませんでした。
11/25 くモリ
お母さんの声は今もまだ聞こえてきます。
1日中聞いてました。
そして悲しくなりました。
私、また独りぼっちになっちゃった。
ワタベさんも来てくれません。カイザー・ソゼさんも。
もう来ないんじゃないかな。そう思いました。
お父さんはいつも家にいなかった気がする。お仕事ばかり。
これからも、そうなんだろうな。私はそれでますます孤独になっていく。
もう外に出たいとも思いません。
誰か。誰かがそばにいてくれれば、それでいい。
お母さの声だけが部屋で静かに響いてます。
私は何も言いません。
言えません。
11/26 ずっと曇り
お父さんはご飯を持ってきてくれました。「あまりうまくないけど勘弁してくれ」だって。
本当においしくありませんでした。私はけけけと笑いました。
お父さんもけけけと笑いました。
二人ともだんだん笑い声が大きくなっていきました。お父さんは泣いてました。私も泣いてました。
どんなに笑っても、お母さんの叫び声が聞こえてくるから。
お父さんは笑うだけ笑うと行ってしまいました。行かないで。そう思いました。
言えませんでした。お父さんも私に何も言いません。お互い何も言えないまま。
お母さんに壁越しに話しかけてみました。返事が返ってきました。悲鳴で。
意味不明の言葉でした。
私は窓の外を見ました。窓から出れるかもしれない。でも、出て何処に行っていいのか分かりません。
アザミ。私はアザミを思い出していました。結局、一緒にいてくれたのはあなただけだった。
今何処にいるの?約束したじゃない。ずっと一緒だって。アザミ!
私は叫んでました。これまで、何度同じことを叫んできたんだろう。
そしてそのたびに、私の声が虚しく響き渡る。
神様。もう外へ出ようとも思いません。誰かに救って欲しいとも思いません。だから。
だからせめて、アザミだけでも返して下さい。
お母さんの叫び声が聞こえてもいい。お父さんの作ったご飯がまずくてもいい。
アザミだけ。私が望むのはアザミだけ。
いつも私と一緒にいてくれるアザミだけが、私を、救ってくれる。
一緒にいる。それだけで私は救われるんです。
もう叫びません。もう泣きません。もう頼みません。もう、何も欲しがりません。
この願いさえ通じれば。
最後のお願いなんです。
私に、アザミを。
11/27 曇ったまま
お父さんがご飯と一緒に何かの包みを持ってきてくれました。
「お前にだ」って。
宅急便らしいです。差出人は・・・・はがされてます。お父さんがやったのかな。
ガザガザと包みを開けてみました。
私は叫びました。
アザミ!
凄い。凄い凄い凄い!神様にお願いが通じた!
「約束したでしょ?ずっと一緒だって。」
アザミはちゃんと元通りになってました。バラバラじゃない。くっついてる。
よく見ると継ぎ接ぎの後が幾つか有ります。糸がちょこっとほころんでる。
神様って、お裁縫はへたっぴさんなんだね。
でも、ありがとう。
私はアザミを抱きしめました。隣から聞こえるお母さんの声も、もう平気。
もう何もかもどうでもいいです。ノートパソコンだってもういらない。
私には、アザミが居るから。
すっと一緒だよね。アザミは「うん」と言ってくれました。
私はふと思いました。アザミの声、誰かのに似てる。
きゅっと目を閉じて思い出してみました。
ああそうだ。ワタベさんと、カイザー・ソゼさん。
二人の声を混ぜたような感じ。
それがアザミの声。
私は微笑みました。来てくれたんだ。あの二人も一緒に。
嬉しくて涙が出てきました。最後に。最後の最後に私は救われたんだ。
もう一度、今度はアザミに向かって言いました。
ありがとう。
アザミは何の反応もしてくれませんでした。
アザミの声をもう1度聞きたいのに。どうしたんだろう。
何度も話しかけてみました。無駄でした。おかしい。アザミが、笑顔のまま固まってる。
何?何?どうして?アザミを色々触ってみました。何も言ってくれません。何も起きません。
そのうち糸がゆるんできました。駄目!私は焦って、糸をなおそうと引っ張りました。
ずるずると、糸がほどけていきます。
頭がとれました。
私は何度も何度もアザミを呼びました。
日記なんかこれ以上書いてられない。それどころじゃないの。
再び頭が離れたアザミと目が合いました。
アザミは笑ってる。私は、泣いてる。
それから何回アザミの名を呼んだかわかりません。
今でも呼び続けてるから。
そしてこれからも呼び続けます。アザミの声が聞けるまで。
奇跡が、起きるまで。
サキの日記 −完−
エ  ピ  ロ  ー  グ   虫のように・・・
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Final week 「影の世界」
11/28 晴れ
俺はなぜこんなコトをしてるんだ。理由なんて無いな。
ただ早紀のパソコンに電源を入れてみたら、不思議と何か文を書く気になった。それだけだ。
さて何を書こう。静かになったこの早紀の部屋で、俺は何を書く?
今日の事でも書くか。日記みてぇだな。
居間にいると、2階から誰かの声が聞こえてくる。
ちょっと音を大きめにしたテレビでもついてる様な感じだ。俺にはそれがテレビじゃないコトは分かってた。
俺は2階に上がった。ドアの前まで来るとその向こうで何て言ってるのかよく分かる。
アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ・・・
機械の様に声が漏れる。その言葉に最早なんの感情も籠もってなかった。
俺はその部屋は無視して隣の部屋に行った。
カギを開けるとものすごい臭いがした。死体の臭い。
別段その臭いは苦にならなかった。俺自身何か欠けてるせいだろうか。
俺の妻がその臭いの元を抱えてブツブツ何か言ってる。何と言ってるのかは知らない。
俺は彼女に話しかけた。
「亜佐美」
何の反応もない。相変わらず早紀の死体を抱えて笑ってる。
「亮平がお前の名前呼んでるぜ」
やっぱり反応はない。俺は話を続けた。
「亜佐美が濁ってアザミか。お前がいじめられッコだった時のアダ名だったよな」
亜佐美がピクン、反応した。早紀に話しかけるのを止めた。
「何の因果だろうな。人形に名前つけるのは普通だけど・・・・よりによってアザミとはな。」
亜佐美はもう笑ってなかった。
「亮平と人形が会話するところ見たことあるんだけどな。あれはもう出来の悪い腹話術って感じだった。
いや、ママゴトか?自分で喋って自分で答える。あれで本人は会話してるつもりなんだぜ。ひでぇよな。」
話しながら俺は息子の狂った姿を思い出していた。
無様だ。何回思い出しても無様だ。
けけけと笑ってみた。けけけ。仕方ねぇんだよ。俺と亜佐美の子供だぜ?
亜佐美が何か呟いた。今度ははっきり聞き取れた。「早紀・・・」
ああ、早紀か。何も死ぬコトなかったのにな。畜生。駄目だ。また感傷的になっちまう。
今、そこにいる早紀は、もう・・・・・
「腐りかけてる」
言っても無駄だった。亜佐美は再び早紀に話しかけ始めた。
そんな亜佐美の姿を見て、俺は昔を思い出した。
いじめられていた亜佐美。相談に乗ってた俺。
そうだ。そうだった。亜佐美を救う為に、俺は精神科医を志したんだった。
彼女に心のケアを。
けけけと笑った。昔はマジメだったよな。いつから俺は、こんなになっちまったんだろう。
少しだけ、悲しくなった。
さて、いつまでも思い出に浸ってるわけにはいかない。
いい加減早紀の死体をどうにかしないと近所にバレちまう。
俺は亜佐美から早紀を引き離した。亜佐美は嫌がったが、昔話をしてやって黙らせた。
医者になって、こういうのだけは得意になった。けけけ。亮平が居たら逆効果だけどな。
早紀の死体を抱えて部屋を出るとき、亜佐美が涙目になって俺を見てた。目が合った。
「すぐに戻る」
それだけ言って俺は部屋を出た。
カギはかけなかった。
11/29 曇り気味
亮平はメシを持っていったら勝手に食べる。喋りながら食べてるが食ってるだけマシだ。
アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、・・・・・・・良くも飽きず話せるな。
昨日の夜なんか声が枯れてるのに口だけ動いてた。けけけ。壊れてやがる。
それでもいい。メシさえ食えれば生きていける。
問題は、亜佐美だ。
早紀を奪ったら今度は腑抜けになっちまった。鬱病・・・・以上だな。完全に精神が破綻してる。
今朝の事だ。
メシを目の前においても見向きもしない。
「食え」
俺がそう言っても何も反応しない。ハムとチーズのサンドイッチ。レタスも入れてある。
朝飯としてはマトモな方だろ?食パンの耳も切って食べやすくしてある。
「食わなきゃ死ぬぞ」
サンドイッチを手に持って亜佐美の目の前に持っていった。
亜佐美は唸って首を振った。嫌がってる。
俺はニコニコしながらサンドイッチを一口かじった。
「うまいぞこれ!ほら、お前も食ってみろよ!」
亜佐美の口元にサンドイッチを当ててみた。口が半開きのまま。食べようとはしない。
無理矢理口の中に押し込んだ。顎に手をやってなんとか噛ませた。
飲み込まれることなく吐き出された。ボロボロと、ぐちゃぐちゃになったパンやハムが落ちていく。
俺はそれを拾い上げて自分で食べた。本当に、今日はうまく作れたんだけどな。
口を動かしてるウチに何か違和感を感じた。何か入ってる?
ちょっと口から取り出してみた。ああ、やっぱり何か入ってる。この黒いのは・・・・・・・
俺は思わず叫び声を上げて亜佐美を見た。
そして、亜佐美の口をこじ開けた。そこには異様な光景が広がっていた。
歯に、おぞましく、絡みつく、無数の、髪の、毛。
急いで亜佐美の口から髪の毛を取り除いた。かなりの量があった。危ねぇ。まさかこれで窒息はしねぇよな。
塊から毛を一本取り出してよく見てみた。
・・・・・・・・・・・・・・畜生
この毛の長さ。早紀の髪だ。昨日の夜から口に入れてたのか。
亜佐美に朝食を食べさせるのは諦めた。
夜は夜でまた苦労した。
無理矢理。嫌がる亜佐美の口に無理矢理ぬるいおかゆを流し込んだ。水も飲ませた。
なんとか吐き出さないように食べ終えた時には、もう床はびしょびしょだった。
亜佐美はシクシク泣いていた。あまりに泣くので、俺はまた昔を思い出した。
いじめられて、俺に泣きついてきて、俺は「大丈夫」と言ってやって・・・・・
そんな昔の事、もう忘れちまったぜ。
それでも記憶は蘇る。忘れていた、重要な、大切な、忘れてはいけない思い出が。
俺は首を何度も横に振り、深いため息をついた。
やっぱり、忘れる事なんかできねぇ。
押入からアルバムを出して、早紀の写真を取り出した。
爽やかに笑う俺達の娘、早紀。
その写真を亜佐美に与えた。亜佐美はぅぅぅと唸って写真を握った。
今でもキーボードを打つ俺の後ろで、亜佐美は早紀の写真を眺め続けてる。
俺は後ろを振り返り、一言だけ語りかけてやった。
大丈夫
11/30 晴れネェな
あいつが病院にかつぎ込まれてきた。確か名前は・・・・・そうだ。「風見」だ。
やたら亮平に会いたがってた奴だ。結局会っても何もできなかったくせに。
その風見が、自分の腹をナイフで刺したらしい。傷は浅くなかったが死ぬほどでは無いそうだ。
で、なんでそんな奴がウチの病院に来るんだよ。普通のトコ行け普通のトコに。
そんなわけにはいかない事はわかってる。愚痴ってみただけだ。
風見は現在、意識を取り戻していない。だが直に目覚めるだろう。
母親が妙な事を言っていた。腹を刺したのには俺が関係してるとか。
パソコンに日記がどうたらとかよく分からない事を言っていた。
最後まで話をややこしくしてくれるな、あいつは。
もうそっとしといてくれよ。俺は亜佐美と亮平の世話で忙しいんだよ。
もちろんそんな事は言えず、笑顔で対応しておいた。
フロッピーディスクに保存したものがあるから今度持ってくるとか言ってたな。
知るかよ。勝手に持ってこい。
何か言いたげだった母親を制して俺は言ってやった。
「私の事も書いてありましたか?たぶん酷い書き方されてるんじゃないですか?」
母親は少しびっくりした顔になった。図星だろ。俺は奴にロクな対応してなかったからな。
俺はきゅっと肩をすくめて外国人みたくオーバーアクションでお手上げのポーズを取った。
「カウンセラーは、嫌われるんですよ。」
嘘だよバカ。
母親は納得した顔で頷いていた。けけけ。お医者サマサマだぜ。
これで俺の事がどんな風に書かれてたとしても、俺への信用は保ったままでいられる。
そんなもんだ。狂った息子より、医者の言うことの方が正しいんだよ。
確か風見は母親に連れてこられたんだったな。最初は嫌がってたっけな。
なら、なおさら俺の方を信用するだろう。病院に連れてくるなんて、息子を信用してない証拠だ。
俺はけけけと笑った。
俺も、息子を信用してないぜ。
その息子は今日も飽きずに壊れてる。機械の様に喋り、機械の様にメシを食う。
いいぜ、それで。機械人間でも、人間は人間だ。生きてる。身体には血が流れてる。
亮平。どんなに狂ってても、お前には生きる権利がある。俺が、保証してやる。
いや、こう言うべきか。よく今までマトモに生きてくれた。
早紀もだ。お前もよく生きてくれた。精神が破綻した時期もあったが、よく耐え抜いた。
誉めてやるべきだ。
俺は亜佐美にそう言った。亜佐美は早紀の写真を舐めるように眺めてる。
たまに早紀の名を呼ぶ声が漏れる。そのたびに俺は早紀はもう死んだ事を教える。
そして、亜佐美は首を振る。
受け入れろ亜佐美。早紀は死に、お前は狂ってる。お前だけじゃねぇ。
亮平も狂ってる。そして、俺も。
安心しろ。みんな狂ってる。
12/1 雨だ
うぜぇ。あのガキ。
カイザー・ソゼなんて大層な名前名乗りやがって。K.アザミなんて名前も使うな。何様のつもりだ。
日記自体は病院で読むことが出来た。フロッピーへの入れ方がよくわからずプリントアウトしてきたそうだ。
印刷が分かるならフロッピーの使い方くらい分かれ。けけけ。オバチャン世代にゃ無理な話か。
母親の前で読み明かした。
俺は首を何度も横に振り、深いため息をついた。
「酷い妄想ですね。ここまで進行してるとは。」
母親が俺を見る。半信半疑って目だな。俺は続けた。
「私自身は誠意を尽くしていたつもりでした。けど、風見君はそう受け取ってくれなかったようですね。
妄想の中で、嫌いな人をより酷く描くのはよくある事です。今回はそれを文章化し、さらに書いてるウチに・・・
それが現実だと思ってしまったんでしょうね。だからこんな結果に。見抜けなかった私にも、責任はあります。」
くどくどそ説明してやると母親はまた納得した顔になった。
母親としても息子の行動がよく分からなかったのだろう。「妄想」という言葉で、全てが説明できる。
俺自身も「カイザー日記」の内容はイマイチ把握しきれてない。インターネットがどうだとか。
全てガキの妄想だ。自分勝手な空想で、自分の理想を描いてるだけに過ぎない。
だが、全て現実だった。
早紀。お前は何故あんなガキに身体を。恋人がいるのは構わない。だが、アレは無いだろ。
そして知り合うきっかけとなったのは、どうやら「希望の世界」らしいな。
覚えてるぜ。お前が珍しく俺になついてきた時だ。
「私、ホームページ作ったんだよ。お母さんに手伝ってもらったの。お父さんも見てよ。」
早紀らしいなかなかイイ出来映えだった。誉めてやると早紀は嬉しそうに笑った。亜佐美の若い頃に似ていた。
俺は自分のパソコンを持ってないから見たのはそれっきりだ。俺がほのぼのした気分になったのも。
あの時早紀が言った言葉は今でもハッキリ思い出せる。
「これで、彼氏できないかなぁ。」
親の前でそんな事言うんじゃねぇ。そんな事を思ったっけな。俺も、一応「お父さん」だったんだ・・・・。
それで、望みが叶った事はなんとなく察していた。
そしてフラれた事も。早紀。お前はそれで狂っちまったんだろ?
それが今、風見の日記によって否定されつつある。
もはや早紀を汚した事やアザミの名前を勝手に使った事なんかはどうでもイイ。
俺が気になるのは、早紀と亮平の関係だ。
あの二人に、何があった?畜生。風見の日記だけじゃ信じ切れねぇ。
「僕の日記」。そうだ。それを見つければ。そこに全ての答えが有る。
家にも有るのか?早紀がワタベと名乗ってフロッピーを持ってきたらしいじゃねぇか。
この家に、あるって事なのか?
残念ながら今日中に探す事は出来そうにない。
さっき亜佐美の失禁の後始末をしてる時、病院から電話がかかってきた。
風見が、目覚めた。目覚めて死にたがってると。
どんな状況なのかは行ってみないとわからない。死にたがってるって何だよ。
行くしかない。とにかく行って、話はそれからだ。
亜佐美すまない。少し出てくる。俺は後ろを振り返ってそう言った。
亜佐美は今日もぅぅぅと唸りながら早紀の写真を眺めてる。
隣の部屋じゃ亮平がアザアザ言ってやがる。こっちの部屋に聞こえてくるほどの元気はもう無い。
行ってきます。俺は少し声を荒げて言ってみた。
行ってらっしゃいと言ってくれる人は、いない。
12/2 今日も雨降ってやがる
風見は狂っていた。
意味不明の事をわめきながら腹の傷を自分で開こうともがいていた。
奴は、未だ自分の妄想から抜けきってない。
数人がかりで手を押さえ、ベルトで風見の動きを完全に拘束した。
それでも暴れ続けている。飛び跳ねてる。顎を突き出し、手をバタバタさせて、必死に叫んでいる。
そうか。お前は、光の世界へ飛んで行くんだったよな。
身体を固定されてもなおも蠢くその姿は、とても醜くかった。
早紀と一緒に飛んでいく?ふざけるな。汚れた妄想に早紀を登場させるんじゃねぇ。
早紀がお前と一緒に逝ってくれるなんて、妄想だ。早紀は一人で逝った。お前も、一人で、逝け。
鎮静剤やら拘束具やらでなんとか大人しくなった時には、もう明け方だった。
目が覚めればまた暴れ出すだろう。俺は舌打ちをして、家路についた。
外は寒かった。コートを着てくるのを忘れた。亜佐美にかけてきたんだった。
亮平にも何か着せてやれば良かったな。今頃凍えてるかもしれねぇ。
俺は急いで帰った。
案の定、亮平は部屋の片隅で毛布にくるまってガタガタ震えていた。
部屋に暖房はあるが、今の亮平にはそれを扱うことはできない。
俺の毛布を1階からもってきてかけてやった。暖房もつけた。亮平はぉぉぉと呻いて2重の毛布にくるまった。
すぐに寝息が聞こえてきた。すまねぇ。寒くて眠れなかったんだな。
ふとノートパソコンが目に付いた。昨日の事を思い出した。
ああそうだ。「僕の日記」を探すんだった。
今思えば、この時ノートパソコンに目が行ったのも、フロッピーが入ってないか確かめたのも、
全てが運命だったのかもしれない。・・・・・・・・・・俺は「僕の日記」を見つけた。
そして、読んだ。
毛布にくるまりスヤスヤと眠る亮平に向かって、俺はノートパソコンを振り上げた。
亮平が寝返りを打った。ゴロン、と顔がこっちに向いた。
その顔は、決して狂気を纏ってはいなかった。腕が震えた。
亜佐美も恐らくこれを読んだだろう。だから、亮平を刺したんだ。
あいつは俺にその理由を言わなかった。俺も聞かなかった。俺は勝手に推測していた。
亜佐美の中に溜まってた何かが爆発しただけだと。いつかはその時が来るとも覚悟していた。
亮平の死を隠す時だって、俺は冷静だった。
しかし、今でも俺は冷静でいられるだろうか。この腕を振り下ろさないでいられるだろうか。
俺は叫んだ。ノートパソコンを亮平にぶち当てた。
全てがスローモーションだった。
ゆっくりと、ゆっくりと腕を下ろし、パソコンを亮平の頭へ向けて、下ろした。
黒い物体がゆっくりと降りていく。それを掴んでいる俺の手は、もう震えていなかった。
コツン、と軽い音がして、パソコンは亮平の頭に当たった。
んん、と少しだけ顔を歪め、また寝返りをうった。
そして、何事もなかたように、再び寝息を立て始めた。
俺は亮平を殴れなかった。
歯を食いしばった。ギリギリと音が立った。亮平。お前は。俺は。お前は。俺は。俺は・・・・。
自然と足が動いていた。何処へ行くんだ俺は。亮平の部屋を出た。
隣へ。早紀の部屋へ。ここには今、亜佐美がいる。
ドアを開けた。亜佐美が俺のコートを着て座ってる。
もうボロボロになってしまった早紀の写真を持ち、亜佐美はそこに座ってる。
俺は横に座った。亜佐美が俺のことを見た。小さな叫び声を上げた。
けけけ。俺、よっぽど酷い顔してるんだな。
亜佐美が俺から逃げようとした。腕を掴んだ。亜佐美は怖がってまた叫び声を上げた。
俺の手を振り解こうと必死にもがいていた。俺は離さなかった。亜佐美はさらに叫んだ。
しばらくドタバタやってるウチに、亜佐美は急に暴れるのを止めた。
俺の顔をじっと見た。何かを察したらしい。口が何か言おうと動いた。言葉は出てこなかった。
亜佐美の手が動いた。スッと俺の目の前を通り越して、上へ。俺の、頭の上へ。
頭の上で、亜佐美の手がゆっくりと動いた。
亜佐美は俺の頭を撫でていた。
俺は、泣いていた。
亜佐美に撫でられると、余計に涙が溢れてきた。涙は拭わなかった。
しばらくこのままで居ようと思った。このままでいたいと思った。
ずっとこのままでいるわけにはいかない。それは分かってる。
けどな。少しくらいいいじゃねぇか。
ちょっとくらい、このままでいさせてくれ。
それから少しの間、俺は亜佐美に身体を預けて、眠った。
泣きながら眠った。
12/3 aaa
早紀は妊娠してたかもしれない。その考えに至ったのは、今朝だった。
「僕の日記」を読み返し、改めて確認した。どうしても気になるところがあった。
早紀が狂ってた頃の日記の部分。身体は早紀なのに、心が亮平だった時。
心は男で、身体が女。
なら、アレはどうしてたんだ。月に1度はあったはずだ。
心が男であったなら、アレの処置はできないはず。男として生きるには、あまりに大きすぎる障害だ。
女ならわざわざあの日の事を日記に書いたりはしない。だが男なら?
排泄は男女共通だ。ナニがついてるかついてないかの問題で済む。しかしアレとなると、そうはいかない。
身体が異常な事態になってるのに、何も触れずにいられるか?
そこで出た結論がこれだ。アレは、なかった。
つまり、妊娠していた。
腹を刺した事が中の子供にどんな影響を与えたのかは想像するしかない。
ただ、早紀の腹は大きくなっていなかった。
早紀は知ってたのか?
俺は何か残されてないか探してみた。あっけなく見つかった。
早紀の机の中にあった線香。箱にはまだ何本か残ってる。何本かは使ったってことか。
・・・・・これが何を意味するのかわからない。考えたくもない。
風見の日記だと、早紀は「虫」の記憶と早紀の記憶、両方持ってたって事だったな。
当然、自分にアレが来てなかったのも知ってたって事だ。
早紀が自殺した本当の理由が分かった気がした。
そりゃ風見なんかに言うわけねぇよな。
俺は1階へ降りた。足取りはかなり重かった。
倒れるように階段を下りていく。手すりを握ってないと、転げ落ちそうだった。
1階に着いた。フラフラと台所へ。何も考えてなかった。無意識の内に歩いていた。
冷蔵庫の前に来た。ブゥゥンと低い唸っている。台所に電気はついてない。雨戸は閉めっぱなし。
真っ暗だった。
冷蔵庫の扉に手をかける。手に力を入れた。扉が開いた。冷蔵庫の中がパッと明るくなる。
光の中で早紀が座っていた。俺が、座らせたんだ。
何故自分がこんな事をしたのかわからねぇ。早紀の死体を保存する理由なんて、無いはずなのにな。
ただ、なんとなく、そうしてしまったんだ。
早紀の顔に手を触れた。冷てぇ。当たり前だ。俺は早紀に語りかけた。
なぁ早紀。お前、子供の父親に心当たりあったんだろ?
例えば、トオルとヤった時にはゴム付きだったが、亮平の時には・・・・・・・・
止めだ。余計な推測なんかしても無駄だ。
何のために早紀は一人で逝ったんだ。全てを抱え込んで逝った意味が無くなるだろ。
それに、妊娠してなかったもしれないじゃねぇか。単に日記に書き忘れてただけかもしれねぇ。
そう思え。
冷蔵庫の扉を閉めた。早紀は再暗い箱の中へ消えていった。
けけけ。狂ってる。俺は狂ってる。狂ってるぜ。
俺は笑った。
病院へは夜行った。帰ってきた今はもう、真夜中だ。
病院に着くと、すぐに風見の居る部屋に直行した。何の迷いもなかった。
風見の部屋に来た。奴のうめき声が聞こえる。目は覚めているようだった。
周りを見渡してみた。洒落た見舞い品などは何もなかった。けけけ。俺が持ってきてやったぜ。
家から持ってきた果物の詰め合わせをベッドの横に置いた。
俺は果物ナイフを取り出した。
風見を拘束していたベルトを外すと、奴はまた暴れ始めた。醜い。
ナイフを目の前に置いてやった。奴は歓喜の叫び声を上げ、凄い勢いでナイフを掴んだ。
そして、自分の腹に刺した。
うひいいいいいいいいいいいと叫び、涙を流した。顔は笑っていた。
目は充血し、ナイフを持つ手にはさらに力がこもるのが分かった。
駄目だ。それじゃ駄目だ。それだけじゃ、死ねないぜ。同じ事を繰り返すだけだ。
俺は風見の手に自分の手を重ね、力を込めた。俺が、手伝ってやる。
ナイフがさらに風見の腹に食い込む。風見がまた叫んだ。
笑顔だった。涙を流しながらも、それは恍惚とした表情だった。
・・・・・こいつ、喜んでやがる。
俺はありったけの力を込めた。ナイフは刃の部分はおろか、柄の部分まで腹に埋まった。
うひうひうひうひうひうひと、風見は気色悪い声を漏らした。
奴は勃起していた。シーツ越しからでもはっきりわかった。この変態が!
お前は、これ以上、俺達に、関わるんじゃ、ねぇ。
ナイフをズズズと動かした。徐々に腹が割かれていく。そのたびに風見がうひいうひいと喜んだ。
切れ味の悪いナイフだったが、無理矢理肉を掻き分けた。風見は嬉しがってた。
奴の顔は涙と、汗と、鼻水と、よだれと、体液にまみれていた。笑顔のままで。
突然腰がビクンと跳ね上がった。顔が紅潮していた。・・・・・・・・イキやがった。
奴の左手がナイフから離れた。ゆっくりとシーツの中に入っていき、股間をゴソゴソいじっていた。
少しするとシーツから手が出てきた。汚ねぇ汁をからませて。
あろうことか、その手でそのまま腹の中をいじくり始めた。血と精液が混ざり、異様な色になった。
自分で自分の内臓を掴むごとに、奴の顔は喜びに満ちあふれた。
俺は深呼吸をして、ナイフをしっかりと握りなおした。
あばよ。夢見る中坊野郎。てめぇが描いた妄想の中で、死ね。
一気に腹を引き裂いた。
腹から胸にかけて、パックリと裂け目ができた。
血が吹き出た。シーツは赤く染まり、奴の体も、俺の手も、真っ赤になった。
風見は絶命した。
12/4 冬空
風見の不気味な微笑みが未だ目の裏から離れない。
俺は、人を殺した。この感触は一生消えないだろう。
死体はそのままにしておいた。
さて、このままくすぶってるワケにはいかない。風見の死体が見つかれば、俺はマズイ事になる。
いくら奴が狂ってたとしても、あんな死に方すれば他殺だってわかっちまう。
あの母親も腑抜けとは言っても、さすがに息子が死ねば何らかの疑問を抱くだろう。
「カイザー日記」の内容を思い出すはずだ。そして、俺を疑うだろう。
けけけ。もう遅いぜ。もう逃げる準備は済ませてある。あとは、行くだけだ。
早紀の遺体をスーツケースに入れるのは苦労した。なんとか入ったものの、あんな窮屈ではかわいそうだ。
落ち着いたら、手厚く葬ってやらないとな。
亮平を部屋に連れてきて身支度をさせた。なるべくマトモに見えるように。
亜佐美の着替えは手間取ったが、なんとか見栄え良くしてやった。
まだ30代半ばの亜佐美は綺麗に見えた。もちろん、それでも狂ってる。
こうして荷造りをしていると、亜佐美と逃げたあの日の夜を思い出す。
赤ん坊の亮平を抱え、雨の中二人で走った。
何処に行くのか分からなかった。行き先にアテなんざありゃしなかった。
それでも俺達は生き抜いた。俺は医者になり、亜佐美は二児の母になった。
必死だった。俺達には何も無かったんだ。帰る場所も。逃げる場所も。
やがて平穏を手に入れた。代わりに何かを失った。
亜佐美の心は離れていき、早紀も、亮平も、俺に懐かなくなった。
俺はそれでも構わなかった。生きてこそだ。それ以上何を望む。
亜佐美の浮気を察しても何も言わなかった。それが本来あるべき姿なんだ。何も言えなかった。
しかし今、全てをゼロからやり直す日が来た。
医者の身分も、この家も、未練はまったくありゃしない。
また最初に戻るだけだ。亜佐美と、亮平と、あの日と同じメンバーで。
狂って生まれてくるべき子供達が、揃って立派に生きてくれた。10数年。満足だろ。
今ではこれだ。早紀は死に、亮平は狂った。
早紀は俺達の希望だったのかもしれない。それが消えた今、俺達は再び逃亡者になる。
「お兄ちゃん」
亜佐美の声が聞こえた気がした。
妹と、呪われた息子を抱え、俺はもう1度走り出す。
影の世界に。
そろそろ行くか?亮平と亜佐美に話しかけた。
亮平がぅぅぅと唸った。そして、俺の腕に噛み付いた。
それを見た亜佐美は、もう片方の腕に噛み付いてきた。
キーボードが打ち辛い。けけけ。痛ぇ。
二人が俺を上目遣いで睨んでる。そうか。お前等、今の世界から出たくないんだな。
歯が服を突き破り、直接腕に食い込んだ。二人は更に顎の力を強めた。
無駄だ。俺がお前達を連れていく。この世界から引っ張り出してやる。
どう抗おうと連れていく。ここには何も無い。なら、行くしかねぇだろ。
俺達の希望はもうお空だぜ?
二人は口を離さなかった。服に血が滲み始めた。
俺は窓越しに空を見上げた。闇が広がり真っ暗だ。
早紀、そこから見てるがイイ。惨めに生きるこの俺を。ウジ虫のごとく這う無様な俺を。
けけけ。そうだ。俺は虫だ。哀れむ余地も無いほどに、醜く足掻いて這い回る。
見ろ。これが俺だ。全ての元凶。呪われた血を振りまき続け、それでも生にしがみつく。
聞け。俺の魂を。
光る希望など砕け散れ。
影の中こそ相応しい。
人のカタチをした虫だ。それが俺だ。さぁ見ろ俺を!
影から声が溢れ出る。
俺は虫だ。
だが、生きる。
光と影の世界
−完−
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