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宮田親平
ハゲ、インポテンス、アルツハイマーの薬
目 次
T 薬のつくられ方
ライフスタイル・ドラッグ
薬創造のロマン
受容体のアゴニストとアンタゴニスト
酵素活性阻害薬
探索・前臨床試験・臨床試験
ゲット・ジ・アンサー
U ハゲの薬
毛髪執着市場
円形脱毛症の治療
ヘア・サイクル
強力な男性ホルモン説
外用薬ミノキシジルの発見
世界初の「飲む毛生え薬」の誕生
副作用は「精力減退」
進む毛髪研究
V インポテンスの薬
ドール元上院議員の賛辞
器質性と機能性
勃起不全の多彩な原因
今世紀最大の発明
再評価された陰圧式補助具
解明された勃起のメカニズム
ノーベル賞の奇妙なタイミング
陰茎動脈に集中する酵素PDE5
経口薬の吸収と代謝
心因性の患者にはとくによく効く
ニトログリセリンは禁忌
医師も患者も正確な知識を
次なる治療薬もぞくぞく
W アルツハイマー病の薬
ファーマドリーム
アルツハイマー博士の生涯
二つの予言的小説
老人性痴呆の二つの型
アルツハイマー病の診断
追い詰められている原因
アセチルコリン仮説
失敗した補充療法
気が遠くなるような作業
母のカタキを討ちたい
七百の誘導体をつくる
自信と粘り強さ
思いもよらぬ人事異動
社会的、経済的貢献
次なるファーマドリームを
X 一錠の薬を飲む前に
いよいよ増大する薬物療法の役割
創薬のむずかしさ
製薬会社の聖性と俗性
薬の社会的性格
あ と が き
各有効成分の化学構造式
主要参考文献
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T 薬のつくられ方
■ ライフスタイル・ドラッグ
「薬」といえば ここ何年間か、薬害エイズをはじめネガティブなイメージしかもたらさない事件がつづいてきた。それには十分な理由があったわけだが、この世紀の変わり目になって、薬に関して従来とは異なる種類のニュースが現われ、連日のようにジャーナリズムを賑わせた。報道は例によってセンセーショナルで、それをもって「明るい」というのにはいささかはばかりがあるが、少なくとも人々の好奇心に応えるのに十分なニュースではあった。
人々の好奇心をとらえた最大の理由は、ふだん日常の会話にのぼることなく、隠微なものと受けとられることの多かったインポテンス──より正確にいえば勃起不全の妙薬が、アメリカで認可されたことにあった。このニュースが伝えられると、どうすればその薬を入手できるかをめぐって、週刊誌レベルの報道があいついだ。
性に関してオープンだといわれるアメリカだが、一方でタブーも大きかった。しかし、それも「キンゼイ報告」によって破られた。そんな中で登場した新薬「バイアグラ」は、たちまち普通名詞と化し、勃起≠ニいう言葉も、まるでフルーツサラダ並の気軽さで巷に飛び交うことになった。
アメリカでは、クリントン大統領のセクハラ事件にからんで、これまで公には口にできなかったたぐいの性に関わる用語がテレビを通して家庭にまで流れ出たことと合わせ、ニューヨーク・タイムズ紙は「クリントンとバイアグラが性に関する最後の壁を突き崩した」と指摘した。
このバイアグラ騒動があまりに大きかったため、やや隠れたかたちになったが、同じ頃、ハゲの妙薬が出現し、やはりアメリカで認可されていた。
ハゲ──脱毛症にはいろいろな種類があるが、この薬「プロペシア」は、従来、生理的現象とみなされ、それゆえ適切な治療法はないとされた男性型脱毛症に七〇パーセント以上の効果があるというので、アメリカでは一大センセーションを巻き起こした。
目下のところ、この薬が日本で発売される見通しはないが、それとは別に、一九八八年にアメリカで認可された「ミノキシジル」という外用薬(塗り薬)があって、これは日本でも大衆薬として店頭に並び始めた。
インポテンスにしてもハゲにしても、それ自体、生存を脅かす病的状態ではない。しかし生活を快適にするためには、治療薬があったほうがよいに違いない。ことにインポテンスは、のちに触れるように、一部の人々にとっては、かけがえのない人生を幸福に生きる上で、非常に深刻な障害となっている。これらの薬は、日常生活を改善するのに役立つという意味から、「ライフスタイル・ドラッグ」(生活改善薬)と呼ぶ人もいる。
ハゲやインポテンスにくらべ、老人性痴呆症の一つであるアルツハイマー病は、患者本人だけでなく、介護者をこの上なく悩ませる点で、高齢化社会では最大の脅威の一つに数えられる病気である。この病気の原因については、現在、急速に研究が進んでいるものの、まだ完全な解明にはいたっていない。とはいえ、病因が解明されないからといって、患者を放置しておくわけにはいかず、さまざまな仮説から治療薬が生み出されようとしている。
この病気に関しては、数年前にアメリカで、ある仮説から新しい治療薬がつくられたが、その副作用のため普及は進んでいなかった。ところがそれと同じ仮説によりながら、まったく異なった構造の化合物から発展させ、副作用問題をクリアした新薬を生み出したのが、わが国の研究陣である。
この薬は、アメリカで臨床試験が行われた結果、申請後、わずか半年で認可された。この事実は、この新薬がいかに優れた効果をもっているかを示すものであろう。一九九八年度の、「薬のノーベル賞」といわれるガリアン賞特別賞が授与されたことからも、この薬に対する国際的評価がいかに高いものであったかがうかがえる。
■ 薬創造のロマン
かつては薬は、「あやしげなもの」の代表とみなされがちだった。「クスリ九層倍」とか「鼻クソ丸めて万金丹」などという俗言が生まれたのもそのためだろうが、今日では、「効かない」薬は市場には現われない仕組みになっているといってよい。
それだけに、新薬の創出というのは、つくられた化合物の一万に一つぐらいしか当たらないといわれるほど、スペキュレーション(投機)的性格を帯びている。日本の製薬企業が、海外からの導入品を頼りにしたり、「ミー・ツー」などと呼ばれる、すでに市場に出ている薬の類似品の開発に走りがちなのも当然といえるが、しかし画期的な新薬を生み出さなければ、世界の水準の中で生き残っていくことはできない。
それでは、どうすれば画期的な新薬を創造することができるか。
一般論でいえば、薬とは病気を治す物質であるから、病気が起こる仕組みに関する知識が十分に得られれば、どのような薬物ならその病的変化を正常化させることができるかを予測できるはずである。そこから新薬が創製できれば、まぎれもなく科学を基礎にした技術によってつくり上げられたわけで、まっとうな方法論ということができる。
病気が起こる仕組みの研究は、患者の病状の変化の十分な検証の上に立って(これを臨床研究と呼ぶ)、培養した細胞や実験動物を使って行われる(これを基礎研究と呼ぶ)。だが生体のメカニズムは複雑で、細胞から動物、人間までをつなぐ情報の糸はとぎれとぎれである。そのため、実際には研究の成果として生まれた薬より、むしろ人類の経験や伝承から得られた薬のほうが多かった。中には何世紀も「効くから効く」という使われ方をしながら、なぜ効くかが分からず、長い年月がたってようやくその謎が解けたというケースもある。
その典型が、人類最古の薬といわれているモルヒネである。有史以来、麻薬として使われてきた阿片から、有効成分のモルヒネが抽出されたのは一八〇三年。以来、モルヒネは鎮痛剤として使われてきたが、なぜ効くかはさっぱり分からなかった。
脳の中にモルヒネと結びつく受容体《レセプター》が発見されたのは一九七一年である。そして、この受容体は本来、脳の中でつくられる内因性モルヒネ物質と呼ばれる物質が結びつくために用意されているもので、モルヒネがこの物質のニセモノとしてこの受容体に結びついて鎮痛作用の働きをすることが分かったのは、一九七五年になってからである。
ここから、依存性という大きな欠点のあるモルヒネを改良する試みが始まったわけだが、この場合、むしろ薬が体の中のメカニズムをあきらかにしたということになる。
アスピリンについても、同じことがいえる。古くからヤナギの小枝や樹皮には解熱鎮痛作用があると言い伝えられてきたが、その成分のサリチル酸には胃を荒らす副作用があった。それを軽減するため、酸性を弱める目的で一八九九年にドイツのバイエル社がつくったのが、アスピリンである。この実に簡単な構造の化合物は、以来、一世紀にわたり薬のベストセラーでありつづけたが、これまたなぜ効くかが分からず、長いこと、脳に運ばれて中枢神経に作用するというのが通説とされてきた。
ところが第二次大戦後になって、精液の中から発見されたプロスタグランディンという物質の生理活性作用が注目を集め、アスピリンには炎症の原因となるプロスタグランディンを体の中で合成する働きを持つ、シクロオキシゲナーゼという酵素の働きを止める作用があることが分かった。
この一連の研究は一九八二年にノーベル賞が授与されるほどの大きな業績だったが、この発見も、薬が先にあって、科学があとからついてくることがあるという一つの例証である。
今日でも伝承薬を科学的に実証するという努力は依然としてつづけられているが、医学、ことに体の中の働きを化学的に解明する生化学の進歩は急激で、分子生物学的に遺伝子にまで及んで病気の仕組みを解明することまでできるようになった。
そのため薬の開発も、最近は一段と科学的になった。研究者たちは、学術専門誌、特許情報などを参考に、国公立の研究機関などから情報を集め、社内に蓄積された情報も活用して、一定の作業仮説を設定する。その情報獲得競争は激甚で、病気の成り立ちが完全に解明されたときには、とうに治療薬が現われているといってもよいほどである。
その方法論は、薬とは病気を治す物質の発見であるから、病気の成り立ちを予測して、その病気に効くかもしれない物質を探すことにある。その物質はなにか。なんらかのヒントを元に、その物質を探さなければならないわけだが、それが天然にある抗生物質のような場合には、手に入れた物質を片端から調べ上げるということまで行われている。
こうなると、「闇夜の鉄砲」といっては言い過ぎかもしれないが、Aという病気の薬を開発する目的であった研究からBという病気の妙薬が発見された、ということも数多くある。その一方で、「信念にまさる真実なし」を地でいき、必ずしも全員の支持を得ない仮説を信じ抜き、ついに治療薬を完成した、というケースもある。
つまり、「創薬」と呼ばれる薬を創製する作業には、この科学万能の時代にもけっこうロマンが溢れていて、アイデアが成否を決める世界であるということもできる。
■ 受容体のアゴニストとアンタゴニスト
しかし、いくら創薬の方法論は多様だといっても、いくつかの柱になる手法はある。
それは、先に科学的解明と薬の発見の順序が逆になった例として、モルヒネとアスピリンの科学的解明の中であげた「受容体」と、酵素の働きを止めるという意味の「酵素活性阻害」の二つである。最近の新薬の七割以上は、この受容体理論から生まれたものか、もしくは酵素活性阻害作用から生まれたものだといってもよいほどだ。
このうち、レセプターと呼ばれることも多い受容体についてまず説明しよう。
体の中には、ホルモン、神経伝達物質、プロスタグランディンなどの情報のメッセンジャーが行き交っていて、これらが細胞に情報を伝えることによって、細胞の働きが行われているのだが、そのとき細胞側がこうした物質を最初にキャッチする部分が、受容体である。
薬物受容体の考え方を最初に提唱したのは、イギリスの生理学者J・N・ラングレーだといわれる。彼は一八七八年に、二つの薬物が、ネコの唾液分泌を促進したり抑えたりすることを発見した。この二つの薬物が共通の特定の物質に結合して、この拮抗作用を示すのであろうと考えた彼は、この物質を受容物質と呼んだ。
「受容体」という言葉を初めて使ったのは、今世紀初頭に活躍したドイツの医学者パウル・エールリッヒである。彼は組織をさまざまな染料で染色してみて、これらの現象は、細胞の外側にある側鎖が受容体となって結びついて起こるのだという信念を抱いた。その信念を「物結合せざれば作用せず」という有名な言葉で表現した彼は、この「側鎖説」を免疫の抗原抗体反応にも及ぼし、血液中にみられる抗体とは、免疫細胞の外側の側鎖である受容体が抗原と結びつくことによって、過剰に生産されて血液中に放出されたものであるという説を提唱した。
抗体がどうしてつくられるかについては、その後も論争がつづき、日本の利根川進によって最終的に決着がつけられるまで百年近くの年月がかかるのだが、ともかくエールリッヒが抗原抗体反応を化学反応、つまり物質同士の結びつきであると喝破したのは正しく、これは医学者であると同時に一流の化学者でもあった彼の、すばらしい先見の明であった。
エールリッヒはその後、さまざまな感染症の原因が病原微生物であると分かり始めると、そうした病原微生物の受容体には結びつくが、体の受容体には結びつかない薬物を求めて、彼が名づけたところの「化学療法」の研究に乗り出す。その苦心惨憺たる努力の末に彼が発見したのが、「六〇六号」の名で知られることになる、当時、大きな脅威であった梅毒の治療薬サルバルサンであった。
梅毒の病原微生物は細菌より大きいスピロヘータであり、彼の生存中には、結局、病原菌に対する妙薬は生み出されなかったが、彼の受容体説の忠実な継承者によって、その後、サルファ剤、抗生物質などがぞくぞくと発見されることになり、人類をもっとも脅かした感染症の克服に大きな貢献を果たした。
この受容体を、薬物の受容体でなく、細胞表面にあって、生体内の情報伝達物質に特異的(カギとカギ穴の関係のように、その物質だけしか結びつかないという意味)に結びつく作用点と認識した最初の人は、エールリッヒの三十年後に活躍するイギリスの薬理学者A・J・クラークであるといわれている。
彼は、神経伝達物質であるアセチルコリンが心筋に働くとき、細胞の表面の〇・二パーセント前後を占めれば十分効果を発現することを発見した。ということは、特定の場所に受容体が存在するということである。受容体とは、細胞が情報を受信するアンテナのようなものなのだ。
その後、さまざまな情報伝達物質の発見と並行して受容体の研究もどんどん進み、細胞膜にはいろいろなアンテナが林立していることが分かっていく。細胞膜にある受容体はタンパク質であることも解明され、ここから受容体は、それまで概念であったものから実体へと変化することになる。
受容体の中には、神経伝達物質と結びつくと細胞膜外のカルシウムなどのイオンを通過させる、イオン・チャンネルと呼ばれる働きをするものもある。受容体は細胞膜だけにあるのではなく、ホルモンの中には細胞膜を容易に通過して、細胞内の受容体に結びつくものもあることが分かった。
医学者、生物学者にとっても、受容体を探しあてることは、さまざまな生理現象を解明したり病気の原因を調べたりするのに非常に役立つので、その発見が競われた。たとえば、インスリン抵抗性と呼ばれる糖尿病は、インスリンは分泌されているのだが、受容すべき受容体に異常があることが分かっている。
一方、薬を発見しようとする研究者にとっても、受容体に結びつく本来の体の中の情報伝達物質ではない、モルヒネのようなニセモノの人工物質を発見することができれば、細胞内の働きを変えることができることになる。
体は細胞から成り立っているから、病気というのは、なにか体に好ましくない働きが細胞に起こることが原因となって起こることが多い。そのような働きを変えることで細胞を正常化することができれば病気の治療に役立つはずで、そのため、この受容体に結びつく薬物を発見することが、創薬のための重要な手段になった。エールリッヒが最初に言い出した「受容体」の考え方に沿って、結びつく「モノ」の発見が競われることになったのである。
この場合、受容体に結びついて細胞の働きを活発にする薬物をアゴニスト(作動薬)といい、逆に低下させる薬物をアンタゴニスト(遮断薬)という。神経系に働く薬物についていえば、モルヒネはアゴニストであり、ニコチンは少量ではアゴニストだが、大量に用いるとアンタゴニストにもなるという複雑な働きをする。
この受容体理論によって画期的な薬を二つもつくり出したのが、イギリスの生理学者J・W・ブラックである。
彼は、交感神経の伝達物質であるアドレナリンなどの受容体にはアルファ、ベーターの二つがあり、そのうちベーターは心臓の収縮力や心拍数に強い影響を持つ、という仮説に従ってその遮断薬を求め、一九六五年に狭心症に有効な「プロプラノロール」という薬を発見した。このベーター遮断薬にはさらに、血圧降下作用もあることが分かった。
ブラックはつづけて、同じ理論で胃・十二指腸潰瘍の妙薬も発見した。
マスト細胞と呼ばれる特殊な細胞の中にヒスタミンという物質が蓄えられていて、ある種の刺激があると放出され、各種のアレルギー反応のほか、平滑筋を収縮する、胃酸を分泌するなど、いろいろな働きをすることは、ずっと前から知られていた。とくに、この物質によって起こることが多い、くしゃみや鼻水、湿疹やかぶれ、かゆみなどの不快な症状をとるために、細胞のヒスタミン受容体に結びついてその作用を止めるアンタゴニストが求められ、抗ヒスタミン薬と呼ばれる薬が生まれた。
ところが、胃・十二指腸潰瘍の原因となる胃液の分泌は、ヒスタミンの作用によることが分かっていたのに、この薬には抑える効果がまったくない。この現象を説明するために、ブラックらはヒスタミンにも二種類の受容体があるはずだという仮説を抱いた。彼らはこの幻の受容体をH2受容体と名づけ、実に七百種類以上もの化合物をつくって、一九七六年にこのもう一つの受容体に結合する薬物「シメチジン」を発見した。
この業績によって、ブラックは一九八八年、ノーベル賞を授与されたが、その後、とくにH2拮抗薬は改良を重ね、さらに原理の進んだ薬も生まれて、もはや胃・十二指腸潰瘍で外科手術を受けることはないまでに、治療薬として完成することになった。そのノーベル賞授賞の理由が「投薬治療に関する重要な原理の発見」とされたように、「闇夜の鉄砲」式ではない、科学的な新薬開発が行われたことは、新しい時代を画するものであった。
■ 酵素活性阻害薬
さて、もう一つの新薬開発の柱である酵素活性阻害薬とは、その名の通り、酵素の働きを止める薬である。
では、酵素とはなにか。それを知る前に、細胞の受容体で受け取られた情報が、その後、細胞内でどのように移動して、細胞に働くように命ずるかを少し説明する必要があるだろう。
情報伝達物質が細胞膜の受容体で受け止められると、当然ながら、その情報は細胞内に伝えられる。そこで、細胞まで情報を伝えるホルモンなどの情報伝達物質を第一メッセンジャーとして、細胞内で新たにつくられてその情報を伝達する物質を、二次的に情報を伝えるので第二《セカンド》メッセンジャーと呼ぶ。
第二メッセンジャーの働きをはじめとする、この細胞内情報伝達のシステムは、現在、猛烈ないきおいで解明が進んでいるとはいえ、まだ全容が分かっているわけではないので、ここから先は少し単純化せざるをえないが、いずれにせよ、この細胞内に伝達される情報は、細胞内の連鎖反応によってさまざまな応答が行われることになる。
細胞内にはいろいろな小器官があり、それぞれが、この反応にとって大きな役割を果たしているが、そうした小器官の中で最重要なのが核である。
核の中には遺伝子のDNAがあり、その情報がいったんメッセンジャー(m)RNAに写し取られたのち、そのコードが翻訳されてタンパク質がつくられることはよく知られている。そうしてつくられたタンパク質には、細胞の構成物質になるもののほかに、酵素の働きをするものがある。
それでは、酵素とはいったいなんなのか。
細胞の中では数百種類以上の化学反応が行われているが、その化学反応は実験室の中で行われる化学反応とは違い、ヒーターやバーナーや、酸やアルカリや特別な溶媒も必要とせず、細胞をみたしている水の中で、たくみにいろいろな物質を合成したり分解したりしている。しかも、その化学反応が、同時に秩序正しく進行しているのが、生命体の特徴である。
それを可能にしているのが触媒であり、化学工場といってもよい酵素の働きである。酵素はタンパク質で、アミノ酸がたくさん結合し、その鎖が折り畳まれた立体構造の、一般には丸いかたちをしている。
この立体構造がそれぞれ異なるのが酵素の特徴で、その中には、必ず「活性中心」といわれる部位がある。この部位が、「基質」と呼ばれる、反応を起こす物質に、カギとカギ穴のように結合するのである。この結合すべき基質を見分けるのが酵素の特徴で、同時に活性中心には触媒作用を行う部位があり、酸化還元、加水分解などの、ありとあらゆる化学反応を行う。
(図省略)
この特異な能力を持つ酵素も、受容体同様、ニセモノに結びつく可能性を持つ。活性中心に、よく似た物質がやってくるとこれと結合してしまうが、その結果、本物の基質とニセモノとのどちらが結合するかで競り合いを起こすなどして、本来行われるべき酵素反応が低下することになる。
活性中心は、本来結びつく物質と似ても似つかぬものと結合することもある。酵素の一種、アセチルコリンエステラーゼは、あとでアルツハイマー病の薬について説明するときに重要な意味を持つ酵素で、アセチルコリンという神経伝達物質を加水分解する働きをするが、この活性中心には有機リン化合物が結びつくことができ、その活性を阻害する。毒ガスの一種であるサリンなどがそうで、その結果、神経の伝達が行われなくなり、重大な障害が発生するわけである。
その一方で、酵素の活性を阻害することで症状や病気の進行を防ぐことができれば、優れた薬ともなりうる。酵素は、現在では、それを取り出したり、その遺伝子をつきとめることで得られ、精製したりすることができるようになり、試験管の中で阻害薬を探し出すこともできるので、新薬の開発にはもっとも有力な手段になっている。
■ 探索・前臨床試験・臨床試験
このような方法論を頼りに、研究者たちは開発の手順として、まず、ある特定の病気をターゲットにして多数の新規化合物をつくる。それと同時に、それら化合物を評価するシステムを用意して、しらみ潰しに有効なものを取り出す作業を行っていく。
これをスクリーニングといい、評価システムとしては、試験管内または動物モデルを用いる。そしてもっとも目的に合いそうな物質を見つけた場合、これをリード化合物という。
次に、このリード化合物を中心に、もっとも有効性が高く、副作用の少なそうな化合物を見つける作業に入る。これをドラッグ・デザインというが、最近はコンピュータを用いる方法がとられることが多くなった。探索と呼ばれるこの作業では新規化合物が数百から数千は必要で、しかも有力新薬候補を見いだすまでに、二〜三年かかるのが普通である。
こうして有力新薬候補が得られると、前臨床試験と呼ばれる動物実験により、有効性が十分か、強い毒性がないかのテストが行われる。この前臨床試験は、毒性、薬理、生化学などの専門家がそれぞれ分担して行う。製薬会社の研究所の大半のエネルギーは、この前臨床試験に費やされるといわれ、ここでさらに三〜五年かかる。
当然ながら、この途中で体の中に十分に取り込まれないことが分かったり、毒性が発見されたりして落伍する化合物は数知れない。しかも、この試験に合格したからといって、薬になるとはかぎらない。動物と人間とのあいだでは生体の仕組みに大きな違いがあるため、動物実験はあくまでモデルに過ぎない。前臨床試験というのは、論理的には「外挿」でしかない。
そのため、薬が薬として公認されるためには、どうしても実際に人体に用いた臨床試験が必要になる。臨床試験は、初めは健常者(おもに副作用を調べる)、次いで患者(おもに有効性を調べる)の、いずれもボランティアが対象になり、その結果が厳重に審査されてはじめて承認される。日本では、この臨床試験を行いにくいのがネックで、そのため最近では、外国で行う例が非常に増えている。
ここまで辿りつくのに、開発に着手してから十年から十五年はかかる。それでもなお、これで薬が完成したとはいえない。臨床試験は多くて数千例、しかも十分に管理の行きとどいた患者だけを対象にしたに過ぎない。発売されれば一挙に数万人、数十万人もの患者に使用されるわけで、その場合、思いがけない副作用が見いだされることも少なくないからだ。
そのため医薬品には、他の商品にはない、市販後調査の義務が課せられている。実際、発売後に、副作用のため回収される運命にあう薬がないわけではない。クスリとは、なんともリスキーな商品なのである。
■ ゲット・ジ・アンサー
これまで薬のつくられ方について総論的に述べてきたが、ここで冒頭に述べた、最近、話題の三つの病気についての薬(脱毛症については二種類あるので計四種類)をケーススタディに、薬がどのように生まれてくるかについて触れてみたい。
二種類ある脱毛症の薬のうちの一つは、別の薬の開発中に偶然に発見された。なぜ効くかについては、その後も研究が進んでいるものの、まだ十分には分かっていない。科学的な解明があとからついてきている例である。もう一つの薬は、酵素活性阻害薬として、やはり別の薬の開発の副作用として見いだされたものだが、原理は当初から分かっていたといえる。
勃起不全の薬「バイアグラ」も、ヒョウタンからコマのように別の薬の副作用として発見されたものだが、折しもノーベル賞が授与されるほどの大発見があり、勃起という生理現象のメカニズムが解明されたことで、この薬がなぜ効くかの原理がはっきりした。いわば開発と科学的解明が並行して進んだケースで、その意味でもたいへん幸福な薬ということができる。
アルツハイマー病の薬の場合は、病気の本当の原因は依然分かっていないが、症状が起こる原因は、ある神経伝達物質の欠乏にあるという仮説に従い、その物質を増やすために酵素活性阻害薬の開発に乗り出し、成功した例だ。
この薬は、いままでこの病気に適切な治療法がなかったことと、マーケットが広大なこともあり、日本人が発明した有数の世界的新薬として評価されることが予測される。けれども、その十五年にわたる道のりはハザードの連続で、これを成功に導いたのは、幸運もあるが、開発リーダーの信念が大きかった。しかも、その信念については、開発者の個人的経験が大きなモチーフになっていたことが感銘を呼ぶ。これは、一見冷徹にみえる薬の開発においても、開発にあたる人間の個性が強く反映されることも意味している。
現在は、インフォームド・コンセントという言葉が流行語になるほど、医療における患者の知る権利、治療法を選ぶ権利が重視されている。いよいよ「切れ味鋭い」薬が現われる気配の中で、医療における薬物治療の役割は重みを増す一方だ。
切れ味鋭い薬は、適切に使われたときには測り知れない恩恵を患者にあたえるが、不適切に使われたときには毒にもなりうる。コンピュータのつくられ方が分からなくとも、だれにとってもコンピュータは同じように使いこなすことができるが、薬はユーザーである患者によって、効き方、副作用の現われ方は異なっている。そのためアメリカでは、薬をもらうときは「ゲット・ジ・アンサー」といって、必ず説明を聞けという運動が行われている。
しかし、突然、説明を受けても戸惑うことのほうが多いのではないか。そのためにも、これからは、薬とはいかなる性格のものであるかについて知っておくことが必要であろう。なぜ薬には副作用があるのか。なぜ定められた通りに服用しなければならないのか。服用してなにか問題が起きたときは、いかに対処すべきか。
現実に起きたさまざまな問題に直面したとき、そこにいたるまでの過去の歴史を学ぶことがしばしば正確な認識に導いてくれるように、薬はどのようにしてつくられるのか、その薬の成り立ちをいくつかの例を通して知ることは、すべての薬に対応するためにも必要なのではないだろうか。
三つの病気の治療薬誕生の道筋を、場合によっては、それに関わった人たちのヒューマン・ストーリーや裏話を交えて案内したい。
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U ハゲの薬
■ 毛髪執着市場
一九八〇年代の終わり頃、「101」というハゲの妙薬≠ェ出現し、センセーションを巻き起こしたことがある。考案者は中国の漢方医で、有効率は九七・五パーセントにのぼるという触れ込みだった。テレビや週刊誌が煽ったこともあり、その治療を求める「ハゲ治療ツアー」まで組まれる騒ぎで、輸入でひと儲けをたくらむ業者まで現われたが、結局は一過性のブームに終わってしまった。
ブームに水を差したのは、この「101」を使ったためカブレ事故を起こす人がいるという報道だった。また、この妙薬≠ヘ分析の結果、人参など漢方薬に使ういくつかの生薬をアルコールに溶かした製品であることが分かったが、一つ一つの生薬を吟味してみると、血行をよくする作用があるものが多く、それなりに評価はできるが、これだけでは画期的な効果にはほど遠いという、専門家の意見が現われたことにもよる。
しかし、この騒動そのものは、いかに毛髪の再生を願う人々の数が多いかを示したものともいえる。それは、このマーケットの巨大さにも反映している。中でもいちばんポピュラーなのが育毛剤や育毛トニックで、それに民間療法も加わり、これまで数知れない商品が発売され、シェアを競ってきた。
昔は、こうした育毛剤が効いたと称する判定法はきわめて主観的なもので、効果もかなり怪しげであった。いまから三十年以上前、当時、もっとも売れていた育毛剤のパンフレットには次のような「Q&A」が載っていた。
Q「この薬をつけているのですが、やはりハゲていきます」
A「つけていなければ、もっとハゲていたでしょう」
こうなると、もう笑い話でしかないが、さすがに現在の育毛剤は、ずっと科学的≠ノなっている。それなりに一定の医学的根拠を持ち、また効果判定がなされているので、「まったく効かない」などということはない。
その作用のほとんどは頭皮の血行促進が中心で、ほかにはフケをとるなど、頭皮を清潔にするというのも一つの根拠になっている。ともかく五百万人の人々がこうした育毛剤や育毛トニックを使い、トータルで年間五百億円が売られているといわれる。しかし、その大半は、なんとか脱毛を防ぎ、少しでも進行を食い止めたいという使用者の悲願≠ノ応える程度のものといって差しつかえあるまい。
育毛剤に次いで手軽なのはカツラで、最近は自然毛に人工毛をつけて増毛したり、ロープやネットに人工毛を植えつけたものを頭皮に張りつけるタイプなど、手のこんだものもある。中には一つが数十万円という、涙ぐましくも高価なものまである。
最後に、医療技術として美容外科が行う植毛がある。これはアメリカで、とくにユダヤ系の人に若ハゲが多いため発達してきたといわれる。男性型脱毛と呼ばれる若ハゲの場合、前頭部や頭頂部がハゲていても後頭部には毛が十分に残っていることが多いので、ここの毛を移植するのである。一本ずつパンチで取って植える方法もあるが、施術が大変なので、生え際に一本ずつ植えたあと、残りの部分に数本ずつ植えていく。
この方式は「田植え」とも呼ばれるが、欧米人が一センチあたりの毛髪数が三百五十本くらいなのに対し、普通の日本人は百〜百五十本くらいと少ないこともあり、それをばらまいてもなかなかきれいに仕上がらないという難点があった。
最近は、この欠点をカバーするため、ハイテクを利用し、レーザーを使って後頭部から太い毛、細い毛、硬い毛、柔らかい毛など多種類の毛質を集めてきて、自然に見えるよう配置するなどの方法も盛んだ。
「皮弁法」といって、毛のないところを切り取り、そこに毛の生えた頭皮を移動する方法もある。一度の手術ですむので簡便だが、毛流(毛の流れ)が逆になったりして不自然な外観を呈しやすいのが欠点だった。
そこで、血管を含む「皮弁」をつくっておき、あとで顕微鏡を覗きながら血管をつなぐ移植法も現われた。しかし、この手術は相当の技術を必要とする上、日本人の頭は欧米人と比べて相対的に大きいため、切り取ったところを目立たないように縫い合わせるのにも、これまた高度の技術を要する。
同じ植毛でも、地毛ではなく人造毛髪を植える、人工植毛というのもある。これは植える本数に制限がないのが長所だが、人体に異物を植え込むため、毛の生え際のところが異物反応のためすり切れたり、毛の周囲にアカがこびりついたりすることが多い。しかも一年間に四分の一ぐらいは抜け落ちてしまうので、毎年のように更新しなければならない。最近は体に対して親和性があるといわれるコラーゲン毛を移植することも行われているが、いずれにせよ、植毛には数十万円から百数十万円はかかるので、経済的に余裕がなければ受けにくい治療法だといえる。
こうした究極の治療まで含め、脱毛対策のあの手この手は「毛髪執着市場」と呼ばれるが、その需要の熱烈であること、市場の巨大さは、まさに「執着」という言葉にふさわしいものがある。
■ 円形脱毛症の治療
脱毛症でもっとも多いのは男性型脱毛症だが、それに次いで多いのが円形脱毛症である。
円形脱毛症というのは、普通、頭部に一個ないし複数の円形の脱毛がみられるため、こう呼ばれているが、まつ毛やまゆ毛が抜ける場合もある。脱毛の場所を選ばないので、重篤になると、頭髪すべてが抜け落ちたり、ひどいときは全身の毛がなくなることもある。
一度に毛が抜けるのは、成長期にあった毛をつくる細胞が、急激に萎縮するためと考えられている。原因については、激しい脱毛のときに毛穴とその周辺にリンパ球が集まっている様子がみられるので、自己免疫(自分自身の一部と反応してしまう抗体による一種のアレルギー)とする説が有力だが、そのほかに自律神経失調説、ストレス説もある。
ストレス説は、かつてある総理大臣が円形脱毛症の症状を呈したことがあり、のちに発症当時、身辺にただならぬ事情があったことが判明したことからよく話題にされるが、ストレスがなくともこの病気になる人も多く、実際のところはよく分かっていない。
この場合、円形脱毛症が起こったためにストレスが発生したとも考えられるわけで、治療法としては、精神的、肉体的ストレスを取り除くことが求められ、場合によっては精神安定剤が使われることもある。
そのほか、炎症を治す目的で、ステロイドなどの外用薬も用いられる。また刺激をあたえるのがよいという考え方から、液体窒素やドライアイスを当てる方法、またあらかじめ紫外線の吸収を促進する物質を塗っておき、長波長の紫外線を照射するPUVA療法という治療法が有効だともいわれる。
ここで興味深いのは、ある種の薬品を使ってカブレを起こさせると、劇的に毛が生えてくることがあるという報告があることだ。これについては、カブレに対する免疫反応のほうが盛んになり、毛穴に対する攻撃反応が手薄になるためと説明されている。
そうだとすれば、カブレを起こすと指摘された「101」にも、同じような治療効果があったと考えてもよいわけだ。実際、「101」の考案者も、この薬は円形脱毛症に対して、より有効だと主張していた。しかし、刺激を中心にした治療法ならほかにもあるわけで、なにも「101」でなくともよいということにもなる。
円形脱毛症は、多発型や再発するタイプ、全身の毛が抜けるタイプになると、非常に治療がむずかしいが、一カ所だけの場合であれば、放置しておいても、九割以上の人は数カ月以内に自然に治る。したがって「101」も、治るタイミングに合わせて使えば、有効という数字が出る可能性は大きい。
薬の効果を判定するには、実際に薬を使った人とプラセボ(偽薬)を使った人の二群に分け、しかも本人にも医師にも分からないように行う、二重盲検《ダブルブラインド》試験という方法を用いることが国際的な決まりになっている。「101」には、この方法で効果判定がされたという情報はなく、当初、伝えられた数字は、非常に疑問が多かったわけだ。
■ ヘア・サイクル
男性型脱毛症の進行状況は、人によって違いはあるものの、日本人では前頭部からAの字型にハゲていくか、頭頂部からO型にハゲていくタイプが多い。これが白人になると、両脇からMの字型にハゲていくことが多いといわれている。
いずれにせよ、前頭部から頭頂部にかけてハゲているのに、側頭部や後頭部はふさふさしているのが特徴である。毛の抜け方も、急に抜けるのではなく、徐々に毛の太さや長さが減少していく。なんとなく毛髪が頼りなくなっていくわけだが、この段階では、よく見るとうぶ毛が残っていることが多い。そのうち、うぶ毛も生えなくなり、毛の数そのものが減っていく。
こうした毛髪の抜け落ちは加齢とともに進むため、その進行は円形脱毛症と違ってゆるやかで、格別な病理的な症状もみられない。そのため、この現象は男性型脱毛症といわず「男性型脱毛」とすべきだという人もいる。そこで本書では、以後、男性型脱毛と書くことにする。とはいえ、男性型脱毛は若年、人によっては二十歳代で始まる人もいるわけで、いくら病気でないといわれても、あまり慰めにはなるまい。
ひとくちに脱毛といっても、そのすべてが男性型脱毛とはかぎらない。シャンプーやブラッシングで多少の毛髪が抜けたからといって、心配するには及ばない。頭髪には常時、生える毛と抜ける毛があって、一日に五十〜六十本ぐらい抜けるのは当たり前である。人間には、特有のヘア・サイクルというものがあるからである。
ヘア・サイクルについて述べる前に、毛をつくる組織がどのような構造をしているかを知っておく必要があろう。
まず、毛の根元の部分を毛包という。この毛包の数は胎児のときに決まっていて、十万〜十五万本とされる毛髪の数は、ひとたび生まれると、毛包の数以上増えることはない。
毛包のかたちは、皮膚に埋まっているところも含めてタケノコか球根に似ていて、そのいちばん根元に毛母細胞と呼ばれる、一群の活発に分裂する細胞を持つふくらみの毛母がある。
(図省略)
毛母というのは文字どおり毛の母で、ここで分裂することによってつくり出された細胞が上方、つまり皮膚の表面に向かって移動し、そこで水分を失って角化したものが毛幹になる。
毛母の隙間には黒っぽい色素細胞があって、これが毛幹にメラニンを供給する。毛根をサヤのように包んでいる内と外の二層の毛根鞘と呼ばれる組織のうち、内毛根鞘の細胞も、この毛母によってつくられる。
ためしに毛包を皮膚から取り出して別な場所に移すと、移植された毛包からふたたび毛が伸び始める。このことが植毛ができる一つの原理であり、毛をつくるのに必要な細胞や情報は、すべて毛包に含まれているということになる。
この毛母にかこまれた場所に、タマネギの先端を細長く伸ばしたようなかたちをした毛乳頭がある。毛乳頭は、毛母細胞の増殖に大きな影響をあたえているだけでなく、毛包全体の指令センターの役割を果たしていると考えられている。毛乳頭の内部には毛細血管が発達しているが、毛乳頭ばかりでなく、毛包の周辺にも血管が張りめぐらされている。
このほか、毛包の上部、毛穴に近い部分には皮脂腺とアポクリン腺が開口している。皮脂はつねに分泌しているので、長いあいだ洗髪をしないでいると空中のホコリなどが付着し、頭皮細胞が角化したあと死んでできるフケも加わって、汗などで湿度が高まると、雑菌の絶好の繁殖場になる。その結果、炎症を起こしたりすると、血行がさまたげられることになるので、ある程度のシャンプーイングは欠かせない。育毛剤が頭皮の清潔を一つの売り物にしているのも、うなずけないことではない。
毛というのは永久に伸びつづけるわけではなく、ある周期をもって、成長期、退行期(または移行期)、休止期を繰り返している。この周期を、毛周期とかヘア・サイクルと呼んでいる。
このヘア・サイクルは、動物では季節によって毛の生え替わりがみられるように、同調していることが多いが、人間の場合は、成長したり抜けたりのサイクルをそれぞれの毛が勝手に行っているのが特徴だ。
成長期は、萎縮していた毛包が成長を開始することと、不活性化していた毛乳頭がふたたび活性化することから始まり、それによって消失していた毛母細胞がふたたびつくられ、毛幹や内毛根鞘が新たに伸び始める。
成長期は、頭髪では三〜七年程度といわれる。この成長期が終わる頃になると、毛包は休止期に入る準備を始める。これが退行期で、まず色素細胞が衰えてメラニンの合成をやめ、毛母細胞の分裂も衰え、毛乳頭も小さくなる。
退行期に入ると、毛包の上部構造はそのままだが、下部は萎縮するにつれ皮膚表面に向かってどんどん引き寄せられていく。退行期は二〜三週間といわれている。
さらに休止期に入っても、毛はしばらく毛包に留まるものの、ひっぱられたりこすれたりすると抜け落ちる。
(図省略)
そうした抜け毛の末端がコン棒状であれば正常で、末端がギザギザしていたり細長くなっているものは、まだ成長期にあるうちに抜けてしまった毛なので、円形脱毛症などの異常を疑ったほうがよい。
三〜六カ月つづくといわれる休止期が終わると、なんらかの刺激によって毛包が下方に下りてきて、ふたたび成長期に入る。このヘア・サイクルが、同調することなく繰り返されているため、人間には絶えず生える毛と抜ける毛があることになる。
男性型脱毛、いわゆる若ハゲとは、このヘア・サイクルを重ねるにつれて、毛の太さや長さが減少していくことをいう。これは毛包が小さくなるためと、ヘア・サイクルの中での成長期が短くなるためである。
こうした虚弱毛髪は、ヘア・サイクルを十分に消化しきれずに終わってしまったわけだから、後続の毛包も新しい元気な毛を準備していないことになり、そのため「定員不足」という外観を呈することになる。したがって、このような場合は、脱毛というより薄毛化といったほうが、より正しい。
男性型脱毛を予知するには、自然に抜けた毛を白紙の上に集めて並べ、それぞれの長さや太さを比べてみるとよい。見るからに弱々しく、細くて短い毛が多ければ要注意である。さらに、虚弱毛髪が抜け毛の中に占める率が、日を追って増えるようであれば、「長期低落傾向」に入ったと考えなければならない。
■ 強力な男性ホルモン説
ところで、なぜ男性型脱毛が起こるかについては、昔から諸説がある。
その第一は、この薄毛化の進行パターンや速度が、親子のあいだで似ていることが多いことから、遺伝的因子が大きいとされてきたことである。
これについては家系調査もなされ、男性型脱毛は男を通して優性に、女を通して劣性に遺伝する、つまり「ハゲないためにはハゲの親父や祖父を持たないこと」というのが有力な説だったが、その後の研究で、女性の持っている遺伝因子も考慮に入れなければならないという考え方に変わってきた。
ハゲは遺伝するというのは、現在でも多数の学者たちに支持されている見方だが、ただ、その遺伝形態は当初考えられていたよりも複雑であることが分かってきた。また、別々の環境で育った一卵性双生児の比較調査では、薄毛化における遺伝的な影響は少なかったという調査もあるということなので、親の因果とあきらめる気分になっている人々には、いくらかは勇気づけになるかもしれない。
次に古くからいわれているのが、血行に障害があるため、毛が育たなくなるという説である。かつては、男性はきつい帽子をかぶるので血行が阻害される、といった説を唱える人もいたが、昔ほど帽子をかぶらなくなったいまとなっては、根拠としてはいささか弱い。
ほかにも、頭皮が張っている人はハゲやすく、柔軟な頭皮の人はハゲにくいという見解を示す専門家もいる。実際、ドーナッツ状になったエアバッグを鉢巻き状に頭に巻きつける、「頭皮緊張緩和器」なる器具が売られたこともある。頭頂部の皮膚の緊張をゆるめ、血行を活発にするという理屈からである。
皮膚科医の中には、前頭部と後頭部の脱毛の違いを、両者の血行の違いで説明する人もある。しかし、後頭部や側頭部と前頭部とで血行の条件が違うとすれば、後頭部や側頭部の毛が前頭部に植毛できる理由が十分に説明し切れなくなる。もっとも、植毛にあたって皮膚もいっしょに移動される場合なら、もとの場所の血行の条件もそのまま移動されるという見方も成り立つわけだが。
ともあれ、この血行障害説は、毛包のまわりに毛細血管が張りめぐらされているという解剖学的所見からみても、現時点ではかなり強く支持される見方で、現在、売られている育毛剤の大部分がこの血行改善を作用メカニズムとして主張しているのにも、十分な根拠があるということになる。
これら諸説ある中で、もっとも有力なのが、男性ホルモンが影響しているという説である。そもそも男性型というくらいだから、男性ホルモンが関係しているであろうとは、現代人であれば、だれでも容易に思いつくことである。
ところが、この見方は非常に古く、その最初の提唱者は、なんと古代ギリシャのアリストテレスだったといわれる。もちろんホルモンなどは発見されていない時代である。この哲人は、宦官にはハゲがいないのに、普通人では性交年齢からハゲが見られることなどから、精液の分泌がハゲに関係があるのではないかと唱えた。
このことを近代になって実証したのが、アメリカの皮膚科医ハミルトンである。すでにホルモンが発見されていた一九四二年のことである。
彼はまず、思春期以前に睾丸を摘出された男性では、遺伝的素因があっても男性型脱毛が見られないこと、次いで、男性型脱毛が起こっている人でも、思春期以降に去勢されると進行が止まること、さらには、その人に睾丸がつくる代表的男性ホルモンであるテストステロンを注射すると、ふたたびハゲが進行することを報告した。
ハミルトンの業績でもう一つ重要なのは、血液中のテストステロンの量を測定し、若ハゲの進行度と関係があるかどうかを調べた結果、両者のあいだに関係はないという結論に達したことである。つまり、若ハゲを発生させるかどうかは、男性ホルモンの量ではなく、遺伝的な因子による、男性ホルモンに対する感受性の強弱によって決定されるというのである。よく「ハゲの男性はセックスが強い」といわれるが、これが根も葉もない俗説にすぎないことが分かる。
ハミルトンのおかげで、脱毛と男性ホルモンの関係は疑いがなくなったわけだが、頭髪全般との関係を考えると、それほど単純化はできない。疑問の一つは、前にも述べたように、男性型脱毛では、毛が薄くなる場所が頭頂部ないし前頭部から始まることである。これについては、こうした部位と後頭部、側頭部では男性ホルモンに対する感受性が異なるのだという説明がなされてきたが、その感受性の差はなにによるかが分からなければ、なにも説明していないにひとしい。
さらに疑問をいえば、同じ男性ホルモンの影響下にありながら、なぜヒゲやワキ毛や陰毛は思春期になって短期間に生えてくるのか。一方では毛髪が薄くなるのに、なぜ一方では発毛が起こるのか。これも不思議なことである。これについては、男性ホルモン以外に他の因子が働いていることが想像され、目下、その研究も進行中である。
ともあれ、遺伝に手を加えるのはむずかしいが、ホルモンについてであれば、細胞の中でどのような働きをするかは、すでにかなり究明されているので、その作用をコントロールする手段を見いだすことによって、脱毛を防いだり発毛を促したりすることは可能なのではないか。
科学的には完全に解明されなくとも、一定の作業仮説のもとに薬を開発するのが、製薬会社のお家芸≠ナある。機は熟していたのである。もはや、妙薬≠発見しようとする企業がいつ現われても、不思議はなかったわけである。
■ 外用薬ミノキシジルの発見
これから説明する二つの「画期的」な育毛薬のうち、一つは経験的に発見された薬であり、もう一つは科学的研究の成果としてつくられたものである。
その二つの薬のうち、ミノキシジルは、実はそれほど新しい薬ではない。しかも、薬の開発ではよくあることだが、もともとは別の病気の治療目的で開発中に発見されたものである。この薬は、一九七一年に降圧薬(血圧を下げる薬)として開発が始まっていた。
高血圧という病気は、なにぶん患者数が多いこともあり、その研究の進歩は医学の中でも屈指のものがある。この病気を引き起こす因子は単一ではなく、さまざまなものがあることが解明されていて、その多彩な原因別に、数えきれないほどの種類の薬が開発されている。
その中でもっとも歴史が古いのが、腎臓に働いて血圧上昇の原因となっている血液中の余分な塩分《ナトリウム》や水分を、尿として排泄させる目的で使われる、利尿剤と呼ばれる薬だ。
次が、受容体のアンタゴニストで、ベーター・ブロッカーと呼ばれることが多い、ベーター遮断薬である。
これは前にも述べたブラック博士が、初め狭心症の薬として開発したもので、その後、この薬には降圧作用もあることが分かった。ということは、末梢血管には神経伝達物質の受容体があるということだが、現在ではこの受容体が細かく分類され、どの受容体に働けば血圧が下がるかが、かなり分かっている。アルファ受容体の中にも血管を拡張する働きをするものがあることが分かり、そこでアルファ遮断薬も開発されている。
ベーター遮断薬より、さらに多く使われているのがカルシウム遮断薬である。血管を収縮させる役割を持つカルシウムの流入を遮断して、血管を拡張する働きをする薬である。この薬は血管の平滑筋の細胞膜に存在する、イオン・チャンネルと呼ばれる一種の輸送ポンプに働きかけて、細胞内のカルシウム・イオンの濃度を低下させる作用があるとされる。
このように細胞内外のイオン組成を変化させる物質を発見するのも、現在の有力な薬の開発手段である。
血管の緊張には、そのほかにも、ある種のホルモンが関わっていることが分かっている。そのホルモンの分泌を促進するのがアンギオテンシンという物質だが、これにはT型とU型の二タイプがあり、この働きはT型がU型に変わってから起こる。
そのT型からU型への変換は、ある種の酵素によって行われる。ということは、この酵素を阻害すれば、結果的に血圧上昇を抑えることができるはずである。この発想から生まれたのがACE阻害薬といわれる薬で、典型的な酵素活性阻害薬の一つである。
このほかにも、降圧薬には十指にあまる種類があり、とても全部は紹介し切れない。ともかくあまりに種類が多いため、どの患者にどの薬を使うか、使う薬の順序をどうするかも、きわめて議論の多いものになっている。
しかし、脳卒中などを起こしやすいこの病気の患者にとって、これほど妙薬≠ェいっぱいあるのは福音で、これら降圧薬は、脳卒中などを防ぐことで、過去半世紀のあいだに、日本人の平均寿命を延ばすのに、抗生物質に次いで貢献したといわれるほどである。
ミノキシジルは、カリウム開口薬といって、先にあげた種類の降圧薬とは別の発想から開発された薬である。細胞内にはカリウム・イオン、細胞外にはナトリウム・イオンが多いことによって電位の差があり、そのことが血管の緊張をかたちづくっているが、カリウムを細胞外に排出することによってこの緊張をゆるめ、血管を拡張し、その結果、血圧を下げるという考えから、アメリカのアップジョン社が開発し、経口薬(飲み薬)として一九七九年に認可を得たものである。
ところが、この臨床試験のあいだに、投与した患者の中に、肩、脚、背中、こめかみなどに毛が生え始める人が多いことが分かった。そこで数人の研究者たちが、「ハゲにも効果があるのではないか」と考え、ミノキシジルの粉末を毎日、腕にこすりつけたところ、最初はヒリヒリしたが、数カ月たつと毛の成長が著しいことに気がついた。
それを知った皮膚科の医師の中に、ミノキシジルをアルコールに溶かして溶液として、薄毛やハゲに悩む患者の頭に塗る者が現われた。作戦を練りなおしたアップジョン社は、毛髪再成長医薬品として特許を申請することを決意、新たな研究を開始した。降圧薬であるから、経口薬にした場合には、全身性に働いて副作用が大きいかもしれない。しかし、この成分は皮膚からも吸収されることが分かったので、外用薬として用いることにした。
男性型脱毛の研究の一つの大きな隘路は、動物実験でもっとも使われているネズミに、男性ホルモンに依存して発達する毛がないことである。そもそも動物の体毛の最大の機能は、保温にある。動物にとって、ハゲることは生命の危機に結びつくことなのだ。動物にハゲるという現象がほとんどみられないのは、そのためである。
ただ一つ、中国産のベニガオザルというサルだけは、人間と同じく男性ホルモンの影響を受け、年齢とともに雄の前頭部がハゲてくる。このベニガオザルは、現在はワシントン条約によって輸入が禁止されているが、アメリカのウィスコンシン州立大学だけは、条約交渉時に中国から輸入したため、実験を行うことができた。
その結果、ベニガオザルの前頭部にミノキシジルを塗ると、ハゲていた部分に毛が生えてきて、萎縮していた毛乳頭も毛母細胞も拡大していることが分かった。
一九八一年から、十八歳から四十九歳までの男性二千三百人を対象とした臨床試験が始まったが、その結果、六カ月塗った場合で六〇パーセント強、十二カ月継続したケースでは八四パーセントに効果があったという報告が出された。はっきり効果があったのは四八パーセントだったというが、これだけでも驚くべき数字である。
この臨床試験中に、意外な事実も分かってきた。臨床試験にあたっては半数がプラセボをあたえられるが、そのミノキシジルが含まれていない溶液を使った人々のうち、一一パーセントに効果があったというのである。
ということは、発毛には心理的要因も大きく関係しているということになるが、それにしても数字が大きすぎる。そのため、プラセボといっても外用薬なので、塗る際に指で頭をさすったりするので、その刺激効果もあったのではないかという説をなす人もあるようだ。
臨床試験はその後、批判に耐えるよう、より科学的な方法で何度も行われた結果、この薬を長期にわたって用いると、患者の相当部分に発毛を促したり、さらなる脱毛を予防したりすることが証明された。
こうした情報が伝わるにつれ、薬を切望する人々が急増し、一九八六年にまずカナダで認可された。次いでアメリカでも、処方箋によって入手できる薬として認可され、「ロゲイン」の商品名で売り出された。
「ロゲイン」は、FDA(アメリカ食品医薬品局)が認可した唯一の育毛薬として大きな反響を呼んだが、その後、広く使われたことで安全性も確かなものになり、九五年には処方箋なしで薬局などでも買える、大衆薬に切り換えられることになった。
使用方法は、二パーセントの溶液一ミリリットルを、一日二回、直接、頭皮につけるというものである。頭髪が生えてきたことが分かるまでに四カ月かかり、ベストの結果を見るまでには、十二カ月は塗りつづけることが必要とされる。
生えてくる毛は、最初のうちは柔らかく、うぶ毛のようだが、そのうち適度な毛髪になってくる。場合によってはフサフサと生えてくることもあるが、いずれにしても、塗るのをやめれば新しく生えた毛は数カ月以内に抜け落ちるので、なかなか手の抜けない、根気のいる治療薬である。そのためアメリカでは、植毛に走る患者も依然として多いという。
この薬には、他にもいくつかの問題点がある。
その一つは、毛を失ってから長い年月がたった人には、効果がない場合があることである。薄毛に悩む人は、なるべく早い時期に行動を起こしたほうがよいということになる。
もう一つは、残念ながら前頭部分の発毛は、いまのところ証明されていないことである。この薬は、頭頂部が薄くなるタイプにもっとも著しい効果があるとされ、額からハゲ上がっていくタイプの人には期待薄とされている。また円形脱毛症にはまったく効果がない。
日本でも、大正製薬が一九九六年六月に、ライフスタイル・ドラッグでは医療用医薬品としての保険適用はむずかしいため、一足飛びに大衆薬として認可申請を行い、九八年十二月に承認を受け、九九年五月に「リアップ」の商品名で発売された。
■ 世界初の「飲む毛生え薬」の誕生
ところで、ミノキシジルはなぜ男性型脱毛に効くのだろうか。
先に、薬の発見史では、経験的、あるいは伝承によって効くとされてきた薬が多く、なぜ効くかについてのメカニズムは、あとになって解明されることが多いと書いたが、このミノキシジルも、臨床試験中に一種の副作用として認められたものなので、広い意味ではこの系列に入るのかもしれない。
しかし、発売当時にも、一応の説明≠ヘあった。それは、降圧薬であるこの薬には血管を広げる作用があるので、これを使用すれば末梢血管が広がり、毛根近くの血流が増加するため、脱毛が止まったり発毛が促進される、というものであった。
これは、従来の育毛薬が謳ってきた効能書きに沿った説明≠ニいえる。実際、その実験結果もあったとはいえ、しかしこれでは、他にも降圧薬はいっぱいあるのに、それを飲んでもこれほど毛が生えてきたという話を聞かないのはなぜかが分からない。
その後の研究で、ミノキシジルの発毛のメカニズムは、血行促進だけでなく、遺伝子に直接作用して発毛効果を生むことが分かってきた。これもまた、効果が先行し、あとから科学がついてくるケースの一つだったわけである。
この科学的解明を説明する前に、もう一つの妙薬=uプロペシア」の出現について触れておかなければなるまい。この薬こそ、男性型脱毛の原因の最有力説、男性ホルモン作用説から生まれてきたものだからである。この薬もまた、本来の目的とは異なる、副作用≠ゥら発見されたというのも興味深い。
プロペシアは、もともとは前立腺肥大症の薬として開発された。前立腺肥大症というのは、男性が年をとるにつれて進行していく病気である。六十歳を過ぎると三人に一人にみられるといわれ、高齢化社会を迎えた現在、見過ごすことのできない病気である。
その主な症状は、尿が出にくくなることである。では、なぜこのような排尿障害が起こるのか。前立腺は精液をつくるのに重要な役割をする器官で、排尿の仕組みとは関係がないが、その中心を尿道が走っているため、肥大すると尿道を圧迫するからである。肥大の原因はホルモン・バランスの失調で、それには、とくに睾丸の精巣でつくられる男性ホルモンであるテストステロンという物質が深く関わっている。
病状が進行した場合の治療法としては、現在は、尿道に膀胱鏡を入れて肥大した部分を切除するという方法が行われている。昔はおなかを切って手術が行われたことを思えば大きな進歩だが、それでも患部を切除するというのは、あまり嬉しいものではない。そこまでいたる前に、できれば進行を食い止める薬がほしいところだ。
この病気では、前立腺にあって尿道を収縮する役割をする、アルファ受容体と呼ばれる受容体が増加していることが認められている。この受容体を遮断する物質も探し出されている。アルファ遮断薬と呼ばれるもので、速効性のあるこの薬は患者に大きな恩恵をあたえている。
しかし、根本的な原因に迫るには、さらに男性ホルモンの作用を防ぐことが必要だ。原因療法としては、男性ホルモンを供給する睾丸をとってしまうのがもっとも効果的だが、その場合、インポテンスは不可避である。また、このホルモンは男らしさを保つ上で大切なホルモンなので、これを除去してしまうと、どうしても中性化≠ヘ避けられない。
それでは、どのようにして男性ホルモンの影響を防いだらよいのだろうか。
それには、いくつかの方法が考えられる。第一は、前立腺にあるテストステロンの受容体のアンタゴニストを発見して、テストステロンを取り込ませないようにすることである。
実際、抗男性ホルモンと呼ばれるこうした薬も開発されているが、テストステロンが取り込めなくなると、「もういらないのではないか」という、いわば一種の「負のフィードバック機構」が働いて、テストステロンの製造工場である精巣に、脳の視床下部から指令するホルモンがやってこなくなる。また精巣自身も、そうしたホルモンの製造にブレーキをかけたりするので、睾丸摘出ほどではなくとも性的機能減退の副作用は避けがたい。
そこで、第二の手段になる。
実際に男性ホルモンの働きをするのは、実はテストステロンではなく、このホルモンが化学変化を受けてできたジヒドロテストステロン(DHT)という物質である。その男性ホルモンの作用は、テストステロンの十倍もの活性がある。その変化は例によって酵素によって行われるので、この5アルファ還元酵素と呼ばれる酵素の活性阻害薬を見つければよいわけである。
この発想から、アメリカのメルク社の研究者たちが発見した薬が、フィナステリドという物質である。この薬は、抗男性ホルモン薬につきまとう精力減退の副作用がないという触れ込みで、「プロスカー」の名で発売された。
ところが、この薬にも発毛効果があることが分かってきた。またしても「別件」から新薬が発見されたわけである。ただし「プロスカー」の場合は、ミノキシジルほどの意外性はない。このことは、ある程度予測されていたことだったからである。
科学としての医学は、まさに日進月歩である。ミノキシジルの成功に触発され、それまでマイナーだった毛髪の研究に従事する人々の数が急増し、研究も大幅に進んでいった。そのためいろいろなことが分かってきたが、その中でとくに重要なのは、それまで毛髪が育つか抜けるかを決めているのは毛母細胞だと思われていたが、実は毛乳頭が司令塔であることが分かったことである。
そのため育毛剤メーカーの中には、いままで「毛母細胞を活性化しよう」をキャッチフレーズにしていたのに、いつのまにか「毛乳頭を活性化しよう」に変えてしまったところまで現われたほどである。
もう一つ重要なことは、毛乳頭には5アルファ還元酵素が多く存在することが分かったことである。男性ホルモンのテストステロンは、毛包でも、この5アルファ還元酵素によって変えられたDHTが働いているのである。
さらに頭髪が場所によって、毛乳頭の男性ホルモンに対する反応性が違うのは、男性ホルモンの受容体の量や、5アルファ還元酵素の種類が異なるためであることも突き止められた。前立腺にもある、ハゲやすい前頭部の毛乳頭にあるタイプUと呼ばれるほうの5アルファ還元酵素は強く、ハゲにくい後頭部などにあるタイプTと呼ばれるアルファ還元酵素は弱いのだ。フィナステリドはこの中のタイプUの還元酵素を阻害することも分かった。
アメリカのFDAは薬の認可を行うとき、科学的証明を強く求めてくる。科学は日進月歩なので、その科学的証明も、そのときどきの水準を反映していなければならない。そのためフィナステリドの男性型脱毛に対する臨床試験は、ミノキシジルの時代より進んだ研究の成果を踏まえて行われた。この薬は皮膚を通して吸収はされないので、飲み薬とされた。
臨床試験は、まずフェーズTと呼ばれる安全性を確かめる試験を行い、次に有効性を確かめるフェーズUの試験のあと、フェーズVと呼ばれる大規模試験に入る。
フェーズVの対象に選ばれたのは、いままでミノキシジルや抗男性ホルモンなどを使ったことのない十八歳から四十一歳までの、初・中程度に頭頂部の薄毛が進行中のアメリカ内外の千五百五十三人であった。
彼らにはフィナステリドまたはプラセボが、一日に一ミリグラム、一年間にわたって投与され、うち千二百十五人は二年間にわたり観察がつづけられた。試験に参加した患者は三カ月ごとの定期検査などで、効果の測定が行われる。
効果判定には四つの方法が採用された。
第一はヘアカウントで、薄毛化している部分の定点観測を行うため、中心に刺青に似た小さな標識をつけた一インチ(約二・五四センチ)四方大の部分の拡大写真を撮影し、生えている毛の総本数を算出する。
第二は面接による患者自身の評価。第三では、調査側が、点数によって生えてきたか抜けてきたかを評価する。第四では、試験終了時に、同じ条件で撮影した頭部の写真を三人の専門家が採点する。
ヘアカウントでは、一年後ではフィナステリドを飲んだ群では平均八十六本が増え、プラセボがあたえられた群では二十一本の減少がみられた。したがって、その差は百七本ということになるが、二年後にはフィナステリド群がほぼ同じ本数を維持したのに対して、プラセボ群はさらに数を減らし、両者の差は百三十八本に開いた。
その結果、「現状維持または増加」は、フィナステリド群が八三パーセントだったのに対し、プラセボ群は二八パーセントだった。専門家の写真判定でも、フィナステリド群では六六パーセントが増えたのに対し、プラセボ群で増えたのは七パーセントに過ぎなかった。
この試験では同時に並行して、ミノキシジルでは効果が薄いとされている前額部の薄い患者にも試験が行われ、同じような結果が証明された。また、プラセボからフィナステリドに替えた群と、フィナステリドからプラセボに替えた群では、途中から両者のグラフが交差した。このことは、ミノキシジル同様、この薬もハゲを完全に治癒する薬ではなく、服用をやめると元に戻ることを意味している。
ともあれ、これらの試験の結果、この薬は一九九七年十二月二十二日、FDAによって認可され、翌年一月、「プロペシア」の商品名で発売された。世界で最初の「飲む毛生え薬」の誕生であった。
■ 副作用は「精力減退」
プロペシアは医師の処方箋がなければ入手できないが、認可に当たってFDAは、「服用者の男性は性機能減退の恐れもある」とつけ加えることも忘れなかった。
それについては発売元のメルク社も報告していて、この薬を使ったために性機能、ひらたくいえば精力の減退を訴えた人の数は、プラセボ群と比較して二パーセント以下とのことだった。しかし、いくらこの薬が、抗男性ホルモンのようにテストステロンの受容体に働くのではなく、その次の段階である、テストステロンをDHTに変換する5アルファ還元酵素の阻害薬だとはいえ、テストステロンに「もういらないよ」とささやきかけることが、絶対にないとはいいきれない。
つまり、抗男性ホルモンほどではないにしても、間接的には、男性ホルモンの製造工場の精巣や、製造を命ずる脳の視床下部に対してブレーキをかける、「負のフィードバック機構」が働くであろうことは十分に考えられるのである。
また、使用をやめれば毛髪は元に戻ってしまうため、いったん使い始めた患者たちは、おそらくは一生、とまではいわなくとも、少なくとも社会生活のつづくかぎり、使いつづけるに違いない。医薬の認可にきびしいことで知られるFDAが認めるほど、見事にデザインされ、臨床試験でも十分に科学的検証が行われたとはいえ、その期間はせいぜい二年間である。
多くの場合、患者たちは、それよりはるかに長期間にわたって服用することになるわけだから、今後、精力減退を訴える人は、さらに増えてくるかもしれない。そうなると、これはよくあるような、薬が発売されてから発見される「思いがけない副作用」などではなく、「予見される副作用」といってよい。
だからといって製薬会社に、もっと長い時間をかけて検証せよといっても無理である。「ハゲはいやだ」という人々の熱望は、そこまで待てないからだ。つまり、これは一つの社会的判断ということになる。
患者側にとっては、精力維持をとるか、毛生えをとるかだが、どちらも生命に影響はないとはいえ、ともかく二者択一を迫られることになる。ハゲなど気にしない、性機能のほうが大事だという人もあるだろうし、性機能など犠牲にしても毛が生えたほうがよいと考える人もあるに違いない。つまりは、個人の価値判断の問題ということになる。
欧米の患者たちは薬について、医師からこうした十分な説明を受け、副作用を納得した上で服用するのである。日本ではとても考えられない、個人主義とプラグマティズムの国アメリカだからこそ生み出された薬といってもよいのではなかろうか。
ちなみにこの薬は、同じ製薬会社から、同一の成分でありながら二つの商品名を持つ薬として発売されるという、珍しい特色を持っている。この薬は、アメリカではハゲに効く薬として売り出される前に、すでに前立腺肥大症の薬「プロスカー」として売られていたからである。プロペシアとプロスカーの違いは、プロスカーが一日五ミリグラムの服用であるのに対し、プロペシアは一日一ミリグラムで効果があるとされていることだけである。
そのため、プロペシアが発売される前から、プロスカーを手に入れ、錠剤を分割して飲んでいる人もいたというが、プロペシアの発売後も、この方法で服用する人が現われる懸念が出てきた。両者とも同じフィナステリドの成分でありながら、プロスカーなら月十四ドルですむのに、プロペシアだと月五十ドルもかかるからである。しかも、前立腺肥大症の薬であれば保険でカバーされるが、男性型脱毛の薬が保険適用となる見込みは薄い。
それなら、医師に前立腺肥大症と診断してもらい、プロスカーを手に入れて服用すればよいのだが、これに対しメルク社は、「プロスカーを正確に五分割することなどできるはずがない」と反論している。また、プロペシアがプロスカーより高いことについては、「開発研究にコストがかかっているのだから、高くなるのは当然」とも言っている。
この後者のほうの反論は、たとえ同じ成分の錠剤でも、薬によって情報の付加価値が違うことを意味している。確かに薬というのは単なるモノではない。市販されるまでに遂行された研究や試験を考えると、膨大な情報の集積物であるということもできる。この言葉の意味するところについては、他の薬の開発について語るときに、さらに説明を加えるつもりである。
■ 進む毛髪研究
目下のところ、プロペシアが日本で発売される気配はない。メルク社の日本支社は、現在、前立腺肥大症治療薬プロスカーの認可をとることに全力を注いでおり、それだけで手いっぱいの状態だからである。
そうなると、バイアグラ騒動で一躍社会問題になった、個人輸入代行業者を通して入手する人々が現われる懸念が大きい。これは法律では禁止されていないものの、当然ながら推奨できることではない。きちんとした診断や、服用後のフォロー態勢がないまま服用される危険があるからである。確かに現在のところ、副作用としては、勃起不全、性欲の減退、精子の減少だけとされているが、どんな薬にもつきものの過敏症などのような副作用がないとはかぎらないからだ。
プロペシアは、アメリカでは目下、ミノキシジルに次ぐ第二のブームを巻き起こしているというが、これが引き鉄となって、プロペシアをしのぐ毛生え薬の開発競争が始まった。
実はミノキシジルやプロペシアだけでなく、これまでにも多くの薬で、毛の生える現象がみられたといわれる。たとえば、臓器移植のときに使われる、有名な免疫抑制剤シクロスポリンでも、多毛になることがしばしば観察されるという。免疫を低下させるこの薬がまさか毛生え薬に転用されることはあるまいが、ミノキシジルやプロペシアといった薬が突出したのは、その開発研究中に、男性型脱毛の薬として使おうというアイデアが生まれたからである。
前にも述べたように、このような副作用を主作用に転ずる瞬間には、観察と同時に、一種のひらめきのようなものも必要である。このひらめきについては、これまでもいろいろ劇的な場面が伝えられている。このように製薬会社の開発現場は、広く医療や社会のニーズを考えながら、一種のアイデアを競う場でもあるのだ。
各社が毛生え薬の開発を競うようになったのは、ここ十年ほどで、毛髪についての研究が急速に進んだことにもよる。その研究は、最近のすべての医学の研究同様、遺伝子にまで及んでいる。原因の究明が深まれば深まるほど、よりよい治療薬が出現する頻度が高まるのは当然といえる。
毛髪の研究を進める上でとくに大きいのは、毛包の細胞の培養ができるようになったことである。おかげで今日では、その培養細胞に薬剤を作用させることで、細胞分裂が促進されるか休止するかを見ることができるようになった。これは育毛剤開発の有力な材料になったが、それだけでなく、毛髪とその周辺で起こっていることもだんだん分かってきて、その結果、さまざまな興味深い事実が浮き彫りにされてきた。
その中で、主な発見は二つある。一つは、毛髪の司令塔である毛乳頭の役割が解明されたことから、毛乳頭と毛母細胞が互いに情報を交わしながら毛ができあがり、ヘア・サイクルを維持していることが分かってきたことだ。
毛乳頭は、いくつかの特殊な物質を分泌し送り出すことで毛をつくらせているが、現在、その物質であるタンパク質の性質を決める作業が進められている。その一方で、こうしたタンパク質をつくる遺伝子の究明も行われている。
ミノキシジルも、最近の研究で、発売当初にいわれていたような血行促進が主要な作用でなく、毛乳頭の遺伝子に働くことが分かってきた。この遺伝子は二百から三百あるといわれるが、その遺伝子を探すことができれば、それがつくり出すタンパク質も分かるわけだ。
また毛乳頭は、ヘア・サイクルにしたがって活性が盛んになったり衰えたりするので、その活性変化を支配しているのは毛母細胞からの刺激であろうとも考えられる。だとすれば、これら両方向からの情報伝達物質と、さらに男性ホルモンの関係などの解明が進めば、毛周期のコントロールも可能になるはずだ。
では、そうした毛乳頭の刺激によって毛母細胞が増殖するのが発毛の原理であるとして、その細胞分裂のおおもとになる幹細胞はどこにあるのか。かつては幹細胞は毛母にあるというのが学界の大勢だったが、実は毛包上部のふくらみであるバルジという部分にあることが分かったのである。これが、もう一つの大発見である。この発見のきっかけとなったのは、実は日本のある医師の研究だった。
東京で美容外科を開業していた稲葉益巳医師(故人)は、ワキガや脱毛の手術を手がけているうちに、毛根を取り去っても毛は再生するが、皮脂腺を取り去ると毛は再生しないことに気づいた。そのことから彼は、皮脂腺こそ毛にとってもっとも重要な器官だという「皮脂腺説」を唱えて、皮脂腺の出口に毛の再生の中枢があると主張した。
この説は、毛母にばかり目がいっていた当時の学界に無視されつづけたが、海外の研究者の注目を浴び、それがバルジにある幹細胞の発見につながったのである。
幹細胞の位置については、バルジよりやや下にあるという異論もあるが、いずれにせよ毛包の上部にあるという点では一致している。どうやら、この幹細胞が分裂して生まれた増殖性の細胞が、毛包に沿って下降し、やがて毛母細胞に変化するらしい。
ではこの発見が、男性型脱毛の治療にどう結びつくのか。
ヘア・サイクルの退行期には、毛包が短縮するにつれて毛乳頭もいっしょに上昇するが、そのため毛乳頭とバルジが接近する。それで毛乳頭がバルジを刺激し、新たな成長期が開始されるという説を唱える学者もいる。そうであるなら、毛乳頭とバルジのあいだでなんらかの情報交換が行われている可能性もあるわけで、その情報伝達物質が分かれば、ヘア・サイクルのコントロールも可能になる望みもある。
ともかく、こうした研究によって、発毛の仕組みは次第にあきらかになりつつあるが、まだ研究は進行過程といったところである。脱毛に男性ホルモンが大きく関わっていることは疑いないが、それだけではないこともまた分かってきた。今後は、このような複雑な仕組みの解明により、さらに優れた、精力減退などの副作用のない毛生え薬が現われてくる可能性もある。
果たして二十一世紀には、ハゲはなくなるのか。それは、これからの研究次第である。
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V インポテンスの薬
■ ドール元上院議員の賛辞
薬を使うのは、それを使う人に病気≠ニいう認識があるからだ。したがって「男性型脱毛」も、本格的治療薬が出現したため、晴れて「男性型脱毛|症《ヽ》」に昇格したことになる。同じようにインポテンスも、「バイアグラ」のおかげで、ここのところ日本でもようやく病気としての市民権を獲得した感がある。
インポテンス──より正確にいえば「勃起不全」を訴える人は、アメリカでは千五百万人(二千万〜四千万人という説もある)、日本では五百万〜六百万人といわれる。この機能不全が離婚の理由になるほど性がオープン化しているとされるアメリカでは、治療を受ける人が非常に増えているが、それにくらべ、日本でははるかに少ない。こうした違いの背景には、宗教的、文化的な、複雑な理由が潜在しているものと思われる。
なにしろ口にしにくいパーツの病気であるため、診療を受ける側にとって、診療機関の敷居が高く感じられるのも当然であろう。その上、実際に診療を受けようと思っても、日本では診療にあたる専門外来や専門家が、まだまだ少ないというのが現状である。
セックスに対する欲求度というのは個人差が大きく、八十歳になっても行いたいという人もあれば、四十歳でもう関心がないという人もいる。つまり勃起不全というのは、ある男性にとってはアイデンティティーを左右するほどのもので、性交ができないことは大きな損失であるが、ある男性にとっては病気と認識されないかもしれないのである。
とはいえ、この病気は、パートナーとの関係を良好に保つことで幸福な家庭生活、ひいては健全な社会生活を維持したいと願う人にとって、深刻な問題であることは確かである。それがバイアグラを一錠飲むだけで、八割もの患者に勃起が回復するというのだから、パートナーを含め、うつ勃たる不満を抱いていた人々にとって、これほどの福音はない。実際、一九九八年四月に発売が認可されたアメリカでは、わずか二カ月のうちに百七十万枚の処方箋が発行され、たちまちに薬のベストセラーにのし上がった。
一九九六年の大統領選候補者だった七十五歳のドール元上院議員が、テレビのトーク番組に出演し、「バイアグラはグレートだ」と証言、「このような薬の研究をさらに進めるべきだ」と強調したことも話題になった。一九九一年に前立腺がんの手術を受けたため勃起不全に陥っていたドール氏は、いち早くこの臨床試験の参加者の一人になっていたのである。六十一歳のドール夫人も、「すごい効き目でしたわ」と言って顔を赤らめたという。
だが、一方でこの薬は、性機能に異常のない男性までが泌尿器科に殺到するという騒ぎを引き起こし、さらには二カ月間に十六人の死亡者が発生したことまで報告された。日本でも、個人輸入代行業者から購入した人の中から死亡者が出たことが報道され、バイアグラにはクスリとリスクの両面性があることが浮き彫りにされた。
それでもこの薬は、男性型脱毛症の薬同様、どうやら患者≠フ掘り起こしに成功しつつあるようだ。しかしながらこの薬は、ロゲインやプロペシア以上に、患者と呼べるほどでもない者まで患者≠ノしてしまう危険性があるため(それがライフスタイル・ドラッグの特徴でもあるようだが)、一種の社会問題を引き起こす可能性をはらんでいる。ことにこの薬の場合、毛生え薬と違い、その副作用がときには生命の危険を呼ぶこともあるのが大きな問題点である。
服用する者は、この薬の性格をよく知った上で、十分な情報を得ながら、みずからの責任において飲むべきである。このように、今後は科学と創薬技術の進歩によって、これまで病気と認識されることの薄かった症状に対しても、「切れ味鋭い」薬がぞくぞくと現われることが予想される。そうなれば、薬の使用における患者の自己管理≠フ占める部分は、ますます増大する。この薬は、そうなった場合の教訓として、一つの大きな試金石となるに違いない。
■ 器質性と機能性
実はインポテンスという言葉は、いまでは医学の世界では使われなくなろうとしている。これまでよく使われてきた「不能」という言葉同様、なんとなく品格を欠く上、冷笑的な響きもあるからだという。
そのため性機能不全と書かれることもあるが、性機能不全なら女性にもあるので、いちいち「男性の」と特定しなければならないのが面倒だ。そのこともあって、今日では国際的に「勃起不全」と称することで合意に達している。勃起不全は英語では Erectile Dysfunction といい、まずは医学用語として、さらにはジャーナリズムでも、その頭文字をとって「ED」と呼ばれることが多くなりつつある。
EDとは、アメリカのNIH(国立衛生研究所)の定義によれば、「性行為に十分な勃起を得ることができないか、あるいは得ることができても維持できないこと」とされる。これに対し日本の性機能学会の定義では、「勃起が得られないために性行為が行えない状態で、通常七五パーセント以上で行えない状態」ということになる。表現は多少違うが、ほぼ同じことを指すものと考えられる。
このEDは、器質性と機能性の二つのカテゴリーに分けられる。
器質性とは、体の器官のどこかにあきらかな障害があるため、この症状を呈するものをいい、機能性とは、そのような障害がないにもかかわらず勃起が十分に行われないものを指す。
機能性の場合、その大部分は心理的な影響によるため、心因性と呼ばれることもある。実際には、器質性に心因性が加わった混合性が多いといわれるが、いずれにしても、勃起不全にはいろいろな原因があるので、病気というよりは症状といったほうが、より正確である。
器質性のEDであれば、その原因を突き止め、適切な治療を行う必要がある。そのためEDの治療にあたっては、まずそれが器質性か機能性かを見分ける診断が大切になる。
診断の方法にはいろいろあるが、簡単なものとしてはAVSSという方法がある。要するにポルノグラフィーを見せて、勃起するかどうかを調べるのである。しかし、これには各人の好みもあるので、なかなかむずかしい面がある。
そのため、現在のところ、夜間睡眠時に勃起が起こっているかどうかを調べる方法がポピュラーになっている。睡眠時には、深い眠りの状態のノンレム睡眠と、ウトウトとして夢を見たりする状態のレム睡眠が繰り返されていて、男性ではレム睡眠のときに、しばしば勃起現象が起こる。
なぜ必要もないのに勃起が起こるかについては、陰茎に酸素を補給して活性化することで老化を防いでいるという説もあるが、本当のところはよく分かっていない。
この夜間睡眠中の勃起は、一晩に四〜六回繰り返される。俗にモーニング・エレクションと呼ばれる、いわゆる「朝立ち」現象は、レム睡眠が朝の覚醒時に持ち越されることが多いために起きる現象で、夜間勃起の最後にあたる。
とはいえ、睡眠の型は人によって多様で、このモーニング・エレクションは、深い眠りから急に目覚める睡眠のタイプの人には感じられない。したがってモーニング・エレクションだけでは、必ずしも夜間睡眠中の勃起の指標とはならない。
いずれにせよ、夜間の勃起は心理的影響を受けずに起きるため、この現象があれば器質性障害はないと考えられる。では、どのようにして調べればよいのか。
いちばん簡単なのはスタンプ法といって、就寝時に、ミシン目から切り離していない切手を陰茎に貼りつける方法だ。勃起が起こると切手が切れるので、睡眠中に勃起があったかどうかが分かる仕組みである。簡単なようでなかなか思いつけない卓抜なアイデアで、この診断法を考案したアメリカの医師は泌尿器学会賞を受けたという。
この方法は、一晩のテストでは意識しすぎて緊張することが多いため、三晩つづける必要がある。患者の中には、勃起がなくなったと思い込んでいたのに、勃起があることが分かって自信を回復する人もあり、この診断法自体が治療に役立つこともある。
ただし、このテストだけでは、どのくらい勃起したかは分からない。そのため、それを調べる「エレクション・メーター」という器械があって、何ミリ膨張したかが分かるようになっている。しかし、これは陰茎の最大の伸びを記録するだけで、何度勃起が起こり、どのくらい持続したかについては分からない。
そこで、さらに詳細なデータを調べるため、コンピュータと連動した「リジスキャン」という器械が開発された。これは、柔らかく工夫されたワイヤを、陰茎の根元と中央部と先端につけて、周径と固さの変化を経時的にモニターできるようになっている。現時点ではもっとも正確な診断法だが、日本では三百万円以上する高価な器械であるため、どこの施設でも備えているわけではなく、あったとしても家庭に持ち帰ることは許されていないので、入院しなければ利用することができない。
(図省略)
こうした勃起機能テストの結果、膣に挿入できる程度に勃起があれば、器質的な障害ではないということになる。反対に、もし勃起がまったくなかったり不十分であることが分かったら、その原因を突き止める必要がある。
器質的な障害の部位には、神経と血管と組織があるが、その中でもっとも進んでいるのは、血管系の検査である。
そのうち、もっとも使われてきたのは、塩酸パパベリンという、モルヒネと同じくケシからとられた、平滑筋を弛緩する作用のある薬物である。これを陰茎に注射すると、血管系が正常であれば、性欲がなくても数分で勃起が起こってくることで調べることができる。
この方法は夜間勃起テストよりさらに直接的に治療に使えるので、アメリカでは注射器と薬がキットとなって売られていて、自分で注射することができる。しかし日本では、自己注射は麻薬に結びつく懸念があるのと、衛生管理がむずかしいことを理由に、糖尿病患者のインスリン注射など特別なケース以外は規制が行われていて、医療機関に行かなければ注射を受けることができない。
ただし、この薬物は、副作用として、いつまでも勃起がつづいて収まらない、持続勃起症が起こることがある。そのときは専門医にかけこめば治す方法はあるのだが、ときに陰茎海綿体に繊維化といって、しこりが残ることもあるので、最近は、こうした副作用の少ない、プロスタグランディンE1(PGE1)という生理活性物質を薬として使うことが多い。
その勃起の持続は一時間程度なので、治療のためには、病院の近くのホテルなどにパートナーを待機させておき、注射後、ただちにそこに駆けつけて性交を行わねばならないのが大きなネックとなっている。
血管の検査については、最近はカラードプラーという検査機器が現われていて、血管の状態を目で見ることができるようになった。血流を調べることができる機器もある。さらに、陰茎だけでなく陰茎に入ってくる動脈を調べるために、血管造影が行われることもある。血管は動脈だけでなく静脈もあるので、生理食塩水を陰茎に注入したりして、静脈血が陰茎から漏れているかどうかを調べることもできる。
この血管の検査がどれほど必要かは、あとで勃起のメカニズムのときに説明したい。
検査で血管に問題があることが分かったら、血管手術が必要なこともある。この血管手術はアメリカでは盛んに行われているが、残念ながら日本には、陰茎の血管を専門として手術ができる血管外科医は少ない。
かつては勃起障害は、主に心因性であるといわれることが多かった。いまでも器質性障害と機能性障害をくらべると、機能性障害のほうが若干多く報告されている。そのほか混合性(たとえば器質的障害があるため勃起不全で、そのため機能不全におちいるケース)というのも非常に多い。しかし全体として、診断法の進歩によって、いままで機能性とみられていた勃起障害が、実は器質性障害であることが分かるという例が増えてきているので、おのずから器質性障害の比率が高まりつつある。
■ 勃起不全の多彩な原因
では、このような器質性障害はどうして起こってくるのか。
リスクファクターの最大のものが、加齢であることは誰にでも分かる。実は勃起不全についてのきちんとした疫学調査というのは、あまり行われていない。わずかに、一九八七年から一九八九年にかけて、アメリカのマサチューセッツ州で行われたものがあるくらいである。
そのMMASと名づけられた、ボストン近郊の四十代から七十代までの千二百九十人に行われた調査結果によれば、四十代では六〇パーセントに性的機能不全がなかったが、七十代になると、その比率は三三パーセントまで減少したという。
中高年のインポテンスの場合、その大多数が器質性障害であることは疑いない。現在、日本では、六十五歳以上の人口は全人口の一五・六パーセントだが、二〇一五年には二五パーセントまで増加すると予測されている。こうした高齢者のすべてが勃起不全を不満と思うかどうかは別として、彼らがこの先、大きなリスクファクターを抱えていることだけは間違いない。
器質性障害による勃起不全で、加齢に次いで多いのが慢性疾患によるもので、中でも糖尿病患者に多くみられる。昔から糖尿病というと、インポテンスと対で語られることが多かったが、この病気には、インポテンスなどよりもっとこわい、生命に関わる合併症がいっぱいある。
この病気は軽いうちは症状に出ないが、糖分の高い血液が流れているため、進行するにつれ全身の血管や神経が冒される。その結果、合併症として目や腎臓、心臓などに障害が出てくる。血管や神経がダメージを受けて、勃起不全に結びつかないわけがない。
アメリカでの調査によれば、糖尿病と診断された男性のうち、四十代では約二〇パーセントが、完全または中程度の勃起不全を示したという。ただ、この年齢では完全な勃起不全はまだ少ないが、年齢が上がるにつれて増加し、七十歳になると約四〇パーセントの人が完全な勃起不全にいたる。糖尿病では心臓の病気を持つ人も増えるので、それによる影響も大きいという。
この病気には薬剤が使われることが多いので、その影響があるとする見方もあるが、インポテンスを起こす可能性がある薬は、糖尿病の薬以外にも少なくない。とくに抗うつ薬など精神科で使われる薬には、副作用として性的不能を起こすものが多い。麻薬やマリファナ、興奮剤などは中枢神経に働きかける作用があるので、インポテンスを引き起こさないわけがない。タバコや多量の飲酒もリスクファクターとされる。
もっともはっきり解剖学的な因果関係で勃起不全の原因になりうるのは、前立腺がんの外科手術と、交通事故などによる脊髄の損傷である。
ドール元上院議員の勃起不全の原因となった前立腺がんは、アメリカでは一九九五年に男性のがんの中で肺がんを追い抜き、現在、もっとも罹患率の高いがんになっている。日本ではいまのところ、まだアメリカの七分の一だが、死亡の増加率は断然一位である。二〇〇五年には現在の三倍に増えると予想されている。
前立腺がんの治療では前立腺全摘出手術が行われるが、その際、勃起に関係する神経が傷つけられることは避けがたい。この病気だけでなく、直腸がん、膀胱がんなど、骨盤内手術と呼ばれる手術でも、勃起や射精など性的機能に関係する神経を傷つけることはよくある。とくに脊髄損傷のため、若くして体の一部がマヒし、仙髄にあるとされる勃起の中枢が機能しなくなって、性機能不全になった人たちは本当に痛ましい。
さて、勃起不全の原因が器質性でないことが分かれば、障害は機能性ということになる。
器質性勃起不全と違って、機能性勃起不全の原因を把握するには、精神科医の果たす役割が大きい。機能性の勃起不全は、若年層と五十代前後にピークがあるといわれるが、中高年の場合は職場、家庭における環境ストレスが反映しているとされており、うつ病の人にもこの病気が多い。器質性の場合と同じく、加齢や加齢から発生する成人病、またその治療のために服用している種々の薬が関係している場合もあり、だいたいが混合型に近いと考えられている。
これに対し、いわゆる新婚インポテンスを含む若年層のケースでは、その背景にパーソナリティという個人的内因性が大きくかかわっていることが多い。その主な因子として、次の三つがあげられる。
第一は、いわゆるマザコンと呼ばれる人たちで、過保護で自主・自立性に乏しい傾向がある。第二は性格によるもので、引っ込み性、消極的、内向的な人に多い。第三は心理的要因からくるもので、疑い、不安、抑うつなどの神経症的傾向がある。いずれの場合も、それらに性的未熟も加わっている。
こうした患者は、初夜などの初めての性行為で失敗することが多く、そのため「次もまた?」という予期不安があせりを呼ぶという、悪循環に陥りやすい。人の気持ちに関わるものだけに、こうした心因性インポテンスのほうが、ある意味では治療がむずかしい。
■ 今世紀最大の発明
これまで述べてきたことからも分かるように、インポテンスという病気は、診断が治療と密接に結びついているところに特徴がある。ここで少し、その治療の歴史をたどってみることにする。
昔から強精効果があるとされたものは数知れない。中にはオットセイのペニスだの豚のホーデンだのといった、類感呪術的なものも多く、果たしてどこまで効くのか怪しいものが多い。漢方薬の一部にも強精を謳ったものがあるが、「証」といって、体質に合う人が飲めばそれなりに効果がないとはいえないだろうが、その効果判定はむずかしく、十分に立証されたとはいいがたい。
学術的根拠をもって、はっきり有効性が説明できるものとしては、ヨヒンビンがある。これは十九世紀に、あるドイツ人が、アフリカで民間の強精薬として使われていたヨヒンベという木の皮をドイツに持ち帰り、有効成分のアルカロイドを抽出したものである。
ヨヒンビンには、交感神経の受容体の一つを選択的に遮断して、神経伝達物質の遊離を抑える作用と、仙髄の勃起中枢の興奮を高める作用があるとされる。とくに交感神経の働きを抑える結果、血管を拡張させることが勃起につながるとされている。しかし、その有効率は二四・七パーセントと高いとはいえず、また血管を拡張させるのであれば、量を過ごして飲めば急激な低血圧を呼び、心悸亢進なども起こすので、いささか危険な薬といわねばならない。
中枢神経についていえば、大脳の辺縁系と呼ばれる部分が性行動に深い関わりを持つことは、すでに知られている。つまり、この部分を刺激すれば性的な興奮も高まるわけで、覚醒剤やコカインは、この目的で使われることが多い。しかし、これらの薬は、使えば使うほど使用量が増え、精神的依存性を強めていくため、結果として人格崩壊に導き、結局は性的活力も低下させ、かえってインポテンスを招くことになる。
そんな怖い薬より、むしろアルコールのほうが、大脳の新皮質と呼ばれる高次元の中枢を抑え、旧皮質と呼ばれる動物的本能をつかさどる中枢を解放することになるので、性行動を大胆にする働きを持つ。しかし一方で、アルコールには勃起を抑える作用もあるので、過量に飲めば不能ということにもなりかねない。常習飲酒が勃起不全のリスクファクターの一つであることは、前に述べたとおりである。
というわけで、催淫薬や強精薬というのは、昔から男性の夢であったわけだが、到底、実現可能なものとは思えなかった。そこで、勃起不全が病気と認識されるようになってとられたのが、物理的に勃起させる方法である。
こうした外科的治療として、とくにアメリカで進んできたのが、陰茎の海綿体にプロステーシスと呼ばれる物理的支柱を埋め込む方法である。当然のことながら、プロステーシスの材料は人体に埋め込んでも無害なものでなければならないが、一九七〇年代にシリコンが用いられ始めてからは、すっかりこれが定着した。シリコンには適度の硬さがあるため、たいへん有効性が高いが、伸縮性がないので、ひとたび埋め込まれると、常時、エレクトした状態が保たれることになるのが厄介だった。
折から前立腺がんが急激に増え始め、その後遺症として勃起不全を訴える患者が急増したため、医師たちはその対応に苦慮していた。そうしたニーズを受けて、メーカーはこぞってアイデアを競い始めた。そうした中から、高度のハイテクを駆使して、伸縮できないシリコンの欠点を補う器具が、ついに誕生したのである。
インフレータブル(膨張可能)とかハイドローリック(水圧利用)とか呼ばれるこの装置は、海綿体に埋め込むシリンダーと陰嚢内に設置するポンプ、おなかの中の膀胱近くに埋め込むレザボア(貯留器)の三つの部分が接合されたもので、ポンプを作動することによって、レザボアに貯留された液体がシリンダーに入ったり出たりするしかけだ。
(図省略)
この装置は、勃起と萎縮が自在に行える上、安全性や性交時の満足度も高いため、マスコミによって「今世紀におけるもっともユニークな発明」と書きたてられたりもした。大きな注目を浴びたこの器具は、やがて全米に普及し、その後、装置も改良されて、いまでは世界的に用いられている。日本でも一九八八年に厚生省の認可が得られ、手術も始められている。
当初、アメリカから輸入されるプロステーシスは、日本人にとってサイズが大きすぎるのが難点だったが、最近はアジア人向きのものも開発され、日本にも輸入されている。
ノンインフレータブルとかノンハイドローリックとか呼ばれる支柱も、いまではシリコンのプロステーシスが自由に曲げられるものも開発されている。こちらのほうが手術も簡単だが、いずれにしても日本では、実際にこの種の手術を受ける人は非常に少ない。入院の際に勤め先に病名を説明するのが厄介だという事情もあるようだが、こうしたことも含めて、この手の手術が盛大に行われている欧米との文化の違いを感じさせる。
■ 再評価された陰圧式補助具
先に述べたプロステーシスには、いったん手術で入れると、やりなおしがきかないという問題点があった。そこで最近にわかに脚光を浴びているのが、外科手術を受けなくてすむ、陰圧式(吸引式とも呼ばれる)勃起補助具である。
陰圧式器具の歴史は古く、一九一七年にアメリカで開発されたといわれる。原理はきわめて簡単で、陰茎を大きな注射器のようなガラス筒に入れて、ポンプで吸引して真空にし、その陰圧で機械的に勃起させるというものだ。陰茎が大きくなったところで、その根元をバンドで締めつける仕組みである。
日本では雑貨として、一種の「大人のオモチャ」のようなあつかいで売られていた時期が長かったが、これが副作用が少なく、有効であることが分かったことから見なおされ、一九九八年に厚生省から医療器具として認可された。
操作に手間どっているとムードを損なう上、生理的勃起にくらべ冷たく感じられるのでパートナーに違和感をあたえるなど、欠点もなくはないようだが、なんといっても簡便なため、すでに十五万人もの人が使っているという。とはいえ、心臓手術のあとなど、抗凝固剤が使われたりしているときには出血傾向がみられるし、長くはめすぎると裂傷を起こすなどの危険もあるので、医師の指導で使うのが望ましい。
アメリカでプロステーシスと並行して普及したのが、先に血管系の検査のところで紹介した、陰茎海綿体への血管拡張剤の注射である。そもそもは医師が誤って注射したことから発見されたといわれるが、自己注射が許されているアメリカでは、この勃起液剤の売り上げは上昇の一途で、一九九五年には六百四十万ドルに達したという。
このように、器質性の勃起障害に対する治療法は格段に進歩してきたが、機能性の患者に対する治療法は、依然として困難をきわめている。その治療の大部分は心理療法にかぎられているからである。器質的異常がないことを検査で示した上で、オーソドックスな心理療法である自律訓練法や行動療法などで、負の情動をプラス思考にもっていければよいのだが、一度で成功するのはなかなか難しい。
機能性の患者に対するユニークな療法として、「ノンエレクト法」というのがある。勃起という現象は、主として夜間、休んでいるときに働く副交感神経によって行われる。昼間活動時に働く交感神経が「勃起しろ」という至上命令を発しても、ますます勃起しなくなるだけである。そこで、わざと「勃起するな」と命ずることによって、この至上命令から解放するというパラドキシカルな治療法である。
患者はパートナーの協力のもとに、お互いの性器を愛撫し合うなどしながら陰茎の感度を高める訓練をする。いくらかでも勃起したらインサートを図るが、そのとき「勃起させてはいけない」と意識して、けっしてピストン運動には移らない。その間に膣の温かさが感じられたら訓練は終了である。
このプロセスを通し、自分に勃起能力があることを自覚することを繰り返すことで、本物のセックスへと進んでいくのである。成功率は、改善例も含めて八〇パーセント以上だという。ただしこの方法は、パートナーの理解と協力が絶対的な条件であるのが、むずかしいといえばむずかしいところである。
心因性勃起不全でも、陰茎海綿体注射や陰圧式勃起補助具で勃起が得られると、それが自信となって、その後の治癒に結びつくことが多いとされる。それでも、この病気の治療がポピュラーになっているはずのアメリカでも、勃起不全を抱えている人の中で実際になんらかの治療を受けている患者は、五パーセントほどにすぎないといわれている。もし有効な薬があって勃起できれば、そのことで自信を取り戻し、自然な性交に移ることができる可能性は非常に高い。ことに、こうした心因性のインポテンスの場合、その大部分に有効なはずである。
その薬は、実はすでに現われている。血管拡張作用を持つこの薬は、経口薬ではなく小さな粒になっていて、付属の器具で尿道から四センチほど入ったところに注入する。商品名を「ミューズ」というこの薬は一九九七年に発売され、一年間に六十万人以上の男性に処方箋が書かれたという。
だが、その成功は束の間にすぎなかった。使用法がいささか面倒なミューズにくらべ、飲むだけで効果を発揮する「バイアグラ」が出現してきたからである。
■ 解明された勃起のメカニズム
先に、バイアグラは開発に科学的解明がともなった幸福な薬であったと書いたが、開発の発端においては、これまであげたいくつかの薬同様、いくらかの偶然と無縁ではない。
一九八〇年代の半ばごろから、アメリカ・ファイザー社は心臓病の薬を開発していた。のちにバイアグラと商品名をつけられることになるこの物質「シルデナフィル」は、心臓の冠動脈にみられるホスホジエステラーゼ(PDE)という酵素を阻害する目的でつくられていた。
ところが一九九二年ごろ、臨床試験の結果、この物質は当初の期待に反し、ほとんど作用しないことが分かった。動物実験では効果があったが、人間には効かなかったという、よくある開発失敗の一例である。
だが、その時、ファイザー社の研究陣は、この試験に参加した患者の中に、この薬を手放したがらない人々があることに気づいた。心臓病を患い動脈硬化を起こしたため勃起不全におちいっていた患者に勃起が回復し、パートナーとのあいだで久しく忘れていたセックスを行うことができたというのだ。
そのため、あわや「開発中止」になろうとしていたシルデナフィルは、作戦を変更し、新たな薬効をめざす研究として再開されることになった。折から新しい勃起不全の治療法がぞくぞくと登場していることが、この薬に巨大マーケットがあることを示していたし、社会的に受容されるという判断もあったからだ。この病気の治療が、まだまだアンダーグラウンドのもののようにみなされていた当時の日本では、考えられないことである。
この薬が勃起不全に効くらしいということが分かったとはいえ、臨床試験の前に、なぜそれが効くかについて、できるだけ科学的な解明を行っておく必要があった。ところが幸いなことに、そのころ陰茎への注射薬が現われ、世間に盛大に迎えられていたことから、それまで医学界ではマイナーな領域とされていた、勃起のメカニズムの研究に参入する研究者が増えていたこともあり、その解明はかなり進んでいた。毛髪の研究のときと同じ構図である。
勃起のメカニズムが分かってきたのは、それほど過去のことではない。そこで、ここで最近の研究成果を踏まえ、そのメカニズムについて説明することにする。
陰茎は三本の海綿体からなっていて、そのうち背側にある二対が陰茎海綿体で、腹側にある一本が尿道海綿体である。そのため、陰茎を輪切りにすると人間の顔に似ている。その顔の目にあたる陰茎海綿体の中央に、勃起に大きな役割を果たす陰茎深部動脈が走っている。口にあたる尿道海綿体には、睾丸からの精液も通る尿道が走っている。
(図省略)
この二種類の海綿体のうち、陰茎海綿体が充血することで勃起は起こるが、このとき尿道海綿体はスポンジ状のままである。もし尿道海綿体までいっしょに勃起すれば、子宮に当たって、女性は痛みのため悲鳴をあげるに違いない。
陰茎海綿体は白膜と呼ばれる膜で囲まれているが、その役割も重要である。陰茎海綿体の中には、海綿体洞という小さなポケットが数百万もあるが、ふだんは空っぽである。このポケットに、陰茎海綿体を走っている動脈を経て血液が溜まる結果、勃起するのだろうということは昔から分かっていたが、なぜ静脈を通って流出することなく、一定時間の充血を保つのかが、長いあいだ疑問だった。
その謎が解明されたのは、ごく最近のことである。まず、海綿体の中にはらせん動脈と呼ばれる、枝分かれして蛇行して走る動脈が無数に走っていることが分かった。この動脈は勃起していないときは完全に閉鎖されていて、血液はここを通ることはできない。血液が入ることができないのは、陰茎海綿体のいたるところに散在している平滑筋の細胞が一種の弁の構造をなして、締めつけを行っているからである。
ところが、それと同時に、陰茎海綿体にはいくつかの種類の神経が分布しており、とりわけ海綿体洞のまわりには大量の神経が分布している。性的刺激によって副交感神経系の興奮が起こり、この神経を通じて神経伝達物質が分泌すると平滑筋がゆるみ、らせん動脈に一挙に血液が流れ込んできてポケットの中を充血させるわけである。
血管はすべてこの収縮と弛緩を繰り返しているが、陰茎の血管だけは、オール・オア・ナッシングという、めずらしい機構を持っていることになる。その結果、陰茎が膨張し、硬くなるのが勃起現象だが、いくら血液が流れ込んでも、静脈を通って流出してしまうのでは、勃起を一定時間維持することはできない。そのとき重要な働きをするのが白膜である。
この白膜の働きには二つある。一つは、陰茎海綿体がとめどなく膨張しないよう限界をつくること。もう一つは、その抑える力で、弾力のある動脈にくらべて弱々しい静脈を押し潰して、血液が逃げ出すのを防ぐことである。こうして陰茎海綿体が膨張し、それを白膜が抑えることで、通常は平滑筋が収縮するまで、三十分ぐらいは勃起がつづくことになる。
■ ノーベル賞の奇妙なタイミング
それでは、シルデナフィルはどういう働きで、この勃起を助けるのであろうか。
このことは、平滑筋に働く神経伝達物質の研究からあきらかにされた。しかもその解明には、一九九八年度ノーベル賞を授けられた研究が大きく寄与したというのが、面白い。
一九八〇年、アメリカのブルックリンにあるダウンステート・メディカルセンターで働く薬理学者ファーチゴットは、血管の収縮のメカニズムについて研究していた。血管の収縮と弛緩には、自律神経の交感神経系が深く関与している。この神経から分泌される神経伝達物質のうち、アセチルコリンが血管に働いて弛緩させるのに対し、ノルアドレナリンは血管を収縮させる。ノルアドレナリンの受容体は、内皮の収縮と弛緩に働く筋肉の細胞の上にあることが分かっていたので、当時のほとんどの学者たちは、アセチルコリンの受容体もこの筋細胞の上にあると思っていた。
ところがファーチゴットは、血管の内側に薄い面をなす内皮細胞の層を剥がした血管にアセチルコリンを作用させてみると、もはや弛緩が起こらないことに気づいたのである。
そこで彼は、アセチルコリンは筋細胞でなく、内皮細胞にある受容体に働き、その結果として分泌されたなにか未知の物質が、隣接する筋肉の層に広がって筋を弛緩させるのであろうと考えた。その物質は「内皮由来弛緩因子」と名づけられ、カリフォルニア大学のイグナロをはじめとする、多くの学者たちがその正体を突き止めようとしたが、なかなか分からなかった。
しかし、その中で一つ、重要な発見があった。その未知の神経伝達物質はセカンドメッセンジャーの一つとして知られ、強力な平滑筋の弛緩作用を持つ、サイクリックグアノシン1リン酸(cGMP)という物質の産生を高めることが分かったことである。
さて、この未知の物質とはなにか。
同じころ、それとはまったく別個に、アボット研究所のムラドらは、心臓発作の治療薬として有名なニトログリセリンが、なぜ効くのかを研究していた。
ニトログリセリンというのは、ノーベル賞創設者のノーベルが発明したダイナマイトが含む爆薬である。彼はこの発明で巨利をなし、その資金をノーベル賞の基金としたのだが、のちに彼自身、狭心症におびやかされるようになったとき、医師からニトログリセリンを使うことを勧められた。しかしノーベルは、「運命の皮肉だね」と友人に手紙を書きながら、この治療法を断わったという。
ニトログリセリンが心臓発作の症状に劇的に効くことは、十九世紀から知られていた。その後、この物質は、心臓を包むように囲んでいてこの臓器に酸素と栄養を補給する冠動脈と、血液を心臓に戻す静脈を弛緩させる作用があることが分かったが、なぜこのように血管が弛緩するのかはさっぱり分からなかった。およそ百年ものあいだ、どの教科書を開けても「きわめて有効だが、その作用機序は不明」と書かれつづけていたのである。
それが二十世紀も後半になって、ようやくムラドが、ニトログリセリンそれ自体は効果を持たず、一酸化窒素(NO)に変換されたあとで血管弛緩を起こすことを発見したのである。彼は同時に、NOは内皮由来弛緩因子と同じように、cGMPがつくられるように刺激することによって筋肉を弛緩させることを知った。
こうして、一九八〇年代半ばになると、内皮由来弛緩因子はNOにほかならぬことが予言されるようになった。このことが完全に証明されたのは一九八七年である。
それまでは、神経伝達物質というのは、アセチルコリンやノルアドレナリンのような分子量の大きい物質だけだと考えられていた。それがNOのような簡単な分子構造のガスでもあり得るということが分かったのは、それまでの常識をくつがえす大発見であった。
この学説が確立したのは、まさにファイザー社がシルデナフィルの勃起作用に気がつく直前のことであった。陰茎の動脈も、NOとcGMPのこの連携作業によって弛緩し、海綿体を勃起させることで説明できるわけである。
(図省略)
ファーチゴット、ムラド、イグナロの三人は、この業績によってノーベル医学生理学賞を授与されたが、アメリカでバイアグラ騒ぎが起こっているさなかにこのノーベル賞授賞が発表されたのは、偶然とはいえ奇妙なタイミングであった。そのため一部のジャーナリズムでは、授賞理由について「勃起のメカニズムを発見した」などと書いたところもあったが、もちろんこれは誤りである。
しかし彼らの発見が、シルデナフィルをバイアグラへと変える開発研究に拍車をかける上で、絶妙のタイミングだったことは間違いない。
■ 陰茎動脈に集中する酵素PDE5
ファイザー社の研究陣による心臓病治療薬の開発研究が、直接、バイアグラの開発に結びつくことができたのは、cGMPを分解するホスホジエステラーゼ(PDE)という酵素が見つかっていたからである。彼ら研究陣は、この酵素にうまく結びついて、その働きを阻害する物質が見つかれば、血管系に働いて心臓病の治療薬になるという発想で開発研究を行っていたのである。だが、おそらくはその結びつきが弱かったためであろう、臨床試験の結果は不首尾に終わった。
では、なぜ同じ動脈の血管でも陰茎動脈だけを弛緩させるのか。その理由は、PDEという酵素には、いくつかの少しずつ異なったタイプがあるからだということが分かってきた。心臓の冠動脈などにあるPDEは3というタイプで、陰茎動脈にあるPDEは、同じPDEでも5のタイプなのだ。シルデナフィルは、この5のタイプに選択的に結合して働きを阻害するが、PDE3への作用は弱く、PDE5へのそれの三千分の一でしかない。これが、心臓病の薬の開発に失敗した代わりに、被験者に勃起が起こった理由である。
ともあれ、NOによってつくられたcGMPが分解を止められて溜まると、平滑筋はリラックスして、PDEの働きのために萎えようとする陰茎は勃起を維持することになる。こうしてシルデナフィルの作用メカニズムが分かってくると、いよいよこれが勃起不全の治療薬になることが期待できるようになった。
この作用経路の中で書き落としてならないのは、NOが放出されないかぎり、cGMPもつくられないということである。NOが放出されるのは、性的刺激を受けた神経の働きによるのであって、性的刺激がなければ、シルデナフィルを服用しても勃起は起こらない。ということは、塩酸パパベリンやPGE1とくらべて、自然な勃起が得られるということになる。
また、海綿体と血管と平滑筋が健在であるなら、たとえ陰茎にいたる神経の回路に一部損傷があっても、性的刺激があれば勃起を起こすことは可能だということになる。もちろん機能性勃起不全のように、神経がなんともなっていなければ勃起はもっと助けられるわけで、これがバイアグラの大きな強みになる。
このシルデナフィルは、経口薬にすることができるのが最大の長所である。この薬のように、在宅で、しかも何度も使用したいという場合はなおさらである。これが注射薬だと、そのたびに通院しなければならず、どうしても使われ方に限界が出てくるからだ。
しかし経口薬は、静脈に直接注入されることの多い注射薬と違い、胃や腸を経由して吸収されてから血液に流れ込むという遠回りの経路をたどるため、体の中に入ってからどの程度吸収され、どのように代謝(生体内の化学変化)を受けるかを調べるのに、動物実験などで吸収から排泄までの経緯を徹底的に調べなければならない。
もちろんシルデナフィルも、すべての経口薬同様、小腸から吸収されたあと、肝臓で代謝を受けてから、血液中に流れていって標的細胞に働きかける。
■ 経口薬の吸収と代謝
ここで少し、薬の吸収のメカニズムについて説明しておく。
薬の成分は、ほとんどの場合、小腸から吸収されるが、どのような薬でも、一〇〇パーセント吸収されるということはない。消化管を通る物質は、吸収されやすいものから、まったく吸収されないものまでさまざまである。これには、その物質の性質と腸の吸収メカニズムとが複雑に関係しているが、薬も同じである。
薬が腸から吸収される条件にはいろいろあるが、一般論でいえば、小さな分子ほど吸収されやすい。したがって薬の開発者たちは、できるだけ小さな分子の薬を設計しようとする。しかし、中には分子の大小にかかわらず、腸からは吸収されない薬というのもある。
たとえば、インスリンはアミノ酸がいくつか結びついたペプタイドという物質だが、この物質は体の中に入ると消化液によって一つ一つのアミノ酸に分解されてしまい、そのままでは吸収されなくなる。そのため、どうしても経口薬にすることができない。しかしこの薬は、重症の糖尿病患者には生命維持に欠かせないため、自己注射が認められているのである。
腸から吸収された薬物は、その大部分が門脈という血管を通って肝臓に運ばれる。肝臓の働きの大きな一つは解毒作用である。体内に入ってくる有害な物質を、ここで分解するのである。生体からみれば、すべての薬物は異物(つまり毒物)であるから、いかなる薬であれ、必ずこの臓器で代謝を受けることになる。
この代謝を行うのも酵素である。しかし、ここで薬が完全に分解されてしまえば、元も子もなくなってしまう。幸いにして肝臓の解毒機能には限界があるので、それを利用して、ある程度分解しにくい物質を薬として投与するわけである。ちなみにシルデナフィルの場合、その成分のうち四〇パーセントが、代謝を受けることなく取り込まれることが分かっている。
ついでにいえば、一部の薬には、服用時には有効性はないが、肝臓で代謝を受けることで薬として有効性の高い物質に変わるものもある。プロドラッグと呼ばれるもので、こうした薬は消化管などに副作用がないため、人体にとってはきわめて好都合なので、最近、非常に研究が進んでいる。
こうして血中に流入した薬が、標的細胞に働いて作用を行うためには、血液の中で一定の濃度に保たれる必要がある。濃度が高すぎれば、体に害をあたえることになるからだ。薬には、必要以上に血中濃度が高まれば毒になるし、かといって濃度が低すぎれば効果を現わすことができないというジレンマがあるのだ。
血中濃度は、当然ながら、薬が排泄されるにつれて低下していく。薬の有効持続時間は、ほぼ四時間とされている。降圧薬のように、長期にわたってつづけて飲む薬の場合は、前回の服用による血中濃度が落ちないうちに、次の服用で再び濃度が上昇するようデザインされている。最近では、血中濃度が長時間維持されるよう、体の中で徐々に溶けるものなど、さまざまな工夫がなされている。そのため、一日一回の服用ですむ薬も増えている。
その点、シルデナフィルは、古風な言葉でいえば「頓服」であるため、長時間にわたって血中濃度を維持する必要はない。有効濃度が一時間ほど保たれて、あとはすみやかに分解されればよいのである。
体内でどれだけ薬が取り入れられたか(体内利用率という)を知るには、血液を採って調べる血中濃度モニタリングという検査手続きが必須だが、いくら動物試験を行っても、動物と人間には「種差」と呼ばれる、体の大きさや仕組みの違いがあるため、最終的には人間を対象にした臨床試験によって確かめる必要がある。
薬物の排泄も、吸収、代謝に劣らず重要な問題である。もしこの排泄がうまくいかなければ、薬が必要以上に長く貯留するなど、好まざる結果を及ぼす危険が多くなるからだ。そのほか、薬が貯留するあいだの種々の臓器や神経への影響や、発がん性はないか、子孫への影響はないかなどの副作用についても、一定の手順で調べられる。
科学としての医学は日進月歩のため、有効性と安全性を確保する上で、そのときどきの新しい情報を踏まえた、より詳しい試験が要求されている。そのため、試験の項目は増加する一方である。
シルデナフィルは、こうした前臨床試験と呼ばれる試験過程では有利な条件にあった。すでに心臓病の薬としての臨床試験が行われていたので、前臨床試験の大半は終わっていたからである。そのため、通常は三年以上はかかる手つづきの大部分を省略することができた。
なおシルデナフィルについて、その後、あきらかにされた、新しい発見による研究成果をつけ加えておくと、この薬も吸収されたあと一部が代謝を受けるわけだが、その代謝を受けた結果、生じた物質にも、シルデナフィルほどではないが、PDE5と結びつく能力が残されていることが分かっている。
■ 心因性の患者にはとくによく効く
一九九二年にシルデナフィルが勃起不全の治療薬になりうるという情報を得た多国籍企業のファイザー社は、早くもその翌年、イギリスのサンドイッチにある研究所の研究者とウエストベリーのサウスメド病院泌尿器科の協力によって、最初の臨床試験を行っている。
被験者になったボランティアは、器質性障害がなく、糖尿病に起因する神経血管の障害やドラッグやアルコールへの耽溺がないことがあきらかな、平均年齢四十五歳の十二人の患者で、試験は性的刺激のもと、半数にシルデナフィルが、残りの半数にプラセボがあたえられることで行われた。
リジスキャンによる測定の結果、陰茎の硬度が六〇パーセント以上増した患者の持続時間の平均は、プラセボがあたえられた患者が三分程度だったのに対し、一〇、二五、五〇ミリグラムのシルデナフィルをあたえられた患者は、十九分から三十一分だった。本物の薬をあたえられた患者のうち、二人が頭痛を訴えたが、いずれも軽度であった。
この報告が、勃起不全の研究にあたっている泌尿器科医など研究者たちから高い評価を受けたことで、いよいよ研究を加速する方針を固めたファイザー社は、この初期臨床試験を皮切りに、薬の申請・認可に必要な三つのステップの臨床試験にとりかかった。
フェーズUの試験では、被験者をさまざまなグループに分け、副作用の発生を細かく調べた。さらに、至適投与量を決めるため、血中濃度モニタリングも行われた。その結果、二五、五〇、一〇〇ミリの三つが、投与されるのに適切な量であることが分かり、一九九五年からフェーズVとしての大規模臨床試験が開始された。
このような大規模臨床試験がアメリカで比較的容易に行われるのは、医療保険が民間主導のため高度医療にアクセスしにくい貧困層が、医療費の免除ないし軽減という特典を求めて、この種の臨床試験に応募するからだといわれるが、決してそれだけではない。アメリカには、ボランティアを募ると、必ずそれに応ずる一定の人々がいるのである。この国特有のチャレンジ精神によるともいわれるが、この薬にかぎっては、必ずしもそのせいだけではなかったに違いない。
臨床試験は、二十一のカテゴリー別に無作為に選んだ、十九歳から八十七歳までの三千人以上に対し、半年間にわたって行われた。この被験者の募集に際しては、あるレポートによれば、「バイアグラを試してみようと集まった人の列が建物を取り囲んだ」ほどだったという。
平均して五年間、勃起不全だったという被験者の内訳は、器質性が五八パーセント、機能性が一七パーセント、混合性が二四パーセントとされる。試験の方式はもちろん、半数にプラセボを用いたダブルブラインド・テストである。
試験期間の初めと終わりには、IIEF(国際勃起機能スコアー)と呼ばれる指標を用いた調査が行われた。その結果、二五ミリグラムをあたえられた患者の勃起改善率は六三パーセント、五〇ミリは七四パーセント、一〇〇ミリは八二パーセントであった。これに対し、プラセボがあたえられた患者群の改善率は、二四パーセントだった。
被験者には毎日、日記をつけることが求められた。それによると、性交の回数には変わりはなかったが、成功率ではあきらかに改善があった。また糖尿病の患者には、最初は五〇ミリから始まり、途中で服用量を変える試験が行われたが、五七パーセントが改善した。これに対し、プラセボで改善がみられたのは一二パーセントであった。前立腺根治手術を受けた患者も四三パーセントが改善した。
心因性の患者に対する効果はことにめざましく、プラセボによる改善率が二六パーセントであったのに対し、八二パーセントが改善した。
薬の臨床試験の場合、普通は効果が現われないなどの理由で、途中でドロップアウトする人が必ず出るものだが、この試験にかぎっては、プラセボをあたえられた人も含め、治療を中断した人はほとんどいなかった。
これらの結果からファイザー社は、「障害の程度、病因、人種、年齢にかかわらず、シルデナフィルは有効性を示した」と報告した。ただし原因によって効果に差があることは、この結果からも分かる通りである。
■ ニトログリセリンは禁忌
バイアグラは性行為の一時間前に飲む。服用は一日一回までで、次の服用までには二十四時間以上、あけなければならない。また、心臓病でニトログリセリンや有機硝酸塩の薬剤を使っている人は、絶対に服用してはならない。ただでさえニトログリセリンや有機硝酸塩からNOが放出されているところにシルデナフィルからのNOが加われば、血圧が急激に下がり、事故を起こす可能性がきわめて高いからである。
これについては、開発者側も前もってきびしく警告していたが、発売直後からこの危惧が現実のものとなってしまった。これはソリブジンが抗がん剤との飲み合わせで犠牲者を出したのと同じ原理で、二種類以上の薬を使用したときに起こる薬の「相互作用」といわれるものの典型といってよい。ゲイなどが使うことが多いとされる「ポッパー」と呼ばれる興奮剤も、薬物の成分が亜硝酸アミルのため、バイアグラと一緒に使えば血圧の急激な低下を招く危険がある。
万が一、この薬を飲んで心臓発作を起こしたときは、主治医には必ずバイアグラ服用の事実と、その服用時間を伝えなければならない。発作時にみずから主治医に伝えられない場合も考えられるので、パートナーにもあらかじめバイアグラ錠を飲んでいることを伝えておき、救急病院などで受診するときに、そのことが必ず伝わるようにしておく必要がある。
バイアグラ服用の事実が医師に告げられていないと、狭心症のような病気の治療では、NOが放出される硝酸薬が使用されることが多いので、血圧が危険なレベルまで下がって、死にいたることもあるからである。
ファイザー社は臨床試験のあと、さらにいくつかの新たな警告をつけ加えた。
陰茎に解剖学的な異常のある人、鎌型赤血球貧血、多発性骨髄腫、白血病などのため性欲によらない持続勃起症を持つ人、遺伝子異常で網膜色素変性症を持つ人、黄斑変性のように網膜に疾患を持つ人は、この薬を服用しないか、やむをえず服用する場合には最小限度量にすること、というものである。
網膜への影響については、正常な人でも三パーセントの人々に、青いメガネをかけているような感覚を覚えたり、ときには青と緑の識別ができなくなるといった副作用がみられたという。これはシルデナフィルが、陰茎にある5のタイプだけでなく、作用は弱いながら(5の十分の一)、網膜にある6のタイプのPDE酵素にも影響するからである。この6のタイプのPDE酵素は、色を識別するときに光を変換する過程で働く。
また一部には、頭痛や皮膚の紅潮、消化不良などを訴える人もあったというが、その理由としては、PDE5はその一〇〇パーセントが陰茎に局在しているわけではなく、わずかながら全身に分布しているためと考えられる。薬が、働いてほしい部分にだけでなく、ある程度は望ましくない部分にまで作用してしまうのは避けられない。これは、いわば薬の宿命のようなものである。
薬というのは、すべてこうした副作用との損益比を勘案した上で使用されているのである。シルデナフィルの場合も、多少の副作用があっても、それぐらいの犠牲を乗り越えてでもセックスを行いたいと考える人が多い以上、使用を止めることはできないわけである。
とはいえ、心臓血管に問題がある人が慎重に服用しなければならないのは、もちろんである。性行為自体が心臓にかなりの負担であるのに、その上、勃起不全の薬を用いれば、心臓への負担はさらに大きくなるからだ。そのためFDAは、バイアグラ発売後の一九九八年十一月、過去六カ月間に心臓発作や生命に危険のある不整脈などの既往歴のある人、および極端な高血圧や低血圧の人は、事前に十分な医学検査を受けるべきだとの警告を発した。
それ以外にも、六十五歳以上の人や肝臓や腎臓に障害のある人は、この薬を飲むと血中濃度が上がるので要注意である。これは、薬が体を回る仕組みを考えれば、バイアグラにかぎらず、どの薬についてもいえることである。
■ 医師も患者も正確な知識を
Viagra と名づけられたこの薬は、一九九七年九月二十七日にFDAに承認申請し、翌九八年三月二十七日に認可された。わずか六カ月という短い審査期間で承認されたのは、FDAがつけた優先順位によって審査が早められたからである。
FDAが審査に優先順位をつけるようになった背景には、エイズ治療薬が一刻も早く市場に登場することが望まれていたことから、新薬の審査のスピードアップを求める声が高まっていたという事情がある。しかしバイアグラの審査が早められたのは、そうした背景に加え、薬の発売前からファイザー社の株価が急上昇するなど、異常といってよいほど前評判が高まっていたこともあった。
こうしてバイアグラは、二五、五〇、一〇〇ミリの三種類の錠剤として、九八年の四月中旬に発売された。いずれも卸値で一錠七ドル。けっして安いとはいえない値段だが、発売後の大騒ぎについては、いまさら書くまでもなかろう。
四月中の二週間だけで発行された処方箋が六万枚。バイアグラはたちまち市場最大のベストセラー薬にのし上がったのである。書かれた処方箋は三カ月後には二百九十万枚に達したが、そのうち八〇パーセントが五十歳以上の男性のものだったという。
日本でも、米ファイザー社の子会社のファイザー製薬が、同年七月二十四日に厚生省に承認申請し、二百四十人余りの被験者を対象に臨床試験を始めた。このとき、最終試験のフェーズVの審査では、米ファイザー社が行った臨床試験のデータが使われたが、これは日本で外国の臨床試験データが用いられた初のケースだった。
日本では臨床試験がやりにくいこともあって、これまでも、日本よりも審査基準のきびしい欧米の試験を通ったデータが、なぜ日本で使えないのかという矛盾がしばしば指摘されていた。それに加え、以前から日本とアメリカ、EU(欧州連合)とのあいだで、薬の審査を簡略化するため、先に承認した国の臨床試験データを活用するという合意が行われていたこともあり、日本で外国の臨床試験データが応用されるのは時間の問題でもあったのだ。その特例の第一号がバイアグラだったわけである。
この薬は厚生省によって、翌九九年の一月二十五日に承認された。この種の審査は通例、一年半はかかるとされているのに、わずか六カ月という早さだった。異例ともいえるスピード承認の背景には、個人輸入が横行し、医師の指示がないままに使われていることや、密売者が逮捕されたり成田空港で押収されたバイアグラが五万錠以上に達したことなどから、麻薬売買に似た犯罪の温床になることが危惧されたため、この際、すみやかに正規のルートに乗せたほうがよいとの判断があったともいわれている。
もう一つの理由もある。近年の少子化傾向は、近い将来の日本の社会構造にとって重大な問題で、国としてはできるだけ出産を奨励したいところである。出産率の低下にはさまざまな理由があるが、その一つである不妊症のうち、男性不妊といわれるものには、インポテンスが原因と思われるケースが少なくない。バイアグラの認可には、この原因を取り去って、妊娠、出産に結びつけたいという大義名分もあった。
バイアグラは日本では九九年三月二十三日に発売になったが、正規に売られるようになったからといって、果たして医師の指示によらない使用はなくなるのだろうか。インターネットなどを使って募集している個人輸入代行業者の中には、「治療以外の需要はさらに拡大する」と強気の姿勢を示している者もあるといわれる。また、この薬が承認されても保険適用となる可能性は薄く、服用する者は薬代に加え、処方箋料のほか、各種検査料など一定額の自己負担が必要になる。となると、価格設定によっては、個人輸入とそれほど差が出ない可能性もある。
新薬へのアクセスの権利の確保も重要だが、このような個人輸入による不適切な使用を防ぐためには、なんらかの規制が必要かもしれない。
では「正規のルート」であれば、医師の処方箋はきちんとした診断によって発行されるのだろうか。現状では、先に述べたような勃起不全の診断ができる医療施設や医師は、きわめて少ない。もちろん、必ずしもすべての患者が、専門外来などが行う複雑な診断プロセスを経なければならないということはない。手続きとしてはっきりした鑑別を要するときだけ、専門医療機関に送り込めばよいのである。
しかし、そのため通常の処方箋は、問診以外では、身体所見や心機能を中心とした臨床検査程度で発行されるケースが多いと予想される。
その場合、たとえば問診では、三カ月間勃起がないことなどが診断基準とされており、処方する薬の量については、医師が患者に性交の回数を尋ねて判断することになっているが、個人の性生活にかかわる問題だけに、患者の申し立てが真実かどうかを判断するのはむずかしいのではなかろうか。自己使用量以上の処方箋をもらって転売する者が出ないともかぎらない、と見るむきもある。
アメリカでも、「あなたは勃《た》ちますか?」と聞くだけで処方箋を出す医師がいるといわれるし、中にはインターネットで「処方箋出します」と表示して摘発された例もあったという。「実際のところ、ほしいと言われてノーという医師はいないだろう」と断言するアメリカの医師さえいるのだ。そこで当面、なにより大切なことは、薬の使い方についての正確な知識を徹底させるなど、医師の教育が十分行われることである。
それと同時に、患者側も服用にあたって、十分な知識を持たねばならない。そもそもがこの薬は、一部のあきらかな障害のために困難を抱えている人は別にして、それを必要とするかしないかからして、まったく個人的な価値判断にゆだねられているのである。
さらに、この薬は先に紹介したプロペシアと同様、まだ長期にわたって服用した人は少ない。今後、長期服用する人が増えるにしたがい、どんな副作用が見いだされないともかぎらない。しかし、これもプロペシアの場合と同じで、ある意味では、社会の熱望が強かったからこそ短期間で世に出された薬なわけで、もし長期服用によって新たな副作用が見つかったとしても、その責任は製薬会社にだけではなく、社会にもあるということになる。
この薬を飲む以上は、このことについても、ある程度、承知しておくべきであろう。すべての情報が公開された上での自己責任とは、今日、社会の多くの問題についていわれている言葉であるが、薬についてもこの自己責任が問われる時代がやってきたように思われる。
■ 次なる治療薬もぞくぞく
バイアグラは世界中で大騒ぎになったため、各地でニセ薬が現われた。しかし、たとえニセモノでも、多少のプラセボ効果はあったかもしれない。それはともかく、このバイアグラの大成功を、各国の製薬会社が指をくわえて眺めているはずがない。
アメリカのゾナジェン社は、アドレナリンの分泌を阻害するという別の作用メカニズムから、バイアグラより副作用が少ないとの触れ込みで、「パソマックス」という薬を開発した。この薬の臨床試験を行ったメキシコではすでに販売されていて、早くも日本でも個人輸入代行が行われている。
日本の製薬会社でも、同目的の新薬の開発に着手したというが、たとえそれが成功したとしても、もはや普通名詞と化したバイアグラを抜くのは非常に困難であるに違いない。しかし、薬には完全ということがないのも事実である。ほとんどすべての薬が、後続の、より有効性と安全性の高い薬によって追い抜かれてきたのは、過去の歴史が証明している通りである。
需要が供給を生み、供給がさらに需要を増幅させる──いったいなにがこれほど、まるで生理的年齢の果てまでセックスライフを楽しもうとでもするかのように、勃起不全の薬を求めさせるのだろうか。
文明の爛熟といってしまえばそれまでだが、そのほかにも、過去の男性社会に対し、現代社会は自立した女性主導の社会で、セックスにおいても、むしろ女性のほうからそれを求めるようになったのだという、フェミニズムからの説をなす者もある。その反対に、女性は抱擁だけで満足することが多いのに、男性は性器の接触を求めたがるという説も根強く、その検証はむずかしい。
フェミニズム側からは、バイアグラが短期間に承認されながら、経口避妊薬の低容量ピルが八年間も未承認であったことへの批判も強かった。ニューヨーク・タイムズ紙は、「日本が依然として男性主導社会であることの表われ」という読者からの声を紹介した。
最後につけ加えておけば、男性の性機能改善の治療法としては、末梢だけでなく中枢にも働いて、性欲や性的活動を亢進させる薬の開発も進んでいる。脳の中の神経伝達物質であるドーパミンの受容体のアゴニストを開発して、視床下部にあるドーパミン神経系に作用させることが、性機能を活性化させるという。
モルヒネからつくられたアポモルヒネなどの物質には、とくに勃起を起こす作用がある。ただし、このアポモルヒネには吐き気をもよおさせる副作用があった。ところが改良が加えられた結果、副作用の少ない舌下錠がつくられ、現在、アメリカで臨床試験が進行中だという。もしこれに成功すれば、バイアグラなどの末梢に効く薬と併用することで、性欲の低下した心因性勃起障害にいっそう有効であろうといわれている。
どこまで驀進するのか、ライフスタイル・ドラッグ。性機能改善薬は、人間の文化を変える可能性(危険性?)も秘めているようである。
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W アルツハイマー病の薬
■ ファーマドリーム
一九九七年二月、ファイザー社がバイアグラを世に送り出す一年ほど前のことである。
アメリカのジョージア州アトランタのホテルで、日本の製薬会社エーザイとファイザー社が共同で主催した、ある新薬の発売を記念する大会が開かれていた。参加者はおもに、医療機関を通じて新しい薬を普及する仕事をする、MRという職種の人々である。
このとき、司会者が「発明者を代表して」と紹介したのは日本人の研究者、エーザイの筑波探索研究所副所長の杉本八郎だった。その瞬間、思いがけないことが起きた。まるで野球場でヒーローを迎えたときのように、二千数百人の参加者全員が立ち上がり、すさまじいまでの拍手と歓声が沸き起こったのである。
この派手なパフォーマンスは、アメリカ人の国民性によるものだろう。またエーザイとのあいだで、この薬のアメリカにおける販売提携の契約をしたファイザー社の、期待の大きさの表われでもあったろう。だがそれだけでなく、いかにアメリカ人がこの病気の治療薬を熱望していたかの、爆発的表現であったことも疑いない。
そのスタンディング・オベーションと、ウォーという地鳴りのような興奮の渦の中に立ちながら、杉本は「終生忘れることができないほどの感動を覚えた」という。
新薬とは、アルツハイマー病の治療薬「アリセプト」である。
アメリカでは、一九九四年にレーガン元大統領が、みずから患者であることを告白して衝撃をあたえたことからも分かるように、高齢者にアルツハイマー病の罹患者が多く、国家的な大問題になっている。しかも長いあいだ、この病気には的確な治療法はないとされてきた。そこに初めて、本当に効く薬が現われたというので、その迎えられ方も大きかったわけだ。
スピーチを終え、興奮覚めやらぬまま席に戻ってきた杉本に、一人の若い女性が近づいてきた。ぜひ話を聞いてほしいというのである。彼女は同じホテルの客で、スチュワーデスの仕事をしているという。彼女の話は、次のようなものであった。
彼女の祖母はアルツハイマー病を患っていたが、医師の処方によってアリセプトが投与されてから、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)が非常によくなった。とくに嬉しいのは、いままで思い出せなかった家族の名前を思い出してくれたことである。今日、自分が泊まっているホテルでこの会があることを知り、ぜひともあの薬を発明された方に、ひとことお礼を申し上げたかった、というのである。
いかにもアメリカ人らしい率直な感情の表わし方であったが、この言葉が杉本にとって、どれほど嬉しかったか想像にかたくない。
このような感動を生む創薬のドラマのことを、アメリカでは夢の実現という意味で「ファーマドリーム」という。
いま二十世紀を回顧してみると、この百年間は、まさにファーマドリームの連続であったようにも思える。おそらくその最大のハイライトは、多くの感染症に奇跡的な治癒をもたらして幾百万人、いや幾千万人かもしれない生命を救ったばかりか、難治をきわめた結核の特効薬ストレプトマイシンを生むなど、その後の抗生物質ブームの先駆けともなった、ペニシリンの発見であろう。
その発見者で、ノーベル賞受賞者の一人にもなったイギリスのフレミングは、受賞後、世界各国で救世主のような歓迎を受け、栄光の日々を送ったが、ポルトガルのリスボンを訪問したとき、一人の女性が彼の前にひれ伏し、靴に接吻して、奇跡の治癒をとげたことへの感謝の意を表わしたという。
杉本の場合も、同じことがいえるかもしれない。アルツハイマー病という病気は、患者自身ばかりでなく、周囲の介護者をどれだけ苦しめ、絶望させるか。そのことを多くの参加者が知っていたからこそ、あれほどの興奮をもって迎えられたのであろう。
しかし、そこにいたるまでの道のりは、開発チームの中心人物であった杉本にとっては、十五年にもおよぶ長い苦難の連続であった。その間には、数々の障害を乗り越えるのに偶然が幸いするなど、幸運に恵まれたこともあったが、なによりも支えになったのは、杉本のゆるぎない信念であった。
ただし、せっかくの感動に水を差すようだが、このファーマドリームにはいくつかの弱点や留保条件があることも、率直に書いておかなければなるまい。
その第一は、この薬はペニシリンが感染症を完全に治癒することができたようには、アルツハイマー病を治癒する薬ではないということである。確かにこの薬を用いることで症状は改善するが、投薬をやめれば元に戻ってしまう。つまり、降圧薬など多くの成人病の薬がそうであるように、この薬も対症薬だということである。また、この病気の早期発見が望まれるのはそのためでもあるのだが、進行した患者には効かない。
第二は、厳密にいえばこの薬は、アルツハイマー病に対して公認された最初の治療薬ではなく、二番目の薬だったことである。もっとも、その第一号は副作用が強すぎたため、普及は進んでいなかったのだが。アリセプトがこれほど歓迎された大きな理由は、その欠点を克服することができたことにある。
もう一つつけ加えておくと、現在、アルツハイマー病の治療薬の開発をめぐって、各国の製薬会社のあいだで激烈な競争が行われている。なにしろ患者数が多いため、広大なマーケットが予想されるからである。奇跡の妙薬ペニシリンが、その後、耐性菌の発生もあって、後発の抗生物質によって駆逐されたように、もしかしたらアリセプトも、より優れた治療薬の出現によって乗り越えられる運命から免れないかもしれない。
その意味では「薬に完全なものはない」し、「薬の発明者に完全な栄光はない」わけで、このことは、開発者がいくら成功を得ようとも、肝に銘じておかなければならないことである。もちろん、優れた薬であれば、末永く生き残り、使われつづけることもありうるのである。
ともあれ、この薬の運命は、これから始まるところである。それを踏まえた上で、いまなお完全には原因が究明されていないアルツハイマー病とはどういう病気であるかについて、説き明かしていくことにする。
■ アルツハイマー博士の生涯
もはや誰知らぬ人のない病名ゆえ、おそらく人類に永遠に記憶されるであろうアロイス・アルツハイマーは、いまからほぼ百年前、十九世紀が二十世紀に変わろうとするころにドイツ・フランクフルトの市立精神病療養所に勤務していた精神科医である。一八八七年にヴュルツブルク大学を卒業した彼は、その翌年からこの療養所で働いていた。
ドイツ医学が世界をリードしていた時代である。なぜドイツが世界の医学の先端だったかといえば、「観察」が主要な研究手段であった当時、この国の医学者たちが、動物や病理解剖で得た組織を染料で染め、顕微鏡を覗いて病変を観察する、病理組織学とか病理形態学とか呼ばれる方法に秀でていたからである。脳の領域においても、この手法を用いた研究が盛んに行われていた。
アルツハイマーは、この療養所で入所患者たちの治療にあたる一方、患者の病状と脳の病理学的検索を照合することで、臨床と研究を結びつけようとしていた。彼は、当時の精神医学分野における臨床研究の第一線に立つ一人でもあったのだ。
六百三十八人の患者が入所していたというこの療養所に、一九〇一年十一月二十五日、A・Dのイニシアルで記録される五十一歳の主婦が入所してきた。彼女は、その年の春ごろから夫への嫉妬妄想を示すようになり、記憶力も低下していった。家事の間違いがめだつようになり、家計にも無頓着になった。症状は進行的に悪化し、近所の戸を叩きまわるなどの異常行動が出てきたため入所してきたのだが、診察を拒否し、何時間も金切り声をあげるなどして、医師や看護婦を手こずらせた。
(図省略)
アルツハイマーはこの診療所に十四年間いたあと、ミュンヘン大学に移った。アルツハイマーは、当時、精神医学の権威であった、ハイデルベルク大学のクレペリン教授の門下でもあったが、そのクレペリン教授が、一九〇三年にミュンヘン大学に転任したのを機に、同行することになったのである。
これまでもアルツハイマーは、クレペリン教授から何度も教職に誘われていたが、自由な研究時間が奪われるという理由から断わりつづけていたのである。ミュンヘン大学に移ってからも同じ理由で学生を持つことは断わり、解剖学研究室の主任になった。ここで彼は、クレペリン教授が大学を離れているあいだ患者の診療にあたる以外は、研究を指導しながら、みずから顕微鏡を覗く生活を送っていた。
それから三年後の一九〇六年四月、フランクフルトの療養所で寝たきりになっていた先の患者A・Dが、褥瘡《じよくそう》を悪化させて亡くなった。入所から四年半が経過していた。ただちに病理解剖が行われたが、その脳を見たのがアルツハイマーだった。
肉眼での観察では、彼女の脳がひどく萎縮していることが分かった。組織病理学的変化では、神経細胞が死んで数が減っているのと同時に、今日では「老人斑」と呼ばれているシミのような蓄積物がみられた。また神経細胞中には、のちに「神経原線維変化」と呼ばれることになる、カスのようなものが増加していることが観察された。
アルツハイマーはこの経緯を、その年の十一月三日と四日にテュービンゲンで開かれた南西ドイツ精神医学会で報告した。発表されたのは、A・D夫人が五十一歳の初老期に発症した痴呆症の症例と、その正確な脳病理所見が、ほぼ半分ずつであった。これが歴史的に有名な、アルツハイマー病の第一例報告である。
クレペリン教授は愛弟子の名をとり、この病気に「アルツハイマー病」と名づけ、一九一〇年に出版した教科書で紹介した。ここからアルツハイマーの名が公式に広まることになる。
アルツハイマーはミュンヘン大学に十年間、留まったあと、一九一二年にプロイセンのブレスラウ大学の教授として招聘された。しかし、多忙な生活のため健康を害し、第一次大戦勃発による環境悪化も手伝い、一九一五年に五十一歳の若さで病死している。
アルツハイマーは、自分の患者だった、梅毒から精神錯乱におちいっていた銀行家が死んだあと、その未亡人と結婚していたが、年上だった夫人が亡くなったため、莫大な遺産を受け継いでいた。彼が地位に恋々とすることがなかったのは、この妻の遺産のおかげで研究資金に困ることがなかったからだともいわれている。
それ以外には、ほとんどなんのエピソードも残すことなく短い生涯を終えたアルツハイマーであったが、この病名は彼の生存中にすでに定着していた。しかし同時に、この病気は議論の対象ともなっていた。
一九一一年に、A・D夫人のように比較的若いころに発病したものにかぎらず、六十五歳以降の高齢者にみられる老人性痴呆の脳にも、同じような変化が見られることがあきらかになった。そのため、これらの痴呆を、一方をアルツハイマー病、もう一方をアルツハイマー型老人性痴呆と、二つに分ける考え方が現われてきた。
最近になって、脳の異常ということでは両者を区別する強い理由がないということで、アルツハイマー病と総称するのが常識になったが、アルツハイマー病が百年近いあいだ、原因不明で治療法のない病気でありつづけてきたことに変わりはなかった。
■ 二つの予言的小説
あらゆる優れた文学作品は予言性を持つといわれるが、日本では一九五〇年代の終わりから七〇年代にかけて、近未来を予告する二つの文学作品が現われた。
一つは一九五六年に発表された、深沢七郎の『楢山節考』である。この小説は、棄老伝説という極限のかたちを借りながら、高齢化が社会の大きな負担となることを予言したものといえるのではないか。そしてもう一つが、一九七二年に有吉佐和子がボケ老人を主題に書いた、『恍惚の人』である。
ペニシリンをはじめとする抗生物質が出現するまで、ヒトの生命の最大の脅威は、戦争を除けば、感染症であった。抗生物質の登場は、公衆衛生の発達と生活環境の改善もあって、とりわけ第二次大戦後の半世紀、感染症による死亡者数を激減させたことで、人々の平均寿命を劇的に延ばすことに貢献した。
しかし、その結果、人類は、豊かさを得ると同時に、高齢化社会にどう対応するかという深刻なテーマにさらされることにもなった。とくに日本では、高度経済成長のもと、欧米とくらべてはるかに短時日に高齢化が進んだことが、より深刻さを加えている。
高齢化にともなう健康上の問題の第一は、成人病(最近は生活習慣病と呼ばれる)の、がん、脳卒中、心臓病など、中・高年に多い病気が激増したことだが、さらにその向こうに、寝たきりや痴呆性老人の増加という、重大な問題がクローズアップされてきた。
このうち、いわゆる寝たきりは、これまで脳卒中と呼ばれてきた、脳梗塞や脳出血などの後遺症として起きることがもっとも多いが、食生活など生活習慣の改善や優れた降圧薬の出現によって、いまは減少の傾向がみられる。今後は、女性に多い骨粗鬆症など、骨が弱ってくることからくる骨折が、寝たきりになる大きな原因となっていくと思われる。そのため、いかに骨量を高めるかなどの予防策も重要になってきている。
日本で初めて痴呆症の問題について実態調査が行われたのは一九七三年、ちょうど『恍惚の人』がベストセラーになった翌年のことである。実施したのは、老人病総合研究所を設立するなど高齢化社会への取り組みに先鞭をつけた美濃部都政下の東京都であった。
以来、各自治体でも調査を進めるようになったが、それによると、現在の日本の痴呆性老人の出現率は六十五歳以上の人口のおよそ六・八パーセント、全国推定で百二十三万人といわれる。出現率は加齢とともに増え、七十五歳以上になると一〇パーセント、八十歳以上では約二〇パーセント、つまり八十歳以上の五人に一人は痴呆性老人ということになる。
人口の高齢化とは、ただ六十五歳以上の人が増えるということではない。老年後期と呼ばれる七十五歳以上の人も増えるということである。ということは、痴呆性老人の数も増えるわけで、その数は二〇二〇年には二百七十万人に達するといわれている。介護保険制度など老人福祉の充実が叫ばれる所以だが、そればかりではなく、その重要な対策の一つである治療薬の開発も見落とされてはならない。
■ 老人性痴呆の二つの型
アリセプトの開発者である杉本八郎も、母親が痴呆症を患ったことで苦しんだ一人だった。
「あんたさんはだれですか?」
「あなたの息子の八郎ですよ」
「私にも八郎という息子がいるのですよ」
まだ杉本がエーザイに入って間もない一九七〇年代ごろ、杉本家の母と子のあいだでこんな会話が交わされたという。ただし、杉本の母はアルツハイマー病ではなく、脳血管性痴呆症だったという。
そこでまず、この二つの代表的な痴呆症について記しておきたいが、その前に、「痴呆」とはどういう状態を指すのか、その定義をはっきりさせておく必要があるだろう。
痴呆とは、成人になってから起こった知能障害のため、日常生活に支障をきたした状態をいう。したがって、精神発育遅滞症と呼ばれる、脳の発育中や先天的に起こる知能障害は、このカテゴリーには入らない。
痴呆による知能障害の中で、もっとも顕著なのは記憶障害である。だれでも年をとれば、多かれ少なかれ人の名前などの固有名詞が急には思い出せないことが増えてくる。忘れ物や勘違いなども多くなってくるが、だからといって、日常生活に支障をきたすというほどのものではない。ところが痴呆の場合には、こうした生理的ボケにみられるような「度忘れ」の域を越えた、著しいもの忘れが起こる。
その特徴には、「全体的な物忘れをする」「もの忘れから知能障害へと進行する」「忘れていることを自覚することができない」の三つがあるとされ、これを痴呆の中核症状という。
第一の「全体的なもの忘れ」とは、毎日繰り返し行っているような動作や行動を完全に忘れてしまうことである。そのため、同じことを何回も尋ねるようになる。体験をただちに忘れるので、痴呆の人には、過去から現在、未来へと連続する線がなくなる。
第二の「知能障害への進行」では、「見当識障害」といって、時間や場所が分からなくなる。抽象的なことが理解できなくなり、とりわけ計算力が落ちる。以前に覚えていたはずのことも忘れるため判断力も落ち、自分の娘を「これは私の娘ではない」と言いだしたりする。
第三の「自覚の欠如」では、忘れていること自体に気がつかず、相手のほうがおかしいのだと断定してしまう。「病識がない」のが、痴呆の特徴である。
こうした症状が進行すると、記憶障害や判断障害のため、周辺症状と呼ばれるさまざまな問題行動が起きてくる。たとえば、ものをしまった場所を忘れてしまい、だれかが盗んだと言いだす「盗難妄想」、深夜、恐ろしいものがいるとおびえて大騒ぎする「せん妄」、感覚がおかしくなるため、自分の便をいじるなどの「不潔行為」などである。
さらには、時間感覚や場所が分からない、つまり見当識障害のため、自分の家にいるのに「では帰ります」といって荷物をまとめて出ていこうとしたりする。衝動的に外出し、あてもなくただ歩きつづける「徘徊」は、もっともしばしば見られる症状である。
このような混乱期を過ぎると、自分の名も忘れ、杉本の母親がそうなったように、家族の見分けもつかなくなる。言われたこともほとんど理解できなくなり、発する言葉も意味不明になってくる。トイレの場所も分からないので、つねに介護が必要になり、多くの場合、失禁状態になる。やがて体力も衰え、寝込むことが多くなり、ついには高齢者のもう一つの終着点である寝たきり状態にゆきつくことになる。
前述したように、痴呆の代表的なものには、アルツハイマー病と脳血管性痴呆との二つがある。このほか、脳腫瘍、尿毒症、肝障害、エイズなどから起きる場合もある。うつ病も痴呆と間違えやすい症状を示すことがあるが、痴呆症状のうちの約九〇パーセントまでは、初めにあげた二つが原因である。
この二つのうち、日本では脳血管性痴呆のほうが、約六〇パーセントと多い。その理由として、日本では昔から風土的に脳梗塞など脳の血管の病気が多いことがあげられてきたが、最近は、前にも述べた通り、生活習慣の改善や優れた降圧薬の出現によってハイリスクな高血圧が防がれる傾向にあり、脳血管系の病気は減りつつある。
代わりに予想されるのが、日本も早晩、アルツハイマー病が老人性痴呆の六〇パーセントを占めるといわれるアメリカ社会に似てくるのではないかということである。実際、日本も二十一世紀には、アメリカと同じく六〇パーセントを上回るだろうとの予測もある。
では脳血管性とアルツハイマー型は、どう違うのだろうか。
脳血管性の場合は、脳梗塞や脳出血などが原因であるから、脳のどの血管がやられたかによって、症状の出方に大きな違いがある。冒された神経が言語に関係する中枢であれば失語症になり、手足などの運動に関係していればマヒが起こる。痴呆が起こるのは、記憶などに関係する神経がやられたときだが、その場合でも、症状の出方は、俗に「まだらボケ」などといわれるように、部分的な現われ方を示すことが多い。
しかし脳血管性が痴呆に進行する場合、多発梗塞性痴呆といって、一個一個では大きな後遺症を残さない梗塞でも、それが繰り返されることで領域が広がり、痴呆になることが多いとされる。これが広がれば全体性の痴呆になる。ただその場合でも、ある症状の始まりは明確で、よくなったり悪くなったりしながら、再発にしたがい、階段を落ちていくように進行することが多いといわれる。
これに対しアルツハイマー型は、何月何日に発病したというのではなく、なだらかな坂を転げ落ちるように徐々に進行していく。初期のころは、よく注意すれば「もの忘れがひどい、作業が遅い」などから気づかれることもあるというが、受け答えは作り話などもまじえ、もっともらしいことが多い。困るのは、脳血管性では初期にはかなりの人が病識があるのに、こちらではほとんどまったく自覚がないことだ。変だと思って受診させたときは徘徊が始まっていたりで、周りが気づいたときは、すでに進行していることが少なくない。
■ アルツハイマー病の診断
では、アルツハイマー病は、どのようにして診断されるのだろうか。実は、これが非常にむずかしい。そもそも両者に共通する初期の記憶障害からして、それが生理的もの忘れであるのか、それとも痴呆症の始まりなのかを区別すること自体がむずかしいからである。
アルツハイマー型の場合は、判断力の低下と、「エピソード記憶」といって、体験したこと全部を忘れてしまうことが大きなポイントになる。これらを調べるため、専門家によってテスト方法もいくつか考案されている。ただし、痴呆のようにみえても、うつ状態のため記憶障害を呈している人もあるので、誤診を避けるため、できるだけ経験の深い専門家に調べてもらったほうがよい。
アルツハイマー病の中でも、アルツハイマー博士が最初に発見したA・D夫人のような早発性と呼ばれる、比較的若年(四十歳ぐらいから)で発病する原<Aルツハイマー病のケースでは、比較的短期間で最高度の痴呆までいってしまうといわれる。
老人性の痴呆でも、非常に病気の進行が早い場合があり、そうした典型例では診断がしやすいが、多くは症状をゆるやかに進行させながら年齢を重ねていくので、正常の老化現象との区別はなかなかつきにくい。
幸い最近はCTやMRIのような画像診断機器の発達によって、神経細胞の死んでいる部分が分かるようになったので、脳血管性痴呆の診断がしやすくなった。また脳の萎縮もはっきり目で見えるようになったため、アルツハイマー病の診断でも大きな助けになっている。しかしアルツハイマー病の場合、脳が萎縮するのは、ある程度、症状が進んでからのことが多く、その萎縮の程度も必ずしも病気の進行度とは結びつかないといわれる。
CTやMRIに加え、SPECT、PETなどといった診断器械も現われ、いまでは脳のどこの部分で活動の低下が起こっているかも分かるようになった。その結果、アルツハイマー病では、大脳新皮質の前頭葉や側頭葉、記憶に重要な働きをする海馬などで神経機能の低下があることが分かった。
ただ、大部分のアルツハイマー型は高齢になってから起こるため、通常の老化との見分けがつきにくい上、アルツハイマー型と脳血管性が混在する混合型とみられるケースも多い。そのため、現時点では、こうした画像診断に知能評価テストなどを組み合わせて、総合的に判断するしかない。
結局は、アルツハイマー博士が脳の中に発見した、カスのような原線維変化とシミのような老人斑が決め手だとすれば、最終診断をするには死後解剖しかないということになる。つまり、死ななければ分からないということになる。
ところがこれが、必ずしもアルツハイマーと断定する決め手にはならないのだ。なぜなら、こうしたカスやシミは、正常な老人でも、高齢化するにしたがって増えてくるからである。
カスやシミが異常に増えるのは典型的なアルツハイマー病のときだけで、とくにシミは大脳新皮質にまで広がっているのが特徴とされているが、高齢になってからアルツハイマーの症状を呈した場合、それがこの病気からきたのか、それとも脳の老化の生理的変化によるのかを見分けるのはむずかしいといわれる。脳の老化と深い関係を持つこの病気の研究は、それ自体、老化の研究と重なるところが多いわけである。
というわけで、アルツハイマー病の原因はまだよく分かっていない。
ある病気の原因を究める方法の一つとして、なんらかの危険因子に着目し、それに統計学的に迫っていく、疫学という手段があるが、この病気は発病まで何十年もかかる上、症状が出てからも長期の経過をたどるため、なかなか追跡は進んでいない。けれども、加齢と関係が深いことだけは間違いない。
この疫学調査によれば、脳血管性は男性に多いのに対し、アルツハイマー病は女性に多いとされている。その原因として、女性ホルモンが影響しているという説もあるが、まだ確かなことは分かっていない。
病気の原因には、必ず遺伝因子と環境因子の二つがある。生活習慣病のように、環境因子の占める役割が大きいとされている病気でも、大なり小なり「かかりやすさ」という体質ないし遺伝因子が関わっていることが知られている。同じようにアルツハイマー病も、近親者に患者がいると発症率が高いというデータがある。
しかし一方で、一卵性双生児でも、生活環境が異なると、かかり方にも差があるという報告もあるので、広い意味での遺伝的背景に、より大きく生活環境がからみ合って発病すると考えられる。いわゆる遺伝病では、けっしてない。
ただ、日本ではほとんどみられないが、ごくまれに家族性といわれる、あきらかに遺伝性を示す家系があることが報告されている。このケースは研究対象にもなっていて、そこからこの病気の遺伝子の解明が行われている。
一時はウイルスも疑われたことがあったが、伝染の証拠がなく、現在では話題にする人は少ない。また、別名「ボクサー病」などとも呼ばれ、頭部の打撲などの外傷から起こることもあるといわれている。
環境因子の中で、くすぶりつづけてきたのが、体外から摂ったアルミニウムが原因ではないかという説である。
腎不全患者への透析治療が始まって間もない一九七〇年代、患者の中に痴呆症状を起こす人があり、「透析痴呆」として問題になった。病理解剖をしてみると、脳にアルミニウムが多く蓄積していることが分かり、透析水に使った水道水や薬剤中のアルミニウムに疑いの目が向けられた。しかし、その原線維変化を調べてみると、アルツハイマー病のそれとは違うという反対意見が強く、いったんはこの説は消えかかった。
しかしその後も、アルツハイマー病の患者の脳には比較的高い濃度でアルミニウムが蓄積していること、実験の結果、アルミニウムに神経細胞に対する毒性があること、欧・カナダなどの疫学研究で、水道水中のアルミニウムとアルツハイマー病の発症率に相関関係があるらしいという報告がなされたことなどを理由に、なおこの説を唱える学者もある。
これに対して、アルミニウムが蓄積するのはアルツハイマー病の結果ではないのか、また疫学調査についても相関関係はないとする反論もあり、まだ決着はついていない。なお現在の透析では、透析液の改良などもあり、透析痴呆の問題はほとんどなくなっている。
■ 追い詰められている原因
アルツハイマー病の原因追求は、疫学的研究だけでなく、アルツハイマーが発見した老人斑と原線維変化を手がかりに、現在、分子レベルの研究が激しい勢いで行われている。
患者の脳の中にみられるシミやカスは、正常の老人の脳にもみられることなどから、病気の原因ではなく、結果ではないかという見方もあり、分析の研究は非常に遅れていた。しかし一九八〇年代にアルツハイマー病が社会的脅威であることが認識され始めてから、多くの研究者が参入するようになり、ことにここ十年ほどは遺伝子解析の技術が進み、犯人もようやく追い詰められようとしている。
当然のことながら、研究対象は老人斑と神経原線維変化との二つに分かれた。そのうち、老人斑をつくる物質はベーターアミロイドというタンパク質であることが分かった。アミロイドが臓器に沈着することによって起きる病気は他にもいろいろあるので、脳で障害が起こることも十分に考えられる。
問題は、アルツハイマー病の場合、アミロイド自体が痴呆の原因なのか、それとも、このアミロイドは、なにかの結果として沈着しただけなのか、ということである。ここでも、原因か結果かをめぐって、アルミニウムのときと同じ議論が起きたのである。
ところが、ダウン症で亡くなった人の脳の変化から、一つの突破口が得られることになった。この病気は、人間の第二十一番目の染色体が、普通の人は二本なのに、三本あることから起こる遺伝子病である。この患者は、年をとるにしたがい、アルツハイマー病に似た症状を呈することが多い。
さらに家族性アルツハイマー病などの患者の脳の研究から、ベーターアミロイドにはAPPという前駆になる大きな物質があって、このAPPをつくる遺伝子が二十一番目の染色体にあることや、アルツハイマー病の二つの変化のうち、老人斑のほうが原線維変化より時間的に早く現われることなどが分かってきた。どうやらベーターアミロイドは、それ自身で神経細胞を殺すのでなく、いくつかが凝集することで細胞毒として働くらしい。
もう一方の神経原線維変化の研究では、この「カス」の主成分はタウタンパクという特殊なタンパク質で、しかも原線維変化によって溜まったこのタウタンパクは、異常リン酸化していることが分かった。このため神経の軸索がつまったり異常にふくれて、神経細胞の死につながるとされているが、まだはっきりしたことは解明されていない。
このリン酸化を起こす酵素も、ベーターアミロイドによって誘導されるという報告もあるので、ベーターアミロイドが犯人である疑いはますます濃厚になったとされる。
しかし、その後、家族性のアルツハイマー病に関わる遺伝子解析では、二十一番染色体の遺伝子以外に、危険因子としてさらに三つの遺伝子があることが解明されている。どうやら一つの遺伝子だけでなく、いろいろな遺伝子が関わっているということは、この病気の多因子性を示しているようである。
■ アセチルコリン仮説
このようにアルツハイマー病の分子レベルの研究は、現在、激しい勢いで病気の原因に肉迫しているわけだが、一方で、老人斑は実は神経細胞が死んだ結果ではないかとする実験報告が、最近ふたたび伝えられるなど、まだまだ容易にはゴールへの到達は許されそうもない。
とはいえ、病気の原因が完全には分かっていなくても治療薬をつくってみせるのが、製薬企業の得意わざである。実際問題としても、病因が解明されないからといって、治療法なしに患者が放置されてよいわけがなく、いち早く治療薬を開発することは、一つの社会的貢献にもなる。また仮に完全には病因に決着がついていなくても、ある仮説から治療薬が生み出され、その薬の有効性が確認されれば、その仮説が証明されることにもなるわけである。
こうした仮説の中で、アルツハイマー病は神経伝達物質の異常に原因があるのではないかとするものもあった。今日からみればベーターアミロイドほど原因に迫った説ではないが、一時期、熱心に研究されたものである。
脳の中は神経細胞が枝のように発達していて、全体的に網の目状になっている。このネットワークの中を、たえず弱い電気信号が流れることで情報が伝わり、精神活動が行われているのである。ただしこの情報は、ただ電気的に流れるだけではなく、いささか込み入っている。
網の目をつくっているのは軸索と樹状突起で、いずれも神経細胞の中心である細胞体から枝のように伸びている。このうち軸索は、必ず他の樹状突起あるいは細胞体の表面に付着しており、そこには電子顕微鏡でしか見えないほどの大きさの、シナプスと呼ばれるふくらみがある。このシナプスの部分を拡大してみると、わずかな隙がみられる。この隙によって隔てられることによって、シナプスは前部と後部に分かれる。
一つの神経細胞が興奮すると、情報は電気信号として軸索を伝わり、シナプスに達する。シナプス前部には、必ず神経伝達物質と呼ばれる化学物質が蓄えられていて、シナプスに電気信号が伝わると、それが放出される。放出された化学物質は、シナプスの間隙の反対側にあり、樹状突起や細胞体からふくらんでいる後膜の部分にある受容体と結合し、相手の細胞体や樹状突起に興奮を起こさせるのである。
つまり軸索は情報を伝える側であって、神経伝達物質はそのメッセンジャーボーイのようなものである。軸索と同じような繊維状に見える樹状突起は、情報を受け止めるアンテナのようなものだといえる。
伝達された興奮は、さらに次の神経細胞に電気信号として伝えられ、末端のシナプスから神経伝達物質を放出させ、こうして次々とシナプスを介して情報が伝わっていくのである。
(図省略)
では、なぜコンピュータのように、電気信号だけで直接、情報を伝達することをせず、このようにややこしい手続きがとられているのだろうか。それは、シナプスの精妙な化学物質変化システムを使って、一つ一つのシナプスで情報の伝わり方をコントロールできるようにしているからである。
たとえば、ある興奮が長くつづくと、シナプスの伝達効率があがり、情報が伝わりやすくなるような変化が起こる。学習の結果や、人の顔を覚えるような記憶パターンは、このようなメカニズムによって行われる。
一方、シナプスには可逆性があって、記憶されなければならない情報以外の経験は、ほとんどが三日以内に忘れ去られてしまう。また神経伝達物質の中には、興奮性ばかりでなく抑制性に働くものもあるので、シナプスは情報の増幅から取捨選択まで、幅広い働きをしていることになる。
神経伝達物質は、それぞれ神経細胞の種類によって異なっていて、全体で五十種類以上あるとされる。以前から、アルツハイマー病の患者の脳には、そうした神経伝達物質の一つであるアセチルコリンが少ないという報告が数多くなされてきた。とりわけ、記憶に関係するとされる大脳皮質や海馬と呼ばれる部位に少ないことから、アセチルコリンの減少がアルツハイマー病の原因ではないかと騒がれた一時期があった。
これが「アセチルコリン仮説」といわれるものである。アセチルコリンをつくる酵素が減っている一方で、受容体は正常であることがあきらかになったことも、この説を勢いづかせた。アセチルコリンは神経伝達物質の中でいちばん最初に発見された物質で、研究者が飛びつきやすかったこともある。彼らは、体内におけるアセチルコリンの合成過程や、その取り込みシステムになにか障害があるのではないかと、懸命になって調べた。
そうした中で、アルツハイマー病の原因がアセチルコリンの減少にあるのなら、それを補充してやればよいではないかと考える研究者が、とりわけ製薬会社の研究者のあいだに多く現われたのも、不思議ではない。
体の中になんらかの物質が不足しているとき、それを補充することで、病気を改善したり治そうと考えるのは、薬としては、ある意味でもっとも単純な発想といってよい。すでに古くから、ビタミンやホルモンなどによるさまざまな補充療法が行われていて、たとえば脚気に対するビタミンB1、糖尿病患者に対するインスリンなどの補充療法が大成功を収めていたからである。ちなみに、薬害エイズ事件で騒がれた血液製剤も、一種の補充療法である。
■ 失敗した補充療法
この少し前、従来、治療不能といわれていた神経の難病に対し補充療法が行われ、薬の開発史上でもめったにないといわれるほどの成功を収めていた。パーキンソン病である。
この病気はアルツハイマー病よりずっと早く、一八一七年にイギリスの開業医ジェームズ・パーキンソンによって発見された神経の病気で、老化にともなって増加し、しかも患者が非常に多いところも、アルツハイマー病とよく似ている。
ただし、症状はかなり異なっている。手足の震え、筋肉のこわばり、緩慢な動作などが特徴的で、この病気の患者は前かがみで、小股をひきずったような歩き方をすることが多い。その症状から、脳の運動神経系のある部分に障害が起こったのであろうことは推測されたが、そのほかについては不明であった。
二十世紀に入り、多くの病理学者がこの病気で亡くなった患者の脳を調べた結果、黒質と呼ばれる部分に病変があることが確かめられた。この変性したり死んだりする黒質の神経細胞は末端が線状体という場所につながっているので、黒質線状体系と呼ばれる。その神経伝達物質がドーパミンという化学物質であることが分かったのは、第二次大戦後になってからである。このドーパミンが、パーキンソン病の患者の脳の黒質線状体では、いちじるしく減少していることも分かった。
同じころ、インドの民間薬として四百年以上の歴史を持つインド蛇木という植物に血圧降下作用が見いだされ、これからレセルピンという成分が取り出されて、盛んに使われ始めていた。ただしこの薬は、末梢神経だけでなく中枢神経にも作用して、服用した人がうとうとしてしまったりするのが欠点だった。
やがて、この薬の作用に興味を抱いた学者たちによって、レセルピンには、神経細胞の中のセロトニン、ドーパミンなどの、アミン類とよばれる一連の神経伝達物質を枯渇化する作用があることがつきとめられた。一方、レセルピンを長く投与した患者の中に、パーキンソン病に似た症状の副作用が現われることが問題化していたが、このこともパーキンソン病とドーパミンに関係があることを示していた。
それでは、パーキンソン病患者にドーパミンを補充すれば症状が改善されるかというと、残念ながら、脳には脳血管関門と呼ばれるバリアーがあって、外から投与してもドーパミンはここを通り過ぎることができない。
ところが、体の中でドーパミンに合成される前の、ドーパと呼ばれる前駆物質をレセルピンを投与した動物に注射すると、劇的にレセルピンの作用を低下させるという報告があった。そこで一九五九年に大阪大学の佐野勇が、一人の重いパーキンソン病の患者にこの注射を行ったところ、短時間ながら患者の症状が収まることを発見した。
これより少し遅れて、欧米でもこのドーパ療法がいっせいに行われた結果、その有効性が分かり、経口薬も開発されていった。一九六六年には、ドーパの中で効果のない、光学的異性体と呼ばれる半数の物質をなくしたLドーパを用いた、レボドーパと呼ばれる治療法が確立された。
アセチルコリン仮説が有力になると、連想ゲームのように、類似性のあるアルツハイマー病にも補充療法が適用できるのではないかと考える研究者たちが多くなるのも当然であった。
アセチルコリンもドーパミンと同じで、脳血管関門を通過することはできない。では、ドーパミンにおけるレボドーパのような、アセチルコリンの前駆的な化合物はなにか。
神経伝達物質は神経細胞の中で合成されるが、アセチルコリンの主要な原材料はコリンであり、その前駆物質としてレシチンという物質がある。それなら、これらの物質を補充することでアセチルコリンを増やすことはできないだろうか。こうした目論見から、一九七〇年代に多くの研究者によって補充療法が試みられたが、患者の症状はほとんど変化しなかった。レボドーパの「二匹目のドジョウ」はいなかったのである。
では、もっとほかの方法でアセチルコリンを増やすことはできないものか。
現代の生化学では、この物質がシナプス周辺で、どのように受け渡されながら変化を受けているかがあきらかになっているので、いくつかの方法が考えられる。それを理解するために、シナプス周辺をさらに拡大してみることで、そこでのアセチルコリンの動きをもう少し詳しく追ってみよう。
■ 気が遠くなるような作業
アセチルコリンの材料のコリンは、血液を通して脳の外から神経細胞に運ばれてくる。ここでコリンは、アセチルコリン合成酵素の働きでグルコース(ブドウ糖)からつくられたアセチル補酵素Aという物質と結びつき、アセチルコリンが合成される。
こうしてつくられたアセチルコリンは、シナプス前部の中に多数ある、小胞と呼ばれる球形のかたまりとして蓄えられる。軸索を通して興奮が電気信号で伝えられ、電位が高まると、脱分極といって、シナプスにあるカルシウム・チャンネルが開き、細胞外からカルシウム・イオンが流入してくる。すると小胞内に蓄えられていたアセチルコリンが、大量にシナプスの間隙に放出される。
放出されたアセチルコリンは、一ミリ秒内という短時間に、シナプスに向かい合っている後膜にある受容体に結びつき、後膜に変化を起こす。その変化が電気信号となって、次の神経細胞へと伝導していくわけである。
一方、放出されたアセチルコリンは、いつまでも留まっていては後膜に悪影響をあたえるので、アセチルコリンエステラーゼという酵素によって、コリンと酢酸に分解される。この分解されたコリンの一部は、シナプスから回収されてアセチルコリン合成の材料になるというふうに、リサイクル的に働いている。
それでは、このようなシステムの中で、どこに働くような薬を開発すればアセチルコリンを増やし、痴呆症の記憶障害という症状を改善することができるのだろうか。
コリンやレシチンを加えての補充療法が失敗したことは、すでに述べた。
第二の方法は、すでにおなじみとなった、酵素活性阻害薬を用いる方法である。なんらかの物質が酵素のアセチルコリンエステラーゼに結びついて、その働きを阻害することができれば、アセチルコリンはコリンに分解されることなく留まるわけで、記憶力も改善されるのではないか。この方法で成功した場合、結果的には一種の補充療法ということになる。
第三の方法は、受容体理論によるものである。シナプスから放出されたアセチルコリンが結合して働く、後膜の受容体を直接刺激してその働きを強める物質、つまりアゴニストを発見して、治療薬にしようという考え方である。
このうち、多くの製薬会社が関心を持ったのが、第二の酵素活性阻害薬であった。というのも、このアセチルコリンエステラーゼ阻害剤はすでに存在し、別の目的で使われていたからである。それは農薬である。
人口増加とともに食糧の増産が要望され、そのため食物の生育を促進する人工肥料が開発された。一方、主要な食糧源である作物や果樹を痛めつける昆虫や微生物による害も、食糧増産の大きなブレーキになっていた。そこで、近代的な農薬として最初に現われたのが、DDTなどの有機塩素化合物であった。これは発明者にノーベル賞が授与されるほどの大発見だったが、のちに環境を破壊するということで使われなくなったことは、よく知られている。
これら有機塩素化合物とほぼ並行して、ドイツから登場したのが、前にも述べた有機リン化合物である。この農薬は、とくに昆虫に対してきわめて強い毒性があることが分かり、いっせいに使われ始めた。
その作用メカニズムは、すぐにあきらかになった。これらの農薬は、動物のアセチルコリンエステラーゼに結びつき、アセチルコリンの分解を止めるのだ。分解されないままアセチルコリンが溜まると、神経系の正常な情報伝達システムが阻害され、その結果、運動ができなくなり、ついには呼吸作用まで止まってしまう。
この物質に対する感受性は動物の種によって異なっており、人間のような哺乳類には比較的安全だが、昆虫は影響を受けやすい。そのため、とりわけ害虫に有毒な有機リン化合物が見つけ出され、農薬となったわけである。
しかし、この種の農薬の一つで、一時は盛大に使われていたパラチオンが、のちに人体に有害であることが分かって禁止されたように、有機リン化合物というのは、人体に無害なものより有害なものを探したほうが容易なほどである。そこでナチス・ドイツが生み出したのが、サリンなどの有機リン性毒ガスである。この毒ガスは、わずかな量でも、皮膚から吸収されるとアセチルコリンエステラーゼが阻害され、神経に異常な興奮を起こして死にいたる。
なぜこのような激しい作用を起こすかというと、サリンの酵素への結びつきが非常に強いため、いったん結合すると金輪際離れなくなり、アセチルコリンの洪水が起きるからである。
そのため、薬として役立つこの酵素の活性阻害薬を求めるには、結びつくと同時に離れるという、可逆性を持った物質を探さなければならない。なんとも綱渡りのような、至難な作業が求められるわけである。
実をいえば、毒にはならない程度のアセチルコリンエステラーゼの阻害薬は、すでに存在していた。西アフリカ産の天然のマメ科の植物からとられた、フィゾスチグミンと呼ばれる物質である。古くからアセチルコリン阻害薬として知られていたもので、目の縮瞳効果があるので、アトロピンで拡大させた瞳孔を縮小させる目的で、局所的に使われていた。
臨床医の中には、この薬を痴呆症の患者に使ってみた者もあった。記憶障害にはある程度の効果があったが、その作用は大きくなく、しかも副作用が大きかった。作用が弱いのは、この薬が体内に入ってから不安定で、作用時間が短いからである。
農薬として合成されたアセチルコリンエステラーゼ阻害薬には、他にもタクリン(テトラハイドロアミノアリクジン=THA)という物質があった。アメリカのサマーズという学者は、実際にこの物質を患者に使ってみて、非常によい改善効果を収めたと報告した。しかし、その後、長期に使うと肝臓にかなりの障害を起こすことが分かった。
フィゾスチグミンとタクリンには、共通した欠点があった。アルツハイマー病を治すのであれば、中枢神経にだけ効いて欲しいのだが、末梢神経にまで影響をあたえてしまうのだ。そのため、さまざまな副作用が現われてくるのだ。
なぜ、このような副作用が起こるのか。コリンエステラーゼと総称されるこの種の酵素には、中枢神経系に豊富なアセチルコリンエステラーゼ以外に、末梢組織に多いブチルコリンエステラーゼという酵素がある。ところが、これら二つの薬は、アセチルコリンエステラーゼだけでなく、類似した構造を持つブチルコリンエステラーゼにも働いてしまうのである。
副作用が少なくてアルツハイマー病に効く薬を求めるなら、アセチルコリンエステラーゼにだけ働く化合物を求めたいところである。それには、フィゾスチグミンやタクリンとはまったく違う構造の化合物を求めなければならない。その手がかりになるような物質は、いったいどこにあるのだろうか。
このような五里霧中の状態から、将来、薬になるかもしれない化合物を探し出す作業のことを、製薬企業では「探索」という。
■ 母のカタキを討ちたい
杉本八郎がその探索に乗り出したのは、一九八三年ごろのことである。
一九四二年、東京の江戸川区に生まれた杉本は、順調な経歴を持つ、いわゆるエリート研究者ではなかった。実家は経済的に恵まれておらず、しかも兄弟姉妹九人という大家族で、大学進学などとても望める家庭環境ではなかった。
それでも母は、八番目の男の子である八郎に、なにか技術を身につけて社会に出たほうがよいといって、工業高校に進むことを勧めた。文学好きだった少年は、その言葉で一九六一年、都立化学工業高校に進学し、化学の基礎を修めることになった。
六四年に高校を卒業した杉本は、製薬会社「エーザイ」の研究所に就職した。
日本の製薬会社は、大別して大阪系と東京系に分けられる。大阪系が江戸時代からの薬種問屋から発祥したところが多いのに対し、東京系では、明治期以降に初めから製薬企業として出発したところが多い。その中でエーザイは、東京にあった大阪系会社「東京田辺」の常務取締役だった内藤豊次が、定年後の一九四一年に設立したという、一風変わった創業のいきさつを持っていた。この会社は、戦後、急速に成長し、大手製薬会社の一角を占めるまでになった、希有な成功企業である。
そうした比較的新しい企業のため、研究者の年齢構成が若かったことも、杉本に幸いしたというべきだろう。向学心に燃えた杉本は、ここで有機合成の探索グループに所属するとともに、夜は、当時、研究所があった文京区竹早町に近かった中央大学理工学部の二部に通い、有機合成化学を修めた。午後五時に研究所を終えるとすぐに大学に飛んで行き、九時まで授業を受けるという毎日だった。この生活は一九六九年の卒業までつづいた。
エーザイは、一九八二年に研究所の機能を分け、筑波に探索研究所を設けた。それにともない、杉本も筑波に移ることになった。所長は創業者の三代目にあたる内藤晴夫(現社長)だった。このとき内藤は、この研究所を六つの領域別の研究室に分けた。それぞれの研究室には合成系研究員と生物系研究員が配属され、各室に所属する三十人から四十人の研究者が、室ごとにテーマを持って研究を進めることになった。
研究テーマは、チームリーダーが室ごとの会議で自分たちのやりたいテーマを提案し、それが承認されると、さらに研究所レベルの会議で討議され、正式に承認されるという、下意上達的な、研究者の自由な創意がかなり尊重されるかたちで決められた。
前にも述べたように、創薬にはスペキュレーション性が強い。そのため、どんなテーマを選ぶかは、将来の社運を左右する重大事である。そこでは所詮、アイデアが勝負で、そのアイデアとは、発端においては、こうした一種の零細企業性を帯びた中から生まれてくるものなのである。
エーザイの各研究陣が、移転したばかりの新しい建物で、しかも将来、社長になることがほぼ確実な所長のもとに、新薬開発の一番乗りを競うことになったことは、組織活性化の点でもプラスになったことは間違いない。
こんなエピソードがある。
内藤所長は夜九時になると所内を巡回し、遅くまで頑張っている研究員たちを激励した。所長の熱意に応えて、研究員たちもそれぞれのテーマのマイルストーンを死守するため、深夜まで研究がつづくことが多かった。頑張っているプロジェクトチームには、しばしば極上の寿司などが差し入れられた。カツサンドもよく差し入れられたが、これには、エーザイと連携の深かったスイスのサンド社に勝つ《カツサンド》というジョークが秘められていた。
当時、他社の研究員たちは、彼らのことを、「エーザイ不夜城」と呼んでいたという。中には「エーザイは気が狂った」という者までいたという。「午後五時の退社は早退」といった風潮は異常ともいえるが、それだけ筑波研究所全体が燃えていたのも事実だろう。
これら六つの研究室のうち、杉本が属した脳神経領域の研究一部二室は、脳血管障害の改善を狙った研究を展開していたが、臨床試験のフェーズTの段階で失敗に終わっていた。
そこで、一九八二年に主任研究員になった杉本が新たなテーマとして選んだのが、みずからの肉親の病気に関連した、アルツハイマー病の治療薬の開発であった。アセチルコリン仮説にしたがって、アセチルコリンエステラーゼの阻害薬をつくろうというのである。
だが、これには反対意見も多かった。「脳の生理的老化現象である痴呆症に薬などありえない」という常識的な考え方に加え、「アセチルコリン仮説は過去のセオリー」とする者が多かったからである。
折しも世界的にアルツハイマー病の研究が活況を呈し始め、この病気の「真の原因」と思われる老人斑や神経原線維変化が、最重要なターゲットにされようとしている時期である。このように病気の原因に複数の仮説が現われるということは、この病気が多因子的であることを示していた。杉本の発想に対し、大方が「アセチルコリン仮説だけで治せるものではない」と反対したのは、そのためである。
一方、杉本のよりどころは、わずかとはいえ、現実にフィゾスチグミン、THAなどのアセチルコリンエステラーゼの阻害薬が、患者に効いたという事実だけだった。だが、これに対しても「そんな農薬みたいなものが薬になるわけがない」という反論が出され、杉本のテーマはどうみても、みんなから歓迎されているとはいいがたいものだった。
杉本は痴呆症の母親の介護をしながら、「苦労して私たちを育ててくれた母の病を治す方法はないか」と何度も考えたという。その母は一九七八年に七十五歳で亡くなっていたが、「母のカタキ討ちをしたい」という気持は強かった。
こうした反対意見に対し杉本は、急激な高齢化社会が到来する二十一世紀には痴呆患者が激増するのは必至で、抗痴呆薬を開発するのは製薬企業の社会的責任だと主張した。結局、杉本の筋の通った主張が通り、このプロジェクトは承認されることになった。
■ 七百の誘導体をつくる
新薬を開発する場合、リード化合物と呼ばれる、ある程度、有効性が予測される物質がまずあって、そこからさまざまな化合物をつくりながら発展させていくというのが普通である。
そのリード化合物が、すでに他の研究者によってつくり出されていて、しかも有効性が見いだされているのであれば、ことは簡単である。そこから特許に抵触しないような類似の化合物を合成し、先行薬より有効性が高いことを証明すれば、承認を得ることも可能だからである。
こうした薬はゾロゾロと売り出されることが多いため、「ゾロ新」と呼ばれている。なにか画期的な新薬が外国で(国内でも同じ)開発されると、この「ゾロ新」が、文字通りゾロゾロと生み出されてくる。この方法には当たりはずれが少ないからだが、日本の製薬企業のお家芸のようにいわれているのは、あまり名誉なことではない。
これに対し、まったく新しい構造の化合物から開発される薬のことを「ピカ新」という。よほどの偶然か、開発者のひらめきのようなものがなければ、なかなか得られないものである。新薬開発史に残るような妙薬は、すべてこの「ピカ新」といってよい。
「ピカ新」開発の発端となる探索は、まさに密林の中の宝探しのようなものである。だが、いかなる創造も、なんらかの偶然か連想から、第六感のようなものが働くことで生まれるといわれる。なにもないところから、まったく新しいものが生まれることはない。
杉本らは、なんの手がかりもないまま、わずかながら臨床で効果が確認されているタクリンの誘導体と呼ばれる、元の化合物に化学的修飾を加えた化合物の合成に着手した。まず脳に移行しやすいものを三十種類合成し、動物実験で試してみたが、そのほとんどが非常に強い毒性を示したため、いずれも断念せざるをえなかった。
そんな折、きわめてラッキーな偶然が起こった。
培養した細胞や実験動物に化合物を働かせて、その活性を調べるプロセスをスクリーニングというが、通例のスクリーニングでは、その化合物の、ある薬理作用を想定して行われる。ところが、このときエーザイは、それまで合成してあったいろいろな化合物を、目的なしに動物実験して、どのような薬理効果が現われるかをみるブラインド・スクリーニングを、五十二項目にわたって、台湾にある独立した研究所に依頼していた。そのうちの毒性を示す項目の中に、コリン性の作用と思われる症状が現われた物質があることが報告されたのである。
その化合物は、杉本が所属していたグループが以前、動脈硬化症を目的として合成したものだった。さっそくこの化合物を調べたところ、弱いながらもアセチルコリンエステラーゼの阻害作用があることが分かった。杉本によれば、あとから考えれば、この化合物は、リード化合物になるかどうか、海のものとも山のものとも分からない、シード(種)化合物ともいうべきものであったという。
このスクリーニングでも幸運が作用した。このとき杉本らは、容易に入手できるという理由から、電気ウナギの酵素を用いて実験していた。そのあと、よりヒトに近いモデルということで、ラットの脳由来の酵素を利用してアセチルコリンエステラーゼの阻害作用を調べたところ、電気ウナギの場合の二十分の一に過ぎないことが分かったのである。危ないところであった。もし最初にラットを実験材料に使っていたら、この物質の活性はきわめて低いということで、見棄てられていたかもしれないのである。
薬として開発するには、このスクリーニング以外に、記憶障害の改善を評価する試験が必要だった。動物実験では通例、病態モデルといって、病気を起こした動物を使わなければならない。ところが当時のエーザイでは、まだ痴呆症の病態モデルを作製していなかったため、サブリーダーの山西嘉晴らはその系を構築するのに非常に苦労した。
ラットの脳の中の、大脳皮質にアセチルコリンに関係している神経を送り届けている中枢の部位をある薬物で破壊すると、大脳皮質内のアセチルコリンの量が低下し、ラットは学習障害を起こす。そこで、この学習障害を起こしたラットと、正常なラットを比較することにした。
明るい部屋と暗い部屋を隣接させ、明るいほうの部屋にラットを置くと、その習性からラットは暗い部屋に入ろうとする。ラットが暗室に入ったとき、床のグリッド(電極)に電流を流してショックをあたえると、正常なラットは暗室に入ることが危険であることを学習するが、脳の一部を破壊されたラットは学習障害のために容易に入ってしまう。そこで、この暗室に入るまでの時間が、薬によってどのくらい延長されるかをみることで、薬の効果を判定するという方法がとられた。
タクリンの誘導体の合成に着手した当初は、この研究はまだ正式なプロジェクトにはなっておらず、杉本を中心に三人で進められているだけだった。プロジェクトが結成されたのは、シード化合物が発見されてしばらくあとのことである。徐々にメンバーも増え、このころには探索合成と生物系を合わせて十五名にまでなっていた。合成メンバーは、このリード化合物から出発して、実に七百もの誘導体を合成することになる。
こうした悪戦苦闘の中で、彼らはようやく一つの化合物を見つけた。その物質は酵素との親和力が強く、アセチルコリンエステラーゼ阻害の指数でも、かつてないほどの数字を示し、彼らを大いに勇気づけた。ところが臨床試験に送られる直前のビーグル犬を用いた実験で、体内での安定性というハードルを十分に越えることができなかった。生体利用率と呼ばれる、元の化合物が肝臓で代謝されずに薬効を発揮する未変化体として血中に現われる率が、低いことがわかったのである。
その生体利用率を上げるため、化合物の改変も行ってみたが、容易にはこの難関を越えることはできなかった。開発に着手してから、すでに三年の月日がたっていた。
■ 自信と粘り強さ
このころが、杉本のチームにとってもっとも苦しい時期だったという。
最近はどこの研究所でも、一定期間内に業績が上がらない研究は淘汰されるという、研究者にとってはきびしい環境になりつつある。中でも営利企業の製薬会社では、その評価はことにきびしい。
エーザイの研究所でも、テーマを登録してから所定の期間内に目標とする結果をあげなければ、プロジェクトは中止される決まりになっている。所定の目標とは、少なくとも前臨床試験で、一定の成果が確認されることである。
所内の各チームは、どこも筑波生まれの新薬一番乗りをめざしてしのぎを削っていたが、その中にあって、杉本の所属する脳神経領域を担当する研究一部二室は、もっとも芽が出ないチームとみなされていた。
一九八六年三月、彼らが研究している物質は医薬品になりうる資質を欠くと判断した二室の山津清寛室長は、杉本らのプロジェクトを終結することを決意し、化合物を臨床試験に送ることを断念した。これに対し杉本は強く続行を主張し、所内で激論が闘わされた。
一方でアルツハイマー病研究の最先端でも、大部分の基礎研究者の関心は老人斑と神経原線維変化に集中しており、アセチルコリン仮説をあざわらうようなふうがあった。当然、旧聞に属するアセチルコリン仮説に対する所内の風向きはよくなかった。
たしかにコンセプトは旧聞に属するとはいえ、杉本にはひそかな自信があった。というのも、従来のアセチルコリンエステラーゼ阻害薬《フィゾスチグミンやタクリン》とはまったく異なる、新規性の高い構造のリード化合物を掌中にしていたからである。それも、構造と活性の関係が読めるところまできていた。突破すべき目標は、生体利用率だけだった。杉本には、職業的カンから、もしこの薬が世に出れば、必ずピカ新になるという確信があった。
一九八六年六月、所長の裁断で研究は再開されることになった。向かい風の中で、杉本たちは目標を、生体利用率の改善一本に絞り込んだ。この自信と粘り強さが、研究を持続させた原動力であった。
このただ一点の改善目標をみごとに突破したのは、入社まもない飯村洋一だった。彼はドラッグ・デザインを展開する中で、インダノン誘導体を合成したが、これが成功につながったのである。
開発番号E2020、一般名「塩酸ドネペジル」の最大の強みは、従来のコリンエステラーゼ阻害薬に比べて、末梢のブチルコリンエステラーゼに働くことが少なく、アセチルコリンエステラーゼへの選択性が高いため、副作用が少ないことであった。記憶・学習障害に対して強い薬効があり、作用持続時間が長く、可逆的であり、毒性も少なく、生体内利用率も高かった。とくに作用時間が長いため一日一回の投与ですむことは、患者が服用習慣をつける上で最適の条件といえた。もう一つ重要なのは、わずか三工程で合成が行われるため、安価で供給できることであった。
(図省略)
なにやらよいことずくめのように聞こえるかもしれないが、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬として、非常に完成度の高いものであることは間違いあるまい。そのことは、いまや他社のあいだでも、ドネペジルのあと、ぞくぞくと同系統の薬剤の開発がつづいていることからも、うかがうことができる。
■ 思いもよらぬ人事異動
商品名「アリセプト」と名づけられたこの薬は、一九八九年からフェーズTの臨床試験が始められた。だが、日本は臨床試験を行うのが非常にむずかしい条件下にあるため、結果的には一九九一年にアメリカで始められた臨床試験が先行することになった。アメリカでは、アルツハイマー病の患者が多いこともあり、この治療薬へのニーズが高かったのだ。
薬効の評価は、FDAの推奨する、ADS─cogとCIBIC─Plusという、二つの方法で行われた。前者は記憶障害改善の指標を、後者は患者の日常生活動作の指標を見るためのもので、両者は並行して行われた。
結果は一九九五年にキーオープンされたが、二つの試験とも、統計学的にきわめて高い改善効果が得られていた。副作用については、わずかに吐き気、嘔吐などが認められる程度で、肝臓障害もほとんどなかった。
(図省略)
アメリカでは、すでに一九九三年に、タクリンが初のアルツハイマー病の治療薬としてFDAの承認を受け、ワーナーランバート社から「コグネックス」の商品名で売られ始めていた。これは、前に述べたサマーズの臨床試験の好結果が追い風になったからだが、この薬には肝臓障害という重大な副作用があった。薬効についても、効く患者と効かない患者があり、学者間で激論が交わされたが、結局、認可にこぎつけたといういきさつがあった。
アメリカは新薬の承認に非常にきびしいといわれるが、その一方で、ある病気に有効な治療薬がない場合、「ないよりはましである」という現実主義的な考え方から、かなり強い副作用があっても認可されることがある。それがもっとも端的に発揮されているのが、エイズの治療薬だといわれる。
コグネックスも、こうした考え方から認可を受けたわけだが、肝障害の副作用のため、非常に使いにくい薬で、あまり普及は進んでいなかった。
そんな中で、アリセプトは一九九六年三月に承認申請をし、同年の十一月にFDAから認可された。申請から承認までわずか八カ月という異例の短期間であったことは、アメリカのアルツハイマー病の患者たちとその家族が、いかにこの難治の病気に有効な薬を待望していたかをあかすものであった。
アリセプトは、アメリカで翌一九九七年一月に発売された。二月に英国で承認されると、相互認承システムによって、ヨーロッパ十二カ国でも承認されることになった。
だが、自分が手がけた薬のこうした臨床試験が進むあいだ、杉本はそれを遠くから望み見るだけの運命をよぎなくされていた。
人の運命とは分からないものである。とりわけサラリーマンの運命は、他者によって操られている。この薬の開発者である杉本は、ようやく日本で臨床試験が始まった翌年の一九九〇年春、突然、筑波研究所から人事部採用プロジェクトへの異動を命じられたのである。異動の理由は「研究現場での経験を生かし、今後の研究員の大幅増員に備え、ぜひ採用プロジェクトで頑張って欲しい」というものであった。
内示の日は大雪であった。外には雪が情け容赦なく降りしきっている。杉本の頭の中も真っ白だったという。あれほど探索研究に情熱を傾けていた自分が、これまで縁もゆかりもなかった人事部とは……。
もっとも、結果的には、この異動は杉本に大きな恩恵をもたらした。月のうち半分は、北は北海道から南は九州まで、各地の大学を訪問し、優秀な学生を発掘するのが仕事だったが、これは彼の人脈を構成する上で大いに役立った。
出張のないときは、午後五時から十時まで、だれもいない図書室にこもり、ドネペジルに関する論文を五報書いた。これをもとに、偶然に縁のできた広島大学総合薬学科で、薬学博士号を取得することができた。
杉本にとって、もっとも輝ける日々は、一九九七年から翌九八年にかけてであったろう。九七年二月、アメリカのアトランタで賞賛の拍手に包まれた杉本は、四月に筑波の探索研究所に呼び戻され、副所長・理事のポストがあたえられた。
一九九八年二月には、アリセプトのプロジェクトチームに「薬のノーベル賞」といわれるガリアン賞特別賞が授与された。授賞の理由には「神経領域の革新が医療に大きなインパクトをあたえた」とあった。三月には日本薬学会技術賞を受賞し、五月には化学・バイオつくば賞も受賞した。技術賞とつくば賞の副賞の賞金は、日本の「呆け老人をかかえる家族の会」とアメリカの「アルツハイマー協会」にそれぞれ寄付した。
■ 社会的、経済的貢献
現在、アルツハイマー病の治療は、どのように行われているのだろうか。
この病気には、一九八〇年代から、脳循環改善薬や脳代謝改善薬の名で多種類の薬が開発され、「抗痴呆薬」として使われてきた。老人性痴呆症には、中核症状の記憶障害、見当識障害などのほかに、周辺症状と呼ばれる感情障害、意欲障害などの症状が現われてくる。これらの薬は、脳血管を拡張したりエネルギー代謝を活発にしたりすることで、こうした症状を改善しようとするものであったが、周辺症状にはいくらか効くとされたものの、かんじんの中核症状にはまったく効果がなかった。
その作用メカニズムからいって、脳血管性の痴呆患者には、あるいは効くかもしれないにしても、アルツハイマー病の成り立ちを考えると、とてもこの病気に効くとは考えられなかった。にもかかわらず、一部の老人病院などでは、副作用が比較的少ないこと、脳血管性とアルツハイマー病の鑑別がむずかしいことなどを理由に、一律にこうした薬が使われることが多かった。その上、抗うつ薬などの向精神薬も含め、何種類もの薬が使用され、「薬をやめたらかえって元気になった」などという報告まであった。
日本の「薬漬け」の風土が、老人医療にまで及んでいたことを象徴するようなエピソードであるが、そもそもこれらの薬は、海外では認可されることのない、「ローカル・ドラッグ」と呼ばれるたぐいのものばかりであった。循環器の専門医からの批判も強く、一九九七年四月には、大部分の薬が認可取り消しの処置を受けている。
では、なぜそのような薬が認可されていたのかといえば、要するに認可の基準が甘かったからである。今後の薬の認可体制においては、このようなローカル・ドラッグが出ないよう、徹底してグローバル・スタンダードが重視される必要がある。
現在では、こうした抗痴呆薬より、むしろ患者のリハビリテーションのほうが重視されている。すべての老化現象と同様、脳の機能低下も、それが使われないことによって起きる、細胞死やシナプスの減少によって拍車がかけられる(これを「廃用症候群」と呼んでいる)。ことに高齢者は孤独におちいりやすいため、ますます刺激の少ない生活になりがちである。
日本人の痴呆症の多くは「実は一種の生活環境病である」という説を唱える精神医学者もあるぐらいで、興奮や刺激をあたえることで、こうした神経回路を活性化することができれば、神経細胞やシナプスの退行にブレーキがかけられるであろうことは、大いに考えられる。
これは脳の「可塑性」といわれる現象で、実際、脳が適切に使われると、樹状突起が再生することが証明されている。樹状突起ばかりでなく、シナプスにも再生の可能性があるという説もなされている。このことは、たとえ神経細胞の脱落があっても、そこにバイパスが形成されることで、死んだ細胞の代償作用が行われることを意味している。
そのため、現在では、あちこちのデイケアセンターなどで、運動や遊び、ゲーム、会話などを通して、脳に刺激があたえられる機会を増やそうとする試みが行われている。その結果、症状の進行が止まったり、改善がみられたという報告も多い。
レーガン元大統領がアルツハイマー病を発病したのは、大統領の座を去ってからのことである。これについては、大統領の激務が発病を遅らせていたのではないか、と考えることができる。しかし、その一方で、環境の激変が発症の一因となることが多いのも事実である。定年退職や配偶者の死などが契機になって発病することは、しばしば見られることである。
このようなストレスをうまく回避しつつ、脳に刺激をあたえることができれば──たとえば本を読むとか、世界の動向に関心を持つなど、なんらかの知的好奇心を持ちつづけることが予防に結びつくことは、十分考えられる。
予防のついでにいえば、アルツハイマー病はなぜか女性に多い。理由は依然、謎のままだが、その一因として女性ホルモンの影響があげられている。これまで欧米を中心に、更年期以後の女性の自律神経失調症の治療や、同じく女性に多い骨粗鬆症の予防に、女性ホルモンのエストロゲンを補充する治療法が活発に行われてきたが、最近は日本でも行われるようになっている。この補充療法が、老人性痴呆症を防ぐという報告もある。
そこに登場してきたのがアリセプトである。早期にこの薬を飲むことで、病気の進行が止まり、記憶力もよみがえってくるのなら、患者にとっても介護者にとっても大きな助けになる。たとえ対症薬でしかなくても、二、三年でも症状の進行を遅らせることができれば、その社会的、経済的貢献には測り知れないものがあろう。
そこでかんじんなのは、早期にアルツハイマー病を発見する体制が確立されることである。たとえば、早期診断が可能となるような検査薬が開発されれば、この薬の威力は増すし、かつての「抗痴呆薬」のような無駄も防げるからだ。
■ 次なるファーマドリームを
さて、アリセプトの成功で、「アセチルコリン仮説」は証明されたといえるのだろうか。
少なくとも、記憶障害というアルツハイマー病の中核症状が、アセチルコリンの欠乏に深く関係していることは、証明されたということになるだろう。しかしながら、この病気は、これまでたびたび述べてきたように、多因子的であって、その原因解明は、目下、多くの基礎研究者によって競われているところである。
医学研究の目的は、ある障害を発見したとき、その原因を解明し、治療に役立たせることにあるが、アルツハイマー病は、脳の老化ばかりでなく遺伝子にも関係するなど、多因子的であるため、全容が解明されるときは、環境因子をも含めた、きわめて複雑な相関関係として提示されるだろうと考えられる。
しかし、完全解明まで待っているわけにもいかず、アセチルコリン仮説以外にも、多因子の一つ一つについてさまざまな仮説が並行して現われ、それぞれの仮説から薬の開発が進められているというのが現状である。
現在、このアセチルコリン仮説の立場からは、アセチルコリン作用を高めるため、杉本のチームが手をつけなかった、後膜の受容体のアゴニストを発見しようとしている研究者たちがいる。また、アセチルコリンエステラーゼで分解されたあとのコリンのシナプスへの再取り込みを促進し、この神経伝達物質のリサイクルを活発化しようと試みているメーカーもある。
脳の可塑性については、樹状突起を修復したり再生したりする働きのある、神経細胞成長因子という物質が発見されており、この物質を増強することができないかが模索されている。また、もっとも根源的な現象と考えられている老人斑や原線維変化の研究では、老人斑をつくっているベーターアミロイドを、その前駆物質であるAPPから切り出す酵素の阻害薬も検討されている。原線維変化では、タウタンパクをリン酸化する酵素の阻害薬も探索されている。
遺伝子からのアプローチもすでに着手されていて、アメリカのベンチャービジネスは、ベーターアミロイドの遺伝子を個体の発生時に導入する、トランスジェニックマウスと呼ばれるマウスをつくって研究中ともいわれているが、きびしい企業機密のため、うかがい知ることはできない。
どうやらアリセプトの背後にも、強敵が忍び寄ってきているようなのだが、こうした状況は、患者予備軍、あるいは介護予備軍である私たちにとっては、大きな希望だといえる。いまでは高血圧や動脈硬化症に薬が数多く現われているように、病因とされる諸説それぞれからいろいろな種類の薬が出現すれば、それだけ患者の病態に応じた使い分けができることになり、いっそうきめ細かい治療が可能になるからである。
薬の開発というのは、つねに基礎研究と表裏の関係にある。早期発見をめざす検査薬の開発でも同じである。現在、脳の研究は学界ばかりでなく、行政においても重点研究として取り組む態勢が組まれているが、そうした基礎研究からよい治療薬が開発されれば、外国からも感謝されるばかりでなく、莫大な特許料も入ってくることになる。そうすれば、その利益をもとに、さらなる新薬の開発も可能になるのである。逆に、もし立ち遅れることがあれば、アメリカをはじめとする海外から、高い薬を買わされることになりかねない。
今後は基礎研究の充実と並行して、日本の製薬企業も、新しい発想で開発に取り組む必要がある。新しく発見された薬は、よい薬であればあるほど、その寿命も長い。アリセプトにつづく、次なるファーマドリームの実現が強く望まれる。
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X 一錠の薬を飲む前に
■ いよいよ増大する薬物療法の役割
これまで、日本は欧米先進国と比べて、医療支出に占める薬剤費の割合がきわめて高いといわれてきたが、その背景には、過去の日本の医療の特殊性がある。たとえば、医療側でいえば、薬価差益が重要な収益源になっていたこと。患者側も、医療に技術やサービスより、薬という「モノ」を求める、「薬信仰」が強かったこともある。
そうした中で、いまや薬剤費の削減が、とめどなく膨張する医療費の抑制を達成するための目標の一つとされている。たとえば医療機関に対しては、医薬分業の導入で、薬を医師の手から引き離す。また一部の病気については、「定額医療」といって、定められた以上の医療費が支払われない仕組みが進められようとしている。薬価差益をなくすための施策が行われ、製薬企業側に対しては、毎年のように薬価の切り下げが行われている。
たしかに限られた医療資源を適正に配分するには、ムダと思われるものはできるだけ削ぎ落としていかなければならないが、そのことによって医療の質が落ちたり、医学の進歩を妨げてしまうようなことがあってはなるまい。過去の歪みを是正することも大切だが、それと同時に、今後、医療の中で薬物療法が占めるウエートが増大するであろうという、未来に向けてのベクトルも見据えておく必要がある。
現在、医療はいろいろな意味で激変期にある。たとえば、これからの医療のキーワードの一つとして、「非侵襲的治療を」というのがある。患者本位の医療を行うために、できるだけ患者の体に負担にならない治療法を開発しようという考え方である。
非侵襲的治療に対する侵襲的治療の典型は外科手術だが、現在では世界的に、その件数は減少傾向にあるという。とくに内視鏡手術といって、おなかに小さな孔を開けるだけで胆石などを取り出す「非侵襲的手術」は、外科医学の世界を大幅に変えようとしている。内視鏡手術は患者の体にあたえるダメージが少ないため、入院日数を減らすことができるので、結果として医療費抑制にも寄与することから、歓迎されている。
非侵襲的治療の王者は、なんといっても薬物による治療である。実際、外科手術から薬物療法に置き換えられたものは、これまでいくつかあるが、よくあげられるのが胃・十二指腸潰瘍の治療法の変化である。この病気では、前に述べた受容体理論の最大の成功例とされる、H2拮抗薬などの出現によって、もはや手術はほとんど行われなくなった。また、かつては非常に多かった虫垂炎の手術が激減した原因の一つとして、抗生物質の寄与をあげる学者もいる。
これらは、最近の生化学、薬理学を中心とする医学の進歩のおかげである。現在の薬は、かつてのように「効くから効く」のではなく、なぜ効くのかが、かなりはっきり分かるようになった。一定の科学的根拠のもとに正確な評価を受けることで、いよいよ「切れ味鋭い」薬が出現してきているのだ。
分子生物学の進歩によって、「バイオ医薬品」と呼ばれる薬もぞくぞく現われている。遺伝子の研究がさかんになり、その産生する新しい酵素タンパク質が発見されて、これまでにない酵素活性阻害薬も開発されようとしている。
遺伝子といえば、ある病気を治療するためには、原因へ、原因へとターゲットを絞っていくのが科学としての医学のあり方である以上、究極の医療は遺伝子治療ということになる。だからといって、男性型脱毛症やEDの治療法として遺伝子治療が現われる可能性は薄いが、先天性疾患の一部や、遺伝子病であることがはっきりしたがんの治療で遺伝子治療が始まっていることは、毎日のように報じられるニュースから知られる通りである。
遺伝子治療とは、いってみれば遺伝子の欠損や誤りの部分に、正しい遺伝子を送り届けようとするものである。その修理業者を届けるメッセンジャーの働きをするのが、ベクターと呼ばれる無害化されたウイルスである。実際には、果たしてベクターが本当に無害であるのか、遺伝子は間違いなく所定の場所に送り届けられるのかなど、いろいろ疑問はあるが、将来、もしこの遺伝子治療が確立されたとすれば、患部≠ノ送り届けられるベクターは、一種の薬と考えてもよいのではなかろうか。
内視鏡治療も、従来の開腹などによる外科手術が「面」的であったものを、「線」に変えることで侵襲度を小さくしたと考えることができる。だとすれば、少し空想的になるが、将来は「線」を「点」にまで進めて、手術器械を操る内視鏡やカテーテルのような「線」もなくし、映画『ミクロの決死圏』のように、精緻な画像を見ながら、遠隔操作でミクロ化した器械だけを患部に送り、治療を行うことはできないだろうか。
もしそれが可能になれば、この「点」も、一種の薬と考えることもできるかもしれない。薬の副作用というのは全身に薬がまき散らされることによって起こるわけだが、それを防ぐため、現在、すでにDDS(Drug Delivery System=薬物送達システム)の一つとして、患部にだけ薬を集中する方法が模索されている。「点」の原理も、化学的と物理的の違いこそあれ、DDSと変わらないことになるかもしれないからだ。
■ 創薬のむずかしさ
新薬の開発は、医学の進歩と並行して、すさまじいいきおいで進んでいる。いや、むしろ薬の開発のほうが、医学の進歩に先んじていることが多いことは、これまでの新薬の開発事情を見てもお分かりであろう。
では、なにが、このように製薬企業を新薬の開発に奔命させるのか。
製薬企業の第一義的な使命は、画期的な薬を開発することにある。これまで治療法がなく、あるいはあったとしても、侵襲的な外科手術のために苦しむことの多かった患者を、悩みから解放することにある。そのために製薬会社の研究者たちは日夜苦心しているわけだが、いままで何度も述べてきたように、創薬にはスペキュレーションの性格が強い。その方法はますます科学的になりつつあるとはいえ、発端はアイデアであり、先見性である。その上、幸運にも恵まれなければならぬため、その果実を手にできるのはほんの一握りの研究者だけである。
そしてだれしもが成功を望む以上、競争が熾烈になるのは当然である。そのインセンティブには地位や経済的利益への野心もあるかもしれないが、それ自体は人間社会であれば、どこにでもあることである。他の業種と違うのは、彼らの場合、優れた薬の開発は、患者やその家族の幸福に直結するという大きな喜びをもたらすことである。
そこで、外から見ればただの白亜の科学技術の殿堂のようにみえる研究所の内部には、研究者たちの希望や成功がある一方で、挫折も多く、喜びや失意が交錯する凄まじいドラマが進行しているのである。製薬会社にとっても、アリセプトのように、ときには実るとも思えなかった小さな芽が大きな花を咲かせることもあり、成功したときの達成感は格別のものがある。
大きな花とは、精神的満足感だけではない。より具体的にいえば経済的利益である。今日の医薬品マーケットは世界規模のため、万一成功すれば、国内向けのローカル・ドラッグをつくっていた時代とは比べものにならないほどの巨利を手にする可能性もあるのだ。
この観点からいえば、まさしく「クスリ九層倍」の世界である。この点で、生命を救い、クオリティ・オブ・ライフを改善する「聖性」と、巨利を得たいという「俗性」との乖離の甚だしさは、第三者には理解を超えたものになるかもしれない。
しかし、モノとしての製造原価からいえばとるにたらない一つの錠剤でも、それが生み出され、市場に出されるまでには、探索から前臨床試験を経て臨床試験にいたるまで、失敗も含め、膨大な情報がこめられているのだ。クスリとは、まさに情報の巨大な集積の賜物なのである。
仮に成功を収めたとしても、薬に完全ということはない。ほとんどの薬は、あとから現われる、より優れた薬によって追い越される運命にある。特許切れになれば、ゼネリック(ゾロ品)と呼ばれる類似品に脅かされることもある。そのため製薬会社は、つねに次なる新薬の開発をめざし、危機意識に追われながら前へ前へと進んでいかなければならない宿命を背負っているのである。
もちろん、あらゆる製造工業でも同じことがいえるわけだが、薬の場合、一つの薬の開発に十年から十五年の歳月がかかるのが普通で、その間、一件につき百五十億から二百億円もの資金が費やされるという。途方もない年月とコストが必要とされるわけで、その点でもかなり特異な業種だといえる。さらに開発に成功したとしても、ただちにその利益を次の新薬開発に投入しなければならず、しかもこのイタチごっこは永遠につづくのである。
このことに加え、日本では臨床試験が非常に行われにくいというネックがある。これは、これまでの医療体制に対する不信感と、実験的治療をいとう日本人特有の心情のためとされるが、このハードルを乗り越えなければ、新薬の開発はできない。
そこで最近は、アリセプトがそうであったように、海外での臨床試験が先行する例が増えている。しかし、その結果がよければ日本でも使いますというのであれば、外国から「フリー・ライド」の批判を受けても仕方あるまい。
こうした外国に依存するケースが増えるにつれ、日本での臨床試験の「空洞化」が叫ばれるようになり、製薬業界だけでなく医学界にも危機意識が強まってきている。過去に十分な説明をすることなく、臨床試験が行われてきたことのツケが回ってきたともいえるわけだが、その対策として、最近は、十分な説明を受けた上で臨床試験に参加してもらおうと、治験コーディネーターという新しい職種が誕生し、活動を始めている。
新薬開発というのは、あらゆる製造工業の中で、もっとも省資源高付加価値の商品であるため、資源に乏しいこの国にとって、研究開発のターゲットとしてもっともふさわしいものといえるが、その割には、日本で開発された画期的な新薬は多くない。これは、医学の基礎研究に投じられる人材や資金が少ないということでもあるので、今後は、産学協同などを通して、もっと創薬を実現する方向に向かって欲しいものである。
■ 製薬会社の聖性と俗性
こうした個々の努力にもかかわらず、製薬会社の評判がよくないのは不幸なことである。新薬開発による受益者は、短期的にみれば研究者と製薬企業だが、長期的には、患者あるいは患者候補である日本人全体であるからだ。
不評の原因は、歴史的にみれば、呪術的で怪しげな薬が横行した大昔にまでさかのぼることもできよう。それでもなお人々が薬を求めたのは、カナダの著名な医師オスラーがいみじくも言ったように、「薬を求めるか否かが人間と動物を分ける特徴」だからである。医学が未発達の時代には、効かない薬が出回るのも、ある程度は仕方がなかったともいえるのである。
こうした不信感は、製薬企業に対してというより、薬に対する懐疑だったといえるが、近代の製薬企業でも、つい先ごろまで、企業の論理が優先することがしばしばで、安全性や有効性を評価するシステムが未熟だったこともあり、犠牲者を出すような副作用の強い薬や、いつのまにか消え去るような効かない薬が市場に出回る例も数多くみられた。
最近の例でいえば、薬害エイズ事件がその典型だが、その後遺症はいまなお尾を引いている。このように、行政や企業の怠慢のために重大な薬害を生み出すようなことは、決してあってはならないことである。
そのことに関連していえば、マスコミは薬の副作用には敏感で、きわめてきびしいが、効かない薬を生み出した罪に対しても、同等のきびしさがあってもよかったのではなかろうか。というのも、医療機関では、よく効くが副作用が強いため取り扱いがむずかしい薬よりも、たとえ効かなくても副作用の少ない、いってみれば「毒にも薬にもならない」薬のほうがむしろ歓迎されたからだ。そのことが製薬企業の営利性を刺激し、さらに「薬漬け」を生む大きな原因の一つになったのである。もちろんこれは製薬企業だけの罪ではなく、科学的に水準の低い評価で臨床試験を行った医師たちの責任も大きく、結果的には、製薬会社と結託したといわれても仕方がないところがある。
このような薬を生み出さないためにも、サリドマイドを水際で撃退したことで知られるアメリカのFDAのような、きびしい審査機関の設置が望まれるわけだが、ようやく日本でも、そうしたシステムがつくられようとしている。遅まきながら日本も、科学の基盤の上に立った、客観的に安全性と有効性が確かめられた新薬だけが市場に現われる仕組みへと、生まれ変わろうとしているところである。
社会の成熟は、こうした時間的流れを理解した上で、人々が製薬企業の一見あい反するかにみえる「聖性」と「俗性」を、どのように受け止めるかにかかっている。この二つの価値の共存は、どの企業にも共通したものだが、製薬企業の場合、生み出すものが生命に関わるだけに、「俗性」が常軌を逸したときは(たとえば優れて倫理的でなければならない臨床試験で企業の論理が優先したときなど)、他の業種以上にきびしく批判されなければならないのは当然であろう。
それと同時に、受益者である国民も、「切れ味鋭い」薬とはリスクを秘めた薬であることを十分に知る必要があるだろう。いくら安全性が見きわめられたといっても、人間の体というのはマウスやラットのように均質ではない。体質と呼ばれる遺伝的因子のため、Aの人には効いてもBという人には効かないことも多く、これは副作用の現われ方でも同じである。
■ 薬の社会的性格
こうした「切れ味鋭い」薬の性格からみても、薬は定められた量を、定められた時間に、定められた方法で飲むべきである。もの忘れの多い、ことに痴呆症のような老人の場合は、飲み忘れたり飲みすぎたりしないよう、家族の管理が必要だ。小さな子どもがいるような家では、糖衣錠をお菓子のつもりで飲んでしまわないよう、手の届かないところに置く必要がある。また、一人一人の薬は、その人の病態に応じて処方されているのだから、薬を他人に譲り渡したり、分け合ったりするようなことがあってはならない。
副作用が強く出るようなときには、すぐに医師に相談したほうがよい。薬によっては、多少の副作用があっても飲まなければならないものもあるので、薬の処方箋が渡されたり、薬局で薬を受け取ったりするときに、医師や薬剤師からできるだけ説明を受けたほうがよい。
いく種類もの薬を飲むときは、相互作用といわれる、飲み合わせによる副作用が起こることもある。飲み合わせが危険であることがはっきりしている薬の種類も少なくない。最近は経口薬が肝臓で代謝を受けるときの酵素のタイプも研究されていて、タイプが同一のときは酵素が処理しきれなくなるため、副作用が強く出ることが報告されている。そのため、とくに複数の医療機関から薬を受け取った場合などは、前の薬を提示して、相互作用がないかどうかを必ず聞く必要がある。これは、市販薬が加わる場合でも同じである。
しかし、薬の組み合わせは無数ともいえるため、それぞれの相互作用が完全に確かめられているわけではない。たとえば毛生え薬のプロペシア(まだ認可されていないが)を飲めば性的機能が低下するが、それならバイアグラを飲めばよい、というのは冗談としては成立するが、人間の機能は機械とは違うので、まずお勧めはできない。
プロペシアやバイアグラのような、いわゆるライフスタイル・ドラッグは、今後もぞくぞくと日本に入ってくる可能性がある。たとえば、現在、アメリカで抗肥満薬がブームになっているといわれ、これも日本に上陸する気配があるという。
これらは、プロペシアやバイアグラにも似て、薬の効き目はかなり普遍的だが、それを受け入れる社会や文化の土壌は、完全に同一とはいえない。欧米人の幸福が即日本人の幸福とは、必ずしもいえないであろう。こうした薬が市場に出るに際しては、社会の「受容体」が健全であるかどうかも、十分に考慮される必要があるだろう。
そして、できることなら薬など必要としない健康な生活を送りたい。人間はできるだけ自然であったほうがよいのだから、これは当然の願いである。しかし、高齢化と少子化を同時に迎える社会では、高齢者にもできるだけ社会に参加し、生産人口に加わってもらわねばならない。そのためにも、寝たきりや痴呆を防ぐ薬の開発がもっとも焦眉の急であるのは間違いない。
その一方で、エイズの治療薬は次々と現われていながら、高価なため、発展途上国に多数いる患者には届いていないという。そういう現実がありながら、今後、医学・薬学の進歩の余恵として、ライフスタイル・ドラッグを乱用する社会が先進国のあいだに現われるとすれば、疑問なしとはいえないのである。
医療や薬の目的は、人間を健康にし、幸福にすることにある。しかし、その場合でも、進歩がもたらす幸福とはなにかについて、つねに見きわめておく必要があろう。
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あ と が き
どうも薬についてのイメージがあまり芳しくない。なによりも薬は、医療の重要な担い手の一端として、生命を救ったり苦痛を軽減したりすることに寄与しているはずなのだが、そのことが語られることはあまりない。薬が話題になるときは、副作用の被害や、それに伴う製薬企業の営利性などが強調されることが多いようだ。
このようなイメージがつくられた理由については、それによって得られる便益よりも副作用のほうが大きい薬が発売されて被害者を数多く生んだ事件があいついだこと、また効いたか効かなかったかはっきりしない気休め的な薬が横行したことなど、過去の歴史にさかのぼることもできるだろう。しかし、そのもっとも大きな原因は、科学的検証が不十分であったことにある。とはいえ、広い意味で医療の歴史というのは、成功と失敗の積み重ねの上に築き上げられてきたもので、いわば経験の産物ともいえるわけで、薬物療法もその例外とはいえない。
ただ薬の場合、そうした経緯において、開発する企業の営利性が直接的に浮かび上がることがしばしばあったため、非難を免れなかったという事情もあろう。若年時に製薬企業に身を投じようとした過去を持つ筆者には、こうした悪評はけっして他人のものとはいえなかった。
だが、過去の苦い教訓の上によりよいシステムを構築するのも人間の知恵で、ある時期から前臨床試験の充実、臨床試験におけるダブルブラインド・テストの導入などで、日本の製薬企業もようやく生命関連産業としての体裁を整えた感じがあるのは、喜ぶべきことである。
また、薬の開発の基本になる生化学や薬理学の進歩も急速で、最近の新薬にはきわめて有効性の高いものが現われるようになり、そのため外科手術が薬物療法に置き換えられる例が増えてきた。これは一義的には歓迎すべきことだが、同時に、薬というのはいくら安全性が確かめられても、患者の個別性などで必ずリスクを伴うため、このような「切れ味鋭い」薬が現われることは、患者も薬についての十分な認識が必要な時代に入りつつあることを意味している。
しかも、薬の開発の方法論として受容体理論や酵素活性阻害などが重要な手法となるにしたがって、従来は病気と認識されることが薄かった症状にも、確実に効果を現わす薬が登場してきた。最近大きな話題になった男性型脱毛、勃起機能不全(ED)に対する治療薬がその典型である。これらは生活条件を改善するとの理由で「ライフスタイル・ドラッグ」と呼ばれているが、こうしたケースでは、薬を服用するかどうか自体が個人の価値観に支配されるという、むずかしい問題をはらんでいる。
このことを、患者あるいは患者予備軍としての一人一人が認識するためには、現在、薬がどのように開発されているのかを知ってもらうことがなによりも有益ではないだろうか。これら「ライフスタイル・ドラッグ」の出現を契機に、いくつかの新薬をいわばケーススタディとして、開発の経緯をその社会的側面とともに提供してみたいと考えていた。
そんな折、たまたま筆者が関わっている技術開発担当者の集まりで、エーザイの杉本八郎氏の講演を聞く機会があり、氏の開発の動機と、開発までの苦闘の物語に非常に感銘を受けた。
氏らが治療薬を開発したアルツハイマー病は、高齢化社会にあって、がんと並んで人類の最大の脅威といわれる病気である。したがって、ライフスタイル・ドラッグと同列に語るにはいささか憚りがあるが、目下話題の新薬であることは疑いない。
しかも、酵素活性阻害という同じ方法論で、まったく異質の病気の治療薬が出現するというのも、薬の多様性、社会性を読者に考えてもらうのに好適ではないか、また科学技術一点張りのようにみられている薬の開発の現場にも、実は人間のドラマがあることを伝えるのにも絶好ではないかと考えて、ケーススタディの一つに加えてみようと考えた。
本書をまとめるにあたっては、開発の当事者あるいはそれに関連する企業である、万有製薬、大正製薬、ファイザー製薬、エーザイ各社の広報関係の方々から資料を提供していただくなど、多大の支援をいただいた。
勃起不全のノンエレクト法については阿部輝夫氏(あべメンタルクリニック院長)に聞いた。さらに杉本氏からは、エーザイの筑波探索研究所を訪ねるなどして、アリセプトだけでなく最近の創薬研究についての多くの情報を受け、筆者の昔日の知識を改変してもらったのが、なによりの収穫であった。また最近の薬理学については、北里大学名誉教授の鹿取信氏から示唆をいただいた。
毛髪の医学については北里大学名誉教授・塩谷信幸氏、日本毛髪科学協会理事長・渡辺靖氏から資料・図版などの提供を受けた。バイアグラについては、ファイザー製薬が発売以前に開催したアドバイザリー・ボードなど、いくつかの研究発表、説明会などの場に参加の機会を得、啓発された。関係者の方々に感謝の意を述べたい。なお、文中では敬称を略したことを付記しておく。
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【各有効成分の化学構造式】
(構造式省略)
【主要参考文献】
『毛髪を科学する──発毛と脱毛のしくみ』松崎貴 岩波科学ライブラリー 一九九八年
『若ハゲは止められるか──発毛のメカニズムと育毛剤の効能』大朏博善 講談社ブルーバックス 一九九三年
『奇跡の薬バイアグラ──その驚異の効能と安全な使用法』スーザン・C・ボーン 船田宏訳 イースト・プレス 一九九八年
『バイアグラ革命──夢の新薬があなたを救う!』アメリカ新薬研究会 酒井和夫監修 リヨン社 一九九八年
『〈医薬品の真相〉バイアグラそこが知りたい』食品医薬品研究会編 勝間田宏責任監修 青春出版社 一九九八年
『ボケの原因を探る』黒田洋一郎 岩波新書 一九九二年
『アルツハイマー病』黒田洋一郎 岩波新書 一九九八年
『脳の老化とぼけ』朝長正徳 紀伊國屋書店 一九八八年
『ぼけの診療室』中村重信 紀伊國屋書店 一九九〇年
「アロイス・アルツハイマーの生涯」池田和彦(『ミクロスコピア』vol.11 no.1)
『酵素反応のしくみ──現代化学の最大の謎をさぐる』藤本大三郎 講談社ブルーバックス 一九九六年
『薬の飲み合わせ──なぜ起こる、どう防ぐ?』伊賀立二監修 澤田康文著 講談社ブルーバックス 一九九六年
『この薬はウサギかカメか──体内での薬の動き・働き・スピード』澤田康文 中公新書 一九九七年
『分子レベルで見た薬の働き──新しい薬に挑む生命科学』平山令明 講談社ブルーバックス 一九九七年
『続 新薬の話』TU 貴島静正 裳華房 一九九六年
『薬の話』山崎幹夫 中公新書 一九九一年
『薬の発明──そのたどった途』山崎幹夫/渋谷健/荒川裕子他 日本薬学会 一九八六年
『薬の発明──そのたどった途2』富部克彦/藤村一/須山忠和他 日本薬学会 一九八八年
『歴史の中の化合物──くすりと医療の歩みをたどる』山崎幹夫 東京化学同人 一九九六年
『標準薬理学(第5版)』海老原昭夫監 鹿取信/今井正編 医学書院 一九九七年
『Hair Transplantation』edit by Walter P.Unger,Marcel Dekker Inc.1995
〈底 本〉文春新書 平成十一年七月二十日刊