TITLE : 新編宮沢賢治詩集
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『春と修羅』第一集
屈折率
くらかけの雪
日輪と太市
コバルト山地
恋と病熱
春と修羅
陽ざしとかれくさ
雲の信号
休 息
蠕虫舞手
小岩井農場
パート一
パート九
林と思想
青い槍の葉
報 告
岩手山
高 原
原体剣舞連
マサニエロ
永訣の朝
松の針
無声慟哭
青森挽歌
噴火湾(ノクターン)
過去情炎
冬と銀河ステーション
『春と修羅』第二集
五輪峠(先駆形A)
晴天恣意
早春独白
休 息
〔いま来た角に〕
曠原淑女(〔日脚がぼうとひろがれば〕先駆形)
鳥の遷移
〔この森を通りぬければ〕
薤露青
秋と負債
産業組合青年会
〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕
善鬼呪禁
母に云う(〔野馬がかってに〕先駆形A)
旅程幻想
氷質の冗談
風と反感
未来圏からの影
朝 餐
〔Largo や青い雲〓やながれ〕
岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)
鬼言(幻聴)
告 別
『春と修羅』第三集
〔道べの粗朶に〕
饗 宴
〔霧がひどくて手が凍えるな〕
〔土も掘るだろう〕
開 墾
札幌市
〔同心町の夜あけがた〕
悍 馬
開墾地検察
県技師の雲に対するステートメント
僚 友
〔あすこの田はねえ〕
野の師父
和風は河谷いっぱいに吹く
〔もうはたらくな〕
〔二時がこんなに暗いのは〕
台 地
停留場にてスイトンを喫す
穂孕期
『詩ノート』
〔ソックスレット〕
〔洪積世が了って〕
〔あんまり黒緑なうろこ松の梢なので〕
政治家
〔何と云われても〕
〔こぶしの咲き〕
〔サキノハカという黒い花といっしょに〕
〔これらは素樸なアイヌ風の木柵であります〕
囈 語
『春と修羅 詩稿補遺』
〔どろの木の根もとで〕
林中乱思
〔こっちの顔と〕
毘沙門天の宝庫
火 祭
地 主
会 見
〔まぶしくやつれて〕
〔まあこのそらの雲の量と〕
境内(〔みんな食事もすんだらしく〕先駆形)
休 息
来 訪
〔しばらくだった〕
〔倒れかかった稲のあいだで〕
若き耕地課技手のIrisに対するレシタティヴ
〔高原の空線もなだらに暗く〕
『疾中』
病 床
眼にて云う
〔その恐ろしい黒雲が〕
〔丁丁丁丁丁〕
〔風がおもてで呼んでいる〕
〔胸はいま〕
『文語詩稿』
〔いたつきてゆめみなやみし〕
〔水と濃きなだれの風や〕
〔夜をま青き藺むしろに〕
〔きみにならびて野にたてば〕
〔川しろじろとまじはりて〕
同 (先駆形)
岩手公園
選 挙
〔みちべの苔にまどろめば〕
旱害地帯
塔中秘事
〔鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし〕
〔小きメリヤス塩の魚〕
賦 役
〔ながれたり〕
〔弓のごとく〕
〔まひるつとめにまぎらひて〕
烏百態
〔ただかたくなのみをわぶる〕
〔ひとひははかなくことばをくだし〕
〔夕陽は青めりかの山裾に〕
農学校歌
『装景手記』
〔澱った光の澱の底〕
『補遺詩篇』
〔この夜半おどろきさめ〕
〔雨ニモマケズ〕
小作調停官
〔わが雲に関心し〕
〔われらぞやがて泯ぶべき〕
『春と修羅』 第一集
わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失われ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりずつ
そのとおりの心象スケッチです
これらについて人や銀河や修羅や海胆《うに》は
宇宙塵《うちゆうじん》をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがえましょうが
それらも畢竟《ひつきよう》こころのひとつの風物です
ただたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとおりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとおりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるように
みんなのおのおののなかのすべてですから)
けれどもこれら新生代沖積世《ちゆうせきせい》の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈《はず》のこれらのことばが
わずかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるように
そしてただ共通に感ずるだけであるように
記録や歴史 あるいは地史というものも
それのいろいろの論料《データ》といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじているのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相当のちがった地質学が流用され
相当した証拠もまた次々過去から現出し
みんなは二千年ぐらい前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀《くじやく》が居たとおもい
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀《はくあき》砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日
宮 沢 賢 治
屈折率
七つ森のこっちのひとつが
水の中よりもっと明るく
そしてたいへん巨《おお》きいのに
わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向うの縮れた亜鉛《あえん》の雲へ
陰気な郵便脚夫《きやくふ》のように
(またアラッディン 洋燈《ランプ》とり)
急がなければならないのか
二二・一・六
くらかけの雪
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしゃぽしゃしたり黝《くす》んだりして
すこしもあてにならないので
ほんとうにそんな酵母《こうぼ》のふうの
朧《おぼ》ろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風《こふう》な信仰です)
二二・一・六
日輪と太市
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面《めん》を
どんどん侵してかけている
吹雪《フキ》も光りだしたので
太市は毛布《けつと》の赤いズボンをはいた
二二・一・九
コバルト山地
コバルト山地《さんち》の氷霧《ひようむ》のなかで
あやしい朝の火が燃えています
毛無森《けなしもり》のきり跡あたりの見当《けんとう》です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えています
二二・一・二二
恋と病熱
きょうはぼくのたましいは疾《や》み
烏《からす》さえ正視ができない
あいつはちょうどいまごろから
つめたい青銅《ブロンズ》の病室で
透明薔薇《ばら》の火に燃される
ほんとうに けれども妹よ
きょうはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
二二・三・二〇
春と修羅
(mental sketch modified)
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲《てんごく》模様
(正午の管楽《かんがく》よりもしげく
琥珀《こはく》のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾《つばき》し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路《めじ》をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃《せいはり》の風が行き交い
ZYPRESSEN  春のいちれつ
くろぐろと光素《エーテル》を吸い
その暗い脚並《あしなみ》からは
天山の雪の稜さえひかるのに
(かげろうの波と白い偏光)
まことのことばはうしなわれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄《ぎよくずい》の雲がながれて
どこで啼《な》くその春の鳥)
日輪青くかげろえば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀《わん》から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢《こずえ》から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまといおれを見るその農夫
ほんとうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN  しずかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截《き》る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみじんにちらばれ)
いちょうのこずえまたひかり
ZYPRESSEN  いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
二二・四・八
陽ざしとかれくさ
どこからかチーゼルが刺し
光《こう》パラフィンの 蒼《あお》いもや
わをかく わを描く からす
烏の軋《きし》り……からす器械……
(これはかわりますか)
(かわります)
(これはかわりますか)
(かわります)
(これはどうですか)
(かわりません)
(そんなら おい ここに
雲の棘《とげ》をもって来い はやく)
(いいえ かわります かわります)
………………………刺し
光パラフィンの蒼いもや
わをかく わを描く からす
からすの軋り……からす機関
二二・四・二三
雲の信号
ああいいな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光っているし
山はぼんやり
岩頸《がんけい》だって岩鐘《がんしよう》だって
みんな時間のないころのゆめをみているのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲《かか》げられていた
山はぼんやり
きっと四本杉には
今夜は雁《がん》もおりてくる
二二・五・一〇
休 息
そのきらびやかな空間の
上部にはきんぽうげが咲き
(上等の butter-cup 《バツタ カツプ》ですが
牛酪《バター》よりは硫黄と蜜《みつ》とです)
下にはつめくさや芹《せり》がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴っている
(よしきりはなく なく
それにぐみの木だってあるのだ)
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあって
みんなぎらぎら湧《わ》いている
帽子をとって投げつければ黒いきのこしゃっぽ
ふんぞりかえればあたまはどての向うに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
このかれくさはやわらかだ
もう極上のクッションだ
雲はみんなむしられて
青ぞらは巨《おお》きな網の目になった
それが底びかりする鉱物板だ
よしきりはひっきりなしにやり
ひでりはパチパチ降ってくる
二二・五・一四
蠕虫舞手《アンネリダ タンツエーリン》
(ええ 水ゾルですよ
おぼろな寒天《アガア》の液ですよ)
日は黄金《きん》の薔薇《ばら》
赤いちいさな蠕虫《ぜんちゆう》が
水とひかりをからだにまとい
ひとりでおどりをやっている
(ええ 8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》
ことにもアラベスクの飾り文字)
羽むしの死骸《しがい》
いちいのかれ葉
真珠の泡に
ちぎれたこけの花軸など
(ナチラナトラのひいさまは
いまみず底のみかげのうえに
黄いろなかげとおふたりで
せっかくおどっていられます
いいえ けれども すぐでしょう
まもなく浮いておいででしょう)
赤い蠕虫舞手《アンネリダ タンツエーリン》は
とがった二つの耳をもち
燐光珊瑚《りんこうさんご》の環節に
正しく飾る真珠のぼたん
くるりくるりと廻《まわ》っています
(ええ 8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》
ことにもアラベスクの飾り文字)
背中きらきら燦《かがや》いて
ちからいっぱいまわりはするが
真珠もじつはまがいもの
ガラスどころか空気だま
(いいえ それでも
エイト ガムマア イー スィックス アルファ
ことにもアラベスクの飾り文字)
水晶体や鞏膜《きようまく》の
オペラグラスにのぞかれて
おどっているといわれても
真珠の泡を苦にするのなら
おまえもさっぱりらくじゃない
それに日が雲に入ったし
わたしは石に座ってしびれが切れたし
水底の黒い木片は毛虫か海鼠《なまこ》のようだしさ
それに第一おまえのかたちは見えないし
ほんとに溶けてしまったのやら
それともみんなはじめから
おぼろに青い夢だやら
(いいえ あすこにおいでです おいでです
ひいさま いらっしゃいます
8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》
ことにもアラベスクの飾り文字)
ふん 水はおぼろで
ひかりは惑い
虫は エイト ガムマア イー スィックス アルファ
ことにもアラベスクの飾り文字かい
ハッハッハ
(はい まったくそれにちがいません
エイト ガムマア イー スィックス アルファ
ことにもアラベスクの飾り文字)
二二・五・二〇
小岩井農場
パート一
わたくしはずいぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらっとひかったくらいだ
けれどももっとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖《に》たひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そっくりおとなしい農学士だ
さっき盛岡のていしゃばでも
たしかにわたくしはそうおもっていた
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたっている
馭者《ぎよしや》がひとことなにかいう
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消《つやけ》しだ
馬も上等のハックニー
このひとはかすかにうなずき
それからじぶんという小さな荷物を
載っけるという気軽《きがる》なふうで
馬車にのぼってこしかける
(わずかの光の交錯《こうさく》だ)
その陽《ひ》のあたったせなかが
すこし屈《かが》んでしんとしている
わたくしはあるいて馬と並ぶ
これはあるいは客馬車だ
どうも農場のらしくない
わたくしにも乗れといえばいい
馭者がよこから呼べばいい
乗らなくたっていいのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆっくり時間もほしいのだ
あすこなら空気もひどく明瞭《めいりよう》で
樹《き》でも艸《くさ》でもみんな幻燈だ
もちろんおきなぐさも咲いているし
野はらは黒ぶどう酒《しゆ》のコップもならべて
わたくしを款待するだろう
そこでゆっくりとどまるために
本部まででも乗った方がいい
今日《きよう》ならわたくしだって
馬車に乗れないわけではない
(あいまいな思惟《しい》の蛍光《けいこう》
きっといつでもこうなのだ)
もう馬車がうごいている
(これがじつにいいことだ
どうしようか考えているひまに
それが過ぎて滅《な》くなるということ)
ひらっとわたくしを通り越す
みちはまっ黒の腐植土で
雨《あま》あがりだし弾力もある
馬はピンと耳を立て
その端《はじ》は向うの青い光に尖《とが》り
いかにもきさくに駈《か》けて行く
うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場《ていしやば》と
新開地風の飲食店《いんしよくてん》
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらじや sun-maid のから函《ばこ》や
夏みかんのあかるいにおい
汽車からおりたひとたちは
さっきたくさんあったのだが
みんな丘かげの茶褐部落や
繋《つなぎ》あたりへ往くらしい
西にまがって見えなくなった
いまわたくしは歩測のときのよう
しんかい地ふうのたてものは
みんなうしろに片附《かたづ》けた
そしてこここそ畑になっている
黒馬が二ひき汗でぬれ
犁《プラウ》をひいて往ったりきたりする
ひわいろのやわらかな山のこっちがわだ
山ではふしぎに風がふいている
嫩葉《わかば》がさまざまにひるがえる
ずうっと遠くのくらいところでは
鶯《うぐいす》もごろごろ啼《な》いている
その透明な群青《ぐんじよう》のうぐいすが
(ほんとうの鶯の方はドイツ読本の
ハンスがうぐいすでないよと云った)
馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのようなとこへ
すましてこしかけているひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾《こ》された日光のために
いよいよあかく灼《や》けている
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすっかり変っている
変ったとはいえそれは雪が往き
雲が展《ひら》けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光《りんこう》や樹液《じゆえき》がながれ
あおじろい春になっただけだ
それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転《ばんぽうるてん》のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起《けいき》するということが
どんなに新鮮な奇蹟《きせき》だろう
ほんとうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密《ちゆうみつ》で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草《かれくさ》
松木がおかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰鬱《いんうつ》にふるびて見える
パート九
すきとおってゆれているのは
さっきの剽悍《ひようかん》な四本のさくら
わたくしはそれを知っているけれども
眼にははっきり見ていない
たしかにわたくしの感官の外《そと》で
つめたい雨がそそいでいる
(天の微光にさだめなく
うかべる石をわがふめば
おおユリア しずくはいとど降りまさり
カシオペーアはめぐり行く)
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳《ひとみ》をりんと張って
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にいる
……………はさっき横へ外《そ》れた
あのから松のとこから横へ外れた
((幻想が向うから迫ってくるときは
もうにんげんの壊れるときだ))
わたくしははっきり眼をあいてあるいているのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずいぶんしばらくぶりで
きみたちの巨《おお》きなまっ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊《はくあ》系の頁岩《けつがん》の古い海岸にもとめただろう
((あんまりひどい幻想だ))
わたくしはなにをびくびくしているのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきっと斯《こ》ういうことになる
きみたちときょうあうことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになって遁《に》げなくてもいいのです
(ひばりが居るような居ないような
腐植質から麦が生え
雨はしきりに降っている)
そうです 農場のこのへんは
まったく不思議におもわれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punkt と
呼びたいような気がします
この冬だって耕耘部《こううんぶ》まで用事で来て
ここいらの匂《におい》のいいふぶきのなかで
なにとはなしに聖《きよ》いこころもちがして
凍えそうになりながらいつまでもいつまでも
いったり来たりしていました
さっきもそうです
どこの子どもらですかあの瓔珞《ようらく》をつけた子は
((そんなことでだまされてはいけない
ちがった空間にはいろいろちがったものがいる
それにだいいちさっきからの考えようが
まるで銅版のようなのに気がつかないか))
雨のなかでひばりが鳴いているのです
あなたがたは赤い瑪瑙《めのう》の棘《とげ》でいっぱいな野はらも
その貝殻のように白くひかり
底の平らな巨きなすあしにふむのでしょう
もう決定した そっちへ行くな
これらはみんなただしくない
いま疲れてかたちを更《か》えたおまえの信仰から
発散して酸《す》えたひかりの澱《おり》だ
ちいさな自分を劃《かぎ》ることのできない
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがいに燃えて
じぶんとひとと万象といっしょに
至上福祉にいたろうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがいから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたったもひとつのたましいと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行こうとする
この変態を恋愛という
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾という
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従って
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといっても
それがほんとうならしかたない
さあはっきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理学の法則にしたがう
これら実在の現象のなかから
あたらしくまっすぐに起て
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立って行く
もうけっしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云ったとこで
またさびしくなるのはきまっている
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚《た》いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリックス ラリックス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかっきりみちをまがる
二二・五・二一
林と思想
そら ね ごらん
むこうに霧にぬれている
蕈《きのこ》のかたちのちいさな林があるだろう
あすこのとこへ
わたしのかんがえが
ずいぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでいるのだよ
ここいらはふきの花でいっぱいだ
二二・六・四
青い槍の葉
(mental sketch modified)
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲は来るくる南の地平
そらのエレキを寄せてくる
鳥はなく啼《な》く青木のほずえ
くもにやなぎのかっこどり
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれて日ざしが降れば
黄金《キン》の幻燈《げんとう》 草《くさ》の青
気圏日本のひるまの底の
泥にならべるくさの列
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲はくるくる日は銀の盤
エレキづくりのかわやなぎ
風が通ればさえ冴《ざ》え鳴らし
馬もはねれば黒びかり
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がきれたかまた日がそそぐ
土のスープと草の列
黒くおどりはひるまの燈籠《とうろ》
泥のコロイドその底に
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
りんと立て立て青い槍《やり》の葉
たれを刺そうの槍じゃなし
ひかりの底でいちにち日がな
泥にならべるくさの列
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれてまた夜があけて
そらは黄水晶《シトリン》ひでりあめ
風に霧ふくぶりきのやなぎ
くもにしらしらそのやなぎ
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
りんと立て立て青い槍の葉
そらはエレキのしろい網
かげとひかりの六月の底
気圏日本の青野原
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
二二・六・一二
報 告
さっき火事だとさわぎましたのは虹《にじ》でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります
二二・六・一五
岩手山
そらの散乱反射《さんらんはんしや》のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひかりの微塵系列《みじんけいれつ》の底に
きたなくしろく澱《よど》むもの
二二・六・二七
高 原
海だべがど おら おもたれば
やっぱり光る山だたじゃい
ホウ
髪毛《かみけ》 風吹けば
鹿《しし》踊りだじゃい
二二・六・二七
原体剣舞連《はらたいけんばいれん》
(mental sketch modified)
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装《いそう》のげん月のした
鶏《とり》の黒尾を頭巾《ずきん》にかざり
片刃《かたは》の太刀をひらめかす
原体《はらたい》村の舞手《おどりこ》たちよ
鴾《とき》いろのはるの樹液《じゆえき》を
アルペン農の辛酸《しんさん》に投げ
生《せい》しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにささげ
菩提樹皮《まだかわ》と縄とをまとう
気圏の戦士わが朋《とも》たちよ
青らみわたる〓気《こうき》をふかみ
楢《なら》と椈《ぶな》とのうれいをあつめ
蛇紋山地《じやもんさんち》に篝《かがり》をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂《におい》のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
肌膚《きふ》を腐植と土にけずらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗《あら》び
月々《つきづき》に日光と風とを焦慮し
敬虔《けいけん》に年を累《かさ》ねた師父《しふ》たちよ
こんや銀河と森とのまつり
准《じゆん》平原の天末線《てんまつせん》に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
Ho! Ho! Ho!
むかし達谷《たつた》の悪路王《あくろおう》
まっくらくらの二里の洞《ほら》
わたるは夢と黒夜神《こくやじん》
首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかがりにゆすれ
青い仮面《めん》このこけおどし
太刀を浴びてはいっぷかぷ
夜風の底の蜘蛛《くも》おどり
胃袋はいてぎったぎた
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
さらにただしく刃《やいば》を合《あ》わせ
霹靂《へきれき》の青火をくだし
四方《しほう》の夜《よる》の鬼神《きじん》をまねき
樹液《じゆえき》もふるうこの夜《よ》さひとよ
赤ひたたれを地にひるがえし
雹雲《ひよううん》と風とをまつれ
dah-dah-dah-dahh
夜風《よかぜ》とどろきひのきはみだれ
月は射《い》そそぐ銀の矢並
打つも果《は》てるも火花のいのち
太刀の斬《きし》りの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻萱穂《いなずまかやぼ》のさやぎ
獅子の星座《せいざ》に散る火の雨の
消えてあとない天《あま》のがわら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
二二・八・三一
マサニエロ
城のすすきの波の上には
伊太利亜《イタリア》製の空間がある
そこで烏《からす》の群が踊る
白雲母《しろうんも》のくもの幾きれ
(濠《ほり》と橄欖《かんらん》天鵞絨《びろうど》 杉)
ぐみの木かそんなにひかってゆするもの
七つの銀のすすきの穂
(お城の下の桐畑《きりばたけ》でも ゆれているゆれている 桐が)
赤い蓼《たで》の花もうごく
すずめ すずめ
ゆっくり杉に飛んで稲にはいる
そこはどての陰で気流もないので
そんなにゆっくり飛べるのだ
(なんだか風と悲しさのために胸がつまる)
ひとの名前をなんべんも
風のなかで繰り返してさしつかえないか
(もうみんな鍬《くわ》や縄《なわ》をもち
崖《がけ》をおりてきていいころだ)
いまは鳥のないしずかなそらに
またからすが横からはいる
屋根は矩形で傾斜白くひかり
こどもがふたりかけて行く
羽織をかざしてかける日本の子供ら
こんどは茶いろの雀《すずめ》どもの抛物線《ほうぶつせん》
金属製の桑のこっちを
もひとりこどもがゆっくり行く
蘆《あし》の穂は赤い赤い
(ロシヤだよ チエホフだよ)
はこやなぎ しっかりゆれろゆれろ
(ロシヤだよ ロシヤだよ)
烏がもいちど飛びあがる
稀硫酸《きりゆうさん》の中の亜鉛屑《くず》は烏のむれ
お城の上のそらはこんどは支那《しな》のそら
烏三疋《びき》杉をすべり
四疋になって旋転する
二二・一〇・一〇
永訣の朝
きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あ《*》めゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっそう陰惨《いんざん》な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜《じゆんさい》のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀《とうわん》に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛《そうえん》いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系《にそうけい》をたもち
すきとおるつめたい雫《しずく》にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍《あい》のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(O《*》ra Orade Shitori egumo)
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
あああのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(う《*》まれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれてくる)
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまえとみんなとに聖《きよ》い資糧をもたらすように
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう
二二・一一・二七
松の針
さっきのみぞれをとってきた
あのきれいな松のえだだよ
おお おまえはまるでとびつくように
そのみどりの葉にあつい頬《ほお》をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるようにさえすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまえは林へ行きたかったのだ
おまえがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえているとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがえながら森をあるいていた
((あ《*》あいい さっぱりした
まるで林のながさ来たよだ))
鳥のように栗鼠《りす》のように
おまえは林をしたっていた
どんなにわたくしがうらやましかったろう
ああきょうのうちにとおくへさろうとするいもうとよ
ほんとうにおまえはひとりでいこうとするか
わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにそう言ってくれ
おまえの頬の けれども
なんというきょうのうつくしさよ
わたくしは緑のかやのうえにも
この新鮮な松のえだをおこう
いまに雫《しずく》もおちるだろうし
そら
さわやかな
terpentine《ターペンテイン》 の匂《におい》もするだろう
二二・一一・二七
無声慟哭
こんなにみんなにみまもられながら
おまえはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨《おお》きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしない
わたくしが青ぐらい修羅をあるいているとき
おまえはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往こうとするか
信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進《しようじん》のみちからかなしくつかれていて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただようとき
おまえはひとりどこへ行こうとするのだ
(お《*》ら おかないふうしてらべ)
何というあきらめたような悲痛なわらいようをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けっして見遁《みのが》さないようにしながら
おまえはけなげに母に訊《き》くのだ
(うんにゃ ずいぶん立派だじゃい
きょうはほんとに立派だじゃい)
ほんとうにそうだ
髪だっていっそうくろいし
まるでこどもの苹果《りんご》の頬《ほお》だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
((そ《*》れでもからだくさえがべ?))
((うんにゃ いっこう))
ほんとうにそんなことはない
かえってここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂《におい》でいっぱいだから
ただわたくしはそれをいま言えないのだ
(わたくしは修羅をあるいているのだから)
わたくしのかなしそうな眼をしているのは
わたくしのふたつのこころをみつめているためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない
二二・一一・二七
*あめゆきとってきてください
*あたしはあたしでひとりいきます
*またひとにうまれてくるときは
こんなにじぶんのことばかりで
くるしまないようにうまれてきます
*ああいい さっぱりした
まるではやしのなかにきたようだ
*あたしこわいふうをしてるでしょう
*それでもわるいにおいでしょう
青森挽歌
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
(乾いたでんしんばしらの列が
せわしく遷《うつ》っているらしい
きしゃは銀河系の玲瓏《れいろう》レンズ
巨《おお》きな水素のりんごのなかをかけている)
りんごのなかをはしっている
けれどもここはいったいどこの停車場《ていしやば》だ
枕木《まくらぎ》を焼いてこさえた柵《さく》が立ち
(八月の よるのしじまの 寒天凝膠《アガアゼル》)
支手のあるいちれつの柱は
なつかしい陰影だけでできている
黄いろなランプがふたつ点《つ》き
せいたかくあおじろい駅長の
真鍮棒《しんちゆうぼう》もみえなければ
じつは駅長のかげもないのだ
(その大学の昆虫学の助手は
こんな車室いっぱいの液体のなかで
油のない赤髪《あかけ》をもじゃもじゃして
かばんにもたれて睡《ねむ》っている)
わたくしの汽車は北へ走っているはずなのに
ここではみなみへかけている
焼杭《やけぐい》の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
それはビーアの澱《おり》をよどませ
あやしいよるの 陽炎《かげろう》と
さびしい心意の明滅にまぎれ
水いろ川の水いろ駅
(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
汽車の逆行は希求《ききゆう》の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない
そこらは青い孔雀《くじやく》のはねでいっぱい
真鍮の睡そうな脂肪酸にみち
車室の五つの電燈は
いよいよつめたく液化され
(考えださなければならないことを
わたくしはいたみやつかれから
なるべくおもいだそうとしない)
今日のひるすぎなら
けわしく光る雲のしたで
まったくおれたちはあの重い赤いポンプを
ばかのように引っぱったりついたりした
おれはその黄いろな服を着た隊長だ
だから睡いのはしかたない
(おお《オー》おまえ《ヅウ》 せわしい《アイリーガー》みちづれ《ゲゼルレ》よ
どうか《アイレドツホ》ここから《ニヒト》急いで《フオン》去ら《デヤ》ないで《ステルレ》くれ
((尋常一年生 ドイツの尋常一年生))
いきなりそんな悪い叫びを
投げつけるのはいったいたれだ
けれども尋常一年生だ
夜中を過ぎたいまごろに
こんなにぱっちり眼をあくのは
ドイツの尋常一年生だ)
あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったろうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひとりでさびしくあるいて行ったろうか
(草や沼やです
一本の木もです)
((ギルちゃんまっさおになってすわっていたよ))
((こおんなにして眼は大きくあいてたけど
ぼくたちのことはまるでみえないようだったよ))
((ナーガラがね 眼をじっとこんなに赤くして
だんだん環《わ》をちいさくしたよ こんなに))
((し 環をお切り そら 手を出して))
((ギルちゃん青くてすきとおるようだったよ))
((鳥がね たくさんたねまきのときのように
ばあっと空を通ったの
でもギルちゃんだまっていたよ))
((お日さまあんまり変に飴《あめ》いろだったわねえ))
((ギルちゃんちっともぼくたちのことみないんだもの
ぼくほんとうにつらかった))
((さっきおもだかのとこであんまりはしゃいでたねえ))
((どうしてギルちゃんぼくたちのことみなかったろう
忘れたろうかあんなにいっしょにあそんだのに))
かんがえださなければならないことは
どうしてもかんがえださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通って行き
それからさきどこへ行ったかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じようとするときは
たれだってみんなぐるぐるする
((耳ごうど鳴ってさっぱり聞けなぐなったんちゃい))
そう甘えるように言ってから
たしかにあいつはじぶんのまわりの
眼にははっきりみえている
なつかしいひとたちの声をきかなかった
にわかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしって行ったとき
あのきれいな眼が
なにかを索《もと》めるように空しくうごいていた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかった
それからあとであいつはなにを感じたろう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたろう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとってきて
そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいっぱいちからいっぱい叫んだとき
あいつは二へんうなずくように息をした
白い尖《とが》ったあごや頬《ほお》がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたような
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなずいた
((ヘッケル博士!
わたくしがそのありがたい証明の
任にあたってもよろしゅうございます))
仮睡硅酸《かすいけいさん》の雲のなかから
凍らすようなあんな卑怯《ひきよう》な叫び声は……
(宗谷《そうや》海峡を越える晩は
わたくしは夜どおし甲板に立ち
あたまは具《そな》えなく陰湿の霧をかぶり
からだはけがれたねがいにみたし
そしてわたくしはほんとうに挑戦しよう)
たしかにあのときはうなずいたのだ
そしてあんなにつぎのあさまで
胸がほとっていたくらいだから
わたくしたちが死んだといって泣いたあと
とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
ここでみるようなゆめをみていたかもしれない
そしてわたくしはそれらのしずかな夢幻が
つぎのせかいへつづくため
明るいいい匂《におい》のするものだったことを
どんなにねがうかわからない
ほんとうにその夢の中のひとくさりは
かん護とかなしみとにつかれて睡っていた
おしげ子たちのあけがたのなかに
ぼんやりとしてはいってきた
((黄いろな花こ おらもとるべがな))
たしかにとし子はあのあけがたは
まだこの世かいのゆめのなかにいて
落葉の風につみかさねられた
野はらをひとりあるきながら
ほかのひとのことのようにつぶやいていたのだ
そしてそのままさびしい林のなかの
いっぴきの鳥になっただろうか
l'estudiantinaを風にききながら
水のながれる暗いはやしのなかを
かなしくうたって飛んで行ったろうか
やがてはそこに小さなプロペラのように
音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
無心のとりのうたをうたいながら
たよりなくさまよって行ったろうか
わたくしはどうしてもそう思わない
なぜ通信が許されないのか
許されている そして私のうけとった通信は
母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
どうしてわたくしはそうなのをそうと思わないのだろう
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇《ばら》いろをそらにかんじ
あたらしくさわやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのような羅《うすもの》をかんじ
かがやいてほのかにわらいながら
はなやかな雲やつめたいにおいのあいだを
交錯するひかりの棒を過《よ》ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのようであることにおどろきながら
大循環の風よりもさわやかにのぼって行った
わたくしはその跡をさえたずねることができる
そこに碧《あお》い寂《しず》かな湖水の面をのぞみ
あまりにもそのたいらかさとかがやきと
未知な全反射の方法と
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのずから研《みが》かれた
天の瑠璃《るり》の地面と知ってこころわななき
紐《ひも》になってながれるそらの楽音
また瓔珞《ようらく》やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしずかにゆききする
巨《おお》きなすあしの生物たち
遠いほのかな記憶のなかの花のかおり
それらのなかにしずかに立ったろうか
それともおれたちの声を聴かないのち
暗紅色の深くもわるいがらん洞と
意識ある蛋白質《たんぱくしつ》の砕けるときにあげる声
亜硫酸や笑気《しようき》のにおい
これらをそこに見るならば
あいつはその中にまっ青になって立ち
立っているともよろめいているともわからず
頬に手をあててゆめそのもののように立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いったいほんとうのことだろうか
わたくしというものがこんなものをみることが
いったいありうることだろうか
そしてほんとうにみているのだ)と
斯《こ》ういってひとりなげくかもしれない……
わたくしのこんなさびしい考《かんがえ》は
みんなよるのためにできるのだ
夜があけて海岸へかかるなら
そして波がきらきら光るなら
なにもかもみんないいかもしれない
けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考えて
あたらしくぎくっとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがいにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもってばかりいてはいけない
ほんとうにあいつはここの感官をうしなったのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただろう
なんべんこれをかんがえたことか
むかしからの多数の実験から
倶舎《くしや》がさっきのように云うのだ
二度とこれをくり返してはいけない
おもては軟玉《なんぎよく》と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯《ガス》でいっぱいだ
巻積雲《けんせきうん》のはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい蛍光板《けいこうばん》になって
いよいよあやしい苹果《りんご》の匂を発散し
なめらかにつめたい窓硝子《ガラス》さえ越えてくる
青森だからというのではなく
大てい月がこんなような暁ちかく
巻積雲にはいるとき……
((おいおい あの顔いろは少し青かったよ))
だまっていろ
おれのいもうとの死顔が
まっ青だろうが黒かろうが
きさまにどう斯《こ》う云われるか
あいつはどこへ堕《お》ちようと
もう無上道に属している
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
じきもう東の鋼もひかる
ほんとうにきょうの……きのうのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポンプを……
((もひとつきかせてあげよう
ね じっさいね
あのときの眼は白かったよ
すぐ瞑《ねむ》りかねていたよ))
まだいっているのか
もうじきよるはあけるのに
すべてあるがごとくにあり
かがやくごとくにかがやくもの
おまえの武器やあらゆるものは
おまえにくらくおそろしく
まことはたのしくあかるいのだ
((みんなむかしからのきょうだいなのだから
けっしてひとりをいのってはいけない))
ああ わたくしはけっしてそうしませんでした
あいつがなくなってからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
そういのりはしなかったとおもいます
二三・八・一
噴火湾(ノクターン)
稚《わか》いえんどうの澱粉《でんぷん》や緑金が
どこから来てこんなに照らすのか
(車室は軋《きし》みわたくしはつかれて睡《ねむ》っている)
とし子は大きく眼をあいて
烈しい薔薇《ばら》いろの火に燃されながら
(あの七月の高い熱……)
鳥が棲《す》み空気の水のような林のことを考えていた
(かんがえていたのか
いまかんがえているのか)
車室の軋りは二疋《ひき》の栗鼠《りす》
((ことしは勤めにそとへ出ていないひとは
みんなかわるがわる林へ行こう))
赤銅《しやくどう》の半月刀を腰にさげて
どこかの生意気なアラビヤ酋長《しゆうちよう》が言う
七月末のそのころに
思い余ったようにとし子が言った
((おらぁど死んでもいいはんて
あの林の中さ行ぐだい
うごいで熱は高ぐなっても
あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて))
鳥のように栗鼠のように
そんなにさわやかな林を恋い
(栗鼠の軋りは水車の夜明け
大きなくるみの木のしただ)
一千九百二十三年の
とし子はやさしく眼をみひらいて
透明薔薇の身熱から
青い林をかんがえている
ファゴットの声が前方にし
Funeral march があやしくいままたはじまり出す
(車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)
((栗鼠お魚たべあんすのすか))
(二等室のガラスは霜のもよう)
もう明けがたに遠くない
崖《がけ》の木や草も明らかに見え
車室の軋りもいつかかすれ
一ぴきのちいさなちいさな白い蛾《が》が
天井のあかしのあたりを這《は》っている
(車室の軋りは天の楽音)
噴火湾のこの黎明《れいめい》の水明り
室蘭《むろらん》通いの汽船には
二つの赤い灯がともり
東の天末は濁った孔雀石《くじやくせき》の縞《しま》
黒く立つものは樺《かば》の木と楊《やなぎ》の木
駒ケ岳駒ケ岳
暗い金属の雲をかぶって立っている
そのまっくらな雲のなかに
とし子がかくされているかもしれない
ああ何べん理智が教えても
私のさびしさはなおらない
わたくしの感じないちがった空間に
いままでここにあった現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
(そのさびしいものを死というのだ)
たとえそのちがったきらびやかな空間で
とし子がしずかにわらおうと
わたくしのかなしみにいじけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもう
二三・八・一一
過去情炎
截《き》られた根から青じろい樹液がにじみ
あたらしい腐植のにおいを嗅《か》ぎながら
きらびやかな雨あがりの中にはたらけば
わたくしは移住の清教徒《ピユリタン》です
雲はぐらぐらゆれて馳《か》けるし
梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があって
短果枝には雫《しずく》がレンズになり
そらや木やすべての景象をおさめている
わたくしがここを環に掘ってしまうあいだ
その雫が落ちないことをねがう
なぜならいまこのちいさなアカシヤをとったあとで
わたくしは鄭重《ていちよう》にかがんでそれに唇をあてる
えりおりのシャツやぼろぼろの上着をきて
企らむように肩をはりながら
そっちをぬすみみていれば
ひじょうな悪漢《わるもの》にもみえようが
わたくしはゆるされるとおもう
なにもかもみんなたよりなく
なにもかもみんなあてにならない
これらげんしょうのせかいのなかで
そのたよりない性質《せいしつ》が
こんなきれいな露になったり
いじけたちいさなまゆみの木を
紅《べに》からやさしい月光いろまで
豪奢《ごうしや》な織物に染めたりする
そんならもうアカシヤの木もほりとられたし
いまはまんぞくしてとうぐわをおき
わたくしは待っていたこいびとにあうように
鷹揚《おうよう》にわらってその木のしたへゆくのだけれども
それはひとつの情炎《じようえん》だ
もう水いろの過去になっている
二三・一〇・一五
冬と銀河ステーション
そらにはちりのように小鳥がとび
かげろうや青いギリシャ文字は
せわしく野はらの雪に燃えます
パッセン大街道のひのきからは
凍ったしずくが燦々《さんさん》と降り
銀河ステーションの遠方シグナルも
けさはまっ赤《か》に澱《よど》んでいます
川はどんどん氷《ザエ》を流しているのに
みんなは生《なま》ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがった章魚《たこ》を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日《いちび》です
(はんの木とまばゆい雲のアルコオル
あすこにやどりぎの黄金のゴールが
さめざめとしてひかってもいい)
ああ Josef Pasternackの指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子《がいし》と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳《ひとみ》をりんと張り
つめたく青らむ天椀《てんわん》の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯《しだ》は
だんだん白い湯気にかわる)
パッセン大街道のひのきから
しずくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のような盛んな取引です
二三・一二・一〇
『春と修羅』 第二集
五輪峠(先駆形A)
凍《し》み雪の森のなだらを
ほそぼそとみちがめぐれば
向うは松と岩との高み
高みのうえに
がらんと暗いみぞれのそらがひらいている
……そここそ峠のいただきだ……
あの楢《なら》の木の柵《さく》のある
ちいさな嶺《みね》を過ぎながら
それを峠とおもったために
みちがこんなに地図に合わなくなったのだ
(五つの峯の峠ゆえ
五輪峠と呼ばれたり)
五つでなくて二っつだ
けれども五つというのもある
そいつがどこかの雪ぞらで
さめざめ蒼《あお》くひかっている
(五輪は地水火風空)
松が幾本立っている
藪《やぶ》が陰気にこもっている
そこにあるのはまさしく古い五輪の塔だ
苔《こけ》に蒸された花崗岩《みかげ》の古い五輪の塔だ
……梵字《ぼんじ》と雲と
みちのくは風の巡礼……
みちのくの
五輪峠に
雪がつみ
五つの峠に雪がつみ
その五の峯の松の下
地輪水輪また火風
空輪五輪の塔がたち
一の地輪を転ずれば
菩提《ぼだい》のこころしりぞかず
四の風輪を転ずれば
菩薩《ぼさつ》こころに障碍《しようがい》なく
五の空輪を転ずれば
常楽我浄の影うつす
みちのくの
五輪峠に雪がつみ
五つの峠に…… 雪がつみ……
ああいま前に展《ひら》く暗いものは
まさしく早春の北上の平野である
薄墨の雲につらなり
酵母の雪に朧《おぼ》ろにされて
海と湛《たた》える藍《あい》と銀との平野である
雪がもうここにもどしどし降ってくる
塵《ちり》のように灰のように降ってくる
つつじやこならの灌木《かんぼく》も
まっくろな温石《おんじやく》いしも
みんないっしょにまだらになる
二四・三・二四
晴天恣意
つめたくうららかな蒼穹《そうきゆう》のはて
五輪峠の上のあたりに
白く巨《おお》きな仏頂体が立ちますと
数字につかれたわたくしの眼は
ひとたびそれを異の空間の
高貴な塔とも愕《おど》ろきますが
畢竟《ひつきょう》あれは水と空気の散乱系
冬には稀《まれ》な高くまばゆい積雲です
とは云えそれは再考すれば
やはり同じい大塔婆
いただき八千尺にも充ちる
光厳浄の構成です
あの天末の青らむま下
きららに氷と雪とを鎧《よろ》い
樹や石塚の数をもち
石炭、粘板、砂岩の層と、
花崗斑糲《かこうはんれい》、蛇紋《じやもん》の諸岩、
堅く結んだ準平原は、
まこと地輪の外ならず、
水風輪は云わずもあれ、
白くまばゆい光と熱、
電、磁、その他の勢力は
アレニウスをば俟《ま》たずして
たれか火輪をうたがわん
もし空輪を云うべくば
これら総じて真空の
その顕現を超《こ》えませぬ
斯《か》くてひとたびこの構成は
五輪の塔と称すべく
秘奥は更に二義あって
いまはその名もはばかるべき
高貴の塔でありますので
もしも誰かがその樹を伐《き》り
あるいは塚をはたけにひらき
乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと
こういう青く無風の日なか
見掛けはしずかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人は連れ行かれ
見えない数個の手によって
かがやくそらにまっさかさまにつるされて
槍でずぶずぶ刺されたり
頭や胸を圧《お》し潰されて
醒《さ》めてははげしい病気になると
そうひとびとはいまも信じて恐れます
さてそのことはとにかくに
雲量計の横線を
ひるの十四の星も截《き》り
アンドロメダの連星も
しずかに過ぎるとおもわれる
そんなにもうるおいかがやく
碧瑠璃《へきるり》の天でありますので
いまやわたくしのまなこも冴《さ》え
ふたたび陰気な扉を排して
あのくしゃくしゃの数字の前に
かがみ込もうとしますのです
二四・三・二五
早春独白
黒髪もぬれ荷縄もぬれて
ようやくあなたが車室に来れば
ひるの電燈は雪ぞらにつき
窓のガラスはぼんやり湯気に曇ります
……青じろい磐《いわ》のあかりと
暗んで過ぎるひばのむら……
身丈にちかい木炭《すみ》すごを
地蔵菩薩《ぼさつ》の龕《がん》かなにかのように負い
山の襞《ひだ》もけぶってならび
堰堤《ダム》もごうごう激していた
あの山岨《やまそわ》のみぞれのみちを
あなたがひとり走ってきて
この町行きの貨物電車にすがったとき
その木炭《すみ》すごの萱《かや》の根は
秋のしぐれのなかのよう
もいちど紅《あか》く燃えたのでした
……雨はすきとおってまっすぐに降り
雪はしずかに舞いおりる
妖《あや》しい春のみぞれです……
みぞれにぬれてつつましやかにあなたが立てば
ひるの電燈は雪ぞらに燃え
ぼんやり曇る窓のこっちで
あなたは赤い捺染《なつせん》ネルの一きれを
エジプト風にかつぎにします
……氷期の巨《おお》きな吹雪の裔《すえ》は
ときどき町の瓦斯《ガス》燈《とう》を侵して
その住民を沈静にした……
わたくしの黒いしゃっぽから
つめたくあかるい雫《しずく》が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいっさんにはしります
二四・三・三〇
休 息
中空《なかぞら》は晴れてうららかなのに
西嶺《ね》の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀《よど》むのは
水晶球の〓《くも》りのよう
……さむくねむたいひるのやすみ……
そこには暗い乱積雲が
古い洞窟《どうくつ》人類の
方向のないLibidoの像を
肖顔《にがお》のようにいくつか掲げ
そのこっちではひばりの群が
いちめん漂い鳴いている
……さむくねむたい光のなかで
古い戯曲の女主人公《ヒロイン》が
ひとりさびしくまことをちかう……
氷と藍《あい》との東橄欖《ひがしかんらん》山地から
つめたい風が吹いてきて
つぎからつぎと水路をわたり
またあかしやの棘《とげ》ある枝や
すがれの禾草《かそう》を鳴らしたり
三本立ったよもぎの茎で
ふしぎな曲線《カーヴ》を描いたりする
(eccolo qua!)
風を無数の光の点が浮き沈み
乱積雲の群像は
いまゆるやかに北へながれる
二四・四・四
水いろの天の下
高原の雪の反射のなかを
風がすきとおって吹いている
茶いろに黝《くろず》んだからまつの列が
めいめいにみなうごいている
烏《からす》が一羽菫外線《きんがいせん》に灼《や》けながら
その一本の異状に延びた心にとまって
ずいぶん古い水いろの夢をおもいだそうとあせっている
風がどんどん通って行けば
木はたよりなくぐらぐらゆれて
烏は一つのボートのように
……烏もわざとゆすっている……
冬のかげろうの波に漂う
にもかかわらずあちこち雪の彫刻が
あんまりひっそりしすぎるのだ
二四・四・六
〔いま来た角に〕
いま来た角に
二本の白楊《ドロ》が立っている
雄花の紐《ひも》をひっそり垂れて
青い氷雲にうかんでいる
そのくらがりの遠くの町で
床屋の鏡がただ青ざめて静まるころ
芝居の小屋が塵《ちり》を沈めて落ちつくころ
帽子の影がそういうふうだ
シャープ鉛筆 月印
紫蘇《しそ》のかおりの青じろい風
かれ草が変にくらくて
水銀いろの小流れは
蒔絵《まきえ》のように走っているし
そのいちいちの曲り目には
藪《やぶ》もぼんやりけむっている
一梃《ちよう》の銀の手斧《ておの》が
水のなかだかまぶたのなかだか
ひどくひかってゆれている
太吉がひるま
この小流れのどこかの角で
まゆみの藪を截《き》っていて
帰りにここへ落したのだろう
なんでもそらのまんなかが
がらんと白く荒《す》さんでいて
風がおかしく酸っぱいのだ……
風……とそんなにまがりくねった桂《かつら》の木
低原《のはら》の雲も青ざめて
ふしぎな縞《しま》になっている……し
すももが熟して落ちるように
おれも鉛筆をぽろっと落し
だまって風に溶けてしまおう
このういきょうのかおりがそれだ
風……骨、青さ、
どこかで鈴が鳴っている
どれぐらいいま睡《ねむ》ったろう
青い星がひとつきれいにすきとおって
雲はまるで蝋《ろう》で鋳《い》たようになっているし
落葉はみんな落した鳥の尾羽に見え
おれはまさしくどろの木の葉のようにふるえる
二四・四・一九
曠原淑女
(〔日脚がぼうとひろがれば〕先駆形)
日ざしがほのかに降ってくれば
またうらぶれの風も吹く
にわとこやぶのうしろから
二人のおんながのぼって来る
けらを着 粗《あら》い縄をまとい
萱草《かんぞう》の花のようにわらいながら
ゆっくりふたりがすすんでくる
その蓋《ふた》のついた小さな手桶《ておけ》は
今日ははたけへのみ水を入れて来たのだ
今日でない日は青いつるつるの蓴菜《じゆんさい》を入れ
欠けた朱塗の椀《わん》をうかべて
朝の爽《さわや》かなうちに町へ売りにも来たりする
鍬《くわ》を二梃《ちよう》ただしくけらにしばりつけているので
曠原《こうげん》の淑女よ
あなたがたはウクライナの
舞手のように見える
……風よたのしいおまえのことばを
もっとはっきり
この人たちにきこえるように云ってくれ……
二四・五・八
いちにちいっぱいよもぎのなかにはたらいて
馬鈴薯《ばれいしよ》のようにくさりかけた馬は
あかるくそそぐ夕陽の汁《しる》を
食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら
はたけのへりの熊笹《くまざさ》を
ぼりぼりぼりぼり食っていた
それから青い晩が来て
ようやく厩《うまや》に帰った馬は
高圧線にかかったように
にわかにばたばた云いだした
馬は次の日冷たくなった
みんなは松の林の裏へ
巨《おお》きな穴をこしらえて
馬の四つの脚をまげ
そこへそろそろおろしてやった
がっくり垂れた頭の上へ
ぼろぼろ土を落してやって
みんなもぼろぼろ泣いていた
二四・五・二二
一ぴきのエーシャ牛が
草と地靄《じもや》に角《つの》をこすってあそんでいる
うしろではパルプ工場の火照《ほて》りが
夜なかの雲を焦がしているし
低い砂丘の向うでは
海がどんどん叩《たた》いている
しかもじつに掬《すく》っても呑《の》めそうな
黄銅いろの月あかりなので
牛はやっぱり機嫌よく
こんどは角で柵《さく》を叩いてあそんでいる
二四・五・二二
鳥の遷移
鳥がいっぴき葱緑《そうりよく》の天をわたって行く
わたくしは二こえのかっこうを聴く
からだがひどく巨《おお》きくて
それにコースも水平なので
誰か模型に弾条《バネ》でもつけて飛ばしたよう
それだけどこか気の毒だ
鳥は遷《うつ》り さっきの声は時間の軸で
青い鏃《やじり》のグラフをつくる
……きららかに畳む山彙《さんい》と
水いろのそらの縁辺……
鳥の形はもう見えず
いまわたくしのいもうとの
墓場の方で啼《な》いている
……その墓森の松のかげから
黄いろな電車がすべってくる
ガラスがいちまいふるえてひかる
もう一枚がならんでひかる……
鳥はいつかずっとうしろの
煉瓦《れんが》工場の森にまわって啼いている
あるいはそれはべつのかっこうで
さっきのやつはまだくちはしをつぐんだまま
水を呑《の》みたそうにしてそらを見上げながら
墓のうしろの松の木などに、
とまっているかもわからない
二四・六・二一
〔この森を通りぬければ〕
この森を通りぬければ
みちはさっきの水車へもどる
鳥がぎらぎら啼《な》いている
たしか渡りのつぐみの群だ
夜どおし銀河の南のはじが
白く光って爆発したり
蛍があんまり流れたり
おまけに風がひっきりなしに樹をゆするので
鳥は落ちついて睡《ねむ》られず
あんなにひどくさわぐのだろう
けれども
わたくしが一あし林のなかにはいったばかりで
こんなにはげしく
こんなに一そうはげしく
まるでにわか雨のようになくのは
何というおかしなやつらだろう
ここは大きなひばの林で
そのまっ黒ないちいちの枝から
あちこち空のきれぎれが
いろいろにふるえたり呼吸したり
云わばあらゆる年代の
光の目録《カタログ》を送ってくる
……鳥があんまりさわぐので
私はぼんやり立っている……
みちはほのじろく向うへながれ
一つの木立の窪《くぼ》みから
赤く濁った火星がのぼり
鳥は二羽だけいつかこっそりやって来て
何か冴《さ》え冴え軋《きし》って行った
ああ風が吹いてあたたかさや銀の分子《モリキル》
あらゆる四面体の感触を送り
蛍が一そう乱れて飛べば
鳥は雨よりしげくなき
わたくしは死んだ妹の声を
林のはてのはてからきく
……それはもうそうでなくても
誰でもおなじことなのだから
またあたらしく考え直すこともない……
草のいきれとひのきのにおい
鳥はまた一そうひどくさわぎだす
どうしてそんなにさわぐのか
田に水を引く人たちが
抜き足をして林のへりをあるいても
南のそらで星がたびたび流れても
べつにあぶないことはない
しずかに睡ってかまわないのだ
二四・七・五
薤露青
みおつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青《かいろせい》の聖《きよ》らかな空明のなかを
たえずさびしく湧《わ》き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
……みおつくしの影はうつくしく水にうつり
プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
ときどきかすかな燐光《りんこう》をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天《かんてん》のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマジェランの星雲へとどけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎《さそり》がうす雲の上を這《は》う
……たえず企画したえずかなしみ
たえず窮乏をつづけながら
どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわずかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙《けつこうめのう》をのぞみ
しずかな鱗《うろこ》の呼吸をきく
……なつかしい夢のみおつくし……
声のいい製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるように歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入っている
……あの力いっぱいに
細い弱いのどからうたう女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出ようとしているので
鳥はしきりにさわいでいる
……みおつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂《におい》をはく
水は銀河の投影のように地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
……ああ いとしくおもうものが
そのままどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといういいことだろう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎《あゆ》のさびの模様が
そらに白く数条わたる
二四・七・一七
空気がぬるみ
沼には鷺百合《さぎゆり》の花が咲いた
むすめたちは
みなつややかな黒髪をすべらかし
あたらしい紺のペッティコートや
また春らしい水いろの上着
プラットフォームの陸橋の段のところでは
赤縞《あかじま》のずぼんをはいた老楽長が
そらこんな工合だというふうに
楽譜を読んできかせているし
山脈はけむりになってほのかにながれ
鳥は燕麦《えんばく》のたねのように
いくかたまりもいくかたまりも過ぎ
青い蛇はきれいなはねをひろげて
そらのひかりをとんで行く
ワルツ第CZ号の列車は
まだ向うのぷりぷり顫《ふる》う地平線に
その白いかたちを見せていない
二四・八・二二
秋と負債
半穹《はんきゆう》二グロスからの電燈が
おもいおもいの焦点《フオカス》をむすび
はしらの陰影《かげ》を地に落し
濃淡な夜の輻射《ふくしや》をつくる
……またあま雲の螺鈿《らでん》からくる青びかり……
ポランの広場の夏の祭りの負債から
わたくしはしかたなくここにとどまり
ひとりまばゆく直立して
いろいろな目にあうのであるが
さて徐《おもむ》ろに四周を見れば
これら二つのつめたい光の交叉《こうさ》のほかに
もひとつ見えない第三種の照射があって
ここのなめらかな白雲石《ドロミツト》の床に
わたくしの影を花盞《かさん》のかたちに投げている
しさいに観ずれば観ずるほど
それがいよいよ皎《あきら》かで
ポランの広場の狼避《おおかみよ》けの柵《さく》にもちょうどあたるので
もうわたくしはあんなsottise な灰いろのけだものを
二度おもいだす要もない
二四・九・一六
産業組合青年会
祀《まつ》られざるも神には神の身土があると
あざけるようなうつろな声で
そう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ
……雪をはらんだつめたい雨が
闇《やみ》をぴしぴし縫っている……
まことの道は
誰が云ったの行ったの
そういう風のものでない
祭祀《さいし》の有無を是非するならば
卑賤《ひせん》の神のその名にさえもふさわぬと
応《こた》えたものはいったい何だ いきまき応えたそれは何だ
……ときどき遠いわだちの跡で
水がかすかにひかるのは
東に畳む夜中の雲の
わずかに青い燐光《りんこう》による……
部落部落の小組合が
ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒《わか》ち
村ごとのまたその聯合《れんごう》の大きなものが
山地の肩をひととこ砕いて
石灰岩末の幾千車かを
酸《す》えた野原にそそいだり
ゴムから靴を鋳《い》たりもしよう
……くろく沈んだ並木のはてで
見えるともない遠くの町が
ぼんやり赤い火照りをあげる……
しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
祀られざるも神には神の身土があると
老いて呟《つぶや》くそれは誰だ
二四・一〇・五
〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したことから
はげしく寒くふるえている
二四・一〇・五
善鬼呪禁
なんぼあしたは木炭《すみ》を荷馬車に山に積み
くらいうちから町へでかけて行くたって
こんな月夜の夜なかすぎ
稲をがさがさ高いところにかけたりなんかしていると
あんな遠くのうす墨いろの野原まで
葉擦れの音も聞えていたし
どこからどんな苦情が来ないもんでない
だいいちそうら
そうら あんなに
苗代の水がおはぐろみたいに黒くなり
畦《あぜ》に植わった大豆《まめ》もどしどし行列するし
十三日のけぶった月のあかりには
十字になった白い暈《かさ》さえあらわれて
空も魚の眼球《めだま》に変り
いずれあんまり碌《ろく》でもないことが
いくらもいくらも起ってくる
おまえは底びかりする北ぞらの
天河石《アマゾンストン》のところなんぞにうかびあがって
風をま喰《くら》う野原の慾とふたりづれ
威張って稲をかけてるけれど
おまえのだいじな女房は
地べたでつかれて酸乳みたいにやわくなり
口をすぼめてよろよろしながら
丸太のさきに稲束をつけては
もひとつもひとつおまえへ送り届けている
どうせみんなの穫《と》れない歳《とし》を
逆に早魃《ひでり》でみのった稲だ
もういい加減区劃《くぎ》りをつけてはねおりて
鳥が渡りをはじめるまで
ぐっすり睡《ねむ》るとしたらどうだ
二四・一〇・一一
母に云う
(〔野馬がかってにこさえたみちと〕先駆形A)
馬のあるいたみちだの
ひとのあるいたみちだの
センホインという草だの
方角を見ようといくつも黄いろな丘にのぼったり
まちがって防火線をまわったり
がさがさがさがさ
まっ赤に枯れた柏《かしわ》の下や
わらびの葉だのすずらんの実だの
陰気な泥炭地をかけ抜けたり
岩手山の雲をかぶったまばゆい雪から
風をもらって帽子をふったり
しまいにはもう
まるでからだをなげつけるようにして走って
やっとのことで
南の雲の縮れた白い火の下に
小岩井の耕耘部《こううんぶ》の小さく光る屋根を見ました
萱《かや》のなかからばっと走って出ましたら
そこの日なたで七つぐらいのこどもがふたり
雪ばかまをはきけらを着て
栗《くり》をひろっていましたが
たいへんびっくりしたようなので
わたくしもおどろいて立ちどまり
わざと狼森《オイノもり》はどれかとたずね
ごくていねいにお礼を云ってまたかけました
それからこんどは燧堀山へ迷って出て
さっぱり見当がつかないので
もうやけくそに停車場はいったいどっちだと叫びますと
栗の木ばやしの日射しのなかから
若い牧夫がたいへんあわてて飛んで来て
わたくしをつれて落葉松《からまつ》の林をまわり
向うのみだれた白い雲や
さわやかな草地の縞《しま》を指さしながら
詳しく教えてくれました
わたくしはまったく気の毒になって
汽車賃を引いて残りを三十銭ばかり
お礼にやってしまいました
それからも一度走って走って
ようやく汽車に間に合いました
そして昼めしをまだたべません
どうか味噌漬《みそづ》けをだしてごはんをたべさしてください
二四・一〇・二六
旅程幻想
さびしい不漁と旱害《ひでり》のあとを
海に沿う
いくつもの峠を越えたり
萱《かや》の野原を通ったりして
ひとりここまで来たのだけれども
いまこの荒れた河原の砂の、
うす陽《び》のなかにまどろめば、
肩またせなのうら寒く
何か不安なこの感じは
たしかしまいの硅板岩《けいばんがん》の峠の上で
放牧用の木柵《もくさく》の
楢《なら》の扉を開けたまま
みちを急いだためらしく
そこの光ってつめたいそらや
やどり木のある栗の木なども眼にうかぶ
その川上の幾重の雲と
つめたい日射しの格子のなかで
何か知らない巨《おお》きな鳥が
かすかにごろごろ鳴いている
二五・一・八
氷質の冗談
職員諸兄 学校がもう砂漠のなかに来てますぞ
杉の林がペルシャなつめに変ってしまい
はたけも藪《やぶ》もなくなって
そこらはいちめん氷凍された砂けむりです
白淵先生 北緯三十九度辺まで
アラビヤ魔神が出て来ますのに
大本山からなんにもお触れがなかったですか
さっきわれわれが教室から帰ったときは
そこらは賑《にぎ》やかな空気の祭
青くかがやく天の椀《わん》から
ねむや鵞鳥《がちよう》の花も胸毛も降っていました
それからあなたが進度表などお綴《と》じになり
わたくしが火をたきつけていたそのひまに
あの妖質《ようしつ》のみずうみが
ぎらぎらひかってよどんだのです
ええ そうなんです
もしわたくしがあなたの方の管長ならば
こんなときこそ布教使がたを
みんな巨《おお》きな駱駝《らくだ》に乗せて
あのほのじろくあえかな霧のイリデスセンス
蛋白石《たんぱくせき》のけむりのなかに
もうどこまでもだしてやります
そんな沙漠の漂う大きな虚像のなかを
あるいはひとり
あるいは兵士や隊商連のなかまに入れて
熱く息づくらくだのせなの革嚢《かわぶくろ》に
世界の辛苦を一杯につめ
極地の海に堅く封じて沈めることを命じます
そしたらたぶん それは強力な竜にかわって
地球一めんはげしい雹《ひよう》を降らすでしょう
そのときわたくし管長は
東京の中本山の玻璃台《はりだい》にろ頂部だけをてかてか剃《そ》って
九条のけさをかけて立ち
二人の侍者に香炉と白い百合の花とをささげさせ
空を仰いでごくおもむろに
竜をなだめる二行の迦陀《かだ》をつくります
いやごらんなさい
とうとう新聞記者がやってきました
二五・一・一八
風と反感
狐の皮なぞのっそり巻いて
そんなおかしな反感だか何だか
真鍮《しんちゆう》いろの皿みたいなものを
風のなかからちぎって投げてよこしても
ごらんのとおりこっちは雪の松街道を
急いで出掛けて行くのだし
墓地にならんだ赭《あか》いひのきも見ているのだし
とてもいちいち受けつけているひまがない
ははん
まちのうえのつめたいそらに
くろいけむりがながれるながれる
二五・二・一四
未来圏からの影
吹雪《フキ》はひどいし
きょうもすさまじい落磐《らくばん》
……どうしてあんなにひっきりなし
凍った汽笛《フエ》を鳴らすのか……
影や恐ろしいけむりのなかから
蒼《あお》ざめてひとがよろよろあらわれる
それは氷の未来圏からなげられた
戦慄《せんりつ》すべきおれの影だ
二五・二・一五
朝 餐
苔《こけ》に座ってたべてると
麦粉と塩でこしらえた
このまっ白な鋳物《いもの》の盤の
何と立派でおいしいことよ
裏にはみんな曲った松を浮き出して、
表は点の括《くく》り字で「大」という字を鋳出してある
この大の字はこのせんべいが大きいという広告なのか
あの人の名を大蔵とでも云うのだろうか
そうでなければどこかで買った古型だろう
たしかびっこをひいていた
発破で足をけがしたために
生れた村の入口で
せんべいなどを焼いてくらすということもある
白銅一つごくていねいに受けとって
がさがさこれを数えていたら
赤髪のこどもがそばから一枚くれという
人は腹ではくつくつわらい
顔はしかめてやぶけたやつを見附けてやった
林は西のつめたい風の朝
頭の上にも曲った松がにょきにょき立って
白い小麦のこのパンケーキのおいしさよ
競馬の馬がほうれん草を食うように
アメリカ人がアスパラガスを喰うように
すきとおった風といっしょにむさぼりたべる
こんなのをこそspeisen とし云うべきだ
……雲はまばゆく奔騰《ほんとう》し
野原の遠くで雷が鳴る……
林のバルサムの匂《におい》を呑《の》み
あたらしいあさひの蜜《みつ》にすかして
わたくしはこの終りの白い大の字を食う
二五・四・五
〔Largo や青い雲〓やながれ〕
Largo や青い雲〓《くもかげ》やながれ
かりんの花もぼそぼそ暗く燃えたつころ
延びあがるものあやしく曲り惑《くら》むもの
あるいは青い蘿《つた》をまとうもの
風が苗代の緑の氈《かも》と
はんの木の葉にささやけば
馬は水けむりをひからせ
こどもはマオリの呪神《じゆしん》のように
小手をかざしてはねあがる
……あまずっぱい風の脚
あまずっぱい風の呪言……
かっこうひとつ啼《な》きやめば
遠くではまたべつのかっこう
……畦《あぜ》はたびらこきんぽうげ
また田植花くすんで赭《あか》いすいばの穂……
つかれ切っては泥を一種の飴《あめ》ともおもい
水をぬるんだ汁《しる》ともおもい
またたくさんの銅のランプが
畦で燃えるとかんがえながら
またひとまわりひとまわり
鉛のいろの代を掻《か》く
……たてがみを
白い夕陽にみだす馬
その親に肖《に》たうなじを垂れて
しばらく畦の草食う馬……
檜葉《ひば》かげろえば
赤楊《せきよう》の木鋼のかがみを吊《つる》し
こどもはこんどは悟空を気取り
黒い衣裳《いしよう》の両手をひろげ
またひとしきり燐酸《りんさん》をまく
……ひらめくひらめく水けむり
はるかに遷《うつ》る風の裾《すそ》……
湿って桐《きり》の花が咲き
そらの玉髄しずかに焦げて盛りあがる
二五・五・三一
岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)
ぎざぎざの斑糲岩《はんれいがん》の岨《そば》づたい
膠質《こうしつ》のつめたい波をながす
北上第七支流の岸を
せわしく顫《ふる》えたびたびひどくはねあがり
まっしぐらに西の野原に奔《か》けおりる
岩手軽便鉄道の
今日の終りの列車である
ことさらにまぶしそうな眼つきをして
夏らしいラヴスィンをつくろうが
うつうつとしてイリドスミンの鉱床などを考えようが
木影もすべり
種山あたり雷の微塵《みじん》をかがやかし
列車はごうごう走ってゆく
おおまつよいぐさの群落や
イリスの青い火のなかを
狂気のように踊りながら
第三紀末の紅《あか》い巨礫層《きよれきそう》の截《き》り割りでも
ディアラジットの崖《がけ》みちでも
一つや二つ岩が線路にこぼれてようと
積雲が灼《や》けようと崩れようと
こちらは全線の終列車
シグナルもタブレットもあったもんでなく
とび乗りのできないやつは乗せないし
とび降りぐらいやれないものは
もうどこまででも連れて行って
北極あたりの大避暑市でおろしたり
銀河の発電所や西のちぢれた鉛の雲の鉱山あたり
ふしぎな仕事に案内したり
谷間の風も白い火花もごっちゃごちゃ
接吻《キス》をしようと詐欺をやろうと
ごとごとぶるぶるゆれて顫える窓の玻璃《ガラス》
二町五町の山ばたも
壊れかかった香魚《あゆ》やなも
どんどんうしろへ飛ばしてしまって
ただ一さんに野原をさしてかけおりる
本社の西行各列車は
運行敢《あえ》て軌によらざれば
振動けだし常ならず
されどまたよく鬱血《うつけつ》をもみさげ
……Prrrrr Pirr!……
心肝をもみほごすが故に
のぼせ性こり性の人に効あり
そうだやっぱりイリドスミンや白金鉱区《やま》の目論見は
鉱染よりは砂鉱の方でたてるのだった
それとももいちど阿原《あばら》峠や江刺《えさし》堺を洗ってみるか
いいやあっちは到底おれの根気の外だと考えようが
恋はやさし野べの花よ
一生わたくしかわりませんと
騎士の誓約強いベースで鳴りひびこうが
そいつもこいつもみんな地塊の夏の泡
いるかのように踊りながらはねあがりながら
もう積雲の焦げたトンネルも通り抜け
緑青を吐く松の林も
続々うしろへたたんでしまって
なおいっしんに野原をさしてかけおりる
わが親愛なる布佐機関手が運転する
岩手軽便鉄道の
最後の下り列車である
二五・七・一九
鬼言(幻聴)
三十六号!
左の眼は三!
右の眼は六!
斑石《ぶちいし》をつかってやれ
二五・一〇・一八
告 別
おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希《のぞ》みに充《み》ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のように顫《ふる》わせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだろう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦《げん》や鍵器《けんき》をとって
すでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器《こき》と
竹でつくった管《かん》とをとった
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材というものは
ひとにとどまるものでない
ひとさえひとにとどまらぬ
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけてるような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光の像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛《か》んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
二五・一〇・二五
『春と修羅』 第三集
陽が照って鳥が啼《な》き
あちこちの楢《なら》の林も、
けむるとき
ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、
おれはこれからもつことになる
二六・五・二
〔道べの粗朶に〕
道べの粗朶《そだ》に
何かなし立ちよってさわり
け白い風にふり向けば
あちこち暗い家ぐねの杜《もり》と
花咲いたままいちめん倒れ
黒雲に映える雨の稲
そっちはさっきするどく斜視し
あるいは嘲《あざ》けりことばを避けた
陰気な幾十の部落なのに
何がこんなにおろかしく
私の胸を鳴らすのだろう
今朝このみちをひとすじいだいたのぞみも消え
いまはわずかに白くひらける東のそらも
ただそれだけのことであるのに
なおもはげしく
いかにも立派な根拠か何かありそうに
胸の鳴るのはどうしてだろう
野原のはてで荷馬車は小く
ひとはほそぼそ尖《とが》ってけむる
二六・六・二〇
饗 宴
酸っぱい胡瓜《きゆうり》をぽくぽく噛《か》んで
みんなは酒を飲んでいる
……土橋は曇りの午前にできて
いまうら青い榾《ほた》のけむりは
稲いちめんに這《は》いかかり
そのせきぶちの杉や楢《なら》には
雨がどしゃどしゃ注いでいる……
みんなは地主や賦役に出ない人たちから
集めた酒を飲んでいる
……われにもあらず
ぼんやり稲の種類を云う
ここは天山北路であるか……
さっき十ぺん
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱そうな子が
みんなのうしろの板の間で
座って素麺《むぎ》をたべている
(紫雲英《ハナコ》植れば米とれるてが
藁《わら》ばりとったて間に合ぁなじゃ)
こどもはむぎを食うのをやめて
ちらっとこっちをぬすみみる
二六・九・三
〔霧がひどくて手が凍えるな〕
霧がひどくて手が凍えるな
……馬もぶるっとももをさせる……
縄をなげてくれ縄を
……すすきの穂も水霜でぐっしょり
ああはやく日が照るといい……
雉子《きじ》が啼《な》いてるぞ 雉子が
おまえの家のなからしい
……誰も居なくなった家のなかを
餌《えさ》を漁《あさ》って大股《おおまた》にあるきながら
雉子が叫んでいるのだろうか……
二六・九・一三
川上の
煉瓦《れんが》工場の煙突から
けむりが雲につづいている
あの脚《あし》もとにひろがった
青じろい頁岩《けつがん》の盤で
尖《とが》って長いくるみの化石をさがしたり
古いけものの足痕《あしあと》を
うすら濁ってつぶやく水のなかからとったり
二夏のあいだ
実習のすんだ毎日の午后を
生徒らとたのしくあそんで過ごしたのに
いま山山は四方にくらく
一ぺんすっかり破産した
煉瓦工場の煙突からは
何をたいているのか
黒いけむりがどんどんたって
そらいっぱいの雲にもまぎれ
白金いろの天末も
だんだん狭くちぢまって行く
二六・一〇・九
〔土も掘るだろう〕
土も掘るだろう
ときどきは食わないこともあるだろう
それだからといって
やっぱりおまえらはおまえらだし
われわれはわれわれだと
……山は吹雪のうす明り……
なんべんもきき
いまもきき
やがてはまったくその通り
まったくそうしかできないと
……林は淡い吹雪のコロナ……
あらゆる失意や病気の底で
わたくしもまたうなずくことだ
二七・三・一六
開 墾
野ばらの藪《やぶ》を、
ようやくとってしまったときは
日がこうこうと照っていて
そらはがらんと暗かった
おれも太市も忠作も
そのまま笹《ささ》に陥ち込んで、
ぐうぐうぐうぐうねむりたかった
川が一秒九噸《トン》の針を流していて
鷺《さぎ》がたくさん東へ飛んだ
二七・三・二七
札幌市
遠くなだれる灰光と
貨物列車のふるいのなかで
わたくしは湧《わ》きあがるかなしさを
きれぎれ青い神話に変えて
開拓記念の楡《にれ》の広場に
力いっぱい撒《ま》いたけれども
小鳥はそれを啄《ついば》まなかった
二七・三・二八
ひるになったので
枯れたよもぎの茎のなかに
長いすねを抱くように座って
一ぷくけむりを吹きながら
こっちの方を見ているようす
七十にもなって丈六尺に近く
うずまいてまっ白な髪や鬚《ひげ》は
まずはむかしの大木彫が
日向《ひなた》へ迷って出て来たよう
日が高くなってから
巨《おお》きなくるみの被さった
同心町の石を載せた屋根の下から
ひとりのっそり起き出して
鍬《くわ》をかついであちこち見ながら
この川べりをやって来た
おまえの畑は甘藍《キヤベツ》などを植えるより
人参《にんじん》やごぼうがずっといい
おれがいい種子を下すから
一しょに組んで作らないかと
そう大声で云いながら
俄《にわ》かに何を考えたのか
いままで大きく張った眼が
俄かに遠くへ萎《しぼ》んでしまい
奥で小さな飴色《あめいろ》の火が
かなりしばらくともっていた
それから深く刻まれた
顔いっぱいの大きな皺《しわ》が
氷河のように降りて来た
それこそは
時代に叩《たた》きつけられた
武士階級の辛苦の記録、
しかも殷艦《いんかん》遠からず
ただもうかわるがわるのはなし
折角の有利な企業への加入申込がないので
老いた発起人はさびしそうに、
きせるはわずかにけむりをあげて
やっぱりこっちをながめている
二七・四・二〇
〔同心町の夜あけがた〕
同心町の夜あけがた
一列の淡い電燈
春めいた浅葱《あさぎ》いろしたもやのなかから
ぼんやりけぶる東のそらの
海泡石のこっちの方を
馬をひいてわたくしにならび
町をさしてあるきながら
程吉はまた横眼でみる
わたくしのレアカーのなかの
青い雪菜《ゆきな》が原因ならば
それは一種の嫉視《しつし》であるが
乾いて軽く明日は消える
切りとってきた六本の
ヒアシンスの穂が原因ならば
それもなかばは嫉視であって
わたくしはそれを作らなければそれで済む
どんな奇怪な考《かんがえ》が
わたくしにあるかをはかりかねて
そういうふうに見るならば
それは懼《おそ》れて見るという
わたくしはもっと明らかに物を云い
あたり前にしばらく行動すれば
間もなくそれは消えるであろう
われわれ学校を出て来たもの
われわれ町に育ったもの
われわれ月給をとったことのあるもの
それ全体への疑いや
漠然とした反感ならば
容易にこれは抜き得ない
向うの坂の下り口で
犬が三疋《びき》じゃれている
子供が一人ぽろっと出る
あすこまで行けば
あのこどもが
わたくしのヒアシンスの花を
呉《く》れ呉れといって叫ぶのは
いつもの朝の恒例である
見給え新らしい伯林《プルシヤン》青《ブルー》を
じぶんでこてこて塗りあげて
置きすてられたその屋台店の主人は
あの胡桃《くるみ》の木の枝をひろげる
裏の小さな石屋根の下で
これからねむるのでないか
二七・四・二一
悍 馬
封介の廐肥《こえ》つけ馬が、
にわかにぱっとはねあがる
眼が紅《あか》く 竜に変って
青びいどろの春の天を
あせって掻《か》いてとろうとする
廐肥が一っつぽろっとこぼれ
封介は両手でたづなをしっかり押え
半分どてへ押つける
馬は二三度なおあがいて
ようやく巨《おお》きな頭をさげ
竜になるのをあきらめた
雲ののろしは四方に騰《あが》り
萱草《かんぞう》芽を出す崖腹《がけはら》に
マグノリアの花と霞《かすみ》の青
ひとの馬のあばれるのを
なにもそんなに見なくてもいい
おまえの鍬《くわ》がひかったので
馬がこんなにおどろいたのだと
こぼれ廐肥にかがみながら
封介は一昨日から
くらい廐《うまや》で熱くむっとする
何百把かの廐肥をしばって
すっかりむしゃくしゃしているのだ
二七・四・二五
開墾地検察
……墓地がすっかり変ったなあ……
……なあにそれすっかり整理したもんでがす……
……ここに巨《おお》きなしだれ桜があったがねえ……
……なあにそれ
青年団総出でやったもんでがす
観音さんも潰されあした……
……としよりたちが負けたんだねえ……
……なあに総一ぁたった一人できかなぐなって
それで誰《だ》っても負げるんでがんす……
……苗圃《なわしろ》のあともずいぶんひどく荒れたねえ……
……なあにそれ
お上でうんと肥料したずんで
これで六年無肥料でがす……
……あちこち茶いろにぶちだしている……
……はあ、
苹果《りんご》の枝、兎に食われあした
桜んぼの方は食いあせんで
桃もやっぱり食われあした……
……兎はとらなけあいけないよ
それでも兎の食わない種類というんなら
花には薔薇《ばら》につつじかな
果樹ではやっぱり梅だろう……
……桜んぼの方は食いませんで
苹果と桃をたべたので……
……そらそら
その苹果の樹の幽霊だろう
その谷そこに突ったって
いっぱい花をつけてるやつは……
……はあ……
……針金製の鉄索か
この崖下《がけした》で切り出すんだな……
……はあ 鉛の丸五の仕事でがあす……
……そんなにこれが売れるかねえ……
……はあ
耐火性だって云ったって売ってます……
……耐火性さなこの石は
あれだな開墾地は……
……はあ
上流の橋渡って参りあす……
二七・五・九
県技師の雲に対するステートメント
神話乃至は擬人的なる説述は
小官のはなはだ愧《は》ずるところではあるが
仮にしばらく上古歌人の立場に於《おい》て
黒く淫《みだ》らな雨雲《ニムブス》に云う
小官はこの峠の上のうすびかりする浩気から
またここを通る野ばらのかおりあるつめたい風から
また山谷の凄《すさ》まじく青い刻鏤《こくろう》から
心塵身劬《しんじんしんく》ひとしくともに濯《あら》おうと
今日の出張日程に
辛くも得たる数頃を
しかく貴重に立つのであるが
そもそも黒い雨雲《ニムブス》よ
おまえは却《かえ》って小官に
異常な不安を持ち来し
謂《い》わば殆《ほと》んど古事記に言える
そら踏む感をなさしめる
その故けだしいかんとならば
過ぎ来し五月二旬の間
淫らなおまえら雨雲《ニムブス》族は
西の河谷を覆って去らず
日照ために常位を欠けば
稲苗すべて徒長を来し
あるいは赤い病斑《びようはん》を得た
おおよそかかる事態に於て
県下今期の稲作は
憂慮なくして観るを得ず
そらを仰いで烏乎《うこ》せしことや
日々にはなはだ数度であった
然《しか》るに昨夜
かの練達の測候長は
断じて晴れの予報を通じ
今朝そら青く気は澄んで
車窓シガーのけむりをながし
峡《かい》の二十里 平野の十里
旅程明るく午《ひる》を越すいまを
何たる譎詐《けつさ》何たる不信
この山頂の眼路遥《はる》かなる展望は
怒り身を噛《か》むごとくである
第一おまえがここより東
鶯《うぐいす》いろに装おいて
連亙《れんこう》遠き地塊を覆い
はては渺茫《びようぼう》視界のきわみ
太洋をさえ犯す事
第二にわかの層巻雲や
青い虚空に逆って
おまえの北に馳《か》けること
第三 暗い気層の海鼠《なまこ》
五葉の山の上部に於て
あらゆる淫卑《いんぴ》なひかりとかたち
その変幻と出没を
おまえがややもはばからぬ
これらを綜合して見るに
あやしくやわらかな雨雲《ニムブス》よ
たとえ数箇のなまめく日射しを許すとも
非礼の香気を風に伝えて送るとも
その灰黒の翼と触手
大バリトンの流体もって
全天抛《な》げ来すおまえの意図は
はや瞭《りよう》として被い得ぬ
しかればじつに小官は
公私あらゆる立場より
満腔《まんこう》不満の一瞥《いちべつ》を
最後にしばしおまえに与え
すみやかにすみやかに
この山頂を去ろうとする
二七・六・一
僚 友
わたくしがかつてあなたがたと
この方室に卓を並べていましたころ、
たとえば今日のような明るくしずかなひるすぎに
……窓にはゆらぐアカシヤの枝……
ちがった思想やちがったなりで
誰かが訪ねて来ましたときは
わたくしどもはただ何げなく眼をも見合せ
またあるかなし何ともしらず表情し合いもしたのでしたが
……崩れてひかる夏の雲……
今日わたくしが疲れて弱く
荒れた耕地やけわしいみんなの瞳《ひとみ》を避けて
おろかにもまたおろかにも
昨日の安易な住所を慕い、
この方室にたどって来れば、
まことにあなたがたのことばやおももちは
あなたがたにあるその十倍の強さになって
……風も燃え……
わたくしの胸をうつのです
……風も燃え 禾草《かそう》も燃える……
二七・七・一
〔あすこの田はねえ〕
あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水《みず》を切ってね
三番除草はしないんだ
……一しんに畔《あぜ》を走って来て
青田のなかに汗拭《ふ》くその子……
燐酸《りんさん》がまだ残っていない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂《しだ》れ葉をねえ
斯《こ》ういう風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまうんだ
……せわしくうなずき汗拭くその子
冬講習に来たときは
一年はたらいたあととは云え
まだかがやかな苹果《りんご》のわらいをもっていた
いまはもう日と汗に焼け
幾夜の不眠にやつれている……
それからいいかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちょうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖《はさき》を刈ってしまうんだ
……汗だけでない
泪《なみだ》も拭いているんだな……
君が自分でかんがえた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のほうね
あれはずいぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育っている
硫安だってきみが自分で播《ま》いたろう
みんながいろいろ云うだろうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていい
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのようにさ
吹雪やわずかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
……雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ……
二七・七・一〇
野の師父
倒れた稲や萱穂《かやぼ》の間
白びかりする水をわたって
この雷と雲とのなかに
師父よあなたを訪ねて来れば
あなたは縁に正しく座して
空と原とのけはいをきいていられます
日日に日の出と日の入に
小山のように草を刈り
冬も手織の麻を着て
七十年が過ぎ去れば
あなたのせなは松より円く
あなたの指はかじかまり
あなたの額は雨や日や
あらゆる辛苦の図式を刻み
あなたの瞳《ひとみ》は洞《ほら》よりうつろ
この野とそらのあらゆる相は
あなたのなかに複本をもち
それらの変化の方向や
その作物への影響は
たとえば風のことばのように
あなたののどにつぶやかれます
しかもあなたのおももちの
今日は何たる明るさでしょう
豊かな稔《みの》りを願えるままに
二千の施肥の設計を終え
その稲いまやみな穂を抽いて
花をも開くこの日ごろ
四日つづいた烈《はげ》しい雨と
今朝からのこの雷雨のために
あちこち倒れもしましたが
なおもし明日或《あるい》は明後
日をさえ見ればみな起きあがり
恐らく所期の結果も得ます
そうでなければ村々は
今年も暗い冬を再び迎えるのです
この雷と雨との音に
物を云うことの甲斐《かい》なさに
わたくしは黙して立つばかり
松や楊《やなぎ》の林には
幾すじ雲の尾がなびき
幾層のつつみの水は
灰いろをしてあふれています
しかもあなたのおももちの
その不安ない明るさは
一昨年の夏ひでりのそらを
見上げたあなたのけはいもなく
わたしはいま自信に満ちて
ふたたび村をめぐろうとします
わたくしが去ろうとして
一瞬あなたの額の上に
不定な雲がうかび出て
ふたたび明るく晴れるのは
それが何かを推せんとして
恐らく百の種類を数え
思いを尽してついに知り得ぬものではありますが
師父よもしもやそのことが
口耳の学をわずかに修め
鳥のごとくに軽佻《けいちよう》な
わたくしに関することでありますならば
師父よあなたの目力をつくし
あなたの聴力のかぎりをもって
わたくしのまなこを正視し
わたくしの呼吸をお聞き下さい
古い白麻の洋服を着て
やぶけた絹張の洋傘はもちながら
尚《なお》わたくしは
諸仏菩薩《ぼさつ》の護念によって
あなたが朝ごと誦《しよう》せられる
かの法華経《ほけきよう》の寿量《じゆりよう》の品を
命をもって守ろうとするものであります
それでは師父よ
何たる天鼓の轟《とどろ》きでしょう
何たる光の浄化でしょう
わたくしは黙して
あなたに別《わかれ》の礼をばします
和風は河谷いっぱいに吹く
とうとう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きている
雨のあいだまっていた穎《ほさき》は
いま小さな白い花をひらめかし
しずかな飴《あめ》いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
ああ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖《ぶんけつ》し
豊かな秋を示していたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数え
茎稈《けいかん》弱く徒長して
穂も出し花もつけながら
ついに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまい
うえには雨のしぶきのなかに
とむらうようなつめたい霧が
倒れた稲を被っていた
ああ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つなかろうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっこうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代りには
十に一つも起きれまいと思っていたものが
わずかの苗のつくり方のちがいや
燐酸《りんさん》のやり方のために
今日はそろってみな起きている
森で埋めた地平線から
青くかがやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗《くり》の葉をかがやかし
いまさわやかな蒸散と
透明な汁液《サツプ》の移転
ああわれわれは曠野《こうや》のなかに
蘆《あし》とも見えるまで逞《たく》ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のように
べんぶしてもべんぶしても足りない
二七・八・二〇
〔もうはたらくな〕
もうはたらくな
レーキを投げろ
この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために
おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が
次から次と倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ
働くことの卑怯《ひきよう》なときが
工場ばかりにあるのでない
ことにむちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらかそうとする、
卑しいことだ
……けれどもああまたあたらしく
西には黒い死の群像が湧《わ》きあがる
春にはそれは、
恋愛自身とさえも云い
考えられていたではないか……
さあ一ぺん帰って
測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし
頭を堅く縛って出て
青ざめてこわばったたくさんの顔に
一人ずつぶっつかって
火のついたようにはげまして行け
どんな手段を用いても
弁償すると答えてあるけ
二七・八・二〇
〔二時がこんなに暗いのは〕
二時がこんなに暗いのは
時計も雨でいっぱいなのか
本街道をはなれてからは
みちは烈《はげ》しく倒れた稲や
陰気なひばの木立の影を
めぐってめぐってここまで来たが
里程にしてはまだそんなにもあるいていない
そしていったいおれのたずねて行くさきは
地べたについた北のけわしい雨雲だ、
ここの野原の土から生えて
ここの野原の光と風と土とにまぶれ
老いて盲《めし》いた大先達《だいせんだつ》は
なかばは苔《こけ》に埋もれて
そこでしずかにこの雨を聴く
またいなびかり、
林を嘗《な》めて行き過ぎる、
雷がまだ鳴り出さないに、
あっちもこっちも、
気狂いみたいにごろごろまわるから水車
ハックニー馬の尻ぽのように
青い柳が一本立つ
二七・八・二〇
台 地
日が白かったあいだ、
赤渋《あかしぶ》を載せたり草の生えたりした、
一枚一枚の田をわたり
まがりくねった畔《あぜ》から水路、
沖積の低みをめぐりあるいて、
声もかれ眼もぼうとして
いまこの台地にのぼってくれば
紺青《こんじよう》の山脈は遠く
松の梢《こずえ》は夕陽にゆらぐ
ああ排水や鉄のゲル
地形日照酸性度
立地因子は青ざめて
つかれのなかに乱れて消え
しずかにわたくしのうしろを来る
今日の二人の先達《せんだつ》は
この国の古い神々の
その二はしらのすがたをつくる
今日は日のなかでしばし高雅の神であり
あしたは青い山羊《やぎ》となり
あるとき歪《ゆが》んだ修羅となる
しかもいま
松は風に鳴り、
その針は陽にそよぐとき
その十字路のわかれの場所で
衷心この人を礼拝する
何がそのことをさまたげようか
二八・四・一二
停留所にてスイトンを喫す
わざわざここまで追いかけて
せっかく君がもって来てくれた
帆立貝入りのスイトンではあるが
どうもぼくにはかなりな熱があるらしく
この玻璃《ガラス》製《せい》の停留所も
なんだか雲のなかのよう
そこでやっぱり雲でもたべているようなのだ
この田所の人たちが、
苗代の前や田植の後や
からだをいためる仕事のときに
薬にたべる種類のもの
除草と桑の仕事のなかで
幾日も前から心掛けて
きみのおっかさんが拵《こしら》えた、
雪の形の膠朧体《こうろうたい》、
それを両手に載せながら
ぼくはただもう青くくらく
こうもはかなくふるえている
きみはぼくの隣に座って
ぼくがこうしている間
じっと電車の発着表を仰いでいる、
あの組合の倉庫のうしろ
川岸の栗《くり》や楊《やなぎ》も
雲があんまりひかるので
ほとんど黒く見えているし
いままた稲を一株もって
その入口に来た人は
たしかにこの前金矢の方でもいっしょになった
きみのいとこにあたる人かと思うのだが
その顔も手もただ黒く見え
向うもわらっている
ぼくもたしかにわらっているけれども
どうも何だかじぶんのことでないようなのだ
ああ友だちよ、
空の雲がたべきれないように
きみの好意もたべきれない
ぼくははっきりまなこをひらき
その稲を見てはっきりと云い
あとは電車が来る間
しずかにここへ倒れよう
ぼくたちの
何人も何人もの先輩がみんなしたように
しずかにここへ倒れて待とう
二八・七・二〇
穂孕期《ほばらみき》
蜂蜜《はちみつ》いろの夕陽のなかを
みんな渇いて
稲田のなかの萱《かや》の島、
観音堂へ漂い着いた
いちにちの行程は
ただまっ青な稲の中
眼路をかぎりの
その水いろの葉筒の底で
けむりのような一ミリの羽
淡い稲穂の原体が
いまこっそりと形成され
この幾月の心労は
ぼうぼう東の山地に消える
青く澱《よど》んだ夕陽のなかで
麻シャツの胸をはだけてしゃがんだり
帽子をぬいで小さな石に腰かけたり
みんな顔中稲で傷だらけにして
芬《かお》って酸っぱいあんずをたべる
みんなのことばはきれぎれで
知らない国の原語のよう
ぼうとまなこをめぐらせば、
青い寒天のようにもさやぎ
むしろ液体のようにもけむって
この堂をめぐる萱むらである
二八・七・二四
『詩ノート』
〔ソックスレット〕
ソックスレット
光る加里球
並んでかかるリービッヒ管
みんなはどこへ行ったのだろう
暖炉が燃えて
黄いろな時計はつまずきながらうごいている
塩酸比重一・一九(〓セリンを持って来てください)
タンニン定量用
このレッテルはわたくしの字だ
十年前のごくおぼつかないわたくしの字だ
けれどもこんなに紙が白くて
蝋《ろう》も塗られていないのは
やっぱり誰か相似形の一つが
つめたい風にはあはあ息をつきながら
一生けん命ねらって書いたに相違ない
……雪の反射とポプラの梢《こずえ》……
よくまあこんなうすいろの陰暗だの
がさつな藪《やぶ》にかこまれながら
感量〇・〇〇〇二という風な
こまかな仕事をしているもんだ
……そらをかけているものは
オーパルの雲か
それとも近い氷のかけらの系列か……
風がふけば
またひとがあるけば
目盛フラスコの
そのいちいちの色異った溶液が
めいめいきれいにひかってゆれる
……色のついた硝酸がご用ですか……
……いいえ わたくしの精神がいま索《たず》ねて居ますのは
水に落ちた木の陰影の濃度を測定する
青い試薬がほしいんであります……
ぎらぎら砕けるポプラの枝と雲の影
二七・二
〔洪積世が了って〕
洪積世《こうせきせい》が了《おわ》って
北上川がいまの場所に固定しだしたころには
ここらはひばや
はんやくるみの森林で
そのところどころには
そのいそがしく悠久な世紀のうちに
山地から運ばれた漂礫《ひようれき》が
あちこちごちゃごちゃ置かれてあった
それはその後八万年の間に
あるいはそこらの著名な山岳の名や
古い鬼神の名前を記されたりして
いま秩序よく分散する
二七・三・二一
〔あんまり黒緑なうろこ松の梢なので〕
あんまり黒緑なうろこ松の梢《こずえ》なので
そのいちいちの枝も針もとがりとがり
そこにつめたい風の狗《いぬ》が吠《ほ》え
あめはつぶつぶ降ってくる
いまいったい何時なのだろう
今日は日が出ていないのでわからない
けれども鉛筆を掌にたてて
薄い影ぐらいはできるだろう
いやこう立ててはいけない
もっと臥《ふ》せて掌に近くしなければだめだ
あんまり西だ
もう午《ひる》ちかいつかれや胸の熱しようなのに
鉛筆を臥せてはいけないのだ
それは投影になるためだ
向うの橋の東袂《ひがしたもと》へ影が落ちれば
大ていひるまにきまっている
こんど磁石をもってきて
北を何かに固定しよう
けれどもそれは畑のなかでの位置によってもちがいがある
いやそうでない
なるべく遠い
山の青びかりする尖端《せんたん》とか
氷河の稜とかをとりさえすれば
わずかな誤差で済む
風が東にかわれば
その重くなつかしい春の雲の縞《しま》が
ゆるやかにゆるやかに北へながれる
二七・四・五
政治家
あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑《の》みたいやつらばかりだ
羊歯《しだ》の葉と雲
世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
そういうやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであろう
二七・五・三
〔何と云われても〕
何と云われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫《しずく》
すきとおった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである
二七・五・三
〔こぶしの咲き〕
こぶしの咲き
きれぎれに雲のとぶ
この巨《おお》きななまこ山のはてに
紅《あか》い一つの擦り傷がある
それがわたくしも花壇をつくっている
花巻温泉の遊園地なのだ
二七・五・三
〔サキノハカという黒い花といっしょに〕
サキノハカという黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
おおよそ卑怯《ひきよう》な下等なやつらは
みんなひとりで日向《ひなた》へ出た蕈《きのこ》のように
潰れて流れるその日が来る
やってしまえやってしまえ
酒を呑《の》みたいために尤《もつとも》らしい波瀾《はらん》を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていうにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩《たた》きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追い払え
それらをみんな魚や豚につかせてしまえ
はがねを鍛えるように新らしい時代は新らしい人間を鍛える
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ
〔これらは素樸なアイヌ風の木柵であります〕
これらは素樸《そぼく》なアイヌ風の木柵《もくさく》であります
ええ
家の前の桑の木を
Yの字に仕立てて見たのでありますが
それでも家計は立たなかったのです
四月は
苗代の水が黒くて
くらい空気の小さな渦が
毎日つぶつぶそらから降って
そこを烏《からす》が
があがあ啼《な》いて通ったのであります
どういうものでございましょうか
斯《こ》ういう角だった石ころだらけの
いっぱいにすぎなやよもぎの生えてしまった畑を
子供を生みながらまた前の子供のぼろ着物を綴《つづ》り合せながら
また炊爨《すいさん》と村の義理首尾とをしながら
一家のあらゆる不満や慾望を負いながら
わずかに粗渋な食と年中六時間の睡《ねむ》りをとりながら
これらの黒いかつぎした女の人たちが耕すのであります
この人たちはまた
ちょうど二円代の肥料のかわりに
あんな笹山《ささやま》を一反歩ほど切りひらくのであります
そして
ここでは蕎麦《そば》が二斗まいて四斗とれます
この人たちはいったい
牢獄《ろうごく》につながれたたくさんの革命家や
不遇に了《お》えた多くの芸術家
これら近代的な英雄たちに
果して比肩し得ぬものでございましょうか
二七・五・九
囈《げい》 語《ご》
罪はいま疾《やまい》にかわり
わたくしはたよりなく
河谷のそらにねむっている
せめてもせめても
この身熱に
今年の青い槍《やり》の葉よ活着《つ》け
この湿気から
雨ようまれて
ひでりのつちをうるおおせ
二七・六・一三
『春と修羅 詩稿補遺』
〔どろの木の根もとで〕
どろの木の根もとで
水をけたててはねあがったのは、
まさしくここらの古い水きね
そばには葦《あし》で小さな小屋ができている
粟《あわ》か稗《ひえ》かをついてるらしい
つづけて水はとうとうと落ち
きねはしばらく静止する
ひるなら羊歯《しだ》のやわらかな芽や
プリムラも咲くきれいな谷だ
きねは沈んでまたはねあがり
月の青火はぼろぼろ落ちる
もっともきねというよりは
小さな丸木舟であり
むしろ巨《おお》きなさじであると
こんども誰かが云いそうなのは
じつはこっちがねむいのだ
どこかで鈴が鳴っている
それは道路のあっち側
柏《かしわ》や栗《くり》か そのまっくらな森かげに
かぎなりをした家の
右の袖《そで》から鳴ってくる
前の四角な広場には
五十ばかりの廐肥《きゆうひ》の束が
月のあかりに干されている
ねむった馬の胸に吊《つ》るされ
呼吸につれてふるえるのだ
馬は恐らくしき草の上に
足を重ねてかんばしくねむる
わたくしもまたねむりたい
まもなく東が明るくなれば
馬は巨きな頭を下げて
がさがさこれを畑へはこぶ
そのころおれは
まだ外山へ着けないだろう
ひるの仕事でねむれないといって
いまごろここらをうろつくことは
ブラジルでなら
馬どろぼうに間違われて
腕に鉛をぶちこまれても仕方ない
どこかで鈴とおんなじに啼《な》く鳥がある
それはたとえば青くおぼろな保護色だ
向うの丘の影の方でもないている
そのまたもっと向うでは
たしかに川も鳴っている
きねはもいちどはねあがり
やなぎの絮《わた》や雲さびが
どろの梢《こずえ》をしずかにすぎる
心象スケッチ
林中乱思
火を燃したり
風のあいだにきれぎれ考えたりしていても
さっぱりじぶんのようでない
塩汁《しおじる》をいくら呑《の》んでも
やっぱりからだはがたがた云う
白菜をまいて
金もうけの方はどうですかなどと云っていた
普藤なんぞをつれて来て
この塩汁をぶっかけてやりたい
誰がのろのろ農学校の教師などして
一人前の仕事をしたと云われるか
それがつらいと云うのなら
ぜんたいじぶんが低能なのだ
ところが怒って見たものの
何とこの焔《ほのお》の美しさ
柏《かしわ》の枝と杉と
まぜて燃すので
こんなに赤のあらゆる phaseを示し
もっともやわらかな曲線を
次々須臾《しゆゆ》に描くのだ
それにうしろのかまどの壁で
煤《すす》かなにかが
星よりひかって明滅する
むしろこっちを
東京中の
知人にみんな見せてやって
大いに羨《うらや》ませたいと思う
じぶんはいちばん条件が悪いのに
いちばん立派なことをすると
そう考えていたいためだ
要約すれば
これも結局 distinctionの慾望の
その一態にほかならない
林はもうくらく
雲もぼんやり黄いろにひかって
風のたんびに
栗や何かの葉も降れば
萱《かや》の葉っぱもざらざら云う
もう火を消して寝てしまおう
汗を出したあとはどうしてもあぶない
〔こっちの顔と〕
こっちの顔と
凶年の周期のグラフを見くらべながら
なんべんも何か云いたそうにしては
すこしわらって下を向いているこの人は
たしかに町の二年か上の高等科へ
赤い毛布と栗の木下駄で
通って来ていたなかのひとり
それから五年か六年たって
秋の祭りのひるすぎだった
この人は鹿踊《ししおど》りの仲間といっしょに
例ののばかまとわらじをはいて
長い割竹や角のついた、
面のしたから顔を出して
踊りももうあきたというように、
ばちをもった片手はちょこんと太鼓の上に置き
悠々と豊沢町を通って行った
こっちが知らないで
ただ鹿踊りだと思って見ていたときに
この人は面の下の麻布をすかして
踊りながら昔の友だちや知った顔を
横眼で見たこともたびたびあったろう
けれどもいまになって
われわれが気候や
品種やあるいは産業組合や
殊にも塩の魚とか
小さなメリヤスのもも引だとか
ゴム沓《ぐつ》合羽のようなもの
こういうものについて共同の関心をもち
一緒にそれを得ようと工夫することは
じつにたのしいことになった
外では吹雪が吹いていてもいなくても
それが十時でも午后の二時でも
二尺も厚い萱《かや》をかぶって
どっしりと座ったこういう家のなかは
ただ落ちついてしんとしている
そこでこれからおれは稲の肥料をはなし
向うは鹿踊りの式や作法をはなし
夕方吹雪が桃いろにひかるまで
交換教授をやるというのは
まことに愉快なことである
毘沙門天の宝庫
さっき泉で行きあった
黄の節糸《ふしいと》の手甲をかけた薬屋も
どこへ下りたかもう見えず
あたりは暗い青草と
麓《ふもと》の方はただ黒緑の松山ばかり
東は畳む幾重の山に
日がうっすりと射していて
谷には影もながれている
あの藍《あい》いろの窪《くぼ》みの底で
形ばかりの分教場を
菊井がやっているわけだ
そのま上には
巨《おお》きな白い雲の峯
ずいぶん幅も広くて
南は人首《ひとかべ》あたりから
北は田瀬や岩根橋にもまたがってそう
あれが毘沙門《びしやもん》天王の
珠玉やほこや幢幡《どうばん》を納めた
巨きな一つの宝庫だと
トランスヒマラヤ高原の
住民たちが考える
もしあの雲が
旱《ひでり》のときに、
人の祈りでたちまち崩れ
いちめんの烈《はげ》しい雨にもならば
まったく天の宝庫でもあり
この丘群に祀《まつ》られる
巨きな像の数にもかない
天人互に相見るという
古いことばもまたもう一度
人にはたらき出すだろう
ところが積雲のそのものが
全部の雨に降るのでなくて
その崩れるということが
そらぜんたいに
液相のます兆候なのだ
大正十三年や十四年の
はげしい旱魃《かんばつ》のまっ最中も
いろいろの色や形で
雲はいくども盛りあがり
また何べんも崩れては
暗く野はらにひろがった
けれどもそこら下層の空気は
ひどく熱くて乾いていたので
透明な毘沙門天の珠玉は
みんな空気に溶けてしまった
鳥いっぴき啼《な》かず
しんしんとして青い山
左の胸もしんしん痛い
もうそろそろとあるいて行こう
火 祭
火祭りで、
今日は一日、
部落そろってあそぶのに、
おまえばかりは、
町へ肥料の相談所などこしらえて、
今日もみんなが来るからと、
外套《がいとう》など着てでかけるのは
いい人ぶりというものだと
厭々《いやいや》ひっぱりだされた圭一が
ふだんのままの筒袖《つつそで》に
栗の木下駄をつっかけて
さびしく眼をそらしている
……帆舟につかず袋につかぬ
大きな白い紙の細工を荷馬車につけて
こどもらが集っているでもない
松の並木のさびしい宿を
みんなでとにかくゆらゆら引いて
また張合なく立ちどまる……
くらしが少しぐらいらくになるとか
そこらが少しぐらいきれいになるとかよりは
いまのまんまで
誰ももう手も足も出ず
おれよりもきたなく
おれよりもくるしいのなら
そっちの方がずっといいと
何べんそれをきいたろう
(みんなおなじにきたなくでない
みんなおなじにくるしくでない)
……巨《おお》きな雲がばしゃばしゃ飛んで
煙草の函《はこ》でめんをこさえてかぶったり
白粉《おしろい》をつけて南京袋《ナンキンぶくろ》を着たりしながら
みんなは所在なさそうに
よごれた雪をふんで立つ……
そうしてそれもほんとうだ
(ひば垣や風の暗黙のあいだ
主義とも云わず思想とも云わず
ただ行われる巨きなもの)
誰かがやけに
やれやれやれと叫べば
さびしい声はたった一つ
銀いろをしたそらに消える
地 主
水もごろごろ鳴れば
鳥が幾むれも幾むれも
まばゆい東の雲やけむりにうかんで
小松の野はらを過ぎるとき
ひとは瑪瑙《めのう》のように
酒にうるんだ赤い眼をして
がまのはむばきをはき
古いスナイドルを斜めにしょって
胸高く腕を組み
怨霊《おんりよう》のようにひとりさまよう
この山ぎわの狭い部落で
三町歩の田をもっているばかりに
殿さまのようにみんなにおもわれ
じぶんでも首まで借金につかりながら
やっぱりりんとした地主気取り
うしろではみみずく森や
六角山の下からつづく
一里四方の巨《おお》きな丘に
まだ芽を出さない栗《くり》の木が
褐色の梢《こずえ》をぎっしりそろえ
その麓《ふもと》の
月光いろの草地には
立派なはんの一むれが
東邦風にすくすくと立つ
そんな桃いろの春のなかで
ふかぶかとうなじを垂れて
ひとはさびしく行き惑う
一ぺん入った小作米は
もう全くたべるものがないからと
かわるがわるみんなに泣きつかれ
秋までにはみんな借りられてしまうので
そんならおれは男らしく
じぶんの腕で食ってみせると
古いスナイドルをかつぎだして
首尾よく熊をとってくれば
山の神様を殺したから
ことしはお蔭で作も悪いと云われる
その苗代はいま朝ごとに緑金を増し
畔《あぜ》では羊歯《しだ》の芽もひらき
すぎなも青く冴《さ》えれば
あっちでもこっちでも
つかれた腕をふりあげて
三本鍬《ぐわ》をぴかぴかさせ
乾田を起しているときに
もう熊をうてばいいか
何をうてばいいかわからず
うるんで赤いまなこして
怨霊のようにあるきまわる
会 見
(この逞《たく》ましい頬骨《ほおぼね》は
やっぱり昔の野武士の子孫
大きな自作の百姓だ)
(息子がいつでも云っている
技師というのはこの男か
も少しからだも強靭《シナ》くって
何でもやるかと思っていたが
これではとても百姓なんて
ひどい仕事ができそうもない
だまって町で月給とっていればいいんだが)
(お互じっと眼を見合せて立っていれば
だんだん向うが人の分子を喪《な》くしてくる
鹿か何かのトーテムのような感じもすれば
山伏《やまぶし》上りの天狗《てんぐ》のようなところもある)
(みんなで米だの味噌《みそ》だのもって
寒沢《かんざわ》川につれて行き
夜は河原へ火をたいてとまり
みずをたくさん土産にしょわせ帰そうと
とてもそいつもできそうない)
(向うの眼がわらっている
昔 砲兵にとられたころの
渋いわらいの一きれだ)
(味噌汁を食え味噌汁を食え
台湾では黄いろな川をわたったり
気候が蒸れたりしたときは
どんな手数をこらえても
兵站部《へいたんぶ》では味噌のお汁《つけ》を食わせたもんだ)
(とうとう眼をそらしたな
平の清盛のようにりんと立って
じっと南の地平の方をながめている)
(ぜんたいいまの村なんて
借りられるだけ借りつくし
負担は年々増すばかり
二割やそこらの増収などで
誰もどうにもなるもんでない
無理をしたって却《かえ》ってみんなだめなもんだ)
(眼がさびしく愁えている
なにもかもわかりきって、
そんなにさびしがられると
こっちもただもう青ぐらいばかり
じつにわれわれは
遠征につかれ切った二人の兵士のように
だまって雲とりんごの花をながめるのだ)
〔まぶしくやつれて〕
まぶしくやつれて、
病気がそのまま罪だとされる
風のなかへ出てきて
罪を待つというふうに
みんなの前にしょんぼり立つ
みんなはなにかちぐはぐに
崖《がけ》の杉だの雲だのを見る
家のまわりにめちゃくちゃに植えられた稲は
いま弱々と徒長して
どんどん風に吹かれている
苗代にも波が立てば
雲もちぢれてぎらぎら飛ぶ
陽のなかで風が吹いて吹いて
ひとはさびしく立ちつくす
畔《あぜ》のすかんぼもゆれれば
家ぐねの杉もひゅうひゅう鳴る
〔まあこのそらの雲の量と〕
まあこのそらの雲の量と
きみのおもいとどっちが多い
その複雑なきみの表情を見ては
ふくろうでさえ遁《に》げてしまう
清貧と豪奢《ごうしや》はいっしょに来ない
複雑な表情を雲のように湛《たた》えながら
かれたすずめのかたびらをふんで、
そういうふうに行ったり来たりするのも
たしかに一度はいいことだな
どんより曇って
そして西から風がふいて
松の梢《こずえ》はざあざあ鳴り
鋸《のこぎり》の歯もりんりん鳴る
きみ 鋸は楽器のうちにあったかな
清貧と豪奢とは両立せず
いい芸術と恋の勝利は一緒に来ない
労働運動の首領にもなりたし
あのお嬢さんとも
行末永くつき合いたい
そいつはとてもできないぜ
境 内
(〔みんな食事もすんだらしく〕先駆形)
みんなが弁当をたべている間
わたくしはこの杉の幹にかくれて
しばらくひとり憩《やす》んでいよう
二里も遠くから この野原中
くろくわだかまって見え
千年にもなると云われる
林のなかの一本だ
うす光る巻積雲に
梢《こずえ》が黒く浮いていて
見ていると
杉とわたくしとが
空を旅しているようだ
みんなは杉のうしろの方
山門の下や石碑に腰かけて
割合ひっそりしているのは
いま盛んにたべているのだ
約束をしてみな弁当をもち出して
自分の家の近辺を
ふだんはあるかないようなあちこちの田の隅まで
仲間といっしょにまわってあるく
ちょっと異様な気持ちだろう
おれも飯でも握ってもってくるとよかった
空手で来ても
学校前の荒物店で
パンなぞ買えると考えたのは
第一ひどい間違いだった
冬は酸《す》えずに五日や十日置けるので
とにかく売っていたのだろう
パンはありませんかと云うと
冬はたしかに売ったのに
主人がまるで忘れたような
ひどくけげんな顔をして
はあ? パンすかときいていた
一つの椅子《いす》に腰かけて
朝から酒をのんでいた
眉《まゆ》の蕪雑《ぶざつ》なじいさんが
じろっとおれをふり向いた
それから大へん親切そうに
パンだらそこにあったっけがと
右手の棚を何かさがすという風にして
それから大へんとぼけた顔で
ははあ食われなぃ石《セキ》バンだと
そう云いながらおれを見た
主人もすこしもくつろがず
おれにもわらう余裕がなかった
あのじいさんにあすこまで
強い皮肉を云わせたものを
そのまっくらな巨《おお》きなものを
おれはどうにも動かせない
結局おれではだめなのかなあ
みんなはもう飯もすんだのか
改めてまたどらをうったり手を叩《たた》いたり
林いっぱい大へんにぎやかになった
向うはさっき
みんなといっしょに入った鳥居
しだれのやなぎや桜や水
鳥居は明るいま夏の野原にひらいている
ああ杉を出て社殿をのぼり
絵馬や格子に囲まれた
うすくらがりの板の上に
からだを投げておれは泣きたい
けれどもおれはそれをしてはならない
無畏《むい》 無畏
断じて進め
休 息
地べたでは杉と槻《つき》の根が、
からみ合い奪い合って
この瘠《や》せ土の草や苔《こけ》から
恐ろしい静脈のように浮きでているし
そらでは雲がしずかに東へながれていて
杉の梢《ウラ》は枯れ
槻のほずえは何か風からつかんで食って生きてるよう
……杉が槻を枯らすこともあれば
槻が杉を枯らすこともある……
(米穫《と》って米食って何するだぃ?
米くって米穫って何するだぃ?)
技手が向うで呼んでいる
木はうるうるとはんぶんそらに溶けて見え
またむっとする青い稲だ
来 訪
水いろの穂などをもって
三人づれで出てきたな
さきに二階へ行きたまえ
ぼくはあかりを消してゆく
つけっぱなしにして置くと
下台じゅうの羽虫がみんな寄ってくる
……くわがたむしがビーンと来たり、
一オンスもあって
まるで鳥みたいな赤い蛾《が》が
ぴかぴか鱗粉《りんぷん》を落したりだ……
ちょうど台地のとっぱななので
ここのあかりは鳥には燈台の役目もつとめ
はたけの方へは誘蛾燈にもはたらくらしい
三十分もうっかりすると
家がそっくり昆虫館に変ってしまう
……もうやってきた ちいさな浮塵子《うんか》
ぼくは緑の蝦《えび》なんですというように
ピチピチ電燈《デンキ》をはねている……
それでは消すよ
はしごの上のところにね
小さな段がもひとつあるぜ
……どこかに月があるらしい
林の松がでこぼこそらへ浮き出ているし
川には霧がしろくひかってよどんでいる……
いやこんばんは
……喧嘩《けんか》の方もおさまったので
まだ乳熟の稲の穂などを
だいじにもってでてきたのだ……
〔しばらくだった〕
しばらくだった
やつれたなあ
とてもまだまだ降りそうもない
下葉が赤くなったろう
……冬は氷と火にあふれ
春はけむりをながしていて
いまはみんなの苦難をよそに
この崖下《がけした》を南へすべる北上川……
しまいの水を引いてから
今日で二十日になるんだな
ひびわれでねえ
ちょっとの水では、
みんなくぐってしまうからねえ
……きのうまでは
四十雀《しじゆうから》をじぶんで編んだ籠《かご》に入れて
ずしだまの実も添えて
町へもってきてやったりした、
わり合いゆたかな自作農のこどもだ……
川から水をあげるにしても
ここはどうにもできないなあ
水路が西から来るからねえ
……はんのき
上流から水をあげて来て
耕地整理をやるってねえ
容易でないと思うんだ
こんどは水はあがっても
それの費用が大へんだ
いつかは怒ってすまなかった
中学生だのきみが連れてきたもんだから
それに仕事の休みでない日
ぼくのところへ人がくると
近処でとてもおこるんだ
休み日は村でちがうんだが
ああはやく雨がふって
あたりまえになって
またいろいろ、
果樹だの蜜蜂《みつばち》だの、
計画をたてられるようになればいいなあ
藺草《いぐさ》を染めて
桐《きり》の花だのくゎくこうだの
きれいに織りだすことならば
いくらでもやるきみなんだがな
掌《て》がほてって寝つけないときは
手拭《てぬぐい》をまるめて握ったり
黒い硅板岩礫《イキイシ》を持ったりして
みんな昔からねむったのだ
〔倒れかかった稲のあいだで〕
倒れかかった稲のあいだで
ある眼は白く忿《いか》っていたし
ある眼はさびしく正視を避けた
……そして結局たずねるさきは
地べたについたそのまっ黒な雲のなか……
ああむらさきのいなずまが
みちの粘土をかすめれば
一すじかすかなせせらぎは
わだちのあとをはしっている
それもたちまち風が吹いて
稲がいちめんまたしんしんとくらくなって
あっちもこっちも
ごろごろまわるからの水車だ
……幾重の松の林のはてで
うずまく黒い雲のなか
そこの小さな石に座って
もう村村も町々も、
衰えるだけ衰えつくし、
うごくも云うもできなくなる
ただそのことを考えよう……
百万遍の石塚に
巫山戯《ふざけ》た柳が一本立つ
若き耕地課技手の Iris に対するレシタティヴ
測量班の人たちから
ふたたびひとりぼくははなれて
このうつくしい Wind Gap
緑の高地を帰りながら
あちこち濃艷《のうえん》な紫の群落
日に匂《にお》うかきつばたの花彙《かい》を
何十となく訪ねて来た
尖《とが》ったトランシットだの
だんだらのポールをもって
古期北上と紀元を競い
白堊紀《はくあき》からの日を貯える
準平原の一部から
路線や圃地《ほち》を截《き》りとったり
岩を析《さ》いたりしたあげく
二枚の地図をこしらえあげる
これは張りわたす青天の下に
まがう方ない原罪である
あしたはふるうモートルと
にぶくかがやく巨《おお》きな犁《すき》が
これらのまこと丈高く
靭《しな》う花軸の幾百や
青い蝋《ろう》とも絹とも見える
この一一の花蓋《かがい》と蕋《しべ》を
反転される黒土の
無数の条に埋めてしまう
それはさびしい腐植にかわり
やがては粗剛なもろこしや
オートの穂をもつくるだろうが
じつはぼくはこの冽《きよ》らかな南の風といっしょに
あらゆるやるせない撫や触や
はてない愛惜を花群に投げる
〔高原の空線もなだらに暗く〕
高原の空線もなだらに暗く
乳房のかたちの種山は
濁った水いろのそらにうかんで
みちもなかばに暮れてしまった
……ひるは真鍮《しんちゆう》のラッパを吹いて
あつまる馬に食塩をやり
いまは溶けかかったいちはつの花をもって
ひとは峠を下って行った……
その古ぼけた薄明穹《はくめいきゆう》のいただきを
すばやく何か白いひかりが擦過する
そこに巨《おお》きな魚形の雲が
そらの夕陽のなごりから
尻尾《しつぽ》を赤く彩られ
しずかに東へ航行する
ふたたびそらがかがやいて
雲の魚の嘴《くちばし》は
一すじ白い折線を
原の突起にぎらぎら投げる
音もごろごろ聞えてくれば
はやくも次の赤い縞《しま》
いままた赤くひらめいて
浅黄ににごったうつろの奥に
二列の尖《とが》った巻層雲や
うごくともない水素の川を
わくわくするほど幻怪に見せ
つぶやくようなそのこだま
凸こつとして苔《こけ》生えた
あの 〓岩《ひんがん》の 残丘《モナドノツク》
そのいただきはいくたびふるい
海よりもさびしく暮れる
はるかな草のなだらには
ひるの馬群がいつともしらず
いくつか円い輪をつくり
からだを密に寄り合いながら
このフラッシュをあびてるだろう
そこに四疋《ひき》の二才駒
あの高清の命の綱も
首を垂れたり尾をふったり
やっぱりじっと立っている
蛾《が》はほのじろく艸《くさ》をとび
あちこちこわれた鉄索のやぐらや
谷いっぱいの青いけむり
この県道のたそがれに
ああ心象《イメージ》の高清は
しずかな磁製の感じにかわる
『疾中』
病 床
たけにぐさに
風が吹いているということである
たけにぐさの群落にも
風が吹いているということである
眼にて云う
だめでしょう
とまりませんな
がぶがぶ湧《わ》いているですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くように
きれいな風が来るですな
もみじの嫩芽《わかめ》と毛のような花に
秋草のような波をたて
焼痕《やけあと》のある藺草《いぐさ》のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまずは文句もありません
血がでているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄《こんぱく》なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを云えないがひどいです
あなたの方からみたらずいぶんさんたんたるけしきでしょうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとおった風ばかりです。
〔その恐ろしい黒雲が〕
その恐ろしい黒雲が
またわたくしをとろうと来れば
わたくしは切なく熱くひとりもだえる
北上の河谷を覆う
あの雨雲と婚すると云い
森と野原をこもごも載せた
その洪積《こうせき》の台地を恋うと
なかばは戯れに人にも寄せ
なかばは気を負ってほんとうにそうも思い
青い山河をさながらに
じぶんじしんと考えた
ああそのことは私を責める
病の痛みや汗のなか
それらのうずまく黒雲や
紺青《こんじよう》の地平線が
またまのあたり近づけば
わたくしは切なく熱くもだえる
ああ父母よ弟よ
あらゆる恩顧や好意の後に
どうしてわたくしは
その恐ろしい黒雲に
からだを投げることができよう
ああ友たちよはるかな友よ
きみはかがやく穹窿《きゆうりゆう》や
透明な風 野原や森の
この恐るべき他の面を知るか
〔丁丁丁丁丁〕
丁丁丁丁丁
丁丁丁丁丁
叩《たた》きつけられている 丁
叩きつけられている 丁
藻《も》でまっくらな  丁丁丁
塩の海    丁丁丁丁丁
熱    丁丁丁丁丁
熱 熱    丁丁丁
(尊々殺々殺
殺々尊々々
尊々殺々殺
殺々尊々尊)
ゲニイめとうとう本音を出した
やってみろ    丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨《おお》きな鳥の影
ふう     丁丁丁
海は青じろく明け   丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛《うか》ぶ
巨きな花の蕾《つぼみ》がある
〔風がおもてで呼んでいる〕
風がおもてで呼んでいる
「さあ起きて
赤いシャッツと
いつものぼろぼろの外套《がいとう》を着て
早くおもてへ出て来るんだ」と
風が交々《こもごも》叫んでいる
「おれたちはみな
おまえの出るのを迎えるために
おまえのすきなみぞれの粒を
横ぞっぽうに飛ばしている
おまえも早く飛びだして来て
あすこの稜ある巌の上
葉のない黒い林のなかで
うつくしいソプラノをもった
おれたちのなかのひとりと
約束通り結婚しろ」と
繰り返し繰り返し
風がおもてで叫んでいる
〔胸はいま〕
胸はいま
熱くかなしい鹹湖《かんこ》であって
岸にはじつに二百里の
まっ黒な鱗木類《りんぼくるい》の林がつづく
そしていったいわたくしは
爬虫《はちゆう》がどれか鳥の形にかわるまで
じっとうごかず
寝ていなければならないのか
『文語詩稿』
〔いたつきてゆめみなやみし〕
いたつきてゆめみなやみし、 (冬なりき)誰ともしらず、
そのかみの高麗《こま》の軍楽、   うち鼓して過《よ》ぎれるありき。
その線の工事了《おわ》りて、    あるものはみちにさらばひ、
あるものは火をはなつてふ、 かくてまた冬はきたりぬ。
〔水と濃きなだれの風や〕
水と濃きなだれの風や、   むら鳥のあやなすすだき、
アスティルベきらめく露と、 ひるがへる温石《おんじやく》の門。
海浸す日より棲《す》みゐて、   たたかひにやぶれし神の、
二かしら猛《たけ》きすがたを、   青々と行衛《ゆくえ》しられず。
〔夜をま青き藺むしろに〕
夜をま青き藺《い》むしろに、   ひとびとの影さゆらげば、
遠き山ばた谷のはた、    たばこのうねの想ひあり。
夏のうたげにはべる身の、  声をちぢれの髪をはぢ、
南かたぶく天の川、     ひとりたよりとすかし見る。
〔きみにならびて野にたてば〕
きみにならびて野にたてば、  風きららかに吹ききたり、
柏《かしわ》ばやしをとどろかし、    枯葉を雪にまろばしぬ。
げにもひかりの群青《ぐんじよう》や、    山のけむりのこなたにも、
鳥はその巣やつくろはん、   ちぎれの艸《くさ》をついばみぬ。
〔川しろじろとまじはりて〕
川しろじろとまじはりて、   うたかたしげきこのほとり、
病《いたつ》きつかれわが行けば、    そらのひかりぞ身を責むる。
宿世《すぐせ》のくるみはんの毬《まり》、    干割れて青き泥岩に、
はかなきかなやわが影の、   卑しき鬼をうつすなり。
蒼茫《そうぼう》として夏の風、      草のみどりをひるがへし、
ちらばる蘆《あし》のひら吹きて、   あやしき文字を織りなしぬ。
生きんに生きず死になんに、  得こそ死なれぬわが影を、
うら濁る水はてしなく、    ささやきしげく洗ふなり。
〔川しろじろとまじはりて〕(先駆形)
泥岩遠き
むかしのなぎさ
いま水増せる川岸に、
風うち吹きて、
ちらばる蘆《あし》や、
波わが影をうち濯《あら》ふ、
蛇紋《じやもん》の峯は、
かしこに黒く、
孤高はかなくほこれども、
川しろじろと、
峡《かい》より入りて、
二水はならびながれたり
風蒼茫《そうぼう》と、
草緑を吹き、
あてなく投ぐるわが眼路や、
きみ来ることの
よもなきを知り
なほうち惑ふ瞳《ひとみ》かな
尖《とが》れるくるみ、
巨獣のあの痕《あと》、
磐《いわ》うちわたるわが影を、
濁りの水の
かすかに濯ふ
修羅の渚《なぎさ》にわが立てる
岩手公園
「かなた」と老いしタピングは、  杖《つえ》をはるかにゆびさせど、
東はるかに散乱の、        さびしき銀は声もなし。
なみなす丘はぼうぼうと、     青きりんごの色に暮れ、
大学生のタピングは、       口笛軽く吹きにけり。
老いたるミセスタッピング、    「去年《こぞ》なが姉はここにして、
中学生の一組に、         花のことばを教へしか。」
弧光燈《アークライト》にめくるめき、       羽虫の群のあつまりつ、
川と銀行木のみどり、       まちはしづかにたそがるる。
選 挙
(もって二十を贏《か》ち得んや)    はじめの駑馬《うま》をやらふもの
(さらに五票もかたからず)    雪うち噛《か》める次の騎者
(いかにやさらば太兵衛一族《まき》)   その馬弱くまだらなる
(いなうべがはじうべがはじ)   懼《おそ》るる声はそらにあり
〔みちべの苔にまどろめば〕
みちべの苔《こけ》にまどろめば、    日輪そらにさむくして、
わづかによどむ風くまの、    きみが頬《ほお》ちかくあるごとし。
まがつびここに塚ありと、    おどろき離《か》るるこの森や、
風はみそらに遠くして、     山なみ雪にただあえかなる。
旱害地帯
多くは業にしたがひて      指うちやぶれ眉《まゆ》くらき
学びの児らの群なりき
花と侏儒《しゆじゆ》とを語れども      刻めるごとく眉くらき
稔《みの》らぬ土の児らなりき
……村に県《あがた》にかの児らの   二百とすれば四万人
四百とすれば九万人……
ふりさけ見ればそのあたり     藍《あい》暮れそむる松むらと
かじろき雪のけむりのみ
塔中秘事
雪ふかきまぐさのはたけ、    玉蜀黍《きみ》畑漂雪《フキ》は奔《はし》りて、
丘裾《おかずそ》の脱穀塔を、        ぼうぼうとひらめき被ふ。
歓喜天そらやよぎりし、     そが青き天《あめ》の窓より、
なにごとか女のわらひ、     栗鼠《りす》のごと軋《きし》りふるへる。
〔鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし〕
鶯宿《おうしゆく》はこの月の夜を雪ふるらし。
鶯宿はこの月の夜を雪ふるらし、  黒雲そこにてただ乱れたり。
七つ森の雪にうづみしひとつなり、  けむりの下を逼《せま》りくるもの。
月の下なる七つ森のそのひとつなり、  かすかに雪の皺《しわ》たたむも
の。
月をうけし七つ森のはてのひとつなり、  さびしき谷をうちいだ
くもの。
月の下なる七つ森のその三つなり、  小松まばらに雪を着るもの。
月の下なる七つ森のその二つなり、   オリオンと白き雲とをい
ただけるもの。
七つ森の二つがなかのひとつなり、  鉱石《かね》など掘りしあとのある
もの。
月の下なる七つ森のなかの一つなり、  雪白々と裾《すそ》を引くもの。
月の下なる七つ森のその三つなり、  白々として起伏するもの。
七つ森の三つがなかの一つなり、  貝のぼたんをあまた噴くもの。
月の下なる七つ森のはての一つなり、  けはしく白く稜立《かどだ》てるも
の。
稜立てる七つ森のそのはてのもの、  旋《めぐ》り了《おわ》りてまこと明るし。
〔小きメリヤス塩の魚〕
小《ちいさ》きメリヤス塩の魚、      藻草《もぐさ》花菓子烏賊《いか》の脳、
雲の縮れの重りきて、      風すさまじく歳《とし》暮るる。
はかなきかなや夕さりを、    なほふかぶかと物おもひ、
街をうづめて行きまどふ、    みのらぬ村の家長たち。
賦 役
みねの雪よりいくそたび、    風はあをあを崩れ来て、
萌《も》えし柏《かしわ》をとどろかし、   きみかげさうを軋《きし》らしむ。
おのれと影とただふたり、  あれと云はれし業なれば、
ひねもす白き眼《まなこ》して、    放牧《のがい》の柵《さく》をつくろひぬ。
〔ながれたり〕
ながれたり
夜はあやしく陥りて
ゆらぎ出でしは一むらの
陰極線の盲《しい》あかり
また蛍光の青らむと
かなしく白き偏光の類
ましろに寒き川のさま
地平わづかに赤らむは
あかつきとこそ覚ゆなれ
(そもこれはいづちの川のけしきぞも)
げにながれたり水のいろ
ながれたりげに水のいろ
このあかつきの水のさま
はてさへしらにながれたり
(そもこれはいづちの川のけしきぞも)
明るくかろき水のさま
寒くあかるき水のさま
(水いろなせる川の水
水いろ川の川水を
何かはしらねみづいろの
かたちあるものながれ行く)
青ざめし人と屍《しかばね》 数もしら
水にもまれてくだり行く
水いろの水と屍 数もしら
(流れたりげに流れたり)
また下りくる大筏《おおいかだ》
まなじり深く鼻高く
腕うちくみてみめぐらし
一人の男うち座する
見ずや筏は水いろの
屍よりぞ組み成さる
髪みだれたるわかものの
筏のはじにとりつけば
筏のあるじ瞳《まみ》赤く
頬《ほお》にひらめくいかりして
わかものの手を解き去りぬ
げにながれたり水のいろ
ながれたりげに水のいろ
このあかつきの水のさま
はてさへしらにながれたり
共にあをざめ救はんと
流れの中に相寄れる
今は却《かえ》りて争へば
その髪みだれ行けるあり
(対岸の空うち爛《ただ》れ
赤きは何のけしきぞも)
流れたりげに流れたり
はてさへしらにながるれば
わが眼はつかれいまはさて
ものおしなべてうちかすみ
ただほのじろの川水と
うすらあかるきそらのさま
おお頭ばかり頭ばかり
きりきりきりとはぎしりし
流れを切りてくるもあり
死人の肩を噛《か》めるもの
さらに死人のせを噛めば
さめて怒れるものもあり
ながれたりげにながれたり
川水軽くかがやきて
ただ速かにながれたり
(そもこれはいづちの川のけしきぞも
人と屍と群れながれたり)
ああ流れたり流れたり
水いろなせる屍と
人とをのせて水いろの
水ははてなく流れたり
〔弓のごとく〕
弓のごとく
鳥のごとく
昧爽《まだき》の風の中より
家に帰り来れり
〔まひるつとめにまぎらひて〕
まひるつとめにまぎらひて
きみがおもかげ来ぬひまは
こころやすらひはたらきし
そのことなにかねたましき
新月きみがおももちを
つきの梢《こずえ》にかかぐれば
凍れる泥をうちふみて
さびしく恋ふるこころかな
烏百態
雪のたんぼのあぜみちを
ぞろぞろあるく烏《からす》なり
雪のたんぼに身を折りて
二声鳴けるからすなり
雪のたんぼに首を垂れ
雪をついばむ烏なり
雪のたんぼに首をあげ
あたり見まはす烏なり
雪のたんぼの雪の上
よちよちあるくからすなり
雪のたんぼを行きつくし
雪をついばむからすなり
たんぼの雪の高みにて
口をひらきしからすなり
たんぼの雪にくちばしを
じつとうづめしからすなり
雪のたんぼのかれ畦《あぜ》に
ぴよんと飛びたるからすなり
雪のたんぼをかぢとりて
ゆるやかに飛ぶからすなり
雪のたんぼをつぎつぎに
西へ飛びたつ烏なり
雪のたんぼに残されて
脚をひらきしからすなり
西にとび行くからすらは
あたかもごまのごとくなり
〔ただかたくなのみをわぶる〕
……ただかたくなのみをわぶる
なにをかひとにうらむべき……
ましろきそらにはばたきて
ましろきそらにたゆたひて
百舌《もず》はいこひをおもふらし
〔ひとひははかなくことばをくだし〕
ひとひははかなくことばをくだし
ゆふべはいづちの組合にても
一車を送らんすべなどおもふ
さこそはこころのうらぶれぬると
たそがれさびしく車窓によれば
外の面は磐井《いわい》の沖積層を
草火のけむりぞ青みてながる
屈撓《くつとう》余りに大なるときは
挫折《ざせつ》の域にも至りぬべきを
いままた怪しくせなうち熱《ほて》り
胸さへ痛むはかつての病
ふたたび来しやとひそかに経れば
芽ばえぬ柳と残りの雪の
なかばはいとしくなかばはかなし
あるいは二列の波ともおぼえ
さらには二列の雲とも見ゆる
山なみへだてしかしこの峡《かい》に
なほかもモートルとどろにひびき
はがねのもろ歯の石噛《か》むま下
そこにてひとびとあしたのごとく
けじろき石粉をうち浴ぶらんを
あしたはいづこの店にも行きて
一車をすすめんすべをしおもふ
かはたれはかなく車窓によれば
野の面かしこははや霧なく
雲のみ平らに山地に垂るる
〔夕陽は青めりかの山裾に〕
夕陽は青めりかの山裾《やますそ》に
ひろ野はくらめりま夏の雲に
かの町はるかの地平に消えて
おもかげほがらにわらひは遠し
ふたりぞただのみさちありなんと
おもへば世界はあまりに暗く
かのひとまことにさちありなんと
まさしくねがへばこころはあかし
いざ起てまことのをのこの恋に
もの云ひもの読み苹果《りんご》を喰《は》める
ひとびとまことのさちならざれば
まことのねがひは充《み》ちしにあらぬ
夕陽は青みて木立はひかり
をちこちながるる草取うたや
いましものびたつ稲田の氈《かも》に
ひとびと汗してなほはたらけり
農学校歌
日ハ君臨シカガヤキハ
白金ノ雨ソソギタリ
ワレラハ黒キ土ニ俯《フ》シ
マコトノ草ノタネマケリ
日ハ君臨シ穹窿《キユウリユウ》ニ
ミナギリ亙《ワタ》ス青ビカリ
光ノ汗ヲ感ズレバ
気圏ノキハミクマモナシ
日ハ君臨シ玻璃《ハリ》ノマド
清澄ニシテ寂《シズ》カナリ
サアレヤミチヲ索《モト》メテハ
白堊《ハクア》ノ霧モアビヌベシ
日ハ君臨シカガヤキノ
太陽系ハマヒルナリ
ケハシキ旅ノナカニシテ
ワレラヒカリノミチヲフム
『装景手記』
〔澱った光の澱の底〕
澱《にご》った光の澱《おり》の底
夜ひるのあの騒音のなかから
わたくしはいますきとおってうすらつめたく
シトリンの天と浅黄の山と
青々つづく稲の氈《かも》
わが岩手県へ帰って来た
ここではいつも
電燈がみな黄いろなダリヤの花に咲き
雀《すずめ》は泳ぐようにしてその灯のしたにひるがえるし
麦もざくざく黄いろにみのり
雲がしずかな虹彩《こうさい》をつくって
山脈の上にわたっている
これがわたくしのシャツであり
これらがわたくしのたべものである
眠りのたらぬこの二週間
痩《や》せて青ざめて眼ばかりひかって帰って来たが
さああしたからわたくしは
あの古い麦わらの帽子をかぶり
黄いろな木綿の寛衣《かんい》をつけて
南は二子《ふたご》の沖積地から
飯豊《いいとよ》 太田 湯口 宮の目
湯本と好地《こうち》 八幡 矢沢とまわって行こう
ぬるんでコロイダルな稲田の水に手をあらい
しかもつめたい秋の分子をふくんだ風に
稲葉といっしょに夕方の汗を吹かせながら
みんなのところをつぎつぎあしたはまわって行こう
『補遺詩篇』
〔この夜半おどろきさめ〕
この夜半おどろきさめ
耳をすまして西の階下を聴けば
ああまたあの児が咳《せき》しては泣きまた咳しては泣いて居ります
その母のしずかに教えなだめる声は
合間合間に絶えずきこえます
あの室は寒い室でございます
昼は日が射さず
夜は風が床下から床板のすき間をくぐり
昭和三年の十二月私があの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私にこの日照る広いじぶんらの室を与え
じぶんらはその暗い私の四月病んだ室へ入って行ったのです
そしてその二月あの子はあすこで生れました
あの子は女の子にしては心強く
凡《およ》そ倒れたり落ちたりそんなことでは泣きませんでした
私が去年から病ようやく癒え
朝顔を作り菊を作れば
あの子もいっしょに水をやり
時には蕾《つぼみ》ある枝もきったりいたしました
この九月の末私はふたたび
東京で病み
向うで骨になろうと覚悟していましたが
こたびも父母の情けに帰って来れば
あの子は門に立って笑って迎え
また梯子《はしご》からお久しぶりでごあんすと声をたえだえ叫びました
ああいま熱とあえぎのために
心をととのえるすべを知らず
それでもいつかの晩は
わがなぃもやと云ってねむっていましたが
今夜はただただ咳き泣くばかりでございます
ああ大梵《だいぼん》天王こよいはしたなくも
こころみだれてあなたに訴え奉ります
あの子は三つではございますが
直立して合掌し
法華《ほつけ》の首題も唱えました
如何なる前世の非にもあれ
ただかの病かの痛苦をば私にうつし賜《たま》わらんこと
〔雨ニモマケズ〕
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋《イカ》ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌《ミソ》ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱《カヤ》ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲の束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
小作調停官
西暦一千九百三十一年の秋の
このすさまじき風景を
恐らく私は忘れることができないであろう
見給え黒緑の鱗松《うろこまつ》や杉の森の間に
ぎっしりと気味の悪いほど
穂をだし粒をそろえた稲が
まだ油緑や橄欖緑《かんらんりょく》や
あるいはむしろ藻《も》のようないろして
ぎらぎら白いそらのしたに
そよともうごかず湛《たた》えている
このうち潜《ひそ》むすさまじさ
すでに土用の七月には
南方の都市に行っていた画家たちや
able なる楽師たち
次々郷里に帰ってきて
いつもの郷里の八月と
まるで違った緑の種類の
豊富なことに愕《おどろ》いた
それはおとなしいひわいろから
豆いろ乃至うすいピンクをさえ含んだ
あらゆる緑のステージで
画家は曾《か》つて感じたこともない
ふしぎな緑に眼を愕かした
けれどもこれら緑のいろが
青いまんまで立っている田や
その藁《わら》は家畜もよろこんで喰べるではあろうが
人の飢をみたすとは思われぬ
その年の憂愁を感ずるのである
〔わが雲に関心し〕
わが雲に関心し
風に関心あるは
ただに観念の故のみにはあらず
そは新なる人への力
はてしなき力の源なればなり
〔われらぞやがて泯ぶべき〕
われらぞやがて泯《ほろ》ぶべき
そは身うちやみ あるは身弱く
また 頑《かたくな》きことになれざりければなり
さあらば 友よ
誰か未来にこを償え
いまこをあざけりさげすむとも
われは泯ぶるその日まで
ただその日まで
鳥のごとくに歌はん哉《かな》
鳥のごとくに歌はんかな
身弱きもの
意気地なきもの
あるいはすでに傷つけるもの
そのひとなべて
ここに集へ
われらともに歌いて泯びなんを
新編 宮沢賢治詩集《みやざわけんじししゅう》
中村《なかむら》 稔《みのる》=編
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平成12年9月1日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
宮沢賢治 角川e文庫・本文について
(1)角川文庫版(「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房 平7・5― を底本とする)を電子化した。
(2)角川文庫版の底本に疑問があっても、その形を残さざるをえな かった場合は、該当箇所に(ママ)と注記した。
(3)本文中には、現代の人権擁護の見地からは差別語と考えられる ものもあるが、時代的背景と作品価値を考え合わせ、そのままとし た。 (編集部)
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角川文庫『新編 宮沢賢治詩集』昭和38年12月20日初版発行