彼がマ王に育つまで。       喬林 知
僕らは涼しさと水分を求めて、駅からすぐの店に避難した。
渋谷は「ドーナッツは一日ひとつだけ、ひとつだけ」と呟きながら、ショーケースの中を睨んでいる。
「パイは?」
「パイも同じだろ。理想は高蛋白低脂質だよ。甘いもんばっか食ってはいられないんだって」
「でも砂糖は脳のエネルギーって言うけどね」
「お前はいいよ?村田は頭脳労働者だからさ。おれはどっちかっつーと……ていうか明らかに脳味噌筋肉族だから」
磨かれた硝子に指を押し当てながら、真顔で言い返してくる。
「ふーん、じゃあ僕は遠慮せずに二個食べよう。後で僻むなよ?」
「どうぞご自由に」
わざとらしく口笛でも吹きたそうな顔で、彼は脂肪分の少なそうな物を選んだ。どうせすぐ誘惑に負けるくせに。
案の定あっという間にそれを平らげてしまい、渋谷は物足りなさそうにオレンジジュースを掻き回している。半分譲るべきかぼんやりと
考えていると、ポケットで携帯が鳴り出した。
聞き覚えのある曲が嬉しかったのか、テーブルに両肘をついて得意げに言った。
「ジョーズだ」
「そう、メールはね……っと」
短い通信をさっと読んで閉じる。プラスチックのぶつかる音が響いた。
「いいのか?返事しなくて」
「別に」
いま何々してます系の報告メールだ。
はっきり言って、そっちが何していようと知ったことじゃない。他人を行動記録代わりにせず、家に帰って日記にでも書けよと思う。ア
リバイ立証に使おうというのなら話は別だけど。
「そういえばおれ、村田のケータイ番号知らねーや」
渋谷は親指を除く四本の指で、小さくテーブル板を叩いた。
「何だよ、また急に気付いたみたいに」
「いやマジで、今思い出したんだって。家電は親機の短縮ダイヤルに入ってるけど。あれ駄目だな、便利だけど何もかも機械任せで、簡単
な番号さえ自分で覚えなくなっちゃうよ。くそー暗記力ってこうやって衰えていくんだなぁ」
「機械のせいにするな。ほら貸しなよ、入力しておくから……あー、渋谷は携帯もってないんだっけ。しょうがないな、紙、紙っと。これ
でいいか」
薄くて頼りないナフキンに手を伸ばそうとすると、彼は右手を振ってそれを遮った。空になったトレイを避けて顔を伏せ、両腕で頭を抱
え込む。
「書かなくていい、口で言ってくれ。短い数字くらい暗記できずに、守備の要が務まりますかっての。よーしいいぞ、サクッと言ってくれ
!」
僕が口にした番号を二回聞いてから、彼はぶつぶつと復唱した。下四桁だけもう一度繰り返すと、覚えやすいなぁと呟く。
「……4126?どっかで聞いた番号だな」
「そこだけなら全国ネットでCM流れてるからね」
「いやそうじゃなくて何か昔……なんだろ。うー、思いだせねぇ」
爪の短い指先を髪に突っ込んだまま、渋谷は不満そうに唸った。ちょうど僕の目の前に旋毛がある。パンプキンパイの欠片でも落として
やろうか。
僕が初めて渋谷と会ったのは、親に手を引かれて向かった幼稚園の入園式だった。
その日、明るい色のスーツで決めていながらも、うちの母親はひどく不機嫌だった。今でこそ自分のキャリアにしか興味のない彼女だが
、その頃はまだ一人息子の教育に理想を持っていたらしく、有名大学の幼稚舎に入れたがっていたのだ。もしくは英語だけで会話をするよ
うな、インターナショナルスクール幼児版。リアルなセサミストリートだ。
それなのに結果はごく普通の私立幼稚園にご入園で、目の前には庶民の生活が広がっている。英単語どころか絵の具まみれの子供達が、
砂場で泥団子をこしらえていた。それというのも面倒くさがりの父が、大事な親子面接を拒否したせいだ。
「……お願いだから健ちゃん、あの子達とはあんまり仲良くならないで」
口元を引きつらせてそう頼まれても、僕の視線は既に一ヵ所に釘付けになってしまっていた。品の良さそうな両親と手を繋いで、桜の木
下に立つ女の子。柔らかそうな長い髪を、左右の耳の上で結んでいる。春風に少し頬を染めて、僕を見ると花弁みたいな唇を綻ばせて笑っ
た。長い睫毛の奥にある大きな瞳は、黒というより明るい茶色だ。
天使だと思った。彼女の周囲だけは薄く白い光の幕が広がって、綺麗な音楽が流れていそうだった。
あの子は地上に降りてきた天使に違いない。ココがキリスト教系の幼稚園で、隣が小さな教会だから、きっと天使も一緒に通うんだと思
った。今から考えると相当バカだ。とてもじゃないけど渋谷のことを笑えない。
「行こうか、ゆうかちゃん。ゆうかちゃんはチューリップ組さんだよ」
……ゆうかちゃんっていうんだー。
デジカメを手にした父親を先頭にして、絵に描いたような三人家族は園舎の入り口に向かった。
「ゆうかちゃんはチューリップ大好きだものねー。お友達たくさんできるとい……ぐご」
コサージュも美しかったゆうかちゃんの母親が、奇妙な呻き声と共に斜めに傾いた。頭部に見事にヒットしたサッカーボールが、アスフ
ァルトの上をてんてんと転がる。
「すーみーまーせぇん。まぁまぁまぁ大変!顔に模様がついちゃって」
小走りで近寄ってきた女性が、大慌てでゆうかちゃんママの頬を擦った。右手に小さな影を引きずっている。
「ごめんなさい、うちのゆーちゃんたら根っからの野球好きだから、丸いものを見るとついつい投げたり打ったりしちゃうんですよ。やだ
、泥ついてる。とれるかしら」
「いいえ、あの、ファンデが、むぷ」
「本当にごめんなさい。今、息子にも謝らせますから。ほらゆーちゃん、おばちゃんにごめんなさいして!」
半ば地面に倒れていた子供が、母親の言葉に勢いよく立ち上がった。幼稚園指定の通学帽ではなく、青いキャップを被っている。自由な
方の右手に玩具のバットを握り締め、特に悪びれたところもなく顔を上げていた。黒い瞳がやんちゃそうにくるりと動き、言葉もなく立ち
尽くす三人家族を眺め回す。
制服代わりの水色のスモックは、式前だというのに早くも土で汚れている。
それが渋谷有利だった。
「ほら、ゆーちゃん。ごめんなさいでしょ」
「そしょーしゃかいでは謝るとまずいって、しょーちゃんが……イテ」
彼の母親は幼児の柔らかい頬を摘み、左右にむにゅっと引っ張った。
「ここはアメリカじゃないのよゆーちゃん。それに今のはゆーちゃんが悪いです」
「ほ、ほめんなひゃい」
「そうよ。パパもママもいつも言ってるでしょ?ボールはレフトスタンドに向けて打つものだから、人に向けて打っちゃ駄目だって」
「れもおれ、ほーみゅらんばったーじゃにゃいから」
「じゃあ今日から、月に向かって打つ練習よ」
そもそもどうして入園前の幼児が、大人の女性の顔に跡をつけるほど強く、しかも高くサッカーボールを飛ばせたのか。子供の足はそん
なに長くないし、子供の背はそこまで高くない。彼はボールを蹴りも投げもせずに、空気入りのプラスチックバットでショットしていたの
だ。
野球というよりゴルフだろ、それ?
見物人の疑問をよそに、母子は独自の世界を築き始めた。
「だいたいね、ゆーちゃん。それじゃ野球じゃなくてクリケットよ」
「栗けった?」
ボケだ。
「違う違う。栗は蹴らないのよ、爪先痛いから。タオルケットも蹴っちゃだめなのよ、おなか冷えちゃうから」
Wボケだ。
この、ツッコミ役を必要としない似たもの親子が、後に僕の人生と大きく関わり合うことになる渋谷家の人々だった。
少女趣味な服の渋谷ママは、息子の右手をブンブン振り回しながら言った。
「ゆーちゃんはねぇ、茎の長−いチューリップ組よ。良かったわねー、チューリップは絵に描くのがとっても簡単よっ」
「ちうりっぴ?」
「チューリッヒはスイスの都市よ」
この会話についていくのは至難の業だ。
とはいえこちらも所詮は幼稚園児だから、付き合うのが難しそうな相手と、敢えて親しくなろうとは思わなかった。変な奴ぅくらいに思
っただけだ。野球幼児の将来なんて、五歳程度の知能で判るものか。
何しろ当時の僕ときたら、自分の特異さにさえまだ気付いていなかったんだ。時々思い出す見たこともない光景に戸惑い、ふとした切っ
掛けで表面に浮かんでくる大人の感情を持てあましていた。複数の人生の記憶に混乱しながらも、誰にも話せずに隠していた。打ち明けよ
としたところで、うまく説明できなかっただろうけど。
まだその頃は魔王だとか異世界だとか賢者だとか、そんな非日常的な単語は記憶の中に出てこなかったし、頭の中にあらゆるイメージを
探しても、渋谷有利の顔も名前もなかった。
だから目の前に未来の親友がいても、自己紹介もしなかった。クラスも違ったし。
「健ちゃんはヒマワリ組ね。ヒマワリって漢字でどう書くか判る?
「お日様に向かう、までは覚えてる」
「最後の一文字は『葵』と。ねえ健ちゃん、せっかく入った幼稚園だから新しいお友達作るのは構わないんだけど」
僕の母親はそこで急に声を顰め、周囲に聞こえないように囁いた。
「……さっきみたいな子と仲良くなって、怪我をして帰ってくるのだけはやめて」
「うん」
別に親の頼みをきいたわけではないけれど、その後の幼稚園ライフにおいて、僕と渋谷が親しくすることはなかった。
彼のほうは五歳にして熱血少年の片鱗を見せ、おやつ平等化提言からサンタクロース告発事件まで、園史に残るさまざまな伝説を作り上
げたけれど、自然な流れでお受験予備軍に所属した僕とは、卒園日まで口をききもしなかった。
渋谷と初めて言葉を交わしたのは、それから六年近くが過ぎた小五の秋だった。
申し分ない成績だったにも関わらず、僕は私立小学校を受験しなかった。不動産取得問題に巻き込まれたからだ。もっと正確にいうと、
どちらの実家の近くにマンションを買うか論争だ。結局、両親が中間点で妥協したときには、僕は公立の小学校に通う、ごく普通のピカピ
カの一年生になっていた。特に異論はない。
それでもまだエリートコースを諦めきれない母親は、懲りずに息子を進学教室に通わせていたので、僕と一部の中学受験組は、塾と学校
を掛け持ちする日々を送っていた。授業を終えたその足で、片道三十分ほど電車に乗る。その生活を苦痛とは感じなかったが、自由になる
時間は少なかった。
最寄の駅まで歩く道の途中に、河川敷を利用したグラウンドがあった。余り質の良くない土は赤く、錆びたフェンスは手入れもされてい
ない。それでもベースは固定されていたし、マウンドらしき物もちゃんとあったので、素人が野球をするには困らないらしく、いつもどこ
かしらのチームが使っていた。
毎日夕方のこの時間帯は、僕らの通う小学校の練習時間だ。
教育の一環であるはずのクラブ活動を、こんな校外で行っているのには理由がある。W杯のお陰で国を挙げてのサッカーブームが起こり
、おまけに日本が世界に通用することが判って、子供達の夢は一気にJリーガーへと傾いたのだ。
休み時間には男子児童がこぞってボールを蹴り、放課後のクラブ活動はサッカーが主流になった。校庭は蹴球クラブに占領され、屋上で
はフットサルが繰り広げられていた。
野球クラブはどんどん肩身が狭くなり、日々の練習は校舎裏でのキャッチボールがメイン、大っぴらにバッティングができるのは、週に
一度、水曜日の放課後だけにされてしまった。
更に分が悪かったのは、サッカーボールと比べて軟球が小さかった点だ。小さい上に飛ぶ方向が判らないから、よほど注意していないと
避けられない。遊んでいる児童に打球があたる事故が多発して、ついに野球クラブは校庭を追い出された。
顧問を押し付けられた社会科教師と共に、流れ着いたのがこのグラウンドらしい。聞くところによると部員数もギリギリで、練習試合の
メンバーにも困っているとか。
その日も僕は土手の上の道を歩きながら、汗まみれ泥まみれの横目で見ていた。あんなの楽しいのかね、と半ば呆れつつ。
野球クラブには六年生が二人と、五年生が四人、四年生が二人しかいなかった。慢性的な人数不足だ。にもかかわらずキャッチャーが二
人いたため、渋谷は外野にいることが多かった。
今日はどうだろう。
いつもの習慣で彼のポジションを確認した時だ。何かが破裂するような金属音と同時に、緩い打球が高々と上がった。いわゆる当たり損
ねのファウル球は、僕の近くにポトリと落ちた。
「とってくれよー!」
マスクを上げた渋谷が右手を振っていた。ユニフォームは今日も汚れている。練習用だからチーム名も番号もない。
僕は足元のボールを拾い、腕を後ろに引いて肩だけで投げた。軟球はほんの数メートル先で地面に落ち、緩い斜面の土手を転がり落ちて
いった。伸びた雑草に勢いを削がれながらも、どうにか赤土のグラウンドまで辿り着く。
「さーんきゅーっ」
頑丈そうなマスクを頭に載せたまま、彼は両手を腰にやった。左側にはでかいミットを装備している。丸くて黒の濃い瞳は、楽しいこと
の真っ最中だと言わんばかりに輝いていた。
「でもなー?」
接続詞の語尾が上がる。チームメイト達は一斉に彼等のキャッチャーを見て、それから大きく溜息をついた。おいおいまた始まったよと
いう顔だ。
「全身使うともーっと遠くまで投げられるぜー?教えるからちょっとだけ入れよー!ちょうどライトのポジションが空いて……」
僕は返事もせずに向きを変え、駅の方へと歩き出した。
「おい、おぉーいっ!なぁ、野球きらいー!?」
遠慮のない大声で続けられて、こっちが恥ずかしくなってしまう。
「いつでも来いよ!なぁ、毎日ここでやってっからさー!」
いったい僕の何が彼の心に引っ掛かり、勧誘されたのかは判らない。学校と塾を往き来するだけの日々が退屈そうに見えたのだろうか。
どんな相手にも声を掛けているのだろうか。
ちょうど僕は、いくつもの他人の記憶に折り合いをつけながら、自分を失わずに生活する方法を身に着けたばかりだった。自分の頭の中
には体験してもいない人生の記録があり、原初を辿れば限りがない。自分がどこか変なのではないかと悩む時期は過ぎたが、不安は変わら
ず心の大半を占めていた。
そこにこの、渋谷への奇妙な執着心だ。
幼稚園ではじめて彼と出会ったときから、気付けば僕の視線は彼を追っていた。今のところお友達になりたいと願っているわけでも、目
が離せないほど憎んでいるわけでもない。だったらどうしてこんなに渋谷のことが気にかかるのか。
多分そのうち、些細な切っ掛けで新しい記憶の扉が開き、彼との因縁が判る日がくるのだろう。僕は自分自身にそう言い聞かせて、駅へ
の道をひたすら歩いた。
微妙な関係に劇的な変化があったのは、そのほんの数時間後だった。
塾での授業を終えた僕は、会社帰りのサラリーマンに混じって、駅のホームで下り列車を待っていた。時刻表の数字を十五分過ぎても、
急行列車は来る気配がない。
踏切事故で上下線共に止まっているらしい。
聞き取りにくいアナウンスでようやく理由を知ると、僕も周囲の大人達も一斉に携帯電話を開いた。今日は父親が早く帰ると言っていた
はずだ。
「もしもしー。ああ、僕。踏み切り事故だって、トラックが立ち往生で電車止まってるんだ。食べちゃっていいよ。どうせ母さんはオフィ
スだろ?」
電話の向こうでは眠そうな声の父親が、そういえば連絡網がきていたと言っている。
「連絡網?何だって?」
『プロジェクトTが、始動だって。そう言えば判るってさ。小学五年生の企てたプロジェクトって何だい?』
「何でもないよ。みんな覚えたての単語を使ってみたい年頃なのさ」
どんな格好いい名前をつけようと、その内容は最低だ。
二週間前に持ち上がった計画で、クラスの中でも大人しく目立たない奴を、徹底的に無視しようというものだった。要するに精神的ない
じめだ。今回のターゲットは大学教授の息子で、何を言うにも俯いてしまう内気な男子だった。成績は中の上、五年にしては身長が高く、
廊下側の一番後ろの席に座っている。
いじめの対象となった理由の大半は、本人の大人しい性格と地味さにある。だが残る10%か20%は、有名な家族のせいだったかもし
れない。彼の父親の発表した論文は、国の枠を超えて世界で脚光を浴びていた。小学生には研究の中身なんか解るはずもないが、HRで担
任がそれを言った日から、彼に対するクラスメートの態度が変わった。
僕とあと数人の中学受験組は、参加もしないけれど邪魔もしないというスタンスだった。愚かな計画に関わって、内申書に響いたら面倒
だ。クラス総出の一大計画か何か知らないけれど、たった一人の気の毒な生贄を苛め抜くために、一致団結するなんて。僕等に言わせれば
時間と労力の無駄だ。
『連絡網だから、次の人に回してくれって言ってたぞ。もう遅いし、代わりに電話しておこうか?』
時計を見ると短針は9を回っている。小五の就寝時間っていつ頃だろうと思いながら、僕は電波越しに答えた。
「いいよ、僕が今、ケータイから電話しとく。連絡網見て、うちの下の番号教えて。矢沢って名前の……」
1だか8だか聞き取れなかったが、両方かければどちらかは当たるだろう。
線路が闇のままなのを確かめてから、暗記したばかりの数字を押す。
三回のコールで、電話はすぐに繋がった。ただし通信状態はすこぶる悪い。相手の声は宇宙語並にぶつ切れだ。
「もしもし、夜分にすみません……あ、なんだ矢沢か」
電波が一瞬クリアになると、先方は明らかに同じ年頃の男子の声だった。音はすぐに悪くなってしまったが、ミスター矢沢やミセス矢沢
じゃなかったのに安心して、そのまま伝言を口にする。
「連絡網だって、さっき。うちでちょっと止めちゃったみたいでさ。起きててくれてよかったよ。まあ僕等には関係ない話なんだけどさ、
プロジェクトTだっけ?明日始動なんだって」
『……だれ?』
「誰って!?寺川の件だろ、お前等みんなで決めたんだろ?あれだけ盛り上がって騒いでてからに、今さら誰とか言うなよな。寺川を無視
するんだろクラス全員で。僕等は参加しないけどな。参加しないからって次のターゲットにしてくれても、僕は全然構わないけどな、もし
もし?もしもーし!」
プツっと小さな破裂音がして、押し付けた耳の先に空白ができた。けれど数秒後には電波が復帰し、前よりはずっとましな状態になる。
これでやっと会話が成立する。
『で、あんた誰?』
成立しなかった。
「え、矢沢さんのお宅じゃ……」
『よく間違われる。あっちは8で、こっちは1。週に二度は間違い電話だよ』
両方かければどちらかは当たりだが外れる確立も五割残っている。
「すみません間違えました。こんな夜分に申し訳ない」
『別にいいよ。下四桁4126って、初めて見る番号だとは思ったんだ』
4126は僕の携帯番号だ。無効の液晶にばっちり表示されてしまったのだろう。
『そんなことよりそっち誰……ってまあいいや。それよりおれは聞き捨てならないことを耳にした気がする。おい4126、お前さっき寺
川を無視するって言った?クラス全員で無視するって言ってなかったか?寺川って隣の、二組にいる大学教授の息子だよな。やたら背が高
くて、声の小さい奴。何だよ4126、お前等集団でいじめやってんの?嫌なクラスだな!』
「隣の組って、きみこそ誰だ」
偶然繋がった間違い電話の相手が、よりによって同校同学年の生徒だったなんて!しかもこの声には確かに聞き覚えがある。でもまさか
……いや、多分。
無駄なことと知りながら、僕は型遅れの機械を呪った。この携帯と設置型電話では、音がダイレクトに伝わらない。まるで二人の間に薄
い幕でも張ったみたいに、彼自身の声ではなくなってしまう。
「渋谷!?」
名前を呼んだのは、初めてかもしれない。
もちろんこんなに長く喋ったのだって初めてだ。
「渋谷、なぁ、渋谷なんだろ!?」
終わっていた。電話は切れていた。痛いほど押し当てた耳の向こうには、無機質な機械音だけが流れている。
「くそっ」
気付くと僕の周囲には、ぽっかりと空間ができていた。
通勤鞄を抱えた大人達は、携帯電話に向かって叫ぶ小学生を遠巻きに観察している。最近の子供はキレやすいとでも思っているのだろう
。いつもなら何食わぬ顔で取り繕えるのだが、このときばかりは平静を装う余裕もなかった。
まだ子供だ、しかも他人とは異なる秘密を抱えて、ビクビクしているだけの子供だ。
物事の道理をそれなりに弁えていて、信頼する仲間ももてた現在とは違う。
僕はホームの端にしゃがみ込んで頭を抱えた。
何てことだ、初めての会話がこれだなんて。いっそ忘れてくれ。それが無理なら相手は僕だと気付かないで欲しい。彼と僕の未来がどん
なふうに関わるのかは判らないが、ずっと気にかけてきた存在に、最低の人間だと思われたくない。
慌てた駅員が駆けつけるまで、爪先にある白線だけを見詰めていた。
予想以上に渋谷は熱血漢だった。
彼が行動を起こしたのは、翌日の昼休みという素早さだ。
担任と被害者を除いた連絡網は、出席番号の隅々まで無事に伝言を運び、朝のHRが終わるとすぐに例のプロジェクトはスタートした。
たった一人の大人しい同級生をクラス総出で無視するなんて、口にするのも馬鹿馬鹿しい計画だ。けれどそう親しくもない犠牲者を、体
を張ってまで阻止する物好きもいない。
ブレーキをかける者が居なければ、熱に浮かされたように突き進んでしまうのがこの年代だ。教師に見つかることなく午前中の休み時間
をやり過ごすと、連帯感は一気にヒートアップした。教室の隅にある寺川の席には、決して付こうとしなかった。数人ずつのグループに分
かれて雑談し、ときどき彼の方を盗み見ては、押し殺したような笑い声をたてる。雰囲気に耐えかねて被害者が教室を出ていこうとすれば
、必ず誰かが入り口近くで邪魔をした。
隣のクラスの野球好きが介入してきたのは、そんな状態半日続いた頃だった。
ベージュの引き戸を跳ね返るほど強く開けて、渋谷有利はやって来た。
「寺川いるー?」
背番号も名前もないユニフォーム姿だ。アルファベットのついた青いキャップを被り、肩にはバットを担いでいる。
ああ、野球馬鹿が昼の練習に行くのね、誰もが納得する格好だった。チームメイトらしい生徒を二、三人連れているが、特に知っている
顔ではなかった。学年が違うのかもしれない。
「なあ、寺川いる?」
全員一斉に被害者へと顔を向けた。
当の寺川は突然のご指名に呆気にとられ、口を閉じるのも忘れていた。その時点では喋ったことさえない相手だ。
「ああ、いたいた。寺川ってお前?」
「……そうだけど」
他のメンバーは戸口の所に留まっていたが、渋谷ともう一人の大柄な生徒は躊躇いもせず入ってきて、寺川の肩や腕に馴れ馴れしく触っ
た。上履きの色によると連れは四年生だ。勇気がある。
「いいな。いいよな?背ぇ高いしな」
上級生の言葉にうんうん頷いている。そういう役どころなのだろう。渋谷は、決めた、と呟くと、気をつけをするように背筋を伸ばした
「野球しようぜ、寺川!」
誘われた当人はもとより、その場にいた皆が驚いた。
「野球やったことある?ねぇの?ああでも大丈夫、おれが教えるから。基本をしっかり身につければ、どっちかっつーとライトは初心者向
けのポジションだから。さ、じゃあ早速、キャッチボールから初めよっか。思い立ったが祝日って言うだろ」
それを言うなら「吉日」だ。
元来気弱な性格だから、強引に腕を引かれるとついて行くしかない。
「ちょっと待てよ。今はまだ給食中なんだから、勝手に教室を出ていけないだろ」
どうにかして止めようと一人が口を開くと、計画を扇動していた数人が次々と加勢した。
もちろん、給食なんかとっくに終わっている。でも妨害者を排除するためなら、その程度の屁理屈は使用可能だ。
「そうそうー。他のクラスの子が入ってくるのも禁止ー」
「何で渋谷がでてくるんだよー」
「原宿は外でビニールボールの投げっこしてりゃいいんだよ」
原宿とはまた、大胆な略だ。それが引き金となったのか、少々短気な渋谷は声を荒げた。
「うっるせーな、お前等!投げっことか言いやがって!いいか、野球はボールの投げっこじゃない。それにビニールボールじゃねーかんな
、軟球だから、軟球。間違えんなよ。だいたいな、お前等が寺川に戦力外通告だしたから、おれが貰いにきたんじゃねーか!?うちのチー
ムは外野が足りないから、背の高い選手が欲しかったんだよ。何だよ、一旦戦力外扱いしといてからに、今さら引き留めたりすんなよ!」
センリョクガイツウコクって何語?と殆どの連中が首を傾げたが、プロジェクトが漏れたのには薄々気付いた。
教室中に一瞬、緊張が走る。皆それぞれが顔を見回し、裏切り者を炙り出そうとした。誰だよ約束破ったのは、と囁きあうが、渋谷はそ
んなことおかまいなしだ。
「え、約束?あ、まだ契約切れてないとか言う?そうかそうか、そーいうこと言うつもりか。あっそう、じゃあいいよ、じゃあ判った。だ
ったらうちのチームがこいつをレンタル移籍するから。チームじゃなくてクラスでもいいや。レンタル移籍、それならサッカーファンも知
ってんだろ?今日この瞬間から五年が終わるまで、寺川はおれが借りてくから。だったら教室出ていっても文句ないだろ!?」
「なんでそんな子、欲しがるのー?」
渋谷の剣幕に圧され気味のクラスの中から、一人の女子が進み出た。
「なんでって、ライトが……お前かよ」
舌打ちでもしそうな渋谷に向かって、少女は笑いを含んだ声で言う。
「だって寺川ってキモチワルイじゃない」
彼女こそこの計画の首謀者で、女子のリーダー的存在だ。胸の前で腕を組み、顎を反らして獲物を見ている。両耳の上で結んだ長い髪を
、慣れた仕種で小さく揺すった。どうすれば可愛らしく見えるのかを、幼い頃からの経験で知っているのだ。唇は意地悪そうに上がってい
るが、容姿に自信がある彼女にとって、天使と呼べないスマイルさえある種の武器になる。
「なんでそんなキモチワルイ子を欲しがるの?」
寺川は別に鼻から牛乳を垂らしたわけでも、女子の体操服の匂いを嗅いだわけでもない。けれどこの年代の集団意識とは恐ろしいもので
、中心的人物一人がそう言いだすと、我も我もと従ってしまうものなのだ。
「何が気持ち悪いのかは知らねーけどさぁ」
渋谷は軽く目を眇め、首謀者の顔を確かめた。容赦をするべき相手かどうか見極めたようだ。
「うちのクラブはライトが欲しいの。お前等のところではこいつは戦力外なのに、クラスに所属してるからって教室から出せないってんだ
ろ?だったらおれのクラスにレンタル移籍で貸し出してくれって言ってんだよ。移籍すればもうこの組の生徒じゃねえから、女王様の命令
きく必要もないだろ。なあ解った?くだらないプロジェクトのリーダーさん。まったくよくこんな計画思いつくもんだよ。お前ってホント
、幼稚園の頃からそうだよなっ」
そこまで一息に言いまくると、勢いよく振り返ってライト候補に尋ねた。
「お前はどうよ」
「……行く」
首謀者も、賛同したクラスの連中も、寺川の声を聞くのは久し振りだった。もちろん傍観者を決め込んでいる僕ら数人もだ。
獲物に反抗されて戸惑うかとも思ったが、リーダーである女子はすぐに立ち直り、まるで用意していたみたいな脅しを続ける。
「あんたそれでいいの?レンタルだかなんだか知らないけど、ついて行っちゃったらもう二度とうちのクラスに帰れないのよ?席なくなっ
ちゃうんだからね。うちのクラスの仲間じゃなくなっちゃうんだから」
渋谷に負けず劣らず身勝手な理屈だ。相手が小学五年生でなければ、何の説得力もない。渦中の人である寺川は僅かに逡巡していたが、
やがて拳を握り締めて答えた。
「別にいいよ。このクラスの生徒じゃなくても。学校は……社会の縮図だ。クラスっていう組織は国と同じだよ。国内で認められなければ
外に出て行けばいい。世界で仲間を作ればいいって……父さんが……言ってたから」
「うん」
渋谷は満足そうに大きく頷いた。後ろにいた四年生も感心している。少なくとも感心したふりはしている。
「お前のお父さん、かっこいいこと言うなぁ!」
彼はインテリっぽい言葉にも弱そうだ。
予想外だった外部勢力の介入と、標的の思わぬ造反に、首謀者側はやや怯んだ。その機を逃さず渋谷は寺川を連れ出そうとする。
「なによ!先生に言いつけてやるから!」
「やりたきゃやれよ。行こうぜ寺川、使ってないグラブ貸してやるから」
渋谷と野球クラブの下級生は、新しいメンバーを引っ張るようにして行ってしまった。
自分の思い通りにならなかったのがよほど悔しかったのか、彼女はすぐさま職員室に報告に向かった。先生ー、隣のクラスの渋谷くんが
、勝手にクラス替えをして寺川くんを連れてっちゃいましたー。ある意味で有言実行だが、自分がいじめの首謀者だったことなどおくびに
も出さない。
その日の放課後、渋谷家の保護者は学校に呼び出された。
塾通いの僕は現場に居合わせなかったが、校長室の扉に張り付いていた連中によると、渋谷は「ライトを守れる選手が欲しかったから」
と言ったきり、頑として口を開かなかったらしい。
「まあゆーちゃんたら。だからっていきなりトレードはないでしょ?そういうことはきちんと交渉しなくっちゃ」
少女趣味な服を見事に着こなした彼の母親は、そう言って息子の越権行為を笑い飛ばしたという。
結果として露見しなかったプロジェクトTは、一ヶ月ほど細々と続いた後で、ちょっとした切っ掛けで担任に漏れた。
仲間外れにされた子の気持ちになってみなさいと言われたが、床に正座をさせられたくらいでは、寺川の心中なんか誰にも解らないだろ
う。
いじめられているはずの被害者は、律儀に迎えに来る渋谷と一緒に、練習練習また練習の日々を送っていた。クラス総出で無視しように
も、授業中くらいしか接触する時間がない。加害者側は肩透かしを喰らい、首謀者への批判も囁かれ始めた。だがその頃にはもう寺川にと
って、自分を排除しようとした組織などどうでもよくなっていたようだ。
気付けば彼は真新しいグラブとキャップを抱え、休み時間ごとに校舎裏へと走る立派な野球少年へと変化していたのだ。汗と日焼けと埃
臭さのせいで、内気だった頃の面影もない。
「あー、判った!」
真下に会った旋毛がいきなり動く。悩める野球小僧が急に顔を上げたのだ。危うく頭突きを喰らうところだった。
「4126ってのは寺川の背番号だよ」
「は?」
思いだせたのが余程嬉しかったのか、顔を輝かせて話し出す。
渋谷は結構、説明したがりだ。
「村田は知らないだろうな。小学校の野球クラブでライトやってたの。まあいろいろあってさ、お前のラッキーナンバーは4126なんだ
ぞって教えてやったら、じゃあそれを背番号にするって言うから。でも背番号が四桁なんてありえねーだろ?だから頭の二桁だけとって、
結局41にしたわけ」
「それ以前にラッキーナンバーが四桁ってのも変だろ」
「しょーがないだろ?だって」
渋谷は紙コップの汗をぐるりと拭い、蓋から突き出たストローをつついた。
「あいつを助けた親切な誰かの電話番号が、4126だったんだから」
親切な、誰か?
「……なんか良からぬ計画があったわけよ。それに巻き込まれてたんだよ寺川は、でもあれだ、勇気ある内部告発者がだな、一本の電話で
それを未然に防いでくれたってわけ」
「助けたのはきみだろ!?」
身を乗り出した僕に驚いて、渋谷は目を丸くした。
「え、何。なんで村田がこの話知ってんの?そんなに有名な事件だったっけ。お前は進学組だから知らないと思ってたんだけど」
進学組といったって、隔離された特別組織があったわけではない。それぞれの教室に普通に座っていた。まあそれはともかくとして。
「いじめの被害者を助けたのは、野球クラブに強引に誘った渋谷だろ!?」
「助けたぁ?違うよ、おれはライト守れるメンバーが欲しかっただけ」
カップを掴んで砕けた氷の音なんか響かせながら、きみはまるで神様みたいなことを言う。
「おれもちょっと聞いただけなんだけど。休み時間も誰とも喋れなくてさ、一日中無視されっぱなしだったらしい。気の弱い奴なら三日で
ギブアップだろ?そんな状態が一ヶ月も続いてみろ。おれだったら毎日学校サボって球場だね。それでも寺川が我慢できたのは、その例の
ミスター4126の電話のお陰なんだよ」
きみはまるで神様みたいなことを。
「確かに表面的にはさ、クラス全員が参加してて、誰も庇ってはくれなかったらしいけど。でもその一本の電話があったから、一人じゃな
いって思えたんだって。この教室のどこかに味方がいるって信じられたんだってさ。寺川はね、そいつのお陰で耐えられたんだよ。だって
勇気が要るだろ?おれはあんまり詳しくないけどさ、そういうのってちょっとでも反対したら、逆に自分が標的にされるっていうじゃない
か」
渋谷はとっくに氷だけになったカップを振りながら、凄いよなと繰り返した。
「凄いよな。勇気があるよ、尊敬する。自分は参加しないってはっきり言い切ったんだぜ。次のターゲットにしたけりゃしろって。かーっ
こいいだろ!?ただ問題は、言う相手を間違えてたってことかなー……うちに間違い電話かけてくるなんて、肝心なとこでちょっと抜けて
る」
「間違えてないって!あ……」
『村田健』らしくない興奮ぶりに、呆気にとられている。揺らしていた空の紙コップを止めて、僕の眼鏡をまじまじと見た。
「どした?」
「……いや何でもない。何でもないんだけど、とにかくそれは間違いじゃないと思う。他の誰かじゃなく、渋谷でよかったんだよ」
「そうかなあ。担任とか校長とか、教育委員会に打ち明けるべきだとおれは思うね」
彼は両腕を頭上に伸ばし、万歳をするような格好で背もたれに寄り掛かった。
「まあ名前聞く前に切られちゃったから、結局あの勇者が誰だったのかは判んないままなんだけどな。未だにな」
「自分から切ったくせに」
「何だって?」
首を振りながら僕は、なんでもないと繰り返した。誤解されたら困るのに、頬が緩むのを止められない。
親切だって?誰が?勇者だって?誰が!?
いっそこの場で言ってやろうかと思った。
僕は親切でもないし、勇気ある告発者でもない。けれどきみが人知れず魔王陛下であるように、僕は。
僕は……。
僕は深く深く息を吸って、ゆっくりと視線を巡らせた。
テーブルとトレイとアップルパイと、目の前に座る渋谷を順番に眺めた。それから、果たして今が好機なのかどうか、酸素の行き渡った
脳味噌で考えた。
今度はミスしないように、後悔せずに済むように。
「やーめた」
「だからなにを!?お前さっきからニヤニヤしっぱなし、気味悪ぃ。あ、もしかしてまたおれの悪い噂!?まさかこの件でも馬鹿認定され
てるのか?お前それ知ってて笑ってるんだろう!え、ひょっとして4126氏が誰かなんて周知の事実で、紫のバラの人だって信じてるの
はおれだけなの?」
「誰も知らないと思うよ。紫のバラの人はどうかと思うけど」
「だよなあ……安心した」
当時の連絡網を調べれば、番号を押し間違えた馬鹿な小学生がどこのどいつかすぐに判るだろう。なのにきみはストローをくわえながら
頬杖をついて、偶然ってあるんだななんて言う。
「それにしてもあるもんだな、偶然って。確かに4126だ、ぴったり一緒だよ。けどなんか変な感じしねぇ?自分の携帯番号が、誰かの
家電と同じだなんてさ」
「別にー。四桁だけなら一致することもあるさ」
そこまで言ったところで渋谷の視線に気付いた。ぼんやりと狐色のパイを見ている。彼は誘惑にとても弱い。
「僻むなって言っただろ」
「あっ、美味そうなんて思ってないぞ、思ってねーかんなっ」
「最初から二つにしておけばいいんだよ。ほら」
短い感謝の言葉と共に、少しだけすまなそうな顔をしてみせてから、渋谷はパンプキンパイの半分を掴んだ。ペーパーが油で透明になる
。僕は不意に浮かんできた疑問を、我慢できずに口にしていた。
「……まだ会ってんの?」
唐突な質問にもかかわらず、渋谷はすぐに答えてしまう。
「誰?寺川?ああ、時々な」
「ふーん」
「ていうか今度、うちのチームの外野に入るんだけど」
「……そんなことだろうと思った」
予想のつく事態だ。
だけど早めに言っておいてくれよ、そういうことは。
「それでさぁ村田、夏休みのスケジュールだけど」
「きみはその前に期末考査。数学は中間で平均以下だったから、期末で赤点だと夏中補習なんだって?」
今まさに大好物を齧ろうとしていた口が、本日五度目の驚きの声を発した。
「どうしてそんな詳しく知ってんだ!?何度も言うけど村田、お前って本当は……」
それをいつきみに打ち明けようかと、僕はもう十年近く悩んでるんだ。