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ビーチサンダルで告白した
喜多嶋隆
目 次
君の背中は美しい
永遠にまじわらない二本のレール
言いだせなくて
三つ編み物語
たとえ、すべてを失《な》くしても
スター・フルーツ
恋はスラローム
サンタクロースは、一九歳
ビーチ・サンダルで告白した
あとがき
[#改ページ]
君の背中は美しい
「おーい! 敬子!」
という声が、頭の上で聞こえた。わたしは、手に持っていたサザエを、さっと体のかげに隠《かく》した。顔を上げた。防波堤の上に、幼ななじみの爽一《そういち》がいた。
「なんだ……」
わたしは、ほっと、息を吐いた。
八月の終わり。湘南。葉山。午後四時。
わたしは、磯《いそ》にいた。防波堤のすぐ下が、磯場になっている。その磯場にいた。ウインド・サーフィン用のウエット・スーツを着ていた。
そろそろ、潮が上がってきた。わたしの足もとも、小さな波が洗いはじめている。
「何してるんだよ!」
また、防波堤の上で爽一が叫んだ。わたしは、答えるかわりに、防波堤に上がっていく。磯から、テトラポッドへ。そして、テトラを足場にして、防波堤に上がっていった。片手には、スーパーのビニール袋を持っている。
防波堤に上がった。ゴム長を履いた爽一がいた。爽一は、遊漁船つまり、釣り船の仕事をしている。すぐ目の前に係留されている〈第七|太平丸《たいへいまる》〉という釣り船の船頭をやっている。
「あんまり大声で呼ばないでよ」
わたしは、爽一に言った。
「なんでだよ」
という爽一。わたしは、口に人さし指をあてて、〈しーっ〉という動作をした。手に持っているビニール袋の中身を、爽一に見せた。中には、サザエが五、六個。それと、わたしの競泳用のメガネが入っている。競泳用メガネは、水に潜るためのものだ。
それを見た爽一は、苦笑。
「やっぱ、そうか。どうも怪しいと思ったんだ」
と言った。ビニール袋のサザエは、さっきまで、わたしが磯に潜って獲《と》ってきたもの。言うまでもなく密漁だ。
「漁協のオヤジたちに見つかったらヤバいぞ」
爽一は言った。そんなこと、百も承知だ。わたしは、防波堤に置いてあったボロボロのデイ・パックに、サザエの入ったビニール袋を押し込んだ。
「親父《おやじ》さんには、内緒よ」
と爽一に口止めをした。
わたしは、ここ葉山に生まれ育った。
と言っても、家は、高台にある。きれいに造成された住宅地。そこに、わたしの家はある。父親は、サラリーマン。いちおう名の知れた大企業の課長をやっている。
わたしには、兄が一人いる。兄の誠は、子供の頃から、すごく勉強ができた。小学校時代は、ずっと、学年で一番の成績だった。中学、高校と私立の進学校にいった。現役で東大にうかった。東大での成績も良かったらしい。二年前、卒業と同時に大蔵省に入った。
そんな兄は、両親にとって自慢の息子だった。兄のためなら、学費も何も、惜しまなかった。
サラブレッドのような兄に比べると、わたしは、雑種の猫のようなものだった。
わたしは、もともと、勉強が大嫌いだった。かわりに、外で走り回るのが好きな性格だった。
そして、葉山には、海があった。小学生時代から、学校が終わると、海に駆けつけた。泳ぐ。潜る。魚を突く。魚を釣る。それが、わたしの子供時代のすべてだった。
当然、仲間になるのも、海っぺりに住んでいる子供が多かった。釣り船屋の息子、爽一も、小学生時代からの仲間だ。
あれは、わたしが中学三年の夏休みだった。わたしは、海に潜って、魚を突こうとしていた。昼を過ぎた頃、風が出てきた。南風が強くなった。海面にも、白波が立ちはじめた。泳ぎづらくなった。
わたしは、魚を突くのをあきらめた。テトラポッドに上がった。持ってきた麦茶を飲みながら、海を眺めていた。
その時、目の前の海を、ウインド・サーフィンの帆《セイル》が、走っていくのが見えた。女性のウインド・サーファーだった。透明なセイルは、ピンクでふちどられていた。彼女の髪は、後ろで一つに束ねられていた。
いま思えば、相当な上級者《エキスパート》だったのだろう。一面に白波が立ち、釣り船が帰ってくるぐらい荒れはじめた海。その女性ウインド・サーファーは、力強いフォームで、走っていく。
南からの強風を、目一杯、セイルにうけて、海面を疾走していく。波頭に当たると、ジャンプする。着水しても、全くフォームの乱れがない。強風を楽しんでいるように、海面を突っ走っていく。
それを見ていたわたしは、思わず、心の中で、〈かっこいい!〉と叫んでいた。強烈なショックをうけていたのだ。
その日から、ウインド・サーフィンが、わたしの夢になった。
高校に入ると、すぐに、マクドナルドでバイトをはじめた。二ヵ月間ためたお金で、とりあえず、近くでやっているウインド・サーフィン・スクールに入った。
もともと体力はある方だったし、海を、まったく怖がらないので、すぐに、ウインドに慣れた。スクールに通いはじめた初日には、もう、ゆるい風で走れた。三日目のスクールでは、ちょっとした風でも、海の上を走って、コーチを驚かせた。
高一の夏が終わる頃には、かなりな風でも、自分の行きたい方向に走れるようになっていた。
もう、完璧《かんぺき》に、ウインドにのめり込んでいた。マクドナルドでバイト。貯金。そして、自分のボードやセイルを手に入れた。
そうしてウインドに熱中しているわたしに、両親は文句は言わなかった。文句は言わなかったけれど、協力もしてくれなかった。
「口は出さないが、金も出さん」
と、父親は言ったものだ。
高校を卒業すると、わたしは短大に進学した。短大としては二流とか三流と言われているところだった。けれど、ウインド・サーフィンがさかんだった。それだけで選んだ短大だった。
短大二年の時、わたしは、学生選手権で三位に入った。まだ一九歳の時だった。
そして、短大を卒業。わたしは、ウインドをつづけていく決心を、とっくにかためていた。いわゆる、プロのウインド・サーファーになることを決心していた。
厳格に言ってしまうと、日本に、賞金だけで食べているウインド・サーファーは殆《ほとん》どいないだろう。
プロのウインド・サーファーと言っても、結局、いろいろなメーカーから、用具の提供をうけたり、転戦する費用の援助をうけているという事だ。
それでも、用具や遠征費用の援助をうけられれば、いい方だろう。
わたしは、まだ、そこまでいっていない。もう少し、大会で入賞して実績をつくらなければ、メーカーも声をかけてくれないだろう。
それまでは、バイトでがんばるしかない。
けれど、そこに大きな壁がある。ウインド・サーファーとして、トップ・クラスの実力をつけるためには、まず、練習をつむことだ。
だから、いい風が吹いた日は、絶対にのがしてはならない。風が吹きはじめたら、すぐに、海に出なければならない。
となると……たとえば、月・水・金などと、スケジュールの決まっているバイトは、出来ないのだ。
つまり、普通のバイトは、まず出来ないという事になる。これは、きつい。
風のない日、知り合いのサーフ・ショップで、店番とか、用具の修理をさせてもらう……。それが、いまのわたしの、ささやかな収入だ。けれど、それでは、ひと月の収入が一万円いかない事もある。
「で、サザエの密漁やってるわけか……」
爽一が言った。わたしと爽一は、黄昏《たそがれ》の防波堤を歩いていた。わたしは、ゴムゾウリをペタペタと鳴らしながら。爽一は、ゴム長で、並んで歩いていた。
「まあ……そういう事なんだけど……」
わたしは、つぶやいた。海に潜るのは、子供の頃から得意だ。サザエやトコブシの居場所も、だいたい、わかる。
中学生の頃、時どき、サザエを密漁したりした。けれど、それは、単なる遊びだった。多少のスリル。そして、獲《と》ったサザエやトコブシは、自分たちで食べるのだった。
でも、いまは違う。
獲ったサザエなどは、店に売りにいく。知合いの飲み屋やレストランに持っていけば、いい値段で買ってくれるのだ。早い話、バイトの一種と言えるだろう。
「けど……もうそろそろ、やめた方がいいぜ」
と爽一。
「近頃、密漁やってる人間が多いんで、漁協でパトロールをはじめるって、親父たちが言ってたから」
と言った。
「……パトロールか……」
わたしは、つぶやいた。確かに。このところ、伝馬船《てんません》に乗った漁協のオジサンたちが、磯《いそ》の近くを回っているような気がする。
「そっか……」
わたしは、軽く、ため息をついた。
その三日後。夕方。
昼間は、ほどほど吹いていた風も、完全にやんでしまった。夕凪《ゆうな》ぎだ。海面は、湖のように静まり返っている。
これでは、ウインドの練習にはならない。わたしは、一色《いつしき》海岸に、ボードを上げた。片づけをはじめていた。
帆《セイル》をたたんだところで、
「おーい」
という声がした。ふり向く。爽一だった。もう、釣り船の仕事は終わったのだろう。ショートパンツ、ゴムゾウリ姿で、こっちに歩いてくる。
「え? スポンサー?」
わたしは、思わず、爽一に訊《き》き返していた。
「ああ。そういうこと。昨日《きのう》、親父に話したんだ。マジで話したら、親父も、首をたてに振ったよ。うちの釣り船が、お前さんのスポンサーになってやる」
と爽一。
「毎月、三万を、スポンサー料として出してやる事になったよ。悪くない話だろう?」
爽一は、早口で言った。
「そ……そりゃまあ……」
わたしは、少し口ごもりながら言った。あまり急な話なんで、なんと答えていいか、わからなかった。ただ、〈毎月、三万円〉という言葉と、爽一のニコニコした顔だけが、頭の中に残った。
さらに、三日後。
風はなく、曇っていた。知合いのサーフ・ショップに顔を出した。けれど、仕事はなかった。しかたない……。
わたしは、旭屋に寄り、コロッケとパンを買った。一個四〇円のコロッケを二個、パンにはさんで食べる。それが、きょうの昼ご飯だ。
真名瀬《しんなせ》の防波堤に行った。きょうは、第一木曜日。九月はじめの木曜日だ。第一と第三の木曜日、葉山の釣り船は、定休日だ。いまも、港の中には、何|艘《そう》もの釣り船が舫《もや》われている。ほとんど無風なので、並んで舫われている船は動かない。
たまに、タコ壺《つぼ》漁をやっている漁師の伝馬船が、港の中を走る。伝馬船の曳《ひ》き波が、舫われている釣り船に届く。釣り船は、ゆっくりと揺れる。船と船の間にはさんである黄色いフェンダーが、キュッ、キュッと、かすかな音をたてる。
もう、九月に入ったので、あたりに海水浴客の姿は、ない。リゾート地の葉山も、海岸町としての、ふだんの姿に戻っていた。
わたしは、そんな静かな港を眺める。コロッケをパンにはさむ。自分でつくってきた麦茶をポットから出した。昼ご飯を、食べはじめた。
その時、歩いてくる足音がした。ゴムゾウリがペタペタという音だ。わたしは、コロッケパンを片手に、そっちを見た。爽一だった。
「よお」
と爽一。わたしのそばまで来る。そして、片腕にかかえていたものを、拡げた。それは、わたしのウエット・スーツだった。
ウエット・スーツは、〈シーガル〉と呼ばれる形のものだ。下半身は、足首まである。けれど、上半身は、半袖《そで》になっている。暖かいシーズン用のウエット・スーツだった。
「出来た」
と爽一。ウエット・スーツをひっくり返してみせた。その背中を見たとたん、わたしは、驚いた。ちょうど、コロッケパンを食べていた所だったので、思わず、ノドにつかえさせそうになった。あわてて、麦茶で、コロッケパンを呑《の》み込んだ。
ウエット・スーツの背中。でかでかと、〈太平丸〉と描《か》かれている。
わたしは、胸の中で、〈え!?〉と叫んでいた。
二、三日前、〈スポンサー名を入れるから〉と、爽一が持っていったウエット・スーツだった。口数が少ない爽一なので、どこに、どんなふうにスポンサー名を入れるのか、訊くのを忘れた。
〈けど……こりゃ……〉
わたしは、そのウエット・スーツを、まじまじと見た。ウエットは、地が濃紺だ。肩のあたりに、細く黄色いラインが入っている。ごく普通の、すっきりしたデザインのウエットだ。
その背中。まっ白な漢字で、でかでかと描《か》かれた〈太平丸〉の文字……。わたしは、口を半開きにして、それを見つめた。
わたしが、何を口に出そうか迷っていると、
「どうだ、威勢《いせい》が良くて、強そうだろう」
爽一が言った。どうやら、本気の口調だった。ふざけているのではない。
爽一は、ショートパンツのポケットから、折りたたんだ封筒を取り出した。わたしに、さし出した。
「ほら、今月のスポンサー料、三万」
と言った。
「あ……ありがとう……」
ちょっと引きつった声で、わたしは言った。
背中で、クスクスという笑い声が聞こえた。こらえた笑い声だった。けれど、風にのって、わたしの方まで聞こえてきた。
葉山の森戸《もりと》海岸。午後四時半。
ウインドの練習を終えて、砂浜に上がったところだった。わたしは、ボードやセイルの片づけをしようとしていた。その時、後ろで、笑い声が聞こえたのだ。
わかっていた。女のウインド・サーファーが三人ほど、いるのだ。わたしから三〇メートルほどはなれた所に、ボードを上げている。ほとんど初心者のような、女のウインド・サーファーたちだ。わたしのウエット・スーツを見て、笑っているのだ。
わたしは、ふり向く。彼女たちを見た。
「どうかしたの?」
ちょっと、ドスをきかせて言ってやった。女たちの表情から、笑いが消える。
「いえ……別に……」
と言いながら、少し、後ずさりしていく……。わたしは、そんな相手にはシカト。自分のボードの片づけにかかった。
体を動かしながら、〈またか……〉と、胸の中で、つぶやいていた。
この一週間で、何回も、こういう事があった。わたしの背中を見て、驚くやつ、笑うやつ……。何回もあった。そのたびに、〈まあ、仕方ないなあ……〉と、心の中でつぶやいていた。
その日、かなり勢力の強い低気圧が、太平洋の沿岸に近づいていた。
朝から、ほどよい北風が吹いていた。わたしは、朝の九時から、海に入っていた。葉山の沖で、練習をしていた。
かなりパワーのある風だった。午前一〇時頃。ちょっと疲れたわたしは、セイルを倒した。ボードにまたがって、ひと休みする。
斜め後ろから、波を切ってくる音がした。ふり返る。
ウインド・サーフィンのセイルが二枚、近づいてくる。男のサーファーが二人。見覚えのある連中だった。
逗子《ずし》海岸にあるサーフ・ショップをベースにしているウインド・サーファーだった。二人は、わたしの一〇メートルほどわきを走り過ぎる。走り過ぎると、クルリと反転《タツク》した。
ニヤニヤした表情で、また、わたしのそばを走り過ぎる。わきを走り過ぎる時、
「釣れてるか!? 太平丸さん!」
と叫んだ。ちっくしょう。わたしは、やつらに、アカンベーをしてやった。やつらは、ニヤニヤした表情のまま、走り去っていった。
〈それにしてもなあ……〉
わたしは、胸の中で、つぶやいていた。つぶやきながら、海の上を走っていた。ひと休みを終えて、また、練習をはじめたところだった。
〈それにしても……ここまでコケにされるとなあ……〉
わたしは、また、心の中でつぶやいていた。爽一の釣り船屋がくれる毎月三万円のスポンサー料。それは、確かに、ありがたい。
しかし……ここまで、あちこちで笑い者になると、ちょっと考えてしまう。
わたしは、決して、ていさい屋ではない。けど、これほど、しょっちゅう、からかわれると、さすがに、
〈……どうしたもんだろう……〉
と考えてしまうのだった。
その時だった。やけに、風が強くなってきたのに気づいた。北風が、急速に風力をましている。
たぶん、南の海上にある低気圧が、近づいてきたのだ。気がつけば、あたりは、一面の白波だった。考えごとをしていたので、風の変化に気づくのが遅れた。
といっても、いまのわたしに、こなせないような風ではない。とりあえず、葉山の海岸に戻ることにしよう。
わたしは、追い風で南に向かっていたセイルを、反転させた。
その瞬間、バキッと、嫌な音がした。急にバランスを失なった。
セイルをボードに取りつけてあるジョイントの部分が壊れたのだ。まずい! わたしは、セイルと一緒に、水に落ちた。
三〇分後。
わたしは、海の上を、漂流していた。セイルは、倒れたままだ。いまはもう、使いものにならない。わたしは、ボードにつかまったまま、海の上を漂流していた。
この三〇分で、かなり沖へ流されたのが、わかる。北風はますます強くなってきていた。秒速一〇メートル以上で吹いているだろう。
さっきまで見えていた江《え》ノ島《しま》も、波とうねりの彼方《かなた》に消えた。もう、見えない。
わたしの胸の中に、〈遭難〉の文字が浮かんだ。
この相模《さがみ》湾は、北側が岸。南に向かって、大きく開けている。北風に吹かれて南に漂流すると、どこまでも、沖に流されていく事になる。
相模湾のウインド・サーファーが遭難するのは、この場合が多い。沖へ沖へと流され、やがて、体力と体温を失なってしまうのだ。
わたしの体も、冷えはじめていた。九月の前半だから、水温は、まだ二三度ぐらいあるだろう。
それでも、ただボードにつかまっていると、体が冷えていくのがわかる。体温がうばわれていくのがわかる。
わたしは、周囲を見回した。一面の白波。その彼方に、かすかに、三浦《みうら》半島が見える。一〇キロぐらいは、ありそうだった。この波の中、とても、泳ぎつく距離ではない。
どうしよう……。絶望感が、体の奥からわき上がってくる。
その時だった。
何か、音がする。低い音がする……。
わたしは、そっちを見た。白い波頭《なみがしら》にさえぎられて、何も見えない。けれど、音は、しだいに大きくなってくる。
やがて、その音が、エンジン音だとわかった。低く重い音……。ディーゼル・エンジンの音……。船だ。
わたしは、そっちを見た。エンジン音は、どんどん大きくなる……。やがて、姿が見えた。白い波|飛沫《しぶき》をあげ、走ってくる船の船首が見えた。
釣り船だった。薄いグリーンに塗られた船体。それは、葉山の太平丸だった。太平丸は、わたしの近くを通ろうとしていた。
わたしは、必死で、手を振った。振りつづけた。
わたしの近くを走り過ぎようとしていた太平丸が、ガクンとスピードを落としたのが見えた。こちらに船首を向けようとしている。
わたしに気づいてくれたのだ。しかも船体には、〈第七太平丸〉と描《か》かれている。爽一の船だ。
船は、ゆっくりと、わたしに近づいてくる……。やがて、船べりに、爽一の姿が見えた。
「大丈夫か!」
と叫んだ。わたしは、うなずき返した。爽一はもう、船の舫《もや》いロープの束をつかんでいた。
「これにつかまれ!」
叫ぶと同時に、もう、ロープを、わたしに向かって投げていた。
一〇分後。わたしは、船の上にいた。
わたしとボードは、爽一と釣り客によって、船に上げられた。船はまた、葉山に向かって走りはじめていた。
「大丈夫かね、船長」
と、釣り客のおじさんが言った。三人乗っている釣り客の一人だ。
「大丈夫」
とだけ、爽一は言った。海の上は、一面の風波《かざなみ》だ。白く、とがった波頭が、どこまでも、つづいている。船は、その波を突っ切りながら進んでいく。
船が波を突っ切るたびに、船首からは、巨大な水飛沫が上がる。船全体に、叩《たた》きつけてくる。釣り客のおじさん達は、みな、恐怖に引きつったような表情をしている。
けれど、爽一は、全く平静だった。落ち着いた表情。落ち着いた動作で、船の舵《かじ》とアクセルを操作している。
それどころか、爽一は、わきに置いたポテトチップスの袋から、左手でポテトチップスをつかみ出しては食べている。
「ちょうど昼メシ食おうと思ったら、急に吹いてきやがって……」
微笑しながら、爽一は、わたしに言った。また、落ち着いた表情で、いく手を見ている。
無線から、ガラガラとした声が響いた。
「こちら旭《あさひ》丸、〈太平丸〉の爽ちゃん、とれるか?」
爽一が、左手で無線のマイクを取った。
「爽一だ」
「おう、どうしてる」
「ちっと吹いてきたんで、早上がりだよ。しょうがねえな」
「ああ、これじゃ、しょうがねえよ。うちも上がるさ」
「了解」
爽一は、淡々とした声で言った。無線のマイクを戻した。あい変わらず、落ち着いた表情で、操船している。
わたしは思った。これ程の風と波でも、爽一にとっては、〈ちっと吹いてきた〉なのだ。その事に、正直、驚いていた。
わたしがいつも見ている爽一は、いつも、港の中だ。ゴム長を履き、船の甲板《デツキ》を洗っている。あるいは、オイルまみれになって、機関の手入れをしている。そんな姿しか見ていない。
けれど、こうして荒波の海を平気で乗り切っていく爽一は、わたしにとって、まるで別人のようだった。その斜め後ろ姿が、頼もしかった。
爽一は、Tシャツを着ている。その背中には、〈太平丸〉と横書きの漢字でプリントされている。〈太平丸〉の三文字が、頼もしかった。
船が、大きな波を、切り裂くように突っ切った。ガツンと船がショックをうけた。船室にいた釣り客の一人が、後ろにひっくり返った。爽一は、一瞬ふり向き、
「気をつけてくださいね」
と言った。また、平静な表情で、舵を切っていく。爽一にとっては、このぐらいの荒れた海は、しょっちゅうの事なのだろう……。わたしは、爽一の背中にある〈太平丸〉の三文字を、じっと見つめていた……。
それから、約二週間が過ぎた。日曜日。
鎌倉。|由比ヶ浜《ゆいがはま》のビーチで、女子ウインド・サーフィンの大会が開かれていた。大手の化粧品メーカーがスポンサーになった大会だった。日本のレディース・トーナメントとしては、最大の大会だろう。
午前中の予選。わたしは、好調だった。
背中にある〈太平丸〉の文字には、まったく、こだわりがなくなっていた。いや、逆かもしれなかった。
マークを回る時、二、三人の選手がせり合いになる事がある。内側のコースを取ろうとして、せり合いになる……。
そんな時、わたしは、一歩も引かなかった。背中にしょった〈太平丸〉の文字が、勇気づけてくれているようだった。後ろから、〈負けるんじゃない!〉と、爽一が押してくれているようだった。
午前中の予選を、わたしは次つぎと勝ち上がっていった。
そして、ついに、決勝戦を争う八人の中に残ったのだ。これほどの大会で、ベスト|8《エイト》に残るのは、わたしにとって初めてだった。
午後一時。いよいよ、決勝がはじまる。
決勝戦の前に、選手一人一人の紹介が行なわれる。一人ずつ、名前を呼ばれる。呼ばれた選手は、一歩前に出て、とり囲んでいるギャラリーに手を振る。それを、ウインド・サーフィン雑誌のカメラマン達が、撮影するのだ。
選手の紹介が、はじまった。
決勝に進むぐらいの選手は、みな、スポンサーがついている。
〈高木ミキ選手! 所属、アトランティック・スポーツ!〉
そんな感じで、紹介されていくのだ。八人いる選手の七番目。わたしの番が、近づいてきた。
わたしは、ちらりとギャラリーの方を見た。ギャラリーの中に、爽一がいた。先週、初めてのデートで、横浜に行った。その時に買った、揃《そろ》いのTシャツを着ていた。
爽一は、陽灼《ひや》けした顔の中で、まっ白い歯を見せた。親指を立ててみせた。わたしは、うなずいた。
そして、アナウンスが砂浜に響いた。
「吉川敬子選手! 所属、太平丸!」
とたん、周囲から、ざわめきがわき上がった。けど、わたしは知らん顔。思いきり胸をはって、一歩前に出た。笑顔で、周囲に手を振った。
三、四人のカメラマンが、わたしをとり囲んだ。シャッターを切りはじめた。背中にある〈太平丸〉の文字を撮っているカメラマンもいる。わたしは、そのカメラマンに、ふり返る。ニコリとしてあげた。ギャラリーたちから、拍手がわき上がった。
わたしは、そうしながら、深呼吸。そして、空を見上げた。
青い空。ウロコ雲が、ひろがっていた。もう、秋の空だ。季節としての夏は、終わろうとしている……。けれど、わたしにとっての夏は、いま、はじまろうとしていた。
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永遠にまじわらない二本のレール
ロス・アンゼルス。深夜〇時二五分。
わたし以外、誰もいないオフィスに、カタカタという、ごく小さな音がしていた。わたしが、パソコンのキーを叩《たた》く音だ。
わたしは、ふと、パソコンのキーから指をはなした。モニターの画面から眼をそらす。窓の外を見た。
となりのビルにも、まだ、いくつかの窓に明りがついている。仕事中らしい。
ロスといっても、ここはダウンタウン。いわゆるオフィス街だ。ヤシの樹もなければ、ビーチもない。あるのは、高層ビルとスモッグだ。
わたしは、また、パソコンに目を戻した。キーを叩きはじめた。今夜中に書き上げなければならない記事なのだ。〈カリフォルニア州の拳銃《けんじゆう》取り締まりに関する〉記事だ。わたしは、下書きのメモを横目に見ながら、記事を書きつづけた。
約三〇分後。〈一日も早い対応が求められる〉の一行を書き終えた。書いた記事を、フロッピーに入れた。
仕事終了。わたしは、パソコンの前から立ち上がった。大きく背のびをした。胸につけている、顔写真入りのネーム・プレートをはずす。デスクに置いた。不審な人間が社に入って来ないように、全員が、顔写真入りのネーム・プレートをつけているのだ。
わたしのネーム・プレートには、手配写真のようなカラー写真と、名前、〈ヨーコ・ブラウニー〉がプリントされていた。
わたしは、カリフォルニアで生まれた日系四世だ。ハワイほどではないけれど、カリフォルニアにも、日系人は多い。みな、日本から移住してきた人達だ。わたしも、そんな日系移民の子供なのだ。
あの〈オノ・ヨーコ〉が、アメリカ人にとっては有名なので、わたしの名前〈ヨーコ〉も、皆、すぐに覚えてくれる。いまのオフィスでも、まわりのスタッフは、わたしのことを気軽に、〈ハイ、ヨーコ〉と呼んでくれる。
わたしは、オフィスを見回した。ここは新聞社なのだけれど、この時間、さすがに誰もいない。
わたしは、深呼吸をした。疲れを感じていた。肩から頭にかけてが、鉛のように重かった。
コーヒーを一杯飲むことにした。わたしが仕事をしているスペースから、廊下をへだてた所に、休憩スペースがある。コーヒー・メーカー。テレビ。そして、簡単なソファー・セットなどが置いてある。
わたしは、コーヒーを紙コップに注ぐ。ブラックで飲みはじめた。もう、今夜の仕事は、終わり。けれど、誰も待っていない部屋に帰るのも、あまり気が進まなかった。
わたしは、何気なくテレビをつけた。ちょうど、午前一時から、深夜映画がはじまるところだった。ハンバーガーのコマーシャルが終わって、映画がはじまった。それは、あの〈スタンド・バイ・ミー〉だった。
わたしは、コーヒーの紙コップを片手に持ったまま、テレビの画面を見た。じっと、見つめていた。
わたしは、日系移民の子として、カリフォルニアの小さな町に生まれた。ロスから北へ。車で一時間半ほどの小さな町だ。
日系人の子供だといっても、差別をうけた覚えはない。カリフォルニアには、さまざまな人種の人間が入りまざっている。
わたしは、かぼちゃのパイと、チリ・ドッグが好きな普通の女の子だった。
あれは、確か、ハイスクールに入ったばかりの頃だったと思う。ボーイフレンドのジミーと、映画を観《み》に行った。ジミーとつき合いはじめて、初めてのデートだったと思う。その時に観たのが、〈スタンド・バイ・ミー〉だった。
四人の少年の物語だった。少年たちが、自分たちの小さな町を脱け出す。汽車の線路を歩いて行く。
ちょっと大げさに言えば、友情と冒険の旅。二日間だけれど、彼らにとっては大きな意味を持った旅……。そして、故郷の町へ帰ってきた彼らは、少しだけ成長した自分を感じる……。
そんな映画だった。
まだ本当に少年だったリバー・フェニックスが、かわいかった。そして何より、映画のタイトルにもなっている曲、〈スタンド・バイ・ミー〉が良かった。
その曲が、ずっと昔、ベン・E・キングという黒人シンガーが唄《うた》ったヒット曲だと知ったのは、後のことだった。
わたし達の町はずれにも、汽車の線路がある。
その昔は、グレープフルーツの出荷などに使われていた線路だという。けれど、鉄道は、トラックにとってかわられた。
線路は、ただの廃線になってしまった。錆《さ》びた線路だけが、町のはずれに残されている。
映画〈スタンド・バイ・ミー〉を観た翌日。わたしとジミーは、線路を歩いてみることにした。
お昼で、学校を抜け出した。映画の少年たちのように、線路を、ゆっくりと歩きはじめた。草原の中をのびている単線の線路を、北に向かって歩きはじめた。
映画のように、汽車に追いかけられたりはしなかった。(廃線だから、当たり前なのだけれど……)
特別な事件や出来事もないまま、やがて、夕方になった。黄昏《たそがれ》の色に染まる草原は、美しかった。
わたしとジミーは、線路の上で、キスをした。それは、わたし達にとって、ファースト・キスだった。
その後、わたしとジミーは、草原を横切り、道路に出た。ヒッチハイクで、ピックアップ・トラックをひろった。そのまま、町に帰って来た。
半日ぶりに帰ってきた町は、ほんの少しだけ、小さくなったような気がした。わたし達も、映画の少年たちのように、少しだけ大人になったのだろうか……。
ジミーとのつき合いは、その後もつづいた。
けれど、ハイスクールの卒業が近づいてくると、わたしは、大学に進学したいと思うようになった。漠然《ばくぜん》とだけれど、ジャーナリズムの仕事をしたいと思うようになっていた。それは、わたしが、ハイスクールで、新聞部部長をやっていたからかもしれない。
とにかく、わたしは、大学に進学することを、自分の中で決めた。そして、ジミーに話した。
予想通り、ジミーは、反対した。
ジミーの家は、地元で、手広く事業をやっていた。スーパーマーケット、ガス・ステーションなどを経営していた。
ジミーは、ハイスクールを卒業すると、そんなパパの会社に、後継《あとつ》ぎとして入ることになっていた。
わたしが大学に進学することは、町を出ることを意味する。
当然のように、ジミーは反対した。地元に残るように、わたしを説得した。地元に残って、結婚しようと、わたしに言った。
実際、この田舎町では、ハイスクールを卒業すると、すぐに結婚する娘《こ》が多い。ジミーも、わたしに、そうするように説得しつづけた。
わたしとジミーは、よく話し合い、よく、口論した。
それでも、わたしの決心は、変わらなかった。ロスにある、カリフォルニア大学に進学することに決めた。
ジミーは、最後まで、〈わかったよ〉とは言ってくれなかった。
そして、ハイスクールを卒業した。わたしが町を出発したのは、木曜日の朝だった。グレイ・ハウンドの出発ターミナルまで、ジミーは見送りに来てくれた。
お互いに、湿っぽくは、ならなかった。ただ、ほとんどしゃべらずに、バスの出発時間を待っていた。小雨の中、黒い犬が歩いていた。
U.C.L.A.つまりカリフォルニア大学での生活は、楽しく、活気にあふれていた。
わたしは、キャンパスに近いウエスト・ウッドという町に、アパートメントを借りた。自転車で学校に通いはじめた。ウエスト・ウッドは、いわば、ロスの学生街であり、活気にあふれていた。わたしが育った町とは、えらい違いだった。
わたしは、U.C.L.A.で、ジャーナリズムを専攻した。大学では、よく遊んだけれど、われながら、よく勉強もしたと思う。将来、ジャーナリストとして仕事をしたいという思いが、どんどん強くなっていくのを感じていた。
やがて、大学の卒業が近づいてくる……。わたしは、あちこちの職場をうけた。テレビ局の報道部。同じく、FM放送局の報道部。新聞社。雑誌社。通信社……。いくつもの入社テストを受けた。けれど、女だということで、なかなか、受け入れてもらえなかった。
やっと、一つ、決まった。ゼミの教授の推薦《すいせん》で、新聞社の一つに、入れる事になった。ロスに本社を置く新聞社だ。〈ロス・アンゼルス・タイムス〉のような超一流ではないが、まずまずの新聞社だった。
入社すると、すぐ、社会部に配属された。もちろん、仕事はハードだった。新聞記者に、男も女もない。けれど、それは承知していた。自分なりに精一杯、やってきたと思う。
ただ、まいったのは、スモッグとハイヒールだ。新聞社は、ロスのダウンタウンにある。交通渋滞は激しく、スモッグで、空気はよどんでいる。
そして、ハイヒール。これは、履き慣《な》れないせいだ。学生時代、ずっと、スニーカーで過ごしてきたせいだ。五、六時間、ハイヒールで仕事をしていると、足が疲れてくるのだ。
新聞社に勤務して、困ったことが、もう一つ。それは、クリスマス休暇などに、故郷に帰れない事だ。
一般の人が楽しんでいるクリスマスやハロウィンは、新聞社にとっては、緊張する時だ。そういう時に、事件が起こりやすいからだ。そのため、誰かが、当直で、新聞社につめていなくてはならない。
そういう役は、もちろん、世帯持ちではなく、独身の人間に回ってくる。さらに、わたしのような新人に回ってくるのだ。
だから、新聞社に入って二年、クリスマス休暇に、町に帰ったことはない。というより、考えてみれば、この二年、忙しくて、故郷に帰っていない。
時たま、〈とにかく、がんばっている〉という手紙を、両親にあてて書くぐらいだった。
深夜映画の〈スタンド・バイ・ミー〉が、エンディングにさしかかっていた。出演者やスタッフのロール・クレジットが流れはじめる。テーマ曲〈スタンド・バイ・ミー〉が、淡々と流れている。
ふと、気づけば、わたしは、涙ぐんでいた。映画のクレジットが、にじんでいた……。
わたしは、立ち上がった。ティッシュ・ペーパーで、目尻《めじり》の涙を、ぬぐった。誰もいないのをいいことに、ティッシュで軽く鼻をかんだ。
そして、ふと、思っていた。故郷の町へ帰ってみよう。とにかく、故郷の空気を吸ってみよう。そう、決めていた。
わたしは、紙コップをゴミ箱に捨てた。自分のデスクに戻る。パソコンを終了させた。フロッピー・ディスクを出し、メモをつけて、同僚のデスクに置いた。
ショルダー・バッグを肩にかける。エレベーターで、地下駐車場におりた。守衛室にいるディヴに、
「帰るわ」
と言った。ネーム・プレートを、守衛室に置いた。地下駐車場にある自分の車に歩いて行く。二ヵ所に小さなへこみのあるMAZDA《マツダ》だ。エンジンをかける。スロープを登って、道路に走り出た。故郷に向かう国道《ハイウエイ》に車を向けた。
町に着く頃には、そろそろ明るくなりはじめていた。東の空が、淡いピンクに染まりはじめていた。
といっても、まだ、夜明けだ。すれ違う車も、ない。わたしの運転するMAZDAは、時速60マイルで、町へ入って行く。町に入ると、スピードを30マイルまで落とした。
町は、まだ、寝静まっていた。わたしは、ゆっくりと車を走らせる。まだ薄暗い町の角に、太った人影が見えた。
それは、ケンタッキー・フライド・チキンの前に立っている人形。ミスター・カーネル・サンダースだった。
わたしは、ケンタッキーの前で、さらにスピードを落とした。ケンタッキーを、横目で眺める。
このケンタッキーは、この町に、ただ一つある全米チェーン店だ。ここには、学校の帰りに、よく寄ったものだった。クラスメイトと、他愛ないおしゃべりをした。チキンの皮をちびちびとつまんだりしながら、何時間も、しゃべったものだった。ジミーとつき合いはじめてからは、二人でよく来たものだった。ジミーの家は、養鶏場も経営しているので、チキンは、子供の頃から、嫌《いや》というほど食べさせられたという。だから、ここに来ても、フライド・ポテトばかり、食べていたものだった。
ケンタッキーを走り過ぎる。
しばらく行くと、小さなショッピング・モールがある。まん中に、二〇台ほど駐車できるパーキング・スペースがあり、その周囲を、ぐるりと店が囲んでいる。この中にあるブティックは、わたしのお気に入りだった。セールの時期になると、よく来たものだった。
さらに、ゆっくりと車を走らせる。
町並みが、殆《ほとん》ど変わっていない……。時間が止まってしまったような町のたたずまい……。わたしは、そんなメイン・ストリートを、ゆっくりと走り抜けていく。
町を抜ける。さらに、走りつづける。あたりに、店や家が少なくなる。やがて、完全になくなる。左右が、草っ原になった。
2マイルほど走った所で、わたしは、車のスピードを落とした。そろそろ、線路が近づいてくる。
野原の中。わたしは、車を道の右側に寄せて駐《と》めた。エンジンを切った。ゆっくりと、車をおりた。
夜明けの空気を、胸に吸い込む。冷やしたミネラル・ウォーターのような空気を、胸一杯に吸い込んだ。
あたりの風景を眺めた。
美しいカリフォルニアの夜明けだった。空は、朝焼けに染まっている。雲の下側が、熟した桃のような色になっている。あたりの野原からは、湿った土と草の香りが漂っていた。
わたしは、歩きはじめた。ゆっくりと、歩きはじめた。アスファルトの道路。ハイヒールの音が、かすかに響く。
四〇メートルも行くと、線路がある。道路と線路が交叉《こうさ》する所だ。といっても、線路は、ただの廃線だ。いまは、ただ、錆《さ》びた線路があるだけだ。
わたしは、線路を歩きはじめた。錆びた線路の間を、ゆっくりと歩きはじめた。足もとは、枕木《まくらぎ》。そして、枕木の下には、小石が敷きつめてあった。ハイヒールでは、歩きづらい。何度か、足をひねりそうになった。
かまうものか。
わたしは、まず、左足のハイヒールを脱いだ。それを、わきの野原に、ぽーんと放った。一秒後、
「いて!」
という声がした。
わたしは、驚いて、そっちを見た。野原の草の間から、立ち上がる人影……。それは、ジミーだった。ジーンズに、トレーナー姿。片手に、わたしの投げたハイヒールを持っている。
「ジミー……」
わたしは、思わず、つぶやいた。
「驚いた……」
「オレの方が、もっと驚いたぜ。しかも、頭の上から靴が降ってくるしな……」
ジミーは言った。
「ごめん。でも……まさか、そんな所に人がいるとは思わなくて……」
「そう……。あなたも、深夜映画、観《み》たんだ……」
わたしは言った。ジミーは、うなずいた。
「ああ……観たよ、〈スタンド・バイ・ミー〉。そしたら、ベッドに入っても、眠れなくなっちゃってさ……。ハイスクール時代の事なんか、思い出しちゃってな……」
「で、ここへ?……」
ジミーは、うなずいた。
「そこの草っ原に寝っ転がって、朝が明けてくるのを眺めてたわけさ。そしたら、ハイヒールが降ってきた」
とジミー。
「そうだったの……」
わたしとジミーは、線路の上を、ゆっくりと歩いていた。わたしは、両方のハイヒールを脱いで、それを片手に持っていた。バランスをとりながら、線路の上を歩いていた。
もう一本の線路の上を、ジミーが歩いていた。空が、しだいに明るくなっていく。空の明るさをうけて、線路は、にぶく光って見えた。
黙っていたジミーが、ぽつりと言った。
「疲れた顔、してるぜ」
わたしは、うなずいた。
「ちょっと疲れてる。夜中過ぎまで仕事してたから……」
と言った。
「……女でも、そんな時間まで仕事させるのか……」
「まあ、時どき、あるわ。新聞社だから」
わたしは答えた。ジミーは、しばらく、何か考えている様子だった。やがて、思い切って、という感じで、口を開いた。
「帰って来いよ、ヨーコ」
と言った。わたしは、ふと、足を止めた。
「そんな、きついロスでの生活やめちゃって、町に帰って来いよ。で、オレと結婚する。この町で、子供を育てるってのも、悪くないと思うぜ」
ジミーは言った。わたしは、かすかに、うなずいた。
「……それはそれで、確かに、悪くないと思うわ。でも……」
「でも?……」
とジミー。わたしは、一〇秒ほど無言でいた。そして、
「……たぶん、町には戻らないわ……」
と言った。
「戻らない……。どうして?」
ジミーが訊《き》いた。わたしは、また三〇秒ほど無言でいた。ジミーに、どう説明したらいいか、考えていた。
この町に走って来る車の中で、そして、いまさっきまで、ずっと、考えていた事を、頭の中で整理した。それは、簡単に言ってしまうと、こういう事だ。
確かに、この町で暮らすのは、ひとつの生き方だろう。経済的に安定したジミーと結婚する。そして、ジミーの子供を育てる。この小さく平和な町で、子供を育てながら、静かに暮らしていく……。それはそれで、ひとつの生き方だろう。
けれど、六年前、ロスの大学に進学をした時点で、わたしは、その生き方を捨てたのだ。他人からはそう見えなくても、町での平和で平凡な暮らしを、自分の中で切り捨てたのだ。
そして、ジャーナリズムの世界で仕事をするという方に、サイコロを振ったのだ。
人は、二つの生き方を同時に選ぶことは出来ない。たとえ迷っても、どちらか一つの生き方を選ばなくてはならない。
〈人は〉というのが間違っていたら、〈わたしは〉と言いかえてもいいだろう。
少くとも、わたしは、二つの生き方に、両|天秤《てんびん》をかけるような事はしたくない。〈町を出て、ジャーナリズムの仕事をする〉という方に賭《か》けたのだ。選択したのだ。
たとえ、自分が選んだ生き方が、ハードで辛《つら》いものであっても、それは、自分の責任だ。弱音《よわね》を吐いてはいけないと思う。仕事が辛いから、故郷に逃げ帰るような、ずるいまねだけは、したくない。
たまたま、きょうは疲れがたまっていた。たまたま、深夜映画で、懐しい〈スタンド・バイ・ミー〉を観《み》た。それで、ふと、息を抜きたくなったのだ。ちょっと、故郷の町の空気を吸いたくなったのだ。それだけの事だ。
わたしは、そんな事を、穏やかな口調でジミーに話した。聞き終わったジミーは、
「けど……そこまで意地を張らなくてもいいんじゃないのか……」
と言った。わたしは、静かに微笑しながら、首を横に振った。
「意地というより、プライド。自分に対するプライドかな……」
と言った。
そして、視線を移した。野原の中。レールが二本、えんえんと続いている。それは、まるで、人生を象徴しているようにも見えた。
左側のレールは、一生を町で平和に暮らす、そんな人生。
右側のレールは、町を出て、自力で生きていく生き方……。
二本のレールは、どこまで行っても、並行している。けれど、永遠に、まじわる事はないのだ。実際に、汽車のレールが決して一本にまじわる事がないように。
わたしが自分で選択した人生は、どこまでも続く。そして、この町の、平和で平凡で、ちょっと退屈な生活も、ずっと、続いていくだろう……。まるで、並行している二本のレールだ。
片側のレールの上を走っているわたしの隣りには、いつも、もう一本のレールがある。わたしはつねに、そのレールを意識しながら生活しているのだろう。
そして、自分のレールを走るのにちょっと疲れた時、一瞬、隣りのレールに飛び移ってみるのかもしれない。そこで、ふっと息抜きをしたら、また、自分のレールに戻る。そしてまた、走りつづける。わたしにとって、故郷とは、そういうものなのかもしれない。わたしは、そんな事を思った。じっと眼を細める。地平線に向かって続いている二本のレールを、見つめていた……。
「じゃ、元気で」
ジミーが言った。車に乗り込んだわたしに言った。わたしは、運転席で、微笑《ほほえ》んだ。うなずいた。
「また、疲れたら、息抜きに帰って来るわよ」
と言った。エンジンをかけた。シフト・レバーをDレンジに入れた。車のそばに立っているジミーを見た。
「じゃ……」
「また……」
わたしは、アクセルを、ゆっくりと踏み込んだ。ミラーの中で、ジミーの姿が、しだいに小さくなっていく。
町の中心部。信号機がある。まだ人気《ひとけ》のない夜明けの交叉点《こうさてん》。信号は赤だ。わたしは、車を止めた。ふと、助手席に置いた携帯電話を見た。液晶の画面。〈留守番電話にメッセージあり〉のマークがついている。わたしが車を離れている間に、メッセージが入ったのだろう。信号が青になった。わたしは、交叉点を走り過ぎる。路肩に車を駐めた。携帯電話に入っているメッセージを再生する。
〈デスクのビルだ〉という声。新聞社・社会部デスクのビルだった。〈オレゴン州で、大型の竜巻きが発生したらしい。すぐ、社に戻って来てくれ〉。メッセージは、それだけだった。わたしの心はもう、戦闘体勢に入っていた。シフト・レバーをDに。勢いよく、アクセルを踏み込んだ。窓から入る夜明けの風が、髪をはためかせる。かまわず、わたしは、車を加速させていった。
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言いだせなくて
「はい! このカット、オーケイです!」
アシスタント・ディレクターの徹《て》っちゃんが叫んだ。徹っちゃんの野太い声が、あたりに響きわたった。
ロケ現場の、ピンと張りつめた空気が、ふっとゆるんだ。スタッフや出演者たちが、ほっとした表情になった。
九月末。静岡県。その小さな海岸町。昼下がり。
テレビドラマの撮影が行なわれていた。先週からオン・エアーがはじまった、連続ドラマの撮影だ。そして、わたしが出演しているドラマでもあった。
いま、ちょうど、わたしの出番が終わったところだった。海岸沿いの道路を、男の俳優と並んで歩いていくカットだった。リハーサル、そして本番。NGが二回。三回目のテイクが、オーケイになったところだった。
「お疲れさま」
と、わたしのマネージャーの瞳《ひとみ》さん。わたしの肩に、カーディガンをかけてくれた。わたしは、
「ありがとう」
と言って、カーディガンをはおった。ふと、腕時計を見る。午後二時少し過ぎ。
「わたしの次の出番って、夕方よね……」
と瞳さんに訊《き》いた。瞳さんは、ロケの進行表を見る。
「……そうね。黄昏《たそがれ》時の撮影ね。四時半からリハーサル開始になってるわ」
と瞳さん。
「どうする? ひと休みしたいんなら、町に行って、お茶でも飲んでる?」
と訊いた。
「ひと休みしたいってわけじゃないんだけど、ちょっと行きたい所があって……」
と、わたし。
「行きたい所って、近く?」
と瞳さん。わたしは、うなずいた。
「車なら、ほんの一〇分。となり町だから……」
「そうか……。玲子ちゃん、このあたりの出身だったのよね……」
と瞳さん。車のステアリングを握って言った。わたしは、助手席で、うなずいた。瞳さんが運転するヴォルヴォは、県道を西へ走っていた。
やがて、車は、となり町へ入って行く。わたしが、高校三年まで過ごした海岸町へ、入って行く。わたしは、
「あ、そこのガソリン・スタンドの角を左へ曲がって」
と言った。瞳さんは、ステアリングを左へ切った。車は、町のメイン・ストリートを、ゆっくりと走る。メイン・ストリートといっても、たいしたものではない。洋品店。靴屋。食堂。喫茶店。カラオケ屋。パチンコ屋。本屋。美容院。そんなものが、点在しているだけだ。しかも、いまは平日の昼下がり。町は、陽射《ひざ》しの下で、眠ったように静まり返っている。
車は、中央通りを抜けていく。
「その郵便局の角を右へ」
わたしは言った。車は、右折。中央通りより少し狭い道に入った。
道は、ゆるい登り坂になっている。走っていくと、自転車に乗った高校生たちと、すれ違いはじめた。いまは、夏の終わり。男子生徒も半袖《はんそで》シャツ。女子生徒のセーラー服も、白い半袖だ。
下校してくる生徒たちとすれ違いながら、車は、曲がりくねった坂道を上がっていく。やがて、低い丘の上に、高校の校舎が見えてきた。わたしが卒業した高校だ。
車は、校門を入る。〈外来者用〉と描《か》かれたスペースに駐車した。
「あなたが通ってた学校?」
「そう」
わたしと瞳さんは、車をおりた。学校に入って行く。
殆《ほとん》どの生徒が下校したらしく、学校の中は静かだった。時どき、何か部活をやっている音が聞こえる。屋上から、ブラスバンドの音が、かすかに聞こえる。
わたしが、この高校を卒業してから、もう六年がたっている。けれど、何も変わっていなかった。
やがて、わたし達は、校庭の方に向かった。校庭が近づくにつれ、カキーンという音が聞こえてきた。バットでボールを打つ音……。野球部の音だった。わたしの心に、少し、さざ波が立った。
やがて、わたし達は、校庭に出た。
午後の校庭。野球部が、練習をしていた。
夏の終わりの陽射しが、校庭に降り注いでいた。このグラウンドは、丘の上にある。吹いてくる風の中に、かすかな海の匂いがした。高校から海までは、自転車で一〇分ほどだ。
わたし達は、グラウンドの周囲にはりめぐらされた金アミに、そっと、手をふれた。その向こうに拡がっているグラウンドを見た。
ユニフォームを着た部員たちが、バッティングか守備の練習をしていた。ボールを打つ音。ボールが、グラヴにおさまる音。そして、部員たちの声。グラウンドには、活気が溢《あふ》れていた。
そんなグラウンドの向こう側。ベンチに、若い男が腰かけていた。選手たちと同じユニフォームを着て、選手に指示を与えている。
それは、裕一郎だった。
わたしは、選手たちにテキパキと指示を与えている裕一郎を、じっと見つめた……。
わたしと裕一郎は、高校の三年間、同級生だった。お互いの家が近いこともあって、わりと仲のいいクラスメイトだった。
裕一郎は、野球ひと筋の高校生だった。一年生から、レギュラー選手になった。友達の話によると、相当な速球投手で、バッターとしても、かなりのものだという。
うちの野球部は、甲子園に行けるほどのレベルではなかった。けれど、県大会では、いい線までいく事はあったようだ。
とにかく、裕一郎は、高校に入学した時、すでに、野球に熱中していた。そんな裕一郎に、わたしが好意を持ちはじめたのは、高一の夏だった。正確に言うと、夏休みだ。
夏休みのある日。わたしは、入っていた華道部の活動で、学校に行ったのだ。部活が終わって、帰ろうとした。学校の自転車置き場に歩きかけて、ふと、足を止めた。
グラウンドでは、野球部が練習をしていた。わたしは、何気なく、立ち止まり、グラウンドを眺めた。
グラウンドでは、いつものように、部員たちが練習をしていた。すでに、甲子園は終わっていた。
うちの野球部は、静岡県の予選、三回戦で敗れ去っていた。そのせいもあってか、みな、わりと、のんびりした雰囲気で練習をしていた。
そんなグラウンドの片すみ。裕一郎が、ひとり、バッティングの練習をしていた。バットを握って、素振りをやっていた。
県の予選。裕一郎は、ピッチャーとして、合計一六イニングを投げた。かなりいいピッチングで、相手の打線を押さえた。
けれど、バッティングの方は、いまひとつだった。ピッチャーとしては珍しく、五番打者だった。それなのに、三試合で、合計二安打で終わってしまった。
内野フライや平凡なゴロで終わってしまった時、裕一郎は、あきらかに、納得のいかない表情をしていた。
ただ、ヒットを打てなくて、くやしい、というのとは少し違う。自分のバッティングに、自分で納得がいかない……。そんな表情が、スタンドで応援しているわたしにも、わかった。
そして、いま、裕一郎は、素振りをくり返していた。一回バットを振るごとに、首をかしげる。あるいは、うなずく。そんなふうにして、黙々とバッティングの練習をしていた。
額《ひたい》や首筋に、汗が流れる。真夏の陽射しに光る。そんな汗をぬぐおうともせず、裕一郎は、バットを振りつづけていた。わたしは、その姿を、じっと見つめていた。
漫画のワン・シーンのようだけれど、黙々とバットを振っている裕一郎の姿に、わたしの胸は、熱くなりはじめていた。
いくら静岡県の田舎町でも、若い子たちの楽しみは、都会化していた。男子生徒の殆どが、ファミコンのゲームにはまっていた。話すことといえば、ゲームの事ばかりだった。
逆に、髪を茶色に染めて、自慢げに煙草を吸っている連中もいた。彼等の話題の殆どが、アイドル・タレントのことだった。
そんな周囲の男の子たちと、裕一郎は、はっきりと違っていた。わたしには、特別に光って見えた。
それ以来、わたしの心の中で裕一郎の存在は、大きなものになっていった。教室にいても、放課後のグラウンドでも、彼の姿を見ると、ちょっと胸苦しくなるのだった。恋だ。
けれど、告白できずに、月日は過ぎていった。
当時のわたしは、どちらかというと、内気な少女だったのだ。身長は、普通より少し高かった。けれど、平凡で、目立たない娘《こ》だった。
そして、裕一郎に、なんの告白もできないまま、高校の卒業が近づいてきた……。
あれは、卒業式まで、あと一週間という日のことだった。
わたしと裕一郎は、下校の時、一緒になった。たまたま、帰る方向が同じなので、並んで自転車を押しながら、歩きはじめた。歩きながら、ぽつり、ぽつりと言葉をかわした。
三月後半なのに、いやに寒い日だった。もともと、静岡県は温暖な土地だ。けれど、その日は、寒かった。曇り空から、小雪がちらついていた。
自転車を押しながら、裕一郎が、ぼそっと言った。
「山崎……東京に行っちゃうんだな……」
と言った。わたしの名前は、山崎玲子という。
裕一郎の言う通り、わたしの家は、東京に引っ越すことになっていた。父が転勤するのだ。卒業式の三日後には、東京に引っ越すことになっていた。
わたしの目の前。雪が一粒、花びらのようにフワリと落ちていった。
わたしは、息苦しさを感じていた。せめて、ひとことでも、自分の気持ちを、裕一郎に伝えたかった。言葉に出したから、どうなるという事ではないのかもしれない。それでも、ひと言、自分の気持ちを伝えたかった。
けれど、言い出せなかった。そのひとことが、言い出せなかった……。
やがて、薬局のある分かれ道に来てしまった。わたしの家は、左に曲がる。裕一郎の家は、右だ。彼の家は、地元では大きめの工務店をやっている。
わたしと裕一郎は、お互いを見た。
「……それじゃ、東京に行っても、元気で……」
と裕一郎。わたしは、うなずいた。
「……ありがとう……。じゃ、ね」
とだけ言った。わたしと裕一郎は、左と右に分かれた。小雪の中。わたしは、無言で、自転車を押していった。
わたしは、東京の大学に進学した。
それを機会に、それまでかけていた眼鏡をやめた。コンタクト・レンズにした。それだけでも、ずいぶん、世界が変わったように思えた。自然に、服やアクセサリーにも、気を使うようになった。いろんなスポーツをやるサークルに入った。
そして、大学二年の秋。友達におだてられて出場した、〈ミス・キャンパス〉のコンテストで、優勝してしまった。
それが、人生のターニング・ポイントだった。ミス・キャンパスになったわたしに、いまの事務所がスカウトにやって来たのだ。来たのは、いま、わたしのマネージャーをやってくれている瞳さんだった。その世界の人らしくない、落ち着いた話し方だった。
半分は好奇心で、わたしは、カメラの前に立つ仕事をやってみる決心をした。
まず、雑誌のモデルからはじまった。少しずつ、カメラの前に立つ回数が増えていった。
そうして仕事をしているうちに、わたしは気づいた。内気だった自分が、変わりはじめているのに、気づいた。もしかしたら、わたしの中に眠っていた何かが、目覚めたのかもしれなかった。
雑誌のモデルから、CMのモデルへ……。仕事は順調に拡がっていった。そして、一年後、大手アパレル・メーカーのキャンペーン・ガールに起用されてしまった。
そうなると、つぎに待っているのは、女優への道だ。
わたしは、演技、発声の基礎トレーニングをうけながら、同時進行で、テレビドラマに出演するようになった。
ドラマに出演するたびに、出番は増えていった。台詞《せりふ》も、増えていった。雑誌などでも、〈今年の注目株〉の一人として紹介されるようになった。
そして、今回の連続ドラマ。これまでになく、出番が多い。台詞も多い。主役ではないけれど、それにつぐ、かなり重要な役なのだ。
わたしは、そんなことを思い返しながら、瞳さんと一緒に、野球部の練習を眺めていた。裕一郎は、高校生の部員たちにキビキビとした指示を出している。ネットのこっち側にいるわたしには気づかない。
彼は、高校を卒業後、地元にとどまった。父親が経営している工務店で仕事をしている。三年ほど前から、母校の野球部の監督をつとめている。
その事は、地元にとどまっている友人から聞いていた。
わたしは、熱心に練習をリードしている裕一郎を、じっと、眺めていた。その時、一人の女性が、裕一郎の方に近づいていくのが見えた。缶入りの飲み物がたくさん入ったビニール袋を持って、裕一郎の方に歩いていく。
それは、啓子だった。高校ではわたしや裕一郎と同学年だった。当時から、野球部のマネージャーをやっていた。明るく活発な性格の娘《こ》だった。高校を卒業後、地元の信用金庫に勤めた。
裕一郎と啓子が、近々、結婚するらしい。そのために、啓子は勤めをやめた。そんな事も、友人から知らされていた。
裕一郎と啓子は、グラウンドすみのベンチに並んで腰かける。何か飲みながら、楽しそうに話している。
わたしは、となりにいる瞳さんに、
「そろそろ、戻りましょう」
と言った。瞳さんは、うなずいた。
わたし達は、駐《と》めてある車に、ゆっくりと歩く。歩きながら、ふと思った。
あと一、二時間後。テレビドラマの撮影。その中で、わたしは、相手役の男性タレントに、〈あなたが大好きよ〉と言うのだ。
撮影でなら何百回でも言える、その言葉が、本当の人生では、なぜ、言えなかったのだろう……。
そして、もし、あの時、そのひとことが言えていたら、わたしの人生は、変わっていたのだろうか……。
わたしは、ゆっくりと歩きながら、その事を考えていた。
やがて、駐めてあるヴォルヴォが近づいてきた。瞳さんが、車のロックをはずす。わたしは、車のドアに手をかけた。一度だけ、ふり向いた。見上げた。
校舎の二階。窓ガラスに、遅い午後の陽が照り返している。その窓は、わたしと裕一郎がいた三年C組の教室だった……。
わたしは、眼を細め、じっと、その窓を見つめた。風景を、心の中にやきつけた。そして、車に乗り込んだ。
車が、ゆっくりと動きはじめた。校舎が、ミラーの中で、遠ざかっていく……。
瞳さんは大人だから、何も言わず、車のステアリングを握っている。車が、県道まで戻ったところで、口を開いた。
「そうそう。後で見せようと思ったんだけど、ファンレターが山ほどきてるわよ」
瞳さんは言った。後ろのシートを、ちょっと指さした。わたしは、ふり返って見た。確かに、車のリア・シートには、大きめのダンボール箱が置かれていた。
「つぎの目標は、NHKの大河ドラマね」
瞳さんが、明るい口調で言った。わたしは、うなずいた。ゆっくりと、けれど、はっきりと、うなずいた。
「……がんばるわ」
と言った。生まれ育った町が、ミラーの中で、小さくなっていく……。わたしは、唇を結び、じっと前を見ていた。二度と、ふり返らなかった。
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三つ編み物語
ジャーッ!
ふいに、リールが、すごい音をたてはじめた。激しく回転して、|釣り糸《ライン》が引き出されはじめた。キャプテンのマイクが、ふり向き、
「ヒット! 魚が、かかった!」
と叫んだ。船の一五〇メートルぐらい後ろ。カジキが、ジャンプした。黒みがかった青い背。銀色の腹。ブルー・マーリンだ。
約300ポンド(一三六キロ)と、わたしは見た。
ハワイ。オアフ島の沖、10|海里《マイル》。
わたしがクルーとして乗り込んでいるチャーター・ボート〈ラッキー・バード〉は、お客を乗せて、沖をトローリングしている所だった。
いまは、七月中旬。オアフ島の沖にも、カジキや五〇キロをこすマグロなどの大物が回遊してくるシーズンだった。
ケワロ港《ベイスン》を出て、沖へ走る。ルアーを流しはじめて約二時間。カジキが、ヒットしたのだ。
わたしは、急いで、ほかのルアーを海から引き上げる。
この船では、四本のしかけを流している。カジキがヒットしたのは、その中の一本。左舷《さげん》側に流している、アウト・リガー・ロング。この船では、〈|四 番《ナンバーフオー》〉と呼ばれているしかけだ。
わたしは、残る三本のしかけを、す早く巻き上げた。
白人の釣り客は、もう、ファイティング・チェアーに座っている。
カジキが|釣り糸《ライン》を引き出すスピードが、落ちてきた。ファースト・ラン、つまり最初のひと走りは、そろそろ止まろうとしている。
わたしは、|船べり《ガンネル》のロッド・ホルダーから、|釣り竿《ロツド》を引き抜く。力を込めて、80ポンド用のロッドを引き抜く。ファイティング・チェアーの方に持っていく。釣り客のおじさんに渡した。
そして、ハーネスをセット。ファイトの体勢に入った。
そのとたん、また、カジキが走りはじめた。激しい勢いで、リールからラインが引き出されはじめた。リールに巻かれている80ポンド・ラインが、どんどん引き出されていく。リールのラインが減っていく。
釣り客のおじさんは、あせった。あせって、リールのドラグ・レバーを押し込んだ。ドラグを強くして、激しく引き出されるラインを止めようとしたのだ。
〈ダメ!〉
わたしが、心の中で叫んだとたんだった。大きく曲がっていた|釣り竿《ロツド》が、スッと、まっすぐに戻ってしまった。
ライン・ブレイク。|釣り糸《ライン》が切れたのだ。
こういう|大物釣り《ビツグ・ゲーム》の場合、リールのドラグは、かなり厳密にセットする。たとえば、|釣り糸《ライン》が、九キロの力で引っぱられた時、リールのドラグが滑って、ラインが出ていく……そんなふうに、あらかじめ正確に計測して、セットしてあるのだ。
それだけシビアに決めてセットしてあるリールのドラグを、急に上げたら、いとも簡単に、ラインは切れることになる。
キャプテンのマイクは、カジキを逃がして、くやしそうな表情をしている。
けれど、ミスをしたお客に、文句を言うわけにはいかない。マイクは、わたしを見て、
「頼むよ、ジェニー」
と言った。
わたしは、うなずいた。先端の方で切れてしまったしかけを回収する。また、しかけをつくり直しはじめた。
|大物釣り《ビツグ・ゲーム》の場合、必ず〈ダブル・ライン〉というシステムを使う。
ルアーに近い方、つまり、一番テンションがかかる部分の|釣り糸《ライン》を、二重にする。文字通り、〈ダブル〉にして強化するのだ。
ラインの先の方、何メートルか、二重《ダブル》にする。その二重にしたラインの結び目は、三つ編みにする。
〈ダブル・ライン〉の結び目は、いくつかの結び方がある。けれど、この三つ編みが、一番、強度が強いとされている。
揺れる船の上。わたしは、80ポンド・テストの|釣り糸《ライン》を、三つ編みにしていく……。
ものの一分たらずで、一五センチほどの細かい三つ編みが完成した。それを見ていたキャプテンのマイクが、
「あい変わらず、手ぎわがいいな」
と感心している。
「慣れよ」
わたしは言った。しかけの先に、新しいルアーをつける。そうして手を動かしながら、ふと、思い出していた。
わたしのフル・ネームは、ジェニー・トモエ・ヨシザワ。ハワイで生まれ育った日系五世だ。
わたしには、親友がいた。ヒロコ・アオキ。わたしと同じ、ハワイで生まれ育った日系人だ。
わたしとヒロコは、年齢《とし》が同じだった。そして、家が近かった。ホノルル郊外のカイムキという住宅地に育った。カイムキは、日系人の多い地域だ。
わたしとヒロコは、四、五歳の頃から、友達だった。六、七歳になると、二人でローラー・スケートで、近所を走り回った。一〇歳ぐらいになると、二人とも自転車で行動するようになった。
わたし達は、ともに、ジャジャ馬娘だった。近所の大人たちに言わせると、〈悪ガキ〉ということになる。
まあ、確かに、いろいろな悪さは、やった。
留守中の家の庭に入って、そこのプールで勝手に泳いだ。家の人が帰ってきて、追い出されたりもした。
近所の家の壁に、チョークで、いたずら描《が》きをして回った。
よその家の庭に入り、そこになっているパパイヤの実を、もいだ。正確に言うと、盗んだのだ。
男の子とも、よく、ケンカをした。けど、たいていは勝った。一〇歳ぐらいだと、同じ年齢《とし》の男の子より、わたし達の方が、体が大きいのだ。
おまけに、わたし達は、とびきりのオテンバ娘だった。ケンカすると、泣きながら帰って行くのは、たいてい男の子たちだった。
その頃のわたし達の姿は、心の中のアルバムに、しっかりと貼《は》りつけてある。
わたしは、ショートカット。ヒロコは、髪をのばして、後ろで束ねていた。それ以外は、双子のようによく似た姿だった。
日系人なので、瞳は黒い。毎日のように外で遊んでいるので、顔も、腕も、脚《あし》も、チョコレート色に灼《や》けている。ひょろりと長い手と脚。だぶだぶのTシャツ(よく、どこかが破れている)。ショートパンツ。すり切れかかったゴムゾウリ。そして、いつも、顔や体のどこかには、バンドエイドが貼ってあった。それが、一〇歳頃までのわたしとヒロコだった。
ティーンエイジャーになってからは、よく、学校をさぼった。二人とも、勉強が嫌いだったのだ。外で走り回るのが好きだった。
ヒロコは、その頃から、サーフィンに熱中しはじめていた。スワップ・ミートで中古のボードを買い、毎日のように、サーフィンをしに行った。
サーフ・ボードを持って海に向かう前、ヒロコが必ず、わたしに頼むことがあった。それは、三つ編みだった。
ヒロコの髪は、サラサラとしたストレート・ヘアーだった。きれいな黒髪だった。彼女は、その髪を、ショートにはしたくなかったらしい。
確か、その頃はもう、一二歳か一三歳。そろそろ、自分の容姿が気になりはじめる頃だ。
そんなわけで、ヒロコの髪は、肩より長かった。背中までかかる長さがあった。けれど、サーフィンをする時、その髪が、じゃまになるという。で、三つ編みにしてくれと、わたしに頼むのだった。
わたしは、彼女の髪を、後ろで、一本の三つ編みにしてやった。ヒロコの髪は、サラサラとした髪で、きつく三つ編みにするのには、慣れが必要だった。
けれど、毎日のようにやっていると、自然に上達するものだ。わたしは、手ぎわよく、彼女の髪を、三つ編みにしてあげた。
時には、急にいい波が立つことがある。ラジオから、そんな情報が流れる。サーファーたちは、一秒でも早く、そのポイントに行こうとする。もちろん、ヒロコも……。
そんな場合でも、わたしは、す早く、きちっと、彼女の髪を三つ編みにしてあげたものだった。彼女は、
「サンキュー!」
と、ひとこと。白い歯を見せ、親指を立てる。そして、ボードをかかえ、海に飛び出していった。
そんなティーンエイジャーの頃。わたしはわたしで、別のことに熱中しはじめていた。
釣りだ。
パパの友達が、18フィートのボートを持っていた。ボートは台車に載せて、庭に置いてある。釣りに出たいとき、台車ごと車で引っぱって、ハーバーに行くのだ。
あちこちにある小さなハーバーには、台車ごと船を水におろせるスロープがある。そうしたスタイルで、ボート・フィッシングをしている人は、ハワイには多い。パパの友達も、そんな一人だった。
ある休日。誘われるまま、わたしは、ボートで釣りに行った。
ハワイ・カイのあたりで、ボートを海に浮かべた。その沖に出た。いま思えば、30ポンド・ラインぐらいのライト・タックルで、ルアーを流した。
ルアーを流していると、あたりに、鳥が飛びはじめた。操船しているパパの友達が、
「魚がヒットするかもしれない。ヒットしたら、君が釣ってごらん」
と言って、|釣り竿《ロツド》を指さした。その二、三分後だった。ふいに、ロッドが曲がり、リールからジャーッという音が響いた。
わたしは、びっくりして、ふり向いた。船の後ろで、何か、大きな魚がジャンプしたのが見えた。
「マヒマヒ(シイラ)だ。釣ってごらん」
パパが、そう言いながら、もう一本のしかけを、巻き上げた。わたしは、マヒマヒがヒットしたロッドをつかむ。手づくりのファイティング・チェアー(のようなもの)に、腰かけた。
それから後のことは、よく覚えていない。とにかく、夢中でリールを巻いたことしか、覚えていない。
一四歳の女の子が初めてファイトするには、かなり大きい相手だった。
なにがなんだかわからないファイトの末、船に上がったのは、一五キロほどのマヒマヒだった。わたしは、汗でびっしょりだった。
それ以来、わたしは、トローリングに熱中していった。パパの友達が船を出す時は、必ず、乗った。そして、いろいろな魚を釣った。
マヒマヒ。A《ア》HI《ヒ》(キハダマグロ)。A《ア》KU《ク》(カツオ)。WA《ワ》HOO《フー》(サワラ)。などなど……。トローリングに熱中しはじめたわたしに、パパは安心しているようだった。ジャジャ馬娘が、本格的な不良娘にならないようなので、安心していたのだろう。
わたしもヒロコも、ハイスクールを卒業した。
ヒロコは、プロ・サーファーになることを決めていた。毎日、海に出ていた。トーナメントには、必ず出場していた。
わたしは、トローリングの世界に、より深く、入っていこうとしていた。
パパの友達の船は、18フィート。そうそう遠くへは出られない。釣れる魚も、せいぜい二〇キロどまりだ。
ホノルルには、ケワロ港《ベイスン》というハーバーがある。ここには、トローリングのチャーター・ボート、つまり、仕事としてトローリングをやっている船が並んでいる。
ここオアフ島では、ハワイ島のコナほど、たくさんのカジキが釣れるわけではない。けれど、ケワロ港のチャーター・ボートも、時には、大きなカジキを釣ってくる。一〇〇キロ近いA《ア》HI《ヒ》を釣ってくる事もある。
わたしは、ここのチャーター・ボートで働きたいと思った。本気だった。
岸壁に並んでいる船のキャプテンたちに、つぎつぎと交渉してみた。クルーにしてくれと……。
けれど、殆《ほとん》どが、空振りだった。女だから、というのが、理由だった。トローリング、しかも|大物釣り《ビツグ・ゲーム》は、危険をともなう。だから、女のクルーなどは使えない。キャプテンたちは、みな、そう言った。
その中で、一艇、この〈ラッキー・バード〉だけが、少し違っていた。
キャプテンのマイクは、しばらく考え、
「見習いのクルーでよかったら、試しに、乗ってみるか?」
と言ってくれたのだ。これには、後から思えば、事情があった。
その頃、〈ラッキー・バード〉のクルーをやっていたのは、ジョーという白人男だった。ジョーは、体が大きく、度胸もある男だった。けれど、細かい仕事を、あまりやりたがらない男でもあった。
魚の血で汚れた甲板《デツキ》を洗う。ハーバーに戻ったら、|釣り具《タツクル》の片づけと手入れをやる。ジョーは、そういう仕事が苦手だったのだ。
キャプテンのマイクは、そういう細かい雑用をやる手伝いとして、わたしを使ってみようと考えたらしい。
だから、マイクがわたしに言った条件は、こうだ。魚がヒットしてファイトに入ったら、危険だから、甲板《デツキ》から、上のフライ・ブリッジに上がって見物している。
仕事は、船洗い。そして、釣り道具の手入れ。それで、よかったら、とりあえず、一ヵ月、船に乗ってみてもいいと、キャプテンは言った。
わたしは、もちろん、OKした。とりあえず船に乗らなければ、はじまらない。
翌日から、わたしは、〈ラッキー・バード〉の見習いクルーになった。毎日、お客を乗せて、海に出るようになった。
あれは、わたしが〈ラッキー・バード〉に乗りはじめて二週間ほどたった日だった。
ホノルルの沖、約7|海里《マイル》。大きいA《ア》HI《ヒ》がヒットした。けれど、ファイトに入って五分ほどで、ライン・ブレイクしてしまった。
「早く、しかけをつくり直せ!」
舵《かじ》を握っているマイクが、甲板《デツキ》にいるジョーに叫んだ。A《ア》HI《ヒ》、つまりマグロは、群れで回遊している。
一度、A《ア》HI《ヒ》がヒットしたら、そのあたりに、同じ大きさのA《ア》HI《ヒ》が何匹も回遊している可能性が高いのだ。
クルーのジョーは、急いでダブル・ラインをつくり直そうとしている。けれど、ジョーは、あまり手先が器用ではない。もたもたしていて、なかなか、ダブル・ラインをつくれない。
「急げ! 群れがいなくなっちまうぞ!」
キャプテンのマイクが叫んだ。その時、
「わたしにやらせて!」
言うなり、わたしは、甲板《デツキ》におりていた。
「出来るのか?」
と訊《き》くジョー。
「まかせて」
わたしは言った。もう、ダブル・ラインを組みはじめていた。三つ編みを、はじめていた。三つ編みで組むダブル・ラインは、すでに、18フィートの船で経験ずみだ。ものの一分で、三つ編みで組んだダブル・ラインが、出来上がった。
一分間できれいに出来た三つ編みのダブル・ラインを見て、ジョーも、キャプテンのマイクも、驚いた表情をしている。一分というす早さは、いつも、ヒロコの髪を急いで三つ編みにしていた経験のおかげだ。わたしは、
「早く、ルアーを流して!」
と言った。ジョーが、はっとわれに返って、ルアーをセットしはじめる。
それから三〇分の間に、〈ラッキー・バード〉は、二本のA《ア》HI《ヒ》をヒットさせ、釣り上げた。A《ア》HI《ヒ》の一本は、152ポンド(約六八キロ)、もう一本は、160ポンド(約七二キロ)あった。お客は、大喜びだ。
その日、夕方。ケワロ港《ベイスン》。お客が下船し、わたしは船の甲板《デツキ》洗いを終えた。帰ろうとするわたしの肩を、キャプテンのマイクが、ポンと叩《たた》いた。
「今日は、よくやった」
と言った。そして、マイクは、しばらく考えている。やがて、
「……もしよかったら、本格的に、デッキ・ハンドのトレーニングをしてみるか?」
と言ってくれた。ハワイでは、甲板《デツキ》でトローリングのさまざまな仕事をするプロを〈デッキ・ハンド〉と呼んでいる。
わたしは、もちろん、首を縦に振った。
翌日から、〈ラッキー・バード〉の船上で、わたしのトレーニングがはじまった。
ジョーは、後輩のわたしに、よく教えてくれた。
大物トローリング、しかも相手がカジキの場合、最も緊張するのが、魚を取り込む時だ。危険も大きい。バラしてしまう事も多いのが、取り込みの時だ。
カジキの口にかかっているルアー。そこから、五、六メートルは、すごく太いリーダーと呼ばれるラインが使われている。
カジキを船の近くまで寄せたら、デッキ・ハンドは、皮のグラヴをはめて、そのリーダーを手に巻く。そして、カジキを、引き寄せてくるのだ。この瞬間、最も危険が大きい。カジキが急にジャンプする事もある。急に、すごい勢いで下に潜る事もある。
デッキ・ハンドは、いつでも、手に巻いたリーダーをはなせるようにして、カジキを引き寄せてくるのだ。慎重に……魚の動きから目を離さずに……重いカジキを、引き寄せてくるのだ。
ジョーが教えてくれた、リーダーを取る基本練習。それは、コンクリート・ブロックを使うやり方だった。
コンクリート・ブロックにロープを巻く。そこに、リーダーを結びつけ、引き上げるのだ。泳いでいるカジキを引き寄せてくる重さは、コンクリート・ブロック一個を引き上げる重さに近いのだという。
お客のいない休みの日。わたしは、港の岸壁で、リーダーを取る練習をはじめた。
リーダーを結びつけたコンクリート・ブロック。皮のリーダー・グラヴをはめ、それを、引き上げるのだ。
誰もいない岸壁。わたしは、何回も何回も、リーダーを取る練習をくり返していた……。汗が吹き出るのもかまわずに。
六月の末だった。〈ラッキー・バード〉が、バーバーズ岬《ポイント》の沖を流していると、カジキがヒットした。あまり大きくないブルー・マーリンだった。
アングラーが慣れている客なので、約三〇分で、カジキは、船に寄せられてきた。ジョーが、わたしに、
「リーダーを取ってみろ」
と言った。わたしは、うなずいた。皮のリーダー・グラヴを、両手にはめた。近づいてくるカジキ。大きな鎌《かま》のような尾ビレが、水面に出ている。ダブル・ラインが、水中から出てきた。|釣り竿《ロツド》のガイドに入っていく。そして、その先には、リーダー……。
水中に、カジキの影が、黒々と大きい。わたしは、〈落ち着いて〉と、自分に言いきかせる。手をのばし、リーダーをつかんだ。慎重に……。けれど、断固として力をゆるめずに、リーダーをたぐっていく……。
やがて、カジキの背が、水面に現われた。と思ったとたん、ジョーが、フライ・ギャフを、カジキの魚体にかけていた。上のフライ・ブリッジで、キャプテンのマイクが、
「WOW!」
と叫んだ。勝負は、ついたのだ。
その時、釣り上げたブルー・マーリンは、ハーバーで測ると、220ポンド(約九九キロ)だった。デッキ・ハンドとして、わたしがリーダーを取った、ファースト・マーリンだった。その夜は、マイクとジョーが、シャンパンで祝ってくれた。わたしも、どうやら、一人前のデッキ・ハンドとして、認められはじめたようだ。
その一年後。ジョーが、マウイに帰ることになった。ジョーの故郷は、マウイなのだ。マウイで暮らしている母親が、体をこわしてしまったらしい。ジョーは、ラハイナ港《ハーバー》のチャーター・ボートで、デッキ・ハンドの仕事をやりながら、お母さんの面倒を見るという。
ジョーがいなくなっても、マイクは、新しいデッキ・ハンドを雇わなかった。わたし一人がいれば充分だと判断したのだろう。わたしも、もう、完全に一人前だと、自分で思えるようになっていた。
そうして、わたしが、トローリング・ボートの仕事をはじめてからも、ヒロコとは、よく会った。
正確に言うと、毎日のように会った。
チャーター・ボートの仕事は、必ず夕方には終わる。ヒロコのサーフィンも、夕方には終わる。
黄昏《たそがれ》のアラ・モアナ公園。わたしとヒロコは、毎日のように夕陽の海を眺めながら、ビールを飲んだ。
わたしが船から持ち帰った魚をサシミにして、それを食べながら、ビールを飲んだ。その日、一日の出来事を話した。
わたしとヒロコは、少女時代と変わらず、ジョークを言い、笑い合った。時には、ちょっと深刻な相談にのったりもした。ボーイフレンドのことも、相談したり、意見を言い合ったりした。
そうしてビールを飲んでいると、ナンパしにくる男たちもいた。わたしと彼女は、そんな男をからかって追い払った。いくつになっても、わたし達は、悪友のジャジャ馬娘だった。
それは、水曜日だった。
〈ラッキー・バード〉は、いつも通り、トローリング客を乗せて、ケワロ港《ベイスン》から出た。トローリング客は、観光客らしい日本人三人だった。
沖に向かうと、いつもより、うねりが大きいのがわかった。オアフ島の南海岸《サウス・シヨア》に、大きなうねりが打ち寄せているらしい。キャプテンのマイクが、舵《かじ》を握ったまま、
「ビッグ・ウエンズディだな……」
と言った。その言葉で思い出した。きょう、オアフの南側、ダイアモンド・ヘッドにあるポイントで、サーフィンの大会が開かれている。ヒロコも、出場している。早朝の六時。彼女が車に乗る前に、髪を三つ編みにしてあげた。わたしは、ちょっと心配になった。
けれど、それどころではなかった。船の揺れに慣れないお客の世話で、大変だった。
昼過ぎ。A《ア》KU《ク》を四本釣ったところで、お客のうちの二人が、ひどい船酔いになってしまった。お客たちの希望で、帰港することにした。
午後二時過ぎ。お客をおろし、わたしは、船の甲板《デツキ》を洗っていた。ラジオをつけながら、デッキ・ブラシを使っていた。
ラジオが、ローカル・ニュースを流しはじめた。わたしは、何気なく聞いていた。ニュースの二つ目。
〈ダイアモンド・ヘッドで行なわれているサーフィン大会で、事故。現在、女性サーファーが一人、行方不明で、捜索中〉
と、アナウンサーが言った。胸さわぎがした。わたしは、自分の携帯電話を取った。ヒロコの携帯にかけてみた。
五回目のコールで、誰か出た。男の声だった。わたしが何か言う前に、
「君は?」
と訊《き》いてきた。
「あの、ヒロコ・アオキの友達だけど」
「私は、大会役員の者だ。ヒロコ・アオキは、いま、行方不明で、捜索中だ」
緊迫した口調が、携帯から響いた。わたしの頭の中が、まっ白になった。とにかく、マイクに簡単にわけを話す。船洗いを中止する。自分の車に走った。
ダイアモンド・ヘッドのポイントに近づくと、すでに、低空で旋回しているヘリが見えた。沿岸警備隊《コースト・ガード》のヘリだ。
わたしは、海岸に出た。まず目に入ったのは、押し寄せる波の高さだった。このポイントで、これほどの波は、見たことがない……。
サーファーも、みな、海から上がっている。沖の方を見ている。ヘリが、ぐるぐると低空で旋回している。
わたしは、大会本部に駆けて行った。主催者らしい一人をつかまえて、何があったのか、問いつめた。
わかった事は、こうだ。大会の最中、出場していたヒロコは、大きな波でワイプアウトした。波に巻かれた。その時、体とサーフボードをつなぐショック・コードがちぎれたらしい。そして、ヒロコの姿は、見えなくなったという。
状況からすると、波に巻かれたヒロコは、海底に叩《たた》きつけられた可能性もあるという。サーファーが命を落とす、一番多いケースだ。
わたしは、ほかのサーファーやギャラリーと同じように、押し寄せる波と、ヘリを見つめているしか、なかった。波乗りのポイントには、たいてい、沖に向かうカレント、つまり早くて強い潮の流れがある。ダメージをうけたサーファーがカレントにのみ込まれると、どんどん沖に流されてしまう場合もある。わたしは、両手を握りしめて、海を見つめていた。
その日、暗くなるまで捜索はつづいた。けれど、ヒロコは、発見されなかった。翌日は、波が少し小さくなった。夜明けから、沿岸警備隊《コースト・ガード》の救助|艇《てい》とヘリが出て捜索はつづいた。わたしは、夜明けから、それを見守っていた。けれど、ヒロコは発見されなかった。
三日間、沿岸警備隊《コースト・ガード》、大会開催者、地元のサーフィン仲間たちによる捜索がつづいた。けれど、何も発見されなかった。沿岸警備隊《コースト・ガード》や大会関係者は、三日間で捜索を断念した。サーフィン仲間たちも、五日間で、捜索をあきらめた。
ヒロコは、海に還《かえ》ったのだ……。
思い出を破るように、また、リールが鳴った。けれど、リールが鳴る勢いが弱い。これは、カジキではない。お客が、ファイトに入る。約一〇分のファイトの末、上がってきたのは、50ポンド(約二二キロ)ほどのA《ア》HI《ヒ》だった。そろそろ、ストップ・フィッシングの時間が近づいてきていた。
〈ラッキー・バード〉は、ケワロ港《ベイスン》に帰った。釣り客のおじさんは、上機嫌で船からおりていった。
わたしは、船の後片づけをする。デッキ・ブラシで甲板を洗った。そして、使った|釣り道具《タツクル》を、点検する。特に、|釣り糸《ライン》をチェックしていく。
最後にA《ア》HI《ヒ》を釣ったしかけ。そのダブル・ラインが、かすかに傷ついている。マグロの硬いヒレか何かが、ラインを傷つけたのだろう。
わたしは、ダブル・ラインの部分を切り捨てた。新しく、ダブル・ラインを組みなおしはじめた。
黄昏《たそがれ》のハーバー。わたしは、ゆっくりと、ラインを三つ編みにしていく。半透明のグリーンの釣り糸を、三つ編みにしていく……。
そうしていると、やはり、ヒロコのことを思い出してしまう。
彼女の死から、もう、二年近くが過ぎようとしていた。それでも、船で沖に出ようとすると、海の上のサーファーたちを見かける。その中に、ヒロコがいるような気がする。ボードにまたがって波待ちをしている彼女が、こっちに笑顔で手を振っているような気がしてしまう……。
そんなふうにして過ぎていった二年だった。わたしの心の整理は、少しずつ、つきはじめているようだ。彼女の死を、ゆっくりと、静かに、受けとめられるように、なりはじめていた。
もちろん、ヒロコのいない淋しさは限りない。けれど……二〇年もの間、心の底から信頼できる友を持てた、その事は、なんと幸せなことだったのか……。
いまは、そういう思いの方が、悲しみより、大きくなりはじめているようだった。
やがて、三つ編みが完成した。キャプテンのマイクが、わたしの肩を叩いた。
「明日も、よろしく頼むぜ」
と言った。わたしは、うなずいた。
出来上がったナイロン糸の三つ編みは、夕陽をうけて美しく光っていた。わたしは、それに、そっと触れてみる。そして、心の中で、つぶやいた。ヒロコに向かって、つぶやいた。
〈明日も……あんたの分まで、潮風を吸ってくるわ……〉
と、つぶやいた。
船から、岸壁に上がる。ゆっくりと、歩きはじめた。黄昏の涼しい風が、ケワロのハーバーを吹いていく……。わたしのTシャツの袖《そで》が、風に揺れている。船のアウト・リガーにかかげられている白いA《ア》HI《ヒ》フラッグも、風に揺れている。わたしは眼を細め、揺れている旗を眺めた。そしてまた、自分の車に向かって歩きはじめた。
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たとえ、すべてを失《な》くしても
「今月いっぱいで、辞《や》めさせていただきます」
わたしは言った。きっぱりと、部長に向かって言った。辞表を、部長のデスクに、トンと置いた。
東京。青山にある広告代理店。その三階にある制作部だ。
そこにいる全員が、わたしと部長を見ていた。部長は、一瞬、ぽかんとした表情。口を半開きにしている。メタル・フレームの眼鏡の奥。眼が、ピンポン玉のように、丸くなっている。
「や……辞めるって……」
「本気です」
わたしは言った。蚊《か》を叩《たた》くように、ピシャリと言った。
わたしは、東京の杉並区に生まれ育った。父は、サラリーマンだ。わたしは、区立中学を出て、都立高校に進学した。
中学、高校と、ごく普通の女の子だった。ぐれてヤンキーになりはしなかった。といっても、わりに気が強い方なので、いじめにあったりもしなかった。
ただ、本を読むのは好きだった。クラスメイトの娘《こ》たちが少女漫画を読んでいる時、わたしは、小説やエッセイを読んでいた覚えがある。
それは、わたしが高校三年の秋だった。土曜日の午後。電車で買い物に行った。山手線の駅を、おりた。駅のホーム。壁に、ポスターが、ずらりと貼《は》られていた。(いま思えば、ほとんどB倍版のポスターだった)
何気なくホームを歩いていたわたしの眼が、一枚のポスターに止まった。そして、クギづけになった。
カメラ会社のポスターだった。新発売される一眼レフの広告だった。一人の少女が、モノクロ写真で、そこにいた。そして、その写真の下に、一行のコピーがあった。その一行のコピーが、わたしの胸をうった。というより、胸に突き刺さってきたようなショックだった。
これまで、どんな小説やエッセイからも、うけた事がないようなショックだった。わたしは、一〇分ぐらい、そのポスターの前に突っ立っていた。
広告のポスター。つまり、会社が何かを宣伝するためにつくるポスター。それなのに、これほど胸をうつ言葉を送り出せるなんて……。わたしは、涙ぐむほどの感動をうけていた。澄んだ秋の陽射しの中で、いつまでも、そのポスターを見つめていた。
その日、家に帰る電車の中。わたしは、自分の中で、ひとつの夢が芽生えたのを感じていた。
それは、将来、ああいうポスターをつくる仕事をしたいという夢だった。ポスターのコピーなどは、コピーライターというプロが書くという事は、おぼろげに知っていた。
コピーライター……。その仕事につきたい……。わたしは、心の中で、切実に、そう思いはじめていた。一八歳で、初めて持った、人生の目標だった。
大学に進学すると、迷わず、広告研究会に入った。広告研究会では、三年生の時、リーダーをつとめた。大学に通いながら、夜は、コピーライター養成講座にも通った。コピーライターになるという夢をかなえるために……。
やがて、卒業が近づいてくる。わたしは、広告代理店をいくつもうけていた。けれど、大手の代理店は、すべて落ちた。
世の中は、そろそろ不況で、新卒を募集していない広告代理店も多かった。その上、女で、しかもコピーライター志望というのが、難しかったのかもしれない。
大学四年の秋も深まる頃、やっと、広告代理店の一つから、内定の通知が届いた。会社の場所は、青山。だけれど、全社員一五〇人ほどの小さな代理店だ。
とにかく、コピーライターをやれるという事なので、わたしは、その代理店に入社することにした。
入社してみると、かなりイメージがちがっていた。
まず、つくっている広告の種類だ。小さな代理店だから、しかたないのかもしれないけれど、殆《ほとん》どの仕事がチラシだった。
ポスターや、雑誌広告の仕事は、めったにない。
毎日毎日、スーパーや不動産会社のチラシを、つくるのだった。
時たま、ポスターや雑誌広告の仕事がきても、それは、先輩の男性コピーライターに回される。
わたしは新人だから、それは、しかたないと思っていた。そう思って、自分なりに、がんばっていた。〈チラシだって、立派な仕事だ〉。そう思って、がんばった。
そうして、二年たち、三年たち……。
そろそろ、後輩のコピーライターが入ってきはじめた。それでも、状況は変わらなかった。
いい仕事がくると、すべて男性コピーライターに回ってしまうのだ。会社でただ一人、女のコピーライターであるわたしには、回ってこないのだ。
あれは、入社して五年目。
駅|貼《ば》りポスターの仕事が、会社に入ってきた。制作部長は、その仕事を、わたしより後輩の男性コピーライターに回してしまった。
その時は、さすがに、わたしも怒った。部長に抗議した。けれど、耳をかしてもらえなかった。
そんな時、わたしは、恋人の由紀夫《ゆきお》と、一杯飲むことにしていた。
由紀夫は、高校時代の同級生だ。
わたしが広告代理店に入社して三年ほどたった頃、偶然に、新宿の街で再会したのだ。
由紀夫とは、高校時代、わりと仲が良かった。けれど、お互い、ちがう大学に進学してしまうと、自然に、連絡も遠のいていた。
再会したわたしと由紀夫は、わたしのよく行くバーに行った。約七年ぶりの再会に乾杯した。
高校時代、髪を長めにしてバンドをやっていた由紀夫も、いまは、かっちりとした濃紺のスーツに身をつつんでいた。長めだった髪は、きちっと七三に分けている。聞けば、由紀夫は、区役所に勤めているという。
わたしが、いまやっている仕事のことを話すと、
「へえ……かっこいいなあ……」
と言った。わたしが照れて、
「でも、つくってるのはチラシばっかりよ」
と言っても、
「それにしてもさ、コピーライターなんて、かっこいいよ」
と由紀夫。半分は本気の口調で言った。わたしと彼は、再会を祝って、何回も乾杯した。
わたしと由紀夫は、それ以来、よく会うようになった。会っては、飲んだ。そして、仕事の話をした。
お互い、まったく違うタイプの仕事なので、かえって、話は、はずんだ。そして、わたし達二人の距離も、しだいに近づいていった。
再会してから四ヵ月たった頃、わたし達は、恋人と呼べるつき合いになった。楽しい日々がつづいた。
それは、つい三ヵ月前の事だった。
会社に、雑誌広告の仕事が入った。その仕事を、部長は、わたしの二年後輩の男性コピーライターに回したのだ。わたしは、また、部長にかみついた。けれど、部長は、
「わかった、わかった」
と言うだけだった。それ以上、話し合いに応じてくれようとはしなかった。
その夜。わたしは、由紀夫と飲んだ。飲みながら、きょうの出来事を話した。できるだけ、グチにはならないように、気をつけて話した。そして、
「会社、辞めようかと思うんだ……」
と言った。それを聞いた由紀夫は、
「まあ、そう早まるなよ」
と言った。
「でも……もう、やってられそうもないわ……」
わたしは、つぶやいた。由紀夫は、うなずいた。うなずきながらも、言った。
「気持ちはわかるけどさ……青山で仕事してるコピーライターなんて、めったにいるものじゃないしさ」
と言った。
「でも……わたし、たぶん、辞める。あと一、二ヵ月で、辞めるわ」
わたしは言った。
その日をさかいに、由紀夫の態度が、少しずつ変わっていった。簡単に言うと、よそよそしくなってきたのだ。
なんでだろう……。わたしは考えた。
思いつくことは、一つ。由紀夫がわたしと恋人でいた理由は、わたしが〈青山で仕事をしているコピーライター〉だから……。
正確に言うと、それが、つき合っている理由の大きな部分だった……。
そうだとすると、思いつくことは、ある。由紀夫が、自分の知合いにわたしを紹介する時、決まって、
「彼女、青山で仕事をしてるコピーライターなんだ」
と言うのだった。〈コピーライター〉も〈青山〉も、たいして大げさなものではない。けれど、由紀夫にとって、わたしの最大の魅力は、それなのかもしれない。
そして、五月末の水曜日。わたしは、部長に辞表を出した。
その夜……。いつものバーで、由紀夫と待ち合わせをしていた。けれど約束の七時を過ぎても、由紀夫は現れない。
わたしは、彼のケイタイ電話にかけてみた。四回目のコールで、彼は出た。そして、
「ごめん。まだ残業中でさ……。ちょっと行けそうにもないんだ」
と言った。
「……わかったわ。残業がんばって」
わたしは言った。電話を切った。軽く、ため息をついた。由紀夫の仕事は、残業など、まず、ない。
どうやら、わたしは、仕事と恋人を、同時に失《な》くしたらしい。
翌朝は、七時に目覚めた。意外に、頭がすっきりしている。けど、今日、会社に行く気はない。後で、電話でも入れておく事にした。サンダルばきで、朝の散歩に出た。
近所に、広くて、よく手入れされた公園がある。わたしは、ぶらぶらと、その公園に歩いていった。
新緑の葉が、朝の陽射《ひざ》しをうけて美しく透《す》けている。小さな噴水から宙に舞っている水も、朝の光にきらめいていた。
わたしは、深呼吸。新鮮な空気を吸い込み、公園を歩いていく。
噴水の近くで、京子に会った。京子は、中学時代からの親友だ。彼女は、すでに結婚して、子供がいる。いまも、赤ん坊をのせたベビー・カーを押している。
「あら、こんな時間に珍しいじゃない」
京子が言った。彼女は、近所に住んでいる。よく会って、話す。けれど、こんな時間に、ばったり会うことは、いままで無かった。
「今日、会社は休み?」
と京子。わたしは、うなずいた。そして、
「会社、辞めたんだ」
と言った。京子は、ちょっと驚いた表情をしている。わたしは、事情を説明した。聞き終わった京子は、
「そう……。で、恋人の由紀夫君は、なんて言ってるの?」
と訊《き》いてきた。
「彼とは……ダメになっちゃったんだ」
わたしは言った。
「ダメになった……」
「そう」
「じゃ、あんた、仕事も恋人も、失くしちゃったんだ……」
「そう」
「……でもさ……」
と京子。
「そのわりには、あんた、やけに、すっきりした顔してるね」
と言った。
「そう?」
「うん。すごく、さっぱりした顔してるよ」
京子は、言った。そう言えば……わたしはあらためて気づいた。気分が、すっきりしているのだ。
さっきから、やけに気分がすっきりしているのだ。
なぜだろう……。わたしは、自分の心の中を、のぞき込んでみた。
そして、わかった。
普通、仕事と恋人を同時に失《な》くしてしまったら、人生のすべてを失くしたように思いがちだ。
けれど、そうだろうか。人生、もっと楽観的でもいいような気がする。
一つのものを失くしたという事は、そこに新しい可能性ができたという事だ。
たとえば仕事。いまの広告代理店を辞めたという事は、新しい広告代理店やプロダクションに入れるかもしれないという事だ。新しい仲間や、いい仕事が待っているかもしれない。
そして、恋人。考えてみれば、世の中の半分は男なのだ。フリーになったこれからは、いくらでも、いい男と出会えるのだ。
だいたい、仕事と恋だけが人生じゃない! それは、雑誌の読み過ぎだと思う。
そう思えば、気は楽だ。人生のカウンターを、一度、ゼロに戻して、また、ゆっくりと再スタートを切るのだ。
その時は、ひどく深刻に思える出来事も、後から思えば、たいして深刻ではない場合が多いかもしれない。
いや、きっと多いのだ。
大切なのは、暗く思いつめないこと。いつも前向きでいることだ。
〈オーケイ!〉
わたしは、胸の中で、叫んだ。しばらくは、バカンスだ。仕事からも、恋人からも、解放されたバカンスだ。
とりあえず、きょうはドライヴでもしよう。ひさびさに車を走らせて、海でも見に行こう。わたしは、そう決めた。
京子に、
「じゃ、ね」
と明るく言った。陽射しあふれる公園を、元気よく歩きはじめた。頭の上では、若葉が、五月の風に揺れている。
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スター・フルーツ
「さて……準備オーケイ」
わたしは、誰もいない部屋で言った。きれいに片づけた部屋の中。わたしの言葉だけが響いた。
けれど、それでいい。わたしは、いま、孤《ひと》り旅立っていく。その決意を、あらためて確かめるような気分で、わざと言葉に出してみたのだ。
リビング・ルームの床には、荷づくりしたスーツケースと、デイ・パックが置かれていた。あまり大きくないブルーのスーツケースと、いつも使っているデイ・パックだ。
開け放った窓。ラナイ、つまりベランダの方から、サラリと乾いたハワイの風が入ってくる。スーツケースについているネーム・タグが、かすかに揺れた。肩までのばしてあるわたしの髪も、ふわりと揺れた。
オアフ島。ホノルル。午前一〇時。二四階にある自分の部屋で、わたしは、旅立ちのしたくを終えたところだった。
お昼少し前に飛び立つ飛行機で、わたしは、ロス・アンゼルスに向かう。そして、映画の撮影に参加する。生まれて初めて、女優として、ハリウッドの映画に出演するのだ。
映画の撮影なので、六、七ヵ月は、かかりそうだと知らされていた。当分、ハワイとは、お別れだ。
わたしは、二、三日がかりで、きれいに片づけた部屋を見回した。片づけ忘れたものは、ないだろうか……。
そこで、気づいた。
冷蔵庫だ。きのう、冷蔵庫の中は、いちおう、片づけた。けれど、まだ何か残っていたような記憶がある。
わたしは、カウンターを回り込む。キッチンに入って行く。冷蔵庫の扉を開けた。
ガランとした冷蔵庫の中。ハワイアン・スプリング・ウォーターが、一瓶、入っていた。これは、ハワイ産のミネラル・ウォーターだ。瓶の中、五分の一ほど、飲み残してあった。わたしは、それを、キッチンのシンクに流して捨てた。
野菜室も、開けてみた。果物が一つ、ぽつんと、そこにあった。独特の形をした果物……。それは、スター・フルーツだった。
スター・フルーツは、大ざっぱに言ってしまうと、レモンのような形をしている。けれど、レモンよりは、かなり大きい。
なぜ、スター・フルーツと呼ばれているか。その理由は、その切り口にある。
スター・フルーツを輪切りにすると、その切り口は、星の形をしている。きれいな星の形をしているのだ。そのことから、ストレートに、〈スター・フルーツ〉と呼ばれている。
わたしは、冷蔵庫から、スター・フルーツを取り出した。スター・フルーツは、かすかにひんやりとしている。わたしは、じっと、スター・フルーツを見つめた。そうしていると、いつしか、ママの事を思い出すのだった。
わたしのママは、スーザン・ヨシナガという。日本人と白人のハーフだった。ここハワイで生まれ育った。少女の頃から、美しかったという。確かに、ママのアルバムを開くと、日米ハーフの美少女が、そこにいた。ミス・ハイスクールになって、ステージに立っている写真もある。
ハイスクールを卒業したママは、女優をめざしたという。周囲も、それをすすめた。本人も、スター女優への道を夢見たようだ。
その頃、女優になるためには、本場のハリウッドに行くというのが、コースだったらしい。ママも、ハイスクールを卒業して三ヵ月後、ロスに旅立った。
ロスで生活しはじめたママは、ウエイトレスをして生活費を得ながら、俳優を養成するスタジオに通いはじめた。そして、チャンスがあれば、映画やテレビドラマのオーディションをうけたという。
ママは美人だったから、時どきは、オーディションにうかった。映画やテレビドラマに、出演したらしい。
けれど、すべて、端役《はやく》だったという。通行人の役。スーパーマーケットの店員の役。ヘア・サロンの客の役。パーティーのお客の一人……。そんな、端役ばかりだった。
それでも、ママは、頑張りつづけた。いつかは、主役が自分に回ってくる。いずれは、スターへの階段を昇《のぼ》る……。そんな夢を抱きつづけて、ロスで生活していた。ママは、けして野心家ではなかった。ただ、夢多き、普通の女性だったのだ。
そうして、端役女優としての月日が過ぎていく……。結局、ママに、大きな役は回ってこなかった。一番長くママが映画に出演したのは、カフェテラスのお客の役だった。台詞《せりふ》は、
「コーヒーのおかわり、くださらない」
のひと言。たった六秒間の出演だったという。ママの生涯で、一番長くスクリーンに映ったシーンだった。
ママは、美人だったけれど、個性がなかったのかもしれない。あるいは、演技が上手《うま》くなかったのかもしれない。ちょうどママに向いた役が、なかったのかもしれない。
けれど……と、わたしは思う。結局のところ、〈|Luck《ラツク》〉……つまり、運ではなかったのか……。ママには、幸運の女神が微笑《ほほえ》まなかったという事ではないだろうか。
女優だの、スターだのに関係のない平凡な人生の中でも、幸運をつかむ人、つかめない人がいるように。そして、人生というものが、そんなふうに出来ている限り、それは、仕方のない事なのではないだろうか。
とにかく、ママは、端役女優として、二〇代の終わりに近づいていた。
そんな頃、同じように、スターになれないでいる男の俳優と、ママはつき合いはじめた。ママは本気だったのかもしれないけれど、相手にとっては、ゆきずりの恋だったのだろう。ママが妊娠したと知ると、相手は、す早く逃げて行ったという。
ママは、ついに、スターになる夢をあきらめて、ハワイに帰ってきた。そして、わたしを産んだのだ。わたしは、ケリーと名づけられた。
ハワイに戻ったママは、女手ひとつでわたしを育てるために、仕事をはじめた。それは、〈チャンネル|2《ツー》〉というローカル・テレビ局の仕事だった。番組と番組の間に、生放送のコマーシャルを流す。その仕事だった。
〈今週、Kマートでは、ごらんのバーベキュー・グリルを12ドル45セントで販売しております〉
というような、ローカルな仕事だった。
お世辞にも、かっこいい仕事ではない。けれど、ママとしては、それが、唯一、自分に出来る仕事だったのだろう。
一方、娘のわたしとしては、ママの生コマーシャル出演は、あまり嬉《うれ》しくはなかった。その事で、よく、クラスメイトから、からかわれるからだ。
「ケリー、お前のママ、きのう、サンタクロースの恰好《かつこう》で、七面鳥のコマーシャルしてたぞ」
などと、からかわれるのだ。たいていは、無視していた。ひどくからかわれた時は、履《は》いているビーチ・サンダルをつかんで、相手の横っ面をひっぱたいてやった事もあった。わたしは、どちらかというと、ジャジャ馬娘だった。
そして、家に帰っても、ママに、その類《たぐい》の話は、しなかった。わたしには、わかっていた。ママが、家計をささえるために、仕方なく、そんな仕事をしている、その事が、わたしには、わかっていたからだ。
それは、わたしが、ジュニア・ハイスクール、つまり中学校の三年生の時だった。ある日、ママと一緒に、スーパーで買い物をしていた。わたしとママは、果物の売り場に、さしかかった。
わたしは、ふと、スター・フルーツを見つけた。そして、ママに、それを買っていいかと訊《き》いたのだ。スター・フルーツは、どこか、東南アジアの方から送られてくるものらしい。なかなか美味《おい》しいと、クラスメイトに聞いていたのだ。
わたしが、〈スター・フルーツ、買っていい?〉と訊いた時、ママは一瞬、ひどく複雑な表情をした。そして、〈やめときなさい〉と言った。かなり強い口調だった。わたしは、少し驚いた。これまでわたしが果物を欲しがった時、そんなふうに言われた事がなかったからだ。
スーパーを出て、家に帰る車の中で、わたしは、気づいた。ママはきっと、スター・フルーツそのものを嫌いだったわけではないのだ。
ただ、スターをめざし、頑張って、それでもスターになれなかったママにとって、〈スター〉という言葉そのものが、辛《つら》い言葉だったのだろう。そろそろ一六歳になろうとしていたわたしには、その事が理解できた。それ以後、スター・フルーツの事を話題にはしなかった。
それから、四年ほどが過ぎたある日。ハリウッドから、ロケ隊がやって来た。映画のロケ隊が、オアフ島に滞在していた。
そのロケ隊には、ママが昔、一緒に仕事をした事のあるプロデューサーがいるらしかった。
ある日、ママとわたしは、ロケ現場に遊びに行った。ママとしては、もしかしたら、小さな役でももらえるかもしれないと思ったらしかった。
わたしは、高校を卒業し、大学に行く学費を貯めるためにバイトをしていた。その日、バイトは休みだった。ママに誘われるまま、ロケ現場を見物に行った。
ロケ現場は、ラニカイにある静かなビーチだった。マーカスという名前のプロデューサーは、ママの事をよく覚えていて、笑顔で迎えてくれた。ママとわたしは、約半日、ロケ現場で見物していた。
電話が来たのは、二日後だった。プロデューサーのマーカスから、うちに電話がかかってきた。それはなんと、わたしに、映画のオーディションをうけてみないかというものだった。
彼がつぎに製作に入る映画は、父と娘のストーリーだという。父親役は、世界的な大スターのH・Fだ。
そして、娘の役をやる女優を、さがしはじめているのだという。おテンバで突っぱった娘だけれど、映画の最後には、父親と心を通じ合う、そんな役だという。いわば、準主役なのだ。
〈父親が大スターなだけに、娘役には、まったくの新人を使いたいんだ〉と、プロデューサーは言った。
撮影に入るのは、約八ヵ月後。それまでに、娘役を決定したいのだという。
〈おそらく、全米から、何百人という娘がオーディションに来るだろう。それでもよかったら、一度、ロスに来てみないか?〉と、プロデューサーは言った。〈ケリー……君には、うまく言葉では説明できない、独特な個性があるような気がするんだ。もちろん、娘の役に君が決まる確率はひどく低いが、やるだけでも、やってみないか?〉とも言ってくれた。
わたしは、あまりに意外だったので、正直、とまどっていた。けれど、ママは、〈面白いじゃない。やってみなさいよ〉と言ってくれた。
オーディションにハリウッドまで行く旅費は、すべて、向こうで出してくれるという。
わたしは生まれてから一度も、メイン・ランドに行ったことがない。〈まあ、ロス見物のつもりで行ってこようか〉と、気楽に考えた。
そうして、わたしのロス通いがはじまった。
毎月、一回か、多いと二回、ロスに飛ぶ。そして、オーディションをうけるのだ。
最初は、ただ、ポラロイド写真を撮られたり、関係者から、簡単な質問をうけるだけだった。
三ヵ月目に入ったところで、脚本《シナリオ》を渡された。本番のシナリオだという。そして、〈つぎまでに、二七ページから三五ページまでの台詞《せりふ》を、暗記してきてくれ〉などという指示が出された。
つぎにハリウッドに行くと、目の前にビデオ・カメラが用意された。そして、カメラの前で、台詞を読むのだ。父親役のかわりに、プロデューサーの一人らしいオジサンが台詞を読み、わたしも、それに答えて台詞をしゃべるのだった。
ロスの空港に送ってもらう車の中で、わたしはプロデューサーのマーカスに、
「これって、見込みがあるってこと?」
と訊いた。マーカスは、ゆっくりと、うなずいた。
「全米から九〇〇人の娘がオーディションをうけに来て、いま現在、残っているのは七人だ」
「……その七人の中に、わたしも入ってるの?」
「もちろんさ、ケリー。これから先の事は、まだなんとも言えないがね」
と彼。
「君が持っている独特の個性は、みな、認めている。あとは、演技力だね」
「演技力か……」
「そう。君の場合、演技の教育をうけていない。これから先の数ヵ月、そのあたりを、どうカバーしていけるかが勝負だろうね」
とマーカスは言った。ロスの空港が近づいてきた。
ママは、わたしのオーディションに、とても協力的だった。けれど、一度だけ、喧嘩《けんか》をした事があった。あれは、いまも忘れられない出来事だ。
オーディションが、大づめに入った頃だった。残っている候補者は、わたしを含めて三人だと、プロデューサーのマーカスに聞かされていた。
明日は、いよいよ最後のオーディションに行くという日の夜。わたしは、台詞の練習をしていた。これまで通り、ママが、練習のコーチをしてくれていた。
わたし達は、シナリオの二六九ページ目を練習していた。わたしが、パパにプレゼントをもらって喜ぶ場面。父と娘の心が、通いはじめるシーンだ。
わたしが、シナリオの台詞をしゃべる。表情もまじえて、しゃべる。それを見ていたママは、
「もっと、嬉《うれ》しそうな表情でしゃべった方がいいんじゃない、ケリー」
と言った。そして、自分で、その台詞をしゃべってみせた。
けれど、わたしには、その喜び方は、あまりに大げさだと思えた。ママにそう言った。
「そんな事ないと思うわよ」
ママも、少し、むっとした表情になって、言った。わたしも、何か言い返した。そして、口論は、段々、エスカレートしていった。口喧嘩になった。喧嘩がつづく。そのクライマックス。わたしは、ケリをつけるように、言い放ってしまった。
「ママの演技は、古いのよ」
言ってしまってから、〈しまった!〉と思った。その昔、スターをめざしていたママに対して、絶対に言ってはいけない言葉だった。
わたしが何か言おうと考えている間に、ママは、一度、二度、小さく、うなずいた。そして、そっと立ち上がった。リビング・ルームから出て行った。わたしは、いま、何を言っても、もう、取り返しのつかない事に気づいた。
その夜は、眠れなかった。ママに言ってしまった言葉が気になって、眠れなかった。夜中の二時頃、目を覚ました。トイレに行こうとした。ふと、キッチン・カウンターにいるママの姿が目に入った。
ママは、こっちに背を向けて、カウンターのストゥールに腰かけていた。オーディオからは、Peter《ピーター・》 Moon《ムーン・》 Band《バンド》 らしい曲が、ごく低いヴォリュームで流れていた。ママは、カウンターにひじを突いて、何か飲んでいるようだった。じっと、動かない。その肩幅が、少し、狭くなってしまったように見えた。わたしは、何も声をかけられなかった。
そのまま、自分のベッドに入った。そして、さっきの喧嘩について、もう一度、考えはじめた。
翌日。午前一〇時過ぎ。わたしとママは、ホノルル空港の出発ロビーにいた。あと三〇分で、ロス行きの飛行機に乗ろうとしていた。
わたしとママは、無言で、ゆっくりとロビーを歩いていた。やがて、わたしは、口を開いた。
「昨日《きのう》のことだけど」
と言いかけたところで、
「その話なら、もういいのよ」
とママは言った。
「よくないわ。これだけは話しておきたいの」
わたしは言った。わたし達は、立ち止まった。向かい合った。
「〈ママの演技は古い〉なんて言っちゃって、ごめんなさい」
わたしは言った。そして説明しはじめた。パパからプレゼントをもらって喜ぶ、あのシーン……。それまで、娘は、父親に対して、ずっと反抗的だった。それが、プレゼントをもらって、初めて、父親に対して心を開きかけるのだ。だから、あまり大げさに喜ぶのは、不自然なのだ。
「だから、ママがコーチしてくれた喜び方だと、大げさ過ぎると思ったの。喧嘩になってしまったんで、つい、〈ママの演技は古い〉なんて言っちゃったけど、あれは、間違い。古いとか、新しいとかの問題じゃなくて、シナリオの解釈の問題だったのよ」
わたしは言った。本当の事だった。昨夜、ベッドの中で、よく考えた結果だった。
ママは、話し終えたわたしの眼を、見た。二〇秒ほど、じっと、見つめていた。やがて、わたしが、本心で言っているとわかったのだろう。
やがて、ママは、微笑《ほほえ》んだ。微笑みながら、何回も何回も、うなずいた。
その時、出発ロビーに、搭乗案内のアナウンスが流れた。わたしが乗るロス行きの搭乗案内だった。
「それじゃ、行くわ」
「がんばっておいで。最後のオーディションなんだから、精一杯ねっ」
ママは、そう言った。わたしの体を、一度だけ、抱きしめた。わたしも、ママを抱きしめた。この時が、ママと暮らした年月の中で、一番、わたしとママの心が通い合った瞬間だったと思う。
やがて、わたしは、荷物を持つ。搭乗ゲートに向かって歩いて行く。そして、搭乗ゲートの手前で、ママとはお別れだ。わたしは、ママに手を振りながら、搭乗ゲートに入って行く。ママも、笑顔で手を振り返していた。ママの笑顔を見たのは、それが最後になった。
最後のオーディションは、三日間つづいた。わたしは、自分に出来る限り、がんばった。オーディションの結果が知らされるのは、一〇日後ぐらいになるだろうという事だった。わたしは、軽い疲労を感じながら、ハワイに戻る飛行機に乗った。
遅い午後、ホノルルに着いた。飛行機をおりる。到着ロビーに出る通路で、誰かが、わたしの名前を呼んでいた。呼んでいるのは、係員だった。わたしは、彼女のところに行った。胸にカードを下げた係員のおばさんから、メッセージを渡された。
ママの仕事仲間である、テレビ局、チャンネル2のディレクター、ボブからの伝言だった。
〈ママが、仕事中に倒れた。すぐ、病院に来てくれ〉
わたしは、走り出した。到着ロビーを出る。タクシー乗り場に走る。待っているタクシーに乗った。病院の名前を言った。
「全速で!」
と運転手に言った。
タクシーは、約一五分で病院に着いた。料金のおつりももらわずに、タクシーをおりる。病院の玄関に走り込んだ。ボブがいた。ハアハアと息をしているわたしに、
「落ち着いて」
とボブ。わたしの両肩に手を置いた。
「ママは?」
と、わたし。ボブは、ひと呼吸おく。
「生コマーシャルのリハーサル中に、倒れたんだ。突然の脳内出血だった」
「で!?……」
「救急車で病院に運んで、緊急治療をしたが……」
ボブは、そこで一度、言葉を呑《の》み込んだ。わたしは、心の中で、すでに身がまえていた。そして、つぎの言葉を待った。
「医者も、出来る限りの手をつくしたんだが……ダメだった……。ママは、二時間前に、息をひきとった……」
ボブは、床に視線を落として、言った。
ママが眠っている部屋のドアを、そっと開けた。黄昏《たそがれ》の明るさが、ブラインドごしに入ってきていた。ベッドに寝かされているママは、普通に眠っているようだった。いまにも起き出してきて、〈おはよう〉と言いそうだった。わたしは、静かなママの顔を見つめていた。まだ、なんの実感も、わいてこなかった。
ママの死が、実感として押し寄せてきたのは、お葬式の忙しさが過ぎた後だった。
毎朝、わたしは、アラ・ワイ大|通り《ブルヴアード》をジョギングすることを習慣にしていた。朝の光の中を走るのは、気持ちのいいものだ。
お葬式の翌日も、わたしは、朝の六時に起きた。自分の部屋で、ジョギング・ウェアに着がえる。部屋を出る。そして、いつもの癖《くせ》で、ママの部屋のドアを開けた。〈おはよう。起きて、ママ〉と言うために。
けれど、ママは、いない。ベッドは、からっぽだった。カーテンごしの朝陽が、ベッドのシーツに射《さ》していた。
わたしは、急いで、アパートメントを出た。胸が苦しかった。初めて、強烈に、ママの不在を感じた。
アラ・ワイ大|通り《ブルヴアード》を、ジョギングしはじめた。ゆっくりと走りながらも、胸の中は、切なさで一杯だった。
生コマーシャルを一生懸命にやり続け、わたしを育ててくれたママ……。わたしが台詞《せりふ》の練習をしている時は、いつも熱心にアドバイスをしてくれたママ……。そして、わたしがロスに行く時は、いつも心配そうな顔で、空港まで見送りに来てくれたママ……。
いつの間にか、涙があふれていた。通り沿いのヤシの樹が、涙でにじむ。すれちがう人が、涙でにじむ。わたしは、あふれ出る涙を、手の甲でぬぐいながら、それでも、走りつづけた。朝の若い光の中を、ゆっくりと走りつづけた。
ハリウッドから電話がきたのは、五日後だった。プロデューサーのマーカスからだった。娘役が、わたしに決まったという。〈おめでとう〉とマーカス。わたしは、そこで初めて、ママの急死をマーカスに伝えた。マーカスは驚きながらも、〈その状況で、仕事は出来るかい?〉と、わたしに訊《き》いた。わたしは、〈大丈夫。やらせて〉と答えた。この五日間、考えて、自分で出した結論だった。悲しみは、心の中の引き出しにしまい込んで、前に向かって歩きはじめる……。ママも、きっと、天国でそれを望んでいるだろう。
〈わかった〉とマーカス。二週間後から撮影がはじまる、〈体調を整えておいてくれ〉と言った。
わたしは、われに返った。出発の時間が近づいていた。手に持っているスター・フルーツを、キッチンのまな板に置いた。果物ナイフを手に取る。スター・フルーツを、輪切りにしてみた。本当だった。輪切りにした切り口は、星の形をしていた。実は、淡い黄色。小さな種が見えた。
わたしは、スター・フルーツを、五ミリほどのスライスにした。そして、そっと、かじってみた。歯ざわりは、リンゴのようだった。味は、ほんのり、甘ずっぱかった。その味は、スターを夢見て、果《は》たせなかったママの人生を思い起こさせた。鼻の奥が、一瞬、ツンとした。
ロスに着いた翌日。この作品の関係者を集めてのパーティーが開かれた。映画の撮影がはじまる。その前に、関係者の顔合わせをするためのパーティーらしかった。
パーティーは、ベルエアにある屋敷の庭で開かれた。映画会社の副社長の屋敷だということだった。門から玄関まで、車で一、二分はかかりそうな屋敷だった。その広い屋敷の庭で、パーティーは開かれた。だ円形のプールがある芝生の庭に、制作関係者たちが一〇〇人ほど集まっていた。午後の二時。みんなが持っているワインやシャンパンのグラスに、カリフォルニアの陽射しが照り返していた。
わたしは、さまざまな人に紹介された。主演のスター、H・Fに紹介された時は、さすがに少し緊張した。
やがて、わたしは初老の紳士に紹介された。映画会社の副社長であり、この屋敷の主だということだった。彼は、六〇代の半ばだろうか。長身で、髪は|ごま塩まじり《ソルト・アンド・ペツパー》。上質な麻のサマー・スーツを着て、渋いストライプのタイをしめていた。片手には、シャンパン・グラス。穏やかな微笑を浮かべていた。しばらく雑談をした。そして、彼が、ふと言った。
「そう言えば、聞くところによると、君のお母さんも、ハリウッドで仕事をしていた事があるそうだねえ……」
と言った。わたしは、ゆっくりと、うなずいた。彼を、まっすぐに見た。ひと呼吸……。そして、言った。
「ええ。わたしの母は、ハリウッド女優でした」
見上げる空。パーム・ツリーの葉が揺れている。その上には、南カリフォルニアの青空が拡がっていた。わたしは眼を細め、じっと青空を見上げていた。
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恋はスラローム
「どうも」
とだけ、彼はボソッと言った。わたしの顔もろくに見なかった。スノー・ボードをかかえて、歩き去っていった。
それが、わたしと彼の初対面だった。
あいそのないやつだなあ……。わたしは、心の中で、つぶやいていた。
けれど、彼は、そんな事には、おかまいなし。スノー・ボードをかかえ、雪のゲレンデに出て行った。
一二月中旬。長野県。白馬の山麓《さんろく》にあるスキー場。そこにあるロッジでの事だ。
わたしは、東京の郊外で生まれ育った。スノー・ボードをはじめたのは、高校二年生の時だった。
スノー・ボードをはじめた理由は、たいていの人と同じだった。ちょっと面白《おもしろ》そうだから、やってみようかな……。そんな所だった。
ところが、スノボーをはじめてみると、想像以上に面白かったのだ。わたしは、もともとバスケット部に入っていて、基礎体力はあった。運動神経も、まずまず、あると思う。
そんなわけで、スノボーも、かなり早く、上達した。上達すると、さらに面白くなっていった。
短大に進学しても、もちろん、スキー&スノボーの同好会に入った。二年生の時は、キャプテンをやった。
やがて、短大を卒業。
同じ同好会にいる仲間は、みな、就職した。スキーやスノボーは、趣味でやると言って、OLになっていった。
けれど、わたしは違っていた。
スノボーを、単なる趣味にしておくことは出来ない。そこまで、熱中していた。
この時、|二〇歳《はたち》。これから猛練習を重ねたとしても、一流選手になるのは、少し無理があると思えた。けれど、スノボーは、つづけたい。スノボーに関係する仕事をしたいと心に決めた。
短大を卒業しても、OLにはならなかった。そのかわり、東京・神田にあるスポーツ・ショップでアルバイトをはじめた。
わたしの父は、小さな建築会社を経営していた。その会社は、わたしの兄が引き継ぐことになっていた。会社の業績は、まずまずらしかった。
そんな事情もあって、両親は、わたしのアルバイト生活を、大目に見てくれていた。
やがて、冬が近づいてきた。スノボーのシーズンに入ろうとしていた。わたしは、スポーツ・ショップでのバイトをやめた。そして、雪山にやって来た。冬のシーズン中、ロッジでアルバイトをするためだ。
そのロッジは、学生時代から、よく来ていた、なじみのロッジだった。オーナーとも、仲が良かった。
そのロッジの前のゲレンデは長野県にしては、早くからスノー・ボーダーを受け入れていた。だから、ロッジも、スノー・ボーダーたちで、はやっていた。シーズン中は、いつも満室に近かった。
短大の卒業が近づいた時、冬は、ここでバイトが出来るように、オーナーと約束してあったのだ。
ここでバイトをしながら、さらにスノボーの腕を磨く。そして、いずれは、スノボーを教えるインストラクターになれれば……。わたしは、そんな事を、心の中で思い描いていた。
その冬、ロッジでは、全部で七、八人がアルバイトをする事になっていた。その中で、女は三人。
オーナーの好意で、女性のアルバイトには、個室が与えられていた。狭いけれど、それぞれに個室が与えられていた。
わたしがロッジに到着した日。ゲレンデの積雪は約八〇センチ。すでに、ロッジは、営業を開始していた。
オーナーの高木さんに、たまたま近くにいるアルバイトの一人を紹介された。それが、彼だった。
わたしが、
「あ、はじめまして」
と言うと、彼は、
「どうも」
とだけ、ぶっきらぼうに言った。そのまま、ゲレンデに出て行ったのだ。
シーズンが、本格的にはじまった。
アルバイトは、二日フルに働くと、三日目の午後はフリー。ゲレンデに出ていい事になっていた。
バイトをはじめて三日目。その午後は、わたしの自由時間だった。
わたしは、スノボーのしたくをした。ゲレンデに出た。リフトを乗りついで、上がっていく……。一シーズンぶりの雪の匂《にお》いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
雪には、なんの匂いもないと、たいていの人は思っているらしい。けれど、わたしには、雪の匂いが感じられるのだ。ひんやりとした清潔な匂い……。その中に、かすかに、湿った木々の匂いがまざっている。それは、正確に言うと、雪の積もっているゲレンデの匂いと呼ぶべきかもしれない。
わたしは、リフトの上から、ふと、ゲレンデを見おろした。そこで、彼を見た。あの、ぶっきらぼうなやつだ。彼もどうやら、今日の午後が自由時間らしい。
リフトの上から、滑っている彼を見た。わたしは、〈へえ……〉と、胸の中で、つぶやいていた。彼のスノボーは、スラロームだったのだ。
スノボーには、大きく分けて二種類ある。〈フリー・スタイル〉と〈スラローム〉だ。
フリー・スタイルは、ごく一般的なスノボーだ。滑りながら、回転したりジャンプしたりする。ハーフ・パイプの中を滑って、ジャンプして、派手な演技をする。
フリー・スタイル用は、ブーツも柔らかい。
もう一種類のスラローム。これは、スキー競技のスラロームに近い。ゲレンデに、旗門《ポール》をセットして、そのポールの間をくぐり抜ける。そしてゴールまでのタイムを競うのだ。
スラローム用のボードは、フリー・スタイル用とは形が違う。スピードが出るように設計されている。ブーツも、スラローム用は、硬いハード・ブーツだ。
あの、ぶっきらぼうな彼は、スラローム用のボードで、斜面を飛ばしていた。その斜面は、午前中、陽が当たる。午前中、溶《と》けた雪が、午後、日陰になると、硬いアイス・バーンになるのだ。
彼は、バーンになった斜面を、すっ飛ばしていた。エッジがバーンを削っていくカリカリという音が、リフトの上のわたしにも聞こえてきた。
彼は、かなりなスピードで飛ばしていた。けれど、ただ強引に飛ばしているのではない。自分のボードの動きを、完全にコントロールしている。狙《ねら》ったコースを、正確にトレースしているようだった。
かなりの上級者だと思えた。
わたしは、リフトをおりる。ゆっくりと、コースの上まで行く。今シーズンの一本目なので、スピードは押さえぎみで、滑りはじめた。
コースを三、四本ほど滑ったところで、調子が出てきた。だんだん、体がスピードに慣れてきた。
五本目。滑り終わる。リフト乗り場で、彼と一緒になった。彼は、わたしに気づいた。そして、
「へえ……スラロームなんだ……」
と言った。確かに。わたしも、スラロームのスノー・ボーダーなのだ。彼は、ちょっと驚いた表情をしている。スノー・ボーダーの中で、スラローム派の数は少ない。まして、女は、少ない。
「とにかく、上がりましょう」
わたしは言った。ちょうど、リフトの順番がきたのだ。わたしと彼は、二人乗りのリフトに乗った。彼の名前が明《あきら》であること。いま、大学の三年生であることを、リフトの上で聞いた。という事は、わたしと同じ年齢《とし》だ。
その夜。
皆が部屋に引っこんだ後の、ロッジの食堂。わたしと明は、ビデオを観《み》ていた。スラローム競技のビデオだった。
熱心にビデオを観ながら、彼は、スラロームの技術について、いろいろと説明してくれた。日頃は、かなり無口なのに、スラロームのことになると、何倍にも口数が多くなるのだった。
やがて、ビデオが終わる。わたしと彼は、コーヒーを飲みながら、スノボーの話のつづきをした。
スラロームをやるスノー・ボーダーが、日本では選手層が薄いと、彼は言う。それは、わたしも知っていた。
みな、どうしても、ハーフ・パイプの中で派手な演技をするフリー・スタイルの方に行ってしまうのだ。
彼は、さらに腕を上げて、オリンピックの強化選手になりたいのだと言った。あの滑りを見たわたしには、それが、無理な話とは思えなかった。
競技の話をしている彼の表情は、真剣だった。眼が生きていた。よくいるノリだけのスノー・ボーダーとは、あきらかに違っていた。
わたし達は、夜ふけの食堂で、話し込んでいた。
わたしと明の距離は、ゆっくりと、けれど確実に近づいていった。バイト仲間から、親友へ……。親友から、男と女へ……。
初めてのキスは、リフトの上だった。粉雪の降るゲレンデ。二人乗りリフトの上で、ファースト・キスをした。
スノボーの滑りに比べると、彼のキスは上手とは言えなかった。けれど、そのぎこちなさが、彼らしかった。
彼が、初めて、わたしの部屋に泊まったのは、二月のはじめ。一年で一番寒い頃だった。わたしと彼は、狭いベッドの中にいた。一枚の毛布にくるまって、窓の外に降る粉雪を眺めていた。小さなラジカセからは、E《エミルー》・ハリスの唄うカントリー・バラードが流れていた。
やがて、バレンタイン・デーがやってきた。彼が、甘いものを好きでない事は、もう知っていた。
といって、洒落《しやれ》たプレゼントを買いに山をおりる余裕もない。そこで、わたしは、自分が首にかけている銀のチェーンを、プレゼントすることにした。
特別に高価なものではない。けれど、そのシンプルさが気に入って、ここ二年ほど、首にかけているものだった。
わたしは、自分の首から、チェーンをはずす。彼の首に、かけた。彼は、ちょっと照れた表情をした。そして、
「サンキュー」
ぽつりと言った。その日も、外では雪が降っていた。わたし達は、ポテトチップスをつまみながら、缶ビールで乾杯した。地味なバレンタイン・デーだけれど、幸せなバレンタインだった。外は寒かったけれど、わたし達の心は温かさにつつまれていた……。
トラブルは、その一ヵ月半後に起きた。
その夜も、彼は、わたしの部屋にいた。わたしと彼の仲は、バイト仲間の間では、もう、公認されていた。
わたしと彼は、ベッドの中にいた。その時、ふと、わたしは気づいた。彼の首に、チェーンがかかっていない。そのことに気づいたのだ。
「ああ……。後で話そうと思ってたんだ」
と彼。
聞けば、彼は今日、ゲレンデで派手な転倒をやらかしたという。それでも、なんとか、怪我《けが》をせず、下まで、おりてきた……。そして、気づいた。首にかけていたチェーンがないのに気づいたのだという。転倒した時に、ちぎれたらしい。
彼は、すぐ、リフトで上がった。滑って、転倒したあたりにおりてみたらしい。けれど、今日も、雪が降って、見通しの悪い日だった。
彼は、チェーンを探し回った。が、結局、雪の中に落としたチェーンは、見つからなかったという。
いつしか、わたしは、彼を責める口調になっていた。二人とも、バイトの疲れが、たまっていたのだ。
彼も、ムッとした表情になる。お互いに、言葉が、とがりはじめる。
「本気で探したの?」
と、わたし。彼は彼で、
「探したさ。それより、オレが怪我しなくて良かったとか言えないのかよ」
と、言葉を投げ返してくる。ちょっとした口論はやがて、本格的な喧嘩《けんか》になってしまった。小さなセーターのほつれが、どんどん大きくなっていくように……。
喧嘩の最後、
「もう、あなたの顔なんか見たくない!」
わたしは言った。
「こっちもさ」
と彼。サッと立ち上がる。わたしの部屋を出て行った。乱暴にドアを閉めて……。
わたしは、ロッジでのバイトを切り上げることにした。
三月末。ちょうど、ロッジにもお客が減る頃だ。わたしはオーナーの高木さんに謝り、東京に帰るしたくをした。そして、予定より一ヵ月早く、ロッジを後にした。
帰る列車の中。ふと、思った。
恋は、スキーやスノボーのスラローム競技に似ている。次つぎとやってくる関門をくぐり抜けないと、ゴールは出来ない。
わたしと彼は、そんな関門の一つで、失敗して、コースアウトしてしまったのかもしれない。
わたしは、車窓の外の景色をじっと眺めながら、そんな事を考えていた。通り過ぎる景色……。しだいに、雪が少なくなっていく……。
また、東京での生活がはじまった。わたしは、神田のスポーツ・ショップで働きはじめた。
四月の末。都内の桜も、おおかた散ってしまった頃だった。わたしは、バイトの帰りに、女友達と、渋谷で待ち合わせをした。居酒屋で軽く呑《の》んだ。
帰ろうとして、渋谷の駅に向かっていた。信号待ち。そこで、ロッジでのバイト仲間だった義男《よしお》と、ばったり、会った。義男は、彼と同じ大学に通っているはずだった。義男は、わたしの顔を見るなり、
「あいつから……明から、なんか、連絡ないか?」
と訊《き》いてきた。
「……ないけど、どうして?……」
「いや……あいつ、東京に帰ってこないんだよ」
と義男は言った。ほかのバイト達が街に帰ってきたのに、明だけが、ロッジに居《い》残ったという。
「なんか……大切な物を、雪の中に落としちゃって……。ゲレンデの雪が溶《と》けたら、そいつを見つけるんだって言ってたけど」
と義男。
「もう、大学がはじまってるのに、あいつ……」
と言った。わたしはもう、走り出していた。
もう、白馬に行く列車のある時間ではない。わたしは、家に帰る。兄貴のパジェロを、強引に借りた。夜中の道路に走り出した。
白馬に着くと、もう、朝だった。
ロッジに近づいていく……。あたりの風景は、冬とはまるで違っていた。道路に、雪はない。ロッジの前の駐車場。冬の間、雪が積もっていた駐車場も、いまは、一面の砂利《じやり》だ。
ロッジのすぐ上のゲレンデも、半分は、雪が溶けている。雪と地面が、まだらになっている。リフトも、もう、止まってしまっている。
木々の枝からも、雪が消えている。あたりには、鳥のさえずりが聞こえている。透明な朝の陽が射している。
わたしは、ロッジの前に車を駐《と》めた。エンジンを切る。おりる。
明が、いた。ロッジの玄関。木でできた階段の修理をしていた。白いTシャツ。ジーンズ。手には金槌《かなづち》を握っている。
彼は、手を止めた。ふり向いた。わたしを見た。さすがに、驚いた表情をしている。それでも、
「……よお」
と言った。初対面の時と同じように、ぶっきらぼうな口調だった。彼の首に、チェーンは、かかっていなかった。探《さが》し物は、まだ、見つかっていないらしい。彼がチェーンを失《な》くした、上の方のゲレンデは、まだ、雪でおおわれているはずだ。
わたしは微笑《ほほえ》んだ。
「このロッジ……部屋、空《あ》いてる?」
と訊いた。
「……もう、冬の営業は終わったよ」
と彼。白い歯を見せる。
「ただし……オレの部屋でよければ、空いてるけどな……」
と言った。やがて、わたしは、小さくうなずいた。澄んだ山の空気を、胸に吸い込んだ。木立ちの間から射してくる朝の光が、わたしと彼を包んでいた。
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サンタクロースは、一九歳
ガシャ。
車の衝突音が、後ろで響いた。車のボディにも、軽いショック。ステアリングを握っていたわたしが、ブレーキを踏んだ、その瞬間だった。
わたしの車の後ろが、相手の車の前部《フロント》と軽く衝突したらしかった。わたしは、ハンド・ブレーキを引く。車をおりた。
相手の車からも、運転していた人間が、おりてきた。
おりてきたのは……なんと、サンタクロースだった。正確に言うと、サンタクロースのかっこうをした女の子だった。
ハワイ。ホノルル。
一二月二四日。つまり、クリスマス・イヴ。その夕方、五時半だった。
わたしは、女子大のクラスメイト三人と、ハワイにいた。
そして、クリスマス・イヴの日。わたし達は、コンドミニアムの部屋で、クリスマス・パーティーをやることにしていた。
そのパーティーのために、スーパーに買い物に行ってきたところだった。車を運転しているのは、一番ハワイに慣れているわたしだ。
スーパーでの買い物を終えたわたし達は、コンドミニアムに戻ってきた。駐車スペースに、車を入れようとした。
わたしは、バックで、車を駐車しようとしていた。その時、となりのスペースに駐《と》めてあるステーションワゴンが出てきたのだ。
ブレーキを踏んだ。けれど、一瞬、間に合わずにぶつかったのだ。
フォードのステーションワゴンからおりてきたのは、日本人か日系人らしい女の子だった。ハイティーン……せいぜい、|二〇歳《はたち》ぐらいだろうか。
白いヒゲこそつけていない。けれど、彼女は、サンタクロースのかっこうをしていた。
駐車場なので、お互い、車は、ゆっくり動かしていた。それほどの事故ではないだろう。
わたしと彼女は、車がぶつかった場所を見た。彼女が、
「ありゃ……」
と英語で言った。わたしが乗っている車は、ごつい四輪駆動車。こっちで借りた大型の四輪駆動車だ。そのごついバンパーが、彼女のワゴンのフロント・グリルに当たっていた。当たって、喰《く》い込んでいた。
彼女の車は、普通のステーションワゴン。そのフロント・グリルが、かなり、へこんでいる。
状況からして、ぶつかった責任は五分五分だろう。お互いに、一瞬、不注意だったのだ。けれど、車のダメージは、彼女の車の方が大きそうだった。
「とにかく、ちょっと動かしてみるわ」
彼女は言った。自分の車に乗り込む。ギアを入れる。ゆっくりと、バックしはじめた。そのとたん、フロント・グリルから、白い蒸気が噴き出した。まずい。彼女が、エンジンを切った。
「ねえ、智子」
と、わたしの同級生の美由紀が声をかけてきた。
「わたし達、荷物を部屋に運んでていい?」
と美由紀。
「いいわよ。先に行ってて」
わたしは、美由紀に言った。今夜のクリスマス・パーティーには、二日前に知り合った男の子たちを招《よ》んである。同じように、日本から来た大学生の男の子たちだ。
美由紀たちは、四駆から、スーパーで買ってきた食料品やお酒を運び出す。コンドミニアムの入口に歩いて行く。
「わたしの車は、ほとんどダメージうけてないから、修理費、少し出してもいいわよ」
わたしは、サンタクロースのかっこうをしている彼女に言った。わたしの車は、へこんでいない。四輪駆動車のごついバンパーに、かすかな傷がついているぐらいだ。
「ありがとう」
と彼女。
「まあ、修理費はともかく、困ったな……」
と言った。本当に困った表情をして車を見ている。
「……もしかして、仕事中なの?」
わたしは、彼女に訊《き》いた。仕事でもなければ、サンタクロースの衣装など着ている理由がないだろうと思えた。
彼女は、うなずく。
「……まあ、そうなの……」
と言った。自分の車をふり返り、
「これから配達しなきゃならない物が、山ほどあって……」
と、つぶやいた。わたしは、彼女の車を見た。確かに。ステーションワゴンの後部には、クリスマス・プレゼントらしい包みがあった。きれいに包装された包みが、いくつも積み込まれているのが見えた。
「クリスマス・プレゼントの配達?」
わたしは、彼女に訊いた。彼女は、うなずく。簡単に、事情を話しはじめた。
それは、アラ・モアナにある、オモチャ屋の仕事なのだという。そのオモチャ屋の名物企画らしい。
親が、子供へのクリスマス・プレゼントを、あらかじめ予約しておく。そして、到着時間を指定しておく。
その指定された時間に、サンタクロースの衣装を着たアルバイトが、プレゼントを届けるというサーヴィスだという。確かに、子供が喜びそうなアイデアだ。このコンドミニアムに来たのも、最初のお客に、プレゼントを届けるためだったという。
「クリスマス・イヴ、一日だけのアルバイトなんだけど、バイト代がすごくいいんだ」
と彼女。前がへこんでしまった自分の車を眺めて、
「けど……これじゃ……」
と、つぶやいた。
「オーケイ。じゃ、わたしの車で、それを配達しましょう」
わたしは言った。
「でも……それは悪いわよ。配達は、一〇時半頃までかかっちゃうのよ」
と彼女。
「それに、何か、パーティーでもやるんでしょう?」
と言った。
「ああ、あんなパーティーは、いいのよ。それに、この事故の半分は、わたしの責任なんだから。気にしないで。さあ、荷物の積みかえをやりましょう。時間がないんでしょう?」
わたしは言った。もう、自分の車に歩いていた。
「ヒロミよ」
と彼女。助手席で自己紹介をした。いま一九歳。ハワイで生まれ育った日系五世だという。ハワイの娘《こ》らしく、笑顔がおおらかだった。フランス・パンの色に陽灼《ひや》けしていた。
「智子《トモコ》よ」
わたしは、車を運転しながら言った。わたしがステアリングを握る車は、アラ・ワイ|大通り《ブルヴアード》を走っていた。ヒロミの膝《ひざ》の上。プレゼントを届ける先のリストがある。夜の一〇時半までに、全部で二五軒の家に届けなければならない。その届け先は、ホノルル近郊に散らばっている。わたしは、アクセルを踏み込んだ。
「ホノルルの道路、よく知ってるのね……」
ヒロミが、わたしに言った。プレゼントを届けはじめて、約四〇分。もう、五軒の家にプレゼントを届けたところだった。ヒロミから住所を聞くと、わたしは地図を見ずに、その近くまで、すんなりと車を走らせた。
「こっちには、よく来るから、道路を覚えちゃったのよ」
わたしは言った。それは、本当の事だった。
わたしは、高校生の頃から、ひとつの夢を持っていた。それは、通訳になりたいという夢だ。しかも、同時通訳が出来るような、そんなレベルの通訳になりたいと思っていた。
たぶん、高校一年の時に見たテレビ番組。来日したアメリカの有名俳優。それに、日本人のリポーターがインタビューしていた。そのインタビューに、同時通訳の声が重なっていた。クールな女性の声だった。
なんで、あんな瞬間的に、通訳できるんだろうという驚き。それは、すぐ、憧《あこが》れに変わっていた。〈わたしも、あんな仕事をしたい〉と、強烈に思ったものだった。
わたしは、思うと、すぐ実行に移す人間だった。
まず、英語を、自由自在に話せるようにならなければ……。そのためには、とにかく、アメリカに行くのがいいだろう。そう考えた。
そこから、わたしのバイト生活がはじまった。高校が終わると、ファースト・フードの店でバイトをした。毎日のように、した。
親には、頼りたくなかった。親にお金を出してもらったら、いざという時、自分の言いたいことを主張できなくなるではないか……。
そして、高校を卒業。その春休みに、貯めたお金で、ハワイにやって来た。
その時の事は、いまも忘れられない。初めて入ったドラッグ・ストアで自分の英語が通じた。その時の喜びは、いまも忘れられない。
わたしは、英語を話すことに、そして、ハワイという土地に、のめり込んでいく自分を、はっきりと感じていた。
女子大に進学しても、わたしのバイト生活は変わらなかった。講義が終わると、クラスメイトたちは、優雅に〈お茶しに〉行ったり、サークル活動をやりにいく。
けれど、わたしは、バイト一直線だった。さまざまなバイトをやった。もう、三〇種類ぐらいのバイトをやったと思う。ペンキ塗りや、ビル清掃のような、体を動かすバイトもやった。
やがて来る夏休み。わたしは、貯めたお金で、ハワイにやって来た。イエロー・ページをめくって、出来る限り安いアパートメントを、一ヵ月単位で借りる。レンタカーも、大手のレンタカーではなく、地元《ローカル》の小さなレンタカー屋から借りた。そういう、ローカルが使うレンタカー屋では、ピカピカではないけれど、ほどほどの中古車を、かなり安く借りることが出来る。
そして、わたしは、語学学校に通った。朝の九時から、午後二時までは、英語の授業に熱中した。
そうしてハワイで、半ば暮らしているうちに、自然に、現地の友達が出来はじめた。わたしが借りているアパートメントには、現地の学生や、サーファーが多く住んでいた。彼ら、彼女達と、すぐに友達になれた。
着ているのは、ヨレヨレのTシャツ。乗っているのは中古車。そんなわたしを、彼らは、はじめから、〈観光客〉でなく、〈仲間〉として扱ってくれた。
貧乏なハワイ暮らしが、かえって、地元《ローカル》の友達をふやす結果になった。
それ以来、わたしのバイト・アンド・ハワイという生活は、つづいている。ファッション誌に出てくるような女子大生の生活とは、えらい違いだ。
クラスメイトが、優雅にレストランでランチをしている時、わたしは、どこかのレストランの厨房《ちゆうぼう》で皿洗いをしている。
クラスメイトが、ベンツに乗った彼とデートしている休日、わたしは、ガソリン・スタンドで、ベンツにガソリンを入れている。
そして、夏休み、冬休み、春休みは、ハワイ暮らしだ。そんなふうにして、もう、三年が過ぎようとしていた。
クラスメイトの中には、
「智子の家、お医者さんなんだから、パパにお金出してもらえばいいのに」
という娘《こ》もいる。確かに、うちは開業医だ。父に頼めば、お金を出してくれるかもしれない。けれど、それは、嫌なのだ。わたしの二一歳なりの意地が許さない。
自分が夢を追う。そのために必要なお金は、自分の力でつくる……。そうしてこそ、夢が少しずつでも、かなった時、心の底から、喜べる。手ばなしで、自分をほめてやれると、わたしは思う。
そんな事を、わたしは助手席のヒロミに話した。話しながら、配達していく。
「なるほど……。それで、英語が上手《うま》いわけね……」
ヒロミは言った。
「あなたは、大学生?」
運転しながら、わたしはヒロミに訊《き》いた。彼女は、うなずいた。
「ハワイ大学の一年生」
「……将来は?」
「弁護士」
「じゃ、法学部に進むんだ……」
「そうね。でも……まだ、専門課程に入るのは先のことになりそうだけど……」
「……どうして?……」
「一年間大学に通って、つぎの一年は、学費を貯めるために働くっていう生活だから、四年生になるために、七、八年はかかると思う」
とヒロミ。よく陽灼《ひや》けした顔の中で、白い歯を見せて、
「でも、たかが七、八年よ。人生はロング・レースだもの……」
と言った。わたしは、うなずいた。
八時を過ぎると、忙しくなった。プレゼントを届けて欲しいという予約が、この時間帯にやたら多いのだ。わたし達は、走り回った。パール・シティ。マノア。カイムキ。マキキ・ハイツ……。プレゼントを届けつづけた。
九時を過ぎると、プレゼント配りは、少し落ち着いた。
ヌアヌ|通り《アベニユー》の家に届け、つぎは、ダイアモンド・ヘッド下の住宅地。わたしが運転する車は、カラカウア|大通り《ブルヴアード》を抜けていく。ワイキキの中心部だ。
クリスマス・イヴ。夜の九時過ぎ。カラカウア|大通り《ブルヴアード》には、人が、あふれかえっていた。半分以上が、日本人観光客たちだ。大学生らしいグループもいる。にぎやかに、カラカウアを歩いている。
それを横目で見ながら、ヒロミが言った。
「友達は、パーティーのまっ最中なんでしょう?」
「いいのよ、あんなの」
わたしは言った。それは本当だった。
クラスメイトの三人は、わたしとは人種が違う。彼女たちは、特別な目的もなく女子大に入ってきた。興味があることといえば、ファッション、化粧品、エステ、テレビドラマ、そして、ボーイフレンド……。
たまたま、わたしが、冬休みの間中、ハワイで暮らしている。そこで、日本から五泊七日で来た彼女たちに運転手を頼まれた。正確に言うと、そういう事なのだ。
しかも、二日前に知り合った男の子たちというのも、わたしには、なんの興味も感じられない。話題はテレビ・タレントと、ハワイで買えるブランド物のことだけ。本当に脳ミソが入っているのか、頭をかち割って調べたいような男の子たちだ。
いま頃は、超軽薄なパーティーが盛り上がっているのだろう。わたしには関係ない。
「つぎは、ダイアモンド・ヘッドだったわよね」
「そうよ」
わたしは、車のアクセルを踏み込んだ。
「終了! お疲れさま!」
わたしと彼女は、同時に言った。がっちりと、ハワイ式の握手をした。
一〇時三五分。ワイキキの郊外にあるカハラ。ワイキキ周辺でも一番高級な住宅地だ。そのカハラにある大きな屋敷に、最後のプレゼントを届け終わったところだった。なんとも言えない充実した気分だった。
屋敷の前の道路。ヒロミは、サンタクロースの衣装を脱いだ。下には、Tシャツとショートパンツを着ている。彼女は、脱いだサンタの衣装を、たたみながら、
「とんだクリスマス・イヴになっちゃって、ごめんね」
と言った。わたしは、首を横に振った。
「ちがう……。もしかしたら、すごくいいクリスマス・イヴだったかもしれない……」
と言った。それは、本心だった。
ホテルでパーティーをやっている美由紀たちは、ボーイフレンドを一人、獲得したかもしれない。
けれど……今夜、わたしが得たものの方が、その何百倍も、価値があると思う。
わたしが得たものは、確信だ。自分の過ごしている人生は、かなり無器用かもしれない。けれど、それは、間違ってはいない……。そんな、ほとんど確信に近い思いが、わたしの心を満たしていた。
今年のクリスマス・イヴは、わたしの二一年間で、本当に、最高のものかもしれない。
その時、
「あ……賛美歌……」
ヒロミが、つぶやくように言った。わたしも、耳をすました。近くに教会があるのだろう。賛美歌が、静かに聞こえてくる。
わたしとヒロミは、じっと、それに耳をすましていた。見上げる夜空。揺れるヤシの葉。その彼方では、一面の星が、またたいていた。
「で……この後は? サンタクロースさん」
わたしは、車に乗り込むと、ヒロミに訊いた。
「そうねえ……。夜中までやってる、おいしい店があるから、そこへ行って、特大のマヒマヒ・バーガーを食べるってのは?」
「悪くないわね」
わたしは言った。微笑《ほほえ》みながら、車のギアを入れた。アクセルを踏み込んだ。車は、カハラの住宅地を抜けていく。ヤシの並木が、ミラーの中を走り過ぎる。カー・ステレオからは、HA《ハ》PA《パ》の唄《うた》うクリスマス・ソングが流れていた。
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ビーチ・サンダルで告白した
「ひさしぶり」
わたしは、海に向かって言った。はっきりと、声に出して言った。もちろん、海は、何も答えない。澄んだ青が、ただ、拡がっていた。
湘南《しようなん》。葉山。一色海岸の砂浜。
夕方の四時半。そろそろ、太陽は、江の島の方向に沈みかけている。砂浜に、わたしの影が長くのびている。
砂浜は、ひっそりとしていた。真夏のにぎわいは、もちろん無い。
漁師のおじさんが一人、仕事の片づけをやっていた。砂浜に上げた小さな伝馬《てんま》船。そのわきで、道具を片づけていた。道具は、見突きの道具だった。
〈見突き〉というのは、文字通りだ。見ながら、サザエやアワビを突くのだ。小船の上から、ガラスを張った桶《おけ》のようなもので、水中を覗《のぞ》く。まあ、和風の水中メガネのようなものだ。そうして水中を覗きながら、三、四メートルの柄《え》がついた銛《もり》で、サザエ、トコブシ、アワビなどを獲《と》るのだ。
船を操る。水中を覗く。銛を扱う。それを同時にやるのだから、相当にしんどい仕事だ。
いま、葉山周辺でも、見突きをやる漁師は少なくなってしまった。若い連中はみな、遊漁船、つまり釣り船の仕事をやりたがる。したがって、見突きをやっているのは、年寄りが多い。いま、道具を片づけている徳さんという漁師も、もう、六〇歳近いだろう。短く刈った髪は、殆《ほとん》ど白くなっている。
わたしは、砂浜に置いてあるデイ・パックを肩にかけた。徳さんの方に、歩きはじめた。
徳さんは、わたしに気づいた。動かしていた手を止めた。わたしを見た。
「おう、松木さんの……」
と言った。わたしの苗字《みようじ》は、松木という。
「ひさしぶりね」
と、わたし。徳さんは、眼を細めて、わたしを見た。
「ああ……。そう言えば、もう一年近く、姿を見なかったな。旅行でも行ってたんか」
と徳さん。
「……ちょっとね」
わたしは言った。徳さんの伝馬船を覗いた。バケツの中に、かなりな量のサザエが入っている。わたしは、ジーンズのポケットから、お札を、つかみ出した。ドル札と、成田空港で両替えした日本円が、ごちゃまぜになっている。わたしは、千円札を一枚、徳さんにさし出した。
「これで、サザエを分けて」
と言った。
「おう」
と徳さん。ビニール袋を取り出す。中型のサザエを一〇個ほど、ビニール袋に入れてくれた。わたしは、それを受け取る。
「ありがとう」
砂浜を歩きはじめた。
砂浜の端。松林の中の道をしばらく歩く。すぐ、両側は、大きめの屋敷になる。塀《へい》の間の小道を、五〇メートルほど歩く。県道に出た。葉山御用邸の前を通る県道だ。
夏の間、観光客でにぎやかな道路も、いまは静かだ。ステッキをついた老紳士が、夕方の散歩をしている。別荘に住みついている人かもしれない。
道路を、御用邸の方に、ほんの一分ほど歩く。いく手に、〈松木ラーメン〉の看板が見えてきた。わたしの実家だ。
特別な店がまえではない。平凡な、町のラーメン屋だ。湘南のガイドブックに載るような店ではない。けれど、地元の人間には人気がある。海がシーズン・オフのいまでも、客足がとだえることは無い。
店は道路に面している。その奥に、二階建ての自宅がある。
いま、店の表には、〈準備中〉のプレートが、かかっている。けれど、わたしは、店の入口を開けた。
開けたとたん、鶏《とり》ガラでダシをとるいい匂《にお》いが、体を包んだ。九ヵ月……いや、もう一〇ヵ月になるだろうか……。ひさしぶりのわが家だ。
カウンターの中にいた父が、わたしを見た。
「おう」
とだけ言った。もともと、父は、口数が少ない人だ。店を手伝っている短大生の妹が、
「あ、姉《ねえ》ちゃん、お帰り」
と言った。カウンターから出て来る。
「やっぱ、ハワイ帰りだから、灼《や》けてるねえ……」
と言った。
奥から、母も出て来た。みな、わたしが元気そうなので、安心した表情をしている。と同時に、内心、不思議に思っているのが感じられた。一月の後半……。こんな半端《はんぱ》な時期に、わたしが留学先のハワイから帰国した事を、不思議に感じているのだろう。
わたしは、ここ葉山で生まれ育った。
当然のように、海を遊び場にして、成長していった。海で泳ぐこと。ワカメやヒジキを採《と》ること。海に潜って、黒鯛《くろだい》やメジナを銛《もり》で突くこと。そして、防波堤で釣りをすること。砂浜で寝転がって文庫本を読むこと……。そんなふうにして、少女時代を過ごした。
高校を卒業しても、OLには、ならなかった。都会での暮らしが、好きになれそうにもなかったのだ。特に、スモッグだらけの日本の都会では、仕事をやれそうになかった。
そのかわりに、わたしには、一つの夢があった。それは、ハワイ大学で海洋生物の研究をすることだ。
ハワイ大学では海洋生物の研究がさかんで、世界でも、トップ・クラスの水準なのだと、わたしは知っていた。ハワイ大学に進んで、イルカやクジラの生態を研究する。それが、わたしの夢だった。
いろいろ調べた。その結果、わかったこと。それは、ハワイ大学に進学するためには、予備校のような専門学校が、ホノルルにあることだ。そこで、最低二年間、英語を中心とした勉強をする。そうすれば、ハワイ大学に進学できる可能性が高くなるのだ。
わたしは、就職するかわりに、家業のラーメン屋を手伝いはじめた。正確に言うと、〈松木ラーメン〉に就職したのだ。
自分の家だからといって、わがままは言わない。決めた仕事時間は、絶対に守る。そのかわり、他人を雇ったのと同じぐらいの給料をもらう。そう、父と、とり決めた。
わたしは、少女時代から家業を手伝っていたから、仕事には慣れていた。それに、町のラーメン屋には、なかなか、従業員が居つかなかった。たまに、〈アルバイター〉を自称する若いやつが入ってきても、すぐにやめてしまうのだった。
仕事は、地味で単調だし、意外にハードだ。特に、夏。カウンターの中で仕事をしていると暑くて、脱水症状になるほど汗をかく。
そんなわけで、従業員は、殆ど、居つかなかった。だから、父にとっても、わたしが家で仕事をするのは、好都合だったはずだ。
高校を卒業すると、翌日から、わたしは、〈松木ラーメン〉で仕事をはじめた。
もともと、人が多い繁華街は好きでないので、遊ぶとしても、地元だ。夕方。地元の友達と砂浜《はま》で飲む。旭屋《あさひや》のコロッケをかじりながら、缶ビールを飲んで、盛り上がるのだ。お金は、使わない。
そんなふうにして、約三年が過ぎた。ハワイ留学のお金は、かなり貯まっていた。
広之《ひろゆき》と出会ったのは、そんな頃だった。
いまでも、よく覚えている。あれは、二月の末だった。寒い日だった。
昼頃。ウエット・スーツ姿の若い男が、店にやって来た。たぶん、ウインド・サーファーだろうと、わたしは思った。
うちの近くの一色海岸には、サーフィン向きの波は、あまり立たない。このあたりで、ウエット・スーツを着ている人間の殆どが、ウインド・サーファーか、ダイヴァーだ。
その日は、そこそこ、風が吹いていた。店に入ってきた彼は、たぶん、ウインド・サーファーだろう。体を温めに、ラーメン屋に来たにちがいないと、わたしは思った。
彼は、ワカメ・ラーメンを注文した。ワカメ・ラーメンは、この季節だけのメニューだ。彼は、ワカメ・ラーメンの大盛りを注文した。
わたしが前に置いたラーメンを、勢いよく食べはじめた。見ていて気持ちいいぐらいの食べっぷりだった。
〈それにしても、根性あるなあ……〉と、わたしは思った。二月末といえば、一年中で、一番、海水の温度が下がる時期だ。そんな時、飛沫《しぶき》をかぶりながらウインドをやるのには、相当な根性が必要だろう。わたしは、そう思いながら、ラーメンをすすっている彼を見ていた。
体つきが、がっしりしている。首が太い。手も、がっしりしている。夏になるとその辺をうろついている、ヤワなウインド・サーファーとは、まるで雰囲気が違っていた。
その日以来、彼は、殆《ほとん》ど毎日、来るようになった。必ず、ワカメ・ラーメンを注文した。
ある日。彼がラーメンを食べながら、
「ここに入ってるワカメ、うまいね」
と言った。わたしは微笑《ほほえ》み、
「ありがとう。それ、わたしが採《と》ってきたの」
と答えた。
「へえ……君が?」
「そう。いいワカメが採れるポイントがあるの」
それが、わたしと広之の最初の会話だった。
広之は、ワカメの採れるポイントを教えて欲しいと言った。聞けば、近くに部屋を借りて、ひとり暮らしをしているのだという。
「生活が苦しいんだ」
白い歯を見せながら、広之は言った。
「あんまり苦しそうじゃないわよ」
わたしが、からかった。
「いや、本当に、楽じゃないんだ。こんなうまいワカメが採れるんなら、大助かりだよ」
広之は、真顔で言った。
翌日。わたしと広之は、ワカメ採りに行った。一色海岸の端。わたしのシークレット・ポイントで、上質なワカメを採った。
〈松木ラーメン〉は定休日だった。わたし達は、広之の部屋に行き、ワカメを料理した。
ワカメの刺身。ワカメ・サラダ。ワカメと一緒に採ってきた〈シッタカ〉という貝も入れたシーフード・スパゲティなどなど……。わたしが、つくった。
広之の借りている部屋は、うちから、歩いて二、三分の所にあった。かなりくたびれた、1DKのアパートだった。〈海に近いのと、家賃が安いのだけがとりえさ〉と、広之が言う。
暖房も、小さな電気ストーブだけだった。わたし達は、焼酎《しようちゆう》のお湯割りを飲みながら、シーフード・スパゲティを食べた。
そんなふうにして、わたしと広之のつき合いは、ごく自然にはじまった。海風の中、いろいろな話をした。
広之は、|茅ヶ崎《ちがさき》生まれ。神奈川県の代表として、国体に出場した事もある。そんなレベルのウインド・サーファーなのだという。つぎのオリンピックをめざして、トレーニング中なのだという。
彼は、ウインド・サーフィン。
わたしは、ハワイ大学に留学。
それぞれの夢や目標は違っていたけれど、わたし達には、共通点があった。
それは、ビーチ・サンダルだ。正確に言うと、ゴムゾウリだ。わたし達は二人とも、ビーチ・サンダル人間だった。真冬以外、いつも、ビーチ・サンダルを履《は》いていた。いつも、ペタペタと、ビーチ・サンダルを鳴らして、並んで歩いた。湘南に生まれ育った人間としては、ごく当たり前のことなのだけれど……。
知り合って三ヵ月目。五月の末。一色海岸。広之から告白された時も、ビーチ・サンダルを履いていた。
六月のはじめ。たそがれの海岸道路。ファースト・キスをした時も、ビーチ・サンダルを履いていた。
初めて、彼の部屋に泊まったのは、六月中旬。梅雨《つゆ》に入ったところだった。彼のアパートの小さな庭。紫陽花《あじさい》の花が、細い糸のような雨に濡《ぬ》れていた。
わたし達は、短い夏を駆け抜けていった。
普通の恋人たちの何倍もの密度で、二人の時間を過ごしたと思う。
やがて、秋が過ぎ、冬になった。三月になると、わたしは、ハワイに出発する予定になっていた。けれど、わたし達に悲愴感《ひそうかん》はなかった。
「ちょっとした長距離恋愛だけど、しょっちゅう帰ってくるから」
わたしは言った。実際、日本――ハワイの航空券は、すごく安いディスカウント・チケットが出回っている。しかも、ハワイで航空券を買うと、さらに安いのだ。それなら、気が向いた時に帰ってこられる。
広之も、時間とお金ができたら、ウインドをやりにハワイに行くよと言った。
あれは、いまから一年前。一月の後半だった。わたしが出発する二ヵ月前だった。
わたしは、広之の部屋で夕食をすませた。食器を洗い終わったところで、広之が、〈ちょっと、防波堤までいこうぜ〉と言った。わたしは、〈こんな夜に、なぜ?〉という表情をした。
広之は、理由《わけ》は、歩きながら話すという。わたし達は、部屋を出た。最近、新しく出来た防波堤に向かって歩きはじめた。
真冬だけれど、風は吹いていなかった。あまり寒くなかった。満月が、わたし達を照らしていた。
歩きながら、広之が話す。
今夜は、一年のうちで、一番大きく潮が引くのだという。
普通、一ヵ月に二回、大きく潮が満ち引きする時がある。その二、三日は、文字通り、大潮と呼ばれている。
そうやって、毎月二回やってくる大潮にも、大小の差がある。そこまでは、わたしも知っていた。
広之が言うには、一月後半の今日は、もちろん大潮。しかも、一年で一番大きく潮が引くのだという。
広之は、腕のダイヴァーズ・ウォッチを見た。夜の一一時過ぎ。そろそろ、干潮。潮が一番引く時間だ。
広之の言ったアイデアは、こうだ。
いま、防波堤の海面すれすれに、わたし達二人の名前を刻み込む。そうすれば、その文字は、年に一回しか、海面の上に現れない事になる。
「毎年、その日になったら、ここに見に来ようぜ。いい記念になるよ」
広之は言った。
「なるほどね……」
わたしは、うなずいた。悪くないアイデアだと思った。広之にしては、やけにロマンティックだけれど……。
わたしと広之は、防波堤に来た。つい半月前に出来たばかりの防波堤だ。まだ、コンクリートが白っぽい。
満月が、あたりを明るく照らしていた。わたし達は、防波堤の外側に積み重ねられたテトラポッドを、階段のように使って、おりて行った。
広之は、シー・ナイフを取り出した。海面のすぐ上。ま新しいコンクリートに、二人の名前を刻んだ。アルファベットで、二人の名前を並べて刻み込んだ。
一〇分ぐらいで終わった。幸せな気分のわたし達を、月が照らしていた。
広之が死んだのは、その一週間後だった。交通事故だった。酔っぱらい運転のダンプが、センター・ラインを大きくはみ出して、彼の車と正面衝突したのだ。
広之は、即死だったという。わたしが救急病院にかけつけた時は、すべてが終わっていた。広之は、救急治療室ではなく、遺体の安置室に移されていた。彼の横顔は、まるで眠っているようだった。二度と醒《さ》めることのない眠り……。
その時、わたしの中で、ひとつの時計が止まってしまった。
一週間ほどは、ただ放心したような状態がつづいていた。やがて、少しずつ、普通の精神状態に戻りはじめていった。
三週間後。ハワイ行きは、とりやめない事にした。行く決心をした。葉山にいると、広之の事ばかり思い出してしまう。辛《つら》すぎる。半分は、逃げ出すような気分で、わたしは、ハワイ行きの飛行機に乗った。
ハワイに行ったのは、正解だったようだ。明るい陽射《ひざ》し。カラリと乾いた風。プルメリアの花の香り。そして、陽気で飾りけのない人たち……。氷のように固まっていた、わたしの心は、ゆっくりと解凍されていくようだった。
わたしは、英語の勉強も、熱心にやった。何かに熱中している瞬間だけ、広之の事を忘れられるからだ。
といっても、広之との思い出は、いつも、わたしの心に在《あ》った。沖を走るウインド・サーフィンの帆《セイル》を見るたびに、胸にせまってくるものがある。
そして、また、あの日が、やって来る。一年で一番、潮が引く日だ。二人の名前が、一年に一回だけ、海面から現れる日……。それを見るために、わたしは日本に戻って来たのだ。
〈松木ラーメン〉の営業は、夜の八時半で終わった。わたしが買ってきたサザエをつまみながら、みんなでビールを飲んだ。日頃あまり飲まない父も、珍しく、よく飲んだ。
明日も朝が早い仕事なので、家族の宴会は、一〇時で終わった。
夜の一一時過ぎ。わたしは、そっと家を出た。あの防波堤に向かった。
防波堤に着いた。今夜も、明るい満月が、わたしを照らしていた。風はなく、海は凪《な》いでいた。
わたしは、ゆっくりと、おりて行った。テトラポッドを足場に、ゆっくりと、おりて行った。
やがて、着いた。一年前、広之が二人の名前を刻んだ、あの場所に着いた。
けれど……。わたしは、〈え!?〉と心の中で叫んでいた。唖然《あぜん》として、その場所を見つめていた。
一年前、ま新しいコンクリートだった防波堤には、一面に貝がはりついていた。白っぽく小さな貝が、コンクリートの防波堤をびっしりとおおっていた。
もちろん、二人の名前も、貝におおわれてしまっている。わたしは、じっと、それを見つめていた……。
どのぐらい時間がたっただろう……。二〇分か……三〇分か……一時間か……。
わたしは、ゆっくりと、体を起こす。テトラポッドを、登る。防波堤に上がった。大きく息を吐いた。
海面は、満月を反射している。銀の板のように、渋く光っている。わたしは、そんな海を、眺めつづけていた。
やがて、思った。
これは、きっと、海からの思いやりなんだ……。そう思った。
愛する人の死……。それを忘れる事は、出来ないだろう……。たぶん、一生、忘れる事はない……。
けれど、それにとらわれたままでは、一歩も前に進めない。
〈それじゃダメなんだよ〉と、海が言っているようだった。
大切な人を失うことは、辛いに決まっている。けれど、誰もみな、悲しみを心に抱いたまま、一歩、前に踏み出さなければいけない。死んだ人の分まで、生きていかなければならないのだ。
防波堤に刻んだ二人の名前。それは、消えてしまったわけではない。小さな貝たちに包まれ、守られているのだ。かけがえのない思い出を、海が守ってくれているのかもしれない……。
わたしの心の傷も、けして消える事はないだろう……。けれど、それは、時間という包帯にくるまれて、痛みが、やわらいでいくのだろう……。
そして、わたしは、彼の分まで、彼が生きようとしていた分まで、日々を歩きつづけよう……。彼も、空の上で、それを望んでいるに違いない。
わたしは、顔を上げた。
その時、風が吹いた。一瞬、わたしの後ろから、海風が吹いた。まるで、わたしの背中を押したように……。
〈元気を出して〉
海が、そう言ってくれているようだった。
わたしは、深呼吸。ひんやりとした海風を、胸いっぱいに吸い込んだ。そして、歩きはじめた。ゆっくりと、けれど、しっかりとした足どりで、防波堤を歩きはじめた。ゆったりとした、さざ波の音が、聞こえていた。わたしは、歩きつづけた。
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あとがき
秋にしては気温の高い日だった。
土曜日。午後三時過ぎ。葉山の町には、陽射《ひざ》しが降り注いでいた。陽射しはかなり強く、夏の名残りが感じられた。
ノドが渇いた僕は、一軒のコンビニに入った。海岸近くの道路。片側一車線の道路に面したコンビニだ。そこで、スポーツ・ドリンクを一缶買った。
コンビニを出る。海からの風を頬《ほお》に感じる。いま買ったばかりのスポーツ・ドリンクを、立ったまま飲みはじめた。その時、彼女達に気づいたのだ。
コンビニの駐車場。いま、車は駐まっていない。そこに、|二〇歳《はたち》ぐらいの女の子が二人いた。二人とも、身なりからして、大学のヨット部員らしかった。いま、葉山では、女子のヨット学生選手権が開催されている。僕らが艇《ふね》でマリーナを出ると、数多くのディンギーとすれ違うのだった。
そこにいる二人は、いまさっき、海から上がってきた様子だった。一人がショートカットにしている。もう一人は、髪を後ろで一つに束ねている。束ねた髪の先からは、まだ、水滴が落ちていた。
髪を束ねた娘《こ》は、駐車場のすみにある低い車輪止めに、座り込んでいた。そして、両手で、顔をおおっていた。どうやら、泣いているらしい。
もう一人の娘《こ》も、すぐとなりに、しゃがみ込んでいる。どうやら、泣いている娘を、なぐさめているらしい。ショートカットの娘は、選手としてペアを組んでいる相手……。僕には、そう見えた。
やがて、泣いている娘が言った。
「……あと二秒だったのに……」
と言った。きょうが大会の予選なのか、決勝なのか、僕には、わからない。けれど、わずか二秒の差で敗れたらしい、その事だけは、わかった。
ショートカットの娘が、泣いている娘の肩を叩《たた》いた。微笑《ほほえ》みながら言った。
「……しょうがないじゃない。二秒差でも、負けは負けよ」
そして、
「……つぎ、頑張ろう」
と言った。泣いている娘の肩を、何回も何回も叩いた。やがて、泣いていた娘も、うなずいた。手で涙をぬぐう。かすかに、微笑んだ。
僕は、そんな彼女達の様子を、見るともなく眺めていた。やがて、スポーツ・ドリンクを飲み終わる。空き缶を、コンビニのゴミ箱に入れる。そっと、立ち去ろうとした。
さっきまで泣いていた娘《こ》の髪からは、まだ、水滴が落ちている。仲間になぐさめられて、かすかに微笑している。けれど、その横顔からは、悔《くや》しさのようなものが感じられた。
そんな彼女の背中に、僕は無言で、〈頑張れよ〉と声をかけた。ゆっくりと、歩きはじめた。陽射しの中を、歩きはじめた。
しばらく行って、一度だけ、ふり返った。彼女達は、まだ、コンビニの前でしゃがんでいた。一見、うちひしがれたような姿だった。けれど、僕には、彼女達が、少しだけ眩《まぶ》しく見えた。
彼女達の若さが眩しく感じられたというのではない。
わかりやすく説明すれば、こうだ。二秒差で試合に敗れた。そして、悔しくて泣いている。そんな、スポーツの世界が、眩しく見えたのだ。結果が明快に出る、スポーツの世界そのものが、一種、眩しく感じられたのだ。
ヨット・レースなら、普通、本部艇とマークを結ぶ線が、ゴール・ラインだ。そのゴール・ラインを走り過ぎてフィニッシュする。その時、結果は出ている。自分が勝ったのか敗れたのか。いい走りが出来たのか、出来なかったのか。それは、はっきりとしている。
しかし……。小説の場合は、どうだろう……。一編の物語を書き上げ、ゴールする。しかし、勝敗という形の結果は、もちろん出ない。いい走りが出来たのか、出来なかったのか……。それを教えてくれる誰かは、いない。スポーツのような明快さは、小説の世界にはないのだ。小説家の僕にとって、スポーツの世界がうらやましく感じられるのは、そこの所なのだろう。これは、長い間、思いつづけてきた事だ。
そして、最近思うのは、こうだ。ペンを走らせ、原稿を書き上げる。つまり、ゴールする。その時、いい走りが出来たのか、出来なかったのか……それを判断するのは、結局、自分自身でしかないのだろう……。
そんな思いを心に抱いて、今回の本の校正刷りを、読みなおす……。何位でゴール出来たのかは、もちろんわからない。けれど、自分なりに、いい走りが出来た、その手ごたえは、はっきりと感じられた。僕は、かなり満足した気分で、校正刷りに手を入れはじめた。
この文庫におさめられた九編のストーリーは、もともと、朗読するための物語として書かれたものです。
約二年前、とまどいと照れを感じながらも、僕は、自分のファン・クラブというものをつくりました。
僕の本を手にしてくれる人は、ずっと読みつづけてくれている熱心な固定読者が多いというのが、その理由でした。
そんな熱心な読者の方たちから、愛読者のためのクラブをつくって欲しいというリクエストをもらったのが、ファン・クラブ設立の出発点でした。(このファン・クラブの案内は、あとがきの最後にあります)
クラブはいま、順調に運営されています。
このファン・クラブの会員には、毎月、一本のカセット・テープが送られてきます。『ココナッツ・クラブ』と名づけられたそのテープは、僕の短編小説を、文字から音に置きかえたものです。
このプログラムの構成を、ごく簡単に言ってしまうと、こうです。
主にバラード調のBGMをバックに、プロのナレーターが、僕の短編小説を読み上げてくれます。そして、小説のラストには、僕がやっているバンド〈キー・ウエスト・ポイント〉の演奏がエンディング・テーマとして流れます。
僕は毎月、かなり楽しみながら、この『ココナッツ・クラブ』のために短編小説を書いています。そして今回、その短編小説に手を入れて、一冊の文庫本にしたというわけです。
もともと、ナレーターの方が読むために書いた原稿なので、かなりシンプルに、サラリと書いてあります。今回、それを本という形にするために、部分的には、かなり加筆しました。テープと比べてもらえば、よくわかると思います。さらに、二編は、タイトルも変えました。
原題『お帰り、ヨーコ』は、『永遠にまじわらない二本のレール』に。
原題『ファースト・キスは防波堤だった』は、『ビーチ・サンダルで告白した』に。
それぞれ改題しました。
物語九編のすべてが、広い意味でのラヴ・ストーリーです。プライドと笑顔を忘れない女性達が登場します。楽しく読んで、少しでも元気の素《もと》になってくれれば、作者としては幸せです。
さて。話は、変わります。いま、僕の艇《ふね》、〈マギー・ジョー〉では、一緒に海に出てくれるクルーを、若干名、募集しています。むずかしい条件は、ありません。
@海と釣りが何より好きで,テキパキと動ける。A(基本的に)船酔いしない。Bトローリングはチームワークの釣りなので、協調性がある。Cうちの艇には、船員学校を出たクルーや、J.G.F.A.の公認審査員のクルーなどもいますが、そういう先輩クルーの言葉を素直にきける謙虚さがある。D夜明けの四時、五時に葉山マリーナを出港するので、出来れば、神奈川県か東京周辺に住んでいる方。
このぐらいが条件です。逆に、トローリングの経験や、船舶免許などは、必要ありません。(もちろん、あってもいい)
シーズンのピークは、伊豆の下田《しもだ》や、新島《にいじま》あたりまでは行くし、カジキが相手となれば命がけなので、トローリング中はみな緊張していますが、陸に上がれば、和気あいあいのチームです。(基本的に、クルーの上下関係などありません。みな、仲間です)
ちなみに、二〇〇〇年の今シーズン、うちは一六〇キロを筆頭に、四匹のカジキを釣り上げました。そのうちの三匹は、今シーズンからうちの艇に乗るようになった新人クルーが釣りました。(ファースト・マーリンを上げたアングラーが、三人誕生したわけです)
うちのターゲットは主にカジキですが、カジキ・シーズンの前後は、ライト・タックルもやります。つい一〇月のはじめも、12ポンド・ラインでカツオを釣り、日本記録の申請をしています。
というわけで、希望者は、ファン・クラブ事務局あてに、連絡をください。(ファン・クラブ事務局の連絡先は、このあとがきの最後にあります)
うちの艇の母港《ホーム・ポート》である葉山マリーナの皆さん、サービスセンター葉山の皆さん、いつもお世話さまです。
いつも僕をリラックスさせてくれる、逗子《ずし》マリーナ・スポーツサロンの皆さん、ありがとう。
J.G.F.A.(ジャパン・ゲームフィッシュ協会)の皆さん、今シーズン、お疲れさまでした。二〇〇一年も、気持ちのいい釣りをしましょう!
そして、海にばかり出ていて仕事のはかどらない作者に、根気よくつき合ってくれた、角川書店の三浦玲香さん、お疲れさまでした。
最後に、この本を手にしてくれたすべての読者の方へ、ありがとう! また会える時まで、少しだけグッドバイです。
(つぎの光文社文庫は、来年二月頃の発売予定です。待っていてください)
[#地付き]紅葉の葉山で  喜 多 嶋 隆
角川文庫『ビーチ・サンダルで告白した』平成12年11月25日初版発行