吉川英治
神州天馬侠(三)
目 次
鉱山《かなやま》掘夫《ほり》の知らぬ山
山《やま》掘夫《ほり》、山《やま》にからかわれる
毒水《どくすい》に酔《よ》う砦《とりで》
緋《ひ》おどし谷《だに》の少女《しようじよ》たち
汝《なんじ》ら! なにを笑《わら》うか?
地蔵行者《じぞうぎようじや》の変《かわ》った旅《たび》
諏訪神《すわがみ》さまの禁厭灸《まじないきゆう》
馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の奇遇《きぐう》
勘助流火合図《かんすけりゆうひあいず》
こんがら・せいたか
三太郎猿《さんたろうざる》の早飛脚《はやびきやく》
星《ほし》に泣《な》く使者《ししや》
愛《あい》の旅人《たびびと》
築城《ちくじよう》の縄取《なわど》り盗《ぬす》み
ひとり探《さが》す子・ふたりの子
兵法大講会《へいほうだいこうえ》
虚空《こくう》に飛《と》んだ栴檀刀《せんだんとう》
美女天《びじよてん》に遊《あそ》ぶ
文殊菩薩《もんじゆぼさつ》とほか四|菩薩《ぼさつ》
紅白《こうはく》の鞠盗《まりぬす》み
幕裏《まくうら》にひそむ妖術師《ようじゆつし》
神馬草薙《しんめくさなぎ》と早足《はやあし》の男
神《かみ》は欺《あざむ》くべからず
刑罰《けいばつ》の千|年《ねん》山毛欅《ぶな》
菊亭家《きくていけ》の密使《みつし》
故郷《ふるさと》へ、西《にし》の都《みやこ》へ
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鉱山《かなやま》掘夫《ほり》の知らぬ山
そのおなじ日の落ちゆく陽脚《ひあし》をいそいで、まだ逆川《さかさがわ》に夕照《ゆうで》りのあかあかと反映《はんえい》していたころ、小夜《さよ》の中山《なかやま》、日坂《につさか》の急《きゆう》をさか落としに、松並木《まつなみき》のつづく掛川《かけがわ》から袋井《ふくろい》の宿《しゆく》へと、あたかも鉄球《てつきゆう》がとぶように、砂塵《さじん》をついて疾走《しつそう》していく悍馬《かんば》があった。
くろく点々《てんてん》と、その数《かず》三|頭《とう》。
いうまでもなく小太郎山《こたろうざん》から、伊那丸《いなまる》の急変《きゆうへん》に鞭《むち》をはげましてきた小幡民部《こばたみんぶ》、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》、巽小文治《たつみこぶんじ》の三|勇士《ゆうし》である。
天龍《てんりゆう》の瀬《せ》を乗っきって、遮二無二《しやにむに》笠井《かさい》の里《さと》へあがったのも夢《ゆめ》心地《ごこち》、ふと気がつくと、その時はもう西《にし》遠江《とおとうみ》の連峰《れんぽう》の背に、ゆうよのない陽《ひ》がふかく沈《しず》んで、刻一刻《こくいつこく》、一跳一足《いつちよういつそく》ごとに、馬前《ばぜん》の暮色《ぼしよく》は濃《こ》くなっていた。
「暮《く》れたぞ! 暮れたぞ!」
蔦之助《つたのすけ》は鞭《むち》も折れろとばかり、ぴゅうッと馬背《ばはい》を打ってさけんだ。馬もはやいがより以上《いじよう》に、こころは三方《みかた》ケ原《はら》にいっている。
「刑場《けいじよう》はもう近い! 落胆《らくたん》するな、気をくじくな!」
と、民部《みんぶ》はいよいよ手綱《たづな》に勢《せい》をつけて、そればかりはげましてきた。
しかし、ああしかし、その三方ケ原の北端《ほくたん》をのぞんだ時には、もう夕刻《ゆうこく》とはいいがたい、すでに夜である。草と平《たいら》にうっすらとした月光さえ流れてきた。
すると原の道をちりぢりにくる人かげが見えだした。みな浜松《はままつ》の城下《じようか》へかえっていく見物人《けんぶつにん》である。それを見ると巽小文治《たつみこぶんじ》は、
「ウウム、ざんねんッ――間《ま》に合わなかった! もはや刑場《けいじよう》のことがすんだとみえて、みなあの通りにもどってくる」
と、歯《は》がみをして、われとわが膝《ひざ》を、かかえている槍《やり》の柄《え》でなぐりつけた。
民部のようすもさすがに平色《へいしよく》ではなかった。それを見ても、なお気をくじくなとははげましきれなかった。かれは、道々すれちがった町人《ちようにん》に、都田川《みやこだがわ》のもようをたずねたがそれは、みな伊那丸《いなまる》以下《いか》のものが、菊池半助《きくちはんすけ》の斬刀《ざんとう》に命《いのち》をたたれて、その首級《しゆきゆう》も河原《かわら》の獄門《ごくもん》にさらしものとなった、という答《こた》えに一致《いつち》していた。
絶望《ぜつぼう》! 三人は馬から落ちるように草原へおりて、よろよろと腰《こし》をついてしまった。
民部《みんぶ》はものをいわなかった。小文治も黙然《もくねん》とふかい息《いき》をつくのみだった。蔦之助もまた暗然《あんぜん》と言葉をわすれて、無情《むじよう》な星《ほし》のまたたきに涙《なみだ》ぐむばかり……
「ぜひがない! おれは一足《ひとあし》さきにごめんこうむる!」
小文治《こぶんじ》はいきなり脇差《わきざし》をぬいて自分の腹《はら》へつき立てようとした。と一しょに蔦之助《つたのすけ》も、
「おお、この期《ご》になってなんの生き甲斐《がい》があろう。小文治、拙者《せつしや》もともに若君《わかぎみ》のお供《とも》をするぞッ」
と、同じく自害《じがい》の刃《やいば》を取りかける。
「これッ――」と、民部は叱《しか》りつけるような語気《ごき》で、左右《さゆう》にふたりの腕《うで》くびをつかみながら、
「なにをするのかッ!」
「おたずねはむしろ意外《いがい》にぞんじます」
「死のうという考えならしばらくお待ちなさい」
「すでに伊那丸君《いなまるぎみ》がごさいごとわかった以上《いじよう》は、いさぎよくお供《とも》をして、臣下《しんか》の本分《ほんぶん》をまっとういたしとうござります」
「ご心情《しんじよう》はさもあること。しかしまだそのまえに、臣《しん》としての役目がいくらものこされてある。都田川《みやこだがわ》にかけられた御《み》首級《しるし》をうばって、浄地《じようち》へおかくし申すこと。また刑刀《けいとう》をとった菊池半助《きくちはんすけ》を討《う》って、いささか龍太郎《りゆうたろう》や忍剣《にんけん》の霊《れい》をなぐさめることも友情の一ツ。さらに、しばらくこらえて小太郎山《こたろうざん》の味方《みかた》をすぐり、怨敵家康《おんてきいえやす》に一矢《いつし》をむくいたのちに死ぬとも、けっして若君《わかぎみ》のお供《とも》におくれはいたしますまい」
民部のかんがえ方《かた》は、どういう絶望《ぜつぼう》の壁《へき》に打《ぶ》つかっても、けっして狂《くる》うことがなかった。情熱《じようねつ》の一方に走りがちな蔦之助《つたのすけ》や小文治《こぶんじ》は、それに、反省《はんせい》されはげまされて、ふたたび馬の背《せ》にとび乗った。
そしてふと。
夜色《やしよく》をこめた草原のはてを鞍上《あんじよう》から見ると――はるかに白々《しらじら》とみえる都田川《みやこだがわ》のほとり、そこに、なんであろうか、一脈《いちみやく》の殺気《さつき》、形なくうごく陣気《じんき》が民部に感じられた。
「はてな? ……」
眸《ひとみ》をこらしてみつめていると、ときおり、面《おもて》をなでてくる微風《びふう》にまじってかすかな叫喚《きようかん》……矢唸《やうな》り……呼子笛《よびこぶえ》……激闘《げきとう》の剣声《けんせい》。
「計策《けいさく》は図《ず》にあたったぞ!」
と呂宋兵衛《るそんべえ》がさけび、しめたと菊池半助《きくちはんすけ》がいったところからみると、きょう都田川《みやこだがわ》でおこなわれた刑罪《けいざい》は、家康《いえやす》が呂宋兵衛と半助にふかくたくらませてやった、一つの計《はか》りごとであったことはうたがいもない。
すなわち家康は、さきに伊那丸《いなまる》の主従《しゆじゆう》が、桑名《くわな》からこの浜松《はままつ》へはいってくるという呂宋兵衛の密告《みつこく》はきいたが、容易《ようい》にそのすがたを見出《みいだ》すことができないので、奉行所《ぶぎようしよ》の牢内《ろうない》にいる罪人《ざいにん》のうちから、同じ年ごろの僧侶《そうりよ》と少年と六部《ろくぶ》とをよりだし、服装《ふくそう》までそれらしく似《に》かよわせて、わざとことごとしく斬《き》らせたのだ。
つまり、虚《きよ》をつたえて実《じつ》をさそう、ひとつの陥穽《かんせい》を作らせたのだ。そしてかならず、その日の見物《けんぶつ》のうちには、まことの伊那丸《いなまる》や龍太郎《りゆうたろう》が入《い》りまじってくるにちがいないといった。で、群集《ぐんしゆう》のなかには、百人の伊賀衆《いがしゆう》を変装《へんそう》させてまきちらし、片《かた》っぱしからその顔を改《あらた》めていたのである。
はたして、伊那丸の主従《しゆじゆう》は、捕《と》らえられもせぬじぶんたちが、きょう刑場《けいじよう》で斬《き》られるといううわさを聞いて、奇異《きい》な感じに誘惑《ゆうわく》された。
にせ首を斬らせて、まことの首を得《え》ようと計《はか》ったもくろみは、かれらにとって筋書《すじがき》どおりにいったのである。
もとより龍太郎も忍剣も、この奇怪《きかい》な事実《じじつ》が、意味《いみ》もないものだとは思わなかったが、そうまでの落とし穴《あな》とは気がつかなかった。
「あッ!」
と獄門台《ごくもんだい》のそばをはなれたときには、すでに、敵影《てきえい》八面《はちめん》に満《み》ちている。
呂宋兵衛《るそんべえ》は、今夜こそ伊那丸をとらえて、家康にひとつの功《こう》を立てようものと、銀鞭《ぎんべん》をふるってじぶんたちの一味《いちみ》、丹羽昌仙《にわしようせん》や早足《はやあし》の燕作《えんさく》や、二、三十人あまりの野武士《のぶし》たちを、獣使《けものつか》いのようにケシかけた。
菊池半助《きくちはんすけ》はその側面《そくめん》にかかって、部下《ぶか》の変装組《へんそうぐみ》に、激励《げきれい》の声をからした。軽捷《けいしよう》むひな伊賀者《いがもの》ばかりが、百人も小具足術《こぐそくじゆつ》の十手《じつて》をとって、雨か、小石かのように、入れかわり立ち代《かわ》り、三人の手足にまといついてくるには、野武士《のぶし》の大刀などよりも、むしろ防ぎなやむものだった。
龍太郎の戒刀《かいとう》は、四角《しかく》八面《はちめん》に斬《き》って斬って、柄《つか》まで血汐《ちしお》になっていた。
一揮風《いつきかぜ》をよび、一打颯血《いちださつけつ》を立てるものは、加賀見忍剣《かがみにんけん》の禅杖《ぜんじよう》でなくてはならない。さきに身代《みがわ》りの自分の首に引導《いんどう》を渡《わた》して、都田川《みやこだがわ》へ水葬礼《すいそうれい》をおこなった快侠僧《かいきようそう》、なんとその猛闘《もうとう》ぶりの男々《おお》しさよ! 生命力《せいめいりよく》の絶倫《ぜつりん》なことよ!
見るまに、かれと龍太郎の犠牲《にえ》となる者のかずが知れなかった。そのふたりにまもられながら伊那丸《いなまる》も小《こ》太刀《だち》をぬいて幾人《いくにん》か斬《き》った。だが、かれは敵《てき》をかけまわして浴《あ》びせかけることはしない。身を守って、よりつく者を斬りたおすばかりであった。
それは、平時に民部《みんぶ》の教えるところであった。民部は伊那丸を勇士猛夫《ゆうしもうふ》の部類《ぶるい》には育てたくなかった。器《うつわ》の大きな、徳《とく》のゆたかな、品位《ひんい》と天稟《てんぴん》のまろく融合《ゆうごう》した名将《めいしよう》にみがきあげたいと念《ねん》じている。
伊那丸はそうして最後を見ていた。
しずかに、覚悟《かくご》の機会《きかい》を待っていた。
いくら、追《お》っても斬りふせても、三方《みかた》ケ原《はら》からわいてでる敵の人数は、少しもへっていくとは見えない。
そして、都田川を背水《はいすい》にしいて、やや、半刻《はんとき》あまりの苦戦をつづけていると、フイに、思いがけぬ方角《ほうがく》から、ワーッという乱声《らんせい》があがった。
「それッ、獄門《ごくもん》の御《み》首級《しるし》をうばえ」
「うぬ、伊那丸《いなまる》さまのかたきの片《かた》われ!」
と、馬首《ばしゆ》をあげておどってきた影《かげ》! 黒々《くろぐろ》とそこに見えた。
そのまッ先に乗りつけてきたのは、朱柄《あかえ》の槍《やり》をもった巽小文治《たつみこぶんじ》である。
「退《ど》けどけどけ、邪魔《じやま》するやつはこの槍《やり》を呑《の》ますぞ」
とばかり、まっしぐらに獄門台の前まできたが、
「やッ、み首級がない!」
「なに、み首級がないと? さては逃《に》げたやつらが素早《すばや》くどこかへかくしたのだろう。それ、向こうの河原《かわら》に馳《か》けたやつを引きとらえてみろ!」
蔦之助《つたのすけ》は馬上からそこの高札《こうさつ》を引きぬいてふりかざし、どっと、十四、五|間《けん》ほどかけだしたが、あッ――と思うまに蔦之助、くぼの草かげから閃《ひら》めいた銀鞭《ぎんべん》にはらわれて、馬もろとも、ドーンともんどり打ってたおれてしまった。
「やッ、どうした?」
と、小文治が乗りつけてみると、ひとりの怪人《かいじん》、蔦之助を組《く》みふせて鋭利《えいり》な短刀をその胸板《むないた》へ突《つ》きとおそうとしている。
「おのれ!」
くりだした槍。
黒衣《こくい》の影《かげ》は、そのケラ首をつかんでふりかえった。
「あッ、呂宋兵衛《るそんべえ》」
とおどろいたせつなに、小文治《こぶんじ》の馬も屏風《びようぶ》だおれにぶったおれた。朱柄《あかえ》の槍先《やりさき》をつかんでいた呂宋兵衛も、それにつれてからだを浮《う》かした。
「得《え》たり!」
とはね起きた蔦之助《つたのすけ》、持ったる高札《こうさつ》で黒衣の影《かげ》に一|撃《げき》をくらわせた。すごい声をあげたのは呂宋兵衛、したたかに肩《かた》を打たれたのだ。そして疾風《しつぷう》のごとく逃《に》げだした。
追《お》おうとすると横合《よこあい》から、小文治の馬腹《ばふく》をついた菊池半助《きくちはんすけ》が、槍をしごいてさまたげた。
「よし、ひきうけた」
と朱柄の槍がからみあう。
黒樫《くろがし》の槍と朱柄の槍、せんせんと光を合わしてたたかっている。
それは小文治にまかせて、蔦之助は逃げる呂宋兵衛を追っていく、へんぺんと風をくぐって同じ色の闇《やみ》にまぎれていく黒衣のはやさ、たちまち見うしなって河原《かわら》へくだると、不意《ふい》に、引っさげていた高札《こうさつ》が、屋根板《やねいた》のようにくだけて手から飛んだ。
「何奴《なにやつ》?」と大刀をぬく。
相手に眼をつけるまもあらばこそ、ぶーんッとうなってくる鉄《てつ》の禅杖《ぜんじよう》。
発矢《はつし》、火花《ひばな》!
「待てッ!」と、うしろで伊那丸《いなまる》がさけんだ。
「蔦之助《つたのすけ》ではないか! 忍剣《にんけん》、待て!」
「オオ加賀見《かがみ》――ヤヤ、そちらにおいで遊《あそ》ばすのは若君《わかぎみ》? ……」
とあっけにとられて立ちすくんでいると、そこへ奇遇《きぐう》におどろきながら、小幡民部《こばたみんぶ》と龍太郎《りゆうたろう》がうちつれて馳《か》けつけてくる。
小文治《こぶんじ》も相手の半助をいっして、かなたこなたをさまよった後《のち》、やがて、ここの人かげを見つけて走ってきた。
はしなく落ちあった主従《しゆじゆう》は、かたく手をとって喜びあった。
どうしてここへ?
どうして生きて?
同じ問いが双方《そうほう》の口をついてかわされた。
嵐《あらし》のような声つなみがいくたびかくりかえされて、月は三方《みかた》ケ原《はら》の東から西へまわった。
渋面《じゆうめん》をつくった呂宋兵衛《るそんべえ》と、にがりきった菊池半助《きくちはんすけ》とが、片輪《かたわ》や死骸《しがい》になった味方《みかた》のなかに立ってぼんやりと朝の光を見ていた。
敵《てき》はどうした! 敵は?
陽《ひ》が高くあがったが、その行方《ゆくえ》はついにわからなかった。
家康《いえやす》の不首尾《ふしゆび》な顔が思いやられる……
「どうするんだ、この復命《ふくめい》を?」
「どうするったッて、ありのままに申しあげて、おわびを願うよりほかにない」
「計略《けいりやく》はうまくあたったんだが……」
「あんな助《すけ》太刀《だち》がうしろを衝《つ》いてこようとは思わなかったからなあ」
気をくさらして、疲《つか》れたからだをグッタリと草の上に投げあった。その顔へ、ブーンと虻《あぶ》がなぶってくる。
「ちイッ……」
と半助は舌《した》打ちをした。
そのころ武田伊那丸《たけだいなまる》は、ゆらゆらと駒《こま》にゆられて、大井川《おおいがわ》の上流、地蔵峠《じぞうとうげ》にかかっていた。
五人の屈強《くつきよう》なるものが、その前後《ぜんご》につきしたがっている。
この裏道《うらみち》をくるのにも、とちゅう、一、二ヵ所《しよ》の山関《やまぜき》があったが、小人数《こにんずう》の関守《せきも》りや、徳川家《とくがわけ》の名もない小役人などは、この一行《いつこう》のまえには、鎧袖一触《がいしゆういつしよく》の価《あたい》すらもない。
山路《やまじ》の険《けわ》しさはあるが、道は坦々《たんたん》、無人《むじん》の境《きよう》をすすむごとしだ。
武田《たけだ》一党《いつとう》のまえには、洋々《ようよう》としたひろい光明《こうみよう》が待っているかと感ぜられる。見よ! もう大根沢《おおねざわ》の渓谷《けいこく》のあいだから、莞爾《かんじ》とした富士《ふじ》のかおが、伊那丸の無事《ぶじ》をむかえているではないか。
立って地蔵峠《じぞうとうげ》の頂《いただき》からふりかえると、もう三方《みかた》ケ原《はら》は遠《とお》くボカされて、ゆうべのことも夢《ゆめ》のようだ。
あおい駿河《するが》の海岸線の一端《いつたん》には、家康《いえやす》の居城《きよじよう》が、松葉でつつんだ一|個《こ》の菓子《かし》のごとく小さく望《のぞ》まれる。
「さだめしいまごろは、あのむずかしい顔を一そうむずかしくしているだろう」
と思う想像《そうぞう》が、みんなの顔に、禁《きん》じえないほほえみをのぼせた。
なにか、今日ばかりは、はればれしい旅《たび》ごこちがした。伊那丸《いなまる》も民部《みんぶ》も、そして、龍太郎《りゆうたろう》やそのほかの者も。
そう思うこころの矢《や》さきへ、峠《とうげ》の間道《かんどう》を、のんきな唄《うた》がとおっていった。崖《がけ》の下へきた時に、小文治《こぶんじ》がのぞいてみると、裾野《すその》で見おぼえのある鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》、唄《うた》は、おともの蛾次郎《がじろう》が、大きな口を天へむかって開いているのだ。
「オヤ」
と、向こうで気がついて、すぐわき道へ影《かげ》をかくしたので、一行《いつこう》の者もあえて追《お》わず、そのままさきをいそいでゆく。
そしてようよう、駿遠《すんえん》の山境《さんきよう》を踏破《とうは》してきた。もとより旅人《たびびと》もあまり通らぬ道、里数《りすう》はあまりはかどらない。服織《はとり》という二、三十|戸《こ》の山村《さんそん》、みな素朴《そぼく》な山家者《やまがもの》らしいので、その一|軒《けん》へ伊勢《いせ》の郷士《ごうし》といつわって宿《やど》をかりた。
はいった家は、その村の長《おさ》の邸《やしき》らしい。
土着《どちやく》の旧家《きゆうか》らしい土塀《どべい》や樹木《じゆもく》が、母屋《おもや》を深くつつんでいた。
渓流《けいりゆう》へいってからだを洗《あら》い、宿の主《あるじ》にひかれて、奥《おく》の一|室《しつ》へ落ちつくと、床《とこ》に一|幅《ぷく》の軸《じく》がかかっていた。それはその部屋《へや》へはいったとたんに、だれにもすぐ目についた。
伊那丸《いなまる》はサッと色をかえて、
「亭主《ていしゆ》」と案内《あんない》してきた村長《むらおさ》を見おろした。
「はい、なにかお気にさからいましたか」
「この石摺《いしず》りの軸はどうしてそちが手に入《い》れた」
「ああ、それは石摺りと申しますか。じつはわたしにもよく読めませず、へんなものだと思いましたが、このあいだ、村へまよってまいりました妙《みよう》な老人が、宿《やど》をかりた礼《れい》にといって、自分でかけてまいりましたので、そのままほッておいたのでござります」
「忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》。これを見い!」
と伊那丸はさらに床《とこ》の間《ま》にちかづいて指さした。それまでは他《ほか》の者も、なにか、得体《えたい》の知れない、ただ岩《いわ》の肌《はだ》へ墨《すみ》をつけてそれを転写《てんしや》した碑文《ひぶん》かなにかと思っていた。が、そういわれてよく見ると、まっ黒な黒と白い筋《すじ》のあいだに二|行《ぎよう》の文字が刷《す》りだされてある。
「あッ!」龍太郎はぎょッとした。忍剣もふしぎにたえない面持《おももち》であった。
父子《ふし》の邂逅《かいこう》はむなしく
小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》はあやうし
いつか、京都の舟岡山《ふなおかやま》、雷神《らいじん》の滝《たき》の岩頭《がんとう》に、果心居士《かしんこじ》が彫《ほ》りのこしていった二|行《ぎよう》の予言《よげん》!
それが岩のしわ目と文字の痕《あと》をほの白く、そッくりそのまま、石摺《いしず》りに写《うつ》ってここにあるのではないか。
勝頼《かつより》と伊那丸《いなまる》のことを、未然《みぜん》に暗示《あんじ》した一|行《ぎよう》の文字はいま思えばあたっていた。戦慄《せんりつ》すべきもう一|行《ぎよう》の予言《よげん》! 小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》があやういとはどういうわけか? それは伊那丸にも民部《みんぶ》にも、どうしてもわからなかった。
村長《むらおさ》の話をきけば、数日前に、この家《うち》へとまって飄然《ひようぜん》と去《さ》ったという妙《みよう》な老人というのこそ、どうやら果心居士であるような気がする。
躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》というのは、甲府《こうふ》の町に南面《なんめん》した平城《ひらじろ》である。
平城というのは、天嶮《てんけん》によらず平地《へいち》にきずいた城塞《じようさい》のことで、要害《ようがい》といっては、高さ一|丈《じよう》ばかりの芝土手《しばどて》と、清冽《せいれつ》な水をあさく流した濠《ほり》があるだけだ。
土手は南北百六|間《けん》、三ツの郭《くるわ》にわかれ、八|門《もん》の石築《いしづき》に出入《でい》りを守《まも》られている。
青銅瓦《せいどうがわら》のご殿《てん》の屋根《やね》、樹林《じゆりん》からすいてみえる高楼《たかどの》づくりの朱《しゆ》の勾欄《こうらん》、芝《しば》の土手《どて》にのびのびと枝ぶりを舞《ま》わせている松のすがたなど城というよりは、まことに、館《たち》とよぶほうがふさわしい。
甲斐《かい》の土は一|歩《ぽ》も敵にふませぬ。
終生《しゆうせい》このことばをもって通した信玄《しんげん》には、ものものしい要害《ようがい》は無用《むよう》であった。けれど、勝頼《かつより》が敗《やぶ》れたのちは、その躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》も、織田《おだ》の代官《だいかん》の居邸《きよてい》となり、さらにそののち火事泥的《かじどろてき》に甲府《こうふ》へ兵をだしてかすめとった小田原《おだわら》の北条氏直《ほうじよううじなお》が持主《もちぬし》にかわった。
氏直が甲府を手にいれたと知ると、家康《いえやす》は眉《まゆ》をひそめた。
「もし小太郎山《こたろうざん》と甲府とが結《むす》びついたら? どうだろう?」
想像《そうぞう》するだけでもおそろしいことだと思った。
で、かれ一流《いちりゆう》の反間苦肉《はんかんくにく》の策《さく》をほどこし、奇兵《きへい》をだして、躑躅ケ崎の館をうばった。それは、伊那丸《いなまる》が京都へいっているあいだのできごとであった。
大久保石見守長安《おおくぼいわみのかみながやす》は、家康の腹心《ふくしん》で、能役者《のうやくしや》の子から金座奉行《きんざぶぎよう》に立身《りつしん》した男、ひじょうに才智《さいち》にたけ算盤《そろばん》にたっしている。家康はその石見守を甲府の代官とした。そして甲州《こうしゆう》には昔からの金坑《きんこう》があるから、できうるかぎりの金塊《きんかい》を浜松におくれと命《めい》じた。
でなくてさえ強慾《ごうよく》な石見守は、私腹《しふく》をこやすためと家康のきげんをとるために、金坑|掘夫《ほり》をやとって八方へ鉱脈《こうみやく》をさぐらせる一方に、甲斐《かい》の百姓町人《ひやくしようちようにん》から、ビシビシと苛税《かぜい》をしぼりあげて、じぶんは躑躅ケ崎の館で、むかしの信虎《のぶとら》時代もおよばぬほどなぜいたくをきわめている。
「畜生《ちくしよう》ッ、あばれるか! 手向《てむ》かいをすると耳をきるぞ! 脛《すね》をぶッぱらうぞ! 歩けッ、歩けッ、うぬ歩かんか」
腕《うで》まくりをした若侍《わかざむらい》が八、九人。
いま、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の石門《いしもん》のなかへ、ひとりの百姓をしばりつけてきた。
「おとうさんを助けてくださいませ! もし、おとうさん、あやまってください、お武家《ぶけ》さま、堪忍《かんにん》してあげてくださいませ」
十五、六の女の子。その百姓の娘《むすめ》らしい。人目《ひとめ》もなく泣《な》きながら若侍の腕《うで》にすがりつくのを、
「えい、きさまも片《かた》われだ!」と、大きな掌《てのひら》で頬《ほお》をなぐった。
娘はワーッと声をあげて泣く。百姓は気狂《きちが》いのように猛《たけ》る。それを仮借《かしやく》なくズルズルと引きずってきて、やがて、大久保石見《おおくぼいわみ》が酒宴《しゆえん》をしている庭先《にわさき》へすえた。
「なんだ、そのむさくるしい人間は?」
石見守は、近習《きんじゆう》に酌《しやく》をさせながら、トロンとした眼で見おろした。若侍は膝《ひざ》をついて、
「こいつ、ただいまご城下《じようか》の辻《つじ》で、信玄《しんげん》の碑《ひ》のまえへ供物《くもつ》をあげながら、徳川家《とくがわけ》のことを悪《あし》ざまにのろっておりました」
「斬《き》ッてしまえ」
酒をふくみながら石見守《いわみのかみ》はかんたんにいった。
「ついでに、あの信玄《しんげん》の石碑《せきひ》なども、濠《ほり》のそこへ投げこんでしまうがいい。あんなものを辻にたてておくから、いつまでも百姓《ひやくしよう》や町人《ちようにん》めが、旧主《きゆうしゆ》をわすれず新しい領主《りようしゆ》をうらみに思うのだ」
若侍《わかざむらい》はただちに刀を抜《ぬ》いた。
石見守は盃《さかずき》を重《かさ》ねて見てもいなかったが、バッと音がしたので庭先《にわさき》へおもてを向けてみると、もう百姓と娘《むすめ》の死骸《しがい》がふたところにつッ伏《ぷ》していた。
「殿《との》さま!」
そこへ、ひとりの小侍《こざむらい》が、あわただしい足音をさせて、一|封《ぷう》の早《はや》打状《うち》をもたらしてきた。
大きな黒印《こくいん》がすわっている。徳川家康《とくがわいえやす》の手状《しゆじよう》だ。
「おッ、なんだろう?」
かれも少し酒《さけ》の気をさまして、いそがわしく封《ふう》を切った。またその下にも封緘《ふうかん》がしてある。よほど大事なことだなと思った。
「これ、伊部熊蔵《いのべくまぞう》をよべ、奥《おく》の鉱石庫《かなぐら》にいるはずじゃ」
その手紙を巻《ま》きおさめながら、こういった石見守の顔色《かおいろ》は尋常《じんじよう》でない。
鉱山目付《かなやまめつけ》の伊部熊蔵、奥のほうから庭伝《にわづた》いにとんできた。大久保石見《おおくぼいわみ》は酒席《しゆせき》につっ立って、庭先にいる中戸川弥五郎《なかどがわやごろう》という若侍へ、
「その見ぎたない百姓と娘の死骸を、はやくどこかへ取りかたづけろ」
と苦々《にがにが》しくいいつけて、
「おお熊蔵、むこうへまわれ、浜松《はままつ》からの早《はや》打状《うち》で、そちに申しつける急用ができた」
と、離室《はなれ》のほうへ顎《あご》をさして、そのなかへ密談《みつだん》にすがたをかくしてしまった。そして半刻《はんとき》ばかりすると、伊部熊蔵《いのべくまぞう》、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》の外郭《そとぐるわ》へ駈《か》けだしてきて、ピピピピと山笛《やまぶえ》を吹いた。
鉱石庫《かなぐら》の外や内《うち》ではたらいていた荒《あら》くれ男は、その山笛をきくと持っている槌《つち》も天秤《てんびん》もほうりなげて、ワラワラと熊蔵のいる土手《どて》の下へあつまってきた。
「おい、すばらしい鉱脈《こうみやく》が見つかったんだ」
熊蔵はこういって、鉱山《かなやま》掘夫《ほり》一同の顔をジロリと見わたした。どれもこれも山男のようなたくましい筋肉《きんにく》と、獰猛《どうもう》な形相《ぎようそう》をもっていて、尻切襦袢《しりきりじゆばん》へむすんだ三|尺帯《じやくおび》の腰《こし》には、一本ずつの山刀《やまがたな》と、一本ずつの鉱石槌《かなづち》をはさんでいる。鷲《わし》のくちばしのようにするどく曲《まが》ってキラキラ光っている鉱山槌だ。
「ヘエ」と、みんなバカにしたような面《つら》がまえで、熊蔵のことばを冷笑《れいしよう》した。
「どうして素人《しろうと》にそんなものが見つかったんですえ?」
「素人? ふふん、貴様《きさま》たちみたいに、銅脈《どうみやく》ばかりさぐりあてる玄人《くろうと》とはちがって、しかもこれは金鉱《きんこう》だ」
「ごじょうだんでしょう、めッたやたらに、そんな鉱山《やま》があってたまるもんですか」
「いやうそではない、すぐにこれから、その鉱山《やま》へ出立《しゆつたつ》するのだ」
「まったくですか? そしていったいそりゃあだれが見つけた山なんで」
「浜松城《はままつじよう》のご主君《しゆくん》、右少将家康様《うしようしよういえやすさま》だ!」
「? ……」
みんなあッけにとられてしまった。家康公《いえやすこう》が鉱山《かなやま》掘夫《ほり》の玄人《くろうと》だとはのみこめない……という顔だ。
熊蔵《くまぞう》はすこしキッとなって、山目付《やまめつけ》らしい威厳《いげん》をとった。
「で、これは家康公の直命《じきめい》にひとしいのだから、鉱山へいくとちゅうで、イヤの応《おう》のとしぶるやつは、ようしゃなく打《ぶ》ッた斬《ぎ》るからさよう心得《こころえ》ろ」
「へい」
「頭数《あたまかず》は?」
「六十人ばかりで……」
「よし、向こうへいけば、まだ人数がいるはずだから、これだけでいいだろう。五|足《そく》ずつの草鞋《わらじ》と三日|分《ぶん》の焼米《やきごめ》を腰《こし》につけて、すぐに西門《にしもん》のお濠《ほり》ぎわへ集《あつ》まりなおせ!」
さて。
躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》をでた六十人の鉱山掘夫。
伊部熊蔵《いのべくまぞう》にひかれて、甲府《こうふ》の城下《じようか》を西へ西へとすすみ、龍王街道《りゆうおうかいどう》から釜無川《かまなしがわ》を駈《か》けわたり、やがて、山地《さんち》にさしかかった。
「どこだい、ここは」
「御勅使川《みてしがわ》の裾《すそ》じゃねえか」
「ふーむ、まだ山はあさいな」
「どうやら、ゆくさきは信濃《しなの》か飛騨《ひだ》だぜ」
ドンドンドンドン、駈《か》けていく。
「沢《さわ》へでたな」
「水びたしじゃ草鞋がたまらねえ」
「向こうの山は?」
「大唐松《おおからまつ》よ」
「峠《とうげ》へきたな、どこだいここは」
「べらぼうめ、鉱山《かなやま》掘夫《ほり》がいちいち山の名をきくやつがあるものか。トノコヤ峠《とうげ》、雨池《あまいけ》の下《くだ》り勾配《こうばい》、ヌックと向こうに立っているのが、甲信駿《こうしんすん》の三国にまたがっている白根《しらね》ケ岳《たけ》と鷲《わし》の巣山《すやま》だ」
「だが、オイ」
「なんだ」
「いったいどこまでいくんだろう」
「さあ、そいつはおれにもわからねえ、さきへいくお目付《めつけ》の熊蔵《くまぞう》さまに聞いてみねえ」
「へんだな、妙《みよう》だな、だんだん鉱気《かなけ》のねえ山へはいっていくぜ。打《ぶ》つかるなア、水脈《みずみやく》ばかりだ」
しかり、鉱山《かなやま》掘夫《ほり》六十人、その時、野呂川《のろがわ》の流《なが》れに沿《そ》って、上流《かみ》へ上流へと足なみをそろえていた。
森々《しんしん》と深まさる檜《ひのき》の沢《さわ》、タッタとそろう足音が、思わず足を軽《かる》くさせる。
と思うと、伊部熊蔵《いのべくまぞう》、
「オイ、止《と》まれ」とうしろを向いた。
六十人の額《ひたい》からポッポと湯気《ゆげ》がたっている。
そこは小太郎山《こたろうざん》のふもとであった。
山《やま》掘夫《ほり》、山《やま》にからかわれる
「止まれ」
といわれた鉱山掘夫、汗《あせ》をふきながらあたりを見て、みんなけげんな顔をしながら、伊部熊蔵のさしずをうたがった。
ばかにしてやがら! といわんばかりに、気の荒《あら》い山《やま》掘夫《ほり》のひとりが、
「もし、熊蔵《くまぞう》さま!」と、突《つ》っかかってきた。
「なんだ、雁六《がんろく》」
「ここは小太郎山《こたろうざん》じゃあねえんですか」
「そうだ、小太郎山の東麓《とうろく》だが、それがどうかいたしたか」
「どうかしたかもねエもんです、じょうだんじゃアねえ、いいかげんにしておくんなさい」
と小頭《こがしら》の雁六が腹《はら》をたてて、岩に腰《こし》をおろしてしまったので、以下《いか》六十人の山《やま》掘夫《ほり》も、みんなブツブツ口《くち》小言《こごと》をつぶやきながら、|ふて腐《ヽヽくさ》れの煙草《たばこ》やすみとでかけはじめた。
こんな日傭稼《ひようかせ》ぎなどになめられて、山目付《やまめつけ》というお役目がつとまるものかと、伊部熊蔵《いのべくまぞう》、ひたいに青筋《あおすじ》を立ってカンカンになりながら、
「こら! 山掘夫どもッ。だれのゆるしを得《え》て勝手に煙草休《たばこやす》みをするか。躑躅《つつじ》ケ崎《さき》をでた時からきっといいわたしてあるとおり、拙者《せつしや》の命《めい》にそむくことは大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》さまの命にそむくも同じこと、石見守さまのおいいつけにそむくことは、すなわち、家康公《いえやすこう》のご命令をないがしろにいたすも同様《どうよう》だぞッ」
そういいながら、いきなり腰《こし》の刀をぬいて素《す》ぶりをくれ、猛獣使《もうじゆうつか》いの鞭《むち》のように持った。
「いいつけを守《まも》って、すなおにはたらく者へは、後日《ごじつ》、じゅうぶんな褒美《ほうび》をくれるし、とやこう申すやつは斬《き》ってすてるからさよう心得《こころえ》ろ」
「ですがお目付《めつけ》さま、いくら働けといったところで、こんな鉱気《かなけ》のない|くそ《ヽヽ》山を、掘《ほ》り返《かえ》したところでしようがありますまい」
「イヤこの山には金鉱《きんこう》の脈《みやく》がある! すなわち家康公《いえやすこう》にとっての金脈《きんみやく》があるのだ! これからそれをさがしにかかるのだから、ずいぶん骨《ほね》を折るがよい。いまもいったとおり、首尾《しゆび》よくいけば莫大《ばくだい》なご褒美《ほうび》がある仕事だから」
「どうもさっぱり腑《ふ》に落ちませんが、おそらく骨折《ほねお》り損《ぞん》のくたびれもうけでございましょう」
「よけいなことはいわんでもよい。さ、一服吸《いつぷくす》ったら八方《はつぽう》へ手を分けて、まず第一に間道《かんどう》らしい洞穴《ほらあな》をさがしてみろ」
「ヘエ、洞穴を」
「ウム、洞穴だ! かならずどこかに頂上《ちようじよう》へ抜《ぬ》けでられる穴口《あなぐち》があるはずだ」
「そしてそれをどうするんで?」
「いずれ要所《ようしよ》要所には、石扉《せきひ》を閉《た》てたり岩石《がんせき》や組木《くみき》を組《く》んで、ふだんは通れぬ仕掛《しか》けになっているだろう。それをおまえたちの槌《つち》でいけるところまで掘《ほ》りぬいていくのだ」
「へえ? ……そうして」
「そうして不意《ふい》にとりでの郭内《くるわない》にあらわれ、岩くだきの強薬《ごうやく》を爆発《ばくはつ》させて、砦《とりで》にるすいをしているやつらがあわてさわぐまに、小太郎山《こたろうざん》を乗っとってしまう! むろん、これだけの人数ではむずかしいが、砦《とりで》のなかにはまえまえから、こっちの味方《みかた》が諜者《まわしもの》になって入《い》りこんでいるし、火薬《かやく》の爆音《ばくおん》をあいずとして、甲府表《こうふおもて》から、いちどきに家中《かちゆう》の者が攻《せ》めかけてくる手はずとなっておるのだから、いわばわれわれは乗《の》っ取《と》りの先陣《せんじん》、願《ねご》うてもない誉《ほま》れをつとめるわけなのだ」
おどろいたのは小頭《こがしら》の雁六《がんろく》、ほか六十人の山《やま》掘夫《ほり》たちである。
金脈《きんみやく》だ金脈だというので、なにも知らずにきてみれば、命《いのち》がけの合戦《かつせん》をやるのだ。間道《かんどう》からもぐりこんで、とりでをかきまわすという危《あぶ》ない役目、鉱山《かなやま》の坑《あな》へ細曳《ほそびき》一本で吊《つ》りさがるよりは、まだ危険《きけん》だ。
「こんなことならついてくるんではなかった」
と、いまさら臍《ほぞ》をかんでも追《お》いつかない、後陣《ごじん》には石見守《いわみのかみ》の家中《かちゆう》がうしろ巻《まき》をしているといえば、逃《に》げだしたところで、すぐと捕《つか》まって血祭《ちまつ》りになるのは知れている。
「だが、こんな奥《おく》ぶかい山地《さんち》に、だれのとりでがあるのであろうか」
と、そこで一同、はじめて麓《ふもと》から山を見あげて見たが、峨々《がが》たる岩脈《がんみやく》と雲《くも》のような樹林《じゆりん》の高さを仰《あお》ぎうるばかりで、城《しろ》らしい石垣《いしがき》も見えず、まして、ここに千も二千もの人数が、立てこもっているとは思われないほど、森々《しんしん》として静かである。
ぜひなく観念《かんねん》した鉱山《かなやま》掘夫《ほり》は、伊部熊蔵《いのべくまぞう》の指揮《しき》のもとに小太郎山《こたろうざん》の東のふもと、木や草をわけて八方へ散《ち》らかった。
なにせよ、荒仕事《あらしごと》と山には馴《な》れきった者ばかり、手に手に鷹《たか》のくちばしのように光る鉱石槌《かなづち》を持ち、木の根にひっかけ、崖《がけ》によじ、清水《しみず》と岩脈《がんみやく》のかたちをさっして、それらしい所をさがし廻《まわ》っているうちに、ひとりが深い熊笹《くまざさ》の沢《さわ》の上で、
「あった! 間道《かんどう》が見つかった!」
と、大声でさけんだ。
小頭《こがしら》の雁六《がんろく》が、ピューッと口笛《くちぶえ》を一つ吹《ふ》くと、上から、下から伊部熊蔵《いのべくまぞう》をはじめすべての者のかげが、ワラワラとそこへ駈《か》けあつまった。
見ると、たけなす山葦《やまあし》と笹《ささ》むらにかくれて、洞然《どうぜん》たる深い横穴《よこあな》がある。
「これだ!」
と、熊蔵が、用意《ようい》の松明《たいまつ》を持たせて中にすすむと、清水にぬれて海獣《かいじゆう》の肌《はだ》のようにヌルヌルした岩壁《がんぺき》を、無数《むすう》の沢蟹《さわがに》が走りまわったのに、ハッとした。
「雁六、この穴《あな》はどうだ?」
「掘《ほ》ったものです。しかも、まだ新しく掘った穴にちがいありません」
「ウム、それじゃてっきり、山曲輪《やまぐるわ》へ通《つう》じる間道だろう、先を一つさぐってみてくれ」
「合点《がつてん》です! オイ松明を持った野郎《やろう》はさきに立て」
あとからあとからと、山葦をわけてザワザワと中へはいった。そして、奥《おく》へすすめば、すすむほど、土質《どしつ》の肌目《きめ》があらく新しくなってくる。ところどころに、土をくりぬいた段《だん》があった。段をのぼると平地《ひらち》になり、平地をいくと段がきりこんである。
かくて、かなりの暗黒《あんこく》をうねっていくと、やがてゆきどまりの岸壁《がんぺき》にぶつかった。あらかじめこうあることとは、石見守《いわみのかみ》からもいわれてきた熊蔵《くまぞう》、
「それッ」
というと、山ほりたち、合点《がつてん》といっせいに腰《こし》の槌《つち》をひきぬいて、金脈《きんみやく》だ金脈だ! 家康公《いえやすこう》から恩賞《おんしよう》のでる金脈だとばかり、たちまちそこを掘《ほ》りぬけた。
荒鉱《あらがね》を掘ることを思えば、なんの造作《ぞうさ》もないひと仕事。
抜《ぬ》けると、カーッと陽《ひ》が照《て》っていた。
小太郎山《こたろうざん》第一の峡《かい》!
孔雀《くじやく》の背《せ》なかを見るような燦鬱《さんうつ》として真《ま》っさおな、檜林《ひのきばやし》の急傾斜《きゆうけいしや》、それが目の下に見おろされる。
「ウム、ちょうど山の二|合目《ごうめ》だ」
目のくらむような陽をあびて、狼群《ろうぐん》のように、はいかがんだ人数、向こうに見える次《つぎ》の間道《かんどう》を目がけてゾロゾロゾロゾロはいこんだ。
さざえのなかをくぐるように、また二つめの間道をしばらくのぼると、山の五合目|虚無僧壇《こむそうだん》とよぶところ、暗緑色《あんりよくしよく》の峡《かい》を隔《へだ》てた向こうと、丸石《まるいし》を畳《たた》みあげた砦《とりで》の石垣《いしがき》、黒木《くろき》をくんだ曲輪《くるわ》の建物《たてもの》らしいのがチラリと見える。
だが、千仞《せんじん》の深さともたとうべき峡谷《きようこく》には、向こうへわたる道もなく、蔦葛《つたかずら》の桟橋《かけはし》もない。
「オ、あれに三ツ目の間道《かんどう》がある」
伊部熊蔵《いのべくまぞう》がこういったので、みなそのあとからついていった。まさしく、こんどは間道らしい間道である。まっ赤《か》な松明《たいまつ》をふり廻《まわ》して、シトシトシトシトいそぎだした。と――こんどは段《だん》もなく、井戸《いど》のような深い穴口《あなぐち》へでた。そこに一本の鉄棒《てつぼう》が横たえられ、蔓梯子《つるばしご》がブラさがっている。
それより他《ほか》にいきようはないので、いずれまた、段々《だんだん》と上へのぼることになるのであろうと、一同はそれにすがって下《お》りていくと、その深いことはおどろくくらい――、下《お》りるとまたうねうねと道々がある、まるで富士《ふじ》の胎内《たいない》くぐりという形《かたち》だ。
「はてな?」
と地中の闇《やみ》を馳《か》けながら、小頭《こがしら》の雁六《がんろく》は首をかしげた。
「妙《みよう》だぞ、妙だぞ、いっこう上《のぼ》りになってこない、なんだかだんだん下《くだ》る」
「いやそんなはずはない、こういううちに、しぜんと頂上《ちようじよう》のとりでの中にでるにちがいない」
と、伊部熊蔵はがえんぜない。ますます足を早めていった。
するといきなり眼の前に、ドウーッと真《ま》っ白なものが光った。青い光線がひえびえと流れこんできた。見るとそれは岸《きし》をあらう渓流《けいりゆう》である。岩をかんで銀屑《ぎんせつ》をちらす飛沫《しぶき》である。
岩壁《がんぺき》の一たんに、ふとい鉄環《てつかん》が打ちこんであり、環《かん》に一本の麻縄《あさなわ》が結《むす》びつけてあった。で、その縄《なわ》の端《はし》をながめやると、大きな丸太筏《まるたいかだ》が三そう、水勢《すいせい》にもてあそばれてうかんでいる。
はてな? いよいよ、はてな? である。
熊蔵《くまぞう》も雁六《がんろく》も、すこし道順《みちじゆん》がわからなくなってきた。まえには渓流《けいりゆう》、うしろは暗黒《あんこく》!
「ままよ。いくところまでいって見ろ。つぎには第四の間道《かんどう》があるだろう」
そう多寡《たか》をくくって、三そうの筏に飛びうつり、向こうへ渡《わた》ろうとしたのであるが、思いのほか水足《みずあし》がはやく、鉄環の縄をきるやいな――ザアッと筏は下流《かりゆう》のほうへ押されてしまった。
そしてやっと、水勢のゆるい瀞《とろ》へかかった時、向こう岸《ぎし》へはいあがって見ると、ああなんということだ!
見るとそこは、さっき一同が甲府《こうふ》から指《さ》してきた時に、汗《あせ》をしぼって一列に駈《か》けた野呂川《のろがわ》の右岸《うがん》で、その胎内《たいない》の間道《かんどう》をくぐり、その絶頂《ぜつちよう》のとりでへでようとこころみた小太郎山《こたろうざん》そのものの姿《すがた》は、唖然《あぜん》として立った六十人の眼のあなたに――。
かなり離《はな》れた渓流の向こうに、むらさきばんだ昼霞《ひるがすみ》をたなびかせ、なにごとも知らぬさまに聳《そび》えている山の容《かたち》こそ、小太郎山ではないか。いま、げんに、その山の腹《はら》をくぐり登《のぼ》っていたはずの山ではないか。
山《やま》掘夫《ほり》、山にもてあそばる!
その時、穴《あな》に入るまえはらんらんとかがやいていた太陽が、もう西へまわって朱盆《しゆぼん》のように赤くくすんでいた。
毒水《どくすい》に酔《よ》う砦《とりで》
その高原《こうげん》の一角《いつかく》に立てば、群山《ぐんざん》をめぐる雲のうみに、いま、しずもうとしている太陽の金環《きんかん》が、ほとんど自分の視線《しせん》よりは、ズッと低目《ひくめ》なところに見える。
で――まッ赤《か》な逆光線《ぎやつこうせん》の夕やけに照《て》らされている小太郎山《こたろうざん》の上、陣馬《じんば》ケ原《はら》いちめんは、不可思議《ふかしぎ》な自然美《しぜんび》にもえあがっていた。
みやま菫《すみれ》の濃《こ》いむらさき色、白りんどうの気高《けだか》い花、天狗《てんぐ》の錫杖《しやくじよう》の松明《たいまつ》をならべたような群生《ぐんせい》、そうかと思うと、弟切草《おとぎりそう》や茅《ち》がやの穂《ほ》や、蘭科植物《らんかしよくぶつ》のくさぐさなどが、あたかも南蛮絨毯《なんばんじゆうたん》を敷《し》きのべたように、すみきった大気《たいき》もみださぬほどな微風《びふう》になでられてあった。
「竹童《ちくどう》さアーん、竹童さアん! ……」
やがてだれかのこう呼《よ》ぶ声がする。
咲耶子《さくやこ》であった。
彼女《かのじよ》はいま、砦《とりで》の二の丸から、崖《がけ》をよじてこの高原《こうげん》にのぼってきた。
「竹童《ちくどう》さアーん!」
二つの掌《て》を口にかざしながら、雲とも夕霧《ゆうぎり》ともつかない白いものにボカされている果《は》てへ、声かぎり呼《よ》び歩いてきた。返辞《へんじ》がない。
つねに目なれている景色《けしき》ではあるが、そこのうるわしいながめにも足もとの花にも、なんの魅力《みりよく》を感ぜずに咲耶子《さくやこ》は、ひたすら、すがたの見えない竹童をあんじていた。
きょうの午《ひる》ごろまでは、じぶんと一しょに、砦のおくの櫓《やぐら》に、きのうと同じように油断《ゆだん》なく小太郎山《こたろうざん》を見張《みは》っていたのに、いつのまにか櫓を下りていったきりかえってこない。
この四、五日のあいだは、小幡民部《こばたみんぶ》をはじめその他《ほか》の人たちが、とおく三方《みかた》ケ原《はら》まで伊那丸《いなまる》の危急《ききゆう》を救《すく》いにかけつけているだいじな留守《るす》! その留守のあいだは、味方《みかた》の武士《ぶし》がこめている砦とはいえ、けっして油断をしてはならないのに、あの子はまアどこへいってしまったのだろう? ……
「ほんとに、竹童さんはまだ子供だ。もう日が暮《く》れようとしているのに――わたしにこんな心配《しんぱい》をさせて」
咲耶子は不安にたえぬように眉《まゆ》をひそめた。
夕餉《ゆうげ》どきに帰りを忘《わす》れてあそんでいる弟《おとうと》を、父や母が怒《おこ》らぬうちにとハラハラしてさがす姉《あね》のような愛が、彼女の眼にこもっていた。
「竹童さアーん……」
そうして、自分の身の危険《きけん》を、一|歩《ぽ》一歩とわすれていった。
「もしかすると?」
露《つゆ》にぬれる草履《ぞうり》のグッショリと重《おも》くなったのも感じないで、例《れい》の樺《かば》の林のほうへかけだして見た。林のあさいところの木は、一本一本|薄《うす》い夕陽《ゆうひ》の紅《べに》になすられているが、奥《おく》のほうはもう宵《よい》のような闇《やみ》がただよっている。
そこでもまた呼《よ》んで見た。
五たび六たびも、あかずにかれの名をよんだ。
だが林の奥から、さびしい木魂《こだま》がかえってくるだけで、オーイと、あの快活《かいかつ》な竹童の返辞《へんじ》はしてこない。
「おや?」
咲耶子《さくやこ》は妙《みよう》な音にきき耳を立てて、林のやみへ眸《ひとみ》をこらした。なにか非常に大きな力が樹木《じゆもく》をゆすったように思える。
われをわすれ、樺の密林《みつりん》へ馳《か》けこんだ。見ると、なかでも大きな一本の樺の木に、あの竹童の飼《か》っている荒鷲《あらわし》がつながれてあった。その飼主《かいぬし》の名を呼んだので、羽ばたきをしたのであろうと、愛《いと》しく思えたが、
「おまえをかわいがっている竹童さんはどこへいったか?」
と、禽《とり》に聞いてみるよしもなかった。咲耶子はまたすごすごとそこをさった。
すると、大蛇《おろち》の背《せ》なかのようなものが、笹《ささ》を分けてザワザワと彼女《かのじよ》についていく――それはかなりまえから先のかげをねめまわしていたのであるが、咲耶子《さくやこ》は知らなかった。
林の道が三ツ股《また》にわかれているところへくると、その左右《さゆう》にも、ふたりの人間がかがんでいて、足音を聞くとともに、ムクッとうごいたよう……
「だれじゃッ?」
はげしくいって、キッと小脇差《こわきざし》に手をかけて立ちどまると、甲虫《かぶとむし》のような茶色《ちやいろ》の具足《ぐそく》をつけた侍《さむらい》が、いきなりおどりあがって左右から二本の槍《やり》をつき向けた。
「咲耶子! しずかにしろ」
「ヤッ、おまえたちは、外曲輪《そとぐるわ》の番卒《ばんそつ》ではないか」
「ばかをいえ、おれたちは大久保長安《おおくぼながやす》さまからたのまれて、それとなくまえから野武士《のぶし》をよそおい、この砦《とりで》へさぐりに入っている黒川八十松《くろかわやそまつ》、団軍次郎《だんぐんじろう》という者、どうだ胆《きも》をつぶしたか」
「大久保長安? ――やや、すると、おまえたちは、慾《よく》に釣《つ》られて敵《てき》の諜者《まわしもの》に買われたのじゃな」
「知れたことだ! 武田《たけだ》伊那丸《いなまる》は留守《るす》、小幡《こばた》民部《みんぶ》もでていったこの砦《とりで》は、もう空巣《あきす》同然《どうぜん》、入《い》れ代《かわ》ってきょうからは、大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》さまが下《さが》り藤《ふじ》の旗差物《はたさしもの》と立《た》てかわり、家康公《いえやすこう》のご支配《しはい》となる。神妙《しんみよう》に縄《なわ》にかかってしまえ!」
「なに、縄《なわ》にかかれと?」
「オオ、甲府城《こうふじよう》躑躅《つつじ》ケ崎《さき》まで曳《ひ》いてこいという、石見守《いわみのかみ》さまの厳命《げんめい》、悪くあがくとこの槍《やり》に血《ち》ぶるいをさせるぞ」
「だまれ、たとえ伊那丸《いなまる》さまや一党《いつとう》のお方は留守《るす》であろうと、この咲耶子《さくやこ》と竹童《ちくどう》が留守《るす》をあずかる以上《いじよう》、おまえたちに、なんで、おめおめと小太郎山《こたろうざん》を渡《わた》してよいものか。侍《さむらい》のくせにして、慾に目がくらんで味方《みかた》を売る裏切《うらぎ》りもの、多くの部下《ぶか》のみせしめのため、陣馬《じんば》ケ原《はら》で討《う》ち首にしてあげる」
「なまいきなッ」
と、いわせも果《は》てず、ひとりが長槍《ちようそう》をくりだしてくるのをかわして、咲耶子は手ばやく呼子笛《よびこ》を吹きかけた。
と――うしろから地をはってきた曲者《くせもの》、跳《と》びかかってその喉首《のどくび》をしめあげる。だが、彼女も屈《くつ》しはしない。裾野《すその》にいたころは富士《ふじ》の山大名《やまだいみよう》の娘《むすめ》――胡蝶陣《こちようじん》の神技《しんぎ》――猛獣《もうじゆう》のような野武士《のぶし》のむれを自由|自在《じざい》にうごかした咲耶子である。
手を廻《まわ》してその腕《うで》くびをつかんだかと思うと、あざやかに、大の男を肩越《かたご》しに投げた。
「うッ、おのれ」
と二本の槍《やり》は、風を吸《す》って十字の閃光《せんこう》をかく。
咲耶子は口にくわえた呼子笛を、力いッぱい、ピピピピピッ……と吹きたてながら、陣馬《じんば》ケ原《はら》のお花畑《はなばたけ》へ走りだした。
だが、けんめいにふいた呼子笛《よびこ》は、とおき砦《とりで》にいる味方《みかた》をまねくまえに、あたりの悪魔《あくま》を集めてしまった。
甲府《こうふ》の代官《だいかん》大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》が、手をまわして入《い》れておいた裏切《うらぎ》り者はすべてで十二人、彼女《かのじよ》の走りだすさき、さけるさきに、槍《やり》を取って立ちふさがる。
砦《とりで》の一の曲輪《くるわ》、二の曲輪には、味方《みかた》の郎党《ろうどう》たちが二千人|足《た》らずはいるので、その者たちに知らせさえすれば、わずかな裏切り者ぐらいはなんのぞうさもなく片《かた》づけてしまうのであろうが、この陣馬《じんば》の高原《こうげん》とそことは、平地《へいち》にしてちょうど十町ほどの距離《きより》があった。
咲耶子《さくやこ》は、ともあれそこへ近づいて、味方《みかた》へこの急変《きゆうへん》を叫《さけ》ぼうとあせった。で、追《お》い走ってくる槍、横から突《つ》いてかかる槍の穂《ほ》を、翻身《ほんしん》、蝶《ちよう》のごとくかわしながら、白りんどうの花をけった。
「かれを二の丸へ近づけては一大事!」
と、追いまくした十二人の裏切り武士《ぶし》、そのなかでも剛力《ごうりき》をほこる神保大吉《じんぼうだいきち》は、九|尺柄《しやくえ》の槍をしごいて、咲耶子のまえへ馳《か》けまわった。
彼女の手には尺《しやく》四、五|寸《すん》の小《こ》太刀《だち》がひかる。
からりッと、槍《やり》と小《こ》太刀《だち》がからみ合った。
小太刀は槍の柄《え》を断《た》ちきれず、白い穂先《ほさき》が肩《かた》をかすめてうしろへ抜《ぬ》ける。
手《て》もとへもどして、穂《ほ》みじかに構《かま》えなおした神保大吉《じんぼうだいきち》は、咲耶子《さくやこ》が右へよれば右へ、左へよれば左へ、ジワジワとおしていった。
そのまに、黒川八十松《くろかわやそまつ》、団軍次郎《だんぐんじろう》、そのほかの者が、十二本の槍をそろえて、ドッ――と咲耶子の前後にかかる!
ああもういけない!
咲耶子は近よったひとりを斬《き》って、ふたたび、樺《かば》の林へかけこんだ。そこでは、密生《みつせい》している木立《こだち》のために、十二人がいちどきに彼女を取り巻《ま》くことができない。
団軍次郎と神保大吉は、それと見るや否《いな》、まっさきに林の細道《ほそみち》へふみこんだ。そして、咲耶子を道の尽《つ》きるところまで追《お》いこんで、ここぞと、気合《きあ》いをあわせて、二|槍《そう》一緒《いつしよ》に彼女の胸板《むないた》へ突《つ》いていった。
「あッ!」
一槍ははらったが――もう一槍!
大吉の突《つ》きだした大身《おおみ》の槍は、かわす間《ま》もなく、咲耶子の胸《むね》から白い顎《あご》へと!
しまった――と思うと。
不意《ふい》にどこからかブン――と虻《あぶ》のようにうなってきたひとつの独楽《こま》が、槍のケラ首へくるくると巻《ま》きついた。むろん、槍は独楽の紐《ひも》にひかれて、思わぬほうへたぐられてしまった。
「やッ?」
と神保大吉《じんぼうだいきち》は、あたりのほの暗《ぐら》さに、それを独楽《こま》ともなんともさとらずに、力まかせに手もとへひく! と一方の独楽の紐《ひも》も、負けずおとらず剛力《ごうりき》をかけて引ッ張った。
すると、槍《やり》の柄《え》に巻きよじれた独楽、双方《そうほう》の力にガラガラッと火を吹いて虚空《こくう》にまわる――。
「おうッ!」
と目をおさえてたじろいだのは、あとからきた裏切《うらぎ》り武士《ぶし》ども。すでに林の夜は濃《こ》く、あいての姿《すがた》もかすかにしか見えない闇《やみ》! そこに、一|箇《こ》の炬火《きよか》が廻《まわ》っている! いな、廻っているのは独楽なのだが、あたかも、太陽のコロナのごとく、独楽はブンブン火を吹きながらまわっているのだ。
青か赤かむらさきか? なんとも見定《みさだ》めのつかない火の色、燿々《ようよう》とめぐる火焔車《かえんぐるま》のように、虚空に円をえがいて馳《か》けだしてきた!
「あッ」
と八方に逃《に》げながら、その怪光《かいこう》をすかしてみると、独楽の持ち手はまぎれもない鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》。
「竹童だ! 竹童だ!」
だれの口からともなく戦慄《せんりつ》の声がもれる。
「なに竹童? 多寡《たか》の知れた餓鬼《がき》ではないか、うぬ、おれが槍先《やりさき》に突《つ》っかけてやる」
神保大吉《じんぼうだいきち》はこう豪語《ごうご》して、ふたたび槍《やり》を持ちなおしたが、おそかった!
びゅうと――独楽《こま》の紐《ひも》がのびた。
「ひイッ」
と叫《さけ》んだときは大吉《だいきち》の喉《のど》に、食《く》いついたような独楽の分銅《ふんどう》、ブーンとひとつ巻《ま》きついて、ふれるところに火焔《かえん》をまわした。そして見るまにかれは顔を焼《や》かれて悶絶《もんぜつ》した。
相手がたおれると火の魔《ま》独楽《ごま》は、生きてるように竹童の手へもどった。そしてブンブンかれの片手に廻《まわ》されている、次にはどいつの喉首《のどくび》へ飛ぼうかと。
「オオ、竹童がもどって見えた」
咲耶子《さくやこ》はよみがえったような心地《ここち》で、
「裏切《うらぎ》り者じゃ! 徳川家《とくがわけ》の諜者《まわしもの》じゃ。竹童ッ! はやく味方《みかた》のものにこのことを」
「討《う》てッ、早くかたづけてしまえ」
のこる十一人のうちで、黒川八十松《くろかわやそまつ》がしきりとわめきたった。
「こんな者に暇《ひま》どって、もし砦《とりで》のやつらに感づかれた日にはこっちの出道《でみち》をふさがれてしまうだろう――はやくそのふたりを殺《ばら》してしまえ、もう生けどりにするなどといっていられる場合じゃない」
「おうッ」
「おおッ」
と叫《さけ》ぶと、槍《やり》|ぶすま《ヽヽヽ》はふたたび木立《こだち》のあいだにギラギラ光った。
裏切《うちぎ》り者と聞いて竹童《ちくどう》も、スワ一大事が起《おこ》ったなと思った。林のなかでは使いにくい火《ひ》独楽《ごま》、めんどうとふところへ飛びこませて、
「咲耶子《さくやこ》さま、ここは竹童がひきうけました。あなたははやく砦《とりで》のほうへ」
「いや、おまえが早く知らせておくれ」
「おいらは新手《あらて》だ!」
聞かばこそ、竹童。
般若丸《はんにやまる》の一刀をぬいて、いきなり、むちゃに、ひとりを斬《き》った。
女性《おんな》の咲耶子をこの危地《きち》にのこしておいて、男たるものが、知らせに馳《か》けていくなんていやなこッた!
そのようすを見て、咲耶子はぜひなく、一方の槍ぶすまをつきぬいて、お花畑《はなばたけ》へ疾走《しつそう》した。そして、ひとりの男に、後《うし》ろからあぶない投《な》げ槍《やり》をくわされたが、からくもかわして、すべり落ちるように、砦のおく、二の丸のうらへ降《お》りた。
だが。
降りたとたんに咲耶子は、
「あッ――大へん!」
と、はじめて、まっくらになった、とおい眼下《がんか》に気がついた。
いつか、あらゆる視界《しかい》には、夜のとばりがおりていた。ただはるかな麓《ふもと》のほうに、野呂川《のろがわ》の水の蛇《へび》の皮《かわ》のような光と、やや東北によって、きわめてかすかな赤い空あかりをみとめることができる。そこはおそらく、武田家《たけだけ》の旧領地《きゆうりようち》、いまは、徳川家《とくがわけ》の代官支配《だいかんしはい》となっている甲府新城《こうふしんじよう》躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の城下《じようか》であろう。けれど、咲耶子《さくやこ》をおどろかせたのは、水でもない、空でもない。
その甲府と小太郎山《こたろうざん》の中間《ちゆうかん》あたり、すなわち釜無川《かまなしがわ》のほとり、韮崎《にらさき》の宿《しゆく》から御所山《ごしよやま》の裾《すそ》あたりにかけて、半里あまりの長さにわたっている、人である、火である、野陣《やじん》の殺気《さつき》である。
「見張《みは》りの者ッ――」
櫓《やぐら》をあおいで絶叫《ぜつきよう》した。
「鐘《かね》を打て,鐘を打て! 番士《ばんし》、番士、門衛《もんえい》の番士たち! はやく貝《かい》をふいて武者《むしや》だまりへ味方《みかた》をおあつめッ――」
狂気《きようき》のようになって、咲耶子は武者ばしりの柵際《さくぎわ》を呼《よ》びまわった。けれど、どうしたのか、オウ! といって物《もの》の具《ぐ》を引っかつぐ部下《ぶか》もなく、かんじんな櫓番《やぐらばん》のいるところさえ、無人《むじん》のようにシーンとしている。
それもそのはず。
かねて今宵《こよい》のことをもくろんでいる裏切《うらぎ》り者は、夕方の炊事《かしぎ》どきを見はからって、砦《とりで》の用水《ようすい》――山からひく掛樋《かけひ》、泉水《せんすい》、井戸《いど》、そのほかの貯水池《ちよすいち》へ、酔魚草《すいぎよそう》、|とりかぶと《ヽヽヽヽヽ》などという、毒草《どくそう》や毒薬《どくやく》をひそかに流《なが》しこんでおいたのであった。
竹童《ちくどう》はクロの餌《えさ》とするものを狩《か》りにいっていたため、まだ夕方の食事をしていなかったし、咲耶子《さくやこ》もかれをさがしにでて難《なん》をのがれていたが、それを知らずに飲み、毒水《どくすい》でたいた飯《めし》を食《く》ったものは、おそらくちょうどいまが毒薬《どくやく》のまわってきた時分――
時刻《じこく》はそれより少し前のこと――。
かの、小太郎山《こたろうざん》の間道《かんどう》へかかって、首尾《しゆび》よく築城《ちくじよう》の迷道《めいどう》をさまよい、もとのところへ舞《ま》いもどった伊部熊蔵《いのべくまぞう》と雁六《がんろく》、ほか六十人の金鉱山《かなやま》掘夫《ほり》が、ぼんやりくたびれもうけをしていた時分なのである。
「ねエ、親方《おやかた》」
と、ばかに素《す》でかい声をして、
「こんな歌を知ってますか、こんな歌を?」
と、檜《ひのき》の沢《さわ》を伝《つた》わりながら、ぴょいぴょい歩いてきた小僧《こぞう》がある。
「どんな歌を?」
と、いったのはその親方とみえるへんな顔をした人で――見ると鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》だ。
「水晶掘《すいしようほ》りの歌ですよ、これから甲州《こうしゆう》へいこうっていうのに、水晶掘りの歌ぐらい知らなくっちゃ幅《はば》が利《き》きませんぜ、ひとつ歌ってみましょうか」
と、あいかわらずな泣き虫の蛾次郎《がじろう》。
鼻《はな》の穴《あな》を天《てん》じょうに向け、喉《のど》ぼとけの奥《おく》まで夕やけの明りに見せて、声いッぱい、いい気になって、歌いだしたものである。
どうせ山の中だというふうに、卜斎《ぼくさい》もかまわずにほうっておくもんだから――。
水《すい》 晶《しよう》!     水 晶!
むらさき水晶《ずいしよう》は  お染《そめ》にやンべ
お染《そめ》かんざしに  挿《さ》すよにサ
黒い水晶は    婆《ば》さまにやンべ
婆《ば》さまみがいて  お寺《てら》にあげて
文殊菩薩《もんじゆぼさつ》の    入れ黒子《ぼくろ》
「なんだ、あいつは」
と、びっくりしてふりかえったのは、別《べつ》なことでぼうとしていた金鉱山《かなやま》掘夫《ほり》や熊蔵たち。
沢《さわ》から平坦《へいたん》な道へとびあがったとたんに、大勢《おおぜい》のあらくれ男やさむらいが、ひとところにたむろをしていたので、蛾次郎《がじろう》も急に間《ま》がわるそうな顔をして、でたらめな水晶掘《すいしようほ》りの歌をやめてしまった。
その蛾次郎はともかくも、卜斎の風体人相《ふうていにんそう》、ひとくせありげに見えたので、伊部熊蔵《いのべくまぞう》は雁六《がんろく》に目くばせをして、
「オイ、待てまて」と呼《よ》びとめた。
他郷《たきよう》に入《い》って争いすべからず、利《り》ある争《いさか》いもかならず不利、――という諺《ことわざ》は、むかしの案内記《あんないき》などにはかならず記《しる》していましめてあることだ。まして、相手が悪そうだから、卜斎《ぼくさい》も悪びれないで、
「はい」とすなおに腰《こし》をかがめた。
「どこへいくんだ、いまごろ?」
「甲府《こうふ》へまいります」
「なにをしに?」
「ちかごろ、甲府のご新城《しんじよう》は、代《だい》がかわって、たいそう暮《く》らしよいといううわさを聞きましたので」
「じゃあ、きさまは、武田家《たけだけ》の時分よりは、いまの徳川《とくがわ》の御代《みよ》をありがたいと思ってゆくのか」
「さようでございます。昔《むかし》からのご縁故《えんこ》で、わたくしは、どこでもよいから、徳川さまのご領地《りようち》に住みたいと願っております」
「ふウム……そうか……」
と伊部熊蔵《いのべくまぞう》はわるい気持がしないようすだ。卜斎の目から見れば、この山目付《やまめつけ》らしい侍《さむらい》が、どこの大名《だいみよう》に属《ぞく》している者かぐらいは、腰をかがめた時にわかりきっている。
「して、職業《しよくぎよう》はなんだ? じつは、この街道《かいどう》は、今日すこしぶっそうなことがあるから、さきへいっても通してくれるかどうかわからない」
「ヘエ、それはこまりましたナ」
と卜斎《ぼくさい》、|ぺしゃんこ《ヽヽヽヽヽ》な鼻に皺《しわ》をよせて、
「わたくしは、もと富士《ふじ》の裾野《すその》におりました鏃鍛冶《やじりかじ》で、徳川《とくがわ》さまのご家中《かちゆう》のお仕事をした者でございますから、なんとか、ひとつ無事《ぶじ》に通れるようなおはからいをしてくださいませんか」
「ウム、それはしてやってもよいが」
と熊蔵《くまぞう》が、手形《てがた》を書いてやろうかと考えていると、雁六《がんろく》は、およしなさい、もし下手《へた》なまわし者でもあって、裏《うら》をかかれると大へんですぜ――というような目まぜをした。
「あ、いけないナ」
と卜斎は、その顔色《かおいろ》で相手の肚《はら》を読みとおした。
で、こんどは如才《じよさい》なく、はなしの鉾先《ほこさき》をかえて、なんでぶっそうなのか、事情《じじよう》をさぐってみようと考えた。
「いいえ、なんでございます……もしごつごうが悪ければ、わたくしにいたしましても、命《いのち》が大事です。すこしあとへもどって、どこか安全な百姓家《ひやくしようや》にでも泊《と》めてもらいますで」
「ウム神妙《しんみよう》なやつだ。なろうことなら、そうしたほうがおまえたちのためだろう」
「ですからお武家《ぶけ》さま、失礼《しつれい》なことをうかがいますが、あなたがたはいったいなんのために、こんなところで日が暮《く》れるのにたむろをしていらっしゃるんで? ……見れば、なにか、当惑《とうわく》そうなご様子にも思われますが」
「じつは、まことに少し当惑《とうわく》しておる」
「できることなら、ご相談に乗って進《しん》ぜようじゃございませんか。見ればどなたもお若い方、およばずながらわたしの方が、年をとっているだけに、いくらかその功《こう》がないこともございません」
「じゃ聞いてみるが、鍛冶屋《かじや》」
「ヘイ」
「すこし商売ちがいな話だが、おまえの口ぶりでは、裾野《すその》からこのへんのことはくわしそうだ。知っていたら教えてくれ」
「エエ、なんなりとおたずねくださいまし」
「この小太郎山《こたろうざん》だが――」
と雁六《がんろく》が指《ゆび》さしたので、蛾次郎《がじろう》はもとより卜斎《ぼくさい》も、思わずギョッとした感じをうけた。
このふたりが、ひとまず、甲府《こうふ》へいって見ようという目的は、はじめから定《き》めてきたことであるけれど、じつをいうと、今日は道にまよって、どこを歩いているのか見当《けんとう》がつかずにいたところである。
伊那丸《いなまる》の一党《いつとう》が立てこもる小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》が、いま、立っている真上《まうえ》だとは、夢《ゆめ》にも知らずにいただけに、身の毛《け》を寒《さむ》くしてしまった。
「ヘエ、ここがあの小太郎山? なアるほど」
とそらとぼけて、岩々《がんがん》と天《そら》を摩《ま》している山かげをあおぎながら、
「深いことは知りませんが、うわさにきけば、なんでもこの上には武田《たけだ》の残党《ざんとう》がたてこもっている山城《やまじろ》がありますそうで」
「そうだ! その砦へ抜《ぬ》けるために、じつは非常に苦心《くしん》しているところじゃ」
「うえに人がいる以上《いじよう》は、かならずどこかに道がありましょう」
「あるにはむろんあるが、間道《かんどう》から不意《ふい》に中へでたいと思う」
「おやすいことではございませんか」
「それがなかなか見つからぬのじゃ」
「地相《ちそう》、岩脈《がんみやく》、山骨《さんこつ》、樹姿《じゆし》、それらのものからよく観《み》ると、どんな隠《かく》し道でもかならずわかるわけでございます。ことに、ここには野呂川《のろがわ》があり、そこへ落ちる山瀬《やませ》の水もありますことゆえ、水理《すいり》を検討《けんとう》してゆきましても、それくらいなことは、さぐりあたらぬはずはございません」
「おまえ、たいそうくわしいな」
「は、は、は、は、は」
卜斎《ぼくさい》もわれながらおかしくなって笑《わら》いだした。
柴田権六《しばたごんろく》に召使《めしつか》われていたころは、つねに、攻《せ》めようとする敵地《てきち》へ先へはいって、そこの地勢水理《ちせいすいり》をきわめておくのが自分の仕事であった。日本では何人と指《ゆび》を折られる築城《ちくじよう》の地学家《ちがつか》、これくらいなことは、表看板《おもてかんばん》の鏃《やじり》をたたくことよりたやすいこと。
で、卜斎は瞬間《しゆんかん》にかんがえた。
世間《せけん》はひろく歩いてみるものだ、――秀吉《ひでよし》にはにらまれている身の上、家康《いえやす》の恩顧《おんこ》をうけるほかに生き道はないと考えていたら、これは、偶然《ぐうぜん》とはいえ、願《ねが》ってもないことにぶつかったものだ。
「どうですナ、お武家《ぶけ》さま」と、さて、じぶんから口を切って、
「それほどおこまりのものならば、ひとつ、わたくしがこの砦《とりで》のいただきへでられる道を、案内《あんない》してあげようではございませんか」
「わかるか、きさまに」
「このふもとを、十町ばかり歩いてみれば、きっとさがしあててごらんにいれます」
「こりゃ天祐《てんゆう》だ! そちにその間道《かんどう》がわかるとならば、ぜひとも一つたずねてくれ」
「よろしゅうございます。では、しばらくそこで一服吸《いつぷくす》ってお待ちください。そして、わかりましたところから松明《たいまつ》を空へ投げるといたしましょう。――これよ、蛾次《がじ》!」
「ヘイ」
「おまえ、あちらの方《かた》の持っている松明をお借《か》りして、わたしのあとからついておいで」
「親方《おやかた》ア」
「なんだ」
「早く甲府《こうふ》へゆきましょうヨ」
「待て待て、せっかく、ご一同のお困《こま》りだ、ひと働きしてあげよう」
「だっても……」
「なにが、だってもじゃ」
「おらア、もうお腹《なか》がペコペコなんだもの」
「たわけめ! なにをいうか」
むこうで人足《にんそく》たちが、焼《やき》|するめ《ヽヽヽ》と焼米《やきごめ》を頬《ほお》ばっているのを見て伊部熊蔵《いのべくまぞう》、それが欲《ほ》しい謎《なぞ》だろうとさっして、
「オイ、だれか、この鼻《はな》ッたらしに、なにか食《く》い物《もの》をやってくれ」
といった。
蛾次郎《がじろう》はニヤニヤとなるのをかくしながら、
「親方、ここが小太郎山《こたろうざん》とはおどろきましたネ」
と思いだしたように小手《こて》をかざした。
緋《ひ》おどし谷《だに》の少女《しようじよ》たち
扇縄《おうぎなわ》の水の手――山城《やまじろ》の貯水池《ちよすいち》をさして、そう呼《よ》ぶのである。
今。
小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》は毒《どく》にまわされていた。
その扇縄の区域へ、裏切《うらぎ》り者がひそかに毒《どく》をしずめたので、夕方の兵糧時《ひようろうどき》に、すべての者の腹中《ふくちゆう》へ、おそるべき酔魚草《すいぎよそう》の毒水《どくすい》がめぐっている。
竹童《ちくどう》をのこして、陣馬《じんば》ケ原《はら》お花畑《はなばたけ》の危変《きへん》をのがれてきた咲耶子《さくやこ》が、とりでの奥郭《おくぐるわ》へとびおりざま、狂気《きようき》のように、櫓番《やぐらばん》や武者《むしや》だまりの侍《さむらい》へ、声をからして、呼《よ》んでも叫《さけ》んでも、ひとりとして、オオとへんじをする者がない。
夜は灯《ひ》を滅《めつ》しておく習慣《しゆうかん》の城塞《じようさい》は、まッくらで、隠森《いんしん》として、ただひとりさけびまわる彼女《かのじよ》の声が木魂《こだま》するばかりだった。
「裏切り者がある。出合《であ》え! 出合え!」
なお、こう呼《よ》び立てながら、咲耶子はおくの郭《くるわ》から二の郭の中間《ちゆうかん》、桝形《ますがた》の柵《さく》まで走ってくると、とうぜん、そこに夜半《よなか》でも詰《つ》めていなければならないはずの武士《ぶし》が、声もなく寂寞《せきばく》として、木戸《きど》の口は開《あ》けっぱなしになっていた。
はじめて、ここにも大事が湧《わ》いているのを知って、咲耶子は、
「あッ」と、息《いき》をひいておどろいた。
見れば。
木戸《きど》の番小屋《ばんごや》の前に、七人の部下《ぶか》が槍《やり》をつかんだまま悶々《もんもん》とのた打っている。
また、向こうの柵《さく》のそばには、見まわりの三人組が三人とも、胸《むね》に一本ずつの短刀《たんとう》をうけて、重《かさ》なり合ってころげている。
「や、や、これは? ……」
と井楼《せいろう》の梯子《はしご》を登《のぼ》ってみると、そこにも、眼を光らしていなければならないはずの見張役《みはりやく》が、やぐら柱《ばしら》の根もとに、爪《つめ》を立ったまま、息《いき》が絶《た》えていた。
「毒《どく》! ……」
裏切《うらぎ》り者のおそろしい詭計《きけい》をさとって、彼女は、慄然《りつぜん》となる胸《むね》をだきしめた。
と同時に咲耶子《さくやこ》はまた、自分と竹童の肩《かた》にあずけられている責任《せきにん》をつよく思う。
「もしも、一党《いつとう》の方々《かたがた》のかえらぬ留守《るす》に、このとりでを失《うしな》うようなことがあったら――」と。
そう考えるだけでも、ふさふさした黒髪《くろかみ》が夜風《よかぜ》に逆立《さかだ》ちそうだった。
「オオッ」とわれにかえると咲耶子。
「――この山城《やまじろ》は三|段郭《だんぐるわ》、奥《おく》の砦《とりで》のものは毒水《どくみず》をのんでたおれたにしろ、まだ八|合目《ごうめ》の外城《そとじろ》のものは、無事《ぶじ》でなにも知らずにいるかも知れない」
そう気がついて、やぐら柱にかけてあった陣貝《じんがい》の紐《ひも》をはずし、金嵌《きんかん》の法螺貝《ほらがい》にくちびるをあてて、息《いき》のあるかぎり吹《ふ》いてみる。
バウー……バウウウウ……ッ。
序破急《じよはきゆう》に甲音《かんおん》三|声《せい》、揺韻《よういん》をゆるくひいて初甲《しよかん》の音《ね》にかえる、勘助流陣貝吹《かんすけりゆうじんがいふ》き、「変《ヘン》アリ部《ブ》ニツクベシ」のあいずである。
だが、さけんで反応《はんのう》がなかったように、その貝《かい》がとおく八|合目《ごうめ》へ鳴りひびいていっても、外城《そとじろ》の柵《さく》から、こたえ吹《ぶ》きの合わせ貝《がい》が鳴ってこなかった。
「外城のものまでも、毒《どく》にまわされてしまったと見える、ああッ! ……」
絶望的《ぜつぼうてき》な声と一しょに、思わず陣貝《じんがい》をとり落とすと、井楼《せいろう》やぐらの下の岩へ、貝はみじんとなってくだけた。
「咲耶《さくや》さまッ」やぐらの下へだれかかけてきた。
「お、竹童《ちくどう》! ――竹童さん?」
「貝合図《かいあいず》は吹《ふ》いてもムダです――扇縄《おうぎなわ》の水の手へ、毒を流したものがあって、砦《とりで》の者はみなごろしになってしまった。アア、ここはもう死の城だ!」
かれの声は悲壮《ひそう》だった。
「そして、陣馬《じんば》ケ原《はら》にいたまわし者は?」
「斬《き》りちらして馳《か》けだしてきたんです――こっちのほうが心配《しんぱい》になるので」
「といっても……味方《みかた》はおまえとわたしふたりきりだ」
「たとえふたりきりになっても、この砦を敵《てき》の手には渡《わた》されない」
「よくいった! 死んでも敵へは渡せない! ……おやッ?」
「な、なんです」
と竹童《ちくどう》は、やぐら柱《ばしら》にすがって伸《の》びあがっている咲耶子《さくやこ》のかげを下からあおいでいった。
「――外城《そとじろ》の方には、まだ無事《ぶじ》な味方《みかた》がいるらしい」
「えッ、なにか合図《あいず》がありますか」
「みだれた火の影《かげ》がチラチラとうごきだして、上へ上へと押してくる」
「おお、しめた! じゃ、咲耶さま、早く!」
と手招《てまね》きした。
ばらばらと櫓梯子《やぐらばしご》を下《お》りると、ふたりは真一文字《まいちもんじ》に奥郭《おくぐるわ》の内部《ないぶ》へはいった。そして、岩壁《がんぺき》、洞窟《どうくつ》を利用《りよう》して建《た》てられてある、とりでの本丸《ほんまる》のなかへ走りこんだ。
具足部屋《ぐそくべや》、評定《ひようじよう》の間《ま》、寝所《しんじよ》、みな広い床張《ゆかば》りで、そこには毒死《どくし》の侍《さむらい》もなくしんとしている。伊那丸《いなまる》の留守《るす》に錠口《じようぐち》のさきからだれも人を入れなかったところなので――。
まッしぐらにぬけて、軍師《ぐんし》の部屋《へや》の扉《とびら》を開《あ》けた。
ここも、小幡民部《こばたみんぶ》と蔦之助《つたのすけ》と小文治《こぶんじ》の三人が、ひそかに、間道《かんどう》から影《かげ》をかくして、三方《みかた》ケ原《はら》へ立っていったのちに、ぜったいに部下をのぞかせずに、三人の下山《げざん》を秘密《ひみつ》にしていたところ。
ガラッと、厚《あつ》い車戸《くるまど》を押《お》しあけて、そこへはいると、咲耶子と竹童は、まっくらな床板《ゆかいた》を手さぐりでなでまわした。
例《れい》の間道《かんどう》の口をたずねているらしい。
と。
指《ゆび》のかかるところがあった。
ここを開《あ》ければ、八|合目《ごうめ》の柵《さく》、三の砦《とりで》、すべての外城《そとじろ》一郭《いつかく》へはむろん、麓《ふもと》へでもどこへでも自由に通りぬけることができる。
ふたりはまず、八|通《つう》の間道《かんどう》をぬけて、いま山の中腹《ちゆうふく》にみえた味方《みかた》を呼《よ》びいれてこようとするつもり。
であったが? ……
「ヤッ、妙《みよう》な音?」
床板《ゆかいた》をめくりかかった竹童《ちくどう》が、ギョッとした目を咲耶子《さくやこ》へ向けて、
「音がしますよ、妙な音が?」と、息《いき》をのんだ。
ふたりははうようにかがみこんで、間道の蓋《ふた》へ耳をあててみた。いかにも妙《みよう》な物音がする。ダッダッダッと地の底を打つような音――ゴゴゴゴゴという騒音《そうおん》――それがだんだんに近づいてくる。
「味方《みかた》がくるんだ!」
竹童は信じることばに力をこめた。
「頂上《ちようじよう》に裏切《うらぎ》り者がでたのを知って、外城《そとじろ》の者が一挙《いつきよ》にやってくるんです。そうにちがいない」
「じゃ、なおのこと、早くここを開いておいて、篝火《かがり》をつけておこうね」
「いや、篝火は待ってみたほうがいいでしょう。どこにどんな裏切《うらぎ》り者が鳴りをしずめているかも知れず、そいつらが、他《ほか》の柵《さく》や木戸《きど》の出丸《でまる》をやぶって、いっせいにさわぎだすと、いよいよ手におえなくなってしまいます」
とささやいていると、不意《ふい》に、間道《かんどう》の下から、ドン、ドン、ドン! とはげしく槍《やり》の石突《いしづ》きでつきあげる者がある。
「味方《みかた》か?」
と竹童が床《ゆか》へ口をつけて呼《よ》ぶと、なにやらガヤガヤさわぐのがかすかに聞える。といっても、分厚《ぶあつ》な蓋《ふた》がへだてているのでその意味《いみ》はわからないが、なにせよ、人間の声がうずまいているのは想像《そうぞう》される。
「味方《みかた》かッ?」
「おう!」
「外城《そとじろ》の者かッ?」
「おウ! 早くお開《あ》けください」
――野太《のぶと》いこえが遠くのように聞えた。
「――砦《とりで》の内部に異端者《いたんしや》があらわれましたので、本城《ほんじよう》にも変事《へんじ》はないかどうか、あんじて駈《か》けつけてまいりました。はやくお開《あ》けください」
「よしッ、心得《こころえ》た」
と、竹童、手をかけたが、開《あ》かばこそ、石のような重さ、咲耶子《さくやこ》とともに力をそろえて、ウムと四、五|寸《すん》ほど持ちあげるとあとはすなおに、ギイと蝶番《ちようつがい》がきしんで径《けい》三|尺《じやく》四方《しほう》の口がポンと開《あ》く。
と、下からまっ赤《か》な火のかげが、開《ひら》いたなりに、パッと天井《てんじよう》へうつった。まるで四角《しかく》な火柱《ひばしら》のように。
すると、そのあかい火光《かこう》のなかからまッさきに、
「それ、本丸《ほんまる》へでたぞ!」
とおどりだしたのは、胴服《どうふく》に膝行袴《たつつけ》をはいた異形《いぎよう》な男――つづいて松明《たいまつ》を口にくわえ、鎖《くさり》にすがって無二無三《むにむさん》によじてきたのは、味方《みかた》と思いのほか、猿《さる》のような一少年。
「あッ、蛾次郎《がじろう》!」
「おう! 竹童」
と、せつな、火を発《はつ》したような驚愕《きようがく》と驚愕。
異形な男は鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》であった。
八|通《つう》の間道《かんどう》をさまよって、小太郎山《こたろうざん》のふもとへぎゃくもどりをして、ウロウロしていた伊部熊蔵《いのべくまぞう》と小頭《こがしら》の雁六《がんろく》そのほかの鉱山《かなやま》掘夫《ほり》をつれて、地脈《ちみやく》をさぐり方向をあんじて、ついにこの城塞《じようさい》の心臓《しんぞう》を突《つ》きとめてきたのである。
「しまッた!」
と叫《さけ》ぶまに、もう見ている間《ま》だ! 蛾次郎《がじろう》のあとから小頭《こがしら》の雁六《がんろく》、伊部熊蔵《いのべくまぞう》、そのほかあまたの山《やま》掘夫《ほり》たち、防《ふせ》ぎようもなくヒラリヒラリととびあがって、たちまち軍師《ぐんし》の間《ま》いッぱいになってしまった。
「おい、下にいろッ」
と、伊部熊蔵は竹童《ちくどう》の肩骨《かたぼね》をおした。
「…………」
竹童は肩をふってその手を突《つ》っぱなした。咲耶子《さくやこ》もすわらずに、まわりの者をにらんでいた。
瞬間《しゆんかん》、おそろしいだまりあいのうちに、双方《そうほう》の眼と眼だけがするどくからみあった。
とつぜん、ゲタゲタと笑《わら》いだしたのは蛾次郎《がじろう》で、
「おいおい竹童、あんまりびっくりしたんでぼうとしてしまったんじゃないか。いくら民部《みんぶ》や蔦之助《つたのすけ》がいるように見せかけていたッて、だめだだめだ、おれも親方《おやかた》も、ちゃんと三方《みかた》ケ原《はら》であいつらを見ているんだから。――もうあとの空巣《あきす》へは大久保長安《おおくぼながやす》さまの人数が、入《い》れ替《かわ》りにふもとまで引っ越しにきているんだ。サ、おどきよおどきよ、どこへでも退散《たいさん》しなよ、もう小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》は、いまから徳川《とくがわ》さまの持物《もちもの》になる、おまえみたいに、京都でお菰《こも》をしてきたようなきたないやつは飼《か》っておけないんだ。サ、咲耶子《さくやこ》も一しょに山を下《お》りてゆけ、ぐずぐずしていると、命《いのち》がねエぞ」
城攻《しろぜ》めの一番乗りでもしたように、得意《とくい》な色をみせてどなった。
「だまれッ」たたきつけるように竹童が大喝《だいかつ》した。
「だれが砦《とりで》をわたすッ、ここは伊那丸《いなまる》さまの小太郎山《こたろうざん》だ」
「生意気《なまいき》な」と熊蔵《くまぞう》、年のいかぬ者とみくびって、
「それ、あの舌《した》の長い小僧《こぞう》を、うしろ手に引ッちばッてしまえ」
「おうッ」
と顎《あご》のさきから二、三人の山《やま》掘夫《ほり》、竹童の襟《えり》がみを取ろうとして飛びかかった。
と――、咲耶子の怜悧《れいり》な目がキラと横にながれた。ひとりは彼女の腕《うで》をもつかみにかかったが、ツイと身を横にひいて、すぐそばに、松明《たいまつ》を持って立っていた山掘夫のひとりを、ふいに、部屋《へや》のすみへドンと突《つ》いた。
「あッ――」
大《だい》の男が、もろくも腰《こし》をくじいて、松明を持ったままうしろへたおれた。
部屋《へや》のすみには、たくさんな火縄《ひなわ》の束《たば》が釘《くぎ》にかかっていた。そこへ、メラメラと火がはいあがった。
ドドドドドド……ッ――と地震《ない》のような轟音《ごうおん》は、その一瞬《いつしゆん》に、あたりを晦冥《かいめい》にしてしまった。
松明《たいまつ》の火が火縄《ひなわ》にうつり、その真下に積《つ》んであった銃丸《じゆうがん》の箱《はこ》から火薬《かやく》の威力《いりよく》を発《はつ》したのである。
しかし、火薬《かやく》も鉄砲《てつぽう》も、当時《とうじ》まだ南海の蛮船《ばんせん》から日本へ渡来《とらい》したばかりで、硝石《しようせき》の発火力《はつかりよく》も、今のような、はげしいものではない。それに、火縄《ひなわ》の下にあったのも二箱か三箱なので、火に吹かれたのは山《やま》掘夫《ほり》の十二、三人、あとは悲鳴《ひめい》の声のあがったのを見ても、いのちだけは助かったらしい。
咲耶子《さくやこ》と竹童《ちくどう》は、脱兎《だつと》のように、軍師《ぐんし》の間《ま》のそとへ飛びだしていた。そして、そのあとから伊部熊蔵《いのべくまぞう》と卜斎《ぼくさい》などが、黒けむりと一しょにはきだされて、ふたりのあとを追《お》いかけた。
まえの井楼《せいろう》の下まできたとき、咲耶子は足をとめた。
「ちッ……」
なにかいおうとしたらしいが、いまになって焔硝《えんしよう》にむせんで、あとのことばがでずにしまう。
竹童も、ハッとふとい息《いき》をついた。まッくろな煙《けむり》の柱《はしら》が、もくもくと宙天《ちゆうてん》におどりあがっているのを見る。……
「わ、わたしは、少し思うところがあるから、ここに踏《ふ》みとどまって、最後の力をつくします。竹童さん、おまえははやく樺《かば》の林へもどり、あすこにつないである鷲《わし》に乗って、ここを落ちておくれ、後生《ごしよう》です。早くここを、逃《に》げてください」
「に、逃げろッて?」
「ふたりとも、ここで斬《き》り死《じに》してしまっては、民部《みんぶ》さまへ事情《じじよう》を知らせる者がない」
「いやだ! いやだ、おいらは!」
生きのこった山《やま》掘夫《ほり》どもが、もう向こうからワッワッとわめいてくるようすなのに、竹童は頑《がん》とそこをうごかないで、強くかぶりをふっていった。
「逃《に》げてゆくなんていやなこった、小太郎山《こたろうざん》をとられるものなら、おいらも砦《とりで》と一しょに斬り死する! どうして、そ、そんなことをいって、民部《みんぶ》さまに会《あ》われるもんか」
「アア、この場合、そんなことをいって、わたしをこまらさないでおくれ、ネ、竹童さん」
「イヤだ! 落ちてゆくなら、おまえひとりで逃げてゆきな」
「ま、なにか考えちがいをしていますね」
「なぜ」
「落ちるといってもけっして卑怯《ひきよう》でも不義《ふぎ》でもない。かえって、砦を枕《まくら》にして斬り死するより、立派《りつぱ》なつとめをはたすんです。ここでふたりが一しょに最期《さいご》をとげてしまったら、だれが、この事情を一党《いつとう》の方《かた》にしらせますか」
「でも……おいらは、そんな役目は好《す》きじゃない」
「こうしている一刻《いつこく》が大事、たのむから、はやくクロを飛ばして」
「よし、おいらはすぐにまた帰ってくる」
「えッ、じゃ落ちてくれますか」
「クロを飛ばしていくなら一|羽《は》ばたきだ。一党《いつとう》の人を見つけたら、おいらはすぐに帰ってくる。咲耶子《さくやこ》さま」
「エ? ……」
「それまで、樺《かば》の奥《おく》へかくれこんで、敵《てき》のやつに見つからないように」
「あ、大丈夫《だいじようぶ》、死にはしません」
「きっとだぜ!」
「アア」
「きっとだぜ」
「エエ」
「短気《たんき》なことをしちゃいけないぜ」
「アア、加勢《かせい》のくるのを待っています」
「おうッ、それじゃいそいでいってくる!」
竹童《ちくどう》はヒラリと身をかえして、また以前《いぜん》のお花畑《はなばたけ》から陣馬《じんば》ケ原《はら》を馳《か》けぬけて、愛鷲《あいしゆう》クロを飼《か》っておく深林《しんりん》のくぼへ走りこんだ。
「クロ……」
林のくぼは星《ほし》の光もなく真《ま》っ暗《くら》だ。
「クロ! クロ!」
かれは口笛《くちぶえ》をふいて返事《へんじ》を待った。
鷲《わし》が返事をするわけもないが、いつも、かれがこの林間《りんかん》へ足を入《い》れれば、木《こ》の葉《は》をふむ音だけで、自分のきたことを知って、よろこばしげに、爽快《そうかい》な羽《は》ばたきをするのがれいだ。
だのに? どうしたのだろう。
羽ばたきもなければ、ギャーッという啼声《なきごえ》もしない。
「寝《ね》ているのかしら?」
鷲もいまごろは眠《ねむ》るであろうと竹童はかんがえた。
だがだんだんにおぼえのある喬木《きようぼく》の根ッこにさぐりよって見ると、かれの想像《そうぞう》はまったくくつがえされて、そこには、最前《さいぜん》このへんにあつまった城内《じようない》の裏切《うらぎ》り者、黒川八十松《くろかわやそまつ》とほかふたりの者が、肉《にく》を裂《さ》かれてぶッたおれ、しかも一つの死骸《しがい》には首がない。そうしてかんじんな鷲のすがたは影《かげ》もかたちも見当《みあた》らない。
「やッ、逃《に》げたのかしら? 鎖《くさり》だけが残《のこ》っている」
いかにも、太《ふと》い樺《かば》の根こぶには、鷲をつないでおいた鎖だけが残《のこ》っている――そしてクロがいない――そして三人の侍《さむらい》が肉を裂かれている、この謎《なぞ》をなんと解《と》いていいか?
「わかった!」
征矢《そや》のごとく林を馳《か》けだした。
かれの目は怒《いか》りにつりあがっている。
血走《ちばし》った涙《なみだ》をたたえて空をあおいだ……
だが空にもクロは見えなかった! 裏切《うらぎ》り者の黒川八十松《くろかわやそまつ》め、あれが、自分によって飛行変現《ひこうへんげん》の自在《じざい》につかわれる器《うつわ》だと知って、逃《に》がしたのだ! 鎖《くさり》をきって空へはなしてしまったのだ。
人をのろわば穴《あな》二つ、あの猛禽《もうきん》の鎖《くさり》をきった三人は、立ちどころに、自分がはなした鷲《わし》の爪《つめ》につかまれて、四肢《しし》を裂《さ》かれてしまったのにそういない。
思いあわすと、きょうはまだ一|回《かい》も、クロに餌《えさ》をやっていない。その餌にすべき小鳥やけだものを狩《か》りにいって、ちょうど、陣馬《じんば》へ帰ってきた時に、今夜の騒動《そうどう》が起ったので、それなりにほうっておかれたクロは、さだめし飢《う》えていたであろうと思われる。
飢えた猛禽は、折《おり》からよき餌食《えじき》と、三人の荒武者《あらむしや》の肉《にく》をさき、血《ち》をすすって、樺《かば》の林からぬけあがった。
「やっぱり、砦《とりで》を枕《まくら》に死ねというしらせだ」
かれはいつになく、その行方《ゆくえ》を軽《かる》くあきらめて、ふたたび黒煙《こくえん》のとりでへ影《かげ》をまぎれこませてきた。
「火をつけるな、松明《たいまつ》をほうるな」
そこでは伊部熊蔵《いのべくまぞう》がさけんでいる。
「焼城《やけじろ》をとるのは手柄《てがら》が小《ちい》せえ、生城《いけじろ》をとるのは大武功《だいぶこう》としてある。どうせもうこっちのものになる城《しろ》だ、向こうの火もはやく伏《ふ》せろ伏せろ」
と、火薬《かやく》から燃《も》えひろがりそうな奥郭《おくぐるわ》へザッザと水をかけさせている。
一方では二十人ほど、手をわけて咲耶子《さくやこ》のゆくえをさがし、また一方では鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》が、腰《こし》に手をあてて城塞《じようさい》のつくりを、しきりに見てまわっている。
と、れいの扇縄《おうぎなわ》の水の手に、だれかかがみこんで、ザブザブと顔を洗《あら》いながら、ついでに、口を水面へのばして、チューッと吸《す》おうとしているやつがある。
見ると、泣き虫の蛾次郎《がじろう》だった。
「ばかッ」
卜斎にどなられて、蛾次郎は、すいこんだ水を思わずガッと吐《は》きだして、
「親方《おやかた》……?」
と、叱《しか》られるのをけげんそうに、
「な、なにが、ばかなんで」
「毒水《どくみず》だぞ、それは」
「げッ」
「すべて城《しろ》をのっとったさいには、そこらに残《のこ》っている食糧《しよくりよう》や水はけっして口にすべきものじゃあない」
「ヘエ、そうでしょうか」
ペッ、ペッ、口のつばきを吐《は》きちらして、こんどは、洗《あら》いかけていた焔硝《えんしよう》いぶりの顔のしずくを両方《りようほう》の袖《そで》で拭《ふ》きまわしている……。
とたんに、
「卜斎《ぼくさい》ッ、うごくな!」
馳《か》けだしてきた竹童《ちくどう》。
童髪《どうはつ》かぜに立って夜叉《やしや》のようだった。砦《とりで》とともに死のうと覚悟《かくご》をしている彼。
ひゅーッと、紫《むらさき》をかいて走ったのは般若丸《はんにやまる》の飛閃《ひせん》! あッと、卜斎は首をすくめ、肩《かた》をはすにかわして、斬《き》りすべってきた竹童の腕《うで》をつかんだ。
「親方ッ、手をかすぜ」
蛾次郎《がじろう》はうしろから寄《よ》って、あけび巻《まき》の山刀《やまがたな》、ザラザラと引っこ抜いて、スパーッと竹童の背《せ》すじを斬《き》ったつもり。
腕《うで》もなまくら、刀も赤錆《あかさび》、上着《うわぎ》一枚きれはしない。
「じゃまだ、どけッ」
つかんだ相手の腕くびをしめて、卜斎、
「ええッ!」
と吠《ほ》えたかと思うと、おそろしい強力《ごうりき》で、ブーンと竹童のからだをふり、鞠《まり》でもとって投げるように、扇縄《おうぎなわ》の水の手へ、かれの小さなからだをほうりこんだ。
ドボーン……と、まっ白な水柱《みずばしら》があがった。まんまんとして毒水《どくすい》の波紋《はもん》がよれる。ガバ、ガバ、と二つ三つ苦《くる》しげな息《いき》をしているうちに、波紋にまかれ、竹童のかげは、青ぐろい池《いけ》のそこへ見えなくなった。
ここは平和だ。あかるい朝。
まだ草の根には白い霧《きり》がからんでいる。
向こう側《がわ》の傾斜《けいしや》を見ると、芝《しば》を掃《は》いたようなやわらかさである。しかし、その傾斜は目がまわるほど深く、きわまるところに、白い渓流《けいりゆう》が淙々《そうそう》と鳴っている。
どこからとでもなく、このあたりいちめん、得《え》もいわれぬ好《よ》いかおりにつつまれている。朝の陽《ひ》が、ゆらゆらと峡《かい》のあいだから射《さ》してくると、つよい気高《けだか》い香気《こうき》が水蒸気《すいじようき》のようにのぼって、ソヨとでも風があれば、恍惚《こうこつ》と酔《よ》うばかりな芳香《ほうこう》が鼻《はな》をうつ。
人の知らぬ小太郎山《こたろうざん》の峡をぬけて、奥《おく》へ奥へと二|里《り》ほどはいった裏山《うらやま》、ちょうど、白姫《しらひめ》の峰《みね》と神仙《しんせん》ケ岳《たけ》との三|山《ざん》にいだかれた谷間《たにま》で、その渓流にそった盆地《ぼんち》の一角《いつかく》を杣《そま》や猟師《りようし》は、緋《ひ》おどし谷《だに》とよんでいる。
緋おどし谷|一帯《いつたい》は、ほとんど山《やま》百合《ゆり》の花でうまっている。むしろ百合谷《ゆりだに》と呼《よ》ぶべきところだが、その盆地に特殊《とくしゆ》な一|部落《ぶらく》があって、百合より名をなすゆえんとなっている。
渓流に架かっている蔦《つた》のかけ橋《はし》、そこを渡《わた》ると部落の盆地、あなたに四、五|軒《けん》、河《かわ》べりに七、八軒、また傾斜《けいしや》の山の背《せ》にも八、九軒、煙《けむり》を立てている人家《じんか》があった。そして、そこに住んでいるのは、みな十五、六から七、八の百合花《ゆり》そのままな乙女《おとめ》たちばかりである。
修羅《しゆら》戦国《せんごく》の春秋《しゆんじゆう》をよそに、緋《ひ》おどし谷《だに》は平和である。比叡《ひえい》、根来《ねごろ》の霊山《れいざん》を焼《や》きはらって惜《お》しまぬ荒武者《あらむしや》のわらじにも、まだここの百合《ゆり》の花だけはふみにじられず、どこの家も小ぎれいで、まどには鳥籠《とりかご》、垣《かき》には野菊《のぎく》、のぞいてみれば、壁《かべ》や床《ゆか》にも胡弓《こきゆう》や琴《こと》。
だが、知らぬものにはふしぎな郷《さと》だ。
林檎色《りんごいろ》の頬《ほお》をした、健康そうな少女たちばかりすんで、いったい、なにを職業とし、父や兄や祖父《そふ》などはないものかしら?
まさか、女護《によご》ケ谷《だに》でもあるまいに。
それは。
みんな冬にはかえる少女だ。雪《ゆき》を見れば甲府《こうふ》へかえり、春になれば夏のすえまで、少女ばかりでこの谷にくらしている。
で、目的《もくてき》は? やはりかせぎにくるのである。そしてその一棟一棟《ひとむねひとむね》で、みな職業がちがっているのもおもしろい。
河べりに近い家《うち》では、糸や麻《あさ》をさらしていた。そのとなりでは染物《そめもの》をしている。また一|軒《けん》では鹿皮《しかがわ》をなめし、小桜模様《こざくらもよう》、菖蒲紋《しようぶもん》、そんな型《かた》おきをしている家《うち》もあった。
ここの渓流《けいりゆう》では砂金《さきん》がとれる、砂金をうって鎧小《よろいこ》太刀《だち》の金具《かなぐ》をつくる少女があり、そうかと思うと、皮《かわ》をついで絹糸《きぬいと》で、武具《ぶぐ》の草摺《くさず》りをよろっている家《うち》も見える。とにかく、ここでは、革《かわ》、草摺《くさず》り、旗差物《はたさしもの》、幕《まく》の裁縫《さいほう》、鎧下着《よろいしたぎ》、あるいはこまかい|つづれ錦《ヽヽヽにしき》、そのほか武人《ぶじん》の衣裳《いしよう》につく物や、陣具《じんぐ》の類《るい》をつくるものばかりが棲《す》み、そして、それがみなかわいい少女の手に製作《せいさく》されていた。
この渓谷《けいこく》の水が染物《そめもの》によく適《てき》し、ここの温度《おんど》が革《かわ》づくりによいせいだというか、とにかく、緋《ひ》おどし谷《だに》の開闢《かいびやく》は、信玄《しんげん》以来《いらい》のことである。
そこへ。
けさふとすがたを見せたのは、峡《かい》をつたって、小太郎山《こたろうざん》から眠《ねむ》らずにきた咲耶子《さくやこ》である。
向こうがわには、緋《ひ》おどし谷の部落《ぶらく》をながめ、だれか渓流《けいりゆう》にくるのを待っていると、やがて二、三人の少女が染桶《そめおけ》と糸のたばをかかえて、あかるい笑いをかわしながら、川床《かわどこ》へ下《お》りてきたようす。
咲耶子は、ゆうべのことで、苦悶《くもん》の色のかくせぬ中にも、それを見ると、ニッコとして、帯《おび》のあいだの横笛《よこぶえ》を抜《ぬ》き、しずかに、歌口《うたぐち》をしめしだした。
鳴る!
ゆるい、笛の音《ね》、高い笛の音。
「おや?」
河原《かわら》のしろい顔が、みんな一しょにこっちを見た。
笛が――咲耶子《さくやこ》のしろい手に高くあげられて、横に縦《たて》にうごいている。
合図《あいず》であろう!
それを見ると、少女のひとりがなにかさけんだ。それにおうじて、あなたこなたの家《うち》から、ワラワラワラ馳《か》けだしてくる。みんな同じ下《さ》げがみの少女、みんな同じ年ごろの少女、みんな凜々《りり》しい紅頬《こうきよう》の少女。
みるまにちょうど三、四十人、蔦《つた》のかけ橋《はし》を踏《ふ》みわたって、あたかも落花《らつか》の散《ち》るように、咲耶子のいる向こうの峡《かい》へ馳《か》けてくる!
笛は、早く早くと呼《よ》んでいた。
緋《ひ》おどし谷《だに》の胡蝶《こちよう》たち、胡蝶の陣《じん》を組《く》むのである。
汝《なんじ》ら! なにを笑《わら》うか?
蔦のかけ橋をいっさんにわたって、咲耶子のすがたをあてに走ってきた少女の群《む》れは、みるまに近づいて、さしまねかれた笛の下へ、グルリと、花輪《はなわ》のように集《あつ》まった。
「――まいりました、咲耶子さま」
「なにかご用でございますか」
「いつになくおわるい顔色」
「どうしました? 咲耶子《さくやこ》さま」
「おっしゃってくださいまし、わたくしたちのする用を」
いきいきとした少女たちの眸《ひとみ》、みな、なつめのようにクルッとみはって――そしてまだ心配そうに、中央に立ついちばん背丈《せい》の高い人を見あげた。
小太郎山《こたろうざん》にすむ咲耶子と、そこから近い緋《ひ》おどし谷《だに》の者たちとは、しぜん、いつのまにかしたしくなっていた。かれらはみな、咲耶子を山の女神《めがみ》のようにしたい、咲耶子はまたみなを、妹のように愛していた。
ことに、かれらはすべて、おさない時から子守歌《こもりうた》にも信玄《しんげん》の威徳《いとく》をうたった血《ち》をもっている甲斐《かい》の少女だ。国はほろびても、その景慕《けいぼ》や愛国の情熱《じようねつ》は、ちいさな胸《むね》に燃《も》えている。
げんに。
いま彼女たちが緋《ひ》おどし谷《だに》でつくっている、具足《ぐそく》や幕《まく》や旗差物《はたさしもの》や、あるいは革《かわ》足袋《たび》、太刀《たち》金具《かなぐ》、刺繍《ししゆう》、染物《そめもの》などの陣用具《じんようぐ》は、すべてそれ小太郎山《こたろうざん》のとりでへ贈《おく》るべきうつくしい奉仕《ほうし》だった。
――そのたのもしい少女は、ちょうど三、四十人ほどそこにいた。
咲耶子は夜来《やらい》の変事《へんじ》をつぶさに話して、いまに、この谷へも、大久保長安《おおくぼながやす》の手勢《てぜい》がきて、小太郎山の砦《とりで》どうよう、ぞんぶんに蹂躪《じゆうりん》するであろうとつげた。
「――ですからおまえたちはすこしも早く、だいじな品物や、仕事の道具《どうぐ》を取りまとめて、めいめいの郷《さと》へお帰りなさい。そして後日《ごじつ》、ふたたび小太郎山に武田菱《たけだびし》の旗印《はたじるし》を見たならば、またその時は、緋《ひ》おどし谷《だに》へきておくれ、そして、仲《なか》よく刺繍《ししゆう》をしたり染物《そめもの》をしておくれ。わたしは、それを知らせにきたのです」
意外《いがい》!
かなしい別れの言葉であった。
巴旦杏《はたんきよう》のようにかがやいていた少女たちの頬《ほお》は、みているまに白くあせて、眉《まゆ》はかなしみに曇《くも》った。
袖《そで》をもって顔をおおう少女もある。
拭《ふ》くのも忘れてあきらかに涙《なみだ》の流るるにまかせている顔もある。
だが。
それはやがて、強い敵愾心《てきがいしん》とかわって、哀別《あいべつ》をこばむ決心が、だれの唇《くち》からともなく、
「イエ!」
「イエ!」
「イエ!」
とはげしくほとばしり、みなそろってかぶりをふった。
「わたしたちは帰りません!」
ひとりの声が凜《りん》という。
「このまま郷《さと》へ逃《に》げかえって、父や兄に問《と》われた時、なんと、小太郎山のことを話しましょう」
「あ……」
と咲耶子《さくやこ》は、その純真《じゆんしん》な叫《さけ》びに、魂《たましい》をつかまれてゆすぶられるように感じた。
「――砦《とりで》のさいごを見とどけとうございます。咲耶子さまのおさしずについて、なろうものなら戦います。家康《いえやす》の家来《けらい》大久保長安《おおくぼながやす》、あれはいま甲府《こうふ》の民を苦しめている悪い代官《だいかん》、その手勢《てぜい》とたたかうことは、父や兄妹《きようだい》の仇《あだ》に向かうもおなじことです」
「…………」
「ねえ、咲耶子さま!」
「…………」
「つねに練《ね》りきたえている胡蝶《こちよう》の陣《じん》を組《く》みましょう。ふだん武芸《ぶげい》をはげむのも、こういう場合《ばあい》のためにではありませぬか」
「オ……」
「ここにいる残らずの者は、みな一ツ心じゃと申しております」
「オオ……」
その言葉を待っていた咲耶子の頬《ほお》には、思わずしらず、感激《かんげき》のなみだが玉《たま》となってまろばった。
おなじ朝――時刻《じこく》はそれより一|刻半《ときはん》ほどまえのこと。
むろん、まだ夜は白《しら》みかけたばかり。
砦《とりで》はゆうべの酸鼻《さんび》な空気をおどませて、輝《かがや》きのない朝をむかえていた。
伊部熊蔵《いのべくまぞう》や山《やま》掘夫《ほり》どもや、あとからくりこんだ大久保《おおくぼ》の手勢《てぜい》は、みな、貝殻虫《かいがらむし》のように、砦の建物《たてもの》にもぐりこんで寝《ね》ているようす。
ただ城楼《じようろう》高きところ――下《さが》り藤《ふじ》大久保家《おおくぼけ》の差物《さしもの》と、淡墨色《うすずみいろ》にまるく染《そ》めた葵《あおい》の紋《もん》の旗《はた》じるしとが目あたらしく翩翻《へんぽん》としている。
ピイッ! ピピピピッ。
一|羽《わ》の翡翠《かわせみ》。
いつもの朝のとおり、るり色の翼《つばさ》をひるがえして、扇縄《おうぎなわ》の水の手へとんできた。そして、翡翠《かわせみ》がもつあの長いくちばしで、水に棲《す》むハヤというちいさな魚をねらいに降《お》りた。
――と思うと翡翠は、バッと水面をつばさでうっただけで、風にさらわれたようにすッとんでしまった。
名人の矢《や》に狂《くる》いはあるとも、翡翠が魚をくわえそこなうなんていうことはけっしてないのに。
と見ると、その朝にかぎって、扇形《おうぎなり》の貯水池《ちよすいち》には小さなハヤや大きな山女《やまめ》が、白い腹《はら》を浮《う》かせて死んでいるのだ。あの強そうな赤い山蟹《やまがに》まで、へろへろして水ぎわに弱っていた。
「こりゃあいけねえ」
それを見て、水をすかしているふたりの士卒《しそつ》がいった。大久保勢《おおくぼぜい》の兵糧方《ひようろうがた》、飯《めし》や汁《しる》を煮炊《にたき》する身分の軽《かる》い兵である。
「ゆうべ水門《すいもん》を開《あ》けておかなかったから、まだこの水の手には毒《どく》がよどんでいるんだ」
「それじゃ、朝の兵糧を炊くのにさっそくこまるぜ」
「――掃除《そうじ》をして新しい水を入《い》れかえなけりゃ……」
「やっかいだな、こんなわるさをしやがって」
「城をとるやつは、兵糧方のこまることなんか眼中《がんちゆう》にはない。攻《せ》め取りさえすればいいんだから」
「そしてグウグウ寝《ね》ていやがる」
「眼がさめると、おれたちがこしらえた汁《しる》や飯《めし》をたらふくくらって、自慢話《じまんばなし》でいばりちらす……考えてみると、兵糧方はわりがわるい」
「オイ、ぐちをこぼしてもしかたがねえ。早く水を代《か》えておこうじゃねえか」
「そうだ! 陽《ひ》がのぼってきた」
ふたりは水の手の水門をのぞきこんだ。そして、かんぬきをぬいた。
「オヤ」
「どうした?」
「藻《も》がからんでいて開《あ》かねんだ」
「あッ……おい、藻じゃねえぞそれは。死骸《しがい》だ! オオ土左衛門《どざえもん》だ」
「えッ、人間か?」
と、ひとりがかんぬきの先で突《つ》きだした。
もくり……と毒水《どくすい》の波紋《はもん》がよれたかと思うと、俯《う》ッ伏《ぷ》せになった水死人《すいしにん》が水草《みずぐさ》の根をゆらゆらとはなれる。
蒼《あお》ぐろい透明《とうめい》のなかにたれている手が、ギヤマンをすかしたような色に見えた。それは、夜が明けようとするまえに、卜斎《ぼくさい》のためこの池《いけ》に投げこまれた竹童《ちくどう》だ――手につかんでいるのは般若丸《はんにやまる》の刀である。
浮《う》いている髪《かみ》のさきから、ツイと、水馬《みずすまし》が二、三|匹《びき》およいだ。
兵糧方《ひようろうがた》の足軽《あしがる》が、水面に目をみはっていた時だ。
とつぜん。
あらしのような風の音が、宙《ちゆう》をうなってきたかと思うと、ふたりの目の前へ、空からなにか勢いよく落ちてきた。
「あッ」
ドボーン! ……と西瓜大《すいかだい》のくろい物?
いちど深く沈《しず》んでから、ボカッと、あわだった水面に浮《う》きあがってきたのを見ると、若《わか》い武士《ぶし》の生首《なまくび》だ。
胴《どう》のない生首は、胴をかくして立ち泳《およ》ぎをしている人間のように、グルリとまわって、足軽《あしがる》のほうへ顔を向けた。
「おッ……黒川八十松《くろかわやそまつ》さまの首だ!」
驚《おどろ》くまもあらず、ごうーッと一陣《いちじん》の強風《きようふう》にのって、ひくく、黒雲のように、旋舞《せんぶ》して降《お》りた大鷲《おおわし》があった。
とたんに、扇縄《おうぎなわ》の水の手一つからザアッと龍巻《たつまき》がふきあがったかと見れば、非《あら》ず! いきなり鷲のくちばしが、竹童《ちくどう》の帯《おび》をくわえて宙《ちゆう》へ立ったのである。
高くつりあげられた竹童のからだから夕立《ゆうだち》のような水しずくが降《ふ》る!
「あ、怪物《かいぶつ》ッ」
宙をとんだふたりの兵糧方《ひようろうがた》。
早、腰《こし》をぬかさんばかり驚いて、具足《ぐそく》のままあっちこっちに寝《ね》ている武士《ぶし》を起《おこ》してまわった。
「逆襲《ぎやくしゆう》? ……」
「朝討《あさう》ち?」
寝《ね》ぼけまなこに得物《えもの》をとった侍《さむらい》や山《やま》掘夫《ほり》どもは、稀有《けう》の大鷲が少年をくわえて舞《ま》いあがったと聞き、興味半分《きようみはんぶん》にワラワラと貯水池《ちよすいち》のほうへ馳《か》けてきた。
だが――ゆうべ陣馬《じんば》ケ原《はら》で、おそろしい経験《けいけん》をなめているものは、
「あぶないぞ、油断《ゆだん》するな」
と、走りながら、周囲《しゆうい》の者へせわしく話した。
扇縄《おうぎなわ》の水の手へ、首となって落ちてきた黒川八十松《くろかわやそまつ》は、城攻《しろぜ》めの最中に、樺《かば》の林につないであった竹童《ちくどう》の鷲《わし》の鎖《くさり》を切ったのだ。そしてかえって、鷲のために食《く》いさかれて、非業《ひごう》な死をとげたのだ!
「あぶないぞ、あぶないぞ! あの鷲は敵《てき》と味方《みかた》をちゃんと見分《みわ》けている。だから、八十松の首をくわえていたんだ。そして、竹童をすくいに降《お》りてきたんだ」
「気をつけろよ、うっかりしてあのすごい爪《つめ》につかまれるな」
注意をしながら駈《か》けてきた。
しかし――鷲《わし》の雄姿《ゆうし》は、もう貯水池のまわりには見えなかった。
「おッ、井楼櫓《せいろうやぐら》の屋根《やね》にやすんでいる」
とだれか見つけて、またいっせいにそのほうへ駈《か》け向かっていく。
「わアーッ」
と諸声《もろごえ》を合わせたので、翼《つばさ》を休《やす》めていたクロは、さらに羽《はね》をうって舞《ま》いあがった。けれど、さすがな大鷲《おおわし》も、二、三|歳《さい》の嬰児《あかご》なら知らぬこと、竹童ほどな少年のからだをくわえてそう飛べるはずはない。
水面からそこへうつったのが極度《きよくど》の力であったろう。櫓《やぐら》の上を離《はな》れると、さすがに強い猛鷲《もうしゆう》も、むしろくわえている重量《じゆうりよう》に引かれこんでゆく形《かたち》。
みるまに、下へ――下へ――下へ――。
むこうの峰《みね》までは渡《わた》りきれずに、千仞《せんじん》のふかさを思わす小太郎山《こたろうざん》の谷間《たにま》へとさがっていった。
と、見えたが、また。
ついに、くちばしでもちきれなくなったのか、とちゅうで、鷲《わし》と竹童《ちくどう》のかげは二つに別《わか》れてしまった。
落ちていった小さな黒点《こくてん》は、目にもとまらず直線《ちよくせん》に谷底《たにそこ》へ、――そして狂《くる》った大鷲《おおわし》は、せつな! 筒《つつ》をそろえて釣瓶《つるべ》うちに撃《う》ってはなした鉄砲組《てつぽうぐみ》の弾《たま》けむりにくるまれて、一瞬《いつしゆん》、その怪影《かいえい》は見えなくなった。
「あ。竹童め、運《うん》のいいやつだ」
鉄砲組のうしろに立って、宙《ちゆう》を見ながら、こうつぶやいた人間がある。
蛾次郎《がじろう》をつれた鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》だった。
聞きとがめてヒョイとうしろを向き、
「なぜで?」
とたずねたのは伊部熊蔵《いのべくまぞう》。
毒薬《どくやく》をながした水の手へ投げこまれ、そのうえにまた、鷲《わし》にくわえあげられて、千仞《せんじん》の谷間《たにま》へ落ちていった竹童が、どうして運《うん》がいいんだか、こんなわからない話はない――という顔で。
ところが卜斎《ぼくさい》、また同じ言葉をかさねて、
「まったく運の強いやつだよ」
と、少し、くやしそうな顔をした。
「なぜですな? 卜斎殿《ぼくさいどの》」
「あいつめ、いまに蘇生《そせい》します。運がいいじゃありませんか」
「へえ、あの竹童が」
「ゆうべは真《ま》っくらでわからない。いずれ毒水《どくみず》を呑《の》んだろう、朝になったら念《ねん》のために、生死をたしかめにいこうと思っていたところなので」
「なるほど、竹童を投げこんだのは、貴公《きこう》でございましたな」
「ところがいま見るに、あの鷲が宙へつりあげた。それをもって見るに竹童め、わしが水の手へ投げこんだとたんに、杭《くい》か岩の角《かど》で脾腹《ひばら》をうち、気をうしなったにちがいない」
「ウ……ウム? ……」
「で、ついに、毒水《どくみず》を食《く》らわなかった。水を食らえば体重は倍《ばい》の上にもなるゆえ、けっして、いくら大鷲《おおわし》でもくわえて飛べたものじゃない」
「だが、あの谷間《たにま》へ落ちていっては、五体みじんとなったでしょう」
「イヤイヤ、あそこは深い檜谷《ひのきだに》、何百年も斧《おの》を入《い》れたことのない茂《しげ》りだ。落ちても枝《えだ》にかかるか深い灌木《かんぼく》の上にきまっている」
「そりゃいかん!」
伊部熊蔵《いのべくまぞう》はにわかにあわてだした。そして、それッと、周囲《まわり》の武士《ぶし》を指揮《しき》して、
「朝めしまえの一仕事に、竹童《ちくどう》のからだをさがしだせ」
といいつけた。
「はッ」
というと鉄砲組《てつぽうぐみ》の中から五、六人、足軽《あしがる》十四、五人、山《やま》掘夫《ほり》四、五人――小頭《こがしら》の雁六《がんろく》も一しょについて、まだ朝露《あさつゆ》のふかい谷底《たにそこ》へ降《お》りていった。
「おいおい、おいおい。そんな方角《ほうがく》じゃあない。もっと右の方だ、右の方の道を降《お》りろ。まだまだずッと沢《さわ》の方――あの檜林《ひのきばやし》がこんもり茂《しげ》っている向こうの谷だ」
熊蔵はあとにのこって煙管《きせる》をくわえ、その煙管で、しきりと上から方角をおしえている。
卜斎《ぼくさい》も崖《がけ》ッぷちに腰《こし》をかけて、大きな革《かわ》の莨入《たばこい》れを引っぱりだした。煙管もがんこなかっこうである。もっともそのころは、まだ煙草《たばこ》というものが南蛮《なんばん》から日本へ渡《わた》ったばかりで、そういう道具《どうぐ》もすこぶる原始的《げんしてき》なものだった。
すると、側《そば》にいた、蛾次郎《がじろう》のやつ。
「くッ、くくくく……うふッ……うふふふふ……」
と横を向いて笑《わら》いだした。
なにをおかしがるのかと伊部熊蔵《いのべくまぞう》がふりむくと、蛾次郎は口をおさえて、横にすましている卜斎《ぼくさい》をそッと指《ゆび》さした。
卜斎はなんにも知らず、がんこな煙管《きせる》を斜《しや》にもって、スパリ、スパリ、とふかしている。
見ると、かれの鼻《はな》の穴《あな》から、ゆるい煙《けむり》がでるのである。だれにしたって、煙草《たばこ》を吸《す》えば鼻の穴から煙が出る。なんのふしぎもありはしない。
だけれど、いったん鼻かけ卜斎先生《ぼくさいせんせい》が煙草の煙をすって吐《は》く段《だん》になると、一方の鼻の穴からは尋常《じんじよう》に紫煙《しえん》がはしり、一方の穴からでる煙はそッぽへ向かって噴出《ふんしゆつ》する。
だから二本の煙が大股《おおまた》にひらいてでて、かたわの鼻《はな》が顔中にいばっているような壮観《そうかん》をあらわすのだった。
「な、なるほど。こいつはおそれいった鼻だ」
と、熊蔵も吹きだしたいのをがまんして、横を向きながら腹《はら》の皮《かわ》をおさえた。
ゆうゆうと紫煙をふかしていた卜斎は、はなはだ、けしからん顔つきで、
(なんじら! なにを笑うか?)
と、口にはださないがギョロギョロした。
雲ゆきが悪い! 気がつかれては大《たい》へんだぞと、そういうことには敏感《びんかん》な蛾次郎《がじろう》、ポイと立って断崖《だんがい》のふちから谷をのぞきこみ、
「ウーム、みんな見えなくなった。いまに竹童《ちくどう》をかつぎあげてくるだろうな……」
と、つまらないひとりごと。
「親方《おやかた》」
「なんだ!」
はたしてごきげんがわるい。
「まだ兵糧《ひようろう》をくばってきませんネ」
「寝《ね》るから起きるまで、食《く》うことばかりいってやがる」
「いえ、わたしゃなんともないけれど、親方が、定《さだ》めしお腹《なか》がなんだろうと思って」
「よけいな心配《しんぱい》をするな」
「へい」
「それよりきさまも谷間《たにま》へ降《お》りて、なぜご一同と一しょにはたらかないか、なまけ者めが」
「オッ、帰ってきた!」
ジッと見おろしていた伊部熊蔵《いのべくまぞう》が、こう叫《さけ》んで待ちうけていると、そこへ小頭《こがしら》の雁六《がんろく》、どうしたのか真《ま》ッ青《さお》になって、息《いき》をあえぎながら登《のぼ》ってきた。
「いかがいたした、ほかの者は?」
上がりきらぬうちから熊蔵《くまぞう》がこう急《せ》くと、雁六《がんろく》は額《ひたい》のきずで、片目《かため》に流れこむ血《ち》をおさえながら、
「た、大《たい》へんです」
うなるがごとき声だった。
「谷へ降《お》りた者は、ひとりのこらずみな殺しにされてしまった! 熊蔵さま、わ、わっしだけ、ようよう逃《に》げてきたんです」
「な、なんだッて」
熊蔵は、踏《ふ》ンがけている足もとが、地すべりしていったかとばかり驚《おどろ》きにうたれて――。
「ど、どういう仔細《しさい》で? まさか、竹童《ちくどう》が」
「その竹童のからだをさがしに、だんだんうすぐらい檜谷《ひのきだに》へ降《お》りてゆくと、ピューッと、鵯《ひよどり》でも啼《な》いたような、笛《ふえ》の音《ね》がしたんです」
「ウム、そして?」
「と一しょに、頭の上から疾風《はやて》のような手裏剣《しゆりけん》が飛んできて、バタバタと四、五人ふいに打《ぶ》ッたおれたので、あッといったがもうおそい。……檜《ひのき》の上や笹《ささ》むらのなかから、ひらひら、ひらひら、まるで蝶々《ちようちよう》のようなやつ、三、四十人の女です」
「女?」
「霧《きり》のように消《き》える、またワッと蛾《が》のように舞《ま》い立つ、それでふしぎな陣《じん》になっていて、こっちは煙《けむ》にまかれたようです。逃《に》げる、ふせぐ、斬《き》り合う、火縄《ひなわ》をつける、まごまごしているすきだってありゃしません。谷間へ落ちたり、渓流《けいりゆう》へすべりこんだり、かよわい女の切っさきに、大の男がさんざんのていです」
「ウーム、ちくしょう、咲耶子《さくやこ》のしわざだなッ」
「そうだ!」
と、うしろでヌッと卜斎《ぼくさい》が立ちあがった。
「裾野《すその》でいちど見たことがある。――謙信流《けんしんりゆう》、楠流《くすのきりゆう》、長沼流《ながぬまりゆう》、小早川流《こばやかわりゆう》、甲州流《こうしゆうりゆう》、孔明流《こうめいりゆう》、唐《から》の孫武陸子《そんぶりくし》の兵法にもない胡蝶《こちよう》の陣《じん》! あれは咲耶子《さくやこ》が野武士《のぶし》で馴《な》らした得意《とくい》ふしぎな陣法《じんぽう》ですよ」
地蔵行者《じぞうぎようじや》の変《かわ》った旅《たび》
木魂《こだま》! 木魂! 鉄砲《てつぽう》木魂。
つるべうちにぶっぱなした銃火《じゆうか》の轟音《ごうおん》は二|倍《ばい》になってきこえた。
檜谷《ひのきだに》いちめんの暗緑色《あんりよくしよく》な木立《こだち》のあいだから、白い硝煙《しようえん》が湯気《ゆげ》のようにムクムクと大気《たいき》へのぼる。
むこうの峡《かい》で笛《ふえ》が鳴った。
と。
|もんぺ《ヽヽヽ》を穿《は》き、白の髪止《かみど》めをしめた一|団《だん》の少女たちが、ひとりの童《わらべ》の手足をもってたすけあい、森《もり》から沢《さわ》へ、沢から渓流《けいりゆう》へ、浅瀬《あさせ》をわたってザブザブと峡の向こうへよじのぼる。
鳴る、鳴る、鳴る! 笛はまたさらに高音《たかね》をつづけて鳴る。
バラバラと峡のがけから細道《ほそみち》へ降《お》りてくる少女が見えた、上から手をのばして童《わらべ》をうけとる。その敏捷《びんしよう》なことおどろくばかり、螺旋状《らせんじよう》の細道《ほそみち》を奥《おく》へ奥へと見ているうちに走りだした。
と思うとその半数《はんすう》は、どこかへこつぜんと見えなくなった。
「それッ」
「どこまでも追《お》い撃《う》ちをかけろ」
渓流を越《こ》えて追撃《ついげき》してきたのは、伊部熊蔵《いのべくまぞう》と雁六《がんろく》をせんとうにした一隊《いつたい》である。
みな、谷川で火縄《ひなわ》を濡《ぬ》らしてしまったので、鉄砲《てつぽう》をすてて大刀をぬく。槍《やり》を持った者は石突《いしづ》きをついてポンポンと石から石へ飛んであるく。こういう場合《ばあい》は、南蛮渡来《なんばんとらい》の新鋭《しんえい》な武器《ぶき》もかえって便《べん》がわるい。
道案内《みちあんない》は地学家《ちがつか》の鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》、その腰《こし》についてあるくものは天下の泣き虫|蛾次郎《がじろう》である。
蛾次郎はすばらしくこうふんしてしまった。司馬仲達《しばちゆうたつ》を追《お》ッかけまわす孔明《こうめい》のごとき高き気概《きがい》。なんだか、自分ひとりの威勢《いせい》のために、咲耶子《さくやこ》の胡蝶《こちよう》の陣《じん》が逃《に》げくずれてゆくような気持がして――。
すると、不意《ふい》に――
峡《かい》の細道から三、四人、芋虫《いもむし》のように渓谷《けいこく》へころげ落ちた。あッ……と仰《あお》ぐと、天を摩《ま》す楢《なら》の木のてッぺんから、氷雨《ひさめ》! ピラピラピラ羽白《はじろ》の細矢《ほそや》がとんでくる。
梢の葉がくれ、楢に花が咲《さ》いたように、半弓《はんきゆう》を持った少女が十二、三人ほど見えた。
タジタジとあとへひいた熊蔵《くまぞう》の一隊《いつたい》、槍《やり》をそろえ、白刃《はくじん》をかこんで、下《お》りるところを待ちかまえたが一陣《いちじん》、楢の梢が暴風《ぼうふう》のようにゆすぶられたかと思うと、落花《らつか》? 胡蝶《こちよう》? 否《いな》、それよりも軽快《けいかい》に、彼女たちのすがたは枝《えだ》から枝へとびうつり、つぎの樹《き》からつぎの樹へ、そしてついに思わぬところの崖《がけ》へ――山千鳥《やまちどり》かとばかり散《ち》ってしまった。
大久保長安《おおくぼながやす》の後詰《ごづめ》の手勢《てぜい》、百人ばかりはべつな道から緋《ひ》おどし谷《だに》へ向かっていた。
糸染川《いとぞめがわ》と神仙川《しんせんがわ》の合流《ごうりゆう》するところで、熊蔵の一隊と一つになり、聖地《せいち》のごとき百合《ゆり》の香花《こうか》を踏《ふ》みあらし、もうもうとした塵《ちり》をあげて、れいの蔦《つた》のかけ橋《はし》まで殺到《さつとう》した。
「おお、こんなところに人家《じんか》がある」
「あの女雀《めすずめ》どもの巣《す》であろう」
「それッ」
「片《かた》ッぱしから火をかけてみな殺しにしてしまえ」
「いや、手捕《てど》りにして、とりでの下婢《はしため》に|こき《ヽヽ》使ってやるのもよいぞ」
「かかれ!」
殺気《さつき》をみなぎらした百六、七十人の軍兵《ぐんぴよう》が、いちどきにドッとかかったので、蔦《つた》のかけ橋は弓《ゆみ》なりに|しな《ヽヽ》って左右にゆすぶれ、いまにも、ちぎれて渓谷《けいこく》へ人間をブチまけてしまうかと思われた。
人家へせまるとその人数が、ワアーッと鬨《とき》の声をあわせた。まんいち、計《はか》りごともやある? と武者声《むしやごえ》をたけらして、敵《てき》の反応《はんのう》をさぐるのだった。
すると――
討《う》ってでる敵はなかったが、どこからともなく幽玄《ゆうげん》な妙音《みようおん》をまろばしてくる八雲琴《やくもごと》の音《ね》があった。
「やッ……琴《こと》の音《ね》がするッ?」
慄然《りつぜん》として武者足《むしやあし》がとまってしまった。
温熱《おんねつ》のような殺気《さつき》は弾琴《だんきん》の音《ね》に吹きはらわれて、ただ、ぼうぜんとふしぎそうに耳をすます軍兵の眼ばかりが光り合う。
なぜ? 血《ち》を水のごとくに見る荒武者《あらむしや》が、やさしい琴の音などにすくまってしまったのだろうか。
中にまじっていた卜斎《ぼくさい》は、そういぶかしく思ったが、それをあやしむ彼|自身《じしん》が、すでに妙《みよう》な錯覚《さつかく》にとらわれて、疑心暗鬼《ぎしんあんき》を眼底《がんてい》にかくしていたことを知らなかった。
ひとりこの時かまわずに、琴《こと》の音《ね》のする家のほうへかけだしていったのは、蛾次郎《がじろう》であった。
だが、かれの行動は、だれより勇敢《ゆうかん》といえるだろうか。それは問題としても、蛾次郎が来たままかけぬけていったのは、錯覚《さつかく》などを起《おこ》すほどこまかな神経《しんけい》を持ちあわせていない証拠《しようこ》にはなる。
(いい間諜《かんちよう》が行った)
というふうに一同は遠巻《とおま》きにしてながめている。
みんなが見ている!
蛾次郎はヤヤ得意《とくい》のようすだ。
ふりかえってニヤリと笑《わら》う。そして小高《こだか》いところへのぼった。
雅人《がじん》の住居《すまい》でもありそうな茅葺《かやぶき》の家、筧《かけひ》の水が庭《にわ》さきにせせらぐ。ここは甲山《こうざん》の奥《おく》なので、晩春《ばんしゆん》の花|盛夏《せいか》の花、いちじにあたりをいろどって、拭《ふ》きこまれた竹の縁《えん》、塵《ちり》もとめずにしずかである。
おくゆかしい萩垣根《はぎがきね》。そこから蛾次郎、鼻《はな》くそをほじりながら、背《せ》のびをしてのぞきこんだ。
「あッ、人がいら……」
しかり、人がいる。
女性《によしよう》である。うつくしい人。
琴台《きんだい》の上に乗せてあるのは、二|絃《げん》焼桐《やきぎり》の八雲琴《やくもごと》、心しずかに奏《かな》でている。そして、ふと琴《こと》の手をやめ、蛾次郎《がじろう》のほうをふりかえった。
蛾次郎は自分の顔がポッと赤くなったかと思って、どぎまぎと眼をまよわせたが、また見直《みなお》すと、それどころじゃない、琴台の前にいるのは咲耶子《さくやこ》ではないか。
「あッ……」
首を引ッこめると、
「蛾次郎ですね」と、おちついた声。
「いいところへきてくれました。手勢《てぜい》をここへ呼《よ》んできてください」
「|あか《ヽヽ》といえ!」
蛾次郎、垣根《かきね》のそとで逃《に》げ腰《ごし》になりながら、
「そういくたびも、胡蝶陣《こちようじん》の計略《けいりやく》にひッかかってたまるもんかい」
「うそではない、もうどんなことをしてものがれぬところ、わたしは覚悟《かくご》をきめました。ほかの者を助けるためにね」
「じゃ、おめえひとりなのか」
「罪《つみ》のない少女たちを、斬《き》り死《じに》させるのはかわいそうです。あのひとたちの親兄弟《おやきようだい》にすみません。だから……」
「ほんとか? まったくか?」
「この通り小袖《こそで》を着《き》かえ、髪《かみ》をなおし、うすい化粧《けしよう》までしているでしょう。これが覚悟《かくご》の証拠《しようこ》です。わたしを縄《なわ》にかけて、甲府《こうふ》へでも、浜松城《はままつじよう》へでも送《おく》ってください」
すると、とつぜんに、
「神妙《しんみよう》!」
と、うしろから縄《なわ》をまわした者がある。
裏口《うらぐち》からはいってきた卜斎《ぼくさい》であった。と――一しょに、ドカドカと槍《やり》や刀や鉄棒《てつぼう》をひっさげた武士《ぶし》のすがたが、庭へあふれこんできた。
「あ、待ってください」
「未練《みれん》をいうなッ」
「いえ……」
と、咲耶子《さくやこ》は、ねじとられた手をしずかにもぎはなした。そして指《ゆび》の先の琴爪《ことづめ》を抜《ぬ》いて、高蒔絵《たかまきえ》のしてある爪筥《つめばこ》のなかへ、一つひとつていねいに入れた。
そこは甲府《こうふ》の城下《じようか》にでるとちゅうであった。
虹《にじ》の松原《まつばら》の針葉樹《しんようじゆ》のこまかい日蔭《ひかげ》を、白い街道《かいどう》がひと筋《すじ》にとおっている。
緋《ひ》おどし谷《だに》の山間《さんかん》から、かわるがわるに手車《てぐるま》を組《く》んで竹童《ちくどう》を助けだしてきた少女たちは、その松原の横へはいって、しきりと彼を看護《かんご》していた。
気絶《きぜつ》したがために、さいわいとあの毒水《どくみず》を呑《の》まなかった竹童《ちくどう》は、多少の傷《きず》や痛《いた》みはあったが、やがて真心《まごころ》の介抱《かいほう》をうけて、かなりしっかりと気がついた。
「咲耶子《さくやこ》さんは?」
息《いき》を吹ッかえすと、第一にでた問《と》い。
「小太郎山《こたろうざん》は? 咲耶子さんは?」
「咲耶子さんは……」
おうむ返《がえ》しにそういって、少女たちは急にかなしい表情《ひようじよう》にくもった。
「エ、どうしたい?」
「竹童さんを助けたいために、わざと緋《ひ》おどし谷《だに》にのこって、自分から敵《てき》の生捕《いけど》りになりましたの」
「なんだって?」
ぼうぜん――なにを見るのであろう竹童の目。
いっぱいな涙《なみだ》になってしまった。
「さかさまだ! さかさまだ!」
かれはみなをおどろかせて叫《さけ》びだした。
「おいらを助けるために、あのひとが捕《つか》まってゆくなんて、そ、そんな、さかさまごとがあるもんか」
「ですけれど、竹童さん」少女のひとりがなぐさめ顔に、
「わたくしたちも泣きながら、七|里《り》の山路《やまじ》を歩いたのです。もうおよばないことですから、このうえ、悲《かな》しいことをいわないでくださいまし」
つぎの少女が口をそえた。
「そのかわりに、あなたは体《からだ》をしっかり癒《なお》して、伊那丸《いなまる》さまや民部《みんぶ》さまに、小太郎山《こたろうざん》の砦《とりで》のしまつを、くわしくお告《つ》げしてくれとおっしゃいました」
三|番目《ばんめ》の少女がつげた。
「そして、みなさまの救《すい》いの手を、敵《てき》のなかで待っていますと」
竹童はもうそういう言伝《ことづて》などを、じッと、聞いていなかった。どこか、骨節《ほねぶし》がつよく痛《いた》むのであろう、キッと口をゆがめながら、松にすがって立ちあがった。
「あ、どこへ?」
「竹童さん、どこへ?」
「竹童さーん!」
呼《よ》べどふり向きもしなかった。
「ア、ア、あッ……」
と、不安そうに見おくる少女たちの視界《しかい》をはなれて、とちゅうから、脱兎《だつと》のごとく駈《か》けてしまった。
肉体の生命《せいめい》が奇蹟的《きせきてき》に無事《ぶじ》だったかわりに、あの少年の精神《せいしん》に狂気《きようき》が与《あた》えられたのではないか? 少女たちは虹《にじ》の松原《まつばら》からめいめいの都《みやこ》へ帰った。
臥薪嘗胆《がしんしようたん》の文字どおりに、伊那丸《いなまる》と一党《いつとう》の士《し》が、ここ一年|余《よ》に、生命を賭《と》してきずきあげた小太郎山《こたろうざん》の孤城《こじよう》。そのただ一つの物から、再起《さいき》の旗印《はたじるし》を引きぬかれて、それに代《かわ》る徳川家《とくがわけ》の指物《さしもの》が立ってからすでに半年。
天下は秋となった。
落寞《らくばく》とした甲山《こうざん》の秋よ、蕭々《しようしよう》とした笛吹川《ふえふきがわ》の秋よ。
国ほろびて山河《さんが》かわらずという。しかし、人の転変《てんぺん》はあまりにはなはだしい。たとえば、いま甲府《こうふ》の城下《じようか》を歩いて見ても、逢《あ》うものはみな徳川系《とくがわけい》の武士《ぶし》ばかりだ。
金鋲《きんびよう》の駕《かご》、銀鞍《ぎんあん》の馬、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》に出入りする者、誇《ほこ》りはかれらの上にのみある。隆々《りゆうりゆう》と東海から八方へ覇翼《はよく》をのばす徳川家《とくがわけ》の一門《いちもん》、その勢《いきお》いのすばらしさったらない。
「おなじ武家《ぶけ》に仕官《しかん》をするなら、足軽《あしがる》でも徳川家につけ」
当時《とうじ》、浪人仲間《ろうにんなかま》でそういったくらい。
ゴ――ン、ゴ――ン。
彼岸《ひがん》にちかい秋の町を、鉦《かね》をたたいて歩く男があった。そのゴ――ンというさびしい音《ね》は、いま、甲府《こうふ》塗師屋町《ぬしやまち》の四ツかどをでて、にぎやかで道のせまい盛《さか》り場《ば》の軒下《のきした》をたどってくる。
かれの歩《あゆ》むにつれ彼の手から、紙《かみ》でつくった桃色《ももいろ》の蓮華《れんげ》の花片《はなびら》がひらひら往来《おうらい》へ散《ち》らばった。
その蓮華《れんげ》のあとを慕《した》って、
「おじさん、紙おくれよ」
「おじさんおくれよ」
「紙をよ、紙をよ」
「紙をおくれよ、おじさん」
と、こまッかい町の子供が、二十日《はつか》ねずみのようについてあるく。
どこの国からきた、どこのお寺《てら》の行人《ぎようにん》であろうか、天蓋《てんがい》に瓔珞《ようらく》のたれたお厨子《ずし》を背《せ》なかにせおい、胸《むね》には台《だい》をつって鉦《かね》と撞木《しゆもく》をのせてある。そして行乞《ぎようこつ》でえた銭《ぜに》は、みなその鉦《かね》のなかにしずんでいた。
うしろへまわって、お厨子《ずし》をのぞくと、金泥《きんでい》のとびらが開《あ》けてあって、なかには一|基《き》の地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の像《ぞう》がすえてある。そのまえには、秋の草花、紅白《こうはく》のお餅《もち》、弄具《おもちや》や|よだれ掛《ヽヽヽかけ》やさまざまなお供物《くもつ》が、いっぱいになるほどあがっている。
「ああ、そんなにまえへまわると、おじさんが歩けなくなるじゃないか」
こういって地蔵行者《じぞうぎようじや》は、小さい手に取りまかれながら、背なかあわせに負《おぶ》っている地蔵菩薩《じぞうぼさつ》とそっくりのような人のよい笑顔《えがお》をつくった。
「よウ、よウ、よウ、おじさんてば」
「紙おくれよ、さっきの紙をさ」
行者《ぎようじや》はニコニコ見まわして、
「いまあげるよ、あげるから、けんかをしちゃいけない、おとなしくして……」
ふところから刷《す》り物の紙をだして、仲《なか》よくひとりへ一枚ずつくばってあたえる。見ると、なるほど、子供が欲《ほ》しがりそうな美しい刷り物。
むらさき色の地《じ》へ、金泥《きんでい》で地蔵《じぞう》さまのおすがたが刷ってある。そしてそのわきには、こんな文句《もんく》が書いてあるのだ。
親《おや》のない子。家のない子。まずしい子。
地蔵行者《じぞうぎようじや》はそれをさがしてあるきます。
見つけて幸《しあわ》せにしてやりたいとて歩きます。
教《おし》えてください。あわれな子を。
竹生島可愛御堂《ちくぶしまかわいみどう》の堂守《どうもり》
菊《きく》 村《むら》 宮《く》 内《ない》
「家へもって帰って、お父《とう》さんや姉《ねえ》さんや兄《にい》さんにも見せておくれ。そして、かわいそうな子供がいたら教えておくれ。おじさんはまたあした、同じところを同じ時刻《じこく》にあるくから……。え? あさってかね、あさってはまたさきの町さ、わしは、そうして諸国《しよこく》をまわる旅人《たびびと》だもの」
ゴ――ン、ゴ――ン、ゴ――ン。
鉦《かね》をたたいてさきの町を流した。
地蔵経《じぞうきよう》を誦《ず》して門《かど》へたち、行乞《ぎようこつ》の銭《ぜに》や食《た》べ物は、知りえた不幸《ふこう》の子にわけてやる。ほんとに親《おや》も家もない子供は、自分の宿《やど》へつれて帰って、奉公口《ほうこうぐち》までたずねてやる。
戦国の巷《ちまた》に見捨《みす》てられているおさない者のために、竹生島《ちくぶしま》の神官《しんかん》菊村宮内《きくむらくない》、とうとう琵琶湖《びわこ》のそとへまででて、地蔵行者の愛をひろめようとした。
ちょうど、甲府《こうふ》の城下《じようか》へはいってから、二日《ふつか》か三日目《みつかめ》の午《ひる》である。宮内は、馬場はずれの飯屋《めしや》の縄《なわ》すだれを分けてはいった。
すると、そこのうすぐらい土間《どま》のすみに、生意気《なまいき》なかっこうをした少年がひとり、樽床几《たるしようぎ》にこしかけ、頬杖《ほおづえ》をつきながら箸《はし》を持っていた。
「おい、おやじ」
と、その生意気《なまいき》が年上の亭主《ていしゆ》にいう。
「なんだいこの魚《さかな》は? いくら山国の甲府《こうふ》だって、もうちッと、気の利《き》いたものはないのかい」
「それは|やまめ《ヽヽヽ》といって、みなさまがおよろこびになるお魚でございますがね」
「みんな田舎者《いなかもの》だからよ。おれなんか、京都であんまりぜいたくをしてきたせいか、こんな古《ふる》い物は食《く》えねえや、ベーッ、ベーッ、あー、まずい。なんかほかの食《た》べる物をだせやい」
「じゃ、|こんにゃく《ヽヽヽヽヽ》とお芋《いも》はどうでございましょう」
「芋《いも》なんて下等《かとう》なものはきらいだよ」
「へえ、蓮根《れんこん》、焼豆腐《やきどうふ》、ほかには乾《ほし》章魚《だこ》の煮《に》ましたものぐらいで」
「ちっとも、おれの食慾《しよくよく》をそそらないぞ」
「さようですか」
「乾章魚をおだし、がまんして食《た》べてやるから」
と、箸《はし》で皿をつッころがした。
おそろしくいばった生意気《なまいき》、まるで大名《だいみよう》の息子《むすこ》のようなことをいっている。やはり都会の少年の中には悪い癖《くせ》があるなと、菊村宮内《きくむらくない》、なんの気なしにひょいと見ると、都会の少年ではない裾野育《すそのそだ》ち――竹生島《ちくぶしま》ではさんざんお粥《かゆ》をうまがって食《た》べたかの蛾次郎《がじろう》だ。
「あれッ? ……」
と、蛾次郎は目をまろくして、菊村宮内の顔《かお》を見た。そして、しゃぶッていた箸で打つようなまねをしながら、
「めずらしいなア、エ、どうしたえ、大将《たいしよう》!」
宮内はあきれかえって、返辞《へんじ》のしようもない顔つき。
永《なが》いあいだ薬餌《やくじ》をとってもらった生命《いのち》の恩人《おんじん》――それは忘《わす》れてもいいにしろ、いきなり大人《おとな》をつかまえて頭から、大将! とは。
「おや、おまえは……」
宮内《くない》はさらに眼をまろくして、蛾次郎《がじろう》のまえにある一本の徳利《とつくり》と、かれのドス赤い顔とをじッと見くらべた。
「酒《さけ》を飲んでいるな」
厳父《げんぷ》のような言葉でいった。
「へへへへ」と蛾次郎は、さすがに、間《ま》がわるそうにガリガリと頭をかいて、
「きょうはじめて、どんな味《あじ》のものだか、ためしてみたんです」
「うまいか?」
「さっぱりおいしくねえや、なんだって、大人《おとな》はこんなものを飲むんだろうな」
「酒は狂水《きようすい》という、頭のよい人をさえあやまらせる。ましてや、おまえのような低能児《ていのうじ》がしたしめば、もう一人前《いちにんまえ》の人間にはなれない。わしの見ている前ですてておしまい」
「ヘイ……」
「また、おまえはいま、たいそうぜいたくをいっていたな、もったいないことを忘《わす》れてはいけない。この戦国、いまの修羅《しゆら》の世の中には、飢《う》えて食《しよく》をさけんでも、ひと握《にぎ》りの粟《あわ》さえ得《え》られぬ人がある」
「はい、わかりました。えらい人に会《あ》っちゃった!」
「だが蛾次郎《がじろう》、おまえ、近ごろはなにをしているな」
「親方の卜斎《ぼくさい》について、甲府城《こうふじよう》のお長屋《ながや》に住《す》んでます」
「オオ、卜斎どのもこの土地へきているか」
「小太郎山《こたろうざん》で、すてきな手柄《てがら》を立てたんで。はい、それから大久保家《おおくぼけ》の知遇《ちぐう》を得《え》ました。元木《もとき》がよければ末木《うらき》まで、おかげさまで蛾次郎も、近ごろ、ぼつぼつお小遣《こづか》いをいただきます」
「けっこう、けっこう」
宮内《くない》はわがことのようによろこばしかった。
「なるべく身をつめてむだづかいをせず、お金《かね》をだいじにもたなければいけない」
「お金を貯《た》めてどうするんだろう」
「あわれなものに恵《めぐ》んでやるのじゃ。それほどいい気持のすることはない」
「な、なーんだ、つまらねえ」
と、乾《ほし》章魚《だこ》をつまんで口の中へほうりこみ、飯《めし》を茶碗《ちやわん》に盛《も》ろうとしていると、門口《かどぐち》の縄《なわ》すだれがバラッと動いた。
ぬッとはいってきた魁偉《かいい》の男《おとこ》、工匠袴《こうしようばかま》をはいた鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎である。ギョロッとなかを見まわして、
「亭主《ていしゆ》、うちの小僧《こぞう》はきておらなかったかい?」
ときく。
亭主《ていしゆ》はうしろをふりむいた。見ると、蛾次郎《がじろう》は、茶碗《ちやわん》と|しゃもじ《ヽヽヽヽ》を持ったまま、台《だい》の下へもぐりこんで、しきりにへんな目、しきりに|かぶり《ヽヽヽ》をふっている。
「へえ、おりませんが」
「こまったやつだ……」
と、卜斎《ぼくさい》は舌打《したう》ちをして、
「おれは見ないのでよく知らないが、城内《じようない》の仲間《ちゆうげん》などのうわさによると、近ごろ、蛾次郎のやつめ、この馬場《ばば》の近所で水《みず》独楽《ごま》というのをまわし、芸人《げいにん》のまねをして、銭《ぜに》をもらっては買い食《ぐ》いをして歩き廻《まわ》っているそうだが」
「ははあ……」
と、亭主ははじめて知ったような顔をして、台の下にかがんでいる蛾次郎をちょッと見た。
たのむ、たのむ、たのむよ後生《ごしよう》だ。
蛾次郎は台の下で、飯《めし》つぶだらけな手をあわせて拝《おが》んでいる。と――その時、おりよく宮内《くない》が横から立って、
「卜斎どの」
と、声をかけてくれた。
「おお!」びっくりして――
「菊村《きくむら》どのじゃないか、あまり姿《すがた》がかわっているので、少しも気がつかなかった。どうしてこの甲府《こうふ》へ?」
「でかけましょう、ご一しょに」
「おお、今夜は、わしの宅《たく》へきてお泊《とま》んなさい」
地蔵行者《じぞうぎようじや》と卜斎《ぼくさい》は、肩《かた》をならべて、飯屋《めしや》の軒《のき》をでていった。
蛾次郎《がじろう》は台《だい》の下からはいだして、
「アア天佑《てんゆう》」
お茶《ちや》をかけて、じゃぶじゃぶと四、五はいの飯《めし》をかッこみ、ころあいをはかって、ソッと戸外《おもて》へ飛びだした。
久《ひさ》しぶりで甲府《こうふ》という都会のふんいきをかいだ蛾次郎には、さまざまな食《た》べ物の慾望《よくぼう》、みたいものや聞きたいものの誘惑《ゆうわく》、なにを見ても買いたい物、欲しいものだらけであった。だが、やかましやの親方《おやかた》卜斎《ぼくさい》、つねに小言《こごと》と拳骨《げんこつ》をくださることはやぶさかでないが、なかなか蛾次郎の慾をまんぞくさせる小遣《こづか》いなどをくれるはずがない。
蛾次郎の不良性《ふりようせい》は、そこから悪智《あくち》の芽《め》をふいて、ひとつの手段《しゆだん》を思いついた。かれは城下《じようか》の馬場《ばば》はずれに立って、皿《さら》まわしの大道芸人《だいどうげいにん》の口上《こうじよう》をまね、れいの竹生島《ちくぶしま》で菊村宮内《きくむらくない》からもらってきた水《みず》独楽《こま》の曲廻《きよくまわ》しをやりだした。ふしぎな独楽《こま》の乱舞《らんぶ》を、かれの技力《ぎりよく》かと目をみはる往来《おうらい》の人や行路《こうろ》の閑人《ひまじん》が、そこでバラバラと銭《ぜに》や拍手《はくしゆ》を投げる。――蛾次郎、それをかき集《あつ》めては、毎日、卜斎の家を留守《るす》にして、野天《のてん》の芝居《しばい》をみたり買《か》い食《ぐ》いに日を暮《く》らしている。
きょうも、夕方ぢかくなるのを待って、柳《やなぎ》のつじの鳥居《とりい》の下に立ち、竹生島神伝《ちくぶしましんでん》の魔《ま》独楽《ごま》! 水を降《ふ》らす雨乞《あまごい》独楽《ごま》! そう叫《さけ》んで声をからし、半時《はんとき》ばかり人をあつめて、いざ小手《こて》しらべは虹渡《にじわた》りの独楽《こま》! 見物人《けんぶつにん》は傘《かさ》のご用心! そんな口上《こうじよう》をはりあげて蛾次郎《がじろう》、いよいよ独楽《こま》まわしの芸《げい》にとりかかろうとしていた。
と。
その群集《ぐんしゆう》のなかに立って、かれの挙動《きよどう》を凝視《ぎようし》しているふたりの浪人《ろうにん》――深編笠《ふかあみがさ》に眉《まゆ》をかくした者の半身《はんしん》すがたがまじって見えた。
なにか、ささやき、なにか、微笑《びしよう》し合っている。
するとまた、そのうしろにかくれていた六部《ろくぶ》の指《ゆび》が、前のさむらいの背《せ》なかを軽《かる》くついて、ふりかえった顔となにかひそひそ話しているようす。
にわかごしらえの水《みず》独楽《ごま》まわしの太夫《たゆう》、いでや、独楽をまわそうとしてはでな口上をいったはいいが、ひょいと人輪《ひとわ》のなかの浪人と六部《ろくぶ》のすがたを見て、
「あッ! ……」
そういったきり足をすくませ、水独楽にあらぬ眼の玉を、グルリとさきにまわしてしまった。
諏訪神《すわがみ》さまの禁厭灸《まじないきゆう》
さて、いよいよ本芸《ほんげい》にとりかかったところで、どうしたのか蛾次郎《がじろう》太夫《だゆう》、ふと妙《みよう》なことが気にかかっていたせいか、いつもあざやかにやる水《みず》独楽《ごま》虹渡《にじわた》りの曲《きよく》まわしを、その日は、三どもやりそこなって、首尾《しゆび》よくドッという嘲笑《ちようしよう》を、大道《だいどう》の見物人《けんぶつにん》からあびてしまった。
通力《つうりき》のある神伝《しんでん》の魔《ま》独楽《ごま》。
「こんなはずはないぞ。こんなはずはないぞ」
と、蛾次郎はドギマギしながら、いくども口上《こうじよう》をやりなおして、独楽《こま》を空に投げあげたが、水を降らせるどころか、廻《まわ》りもしないで、石のように曲《きよく》もなくボカーンと自分の頭の上へ落ちてくるばかりだ。
だが、首尾《しゆび》よくゆかないでも、見物《けんぶつ》のほうはワイワイいってうれしがった。
木戸銭《きどせん》をだしていない大道芸《だいどうげい》のせいでもあろうが、とかく人間は、かれの成功《せいこう》よりもかれの失敗《しつぱい》をよろこぶ傾向《けいこう》をたぶんにもっている。そして、それが群衆《ぐんしゆう》となると、いっそう露骨《ろこつ》にぶえんりょに爆発《ばくはつ》してくるのだった。
「イヨーッ、またしくじった」
「やりなおしの名人」
「小僧《こぞう》、いまにベソをかくぞ」
「どうしたい! 独楽《こま》まわし」
「目がまわりそうだとさ。あんまり騒《さわ》ぐと泣きだすぜ」
「大将《たいしよう》、しっかりたのむよ」
とうぜん、出《い》ずべきはずの弥次《やじ》が、四方からワイワイと蛾次郎《がじろう》をひとりぜめに飛ぶので、さすがに、恥《はず》かしいことを知らぬ蛾次郎も、すっかりまいってしまって、三たびめの口上《こうじよう》は、自分でもなにをいっているのかわからないように、カーッと頭に血《ち》があがってきた。
しかし、こうなるとかれもまた、意地《いじ》でも見物《けんぶつ》をあッと驚嘆《きようたん》させてやらなければしゃくである。第一、この水《みず》独楽《ごま》がまわらないというわけはない。
「そうだ、おれがあいつに気をとられて、びくびくしながら、まわしているから、ほんとの精気《せいき》が独楽に乗りうつらないのだ」
蛾次郎にしてはいみじくも思いついたことである。いかにもそうにちがいなかった。かれはさいぜんから群集《ぐんしゆう》のうちにまじって、自分を見ているふたりの人物が気になってたまらないのである。
「よし、こんどは!」
と腹《はら》からかまえどりをきめて蛾次郎《がじろう》太夫《だゆう》、邪念《じやねん》をはらって独楽《こま》を持ちなおし、恬然《てんぜん》として四どめの口上《こうじよう》を反《そ》り身《み》でのべたてた。
「エエ、エヘン」
見物《けんぶつ》はまたかと、クスクス笑《わら》った。
「さて、最初《さいしよ》の独楽《こま》しらべ、小手《こて》しらべとしまして、空《から》まわし三たび首尾《しゆび》よく相すみましたから、いよいよこれから本《ほん》まわしの初芸《はつげい》に取りかかります」
「うまく逃《に》げ口上《こうじよう》をいってやがる」
「また四どめも小手しらべはごめんだぜ」
「早くやれ、文句《もんく》をいわずに」
第一|印象《いんしよう》がわるかったので、太夫《たゆう》の人気はさんざんである。けれど蛾次郎は、ここでひとつ喝采《かつさい》をはくして見物《けんぶつ》から銭《ぜに》を投げてもらわなければ、ここまでの努力《どりよく》も水の泡《あわ》だし、かえりに空腹《すきばら》をかかえてもどらなければならないと思うと、しぜんと勇気《ゆうき》づいて、四面楚歌《しめんそか》の弥次《やじ》ごえも馬の耳に念仏《ねんぶつ》。
「あいや、お立合《たちあい》のみなの衆《しゆう》!」
と、いちだん声をはりあげて、
「芸《げい》は気合《きあ》いもの、独楽は生き物。いくら廻《まわ》し手が名人でも、そうお葬式《そうしき》の饅頭《まんじゆう》に鴉《からす》がよってきたように、ガアガアさわがれていてはやりきれない。せんこくから見物《けんぶつ》のなかで、おれのことを小僧小僧《こぞうこぞう》といっているようだが、大人《おとな》の癖《くせ》にガアガアいうほうが、よッぽどみッともないや。いまにおれの気合《きあ》いが乗って、この水《みず》独楽《ごま》がブンとうなって見ろ、悪《あく》|たれ《ヽヽ》をいったその口がまがって、面目名古屋《めんぼくなごや》の乾大根《ほしだいこん》、尻尾《しつぽ》を巻《ま》いて逃《に》げだすだろう。オッといけない、首尾《しゆび》よく独楽《こま》がまわったからといって、逃《に》げだしたりあっけにとられたきりで、銭《ぜに》を投げるのを忘《わす》れてはいけないぜ、感心したものはえんりょなく一|文《もん》でも二文でも投げるのさ。よろこびをうけて酬《むく》いることを知らざるは、人間にあらず馬なり、弥次馬《やじうま》なり。さあさあ弥次馬はあとへ引っこんで金持《かねもち》だけ前のほうへでてくださいよ。エエ、やり直《なお》しの魔《ま》独楽《ごま》は天津風《あまつかぜ》吹上《ふきあ》げまわし、村雨下《むらさめさ》がりとなって虹渡《にじわた》りの曲《きよく》独楽《ごま》、首尾《しゆび》よくまわりましたらご喝采《かつさい》!」
とうとうとムダ口をしゃべって大人《おとな》の見物《けんぶつ》をけむにまいた蛾次郎《がじろう》は、そこでヤッと気合いをだして、右手の独楽《こま》を虚空《こくう》へ高くなげた。
「ウウム、うまくいった」
と、こんどは蛾次郎もわれながらニタッとした。
風をきって一直線《いつちよくせん》に手をはなれた独楽は、ゆくところまでゆくとビューッとうなりをあげて見物《けんぶつ》の頭の上へ落下《らつか》してきそうなようす。
「オオ?」
と、思わず、だれの目もそれに気をとられて、宙《ちゆう》に眼をつりあげて見ると、夕陽《ゆうひ》にきらきらして星《ほし》がまわってくるかと思うばかりな一|箇体《こたい》の金輪《かなわ》の縁《ふち》から、雨か霧《きり》か、独楽の旋舞《せんぶ》とともにシューッと時ならぬ村雨《むらさめ》のような水ばしりがして、そのこまかい水粒《すいりゆう》と夕陽《ゆうひ》の錯交《さつこう》は、口上《こうじよう》どおり七、八|尺《しやく》のみじかい虹《にじ》をいくつも空へのこして、独楽《こま》はトーンと蛾次郎《がじろう》の足もとへ落ちてすんでいる。
群集《ぐんしゆう》は正直《しようじき》にドッと賞讃《しようさん》の手をはやした。そしてまわっているかいないかわからないほど澄《す》んでいる地上の魔《ま》独楽《ごま》に目をすえて押《お》し合ったが、蛾次郎は得意《とくい》になって独楽の心棒《しんぼう》を人差指《ひとさしゆび》の頭にすくいとり、ピョンと肩《かた》へ乗せたかと思うと、左の手から右の手へ衣紋《えもん》ながしの軽《かる》いところをやって見せる。
見物《けんぶつ》はもう手をたたくのも忘《わす》れて、ふしぎな独楽の魅力《みりよく》にすいこまれていた。独楽は生きもののように蛾次郎の自由になって、指頭《しとう》あるき、剣《つるぎ》の刃《は》ばしり、胸坂《むなさか》鼻越《はなご》え背《せ》すじすべり、手玉《てだま》にあつかわれてまわっていたが、ふたたび、蛾次郎がヤッと空へ飛ばしたとき、――オオ、どうしたのかとちゅうまで霧《きり》を散《ち》らしてきたその水《みず》独楽《ごま》、かれの手へは帰《かえ》らずに、忽然《こつぜん》と、どこかへ見えなくなってしまった。
「あれッ?」
と、独楽につれていた見物の眼は、ふッと、宙《ちゆう》にまよってウロウロした。おどろいたのは蛾次郎《がじろう》太夫《だゆう》で手のうちの玉《たま》をとられたという文字どおりに狼狽《ろうばい》して、
「おや、コマは? コマは?」
と見まわしたが、その時、フと、気がついて見ると、見物のなかから一本の紅《あか》い杖《つえ》がスッと伸《の》びて、落ちてくる独楽をその尖端《せんたん》で受けとめたかと思うと、紅い棒《ぼう》を坂《さか》にしてたくみに独楽を手もとへすべらせ、ひょいとふところへしまいこんで、小憎《こにく》いほどな早芸《はやげい》、向こうへすまして歩きだしてゆくふたりの人間があった。
「オッ?」
と、群集《ぐんしゆう》はあッけにとられ、蛾次郎《がじろう》は目をまるくして|あんぐり《ヽヽヽヽ》と口を開《あ》いている。
横合《よこあ》いから投げ独楽《ごま》をすくい奪《と》った紅《あか》い棒《ぼう》と見えたのは、朱漆《しゆうるし》をといだ九|尺柄《しやくえ》の槍《やり》であった。
そして、独楽《こま》をふところに入れたのは、白衣《びやくえ》に戒刀《かいとう》を帯《お》びた道者笠《どうじやがさ》の六部《ろくぶ》で、つれの侍《さむらい》にかりうけた朱柄《あかえ》の槍をかえし、なにかクスクス笑《わら》いながら、あとのさわぎを知らぬ顔して、柳《やなぎ》の馬場《ばば》から濠《ほり》ばたのほうへスタスタと足を早めてゆく。
「ははははは」
人通りのない濠端《ほりばた》までくると、朱柄の槍を杖《つえ》についた、一方の侍が声をだして笑《わら》いだした。
「鏃鍛冶《やじりかじ》の弟子小僧《でしこぞう》、さだめしびっくりしたことであろう」
と、蛾次郎のあの瞬間《しゆんかん》の顔つきを思いだしては、また笑《わら》った。
いかにも快活《かいかつ》な笑いごえである。
それは、伊那丸《いなまる》の幕下《ばつか》で一番年のわかい巽小文治《たつみこぶんじ》だった。つれの六部は、ニヤリとして口数《くちかず》をきかないが、たしかに木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》であるということは、ほの暗い濠ばたの夕闇《ゆうやみ》にもわかる。
小文治《こぶんじ》はなにものかを待つように、ときどきうしろをふりかえって、
「だがどうしたのだろう、まだ追《お》いかけてくるようすがないが」
と、つぶやいた。
「いや、こっちの足が少し早かったから、どこかの辻《つじ》で見うしなって狼狽《ろうばい》しているのであろう。いまにきッと追《お》いかけてまいるにちがいない」
と、龍太郎《りゆうたろう》は濠《ほり》ぎわの捨石《すていし》を見つけて、ゆったりとそこへ腰《こし》をおろした。
「けれど蛾次郎《がじろう》のやつも、われわれと知るとかえっておじけづいて、独楽《こま》よりは命《いのち》が大事と、あのまま泣寝入《なきねい》りに帰ってしまいはいたすまいか」
「なに、あの小僧《こぞう》は、白痴《はくち》のように見えて小《こ》ざかしいところがあり、悧巧《りこう》に見えて腑《ふ》のぬけている点《てん》がある。まことに奇態《きたい》な性質、バカか賢《かしこ》いのか、ぼんやり者かすばしッこいのか、つかみどころのないやつじゃ。われわれを怖《おそ》れていることは事実だが、けっして、ほんとの敵《てき》と思われていないことはよくぞんじているから、いまに空《そら》とぼけた顔をして、独楽《こま》を取りかえしにくるにそういあるまい」
「なるほど」
と、小文治も槍《やり》にすがりながら、蛾次郎という小童《しようどう》についてよく考えてみると、末《すえ》おそろしいといっていいか、末たのもしくないといおうか、まったく判断《はんだん》に苦しむような性格的畸形児《せいかくてききけいじ》であると思った。
「で、かれはいま、卜斎《ぼくさい》に召使《めしつか》われて、この躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》の長屋《ながや》にすんでいる。とすれば、いずれ内部《ないぶ》のようすを多少ながら聞きかじっているにそういあるまいから、ここへきたところを捕《つか》まえて、いろいろその後《ご》のことをさぐって見ようと思う。それにはまず、この独楽《こま》を取りあげておいて、いうかいわぬかの責《せ》め道具《どうぐ》にする。あいついかに横着者《おうちやくもの》とはいえ、まだ子供は子供、きっと独楽をもどして欲《ほ》しさに、なにもかもしゃべりだすにちがいない――と考えたので、大人《おとな》げないが、横合《よこあ》いからさらってきた」
「しかし、龍太郎《りゆうたろう》」
「うむ?」
「芸人《げいにん》なら種《たね》もあろうが、貴公《きこう》、どうしてあの独楽《こま》を、槍《やり》の石突《いしづ》きですくい取ったか、あんな離《はな》れわざは本職《ほんしよく》の独楽まわしでもやれまいと思うが、ふしぎなかくし芸《げい》を持っておられるな」
「なあに、あれは人目《ひとめ》をくらましたのだ」
「ほう……?」
「幼少《ようしよう》のとき、鞍馬《くらま》の僧正谷《そうじようがたに》で果心居士《かしんこじ》から教えられた幻術《げんじゆつ》。おそらく、あのくらいのことなら、弟弟子《おとうとでし》の竹童《ちくどう》にもできるであろう」
「はははは、そうだったか。ときに竹童といえば……」
「ウム、竹童……」
と龍太郎も同じようにつぶやく。
この名が一党《いつとう》の者の口にでるときは、だれの胸《むね》にもすえの弟を思うような愛念《あいねん》が一致《いつち》するのもふしぎであった。
「どうしたろうなあ! 竹童《ちくどう》は」
いまも惆然《ちゆうぜん》として小文治《こぶんじ》がいう。
「緋《ひ》おどし谷《だに》から里《さと》へ逃げた少女の話によると、咲耶子《さくやこ》はこの躑躅《つつじ》ケ崎《さき》へ捕《とら》われていったとのことだが、竹童のゆくえについては、だれひとりとして知るものがない」
「拙者《せつしや》の考えでは、小太郎山《こたろうざん》を仇《かたき》にうばわれたことを、じぶんひとりの責任《せきにん》のように感じて、それを深く恥《は》じ、どこぞへ姿《すがた》をかくしたのであろうと思う」
「竹童とすればそう考えそうだな」
「ある時機《じき》がくるまで、かれは、われわれの前にすがたを見せないかも知れぬ」
「それではなおさら心配《しんぱい》になるが」
「どうもぜひのないことだ」
「しかしまたことによると、この館《たち》に擒人《とりこ》となっている咲耶子を助けだそうという考えで、この甲府《こうふ》に潜伏《せんぷく》しているようにも考える」
「ウム、それなら、どこかでわれわれと落ちあう時機もあるだろう」
「どうかそうありたいものだ、勝敗《しようはい》はいくさの常《つね》、小太郎山が敵方《てきがた》の手に落ちたのもぜひないことと伊那丸《いなまる》さまもあきらめておいで遊《あそ》ばす。また事実《じじつ》は、竹童と咲耶子のおさない者とかよわい少女に、とりでの留守《るす》をあずけたほうがムリだったのじゃ。責《せ》めは竹童よりむしろ一党《いつとう》の人々にある、どうかして、かれの無事《ぶじ》を知りたいものだが……」
と、話はいつか打ちしずんでくる。
人の力でどうにもならないのは、皮肉《ひにく》な運命《うんめい》で、その運命を|えて《ヽヽ》案外《あんがい》にくるわすものは、これまた人力の自由にならぬ時間というものである。竹童《ちくどう》と咲耶子《さくやこ》をとりでにのこして、民部《みんぶ》そのほかの人々が、三方《みかた》ケ原《はら》へ馳《か》けつけなかったら、あの時の伊那丸《いなまる》の運命はどうなったかわからない。
その危急《ききゆう》を切りぬけてきたかと思うと、一行伊那丸をいれて六人、富士《ふじ》の裾野《すその》までかかってきた朝、かえるべき小太郎山《こたろうざん》のとりでに、あの夜明けの落城《らくじよう》のけむりをゆく手に見たのであった。
たった、半日、もしくは半夜の時間のちがいで――。
馳《か》けつけて見たところでもうおそい。
とりでの上には下《さ》がり藤《ふじ》の旗《はた》さし物と、葵《あおい》の印《しるし》が王座《おうざ》をしめて戦勝《せんしよう》をほこっている。ふもとから野呂川《のろがわ》の渓谷《けいこく》いったいは、大久保長安《おおくぼながやす》の手勢《てぜい》がギッシリ楯《たて》をうえていて、いかに無念《むねん》とおもっても、疲《つか》れきった六人の力で、それがどうなるはずもないのであった。
しかし、伊那丸はわりあいに力をおとさなかった。自分の落胆《らくたん》や失望《しつぼう》が、どれほど忠節《ちゆうせつ》な人々の胸《むね》に反映《はんえい》するかをよく知っている。
「よし、しばらく小太郎山は大久保家へあずけておこう。そして自分たちが次《つぎ》の乾坤一擲《けんこんいつてき》にのぞむ支度《したく》のために、一|両年《りようねん》、諸国《しよこく》を流浪《るろう》してみるのも、またよい軍学修業《ぐんがくしゆぎよう》ではないか」
こういって、小太郎山《こたろうざん》をすてたのである。いや、数年《すうねん》のあいだ、かりに敵手《てきしゆ》へあずけて別《わか》れ去《さ》る心であった。
旅《たび》の途中《とちゆう》で、煙草畑《たばこばたけ》に葉をつんでいる少女に会《あ》った。少女はついこのあいだ、緋《ひ》おどし谷《だに》から里《さと》へ帰ってきた胡蝶陣《こちようじん》のなかのひとり。
その少女のはなしで、前後《ぜんご》の事情《じじよう》、うらぎり者の毒水《どくすい》の詭計《きけい》、咲耶子《さくやこ》のはたらいたことまたそのために捕《と》らわれとなったことなど、すべて明らかに知ることができた。
ただ一つ、わからないのが竹童《ちくどう》のゆくえ。
これには、伊那丸もいたく心をいためたが、いまは落人《おちゆうど》どうような境遇《きようぐう》の公然《こうぜん》と|ふれ《ヽヽ》をまわしてたずねることもならず、いつか、旅路《たびじ》の蛍《ほたる》ぐさに露《つゆ》のしとどに深くなる秋を知りながら、まだもって、その消息《しようそく》の一|片《ぺん》も知ることができない。
こうして、伊那丸主従《いなまるしゆじゆう》は、信濃《しなの》の山を越《こ》えて、善光寺平《ぜんこうじだいら》をめぐり、諏訪《すわ》をこえて、また甲州路《こうしゆうじ》へ足を踏《ふ》み入れた。
しかし、甲府《こうふ》へはいるにさきだって、民部《みんぶ》の献策《けんさく》によって六人は三|組《くみ》に分れることにした。なぜかといえば、小太郎山《こたろうざん》奪取《だつしゆ》ののち、徳川家《とくがわけ》は大久保石見《おおくぼいわみ》に命《めい》じて、いっそう伊那丸の追捕《ついぶ》を厳命《げんめい》した。いたるところに、間者《かんじや》や捕手《とりて》をふせているもようが見えたからである。
伊那丸《いなまる》は小幡民部《こばたみんぶ》と。
山県蔦之助《やまがたつたのすけ》は加賀見忍剣《かがみにんけん》と。
木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》は巽小文治《たつみこぶんじ》と。
こう二人ずつ三|組《くみ》にわかれて、甲府《こうふ》の城下《じようか》へまぎれこみ、大久保家《おおくぼけ》の内状《ないじよう》をさぐったうえにて、間隙《かんげき》をはかって館《たち》のうちに捕《と》らわれている咲耶子《さくやこ》をすくいだす目的《もくてき》をしめし合わせた。
しかし、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の平城《ひらじろ》は、厳重《げんじゆう》をきわめているうえに、さすがはむかし信玄《しんげん》じしんが縄張《なわば》りをした郭《くるわ》だけあって、あさい外濠《そとぼり》を越《こ》えて、向こうの石垣《いしがき》にすがるたよりもなかった。
で――一党《いつとう》六人の人々、むなしく、咲耶子の身をあんじながら、手をこまぬいて弱っていると、ここに思いがけない好時機《こうじき》が、近い日のうちにせまっているのを知った。
それは、なにかというと。
甲斐《かい》の東端《とうたん》、北《きた》武蔵《むさし》との山境《やまざかい》にある、御岳神社《みたけじんじや》の紅葉《こうよう》の季節《きせつ》にあたって、万樹紅焔《まんじゆこうえん》の広前《ひろまえ》で、毎年おこなわれる兵学大講会《へいがくだいこうえ》に、ことしは、大久保石見守長安《おおくぼいわみのかみながやす》が、家康《いえやす》の名代《みようだい》としてでかけるといううわさである。
で――小幡民部《こばたみんぶ》は、
「若君《わかぎみ》、この機《き》を逸《いつ》してはなりません」
と、伊那丸に一策《いつさく》をさずけた。
それから間《ま》もなく、忍剣《にんけん》と蔦之助《つたのすけ》の組《くみ》も、伊那丸《いなまる》も、甲府表《こうふおもて》からすがたを隠《かく》して、あいかわらず、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》のようすをうかがっているものは、龍太郎《りゆうたろう》と小文治《こぶんじ》の一組になっていた。
その龍太郎は、御岳《みたけ》神社の兵学大講会《へいがくだいこうえ》に長安《ながやす》がでかける日をねらって、咲耶子《さくやこ》を救《すく》いだすつもりであるが、なろうことなら一日も早くと気をあせって、きょうも城下《じようか》をそれとなく歩いているうちに、思いがけない蛾次郎《がじろう》というものを見つけて、|おとり《ヽヽヽ》の独楽《こま》を取りあげてきた。
いまに、それを奪《と》りかえしに追《お》いかけてきたら、あの蛾次郎を独楽にまわして、ひとつ、さぐりをかけてみようと手ぐすね引いて待つのであったが、うわべは、心棒《しんぼう》がゆるんでいるように見えて、ときどき、大人《おとな》の鼻《はな》を明《あ》かす横着《おうちやく》独楽《ごま》、こっちの腹《はら》を読んでいるのか、なかなかやってきそうもない。
水のきれいな甲斐《かい》の国、ことに秋の水は銘刀《めいとう》の深味《ふかみ》ある色にさえたとえられている。
ほの暗《ぐら》い宵闇《よいやみ》のそこから、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の濠《ほり》の流れは、だんだん透明《とうめい》に磨《と》ぎだされてきた。眸《ひとみ》をこらしてのぞきこむと、藻《も》にねむる魚《うお》のかげも、底《そこ》の砂地《すなじ》へうつってみえるかと思う。
その清冽《せいれつ》は十五|間《けん》ほどの幅《はば》がある。
濠《ほり》の向こうはなまこ壁《かべ》の築地《ついじ》、橋《はし》のあるところに巨大《きよだい》な石門がみえ土手芝《どてしば》の上には巨松《きよしよう》がおどりわだかまっている。松をすかしてチラチラ見えるいくつもの灯《ひ》は、館《たち》の高楼《こうろう》であり武者長屋《むしやながや》であり矢倉《やぐら》の狭間《はざま》であり、長安歓楽《ながやすかんらく》の奥殿《おくでん》のかがやきである。
二年前には、そこに、武田一族《たけだいちぞく》と伊那《いな》四郎|勝頼《かつより》の座《ざ》をてらす燭《しよく》があった。
十|幾年《いくねん》かまえには、そこに、機山大居士信玄《きざんだいこじしんげん》の威風《いふう》にまたたいている短檠《たんけい》がおかれてあった。
いまはどうだ?
ながるる濠の水は春秋《しゆんじゆう》かわりなく、いまも、玲瓏《れいろう》秋の宵《よい》の半月にすんでいるが、人の手にともされる灯《ひ》と、つがれる油《あぶら》は、おのずから転変《てんぺん》している。
ものおもわしき秋の夜。
龍太郎《りゆうたろう》はなにげなくそこに眸《ひとみ》をあげて、さっと露《つゆ》をふらす濠ばたの柳《やなぎ》に背《せ》すじを寒《さむ》くさせたが、その時、ふとはじめて気がついた一|個《こ》の人かげが向こうにある。
どこの百姓《ひやくしよう》の女房《にようぼう》であろうか、櫛巻《くしまき》にしたほつれ毛《げ》をなみだにぬらして、両袖《りようそで》を顔《かお》にあてたまま濠にむかってさめざめと泣《な》いているようす……
月あかりを避《さ》けているが、やつれた姿《すがた》がかげでもわかる。年は三十五、六、質朴《しつぼく》らしい木綿《もめん》着物《ぎもの》、たくさんの子供をうんだ女と見えて、大きな乳《ちち》が着物の前をふくらましている。そして、裾《すそ》のほうには女でも山国のものは穿《は》く、|もんぺ《ヽヽヽ》という盲目縞《めくらじま》の足ごしらえ、尻《しり》の切れた藁草履《わらぞうり》が、いっそうこの女の人の境遇《きようぐう》を、いたいたしく感じさせていた。
「おや?」
と、小文治《こぶんじ》は、直覚的《ちよつかくてき》にはね返った。
すべての空気が、この女が、いまにも濠《ほり》へ身を投げそうなことを教えたからである。
案《あん》の定《じよう》――女は泣きぬれた眼で、躑躅《つつじ》ケ館《たち》を、うらめしげににらんでいたかと思うと、また、悲《かな》しげな声で、濠のそこへ良人《おつと》の名と、むすめの名らしい声を呼《よ》びつづけた。
そして――あッ――と思うまに、手を合わせて、月光の水へ身をおどらせようとした。
「――待てッ」龍太郎《りゆうたろう》は飛鳥《ひちよう》のように馳《か》けて、女の体をうしろへ抱《だ》きもどした。女は、なにか口走《くちばし》りながら、そのとたんに、ワッと柳《やなぎ》の木の根もとへ泣きくずれてしまう。
「――見うけるところ、良人もあろうし、幾人《いくにん》かの子供もあろう人妻《ひとづま》ではないか。なぜそんな短気《たんき》なことをいたす。苦《くる》しい事情《じじよう》があろうにもしろ、浅慮千万《せんりよせんばん》……」
と、たしなめるように強くしかった。
返辞《へんじ》はない。
しゅく、しゅく、と泣く声ばかりが、ふたりの足もとにうったえていた。
だが――やがてやっと事情を聞きとると、この女房《にようぼう》の死ぬ気もちになったことを、ふたりはもっともだと思わずにいられなかった。
「ごしんせつに、ありがとうございます。わたしは、西山梨在《にしやまなしざい》の戸狩村《とかりむら》にいた勘蔵《かんぞう》という水晶掘《すいしようほ》りの女房《にようぼう》でお時《とき》というもんでござります。はあ、子供も五人もございましたが、そのうち三人は亡《な》くなりました。ひとりの男の子はまだ小《ち》ッけえうちに、伊勢《いせ》まいりにいった途中《とちゆう》でかどわかされ、たったひとりのこっていた娘《むすめ》は……その娘は……」
と、女は濠《ほり》を指《ゆび》さして、また泣《な》きじゃくった。
ちょうど、この夏、伊部熊蔵《いのべくまぞう》がこの躑躅《つつじ》ケ崎《さき》に鉱山《やま》掘夫《ほり》を勢《せい》ぞろいして、小太郎山《こたろうざん》へでかけようとした同じ日のこと、信玄《しんげん》の石碑《せきひ》へ、香華《こうげ》をあげて拝《おが》んでいるところを見つけられたひとりの百姓《ひやくしよう》が、この館《たち》のうちへ、若侍《わかざむらい》たちの無情《むじよう》な手にひきずられてきた。それを助けてくれと、泣きながら城内《じようない》へついてきた娘《むすめ》も、その百姓も、ちょうど酒宴《しゆえん》をしていた長安《ながやす》のよい酒《さけ》の興味《きようみ》になって無慈悲《むじひ》な手討《てう》ちにあって殺されたが、その死骸《しがい》を投げすてられたと聞くこの濠《ほり》へ、いま身を投げようとした女は、そのときの百姓風な水晶掘《すいしようほ》り勘蔵の女房なのであった。
たったひとりの娘と良人を、無慈悲《むじひ》な領主《りようしゆ》に殺されたお時《とき》は、すこし気がヘンになって、戸狩村からどこともなくさまよいだしていたが、あぶない命《いのち》をすくわれて、かの女《じよ》はまた、気もくるわしく泣くのであった。
「にくむべき長安!」
小文治《こぶんじ》は人ごとに思われなかった。
「泣くな泣くな」背《せ》をなぜながらなぐさめて、
「泣いたところで、死んだ良人《おつと》も娘《むすめ》も返《かえ》りはしない。それよりは、おまえが伊勢《いせ》まいりの時に、道中《どうちゆう》でかどわかされたという、すえの男の子をたずねだして、その子をたよりに暮《く》らすがよい」
「はい……だ、だが、旦那《だんな》さま、そんなことは、とても望《のぞ》まれねえことなんでございます」
「いや、世間《せけん》には十年ぶり、二十年ぶりなどで、母子《おやこ》がめぐり会《あ》ったなどということもめずらしくはない。一心にさがせばきっとわかるだろう。それに、何かその子に目印《めじるし》でもあれば、なお手がかりとなって、人からも教《おし》えてくれぬかぎりもない」
「ところが、百姓《ひやくしよう》の悲《かな》しさで、べつに、証拠《しようこ》や印《しるし》になるようなものもありませず、ただ、……そうでがす……思いだしてみると、その子は、小《ち》ッけえ時《とき》から癇持《かんも》ちでがしたもンで、背骨《せぼね》の七ツ目の節《ふし》にはお諏訪《すわ》さまの禁厭灸《まじないきゆう》がすえてごぜえます。はあ、そりゃ大《で》けえ、一ツ灸《きゆう》で他国《たこく》にはねえ灸ですから、目印《めじるし》といえば、そんなもンぐらいでございます」
「そうか、諏訪神社《すわじんじや》の禁厭灸《まじないきゆう》よくおぼえておいて、拙者《せつしや》たちも旅《たび》の間《あいだ》には心がけておくようにいたそう」
龍太郎《りゆうたろう》が温情《おんじよう》をこめて、不遇《ふぐう》な女をなぐさめてやると、小文治《こぶんじ》もおととしの春、まだ自分が浜名湖《はまなこ》の漁師小屋《りようしごや》にいて、母の死骸《しがい》をほうむる費用《ひよう》もなく、舟にそれを乗せて湖水《こすい》に水葬《すいそう》したことなどを思いうかべて、まだ子をたずねる母、尋《たず》ねらるる子は、幸《しあわ》せであるように考えられた。そして、かれもともどもそんな気持をかんでふくめるように話して、女の一途《いちず》な死を思いとまらせた。
やつれた女房《にようぼう》は、感謝《かんしや》の涙《なみだ》にぬれながら、濠端《ほりばた》をすごすごと去《さ》った。そして、ふたりの慰藉《いしや》にはげまされて、これからは、まだ四ツのときに、伊勢《いせ》もうでの道中《どうちゆう》ではぐれたきりの末《すえ》の子をさがしだすのを楽《たの》しみにします――と誓《ちか》うように首をさげていいのこした。
「さまざまだなあ、世の中は……」
うしろすがたを見送《みおく》りながら、ふたりの勇士《ゆうし》は、うるんだ眼を見あわせた。
すると、とつぜんうしろのほうから、わすれていた蛾次郎《がじろう》の声がして、そこへ馳《か》けてくるが早いか、
「やい、独楽《こま》どろぼう、独楽をかえせ」
と、飛んでもない鼻息《はないき》で、腕《うで》まくりをしてつめよった。
ああ、やっぱりこいつは低能《ていのう》だな。
小文治《こぶんじ》はそう思って苦笑《くしよう》した。
盲目《めくら》、蛇《へび》に怖《お》じず――人もあろうに戒刀《かいとう》の名人龍太郎《めいじんりゆうたろう》と、血色塗《ちいろぬ》りの槍《やり》をとって向こうところ敵《てき》なき小文治のまえに立って、泥棒《どろぼう》よばわり、腕《うで》まくりは、にくむべき値《ね》うちもない滑稽《こつけい》ごとである。
「蛾次かッ」
と、待っていたように龍太郎がヌッと立つと、蛾次郎は逃《に》げ腰《ごし》を浮かしながら、
「泥棒《どろぼう》、泥棒、こ、こ、独楽《こま》をかえせ。独楽をかえせ」
と、どもりながら、手をだしたり、引っこめたりした。
馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の奇遇《きぐう》
「――おまえは蛾次郎、この独楽《こま》がほしいというのか」
こう龍太郎がいってふところの独楽をだしてみせると、蛾次郎は飛びつきそうな眼色《めいろ》をして、
「欲《ほ》しいやイ! 返《かえ》せッ」
と、打ってひびくように、泣き声でののしった。
「返してあげよう」
「か、か、返せッ!」
「そのかわりに、少しわしのたずねることに答えてもらいたい。そうしたら独楽もかえそう、おまえの望《のぞ》むことにはなんなりと応《おう》じてやろう。どうじゃ、蛾次郎」
「ふウん……」
と、そこでかれの半信半疑《はんしんはんぎ》が、やおら、腕《うで》ぐみとなって、まじりまじりと落着《おちつ》かない目で、小文治《こぶんじ》と龍太郎の顔色を読み廻《まわ》して、
「じゃア……」と相好《そうごう》をくずしかけたが、またにわかにするどくなって、首をふるように、
「|あか《ヽヽ》をいえ! だれが、くそ、そんなウマい策《て》にだまされやしねエぞ。いいや! かえさなけりゃ待っていろ、代官陣屋《だいかんじんや》へいって、てめえたちのことをみんないってやるから」
蛾次郎《がじろう》にしてはくやしまぎれの不用意《ふようい》にでたことばであったかもしれないが、小文治はおどろいた。この甲府附近《こうふふきん》に、自分たちが入《い》りこんでいることを、まんいち、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》支配《しはい》の代官陣屋にでも密告《みつこく》されては、それこそ、三方にわかれて行動している伊那丸《いなまる》や党友《とうゆう》の一大事。
はッと思うまに蛾次郎は、身をひるがえしてもとの道へはしりかけた。やっては! と小文治もいささかあわて気味《ぎみ》に、地についていた朱柄《あかえ》の槍《やり》を片手《かたて》のばしにかれの脾腹《ひばら》へ。
「わッ」と、蛾次郎の声であった。
腰車《こしぐるま》をつかれて横ざまに、ドウと、もんどり打って倒れている。そして芋虫《いもむし》のようにころがったまま、ふたたび起きあがろうともしないようす。
しかし、かれの肉《にく》にふれた朱柄の先は、穂《ほ》のほうではなくて石突《いしづ》きであったから、突《つ》きのばした片手の力ぐらいで、そう苦《く》もなく死んでしまうはずはないし、またよほど急所《きゆうしよ》でもなければ、悶絶《もんぜつ》するのも少しおかしい。
見ると、なるほど。
乞《こ》う休《やす》んぜよ、である。ひっくりかえった蛾次郎《がじろう》は、ぽかんと眼をあいて、自分にいって聞かせている。
(大丈夫《だいじようぶ》だ、大丈夫だ。死にゃアしない、生きているぞおれは、たしかに生きている。その証拠《しようこ》には星《ほし》が見える。月だってありありと見えるじゃないか。だが今は、死んだかと思った。あぶねえあぶねえ、うっかり起き上がろうものなら、こんどは光ったほうで、グサリとほんとにやられるかもしれない)
こう考えて、死んだまねをしているらしい。いや、事実《じじつ》は腰《こし》の蝶《ちよう》つがいがはずれて、にわかに、起きたくも起きられないでいるのかもしれない。
「手におえない小僧《こぞう》でございますな」
と、濠《ほり》ばたのほうで小文治《こぶんじ》がささやいた声さえも、かれはハッキリと耳に入れた。その話に、自分に対してべつだん深い殺意《さつい》がないのだと覚《さと》ると、蛾次郎《がじろう》ははじめて、ホッと多寡《たか》をくくって、
「ちぇッ、おどかすない」
と、腰《こし》をさすって、そろそろ首をもたげだした。
迷子札《まいごふだ》のような門鑑《もんかん》を番士《ばんし》にしめして、その夜、霜《しも》にあったキリギリスみたいに、ビッコをひいた蛾次郎《がじろう》が、よろよろと躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の郭内《くるわない》にあるお長屋《ながや》へ帰ってきたのは、もうだいぶな夜更《よふ》けであった。
城内《じようない》の長屋《ながや》というのは、館《たち》につめている常備《じようび》の侍《さむらい》や雑人《ぞうにん》たちの住居《すまい》で、重臣《じゆうしん》でも、一朝《いつちよう》戦乱《せんらん》でもあって籠城《ろうじよう》となるような場合《ばあい》には、城下の屋敷《やしき》からみな妻子眷族《さいしけんぞく》を引きあげてここに住まわせ、一|国《こく》一|郭《かく》のうちに大家族となって、何年でも敵《てき》と対峙《たいじ》することになる。
小太郎山《こたろうざん》からずるずるべったりに、鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》はそのお長屋の一|軒《けん》をちょうだいして、いまでは、大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》の身内《みうち》ともつかず、躑躅ケ崎の客分《きやくぶん》ともつかない格《かく》で、のんきに暮《く》らしているのである。
「もう寝《ね》たじぶんだろう」
とは、その卜斎をおそれる蛾次郎が、ビッコをひきながら道々《みちみち》考えもし、神《かみ》に念《ねん》じるほどそうあれかしと願《ねが》ってきたところで、お長屋の灯《ひ》を見るとともに、また、
「起きていた日には大《たい》へんだぞ」
と、意気地《いくじ》なく足がすくんでしまう。
で、いきなり門へははいらないで、そッと裏《うら》へまわってみたり、羽目板《はめいた》に耳をつけてみたり、窓《まど》の節穴《ふしあな》からのぞいたりしてみると、天なるかな命《めい》なるかな、寝《ね》ているどころか、ふだんより大きな声をだして、あのガンガンした声が家《や》の内《うち》にひびいている。
「こいつはたまらないぞ」
蛾次郎《がじろう》はどうしようかと思った。
奥《おく》には客《きやく》がきているのだ。昼間《ひるま》、飯屋《めしや》でぶつかった地蔵行者《じぞうぎようじや》の菊村宮内《きくむらくない》を引っぱってきて、久《ひさ》しぶりに夜《よ》の更《ふ》けるのを忘《わす》れて話しているあんばい。
とすると、宮内の口から、おれがあそこでお酒《さけ》というものを飲んでみたこともしゃべったにちがいない。親方《おやかた》が、やってきた時、台《だい》の下にもぐりこんでいたことも、おもしろそうに話したろうな。おまけにおやじは、近ごろ、おれが水《みず》独楽《ごま》をまわして小遣《こづか》い取りをしていることを、うすうす感づいているんだから、こんな夜更《よふ》けに帰ろうものなら、それこそ、飛んで灯《ひ》にいる夏の虫だ。親方の|げんこつ《ヽヽヽヽ》がおれの頭に富士山脈《ふじさんみやく》をこしらえるか、弓《ゆみ》の折れで百たたきの目に会《あ》わされるか、どっちにしても椿事出来《ちんじしゆつたい》、アア桑原《くわばら》桑原、桑原桑原。
こっそり、こっそり、蛾次郎は裏《うら》の暗《くら》やみに消《き》えてしまった。
どこへいったのかと思うと馬糧《まぐさ》小屋《ごや》だ。馬糧を盗《ぬす》みにはいる泥棒《どろぼう》はないから、そこだけは錠前《じようまえ》もなく、ギイと開《あ》くと難《なん》なくかれを迎《むか》えいれてくれた。そしてまたソーッと閉《し》めておく。
もとよりなかはまッ暗《くら》だが、愉快《ゆかい》なことには、抱擁性《ほうようせい》のあるやわらかい麦藁《むぎわら》が、山のごとく積《つ》んである。どうだい! すばらしい寝床《ねどこ》じゃないか! と、蛾次郎《がじろう》はうれしくなってしまった。
火がなくッたって暖《あたた》かい、人間の親方《おやかた》はあんなに冷《つめ》たくッてとげとげしているのに、どうして枯《か》れた麦藁《むぎわら》がこんなに暖かいものだろう。変《へん》だなア、だが、なにしろありがたい、ここはおいらの安全地帯《あんぜんちたい》、いいお住居《すまい》を見つけたものだ。
蛾次郎はかってなことを考えながら、いきなり麦藁の山へふんぞりかえった。やわらかいぞやわらかいぞ、お大名《だいみよう》の寝床《ねどこ》だって、こんなに上等《じようとう》じゃああるまいなあ、などと牧《まき》をとかれた山羊《やぎ》みたいに、ワザとごろごろころがってみた。
「独楽《こま》もある」
ふところからだして、頬《ほ》ッぺたにおしつけた。
木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》からヤッとかえしてもらった独楽である。いつか蛾次郎にもこの独楽が、命《いのち》から二番目の大事なものになっている。かれがこの水《みず》独楽《ごま》を愛すること、竹童《ちくどう》がかの火《ひ》独楽《ごま》をつねに大事にするのと愛念《あいねん》において少しもかわりはないのであった。
「独楽よ、独楽よ」
独楽の心棒《しんぼう》は蛾次郎が頬《ほお》ずりするあぶらをうけて、暗《くら》やみのなかでもまわりそうになった。なんだかこの独楽には霊《れい》があっていきてるもののように思われる。いったい、独楽というものは、手でまわるのかしら? 心《こころ》が打ちこまれてまわるのかしら?
疑問《ぎもん》はでたが、そうヒョッと、考えただけで、これは蛾次郎の智能《ちのう》では解《と》けそうにもない。
いちじ、濠端《ほりばた》でひっくり返《かえ》ったかれが、この独楽《こま》をかえしてもらって無事《ぶじ》に長屋《ながや》へもどってきたところを見ると、あれから龍太郎《りゆうたろう》の詰問《きつもん》にあって、小太郎山《こたろうざん》いらいのこと、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の内情《ないじよう》など、すっかり話してしまったことは、もううたがうまでもない。
もっとも、蛾次郎《がじろう》の身にとってみれば、甲府《こうふ》一|城《じよう》の安危《あんき》よりは、この独楽一|箇《こ》が大事かも知れない。だれか、かれを悪童《あくどう》とよぶものぞ。独楽を頬《ほ》ッぺたに押《お》しつけたまま、馬糧《まぐさ》のなかにやがてグウグウ寝入《ねい》りこんでしまったかれこそは、まことに、たわいのないものではないか。
だが、眼がさめると、こいつがいけない。
すぐにユダを発揮《はつき》し、天邪鬼《あまのじやく》をまねる。
蛾次郎よ、永遠《えいえん》に寝《ね》ていろ、馬糧のなかで。
四|更《こう》。
月も三|更《こう》までを限《かぎ》りとする。四更といってはもう夜半《やはん》をすぎて暁《あかつき》にちかいころ。
馬《ま》ぐさ小屋《ごや》の中の高いびきは、定《さだ》めし心地《ここち》よい熟睡《うまい》におちているだろう。お長屋《ながや》の灯《ひ》もみんな消《き》えて、卜斎《ぼくさい》の家のなかも、主《あるじ》のこえなく、客《きやく》の笑《わら》いもたえて、シンとしてしまった。
月のゆくえはわからないが、空いちめんはいつまでも、月の水いろに明るく冴《さ》えている。啼《な》かぬ雁《かり》がしずかに渡《わた》る、啼く雁よりも啼かぬ雁のなんと秋らしいものかげだろう。
と――躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》の高楼《こうろう》にあたって、万籟《ばんらい》もねむり、死したようなこの時刻に、嚠喨《りゆうりよう》とふく笛《ふえ》の音《ね》がある。
高音《たかね》ではないが、このすんだ四|更《こう》の無音界《むおんかい》には、それが、いつまでも消《き》えないほどゆるく流れまわって、すべてのものの眠《ねむ》りをいっそう深くさせるようであった。
さらにまた、その音《ね》をもとめるような一|点《てん》の孤影《こえい》が大空をめぐっていた。
雁か! 迷子《まいご》のはなれ雁《がり》か!
いや、雁にしては大きすぎる。あの翼《つばさ》を見るがいい、遠《とお》いが、おそろしい力で風を呼《よ》んでいる。
クロだ! 鷲《わし》だ!
おお、されば小太郎山《こたろうざん》のとりでから、この躑躅ケ崎の高楼にとらわれてきている咲耶子《さくやこ》が、悶々《もんもん》として眠られぬ幽窓《ゆうそう》に、あの影《かげ》をふと見つけて、狛笛《こまぶえ》の歌口《うたぐち》に、クロよ、クロよ、と呼《よ》ぶ音《ね》であったろうか。
それとも、彼女が気をまぎらわすために吹いた笛が、ぐうぜん、しばらく行方《ゆくえ》の知れなかったクロの慕《した》うところとなって、おぼえのある音色《ねいろ》に、向こうからよってこようとしているのであろうか、いずれにしても、この音《ね》、あのかげ、おそらく天地に知る者のないことだろう。
と、思ったところが……である。
ちょうどその時刻、それまでは前後不覚《ぜんごふかく》であった馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の蛾次郎《がじろう》の寝《ね》がおの上へ、草鞋《わらじ》の裏《うら》からはがれたような一かたまりの土が、しかも開《あ》いている口のあたりへ、グシャリと、落ちたものである。
いくら寝坊《ねぼう》のおん大将《たいしよう》にせよ、それで眼がさめないはずはなく、
「ゲッ、ペッ……」
と、寝《ね》ぼけながら、ジャリジャリする口をこすったが、ふいと天井《てんじよう》をながめると、いっぱいな星《ほし》が見えたので、あッと驚《おどろ》いて、さらにまた少し目をさました。
馬糧小屋にだって屋根《やね》はある。そんなに星《ほし》が見えるという法《ほう》はない。事実《じじつ》、よくよく目をあらためてみるとそれは星に似《に》て星の光ではなく、屋根うらの隙間《すきま》や節穴《ふしあな》が、あかるい空の光線《こうせん》をすかして、星のように見えたのであった。
だが? ……蛾次郎はジッと息《いき》を殺しはじめた。
星どころじゃない、節穴《ふしあな》どころの沙汰《さた》じゃアない。変《へん》なやつがいる! へんな人間が屋根うらの梁《はり》に、取ッついている!
闇《やみ》に馴《な》れた蛾次郎のひとみには、ようようそこの屋根うらが、怪獣《かいじゆう》のような黒木《くろき》の梁《はり》に架《か》けまわされてあるのが薄《う》っすらわかった。あやしげな一|個《こ》の人間《にんげん》は、蛾次郎がここへ入《はい》ったとき、上へ身を避《さ》けていたものであろう。今《いま》になって知れば、馬糧小屋の天井の梁《はり》につかまって、ジッと、身動《みうご》きもしないでいる。
その足もとから落ちた土。……どうりで、ここへ寝《ね》ころんだ時、イヤに、麦藁《むぎわら》の寝床《ねどこ》があたたかであり過《す》ぎた。
「だが、誰《だれ》だろう?」
すこし気味《きみ》がわるくなった。
城内《じようない》の者ならば、なにも、好《この》んであんなところにひそんでいる必要《ひつよう》はあるまい。第一、なんだかその影《かげ》も大人《おとな》なみの人間にしてはすこし小さい。
「ははあ」
思い当《あた》ったものがある。
奥庭《おくにわ》で殿《との》さまが飼《か》っている猿《さる》――あの三太郎猿《さんたろうざる》じゃないか、とすれば、抱《だ》いて寝《ね》てやろうか、あいつはおもしろい。
と、蛾次郎《がじろう》がムックリと起きると、猿とみた梁の影ははなはだ猿らしくなく、きッとかまえをとって、上から蛾次郎のようすを見つめる。
しかも、腰《こし》のあたり、屋根の破《やぶ》れをもれる光線《こうせん》に、チカッと光るのは刀《かたな》の鐺《こじり》ではないか。
とたんに、
「おお!」
と蛾次郎は藁を散《ち》らして飛びあがった。
「やッ」
と、天井《てんじよう》の小さい人かげもりすのごとくべつな梁《はり》へ飛びうつった。
出会《であ》ったり! 火《ひ》独楽《ごま》と水《みず》独楽《ごま》双方《そうほう》の持《も》ち主《ぬし》、上にひそんでいたものこそ、どうして、いつどこからこの躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の郭《くるわ》へしのびこんでいたのか、まぎれもあらぬ鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》。
その時、鷲《わし》をよぶ高楼《こうろう》の笛《ふえ》はまだ、忍《しの》びやかに遠音《とおね》であった。
勘助流火合図《かんすけりゆうひあいず》
奇遇《きぐう》といおうか、皮肉《ひにく》なぐうぜんといおうか、じつに人間の意表外《いひようがい》にでることは、わずか十|坪《つぼ》か二十坪の天地にも、つねに待ちぶせているものだ。
近江《おうみ》竹生島《ちくぶしま》の可愛御堂《かわいみどう》でつかみあいの喧嘩《けんか》をやってから、菊村宮内《きくむらくない》に仲裁《ちゆうさい》をされ、その後《ご》、小太郎山落城《こたろうざんらくじよう》のまぎわに別《わか》れたまま、おたがいにその生死|消息《しようそく》をうたがいあっていた蛾次郎《がじろう》と竹童。
ところもあろうに、こんな馬糧《まぐさ》だらけな馬糧|小屋《ごや》のなかで、いきなりぶつかりあおうとは、両童子《りようどうじ》、どっちも夢《ゆめ》にも思わなかッたことにちがいない。
「おおッ!」
「やッ!」
とふたりのおどろき。
ピュッと水火両性《すいかりようせい》がはじきあってとんだように、はねわかれた暗中《あんちゆう》二つのかげ。
双方《そうほう》しばしは天井《てんじよう》と馬糧《まぐさ》のなかとで、息《いき》をこらし、らんらんたる眼光《がんこう》を睨《ね》めあっていたが、やがてこれこそ、梁《はり》の上から鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》、じッと彼《かれ》なることを見さだめて、
「ウーム、おのれは、蛾次《がじ》だなッ」
と、うめくがごとく叫《さけ》んだ。
「そうよ!」
蛾次郎《がじろう》もすばやく水《みず》独楽《ごま》をふところの奥《おく》にねじこみ、代《かわ》りに|あけび巻《ヽヽヽまき》の錆刀《さびがたな》をもってかまえをとり、柄《つか》に手をかけて屋根裏《やねうら》の虚空《こくう》をにらみつけた。
「――下《お》りてこいッ!」
と声いッぱい。
あいかわらず鼻息《はないき》だけはすばらしい。
「オオ、ゆくぞ」
「ウム、こい、こんちくしょう」
とどなりかえしたが、ガサガサ……と腰《こし》の下の馬糧のワラがくずれるとともによろついて、もう蛾次郎の臆病風《おくびようかぜ》、あたまの上へいつ落ちてくるかわからない敵《てき》のかわしかたをかんがえていた。
だが、これを勝負《しようぶ》の前兆《ぜんちよう》とはみられない。
蛾次郎《がじろう》の争闘力《そうとうりよく》は、いつも、この腕《うで》よりは口である。度胸《どきよう》よりは舌《した》である。三|尺《じやく》の剣《つるぎ》よりは三|寸《ずん》の毒舌《どくぜつ》、よく身をふせぎ敵《てき》を翻弄《ほんろう》し、ときには戦《たたか》わずして勝《か》つことがある。
「さあ、おりてこい、野《の》ねずみめ!」
そろそろその舌《した》の鞘《さや》をはらって、蛾次郎、口ぎたなくののしった。
「うまく罠《わな》にかかりやがッたな。どう血《ち》まよったのかしらないが、自分から罠の袋《ふくろ》へはいりこんでくるうすノロがあるか。かわいそうに、はいったはいいが、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》のご門内《もんない》、西へも東へもぬけだす工夫《くふう》がつかないで、メソメソ|べそ《ヽヽ》をかいていやがったんだろう、ざまを見やがれ! いまにおれの親方《おやかた》や大久保《おおくぼ》さまの侍《さむらい》たちを呼《よ》んできてやるから、しばらくそこで宙乗《ちゆうの》りをして待っていろ」
「待てッ、蛾次公《がじこう》!」
「大きなことをいうない」
「うごくとゆるさぬぞ」
「なにを」
「この小屋《こや》をでてはいけない」
「伊那丸《いなまる》の間者《かんじや》がまよいこみましたと、おくのご殿《てん》にどなってやるのだ。待っていろ、そこで!」
「おお、知らせるものなら知らせてみろ、この火《ひ》独楽《ごま》がスッ飛んで、その頭の鉢《はち》を木《こ》ッ葉《ぱ》みじんにくだいてやるから」
「けッ……な、生意気《なまいき》な……」
とはいったが蛾次郎《がじろう》、上を見るとこわかった。思わずブルブルッと足がすくんだ。
まだ竹童《ちくどう》のこんな必死《ひつし》な顔をかれは見たことがない。梁《はり》のうえに身《み》をかがめ、片手《かたて》を横木《よこぎ》にささえ、右手《めて》に火《ひ》独楽《ごま》をふりかぶって、うごかば、いまにも発矢《はつし》と投げつけそうな眼光《がんこう》。
いかにも蛾次郎が胴《どう》ぶるいをおぼえたはずである。気はおもてにあらわる。今宵《こよい》こそはと最後の死をけっして、石門《せきもん》九ヵ所《しよ》のかためを越《こ》え、易水《えきすい》をわたる荊軻《けいか》よりはなお悲壮《ひそう》な覚悟《かくご》をもって、この躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》にしのびこんだ竹童であった。
「うごいてみろ」
と、かれは火《ひ》独楽《ごま》をつかんで、蛾次郎の頭蓋骨《ずがいこつ》へたたきつけるつもり。
それでいけなければ般若丸《はんにやまる》の晃刀《こうとう》、梁《はり》の上から抜《ぬ》きざまに、一|気《き》一|刀《とう》の下《もと》にとび斬《き》り。
なお討《う》ちそんじたら取ッ組《く》んで、きゃつの喉首《のどくび》を締《し》めあげても、この馬糧《まぐさ》小屋《ごや》のそとへかれをだしては、きょうまでの臥薪嘗胆《がしんしようたん》は水のあわではないか――と思いこんでいる鞍馬《くらま》の竹童。
自分は決死、かれを見るや必殺《ひつさつ》。
この躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の高楼《こうろう》にとらわれている咲耶子《さくやこ》をすくいださなければ、男として、鞍馬の竹童として、なんで生きてふたたび伊那丸《いなまる》や一党《いつとう》の人々とこの顔があわされようか。
そう考えてしのびこんだ胸中《きようちゆう》の大一念《だいいちねん》、おのずから燐《りん》のごとく眼脈《がんみやく》に燃《も》えあがっているので、暗々《あんあん》たる屋根《やね》うらの梁《はり》に、そのものすごい形相《ぎようそう》をあおいだ蛾次郎《がじろう》が、口ほどもなく一目見《ひとめみ》るなりブルブルと、膝《ひざ》の蝶番《ちようつがい》をはずしかけたのはもっともだった。
神伝《しんでん》の火《ひ》独楽《ごま》がいかにおそるべき魔力《まりよく》をもっているかということは、だれよりも同じ水《みず》独楽《ごま》の持主《もちぬし》蛾次郎はよく知っているので、あいつを、頭の鉢《はち》へたたきつけられてたまるものじゃない――と思わずひるんだ。
ことに、じぶんは下、きゃつは上、足場《あしば》において勝目《かちめ》がない。
黙然《もくねん》として刻一刻《こくいつこく》。
蟇《がま》がなめくじに魔術《まじゆつ》をほどこしたごとく、じゅうぶんかれの気をのんでしまった竹童は、やがて、一|尺《しやく》二尺と梁の上をはいわたって、蛾次郎《がじろう》のすぐ脳天《のうてん》のところへ片足《かたあし》をブランと垂《た》らした。
「あッ!」
と、腰《こし》を立てたとたん、蛾次郎はその足に肩《かた》をけられた。どすん! と藁《わら》の山に腰をついたが、無意識《むいしき》に、ウヌ、とばかり竹童の足にしがみついて振《ふ》りまわしたので、かれのからだも梁のうえから落とされて、藁のなかにころげ落《お》ちる。
組《く》んだ!
まるで二|匹《ひき》のりすのように、そこで取ッ組んだ蛾次郎《がじろう》竹童《ちくどう》。
つウ! えいッ! くそウ! と下になりゴミをかぶってもみあったが、弾力性《だんりよくせい》のある麦《むぎ》ワラの上なので、どっちもじゅうぶんに力がはいらず、目へチリをいれたり、ほこりを吸《す》いこんで、むせたりしているうちに、両童子《りようどうじ》同体《どうたい》にゴロゴロゴロと馬糧《まぐさ》のワラ山からワラをくずして九|尺《しやく》ほど下へころがる。
富士《ふじ》の須走《すばし》りとワラ山の雪崩《なだれ》に、怪我人《けがにん》のあった例《ため》しはない。むろん、ころげ落《お》ちた神童《しんどう》と畸童《きどう》、どっちも、そこでは健在《けんざい》だったが、落ちゆくまに、竹童《ちくどう》はかれの耳タブをギュッとつかみ、蛾次郎はあいての口中《こうちゆう》へ拇指《おやゆび》、もう一本、鼻《はな》のあなへ人差指《ひとさしゆび》を突《つ》ッこんでいた。
「ア痛《いた》ッ」
と叫《さけ》んだのはその拇指《おやゆび》を、竹童《ちくどう》の歯《は》にかまれたのであろう。胸《むね》をついて手をはなし、|あけび巻《ヽヽヽまき》の錆刀《さびがたな》をザラリと抜《ぬ》きかける。
抜くより投げられているほうが早かった。
みごと、ドスン! と。
「隠密《おんみつ》だ隠密だーッ。伊那丸《いなまる》の隠密が入《い》りこんできた。だれかきてくれッ――」
とそこで、蛾次郎が大声《おおごえ》で呼《よ》ばわったので、竹童はぎょッとして、かれの悲鳴《ひめい》をふせぐべく、思わず、おどしにつかんでいた火《ひ》独楽《ごま》を、
「こッ、こいつめ!」
と、かれの横顔《よこがお》めがけてたたきつけた。
ひゅうッと火の閃条《せんじよう》!
魔力《まりよく》はそれをはなった持主《もちぬし》の怒気《どき》をうけて、ブウーンと独楽《こま》の心棒《しんぼう》に生命力《せいめいりよく》をよみがえらし、蛾次郎《がじろう》の顔へうなりをあげておどってきた。
「ひゃアッ!」
と抜《ぬ》いたのは錆刀《さびがたな》、身をかわして火の閃条を切りはらったが、なんの手ごたえもなく、ジャリン! とふたたび鳴っておどる火焔《かえん》の車輪《しやりん》独楽《ごま》。
まるで竹童の手から狐火《きつねび》がふりだされるようだったが、いつもの頓智《とんち》に似《に》ず、蛾次郎がふところにある水性《すいせい》のふせぎ独楽《ごま》に気がつかず、ただ、神魔《しんま》の火焔《かえん》に錆刀を振《ふ》っていたずらに疲《つか》れたのは愚《ぐ》のきわみだ。
「ええ! オオッ」
と目《ま》ばたきする間もなく、噛《か》みついてくる独楽の閃影《せんえい》に、蛾次郎はヘトヘトになって逃《に》げまわる。――そのするどい金輪《かなわ》の火が一つコツンと頭にふれたらさいご、肉《にく》も骨《ほね》も持ってゆかれるのはうけあいである。
でも、まだ、じぶんのふせぎ独楽には気がつかずに、ただ、
「こいつはたまらない」
と無我夢中《むがむちゆう》。
いきなりあたりにある馬糧《まぐさ》をかぶった。
土龍《もぐら》のように首を突《つ》っこみ、積《つ》んであるワラ山へ無我夢中《むがむちゆう》でもぐりこむ。
とたんに――ゴツンとなにか尻《しり》に当ったような気がしたが、痛《いた》くなかったのは首尾《しゆび》よくワラで防いだものだろう――とは蛾次郎《がじろう》が夢中の感覚《かんかく》、ワラ山に大地震《おおじしん》を起して、むこう側《がわ》の戸口《とぐち》へ抜《ぬ》けだそうとしたが、すわ、大へん。
「――南無三《なむさん》!」竹童も色をうしなった。
ワラが赤くなった! ワラが赤くなった! 積《つ》みあげてある馬糧《まぐさ》のいちめんから、雨上《あめあ》がりの火山《かざん》か、芋屋《いもや》の竈《かま》のように、むっくり……と白いけむりがゆらぎはじめた。
火《ひ》独楽《ごま》の焔《ほのお》が燃《も》えついたのだ。
うつったものは乾燥《かんそう》されたワラであるし、屋根《やね》うらの高い小屋の木組《きぐみ》は、一瞬《いつしゆん》にして燃えあがるべくおあつらえにできている。
ド、ド、ド、ドッと蛾次郎の悲鳴《ひめい》が小屋の内部《ないぶ》をたたきまわった。出口をさがしているのである。しかし火を見たとたんに、逆上《ぎやくじよう》している頭では、七|間《けん》四方ばかりな羽目板《はめいた》に、一つの出口がなかなか見つからない。
そッちじゃない! こッちじゃない! と頭をぶつけまわっては、ワラ山にはいあがり、煙《けむり》にむせてはころげ落ちる。
かくてさわげばさわぐほど、火は散《ち》らかって一端《いつたん》から、パッと、一|団《だん》の焔がたつ。
「しまッた――」
と竹童《ちくどう》も、いまは蛾次郎《がじろう》を相手にしているどころではなく、焔《ほのお》にカッとうつって見えた出口のところへ馳《か》けよって、五体の力を肩《かた》のさきに、グンとそこへ打《ぶ》つけていった。
戸《と》はガッシリとして口を開《あ》かない。
さては横《よこ》にひく車戸《くるまど》かと、諸手《もろて》をかけて試《こころ》みたが、ぎしッといっただけで一|寸《すん》も開《ひら》かばこそ。
「オオ、これは?」
裾《すそ》に燃《も》えつきそうな紅蓮《ぐれん》をうしろにして、押《お》しつ引きつ、満身《まんしん》の力をしぼったが、戸《と》はいぜんとして鉄壁《てつぺき》のようだ。
そればかりか、その時ふと耳についたのは、パチパチとはぜる内部の火の音ではなく、まさしく数十人の人足《にんそく》とおぼえられる物おとが、小屋の外部を嵐《あらし》のごとくめぐっている。
ああ、いけない。
甲館《こうかん》躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の詰侍《つめざむらい》が、すでに、ここの物音を聞きしって、そとをかためてしまったにそういない。
そして、ふしぎな火のはぜる音に、その原因《げんいん》をうたぐって、焼《や》けあがるのを待っているのだろう。
館《やかた》の側《がわ》になってみれば、何千|貫《がん》といっても多寡《たか》が馬糧《まぐさ》で、焼《や》いても惜《お》しいものではあるまいが、でるにでられない蛾次郎と竹童こそ災難《さいなん》である。
どこへでも、一ヵ所、風穴《かざあな》ができて見ろ、こんがりとした二つの骸骨《しやりこうべ》が、番士《ばんし》の六|尺棒《しやくぼう》で掻《か》き分けてさがしだされるのはまたたく間《ま》だ。
その高楼《こうろう》を源氏閣《げんじかく》という。
三|層《そう》づくりのいただき、四方《しほう》屋根《やね》、千|本廂《ぼんびさし》、垂木《たるき》、勾欄《こうらん》の外型《そとがたち》、または内部八|畳《じよう》の書院《しよいん》、天井《てんじよう》、窓《まど》などのありさま、すべて、藤原式《ふじわらしき》の源氏づくりにできているばかりでなく、金泥《きんでい》のふすまに信玄《しんげん》が今川家《いまがわけ》から招《まね》きよせた、土佐名匠《とさめいしよう》の源氏五十四|帖《じよう》の絵巻《えまき》の貼《は》りまぜがあるので、今にいたっても、大久保長安《おおくぼながやす》の家中《かちゆう》みな源氏閣とよんでいる。
やはり、甲館《こうかん》の濠《ほり》のうちで、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》七|殿《でん》のうちの桜雲台《おううんだい》千|畳敷《じようじき》の広間《ひろま》の東につづいて建《た》ってある。
さっき――といっても、わずかなまえ。
蛾次郎《がじろう》が竹童《ちくどう》のいるのを知らず、ワラ小屋で幸福《こうふく》ないびきをかいていたころに、その源氏閣の上で、しのびやかに吹《ふ》く佳人《かじん》の笛《ふえ》の音《ね》がしていた。
「おお、あすこが濠《ほり》のさかい……」
咲耶子《さくやこ》は欄《らん》によってのびあがった。昼《ひる》ならばいうまでもなく、甲州盆地《こうしゆうぼんち》はそこから一眸《いちぼう》のうちに見わたされて、帯《おび》のごとき笛吹川《ふえふきがわ》、とおい信濃境《しなのざかい》の山、すぐ目の下には城下《じようか》の町や辻々《つじつじ》の人どおりまでが、豆《まめ》つぶのごとく見えるであろう。
が――いまは夜あけに近い闇《やみ》。
澄《す》んでいるとはいえ、月もどこかに、星明《ほしあか》りでは、ただ模糊《もこ》としたものよりほかに下界《げかい》の識別《しきべつ》がつかない。
しかし、彼女《かのじよ》はそのうッすらとした夜霧《よぎり》の底《そこ》から、やっと、この城郭《じようかく》の境《さかい》をなす、外濠《そとぼり》の水をほのかに見出《みいだ》したのである。そして、しばらくはそこへ、ジッと目をつけて、手の横笛《よこぶえ》をやすめている。
「まだ見えない」さびしくつぶやいて、なにかふかく思案《しあん》していた。
「――高音《たかね》をだして吹《ふ》けば、夜詰《よづめ》の侍《さむらい》が眼をさますであろうし、いまの音《ね》ぐらいでは、あの濠《ほり》の向こうへまではとどかぬであろうし……」
そういったが、彼女のまつ心に、それからまもなくポチと一つの明《あか》りがうつった。
北の石門《せきもん》にあたる外濠である。
霧《きり》ににじんでその灯影《ほかげ》が蛍《ほたる》のように明滅《めいめつ》していたかと思うと、その灯《ひ》が横に一の字を描《か》く。
「オオ」
と、彼女は、微笑《びしよう》をもって、それへはるかな注意《ちゆうい》をおくっている。――すると、その灯は消《き》えて、つぎにはやや青味《あおみ》をもった灯が、ななめに、雨のような筋《すじ》を三たびかいた。
つづいて――青赤《あおあか》二|点《てん》の灯が、たがいちがいに手ばやく闇《やみ》に文字をえがくがごとくうごいたが、それは軍学《ぐんがく》に心あるものでも、めったに意味《いみ》を解《と》くものは少ない、勘助流火合図《かんすけりゆうひあいず》の信号《しんごう》にそういない。
「……や、いまから夜明けの間《ま》に……オオ、四十八人が……」
闇《やみ》にかく灯《ひ》の暗号《あんごう》を、咲耶子《さくやこ》は熱心な目で読んでいたが、とつぜん、風にでも消《け》されたように、青《あお》い灯《ひ》、赤い灯、ふたつとも、いちじにパッと消《き》えてしまった。
と――同時に、彼女の耳ちかく、一陣《いちじん》の強風が虚空《こくう》から横なぐりに巻《ま》いてくるのを感じた。そして、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の建《た》ちならぶ殿楼長屋《でんろうながや》のいらかの波《なみ》へ、バラバラバラバラまッくろな落葉《おちば》のかげが雹《ひよう》のように降《ふ》ってくる!
彼女は知らなかった。
自分が最前《さいぜん》、濠《ほり》のあなたへ、忍《しの》びやかに吹いていた笛《ふえ》の音《ね》が空をゆるく、妙《たえ》に流れているあいだ、酔《よ》えるように、しずかにこの源氏閣《げんじかく》の上を舞《ま》っていた怪鳥《けちよう》のことを。
「あッ――」と、はじめて知る。
颯然《さつぜん》と目のまえへ降《お》りてきたのは、大鷲《おおわし》のクロである。
黒いちぎれ雲のように、彼女のまえをかすめて奥庭《おくにわ》へ降りたかと思うと――地にはとまらないで、また、舞《ま》いあがってきた。
しかし、それは彼女の目には見えないで、ただ、翼《つばさ》の音にそう感じたのであるが、やがて、もっとはっきりした音が、バサッと、屋根瓦《やねがわら》を打つように聞えて、あとはシンとしずかになった。
こんがら・せいたか
まるで夢《ゆめ》のようだ。一瞬《いつしゆん》の疾風《はやて》。
たしかに、竹童《ちくどう》の愛鷲《あいしゆう》クロのようだったが――見ちがいであったかしら? 幻《まぼろし》であったかしら? ――と咲耶子《さくやこ》はあとのしずかななかで錯覚《さつかく》にとらわれた。
しかし、錯覚ではない。いまの名残《なごり》の吹《ふ》きあおられた落葉《おちば》が、まだ一ひら二ひら宙《ちゆう》に舞《ま》っているのでもわかる。鷲《わし》がこの源氏閣《げんじかく》の附近《ふきん》におりたのは事実《じじつ》にちがいない。
とすれば、どこへいったのかしら――と彼女《かのじよ》が欄《らん》の南側《みなみがわ》から奥庭《おくにわ》の廂《ひさし》をのぞいていると、とつぜん、
キャッ! キッキッキ、キ、キ、キイ……
とけたたましい声をあげて、廂うらの垂木《たるき》をガリガリと走《はし》ってきた小猿《こざる》が、咲耶子の肩《かた》にとびついて手をやるとまた足もとへとび、おそろしくなにかに恐怖《きようふ》したらしく、彼女のまわりをグルグルまわりだした。
大久保長安《おおくぼながやす》が下のおく庭《にわ》に飼《か》っておく三太郎猿《さんたろうざる》。
ときどき、源氏閣にはいあがってきて、幽閉《ゆうへい》されている咲耶子とは、いつのまにか仲《なか》よしになっていたが、今夜も、その仲《なか》よしの人のいる三|層《そう》のうえの棟木《むなぎ》へでもきて、腕枕《うでまくら》で寝《ね》ていたものとみえる。
その三太郎がおどろいてとび降《お》りてきたところをみると、やはり、鷲《わし》はこの閣《かく》の屋根《やね》に翼《つばさ》を止《と》めているのであろう――と咲耶子《さくやこ》が欄《らん》に手をやって、屋根をふりあおぐと、
「もし、女のお方《かた》」
意外《いがい》や、上《うえ》から人のこえが呼《よ》ぶ。
はッ……と咲耶子は胆《きも》をちぢめたふうである。さっきの火合図《ひあいず》で、明け方までに胸《むね》に一つの計画《けいかく》があるので、不意《ふい》な人ごえに、思わず水をかけられたようになった。
「もし……」と、上ではふたたび呼んでいる。
「こんなところに降《お》りて、まことにどうにもならないでこまりました。しつれいながら、そこへ降りることをおゆるしくださらぬか」
見ると、屋根から下をのぞいているのは、色のしろい美少年。
金《きん》の元結《もとゆい》が前髪《まえがみ》にチラチラしている、浅黄繻子《あさぎじゆす》の襟《えり》に、葡萄色《ぶどういろ》の小袖《こそで》、夜目《よめ》にもきらやかな裃《かみしも》すがた――そして朱房《しゆぶさ》のついた丸紐《まるひも》を、胸《むね》のところで蝶《ちよう》にむすんでいるのは、背《せ》なかへななめに持っている状筥《じようばこ》であるとみえる。
咲耶子はふしぎなものが、天から降りてきたように感《かん》じたが、とにかく、自分に異議《いぎ》をいう権利《けんり》はないので、かれのたのみをゆるすと、この美少年、三太郎猿《さんたろうざる》ほどのあざやかさではないが、垂木《たるき》にすがって欄の上へ、白《しろ》足袋《たび》の爪先《つまさき》をたて、ヒラリと、源氏閣《げんじかく》の座敷《ざしき》のなかへはいってきた。
「――ありがとうございました。して、これから大久保《おおくぼ》さまのご本殿《ほんでん》か、お表《おもて》へまいるには、どこに降《お》り口がありましょうか……」
「階段《かいだん》をおたずねになりますので? ……」
「さようです」
「この源氏閣《げんじかく》には、降《お》りる階段《かいだん》はございませぬ」
「えッ……」美少年はびっくりして、
「では、どうしてあなたはここへあがられましたか」
これは、いかにももっともな質問《しつもん》だった。
そのとうぜんな問《と》いをうけて、咲耶子《さくやこ》は返辞《へんじ》に窮《きゆう》した。自分は捕《と》らわれの身なので、この閣《かく》のいただきにあげられ、階段《かいだん》をはずされてしまっているのだが、何者《なにもの》とも知れないこの少年に、うかつにそんなことを口すべらせていいか、悪いか。
「いえ、この源氏閣にも、昼《ひる》になればまた、降りる口がないことはございませんが……」
咲耶子の返辞はずいぶんあいまいであった。
「ほウ……夜は下へ通《つう》じませんか」
「はい」
と、それでキッパリ話《はなし》をきって、
「したが、あなたはいったい、何者《なにもの》でございますか、また、どうして屋根《やね》の上などから? ……」
「ああ、そうでした。いかにも、それをさきに申しあげなければ、さだめしご不審《ふしん》でございましょう」
と、中腰《ちゆうごし》でいた身がまえをなおして、咲耶子《さくやこ》の前にしずかにすわった。
小屏風《こびようぶ》のかげに、銀の照《て》らしをつけた切燈台《きりとうだい》が、豆《まめ》ほどな灯明《ほあか》りを立てていた。それで見ると少年は、まだほんの十三、四|歳《さい》、それでいて礼儀《れいぎ》ことばはまことに正しく、裃《かみしも》にみじかい刀《かたな》を二本|差《さ》しているすがたは、夢《ゆめ》の国からきた使者《ししや》のようである。
両手《りようて》をついて、
「申しおくれました。わたくしは遠江《とおとうみ》浜松《はままつ》にご在城《ざいじよう》の、徳川家康《とくがわいえやす》さまのおん内《うち》でお小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》のひとり、万千代《まんちよ》づきの星川余一《ほしかわよいち》というものでござります」
「えッ、家康さまの家来《けらい》?」
「はい」
やはり敵方《てきがた》の片割《かたわ》れであった。うかつなことをさきに口へもらさなくてよかったと、咲耶子は心のうちで思うのだった。
「余一とやら、それはうそでありましょう。お小姓とんぼ組のひとりとはいつわりにちがいありませぬ」
「なぜでございますか。わたくしは、万千代《まんちよ》さまの組《くみ》の小姓《こしよう》にちがいないのですのに」
小さな余一《よいち》は躍起《やつき》となって、年上の咲耶子《さくやこ》がたくみにかけたことばの綾《あや》にのせられていった。
「では、そのお小姓組《こしようぐみ》のおまえが、どうしてこんな屋根上《やねうえ》から、おやかたのなかへはいろうとしますか」
「じつはわたくしは、鷲《わし》の背《せ》なかに乗《の》ってきたのでございます……」
「オオ、ではいま、空から真《ま》っさかさまに降《お》りてきたあの怪鳥《けちよう》にのって……?」
「はい、浜松城《はままつじよう》をでてまいりましたのは宵《よい》でしたが、とちゅう空でおそろしい霧《きり》にまかれ、やッといまごろここに着《つ》きましたが、ここへくると、またどこかで狛笛《こまぶえ》の音《ね》がしていたせいか、ご門のほうへは降《お》りてゆかず、とうとうこの源氏閣《げんじかく》の屋根の上へ、翼《つばさ》をやすめてしまいました」
「そして、その鷲はどうしましたか」
「閣上《かくじよう》の擬宝珠柱《ぎぼうしゆばしら》に結《ゆ》いつけておきました」
「あの鷲は、いぜん、わたしもよそで見たことがありますが、どうしておまえのものになっているのか、わたしは、ふしぎでならない気がする」
「さればです――」
と余一は袴《はかま》の両膝《りようひざ》に手をあらため、小ざかしげな眼をパチッとさせて、
「あの金瞳《きんどう》の黒鷲《くろわし》ともうしますものは、今年の春のくれつ方《かた》、三方《みかた》ケ原《はら》で万千代《まんちよ》さまが、にせものの独楽《こま》まわしにとられたものでござります。で、浜松のお城《しろ》でも、万千代さまのおのぞみぞと、その後《ご》、諸処《しよしよ》ほうぼうへ足軽《あしがる》をかけらせ、鷲のゆくえをさがさせておりましたが、トンとすがたが見つかりません。しかるところ、さきごろ裾野《すその》の猟人《かりゆうど》が、この黒鷲が落ちたところを生《い》へ捕《ど》りましたとおとどけにおよんだので、見ると、どこでやられたのか、股《もも》と左のつばさの脇《わき》に、二ヵ所《しよ》の鉄砲傷《てつぽうきず》をうけております。ヤレふびん、オオ、かわいそうなやつと、万千代さまはもうすもおろか、とんぼ組《ぐみ》一同が、浜松城《はままつじよう》のお庭《にわ》に飼《か》って、医療《いりよう》手当《てあて》をしながら大事がりましたので、鷲もいつかみんなになれ、いまでは、わたしのようなチビでさえ、自由に使いこなせるようになりました」
と、ここで余一《よいち》はことばをきって、オオ、じぶんはなにをきかれて、なにを答えようとしていたのかと、かわいい首をすこし曲《ま》げた。
「ああ、それから、今夜のわけでございます……。ふいに今夕《こんゆう》浜松城の大広間《おおひろま》でなにやらみなさまのご評定《ひようじよう》、――と見えますると、余一余一! こう万千代さまのお呼《よ》びです。はッと、おんまえにかしこまりますと、すなわち、このご状筥《じようばこ》――」
肩《かた》にまわして胸《むね》にむすんだ、紅《あか》い丸紐《まるひも》の房《ふさ》をいじりながら、
「――この御書《ごしよ》をとりいそいで、甲州《こうしゆう》躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》の手もとへまでとどけよ、とのおおせにござります。これは名誉《めいよ》なお使番《つかいばん》、クロを飼いならしていらい、鷲《わし》にのってお使《つか》いをするものは、とんぼ組《ぐみ》の誉《ほま》れとしてありますので、わたしはほんとにうれしゅうございました」
「おお、それでよくわかりました。ではおまえは、お使番《つかいばん》になってこの館《たち》へ、家康《いえやす》さまの手紙を持ってきたのですね」
「すこしも早く石見守《いわみのかみ》さまのお手へ、お渡《わた》ししなければ役目がすみません。宿直《とのい》の方《かた》をお呼《よ》びするには、どこから声をかけたものでございましょうか」
と小姓《こしよう》の星川余一《ほしかわよいち》はまた膝《ひざ》を立てて、あたりを見まわすようすであったが、そんなものを呼ばれては大《たい》へん、これから夜明けまでのあいだに、彼女がなそうとする計画《けいかく》はやぶれてしまう。
といって、ここへ止《と》めおいてもこまるし、どうしたものか、と咲耶子《さくやこ》がふと考《かんが》えまどっていると、――キイッ、キイッ、キイ、と、また三太郎猿《さんたろうざる》が勾欄《こうらん》の上をいったりきたりしながら、異常《いじよう》なあわてかたをしてさけびだした。
「あ、あれッ……」
三太郎のヘンな啼《な》きごえに余一も咲耶子も、その時はじめて、夜気《やき》のふかい館《たち》のあなた、外郭《そとぐるわ》のあたりにあたって、しずかな変化《へんか》が起《おこ》っているのに気がついた。
それはちょうど、館《たち》の北側《きたがわ》につづく馬廻《うままわ》り役の長屋《ながや》の近くである。そこに建《た》っている屋根《やね》の高い馬糧《まぐさ》小屋《ごや》から蒸《む》れた|せいろう《ヽヽヽヽ》のように白いけむりがスーとめぐっている。
はて、おかしい?
不審《ふしん》な目をみはると、余一はたちまち、
「な、なんだろう! あれは?」
お使者《ししや》の格式《かくしき》をわすれて、お小姓《こしよう》とんぼマルだしの、子供らしい口ぶりになっていた。
「火事《かじ》じゃないかしら」
「おう……ほんとに」
「火事だ、火事だ、みんな知らないのかなあ、ほら、ほら、ほら! 白い煙《けむり》がだんだんひどく噴《ふ》いてくる」
と、三太郎猿《さんたろうざる》といっしょになって心配《しんぱい》しだした。
一ぽう、馬糧《まぐさ》小屋《ごや》のなかでは、竹童《ちくどう》と蛾次郎《がじろう》。
パチ、パチ、パチ、パチ……
火はわらの穂《ほ》を食《た》べてゆくようにうつる。むーッとこもる熱気《ねつき》は刻一刻《こくいつこく》にたかまる。そして、むせるそばから煙は目《め》や鼻《はな》にしみて防《ふせ》ぎようもない。
カアーッと、あかいガラスで見るように、小屋いちめんが、まッ赤《か》に見えたかと思うと、火龍《かりゆう》は気味《きみ》わるく舌《した》をひそめて、暗澹《あんたん》とまッ黒な渦《うず》をまいて、二つのおどる影《かげ》も、煙のなかに見えなくなる。
斃《たお》れたかな?
と思っていると、また、パッと立つ炎《ほのお》の明《あか》りに、両童《りようどう》のすがたが黒く浮《う》きだす。
けんめいに戸《と》を破《やぶ》ろうとして竹童《ちくどう》は、そこをうごかず、蛾次郎《がじろう》は、むちゅうになって、ほかの出口をさがしているのだ。焼《や》け死ぬか、のがれだせるか、人間最高の努力《どりよく》をふりしぼる瞬間《しゆんかん》には、かれもこれも、おそろしい無言《むごん》であった。
するとその時、竹童は自分のうしろで、とつぜん、ヒーッという絶叫《ぜつきよう》を聞《き》いた。
見ると、もう血《ち》があがってしまった蛾次郎が、
「あ熱《つ》ッ……あ熱《つ》……あ、つつ、つッ……」
着物《きもの》にもえついた火をハタきながら、まるで気狂《きちが》いのようになって、もう逃《に》げ口《ぐち》のけんとうもつかず、盲目的《もうもくてき》にやわらかいワラ火の山へ向かって駈《か》けだそうとする。
「おいッ」われを忘《わす》れてとは、この時の竹童のこと。
「ばッ、ばかッ。そッちは火だ!」
と、蛾次郎の襟《えり》がみをつかんで引きとめた。いや、投げとめた。
そして、かれを地べたにころがして、袖《そで》や裾《すそ》にもえついている火を消《け》してやると、蛾次郎は煙《けむり》にむせながらはねおきて、こんどは竹童と一しょになって、戸をやぶるべく必死《ひつし》に力をあわせはじめた。
しかし、いぜんとして出口は開かれない。
ふたりの命《いのち》も早やあきらめなければなるまい。噴《ふ》きあがった業火《ごうか》はふたりの無益《むえき》な努力《どりよく》をあざわらうもののごとく、ずッしりと黒く焦《こ》げたワラ山から小屋の羽目板《はめいた》をなめずりまわしている。
心頭《しんとう》を滅《めつ》すれば火も涼《すず》し――と快川和尚《かいせんおしよう》は恵林寺《えりんじ》の楼門《ろうもん》でさけんだ。まけおしみではない、英僧《えいそう》にあらぬ蛾次郎《がじろう》でも、いまは、火のあついのを意識《いしき》しなくなった。
いやふたりはまだ、より以上《いじよう》ふしぎなものを忘《わす》 れていた。蛾次郎は竹童《ちくどう》を、竹童は蛾次郎を、あくまで敵《てき》、あくまで仇《かたき》! と思い合っているはずなのに、その憎念《ぞうねん》を瞬間《しゆんかん》スッカリ忘れてしまって、放《ほ》っておけば、ひとりで火の中に飛びこんで死ぬのを抱《だ》きとめたり、おたがいに髪《かみ》の毛や袖《そで》に移《うつ》る火を消《け》しあったり、そうしては、力をあわせて、けんめいに戸《と》を破《やぶ》りにかかっているのだ。
ああ、竹童と蛾次郎とが、一つの目的《もくてき》へむかって、こんなに仲《なか》よく気《き》をあわせて必死《ひつし》になっているということが、きょうのいままでに、一どでもあったろうか。
なにしろ、ふたりはむちゅうだ、一念《いちねん》だ、死にものぐるいだった。
一方がたおれれば戸をやぶる力が半分になる。
火に負《ま》けるな!
この運命《うんめい》を突《つ》きやぶれ!
死んでくれるな! 死んでくれるな!
あえて意識《いしき》しない共和《きようわ》と、たがいの援護《えんご》がそこに生まれた。裾《すそ》をあおる炎《ほのお》の熱風《ねつぷう》よりは、もっと、もっと、つよい愛を渾力《こんりき》で投げあった。
ガラン!
縄《なわ》が焼《や》けきれたか、すぐそばへ、火の粉《こ》をちらして落ちてきた一本の松丸太《まつまるた》。
「オオ、蛾次《がじ》、これを持て」
「よしきたッ」
知恩院《ちおんいん》の大梵鐘《だいぼんしよう》でも撞《つ》くように、気をそろえて、それへ手をかけあった両童子《りようどうじ》、息《いき》と力をあわすやいな、
「ええッ!」
「おウッ――」
ドウン! と戸口へ突《つ》ッかけた。
「開《あ》いたア!」
まさにこれ暁《あかつき》の声だ。
生命《せいめい》の絶叫《ぜつきよう》だ。
ガラガラガラッととつぜん、風と紅蓮《ぐれん》の争闘《そうとう》がはじまった下をくぐって、蛾次郎《がじろう》と竹童《ちくどう》、ほとんど同時に、打ちこわした所《ところ》から小屋の外へ、頭の毛の火の粉《こ》をはらっておどりだした。
必然《ひつぜん》。
その間髪《かんはつ》には、ふたりの頭脳《あたま》に、助かッたぞッ――という歓呼《かんこ》があがったであろうが、結果は同じことだった。ただ業火《ごうか》の地獄《じごく》から八寒地獄《はちかんじごく》へ位置《いち》を代《か》えたにすぎなかった。
なぜ?
と――いうも迂遠《うえん》な話で、すでに最前《さいぜん》から小屋の外には、おびただしい人の足音が、なにかヒソヒソ囁《ささや》きながら嵐《あらし》の先駆《せんく》のごとく、ひそかにめぐりめぐっていた。
待ちかまえてやあがったのだろう――。
不動明王《ふどうみようおう》に炎陣《えんじん》から蹴《け》とばされた|こんがら《ヽヽヽヽ》、|せいたか《ヽヽヽヽ》の両童子《りようどうじ》でもあるように、火だらけになってころげだしたふたりをそこに見るやいな、
「それッ、その者を」
「やるな!」
とばかりいっせいに寄《よ》る氷雨《ひさめ》と人影《ひとかげ》。
二どめの仰天《ぎようてん》。あッと、起きあがろうとしたのもおそい!
すでに霜《しも》と植《う》えられた龍牙《りゆうが》の短刀《たんとう》、もしくはながき秋水《しゆうすい》、晃々《こうこう》たる剣陣《けんじん》を作って、すばやくふたりの逃《に》げ道をかこんでしまった。
三太郎猿《さんたろうざる》の早飛脚《はやびきやく》
「ありがたい。味方《みかた》がそとに待っていた。館《やかた》のつよい武士《ぶし》たちが馳《か》けつけていた」
と、よろこんだのは、せつな、蛾次郎《がじろう》の生きかえった気持。
それとは反対《はんたい》に、
「しまった、もう敵《てき》の手がまわったか」
と絶望的《ぜつぼうてき》な驚《おどろ》きにうたれたのは、とっさ、竹童《ちくどう》の感じたところで、いわゆる、一難去《いちなんさ》ってまた一難、もうとてものがれる術《すべ》はないものと覚悟《かくご》をきめた。
ところが、果然《かぜん》その直覚《ちよつかく》はあべこべで、手に手に細身《ほそみ》の刀、小《こ》太刀《だち》を持ち、外に待ちかまえていた者たちは、館《やかた》の武士《ぶし》とも思われない黒の覆面《ふくめん》、黒のいでたち。
人数はおよそ三、四十人、しかもみな、柳《やなぎ》の精《せい》か、梅《うめ》の化身《けしん》か、声すずしく手は白く、覆面すがたに似合《にあ》わないやさしいすがたの者ばかりで、甲《こう》、乙《おつ》、丙《へい》、丁《てい》、どの影《かげ》もすべて一体《いつたい》の分身《ぶんしん》かと思われるほどみなおなじ背《せ》かたちだ。
「それ、蛾次郎を生《い》け捕《ど》れ!」
なかのひとりがこうさけぶと、閃々《せんせん》たる小太刀の陣《じん》は霜《しも》の歯車《はぐるま》のように、かれのまわりをグルリとめぐって、有無《うむ》をいわさず、蛾次郎を高手小手《たかてこて》にしばりあげる。
「や、燃《も》えあがった――」
「おくれては一大事」
「奥《おく》へ、奥へ」
すでに馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の火は屋根《やね》から空へもえ抜《ぬ》けて、あかあかとした反映《はんえい》が躑躅《つつじ》ケ崎《さき》一帯《いつたい》の建物《たてもの》を照《て》らした。
「蛾次郎《がじろう》はどうしましょうか」
「捨《す》ててゆけ、この場合《ばあい》じゃ」
「捨ててゆくのもせっかく、おお、むこうの厩《うまや》の柱《はしら》へ、しばりつけて――」
「なにしろ、すこしも早く奥庭《おくにわ》へ」
「源氏閣《げんじかく》へ、源氏閣へ!」
散りぢりに呼《よ》びあい、叫びあいながら、柳姿《りゆうし》の覆面《ふくめん》三、四十人、芒《すすき》とそよぐ刃《やいば》をさげて、長屋門《ながやもん》の番士《ばんし》を斬《き》り、いっきに奥へはしり入《い》った。
「やッ、待《ま》って」
と竹童《ちくどう》も不審《ふしん》のあまりその人々のあとを追《お》って、
「あなたがたは?」
と、息《いき》をせいてきく。
走りながら、覆面のひとりが、
「竹童さま、お忘《わす》れか」
次《つぎ》にまた一つの顔がふりかえって、
「――お忘れか、お忘れか、虹《にじ》の松原《まつばら》のお別《わか》れを」
さらに、足もやすめずまただれかが、
「わたくしたちは緋《ひ》おどし谷《だに》にいた乙女《おとめ》のむれ!」
と明らかに名《な》のった。
そういわれれば覆面《ふくめん》ながら、一つひとつにおぼえのある顔。
「いつか、虹《にじ》の松原《まつばら》で、竹童《ちくどう》さまとお別《わか》れしてのち、里《さと》にかえって散《ち》りぢりになっていましたが、かねてのやくそく、わたくしたちの心のちかい、こよい外濠《そとぼり》にあつまりました」
「深い話はしていられませぬ、一刻《いつこく》も早くあのお方《かた》を」
「咲耶子《さくやこ》さまをお救《すく》い申しに」
「竹童さまもまいられませ」
「力をそえてくださいませ」
「仔細《しさい》はあと――」
「かなたをさきに」
群《む》れをくずして走ってゆきながら、こんな端的《たんてき》なことばを口々に投げた。
さては、小太郎山《こたろうざん》から手当《てあて》されて、甲府《こうふ》の城下《じようか》にはいるまえ、虹《にじ》の松原《まつばら》で礼《れい》もいわず置《お》きずてにして自分は馳《か》けだしてしまった、あの、優雅《ゆうが》にして機敏《きびん》な少女の工匠《たくみ》たちであったか。
と知って。
竹童はその意外《いがい》さをよろこびもし、驚《おどろ》きもしたが、なにを話すまもない馳けながらのこと。
「おっしゃるまでもないことです。もともと、咲耶子さまが捕《と》らわれたのは、わたしにも罪《つみ》のあること、それゆえ自分もこの館《たち》に忍《しの》んでいましたが、ここで会《あ》ったのは神さまのお助け、およばずながら竹童も力を添《そ》えます」
これだけいって、腰《こし》の般若丸《はんにやまる》をひき抜《ぬ》いたが、その刀身《とうしん》は、いきなりまっ赤《か》にひかって見えた。うしろの炎《ほのお》はもう高い火柱《ひばしら》となっていた。
奥庭《おくにわ》までは白壁門《しらかべもん》、多門《たもん》、二ヵ所《しよ》の難関《なんかん》がまだあって、そこへかかった時分には、いかに熟睡《じゆくすい》していた侍《さむらい》や小者《こもの》たちも眼をさまし、警鼓警板《けいこけいばん》をたたき立て、十手《じつて》、刺股《さすまた》、槍《やり》、陣《じん》太刀《だち》、半弓《はんきゆう》、袖搦《そでがら》み、鉢《はち》ワリ、鉄棒《てつぼう》、六|尺棒《しやくぼう》、ありとあらゆる得物《えもの》をとって、一時に、ワーッと侵入者《しんにゆうしや》のゆく手を食《く》いとめにかかった。
血戦《けつせん》は開かれた。
もとより、人数のすくない少女たちのほうでは、初めからひそかに咲耶子《さくやこ》を救《すく》いだす策略《さくりやく》で来たのであるが、とちゅう、馬糧《まぐさ》小屋《ごや》にふしぎな煙《けむり》がもれていたため、その疑惑《ぎわく》にひまどって、ついに、こういう破目《はめ》になったのは、まことにぜひないことであった。
及《およ》ばぬまでも、このうえは敵《てき》をむかえて、緋《ひ》おどし谷《だに》で練《ね》りきたえた、胡蝶《こちよう》の陣《じん》を組《く》みほぐしつ、糸を染《そ》めるほそい指に小《こ》太刀《だち》をにぎり、死ぬまで、戦うよりほかに道がない。
さいわいに風がない。
小屋をぬいた炎《ほのお》の柱《はしら》はボウーッとまっすぐに立って、斬《き》りつ斬られつ、みだれあう黒い人かげの点在《てんざい》を見せる巨大《きよだい》な篝火《かがりび》のごとく燃《も》えている。そして、ほかの建物《たてもの》へもさいわいと火がはってゆくようすも見えない。
「曲者《くせもの》だぞ、曲者だぞ」
「火事だ、出火《しゆつか》だ」
「出合《であ》え! 出合え!」
詰侍《つめざむらい》の部屋《へや》や長屋《ながや》にいる常備《じようび》の武士《ぶし》を、番士《ばんし》は声をからして起しまわる。たちまち、物《もの》の具《ぐ》とって馳《か》けあつまる敵《てき》はかずを増《ま》すばかり。
殷々《いんいん》たる警鼓《けいこ》の音《おと》、ごウーッとふとい炎《ほのお》の息《いき》、人のさけび、剣《つるぎ》のおめき、館《たち》の東西南北九ヵ所の門は、もうひとりも生きてはかえすまいぞと、戦時にひとしい非常の固《かた》めがヒシヒシと手くばりされた。
すると。
その一方の土手《どて》むこう、外《そと》ぼりをへだてた城外《じようがい》の柳《やなぎ》のかげに、耳に手をかざして、館のなかの騒音《そうおん》をジッと聞《き》いている者がある。
夜《よ》な夜なこの外城《そとじろ》の隙《すき》をうかがっていた木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》と巽小文治《たつみこぶんじ》のふたりだ。
「はて、ふしぎだのう……」
「内部の者があやまって、火災《かさい》を起してうろたえているのだろう」
「いや、それだけのさわぎではないようだ」
「じゃア、何者《なにもの》か、われわれの仲間《なかま》のものが、咲耶子《さくやこ》をすくい、また、小太郎山《こたろうざん》の雪辱《せつじよく》をしに、斬《き》りこんでいったのだろうか」
「なにか殺気《さつき》だっているが、伊那丸《いなまる》さまといい他《ほか》の者といい、ここへくれば、なんとかわれわれに手はずをなさるであろうから、どうもそうは考えられんな」
「では、なんだろう」
「石見守長安《いわみのかみながやす》の家中《かちゆう》で、うらぎり者が起ったか、でなければ、仲間|同士《どうし》の争闘《そうとう》か」
「そうとすればおもしろいが――オヤ……」
と小文治《こぶんじ》は足もとをすかすように、ほの明るく映《は》えている外濠《そとぼり》の水面《すいめん》をながめだす。
「――妙《みよう》な物《もの》が浮《う》いている」
「なんだ?」
「手組《てぐみ》の筏《いかだ》らしい――ヤ、そして、あの柳《やなぎ》の木の根《ね》からむこうの堤《どて》へ、一本の綱《つな》がわたしてあるぞ」
「ウーム、するとやッぱり、これは内部の仲間割《なかまわ》れではないな」
「この筏は天佑《てんゆう》かも知れんぞ」
「ウム」
「渡《わた》りに舟《ふね》というものだ、なにはともあれ、こいつに乗って城内《じようない》に入《い》りこんで見ようではないか」
「おお、よかろう!」
決然《けつぜん》というと龍太郎《りゆうたろう》は、柳《やなぎ》の根へかけ寄《よ》って、渡《わた》し綱《づな》にそえてあるともづなをこころみにグイと引ッぱってみた。
案《あん》のごとく、濠《ほり》のなかほどに浮《う》いていた手組《てぐみ》の筏《いかだ》は、かるく、こっちの岸《きし》へよってきた。手組の筏というのは、およそ、ゆく手に水路《すいろ》のあるのをさっした場合《ばあい》、おのおの、九|尺《しやく》の桐丸太《きりまるた》を一本ずつたずさえていって、そくざに菱形筏《ひしがたいかだ》をあんでは渡ってゆくことで、これは、越後流《えちごりゆう》、甲州流《こうしゆうりゆう》、長沼流《ながぬまりゆう》を問《と》わず、すべての陣法《じんぽう》にあるめずらしくもないことなのである。
ヒラリ――と龍太郎それへ乗る。
「白鷺《しらさぎ》のようだな……」
小文治《こぶんじ》はかれの姿《すがた》を形容《けいよう》しながら、あとから飛びのって渡し綱をたよりに、グングン濠の水をあなたの芝土手《しばどて》へと横切ってゆく。
苦《く》もなく渡っておどりあがった。
なるほど、これでは三、四十人の覆面《ふくめん》少女が、やすやすと躑躅《つつじ》ケ崎《さき》へ入《い》りこんだわけだが、まだ龍太郎には、この手組の菱筏《ひしいかだ》が、だれに使用されたものか想像《そうぞう》はつかなかった。
ガバとはね起きた石見守《いわみのかみ》、大久保長安《おおくぼながやす》は、悪夢《あくむ》におびやかされたように、枕刀《まくらがたな》を引ッつかむなり、桜雲台本殿《おううんだいほんでん》の自身《じしん》の寝所《しんじよ》から廊下《ろうか》へとびだした。
「桐井吾助《きりいごすけ》! 桐井吾助!」
足をふみ鳴らして宿直《とのい》部屋《べや》へ呼《よ》びたてる。
「狩谷《かりや》はおらんかッ、狩谷軍《かりやぐん》太夫《だゆう》はおらぬか」
それにも返辞《へんじ》はなく、殿中《でんちゆう》、ただなんとなくものさわがしいので、いまはジッとしていることもできないで、錠口《じようぐち》まで足を早めながら、
「だれぞおらぬかッ。おお、伊部熊蔵《いのべくまぞう》はいかがいたした」
と呼び立ててくると、出合《であ》い頭《がしら》。
まがり廊下の横合いから、サッと見えた真槍《しんそう》の燐光《りんこう》、ビクリッとして飛びのくと、
「や、これは殿《との》」
「なんじゃ、伊東十兵衛《いとうじゆうべえ》ではないか」
「はッ……」
ぴしゃりッ――と槍《やり》を廊下へ平《ひら》において、老臣《ろうしん》の伊東十兵衛、あわててかれの前に膝《ひざ》をついた。
「ものものしい庭《にわ》の手のそうどう、ありゃなにごとじゃ、夜討《よう》ちか?」
「いや、お案《あん》じなされますな、それほどな人数とも思われませぬ」
「領主《りようしゆ》の城郭《じようかく》へ押《お》しかける盗賊《とうぞく》もあるまい。では、何者《なにもの》が乱入《らんにゆう》したのじゃ」
「よくは目的《もくてき》がわかりませぬが、ことによると、源氏閣《げんじかく》に監禁《かんきん》しておく女を、救《すく》いだしにきた命《いのち》知らずであるやも知れませぬ」
「咲耶子《さくやこ》をうばい返しに? ウム、しゃらくさいやつめら! 浜松城《はままつじよう》へ護送《ごそう》するまでは大事な擒人《とりこ》、かならず|ぬかり《ヽヽヽ》があってはならぬぞ」
「はッ」
「伊部熊蔵《いのべくまぞう》や宿直《とのい》の者はどうした」
「ご寝所《しんじよ》に近づけては申しわけがないと、みな、この外側《そとがわ》をかためております。なかにも伊部熊蔵は、腕《うで》のすぐれた若侍《わかざむらい》を選《よ》り、いちはやく白壁門《しらかべもん》へまいって斬《き》りふせいでおりますから、追《お》ッつけ四十や五十人の浮浪人《ふろうにん》ども、みなごろしにしてもどるでございましょう」
「そうか、しかしかんじんな、源氏閣《げんじかく》の方《ほう》は?」
「それはすぐこのご本殿《ほんでん》の階上《うえ》、三|層《そう》までの階段《かいだん》をみな取りはずしてございますうえに、あの池《いけ》のほうにも、侍《さむらい》を伏《ふ》せておきましたゆえ、これまた、ご安心でござります」
周到《しゆうとう》な老臣《ろうしん》が、臨機神速《りんきしんそく》な手くばりに、石見守《いわみのかみ》が寝《ね》ざめの驚愕《きようがく》もやや鎮《しず》まって、ほッと、そこで胸《むね》をなでおろしたかと思うと、何者《なにもの》であろうか、大廂《おおびさし》のそとがわからクルリと身軽《みがる》にかげをかすめて、廊下《ろうか》の切《き》り欄間《らんま》へしのびこんだあやしき諜者《ちようじや》が、いきなり、奇声《きせい》をあげて長安《ながやす》の肩《かた》へとびついた。
折もおりなので、石見守――。
はッ……と胆《きも》を冷《ひ》やして曲者《くせもの》の手をつかみ、まえへもんどり打たせて投げつけようとすると、伊東十兵衛《いとうじゆうべえ》もスワとはねあがって、つかみ取った槍《やり》の穂《ほ》に風をすわせ、石見守《いわみのかみ》が投げつけたら、そこを立たせずに一突《ひとつ》きと足をひらいた。が、曲者《くせもの》は、長安《ながやす》の肩《かた》をはなれない。
鉤《かぎ》のような手の爪《つめ》で、しっかり襟《えり》もとへつかまっているので、十兵衛は槍をつきだしようがなく、あッと見ると、長安自身も、つかんだ曲者《くせもの》の手の毛むくじゃらにあきれかえる。
「あぶないッ、突《つ》くな」
「なんのこと――三太郎猿《さんたろうざる》でございましたか」
「人をおどろかすやつじゃ、放《はな》せ、いたずら者め」
「や、殿《との》。三太郎の襟首《えりくび》に、なにやら書状《しよじよう》が」
「なに、手紙が」
「は、りっぱな打紐《うちひも》のお状筥《じようばこ》で」
「だれが猿《さる》めにこんなものを結《ゆわ》いつけたのか? やア、こりゃいよいよもって不審千万《ふしんせんばん》、浜松城《はままつじよう》お使番《つかいばん》常用《じようよう》の筥《はこ》、しかも紅房《べにふさ》の掛紐《かけひも》であるところを見ると、ご主君家康《しゆくんいえやす》さまのお直書《じきしよ》でなければならぬが」
「とにかく、ご開封《かいふう》を」
「ウム、猿《さる》めを抱《だ》いてこい」
乱入者《らんにゆうしや》のそうどうの方《ほう》も気にかかるが、これまた意外《いがい》な天《あま》くだりの状筥《じようばこ》、とにかく一見《いつけん》しようと、長安《ながやす》はあたふたと居間《いま》へはいり、灯《ともしび》をかき立ててなかをひらく。
三太郎猿《さんたろうざる》はおうちゃくに、十兵衛《じゆうべえ》の膝《ひざ》を拝借《はいしやく》してもたれかかりながら、茶色《ちやいろ》の目をショボショボさせてながめている。
「十兵衛、どこかに、今宵《こよい》お使番《つかいばん》の方が見えておるのか」
「いや、さようなことは、表《おもて》役人からもうけたまわりませぬが」
「へんなこともあるものじゃ――まさしゅうこれは家康公《いえやすこう》のお手紙で、おまけに今夕《こんゆう》のお日附《ひづけ》となっている」
「いかに早足《はやあし》なお使番《つかいばん》でも、夕方からただいままでに、ここへ着くともうすのはふしぎなしだい。そして、御書《ごしよ》の内容《ないよう》は?」
「わしに、御岳《みたけ》の軍学大講会《ぐんがくだいこうえ》の総奉行《そうぶぎよう》を申しつくるというご沙汰《さた》。それと、ご評議《ひようぎ》の結果《けつか》、日取《ひど》りその他《た》の事項《じこう》ご決定《けつてい》に相《あい》なったお知らせである」
「ほウ……してお日取りは、いつごろに」
「十月七日から九日までの三日のあいだ」
「昨年よりは五日おくれでござりますな」
「そうなるかな。当年、軍学兵法の講論《こうろん》、大試合《だいしあい》に参加《さんか》する諸家《しよけ》は、まずご当家《とうけ》を筆頭《ひつとう》に、小田原《おだわら》の北条《ほうじよう》、加賀《かが》の前田《まえだ》、出陣中《しゆつじんちゆう》の豊臣家《とよとみけ》、奥州《おうしゆう》の伊達《だて》、そのほか三、四ヵ国のご予定《よてい》とある。――だが、どうしてこのご状筥《じようばこ》が、猿《さる》めの首に結《ゆわ》いつけてあったのか。その儀《ぎ》、なんとも腑《ふ》に落ちないことである……」
「もし……そのご状筥《じようばこ》の紐《ひも》のはしに、まだなにやら、紙片《かみきれ》が結《むす》びつけてあるようにござりますが」
「ウム、これか」
と長安《ながやす》は、そういわれてなにげなく解《と》いてみると、懐紙《かいし》をさいて蝶結《ちようむす》びにでもしたような紙片《しへん》。
うっかり開《あ》けると、破《やぶ》れそうにまだ濡《ぬ》れている墨色《すみいろ》で、それは少年の筆《ふで》らしく、まことに稚拙《ちせつ》な走り書《がき》。読みくだしてみると、その文言《もんごん》は――。
お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》の星川余一《ほしかわよいち》、三太郎猿《さんたろうざる》にたくしてご依願申《いがんもう》しあげそろ。
お上様《かみさま》のお使いとして、ただいまこの源氏閣《げんじかく》の上に着城《ちやくじよう》いたしそろところ、あやしき女人《によにん》居合《いあ》わせ、あなたの火を見て、乗りまいりたるクロという鷲《わし》をうばい、屋上《おくじよう》より逃《に》げ去《さ》らん気《け》ぶりにてそろ。
大急ぎにてこの文《ふみ》したため、私もすぐあとより、屋根《やね》にのぼり組《く》み止《と》めるかくごながら万一《まんいち》不覚《ふかく》をしては一大事にそろゆえ、若侍衆《わかざむらいしゆう》、一刻《いつこく》もはやくお出合《であ》いありたく告《つ》げ申《もう》しそろ。火急《かきゆう》火急。
星《ほし》に泣《な》く使者《ししや》
はるばる、遠江《とおとうみ》の国から鷲《わし》にのってきたお小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》のお使番《つかいばん》――星川余一《ほしかわよいち》が、源氏閣《げんじかく》のうえに着城早々《ちやくじようそうそう》、なにかよほどな危険《きけん》に追迫《ついはく》されたらしく、機智《きち》の一策《いつさく》、三太郎猿《さんたろうざる》を利用して、石見守長安《いわみのかみながやす》のもとへ、火急《かきゆう》火急と、走り書《がき》にすくいをもとめてきた蝶《ちよう》むすびの早文《はやぶみ》。
読みおわるなり石見守は、いま、着座《ちやくざ》したばかりの腰《こし》をうかしかけて、
「十兵衛《じゆうべえ》!」
そばにひかえている禿頭《とくとう》を呼《よ》んで、
「だれもみな、表《おもて》のそうどうに走りだして、侍部屋《さむらいべや》には人のおらぬようすだが、それではならぬ、源氏閣の上にも思わぬ変事《へんじ》じゃ、すぐ十名なり二十名なりを呼《よ》びかえして、閣上《かくじよう》のようすを見につかわせ」
老臣《ろうしん》の伊東十兵衛も、わたされた早文の走り書《がき》を一見《いつけん》して、仰天《ぎようてん》しながら、
「おッ、咲耶子《さくやこ》のやつめが?」
「余一の乗ってきた鷲《わし》をうばって、監禁《かんきん》の閣《かく》をやぶり、こよいのそうどうにまぎれて逃《に》げのびようとしているらしい」
「ウーム、油断《ゆだん》のならぬ女め、捨《す》ててはおけませぬ」
「早くせいッ、早くッ」
「はッ」
と、老臣《ろうしん》の伊東十兵衛《いとうじゆうべえ》、言下《げんか》に立ちかけたけれどイヤに膝《ひざ》が重《おも》い。はてな、と思って気がついて見ると、使いをしてきた三太郎猿《さんたろうざる》が最前《さいぜん》から|したり《ヽヽヽ》顔をして、じぶんの膝にもたれている。
殿《との》さまご寵愛《ちようあい》のお猿《さる》さま、常《つね》からわがままいっぱいのくせがついているので、老臣の膝を脇息《きようそく》のかわりにするぐらいなことは平気《へいき》だが、折もおり、十兵衛も気が立っているので長安《ながやす》の見ている前もかまわず、
「えい、邪魔《じやま》なやつめ」
と、襟毛《えりげ》つかんで、こッぴどくほうり投げてくれると、キャッ! とぎょうさんな啼《な》き声をあげたが三太郎猿、ちっとも驚《おどろ》いたさまもなく、廊下《ろうか》のあなたに|ちょこん《ヽヽヽヽ》と両足《りようあし》で立っていた。
「では、ごめんを」
屈《かが》み腰《ごし》にツツとさがった老臣の伊東十兵衛は、袴《はかま》の|ひだ《ヽヽ》をつまみあげ、いま、殿《との》のお室《へや》にはいる時は、脇部屋《わきべや》のそとにのこしておいた手槍《てやり》を持とうとして、そこを見ると、あるはずの槍がない。
ガラガラガラと妙《みよう》な音があなたへ馳《か》けてゆくのに、戸《と》まどいをした目をそらすと、見当《みあた》らないはず、長廊下《ながろうか》を向こうの方へ自分の槍《やり》が引きずられてゆく。
「ちッ、いたずら者め!」
腹立《はらだ》たしげに、舌打《したう》ちをして追《お》いかけると、それを持っていた三太郎猿《さんたろうざる》は、手をすべらして庭先《にわさき》へ槍《やり》を落としたので、十兵衛《じゆうべえ》の方をふりかえると、ケン! と人を茶《ちや》にした奇声《きせい》を発《はつ》しながら、萩《はぎ》の袖垣《そでがき》から老梅《ろうばい》の枝へと、軽業《かるわざ》でも見せるように逃《に》げてしまった。
ところへ、白刃《はくじん》をさげて、表木戸《おもてきど》の方からここへ馳《か》けてきた侍《さむらい》が、
「お――こりゃご家老《かろう》のお槍《やり》ではございませぬか」
ひろいとって庭先《にわさき》から手わたしてやると、
「ウム、伊部熊蔵《いのべくまぞう》か。よいところへきてくれた」
と、十兵衛、手みじかに石見守《いわみのかみ》からいいつけられたことを話して、
「表《おもて》の方も気がかりになるが、咲耶子《さくやこ》をにがしては浜松城《はままつじよう》のほうへいいわけが立たんことになる。なにを打ちすてても、すぐ腕利《うでき》きの若侍《わかざむらい》をつれて、源氏閣《げんじかく》の上へかけつけてくれい」
熊蔵としては、庭手《にわて》白壁門《しらかべもん》のほうの状況《じようきよう》を主人《しゆじん》に告《つ》げるつもりで、ここへきたのであったが、出合《であ》いがしらに老臣《ろうしん》からそう急《せ》かれて見ると、なにを話している間《ま》もなく、
「すりゃ大《たい》へんです! 心得《こころえ》ました」
もとへ引っかえして、築山《つきやま》の一角《いつかく》から、れいの鉱山《かなやま》掘夫《ほり》に使う山笛《やまぶえ》というのを吹《ふ》き立てると、たちまち、真《ま》っ黒になるくらいな人数がワラワラとかれの周《まわ》りを囲繞《いによう》してあつまった。
おまえと、おまえと、おまえと、おまえ。
なかで腕《うで》のすぐれていそうな顔を、伊部熊蔵《いのべくまぞう》、指さきで十二、三人ほどえりぬいて、
「源氏閣《げんじかく》へこい!」
自分がさきへバラバラと馳《か》けだしたが、また、ひょいとうしろの者たちをふりかえって、
「残《のこ》ったものは殿《との》のご寝所《しんじよ》のほうを守《まも》れ、もう木戸《きど》や多門《たもん》の固《かた》めにはじゅうぶん人数がそろったから、よも、やぶれをとるおそれはあるまい」
いいすてて桜雲台《おううんだい》へ馳《か》けてゆく。
桜雲台は躑躅《つつじ》ケ崎《さき》七|殿《でん》の中核《ちゆうかく》であって、源氏閣の建物《たてもの》はその上にそびえている。
平常《へいじよう》は錠口《じようぐち》より奥《おく》、平家来禁入《ひらげらいきんにゆう》の場所《ばしよ》であるが、いま老臣十兵衛がさきにまわってふれてあったので、一同|表方《おもてがた》で血戦《けつせん》してきたままの土足抜刀《どそくぬきみ》の狼藉《ろうぜき》すがたで、螺旋状《らせんじよう》の梯子口《はしごぐち》から二|層目《そうめ》へかけ上がり、それより上は階段《かいだん》がはずされてあるので、鉤縄《かぎなわ》、あるいは数珠梯子《じゆずばしご》などを投げかけ、われ一|番乗《ばんの》りとよじのぼっていった。
…………
閣上《かくじよう》の源氏《げんじ》の間《ま》には、一穂《いつすい》の燈火《ともしび》、切燈台《きりとうだい》の油《あぶら》を吸《す》いつくして、ジジジと泣くように明滅《めいめつ》している。
あたりはさっきのままである。
ただ、銀泥色絵《ぎんでいいろえ》の襖《ふすま》のまえには、蒔絵《まきえ》の硯蓋《すずりぶた》の筆《ふで》が一本落ちてあって、そこにいるはずの咲耶子《さくやこ》のすがたも見えず、お小姓《こしよう》星川余一《ほしかわよいち》のかげも見当《みあた》らなかった。
「おお、いない!」
数珠梯子から飛びあがった伊部熊蔵《いのべくまぞう》と伊東十兵衛《いとうじゆうべえ》は、予期《よき》していたことであったが、愕然《がくぜん》として顔を見合《みあ》わせた。
とたんに。
頭の上でガラガラと異様《いよう》なものおとを聞いたかと思うと、四、五枚の青銅瓦《せいどうがわら》が、廂《ひさし》のはしから落ちてくるなり本殿平屋《ほんでんひらや》の瓦《かわら》の上で、すさまじい金属音《きんぞくおん》を立てた。
そして、まさしく屋根《やね》の天《て》ッ辺《ぺん》。
「お出合《であ》いなさい! お出合いなされ! 大久保家《おおくぼけ》のご家中《かちゆう》の方々《かたがた》、あやしいものが逃《に》げまするぞ、早く、早く、早くここへ!」
高きところに声を嗄《か》らしている小姓余一の絶叫《ぜつきよう》が、一同の頭からけたたましく聞えてくる。
「あれだッ――お使者《ししや》のこえ」
「おお、屋根《やね》、屋根の上!」
「のぼれ!」
「咲耶子《さくやこ》を手捕りにして余一《よいち》を助けろ」
あわてきった十兵衛《じゆうべえ》の指図《さしず》と熊蔵《くまぞう》の叱咤《しつた》が、若侍《わかざむらい》たちの先駆《さきが》けをあおッた。
廂《ひさし》の上へぬけでるかくし階段《かいだん》をさがす者、欄間《らんま》に足をかけて釣龕燈《つりがんどう》の鎖《くさり》をつかみ、三太郎猿《さんたろうざる》のよくやる離《はな》れわざの亜流《ありゆう》をこころみて、屋根《やね》の上へはいあがろうとする者――咲耶子と余一とは、いったいどこから屋根上へのぼったのか血気《けつき》な若侍にしてもふしぎなくらい、この一番乗《いちばんの》りは骨《ほね》が折れたが、あとになって心得《こころえ》のある者に聞くと、すべてこういう楼閣《ろうかく》には、修築手入《しゆうちくてい》れなどの場合《ばあい》の用意《ようい》に、工匠《こうしよう》が上下《じようげ》する足がかりが棟《むね》のコマ詰《づめ》から角垂木《かどたるき》の間《あいだ》にかくしてあるもので、みんな上へ上へと気ばかりあせっていたので、その工匠口《こうしようぐち》にはすこしも気がつかなかった。
しかし――一せいにとはゆかないが、どうやらこうやら、ほど経《へ》て、上に登ることは登りついた。そしてはじめて、ようすいかに――と坂《さか》になった屋根の端《はし》から首をだして打ちあおいで見ると、
「わアん、わアん……わ――ん……」
浜松城《はままつじよう》のお使者番《ししやばん》は、満天《まんてん》の星《ほし》にくるまれた閣《かく》の尖端《せんたん》、擬宝珠《ぎぼうしゆ》のそばで、手放《てばな》しに大声あげて泣いていた。
「あれッ?」
伊部熊蔵《いのべくまぞう》はあっけにとられた。
まさか浜松城《はままつじよう》の来使《らいし》星川余一《ほしかわよいち》なるものが、十三、四の子供だとは考えていなかったので。
立っては歩かれないくらい、勾配《こうばい》のきゅうな青銅瓦《せいどうがわら》の上をのしのしと無器用《ぶきよう》にはいあがって、
「その方《ほう》はいったいだれであるか」
こう聞くと、余一は泣いている手をはなして、
「お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》の星川余一《ほしかわよいち》……」
そう答えて、また声あらためて泣くのだった。
「なに、ではそこもとが、公書《こうしよ》のお使者番《ししやばん》となってまいられた星川どのか」
「は、はい……」
「なにを泣いておられるのか、ただいま、三太郎猿《さんたろうざる》が首につけてきた知らせを見て、殿《との》にもことのほかなおおどろき、そっこく、ご助勢《じよせい》をするためわれわれが、ここへ馳《か》けつけてまいったものを。おお、してしてこの閣《かく》に監禁《かんきん》しておいた咲耶子《さくやこ》なる女をごぞんじないか、あれをにがしては一大事だから」
「だから……だからわたしが……早くお出合《であ》いなさいと、あれほど呼《よ》んでおりましたのに」
しゃくりあげて、余一はまたくやしそうに、オイオイと肩《かた》をゆすぶりながら、
「もうだめ! もうだめ! みんなの来ようがおそいから、わたしがここで一生《いつしよう》けんめいにおさえていた咲耶子《さくやこ》は、とうとう擬宝珠《ぎぼうしゆ》につないでおいたクロをうばって、あれあれ、あれ向こうへ――」
「えッ」
「逃《に》げちゃった、逃げちゃった……。あのクロをなくしては、わたくしは、浜松城《はままつじよう》にいる万千代《まんちよ》さまに、帰っておわびをすることばがございません」
余一《よいち》はそれで泣くのだった。
逃《に》げた! と聞いておどろいた熊蔵《くまぞう》や、張合《はりあ》いぬけのした若侍《わかざむらい》たちが、半信半疑《はんしんはんぎ》の目をさまよわせて、どこへ逃《に》げたのかと明け方にちかい八方の天地をながめまわすと――。
水色《みずいろ》にすみわたった五|更《こう》の空――そこに黒くまう一|葉《よう》のかげもなく、ただ一|閃《せん》、ピカッと|※[#螢の虫が火]惑星《けいわくせい》のそばの星《ほし》が、あおい弧線《こせん》をえがいて巽《たつみ》から源次郎岳《げんじろうだけ》の肩《かた》へながれた。
また、足もとを俯瞰《みおろ》すと。
竹童《ちくどう》と蛾次郎《がじろう》の争闘《そうとう》から端《たん》をはっした馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の出火《しゆつか》は、その小屋だけを焼《や》きつくして焔《ほのお》を沈《しず》め、うすい白煙《はくえん》とまッ赤《か》な余燼《よじん》を、あなたの闇《やみ》のそこに、まだチラチラと見せている。
「ウーム、おそかったか!」
と、熊蔵は、余一の泣くのがおかしくなった。
「ぜひがない。このうえは殿《との》にありのままをおつげして、少しも早く、ほかへ手配《てはい》をつけるのがかんじんだ」
一同、手をむなしくして、屋根《やね》から降《お》りかけた時だった。下に待っていた老臣《ろうしん》伊東十兵衛《いとうじゆうべえ》が、なにか意味《いみ》の聞きとれない絶叫《ぜつきよう》をあげたかと思うと、二|層目《そうめ》の欄間《らんま》から、手槍《てやり》をつかんだまま仰向《あおむ》けに、
「伊部《いのべ》ッ」
と救《すく》いを呼《よ》びながら、二層目の屋根へ、袈裟《けさ》がけになって斬《き》りおとされていった。
「やッ、ご家老《かろう》が」
「咲耶子《さくやこ》をすくいだそうとして、とうとうここまで曲者《くせもの》がなだれこんできたか。それ、なんでおくれをとっていることがある。降りろ、降りろ」
降りるのは苦《く》もなかった。
擬宝珠《ぎぼうしゆ》に玉縄《たまなわ》を結《むす》びつけ、ズル! ズルズルとつながってゆく。
一|閃《せん》。
横に白刃《はくじん》の光流《こうりゆう》がその玉縄を下からすくったかと思うと、ぶらさがっていった四、五人が、束《たば》になってまッさかさまに下へ――。
「わアッ!」
というどよめきがあがる。人の惨死《ざんし》を見ると、人間は忘《わす》れていた兇暴《きようぼう》な血《ち》がたけりだす。
こうなると、つねの怯者《きようしや》も勇士《ゆうし》になるものだ。伊部熊蔵《いのべくまぞう》はカッと怒《いか》って、中断《ちゆうだん》された縄《なわ》のはしから千|本廂《ぼんびさし》の鎖《くさり》にすがって、ダッ――と源氏《げんじ》の間《ま》へ飛びこんだ。
見るとそこには。
今夜、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》へ斬《き》りこんだ覆面《ふくめん》の少女とはまるでちがったふたりの者のすがたがチラと見えた。一方は白い行衣《ぎようえ》をきて手に戒刀《かいとう》とおぼしき直刃《すぐは》の一|刀《とう》を引っさげた男。またひとりは朱柄《あかえ》九|尺《しやく》の槍《やり》をかかえて、射《い》るがごとき眼をもった若者《わかもの》である。
「いないぞ、ここには」
「さっきまで狛笛《こまぶえ》の音《ね》がしていたのに」
「では、逃《に》げたのであろう」
「いや、いくら咲耶子《さくやこ》でも、この堅固《けんご》をやぶっては逃げられまい」
「それならここにいそうなものだが」
「ふしぎだなあ」
「奥《おく》の部屋《へや》には」
「つぎの間《ま》はない!」
「ではどこかに隠《かく》れ場所《ばしよ》でも? ……」
早口に、こんな言葉をかわしながら、室内《しつない》の物をとりのけて、しきりとだれかをさがしているようす。
むろんそれは、手組《てぐみ》の筏《いかだ》にのって濠《ほり》をこえ、館《たち》のそうどうに乗《じよう》じて、ここへ潜入《せんにゆう》してきた、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》と巽小文治《たつみこぶんじ》のふたりである。
「おのれッ」
と、そこに思わぬ敵《てき》を見かけた伊部熊蔵《いのべくまぞう》は、いきなり小文治《こぶんじ》のうしろ姿《すがた》を目がけて、思慮《しりよ》なき刃《やいば》を飛ばしていった。
「うむッ」
といってその胸《むな》もとへ、石火《せつか》にのびてきた朱柄《あかえ》の槍《やり》の石突《いしづ》きは、かれの大刀が相手の身にふれぬうちに、かれの肋骨《あばら》の下を見舞《みま》った。
「ざんねんだが、咲耶子《さくやこ》のすがたが見当《みあた》らなければぜひもない。このうえは、どうせのついでに、大久保長安《おおくぼながやす》の寝所《しんじよ》を見つけて、きゃつの首を土産《みやげ》に引きあげよう」
欄《らん》のまわりに影《かげ》ばかり見せて、ただワアワアとさわいでいる若侍《わかざむらい》たちを睥睨《へいげい》しながら、源氏閣《げんじかく》から桜雲台《おううんだい》の本殿《ほんでん》へもどってくると、そこへあまたの武士《ぶし》に追いつめられてきた乱髪《らんぱつ》の小童《しようどう》があった。
「やッ、竹童《ちくどう》!」
咲耶子《さくやこ》にあわぬ失望《しつぼう》は、そのうれしさにおぎなわれて、朱柄《あかえ》の槍《やり》と鍔《つば》なしの戒刀《かいとう》は、なんのためらいもなくその渦巻《うずまき》のなかへおどった。
愛《あい》の旅人《たびびと》
うるわしい明《あ》け方《がた》の雲が、東を染《そ》めてきた。
秋霜《あきしも》の下《お》りた山国のあさは、都《みやこ》の冬よりはまだ寒《さむ》い。白い息《いき》が人の鼻《はな》さきに凍《こお》りそうだ。
「お早《はよ》う」
地蔵行者《じぞうぎようじや》の菊村宮内《きくむらくない》は、お長屋《ながや》の釣瓶井戸《つるべいど》で、足軽《あしがる》たちと一しょに口をそそいでいた。
「ゆうべは、まことにひどいそうどうでございましたな、さだめしみなさんもおつかれでございましょう」
足軽たちに話しかけても、だれもウンとも返辞《へんじ》をするものがなかった。かれらの眼色《めいろ》はまだ夜の明けぬまえの異常《いじよう》な緊張《きんちよう》をもちつづけているらしい。
顔をしかめて向こう脛《ずね》の傷《きず》をあらっている者や、水をくんでゆく者や、たわしで洗《あら》い物をする者などで、井戸《いど》ばたがこみ合っている。
宮内は早々《そうそう》そこをはなれて、
「なにしろ、大事にならなくってしあわせだった」
お長屋の屋根《やね》むこうに、まだ黄色く立ちのぼっている馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の余煙《よえん》をながめて、ひとりごとをつぶやいた。
「あッ、神主《かんぬし》さん――。竹生島《ちくぶしま》の神主さん」
とつぜん、かれの足を止《と》めた者がある。
だれかと思って横をみると、ご殿《てん》の修築《しゆうちく》に使用する大石のたくさんつんである間《あいだ》に、元気のない蛾次郎《がじろう》の顔《かお》がチラと見えた。
「おや、おまえは?」伸《の》びあがってのぞくと、
「お地蔵《じぞう》さま、後生《ごしよう》です」
「後生ですって、なにが後生なんじゃ。でておいでな、ここへ」
「それが、でられないんで、弱ってるんです」
「なんだ、しばりつけられているのか」
「ええ、ゆうべお館《やかた》へ乱入《らんにゆう》した、あの狼藉者《ろうぜきもの》のためにしばられて、とうとうここで夜を明かしてしまったんで」
「おやおや、それはえらいお仕置《しおき》を食《く》ったな」
宮内《くない》は人のいい笑《わら》い方をして、石置場《いしおきば》にしばられているかれの縄目《なわめ》を解《と》いてやったが、からだが自由になったとたんに、蛾次郎は、礼《れい》の言葉なぞはとにかくというふうに、いきなり向こうの馬糧《まぐさ》小屋《ごや》の焼《や》け跡《あと》へすッ飛んでいった。
なんですッとんでいったかと思うと蛾次郎、そこでまだ、カッカと余燼《よじん》の火の色がはっている焼け跡にお尻《しり》をあぶって、
「オオ寒《さむ》、寒、寒、寒。……ああ、あったけえ、あったけえ、あったけえ」
歯《は》をがたがたと鳴らしながら、凍《こお》りきった血《ち》をあたためて、人《ひと》心地《ごこち》を呼《よ》びかえすのだった。
そこへひょッこり、親方《おやかた》の鼻《はな》かけ卜斎《ぼくさい》が、桜雲台《おううんだい》の方からもくもくともどってきた。
卜斎はジロリと蛾次郎《がじろう》の顔を見たが、べつに声もかけないで、菊村宮内《きくむらくない》のいる火のそばへよりながら、
「定《さだ》めしゆうべはびっくりなすったであろう」
と話しかける。
「おどろきました。火事と思うと、すぐにあの乱入者《らんにゆうもの》の剣《つるぎ》の音でな。しかし、かくべつなこともなかったようで、まずお館《やかた》にとっては、大難《だいなん》が小難《しようなん》でなによりともうすものです」
「どうして、意外《いがい》な被害《ひがい》なので」
「ほウ」
「いま、役人がしさいを書きあげているが、味方《みかた》の斬《き》りすてられた者二十四、五名、手負《てお》いは五十名をくだるまいとのことでござった。その上、ご老職《ろうしよく》伊東十兵衛《いとうじゆうべえ》どのが、源氏閣《げんじかく》の上から袈裟斬《けさぎ》りになって真下《ました》へ落ち、鉱山目付《かなやまめつけ》の伊部熊蔵《いのべくまぞう》どのも悶絶《もんぜつ》していたようなありさま、けれどもこれは命《いのち》に別条《べつじよう》なく助かりましたが」
「ほウ、そんなに? してここの主《あるじ》、大久保長安《おおくぼながやす》どののお身にはなにごともなくすみましたかな」
「いちじは曲者《くせもの》に追《お》われて、あやういところであったそうだが、ご寝所《しんじよ》から壁返《かべがえ》しのかくれ間《ま》へひそんで、やっとのがれたという話、その間《ま》に運《うん》よく夜が明けましたゆえ、曲者たちは濠《ほり》をこえて、いずこともなく逃《に》げうせたそうで」
「で、相手方《あいてがた》の死骸《しがい》は?」
「それがふしぎ、なかには手負《てお》いや死んだ者もあったろうに、逃《に》げるときにもち去《さ》ったか、一つもさきの死骸がのこってない」
「さりとは心がけのよい曲者、いったい、それはどこの者で」
「黒装束《くろしようぞく》はみな緋《ひ》おどし谷《だに》にいた若い女子《おなご》、源氏閣《げんじかく》へ斬《き》りこんだ者は、武田伊那丸《たけだいなまる》の身内《みうち》、木隠《こがくれ》、巽《たつみ》の両人《りようにん》とあとでわかった。おお、それから鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》」
「えッ、竹童も」
宮内《くない》は久《ひさ》しぶりであの好《す》きな少年を心にえがいた。
そしてその竹童も、無事《ぶじ》にこの館《たち》をやぶって逃《に》げのびたと卜斎《ぼくさい》に聞《き》いて、敵《てき》でも味方《みかた》でもないが、なんとなくうれしくおぼえた。
虹色《にじいろ》の陽《ひ》が高くのぼってきた。
近国《きんごく》へうわさがもれては外聞《がいぶん》にかかわるというので、昨夜《ゆうべ》のさわぎはいっさい秘密《ひみつ》にするよう、家中《かちゆう》一統《いつとう》へ申《もう》し渡《わた》しがあって、ほどなく、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》一帯《いつたい》、つねの平静《へいせい》に返っていた。
午後には、重《おも》なる家臣が桜雲台《おううんだい》へ集まった。
けれど、それはゆうべの問題ではなく、もう日限《にちげん》の切迫《せつぱく》してきた、御岳《みたけ》の山における兵学大講会《へいがくだいこうえ》の奉行《ぶぎよう》を命《めい》ぜられた長安《ながやす》の下準備《したじゆんび》や手配《てくば》りの評議《ひようぎ》。
その公書《こうしよ》を浜松《はままつ》からもたらしてきたお小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》の星川余一《ほしかわよいち》は、万千代《まんちよ》さまへの申《もう》しわけに、鷲《わし》の行方《ゆくえ》をつき止《と》めるまで、しばらく長安《ながやす》の詮議《せんぎ》をたよりに、ここへ滞留《たいりゆう》していることになる。
鷲といえば――。
余一のほかにだれも見とどけた者はないが、源氏閣《げんじかく》のてッぺんからすがたを消《け》した咲耶子《さくやこ》は、いったいどこへいったのだろうか?
クロとともにかげを見えなくしたところからさっすれば、竹童《ちくどう》の鷲乗《わしの》りをうつしまねて、空へと、舞《ま》って逃《に》げたよりほかに考えようがないが、あの絵《え》に見まほしき振袖《ふりそで》すがたで、そんなあぶないはなれわざが、果《は》たして首尾《しゆび》よくいったろうか。
いや、心配《しんぱい》はあるまい。
かの女《じよ》も裾野《すその》の女性である。山大名《やまだいみよう》の娘《むすめ》である。竹童のすること、蛾次郎《がじろう》でさえやること、余一すら乗りこなしてきた鷲――なんで乗れないことがあるものか。
そうあれば。
とにかく咲耶子の身には、ふたたび、うばわれた自由と希望《きぼう》がかえっているわけ。
カアーン……カアーン……カアーン
きょうも甲府《こうふ》の町にのどかな鉦《かね》の音《ね》。
菊村宮内《きくむらくない》はおなじ日に、卜斎《ぼくさい》と別《わか》れを告《つ》げ、花や供物《くもつ》にかざられた笈摺《おいずる》と、かがやく秋の陽《ひ》を背《せ》にして、きのうのごとく、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の愛《あい》の旅《たび》にたっていった。
翌日《よくじつ》は駒飼《こまかい》から笹子峠《ささごとうげ》を越《こ》える。
甲府《こうふ》を一とおり遍歴《へんれき》した宮内は、これから道を東にとって、武蔵《むさし》の国へはいるつもり。
これから武蔵へかかる山境《やまざかい》は、姥子《うばこ》、鳴滝《なるたき》、大菩薩《だいぼさつ》、小仏《こぼとけ》、御岳《みたけ》、四顧《しこ》、山《やま》また山を見るばかりの道である。すきな子供のむれに取りまかれることがいたってまれだ。
阿弥陀街道《あみだかいどう》のながい半日に、かなり足の疲《つか》れをおぼえてきた宮内、
「おお、茶店《ちやみせ》があるな」
立場《たてば》がわりに駒止《こまど》めの杭《くい》がうってある葭簀掛《よしずがけ》の茶屋《ちやや》を見かけて、
「少し休《やす》ませてもらいます……」
と、なにげなく立ちよって、背《せ》なかの笈《おい》を床几《しようぎ》の上へ安置《あんち》すると、土間《どま》のうちで荒々《あらあら》しい人声。
「女だからって、油断《ゆだん》もすきもありやしねえ!」
なにかと思って見ると、街道稼《かいどうかせ》ぎの荷物持《にもつも》ちか馬方《うまかた》らしい|ならず《ヽヽヽ》者がふたり、黒鉄《くろがね》に毛《け》をはやしたような腕《うで》ぶしをまくりあげて、
「――飛んでもねえいいがかりを吐《ぬ》かしゃあがる。だれがてめえのような女乞食《おんなこじき》のビタ銭《せん》を、掏《す》ったり抜《ぬ》いたりするバカがあるものか、ものをぬすまれましたという人体《にんてい》は、もう少しなりのきれいな人柄《ひとがら》のいうこッた、よくてめえの姿《すがた》や商売《しようばい》と相談してこいッ」
おそろしいけんまくでどなりつけている。
そのふたりの毛脛《けずね》のあいだにはさまって、土間《どま》へ手をついたまま、わなわなおののいている女は、坂東《ばんどう》三十三ヵ所《しよ》の札《ふだ》をかけ、膝《ひざ》のところへ菅笠《すげがさ》と杖《つえ》とを持った、三十四、五の女房《にようぼう》である。
「いいえ、そうわるくお取りなすってはこまりますが、たしかに、駒飼《こまかい》の宿《しゆく》の辻堂《つじどう》で、ちょっと帯《おび》をしめ直《なお》しているあいだに、あなた方《がた》おふたりが、足もとへおいたわたしの金入《かねい》れをお持ちになってかけだしたので、悪気《わるぎ》はないほんのいたずらをなされたのであろうと、ここまで追ってまいったのでございます。どうぞ、あの金《かね》がなくては、これからさきのながい旅《たび》ができない身の上、かわいそうだと思って、お返《かえ》しなすってくださいまし」
「この女めッ、だまっていりゃいい気になって、まるで人を盗《ぬす》っ人《と》のようにいやあがる」
「どういたしまして、けっしてそんな大《だい》それたことを申すのでは」
「やかましいやいッ。てめえがおれたちに金入れを取られたといやあ、おれたちふたりは泥棒《どろぼう》だ。よくも人に濡衣《ぬれぎぬ》を着《き》せやがった」
「あれッ、そのふところに見えます金入《かねい》れが、たしかに、わたしの持っていた包《つつ》みでございます」
「飛んでもねえことをいうねえ。こりゃ、おれが甲府《こうふ》の町でさる人からあずかってきた金入れだ。それを見やがってぶっそうないいがかり、どッちが白いか黒いか代官所《だいかんしよ》へでてやるところだが、女巡礼《おんなじゆんれい》を大《だい》の男ふたりで相手にしたといわれるのも名折《なお》れだ。さ、命《いのち》だけを助けてやるから、サッサとでていきやがれ」
馬の草鞋《わらじ》にもひとしい土足《どそく》が、むざんに女の肩《かた》をはげしくけった。
「これ、なにを無慈悲《むじひ》なことをなさる」
菊村宮内《きくむらくない》はわれをわすれて、その女巡礼の身をかばいながら、
「ふびんではござらんか、かような巡礼道《じゆんれいどう》の人の持物《もちもの》を巻《ま》きあげて、それがどれほどおまえたちの幸福《こうふく》になるものじゃない。どうか、そんな手荒《てあら》なことをせずに返してあげておくれ」
「おやッ」
「こんちくしょうめ」
と、胸毛《むなげ》をむきだして腕《うで》まくりをしなおしたふたりの道中稼《どうちゆうかせ》ぎ。
「横合《よこあ》いから飛びだしゃあがって、なにをてめえなんぞの知ったことか。利《き》いたふうな文句《もんく》をつける以上《いじよう》は、この喧嘩《けんか》を買ってでるつもりか」
「はははは、飛んでもないことを。あなた方を相手にして、腕《うで》ずくなどの争《あらそ》いは、とてもわたしたちにはできないことです」
「じゃあ引ッこめ、引ッこめ! 鉦叩《かねたた》きのやせ行者《ぎようじや》め」
「いや、引ッこめません」
「これでもかッ!」
いきなり一方の鉄拳《てつけん》が、風をうならせて宮内の横顔《よこがお》を見舞《みま》ってきた。
「あぶない」
軽く身をかわした菊村宮内《きくむらくない》、その腕くびをつかみ取って、
「そんなめちゃをなさらずに、どうか、ゆるしてあげてください。その金財布《かねざいふ》が、げんざい、あなた方の持物《もちもの》でない証拠《しようこ》には、がらも色合《いろあい》も女物《おんなもの》ではありませぬか」
「えい、よけいな口をたたきやがると、こうしてくれるッ」
と、両方《りようほう》から、猿臂《えんぴ》をのばして襟《えり》もとをつかんでくる。
宮内はうしろへ身を押《お》されて、あやうくそとの葭簀《よしず》につまずきかけたが、そこまで忍《しの》んでいたかれの顔色がサッと、するどく変《かわ》ったなと思うと、踵《かかと》をこらえてひねり腰《ごし》に、
「えいッ」ひとり矢《や》はずに投げつけた。
「野郎《やろう》ッ」
「兄弟――ッ、仲間《なかま》のやつらを呼《よ》んでこい」
「おうッ」
というとはねおきた一方の男は、脱兎《だつと》のごとく茶店《ちやみせ》のそとへ飛びだして、なにか大声で向こうの並木《なみき》へ手をふった。
と――見る間《ま》に、くるわくるわ、どれもこれも一くせありげな道中人足《どうちゆうにんそく》、錆刀《さびがたな》や息杖《いきづえ》を持ちこんで、
「なんだなんだ」
「その野郎《やろう》か」
「生意気《なまいき》な鉦叩《かねたた》き虫《むし》め! ぞうさはねえ、その女も一しょにつまみだして、二本松の枝へさかづるしにつるしてぶんなぐれ」
理《り》も非《ひ》もあったものではない。
まっ黒になって茶店《ちやみせ》の入口になだれこみ、あッと宮内《くない》があきれるうちに、床几《しようぎ》の上にすえておいた地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の笈摺《おいずる》を、ひとりの男が土足《どそく》でガラガラとけおとした。
「ウーム……」
と、宮内《くない》のまなじりが朱《しゆ》をそそいで引ッ裂《さ》けた。
いかに、とるに足《た》らない|あぶれ《ヽヽヽ》者とはいえ、一念《いちねん》に自分の信仰《しんこう》する地蔵菩薩《じぞうぼさつ》のお像《すがた》を、馬糞《まぐそ》だらけな土足にかけられては、もうかんべんすることができない!
見そこなったな、この青蠅《あおばえ》め!
いまでこそ身は童幼《どうよう》の友と親《した》しまれ、背《せ》には地蔵《じぞう》の愛をせおい、軒《のき》ごとの行乞《ぎようこつ》、旅《たび》から旅をさすらい歩くながれ人《びと》にちがいないが、竹生島《ちくぶしま》に世をすてて可愛御堂《かわいみどう》の堂守《どうもり》となる前までは、これでも、鬼柴田権六《おにしばたごんろく》の旗本《はたもと》で、戦塵裡《せんじんり》に人の生血《いきち》をすすりながら働きまわったおぼえもある菊村宮内《きくむらくない》。
「おのれ」
憤怒《ふんぬ》はついにかれの手を、脇差《わきざし》の柄《つか》にふれさせて、今にも、目にもの見せてくれんずと、ぶるぶると、身をふるわせた。
「おや、なんでえ、それは」
「べらぼうめ、物乞《ものご》いがそんな錆刀《さびがたな》なんぞをヒネクリまわしたところで、だれがしりごみするものか」
「さッ、でてこい、そとへ!」
「その錆刀の手うちを見てやろうじゃねえか」
宮内《くない》の血相《けつそう》には多少おどろいたが、多寡《たか》が地蔵《じぞう》さまを背負《せお》ってあるく鉦《かね》たたき、なんの意気地《いくじ》があるものかと、頭から見くびって、思うぞんぶん、唾《つば》をとばして罵詈《ばり》するので、いまはもう、あのやさしい宮内の形相《ぎようそう》も、血《ち》を見ねばしずまりそうもない殺気《さつき》を見せた。
だが。
かれはふと、そこへ蹴飛《けと》ばされてきた地蔵菩薩《じぞうぼさつ》のお像《すがた》に目をとめた。蹴《け》られても、足にかけられても、みじん、つねの柔和《にゆうわ》なニコやかさとかわりのない愛のお顔。
「あッ……」
かれは、刀の柄《つか》にかけた手を縛《しば》りつけられたように、よろよろと、うしろへ身を引いた。
「誓《ちか》いをわすれた……ああ、悪かった」
そうつぶやくと、殺気《さつき》の形相《ぎようそう》は一しゅんにさめて、かれの顔は地蔵《じぞう》のとうとい微笑《びしよう》に似《に》てきた。
「バカ野郎《やろう》め」とたんに、
「なにを寝言《ねごと》をいってやがるんでッ」
ひとりの男の拳骨《げんこつ》が、ガン! と頬骨《ほおぼね》のくだけるほど、宮内《くない》の横顔をはり飛ばした。
「さッ、でろ、でろッ、そとへ」
蹴《け》る、なぐる、突《つ》き飛ばす。
宮内は甘《あま》んじてぞんぶんになった。
踏《ふ》みつけられる土足《どそく》の下にも、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》と同じような微笑《びしよう》を失《うしな》ってはならないぞと自分の心を叱《しか》っていた。カッと、吐《は》きつけられた痰《たん》つばをも、かれは、おとなしくふいていた。
かれには誓っていたことがある。
武士《ぶし》をすてて竹生島《ちくぶしま》にかくれた時、そして、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の愛の旅《たび》に島《しま》をでたとき、かならず、終生刀《しゆうせいかたな》を抜《ぬ》くまいぞと心にちかった。
いまは乱世《らんせい》だ、血《ち》みどろの戦国である。
人は旅《たび》にある時も、町を歩《あゆ》むにも、家に寝《ね》ている間にも刀を肌身《はだみ》にはなせない世の中だ。
けれど、人に愛をおしえ、不遇《ふぐう》な子の友だちとなり、人に弓矢鉄砲《ゆみやてつぽう》いがいの人生を悟《さと》らせようと志《こころざ》している自分が、その刀をたのみにしたり、その殺生《せつしよう》をやったりしてはならない。どんなことがあっても、生涯《しようがい》刀は抜《ぬ》くまい、刀は差《さ》していても手をかけまい! 地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の愛の体得《たいとく》をけっしてわすれまい!
固《かた》くかたく、それを胸《むね》の誓《ちか》いとして、地蔵のみこころにむすびあわしている菊村宮内《きくむらくない》。
「げじげじめ」
「たわけ野郎《やろう》」
「ものもらい」
「ざまを見やがれ」
「くたばるまで蹴《け》ころがしてやれ」
寄《よ》ってたかってなぐりつける、息杖《いきづえ》や足蹴《あしげ》の下に、いつか神気朦朧《しんきもうろう》として空も見えなくなってしまった。
築城《ちくじよう》の縄取《なわど》り盗《ぬす》み
ここに六万五千人の人間が、地上に一|個《こ》の建築《けんちく》をもりあげるため、蟻《あり》のごとく土木《どぼく》に蝟集《いしゆう》している。
これが人間業《にんげんわざ》かとおどろかれるような巨城《きよじよう》。
もうあらかたできあがりに近づいて、秋晴《あきば》れの空に鮮《あざ》やかな建築線《けんちくせん》をえがきだしている。
なんとすばらしい城《しろ》だろう。その規模《きぼ》の大きなこと、ローマの古城《こじよう》をもしのぐであろうし、その工芸美《こうげいび》の結構《けつこう》はバビロンの神殿《しんでん》にもおとりはしない。
武将《ぶしよう》の居城《きよじよう》として、こんな大がかりなものは、まだ日本になかった。いや、当時《とうじ》、海外から日本にきていて、この工事《こうじ》を見聞《みき》きしたクラセとか、フェローのような、宣教師《せんきようし》でも、みな舌《した》を巻《ま》いて、その高大《こうだい》をつぶさに本国《ほんごく》へ通信していた。
そこは――摂州《せつしゆう》東成郡石山《ひがしなりごおりいしやま》の丘《おか》、すなわち、大坂城《おおさかじよう》の造営《ぞうえい》である。
城は本丸《ほんまる》、二ノ丸、三ノ丸にわかれ、中央《ちゆうおう》に八|層《そう》の天主閣《てんしゆかく》が聳《そび》えていた、二|重以下《じゆういか》は惣塗《そうぬ》りごめ、五|重《じゆう》には廻廊《かいろう》をめぐらし、勾欄《こうらん》には鳳龍《ほうりゆう》の彫琢《ちようたく》、千|畳《じよう》じきには七宝《しつぽう》の柱《はしら》、間《ま》ごとに万宝《ばんぽう》をちりばめてあおげば棟瓦《むねがわら》までことごとく金箔《きんぱく》。
大和川《やまとがわ》、淀川《よどがわ》の二|水《すい》をひいて濠《ほり》の長さを合計《ごうけい》すると三|里《り》八町とかいうのだから、もって、いかにその大《おお》げさな築城《ちくじよう》かがわかるであろう。
「ほウ、またきょうも、だいぶ大石《たいせき》が集《あつ》まってくるな」
と、秀吉《ひでよし》は、子供のようにごきげんがよい。
本丸《ほんまる》の庭先《にわさき》になる山芝《やましば》の高いところに床几《しようぎ》をすえこんで、浪華《なにわ》の入江《いりえ》をながめている。
派手《はで》な陣羽織《じんばおり》に、きらびやかな具足《ぐそく》。
服装《ふくそう》はりっぱだがからだの小さい秀吉、床几から立っても五|尺《しやく》せいぜいしかあるまい。それでいて、こんな大きな城をつくって、まだじぶんの住居《すまい》にはせまいような顔をしている。
片桐市正且元《かたぎりいちのかみかつもと》、床几のそばに膝《ひざ》をついて、
「さようでござります。今日《こんにち》の入船《にゆうせん》は大和の筒井順慶《つついじゆんけい》、和泉《いずみ》の中村孫兵次《なかむらまごへいじ》、茨木《いばらき》の中川藤兵衛《なかがわとうべえ》、そのほか姫路《ひめじ》からも外濠《そとぼり》の大石が入港《はい》ってまいりますはずで」
と、答えた。
「あの堺《さかい》のほうからくる船列《せんれつ》は?」
「三好秀次《みよしひでつぐ》からご寄進《きしん》の檜船《ひのきぶね》ではないかと思われます」
「小田原《おだわら》の北条《ほうじよう》からも、伊豆石《いずいし》の寄進をいたしたいと、奉行《ぶぎよう》ヘ申しいであったそうだな」
「家康《いえやす》どのからもご領地《りようち》の巨木《きよぼく》や人夫《にんぷ》、おびただしい合力《ごうりき》でございます」
「あはははは」
秀吉《ひでよし》はたわいのない笑《わら》い方をして、
「それではまるで、他人がこの城《しろ》を築《きず》いてくれるようなものだ。なぜだ? なぜそんなにして秀吉の住居《すまい》をみんなして作《つく》ってくれるのか」
と、いかにも空《そら》とぼけた質問《しつもん》をだして、そばにひかえている片桐《かたぎり》、福島《ふくしま》、脇坂安治《わきざかやすはる》など、ツイせんだって賤《しず》ケ岳《たけ》で七|本槍《ほんやり》の名をあげた若い人たちをかえりみたが、またすぐに床几《しようぎ》から腰《こし》を立てて、
「ウウム、壮観《そうかん》、壮観」
と、港《みなと》のほうへ小手《こて》をかざした。
そこから見ると――
大坂《おおさか》はまだ三|郷《ごう》とも、城下《じようか》というほどな町を形成《けいせい》していないが、急ごしらえの仮小屋《かりごや》が、まるで焼《や》けあとのようにできている。
そして、百川《ひやくせん》のすえに青々とすんだ浪華《なにわ》の海には、山陰山陽五畿東山《さんいんさんようごきとうさん》の国々から、寄進《きしん》の巨材大石《きよざいたいせき》をつみこんでくる大名《だいみよう》の千石船《せんごくぶね》が、おのおの舳先《へさき》に紋所《もんどころ》の旗《はた》をたてならべ、満帆《まんぱん》に風をはらんで、宛《えん》たる船陣《せんじん》をしながら、四方の海から整々《せいせい》と入江《いりえ》へさして集まってくる。
なるほど壮観《そうかん》だ。
秀吉《ひでよし》の目がほそくなる。わかわかしい希望《きぼう》の権化《ごんげ》のような顔にいッぱいな満足《まんぞく》がかがやく。
さきには、北《きた》ノ庄《しよう》を攻《せ》めて、一挙《いつきよ》に柴田勝家《しばたかついえ》の領地《りようち》を攻略《こうりやく》し、加賀《かが》へ進出しては尾山《おやま》の城《しろ》に、前田利家《まえだとしいえ》と盟《めい》をむすんで味方《みかた》につけた。
永《なが》いあいだ、なにかにつけてじぶんの前途《ぜんと》をさまたげていた勝家《かついえ》は自害《じがい》し、かれと策応《さくおう》していた信長《のぶなが》の遺子《いし》神戸信孝《かんべのぶたか》、勇猛《ゆうもう》佐久間盛政《さくまもりまさ》、毛受勝介《めんじゆかつすけ》、みな討死《うちじに》してしまった。
伊勢《いせ》の滝川一益《たきがわかずます》も、かぶとをぬいで降《くだ》ってくる。
破竹《はちく》の勢いとは、いまの秀吉のことであろう。京へ凱旋《がいせん》してのち、七|本槍《ほんやり》の連中《れんちゆう》をはじめ諸将《しよしよう》の下のものへまで、すべて、論功行賞《ろんこうこうしよう》をやったかれにはまた、朝廷《ちようてい》から、従《じゆ》四|位下《いげ》参議《さんぎ》に補《ほ》せらるという、位官《いかん》のお沙汰《さた》がくだる。
毛利《もうり》も人質《ひとじち》をだして和《わ》をねがう。
丹羽《にわ》、前田も、あまんじて麾下《きか》にひざまずく。
こうなると、ひそかに虎視眈々《こしたんたん》としていた徳川家康《とくがわいえやす》も、いきおいかれのまえに意地《いじ》を突《つ》ッぱってはいられないので、石川数正《いしかわかずまさ》を戦捷《せんしよう》の使者に立てて贈《おく》りものをしてくる。
秀吉はそこで、
(人間てものは、まあ、そんなものサ)
というような顔をしていた。
そして、遠《とお》く走《は》せていた目を、すぐ真下《ました》の作事場《さくじば》――内濠《うちぼり》のところにうつすと、そこには数千の人夫《にんぷ》や工匠《こうしよう》が、朝顔《あさがお》のかこいのように縦横《たてよこ》に組《く》まれた丸太足場《まるたあしば》で、エイヤエイヤと、諸声《もろごえ》あわせて働いているのが見られた。
「市松《いちまつ》」
とつぜん、かれは床几《しようぎ》になおって、
「また使者が見えたぞ」といった。
「おう、さようで」
と、福島市松《ふくしまいちまつ》も加藤孫一《かとうまごいち》も、みな主君《しゆくん》の指《ゆび》さすところへ目をやった。
見ると、なるほど、戦場《せんじよう》のようにこんざつしている桜門《さくらもん》の方角《ほうがく》から、ひとりの武将《ぶしよう》がふたりの従者《じゆうしや》をつれ、作事奉行《さくじぶぎよう》筒井伊賀守《つついいがのかみ》の家臣《かしん》の案内《あんない》にしたがって、こっちへ向かってくるすがたが小さく見える。
「いかにも見えまするなあ」
と孫一がいうと、片桐市正《かたぎりいちのかみ》が、
「お上《かみ》はお目がよくておいで遊《あそ》ばす」
と賞《ほ》めあげた。
秀吉《ひでよし》は、そうさ! といわないばかりに胸《むね》をそらして、
「おろかなこと、この秀吉の目には、日本のはてまで見えておる」
笑《わら》いながら見得《みえ》を切った。
かりに本丸《ほんまる》をかためている作事門《さくじもん》の柵《さく》ぎわへ、その使者と筒井《つつい》の家臣《かしん》とがきた。
「お開《あ》けください」
「だれだ!」
番士《ばんし》は具足《ぐそく》、真槍《しんそう》、鉄砲《てつぽう》、すこしも戦時とかわらない。
もっとも、作事奉行《さくじぶぎよう》も棟梁《とうりよう》も工匠目付《こうしようめつけ》も、四方にかけあるいている使番《つかいばん》もすべて上《かみ》は鎧装陣羽織《がいそうじんばおり》、下《しも》は小具足《こぐそく》、ことに人夫《にんぷ》を使っているものなどは抜刀《ばつとう》をさげて指揮《しき》しているありさま。
(怠《なま》けるものは斬《き》る)
これが築城場《ちくじようば》の宣言《せんげん》だ。
したがってここの空気は、賤《しず》ケ岳《たけ》、柳《やな》ケ瀬《せ》の合戦《かつせん》の緊張《きんちよう》ぶりとすこしもかわっていないのである。
「――作事奉行、筒井伊賀守《つついいがのかみ》の家臣《かしん》、猪飼八兵衛《いがいはちべえ》」
と大声で答える。
「門鑑《もんかん》」
「いやお送《おく》りでござる――徳川《とくがわ》どののお使者」
「徳川家《とくがわけ》の使者? して何名《なんめい》」
「永井《ながい》信濃守《しなののかみ》尚政《なおまさ》と、つきそい両名《りようめい》」
「そのものは?」
「水野源五郎《みずのげんごろう》」
「ウム、徳川殿《とくがわどの》のお旗本《はたもと》でござるな。もう一名は」
「菊池半助《きくちはんすけ》」
「それだけでござるか」
「さよう」
「ごくろうでござッた」
案内《あんない》の猪飼八兵衛《いがいはちべえ》はかけもどって、送《おく》りこまれた徳川家《とくがわけ》の家臣《かしん》三名、槍《やり》ぶすまの間をとおってひかえ所《じよ》に待たされた。
やがてそれを、秀吉《ひでよし》のところへ知らせると、かれはもう心得《こころえ》ていて、福島市松《ふくしまいちまつ》に出迎《でむか》えを命《めい》じる。
市松はガチャッ、ガチャッと歩くたびに陣《じん》太刀《だち》が具足《ぐそく》をたたく音をさせながら、巨石《きよせき》でたたみあげた石段《いしだん》をおりてきて、
「遠路《えんろ》浜松城《はままつじよう》からおこしのお使者、ごくろうです。福島市松ご案内申《あんないもう》しあげる。こちらへ」
うしろへ目くばせすると、かれが無二《むに》の家来《けらい》可児才蔵《かにさいぞう》、
「いざ」
と三名のうしろについて、主人と首尾《しゆび》をつつんで秀吉《ひでよし》のいる本丸《ほんまる》の庭手《にわて》へあがっていった。
(はてな?)
そのとちゅうで可児才蔵《かにさいぞう》は、自分の目のまえに立ってゆく、少しちぢれ毛《げ》のある男の襟《えり》もとを見つめながら、
(はて……どこかで見たことがある)
いくども首をひねって考えたが、どうも思いだすことができない。
徳川家《とくがわけ》の使者《ししや》についてきた侍《さむらい》、横顔《よこがお》をさしのぞくのも無礼《ぶれい》であるし、疑念《ぎねん》のあるものをやすやすと、主君の前へ近づけるのはなおのこと不安《ふあん》なはなし。
で――作事門《さくじもん》からついてきた番士《ばんし》に、ソッと耳をよせてきいてみると、
「あの方《かた》ですか。あれはただいまたしか、菊池半助《きくちはんすけ》とか名のりました」
「えッ、菊池?」
そうだ!
それで可児才蔵にも思い起すことができる。かれは徳川家の伊賀衆隠密組《いがしゆうおんみつぐみ》の組頭《くみがしら》で、かつて富士《ふじ》の人穴城《ひとあなじよう》へ、じぶんが主命《しゆめい》でようすをさぐりにいったとき、はじめてその名を知った男だ。
(これはいけない! 油断《ゆだん》のならない使者のお供《とも》だ)
かれがそう思いあたった時には、もう、秀吉のまえにきて、一同|横列《おうれつ》になっていた。
秀吉《ひでよし》は、ヤアと友だちを迎《むか》えるようにして、はなはだかんたんに、来意《らいい》をきく。
けれど、いくらかんたんにされても、なれなれしくあつかわれても、ひとりでに使者のからだは固《かた》くなってヤアに対《たい》して、オウというような円滑《えんかつ》なへんじはできないで、
「左少将《さしようしよう》さまにはいつもながら、ますますご健勝《けんしよう》のていに拝《はい》せられまして、かげながら主人家康《しゆじんいえやす》も祝着《しゆうちやく》にぞんじあげておりまする」
などと形式《けいしき》ばると、
「いや、ありがとう」
秀吉はたいへんやさしい声で、
「体《からだ》はせわしいおかげでますます健固《けんご》、また、諸侯《しよこう》ご寄進《きしん》のおちからで、どうやらわしの寝所《ねどこ》もこのとおりできかかっている」
使者の永井《ながい》信濃守《しなののかみ》は、肚《はら》のうちでひそかにあきれた。
(秀吉はウソばかりいっている。なんでこんな巨《おお》きな城《しろ》が寝所《ねどこ》なもんか、これはやがて、四国《しこく》九州《きゆうしゆう》はおろか、東海道浜松《とうかいどうはままつ》も小田原《おだわら》も、一呑《ひとの》みに併呑《へいどん》しようとする支度《したく》じゃないか)
そう考えたが、口にはだせない。
秀吉は人の考えなどにはとんじゃくしないふうで、いよいようち解《と》けたようすになって床几《しようぎ》をすすめ、
「時に、ご来意《らいい》は?」
「はッ」
信濃守《しなののかみ》は、よそごとに散《ち》らしていた頭脳《あたま》を醒《さ》まして、
「ほかではございませんが」
「ウム」
「くわしくは主人の書状《しよじよう》につくしてござりますが、口上《こうじよう》をもって一通《ひととお》りお願い申しあげまする。それは」
「ウム」
「余事《よじ》ではございませんが、毎年、武田家《たけだけ》の行事《ぎようじ》として行われてまいりましたところの、武州御岳《ぶしゆうみたけ》における兵法大講会《へいほうだいこうえ》の試合《しあい》の儀《ぎ》」
「ウム、ウム」
「勝頼《かつより》すでに亡《ほろ》び、甲斐《かい》の領土《りようど》は主人家康《しゆじんいえやす》の治下《ちか》とあいなっております」
「いかにも」
「そこで旧武田家《きゆうたけだけ》の政弊悪政《せいへいあくせい》はこのさいつとめて廃《はい》しまするが、兵法奨励《へいほうしようれい》の御岳大講会《みたけだいこうえ》の行事《ぎようじ》だけは、なんとか保存《ほぞん》いたしたいと考えて、昨秋《さくしゆう》も形《かたち》ばかりはやりましたが、当時《とうじ》諸国紛端《しよこくふんたん》の折から、まことに思わしゅうございませんでした」
「大きに、ああいう尚武《しようぶ》のふうはぜひのこしておきたい」
「で、本年は、甲府《こうふ》の代官《だいかん》大久保長安《おおくぼながやす》にその総奉行《そうぶぎよう》を命《めい》じ、支度《したく》ばんたん、力をつくしておこないたいと考えますゆえ、ぜひご当家《とうけ》よりも、当日の大講会に何人《なんぴと》かご参加《さんか》くださるようにと、わざわざおすすめに、イヤ、お願いにまいったようなわけでござります」
「なるほど」
張合《はりあ》いのないくらいかんたんにうなずいて、
「だれかつかわすであろう」
といったが、秀吉《ひでよし》、またちょっと考えて、
「だが待てよ……御岳《みたけ》の大講会《だいこうえ》ともうすと、なにさま天下の評判《ひようばん》ごと、秀吉の家来《けらい》がまけてもこまるな」
「いや、けっして」
「当日《とうじつ》、兵法試合《へいほうじあい》のうち、軍学大論議《ぐんがくだいろんぎ》のあることは、あれから甲州流《こうしゆうりゆう》の陣法《じんぽう》が生まれたというくらい有名《ゆうめい》なものだが、そのほか、武道《ぶどう》の試合《しあい》としては、なんとなにか?」
「あえて、それに限《かぎ》りをもうけませぬ」
「うむ、そうか」
「たとえば、武道《ぶどう》の表芸《おもてげい》、弓術《きゆうじゆつ》、剣法《けんぽう》はもちろんのこと、火術《かじゆつ》、棒術《ぼうじゆつ》、十手術《じつてじゆつ》、鎖《くさり》、鉄球《てつきゆう》、手裏剣《しゆりけん》の飛道具《とびどうぐ》もよし、あるいは築城《ちくじよう》の縄取《なわど》りくらべ、伊賀甲賀《いがこうが》の忍法《しのびほう》も試合にいれ、かの幻術《げんじゆつ》と称《しよう》する一派《いつぱ》の技《わざ》でも、自信のあるものは立合《たちあ》いをゆるすつもりでございます」
信濃守《しなののかみ》がしゃべっていると、丁《ちよう》ッ、と秀吉よこ手を打って、
「いや、なかなかおもしろそうだな」
と、話のさきを折ッぺしょった。そして、
「ほんとうは、この秀吉が若ければ、自分ででかけたいところなのだが、まさか、そうもなるまい。イヤ、お使者の口上《こうじよう》あいわかった。いずれ当日《とうじつ》までにだれか人選《じんせん》して武州《ぶしゆう》へつかわすであろう。家康《いえやす》どのによろしくご返事を。どれ、一ツ外濠《そとぼり》の作事《さくじ》を見まわろうか」
陣羽織《じんばおり》をきらめかせて立ちあがった。
信濃守《しなののかみ》も目礼《もくれい》して宿所《しゆくしよ》へかえる。
ところがその翌日《よくじつ》、秀吉は木の香《か》のあたらしい本丸《ほんまる》の一|室《しつ》へ、福島市松《ふくしまいちまつ》をひとりだけ呼《よ》んで、
「いかんわい」
と、おもしろくない顔をしてつぶやいた。
「なんでいけませんか」
市松にはわからない。
秀吉はときどき、尾張《おわり》の中村《なかむら》で村の餓鬼大将《がきだいしよう》だった時代のような言葉づかいを、ちょいちょいつかう。
もっともそれは、当時《とうじ》からの腕白仲間《わんぱくなかま》の鍛冶屋《かじや》の虎之助《とらのすけ》や桶屋《おけや》の市松などと、さしむかいでいる時にかぎってはいたが。
で――いまもその市松とふたりきりで対坐《たいざ》していたので、
「いかんぞ、いかんぞ、ゆだんもスキもなりはしない。まだすっかりできあがらぬうちに、この大坂城《おおさかじよう》の縄取《なわど》り構造《こうぞう》を浜松《はままつ》の狸《たぬき》めが盗《ぬす》みおった」
と、水瓜《すいか》ばたけへ泥棒《どろぼう》がはいったように、口をひんまげて考えこんだ。
ひとり探《さが》す子・ふたりの子
この摂津《せつつ》の要害《ようがい》へ金城鉄壁《きんじようてつぺき》をきずかれたのは、たしかに家康《いえやす》のほうにとってありがたくない目の上のこぶにはちがいない。
しかし、その家康が、いつこの大坂城の縄取《なわど》りをぬすんだというのか、福島市松《ふくしまいちまつ》には主君のいうことがさっぱり解《げ》せないふうで、へんな顔をしてきいていた。
「わからないと申すか、はてさて、魯鈍《ろどん》な頭よな」
と、秀吉《ひでよし》は、説明してやった。
「武州御岳《ぶしゆうみたけ》の兵法大講会《へいほうだいこうえ》についてわざわざ鄭重《ていちよう》に使いをよこしたのは、すこし妙《みよう》なと考えていたが、あれはの市松《いちまつ》、やっぱり家康めの策《さく》であった」
「ほう、ではかれの策略《さくりやく》なので」
「というほどのことでもないが、まア用達《ようた》しのついでだな、転《ころ》んでもただは起きないのが、あの男のもちまえ、きのうの使者三名のうちに、ひとり隠密《おんみつ》の達者《たつしや》なやつをまぜてよこした」
「伊賀者《いがもの》を使者の人数にまぜてよこすは非礼千万《ひれいせんばん》、どうしてそれがおわかりになりましたか」
「昨夜|作事門《さくじもん》をのり越えて、本丸、二ノ丸のようすをうかがっていたやつがある。しかし、この方《ほう》にもすきがなかったので、じゅうぶん図面《ずめん》をうつしとることもできず、風のごとく逃《に》げうせたから、定《さだ》めし遠州《えんしゆう》の使者も宿所《しゆくしよ》をはらって、けさは早朝に帰国したのであろう」
「はてな、さようでございましょうか」
「魯鈍《ろどん》、魯鈍、そちはこんなにくわしく話されてもまだ感づかないのか」
「でも、あまりふしぎに思われますので」
「なにがふしぎ」
「お上《かみ》には昨夜ご酒宴《しゆえん》で、いたくお酔《よ》いあそばしました」
「ウーム、よいきげんだった」
「拙者《せつしや》はつぎの宿直《とのい》の間《ま》にひかえておりましたが、鼾声雷《かんせいらい》のごとく、夜明けまでお目ざめのようすもなかったのに、なんとしてそんなことがおわかりでございましょうや」
「ウム、一理《いちり》あるな、ではじつを申さねばなるまい、まことは昨夜その伊賀者《いがもの》の潜入《せんにゆう》を知ったのはかの源次郎《げんじろう》が働きじゃ」
「源次郎と申しますと?」
「お、家臣《かしん》の者ではないから、そちはまだ知らぬとみえる。かの信州上田城《しんしゆううえだじよう》から質子《ちし》としてきている真田昌幸《さなだまさゆき》のせがれ源次郎がことじゃ」
「それなら、うわさにうけたまわっております」
「で――こんどの兵学大講会《へいがくだいこうえ》だが、その真田源次郎、まだ二十歳《はたち》にならぬ若年《じやくねん》ものとはいえ、父昌幸、兄|信幸《のぶゆき》にもまさる兵学者《へいがくしや》、一つあれをやろうと思うがどうだ」
「よろしかろうとぞんじます」
「それに加《くわ》えて、そちの家来《けらい》可児才蔵《かにさいぞう》」
と、秀吉《ひでよし》はじゅんに指《ゆび》を折りだして、
「虎之助《とらのすけ》のかわいがっておる井上大九郎《いのうえだいくろう》、この三名をつかわそう。日もはやせっぱくしておることゆえ、すぐ出立《しゆつたつ》させるがよい」
豊臣家《とよとみけ》の代表者《だいひようしや》として、御岳《みたけ》の兵法大講会に参加《さんか》する命《めい》がくだって、可児、井上、真田の三|士《し》が大坂表《おおさかおもて》を発足《ほつそく》したのは、その翌々日《よくよくじつ》のことだった。
山崎《やまざき》の合戦《かつせん》で敵《てき》の生首《なまくび》を笹《ささ》にとおしてかけあるくほどはたらいて、笹の才蔵といいはやされた可児。
壮漢《そうかん》木村又蔵《きむらまたぞう》とならんで、加藤《かとう》の龍虎《りゆうこ》といわれている井上大九郎。
それについていった真田源次郎というのは、ついこのあいだ信州から質子として大坂へきたばかりの田舎者《いなかもの》、いたって無口《むくち》で、年も他のふたりよりは若く、ながい道中《どうちゆう》も、ただむッつりとして歩《ある》いているが、秀吉《ひでよし》の犀眼《さいがん》が、はやくも見こんでいるとおり、後年|太閤《たいこう》が阿弥陀峰頭《あみだほうとう》の土と化《か》してのち、孤立《こりつ》の大坂城《おおさかじよう》をひとりで背負《せお》って、関東《かんとう》の老獪将軍大御所《ろうかいしようぐんおおごしよ》の胆《きも》をしばしば冷《ひ》やした、稀世《きせい》の大軍師《だいぐんし》真田幸村《さなだゆきむら》とは、まったくこの源次郎だったのである。
だが、のちの大軍師幸村《だいぐんしゆきむら》も、この時はまだ才蔵《さいぞう》よりも大九郎よりも後輩《こうはい》であったし、上田城《うえだじよう》の城主昌幸《じようしゆまさゆき》の子とはいいながら、質子《ちし》としてきている身分《みぶん》なので、なにかにつけて肩身《かたみ》がせまい。
大九郎は大酒家《たいしゆか》で、道中もときどき源次郎に世話《せわ》をやかせてテコずらした。
才蔵は御岳《みたけ》につくまで、じゅうぶん腕《うで》をきたえておこうというので宿《やど》へつくと稽古槍《けいこやり》を借《か》りて、源次郎をワラ人形《にんぎよう》のように突《つ》きたおす。
太刀《たち》を持っては大九郎にかなわず、槍をとっては才蔵に向かえなかった。それでも源次郎は謙遜無口で、よく大九郎のめんどうをみたり、才蔵に槍の教えをうけたりしながら、順路《じゆんろ》東海道《とうかいどう》の旅《たび》をはかどっていた。
浜松《はままつ》の城下《じようか》へついた晩《ばん》、
「一つ皮肉《ひにく》に、せんだって使者にまじってきた、菊池半助《きくちはんすけ》をたずねて、一晩泊《ひとばんと》めてくれと申《もう》しこんで見ようじゃないか」
大九郎の発意《ほつい》で、いたらこの間《あいだ》のことを揶揄《やゆ》してやろうぐらいな考え、伊賀組《いがぐみ》の屋敷《やしき》へおしかけていってみたが、
「運《うん》のいいやつめ」
と、大九郎《だいくろう》は門前《もんぜん》から苦笑《くしよう》しながらもどってきた。
もう菊池半助《きくちはんすけ》も、家中《かちゆう》の人々とともに、武州御岳《ぶしゆうみたけ》へ発足《ほつそく》していて留守《るす》だった。
やむなく町へでて、ぶらぶら旅籠《はたご》をさがしていると、
「おや、可児才蔵《かにさいぞう》さまじゃござんせんか」
と前にかがんで、なれなれしく人の顔をのぞきこんだ町人《ちようにん》がある。
「だれだ、その方《ほう》は」
「お忘れですかい、わっしゃあ裾野《すその》でお目にかかったことがあります。へい、一ばん最初は釜無川《かまなしがわ》の河原《かわら》でね」
「釜無川の河原で?」
「さようでございます。あの時あなたは、鳥刺《とりさ》しの風《ふう》ていで人穴城《ひとあなじよう》をご見物《けんぶつ》にいらっしたんでがしょう。忘れやしません、わっしが河原で竹童《ちくどう》を取ッちめていると、そこへ飛んできて、ひどい目にあわせなすったじゃございませんか」
「おお、そうか」
「やっと思いだしましたね」
「それではきさまは、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の手下《てした》、早足《はやあし》の燕作《えんさく》だったか」
「その燕作でございますよ、どうも旦那《だんな》、お久《ひさ》しぶりで……むかしは敵《てき》だの味方《みかた》だのといっていましたが、いまはやっと、だいぶ天下もしずまりましたし、人穴城《ひとあなじよう》は焼《や》けっちまうし、家康《いえやす》さまと秀吉《ひでよし》さまも、仲《なか》よくつき合っているご時世《じせい》ですから、こちとらなどは、なんの怨《うら》みもくそもありゃしません」
「そうだが、このさきはわからないが、とにかくいまのところでは天下|平静《へいせい》、御岳《みたけ》の兵学大講会《へいがくだいこうえ》も、今年は定《さだ》めしにぎわしかろう」
「お、じゃ、旦那方《だんながた》もおでかけですか」
「なにも能《のう》はないが、見物《けんぶつ》にな」
「ごじょうだんでござんしょう」
燕作《えんさく》はイヤな笑《わら》いかたをして、
「おととい、呂宋兵衛《るそんべえ》もあちらへでかけましたよ」
「ほう、あれもまいったか」
「家康《いえやす》さまのおさしずで、当日《とうじつ》は、南蛮流《なんばんりゆう》の幻術《げんじゆつ》を公開《こうかい》してみせるそうで」
「あの、蚕婆《かいこばばあ》はその後《ご》いかがいたしたな」
「あいかわらず、達者《たつしや》なもんでございますよ、ただ裾野《すその》にいたころとすこしちがってきたのは、呂宋兵衛にかぶれて、女|修道者《イルマン》のくろい着物《きもの》をきているぐらいなもンでげす」
「おまえはゆかないのか」
「わっしでございますか……」
と燕作はあたまに手をのせて――。
「わっしはまだごゆるりとあとからでかけますつもりで」
「そうゆうゆうと落ちついていると、もう試合《しあい》の当日《とうじつ》に間《ま》にあわなくなるぞ」
「なアに大丈夫《だいじようぶ》、これでごンす」
と、燕作《えんさく》は足の膝《ひざ》ぶしをピッシャリとたたいて、
「孫悟空《そんごくう》じゃござんせんが、早足《はやあし》の燕作、一番あとからかけつけましても、こういう筋斗雲《きんとうん》がございますから……へへへへことによると、あとからいって、いずれあちらでわっしの方がお待ちするようなことになるかも知れませんて。……へい、じゃあごきげんよろしゅう、さようなら」
と、横町へかけこんだ。
織田《おだ》と今川《いまがわ》のほろびた後《のち》は、家康《いえやす》の領地《りようち》ざかいは小田原《おだわら》の北条氏直《ほうじよううじなお》ととなり合って、碁盤《ごばん》の石の目をあさるように武州《ぶしゆう》甲州《こうしゆう》上州《じようしゆう》あたりの空地《あきち》をたがいに競《せ》りあっている。
その小田原でも、御岳《みたけ》のうわさはたいへんなものだ。
徳川家《とくがわけ》からでる和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》がきのう箱根《はこね》をとおった。お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》の連中《れんじゆう》がうつくしい行列《ぎようれつ》で練《ね》りこんでいった。菊池半助《きくちはんすけ》がいった。やれだれがとおった。なんのなにがしもくりこんでいったと、小田原城《おだわらじよう》の若ざむらいは血《ち》をわかしていた。
なんにつけても氏直は、いま、四|隣《りん》へ虚勢《きよせい》を張《は》っているところだ。
「当家《とうけ》の武芸《ぶげい》のほどをしめしてやれ」
と、これは秀吉《ひでよし》よりも大のり気で、すでに城内《じようない》で数度《すうど》の下試合《したじあい》をやらせたうえ、家中《かちゆう》から選抜《せんばつ》して武芸者《ぶげいしや》十名、鎖《くさり》帷子組《かたびらぐみ》となづけてめいめいにおなじよそおいをさせ、応援《おうえん》として若ざむらい百二十人をそえ、示威《じい》どうどうとして、足柄裏街道《あしがらうらかいどう》から甲州路《こうしゆうじ》をぬけて、武州御岳《ぶしゆうみたけ》へ参加《さんか》することになった。
「ほう、あれや小田原《おだわら》の北条《ほうじよう》だな」
その人数と、ちょうど位牌《いはい》ケ岳《たけ》の追分《おいわけ》でぶつかった井上大九郎《いのうえだいくろう》、つれのふたりをかえりみて、
「戦《いくさ》にはあまりつよくない連中《れんじゆう》だから、せめて試合《しあい》に勝とうというんだろう」
大口《おおぐち》をあいて笑《わら》いながらいった。
「よせよせ、大九郎」
才蔵《さいぞう》は、道ばたに寄《よ》って、その人数をわざとやり過《す》ごしてから、
「大きな声をすると聞えるじゃないか」
「聞えたって、なあに、かまうもんか。なにかいったら賤《しず》ケ岳《たけ》で、すこし食《く》い足《た》らなかった腰《こし》の刀《もの》に、生血《いきち》を馳走《ちそう》させてやるさ」
「すぐそんな気になってはこまる。こんどの御岳はただの武者修行《むしやしゆぎよう》やなにかとちがう。豊臣家《とよとみけ》のおん名《な》をいただいてまいったことだから、もうすこし自重《じちよう》してくれよ。え、大九郎」
と、可児才蔵《かにさいぞう》が肩《かた》をならべてゆきながら、酒《さけ》の匂《にお》いのたえない井上大九郎に、しきりと意見《いけん》していた。
いつもおとなしいのは真田源次郎《さなだげんじろう》。
ふたりの振分《ふりわけ》まで自分の肩《かた》に持ってやって、もくもくとあるき、もくもくとあたりの山をながめ、時には立ちどまって、地理|山川《さんせん》をふところ紙《がみ》にうつしている。
さすが後年《こうねん》九度山《くどやま》に身をかくしても、隠然《いんぜん》天下におもきをなした大軍師幸村《だいぐんしゆきむら》、わかい時から人の知らない心がけがあった。
ほどもなく、この人々も、小田原《おだわら》の人数も、甲州本街道《こうしゆうほんかいどう》を迂回《うかい》して、岩殿山《いわどのやま》に武田家滅亡《たけだけめつぼう》のあとをとむらいながら、御岳《みたけ》へ、御岳へ、と近づいていった。
御岳ののぼり口には、いくつもの小屋や厩《うまや》や湯呑所《ゆのみじよ》などが建《た》っていた。いま山は紅葉《もみじ》のまっさかりで、山腹山上《さんぷくさんじよう》、ところどころに鯨幕《くじらまく》やむらさき|だんだら染《ヽヽヽヽぞめ》の陣幕《じんまく》が、樹間《じゆかん》にひらめいて見える。
「伊達《だて》家諸士控所《けしよしひかえじよ》」
「上杉家諸士溜場《うえすぎけしよしたまりば》」
「北条家休息小屋《ほうじようけきゆうそくごや》」
「徳川家家臣寄合場《とくがわけかしんよりあいば》」
などとその小屋にはいちいち木札《きふだ》がうってあって、各所《かくしよ》ものものしいありさま、すでに明日《あす》とせまってきた大講会広前《だいこうえひろまえ》の試合《しあい》のしたくやなにかに活気《かつき》だっていたが、いま、天下|大半《たいはん》のあるじ、豊臣家《とよとみけ》にはなんのしたくもなく、見物《けんぶつ》にまじってぶらりとやってきた三名は、さしずめ、そこらの樹《き》のしたに蓙《ござ》でもしいて一晩《ひとばん》明かすよりほかにしかたがない。
麓《ふもと》のすこし手まえにある御岳《みたけ》の宿《しゆく》の町中《まちなか》も、あしたから三日にわたる山上《さんじよう》の盛観《せいかん》をみようとする諸国近郷《しよこくきんごう》の人々が、おびただしく入《い》りこんできていて、どこの旅籠《はたご》も人であふれ、民家《みんか》の軒《のき》に戸板《といた》をだして、そこに野宿《のじゆく》をする覚悟《かくご》のものが幾組《いくくみ》となく見うけられた。
カアーン、カアーン
鉦《かね》をたたきながら、そこを通る地蔵行者《じぞうぎようじや》があった。
足でもいためているのか、笈《おい》を背負《せお》っているその地蔵行者は右の足でびっこをひいていた。
すこし歩いては休《やす》み、すこしあるいては休みして、
カアーン、カアーン……と行乞《ぎようこつ》の鉦をあわれげにたたく。
「まだおからだがお痛《いと》うございますか」
こういって、いたいたしげに行者の足をみたのは、道づれになっている女の巡礼《じゆんれい》――坂東《ばんどう》三十三ヵ所《しよ》の札《ふだ》を背《せ》なかにかけた女房《にようぼう》である。
「いいや、もうたいしたことはございません」
菊村宮内《きくむらくない》はさびしく笑《わら》って、
「おまえさんこそ、きょうはだいぶ歩きましたから定《さだ》めしつかれたであろうと、さっきから休《やす》み場所《ばしよ》をさがしているが、どうも、たいへんなこんざつで……」
「ご心配《しんぱい》くださいますな、けっして、わたしはなんともありゃしませんで。ハイ、行者《ぎようじや》さまわたしはきのうのことを思いますと世の中には、ありがたいお人もあるものと思わず涙《なみだ》がこぼれてしようがありません」
「なにをいいなさる。あれしきのこと」
「わたしの難儀《なんぎ》の身代《みがわ》りになって、あの人足《にんそく》たちに、打たれるやら、蹴《け》られるやら、それでも、おまえさまは手出《てだ》しもせず、ジッとがまんしていなすったから、とうとう気絶《きぜつ》してしまいなされた」
「それでも、死ななかったのは、お地蔵《じぞう》さまのお加護《かご》です」
「わたしの眼から見ますと、あなたさまのおからだに、あの時、後光《ごこう》がさしていたようでした」
「とんでもない、わたしはくだらない凡人《ぼんじん》ですよ」
世間《せけん》に鬼《おに》はない。
いまもふたりが立ち話をしていたごとく、その男女のすがたを見かけると、とある町家《まちや》の軒下《のきした》から、
「もしもし、お地蔵《じぞう》さん、ここへきてやすみなさいよ」
と、しんせつにいってくれるものがある。
「ありがとうぞんじます」
ふたりはていねいに腰《こし》をかがめてそこへはいり、笈《おい》をおろして茶《ちや》の馳走《ちそう》になった。
ここにも、明日《あす》の御岳見物《みたけけんぶつ》がどっさり話し合っていた。が、なにかの雑談《ざつだん》の端《はし》から、身の上をきかれて、女巡礼《おんなじゆんれい》は涙《なみだ》をうかべながらうつ向いてしまった。
菊村宮内《きくむらくない》は、きのうはからず阿弥陀街道《あみだかいどう》の茶店《ちやみせ》で、この女房《にようぼう》がわるい街道人足《かいどうにんそく》に迫害《はくがい》されているのをみかけて助けたことから、ここへくるまでのみちみちに、その身の上を聞いたので、
「わたしが代《かわ》って――と申しては、まことにさしでがましいようでござるが、なるべく多くの人さまに、聞いていただいたほうが、この方《かた》のため、ぞんじているだけをお話しいたしますが」
と、人なかでは、口のきけない巡礼の女房にかわって、
「じつはこの女《ひと》は、甲州《こうしゆう》の水晶掘《すいしようほ》りの女房で、お時《とき》といいますが、わけがあって自分のひとりの児《こ》をたずねあるいておるんです」
「へえ、子供をね……ふうむ……それやかわいそうなこった」
「どこかに、生きていれば十四、五になる男の児、おさない時に、伊勢参《いせまい》りのとちゅうではぐれたままなので、なんの証拠《しようこ》もなさそうですが、たッた一つ……」
「ふム、ふム」
と、一同の目は、お時《とき》と宮内《くない》にあつまった。
「――たッた一つある手がかりは、その児《こ》の背《せ》なかに、お諏訪《すわ》さまの禁厭《まじない》というてすえた、大きな虫の灸《きゆう》のあとがあることだけです」
「なるほど、背《せ》なかにお諏訪《すわ》さまの灸のあとがあれば、なんとか、いまに見つかるでしょう、あの灸点《きゆうてん》は甲府《こうふ》の近郷《きんごう》でやっているほか、あまり他《ほか》の国にはあんな大きな灸《きゆう》は見ないからの」
「まア、力をおとしなさんな」
「坂東《ばんどう》三十三ヵ所《しよ》の功力《くりき》でも、いまにきっと見つかりますよ」
と、郷土《ごうど》の人たちのことばは温《あたた》かく、わずかな金《かね》をさいて合力《ごうりき》したり、握《にぎ》り飯《めし》をとって茶《ちや》をついでくれたりして、なぐさめてくれているうちに、いつか話がそれて、だれも気がつかないすきまだった。
宮内《くない》にもだまって、巡礼《じゆんれい》のお時は、そこの軒下《のきした》から走りだしていた。
そして、さきへひとごみを追《お》いながら、せまい宿場《しゆくば》の人ごみを縫《ぬ》ってゆく。
「あの子じゃないかしら?」
と、お時は、さきへゆくひとりの少年をつけてゆくのだった。
いつも、それではあとでがっかりするが、ちょうど思うころの年ごろの少年を見ると、お時は、どうしても、あとを追わずにはいられない。
「あの子かしら?」
と思うと、その顔も、死んだおやじに似《に》ているように見えてくるし、いまにもニッコリふりかえって、
「あッ! おッ母《か》さん!」
と飛びついてきやしまいかと思われるのだった。
「ああ、足が早い、足が早い、まあなんて足が早い子なんだろう。ちょっと、こっちをふり向いて、わたしに横顔《よこがお》でも見せてくれればいいのに」
捨《す》ててきた宮内《くない》が心配《しんぱい》していることも、いまはすっかり忘《わす》れてしまった。
――とも知らずに、さきへゆくのは十五、六の|なり《ヽヽ》の大きな腕白小僧《わんぱくこぞう》。
ピキ、ピッピキ、トッピキピー
木《こ》の葉笛《はぶえ》をくちびるに当《あ》てて、しきりと奇妙《きみよう》きてれつなちょうしで大人《おとな》をおどかしてゆく。
どこかへ買物《かいもの》にいってきたものとみえて、片《かた》ッぽの手にふろしきをさげている。そのふろしきがほとんど手にあるのを忘れて、
ピキ、ピッピキ、トッピキピー
木の葉笛で元気がいい。
「ああ、あれが自分の子だったら、どんなだろう」
お時《とき》も夢中《むちゆう》で追《お》いかけた。
そして、女の足では苦《くる》しいほどいそいで、やっとうしろから追いつきかけたお時《とき》は、横へまわるように馳《か》けぬけて、その少年の横顔《よこがお》をのぞきこんだ。
――見ればあまりいい顔だちではない。すこしばかり青い鼻汁《はなじる》をたらしかけている。けれど、お時の目には、やっぱり死んだおやじに似《に》ていた。
なんとかして、話しかけてみたい。
こんどはその気持につりこまれて、また見えがくれにつけていった。
「ちぇッ、ずいぶんありゃアがるな、宿《しゆく》から麓《ふもと》までは」
四ツ辻《つじ》でそういって、木《こ》の葉笛《はぶえ》ですこし|かッたる《ヽヽヽヽ》くなった歯《は》ぐきを、頬《ほお》の上からもんでいるところを見ると、それは鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》のお供《とも》でこの御岳《みたけ》へきて、ゆうべから麓《ふもと》の小屋に泊《と》まっている泣き虫|蛾次郎《がじろう》。
「そうだ……」
なにがそうなのか、ひとりでコックリして、
「バカバカしいや、いまから帰ったって、また蛾次郎足をもめの腰《こし》をさすれのと、師匠《ししよう》にスリコ木《ぎ》みたいにこき使われちゃまいってしまう。どこかですこし、うまい道草はねえかしらなあ」
ピキピッピッキ、トッピッピである。
そこで蛾次郎は四ツ辻をうろうろまわって、なにか見世物小屋《みせものごや》でもないかと、月《つき》ノ宮神社《みやじんじや》の境内《けいだい》へはいろうとした。
――と蛾次郎《がじろう》、ぎょろりと目をすえて、
「いけねえ、またへんなところでぶつかってしまったぞ」
急《きゆう》に尻尾《しつぽ》を巻《ま》いたようすで、あとへもどると、とつぜん馳《か》け足になってどこかへ姿《すがた》をかくしてしまった。
「おやッ、あの子は」
と、お時《とき》は手のうちの玉《たま》をとられたように、あッけにとられて失望《しつぼう》したが、その目のまえに、すぐと、また同じような少年がひとり、月《つき》ノ宮《みや》の境内《けいだい》から勢《いきお》いよくかけだしてきて、
「――蛾次だ!」
と、石の狛犬《こまいぬ》のそばに立って、背《せ》のびをしながら、逃《に》げたもののうしろ姿を見おくっているようす。
すがたも似《に》ている、年かっこうもたいして違《ちが》うまい、ただ蛾次郎よりは少し背《せ》がひくく眼《まな》ざしや口《くち》もとに凜《りん》としたところがある。
それもお時にははじめてみる少年――かの鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》だった。
だが、子をたずね迷《まよ》うお時の目には、ものかげからジイッと飽《あ》かずに見ていると、ああ煩悩《ぼんのう》は実《げ》にもふしぎ、この少年こそ、あるいは自分の子ではないか、あのお諏訪《すわ》さまの灸《きゆう》のあとが背《せ》なかにあるのではあるまいかと、迷《まよ》えばまようほど思われてくるのであった。
兵法大講会《へいほうだいこうえ》
勢《いきお》いよく、月ノ宮の境内《けいだい》からかけだしてきた竹童《ちくどう》は、自分と入《い》れかわりに、そこをすッ飛ぶように逃《に》げだしていったうしろ姿《すがた》へ、
「やッ、あいつめ!」
石の狛犬《こまいぬ》に手をかけて伸《の》びあがりながら――。
「蛾次《がじ》だ、蛾次|公《こう》だ」
と、棗《なつめ》のような目をクルッとさせて、いつまでもそこに見おくっていた。
そして、かれの姿が、犬ころのように、宿場《しゆくば》のはてへ見えなくなると、竹童はもうそれを放念《ほうねん》したごとく、
「はてな、伊那丸《いなまる》さまやほかのかたがた……もうお見えになりそうなものだが」
と、つぶやいて、べつな方角《ほうがく》へさまよわせた眸《ひとみ》を、ふと、狛犬のうしろにむけた。
と――そのかげに見なれない巡礼《じゆんれい》すがたのおばさんがボンヤリと立っていて、自分のほうを穴《あな》のあくほど見つめていたので、竹童はボッと顔をあかく染《そ》め、あわてて眸をひッこめたが、お時《とき》のほうはものいいたげな微笑《びしよう》を送《おく》りながら、
「坊《ぼう》、おまえは、いくつだネ?」
と、そばへ寄《よ》ってきた。
竹童は|きまり《ヽヽヽ》が悪そうに、もじもじとあとへ足を引っこめた。見たこともない坂東巡《ばんどうめぐ》りの巡礼女《じゆんれいおんな》が、いきなり年をきいたりジロジロと顔ばかり見つめてくるのが、なんとなくうす気味《きみ》のわるいようでもあった。
「いくツ? おめえは今年いくつになったえ?」
「…………」
「家《うち》はどこ?」
「…………」
「この御岳《みたけ》のまわりかい、それとも、もっと遠《とお》い在郷《ざいごう》かね?」
「…………」
竹童は小指《こゆび》の爪《つめ》をかんでいる。
だれにでも、打てばひびく調子《ちようし》で、鮮明率直《せんめいそつちよく》なことばのでるかれも、そのやさしい問いには一|句《く》も返辞《へんじ》ができないで、ただふしぎな巡礼のおばさんよと、あいての身なりをながめ入《い》るのみだった。
子をたずねる愛執《あいしゆう》の闇《やみ》、生みのわが子をさがしあるく母性《ぼせい》のまよいに、ふしぎな錯覚《さつかく》を起しているお時《とき》は、相手のはにかみにも気がつかず、ただ(もしやこの子が)と思う一途《いちず》に、
「じゃあおめえは、両親《ふたおや》を持っているかね。――ほんとの父《とつ》つァんを知ってるけえ? おめえを生んだおッ母《か》さんはどこにいる?」
絶《た》えて忘れていた一つのさびしさが、そのだしぬけなお時《とき》のことばに、ハッと、竹童《ちくどう》の胸《むね》をうってきた。
ほろほろと
啼《な》くやまどりの声きけば
父かとぞおもう
母かとぞおもう
竹童はだれかに聞いたこの歌一つをおぼえていて、父を思うとき、母をおもうとき、寝床《ねどこ》のなかや森《もり》のかげでひとりこの歌をくり返《かえ》しくり返ししていると、いつもひとりでに涙《なみだ》がでてきた。
かれは、生まれながらにして、父母《ちちはは》を知らない。
もの心ついたころから、鞍馬《くらま》の奥《おく》の僧正谷《そうじようがたに》で果心居士《かしんこじ》にそだてられ、友とするものは猿《さる》や鹿《しか》やむささびや怪鳥《けちよう》のたぐい、師《し》とあおぐ人も果心居士、父とうやまう人も居士、母とあまえる人も居士であった。
「おいらは、木の股《また》から生まれたんだ」
ついこの間《あいだ》うちまで、かれはこう信じていた。
しかし、やがて僧正谷《そうじようがたに》から実世間《じつせけん》のなかへもまれだしてみて、はじめて、人間には両親《ふたおや》のあることを知った。
父は六|臂《ぴ》三|面《めん》の神よりも力づよき柱《はしら》――、母は情体愛語《じようたいあいご》の女菩薩《によぼさつ》よりもやさしい守《まも》り――その二つのものが人間には橋《はし》の下に生まれる子にもあるのを知った。
「だのに、なぜおいらには、それがないのかしら?」
この疑問《ぎもん》がすすんで、竹童《ちくどう》もいつのころからか、じぶんの父は何人《なんぴと》か、自分の母はたれなのかと、人知れずしきりに思うようになっていた。
「それにおるのは竹童ではないか。竹童、竹童!」
不意《ふい》に、かれの幻想《げんそう》とうつつな耳をさます声があった。
お時《とき》に親を問《と》われて、夢《ゆめ》でもみるように、なにかボウと考えこみ、石の狛犬《こまいぬ》とならんで指《ゆび》の爪《つめ》をかんでいた竹童は、近よる足音にハッとして目をそらした。
――と、かれの顔いッぱいに、意外《いがい》なよろこびにぶつかッた表情《ひようじよう》が笑《わら》いかがやいて、
「オオ、民部《みんぶ》さま! や、伊那丸《いなまる》さまも」
と、手をあげて迎《むか》える。
森の小道でも抜《ぬ》けてきたか、とつぜんそこへ姿《すがた》をみせた人々は、民部《みんぶ》をさきに、伊那丸《いなまる》をなかに、うしろに山県蔦之助《やまがたつたのすけ》と加賀見忍剣《かがみにんけん》のふたりをしたがえた旅装《たびよそお》いの一行《いつこう》四名。
「竹童、よく達者《たつしや》でいたな」
と、蔦之助が手をにぎる。
忍剣も肩《かた》へ手をのせて、
「小太郎山《こたろうざん》の変《へん》いらい、そちの消息《しようそく》がたえていたので、若君《わかぎみ》をはじめ一党《いつとう》の人たちが、どれほど、しんぱいしていたかわからぬ」
「あの、砦《とりで》の留守番役《るすばんやく》を仰《おお》せつかって、みなさまの帰らないうちに、あんなことになったもんですから……」
「もうそのことはいうな。おわびはわれわれからすんでおる。しかし、きさまどうしてこんなところにボンヤリと立っていたのだ」
「明日《あした》はいよいよ御岳《みたけ》の大講会《だいこうえ》、その前日《ぜんじつ》には月《つき》ノ宮《みや》の森で、みなさまが落ち合うことになっているおやくそくだったそうですから、それで待ちどおしくッて、さっきからここに立っていたんです」
「ふム、きょうのやくそくをぞんじておるならば、龍太郎《りゆうたろう》、小文治《こぶんじ》のふたりと一しょになっていたのか」
「はい、おふたりは先について、森の垢離堂《こりどう》でお待ちです」
「そうか。ではすぐにそこへまいろうではないか」
と、伊那丸《いなまる》が藺笠《いがさ》の前をさしうつ向けてさきに立つ。
それにつづいて、忍剣《にんけん》、民部《みんぶ》、蔦之助《つたのすけ》の三人が久《ひさ》しぶりで邂逅《かいこう》した竹童《ちくどう》をなかに、みなが弟のごとく取りかこんで、親《した》しげな話をかわしながら、月《つき》ノ宮《みや》の境内《けいだい》ふかくしずしずとあゆみ去《さ》ってゆく。
あとには、ホウ、ホウ、と山鳩《やまばと》の啼《な》くのがさびしげに……
そして、ひとりぼッち、あとに取りのこされた巡礼《じゆんれい》のお時《とき》は、孤寂《こじやく》なかげをションボリたたずませて、去《さ》る者のうしろ姿《すがた》をのびあがりながら、
「アア……あの子もちがっていたのかしら?」
とつぶやいて、どこかに聞えるあわれっぽい鳩笛《はとぶえ》の音《ね》に、なんとはなく涙《なみだ》をさそわれて、垢《あか》じみた旅衣《たびごろも》の袖《そで》に、思わずホロホロと涙をこぼした。
「おう、そこにいましたね、お時《とき》さん。いや、息《いき》がきれた息がきれた。不意《ふい》に人をうっちゃってこんなところへきてしまうのはひどいじゃないか、いくらあとから呼《よ》び返《かえ》してもふり向きもしないで」
と、そこへ追《お》いついてきたのは、あの慈顔《じがん》に笑《え》みをうかべた地蔵行者《じぞうぎようじや》の菊村宮内《きくむらくない》。
「ああ、宮内さま」
「おや、泣《な》いていましたな」
「まだ目のさきにチラチラする。ほんとに瓜《うり》二つじゃ、あんなよう似《に》た子供が、どうしてわしの子でないのかしら」
「いやいや、おさな顔はかわるもの、似たというものは|あて《ヽヽ》になりません」
「でも、なんだか、あのふたりのどッちかは、わしの子にちがいないような気がしてなんねえのでがす」
「じゃ、おまえさんの尋《たず》ねる手がかり、あのお諏訪《すわ》さまの禁厭灸《まじないきゆう》が、その子の背《せ》なかにあるのでも見たのですか」
「いいえ、そら、どうやら|とんと《ヽヽヽ》知らんけれど……」
「では――迷《まよ》いでしょう。おそらくそれは親心《おやごころ》の煩悩《ぼんのう》でしょう。――迷いの霧《きり》をへだてて見れば、枯《か》れ木も花と見え、縁《えん》なき他人《ひと》さまの子供でも、自分の子かと見えてくるのが、人情《にんじよう》のとうぜん。――まあまあ、そう気が短《みじ》こうては、自身のからだをやつれさすばかり、それでは永《なが》い年月《としつき》に、わが子をさがそうという巡礼《じゆんれい》の旅《たび》がつづきません。ただひたすら、めぐりあう日は神仏《しんぶつ》のお胸《むね》にまかせて、坂東《ばんどう》三十三ヵ所《しよ》のみ霊《たま》に祈《いの》りをおかけなさい。……わたしも幸《さいわ》い、地蔵愛《じぞうあい》の遍歴者《へんれきしや》、およばぬながらも同行《どうぎよう》になって、ともどもさがして進《しん》ぜましょうから」
と、宮内《くない》はお時《とき》をなぐさめた。
そしてふたりは、月ノ宮の御籠堂《おこもりどう》に笈《おい》をおろしたが、古莚《ふるむしろ》につめたい夢《ゆめ》のむすばれぬまま、啼《な》くこおろぎとともに夜《よ》もすがら詠歌《えいか》をささげて、秋の長夜《ながよ》を明かしていた。
塩市《しおいち》と馬市《うまいち》と盆《ぼん》の草市《くさいち》が一しょ|くた《ヽヽ》にやってきたように、夜になると、御岳《みたけ》ふもとの宿《しゆく》は提灯《ちようちん》の鈴《すず》なり、なにがなにやら、くろい人の雑沓《ざつとう》とまッ赤《か》な灯《ひ》であった。
諸国諸道《しよこくしよどう》からここに雲集《うんしゆう》した人々は、あすの日を待ちかまえて、空を気にしたり、足ごしらえの用意《ようい》をしたり、またはその日の予想《よそう》や往年《おうねん》の思い出ばなしなどで、どこの宿屋《やどや》もすしづめのさわぎ。
「よウ、京都の葵祭《あおいまつり》にも人出《ひとで》はあるが、この甲斐《かい》の山奥《やまおく》へ、こんなに人間が集《あつ》まってくるたあ豪勢《ごうせい》なもンだなあ……」
と、その町なかの一|軒《けん》の旗亭《きてい》の二|階《かい》で、窓《まど》から首をだして、のんきに下をながめている男が感心していた。
なるほど、往来《おうらい》をみていると、宿《やど》をとれずにかけあっている田舎《いなか》武士《ざむらい》や、酒気《しゆき》をおびている町人《ちようにん》や、連《つ》れをよんでいる百姓《ひやくしよう》や、えッさえッさと早駕《はやかご》で、おくればせに遠地《えんち》から馳《か》けつけてくる試合《しあい》の参加者《さんかしや》。
そうかと思うと、鮨売《すしう》りの声や|もろこし《ヽヽヽヽ》団子《だんご》や味噌田楽《みそでんがく》の食《く》い物屋、悠長《ゆうちよう》に尺八《しやくはち》をながしてあるく虚無僧《こむそう》があるかと思えば、鄙《ひな》びた楽器《がつき》をかき鳴らしてゆく旅芸人《たびげいにん》の笠《かさ》のむれ――。
なかでも一ばん売れているのは四ツ辻《つじ》の松明売《たいまつう》りだ。
「夜があけてから山をのぼってゆくようじゃ、とてもいい場所《ばしよ》で見物《けんぶつ》はできないぞ」
というので、気のはやい連中《れんじゆう》が十七|文《もん》の松明《たいまつ》をふりたて、その晩《ばん》のうちからドンドンドンドン御岳《みたけ》の山へかかってゆく。
それが麓《ふもと》から見ると、狐火《きつねび》のように美しい。
「ウーム、どうでい、ありゃあ。まるで大文字山《だいもんじやま》の火祭《ひまつり》のようだな」
この男、京都にいたことがあるとみえて、旗亭《きてい》の二|階《かい》から首をだして、そのながめを大文字山の火祭に見立《みた》てた。
だれかと思うと、早足《はやあし》の燕作《えんさく》だ。
と――燕作、
「おッ、連中がやってきた」
と、そこから店の軒下《のきした》をのぞいて、あわてて首を引っこめたが、次《つぎ》の部屋《へや》へヒョイときて、
「お頭《かしら》。きましたぜ、おそろいで」
「ウム」
と、うなずいたのは和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》である。
蚕婆《かいこばばあ》と丹羽昌仙《にわしようせん》のふたりを相手に、さいぜんから酒《さけ》を飲みながら、だれかのくるのを待ちあわせていたらしい。
「一同、ご微行《びこう》だろうな」
「へい、ぞろぞろと編笠《あみがさ》が七ツばかり、いま、階下《した》の門口《かどぐち》へはいってきました」
「じゃあ、お迎《むか》えに」
と目くばせすると、丹羽昌仙《にわしようせん》が立ちあがって階下《した》へ降《お》りてゆく。
間《ま》もなくそこへあがってきたのは、隠密組《おんみつぐみ》の菊池半助《きくちはんすけ》、おなじ組下《くみした》の綿貫三八《わたぬきさんぱち》、それに今度の兵学大講会《へいがくだいこうえ》に試合目付《しあいめつけ》として働いている大久保長安《おおくぼながやす》の家臣《かしん》が四、五人――ただし、そのなかには客分格《きやくぶんかく》の鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》がまじっていて、そのまたうしろには泣き虫の蛾次郎《がじろう》、鼻をふいてひかえていた。
そこでゾロリと車座《くるまざ》になった。
ここに首を寄《よ》せあつめたものは、みな徳川家《とくがわけ》の息《いき》がかかっている者ばかり。なにかしらないが、話はあしたの相談《そうだん》とみえて、一間《ひとま》をピッタリ閉《し》めきった。
「およそ、明日《あす》の試合順《しあいじゆん》はきまりましたかな」
と、呂宋兵衛《るそんべえ》がしきりに気にかけている。
かれはこんどの大講会で、南蛮流幻術《なんばんりゆうげんじゆつ》の秘法《ひほう》をもって、日本伝来《にほんでんらい》の道士《どうし》がやる法術《ほうじゆつ》の幼稚拙劣《ようちせつれつ》なことを公衆《こうしゆう》にしめしてやると、浜松《はままつ》を立ってくるとき、家康《いえやす》のまえで豪語《ごうご》してきた。
首尾《しゆび》よくゆけば、この機会《きかい》に大禄《たいろく》で家康にめしかかえられそうだし、まずくゆくと、またぞろ、態《てい》よく追《お》いはらわれて、もとの野衾《のぶすま》に立ちかえらなければならない。
で、非常な緊張《きんちよう》ぶりだ。
それにつれて芋蔓《いもづる》の出世《しゆつせ》をゆめみている丹羽昌仙《にわしようせん》も、吹針《ふきばり》の蚕婆《かいこばばあ》も、はれの御岳《みたけ》でそれぞれ武名《ぶめい》をあげる算段《さんだん》、今から用意《ようい》おさおさおこたりないところである。
「いや、試合順《しあいじゆん》はきまりませぬ。御岳《みたけ》の兵法大講会《へいほうだいこうえ》の主旨《しゆし》は、世にかくれたる人材《じんざい》をひろいだすのが目的《もくてき》でもござれば」
と、大久保家《おおくぼけ》の家臣《かしん》が釈明《しやくめい》した。
丹羽昌仙がつぎに小声《こごえ》で、
「なるほど、では当日《とうじつ》には、だいぶ飛《と》び入《い》りもございますな」
「ただいまのところ、表向《おもてむ》き大講会奉行所《だいこうえぶぎようしよ》まで参加《さんか》を申しだしてあるものはこれだけであるが、当日《とうじつ》にいたって、かくれた麒麟《きりん》、蛟龍《こうりゆう》のたぐいが、ぞくぞくとあらわれる見こみです」
と、席《せき》の中央《ちゆうおう》へ、多くの兵学者《へいがくしや》や武芸者《ぶげいしや》の名をしるした着到帳《ちやくとうちよう》をくりひろげた。
「ふウむ……」
と、呂宋兵衛《るそんべえ》をはじめ、卜斎《ぼくさい》、半助《はんすけ》、一同の首がそれに伸《の》びて順々《じゆんじゆん》にひろい読みしてゆくと、自署《じしよ》された有名無名《ゆうめいむめい》のうちに、ちょッと目につくものだけでも大へんなもの。
まず軍学部《ぐんがくぶ》では――
氏《うじ》 隆《たか》 流《りゆう》  岡本鴻雲斎《おかもとこううんさい》(浪人《ろうにん》)
謙信《けんしん》三徳流《さんとくりゆう》  大道寺友仙《だいどうじゆうせん》(上杉家《うえすぎけ》)
早雲流相伝《そううんりゆうそうでん》  沢崎主水《さわざきもんど》(北条家《ほうじようけ》)
楠流後学《くすのきりゆうこうがく》   三木道八《みきどうはち》(浪人《ろうにん》)
孔《こう》 明《めい》 流《りゆう》  真田源次郎《さなだげんじろう》(豊臣家《とよとみけ》)
そのほか異流《いりゆう》もさまざまに署名《しよめい》があったが、ひとり甲州流《こうしゆうりゆう》を標榜《ひようぼう》する軍学者《ぐんがくしや》だけが見あたらない。
これは武田家《たけだけ》の滅亡《めつぼう》をまのあたりに見ているので、その亜流《ありゆう》をきらった人気《にんき》のあらわれともみられる。
つぎに、剣道部《けんどうぶ》の着到順《ちやくとうじゆん》は、
一《いち》 羽《う》 流《ゆう》  諸岡一羽《もろおかいちう》(浪人《ろうにん》)
愛洲陰流《あいずかげりゆう》   疋田浮月斎《ひきだふげつさい》(虚無僧《こむそう》)
吉《よし》 岡《おか》 流《りゆう》  祇園藤次《ぎおんとうじ》(京都町人《きようとちようにん》)
一《いつ》 刀《とう》 流《りゆう》  慈《じ》   音《おん》(鎌倉地福寺学僧《かまくらじふくじがくそう》)
心《しん》 貫《かん》 流《りゆう》  丸目文之進《まるめぶんのしん》(伊達家《だてけ》)
などで、ちょっと端《はし》からみてもその階級《かいきゆう》さまざまで人数ももっとも多いけれど、射術《しやじゆつ》、馬術《ばじゆつ》の方になると、およそ世上《せじよう》に定評《ていひよう》のある一流《いちりゆう》の人やその門下《もんか》の名が多い。
しかし築城家《ちくじようか》のほうはどうだろうと、鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》はそこに目をすいつけ、呂宋兵衛《るそんべえ》は法術部《ほうじゆつぶ》を気にし、菊池半助《きくちはんすけ》がそれと同じように忍法部《にんぽうぶ》の試合相手《しあいあいて》の名をながめているのは、とうぜんな人情《にんじよう》だった。
その忍法部に署名《しよめい》されているものは――
百《もも》 地《ち》 流《りゆう》  霧隠才蔵《きりがくれさいぞう》(浪人《ろうにん》)
魔《ま》 風《かぜ》 流《りゆう》  魔風来太郎《まかぜらいたろう》(伊賀郷士《いがごうし》)
同《どう》   流《りゆう》  永井源五郎《ながいげんごろう》(浪人)
愛洲移香流《あいずいこうりゆう》  天狗太郎《てんぐたろう》(浪人)
戸《と》 沢《ざわ》 流《りゆう》  猿飛佐助《さるとびさすけ》(浪人)
甲《こう》 賀《が》 流《りゆう》  虎《とら》 若《わか》 丸《まる》(甲賀郷士《こうがごうし》)
などという人々で、その名を見るからに菊池半助のこんどの試合《しあい》はすこぶる苦境《くきよう》にあるらしく、
「ウーム、猿飛もきているか……」
と、うめくようにいって顎《あご》をおさえたままかがんでいる。
では、築城術《ちくじようじゆつ》の論議試合《ろんぎじあい》と目《もく》されている方などは、その人がすくないかと思うと、これにも相当《そうとう》きこえた人物の名が見えるのはさすがに戦国の学風によるものか、
天《てん》 鼓《こ》 流《りゆう》  村上賛之丞《むらかみさんのじよう》(越後領《えちごりよう》)
八 車《しや》 流《りゆう》  牧野雷堂《まきのらいどう》(四国領《しこくりよう》)
月《げつ》 花《か》 流《りゆう》  柳川佐《やながわさ》太夫《だゆう》(熊本領《くまもとりよう》)
もっともこのうちには、城《しろ》の工匠《こうしよう》か、地水縄取《ちすいなわど》りの専門家《せんもんか》とかがまじっているが、上部八風斎《かんべはつぷうさい》の鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》にしても、この人々と築城論試合《ちくじようろんじあい》をして勝抜《かちぬ》きにいいやぶることは、なかなか楽とは思われない。
ただ、さすがに人のないのは、法術師《ほうじゆつし》幻術家《げんじゆつか》の部《ぶ》で、ここにはたッたひとりの名がぽつんと記《しる》されてあるばかりで、しかもその名が聞いたこともない。
役小角後学《えんのしようかくこうがく》  烏龍道人《うりゆうどうにん》(信州黒姫《しんしゆうくろひめ》)
という人物。
こんな者は試合《しあい》にもおよばず、南蛮流幻術《なんばんりゆうげんじゆつ》の息《いき》一つで吹《ふ》きとばしてもすむことと、呂宋兵衛《るそんべえ》はすっかり安心してしまった。
けれど大講会《だいこうえ》当日《とうじつ》の試合《しあい》はこれだけではない。まだ火術《かじゆつ》、小具足術《こぐそくじゆつ》、槍《やり》、薙刀《なぎなた》、鎖《くさり》、手裏剣《しゆりけん》、棒《ぼう》、武技《ぶぎ》という武技、術《じゆつ》という術《じゆつ》、あらゆるものがふくまれているのだから、はたして、たった三日のあいだに、それだけの試合《しあい》ができるかどうかもうたがわしい。
晴《は》れのあしたを前にして、なにを密議《みつぎ》するのか、その晩《ばん》、徳川《とくがわ》ばたけの者ばかりが、首を集《あつ》めておそくまで声をひそめていた。
そしてついに、その日はきたのである。
暁雲《ぎよううん》をやぶる明けがたの一番|太鼓《だいこ》。
御岳《みたけ》のいただきからとうとうとながれてきた――。
雲表《うんぴよう》をぬいて南に見えるのは富士《ふじ》である。
甲斐《かい》の連山《れんざん》や秩父《ちちぶ》の峻峰《しゆんぽう》も、みなこの晴れの日を審議《しんぎ》するもののように御岳のまわりをめぐっていた。
頂上《ちようじよう》には蔵王大権現《ざおうだいごんげん》のみ社《やしろ》。
遠いむかし――武神《ぶしん》日本《やまと》武尊《たけるのみこと》が東征《とうせい》のお帰りに、地鎮《じちん》として鉄甲《てつこう》を埋《い》けておかれたというその神地《しんち》は、いま、燃《も》えんばかりな紅葉《もみじ》のまッさかりだ。
それを正面のたかき石段《いしだん》にあおいで、ひろい平地《へいち》の周囲《しゆうい》も、またそれからながめおろされる渓谷《けいこく》も、四顧《しこ》の山も沢《さわ》も万樹鮮紅《ばんじゆせんこう》に染《そ》められて、晩秋《ばんしゆう》の大気《たいき》はすみきッている。
と――。
頂上の神前《しんぜん》で二ばん太鼓が鳴った。
さわやかな秋風が、一陣、まッさかさまに吹《ふ》いて、地上の紅葉《もみじ》を天空《てんくう》へさらってゆく。
広前《ひろまえ》にはりめぐらした鯨幕《くじらまく》、また別《わか》れわかれに陣《じん》どった諸家《しよけ》の定紋幕《じようもんまく》が波《なみ》のようにハタハタと風をうつ。
大講会《だいこうえ》第一日の朝――。
群集《ぐんしゆう》はこのさわやかな試合場《しあいじよう》の周囲《しゆうい》に、木《こ》の葉《は》のようにしずまっていた。三|番太鼓《ばんだいこ》を待っていた。
そのなかに伊那丸《いなまる》のすがたが見える。
そばには帷幕《いばく》の人、小幡民部《こばたみんぶ》、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》、巽小文治《たつみこぶんじ》、加賀見忍剣《かがみにんけん》、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》みな一ツところにならんでいた。
ただ咲耶子《さくやこ》のすがたが見えない。
源氏閣《げんじかく》のうえから大鷲《おおわし》の羽風《はかぜ》とともに姿《すがた》をかくした咲耶子はどうしたろうか?
それはきょうまでの日に、竹童、龍太郎、小文治の三人が八方くまなくそうさくしてみたけれど、その消息《しようそく》が得《え》られなかったので、やむをえず伊那丸《いなまる》とのやくそくもあるので、いちじ断念《だんねん》して、参会《さんかい》したのであった。
「まだ大講会は開かれませんか」
小文治が民部にはなしかける。
「三番太鼓がなるのを合図《あいず》として、あの祭壇《さいだん》で御岳《みたけ》の神官《しんかん》とあまたの御岳行者《みたけぎようじや》が式《しき》をやる。そして、黄母衣《きほろ》、赤母衣《あかほろ》、白母衣《しろほろ》の三|騎《き》が試合場《しあいじよう》を一|巡《じゆん》し、大講会《だいこうえ》第一番の試合番組《しあいばんぐみ》をふれてくると間《ま》もなく貝《かい》あいずと同時に、あの祭壇《さいだん》の下にある大講会のむしろへ論客《ろんかく》があがって、築城論議《ちくじようろんぎ》をやることと思われる」
「ほウ、では、最初は築城試合《ちくじようじあい》でございますかな」
「昨年はそうであったとうけたまわる」
「陣法《じんぽう》勝負などの場合《ばあい》は、やはり、論議だけでございましょうか」
「足軽《あしがる》何百人ずつを借用《しやくよう》して、じっさいの陣《じん》あらそいになる場合もある」
「壮観《そうかん》でござりましょうな」
と、小文治はわかわかしい目をした。
伊那丸《いなまる》はふたりの話を小耳《こみみ》にはさんで、
「わしのおさないころは、なおさかんなものであった」
と、とおい思い出を呼《よ》ぶ。
「さようでござりましょうとも、信玄公《しんげんこう》ご在世《ざいせい》のころからくらべれば比較《ひかく》にならないと、町人《ちようにん》たちもささやいております」
忍剣《にんけん》も恵林寺《えりんじ》にいたころ、一年《ひととせ》、その盛時《せいじ》を見たことがあるので追憶《ついおく》がふかい。
「おもえばむねんしごくな!」
とつぜん、龍太郎《りゆうたろう》がこうふんした口調《くちよう》で、
「お家《いえ》の行事《ぎようじ》もいまは徳川《とくがわ》に奉行《ぶぎよう》されて、御岳《みたけ》の神前《しんぜん》に武田菱《たけだびし》の幕《まく》一はり見えませぬ」
と、つよくいった。
「しかし、かりにお家《いえ》のかたちは滅尽《めつじん》するとも、ここに武田《たけだ》の人あることを知らせてくれたい」
と蔦之助《つたのすけ》もそれに応《おう》じる。
忍剣《にんけん》は伊那丸《いなまる》の前へズッとよって、なにかうごかぬ決意《けつい》をしながら、
「若君《わかぎみ》、昨夜もお願いいたしたとおり、兵法大講会《へいほうだいこうえ》は故信玄公《こしんげんこう》が甲斐《かい》の武風《ぶふう》をあくまで天下にしめされた行事《ぎようじ》、われわれが生涯《しようがい》の思い出ともいたしとう存《ぞん》じますゆえ、なにとぞ大講会|参加《さんか》の一|闘士《とうし》として飛びいりおゆるしくださいますよう」
と、熱願《ねつがん》した。
それは一同の希望《きぼう》で、ゆうべも月ノ宮の垢離堂《こりどう》で、血気《けつき》の面々《めんめん》がみな口をそろえていうには、自分たちも闘士として出場《しゆつじよう》し、この秋の徳川家司宰《とくがわけしさい》のもとにおこなわれる大講会をして木《こ》ッ葉微塵《ぱみじん》にしてやろうではないか――という意気《いき》があがった。
「痛快《つうかい》だ!」
「武田家の大行事《だいぎようじ》を徳川家に踏襲《とうしゆう》されるよりは、この秋かぎり根絶《こんぜつ》させろ」
「それこそわれわれの願うところ、ぜひとも試合《しあい》にでる」
「武《ぶ》をもって横行《おうこう》するやからの顔色《がんしよく》をなくしてやろうぞ」
「武田は亡《ほろ》びても人ほろびずと、天下に名のりをあげることにもなる」
と、やむにやまれぬ鉄血《てつけつ》の士《し》が、膝《ひざ》をまげて伊那丸にすがる。
だが伊那丸《いなまる》は――ゆうべもいまも、
「ゆるす!」
という一言《ひとこと》を、かれらの熱望《ねつぼう》にたいしてよういにあたえないで、
「……だが、冷静《れいせい》にこうしてながめているのもおもしろかろう」
と、微笑《びしよう》しているばかり。
柳《やなぎ》に風である。
君《きみ》ながらお憎《にく》い態度《たいど》! とひそかに思いうらまれる。
また、小幡民部《こばたみんぶ》もあまり興味をもたない顔つきで、とりなしてくれるようすがない、それが他《ほか》の者をしていっそうジリジリさせた。
腕鳴《うでな》り肉《にく》うずく思いをのむとはこれだろう。
龍太郎《りゆうたろう》しかり、小文治《こぶんじ》しかり、蔦之助《つたのすけ》も忍剣《にんけん》も、髀肉《ひにく》の嘆《たん》をもらしながら、四本の鎖《くさり》でとめられた四|疋《ひき》の豹《ひよう》のような眼光《がんこう》をそろえて両肱《りようひじ》を張《は》っている。
いきなり鳴った! その時である。
ドウ――、ドウーン……
耳をうつ、天空《てんくう》のこえ。
これ、待ちに待った三|番太鼓《ばんだいこ》と知られたから、御岳広前《みたけひろまえ》の紅葉《こうよう》のあいだにまッ黒にうずくまっている数万の群集《ぐんしゆう》が一どきに、ワーッと声をあわせたが、さすが霊山《れいざん》の神前《しんぜん》、ことに厳粛《げんしゆく》きわまる武神武人《ぶしんぶじん》の大行事《だいぎようじ》、おのずから人の襟《えり》をたださしめて、一しゅんののちは、まるで山雨一過《さんういつか》して万樹《ばんじゆ》のいろの改《あらた》まったように、シーンと鳴りしずまったまま、その空気だけが冴《さ》えかえってきた。
と――。
美妙《びみよう》な楽奏《がくそう》が、ながれてくる。
あおいでみると、神《かん》さびた杉《すぎ》こだちの御山《みやま》の、黒髪《くろかみ》を分けたように見えるたかい石段《いしだん》のうえから、衣冠《いかん》の神官《しんかん》、緑衣《りよくい》の伶人《れいじん》、それにつづいてあまたの御岳行人《みたけぎようにん》が白衣《びやくえ》をそろえて粛々《しゆくしゆく》と広前《ひろまえ》へ降《お》りてくる。
白木《しらき》の祭壇《さいだん》には四方笹《しほうざさ》の葉がそよぎ、御霊鏡《みたまかがみ》が、白日《はくじつ》のように光っている。
伶人は座《ざ》につき、白衣の行人はしろい列《れつ》を壇《だん》の下へひらく。
ゆるい和笛《わてき》の音《ね》につれて、笙《しよう》、ひちりき、和琴《わごん》の交響《こうきよう》が水のせせらぐごとく鳴りかなでる。
|のりと《ヽヽヽ》をあげた祭壇の神官、そのとき、バサッと幣《へい》をきって、直垂《ひたたれ》の袖《そで》をたくしあげ、四方へ弦《つる》をならす式《しき》をおこなってから紫白《しはく》ふた色《いろ》の細《こま》かい紙片《しへん》をつかんで、壇《だん》の上から試合《しあい》の広庭《ひろにわ》へ雪《ゆき》のようにまきちらす。
――この大講会《だいこうえ》に血《ち》を見るなかれ!
――この大講会に邪兵《じやへい》をうごかすなかれ!
という意味《いみ》をふくむ神地《しんち》きよめの式《しき》である。
この式がすむと同時に、大講会三日のあいだは、ぜったいにこの場《ば》では平常《へいじよう》の敵味方《てきみかた》をわすれ、仇《あだ》なく怨《うら》みなく、たとえ隣国《りんごく》と交戦中《こうせんちゆう》でも、三日|間《かん》は兵戈《へいか》をおさめて待つというのが武門《ぶもん》のとうぜんとされている。
黄色いけむりが空へ走った。
狼火《のろし》である。
群集《ぐんしゆう》の目がそれへつりあがると、また、寂《せき》とした大地を、かつかつと駆《か》ける馬蹄《ばてい》の音がおこっていた。
三|騎《き》の騎馬武者《きばむしや》――。
これははなやかな甲冑陣《かつちゆうじん》太刀《だち》のよそおいで、黄母衣《きほろ》、白母衣《しろほろ》、赤母衣《あかほろ》、を背《せ》にながし、ゆるい虹《にじ》のように場内《じようない》を一|周《しゆう》した。
これ、母衣組目付《ほろぐみめつけ》の番組ぶれで、すべて武田流《たけだりゆう》の作法《さほう》どおりにおこなわれるものと見える。
さて。
いよいよ第一日の一|番試合《ばんしあい》は、太子流《たいしりゆう》の強弓《ごうきゆう》をひく氏家十左衛門《うじいえじゆうざえもん》と、大和流《やまとりゆう》の軟弓《なんきゆう》をとっての名人《めいじん》長谷川監物《はせがわけんもつ》との射術《しやじゆつ》くらべで口火《くちび》を切ることになった。
従来《じゆうらい》は築城試合《ちくじようじあい》がさきであったが、弓《ゆみ》は兵家《へいか》の表道具《おもてどうぐ》、これがほんとだという意見《いけん》がある、あまり信玄《しんげん》の遺風《いふう》をまねているのは、徳川家《とくがわけ》としても権威《けんい》にかかわるという議論《ぎろん》があって、総奉行《そうぶぎよう》の大久保長安《おおくぼながやす》もこのほうの案《あん》をとった。
「オオ、始まったな」
「ウーム。どうも指《ゆび》をくわえているのはざんねんだな」
と、忍剣《にんけん》や龍太郎《りゆうたろう》は、底光《そこびか》りのする眼光をいよいよ研《と》ぎすましている。
これを冷静《れいせい》にみるという伊那丸《いなまる》のことばは、余人《よじん》なら知らずこの血《ち》の気《け》の多い人たちへは、無理《むり》ないましめ。
ことに山県蔦之助《やまがたつたのすけ》は、弓術《きゆうじゆつ》は自分の畑《はたけ》のものであるし、じしん得意《とくい》とする代々木流《よよぎりゆう》も、久《ひさ》しく、日輪巻《にちりんまき》の弓《ゆみ》へ矢《や》つがえをして、腕《うで》のスジを思うさまのばしたことがないから、ひと一ばい熱心に見入《みい》るのも道理《どうり》なわけ。
「ウーム……」
とうなりながら、胸《むね》に弦音《つるおと》を鳴らせ、口もきかずに腕《うで》ばかりさすっているようすは、はたからみてもなんとも気の毒《どく》らしかった。
虚空《こくう》に飛《と》んだ栴檀刀《せんだんとう》
太子流《たいしりゆう》の作法《さほう》。
大和流《やまとりゆう》の礼射《れいしや》。
それにはじまって、両派《りようは》の射術《しやじゆつ》くらべが、矢《や》うなり勇《いさ》ましく、試合《しあい》の口火《くちび》をきった。
午《ひる》すぎになって、西京《さいきよう》の大家《たいか》大坪道禅《おおつぼどうぜん》の馬術《ばじゆつ》、母衣流《ほろなが》しの見ごとな式《しき》をはじめとし、一門の騎士《きし》が鐙《あぶみ》をならして秘《ひ》をあらそい、ほかに剣道組《けんどうぐみ》から数番の手合《てあ》わせが開始されたが、すでに薄暮《はくぼ》の時刻がせまって、その日の御岳《みたけ》は平和裡《へいわり》に第一日のおわりを告《つ》げた。
兵法大講会第《へいほうだいこうえだい》二日|目《め》。
大衆《たいしゆう》はみなこの二日目に、多大な期待《きたい》をかけていた。
最初の日は、あんがい、儀式作法《ぎしきさほう》の、目にきらびやかな番組ばかりが多く、龍攘虎搏《りゆうじようこはく》ともいうべき予期《よき》していた火のでるような試合《しあい》がなかったので。
果然《かぜん》――前の日よりもすさまじい群衆《ぐんしゆう》の怒濤《どとう》が、御岳の頂上《ちようじよう》へ矢来押《やらいお》しにつめかけた。
武田伊那丸《たけだいなまる》や民部《みんぶ》をはじめ、あの一党《いつとう》のひとびと、また鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》も、その熱風のようなふんいきのなかにくるまされて、きょうはジッとかたずをのみ合っている。
清浄《せいじよう》な砂《すな》をしきつめて塵《ちり》もとめない試合場《しあいじよう》の中央《ちゆうおう》に、とみれば、黒皮《くろかわ》の陣羽織《じんばおり》をつけた魁偉《かいい》な男と、菖蒲《しようぶ》いろの陣羽織をきた一名の若者とが、西と東のたまり場《ば》からしずしずと歩《あゆ》みだしている。
ぼウーと陣貝《じんがい》がなった。
とうとうたる太鼓《たいこ》、三|段《だん》に打ちひびいたとき、れいの三色の母衣武者《ほろむしや》が、
「築城試合《ちくじようじあい》、築城試合」
要所《ようしよ》の控《ひか》え所《じよ》へ伝令《でんれい》する。
黒革《くろかわ》の陣羽織《じんばおり》、これなん、もと柴田家《しばたけ》の浪人《ろうにん》上部八風斎《かんべはつぷうさい》こと、あだ名はれいの鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》でとおる人物。
菖蒲色《しようぶいろ》の若者をたれかと見れば、越後上杉家《えちごうえすぎけ》の家来《けらい》、天鼓流《てんこりゆう》の築城家《ちくじようか》村上賛之丞《むらかみさんのじよう》。
ふたりは床几《しようぎ》についてむかいあった。
これは腕《うで》の試合《しあい》ではない。
舌《した》の試合である。築城学論議《ちくじようがくろんぎ》である。
群集《ぐんしゆう》は目よりも耳をすました。
水を打ったようにしずまって、論議いかにと咳声《しわぶき》もしない。
鼻|かけ《ヽヽ》卜斎の上部八風斎、やおら肩《かた》をはり、軍扇《ぐんせん》いかめしく膝《ひざ》について声たかく、
「築城に四相《しそう》あり、いかに?」
と、第一問をだした。
村上賛之丞、莞爾《かんじ》として、
「兵法《へいほう》に申す、小河東《しようがひがし》にあるを田沢《でんたく》といい、流水南《りゆうすいみなみ》にあるを青龍《せいりゆう》とよび、西に道あるを朱雀《すじやく》と名《な》づけ、北に山あるを玄武《げんぶ》、林あるを白虎《びやつこ》と称《しよう》す」
「して、地形《ちけい》をえらぶには」
「北高南低《ほつこうなんてい》は城塞《じようさい》の善地《ぜんち》、水は南西にあるを利《り》ありと信《しん》ず」
「三|段《だん》の嶮《けん》と申す儀《ぎ》は」
「天嶮《てんけん》、地嶮《ちけん》、人嶮《じんけん》のこと」
「山城《やまじろ》の見立《みた》ては」
「地性水質《ちせいすいしつ》によること、空論《くうろん》にては申されぬ」
とはねつけて、こんどは賛之丞《さんのじよう》から卜斎《ぼくさい》にむかって反問《はんもん》をあびせかけた。
「いかに? たとえばこの御岳《みたけ》の山に一|城《じよう》をきずく節《せつ》は?」
「むろん山城なれどいただきをきらい、中庸《ちゆうよう》の地相《ちそう》に郭《くるわ》をひかえ、梅沢《うめざわ》のすそに出丸《でまる》をきずき、大丹波《おおたんば》には望楼《ぼうろう》をおき、多摩《たま》の長流《ちようりゆう》を濠《ほり》として、沢井《さわい》、二俣尾《ふたまたお》に木戸《きど》をそなえれば、武蔵《むさし》野原《のはら》に満《み》つる兵もめったに落とすことはできない」
「あいやしかし!」
と、賛之丞、いちだんこえを張りあげて、
「かりに、甲州路《こうしゆうじ》より乱入《らんにゆう》する兵ありとすれば、一手《いつて》は必定《ひつじよう》、天目山《てんもくざん》より仙元《せんげん》の高きによって御岳《みたけ》を俯瞰《ふかん》するものにそういござらん、その場合《ばあい》は?」
「陰山陽向《いんさんようこう》のそなえ」
「ウーム、そのくばりは」
「全山《ぜんざん》を城地《じようち》と見なし、十七|町《ちよう》を外郭《そとぐるわ》とし、龍眼《りゆうがん》の地に本丸《ほんまる》をきずき、虎口《ここう》に八門、懸崖《けんがい》に雁木坂《がんぎざか》、五行《ごぎよう》の柱《はしら》は樹林《じゆりん》にてつつみ、城望《じようぼう》のやぐらは黒渋《くろしぶ》にて塗《ぬ》りかくし、天目山や仙元峠《せんげんとうげ》などより一目にのぞかれるような縄取《なわど》りはせぬ」
と、鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》、懸河《けんが》の弁《べん》をふるってとうとうと一息《ひといき》にいった。
卜斎《ぼくさい》の前身《ぜんしん》を知らずに、かれをただの鏃鍛冶《やじりかじ》とばかり思っていた、大久保長安《おおくぼながやす》の家来《けらい》たちは、少々あッけにとられている顔つき。
だが卜斎の返答《へんとう》が雄弁《ゆうべん》だけで、ところどころうまくごま化《か》しているのをつらにくくおもった村上賛之丞《むらかみさんのじよう》は、やや激《げき》して、
「さらば問《と》わん」と開《ひら》きなおり、
「以上《いじよう》の縄取《なわど》りによれば、多摩《たま》の長流《ちようりゆう》を唯一《ゆいつ》のたのみとし、武蔵野《むさしの》の平地《へいち》と上流の敵《てき》にのみ備《そな》えをおかるるお考えのようにぞんずるが、かりに、御岳《みたけ》の裏《うら》にあたる御前山《おんまえさん》へ奇兵《きへい》をさし向け、西風に乗《じよう》じて火をはなたば、前方の嶮《けん》は城兵《じようへい》の墓穴《はかあな》、とりでも自滅《じめつ》のほかはあるまいと思うがいかに」
と、つッこんだ。
卜斎、カラカラとあざ笑《わら》って、
「お若《わか》い! お若い! およそ築城の縄取りをなすにあたって、後方《こうほう》の破《やぶ》れを思わぬ者やあらん」
「しからば火攻《かこう》の防《ふせ》ぎは」
「要所《ようしよ》を伐林《ばつりん》するまでのこと」
「樹木《じゆもく》を伐《き》るときは、城《しろ》の血脈《けつみやく》たる水の手に水がれのおそれがあろう」
「扇縄《おうぎなわ》の一かくに、雨水《うすい》をたくわえておくまでのこと」
「大夏《たいか》の旱魃《かんばつ》に、もし籠城《ろうじよう》となったおりは」
「掛樋《かけひ》をもってうら山より秋川《あきがわ》の水をひくときは、城《しろ》の水の手に水がれはござるまい」
「兵法《へいほう》にいわく、天水《てんすい》危城《きじよう》を保《たも》つべし、工水《こうすい》名城《めいじよう》も保つべからず。――人体《じんたい》の血脈《けつみやく》ともみるべき大事な一|城《じよう》の水を、掛樋でよばんなどとは築城《ちくじよう》の逆法《ぎやくほう》」
「いや、逆法ではない」
「逆法とぞんずるッ」
「貴殿《きでん》の尊奉《そんぽう》なさる越後《えちご》の天鼓流《てんこりゆう》では、まだ作事《さくじ》や築工《ちつこう》に時勢《じせい》おくれのところがあるゆえ、それを逆法と思われるかも知らぬが、自分の信《しん》ずる越前《えちぜん》……」
と、いいかけて、卜斎《ぼくさい》、グッとつまった。
――越前|北《きた》ノ庄《しよう》の城をじっさいにきずいたわが八風流《はつぷうりゆう》では! と、ここで卜斎、大見得《おおみえ》をきっていばりたかったところなのであるが、なぜか、グッ……とまっ赤《か》になって、絶句《ぜつく》した。
それをいうと、柴田勝家《しばたかついえ》の遺臣《いしん》という、自分の前身《ぜんしん》が暴露《ばくろ》する。
ほろびた柴田の残臣《ざんしん》を、まだねらっている者もたくさんあるし、ことに豊臣家《とよとみけ》の者のいるところで、それをいうのは禁物《きんもつ》だ。
賛之丞《さんのじよう》は、ここぞとばかり、発矢《はつし》と軍扇《ぐんせん》を握《にぎ》りながら、
「ご自身の信《しん》ずるご流名《りゆうめい》はなにか」と、攻《せ》め立てた。
「う……」と、卜斎いよいよタジタジして、
「いや、わしは信じる」
「なにを」
「逆法《ぎやくほう》ではない、けっして。逆法とはいわさん」
と、すこぶるあいまいにゴマ化《か》したが、そのたいどにろうばいのようすがじゅうぶんに見えたから、一時《いちじ》に静かな空気を破《やぶ》って、ドッという嘲声《ちようせい》がわき返《かえ》り、さしも強情《ごうじよう》な卜斎《ぼくさい》、ついに、半分|紛失《ふんしつ》している小鼻《こばな》のわきへ、タラタラと脂汗《あぶらあせ》をながしてしまった。
「築城論《ちくじようろん》、うち切り」
奉行《ぶぎよう》の声がかかったので、卜斎はからくも引分《ひきわけ》のていで引きさがったが、群集《ぐんしゆう》は正直《しようじき》である。村上賛之丞《むらかみさんのじよう》のたまり場《ば》へむかって歓呼《かんこ》を浴《あ》びせた。
八|車流《しやりゆう》の築城家《ちくじようか》牧野雷堂《まきのらいどう》。
それと――。
月花流《げつかりゆう》の柳川左《やながわさ》太夫《だゆう》。
このふたりの論争《ろんそう》も、綿密《めんみつ》な築城法《ちくじようほう》のことから意見《いけん》が衝突《しようとつ》し、城《しろ》の間道埋設《かんどうまいせつ》の要点《ようてん》で、かなり論争《ろんそう》に火花をちらし合ったが、ついに八|車流《しやりゆう》の敗北《はいぼく》となって、月花流《げつかりゆう》の熊本方《くまもとがた》では、白扇《はくせん》をふって勝ちどきをあげた。
だが、見物《けんぶつ》は少々たいくつした。
築城試合《ちくじようじあい》も、じっさいに縄取《なわど》りの早さでも腕競《うでくら》べしてくれればありがたいが、議論《ぎろん》だけでは吾人《ごじん》には少しむずかし過《す》ぎて肩《かた》がはるぞ、という顔つき。
ところが――。
そのあとですぐに、万雷《ばんらい》のごとき拍手《はくしゆ》がおこった。
相州鎌倉地福寺《そうしゆうかまくらじふくじ》の学僧《がくそう》、一刀流《いつとうりゆう》の剣《けん》の妙手《みようしゆ》として聞えた慈音《じおん》という坊《ぼう》さんのすがたが見えたからである。
対手《あいて》は?
心貫流《しんかんりゆう》の丸目文之進《まるめぶんのしん》だろう。イヤ、吉岡流《よしおかりゆう》の祇園藤次《ぎおんとうじ》だろう。なアに諸岡一羽《もろおかいちう》なら慈音《じおん》とちょうどいい勝負、などと衆人《しゆうじん》の下馬評《げばひよう》からして、この方《ほう》は活気《かつき》が立つ。
思いきや、時にあなたなる西側《にしがわ》の鯨幕《くじらまく》をしぼって、すらりと姿《すがた》をあらわした壮漢《そうかん》の手には、遠目《とおめ》にもチカッと光る真槍《しんそう》が持たれていた。
「笹《ささ》の才蔵《さいぞう》! 笹の才蔵!」
だれいうとなく喧伝《けんでん》した。
山崎《やまざき》の合戦《かつせん》で、敵《てき》の首が腰《こし》につけきれず、笹《ささ》にさして実検《じつけん》にそなえたというので、可児《かに》というよりも、笹《ささ》の才蔵《さいぞう》の名のほうが民間《みんかん》には親《した》しみがある。
すなわち、こんど秀吉《ひでよし》のいいつけで、井上大九郎《いのうえだいくろう》、真田源次郎《さなだげんじろう》と共《とも》に、わずか三人きりで豊臣家《とよとみけ》を代表《だいひよう》してきた可児才蔵だ。
才蔵の槍《やり》は黒樫《くろがし》の宗旦《そうたん》みがき。抜《ぬ》き身である。水が垂《た》れそうだ。
それを持って、すずしそうに、歩《ある》いてくる。
白布《しらぬの》の汗止《あせど》め、キッチリとうしろに結《むす》び、思いきって袴《はかま》を高くひっからげた姿《すがた》――群集《ぐんしゆう》のむかえる眼にも涼《すず》しかった。
黙礼《もくれい》した。
地福寺《じふくじ》の慈音《じおん》と笹《ささ》の才蔵《さいぞう》。
慈音はむろん僧形《そうぎよう》である。
手には、タラリと長い木剣《ぼつけん》。
木剣とはいいながら枇杷《びわ》二|尺《しやく》八|寸《すん》の薄刃《うすば》であるから、それは、真剣《しんけん》にもひとしいものだ。
ひょっと、わき見をしていた者が見なおすと、もうそこにパッと砂《すな》が立っている。
才蔵は槍《やり》をひくめにつけて慈音《じおん》に迫《せま》らんとし、慈音の両眼《りようがん》は中段にとった枇杷刀《びわとう》のミネにすわっている。
見物《けんぶつ》はハッと息《いき》をのんだが、そのとき、あなたの幔幕《まんまく》やこなたの鯨幕《くじらまく》のうちで、しゅんかん、ワーッという侍《さむらい》たちの声があがった。
これ、槍術家《そうじゆつか》がわの者と、剣道方《けんどうがた》の者とが、しぜん、おのれのよるところへおもわず発《はつ》した声援《せいえん》と思われたが、それも、ただ一刻《いつこく》にして、パッタリとしずまる。
おお、その時だ!
才蔵の手がサッと槍をかくした。見ゆるは指《ゆび》と穂先《ほさき》だけである。
パン! と慈音の肩《かた》の上でとつぜんな音がした。
槍《やり》は高くのびて、一条《いちじよう》の光、ななめにたたきかわされている。
才蔵《さいぞう》のひく手の早さ。
ぶンとうなったのは二どめの突《つ》き、まえの槍《やり》の寸法《すんぽう》が倍《ばい》にのびていったように慈音《じおん》の胸板《むないた》へ走ったが、
「かッ!」
と、口をむすんだ地福寺《じふくじ》の慈音、それをはずしたとたんに黒い鸞《らん》が舞《ま》ったかのごとく、刀《とう》をふりかざして才蔵の手もとへおどった。
だが! おそかった。
笹《ささ》の才蔵はうしろへ身をはね、白い槍《やり》の穂先《ほさき》が墨染《すみぞめ》の袖《そで》をぬって、慈音のきき手をくるわせた。
明らかに勝負だった。
やぶれた慈音は、衣紋《えもん》をただして溜《たま》りへさがる。
にわかにわいたのは剣道組《けんどうぐみ》。
試合目付《しあいめつけ》を通《つう》じて、笹《ささ》の才蔵へもう一勝負《ひとしようぶ》とある。
そして、愛洲陰流《あいずかげりゆう》の疋田浮月斎《ひきだふげつさい》が雪辱《せつじよく》にでたが敗《やぶ》れ、香取流《かとりりゆう》のなにがしがまた敗れ、いよいよ試合《しあい》がコジれだして、なにかただならぬ凶雲《きよううん》を、この結末《けつまつ》が招《まね》きはしまいかとあんじられるほど、一種《いつしゆ》の殺気《さつき》が群集《ぐんしゆう》の心理《しんり》をあっして、四|番試合《ばんじあい》、五番試合をいいつのる者も、それを|ぼうかん《ヽヽヽヽ》している立場《たちば》の者も、なんとなく荒《あら》ッぽい気分に熱《ねつ》してきた。
「すこしおもしろくなってきたな」
「ウーム、こうこなくっちゃ、御岳《みたけ》の兵法大講会《へいほうだいこうえ》らしくない」
と、ニッコリ顔を見あわせていたのは、その空気の一角《いつかく》にあって、四囲《しい》のどよめきを愉快《ゆかい》がっていた忍剣《にんけん》と龍太郎《りゆうたろう》。
小幡民部《こばたみんぶ》はあいかわらずいたって無表情《むひようじよう》にながめているし、伊那丸《いなまる》も冷静《れいせい》なること、すこしも変《かわ》っていなかったが、うるさいのは竹童《ちくどう》。
「強《つよ》いなあ、才蔵《さいぞう》さまはまったく強い。あれは福島市松《ふくしまいちまつ》の家来《けらい》でおいらはあのおじさんを知っている! あのおじさんと口をきいたことがある!」
と、ひとりごとにこうふんしている。
ざんねんそうに、腕《うで》をさすっていたのは、朱柄《あかえ》の槍《やり》をかついでいる巽小文治《たつみこぶんじ》で、
「ウーン、おれも試合《しあい》にでてみたい!」
「だめだ」と、蔦之助《つたのすけ》が、それをうけて、
「どうしても、若君《わかぎみ》からお許《ゆる》しがでない」
「もういちど、お願《ねが》いして見ようじゃないか」
「じゃ、貴公《きこう》がいって見たまえ」
「蔦之助、おまえから一ツお願いしてみてくれ、たのむ、拙者《せつしや》はもうがまんができない」
と、コソコソささやいているのを耳にはさんだ忍剣《にんけん》、じつは、自分じしんが、だれよりもさっきから腕《うで》をウズかせていたおりなので、
「民部《みんぶ》さま、蔦之助《つたのすけ》や小文治《こぶんじ》が、あのように申していることゆえ、なんとか若君《わかぎみ》におすがりして、試合《しあい》に加《くわ》わることお許《ゆる》しくださるよう、一つお取りなしを願いたいものでござるが……」
民部は、忍剣の心を読んでいるように苦笑《くしよう》して、
「さあ、なんとおっしゃるか、おそばにおいで遊《あそ》ばすから、おのおのがたじしんでお願いしてみたらよかろう」
と、しごくアッサリしている。
「いかんわい」
と、忍剣は頭をかいて、龍太郎《りゆうたろう》の脇《わき》の下をソッと突《つ》ッついた。
「おい、後生《ごしよう》だ」
「なにが?」
「尊公《そんこう》から若君へお願いしてくれ。だれにしたって、ここで一番日ごろの鬱憤《うつぷん》を晴《は》らして、腕《うで》の夜泣《よな》きをなぐさめてやりたいのは、人情《にんじよう》じゃないか」
「そりゃ、拙者《せつしや》にしても、木隠流《こがくれりゆう》の戒刀《かいとう》をおもうぞんぶんふるってみたいのはやまやまだが」
「だから……尊公《そんこう》から若君へちょっと」
「む……ウ……」
と、口のうちで返辞《へんじ》をしたが、冷々《れいれい》と、あらぬかたへ眸《ひとみ》をむけている伊那丸《いなまる》の顔を見ると、どうも、いいにくそうにして、貴公《きこう》がいいたまえ、イヤおまえがいえ、とたがいになすり合っているばかり。
そんなことに、ふと目をはなしていたが、試合場《しあいじよう》のさわぎはいよいよ紛乱《ふんらん》して、母衣馬《ほろうま》や目付《めつけ》がものものしくかけまわり、なにか、番組急変《ばんぐみきゆうへん》の太鼓《たいこ》らしい合図《あいず》が、ふいに、ドーンと鳴ったので、忍剣《にんけん》も小文治《こぶんじ》も、ハッと、口をつぐんでそのほうへ目をやった。
――と見ると、笹《ささ》の才蔵《さいぞう》は、うしろ姿《すがた》をこっちに向けて、勝ちすてに豊臣家《とよとみけ》の幕《まく》かげへ引ッこもうとしている。
一方で怒号《どごう》がきこえた。
将棋《しようぎ》だおしにやぶれた剣道方《けんどうがた》。
その溜《たま》り場《ば》の幕が嵐《あらし》のようにゆれて、なにか、渦《うず》になった人間がもめている。
「待てッ。――可児才蔵《かにさいぞう》まてッ」
制止《せいし》する目付役《めつけやく》をふりもぎって、とつぜん、かれのうしろ姿を追いかけた慓悍《ひようかん》なる男があった。――これ祇園藤次《ぎおんとうじ》だった。
すわ!
遺恨試合《いこんじあい》!
「待てまてッ! 才蔵《さいぞう》ッ、もう一勝負《ひとしようぶ》」
藤次《とうじ》は吉岡流小《よしおかりゆうこ》太刀《だち》の使《つか》い手《て》。
右手《めて》に白みがきの栴檀刀《せんだんとう》を引ッさげていた。
自分の控《ひか》え場《ば》まで帰って、いま、幕《まく》の裾《すそ》に手をかけようとしていた才蔵、
「よし!」
いうが早いか、槍《やり》を持ちなおして、敢然《かんぜん》と試合場《しあいじよう》のほうへ帰ってきたが、まだ礼《れい》もすまないうちに血気《けつき》ばしった祇園藤次《ぎおんとうじ》が、颯然《さつぜん》とおどりかかった。
立合《たちあ》いの奉行《ぶぎよう》と目付《めつけ》が、なにか、制止《せいし》するような声をかけたが、騎虎《きこ》、耳にも入らばこそ。
「ひきょう、作法《さほう》を知らぬか!」
と、しかりつけて、サッと槍を手もとに吸《す》う。
藤次はギクッとして、胸板《むないた》を守《まも》った。
小太刀、ピッタリと青眼《せいがん》の不動体《ふどうたい》に。
だが、一閃《いつせん》! かまえは割《わ》れて祇園藤次、タジタジッとあとへさがった。それを、食《く》いつめてゆく才蔵の足の拇指《おやゆび》。
それは真槍《しんそう》だ。
遺恨試合《いこんじあい》となった以上《いじよう》、突《つ》くであろう、肉《にく》を! 脾腹《ひばら》を!
やわか! と必死《ひつし》な藤次、うしろの溜《たま》りでは仲間《なかま》の者は、ワーッと熱風《ねつぷう》のような声援《せいえん》を送《おく》ったが、だめ、だめ、だめ、一|尺《しやく》、二尺、三尺――すでに七、八尺、槍《やり》に追《お》いつめられた祇園藤次《ぎおんとうじ》、
「ムムッ、おのれ!」
捨《す》て身にでて、われからバッと、反撥的《はんぱつてき》に打ちこんだ。
そのとたんに、
突《つ》くよと見えた才蔵《さいぞう》の槍《やり》が、片手《かたて》なぐりに藤次の体《たい》をはらったが、パキン! というすさまじい音と一しょに、かれの手にあった尺《しやく》三、四寸の白栴檀《しろせんだん》の小《こ》太刀《だち》が、槍ではねられた勢《いきお》いをくって、クルクルクルッととんぼのぼりに虚空《こくう》へ向かってすッ飛んだ。
そして、藤次は?
才蔵は?
この勝敗《しようはい》は?
いや、ところが群集《ぐんしゆう》は一せつなに、試合《しあい》の結果《けつか》をその脳裡《のうり》から押《お》ッぽりわすれて、
「あ! あ! あ! あ! あッ!」
と、空へ目をつってしまった。
小太刀のちいさくなる空へ――。
読者《どくしや》よ。
次《つぎ》におこる驚天動地《きようてんどうち》の争闘《そうとう》。御岳山上《みたけさんじよう》におけるこの篇《へん》の大眼目《だいがんもく》を描《えが》くために、あえて、ここに緩慢《かんまん》な数行《すうぎよう》をついやす筆者《ひつしや》の作心《さくしん》の支度《したく》をゆるしたまえ。
はしなくも、遺恨試合《いこんじあい》となった激怒《げきど》のハズミに、才蔵《さいぞう》の槍《やり》の勢《いきお》いで、虚空《こくう》にとばされた白栴檀《しろせんだん》の木《き》太刀《だち》が、そのとき、つつがなく地上に落ちてかえってくれば、なんのことはなかったのである。
たとえ、才蔵一身《さいぞういつしん》に一|部《ぶ》の嫉視《しつし》はのこっても、のちに現出《げんしゆつ》したような、意外《いがい》な大事にはならなかったであろう。
また、若き人たちの血気《けつき》を、ことなかれと、きょくりょくおさえ止《と》めていた伊那丸《いなまる》や民部《みんぶ》も、なんのくろうなく、大講会《だいこうえ》二|日目《かめ》の行事《ぎようじ》を見納《みおさ》めしたにちがいない。
しかし、不測《ふそく》な変事《へんじ》は、いつも、こうして意表外《いひようがい》なところから顔をだす。
――この大講会《だいこうえ》に血《ち》を見るなかれ!
――この大講会に邪兵《じやへい》をうごかすなかれ!
神官《しんかん》は祭壇《さいだん》にこう祈祷《きとう》したが、あのハズミで飛んだ一|片《ぺん》の木《き》太刀《だち》が、まッたく予想《よそう》もせぬ風雲《ふううん》を地上から迎《むか》えにいったものになろうとは、おそらく、御岳《みたけ》の神の叡智《えいち》にもわからないのがほんとうであろう。
美女天《びじよてん》に遊《あそ》ぶ
さて。
空に高くとばされた栴檀《せんだん》の木《き》太刀《だち》。
そのゆくえにつられて、いっせいに、空へ上《うわ》むきになった群集《ぐんしゆう》のひとみは――ハッと一しゅんに、なにか異様《いよう》なものにつきあたったかのように、
「あッ、あれ――」
と、妙《みよう》な顔つきになった。
魂《たましい》を抜《ぬ》かれた顔。
あッ気《け》にとられた目。
現《うつつ》――無我《むが》――夢中《むちゆう》――の群集《ぐんしゆう》。
とたんに、
ドウーッという空鳴《そらな》りが宇宙《うちゆう》をひくく走った。
そして、幕《まく》のごときまッ黒な怪物《かいぶつ》が、日輪《にちりん》の光を雄大《ゆうだい》な翼《つばさ》のかげにかくし、クルルッ――と巻《ま》きあがっていった栴檀刀《せんだんとう》を目がけて、どこからかまるで魔風《まかぜ》のように翔《か》けおりてきたかと見ると、
ガツン
とばかりその嘴《くちばし》が、本能的《ほんのうてき》に空の木《き》太刀《だち》をくわえ取った。
「鷲《わし》」
ぼうぜんたる錯覚《さつかく》をドヤしつけられたしゅんかんに、
「オオうッ」
「あれよ、あれよ、あれ! ……」
どよめき立った数万《すうまん》の大衆《たいしゆう》は、その時まるでホジクリだされた虫のごとく、地上にあってまッ黒に蠢動《しゆんどう》し、ただ囂々《ごうごう》、ただ喧々《けんけん》、なにがなにやら、叫《さけ》ぶこえ、喚《わめ》くこえ、それともうもうたる黄塵《こうじん》の万丈《ばんじよう》。
ただ、試合《しあい》にばかり気をうばわれていた人々は、それよりほんの少しまえに、御岳《みたけ》の西方、御前山《おんまえさん》の森から舞《ま》いあがったこの怪物《かいぶつ》のかげが、浅黄色《あさぎいろ》にすみわたった空にゆるやかな弧《こ》をえがきつつあったのを万人《ばんにん》が万人、すこしも気がつかなかったのである。
またいくども、ひろい試合場《しあいじよう》の砂地《すなじ》や、自分たちの顔に、その偉大《いだい》な怪影《かいえい》が太陽《たいよう》をかすめるごとに、とおり魔《ま》のような影《かげ》を投げていたのも、まったく知らずにいた。
地上の人間が、ただ、アレヨアレヨと|あぶく《ヽヽヽ》のごとく沸騰《ふつとう》して、手の舞《ま》い足の踏《ふ》むところを知らずにいるのにひきかえて、いま、一ぴきの虫でもくわえたように、するどい嘴《くちばし》に木《き》太刀《だち》をさらった大鷲《おおわし》は、ゆうゆうと茶褐色《ちやかつしよく》の腹毛《はらげ》を見せて、そこを去《さ》らんともせず、高くも舞わず、御岳《みたけ》の空を旋回《せんかい》している。
時に、光線《こうせん》のかげんで、そのまッ黒なつばさの艶《つや》を射《い》るような金色《きんいろ》の瞳《ひとみ》までがありありと見えた。
いや、それだけならいい! それだけの事実《じじつ》だったなら、まだ地上の人々も、こうまでは胆《きも》をつぶさなかったにちがいない。
「あッ、帯《おび》がさがっている!」
「女の帯」
「赤い袖《そで》が見える」
「女が乗っているんだッ……女が、女が」
「ど、ど、どこに?」
「鷲《わし》のうえに――女が、女が!」
熱病《ねつびよう》のように叫《さけ》びあった。
気ちがいのように指《ゆび》を向けた。
その時。
押《お》しつもまれつする人波《ひとなみ》のあいだから、泳《およ》ぐように顔をだした鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、忍剣《にんけん》や小文治《こぶんじ》などの、仲間《なかま》の者までむちゅうになって押《お》しのけながら、
「あッ……た、大へん」
「竹童ッ、あぶないッ」
だれかがとめたが、突《つ》きとばして、
「それどころじゃない、あれ! あれは咲耶子《さくやこ》」
「えッ、咲耶子ッ?」
「咲耶さんです、咲耶さんです! 躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の源氏閣《げんじかく》からどこかへ逃《に》げた咲耶子さんにちがいない」
「ウーム、そう申せば女らしい人かげがみえる」
と、木隠《こがくれ》や小幡民部《こばたみんぶ》も、その大鷲《おおわし》にはおぼえがあるが、どうして咲耶子《さくやこ》が、ここの空へ舞《ま》ってきたのか、ただただふしぎな思いにうたれるのみだった。
「竹童、さわぐまい」
伊那丸《いなまる》は、周囲《しゆうい》をはばかってこういった。
だが竹童、いまは、その声も耳にはいらなかった。かれはいつのまにか抱《だ》きとめていた蔦之助《つたのすけ》の手をもぎはなして、
「クロ! クロ! 咲耶子さん――」
われをわすれて雑鬧《ざつとう》のなかを走ってゆく。
ところが、ここにまた。
かれと同じように、そのクロの名をよんで、右往左往《うおうさおう》にみだれ立った試合場《しあいじよう》のなかをかけめぐりつつ、手をふっている二少年がある。
ひとりは、さいぜん、村上賛之丞《むらかみさんのじよう》と築城問答《ちくじようもんどう》をやってしゅびよくその鼻《はな》をへこまされた鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》のお供《とも》、すなわち泣き虫の蛾次郎《がじろう》である。
「やアーい、やアーい」
蛾次はむちゅうだ。大さわぎだ。
クロはかれにも二|無《な》き親友である。
どこの溜《たま》り場《ば》にもぐっていたのか、かれはクロを見るやいな、目の色かえて、めくら滅法《めつぽう》に試合場《しあいじよう》へおどりだし、
「おれのクロだ、おれのクロだ! やアーい、ちくしょうッ、やアーいッ、クロ!」
とどかぬものに飛びあがって、ひとりであばれまわっている。
と――同じように、
「あれ、あれ、あれ。あの鷲《わし》かえせ! あの鷲かえせ!」
と、訴《うつた》えるごとく、泣くごとく、狂気《きようき》になって叫《さけ》んでいたのは、先《さき》つかた、躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の館《たち》の、かの源氏閣閣上《げんじかくかくじよう》において、咲耶子《さくやこ》のために、その鷲をうばわれた浜松城《はままつじよう》の小さきお使番《つかいばん》星川余一《ほしかわよいち》だった。
それと見るやまた、葵紋《あおいもん》の幔幕《まんまく》をはりめぐらした徳川家控《とくがわけひか》えどころの帳《とばり》のうちでも、
「おお、余一がさわいでいるぞ」
「余一が失《な》くしたクロはあれじゃ」
「あの鷲逃《わしに》がすなッ」
と、群雀《ぐんじやく》のように叫《さけ》びあってる。
「それッ」
と、そこの葵の幕を切っておとし、巣《す》をやぶった蜂《はち》の子《こ》のごとくわれ先にと飛びだしてきたのは、はるばる浜松《はままつ》から見物《けんぶつ》にきていたきれいな一隊《いつたい》。
家康《いえやす》の孫《まご》、徳川万千代《とくがわまんちよ》を餓鬼大将《がきだいしよう》といただく、お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》の面々《めんめん》である。
あなたのできごと。
ここのそうどう。
それらはすべて大鷲出現《おおわししゆつげん》のせつなにおける、ほんの、目《ま》ばたきする間《ま》の現象《げんしよう》でしかない。
もはや、兵法大講会《へいほうだいこうえ》は、この意外《いがい》な椿事《ちんじ》のため、その神聖《しんせい》と森厳《しんげん》をかきみだされて、どうにも収拾《しゆうしゆう》することができなくなった。
奉行《ぶぎよう》を無能《むのう》というなかれ。目付役人《めつけやくにん》の狼狽《ろうばい》をののしるも、また無理《むり》である。
群集《ぐんしゆう》の心理《しんり》が、かく落ちつかなくなったものを、にわかに鎮撫《ちんぶ》することは、とうてい容易《ようい》なことではない。
心あるものはそれをあんじていた。
「どうなるであろうか。このさわぎが」――と、
しかるに、ここに泉州堺《せんしゆうさかい》の住人《じゆうにん》、一火流《いつかりゆう》の石火矢《いしびや》と又助流《またすけりゆう》の砲術《ほうじゆつ》をもって、畿内《きない》に有名な鐘巻一火《かねまきいつか》という火術家《かじゆつか》。
一門の門弟《もんてい》四、五十人をひき具《ぐ》して、おなじく、御岳山上《みたけさんじよう》の一端《いつたん》に、短銃打《たんじゆうぶ》ッちがえの定紋《じようもん》をつけた幕《まく》をはりめぐらし、そのうちにひかえて、すでに火術試合《かじゆつじあい》の申し出《い》でをしている一組《ひとくみ》だったが、大鷲出現のこのさわぎに、いみじくも、そこだけは申し合わせたように、ヒッソリしていた。
「こういうおりがまたとあろうか。鐘巻一火《かねまきいつか》の秘技《ひぎ》を衆人《しゆうじん》に知らしめるのは、この時だ」
と、一火《いつか》は幕《まく》のうちにたって、新渡来《しんとらい》又助式《またすけしき》の鉄砲《てつぽう》をキッとつかんだ。
「先生、火縄《ひなわ》!」
と、早くもその心をよんで、門下《もんか》のひとりが火縄を吹《ふ》いてわたす。
一火の眼は宙《ちゆう》に吸いつけられている。
いま――。
鷲《わし》はふもとの多摩川《たまがわ》へ、水でも飲《の》みに降《お》りるように、ななめにさがりかけたところだった。
だが、翼《つばさ》をかえすと、しゅんかんに、また、目前《もくぜん》に近よってくる。
おそるべきその羽風《はかぜ》! ただ、目にながめたところでは、それはいかにもゆるやかで、泉《いずみ》をおよぐ魚《うお》のかげみたいに、あおい太虚《たいきよ》をしずかに舞《ま》いめぐっているとしか見えないのだが、サア――ッと、頭上にきたかと思うと、あなたこなたの鯨幕《くじらまく》は一せい風をはらみ、地上の紅葉《こうよう》は逆《さか》しまに吹《ふ》きあげられて、さんさんと黒く、さんさんと紅《あか》く、卍《まんじ》をえがき、旋風《つむじ》となって狂う。
「うぬッ、奇《き》ッ怪《かい》な女め」
鐘巻一火の腕《うで》に、ピタッと、鉄砲《てつぽう》の筒《つつ》がすわりついた。
ドーン!
御岳《みたけ》の岩根《いわね》をゆるがすような轟音《ごうおん》。
これも全山《ぜんざん》の人には、寝耳《ねみみ》に水のおどろきであったろう。
ゴーッと遠い音波《おんぱ》をひびかせて、峰谷々《みねたにだに》の木魂《こだま》がひびき返《かえ》ってきたあとから、ふたたび、山《やま》海嘯《つなみ》にも似《に》た喊声《かんせい》のどよめき。
見よ、
鷲《わし》は、まッさかさまに墜《お》ちてきた。
――うつくしい女の帯《おび》を尾《お》にひいて。
文殊菩薩《もんじゆぼさつ》とほか四|菩薩《ぼさつ》
鐘巻一火《かねまきいつか》の鉄砲《てつぽう》は狙《ねら》いをあやまたなかった。
どこかにあたったにちがいない。その証拠《しようこ》には、くるった大鷲《おおわし》は、地上十四、五|尺《しやく》のところまでおちてきた。
だが。
とつぜんそこで、クルッと巨大《きよだい》なからだをまわしたと思うと、あッとあきれる人声をあとに、鷲《わし》は天目山《てんもくざん》の方角《ほうがく》へむかって、一直線《いつちよくせん》――弩《ど》をはなれた鉄箭《てつせん》のように飛んでしまった。
しかし。
人々の眼は、その行方《ゆくえ》に気をうばわれているよりも、とつぜん試合場《しあいじよう》の南のすみへ、
「それ」
と、なだれをうってあつまった人かげへ、なにごとかと、あたらしい驚目《きようもく》をみはっている。
「お医師《いし》! お医師|衆《しゆう》!」
と、そこでさわぐこえがする。
あなたの控《ひか》え所《じよ》へ出張《でば》っていた典医衆《てんいしゆう》は、なにがなにやらわからないが、とにかく、呼《よ》び立つこえがしきりなので、薬籠《やくろう》をかかえてその人なかへかけつけた。
だが、その典医たちがくるよりも、鐘巻一火《かねまきいつか》が門下《もんか》の壮士《そうし》一隊《いつたい》をしたがえてそこへ飛んできたほうが一足《ひとあし》ばかり早かったのである。
そして、口々に、
「ごめん」
「ごめん、ごめん」
こういいつつ、一火をはじめ白袴《しろばかま》の門下《もんか》たちが、あたりの役人を押《お》しわけて前へすすんできたかと思うと、地上に気をうしなってたおれていた美女《びじよ》のからだを、てんぐるまにかつぎあげて、自分たちの溜《たま》り場《ば》へ電光石火《でんこうせつか》にひっかえし、鉄砲《てつぽう》ぶッちがえの定紋《じようもん》を張《は》りまわしたなかに鳴りをしずめてしまった。
「おう――」
それをながめた竹童《ちくどう》が、試合場《しあいじよう》の中央《ちゆうおう》で飛びあがるように手をふると、あなたにいた木隠《こがくれ》、巽《たつみ》、加賀見《かがみ》、山県《やまがた》の四人、矢来《やらい》の木戸口《きどぐち》から一散《いつさん》にそこへかけだしてきて、
「竹童。いま鷲《わし》から落ちたのは、たしかに咲耶子《さくやこ》にそういないか」
と、息《いき》をせいていう。
「たしかにそうです。咲耶さまです。――その咲耶さんが鉄砲《てつぽう》にうたれたから、鷲《わし》のほうは怪我《けが》もなく逃《に》げてしまったんです」
「えッ、鉄砲に撃《う》たれた?」
「あの幕張《まくば》りの中へかついでいった侍《さむらい》の袴《はかま》が、血《ち》にあかく染《そ》まりましたから、それにそういないと思います。龍太郎《りゆうたろう》さま、はやく、あれへいって咲耶子さまを取りかえしてください」
「そうか!」
「おお」
というと、もう忍剣《にんけん》は例《れい》の鉄杖《てつじよう》を小脇《こわき》にして、鐘巻一火《かねまきいつか》の幕前《まくまえ》へいきおいこんで馳《か》けだしていた。
なにがさて、髀肉《ひにく》の嘆《たん》をもらしながら、伊那丸《いなまる》のゆるしがでぬため、いままでジッと腕《うで》をさすっていた人々、鎖《くさり》をとかれた獅子《しし》のような勢《いきお》いだ。
竹童もあとにつづいて馳《か》けだしながら、口にはださないが心のうちで、
(さあこい! おいらのおじさんたちの男らしさを見てくれ!)
そんな誇《ほこ》りがどこかにあった。
すると、ほとんど同時のこと。
咲耶子《さくやこ》をてんぐるまにして引きあげてきた鐘巻一火《かねまきいつか》のあとを追《お》って、そこへ殺到《さつとう》した人々がある。
大講会総奉行《だいこうえそうぶぎよう》の大久保石見守長安《おおくぼいわみのかみながやす》、その家臣《かしん》、その目付役《めつけやく》、その介添役《かいぞえやく》、等《とう》、等、等。
いきなり一火の溜《たま》り場《ば》へドカドカと入ろうとすると、なかから姿《すがた》をあらわした鐘巻一火じしんと、屈強《くつきよう》な門弟《もんてい》が、帳《とばり》の入口にたちはだかって、
「やあ狼藉者《ろうぜきもの》、どこへゆく!」
と、大手《おおで》をひろげた。
徳川家《とくがわけ》の重臣《じゆうしん》、甲州《こうしゆう》躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の城主《じようしゆ》、大講会総奉行、それらの肩書《かたがき》を威光《いこう》にきている長安は、
「どこへまいろうと仔細《しさい》はない。身《み》は総奉行の大久保石見守じゃ」
と言下《げんか》に肩《かた》をそびやかしていった。
「だまれッ」
一火《いつか》は武術家《ぶじゆつか》気質《かたぎ》、とどろくような雷声《らいせい》で、
「ここは鐘巻《かねまき》の陣地《じんち》もどうよう、鉄砲紋《てつぽうもん》を張《は》りまわしたこのなかへ、むだんで一歩たりと踏《ふ》みこんで見よ、渡来《とらい》の短銃《たんじゆう》をもって応対《おうたい》申すぞ」
「聞きずてにならぬ暴言《ぼうげん》、用《よう》があればこそ幕内《まくうち》へとおる。それは奉行《ぶぎよう》の役権《やつけん》じゃ。役儀《やくぎ》の権《けん》をもって通《とお》るになんのふしぎがあろう。どけどけ」
「いや、奉行であろうが、目付衆《めつけしゆう》であろうが、試合《しあい》のことならとにかく、意味《いみ》もなく、われわれの陣地を踏《ふ》ますことはならん。用があるならそこでいえ」
「ウーム、強《た》って通《とお》さんとあらばぜひがない。では、ただいま奥《おく》へにないこんだ婦人《ふじん》をこれへだしてもらいたい」
一火は聞くとカラカラと笑《わら》って、
「総奉行《そうぶぎよう》たる貴殿《きでん》が、不審《ふしん》なことをもうされるものかな。大講会《だいこうえ》の空を飛行《ひこう》して、試合《しあい》の心をみだす奇怪《きかい》な女を、拙者《せつしや》が一火流《いつかりゆう》の砲術《ほうじゆつ》をもって撃《う》ち落とし、かく衆人《しゆうじん》のさわぎを取りしずめたものを、なんでその女をわたせなどと見当《けんとう》ちがいなご抗議《こうぎ》を持ちこまれるのか。――それよりはすこしも早く、つぎの試合《しあい》の支度《したく》でもいそがれるが、そこもとの役目ではないかとぞんずる」
「さような指図《さしず》はうけんでもよろしい!」
石見守《いわみのかみ》は額《ひたい》に青筋《あおすじ》を立てて、
「あの者は、源氏閣《げんじかく》の上より逃亡《とうぼう》して、その後《ご》ゆくえ知れずになっていた咲耶子《さくやこ》という不敵《ふてき》な女、ことに、浜松城《はままつじよう》に差《さ》し立てることになっている罪人《ざいにん》じゃ。わたさぬとあれば、徳川家《とくがわけ》の武威《ぶい》のほどを示《しめ》しても申しうけるがどうじゃ!」
いうことばの終るのを待たず、
「血《ち》まような、石見守《いわみのかみ》ッ」と、一火《いつか》は激越《げきえつ》に、
「汝《なんじ》、総奉行《そうぶぎよう》という重き役目にありながら、じしんから大講会《だいこうえ》のやくそくを破《やぶ》ってもよいものか。――この御岳《みたけ》三日《みつか》のあいだは、兵を動かすなかれ、血《ち》を流すなかれ、仇国《きゆうこく》との兵火《へいか》もやめよという掟《おきて》の下《もと》に行《おこな》われることは、ここにあつまる天下の武門《ぶもん》、百姓《ひやくしよう》町人《ちようにん》もあまねく知るところ。――それを、弓矢《ゆみや》にかけてもと申したいまの一言《いちごん》、それは正気《しようき》か! おどかしか! 見ごと取れるものなら武力をもって取ってみろ」
これは理《り》のとうぜん。
石見守長安《いわみのかみながやす》は、ハッと醒《さ》めたような顔色になった。そして自分の過言《かごん》に気がついたらしく、
「いや鐘巻《かねまき》先生」
と、急にたいどをかえて、
「不肖《ふしよう》、奉行《ぶぎよう》の身をもって、混乱《こんらん》のなかとはいえ、過激《かげき》に似《に》たことばを発《はつ》したのは、重々《じゆうじゆう》なあやまり、どうかお気持をとりなおしていただきたい」
「そう尋常《じんじよう》に仰《おお》せあるなら、なにも、このほうとて、威猛高《いたけだか》になる理由《りゆう》はない」
「ところで、ただいまもうした咲耶子《さくやこ》という女は、なにか、そこもとのほうで捕《と》らえておく必要《ひつよう》がおありなのか」
「いやいや、じぶんとしては、さいぜんからの騒擾《そうじよう》をしずめる手段《しゆだん》として、やむなく発砲《はつぽう》したまでのこと、それゆえ、女の左の腕《うで》をねらって、一命《いちめい》にはさわりのないように、はじめから用意《ようい》しておる」
「ならば、あの鷲《わし》のからだをねらってうったほうがよかったであろうに」
「あれほどの大鷲《おおわし》が、一|発《ぱつ》の弾《たま》でおちてくるはずはない。さすれば、女は谷《たに》へふりおとされ、二ツの生命《いのち》を傷《きず》つけることになる。これも、御岳《みたけ》三日《みつか》の神文《しんもん》の約《やく》を守《まも》ればこそ」
「さすがは一火《いつか》先生、それほどまでのご用意《ようい》があろうとは、石見守《いわみのかみ》も敬服《けいふく》にたえませんです。いずれこのことは大講会《だいこうえ》閉会《へいかい》ののちに主君家康公《しゆくんいえやすこう》にもうしあげて、なにかの形《かたち》でご表彰《ひようしよう》いたしたいと思うが……」
と、長安《ながやす》は老獪《ろうかい》な弁舌《べんぜつ》で、単純《たんじゆん》な武芸者肌《ぶげいしやはだ》の一火を、たくみにおだてあげ、さてまた、
「そちらにご不用なあの咲耶子《さくやこ》、右のしだいゆえ、どうかこのほうへお下《さ》げ渡しを願いたい」
と、ものやさしく奥《おく》の手をだした。
するととつぜん、ことばの横から、
「イヤ、待ッた!」
ずんと鉄杖《てつじよう》を大地について、加賀見忍剣《かがみにんけん》がそれへでてきた。
忍剣《にんけん》のうしろには木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》、巽小文治《たつみこぶんじ》、竹童《ちくどう》など、いずれも非凡《ひぼん》な面構《つらがま》えをして突《つ》ッ立っている。
長安《ながやす》は、まさかそれが、小太郎山《こたろうざん》の残党《ざんとう》、伊那丸幕下《いなまるばつか》の者であろうとは夢《ゆめ》にも知らず、
「なにッ?」
と、五人のすがたへ賤《いや》しめるような目をくれて、
「何者《なにもの》だ! きさまたちは」
きッとなって、睨《ね》めつけた。
忍剣はおちつきはらって、
「拙僧《せつそう》は西方《さいほう》の国より大心衆生《たいしんしゆじよう》の人間界《にんげんかい》に化現《けげん》した釈迦《しやか》の弟子《でし》、文殊菩薩《もんじゆぼさつ》という男。――またうしろにいるのは、勢至菩薩《せいしぼさつ》、弥勒菩薩《みろくぼさつ》、虚空蔵菩薩《こくうぞうぼさつ》、大日菩薩《だいにちぼさつ》の人々であるが……」
あまりでたらめなことばに、あい手があッけにとられているのを見くだしながら、忍剣はきまじめに、
「ただいま、われらとしたしい勢至菩薩が、鷲《わし》にのって天行《てんこう》しつつ、この試合場《しあいじよう》をながめているうち、一火殿《いつかどの》の鉄砲《てつぽう》に傷《きず》つけられたようすゆえ、一同そろって見舞《みま》いにまいったのでござる。それを浜松城《はままつじよう》へ差《さ》し立てる罪人《ざいにん》などとは、飛んでもないあやまり、どうか、あの婦人《ふじん》は吾々《われわれ》のほうへお渡《わた》しを願《ねが》いたい」
(こやつ、気狂《きちが》いにそういない)
石見守《いわみのかみ》は相手にせず、一火《いつか》へ向かって、
「いざ、こうしてひまどられては、かんじんな試合《しあい》の順序《じゆんじよ》がおくれるばかり。どうか、あれなる咲耶子《さくやこ》は縄《なわ》つきとして自分のほうへ渡されたい」
「いやいや、いかに人間界《にんげんかい》に化現《けげん》している身とはいえ、勢至菩薩《せいしぼさつ》を縄《なわ》つきなどになされては、あとの仏罰《ぶつばつ》がおそろしかろう。あの婦人はわれわれ五人へ渡したまえ」
「ふらちな売僧《まいす》め、文殊菩薩《もんじゆぼさつ》の勢至菩薩のと、だれがさようなたわごとを信《しん》じようか。あいや一火先生《いつかせんせい》、ぜひ、咲耶子はこの長安《ながやす》のほうへ」
「イヤ、ぜひともわれわれ五|菩薩《ぼさつ》へ」
「いいや、長安が申しうける」
「なんのだんじて拙僧《せつそう》がもらいうけた!」
双方《そうほう》、いいつのって、鐘巻一火《かねまきいつか》のとばりのまえを一|寸《すん》たりとひく色がない。
これが、御岳神文《みたけしんもん》の三日《みつか》でなければ、とっくに、長安《ながやす》も家来《けらい》に顎《あご》をしゃくって抜刀《ばつとう》を命《めい》じたであろうし、気のみじかい忍剣《にんけん》の禅杖《ぜんじよう》が、ブンと石見守の頬骨《ほおぼね》をおさきにくだいていたかもしれない。
だが、幸《こう》か不幸か、なにしろ、血《ち》を見るなかれの場所《ばしよ》であり、三日である。
その善《ぜん》と悪《あく》たるを問《と》わず、さきに神文の約《やく》をやぶれば天下の武芸者《ぶげいしや》にその信《しん》を失《うしな》わなければならない。
で、これはどこまで、押《お》し根気《こんき》の懸合《かけあ》いだ。
弱《よわ》ったのは、鐘巻一火《かねまきいつか》。
かれが大久保長安《おおくぼながやす》にいったことばは、すこしもうそのないところである。かれが一火流《いつかりゆう》の手のうちを見せようとはかってした行為《こうい》の目的《もくてき》はたっしている。
咲耶子《さくやこ》のからだはかれに用《よう》がない。内心《ないしん》では、渡《わた》してやってもいいと考えている。
しかし、長安のほうに渡すのが至当《しとう》か、五|菩薩《ぼさつ》の仮名《けみよう》をつかってでてきた者にわたしたほうがいいものか、双方《そうほう》のあいだにはさまって、まったくとうわくの顔色だ。
しかも、五人の偽菩薩《にせぼさつ》の顔色をジロリと見ると、もし自分が石見守《いわみのかみ》に加担《かたん》して、いな、と一言《いちごん》に突《つ》ッぱねれば、どういう手段《しゆだん》にもうったえかねない底意《そこい》がよめる。
そこは、一火もひとかどの武芸者《ぶげいしや》、
(ウム、これは大難事《だいなんじ》、うかつに軍配《ぐんばい》をあげられないぞ)
早くもさっしたから、よけいにこの難問題《なんもんだい》の決断《けつだん》がつかなかった。
一方、群集《ぐんしゆう》のほうでは、矢来越《やらいご》しに遠見《とおみ》なので、こうした事情《じじよう》が、そこに起っているとはわからない。ただいつまでも試合場《しあいじよう》の中央《ちゆうおう》が大きな空虚《くうきよ》になりッぱなしとなって、人ばかり右往左往《うおうさおう》しているので、さかんにガヤガヤもめている。
すると、鐘巻一火。
そうほうの仲《なか》に板挟《いたばさ》みとなって、ややしばらく、腕《うで》をくんでしまったが、やがて、大久保《おおくぼ》がたの者と忍剣《にんけん》たちの両方《りようほう》へ対《たい》して、
「お望《のぞ》みの咲耶子《さくやこ》とやらのからだは、何時《なんどき》にても、苦情《くじよう》なくお渡《わた》し申すことにいたそう」
等分《とうぶん》にいって、クルリと、幕《まく》のすそをまくりあげた。――そして、
「お渡しすることはお渡しいたすが……ただしでござる、いずれへお渡しいたすのが正義《せいぎ》なりや、一火《いつか》もホトホトとうわくつかまつるしだい、ついては、ざんじ休息《きゆうそく》のうえ、門弟《もんてい》たちとも評議《ひようぎ》をかさねてあらためてご返答《へんとう》をいたす考え、失礼《しつれい》ながらしばらくそれにてお待ち願いたい」
ハラリと帳《とばり》をおろすと、幕《まく》のかげへ引ッこんでしまった。
この場合《ばあい》にのんきしごくな――。
と思うまもなく鐘巻一火《かねまきいつか》は、また、幕をしぼってあらわれた。
解決《かいけつ》がついたか、まえのとうわくな気色《けしき》が晴《は》れている。
「咲耶子《さくやこ》が気がつきましたぞ」
双方《そうほう》へむかっていった。
「おう、では大《たい》したけがもないか」
「腕《うで》の鉄砲傷《てつぽうきず》は急所《きゆうしよ》がそれておるし、ただいま、門人《もんじん》に手当《てあて》をさせておるゆえ、べつだんなこともないようでござる」
そういってから――さて――と言葉をあらためて、
「ただいまのこと、一同|評議《ひようぎ》の結果《けつか》、これはやはり御岳《みたけ》の神慮《しんりよ》におまかせいたすのがとうぜんであろうという意見《いけん》に一|決《けつ》したが、双方《そうほう》ごいぞんはないであろうか」
「神慮にまかすという意味《いみ》は、神籤《みくじ》でも引いて決《き》めようということであるか」
と、長安《ながやす》は不満《ふまん》な色をたたえた。
「いや、神籤よりは武道試合《ぶどうしあい》の日のできごと、やはり、武技《ぶぎ》をもって神慮に問うのが自然《しぜん》であろう」
「なるほど!」
忍剣《にんけん》は、よし、というふうにうなずいて、
「では、われわれと大久保家《おおくぼけ》の臣《しん》と、武技をたたかわせたうえに、その勝ったるほうへ、咲耶子《さくやこ》を渡《わた》してくださるというのですな」
「いかにも。石見守《いわみのかみ》どの、ご賛否《さんぴ》はいかが」
「ウム。よろしい!」
かれも、いさぎよく承知《しようち》した。
が――すぐにあわてた調子《ちようし》で、
「イヤ待った、それには、条件《じようけん》がある」
「ふム、条件とは?」
「じしんが総奉行《そうぶぎよう》たり、重《おも》なる家臣《かしん》が目付《めつけ》たる役目上《やくめじよう》、大久保家では、このたびの試合《しあい》にいっさい何人《なんぴと》もだしておらぬ。それゆえ、主君《しゆくん》ご直参《じきさん》、浜松城《はままつじよう》の人々に、その代試合《だいじあい》をいらいするが、その件《けん》、異存《いぞん》があるならしょうちできぬ」
「なに、徳川家直参《とくがわけじきさん》のものに代試合をたのまれるとか、それは、願ってもないこと、当方《とうほう》に異存はない」
「では一火《いつか》どの、かならず、違約《いやく》なしという、神文血判《しんもんけつぱん》をしてほしい」
「誓紙《せいし》の支度《したく》は暇《ひま》どるばかり、それよりも武門《ぶもん》の金打《きんちよう》、おうたがいあるな」
「お。では浪人《ろうにん》ども、あちらの空部屋《あきべや》へさがって試合《しあい》の用意《ようい》をせい」
長安《ながやす》は奉行《ぶぎよう》の床几席《しようぎせき》へ大股《おおまた》にあるいていって、あたりの家臣《かしん》と額《ひたい》をあつめ、また徳川家の者がひかえている溜《たま》りへ使いを走らせた。
見物《けんぶつ》はそういう内情《ないじよう》は知らない。ただ、床几席《しようぎせき》に奉行のすがたが見えたし、検証《けんしよう》の位置《いち》に鐘巻一火《かねまきいつか》がひかえたので、
「さあ……」
と、にわかに空気をかえて、つぎの試合を期待《きたい》した。
「うまくいったな」
「思《おも》う壺《つぼ》と申《もう》していいな」
龍太郎《りゆうたろう》や小文治《こぶんじ》は、顔を見あわせ微笑《びしよう》した。長安は空部屋をさがして支度《したく》せよといったが、見渡《みわた》したところ、みなどうどうたる大名紋《だいみようもん》の幔幕《まんまく》ばかりで、そんなところはありそうもなく、五人の勇士《ゆうし》も、それには、ちょッと立往生《たちおうじよう》していると、
「ご浪士《ろうし》、ご浪士」
と、うしろで、呼《よ》ぶ者がある。
見ると、さいぜん、栴檀刀《せんだんとう》をハネ飛ばした、すばらしい槍《やり》の使い手、可児才蔵《かにさいぞう》であった。
「支度《したく》の場所《ばしよ》におこまりのごようす、おいやでなくばこの幕《まく》のうちへ」
と、五三の桐《きり》のとばりをあげて、ニッコと五人を目でまねいた。
紅白《こうはく》の鞠盗《まりぬす》み
だれかは知らぬが、おりにふれて、相身《あいみ》たがいの武門《ぶもん》のなさけ、ゆかしくもうれしい、人の言葉である。
飛び入りというのでもなく、意外《いがい》なことから、ここに咲耶子《さくやこ》の身をとるか、渡《わた》すかの試合《しあい》となった一同が、支度の場所もなくとうわくしているところへ、五三の桐の幕のかげから、
「これへ」と、さしまねいた親切《しんせつ》な武士《ぶし》。
忍剣《にんけん》、龍太郎《りゆうたろう》、小文治《こぶんじ》、蔦之助《つたのすけ》、竹童《ちくどう》の五人は、時にとって炎暑《えんしよ》をしのぐ一|樹《じゆ》の蔭《かげ》ともありがたく思いながら、
「ご芳志《ほうし》にあまえて、しばらくのあいだ、幕《まく》の一ぐうを拝借《はいしやく》つかまつります」
しずかにくぐってなかへ通り、隅《すみ》にのべてあるむしろの上へ、めいめいつつましくすわりこんだ。
すると、そこにまっ赤《か》な顔をして、ゆうゆうと酒《さけ》を飲んでいた豪放《ごうほう》らしい侍《さむらい》がある。一同をながめると、莞爾《かんじ》として迎《むか》えながら、
「失礼《しつれい》だが、お祝《いわ》いに、一|献《こん》まいろう」
と、忍剣《にんけん》へ茶碗《ちやわん》を持たせて、酒の入っているらしい壺《つぼ》を取りあげた。
「や、これはかたじけないが、じぶんは見らるるとおり僧形《そうぎよう》の身、幼少《ようしよう》から酒の味《あじ》を知ったことがない、兄貴《あにき》、かわってくれ」
と、龍太郎《りゆうたろう》へ茶碗をゆずると、龍太郎もあやまって、
「武術《ぶじゆつ》に酒気《しゆき》のあるのは禁物《きんもつ》ということ、未熟者《みじゆくもの》にとってはことにだいじな試合《しあい》、もし不覚《ふかく》があってはもの笑《わら》いのたねとも相《あい》なるから、まず、お志《こころざし》だけをうけて、お祝《いわ》いはあとでちょうだいいたす」
と、当《あた》りさわりなくいって、茶碗を返した。
「あはははは、なるほど、まだ前祝《まえいわ》いは少し早いな、では後祝《あといわ》いにいたして、じぶんがご一同に代《かわ》り、まず幸《さい》さきを祝福《しゆくふく》しておく」
と、侍はらいらくに笑《わら》って、ひとり酌《つ》ぎ、ひとり飲んで、しきりと愉快《ゆかい》がっている。
冷水《れいすい》をたたえた手桶《ておけ》に小《こ》柄杓《びしやく》、それに、汗《あせ》どめの白布《はくふ》をそえてはこんできた若い武士《ぶし》がある。一同にその使用をすすめたのち、
「拙者《せつしや》は大坂城《おおさかじよう》に質《ち》としておる真田源次郎《さなだげんじろう》という若輩者《じやくはいもの》、どうかお見知《みし》りおきを」
と、ていねいに名のった。
「や、では秀吉公《ひでよしこう》の」
と忍剣《にんけん》や龍太郎《りゆうたろう》は、はじめて、五三の桐《きり》の紋《もん》どころに思いあわせて、
「真田源次郎どのとおおせあると、上田《うえだ》の城主《じようしゆ》真田昌幸《さなだまさゆき》どののご一|子《し》、秀吉公の手もとで養《やしな》われているとうわさにききましたが、その源次郎どのでござるか」
「お恥《はず》かしゅうぞんじます」
と、源次郎はあくまでけんそんであった。
「やあ、さてはやはりそうであったか。これはお見それいたしました。わたしこそは、なにをかくしましょう、故勝頼公《こかつよりこう》のわすれがたみ、武田伊那丸君《たけだいなまるぎみ》の付人《つきびと》、恵林寺《えりんじ》の禅僧《ぜんそう》加賀見忍剣《かがみにんけん》ともうしますもの」
「じぶんは、おなじく伊那丸さまの微臣《びしん》、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》という者」
「拙者《せつしや》は、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》です」
礼《れい》にたいしては礼をもって酬《むく》う。
巽小文治《たつみこぶんじ》や鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》も、そのことばについてじゅんじゅんに姓名《せいめい》を明かしていくと、最初《さいしよ》に、幕《まく》のかげから手招《てまね》きした可児才蔵《かにさいぞう》もそれへきて話しかけ、酒《さけ》をのんでいた侍《さむらい》も、井上大九郎《いのうえだいくろう》と名のりあった。
いつか伊那丸《いなまる》が京都から東へ帰るとき、秀吉《ひでよし》は桑名《くわな》の陣中《じんちゆう》にしたしく迎《むか》えて、道中《どうちゆう》の保護《ほご》をしてくれたのみか、御旗楯無《みはたたてなし》の家宝《かほう》まで伊那丸の手へかえしてくれた。
それいらい、伊那丸も一党《いつとう》の者も、豊臣家《とよとみけ》にたいしてしぜんといい感じを持っていた。おそらく、秀吉は武田家《たけだけ》の味方《みかた》ではあるまいが、悪意《あくい》ある敵《てき》ではないと信《しん》じてきた。
おもえば、ふしぎな縁《えん》でもある。
桑名でああいう援護《えんご》をうけて、またまた、この御岳《みたけ》でも、同じ五三の桐《きり》の幕《まく》のかげに、武士《ぶし》の情《なさ》けをうけようとは。
大九郎と可児才蔵《かにさいぞう》は、桑名の陣で、忍剣《にんけん》のおもざしを見おぼえていたといった。
そういわれれば忍剣にも、思いだされることである。あのとき、秀吉に侍《じ》していた、あまたの武将《ぶしよう》や侍のなかに、たしかに、大九郎のすがたも見えた。可児才蔵の顔もあった。
怪傑《かいけつ》と怪傑、勇士《ゆうし》と勇士、五三の桐の幕のなかには渾然《こんぜん》とうちとけ合って、意気《いき》りんりんたるものがある。
――試合場《しあいじよう》のほうは、さきほどから、きわだってしずかになっていた。群集《ぐんしゆう》も鳴りをしずめて、次《つぎ》の展開《てんかい》を待ちかまえているのであろう。
ところへ、駒《こま》をとばしてきた一|騎《き》の使者、ヒラリと降《お》りて、そとから桐紋《きりもん》の幕《まく》をたくしあげて、はいってきた。
試合《しあい》の前のうちあわせである。
徳川家《とくがわけ》からは五名の闘士《とうし》の名をあげてきた。そして、勝ち抜《ぬ》きでは勝敗《しようはい》に果しがないから、おのおの一番勝負として、点数勝越《てんすうかちこ》しのほうのものが咲耶子《さくやこ》の身を引きとるというやくそくを条件《じようけん》にかぞえてある。
「承知《しようち》した」
もとより、こっちにも異議《いぎ》はなかった。
「では、試合にさきだって、伝令《でんれい》の者が、各所《かくしよ》の溜《たま》りの人々へ、番組《ばんぐみ》を予告《よこく》するのが定例《じようれい》でござるゆえ、そちらの闘士をきめて、この下へご記名願《きめいねが》いたい」
と、使者は、徳川家でえらびだす闘士の名をしるした奉書《ほうしよ》をそれへひろげた。
見ると、なんという皮肉《ひにく》。
ふつうの武技《ぶぎ》では、どういう敗辱《はいじよく》をまねこうも知れずと、大久保長安《おおくぼながやす》らが、わざと相手をこまらそうとたくらんだ卑劣《ひれつ》な心事《しんじ》があきらかに読めている。
なぜかといえば、その人選《じんせん》はとにかく、争《あらそ》うべき焦点《しようてん》にはこちらになんの相談《そうだん》もなく、こういう無類《むるい》な部門分《ぶもんわ》けをして、勝手《かつて》な註文《ちゆうもん》をつけてきたのである。
一番|忍法《にんぽう》 御《み》 方《かた》 隠密組《おんみつぐみ》 菊池半助《きくちはんすけ》
相手方《あいてがた》     未《み》  定《てい》
二番|遠矢《とおや》 御 方 河内流《かわちりゆう》 加賀爪伝内《かがづめでんない》
相手方        同
三番|吹針《ふきばり》 御 方 宗門御抱老女《しゆうもんおかかえろうじよ》 修道者《イルマン》
相手方        同
四番|幻術《げんじゆつ》 御 方 南蛮流《なんばんりゆう》 和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》
相手方        同
五番|遠駆《とおがけ》 御 方 浜松足軽組《はままつあしがるぐみ》 燕《えん》  作《さく》
相手方        同
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定《さだめ》
以上《いじよう》五|試合《しあい》のこと。
右のうち吹針には他《た》の武技《ぶぎ》をもって試合することを得《う》、また遠駆けには相手方、騎乗《きじよう》徒歩《かち》いずれにても随意《ずいい》たるべきもの也《なり》。
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[#地付き]大講会総奉行《だいこうえそうぶぎよう》
[#地付き]大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》(花押《かきはん》)
[#地付き]試合検証《しあいけんしよう》
[#地付き]鐘《かね》 巻《まき》 一《いつ》 火《か》
正当《せいとう》な武芸《ぶげい》とはいわれぬ、幻術《げんじゆつ》や遠駆《とおが》けなどの試合《しあい》を提示《ていじ》してきたのを見ると、一同は、かれらのひきょうな心底《しんてい》を観破《かんぱ》して、一言《いちごん》のもとに、それをはねつけようと思った。
しかし、考えてみると、自分たちはここで晴《は》れがましい武名《ぶめい》を大衆《たいしゆう》に売ろうというのではない。
咲耶子《さくやこ》の一身を救えばいいのだ。
かれをやぶってかれの毒手《どくしゆ》に同志《どうし》のひとりを渡《わた》さなければ、それでいい。つまりここで徳川家《とくがわけ》の代表者《だいひようしや》とあらそうのはその方便《ほうべん》でしかないわけだ。
で、忍剣《にんけん》は、男らしくいった。
「このさい、なにをぐずぐずいったところでしかたがないから、さきの註文《ちゆうもん》どおり快諾《かいだく》してやって、そのかわりに、木《こ》ッ葉《ぱ》みじんにしてやろうじゃないか」
「ウム、かれらの策《さく》にのせられると思えば不愉快《ふゆかい》だが、得物《えもの》やわざは末葉《まつよう》のこと、承知《しようち》してくれよう」
と、龍太郎《りゆうたろう》もうなずいて、他の者の同意《どうい》をたしかめたうえ、けつぜんと、徳川がたの使者《ししや》にこたえた。
「ご提示《ていじ》の定書《さだめがき》、いかにも承知《しようち》いたした」
使者《ししや》は一|礼《れい》して、
「さっそくのご承引《しよういん》かたじけなくぞんじます」
と、いったが、いまの書きつけをさしだして、
「では、この試合《しあい》の部門《ぶもん》に、なにびとがなんの立合《たちあ》いにご出場《しゆつじよう》になるか、流名《りゆうめい》とご姓名《せいめい》とを、正直《しようじき》にお書き入れねがいとうござる」
「あいや、われらもとより浪々無住《ろうろうむじゆう》のともがらである。名のるほどの姓名流名を持ち合わせておらぬ者ゆえ、さいぜん申したとおり、文殊《もんじゆ》とでも大日菩薩《だいにちぼさつ》とでも、いいようにお書き入れください」
「大講会《だいこうえ》の規《おきて》として、そうはまいりませぬ。ご本名《ほんみよう》をお認《したた》めなきうちは、これを諸侯《しよこう》の控《ひか》え所《じよ》へ伝令《でんれい》することもならず、ご奉行《ぶぎよう》としても、役儀《やくぎ》がら試合を命《めい》じるわけにもゆきませぬ」
「どうしよう、忍剣《にんけん》」
と、龍太郎《りゆうたろう》は、また一方へ相談《そうだん》を向けた。
「そうだな、われわれはどうなっても、いっこう仔細《しさい》はないが、まんいち若君《わかぎみ》にごめいわくがかかってはならぬし……」
「しかし、大講会三日のあいだは、血《ち》を見ることをゆるさぬ誓《ちか》いがある。かまわぬから本名を記《しる》してやろうじゃないか。どうだろう、蔦之助《つたのすけ》」
「すでに、豊臣家《とよとみけ》のほうにも打ち明けたこと、拙者《せつしや》も、名のって仔細はあるまいと思う」
小文治《こぶんじ》も同意《どうい》した。
そこで一同は、作戦をこらすために、かたすみへ寄《よ》って凝議《ぎようぎ》をしたうえ、おのおの国籍《こくせき》本名《ほんみよう》をあからさまに記入《きにゆう》してやった。
(きゃつ、あれを見ると、きっとびっくりするにちがいないぞ)
こう思っていると、案《あん》の定《じよう》、使者は五人の記名《きめい》と姿《すがた》とを見くらべて、がくぜんと目をまるくしたまま、あとの文句《もんく》もいわず、幕《まく》のそとへ飛びだしていった。
さらに。それからかれ以上《いじよう》に仰天《ぎようてん》したのは、使者がもたらしてきたことによって、はじめてことの真相《しんそう》を知った大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》であり、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》であり、そのほか徳川家《とくがわけ》に籍《せき》をおくものすべてであった。
「さては」と、だれの顔色もかわった。
「咲耶子《さくやこ》をわたせと、けしきばんで、あれへなだれこんできた理由《りゆう》がわかった。多寡《たか》の知れた僧侶《そうりよ》や浪人者《ろうにんもの》と見くびって、わざと、家中《かちゆう》の侍《さむらい》をださず、呂宋兵衛や吹針《ふきばり》の婆《ばばあ》をあの番組のなかにいれて翻弄《ほんろう》してやろうと思ったのだが、そうと知ったら、もう一工夫《ひとくふう》するのであった」
と、石見守には、後悔《こうかい》のようすがあった。
けれど、すでに、時刻《じこく》はせまる、検証《けんしよう》の鐘巻一火《かねまきいつか》は床几《しようぎ》につく、見物《けんぶつ》は鳴りをしずめて立合《たちあ》いを待ちかまえている。……悔《く》いておよばぬ場合《ばあい》である。
ただこのうえは、まんがいちにも、かれに敗《やぶ》れをとらぬことだ。まかりちがって、正当《せいとう》なやくそくのもとに試合《しあい》して、どうどうと、かれに咲耶子《さくやこ》を持ってゆかれるようなことがあった日には、それこそ石見守《いわみのかみ》の立場《たちば》がない。かれの失態《しつたい》はなんとしてもまぬがれない。
で、長安《ながやす》はやっきとなった。
菊池半助《きくちはんすけ》も、すわこそと、呂宋兵衛《るそんべえ》にここの大事をささやいていた。
かかるまに、支度《したく》の陣貝《じんがい》がしずかに鳴りわたる。……とうとうたる太鼓《たいこ》……型《かた》のごとき黄母衣《きほろ》、赤母衣《あかほろ》、白母衣《しろほろ》の伝令《でんれい》三|騎《き》が、番外《ばんがい》の五番|試合《じあい》を各所《かくしよ》の控《ひか》え所《じよ》へふれて、虹《にじ》のように試合場《しあいじよう》のまわりを一|巡《じゆん》する……
水をうったように、群集《ぐんしゆう》のこえと黄塵《こうじん》がしずまって、ふたたび、御岳《みたけ》の広前《ひろまえ》に森厳《しんげん》な空気がひっそりと下《お》りてきた。
大雨一過《たいういつか》のおもむきである。
次《つぎ》にきたるべきものは、嵐《あらし》か、雷《いかずち》か。
試合ははじまった。
浜松城の隠密組菊池半助がいつのまにか広前の中央《ちゆうおう》にすッくと立っているのが見える。得物《えもの》をもたず、たすきや鉢巻《はちま》きもしていないので、この番外試合《ばんがいじあい》のいきさつを知らない一般《いつぱん》の群集《ぐんしゆう》には、ちょっと気抜《きぬ》けがさせられたようすで、ふしんそうに見とれている。
相手方《あいてがた》は、やがて、あなたのすみにある豊臣家《とよとみけ》の桐紋《きりもん》の幕《まく》をあげて歩《あゆ》みだしてきた。
これもどうように、なんの支度《したく》らしいよそおいもしていない。ただ、いささか観衆《かんしゆう》の好奇心《こうきしん》をみたしたのは、それが白衣《びやくえ》に白鞘《しろさや》の太刀《たち》をさした六部《ろくぶ》らしい風采《ふうさい》だけであった。
忍法試合《にんぽうじあい》?
かかる白日《はくじつ》の下《もと》、万人衆目《ばんにんしゆうもく》のあるなかで、忍術《にんじゆつ》の秘法《ひほう》をどう争《あらそ》うのだろうか。争うとすればどうするのだろうか?
ことの真相《しんそう》を知らない場外《じようがい》の見物人《けんぶつにん》は、いろいろ妙《みよう》な顔をしているし、事情《じじよう》を知っている人々は、大鷲《おおわし》の背《せ》から捨《す》てられた美少女《びしようじよ》の一身が、いずれに奪《と》るか奪られるかと、じッとかたずをのみはじめた。
いままでの、意地《いじ》や興味《きようみ》など超越《ちようえつ》して、ある運命《うんめい》とものすごい殺気《さつき》をはらみかけた番外《ばんがい》五|番試合《ばんじあい》は、こうしてまさにその火蓋《ひぶた》を切られようとしている。
伊賀流《いがりゆう》の忍者《にんじや》菊池半助《きくちはんすけ》と、果心居士《かしんこじ》のおしえをうけた木隠龍太郎とが、双方《そうほう》、水のごとくたいしたとき、しずかな耳を突《つ》きぬくように、一声《いつせい》、短笛《たんてき》の音《ね》がつよく流れた。
と、同時に。
あなたの葵紋《あおいもん》の幕《まく》のうちに、花壇《かだん》のように、盛《も》りあがっていたお小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》の一隊《いつたい》が、とんぼ模様《もよう》そろいの小袖《こそで》をひるがえし、サッと試合場の一方に走りくずれてきて、三十六人が十二名ずつ三|行《ぎよう》にわかれ、目にもあざやかな隊伍《たいご》をつくった。
「鶴翼《かくよく》!」
と、朱房《しゆぶさ》の鞭《むち》をふったのは、それを指揮《しき》する徳川万千代《とくがわまんちよ》であった。
三|段《だん》の隊伍は、中央《ちゆうおう》からまッ二ツに割《わ》れて、たちまち鶴翼の陣形をつくる。
「奉行《ぶぎよう》、これでよいか」
と万千代は、とくいらしく床几《しようぎ》の席《せき》へむかっていう。
石見守《いわみのかみ》は、一|顆《か》のあかい鞠《まり》をだして万千代の手にわたした。すると検証《けんしよう》の鐘巻一火《かねまきいつか》も、おなじように一つの白い鞠を星川余一《ほしかわよいち》の手にあずける。
そこでふたたび、鞭をあげると、とんぼ組《ぐみ》の隊伍は、そのまましずかに進んで、ころあいなところで、鳥雲《ちよううん》の陣《じん》にくずれ、また魚鱗《ぎよりん》の形《かたち》にむすび、しきりと厳重《げんじゆう》な陣立《じんだて》を編《あ》もうとくふうしているようすであったが、やがて八門の陣をシックリと編《あ》んで、あたかも将軍《しようぐん》の寝間《ねま》をまもる衛兵《えいへい》のように、三十六人が屹然《きつぜん》とわかれて立った。
その、陣形の中宮《ちゆうぐう》に、白球《はつきゆう》をもった星川余一と、紅球《こうきゆう》を持った万千代《まんちよ》とが、ゆだんのない顔をして立つと、菊池半助《きくちはんすけ》はその紅球をとって、もとの場所へかえることを、また木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》は一方の白球を取ることを、試合目付《しあいめつけ》から命じられた。
これは伊賀流《いがりゆう》の忍《しの》びをほこる半助にも、木隠にも、おそろしい難事《なんじ》だろうと思われる。およそ忍術《にんじゆつ》というものも夜陰《やいん》なればこそ鼠行《そぎよう》の法《ほう》もおこなわれ、木あればこそ木遁《もくとん》、火あればこそ火遁《かとん》の術《じゆつ》もやれようが、この白昼《はくちゆう》、この試合場《しあいじよう》のなかで、しかも三十六人のとんぼ組《ぐみ》の小姓《こしよう》たちが八|門《もん》の陣《じん》を組《く》んでまもっている鞠《まり》を、どうして、気づかれずに自分の手へとってもとの場所《ばしよ》へかえるだろうか。
「いざ!」
「目をかすめて、忍《しの》べるものなら忍んでみよ」
という風《ふう》に、お小姓とんぼの面々《めんめん》は、ゆだんのない目をみはった。
両士《りようし》は、サッと左右《さゆう》にわかれて、八門の陣のすきをうかがう。
――といっても、そこには木蔭《こかげ》があるわけではなく、身をかくす家があるのでもないから、もとよりどう手をくだす法《ほう》もないらしい。
木隠《こがくれ》が右へまわれば右へ、半助が左側《さそく》をねらえば左側の目ばしこい小姓たちの眼が光ってうごく。
すると、菊池半助《きくちはんすけ》は、とつぜんとんぼ組の陣形《じんけい》のまわりを、疾風《しつぷう》のようにぐるぐるまわりだした。
かれらはその迅《はや》さに目まいがしてきたように、ただアッ――と、あッけにとられている。その姿《すがた》はいよいよ加速度《かそくど》に早くなって、ついには、小姓たちの目にも遠くからながめている人々の目にも、それが半助か、一|片《ぺん》のくろい布《ぬの》がつむじ風《かぜ》でめぐっているのか、ほとんど目にもとまらないほど迅速《じんそく》になってきた。
それに、すべての者の視線《しせん》がうばわれているまに、いままで、一方に立っていた木隠の姿《すがた》がこつぜんと消《き》えている。
「や、さては」
と、小姓《こしよう》の面々《めんめん》がハッと身をかためていると、八|門《もん》の陣《じん》の一方に、白いものがヒラリとおどった。
「それ」
と、心もちそのほうへ、一同のからだがズズとよりつめてゆくと、非《あら》ず! そこへ散《ち》ったのは数枚のふところ紙《がみ》で、みなの視線《しせん》が、それにみだされて散らかったせつな、陣《じん》の中宮《ちゆうぐう》にいた星川余一《ほしかわよいち》が、風で貼《は》りついた一枚の白紙《はくし》を片手で取りのけながら、
「あッ、しまった」
と、とんきょうにさけんだ。
余一の声におどろいて、万千代《まんちよ》もひょいとろうばいした。とたんに、だれかが、かれの肘《ひじ》を足もとからトンと突《つ》いた。
「あッ」
といったが、肘をつかれたはずみに、赤い鞠《まり》はかれの掌《て》をはなれて、ポンと飛びあがった。
それへ、烏猫《からすねこ》のような人かげが、いきなり飛びかかったかと思うと、
「えいッ!」
と、ほとんど一しょに耳をうった二声《ふたこえ》の気合《きあ》い。
陣《じん》をくずした小姓組《こしようぐみ》の者をいつのまにかとびこえたのであろう、木隠《こがくれ》は白球《はつきゆう》を手に、菊池半助《きくちはんすけ》は紅球《こうきゆう》を手にして、最初《さいしよ》の位置《いち》に立っている。
忍法試合《にんぽうじあい》紅白鞠盗《こうはくまりぬす》みの試合《しあい》は瞬間《しゆんかん》だった。
この鞠ぬすみは伊賀流《いがりゆう》と甲賀流《こうがりゆう》のものが、かつて信長《のぶなが》の在世《ざいせい》当時、安土城《あづちじよう》で試合をしたこともあるし、それよりいぜんには、仙洞御所《せんとうごしよ》のお庭さきで月卿雲客《げつけいうんかく》の前で、叡覧《えいらん》に供《きよう》したこともあって、のちには、公卿《くげ》たちのあいだに、これを蹴鞠《けまり》でまねした遊戯《ゆうぎ》さえのこったほどである。
さて。
余事《よじ》はとにかく、いまの試合はいずれに軍配《ぐんばい》があげられるものだろうか?
むろん、検証役《けんしようやく》の鐘巻一火《かねまきいつか》は、床几《しようぎ》から立ちあがって、
「同点。忍法試合《にんぽうじあい》勝負なし!」
と、鉄扇《てつせん》をふるって、奉行目付《ぶぎようめつけ》へいったことである。
衆目《しゆうもく》、それに異議《いぎ》はなかった。
菊池半助は、勝負なしのものわかれに、無念《むねん》そうな白眼《はくがん》を相手に投げ、そうほう、無言《むごん》のままにらみわかれた。
「わーッ……」
と崩《くず》れたのはお小姓《こしよう》とんぼである。万千代《まんちよ》をはじめ余一《よいち》その他《た》のもの、試合《しあい》がおわると、いっせいにもとの幕《まく》うちへ、引きあげてゆく。
そして、遠雷《えんらい》のような群衆《ぐんしゆう》のどよめきが、あとしばらくのあいだ、空に消《き》えなかった。
――と思うと、すでに二|番試合《ばんじあい》の合図《あいず》が、息《いき》もつかずとうとうと鳴りわたって、清新《せいしん》な緊張《きんちよう》と、まえにもまさる厳粛《げんしゆく》な空気を、そこにシーンとすみかえらせてきた。
と見れば。
片肌《かたはだ》をおとした凜々《りり》しいふたりの射手《いて》は、もう支度《したく》のできている場所《ばしよ》に身がまえをつくって、弓懸《ゆがけ》をしめ、気息《きそく》をただし、左手にあたえられた強弓《ごうきゆう》を取って、合図、いまやと待ちうけている。
この遠矢《とおや》くらべ、番《つが》えた矢《や》よりほかに代矢《かえや》のない、一|本試合《ぽんじあい》のだいじな競射《きようしや》である。
的《まと》は?
おお、その的として、示《しめ》されたものがまたおそろしく遠方だ。じッと、眸《ひとみ》をこらさなければ、それとはたしかに見きわめがつかないくらい。
谷《たに》をへだてた前方に、高からぬ峰《みね》がそびえている。その白鳥《しらとり》の峰の七|合目《ごうめ》あたりに、古い丸木《まるき》の鳥居《とりい》が見える。鳥居はその幽邃《ゆうすい》な白鳥神社奥《しらとりじんじやおく》の院《いん》の印《しるし》で、それまではだれにでも一目でわかるが、遠矢の的と示されたものは、その鳥居の正面にかかっている額《がく》だった。
御岳《みたけ》の中腹《ちゆうふく》をくだり、渓流《けいりゆう》をこえ、沢《さわ》をわたり、そして向こうの白鳥のみねの七合目までいくには、おそらく二十八、九|町《ちよう》もあろうが、この御岳《みたけ》の一端《いつたん》にたって直線《ちよくせん》に対峙《たいじ》すれば、そのいくぶんの一の距離《きより》しかあるまい。
しかし、せまい山と山とのあいだには、風がないような日でも、ふだんに寒冷《かんれい》な気流《きりゆう》があって、よほどな射手《いて》が、よほどな矢《や》をおくらぬかぎり、その気流のさからいをうけずに的《まと》へあたるということはありえないだろう。などと、弓道《きゆうどう》にこころえのある傍観者《ぼうかんしや》は、はやくも、各藩《かくはん》のひかえ所《じよ》で下馬評《げばひよう》まちまちである。
だが、
射手《いて》にはじゅうぶんな自信があるものか、やがて、弓作法《ゆみさほう》おごそかにすますと、徳川家方《とくがわけがた》の射手|加賀爪伝内《かがづめでんない》、伊那丸方《いなまるがた》の山県蔦之助《やまがたつたのすけ》、そうほうおもむろに足を踏《ふ》みひらいて、矢番《やつが》えガッキリとかませ、白鳥《しらとり》のみねの樹間《じゆかん》にみえる大鳥居《おおとりい》の懸額《かけがく》をキッと横ににらんだ。
幕裏《まくうら》にひそむ妖術師《ようじゆつし》
山県蔦之助は人もしる代々木流《よよぎりゆう》の達人《たつじん》。
大津《おおつ》のまちにその弓道の道場をひらいていたころには、八坂《やさか》の塔《とう》の怪人《かいじん》を射《い》るいぜんから、今為朝《いまためとも》とはやされていた人。またかつて竹童《ちくどう》が、大鷲《おおわし》クロの背《せ》をかりて鞍馬《くらま》の僧正谷《そうじようだに》から高尾山《たかおさん》へつかいしたとちゅうにも、かれの誤解《ごかい》をうけて、そのおそろしい強弓《ごうきゆう》の矢《や》に見まわれ、ほとんど立ち往生《おうじよう》して地上におとされたことがある。
その代々木流《よよぎりゆう》の臂力《ひりよく》をためさぬことも、蔦之助《つたのすけ》にとっては、久《ひさ》しいものだ。
弓《ゆみ》をひく者がながらく弓を持たずにいると病気になるとさえいう。
蔦之助も、めぐりぞ会《あ》ったこの晴《は》れの場所《ばしよ》で、いま、鏑籘日輪巻《かぶらとうにちりんまき》の強弓《ごうきゆう》にピッタリと矢筈《やはず》をかましたしゅんかん、なんともいえない爽快《そうかい》な気持が胸《むね》いっぱいにひらけてきた。
くわッとはるかな的《まと》を見、弦絃《げんげん》二つに割《わ》って、キリッ、キリッと、しずかに満《まん》をしぼりこんでゆく。
河内流《かわちりゆう》の加賀爪伝内《かがづめでんない》、これも徳川家《とくがわけ》ではすぐれた射術家《しやじゆつか》らしい。
りっぱだ。蔦之助のそばに立って、蔦之助のかまえに見おとりがしない。
しぼりこんだ弓と人とが、ほとんど同じかたちになって、鏃《やじり》のさきが、弓身《きゆうしん》のそとにあますところのないまで引き強められていったしゅんかん――
声をのんでひッそりとしずまりかえった場《じよう》の内外は、無人《むじん》のごとくどよみを沈《しず》めて、息《いき》づまるような空気をつくっていた。
すると、ひとり、矢来《やらい》のそとの群衆《ぐんしゆう》のなかで、
「民部《みんぶ》、こまったことになったものだの」
と、ささやいた人があった。
さいぜん、竹童《ちくどう》が鷲《わし》につられて走ったのをきっかけに、とめるまもなく、一党《いつとう》のひとびとが矢来《やらい》をこえてこういう事態《じたい》をひきおこしたので、その成行《なりゆ》きをあんじている武田伊那丸《たけだいなまる》と小幡民部《こばたみんぶ》のふたりである。
民部も、あなたへ眼をはなたず、
「ただ、天祐《てんゆう》を祈《いの》っているのほかございませぬ」
と、ことばすくなく答えた。
「お……いまとなっては、もう手をくだす術《すべ》もない」
「若君《わかぎみ》」
民部は、しいて伊那丸の憂《うれ》いをはげますようにいった。
「――おあんじなされますな、たとえ、いかなる波瀾《はらん》を生みましょうとも、かれらのことでござります」
「うム……」
「かれらのことです、かれらのことでござります。けっして、汚名《おめい》をさらすような結果を招《まね》きはいたしますまい」
そうはいったが、そういうかれじしんが、人しれず手に汗《あせ》をにぎりしめているのであった。
――と、目をみはる間《ま》もなかった。
あまたの人の口から、あッ……と軽《かる》いこえがいちようにもらされたかと見ると、すでに、しぼりこまれた二|弓《きゆう》はブンと弓《ゆ》がえりを打って、ひょうッと、弦《つる》をはなれた二すじの矢《や》が、風を切ってまッすぐに走っている。
「やッ?」
とたんに、射手《いて》の山県蔦之助《やまがたつたのすけ》は、弦《つる》をはなした右手《めて》をそのまま、サッと顔色《かおいろ》をかえてしまった。
耳を聾《ろう》せんばかりのどよめきが、土用波《どようなみ》のように見物人《けんぶつにん》をもみあげた。なにかののしるような声、嘲笑《ちようしよう》するようなわめき、それらが嵐《あらし》のごとく、かれをとりまいた心地《ここち》がした。
「遠矢《とおや》一|本試合《ぽんじあい》、徳川家《とくがわけ》加賀爪伝内《かがづめでんない》どのが的《まと》をとったり!」
と、鐘巻一火《かねまきいつか》は検証《けんしよう》の床几《しようぎ》からさけんだ。
意外《いがい》。
蔦之助は敗《やぶ》れたらしい。
今為朝《いまためとも》の矢《や》はどうしたか? あのたしかな代々木流《よよぎりゆう》の矢がどうして狂《くる》ったのであろうか。
鐘巻一火の叫《さけ》んだのは、けっして不公平《ふこうへい》でもうそでもなかった。加賀爪伝内の切ってはなった黒鷹《くろたか》の石《いし》打羽《うち》の矢《や》は、まさしく、白鳥《しらとり》の峰《みね》の大鳥居《おおとりい》の額《がく》ぶちに刺《さ》さっているのに、それにひきかえて蔦之助《つたのすけ》の射《い》た妻羽白《つまはじろ》の矢《や》は弓勢《ゆんぜい》が弱《よわ》かったため、谷間《たにま》の気流《きりゆう》をうけてそれたのか、あるいは弦切《つるぎ》れの微妙《びみよう》な指さきに、なにかのおちどがあったのだろうか、とにかく、白鳥の峰へとどかぬうち、霧《きり》のごとく影《かげ》を消《け》して、どこへ落ちたかそれていったか、肉眼《にくがん》では見えなくなった。
お小姓《こしよう》とんぼ組《ぐみ》をはじめ、徳川方《とくがわがた》の者とそれに心をあわす溜《たま》り場《ば》では、わッといちじに凱歌《がいか》をあげた。
無念《むねん》や、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》は、試合目付《しあいめつけ》の退場《たいじよう》の命《めい》と、その嘲笑《ちようしよう》におくられて、悄然《しようぜん》とそこをひかなければならなくなった。
すると――。
それよりほんのわずかまえに、試合《しあい》の勝敗《しようはい》が心配《しんぱい》のあまり、桐紋《きりもん》の幕《まく》のうしろから、そッと抜《ぬ》けだしていた鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》は、なにげなく、諸国《しよこく》の剣士《けんし》のひかえ所《じよ》の裏《うら》をまわって、蔦之助の姿《すがた》が、もっとも近く見えるところからすきみをしていた。
ところが、竹童の信念《しんねん》はくつがえされて、弓《ゆみ》をとっては神技《かみわざ》といわれている蔦之助が、どうだろう、この不覚《ふかく》? このみにくい敗《やぶ》れ方《かた》!
「ちぇッ」
というと、鞍馬の竹童は、くやし涙《なみだ》がにじみだして、思わずそこへすわりたくなってしまった。
あの徳川方《とくがわがた》のものの嘲笑《ちようしよう》が伊那丸《いなまる》さまや民部《みんぶ》さまの耳にどんなにいたく聞えるだろう。あなたにいる豊臣家《とよとみけ》の人々や、忍剣《にんけん》や小文治《こぶんじ》が、それをどんなにつらく見つめたろう。
竹童《ちくどう》は腰《こし》のささえをはずされたように、うしろへよろけた。
そして、
「ああ、ざんねんだ……」
と太《ふと》い息《いき》をついたが、ふと気がついてみると、そこは奉行《ぶぎよう》小屋の裏手《うらて》らしく、すぐ向こうから十|数間《すうけん》のあいだには、ズッと鯨幕《くじらまく》がはりめぐらしてあって、一方の帳《とばり》には黒く染《そ》めぬいた葵《あおい》の紋印《もんじるし》が大きく風をはらんでいる。
「あッ、ここは徳川家《とくがわけ》の陣地《じんち》だな」
竹童はびっくりして、あわててそこを立ち去ろうとしたが、見ると! そこから数歩《すうほ》向こうに、この人なき陣幕《じんまく》のうしろにかくれて、あやしげな黒衣《こくい》の男が、じっと立ちすくんでいるのを見た。
何者《なにもの》だろう?
そしてなにをしているのだろうか。
おそろしく背丈《せい》のたかい男である。裾《すそ》までスラリとくろの帯《おび》なしの服《ふく》の着《き》ながし、胸《むね》には、ペルシャ猫《ねこ》の眼のごとくキラキラ光る白金《はつきん》の十字架《じゆうじか》をたらしている。そして、祈《いの》るがごとく、口を閉《と》じ、眼をふさぎ、指《ゆび》で印《いん》をむすんでいる。
「やッ、呂宋兵衛《るそんべえ》だ」
あぶなく、喉《のど》をやぶってでそうな声を、竹童は自分の手で自分の口をおさえた。
「やつめ、あんなところで、なにをしているのだろう? ……おおあのおそろしい顔はどうだ。あの他念《たねん》のない形相《ぎようそう》をする時は、いつも、呂宋兵衛がとくいの南蛮流《なんばんりゆう》の幻術《げんじゆつ》をやるときだ」
身をひそめながら、かれの眼はらんらんとその不解《ふかい》な疑惑《ぎわく》にむかって、錐《きり》のごときするどさを研《と》ぎすましてきた。
読めた!
かれの心臓《しんぞう》は、ドキッとしめつけられたようなあえぎをうつ。
さては、もしや?
怪人《かいじん》呂宋兵衛がこの幕《まく》のうらにしのんでいて、石見守《いわみのかみ》と腹《はら》をあわせ、かれ一流《いちりゆう》の邪法《じやほう》をおこなって、試合場《しあいじよう》に一|道《どう》の悪気《あつき》をおくり、衆人《しゆうじん》の眼をげんわくさせているのではないかしら?
そして、そのために、いまのような意外《いがい》な勝敗《しようはい》が、なにびとにも気づかれずに信《しん》じられているのではないのかしら?
と――竹童はわれをわすれて、なお死人のごとく、印《いん》をむすんで、つッ立っている怪人呂宋兵衛の黒いすそへソロ、ソロ、とはいよっていった。
なんと久《ひさ》しぶりに見る憎悪《ぞうお》の敵《てき》のすがただろう。
竹童の手は、無意識《むいしき》に、般若丸《はんにやまる》の柄《つか》をかたくにぎりしめていた。
たとえ、斃《たお》せないまでも、不意《ふい》をうって、かれの邪法《じやほう》の気念《きねん》をやぶってやろう。
そう無意識の意志《いし》がうごいていった。
そうして、気配《けはい》をしのばせながら、足もとによりついてくる者があるのも知らないで、呂宋兵衛《るそんべえ》はいぜんとして目をとじたままだった。かれはかれじしんのむすぶ幻術《げんじゆつ》の妖気《ようき》に酔《よ》っているもののようである。
しめた!
竹童の胸《むね》は大きな波《なみ》にあおられた。
だが、般若丸の名刀が、鞘《さや》を脱《だつ》しようとしたしゅんかんに、はッと気がついたのは(血《ち》を見るなかれ)という御岳《みたけ》三日《みつか》の神誓《ちかい》である。もしや自分の軽《かる》はずみが、伊那丸《いなまる》さまの身にめいわくとなってかかってはならないということだった。
といって、この怨敵《おんてき》を!
みすみす目のまえにこうしている一党《いつとう》の仇敵《きゆうてき》、咲耶子《さくやこ》にとっては敵《かたき》のこの悪魔《あくま》を、なんで見のがしていいものだろうか。
柄《つか》にまよった手は、いきなりふところにすべりこんだ。かれの指《ゆび》にふれたのは、竹生島神伝《ちくぶしましんでん》の火《ひ》独楽《ごま》! それであった。
それを、ふところにつかんで、いきなり、パッと立ちあがるや否《いな》、鞍馬《くらま》の竹童《ちくどう》、
「うぬッ」
と、独楽《こま》をまッこうにふりあげた。
ぶン! と、うなった火焔《かえん》独楽《ごま》。
たしかに呂宋兵衛《るそんべえ》のからだのどこかに、焔《ほのお》をあげて噛《か》みついたにちがいない。あッと、相手の驚愕《きようがく》した声が竹童の耳にも聞きとれた。
だが、とたんに――。
独楽は竹童のふところに飛んでかえって、かれ自身もまた、アッ――と片手《かたて》で顔をかくしたまま、あぶなくそこへたおれかかる。
見れば、えりもとから鬢《びん》の毛《け》に、霜柱《しもばしら》が植《う》わったように、無数《むすう》の針《はり》が指《ゆび》にさわった。
それにおどろいて身をひるがえすと、
「この餓鬼《がき》」
大きなこうもりにふさわしい黒衣《こくい》の老女《ろうじよ》が、さッとすがって、うしろから竹童を抱《だ》きすくめ、
「呂宋兵衛さま! 呂宋兵衛さま」
と、しわがれた声で助勢《じよせい》をもとめる。
「お、そいつは、鞍馬《くらま》の洟《はな》ッたらしだな」
「わしも、人無村《ひとなしむら》や京都で二、三ど見たことがある。竹童というて、伊那丸《いなまる》の手さきになってあるく童《わつぱ》じゃ」
「おのれ、野良犬《のらいぬ》のように、こんなところへなにしにウロウロしてきやがったか。この御岳《みたけ》では、殺すわけにもゆかないが、うム、こうしてやる」
まえに寄《よ》ってくると、呂宋兵衛《るそんべえ》、煙草《たばこ》色のウブ毛がいっぱい生《は》えている大きなてのひらで、竹童の横顔《よこがお》を、みみず腫《ば》れに腫れあがるほど、三つ四つ打ちつづけた。
それにもあきたらず、最後《さいご》に、喉笛《のどぶえ》でもしめつけられたか、かれのからだをかかえていた蚕婆《かいこばばあ》が手をはなすと、グッタリと地上にたおれてうッ伏《ぷ》せになった。
「ふん……」
と、せせら笑《わら》いながら、
「婆《ばばあ》、こっちへはいっていろ」
一方の幕《まく》をあげて、呂宋兵衛がすばやく影《かげ》をかくすと、老女|修道者《イルマン》となって、たえず彼についている吹針の蚕婆も、ニヤリと歯《は》をむきながらそのあとから腰《こし》をかがめかけた。
と、その弱腰《よわごし》へ、一本の鉄杖《てつじよう》の先が、
「これ」と、かるく突《つ》いた。
かるく突いたが、|くろがね《ヽヽヽヽ》の杖《つえ》である。力を入《い》れないようでも忍剣《にんけん》が突いたのである。
「うッ……」
というなり蚕婆《かいこばばあ》は、甲羅《こうら》をつぶされた亀《かめ》の子のように、グシャッと幕《まく》の裾《すそ》にへたばってしまった。
その陣幕《じんまく》をはらいあげて、忍剣《にんけん》は、蚕婆には見むきもせず、飛足《ひそく》を跳《と》ばしておどりこむなり、稲妻《いなずま》のように次《つぎ》のとばりの間《ま》へ、チラと逃《に》げこんだ黒衣《こくい》の袖《そで》を、グッとつかんだ。
「悪伴天連《あくバテレン》呂宋兵衛《るそんべえ》、待て!」
「なにッ」
というと銀《ぎん》の鞭《むち》が、びゅッと、忍剣の腕《うで》をつよく打ちかえしてきた。
――まさしく和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》である。逃《に》がしてはならない。忍剣はそう思った。
じつをいうと、かれがここへ馳《か》けつけてきたのは、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》の遠矢《とおや》の敗北《はいぼく》がなんとも、ふしんな負けかたであり、解《げ》しかねる点《てん》が多々《たた》あるので、徳川方《とくがわがた》の勝ちと叫《さけ》んだ検証《けんしよう》の一火《いつか》や目付役《めつけやく》の者に、一苦情《ひとくじよう》持ちこむため、いきおいこんで駈けだしてきたのだ。
もとより、ここで呂宋兵衛と出会《であ》おうとは、夢《ゆめ》にも予感《よかん》をもたないのだった。
しかし、竹童が締《し》めたおされたのも目撃《もくげき》したし、その魁異《かいい》な妖人《ようじん》のすがたは、夢寐《むび》にも忘《わす》れていない仇敵《きゆうてき》である。
なには措《お》いても、見のがせないやつ!
「おのれ」
ふりつけてきた、銀《ぎん》の細鞭《ほそむち》をかわしながら、なお、忍剣《にんけん》は片手《かたて》につかんだ黒衣《こくい》の袖《そで》をはなさない。
呂宋兵衛《るそんべえ》はぜったい絶命《ぜつめい》――。
「御岳《みたけ》だ!」と、叫《さけ》んだ。
御岳だぞといったのは、血《ち》を見るなかれの神文《しんもん》の誓《ちか》いをふりまわして、卑怯《ひきよう》に相手をためらわそうとしたものである。
「だまれ、妖賊《ようぞく》」忍剣は耳もかさない。
引きもどそうとする力、逃《に》げこもうとする力、とうぜん、ベリッと黒衣《こくい》の袖《そで》がほころびた。
ちぎれた布《ぬの》の一|片《ぺん》は、忍剣の手につかまれたまま、よろよろと二、三|歩《ぽ》よろけたが、野幕《のまく》の帳《とばり》のあいだなので鉄杖《てつじよう》のあつかいも自由にゆかず、みすみす、黒豹《くろひよう》のように逃《に》げこんでゆくうしろすがたに、
「待て、待て」
と叫《さけ》びながら、手に残《のこ》った黒い布《ぬの》をほうり捨《す》てると、そのはずみに妙《みよう》な粘力《ねんりよく》を腕《うで》に感じたので、思わず、オヤとふりかえると、その肩《かた》さきへ、いったん地にすてた黒衣《くろぬの》がフワッと勢《いきお》いよく跳《と》びついてきた。
「やッ」と、肩《かた》をすかした。
その首《くび》ッ玉《たま》をおどりこえて、目の前へ、軽業師《かるわざし》のようにモンドリ打ったものを見ると、どうだろう、思いがけない、まッくろな烏猫《からすねこ》、くびわに銀玉《ぎんぎよく》の鎖《くさり》をかけ、十字架《じゆうじか》をつけているではないか。
その銀玉の鎖と十字架をチリチリチリ……と鳴らしながら、幕《まく》のすそをかわいらしく馳《か》けだしたので、
「蛮流《ばんりゆう》の妖術師《ようじゆつし》め、さては、うまく姿《すがた》をかえたな」
鉄杖《てつじよう》を持って追《お》いまわすと、猫《ねこ》はなおチリチリと逃《に》げだして、とつぜん、向こうのすみに、萩《はぎ》や桔梗《ききよう》や秋草のたぐいを入れ交《ま》ぜに、挿《い》けこんである大きな壺《つぼ》の口《くち》へ、ポンと、飛びこんでしまった。
と見て、忍剣《にんけん》は、
「得《え》たり!」
と、いきなり鉄杖を槍《やり》のようにしごいて、大瓶《おおがめ》の横ッ腹《ぱら》へガンと勢いよく突《つ》ッかけた。
瓶《かめ》はくだけ、秋草はとんだ。
みじんになった陶物《すえもの》の破片《はへん》を越えて、どッ、泉《いずみ》をきったような清水《しみず》があふれだしたことはむろんだが、猫《ねこ》もでなければ呂宋兵衛《るそんべえ》の正物《しようぶつ》もあらわれなかった。
水に足をひたされて、ハッとわれにかえれば、これは野陣《のじん》の人々の飲料水《いんりようすい》である。反間《はんかん》の敵《てき》に毒《どく》を混《こん》じられないようにわざと、花壺《はなつぼ》に見せかけておいた生命《いのち》の水にちがいない。
「逃《に》がした……」
なにか、忍剣《にんけん》のあたまは、そのとき、霧《きり》がかかっているような心地《ここち》だった。そして、ぼうぜんとしていると、張《は》りまわした幕《まく》に、ソヨソヨと小波《さざなみ》のような微風《びふう》がうごいて、その幕のかげあたりを、聞きなれない南蛮歌《なんばんか》の調子《ちようし》で、口笛《くちぶえ》をふいて通ってゆくものがある。
「あッ」
銀《ぎん》の鞭《むち》の音がする。
そして、
「あははははははは……」
まぎれもない、怪人《かいじん》和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の人をバカにしたような笑《わら》いごえだ。
神馬草薙《しんめくさなぎ》と早足《はやあし》の男
あざ笑う声はする。
銀《ぎん》の鞭《むち》が幕《まく》のうしろを歩《ある》いている。
だが、霧《きり》のようなじゃまな幕、それにさえぎられて、けんとうもつかねば、すがたも見えない。
忍剣《にんけん》は地だんだを踏《ふ》んで、幕の波《なみ》をさぐりかけた。しかし、瓶《かめ》の水が表《おもて》のほうへいっさんに流れだしていったため、それにおどろいた徳川家《とくがわけ》の諸士《しよし》や、溜《たま》り場《ば》のむしろを水びたしにされて跳《と》びあがった、れいの菊池半助《きくちはんすけ》、鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》、泣き虫の蛾次郎《がじろう》、そのほかお小姓《こしよう》とんぼの連中《れんじゆう》までが、総立《そうだ》ちになって、裏手《うらて》へまわってきそうな気《け》ぶり。
「これはいかん」忍剣は、早くも執着《しゆうじやく》をすてて、
「またいいおりもあろうというもの、ここで、きょうの試合《しあい》をめちゃめちゃにしては、咲耶子《さくやこ》を無難《ぶなん》に取り返すことができなくなろう」
と、分別《ふんべつ》した。
で、ひらりともとの場所《ばしよ》へかえってくるなり、そこにたおれている竹童《ちくどう》をこわきに抱《だ》いた。
竹童はいちじの昏倒《こんとう》で、
「あッ、忍剣さま」
すぐに、目をひらいて、かれのたくましい腕《うで》のなかに自由になった。
おのれの居場所《いばしよ》に馳《か》けもどってきてみると、一方そこでも、なにやら問題がおこっている最中《さいちゆう》である。
総奉行《そうぶぎよう》の大久保長安《おおくぼながやす》と、検証《けんしよう》の鐘巻一火《かねまきいつか》が自身《じしん》できて、なにかしきりと高声《こうせい》で弁《べん》じているのだ。
いま、いきなり飛びこんではまずいと思ったので、忍剣《にんけん》がそッとようすをきいていると、
「いや、ただいまの遠矢《とおや》は、あくまで蔦之助《つたのすけ》が勝ったものと信じます。鐘巻どのも一流《いちりゆう》の火術家《かじゆつか》でありながら、あの的先《まとさき》にお眼が届《とど》かぬとは心ぼそいしだいでもあり、また、検証《けんしよう》の床几《しようぎ》につかれながら、徳川家《とくがわけ》へ勝ち名のりをあげられたのは早計《そうけい》しごくかとかんがえます」
これは、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》自身《じしん》と、木隠《こがくれ》と巽《たつみ》とが、一しょになって主張《しゆちよう》していることばの要点《ようてん》だった。
「したが、加賀爪伝内《かがづめでんない》の遠矢が、額《がく》ぶちにりっぱに立っているのに、貴公《きこう》の矢が鳥居《とりい》の柱《はしら》にも立っていないのはどうしたしだいか、これ、弓勢《ゆんぜい》たらずして、矢走《やばし》りのとちゅうから、谷間《たにま》へおちた証拠《しようこ》ではあるまいか」
というのは、徳川方《とくがわがた》の強弁《きようべん》だった。
それにたいして、蔦之助は笑いをなげて、
「いや、自分の弦《つる》をはなれた矢《や》が、谷間へ落ちたものか、的《まと》を射当《いあ》てたものかぐらいなことは、弓《ゆ》がえりのとたんに、この手もとへ感じるものでござる。たとえば、鐘巻どのの鉄砲《てつぽう》にしても、その実感《じつかん》にお覚《おぼ》えがあろうが」
「ウムなるほど……それはたしかに一理《いちり》がある」
一火はさすがに、そのことばを反駁《はんばく》しなかった。
だが、奉行《ぶぎよう》の石見守《いわみのかみ》や目付《めつけ》たちは、どうしてもその説《せつ》だけではがえんぜない。また、蔦之助《つたのすけ》としても、事実《じじつ》において、その矢《や》が的先《まとさき》に見えないのであるから、それ以上《いじよう》、なんと理由《りゆう》づけて力説《りきせつ》することもできないのであった。
「では、この勝負は、ざんじ自分がおあずかり申すとしよう。そのかわりに……」
と、鐘巻一火《かねまきいつか》は中にはさまってこまりはてたあげく、窮余《きゆうよ》の一策《いつさく》を持ちだして、
「最後《さいご》の勝負、遠駆《とおが》けのおりに、あの大鳥居《おおとりい》をめあてとして馳《か》けさせ、そうほう、その矢を持ちかえってくるとしたらどうであろうか。――とすれば、同時に遠矢《とおや》の勝敗《しようはい》も歴然《れきぜん》と分明《ぶんみよう》いたすことになる」
名案《めいあん》だった。
それはよかろう――というので、すぐその紛糾《ふんきゆう》は解決《かいけつ》したが、ここにまた番組|変更《へんこう》のやむないことができたというのは、そこへ徳川家《とくがわけ》の侍《さむらい》がとんできて、
「例《れい》の、老女|修道者《イルマン》でございますが、たッたいま、何者《なにもの》かにしたたか腰《こし》をうたれて熱《ねつ》をはっし、ひどくうめいておりますので、吹針《ふきばり》の試合《しあい》にはでられぬようすでござります」
という急報《きゆうほう》である。
忍剣《にんけん》は、かげで、それをおかしく聞いていた。
石見守《いわみのかみ》の腹《はら》では、吹針《ふきばり》の試合《しあい》ではしょせんあの老女《ろうじよ》に勝目《かちめ》はないと考えていたので、この出来事《できごと》はもっけのさいわいと思った。
で、その試合《しあい》を取り消《け》すことを申しでたので、龍太郎《りゆうたろう》や忍剣もかたすみで相談《そうだん》のうえ、あらためて、こういう返答《へんとう》をかれにあたえた。
「――されば、幻術試合《げんじゆつじあい》の相手にでる竹童《ちくどう》も、きょうはすこし気分のすぐれぬようすであるから、いっそ二番の勝負を取り消して、最終《さいしゆう》の遠駆試合《とおがけじあい》一番にて、やくそくどおり咲耶子《さくやこ》をお渡《わた》しあるか否《いな》か、乾坤一擲《けんこんいつてき》の勝負を決《き》めるならば、それにご同意《どうい》いたしてもさしつかえはござらん」
「なるほど」石見守は考えていた。
ところが、徳川家《とくがわけ》の者たちは、それを聞くと、むしろ僥倖《ぎようこう》のように気勢《きせい》をあげて、
「遠駆《とおが》けの一|番試合《ばんじあい》で、勝敗《しようはい》を決《き》めることは当方《とうほう》で、望《のぞ》むところ、たしかに承知《しようち》した。さらば、すぐそちらでもおしたくを」
と、石見守になにやらささやいて、わいわいと引《ひ》き揚《あ》げていった。
かれらの目算《もくさん》では、この一番こそ、疑《うたが》うまでもない勝味《かちみ》のあるものと信《しん》じているのだ。天下|歩《あゆ》むことにかけて、たれか、早足《はやあし》の燕作《えんさく》にまさる人間があるはずはない。
そう信じているからこそ、最初《さいしよ》にしめした、試合掟《しあいおきて》にも、相手|方《がた》は騎乗《きじよう》でも徒歩《かち》でも勝手《かつて》しだいと傲語《ごうご》したのだ。
この嶮峻《けんしゆん》な山路《やまじ》の遠駆《とおが》けに、騎馬《きば》をえらべば愚《おろ》かである。人間の足より難儀《なんぎ》にきまっているのだ、そうかといって、徒歩《かち》なればおそらくわが早足《はやあし》の燕作《えんさく》をうしろにする足の持《も》ち人《て》はないわけになる。
――という腹《はら》が徳川《とくがわ》がたの作戦《さくせん》。
(どうでるか、相手方のやつは?)
なかば、安心しているので、興味《きようみ》をもって待ちかまえていると、すでに、支度《したく》ができていたものか、遠駆けにえらばれた巽小文治《たつみこぶんじ》、朱柄《あかえ》の槍《やり》を山県蔦之助《やまがたつたのすけ》の手にあずけて、
「どうッ、どうッ」
一|頭《とう》の白馬《はくば》をひいて、試合場《しあいじよう》へあらわれた。
なんと毛なみの美《うる》わしい馬だろうと――それにはなみいるものが、ちょッと気をうばわれたが、よく見ると、名馬のはずだ、これは御岳《みたけ》神社の御厩《みうまや》に飼《か》われてある「草薙《くさなぎ》」とよぶ神馬《しんめ》である。
しかし、徳川家《とくがわけ》の者や、諸藩《しよはん》のものは、この嶮路《けんろ》の遠駆けに、馬をひきだしてきた無智《むち》をわらった。
「どうだい」
と、嘲笑《ちようしよう》半分に、うわさするものがある。
「これから御岳の中腹《ちゆうふく》まで降《お》りて、渓谷《けいこく》をわたり、それから白鳥《しらとり》の峰《みね》の大鳥居《おおとりい》までいってかえってくるという遠駆けに、いくら名馬の手綱《たづな》をとったところで、しょせん、どうにもなりゃあしまい」
「まるで、山を舟で越《こ》えようというのとおなじ無謀《むぼう》な沙汰《さた》だ」
「しかし、あいつ、おそろしく自信のあるような顔をしているな」
「ふうていもかわっている、杣《そま》か、野武士《のぶし》か、百姓《ひやくしよう》か、見当《けんとう》のつかぬような青二才《あおにさい》だ」
「なにしろ、どう敗《ま》けるか、その敗けぶりをみてやろう」
小文治《こぶんじ》の耳にも、こんな悪評《あくひよう》が、チラチラ耳に入らぬでもなかった。けれど、かれは黙笑《もくしよう》している。うすら笑《わら》いすると、その頬《ほお》には、ちいさな笑《え》くぼができて、愛らしい若者だった。
一方。
これはまた、おそろしく雲の上でも飛びそうなすがたででてきたのは、早足《はやあし》の燕作《えんさく》。
「やあ、ごくろうさま」
小文治のすがたを見ると、町人《ちようにん》らしく、腰《こし》をまげた。
ちょっと、いままでの試合《しあい》と目先《めさき》がかわったので、見物《けんぶつ》はよろこんだ。大きな弥次《やじ》のこえが、高い樹《き》の上ではりあげている。
「お役人さま、念《ねん》のために、よくうかがっておきますがね」
と、燕作《えんさく》は、よくしゃべる。
「なんでござんしょうか――この遠駆《とおが》けの勝負の眼目《がんもく》は、つまり、あの白鳥《しらとり》の峰《みね》の大鳥居《おおとりい》までいって、さっきの遠矢《とおや》を、一本ずつ持って帰《けえ》ってくりゃあよろしいンですね」
「そうじゃ」
と、試合目付《しあいめつけ》がそうほうへくわしく説明した。
「――それと、さいぜん、勝負あずけとなっている遠矢のあたりの証拠《しようこ》を持ちかえってもらいたい」
「ようがす、じゃ、あっしは、あの額《がく》の|ふち《ヽヽ》を引ッぱずして持ってくりゃいいんだ。そして、相手方《あいてがた》より一足《ひとあし》でも早く、この試合場《しあいじよう》へ持ってきて、それを検証《けんしよう》の床几《しようぎ》のおかたに手渡《てわた》しすりゃあ勝ちというわけなんでございましょう。……なアんだぞうさもねえ、それならとちゅうで、さんざん煙草《たばこ》を吸《す》って帰《けえ》ってこられまさ」
と、浮《うわ》ッ調子《ちようし》な町人《ちようにん》ことばで、おそろしく大言《たいげん》をはいた。
小文治《こぶんじ》は、そら耳で聞きながら、一つかみ草をとって馬に飼《か》いながら、ニコニコ笑《わら》っていた。
「旦那《だんな》、支度《したく》はまだですか」
燕作の足は、もう、やたらにピクピクしてきたふう。
「おお、よいぞ」
というと、巽小文治《たつみこぶんじ》、ひらりと神馬草薙《しんめくさなぎ》の鞍《くら》つぼにかるく飛びのった。
「待った!」
と、目付《めつけ》の人々はあわてて、そこから合図《あいず》の手をあげると、ドウーンと三流《みなが》れの太鼓《たいこ》が鳴りこむ。
なお、いざ! というのはまだである。
太鼓は三色《みいろ》の母衣武者《ほろむしや》が、試合場《しあいじよう》の左右から正面へむかってかけだす報《し》らせだった。そこには、矢来《やらい》と二|重《じゆう》に結《ゆ》いまわされた柵《さく》がある。柵の周囲《しゆうい》の群集《ぐんしゆう》を追《お》いはらうと、そこのひろい城戸《きど》が八文字《はちもんじ》にあいて、御岳山道《みたけさんどう》の正面のみちが、試合場からズッとゆきぬけに口をあいた形《かたち》になる。
――刻《とき》、すでに七刻《ななつ》ごろの陽脚《ひあし》。
満山《まんざん》のもみじに、しずかな午後の陽のいろが、こころもち紅《くれない》を濃《こ》くしてきた。
おりこそあれ、短笛《たんてき》の音《ね》。
ここに、最後の勝敗《しようはい》をけっする、騎馬《きば》徒歩《かち》、遠駆《とおが》けの試合《しあい》の矢声《やごえ》はかけられた。
わーッと、いう声におくられて、正面の城戸を走りだした白馬草薙《はくばくさなぎ》と、天下無類《てんかむるい》の早足《はやあし》の持主《もちぬし》、もう、御岳の広前《ひろまえ》から真《ま》ッさかさまに、その姿《すがた》を見えなくしてしまった。
神《かみ》は欺《あざむ》くべからず
いくら天下の早足《はやあし》とじまんをする燕作《えんさく》でも、騎手《のりて》は巽小文治《たつみこぶんじ》、馬は逸足《いつそく》の御岳《みたけ》の草薙《くさなぎ》、それを相手に足くらべをしたところで、もとよりおよぶわけはなく、勝とうというのが押《お》しのつよい量見《りようけん》。
――と見物《けんぶつ》の者は、はじめからこの早駆《はやが》け勝負の結果《けつか》を見くびっていたが、はたして、その予想《よそう》ははずれなかった。
試合場《しあいじよう》の城戸《きど》から、八|町参道《ちようさんどう》とよぶ広《ひろ》い平坦《へいたん》な坂《さか》をかけおりてゆくうちに、燕作の小粒《こつぶ》なからだはみるみるうちに追《お》い越《こ》されて、とてもこれは、比較《ひかく》にはならないと思われるほど、そうほうの間《あいだ》にかくだんな距離《きより》ができてしまった。
だがしかし――燕作の肚《はら》にはりっぱに勝算《しようさん》がたっていた。
「見ていてくれ、ほんとの勝負はこれからさ」
と、たかをくくっているのだ。
そして八町参道をまたたくまにかけ降《お》りると、道はふた手にさけて一方はふもと、一方は白鳥越《しらとりご》え甲州裏街道《こうしゆううらかいどう》の方角《ほうがく》にあたる。
その裏街道のほうへさきの小文治が勢《いきお》いよくまがった。
「ふふん……」と燕作は、それを見ながらあとからかけて、
「さあ、奴《やつこ》さんが泡《あわ》を吹《ふ》くのはこれからだぞ。そこで燕作さまは、このへんでじゅうぶん一息《ひといき》いれてゆくとしようか」
腰《こし》の手拭《てぬぐい》をとって風車《かざぐるま》にまわしながら、一汗《ひとあせ》ふいて、またもやあとからかけだした。
一方、いそぎにいそいでいった小文治《こぶんじ》は、やがて道のせばまるにつれて、樹木《じゆもく》や蔓草《つるくさ》に駒《こま》の足掻《あが》きをじゃまされて、しだいに立場《たちば》がわるくなってきた。
この早駆《はやが》け勝負のまえには、奉行《ぶぎよう》の方から騎乗随意《きじようずいい》といってきたくらいであるから、とうぜん、騎馬《きば》の往来《おうらい》は自由なところと考えていたが、このあんばいだと、前途《ぜんと》はしょせん馬で押《お》しとおすことはできないかも知れない。
「はかられたな」
と小文治は早くも心のうちでさとったが、要《よう》するに地理不案内《ちりふあんない》からきたおちど、いまさら引っかえすわけにはゆかないことは知れきっているので、
「ままよ」
と強情《ごうじよう》に、樹々《きぎ》にせばめられている細《ほそ》い道へと、むりやりに馬をすすめていった。
が、そこには我武者《がむしや》にかけとばしても、たちまちまた一つの難関《なんかん》があった。なんの沢《さわ》というか知らないが、おそろしく急《きゆう》な傾斜《けいしや》で、その下には幅《はば》のひろい渓流《けいりゆう》がまッ白な泡《あわ》をたてて流れている。
まよった。――小文治はまよわざるを得《え》なかった。
手綱《たづな》にそうとう要意《ようい》と覚悟《かくご》をもてば、自分とて、こんなところを乗《の》り落とすことができないではないが、帰る場合《ばあい》にどうしよう?
ほかに登《のぼ》る道があればいいが、ないとすると、この傾斜《けいしや》では、馬を乗りあげることがむずかしい。それに、下に見える渓流《けいりゆう》もはたして騎馬《きば》で越《こ》せるかどうか?
「ウーム、さては大久保《おおくぼ》をはじめ徳川家《とくがわけ》のやつばらめ、あらかじめ地の理《り》をしらべておいて、うまうまと最後《さいご》の勝負でこっちに一ぱい食《く》わせたのだ。……はてざんねんなわけ、どうしてやろうか」
と、名馬|草薙《くさなぎ》の足もそこよりは進《すす》みえずに、手綱《たづな》をむなしくして、馬上にぼうぜんと考えこんでしまっていると、そこへ飛んできた早足《はやあし》の燕作《えんさく》が、
「ああ、やっと追《お》いついた」と、ふりかえって、
「おい大将《たいしよう》、失礼《しつれい》だけれど、お先へごめんこうむりますぜ」
尻《しり》をたたくようなかっこうを見せて、ぴょんと、傾斜《けいしや》の崖《がけ》ッぷちへかかった。
「あッ」
と、われにかえって歯《は》がみをする小文治《こぶんじ》を、
「まあ、ごゆっくり」
と見かえして、そういうが早いか、燕作のからだは、岩《いわ》に着物《きもの》をきせてころがしたように、そこから沢《さわ》の下の水辺《みずべ》まで一いきにザザザザザとかけおりてしまった。
もうまよっている場合《ばあい》ではない。
小文治《こぶんじ》は馬をすてた。
あたりの喬木《きようぼく》へ手綱《たづな》をくくりつけておいて、燕作《えんさく》のあとから、これも飛鳥《ひちよう》のように沢《さわ》へおりた。
降《お》りてみると燕作はもう渓流《けいりゆう》の岩《いわ》をとんで、ひらりと対岸《たいがん》へあがっている。小文治が河《かわ》の向こうへ渡《わた》りついた時には、やはり同じ距離《きより》だけをさきへのばして、こんどはスタスタと登《のぼ》りにかかった。
「お、白鳥《しらとり》の山へかかってきたのだな」
かれは気が気ではなかった。
まだ一|里《り》も二里もさきがある勝負なら、なんとかそれだけの距離を取りかえすことができようが、たしかここから十二、三|町《ちよう》のぼった中腹《ちゆうふく》がれいの大鳥居《おおとりい》だ。
「おのれ、燕作ごとき素町人《すちようにん》におくれをとって一党《いつとう》の人々に顔向けがなろうか」
早駆《はやが》けとはいい条《じよう》、ことここに立ちいたってみれば、武芸以上《ぶげいいじよう》の必死《ひつし》だった。いや、そんな意地《いじ》よりも名誉心《めいよしん》よりも、まんいち自分が敗《やぶ》れでもした時には、いやでも応《おう》でも、咲耶子《さくやこ》の身を徳川家《とくがわけ》の手にわたさなければならない。
いわば一党の人の然諾《ぜんだく》と咲耶子の運命《うんめい》とは二つながら、かかって自分の双肩《そうけん》にあるのだ。敗れてなるものか、おくれてなるものか。
彼はややあせった。
汗《あせ》は全身をぬらしてくる。呼吸《こきゆう》はつまる。
それにひきかえて燕作《えんさく》のほうを見ると、さすがはこいつ足馴《あしな》れたもので、少しもあせるようすがなく、まるで平地を歩《あゆ》むように、スラスラと十二、三|町《ちよう》の登《のぼ》りを踏《ふ》みすすんでゆく。
すると、ほどなく彼の前に、七、八|段《だん》の幅《はば》のひろい石垣《いしがき》があらわれて、巨人《きよじん》がふんばった脚《あし》のような大鳥居《おおとりい》の根《ね》もとがそこに見られたのである。
「おっ、やっと着《つ》いたぞ」
さすがな燕作も、そこでは、ホッとしたように息《いき》ついて、山下《さんか》へ小手をかざしてみたが、まだ小文治《こぶんじ》の姿《すがた》は見えない。
で、安心したらしく、
「ヘン、どんなものだい」
というふうに胸《むね》をひろげて、また手拭《てぬぐい》を風車《かざぐるま》にまわした。
「おっと、そうはいっても、まだまだやっと勝負はこれで半分みち。あの額《がく》の縁《ふち》に刺《さ》さッている矢《や》を抜《ぬ》きとって、もとの試合場《しあいじよう》まで帰り着かねえうちは、まだほんとに勝ったものとはいえない」
つぶやきながら、大鳥居の上を見あげた。
それへよじのぼる気か、燕作が、ペタと蝉《せみ》のように丸木《まるき》の鳥居へ取ッついたが、待てよ、とすこし考えて――。
「こいつあ損《そん》だ、わりに合わねえ」
と不意《ふい》にべつの矢《や》をさがしはじめた。
上の額縁《がくぶち》に刺《さ》さっている矢は、さいぜん、徳川家《とくがわけ》の射手《いて》加賀爪伝内《かがづめでんない》がはなした遠矢《とおや》で、かれも徳川方《とくがわがた》のひとりである以上《いじよう》、とうぜんその矢《や》をぬいて、持ちかえるのがほんとなのだが、この登《のぼ》りにくい鳥居《とりい》にかじりついてすべったり落ちたりしているよりは、どこか、そこらに落ちている山県蔦之助《やまがたつたのすけ》の矢《や》をひろっていったほうが、時間においてはるかに得策《とくさく》だと、あいかわらずずるい考えを起《おこ》したものなのである。
で、鳥居《とりい》をくぐって、およそな見当《けんとう》のところをしきりにさがしはじめたが、さあこの矢《や》のほうにも一難《いちなん》がある。
加賀爪の矢は的《まと》の中心にこそあたらなかったが、その額《がく》の縁《ふち》へ適中《てきちゆう》したので、あのとおりあからさまに鳥居の上にとまっているが、的を射《い》そんじた蔦之助の矢のほうは、それをそれたわけなので、どこまですッ飛んでしまったか、その距離《きより》と方角《ほうがく》にいたっては燕作《えんさく》にもちょっと想像《そうぞう》がつかないのだ。
「おやおや、そうは問屋《とんや》でおろさねえときたね。じゃ、やっぱり尋常《じんじよう》に、あの上のやつを抜《ぬ》いて引っかえそうか」
と、急《きゆう》に考えなおした燕作。
なんの気もなく、まえの大鳥居《おおとりい》の根《ね》もとのほうへふたたび足を向けかえてゆくと、その足のつまさきが、なにやら妙《みよう》なものに蹴《け》つまずいたと思ったので、ヒョイと見ると、嵯峨天皇風《さがてんのうふう》の字体《じたい》で「白鳥霊社《しらとりれいしや》」と彫《ほ》ってある四角な古い欅板《けやきいた》だった。
「あれッ?」
といったまま燕作《えんさく》は、それと鳥居《とりい》の上とを見くらべてあいた口がふさがらない。
なぜかといえば――
その板はまさしく大鳥居《おおとりい》の上にかけてあるべきはずの額《がく》なんである。だのに……と思ってよくよく宙《ちゆう》と大地の品《しな》とを見くらべてみると、鳥居の上には神額《しんがく》の縁《ふち》だけがのこっていて、なかの板だけがここへ落とされてあることがわかった。
ではなんで落ちたか――ということは燕作にはもう疑問《ぎもん》とするにたらなかった。証拠《しようこ》は歴然《れきぜん》、そこに落ちている神額の中板《なかいた》の「白鳥霊社《しらとりれいしや》」の霊《れい》という文字を見ごとに突《つ》きさしていた一本の矢《や》! 見るまでもないが手にとってみると、はたしてさいぜんの試合《しあい》に山県蔦之助《やまがたつたのすけ》が日輪巻《にちりんまき》の弓《ゆみ》から切ってはなした白鷹《しらたか》の塗矢《ぬりや》にちがいはないのである。
「ああ、こりゃあ大《たい》へんだ」
燕作はいままでの道を歩《ある》き損《そん》じたように、ガッカリしてつぶやいた。
先刻《さつき》の遠矢試合《とおやじあい》では河内流《かわちりゆう》の加賀爪伝内《かがづめでんない》が勝点《しようてん》をとって、蔦之助は負けということになっていたが、いま、その遠矢の的場《まとば》であるこの大鳥居の裾《すそ》に立ってみると、これはあきらかに伝内の負けで蔦之助の勝ちだ。
伝内の矢は額の中心をはずして、わずかにその縁にとまっているにすぎないが、蔦之助の矢は神額のまッただなかを射《い》て、その板もろとも下へ落ちてしまったのだ。
そのために、御岳《みたけ》の試合場《しあいじよう》から見ると、だれの目にもそれたように思われたが、この実際《じつさい》がわかるとなれば、大《たい》へんな番狂《ばんくる》わせで、おれが早駆《はやが》けに勝ったところで、きょうの勝負は五分五分《ごぶごぶ》なわけだ、と燕作《えんさく》はすっかり気がくさってしまった。
と――もう下のほうから、巽小文治《たつみこぶんじ》が息《いき》をあえぎつつ登《のぼ》ってくるすがたが見えはじめた。
「ええ、きやがった」
燕作はさきに着いていながら、まごまごしてしまったが、にわかになにか思いついて、
「そうだ、なにも心配《しんぱい》することはねえ。おれがここでこの額板《がくいた》を見つけたからこそ、蔦之助《つたのすけ》のあたりがわかったようなものの、なあに、このままどこかへかくしておけば、相手のやつらも気がつくことはないのだ」
矢《や》はぬいて自分の腰《こし》にはさみ、神額《しんがく》の板《いた》は、人の気づかぬような雑木帯《ぞうきたい》の崖《がけ》へ目がけて力まかせにほうりすてた。
「ウム、これでよし」
いこうとすると、何者か、
「待て! 燕作《えんさく》」
「あッ……」
かれはなにものも見なかったであろう。
ふりむいたとたんに、天地がグルリとまわったように感じた。そしてえりがみをはなされた時には、脾腹《ひばら》をうって、鳥居《とりい》の下に気をうしなっていた。
わずかの間《ま》をおいて、そこへ、燕作《えんさく》に追《お》いこされた小文治《こぶんじ》が息《いき》をきって登《のぼ》ってきた。
しかし、ふしぎなことには、たったいま何者《なにもの》かに投げられて、大鳥居《おおとりい》の下で気をうしなった燕作のからだが、どこへ片《かた》づけられたのか、そこに見えなくなっていた。
そういう変事《へんじ》があったのは知らないが、小文治はふしんにおもった。あとから登ってくるみちみちにも、くだってくる燕作に出会《であ》うだろうと思っていたのに、ここへきても、その姿《すがた》が見えない。
「ひきょうなやつ、さては、このうえにも自分をだしぬくためにどこか近いぬけ道をまわっていったな」
いわゆる、負けた者のくそ落ちつきではないけれど、小文治もこうなるうえは、この遠駆《とおが》けの勝敗《しようはい》を天意《てんい》にまかせるよりほかはないとかんねんをきめた。
全能全力《ぜんのうぜんりよく》を正当《せいとう》につくしてみて、それでも敗《やぶ》れれば、まことに是非《ぜひ》のないわけだ。男らしく、一党《いつとう》の人の前へでて、罪《つみ》を謝《しや》するよりほかにみちはない。
と、覚悟《かくご》をきめてしまったので、かれもぞんがい元気をたもっていた。
そこで、しずかに、持ちかえる矢《や》をさがすと、蔦之助《つたのすけ》の矢は見あたらないで、大鳥居の額縁《がくぶち》に刺《さ》さっている加賀爪伝内《かがづめでんない》の矢が目にとまった。
かれはハタととうわくして、
「どうしてあれを取ろうか」
と腕《うで》をくんで考えた。
一ぽうを見ると、そこにすばらしく大きい椋《むく》の大木《たいぼく》がある。その高い梢《こずえ》の一端《いつたん》がちょうど、鳥居《とりい》の横木《よこぎ》にかかっているので、
「そうだ」
駆《か》け寄《よ》ってそれへよじのぼろうとすると、
「小文治《こぶんじ》、小文治」
不意《ふい》に、どこかで自分を呼《よ》ぶものがある。
――が、どこを見まわしても、人らしいかげはあたりの鬱蒼《うつそう》にも見えないのである。
「耳のせいか?」
かれはそう思った。ふたたび椋の幹《みき》に抱《だ》きついて、大鳥居《おおとりい》の横木へわたろうと考えた。
「――いまわしが降《お》りてゆくから、くるにはおよばんよ、そこで待っているがいい」
「や? ……」
耳のせいではない。
だれだろう、何者《なにもの》だろう、この白鳥《しらとり》の峰《みね》でなれなれしく話しかける人間は?
かれの目はしきりにうごいて、うしろの樹立《こだち》をすかしたり暗緑《あんりよく》な境内《けいだい》を見まわしたりしたが、ついに、そこからなにものも見いだすことはできなかった。――たださいぜんから明らかに知っていて、べつに気にも止《と》めなかったのは、鳥居《とりい》の横木《よこぎ》にうずくまっている一|羽《わ》の灰色《はいいろ》の鳥だった。
ところが、かれの鼻《はな》のさきへ、上から額縁《がくぶち》の矢《や》が抜《ぬ》けて、ポーンと落ちてきたので、眸《ひとみ》をこめて見なおすと、その灰色のかげが鳥ではないのがはじめてわかった。
衣《ころも》のような物をきている人間だ。鳥居の横木に腰《こし》をおろし、杖《つえ》のようなものを持っているあんばい。
矢《や》を落として、するすると横木の端《はし》へはいだしてきた。
銀《ぎん》のような髯《ひげ》が頤《あご》からたれて風をうけているのが、そのときには、下からもありありと仰《あお》がれた。老人《ろうじん》はやがて椋《むく》の梢《こずえ》にすがって、蜘蛛《くも》がさがるようにスルスルと降《お》りてきた。
「あッ、あなたは果心居士《かしんこじ》先生」
「小文治《こぶんじ》、ひさしく相見《あいみ》なかったの」
「どうして、あんなところに」
「まあよい、そこへすわれ」
すわって話しこむどころの場合《ばあい》ではないが、ついぞここしばらくのあいだ、一党《いつとう》の人に影《かげ》もすがたも見せないでいた果心居士が、こつぜんと、そこに立ったのであるから、小文治もぼうぜんとして、思わず、腰《こし》をついてしまった。
「きょうはえらいさわぎだったな」
居士《こじ》はいつもかわりのない童顔《どうがん》に明るい微笑《びしよう》を波《なみ》のようにたたえて、
「わしも、すこしあんじられたので、きょうは早くからあれに腰《こし》をすえて見物《けんぶつ》していたのじゃ」
と、鳥居《とりい》の上を指《ゆび》さした。
「えッ、では、先生には、あの鳥居の上から御岳《みたけ》の試合《しあい》をながめておいであそばしたので」
「よく見える。あたかも鞍馬《くらま》の上から加茂《かも》の競馬《けいば》を見るようにな」
「して、いつこの武州《ぶしゆう》へ」
「ゆうべ、なにげなくれいの亀卜《きぼく》の易《えき》をこころみたところが、どうもはなはだおもしろくない卦面《けめん》のしらせじゃ。そこでにわかに思い立って、きょうぶらりとやってきたが、はたしてこのさわぎ……」
小文治は居士の話にいろいろな疑念《ぎねん》をはさんだ。亀卜の易とはなにか? また京《きよう》の鞍馬山から武州まで、きょうぶらりとやってきたというのも、自分の聞きちがいのような気がした。
けれど、かれがそんなことに頭をそらしているうちに、居士はずんずんとさきの話をいいつづけていて、
「で、なによりあんじられたのは、万が一にも、咲耶子《さくやこ》の身を徳川家《とくがわけ》のほうへとられると、おそらく、ふたたび助けだすことができまいということであった。なぜといえば、家康《いえやす》の心のうちには、いよいよ邪計《じやけい》の萌《きざ》しがみえる。――武田《たけだ》の残党《ざんとう》を憎《にく》むことが、いぜんよりもはなはだしい。そして、秀吉《ひでよし》と覇《は》をあらそううえにも、つねに背後《はいご》の気がかりになる伊那丸君《いなまるぎみ》やそれに加担《かたん》のものを、どんな犠牲《ぎせい》を払《はら》っても、根絶《ねだ》やしにしなければならぬと、ひそかに支度《したく》をしつつあるのだから」
老骨《ろうこつ》とは思われない若々しい居士《こじ》の語韻《ごいん》のうちに、仙味《せんみ》といおうか、童音《どうおん》といおうか、おのずからの気稟《きひん》があるので、小文治《こぶんじ》はつつしんで聞いていたが、話がとぎれると、遠駆《とおが》け試合《じあい》の決勝《けつしよう》が気にかかって、じッと落ち着いてはいられない気がする。
「もし、果心居士《かしんこじ》先生」
たまらなくなって、腰《こし》を浮《う》かしかけた。
「なんじゃ」
「せっかく、お話中ではございますが、ご承知《しようち》のとおり、わたしはいま遠駆けのとちゅう、この矢《や》をもっていっこくも早く試合場《しあいじよう》へもどりませぬと……」
「ウムぞんじておる」
「でも、ただいまも仰《おお》せられたとおり、まんいち不覚《ふかく》をとりますと咲耶子《さくやこ》の身を」
「それはわかっている。まあよい」
わかっているといいながら、小文治のワクワクしている胸《むね》のうちもさっしなく、居士はゆうぜんと椋《むく》の木の根《ね》に腰をすえて、目を半眼《はんがん》にとじ、頤《あご》の銀髯《ぎんぜん》をやわらかになでている。
気が気ではないのに、居士《こじ》はまだことばを切らないで、
「わしがみるところでは、世はいよいよ乱《みだ》れるだろう、いくさは諸国《しよこく》におこって絶《た》えないであろう、人間はますます殺伐《さつばつ》になり、人情美風《にんじようびふう》はすたれるだろう。なげかわしいが天行《てんこう》のめぐりあわせ、まことにぜひないわけである」
と、空をあおいでそういった。
ああ悠長《ゆうちよう》な。
小文治《こぶんじ》がことばをはさもうとすると、そこをまた、
「伊那丸君《いなまるぎみ》にもよく言伝《ことづて》をしてくれよ。よいか、ますます自重《じちよう》あそばすようにと」
「は、心得《こころえ》ました」
いい機《しお》と、小文治が立ちかけると、
「あ、待て」
またか、――そう思わずにいられないで、
「さきをいそぎますゆえ、なにとぞ、このまま失礼《しつれい》ごめんくださいまし」
と、そこに落ちている矢《や》をひろって右手《めて》につかむと、居士も、やっと腰《こし》をあげて、
「小文治、その品《しな》ばかりでは心もとない、いずれこの空がまッ赤《か》に夕焼《ゆうやけ》するころには、御岳《みたけ》の山も流血《りゆうけつ》に染《そ》まるだろう。――戈《ほこ》をうごかすなかれ、血《ち》をみるなかれの神文《しんもん》もとうていいまの人心には守《まも》られる気づかいがない。見ろ――」
手をあげた居士《こじ》の指《ゆび》が、そこから対山《たいざん》の中腹《ちゆうふく》をゆびさした。
「あれを見ろ、小文治《こぶんじ》。みだれた凶雲《きよううん》と殺気《さつき》にみなぎっている」
「では、兵法大講会《へいほうだいこうえ》の第二日も、いよいよ無事《ぶじ》にはおさまりませぬか」
「おそらく、三日目《みつかめ》を待たず、今夕《こんせき》かぎりでめちゃめちゃになるだろう。おう、おまえも早くゆくがいい、そして、まんいちの用意《ようい》に、これを証拠《しようこ》に持ちかえるがよかろう」
そういって、居士《こじ》がかれにあたえたのは、さいぜん、燕作《えんさく》がどこかへ投げすてた額板《がくいた》だった。
蔦之助《つたのすけ》の遠矢《とおや》がけっして敗《やぶ》れたのではないと聞かされて、小文治はこおどりして、
「では、ごめんを」
と、下山《げざん》の道へ走りだした。
「おお、せくなよ。急《せ》いてあとの不覚《ふかく》をとるなよ」
見送《みおく》りながら、居士は白鳥《しらとり》の奥《おく》の院《いん》のほうへ風のごとく立ち去った。
しばらくすると、草むらのなかから、
「ウーン……ア痛《いて》、アイテテテテ」
と腰《こし》をさすりながら起きあがった燕作が、夢《ゆめ》のような顔をしてのこのこでてきた。
「どうしたんだろう? おれはいったい」
あたりをみると、いつか夕暮《ゆうぐ》れらしい色が、森や草にはっていた。梢《こずえ》にすいてみえる空の色も、丹《たん》の刷毛《はけ》でたたいたように、まだらな紅《べに》に染《そ》まっている。
「あッ……ささささ、さア、大《たい》へん!」
はじかれたように思いだして、大鳥居《おおとりい》の上を見ると、南無三《なむさん》、そこに立っていた矢《や》はすでにぬき取られてあるではないか。
「ちぇッ、出《だ》しぬかれたぞ、小文治《こぶんじ》のやつに」
わくわくと自分の腰《こし》に手をやってみる。
さいぜん、帯《おび》へさした、蔦之助《つたのすけ》の矢《や》はたしかにあった。
「ウム、野郎《やろう》め。まだあいつの足では御岳《みたけ》の試合場《しあいじよう》までは行きつきはしめえ。……なんの見ていやがれ、早足《はやあし》の燕作《えんさく》が一世一代《いつせいちだい》にすッ飛んでくれるから」
足と腰《こし》の骨《ほね》を二つ三つたたくと、孫悟空《そんごくう》が急用《きゆうよう》にでかけたように、燕作のからだは鳥居のまえから見ているうちに小さくなっていった。
いや、その早いことといったらない。まるで足が地についていないようである。
またたく間《ま》にもとの渓流《けいりゆう》にかかってきた。
ここは谷間《たにあい》のせいか、いちだんと暮色《ぼしよく》が濃《こ》くなって、もう夕闇《ゆうやみ》がとっぷりとこめていたから燕作は泣きだしたくなった。
「ええ、大《たい》へん」
もしこの遠駆《とおが》けにおくれを取ったら、あの呂宋兵衛《るそんべえ》がおれをただはおくまい。菊池半助《きくちはんすけ》や大久保長安《おおくぼながやす》なども、さだめしあとで怒《おこ》るだろう。いや、おこられるだけならまだいいが、勝ったら百|両《りよう》といわれた褒美《ほうび》もフイなら、第一、天下の早足《はやあし》の名まえがすたる。
意地《いじ》でも欲《よく》でも勝たなければならない。
「ええ、間道《かんどう》をゆけ、間道を」
とうとう燕作《えんさく》、ここまで試合《しあい》をつづけてきて、最後にさもしい町人根性《ちようにんこんじよう》をだした。それを他人《たにん》に知られたら、ひきょうな立合《たちあ》いといわれて、徳川家《とくがわけ》の名をけがすことになるが、いまはそんなことを顧慮《こりよ》していることはできない。
ただ、なんでもかでも、早くかえり着くことにあせった燕作は、やくそくの道をふまず、沢《さわ》をひだりにまわって、八|町参道《ちようさんどう》へ半分でぬけられる近道をいそぎだした。
「おう、しめた」
そこへ抜《ぬ》けてでると、さきにいそいでゆく小文治《こぶんじ》の騎馬《きば》すがたがすぐ目のまえに見えた。
にわかに元気づいた燕作が、一|町半《ちようはん》ばかり、死身《しにみ》になって踵《かかと》をけると、こいつどこまで足が達者《たつしや》に生まれた男だろう、神馬草薙《しんめくさなぎ》とほとんど互角《ごかく》な早さで、長くのびた燕作の首と、泡《あわ》をかんだ馬の顔が、わずか一|間《けん》か二間の差《さ》を、たがいに抜《ぬ》きつ抜《ぬ》かれつして、八|町《ちよう》ばかりの坦道《たんどう》を、見るまに、二町走り三町走り、六町走り、アア、あとわずかと試合場《しあいじよう》の城戸《きど》まで、たッた二、三十|間《けん》――。
わッーという声の波《なみ》が、馬と人とを同時に抱《だ》きこんだ。
燕作《えんさく》は、かけ着《つ》いたというよりも、自分のからだを城戸のなかへほうりこんで、
「遠駆《とおが》け一番!」
たおれながら腰《こし》の矢《や》を高くさしあげた。
それがさきか、かれが次着《じちやく》か、ほとんど燕作のさけびと同時に、馬もろとも、おどりこんだ小文治《こぶんじ》の口からも、同じように、
「一番!」
と絶叫《ぜつきよう》された。
すると、すぐに審判《しんぱん》の床几《しようぎ》にいた鐘巻一火《かねまきいつか》の口から、
「巽小文治《たつみこぶんじ》どの、遠駆け一番」
とあきらかな軍配《ぐんばい》があがった。
「ちーイッ」
と口をゆがめて歯《は》ぎしりをしたまま、早足の燕作は、腰《こし》を立てる気力《きりよく》もなく、なにかわけのわからないことを叫《さけ》びつづけた。
小文治一番――と聞いて色めき立ったのは、かれの朋友《ほうゆう》たちで、
「それ、このうえは、約束《やくそく》のとおり一火どのから咲耶子《さくやこ》を申しうけよう」
と、忍剣《にんけん》をはじめ龍太郎《りゆうたろう》に蔦之助《つたのすけ》や竹童《ちくどう》などが、審判の床几にいる鐘巻一火のところへかけ集《あつ》まってくると、いちじ色をうしなった徳川家《とくがわけ》のほうからも、大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》、菊池半助《きくちはんすけ》、鼻《はな》かけ卜斎《ぼくさい》、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》。そのほかおびただしい人数《ひとかず》が、ドッと流れだしてきて、
「検証《けんしよう》の一火《いつか》どの、軍配《ぐんばい》がちがうぞ」
と抗議《こうぎ》をもちこんだ。
一火は公平なたいどで、
「なんで拙者《せつしや》の検証がちがうといわれるか」
色をなして突《つ》ッ立った。
されば石見守は一火の左の手につかんでいる矢を指《さ》して、
「それはだれが持ちかえった矢であるか」
「これは小文治《こぶんじ》どの。またこちらは燕作《えんさく》の持ってきた矢《や》であるが、それがどうかしたといわれるので」
「ちがう。この遠駆《とおが》けは勝負なしじゃ」
「なぜ?」
「小文治は蔦之助《つたのすけ》の矢《や》を取ってかえるべきがとうぜん、また燕作は、伝内《でんない》の矢《や》を持ちかえらねばならぬはずじゃ。それを双方《そうほう》心得《こころえ》ちがいをして、かくべつべつに取りちがえてきた以上《いじよう》、この遠駆《とおが》け試合《じあい》は、やりなおしか、互角《ごかく》とするよりほかはありますまい」
ひきょうな苦情《くじよう》である。
負けたがゆえに理《り》のないところへ理をつけた難癖《なんくせ》である。
かりにも、武門《ぶもん》の塵《ちり》をはいて行《おこな》われた試合《しあい》のうえに唾棄《だき》すべききたない心がけだ。
忍剣《にんけん》や龍太郎《りゆうたろう》の面上《めんじよう》には、みるまに、青い怒気《どき》がのぼった。
その禅杖《ぜんじよう》、その戒刀《かいとう》は、いまにも長安《ながやす》の細首《ほそくび》へ飛びかかろうとしているふうだったが、かれの周囲《しゆうい》にも、菊池半助《きくちはんすけ》や、呂宋兵衛《るそんべえ》が、眼をくばって護《まも》っている。
ただ、こまったのは鐘巻一火《かねまきいつか》である。
かれは双方《そうほう》の板挟《いたばさ》みとなって、この場合《ばあい》をどう処置《しよち》していいのか、ほとんど、とうわくしてしまった。
それを是《ぜ》とするか非《ひ》とするか、自分の唇《くちびる》をでる、ただ一|句《く》で、どんな兇刃《きようじん》がものの弾《はず》みで御岳《みたけ》の神前《しんぜん》を血《ち》の海としないかぎりもない。
「うーむ。これはどうしたものか」
両方《りようほう》のあいだに立って、かれがとうわくの腕《うで》ぐみをかたくむすんだ時、
「いや、しばらく」
一党《いつとう》の人々を押《お》しなだめて、それへでてきたのは遠駆《とおが》け試合《じあい》の当《とう》の本人である巽小文治《たつみこぶんじ》。
黒々とひとくせある顔をならべた先《せん》ぽうの者をずッと見まわして、
「――いかに浜松城《はままつじよう》の武士《ぶし》ども、たとえ、いまの遠駆けを勝敗なしとしたところで、もう咲耶子《さくやこ》はこっちへもらいうけたぞ。人はあざむき得《う》るとも神はあざむくべからず、疑《うたが》わしくば首をあつめて、とくとこれを見るがいい」
と、例《れい》の鳥居《とりい》の額板《がくいた》をかれらの目のまえにつきだした。
刑罰《けいばつ》の千|年《ねん》山毛欅《ぶな》
もう、ぜひの議論《ぎろん》にはおよばない。
すべては「白鳥霊社《しらとりれいしや》」の額板が、雄弁《ゆうべん》に解決《かいけつ》をつけていた。
それには、りっぱに、蔦之助《つたのすけ》の射《い》あてた矢《や》あとがある。かれの冤《えん》はそそがれた。そして、競射《きようしや》に不当《ふとう》な勝点《しようてん》をうばっていた徳川家《とくがわけ》は、一|敗《ぱい》地にまみれてしまった。
いくら、横車《よこぐるま》を押《お》そうとする徳川方《とくがわがた》の者でも、その証拠《しようこ》を小文治《こぶんじ》につきつけられては、二の句《く》をつぐ者もなかった。
検証役《けんしようやく》の鐘巻一火《かねまきいつか》は、公平《こうへい》に、最後《さいご》の断《だん》をくだして、蔦之助や小文治たちにいった。
「おやくそくであるから、咲耶子《さくやこ》のからだは、おのおのたちへお渡《わた》しいたすことにする。いざ、こちらへきてください」
さきに立って、自分のたまり場《ば》である幕《まく》のほうへみちびこうとすると、いまいましげに睨《ね》めつけていた大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》が、
「まだ疑《うたが》わしきふしがある。待て、咲耶子《さくやこ》を渡《わた》すのはしばらく待て」
と、みれんらしくどなった。
蔦之助《つたのすけ》や小文治《こぶんじ》は、ふんぜんと色をなして、
「なに、このうえにも、なにか苦情《くじよう》があるというのか」
「おお、第一、あやしいのは額板《がくいた》。なるほど、白鳥霊社《しらとりれいしや》と彫《ほ》ってあるにはちがいないが、はたしてこの矢《や》あとが蔦之助の矢かどうか、それもにわかにたしかとはうけとれない。ことに、まだ大講会《だいこうえ》第三日の試合《しあい》も明日《あす》にのこっていることゆえ、咲耶子の身を処決《しよけつ》するのは、あしたにのばしてもさしつかえあるまい。そのあいだに、いま申した疑問《ぎもん》の点《てん》をとうほうでもじゅうぶんに取り調《しら》べておくから、それまで待てと申すのだ」
いかにも無理《むり》な、智恵《ちえ》のない、いいぶんだ。
一火《いつか》は、取るにたらないことばと聞きながして、さっさと引きあげようとしたが、徳川家《とくがわけ》のほうからは一刻《いつこく》ましに味方《みかた》があつまって、わざとことをもつれさせるように、石見守《いわみのかみ》の尾《お》について、ごうごうと苦情《くじよう》の声援《せいえん》をあげだした。
「不当《ふとう》だ」
と、一火の肩《かた》をつく者がある。
「そっちに、やましいところがないならば、なぜ明日まで待てぬというか」
と、雑魚《ざこ》のようにむらがってきて、龍太郎《りゆうたろう》や蔦之助たちの歩行《ほこう》をじゃまするやからもある。
これが「血《ち》をみるなかれ」――刃傷禁断《にんじようきんだん》の御岳《みたけ》の神前《しんぜん》でなければ、こんな雑魚《ざこ》どもに、かってな熱《ねつ》をふかせておくのではないが――と四人もジリジリ思ったろうし、はらはらして、そばにいた竹童《ちくどう》も、歯《は》ぎしりをかんで、ながめていた。
蛾次郎《がじろう》も、卜斎《ぼくさい》のうしろから首をだしていた。
そして、一人前《いちにんまえ》に徳川家《とくがわけ》の肩《かた》を持って、
「なんだ、そんなばかな法《ほう》があるもンか。やれやれ、やッつけろ」
ケシかけるような弥次《やじ》をとばしたので、卜斎に、ぴしゃりとお出額《でこ》をたたかれて、だまってしまった。
なにしろ、はてしがつかないさわぎだ。
刀のぬけない場所《ばしよ》だけに、いたずらに声ばかり高く、理非《りひ》もめちゃくちゃにののしる声が、一火《いつか》と龍太郎《りゆうたろう》以下《いか》の者を取りまいて、身うごきもさせない。
すわ、なにかことこそはじまったぞ! とそれへ加《くわ》えて、上杉家《うえすぎけ》、北条家《ほうじようけ》、前田家《まえだけ》、伊達家《だてけ》、そのほかの溜《たま》り場《ば》からも数知《かずし》れない剣士《けんし》たちがかけあつまってくる。
むろん、鐘巻一火《かねまきいつか》の門人《もんじん》たちも、ただは見ていなかった。もし、師《し》の身にまちがいがあってはと控《ひか》え場《ば》の幕《まく》を空《から》にして、こぞって、そこへ飛んできた。
すると。
渡《わた》せ、渡さぬ、の苦情《くじよう》が、そこに人渦《ひとうず》をまいてもめているすきに、石見守《いわみのかみ》の目くばせで、呂宋兵衛《るそんべえ》と菊池半助《きくちはんすけ》のふたりが、ぷいと、どこかへ姿《すがた》を消《け》したことを、だれひとり気づいた者がない。
伊賀者頭《いがものがしら》の菊池半助《きくちはんすけ》、あのりすのような挙動《きよどう》をして、どこへいったのかと思うと、やがてひとり、鐘巻一火《かねまきいつか》のひかえ場《ば》のうらへきて、鉄砲《てつぽう》ぶッちがえの幕《まく》のすきから、なかのようすをのぞいていた。
そとのさわぎに、門人《もんじん》すべてではらって、幕《まく》のうちには人影《ひとかげ》もない。
ただ、咲耶子《さくやこ》ひとりだけが、柱にもたれて休《やす》んでいた。
「ウム、いるな」
こううなずくと半助は、幕《まく》をあげて、いきなりそこへ飛びこんだ。
とたんに、あッ――と洩《も》れた咲耶子の声が、糸を切ったように、中途《ちゆうと》からポツンときれて、それっきり、あとはなんの音もしなかった。
竹《たけ》で網代《あじろ》にあんだ駕籠《かご》である。山をとばすには軽《かる》くってくっきょうな品物。それへ、さいぜん、忍剣《にんけん》の鉄杖《てつじよう》で腰骨《こしぼね》をドンとやられた、蚕婆《かいこばばあ》が乗《の》っていた。
あの、こうもりのつばさのような、女|修道者《イルマン》の着るくろい服《ふく》をかぶって、青い顔をして乗っていた。
「婆《ばあ》さん、痛《いた》いかい?」
のぞきこんだのは燕作《えんさく》である。
蚕婆は、腰《こし》をさすって、
「ウーム、痛《いた》い」
と、顔をしかめた。
「いまに楽《らく》にしてやるよ、おめえだけさきに浜松《はままつ》へ帰るんだ。ご城下《じようか》にかえれば、湯《ゆ》もある医者《いしや》もある、なにもそんなに心配《しんぱい》することはねえ」
ところへ、ばたばたと足音がしてくる。
葵紋《あおいもん》の幕《まく》をあげて、あわただしくかけこんできたのは、菊池半助《きくちはんすけ》であった。
右のこわきに、咲耶子《さくやこ》のからだを引っかかえていた。不意《ふい》に、当身《あてみ》をうけたのであろう、彼女《かのじよ》は力のない四肢《しし》をグッタリとのばしていた。
「呂宋兵衛《るそんべえ》、呂宋兵衛」
「お」
もう一|挺《ちよう》の駕籠《かご》のなかに、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》がかくれていた。ひらりと飛びだして――。
「半助さま、ごくろうでしたな」
「む。いい首尾《しゆび》だったので、なんの苦《く》もなくさらってきた」
「お早いのには、呂宋兵衛も舌《した》を巻《ま》きましたよ。さすがは、伊賀者頭《いがものがしら》でお扶持《ふち》をもらっているだけのお値打《ねう》ちはある」
「おだてるな。して、支度《したく》は」
「このとおり。なん時でも」
「では、一刻《いつこく》もはやいがいいぞ。おい燕作《えんさく》、ちょっと手をかせ」
呂宋兵衛《るそんべえ》が身をぬいた空《から》駕籠《かご》のなかへ、咲耶子《さくやこ》のからだを押《お》しこんで、その、人目《ひとめ》につく身なりの上へ、蚕婆《かいこばばあ》と同じくろい服《ふく》をふわりとかぶせた。
「さ、これでいい」
と半助が合図《あいず》をすると、わらじをむすんでいた駕籠の者が、ばらばらと寄《よ》って二つの駕籠をかつぎあげた。――呂宋兵衛はすぐと、
「おれと菊池《きくち》さまは、あとから見えがくれについてゆくから燕作《えんさく》、てめえはなにしろ駕籠について、御岳《みたけ》のうら道をグングンとかけとばし、浜松《はままつ》のご城下《じようか》へいそいでゆけ」
と、手をふった。
…………
紛擾《ふんじよう》をきわめている一方では、徳川方《とくがわがた》のそんな奸計《かんけい》を、夢《ゆめ》にも知ろうはずがない。
どっちも引《ひ》かずに争《あらそ》っていたが、審判《しんぱん》の公平《こうへい》と、他藩《たはん》の輿論《よろん》には勝てない。で、とうとう石見守《いわみのかみ》も我《が》を折った。ぜひがない、随意《ずいい》にするがいいと、兜《かぶと》をぬいだような顔をして、苦情《くじよう》の紛争《ふんそう》にけりをつけた。
「見たことか」
と、小文治《こぶんじ》は小きみよく思った。
で、鐘巻一火《かねまきいつか》の溜《たま》り場《ば》へ、凱歌《がいか》を奏《そう》してひきあげてきたはいいが、それほどまで争奪《そうだつ》の焦点《しようてん》となっていた、かんじんな咲耶子その者のすがたが、いつのまにか失《うしな》われていた。
門人《もんじん》たちはおどろいて、
「たったいままで、ここに手当《てあて》をうけて、しずかによりかかっておられたのに」
と、血《ち》まなこで四方をさがし歩いたが、かげも形《かたち》も見えなかった。
一火《いつか》はもうしわけがないと、龍太郎《りゆうたろう》や忍剣《にんけん》たちのまえに両手《りようて》をついて謝罪《しやざい》した。ふかく責《せ》めれば、腹《はら》を切ってもわびそうな気色《けしき》なので、四人はぼうぜんと顔を見あわせたのみで、一火を責《せ》める気にもなれない。
「計《はか》ったのだ。長安《ながやす》めの、はかりごとだ!」
と、小文治《こぶんじ》が唇《くちびる》をかみしめて叫《さけ》ぶと、蔦之助《つたのすけ》も、
「そうだ! なんのかのと、時刻《とき》をうつしてさわがせたのは、このすきをうかがうための徳川方《とくがわがた》の策《さく》だったのだ。おそらく咲耶子《さくやこ》の身は、きゃつらに、奪《うば》い去《さ》られたにそういない」
龍太郎は黙然《もくねん》とうなだれていたが、
「われわれがあさはかだったのだ。かれらを正《ただ》しい武門《ぶもん》の人間とかんがえて、試合《しあい》や争論《そうろん》に汗《あせ》をながしたのがおろかであった。これまでの力をつくしながら、咲耶子をとられたものならぜひがない、いちおう、ここを退《ひ》いて、またあとの分別《ふんべつ》をつけるとしよう」
そういわなければ、一火の立場《たちば》があるまいとさっして、かれが他の三人に目まぜをすると、忍剣はなにもいわずに、鉄杖《てつじよう》をこわきにかかえて、まえの場所《ばしよ》へかけもどった。
その顔色をチラと見て、龍太郎《りゆうたろう》は追《お》いすがりながら、
「忍剣《にんけん》! きさまは色をかえて、どこへゆこうとするのだ」
息《いき》ぜわしく、袖《そで》をつかんだ。
ふりはらって、ただ一言《いちごん》、
「はなせ!」
と語気《ごき》がするどい。
「いや、はなさん。おれははなさん」
「なんで、おれのすることをさまたげるのだ」
「きさまは、その引っかかえている禅杖《ぜんじよう》で、きょうの鬱憤《うつぷん》を晴《は》らそうという気だろう」
「知れたことだ。この晴《は》れがましい、大講会《だいこうえ》の広前《ひろまえ》で、かたく、約《やく》をむすんだ試合《しあい》ながら、さまざまに難癖《なんくせ》をつけたあげく、その裏《うら》をかいて、咲耶子《さくやこ》のすがたを隠《かく》してしまうという言語道断《ごんごどうだん》な行《おこな》いを、だまってこのまま見て引っこめるか。――龍太郎! おぬしは退《ひ》くなら、退くがいい、おれは徳川家《とくがわけ》の蛆虫《うじむし》めらを、ただ一|匹《ぴき》でも、この御岳《みたけ》から下へおろすことはできない」
かれの額《ひたい》には、炎《ほのお》のような青筋《あおすじ》がうねっていた。かつて、忍剣の形相《ぎようそう》が、こうまですごくさえたことを、龍太郎も見たことがないくらい。
「こらえろ! こらえてくれ、忍剣! この山の掟《おきて》を知らぬか、兵法大講会《へいほうだいこうえ》三日の間《あいだ》は、たとえどんなことがあっても血《ち》を見るなかれという、きびしい山の禁断《きんだん》を知らぬかッ」
「ええ、もうその堪忍《かんにん》はしつくした。これ以上《いじよう》のこらえはできない」
「だからきさまの短慮《たんりよ》を、伊那丸《いなまる》さまも民部《みんぶ》どのも、へいぜいから心配《しんぱい》するのだ。もしものことをしでかしてみろ、きさまばかりではない。友だちのおれたちがこまる。こらえろ、こらえろ。よ! 忍剣《にんけん》」
「ウーム、こらえたいが、だめだッ。もうだめだッ! はなせそこを」
龍太郎を突《つ》きのけて走りだしたかれの前には、もう、どんな力のものでも、さえぎることができそうもなかった。
石見守長安《いわみのかみながやす》は、やぐらの者に、あわてて貝《かい》の音《ね》を高く吹《ふ》かせた。忘れていたが、いつか、とっぷりと日がくれていたのだ。
が、――貝《かい》の合図《あいず》を待たずに、群集《ぐんしゆう》は、あのもめごとのうちに、のこらず山をくだったらしい。
「まず、大講会《だいこうえ》の二日も、これですんだというもの。ウーム、つかれた。これこれ足軽《あしがる》、篝火《かがり》を焚《た》け夜《よる》の篝火を」
こういいながら、狩屋建《かりやだて》の奉行小屋《ぶぎようごや》へはいると、かれはすぐに平服《へいふく》に着《き》かえて、炉《ろ》ばたへ床几《しようぎ》を運《はこ》ばせた。
そこへ、菊池半助《きくちはんすけ》と呂宋兵衛《るそんべえ》がチラと顔をみせた。そして、なにかささやいたが、
「ふ……そうか」
と、うなずいた長安《ながやす》の笑顔《えがお》を見ると、ふたりはすぐ、影《かげ》をけした。さっきの駕籠《かご》のあとを追《お》って夜道をいそいだようすである。
やがて、どッと、にぎやかな笑《わら》いがそこらではずみだした。奉行小屋《ぶぎようごや》と棟《むね》つづきの目付小屋《めつけごや》でも、詰侍《つめざむらい》のかり屋《や》でも足軽《あしがる》の溜《たま》りでも、また浜松城《はままつじよう》のもののいる幕《まく》のうちでも。
長安の奇計《きけい》が、ひそかに、耳から耳へ伝《つた》えられて、どッと、はやしたものだろう。あっちでもこっちでも、ドカドカと篝火《かがり》をもやして、急《きゆう》に、徳川方《とくがわがた》の空気が陽気《ようき》になりだした。
が――しかし。
そう見えたのもつかの間《ま》で、とつぜん、奉行小屋《ぶぎようごや》の柱《はしら》が、すさまじい音をして折れたかと思うと、血《ち》か、肉《にく》か、白木《しらき》の羽目板《はめいた》へまッ赤《か》なものが、牡丹《ぼたん》のように飛びちった。
「狼藉者《ろうぜきもの》ッ」
という声が、そこで聞えた。
一瞬《いつしゆん》のうちに、おそろしいこんらんの幕《まく》があいた。逃《に》げる、わめく、得物《えもの》をとる。そして、同志討《どうしう》ちが随所《ずいしよ》にはじまる。
修羅《しゆら》だ。たちまち、あたりは血《ち》の瓶《かめ》を割《わ》ったようだ。
立ちふさがる侍《さむらい》や足軽《あしがる》を、二振《ふたふ》り三振り鉄杖《てつじよう》でたたき伏《ふ》せて、加賀見忍剣《かがみにんけん》は夜叉《やしや》のように、奉行小屋《ぶぎようごや》の奥《おく》へおどりこんでいった。
生《なま》はんかな得物《えもの》をとって、それを食い止《と》めようとする業《わざ》は、かえって、かれの鉄杖《てつじよう》に、勢《いきお》いを加《くわ》えるようなものだった。そして、そのまえに立ったものは、みんな血《ち》ヘドを吐《は》くか、手足の骨《ほね》をくじいて、まんぞくに逃《に》げきることはできなかった。
「なに、なに? なにが起ったのだ」
石見守《いわみのかみ》は、はじめ、その物音を足軽部屋《あしがるべや》のいさかいかなにかと心得《こころえ》たものらしかったが、そこへ、
「忍剣がッ。忍剣があばれこんできたッ」
血《ち》に染《そ》まった武士《ぶし》たちが、なだれを打ってころげこんできたので、そばにいた四、五人の家臣《かしん》と一しょに、
「さては」
と、にわかに度《ど》をうしなってしまった。
だが、かれとしては、張《は》らざるを得《え》ない虚勢《きよせい》をはって、
「ええ、多寡《たか》の知れた乞食坊主《こじきぼうず》のひとりぐらいに、この狼狽《ろうばい》はなにごとだ、取りかこんで、からめ捕《と》ってしまえッ」
と、叱咤《しつた》した。
しかし――そのことばと一しょに、目のまえの炉《ろ》のなかへ、ひとりの試合役人《しあいやくにん》が逆《さか》|とんぼ《ヽヽヽ》を打って灰《はい》神楽《かぐら》をあげたのを見ると、かれはけつまずきそうになって、狩屋建《かりやだて》の小屋の裏《うら》へ逃《に》げだしていた。
「待てッ、長安《ながやす》」
放《はな》たれた豹《ひよう》のごとく、その姿《すがた》を目がけて、忍剣《にんけん》の跳躯《ちようく》がパッとうしろを追《お》う。
「あッ」
と、かれがひきょうな声をうわずらしたせつな、狩屋建の板戸《いたど》や廂《ひさし》が木《こ》ッぱになって、メキメキと飛びちった。
「ウーム、徳川家《とくがわけ》の衆《しゆう》、浜松《はままつ》の衆、出合《であ》えッ、出合えッ、狼藉者《ろうぜきもの》だ、狼藉だ」
見栄《みえ》もなく、むちゅうでさけびながら、幕《まく》のすそをくぐッて浜松城《はままつじよう》の剣士《けんし》たちがいる溜《たま》り場《ば》へ四つンばいに逃《に》げこんだ。
朱槍《しゆやり》、黒槍《くろやり》、樫《かし》みがきの槍、とたんに、幕《まく》をはらって忍剣をつつんだ。
「売僧《まいす》ッ、御岳《みたけ》三日の掟《おきて》を知らぬか」
「だまれ、武門《ぶもん》の誓約《せいやく》さえふみにじる非武士《ひぶし》どもに、御岳の神約《しんやく》を口にする資格《しかく》はない」
言下《げんか》に鉄杖《てつじよう》を見まっていった。
霜《しも》とならべて、つきかかる槍《やり》も、乱離《らんり》となって折れとんだ。葵紋《あおいもん》の幔幕《まんまく》へ、霧《きり》のような、血汐《ちしお》を吹《ふ》ッかけて、見るまに、いくつかの死骸《しがい》が虚空《こくう》をつかむ。
いかれる獅子《しし》のまえにはなにものの阻害《そがい》もない。忍剣はいま、さながら羅刹《らせつ》だ、夜叉《やしや》だ、奸譎《かんけつ》な非武士《ひぶし》の卑劣《ひれつ》を忿怒《ふんぬ》する天魔神《てんましん》のすがただ。
ふだんは、無口《むくち》のほうで、伊那丸《いなまる》にたいしては柔順《じゆうじゆん》であり、友情にもろい男であり、小事《しようじ》にこだわらず、その、鉄杖《てつじよう》に殺風《さつぷう》を呼《よ》ぶことも滅多《めつた》にしない男であるが、いったん、そのまなじりを紅《べに》に裂《さ》いたときには、百|槍《そう》千|甲《こう》の敵《てき》も食《く》いとめることができないし、かれの友だちでも、手がつけられない忍剣《にんけん》だった。
その忍剣が、堪忍《かんにん》をやぶって、鉄杖と鉄腕《てつわん》のつづくかぎり、あばれまわるのであるから、ほッたて小屋どうような狩屋建《かりやだて》は片っぱしからぶちこわされ、召捕《めしと》ろうとする、新手《あらて》も新手も、猛猪《もうちよ》に蹴《け》ちらされる木《こ》の葉《は》のように四|離《り》し、散滅《さんめつ》して、手負《てお》いの数《かず》をふやすばかり。
このさわぎとともに、徳川家《とくがわけ》以外《いがい》の溜《たま》り場《ば》のものは、かれらの横暴《おうぼう》をひそかに不快《ふかい》に思っていたので、みな見て見ぬふりして山をおりてしまった。
で、手にあました浜松城《はままつじよう》の武士《ぶし》や、石見守《いわみのかみ》から訴《うつた》えたものであろう、御岳神社《みたけじんじや》の衛士《えじ》たちが数十人、ご神縄《しんじよう》と称《しよう》する注連縄《しめなわ》を手にもって、
「ひかえろ! ひかえろ! ひかえろ!」
と叫《さけ》びながら、松明《たいまつ》をふって、石段《いしだん》の上からさっとうした。
これを、神縛《しんばく》の討手《うつて》という。
神のお縄《なわ》をあずかって、神庭《しんてい》の狼藉者《ろうぜきもの》を捕縛《ほばく》する使いである。理非《りひ》はともあれ、御岳《みたけ》の掟《おきて》「血《ち》を見るなかれ」の誓《ちか》いをやぶった忍剣にたいして、とうぜん、そのご神縄《しんじよう》がくだったのである。
「ああ、しまった!」
龍太郎《りゆうたろう》をはじめ、蔦之助《つたのすけ》や小文治《こぶんじ》や、そして竹童《ちくどう》たちは、忍剣《にんけん》が堪忍《かんにん》をやぶって力にうったえたのをむりとは思わないが、こまったことになったと、嘆声《たんせい》をあげていた。
すでに、かれが忍従《にんじゆう》の鎖《くさり》をきって走った以上《いじよう》、それを止《と》めることもできないし、かれに加勢《かせい》することもできない。
拱手《きようしゆ》して傍観《ぼうかん》する? それも、友情としてしのびないではないか。
「どうしたものだろう」
龍太郎は、自分の難儀《なんぎ》よりもとうわくした。
だが――その人たちよりも、もっと驚《おどろ》いたのは、群集《ぐんしゆう》の去《さ》ったあとで、矢来《やらい》のそとにあんじてながめていた、小幡民部《こばたみんぶ》である、武田伊那丸《たけだいなまる》である。
アア、ついに大事をひきおこした――。
ふたりの面《おもて》には、うれいがみちていた。
もし、こういうことでもあってはと、一党《いつとう》の者が矢来《やらい》のうちへ足を踏《ふ》みいれることをかたくいましめていたのに――といまさらの悔《く》いも追《お》いつかない。
「民部、民部」
ものにさわがない伊那丸《いなまる》が、とつぜん、矢来《やらい》をやぶって、かけだしながら、
「はやくこい、捨《す》ててはおけまいぞ」
と、龍太郎《りゆうたろう》たちのとうわくしているそばへきた。
「オオ、若君《わかぎみ》」
「忍剣《にんけん》の身の一大事じゃ」
「われわれのふつつか、おわびの申《もう》しあげようもございませぬ」
「そんなことは、いまさら、申すにはおよばない。なにせい、忍剣の身を」
「は、はい。……しかし、若《わか》さままでが、ここに姿《すがた》をおだしになっては、どんな禍《わざわ》いがふりかかるかも知れませぬから、どうか、民部《みんぶ》どのは若君《わかぎみ》のお供《とも》をして、ここを、お立退《たちの》きくださいまし、あとの儀《ぎ》は、われわれたちで、どうなりと処置《しよち》してまいります」
一同が、おそるおそるいうことばへ、伊那丸は、強くかぶりをふって、
「かれの安危《あんき》がわからぬうちに、自分ばかり退《の》くことはできない。オオ!」
伊那丸が、オオといった声につれて、かなたに、ワーッという鬨《とき》の声がどよめいた。ふりかえると、その時だった。
殺到《さつとう》した、御岳《みたけ》の衛士《えじ》数十人が、手に手に、ご神縄《しんじよう》と松明《たいまつ》をもち、
「しずまれ! しずまれ!」
「神使《しんし》であるぞ。ご神縛《しんばく》の使いであるぞ」
「ひかえろッ」
「しずまれ!」
と叫《さけ》びながら、血《ち》まみれの人渦《ひとうず》のなかへ、まっ白な列《れつ》を雪《ゆき》のように散《ち》らかしていった。
「あッ、あれは? ――」
「御岳《みたけ》のご神縛《しんばく》です――ご神縛がくだったのです」
「ぜひがないこととなった。したが、忍剣《にんけん》を他人手《ひとで》に召《め》し捕《と》られるのは、なんともざんねん。かれとしても本意《ほんい》であるまい。民部《みんぶ》、民部」
「はッ」
「わしに代《かわ》って、おまえが御神縄《ごしんじよう》をうけて忍剣を、捕《と》りおさえてこい」
泣いて馬謖《ばしよく》をきる伊那丸《いなまる》の心とよめたので、
「はッ、かしこまりました」
と、小幡民部《こばたみんぶ》は、涙《なみだ》をふるッて、かけだした。
そして、群鷺《ぐんろ》のごとくそこへ襲《よ》せていた衛士《えじ》たちを割《わ》ッていって、
「あいや、御岳《みたけ》の舎人《とねり》たちに申しあげる。狼藉者《ろうぜきもの》は手まえの友人ゆえ、この方《ほう》にて取りおさえますから、しばらくの間、そのご神縄を拝借《はいしやく》いたします」
と叫《さけ》んで、ひとりの衛士《えじ》の縄《なわ》をかりて修羅王《しゆらおう》のように暴《あば》れている加賀見忍剣《かがみにんけん》の前へつかつかと寄《よ》っていった。
常《つね》には、一|飯《ぱん》一|衣《い》を分けあって起き伏《ふ》しする友であるが、いまは、御岳の神縄をかりて捕りおさえにきた小幡民部。
その縄《なわ》を右手につかんで、
「忍剣《にんけん》」
としずかに呼《よ》びかけた。
忍剣は、ハッとしたようすで、
「おう、民部《みんぶ》どのか」
と、炎《ほのお》のような息《いき》をついた。
「伊那丸君《いなまるぎみ》のおいいつけを受けて、若君《わかぎみ》の代《かわ》りとしてまいった小幡民部《こばたみんぶ》だ。神の掟《おきて》をやぶった科者《とがもの》、すみやかにご神縛《しんばく》につけいッ」
言下《げんか》に、ガランと地を掘《ほ》って、かれの足もとへ血《ち》みどろの鉄杖《てつじよう》が投げだされた。
そして忍剣は、すなおに、うしろへ手をまわして、
「民部どの、ご心配《しんぱい》をかけました。いざ……」
と、大地へ坐《すわ》りこんだ。
注連《しめ》のついた荒縄《あらなわ》がギリギリとかれの腕《うで》へまわされた。民部はこのあいだに、なにか、いってやりたかったけれど、胸《むね》がいっぱいで、かれにあたえることばを知らなかった。
忍剣のからだは縄つきのまま、民部の手から、御岳《みたけ》の神官《しんかん》にわたされた。
それを見ると、逃《に》げまわっていた徳川家《とくがわけ》の者たちが、また蠅《はえ》のように集《あつ》まって神官《しんかん》を取りまき、忍剣をわたせ、殺傷《さつしよう》の罪人《ざいにん》を徳川へわたせと喧騒《けんそう》した。
神官は、だんじて、それをこばんで、
「科人《とがにん》はご神刑《しんけい》にかけます。ご領地《りようち》のできごとなら知らぬこと、ご神縛《しんばく》の科人は当山《とうざん》のならいによって罰《ばつ》します」
そして、一同に退去《たいきよ》を命《めい》じた。
血《ち》をながした以上《いじよう》、大講会《だいこうえ》の中止《ちゆうし》はやむをえないことだが、徳川家の武士《ぶし》や石見守《いわみのかみ》の家来《けらい》たちは、まだ騒然《そうぜん》とむれて、そこを去《さ》らなかった。
神官はまた、法《ほう》によって、伊那丸《いなまる》や民部や、龍太郎《りゆうたろう》やすべて、忍剣と道づれである者を六人とも、垢離堂《こりどう》に拉《らつ》して、謹慎《きんしん》すべきように命《めい》じた。これも、掟《おきて》とあればいなむことができない。――およそ、戦国の世《よ》には、神ほど尊敬《そんけい》されたものはなく、神の力、神の法ほど、うごかすことのできないものと、信《しん》じられたものはなかった。どんな合戦《かつせん》も、一|枚《まい》の、熊野権現《くまのごんげん》の誓紙《せいし》で、矛《ほこ》を収《おさ》めることができた。神をなかだちにして誓《ちか》えば、大坂城《おおさかじよう》の濠《ほり》さえうずめた。
町人《ちようにん》ですら、神文血判《しんもんけつぱん》は、命以上《いのちいじよう》のものだった。
まして、武門《ぶもん》の人は、ぜったいに、神に服《ふく》し、敬神《けいしん》を心としていた。
連累《れんるい》のものとして、伊那丸たちが、垢離堂に監禁《かんきん》されたのを見ると、さすが、がやがやさわいでいた徳川家の侍《さむらい》たちも、いくぶんか気がすんだと見えて、死骸《しがい》をかたづけ、血汐《ちしお》に砂《すな》をまき、大講会《だいこうえ》につかった屋舎《おくしや》をこわして、夜の明けがたに、ひとり、のこらず、御岳《みたけ》の山からおりてしまった。
不首尾《ふしゆび》ながら、翌日《よくじつ》は、大久保長安《おおくぼながやす》はふもとの町から甲府《こうふ》へかえる行列《ぎようれつ》を仕立《した》てた。
ところが、そのとちゅうで――。
なにか、長安から耳打《みみう》ちをされた鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》が、ある宿場《しゆくば》で行列《ぎようれつ》がやすんだ時、
「お、ちょいとこっちへきな」
と、蛾次郎《がじろう》をものかげへ手招《てまね》きした。
いつになく、たいそうやさしく手招きされたので、蛾次郎はすぐうれしくなってしまった。
「なんですか、親方《おやかた》」
「まあ、こッちへおいで」
「もっと歩《ある》くんですか」
「ウム、殿《との》さまの駕籠《かご》がご休息《きゆうそく》になっているうちに、なにか食《た》べたいものでも食《く》わせてやろうと思ってさ」
「へ、へ、へ、へ、すみませんね、親方」
「なにがいいな?」
「どんなうまいものがあるか、ずッと、この宿場《しゆくば》を見てあるきましょうか」
「そんなに手間《てま》をとっちゃいられないよ。おれは、石見守《いわみのかみ》さまの駕籠がたつと、一しょに、甲府《こうふ》の躑躅《つつじ》ケ崎《さき》へ帰らなけりゃならない」
「じゃ、あそこにしましょう。あそこの家《うち》の……」
と、指《ゆび》さした。
餅《もち》や団子《だんご》や強飯《こわめし》がならんでいる。
そこへはいって、奥《おく》のひくい板《いた》の間《ま》へ腰《こし》かけた。
「いくらでもおあがりよ。腹《はら》の虫が承知《しようち》するほど」
ことわるまでもないこと、むろん、蛾次郎《がじろう》もその気でパクついている。
ほどのいいところを見はからって、卜斎《ぼくさい》が、
「時にな、蛾次公」
と、声をひそめた。
蛾次郎はグビリと頬張《ほおば》っていた|あんころ《ヽヽヽヽ》をのみくだして、
「へ?」
と、ほかにも用《よう》があるのかというような顔をした。
「おまえはたしか、石投《いしな》げの名人だったな。ほかのことにかけては、ドジでも、つぶてを打たすと、すばらしく上手《じようず》だった」
「親方あ――」と、蛾次郎は、卜斎の顔をゆびさして笑《わら》いながら、
「いまごろになって、あんなことをいってら。裾野《すその》にいたじぶん釜無川《かまなしがわ》の下で、毎日おいらが捕《と》ってきて親方《おやかた》に食《た》べさせた、あの鮠《はや》だの岩魚《いわな》だのは、みんな、石でピューッとやって捕ったんですぜ。ねエ、親方、河原《かわら》の小石をこう持つでしょう、こう指《ゆび》のあいだにはさんでネ、魚のやつが、白い腹《はら》をチラリと見せたところをねらって、スポーンと食《く》らわしてやるんです。どんな速《はや》い魚《さかな》だって蛾次《がじ》さんの石からそれたことはありませんよ。こんど親方にもその秘伝《ひでん》を教えてやろうか。ところが、どうして、その石の持ち方が、あれでもなかなかむずかしいんでね、だから、だれだかいいましたよ、蛾次は石投げの天才《てんさい》だってね」
「もういい、もういい」
と、卜斎《ぼくさい》は手をふって、
「わかったよ、わかったよ。まったくおまえは石投げの天才だ」
「はい、天才だそうでございます」
「だからたぶん、飛道具《とびどうぐ》を持たせたら、きっと巧者《こうしや》だろうと思うんだが……」
「なんにかけたって、下手《へた》なものはありませんよ。ところで親方、塩ッぱいほうのお団子《だんご》を、もう一皿《ひとさら》もらってようございますか」
「ああいいよ。たくさんお食《た》べ。……じゃおまえ、こういうものを使えるかい」
「へ、なにをで」
「これさ……」
と卜斎《ぼくさい》が、羽織《はおり》の裏《うら》から種子島《たねがしま》の短銃《たんじゆう》をだした。
「親方《おやかた》、鉄砲《てつぽう》でしょう、それは」
「ウン、スペインわたりの短筒《たんづつ》だ。どうだ欲しくないか」
「だって、くれやしないでしょう」
「おまえにやらないこともないさ。まだこのほかに、殿《との》さまからくだされものもたくさんある」
「わたしにですか」
と、蛾次郎《がじろう》は目をパチパチさせて、急《きゆう》に膝《ひざ》ッこの前をあわせた。
「おまえもはや十六|歳《さい》、たしか、そうだろう。もうここ二、三年で元服《げんぷく》をしてさ、一人前《いちにんまえ》の鍛冶《かじ》なり、一人前の侍《さむらい》なりになる心がけをしなくってはいけない。それには、なにかいい機会《きかい》をつかまえて、その機《き》をのがさず手がらをあらわすことがかんじんだ」
「はい、あらわします」
「それも、うわの空ではだめだ、目がけたことに向かったら、命《いのち》をすててかかる気ごみでなければだめだよ」
「だって親方《おやかた》、やる仕事がないんだもの」
「あるさ、おれはおまえを見こんで、その大功《たいこう》をあらわす仕事をひきうけてきたんだ。おまえというものを、石見守《いわみのかみ》さまにみとめさせようと思ってな。どうだ、どうだ蛾次、奮発《ふんぱつ》して一つやってみるか。だけれど、イヤならむりとはいわないよ、ほかに、望《のぞ》み手はたくさんあるし、それに、この鉄砲《てつぽう》で、ドンと一|発《ぱつ》やればそれでいい仕事なんだから……」
なにをいいふくめられたか、蛾次郎《がじろう》は、卜斎《ぼくさい》から、銀鋲《ぎんびよう》のスペイン短銃《たんじゆう》と一|両《りよう》ほどの金子《きんす》をもらって、すっかり仕事をのみこんでしまった。
「いいか、いまもいったとおり、石見守《いわみのかみ》さまのおいいつけなのだ。大久保家《おおくぼけ》の侍衆《さむらいしゆう》では、もし、見つかった時にぐあいがわるい。で、おまえなら、なあに、どこの小僧《こぞう》がいたずらをしたかですむ。それに、二十一日のあいだにやりさえすればいいんだから、立派《りつぱ》に一つうち止《と》めてこい。もし、なまけぐせをだしおって、やり損《そん》じなどした時には、それこそ、この卜斎より石見守さまがその細首《ほそくび》をつけてはおくまいぞ」
すこしあとの文句《もんく》がすごいな――と蛾次郎は思ったが、卜斎はそういいのこすと、かれをおきのこしてそこをかけだし、石見守の行列《ぎようれつ》へついていった。
「なんだ、ぞうさはねえや」
蛾次郎は、短銃をふところへしまいこんだ。なかで、なにかカチャリといったので、さぐってみると肌身《はだみ》はなさない秘蔵《ひぞう》の水《みず》独楽《ごま》だ。
「じゃまだな」
と、また短銃をだして、手拭《てぬぐい》にクルクルとくるんだ。そいつを、ボロ鞘《ざや》の刀と一しょに腰《こし》へさして、大小《だいしよう》を差《さ》したように気取《きど》りながら、
「オイ、亭主《おやじ》さん、おつりをくんな」
と、もらったばかりの銀銭《ぎんせん》を餅屋《もちや》の台《だい》へほうりだした。
そのつり銭《せん》を巾着《きんちやく》にいれて、そとへ飛びだそうとすると出合《であ》いがしらに、カアーンという鉦《かね》の音《ね》が不意《ふい》に鳴ったので、
「あ。びッくりした」
と、よこを見た。
七、八|軒《けん》さきの横町《よこちよう》から、地蔵行者《じぞうぎようじや》の菊村宮内《きくむらくない》が、れいの地蔵尊《じぞうそん》の笈摺《おいずる》を背負《せお》って、こっちへ向かってくるのが見える。
「こいつはいけねえや、竹生島《ちくぶしま》のおやじに会《あ》うと、またなにか、小やかましいお説教《せつきよう》を聞かされるにちがいない」
こうつぶやいて、かれが、横を向きながら、ぷいと向こうへそれようとすると、おなじ宿場《しゆくば》の軒《のき》をながしていた坂東巡礼《ばんどうじゆんれい》の三十七、八ぐらいな女――わが子をたずねて坂東めぐりをして歩《ある》くお時《とき》という女房《にようぼう》が、
「あッ。あの子! あの子!」
と、目をすえて、よってきた。
いつか、月ノ宮の鳥居《とりい》の下で見たこともあるが、蛾次郎《がじろう》は、ただの物貰《ものもら》いとしか思わないので、いまの餅屋のおつりのうちから鐚銭《びたせん》を一枚なげて、
「ほれ、やるよ」
と、あとも見ずに、あなたの小道《こみち》へ、すたこらとかけだしてしまった。
いつのまにか、竹童《ちくどう》のすがたが見えなくなった。
伊那丸《いなまる》以下《いか》のひとびとは、あのそうどうのあった晩《ばん》から、御岳《みたけ》の一|舎《しや》に謹慎《きんしん》して、神前《しんぜん》をけがした罪《つみ》を謝《しや》すために、かわるがわる垢離堂《こりどう》の前で水垢離《みずごり》をとった。
それまでのあいだに、竹童の姿《すがた》が洩《も》れている。
「どこへいったろう? もしや、徳川家《とくがわけ》の者に、捕《と》らわれていったのではないか」
一同が、ひそかに心配《しんぱい》していると、翌朝《よくあさ》のこと、垢離堂の石井戸《いしいど》のそばに、竹にはさんだ紙片《かみきれ》が立っていた。
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マタ鷲《ワシ》ヲサガシニマイリマス。クロハワタシヲコイシガッテイマス。ワタシモクロガコイシクテナリマセン。
民部《ミンブ》サマカラ若君《ワカギミ》ヘ申シアゲテクダサイマシ。ワガママナコトデス。
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置手紙《おきてがみ》には、竹童の文字《もじ》で、こう書いてあった。
「かれのことだ。それならあんじることはない」
むしろ、一党《いつとう》の人は、それで愁眉《しゆうび》をひらいていた。しかし、愁眉のひらかれぬ気がかりは、ご神罰《しんばつ》に刑《けい》せられている忍剣《にんけん》の身の上――。
轟々《ごうごう》と空に風の鳴る夜、シトシトと肌《はだ》さむい小雨《こさめ》が杉山《すぎやま》に降《お》りてくる朝、だれもがきっとかれの身を考えた。
「ああ、どうしているだろう、忍剣《にんけん》は」――と。
だが、いくらどうあんじたところで、ここ二十一日間は、そのようすを見ることもできない。また、かれをすくう方法《ほうほう》もぜったいにない。
忍剣はいま、神刑《しんけい》に梟《か》けられているのだ。
二十一日間のおそろしい神刑。
そこは、御岳《みたけ》の神殿《しんでん》から、まだ二|里半《りはん》もある深山《みやま》の絶顛《ぜつてん》に近いところ。
山は冠《かむり》ケ岳《たけ》とよぶ。
急峻《きゆうしゆん》で、大樹《たいじゆ》と岩層《がんそう》が、天工《てんこう》の奇《き》をきわめているから、岳中自然《がくちゆうしぜん》と瀑布《ばくふ》や渓流《けいりゆう》がおおい。あるところは、右にも滝《たき》、左にも滝、そして、渓流の瀞《とろ》に朽《く》ちたおれている腐木《ふぼく》の上を、貂《てん》や、むささびや、りすなどが、山葡萄《やまぶどう》をあらそっているのを昼《ひる》でも見る。
御岳の神領《しんりよう》であるから、斧《おの》をいれる杣《そま》もなかった。そこに、ご神刑の千|年《ねん》山毛欅《ぶな》とよぶ大木《たいぼく》があった。
おそろしく太い山毛欅だ。幾抱《いくかか》えあるかわからないような老木《ろうぼく》だ。まるで、青羅紗《あおラシヤ》の服《ふく》でもきているように、一面に厚《あつ》ぼったい苔《こけ》がついていた。
どこまで高いかとあおむいてみると、四方の樹林《じゆりん》をつきぬいて、奇怪《きかい》な枝《えだ》をはっている。白い霧《きり》がきたときは、その木の半分以上《はんぶんいじよう》は、まさに雲表《うんぴよう》に立っている。
「血《ち》をみるなかれ」の誓文《せいもん》をやぶった科《とが》で、加賀見忍剣《かがみにんけん》はその神刑《しんけい》の山毛欅《ぶな》の高い上にしばられていた。
足はわずかに木のこぶにささえ、からだは注連縄《しめなわ》で巻《ま》かれたまま、磔《はりつけ》のように木の幹《みき》へしばりつけられた。目はもちろん、白い布《ぬの》で、かくされていてかえってよいかも知れなかった。十|数丈《すうじよう》の樹上《じゆじよう》から目をひらけば、甲斐《かい》、秩父《ちちぶ》、上毛《じようもう》の平野《へいや》、関八州《かんはつしゆう》、雲の上から見る気がして、目がくらむかもわからない。
が、忍剣である。快川和尚《かいせんおしよう》の三十|棒《ぼう》で鍛《きた》えあげられたかれである。目をひらけば、絶景《ぜつけい》! と叫《さけ》ぶだろう。それくらいな胆気《たんき》はある、きっと、それくらいな胆《きも》はすわっている。
しかし、いくら大胆《だいたん》な忍剣でも、この深岳《しんがく》の霧《きり》にふかれて、二十一日間も飲まず食《く》わずで、そのままそうしておられるであろうか。心は禅《ぜん》に入《い》って、耐《た》えるとしても、人間の肉体《にくたい》がもつだろうか。
大雨《おおあめ》がふる日もある。暴風《ぼうふう》が幹《みき》をゆすぶる晩《ばん》もある。雷鳴《らいめい》や雷気《らいき》が山を裂《さ》くような場合《ばあい》もあるにちがいない。
ことに寒《さむ》い! まだ麓《ふもと》のもみじは浅《あさ》いが、このへんの冷気《れいき》は、身にしみるほどではないか。
また、その山毛欅が枝をはっている下をのぞくと、気のちぢむような断崖《だんがい》だ。幅《はば》はせまいが、嵐弦《らんげん》の滝《たき》とよぶ百|尺《しやく》ほどの水がドウッと落下《らつか》している。もし、二十一日の間に、風雨《ふうう》にあって、山毛欅《ぶな》の枝がおれたらどうだろう。かれのからだをささえている縄《なわ》がすり切れたらどうなるだろう。
そうだ、すべてのことが、忍剣《にんけん》の生命《せいめい》を、髪《かみ》の毛一すじで持たしてあるのだ。それが神刑《しんけい》なのだ。
まんがいち、二十一日目に神官《しんかん》がきてみて、細《ほそ》い息《いき》でもかよっていれば、神に謝罪《しやざい》がかなったものとして、罪《つみ》をゆるされて手当《てあて》をする、しかしここ四、五十年のあいだに、ご神木《しんぼく》の山毛欅に梟《か》けられたもので、助かった者はないということだ。
――すると、三日、四日、五日とすぎて、ちょうど八日目のこと。
千|年《ねん》山毛欅《ぶな》の枝《えだ》から枝を、ひらり、ひらり、ひらり、とよじのぼっていったものがある。
見るまに、十|数丈《すうじよう》のたかい樹上《じゆじよう》にのぼった。そして、忍剣のそばの枝に取ッついた。
おかしいことには、なにか、忍剣の耳へはなしかけているふうに見える。だが、それは一|匹《ぴき》の猿《さる》なのである。猿が話しかけるのはすこしへんだ。忍剣には、あの三太郎猿《さんたろうざる》にも知己《ちき》がないはずであった。
目隠《めかく》しをされているので、忍剣はそばへきた者を見ることができない。
それをからかいにきた山猿《やまざる》か? 山猿のいたずらか? いやそうでもない、やはり、猿《さる》が忍剣《にんけん》にささやくのであった。
「忍剣さま、さだめし、おひもじいことでしょう。早くこようと思いましたが、この山には道がありません。一つの小道《こみち》には神官《しんかん》の見張小屋《みはりごや》が建《た》っています、それでおそくなりました。なにしろ二十一日間、ものを食《た》べないでは夜の寒気《かんき》や雨の日に耐《た》えきれません。さ、これを食べてください、よくかんでのんでください、あとで水を持ってまいりますから」
忍剣の口へ、ふしぎな味《あじ》のするものを入れた――木の実《み》でもない、穀物《こくもつ》でもない、菓子《かし》でもない、餅《もち》でもない。
しかし、その味《あじ》のいいことは、なんともいえないほどだ。忍剣は、まだかつて、こんな味のいいものを食《た》べたことがなかった。
「おまえはだれだ」
「いまにわかります」
「でも」
「不安《ふあん》なものではありませんから」
「いまのはなんだ」
「なんということもありません。この山に生《は》えている、葡萄《ぶどう》、苔桃《こけもも》、若老《わかおい》、しゃくなげの芽《め》、それに栗《くり》だの柿《かき》だの、仙人草《せんにんそう》の根《ね》だの、いろんなものをすこしの焼米《やきごめ》と搗《つ》き交《ま》ぜたのでございます。一日に、これ一つ食《た》べれば、体《からだ》も、あたたかく、けっして、飢《う》えるようなことはありません」
「危険《きけん》をおかして、どうしておまえは、そんなものをわしに運《はこ》んでくれるのか」
こうきいた時には、もう下へ降《お》りていた。忍剣《にんけん》には、それが見えない。
翌日《よくじつ》、小雨《こさめ》が降《ふ》った。
なにか木《こ》の葉《は》でつくった蓑《みの》のようなものが、彼のからだに着《き》せられた。その時から、忍剣がなにをきいても、猿《さる》は返辞《へんじ》をしなかった。
そして、おなじ味《あじ》の食物《たべもの》が、毎朝、一片《ひときれ》ずつ木の上へはこばれてゆくこともかわらなかった。
昨日《きのう》も今日も、山は天気つづきである。
空の青さといッたらない。樹林《じゆりん》の梢《こずえ》をすいて見える清澄《せいちよう》な秋の空の青さ――
うつくしい朝陽《あさひ》の光線《こうせん》が、ほそい梢から、木の根《ね》の苔《こけ》から、滝壺《たきつぼ》の底《そこ》の水の底まで少しずつゆきわたっている。鵯《ひよ》、文鳥《ぶんちよう》、駒鳥《こまどり》、遊仙鳥《ゆうせんちよう》、そんな小禽《ことり》が、紅葉《もみじ》を蹴《け》ちらして歌いあった。朝きげんのいい栗鼠《りす》、はしゃぎ者の|むささび《ヽヽヽヽ》、雨ぎらいの貂《てん》、などが尻《し》ッ尾《ぽ》を振《ふ》りながら餌《えさ》をあさりに出だした。そこらに山葡萄《やまぶどう》は腐《くさ》るほどなっている。栗《くり》の実《み》はいたるところに割《わ》れている。プーンと醗酵《はつこう》している花梨《かりん》の実《み》、熟《う》れた柿《かき》は岩のあいだに落ちて、あまい酒《さけ》になっている。鳥も吸《す》え、栗鼠《りす》ものめ、蜂《はち》もはこべと――。
今朝《けさ》のここは楽園《らくえん》だ。
神木《しんぼく》の上に梟《か》けられている忍剣をのぞいては、すべての生物《いきもの》に、天国そのままな秋の朝だ。
ところへ――。
無心《むしん》な禽獣《きんじゆう》をおどろかす人間の口笛《くちぶえ》が、下のほうからきこえてきた。
これも、ほがらかな秋を謳歌《おうか》する人間か、きいていても筋肉《きんにく》がピクピクしてきそうな口笛だ。健康《けんこう》な両足《りようあし》で、軽快《けいかい》な歩調《ほちよう》で、やってくるのがわかるような口笛だ。
「ああ、ずいぶん登《のぼ》らせやがるな。まだかい! ご神刑《しんけい》の山毛欅《ぶな》ッていうのは」
だれもいないと思って、思うさま太《で》ッかい声でひとりごとをいった。――それは、泣き虫の蛾次郎《がじろう》だった。
喉《のど》がかわいているとみえて、蛾次郎はそこで一息《ひといき》つくと、岩層《がんそう》のあいだから滴々《てきてき》と落ちている清水《しみず》へ顔をさかさまにして、口をあいた。
「オオ、つめたい!」
袖《そで》で口を横にふいて、また数十|歩《ぽ》のぼりだした。
すると、かれのまえに、裾野《すその》の樹海《じゆかい》でも見たこともないような、山毛欅の喬木《きようぼく》が天を摩《ま》して立っていた。蛾次郎はそう思った。まるでばけものみたいな大きな木だなアと。
「おや?」
見ると、その千|年《ねん》山毛欅《ぶな》の根《ね》ッこに、石橋山《いしばしやま》で頼朝《よりとも》が身をかくしたような洞穴《うつろ》がある。そのまッ暗《くら》な洞穴のなかで、なにか、コトリと音がした。コトコトとかすかにきこえたものがあった。
「啄木鳥《きつつき》かしら? それとも、狐《きつね》かな?」
足をすくめて考えた。が――音はそれっきり止《や》んでしまった。
しかし、そこでなにげなく、ヒョイと樹上《じゆじよう》を見あげたせつなに、かれは目の玉をグルグルとさせて、
「ウーム、これだ、これだ! この樹《き》にちげエねえ」
と、うなってしまった。
数歩《すうほ》、うしろへとびのいて、帯《おび》のあいだに差《さ》しこんできた銀鋲《ぎんびよう》の短銃《たんじゆう》を右手《めて》につかんだ。
「はアん……おるわエ」
手をかざして樹上をあおぐと、たしかに、神刑《しんけい》にかかっている忍剣《にんけん》のすがたが小さく目にとまった。
そこで蛾次郎《がじろう》は、大久保長安《おおくぼながやす》から卜斎《ぼくさい》につたえられた秘命《ひめい》を思いだして、うなずいた。
「親方《おやかた》がいったのはこいつだな、これを撃《う》ちとめてこいといういいつけか。なアんだ、こんなものなら朝飯《あさめし》まえにただ一|発《ぱつ》だ。それで、おいらの出世《しゆつせ》となりゃ、ありがた山のほととぎすさ」
火縄《ひなわ》の支度《したく》をしはじめた。
「できたぞ」
岩のかげへ身をくっして片足《かたあし》をおって、短銃《たんじゆう》の筒先《つつさき》をキッとかまえた。
じッと、ねらいをつける……忍剣《にんけん》のすがたへ。
忍剣は身の危険《きけん》を知るよしもなかった。おそらくかれは、故快川和尚《こかいせんおしよう》の最期《さいご》のことば――心頭《しんとう》を滅却《めつきやく》すれば火もまた涼《すず》し――の禅機《ぜんき》をあじわって、二十一日の刑《けい》をけっして長いとも思っておるまい。
ねらいは定まッた。
火縄《ひなわ》の火がチリチリと散ったせつなに、蛾次郎《がじろう》の指《ゆび》さきは、すでに、短銃《たんじゆう》の引金《ひきがね》を引こうとした。
とたんだった。
「わッ」
と、蛾次は短銃《たんじゆう》をおッぽりだして、自分の顔をおさえてしまった。そして、ベッ……と顔をしかめながら突《つ》ッ立った。
なにやら、甘酸《あまず》ッぱいものが、かれの顔じゅうにコビリついて、ふいてもふいてもしまつがつかない。
――どこから飛んできたものだろうか、熟柿《じゆくし》のすえたのが、顔の真《ま》ン中で、グシャッとつぶれた。
柿《かき》の目つぶし!
「ちくしょう、猿《さる》のいたずらだな」
と蛾次郎《がじろう》は、いまいましく思ったが、まごまごしていると火縄《ひなわ》の火がきえる。
かれは、またあわてて短銃《たんじゆう》を取りなおした。
そして、
「こんどこそは!」
と、立ちがまえにねらいをすまして、ズドンと火ぶたを切ってはなそうとしたが、その一せつな、山毛欅《ぶな》の洞穴《うつろ》から跳《と》びだしたひとりの怪人《かいじん》が、電火《でんか》のごときすばやさで、かれの胸板《むないた》を敢然《かんぜん》とついてきた。
不意《ふい》をくッて、
「あッ――」
と、よろめいた蛾次は、むちゅうで、相手のえりがみをつかむ。
かれの手がつかんだのは、やわらかい獣《けもの》の毛だった。怪人は猿《さる》の毛皮《けがわ》をかぶっていた。
「てめえだな、いまのしわざはッ」
かれは、短銃を逆手《さかて》にして、三つ四つ、毛皮の上からなぐりつけた。
相手はビクとも感じない。グングンと自分の喉《のど》をしめつけてきた。蛾次は内心《ないしん》、こいつは強いぞとおどろいた。
「この野郎《やろう》、うっかりしちゃあいられるもンか」
猛然《もうぜん》と勇《ゆう》を鼓《こ》して、じゃまになる喉《のど》の腕《うで》をふりほどいた。
ピシャリと、敵《てき》の平手《ひらて》が、すぐに蛾次郎《がじろう》の頬《ほつ》ペタを張《は》りつけたが、蛾次もまた、足をあげてさきの脛《すね》を蹴《け》とばした。
精《せい》いッぱいな弾力《だんりよく》を交換《こうかん》して、ふたりはうしろへよろけあった。
そのはずみに、相手のかぶっていた獣《けもの》の皮《かわ》が、勢《いきお》いよく、蛾次郎の手に引きはがれたので、
「あッ、てめえかッ」
と、かれははじめて、相手の全姿《ぜんし》をみてぎょうてんした。
菊亭家《きくていけ》の密使《みつし》
「やッ。てめえは、竹童《ちくどう》だな」
と、蛾次郎はひるみをもった声でさけんだ。
かれが、こうぎょうてんしたせつなに、猿《さる》の毛皮《けがわ》であたまから身をかくしていた鞍馬《くらま》の竹童は、
「オオ」
と、その全姿《ぜんし》をあらわすとともに、とびついて、蛾次郎《がじろう》の手にある短銃《たんじゆう》をもぎとろうとした。
いったん、よろけ合った二つのからだは、闘鶏師《とうけいし》にケシかけられた猛禽《もうきん》のように、また、肩《かた》と肩を咬《か》みあって、組《く》んずほぐれつの争《あらそ》いをおこした。
この間《あいだ》うちから、千|年《ねん》山毛欅《ぶな》の洞穴《うつろ》の中にかくれて、毎朝、喬木《きようぼく》の上によじあがり神刑《しんけい》にかけられている忍剣《にんけん》の口へ、食餌《しよくじ》をはこんでいた猿《さる》と見えたのは、まったく、竹童《ちくどう》なのであった。一党《いつとう》のうちでも長兄《ちようけい》のようにしたっている忍剣が、むごい神縄《しんじよう》にかけられて山へ送りやられた時から、この洞穴にしのびこんでいた。
そうして、忍剣と苦《く》をともにしながら、忍剣のいのちを守《まも》っていたかれである。なんで、敵方《てきがた》の旨《むね》をふくんで忍剣を殺《ころ》そうとしてきた蛾次郎に、むざと奇功《きこう》をあげさせるものではない。――ぼつぜんと怒《いか》りを発《はつ》した竹童はあい手が、樹上《じゆじよう》の忍剣へ、狙撃《そげき》の引金《ひきがね》をひこうとするすきへむかって、かんぜんとおどりかかってきたのである。
しかもそれが、蛾次郎であるとわかったので、かれはもうきょうこそこの天邪鬼《あまのじやく》を、だんじて、生かしておくことではないぞと怒《いか》った。蛾次郎もまた、だいじな出世《しゆつせ》のいとぐちをつかもうとする矢《や》さきへ、またぞろ竹童がじゃまをしにでたので、目的《もくてき》をはたすまえに、かれの息《いき》のねをとめてしまわなければならぬと、すごい勢《いきお》いで応酬《おうしゆう》していった。
まったく人まぜをせぬ格闘《かくとう》がつづいた。
上になり下にころげして、たがいに致命的《ちめいてき》な急所《きゆうしよ》をおさえつけようとしているうちに、蛾次郎《がじろう》は竹童のからだへ足業《あしわざ》をかけて、その手《て》もとをぬけるや否《いな》、パッとかけはなれて、
「くるかッ」
と、短銃《たんじゆう》の筒《つつ》さきを竹童にむけた。
「なにを」
竹童の目にはなにもののおそれもなかった。
蛾次郎はあわてた。かれの狡獪《こうかい》なそら脅《おど》しは効果《こうか》がなかった。火縄《ひなわ》はいまの格闘《かくとう》でふみけされてしまったので、筒口《つつぐち》をむけてもにわかの役には立たないのである。
で、蛾次郎の立場《たちば》は悪くなった。
彼はひどくろうばいして、いきなり短銃を相手の顔《かお》へ投げつけ、ばらばらと逃《に》げだした。
それを肩《かた》のそとにこさして、一|躍《やく》すると、竹童の手には、優越《ゆうえつ》をしめす般若丸《はんにやまる》のひらめきが持たれている。
彼は、逃げだした相手をおいかけて、
「ひきょうだぞ。――ひきょうだぞ、蛾次郎」
と、叫《さけ》んでとぶ。
さんざん逃げまわった蛾次郎は、ついに、とんでもない危地《きち》に自分からかけこんでしまった。そこは、嵐弦《らんげん》の滝《たき》の崖《がけ》ッぷちで、あきらかなゆきどまりである。
彼は、目がくらんでしまった。
ただそこに大きな楢《なら》の木があって、断崖《だんがい》の空間にのぞんで屈曲《くつきよく》していた。バリバリというと蛾次郎《がじろう》は、幹《みき》をはってその横枝《よこえだ》へうつっていた。
しかし、そこもホッとする安全地帯《あんぜんちたい》にはならない。すぐ血眼《ちまなこ》になった竹童《ちくどう》が、おなじ幹《みき》をよじのぼって、般若丸《はんにやまる》の刀で楢の小枝をはらいながら、ジリジリとせまってきた。
追《お》いつめられた手長猿《てながざる》のように、蛾次郎のほうは、だんだん危険《きけん》な枝へはいうつって、いくら竹童でも、もうここまではこられまいと安心していたが、ふいに、竹童の体重《たいじゆう》がおなじ枝へのしかかったとたんに――生木《なまき》の股《また》に虫蝕折《むしお》れでもしかけていたのだろうか、ボキッと、あまりにもろい音がした。
かなり大きな枝であった。それが、ふたりの体《からだ》とともに、ザーッとふかい樹間《じゆかん》の空《くう》をおちていった。あッというまさえなく、すべては一しゅんのまに、思いきッた解決《かいけつ》をとげた。
やがて、嵐弦《らんげん》の滝《たき》の深湍《しんたん》に、白い水のおどりあがったのが見えた。そして、しばらくは消《き》えぬ泡沫《ほうまつ》の上へ、落葉樹《らくようじゆ》の黄色い葉や楢の実《み》がバラバラと降《ふ》ってやまなかった。
山はまたもとの静寂《しじま》にかえって、坩堝《るつぼ》をでたような陽《ひ》が、樹林《じゆりん》の上の秋の自然《しぜん》をかがやき照《て》らした。
ほどなくまた――そこへふたりの旅人《たびびと》が仲《なか》よく話しながらのぼってきた。ひとりは年配《ねんぱい》な女で、坂東《ばんどう》三十三ヵ所《しよ》を巡礼《じゆんれい》して歩《ある》くものらしく、ひとりは天蓋《てんがい》のついた笈《おい》を背負《せお》っている。
「山の道というものは、まようたらさいげんがない。もうこうなっては急がないことだ、そのうちにはだれか山家《やまが》のものにゆきあうであろう。……だが、お時《とき》さん、女の足ではさだめしおつかれなすッたろうな」
「いいえ、すこしも」
「急《せ》いてはいけませんよ。息《いき》を平調《たいら》にもっておあるきなさいよ。道にまよった時はなおのこと、山は気を落ちつけて歩くにかぎります」
地蔵行者《じぞうぎようじや》の菊村宮内《きくむらくない》と、坂東巡礼のお時とであった。ほんの旅先《たびさき》の道づれであるが、ふたりの仲のよいことは、おなじ家にすむ家族《かぞく》といえどもない美しさだった。
お時は宮内の身のまわりのこまかい世話《せわ》を見、宮内はつねにお時の心ぼそい旅をはげまして、どうかしてこの女房《にようぼう》のたずねている、まことの子供をさがしあててやりたいと祈《いの》っている。
あらためていうまでもなく、ここは御岳《みたけ》のお止山《とめやま》で、足踏《あしぶ》みのならないところだのに、ふたりはその禁制《きんせい》を気づかずに、どこの山境《やまざかい》から迷《まよ》いこんできたのであろう。
と、宮内は腰《こし》をかがめて、なにかふしんそうな顔をしながらひろいとった。
「こんなところに、南蛮《なんばん》わたりの短銃《たんじゆう》がおちている……」
「宮内《くない》さま、まだこのへんに、草履《ぞうり》だの、紙だのいろいろなものが落ちておりますよ」
「なるほど」
「だれの持物《もちもの》なんだろう?」
お時は、草履の小さいのが気にかかった。
「どれ、どれ」
宮内はそこに笈《おい》をおろして、踏《ふ》み散《ち》らしてある落葉《おちば》のあとをたどっていった。そして、例《れい》の楢《なら》の木《き》の断崖《だんがい》から深いところの水面をのぞいてみて、
「オオ、お時さん、大へんだ、大へんだ、だれか山家《やまが》の子らしい者が水に浮《う》いている」
「えッ、子供が」
こういう場合《ばあい》にかぎらず、子供ときくと、すぐ顔色を変《か》えるのがお時のくせになっていた。
「あのようすでは、まだ水へはまってから、いくらも時がたっていない。わしは、ここから藤《ふじ》|づる《ヽヽ》にすがって、ふたりの子を助けてくるから、お時さんは、わしが帰るまで、この楢の木のそばをはなれてはなりませんぞ」
どうして、この絶壁《ぜつぺき》を下《お》りるかと見ていると、宮内は、さすがに根《ね》が武士《ぶし》だけに、いざとなると、おそろしいほど胆気《たんき》がすわっている。かれは、|あけび《ヽヽヽ》や藤の蔓《つる》をたぐって、またたくまにすべり降《お》りた。
とちゅうまでさがってゆくと、なにか足がかりがあったのであろう、かれの姿《すがた》は、忽然《こつぜん》と、木《き》の葉のなかにかくれた。――と思うとまた、滝《たき》の水沫《すいまつ》がたちこめている岩層《がんそう》の淵《ふち》にそって、水面を注意《ちゆうい》しながらかける宮内《くない》の小さい影《かげ》が見いだされた。
どこか上品《じようひん》で、ものごしのしずかな旅《たび》の侍《さむらい》が、森閑《しんかん》としている御岳《みたけ》の社家《しやけ》の玄関《げんかん》にたって、取次《とりつ》ぎを介《かい》してこう申し入《い》れた。
「当社《とうしや》の神主《かんぬし》、長谷川右近《はせがわうこん》どのにお目にかかりたく参《さん》じました。――じぶんは、京都菊亭公《きようときくていこう》の雑掌《ざつしよう》、園部一学《そのべいちがく》というものです」
わかい神官《しんかん》たちを相手に、奥《おく》で笙《しよう》をふいていた長谷川右近は、
「はてな、菊亭右大臣家《きくていうだいじんけ》から、なんのお使いであろう」
ふしんに思ったが、倉皇《そうこう》と客間《きやくま》へとおした。そこで、会《あ》ってみた一学という人は、なるほど、温雅《おんが》で京風《きようふう》なよそおいをした、りっぱな人物であった。
「さっそくにうかがいまするが」
「は。ご用向きは?」
主客《しゆかく》とも、心もち膝《ひざ》をよせ合った。
「ほかでもございませぬが、さきごろ、当社《とうしや》の広前《ひろまえ》で行《おこな》われました兵法大講会《へいほうだいこうえ》のみぎり、信玄公《しんげんこう》のお孫《まご》、武田伊那丸《たけだいなまる》さまとそのほかの浪人衆《ろうにんしゆう》が、おしのびにて見物《けんぶつ》に入りまじっていた由《よし》を里《さと》のうわさに聞きましたが、その後《ご》のおゆくえをごぞんじなさいますまいか。――信玄公《しんげんこう》のご在世《ざいせい》まで、代々《だいだい》武田家《たけだけ》より社領《しやりよう》のご寄進《きしん》もあったこの山のことゆえ、もしや、ご承知《しようち》もあろうかと、おうかがいにでましたしだいで」
そう聞くと、神主《かんぬし》の長谷川右近《はせがわうこん》は、初耳《はつみみ》のように目をみはって、
「ほ。ではあの時、信玄公のお孫《まご》、伊那丸《いなまる》さまがご見物《けんぶつ》のなかにおられましたか」
と、あべこべに園部一学《そのべいちがく》へ質問《しつもん》した。
「では、ご承知ないので?」
「いや、ただいまが初耳、それと知っておりましたら、もとのご縁故《えんこ》も浅《あさ》からぬこと、ぜひおひきとめ申すのであったに」
「それでは、おゆくえもわかりますまいな」
「さらに承知いたしませぬが。……その伊那丸さまのお年ごろは」
「天目山《てんもくざん》にて、お父上《ちちうえ》とともにお果《は》てあそばした太郎信勝《たろうのぶかつ》さまよりお一つ下――本年《ほんねん》お十六|歳《さい》にわたらせられる」
「して、お付人《つきびと》は?」
「いずれも、わざと姿《すがた》をかえておりますが、小幡民部《こばたみんぶ》はかたがたしい武芸者風《ぶげいしやふう》、巽小文治《たつみこぶんじ》と申すはもと浜名湖《はまなこ》の船夫《せんぷ》の子とかにて目じるしには常《つね》に朱柄《あかえ》の槍《やり》をたずさえております。また浪人風《ろうにんふう》の山県蔦之助《やまがたつたのすけ》、六部姿《ろくぶすがた》の龍太郎《りゆうたろう》、わけても恵林寺《えりんじ》の弟子僧《でしそう》加賀見忍剣《かがみにんけん》と申すものは、武田家滅亡《たけだけめつぼう》いらい、寸時《すんじ》もおそばを離《はな》れることなくおつきそい申しておる忠節《ちゆうせつ》な男……」
話しているうちに神主《かんぬし》長谷川右近《はせがわうこん》の顔が、発作的《ほつさてき》な病気でもおこしたように、ワナワナと唇《くちびる》をふるわせて、まったく土気色《つちけいろ》になってしまった。――と急《きゆう》に座《ざ》をたって、
「しばらくの間、中座《ちゆうざ》ごめんを」
足も畳《たたみ》につかぬようすで、奥《おく》の座敷《ざしき》へかくれこんだ。
とりのこされた一学《いちがく》は、なにか、急病《きゆうびよう》で不快《ふかい》でも起したのかと思っていたが、それから、待てどくらせど、神主の返辞《へんじ》もなければ神官《しんかん》たちの応接《おうせつ》もない。
一方、神主の右近は、目もくらむばかりの驚《おどろ》き方《かた》であった。一学の話によれば、さきごろ、ご神縄《しんじよう》にかけて山毛欅《ぶな》の上にしばりつけた怪僧《かいそう》は加賀見忍剣《かがみにんけん》であり、同時に、それいらい、垢離堂《こりどう》の板《いた》の間《ま》に二十一|日間《にちかん》の謹慎《きんしん》をまもっている人々こそまさしく信玄公《しんげんこう》のお孫《まご》、伊那丸君《いなまるぎみ》であり、おつきの人々であると気がついたからである。御岳《みたけ》の人々は、それが武田家《たけだけ》の御曹子《おんぞうし》とは、まったく知らずにご神縄をくだしたのであったらしい。神官たちはにわかに凝議《ぎようぎ》して、その善後策《ぜんごさく》に沈鬱《ちんうつ》な空気をつくった。
「夢《ゆめ》にも知らぬご無礼《ぶれい》、ふかくおわびをしたら、おとがめもあるまい。このうえは、いっこくもはやく、あの垢離堂から社家《しやけ》へおうつし申しあげ、また、付人《つきびと》の忍剣とやらの神縛《しんばく》もといて謝罪《しやざい》するよりほかに手段《しゆだん》はなかろう」
いつまで応接のないのはそのためであった。
神官たちが垢離堂へ迎《むか》えに立ったあとで、右近はやっと一学のまえへでてきた。そして、あからさまに事情《じじよう》をのべて謝罪のとりなしをたのむのだった。
「ほ。それでは、若君《わかぎみ》は当社《とうしや》においで遊《あそ》ばしましたのか」
「武田家《たけだけ》からは、世々《よよ》、あつき社領《しやりよう》をたまわり、亡家《ぼうか》ののちも、けっしておろそかには思いませぬものを、なんとも面目《めんぼく》ない大失態《だいしつたい》」
「いや、まったく知らずにしたことなれば、寛大《かんだい》な若君、おとがめはありますまい。なんにしても、ここでお目にかかることができれば、自分もはるばるの使いとしてきてなによりの僥倖《ぎようこう》です」
間《ま》もなく、清掃《せいそう》した社家《しやけ》の客殿《きやくでん》へ、錦繍《きんしゆう》のしとねがおかれた。
垢離場《こりば》の板敷《いたじき》にワラの円座《えんざ》をしいて、数日つつしんでいた人々は、いちやくあたたかい部屋《へや》とうやうやしいもてなしに迎《むか》えられてきた。
一党《いつとう》の人々は、神官《しんかん》たちが平《ひら》あやまりにあやまる事情をきいて、一場《いちじよう》の滑稽事《こつけいじ》のように笑《わら》っていった。
また伊那丸《いなまる》も、それをとがめるどころではなく、自分の手飼《てが》いの者が神庭《しんてい》をけがしたのであるから、主《しゆ》たる自分の謹慎《きんしん》するのはとうぜんであって、まだ二十一日にみたないうちにゆるしを賜《たも》うのは、神に対してむしろ心苦しいとさえいうのであった。
で、御岳《みたけ》の神官たちは、ホッとした。
「ときに、若君をたずねて、はるばる都からまいられたお方《かた》がござります」
右近《うこん》はおそるおそる、菊亭家《きくていけ》の使いの由《よし》を伊那丸にとりついだ。
「通《とお》せ」
こういってやると、おりかえしての返辞《へんじ》が、
「ひそかなご用件《ようけん》とやらで、清浄《せいじよう》な、神殿《しんでん》において、若君《わかぎみ》とただふたりだけでお目にかかりたいと申しますが」
という腑《ふ》に落ちないことばである。
民部《みんぶ》も龍太郎《りゆうたろう》も、一党《いつとう》の人々は、見しらぬ旅《たび》の侍《さむらい》に油断《ゆだん》はならないとたぶんな懐疑《かいぎ》をもった。
伊那丸《いなまる》はかんがえて、
「したが、かりそめにも、菊亭右大臣家《きくていうだいじんけ》はわしの伯母《おば》さまのご縁《えん》づきなされた家《いえ》がら、おうたがい申してはすまぬことだ。わしひとりで神殿《しんでん》においてその者に会《あ》いましょう」
と、ふたたび右近《うこん》を介《かい》して、その旨《むね》をいいやった。
冷気《れいき》のこもったうすぐらい拝殿《はいでん》に、二つの円座《えんざ》が設《もう》けられた。伊那丸と園部一学《そのべいちがく》がそこに対座《たいざ》したとき、杉戸《すぎと》のそとには、木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》や蔦之助《つたのすけ》や小文治《こぶんじ》などが、大刀をつかんで、よそながら主君《しゆくん》の身を守《まも》っている気《け》ぶりであった。
が――伊那丸は、京都からきたという一学をみると、すぐに、かれがあやしげな者でないことを信《しん》じた。
「若君《わかぎみ》はもうお忘れでございましょうが、去年《きよねん》、お父上《ちちうえ》の勝頼《かつより》さまに似《に》た僧侶《そうりよ》をおしたいなされて菊亭家《きくていけ》へお越《こ》しあそばしたことを」
「オオ」
「そのおり、よそながら一学《いちがく》は、おすがたを拝《はい》しておりましたが、わずか一年のうちに、見ちがえるばかりなご成長《せいちよう》……」
そういって畏《おそ》るおそる伊那丸《いなまる》を見上げながら、
「右大臣家《うだいじんけ》において、常《つね》に、おうわさ申しあげております」
「菊亭晴季公《きくていはるすえこう》にも、いつも、お変《かわ》りなくお暮《く》らしであるか」
「世は戦塵濛々《せんじんもうもう》、九重《ここのえ》の奥《おく》もなんとなくあわただしく、日ごとご君側《くんそく》の奉仕《ほうし》に、少しのおひまもないていにお見うけ申しまする」
「それは祝着《しゆうちやく》である。そして、とくにそちがわしを尋《たず》ねてきた用向《ようむ》きとはなんであるな」
「右大臣家へのご托使《たくし》にござります」
「托使? ……では晴季公よりのご用でもないのか」
「さればです!」
と、一学はさらにパッと威儀《いぎ》をあらためて、
「お嗽口《すすぎ》を」
と目じらせをして立った。
ただごとではない――と伊那丸もすぐに席《せき》を立った。
そして、清水《せいすい》をくんで手洗《ちようず》、嗽口をすまし、あらためて席へもどってくる。
一学《いちがく》もおなじようにすすぎをおえ、神殿《しんでん》の龕《がん》にみ灯《あかし》をともした。ふとみると、そこに禁裡《きんり》のみ印《しるし》のある状筥《じようばこ》がうやうやしく三ぼうの上にのせられてある。
「はッ」
と、伊那丸《いなまる》は衝《う》たれたように平伏《へいふく》した。
「密勅《みつちよく》です」
一学《いちがく》の声は、低《ひく》いが、おごそかである。
伊那丸は夢《ゆめ》かと思った。国なく、家なく、武力もない自分になんの密勅であろうか。
かれは五体のおののくようにおそれ多さを感じた。
べつに一学に托《たく》せられてきた菊亭晴季《きくていはるすえ》の書状《しよじよう》からさきに黙読《もくどく》した。
菊亭家《きくていけ》と武田家《たけだけ》とは、ふかい血縁《けつえん》のある家すじである。その晴季からなんの便《たよ》りであろうかという点《てん》も、伊那丸には、胸《むね》おどろしく感じられる。
読みくだしてゆくうちに、伊那丸の目はいっぱいな涙《なみだ》になった。義憤《ぎふん》と悔恨《かいこん》の血《ち》が交互《こうご》に頬《ほお》を熱《あつ》くした。
伊那丸よ――
菊亭晴季の文はこう書きだしてある。さらにその文意《ぶんい》をくだいてここにしるせば、こういう愛国的《あいこくてき》な長文《ちようぶん》であった。
伊那丸よ。
都《みやこ》でも近ごろはそなたのうわさをしばしば耳にする。勇《いさ》ましいことである。けなげなことである。そなたは、貧《まず》しくとも、信玄公《しんげんこう》の名をはずかしめない。
わしは、かげながらよろこんでおる。
だが、そなたはも早や、元服《げんぷく》の若者である。一人前《いちにんまえ》の武士《もののふ》となるべきだ。いつまで小さな私怨《しえん》にとらわれているばかりが真《まこと》の武士《もののふ》でもなかろう。眼《まなこ》をひろい世の中にみひらいてたもれ。
この一年|有半《ゆうはん》の歳月《さいげつ》に、そなたはいまの世相《せそう》をよくながめ得《え》たであろう。どうであった戦国の浮世《うきよ》は。わけても百姓《ひやくしよう》町人《ちようにん》――いやそれよりもっと貧しい民《たみ》たちの苦《くる》しみはどうであろう。
また、あるいはそなたも知らぬであろうが、畏《おそ》れ多いことながら、いまの御所《ごしよ》のお模様《もよう》は、その貧しい人々よりもまさるものがある。いや、おんみずからのご不自由《ふじゆう》よりも、戦乱《せんらん》のちまたに飢《う》えひしがれている民のうえにご宸念《しんねん》を休《やす》ませられたことがない。
わしは、朝暮《ちようぼ》に、御座《みざ》ちかく奉仕《ほうし》しているので、まのあたりにそのおんなやみをみて、涙《なみだ》のたえぬくらいである。畏れ多いおうわさであるが、御所《ごしよ》の御簾《みす》はほつれて秋風のふせぎもなく、供御《くご》のものにさえことかく事《こと》がめずらしくない。
それだになお、君《きみ》は民草《たみくさ》の塗炭《とたん》にお心さえ休《やす》まったことがない。なんと浅《あさ》ましい戦乱のすがたではないか。
なぜいまの世《よ》がこんなに悪いのか。それを、そなたにいうのは孟子《もうし》に法《ほう》を説《と》くようなものだが、武家《ぶけ》の罪《つみ》である、群雄割拠《ぐんゆうかつきよ》して領土《りようど》と領土のあばきあいの他《ほか》、なにごとも忘れている兵家《へいか》の罪でなければならぬ。
秀吉《ひでよし》、家康《いえやす》をはじめ、加賀《かが》の前田《まえだ》、毛利《もうり》、伊達《だて》、上杉《うえすぎ》、北条《ほうじよう》、長曾我部《ちようそかべ》、みなそれぞれ名器《めいき》の武将《ぶしよう》であるけれど、かれらはじぶんの功《こう》をいそぐ以外《いがい》に、上《かみ》も下《しも》も、なにものもかえりみているゆとりがない。天下|統一《とういつ》の先駆《さきが》けにあせって、戦《たたか》って勝つという信条《しんじよう》の下《もと》には、どんな犠牲《ぎせい》も惜《お》しまない。
これでは民草《たみくさ》も枯《か》れるわけである。お上《かみ》のご宸念《しんねん》のたえない道理《どうり》である。気をわるくするかもしれないが、そなたの祖父信玄《そふしんげん》ほどの人物も、そのひとりだといわなければならない。
伊那丸よ。そなたもその仲間《なかま》にまじって、領土をあらそう武門《ぶもん》で終《おわ》りたいか。わたしは、そなたを見こんで、願《ねが》いがある。よく考えてたもれ、大事な秋《とき》だ。
そなたが、うしなった甲斐《かい》の領土の甲斐源氏《かいげんじ》の家《いえ》を再興《さいこう》したいという願望《がんぼう》は、まさしく孝《こう》である、正義《せいぎ》である、男子のなすべき事業《じぎよう》である。だが、考えてたもれ、今は天下大事《てんかだいじ》な秋《とき》である。
いまこそは何人《なんぴと》でもあれ、自我《じが》の名利《みようり》をすて、世《よ》のため、あわれな民衆《みんしゆう》のために、野心《やしん》の群雄とならず、領土慾《りようどよく》に割拠しない、まことの武士《もののふ》があらわれなければならない秋《とき》だ。まことの人がこの麻《あさ》のごとく乱《みだ》れた世を少しでも助けなければならない秋《とき》だ。
聡明《そうめい》なるそなたにこれ以上《いじよう》の多言《たごん》は要《よう》すまいと思う。切《せつ》に、そなたの反省《はんせい》をたのむ。そしてそなたが祖父《そふ》機山《きざん》より以上《いじよう》な武士《もののふ》の業《ぎよう》をとげんことを祈《いの》る。秀吉《ひでよし》、家康《いえやす》の上に出《い》ずるところに刮眼《かつがん》することを祈る。
また、かくいうも、このことばは自分ひとりの言《げん》ばかりではない。ある夜、高野《こうや》をひそかに下《くだ》られた某《それがし》とよぶ御僧《みそう》のすすめもあるのである。また、折《おり》ふし訪《おとず》れた白髯《はくぜん》の高士《こうし》の意見《いけん》もここに加《くわ》わっているのである。その高野の僧の名は明かしがたいが、高士の名はあかしてもよい。それは、鞍馬《くらま》の隠士《いんし》僧正谷《そうじようがたに》の果心居士《かしんこじ》である。
文《ぶん》はこれでおわっている。
伊那丸《いなまる》は狭《せま》い暗黒《あんこく》から暁天《ぎようてん》へみちびかれて、自分の真《しん》にゆくべき道を教《おし》えられたような心地《ここち》がした。
故郷《ふるさと》へ、西《にし》の都《みやこ》へ
お時《とき》は、楢《なら》の木の幹《みき》につかまりながら、ふかい絶壁《ぜつぺき》の下を、こわごわのぞいていた。
(どこの子供か知らないが、どうか、助かってくれればいい)
彼女《かのじよ》は、じぶんの身の上にひきくらべて、そう祈《いの》らずにはいられなかった。
下を見ると、目がまわりそうなので、あまり崖《がけ》っぷちには進みえないで、救《すく》いにいった宮内《くない》のようすも、仔細《しさい》に見ていることはできないが、ときどき木《こ》の葉《は》のすきまから、かれの活動が遠望《えんぼう》された。
「オオ、水からあげたような……」
お時《とき》の顔に、わがことのようなよろこびの笑《え》くぼがのぼった。すると、とつぜんに、
「これッ。――どこからこの山へはいりこんだ」
お時は、だれか力のある腕《うで》ぷしで、そこからうしろへ引きもどされた。
「あッ……」
彼女はふるえ上がって、大地へ平《ひら》蜘蛛《ぐも》のように手をついた。
そこには、御岳《みたけ》の神官《しんかん》らしい人々が、山支度《やまじたく》をして立っていた。
「ここは、許しがなくてはのぼれぬ、お止山《とめやま》ということを知らんか」
「ち……ちッとも、ぞんじませんで、道にまよってきてしもうたのでござります」
「見れば、質朴《しつぼく》そうな坂東巡《ばんどうめぐ》りの者、道にまよってきたものならば、深くはとがめないが、一応《いちおう》吟味《ぎんみ》の上でなくては放《はな》してやるわけにはゆかない。しばらくそこでひかえていろ」
こういうと、若い神官たちは、べつになにかいそぐ目的《もくてき》があるらしく、ばらばらと千|年《ねん》山毛欅《ぶな》の根《ね》もとへかけあつまった。
三人ほどの者が、袖《そで》をからげて山毛欅《ぶな》の上へよじのぼっていった。そして、ご神刑《しんけい》にかかっている、忍剣《にんけん》のいましめを解《と》き、抱《だ》くようにして下《お》ろしてきた。
さだめし、疲《つか》れているだろうと思ったところが、案《あん》に相違《そうい》して、忍剣はすこしも衰《おとろ》えていなかった。それもそのはずなのであるが、神官《しんかん》は理由《りゆう》を知らないので、いよいよふしぎな怪僧《かいそう》であると、舌《した》をまいておどろいた。
「まだ、二十一日には満《み》つまいに」
と、忍剣は、きょうの赦免《しやめん》が、夢《ゆめ》のようであるらしい。
が、事情《じじよう》をきいて、心から欣《よろこ》ばしそうな色が、さすがに、その面《おもて》を生々《いきいき》とさせた。
一足《ひとあし》おくれて、御岳《みたけ》の奥《おく》の院《いん》からここへ越えてきた人々があった。それは、神主《かんぬし》の長谷川右近《はせがわうこん》を道案内《みちあんない》として忍剣健在《にんけんけんざい》なりや否《いな》や――と一刻《いつこく》をあらそって、迎《むか》えに見えた一党《いつとう》の朋友《ほうゆう》たちである。
そのなかに、伊那丸《いなまる》のすがたを見出《みいだ》したので、忍剣は、思いやりの深い主君《しゆくん》の心がわかって、無言《むごん》のうちに涙《なみだ》がうかんだ。
かれの健在《けんざい》を祝福《しゆくふく》しあうと、人々はすぐに、
「忍剣、すぐに京都へいそぐのだぞ」
と、活気《かつき》づけるようにいった。
「えッ、都《みやこ》へ」
「くわしいことは、あとで若君《わかぎみ》からお話があろうが、きょうからわれわれは、甲州土着《こうしゆうどちやく》の武士《ぶし》という心を捨《す》てることになったのだ」
「なぜ?」
明らかに不平《ふへい》が、かれの顔色《かおいろ》にうごいた。
が、一党《いつとう》の友の顔は、みな、いつもにも増《ま》して晴《は》れやかに見えた。
「甲州武士《こうしゆうぶし》などというせまい気持をすてて、まことの神州武士《しんしゆうぶし》となるのだからいいじゃないか。われらの愛国《あいこく》は甲斐《かい》ではなくなった。日本《にほん》だ。かがやきのある神州《しんしゆう》扶桑《ふそう》の国だ」
「そして?」
忍剣《にんけん》には、友のことばが不意《ふい》にきこえた。まだじゅうぶんに胸《むね》に落ちないらしい。
「あおぐは一|天《てん》の帝《みかど》」
「それは、だれにしてもそうではないか。いまさらこと改《あらた》めていうことはないだろう」
「いや、戦国の武将《ぶしよう》たちは、みんなそれを忘れている。もうひとつ忘れていることがある。それは貧《まず》しい下々《しもじも》の民《たみ》だ。われらの味方《みかた》するのはその人たちだ」
「どうしてにわかに京都へのぼることになったのか」
「菊亭右大臣《きくていうだいじん》さまのおはからいで、畏《おそ》れ多くも、あるご内意《ないい》がくだったのだ」
「えッ、若君《わかぎみ》へ」
「しかし、それはきわめて秘密《ひみつ》なことだ」
「では都から密使《みつし》が見えられたのか」
「とにかく、若君《わかぎみ》は、はじめておおらかな正義《せいぎ》の天地を自由に馳駆《ちく》する秋《とき》がきたと、非常《ひじよう》なおよろこびで、以後《いご》は武田残党《たけだざんとう》の名をすてて、われわれ一味《いちみ》の党名《とうめい》も、天馬侠党《てんまきようとう》とよぶことにきまったのだ。きょうは赦免《しやめん》になったきさまもくわえて、天馬侠第一声をここにあげたのだ」
熱血僧忍剣《ねつけつそうにんけん》は、だんだんと聞いてゆくうちに、その耳朶《じだ》を杏桃《すもも》のように赤くしてきた。王室《おうしつ》の御衰微《ごすいび》をなげくことと、戦国の馬塵《ばじん》にふみつけられてかえりみられない貧《まず》しい者をあわれむ心はつねに、この人々の胸《むね》に燃《も》えているところだった。
「じゃ、きょうすぐに、これから都へのぼるのか」
「多少の支度《したく》もあるから、きょうというわけにはゆくまいが、いっこくも早く、菊亭右大臣《きくていうだいじん》にお会《あ》いして、なにかのことをうかがったうえ、密詔《みつしよう》のご勅答《ちよくとう》を申しあげたいという若君のおことばだ」
「なるほど。だが、これだけではまだ天馬侠の侠友《きようゆう》がひとりもれているぞ」
「民部《みんぶ》どのもおられる、龍太郎《りゆうたろう》、小文治《こぶんじ》、蔦之助《つたのすけ》、すべての者がそろっているが……あ、咲耶子《さくやこ》か」
「咲耶子もそうだが、竹童《ちくどう》が欠《か》けているのではないか」
「オ。その竹童は、また鷲《わし》をさがすといって、どこかへひとりで立ち去《さ》った」
「いや、うそだ」
と、忍剣はやや興奮的《こうふんてき》に首をふって、
「おれはきょうまで、こうして、少しも疲《つか》れずにいたのは、まったく、かれが苦心惨憺《くしんさんたん》して、朝ごとに食《しよく》を口にいれてくれたおかげだ。どこかそこらにいるにちがいないからさがしてくれ」
と、大声でいった。
御岳《みたけ》の神官《しんかん》たちはおどろいた。
けれど、伊那丸《いなまる》や党《とう》の人々たちは、その話をきいて、なんだか涙《なみだ》ぐましくさえなった。しかし、いくらあたりをたずねても、かれのすがたが見えないので、落胆《らくたん》しているところへ、崖《がけ》の細道《ほそみち》をかきわけて、菊村宮内《きくむらくない》が、水から助けあげたふたりの少年をつれてあがってきた。
「おっ、いた!」
期《き》せずして、かれの周囲《しゆうい》を、一同のものがドッと取りまいた、ただそのようすを、さびしそうにながめていたのは、坂東巡礼《ばんどうじゆんれい》のお時《とき》であった。
あの楢《なら》の枝から落ちて、ふしぎにふたりはかすり傷《きず》もなかった。その奇蹟《きせき》を、地蔵行者《じぞうぎようじや》の菊村宮内は、竹生島神伝《ちくぶしましんでん》の独楽《こま》、火《ひ》独楽《ごま》と水《みず》独楽《ごま》をめいめいがふところに持っていた功力《くりき》であるといって、その由来《ゆらい》をつぶさに話した。
本来《ほんらい》、蛾次郎《がじろう》は泣いても吠《ほ》えてもここでその首を、侠党《きようとう》の士《し》にもらわれなければならないのであるが、独楽《こま》の由来《ゆらい》の話から、いくぶんその情《じよう》を酌量《しやくりよう》されて、宮内《くない》の命乞《いのちご》いにその首だけはやっとつながった。
そのうちに神官《しんかん》のひとりが、どこからか、ふたりの丈《たけ》に合いそうな着物《きもの》をもらってきてくれた。なにしろ、衣服《いふく》がぬれていては、山を下《お》りるにしても、とちゅうの寒《さむ》さにたえられない。
「さあ、着《き》るがよい」
裾《すそ》のみじかい着物と膝行袴《たつつけ》が、一枚ずつ公平《こうへい》にわたされた。あのおしゃべりの蛾次郎も、口をきく元気もなく、ただいくつもおじぎをつづけて、ぬれた着物をそれに着かえた。
すると――そのようすを、研《と》ぎすましたような眼《まな》ざしで、ジーッと見つめていた巡礼《じゆんれい》のお時《とき》が、とつぜん、気でも狂《くる》ったように、
「オオ、おらの子だ! おらの子だ!」
と、おどろく蛾次郎の首根《くびね》ッこにかじりついて、人まえもなく、ワッと声をあげてうれし泣《な》きに泣きたおれた。
宮内も、がくぜんとそこへ飛びよって、
「お時さん、どうして? どうして?」
人ごととは思えないで問《と》いただした。
「灸《きゆう》がある! 灸がある! これ宮内さま、この子の背《せ》なかを見てやってください。いつかわたしが話したように、わしの村でしかすえないお諏訪《すわ》さまの禁厭灸《まじないきゆう》のあとがある。そのわしの村でも、この背骨《せぼね》の節《ふし》の四ツ目《め》に、癲癇《てんかん》の灸《きゆう》をすえたのは、おらの子だけでございます」
「じゃ、この蛾次郎《がじろう》が、三つの時に、伊勢詣《いせまい》りのとちゅうで迷子《まいご》にしたおまえさんの子であったのか」
「それにちがいありません。ああ、親子《おやこ》の血《ち》はあらそわれない、やっぱりわしにはなんとなく、虫の知らせがありましたに……」
と、蛾次郎のからだを抱《だ》きしめて、あまやかな女親《おんなおや》の涙《なみだ》をとめどなく流すのだった。
蛾次郎はただキョトキョトして、お時《とき》の手をすこしこばむように尻《しり》ごみしていたが、宮内《くない》からじゅんじゅんと自分の母であることを話されると、東海道《とうかいどう》で、鼻《はな》|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》にひろわれたという幼《おさ》な話を思いだして、
「じゃ、おめえが、ほんとのおれのおッ母《か》さんだったのかい」
と、はじめて、お時の顔を真正面《まつしようめん》に見つめた。
「オオ、坊《ぼう》や!」
「ワーッ……」
と、そのとたんに、蛾次郎は、一世一代《いつせいちだい》の泣き声をあげてお時のひざにそのきたない顔を、むちゃくちゃにコスリつけていった。
お時もうれし泣きに抱きしめた。
牝牛《めうし》の乳《ちち》のように甘《あま》い女親《おんなおや》の涙《なみだ》のなかに、邪気《じやき》も、慾《よく》も、なにもなく、身をひたりこんだ蛾次郎《がじろう》のすがたを見ていると、だれもかれに少しの憎《にく》しみも持てなかった。
竹童《ちくどう》ですら、敵意《てきい》をわすれて、ぼんやりとその情景《じようけい》をながめていた。
だが、かれの親《おや》はどこにいる?
竹童は、さびしかろ。
侠党《きようとう》七|士《し》の人々が、御岳《みたけ》のすそ、北多摩《きたたま》のふもとから青毛《あおげ》、月毛《つきげ》、黒鹿毛《くろかげ》の馬首《ばしゆ》をならべて、銀《ぎん》のすすきの波《なみ》をうつ秋の武蔵野《むさしの》を西へさして去《さ》ったのは、その翌々日《よくよくじつ》のことであった。
おなじ日に、泣き虫の蛾次郎は、母親のお時《とき》に手をひかれて、坂東何番《ばんどうなんばん》かのお札所《ふだしよ》へお礼《れい》まいりにのぼっていった。
そして、ひと巡《めぐ》りの巡礼《じゆんれい》をすましたら、ふるさとの村《むら》へ帰るだろう。
うららかな秋の陽《ひ》の下《もと》に立って、まぶしそうに見ていた菊村宮内《きくむらくない》は、消《き》えてゆく七|騎《き》のかげと、手をひかれてゆく母と子と、そのどッちを見おくっても、いい気持がした。
そして、かれもまた、カアーン、カアーンと、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》に鉦《かね》を手向《たむ》けながら、すすきを分《わ》ける旅人《たびびと》のひとりとなって、いずこともなく歩きだした。
[#地付き]神州天馬侠 第三巻 〔完〕
本作品は、「少年倶楽部」に連載(大正一四年五月号〜昭和三年一二月号)、小社より単行本として出版されました。
本電子文庫版は、吉川英治歴史時代文庫80『神州天馬侠(三)』(一九九〇年一月刊)を底本としました。
作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現がありますが、作品の時代背景および著者(故人)が差別助長の意図で使用していないこと等を勘み、そのままとしました。読者のご理解を賜わりますよう、お願い申し上げます。