TITLE : 新・水滸伝(一)
講談社電子文庫
新・水滸伝
吉川 英治 著
目 次
新・水滸伝
序曲、百八の星、人間界に宿命すること
毬使いの幸運は九天に昇り、風流皇帝の徽宗に会うこと
教頭の王進、追捕をのがれ、母と千里の旅に落ちゆく事
緑林の徒の涙を見て、史進、彼らを再び野へ放つこと
史進、家郷をすてて渭水へ奔り、魯提轄と街に会うこと
晨に唄い女翠蓮を送って、晩霞に魯憲兵も逐電すること
蘭花の瞼は恩人に会って涙し、五台山の剃刀は魯を坊主とすること
百花の刺青は紅の肌に燃え、魯和尚の大酔に一山もゆるぐ事
花嫁の臍に毛のある桃花の郷を立ち、枯林瓦罐寺に九紋龍と出会いのこと
菜園番は愛す、同類の虫ケラを。柳蔭の酒莚は呼ぶ禁軍の通り客
鴛鴦の巣は風騒にやぶられ、濁世の波にも仏心の良吏はある事
世路は似たり、人生の起伏と。流刑の道にも侠大尽の門もある事
氷雪の苦役も九死に一生を得、獄関一路、梁山泊へ通じること
無法者のとりで梁山泊の事。ならびに吹毛剣を巷に売る浪人のこと
青面獣の楊志、知己にこたえて神技の武を現すこと
風来の一怪児、東渓村に宿命星の宿業を齎すこと
寺小屋先生「今日休学」の壁書をして去る事
呉用先生の智網、金鱗の鯉を漁って元の村へ帰ること
六星、壇に誓う門外に、また訪れる一星のこと
仮装の隊商十一梱、青面獣を頭として、北京を出立する事
七人の棗商人、黄泥岡の一林に何やら笑いさざめく事
“生辰綱の智恵取り”のこと。並びに、楊志、死の谷を覗く事
二侠、二龍山下に出会い、その後の花和尚魯智深がこと
目明し陣、五里霧中のこと。次いで、刑事頭何濤の妻と弟の事
耳の飾りは義と仁の珠。宋江、友の危機に馬を東渓村へとばす事
新・水滸伝
序曲、百八の星、人間界(にんげんかい)に宿命すること
頃は、今から九百年前。――中華の黄土大陸は大宋国(だいそうこく)といって、首都を河南(かなん)省の開封東京(かいほうとうけい)にさだめ、宋朝歴代の王業は、四代の仁宗(じんそう)皇帝につがれていた。
その嘉祐(かゆう)三年の三月三日のことである。
天子は、紫宸殿(ししいでん)に出御(しゆつぎよ)して、この日、公卿百官の朝賀を嘉(よみ)せられた。そしてはや、楽府(がくふ)の仙楽と満庭の万歳のうちに式を終って、今しも袞龍錦衣(こんりようきんい)のお人影が、侍座(じざ)の玉簪(ぎよくさん)や、侍従の花冠(はなかんむり)と共に珠(たま)の椅子(いす)をお立ちあらんと見えたときであった。
「あ、陛下。しばしのほど」
列を離れて出た宰相(さいしよう)の趙哲(ちようてつ)、参議の文彦博(ぶんげんぱく)のふたりが、帝座に伏して奏上した。
「お願いにござりまする。――いにしえから、今日の上巳(じようし)ノ祝節(節句)には、桃花の流れにみそぎして、官民のわかちなく、和楽を共に、大いに愉(たの)しみ遊ぶ日とされております。ねがわくば、この佳(よ)き日にあたって、下々(しもじも)へも、ご仁政の実(じつ)をおしめしたまわらば、宋朝の栄えは、万代だろうとおもわれますが」
仁宗皇帝は、ふと、ふしんなお顔をされた。
「なに。こんなよい日和(ひより)なのに、人民は、何も愉しめずにいるというのか」
「さればで――」と、両名はさらに九拝して。「ここ数年、五穀(ごこく)のみのりも思わしくありません。加うるに、この春は、天下に悪疫(あくえき)が流行し、江南江北も、東西二京も、病臭(びようしゆう)に埋まっております。家々は飢(う)えにみち、病屍(かばね)は道に捨てられてかえりみられず、夜は群盗のおののきに明かすという有様でございますから」
「ふうん。そんなにひどいのか」
「そこで、検非違使(けびいし)の包待制(ほうたいせい)のごときは、施薬院(せやくいん)の医吏(いり)をはげまし、また、自分の俸給まで投げだして、必死な救済にあたっておりますが、いかんせん、疫痢(えきり)の猖獗(しようけつ)にはかてません。このぶんでは、地上の人間の半分は、死ぬだろうと恐れられておりまする」
「それは、ゆゆしい事ではないか。さっそく、天下の諸寺院に令して大祈祷(だいきとう)をさせねばならん」
国土の患(わずら)いでも、一身の乱(らん)でも、なにか大事にたちいたると、すぐ、加持祈祷(かじきとう)へ頼むところは、わが朝(ちよう)の藤原時代の権門とも、まったく同じ風習だった。いや、それが文明社会に近づきつつまだ文明にほど遠かった当時の人智だったというしかない。
江西(こうせい)への旅は遥かだった。しかし、旅にはよい仲春(ちゆうしゆん)の季節でもある。禁門の大将軍洪信(こうしん)は、おびただしい部下の車騎(しやき)をしたがえて、都門東京(ともんとうけい)を立ち、日をかさねて、江西信州の県城へ行きついた。
「勅使のおくだりだぞ。粗略あるな」
と、州の長官以下、大小の諸役人から土軍はもちろん、土地(ところ)の男女僧俗まで、みな道に堵列(とれつ)して、洪(こう)大将を出迎えた。
その夜のさかんな饗宴(きようえん)はいうまでもなかった。地方の吏(り)が中央の大賓(たいひん)に媚(こ)びることは、今も昔もかわりがない。わけて、丹紙(たんし)の詔書(しようしよ)を奉じて来た勅使であるから、県をあげて、庁の役人は、そのもてなしに心をくだいた。
が、洪信は、さすが軍人である。豪放で、らいらくだ。かつ、朝廷の賜餐(しさん)には馴れ、街の銀盤玉杯(ぎんばんぎよくはい)にも飽いているから、どんな歓待とて、彼の舌や眼を驚かすには足らない。
「まあ、まあ。杯(さかずき)は下におけ。そう酒ばかりすすめんでもよい。このたびの下向(げこう)は儂(み)にとっても、重大な勅(ちよく)の勤め。さきに飛脚しておいた下(くだ)し令状(ぶ み)も見たであろうが」
「しかと、拝見しております」と、州の長官は、急に、畏(かしこ)みを見せて、――「聖旨のおもむきは、さっそく、この地の奥、龍虎山上清宮(りようこざんじようせいぐう)につたえおきましたから、万端をととのえご参籠をお待ち申しあげておるはずで」
「そうか。では今夜は、不浄をつつしみ、明朝は沐浴(もくよく)して、上清宮へ登って行くとしよう。貴様たちも、はやく退(さ)がれ」
つぎの日、洪は暁天に旅館を立ち、州門から八十支里(六町=一里)もある西南の大岳(たいがく)を望んで行った。案内の州役人らの次に、彼は山輿(やまごし)にゆられ、部下百騎は勅使旗をささげていた。
龍虎山(りようこざん)一帯は、古来、全国の信仰をあつめてきた道教(どうきよう)の大本山だ。
唐代このかた、歴朝の帰依(きえ)ふかく、その勅額は、朱(あけ)の楼閣(ろうかく)にも仰がれる。渓谷(けいこく)の空には、苔(こけ)さびた石橋(しやつきよう)が望まれ、山また山の重なる奥までも、十三層塔(そうとう)が霞(かす)んで見えた。また、道士(どうし)たちの住む墻院(しよういん)、仙館は、峰谷々にわたり、松柏(しようはく)をつづる黄や白い花は猿(ましら)や鶴の遊ぶ苑(にわ)といってもよいであろうか。
ところで、この仙境は、その日とつぜん、眼をさましたように、一山の鐘台(しようだい)から鐘の音をゆり起した。木々は香露(こうろ)をふりこぼし、園の仙鶴は羽バタき、全山の禽獣(きんじゆう)も、一せいに驚き啼いた。――見れば、三清宮から大石橋(だいしやつきよう)へかけて、院主(いんず)の大師以下、道士、稚児(ちご)、力士(寺侍)などの群列が、彩霞(さいか)のごとく、香を煙らし、金鈴(きんれい)や小鼓(しようこ)を鳴らしながら今し勅使の洪(こう)将軍を仙院へ迎える礼をとっているものだった。
「大儀である」
洪は、大きく目礼をほどこしながら、仙館へ入った。
えならぬ仙味の献茶(けんちや)一ぷくを、すずやかに服(の)み終ると、彼はただちに、勅の主旨を、院主(いんず)につたえた。
「――過ぐる日の上巳(じようし)の祝節。わが仁宗皇帝におかれては、打ちつづく世の悪疫(あくえき)を聞こしめされ、いたく宸襟(しんきん)をなやませ給うた。そこで即日、大赦(たいしや)の令(れい)を発せられ、施薬(せやく)や施粥(せがゆ)の小屋を辻々におき、なおまた、かくは、臣洪信(こうしん)を遠くにおつかわしあって、当山の虚靖天師(きよせいてんし)に、病魔調伏(ちようぶく)の祈りを、おん頼みあった次第である。その儀は、すでに心得おろうがな」
「うけたまわっておりまする」
「勅願の詔書(しようしよ)は、すなわち、これなる錦のふくろに入れ、臣洪信(こうしん)の胸にかけて奉じてまいった。――さっそく、龍虎山の大仙(たいせん)、虚靖天師にお会いして、おわたし申しあげねばならんが、天師はいずこにおらるるか」
「大仙は、ここにはおいでございませぬ。ここの俗塵(ぞくじん)すら嫌って、これよりさらに山ふかく、龍虎山のいただきも尽きるところに、一宇(いちう)の草院を結び、つねに仙道ご修行のほか、他念もなくおわせられます」
「では、そこまで登らねば、天師にお会いできぬのか」
「それも、お使者ご一名のみ。……斎戒沐浴(さいかいもくよく)をとげた上ならでは」
「はて、不便なことだなあ。勅命なのに」
「いかに、ご勅使たりと、霊山(れいざん)の法規はまげられませぬ。まこと、仁宗皇帝が、万民の苦患(くげん)を救わんため、万民に代って、大仙のご祈祷(きとう)をおたのみまいらすなれば、ご代参の殿が、それしきの精進(しようじん)をつとめるなどは、何ほどのことでもありますまい」
「いうな、たれが億劫(おつくう)だといった。ただ不便と感じただけのこと。よしよし、あす一日潔斎(けつさい)して、われ一人、天師の仙家へまかるであろう」
彼の意気たるや旺(さかん)であった。その朝は、星の下に、水垢離(みずごり)をとり、白木綿(しろもめん)の浄衣(じようえ)を着て、黄布(きぎぬ)のつつみを背中へ斜(はす)にかけて結んだ。内に宸筆(しんぴつ)の勅願をおさめたのだ。そして、銀の柄香炉(えこうろ)を片手に、折々、香(こう)を焚(た)いては、「六根清浄(ろつこんしようじよう)」を口にとなえ、身に寸鉄を帯びるでもなく、白木の山杖一ツを力に、あまたの道士に見送られて、上清宮(じようせいぐう)を出立した。
――が、禁門軍の雄(ゆう)、洪(こう)大将ほどな男も、そこから奥の山ではまったくへばッた。第一夜は、樹海(じゆかい)の底の谷川を枕として寝(い)ね、第二夜は、斧(おの)の刃(は)のような天空の峰で身を横たえた。しかも、ゆくての千峰は、まだまだ嶮(けわ)しい。
やがて、降ればまた深い渓音(けいおん)水声、昼か夜かも、わからなくなっていた。猿になぶられ、狼に踵(かかと)を嗅(か)がれ、ただ蔦(つた)かずらの中の道標を捜(さが)しては、それをたよって行くしかない。やっと、太古の森林を出たと思うと、あ――と仰がれる絶壁だし、めぐれば、瀑布のしぶきに吹きとばされ、攀(よ)じれば、磊々(らいらい)の奇岩巨石に覗(のぞ)き下ろされる。
それのみか、彼は、牝雄(めすおす)二疋の大きな虎に出会って、あやうく、虎の餌食(えじき)にされかけたり、この世にはありえぬような大蛇の鱗光(りんこう)に胆を消したりして、そのつど、無我夢中で逃げまろんだ。いつか、杖も柄香炉(えこうろ)も、手になかった。生命(いのち)一つを大事に、よろ這(ぼ)い歩くのが、やっとであった。
「……おや、鉄笛(てつてき)の音(ね)がする?」
幾日目かの、途中である。
彼は、はじめて、人間の香に吹かれた。
「おじさん、どこへ行くんだね」
童子(どうじ)の方から、声をかけた。
童子は、牛の背へ、横乗りに乗っている。手には、さっきから聞えていた鉄笛が持たれていた。
「や、小僧、おまえこそ、どこから来た」
「この先の、中院(ちゆういん)からさ」
「中院」
「おじさんの泊った三清宮が麓院(ろくいん)、この峰が中院、もッともッと天上にあるのが奥院だよ。……だけど、おじさん、そんなに苦労して登って行っても、ムダだろうぜ」
「どうして」
「天師さまは、お留守だもの」
「えっ、いない? ……。そ、そんなはずはあるまいが」
「いないよ。うそじゃないよ。十日も前に、鶴に乗って、都へお出ましになってしまったんだ。なんでも、天下に悪い病が大ばやりなので、皇帝から、道教大本山の老大仙へ、ご加持のお頼みがあったんだとさ。きっと、面倒だから、天師さまの方から、鶴に乗って、ちょっくら、開封東京(かいほうとうけい)の空へ、飛んで行かれたんだろう」
「はて。どうして、きさまは、そんなことを知っておるのか」
「知ってるさ。こう見えても、人里の草刈り小僧とはわけが違う。老大仙に仕えている侍童(じどう)だもの」
「さてはそうか。では、そこへ案内してくれい。たのむ、たのむ」
「疑いぶかいなあ。いないっていってるのに。――ぼやぼやしてると、虎か大蛇(おろち)の餌食(えじき)にされちまうぜ。はやくお帰りよ、おじさん」
童子は、憐(あわ)れむような一笑をくれて、あとも見ずに行ってしまった。
洪(こう)は、半信半疑の思いで、なお行くと、なるほど、ここはまだ龍虎山(りようこざん)の七、八合目あたりだったのか、巍然(ぎぜん)として、古塔の聳(そび)えを中心に、一郭の堂廟伽藍(どうびようがらん)が、望まれだした。
足をひきずって、辿(たど)りつくと、
「洪大将でおわすか」
と、羅漢(らかん)のごとき道衆(どうしゆう)と、仙骨そのもののような老真人(ろうしんじん)(道士の師)が、門に出迎え、礼をあつく、いたわってくれた。
それはよいが、彼の蘇生(そせい)の思いも、すぐ打ち消された。ここの老真人もいうのであった。
「まことに、あいにくでしたの。われらも、今知ったのでござりますわ。――山上の虚靖(きよせい)天師がはやお留守ということを」
「そりゃ、まったくか」
「嘘か、ほんとかよりも、おん大将ご自身、なにか途中で、お気づきになりませんでしたかの」
「牛に乗った童子に出会ったが」
「やや。それは惜しいことをされましたな」
「え。可惜(あたら)とは、また何で?」
「その童子こそ、天師のご化身(けしん)だったにちがいありません」
「げっ、あれがか」
「お勅使にムダぼね折らせても、おきのどくと思われ、一瞬に、都から翔(か)け来たッて、はや立ち帰れと、おさとしなされたものでしょう」
「ああ……。そうとは、知らなかった」
「が、まあ。ご安心なさるがよい。そういう示顕(じげん)のあるからには、おん大将がご帰京ある頃には、もう天師の神妙力にて、かならず、ご勅願はかなえられているに相違ございません」
なぐさめられて、その晩は、霧深い一古殿(こでん)で昏々(こんこん)と眠った。
「この上は、ぜひもない、勅願の詔(しよう)を、上清宮(じようせいぐう)の本殿に納め奉って、一日もはやく、都へ帰ろう」
臍(ほぞ)を決めて、こう告げると、真人(しんじん)は、十人の道衆(どうしゆう)に命じて、
「お勅使を、元の上清宮まで、お送りしてあげよ」
と、いった。
洪(こう)は、十道士にかこまれて、石門を出た。歩むことやや半日。だが、これはどうしたことだ。あんなにも、幾昼夜の難所、虎や毒蛇にも襲われて登って来たものが、降(くだ)りとはいえ、坦々(たんたん)と平地を歩むような愉しさである。そして、またたくまに、宝塔仙館の甍(いらか)が霞む、以前の三清宮へついてしまった。
あくる日、詔(しよう)は、上清宮の神扉(しんぴ)深きところの、宸翰(しんかん)箱に祠(まつ)り封ぜられ、式を終って、夜は一山の大饗宴(だいきようえん)に移った。精進(しようじん)料理ばかりのお山振舞(ぶるまい)である。――これで、つつがなく下山となれば、まずは無難だったのだが、軍官僚のつねで、酒がはいると、もちまえの肌が出はじめた。何か、このまま下山しては、こけんにかかわる気でもしたのだろうか。いやに威儀ぶッていたが、ふと、まわりの雑談に、小耳をはさみ、
「なに、なに。いま申した魔耶殿(まやでん)とは、いったい、どこの閣(かく)か」
「は。お耳にさわりましたか。やはり三清宮の深殿(しんでん)の一でございまする」
「ふウむ。霊域(れいいき)の広さは、なかなか一眸(いちぼう)には出来んのだな。またと、かかる山へ参ることもあるまい。ひとつ明朝は、ここの全堂閣を、遊覧させてもらおうぞ」
「かしこまりました。ぜひ、ご巡拝のほどを」
宮司(ぐうじ)、真人(しんじん)たちは、あくる日、彼の先導に立った。そして、上清観(じようせいかん)の唐代、五代、宋代にわたる名刹(めいさつ)の建造物を見せてまわり、さいごに九天殿、紫微殿(しびでん)、北極殿(ほつきよくでん)の奥ふかい社廊をすすみ、
「右が、太乙殿(たいいつでん)、左が、昨夜申した魔耶殿(まやでん)にござります」
と、たたずんだ。
幽寂な陽(ひ)の翳(かげ)りも淡い四辺(あたり)には、どこやら谺(こだま)する小鳥の声があるだけで、何かぞくと、薄ら寒く肌に刺してくるものがある。
「ははあ、ここはもう、上清観中(じようせいかんちゆう)の奥処(おうしよ)だな」
「さようで。いちばん奥の古刹(こさつ)でございまする」
「あれなる石壁に、鉄鎖(てつぐさり)をもって、物々しい錠前(じようまえ)をかけてある門が見えるが、あれは何だ?」
「開(あ)かずの祠(ほこら)と申しつたえております」
「開かずの門か」と、洪(こう)はずかずか歩き出した。なにか、抵抗を感じたらしく見える。仰げば大絶壁。そこの裾(すそ)をくりぬいた石窟(せつくつ)なのだ。近づいてみると、かたわらの石柱(いしばしら)には、
伏魔之殿(ふくまのでん)
と、四文字が彫られてある。
「おうっ、宮司。――開けて見せてくれい、この内を」
洪は、伏魔と読み、また、不開(あかず)の門と聞いて、たちまちその傲上慢(ごうじようまん)を、むらむらと、胸に煽(あお)りたてられたらしい。
「め、滅相(めつそう)もない仰せを」
宮司や道衆は、青くなった。
彼らが、口をそろえていうには、
「――そもそも、ここに祠(まつ)られて、咒封(じゆふう)となっている魔ものは、ことごとく、世界の妖霊(まがつみ)どものみで、ございまする。仔細(しさい)を申せば、大唐(だいとう)の開山洞玄(とうげん)国師このかた、代々の老祖大仙(たいせん)が、魔ものを捕りおさえては、この石窟(せつくつ)へ封じ込めおかれたもので、みだりに開くことはなりません」
「はははは。ばかなことを」
「いやいや、お笑い沙汰ではございませぬ。もし、過(あやま)ちにせよここを開けば、窟中(くつちゆう)の魔王は、時をえたりと、人界へ躍りでて、世路(せろ)のみだれは申すもおろか、人間の智恵、内臓のうちにまで潜(ひそ)んで、長く取り返しもつくまいぞ、といわれておりまする。……されば、道法九代の間、また私も、住山三十年にもなりますが、かつてただの一度も、ここの鉄錠(てつじよう)に手をかけたためしなど、見たことはありません」
「だからこそだ。そう聞けば、なお内部へ入ってみたい」
「そ、それは、余りにも、ご無態(むたい)と申すもので」
「なにが、無態だ。なんじらの馬鹿げた迷妄を、儂(み)の勇をもって、醒(さ)ましてくるるのがなんで無態か。鍛冶(か じ)を呼んで、鎖(くさり)を切らせろ」
「どうか、その儀だけは、おゆるしを」
「ならん。いなやをいうなら、朝廷に奏聞(そうもん)して、魔霊(まりよう)を祠(まつ)るものと、公(おおやけ)にするぞ。なんじら、数珠(じゆず)つなぎとなって、上饒江(じようじようこう)の河原に、さらし首を、ならべたいのか」
言い出しては、決して、言をひるがえす洪(こう)大将ではない。都城の衛府(えふ)で、部下をが鳴ッている通りな彼になっている。
恐れわなないた宮司や道衆は、ぜひなくおろおろと、やがて秘門の扉へ、むらがり寄った。鉄槌(てつつい)から火バナが散り、石斧(いしおの)からは、異様な響きと匂(にお)いが立った。不気味な谺(こだま)、キ、キ、キ……と腸(はらわた)をしぼるような何かの軋(きし)み。――じっと、見ていた洪は、そこが開くやいな、洞然(どうぜん)たる暗やみの中へ、まっ先に躍り入って、
「どうだ、それ見ろ、何事もないではないか。なにが厳秘の門か、なにが咒封(じゆふう)か。わははは、みんな入れ」
と、両の手を、天井(てんじよう)へ突ッぱり、愉快きわまるものの如くであった。
――が、余りの暗さだ、歩いてみても何も見えない。彼は、また大声で、奥でどなった。その声は、空洞にひびき、ひとつ言葉が、二つに聞えた。
「おういっ。松明(たいまつ)をとぼせ。一同、松明を持って、儂(み)のあとから進んで来いっ」
窟(あな)は、仏体の胎内(たいない)にでも象(かたど)ってあるのか、口はせまく、行くほどに広くなり、四壁には、諸仏、菩薩(ぼさつ)、十二神将などの像が、彫(ほ)りつけられてある。
「や。あぶない」
洪(こう)は、一石碑に、つまずいた。
松明を呼んでよく見ると、ここばかりが円い広場となっている。冥々昏々(めいめいこんこん)、幾百年もの間、太陽の寸光も知らない冷土なのだ。それに六尺ほどな板碑(ばんぴ)が、にょっきと建ち、台石となっている石彫りの大亀(おおがめ)は、碑を背に載せて、千古、眠りより醒(さ)めず、といったふうである。
「こりゃ読めん。石碑(いしぶみ)の表に、何やら細々と彫ってあるが、全文、神代文字らしい。なに、裏には、ただの楷書(かいしよ)があると。どれどれ」
彼は、赤い火にいぶされながら、なにげなく、碑(ひ)の裏へ廻って、顔を寄せた。
四つの大きな文字。それは、
遇洪而開(こうにあつてひらく)
と、読まれた。
「や。洪(コウ)ニ遇(ア)ッテ開クだと? ……。はてな、洪とはおれ、おれに遇って開くとは」
なに思ったか、彼は、全身に瘤(こぶ)をこさえて、大きく唸(うな)った。そして、碑を仆(たお)せ、石亀をのぞいて、その下を掘り起せと、狂気じみた声を発した。
もちろん、人々は極力、その暴を諫(いさ)めぬいた。哀号泣訴(あいごうきゆうそ)、
「恐ろしや、恐ろしや。そのような、大それた儀は、ど、どうぞ、お見あわせ下さいませ」
と、地へ、へばッたまま、起(た)ちもしない。
「だまれっ」と、洪(こう)は大喝(だいかつ)した。「――なにが空恐ろしいのだ。見ろ、碑の文字を。……洪(コウ)ニ遇(ア)ッテ開ク、とあるではないか。すでに古(いにしえ)の神仙は、今日、儂(み)がこれへ参るのを、予言いたしておったのだ。いやだと申す者は、素首(すこうべ)をぶった斬るぞ」
剣把(けんぱ)をたたくと、人々は、もう顫(ふる)えあがって、唯々諾々(いいだくだく)と、彼の命のままうごくしかなかった。
大勢の力で、碑は仆(たお)され、石亀は数百年の眠りから揺り起された。そして、一転二転、腹を見せた石亀のまろぶ地響きと同時に、人々の足の裏から、ごうッと、大釜の湯でも沸(たぎ)るような音が聞えた。
「わッ、こりゃ深いっ」
亀を除いたあとに、大穴があいた。穴は深さ万丈、奈落(ならく)へ通じるかと思われた。いやいや、伏して覗(のぞ)いてもいられない。とたんに、地軸の底で、ぐわらぐわら、百雷に似た物音なのだ。洪(こう)大将も、人々も、
「あ――」と、耳をふさいで、のけぞッた。そも、なんであろう。すべて一瞬のことである。醒々冷々(せいせいれいれい)たる墨(すみ)のごとき濛気(もうき)が、ぶっ仆れた面々の上をかすめた。
無色無臭、濛気は見えない。が、穴の底から、噴き出しているのはたしかだ。魔の跫音(あしおと)、魔の笑い声、魔のどよめき、そういっても、まちがいではない。ごうごうの地鳴りは鳴りやまず、一震(いつしん)四壁(しへき)を裂き、また、山を震(ふる)ッて、このため、龍虎山の全峰は吠(ほ)え、信江(しんこう)上饒(じようじよう)の水は、あふれ捲いて、麓(ふもと)を呑むかと思われるほどだった。
「……ああ、これはまた、ど、どうしたことだ」
洪は、無我夢中で、石窟の外へ、逃げだしていた。いや、なにかに刎(は)ねとばされて、魔耶殿(まやでん)の橋廊(きようろう)の下まで抛(ほう)り出されたといった方が真実に近い。
とにかく、やや気がついたときでも、なお石窟は揺れ鳴っている。そして一とすじの尾を曳いた黒雲が、中天に昇ってゆくのを仰いでいると、一閃(いつせん)の赫光(かつこう)が眼(まなこ)を射、とたんに、無数の妖星と砕け散って、世間の空へ八方飛んでわかれてゆくのが見えた。
洪(こう)は、ただ、唖々(ああ)唖々(ああ)と、腑抜(ふぬ)けみたいに、手を振って、よろめき歩いた。一山の騒動はいうまでもない。だが、下手人が勅使では、罰することもならず、三清宮の院主(いんず)は、いとも嘆かわしげに、うつろな洪大将の顔へ、こう言いわたした。
「はやはや、ご下山くださいましょう。ぜひもなし、あとは虚靖(きよせい)天師のお帰りを待つのみです。したが、あの祠(ほこら)の窟(あな)には、三十六員の天星(てんこうせい)、七十二性の地星(ちさつせい)、あわせて百八の魔が封じられていたものを、あなたさまはまあ、恐ろしいことをなされたものでございましたな。物好きにも、護符(ごふ)の禁を破って、人の世の地上へ、百八の魔をばら撒(ま)いたからには、行く末、どんな世態を見ることやら、いまから身も縮む思いがされます。――せめて、以後は生涯、ご信心にでも身をお捧げなされませい」
道教では、この宇宙を、魔界と仙界の二元からなるものと観(み)て、北斗(ほくと)、太極(たいきよく)、二十八宿などの星座を崇(あが)め、それは人の世の治乱吉凶禍福の運行とも、密接なつながりがあるものとしている。
だから、天体中の徳星は、これを崇(あが)め、邪星妖星は、仙術の咒(じゆ)をもって、封じこめておく。――古来、龍虎山上清宮(じようせいぐう)の道祖代々が、そうして、せっかく人界平和のために、道行を積んできたのに、ついに今日、百八の魔星を歓呼させて、もとの世間へかえしてしまった。
「これが恐れられずにいられましょうか」
洪(こう)大将が、すごすごと下山する日も、院主(いんず)は、未来を予言して、くり返しくり返し、哀嘆してやまなかった。
「――百八の悪星とは、つまり惑星(けいわくせい)のことです。この宇宙幾万年、太陽の周(まわ)りには、億兆の星が、行儀よくめぐっていて、かりそめにもその法則をみだすことはありません。――が、惑星という奴は、例外です。常軌を行かず、申しわけに、太陽のまわりに、隠現明滅しているにすぎない。世間、人界の仕組みも、まったくその通りなのです。――それを、あなたさまには、好んで、もとの無軌道へ追ッ返しておしまいなすッた。なんとまあ、人間の業(ごう)とは、尽きない宿命のものなのか……。思うてもごらんなされ。五代の戦乱に懲(こ)りて、あんなにも、世は平和平和と渇望していたのに、その平和も、宋朝数十年、少し長つづきしてくると、もう平和に飽いているような昨今の世相ではおざらぬか。救いがたい人間性と申すべきか、平和の退屈さから、百八の魔星を甦(よみが)えらせて、ふたたび際限ない乱麻(らんま)の地上を眼に見たくでもなったものやらと思われますわい。……ああ。やんぬる哉(かな)、いくら嘆じてみても、もう追いつきませぬ」
それを聞くと、洪もさすが、戦慄を禁じえず、いくたびも耳をふさぎたくなった。勅使旗を巻いて逃ぐるがごとく帰路につき、やがて、首都開封(かいほう)の梁城(べんりようじよう)へもどって、仁宗帝のおん前に拝伏した。
帝は、彼をねぎらわれていった。
「洪信(こうしん)か。長途、大変であったろう。しかし、龍虎山の虚靖大仙(きよせいたいせん)は、勅をかしこみ、すぐ鶴に乗って都に見えた。そして、七日七夜の祈祷(きとう)を行うてくれたため、民間の疫病(えきびよう)は、たちまち熄(や)み、都府の市色も明るくなった。げに、天師の功力(くりき)のあらたかなこと、汝が帰るよりも早かったぞ。洪よ、安心せい」
思いきや、この御諚(ごじよう)である。
洪は、ひや汗をかいたが、龍顔の麗(うるわ)しさ、嘘とも思えない。もとより山で魔封を破った過ちなどは、おくびにも復命せず、自邸に退(さ)がった後は、ひとり密(ひそ)かに恟々(きようきよう)と、身を慎んで、余生を終った。
幸いに、彼が存生(ぞんじよう)中には、たいした事件もなく、世間はいよいよ泰平と無事に狎(な)れ、この間に、宋朝の廟(びよう)も、仁宗から、英宗、神宗、哲宗(てつそう)と御代(ぎよだい)四たびの世代りを見た。嘉祐(かゆう)三年以来、いつか三十余年を経たことになる。
…………。
――ここに、百八の惑星(けいわくせい)が、封を破って地上に宿命し、やがてその一星一星が人間と化(け)して、かの梁山泊(りようざんぱく)を形成し、ついに宋朝の天下を危うくするという大陸的構想の中国水滸伝(すいこでん)は、以上の話を発端として、じつに、この年代から物語られてゆくのである。
それを、日本の史に照らすと、わが朝(ちよう)では、鳥羽、崇徳(すとく)天皇の下に、不遇な武者どもを代表していた平忠盛(ただもり)や清盛などが、やがての平家時代を招き興(おこ)そうとしていた時代の晨(あした)にあたっている。
東洋の風土、東洋の文物、東洋の人種、すでに遣唐使(けんとうし)このかたは、東洋一環の交流もあって、いわば一葦帯水(いちいたいすい)の、遠からぬ大陸であったものの、時運の暗合は、なにか偶然でないものを覚えしめるではないか。
哲宗(てつそう)皇帝の寿隆(じゆりゆう)五年であった。
朝廟(ちようびよう)のうちには、このところ、不穏なうごきが見えぬでもない。権臣の陰謀だの、皇后を廃して追うなど、咲き熟(う)れた花の腐(す)えが、そろそろ、自然の凋落(ちようらく)を急ぐかに思われた。そんな爛熟(らんじゆく)末期の相は、梁東京(べんりようとうけい)の満都の子女の風俗にさえ目にあまっていた。
だが、庶民は依然、太平楽だった。何が醸(かも)されていようと、宮廷の内事などは、隣家の夫婦喧嘩ほどな興味でもない。――それよりは、その日、彼らが踵(きびす)を次いで馳け出して行った先の方が、よほど大変な事件らしかった。
「なんだ、なんだ? 百叩(たた)きか」
「そうらしい。笞(むち)を食ッて、所払いにされる悪党が、いま、役人に曳(ひ)かれて行った」
街城(がいじよう)の門は、人だかりで、まっ黒だった。
見ると二十五、六歳の遊び人態(てい)の男が、刑吏に引きすえられ、一(ひ)イ二(ふ)ウ三(み)イ……と数を読む青竹の下に、ビシビシ撲(なぐ)りつけられている。
「やあ、あれは高毬(こうきゆう)じゃないか」
「おお、ちげえねえ、高毬だ。かわいそうに、高(こう)も、とうとう年貢(ねんぐ)の納めどきに会いやがったぜ」
まだうら若い追放者だが、彼を知らぬ者はないらしい。
無職である。だが、この東京(とうけい)には、親代々からいた旧商家の息子で、姓を高(こう)、名を二郎という道楽者。――親に似て、家産は失っても、糸竹(いとたけ)の道に長じ、歌えば美声だし、書道、槍術、棒、騎馬、雑芸、何でも器用だった。わけて“賭(か)け蹴毬(けまり)”は名人といわれている。
表向き、狭斜(きようしや)の巷(ちまた)で、幇間(ほうかん)(たいこもち)めかした業をやっていたが、喧嘩出入りが好きで、一面、男だて肌な風もある。もちろん、悪事の数々もやって来たろう。その積悪がバレた末、ついに今日のお仕置きの破目となったにちがいない。
――で、さっきから、青竹を振ッて、
「八十っ、八十一っ。……九十っ、百ッ」
と、高(こう)の背なかへ、一打ちごとに、数を叫んでいた獄卒が、百をさいごに、ほっと身を退(ひ)きかけると、
「こらっ、待て。まだ百打(だ)は打ッていないぞ。なぜサバを読むか。さては、なんじら皆、追放人の高(こう)から、賄賂(わいろ)をもらっておるな」
と、あたりで黙認している刑吏までを、こう叱咤(しつた)した人がある。それは、禁軍の兵に、棒術の師範をしている王昇(おうしよう)という武士で、立会いのためこれへ臨んでいたものだった。
収賄(しゆうわい)は、刑吏のつねで、その方こそ正しい実収入(み い り)だとして、悪徳とは考えもせぬ彼らだが、こんな人なかで、白昼、面(めん)といわれては、いくら彼らでも立つ瀬はない。そこで、いくらかの抗弁はこころみたものの、相手は、役職も上だし、禁門の王(おう)師範とあっては、役人面(づら)の権柄(けんぺい)も歯が立たなかった。
「じゃあ、王師範が、よしというまで、叩きましょう。お数えください」
結局、また四十幾つまで、青竹で高(こう)の五体を、打ちすえた。
「よしっ、追ッ放せ」
王昇がいうと、初めて、高の縄が解かれた。高毬(こうきゆう)は、よろめき起った。
街城(がいじよう)の門から追われると、四県を所払いされ、再び都の土は踏めない。高は、あちこちミミズ腫(ば)れになった肌を撫でながら、いまいましげに、王昇の姿を振りむいた。
「……覚えてろ。棒使いのでくの棒め。てめえの前身だって、まんざら知らねえ高さんじゃねえんだぞ」
かくて彼は、身ひとつ、淮西(わいせい)の商市臨淮(りんわい)(安徽(あんき)省)へ流れてゆき、土地の顔役の柳世権(りゆうせいけん)の部屋で、およそ三、四年ほど、ごろついていた。
そのうちに、天下大赦(たいしや)の令があった。
元々、軽罪なので、高毬も恩典に浴したが、そうなると、矢もたてもなく、東京へ帰りたくなった。が、帰っても、さっそくの職はなし、さて、どうしたものと、柳(りゆう)に相談すると、
「じゃあ、おれの親戚の董(とう)へ手紙を書いてやろう。それを持って帰んなさい」
と、いってくれた。
四年ぶりで、高は古巣へ舞い戻った。――さっそく、手紙を持って、城内金梁橋(きんりようきよう)の近くという宛名(あてな)の人をさがし歩いた。
「ははあ、この店だな、董将士(とうしようし)の家は」
構えも立派な薬種(くすり)問屋である。
主(あるじ)の董に会って、柳の手紙をしめすと、董は彼の前身も問わず、ふたつ返事で、のみ込んだ。
「そうですかい。四年も臨淮(りんわい)においでなすっては、生れ故郷の王城でもご不案内におなんなすったはむりもない。てまえどもは、商売がら、諸方の官家へもお出入りしておりますから、そのうち、なんぞお勤め口でも心がけましょう。ま、ごゆっくりなすって下さい」
高(こう)は、好意を謝して、半月ほど逗留(とうりゆう)していた。その間に、彼の多芸や才気煥発(かんぱつ)な質を見たものか、ある日、董が紹介状を書いて、
「どうです。いつまで、遊んでるのももったいないでしょう。ひとつ、これを持って、てまえの極くお親しくしている学士さまの所へ行ってみませんか」
「いやありがとう。職につけるものなら、ぜいたくは申しませんよ」
高は、小蘇(しようそ)学士の門をたたいた。
だが、この学究は、ちょっと、眉をひそめた。学者暮らしは楽でない。わけて、話しこんでみると、自分とは肌合いの違う人間でもある。――といって、義理のある董の依頼では、断りもならず、といった顔つきで、
「むむ。まあ今夜は、邸(やしき)へお泊んなさい。そして何だな、明日、わしが紹介して進ぜるから、王晋卿(おうしんけい)さまのお館(やかた)へでも一つ伺ってみるんだな。先ごろ、ご近習(きんじゆ)の気のきいたのが一人欲しいようなことを仰っしゃっていたから、御辺(ごへん)の運がよければ、多分、採用になると思うがね」
すこぶる頼りない口吻(こうふん)だが、ともかく、次の日、高はその王晋卿を訪ねてみた。だが、その華麗な館門の前に立つと、さしも横着者の彼も、二の足をふんでしまった。
ここは宮家(みやけ)である。現天子の婿君(むこぎみ)で「王大将ノ宮」と、世間でいっているのが、すなわち当の晋卿らしい。
「はて、どうしよう。小蘇(しようそ)学士め、ていよく俺を追っ払うため、寄りつけもしないこんな王家へなど、紹介したのかもしれねえぞ。……ええ、ままよ。物事は当って砕けろだ」
持ち前の度胸をすえて、高は、ずかずかと門内へ進み、わざと咎(とが)められるのを待った。そして番士に捕えられ、やがて出て来た公卿侍(くげざむらい)へ、蘇学士の書状を手渡して、ことばすずやかに、こう告げた。
「決して、怪しい者ではありません。職を求めに伺った者で、職能には自信があります。ご採否にかかわりなく、なにとぞご試験をたまわりますよう、よろしくお取次ぎを仰ぎます」
折ふし、大将ノ宮は、奥まった閣の内で、この春の日をしょざいもなく、生(なま)欠伸(あくび)をもよおしていらっしゃるときだった。これや、高毬(こうきゆう)の開運の目であったのである。取次の言を聞き、また、小蘇学士が、心にもなく認(したた)めた一書を見ると、
「ふウん。そりゃ面白そうな書生じゃないか。なに、書生とも見えぬと。……ま、どちらでもよろしい。退屈しのぎじゃ、ひとつ会って、試験してやろう。まろ自身、その人物を見てくれる。これへ伴(つ)れてこい」
と、横たわっていた美しい榻(とう)(細長い床几(しようぎ))から身を起して、冠(かんむり)の纓(えい)(ひも)を、ちょっと正した。
毬使(まりつか)いの幸運は九天(きゆうてん)に昇り、風流皇帝の徽宗(きそう)に会うこと
世の才子肌にも、とかく鼻につく小才子風と、ことば少ない誠実型との、ふたつがある。
高毬(こうきゆう)ほどな男とて、そのへんの挙止(きよし)はさだめし心得ていたことだろう。王大将ノ宮から直々の試問をうけても、彼は、自己の才をすぐ喋々(ちようちよう)とひけらかすようなまねはしなかった。あくまで初心(う ぶ)で謹直な好青年のごとく、初対面の貴人へ印象づけた。
「なるほど、小蘇(しようそ)学士の吹挙(すいきよ)だけあって、この書生なら、当家の近習(きんじゆ)に加えても恥しくはないな」
王大将ノ宮は、高(こう)を一見されるや、すっかり気に入ってしまったらしい。侍臣の列をかえりみては、
「どうだな。おまえたちはどう思う。この男、なかなかよい人相をしているではないか」
などと品評したりして、即座に、お召抱えと、事はきまった。
こうして、市井の一放浪児にすぎない高毬は、はしなくも現天子の馬(ふば)(天子の婿(むこ)たる人の官名)王晋卿(おうしんけい)の館(やかた)に仕える身とはなった。
まことに“犬も歩けば棒にあたる”みたいな幸運というほかはない。しかし、幸運に会しても、よくその幸運を生涯に活(い)かしえない者はいくらもある。その点、彼は以後、水をえた魚のようなものだった。つつんでいた才気は徐々(じよじよ)に鋭鋒(えいほう)をあらわし、その多芸な技能は、やがて王大将のおそばには、なくてならない寵臣(ちようしん)の一名となっていた。
そしてこの頃から、名も、高(こうきゆう)とあらためた。毬(きゆう)の毛偏(けへん)をとって、偏(にんべん)の(きゆう)に代えたのである。
そのうち、ある年のこと。――当主、王馬(おうふば)の誕生祝いとあって、ここの亭館には、華麗な車駕(しやが)が門に市をなした。花の楼台(ろうだい)には、楽手(がくしゆ)や歌姫がならび、玻璃銀盤(はりぎんばん)の卓には、珍味が盛り飾られて、朝野の貴紳があらゆる盛装を競ッていた。中でも、一きわ目につく貴公子は、どういう身分のお人なのか、
「九ノ宮、九ノ宮」
と、宴の上座にあがめられた。そして王大将の家族や来賓(らいひん)の男女から、下へもおかぬ侍(かしず)きをうけつつ、琥珀(こはく)のさかずきに紫府(しふ)の名酒が注(そそ)がれるたび、しきりに、酔をすすめられている様子だった。
その上、この君の眉目の麗(うるわ)しさは、金瓶(きんぺい)の花も、玉盤(ぎよくばん)の仙桃の匂いも、色を失うほどであった。だから、やがてのこと。教坊府(きようぼうふ)の妓女(おんな)たちが、演舞の余興をすまし終ると、たちまち、彼女らの紅裙翠袖(こうくんすいしゆう)は、この貴公子のまわりへ争って寄りたかり、
「ま、端王(たんおう)さま。いつになく、お澄ましでいらっしゃいますこと」
「今日はご主客でしょうが、なにもそんなにまで、よそ行き顔をなさらないでも、およろしいでしょう。もすこし、お過ごしあそばしませな」
などと、牡丹(ぼたん)をめぐる蝶のように、戯(たわむ)れかかった。
「ははは。そうかね。そんなに澄まして見えるかなあ」
九ノ宮の端王(たんおう)は、上品な苦笑のうちに、ほどよく群蝶の攻勢をあしらッておいでになる。だが、日頃の行状には、ずいぶん弱味がおありとみえて、彼女らの口封じには、ひと骨折られたご容子(ようす)だった。それをまた、陪席(ばいせき)の来賓はみな、おかしげに眺め合って、しばしば、楽堂(がくどう)の胡弓(こきゆう)や笙(ふえ)の音も、耳に忘れるばかりな歓声だった。
誕生祝賀の日から、まもない後のことである。
「高(こうきゆう)。――この贈り物をたずさえて、九ノ宮の御所へ、ちょっとお伺いしてまいれ」
王大将のいいつけで、彼はその日、端王の御所へ、使者として向けられた。
もとより、高は、何もかも、わきまえている。
過日の誕生祝いの折、端王が休息された書院で、ふとお目にとまった文房具がある。玉(ぎよく)の龍刻(りゆうこく)の筆筒(ふでたて)と、獅子の文鎮(ぶんちん)とであった。
「――そんなにお気に召したのなら、後日、お届けさせましょう」と、王大将がそのさい端王へお約束していたのを、高は側で聞いていたのである。
贈り物とは、その二た品に違いない。高は、この日の使いに、何か、会いがたき機会にめぐまれた思いと、晴れがましさを抱いて行った。
なにしろ、端王と申しあげる君は、先帝の第十一皇子で、今上(きんじよう)哲宗皇帝の弟君にあたられ、東宮(とうぐう)(皇太子)のご待遇をも受けておられるお方なのだ。いや、高が内々、この君へ傾倒していたわけは、教坊の妓女(おんな)たちが、あんなに騒いだのを見てもわかる通り、たいへん粋(すい)な貴公子だと、かねがね聞いていたからでもあった。
琴棋書画(きんきしよが)の雅(みや)びは、もちろん、管絃の遊び、蹴鞠(けまり)、舞踊、さては儒仏(じゆぶつ)の学問も、つまびらかなうえ、市井(しせい)の人情にもつうじている風流子(ふうりゆうし)であるとは、この開封東京(かいほうとうけい)の都で、たれ知らぬ者もない評判なので、彼は、
「なんとか、いちど、とっくりお話をしてみたいものだ。その道にかけての極道(ごくどう)百般(ひやつぱん)を、この高から聞こえあげたら、かならず又(また)なき者と、お目をかけてくださるに違いないが」
と、こころひそかに、久しいこと、野望していたものだった。
東宮御所は、梁(べんりよう)城の一郭。つつしんで府門へさしかかると、衛兵が、
「いずれから?」
と、威厳もなかなか他(よそ)とはちがう。
「王大将のお使いとして、九ノ宮へ奉るおん贈り物をたずさえてまいった者です」
と聞いて、衛兵はすぐ門をひらいてくれた。で、彼は悠々と内へ進んでいったが、さらに中門(ちゆうもん)の侍郎(じろう)へむかって、訪れを再びした。
中門の役人は、ていちょうに、
「それはご苦労でした。したが唯今(ただいま)、殿下には、おん鞠場(まりば)へ出て、公卿輩(くげばら)を相手に、蹴まりに興じておられますゆえ、しばらく、その辺でお待ちくださらぬか」
と、いう。
「あ。鞠場でいらせられますか」
鞠とあっては、彼の特技、聞き捨てにならない。
高(こう)はつい、つばを呑むような顔して言った。
「蹴鞠(しゆうきく)は、それがしも、好む道でございますが、よそながらでも、御所のおん鞠場の景を、拝見できぬものでしょうか」
「おやすいこと。ならば、ご案内いたしましょう」
林苑(りんえん)を縫って行き、やがて、明るい広場へ出ると、はや快い鞠の音が耳につく。
いずれも鞠好きな、上流の貴紳や姫君や公達(きんだち)ばらに相違ない。広やかな鞠の坪(つぼ)をかこんで、ある一組は、榻(とう)や椅子(いす)に寄り、ある一群れは芝生に脚を伸ばしたりして、競技を観ているところであった。
高も、そっと、それらの薫袖(くんしゆう)のなかに立ちまじって、よそながら見物していた。
すると今、一と競技終ったらしく、次のどよめきの後から、端王の姿が“懸ノ(かかり)木”の下に立つのが見えた。――見るからに軽快な鞠装束(まりしようぞく)である。薄紗(うすしや)の唐巾(とうきん)で髪をとどめ、袍(ほう)(上着)は白地きんらんに紫の繍(ぬい)の華文(けもん)、袂(たもと)に飛龍(ひりゆう)をえがかせ、鳳凰靴(ほうおうか)(くつ)を足にはいておられる。そして、相手方の備えを見て、
「よいか」
と、いったと思うと、いま、懸(かか)りの中央へ、侍者(じしや)が据(す)えた鞠へむかって、つかつかと進み出られた。
位階に従って、まず高貴な人から、第一を蹴り、以下順々に、二座三座四座と、八本の“懸ノ(かかり)木”に備えている敵手へ蹴渡してゆくのである。さすが、端王の技は、皇族らしくきれいで、しかも、受けにも渡しにもそつがなかった。
ところが、どうした過(あやま)ちか、一人の靴先から外(そ)れた鞠が、いきなり見物の方へ飛んできた。
「ア。あぶない」
頭上に見舞われた人々は、群れを割って、こけ転(まろ)んだ。しかし、ちょうど近くにいた高(こうきゆう)は、得たりとばかり跳び寄って、ぽーんと、その鞠をはるか端王の方へ、蹴わたした。
「おっ、見事」
彼方(かなた)で谺(こだま)のように声がした。
つづいて、おなじ声のぬしが、高の姿に、すぐ目をつけたとみえて、こう呼んでいた。
「いまの鞠を蹴った者。これへまいれ」
「はい」――と、高は進み出た。
「なんじか」
「おゆるし下さいませ。日頃、好める技(わざ)とて、つい場所がらのわきまえも失って」
「いやいや。とがめるのではない。そちが蹴ったいまの手は、毬法十(きゆうほうじつてき)の秘術のうちでも、もっとも難かしい鴛鴦拐(えんおうかい)の一ト手と見たが」
「さすが、お目が高くていらせられます」
「いったい、そちはどこの何者か」
「王馬(おうふば)さまの近習、高(こうきゆう)にござりまする。じつは、主人の御命(ぎよめい)にて」
と、さっそく、筥(はこ)の二品を、そこへ供えて、使いのおもむきを申しのべた。――が、端王は、贈り物のそれよりは、むしろ高の鞠(まり)の妙技に魅せられてしまった様子で、
「よしよし、委細は、後で聞こう。それよりは、そちの技(わざ)を、もう一ト渡りここで見せい」
と、たって望んだ。
求められるまでもない。高は、千載一遇のときと、思わず頬にのぼる紅を制しきれなかった。けれど、どこまでも謙譲(けんじよう)を装(よそお)って、再々辞退したが、端王のおゆるしがないので、
「では、ほんの素人(しろうと)技(わざ)の嗜(たしな)みに過ぎませぬが」
と、中央へすすみ出て、毬(まり)十法、ひと通りの型を演じてみせた。
肩技(かたわざ)、背技、膝技から、尖飛(せんぴ)、搭舞(とうぶ)ノ法などと呼ぶ五体十部の基本の上に、八十八法の細かい型があって、飛燕(ひえん)、花車(かしや)、龍(りゆうびん)、搏浪(はくろう)、呑吐星(どんとせい)、などさまざまな秘術もある。――もとより高は、その道の達人であるばかりでなく、市井の間漢(かんかん)(定職のない遊び人)だったころは、のべつ賭(か)け毬(まり)に憂(う)き身をやつして、高(こう)二郎と人は呼ばず、高毬(こうきゆう)というあだ名で通って来たほどな男なのだ。いわゆる堂上遊びの、甘い芸とは、鍛(きた)えがちがう。
端王初め、人々が、
「あな、みごと。神技よ、神技よ」
と、ただただ嘆声のほかなかったのは、当然すぎる当然なことだった。
毬(まり)の庭もいつか黄昏(たそが)れた。やがて、閣廊(かくろう)の灯おぼろなころである。高は、あらためて、端王の御前に召されていた。
奉呈の文房具に、端王が、よろこびを見せたのはいうまでもない。だが、言葉はすぐ、べつなほうへ移ってゆく。
またしても、毬の話なのだった。そして、とつぜん、こうも仰せられた。
「高(こうきゆう)。これからは朝夕に、まろの師となって、そちの妙技を教えてくれい」
「おそれいりまする。貴尊のお方に、師などと仰がれる身ではございませぬが」
「そして、今日以後は、この東宮(とうぐう)にいるがよい。もう王馬(おうふば)の館へは帰るに及ばん」
「や、それは困ります。私にとっては、大事なご主君。二君には仕えたくございません」
「いや、すでに先刻、王馬のおん許へ使いをつかわし、高をわが家の臣にゆずッてたまえと、ご諒解を願うてある。馬はまろが義兄、いわば一門と申すもの。そちの義心は尊いが、決して、義が欠けるわけではない」
「では、それほどに」
高は、感泣にふるえるがごとき姿をした。
かくて彼は、東宮付きの一員となりおわせ、日がたつほど、端王の重用(ちようよう)いよいよ深かった。
元来、俗才に富み、諸芸百般通ぜざるなし、という道楽者上がりの高(こうきゆう)が、風流公子とはいえ、世間知らずのお若い東宮に侍(かしず)いたのであるから、これはいってみれば、彼が得意とする毬(まり)を掌(て)の上に乗せたようなものだった。
ところが。
この幸運の毬は、まだまだ、どこまで彼の掌(て)にその幸(さち)をもたらしてくることか。
――それから僅か半年後。現皇帝の哲宗が崩御(みまか)られた。しかるに、じつの皇太子がおわさぬまま、文武百官の廟議(びようぎ)は紛々(ふんぷん)をかさねたすえ、ついに端王を冊立(さくりつ)して、天子と仰ぐことにきまった。
じつに人の運はわからぬもの。これぞ、玉清教(ぎよくせいきよう)主微妙道君(しゆみみようどうくん)、宋朝八代の徽宗(きそう)皇帝とも世の申し奉った君だった。
徽宗は、東宮時代から、すでに風流公子たるの素行が見えていたように、帝位に即(つ)いてからも政治には関心が薄かった。
しかし、絵画、音楽、建築、服飾など一面の文化は、このとき一倍の絢爛(けんらん)を咲かせた。徽宗自身も、絵筆をもてば、一流の画家であり、宮中の宣和(せんな)画院には、当代の名匠が集められた。
また、印刷の術が進み、書籍の版行も普及され、街には、まだ雑劇の揺籃期(ようらんき)だが、演劇も現われ、すべて宋朝の特長とする文治政治はこの前後に或る頂点を示したといってよい。
けれど、文治のなかには、王安石(おうあんせき)一派の急進的な改革論をもつ者と、保守旧法にたてこもる朝臣とが、たえず廟(びよう)に争っていたので、徽宗の代には、もうその内面に分裂と自解の、ただならぬ危機を孕(はら)んでいたのである。――にもかかわらず、徽宗は依然、風流皇帝であった。
道教(どうきよう)をもって、国教とし、自分も教主となって、保護につとめた。全国から木石禽獣(きんじゆう)の珍奇をあつめ、宮殿の工には、民の塗炭(とたん)もかえりみもしない。当然、苛税(かぜい)、悪役人の横行、そして貧富の差は、いよいよひどく、苦民の怨嗟(えんさ)は、四方にみちてくる。――時運は徐々におだやかでなく、遼(りよう)を亡ぼした金(きん)(満州族)は、やがて太原(たいげん)、燕京(えんけい)を席捲(せつけん)して、ついに開封城(かいほうべんじよう)の都にせまり、徽宗(きそう)皇帝から妃(きさき)や太子や皇族までを捕虜として北満の荒野に拉(らつ)し去った。そして、徽宗はそこで、囚人同様な農耕を強(し)いられ、ついに帝王生活の悲惨な生涯を終えるにいたるのである。
徹夜ノ西風ハ破扉(ハヒ)ヲ撼(ユルガ)シ
蕭条(シヨウジヨウ)タル孤屋(コオク)、一燈微(トウカス)カ
家山、首(コウベ)ヲ回(メグ)ラセバ三千里
月ハ天南ヲ断(タ)チテ、雁(カリ)ノ飛ブ無シ
これは、北満の配所で、徽宗自身が、皇帝たる自身の末路を詠(えい)じた一詩だ。
いや、おもわず、これは余りに、先の先をちと語りすぎた。
徽宗の終り、北宋(ほくそう)の崩壊(ほうかい)などは、ここでは、まだまだ二十五年も後のことである。水滸伝は一名を北宋水滸伝ともいわれるように、徽宗皇帝治下のそうした庶民世間の胎動(たいどう)をえがいた物語なので、前提として、時勢の大河がどんな時点を流れていたか、それだけを知ればよい。
さて。話を元へ返すとしよう。
――新皇帝の即位とともに、高(こうきゆう)もまた、朝(ちよう)に入って、帝の侍座(じざ)となったのはいうまでもない。毬(まり)はついに九天にまで昇ったわけだ。
そして、帝の重用(ちようよう)はいよいよ厚く、彼の上には栄進が待つばかりで、やがて幾年ともたたないうちに、殿帥府(でんすいふ)ノ大尉(だいい)(近衛の大将)とまでなりすましてしまった。
ときに、その叙任(じよにん)を見てから早々のことだった。
高(こうきゆう)は、禁門八十万軍の軍簿(ぐんぼ)を検して、部班(ぶはん)の諸大将から、旗幟(きし)や騎歩兵を点呼するため、これを城(べんじよう)の大練兵場にあつめたが、その日、彼は、
「はてな」
と、巡閲中(じゆんえつちゆう)の駒をふと止めて、鉄甲燦然(てつこうさんぜん)と整列している諸将の面々を見つつ、何かいぶかしげな顔をした。
「軍書記」
「はっ」
「おかしいな。もういちど、その花簿(かぼ)(職階の名簿)を読みあげてみい」
「はっ」
随身(ずいじん)の一名が、軍奉行から簿(ぼ)を取って、列将の姓氏をふたたび点呼してゆくと、簿名(ぼめい)にはありながら、ここには見えない一将があった。
「それみい、一名欠けておるではないか。今日の閲軍(えつぐん)に、あるまじき不届きな沙汰」
「何とも恐れいりまする」
「かかる軍紀の弛(ゆる)みが見ゆればこそ、皇帝も特にこの高へ重任を命ぜられたものではある。しかるに、出頭(しゆつとう)の簿(ぼ)へ名をのぼせながら、今日の馬揃(うまぞろ)えに、姿を見せぬやつがおるとは奇ッ怪千万。そも何者だ、そやつは」
「禁林軍の教頭王進(きようとうおうしん)にござりまする」
「兵の師範たる職とあっては、なおゆるし難い。ただちにその者を召捕ってこい」
「いや、王師範は、日頃とて、決して懶惰(らんだ)ではございません。数日前から、何か病中にあるよしで」
「だまれっ。武将たる身が、いささかの病などに、大事な一日を欠くことがあろうか。もしこれが、まことの出陣だったらどうする。察するに、この高の就任をよろこばぬものか、あるいは軍命をかろんじておるものに相違ない。――すぐ行けっ。折りもよし、軍紀振粛(しんしゆく)の要もある」
高は、こう激語して、馬蹄(ばてい)を蹴らせた。そしてすぐ副官や随身将校の騎馬をしたがえて、次の巡閲に移っていた。
教頭の王進(おうしん)、追捕(ついぶ)をのがれ、母と千里の旅に落ちゆく事
棒鎗術(ぼうそうじゆつ)の名人として、王進(おうしん)の名は遠近に高い。
父王昇(おうしよう)の代から都軍(とぐん)に仕官し、兵へ武芸を教え、家は城下の一隅にあって、ただ一人の母とともに、何事もなく暮していた。
が、その日、病(やまい)で寝ていた彼の室へ、
「即座に出頭せよ」
という高(こうきゆう)の厳命が、つたえられた。
迎えに来た兵は、みな日頃の弟子である。否(いな)めば、彼らの立場がなかろう。王進は、病床を出て身じたくした。
「母上、ご心配くださいますな。こう起きてしまえば、さほどでもありません。新任の近衛(このえ)将軍のお怒りはごもっとも。よくおわびいたして戻りますれば」
兵に囲まれて出て行く子を、彼の老母は、憂れわしげに、門の外へ出て見送っていた。
近衛府では、閲軍式(えつぐんしき)も終わって、そのあと、高(こう)新将軍の就任祝いの酒が下賜され、営門や幕舎は沸(わ)いていた。
「申しわけがございませぬ」
王進は、高の前に伏して、こう詫(わ)びた。
「ほかならぬ日、病躯(びようく)を押しても出仕をと存じましたが、何ぶん一人の母が余りにも案じますので、つい親心にほだされて、参列を怠りました。どうぞいかようにもご処分のほどを」
「いうまでもない。この高が禁門軍の上に臨むからは、昨(さく)のごとき、軍の弛緩(しかん)は断じてゆるさん。まずもって、汝のような軍を紊(みだ)す似而非(え せ)武士から糺(ただ)すのだ」
「あいや、似而非(え せ)武士とは、ご過言でしょう。また、軍を紊(みだ)せりとは、何をもって」
「だまれっ。呼び出せば、こうして、歩いてもこられる体ではないか。それが仮病(けびよう)の証拠でなくてなんだ。また、かかる軍廷において、親の母のと、すぐ泣き落しの口実を構えおるが、そもそも、汝の父親が、前身何者かぐらいなこと、百も承知せぬ高ではないのだぞ」
「似而非(え せ)武士とは、それ故のご放言ですか」
「おおさ。汝の父王昇は、後には、棒術をもって、禁門兵の師範へお取り立てにあずかったが、それ以前は、都の路傍に立って、棒振り技(わざ)を見物に見せながら薬を売っていた者ではないか。その頃の汝は、薬売りの父のそばで、貧しい銭(ぜに)をかぞえていた小せがれだったわ。……こらっ、王進っ、面(つら)を上げろ。いつのまにか、旧(ふる)きを忘れて、近頃、思い上がっておったな」
「…………」
「はははは。二言とないざまは笑止千万だ。やよ、幕僚たち、諸人の見せしめに、こやつをすぐしばり首にしてしまえ」
猛(たけ)る高の前に、人々は王進をかばって、こもごもに、なだめたり、詫びたりした。
「まあ、お待ちください。せっかくのお慶(よろこ)びに、しばり首を見るのも、不吉ではございませぬか」
「罰は罰として、後日、きびしいお沙汰あればよいでしょう。ひとまず、今日のところは、ご猶予ねがわしゅう存じます。満庭の兵も、あのように、みな酔歌(すいか)して、ご就任を慶(けい)しておる時でもありますれば」
「うむ。それも一理はある……」
高は、ちょっと、うめいた。自分の慶事である。その就任日に、やはり不吉は見たくなかったらしい。
王進は、一時解かれて、帰ることをゆるされた。
もちろん、家の出入りには、番兵がつき、邸は「沙汰ある日まで」の囹圄(れいご)だった。
墨(すみ)のような夜気(やき)の真夜半。――王進はそっと室を這い出して、母の枕をゆり起した。
「……母上、ちょっと、お眼をおさまし下さい」
「オオせがれ。そなたも、夜ごと眠れないとみえますね」
「なんの、王進は元来の暢気者(のんきもの)ですよ。決して、これしきのことに腐りはしませぬ。けれど、母上のお悩みが察しられますので」
「わたしはいい。わたしのことよりは、どうかおまえ一身の助かる道を考えておくれ」
「ところが、どうもいけません。どう考えても、こんどは高(こうきゆう)に命を召し上げられそうです」
「そなたが死んだら、わたしも生きてはいません。けれど、たくさんな門人衆が、助命の嘆願をして下さるでしょうし、それに何も、死に値(あたい)するほどな大罪でもないんだから」
「いやいや。ふつうなら、そういえもしましょう。ところが、絶体絶命。この胸へ、どきんと来たことが一つあるのです」
「お、おまえは、まさか、反軍の陰謀などを企(たく)らんでいたんじゃないだろうね」
「とんでもない。そんな仔細ではございません。じつは、新しい近衛ノ大将軍高とは、どんな人物かと思っていましたら、なんと、彼の口から、私の父王昇のことが言いだされたのです。……はて、堂上人(どうじようびと)のくせに、父王昇が巷(ちまた)で零落(れいらく)していた時代の姿を知っているのはいぶかしいと……拙者もじっと彼の面体(めんてい)を見てやりました」
「えっ、おまえのお父さんの前身を知っていたのかえ」
「知ってるはずですよ。拙者はまだ子供の頃でしたが、この開封の都で、名うてな道楽者がおりました。そいつは蹴毬(けまり)の達人で、名も高毬(こうきゆう)といわれていた野(の)幇間(だいこ)の遊び人。……どうでしょう母上、それが今日の禁林八十万軍の新大将高(こうきゆう)だったのです」
「まあ。そんな、ならず者がかえ」
「……しまったと、拙者はそのとき観念しました。というのは、当時のならず者高毬が、四県追放となって、街門(がいもん)の人中で百叩きになった折、父の王昇は、もう仕官の身でありましたから、刑吏について、立ち会っておりました。すると、街の噂では、そのときの父の処置に、高毬がたいそう父へ怨みをふくみ、いつかはこの仕返しをするぞと、捨て科白(ぜりふ)を吐いていったとか。もう……十何年も昔のことですが、その記憶がハッと戸胸(とむね)へきましたので、ああこれはいけないと、即座に、自分の死が見える気がしたのです」
「せがれよ、どうしようぞ。わたしも亡き良人(つ ま)から、むかし聞いていた覚えはあるが」
「あいや、うろたえ遊ばすな。幸い、一時家に帰されて、母上のお顔を見たので、拙者も、死んでたまるかと、心を持ち直して、一策を案じました。さ、さ……すぐお身支度にかかって下さい。父上からの思い出多い家ですが、邸(やしき)を捨てて、遠くへ落ちのびましょう」
「だ、だっておまえ、邸(やしき)の前後には、番兵もいるし、天下のお尋ね者になったら」
「番兵の頭(かしら)、張(ちよう)と李(り)の二人は、拙者の日頃の門下です。罪の軽くすむように、母上と共に、郊外の御岳(みたけ)の廟(やしろ)へ、祈願をこめに行って、夜明けぬうちに戻るからと頼めば、彼らもきっと、見ぬふりをしてくれるにちがいありません」
老母の分別としても、今は、いちかばちかを賭(と)すしかない。目立つ物は何一つ身につけず、息子の背に負われて、裏門から忍びでた。
番兵頭(がしら)の李と張は、知らぬ顔して、見のがしてくれた。――王進は、深夜の底を走って、西華門へかかった。ここにも彼の弟子がいる。わけを偽(いつわ)って、通してもらい、そのうえ一頭の馬を借りて母を乗せて、自分もその鞍尻(くらじり)に跨(また)がった。
「ああうまくいった。母上、もう大丈夫です。まだ、追手も見えません」
「けれど、おまえ、これから何処をさして?」
「延安(えんあん)ノ府(陝西(せんせい)省)へまいりましょう」
「え、陝西の延安へ」
「そうです。あそこの府境の城に、経略(けいりやく)(城代の官名)として国防の任に当っているお人は、老(ろうちゆう)と申されますが、その部下には、都で拙者が棒鎗(ぼうそう)を教えた者がたくさんおります。それに(ちゆう)その人とも、よく文通などもしている仲ですから」
「さぞ、遠くであろうの。延安の空は」
「黄河の西、長安(ちようあん)の古都の北、なにせい、旅はやさしくはありません。ご辛抱くださいませ」
「おお、どんな難儀とて、わが子と二人なら、忍べぬことはない」
「この王進も、母上を抱いているのが、百人力のここちです」
逃亡の旅は、風に追わるる如く、野に伏し山に伏して、かさねられてゆく。
まだ、駅路(うまやじ)も都から遠くないうちは、その後、高(こうきゆう)の激怒が、官布となって、諸道国々の守護へたいし、罪人王進の逮捕(たいほ)を督(とく)すこと頻りであるとも聞えていた。しかし、やがて大陸の渺々(びようびよう)たる野路(のじ)山路は、いつか、旅の母子に、後ろの不安も、思い出せぬほどな遠くにしていた。
「……さて、日も暮れたが、ここは何という村か」
王進は、トボトボと疲れを見せてきた馬をあやして、あちこち、宿をさがし求めた。
「どうも、旅籠(はたご)はないようですな、母上。あそこの柳圃(やなぎばたけ)の奥に、四方築土(ついじ)の門が見えますが、ひとつ、あそこへでも宿をたのんでみましょうか」
「村の大庄屋さまらしいが」
「かまいませんよ。私におまかせ下さい」
柳の一樹に、母の駒をあずけ、王進は門へ入って、一夜の宿をたのんだ。
「お。……えらい荘院(そういん)(御大家)だな」
よほど、由緒(よ し)ある旧家とみえる。
背後の岡には、草堂風な一宇(いちう)が見え、道は楊柳を縫うて隠れ、渓水(たにみず)は落ちて、荘院の庭に一碧(いつぺき)の鏡をたたえている。
水に臨んでは、母屋(おもや)の亭館が建ちならび、山に倚(よ)っては、主(あるじ)の書楼が、窓を放って、いましがた、灯を挑(かか)げたらしく、新鮮なまたたきを見せていた。
――取次の童(わらべ)は、奥へ入ったまま、なかなか出てこない。遠くに、たくさんな牛の鳴き声がするし、釜屋や下男の長屋には、炊(かしぎ)の煙がさかんで、何百人もの傭人(やといにん)が、がやがやいっているようでもある。いわゆる、負傭鶏犬(ふようけいけん)も食(しよく)に飽き、富戸(ふこ)は子孫に足(た)り、書庫には万巻の書を蔵す、といったような趣(おもむき)があった。
「……旅のお人。お待たせしました。さあ、どうぞ」
出てきた小僕の姿に。
「や。お泊め下さるとか」
「はい。おあるじへ、老母をつれて行き暮れた旅人ですと、申しあげたら、それはさぞかしお困りであろうと」
「かたじけない。では、ご好意にあまえて」
王進は、外へ馳け出して、すぐ母の手をひいてきた。小僕は、親切に、
「馬は、そのままにしておかっしゃれ。おらが、飼糧(かいば)をやっておくから」
家の者、みな、その小僕のように、あたたかであった。
湯浴(ゆあ)み、食事なども、終ってから、王進は、荘主(あるじ)の太公(たいこう)に会った。折(お)れ頭巾(ずきん)をかぶり、白髯(はくぜん)は膝にたれ、道服に似たものを着、柔かそうな革靴(かわぐつ)をはいている。
「延安へ行かっしゃるお商人(あきゆうど)と聞いたが、ご老母づれではたいへんじゃな」
「いや、都ではすっかり資本(もとで)を失いましたので」
「ははは。宿賃(やどちん)がないというご心配じゃろ。それくらいなら泊めはせん」
「あつかましゅうございますが、どうも年よりを連れては、野宿(のじゆく)もなりかねまして」
「遠慮はない。家も広い。こよいはご老母にも、ゆっくり手足を伸ばさせてあげるがよい」
しばらく、さりげない話に過ごした。しかし、やがて退きさがってゆく王進の物腰を、あるじの太公は、雪の眉から、何やらじっと、見送っていた。
翌朝。――太公は好きな茶を煮て、王進を待っていた。が、いつまでも、起き出てこないので、自身、房(へや)へ行ってみると、王進の母が、ゆうべ夜半(よなか)から持病をおこして、今朝もまだ、子の介抱にうめきを怺(こら)えている様子だった。
「なんじゃ、はやく告げて来ればよいに」
太公は、すぐ薬嚢(やくのう)をとりよせて、自身、煎薬(せんやく)を調(ちよう)じてくれた。のみならず、幾日でもここで養生するように――ともいってくれる。
「ご恩は、忘れませぬ」
七日ほどたった。持病もおさまり、母の顔いろもよくなった。で、今朝は早くここを立とうと、王進は、自分の馬を、厩(うまや)のほうへ見に行った。
すると、まだ早暁の靄(もや)、みどりの露、肺の中まで青々と染まりそうな柳ばやしのうちで、えいッ、おうッと、誰やらさかんな気合いを発している者がある。
王進は、ふと耳を打たれて、振り向いた。そして肉づきのよい真白な壮者の肉体らしい影を、青い靄の中に見た。
年ごろはまだ十八、九か。とにかく、筋骨(きんこつ)隆々たる美丈夫である。
もろ肌をぬぎ、顔から半裸身まで、流れる汗にうるおされ、その汗までが美しい。
さらに、王進が眼をみはったのは、その真白な半裸に画(えが)かれている刺青(いれずみ)だった。九ツの龍が汗に光って肌から浮くばかりに見える。そして、その若者の手には、長やかな樫(かし)の棒が持たれていた。棒はぶんぶん鳴って、彼自体の前後を、まるで車のように旋回(せんかい)して舞う。
「……ははあ、棒術をやっておるな」
わが道なので、王進は、しおらしさよと、思わずこなたで微笑していた。
すると、気がついたとみえ、ふと棒の手をやめた若者は、
「おい、人の芸を見て、なにを笑うんだ」
「いや、あざけりはしない。なかなかやるものだと、感心して眺めていたばかり……」
「なに。なかなかやるもンだって。きいた風な口をきくじゃねえか」
「ま、怒ンなさるな。お若いからむりもない。もすこし見物しようじゃありませんか」
「ふざけるな。おれの棒術は見せ物じゃない。おつなことをいうからには、てめえも多少の心得はあるんだろう。さ、叩きのめすから、受けてみろ。受け損じたら、命はねえぞ」
「これは迷惑。お気にさわったのなら、平(ひら)に平に」
「いけねえ、いけねえ。その頬(ほ)ゲタか肋骨(あばら)の二、三本も、ぶち砕かねえうちは、おれの虫がおさまるものか」
ところへ、あるじの太公(たいこう)の声がした。
「これっ、史進(ししん)っ。お客人に何をする」
「あ。親父(おやじ)さまか」
「ひかえろ」と、太公は息子を叱って――「客人(まろうど)。……どうも伜(せがれ)めが、とんだご無礼をいたしましたが、このとおりな田舎(いなか)育ちじゃ、ま、堪忍してやってくだされい」
「いやご主人、こちらも悪かったのですよ。若いお人が一心不乱に、気を研(と)いでいるものを、思わずニヤニヤしたりしたものですから」
「これも、何かのご縁というものじゃろう。ひとつ、この伜への置き土産(みやげ)に、棒術の一手なと、お教えして下さらんかの」
「めっそうもない。てまえは、しがない落魄(おちぶ)れ商人(あきゆうど)、棒術などは」
「いやいや、わしにはあなたの五体のうちに、何かご一芸があるものと見える」
「よしなよ、父(とつ)さん。買いかぶるのは」
史進(ししん)とよばれた若者は、父の前から、いきなり王進の胸をつき飛ばして罵(ののし)った。
「おやじは今、おかしなことをいったが、おれは、てめえみたいな旅烏にご教授をねがうの、ご一芸がおありでなんてことは、おくびにもいわねえぞ。さ、そんな土性骨(どしようぼね)か、食わせ者か、試してやるから受けてみろ」
跳び退いたのは、構えを作るためだった。いきなり彼の棒は、右手と一本のものとなって、ぶんっと、王進の首のつけ根へ落ちてきた。
どう取ったのか、王進は彼の棒の一端を、左の腋(わき)の下にしっかと挟み込んで、
「おあるじ。よろしいですか」
と、太公の顔を見て笑った。
「よろしいとも。うんと、こらしてくだされい。鳥なき里の蝙蝠(こうもり)とかで、自分以上な者はないと、何ともかとも、手のつけられん小伜(こせがれ)じゃ。ひとつその増上慢(ぞうじようまん)の鼻を、折ッぴしょッてくだされば、いっそ、当人には倖(しあわ)せというもんじゃろ」
「承知しました。親御のお頼みとあれば」
聞くと、史進は、
「なにをっ」
と、全身九ツの龍に、ぱっと血を与えたような色を、みなぎらせた。
が、もとより田舎(いなか)仕込みの武技だ。たとえこの若者の肉体と血気に、どんな精根があろうと、王進の眼には、児戯にひとしいものだったのは、いうまでもない。
一振一撥(いつしんいつぱつ)、また、眼もとまらぬ一撃一突(いちげきいつとつ)、すべて見事な肉体の空(から)演舞だった。史進は、声を嗄(か)らして、その喉(のど)から臓腑(ぞうふ)を吐かんとするほどに身も疲れてしまった。それでも、まいったとはいわなかったが、あ――と感じるまに、大空が自分の脚の上に見えた。でんと、投げとばされていたのである。
「ち、ちくしょうッ」
起(た)とうとするや、また投げとばされ、すでに手裡(しゆり)になかった棒は、王進の手に移っていた。そして、その棒の先に、九ツの龍の肌は、まるで竹箒(たけぼうき)に弄(もてあそ)ばれる蜘蛛(く も)のように、離されては伏せられ、逃げかけては絡みつけられ、果ては、死に絶えたかのごとく、へたばってしまった。
「どなたか、ご子息へ、水を持って来てあげてください」
言いながら、王進は、史進のそばへ寄って、その体を膝に抱えた。そして親の太公を振り仰ぎながら、気のどくそうな顔をした。
「……どうも、ちと図にのッて、お懲(こ)らしが過ぎましたなあ。しかし、どこもお怪我(けが)はしておりませんから、ご安心を」
「いやなんの。伜(せがれ)めには、よい薬でしたわい」
そうはいうものの、やはり親心か。太公は、われ知らず、額(ひたい)に滲(にじ)ませていた冷たい汗を、道服の袖でそっと拭いた。そして、
「お客人(まろうど)。あらためて、とくとお話し申したいことがおざる。茶なと煮て、わしの房(へや)でお待ちしておりますぞ。おそれいるが、伜めを連れて、あとよりお越しくださらぬか」
と、杖を曳いて、画中の人のように、彼方(かなた)の書楼へ向って立ち去った。
緑林(りよくりん)の徒(と)の涙を見て、史進(ししん)、彼らを再び野(や)へ放つこと
ここの山村は華陰県(かいんけん)の県ざかいで史家村(しかそん)とよばれている。戸数三、四百軒すべてが“史(し)”という氏(うじ)だった。
荘院(そういん)(庄屋)の太公は、先祖代々、村のたばね役をしていたが、しかし自分もすでに老齢である。一日も早く息子の史進(ししん)に跡目をゆずッて、隠居したいものと考えている。
そこで、彼はその日、客の教頭王進(おうしん)へ、こんな希望をうちあけた。――かりそめの旅人に過ぎない王進母子(おやこ)へだが、ひとつ伜(せがれ)史進のために、末長く師となって、村に永住してもらえまいかという相談なのだ。
「さあ? ご好意はまことにかたじけないが」
王進は、答えに窮して。
「今は正直に申しますが、じつは拙者は、ただの旅商人(あきゆうど)などではありません。つい先頃まで、禁軍八十万の師範役をしていたものですが、新任大将軍高(こうきゆう)と折合いのつかぬことがあって、無断で都門(ともん)を逃亡し、いわば天下のお尋ね者の身の上です。……せっかくですが、ここにとどまれば、お世話になったご当家へどんな禍いがかからぬ限りもない。それゆえ仰せなれど、その儀は、何ともおひきうけいたしかねる」
「なんのお客人。この年までたくさんな人間を見てきた老人の眼じゃ。はて凡人(ただびと)ではないぐらいなことは、とく感づいておりましたよ。今さら驚きはいたしません。ただただあなた様の人物に傾倒してのお願いなのじゃ。どうぞおきき届けくだされい」
老父の乞(こ)いにつれて、そばにいた息子の史進も、いまはまったく自分の独りよがりな棒術の未熟さを覚(さと)ったものか、ともども、すがるような眼(まな)ざしで引きとめた。
「いや、それほどまでの仰せなれば」
と、ついに王進も、父子の懇請(こんせい)を容(い)れて、その日の出立を見合せ、あらためて、師弟の約を、ここに結んだ。
「この上は不肖(ふしよう)ですが、武芸十八般(ぱん)、知るかぎりの技(わざ)は、ご子息にお授けいたそう。ご子息の名は、史進といわるるか」
「はい。背に九ツの龍の刺青(いれずみ)をしているので、人は綽名(あだな)して、九紋龍(くもんりゆう)史進と私をよんでおります」
「棒術は誰からお習いかの」
「少年の頃、うちの食客(居候)に打虎将李忠(だこしようりちゆう)という浪人者がおりました。面白半分な稽古が病(や)みつきで、以後、村を通る旅の武芸者や浪人と見れば、片っぱしから当って試合してきましたが、ただの一度だって負けたことなどありゃしません。それが、どうも今日ばかりは」
「はははは、ちと勝手が違ったか。まあよいわさ、まだ十九か二十歳(は た ち)のお身で倖せ、初心に返れば、どうにでも撓(た)め直しはきく」
かくて教頭王進の母子(おやこ)は、そのまま史家村に居着いてしまった。そして史家(しけ)の嫡男(ちやくなん)九紋龍一人のために、かつての禁軍八十万の師範王進が、日々手をとって武芸十八般にわたる秘技を指南した。
武技十八というのは。
一に弓、二に弩(つよゆみ)、三に鎗(やり)、四に刀、五に剣、六に鍵矛(かぎほこ)、七に楯(たて)、八に斧(おの)、九に鉞(まさかり)、十に戟(げき)、十一に鉄鞭(てつべん)、十二に陣簡(じんのたて)、十三に棒、十四に分銅鎌(ふんどうがま)、十五に熊手(くまで)、十六に刺叉(さすまた)、十七に捕縄(とりなわ)、十八に白打(くみうち)。
――それからというもの、史家の裏手の柳圃(やなぎばたけ)では、必死に教えをうける龍児と師範との「えいっ」「おうっ」の喚(おめ)きが聞えない日はなかった。雨の日は、荘院の広床(ひろゆか)で行われ、夜は夜で、燈火(ともしび)をはさんで兵書を講じる声がする。
若き史進は、めきめき上達をしめし、また何よりは王師範の人柄にも感化された。いや師範の都ばなしだの雑談の端にすら、ただならぬ興味をもって、元来、山家育ちの矇(もう)は、ようやく、自分の居るところの程度の低さを知ってきた。そして広い大きな世上へと、自然、その若さは疼(うず)きを擡(もた)げだしていた。
いつか、一年余の歳月はここに流れた。
王進は、この頃になって、つらつら思う。
「……これはいかん。九紋龍は稀に見る天才児で、わしの武芸十八般の秘奥までよく会得(えとく)してきたが、しかし親の太公(たいこう)の望みは、史進(ししん)に名主(なぬし)役の跡目をつがせて、早く老後の安心をえたいとするにあろう。生半可(なまはんか)、彼が世上慾に目をひらいて、先祖代々からの庄屋づとめや百姓仕事を嫌いだしたら、かえって、わしの仕込んだ道も、史家(しけ)にとってはあだになる」
そう思いついたので、ある日のこと。
「長々お世話に相成ったが」――と、彼は急に、身の都合を言いたてて、あるじの太公へ、暇乞いを告げた。
「母が申すには、脚腰(あしこし)の達者なうち、どうしても先にこころざした延安府(えんあんふ)へ行って暮したいと望んでやみません。ご子息へはもう不肖(ふしよう)の武芸はのこりなくご教授申しあげた。……どうぞご一家にはこの先ともごきげんよく」
ふいの別れを述べられて、太公はおどろき、子の史進も悲しんだ。けれど、いかに引きとめても無駄だと知ると、さて惜別の宴には、銀子(ぎんす)や餞別(せんべつ)の品々を盛って、王進母子(おやこ)に捧げ、かつ出立の日となると、馬や供人をも添えて、関西路(かんせいじ)へ向う隣県まで、ねんごろに送らせた。
――だが、そのあと。
残された史進は、ぽかんと虚脱に落ちてしまった。たまらない寂寥(せきりよう)が彼をして毎日酒にひたらせて行った。いや、さらに大きな空虚は重ねて彼の一身を襲った。その秋、父の太公が、とつぜん病死したのである。
これも手つだってか、彼の放縦(ほうじゆう)は自暴の相を帯びだした。元々、百姓は性(しよう)に合わないといっている彼なのだ。家事はいよいよかえりみもしない。その荘院には、つねに百姓らしからぬ無頼(ぶらい)のみを寄せ集め、ただ武勇を誇っては、遠近に喧嘩の相手と機会を求めてばかりいた。されば史家村の九紋龍史進といえば、この頃、泣く子も黙る名となっていた。
山波の影は遠く望まれるが、人里からはどの辺かよく見当もつかない彼方(かなた)だ。ここに、華陰県(かいんけん)の山また山の奥、少華山(しようかざん)とよぶ一峰がある。
天地は人間のもの、その人間は生きものだ。おれたちがここに山寨(さんさい)をむすんで、こう生きているのに、何の不思議があるか、と誇りでもしているように近づけば、その少華山の山腹にも、さかんな人煙人語があるのであった。
「おい楊春(ようしゆん)。どうもこの頃は、さっぱりじゃねえか。……陳達(ちんたつ)はまだ岩窟(いわや)の中で寝こけているのか」
「そうらしいて。なんでも奴あ三日ほど前から、蒲城県(ほじようけん)の方へ降りていって、何かうまい仕事はねえかと、狼(おおかみ)のように嗅(か)ぎ歩いたっていうんだが、ゆうべおそく手ぶらで帰ってきやがった。よくよく下界も飢饉年(ききんどし)らしい」
「そうじゃあるめえ。おれたち山寨(さんさい)の六、七百人もが、ついこの春までは、下界の貢(みつ)ぎで悠々と王者みてえに食ッてられた世間じゃねえか。それが昨日今日、急に酒や肉にも干(ひ)あがるてえなあ、ふしぎだよ」
「陳達(ちんたつ)もぼやいていたが、どう考えても、こいつあ、やっぱり華陰県の県城で、布令(ふれ)を廻しゃあがったせいだろうぜ。なんでも、おれたち三人の頭目(とうもく)の首に、銭(ぜに)三千貫の賞を懸けて、諸所の街道に高札(こうさつ)を立て、旅人の夜歩きを禁じたり、土民の自警隊を奨(すす)めたりしているそうだから」
「ばかにしてやがら。そんな金が役署(やくしよ)にあるならその金をこっちへそのままよこすがいい。半年ぐらいは山を出ずに、大人(おとな)しくしてやるものをよ。はははは」
夏ながら山は不断の霧が冷たい。巨大な寨(とりで)の柵門(さくもん)の内には、怪異な男どもの屯(たむろ)やら焚火(たきび)が諸所にけむっている。中にも岩戸の階(きざはし)、岩穴の一大殿堂をうしろに、酒を酌(く)みあっている一トかたまりがあった。それぞ少華山(しようかざん)の山賊七百人の頭目(とうもく)、神機軍師朱武(しんきぐんししゆぶ)や白花蛇楊春(はつかだようしゆん)らの車座だった。
するとなお、岩窟(いわや)の口から、また一人、
「なんの評議かとおもえば、また芸もなく飲んでいるのか」
大きな伸びをしつつ、のっそりと石階を降りて来た者がある。たった今、二人が噂していた跳澗虎陳達(ちようかんこちんたつ)だ。これも三頭目の一人なのはいうまでもない。
「おう陳達か。――芸もなくといわれちゃあ面目ねえなあ。したが、三日も山寨(さんさい)を留守にしたおめえにしろ、やはりなんの土産もなかったじゃねえか」
「ちげえねえ。だが、ちょっと耳よりな土産はあるんだ」
「なんだい、耳よりたあ」
「帰る途中で、兎捕りの李吉(りきち)っていう猟人(かりゆうど)を捕(と)ッつかまえて聞いたことだが」
「はははは、かあいそうに、兎の皮はぎを捕(つか)まえて、そいつの皮をまたはいだのか」
「ばかいえ。この陳達が、そんなしがねえ猟人や百姓いじめをするものか。お互い三人が義の盃を交わしたとき、第一に誓ったのは、盗賊はしても弱い者泣かせはしまいぞということだった。李吉の手引きで、おれが目ボシをつけたのは、そんなケチな相手じゃねえ」
「ふウむ。猟師の李吉に手引きさせて、どこへ押込みに入ろうというのか」
「史家村の大(おお)荘院(じようや)よ。あの旧家は見かけ以上な物持ちだそうだ」
「兄弟。そいつアよしねえ。史家村ときちゃあ鬼門だろうぜ」
「どうして」
「そこの名主(なぬし)といやあ、九紋龍の家だろう。とんでもねえ話だ。あいつに当って行けるものか。しかも県城の役署からおれたちの首に三千貫の賞金が懸っていることも承知だろうし、手具脛(てぐすね)ひいているものと覚悟もせざアなるめえが」
「ところが、李吉のいうにゃあ、なるほど九紋龍の腕前は、四県無敵ッてえ評判だが、なんたって、旧家のお坊ッちゃんだ。誰でも負けてやりさえすれば客にして、幾日でも泊めておき、酒を飲ませたり餞別(せんべつ)をくれたりだから、つまりは浪人者のいい食いもの。おそらく、ほんとうのとこは旦那芸ぐらいな腕だろうというんだが」
「あてにはなるめえ。李吉が試してみたわけじゃあるめえし」
「うんにゃ、そんなことアべつにしても、この陳達(ちんたつ)には自信がある。生れ故郷の城(ぎようじよう)では、長鎗(ながやり)の跳澗虎(ちようかんこ)といわれたおれだ。二十歳(は た ち)そこそこの青二才に、おれたち少華山の三頭目が、恐れをなしているといわれるのも我慢がならねえ。まして金持ちの荘院(しようや)じゃねえか。なんで指を咥(くわ)えていられるものか」
陳達は豪語してやまなかった。朱武(しゆぶ)と楊春(ようしゆん)が、止めれば止めるほど、意地にもなって、
「よし、それじゃあ、おれ一人でもやってみせる。おめえたち兄弟は、酒でもくらっているがいいや」
とばかり、即刻、二百ほどの手下に、出触(でぶ)れを廻し、自分も戦陣へでも臨むような身支度にとりかかった。
そのいでたちを見るに、緋房(ひぶさ)のついた鉢兜(はちかぶと)、鋳物綴(いものつづ)りの鍍金(ときん)の甲(よろい)、下には古物ながら蜀江(しよつこう)の袖をちらつかせ、半月形(はんげつなり)の革靴(かわぐつ)をはいた。そして、組糸の腰帯に、刃幅(ははば)の広い大剣を横たえ、山路に馴れた白馬のくらにりゅうとして乗りそびえた姿は、さすが少華山の賊将、われから豪語したほどなものはある。
手にかいこんだ長鎗(ちようそう)を、一振り横に振って、西の麓(ふもと)を穂先(ほさき)で指し、
「さあ、山を降りるまに、日が暮れよう。男と思う奴らは、おれにつづけ」
二百ぢかい手下が、銅鑼(どら)や太鼓を鳴らし、柵門(さくもん)で一度、わあっと気勢をあげた。そしてたちまち、一列の黒蛇(こくだ)となって麓の方へ沈んでいった。
「あぶねえもンだな。どうも近頃、陳達(ちんたつ)は少しあせり気味だぜ」
「三人の中では一番の年上だ。自分でも頭目(とうもく)ちゅうの頭目と任じているんで、ここンところの山寨(さんさい)のさびれを見ちゃあ、じっとしていられねえような気なんだろうよ」
「そうだとしたら、イヤなんとも、足も心も進まねえ相手だが、おれたち二人も、こうしちゃいられまいぜ」
朱武(しゆぶ)は元、定遠州(ていえんしゆう)の生れ、戦う場合は、よく両刀を使うが、得意はむしろ兵法と謀略にあるとは、彼自身がいうところだった。
また白花蛇楊春(ようしゆん)は、蒲州(ほしゆう)解良(かいりよう)の人、大桿刀(おおなぎなた)の達人だった。腰は細く、臂(ひじ)は長く、綽名(あだな)のごとき妖蛇の感じのする白面青気の男である。
さきの陳達といいこの二者といい、いずれも元は江湖の処士(しよし)や良民だった者だろう。しかし宋朝(そうちよう)の治、徽宗(きそう)帝の奢(おご)り、ようやくその紊(みだ)れやら腐敗を世路(せろ)の辻々にまでただらしてきたので、いずれも正業に生きる馬鹿らしさを思って、野性の自由をほしいままに、この少華山などへ緑林(りよくりん)(盗賊)の巣を構えたものにちがいない。
一刻(いつとき)おいて、この二頭目もまた、大勢の手下をつれて、史家村へ降って行った。行くほどに夜は更けてゆき、やがて黒い夜霧の底に、ぼやっと赤い火光が見えだした。史家村の方角に間違いない。楊春は馬をとめ、後ろの朱武の影へよびかけた。
「やってるぞ。あの火を見ろ。陳達(ちんたつ)はもう九紋龍の家へ乗りつけている。兄貴の難を見捨ててはおけまい。急ごうぜ」
ところが、まだ麓(ふもと)へも出ないうちに、陳達の小頭(こがしら)や手下どもが、さんざんな態(てい)で逃げ走ってきた。
「――どうした?」と訊けば、村には備えがあり、警板(けいばん)や銅鑼(どら)を合図に、たちまち、九紋龍の家には小作人や荘戸(しようこ)(村人)の若者輩(ばら)が、まるでよく訓練された兵隊のように集まってきて、たちまち守りを固めてしまったという。
しかし陳達の指揮下にある賊も、「なんの百姓輩(ばら)が」と、門へ向って馬群をおめかせ、また脅(おど)しの早鉦(はやがね)だの銅鑼(どら)を打ち鳴らした。ところが、どうして相手は手強(てごわ)い。矢かぜや投げ火の下で、やがて大乱戦となっていった。そのうち九紋龍自身も打ッて出てきた。そして味方の陳達と一騎打ちになったので、互いに火を降らすことかと思っていると、呆ッ気なく、陳達は長鎗を叩き落され、苦もなく九紋龍のために手捕りにされてしまったというのである。
「ふウむ。強さのほどは察していたが、そんなにも強い九紋龍なのか」
「てんで、おはなしにも何もなりません」
と、手下どもはまったく闘志を失っていう。
けれど、朱武と楊春は、まさかここから逃げ戻れもしない。それこそ山寨(さんさい)七百人の手下の信望は地に墜(お)ちてしまう。といって、最初から九紋龍史進(ししん)に立ち向えるうぬ惚れもなかったのだ。楊春はその白面を一そう蒼白にして。
「どうする。兄貴」
「こうなっては、どうもこうもない。おれにまかせろ」
朱武が得意とする智略が、何かひらめいたものだろうか。朱武は、たちどころに、手下のすべてに足止めを命じ、自分と楊春の二人だけで、史家村の内へ近づいていった。
すぐ見つけた荘戸(しようこ)の土兵(どへい)は、二人を取り囲んで門内へしょッ曳(ぴ)いた。――見ると、邸内の広い柳園(りゆうえん)では、諸所に篝(かがり)を焚(た)き、まん中の一樹に生け捕ッた陳達を縛りつけて、今しも、それを肴(さかな)に大ざかもりの最中だった。
「なに、朱武と楊春の二頭目が自分から縄目(なわめ)を望んでこれへ来たと。はてなあ。そいつはどうも眉ツバものだが」
史進は、陶(とう)の酒樽(さかだる)に腰かけていた。
鱗革(うろこがわ)に朱紅(あ け)の漆(うるし)やら摺(す)り金箔(は く)をかけた甲(よろい)を着、青錦(せいきん)の戦襖(じんばおり)に黄色の深靴をはいていた。そして側には一張(は)りの弓を立て、腰には両刃(りようば)三尖(せん)の八環刀(かんとう)を佩(は)いて、久しぶりな闘争の発汗に会ったためか酒の色か、いかにも快(こころよ)げな眉宇(びう)に見える。
「よし。とにかく二人を曳ッ張ってこい。たぶん偽者(にせもの)だろうが、どんな嘘をいうか、聞いてみるのも一興だ。もっと篝火(かがりび)を明るくして、おれの前に引きすえろ」
朱武、楊春の二名をまだ見ぬうちから、彼は充分に疑っていた。もし本ものだったら、これ幸い、三頭目を一ト束(つか)ねに首斬って、さらにもう一杯の酒のさかなにするつもりだった。
しかるに彼は、やがて朱武と楊春がこもごも述べたてるのを聞くうち、次第に酒の面(おもて)をさまし、果ては、涙すらこぼすのだった。――朱武はひとしお言葉に憐(あわ)れをこめて。
「どうぞ、われわれ両名も、兄貴の陳達とともに縄目として、県城の役署へつき出してください。聞くならく三名の首には、三千貫の賞がある由。その金をば近郷の窮民へお頒(わか)ちくださればなおのこと本望です。……もともと、陳(ちん)、楊(よう)、朱(しゆ)のわれら三名は、賊となるとも義賊たらんと誓い、死ぬ時も一つにと、血をすすって義兄弟の約束をした仲でした。いま兄貴の陳達が捕われた以上は、あとの両名も生きてはいられませぬ。またお手むかいをしてみたところで敵(かな)わぬあなた。いざ、どうなりとご処分を」
史進の純情はすっかりそれに打たれたらしい。山賊にもこんな義心があるかと思い、彼らが貧民の味方だというのも、大いに気に入った。かつは太ッ腹な史進なので、その寛度を大勢の荘戸の者の前で示すことも愉快でないことはなかったろう。
「おい、陳達の縄を解いてやれ。そしてこの三人へも杯をやるがいい」
史進は瞬間、声も出ずにいる三人へ、大容(おおよう)にまたいった。
「盗(ぬす)ッ人(と)にも三分の理、仲間同士では義理固いとも聞いたが、そこまで義に厚いのは感心だ。安心しろ。おれは腐れ役人の手先になんぞなるのは生れつき大嫌いだ。賞金なぞは手にもしたくない。さあ一杯飲んで、足もとの明るいうちに少華山へでも何処(ど こ)へでも、とっとと消え失せろ。その代り、この近郷三県で百姓いじめをすると聞いたら、いつなんどき九紋龍が行って、その首をお貰い申すかしれねえぞ」
三人は地に這って、九紋龍を百拝した。あげくに酒と涙を一しょに呑んだ。たとえば恩を知る動物(いきもの)が人の手から放たれでもしたようである。やがて振り返り振り返り、暁(あかつき)まだき史家村から元の少華山へ立ち去った。
史進(ししん)、家郷をすてて渭水(いすい)へ奔(はし)り、魯提轄(ろていかつ)と街に会うこと
彼らの仲間うちでも“虎は平伏した餌食(えじき)は食わぬ”という諺(ことわざ)を知っている。「――九紋龍の度量はそれなんだ」と、楊春(ようしゆん)も陳達(ちんたつ)も、朱武(しゆぶ)も以来すっかり史進(ししん)に心服してしまった。
史進の方では、そんなことなど、いつか忘れてしまっている。すると或る夜の宵(よい)の口、一荷(か)の贈り物を担(かつ)いだ山賊の手下が、こっそり、史進の屋敷へやってきて、
「ご恩返しというほどな物でもござんせんが、てまえどもの志だけを、どうかお納めなすっておくんなさい。いや申し忘れましたが、山の三頭目からも、くれぐれよろしく申しました」
と置き捨てるように、おいて帰った。
あとで開けてみると、獣皮やら山の物の種々(くさぐさ)、それに三十両ほどな金ののべ棒も入っている。
史進は笑った。
「なんだか、余り貰い心地がよくねえな。だが、奴らにすれば、精いッぱいな善意だろう。まあいいや。金はまた何かいい折につかってやろう。取ッておけ取ッておけ」
ところがその後も何くれとなく、ちょいちょい山から贈り物が届けられる。時には見事な宝石などもよこした。
史進もまた、こう貰ってばかりいてはと思って、家に伝わる紅錦織(こうきんおり)を三領(りよう)の袍(うわぎ)に仕立てさせ、脂(あぶら)ののッた美味(う ま)い羊の焼肉を大きな盒(ふたもの)へいれて、日頃の礼にと、山寨(さんさい)へ届けさせた。
史家の奉公人頭(がしら)に王四という男がいる。使者にはこの男に作男一人をつけてやった。二人が麓(ふもと)まで行くと、山賊の見張りに捕まった。しかし、
「九紋龍さまのお使いで」
と聞くや、彼らが先に立って、山寨へ案内した。なおまた、朱武たち三頭目も、王四の労をねぎらって、下へもおかない。酒や馳走を出して、
「一日も史進どののご恩は忘れていない」
といったりした。そして、使いの二人へ、帰りがけには十両の銀子(ぎんす)をくれた。
史進は、王四の復命をきいて、
「そんなに歓(よろこ)んだか。また、そんなにも、おれのことをいってたのか」
と、これも悪い気はしなかった。
こうして、彼らとのつきあいが深まるにつれ、史進は相手が山賊であるなどという念もなくなっていた。ただ男と男の交(まじ)わりとしていた。
そのうちに、秋もなかばの頃、史進は月見の宴を思い立った。ひとつ仲秋の名月に酒壺(しゆこ)を開いて、あの朱武、楊春、陳達らの三人と、思うさま飲んだり話してみたいものだと考えた。そこでまた、いつもの王四に、招待状を持たせて少華山へやった。
朱武たちが歓んだのはいうまでもない。
「――必ずまいる」
と返書をしたため、それに四、五両の使い賃をのせて、王四へ渡した。そのうえ十碗(わん)あまりも酒を飲ませて帰したので、王四もすっかりごきげんになってしまった。
ひょろり、ひょろり、山路を千鳥足で降りてくると、日頃、顔見知りの山賊の手下に出会った。
「……よウ、大将」と王四が抱えこむと、その男も酔っていて、
「やあ、王サマか」と、ヒゲ面をこすってきた。そして漁樵(ぎよしよう)問答ならぬベロンベロン問答の果てである。頭と頭とを絡(から)み合った四本の脚が、またぞろ、麓(ふもと)の居酒屋へよろけ込んだ。
――だいぶ飲んだに違いない。
その晩、相手の男と別れてから、王四は途中の芒原(すすきはら)で寝てしまった。事これだけなら、その一睡(いつすい)は無上天国そのものだった。ところが折ふし通りかかった猟人(かりゆうど)がある。これなん兎捕りの李吉(りきち)で、さきに陳達を手引きして史進を襲わせたのもこの男だ。そのことでは思うつぼも外(はず)れてしまい、以来、村人からは白眼視されていたが、もともと狐狸(きつねたぬき)以上な狡(ずる)さを持つ李吉だった。今も今とて、蹴つまずいたとたんに、
「おやおや、こいつあ、史進の家の王四だぞ。はてな?」
酒臭い正体なしの体へ寄って、親切ごかしに胴巻を撫(な)で探っていた。すると銀子(ぎんす)と手紙が手に触れたらしい。李吉は狐のような眼をくばった。
――翌朝。李吉がその手紙を持って、県城の役署へ密訴に馳(か)けこんでいたころ、一方の王四は、ひどく冴(さ)えない顔つきで、主人史進の前で、復命していた。
「行ってまいりました。――ご芳志にあまえて、ぜひ参上いたします、という三頭目のご返辞でございました」
「いま帰ったのか王四。たいそう遅かったじゃないか」
「どうもその、つい山寨(さんさい)でご馳走になっちまいましたので」
「酒を出されると目がねえンだろう。まあいいや、それよりも早く調理場へ行って、あしたの料理の支度やら倉の中の器物(うつわもの)などを出させておけ」
次の日は仲秋節(ちゆうしゆうせつ)。――史家(しけ)の小作や奉公人は、昼から莚席(えんせき)の支度に忙しかった。羊を屠(ほふ)り鶩(あひる)や鶏をつぶすこと、何十羽かわからない。前日から煮(た)きこめた百珍の料理は銀盤に盛られ、酒も家蔵の吟醸(ぎんじよう)を幾壺(いくつぼ)となく持ち出して、客の前において封を切るばかりに用意していた。
――ほどなく、朱武、陳達、楊春の三人は、かねて史進から贈られた紅錦(こうきん)の袍(ほう)を具足の下に着て、時刻たがえずやってきた。
接待は土地の壮者(わかもの)や村娘(そんじよう)たちである。史進は、上座に三名をすえて、
「おお、よくぞお越しくだすった。昔から好漢(おとこ)は好漢を知るという。月もよし、桂(かつら)の花影、ひとつ今夜は、心ゆくまで語ろうじゃありませんか。さあどうぞ、おくつろぎなすッて」
と、盞(さかずき)をあげ合った。更(ふ)けるほどに、月は冴えを増し、露は珠(たま)を桂(かつら)にちりばめ、主客の歓は尽きるところがない。談笑また談笑の沸(わ)くごとに、一壺(こ)の酒は空(から)になるやと思われた。
そのうちに、ふと、史進も客の三頭目も、何かへギョッとしたらしく口をつぐんだ。広い土塀の外を囲んで、潮(うしお)のような人馬の気配がひしひしとする。耳をすますと、こう聞えた。
「やあ史進。門を開けろ。開けねば蹴破るぞ。この荘院(やしき)内(うち)に、こよい少華山の賊どもが会合しておると、訴人(そにん)あって明白なのだ。四隣(りん)八隅(ぐう)、遁(のが)れんとて、遁るる道はない。賊を渡すか、踏み込もうか。いかにいかに」
「さては、訴人があって、県城の捕手が、襲(よ)せてきやがったか、花にあらし月に雲だが、こいつアちっと早過ぎる」
史進は、舌打ちして。
「お客人。なにも慌(あわ)てることはない。しばらく、そのまま飲んでおいでなさい」
彼は酒席から走り出していった。
梯子(はしご)をかけ、梯子の上から、門外の人馬へ何かどなった。おびただしい松明(たいまつ)のいぶりである。十文字鎗、五ツ叉(また)の戈(ほこ)、袖搦(そでがら)みなどの捕物道具、見るからにものものしい。
「おうっ、主(あるじ)の史進か。このほうは県城の県尉(けんい)であるぞ。汝の手で、賊をからめて突き出せばよし、さもなければ」
「まあまあ、お静かに願おう。せっかく、賊の三頭目を招いて、うまく酔いつぶさせようとしているところへ」
「では、賊と汝とは、同腹ではないと申すか」
「笑わしちゃあいけません。大口を叩くようだが史家村一の旧家、親代々からの大名主(おおなぬし)だ。山賊ばらとぐるになって、なんの徳があろう。それよりは、三千貫の賞金は下さるでしょうな」
「もとよりそれは公布にあること。ただし即座にここで突き出せばだが」
「だからよ、少し鳴(な)りをひそめて、ここを遠巻きにして待っていておくんなさい。酒を飲ませて奴らを数珠(じゆず)つなぎに引ッ縛(くく)り、そのうえで、ここの門を開けますから」
史進(ししん)は、もとの宴へ帰ってくると、家人若者に命じて、にわかに、家蔵(いえくら)にある金銀財宝の目ぼしい物をまとめさせ、女子供からそれらの荷物までを、数十人の屈強に担(にな)わせた。そして屋後(おくご)の藁(わら)ぶき小屋へ、火をかけろといいつけた。
驚いた三頭目は、
「な、なんでこのお屋敷を焼き払うので? ……まさか、われらを庇(かば)うためではございますまいな」
「いや、身の潔白をしめすためだ。こよいの出来事は、まるで貴公たちを罠(わな)にかけたようなものだから」
「ご冗談ではない。何が起ろうと、九紋龍どのが罠(わな)に陥(おと)したなどと思うわれらではありません。おうっ、待ってください、火をかけるのは」
一方へは絶叫しながら、彼らはみずから後ろへ両手を廻し、覚悟のほどを見せて言った。
「かばかり潔(いさぎよ)いあなたに、山賊渡世(とせい)のわれらが、おつきあいを願って、こんなご迷惑をかけたかと思えば、手前どもこそ申しわけがない。さあ、年貢(ねんぐ)の納めどき、われわれに縄打って、県城の役人へ突き出しておくんなさい」
「ばかをいえ。そんなことをしたら、史進(ししん)一生の男がすたる。おれにそんな真似をしろというのは、おれに乞食をしろというのもおなじだ。……おお火の手はあがった。ともかく、ここは斬りひらいて、一時、おめえたちの山寨(さんさい)へ落ちのびようぜ」
邸内の火を見て、門外の喊声(かんせい)もまたあがった。すでに、史進が鎗を小脇に門の閂(かんぬき)を外(はず)して躍り出したので、朱武、楊春、陳達らもともに斬ッて出ざるをえなかった。
黒けむりはたちまち疾風(はやて)雲(ぐも)の翔(か)けるに似、名月は血の色そのまま、剣光の雨と叫喚(きようかん)を下に見ていた。――まもなく掃(は)かるる風葉(ふうよう)のごとく、県尉(けんい)の馬や捕手の群れは逃げ散ッた。
また一方。少華山へさしてヒタ走りに走った人影の列もある。そして、すべてが去った史家村の寂(せき)たる暁(あかつき)を、なおまだ、旧家百年の大棟木だの土倉だの四隣の木々は、ひとりバチバチと火をハゼつつ旺(さかん)な炎を狂わせていた。
おもえばおれも愚かしい。――と史進は自嘲して呟(つぶや)いた。――先祖はさだめし嘆くだろう。だが持って生れた性分ではしかたもない。あのとき、あの身代よりも、三人の賊に対する一片の義の方が重い気がしたのだから、こんな子を生んだ罪はやっぱり先祖にあるんだ、と。
「……だが、この山寨(さんさい)に、いつまで、なすこともなくいたところで始まらない。そうだ、今は家蔵(いえくら)もない身まま気ままの体、先年お別れした王ご師範を尋ねて、延安府へ行ってみよう」
少華山へ隠れてから約一ト月ほど後のこと。
九紋龍史進は、思い立った胸を三頭目に打ち明けて、
「すまないが、ここへ避難した奉公人や若者は、時をみて正業に返してくれ。持ってきた金銀は、その折り、皆で分けるがいい。おれは、師匠の王進(おうしん)先生を尋ねてこれから関西(かんせい)の旅につく」
もちろん、朱武、陳達らの賊頭も、村の人々も彼との離別を悲しんで、極力とめた。けれど、この流離(りゆうり)たるや、そもそも史進その人が、生れながらにして百八星(せい)中の一星たる宿命だったことによるものだろう。――やがては、芦花(ろか)散る江頭(こうとう)の船べりに霜の戈(ほこ)をならべ、葭(よし)の葉かげに戦艇(せんてい)をしのばすなどの水滸(すいこ)の寨(さい)に、かの天地(てんこうちさつ)の諸星を会するにいたる先駆の第一星こそ、まさにこの人だったのである。
――さて、少華山を去って。
飄(ひよう)としてここに旅へ吹かれ出た史進の姿は、いかにも宋朝時代の若人(わこうど)好みな粋(いき)づくりだった。
白羊羅紗(はくようらしや)の角を折った范陽帽子(はんようぼうし)には、薔薇(ば ら)色の纓(ふさ)をひらめかせ、髪締めとしている紺の兜巾(ときん)にも卵黄(らんこう)の帯飾りをつけている。
あくどい原色は嫌いなのだろう、服地も白麻の裾(すそ)みじかな戦袍(せんぽう)で、紅梅織(こうばいおり)の打紐(うちひも)を腰帯とし、美しい長剣をつるし、青と白との縞の脚絆(きやはん)という軽快さ。もちろん足拵(あしごしら)えは長旅に耐えうる八(や)ツ乳(ち)の麻沓(あさぐつ)だった。
だが、身なりは粋に好んでみても、旅の宿とか食い物は選べもしない。野に伏し山に寝(い)ねだった。それも二十日余りの旅路。ほどなく渭州(いしゆう)という一市街についた。
「ははあ、ここにも経略府(けいりやくふ)(外夷の防寨関)の一城があるのだな。ひょっとしたら、王ご師範の消息がわかるかもしれぬ」
歩いてみると、城内も六街(がい)三市(し)といった賑やかさだ。雑閙(ざつとう)の角(かど)に、茶舗(ちやほ)が出ている。ずっと入って、床几(しようぎ)から、
「おい、おやじ。泡茶(ほうちや)でも一杯くれ」
「はい、はい。……お客さまは、旅の衆でいらっしゃいますか」
「そうだ。おやじは知らんか。もと開封東京(かいほうとうけい)のお方で、王進師範と仰っしゃる人を尋ねてきたのだが」
「さあ、ここの経略府にも、王氏と名のるお方は幾人もおいでなのでなあ。どの王さんやら、それだけでは、どうも」
すると外から大股に、ぬっと入ってきた壮漢がある。かたぶとりな肉塊(ししむら)を濃緑(こみどり)の緞子(どんす)の戦袍(せんぽう)でくるみ、頭(かしら)には黒紗(くろしや)の卍頭巾(まんじずきん)、それには金色の徽章(きしよう)がピカと光っている。
さらに眼(まなこ)の光もただならず、丸ッこい赫(あか)ら顔を、もじゃもじゃした髯(ひげ)が取り巻いている。また腰なるは、太原風(たいげんふう)の帯ヒモとそして金環(きんかん)の飾りある剣。――問うまでもなくこれは軍装である。しかも身長(みのたけ)仰ぐばかりであり、腰まわりも普通人の倍にちかい。
「おおこれは、提轄(ていかつ)(憲兵)さまで。……ちょうどよい折へ。そこなお客さま。お尋ねのお人とやらのことは、こちらのお方へ訊いてごらんなされませ」
史進は、床几(しようぎ)を立って、ていねいに、
「ぶしつけですが、ものをお訊(たず)ねいたしますが」
「なんだ。なにかわが輩(はい)に用か」
「いえ。私は華州華陰県(かいんけん)の者で、史進と申しますが、もしや当地に、もと東京(とうけい)におられた禁軍の師範王進というお方がおいでではございますまいか。或いはまた、なんぞそのお方のお噂でもご承知はありませんか」
「うんにゃ……」と、提轄(ていかつ)はヒゲ面(づら)を横に振ったが、ぎょろっと見つめて、
「王師範は当所にはおられんが、しかし、あんたは、もしや史家村の史進じゃないのか」
「えっ、どうしてご存知なんで」
「なるほど、聞きしにまさる者だ。貴公のことは、もうかねがね聞いておる。また、お訊ねの王師範も知らんではない」
「失礼ながらご尊名は」
「経略府に勤務する提轄で、姓は魯(ろ)、名は達(たつ)」
「魯提轄(ろていかつ)と仰っしゃるか。いや初対面とも思われない。こりゃどうも」
「そうだ、こんな縁を、かりそめごとにしてはすまん。どうだ、茶ではつまらん。どこぞで一献(いつこん)あげたいと思うが」
「ありがとうございます。しかし王師範は、いったいどこにおいでなので」
「この渭州(いしゆう)の守護は、延安府の経略使閣下(ちゆうかつか)のご子息が当っておられる。貴公が会いたがっている王師範は、たしか、閣下をたずねていったお方だろう。たぶん今でも延安に居るよ」
「そう伺って、ひと安心した。では、おことばに甘えて、お供いたしましょう」
「おやじ」と、魯提轄は、憲兵らしい顔をきかせて「――茶銭(ちやだい)はおれにつけておけ」
二人は肩を並べて往来へ出た。
魯達(ろたつ)の恰幅(かつぷく)も、史進の姿も、行きかう市(いち)の群集の中では群を抜いてみえる。
行くこと数百歩、ちょっと歯の抜けたような町中の空地に、何やら真っ黒に見物人がたかっていた。
気まぐれに、二人が人の肩ごしに覗(のぞ)きこんで見ると、どうやら香具師(や し)が口上(こうじよう)を述べたてているものらしい。
香具師もいろいろだが、ここの空地でシャ嗄(が)れ声を振りしぼッていたのは、三十がらみの痩(や)せ浪人といった風な男。垢(あか)びかりした黒い袍(ほう)に幅広な平帯の房を横に垂れ、反(そ)りの強い象牙柄(ぞうげづか)の刀を佩(は)いて、半月靴(はんげつか)の足の先をやたらに右や左と交互に刎(は)ね上げ、そして喋(しやべ)る間に水洟(みずばな)をすすッたり、時にはチンと手洟(てばな)を放って、その雄弁をふるっている。
しきりに、飛躍させているのは、足ばかりではない。左手にも右手にも一本ずつの杖を持ち、言(げん)に応じ、気合いに応(こた)え、二本の杖を、二本の傘のごとく旋(まわ)して見せた。
――それから、めッたに大道では公開しない秘術のかずかずを今日はごらんに入れよう――といっているような口上振れの最中だった。
「や、や。こいつあ奇遇だ」
とつぜん、史進が人中で呟(つぶや)いたので、魯(ろ)提轄(ていかつ)はその大きな眼を連れの顔へもどして。
「え、奇遇。あの香具師(や し)を、貴公はどこかで知っているのか」
「知ってるどころじゃありません。少年の頃、村で棒の手ほどきをうけた打虎将(だこしよう)ノ李忠(りちゆう)です」
そのとき、香具師の李忠の方でも、気がついていた。
「やあ、坊っちゃんじゃありませんか」
「やっぱり師匠だったね。何とこれは珍らしいところで」
「師匠なんて呼ばれちゃあ赤面します。お宅(たく)さまには長い間、居候していた厄介者の李忠に過ぎない」
魯達(ろたつ)が、横から口をはさんだ。
「そんなことあ、どうだっていいや。これから飲みに行く途中だ。貴様もこいよ」
「待ってください。いま見物へ膏薬(こうやく)を配ったところだ。その銭(ぜに)を集めてから、お供をする」
「なんだい、じれッたいな。効(き)きもせぬ膏薬などを売りつけやがって。早くしろよ」
「まあ待ってくださいよ、こっちは商売、先はお客、そう手ッとり早くはいきません。なンなら、先へ行って下さい。坊っちゃんも、提轄(ていかつ)さんも」
「こらっ、見物人ども」と、魯達は、たちどころに憲兵づらを作って。「――横着顔して、すッとぼけるな。はやく香具師へ銭を投げてやらんと、ぶん殴(なぐ)るぞ」
毛の生えている魯達の拳骨(こぶし)を見ては、もうおしまいだ。銭などはビタ一文も降らず、見物の男女は、クモの子みたいに一ぺんに逃げ散ってしまった。
晨(あした)に唄(うた)い女(め)翠蓮(すいれん)を送って、晩霞(ばんか)に魯(ろ)憲兵も逐電(ちくてん)すること
渭州(いしゆう)でも街なかの州橋(しゆうきよう)橋畔(きようはん)に、潘飯店(はんはんてん)という酒楼(のみや)がある。まず魯達(ろたつ)から先に入った。
「こら。空いてるか、二階の卓(たく)は」
「オオこれは提轄(ていかつ)(憲兵)さまで。よくいらっしゃいました。さ、どうぞ階上(う え)へ」
どこへいっても、魯提轄の職権と風貌とでは恐(こわ)もてときまっている。帳場のあいそもソラ耳に、彼は史進(ししん)と李忠(りちゆう)のふたりを伴(ともな)って二階へあがり、そこの一卓を繞(めぐ)って、三人鼎(かなえ)のごとき大腰をおろし合った。
「おい。酒を早く出せよ。それから前菜(ぜんさい)はいうまでもないが、なんでも、美味(う ま)い料理(も の)をどしどし持ってこい」
卓の賑わう間を、お互いに頬杖などして、四壁(あたり)を見ると、金箔(は く)板(いた)の聯(れん)(柱懸け)に朱(しゆ)を沈めた文字で、
風ハ滞(トドコオ)ル柳陰(リユウイン)太平ノ酒旗(シユキ)
酒ハホドク佳人ノムネノ縺(モツ)レ
杏花(キヨウカ)アマクシテ志(ココロザシ)イマダシ
シバラク高歌(コウカ)シテ酔郷ニ入ラム
などとある対句(ついく)が読まれる。
世事の慷慨(こうがい)、他愛もない談笑、三人はすっかりいい機嫌になりいい仲になった。酒も四角(よんかく)(四合入りの酒瓶(しゆへい))を何度卓へ呼んだことやらわからない。――だが時折、魯提轄の神経を針で突ッつくような興醒(きようざ)めが洩れてきた。さっきから、どこかでシクシクいっている女の啜(すす)り泣きである。彼はついに持ち前の癇癪(かんしやく)を起し、片足で床(ゆか)をどんどんと踏み鳴らしながら呶鳴(どな)った。
「やいこらっ。給仕人」
「へい。四角(よんかく)のお代りですか」
「ばか野郎、いくら飲んだって、そばからすぐ醒(さ)めてしまうわ。なんだい隣(となり)部屋の雨だれみたいなベソベソは」
「どうもその……。あいすみません。お耳ざわりになりましたか」
「あたりまえだ。貴様にだって神経も耳もあるだろうによ。お連れしたわが輩(はい)のお客にだって相すまん。女だろ、あの泣き声は」
「酒楼(さかば)あるきの歌唄いの親娘(おやこ)なんでございますがね」
「ふウん。では貴様が弱い者いじめして泣かせやがったな」
「ご、ご冗談を。……それどころじゃなく、まだ夕方の灯にも間があるしと、隣の部屋で点心(菓子)などをやって宥(いたわ)っておいたんですよ。すぐ追ッ払ってまいりますから」
「待て待て。貴様でさえ可哀そうだと思ってるものを、追ッ払わせて、それでわが輩の酒が美味(う ま)くなるもんか。連れてこいっ、ここへ」
「かまいませんか。親父付きの娘でございますぜ」
「たわけめ。色気などじゃない」
――油じみた境の帳(とばり)を割って、やがて連れられてきた歌唄いの父娘(おやこ)を見ると、もちろん夜の町でよく見る貧しげな流シの芸人。おやじは四ツ竹を持ち、娘は胡弓(こきゆう)を抱えている。
うす寒げな白の袗衣(うわぎ)に、紅羅(あ か)い裙子(はかま)の裳(も)を曳き、白粉(おしろい)痩せは、その頬に見えるだけでなく、肩にも弱々しげな翳(かげ)がある。だが、髪にとめた安翡翠(ひすい)の釵(かんざし)一つが、さして美人でもないこの娘の可憐さを、いとど秋の蝶のように眺めさせた。
「……やりきれんなあ、またここでも泣かれちゃあ。頼むから、泣くのだけはよせ。それよりは、何を悲しむのか、その理由(わ け)をひとつ訊(き)かせないか」
「はい……」と、娘はやっと、嗚咽(おえつ)から袂(たもと)を離した。そして、さっきからただ、詫び入るばかりだった老人とともに、
「わたくしたちは、もと開封東京(かいほうとうけい)の者でございますが、重い税にくるしめられて、商売もなりたたず、この渭州(いしゆう)へ流離(さすろ)うてまいりました。ところが、心あての身寄りも今はいず、旅宿(はたご)住居(ずまい)のうえに、母も長い病患(わずらい)で亡くなる始末で、もう売る物とて何一つございません。……で、つい人様の口に乗り、さるお方の世話になったのが、そもそもこんな苛責(かしやく)と因果にしばられる間違いだったのでございました」
と、“街のダニ”ともいうべき悪辣(あくらつ)な男の罠(わな)にかかった始末を、ようやく恟々(おどおど)と打ちあけだした。
よくある手で。――途方に暮れていた宿屋住居(ずまい)のこの父娘(おやこ)にも、まるで地獄に仏のような親切者があらわれた。
世の中にはこんな親切なお方もあるものか、と拝むばかりに信じさせておいたところで、男は宿屋の亭主をつかって、妾(めかけ)になれと、半ば脅迫じみた話をもちかけた。ぜひなく身をまかせると、次には、家に入れて家具衣装も揃えてやろうが、それにはお前という者の体に大きな資本(もとで)をかけることだ。身代金(みのしろきん)三千貫の証文を書けという。
ところが、身は引取ってくれたものの、本妻というのは老虎のような強い女で、三月(みつき)ともたたないうちに、その家からいびり出されてしまった。それのみか、衣服一枚くれるでなし、もちろん、先に書かされた証文の金など、鐚(びた)一文もくれはしない。
あまっさえ、その後となると、こんどは男が空証文(そらしようもん)をたてにとって「――先に渡した身代金を返せ」という強談判(こわだんぱん)だ。宿の亭主も事が嘘なのは、百も承知のくせにして、ぐるになってか、高利の日金貸(ひがねかし)みたいに日々、父娘(おやこ)を責めたてる。しかも父娘はこうして夜な夜な渭州(いしゆう)の紅燈街に、儚(はかな)い四ツ竹と胡弓(こきゆう)を合奏(あ わ)せて、露命もほそぼそ凌(しの)いでいるありさまなのに、塒(ねぐら)に帰れば、稼(かせ)ぎの七分は、まず鬼の手に搾取(さくしゆ)されてしまう始末。「……もう死ぬよりほかには」と、つい狭い心につきつめられておりました、と語るのであった。
「……ふウム。ひでえやつがあるものだな。して、おやじさん、おまえの名は。また娘御はお幾ツだえ」
魯提轄(ろていかつ)は涙もろい。ぼつ然たる憤(いきどお)りの半面では、時々、瞼(まぶた)をぱちぱちさせていた。
「はい、てまえの苗字(みようじ)は、金(きん)と申し、娘は翠蓮(すいれん)といって、十九になりまする」
「泊っていなさる宿屋ってえのは」
「東門内の魯家(ろけ)という安(やす)旅籠(はたご)でございますが」
「む。あの魯家か。いや、かんじんなのは、そいつよりも、親切ごかしに人の娘を弄(もてあそ)んで、その上にもなお、おめえたちのしがねえ夜稼(よかせ)ぎの小銭(こぜに)まで搾(しぼ)り奪(と)ろうとしている悪どい野郎のほうだった。いったい、そン畜生は、どこのどいつだ?」
「そんなことを喋(しやべ)ると、あとでまた、どんな恐ろしい目に会わされるかしれません」
「ばかアいえ。わが輩は州の提轄(ていかつ)(憲兵)で人も知る魯達だ。恐(こわ)がらんでもいい。わが輩がついている」
「じつは、そのお方というのは、鄭(てい)の大旦那さまでございます」
「鄭の大旦那?」
「はい、状元橋(じようげんきよう)の西詰めで、大きな肉舗(にくみせ)を構えていらっしゃる関西(かんせい)きッてのお顔ききの……」
「えっ、あの鄭か」と魯提轄は、ベッと唾(つば)でもするように唇を鳴らして「――鄭の大旦那なんてご丁寧にいうから、どいつのことかと思ったら、あの豚殺しのデブ野郎だったのか。ようし、わが輩の耳に入った以上、ただではおかん」
魯達は、連れの史進(ししん)と李忠(りちゆう)へ向って。
「お二人とも、ここで飲んでいてくださらんか。一ト走り飛んでいって、その悪党めを一ツうんと懲(こ)らしてまいるから」
史進は、彼の短気なのに、呆(あき)れ顔だった。
「まあ、明日のことにでもなすったらどうです。せっかく今日は三人邂逅(かいこう)の愉快な鼎座(ていざ)。酒も話もまだこれからなのに」
「なるほど。それもそうか――」魯達はやっと、思い直した態で。「……じゃあ、ここでわが輩が持ち合せの五両を出す。すまないが貴公たちも、この不愍(ふびん)な酒楼(さかば)芸人のために、一夕(いつせき)の歌でも唄わせたと思って、餞別(せんべつ)をやってくれんか。……それを路銀に故郷へ帰してやりたいと思うが」
「おお、よいところへお気がついた」
史進はすぐ十両出した。だが、膏薬(こうやく)売りの李忠には、ちょッと辛い。しぶしぶ二両ほど卓の上へおくのを見て、魯達は爪の先で、それをぽんと弾(はじ)き返した。
「何だ、吝(しみ)ッたれやがッて、二両ばかしとは。――まアいいや、爺(とつ)さん、十五両もありゃあ、宿屋払いをして、あとを路銀に国へ帰れようが。……あれまた、シュクシュク始めやがったぜ。よせやい、湿っぽいのはわが輩、大の禁物だと断っているじゃないか。さあさあ、これを持って今夜は流シも休み、早く宿へ帰って身始末の算段でもしておきねえ。なアに宿の亭主が何と吐(ぬ)かそうと、そんな心配は一切するな。わが輩がまた明朝、宿屋の魯家(ろけ)を覗(のぞ)いてやるからな」
これで、さっぱりしたのだろう。金翠蓮(すいれん)父娘(おやこ)が何度も伏し拝んで立ち去った後も、三人は灯ともる頃まで、快飲していた。そして蹌踉(そうろう)と夜の街へ歩き出ると、やがて四ツ辻で、
「――ではまた、いつか会おうぜ」
と史進、李忠、魯提轄(ろていかつ)、各帰る先へ袂(たもと)を別った。
翌朝のことである。――魯達はもう例の憲兵服を纏(まと)った偉躯(いく)を場末町にあらわして、安(やす)旅籠(はたご)の魯家の入口に立っていた。
見ると、軒下の手押し車に、小さい荷梱(にごり)や食器籠(かご)やボロを包んだ一世帯が、積んである。「さては翠蓮父娘(おやこ)が旅立ちの荷物だな」と、何か安心されたのもつかの間で、奥の方から亭主の喚(わめ)き声につづいて、翠蓮父娘の詫(わ)び声やら悲鳴などがガタガタ聞え出した。
「おいっ、金(きん)の父娘、なにしとるか。早く出かけろ、出かけろ」
魯達の声を外に聞くと、宿屋の亭主が飛びだしてきて、こんどは彼に食ッてかかった。「翠蓮には貸金の証文がある。その取立てを鄭(てい)旦那から依頼されているのに、このまま旅立たれてたまるものか。それともお前さんが代ッて三千貫をここできれいに払うとでもいうンですかい」と、血相もえらい凄(すご)文句である。
「ふざけるなッ、きさまも吸血鬼の一匹だな。このヤブ蚊(か)野郎」
靴を高く上げて、彼の胸いたを蹴るや、軽くやったつもりだったが、亭主の体は毬(まり)になって三ツ四ツ転がった。
「……ち、畜生っ」と起きあがってくるのを、二度目の靴先が、さらに一蹴(いつしゆう)を与えると、亭主の影の見失われた溝(どぶ)から黒い泥(どろ)飛沫(しぶき)がたかくあがった。
「この提轄(ていかつ)め、よくも家(うち)の旦那を溝に叩ッ込みゃあがったな」
ここに飼われている若い者の一人とみえる。けなげにも薪(まき)を持って撲りかかってきた。魯達は身もかわさず、その男のどこかをつかんだ。あッという声が宙をかすめたと思うと、男の体は廂(ひさし)の上に抛(ほう)り上げられ、廂を破って、どたんと大地へ回(かえ)ってきた。
「さあ、翠蓮も爺(とつ)さんも、早く手車を押してここを立て。何をぶるぶる慄(ふる)えているのか。わが輩がここで見送ってやる。かまわんかまわん、旅へ急げ」
――あと振り返り振り返り、朝霧の中を、渭州(いしゆう)の場末から立ち退(の)いていく父娘(おやこ)の姿へ、魯達(ろたつ)もちょっと大きな手を振って見せた。そして彼自身はまた、やがて場末の辻から繁華な大通りのほうへ鈍々(どんどん)として歩きだしていた。
「おうっ、大将。いつも繁昌だな。肉の上等なとこを、十斤(きん)、賽(さい)の目に切ってくれんか」
状元橋(じようげんきよう)の橋だもと。精肉卸売(おろし)小売と見える大きな店のうちへ、ずっと入っていった魯達は、そこの椅子(いす)の一つへ、でんと腰をおろした。そして十人からの店員が立ち働いている肉切り台だの、その後ろに吊(つ)ってある沢山な丸裸の豚だの、またそれとよく似ている主人の鄭(てい)が何か筆を持って屈(かが)みこんでいた帳場の辺までを、ジロと大きな眼で睨(ね)めまわした。
「ようっ、これは提轄(ていかつ)さまで」と、鄭は彼と見たので如才なく帳場を離れ――「おめずらしいじゃござんせんか。直々の御用なんてえのは」
「ベチャクチャいってくれんでもいい。今日はわが輩の主君、経略使(ちゆうけいりやくし)(は名、経略は外夷防寨の城主)の若殿のおやしきでご招待があるんだ。脂身(あぶらみ)などはちッとも交(ま)じらんとこを切れよ」
「かしこまりました。ヘイ、賽(さい)の目にね。おいよ店の衆、十斤(きん)がとこ、極く上々(じようじよう)を急いで」
「おっと待て。きさまあ肉屋の主人じゃないか。関西五路(かんせいごろ)の顔役とか何とかいわれて、こんな羽振りと繁昌を見ているのも、当地のご守護(ちゆう)若殿のおひきたてによるものとは思わんか。自分で切れ」
「こいつアおそれ入りました。まったく、こんな時こそ、ひとつせいぜい……」と、鄭はさっそく、自身、肉切り台の前に立った。そして、さすが手練(て な)れた大きな肉切り包丁を鮮やかに使って見せ、肉も吟味に吟味して、やっとのこと、
「どうも、お待たせ申しあげました」
と、大きな蓮(はす)の葉にくるんで差しだした。魯達は、うなずいて。
「そこへ置け。次には脂身(あぶらみ)ばかりのとこを、もう十斤」
「へえ。脂身ばかしなんて、何になさるんで」
「よけいな詮索(せんさく)するな。それも賽(さい)の目だぞ」
「むずかしいなあ。が、ようがす」
また小半刻(こはんとき)もかかって、鄭がこれをも、包んで出すと、今度は豚の軟骨ばかりを十斤、同様に切れと魯達が命じた。
これには鄭も、むっとした顔つきだったが、笑いに紛(まぎ)らして。
「旦那あ、人が悪いや。お嬲(なぶ)ンなすっちゃいけやせんぜ」
「洒落(しやれ)たことをぬかすな。自体、きさまの面(つら)は嬲(なぶ)りものにできとるじゃないか」
「何をっ」と、鄭(てい)のこめかみに、太い青筋がムラッと燃えあがった。「――おい、もう一ぺんいってみな。州の提轄だと思えばこそ、さっきから虫を怺(こら)えていたんだぞ」
「そうか。わが輩もきさまが本性をむきだすのを待っていたんだ。もう一皮むいてみせろ」
いうやいな魯達は、蓮(はす)の葉包みの二た包みの肉を、ばっと鄭の顔へ投げつけた。肉の雨を浴びたとたんに、鄭も鋭利な骨削(ほねけず)り包丁を持って、肉切り台を躍りこえ、
「うぬ。やりゃあがったな」
一閃(いつせん)、ずんぐり丸い巨体を低めて、魯達のふところへ体当りしてきた。
ぴしゃッと、大きな響きがしたのは、魯達の平手が瞬前に彼の横顔をはたきつけたものらしい。よろっと、泳ぎかけるその弱腰へ、もひとつ、
「今日の相手は、ちと違うぞ。この豚めが」
蹴足をくれて、店先から街上へ吹ッ飛ばした。
鄭は火の玉になって起き上がる。だが、立つやいな魯達の鉄拳(てつけん)に眼じりを一つ見舞われて「げふっ」と奇妙な叫びをもらした。――ところは状元橋(じようげんきよう)の目抜き通り、たちまちまっ黒な見物人の弥次(やじ)声が周(まわ)りをつつむ。関西五路(かんせいごろ)の顔役としては、いまさら、逃げもできなかろう。執念ぶかく魯達の大腰にしがみついて離れない。
「ええい街のダニめ。よくも憐(あわ)れな歌唱いの父娘(おやこ)を、骨の髄(ずい)までしゃぶりやがったな。この味はその利息だ」
振りほどいて突き上げた鉄拳は、鄭の顎(あご)を砕いたとみえ、仰向けにぶったおれた顔は血を噴いて、完全に伸びてしまったようすである。
「ざまア見さらせ」と、魯達はなおも彼の胸いたを踏ンづけて見得(みえ)を切ったが、鄭の反抗はそれきりだった。ひょいと見ると、片眼は眼窩(がんか)から流れ出し、歯は舌を噛んでいる。「……しまった、こいつはいけねえ、死んじまった」
魯達は、ちょっと後悔の色を見せた。そしてすぐ見物の群れを割って去りかけたが、一顧(いつこ)するや、わざと後ろへこんな捨て言葉を抛(なげう)った。
「ち。口ほどもねえ空つかいめ。くたばった振りなどしやがって」
――状元橋を渡るやいな、彼の歩速はだんだん早くなっていた。「つい、大変なことをしてしまった。人民の安寧(あんねい)を守る提轄(ていかつ)が、人民を撲り殺した。こいつは、ただですむはずはない」と、心中の自責に追ッかけられている風だ。
彼は、自分の下宿へ帰るやいな、そそくさと持ち物や小費銀(こづかいがね)をふところにし、その月の下宿代だけを部屋に残して、ぷいとどこへやら飛びだした。手には一振(しん)の棒をかいこみ、斉天大聖孫悟空(せいてんたいせいそんごくう)が、雲を翔(か)けるにさながらの態(てい)だった。
時もあらせず同日の午後には、州の王観察(おうかんさつ)なる役人が、同心捕手あまたを連れてここの下宿屋へ殺到したが、すでに魯(ろ)提轄(ていかつ)は風を食らってしまったあと。
さはいえ五路(ごろ)の顔役、鄭の遺族や乾分(こぶん)には財力もある暴力もある。また旅籠(はたご)の魯家からも、同時に大げさな訴えが州役署へ出されていた。当然、府尹(ふいん)もこれは捨ておけなかった。――逃亡した提轄(ていかつ)魯達にたいしては、天下の随所(ずいしよ)、いついかなる土地なりと、見つけ次第に逮捕(たいほ)処分構いなし、の令が出された。わけて特徴いちじるしい彼の風貌背丈(せたけ)などの詳細な人相書がともに諸県へわたって配付されたのはいうまでもない。
蘭花(らんか)の瞼(まぶた)は恩人に会って涙(なんだ)し、五台山の剃刀(かみそり)は魯(ろ)を坊主とすること
食う箸(はし)には腕力の要がない。豪傑も案外、職を失うと世間に弱い。逐電(ちくてん)の後の魯達(ろたつ)は、野に伏し山に寝(い)ね、今は、空き腹も馴れッ子のような姿だった。
漂泊(さすら)うことも幾月か。彼の姿はほどなくここ代州雁門県(たいしゆうがんもんけん)(山西省北部)の街中に見出される。街は周(しゆう)八支里(しり)の城壁にめぐらされ、雁門山(がんもんさん)に拠(よ)る雁門関(かん)は、つねに、北狄(ほくてき)の侵略にそなえていた。しかも古来たびたび、匈奴(きようど)の南下に侵された歴史の古い痍跡(きずあと)は、今とて、どこかここの繁華に哀しい陰翳(いんえい)を消していない。
「おや、ここでもまた、掲示に人だかりがしてやがる。この辺まで落ちてくれば、もう、よもやと思っていたのになあ」
辻の人混みにまじって、魯達は暢気(のんき)そうに、逮捕(たいほ)告示と、自分の人相書を眺めていた。
――代州雁門県署、コレヲ告示ス。
渭州(イシユウ)ニオケル殺人犯ノ軍籍者、提轄(テイカツ)魯達ナル凶徒、コノ地方ニ立廻ラバ即刻、官ヘ速報スベシ。庇護(ヒゴ)行為ノ者ハ同罪タルベシ。モシ又、上告ノ善ヲ為(ナ)スアラバ、即チ、賞一千貫文(モン)ヲ降(クダ)サルル者也
魯達のすぐ耳のそばで、声を出して読んでいる男や、杖の上に白髯(はくぜん)の顎(あご)を乗せている老翁や、心憶(おぼ)えに筆写している書生風なのや、女や労働者や物売りやら、なんとも雑多な陽溜(ひだま)りの匂(にお)いが蒸(む)れ立っている。
それを他人(ひ と)事(ごと)みたいな顔で眺めていた魯達は、
「……お、おい。なにをするんだ、なにを」
しきりに、自分の袂(たもと)を引ッ張る後ろの老爺(ろうや)を振り向いて、眼にかどを立てたが、
「おや、おぬしは翠蓮(すいれん)の」
「しっ。……ま、こちらへ」
老爺は遮二無二(しやにむに)、彼を人なき所まで引っ張っていった。そしてさて、大きな吐息を一つあらためてほっとついた。
「さっきから、よう似たお方と見ていたら、やはり恩人の魯達さまでございましたな。てもまあ、なんたる大胆な……」
「おや金(きん)の爺(とつ)さんだったのか。こいつあ意外だ。故郷(く に)へ帰ったものとばかり思ってたら」
「じつはあれからの旅路で、この地方の趙(ちよう)と仰っしゃる分限者(ぶげんしや)に行き会い、その方のお情けに囲われて、今では娘の翠蓮も、この土地で一戸を持っておりますので」
「オイオイ。また口のうまい豚野郎に、ころりといかれているんじゃないか」
「いえもう恩人さま。その人は鄭(てい)などと違って真面目(まじめ)なお方。翠蓮もあなたのお蔭だと朝夕口癖のように申しております。何よりは今の暮しを見ていただくのが一番。さ、どうぞおいでくださいまし」
「ど、どこへ連れていくんだわが輩を。……なに妾宅。そいつア苦手だナ」
「ま、そう仰っしゃらずに」と、金老爺(きんろうや)は無理に娘の家へ伴(ともな)って帰った。それと聞いて、奥から走りでた金翠蓮(すいれん)が、
「まあ。……魯達(ろたつ)さま」
と、蘭花(らんか)の瞼(まぶた)にすぐ涙をうかべ、この零落(れいらく)の恩人を遇(ぐう)するに、細やかな心かぎりを見せたのはいうまでもない。
「ともあれ、お湯浴(ゆあ)みでも」
と風呂をすすめ、その間に、下男女中を督(とく)して、鮮魚、若鶏(わかどり)、酢(す)の物などの手早い料理、さて杯やら銀の酒瓶(ちろり)やら、盆果(ぼんか)、点心(てんしん)(菓子)なども取揃えて、席も卓の上席にあがめ。
「さ、どうぞお一杯(ひとつ)。そして心からおくつろぎくださいまして」
「眼が眩(くら)みそうなご馳走だな。どうも近頃のわが輩には、もったいない」
「恩人さまに、こんな流浪のお苦しみをかけたのも、思えば全く私ども父娘(おやこ)のためで」
「よしてもらいたいな、いちいち恩人さま恩人さまといわれちゃあ、なんだか酒も美味(う ま)くなくなるじゃないか」
「はいはい。もう申しませんが、もひとつだけ、いわせていただきます。あれ以来は、紅紙(べにがみ)のお牌(ふだ)にお名前をしるし、朝夕お線香を上げて娘と拝んでおりました。ですから今日のご縁も、神仏の巡り合わせと思わずにおられません。のう翠蓮、おまえもこんな欣(うれ)しいことはあるまい」
「なんといっていいんでしょう。私はもう、何だか、泣けて泣けて……」
「こりゃあいかん。お志は万々うれしいが、翠蓮のシュクシュクだけは、わが輩、ご馳走にいただきかねる」
「ま、ごめんなさい。ほんに涙はお嫌いでございましたのにね。もう欣(うれ)し泣きもいたしませんから、陽気にお過ごしあそばして」
ところが、やがて黄昏(たそが)れ近い頃、戸外(そ と)でがやがや人騒ぎが聞えだした。風の音にも心をおく身、魯達が窓から下をさし覗(のぞ)くと、手に手に棍棒などを持った若者二、三十人をひき連れて、馬に乗った長者風(ちようじやふう)の一人物が、しきりと妾宅の内外(うちそと)を窺(うかが)っている。
「来たな」と、でも直覚したのか、魯達が裏屋根へ躍りでようとしたので、金老爺(ろうや)はあわててその腰帯をつかまえた。
「魯達さま、お待ちください。外へ来たのは、翠蓮がお世話になっている趙家(ちようけ)のお主(あるじ)でございます。趙の長者も、かねがね娘の話を聞いて、いたくあなたさまの義侠に感じておいでだったのに、なにか勘違いでもなすったに違いございません。ま、ちょっとこの老爺(ろうや)がわけをお告げしてまいりますから」
あたふたと、金(きん)は階下へ馳け下りていった。ほどなく、事は氷解したものとみえ、若者たちは追い返され、趙の長者一名だけが、老爺に伴(ともな)われて上がってきた。
「はははは。どうも変な気を廻して、とんだご無礼におよぶところでした。わしが翠蓮を世話しておる趙という者ですが、そこもとがかねて聞きおよぶ魯達どのか」
「いや、お互い危ないところだった。いかにもわが輩が提轄(ていかつ)くずれの魯達です。どうもお留守ちゅうにうかがって」
「なんのなんの。事、さように分ったらこれも一つの奇縁。翠蓮、こよいはお前の恩人を交じえて大いに楽しく飲もう。酒肴(さけさかな)もすっかり新たにかえるがいい」
長者の風(ふう)というか、趙(ちよう)は五十年配だが頗る大容(おおよう)な人柄に見える。あるいは義心の人に報ゆるに義心をもって接しようと努めているのかもわからない。灯は闌(た)けて酒興も酣(たけなわ)に入ると、
「どうです、魯達どの。こんな街中では気もゆるせません。ひとつ私の田舎へきて、ゆっくりご逗留(とうりゆう)なさいませぬか」
「かたじけない。して田舎のお屋敷というのは」
「わずか十里の郊外、七宝村(しちほうそん)と申す静かなところですが」
「なんらのあてもない身空(みそら)。甘えるようだが、そいつは一つご厄介をねがおうか」
この話には、翠蓮父娘(おやこ)もわがことのようによろこんだ。かくて趙の長者と馬を並べて、魯達が山紫水明な七宝村へ入ったのは次の日のことだった。
長者の邸は富に飽(あ)かせたものである。魯達には窮屈なほど下へもおかない。彼の恐縮を、趙は笑って、
「なにもそうお固くなるにはおよびませんよ。四海みな兄弟という言葉がある」
げにもそうだが、世間はそうではない。余り長居も――と十日目ごろには暇乞(いとまご)いをと思っていると、その晩の酒宴で、趙がこんな相談の口をきりだした。
「へんなおすすめだが、これも宿世(すくせ)の約束ごとやらも知れぬ。……とお考えなすって、ひとつ僧籍にお入りになってみるお気持はありませんか」
「えっ坊主に。……これは驚いた、わが輩に坊主になれと勧めたのは、ご主人、貴公が初めてだな。元来、みじんの仏性もないわが輩に」
「無理にともおすすめできませんが、じつは先日、あなたを怪しんで、街の若者をかたらい、翠蓮の家の前へ押しかけさせたため、あれが噂の因(もと)になって、その後ちらちら油断のならぬ風説を巷(ちまた)で耳にいたします。万一があってはと、私もひそかに自責を覚えておるものですから」
「いや、この上ご迷惑をかけては、魯達こそ申しわけない。すぐにも退散するとしよう」
「いやいや。その前に、いま申した僧侶に転化(てんか)する生き方もあるということを、ここでご一考なすってみては、どんなものかな。……もしお気があるなら万端の手続き費用、また五花(ごか)ノ度牒(どちよう)(官印のある僧籍免許状)などもさっそく調(ととの)えるが」
「いったい、寺入りするといえば、どこの寺へなので」
「ここより三十里彼方(かなた)に、五台山(だいさん)という名山がある。一山の大道場は文殊院(もんじゆいん)といって、結構(けつこう)壮麗、七堂の伽藍(がらん)と多宝塔(たほうとう)の美は翠色に映(は)え、七百の出家たちの上にある碩学(せきがく)は智真(ちしん)長老といって、私とは兄弟分ともいえる仲でして」
「ほ。なんだか悪くない気もしてくるな」
「しかも、父祖代々からの大檀越(おおだんおつ)でもあり、寺の造立(ぞうりゆう)や行事には、寄進はもちろん、なにごとにも座主(ざす)の相談にあずかっておる次第。ただひとつ、願望として欠けているのは、わが家から有縁(うえん)の一僧も寺籍に加わっていないことだけです。どうでしょうな、魯達どの」
「やってみるか、ひとつ」
「はははは。やってみるでは困りますがね」
「いや、発心(ほつしん)しよう。この辺で魯達(ろたつ)も大人しく人なみに返れという亡母亡父のおさとしかも知れん。お願い申すといたしましょう」
彼にとっては一大転機にちがいない。ちょっと淋しげな顔もしたが、話はきまった。
なにかの準備に、数日は要した。さて入寺(にゆうじ)登山の日となれば、二挺(ちよう)の山轎(やまかご)の荷持ちの男どもが五台山へさしていった。すでに一山の長老や僧衆とも、得度(とくど)の式、贈物(ぞうもつ)の施入(せにゆう)、あとの祝いなど、諸事しめし合せはついている。
轎(かご)は山僧大列の中を通って、方丈の前で降り、まず、喫茶(きつさ)一碗(わん)の施(せ)を拝し裏の井泉(せいせん)で垢穢(くえ)を洗う。……ほどなく梵鐘(ぼんしよう)いんいんと鳴る中を導師(どうし)に引かれて、長い廊をうねり曲がり、三尊の灯華(ちようか)おごそかな本堂へ進む。
見ると、一つの禅椅(ぜんい)(寺椅子(いす))が空(あ)いていたので、魯達は澄ましこんでそれに腰かけた。すると趙(ちよう)の長者は、大いにまごついて、坐りかけた身を起し、禅椅に倚(よ)っている魯達のそばへきて、彼の耳へ口をよせてささやいた。
「あなたは、ここへきて出家を願う身、一山の長老と差し向って腰かけたりしてはなりませんよ」
「あ。なるほど」
魯達は後へ退がって、長者の趙とともに、新入生のように立った。
正面には長老、首座(しゆそ)、以下順に東西二列となって、紫金紅金(しきんこうきん)の袈裟(けさ)光りもまばゆく立ち流れて見えたのは、維那(いの)、侍者(じしや)、監寺(かんす)、都寺(つうす)、知客(しか)、書記らの役僧たちか。――いずれも大きく口を結び、眸を澄まし、見るがごとく、見ぬがごとく、新入りの魯達をひそかに凝視の態(てい)だったが、どの顔つきにも「……はてな?」と、いいたげな怪訝(いぶか)りが甲乙なく漂(ただよ)っていた。
そうした心のうちで、誰も彼もが密かに思うらく。「……どう眺めても、いかにもぶっそうな人相だな」「あれで出家発心(ほつしん)とは?」「……趙檀越(ちようだんおつ)のご推薦だが、あの気味わるい居ずまいの不遜(ふそん)さといったらない」「……だが、長老もおひきうけとあれば」などと、声なきものも、自然、並いる姿の目鼻には妙な微風となって現われずにいなかった。だが、どこ風吹くかの魯達は、この森厳(しんげん)さと山冷えに、嚏(くさめ)でも覚えてきたか、しきりと鼻に皺(しわ)をよせて、鼻をもぐもぐさせていた。
なにを感じ入ってしまったのか、まるで棒を呑んだように魯達は直立のままでいる。趙の長者はふと気づいて、また隣の袂(たもと)をそッと引っ張って注意をあたえた。
「合掌(がつしよう)です……合掌作礼(さらい)しなければいけませんよ。あなたのために、いよいよ上人(しようにん)さまが、お剃刀(かみそり)の式をとるのですから」
「あ、そうなんで?」
魯達も慌(あわ)てて掌(て)を合せる。――見れば長老の上人は、払子(ほつす)を払って、やおら禅椅(ぜんい)に倚(かか)った様子。大香炉(こうろ)は薫々(くんくん)たる龍煙(りゆうえん)を吐き、この日長者が供えたお香料(こうりよう)の銀子(ぎんす)、織物、その他の目録にまずうやうやしく敬礼(きようらい)をほどこす。そこで咳一声(がいいつせい)、魯達が発心(ほつしん)による出家得度(とくど)の願文を高々と読む。
……終ると、香煙の渦の中にある上人(しようにん)の顔は、そのままいつのまにやら定(じよう)に入ったすがただった。膝に印(いん)を結び、趺坐瞑目(ふざめいもく)することしばらく、やがてのこと、何かが憑(の)り移ったようにこういった。
「――善哉(よいかな)、善哉。この漢(おとこ)はこれ、天の一星(せい)につらなる宿性(しゆくせい)。元の心は剛にして直なり。粗暴乱行はしばし軌道を得ざるがためのみ。ゆくゆくは悟りに会(あ)って、非凡の往生、必ずや待つあらん。……喝(か)ッ」
とたんに、法鼓(ほうこ)がとどろき、再びの梵鐘(ぼんしよう)が鳴ると、二人の稚子僧(ちごそう)が進んできて、魯達のかぶっている帽子をとらせ、彼の手をとって上人の法座の下へ、ひざまずかせた。
役僧の維那(いの)が、お剃刀(かみそり)を持って立つ。侍者(じしや)は耳盥(みみだらい)を捧げ、都寺(つうす)は櫛(くし)をとって、魯達の髪の毛を九筋(すじ)に梳(す)いて束(つか)ね分ける。……剃刀はジャリジャリと、彼の横びんから頂天の方へお月さまでも描くように剃(そ)り上げてゆく。
「……?」
魯達はへんな気持ちである。自分の容貌がどんな珍しいものに変ったろうかと気味わるかった。が、頭が急に寒々と剃り終って、その剃刀が髯(ひげ)のところへくると、彼は慌てた。
「あ。待ってくれい。ここらは、ちッとぐらい残しといておくんなさいよ」
衆僧は、どっと笑う。――それを鎮(しず)めるように、法座の智真(ちしん)上人が、大喝(だいかつ)で偈(げ)をとなえた。
「――寸草(スンソウ)留(トド)メズ、六根清浄(ロツコンシヨウジヨウ)ナリ。汝ノタメ剃ッテ除キ、争競(ソウキヨウ)ヲ免(マヌ)ガレ得(エ)セシム。……咄(ト)ツ、ミナ剃リ落セ」
魯達はもうベソもかけない。ここで首座(しゆそ)は、長者に代って九花の度牒(どちよう)を法座にささげ、新発意(しんぼち)魯達のために、願わくば“法名”を与えたまえと請(こ)う。
上人は、おごそかにまた、次の一偈(げ)をくだして、度牒を書記にわたし、書記は筆を取って「法名」をそれに書きこむ。偈(げ)にいわく。
霊光(れいこう)一点 価値(かち)千金(せんきん)
仏法広大 賜名智深(ちしんとなをたもう)
すなわち、新発意の僧名は“智深(ちしん)”と名づけられたのだ。――書記からその度牒を手渡されると、これで彼も形だけは出家並(なみ)の一人となったわけである。それから、長老は、彼の青いテラテラな頭上へ手をのせて“戒(かい)”を授けた。
「一に仏法に帰依(きえ)、二に正法(しようぼう)に帰奉(きほう)、三に師友に帰敬。これを三帰(き)という。……次の五戒とは、殺生、偸盗(ぬすみ)、邪淫、貪酒(どんしゆ)、妄語のことじゃ。守るか」
「はい。守ります」
魯智深(ろちしん)が答えると、なぜかまわりでまた笑った。禅の宗門では、ただ「応(おう)」とか「否」とか一語で答えるのが作法だからで、智深はことごとに顔を赤くするばかりだった。
晩には雲堂(うんどう)で大饗(たいきよう)(斎(とき)の馳走)が行われた。趙の長者から祝いの品々や心づけが端から端まで配られた。――こうして長者は、翌日、下山にさいして、魯智深を一人、選仏場(せんぶつじよう)の木蔭へ呼んで、しんみりと言い残した。
「馴れぬ生活で、初めのほどはお辛いでしょうが、どうかみッしり修行して下さいよ。長老にも、くれぐれお願いしてありますから」
「どうも、えらい厄介(やつかい)になりましたな。が、ご安心してください。もうこの頭では、生れ変って大人しくなるしかありません」
と、彼は青い頭を叩いてみせた。
だが、趙の山轎(やまかご)を見送って、叢林(そうりん)の一房に帰ってくると、彼はもう長者の言も忘れ顔に、ごろりと仰向けに寝ころんでいた。
すると、禅床(ぜんしよう)で修行中の二、三名が覗(のぞ)きにきて。
「おい、新発意(しんぼち)。なぜ坐禅でもしないのか」
むくむくと身をもたげると、魯智深(ろちしん)の方こそ、なんとも不審そうに、両手で頬杖したままいう。
「三帰(き)のうちにも、五戒の中にも、寝ころんじゃいけないという“戒(かい)”はなかったぜ」
修行僧は呆れて、首座(しゆそ)に訴えたが、首座も手がつけられないとみたか。
「いや、あの方外人(ほうがいじん)は、長老にいわせると、なんでも天の一星の宿性をうけた者とかであるそうな。当分はまあ放(ほ)ッといてみるしかあるまい」
智深の起居は、まるでところを得た猛獣のようなものである。誰も干渉の仕手がないのをいい気にして、眠れば雷のごときいびき、醒(さ)むれば、仏殿の裏、浄林(じようりん)の蔭、ところ嫌わず放尿(ほうによう)もするといった態(てい)たらく。
――かくて早くも五台山の夏から秋の四、五ヵ月も過ぎ、季(とき)は紅葉の燃ゆる晩秋の頃となった。
なんとなく里恋しく、魯智深は墨染(すみぞめ)の衣に紺の腰帯(ようたい)をむすび、僧鞋(く つ)を新たにして、ぶらと文殊院(もんじゆいん)から麓道(ふもと)のほうへ降りていった。
「……はてな。こいつはたまらぬぞ。ぷウんと、久しく忘れていた香が、どこからともなく風にのってくるが?」
それは秋草の花の香ならぬ酒の匂いだった。
数歩のうちに、下のほうから一荷(か)の酒桶をかついで登ってくる男が見えた。魯智深は、はからずも巡り会った恋人にでも引かれるように、
「おい、ちょっと待った」
と、男の担(にな)い棒へ手をかけて押しとどめた。
百花の刺青(いれずみ)は紅(くれない)の肌に燃え、魯(ろ)和尚の大酔に一山(いつさん)もゆるぐ事
荷担(にない)棒(ぼう)の酒桶は、男の肩の両端でブランと揺れた。もちろんフタの隙からこぼれ出た少しの酒が男の膝や地へ沁みこんで芳醇な香をふんだんに放ったのはいうまでもない。
「あっ。も、もったいねえ」
抑(おさ)えていた棒先の片手をそのままに、魯智深(ろちしん)がこぼれた酒を鼻で追っていくような恰好を見せたので、酒屋男はなおぎょっとして怪しんだ。
「な、なんでござんすか、お坊さま。いったいなんの御用でてまえをお留めなすッたんで?」
「酒だろう桶の中は。どうも、たいした酒だな。どこへ持っていくんだ」
「山上の仁王門にご修理がございますので、そこに泊りこみで働いている塗師(ぬし)、瓦師(かわらし)、仏師(ぶつし)などの職人方へ売りにいきますんで」
「ふウむ……」と、智深は絶えず鼻うごめかせながら「畜生。うまくやってやがるなあ」
――そこで彼はもう一言(ひとこと)、おれにもそれを売ってくれい、と喉(のど)の辺までは出しかけたが、ぐっと唾(つば)をのむ音をさせて。
「どうも坊主はまことに不便だな。が、まあ……出家の身だ、死んだと思ってあきらめようかい。……やい酒屋」
「へい」
「こぼさずに担(かつ)いでいけよ。石コロ坂に飲ませたって、坂道がいい色になって嬉しがりはせんぜ」
「どうもご親切さまに」
「ふざけるな、わが輩は泣きてえんだ。いまいましい奴に出ッくわしたわえ。早く行ッちまえ」
眼をつむって、そこは大股に馳け去った。そしてやがてのこと。麓(ふもと)の明媚(めいび)な風光が展(ひら)かれてきたと思うと、また下のほうから、いとものどかな鼻唄調子が聞えてきた。
この辺は、漢(かん)の高祖(こうそ)が楚(そ)の大軍をやぶった古戦場である。またかの有名な項羽(こうう)と虞美人(ぐびじん)が最期の悲涙を濡らして相擁(よう)した烏江(うこう)の夜陣(やじん)のあとも近い。だから附近の牧童や里人(さとびと)も今にそれを俚謡(りよう)として歌う。
九里山(さん)の草木は知ってるとサ、戦場のあとだとサ
おらも拾ったよ、サビ刀、土になった槍
烏江(うこう)の水は風に捲かれて、アレ見せる
虞姫(ぐき)と項羽(こうう)の、別れともない身もだえを
「おや、また何か担いできやがったぞ。ほほう。やってくるのはまたぞろ酒屋男だわえ。どうも今日はよくよく運の悪い日とみえるな」
おそらく、うさん臭い大坊主と先に恐れたのだろう、酒屋男は鼻唄をぷつんとやめた。そっとスレ違おうとしたのである。だが、あいにくな山坂である。ばしゃッと桶のうちから少し揺りこぼしたからたまらない。魯智深はぐらっと目眩(めまい)にくるまれて。
「おッと、と、と、と。……こら待て酒屋、どうも貴様は不量見なやつだな。なぜこぼす」
「ど、どうかご勘弁のほどを。……お法衣(ころも)でも穢(けが)しましたか」
「うんにゃ、さに非ず。穢されたいのだ。その桶の酒をわが輩に売れい」
「めッそうもない。沙門(しやもん)のお方に酒を売るのは御本山の法度(はつと)なんで、そんなことしたら、てまえはこの土地に住めなくなります」
「かまわん。もう我慢ならぬ」
「かまわんたって、こっちには妻子もおりまする。お売りするわけにゆきません」
「えい、七面倒な」
「あ痛ッ」
軽くやったつもりだが、酒屋男は天秤棒(てんびんぼう)から肩をはずして、もんどり打ッた。
一荷(か)は倒れ、一荷は無事だった。――智深はあわてて倒れた桶から先に救いあげ、また一方も持って、軽いのと重い桶とを、両手に引ッ提げたまま彼方(かなた)の見晴し台の亭(ちん)へ走りこんだ。
「ほうれ、値(あたい)はとらすぞ」
何を投げたのか、腰をさすッている酒屋男のほうへ、物代(ものしろ)をほうるが早いか、彼はもう桶のフタをとっていた。そして渇(かわ)いた巨獣が流れに鼻を沈めるような姿で、がぼ……がぼ……がぼ……。
ぷるん、と時折、首を上げて舌なめずりをし、顔を横に顎(あご)の雫(しずく)を振って切る。
「う、うっ。たまらぬ」
重いほうの桶は、まず片づけた。さすがに少し骨が折れるらしい。
「てへへへ。まだ底に残っておるな。ようしっ」
墨染(すみぞめ)の法衣(ころも)を刎(は)ねて、諸肌(もろはだ)ぬげば、ぱッと酒気に紅(くれない)を染めた智深が七尺のりゅうりゅうたる筋肉の背には、渭水(いすい)の刺青(ほりもの)師(し)が百日かけて彫ったという百花鳥のいれずみが、春らんまんを、ここに集めたかのように燃えていた。
「……ううい。ああ、なんとよい眺めだ、絶景絶景。腹の虫も雀踊(こおど)りしおるわ。……待て待て、まだまいるぞ」
軽いほうの桶の耳を両手でつかんだ。毛の生えている丹田(たんでん)(下腹)がぐうっとそッくり返ったと思うと、桶の中から滝を呑むように飲みだした。もちろん、その何分の一かは、あだかも岩肌を伝う小さい渓水(たにみず)みたいに彼の胸毛や法衣(ころも)をビシャビシャにして地に吸われている。
「むむ、これで、まずご満足、ご満足――」と、智深はたちまち混沌たる愉快にくるまれてきたらしい。天地万物、すべて我れのためにあるかのような心地とみえる。ふと、ころがッている足もとの酒桶を、つくづくと見すえて、
「……はてさて、貴さまも空ッぽになってみるとつまらんやつだな。智深和尚の引導(いんどう)を、せめてこの世の冥加(みようが)と思えや。喝(か)ッ」
と、麓へ向って二つとも蹴放った。一個は空天に躍って森へ沈み、一個はすぐ下にいた牛の群れの中に落ちた。びっくりした牛が跳び別れて、やがて後から、のろまな啼き声が長く聞えた。智深は手をたたいてうち笑い、蹌々踉々(そうそうろうろう)、どろんこになって、ほどなく五台山へもどってきた。
「ちイ、このなめくじ野郎め、な、な、なんでこの魯智深(ろちしん)を、通さんとぬかすのか」
「とんでもない仏弟子(ぶつでし)だ。こら智深、ここは山門だぞ、山門だぞよ」
「なアるほど、文殊院五台山の山門らしい」
「葷酒(クンシユ)山門ニ入ルヲ許サズ。とそこにそんな大きな制札も立ってある。もし破戒飲酒の僧あらば、青竹で四十打(ぶ)ッ叩いて寺域追放の掟(おきて)だぞ」
「おもしれえ。ちょうど按摩(あんま)代りになる。おい番僧、いっちょうやってくれい」
ところへ、騒ぎを聞きつけて、監寺(かんす)、提点(ていてん)、蔵主(ぞうす)、浴主(よくす)などの役僧などから、工事場の諸職まで、まっ黒になって様子を見にきた。たちまち門の番僧らと一つになって、
「やあ言語道断。破戒堕落の外道(げどう)など、一歩も不浄者を入れることはならんぞ、水でも浴びせろ」
とばかり智深を拒(こば)んで、その大きな図(ず)ウ体(たい)を突きもどし、さらに山門前の石段へ突きころがした。
さあたまらない。「――やったな」と智深は四つン這いになって上を睨(ね)めあげた。一段一段、大象(だいぞう)のようにゆっくり登ってくる。恐ろしさに役僧どもも職人もタジタジと後退(あとず)さりした。智深はいよいよおもしろくなった。まるで彼の遊戯のお相手のために大勢そこへ出揃ってきたようなものだった。
「そうれっ。片っ端から摘(つま)ンで捨てるぞ」
躍り立つやいな、事実、彼の左右の腕、両の足から、さながら塵芥(ちりあくた)みたいに人間が刎(は)ね飛んだ。――わあっと逃げるを追って、彼はなお、伽藍(がらん)、堂院、いたるところで地震のような音響と悲鳴をまき起し、あげくのはて蔵殿(ぞうでん)の一室へ入ると、大の字なりに寝てしまった。その鼾(いびき)たるやまた山谷(さんこく)を揺するがごときものであった。
それに呆れているどころか、後の始末やら物議こそまた一と揉(も)めだった。番僧たちは、監寺(かんす)、提点(ていてん)などを先に立てて、智真長老の座下へ迫った。
「かかる例(ためし)は、わが文殊院五台山の開山以来ありますまい。霊域に魔獣を飼えとは釈尊(しやくそん)の法(のり)にも聞きおぼえぬところ。よろしく即時ご追放あッてしかるびょう存じまする」
「まあ、まあ。そういわんで、こんどだけは慈悲の眼で見てやれんかのう」と、智真長老は慰撫一方のていで努めていう。
「――大檀家(だんか)の趙大人(ちようたいじん)のお顔もあることじゃし、明日ともなれば、わしから智深にきびしく諭戒(ゆかい)を加えて、以後きっと、慎ませようで」
囂々(ごうごう)たる不平はたいへんなものだったが、長老の鶴の一と声。ぶつぶつ引き退(さ)がるしかなかった。
翌朝。――智深はむっくり起きに、蔵堂(ぞうどう)裏の竹林へ出て、こころよげに放尿していた。そこへ上人のお召しときたので、彼は大慌(おおあわ)てに後へついていき、畏(おそ)る畏るその座下にうずくまった。
「これっ智深。おまえはどうも困ったやつ。察するに病持(やまいも)ちだな」
「いいえ、体はこの通り人一倍丈夫ですが」
「何をいうぞ忘れッぽいという一病があると申すのじゃ。得度(とくど)のさい授けた五つの戒(かい)と、三帰(き)を忘れたの」
「あ。病(やまい)とはそのことで」
「さればじゃ。昨夜の大酒乱行はそも何事ぞ。山門の清規(せいき)を破って、あのざまは」
「もう、しません」
「きっとか。以後忘れないか」
「つつしみまする。はい。きっと、つつしみまする」
しおしおと、智深は禅床(ぜんしよう)へ引き退がった。もう人の耳こすりや嘲笑にも、めったには怒らないぞと、顔に錠前(じようまえ)をかけたような無口に変った。
だが、その年も暮れて、待つに長い山上の春がやっと訪れ初めた翌年の三月初めの頃、智深はぽかんと麓(ふもと)の空を眺めやっていたが、そのうちにふと、トンカン、トンカン、鍛冶(か じ)屋(や)の鎚音(つちおと)が風にのって聞えてきた。――と、なに思ったか、ありあう銀子(ぎんす)をふところにねじこんで、ぷいと僧堂をとびだし、今日は少し道をかえて“五大福地”と額(がく)にみえる大鳥居をくぐり、東の参道坂をどんどん降りていった。
「おや、こりゃあ何とも賑やかだわえ。こんな聚落(じゆらく)があったとは今日までまったく気もつかなかったぞ。あほう、どうしてわが輩はいままで五台山下に門前町があるべきことを思わなかったのか。だがまアいいや、遅いにしても帰命頂礼(きみようちようらい)――」
彼は、にわかにうきうきとあるいた。眼もキョトキョトとせわしなかった。肉屋がある、酒屋がある、女の嬌声(きようせい)、赤ン坊の泣き声、さてはなつかしい大道芸人の音楽だの、古着屋、八百屋、旅人宿、うどん屋の婆アさんまで、かつての日の渭水(いすい)の場末も思い出されて、どれもこれも悪くない。
「ああやっぱり人間界はいいなあ」
その人間臭い街のなま温いものに久々でくるまれながら、ぼんやり通り過ぎかけて、
「おっと。ここだっけ」
と、一軒の鍛冶(か じ)屋(や)の土場(どば)へのっそりと入った。
山上にまで、テンカン、テンカン、谺(こだま)してきたのはここの鎚音(つちおと)と鉄台(かなしき)の響きにちがいない。手を休めた三人の鍛冶工は、鼻の穴から目ヤニまで炭(すみ)にした真っ黒けな顔を揃えて、智深の姿を見まもった。いや見上げたというほうが当っている。
「やあ親方、こんちわ。……どうだね、極く質のいいはがねはあるかい」
「へえ、お坊さまに、はがねの御用がございますかね」
「ばかにするな。坊主とはがねと、無縁という法もあるまい。錫杖(しやくじよう)を一本鍛(きた)えてもらいたいんだ。ちょっと、手ごろのな」
「なるほど。ですがお坊ンさん、誂(あつら)えちゃあお高くつきますぜ。出来合いじゃいかがです」
「ところがわが輩の手に合う出来合い物なんて見たことないので持たなかったのだ。ひとつ急いでこさえてくない。重サ百斤(きん)ほどなのを」
「冗談じゃない。百斤なんて錫杖は人間の持ち物にゃありませんぜ。三国時代の豪傑関羽(かんう)さまの偃月刀(えんげつとう)だって八十一斤でさ」
「では、関羽公と同格の八十一斤としておこうか」
「へへへへ。無理するこたアありませんぜ。なにもお坊ンさんは、三国の劉備(りゆうび)玄徳の忠臣でも親類でもねえんでしょ。およしなさいよ不恰好だから。それより飛びきり上等のはがねがございますから、水磨(すいま)仕立てで六十二斤ぐらいなところはどうです」
「むむ、その辺で折り合ってやるか。相談(はなし)はついた。おいいっしょにこんか、親方」
「へ。どちらへでござんす」
「火(ふいご)祝いに、一杯飲ませてやる。どこか馴じみの家へ案内しなよ」
「ま、どうかお気楽にお一人で。――それよりはお坊ンさん。錫杖(しやくじよう)は五両かかります。どうかお手付の銀でも、ひとつ」
「け。ケチなことをいうな」
なにがしかの小粒銀を投げ与えて、智深はゆらりと鍛冶の軒を煙といっしょに外へでてくる。そして街をぎょろぎょろ見廻した。
酒屋の軒を覗(のぞ)き廻ること二、三軒。どこでも例外なくお断りを食った。そこでついに街はずれまででてしまい、ふと見ると破れ廂(びさし)から、酒と書いた旗をだしている一軒がまたあった。立ち寄れば、牛の屎(くそ)まじりの土墻(どべい)に、誰のいたずらか“李白(りはく)泥酔ノ図”といったような釘描(くぎが)きの落書がしてある。
「……いや、おもしろい絵だな。いや、おれも一つ、あれくらい酔ってみたい」と、智深は独りごとをもらしながら、内へ入った。
「こら亭主。わが輩は五台山の坊主ではないぞ。だから心配はいらん。酒を一ぱい飲ませてくれ」
「へいへい。どちらからお越しで」
「廻国行脚(あんぎや)の途次で通りかけた者。といって乞食坊主でもない。ほうら銀子(ぎんす)もある。それ、そこの大碗(おおわん)で早くよこせ」
むさぼるごとくがぶがぶ飲んで、たちまち碗を代えること十数杯。こんどは自分から立っていって薄暗い厨房(ちゆうぼう)の調理台にあった兎の股(もも)みたいな烙(あぶ)り肉を右手に一本つかみ、それを横へ咥(くわ)えかけた。
「あっ、雲水(うんすい)さん。そいつあだめです。坊さま向きじゃございませんよ」
「亭主。なぜ止めるのか」
「犬の肉でございますよ。なんぼなんでも」
「なに犬肉だと。いや、よろしい。犬だからとて賤(いや)しむことはない。わが輩の腹中はすなわち弥勒(みろく)だ、猿であろうが鹿であろうが一視平等。豈(あに)、差別すべけんやだ、けっこう。いけるじゃないか、おやじ」
にんにく味噌(みそ)を付けてたちまち骨だけを足もとへ投げ捨て、さらに次の一本を持って、
「肴(さかな)ばかりじゃしようがないな。おい、そこの瓶(かめ)ぐるみ持ってきてここへおけ。そいつあ黄米(あ わ)酒(ざけ)だろう。むむ、珍重珍重(ちんちようちんちよう)」
――やがて。陽もすでに黄昏(たそが)れごろ、智深は、天雲を降りて天雲へ帰るがごとく飄々(ひようひよう)とひょろけつつ五台山へもどっていく。途中でぶつかりかける男女を見ると、彼らの逃げまどう姿へ、哄笑(こうしよう)を撒(ま)きちらして。
「わはははは。さあ、智深さまのお通りだぞお通りだぞ。酔いどれには天子さまも道を避けるという諺(ことわざ)があるのを知らんか。さあ、退(の)いたり退いたり」
翌朝のことである。――といっても、五台山五峰(ほう)の西にはまだ影淡き残月が見え、地には颯々(さつさつ)の松原がやっと辺りを明るみかけさせて来た頃だった。
「うう寒い。……おや、おやおや。わが輩はどうしてこんなところに眠っていたのか」
智深はわれを疑って、むっくりと起きた。寒いはず、石だたみの上で寝ていたらしい。しかも自分が抱いて眠っていたのは、自分の二倍もある巨(おお)きな仁王像だった。山門の仁王様に相違ない。
ふと仰ぐと、日ごろ見なれたそこの仁王門は颱風(たいふう)の跡みたいに、見るも無残に破壊されており、もう一体の仁王像も、常に居るところには見えなかった。だんだんそこらが白んでくるにつれて、仁王の手やら首やらまた瓦(かわら)だの玉垣の破片などが、惨(さん)として、智深をつつんでいることがわかった。
すると、そこへ、番僧の一人がきて叫んだ。
「おう智深。やっと眼がさめたか。長老以下が待っておられる。すぐ大講堂の廊までまいれ」
彼はまだ頭がはっきりしないらしい。ふらふらと歩いていった。見ると智真上人(しようにん)以下、大講堂の廊には、常ならぬ威儀で役僧全部で並んでいた。彼を見るやいな、まず都寺(つうす)が起坐(きざ)して、
「こら智深、よくうけたまわれ。なんじ、昨夜は、またもや麓(ふもと)にでて飲酒の戒を破って大酔のまま帰山せしのみならず、山門において、例のごとく暴勇をふるい、番僧雑人(ぞうにん)十数名を殺傷し、あまっさえわが文殊院の至宝たる仁王像を引きずり下ろして微塵(みじん)となし、それに尿(ぬい)を放って、快を叫ぶなど、沙汰の限りな狼藉の果て、今暁までその場に眠りおったとのこと。――すべて言語道断な次第じゃ。じゃによって、一山大衆(だいしゆ)の名をもって、上人(しようにん)の裁可を仰ぎ、即刻、わが浄域(じよういき)より追放を申しつくるものである」
と、怒りをふくんで申し渡した。
智深は、半分ぐらいまで、他人(ひ と)事(ごと)みたいに聞いていたが、自分が当人かと、やっと気づいて、
「えっ。そんなことをしましたか。この智深が」
すると監寺(かんす)、書記、首座(しゆそ)、提点(ていてん)らの役僧も一せいに口を揃えて罵(ののし)った。
「ぬけぬけと、ようそんな顔ができたものだ。彼方(かなた)の僧房を覗いてみよ、汝のために手足を挫(くじ)かれた怪我(けが)人が、枕を並べて呻(うめ)いておるわ」
「それのみか、門前町から山上の途中でも、見晴らしの亭(ちん)を打ちこわし、附近の娘どもを見れば、狼が鶏(にわとり)でも追うように、追っかけ廻して歩いてきたとか」
「いちいち挙げればきりがない。さほどな痴態(ちたい)悪業におよびながら、いまさらなんぞ、その白々(しらじら)しさは」
智深は二の句も出なかった。やがて悄々(しおしお)とその場を退(さ)がると、智真長老から再度よばれて、
「さても是非ない仕儀。このうえ、当山にとどめおかば、そちの恩人たる趙(ちよう)の長者にもいっそうご迷惑をかけることになろう。そこ思って神妙に退散せよ」
藍(あい)の脚絆手甲(きやはんてつこう)、一重の僧衣、それに鞋(くつ)一足、銀子(ぎんす)十両ほどの恩施(おんせ)が、前におかれていた。
智深は、ぽろりと涙をこぼした。そして、猫のように。
「どうも、なんともかとも、申しわけございません。われながら今はわが身を持てあましまする。といって首を縊(くく)る気にもなりませんが、いったい、この魯智深はどう生きていったらいいんでしょうか。ね、お上人さま」
智真長老は、胸のうちで、心易(しんえき)でも立てているのか瞑目(めいもく)久しゅうして、一偈(げ)をつぶやいた。
「……林ニ遇(オ)ウテ起リ、山ニ遇(オ)ウテ富ミ、水ニ遇(オ)ウテ興(オコ)リ、江(コウ)ニ遇(オ)ウテ止(トド)マラム。……四遇(グウ)ノ変転ハ身ニ持テル宿星ノ業(ゴウ)ナリ。魯智深、まずは生きるままに生き、行くがままに行け」
「はい。じゃあ、そういたしましょう」
「さし当って、身の落ちつく先もなくては困ろう。わしの弟弟子(おととでし)は昨今、開封東京(かいほうとうけい)の大相国寺(だいそうこくじ)にあって、智清禅師(ちせいぜんじ)と衆人にあがめられておる。この添書(てんしよ)をたずさえて、大相国寺へまいり、よう禅師にすがってみるがよい」
「どうも何からなにまで、ありがとうぞんじます。……ではお名残り惜しゅうございますが」
と、彼が神妙に頭をさげると、侍座(じざ)の役僧たちはみな笑った。「……なにがお名残り惜しいものか」と、彼の退散に、胸撫で下ろしていたからだろう。
さて。――その日。智深は悄然(しようぜん)と麓(ふもと)町へ降りていった。そして、鍛冶屋の隣の旅人宿へ泊りこんだ。さきに鍛冶屋へ誂(あつら)えておいた錫杖(しやくじよう)が出来上るのを待ったのだ。そしてやがて半月ほど後に、その出来栄(ば)えが見られた。重さ六十二斤水磨(すいま)作りの錫杖は上々なものだった。
「ようし、この一杖(じよう)さえあれば、天下の山川草木(さんせんそうもく)は、みなわが従者」
彼はたちまち、ここ数日の鬱(うつ)を眉に払って、大満悦な態(てい)となり、すぐさま開封東京(かいほうとうけい)へさして出立した。
花嫁の臍(へそ)に毛のある桃花(とうか)の郷(さと)を立ち、枯林瓦罐寺(こりんがかんじ)に九紋龍(くもんりゆう)と出会いのこと
奇異なる旅の子魯智深(ろちしん)は、幾度も山に臥(ふ)し、野に枕したが、野獣猛禽(もうきん)も恐れをなしてか、彼の寝姿と鼾声(かんせい)のあるところは、自然一夜の楽園と化し、なんの禍いも起らなかった。
もっとも智深は身に一トかたきの食糧を持つではなし、金銀は元より帯ぶるところにあらずだから、これを襲ってみたところで、得るものは何もありはしない。――その夕べも、腹をぺこぺこにして、やっと山中の一村に辿(たど)りついた彼だった。
「おうこの辺は、たいそう桃の多いところだな。今や桃の花ざかり。そうだ、今夜は一つそこらの桃林に寝て、武陵桃源(ぶりようとうげん)の夢とでも洒落(しやれ)ようか」
――すると、鶴のごとき一人の老人。彼が立ち入りかけた桃林の傍らから出てきて。
「もしもし、お旅僧。こよいは当家にちと取り混み事がございますし、それに不慮のお怪我(けが)でもなさるといけませんから、ほかへ行ってお休みくださらんか」
「おぬしは誰だ」
「この桃花村(とうかそん)の旧家で、劉家(りゆうけ)のあるじでございますが」
「……どうしたのだ、いくら老人にせよ、まるで粘土(ねんど)のような顔いろをして、いまにも泣きだしそうなその容子(ようす)は」
問われると劉老人は、もうさめざめと本当に泣き出していた。「……じつは」と打ち明けるのを聞いてみると、今夜は愛娘(まなむすめ)の婚礼の晩だという。
「なに、一人娘の婚礼だと?」
いよいよ、おかしい。好奇心も手つだって、なお仔細(しさい)を聞きほじってみた。
そこで老翁が語り出すのを聞けば、この地方の青州(せいしゆう)の県軍でも手を焼いている匪賊(ひぞく)の一団がこれから奥の桃花山に住んでいる。
愛娘の聟(むこ)というのは、その賊将の弟分と称する周通(しゆうつう)という者で、もとよりこっちから、嫁(や)るといったわけではない。
「桃の花が咲いたら、聟入りにいくぜ。前もって、山から使いを出しておくが、聟入りの夜には、花嫁を磨いて、酒肴(さけさかな)の支度はいうまでもなく、万端、華やかにしておきねえ」
と、すでに周通の前ぶれを受けていたものだとある。そしてもし、それに逆らえば、桃花村は一夜に焼き払われるか、みなごろしの目に遭うであろうと顫(わなな)くのだった。
「あはははは、いまどき、古手なやつもあるもんだ。よろしい。じゃあ真夜半に、その桃花山の賊が押しかけ聟に来るんだな。劉(りゆう)じいさん、心配するな」
「……と、仰っしゃってくだすっても」
「じつは、わが輩はもと渭水(いすい)で提轄(ていかつ)(憲兵)をしておった魯(ろ)という者だ。そういう裁きには手馴れている。わが輩を娘御(むすめご)の部屋へ案内するがいい」
「娘は昨日から泣き沈んでいて、人さまにお会いするどころではございません」
「会わんでもいいよ。娘御は早くどこかへ隠してしまえ。そしてわが輩が花嫁になり代って、寝台の帳(とばり)を垂れて寝ておるから、賊の周通がきたら、盛大な祝宴と見せて、たっぷり酒を飲まして連れてこい。……いや、それまでの間、わが輩も独りで閨(ねや)に待つのは退屈で堪らん。花嫁の部屋にも酒を忘れるなよ」
劉老人は、ためらうより恐れ気味だった。しかし、一族大勢がやってきて、だんだんに智深の説得を聞き、盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)で、ついに彼の策にすがった。
そこで智深は、宵(よい)のまに、花嫁の部屋に隠れこみ、そこの帳(ちよう)を垂れて、寝台に横たわった。もちろん彼にも饗膳(きようぜん)と酒が供されたので、鱈腹(たらふく)たべて、寝こんでいる……。
が、ときどき眼がさめた。もう何刻(なんどき)ごろか。表の方では、花聟の列でも着いたのか、銅鑼(どら)や太鼓の音。そして“聟迎えの俚歌(さとうた)”などが賑やかに聞えだしている。
「……ははあ、そろそろ祝宴が始まったな」
その辺までは知っていたが、またいつかぐっすり寝入ってしまったらしい。夜は森沈(しんちん)と更け沈み、赤い蝋燭(ろうそく)の灯にみちびかれて、魔王のごとき影がゆらゆら室の外まできたらしいのも、彼は全然知らなかった。
劉老人らしいのが、そこで声をひそめて、
「……では花聟さま。てまえは、ここで失礼を」
やがてコトコト戻っていった。遠ざかるその跫音(あしおと)をたしかめてから、賊の周通は、すうっと部屋へ入ってきた。
「おや、真っ暗じゃねえか。……ははあん、さては羞(はず)かしがっているのか」
独りごとをもらしながら、周通は手さぐりで花嫁の寝台へ近づいてきた。そしてまた、おや? とでも思ったのか。
「ひどく酒臭(くせ)えなあ。むむそうか。花嫁の部屋でも、身内の宵(よい)酒盛りとかやるのが慣(なら)いだからそのせいだな。……これよ、娘、いや嫁御。なにもそう羞(はず)かしがるにはおよばぬよ」
じつは、周通のほうこそ少してれ気味である。柄(がら)にもなく、そろっと、帳(ちよう)の内へもぐり込んで、花嫁の衣裳の下へ手を入れた。すると、ヘンなものが彼の手にジャリッとした。どうも臍(へそ)らしいが毛が生えていた。
「あっ。代え玉を食わせやがったな」
どたんと、彼が寝台から転(ころ)び落ちたので、智深は初めて眼をさました。ばっと刎(は)ね起きざま、花嫁衣裳を被(かず)いたまま、
「待てっ、聟どの。逃げるとは薄情な」と裏手の桃林へと追ッかけた。
周通は柳の木につないであった馬を解くやいな、柳の枝をムチにして一散に逃げだした。智深もまた、手下の馬の一頭に跳(と)び乗って追ッかけていく。――それはいいが、さあ、劉家の後の騒動といったらない。
残された手下どもは、変だと知って、劉老人を縛りあげ、これを曳いて、翌朝、桃花山の匪賊(ひぞく)の木戸へ帰ってきた。
ところが、なんぞはからん、そこでは、賊の頭目と魯智深とが、仲よく笑いながら酒酌(く)みかわしている。そしてまた、昨夜の押しかけ聟――すなわち頭目の弟分の周通は、悄(しお)れ返って、そのそばで首うなだれている始末ではないか。
「やあ、劉じいさん、可哀そうに、捕まってきたのかい。おい花聟、早く縄を解いてあげろ」
魯智深はげらげら笑って、仔細を話した。
昨夜、相手を追いつめて、この木戸まできてみると。弟分の助太刀に出てきた頭目というやつは、なんと、渭水(いすい)の街の膏薬(こうやく)売り――あの打虎将(だこしよう)ノ李忠(りちゆう)であった。
「……ばかなやつらだ、こんなところでケチな山賊などしてやがって。まだ、膏薬売りのほうが、どれほどましな商売か知れめえに」
と、今も、意見していたところだとある。
だが、打虎将李忠も、その弟分の周通と名のる男も、これが天性彼らには性にあっている生態なのかも知れなかった。表面は神妙に服して。「……いやもう、以後は決して、劉の娘になぞ手出しはしません」
と、誓っていたが、どうも本気とは思われない。
智深が少し白い歯を見せると、李忠は図にのッて言った。
「おれが渭水(いすい)の土地を売って旅へでたのも、智深、ほんとは、おぬしのせいだぞ。おぬしが関西五路(かんせいごろ)の顔役鄭(てい)をなぐり殺したため、おれたちにまで、役人の手が伸びて、片っぱしから牢へぶちこみ始めやがった。そのため、おればかりでなく史進も渭水を捨てて、どこへともなく姿を消してしまったじゃねえか」
「そうか。いわれてみれば、わが輩にも責任があったことか。だがもう古手な素人(しろうと)脅しの生娘漁(きむすめあさ)りやケチな悪事はよしたがいいぜ。やるなら男らしい大望を持ったがいいよ。でっかい夢をよ」
とはいえ、智深も長居は無用と見たのであろう。ふたたび劉家や桃花村には仇(あだ)をしないという誓いを二人に立てさせ、二人が矢を折ッて、悪党仁義の金打(きんちよう)をしたのを見ると、劉(りゆう)老人を里へ帰し、自分もまた、飄(ひよう)としてここを立ち去ってしまった。
そしてふたたび、東京(とうけい)さしての旅また旅をかさねてゆくうち、はからずも、ここ瓦罐寺(がかんじ)と呼ぶ奇峭怪峰(きしようかいほう)の荒れ寺に、一夜の雨露(うろ)を凌(しの)がんと立ち寄って、彼は、世にあるまじき人間のすがたを見た。
「はあて……。これが建立(こんりゆう)された時代は、天子の勅使、一山の僧衆、香煙、金襴(きんらん)、さぞ目ざましいものだったろうに。よくもこうまで、荒れ果てたものだ」
瓦罐寺(がかんじ)の地内へ、一歩入った智深は、その荒涼たる景に、さしもの彼も、唖然(あぜん)とした。
鐘楼(しようろう)や堂宇は崩れ放題、本堂のうちも雀羅(じやくら)の巣らしい。覗(のぞ)いてみれば、観音像はツル草にからまれ、屋根には大穴があいている。そこらの足痕(あしあと)は、狐のか狸のか、鳥糞(ちようふん)獣糞(じゆうふん)、すべて異界のものだった。
「おういっ。人間はいねえのか。だれか住んでる奴はいないのか」
すると奥のほうから骨と皮ばかりな老僧が、ひょろりと立ち現われて、
「おお……お旅僧か。ここには人をお泊めする糧(かて)もないぞよ。早う行かっしゃれ、行かっしゃれ」
「なに、糧(かて)もないと。あの庫裡(くり)で炊(た)いている煙はなんだ。どうせ貴様たちの食物も里で貰ってきたお布施(ふせ)だろう。おれも腹が減(へ)っている。お斎(とき)にあずかりたいものだ」
「めっそうもない。わしたちですら、露命をつなぎかねているのじゃ。そんな大声だしているとご僧の身の皮も剥(は)がれちまうぞよ。さ、早く立ち退きなされ」
「ていよく追っ払おうというのか。それとも誰かに気がねしてそういうのか」
「ここには、崔道成(さいどうせい)という悪僧と、丘小一(きゆうしよういつ)という行者(ぎようじや)の悪いのが、わがもの顔に住んでおる。……わしらはその二人に寺を奪われて、やっと粟粥(あわがゆ)をすすって生きているばかりなのじゃ」
「ふウむ。崔(さい)と丘(きゆう)。そんなものが恐ろしいのか。とにかく、もうすこし話をきかせてくれ。その代りあっちで粟粥を一杯ご馳走になるぜ」
庫裡(くり)へ廻ってみると、まるで隠亡窯(おんぼうがま)みたいな赤い火を薄暗い中に囲んで、ここにも骸骨(がいこつ)みたいな痩せ法師が、がつがつ粥(かゆ)を喰べあっているところだった。
智深が鍋(なべ)へ手を出したので、彼らは隅へ竦(すく)んでしまった。そして智深が二、三杯もすすりかけると、恨めしそうに、ぽろぽろ涙をこぼしては見つめている。いかな智深も、これでは喉(のど)に通らない。腹は減(へ)っていたが、いまいましげに、中途で欠け碗(わん)をほうりだした。
――と、外の方で、田舎(いなか)唄(うた)だが、粋(いき)な声がふと聞えた。見ると、行者ていの若い男が、天秤(てんびん)で一荷(か)の荷をかついで通った。その竹籠の中には、蓮(はす)の葉にのせた桃色の牛肉や酒や野菜などをのせている。智深は眼を光らせた。
「あいつか。この寺に巣を作って、おまえらには物も食わせないというやつは」
「そうです、あれが飛天夜叉(ひてんやしや)とアダ名のある丘小一(きゆうしよういつ)で」
「ほかにもう一匹、崔道成(さいどうせい)とかいう化道(げどう)がいるわけだな。ようし、いま見た牛肉はわが輩が食ってやるぞ」
「およしなさい。そ、そんな真似をなすったら、すぐご一命はありませぬ。のみならず、私たちまでどんな目にあうか知れません」
「わはははは。なにをガタガタ慄(ふる)えるのだ。まア見ておれ。おまえらにも、今夜は肉の一片ずつをお布施(ふせ)してやるから」
豹(ひよう)のごとく、智深は跳びだして行った。手には鍛(きた)えてまだ日の浅い錫杖(しやくじよう)が、はがねの匂いも立つばかり光っていた。
とも知らず行者の丘小一は、むかし方丈の庭でもあったらしいところまでくると、荷を下ろして、待っていた二人の者と、なにか笑って話している。――見れば、大きな槐(えんじゆ)の下に、一卓(たく)をすえ、崔(さい)坊主は、一人の若い女を擁(よう)して腰かけていた。
女を中に挟(はさ)んで、すぐ酒もりにでもかかるつもりか。陶(とう)の器、杯などを、卓の上へ並べだした。ところへ、のっそり魯智深が近づいてきたので。
「やっ。雲水じゃねえか、てめえは。誰に断わってここへ来た」
「来てはいけないのか。あっ待った。そこの女子(おなご)。いずれおまえは、里から攫(さら)われてきた人妻か娘だろう。あぶないよ、退(の)いていな」
「なに、あぶねえと」
そこは悪と悪。眼(がん)を読むのは迅(はや)かった。
崔(さい)が起(た)ったと見えたとたんに、その手から水の走るような一刀が智深の胸先三寸の辺を横に通った。かわすまでのことはない。智深の錫杖は傍らの丘小一へ向って一つぶんと旋(まわ)る。丘は退(さ)がって、これも腰の一刀を見事に抜いた。気合い、眼光、いずれも智深に劣る者とは見えない。
だが、恐いもの知らずの智深である。また、かつて一度でも不覚をとったためしはない。「おううっ」と彼の満身が吠えたのも久しぶりだ。――ござんなれという構え。
じりじり、その彼を挟(はさ)んで、二刀の切ッ先は寸地を詰めつつ迫ってくる。まるで刀の先に眼がついているかのごとく、智深の毛ほどな動きも見のがさない。「……はてな?」智深は少し汗を吹きはじめた。「腹のへッているせいか?」いや、そうでもなかった。剣気というのか、一種の精気が呪縛(じゆばく)をかけてくるのだった。智深はやっと自重しだした。
「南無三(なむさん)、こいつは、いけねえ。めずらしく手強(てごわ)いらしいぞ」
破陣の勢いで錫杖を一振(しん)すれば、丘小一の影は宙へ躍って新月の刃(やいば)をかざし、崔道成は低く泳いで颯地(さつち)の剣(けん)を横に払う。一上一下、叫喚(きようかん)数十合(ごう)、まだ相互とも一滴の血を見るなく、ただ真っ黒な旋風をえがいては、またたちまちもとの三すくみの睨(ね)め合いとなった。
やがて疲れたのは、魯智深のほうである。事実、腹もへっていたが、しかし、かつて出会ったことのない強敵にも違いなかった。たじたじと押されつつある。そのうちさすがの彼も、今は自己の限界を知ったとみえる。やにわに後ろを見せて逃げだした。その図ウ体が大きいだけに、その逃げざまこそおかしかった。
まるで転がりやまぬ火達磨(ひだるま)みたいに、山門を跳びだし、道を走り、石橋(しやつきよう)を渡って、ほっと大息ついて振り向くと、そこを関門としてか、追って来た崔(さい)と丘(きゆう)の二人は、石橋の欄干(らんかん)に腰をかけて、
「さあ雲水。ひと息いれたら、もいちどおいで」
と、いわぬばかりに涼しい顔で休んでいる。
智深は物蔭からそれを眺めて、
「さて世の中は広いもんだな。あんな化け物もいるからには、わが輩もちと反省せねばなるまいて。残念だがここはまア負けておけ。戻ってゆけば犬死にだ。……だが、待てよ。これはしまった」
わが姿に気づいてみると、大事な頭陀袋(ずだぶくろ)を掛けていない。落したかと慌(あわ)てたが、よくよく考えてみると、さっきの庫裡(くり)で、粟粥(あわがゆ)をふうふう吹いて食ううちに、粥をこぼしたので、脱いでおいた覚えがある。
「こいつは困った。あの中には大相国寺(だいそうこくじ)の智清(ちせい)禅師へ宛てた智真(ちしん)長老のお手紙が入っている。取りに帰れば、石橋(しやつきよう)でふんづかまるし。……といって、あれ持たずには東京(とうけい)へ行く意味もない」
彼は石橋を渡らずに戻れる道はないかとうろつきだした。すると渓谷(けいこく)へ降りる道があった。そこを沈んで彼方(かなた)へ登ると、瓦罐寺(がかんじ)の北へ出た。あたりは赤松林である。行けども行けども赤松ばかりと思われた。ところがやがて忽然(こつぜん)と、こんどは死の林みたいなところへ出た。おそらく一院の古い焼け跡でもあろうか。見るかぎり一点の緑もない枯れ木林だ。しかも今、彼の跫音(あしおと)に、ふとその辺の岩蔭から、すっと起って、こっちを振り向いた白衣(びやくえ)の人影があった。人馴(ひとなつ)っこく智深のほうへ近づいてでもくるのかと思うと、白い人影は、彼を見て、
「ちっ。くそ坊主か」
唾(つば)でもするような舌打ちして、後も見ずに、枯れ木の間を縫い去ってゆく。智深は彼の「……べっ」と唾(つば)を吐いた唇鳴(くちな)らしが気にくわなかった。一跳足(いつちようそく)に追いすがって、錫杖(しやくじよう)を横構えに。
「やいっ、待て。なんでいま、きさまアおれをあざ笑ったか」
「笑いはしない、くそ坊主かといったまでだ」
「ここには、ほかに人間はいない。おれのことをいったと思う」
「思うように思っておけ。たぶん当っているだろう。ほんとの坊主なんてものは、近ごろ世間に見たこともないからなあ」
言語は爽(さわ)やかだし、姿もすっきりした男である。白衣は行者姿のもの。或いは、丘小一の仲間かもしれない。
陽は沈みかけている。男は彼方(かなた)の廃院へでも急ぐのか、ふンとまた、鼻で笑いすてて歩き出した。その虚(きよ)や狙うべしと思ったか、智深は突嗟(とつさ)に、
「かッ」
丹(たん)のごとき口を開いた。振り込んだ錫杖の下、白衣は朱(あけ)と思いこんだ。ところが男は、ついと、横に移っていた。静かに腰の戒刀(かいとう)へ手をかけて、
「坊主、見違えるな。おれはなにも死神じゃねえぜ。命をもらっても仕方がない」
「な、なにを、生意気な」
相手も次の錫杖(しやくじよう)は待たなかった。抜く手も見せぬ迅(はや)さである。振りかけた錫杖がもし斜めに魯智深の眉間(みけん)を防がずにいたら、彼はきれいに割られた瓜(うり)みたいになっていたかもしれない。智深は跳び退(の)いて、錫杖を持ち直した。
すると、夕闇を透(す)かしていた眼と、キラとも動かない戒刀(かいとう)のみねから、落ちついた声が通ってきた。
「おいっ、待った。ちょっと待て」
「怯(ひる)んだか行者」
「いや、さっきから少し考えていたことがある。もしやあんたは魯提轄(ろていかつ)じゃあるまいか」
「えっ。わが輩の前身を知っているおぬしは誰だ」
「やれ、あぶないところ……」
行者はすぐ戒刀を鞘(さや)にして、つかつかとその顔を近づけてきた。
「史進(ししん)ですよ。渭水(いすい)でお別れした九紋龍(くもんりゆう)史進でさ。てまえもこんな風態だが、いや、あんたの変りようではぶつかっても分りッこはない。提轄から坊主とは、どうもえらい化けかたですな」
菜園番(さいえんばん)は愛す、同類の虫ケラを。柳蔭の酒莚(しゆえん)は呼ぶ禁軍の通り客
「やあ、これは奇遇だった。さても人間てやつ、どこで別れ、どこで会うやら知れぬものだな」
魯智深(ろちしん)はいった。――九紋龍史進(くもんりゆうししん)もまたこの奇遇を尽きない縁と興(きよう)じてやまない。そして相携(あいたずさ)えつつ、もとの瓦罐寺(がかんじ)のほうへ歩きだした。
――途々(みちみち)、智深は、にわか出家の花和尚(かおしよう)となった身のいきさつを友に語り、九紋龍は渭水(いすい)を去ってのち、延安(えんあん)や北京(ほつけい)をさまよい、いまだに尋ねる師の王進(おうしん)先生にも巡り会えず、こうして枯林(こりん)の廃寺に一時雨露(うろ)を凌(しの)いでいたわけだ、と話す。
「そうか。お互いどッちも、風の間(ま)に間(ま)に、浪の間に間に、まア似たり寄ッたりの身の上だな。しかしわが輩はこれから、東京(とうけい)の大相国寺(だいそうこくじ)へ行くんだが、史進、あんたはどうする?」
「こんなところで行者めかしていたのも、いわば一時の身過ぎ世過ぎ、当座のあてもないから、少華山(しようかざん)にいると聞く、朱武(しゆぶ)のところでも訪ねていこうかと考えていたところだが」
「それもいいかもしれぬ。どっちみち、今のような腐爛(ふらん)した末期の世では、もともと、旋毛(つむじ)まがりにできているお互いは、真面目にもなれず、いよいよ住みにくくなるばかりだろうし……。や、や、ちょっと待ってくれ。まだいやがる」
「なんだ花和尚(かおしよう)」
「あれ、あの石橋(しやつきよう)の欄干に腰かけて、さっき散々(さんざん)、わが輩を苦しめやがった崔(さい)坊主と行者の丘小一(きゆうしよういつ)が、まだ執念ぶかく見張っている」
「はははは。瓦罐寺に住むあの悪党か。和尚、こんどは何も怯(ひる)むことはあるまい。ここに九紋龍という助太刀がいるからには」
いううちにも、すでに彼方の石橋の上では、丘(きゆう)行者と崔(さい)坊主が、こなたの二人を見つけたか、遠目にも巨眼々(けいけい)、いまにも斬ッてかかってきそうな構えを示していた。
しかしこんどは、前(さき)に智深一人が相手だった場合とはわけが違う。あわれ浅慮(あさはか)にも、やがて、われから挑(いど)みかかッて来た彼らは、たちまち逆に、九紋龍の戒刀(かいとう)と、智深の錫杖の下に、お粗末な命の落し方を遂げてしまった。
「さあ、こいつらを片づけたら、さっそく、庫裡(くり)におき忘れた大事な頭陀袋(ずだぶくろ)を取りにいかねばならん。史進、ここで待っていてくれるか」
「いや、おれも一しょにいく」
――戻ってみると、幸いに頭陀袋はそのままあった。けれど、ここに細々露命をつないでいた老僧らも、身の上の分らぬ一人の女も、みな梁(はり)に首を縊(くく)って死んでいた。おそらく先刻、智深が崔と丘に追われて、いちど負けて逃げたのを知り、次には自分たちが、どんな目に遭(あ)わされるやらと、恐怖の余り、また今のような世を生きるにも絶望して、死をえらんだものかと思われる。
「ああ揃いも揃って。……こいつは何とも不愍(ふびん)なことをした。だが仏さんたち、迷うなよ、これはわが輩のせいでないぞ」
めずらしく智深は奇特(きとく)な合掌をして、うろ覚えなお経(きよう)をとなえた。それを見て、九紋龍もそばからいう。「――寺院が寺院の役を果しえず、悪党ばらの巣に恰好(かつこう)な魔所となっているからこんなことにもなる。いッそのこと、焼いてしまったほうが後々のためであろう」と。
「そうだ、一切を荼毘(だび)に附(ふ)して、亡者(もうじや)の霊をなぐさめ、おれたちは、ここを下山としよう」
つい先刻、亡者どもがあばき合っていた粥鍋(かゆなべ)の窯(かまど)には、まだ鬼火のようなトロトロ火が残っていた。智深はその薪(まき)の火を持って、庫裡(くり)に火を放った。――そして両人、宵の山路を、どんどん麓(ふもと)へ降りていった。
「おお花和尚。あの山上の紅蓮(ぐれん)を見ないか」
二人は振り向いた。――満天は美しい焔(ほのお)の傘から火の星を降らせている。宋朝(そうちよう)初期のころには、紫雲(しうん)の薫香(くんこう)、精舎(しようじや)の鐘、とまれまだ人界の礼拝(らいはい)の上に燦(かがや)いていた名刹瓦罐寺(めいさつがかんじ)も、雨露(うろ)百余年、いまは政廟(せいびよう)のみだれとともに法灯(ほうとう)もまた到るところ滅(ほろ)びんとするものか、惜しげもない末期の光芒(こうぼう)を世の闇に染めだしていた。
智深と九紋龍は、それから二日路(じ)ほどの旅をともにし、やがて華州と開封路(かいほうじ)の追分けにかかるや、再会を契(ちぎ)って、袂(たもと)を別(わか)った。
――さて。一方は日ならずして、時の花の都、開封東京(かいほうとうけい)にたどり着き、さっそく大相国寺(だいそうこくじ)の智清大禅師(ちせいだいぜんじ)をその山門に訪(おとの)うて、
「拙僧は智深と申す五台山の一弟子ですが、当山の禅師がおんもとにて修行を積めいと、師よりお添状(そえじよう)をいただいてまいった者。よろしくお取次のほどを」
と、頭陀袋から智真(ちしん)長老の手紙を取出して、役僧に渡し、一堂に座してその沙汰を待った。
「はて。五台山の智真長老も、えらい者を、当山へさし向けてきたもんじゃな」
大相国寺の智清(ちせい)は、手紙の中にある智深の経歴を読んで、ちょっと、うんざり顔だったが、また禅家(ぜんけ)特有なとでもいうか、へんな興味も覚えぬではなかった。
坊主の前身には、ずいぶん変ったのもあるが、智深のごときはまず珍らしい。――渭州経略府(いしゆうけいりやくふ)の憲兵あがり。侠気はあるが、喧嘩好き、酒好き。しかも人殺しの前科のため、剃髪(ていはつ)した男だとある。
「おそらくは、五台山でも持て余した者だろうが、智真はわしの昔からの道友、置けぬといったら、気が小さい禅家よと、嘲(わら)うであろうし。……さて、どうしたものか」
全役僧を集めて、衆議にかけると。
「来訪の一行脚(あんぎや)は、どう見ても出家とは受けとれません。なんとも魁偉(かいい)な人物です」
「第一人相もよろしくない。どことなく凄味(すごみ)がある。また、知客(しか)が迎えたとき、禅家の作法もよくわきまえぬものか、たずさえている香具(こうぐ)、座具(ざぐ)、袈裟(けさ)などの使い方にも、まごまごしおった」
「ていよく、お断りあったほうが、当山のためかと存じますが」
衆口紛々(ふんぷん)である。一人も歓迎はしていない。智清禅師は、ほとほと困った。――すると、都寺(つうす)(僧職)が、うまい一案を提出した。
「馬鹿と鋏(はさみ)はなんとやら、そのような人物も、当山附属の野菜畑の管理所へやっておくには、案外、適任ではおざるまいかの」
「なるほど、なるほど。野菜畑の目付(めつけ)ならいいかもしれぬ」
「なにせい、あの酸棗門(さんそうもん)外の菜園ときては恐ろしく広い。のみならず、附近の兵営からは兵隊どもが荒らしに入るし、もっと厄介なのは、門外にある無頼漢(ごろつき)街(まち)じゃ。年中、墻(かき)を破ッて、瓜や菜根は大びらに盗んでゆくし、農耕の馬や牛も、いつのまにか食ってしまう。……といって、番人も山僧どもも、なにもいえん。なにしろ奴らは凶悪なので」
「それや妙案。いかがでしょう禅師。風来の魯智深(ろちしん)とやらには、試みにまず、その菜園目付役でもやらせて御覧(ごろう)じあっては」
「むむ、衆意同案とあれば」
一山の断(だん)により、さっそく首座(しゆそ)(僧職)がその旨を、智深にいいわたす。智深は、ふくれ面(つら)だった。たとえ、化主(けす)、浴主(よくす)の末僧でも、なにか僧職の端にはと期待していたらしい。
「まあまあ、やがてはだんだんに、茶頭(ちやとう)、殿主(でんす)、蔵主(ぞうす)、監寺(かんす)などの上職にも、修行次第でと申すもの。が、当座はひとまず菜園のほうで」
おだてられて不承不承、智深は酸棗門(さんそうもん)外の畑へ移されていった。管理所だの菜園目付のといえば聞えはいいが、来てみればただの大きな畑番の番小屋。「……ふざけやがって。ようし、わが輩をこんな所の案山子(か が し)に使おうというなら、おれの起居にも干渉はさせんぞ。そんなら、いッそ気楽でいいが」と、ここに花和尚魯智深は、ここの大地主にでもなったような気で持ち前の“野性の自適”をきめこみだした。
日ならずして、近所のごろつき街の空気には異変が起っていた。いつもの調子で畑荒らしに入った奴が、巣へ帰って言いふらしたのだ。
「おいおい、行ってみや。番人が代ったぜ。こんどの奴ア八頭芋(やつがしら)みてえな面(つら)をした凄え坊主だ。おまけに、墻門(かきもん)に何やらむつかしい掲示(けいじ)なんぞ貼りだしやがる」
「なに代ったって。どれどれ、どんな野郎か、面を見ようぜ。それに掲示たあ何だい?」
与太(よた)もンどもはつながって、掲示の杭(くい)を取り巻いた。文にいわく。
――爾今(ジコン)、当山ノ僧人魯智深(ロチシン)ヲシテ菜園ヲ管理セシム。耕夫(コウフ)ノ令、厨入(チユウニユウ)ノ百菜(サイ)、スベテ右ノ者ニ任ズ。
猶又(ナオマタ)、無用ノ者、入ルベカラザル事。犯(オカ)サバ、懲(コラ)シメニ会ワン。悔(ク)ユル勿(ナカ)レ。
大相国寺宗務所
「なンでえ、きまり文句じゃねえか。ひとつその、魯智深て野郎のほうへ、見参(げんざん)におよぼうじゃねえか。……いるかい、番屋の中に」
「いるいる。なにしてやがるんだろう、臍(へそ)を出して、ぼやっと、嘯(うそぶ)いている面(つら)つきだぜ」
「ふ、ふ、ふ。野郎、恐(こわ)いンだよ俺たちがね。こうして、ぞろぞろ、いやに静かに近づいていくもんだから、わざと知らん顔しているに違えねえ」
「だが、一度はお土砂(どしや)をかけておかねえと、俺ッちを甘く見損なうッてこともあらあ。どうだい、番人の代るたびにやる、あの手を野郎にも食わせておいちゃあ」
「むむ肥溜(こえだめ)の行水(ぎようずい)か。あの手を一ぺんご馳走申しておきゃあ、どんな奴も毒ッ気を抜かれてしまうからな。よし、やろう。みんなぬかるな」
ごろつきたちが、胸に一物(いちもつ)の揉(も)ミ手腰で、うようよ近づいてきたのを、知るか知らぬか、智深は大(おお)欠伸(あくび)をして、床(ゆか)の高い番所の梯子段(はしごだん)を降りたと思うと、のっそり畑のほうへ歩いてきた。
「あっ、もしもし。こんどお代りになったご番僧さんじゃござんせんか」
青草蛇(あおだいしよう)ノ李四(りし)と、迂路鼠(うろねずみ)ノ張三(ちようさん)は、二、三十人の仲間を後ろに控えさせて、智深の前に小腰をかがめた。そして凄味をきかすため、相手かまわぬ博奕(ばくち)渡世の仁義をきって。
「ええ、てまえどもは皆、ついご近所に住む気のいい野郎どもでございますが、ご掲示を拝見するッてえと、番所の和尚さんがお代ンなすったとのことで、お顔つなぎに伺いました。どうか、ひとつ、よろしくご懇意に」
「なんだい、まア」と、智深は眼をまろくして。
「おれはまた、どこか裏店(うらだな)の葬式(とむらい)が、道を間違えて入ってきたのかと思ったよ」
「へッ、へへへ。おもしろいことを仰っしゃるなあ。おいみんな。こんどのご番僧さんは話せそうだぜ。さ、こっちへ出て、ご挨拶をしろ、ご挨拶をよ」
「いらん、いらん。そう安ッぽいお辞儀などはいらん。が、顔つなぎなら、酒でも提(さ)げてきたろうな」
「こいつア恐れいりやした。渡りをつけるってえご定例(じようれい)は、ほんとのとこは、そちらから、こち徒(と)らへしていただくのが作法でござんすがね。野暮をいうなあ止しやしょう。――おいっ、眼(め)ッ跛(ぱ)」と、張(ちよう)は仲間の一人へどなって。「――どうでえ、粋(いき)な和尚さんじゃねえか。さっそく一しょに飲んでくださるってんだ。一ッ走り飛んでいって、街の酒屋と肉屋へ、御用を仰せつけてこねえか」
「あいよ」と、すぐ二、三人は飛んでいった。
それを合図に、眼くばせ交(か)わしたごろつき連は、智深をとり囲んで、なんのかんのと、次第に彼を大きな肥溜(こえだめ)のある畦(あぜ)のはずれへ誘いだした。――智深は、これが彼らの計略だとも、また、自分の立ったすぐ後ろが糞の池とも気づかなかった。また、ちょっと見たのでは溜(ため)の表皮一面、蠅(はえ)の上に蠅がたかって、まるで黒大豆でも厚く敷いたような密度だから糞色(ふんしよく)も見えず肥(こえ)の匂いもしないのである。で智深はただ、彼らの愛相(あいそう)や馬鹿ばなしに退屈を忘れ、他愛もなく一しょに興じあっていた。
すると、与太(よた)もンの一人が、すッ頓狂な声を発して、
「あッ、和尚さんのくろぶしに、大きな虻(あぶ)が」
と、いきなり彼の脚元へ身を這わせ、虻を打つと見せて、片脚を拯(すく)いかけた。拯(すく)われたら後ろの溜(ため)へもんどりは知れたこと。智深は無意識に体をねじッた。そして、そいつをぽんと蹴放し、また、とたんに、も一つの脚へ搦(から)んできたチンピラの横びんたへ向っては、
「ちょめ!」
と、童(わつぱ)の頬でも撲(は)るような平手の一擲(てき)を食らわせた。なんでたまろう、二つの体は仲よく躍ッて溜(たま)りの中へ飛んでいった。刹那。うわあん……鐘の鳴るような唸(うな)りが起って、満天満地に蠅が舞い立ち、ために、一天の陽もなお晦(くら)いほどだった。
「それっ、たたんじまえッ」
とは声ばかり。智深の体にたかッたと見えたものは、みなそれ、一颯(いつさつ)に目を眩(まわ)す蠅の旋舞(せんぶ)といささかの違いもない。――智深は早くも番所小屋の高床(たかゆか)に戻って、
「あははは、わはははは」
と、独りで腹を抱えている。
溜(ため)に沈没した仲間のチンピラを、どうやって救いあげて帰ったろうか。想像してみるだけでも智深にはおかしい。どうもこの畑番、至極退屈な役と思っていたが、とんだよい景物が近所に見つかった。愉(たの)しい哉(かな)、世の生きものども。ちょいちょい野菜泥棒にも這い込むがいい。時により、智深にも仏心なきに非(あら)ずだぞ――と、彼はそれからというもの毎日、むしろ彼らの現われるのが、心待ちに待たれた。
だが、ごろつき街の連中にすれば、それどころかは、額(ひたい)を集めての、薄暗い密議まちまち。
「さあ、みんな、しッかりしろやい。こんどの番所坊主は、いままでの瓜頭(うりあたま)とは瓜の恰好も違うと思ったら、ちょっと中身も違うらしいぜ。なんとか一度、ぶッ砕いてやる思案はねえか」
十数日の後である。練りに練った一計を秘したものか、蛇李(だり)と鼠張(そちよう)の二人が、番所の小屋に謝罪(あやま)りにやってきた。「……先日は乾分(こぶん)どもの悪戯(わるさ)。なんとも、お見それ申しやして」と、いとも神妙に、三拝九拝して、一献(いつこん)差し上げたいという申しいでなのである。
下地(したじ)はよし、折ふしの炎暑に、智深も茹(うだ)ッていたところであるから、一も二もなく、誘いにまかせた。そして彼らについて出て見ると、園の蓄水池(ちくすいち)の畔(ほと)り、涼しげな楊柳(ようりゆう)の木蔭に、莚(むしろ)をのべ、酒壺(さかつぼ)を備え、籃(かご)には肉の料理やら果物(くだもの)を盛って、例の与太もン二、三十が恐れ畏(かしこ)んで待っている。彼らは頭(ず)を揃えて、
「へえい。以後は決して、こち徒(と)ら一同、畑荒らしはいたしませんし、ご菜園の御用とならば、どんなことでもいたしますから、どうかひとつ、今後はお手下の耕夫(こうふ)同様におぼしめして」
「えらく今日は行儀がいいなあ。なあに、寺でも食いきれない菜園だ。適度には持ってゆけ、持ってゆけ。その代りちょいちょい、わが輩へのお年貢(ねんぐ)を忘れるなよ」
智深は遠慮なく飲み大いに食らった。ちんぴらどもは彼の酒量に驚き呆れ、三度も酒屋へ馳けつけた。
「……おや、なんだこれは?」
彼はやっと気がついた。彼の肩や頭へ何か時々、楊柳(ようりゆう)の上からポトと落ちてくるものがあった。手で撫(な)で廻したのは不覚である。鷺(さぎ)やら烏(からす)やら、とにかく鳥の糞(ふん)にはちがいない。
「ちイっ……。対手(あいて)にならぬやつほど恐い対手はないぞ」
智深は呟(つぶや)いて少し座の位置をかえた。歌う者、手拍子(てびようし)を叩く者、与太もンどもは、浮かれ騒ぐ。するとまた、頭上の柳の葉隠れでも、烏がガアガア啼(な)き騒いだ。のみならず、智深の襟(えり)くびから杯の手に、またぞろ、ワラ屑みたいなものがこぼれた。
智深は癇癪(かんしやく)をおこして、突っ立った。
「ええい、やかましいっ。この化けもの柳には、烏の巣があるとみえるな」
「相すみません。和尚さん、いま梯子(はしご)を持ってきて、巣を落しますから、お待ちなすって」
「そんな手間暇(てまひま)がいるもんか。ここの烏も畑荒らしの一族だ。こうしてやる」
あっと、ごろつきどもは思わず嘆声をあげた。智深が法衣(ころも)の諸肌(もろはだ)を脱いだからだ。そしてその酒身(しゆしん)いっぱいに繚乱(りようらん)と見られた百花の刺青(いれずみ)へ、思わず惚々(ほれぼれ)した眼を吸いつけられたことであろう。
いや、驚倒したのは、それだけではない。智深が大きな柳の幹を抱くようにして、半身をやや逆さにしたと思うと、むくりと根廻りの土が揺るぎだした。ううむっ、と智深の半裸から陽炎(かげろう)が立ち、大樹の親根が見え、毛根(もうこん)が地上にあらわれ、どうっと、大樹は根コギになって仆れた。
「……どうだ、拙僧の余興は」
智深は洒落(しやれ)のつもりらしい。だが彼はがっかりした。気がついてみると、あたりのチンピラは、烏の群れより迅(はや)く、逃げ散っていた。舌を巻いたどころの驚きでなく、恐怖に駆られ、その日の計略(はかりごと)も忘れて街へ逃げ去ってしまったものらしい。
さすが、それからは仕返しも断念し、腹の底から慴伏(しようふく)したものに相違ない。以後はコソコソ影を見せても、花和尚(かおしよう)さまだの、花羅漢(からかん)さまのと、遠くから平(ひら)蜘蛛(ぐ も)になって、めったに側へ近づこうともしなかった。
「こりゃ、淋しい」と、彼は喞(かこ)った。
「それに、やつらの馳走になりっ放しなのも心苦しい。よし、こんどはこっちで招いてやろう」
或る日、彼は酒肉を調(ととの)えて、逆に彼らを園の一莚(えん)に招いた。大よろこびで、彼らはやってきた。こうなると、日ごろのゲジゲジも迂路鼠(うろねずみ)も青草蛇(あおだいしよう)も、案外、天真爛漫(らんまん)なもので、飲む、踊る、唄うなど、百芸の歓(かん)を尽して飽くるを知らない。
「ところで、花羅漢(からかん)さま。今日は一つ、一同におねだりがござんすが、お聞き届けくださいましょうか」
「なんだ貧乏人の拙僧に」
「たいそうお見事な錫杖(しやくじよう)をお持ちでござんすが、いかがなもンで、ひとつその、花和尚さんのお腕前を一度拝見したいって、みんなが申しておりますが」
「なに。おれの武芸をみせろというのか。そんなことなら無料(た だ)ですむ。おやすい頼みだ」
さらぬだに、久しく振ってみなかったかの鋼鍛(はがねぎた)え重さ六十二斤の鉄の愛杖(あいじよう)。それを取るや、酒の莚(えん)を離れていった。まず片手振りを試み、また八相(はつそう)、青眼(せいがん)、刺戟(しげき)の構えを見せ、さらに露砕(ろさい)、旋風破(せんぷうは)、搏浪(はくろう)、直天(ちよくてん)、直地(ちよくち)の秘術など、果ては、そこに人なく、一杖(じよう)なく、ただ風車(ふうしや)の如き唸(うな)りと、円をなす光芒(こうぼう)がぶんぶん聞えるだけだった。
すると何者か。近くの破れ土塀の崩れの辺で、
「ああ、見事。……すばらしい!」
とわれを忘れて、つい発したような声がした。
その声に、智深はつい気合いを外(はず)してしまい、しんとしていた与太(よた)もンたちの群れへ。
「誰だい? あんなところから覗(のぞ)いて、いま妙な気合いをかけおったのは」
「お。……ありゃあ花羅漢さま。武芸のほうじゃあ、たいしたお方でござんすよ。城(べんじよう)八十万の禁軍ご指南役の一人、林冲(りんちゆう)と仰っしゃるお武家で」
「なに、林(りん)師範だって。そいつあ、えらいもンに見物されたな。ごあいさつせずばなるまい。おい、誰か行って、丁重(ていちよう)にお呼びしてこい」
鴛鴦(えんおう)の巣は風騒(ふうそう)にやぶられ、濁世(じよくせ)の波にも仏心(ぶつしん)の良吏(りようり)はある事
林冲(りんちゆう)には、通り名がある。豹子頭(ひようしとう)といい、あわせて豹子頭林冲とよぶ。
生れつきなる豹(ひよう)のごとき狭い額(ひたい)、琥珀(こはく)いろの眸(ひとみ)、また顎(あご)の鋭さは燕のようなので、そんな綽名(あだな)がつけられたものか。
見るからに都の武人風。装いは洒落(しやれ)ていた。緑紗(りよくしや)の武者羽織は花団模様(はなまるもよう)の散らし、銀帯(ぎんたい)には見事な太刀。また、靴も宮廷ごのみな粋(いき)なのを履(は)いていた。年ごろは三十四、五か。……やがて、こなたへ歩いてくる背丈(せたけ)もまた抜群といっていい。
智深(ちしん)は、その人を莚(むしろ)に迎え、名乗りあってから、一盞(いつさん)を献(けん)じた。漢(おとこ)は漢(おとこ)を知り、道は道に通ずとか。二人はたちどころに、肝胆相照(かんたんあいて)らして、
「花和尚(かおしよう)、以後はあんたを義の兄と敬(うやま)おう。武芸からも、年齢の順からいっても、あんたが上だ」
と林冲(りんちゆう)がいえば、智深もまた、
「この魯智深には、ちともったいない弟だが、そういってくれるなら、ここで義兄弟の杯を」
といったわけで、時のたつのも忘れ顔に、緑蔭の清風(せいふう)は、この二人のためにそよめくかとばかり爽やかだった。
するとどこかで「――旦那さま、旦那さま」と、しきりに林冲を探すらしい女の声がする。彼はすぐ莚(むしろ)をつっ立ち、そしてさっきの崩れ土塀の辺に、チラと見えた小間使い風の女の姿へ、
「おうい、錦児(きんじ)。拙者はここだここだ。なにか急用でも起ったのか」
「……あっ、だ、だんなさま、たいへんでございますよ、奥さまが」
侍女の錦児は、心も空な口走りをつづけ、馳け寄りざま何ごとかを、泣き泣き主人に告げだした。――聞くうちにも、林冲はその豹額(ひようびたい)にするどい敵意と不安を掻き曇らせていたが。
「……ま、泣くな。よしっ」と錦児をなだめてから、酒もりの莚(むしろ)のほうへ。
「妻の身にちと心配が起ったので、今日はこれで失礼する。花和尚、いずれまた会おう」
「やあ豹子頭(ひようしとう)。俄に酒もさめた顔いろじゃあないか。御夫人がどうかしたのか」
「いや、侍女の錦児をつれて、この先の東岳廟(とうがくびよう)へ参詣にいった帰り途、なにか殿帥府(でんすいふ)の若い武士どもに搦(から)まれて悪戯(わるさ)に困っているとのこと。捨ててはおけぬ。――ご免!」
いうやいな林冲の姿は、もう彼方の崩れ土塀を跳び越えていた。なにさま、豹身(ひようしん)が風をきって跳ぶかの如く、それは見えた。
無理はない。林冲にとっては、多年の恋が結ばれて、つい先ごろ、家庭を持ったばかりの新妻なのだ。――来てみれば、東岳廟(とうがくびよう)と並ぶ五岳楼(ごがくろう)の廻廊の欄干に、それらしき武家風の若者十人ばかりが、腰かけている。手に手に吹矢の筒(つつ)、弾弓(はじきゆみ)、鳥笛などをもてあそび、べつの一組は、階(きざはし)の口を立ちふさいで、通せンぼをしているとしか思われない群れである。
「や、や。あれや高(こうきゆう)の養子、高御曹司(こうおんぞうし)の近侍(きんじ)たちだな」
よもやと思ったが、やはりそれだった。廻廊の下には、日ごろ見覚えのある白馬に見事な金鞍(きんあん)がすえてある。――そもそも、現宋朝(そうちよう)の徽宗(きそう)皇帝のもとに、いまや禁門城(べんじよう)における勢威第一の寵臣は誰なりやといえば、馬寮(ばりよう)の走卒でもすぐ「――それは殿帥府(でんすいふ)ノ大尉(だいい)(近衛大将)高さまだ」と答えるであろう。――高ノ御曹司とは、つまりその人の養子なのだ。もとは高家の叔父、高三郎の子であるが、貰われて、時めく近衛大将軍家の公達(きんだち)とはなったのである。
ところが、この御曹司、養父の権力をかさにきて、ろくなことはして遊んでいない。取巻きの近侍たちも皆、上流子弟の愚連隊といったような連中で、街の人々もこの悪貴公子の群れを“花花(おんな)猟人(かりゆうど)”などと称していた。また中には「……血筋はあらそえないもの……」と、いう蔭口もなくはない。
都民のうちには、現朝廷の寵臣高も、むかしは、無頼な一遊民にすぎず、喧嘩、賭けごと、書画、遊芸、何にでも通達していて、いつか権門に取入り、蹴毬(けまり)の妙技から、ついに、徽宗(きそう)帝に知られ、鰻(うなぎ)のぼりの出世をとげた法外な成上がり者なることを今でも覚えている者が少なくなかった。――だから養子の高(こう)御曹司が、よその娘、人の女房にもすぐ眼をつけての女狩りなどと、高家のお家芸よと、怪しみもしないわけかと思われる。
が、それはさておき。
林冲(りんちゆう)の新妻はいま、五岳楼(ごがくろう)の御堂扉(みどうとびら)にしがみついて、執拗(しつよう)な高御曹司と、争っていた。
「いやですっ。私は人妻です。見ず知らずのあなた方に誘われて、そんな御堂内(みどうない)などへはいかれません。お放しくださいませ。放してッ」
「まあ、いいじゃないですか。あなたは見ず知らずというが、麿(まろ)はもう夢に見るまであなたを前々から恋していた。ここでお会いしたのは、東岳廟(とうがくびよう)のおひきあわせだ。ああ、そのお唇(くち)、そのおん眼」
「ええ、けがらわしい。何をなさるンですかっ」
「女はみんな、初めは柳眉(りゆうび)を逆だてて、そういうが、ひとたび、ほかの男を知ってごらんなさい。わが身のうちに潜(ひそ)んでいた泉の甘美に驚きますから」
「ばかっ。色きちがい」
「あ痛ッ。よろしい。あなたはその美しい繊手(せんしゆ)で、麿(まろ)の頬を打った。麿も暴力をもって報いますよ。火のごとき愛情の暴力で」
「あれッ。……たれか、助けてっ」
そのとき階(きざはし)の口に通せんぼしていた高(こう)の近侍たちを刎(は)ねとばして、馳け上がってきた林冲が、
「悪戯(いたずら)者。人の妻へ、なんの真似(まね)だ」
と、いきなり高御曹司を突き飛ばした。そして、彼らが呆(あ)っ気にとられた刹那に、妻の体を引っ抱えて、さっと廻廊の角まで身を避け、次に彼らがどんな陣容(じんよう)を盛り返してかかってくるかと、身構えをとって睨んでいた。
しかし、相手の群れは、事の不意に度胆(どぎも)を抜かれてしまッたか、ただちに復讐に出てきそうもない。
「……や。林師範だぞ」「豹子頭(ひようしとう)か」と、小声をかわしていたと思うと、たちまち、どどどっと階段を降りて、高御曹司を、白馬金鞍(はくばきんあん)の上に奉(ほう)じ、まるで落花を捲いた埃(ほこり)のように逃げ去った。
新家庭の林家(りんけ)には、あれからというもの、何か気味のよくない暗影に忍び入られて、あわれ鴛鴦(えんおう)の夢も、しばしば姿の見えぬ魔手に脅(おびや)かされ通していた。
それみな、高(こう)御曹司の陰険な迫害と、執拗な横恋慕とはわかっている。が、わかっているだけになお恐ろしい。相手は殿帥府(でんすいふ)の最高官の部屋住み。こちらは軍の一師範。どうにもならぬ。
「女房。気をつけてくれよ、わしの留守にも、外出にも」
「いいえ、この頃はもう、買物にも錦児(きんじ)ばかりやって、私は外へも出たことはありません」
林冲(りんちゆう)とその若き妻は、家にあっても声をひそませ、垣の物音にも、すぐ心を研(と)ぐような習性にまでなっていた。というのも、しばしば妻の身が襲われかけたり、林冲(りんちゆう)が友人の家で酔っている間に、不慮な事件が留守中に起ったり、何度となく、謎(なぞ)のごとき怪(かい)に呪(のろ)われていたからだった。
「……狙われているのは、私の身だけではございませぬ。私を愛してくださるなら、あなたもご自身に気をつけてくださいませ。禁軍へご出仕の行き帰りにも」
彼の妻は、林冲が門を出てゆくたびに、うるんだ眼で、良人に言った。男は出ないわけにはゆかない。林冲は笑ってみせる。
「案じるな、おれは大丈夫だよ。こう見えても、武術では豹子頭(ひようしとう)の前に立ちうるほどな敵はない」
――が、或る日、閲武坊(えつぶぼう)の辻で、ひょっこり魯智深(ろちしん)と行き会った。彼とは、あれからも数回飲みあって、いよいよ交友密(みつ)なるものがあったが、
「どうしたんだ豹子頭、会うたび顔いろがよくないぜ。そろそろ秋風に枯葉(こよう)は舞うし、拙僧もなんだか淋しい。ひとつそこらで飲(や)ろうじゃないか」
と、その日も誘わるるまま、居酒屋の軒をくぐった。
花和尚(かおしよう)と語っていると、彼は何もかも忘れえた。しかし、妻のことなどは、話もしないし、相手も訊こうとはしない。
二人は、夕明りのころ、閲武坊(えつぶぼう)の酒屋を出て、ぶらぶら街を歩いた。――すると誰やら後ろのほうから、妙な売り声で、呼ばわるともなく、呟(つぶや)くともなく、ぼそぼそ言いながら、くッついてくる男があった。
「――ああ狭い狭い、世間は狭い。この都に人間は多いが、眼のある人間は一匹もおらんじゃないか。……こんなすばらしい銘刀(めいとう)を見てくれる者もないとは情けなや」
先に行く智深と林冲は、ちょっと、耳うるさげに振り向いたが、すぐ話に夢中な様子だった。
するとまた、後ろで。
「大道商人の刀売りとは、わけが違う。仔細あってぜひなく手放す物。買い逃がしたら二度とかかる宝刀には、生涯出会うことはあるまいに」
――そのとき、先の二人は、いつもの四つ角で袂(たもと)をわかっていた。「……また会おう。近いうちに」といって去る魯智深の後ろ姿を見送って、林冲はふと呟(つぶや)きをもらしていた。
「いいもんだなあ。真(しん)の友達というものは」
そしてふとまた、歩きかけると、藍木綿(あいもめん)の浪人服に、角頭巾(つのずきん)をかぶった四十がらみの男が、手に見事な宝刀を捧げ、それに“売り物”とわかる草(くさ)標示(じるし)を提(さ)げ、つと、林冲のそばへきて。
「どうです、安いもんでしょう。三千貫とは」
「刀か。刀は腰にもある、家にもある。いらないよ」
「そうか。お武家もお盲(めくら)さんか」
「なに」
「そんな、ざらにある駄刀(だとう)とはちと違う。眼があるなら、抜いて見さッせ」
「なるほど、拵(こしら)えは良さそうだな」
「ちっ。素人(しろうと)くさい。柄拵(つかごしら)えや鞘(さや)作りを売るんじゃねえぜ。いらんか」
「まア、待て」――つい好きなので手をのばし、刀の鯉口下(こいぐちした)三寸の辺をぐっと握ってみた。男は手を放す。林冲(りんちゆう)は思わず、むむと心で唸った。
持ち味、たまらない触感と重みである。鞘(さや)を払ってみれば、夕星(ゆうずつ)の下、柄手(つかで)に露もこぼるるばかり。
ためつ……すがめつ……彼の眸(ひとみ)は稀代(きたい)な銘刀(めいとう)の精に吸いつけられ、次第に放しともない誘惑に駆られていた。
「浪人、どうしてこんな神品(しんぴん)を手放す気になったのか」
「どうしてって。……この襤褸(ぼ ろ)姿を見てくれればわかるだろう。飢(う)えた妻子が待っている。それ以上、訊くのは罪だ」
「訊くまい。いくらだ」
「昨日今日、三千貫とわめいてみたが、売れない。御辺(ごへん)を眼のあるお人と見て、半分に負けてやる」
「欲しい。だが少々、金が足らん」
「一千貫。あとはビタ一文も引けない。それでよければ」
「よし、わが家の門(かど)まできてくれい」
ついに林冲は手に入れた。妻もよろこんだ。
――単に家宝を得ただけでなく、銘刀は魑魅魍魎(ちみもうりよう)も払うという。そんな心づよさも抱いたのである。
――と。三日ほどたって。
殿帥府(でんすいふ)の副官陸謙(りつけん)から使者が来た。その書面をひらいてみると、
聞説(キクナラク)。貴下ハ先頃、稀代(キタイ)ナ宝刀ヲ入手セラレシ由。武人ノ御心ガケ神妙ナリト、高大尉(コウダイイ)閣下ニオカセラレテモ、御感(ギヨカン)斜(ナナ)メナラズ、マコトニ御同慶ニ堪エナイ。
という祝辞の次に、こう結んである。
……ツイテハ、高家(コウケ)御秘蔵ノ宝刀ト、貴下ノ愛刀トヲ、一夕(イツセキ)、較(クラ)ベ合ッテ鑑賞ヲ共ニシタシトノ高閣下ノ御希望デアル。依ッテ、明日改メテ迎エノ使者ヲ出ス故、御携来(ゴケイライ)ヲ希(ネガ)ウ。
虞候陸(グコウリク) 百拝
「……はアて。誰が、いつのまに刀のことなど知って、喋(しやべ)ったのか。もっとも大道で買った物。誰も見ていなかったとは限らないが」
林冲も、ちょっと怪しみ、妻もなにか動悸(ときめき)を感じたが、しかし、殿帥府副官の名では、公式な召しも同様で応じぬわけにもゆかない。もしまた、文面の通りなら光栄とも考えられる。何が待つか、ともかくもとその翌日、林冲は正装して宝刀をたずさえ、迎えの者とともに、大尉(だいい)の公邸に出向いた。
衛兵の見える公邸の門を入ると、林冲を伴った迎えの者は、
「あれなる中門を通って、東の殿廊(でんろう)を進んでいかれい。そこの階(きざはし)に、召次(めしつぎ)の者か副官がお越しを待っておいでになろう」
教えられるまま、彼は奥へ進んだ。けれどそこには誰も立ち迎えていない。
「はてな?」
振り返ると、彼方で見知らぬ衛兵が、黙って、北廊(ほくろう)を指さしている。さては教え違いか聞き違いかと、北へ進むとまた一門があった。すでに禁苑(きんえん)の一劃(いつかく)とおぼしく、美々しい軍装の近衛(このえ)兵が戟(げき)を持って佇立(ちよりつ)していたが、林冲(りんちゆう)を見ると、唖(おし)のごとく黙礼した。禁軍師範の林冲も、まだかつて、こんなところまでは来たこともない。
だが弱った。いったいどこを訪(と)うたらよいのか。壮麗なる一閣の階(きざはし)を上って、内を窺(うかが)うと、さらに中庭が見え、彼方に緑欄(りよくらん)をめぐらした一堂があるのみだった。
「……あれかな? なにやら人の気配もするが」
橋廊(きようろう)を渡って、一房の珠簾(すだれ)内をそっと覗(のぞ)いてみた。すると、正面の欄間(らんま)の額(がく)に、墨の香(か)も濃く読まれたのは、
白虎節堂(びやつこせつどう)
とある四大字。林冲はぎょッと、立ち竦(すく)んで、
「や。これはいかん。節堂は軍の機密を議するところで、枢機(すうき)に参(さん)ずる高官のほか立入りならぬところと聞いておる。えらいところへ迷い込んだもの」
慌(あわ)てて後へ戻ろうとしたのである。が、時すでに遅かった。靴音たかく、さっと一方の扉を排(はい)して現われた将軍がある。これなん、かつての毬使(まりつか)い高毬(こうきゆう)、いまでは殿帥府(でんすいふ)ノ大尉(だいい)にして徽宗(きそう)の朝廷に飛ぶ鳥落す勢いの高(こうきゆう)であった。
「こらっ、なにやつだ。節堂(せつどう)を窺(うかが)う曲者(くせもの)は」
「あ。高(こう)閣下ですか。お召しによって伺うた師範林冲にござりますが」
「なに、お召しによってだと。いつ汝を呼んだか。そんな覚えはないッ。怪しい言い抜けを」
「いや、いや。確かに陸(りく)副官のお使いをうけ申して」
「陸謙(りつけん)、居るかっ。この者を召捕れっ。わしを暗殺せんと近づいた者があるぞ」
「あっ! なんで拙者が」
すでに彼の四方は鉄桶(てつとう)のごとき兵士で取り囲まれていた。その中には、顔もよく知っている副官陸謙の姿も見える。林冲は、それへ向って、
「使いをよこしたのは、貴公じゃあないか。家にある貴公の手紙が何よりの証拠だ。なんで拙者をこんな目に会わすのか。おいっ、笑いごとじゃあない。返事をしたまえ」
怒りをこめて叫んだものの、陸謙はてんで受けつけない。
「はははは。ばかな血迷い言(ごと)を。……なんで一師範の汝を、高閣下がお召しになろうぞ。敵国のため、軍の機密を盗みに忍び込んだか、または、高閣下に怨みをふくんで、お命を窺(うかが)いおったか。いずれかに相違あるまい。――それっ、あの手に持っている宝剣を用いさせるな」
兵士らは、どっと喚(おめ)きかかり、林冲の体を圧(お)ッ伏せ、高手小手に縛り上げて、その日のうち獄へ下げてしまった。
獄は、開封(かいほう)奉行所の構内にある。時めく高家から下げられた罪人だし、罪状云々(しかじか)とあっては、ただ、首斬れといわぬばかりな囚人だ。しかし府尹(ふいん)の職として、そうもならない。奉行はこれの調べを、与力役の孫(そん)に命じた。そして、一応の証拠固(がた)めをなすまでの時日を藉(か)した。
これは、林冲にとって、受難中にも一つの幸いだったといえよう。はたまた、彼がこの世に果すべき人間業(ごう)のいまだつきざるところだったか。
与力の孫は、名を定(てい)といい、囚人からも世間からも、慈悲心のある良吏として、慕われていた。綽名(あだな)といえば良いほうにはつけないものだが“仏孫子(ほとけのそんさん)”といえば知らぬものはない。
孫は、日ごろから林冲(りんちゆう)の人となりを知っているし、また、節堂事件が、高家の捏(で)ッち上げくさいことは、すぐ感づいたので、われから進んで、いきさつを洗ってみた。
その結果、高(こう)御曹司の横恋慕が泛(う)かびあがった。そして彼をめぐる取巻き連の陸謙(りつけん)、富安(ふあん)などという阿諛侫奸(あゆねいかん)な輩(やから)が、巧みに林冲を陥穽(かんせい)に落したものとわかってきた。――またそれは林冲が奉行白洲(しらす)で訴えた寃罪(むじつ)のさけびとも合致していた。
「これまでの謎も、すべて私には解けています。この林冲をなきものとし、私の妻を奪わんとする高御曹司の執拗(しつよう)な呪咀(じゆそ)が、さまざまな形となって、わが妻と家庭を悩まし脅(おびや)かし通してきたものに違いありませぬ」
――それは主席の奉行も認めた。けれど、奉行にしろ高家の睨みは恐い。たとえ寃罪(むじつ)の証拠証人をならべ得ても、無罪にするわけにゆかず、死罪以外の処刑もどうかと、ためらわれた。
「じゃあ、お奉行に伺いますが……」
と、孫(そん)与力は、処刑判決のさい、日ごろの仏の孫さんにも似ず、色をなして詰めよった。
「この奉行所は、朝廷と民とのためにあるのでなく、高(こう)大将家のためにあるものでしょうか」
「孫定(そんてい)、なにを申すか。それはちと過言だろうが」
「でも、お奉行のごとき憚(はばか)りをもてば、あだかも、高家の私設奉行所のごとき観を、庶民に与えるのではございませんか。……さなきだに、高家の専横と、高御曹司の非行などは、口には出さねど、開封(かいほう)の都民はみな見て知っておりますからな」
「では、林冲の処刑は、どう裁いたらいいと申すのか」
「とにかく、死刑はいけません。死罪だけは、断じていけない。といって、軽罪では、高家の父子もおさまりますまい。死一等を減じて、辺疆(へんきよう)の地へ流刑(るけい)にされてはいかがでしょう」
「さ。どうだろう、そんな処分では」
「大丈夫です。高家の側(がわ)にも、手ぬかりがありました。副官陸謙(りつけん)の手紙が林家にあったのを、てまえが握っています。あれを陽なたに出せば、奸策(かんさく)歴然ですから、いかに高家たりとも文句は噫(おくび)にも出せないはずと、てまえは固く信じまする」
末期宋朝(そうちよう)の濁世(じよくせ)にも、なおこの一良吏があったのである。即日、流刑と決まり、林冲は白洲(しらす)で宣告をうけた。
当時の慣わし、半裸にして、二十ぺんの棒打ちを背に食らわせ、その顔に刺青(いれずみ)する。また、護送となっては、鉄貼(かねば)りの板の枷(かせ)が首にはめられ、その錠前(じようまえ)に封印がほどこされた。
流刑先は、滄州(そうしゆう)(河北省)の牢城(ろうじよう)だった。――牢城とはつまり諸州から集まる罪囚の大苦役場(くえきば)の名。
また、その聴許(ちようきよ)を要請された殿帥府(でんすいふ)の高家でも、司法法廷の裁判には抗(あらが)いかねたものだろう。だまって、その公文書に裁可の官印を捺(お)して下げてきた。
さて。いよいよ罪人押送(おうそう)の日となって、開封(かいほう)奉行所の門を一歩出てきた林冲の姿は、もうこの一と月ほどで肉落ち頬骨あらわれて、足もとすらもなよなよしていた。その日、往来に群れなしていた街の男女や縁故の見送り人たちも。「……これが昨日までの林師範か」と、涙を催さずにいられなかった。
人目を浴びつつ、やがて州橋を越え、都関(とかん)も出ると、また一群れの人々が待っていた。すると中から林冲(りんちゆう)の妻と、妻の父が走り出てきて、
「おお聟(むこ)どの。……待っていた。しばしの別れを、あすこの酒店で」
と、馬子茶屋みたいな店の奥へみちびいた。もちろん、これにはお定まりの賄賂(わいろ)が充分とどいていること。で。そこでの限られた寸時の別れをお互いに泣いて惜しみあう機会はえたが、しかし、妻は身も世もなく、林冲の胸に涙の顔を埋めて離れない。すでに「――時刻、時刻」と、戸外(おもて)の護送役人が喚(わめ)き立てても、離れようともしなかった。
林冲は、眦(まなじり)をふさぎ、ここに観念の臍(ほぞ)をきめて、わざと酷(むご)くいった。
「いつまで、嘆きあっていても、別れはつきない。また、深く考えてみれば、恋々(れんれん)と泣き濡れているだけが愛情でもない。おそらく、この林冲がいなくなれば、高(こう)御曹司が、そなたの身や、お舅(しゆうと)の上に、またあらゆる毒手を加えてくるだろう。……早くどこかへ身を隠せ。そして、そなたはまだ若い身そら、良縁があったら他家へ縁づいて、わしのことは忘れて幸福に暮しなさい」
彼は即座に、酒店の老爺(ろうや)から、筆と硯(すずり)を借りうけ、離縁状を書いて、岳父(がくふ)にあずけた。
「お情けないっ。……あなたは私を、そんな女と思っていらっしゃるんですか。いやですっ。……死んでもそんなことは」
妻は悶絶(もんぜつ)せんばかり、なお良人(おつと)の膝にしがみついて慟哭(どうこく)する。その間にも、護送の役人は、軒を叩いて、
「早くしろ、早く」
と急(せ)く。ついに舅は泣き狂うむすめを無理にもぎ離し、ともに擁(よう)して泣き死んだように丸まってしまった。それを見捨てて、林冲の姿を急(せ)く腰鎖(こしぐさり)は、遠い流刑地の途(と)へ仮借(かしやく)なく彼を追いたてていった。
押送(おうそう)役の刑吏は、端公(たんこう)(端役人のこと)の董超(とうちよう)と薛覇(せつぱ)という男だった。当時、宋(そう)代の習慣では、囚人をつれた端公の泊りには、道中の旅籠(はたご)屋(や)でも部屋代無料の定めだった。だから彼ら小役人は、旅籠へつくなり自身で火をおこし、粟(あわ)を炊(た)き、出張費稼(かせ)ぎの小金を浮かせるのを役得(やくとく)としていたから、囚人の食物などは、ただ露命を保たせておけばいいとしているに過ぎない。
東京(とうけい)城の関外へ出てから二日目、小さな宿場町へ黄昏(たそが)れ頃つくと、とある田舎(いなか)酒館(ぢやや)の前に馬を駐(と)めて、彼らを待っていた男がある。黒紗(くろしや)の袍(ほう)を着て、卍頭巾(まんじずきん)、黄革(きがわ)の膝行袴(たつつけ)ばきに、馬乗り靴という扮装(いでたち)。そして鞭(むち)を逆手に、
「おお端公たち、いまついたか、ご苦労ご苦労」
と、何かすでに、ここでの会合を東京で諜(しめ)し合せておいたことらしく、眼くばせくれると、端公らは、ただちに附近の旅籠(はたご)へいって、林冲の腰鎖を部屋の柱に縛りつけ、そして早速、以前の田舎(いなか)酒館(ぢやや)へ引っ返してきた。
卍(まんじ)頭巾の男はもう、卓に酒肴(さけさかな)を並べさせて待っていた。そして、銀子(ぎんす)二十両ずつ、二た山にして、彼らの卓の鼻先においてある。
「さあ、遠慮なく飲まんか。これから滄州(そうしゆう)まで何百里の道のりだが、途中にはもうろくな酒肴には出会わんぞ」
「へい。どうも恐れいります。……が、なんともはや、殿帥府(でんすいふ)副官ってえお偉い方の前じゃ、ついその、かたくなっちまいやしてね」
「なにも公(おおやけ)ではなし、そう恐れいらんでもいい。こちらも人目をはばかることだからな。そこで開封(かいほう)奉行所を立つ前日、そのほうどもの私宅へ、そっと使いをやっといた例の件だが、心得たろうな」
「……そ、それがですよ旦那。弱りやしたな。こう二人で、首つき合せて相談してみたんですが、なにしろ奉行所のほうじゃ、必ず囚人の生命だけは無事流刑地まで押送(おうそう)せよ、万一あらば端公(たんこう)もまた、罰せらるべし……とございますんでね」
「そんなことはわかっとる。わかっとるからこそ貴様たちに密々こうして高家よりお頼みとしてお吩咐(いいつけ)がくだったのじゃないか。それができんとあっては、この副官陸謙(りつけん)もただでは帰れん。いやか」
「と、とんでもない。てまえどもみたいな端(は)役人に、ご大官さまから内々のお頼みときちゃあ、是も非もなく、お引受けは否(いな)めませんが、なにしろ、日ごろは薄給な身分ですし、家には女房子年寄まで、うようよ腹を空(す)かしているような暮しなのでもし職にでも離れますと、その、その日から」
「だから申しておるじゃないか。……そのほうたちの手で、滄州(そうしゆう)までの途中において、あの林冲をうまく殺しおおせたら、褒美(ほうび)の金はもちろん、生涯、高家の庭番にでも何にでも使って面倒はみてやる、食うには困らせはせんと……」
「へい。そこはまことに、ありがたいお話で、一生仕事だぜと、こいつにも言ったんですが」
「どうも煮えきらんやつらだな。何をまだ、そんなに思案投げ首をしているのか」
「ただの囚人なら、一も二もござんせんがね、なにしろ豹子頭林冲(ひようしとうりんちゆう)といっちゃ、禁軍のご師範、やり損なったら」
「たわけめ。なんのための首カセや腰グサリだ。人なき山中で一棒をくれてもよし、谷添い道で突き落し、あとから息の根(ね)とめてもいいではないか。……ただしだぞ、林冲を殺したという証拠には、彼の顔から金印(きんいん)(いれずみ)の皮膚をはがし、それを証拠に持ち帰れよ。よろしいか。さあ合点がついたら、元気をだして大いに飲め。――そしてそれなる銀子(ぎんす)二十両は、当座の手付け金として渡しておくから収めておくがいい」
賄賂(わいろ)は彼ら端(は)役人の端公には、日ごろも収入(みいり)に数えている常習のものだが、こんどのことは相手も違うし、ケタも違う。一生涯の運のつかみどころかとも思われた。
そこで、陸謙と別れた翌朝、彼ら端公二人は、またも片手に水火棍(すいかこん)(三尺の警棒)をひッ提げ、林冲の背をしッぱだき、しッぱだき、峨々(がが)たる山影の遠き滄州(そうしゆう)の長途へ、いよいよ腹をきめて立っていった。
世路は似たり、人生の起伏と。流刑(るけい)の道にも侠大尽(きようだいじん)の門もある事
俗に、滄州(そうしゆう)までの道は二千里(一里ヲ六町ノ支那里)といわれている。
道々は難所折所(せつしよ)。護送役の端公(たんこう)(獄役人)二人は、毎日林冲(りんちゆう)の縄ジリをとって追いたてながら、
「さて、どこでこいつを殺(ばら)したもんだろう。ただの囚人なら雑作(ぞうさ)もねえが、なにしろ禁軍八十万の師範だ。いくら首枷(くびかせ)がはめてあるからって、もしやり損なったらこっちの首がすぐ失(な)くなる」
ついつい、十数日はいつか歩いてしまった。殺意もこう念入りでは、機会もなかなかつかめない。
「オイ、薛(せつ)」と、端公の一人が、もう一人の董(とう)へささやいた。
「毎日毎日、これじゃあ容易にラチはあかねえぜ。なんとか、そろそろ手を下さねえと」
「わかったよ。いちどに息の根をとめようとするから難しいんだ。あしたからは、林冲の足をあの世へ向けて、冥途(めいど)の旅の一里塚を一ツ一ツ踏ませてくれる。そのあげく、ばッさりやりゃあ、なんの仕損じることがあるもんか」
その晩。――山の旅籠(はたご)につくと、端公の薛(せつ)は、いち早く、裏口へ廻って湯玉のたぎるような熱湯をたたえた洗足盥(だらい)を抱えてきた。
「おい、林師範(りんしはん)、これで足を洗うがいいぜ。疲れた足は、よく湯に浸(ひた)すに限るんだ。夜もよく眠れるからな」
「や。これはどうも」
「なんだい。ははあ、首カセが邪魔になって、うまく体が屈(かが)めねえんだな。よしよし、おれが草鞋(わらじ)を解いてやる」
「とんでもない。お役人が囚人の足の世話なんぞを」
「いいってことさ。まア出せよ足を。……都じゃそうもいかねえが、長途の道づれ、なんの遠慮がいるもんかね」
親切ごかしについ乗って、林冲は、それが熱湯とも知らず、うッかり盥(たらい)のなかに足を突っこんだ。あッ――と退(ひ)くまもおそし、足くびはやけただれ、彼は足くびを抱えて、悶絶(もんぜつ)せんばかり転がった。
「てへッ、なんでえ、大げさな」
端公二人は、見向きもしない。彼らは、木賃(きちん)の定例どおり、例の自炊(じすい)にとりかかり、寝酒を飲んではしゃぎ合った。もちろん林冲へも馬の飼料(かいば)でもくれるように木鉢に盛った黄粱飯(こうりようめし)が、首カセの前に置かれはしたが……。
けれど火傷(やけど)のくるしさ、食欲も出ず、夜すがら彼は眠れもしなかった。あげくに、翌朝は新しい草鞋(わらじ)を穿(は)かせられたので、数里も行くと、草鞋の緒(お)は血にまみれ、乾いた血と土とが、終日、足の皮膚を破った。
「おいおい林師範。どうしたんだい。そんな足つきじゃ滄州までは半年もかかっちまうぜ。早く歩けよ、早くよ」
「むむ、どうにも歩けぬ。これでもあぶら汗なのだ」
「なに、歩けねえと」
薛が、水火棍(すいかこん)(獄卒棒)を振り上げるのを、董(とう)は止めて、
「まあまあ、そう短気を起すなよ。そのうち足も癒(なお)るだろう。さあ、歩いたり歩いたり」
棒の先で、軽く林冲の背や腰を小突いてゆく。撲られるより、このほうがはるか辛い。
それから三日目。有名な野猪林(やちよりん)という原始林へかかった。夜ごとの睡眠不足と疲労に、さしもの林冲(りんちゆう)も、折々、立ち居眠りをもよおすらしく、混沌(こんとん)とよろめいていた。眼顔を見合せた端公(たんこう)の二人は。
「ああ、くたびれたな。どうだい、ちょっと一と昼寝していこうじゃないか」
「よかろう。だが、縄ジリをどうする? おれたちがとろりとしている間に、もしや林師範に逃げられちゃあ大変だが」
林冲も休みたかったので、つい言った。
「どうか、ご心配のないように、拙者の体を、木の根へ、厳重に縛って下さい」
「いいかい。じゃあ、すまねえが、ちょんの間(ま)、そうしてもらおうか」
林冲は、彼らのなすままに委せていた。彼らは、その手頸(くび)足頸まで、がんじがらみにして、林冲を大樹の幹に縛(くく)し終ると、やにわに、
「よしっ。もう、こッちのもんだ」
と、躍り上がった。その打って変った形相に、
「あっ。なにをなさる」と、林冲は叫んだものの、もう遅い。彼らは左右から水火棍を振り上げて、
「やい林冲、おれたちを恨むなよ。おめえにとっては、ここまでがこの世の定命(じようみよう)。また、おれたちには出世の門だ。――林冲を殺して面皮(めんぴ)の金印(きんいん)(刺青)をはぎ取って帰れば、生涯安楽にしてやるとは高(こう)大将軍家のおさしがね。あの陸謙(りつけん)っていう副官の命令さ。恨むなら、そっちを恨め」
いうやいな、林冲の頭蓋骨もくだけろとばかり、二つの棒が風を呼んだ。ところが、一棒はカンと異様な響きを発して宙天に飛び、一棒は腕ぐるみ捻(ね)じ曲げられて、とたんに端公二人は大地へ叩きつけられていた。
ここに現われた者は、林冲の難を聞いて、都門開封(ともんかいほう)から後を追ってきた花和尚(かおしよう)の魯智深(ろちしん)だった。
「さあ、わが輩が追っついたからには、もう、てめえたち邏卒(らそつ)は、召使いも同然だぞ」
智深はそこらの立ち木へ向って、禅杖(ぜんじよう)を振るい、一撃二撃してみせた。およそ、どんな生木も巨象にヘシ折られたように肌を裂いて砕けた。端公二人は、慄えあがって声も出ない。
「師範。情けないお姿になられたなあ」
花和尚は涙もろい。こう労(いた)わりつつ、林冲を木の根から解いて、さて。
「……どうする豹子頭(ひようしとう)(林冲)。おぬしはここで逃げたいか。それとも滄州(そうしゆう)の流刑地まで曳(ひ)かれてゆく気か」
「おお花和尚……」と、林冲は再会のよろこびに咽(むせ)びながら「拙者も男だ。おのれ一人助かってはいられない。逃げれば、東京(とうけい)に在るいとしい妻や舅(しゆうと)などに、この大難の身代りをさせるような結果になろう。やはり拙者は刑地にいって、苦役に服すよ」
「そうか。……ぜひもないなあ。ならばせめて、滄州の近くまで、わが輩が送っていこう。さあ、この和尚の背に、おンぶするがいい」
「冗談じゃない。囚人(めしゆうど)の身が」
「なんの遠慮だ。大相国寺の菜園で、おたがいは義の杯を交わした仲じゃないか。きさまはわが輩の弟分だぞ。さあ兄貴のいうことをきけ」
こうして、数日の旅は、花和尚が彼を背に負って歩き、端公らは、荷持ち、走り使い。また旅籠(はたご)旅籠では、下男のごとく、追い使われた。
おかげで林冲(りんちゆう)の足はすっかり癒(い)え、毎日の食養も充分にとられたから、以前にもます健康に復してきた。しかも道づれは刎頸(ふんけい)の友、端公は従者のかたち。――行くてに待つ運命も長途の苦も忘れて、思わず数十日は愉しく歩いた。
「兄弟。名残りは尽きないが、明日はもう滄州(そうしゆう)でまえの近県に入るそうだ。今夜はひとつ、別れの思いを酌(く)み合おう」
花和尚は、その夜の木賃宿で、鄙(ひな)びた別宴を設けさせた。お互い心ゆくまでと、酌(さ)しつ酌されつはしていたが、さて離愁の腸(はらわた)、酔いもえず、
「……豹子頭(ひようしとう)。おぬしの心がかりは、おそらく都にある愛妻や舅(しゆうと)の身の上だろうが、智深はまだ当分、大相国寺の菜園にいるつもりだ。よそながら見ているから案じなさんなよ。それとここに持ち合せの銀子(ぎんす)がある。地獄の沙汰もなんとやら、これを持って」と、二十両ほど、彼に渡し、また傍らの端公たちにも、小粒の銀子を投げ与えて、
「やい、牛頭馬頭(ごずめず)」
「へい」
「あしたから、この花和尚がいねえからって、またぞろ師範に酷(むご)いまねをしやがると、きかねえぞ。どうせてめえたちも、お役がすめばすぐ開封東京(かいほうとうけい)へ帰るンだろう。よくわが輩の顔を覚えておけよ」
「わ、わかり過ぎるほど、わかっておりまする」
翌朝、木賃の軒を出ると、智深はかさねて、林冲に別れをのべ、風のごとく、開封東京の空へ引っ返していった。
その日、一行は滄州の県内に入った。
次の日である。はや何となく、部落も郊外のさまを思わせ、道に見る村娘(そんじよう)の姿やら童(わらべ)の群れも、人里くさい賑わいが濃くなっていたが、やがて、村の用水川らしい石橋の附近まで来ると、
「おお、おお。柴家(さいけ)の大旦那が、狩猟(か り)からお帰りとみえる」と、そこらの河畔で川魚をとっていた男女も、畑の物を手車に積んでいた百姓も、みな道の端によって、なにやら地頭(じとう)の行列でも迎えるようなさまだった。
端公の一人が、土地(ところ)の者に訊いていた。
「そこの石橋の彼方に、豪勢な長者屋敷の門が見えるが、あれが柴家というのかね」
「へえ。おまえさん、柴進(さいしん)さまを知らないのかい。滄州通いの囚人(めしゆうど)送りの役人がよ」
「つい、聞いていないが、この界隈(かいわい)で、そんな有名なお人なのかね」
「この界隈だけじゃないよ、柴進はお名だが、通り名は小旋風(しようせんぷう)、貧乏人にはお慈悲ぶかく、浪人無宿者なども、何十人となく、いつも食客(いそうろう)として置いているほどでさ。たとえば、お前さんたちみたいな流刑者でも、ご門前へ寄れば、きっと施し物をくださるか、一晩泊めて、労(いた)わってやるとか、とにかく、たいそうな侠客大尽(きようかくだいじん)さまなのさ」
「ああ、思い出した。それじゃあ、なんでも滄州の近郊には、宋(そう)の太祖(たいそ)武徳皇帝のお墨付(すみつき)を伝来の家宝に持っているどえらい名家があると聞いたが」
「それさ。それが今いった、小旋風柴進(しようせんぷうさいしん)さまというこの土地の侠客お大尽。……あっ、もうおいでなすった。あのお馬の上のお方がそうだよ」
――見ればなるほど、一団の人馬が、上流の川添い道から下ってくる。
狩猟の帰りとは、ひと目でわかった。大勢の従者のうちには獲物(えもの)の猪(しし)、鹿、尾長鳥などを担っている小者もある。さらに柴進その人は、巻毛の白馬に覆輪(ふくりん)の鞍をすえて跨(また)がり、かしらには紗(しや)の簇花巾(ぞつかきん)、袍(ほう)(上着)はむらさき地に花の丸紋、宝石入りの帯(たい)、みどり縞(じま)の短袴(たんこ)に朱革(しゆがわ)の馬上靴といういでたち。
年ごろは三十四、五か。龍眉鳳目(りゆうびほうもく)、唇あかく、いかにも洒々(しやしや)たる侠骨の美丈夫。背には一壺(こ)の狩矢、手に籐巻(とうまき)の弓をかいこんでいた。
「やっ。……ちょっと待て」
すでに行き過ぎんとしたせつな、柴進(さいしん)は急に振り向いて、従者の一人に、こういった。
「――あの道端に見える滄州行きの首枷(くびかせ)人を、護送の端公に断って、ちょっとこれへ呼んでみい。……どうも、ただ人とも思われぬ骨柄(こつがら)だ。日々、滄州送りの囚人を見ぬ日はないが、あれなる男のような人態(にんてい)は見たことがない」
従者はすぐ走って、林冲と端公を、彼の前に連れてきた。
この一機縁が、やがて豹子頭林冲(ひようしとうりんちゆう)の運命を大きく変えたものとは、後にこそ知られる。――しかしその場では、名乗り合ったすえ、
「さては、わが目にたがわず、あなたは先ごろまで、禁軍ご師範役として、武林に名の高い林冲どのでおざったか。――わしのもとにいる食客(いそうろう)や若い者でも、都にありし日、あなたの教導を受けたという話はかねがね何度も聞いている。……ともあれ、ぜひ今夜は、てまえの屋敷に一泊していただきたい」
と、伴(ともな)われて、柴家(さいけ)の門を、何気なく潜(くぐ)ったまでのことにすぎない。
いや、その夜の歓待の宴でも、一挿話はある。
大勢の家人食客の中で、皆から「洪(こう)先生、洪先生」と呼ばれていた傲岸(ごうがん)な一武芸者があった。
彼もしきりに、飲んではいたが、柴進がひたすら礼をつくして、林冲を敬(うやま)い、その骨柄(こつがら)を賞め、あまっさえ洪より上席にすえているので、洪先生たるもの、内心甚だよろこばない風なのである。
とも気づかず、柴進は上機嫌で、
「これこれ、二人の端公にも、杯をやれ。そして銀子(ぎんす)、反物(たんもの)など、なんでも欲しい物を与えるがいい。その代り、こよい一夜は、柴進の責任において林冲どのの身はあずかる」
などといっている。もちろん、それらの賄賂(わいろ)は、首枷(くびかせ)を脱(と)らせる鍵代(かぎだい)なのだ。端公にしても、恐い眼にあうよりは、ふところに実入(みい)りのあるほうがいいのはいうまでもない。
だからこの夜ばかりは、林冲(りんちゆう)も首枷なく、心から馳走になった。ところが、それも、洪(こう)先生にはおもしろくない。「……林冲の武芸とて何ほどのことやあろう。しかも流刑の囚人ではないか」と、蔑(さげす)みきッている眼(まな)ざしだ。
「……ははあ。洪先生、ひがんでいるな」
宴も酣(たけなわ)となるにつれ、柴進(さいしん)もやっと気づいた。折ふし庭上には、冬の月が鏡のごとく冴えていた。彼はそこに壮烈な一図を描きだしてみたい思いにそそられだしたらしい。
「――どうです洪先生。日ごろは宅の若いもんや田舎(いなか)剣者(けんじや)ばかりがお相手で、せっかくの神技も振う折はありますまい。ここに禁軍の前師範林冲どのが見えられたこそ、もっけの倖(しあわ)せ、一手の試合をおためしあってはいかがです」
「むむ。それは面白そうな」
待ってましたと言いたいところらしいが、洪先生は重々しく構えこんで、じろと林冲のほうを見た。
「異存はござらんが、なにぶん、それがしの剣たるや、仮借(かしやく)の相成らぬ強剣だ。それご承知の上なれば」
「林冲どの。洪先生はああいうが、あなたの方は」
「さ。拙者の棒術は、お見せするほどの妙技ではありませんが」
「では、庭上に出て、願おうか」
ここで、よろこんだのは、二人の端公だった。洪先生が大剣を払って、月下の庭に立ったのを見たからである。もしその大剣の一颯(いつさつ)の下に林冲が敗れ去れば、手濡らさずで自分たちの目的も達しられる。――そう考えて、満場の人々の興味とはべつな固唾(かたず)をのんでいるていだった。
ところが、月下の試合は、一瞬にして、林冲の勝利に帰してしまった。
彼は、棒をとって、立ち向ったのだが、戛然(かつぜん)、白刃と棒が相搏(う)ッたと思うやいな、どこをどうして打ち込んでいたのか、誰の眼にもとまらなかった。明白なのは、腕を折られた洪先生が、地にヘタ這(ば)っていた姿だけである。
「いや、さすがさすが。聞きしにまさる見事さではある。かかる技をお持ちしていながら、牢城の苦役につかれねばならぬとは、さても何たる運命のいたずらか」
柴進はひとしお同情を深めたらしい。――次の日、彼が立つ折には、日ごろ親しくつきあっている滄州の長官、牢城の管営(かんえい)(獄営奉行)、また差撥(さはつ)(牢番頭)などへ宛てて、それぞれ添書(てんしよ)を書いた上、大銀(たいぎん)二十五両二封(ふう)をも、あわせ贈って、
「まあ、おからだを大事に勤めてください。いずれ冬着も届けさせましょう」
と、力づけた。さらに、また、二人の若者を付けて、牢城門外まで送らせるという親切気のかぎりであった。
氷雪(ひようせつ)の苦役(くえき)も九死に一生を得(え)、獄関(ごつかん)一路(いちろ)、梁山泊(りようざんぱく)へ通じること
「……ああ、ここが以前からよく、この世の外のように聞いていた滄州(そうしゆう)牢城の大苦役地(だいくえきち)か」
死者の肌(はだ)を思わす凍(い)てきッた大陸の線。飛んでゆく鴻(こう)の影も、それの生きていることが、不思議に見える。
「こんなところで、苦役につこうとは」
林冲(りんちゆう)は、いくたびも憮然(ぶぜん)とした。
それにしても、柴進(さいしん)の添書(てんしよ)や銀(かね)が、ここでは、どんなにものをいったかしれない。就役者はまず、百ぺんの殺威棒(さついぼう)で打ちのめされ、いちどは気絶して“地獄への生れ代り”をやらせられるのが掟(おきて)だったが、それものがれた。
また、管営(かんえい)の面前で裸体にされ、四つン這いにされ、肛門(こうもん)を金棒でほじられ、やれ舌を出せの、前の物の毛を剃(そ)れのと、あらゆる非人間的な侮辱(ぶじよく)と翻弄(ほんろう)に会うものが通例なのだが、それもまずお目こぼしにあずかった。
そして、登簿(とうぼ)、金印調べまで、すっかり終って、これで労役につく仕事場がきまれば、まず地獄人口(じんこう)の一員に数えられて、果て知れぬ苦役生活が始まるわけだ。
「おい新入り、こっちへきな。――てめえの仕事は、獄神堂(ごくじんどう)の番人ときまった。おなさけだぞ。ありがたいと思いねえ」
差撥(さはつ)は彼を拉(らつ)して、途方もなく広い刑務区域をぐんぐん歩いていき、やがて閻魔(えんま)大王の祠(まつ)ってある古い一堂を指さした。
「ここはな、おい。天王堂ともいうが、掟(おきて)に服さねえ獄囚は、片ッぱしから、しょッ曳(ぴ)いてきて、この前で土埋め、のこぎり引き、耳削(みみそ)ぎ鼻削ぎ、いろんな重刑に処す流刑地の内の死刑場だ。だがよ、おめえは朝晩、線香を上げ、掃除などして、番人役を勤めていればいいわけだ」
「それは、何とも倖(しあわ)せでした。他の服役者にくらべれば」
「そうよ。よっぽど恩にきなくては罰が当るぜ」
「その上にもですが、なんとか、お計らいをもって、首枷(くびかせ)をおゆるし願われませぬかなあ」
「除(と)ってくれというのか。ふふん、そりゃあ、だいぶ物費(ものい)りになるがね」
「銀子(ぎんす)なら、なおこれに所持する限りのものは、いといませんが」
「そうかい。もっとも、おめえのところには、まだ柴家(さいけ)からの差入れもあるだろうしな。むむ、まかしておきな」
差撥(さはつ)は、銀をうけとって戻ったが、やがてその夕きて、首枷をはずしてくれた。
冬は深まる。
大陸の氷地(ひようち)はかんかんに凍(い)てきても、数万の服役者には一日の休みもない。ボロ布(きれ)と垢(あか)と水洟(みずばな)と眼ヤニにまみれた骨ばかりの人々が、朝は暁天から蟻(あり)のごとくゾロゾロ出てゆき、夕には疲れた煙のように、どんよりと簇(むらが)り戻ってきて、やがて眠る。
苦役場は三十里四方もあろうか。農耕、土木、鍛冶(かじ)、木工、染色、皮革(ひかく)なめし、車輛(しやりよう)作り、牧畜、酪農(らくのう)、機織(はたおり)など、その生産は、あらゆる部門にわたっている。だが、ここでの消費物資ではない。ほとんどが都へ輸送され、宋朝の贅(ぜい)と権門の奢(おご)りと、軍事面に費やされる。
が、林冲は、柴進(さいしん)のおかげで、苦役だけは舐(な)めずにすんだ。柴進からの差入れ物はすべて、獄吏たちに分け与えていたから、彼だけには、別扱いの自由が黙許されていたわけだった。
時折、買物などしに、街へも出かける。
すると、ある日である。後ろのほうから「……もし、もし」としきりに呼ぶ声がする。そして、ひょいと振り返った彼の前へ、
「おっ、やっぱりそうだった。林(りん)師範さま、李小二(りしようじ)でございますよ。……いったいまあ、どうしたわけで、こんなところへ」
飛びつくように寄ってきた町人姿の男があった。
「やあ、これは恥かしい。そちは以前、開封(かいほう)の家の近所にいた酒屋の手代ではないか」
「どうも、あのせつは、まことにご恩にあずかりました。今もって、女房ともよくお噂などして、忘れてはおりません」
「はて。なにか世話でもしたことがあったかなあ」
「若気(わかげ)とは申しながら、とんだ費(つか)いこみをやりまして、あぶなく主人から役所へ突き出されるところを、お助けいただいたことがございます。そのせつお立て替えくだすったお金すらまだお返ししてもおりませんで」
「なんだい、ずいぶん古い話じゃないか」
「まあ、それはともあれ、ちょっと手前どもまでお越しくださいませんか。その後、面目なさに、主家を離れ、流れ流れて、この滄州(そうしゆう)くんだりまで来てやっと落ちつき、いまでは、小さい飲み屋をやっておりますんで。へい、きっと女房も、びっくりするに相違ございません」
これが縁で、その日を皮きりに、彼は街へ出るごとに、李小二の店へもよく立ち寄った。
裏街の小料理屋で、女房と小僕(しようぼく)を使って、李小二は厨房(いたまえ)も自分でやっている。牢役所の獄吏にも馴じみが多いので、役所へきたついでには、天王堂へもきて、林冲(りんちゆう)の洗濯物や縫物(ぬいもの)を見てくれたり、肉饅頭(にくまんじゆう)をおいていったり、とにかく気心のいい夫婦なので、林冲もとんだいい知人をえたと、よろこんでいた。
すると、その年も越えて、或る日のこと。
「た、たいへんですぜ、林冲さま」
「なんじゃ李小二。顔色を変えて」
箒(ほうき)を手に、そこらを掃いていた林冲は、彼があたふたと求めるまま、急いで、堂内に入り、そこの一房の扉を、内からぴったりと閉めた。
李小二が店をすてて告げにきたのを聞けば、なるほどこれは、林冲の身にとって、容易ならぬ凶変を思わす予報にちがいなかった。
今日の午(ひる)下がり頃だという。
ぶらりと、彼の店へ入ってきた二人づれの横柄(おうへい)な来客があった。
一人は、色の生ッ白い小づくりなにやけ男。もう一人は軍人らしい体つきの赤っ面(つら)。ともに、年は三十がらみだ。何気なく「いらっしゃいまし……」といったとたんに、李小二はぎょっとした。どうも都で見た顔だと思ったら、その赤っ面のほうは、たしかに高(こう)大将軍家の副官陸謙(りつけん)。
はて、こいつア何か? ――と直感したので、女房を客のおあいそに出し、酒、料理などの註文を聞いたり、それとない雑談を、厨房(いたまえ)窓(まど)からきき耳たてて窺(うかが)っていると、やっぱり開封弁(かいほうべん)だし、またしきりに高将軍だの、高家だのという囁(ささや)きが飛びだしてくる。
それはまだいい。ところが、そのうちにだ、
「――おい、店のおやじ、途中から使いは出してあるが、やがてほどなく、牢城営の管営(かんえい)(奉行)と差撥(さはつ)(牢番長)がこれへ見えるんだ。そしたら、後の客は、入れてはならんぞ。店は買切りにしてやるからな」というご託宣(たくせん)。
果して、まもなく、管営と差撥がやってきた。
料理を増し、酒を加え、しばらくは、さり気なく飲んでいる様子だったが、そのうち笑い声もやみ、急に、ひっそりしてしまった。
李小二は、女房の尻を突ッついて、耳打ちした。彼女は眼でうなずいて、そっと、料理場と店の境にたたずんで、聞き耳を澄ました。奥では李小二が、眼を凝(こ)らしている。そのうちに、女房の腰から足の辺がわなわな慄(ふる)えだしてきた……。なにかよほど恐ろしいことでも聞いたに違いない。
卓(たく)に首をよせあっていた四つの顔は、胸を上げて笑い合っていた。陸謙の手から、管営と差撥の両名へ、莫大な銀が手渡された。
――そしてまた、酒飯(しゆはん)に移り、やがて帰り去ったのは、ついさっきで、まだ街の屋根を夕陽が赤く染めていたころだった――とある。
ここまでの話を聞いて、林冲(りんちゆう)も驚いた。
「では、陸謙(りつけん)と一しょのにやけ男は、富安(ふあん)という野(の)幇間(だいこ)だろう。やつは、高家の御曹司の腰巾着(こしぎんちやく)といわれている侫物(ねいぶつ)。だがその二人が遥々(はるばる)、なにしにこの滄州(そうしゆう)へやってきたのか」
「あなたを殺しにきたんですよ。……と聞いたんで、女房のやつは、ぞうッと、背すじが寒くなって、竦(すく)ンじまったわけなんで」
「銀(かね)と権力で、ここの管営と差撥を、買収しにきたわけなんだな」
「そうでしょう。なにしろ、大変なことになりましたぜ。なんとか、ご要心をなさらなくっちゃあ」
「まあいいよ。どっちみち凶状(きようじよう)持ちとなった身だ。李小二、女房にもいってくれ、心配するなと」
しかし、さすがに、李小二が帰った後は、なんとなく安からぬものがある。その夜の夢見もよくはなかった。
「ようし。それほどまで、執念ぶかく、この林冲の一命を狙うとあるならば、いっそ、それもおもしろい。この命、こっちもただではくれてやれん」
かねて何ぞの場合にはと、ひそかに買い求めて閻王像(えんおうぞう)の壇下(だんか)に隠しておいた朱房(しゆぶさ)のついた短槍(たんそう)と短剣。その短剣だけをふところに呑むと、彼は用事をよそおって、ぷいと街へ出ていった。
そして、広くもない滄州の街、やつらの姿を見かけたらただ一突きにと、逆に刺客を狙って、その影を探し求めていた。
数日は、何事もない。相手の危害が見えないのと同時に、彼らの姿にも出会えなかった。
妙なもので、自然、研(と)げていた気もゆるむ。しばらく李小二の店へも寄らなかったが、十日目ごろの午後、ちょっと覗(のぞ)いて、
「変だなあ、あれきりだが?」
と囁(ささや)くと、夫婦とも、ほっとした顔で、
「それはまあ、なによりでございますよ。このままで何事もなければ……。ま、ひと口、召しあがっていらっしゃいませな」
「そうしようか」
と、久しぶり、一酌(しやく)して、夕刻前に、営へ帰っていった。
――すると、点視庁(てんしちよう)からの呼び出しで、
「明日から、刑務場十五里先の東門外にある馬糧廠(ばりようしよう)へ転務を命ずる。起居は中央の飼糧(まぐさ)小屋の一つにとること」
という職場がえの命令である。
そこも割りのいい役らしい。飼料(かいば)の出し入れには袖の下も多いとかで、囚人仲間では、羨望(せんぼう)の職場だ。
「承知しました。さっそくに移ります」
多くもない荷物を持ち、彼はその夜のうちに、東門外へ引っ越した。折から々(ひようひよう)たる朔風(さくふう)の唸りが厳冬の闇を翔(か)け、空には白いものが魔の息吹(いぶ)きみたいにちらつきだしていた。
――見れば、荒れ崩れた長い黄土の土塀、曲がりかけた観音開きの木戸。入って、まん中の一番大きなまぐさ小屋が、番人の住む台所付きの建物らしい。
黄ばんだ寒灯(かんとう)の洩れてくるところから、先任の老番人が、彼の跫音(あしおと)に首を出した。
「ほう、おまえかね、こんどのまぐさ番は。昼、わしのほうへも、天王堂の者と入れ代れというお差紙がきていたが」
「やあ、遅く来て申しわけない。食器や雑器など、天王堂へ置き残してきたがらくたもあるが、よかったら使ってください」
「そうかい。ここにも、おらの使っていた酒(さけ)瓢箪(ふくべ)やら、鍋や欠け茶碗なぞもころがってるよ。よかったら使うがいいぜ。それとな、夜具はこの隅に。もっと奥には、あんなに炭俵が山と積んである。なにしろ寒いから、冬中は炉(ろ)に火は絶やされねえでの」
「買物はどこへ出ますか」
「そうそう、西の藪道(やぶみち)を二、三里行くとな、ちょっとした酒屋や肉屋の用は足りる。ただ、馬糧廠(ばりようしよう)は、まぐさ盗ッ人がよく狙うところだから、それだけは用心しなよ」
小屋の家主は、かんたんに入れ代った。
天王堂とちがって、板屋葺(いたやぶき)の古い建物。寒いことおびただしい。なるほど、大きな炉やら炭俵の山があるわけだとうなずかれる。
馴れぬせいか、最初の一夜は、寒さでガクガクと熟睡もできなかった。
明けてみると、外は大雪。しかも終日降りやむ気色もない。
林冲(りんちゆう)は退屈をおぼえた。
すると夕方。差撥(さはつ)の部下らしい巡邏(じゆんら)が、小屋の隙間から内を覗いていった。その跫音も、吹雪の吠えにすぐ掻き消え、小屋の灯はまたすぐもとの寂寞(せきばく)に返ってゆく。
「ああこんなとき、酒の買い置きでもあれば少しは愉しめるんだが」
味気ない炉に、しきりと、李(り)小二の店が恋しくなる。だが街は遠すぎるし……と、ふと壁を見ると、風流な恰好をした酒瓢箪(さけびようたん)がかかっている。
「そうだ、西の藪道(やぶみち)を二、三里行けば酒屋もあるとかいっていたな。どれ、一と走り行ってくるか」
その瓢箪(ひようたん)を、朱房(しゆぶさ)のついた短槍の先にくくりつけ、羅紗(らしや)張りの笠に、蓑(みの)を着込み、がらと吹雪の戸をあけて外へ出た。
――が、気にかかったらしく、また内へ戻って炉(ろ)の火へ厚く灰をかぶせ、灯を消し、洞然(どうぜん)たる屋根裏まで見通して、
「まず、こうしておけば、間違いなかろう?」
呟(つぶや)きながら、小屋の錠(じよう)をおろして出ていった。
大陸特有な魔の白夜(びやくや)。
積雪は沓(くつ)をうずめ、朔風(さくふう)は横なぐりに地を掃いて、咫尺(しせき)もわからない。息はつまるし、睫毛(まつげ)には雪片が氷りつく。
「おや、何の古廟(こびよう)だろう?」
半里ほどきて、ふと息を休めた道の傍ら。道祖神やら何の廟(びよう)やら知れないが、林冲(りんちゆう)の心に、ふと仏心でもうごいたのだろうか。ひたと、雪中に額(ぬか)ずいて、
「そも前世の宿業(しゆくごう)にや、林冲、罪のおぼえもなきに、この獄地に流され、かくのごとき、生ける醜骸(しゆうがい)となっております。あわれ、なにとぞご加護あらしめたまえ。遠き都にあるわが妻をも護らせたまえ」
と、口のうちで祈念して、やがてまた、歩きだした。
やっと辿(たど)りついた小部落の酒屋で一ぱいひっかけ、さらに瓢箪(ひようたん)には酒、ふところには焼肉の包みを抱き、やがて帰り道についたころは夜も更(ふ)けていた。雪はいよいよ烈しく、風は足に逆(さか)らい、満身これ飛雪の姿で、笠のつばを抑えつつ、もとの馬糧廠(ばりようしよう)まで馳けもどってきた。
そして何気なく、例の観音開きの木戸口を蹴開き、内へ入ってみると、こはいかに、他のまぐさ小屋は無事なのに、自分の寝小屋の一棟は、雪の重さに圧(お)し潰(つぶ)されたのか、見事、ぺしゃんこになっている。
「はアて。これは弱った。……これじゃあ、飯も炊(た)けねば、寝場所もない」
途方に暮れたとはこのことか。
「こうしていては、この身まで、雪の中に埋められてしまう。そうだ、今夜はさっきの古廟(こびよう)に寝て、夜が明けてからの思案としよう」
板屋根の一部をめくッて、心覚えのところから蒲団(ふとん)だけを引っ張り出し、それを担(かつ)いで、村道の古廟まで返ってきた。
廟の中は案外広い。ひょいと見ると、金色(こんじき)の鎧甲(よろいかぶと)をつけた恐ろしい武神像と、二匹の小鬼が祠(まつ)ってある。また壇には、供物(くもつ)だの蝋燭(ろうそく)の燃え残りだのたくさんな色紙などが散らばっていた。彼は、その前に夜具をのべて、
「やれ、一寸先はわからぬもの。妙なところで夜を明かすことになったもんだな。だがまあ、瓢箪に酒のあるのが何よりの倖せ」
さっそく焼肉の包みを解いて肴(さかな)とし、瓢(ひよう)の口から冷や酒を仰飲(あ お)っていた。
「ああ、いいあんばいに酔ってきた。これでぐッすりできれば」
ごろと、身を横ざまに、手枕となったが、やはりいけない。着ている白木綿の服や肌着を透(とお)して雪水がジミジミと沁(し)みてくる。――のみならず、どこか遠くで、バチバチと妙な響きが、雪風にまじって聞えてくる。それがまた耳について、寝つかれなかった。
「や、や。変に明るいぞ」
ぎょっとして、彼は飛び起きた。廟(びよう)の破れ壁の隙間から、赤い夜空が見えたのだ。
「しまった! まぐさ小屋の方角だ」
彼のあたまには、すぐ小屋の炉(ろ)の火がその原因と考えられていた。まぐさ小屋は一棟ではない。たちまち馬糧廠(ばりようしよう)一面の火の海となるやもわからない。
「すわ、こうしては居られぬわえ」
枕もとに立てかけておいた朱房の槍を持ち、すぐその消火のために馳け向おうとしたときである。彼はギクと足を立ち恟(すく)めた。
廟のすぐ前で、なにやら人声がしているのだ。聞くともなく、耳をすましていると。
「うまくいったなあ、管営(かんえい)。……やあ、差撥(さはつ)もご苦労だった。これで林冲(りんちゆう)も、こんがりと、黒こげになったろう」
――声には都で覚えがある。高(こう)大将家の副官、陸謙(りつけん)にちがいない。
それに答えているのは、これも紛(まぎ)れない管営と差撥だ。もう一人いるのは、陸謙の連れの富安(ふあん)だろう、かなたの猛火を眺めあいながら、しきりにげらげら笑っている。
「まったく、管営さんや差撥さんの大手柄でしたな。この大雪を幸いに、部下に命じて、林冲の寝込みを計り、小屋の腐れ柱を一気に除(と)らせたというんだから堪りませんや。大雪の重さはあるし、やつは、屋根裏の梁(はり)に圧(お)されて、寝たまんまのお陀仏(だぶつ)となったに相違ありません。林冲にとれば、まあいい往生でさあね」
「いやいや、それだけではまだ、完全とは思われんので、われわれ両名が、ここへ来がけに、あの潰(つぶ)れた屋根へ、さらに松明(たいまつ)十本ばかり投げ捨ててきたのでござる。これならばもう万に一つも彼奴(きやつ)の生きのびるおそれはない」
「さすが管営。ご念の入ったことだ」
ほめそやしている陸謙の声はつづいて。
「――これで、身どもも主家の使命を見事仕遂げ、面目をもって都へ帰ることができる。いずれ帰府のうえは、高家より足下(そつか)たちへご褒美(ほうび)の沙汰もあろうが、では、これで」
「はや、お立ち帰りで」
「むむ、人目については、相互のためによくないからな。旅舎へ戻って、早暁に出立しよう。富安、まいろうか」
別れ去ろうとする刹那。――林冲は、内から廟の扉を蹴開いて、
「待てっ、下種(げす)ども!」
いきなりまず、手近にあった差撥を短槍の先に引ッかけて、びゅっと、黒い血しぶきとともに刎(は)ね飛ばした。
「や、や、や。なんじは?」
「腰が抜けたか。林冲(りんちゆう)はここにいる」
「ぎゃっ。た、たすけろ。助けてくれ」
「卑怯者っ。なにをほざくか」
すでに、林冲の豹眉(ひようび)は、彼本来のものに返っている。豹身(ひようしん)低く、短槍の一閃(いつせん)また一閃、富安を突き刺し、あっというまに管営の大きな図う体も串刺(くしざし)にしてしまい、つづいて雪の中を逃げまろぶ陸謙(りつけん)の影へ向って、
「侫物(ねいぶつ)。どこへ行く気か」
びゅんと、手の槍を征矢(そや)のように投げつけた。槍は彼方の背に立ち、異様な絶叫をツンざいて、夜目にも鮮(あざ)らかな血の色がぱッと四方を大きく染めた。
「ああ、ついにおれは四人の軍官吏を殺した。宋朝(そうちよう)のもとでは、いまは身を容(い)るるところもない犯人となった」――林冲はみずから慄然(りつぜん)としたが、身を翻(ひるがえ)して廟(びよう)の前に額(ぬか)ずき、武神の像に礼拝して独り何度もいっていた。
「思うに、もう宵のうち、まぐさ小屋が仆れていなかったら、この林冲は彼らの悪計どおり、梁(はり)の下に圧し殺され、さらに焙(あぶ)り殺されていたかもしれません。それが助かったのは、廟の神意と存ぜられる。まさに、天のお助けだ。この先とも、林冲を護らせたまえ」
そして、朱房(しゆぶさ)の短槍を持ち直すやいな、夜の明けぬまにと、雪を蹴立てて、その場から姿をくらました。
馬糧廠(ばりようしよう)の火の手も、この積雪で、まもなく下火にはなったらしい。しかし一時は、警板(けいばん)や警鐘の乱打に、刑務場から附近の村々でも、みな起き騒いで、非常の夜警についていた。
そのため、林冲はまったく逃げ道を封じられ、あっちこっちを、袋の鼠(ねずみ)のように走り廻ったが、ままよとばかり、ついに街道口の大焚火(たきび)を見て、その仲間へ割りこんでいった。
「うう寒い。すみませんが、すこし焙(あた)らせておくんなさい。皆さんも、ご苦労さまで」
「さあさあ、ぬくもるがいい」と、四、五十人の村民たちは、何気なく譲ってくれたが「――おや、おめえは村の者じゃあないな。面(つら)に刺青(いれずみ)があるじゃねえか?」
「へい、牢城営の使いのもんでございますよ」
「牢営のお使いだって、おいおい、いやだぜ、そう側へ寄ッてくれるなよ。おめえの着物は血だらけじゃないか」
「あ、この血ですか。なあにこれは牛を屠殺(とさつ)したときの汚れでさあ。じつあ昨晩、管営(かんえい)さまと差撥(さはつ)さんの官邸でお客のご招待があったんで、牛やら羊やらの屠殺をいいつけられたものでございますから」
「そうかね。それにしちゃあ、いやに生々(なまなま)しいが」
大勢の村民たちはみな、不気味な顔をしあったものの、流刑囚の兇悪さは日ごろ見ているので、それ以上は何も問わない……。また林冲も、ひそかにこれはまずいと警戒しだしたが、ふと見ると、大焚火(たきび)のそばには、村民たちが寒さしのぎに飲んでいた酒瓶(さかがめ)が幾つも開けてある。それを見てはもう矢もたてもなかった。
「すみませんが、そいつを一杯、振舞ってくれませんか」
――しかし、誰も黙っている。うんともいわず、すんともいわない。
林冲(りんちゆう)は「えい、面倒な」と勝手にそこらの器を取って二、三杯飲んでいた。
ところが、その間に、古廟(こびよう)の方から走ってきた者が、後ろの方で、なにやらコソコソ耳打ちし合っていたのだった。やがて林冲のそばへ来て、
「おまえさん、よっぽど酒に渇(かつ)えていなさるんだろう。さあ、こんなときだ、飲むさ。存分、飲んでいくがいいや」
と、こんどは頻りにすすめだした。
もうこの辺でと、酒の碗をおきかけていたが、つい林冲はまた手に取った。そしてたちまち半壺(はんこ)を飲みほし、さて、礼を言いながら起ちかけようとしたときである。向う側にいた一人の男が、ぱっと林冲の頭から投網(とあみ)をかぶせた。
「それっ獲(と)ったぞ」
とたんに、彼の上へ、棍棒(こんぼう)、鈎棒(かぎぼう)、鳶口(とびぐち)、刺叉(さすまた)、あらゆる得物(えもの)の乱打が降った。そして、猪(しし)の亡骸(むくろ)でも担(かつ)ぐように、部落の内の籾干場(もみほしば)へかつぎ入れ、
「こいつはおそらくただものじゃねえぞ。夜明け次第、管営さまのお役所へ届け出ろ。ひょっとしたら、ご褒美ものかもしれねえぞ」
と、わいわい、どよめき合っていた。
するとほどなく、村長(むらおさ)が飛んできて、
「たいへんだぞ皆の衆、たったいま、柴進(さいしん)さまのお屋敷の壮丁(わかもの)が飛んできて、捕(つか)まえた男は、手荒にするな、侠客大尽(きようかくだいじん)の柴進さまが、以前、世話をなすった男だというこった。――いますぐこれへ、柴家(さいけ)の衆が引き取りにくるそうだ」
「えっ、柴の大旦那の知り人だって。そ、そいつは飛んでもないことをしてしまったわい」
「いや、何もお叱りはねえよ。だが決してこのことは口外するな、もし口外したやつは、村にはおかぬぞというお達しだぞ。村長(むらおさ)のわしの立場もなくなる。みなの衆、頼んだぞ。牢城営へはいっさい唖(おし)になっててくれよ」
――さて。この夜の騒ぎも七日、十日と過ぎていつか噂も下火となっていたころ。
村の名望家、例の小旋風(しようせんぷう)柴進のやしきの奥まった一室で、あるじの柴進の前に、その懇情にたいし、心からな礼と、別れの辞をのべていたのは、余人ならぬ豹子頭(ひようしとう)林冲であった。
あの夜。この柴家の内へ、助けられてきて、さまざまな手当をうけたことも、そのときは全く覚えもなく、翌日、聞かされたことだった。
ここには、数十人の屈強な壮丁(わかもの)や食客もたくさんにいる。だから馬糧廠(ばりようしよう)の火災と同時に、古廟の前の兇変も、たちどころに柴進の耳へ聞えてきたし、柴進もそれを知るやいな、
「さては、林(りん)師範へ何か危害がかかったところを、逆に師範のため、都の刺客も管営(かんえい)も差撥(さはつ)も刺し殺されたにちがいない。日ごろから悪評しきりな管営や差撥だった。命を落したのもいわば天罰……。ただ、林師範こそお気のどくな身の上だ。あの人を見殺しにしてはならぬ」
と、たちどころに手分けを命じて、その結果、瞬時に、邸内へ助け入れたものだった。
――その柴進(さいしん)は今、すっかり体も恢復した林冲(りんちゆう)を見て、いとも満足そうに、また、名残り惜しげにこう告げていた。
「できることなら、長くわが家にいていただきたいが、いまはそうもなりません。といって、あれ以来牢城役所では四道(どう)の街道口に関所を結び、蟻(あり)も通さぬ検問(あらため)のきびしさとか。しかしまあ私にまかせて、ひとまず山東(さんとう)のほうへ落ちのびてください。計略(はかりごと)はこの柴進の胸にありますから」
「まこと親身もおよばぬお情け、生涯忘れはいたしません。すでになかったはずの後(あと)半生、いかようとも、おさしずに任せまする」
「では、これに紹介状をしたためておきましたから、山東の梁山泊(りようざんぱく)へ行って、よい時節をお待ちなされるがいい」
「ほ。……梁山泊とは」
「まだご存知ないか。――山東は済州(さいしゆう)の江(こう)に臨んだ水郷(すいごう)で、周(まわ)り八百里の芦荻(ろてき)のなかに砦(とりで)をむすぶ三人の男がいます。――頭目(かしら)を王倫(おうりん)といい、その下には宋万(そうまん)、杜選(とせん)と申して、いずれも傑物。部下、七、八百をもち世に容れられぬ輩(やから)ばかり。また伝え聞いて、宋朝(そうちよう)治下の世に、身のおき場のないような者どもも、次第にそこへ難を避けていくというありさまで、いわば自然にできた日蔭者の別天地でもある。……その首領三名とは、てまえもよく知っている間柄。あなたがお越しあれば、粗略にはいたしますまい」
「それは、願ってもない場所。ぜひ行ってみたいが、しかしどうして、滄州(そうしゆう)の街道口をうまく脱出できましょうか」
「ご心配あるな。今日はもうその手筈(てはず)もできていますから、途中までこの柴進もお送り申しあげる。いざ、お身支度を」
促(うなが)されて彼は柴家から贈られた衣服に着かえ、また餞別(せんべつ)の銀子(ぎんす)、旅の用具なども、肌身に持った。
柴進みずからは、華奢(かしや)な狩猟(か り)扮装(いでたち)を、この日は一ばい派手やかに、馬上となって、門前に出る。そこには、すでに従者食客など数十人が、旗をささげ、鷹(たか)をすえ、また狩犬をつれ、手には槍、勢子(せこ)棒などを持って勢揃いしていた。
林冲の身は、巧みにこの中の同勢の一人に偽装されたのだった。――かくて堂々と、滄州の街道はずれを行けば、路傍の土壁には、林冲の人相書が貼ってあるのが、しばしば見えたし、辻には“林獄囚逮捕令”の立て札が、いたるところで眼についた。
「見ましたか?」
柴進が馬の上から、後ろの林冲を見て笑えば、林冲もまた、無言のままニヤリと笑う。
まもなく、東街道口の新関(しんぜき)の柵門(さくもん)と番所小屋が見えてきた。たたたたと、同勢小早(こばや)めに足なみを迅(はや)めて、そこの前にさしかかると、
「待て、待てっ」わらわらと躍り出してきた関守の番将、番卒たちが、
「おう、これは柴家の大旦那でしたか。今日もまた、狩猟(か り)へおでましで」
と、俄に態度をかえて、お愛相を言い囃(はや)した。
柴進(さいしん)も、うららかな顔をして。
「やあ、牢城の兵隊さんたちか。先頃からどうもご苦労なこったなあ。まだ捕まらんかね、人相書の野郎は」
「かいもく手懸りがねえんですよ。災難なのはわれわれで、夜も日も番屋に常詰(じようづめ)で、ここんとこ街の灯も見ておりませんやね」
「そうだろう。だが夕方の帰りがけには、しこたま猪(しし)の肉や鳥を土産に置いてくからな。酒も届けさせておこうよ」
「そいつは愉しみだ。お願いしますよ旦那」
「心得た。だが役目は役目だ。一応、供の連中を一人一人調べてくれ」
「御法度(ごはつと)の明るい旦那のこと。そんな必要はありませんや。さあお通ンなすって」
「でも、万一お供の中に、お尋ね者の人間が紛(まぎ)れこんでいたらどうする」
「わはははは。ご冗談を」
「はははは。じゃあ、ご免っ――」
同勢三十余人。まんまと、こうして馳け通ってしまったのだった。
やがて十里も行ったところで、林冲(りんちゆう)一人が、その中から途(みち)をかえて別れ去ったのはいうまでもない。以後、彼の旅路は二十日あまりの山野をいそぎ、やがて朔風(さくふう)肌を切るような雪もよいの或る日、見わたす限り蕭条(しようじよう)として葭(よし)や枯れ芦の江岸(こうがん)にたどり着いていた。
渡船場(とせんば)らしい水際に、酒屋の旗をかかげた茶店が見える。そこで、一杯ひっかけているうちに、一と癖ありげな茶店のおやじが、じろと林冲を眼で撫でまわして。
「旅人。あんたアこれから、山東(さんとう)のどこへ行こうって、おつもりだね」
「そいつアこっちから聞きたいところさ。亭主、ここの渡舟(わたし)はどこへ行くのか」
「ここは渡し場じゃねえわさ。たまに魚を漁(と)りに出る舟が着くだけでね」
「では、梁山泊(りようざんぱく)へ渡してもらうわけにもゆかんか。はて、弱ったな」
「梁山泊へおいでのつもりかい」
「そうだ」
「ふうん……?」と、おやじはいよいようさんな眼をして。
「どこで聞いたか知らねえが、梁山泊へというからにゃあ、おめえはお上(かみ)の目明(めあか)しか、それとも何かべつな目あてでもあってのことか。あそこへ渡ったがさいご、ただごとじゃあ帰られねえぜ」
「そこは合点だ。じつはな亭主。その梁山泊の頭領あてに、こんな添え状をもらってきた者なんだが……」と、柴進の手紙を示すと、おやじはその上(う)わ書(がき)と彼の姿をじっと見くらべ、急に物腰をあらためてこう言いだした。
「いや、お見それ申しやした。滄州の柴(さい)旦那のご手蹟に間違いはねえ。どうもとんだご無礼を。……ようがす、いますぐ迎えの舟を呼びますから、もう一杯、そこで寒さ凌(しの)ぎを飲(や)っていておくんなさい」
茶店の亭主とは、そも何者ぞ。これもまた山東梁山泊の耳目(じもく)として、ここに仮の生業(なりわい)をしている手下(てか)の一員には相違あるまい。
小屋の奥へ隠れたと思うと、彼は一張りの弓を持って現われ、大きな鏑矢(かぶらや)をつがえて、はるか水面遠き芦荻(ろてき)の彼方へ向って、びゅっんと、弦(つる)をきった。矢うなりは水に響いて長い尾を曳き、その行方に、一群の鴻(こう)がバッと舞い立ったと思うと、やがて一艘(そう)の早舟が、芦荻の波間をきって、こなたへ漕(こ)ぎすすんでくるのが見えた。
無法者のとりで梁山泊(りようざんぱく)の事。ならびに吹毛剣(すいもうけん)を巷(ちまた)に売る浪人のこと
梁山泊(りようざんぱく)は正確に周(まわ)り何百里とも見きれず、号して当時八百里(支那里)といわれている。風浪の日はおそろしいが、晴れた日は、山をめぐる白雲、太古の密林、そして、目路(めじ)のかぎりな芦の州(す)から葭(よし)の汀(なぎさ)とつづいて、まるで唐画の“芦荻山水(ろてきさんすい)”でも見るような風光だった。
ところが、ここには、宋朝(そうちよう)の世に容(い)れられぬ反骨の徒(と)、不平の輩(やから)などいつか何百人群れよって山寨(さんさい)をきずき、公然、時の政府に抗して義盗ととなえ、舟行(しゆうこう)や陸の旅人などをなやましていた。従来しばしば取潰(とりつぶ)しにかかった官軍といえど、生きて還った例(ためし)がない――と、までいわれている巨大な“無法者地帯の浮巣(うきす)”だったのだ。
「――なるほど、これでは」
その日、朱貴(しゆき)(茶亭の亭主、実は山寨の一員)が呼んだ早舟に乗せられて、対岸の金沙灘(きんさたん)で舟を下りた林冲(りんちゆう)は、行く行く、その要害には舌を巻いた。
芦荻(ろてき)と芦荻の間は舟の迷路をなし、陸の道は迷宮を行くにひとしい。賽(さい)の河原にも似て、蕭条(しようじよう)たる水辺、幾ツもの洞門、谷道、また密林の中など、忽ち帰る方角もわからなくなる。
かくて、山腹の断金亭(だんきんてい)までたどりつくと、そこで彼は、首領の王倫(おうりん)に会った。
王倫はもと、都でまじめに学問を志し、進士(しんし)の試験勉強に励んでいたが、官府の腐敗を見たり、世間の裏表を知ると、勉学が馬鹿らしくなった結果、試験にも落第してしまったので、ついに自暴(や け)ッぱちの放浪をつづけたあげく、この梁山泊へ来て宋万(そうまん)、杜選(とせん)、朱貴(しゆき)などの仲間を得、いつか七、八百人の頭目にまつりあげられていた者だった。
「おう、滄州(そうしゆう)から柴進(さいしん)どのの添え状を持ってきたという豹子頭林冲(ひようしとうりんちゆう)とは、あんたのことか。まあ、おかけなさい」
「これは王倫どのですか。それがしは、もと禁軍の師範、林冲という者、天地、身の容(い)れるところなき人間です。ここに置いてはくださるまいか」
「ご事情は、柴進どのの添え状にも、つぶさに見える。あの方には、以前、恩義をうけているので、お身柄は万々ひきうけた――と申しあげたいところだが、実はだナ」
王倫は、ちょっと、左右にいる宋万や杜選の顔を憚(はばか)りつつ、
「……正直にいうと、この梁山泊(りようざんぱく)には、現在でも、七、八百人もいるので、いつも食糧が不足がちなのだ。申し難いが、銀子(ぎんす)十両を、草鞋(わらじ)銭(せん)にさしあげる。身の振り方は、ほかへ行って考えてくれないか」
林冲(りんちゆう)は、憤然として、断わった。
「せっかくだが、物乞いに来たわけではない。では柴(さい)旦那の手紙を返してくれ。引き退(さ)がろう」
すると、宋万と杜選(とせん)の両名は、あわてて彼を引き止め、また一方の王倫(おうりん)を説き始めた。
「頭目。その扱いは、ちとどうかと思うぞ。第一には、柴の大旦那の顔をつぶすし、第二には、梁山泊の人間は、義を知らぬ忘恩の徒だといわれるだろう。おれたちの仲間は、恩と義でもっている世界だ。それでいいのか」
「でも、山寨(さんさい)の仲間には、めったな者は加盟(かめい)させられない。万一という惧(おそ)れもある」
「それは口実(こうじつ)にすぎまい。疑わしく思うなら、仲間の誓約を立てさせればよかろう」
「誓約。ふウむ……じゃあ、やらせてみようか。おい林冲とやら、誓文(せいもん)なんざ、書けとはいわんよ。その代りに、この王倫の命じることを、三日のうちに、きっとやってみせられるか」
「ここへ置いてくださるなら、いかなることでも」
「よし。じゃあ、もいちど梁山泊を出て、対岸の山東(さんとう)街道に潜(ひそ)み、三日以内に、人間の首を一つ取ってきて、これへ見せてもらおうか。――それも百姓漁夫の首ではいけない。役人なり然(しか)るべき武士の首だぜ」
「心得た」
夜は山寨の宛子城(えんしじよう)で、彼は客としての歓宴に囲まれた。けれどその酒宴中でも、王倫の態度はどこかよそよそしい。林冲も彼の人物を観(み)て「……ははあ、この人は嫉妬(しつと)ぶかくて、狭量らしい。自分のごとき前歴の人間をここに置いて、将来、首領のお株を奪(と)られでもしてはと、惧(おそ)れているに相違ない。そんな小人(しようじん)の下にはいたくもないが、さて、天下ほかに身のおくところもない身だし……」と、独り愉(たの)しまぬ色をつつんで、三日以内の約束を、観念していた。
次の日、彼は身仕度して、長巻(ながまき)の野太刀を一本ひッ提(さ)げ、道案内の雑兵に舟を漕(こ)がせて、山東済州(さんとうさいしゆう)街道に渡った。
第一日は、人にも会わなかった。
二日目は雪晴れの好晴で、「――今日こそは」と、路傍に潜(ひそ)んだり、林の中をカソコソと彷徨(さまよ)っていたが、見かけたのは、黄昏(たそが)れごろ、家路へ帰ってゆく貧しげな漁夫と、子供づれの百姓夫婦だけだった。
「限られた日は、あと一日きりだが」
疲労と焦躁(しようそう)に、林冲の眼は、すっかり獣(けもの)じみていた。すると昼少し過ぎ、その眼にとまった一個の旅人がある。――やや勾配(こうばい)の急な雑木山の道を、大きな旅梱(たびごり)を担(かつ)いで、こなたに降りてくる人影なのだ。「しめたッ」とばかり、よくも見さだめず、走り寄って、その眼の前へ、
「待てっ、旅の者」
長巻の石ヅキを、とんと地に突いて見せた。すると、相手の男は、仰天して、荷物もそこへうッちゃッたまま、
「ひっ、人殺しっ」
と、盲(めくら)滅法、谷そこ目がけて逃げ転げていった。その悲鳴といい逃げる恰好も、役人でもなし、武士でもない。林冲(りんちゆう)はがっかりして、
「ちいっ。もう三日目は暮れそうだし。……はアて、よくよく運のない俺だとみえる」
そして、何気なく、道に捨てられてある荷物へ眼を落していると、どこからともなく、一陣の殺気が、さっと彼のその横顔を吹いてきた。
はっと、振り向くと、
「盗賊っ。その荷を拾って、生命(いのち)は落してもいいつもりか」
怒気と嘲笑をまぜて、言葉そのものが、すでに刃(やいば)のような声だった。
見れば、先に逃げた荷持ちの男の主(あるじ)だろうか。
まだ三十がらみの壮者だが、顔いちめんの青痣(あおあざ)へもってきて赤いまだら髯(ひげ)を無性(ぶしよう)に生やし、房(ふさ)付きの范陽(はんよう)笠を背にかけて、地色もわからぬ旅袍(たびごろも)。それへ白と青との縞(しま)短袴(ばかま)をはき、牛皮の毛靴(けぐつ)を深々と穿(うが)って、腰には、業刀(わざもの)らしい見事な一振りを横たえてもいる。
「あははは」と、男は林冲(りんちゆう)が、硬直したのを見て笑った――
「生命(いのち)は惜しいし、荷は欲ししか。やい盗賊、荷物の男に代ってその荷を担(かつ)ぎ、町のあるところまで、身どものお供をして行くなら、そこは人情、酒の一杯ぐらい、飲ませてやらぬ限りもないぞ。ばかめ、どっちを撰(えら)ぶのだ」
「むむ、見受けるところ、貴様はただの素町人(すちようにん)ではないな。武士だな」
「おおさ、いまでこそ浪々の身だが、昨日までは、五侯(こう)の一人楊令公(ようれいこう)の末裔(まつえい)として、徽宗(きそう)現皇帝の旗本にも列せられた武士中の武士だ。もしそれだったら、どうだというのか」
「よしっ、その首、もらった」
「なにッ。ふざけるな」
ほとんど同時。白光(はつこう)を噴いた双龍(そうりゆう)にも似る二人のあいだに、鏘々(しようしよう)として、火花が散った。しかし彼の長剣も、林冲の長巻も、幾十合(ごう)となくその秘術を尽しあったが、どっちも、相手の一髪すら斬ってはいない。果ては鍔(つば)ゼリとなり、相互ともに息あらく、ただ(びん)の毛を汗にするばかりだった。
すると小高い所から、突然、声がかかった。
「やあ、待ち給え。林冲の三日の約はそれでいい。旅のお武家にも、どうぞ刃をお引きください」
誰かと見れば、日限切ッての約束した林冲の様子いかにと、それとなく見にきた白衣秀士王倫(びやくえしゆうしおうりん)、杜選(とせん)、宋万(そうまん)、そのほか梁山泊の手下(てか)数十人の群れだった。
「豪傑、ぜひ今夕は、われわれの寨(とりで)まで来てくださらんか。仔細はその上でお詫(わ)びするし、また、お身の上も伺いたい」
たって、梁山泊の寨(さい)、聚議庁(しゆうぎちよう)までつれてきて、その夜、盛大な宴を設けた。
王倫の考えでは、林冲一人を置くのでは、自分の地位も惧(おそ)れられるが、彼に対して、もう一名の互角な人物を配下におけば、自然、相互が牽制(けんせい)し合う形になり、御(ぎよ)すには御しやすいし、わが将来も安泰なものと、すぐ胸算用してのことだった。
で、しきりに、酒をすすめ、礼を低くして、
「どうです、浪々のお身の上と伺いましたが、ひとつここに足を留めて、存分、男の一生を愉しんでみる気はありませんか」
それとなく、水を向けてみた。
「いや、お志はかたじけないが、じつはまだ開封(かいほう)の都には、屋敷もあり、身寄り一族も残してあるんで、どうしても一度は立ち帰らねばなりません。――その身が、何故、かかる浪々にあるかといえば、じつは面目ない次第だが」
彼は、ぐっと杯を干して、自嘲をうかべた。その青痣(あおあざ)のような顔面は、酔うほど一そう青く見える。
「――わが家は代々、宋朝(そうちよう)の旗本なので、殿司制使(でんすせいし)の役にあり、かねてまた、高(こう)大将軍閣下直属の親衛軍の一将校でもあった。……ところが昨年のこと、徽宗(きそう)皇帝が、万歳山(ばんざいさん)の離宮にお庭作りを営まれるに当って、制使十名を、西湖(せいこ)へご派遣になり、西湖の名石(めいせき)をたくさん、都へ運ばせることになった」
「なるほど……」
「拙者も制使の一人だった。そこで西湖の花木竹石(かぼくちくせき)の珍(ちん)を大船に積み、黄河(こうが)を下ってきたところが、運悪く、途中でひどい暴風(し け)に遭(あ)い、ついに役目も果し得ず、面目なさに、そのまま田舎に身を隠しておるうち、やっとこのたび赦免(しやめん)の令が出たというわけでな……」
「いや分った。それで都へ帰る途中でしたか」
「いかにも、都へ帰って、もいちど以前の官職につき、家名を復さなければ先祖にすまん……と思って、要路の大官どもに贈る賄賂(わいろ)の品々を荷物となし、これまで来ると、いきなりそれに居る林冲(りんちゆう)とやらに斬りつけられ、二つとない首を、あぶなく進上してしまうところであった。はははは」
聞いて、林冲も初めて、口を開いた。
「申しおくれたが、自分も以前は、近衛ノ将軍高(こうきゆう)の下にいて、禁軍師範の職にあった豹子頭(ひようしとう)林冲と申す者。……だんだん伺ってみれば、貴公とは、以前の同僚のようなものだが、もしや御辺(ごへん)は、あだ名を“青面獣(せいめんじゆう)”と呼ばれていた楊志(ようし)殿ではないのか」
「おお、いかにも手前はその、青面獣楊志だが、林師範ともいわれたお方が、どうしてかかるところに居られるのか」
「ま。この刺青(いれずみ)を見てください……」と、林冲は、わが額(ひたい)の刺青を指して、苦々と笑いながら、逐一(ちくいち)、都から滄州の流刑地に追われた仔細や、またその大苦役場(くえきば)からのがれて、ここへ落ちて来たまでのいきさつを語って――
「悪いことは申さぬ。この林冲の例を見てもわかること。しょせん、高(こうきゆう)将軍はあてにならぬ侫奸(ねいかん)なお人だし、またそれをめぐる軍人、役人、徽宗(きそう)朝廷のすべても、腐敗堕落している現状では、たとえ貴公が都へ帰ったところで、とても長く安穏(あんのん)に暮すことはできますまい。……それよりは、頭領王倫(おうりん)のおすすめにまかせ、われらとともに、この別天地で、男と男の義を生きがいに、存分生きてみる気はありませんか」
「どうも何やら心も惹(ひ)かれるが、先にも言ったような次第で」
「いや、それまでに仰っしゃるなら、無理にお引き止めもいたすまい」
王倫もあきらめたが、
「……では今夜は、歓(かん)を尽して、青面獣楊志(せいめんじゆうようし)の前途を祝うとしよう。ただ、他日でもよい。梁山泊の一天地には、かかる男どもが集まって、宋朝の腐敗に抗し、こんな生き方をしているということは記憶にとどめておいてください。そして何かの時は、お力になっていただければ倖(しあわ)せというもの」
「一河(いちが)の流れ、一樹(いちじゆ)の縁(えん)。それはいうまでもありません」
あくる朝も、楊志は山寨から餞別(せんべつ)を貰うやら、また、王倫以下の盛大な見送りを受けなどして、一舟(しゆう)の上から手を振りつつ、梁山泊を離れて行った。
――さて、ここで物語は、長身青面(せいめん)の壮士、楊志の旅とともに、開封東京(かいほうとうけい)の都へ移って行くことになる。
都へ移った楊志(ようし)は、さっそく持ち帰った荷を解(と)いて、地方で蒐(あつ)めた珠玉(しゆぎよく)、名硯(めいけん)、金銀の細工物など、とにかく金目な物を惜しみなく、大官たちへの賄賂(わいろ)に使った。そしてようやく、復職のめどもつき、あとは殿帥府(でんすいふ)最高の大官、高(こう)大将の一印(いん)が書類に捺(お)されれば……というところまで漕(こ)ぎつけて、
「まずは、これでつつがなく、家名を持ち直すことができたわ」
と、希望のその日を待ちぬいていた。
やがて数日の後、殿帥府から「――出頭せよ」との達しが届いた。晴れの日なので、殊に身ぎれいに慎み、府の一閣に控えていると、やがて帳(ちよう)を払って現われた近衛(このえ)ノ大将軍高(こうきゆう)が、椅子(いす)に倚(よ)るやいな、傲然(ごうぜん)とこういった。
「楊志とは、そのほうか」
「はっ、前(さき)の制使十名の一人楊志にござりまする」
「どの面(つら)さげて、これへ来たか。履歴、上申(じようしん)の書などを一眄(いちべん)するに、汝は元来、宋家(そうけ)代々の重恩をうけたる家柄の身でありながら、昨年、帝の御命(ぎよめい)にて、西湖石(せいこいし)の運搬にあたった折には、途中、船を難破させたのみか、そのまま行方をくらまして、自首もせず、今日まで隠れおッた不届き者ではないか」
「あいや、事情は、上申書にも逐一(ちくいち)したためた通りでござりまする。かつはまた、ご赦免(しやめん)の沙汰も聞えましたので、出府いたした次第、なにとぞご寛大をもちまして」
「ばか者、黙れっ。――赦免の令は、汝のために出したものではない。十名の制使中、あらましは任務を全(まつと)うしているが、なお二、三西湖に戻って、罪を待つ者もあるゆえ、それへ赦免を申しつかわしたまでだ。汝のごときは、その場から逐電(ちくてん)して今日(こんにち)にいたった不届き者、復職などは罷(まか)りならん。もってのほかな願い。とッとと退(さ)がりおろう」
楊志は暗憺(あんたん)となった。絶望に打ちのめされて、以来、怏々(おうおう)の悶(もだ)えを独り抱きつづけた。
「……いまにして、林冲(りんちゆう)のことばも思い当ってくる。先祖からの家名、父母の形見といえるこの体、それらを汚(けが)すに忍びぬまま、王倫(おうりん)が引き止めるのも断って、なお夢を都につないで帰ってきたが……、ああ、やはり高(こうきゆう)が権を振うこの都府(とふ)は、俺のような人間の住めるところではない」
今はなすこともなし、ほかに職を探す意志も出ない。すでに復職の運動や賄賂(わいろ)のため、売る物は売りつくしていたし、明日の食にも困る窮状に追われてきた。
「そうだ、ここに祖先から伝わる一腰の名刀だけが残っている。これを売って、身寄りの老幼に頒(わ)け与え、あとを路銀として、どこか遠い他県へ行って、身の振り方でもつけようか」
その日。――彼は一剣を持ち出して、それに売り物の“草(くさ)標児(じるし)”をさげ、馬行街(ばこうがい)の四ツ辻に立っていた。
しかし、なかなか値段を訊いてくれる者さえない。そこで楊志は、午(ひる)過ぎから天漢州橋(てんかんしゆうきよう)のにぎやかな橋袂(たもと)に河岸を変え、
「名刀の売り物だ。この稀代な宝刀。たれか眼のある人に譲りたいが」
と、道行く人々に、呼びかけていた。
すると、胸毛もあらわな大男が、ずかずかと彼の前へ近づいてきた。ぷウんと、酒気と油を交ぜたような体臭が鼻を衝(つ)く。――それを見るや往来の者はすぐ、
「そら、無毛虎(むもうこ)が何か刀売りへ突っかかっていったぞ」
「毛無シ虎の牛二(ぎゆうじ)が、またなにか、因縁を付けるんじゃねえか」
と、囁(ささや)き合って、もう辺りは人立ちの様子だった。
案の定(じよう)。――無毛虎の牛二といわれる街の悪(わる)は、のッけから、楊志を見くびッて、からみ始めた。
「なに。こんな古刀(ふるがたな)が三千貫だと。……やいやい人を盲(めくら)にするのもいい加減にしろよ、いい加減に」
「はははは。酔っているな。おぬしに買ってくれとはいわぬ。退(の)いてくれ。さあ、通ってくれ」
「大きなお世話だ。おれには買う力がねえとでもぬかすのか」
「弱るなア、どうも。刀はわが家の宝刀なので、子供に別れるような気持ちなのだ。お前さん方の持ち物にはさせたくない」
「よしっ、買ッた。そう見くびられちゃあ、こッちも意地だ。買わずにゃおかねえ。だがよ、おい。まさか鈍刀(なまくら)じゃアあるめえな」
「しつこいなア。お前さんには売らないと申すのに」
「ふざけるな、売り物の“草(くさ)標児(じるし)”を下げてるじゃねえか。さあ、買ってやるから、切れ味を見せろ。それとも、尻込みする気かよ、ええおいっ。……さては、汝(うぬ)ア騙(かた)りだな」
「この人なかで、騙りとは聞きずてならん」
「そうよ、三十文の刀だって、豆腐や蓮根ぐらいは切れらア。三千貫の宝刀なら、いったい何が斬れるというのだ」
「聞くがいい。銅や鉄を斬っても刃こぼれ一つしない」
「ふん。それだけか」
「髪の毛を吹きかければ、毛も斬れる。――名づけて吹毛(すいもう)ノ剣という」
「洒落たことを言やアがる。それで生きた人間は斬れねえときては、なンにもなるめえ」
「斬ッても、刃(やいば)の肌に血の痕(あと)をとどめぬというのが、この宝刀の鍛えだ。さあ、それだけの説明で充分だろう。退(の)いてくれい」
「いや、おもしれえ。そんならこれを斬ッてみろ」
牛二(ぎゆうじ)は、一トつかみの銅貨を、州橋の欄干(らんかん)の上に、塔みたいに積み重ねて。
「さあ、そこの騙(かた)り野郎。ここへきて、この銭(ぜに)を見事斬ッてみろ。斬ッたら、三千貫くれてやるが、斬れなかったら、ただではおかねえぞ」
群集はわッと輪をひらいた。名うてな街のゲジゲジと、刀売りの大言壮語。どうなるやらと、往来はいよいよ山をなすばかりである。
「……よしッ、見せてやる」
楊志(ようし)はついに欄干の前へ寄っていった。じっと、銭(ぜに)の一点を見ていることしばし、抜く手を見せずとは、その間髪のことか。――二つに斬れた銭の数枚が、刃(やいば)の両側へバッと飛び、しかも欄干には傷痕(きずあと)も残さなかった。
「やあ、斬れたっ。ほんとに、斬れたわ」
どよめく見物人の喝采(かつさい)を尻目に、毛無シ虎は、なお躍起だった。いきなり自分の(びん)の毛を一とつかみほど、(むし)り抜いて、
「おッと、待ちねえ浪人。そんな手品は、大道芸人もやるこッた。さア、これをいう通りに斬ってみろ」
いよいよ、かさにかかって吠(ほ)えかかった。
「おおさ。性根をすえて見るがいい」
楊志は左の手に、それを受けた。そして晃々(こうこう)たる宝刀の刃(やいば)に向って、掌(て)の髪の毛を、ふッと静かな息で吹き起すと、
「あら、見事……」
見物たちは一瞬に、うつつを抜かした。――見れば楊志の息にかかった髪の毛は、あたかも宝刀の精に吸いついてゆくように、彼の掌(て)を離れるや飛毛(ひもう)の舞を描きながら、ハラリ、ハラリ、みな二つに斬れて落ちるのだった。
眼をすえていた毛無シ虎は、
「うるせえや、見物人めら。まだまだ、おれの負けじゃアねえ。第三には、人を斬っても、刃の肌に血の痕を残さねえと、吐(ほ)ざいたはずだ。さあ浪人、証拠を見せろ」
「見せてやる。犬を曳いてこい」
「犬をどうするッてんだ?」
「いわれなく、人は斬れぬ」
「たいがい、そういうだろうと思った。騙(かた)り者の逃げ口上はきまっていらア。出来ねえなら出来ねえと、ご見物に向って謝罪(あやま)れ」
「おぬしに刀は売らぬのだ。まアこのくらいで勘弁せい」
「いや、ならぬ」と毛無シ虎は、楊志の手頸(てくび)をムズとつかんで、
「――この刀は、おれが買う。買主との約束どおり、人間を斬っても血の曇りを残さぬといった証(あかし)を立てろ」
「それほどいうならば、金を出せ」
「金はいまねえが、後金(あとがね)ということもあるんだ。とにかく生きた人間を斬ッて、この通りだという値打ちを先に見せるがいいや。それとも、四つン這いに手をついて謝罪(あやま)るか」
ほとほと持て余した楊志は、ここにいたって、ついに堪忍の緒を破ったらしい。しかしその青い面色に一抹(いちまつ)の凄気(せいき)は見せたものの、依然、言葉はしずかに。
「……さて、お立会い」
と見物人へ向って言った。
「ごらんの通り、この無頼(ならず)者(もの)めが、先刻より私にさまざまな難癖をつけ、なんとなだめても収(おさま)りがつきません。その上にも、生きた人間を斬って見せろと申してきき入れませんが、いったい、どうしたものでございましょうか」
すると、見物の群れから、弥次馬が、
「斬ッちまえ! 斬ッちまえ。――そういう毛無シ虎に、斬れ味を見せてやるがいい」
「その野郎がいなくなれば、第一、街が明るくならあ。よろこぶ者はあっても、悲しむ奴はたれもねえよ」
「ご浪人、頼むから、やッてくれい」
わいわいと、四方から声の礫(つぶて)だった。
こう聞いては堪らない。毛無シ虎は、その本性をなお剥(む)き出しにいきまいた。いきなり楊志(ようし)の胸いたを、どんと一ト突きして、その手にある宝刀をつかみとろうとかかったらしい。――が、彼の上半身は、ひょろと、空を泳いでいた。と見えたのも一瞬である。見物人の眼には、一朶(いちだ)の血の霧が、バッと、大輪の花みたいにそこで開いたかのように映った。
「わああっ……。やった!」
まさかと思っていたのだ。呻(うめ)きに似た群集の声には戦慄がこもッていた。すでに見る楊志の足もとには、真二つとなった毛無シ虎の巨体がピクともせずぶっ仆れている。そして彼が垂直にして持ち捧げていた長剣には、なるほど、血脂(ちあぶら)の曇りもとどめていなかった。
「街のみなさん」
彼はそのままな姿勢で群集へ向って告げた。
「――おしずまりください。あなた方にご迷惑はおかけしません。見られたような仔細で、てまえはついに白昼、この天漢州橋の大道で人を殺(あや)めました。法罰、のがれ得るところでない。あなた方が生き証人だ。これから奉行所へ自首して出ます。そこを開いてお通しください」
彼の態度は立派だった。群集はそれにも感動をうけたらしい。聞き伝えて、彼が入った奉行所の門前には、庶民が群れをなして、
「毛無シ虎が悪いんだ。牛二(ぎゆうじ)はふだんから街の者を泣かせ、なに一つろくな真似(まね)はしていない。刀売りを助けてください」
と、口々に叫んだ。――以来、毎日のように、嘆願書やら差入れ物やら、楊志のためにはと、義金まで募(つの)ッて、あらゆる助命運動が、街の有志によってつづけられた。
六十日間の留置期間に、彼の処分もほぼきまった。官辺でも、折紙付きの毛無シ虎には、手を焼いていたところだし、吟味役人から牢番にいたるまでが、ことごとく楊志の同情者であったことも、情状の酌量(しやくりよう)を容易にしたらしく、
「――北京(ホツケイ)ノ地へ流罪(ルザイ)トナシ、大名府留守司(ダイミヨウフルスシ)ノ軍卒ニ貶(オト)スモノ也」
これが、罪の判決であった。同時にまた、
「所持ノ宝刀ハ、是ヲ官ニ没取ス」
とも、言い渡された。
定法どおりに、額(ひたい)に金印(きんいん)(刺青)を打たれたのはやむをえない。だが、追ッ払いの背打ちの棒もかろく、やがて護送使の手で、はるか北京(ほつけい)の空へ差し立てられていった。
青面獣の楊志(ようし)、知己にこたえて神技の武を現すこと
北京(ほつけい)は、当時、大名府(だいみようふ)ともいい、五代各国の首府としても名高い。
“河北(カホク)、治レバ天下治リ。河北、乱ルレバ天下乱ル”
唐(とう)の世代から、すでにそんな言葉があるとおり、西に太行(たいこう)山脈、東に遠く渤海(ぼつかい)をひかえ、北方に負う万里ノ長城は、北夷(ほくい)の襲攻にそなえ、不落の名がある。
しかし、近年では、満州の女真(じよしん)(金)や遼(りよう)の侵攻も油断がならぬため、徽宗(きそう)の宋(そう)朝廷でも、ここを重視して、その留守司(るすし)(北京軍司令官、兼、守護職)には、特に大物の人物を配していた。
世傑梁(せいけつりよう)中書(ちゆうしよ)は、その人である。
彼は、都の太師(だいし)(太政大臣)蔡京(さいけい)閣下の女婿(によせい)であり、この北京では、軍権、民政、その一手にゆだねられている留守司の重職なので、その羽振りのよさは、言をまたない。
「おや、東京(とうけい)の楊志(ようし)が、平(ひら)軍卒に貶(おと)されてきたのか」
或る日、梁中書は、護送者から届け出ていた書類の一片を見て、こう呟(つぶや)いた。
楊志ももとは名家の出なので、その人柄も薄々は知っていた。――で、護送使の者に、身柄受取りの官印をあたえて帰すと、さっそく、自邸に楊志を呼んで、
「そちはいったい、どんな罪を犯して、平(ひら)の軍卒などに貶(おと)されてきたのか」
と、事情を問いただした。そして、彼の口から委細を聞くと、
「なあんだ、そんなわけだったのか。よろしい、折を待ちたまえ。君ほどな人物、いつまで、一兵卒にはしておかん」
大いに慰めて、当座は梁中書の邸内の兵卒に飼われていた。
だが、いかに彼の権威でも、理由なく楊志を取り立てるわけにはゆかない。そこで、城外の大練武場で、一日、北京総軍の大演習が行われるときを待って、楊志の武技を試し、もし彼に抜群の業があったら、それを称(たた)えて、大いに登用してやろうと考えた。
頃は、春めき始めた二月の頃。
大演武場は、北京三軍の旗と兵馬で埋まった。時刻となれば、貝が鳴り、鉦鼓(しようこ)がとどろき、軍楽隊の演奏とともに、梁中書は副官その他、大勢の軍兵をしたがえて、式場へ臨んだ。
厳かな閲兵(えつぺい)の後、李天王李成(りてんのうりせい)、聞大刀聞達(もんだいとうぶんたつ)、二将の号令のもとに、全軍、中書台(ちゆうしよだい)に向って、最敬礼をささげ、また、三たびの諸声(もろごえ)を、天地にとどろかせた。
たちまち、全軍は二陣にわかれ、紅旗、白旗が打ち振られる。鼓(つづみ)を合図に、両軍それぞれの大兵が、鶴翼(かくよく)、鳥雲(ちよううん)、水流(すいりゆう)、車輪(しやりん)、陰陽(いんよう)三十六変の陣形さまざまに描いてみせ、最後にはわあああっ……と双方起って乱軍となり、そこかしこで、凄まじい一騎討の競武が展開された。
中でも、紅軍の副牌(ふくはい)(部将)周謹(しゆうきん)の働きは目ざましく、彼の槍の前に立ちうる者はなかった。
「周謹。日ごろの猛練習も思われて、今日の働き、見事だったぞ」
梁中書(りようちゆうしよ)は、輝(かがや)くばかりな銀色の椅子(いす)から、彼を賞(ほ)めて、また言った。
「ところで、もと東京(とうけい)の殿司(でんす)制使楊志(ようし)が、流されて一兵卒に落され、今日も余の供として後(しりえ)に来ておる。彼は近衛(このえ)の一将として、武芸十八般に秀(ひい)でた男。――彼とここにて、槍術を競べてみせい」
「おそれながら……」と、周謹は口をとがらせた。
「流され者の一兵卒と、試合せよとは、余りにも」
「なにをいうか」梁中書は、わざと、声を高めて一喝した。
「いまや諸国に盗賊はびこり、国境には、遼族(りようぞく)、女真(じよしん)の賊の窺(うかが)うもあって、今日ほど国家が人材を求めているときはない。まこと神技の武術を身に持つ者なら、一兵卒たりとも、これを用いぬは、国家への不忠である。それを周謹は不服だというのか」
「いや、決して、さような意味では」
「なればこれへ、楊志を呼べ」
召し出された楊志は、かねがね梁中書の好意のあるところを覚(さと)っている。もとより異存のあろうはずもない。
両人は、黒ずくめの戦袍(せんぽう)(よろい)と黒駒を与えられた。使用の武器は、たんぽ槍(穂先を羅紗でくるんで玉とした物)で、それにたっぷり石灰がふくませてある。
「いざ」
と、将台を前にして、両人、馬上の槍を戦わせた。
真槍でないから、ちょっと、勝負の判定は難しいようだが、しかし、腕前の差は歴々とあらわれた。馳け合うことしばし、周謹の体や黒馬の肌には、白い痕(あと)が斑々(はんぱん)と描き出されたのにひきかえ、楊志の五体や駒には一点の痕もついていない。
勝負あった! の銅鑼(どら)が鳴る。
すると、兵馬都監(とかん)の李成(りせい)が進み出て、将台へ訴えた。
「周謹は無念そうです。彼の得意は、弓にあるので、弓を持たせて、もう一度の勝負をご覧願わしゅう存じまする」
「楊志。よろしいか」
「心得ました」
ふたたび、指揮台で青旗が打ち振られ、金鼓(きんこ)一声、馬は馬を追ッて、演武場の南の方へ、パッと馳け出た。
逃げていくのは、楊志だった。
周謹は、三矢(し)を放って、三矢とも、見事、楊志の片手の楯(たて)で払われてしまった。
こんどは、楊志が追う番に廻った。――楊志は、弓を引きしぼって周謹の背に迫ったが、わざと急所を射はずして、その肩を射た。しかし、たとえ肩でも何かはたまろう。あっと、相手は馬上からころげ落ちた。
「さすが楊志の武技は中央の武技の一流だった。――周謹はしょせん敵でない。しばらく周謹の現職を楊志にゆずらせ、今日以後は、楊志をもって副牌(ふくはい)(部の将校)に取り立て得さす。――管軍(かんぐん)書記、さっそく辞令を彼に授けろ」
梁中書(りようちゆうしよ)が、かく命じると、突如、軍列の一端から躍り出ていう偉丈夫があった。
「今のおことばは、この索超(さくちよう)には、大不服です。周謹(しゆうきん)が拙者の弟子だからとて申すのではありませんが、楊志の武技は中央一流との御意(ぎよい)は、聞きようでは、北京(ほつけい)総軍には、人もなきかの如く聞ゆる。それほどなご賞辞ならば、この索超を打ち負かしたうえにて、彼へおさずけ願いたい」
「はははは。誰かと思えば、急先鋒とアダ名もある正牌軍(せいはいぐん)(一軍の大将)の索超か。よからん、よからん! 望みとあれば勝負してみよ」
いよいよ、事は物々しくなった。両者にはあらためて、本格的な武装を命じ、試合場所も、将台の欄(らん)まぢかに移されたので、梁中書は白銀の椅子を欄前にまで進め、折から北京七門の楼門上には、大きな日輪が夕雲に落ちかけてきたので、縁飾(ふちかざ)り美しい蓋傘(おいがさ)は、彼の冠の上に瑶々(ようよう)として翳(かざ)されていた。
開始の軍楽(ぐんがく)。――それがやむと、両側の柵(さく)内で、金鼓(きんこ)が鳴り、楼の上では用意! の黄旗が早や振られている。
どかんと、はるか馬場の末のほうで、烽火(のろし)用の爆音が、夕空に谺(こだま)した。見れば、西の門旗(もんき)の下からは、急先鋒索超(さくちよう)、東門からは、青面獣楊志(ようし)。各さんぜんたる鎧(よろい)、甲(かぶと)のいでたち。さながら戦陣そのままな猛気を飾って、静々、こなたへ相寄って来るのが見える。
「おうっ……」
たちまち、二騎の姿は、魚紋を描いて、もつれ繞(めぐ)った。
索超は、雪白(せつぱく)の馬上に、金色(こんじき)の焔(ほのお)を彫った大斧(おおおの)をひッさげ、楊志はするどい神槍(しんそう)を深くしごいて、とうとうと馳け巡りながら虚(きよ)をさぐる。
この戦いは、見事だった。両者の威風といい、その技といい、見ているにさえ息づまった。――大斧(だいふ)の閃々(せんせん)、槍尖(そうせん)の電光、おめき合うことも幾十合か。馬も汗するばかりなのに、どうしても、勝敗はつかない。満場は声なく、巨大な落日の紅炎は、西の空へ、刻々に沈んでゆく。しかもまだ、相互ともに意気旺(さかん)なのだった。まさに不死身の人間の戦いかとも怪しまれている。
「ああ。みごと」
梁中書は、いつか夢中で、その銀椅子(いす)から立っていた。彼は満足した。大名府に両雄を得たり、といってよろこんだ。
彼のそばから伝令が走った。引分けの銅鑼(どら)が鳴る。索超の部下は、万雷のような勝鬨(かちどき)をあげたが、楊志の方には、歓呼もない。
しかし二名は、台下に並んで、ともに、同等な賞を拝領した。そして夜は演武庁の楼上で、盛大な祝賀の宴に誉(ほま)れを謳(うた)われ、その席上ではまた、
「以後、索超、楊志ともに、相並んで、軍の提轄使(ていかつし)(憲兵の長)たるべし」
と、任命された。
何が不幸か幸か、げにも人の運命はわからない。これからというもの、楊志は、梁中書に気に入られ、楊志もまた、恩に感じて、心からその人に仕えていた。
いつか夏も近づいて、五月の声を聞くと、その日は、端午(たんご)の節句(せつく)だった。
佳節(かせつ)の客もみな帰って、梁中書は蔡(さい)夫人と二人きりで、やっと私室にくつろいだ。そして夫人の杯に、菖蒲酒(しようぶざけ)を注(つ)いでやりながら、
「どうも、こう忙しい重職になると、めったに、そなたの笑顔を見ることもできんなあ」
と、わざと妻のよろこびそうなことをいった。
蔡夫人は艶(えん)な姿態(し な)のうちに、つんと、いつものお実家(さ と)自慢を匂わせて、
「でも、こんな栄誉と福貴は、万人の羨(うらや)むものではございませんか。勿体ない」
「とんでもない。愚痴をこぼしたわけではないよ。それどころか、そなたの父、蔡(さい)大臣のお引立ては、夢寐(むび)の間にも、忘れてはおらん」
「そういえば、あなた、やがてもう、父君の誕生日も間近でございますよ。お忘れですの」
「なんの、忘れてなろうか。岳父(おしゆうと)のお誕生日、七月十五日。ことしこそは、去年のような失敗をせぬようにと、内々心をくだいておる」
「去年はまあ、とんでもない抜かりでしたわね。お父君のお祝にと、あんなにまで、おびただしい金銀珠玉を東京(とうけい)へ送らせてやったのに、その途中で群盗のため、すべて強奪されてしまったことではございませんか」
まるで良人の落度でも責めるように、蔡夫人の眸(ひとみ)が、耳輪の瑠璃(るり)より細い鋭い光で、梁中書の横顔を射ていた。それには彼も二の句がなく、今年もまた、早くから頭を悩ませている風だった。
「ねえ。どうなさるおつもりですの。……今度は」
「だからさ、今年もすでに、心がけて、すでに十万貫に価する珍器重宝(ちようほう)は、この北京(ほつけい)の古都を探って、ひそかに庫に蒐(あつ)めてあるわさ」
「いいえ。それよりも、その高価な宝を、どうして無事に、東京のお父さまのもとまで届けさすことができるか。そのご要意のほうが、かんじんではございませぬか」
「それには、人だな。なんといっても、よほど信用のおける人物でのうてはかなわぬし、さらには、いかなる賊と出会っても、断じて負けをとらぬ勇者でもなければならぬ」
「この北京何十万の軍には、それに適(かな)う一人の人物もいないのですか」
「いや、そんなことはない……」と、あわてて彼は言い消した。
「――勇者はいる。武術の達人も少なくはない。だが考えてみい。十万貫の重宝といったらたいへんな富だ。いかにわしの蓄(たくわ)えと俸給でも、そんな多額な金目の物を、一私人としては、都の岳父(おしゆうと)に贈りうるはずのものではないからな。……腕ぶしばかり強くても、腹ぐろい人間には、このことは打明けられぬし、使いにも差向けられんというわけだ。それでこの人選には、わしも全く慎重にならざるを得んのじゃよ……」
「ほんに、そう伺うと、人はないものかも知れませんね。けれど今年こそは、お父君に糠(ぬか)よろこびをおさせしては、あなたとしても、申しわけがないでしょう」
「……まあ待て。まだ幾十日の間もあること。全然、心当りの人間がないわけでもない。充分、信用がおける人間かどうか。ま、もう少しみていよう」
いま、梁中書の腹にあるただ一人の人物――その候補者とは、いうまでもなく、かの青面獣(せいめんじゆう)の楊志以外な者ではなかった。
風来の一怪児、東渓村(とうけいそん)に宿命星(しゆくめいせい)の宿業を齎(もたら)すこと
近ごろ。山東は済州(さいしゆう)の城県(うんじようけん)に、あたらしく赴任して来た県知事がある。
姓は“時(じ)”名は“文彬(ぶんぴん)”。県民の評判はたいへんよかった。現下世は腐敗の極といわれているものの、なお多くの中には良吏もいたのである。非理曲直(ひりきよくちよく)すこぶる公明で、私の暇(いとま)には蘭(らん)を愛し琴(きん)を奏(かな)で書(しよ)もよく読むといったような文彬だった。
「――自分がこの地へ着任いらい、まだ何も見るべき行政はしていないが、まず県下の治安を第一に確立したい」
彼は或る日、県(県は日本の郡単位)の庁堂(ちようどう)の壁に、民治の主旨をかかげて、その日、公庭に集まった全吏員にこう告げていた。
「これまでどこに赴任してみても、およそ吏(り)として、民を安んじ民と和楽をともにするということはじつに難かしい仕事だと痛感しておるが、わけてこの県は難治な地方と思われる。なぜなれば、大盗の巣窟(そうくつ)、梁山泊(りようざんぱく)などの水郷(すいごう)もあって、旅途はさびれ、土民の気風も荒く、そのうえ日々聞ゆる兇悪な犯行にさえ、従来、官の実績は何もあがらず、官は無力なものと、民からも悪党からも見くびられておる」
全員はしいんとしていた。みな面目ないふうである。が、列の中ではそれが不服らしく満面をムズムズ燃やし、耳を押ッ立てて聞いていた巨漢二人の顔があった。
いずれも、庁(ちよう)の与力(よりき)、つまり捕手頭(とりてがしら)である。
その一人は、騎兵捕手の与力で、名を朱同(しゆどう)といい、あだかも関羽(かんう)のような髯(ひげ)をもっているので“美髯公(びぜんこう)”という綽名(あだな)があった。
また、もう一名の歩兵与力は、これも身の丈(たけ)七尺をこえ、人なみはずれな腕力に加えて、およそどんな土塀もちょっとした小川も一跳躍にとびこえる特技のあるところから、県中、この人を“挿翅虎(そうしこ)”ともアダ名している雷横(らいおう)という者だった。
こう二人は、新知事の訓令にもどこか反撥的な面構(つらがま)えをみせていたので、文彬(ぶんぴん)はその眼気を感知し、微笑を見せながらすぐ次へ移っていた。
「――だが、過ぎたことはぜひもない。ただ、今後はお互いの協力で県下の治安に尽していこう。そこで捕手頭の雷横と朱同に命じるが」
二名は列の中で、ちょっとその直立をただした。
「ご苦労だがさっそく部下をひきいて、一方は西門道から村々を巡邏(じゆんら)してゆき、また一方は、東門街道を出て県下を巡り、途々(みちみち)賊あらば捕え、民の難あらば助け、そして二た手の巡警隊は、東渓村(とうけいそん)の山上で落ち合い、相互の情報を交わし合うがよい」
「心得ました。では、すぐさま」
「いや待て。――東渓村の山上には、天下の奇樹(きじゆ)といわれる有名な大(おお)紅葉(もみじ)がある。あの葉は他に類のないものだ。おのおのは、相違なく巡邏した証(しるし)として、そのもみじ葉を持って帰れ。よろしいな、怠れば罪に問うぞ」
文彬(ぶんぴん)新知事。抑えるところは抑え、厳しいところは、なかなか厳しい。
その夕、朱同(しゆどう)は西門を立ったが、彼の方はしばらく措(お)き、まず雷横(らいおう)の行く手を見よう。
捕手二十余人をつれた雷横は、べつに東門街道を出て、村々を巡邏し、翌日も県下を歩いてから、約束の東渓山へのぼっていき、例の大紅葉の下に立った。そしてさて、待つま程なく、一方の朱同組もやって来たので、ここで情報交換しあった後、二人は思わず哄笑(こうしよう)した。
「いやどうもご苦労さまだ。こんな時にかぎって、小泥棒一ぴき見当りはしねえ。なんのことはねえ紅葉(もみじ)狩(が)りにきたようなものさ――」
帰路は夜にかかった。お互い逆に道を換(か)えて、松明(たいまつ)を振りつつ山を降ッたのである。
すると、その雷横組のほうが、麓(ふもと)ぢかい霊官廟(れいかんびよう)のほとりまで来たときだった。ひょいと見ると、廟(びよう)の扉が、魔の口みたいに開けッ放しになっている。
「おや、廟守(びようもり)もいねえのに、おかしいぜ」
雷横はふと立ち止まった。多年の直感が何か異臭(いしゆう)をそこに嗅(か)ぎつけたものらしい。
「やいやい。念のためだ。松明(たいまつ)を持って、踏み込んでみろ」
雷横の一と声に、部下の捕手たちは、どやどやと廟のうちへ躍りこんだ。
するとそこには蜘蛛(く も)の巣だらけな暗闇を天国として、一人の大男が、お供え物の卓(つくえ)の上に、まっ裸な体を載せ、丸めた着物を枕に、高いびきで熟睡していた。
「ほう、凄げえ面(つら)して寝ていやがる……。眼も覚まさねえぜ」
と、捕手もあきれた。
毛脛(けずね)、胸毛、まっ黒な肌。裸足(はだし)に馴れた足は象の皮みたいだし、顔は赤痣(あかあざ)だらけで、眉毛などあるかないかである。おまけに厚い唇から涎(よだれ)をたらして、正体もない寝ざまなのだ。
「……ははあ、兇状持ちの股旅者(またたびも)ンだな。叩けば何か出るだろう。なにしろ、紅葉の葉ッ端(ぱ)じゃ土産(みやげ)にもならねえからな」
呟(つぶや)くやいな、雷横は、そこの卓(つくえ)を蹴って、男のからだもろとも、引っくりかえし、
「縄をかけろ。四の五をいわすなッ」
と、不意にその男を搦(から)め捕(と)らせた。
もちろん、赤痣(あかあざ)の若者も、吠えたり暴れたり、抵抗はしたが、二十余人の捕手に会ってはどうしようもない。手負い猪(じし)のように東渓山の麓へと曳きずられていった。
そもそも、この山裾(やますそ)には、一すじの渓川(たにがわ)を境として、西渓村(せいけいそん)と東渓村(とうけいそん)との、二聚落(じゆらく)がある。
かつて、その西渓村のほうでは、白昼でも妖怪が出るという噂がたち、事実、そこの淵(ふち)で理由なく村の男女が溺れたり、牛馬が引き込まれたり、怪異な変が多かった。
すると或る年。一人の旅僧が、
「わしが鬼魂(きこん)を鎮(しず)めて、供養してあげる」
と、大きな青盤石(せいばんせき)に経(きよう)を刻(きざ)ませ、妖怪退散の法要を行なって去った。
それからというもの、西渓村には無事がつづいた。――西渓村の幽鬼はみな、東渓村へ逃げていったのだ――と言い囃(はや)された。
怒ったのは、東渓村の名主(なぬし)、晁蓋(ちようがい)である。
「化けものなんざ、いくらでもこいだが、おれが名主でいる以上、そんなケチをつけられちゃあ黙ってはいられねえ。西渓村の奴らめ、明日の朝になって、腰を抜かすな」
晁蓋は、深夜、ひとりで渓川(たにがわ)を渡って行き、西岸の供養塔を担(かつ)いで帰った。そして東渓村の見晴らしのいいところへ、それをでんと据えこんで、澄ましていた。
以来、この庄屋さんに、あだ名がついた。
――托塔天王(たくとうてんのう)。
その名のほうが、有名になった。
「おいっ、誰か起きてみねえのか。さっきから表門を、どんどん叩いている奴がいるじゃあねえか。どいつもこいつも寝坊だな」
晁蓋はさっきからどなっていたが、ついには自身寝室を出て、表門へ出ていった。
その朝。いや、夜はまだ明けてもいなかった頃である。
「うるせえな。だれだい、今頃」
開けてみると、黒々とたいへんな人影だ。松明(たいまつ)の火光の中には、大の男の縄付(なわつき)が見えるし、顔見知りの雷横もいる。
「やあ、どなたかと思ったら、県の与力さまじゃあございませんか。いったい、どうなすったんで」
「おう晁蓋。こんな大勢して甚だすまんが、部下の者に朝飯をとらせたい。暫時、屋敷のすみを貸してくれんか」
「おやすいこッてすが、何か大きな捕物でも」
「なあに、そんな仰山(ぎようさん)な獲物(えもの)でもねえが、霊官廟(れいかんびよう)の内に、うさんな野郎が寝込んでいたので、引ッ縛(くく)ってきた帰り途だ。あそこも村の内、おぬしに声をかけないのも悪いからな」
「それは、どうも……ま、ずっとお通ンなすってください。いま雇人どもを起して、さっそく朝飯の支度でもさせますから」
まもなく荘院(しようや)の内は、大賑(おおにぎ)わいになった。県のお役人衆とあって、下へもおかず、酒飯(しゆはん)はもちろん、風呂まで沸(わ)かす騒ぎだった。
そのすきまに晁蓋は、門長屋の暗い一戸を覗いてみた。庄屋として、縄付の男を一見しておく義務を感じたからであろう。
見ると、鳶(とび)色の体に無数な傷を負った若者が、両手を梁(はり)に吊り上げられたまま、爪先だちに立っていた。大(おお)火傷(やけど)でもした痕(あと)か、赤痣(あかあざ)いちめんな顔を歪(ゆが)め、苦痛を歯がみで耐えている。
「はて。村じゃ見たことのねえ男だな。おい、どこのもンだ、おめえは」
「遠方から来た者です、へい、この地方に、お訪ねしたいお人があったのに。……そ、それを理不尽(りふじん)にも、いきなり縄目にかけやがッて。……あ痛(い)て、アててて」
「なんだい。いい若いもンがよ。して、訪ねるお人ってえのは?」
「東渓村の托塔天王(たくとうてんのう)だ」
「えっ、なんの用で」
「そいつア言えねえ。だが晁蓋(ちようがい)さんは、村名主だとか。……旦那、この村は何村ですえ」
「東渓村だよ。そしてこういう俺が、その晁蓋だ」
「あっ、だ、旦那がですかい。……じゃあ、聞いておくんなさい。あっしゃあ、東州(とうろしゆう)の生れで」
「あ、たれか来た。早く用向きだけ、ひと口にいえ」
「じつア、ひょんな早耳から、ど、どえらい儲(もう)けぐちを知ったんで、それをお報(し)らせに来たんでさ。旦那なら相談になると思って」
「よしっ、後で聞こう」
「後でッたって、この縄目じゃあ」
「助けてやる。――俺の甥(おい)になれ、甥によ。五ツ六ツの年に村を離れていたが、風の便りを聞いて尋ねてきたという風にな。……いいか、うまくばつを合わせろよ。場面は俺が仕組んでおく」
なに食わぬ体(てい)で、晁蓋はその足で、離亭(はなれ)に休んでいる雷横(らいおう)の席へ顔を出した。
「おや、もうご出立のお仕度で」
「やあ晁(ちよう)旦那。時ならぬ時刻に、えらい厄介をかけて、すまなかったな。夜も白んできたから、ぼつぼつ出かけようと思う」
「ご苦労でございますなあ。またどうぞ、近くへお越しのせつには」
門のほうでは、はや部下たちが、槍、棒、刺叉(さすまた)などの捕具(ほぐ)を持って勢揃いし始めている。雷横もまた、颯爽(さつそう)と出ていった。
見送りにかこつけて、晁蓋はその後についていき、そして、門長屋から曳きズリ出された縄付(なわつき)を見て、
「ほ、ほう……。凄い大男ですな」
と、わざと目をみはって呟いた。
――この時、と合点したらしく、縄付の男は、不意に大声で呼びたてた。
「あっ、おじさんだッ。おじさん、助けてください」
「な、なんだって?」
晁蓋は、わざと怪訝(けげん)な顔してから、ややしばらく、じっと相手を見すまして。
「や、や。おまえは王小三(おうしようさん)じゃないのか」
「そ、そうですよ、叔父さん。……ああ、叔父さんは、それでも、この小三を、覚えていてくれたんですね」
びっくりしたのは捕手たちである。わけて、雷横は、ぎょッとした。
「えっ、甥御(おいご)ですか、この男は……。はアて、こんな股旅者(またたびもの)が」
「なんともはや、面目もありません。恥をいやあ、てまえの姉夫婦の子です。これがまだ六ツ七ツの洟(はな)タレごろに、夫婦とも南京(なんけい)へ夜逃げしたきり音沙汰なし。その後、この小三(しようさん)の奴ア、いたずらして頭に大(おお)火傷(やけど)をこさえ、それが十四、五のころで、親とともに一時は村へ舞い戻っていましたが、都の風に染んだ怠け者、またすぐ出ていってしまいました。……以来、姉夫婦も不運つづきで、赤痣(あかあざ)の小せがれは、やくざに誘われて、家にも居つかず、親不孝を売り歩いているたア薄々聞いていましたが、まさか、雷横さまのお縄を頂戴しようとは」
「ふうむ……意外なこともあるもンだな」
晁蓋(ちようがい)は、はッたと、偽(にせ)の甥(おい)をにらんで。
「やいっ小三。なぜ、故郷の村へまで来て、悪事をしやがったか」
「ちがいます、叔父さん、あっしゃあただ、腹はへるし、塒(ねぐら)もないので、霊官廟(れいかんびよう)で寝ていただけです」
「悪事もせぬのに、なんで召捕られたんだ」
「わかりません。夢みたいなもンで、あっと気がついたら縛られていたんで」
「嘘をつけッ」
激怒を作って、晁蓋は捕手の棒をひッたくり、いきなり男の肩を二ツ三ツなぐりつけた。
「野郎、ほんとをいえ、ほんとを」
「だって叔父さん、ほかに言いようはありませんよ。……仰っしゃる通り、身を持ちくずし、親不孝をかさねましたから、ひとつ叔父さんにこの悪い性根を叩き直してもらおうと、空(す)き腹を抱えて尋ねて来たんです。だからこそ、盗みもせずに、夜が明けたら、叔父さんとこへ辿(たど)りつけると思っていたのに」
「こいつが、ひとを泣き落しにかけようと思やがって。そんな手に、俺がのるかっ」
また振り上げる棒を、こんどは、雷横が慌(あわ)てて止めた。小三に同情したわけではないが、元々、不審の程度で捕えたに過ぎないのだから、と宥(なだ)めに廻って、
「当家の甥御(おいご)とわかれば、仔細はない、はやく、その縄目を解いてやれ」
と、部下へも命じた。
「ちぇッ、運のいい奴だ。小三、このご恩をわすれるな」と、晁蓋は彼をシリ目に措(お)いて――
「どうもせっかくのお役儀を、なんだかこう、ムダ骨折らせたような恰好になって、申しわけございません。ひとつ、もいちど奥で、お口直しをしてからお引揚げくださいませんか」
強(た)って、雷横をねぎらい直し、またそっと、銀子(ぎんす)何枚かを心づけた。部下へもまた、それぞれの物を与え、どうやら彼の画策は上々で、まもなく雷横一行は、そこの門を立っていった。
あとの荘院(しようや)の奥では、それからのことだった。
真新しい衣服頭巾をめぐまれ、朝飯もたべて、すっかり元気を取り戻したかの股旅者は、晁蓋を前にしてその素姓(すじよう)を明らかに語っていた。
「もとより手前はやくざ、生れ故郷は東(とうろ)州でござんす。苗字(みようじ)は劉(りゆう)、名は唐(とう)、と申しましても、それは顔も知らないうちに死に別れた親のくれた名。人さんからは、この赤面(あかづら)のため、赤馬だの赤髪鬼(せきはつき)などとアダ名されております。どうか今後とも、お見知りおきのほどを」
と、型どおりな、初対面の仁義をきって。
「――ご高名は、とうに伺っておりますんで、いちどはご縁をえたいと存じておりましたところ、つい先ごろ、山東(さんとう)、河北(かほく)の密貿易(ぬけがい)仲間の者から、耳よりな儲(もう)けぐちをチラと聞きこみ、こんな大ヤマを張れる相談相手は、托塔天王(たくとうてんのう)、いや晁(ちよう)旦那よりほかに、誰があろうと、お見込み申して、やってまいったような次第で」
「いやよくわかった。だがその、大ヤマを張る儲け仕事たあ、いったいなんだね」
「ようござんすか、ここで申しあげても」
「あ。ちょっと待ちな」と、晁蓋(ちようがい)も念を押されて立たざるを得なかった。扉(と)に鍵(かぎ)をかけ、窓の帳(とばり)も垂れて――「さ。安心して、話すがいい」
「じつあ、近いうちに、北京(ほつけい)は大名府(だいみようふ)の梁中書(りようちゆうしよ)が、十万貫てえ金銀珠玉骨董(こつとう)を、開封東京(かいほうとうけい)へ、密々に送り出すはずですが、よも、ご存知でござんすまい」
「知らぬ。それはまた、なんのために」
「梁中書の女房の親父、いま宋皇帝の朝廷では最高の地位にある蔡(さい)大臣への、誕生日祝いに贈るッてえわけなんです」
「まあ、閥族(ばつぞく)同士の公然な大贈賄(ぞうわい)というわけだな」
「そうですよ、それにきまってまさアね。いわばみんな、庶民の汗や膏(あぶら)や、よからぬからくりで作った不義の財。そいつをこちとらが、狙ッてぶんどったところで、天道(てんとう)様も、よもやこち徒(と)だけを悪いたア仰っしゃるめえて考えますがね」
「去年は、途中で賊のために、盗(や)られたとかいう噂だったが」
「ですからさ、旦那。他人(ひ と)にやらせちゃもったいねえじゃござんせんか。――世間の噂にゃ、托塔(たくとう)旦那は、男伊達(だ て)だ、槍や棒も旦那芸じゃねえ。しかも、不義には強いお方だと聞いております」
「よしてくれ。俺あ、おだてには乗らねえよ」
「ご免なすッて。そんな気もちで申したわけじゃございません。ただ、なんぼ北京軍(ほつけいぐん)の総帥でも、この干乾(ひから)びたご時勢に、年々十万貫もの財宝を、女房の実家(さ と)へ貢(みつ)いでるってえなあ、たいした大泥棒でございますぜ。ようし、それならこっちも上わ手をいって、横奪(よこど)りしてやろうというわけ。……どうですえ、旦那、ご分別は」
「先にゃあ、去年の失敗(しくじり)がある。よもや今年は、のめのめ掠奪(か す)められるような凡(ぼん)くらを警固としては出かけまい」
「なんの、この劉唐(りゆうとう)だって、腕には覚えがあるつもりだ。まして托塔(たくとう)天王様に、うんといって、一つ乗り出していただければだ」
「なるほど、話はすばらしいや。ちょっと、食指が動くな」
「だからさ、お譲り申しますよ。この儲け口を」
「ま。……よく考えようぜ。おぬしも、客間で一杯やって、ゆっくり休んでいなさるがいい。やるかやらぬか、おれも思案の腹をきめ、その上での相談としようじゃないか」
ぜひなく、赤髪鬼の劉唐(りゆうとう)は、一応、客間へ引きさがり、あてがわれた酒の膳について、独りがぶがぶ飲んでいた。
――だが、どうにも彼は、おもしろくない。晁蓋の生返辞(なまへんじ)が気にくわないのだ。「ははアん。俺をただの与太(よた)もンと見て、相棒には不足と考えたに違いねえ」そう思うと、酒が業腹(ごうはら)を焚(た)きつけて、我慢がならなくなってきた。
ふと窓外を睨むと、一頭の裸馬が、裏門につないである。なに思ったか、劉唐は「……ようし」と独り呟いた。そして壁の槍掛(やりかけ)から一本の野太刀をつかみ取って、
「与力の雷横(らいおう)もまだ遠くへはいっていまい。――そもそも、あいつのために、縄目にあい、ぶざまな弱音(よわね)を吹いたので、晁蓋までが、この俺を、だらしのねえやつと、見くびッたのだ。雷横に追ッついて、野郎の詫(わ)び証文か片腕でも奪(と)ってきて見せたら、晁蓋もおれを見直すだろう」
どんな自信があるのか、赤髪鬼はヒラとそこを跳び出すやいな、荘院(しようや)の裏門から県の街道を馬で矢のごとくすッ飛んでいった。――時に、陽はゆらゆらと牧場(まきば)の朝露を離れて高く、木々には百鳥の囀(さえず)り、遠山には丹霞(たんか)のたなびきが美しい。これで地に人間の争いがなく、宋朝(そうちよう)の政(まつり)に腐爛(ふらん)さえなければ、この世はそっくり天国なのだが。
寺小屋先生「今日休学」の壁書(かべがき)をして去る事
どうせ、急ぐ道でもない県下巡邏(じゆんら)の捕手たちだった。
すき腹に朝酒の振舞いをうけ、雷横以下、なおさらブラブラ歩きにもなっていた。そして彼方の石橋(しやつきよう)一つ渡れば、次の隣村という村境でのことである。
「おおうい、待てえっ。雷横、待てっ」
突然な後ろからの声に、ぎょっとして振り向くと、なんと例の赤痣(あかあざ)が、ひらと飛び降りた裸馬を楊柳につないで、野太刀に反(そ)りを打たせて向ってくる。
「やっ、きさまは、さいぜん縄目を解いてやった、荘院(しようや)の甥(おい)だな。なにしに、この雷横を追ってきたのか」
「詫び証文を貰いにきた。さあ書け。――昨夜はなんの咎(とが)もない人間に、理不尽(りふじん)な縄目をかけ、まことに相すまぬ落度であった――と、詫び状一札書いて渡せ」
「ふざけるな。こちらの慈悲も忘れやがって」
「慈悲が聞いて呆(あき)れらあ。叔父御からは、銀子(ぎんす)何枚かを、袖の下に貰っていたろう。ええ、面倒くせえっ。詫びの一枚をよこさねえなら、その片腕をぶった斬って、貰って帰るぞ」
「こいつがッ……」と、雷横は憤(いきどお)ッて「――晁蓋(ちようがい)の甥というので、ゆるしておけば、よくも、いい気になりゃあがッて」
「おおさ! 俺をなんだと思ってやがる。霊官廟(びよう)じゃあ、寝込みで是非もなかったが、いまはちッと俺さまが違うぞ。いわれもねえ縄目の返礼だ、雷横、覚悟っ」
振りかぶってきた野太刀の迅(はや)さ――。雷横はかわすひまもなく、腰の官綬刀(かんじゆとう)を抜いてバシッと受けた。そのまま打々発止(ちようちようはつし)と火花の間(かん)に斬りむせび合うこと数十合――。
わっと騒ぎ廻る捕手たちが、横から手を出す一瞬のすきもない。
「こんな小僧っ子」――雷横は闘いつつ、まわりの部下へ、豪語した。「――おれ一人でたくさんだ。手を出すな。遠巻きに見物していろ」
しかし、結果は、彼の大言の通りにゆくかどうか、なんともいえぬ形勢に見える。
雷横の刀術に、鳳(おおとり)の概(がい)があれば、赤髪鬼の野太刀にも、羽を搏(う)つ鷹の響きがあった。赤髪の影が旋風(つむじ)に沈めば、迅雷(じんらい)の姿が、彼の上を躍ッて跳ぶ。――いずれにも、流儀があり、技があり、法にかなった秘と秘の術競べとはなったので、この勝負、いつ果てるともみえなかった。
だが、雷横の部下たるもの、もう見ては、いられない。
「――あっ、お頭(かしら)があぶないッ」
誰かが叫ぶ。
同時に、どっと助太刀にうごきかけた。
ところが、すでにその寸前、街道わきの緑蔭静かな一戸(こ)の垣の網代戸(あじろど)から、さッと走り出てきた田鶴(たづる)のごとき人品のひとがある。
「まあ、待たっしゃれ」
と、その者は、手に持っている分銅(ふんどう)付キの細鎖(ほそぐさり)で、双互の間を分けへだて、
「お二人とも、刀をお引きください。どうした仔細か、わしに任せてくださらんか。わしの家の前で、こんな芸をやられては、まさかただ、見物しとるわけにもいかんじゃないか」
事に迫らず、からからと笑っての扱い。雷横と劉唐(りゆうとう)も、思わず太刀を収めて、その人を見た。これなん、この片田舎には過ぎた童塾(どうじゆく)(寺小屋)の先生、智多星(ちたせい)の呉用(ごよう)で、道号加亮(かりよう)、あざ名が学究。略して、呉学人(ごがくじん)とも、呉用先生とも、よばれている者だった。
黒縁(くろべり)の麻ごろもに、学者頭巾をかぶり、髯(ひげ)長やかだが、さりとて、腰の曲がった老人ではない。白皙(はくせき)にして、なお紅唇(こうしん)の精気若々しく、眼(まなこ)すずやかな底に、知識人の何かがある。
学人(がくじん)は、代々土着の家柄の人で、世評に聞けば、書は万巻に通じ、胸に六韜三略(りくとうさんりやく)をきわめ、智は諸葛孔明(しよかつこうめい)に迫り、才は陳平(ちんぺい)にも比肩(ひけん)し得よう、とある。そのうえ済州(さいしゆう)の地方、この人あって、童歌の清きを失わず、また能(よ)く、読書(ふみよむ)の声を野に保つ……とまで賞(ほ)めそやされているほどだった。
「退(の)いてくれい、寺小屋先生。怪我(けが)をするぞ」
劉唐は、なお息まき。雷横もいうまではなく、官の与力、估券(こけん)にかかわる。
「学人。ほうッといてください。用捨はならん」
「盗賊ですか。この男は」
「いや、荘院(しようや)の甥ッ子とかだが」
劉唐が、横から吠えた。
「盗(ぬす)ッ人(と)でもねえ俺を、盗ッ人と間違えて、縄をかけやがッた凡(ぼん)くら与力だ、そいつは」
「まだ吐(ほ)ざくか」
「いうとも、詫び状よこせ」
「うぬっ。もいちど、縄目を見たいのか」
ばッと、両人の踵(かかと)が、砂を蹴って、またもや、と見えた一刹那、どこかで、
「ばか者っ、なにをしている!」
と晁蓋の声がした。
息せき切って、あとからここへ馳けつけてきた彼は、馬の背から飛び降りるやいな、二人を割って、まず雷横にあやまった。
「どうも、はや、とんでもねえ奴です。お腹立ちでもございましょうが、どうかご勘弁なすって下さい」
そしてまた、劉唐の肩を、一つ突き飛ばして、
「この酒食(く)らい野郎め、ちょっとの間に、もう酒をくらった揚句、なにを考えて、飛び出したかと思えば」
いきなり、彼の手から、野太刀をひッたくって、刀背(み ね)打(う)ちに撲りかけた。驚いて、その手もとを抑え、
「あっ。そうまあ、ご立腹なさらずとも」
と、止めたのは呉学人である。
「いま、聞いてみれば、他愛もない間違いの意趣返しだとか。それに酒気があるなら、なおさらのことだ。雷横どのも、お役儀の途上、ゆるせまいが、ここは晁蓋さんと、わしに免じて、ひとつ堪忍してあげてくださらんか」
ふたりの詫びでは、雷横も渋(しぶ)れない。それを機(しお)に、雷横は部下をまとめて去り、劉唐は、晁蓋から「先に屋敷へ帰っていろ」といわれて、これもまた、裸馬にまたがり、ニヤニヤしながら戻っていく。
あとは、呉用と晁蓋の、二人だけだ。
「いや今日は、えらいものを見せられたよ。――あなたが来たからよかったが、さもなければ、野太刀と官刀の勝負、さあ、どっちとも分らなかったな。雷横は有名な刀術の使い手だが、どうして、あの赤痣(あかあざ)もなかなか強い。ひょっとしたら、達人雷横も、やられたかもしれん」
「へえ? ……そんなでしたか、あの赤馬が」
「ハハハハ、赤馬はよかったな。まさに後漢(ごかん)の呂布(りよふ)の愛馬赤兎(せきと)を思わす風がある。甥御さんと伺ったが」
「いやいや、先生、それには深いわけあいがあること。いかがでしょう、折入ってご相談申しあげたい儀があるのですが」
「折入ってとは、よくよくのことか?」
「まったくの、よくよくごとで、どうにも、自分の思案には余りましたので」
「待たっしゃい。あいにく、授業の日だが、壁書を残しておくから」
呉用は、一たん家の内へ入った。婆やに何かいいつけ、また、筆を取って、サラサラと書いた一紙を、学童の眼にふれやすそうな教室の壁に貼(は)りつけておいて、
「これでよし。これでよし。さあ、晁蓋どの、同道しようか」
と、外へ出てきた。
晁蓋が、ふと、立ちよどんだのは、呉用が壁に残した貼り紙の文句に、気をとられていたからだった。子供にも読みやすいように、それにはこう書かれてあった。
先生ハ今日
急用デ、オ留守
素読(ソドク)ハ オ休ミスル
オ習字ハ 家デヤルコト
遊ブ者ハ
蛙ト遊ベ
河ヘ落チルナ
相談事も、事によりけり、というものだ。
北京の梁中書(りようちゆうしよ)から、都の蔡(さい)大臣へ、誕生日祝いに送る時価十万貫のものを、「奪うべきか。見のがすべきか?」また。「――奪うとしたら先生には、どんな奇策がありましょうか?」とは、いかに、今孔明(いまこうめい)の称ある智多星(ちたせい)呉用先生でも、おいそれと、返辞ができたものではあるまい。
人を遠ざけた晁(ちよう)家の書楼(しよろう)の一室。
「……じつは」
と、声をひそめて、主(あるじ)の晁蓋(ちようがい)から、今暁の事の次第、劉唐(りゆうとう)の本体、またその劉唐が持ちこんだところの情報などを、審(つまびら)かに打ち明けられて、さすがに呉学人も黙考、久しい体(てい)だった。
それへ答える前に、彼がひそかに思うには。
これはみな、宋朝腐爛(そうちようふらん)の悪世相が、下天(げてん)に描きだしつつある必然な外道(げどう)の図絵だ――。これを人心の荒(すさ)びと嘆くも、おろかであろう。
単に、悪を悪と見なすなら、悪の密雲は、上層ほど濃い。上層ほど、大きい。しかも、政治にかくれ、権力にものをいわせ、公然と合理づけた悪を行って、恥ずるを知らない。
それに反して、民土の悪は、おおむねが小悪だ。生きるために。また、いささか生命(いのち)を愉しむために。共通の人間欲のために。あるいは、反逆のために。
わけて今は、反逆の徒が多い。虫のわくごとく地にこれをわかせたものは、宋朝自体の腐土(ふど)ではないか。“この世をば我が世”と思い上がっている貴紳(きしん)大官ではないか。
梁中書、蔡夫人。蔡大臣。それらも、驕慢星(きようまんせい)の二タ粒三粒だ。
それにたいし、地にはいつか、上層の驕慢星に闘わんとする反逆星が、宿命したのはぜひもない。
この地星(ちさつせい)(まがつぼし)はもとより庶民の土(ど)を藉(か)りて住み、悪行いたらざるなき悪戯(いたずら)星(ぼし)の性は持つが、しかし、いささかの道義は知り、相憐れむの仁を抱き、弱きはこれを虐(しいた)げず、時に、漢(おとこ)と漢(おとこ)とが、ほんとに泣き合うことも知っている。
単純むしろ愛すべく、野性、憐(あわ)れむべきであるが、なお人間らしき人間たる、真性だけは失っているものではない。
これを捨てず、これを刑せず、もし愛情と同鬱(どううつ)の友となって、よく用い、また善導しつつ、いまの糜爛(びらん)社会に何らかの用途と生きがいをも与えて、ともに、世を楽しむ工夫はないものか。……あれば、宋朝治下の塗炭(とたん)の民土に、一颯(いつさつ)の清風と、一望の緑野(りよくや)を展(てん)じるものと、望みをかけ得られないこともないのだ。
「……晁蓋(ちようがい)どの」
やっとその沈思から面(おもて)をあげた呉学人は、
「おやんなさい。智恵も貸しましょう」
ぼつんとだが、一語は明晰(めいせき)に、また断(だん)の力がこもっていた。
「えっ。ではお智恵も貸してくださいますか。じつは昨夜、妙な夢を見ましてね」
「どんな夢を」
「北斗七星が、てまえの屋敷の棟へ堕(お)ちてきた夢です。変な、と思っていたら今暁の出来事……吉か凶か、判断に迷っていましたが、先生のおことばで、力をえました」
「だが、わしがやめろといっても、怖らく思い止まるまい」
「ご明察どおりです。この晁蓋にすれば、なにも危ない橋は渡らずとも、家代々の荘院(しようや)、食うにも着るにも困る身じゃございません。けれど、いまの世を見渡して、どうにも、腹から愉しめぬものが、日ごろ、もやもやしていたもンです。そこへ持ってきてのこの話でさ。正直申せば、欲と義憤の二タ道かもしれませんがね」
「しかし、梁中書も、今年は去年の轍(てつ)はふむまい。難かしいぞ」
「覚悟の前です。……が、先生のご意見としては」
「どうしても、粒ヨリな人間七、八人の結束は要(い)る。お宅の雇人や壮丁(わかいしゆ)など、何十人いても、役には立たん」
「ゆうべ見た夢は、北斗七星。……まず先生と、てまえと、赤馬の劉(りゆう)と、ここにゃあ三人しかいませんが、うまく星の数だけ揃いませんかね」
「さアて」と、呉学人は、ふたたび何か眉を沈めていたが、
「いや、ないこともない、はからずも思い出した者がある」
「えっ。先生がそんなにまで、力をこめて、頼もしそうにいう人物というのは」
「三人兄弟。しかも三人とも、義に厚く、武技に秀で、事に当ったら、水火も辞せぬ男たち」
「はて、今時どこに、そんな勿体ない男が、どこに埋もれていたでしょうか」
と、晁蓋は、思わず膝を前へすすめた。
呉学人(ごがくじん)は、一気に言った。
「その三兄弟とは、阮小二(げんしようじ)、阮小五(しようご)、阮小七(しようしち)といって、血をわけた真の同胞(はらから)。――済州(さいしゆう)は梁山泊(りようざんぱく)のほとり石碣村(せつかそん)に住んで、日ごろは、江の浦々で漁師(すなどり)しているが、水の上の密貿易(ぬけがい)も、彼ら仲間では、常習とされている。……もとより、文字はない男たちだが、その義心と武には、わしも見込んでいた者だ。会わぬこともう両三年になるが、よも、わしのことは忘れてはおるまい」
「ああ、阮の三兄弟でしたら、薄々、噂には聞いていました。石碣村といやあ、わずか二日道、使いをやって、ひとつこれへ呼んでみましょうか」
「来るものか、あの兄弟たちが。この呉用が出向いて、相談をもちかけても、よほど三寸不爛(ふらん)のこの舌で口説(くど)かぬことには」
「なるほど。それほどな男とあれば、なお頼もしい。先生、お出かけくださいますか」
「行ってもよい。……が、学童(こども)らの授業休みの貼(は)り紙に、もいちど、日延べを書いて来ねばならぬ」
「今夜立っても、明後日(あさつて)の午(ひる)には着きます。その前に、赤馬も加えて、一杯さしあげたいし、その上でのご出立でも」
「おおそうしよう。さてさて、人生の朝暮(ちようぼ)、なにが起るか知れんものだな」
彼は一度、童塾へ帰って行き、夕方からまた見えた。そのときは、赤馬の劉唐(りゆうとう)も同席し、詳しい話は、もうあるじの晁蓋(ちようがい)から聞いている容子(ようす)だった。
三人は、二更(こう)の頃まで、飲んでいた。――時々、声がひそまるのは、密議らしい。北京(ほつけい)から東京への道すじを、例の時価十万貫の生辰綱(しようしんこう)(誕生祝いの荷梱(にごり))が行くとすれば、その通路は、どの辺に当るか? 去年と道すじを変えるか否か?
これらはまだ未知数というしかない。今は、五月初め。誕生祝いは七月十五日とか。――なお七、八十日の間は、たっぷりある。
「準備に日は欠(か)かぬ。だが、三兄弟の誘いこみは、早いに限る」
呉用は、酒もほどほどに、さっそく旅支度にかかりだす。外は、ぬるい夜靄(よもや)の夜だし、陽気にはまず申し分もない。
「じゃあ、わざとお見送りもしませんが」
「むむ、人目は避けよう。劉唐(りゆうとう)さんも、わしの帰るまでは、おとなしく客間に籠(こも)っていてもらいたいな」
「もうご心配はかけません。吉左右(きつそう)をお待ちしております」
門(かど)を立って行く呉学人の影は、すぐ模糊(もこ)たる夜靄(よもや)のうちに淡(うす)れ去った。
一日おいて。翌々日の午(ひる)じぶん。
早くも彼の姿は、水郷石碣村(すいごうせつかそん)のほとりに見られた。
かつて、何度も遊んだ土地だ。阮小二(げんしようじ)の家も、探すまでのことはない。芦汀(ろてい)に臨み、山に倚(よ)り、数隻の小舟をもやった棒杭から、茅屋(あばらや)の垣にかけて、一張りの破れ網が干してあった。
「おいでですか、どなたか」
廂(ひさし)を、覗(のぞ)くと、昼寝でもしていたか。
「だれだね」
むっくり出てきた若者がある。
これが阮小二だった。腰切りの漁衣(ぎよい)、はだけた胸。その大胸毛は珍しくないが、石盤のような一枚肋骨(あばら)は、四川(しせん)の絶壁を思わすに充分である。
「やあ、……これは」
濃い眉毛も、大きな口も、一時に、あどけなく相好(そうごう)をくずして、
「お珍しいなア、先生じゃございませんか。いったい、どうした風の吹き廻しで」
「急な頼みごとができたのでな」
「へえ、どんな御用で」
「さる知人の富家(ふか)で、お祝いごとがある。それで、めかた十四、五斤の金鯉(きんごい)を、どうしても十匹ほど入用と、折入っての、頼まれごとさ。弱ったな」
「まア、お上がンなすって。いや、いっそ、江(え)の向う浦へ行きましょうや。ちょッとおつな旗亭(のみや)がありますぜ」
裸足(はだし)で飛び出した阮(げん)小二は、すぐ杭(くい)の小舟を解き放して、呉用の体を拯(すく)いとり、櫂(かい)を操(あやつ)ッて漕(こ)ぎだした。
江を行くこと、さながら自分の足で颯々(さつさつ)と歩くにひとしい。
まもなく、江のまん中を、斜めに過(よ)ぎるうち、芦(あし)の茂みを透(す)いて、チラとべつな一隻が見えた。すると、こっちから阮小二が呼んだ。
「おうい、小七。……小五はどうしたい、小五はよ」
水谺(みずこだま)して、向うからも答えてくる。
「オウ、小二哥(あに)いか。……小五哥(あに)いに、なにか用かね」
「大ありだ、呉先生が、おいでなすったぜ」
「なんだア? 呉用先生だって。うそいえ」
「ほんとだ、てめえも来いよ。先生を誘って、これから一杯飲(や)りに行くところだわ」
「こいつはいけねえ、与太をとばして、そいつアとんだ失礼をしちまった」
芦むらを漕ぎ分けて、さっそく近づいてきたのを見ると、これなん、村では活閻羅(かつえんら)ともアダ名のある末弟の阮(げん)小七。
釣でもしていたか、竹ノ子笠に、碁盤縞(ごばんじま)のツツ袖水着(みずぎ)、笠の翳(かげ)ながら、大きな出目(でめ)は、らんと燿(かがや)き、筋骨はさながら鉄(くろがね)といえば言い尽きる。ひたと、舷(ふなべり)そろえつつ。
「ごめんなさい、先生。あんまりお久しぶりなもんで」
「行くかね、いっしょに」
「ぜひ、お供を。……ちょっくら、おふくろの家へ寄って、小五哥(あに)いも誘いましょうや」
近くの岸へ寄る。ここにも、水を繞(めぐ)らした小部落があった。その一軒へ、舟の上から。
「おふくろ。小五哥(あに)いは、いますかい」
「いないよ」と、膠(にべ)もない返辞。
「――漁師の親のくせにして、あたしゃあ、ここ幾日も、魚の顔を見たことがないよ。あの子ときたら、毎日、ばくちばくちの追い目でさ。あきれたよ。たった今も、あたしの簪(かんざし)を引ッたくって、消えて行ったばかりだよ」
小二は、頭を掻いて、逃げるように、また漕ぎだした。
「どうも先生、いやなことを、ついお聞かせしちゃって、どうぞお気を悪くなさらないように」
「はははは。そんな内輪ごと、なにも、初めて知ったわしではないよ」
「でもネ、折がまずいや。……小五哥(あに)いも、目が出ねえらしいが、どうも早や、あっしら兄弟は、みんな、ばくち好きの、ばくち下手ってやつでしてね」
「近ごろ、いけませんかな」
「近ごろなら、先生、まだいいんですがね、もう一年以上も、取られっ放しの、素寒貧(すかんぴん)つづきですよ。魚をとったぐらいじゃ、いくらとったって、間にあわねえ」
「小二哥(あに)い、およしよ」と、小七が横からいった。「つまらねえことを、お耳に入れたって、頭を掻いたくせに、自分からまた、シケたぼやきをお聞かせするたあ、どんなわけだい」
「ちげえねえ。先生、笑ってください」
「はははは」と、呉学人は、彼らの註文どおり大いに笑って、「――いつも、おまえ方は、明るくていいな。運は時のものだ。時が来れば、あっち向きの花も、こっち向きに咲き変る朝もある」
言いながらも、じつは心のうちで、これは脈がある、わが計なれりと、ほくそ笑んだ。
漕(こ)ぎゆくほどに、村の漁師町が望まれてきた。旗亭(のみや)の旗も見える。橋畔の家々の洗濯(ほ し)物(もの)も見える。舳(みよし)はずんずん岸へ寄せていた。
「ああ先生。いい都合だった。ちょうど、小五がいましたよ」
「ほう、どこに」
「ほれ、あんなところに」
小七が指さすところを見ると、なるほど、いま橋袂(はしたもと)から降りてきた一人の男が、舟のもやいを解きかけている。
手頸(てくび)に提(さ)げたのは、どうも、縄を通した二タ差しの銅銭らしい。
どこか殺気のただよう眉間(みけん)は、ばくち窶(やつ)れのせいだけでなく、異名(いみよう)も、短命二郎といわれているほどだから、独自な人相というものだろう。喧嘩に俊敏なのは、その尖(とが)り肩や脛(すね)の長さでも察しられ、ボロの漁着(りようぎ)の胸もとからは、青ずんだ豹(ひよう)の刺青(いれずみ)が見え、その凄味を消すよりは、むしろ増すかのように、頭上斜めにかぶった刺子頭巾(さしこずきん)の横鬢(よこびん)に、一枝の柘榴(ざくろ)の花を挿(さ)していた。
相見ながら、漕ぎ近づくと、
「よう小五さん」――呉学人から、声をかけた。
「どうです、いい目が吹いてきそうかね」
「誰かと思ったら……」と、小五はやっと、怪訝顔(けげんがお)を解いて笑い出した。
「――先生たあ、思わなかった。さっきから、あの橋の上で、見てたんだがね。どこへ行くんだ、小二哥(あに)い」
「この先の旗亭(う ち)よ。来ねえかい」
「橋際(はしぎわ)にもあるぜ。妓(おんな)もいるし」
「いや先生の馳走には、妓(おんな)よりは風景だろ。これから夕陽が沈む頃あいまで、芦(あし)と水と、帰る帆と、それからあの梁山泊の山々が、紅い瑠璃(るり)色からだんだん紫色になっていったり、おれたちでも、恍惚(うつとり)するほどな景色に変る。あれがご馳走だ。もう一ト漕(こ)ぎして、水っ端(ぱた)の旗亭(う ち)まで行こうや」
「よかろう、三艘、舳(みよし)を揃えて繰(く)りこむか」
小五の柘榴(ざくろ)頭巾も、自分の小舟へ、ひらと跳び下り、たちまち、櫂音(かいおと)たかく追いついてきた。
呉用(ごよう)先生の智網(ちもう)、金鱗(きんりん)の鯉を漁(と)って元の村へ帰ること
「ああ酒も美味(う ま)いが、空気までがまた美味い。お互いこんな日に会うのも、生きてこそだな。おまえ方、三人兄弟と一しょに、こうして杯を持つのもまことに久々だし」
「先生、よほどここの旗亭(う ち)がお気に召しましたね」
「ム。貧しい漁村の一杯飲屋(ぢやや)も、時によれば岳陽楼(がくようろう)の玉杯(ぎよくはい)にまさるというもんじゃ。……江(え)の畔(ほとり)には柳や槐(えんじゆ)のみどりが煙るようだし、亭の脚下(きやつか)をのぞけば、蓮池(はすいけ)の蓮(はちす)の花が、さながら袖を舞わす後宮(こうきゆう)の美人三千といった風情(ふぜい)」
「はははは、先生のこんな上機嫌は初めて見たぜ。なあ弟」
兄の小二(しようじ)がいうと、弟の小五(しようご)、小七(しようしち)も口を揃えて、
「よかったなあ、せっかく、ご案内してきても、どうかと思ってたンだが。……ところで兄哥(あにき)」
と、ここで小五が、口をはさみ、
「おれだけまだ聞いていないが、呉用(ごよう)先生がとつぜん村へ現われたッてえのは、いったい、どういう御用向きなんだね」
「それがサ」と、長兄の阮(げん)小二は、ちょっと自分の頭を叩いて――「目方(めかた)十四、五斤の金鯉(きんごい)を十尾(ぴき)ほど揃えてくれと仰ッしゃるんだが……近ごろの漁場じゃ、おいそれとは、とれそうもねえや。……でも、先生の知人(しりびと)のお大尽が、婚礼に使うんだから是非にと、先生も頼まれちゃったというんだよ。弱ッたもんだな」
「ふウむ、そいつはご難題だぞ。……が、まアいいや、先生、もひとつ、いかがです」
「もうだいぶ酩酊(めいてい)ぎみだよ。日も靉靆(あいたい)と暮れかかるし、心気(しんき)は朦朧(もうろう)だ」
「先生、とにかく今夜は、汚(むさ)い小屋じゃございますが、てまえどもの家へお泊りくださいませんか。ここの一杯屋も、晩まではやっておりませんので」
「おう、ご厄介だが、世話になるよ。とにかく十尾(ぴき)の金鯉(きんごい)を持たなければ、友人のてまえ帰れんからのう」
これは口実、呉学人(ごがくじん)の思う金鯉とは、もとより金色(こんじき)の鱗(うろこ)をもった魚なのではない。兄弟三人を網中(もうちゆう)の獲物(えもの)として、首尾よく、晁蓋(ちようがい)一味の大仕事の味方にひき入れて帰ることだったが――しかし、その真実を言いだすのは、場所もまずい、と考えて、
「じゃあ、ぼつぼつ立とうか。おいよ。旗亭(こ こ)の亭主、勘定をしてくれい」
「とんでもない、先生に金をつかわせるなンて……。ここの払いは、手前ども兄弟にまかせておくんなさい」
「よかろう。では、わしは手(て)土産(みやげ)でも提(さ)げるとしよう。亭主、大甕(おおがめ)一壺(こ)に酒を詰め、牛肉二十斤、鶏一トつがい、あの小舟のうちへ積んどいておくれ」
呉用(ごよう)は銀子(ぎんす)一両を亭主に渡して頼んでいる。
阮(げん)の三兄弟も、それぞれ小舟にもどり、やがて呉用をのせて、夕波の江(え)を漕(こ)ぎ渡って、家路についた。
「さアお上がンなすって」
案内してきたのは、昼、行きがけにちょっと寄った阮小二の家である。兄弟三人中、女房持ちは長兄の彼一人らしい。さっそく持って帰った肉や鶏を、女房と漁場の餌採(えと)り小僧にいいつけて、料理にかからせ、
「先生、ここなら夜ッぴて飲み明かしたっていいんですから、どうぞ今夜は帯紐(おびひも)解いたおつもりで召上がっておくんなさい」
と、水に臨んだ裏部屋の破れ簾(すだれ)を捲いて、映(さ)し入る月の光を囲んだ。
料理もできる。杯も巡(まわ)りはじめる。
江上(こうじよう)でいちど醒(さ)めた酔いがぱっと出て、話はすぐ弾(はず)みだした。
「なア兄弟がた。またしても、気がかりを言いだすようだが、十尾(ぴき)の金鯉を揃えるぐらいなことが、どうしてそんなにむずかしいのか」
「それやあ先生が、学問や兵法には通じていても、世事にはお晦(くら)いからでございますよ」
「ふウむ……こいつは一本参ッたかな。しかし、どういう仔細か、そこを聞こうじゃないか」
「入江や海なら、どんなところにも、どんな魚でもいると思うのが、そもそも世間知らずでサ。――打ち明けて申しますと」
「なんだか、ひどく物々しいのう」
「まったく、物々しいお話ですがね、あっしどもの漁場としているこの石碣湖(せつかこ)なンてえのは、猫のひたえみたいなもンで、一尾(ぴき)十斤もする大鯉を揚げるにゃあ、どうしても向うに見える梁山泊(りようざんぱく)の辺まで漕ぎださなくちゃ採(と)れません」
「それ、そこがおかしいじゃないか。梁山泊なら水つづき、しかも彼方に見えている。どうして、そこで採(と)ってこられんのか」
「鬼門(きもん)ですよ。梁山泊ときては」
「鬼門。いよいよ変だな。どういうわけで」
「イヤ、お話にも何もなりゃあしません」
「まさか、殺生(せつしよう)禁制の禁漁区でもなかろうに」
「殺生禁断どころか、ヘタに近よれば、こちとら、人間さまのお命があぶねえんですよ。――ずっと以前は、梁山泊の沖こそ、あっしども兄弟の稼(かせ)ぎ場でしたのに、イヤひでえことになったもんで、お蔭ですっかり貧乏つづきのこの落ち目、忌々(いまいま)しいが、どうにも仕方がありやしません。なあ弟」
と、兄弟顔見あわせての嘆息(ためいき)だった。
呉用は心ひそかに、しめたと思う。どうやらこの辺に、兄弟の本心を引き出す鍵(かぎ)がありそうである。――と見たので、杯も下において、
「ほ。……それが落ち目の原因(も と)とは一生の大事ではないか。あんた方三名、人なみ以上な五体と若さを持ちながら、なんでそんな運命に負けて指をくわえていなさるやら。……はて、わからんな、もすこし打明けたところを聞かせてくださらんか」
せまくても石碣村(せつかそん)の浦人(うらびと)仲間では、男名(おとこな)を売っている兄弟三人が、「――なんでそんな運命に負けて指をくわえているのか」といわれたのだから、少々口惜しかったにちがいない。――そこで兄弟こもごも、憤然とじつを訴え始めたが、それこそは、加亮(かりよう)先生呉用(ごよう)の思うツボであったであろう。
「……なにしろ、先生。その梁山泊ッていうのは、群盗の根城(ねじろ)なんです。いってみればまア天下に恐(こわ)い者なしの無法者の巣ですからね、かなやあしません」
「それは初耳だな。いったい、どんな人間どもが寄っているのか」
「白衣秀士(びやくえしゆうし)の王倫(おうりん)ていうのが大将株でしょうか。こいつはなんでも、東京(とうけい)の役人試験に落第した書生くずれだそうで、以下、摸着天(もちやくてん)の杜選(とせん)とか、雲裏金剛(うんりこんごう)の宋万(そうまん)とか、旱地忽律(かんちこつりつ)の朱貴(しゆき)なんてえ手輩(てあい)がおもだッたところで、手下六、七百人もいるんですから、いくら歯がみをしてみたって、こちとら兄弟じゃ手も出せませんや」
「むむ……それじゃあムリもない。そんな豪勢な賊寨(ぞくさい)か」
「おまけに、近ごろその仲間へ落ちていった、もと宋朝(そうちよう)の禁軍の師範、豹子頭林冲(ひようしとうりんちゆう)というのがまた、めッぽう腕の冴(さ)えた男とかで、いよいよ梁山泊と聞いたら泣く子も黙るくらいなもんです」
「が。妙だナ、それも」
「先生、なにを首を傾(かし)げなさるんで」
「だって、いかに今は、濁世(じよくせ)のどん底とはいえ、上(かみ)には宋朝の政府があり、地方には各省の守護、管領。田舎には郡司(ぐんじ)、県吏(けんり)もいるものを、そんな大それた群盗が、天もおそれず、山東の一角を占(し)めておるなど、信じられんことではないか」
「さ、それがですよ先生。このごろの役人ときたら、賄賂(わいろ)には弱く、人民には強く、検地や事件で村へ来ようもンなら、豚、羊、鶏、家鴨(あひる)まで食らいつぶしたあげく、晩には娘を伽(とぎ)に出せの、帰りには土産を馬に着けろなンて吐(ぬ)かしゃあがって、そのくせ、ちょっと手強(てごわ)い山賊や無頼漢(ならずもの)にでもぶつかると、逃げまわるのが関の山で、たとえ、盗難や乱暴者があって、訴え出たって、間に合う頃に来たためしなどありやしません」
「ひどいな。本当かな、それは」
「嘘だと思ったら、先生もちと、この辺へ住んでごらんなさいよ」
「そりゃ見てはおれまい。幸い、わしの住んでいる土地には、晁蓋(ちようがい)というなかなか肯(き)かない荘院(しようや)がおる。そのせいか、それほどでもないが」
「だから奴らには、金力か腕か、どッちかでなけりゃあ応対もできません。弱い土地の、素直な土民と見るほど、権柄(けんぺい)を振り廻すのが、いまの役人ですからね」
「貧土(ひんど)こそわが世の春といったような振舞だな。これや何とかせずばなるまいて」
「そうですよ、先生。なにもさもしい根性で、役人暮らしの垣の内を覗(のぞ)くわけじゃあねえが、大ゲサに言やあ、金銀は秤(はかり)で分け取り、衣裳は好み放題、食い物は贅沢(ぜいたく)ざんまい。それがみンな、人を泣かせてせしめているものだから、業腹(ごうはら)でたまりません。こちとらなど、働いても働いても、どうしてあいつらの真似(まね)もできねえのかしらと、稀(たま)にゃあ、情けない気もしてきますぜ」
「なんだ、漢(おとこ)たるものが!」――と呉用智多星(ごようちたせい)は、ここぞと、語気を入れて、叱るように、兄弟の顔を、らんと睨(ね)め廻した。
「あんた方は今、いう口も穢(けが)れるように、腐れ役人を嘲(わら)ったじゃないか。その口ですぐ、役人暮らしの真似もできぬとは、なんたる意気地のない愚痴か、みッともないぞ、いい漢(おとこ)が」
「先生、ごめんなさい、つい、つまらねえ愚痴をこぼし、面目次第もございません」
「いや、あやまるには及ばんさ。だが、わしはおまえ方の、兄弟贔屓(びいき)で言いおるんじゃ。どうして、これほど立派な漢(おとこ)三疋(びき)が、食うや食わずでいなければならぬかと……」
「ありがとうございます。そう仰っしゃってくださるなあ先生だけだ。もし先生みてえなお方があって、こんな漢(おとこ)どもでも、腕と根性ッ骨を、気前よく束(たば)で買っておくんなさる人でもあれやあだが……まずねえなア、今の世じゃあ」
「いやある」
「ありますかえ、先生」
「なきにしもあらずだ。――いッそ、梁山泊へ行ってみたらどうだ」
「だめ、だめ」
兄弟三名、三人ともに、鼻っ先で笑いながら、手を振った。
「そんな智恵なら、なにも先生に教えられねえでも、朝夕に眺めている梁山泊、とうに、そッちへ転げ込んでいますが、あそこには、白衣秀士王倫(びやくえしゆうしおうりん)ていう気に食わねえ野郎が首領(かしら)に坐っているでしょう。気の小(ち)ッけい、侠気も義もねえ男だと聞いています。いくら飢(ひも)じいッからって、そんな泥臭(どろくせ)え野郎の下にゃあ付きたくありませんからね」
「よく言った。その背骨を失ったらもう漢(おとこ)はない。では何か、もしここに、腹から心服できる者があって、かりにおまえ方の漢(おとこ)を見込んだうえ、買うといったら、どうなさる?」
「あははは。ありッこねえや。そんな人は」
「いやさ、もしあったらば」
「それや、いわずと知れている。漢(おとこ)が漢(おとこ)とゆるしあうことでしょ」
「そうだ」
「そんなら、水火も辞しません」
「ならば改めて、君たち三兄弟に、ひきあわせたい人がここにある。どうだ会ってみないか」
「だれです、それは」
「ここからわずか数十里、東渓村(とうけいそん)の名主(なぬし)をしている晁蓋(ちようがい)だが、これは山東河北(かほく)きッての人物とわしは平常、観(み)ておるが」
「あ。托塔天王(たくとうてんのう)とアダ名のある荘院(しようや)さんですか」
「知っているのか」
「いや、聞いているだけです。――義に厚く、侠につよく、たいそう金ばなれもきれいな人とは伺っておりますが」
「なにを隠そう、じつは今度のわしの用向きというのは、その晁蓋から頼まれて、或る一用を帯びて参ったわけじゃが」
「では、なんですかい。金鯉十尾(ぴき)ご入用とかって仰っしゃったのは、嘘なんですか」
「方便じゃよ。方便はゆるしてくれい。なんとなれば、君たち兄弟の腹の底を見とどけぬうちは、めッたに口を割れぬ秘密なのだ。しかし、いまはもう寸分、君たち三名の義を疑ってはいない」
「どういうご相談事なので」
「くわしくは、その晁蓋(ちようがい)と君たちが、義の杯を結んだうえで打合せるが、かいつまンでいえば、一世の大金儲けと、悪政府の大官を膺懲(ようちよう)しようという快事だ。つまり、その二つを、一挙に併(あわ)せてやろうという目企(もくろ)みだが、ぜひ君ら三兄弟にも、その仕事にのッてもらいたいという晁蓋の切なる望み。……で、かくいう呉用が誘いだしに参った次第だ」
「ほんとですか、先生」
兄弟は、眼をかがやかした。短命二郎の阮小五(げんしようご)などは、感激のあまり、自身の首すじを平手で叩いて、
「待ってました。この首は、この漢(おとこ)の値打を知って買ってくれる人のためにあるようなもンでした。なあ哥(あに)き」
「そうだとも。この漢(おとこ)一匹、もし先生が買うと仰っしゃるなら、いつでもと思っていたのに、そのうえ、晁蓋さんまでが、あっしどもを見込んで、力を借りたいというのなら、一も二もありやしません。早速ここで誓いましょう。どんな秘密でも打明けておくんなさい。こう見えても、裏切るような下種(げす)どもじゃござんせん」
「じつは、こうだ。――この七月十五日、朝廷最高の顕官(けんかん)蔡(さい)大臣のもとへ、その人の誕生祝いとして、値(あたい)十万貫におよぶ金銀珠宝(しゆほう)が北京(ほつけい)からひそかに送りだされる。――贈りぬしは北京の大名府(だいみようふ)に君臨する梁中書夫妻。――もとよりその財貨宝玉は、すべて悪政の機関(からくり)から搾(しぼ)りとった民の膏血(こうけつ)にほかならぬ。……これを奪うのは天の誅罰(ちゆうばつ)といえなくもあるまい。途中、その輸送を襲うて、これをせしめる手だてなどは、晁蓋やほかの同志と同席のうえでなお仔細に密議せねばならんが、要はそういう目的だ。すぐわしとともに東渓村まで行ってくれぬか」
「いきますとも」
小二、小五も二つ返辞で、
「おい小七。いつもおめえが、夢みたいにいってたことがよ、なんと、夢ではなくて、ほんまに来たぜ」
と、三兄弟、手の舞い足の踏むところも知らず、といった風なよろこびだった。
――明ければ、早朝から、兄弟いそいそと二日三日の旅立ち支度。呉学人を先にして、東渓村へさして行った。
月はまだ五月初旬の爽涼(そうりよう)、若者の心そのままな薫風(くんぷう)が袂(たもと)を打つ。
東渓村へ入ったのは翌々日の午(ひる)さがり。さすが荘院(しようや)の示しがよいせいか、石碣村(せつかそん)などとはくらべものにならない村道のきれいさ、村の土倉(どそう)や、屋根もどことなく落ちついて見える。――と、彼方の一ト構えの土塀門の外、槐(えんじゆ)の下の木蔭に「今日もや着く?」と待ちうけていた晁蓋その人と、食客の赤髪鬼劉唐(りゆうとう)のすがたが、はやそこに見いだされてきた。
双方、すでに遥かより相見ながら、
「やあ」「やあ」
と、手を振り上げつつ相寄って行った。
六星、壇(だん)に誓う門外に、また訪(おとず)れる一星のこと
その夜の酒宴のさまなどは、くどくどしい。
呉(ご)学人(がくじん)は、兄弟三人のつれ出しに、苦心はしたが、わが功は多くをいわず、
「これが、わしのすすめた阮(げん)兄弟だ。まず見てくれ」と、いったあんばい。
晁蓋(ちようがい)は、一見すっかり気に入った。また三人の兄弟のほうでも、晁蓋の重厚で、そしてさっぱりした人柄のうちにも、情義の厚そうなところを見て、
「こういう人とのつきあいなら、かねて望んでいた漢(おとこ)づきあい。一生賭(か)けても、悔いはない」
と、はやくも惚れこんでしまった様子である。
赤馬赤馬と呼ばれている赤髪鬼劉唐(りゆうとう)は、呉先生や晁蓋のあいだにあっては、見劣りすることぜひもないが、これも精悍(せいかん)にして邪悪ではない。短命二郎小五(しようご)とは、よい組合せだ。
飲み明かし、語りあかして、さて一睡もつかのまの、翌早朝。
同志六名は、嗽(うが)い手水(ちようず)の身清めしたうえ、晁家(ちようけ)の奥の間にある祭壇に向って立ちならんだ。――壇の道教神(どうきようじん)のまえには、紅蝋燭(べにろうそく)赤々と燃え、金紙の銭(ぜに)、色紙の馬、お花、線香、羊の丸煮(まるに)などの供え物が、種々(くさぐさ)、かざり立てられてある。
誓いの儀式だ。土器(かわらけ)を取って、羊の生血をそそいだ神酒(み き)をすすりあい、やがて呉学人が案文した起誓文(きしようもん)を受けて、晁蓋が壇にむかって読みあげた。
――聞説(キクナラク)。
宋朝(ソウチヨウ)ノ管領(カンリヨウ)、梁中書(リヨウチユウシヨ)、北京(ホツケイ)ニアリテ、民ヲ毒シ、権(ケン)ヲ用イ政(マツリ)ヲ恣(ホシイママニ)シテ富財ヲ私(ワタクシ)スルコト多年。然(シカ)ノミナラズ、夫人蔡氏(サイシ)ノ岳父、蔡大臣ノ都ノ邸ヘ向ッテ、連年、生辰綱(シヨウシンコウ)(誕生祝いの金品)ヲ贈ルコト実ニ巨額ニノボル。
(ココ)ニ、今年七月十五日ノ生辰(シヨウシン)ヲ期シ、又モ十万貫ノ不義ノ財貨ヲ密(ヒソ)カニ都門東京(トウケイ)ヘ輸送セントス。天冥(テンミヨウ)、豈(アニ)コノ不義ヲ許スベケンヤ。
即チ、ワレ等六名、天ニ代ッテ、懲罰(チヨウバツ)ヲ下シ、以テ侫吏(ネイリ)ノ肝胆(カンタン)ニ一颯(イツサツ)ノ腥風(セイフウ)ヲ与エントスル者ナリ。モシ盟(メイ)ヲ破リ、異端ヲ抱ク者アラバ、ソレ天ノ冥罰(ミヨウバツ)ヲ受クルモ恨ミナキコトヲ天地ニ誓ウ。――神明、照覧アラセ給エ。
「……いざ、ご順に」
おのおの、紙の銭(ぜに)を焚(た)き、代る代る礼拝する。
「さあ、これで誓いはすんだ」
お供え物を下げて、一同また、客間で飲み直していた。
すると何となく、物騒がしい声が門外の方で聞え出した。はてと、晁蓋が耳をすましていると、そこへ家人のひとりが来て、さも持て余し気味に訴えた。
「旦那、旦那。ご酒宴中、なんとも相すみませんが、ちょっと、おいでなすって」
「うるせえな、お客さまの席へ。いったい、なにをがやがや騒いでいるんだ」
「それがその……なんとも手のつけられねえ強情ッ張りな山伏(やまぶし)なんでして」
「山伏だと。よくねえなあ、この頃の行者って奴あ、装(なり)恰好だけは、もっともらしく拵(こしら)えて歩きゃあがって、作法も経文もろくそッぽ知らねえようなのが、ただ食い稼ぎに村へも時々入って来やがる。うるせえから、粟(あわ)の一升もやって追っ払え」
「ところが、てんでそんなものア眼もくれねえんです。へい」
「じゃあ、なにを施せと、ねだっているんだ」
「旦那に会わせろって、ごねるんですよ」
「ふざけるな。そんな物乞いに、いちいち会っている暇はねえ。それよりは、てめえたち若いもンが大勢ガン首を揃えてやがって、そんな者一人を持て余してるたあ、なんてえざまだ」
「そう仰ッしゃいますが、ま、ちょっと来てごらんなすってください。――自分は一清道人と申す者――とか何とか吐(ほ)ざいて、ちょっと触ろうものなら、すぐ人を手玉にとって、ぽんぽん投げつけてしまやあがるし」
「なに、手むかいするのか」
「そいつア向うでいってる文句でさ。手出しをすると用捨はせぬぞ。晁蓋(ちようがい)に会わせぬ以上はここは動かん……なんて啖呵(たんか)を切りゃあがって、四人や五人タバでかかっても、あっさり片づけられちまう始末なんで。なんともはや、私たちじゃあ手におえません」
晁蓋はやっと、腰を上げた。
「先生、お客人にも、失礼ですが、ちょっと中座させていただきます」
彼が門前へ出ていってみると、なるほど、荘丁(いえのこ)大勢、ただ遠巻きにだけして、恐れおののいている様子だ。中には、手脚を傷(いた)められて凄愴(せいそう)な面(つら)をしている連中も少なくない。
「どこにいるんだ、そいつは」
「ほれ、そこの槐(えんじゆ)の木の下に、悠々と、憎(にく)ていな笑い顔して、腰かけておりますよ」
「あ、あれか」
晁蓋は、つかつかと、彼の前へ歩いていった。
彼のほうでも、晁蓋を見るや、すっくと同時に起ち上がっている。
山行者(やまぎようじや)の着る裾(すそ)みじかな白衣(びやくえ)に、垢(あか)じみた丸グケの帯。笈(おい)は負わず、笈の代りに古銅づくりの一剣を負っている。八(や)ツ乳(ち)の麻鞋(あさぐつ)は、これも約束の行者穿(ば)きのもの。さてまた、年ごろはといえば四十を出まい。黍色(きびいろ)の容貌に、腮(あご)だけの羊髯(ひつじひげ)をバサとそよがせ、口大きく、眉は少し八の字、どこか愛嬌さえある顔だが、身の丈(たけ)ときたら一幹(かん)の松のごとく、すッくと見え、さらに憎ていなのは、手に鼈甲紙(べつこうがみ)の団扇(うちわ)などを持って、ふところに風を入れていたことだった。
「道士(どうし)、えらいごけんまくだな」
「騒いでいるのは、こッちではない。勝手にここの雇人どもが、自分で瘤(こぶ)をこしらえておるまでのこと」
「布施(ふせ)は何がお望みなのか」
「またいうか。物乞いじゃおざらん」
「では、なんでお動きなさらぬ」
「あるじの晁氏(ちようし)に会いたいのみ」
「その晁蓋は、じぶんだが」
「や。あなたか」
「用を聞こう。手ッとり早く」
「ここでは申せぬ。折入ッての儀だ。どこぞ二人だけで話したい」
「じゃあ、こっちへおいでなさい。一樹(じゆ)の縁だ、茶でも上げよう」
軽い気もちで、門内へ入れたのである。といっても、奥の客間ではない。間に合せの小部屋だったのはもちろんだ。
通されて椅子(いす)によると、さすが礼儀はただしく道士はすぐみずから名のった。
「お騒がせして申しわけないが、拙者は公孫勝(こうそんしよう)、道号(どうごう)を一清(いつせい)と呼ばるる者。生れは薊州(けいしゆう)の産です。申してはお笑いぐさかもしれんが、幼少より武芸が好きで、あちこちの道場歩きなどで多少名を鳴らしたため、公孫勝(こうそんしよう)ノ太郎とか、入雲龍(にゆううんりゆう)ノ太郎などと少しは恐れられたものです。――かつまた、いささか方術(ほうじゆつ)(道教の法術)に通じ、自在に風雨を呼び、隠遁(いんとん)飛雲の法も行うが、それも決して広言ではありませぬ。――ところで」
と、公孫勝の一清は、その羊ヒゲを掌(て)のひらで何度も逆さに撫(な)でつついう。にんまりと人を射てくる眼(まな)ざしには、なるほど方術師らしい底冷たい眼光があった。「――当村の名主晁氏(ちようし)のお名は、久しく耳にするのみで、御見(ぎよけん)は今が初めてだが、初対面の手みやげに、じつは軽少なれど、金銀十万貫に値する儲け仕事を持参いたした。なんとお受けとりたまわるまいか」
聞くと、晁蓋はつい笑いだした。
「そいつあ、北方から都へ行く生辰綱(しようしんこう)(誕生祝いの荷)じゃございませんか」
「あっ――?」
愕然(がくぜん)と、一清(いつせい)道人(どうじん)は、相手の顔を、穴のあくほど見まもって、
「ふしぎだ。誰知るはずもないものを、どうして晁どのには、ご存知なのか」
「はははは。なにをいわっしゃる、こっちがびっくりしましたわい」
「それはまた、どうしてです」
「だって、当てずッぽうに、出たらめをいってみたまでですよ」
「いや、それこそ神感と申すもの。あなたは受けなくてはいけません。取るべきを取らずんば何とやら、しかも、密送の生辰綱(しようしんこう)は、不義の財だ、なんで、奪うに憚(はばか)りがありましょうや」
こう、説き伏せんとして、一清道人がその弁をふるいかけたときだ。突如、扉(と)を排(はい)して顔を現わした者が、いきなり彼の頭へ大喝(だいかつ)をくらわせた。
「不敵な密談、みな聞いたぞっ」
「やっ?」
せつな、一清道人は、さッと椅子(いす)を跳び離れたが、とたんに、晁蓋とそこへ入ってきた呉用学人とが、声を合せて、哄笑していた。
「いやいや、公孫(こうそん)先生、おあわてなさるな。――ご紹介いたしましょう。このお方は」
言いかけるのを引き取って、呉用は、自分から加亮智多星(かりようちたせい)と名のりを告げ、そして、
「こんなところで、ふとお会いできようとは、じつに意外。一清道人、公孫勝のお名は、夙(つと)に江湖(こうこ)(世間)で伺っていました」
「さては、貴殿が呉学究加亮(かりよう)先生でございましたか。さても、広いようで世間はせまい。しかし、さすが晁家(ちようけ)のお知り合いは違ったもんですな」
「奥にはまだ、今日しも、心をゆるしあった幾人かが寄っていますが。……ご主人、ひとつ公孫勝氏も、その座へおひきあわせしようではないか」
「先生のおゆるしとあれば」
晁蓋は先に立って、奥なる客間へあらためて、また新しい一人を加え、阮(げん)の三兄弟と、食客の劉唐(りゆうとう)を交じえ、ここに一堂に会する者七名となった。
「思えば、不思議な」
晁蓋はやがて言った。
「先頃てまえは、わが家(や)の棟(むね)に、北斗七星が落ちると夢見て、眼をさましました。ここに偶然、七人の顔が揃ったのも、夢の知らせ、事成就(じようじゆ)の吉兆でもありましょうか」
「げにも」
と、呉学人は、うなずいた。
「これこそ晁氏の積善の報いだろう。かえすがえす幸先(さいさき)はよい。さっそくにも、劉(りゆう)君は、北京府(ほつけいふ)へ潜行して、生辰綱(しようしんこう)の輸送路を、どの道にとるか、護送の人員はどれほどか、またその宰領(さいりよう)は何者なるかなど、密々探って、その都度(つど)知らせてもらいたいものだが」
「いやいや、その儀ならば――」と、公孫勝が口をさしはさんだ。「わざわざ、ヘタな密偵などは止めたがよい。それらのことは、すでに拙者があらかじめ調べ取ってある」
「えっ。おわかりか」
「間道をとらず、わざと今年は、黄泥岡(こうでいこう)の本街道を行くらしい」
「ならば、それももっけの倖せ。黄泥岡の東一里の辺に、白日鼠(はくじつそ)とアダ名のある知り人がある。足溜(あしだま)りには、もってこいだし」
そこで、晁蓋の意見も出た。
「決行には、手強(てごわ)にやりますか。すんなりと、おとなしくやりますか」
「臨機応変――」と、呉用がいう。「相手が腕ずくなら腕でゆく。先が智恵で来るなら智恵で挑む。……細かなことは、その場でないと、決め手には出られませんな。さきも、さる者。裏の裏でも掻かれたらたまらない」
「仰っしゃる通りだ」と、晁蓋も公孫勝も、異口同音に、
「妙計と信じたことも、敵の応変によっては、みずからの死地ともなる。余り計(けい)に凝(こ)って、策士策に溺るなどのことがないように、おのおの、自在身を持って神出鬼没といきましょうや」
ここでほとんど手打ちはできた。夜に入るまで、飲み興じ、あくる早暁には、すでに阮(げん)の三兄弟は、もとの石碣村(せつかそん)へ、飄(ひよう)として立ち帰るべく、朝飯をいそいでいた。
「時が来たら、そッと急報する。そのさいには、抜からぬように」
「ご安心なすって」
三兄弟はニコと笑って鞋(くつ)を穿(は)いた。路銀だといって銀三十両を晁蓋が贈ったが、どうしても受けとらない。呉先生は、その物固さを笑って、
「痩せ我慢しなさんな。銀子(ぎんす)のちょっとやそっと、受けても辞しても、晁家としては、おなじこった。まず、それは貰って、旗亭(のみや)の借金でも返しておくほうが上策というもんじゃよ」
かくて。――三兄弟は別れ去り、公孫勝と劉唐(りゆうとう)とは、晁蓋(ちようがい)の名主(なぬし)屋敷に、食客としてとどまった。さらに呉用のほうは、つい近所の住居のこと。家塾(かじゆく)に帰って、あいかわらず村童相手の寺小屋先生になりすまし、折を見ては、ちょくちょく荘院(しようや)の奥を訪ねて、茶ばなしの間に、世間たれも知らぬ密事の打合せをすましては、また何くわぬ顔で、塾の学童の中へもどっていた。
仮装(かそう)の隊商十一梱(こり)、青面獣(せいめんじゆう)を頭(かしら)として、北京(ほつけい)を出立する事
ここは北京(ほつけい)大名府の梁中書(りようちゆうしよ)の官邸だ。
後房の園には、黄(き)薔薇(ば ら)の香が蒸(む)れ匂い、苑廊(えんろう)の欄(らん)には、ペルシャ猫が腹這(はらば)っていた。猫は眠った振りして、中央アジア産の白い狆(ちん)がいま蜂(はち)を捕えて嬲(なぶ)っているさまを薄目で見ている。すべてこれらは、有閑な蔡(さい)夫人の物ずきが蒐(あつ)めた愛玩(あいがん)の誇りらしい。
「あら、また水がない! 誰です! 私がいつもいつもやかましくいっているのに、また鸚哥(いんこ)の餌水(えみず)が切れてるじゃないの」
いま、鸚哥(いんこ)の籠(かご)の下に立った蔡夫人は、鸚哥に負けぬカン高い声をして、後房の侍女をよびつけていた。すると、
「うるさいなあ、ちと静かにしてくれんか」
と、書院窓の帳(とばり)をあげて、良人の梁(りよう)の顔が、舌打ち鳴らした。
「おや、そこにおいでだったんですか。なにをなすってらッしゃるの」
「なにをって、調べものさ。書類調べだよ」
「お手すきなら、ちょっと、この苑廊(えんろう)の榻(とう)(長椅子)までお出ましくださいませんか」
「やれやれ、根気がつきるなあ。茶でも運ばせてもらおうか」
「ま、そこへおかけ遊ばせな。ちと内々のおはなしですから、侍女は遠ざけました。すんでからお茶にいたしましょう」
「なんだね、急に事ありげに」
「だってあなた、今日はもう幾日だとお思いなさいますの。空をごらんなさいませ、もう夏雲ではございませんか」
「そういえば、初蝉(はつぜみ)が聞えだしたな」
「なにをいってらッしゃるの。蝉なんか、二十日も前から啼(な)いていますわ。いったい、東京(とうけい)へ送り出す父の誕生祝いの品々は、荷拵(にごしら)えばかりなすっておいて、どうなさるおつもり?」
「もちろん、万全を期して、七月十五日までに着くよう、輸送せねばならん。……だがね、誰を輸送使として遣(つかわ)すか、その宰領の人選に、頭を悩ましておるんじゃよ」
「それには、お心あたりがあるなんて、いつか仰っしゃっていたではございませんか。そのお胸の人間ではいけないんですか」
「いけないか、適任か、使ってみなければわからんさ」
「使ってみての上なら、誰にだってわかることじゃありませんか。ばかばかしい」
「おいおい、そう頭ごなしに、大声でいうなよ。中門の外には、衛兵が立っておるんじゃ。聞えたらこの梁中書(りようちゆうしよ)、まるで赤面ものじゃないか」
「そうそう。兵隊で思い出しましたわ。兵隊上がりの提轄(ていかつ)、青面獣楊志(せいめんじゆうようし)とやらでは、いかがなんですの」
「その楊志なら、武芸十八般、腕なら北京軍(ほつけいぐん)十万の中でも、屈指の者だが、いかんせん、ここへ来てからの日も浅い、第一心情いかんという点が、まだ充分には信用しかねる。……それで大いに迷っておるのさ」
「そんなことをいったら、どんな人間でも疑えば限(き)りがありませんわ。それにもう日がないじゃございませんか。楊志を召して、お命じになったら、どうですの」
「そなたさえ承知なら、楊志でよかろう。いや、いくら熟考しても、結局は楊志だな。あの青面獣(せいめんじゆう)のほかにはあるまい」
「じゃあ、すぐそれをお鳴らししてください」と、蔡(さい)夫人は、廊廂(ろうびさし)に吊ってある喚鐘(かんしよう)を指して、良人へ命じた。
梁(りよう)は、この妻の父蔡(さい)大臣のお蔭で立身した者であるから、平常も夫人にはとんと頭が上がらない。唯々(いい)として、立って喚鐘を打ち鳴らした。と――すぐ中門外の衛兵が、姿をあらわして庭上に敬礼した。
「青面獣楊志に、すぐ参れと申せ」
「はっ」
衛兵が退(さ)がる。まもなく入れ代って、階(きざはし)の前に来てぬかずいたのは、これぞかの北京城(ほつけいじよう)の大演武場で十万のつわものの眼をそばだたしめた青面獣その人だった。
「楊志。――そのほうを見こんで、このたび、重大な使命をさずくるが、身命を賭(と)して、やってくれるかどうか」
「ご恩のあるお方の仰せ、いやとは申しません。けれどこの楊志にできることか否か、その辺も伺ってみぬことには」
「わが夫人(つ ま)蔡氏の父蔡大臣の誕生祝いの品を護って、東京(とうけい)までつつがなく送り届けてほしいのじゃ。もちろん、軍兵(ぐんびよう)は望み次第に付けてやる」
「出発はいつでしょうか」
「ここ三日のうちとする」
「して、お荷物は」
「角な荷梱(にごり)十箇。それには、大名府の役署に命じて、十輛(りよう)の太平車(うしぐるま)を出させる。また軍兵のほか、軍部から力者十人を選ばせて、一輛一人ずつを配して付ける。……さらに車輛一台ごとに立てる黄旗の文字には――献賀蔡大臣生辰綱(さいだいじんのたんじよういわいのにもつ)――と書く。まずもって、威風堂々と、山野の魔気を払うて行くがいいとおもう」
「どうも、せっかくですが」
「いやだと申すのか」
「なにとぞ、ほかの者に、お命じ給わりとう存じます。なんとなれば、去年は十万貫に値する高貴な品々を、ことごとく、途中賊難のため、掠奪(りやくだつ)されたと伺っておりますので」
「だからこそ今年は、なんじを見込んで命じたのではないか。それもだ……」
と、梁(りよう)はいささか昂奮して、唇を乾かし、眼に赤い濁りを見せて、説得にこれ努めた。
「余は汝を愛しておる。故にだ、どうかして、そちを出世してやりたく思う。それがわからんか」
「かたじけなくは存じますが」
「煮えきらんやつだな。――蔡(さい)大臣宛ての献上目録にさしそえて、べつにわしの直書(じきしよ)一封のうちに、そちの立身の途をも推薦しておく考えなのだ。――途中つつがなく、生辰綱(しようしんこう)をお送りすれば、それでもう汝の栄達のみちも開けるのではないか。なにを迷うか」
「しかし、長途の道中には、紫金山、二龍山、桃花山、傘蓋(さんがい)山(ざん)、黄泥岡(こうでいこう)、白沙塢(はくさう)、野雲渡(やうんと)などという有名な野盗の巣やら賊の出没する難所があります。楊志も犬死にはいたしたくございませんので」
「まだ、のみ込めんのか。軍兵はいくらでも召しつれて行けばいいのだぞ」
「いやいや、たとえ何百の兵でも、一朝、それ賊が現われたぞと聞けば、あらまし木ノ葉の如く逃げ散ッてしまいましょう」
「なにを申す。ではまるで、生辰綱(しようしんこう)を送るなと、余に諫(いさ)めているようなものではないか」
「はい。まったくは、切(せつ)にご諫止(かんし)申しあげたいところです。しかし今さら、お取り止めもなりますまい。……どうも是非なき次第、楊志(ようし)も観念して参ることにいたしましょう」
「や。臍(ほぞ)を固めて、行くと申すか」
「けれど条件がございます。――物々しき官用の太平車(うしぐるま)や旗などは廃し、お贈り物は、すべて人の担げるほどな行嚢(つつみ)にあらため、護衛兵の力者もみなただの強力(ごうりき)に仕立てなければいけません」
「まるで山東の行商隊だな」
「それです。それがしも一個の隊商の長(おさ)に化け、なるべく野盗の眼を避けて、お引きうけした以上は、東京(とうけい)の蔡(さい)大臣がご門前まで、無事、おとどけ申したい存念にございますれば」
「まかせる。ただちに出立の準備をせい」
――準備期間の二日は経(た)った。
するとまた、こんどは楊志のほうから、梁中書(りようちゆうしよ)へ拝謁(はいえつ)を願い出た。そしていうには、
「いけません。どうも拙者には、不向きな役です。東京行(とうけいこう)はご辞退申しあげまする」
「なぜまた、そんなことをごねり出すか」
「でもお約束が違うようです。――洩れ聞けば、ご予定の行嚢(にもつ)のほか、またぞろ、夫人(おくがた)さまから先の大臣邸の女家族のかたがたへ、種々(くさぐさ)な贈り物がふえ、そのため執事の謝(しや)という人物とその他の家来二、三が付いてゆくことになったとか伺いますので」
「ははあ、足手まといだと申すのだな」
「のみならず、夫人(おくがた)直々の執事とか、家来などですと、途々(みちみち)、それがしの命令に服さぬ惧(おそ)れが多分にあります。賊の出没に加え、難行千里、あらゆる難苦を覚悟せねば相成りませぬ」
「それはそうだ。もちろん、難行苦行だろう」
「一行の者に対しては、あえてムチを振るッて克己(こつき)させ、時には夜立ち暁(あかつき)立ち。また折には草に伏し、熱砂を這い、もし服さぬ者は、これを斬るぐらいな権(けん)は持っていませんと、到底、列を曳きずッてはいけません。しかるに、夫人(おくがた)の執事や家来とあっては」
「いや、その者どもも、他の力者(りきしや)同様に、一切その命に絶対服従いたすように申しつける。もし、汝の命に服さず、楯(たて)をついたら、斬りすててもよろしい。……夫人(お く)にも、その由はよく申しておこうわい」
「ならば、行ってまいります。願わくは、ただ今のおことばの旨を、お墨付として、一札(いつさつ)賜わりおきとう存じまする」
「よろしい。汝もまた、余に対して、重宝十一荷(か)の預り状をしたためて差出せ」
「心得ました。この上は、明早朝に北京(ほつけい)西門を出立つかまつりますれば……左様おふくみのほどを」
翌朝の中書(ちゆうしよ)官邸は、暁天もまだ暗いうちから騒(ざわ)めいていた。
強力(ごうりき)に化けた軍の護衛兵は、いずれも屈強な猛者(も さ)ぞろいだ。それらがおのおの、一個ずつの重い行嚢(こうのう)をかついで勢揃いしたさまはいかにも物々しくまたたのもしい。――梁中書も蔡(さい)夫人も、廊(ろう)の階欄(かいらん)に立ち出てこれを見送っている。
夫妻は、念のためと、執事の謝(しや)を呼びつけて、くれぐれ、楊志の命に服すように、喧嘩せぬように、途中病まぬようになど、かさねがさね言いふくめた。
「ご案じくだされますな。てまえは一行中の最年長者。あんばいよく仲を取ってゆきまする。楊志どの。どうぞよろしく」
夫妻の階前で、両名は手を握って、出立した。
同勢すべてで十七名だった。多くは一様な強力(ごうりき)姿だが、楊志と謝は隊商の長(おさ)といった装(よそお)い。山東笠(さんとうがさ)を日除けにかぶり、青紗(あおしや)の袖無し、麻衣(あさごろも)、脚絆(きやはん)、麻鞋(あさぐつ)の足ごしらえも軽快に、ただ腰なる一腰(ひとこし)のみは、刀身(なかみ)のほども思わるる業刀(わざもの)と見えた。
はやくも朝霧の街へ出て、西の城門街の出口へかかる。楊志一人は、手に籐(とう)のムチを携(たずさ)えていたが、それを小脇に、山東笠のひさしへ手をかけて、城門の鼓楼(ころう)を仰ぎ、
「梁中書の御使(みつかい)の者ども、都をさして、ただいま、ご城門を通ります」
と、呼ばわると、上の鼓楼で「おおいっ」という答(いら)えが響く。と同時に、門側の番卒隊が不時の開門なので、とくに総勢でそこに立ち現れ、
「お通ンなさい!」
と、巨大な鉄扉(てつぴ)をギイと左右へ押し開いた。
時は五月も過ぎて早や大陸の砂は灼(や)けていた。夏雲はぎらぎらと眸(ひとみ)を射るばかり地平線を踏まえて高く、地熱は鞋(くつ)の底をとおして、足の裏を火照(ほて)らしてくる。
行嚢(こうのう)を負う蟻(あり)のごとき列は、早くもポタポタと汗のしずくを地に見つつ喘(あえ)ぎあるいた。日頃ひと口に、開封東京(かいほうとうけい)とやさしく呼び馴れてはいたが、いざ一歩一歩を踏み出してみた千里の輸送路となれば容易ではない。――いやいや、それらの炎日灼土(えんじつしやくど)の苦熱は、まだしも克服できようというものか。
やがての行くてに聳(そび)える雲の峰の彼方、手に唾(つば)して待つ稀代(きたい)な七斗星のまたたきがあろうなどとは、青面獣も知らず、喘(あえ)ぎ喘ぎな強力(ごうりき)たちも、ゆめにも思ってはいなかった。
七人の棗(なつめ)商人(あきんど)、黄泥岡(こうでいこう)の一林(りん)に何やら笑いさざめく事
強力(ごうりき)すがたの兵十五、六人。それが日々、大陸の熱砂を這うごとく行く影は、炎日の労働(ろうどう)蟻(あり)が蜿蜒(えんえん)と、物を運んで行く作業にも似て、憐(あわ)れにもまた遅々(ちち)として見えた。
おのおのが負う十一箇の行嚢(こうのう)は、そのどれ一つといえ、軽そうなのはない。――すべて蔡(さい)大臣の誕生祝いに送られる値(あたい)十万貫もする貴金属やら珠玉で充(み)たされている荷物なのだ。――彼らの流す毎日の汗も、その中の珠の一粒にすら値するものではなかった。
「なんだ、意気地のないやつらめ。行くてはまだ千里の彼方。今頃からヘタばってどうするか。歩け歩け。しぶるやつは尻を腫(は)らすぞ」
宰領(さいりよう)の青面獣楊志(せいめんじゆうようし)の手には、籐(とう)のムチが握られていた。腰の業刀(わざもの)もだてではない。――梁中(りようちゆう)書(しよ)から絶対の権を附与され、途中、もし命に反(そむ)く者あらば斬りすててもかまわん、といわれてきたのだ。もう一名の付添い人、執事の謝(しや)といえど、こんどの旅では楊志にむかって一切不満も愚痴も言いだせるものではなかった。
とまれ、北京(ほつけい)の城門を出てから、はや十数日。この間、雨を見たのは、たった二回だけで、それも物凄い雷雨をともなった一瞬の大夕立だけでしかない。あとは来る日も来る日も、炎天の道中だった。
楊志はその晩、旅籠(はたご)に着くと、兵の強力(ごうりき)と、執事の謝、あわせて十六人へ、言い渡した。
「さあ、旅はこれからが本旅だ。――北京は遥か後になり、行くての都はまだまだ遠い。――風流にいえば千山万水だが、いよいよ彼方には二龍山、桃花山、傘蓋山(さんがいざん)、黄泥岡(こうでいこう)、白沙塢(はくさう)、野雲渡(やうんと)などという難所切所(なんしよせつしよ)やら野盗の名所が、行く先々にひかえている。……そこで、こちらも腹をすえなくてはならん。ただの荷運びだけが能(のう)ではないぞ」
不気味な警告を、こう浴びせて、
「だから、明日からは、寝坊してよろしい。朝は朝寝して、ゆっくり立つ。その心得で休養をとれ」
と、つけ加えた。
だが、兵たちは、うれしそうな顔でもなかった。その日旅の寝小屋で枕につくと、耳こすりで騒(ざわ)めき始めた。
「おい、用心しろよ。青痣(あおあざ)がまた、ヘンなことを言いだしたぜ。小便する間もオチオチしていられねえほど、歩け歩けと急(せ)かついている奴がよ」
「変だな。七月十五日、七月十五日と、都へ着く日を、呪文(じゆもん)みたいにいってるかと思うと、急に、朝寝の遅立(おそだ)ちとは」
「なんでもいいや。寝ている間だけがこち徒(と)の極楽だ。なんとか生命(いのち)だけ保(も)って、開封東京(かいほうとうけい)に着きさえすれば、まさか帰りはこんなこともあるめえ。もうもう来世は金輪際(こんりんざい)、兵隊にはなるめえぜ」
翌日からは、朝は遅く、夕は早着き。日盛りの旅だけが、以後十数日もつづいた。
これだけなら、彼らのぼやきも減(へ)っていただろうが、楊志の思案は、野盗山賊の出現を避けるにあり、七月十五日までの期日に、余裕が出来たわけでもないから、日中の間に、それだけの足稼(あしかせ)ぎを生みだすべく、前にもまして、苛烈(かれつ)なムチをふるったのはいうまでもない。
「なに、水が呑みたいと。我慢しろ、我慢しろ。水は汗を多くするばかりだ。口に梅の実(み)を噛(か)んでいると想え」
「そいつア無理だ。いくら梅の実を想ったッて、唾(つば)は出ねえ」
「これでも出ないか」
楊志は、籐(とう)のムチで、風を切って見せた。
「きさまらは、毎夜、寝飽きるほど寝かしてあるじゃないか。贅沢(ぜいたく)をいうな」
「だって、こう休みなしじゃあ、息もつづきません。どこか木陰で、一ト息つかせておくんなさい。焦死(やけし)にます」
「だまれ、どんな夏の旅だろうと、人間の乾物(ひもの)ができた例(ため)しはない」
「うへッ。もう眼がまわる。楊(よう)輸送使」
「なんだ」
「どうか、弁当でも解かせておくんなさい。もう足が前へ出ません。ふらふらして」
「ちッ。きさまらは、木陰を見るたび、きまッて何か弱音を訴え出しゃあがる。今日はもう幾日だと思う」
「ほら、始まった。わかってますよ」
「わかっていたら、弁当などは、歩き歩き食え、七月十五日が一日遅れても、蔡(さい)大臣のお誕生祝いには間に合わなくなる。千日の萱(かや)も一日で焼くというもんだ」
「もう欲も得(とく)もなくなりました」
「じゃあ、死にたいか」
「情けないことを。これでも、女房子がありゃこそ、塩気のない汗までポタポタ垂らしているんですぜ」
「ならば、四の五をいわずに歩け歩け。やがて都へ着いたら、たらふく、飲んで食って、逆立ちでも何でもやるがいいや」
「……ああ、雨でも降ってくれ!」
ところが、あいにくな旱天(かんてん)つづき。大夏の太陽は火龍(かりよう)というもおろかである。満天すべて熱玻璃(ねつはり)のごとく、今日も一片の雲さえ見あたらない。
道は、その日の午後、やっと一つの山の小道へかかったが、木々の葉は萎(な)えて、風は死し、谷はあるが、水は涸(か)れ、岩は干割(ひわ)れして、滴(したた)る清水の一ト雫(しずく)もない。
「おお、ここらはもう、太行(たいこう)山脈の一嶺(れい)だな」
空身(からみ)の楊志にしてさえ、息がきれた。
峨々(がが)たる山容は、登るほど嶮(けわ)しくなり、雨の日に洗い流された道は、河底をなしている。万樹はあだかも刀槍(とうそう)を植えたようで、虎豹(こひよう)の嘯(うそぶ)きを思わせる。
なにげなく足をとめて、ここまでの旅、またこれからの道のりなどを考えていた楊志が、ふと気づくと、謝(しや)執事以下、十一梱(こり)の強力(ごうりき)やほかの兵も一つの峰の背へ取ッつくやいな、
「もう、だめだ。勝手にしろ」
「八ツ裂きにされても、うごけねえぞ」
「さあ、どうなとしてくれ」
とばかり、おのおのの荷を背から下ろして、ぐたと伸びるやら、仰向けに寝てしまうやら、ここへきてはもう自暴(や け)のやん八をきめこンでテコでも動かぬ態(てい)だった。
「あ。げて者めら」
楊志(ようし)は振返って、彼らのやけくそな態度に気づくやいな、そこへ飛んでいって、例のごとくムチを鳴らした。
「だれの許しを得て休むのだ。こいつら、一寸(ちよつと)の間も、眼が離せぬ」
「まあまあ」と、宥(なだ)め役に立ったのは、梁家(りようけ)の執事の謝(しや)であった。
「なんぼなンでも、この酷熱(こくねつ)に、昼休みも与えぬのは、余りにむごい。楊志どの。そうカンカンにお怒りなさるな」
「執事。貴公が休めとゆるしたのか」
「許すも許さぬもない、これへ登りつくなり、自然にヘバッてしもうたのじゃ。わしにせよ、これ以上の我慢は、口から臓腑(ぞうふ)を吐くような苦しさだ。まあ、半刻(はんとき)ぐらいここで休んだところで、まさかお誕生日に間に合わぬこともあるまいが」
「分別者のあんたからして、そう仰っしゃるなら、なんでこの楊志のみ、一同の怨嗟(えんさ)をうけつつ無理な道中を好もうか。……したが、ここはどこかご存知か」
「されば、はや太行(たいこう)山脈の一嶺(れい)にかかってきておる。ここさえ越えれば」
「なにを、暢気(のんき)な」
「違うか」
「いやさ、あんたのいう通りだから、馬鹿馬鹿しくなるんだ。さっきから、あたりの地勢を見るに、こここそ、黄泥岡(こうでいこう)といって、世間に不気味がられている盗賊の出没場所。……こんなところで気をゆるしたら、魔の砂塵の一ト吹きと見舞われぬとも限るまいぞ」
すると、もう度胸をすえて、太々(ふてぶて)しくなっていた強力(ごうりき)の兵たちが、
「あはははは。また楊(よう)輸送使のおかぶが始まったぜ。毎日毎日ああいっちゃあ嚇(おど)かされてきたもンだ。この真ッ昼間に、そんな幽霊が出るもんなら、おもしれえ。なにも経験だ、お目にかかってみようじゃねえか」
「馬鹿野郎っ」
楊志は、怒りの一歩を、そっちへ移して呶鳴りつけた。
「きさまらは、泣き言まじりの口癖にさえ、こんな苦役も、女房子のためだと吐(ほ)ざいているではないか。もし厄難(やくなん)に出あったらどうするか。褒美はおろか一命もおぼつかないぞ。――このほうは宰領(さいりよう)として、万が一にも、そのような不覚を踏ませてはと、しいて心を鬼にしておるのだ。わからんか。慈悲のムチが」
「へへん。……わかりませんねえ、慈悲のムチなんてえ文句は」
「こやつ!」
楊志(ようし)が本来の形相を現わして、腰なる山刀を抜きかけると、執事の謝(しや)は仰天して、あわてて彼の前を阻(はば)めた。
「待った! 楊君もいいが、どうもお若い。そのご短気は、みずから事を破るものだ」
「いや、お放しなさい。こいつらは、拙者がほんとに怒ッたら、どんなものか知らんのだ。見せしめのため、どいつか一匹、素ッ首をぶち落して見せてくれる」
「そしたらその先、一人分の行嚢(こうのう)は、いったい誰が、背負って歩くのか。わしは真ッ平ごめんじゃが」
「一箇の荷ぐらいは、どうにでもなる。それよりは全体の士気を厳(げん)に保って行くほうが肝腎(かんじん)だ。老人は、黙ッていなさい」
「いや、見ていられん。血気いちずで、十五人もの心の束(たば)ねがなるものか。和もなくてはならぬ。いかんせん、楊君はご苦労知らずじゃ」
「ばかをいえ。拙者にはいささか流浪の経験もある。四川(しせん)・広西(かんしい)・広東(かんとん)の旅もした」
「ただの旅なら、誰もするわ」
「なんの、世は今や、いずこも暗黒同様な末世だ。その穏やかならざる乱麻の世間に、流浪の艱苦(かんく)もなめたつもりだ」
「おい、楊(よう)輸送使」
「なんです?」
「人なき山中だからいいようなものの、余りな放言は慎むがよい。梁中書様のご恩になり、北京府(ほつけいふ)の禄(ろく)を食(は)みながら、いまが末世とは何事だ。泰平の世でないとは、なんたる言か。その舌を抜かれるなよ」
これには楊志もハッと答えに詰った。
日ごろ、胸にあるものは、何かの弾(はず)みには、我れともなく、つい口に出るものではある。――と、悔いられたが、もう追いつかない。せっかく、蔡(さい)大臣の生辰綱(しようしんこう)輸送の大役を果たしえても、後日、謝(しや)の口からそんな讒訴(ざんそ)を堂上(どうじよう)の耳に入れられたらすべては水の泡だろう。――しまった、と臍(ほぞ)を噛んだ容子(ようす)が、突嗟(とつさ)だったが、楊志の面(おもて)をやや弱いものにした。
――すると。
彼の眼惑(めまど)いに、ふと鳥影のようなものが、遠くを過(よ)ぎッた。すぐ先の、松林の蔭にである。
「あっ? うさんな男が」
楊志は不意に、そこへ向って、こう叫んだ。
謝(しや)との問答で、後味わるくきめつけられた破目も、一切のその場の感情も、この一ト声で、消し飛んだ形だった。――楊志にとっては、いい機(しお)であったのかもわからない。何を見たのか、途端に、彼の姿はぱッと迅い足を見せて、彼方の松林のうちへ隠れこんだ一個の男の影を追ッかけていた。
松と松との木(こ)の間(ま)を、野兎(やと)のごとく逃げ走ッていった男の影は見失ったが、その代りに、楊志は、思いがけない一トかたまりの旅(たび)商人(あきんど)の仲間に出会った。
彼らは、松林の涼やかな平地に陣どッて、桶(おけ)を載せた七輛(りよう)の江州車(こうしゆうぐるま)(手押し車)をあちこちに停め、老若七人、胡坐(あぐら)やら、寝転(ねまろ)びやら、また木の根や車の梶(かじ)に腰かけている者など、思い思いな恰好だった。そして何か戯(ざ)れ口(ぐち)おもしろ気に、この日盛りの汗を拭きあっているものらしい。
「やッ?」
彼らは一せいに跳ね起きた。楊志(ようし)の姿に、びッくりしたもののようである。
「何者だっ、きさまらは?」
馳け寄りざま、楊志が問うと、
「だれだい? お前さんこそ」
と、先も鸚鵡(おうむ)返しにいう。
「いやさ、きさまらは、どこのどいつかと訊いておるんだ」
「ふん。こちらも、お前さんはどこの馬の骨かと訊いてるんだよ。ははん……黄泥岡(こうでいこう)によく出ると聞いたがその悪者か」
「ふざけるな。きさまらこそ、それではないのか」
「えらい者(も)ンに買いかぶられたなあ。あいにくこっちは、若いのや老いぼれやらの、しがない小(こ)商人(あきんど)だ。ところで、お前さんの方は?」
「わしもじつは開封(かいほう)の商人だ。胡北(こほく)で仕入れた毛皮などの商品を、強力(ごうりき)に担(にな)わせて、都へ行く途中だが、この附近は物騒と聞いて来た折も折、いま松林の蔭から、へんな男が、うさんな眼つきで、わし達を窺(うかが)っていたので、さてはと、追ッかけて来たわけだが」
「はははは」
「アハハハハ」
七人は、どよめき笑って、
「そいつア、とんだ鼬(いたち)ごッこだ。こっちも、ここで涼ンでると北の方の麓(ふもと)から物凄い野郎ばかりが十六、七人も、何か担いでやってくるというわけさ。さあ大変だ、黄泥岡(こうでいこう)の名物がおいでなすッたぜと、胆(きも)を冷やして、仲間の一人が、まず様子を探りにいったわけだ。……ところがよ、どうも、悪者でもなさそうだというんで、なアンだとばかり、涼み直していたわけさ」
「ふウむ」と、楊志もつい釣り込まれて、ニヤつきながら、
「じゃあ、お互いは、商人同士だったわけだな。まアまアそいつは倖せだった。して、おぬしたちは、何商売か」
「この桶をごらんなせい」
「あ。棗漬(なつめづけ)だね。棗(なつめ)商人(あきんど)かい」
「田舎(いなか)じゃあ、珍しくもねえが、都へ持ち出すと通(つう)がッた呑み助が、酒のお肴(つまみ)には、これに限るなんていうものでね、仲間七人、申し合せて、濠州から出てきたんだが、イヤこの暑さじゃ、桶の棗(なつめ)も茹(うだ)りそうだ。おたがい金儲けは楽じゃあないね」
「まったくだ。金がかたきの何とかさ」
「どうです旦那、お好きなら、ちょぴり棗をあげやしょうか」
「いや、いらん。せっかくだが」
楊志はニガ笑いを見せながら、もとの自分たち仲間の屯(たむろ)のほうへ戻ってきた。
謝(しや)執事は、彼の姿を見ると、すぐ皮肉った。
「楊(よう)輸送使。――ご自慢の刀の斬れ味はどうでしたな」
「いや、賊かと思ったら、なんのこッた、つまらん小商人の仲間だった」
「へえ。あんたの口癖から推(お)すと、この界隈(かいわい)には真(ま)人間(にんげん)は現われないはずなんだが」
「そうチクチク苛(いじ)めッこはなしにしましょう。老人は執念ぶかいなあ」
「何さ何さ。それでこそ、われわれも先ず祝着(しゆうちやく)と申すもの。どうじゃな。わしはつい食べ残しの弁当を解(と)いてしまった。あんたも、どうせのことに、一ト涼みなさらんか」
「ままよ、きょうは雨に逢ったとしてしまえ。おうい、一同も休め、休んでよろしい」
これは少々楊志(ようし)としてはまずかった。てれ隠しの気味がある。すでに兵どもは謝(しや)執事との狎(な)れ合いで勝手休みをきめこんでいたのだから、楊志のムチもついに衆の結束と横着には、負けの恰好というしかなかった。
さらにまた、折も折だったといってよい。どこからか、田舎(いなか)唄(うた)が聞えてきた。男の声である。ひょイ、ひょイ、ひょイ……と唄の節には、担(にな)い腰の足拍子が巧くのっていた。兵たちは皆、後ろの坂道を振り向いた。一人の男が、桶をかついで来るのが見える。……ぷうんと、焼酎(しようちゆう)の匂いが彼らの鼻をついた。
「おッと、待ちなよ」
つい出てしまった言葉である。
男は、荷を下ろした。
「へい、なにか御用ですかい」
「焼酎(しようちゆう)らしいなあ、そいつは」
「お察しどおりで」
「どこへ持っていくんだい」
「山向うの村へね、あさっては、そこの夏祭でさ」
「売れないのか」
「売り物なりゃこそ担(かつ)いでいくんで。へい。値段によっちゃあ差上げますよ」
「いくらだ、一桶(ひとおけ)」
「五貫とお負けしておきましょう。ここはまだ半道だから、足賃なしに」
兵たちはコソコソ首を集めあった。鼻のさきに餌(え)を置かれた餓鬼(がき)の眼つきといった形である。喉(のど)が鳴る。鼻がピクつく。とうとう小銭(こぜに)の音をさせ始めた。懐中(ふところ)を合せて、買おうという相談になったらしい。
さっきから、じろと睨んでいた楊志は、いきなり山刀を鞘(さや)ぐるみ腰から抜いて、ずかずかと立っていき、刀の鐺(こじり)で、桶を叩いた。
「こら、きさまらは、これを買う気か。――買って呑む気か」
「銭(ぜに)はわしたちのものですぜ」
「金はともかく、誰のゆるしを得たというのだ。ツケあがるな、こいつら」
「ツケあがるわけじゃありませんが、旦那も人間なら、お察しなすっておくんなさい。もう意地にも我慢にも……。これを見て飲まねえじゃあ、妄念(もうねん)が残って、腰も上がりませんや」
「ふざけるな、がつがつと、哀れな餓鬼声(がきごえ)を出しゃがって、よく耳の穴をほじッて聞けよ。道中売りの酒なぞは、ただの旅でも、滅多に意地汚ねえ涎(よだれ)など垂らすものではないわ。そんな浅ましい欲心のために、まんまと、しびれ薬で根こそぎ懐中(ふところ)を抜かれたなどの例が、どれほど多いか、知らぬのか。心得のない奴らだ」
すると、叱られた兵よりは、酒売りの男の方が、きッと、眼にカドを立てた容子(ようす)だった。ふン……と鼻先で冷笑を見せたと思うと、すぐ担荷(にない)の天秤(てんびん)へその肩を入れかけていた。
「おい、邪魔だよ、桶のそばを退(ど)いてくんなよ。くそおもしろくもねえ! この炎天に、しびれ薬を売りにいく粋狂(すいきよう)がどこにあるッてんだ、ばかばかしい」
“生辰綱(しようしんこう)の智恵取(ちえど)り”のこと。並びに、楊志(ようし)、死の谷を覗(のぞ)く事
酒売りの捨て科白(ぜりふ)は、もとより楊志(ようし)への面(つら)アテだったが、兵たちの妄念(もうねん)を、一そう煽(あお)り立てたふうでもあった。
「待てよ。おい。せっかく銭(ぜに)を集めたのに」
「いやだ、いやだ。もう売らねえよ。あばよ」
「ま、そう怒らねえでもいいじゃねえか。ああ言っても、おれたちの宰領(さいりよう)は、とんだ話のわかる人で、人情もろいところもあるのさ」
「勝手にしやがれ。人の売り物にケチをつけやがって、話のわかるお人かい。これが市(いち)や村でのことなら、ただはおかねえところだぞ」
よほど腹が立ったらしい。次第に威猛高(いたけだか)となっていた。――と、彼方の松林の蔭から、さっきの棗(なつめ)商人(あきんど)の連中が、どやどやと馳けよってきた。そして口々に、
「なんだ、なんだ?」
と、いう弥次声(やじごえ)。事こそあれと、どの眼も、好奇心みたいなものにかがやいている。
「おッと、あぶねえ。なにを怒ったんだよ酒屋さん。まア桶を下へおきねえな」
「おう、ゆうべ麓(ふもと)でお泊ンなすった商人(あきんど)衆(しゆう)でございますね。まあ、聞いておくんなさい。癪(しやく)にさわるのなんのって」
「ほう。この衆たちとの口喧嘩かい、おれたちはまたあっちで聞いて、そら、今度こそ、ほんものの泥棒が出やがッたかと思ってさ、びっくりして飛んできたんだ。……が、口喧嘩ぐらいなら、よかったよ。よしねえ、よしねえ、喧嘩なんざあ」
「仰っしゃるまでもありませんや。誰もいさかいなぞしたかねえが、あんまり人を舐(な)めたことを言やがるんで、つい業腹(ごうはら)が喚(わめ)いたんですよ。……人の売り物に、しびれ薬が入れてあるなんて吐(ぬ)かしゃあがるんで」
「誰がよ、誰がそんな、べら棒な因縁をつけたのさ」
「そこにシャチこ張っている、青唐辛子(あおとうがらし)みてえな人相の旦那ですよ。親代々の正直酒屋で通っているあっしだが、こんなに気の腐ッた日はないね」
「いいじゃねえか、もう止せよ。そうムキにならなくっても、相手は黙ってしまったんだから、多分、言い過ぎだったと、腹じゃあ後悔していなさるに違えねえよ。……それよりは、ちょうど俺たちも、喉(のど)がひッついていたところだ、みんなに一杯ずつ飲ましてくれ」
「お断りだよ、まッぴらだ」
「なぜさ。おめえもまた、因業(いんごう)だな。無料(た だ)で飲ませろッていうんじゃねえぜ」
「そんなことアわかッてら。でも元々、こんなところで商(あきない)はしなくても、親からのお花客(とくい)に、事は欠かねえ酒売りだよ。ばかにしてやがる」
「冗談いうなよ。なにも俺たちがケチをつけたわけじゃねえぜ。おめえもよほど、おかしな男だ。さ、機嫌直しに売ってくれ。酒売りなんてえ商売は、気合いものだろうじゃねえか」
「お前さん方から、機嫌を直せなんていわれると、おらはまた、馬鹿者だから、つい差上げたくもなってくるがね。だが、あいにく、器(うつわ)がないや」
「よしきた。器(うつわ)なら、あっちにある」
棗(なつめ)商人の仲間の二人が、車のほうへ馳けていった。持ってきたのは、二ツの椰子(やし)の実の椀(わん)であった。一人は両の掌(て)のひらに、お手のものの棗漬(なつめづけ)をいっぱい盛ってきた。
それを、桶のふたの上へ開けて、
「ほい、肴(さかな)はここだよ」
七人は、酒桶を取り囲んだ。かわるがわるに椰子椀(やしわん)に焼酎(しようちゆう)を汲みあげ、さも美味(う ま)そうに飲みはじめる。そしては棗(なつめ)をポリポリつまむ。たちまち、一ト桶の焼酎は底になってしまった。
「ああ、こたえられねえ。こんな山路で思いがけなくぶつかッたせいか、甘露とも何とも言いようがねえな。暑さもすッかり忘れたぜ」
「やいやい。機嫌ばかりよくしやがって、焼酎の値段もまだ訊いていねえじゃねえか。酒屋さん、一ト桶干(ほ)したよ、いくらだい」
「一荷(か)十貫さ。片桶だから五貫だよ」
「よしきた。そら五貫文」
一人が銭(ぜに)を渡していると、べつの一人が、
「――もう一ト椀(わん)、負けときな」
と、片荷の桶の蓋(ふた)を取って、すばやく中へ椀を突っ込み、一ト口がぶと飲みかけた。ひょいと、振り向いた酒売りは、
「あっ、いけねえッたら!」
まだ半分残っている椀の酒を、いきなり、引ッたくろうとする。ところが、椀を持った小商人は、くるッと、巧く身を外(はず)し、そのまま松林のうちへ逃げこんで行った。それをまた、酒売り男も、片意地らしく、
「畜生ッ」
とばかり、追っかけていったものである。すると、後に残っていた連中はまた、その隙をいいことにして、これまた、も一つの椰子椀(やしわん)で、明(あ)き巣の桶にたかりだした。ふと、振り向いた酒売りは、さらに仰天した姿で、
「泥棒っ」
馳け戻るやいな、遮二無二(しやにむに)に、椀を奪(と)りあげた。そして、逃げる彼らの背へ向って、
「阿呆(あほう)。親切ごかしの、屁(へ)ッたくれ商人(あきんど)め。野たれ死にでもしてしまえ」
と悪たい吐(つ)いた。
さっきから見物していた兵たちは、笑いも出ずに、ただ生唾(なまつば)をのんでいた。食い物の恨みは元々深刻なもの。いわんや、焦(や)くがごとき暑熱に渇(かわ)いている鼻先で、舌つづみを打たれたのでは堪るまい。――しいんと、陰気な沈黙におちて、彼方に腰かけている楊志(ようし)の背を、いとも恨めしげに見ていたが、ついにもう我慢ならじと、声をそろえて、謝(しや)執事に訴えてきた。
「執事さん。ご恩にきますぜ。ひとつ、楊(よう)輸送使へお縋(すが)りなすっておくんなさいな。――これからもまだ、山坂ですし、峠まで行ったところで、飲み水などありッこはねえ。どうか、あの残りの片桶をわれわれどもが買って飲むことを、ゆるすと、いわせてくださいませんか。もう腹の虫がグウグウ鳴って、おさまりがつきません」
執事の謝(しや)も、内心、意欲はおなじものだった。しかし、おいそれとは、同調顔(どうちようがお)もできないので、いかにも、彼らの哀訴を持て余したかのごとく、歩(ほ)を楊志の前へ移してきた。そして、彼らの代弁にこれ努めた。厭(いや)なら、見て見ぬ振りしていてくれと、いわぬばかりな口吻(くちぶり)である。
「ちイ。なんてえ土根性(どこんじよう)だろう」
楊志は、にがりきったが、しかし、この老執事にも、兵どもにも、さっきの自分の失言を、行く先の都へ着いてから、尾ヒレを付けて吹聴(ふいちよう)されたりなどしたら始末がわるい。かたがた、これ以上の遺恨を含まれるのも、あとの道中に良策でないとは考えられる。
それもあったし、また、さいぜんから眺めていたところでは、二た桶の焼酎(しようちゆう)にも、怪しまれる点はなかった。で、不承不承(ふしようぶしよう)な面色だったが、
「……仕方がない。あんたまでが、そういうなら、今日かぎりのこととして、眼をつぶっていよう。その代り、渇(かつ)を癒(いや)したら、元気よく、ここを出発するように」
「や。ご承知くだされたか。さぞ兵どもも、雀躍(こおど)りすることでしょう。一同よろこべ。おゆるしがあったぞ、おゆるしが」
なんのことはない、老執事の謝(しや)自身が、雀躍りの態(てい)だった。兵と酒桶のあるところへ、舞い戻るなり、歓声を揚げていた。
「いやだ、いやだ。おめえらには、売りたくねえよ」
兵は歓声をわかしたが、酒売りはまた、ごねだした。
「こんな、おもしろくもねえ道草を食ってるよりは、村へ行って、祭りの衆に、よろこんでもらったほうが、よっぽど増しだ。さあさあ退(ど)いてくんな、退いてくんな。きょうはろくな日じゃねえようだ」
「まだ怒ッてるのかい。もう勘弁しなよ、謝(あやま)るからさ」
「うるさいよ。お前さん方に謝ってもらう筋はないんだ」
「依怙地(えこじ)だな、ひどく」
「ああ依怙地だよ。悪かったね」
「あれだ。……こんなに、銭(ぜに)を集めて、拝むように頼んでるのに、罪だぜ、このまま置いてきぼりは」
「離さねえのか。困ったな。ええい、もう、そんなに飲みたけれやあ、勝手にさらせ」
「そうはいかないよ、銭(ぜに)五貫、それ、ここへおくぜ」
「五貫じゃないよ」
「えっ、値上げか」
「ばかにするない。残りの桶は、さっきの棗(なつめ)商人(あきんど)が、幾椀(わん)か手込めにして、飲んだらしいから、減(へ)った分だけ、値引きするしかしようがないじゃないか。四貫でいいよ。一貫文だけ銭を引ッ込めなよ」
「なるほど、正直もンだな、おめえさんは。いや見上げたよ」
近くに転がッていた椰子椀(やしわん)を拾って、兵たちはさあ順番だと、桶のぐるりに真剣な顔を集めた。
――舌つづみが鳴る。喉(のど)がキュッという。礼讃、嘆声、随喜(ずいき)のよだれ。まさに亡者(もうじや)に囲まれた天泉の図であった。
「やい、やい。先のやつは、もういい加減にしろ。執事さまをお後(あと)に廻しておくやつがあるもんか」
「ほい、こいつは、どうも……さあ、執事さまも一杯おやんなすって」
「いかさま、これはよい焼酎(しようちゆう)だな。むむ美味(う ま)い。楊(よう)輸送使にも、一椀すすめてみよう」
しかし、楊志はいッかな飲もうとはしなかった。もともと、彼はそう飲み手ではない。だが、喉の渇(かわ)きは、彼とて同じだった。そこでつい、もう桶も空(から)となりかけたころとなって、
「ひと口、飲(や)るか」
と、わずか半杯ほど飲んだ。
「ありがとう。……おかげで今日は、もとの麓(ふもと)へ舞い戻りとござアい。はははは。じゃあ、皆さん、ごきげんよう」
酒売りの男は、愛想をいうと、空桶担(からおけにな)って、もと来た坂道の方へ、すたすたと、足早に立去ってしまった。
このとき、やや離れた松林の一端には、さきの棗(なつめ)商人(あきんど)七名の顔が、まさに眼(め)じろぎもせぬ七体の石像みたいに、じっと、こっちを見すましていたのである。
――と、遥か坂下の方で、もう姿の見えぬ酒売りの男の田舎(いなか)唄(うた)が聞えていた。それが合図だったのだろう。とつぜん、七人は爆笑の声もひとつに手を打ち叩いた。
「どんなもんです! この首尾のよさ」
「さすが今孔明(いまこうめい)の智多星呉用(ちたせいごよう)先生だ、先生が書いた筋書どおりよ」
「ざまアみろ、悪官府の召使いどもめ」
「くたばれ、くたばれ。心おきなく」
「どりゃ、さっそく、お仕込みに、とりかかろうぜ」
たちまちに見る七名の影は、松林の下蔭(したかげ)から、それぞれが江州車(こうしゆうぐるま)(手押し車)の七輛を押し出し、なんの憚(はばか)りもなく、楊志(ようし)、執事以下、十七名の者が、現にいるところへ、どやどやと寄ってきた。
そしてすばやく、車の上の棗漬(なつめづけ)をみな谷底へぶち撒(ま)けだした。そして、それへ代るに、さきに強力(ごうりき)の兵が、地へ下ろして並べておいた十一箇の行嚢(こうのう)を、一台に二箇、或いは三箇と積んでしまい、すっぽりと布覆(おおい)をかぶせるやいな、
「さあ、すんだ。あとは野となれ」
「あとは烏と野獣のお供えもの」
「おさらば、おさらば!」
まるで凱歌の調子である。そのはず、梁中書(りようちゆうしよ)夫妻から蔡(さい)大臣へ贈らるべき金銀珠玉は、ここに道をかえてしまったのだ。それにしても、江州車七輛の布覆(おおい)の下、十万貫の宝財は、そもどこへ運び去られていくのだろうか。
「あ? ……あ……。ああ」
楊志(ようし)は、みすみすそれを、眼に見ていた。しかも、どうにもならないのである。どぼんと、頭は空(から)ッぽの音がする。眼にはそれを知っても、視覚神経は、脳髄(のうずい)までも届いてゆかない。爪は、草の根をつかんでいたが、その手の甲へ、ダラダラ涎(よだれ)が垂れるだけだった。腰は鉛の如く重く、満身に悪寒(さむけ)だけが、走り抜ける。口が歪(ゆが)む、声は声のみで言葉となって出てこない。
「執事は? 兵どもは?」
かすかに頭の泡ツブが思考する。
いちど、俯(う)ッ伏(ぷ)せた額(ひたい)をあげて、どろんとした眼で見廻した。
どれもこれも、干潟(ひがた)にのた打つ死魚の恰好だ。一人として、満足なざまはない。「ああ! ああ!」と、ときどき、唖(おし)のような奇声と奇異な身うごきが四辺(あたり)を埋めているきりだった。
「む、むねん……」
空(くう)をつかんで、楊志は起(た)ったが、とたんに、どたと仆れてしまった。昏々(こんこん)として、それ以後は意識の欠(か)けらも彼になかった。――かくて一刻(ひととき)やら二(ふ)た刻(とき)やら、ふたたび、ふと我れにかえったときは、太行山脈の一角に、七月二日の月が、魔の牙(きば)とも見える冴(さ)えを研(と)いでいた。
かの七人の棗(なつめ)商人(あきんど)は、そも何者の化身(けしん)だったのか。もう、ここで説くまでもあるまいが、一応いっておくなれば、それなん別人に非ずである。――東渓村の晁蓋(ちようがい)、居候(いそうろう)の赤髪鬼劉唐(りゆうとう)、同村の呉用先生および、その呉先生が一味に引き入れた石碣村(せつかそん)の江の漁夫、阮(げん)の三兄弟とかの公孫勝(こうそんしよう)の一清(いつせい)、以上あわせての七人にほかならない。
いや、もう一人、番外の加盟者があった。
これがなかなかの役者だった。すなわち、酒売り男に扮(ふん)して好演技を見せた男で、この黄泥岡(こうでいこう)の近村に住む白日鼠(はくじつそ)の白勝(はくしよう)という遊び人なのである。日頃、晁蓋(ちようがい)に目をかけられていた縁から、一味の足溜(あしだま)りとして、白日鼠の家が選ばれ、彼も一ト役買ってでたというわけ。
そこで、次には。――麻痺(しびれ)薬(ぐすり)の使われた手順だが、これがまた、すこぶる手のこんだ筋書だった。
事の初め、まず七人が、一つの桶を、空にした。そして、銭を払った。
その隙に、べつの、も一ツの桶のフタを開け、無断で椀(わん)に半分飲んだのが、赤髪鬼の劉唐(りゆうとう)だ。
劉唐が逃げる、酒売りの役の白日鼠が追ッかける。
その留守に、
残る組が、また無断で、あとの桶の分を、争ッて飲みかける。或いは、飲んでみせる。
酒屋の白日鼠、仰天して戻るやいな、絡(から)み合いの争いと見せ、それを潜(くぐ)って、呉用先生が、すばやく、麻痺(しびれ)薬(ぐすり)を椀に入れ、その手で、桶の酒を汲もうとする。――この瞬間、手品のごとく、毒はすでに桶じゅうの酒に、掻き廻されていたものだった。
あとは、同勢わッと逃げる。奪った椀を、酒屋が投げつけて罵(ののし)り散らす。これで計略の筋は終っていたもので、後世、名づけてこの一場(じよう)の劇を“生辰綱(しようしんこう)の智恵取(ちえど)り”といったものだった。
× ×
「おや? ……。おれは?」
ふと我れに返り、自分の姿を見廻した青面獣楊志(ようし)は、二日月の影を、凄い空に仰いで、
「そうだった。計(はか)られたのだ。計られじ、計られじ、と思いつつ、ついに俺も、不覚な罠(わな)に」
慚愧(ざんき)にたえぬもののように、両の手は、髪の根をつかんでいた。潸然(さんぜん)として、無念の涙が頬をくだる。
「なんで生きて北京(ほつけい)へ帰れよう。さらばとて、都にはなお容(い)れられぬ身、そうだ、断崖から谷へ身を投げ、黄泥岡(こうでいこう)の鬼となって、世々の旅人に、こんな馬鹿者があったと、語り草になるのが、せめてもの身の始末。それしか、とるべき道はない」
蹌踉(そうろう)と、彼は、鬼影(きえい)を曳いて歩きだした。
ほか十六名の影は、寂(せき)として、まだ地に伏したままである。彼が、いちはやく、気を取りもどし得たのは、あの毒酒を、彼のみは、椀(わん)の半分ほどしか飲んでいなかったためだろう。――が、それも今や、死の岩頭に立った身には、何の僥倖(ぎようこう)と思われるはずもない。
「生れて、三十余年。これで死ぬのか。いったい何しに、生れてきたのか」
死の谷を見おろした刹那、楊志の胸には、過去三十年の自身の絵巻が、いなずまの如く振返られた。
父母の面影が映る。弟妹(ていまい)の声が聞える。武芸の師、読書の師、およそ、この身を育(はぐく)んでくれた天地間のもの、ありとあらゆる生命の補助者が、ひしと、彼の袂(たもと)をつかまえて、「なぜ、死ぬのか」「死は易(やす)いが、生は再びないぞ」と、引き留めているような気がした。
「ああ、恐(こわ)い。意味のない死は、こんなに恐いものか。やはり俺は死にたくないのだ。意味を見つけたいのだ、死の意味か、生の意味かを」
彼は急に、岩頭から後ろへ跳んだ。死神の口から遁(のが)れたように、以前のところへ戻ってみると、そこには醜い十六個の影が、まだ眼を白黒させたり口ばたに泡を吹いている。
「ばッ、ばか野郎っ」
満身の声が、ひとりでに衝(つ)いて出た。すると急に、気がからッとしてきて、
「ようし、おれは死なんぞ。こんなやつらと心中してたまるものかい。そんな安ッぽい一命じゃなかったはずだ。後日、今日の匪賊(ひぞく)どもを捕えるのも一使命だし、あとの命は、どう使うか。そいつも、生きてからの先の勝負だ」
ふと気づけば、あたまに失(な)くなっていた自分の一剣が地におちていた。拾い上げて、腰に横たえ、空を仰ぐと、夜鳥(よどり)の一群が、斜めに落ちていくのが見える。その方向を天意が示す占(うらない)と見て、楊志は、何処(いずこ)の地へ出る道とも知らず、やがてよろよろ麓(ふもと)の方へ降りていった。
その夜も、かなり更(ふ)けてから、
黄泥岡(こうでいこう)の一端では、ようやく、執事だの強力(ごうりき)の兵どもも、夜露の冷気に甦(よみがえ)って、ごそごそ這い起き、
「さあ、どうしよう?」
と、今さらな不覚を喞(かこ)ちあっていた。
「楊(よう)は、逃げたな」
執事の謝(しや)は、身の不始末を棚に上げ、何よりそれを罵(ののし)った。
「いま思うと、あいつは薄々、毒酒を感づいていたのかも知れんぞ。いやいや、なんでもかでも、この場のことは、そういうことにしてしまおう。よいか者ども」
「こち徒(と)の落度にゃなりませんかね」
「有ていにいったら、みんな首だ。だから先(せん)を越して、夜明け次第に、まずこの地方の役署へ訴えを出しておく。よろしいか」
「へい、どんなふうに」
「なにもかも、楊志(ようし)の仕業と、彼奴(きやつ)におっかぶせてしまうのだ。黄泥岡(こうでいこう)の匪賊(ひぞく)と気脈を通じ、ことば巧みに、われわれどもへ毒酒を飲ませ、あげくの果て生辰綱(しようしんこう)の宝はみな、横奪(よこど)りして、消え失せましてござりますと。わかったろうな。どこで調べられても、口を合せて、押し通すのだぞ」
「わかりました。野郎には、遺恨骨髄(こつずい)、どうでも、そういうことにいたしましょう」
「お前らは、生き証人、場合によっては、当地の役署に残されるかもしれん。しかし、わしは夜を日についで、北京府(ほつけいふ)に立ち帰り、かよう云々(しかじか)と、梁中書(りようちゆうしよ)閣下にお告げする。当然、烈火のお憤(いか)りは知れたこと。ただちに、閣下から都の蔡(さい)大臣へ、お飛脚は飛ぶし、また済州(さいしゆう)奉行所へも、賊徒逮捕(たいほ)の厳令が下ッてくるに相違ない」
――ところで、一方の楊志はどうしたか。彼は自分の去った後において、こんな腹黒い相談が成っていたとは、夢にも知らない。
半ばまだ、ぼうとして、その夜は、どこをどう歩いたやら――。しかし、夜が明けてみれば、彼は黄泥岡(こうでいこう)を南へ降り、さらに道を南へと、あてどもなく歩いていた。
「さアて。しまった」
いったんは死ぬ気であったため、官の路銀、関手形(せきてがた)、送り状、それらの一ト包みも、抛(なげう)ったまま、身には一銭も持っていなかった。
「生きていれば、腹が減(へ)るものと、いま気がつくなんざ、滑稽だな。ま、どうにかなるだろう。乞食まではしなくても」
部落へかかった。いよいよ腹の虫が泣きせびる。で、盲目的に、
「ごめんよ」
とばかり、つい入ってしまったのだった。よくある田舎の飲屋である。愛相(あいそ)のいい女が出て来て註文を訊く。
肉を炒(や)かせ、飯をあつらえた。小酒屋へ入って、飲まないのも悪いと考えてか、その間に、
「酒も少し……」
と、飲めるような顔でいった。女は世話女房ふうの女だが酌(しやく)の仕方は馴れている。
飲めぬ口なので、青面獣(せいめんじゆう)が炎面獣(えんめんじゆう)のような火照(ほて)りになりだした。肉を食い、飯をつめこみ、やおら野太刀を持ち直して腰をあげた。いささか、夜来の自失を取りもどし、足どり、眼づかい、ようやく本来の彼に立ち返っていた。
「あら、お客さん。お忘れじゃあ、困りますよ」
「なに。なにがよ」
「お勘定を、どうぞ」
「なるほど。そうだったな」
「ご冗談を」
「じつは、文(もん)無しだ。だが、おれも男だ、きっといつか来て払うよ」
「とんでもない、旅の人なぞに」
楊志(ようし)は、耳もかさない。女は叫ぶ。そして、しつこく、どこまでもと、追いすがって来る姿を、
「うるさい」
と、一ト睨みに、ねめすえて、また、
「はははは」と、大声で独り笑った。
「おばさん、おばさん。この男一匹を、そうみじめに追い詰めるなよ。これでも、もとはしかるべき家柄に生まれ、ちょっぴり肩書などもあった者だよ。いまにきっと返しにくるから、今日のとこは、貸しておきなよ」
すると、女の背後から、
「ふざけるな。うぬは、食い逃げの常習だろう。おおいっ、みんな来て、この浮浪人を、叩きのめせ」
と、若い男の声がした。
これが女の亭主かもしれない。刺叉(さすまた)を持って、火事場へでも出てきたような威勢である。彼の声に応じて、近隣の朋輩だの百姓だの、いずれも得物(えもの)を持ったのが、たちまち、楊志の前後をおっとり囲んで、口ぎたない罵声(ばせい)を浴びせかけた。
「おやおや。たいそう集まったぞ」
楊志の酔眼は、辺りを見て、事の大げさな展開に、われながら、あきれ顔だった。
「一杯の朝飯が、えらい騒ぎになったもんだな。これもまた、生きていく勘定のうちに、つい入れ忘れていたようだ。どれ、こうなったら仕方がない。体で勘定をつけてもらおうか」
二侠(きよう)、二龍山下(にりゆうさんか)に出会い、その後の花和尚魯智深(かおしようろちしん)がこと
「あっ、待て待て。――みんな後ろへ退(の)いていろ」
女の亭主らしい男は、なに思ったか、急に大勢の村人(むらびと)をこう制して、相手の風態(ふうてい)を、足の先から天(て)っぺんまで見直して言った。
「おい、食い逃げの大将。――どこかでおめえは見たことがある気がするな」
「おう、名のってもいいが」
「聞こうじゃねえか」
「名は騙(かた)ったことのねえ人間だ。あからさまにいうから聞け。青面獣(せいめんじゆう)の楊志(ようし)という者だ」
「えっ、青面獣だって」
「おおさ、なんで急に変な面(つら)をするのか」
「……と、仰っしゃるなら、もしや以前は、開封東京(かいほうとうけい)の殿帥府(でんすいふ)にお勤めの」
「そうよ。その楊制使(ようせいし)のなれの果てさ」
「やっ、こ、これはどうも……」と、男は手の刺叉(さすまた)も抛(ほう)り出して「知らぬことじゃあございましたが、なんとも、とんだご無礼をいたしました」
「おや、おや。変な風向きになったな」
と、楊志も古い以前の身素姓(みすじよう)までいわれては、ちょっと赤面を覚えたのだろう。自然その真面目(しんめんもく)を見せずにいられなかった。
「して、そういうお前さんは?」
「てまえも、じつあ開封(かいほう)の町家の生まれで、親代々の肉問屋のせがれ、曹正(そうせい)という者でございます」
「そうかい。道理で田舎(いなか)者(もの)にしちゃあ、歯切れのいい啖呵(たんか)をきりなさるがと思ったよ」
「いやお恥かしゅう存じます。都にいたころは、近衛軍(このえぐん)のご師範、林冲(りんちゆう)先生に弟子入りしてちょっぴり棒術の真似(まね)ごとなどして、人さまから“操刀鬼(そうとうき)の曹正(そうせい)”なんて綽名(あだな)され、いい気になっておりましたンでね。……その後、おやじに代って山東へ商用に下り、資本(もとで)をつかいはたして、つい極道(ごくどう)へすべりこみ、今じゃあこんな百姓居酒屋の亭主。今あなたへ食ってかかったのが、つまりてまえの女房なんで」
「おや、そうだったのか。そいつアなんとも悪かったな」
「ともかく、手前どもまでお引っ返しくださいませんか。このままじゃ女房にしても、後味が悪くっていけませんや」
曹正とその妻とが、楊志を誘って、わが家の居酒屋へ入ってしまったので、騒ぎに集まった近隣の者も、やがて何処(いずこ)ともなく潜(ひそ)んでしまった。
はからずも、楊志は、曹正(そうせい)夫婦の世話になって、つい数日を、村酒屋の一間(ひとま)で過ごした。で、その間に、彼が黄泥岡(こうでいこう)で遭(あ)った一代の大難をも、そして今は世に身のおき場もない窮地にあることなども、一切打ち明けていたのもいうまではあるまい。
「……ああ、そうでしたか。いや、値十万貫もする“生辰綱”(たんじよういわい)なんてものを、このガツガツと飢えている世に、北京(ほつけい)から都まで、無事に送ろうなどという目企(もくろ)みからして、自体無理なはなしでござんすよ。まア、ご心配なさいますな、どんなことをしても、夫婦でお匿(かくま)い申しますから、当分はまあ、ここでご養生でもなすっておいでなさいまし」
「ありがとう。だが、賊に奪われた落度は落度だし、北京の梁中書(りようちゆうしよ)も、都の蔡(さい)大臣も、或いは、この楊志に、もっと悪い嫌疑をかけているかもしれん。なにしろ、天下のお尋ね者だ。――そのお尋ね者を匿(かくま)ッたといわれて、お宅へ禍いをかけては申しわけがない」
「ま。そんなご遠慮はなさらないで」
「いやいや、恩をアダで返したら、男が立たぬ。明日にでも、お別れしよう」
「といって、どこか行くあてがおありですか」
「こんな時にゃあ、あの梁山泊(りようざんぱく)が思い出されるがなあ」
「あそこなら、林冲(りんちゆう)先生もおいでになるとか」
「ところが、イヤな奴が一匹いる。王倫(おうりん)という頭領(とうりよう)だ。小心者で邪推ぶかくて、ちとばかりな学識などをひけらかす野郎でな。どうも、そいつが気に食わんのだ」
「じゃあ、梁山泊を小(ち)っちゃくしたようなもんですが、二龍山の宝珠寺(ほうじゆじ)へ行ってみませんか」
「ふウむ、そんな恰好な隠れ家(が)があるのか」
「そこにも、三、四百人は立て籠(こも)っておりましょう。山は青州(せいしゆう)の南です。頭(かしら)の名を、金眼虎(きんがんこ)の龍(とうりゆう)といいますがね」
楊志(ようし)は、よろこんだ。――すでに黄泥岡(こうでいこう)で仮死状態にまで陥(お)ちた毒も体から一掃されていた容子(ようす)である。次の日、夫婦が情けの旅装(たびよそお)いに、少々の路銀までもらって、青州へさして立っていった。
かくて、旅路の彼は、ほどなく一座の群を抜いた山を、青州の空の一角に仰いだ。「……これが、音に聞く二龍山だナ」と、さらに麓(ふもと)へ迫り、その夕べ、どこか一夜の寝場所はないかと、吹き渡る松風の中を、あちこち歩き廻っていた。
すると、とある松の根がたから、突然、
「気をつけろッ。盲(めくら)か、きさまは」
と、彼の背へ、どなりつけた者がある。
「おや、人間でもいたのか」
と、楊志は振り向いた。
見ると、むっくり起き上がった酒臭い大坊主が、いま楊志の足が、ふと躓(つまず)いたらしい錫杖(しやくじよう)を拾い上げて大地にそれを突っ立てていた。
「やい、きりぎりす。なんとかいえ」
「なにっ」
「えらそうに、野太刀なぞ横たえやがって、なんで、いい気持でわが輩(はい)が寝ているところを、この大事な禅杖(ぜんじよう)を足蹴(あしげ)にしながら澄ましていくか」
「枯れ木でも踏んだのかと思ったら、坊主の禅杖だったのか。天下の大道に、寝ている馬鹿もねえもんだ」
「ふざけるな。ここは二龍山の木戸の下、めッたな人間が通る場所じゃない。あやまれ」
「あいにく、頭を下げるのは、大ッ嫌いな性分だ。ははん、この乞食坊主、難クセつけて、端(はし)た金(がね)でもセビろうっていうんだな」
「ほざいたな。乞食坊主かどうか、この錫杖(しやくじよう)を食らってみろ」
とたんに、一颯(いつさつ)の風が楊志のいるところをびゅっと通り抜けた。――もし寸前に身を跳び開いていなかったら、楊志の形はもうなかったにちがいない。
「――あッ」
と、楊志(ようし)も腰の野太刀を噴射するように抜き払っていた。そしてすぐもう一度、
「……あっ?」と、驚きをあらたにしていた。
相手の大坊主が、せつなに、法衣(ころも)の諸肌(もろはだ)を脱ぎ、その肌一面の花の如き刺青(いれずみ)が、ばっと眼に映ったからだった。
「やあ、花和尚(かおしよう)。鉄杖を引け」
「怯(ひる)んだか、腰抜け」
「そう毒づくなよ。まんざら、縁のない仲でもなかった」
「巧く言やがる。どこのどいつだ」
「おれもおぬしも、ともに開封東京(かいほうとうけい)にいた者同士よ。まずこの面(つら)の金印(きんいん)(額の刺青)を見てくれ。高(こうきゆう)一味の悪官僚のため、むじつの罪に貶(おと)されて、北京(ほつけい)の卒(そつ)に追いやられた楊志という者」
「じゃあなにか。都の天漢州(てんかんしゆう)橋(きよう)へ、伝家の名刀を売りに立ち、あの雑閙(ざつとう)中で絡(から)んできた無頼漢(ならずもの)の牛二(ぎゆうじ)を、一刀両断にやッてのけた、当時評判だった、青面獣(せいめんじゆう)の楊志というのは」
「お。かくいう拙者だ。――そのころ、おぬしは郊外の大相国寺(だいそうこくじ)で、野菜畑の番人を勤めていた花和尚魯智深(ろちしん)であろうがの」
「や、や。こいつア思いがけない出会いだ。どうして、わが輩をご存知か」
「その刺青(ほりもの)は、都の名物と、三ツ児でさえも花和尚の名とともに知っていたもの。……その花和尚がどうしてまた、こんなところに」
「いや話せば長いことになる。……どうだ、そこまで歩いてくれないか。あれに見える馬頭観音(かんのん)の祠(ほこら)に酒がおいてある。一つ聞いてももらおうし、そっちの身の上も聞きたいし……」
魯智深は先に歩きだした。折もよし、楊志も今夜の塒(ねぐら)をさがしていたところ。夜もすがら、二人は祠(ほこら)の濡れ縁で語りあかした。
――以後の魯智深の境遇に、大変動がおこっていたのは、当然なはなし。
まず、彼から、そのいきさつを、こう語った。
さきに、兄弟の義を結んだ林冲(りんちゆう)が、あえなく滄州(そうしゆう)の大流刑地(るけいち)へ流されていったさい、彼が途中までついていって、護送の端公(たんこう)(獄卒)を、逆に召使いのごとくこき使い、ついに彼らが林冲を途中で殺そうとした目的を遂げさせなかった始末は、やがて都へ帰った端公の口から、輪に輪をかけて、高(こう)大臣へ讒訴(ざんそ)されていた。
で、たちどころに、「――花和尚(かおしよう)召捕れ」の令がくだり、大相国寺の菜園は、数百の捕手で囲まれた。
この晩の騒動たるや大変だった。一箇の魯智深を逮捕(たいほ)するのに、開封東京(とうけい)の王城下は震駭(しんがい)して、都民も寝られなかったほどである。しかも当の智深は、菜園小屋を焼き払い、大相国寺の大屋根を踏み渡り、街中へ隠れ、また暁のころ、城門の警戒線に現われて、あまたの兵隊を手玉にとり、あッというまに鼓楼(ころう)の甍(いらか)から城壁を跳び渡って、それきりどこかへ姿を没してしまった。
「――それからはまた、流浪の旅さ。より以前には、延安府(えんあんふ)で提轄(ていかつ)(憲兵)をつとめていたころ、ふと持ち前の腕力をふるッたのがもとで、五台山へ登って頭をまろめ、以後心を入れ代えますと、仏さまにも亡母にも誓ったけれど、どうもいけない。何がわが輩をこうさせるのか、元来、わが輩の持つ業悪(ごうあく)なのか。おとなしく飲んで眠って、太平楽に構えていようと思うのだが、何かが来ては、それを突ッつき起してしまうらしい」
魯智深(ろちしん)の述懐のあとで、楊志はいった。
「せっかく、まともに立ち返ろうとしている者を、突ッつき起す奴は、世の悪役人だ。いや、拙者の場合は、やや事情も違うが」
彼もまた、ここに至るまでの、逐一(ちくいち)を打明けて、二龍山を目あてに落ちてきたわけを話した。
「そいつは、偶然な一致だったな」
と、智深は手を打って、
「じつはわが輩も、二龍山の宝珠寺(ほうじゆじ)こそ、世を忍ぶにはもってこいな場所と考え、山寨(さんさい)の頭、龍(とうりゆう)に会わんものと、訪ねていった」
「じゃあもう、山寨にお住居(すまい)なので」
「ところが、龍(とうりゆう)のやつ、どうしても顔を見せん。ただ、麓(ふもと)で試合をしたうえ、おれに勝ったら、客分と敬(うや)まって、山寨へ迎えようと、手下に伝言させてきた。そこで、そいつを信じて降りて来たところが、卑怯にも、すぐ三つの砦門(とりでもん)を鎖(くさり)で戸閉(とざ)してしまい、うんともすんともいってこない。……ぜひなく村から酒を買ってきて、ここで待つこと今日で四日目というわけだ。しかしどうやらこの勝負は、まんまと、こっちが一ぱい騙(たばか)られたらしい」
「和尚は人がいい。口惜しくはないのか」
「なんとも業腹(ごうはら)さ。そこでだ、三つの砦門(とりでもん)を踏み潰(つぶ)してくれようかと、考えてみるが、こいつがまた、なんとも頑丈で、いくらわが輩にせよ、あんな関門とは取ッ組めん。また、取ッ組んでも馬鹿らしい」
「ならば、智をもって、乗っ取るしかありますまい。“生辰綱(しようしんこう)の智恵取(ちえど)り”を食った拙者が、そんなことをいうのはおかしいが」
「思案があるなら聞かして欲しいな。このままじゃ、この麓から引き退(さ)がれん」
「いや、ここは一度引き退がって、いま拙者が話した居酒屋の曹正(そうせい)の家まで戻ろう。二龍山を教えたのも曹正だから、彼に計(はか)れば何かいい智恵が出るかもしれない」
花和尚を連れて、楊志は数日の後、また村の居酒屋曹正の店へ帰ってきた。
「三人寄れば文殊(もんじゆ)の智恵」
その晩、鼎座(ていざ)の小酒盛りの果てに、どういう妙計が成り立ったか、三名は声を合せて笑っていた。
目明(めあか)し陣(じん)、五里霧中のこと。次いで、刑事頭何濤(けいじがしらかとう)の妻と弟の事
かつての名刹(めいさつ)、二龍山の宝珠寺(ほうじゆじ)も、いまは賊の殿堂と化して、千僧の諷誦(ふうしよう)や梵鐘(ぼんしよう)の声もなく、代りに、豹(ひよう)の皮をしいた榻(とう)の上に、赤鬼のごとき大男が昼寝していた。
「おや、なんだ! 遠くの人声は。――もしや砦門(とりでもん)のほうじゃねえか。やいっ、誰か見てこい」
眼をさまして、伽藍(がらん)の奥から階段の上へ出てきた龍(とうりゆう)は、虎のような口を開いて、そこらにいる手下の者へ、一ト声吠(ほ)えた。
「おうっ」
と五、六人が起ちかけると、下の道から賊の小頭(こがしら)と数名が登ってきて、
「おかしら、近郷の百姓どもが、こないだの大坊主をふン縛ッてまいりましたが、どうしたもんでございましょう」
と、階の下に並んで告げた。
「なんだと」――龍(とうりゆう)は、意外な顔して「――おかしいじゃねえか、いつぞやの大坊主といえば、五台山を騒がせ、大相国寺の菜園を荒らし、おまけに開封東京(かいほうとうけい)から姿をくらましたお尋ね者の花和尚魯智深(かおしようろちしん)だろう。……だからていよくここも追ッ払ったが、しかし百姓なんぞの手に捕まるはずはねえ。よく眉に唾(つば)をつけて取次いでくるがいいや」
「ところがお頭(かしら)、百姓どもに質(ただ)してみると、まんざら嘘でもねえんです」
「どういう仔細だ、嘘でもねえとは」
「野郎、ここを追い返されて、食うに困ったものとみえ、村の曹正(そうせい)っていう男のやっている居酒屋へ、あれからのべつごねりに行っていたらしいんで」
「それがどうしたてンだ」
「酔っ払っちゃあどこの家へも這入(はい)りこんで、宿を貸せの、小費(こづか)いを出せの、文句をいえば、暴れ廻るし、いやもう手古(てこ)ずり抜いたものとみえまさ。――そればかりか、梁山泊(りようざんぱく)へ渡りをつけて、二龍山の龍などは、いまにおれの手下に付けてみせる。なんて脅(おど)し文句を触れ歩いていたというから笑わせるじゃありませんか」
「野郎、そんな寝言をほざき廻ッていやがったのか」
「で、居酒屋の曹正と村名主が首を寄せて、一ト晩、あの大坊主を上座にすえ、ご機嫌をとると見せて、酒の中へ麻痺(しびれ)薬(ぐすり)をいれて飲ませたというんでさ。こいつア大出来じゃあござんせんか」
「ふウむ。そいつアでかした。ふン縛ってきたのか」
「がんじ絡(がら)めに荒縄をかけたうえ、麻痺(しびれ)薬(ぐすり)が醒(さ)めたところを、また寄ッてたかッて蹴るやら撲るやらしたもんでしょう。坊主頭も見られたざまじゃありません。そいつをまた、猟師(りようし)が猪(いのしし)でもしょッ曳くように、大勢して、わいわい山まで持ってきたわけでござんす。自分たちの手で、息の根を止めるのは不気味だとみえ、お頭(かしら)の龍さまに、ご処分を願いますッて、口を揃えての嘆願なんで」
「そうか。いまの騒ぎはそれだったのか。よしっ、料理してやろう。これへ連れてこい。……が、待て待て、縄付きにしても厳重に取り囲んでこいよ」
やがてのこと。
石弩(いしゆみ)、針縄、逆茂木(さかもぎ)などで守られた柵門(さくもん)を三つも通って、一群の百姓と縄付きの大坊主が、大勢の賊に前後をかこまれて登って来た。――そして来るやいな、魯智深(ろちしん)は、いきなり背を小突かれて、階の下に膝をついた。百姓たちも揃って、龍(とうりゆう)の姿を仰いでぬかずいた。
「お頭(かしら)でございますか。この大坊主のためにゃ、わしら村の者は、どんなに泣かされたか知れません。どうかご存分に、八ツ裂きにでもしてやっておくんなさいまし」
「むむ。よくやった。きさまが居酒屋の曹正か」
「うんにゃ、ちげえますだ」と、その百姓は、クスンと鼻皺(はなじわ)を寄せて、隣に控えていた、もひとりの百姓の顔を見た。これなん、百姓姿に化けた青面獣の楊志であったとは夢にも知らず、龍はジロとその巨眼を、曹正のほうへ移して。
「こらっ、なんだ、きさまの横に置いてある物は」
「はい、はい。これはこの坊主から奪(と)り上げた禅杖(ぜんじよう)と戒刀でございまする」
「坊主の得物(えもの)か。これへ持ってこい」
「へい、ただいま」
やっと持ち上げるような重さを見せながら、曹正はその二品を、階段の真下においた。いやそれはちょうど魯智深の鼻の先へ供えたようなものだった。
「たわけめ!」と、龍はどなった。「――持って上がれと申すのだ。なんでそんなところにおくか」
すると、それまで首を垂れていた魯智深が、
「いや、そこでいい」
といったから、龍は跳び上がって驚いた。
「なんだと、この曳かれ者が」
「龍。おまえの首は、もう横を向く間もないぜ」
いったと思うと、魯智深は後ろに廻していた縄目をばらッと解(と)いて、禅杖へ手を伸ばすやいな、猛吼(もうく)一声(いつせい)、階を躍り上がって、のけ反(ぞ)る龍の真眉間(まみけん)を打ちくだいていた。
縄目は偽(にせ)結びにしてあったのだ。智深の行動とともに、楊志や曹正なども、慌(あわ)てふためく賊の手下どもへ立ち向っていたのはいうまでもなく、また、彼らが手もなく慴伏(しようふく)してしまったのは勿論だった。
ここに、宝珠寺の賊寨(ぞくさい)は、たちまちその主(あるじ)を代えてしまった。――花和尚、青面獣の二人を新たな頭目(とうもく)として仰ぎ、四百の配下は、義を盟(ちか)って、その晩、庫裡(くり)の酒をみな持ち出して、大盛宴を張った。
曹正は、ほかの百姓をつれて、あくる日、村へ帰っていき、二龍山一帯は、その翠(みどり)の色も里景色も、なんとなく革(あらた)まった。弱者いじめな極悪非道は仲間掟(おきて)としていましめ、賊は賊でも、時の宋朝(そうちよう)治下の紊(みだ)れと闘う反骨と涙に生きる漢(おとこ)同士であろうと約したものである。
さて。――楊志(ようし)の落ちつき先は、ひとまず二龍山宝珠寺と、ここに先途(せんど)を見とどけることはできたが、なおまだ、黄泥岡(こうでいこう)事件の後始末は、なにも目鼻はついていない。
いや。この怪事件の詮議(せんぎ)は、まだ五里霧中の序の口だ。――江州車(こうしゆうぐるま)七輛(りよう)にのせて、風のごとく奪い去った重宝十万貫はどこへいったか。その犯人は何者か。天下騒然と、噂はみだれ飛んでいる。
「いまさら、なんとお詫(わ)びも、面目もございませんが、憎(に)ッくき下郎(げろう)は、お手飼いの青面獣楊志(せいめんじゆうようし)。――彼奴(かやつ)のために謀(はか)られて、途中、輸送に従っていた十六名の者、みな毒酒を呑まされて……かくのごとき始末にござりまする」
黄泥岡(こうでいこう)から、夜昼なしに、都へ舞い戻った梁家(りようけ)の執事の謝(しや)は、下手人は、楊志と狎(な)れ合いで、道に待ち伏せしていた七人の匪賊(ひぞく)であると、主君の前に讒訴(ざんそ)した。
仰天したのは梁中書(りようちゆうしよ)である。
老いの涙を垂らしていう謝(しや)執事の言に、嘘があろうとは思えない。怒髪(どはつ)天を衝(つ)く、とはまさにこれを耳にしたときの彼の形相といってよい。
「なに、なに。楊志が途中で賊と狎(な)れ合い、きさまらに毒酒をのませて、あの重宝を持ち逃げしたとな。……むむ忘恩の犬畜生め、よくもわしを裏切りおったな。きっと逮捕(たいほ)して、切り刻(きざ)まずにおくべきや」
また、一方。
開封東京(かいほうとうけい)の大臣邸では、蔡(さい)大臣の誕生日となっても、梁家(りようけ)から祝賀品は、ついにその日になっても届かない。
「さあ、どうしたのか?」と、気が気でなく、朝野の賓客(ひんきやく)を集めた招宴も一こう栄(は)えず、蔡大臣の不機嫌はなはだしいうちに終っていたが、やがてその夜も深更のこと。北京(ほつけい)からの早飛脚だった。
「あっ また今年もか」
梁中書(りようちゆうしよ)の詫び状と、また事態の顛末(てんまつ)を報じてきた一状をも併(あわ)せ読んで、蔡大臣は、身をつき抜ける憤怒とともに、自己の誕生日が、二年もつづいて、賊に呪(のろ)われた不吉感(ふきつかん)に、身の毛をよだてた。
夜明けも待たず、彼は腹心の心ききたる家臣を呼んで、
「黄泥岡(こうでいこう)は、済州(さいしゆう)管下だな。すぐ済州奉行所へ下(くだ)っていけ。そして下手人どもを召捕えるまでは、余の目付(めつけ)として、奉行所にとどまり、与力どもを督励しておれ」
と、厳命した。
目付役をうけたまわった家臣は、即夜、馬にムチを打って済州へ急いだ。
来てみれば、土地(ところ)の奉行所は、いまやごッた返している。
それもそのはず、北京(ほつけい)大名府からは、管領職(かんりようしよく)の名をもって、矢つぎ早の犯人逮捕(たいほ)令(れい)、公文書、叱咤(しつた)の伝令、また早馬と、夜も日もなく責め立てられていた折である。ところへ、またもや、
「ただいま、蔡(さい)大臣閣下の御命により、直々のお目付役がお着きです」
と、報ぜられたので、奉行は、目を廻すどころではない。寝不足のうえにも畏怖(いふ)を加えて、対座の間も、まったく錯乱(さくらん)のていだった。
「はるばるのご下向(げこう)、なんとも恐れ入りまする。偵察局、刑事部、目明しどもまで、全能力をあげて、はや事件の追求にかかり、必死を誓って、もし勤務に怠慢の者あらば、罷免(ひめん)、減俸(げんぽう)などの罰則まで立てて事に当っておりますれば、日ならずして、目鼻もつくやと存じおりまする次第。……何とぞ、ここしばらくのご猶予をば」
「あいや、お奉行」と、目付は、きびしい顔をして言った。
「――日ならずして、などという生(なま)ぬるさでは心もとない。蔡(さい)大臣が、この身を目付役として、差し向けられた一事でもおわかりだろう。黄泥岡(こうでいこう)に出没したと聞く七人の棗(なつめ)商人(あきゆうど)、一人の酒売り、また梁家(りようけ)の裏切り者、青面獣楊志(ようし)。それらの悪徒を、一人のこらず、十日以内に、縛(から)め捕(と)って、東京(とうけい)へ押送(おうそう)せいとの厳達でおざるぞ」
「えっ。十日のご期限ですと」
「万が一にも、十日を過ぎるときは、お気のどくだが、お奉行自体に、沙門島(しやもんとう)(流刑の孤島)までお出かけ願う仕儀と相成るかもしれん。もとより此方もまた、のんべんくらりと、手ぶらで都へ帰る面(つら)もない。どの道、あなたと生死はともにする気でまいったから、左様ご承知おきありたい」
奉行は青くなった。
それ以前とて、やってはいたが、さあこうなると、一刻(こく)が気が気でない。
「刑事部屋の室長、何濤(かとう)を呼べ」
即刻、役室へ移って、彼は自分にかかった重いものを、部下の精鋭に押しつけた。
「何濤(かとう)。何をしておるんだ、毎日なにを」
「お奉行。お奉行には手前どもの働きが、まだ鈍(にぶ)いとでも仰っしゃるんですか」
「口ごたえいたすな。そのほう自身とて、寸刻たりとも、刑事部屋で悠長そうな顔していられる場合ではあるまいが」
「冗談いっちゃあ困ります。配下の目明し何百人を、夜昼なく、蜘蛛(く も)手(で)に分けて、犯人のホシを嗅(か)ぎ歩かせているんですぜ。そのうえ刑事頭(がしら)の自分がただ眼いろを変えて、ほッつき歩いても始まりますまい。こう腕ぐみに顔を埋めて、苦心しているのが、おわかりないのか」
「だまれ。それくらいな経験は、わが輩も舐(な)めておる。進士(しんし)の試験を通って、一郡の奉行となるまでには、あらゆる難に当り、なまやさしいことではなかった。どうでも、十日以内に、犯人全部を挙げてみせろ」
「そいつあご無理だ。神わざじゃアあるめえし」
「いや是が非でも、蔡(さい)大臣のご厳命だ。お目付も来ておられる。もし、そのほうが十日以内に、犯人を検挙しえぬなら、わしの奉行職も馘(くび)だが、きさまもただは措(お)かんぞ。まず遠島だ」
「べら棒な。いくら大臣のお目付が督励にきたからって」
「そう申すのは、なおまだ、必死の捜査が足らん証拠だ。よしっ、この上命が、ただならんものであることを、その肉体に刻んで、寝る間も、忘れることのないようにしてつかわす。書記! 刺青(いれずみ)職人をこれへ呼べい」
奉行もいささか逆上気味だ。――左右に命じて、やにわに、何濤(かとう)の両腕を捉(とら)えさせ、その額(ひたい)に“〇州へ流罪”と、一字空けの流人彫(るにんぼり)を刺(い)れさせたのだ。まるで、値段未定の半罪人の札を貼りつけたようなものである。
「オオ痛え。永年、甘い汁を吸っていた報いか知らねえが、こうなると、奉行所勤めも辛いもンだな」
額(ひたい)の血を抑えながら、何濤(かとう)は刑事頭(がしら)の一室へ下がってきた。ふと見ると、黄昏(たそが)れかけた向う側の目明し溜(だま)りでは、連日の奔走で、草臥(くたび)れてはいるのだろうが、わいわいと馬鹿話に笑いどよめいている。何濤は、むかっとして、そこの扉口(とぐち)から呶鳴りつけた。
「やい、てめえたちはみんな本職を罷(や)めて隠居の身分にでもなったのか」
「オヤ、室長。お顔をどうなすったんですえ?」
「見やがれ、おれの面体(めんてい)を」
「あっ、たいへんだ」
「他人(ひ と)事(ごと)みていにいうない。いいか、十日以内に、黄泥岡(こうでいこう)の一件のかたをつけなけりゃあ、おれは遠島と言い渡されたんだ。なんでえ、てめえたちの暢気(のんき)さは」
「へい、申しわけございません。といったって、こち徒(と)も、足を棒にして、そこらじゅうを、クルクル嗅(か)ぎ歩いちゃいるんですが」
「それでゲラゲラ笑っていられるのか。べら棒め、真剣真味(しんみ)に苦労してるなら、草の根を分けても、野の末、山の隅々まで、狩り立ててみろ、常日ごろにゃ、やれ飲ませてくれの、家(うち)に病人があるから助けてくれのと、そんな時ばかり、人に男泣きを見せやがってよ」
「おいおいみんな。ひと休みしたら、また手分けして出かけようぜ。室長の額(ひたい)を見たら、ぐッと応(こた)えてしまったよ。今夜は一つ夜どおしだ。仕方がねえや、蟋蟀(こおろぎ)になった気で、当分、草の根を分けて歩くんだな」
――そんな声を背に聞き流して、何濤(かとう)は気分が冴えないまま、その晩は、家へ帰ってしまった。
彼の妻は、晩酌の膳にも浮かない良人(おつと)を見て、
「どうしたのよ、あなた。……そのお顔の刺青(いれずみ)はさ」
「例の一件さ。刑事頭(がしら)の女房が、そんなこと、クドクド訊かねえでもわからねえのか」
「と、察してはいますけれどさ。なんぼなんでも」
「是が非でも、十日以内に挙げろッてんだ。しかもまだ、下手人どものホシは五里霧中、なあ女房、わが家の灯を、こうして見るのも、あと十日限りかも知れねえぜ」
「よしておくれよ、心ぼそい」
「だって仕方があるめえじゃねえか。お奉行だけの一量見でもなし、こんどのことあ、蔡(さい)大臣直々(じきじき)のご厳達ときていやがる。過(あやま)ったなア、俺も一生の道を」
「……おや、誰か玄関へ。お客かしら?」
「なアに何清(かせい)だろ。……弟の何清が、また博奕(ばくち)で摺(す)って、不景気な面(つら)を見せにきたにちげえねえ。今夜は、俺は会いたくねえな」
「よござんす。わたしが、お酒でも飲ませて、上手に帰しておきますから」
廊を馳け出していった先で、彼女の愛相(あいそ)がいつもより弾(はず)んで聞えた。何濤(かとう)の弟何清(かせい)は訪ねてきた兄が風邪(か ぜ)気味だと聞かされて、ぜひなく、嫂(あによめ)ひとりを相手に、美味(う ま)くもなさそうに、出された杯を渋々手に取りはじめた。
「姉さん。いやに今夜あ、陰気じゃねえか。どうも姉さんの顔まで湿(しめ)ッぽいや」
「だって清(せい)さん。おまえだって、ご存知のはずだろうに」
「なにがよ」
「うちの良人(ひ と)の心配事さ。あれ、あんな顔してるわ。兄弟効(が)いのないおひとね」
「だって、知らねえもの。なに不自由なしの刑事頭(がしら)でよ、しょっちゅう、裏口からは甘い収入(みいり)があるし、世間さまにはこわ持てされ、そのうえ姉さんみてえな水もしたたる美人を女房に持ち、いったい何の心配事があるのか、おれには不思議さ」
「おふざけでないよ。ちゃんと、ほんとは知ってるくせに。黄泥岡(こうでいこう)の一件を、清(せい)さんが耳にしていないはずないわ」
「あ。あれかあ」
「それごらんな」
「はははは」
「いやな笑い方をするわねえ。いい気味だとでも思っていなさるのかえ」
「邪慳(じやけん)なことを言いなさんな。おれだって、兄貴あっての弟だ。だがネ、兄貴も悪い弟を持ったもんで、ときどき、風邪も引きたくなるだろうな」
「まあ、へんだよ今夜の清(せい)さんは。なんでそんな嫌味をいうのさ」
「イヤしみじみと、時にゃア懺悔(ざんげ)がしたくなるのさ。こうして、姉さんの、心ならずものお酌(しやく)なんかしていただくと、なおさらのことだ」
「もう、してやらないからいい! 変に絡(から)んでばかりきてさ。――今日もお役署には、蔡(さい)大臣のお目付とかが来て、十日以内に挙げなければ、お奉行も馘(くび)、うちの良人(ひ と)も遠島だなんて、顔に金印(きんいん)(いれずみ)まで打たれて帰ってきたんだよ。お酒はいいが、悪ふざけは、やめてくださいよ」
「へえ、そいつあ初耳だな。そんなことなら、もちッと早く来れやよかったが、またやくざな弟めが、いつものでんで、銭(ぜに)でもセビリにきやがったかと思われるのも辛いと思って、つい閾(しきい)を高くしていたが」
「ちょっと待ってよ。清さん、いまいったのは、何のこと?」
「なあに。こんなやくざな弟野郎でも、ひょんなことから、ひょんな役にも立つもんだということさ」
「じれッたいねえ、清さんてば。……もしやおまえ、黄泥岡(こうでいこう)の一件のことで、なにか、心当りでも持ってるんじゃないの」
「まアねえ。どうせ兄貴があてにしているなあ、日ごろよく小費(こづか)い銭(せん)を撒(ま)いている組下の目明しだろうから」
「だから、話せないとお言いなのかえ」
「でもないがね。兄貴が、よくよくのッぴきならぬ破目とでもなりゃあ、そりゃ俺だって、見ちゃいないさ。……だが、兄貴は腕ッこきの目明し頭(がしら)だ。てめえなぞ、出る幕じゃねえよと、鼻ッ先であしらわれるかも知れねえからな。……いや姉さん、どうもご馳走さまになりましたね、またそのうちに」
「あっ、待ってよ。そう、せかせか帰らなくってもいいじゃないの。いま、うちの良人(ひ と)も呼んでくるからさ」
「だって、お風邪なんでしょう。へへへへ」
「あなた。あなた!」
妻に呼び立てられるまでもなく、何濤(かとう)はさっきから、部屋(へや)境(ざかい)の廊で、耳をすましていたのである。それへ顔を見せるやいな、何清(かせい)の手を握りしめて言った。
「悪かった。まあ、気を悪くしないで、もう一杯(ひとつ)飲み直してくれ」
「おう、兄さんか。酒はたくさんだよ。なるほど、ひどい顔になんなすったな」
「日ごろはつい、おめえの身持ちを案じるあまり、つれない顔も見せたろうが、この兄が一生の頼みだ。知っているなら打明けてくれ」
「ふン。黄泥岡(こうでいこう)の小泥棒のことですかい」
「小泥棒! おめえ勘ちがいしちゃあいけねえぜ」
「だってさ、兄さん。あんな者あ、知れきっていらあ」
「げッ。ほんとか」
何濤(かとう)は、奥へ馳けこんで、手文庫の内から、銀子(ぎんす)十両を持ってきて、弟の膳のそばへ、ぽんと置いた。
「少ないが、当座の褒美だ」
「兄さん、すまねえが、おれはツムジ曲がりだ。こう横を向くぜ」
「どうしてだ、弟。不足なのか」
「よしてくれ、鼻薬なんぞ嗅(か)がされると、なお言いにくいや。やくざな弟、ろくでなしな弟。そいつが、たんだ一ぺん。こう兄貴に向って、ちょっぴり威張った顔がしていられるんだ。こいつあ、銭金(ぜにかね)に代えられねえ」
「じゃあ、どうしたら、うんというんだ」
「ああいい気分だ。兄貴、嫂(あによめ)、二人を並べて、こう反(そ)ッくり返っている味は」
「じらすなよ、金はお上(かみ)が出すご褒美。それでも不足というんなら、そうだ、頭を下げる。清(せい)、この兄貴が、頭をさげて、こう頼む」
「むむ! 教えてもいい」
「ありがたい。どこだ? 賊の巣は」
「ここだよ」
何清(かせい)は、自分のふところを、ぽんと叩いた。
「ぬすッとどもは、みんな一ト束(たば)に、おれの鼻紙挟(ばさ)みに収まっている。逃げッこはねえ、安心しなよ、兄さん」
「えっ、おめえの鼻紙挟みだと」
「手品師じゃねえが、まずご一覧に入れやしょう、たねも仕掛けもございませんとね。……証拠はこれさ」
両手を深く懐(ふところ)に差し入れて、何清は、鼻紙挟みを取り出した。薄べッたい革(かわ)財布とともに、一冊の手帖が折畳んである。その手帖だけを、掌の上に残して。
「さて、これにはちょっと、いわく来歴の説明がなくッちゃおわかりになりますまいて。姉さん、そこの窓も後ろの扉も、みんな閉めておくんなさいな。壁にも耳、灯取り虫にも油断はならねえ。……よござんすかい、じつアねえ兄さん、こういうわけだ」
「……もう二た月ほど前。あれやあ六月の半頃(なかごろ)ですがね」
何清(かせい)は、声を沈めて語り出した。
「ごぞんじの安楽村に、王(おう)っていう安宿(やすやど)がありまさ。宿屋(やどや)掟(おきて)のご定法(じようほう)で、毎晩の泊り客には、行く先、職業、住所、年齢をちゃんと書かせる。――戸を卸(おろ)して寝る時刻にゃ、そいつを帳場が書き写し、七日目ごとに、村名主に届けに行く。名主はまた、そいつを纏(まと)めて、月に一回、お役署へ届け出る。……ま、兄さんにゃ、こんな話は余計ごとだが、そういった手順でござんしょう」
「む、む」
「ところが、宿屋の王のおやじは、夏の初めごろから、病気で寝こんでしまッたし、若い雇人たちも、字盲(じめくら)ばかりときていやがる。……そんなとこへ、ちょうど安楽村の賭場(とば)で、すっからかんになったあっしが、銭(ぜに)無しだったが、ままよと思って、泊りこんだものだ。……よござんすか。さア立つ日となったが、払いはできねえや。そこでふてぶてしく腹を割って、またの日に来て払うぜ、てえと、機嫌よく二つ返事さ。おかみが出てきて、その代りに、半月ばかり帳場の帳付けをしてくださいませんか。そのうちには、亭主も起きられましょうからという相談。物好きたア思ったが、面白半分、つい二十日ほど、安宿の手代になって、泊り客の送り迎えをやっていたんでございますよ」
「へえ、おめえがねえ」
「するッてえと、忘れもしねえ、あれは七月に入ったばかりのこと」
「え。七月三日?」
「そうです。七人の棗売(なつめう)りが七輛の江州車(手押し車)を揃えて、ぞろぞろと、夕方の店さきに草鞋(わらじ)を脱いだじゃございませんか」
「…………」
何濤(かとう)の喉(のど)の肉が、ごくと鳴った。
「――あっと、あっしゃあ、とたんにその中の一人に眼をみはった。いや、眼のやりばを反(そ)らして、いっそう旅籠(はたご)の手代らしく、気をつけましたよ。というなア、七人のうちでも、どうやら頭(かしら)だった無口な男に、見覚えがあったんでさ。ちょっと思い出せなかったが、寝てからよくよく考えてみると、もう数年も前に、やくざ仲間の者に連れられて、頼って行った先がある。――なんと、その時ちらと見た、そこの主人にちげえねえ。城県(うんじようけん)は東渓村(とうけいそん)の大名主(おおなぬし)、たしか晁蓋(ちようがい)という男でさあね」
「ふウむ、そして」
「はてな。夕方、なんと宿帳につけたかしらと、翌朝、念入りに調べてみると、七人みんなが、どれも李姓(りせい)だ。李春、李長、李達、李周といったあんばいに。……それで国もとも濠州の同村、行く先は東京(とうけい)、商売は棗売り。つまり東京へ売り捌(さば)きに行くとある。……おかしいなあ、名主が交(ま)じって、とは思ったが、その朝はまア、ご機嫌ようと見送ったのさ。そして一日たった次の日だ、やくざの仲間が誘いにきて、行かねえかッてんで、ふところは淋しいが、村のばくち場を覗きにいき、夜になったら、取られたやつと二人で、ぼんやり帰ってくると、村の三(み)ツ叉道(またみち)を、妙な野郎が、二つの空桶(からおけ)を担(かつ)いで素っ飛んできやがった」
「なるほど」
「連れの男が、オヤ今のは白日鼠(はくじつそ)の白勝(はくしよう)らしい。おういっ白(はく)兄哥(あにい)って、呼んだけれど、返事もしなけりゃあ、振返りもせず消えちまった。なんのこッた、人違いだぜと、こっちも笑って、そこでは連れの男と何気なく別れて帰って来たが、さてその次の日、黄泥岡(こうでいこう)のあの一件が、安楽村へも、ばっと聞えてきたじゃあございませんか。――七人の棗売(なつめう)りと、一人の酒売りが、うまく狂言をかいて、あの道へさしかかった十七名の生辰綱(しようしんこう)輸送の兵に毒酒を食らわせて、十万貫の重宝を、一瞬に掻(か)ッ攫(さら)っていってしまったという騒ぎ。いやもう、村じゅう寄ると触(さわ)ると、四、五日はその話で夢中でさ。……ははアんと、こっちはその間に、宿帳の名前をズラと自分の手控えに書き写しておいたという次第でございますよ。さ、兄さん、証拠のこれは進上する。どうか手柄にしてください」
「おお、かたじけない。貰っておくぜ」
何濤(かとう)は、狂喜した。すぐ何清(かせい)を連れて、奉行所へ馳けつけていく。ただちに一室を閉じて、奉行との密談しばらく、二人はまたすぐ腕ききの捕手十名ほどを選(よ)りすぐッて、安楽村へ急行した。
村へついたのは、すでに夜半過ぎだ。遊び人白日鼠(はくじつそ)の家は、岡ッ引きには、日ごろからもう眼の中のものだった。トントントントンと叩いてみる。寝巻き姿の女房が顔を出す。あっと、逃げ込むのを追い込んで、
「白日鼠。早(は)ええもんだな。もう黄泥岡から、お迎えときたぜ」
何濤(かとう)が、一喝(いつかつ)くれると、白日鼠は、夜具の中から転がりだして、
「だ、だん那(な)。なにをとんでもねえこと仰っしゃって。あっしゃあ、ごらんの通り、この夏の暑気(しよき)あたりで、うんうん、高い熱で唸って寝ている始末じゃござんせんか」
「そうかい。病人ならなおのこと。悪足掻(わるあが)きはしねえがいいぞ。お手当をしてやるから、素直にお縄をいただいて見物していろ」
たちまち、女房と二人を、後ろ手に縛(くく)しあげ、天井裏、床下と、手分けして家探しにかかる。贓品(ぞうひん)は彼の寝台の下、地下数尺の下から掘り出された。一つかみほどな、金銀宝石の入った麻袋(あさぶくろ)だ。
がたがた骨慄(ほねぶる)いしている女房と、満面蒼白な白日鼠に目隠しをさせ、馬の背に乗せて引っ返した。奉行所の門に入って、白洲(しらす)にひきすえると、夜は明けていた。――しかし二人とも、頑強に口は開かない。
一応、休息に入って、本格的な白洲開きになる。拷問(ごうもん)は、半日もつづいた。女房のほうは耐えきれない。で、良人の白日鼠も、ついに口を割って、白状におよんだ。
「もう、こうなっちゃ意地も約束もございません。申しあげます。へい……一件の主謀者は、東渓村の名主、晁蓋(ちようがい)に相違ございません。てまえは、むかしお世話になった縁故から、酒売りの一ト役を頼まれて、筋書どおりに、働いたまででございます。ほかのことも、ほかの六人の衆も、いったい誰と誰なのやら、いっこうに存じませんので」
「よしっ、それだけで充分だ、あとの六人なざ、芋蔓(いもづる)でしょッ曳(ぴ)ける」
何濤(かとう)は、奉行の手から一札の公文を授けられた。管轄(かんかつ)ちがいの他県へ出るので、役署と役署の交渉が要(い)る。
といって、そんな手つづきに手間どって、こっちの手配が漏れたら取り返しはつかぬ。――この間(かん)、何濤の苦心たるや容易ではなかろう。それに、なお、犯人の面通(めんどお)し(容貌の鑑定)のためには、さきに生辰綱(しようしんこう)輸送の行に加わり、その後、証人として奉行所に居残っていた強力(ごうりき)の兵三名を現地へ同伴して行くなどの用意もあった。
「まずは、おれ一人で、城県(うんじようけん)へ急ぎ、県の役署と万端を打合せておく。大勢の捕手組その他は、面通(めんどお)しの者を帯同して、後からこい」
何濤(かとう)は、部下にこう言い残して、その夜半にはもう単身で、馬を県外に飛ばしていた。
耳の飾(かざ)りは義と仁(じん)の珠(たま)。宋江(そうこう)、友の危機に馬を東渓村(とうけいそん)へとばす事
どこの役署前も似たような風景だが、ここの城県(うんじようけん)城の大通りにも、代書屋、弁当屋、腰かけ茶屋などが、町に軒先を並べていた。
「おいおい、菜(さい)などは何でもいいが、大急ぎで朝飯を食わせてくれないか。……なに、もう午(ひる)近いッて。ははあ、おれには朝飯だが、人には午飯だったのか」
夜どおし隣県から馬をとばしてきた刑事頭(がしら)の何濤(かとう)は、とにかくと、役署前の一軒へ入って、腹ごしらえにかかっていた。
「へい。どうもお待ち遠さまで」
「ああ腹が減(へ)ったよ。ところで、亭主」
「へい」
「さっきから、こう役署の正門を見ているんだが、べつだん休日でもねえのに、妙に今日は、ひッそり閑(かん)としているじゃあねえか。なにかい、県の知事さんは、午過ぎでもねえと、役署へは出ないのか」
「いいえ旦那。お役署の混雑は、午まえに一ト片づきして、訴訟人や役人方も、今はみんな昼休みってえとこでございますがな」
「ははは、ちげえねえ。こっちの頭が、時間をとッ違えて見ていたわけか。……じゃあ、ちょっと訊くが、この県の押司(おうし)(県城の書記長)は、なンてえお人だね?」
「旦那旦那。……ほら、ちょうどいま、そこへおいでなすったお方が、県の押司さんでございますよ」
「え。どこに」
床几(しようぎ)を立って、何濤は、亭主の指さす方へ眼をやった。
――見ると、なるほど、押司の制服を着た一名の県吏が、今し役署の広庭をよこぎッて正門から出てくるところだった。
その人は、均整のとれた体つきで、背も余り高くなく、年のころは三十がらみか。色は黒いが、眉目すずやかで、両の耳に珠をかけ、歩々(ほほ)の風(ふう)にもおのずからな人品が見られ、どことなく、ゆかしい人柄だった。
「あっ、もしっ……」
何濤(かとう)は、さっそく往来へ飛び出していって、こう頭を下げていた。
「押司。恐れ入りますが、ちょっと、そこの茶店までお顔をかしてくださいませんか」
「や……」押司は、いかにも不意を食ったような様子で――
「貴公は、どこの者か?」
「てまえは隣県済州(さいしゆう)の刑事頭(がしら)で、何濤(かとう)と申しますが、折りいってのおはなしは……お茶でも差し上げながらと存じまして」
何濤は、しいて彼を、茶店の内へ誘ってきた。そしてまず、挨拶の初めに訊ねた。
「失礼ですが、押司のご尊名は?」
「これはつい申しおくれた。私は姓を宋(そう)、名を江(こう)といって、近くの宋家村(そうかそん)から日々この県役署に通勤しておる一押司です」
「えっ、じゃああの有名な、及時雨(きゆうじう)ノ宋江(そうこう)と世間でいわれているお人は、あなたさまで」
「はははは。そんな大それた者ではありません。まあお手をお上げなすってください」
「いやいや。どうぞ、上座のほうへ」
「とんでもない。それよりあなたこそ、遠来のお客だ。いったい、隣県の刑事頭(がしら)が、いかなる御用で、これへご出張なされましたか」
「じつは、その……」と、何濤は刑事特有な鋭い眼をあたりに配ッて、声を低めた。
「ご配下の当県内に、ぜひ召捕らねばならぬ数名の犯人がおりますんで」
「ははあ。では、その手続きのために」
「さようです。――済州(さいしゆう)奉行所からの公文を持参いたしました。ひとつ、お計らい願いとう存じますが」
「承知しました。……しかし一応、どんな事件か、内容を伺ってみねば、この宋江(そうこう)の係か、ほかの者の係となるか、わかりませんが」
「すでにもう、世間の噂で、ご承知とはぞんじますが、例の黄泥岡(こうでいこう)の一件なので」
「あ。北京(ほつけい)の大名府から、蔡(さい)大臣へ輸送した値(あたい)十万貫の生辰綱(しようしんこう)(誕生祝いの金銀珠玉)が、途中、賊難に遭(あ)ったと聞き及んでいるが、その大事件に、なんぞ手がかりでもあったのですか」
「そうなんです。……従犯の白日鼠(はくじつそ)夫婦は、すぐ召捕りました。ところがなんと、ほかの正犯七人は、城県(うんじようけん)の者だと、自白におよんだのです。……で、昨夜、捕手の勢(せい)を揃えて手順にかかり、まずてまえがその先駆として、ご当所の諒解を得にまいったような次第。……すみやかに、ひとつ、ご内許のお運びのほどを」
「わかりました。して、その犯人七名とは、何者でしょう?」
「共犯全部の名は、まだわかっておりません。が、張本人は知れています。その主謀者は、ご当地の東渓村(とうけいそん)の名主(なぬし)、晁蓋(ちようがい)という人物。……もしや、ご存知はございませんか」
このとき宋江(そうこう)の眉に、一瞬の驚きがサッと掠(かす)めたのを、何濤はつい気がつかなかった。また、気づきもさせぬほど、宋江その人の姿は静かだった。
「……さあ、晁(ちよう)という村名主は、いるかも知れぬが、つい覚えていませんなあ。自分は常に、役署内の事務ばかりみていて、近郷の名主などとは、とんと交際(つきあ)い一つしておらぬ。しかしそこまで突きとめているとあれば、甕(かめ)の内の泥亀(すつぽん)を捕るようなもの。なんの造作(ぞうさ)もありますまい」
「ご面倒でも一つこの公文は、さっそくあなたから知事のお手許へ」
「いや、それは困る。公文書の封は、知事ご自身でないと、開封はできんし、手続き上、私からでは、工合が悪い。……いまはちょうど昼休みで、知事閣下は官邸でご休息中だから、後刻、あなたの手から直接、お差出しなされたがいい」
「では、恐れ入りますが、後ほどご同道願えましょうか」
「それならおやすいこと。ご案内いたそう」
「なんとも、お手数をかけますが、くれぐれも、よろしくどうぞ」
「当然な勤めです。さように恐縮なさるにはおよびません。……が、知事閣下には、たった今、ご休息に入ったばかり、私もこれからちょっと、自宅へ忘れ物を取りに帰るので、暫時(ざんじ)の間、あなたもここで休みながら、お待ちうけくださらんか」
「結構です。どうぞ、そちらの御用ずみの上で」
「では、後刻また」
宋江は、そう約束して、往来へ出ていった。
ところが、近くの辻を曲がると、彼は役署の裏門へ行って、小使を呼び出していた。そして、
「やがて、知事閣下が官邸から役署へお戻りだろうが、そしたらお前はすぐ、正門前の茶店へ行って、済州(さいしゆう)奉行所の何濤(かとう)という者に会い、宋押司(そうおうし)が見えるまでは、そこを動かず待つようにと、よく言伝(ことづ)てしておいてくれい。よろしいか」
と、念を押して立ち去った。
いや、それのみではない。宋江は、官の厩(うまや)から一頭の馬を曳(ひ)き出して跳(と)び乗るやいなや、いずこともなく、馬に鞭(むち)を打ッて急いでいた。怪しむべし、その姿は、またたくまに、名主晁蓋(なぬしちようがい)の住む東渓村(とうけいそん)の村道へ向って近づきつつあるではないか。
ここで宋江(そうこう)その人の、人となりを、もすこし詳しくいっておく必要があろう。
彼の家は代々、城県(うんじようけん)宋家村(そうかそん)の医者で、宋江は三人兄弟の二番目だった。親には孝行で、人には義が厚いところから、村の衆は、彼を呼ぶに、孝義の黒(くろ)二郎などといった。
色が黒いところからきた別名で、またの名を“黒宋江(こくそうこう)”とも呼ばれたが、ほかになお“及時雨(きゆうじう)ノ宋江(そうこう)”という異名もある。
綽名(あだな)には愛称(あいしよう)、嘲称(ちようしよう)、蔑称(べつしよう)などはあっても、敬称は稀れなものだが、宋江の場合は、すべてに衆人の畏敬がふくまれていた。
及時雨(きゆうじう)――というのは、雨が欲しいときに雨を降らせてくれるようなありがたい人――という意味である。これだけでも、日ごろの彼が、いかに人々から慕われているかが知れよう。貧しきを宥(いたわ)り、弱きを助け、また世の好漢(おとこ)どもとの交(まじ)わりも厚く、兼(かね)て剣技に達し、棒をよく使うが、そんな武力沙汰は、まだ一度も表にひけらして人に示したことはない。押司(おうし)としては、役署向けの評判もよく、この人に限っては、吏員(りいん)にありがちな汚職めいた蔭口も聞かれなかった。
――その宋江(そうこう)は今、東渓村(とうけいそん)に馳け入るやいな、荘院(しようや)の門前の槐(えんじゆ)ノ木に、乗り捨てた馬をつないで、
「晁君(ちようくん)はおいでか」
と、息も忙しげに、訪れていた。
荘丁(いえのこ)の取次に、すぐ顔を現わした名主の晁蓋(ちようがい)は、彼の姿を迎えるなり、日ごろのように、
「やあ、どなたかと思えば、宋押司(そうおうし)さまでしたか。さあ、どうぞ」
「いや今日は、客間へなど通ってはいられない。晁君、どこか人なき小部屋でちょっと話したいのだが」
「えらくお急ぎですな。……さ、ここなら誰もまいりません。して、お急ぎの件とは」
「晁蓋どの!」
宋江はじっと眸(ひとみ)を澄まして、彼を見つめた。思いなしか、その眼底には涙があった。晁蓋も、胸をつかれて、思わず、
「はいっ」
と、あらたまった。
「あなたは、えらいことをしてくれたなあ」
「えっ?」
「常々、私はあなたを、親身の兄のように思っていた。あなたもまた、よく人のお世話をし、村の公益を計り、東渓村(とうけいそん)の旧家としても荘院(しようや)としても、恥かしくないお人として、諸人の信頼をうけておられたのじゃないか。……どうして今、私があなたを、見殺しにできようぞ」
「ど、どういうことです。仰っしゃる意味は」
「たった今、済州(さいしゆう)奉行所からの出張命令で、刑事頭(がしら)の何濤(かとう)なる者が、晁蓋以下六名の共犯者を召捕る手続きを県役署へ内申(ないしん)に来ておるのだ」
「あッ。では、ばれましたか」
「黄泥岡(こうでいこう)の一件は、白日鼠(はくじつそ)の自白により、済州奉行所では、悉皆(しつかい)、証拠(しようこ)固(がた)めもつかんだと申しておる。……晁君(ちようくん)」
宋江(そうこう)は、突然、彼の手をかたく握って、
「――なに不自由もないあなたが、どうしてそんな大胆な兇行を敢てやったのか、私にも、その心事が、まんざらわからぬことはない。がしかし、いまは何をいってる暇(いとま)もありません。蔡(さい)大臣の厳命から北京(ほつけい)大名府の手配まで、蜘蛛(く も)手(で)に行き渡っているといいます。なんとて、遁(のが)れえましょうや」
「押司(おうし)っ。……覚悟しました。ほかならぬ御仁(ごじん)の手にかかれば本望だ。さ、お縄をいただきましょう」
「なにを仰っしゃるのだ。あなたを縄目にしていいほどなら、宋江はここへは来ません。私は役人としてでなく、一個の庶民宋江として、日ごろの誼(よしみ)を捨てがたく、宙(ちゆう)を飛んでまいったのです。いざ、一刻も早く、お逃げなさい」
「げっ。で、ではこの晁蓋をそれほどまでに」
「おう、私の親から縁者まで、年来、あなたのご温情には一方ならぬお世話になってきた。かつは私もまた、兄弟同様な交(まじ)わりをしてきた仲です。なんでその義を捨てられようか。……というまにも、済州(さいしゆう)奉行所の捕手もはや当地に入り込んでいるはず。それと茶店に待たせてある何濤が、直々(じきじき)知事に面接して、公文手交(しゆこう)の手続きをとれば、もう万事は休すです。……即刻、ここはお立ち退きあるがいい」
「かたじけない」
晁蓋は、友の手をかたく握りしめて、男泣きの涙をホロリと頬に流した。
「このご恩は忘れますまい。……生涯にかけて、このご恩は」
「さ、さ。そんなことは、どうでもいい。私もすぐ立ち帰らねばなりません。くれぐれ、ご猶予なさるなよ」
こう言うやいな、宋江はもう帰りかける。その袂(たもと)を惜しむかのように、晁蓋もともに裏庭の廊を渡ってきながら、離亭(はなれ)へ向って、三名の者の名を呼んだ。
声を聞いて、そこから庭面(にわも)へ出て来たのは、呉用学人(ごようがくじん)、公孫勝(こうそんしよう)、劉唐(りゆうとう)の三名だった。――晁蓋は彼らを指さして、
「押司(おうし)に対しては、何事もつつみ隠しはできません。あれが一味の者です。ほかに阮(げん)の三兄弟も加わっておりましたが、その者たちはすでに、十万貫の内の分け前を受取って、石碣村(せつかそん)のわが家へ帰ってゆきました。……おいっ、みんな、県の宋江さまだ、ごあいさつして、おのおのの名を名のれ」
それに対して、宋江もまた、廊からちょっと会釈を返した。そして身を翻(かえ)すと、門外へ走り出て、ふたたびその馬上姿を、県城の町のほうへ、燕(つばめ)のごとく小さくしていった。
後ろ姿を見送ってから、その足で裏庭へ廻ってきた晁蓋は、心のうちで、
「しまった。おれはいいが」
と、慚愧(ざんき)の舌打ちを洩らしていた。
「あの人は、県の押司(おうし)だ。かりそめにもその役人が、天下の賊を逃がしたと後で知れたら、身の破滅は知れたこと。……ああ、おれはうッかり自分のことだけに気をとられて、それを問わずにしまったが」
腕拱(うでこまね)いていると、寄ってきた劉唐、公孫勝、呉用の三名が、こもごもに、
「いま帰ったのは、誰ですか」
「何ぞ、俄(にわか)なことでも起ったので?」
と訊(たず)ね合った。
晁蓋は、委細を語って、
「――もし宋江が報(し)らせにきてくれなかったら、おれたちは一網打尽(いちもうだじん)になるところだった。さっそく何とか考えずばなるまい」
「じゃあ、早くも、事(こと)露見(ろけん)ってえわけですね。白日鼠(はくじつそ)も脆(もろ)いやつだナ。拷問(ごうもん)ぐらいに口を割るとは」
「呉用先生。どうしたもンでしょう」
「三十六計、逃げる以外に手はありますまい。……が、さっきの宋江というのは」
「県の押司(おうし)で、じつはこの晁蓋とは、義兄弟といってよいほど、日ごろ、心腹(しんぷく)の誼(よしみ)を結んでいた人です」
「では、あの評判な及時雨(きゆうじう)ノ宋江でしたか。ならば、身を犠牲(に え)とする覚悟で焦眉(しようび)の危急を、あなたへ告げてきたのも道理だ。……すぐ落ちのびねばなりませんな。また、それがその人の本望でもありましょう」
「といって、どこへ」
「ともあれ、石碣村(せつかそん)まで走って、一時、阮(げん)ノ三兄弟の家へでも」
「先生、彼らは三人とも、漁師(りようし)ですぜ。この人数で、どうして狭い漁師小屋などに」
「いやいや。そこは一時の足溜(あしだま)り。石碣村(せつかそん)の浦から水を隔てた彼方(かなた)には、いかなる所があるかを思い出してごらんなさい」
すると、公孫勝や劉唐(りゆうとう)も、異口同音につぶやいた。
「梁山泊(りようざんぱく)。……江の彼方は梁山泊だ」
「そこだ!」と、呉用学人は、老いに似合わぬ眸(ひとみ)をかっとさせて――「かくなるうえは、そこへ渡って、梁山泊一味へ仲間入りを申し入れようではないか」
「だが先生。はたして彼らの仲間が、快く容(い)れるかどうか?」
「心配は無用。われわれの手には金銀がある。引出物としてその一部を献じてやれば」
「なるほど」
たちどころに、四人の腹は一致した。……かねて“黄泥岡(こうでいこう)の智恵取(ちえど)り”で奪い獲(え)た金銀珠玉を五、六個の荷物にまとめ、手飼(てがい)の壮丁(わかもの)十人ばかりにこれを護らせ、呉用と劉唐の二人が付いて、すぐ石碣村へ向って先発して行く。
あとに残った晁蓋と公孫勝は、大勢の家族雇人(やといにん)を一堂に呼び集めて、それとなく別辞を告げ、家財道具をことごとく分け与えて、これも一ト足あとから石碣村へ急ごうとしていたが、さて別れを惜しむ中には、多年愛していた女もあり老幼もあり、つい濡(ぬ)るる袂(たもと)に引かれて手間どっていた。
さてまた。――一方の宋江(そうこう)は、馬をとばして、町へ帰っていたが、役署の厩(うまや)へ、馬をつなぐやいな、すぐ往来を廻って、以前の茶店の前へやってきた。
見ると。
何濤(かとう)はもう待ちあぐねたような顔つきで、そこの軒先に佇(たたず)んでいる。
「やあ、お待たせいたした。……折悪しく、ちょうど宅に来客がありましてな」
「ああやっとお見えか。どうなされたかと思っていました」
「すまん、すまん。さっそく、知事閣下の室へご案内いたしましょう。どうぞ、こちらへ」
折ふし、庁(ちよう)の知事室では、知事の時文彬(じぶんぴん)が他念なく時務の書類に目を通していた。――宋江は、静かに扉を訪れて、
「これへ連れてまいったのは、済州(さいしゆう)の刑事頭(がしら)で何濤と申す者です。重大な事件で、隣県の公文を帯びて、急派されてまいりました由。――一応、公文をお披閲(ひえつ)ねがいとう存じまする」
「どれ……」
と、文彬(ぶんぴん)は花梨(かりん)の大机から向き直って、正式に、何濤の手から公文を受領し、即座にそれを披(ひら)いてみた。
「むむ。……何濤とやら、これはたいへんなお役目、ご苦労だな」
「よろしく、お力添えのほどを」
「もちろんだ。書中によれば、蔡(さい)大臣からの目付(めつけ)まで下向(げこう)して、済州奉行所に泊りこみ、十日以内に、犯人のこらず縛(から)め捕(と)れとの厳達とか。お互い吏務にたずさわる者として、こんな苛烈な上命には思いやらるるよ。……よろしい。当県の手勢もあげて、すみやかに、一味を縛め捕るようにしてやろう。宋江、すぐ計らいを取りはこべ」
「承知いたしました。……が、事洩(ことも)れては仕損じます。黄昏(たそが)れを待って、疾風のごとく襲いましょう。名主の晁(ちよう)さえ召捕れば、あとの六名に、さして手間暇(てまひま)はいりません」
「そこは任せる。だが、どうも解(げ)せんな」
「何がですか」
「東渓村(とうけいそん)の名主といえば、世評もよく、役署向きにも、従来何らの悪名は聞えていない。……それがこんな強盗事件の張本人とは」
「人間はわからぬものです。だれが、どんなことを、腹の中では考えているやら」
「はははは。皮相だけの観察では、偵察長など一日も勤まるまいな。……そうだ、さっそく偵察長や捕手頭(がしら)を、別室へ呼んでくれい。わしからも督励しよう」
知事の文彬(ぶんぴん)は、文字どおりな選良だった。一同の顔が揃うと、べつな公堂へ出向いて、事件の重大性を説明し、また一場の訓示を垂れて励ました。
それから一刻(とき)ほど後には、早くも庁の広場に、偵察長以下、捕手陣の勢揃いが密(ひそ)やかに行われていた。
捕手頭の与力(よりき)は二人だ。ひとりは美髯公(びぜんこう)ノ朱同(しゆどう)といい、もう一人は、挿翅虎(そうしこ)とあだ名のある例の雷横(らいおう)。
おのおの、太刀、弓矢、鉄槍(てつそう)などを帯びて、物々しく身を鎧(よろ)い、
「さあ、行こうぜ」
と、気負いを見せた。――時しも、すでに夕空、雲の流れも旗のようだ。
「いや、待った」
朱同がいう。
「東渓村へ入ったらグズグズしてはいられぬぞ。手筈はどうなんだ。それが肝腎(かんじん)ではあるまいか」
「それよ、そのことだ」
雷横も、また和して、
「偵察長、作戦は?」
「むむ。晁(ちよう)の屋敷は、前が村道。裏にもべつな街道が一つあったな」
「そうですよ。一方攻めじゃ、追い落すようなものだ。ふた手に分れて踏み込みますかい」
「おうっ、一手は裏門へ伏せておれ。合図は口笛だ。――口笛とともに、べつな一手が表門を破ってなだれ込むとしよう」
「ですがね」
と、朱同がまた、その美髯(びぜん)をしごいて言った。
「晁蓋の屋敷には、もうひとつ、逃げ道がありましたぜ。これは誰も知るまいが」
「えっ。すると三つも道があるわけか」
「日ごろに“捨て眼”はつかっておくもんだ。おれはちゃんと睨んでいる」
偵察長は、ぎょっとして、
「そいつア危険だ。よくいう“隠し道”というものだろう。朱同、その道こそ、抜かッたら水が漏(も)れるぞ。――おぬしに捕兵の半分をやる。ぬかりなく、隠し道を塞(ふさ)ぐこったな」
「いや、細道だから、そんな大勢はいらねえ。三十名もあれば沢山さ。じゃあ、おれから先発するぜ」
つづいて、偵察長も雷横も、騎馬となって、人数の先頭に立ち、宵闇まだきに、はや東渓村へ殺到した。
「や、や。火事だ」
「まさしく、あの方角は、荘院(しようや)の屋敷」
「すわ。やつらの方でも、気づいている」
怒濤(どとう)の声は、たちまちそこの表門をぶち破った。バチバチ燃えひらめく火光の裡(うち)を「――御用っ、御用っ」と叫ぶ刺叉(さすまた)、野太刀、棒、槍などを持った捕兵の影が、煙をくぐって躍り入る。
「火の手は、何ヵ所からも出ているぞ。――やいやい、深入りばかりが能(のう)ではねえ、こっちも見ろ。つい、そこらの物陰にも気をくばれよ」
雷横の大音(だいおん)が、しきりに声を嗄(か)らしていた。
とはいえ、彼の腹には、晁蓋(ちようがい)の旧情が思い出され、じつは何とかして、晁蓋を逃がしたいものと考えていたのである。――で、わざと声や物音ばかり荒々と立て、指揮者みずから、指揮をみだしていたものだった。
いや、彼のみならず、裏手へ廻った朱同の腹も、また然りであった。
朱同が、道は三つあるといったのは、じつは嘘なのだ。一手の人数を裂いて自分の手に持ち、なるべく、晁蓋の退路を都合よくしてやろうという考えで、わざと一所にとどまらず、ただ、右往左往を見せていたまでである。
ところで、当の晁蓋はといえば、この時まだ奥の一房を出ていず、下男や壮丁(わかもの)に命じて、わが家の諸所に火を放ち、
「これでいい! さ、公孫勝(こうそんしよう)、運を天にまかせて出かけようぜ」
と、内から横窓を破って躍り出し、土塀を越えて、外を望んだ。
ふと、裏門の方からその影をみとめた朱同は、
「やっ、西側の土塀が怪しいぞ。そっちへ廻れ」
と、逆な方角へ同勢を向け変え、そこへ来るとまた、わざと仰山な地だんだ踏んで、
「さては、表門の方か。それっ、表の村道へ出ろっ」
と、命令した。
だが、こういう場合の願いと、出る目とは、とかく皮肉な賽(さい)コロの裏目が出る。東側の路次から脱兎のごとく馳けてきた晁蓋と公孫勝の影を、はからず朱同も見たし、朱同の手勢も、ばッたり、行き会ってしまったのだった。
「いたぞっ。逃がすな」
もとより部下の捕手は何も知らない。追われる晁蓋もまた、知ろうはずはない。ぜひなく野太刀を抜き払って、
「死にたいのか。死にたけれや、かかって来いっ」
公孫勝も道士の持つ無反(むぞり)の戒刀(かいとう)をかざして構えた。
「邪魔するやつは一颯(いつさつ)だぞ」
それに怯(ひる)んで、わっと退(ひ)く隙に、
「孫勝! むだな殺生はなるべくよそうぜ。逃げろ、逃げろ」
二人とも、闇へ向って、鹿のように走りだした。
ところへ、馬上の偵察長が、早くも馬を躍らしてきた。そして異様な昂奮を、その姿に見せて、
「朱同、賊を見たのか」
「オオ偵察長、遅かった。その馬をかしておくんなさい」
「ど、どうするんだ」
「馬さえあれや逃がすこッちゃなかったのに、惜しくも見失ったところですよ。さ、早く早く」
急(せ)かれるまま、偵察長はつい、自分の馬を朱同に貸した。朱同は前後の捕手を見まわして、
「ええい、役に立たねえ薄のろめら、おれの馬につづいてこい」
と罵(ののし)られても、いきなり一ト鞭(むち)あてた馬の迅(はや)さに、徒歩(か ち)では追いつけるはずもない。
朱同はまんまと、部下を撒(ま)いて、たちまち先へ走って行く二つの影に追いついた。――念のためと、振り向いて、ほかに人もなしと見るや、その後ろから呼びかけた。
「おおい、名主(なぬし)どの。横道へ入れ、横道へ入れ。彼方の林の道を行けよ」
振り返った晁蓋は、変に思って、
「そういうのは、朱同じゃねえのか」
「御用ッとは、言いませんよ。もッともッと、迅(はや)く逃げておくんなさい」
「どうしてだ、追手のおぬしが」
「どうだっていいや、そんなことあ。ただ、村の者も悲しむだろう。あっしの縄にはなおさら掛けられねえ名主さんだ。いっそ、梁山泊へ落ちて行くまでも、とにかく生きていておくんなさいよ」
「ありがとう! 忘れねえぜ、いまの言葉は」
「あっ、いけねえ、森道を狙って、向うの部落から雷横の手勢が出てきやがった。名主さん、かまわねえから、そこらの黍畑(きびばたけ)を突ッ走って、とにかく南へ南へと急ぎなせえ」
言い残して、朱同はわざと、雷横が出てきた方へ馳けていった。
雷横は、朱同が馬で飛んできたのを見ると、すぐ声をかけた。
「朱同じゃねえか。賊はどうした?」
「こっちこそ、訊きてえところだ。部落の内には、不審はねえのか」
「はてね。偵察長は、朱同がすぐにも召捕りそうな懸け声をかけていたが」
「うんにゃ、こっちは空追(からお)いを食っちまった。すると、そこの森道かな?」
「ならば、ほかに道はねえ。それっ、森の中を狩り立てて行け」
これはまさに、二人の腹の探り合いだった。しかも、本心はいずれも、晁蓋(ちようがい)の逃走を無事なれ、と祈っていたのだから、しょせん捕まるはずもない。
半夜を過ぎると、腹は減(へ)るしで、捕手も誰もクタクタになってしまった。雷横と朱同は、期せずして、あたりへ聞えよがしに、こう嘆じた。
「なンてえ素迅(すばし)ッこい奴らだろう。神出鬼没たあ、奴らのことか」
「しかも、今夜にかぎって、漆壺(うるしつぼ)のような闇夜ときている。あきらめようじゃねえか。人為(じんい)は尽したぜ」
この報告には、偵察長も落胆した。もっとげッそりしたのは何濤(かとう)である。済州(さいしゆう)から着いたばかりの手下(てか)を連れて、手配は万全としていたのだが、なにしろ地の理は不案内だし、雷横や朱同の組と一つになるわけにもゆかず、つまり二ノ陣の恰好でいたのである。
「ちぇッ。なんてえ不手際なざまだろう。それよりもこの何濤、どのつら下げて、済州奉行所へ帰れようか」
さらにはまた、その夜、県城の知事室でも、公務に熱心な知事文彬(ぶんぴん)が、服も觧(ひもと)くなく、一夜中その報告のいたるのを待っていた。
「ぜひもない!」
痛嘆はしたが、しかし知事文彬は、法を疑わず、法の下の部下を疑ってみることなどもない。
「惜しくも、晁蓋(ちようがい)は逃がしたとあるが、荘院(しようや)の食客、壮丁(わかもの)、雇人は多いはず。それらは一応、引きつれて帰ったか」
「近隣の者二名、食客二名、雇人三名ほどを、証人として、縛(から)めて来ました」
「すぐ白洲(しらす)を開いて取り質(ただ)せ」
この吟味だけでも、次の日一日は、むなしく過ぎた。が、それだけの効がなくもない。居候(いそうろう)の一人が、ついに口を割って、知る限りを喋舌(しやべ)ってしまったものである。――火中から逃げたのは晁蓋と公孫勝。それより前に、寺小屋先生の呉用と赤髪鬼、劉唐(りゆうとう)が先発して、石碣村(せつかそん)の阮(げん)ノ三兄弟の家で落ち合い、梁山泊(りようざんぱく)へ入ろうという相談でした――ということまで、すっかり口書に取られてしまった。
その口書と、知事の返牒(へんちよう)だけを持って、ついに何濤(かとう)は、不面目な恥を忍んで済州へ帰ってきた。――そして、待ちかねていた奉行に逐一(ちくいち)を語ると、奉行は、
「よしっ、それでは、もいちど獄中の白日鼠(はくじつそ)を白洲に出して、阮(げん)ノ三兄弟なる者をたしかめろ」
と、絶望はせず、なおその手がかりに一縷(いちる)の断末的な意力を燃やして厳命した。
白日鼠(はくじつそ)はもう意気地なく、すべての泥を吐いた。それをつかんで、密室の協議も数時間の後、何濤は疲れた顔にもぼっと赤い血色をたたえて、
「いよいよ、この捕物陣は、えらい大ごとになッちまったよ」
と、ひと口、がぶと茶を飲みながら、手下(てか)の目明しどもに、委細をはなした。
「そいつア大変だ。石碣村(せつかそん)といやあ、梁山泊のこっち岸」
目明したちは、口々にみな言った。
「あの辺は、山東(さんとう)きッての難場(なんば)だと、漁師(りようし)ですら言っていらあ。見渡すかぎりな浦曲(うらわ)は葭(よし)や葦(あし)の茂りほうだい。その間には、江とも沼ともつかぬ大きな水面が、どれほどあるかわかるめえ。それに川までが入り組んでいて、いわば人間の棲(す)み家(か)に向かない所さ」
「そんなところへ潜(もぐ)り込んだ賊を捕まえるなんざ、まるで手ぶらで野鳥を追ッかけにいくようなもの。しかも相手が相手ですぜ」
「よほどな兵備で、馬や舟をも使い、捕手なンて、ケチな人数でなく、堂々と官軍仕立ての大部隊でくり込みでもしねえ限りには、行っても無駄だ」
何濤にしても、正直なところ、自信はない。これ幸いと、彼の手下(てか)の言をそのまま奉行に告げて、捕手陣編成の再考をうながした。
「いかにも、道理ではある」
奉行は、重大決意を見せて、
「よろしい。ではもう一名、べつにしかるべき与力(よりき)を差し添えてやろう。そして人数も五百名に増し、装備には武器庫の二番庫も開いて使え。かつまた、これは北京大名府(ほつけいだいみようふ)の命であり、蔡(さい)大臣のご厳達にもよること。まぎれもない官軍といってよい。――つね日ごろの捕物とはわけが違う。堂々官軍の威をかざして行けい」
まさにこれは、済州(さいしゆう)奉行所始まって以来の椿事(ちんじ)。こんな大捕物陣が繰り出された例は近来ない。
かかる数日の間に。
石碣村(せつかそん)の葭芦(よしあし)しげき一漁家のうちでも、怪しい動きが、夜を日についで行なわれていた。
あだ名、立地太歳(りつちたいさい)ノ阮(げん)小二、短命二郎ノ阮小五、活閻羅(かつえんら)ノ阮小七などの兄弟三名は、とつぜんこの水郷のせまい漁小屋に、晁蓋(ちようがい)、呉用、劉唐(りゆうとう)、公孫勝らの四名を迎えたので、即日、
「ここでは」
と、世帯道具のがらくた物を一ト舟に乗せ、またお手のものの櫓櫂(ろかい)をもって、さっそく家を、そこからさらに遠い湖上の洲(す)の一軒家へ移してしまった。
「さあ、皆さん」と、阮小五が、その晩、酒の支度をすると、小二、小七も手料理にかかって、
「今夜あ一つ、引っ越し酒といきましょうや。小二の婢(かか)とおふくろは、金を持たせて、これも遠くへ隠してしまいましたから、こち徒(と)はもう、足手纏(まと)いも何もありません」
「それにね、先生」と、小七は呉学人へ向って「――いくら躍起(やつき)な捕方でも、ここの湖上までは、おいそれとはやってこられませんからね。先は先とし、どうか今夜はぞんぶんに、手足を伸ばしておくんなさい」
「小七。その先の相談だがね、梁山泊へ渡るには、いずれ水路のほかはないが、どう行ったらいいのかな」
「そいつがですよ」
酒、肴(さかな)の卓を囲んでから、小七が言った。
「――なにしろ、寄り着きにくい、難攻不落ッてえところでしょうがね。漁師仲間でも、舟着きのいい場所を知ってる奴アありゃしません。……ですからね、いちど山東街道へ上陸(あ が)ッて、李家(りけ)の四ツ辻にある茶店へ行き、そこで許しを得るんでさ」
晁蓋(ちようがい)が、杯の間に、口をはさんだ。
「なんだい。その茶店ってえのは。まさか茶店のおやじが梁山泊の仲間というわけでもあるまいに」
「そ、そうなんですよ。いま晁蓋さんが仰っしゃった通りなんで」
「へえ、茶店のおやじが梁山泊の仲間で……そして?」
「仲間入りを望む者は、その茶店で始終見張っている朱貴(しゆき)っていう男まで申し入れる。そして朱貴が頷(うなず)けば、物凄い唸(うな)りのする鏑矢(かぶらや)を番(つが)えて、対岸の梁山泊へ向って射るんです。するッてえと、それを合図に、芦の間から、迎えの舟がこっちへくるっていう寸法でさ。……それ以外に、渡る方法はありませんよ」
「はははは」みんな笑った。「――なるほど、聞きしにまさるッてえなあ、このことだろうな。そう聞いちゃあ、追手に追われる身でなくても、一度は渡ってみたくなりそうだ」
湖上の宵、どこに憚(はばか)る灯一つもない。ようやく酒もまわり、歓語(かんご)も沸(わ)いてきたころである。日ごろ、三兄弟が眼をかけていた一人の漁師が、早舟でここへ告げてきた。
「えらいこッてすぜ、皆さん。五、六百人の官軍が、もう村ぢかくまで来たッていうんで、村じゃあ大変な騒ぎですよ」
「そうかい」――兄弟はすまして言った。
「よく知らせてくれたな。まア一杯飲んでゆきなよ」
呆れたように、男はすぐ消えてしまった。一瞬の沈黙はあったが、七人の世間話はすぐ元通りに返っていた。
「案外、早くおいでなすッたな。官軍というからには、ちったあ支度して来たろうに」
「小二兄哥(あにい)。来たからにゃあ、弱音は吹くめえぜ」
「あたりまえだ。陸(おか)とは違う。こっちは河童(かつぱ)だ。どいつもこいつも抱き込んで、水の底を、たっぷり見物させてやるさ」
「残ったやつらは、この小七、小五が、銛(もり)のさきで串刺(くしざ)しか」
すると、公孫勝が、からかい半分、杯片手にわざと取澄まして言った。
「いや兄弟衆、意気はおさかんだが、五百人の数ですぞ。そんな芸では、小(ち)いせえ、小いせえ。まあ、この公孫勝の手なみのほどを見物してからにしてください」
晁蓋はさっきから黙っていたが、このとき呉用へ向って、初めてこう口を開いた。
「先生はご老体だ。それに筆と書(ほん)よりほか、修羅場(しゆらば)の中はご存知もありますまい。恐れいりますが、大事な荷物だけを小舟につみ、さっき小七の言った李家(りけ)の四ツ辻とかの茶店附近へ漕(こ)ぎよせて、てまえどもが、後から行くのを待っていておくんなさい。そうだ、劉唐(りゆうとう)を付けてやります。おい赤馬、先生について、夜明け前にここを落ちろ。あとの心配はいらねえから、頼んだぞ」
新・水滸伝 第一巻 了
本電子文庫版は、吉川英治歴史時代文庫71『新・水滸伝』(一九八九年六月刊)を底本としました。
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作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現がありますが、文学作品でもあり、かつ著者が故人でもありますので、そのままとしました。ご了承ください。
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吉川英治記念館ホームページのアドレスは、http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/です。 新(しん)・水滸伝(すいこでん)
講談社電子文庫版PC
吉川(よしかわ)英治(えいじ) 著
Fumiko Yoshikawa 1960-1963
二〇〇二年一月十一日発行(デコ)
発行者 野間省伸
発行所 株式会社 講談社
東京都文京区音羽二‐一二‐二一
〒112-8001
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