innocent
久弥直樹
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)朝靄《あさもや》
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(例)[#改ページ]
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遠くに、街並みが霞んで見えていた。
それは、灰色の街。
街路に落ちる雨が、舗装されたアスファルトを叩き、濁った飛沫が朝靄《あさもや》のように街の姿を覆い隠す。
枯れた木々と風に揺れる落ち葉が寒空を思わせる季節。それは――冬の到来を確信させるに充分な、寂しい街の表情だった。
冬の顔は、冷たい雨。
そう思えたのは、ずっとそんな街を見続けてきたのは、それは確か、まだ俺が――。
「祐一《ゆういち》っ」
「……ん」
不意に名前を呼ばれたような気がして、俺は無意織に寝返りを打った。体が痛い。まるで、授業中机に伏せて、そのまま眠ってしまった時のような……。
「祐一っ、起きて」
「うう」
自分でも返事なのかどうなのか怪しい言葉を発して、今度は反対側に体を捻る。
「祐一〜っ」
「……ん?」
重くのしかかる瞼《まぶた》を懸命にこじ開けたその先には、ぼやけた部屋と、俺をのぞき込む誰かの顔があった。
何となく、自分の部屋とは違うような気がする……。
「でも眠い……」
思考が働いたのは一瞬で、また瞼が重力に引かれて閉じていく……。
ゴンッ。
「ぐあっ!」
突然、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走り、俺の意識は急速に引き戻された。
「な、名雪《な ゆき》?」
「おはよう、祐一」
目の前には、目覚まし時計を握りしめた、いとこの少女――水瀬《み な せ》名雪の姿があった。
「祐一、おはよう」
もう一度、にこっと笑いながら朝の挨拶。
「ああ。おはよう……」
対照的に、俺は思いっきり不機嫌に挨拶を返していた。
不思議なもので、混濁していた記憶も、目が覚めると同時に簡単に思い出すことができる。そして、入れ替わるように夢の景色が遠のいていく。ここは名雪の部屋、そして俺たちは受験勉強の為に共同戦線を張っている最中だった。
「名雪……その手に持ってる凶器は何だ?」
「何って、どこから見ても目覚まし時計だよ?」
目覚ましにしては大きなサイズの時計を持ったまま、名雪が不思議そうに首を傾げる。
「呼んでもなかなか起きないから、目覚まし時計で勢いよく起こしたんだよ」
「起こすなっ!」
「もし勉強中に寝ちゃったら起こして、って祐一が言ったのに……」
「目覚まし時計の使い方が違うだろっ!」
「でも、起きたよ。それに手加減したからあんまり痛くなかったと思うよ」
「まあ、そうだけど……でも、手加減するんなら、他に……例えばそのカエルとか」
何故か当然のように円卓を一緒に囲んでいる巨大なカエルのぬいぐるみを指さす。
「ダメだよ、けろぴーはお気に入りなんだから」
そう言いながら、カエルのぬいぐるみ、通称けろぴーを抱きしめるように手元に寄せる。
「ふかふか」
「はあ……」
相変わらずの名雪との会話にため息をつきながら、部屋にある時計で今の時間を確認する。名雪の部屋では、とりあえず時計にはことかかない。
時刻は、すでに午前八時を過ぎていた。
「……もうこんな時間じゃないか。何で俺、朝まで熟睡してるんだ」
最後に記憶があったのが、ちょうど日付が変わる時刻だった。つまり、勉強中にちょっとウトウトどころか、完全に眠っていたことになる。
「だから、おはようございます、だよ」
「…………」
「良かったね、冬休みで」
「……名雪」
「これが学校のある日だったら大変だったよ」
「……お前も一緒に寝てたんだろ」
「そ、そんなことないよ。言われた通り、祐一が寝たらすぐに起こしたよ……」
「名雪、涎《よだれ》の跡がついてるぞ」
「え、うそっ!」
「嘘」
パフッ。
名雪のちょっと怒ったような表情と同時に、けろぴーが顔面に向かって飛んでくる。
「お気に入りを投げるなっ!」
「祐一が変なことを首うからだよっ」
「名雪が嘘をつくからだ」
「そうだけど……。そんなことよりも、時間もないし、早く勉強の続きをしないとっ」
不自然なくらい強引に話を逸《そ》らそうとしていた。名雪の、こういう要領の悪さは三年生になっても何も変わっていない。
「今はもういい。続きは今夜でいいだろ?」
「でも、もうあんまり日数ないよ?」
「そんなに気負《きお》っても仕方ないだろ。別に東大を受けようってわけじゃないんだからな」
「祐一は余裕かもしれないけど、わたしはギリギリなんだから」
一年ほど前も、こうして名雪と−緒に勉強していたことがあった。あの時は学校の試験勉強。そして今では、同じ大学を受けるための、冬休みを利用しての勉強会。
「あの頃は、互角だったのに……」
名雪が、悲しそうにシャーペンの先を見つめる。
「去年は、転校したばかりだったからな」
気がつけば、この街に引っ越して、そして新しい学校に編入して、一年が過ぎようとしていた。
本当に色々なことがあった。
「ふぁいと……」
小さく気合いを入れる名雪のうしろ。窓の外に、小さな影が映っていた。
たくさんの影。ゆっくりと、降りそそぐ。
それは、さっきまで見ていた光景――。
「雨……」
「え?」
呟いた言葉に、名雪が首を傾げる。
「この季節に、雨は降らないよ。ほら、今だって」
窓の外は、一面の白。
冬の顔は、雪。
「そうだよな……」
冬の雨は、名前と姿を変えて地上に降りてくる。
「どうも、まだ寝ぼけてるらしい」
「うん?」
「ちょっとな……。夢を見てたんだ」
「夢?」
「ああ。俺が去年の冬まで暮らしていた……」
それは、冬でも雨の降る、どこにでもある普通の街だった。
「今更、あの街のことを夢に見るとは思わなかった」
「きっと、恋しいんだよ」
「けろぴーパンチ」
「あうっ。祐一、何するのっ」
「けろぴーパンチだ」
「けろぴー振り回さないでっ」
「お前が変なこと言うからだ」
「変じゃないよ。祐一、一度くらい昔住んでた街に戻ったら?」
「帰っても、もう俺が住んでた家には入れないんだぞ。社宅だったからな」
「別に家に戻らなくても、久しぶりに仲の良かった友達に会うとか……」
「会わなくても電話で話くらいできるからな。別に遠出してまで会いたいやつも居ないし」
「祐一、寂しい」
「悪かったな、寂しくて。……あ、でも……」
あの街の風景。
雨に濡《ぬ》れる街並みを夢で見たとき、真っ先に思い出したのは、同じクラスだった少女の姿だった。
「クラスメート? その子、特別仲が良かったの?」
「いや、全然。仲がいいどころか、そいつと話をしたのは、結局二回だけだった」
文字通り、数えるほどだった。名雪は案《あん》の定《じょう》、不思議そうに、けろぴーと一緒に首を傾げている。
「何というか、不思議な子だった。俺だけじゃなくて、クラスのほとんどのやつともまともに話をしていなかったからな。俺が話をしたのは、本当に偶然だったんだ」
そして、その少女は、俺のことを自分と似ていると言った……。俺も、その少女にどこか親近感を覚えていた。
「って、名雪には関係ない話だったな」
「関係ないけど、でも、興味はあるよ。だってわたし、祐一が暮らしてきた街のこと、何も知らないもん」
続きを訊かせて欲しいとばかりに、テーブルに身を乗り出す。
「祐一はわたしのこと知ってるのに、わたしは祐一のこと知らないなんてずるいよ。だから、ね?」
「……まぁいいか。別に、面白い話でもないけどな」
それは、冬がまだ雨だった頃の、他愛のない物語……。
その日。放課後の校舎は、夕焼けの中心にあった。
いつもより一時間少ない五時間授業だったことと、明日が休みだったことで、赤い光を浴びた廊下は、人通りのないまま、その場所にひっそりと寂しく佇《たたず》んでいた。
「まだ、教室開いてるといいけど……」
教室に置き忘れたままの鞄《かばん》を求めて、職員室のある棟から教室の方へと続く渡り廊下を急ぐ。
思ったより職員宅での話が長引いてしまったから、もしかしたら最後の生徒が、俺の鞄に気づかずに鍵を閉めてしまっているかもしれない。
職員室を出るときに、教室の鍵が戻ってきているか確認しなかったことを後悔しながら、それでも今から職員室に戻るよりはと、俺は自分の教室へと繋がる赤い廊下をひとり急いでいた。
それにしても……。
漠然と想像はしていたが、考えていた以上に編入手続きが面倒なことには、今から辟易《へきえき》する。用意しなければいけない書類の山に、編入試験。そして、ずっと暮らしてきたこの街を離れることと、よく知っているはずの、雪の降る街への得体《え たい》の知れない不安があった。
「……もう、覚悟はできてたはずだったのにな」
呟《つぶや》いてから、覚悟なんて大げさな表現をした自分が可笑《おか》しくなる。ただ、昔何度か遊びに行ったことのある、思い出の街に戻るだけじゃないか……。
だけど俺は、転校することを、クラスの誰にも話していない。
入学以来、一年半|通《かよ》い続けた校舎。その、二年生の教室のある廊下。伸びた影が、先に目的の教室に辿り着く。少し遅れて、俺の姿も廊下の窓に映る。教室の扉は、小さく開いていた。
ほっと息を吐くと同時に、急いでいたことが気恥ずかしくなって、俺はわざとらしくゆっくりと、自分の教室に足を踏み入れた。
教室の、窓。
赤く染まる雲の、流れゆく様を見守るように、ひとりの生徒が、開いた窓越しに外を見つめていた。
「あ……」
誰も居ないと思っていた放課後の教室に、まだ残っている生徒の姿があって、俺は思わず声を漏らしていた。
「…………」
その生徒は、ゆっくりと声のした方――つまり俺の方に視線を送る。
それは、知っている生徒だった。正確には、知っているだけのクラスメート。二年になってから、ずっと同じ教室で過ごしてきた。
「……相沢君……?」
小さく声に出してから、まるで俺の名前を呼んでしまったことを後悔するように、口をつぐむ。話しかけられたのは初めてだった。だから、俺の名前なんて覚えていないものとばかり思っていた。
「……ごめんなさい、何でもないです。もう、全員帰ってしまったのだと思っていたから」
感情のこもっていない、機械的な口調だった。今の言葉も、俺が口を開きかけたのを制しただけに思えた。
「えっと、悪い。ちょっと名前覚えてないんだけど……」
「……覚えていなくていいです」
「ちょっと待て。少しだけ覚えてるような気がするし
「……気のせいです」
とりつく島もなく、睫《まつげ》を伏せる。そして、ゆっくりと瞼《まぶた》を開けて、ただ真っ直ぐに俺の顔を見つめる。会話を楽しむ風ではなく、だけどその場所から動こうともしない。まるで俺が立ち去るのを待っているかのような、重たい間があった。
「……私に、何か用があるの?」
制服の上着は夕陽を受けて朱色に染まり、もとから赤だったスカートは、さらに鮮やかなオレンジに変わる。そして、スカートまで伸びた髪が、冬の風に揺れていた。
「何で窓なんか開けてるんだ? 寒くないか?」
「……寒いのは慣れてます」
流れる髪を気にする様子もなく、夕焼けの中に立っている女の子がいる……。
「……帰ります」
最小限の言葉だけを繋いで、クラスメートが自分の鞄を両手に持った。黙礼するように視線を逸らして、そして歩く。何か話をしなければ、彼女はこのまま教室を立ち去ってしまう。
「俺、もうすぐこの街を出ていくんだ」
誰にも言わないはずだった言葉が、口をついて出ていた。どんなことでもいいから、この不思議な雰囲気の少女と、会話を続けていたかった。
俺と、似ているような気がしたから。教室ですれ違った時は、そんなこと思いもしなかったのに。
今になってどうしてそんなことを考えたのかは、分からないままだけど。
「それで、今日はそのことで担任と職員室で話をしてたんだ……って、訊いてないよな、そんなこと」
「……はい」
「そんなはっきり頷かなくても……」
「転校するんですか?」
「通《かよ》える距離じゃないからな。そうなる」
「それは、初耳です」
「今、初めて言ったからな。この話をするのは君が最初で最後だ」
「…………」
「光栄だろ?」
「……いいえ」
反応は、想像していた通り素っ気なかった。
「……どうして、最初で最後なの?」
「え?」
不意に問い返されて、思わず言葉に詰まる。まさか、彼女の方から話題に乗ってくるとは思わなかった。
「……本当は、君も含めて、クラスメートには転校の話は一切しないつもりだったんだ。もちろん、後から親しかったやつに電話くらいはしようと思ってるけど」
「……どうして?」
「嫌なんだ。そういう、もうすぐ居なくなるっていう雰囲気をずっと引きずるのが。だから、何も知らせずに、急にぱっと消えた方が、何となくいいだろ?」
「……相沢君」
女の子の、逆光で陰るその表情が険《けわ》しくなったような気がして、俺は言葉を詰まらせた。
「それは、消える人間の勝手なエゴです」
感情を出さないタイプだと思っていた。もしかしたら本当に感情をどこかに置き忘れてきてしまったのではとすら思い始めていた。
だけど、その言葉には間違いなく感情があった。それは、悲しい表情だった。
「悪かった……」
「いえ、気にしないでください」
すでに、口調は元の彼女に戻っていた。
「ただの、独り言です」
「…………」
「もしくは、自嘲」
小さく笑ったような気がした。それは、笑顔ではなく、彼女の言葉通りの、悲しい笑みだった。
「……どちらにしても、つまらない話です」
無表情に戻って、そう締めくくる。
「どうして、いつもそんな表情してるんだ?」
「……趣味です」
「…………」
「いけませんか?」
「笑うと可愛いような気がするのに」
「笑い方なんて、ずっと昔に忘れました」
「…………」
「……私は、馬鹿ですから」
窓の外には、四角く切り取られ、赤く色づけされた街並みがあった。遠くに聞こえる、街の喧騒《けんそう》。その雲の向こう側に、この少女は何を見ていたんだろう。
「賭け、しないか?」
「……賭け?」
俺の言葉が分からないというように、眉をひそめる。
「いつか俺がまたこの街に戻ってきたとき……」
その時に……。
「その時までに、笑顔を思い出しているかどうか賭けるんだ」
「……やりません」
きっぱりと拒絶の意志を見せて、また歩き出す。同じように赤く染まる廊下に向かって。
「……結果の分かっていることを、賭けの対象にしても仕方ないですから」
そう言い残して、俺の横を通り過ぎていく。
「……さよなら」
呟いたその背中から、表情は分からない。
「そうだ……。クラスメートにこんなこと訊くのもあれなんだけど……。最後に、名前、教えてくれないか?」
背中を向けたまま一瞬だけ立ち止まり、そして一言だけを呟く。
「……嫌です」
それから二学期が終わるまで、俺が彼女と話をする機会は一度も訪れなかった。教室ですれ違っても、まるであの日のことが夢だったかのように、彼女はいつもと変わらない、たったひとりの日常を歩いていた。
結局、引っ越しのことも言えないまま、消化試合のような毎日が過ぎていった。やがて、何事もないまま、二学期が終わった――。
その日は、朝から雨だった。
俺がこの街で過ごす最後の日。そして、思い出の街に還っていく日。叔母さんには昼過ぎには着くと連絡してあったので、まだ通勤途中のサラリーマンの姿さえ見えないような早朝に、俺は駅の入り口に立っていた。ほとんどの日用品は宅配便ですでに送っているので、手持ちの荷物は少なかったが、降り続ける雨と薄暗い空が気分を重くさせる。この分だと、向こうは雪かもしれない。
「……相沢君」
そんな、まだ誰もいない駅の入り口に、ピンク色の傘の花が咲いていた。
「随分、早起きなんだな」
「……今日は特別です」
それは、俺の旅立ちを唯一知っているクラスメートの姿だった。
「でも、どうして今日だって知ってるんだ? それに、時間だって」
「先生に訊きました」
傘から覗くその表情は相変わらずで、クラスメートの女の子は俺を真っ直ぐに見つめていた。あの日の、放課後のように。
「わざわざ、見送りに来てくれたのか?」
「……ついで、ですから」
「ついで?」
初めて見る私服姿。だけど、その服は雨に濡れて、まるで何時間も外で立っていたかのようだった。
「それに、私しか知らないのなら、私が見送りに来るしかないですから」
淡々と、言葉を紡《つむ》ぐ。だけどその言葉は、決して無機質ではなかった。
「それにしても、信じられないな。まさか見送りに来てくれるとは思ってもみなかった」
「……信じられないことなんて、世の中にはたくさんあるんですよ。良いことも、悪いことも」
一度、言葉を置く。そしてゆっくりと息を吐く。
「気がついた時には、信じられない奇跡の上に立っている、なんてこともあるかもしれません……」
「…………」
「その奇跡が、あなたにとって良いことならいいですね」
少しだけ、頑《かたく》なだった表情が綻《ほころ》んだような気がした。誰か、彼女に手を差し伸べている人が居る。何となくそんな気がした。
「でも、どうして突然そんな話を?」
「……似てるような気がしたから。私とあなたが。根拠は、何もないですけど」
「…………」
「こんな話をしたのは、あなたが最初です。……光栄、ですか?」
「ああ、光栄だ」
「……はい」
冗談っぽく首を傾げて、小さく頷く。
「……賭け、してもいいです」
「お。勝算が出てきたのか?」
「……違います」
首を横に振る。
「突然、何の前触れもなく信じられないようなことが起きるのが未来なら……」
何かを決意したような表情で、言葉を選ぶように……。
「今度は、私が笑顔でいられるような、そんな未来があってもいいですよね?」
「そうだな、俺が保証する」
「……嬉しくないですけど」
「それで、何を賭けるんだ?」
「ワッフル」
「ワッフルって……そんなんでいいのか?」
「はい。ワッフルは好きですから」
「じゃあ、これで成立だ」
「……はい」
「じゃあ、俺そろそろ行くから」
出発の時刻が迫っていた。
「……待って」
そして、彼女の最後の言葉が雨越しに届く。
「……あなたは……」
それは、ちょうど一年前の出来事。
ひとりの少女と出会って、小さな賭をしたというだけの、つまらない話。だけど……。
「祐一。受験が終わったら、遊びに行こうよ」
じっと話を聴いていた名雪が、不意に笑顔を見せる。
「祐一が産まれて、ずっと育ってきた、その街に」
「そうだな……それもいいかもしれないな」
今は、不思議とそう思えるのだった。
「楽しみだね」
「でも、名雪は関係ないだろ」
「う。そうだけど、でもわたしも一緒に行きたいから」
「何もない街だぞ」
「その子に会ってみたい」
「びっくりするくらい無愛想なやつだぞ」
「でも、今は分からないよ」
「そうだな……分からないな」
「だったら決まり」
「でも、受験が終わったら、じゃないぞ。二人|揃《そろ》って無事に合格できたら、だ」
その頃には、何もなかったあの街にも、満開の桜が咲いている。
「合格できたら、わたしも行っていいの?」
「そうだな……合格できたら……」
「二人揃って、ね」
「足引っ張るなよ」
「それはわたしの台詞《せ り ふ》」
「俺だろ。どう見ても」
「祐一、いじわるー」
カエルのぬいぐるみが飛び交う部屋の中で、俺はふと、彼女の最後の言葉を思い出していた。
「……あなたは、笑顔で居てくださいね。何があっても」
[#改ページ]
あとがき
初めまして、もしくはお久しぶりです。
久弥直樹です。
まず、いきなりですが、お約束を書かせていただきます。
本作品内における、ゲーム中には存在しないオリジナルの設定及び登場人物は、オフィシャルなものではありません。純粋に、たくさんの方が発表されています、ゲームの二次創作物として、楽しんでいただけると幸いです。
……内容が内容なので、今回は特に強調させていただきました。
さて本編ですが、読んでいただいた方は分かると思いますが、今回純粋に『かのん』ではありません。
複数のゲームの話を一本にまとめたため、『かのん』の方はまだいいのですが、もうひとつの方が、かなり時間経過がゲームとは異なっています。具体的には、ゲームの進行速度よりかなり速い感じです……。(ゲームとは別物と思っていただいた方がいいのかも)
個人的には、一年ぶりくらいにあのキャラが書けたので楽しかったです。ちなみに、タイトルもこのキャラを書いてるときに何気なく浮かんだ言葉です。あまり意味はないです、きっと。
最後になりましたが、またまた無茶なスケジュールでイラストを描いてくださいました、PINSIZEのMITAONSYAさん。本当にありがとうございました。無理を言ってしまって申し訳ありませんでした。
そして、本書を手にとってくださったみなさんに感謝の念を抱きながら、あとがきをしめたいと思います。
それでは、また別の機会にお会いできると嬉しいです。
[#地付き]二〇〇〇年某月
[#地付き]久弥直樹
[#地付き]本文 久弥直樹《ひさや なおき 》
[#地付き]挿し絵 MITAONSYA(PINSIZE Inc.)
[#地付き]サークル「Cork Board」発行
[#地付き]同人誌「innocent」所収(2000.08.13)